ブラックメン暗躍の真相(『UFOS & SPACE』82年2月号)

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投稿者 SP' 日時 2001 年 4 月 17 日 12:00:08:

回答先: Mind Bender 投稿者 SP' 日時 2001 年 3 月 14 日 20:20:52:

「UFOの対地球戦略・総合分析」11
日本の見えない大学情報部

 1960年代後半は、UFO目撃報告が大集中発生。これにともなって、謎の“黒服の男たち”が、目撃者の身辺に出没するという事件がいたるところで起きた。彼らの言動はまことに不可解きわまりなく、目撃者の不安を募らせた。彼らを派遣したのは、どこの誰なのか?

 前号で詳しく述べたように、アメリカの道路調査官レックス・ヘフリンの報告によれば、1965年8月3日、職務中にUFOを目撃し、ポラロイド写真数枚を撮影したが、7週間後に訪れて来て、ニセの身分証明書を示した上“空軍北アメリカ防空司令部員”を自称する正体不明の2人の男に、これらの写真原画をだましとられた。さらに、空軍コロラド・プロジェクトの調査が進行中だった2年後の1967年10月11日、ヘフリンのところに、今度は空軍の制服を着た“ニセ”の士官が現われ、これらの写真原画を、「取り戻そうとするつもりか」とたずね、「ノー」という返事を聞いて、“明らかに安心した表情”を見せたり、ヘフリンに“バミューダ三角地帯”について何を知っているかを質問したりするなどの、奇怪な言動を示したという。
 これに類似した“ニセ”調査官たちの出現についての報告は、60年代後半のUFO目撃報告の大集中発生を通じて、アメリカ各地から多数もたらされた。
3人の少女を襲った物体と政府“調査官”
 1967年1月28日、ペンシルバニア州の目撃者の自宅に、2人の私服の男が現われて、政府の調査官だと名乗り、“ニセ”の空軍身分証明書を示した後、奇妙な言動をして立ち去ったという報告がある。
 この目撃者たちは、男たちのやって来た日から1週間前の1月20日から21日にかけての夜間に、2度にわたってUFOを目撃、2度目には、身体の麻痺をともなう一種のテロ攻撃にさらされていたのだ。
 第1回目は、1月20日の午後11時30分ごろ、ウォルター・カシュナー夫人は、17歳と14歳の娘2人とその友達の16歳の少女をともなって自宅に帰る途中、形のはっきりした、円盤型のピンク色に輝く飛行物体が、雲の下を降下してきて、急角度に変針したあと上昇し、山の峰に並行して飛ぶのを見た。4人はみな、問題の物体が音を出さずに、しかもものすごい高速度で飛んだことに恐怖を感じたという。
 第2回目は、それから2時間半ほどたった1月21日午前2時ごろのことだった。
 3人の少女たちは、寝室で寝つかれず、パジャマを着たまま騒いでいたが、突然窓のカーテンの向こう側に奇怪な光が出現したのを、3人同時に気づいた。そして誰も手を出さないうちに、カーテンが自然に割れて、家の外側2メートルか3メートルのところの空中に浮かんでいる、小さな三角形の物体が見えた。
 問題の物体は、目が痛いほど強く輝くピンク色の光線を室内に向かって放射しはじめた。物体が窓に近づくと、カーテンは自動的におしひろげられたり閉じたりし、物体から放射される光も次第に強くなっていった。
 少女たちはすっかり恐ろしくなり、部屋の外に飛び出そうとした。その時、3人とも全身が麻痺して、叫ぶことも動くこともできなくなってしまった。ただ涙を流し、極度の恐怖に押しひしがれて、神に助けをこうて祈るだけしかできなかった。
 そのうちに光は消え、体の自由は回復したが、そのあと約1時間ほど、気味の悪いめまいの感じが続いた。
 少女たちは、この出来事を知らずに眠っていたカシュナー夫人を起こし、泣きながら、起こったことの一部始終をこもごも話した。そして“あれ”がまたやって来るかもしれないと口走りながら、恐れおののいた。
 母親は3人をなだめて落ち着かせ、いろいろ話し合った結果、一刻も早く事件のことは忘れて、人にはいわないでおくのが一番よいということになった。彼女たちはみな、これを守って沈黙を続けた。1週間後に、政府の“調査官”が、カシュナー家を訪れるまでは……。
 1月28日の夕食後に、同家を訪れるなり、すぐこの2人の男が示した“空軍の身分証明書”は、じょうぶな白い紙に太い黒文字で印刷してあり、本人の写真は見当たらなかった。
 当時アメリカ政府関係者の身分証明書は、紙は用いずに薄い板状の材料を用い、必ず本人の写真が刷り込んであった。米空軍の調査官は、それを固有の特殊な札入れに入れて用いることになっていた。
 この点を知らなかったカシュナー夫人は、その時は、これが、明らかなニセモノの身分証明書であることには気づかなかったという。
 2人とも、黄褐色のトレンチ・コートを着ており、ひざのところから襟までキッチリとボタンをかけていた。2人ともこのコートを始め着ているものはすべて、まるで“10分ほど前に、衣料品店で買ったばかりのように”新しく、靴もおろしたてのものだった。持っていた札入れも新品で、タバコまで封を切らない買いたてのものを持っていた。
 2人のうち、背の高いほうの男だけが質問をし、話をした。背の低いほうの男は、終始ただ黙って速記者の用いるような細長いノートに何やら書き込んでいた。しゃべったほうの男は、金髪で、目の色は緑、やせて皮膚の色は黒褐色だった。今1人の男も、皮膚の色は黒褐色だったが、髪は黒く、目は青だった。2人とも、極めて丁重な態度で、カシュナー夫人と娘たちに接した。
 背の高いほうの男の質問は、21日午前2時ごろの2度目のUFO目撃の際の、娘たちの体験に集中し、極端にしつこくたずねた。
 彼の質問は要領よくテキパキとしており、本格的に描かれた図面、各種のUFOの外観と内部の写真類の掲載されているルーズリーフのノートを持っていた。
 長女のターニヤが、まだ誰にも話していないはずのカシュナー一家のUFO目撃事件を、彼らがどのようにして知ったのか、と質問すると、背の高いほうの男は、次のように冷たく答えたのだった。
「われわれは、いろいろなことを知っているのですよ」
 長女が気づいたところでは、背の低いほうの男がノートに記入しているやり方は、極めて奇妙なものだったのである。
 問題のノートには縦の欄があり、男は左の上すみから書きはじめ一番左の1つの欄を縦に書きおろし、左下に達すると、左側から2番目の欄の上に移り、その欄も下まで縦に書きおろしてゆき、さらに3番目、4番目に移るという記入法をとっていた。長女は速記の技術を身につけていたが、用いている記号も、ノート への書き入れ方も、初めて見たものだったという。
 背の高いほうの男は、質問が終わると多弁になり、次のようなことをしゃべった。
「UFOは、アメリカの開発した秘密実験機であり、人間や土地家屋に害を与えることはない。しかし、これを見たということを、一般の人たちに洩らしてはならない。もしあなた方がそうするならば、FBIに逮捕されることになるだろう」
 不安に思った次女が、
「どうすれば、あなた方に連絡できるのですか」
 とたずねると、男は次のような、奇妙な答え方をしてはぐらかしてしまったという。
「私は、どこでもいつでも、あなたを見つけることができるのですよ」
 やがてこの2人の男たちは家の外に出、道路に駐車してあった車に乗り込んだ。カシュナー家の人々がこれを見ていると、驚くべきことに彼らは、車のヘッド・ライトをつけずに走り去っていった。
保安官補に謎の言葉を残して去った男
 空軍関係者を装った、別の政府秘密機関の工作員であったと仮定しても、多くの奇怪な点を含んでいる、この“ニセ空軍調査官”たちの言動。この中でもっとも不審な点は、目撃者たちが、当局はもちろんのこと、民間調査機関にも報告しておらず、さらに、ほかの誰にも話していない時点で、彼らがどうしてこの目撃事件のことを知り得たのか、ということである。
 この疑問を含んだ報告は、この事例以外にもかなり多数もたらされている。
 たとえば、ヘフリンのところに、ニセ空軍士官が現われて、写真をだましとった日の2週間ほど前に、テキサス州で、パトカーに乗って服務中の2人の警察官がUFOを目撃した直後、この種の奇怪な男が出現して、彼らに口止めをしたという事例が報告されている。すなわち、1965年9月3日夜、テキサス州ヒューストン南方のブラゾリア郡で起こった事件である。
 この夜、保安官補ウィリアム・マッコイと保安官補ロバート・グードの2人はパトカーに乗り、ハイウェイを走行して任務についていた。その際、西の空をよぎって、大きな紫色の光体が水平に移動してゆくのを見つけた。
 その方角には油田があったので、警官たちは初め、それは油田の燈火か何かだと思った。だが、光体は動いており、やがてこちらに向かって近づきはじめたのである。大きな楕円形をした紫色の光体には、小さな青い光点がついており、10メートルか20メートルほどの高さの空中を飛んできたという。
 グードは車の窓をあけて左腕を車外に出していたが、問題の光体が接近してくると、露出していた左の腕と手に熱波のようなものを感じた。
 2人とも恐怖を感じ、グードは車を全速力でデーモンの町に向かって走らせた。するとUFOは、そのあとを追ってついてきた。それを見た2人はパニック状態となり、無我夢中で町に逃げ込もうとした。
 町に近づいた時、マッコイが振り返ると、光体は上昇を始め、パッと閃光を発して完全に消えてしまった。そのまま町に入った2人は、驚きと恐怖で非常な渇きを覚えたので、飲食店に入って飲物を注文した。すると、さらに驚くべきことがそこで起こったのだった。
 飲食店の中にいた見知らぬ男が立ちあがって彼らのテーブルに近づいてきて、保安官補たちが何も語らぬうちに、ハイウェイでの彼らのUFO目撃について正確に指摘し、「この事件について誰にも話さないほうが身のためですよ」といいはなち、あっけにとられている両人をあとに残して、すぐに立ち去ってしまったというのである。
 この時点で彼らは、ハイウェイでの体験について、この男に対してはもちろんのこと、まだ誰にも話していなかった。にもかかわらず、この男はなぜそれを知っていたのだろうか。
 以上の諸事例に登場する奇怪な男たちはすべて、目撃者に直接面接して話し合いをしているが、このほかに、単に目撃者の身辺に姿を現わし、奇怪な示威行動だけ見せて、目撃者とはまったく話し合わず去ってゆく不気味な男たちが、アメリカにおける60年代後半のUFO目撃大集中発生の中でハデな動きを示した。たとえば、1967年6月、オカルト研究で有名なジャーナリスト、ジョン・A・キールの身辺にも出現しているのだ。
黒服の男に呼び出されたジョン・キール
 キールに対する奇怪な正体不明の連中の接触は、1967年6月電話によって始まった。
 キールが電話口に出ると、ロング・アイランドの彼の自宅から程近い寂しい道ばたまで、1人で出てきてほしいというのだ。断わっても何度もかけてくるので、ついに意を決した彼は、UFO記事の取材を目的に、いわれた通りの場所に、1人で出かけて行った。というのも、6月に入ってから、ロング・アイランドでは奇妙な2人の男たちが出没し、折から始まった集中発生によって急激に増加していたUFO目撃者たちの家の近くまでやって来ては黙ってさかんにその写真を撮ってまわっているという噂をキールは聞き込んでいたからである。
 伝えられるところによれば、彼らは、黒い服を着、黒い靴をはき、黒い帽子をかぶっており、皮膚の色も黒く、東洋人のような容貌をしていたという。
 キールが、レンタ・カーを貸りて、指定された場所に近づいて行くと、その場所には、大型で黒塗りのキャデラックが待ち受けており、車内には、黒い服を着た2人の男が乗っていた。彼らはキールの車に向かって、ヘッド・ライトを点滅させると、そのまま走り去ろうとした。そこでキールは、その車の追跡を始めた。
 彼は問題の車がナンバー・プレートをつけていないのを確認した。そしてこの奇怪な黒服の男たちの黒い車は、数マイルほど走ると、公道からはずれて、深い森の中に入っていった。キールがそれを追ってゆくと、その枝道は行き止まりで、問題の黒のキャデラックはどこにも見あたらなかった。
 キールは、問題の車を探そうとしてそのあたりでうろうろ車を走らせていると、数分後に今度は、彼の車の後ろに、黒いキャデラックが現われて、逆に追跡してきた。そこでキールは自分の乗っていた車を停車させ、車の外に降りようとした。すると、黒服の男たちの車は、キールの車の傍をゆっくり追い越し、再び姿を消してしまった。この時もキールは、問題の車には、ナンバー・プレートがついていないことを確認した。
 キールは、「この事件は、明らかに“黒服の男たち”が実在していることを、私に示すために仕組まれた芝居であった」と述べている。この“黒服の男たち”は、その後も、キールのUFO目撃者たちに対する調査活動の周辺に、しばしば姿を現わしている。
 たとえば同年の9月下旬、キールは、UFO現象についてのラジオ放送番組に 出演したが、これを聞いていたある女性から放送のすぐあとで、長距離電話がキールの自宅にかかってきた。
 彼女は、ニューヨーク州に住む、ある有名な政治家の夫人であったが、林の上を低空飛行する金属製の円盤型の物体を目撃した、というのである。彼女はそのことを夫に話したが、その時は信じてくれなかったという。キールはのちにこの目撃事件の調査にあたった結果、彼女のいう通り実際に目撃が起こったということを確信し、彼女の夫も結局彼女の報告を信じるようになった、ということである。
 最初の電話の数回後の9月30日午後9時30分ごろ、問題の夫人から再びキールのところに長距離電話がかかってきた。キールが電話に出ると、彼女は、今自宅の前に、大きな黒塗りの車が停車しており、その中から2人の男が出てきて大型の写真機を組立て始めたところで、夫は外出中だと訴えた。そして、さらに詳しい状況と、事態の経過を逐一、現在形で報告しはじめた。
 それによると、男たちは2人とも背丈は177センチメートルぐらいで、黒いタートル・ネックの服を着、黒いつば広の帽子をかぶっており、初めは牧師のように見えたという。皮膚の色は黒く東洋人のようだった。彼らは、彼女がこれらの点をキールに電話で説明している間中、薄赤いフラッシュをさかんにたきながら、彼女の家の写真を撮り続けていた。そして数分後、彼らは写真機をたたんで車に乗り込み走り去った。
 さらにその年の11月、UFOを目撃したオハイオ州ベルブル出身の青年とその家族たちに、キールがインタビューした際、正体不明の謎の車が、目撃者の家のそばにやって来て、彼の家の写真を撮っていったことが明らかになった。
 近所の住民2名がその現場を見ており、この写真家たちは、同じ通りのほかの家々にはまったく関心を示さなかったという。
モーリー島事件にからむ不思議な出来事
 この年、この種の“黒服の男たち”が、UFO目撃者たちの身辺に姿を現わしたという報告は、キールの周辺だけでなく、アメリカ全土の各地からもたらされた。
 彼らは多くの場合、目撃者自身やその家族、家などの写真を撮影することだけで満足して去っていったが、目撃者の住居内に侵入したり、目撃者に対して、故意に自動車事故を仕掛けてきたという報告も少なくなかった。
 いくつかの場合には、カシュナー家や保安官補の事例と同様に、UFOを目撃したということをまだ誰にも話していないにもかかわらず、目撃直後に正体不明の男たちがやって来て、写真を撮るという奇怪な報告がされている。この種の報告は、60年代後半のUFO目撃集中発生期になって初めてもたらされたものではない。UFO現象が世界的な社会問題となりはじめたばかりの1947年6月24日に発生した目撃事例にともなってすでにもたらされているのである。
 ワシントン州タコマの港内監視官ハロルド・A・ダールとその息子は、これより3日前、モーリー島付近を監視艇で巡視していた際、空中に直径30メートルほどのドーナツ状の飛行物体6個を目撃した。
 ダールは、そのうち1個がモーリー島の砂浜に落とした金属片を拾って上司のフレッド・L・クリスマンに届け、目撃した出来事を報告した。
 この事件の調査には、民間からは、“フライング・ソーサー”の名づけ親となった、有名なケネス・アーノルドがあたり、軍からは、対敵諜報部A‐2情報課員ウィリアム・L・ダヴィドソン大尉とフランク・M・ブラウン中尉(公称位階で実際は準将級の高級情報専門家)が急行した。
 問題の金属片は、この対敵諜報部士官たちが分析のため受領し、彼らはこれをたずさえてB‐25爆撃機に乗り、カリフォルニア州ハミルトン空軍基地に向かって、タコマ近くのマッコード空軍基地を離陸した。だがこのB‐25型機は発進後まもなく、ワシントン州ケルソ付近で、原因不明の事故によって墜落してしまい、2人の対敵諜報部士官は死亡し、問題の金属片は行方不明となった。
 また目撃者のダールとその直属上司のクリスマンは、まもなく行方不明となっている。
 これより前、モーリー島目撃事件はラジオで報道されたが、その直後、ダールの自宅に、1人の黒服を着た男が訪ねてきている。
 男はダールをレストランでの食事に誘った。途中の車の中では、男は主題について一言も語らなかったが、レストランの席に2人が座るやいなや、先日ダールがUFOを目撃した時に起こったことのすべてを、極めて詳細かつ正確に語って聞かせた。ダールは一言も口をさしはさまず、恐怖に身をふるわせながら、ただじっと座っていたが、最後にはっきりと次のような極めて奇怪な脅迫的言辞をろうした。
「私が今話したことからわかるように、君のあの時の経験を、君が考えているよりはるかに詳しく私は知っているのだよ。君は見てはならないものを見たのだ。もしも君が、自分の家族を愛しており、不幸なことが起こらないことを望んでいるのならば、あの時の君の経験を、今後絶対に他言してはいけない」
 このあと、ダールがアーノルドのインタビューを受けた時には、その男のいうことにまだ半信半疑だったので、目撃事件についても、この奇怪な男についても、つつみ隠さずアーノルドに語ったのである。しかしその後、この男の脅迫を裏づける出来事が、ダールとその家族の身辺に起こりはじめたので、彼は沈黙する決心をせざるを得なかった。
 その1つは、『タコマ・ユナイテッド・プレス』紙の編集長テッド・モレロのところに再三かかってきた、正体不明の男からの電話である。
 まずこの通報者は、アーノルドの泊まっていたホテルで行なわれた、ダールとクリスマンに対するインタビューの詳細な内容を、モレロに電話で通報してきたのだ。インタビューが行なわれた直後であり、まだこれについて何らの発表も報道記事も公表されず、当事者の3人以外しか知らないはずの時点においてである。用心深いアーノルドたちは、インタビューの前に、その部屋に隠しマイクが仕掛けられていないかを徹底的に調べたが、何もなかったという。
 謎の通報者はまたモレロに、軍からタコマに派遣されてきた2人の士官たちの死をもたらしたB‐25の墜落事故は、ある種の破壊工作の結果だと確信ありげに告げた。
 さらに同じ通報者は、ダールとクリスマンが行方不明になるとすぐ、モレロのところに電話してきて、ダールが不思議な消え方をし、クリスマンは陸軍機でアラスカに送られた事実を教えたのである。




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