米政府UFO極秘ファイル公開への挑戦(『UFOS & SPACE』82年4月号)

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投稿者 SP' 日時 2000 年 11 月 09 日 13:30:08:

 1977年に米空軍がUFO文書公開に踏み切って以来、アメリカの各種情報機関から数多くのUFO情報が公表された。だが、それがすべてではない。なおも、膨大なファイルの公開へ向けて、敢然と立ち向かう必要があるのだ。

サイエンス・ライター/UFO研究家 ドン・バーリナー 扇平秋雄訳


 現在世界各国政府による不当な情報秘密化の解除を要求する、困難なしかし切実な努力が行われている。我々は、なかでも「UFO秘密政策に反対する市民の会」(CAUS)や「UFO研究基金」による法廷闘争のような、頑強で地道な活動を高く評価する。
 1981年11月中旬、ワシントンDCの連邦地方裁判所は、以前の判決に関するCAUSの訴えを棄却、国家安全保障局(NSA)が、135件のUFO関連記録文書を、公表せずに留保することを正当と認めた。法廷は問題の記録文書の現物の一部分にすら目を通すこともせず、ただNSAによって提出された要約を読んだだけだった。この要約が、問題の記録文書の内容を正確に伝えたものであるかどうかについて、法廷は全く無関心だった。
 法廷は、次の点でNSAと同意見だというのである。すなわち、問題の135件の記録文書のうち、ただ1つでも公開されることは、国家の安全保障に対して有害な効果をもつだろう、というのだ。アメリカ政府が、UFOは国家安全保障に対して関係ないという主張を、長年にわたって唱えてきていたにもかかわらずである。問題の文書の検閲を通し、さしさわりのある部分を削除したテキストを見せてもらいたい、というCAUSの要望に対して、法廷は拒絶をもってむくいたのであった。
 CAUSの法廷代理人を務めるニューヨーク市のピーター・ガースティンによって提訴されたこの訴えを棄却するとの通知は、提訴後わずか数日後にもたらされた。この種の提訴は普通は1ヵ月半〜2ヵ月以上のときを要するのに対して、これは極めて異例のスピード決定という外はない。
 過去数年間にわたって中央情報局(CIA)、国防情報局(DIA)、連邦検察局(FBI)を含むアメリカの各種情報機関は、UFO情報の公開を繰り返し拒否してきたあげく、ついに、法廷で大敗をきっした。その結果一般に流れ出した大量の情報──数千ページに及ぶ公式記録で、その大部分の存在を政府は従来否定してきた──は、長期間にわたる様々な情報機関への関心と活動内容のある部分を暴露したのであった。
 1940年代末以来の期間の大部分において、アメリカ空軍は、UFO報告の研究について全責任を与えられていたといわれた。だが今や、他の政府諸機関も、ある場合には空軍の了解のもとに、またある場合には空軍のあずかり知らぬところで、UFO目撃と着陸事例についての、独自の調査研究を行ってきていたことが明るみに出た。
 1969年末、アメリカ空軍の“プロジェクト・ブルーブック”の閉鎖以後は、これらの他の政府機関も明らかに手を抜き始めた。しかし、このような経過について公表されたことは1度もなかった。政府に対するUFOについての問い合わせは、空軍が受けつけてきたのだが、空軍は、今では即座にUFOについては全く関心がないと言明し、もし目撃者が脅威を感ずるのであれば、地方警察に連絡するよう示唆するにとどまることになった。
 古い“プロジェクト・ブルーブック”のファイルの中から、かつて秘匿されたといわれていた諸情報のうちのあるものが発見されている。しかし今なお、ワシントンDCの国立記録保管所には、多くの未公開の記録文書が残されている。事実、誰かが国家安全保障に関連があると考えたUFO情報は、アメリカの情報諸機関の長期にわたる統制によって、決して“ブルーブック”には送られていなかったのだ。
 ペンタゴン、あるいはCIA本部、はたまたこれらとは別のいずこかの場所に、秘密にされたUFO報告の膨大なファイルが隠されているという噂が根強く流れている。この必死の法廷闘争は、いくつかの法的系争点をめぐる単なる知的な戦い以上の重大なものだ。これまでに秘密にされたUFO記録文書の巨大な山の中から、極めて重要なものを見出すことができるのである。例えば次のようなものである。
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米政府の関心事
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(A) CIAのファイル中に含まれている、ほぼ200件に達するUFO目撃報告。これらの中には、1947年6月、ケネス・アーノルドの目撃によって、現在のUFO時代が開幕するよりも1ヵ月以前に発生した目撃事例があり、最近のものは、1978年に発生した事例がある。CIAによる報告の収集はその後も続いていると見るべきだろう。また、東ヨーロッパからもたらされた最も異常な報告も含まれている。その中には、ソ連の強制囚人収容所からの報告もある。この種の報告の情報源はもちろん不明である。これらは、防衛されるために機密とされていることは疑いない。その他の報告は明らかに、ソ連内やチェコスロバキア、リトアニアの軍隊および情報機関を情報源とするものだ。
(B) 1975年末から1976年初頭にかけて、アメリカとカナダの国境付近にある両国の空軍基地での一連の奇怪なUFO目撃のデータの流れがもたらされていたことが、法廷闘争の結果明るみに出た。低空をゆっくり飛ぶ点燈した物体についての報告が、メーン州のローリング空軍基地、ミシガン州のワートスミス空軍基地、モンタナ州のマルムストローム空軍基地、ノースダコタ州のマイノット空軍基地、そしてオンタリオのファルコンブリッジのカナダ軍基地などからもたらされていた。
 アメリカ政府筋の最大の関心事は、問題のUFO(“未確認ヘリコプター”と呼ばれている。実際はヘリコプターの外見をしておらず、飛び方も全く異なっているにもかかわらずだ)が、核兵器の貯蔵地帯の近傍で目撃されたり、レーダーによって追跡されたという点であった。情報公開運動の圧力の結果、アメリカ空軍によって機密解除された文書の中に、次のような、ローリング空軍基地からの通報文があった。
「午前8時40分、武器貯蔵地帯内にいた警備員は、肉眼で武器庫の極めて近くを低空・低速で飛ぶ1機の航空機を発見した。それはおそらくヘリコプターだと思われた。問題の航空機は、(削除部分)分間にわたって、武器庫から300〜1000メートルの空域で目撃された」
「問題のヘリコプターらしき飛行物体は、レーダーにより更に40分間にわたって、6〜16キロの距離に捕捉され続けた。警備司令官は、目撃が始まってから7分後に問題の武器貯蔵地帯に到着し、ローリング基地司令所を通して、ニューヨーク州ハンコック飛行場の第21北米防空地区軍およびカナダのオンタリオ州ノースベイ飛行場の第22北米防空地区軍に対し、戦闘機による空中掩護を要請した。しかし、両地区軍とも戦闘機の派遣を断ってきた。
 武器貯蔵地帯警備司令官は次のような対応行動を取った。
 同地域に非常警備態勢を敷く。メーン州警察に応援を要請する。同地域航空情報センターに問題の飛行物体の識別を依頼する。レーダー基地に防空探査を要請する。近隣の地方飛行場管 制塔に識別を依頼する。レーダー基地に問題のヘリコプターの飛行空域の特別探査を要請する。
 しかし、これらすべての対応行動は徒労に終わった。
 レーダーによる接触は、ローリングから20キロ、方位65度(東北東)カナダのニューブランズウィック州グランドフォールの近傍で消えてしまった。カナダ政府は問題のヘリコプターらしき飛行物体について何も公表せず、それ以外の異常事態についても何も述べなかった。その夜は、武器貯蔵地帯では、特別警戒態勢が徹夜で維持された。
「この事件は、本年初頭に発表した類似のヘリコプター目撃事件と、極めてよく似ている」
 以前は秘密にされていた、1975年10月末から11月初めにかけて書かれたアメリカ空軍のいくつかの記録文書の抜粋が、このほどCAUSの法廷闘争の結果公表されたが、これによって、問題の“ヘリコプター”目撃事件に対して非常に大きな関心が軍と政府によって払われていたことが明らかとなった。この事件後、軍事基地付近でのUFO目撃発生が顕著に増大し、政府の一層の関心をひくこととなった。
 1976年1月21日“直径24メートル全体が金ないし銀色で、頂部に高い燈火をつけ、中央部に穴があり、底部に赤い燈火をつけた”2個のUFOが、ニューメキシコ州クロビスのキャノン空軍基地の航空路付近で目撃された。
 1976年1月31日、フロリダ州西部にあるエグリン空軍基地のレーダー・サイトの近傍で、1個のUFOが目撃された。ここでは、空軍の最新装置の実験がしばしば行われている。
 1976年2月30日、メリーランド州の合衆国陸軍リキー要塞の弾薬集積所のそばで、1個のUFOが目撃された。
 これらすべての事例に関してアメリカ政府は、正式に“UFO”という呼称を用いていない。そのかわり合衆国政府が用いているのは、“説明不能の物体”“識別不能の追跡目標”そして“異常な空中物体”などという婉曲な表現である。その結果研究者たちは、正式記録文書の中から、UFO関係資料を探し出すことがより困難となっている。
 1975年10月29日から11月10日にかけて、空中宇宙防衛司令部は、地上や空中からの観察者による、あるいは地上および航空機搭載のレーダーによる、UFO類似の目撃ないし捕捉事例を数十件も記録している。にもかかわらず、上級司令部に報告を送る以外に何かの措置がとられた痕跡は見あたらない。
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イラン空軍事件
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(C) 1976年9月19日、今日では広く知られている、テヘラン近郊で発生したイラン空軍のマクダネル・ダグラスF‐4ファントムII型機による、UFO迎撃の試みが発生した。この物語の一部が新聞に洩れたのち、アメリカ政府が認めたところによる限り、この事件に関する報告はすべて、テヘランのアメリカ大使館づき空軍武官が、ワシントンのCIAあて送信したテレタイプの通報によってもたらされたものであった。
 この事件では、ファントム戦闘機搭載の極めて精巧な電子装置が、UFO追跡中の空中で機能を停止してしまったといわれている。DIA所属の公式の分析専門家は次のように判定している。
 この目撃事件の内容は、「他の情報源によって確かめられており」「潜在的に有用なものである」そして「ユニークで時宜を得た、極めて重要なものであって、高い価値がある」
 彼は更に次のように述べている。
「これは優れた報告である。この事例はUFO現象の科学的研究のためのすべての規準を満たしている古典的なものと見なすことができる。すなわち、
(a) 問題の物件は、別々の場所(シェミラー、メーラバッド、乾湖)と視点(空中と地上)から複数の目撃者たちによって視認された。
(b) 目撃者の大部分の信頼性が高い。(1人の空軍の将官、熟練した航空機搭乗員たち、経験に富む空港管制塔管制官たち)
(c) 肉眼で視認された目標が、レーダーで確かめられている。
(d) 離れた空域を飛んでいた3機の航空機に、相互に類似した電磁効果(EME)を及ぼした事実が報告されている。
(e) 目撃者たちの一部に生理学的影響があった。(物体の輝きのため外の夜景が見えなくなった)。
(f) UFOが異常なまでに高い機動能力を示した。などの点である」
(D) 1978年11月、ペルシャ湾のクエート首長国で発生した一連のUFO目撃と着陸事件は、世界のうちで従来UFOの活動があまり見られなかった地域でのことだったため関心をひいた。この事件の報告が、翌年1月クエート科学研究所(KISR)から知らされたとき、これについての真剣な論評が、クエート市のアメリカ大使館から、アメリカの国務省あてに送られてきた。それによると、
「KISRは、問題のUFOが、外国のスパイ装置ではないかという見方については、はっきり否定した。しかし、その起源が地球外にあるという見方については、否定も肯定もしなかった。KISR委員会代表ラティブ・アブ・イドは、米大使館員に対して、同研究所の科学者たちは、それらが確かに地球外からの宇宙船ではないと判断できるほど充分に、この現象に関して知ってはいない、と語った」
 発生した8件の目撃事例の詳細な報告の中で最も印象的な点は、UFOがそばに出現したとき、自動石油ポンプ装置が、明確な妨害作用を受けた事実である。このことと、UFOが去ると同時に機能が突然回復したという事実については、KISRは何も語らなかった。
 このクエートのアメリカ大使館からの通報文のコピーは、国防省、CIA、NASA、在欧軍司令官、ロンドンのアメリカ大使館などに送られた。これらによってどのような反応と活動が起こされたかについては明らかにされていない。この点については、より多くの情報を公表させるに充分な圧力が、今後の法廷闘争によってつくり出されることに成功しない限り、将来も明らかにされることはないだろうと思われる。
(E) 更に補足的な情報を秘密の壁の中からほじくり出そうとする努力が続けられている対象となっている、最も好奇心をそそる報告の1つは、キューバ空軍のMIG‐21型ジェット迎撃戦闘機が、1967年にUFOを追跡しようと試みた際に喪失された、といわれている事件である。アメリカ空軍情報機関の技術者の言によれば、キューバのパイロットと基地との間の交信は、アメリカ側によって傍受されており、従ってキューバ迎撃戦闘機の空中行動に関連して発生した出来事は、すぐさまフォローすることが可能だというのだ。
 問題の技術者は、「キューバ戦闘機のパイロットは、UFOを射撃しようとしたが、その途端、彼は搭乗機もろとも粉砕されてしまった。多分UFOによってである」と証言している。そして更に、問題の無線交信の録音テープを含むこの事件のすべての記録と証拠は、極秘の国家安全保障機関に送られた、というのである。その後、この追跡事件の全体はもちろん、ごく一部分すら確かめる情報をアメリカ政府からひき出すこともできなかった。しかし、これを証明しようとする努力は 続けられてはいる。
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カナダへの影響
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(F) アメリカ政府のUFO秘密政策を緩めるという最近の発展は、カナダ政府の秘密政策を緩めさせるという影響をもたらした。オタワのカナダ公文書保存所に収集されているUFO関連資料のうち次のものが公開された。
●未知物体の目撃情報1947〜50
●未知物体の目撃情報1950〜64
●カナダ国外における未知物体の目撃情報1950〜52
●通信省の記録
●識別不能空中物体の目撃──プロジェクト・セカンドストーリー1952〜53
●宇宙探査と人工衛星、UFO1956〜66
●宇宙探査とテクノロジー1959〜64
 そして、これらに故ウィルバート・スミスによって編集された、秘密計画“プロジェクト・マグネット”関係のファイルを加え、すべての記録ひとそろいを重ねると、高さ1メートルに達する。この中には、国防省のUFO記録は含まれていない。この国防省の記録は、紀元2000年までは秘密とされることになっている。
 かくて、秘密のとばりは、少しずつひき上げられ、UFOの極めて複雑な全容が次第に明らかとなってきている。世界の多くの国々の秘密のファイルの中になお隠されているものは、一体何であろうか。



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