投稿者 SP' 日時 2000 年 11 月 09 日 13:33:01:
回答先: 米政府UFO極秘ファイル公開への挑戦(『UFOS & SPACE』82年4月号) 投稿者 SP' 日時 2000 年 11 月 09 日 13:30:08:
『UFOS & SPACE』80年9月号「CIAを告訴した男の怪気炎」より抜粋。
■GSW会長ウィリアム・スポールディング 聞き手/本誌編集長
──では、GSWはUFO目撃くらいには驚かないアメリカ人に何を、どんな方法でアピールしようとしているのですか。
スポールディング 私たちは、現に起きていることを人々に分からせ、更にそれを立証しようとしているのです。立証の方法は証拠書類、政府機関が撮影したフィルム、ファイルなどによるのがベストです。
平均的なアメリカ市民のUFOに対する強い確信、強い関心は急速に薄れています。人々はインフレ、エネルギー危機、あるいはもっと個人的な問題に興味を向けているのです。確かにレジャー・テクノロジー(余暇工学)の時代ではあっても、人々は金のために闘っている。1950年代、60年代は物価が今ほど高くはなかったので、こんな状況ではありませんでした。
そこで、私たちはボディ・ポリティック(国民総体)に対する教育をやりたいのです。人々のUFOに対する関心は動揺しているので、とても容易なことではありません。科学団体の中で活動するのは比較的容易な道ですが、私たちは同時に、市民に対して直接、彼らが騙されていること、秘密政策がずっと続いていること、非常な混乱が起きていることを知らせたいのです。
もう、米空軍を責めたてるのはやめにしたい。その背後にいるのは誰か。情報機関です。UFOが国民にとって危険であるために情報を公表できないと考えているなら、それは間違いです。公表すれば、誰か分析できるものがいるでしょう。にもかかわらず、いつまでたっても、情報の前に誰かが座り続けているのです。
──GSWは、情報を公表させるために、人々がもっと情報の隠蔽を問題にすべきだと考えているわけですね。
スポールディング その通りです。あらゆる局面が明らかになるまで、事態を額面通りに受けとってはならないのです。もっと客観的な、もっと信頼のおける報告が出されるべきです。UFOは存在する、UFOは存在しない、という十把一からげな理解はすべてを覆い隠す原因になるのです。
──それで、あなた方GSWは一昨年秋、CIAを相手どって情報公開を要求する訴訟を起こし、勝利を収めたわけですがこの裁判で機密解除させた1000ページの資料の他にも、新たな進展はありましたか?
スポールディング その後、CIA以外の機関、つまり国家安全保障局、FBI、米空軍などから入手したものも含めると、ドキュメントは全部で2000ページにのぼります。しかし、現在の情況は好ましくありません。あの訴訟でいろいろな情報機関へのチャンネルが開けたことは確かですが──。
あなたがニューヨークのピーター・トミカワを通じてCIA文書を入手したのは昨年春でしょう。あの後、CIAは法廷侮辱罪に問われたのです。というのは、あれ以外のUFO関係文書の提出をストップしたからです。しかし、この問題も2〜3ヵ月以内に不快な決着がつくと思います。というのは、最近、司法省が、アメリカ国内のあらゆる情報機関との間である合意に達した、という絶望的な記事がワシントン・ポストに掲載されたからです。その内容は、情報機関がひとたびある特定の文書を──それがUFOに関するものであるなしにかかわらず──高度の機密事項として分類した場合には、法定代理人といえども閲覧することができない、というものです。こうして彼らは、「情報自由化法」に対し、扉を閉ざしたのです。
私たちは、これまでに入手可能な文書はすべて入手しましたが、それによると、CIAは文書を次のように分類していることが分かりました。
Need to know(知る要あり)
Official Use Only(公用に限る)
Confidential(秘)
Secret(極秘)
Top Secret(機密)
Crypto(クリプト=最高機密)
「情報自由化法」によって私たちが入手できるのは、この中の“秘”と“極秘”だけです。文書が“機密”になると、もはや手が届かなくなるのです。彼らはいつでもある文書を再分類して“機密”とすることにより、私たちから隔離することができるのです。
しかし、それでもまだ、何らかの公平さが残されてはいると思います。従って、完全に門前払いを食うまでは、情報の公開要求を続けていくつもりです。
我々がCIAを通じて得たのは、他にもまだ文書があり、それは現在の情況を別の方向に導くものだ、という確信です。これまでにCIAを相手どってUFO問題で訴訟を起こしたものはいません。従って、1977年10月に“GSW対CIA”という対立関係が生じたことにはある種の喜びを感じています。