投稿者 匿名〆 日時 2000 年 9 月 29 日 09:17:07:
連載509
2000年4月28日号
ペルー大統領を包むインか帝国の暗く、長い影
東京で開かれた日米欧委員会の会場に朝九時前に良くと、マリオ・バルガス・リョサ(注)が、「一大ニュースだ、一大ニュース」と話しかけてきた。
「いま聞いたばかりだ。フジモリが負けた。ペルーは大きく変わる」
興奮が止まらない。
マリオ・バルガス・リョサは世界的に有名なペルーの作家だ。日米欧委員会の会議ではグローバリゼーションについて話した。その翌日のことである。
中略
アレハンドロ・トレド(54)。フジモリ大統領(61)の対抗馬である。
中略
トレドは「先住民系」なのである。その顔といい、体つきといい。一〇〇%インディオである。
トレドは、インか帝国の首都クスコでの集会では、地酒を大地に注ぐ引火の儀式を催した。大統領就任式あマチュピチュで行うと宣言した。
マピチュは、標高二千五百メートル、弾劾絶壁にアル古代インカの神殿都市である。
「チョロを政権に、チーノは日本に」
先住民系は、そうしたスローガンを叫ぶ。チョロは先住民系のインディオ、それも尾大都会に住むインディオたちだ。チーノは東洋系移民のこと。フジモリは日本に送り返せというのだ。
ペルーは人口の九〇%近くがインディオ(メスティソを含む)である。南米の中でももっともインディオの比率が高い。
そもそも、トレドとは何者なのか。
アンデスの農村、極貧の中に、十六人きょうだいの一人として生まれ育った。トレドが子供の頃、父親は沿海に一家を率いて出てきた。トレドは七歳のときから働いた。靴磨きを始め何でもした。
聡明で読み書きが得意だった。そのうち、小さな地方紙の記者になった。トレドの家に、米国から派遣されてきた平和部隊の夫婦が泊まっていった。彼らはトレドをサンフランシスコ州立大学に留学させてくれる手続きをとってくれた六〇年代のことである。
トレドはそこで経済学を勉強し、それから、名門スタンフォード大学に入り、経済学(開発経済学)修士号と博士号を取得した。米国での生活と学費は全て奨学金でまかなった。
そこで見そめたのが妻のエイリアン・カープである。金髪のユダヤ系ベルギー人だ。彼女はペルーを選考する分化人類学者で、土着の言葉であるケチュア語を流暢に話す。この言葉はアンデス地方一帯、主にペルーとボリビアで使われている。インカ帝国の公用語だった。
その後、世界銀行のエコノミストとして頭角を現した。一九九五年の大統領選挙では雇う候補の一人としてフジモリ大統領に挑戦したが、苦杯をなめた。
しかし、今度は違う。
人々はトレドのことを「パチャクティのような顔をしている」と言う。一五世紀、インカ帝国中興の祖となった族長である。クスコの太陽神殿の改築をはじめ、大々的な都市改造計画を断行した。
パチャクティは「地を覆す者」の意味だ。
中略
今回、フジモリが圧倒的に表をとったところは麻薬地帯が多かったという。住民たちは、政権交代で再び治安が乱れ、麻薬シンジゲートが跋扈することを恐れている。
編かに対する恐怖と、変化を求める希望の戦いであるのかもしれない。
しかし、ここには選択肢がある。民主主義が十分に根づいていないにしても、国民は選択の機会を与えられている。
その意味では、すでに地は覆っているのだ。
注)一九三六年生まれ。主な作品に「都会の犬ども」「フィリア叔母と三文作家」「世界終末戦争」。サッカー評論家でも有名。
2000年4月28日号
No509…ペルー大統領を包むインか帝国の暗く、長い影
船橋洋一の世界ブリーフィングからです。
以上の文章を読むと日米欧委員会というのがあって、
船橋洋一という人も以前ペルー支配の担当者に
なろうとした世界的に有名な「作家」もトレド候補を
応援している事がわかります。
トレド候補の経歴がとても面白いです。
≪平和部隊≫に拾われたのだそうです。
他にも盛り沢山で笑ってしまうくらいです。
今度の選挙では、「地を覆すもの」というペルーの
歴史上の≪王侯≫を気取ったキャラクター商品として
売り込もうとしていた事がわかります。
靡くのが好きな人々に≪王侯貴族のキャラクター≫
を与えて手なずけるのは流行りなのでしょうか?
≪人々はトレドのことを「パチャクティのような顔を
している」と言う。≫と船橋洋一さんは言ってますが、
そのような言葉を広めた船橋さんのような≪人々≫が
居たのでしょう。
≪麻薬勢力≫からフジモリさんは地域住民を
守ったって事も参考になります。
フジモリさんも嫌われるわけです。
フジモリさんは奥さんと離婚したそうです。
奥さんはフジモリさんの≪敵≫になっているそうです。
そんな奥さんの尻に敷かれてなくて
良かったのかもしれません。
トレドさんは奥さんと仲が良いのかな?
ちなみにユダヤ人であるかどうかは、母親が
ユダヤ人かどうかが重要です。
母系社会的な要素があって、なかなか大変らしい。
船橋洋一さんは参考になる事を
色々話してくれてるかもしれないので
残りも少しづつ読んで見ようと思う。
あ、「チーノ」はずばり言えば東洋系というより
中国人です。
中南米では中国人はしばしばフライドチキンを
売っているせいかどうか知りませんが
蔑視の対象となる事が多いようです。
「チーノ」という呼び方にはそういった差別感情が
含まれているように思います。
つまり人種間の摩擦を増やそうともしているのでしょう。
旧ユーゴの内戦は、ある種の陰謀論的に見れば、
チトー大統領を中心としてそれまで敵どうしであった
各民族が団結し、宗教の違いを超えて交流して
高く評価され、人類の可能性の側面を現わす
シンボルとなっていたので、わざわざそれを
否定する醜い人種間抗争によって潰されたと言えます。
シエラレオンにおいて手足の切断が行われたのも
「自分達の「手」で自由を掴み「足」で歩こう」
(うろ覚えです)というスローガンの元に民主化が
進んでいたのに対し、それなら「手」も「足」も
出なくしてやるぞというシンボリックな意味も込めて
住民を脅威によって無力化する為のものだったそうです。
意外とつまらん細かな事にこだわるものだ。
掲示板の方に別の匿名さんも出たので
ハンドルに記号を付けました。