投稿者 匿名〆 日時 2000 年 9 月 29 日 11:44:08:
回答先: 船橋洋一君とお友達の話 投稿者 匿名〆 日時 2000 年 9 月 29 日 11:00:21:
経歴
1944年
北京生まれ
1968年
東京大学教養学部教養学科卒業
1968年
朝日新聞社入社
1975−76年
米ハーバード大学ニーメン・フェロー
1979−81年
朝日新聞北京支局員
1984−87年
朝日新聞ワシントン支局員
1987年
米国際経済研究所客員研究員
1988−89年
朝日新聞経済部次長
1989−92年
朝日新聞経済部編集委員
1993−97年
朝日新聞アメリカ総局長
1998年−99年
朝日新聞編集委員(「日本@世界」コラム執筆)
2000年−現在
朝日新聞社編集局特別編集委員、コラムニスト、役員待遇
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執筆活動
1989−1992年
朝日新聞紙上で経済面週刊コラム「経済地球儀」を3年間執筆
1994−1997年
朝日新聞紙上で月刊コラム「船橋洋一のニッポン反射鏡」を3年間執筆
1998年4月〜現在
朝日新聞紙上で主張・解説面週刊コラム「日本@世界」を執筆
1990年1月〜現在
週刊朝日で週刊コラム「船橋洋一の世界ブリーフィング」を執筆
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主な著作
「経済安全保障論」
(東洋経済新報社 1978年)
「ナミットの思想」
(朝日新聞社 1980年)
「内部−ある中国報告」
(朝日新聞社 1983年)
「日米経済摩擦−その舞台裏」
(岩波書店 1987年)
「通貨烈々」
(朝日新聞社 1988年)
「ゴルバチョフの帽子」
(朝日新聞社 1988年)
「サミットクラシー」
(朝日新聞社 1991年)
「日本戦略宣言 シビリアン大国をめざして」
(講談社 1991年編著)
「冷戦後」
(岩波書店 1992年)
「国境が点線となる」
(朝日新聞 1992年)
「日本の対外構想−冷戦後のビジョンを書く」
(岩波書店 1993年)
「アジア太平洋フュージョン−APECと日本」
(中央公論社 1995年)
「同盟漂流」
(岩波書店 1997年)
「船橋洋一の世界を読み解く辞典」
(岩波書店 1999年)
「日本発 世界の経営者たち 想像的破壊系」
(朝日新聞社 2000年)
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受賞・学位
1983年
サントリー学芸賞(「内部−ある中国報告」)
1980年 ボーン・上田賞(日米経済報道・国際経済報道)
1988年
吉野作造賞(「通貨烈々」)
1992年
石橋湛山賞(フォーリン・アフェアーズ誌、フォーリン・ポリシー誌などへの外交論文)
994年
日本記者クラブ賞(国際報道およびクリントン大統領単独会見)
1996年
アジア太平洋賞大賞(「アジア太平洋フュージョン−APECと日本」)
1998年
新潮学芸賞(「同盟漂流」)
1992年
慶応大学法学博士(「ドル管理」の国際政治)
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その他の主な活動
米「フォーリン・ポリシー」誌理事・編集委員
米「インターナショナル・エコノミー」誌編集員
日米欧委員会日本委員
アジア協力国際顧問委員
国際戦略研究所(IISS=コンドン)会員
世界経済フォーラム(ダボス会議)常任フェロー
アスペン研究所ゲストスカラー
〆
新聞記者のような日常的に知ったかぶりを
要求される仕事に就いている者の中から、
少し筆が立つ、と言うか、口裏を合せるのが
上手な人間を拾ってきて育てるらしい。