投稿者 転載 日時 2000 年 9 月 18 日 11:06:26:
回答先: 西村眞吾はタコ! 投稿者 転載 日時 2000 年 9 月 18 日 10:42:37:
LP氏の日記からです。
前半は終身刑採用の動きについて述べられておりますが、西村タコには関係ないので省略しました。
ここから
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次に、そもそも犯罪抑止のために刑罰を厳罰化するという方向性に、それで本当にいいのだろうかという疑問が残る。わたしたちの社会は、刑罰がなければ、道徳的にやってはいけないことをやってしまうような人間たちをつくるような社会なのだろうか。そういう社会をわたしたちはつくりたいのだろうか。
「強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。」
そう言った人がいた。わたしたちは、そういう人たちを作る出すような社会を望んでいるのだろうか。
もちろん、刑罰に犯罪抑止効果がまったくないなどとは、わたしも言わないし、それが刑罰の一つの役割であることも、否定しない。
しかし、少年法の改定議論における、刑罰適用の低年齢化の議論にも通じるこの風潮を、わたしたちはわたしたちの暮らしている社会のあり方として、認めるのか。罰がなければ、悪いことでもやる社会。犯罪が起こらないようにするために、人びとに刑罰が待ってるぞと、つねに脅しをかけるような社会。
脅して、黙らせて、従順にさせ、不平も言わず、いつもびくびくして人びとが生きなければならないような社会。そういう社会をわたしたちは、つくりたいのだろうか。
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ここまで。
ちょっとコメント
他人の心や体の痛みに想いを寄せられ、話会いで物事を解決できる人ばかりの社会であったなら、法律も警察も裁判所も必要なかったでしょう。
権利や義務といった概念さえ生まれなかったかもしれないと思います。
しかし、残念な事に現実はそうではありません。自分が強姦をしたいからといって国民全員をも強姦魔呼ばわりした人間が国の要職に就いているのが実状です。
国民の苦しみをなんとも思わないどころか、不安や苦しみに付け込んで金儲けを企む政治家や企業家、そして潜在的強姦魔などに対しては厳罰で望むべきであると思います。
一般市民と役人では処罰に差を付けて当然でしょう。たとえば、罪人の社会的責任の度合いを給与や役職によって評価し、高位の者ほど厳罰に処すれば良いと思います。
西村ぐらいの立場のものは、潜在的強姦魔である事を自白しただけで牢屋にぶち込むべきだと思います。