○エイズ
エイズは中央アフリカのザイールで発生、カリブ海のハイチを中継してアメリカ
に伝播下という説が、アメリカの宣伝によって世界中に浸透し、今や常識と化し
ている。しかし、医学的観点から検証していくと、この説にはなんら証拠が無い
ばかりか、多くの矛盾に満ちている。アメリカが、真相を隠すために偽情報を流
している。真相はアメリカ以外の場所で暴露された。
1984年7月4日付のインドの有力紙、『パトリオット』は次のように報じた。「ア
メリカ陸軍の生物・化学兵器戦研究所センター、フォート・デトリックで人体の
免疫システムに関するプロジェクトが組まれ、遺伝子工学的手法によって道の新
型ウィルスが人工的に生み出された。それが、エイズウィルスである。」
○生物兵器であるエイズウィルスの開発と伝播の経緯
フォート・デトリックでは、アフリカミトリザルを使って、それが感染している
ウィルスに遺伝子操作を加える試みがなされた。1969年2月実験サルの間に奇病
が集団発生する。その症状は、元気だったサルが突然高熱を発し、全身のリンパ
腺が腫れ、下痢を繰り返すという症状の後、体重が極端に減少、免疫不全にいた
り感染症併発して死亡するという物であった。この症状はまさにエイズそのもの
である。この奇病はフォートデトリックの遺伝子操作によって人工的に生み出さ
れた、アフリカミドリザルの変異ウィルスによるものであった。これがエイズウ
ィルスである。
1970年代に軍刑務所の囚人に対して人体実験。アメリカでは刑期短縮と引き替え
に生体実験のボランティアを募ることは通常のことである。
1970年代末、エイズが突如として発生する。エイズウィルスを植え付けられた囚
人達の釈放後の社会生活を通じてエイズの伝染が始まった。また、エイズが集中
発生した場所は、サルが実験された場所と符合している。
1987年頃、告発した日本人医師の銀行口座に、口止め料として25億円が振り込
まれる。そして、現在までに開発に関わった約400名が暗殺済み。内部告発した
科学者も生命の危機におびえている。
○血液製剤
この生物兵器エイズは、WHOを使い、天然痘ワクチンにエイズウィルスを植え
込み、1億人以上に接種するという形で実験を行った。
1983年1月4日、アメリカ、ジョージア州アトランタでCDC(アメリカ国立防
疫センター)は、全米の血液関係者を集めて重大な会議を行った。CDCが行っ
た半年間の調査によれば、全米で既に8人の血友病患者がエイズを発病し、その
他に3人がエイズと疑われていた。この11人はいずれも血液製剤を使っていた。
会議から2ヶ月後1983年3月、アメリカ政府は感染原因が血液中のウィルスでは
ないかと考え、加熱処理をした血液製剤を緊急に認可した。
しかし、日本での認可は1985年7月、アメリカに遅れること2年4ヶ月後であっ
た。この間、日本ではアメリカから輸入された加熱処理をしない非加熱製剤が使
われ続けたのである。
○厚生省エイズ研究班内部資料
1983年7月の第二回会議で一人の血友病患者がエイズであるかどうかを巡って論
議が闘わされたことが記されている。この患者は、エイズ研究班の安倍委員長か
ら報告された48歳の男性であった。この患者を巡って、安倍委員長一人がエイ
ズだと主張したが、他の委員の同意は得られなかった。しかし、このとき患者は
すでに体中にカビが生えるなど、エイズ特有の症状が現れ、免疫も極度に低下し、
7月に死亡した。
●解剖所見に「エイズの疑い」/83年死亡の血友病患者(1996-02-20)
1983年夏、厚生省のエイズ研究班で論議が続いていた頃、全国各地の病院で、免
疫機能の低下を示す血友病患者が次々と見つかっていった。金沢大学の医師グル
ープは、アメリカの医学雑誌に触発され、自分の病院で治療中の血友病患者の血
液を調べてみた。アメリカのCDCの基準では、数値が1.0を割るとエイズの疑
いが濃厚であるとされていた。この病院では、14人中11人が1.0を大きく下回っ
ていた。医師は、自分の患者達の中にエイズと疑われるデータが出たことに驚き、
厚生省の免疫不全に関する研究班で発表した。しかし、発表後、厚生省およびそ
こに出席した関係者の中からは『一つの質問もなく』なぜか全く問題にされなか
った。
○日本の厚生省とエイズ
厚生省は日本人にエイズを植え付けるために(??????????)危険性を
示す情報をすべて握りつぶしたのだ。そして、アメリカ最大の血液製剤メーカー
のカッター社は、エイズに感染した「ホイットフィールド」の血液によって汚染
された血液製剤をわざわざ日本に輸出していたことがNHK取材班の調査により
明らかになっている。
参考『埋もれたエイズ報告』NHK
そして今、日本でも不気味にエイズ患者が増大している。
〔参考図書〕:『仕組まれた恐怖』永井明 1986 講談社
>>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>非加熱血液製剤で2000人のエイズウィルス感染者
>>厚生省担当局長,課長はそれぞれ国会議員へ,非加熱血液製剤の安全宣言を出
>>した厚生省エイズ研究班班長の私立大学医学部教授は副学長へと転身
>>
>>フランスでは,国立輸血センターの元所長が禁固の判決,それでも刑が軽すぎ
>>るとして,被害者が再審を請求し,再起訴。
>>
>>日経,1995年3月25日
>>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(1995-05-09 20:57投稿)
●対策遅れがHIV感染拡大
非加熱の輸入血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染した血友病患
者の4割以上が、1984年以降の感染と推定されることが厚生省のHI
V感染者発症予防・治療に関する研究班(班長、山田兼雄・聖マリアンナ
医大客員教授)の調査でわかった。米国は83年に安全に配慮した加熱製
剤を導入したが、日本では2年余り遅れた。菅直人厚相は国の責任を認め、
患者らに謝罪したが、対策の遅れが被害を拡大させた実態の一端が明らか
になった。
全国145病院から報告された感染者で、長い間エイズになっていない
131人を調べるなかでわかった。
感染時期が推定されたのは九十九人で、うち九十七人は血友病患者。
78―80年は4人、81―83年は53人(うち2人は性交渉による感
染)で、84―86年が39人、87―90年も3人いた。非加熱製剤を
使った時期や病状の目安になる白血球の値、抗体ができた時期などで主治
医が診断したという。
非加熱製剤で血友病患者の4割、約1800人が感染した。調査では年
ごとの感染者数ははっきりしないが、米国が他のウイルス感染を防ぐため
に加熱製剤を使いだした83年にも、国内では相当数が感染したとみられ
る。加熱製剤は84年になって国内で臨床試験(治験)が始まり、承認に
はさらに1年以上かかった。
87年以降にも3人の感染者がいることは、加熱製剤の導入後も非加熱
製剤の回収や使用禁止を厚生省が指導せず、メーカーも対応しなかったた
め、被害がさらに広がったことを示している。
(1996-02-19 http://www.asahi.com/index.html)
●解剖所見に「エイズの疑い」/83年死亡の血友病患者
1983年に厚生省エイズ研究班の症例検討の対象となった男性血友病
患者が、解剖所見で「エイズの疑い」とされながら、日本のエイズ第1号
に認定されなかったことが20日、関係者の話で明らかになった。この解
剖所見を含む症例資料は、厚生省内で「発見」されたエイズ関係資料の中
に含まれ、同省の調査班も把握している。この患者は、厚生省が約2年後
に男性同性愛者をエイズ第1号に認定した後、エイズと認定された。
「83年段階で血友病患者をエイズ認定しなかったことが、血液製剤の取
り扱いを含むエイズ対策の遅れにつながった」と指摘する関係者もいる。
厚生省エイズ研究班内部資料
この血友病患者は83年7月初め、東京の帝京大病院で死亡した。
見つかった資料によると、この患者は81年夏ごろから全身のけん怠感、
食欲不振、発熱などの症状が現れ、入退院を繰り返した。83年3月に帝
京大病院に入院した時には、エイズの症状である免疫機能の低下がみられ
た。その後、肝不全などを併発し、約4カ月後に死亡した。解剖した病理
学の教授は、患者の心臓などに現れた感染症の症状について「エイズの所
見と考える」と記録している。
当時、発足したばかりの厚生省エイズ研究班は、全国の大学病院などに
エイズの可能性のある症例の報告を依頼している最中だった。帝京大から
はこの患者の資料が提出され、研究班は同年7月から8月にかけ、この症
例がエイズに当たるかどうか検討した。
同研究班の班長で、死亡した血友病患者の主治医だった安部英・帝京大
教授はエイズであることを主張したとされるが、複数の研究班メンバーが
米国のエイズ診断基準に合わないことを理由に強く反対した。治療の過程
で、免疫機能を低下させるステロイド剤が使われていたためだった。
(1996-02-20 http://www.asahi.com/index.html)
★阿修羅♪コメント。エイズだということは関係者各位はっきりわかって
いたみたい。ただ、日本のエイズ発病第1番目と言う大役はどうしても同
性愛者に丁重にお譲りしたかったみたいですね。そこで、血液製剤感染が
第一号では絶対に困る誰かさんが(厚生省,製薬会社,他)なした情報操
作ですね。それによって薬害エイズが広まろうがそんなことは関係なく、
ただ自分たちの身を守るためにその方がよかったと思ったんでしょうね。
どっかからお金もいっぱいでたんでしょうしね。この情報操作は私が以前、
陰謀に興味が無い頃に誰かが言っていたのを覚えています。知らない奴だ
けが知らないのでしょう。
そして,たぶん、同じように,今も,誰かが,俺たちを,だましている。
知らない奴は、殺られても知らないままなのだ。
●HIV訴訟原告に厚生大臣が公式謝罪
非加熱の輸入血液製剤によってエイズウイルスに感染させられた血友病患
者、家族らが国と製薬会社を訴えている東京、大阪HIV訴訟をめぐって、
菅直人厚生大臣は16日午後、原告ら200名と厚生省で会い、初めて全面
的に国の責任を認めて謝罪した。菅厚相は、「国の責任すべてについて心
からお詫びする。長い間、国の責任を明確にできず、皆さんに大きな重荷
を負わせてしまった」と述べ、被害者への生活支援を柱とする恒久対策に
ついても全力で取り組む考えを表明した。
多くの薬害問題の中でも、厚生省が法的責任を認めて謝罪したのは史上初
めて。今回の厚生省の判断は、先月大臣に就任した菅直人氏のイニシアテ
ィブによるところが大きい。原告側も、厚生省の「抜本的な姿勢の転換」
と評価している。
日本では、厚生省、製薬会社が米国などで非加熱血液製剤によるHIVへの
感染の危険が指摘されていたことを知りながら、それを輸入し続け、その
結果、汚染製剤を利用した約1800名もの血友病患者(全患者の4割)が感
染させられた。被害者は89年に、国と製薬企業5社を相手取り、東京と大
阪でHIV訴訟(第1次提訴)を起こした。それ以降、両訴訟を併せて400人
が訴訟に加わり、うち155人を越える人々がすでに死亡している。
現在裁判は和解交渉に入っているが、今回の公式謝罪は和解協議にも大き
な影響を及ぼすと見られる。
(2/19/96)http://www.smn.co.jp/JPN/index.html
君は、誰かのせいでエイズになり、あとで謝って金もらえばそれでいいか?
もし、いやだったら、今行われている嘘を見抜かなければならない。
●10年一昔の法則
今回のエイズ事件も、日航機123便墜落も資料は、「AIDS」と書かれたファイルになっており、郡司元課長がエイズ研究班開催に向けて課内で議論した内容や研究班の議題、個人的に収集したデータなど145枚からなる。83年7月18日の研究班第2回会合で配られた「資料2」には、エイズの伝播(でんぱ)様式として「B型肝炎に類似していると考えられている。すなわち、患者の血液、精液を介して感染する可能性が強い」などとあり、HIVが確認されていない段階でも、血液による感染を認識していたことがわかる。
東京HIV訴訟に提出された国の準備書面は「83年夏ごろ、外国企業と加熱製剤の承認をめぐるやりとりがあったが、加熱に伴う副作用などの懸念から、提出された資料だけで承認することは困難で、さらに治験が必要だと同社に伝えた」と説明。
「加熱の有効性自体、米国でもあきらかになっていなかったが、有効である可能性も考えて、83年11月には製薬企業に対する説明会を開くなどの措置をとっており、85年春に製薬各社が承認を申請してからは、国際学会で加熱の有効性が示されたことなどを踏まえて、数カ月という異例の短期間で承認を出した」と述べている。
だが、83年7月に作成された「AIDSに関する血液製剤の取り扱いについて」と題する2通の文書では、対応方針として「加熱製剤の使用をencourageする(推進する)」「外国企業に加熱処理製剤の輸入承認申請を急ぐよう指示する」などと書かれている。
この日公開された1983年7月4日付けの「AIDSに関する血液製剤の取り扱いについて」と題された文書には感染対策として「米国の原料を用いた非加熱製剤を用いたものについては取り扱わないように業者に行政指導を行う」など、いまから見ても妥当と思われるような対策が列挙されている。弁護団も「こうした事実は我々も初めて知った」と、驚きを隠せない様子だった。
しかし、1週間後の日付の文書では、こうした対策は「非加熱製剤を野放しにする方向へ大きく転換した」と弁護団はいう。しかも、その後約2年間も非加熱製剤は事実上、放置された。
その理由について弁護団は「推測だが」と断ったうえで、外資系メーカーの加熱製剤を導入することによる国内メーカーの打撃への配慮が非加熱製剤の放置につながったのではないかとの疑いを指摘した。
エイズに対する危険認識を持った時期については、「82年暮れか83年の早い時期」とし、「血液を介する感染症ではないかというのは、早い時期から疑われていた。だから、生物製剤課が研究班を発足させた」と説明した。
その一方で、「エイズがウイルス感染症としても、感染力は極めて低いと思われた」「エイズの流行形態は、ほぼ同性愛者に限られていた。発症には同時に作用する因子の存在が考えられた」とし、「当時はリスクに比べて濃縮製剤のメリットははるかに大きく、使用を控えるべきでないと言うのが世界のコンセンサスだった」と非加熱製剤を使い続けた状況を語っている。
1996-02-22 www.asahi.com
新進党の山本孝史代議士が1月に提出した質問主意書で、非加熱製剤の承認時から販売停止までの供給量を示すように要求していた。これに対し、各血液製剤メーカーから厚生省に報告された製造・販売量などが、8日の閣議で了承された政府答弁書の中で明らかにされた。
日本の血友病患者の約七割を占める血友病Aの患者に使われていた第8凝固因子製剤についてみると、HIV訴訟の被告企業五社のうちミドリ十字、バイエル薬品、バクスター、化学及血清療法研究所(化血研)の製品の合計は、83年(化血研のみ年度)の約7000万単位(1単位は正常人の血しょう1ミリリットルに含まれる凝固因子の量)から、84年には約7400万単位に増えている。
非加熱製剤の危険性を認識した厚生省は83年にエイズ研究班を設置したが、米国で承認された加熱製剤の緊急輸入は見送られ、非加熱製剤を使っての血友病治療が従来通り継続された。「汚染度」が低いとみられた国内の献血を使った安全な血液製剤の増産も実現しなかった。
(from 1996-03-08 asahi-com)
薬害エイズ事件で業務上過失致死罪に問われた前帝京大副学長、安部英被告(81)
の第3回公判が4日、東京地裁(永井敏雄裁判長)で開かれた。安部前副学長の部下だ
った木下忠俊・帝京大教授(61)が検察側証人として出廷し、1982年ごろから安
部前副学長が非加熱製剤によるHIV(エイズウイルス)感染の可能性が高いと認識し
、83年春に帝京大病院の患者の免疫状態を調べていたことを証言した。
証言によると、安部前副学長は82年後半から83年初めにかけて「HIV感染は血
液製剤によって広がっている可能性が高い」と言っていた。帝京大病院で免疫機能の状
態を調査した結果、かなりの患者の免疫状態が悪かったという。
また、厚生省エイズ研究班が83年にエイズの第1号患者と認めなかった帝京大の患
者(帝京大症例)について、安部前副学長は82年にはエイズと疑っており、翌83年
には「これはエイズだ」と自信を持っていた。研究班がエイズと認めなかった時には、
安部前副学長は悔しがり「おれはアメリカまで行ってエイズ患者をみて自信がある。な
のに研究班員はエイズを知らないくせに否定した」と班員の悪口を言っていたという。
木下教授は、非加熱製剤に代わる安全なクリオ製剤について「注射器がつまることは
聞いたことがなく、詰まっても針を取り換えれば使用できた」と当時、有効な治療法だ
ったことを証言した。
証人尋問に先立ち検察側が読み上げた木下教授の供述調書の要旨によると、木下教授
は84年7月に、安部前副学長の指示で、新潟市の医師に患者の血液を送り抗体検査を
依頼。8月に41人中17人が感染していることが分かった。この検査結果に、安部前
副学長や木下教授は驚いたが、安部前副学長は「秘密にするように。ギャロ博士に依頼
している検査結果を待とう」と言ったという。
また、同年9月にギャロ博士の検査で48人中23人が感染していることが判明する
と、木下教授は安部前副学長に呼ばれたが、その際、安部前副学長は電話の相手に「こ
れは大変なことです」と伝えていた。木下教授がその後「電話の相手先は厚生省の担当
官か」と尋ねると、「そうだよ」と認めたという。
[1997-06-04-13:10]
《写真》 エイズへの取り組みのシンボル「レッドリボン・ツリー」がライトアップされると、 「上を向いて歩こう」の歌声が師走の町に響いた=1日、東京・新宿駅前で、迫和義撮影 今年で10回目を迎えた「世界エイズデー」にあたる1日夕、東京・JR新 宿駅前にはエイズへの取り組みのシンボル「レッドリボン・ツリー」が展示さ れ、その下で厚生省とエイズ予防財団の主催する記念行事が行われた。エイズ 撲滅や患者への偏見解消を訴えるメッセージとともに全国から赤いリボン1万 7000本が届き、うち5500本が高さ12メートルのツリーに飾られた。 ツリーがライトアップされると、コーラスグループによる「上を向いて歩こ う」の歌声が師走の町に響いた。 1997/12/02 asahi.com ★何もしらずに、一生懸命やっている人たちの笑顔(?)が悲しい。 寡占メディアでは絶対に真実を伝えることが無い。 ならば、せめて参考図書を示すことぐらいは、私にもできる。
暴露エイズウイルスは細菌兵器だった ISBN: 4584183090 出版社: ベストセラ−ズ 著者 : ゲイリ−・L.グラム( 林督元) 1997/11 \1,600 | ★阿修羅♪ 薬害エイズ殺人 |
埋もれたエイズ報告
ISBN:4385357897 |
|
NDC:493.11 97.7.30 337p 19cm(B6) | \1,600 |
血友病患者のエイズ認定はなぜ2年も見送られたのか?“エイズ第1号が2人”という異常事態はなぜ起きたのか?10年以上も前に輸血によるHIV感染が起きていた!薬害エイズ事件の埋もれた附分を克明にたどるうちに筆者はHIV感染の途方もない広がりと意外な起源に気づいた。NHKの93年入手資料と96年の厚生省公開資料の徹底検証から浮上した行政の「情報秘匿」と「不作為」の驚くべき連鎖。
1章 封印は解かれた(94〜96年) |
徳間文庫 薬害エイズの真相 ISBN:4198904987 広河 隆一【著】 出版社:徳間書店 NDC:493.11 96.4.15 398p 15cm(A6) \563 血友病患者のHIV感染は、まごうことなく人為的な罹患である。 新たに「発見」された資料は、1983年当時、すでに厚生省が非加熱製剤の危険性を認 識していたことを証明した。だが、加熱製剤導入は圧殺された。導入見送りを 決定した「空白の一週間」に何が起こったのか。 最新情報と膨大の資料の分 析、そして患者とその家族の悲しみと憤りが、厚生省と医薬界の「犯罪」を告 発する。 医師デートリックの場合 日本の血液産業 医師安部英の場合 八一年―エイズの発生 八二年―血友病患者とエイズ 八二年―日本の状況 八三年前期―アメリカ 八三年前期―日本 八三年―危機の幕開けと患者会 研究班発足とストックホルム大会〔ほか〕 |
戦慄のシナリオ―薬害AIDS ISBN:4900860042 HIV問題取材班【著】 出版社:オンタイムズ NDC:493.11 96.6.25 237p 19cm(B6) \1,262 薬害AIDSの主犯は誰か。 隠された衝撃の実態を重要資料と証言で検証する真相究明の第一弾。 第1章 AIDS日本上陸 第2章 戦慄のシナリオ 第3章 原告弁護団からの報告 |
悪魔の遺伝子操作―エイズは誰が何の目的でつくったのか
ISBN:4193550036 |
|
NDC:493.11 92.10.31 251,4p 19cm(B6) | \1,600 |
人類を滅亡に導く恐怖の病原体エイズ。そのウイルスは米国防総省の実験室(フォート・デトリックの550番建物)で密かに製造されていた。
第1部 エイズウイルスは遺伝子操作でつくられた(エイズ遺伝子の謎 |
隠されたエイズ―その時、製薬会社、厚生省、医師は何をしたのか!!
ISBN:4478310831 |
|
NDC:493.11 92.2.20 214p 19cm(B6) | \1,359 |
「異性間交渉による感染急増!」AIDS蔓延の警鐘が鳴る。しかし、その陰で〈もうひとつの事実〉が闇に葬られようとしている。企業の営利追求の果てに「ばらまかれたエイズ」だ。この犯罪の真相は何か?本書は徹底レポートする。
第1章 罪なきエイズウイルス感染の悲劇 |
仕組まれた恐怖―エイズは生物兵器だった!?
ISBN:4062031043 |
|
NDC:493.11 86.11.13 213p 19cm(B6) | \1,300 |
世界中を恐怖の坩堝に巻き込んだAIDS!世紀末の現代になぜ出現したのか?その謎に迫る。ドクターで新進気鋭のジャーナリストでもある筆者が、「ベトナム戦争における“生物兵器”だったのではないか?ペンタゴンの陰謀では」と大胆な推理を展開する迫真のドキュメント!
第1部 エイズその発生の謎 |
薬害エイズ事件の裁判でエイズ研究班の会合の録音テープがきょう初め
て法廷で再生され、厚生省の責任者や研究班の班長だった安部英(タケシ
)前帝京大学副学長らが、血液製剤によるエイズウイルスへの感染に当時
から危機感を持っていたことを示す具体的なやりとりが明らかにされまし
た。
この録音テープは、厚生省が昭和五十八年に開いたエイズ研究班の第一
回会合のやりとりを収録したもので、東京地検が捜査の過程で厚生省から
押収していたことが先月の裁判でわかり、きょう裁判の証拠として法廷で
音声が再生されました。
テープの中でエイズ研究班の班長だった前帝京大学副学長の安部英被告
は「私どもは毎日、毒が入っているかもしれないと思いながら患者に非加
熱製剤を注射しなければならないのだから、待っていてはおれない。エイ
ズ患者があす出るかもしれない」と切迫した声で発言していました。
また、厚生省の当時の責任者だった郡司篤晃元課長は「アメリカの製薬
会社が非加熱製剤を自主的に回収したが、各国で非加熱製剤の輸入をやめ
る動きが出ていて、日本もかなりドラスチックなことをやらざるをえない
かも知れません」と述べていました。
このほか、研究班のメンバーだった順天堂大学の塩川優一名誉教授が、
「エイズは感染性の病気なので、非加熱製剤などの現状について広く情報
を提供して医師や患者に注意してもらう必要がある」と述べるなど、当時
から厚生省や安部前副学長ら研究班のメンバーが非加熱製剤に危機感を持
って対策を急ぐべきだと考えていたことがわかりました。
一方、きょうの裁判に証人として出た郡司元課長は「当時、日本では国
内で血液を賄う体制ができておらず、汚染された血液を輸入せざるをえな
かったことが残念だ。今回の問題からたくさんの課題を学びとらなくては
ならないと思います」と涙をぬぐいながら述べました。
[1998-07-31-19:18]