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チベットの「焼身自殺」は非暴力抵抗の極北
理解できずとも、決して無視してはならない
2015年4月22日(水) 福島 香織
中国政府が「チベット発展の歴史選択」と題した白書(通称チベット白書)を発表した15日、私は東京でチベットの「焼身自殺」をテーマにしたドキュメンタリー映画「ルンタ」(池谷薫監督)の試写会を見ていた。ちょうどダライ・ラマ14世が2週間足らずの訪日を終えて帰国された翌日のことである。
ダライ・ラマ14世は今回の訪問でも多くの講演をこなし、各地で非暴力の大切さを訴えた。だが、中国のチベット白書では、「“14世ダライ集団”(中国側の呼び方)は平和と非暴力のニセの象徴であり、その言うところの『中道路線』は実質的な中国分裂のことである」と批判を新たにしている。また、中国国内だけで今年4月現在累計139人(国外合わせると143人以上)を超えるチベット族の焼身自殺(未遂含む)について、「公共の場所で自分自身に暴力を振るう、暴力行為である」としており、これを「14世ダライ集団が背後で操っている」と批判している。
果たしてチベット族の「焼身自殺」とは何か。ドキュメンタリー映画「ルンタ」を見た上での私なりの考えをまとめてみたい。
「共産党の平和解放がチベットを発展させる」
中国政府の「チベット白書」について、どんな内容であるか、まず紹介したい。ざっくりとまとめると、以下のような五つの項目にわたっている。
【1】チベット地域が封建農奴統治、政教一致、神権至上といった旧制度から脱するのは世界の歴史の潮流の必然である。それら旧制度が基本的人権を侵害し、チベットの発展を阻害していた。
【2】中華人民共和国建国後、共産党による平和解放が実現し、政教一致の封建農奴統治を終わらせ、チベットは発展の道へと転換した。近代以来、帝国主義の侵略によってチベットは中国との統一と分裂の二つの運命に直面していたが、中央人民政府のチベット平和開放の方針によって、国家統一を維持することができた。その後、地域の人民の生活水準は改善され続けている。公民の宗教の自由と権利も保障され続けている。各方面の努力によって生態文明建設も成果をあげている。
「“中道路線”で中国分裂」「非暴力はニセモノ」
【3】“中道路線”とは実質上の中国分裂を意味する。中道路線の核心は五つある、一つ、チベットは古来中国の一部ではない独立国家で1951年に中国に占領されたと主張。二つ、歴史上存在したことのない大チベット区(四川、甘粛、雲南、青海などのチベット自治州を含む)を作り上げて新たな行政区としようと画策。三つ、中央政府がとうてい受け入れられない高度の自治(外交・国防以外の政治決定をチベット人による自治政府に委ねるというもの)を要求。四つ、チベット地域の解放軍撤退を要求。五つ、青蔵高原にモンゴル族など他の民族も居住していることを無視して多民族を排除しようとしている。こうした中道路線は、中国の歴史、現実、憲法、法律、基本制度およびチベットの歴史や民族関係、チベット族を含む中国人民の根本利益に合致せず、事実上のチベット独立を実現するための政治要綱である。
【4】14世ダライ集団が掲げる「和平」「非暴力」はニセモノであり、偽善によって国際社会を騙している。14世ダライ集団はチベット独立の目的のために暴力的手段を放棄したことはない。14世ダライ集団は米CIAの武装支援を受けたことがあり、チベットの武装反乱期間、CIAは工作員を現地に派遣しただけでなく、14世ダライの逃亡も幇助。独立派分子に武装訓練を施し、大量の武器装備を投じた。2008年3月14日の深刻な暴力事件(ラサ事件)も、14世ダライ集団が画策、扇動した。14世ダライは事務所を通じて、この暴力事件を平和抗議だと美化した。14世ダライ集団は平和の祭典五輪の妨害においても、その非暴力の虚偽性を暴露した。聖火リレーの妨害などの野蛮行為は、国際社会からも非難を受けた。さらに、自分を暴力に晒す焼身自殺に僧俗信者を走らせ、これを「最高形式の非暴力の抵抗運動だ」とした。
「愛国は14世ダライと同胞に求める基本的要求」
【5】60年以上前になるが中央政府は祖国統一、民族団結の大局から、積極的に14世ダライと協力し、チベット平和解放を実現してきた。1959年に14世ダライが国外逃亡した後も、中央政府は仁義を尽くした。ダライ・ラマというこの大活仏の称号および歴史と地位と影響力は中央政府の封授と切り離すことはできない。
毛沢東は1959年10月、インド共産党代表団と会談した時にこう発言した。「もしダライが我々の主張に賛成するのなら、ダライの帰還を希望する。たった二つの主張である。まず、チベットが中国の一部であること。そして、チベットで民主改革と社会主義改革を推進すること」。
しかし14世ダライはインド・ダラムサラに亡命政府を樹立し、チベット独立を目指した。
愛国は中央政府が14世ダライおよび海外のチベット同胞に求める基本的要求である。1979年8月から1980年9月まで、中央政府の関連部門は14世ダライが派遣した三回の参観段と二回の親族帰国参観を受け入れてきたが、14世ダライはこの中央の善意と貴重なチャンスに応えないどころか、チベット独立の立場を頑固にも変えなかった。
1979年から2002年まで、中央政府は13回にわたり、14世ダライ特使を受け入れ、2002年から2010年1月までに、さらに10回にわたり、彼らの帰国に同意した。だが、14世ダライは中国憲法に違反する中道路線を堅持しているだけでなく、実質、祖国分裂の主張を行い、暴力によって北京五輪を妨害し、ラサ3・14事件や焼身自殺事件などの破壊活動を画策、引き起こしている。2011年に14世ダライは政治活動から退くことを宣言したが、14世ダライ集団は公然と政府名義で中央政府と話し合いを呼びかけ、公然と交渉の基礎を破壊し、交渉ができない状況にしている。中央政府は、14世ダライに幻想を捨て、現実を正視し、誤りを正して、亡命チベット族同胞にとって有益になる客観的理性的道を選択することを望む。と、締めくくっている。
チベット白書の最大の要点は、中国はダライ・ラマ14世およびチベット亡命政府に対して一切の妥協の用意がなく、中国政府とチベット亡命政府の話し合いが今後進むという期待はほとんどないということである。こうした中国側の態度について、正直目新しいものはない。
中国とチベットの深い溝と「焼身」の意味
だが、【4】で焼身自殺を「自分自身に対する暴力」と定義したことは、日本人の多くは明確に反対することもできないかもしれない。私自身、この未だとどまる事を知らないチベットの焼身自殺をどう受け止めていいかわからず、共感もできず、かといって否定もできないでいる。チベット焼身問題の報道は日本ではやはり少ないと思うのだが、おそらく記者自身が理解できず、報道、分析を躊躇させている面があるのではないかと思う。
そういうときに、ドキュメンタリー映画「ルンタ」は、チベット焼身自殺、いや焼身抗議の問題と真正面から向き合った作品といえる。これはダラムサラ在住の日本人建築家でブログ「チベットNOW@ルンタ」で、チベットの今を発信し続けている中原一博氏をナビゲーターに、チベットの焼身問題の実像と背景に迫ろうとしたものだ。池谷監督と中原氏、スタッフらが、観光客を装いながら潜入取材した決死の映像も多く含む。
中原氏は、チベット亡命政府の専属建築士として亡命政府庁舎や僧院、ノルブリンカ・インスティテュートやダライ・ラマ14世のベッドなどの設計を手掛けたほか、インドに逃げてきた元政治犯チベット人たちの自立支援施設「ルンタ・ハウス」を自分で資金を集めて建設したことでも知られる。
ほとんど亡命チベット人たちの身内ともいえる中原氏の立場で見たチベットの「焼身」は、自殺ではなく殉教と呼ぶべきものだった。「非暴力の抵抗」であり「勇気ある利他的行動」であり「人間の尊厳を守る行為」とも言える。
この映画ではいくつか印象的なエピソードがある。
1つは甘粛省のマチュという町の野菜市場で2012年3月3日に焼身抗議を行った19歳の女子中学生・ツェリン・キの物語である。中原氏は、マチュを訪れ、彼女の通った学校を尋ね、友人や親族らにインタビューしている。彼女の学校は、中国語教育が強制され、それに反発する学生たちがたびたびデモを起こしたこともあった。彼女は友人たちに「チベット語を守ることがチベット文化を守ることだ」としばしば語り、自らもチベット語擁護デモにも参加していた。また彼女の家は牧民であるが、政府が生態保護を掲げて導入する牧民の移動制限、定住化、生態移民などが、チベット牧民の生活を貧しくさせ、文化を荒廃させている背景なども映像は映し出している。
チベットの人々への思いやりと祈りを込める
彼女は焼身を実行する二日前、ちょうど冬休みが明けて学校に戻る前日、母親と一緒にベッドに入り、寝るのが勿体ないように夜通しおしゃべりし続けたという。その中で『チベットのためになにかできなければ人生に意味はない』と語り、翌朝学校に行く前に、父親からお小遣い500元をもらったときに、「500元もらったので、このままお嫁に行ける。お嫁に行ったら、もう帰ってこないかも」と言い残したという。この時、すでに焼身の決意を固めていたようだ。
また、2008年4月にアムドのラプラン僧院で、BBC記者たちの前で抗議活動を行った青年僧がダラムサラに逃げ延びてルンタ・ハウスで勉強中だということが分かり、彼にもインタビューしている。あの抗議活動が原因で、同門の僧が二人死亡したという。そして自分も「殺されるかもしれない」という恐怖を味わった。その彼が焼身について「他人を傷つけずに民族同胞のために命をささげる個人の勇気ある行動」と称えていた。
また、デモに参加したことで6年間投獄された間に、電気棒で何度も失神させられるという拷問を受けた経験を語る女性も登場する。骨折などすれば病院に運ばなければならないので、看守たちは外傷の少ない電気棒という拷問具を愛用するのだという。彼女は拷問に耐え抜いたことを「互角に戦えた」と誇らしげに語るが、デモに参加するだけでそんな拷問が待ち受けているとするなら、焼身の方が人間としての尊厳が守られた抗議の在り方であると思うことは不思議でないではないか。映画のラストは焼身者が残した遺書が朗読されているが、中国政府に対する恨みや罵詈雑言はなく、政府と争わないように、家族が仲良く平和で暮らせるように、自分の死を悲しまないようにという、残されていくチベットの人々への思いやりと祈りを込めたものばかりだった。
こういった行動を日本に暮らす普通の日本人に理解できるかというと、難しいだろう。池谷監督自身が「やはり理解できない」という。
愚かだと無駄だと、無視してはならない
だが、それが「宗教による洗脳の結果による暴力」であるとは思えない。焼身者たちは、残された家族への思いやりもあり、年相応の交友関係も社会性も人生の夢や希望もあったのだ。けっして狂信者でも宗教原理主義でもない。これは「暴力」という手法を「絶対いけない」と自ら封じた人間が、自分なりにチベット社会やそれに属する家族や愛する人たちを守るために考えに考え抜いた最後の抵抗の在り方ではないかと思うのだ。
中国政府が、これを暴力だと断じ、同情も妥協の余地もないのだと主張したとしても、せめて国際社会の心ある人たちは、140人以上のぼる焼身者の行為を、愚かだと無駄だと、無視してはならないと改めて思う。理解できなくても、少なくとも理解しようとその背後にある歴史や物語と向き合うということが大事ではないだろうか。
「ルンタ」は夏ごろから渋谷・シアターイメージフォーラムなどで順次公開されるそうだ。
このコラムについて
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。
中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。
特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。
http://www.asyura2.com/14/china5/msg/751.html