笑顔で会見する中村修二氏/(C)AP
対価と特許めぐり訴訟合戦も ノーベル賞受賞者3人の“因縁”
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2014年10月8日 日刊ゲンダイ
「ノーベル物理学賞は、サイエンス分野の専門家にしかその功績が理解できないような理論的発明に対して与えられることが多い。今回のように、すでに世界中で実用化・製品化されている研究が受賞するのは珍しい」
こう言うのは、「ノーベル賞の事典」の共著がある工学博士の秋元格氏だ。
今回のノーベル物理学賞は、赤・緑・青の光の三原色の中でもLED化が最も難しいとされた青色を実現したことで「省エネ」に大きく貢献したことが評価されたわけだが、それだけに、青色LEDは“カネ”になる発明だった。そのため、20年前に製品化されて以降、億単位の訴訟が繰り返されてきた。
有名なのは、今回の受賞者の一人である中村修二米カルフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)と日亜化学工業の争い。青色LEDの発明の対価をめぐり、中村氏はわずか「2万円」の報奨金しかもらっていないとして、当時勤めていた日亜を訴え、「サラリーマン研究者の反逆」と話題になった。05年に日亜側が8億円余りを支払うことで和解が成立したが、裁判で中村氏は「この蛍光灯も数年たてばすべてLEDに置き換わる。電力も節減され、何兆円という市場が生まれる」と力説していた。
■ビジネスで3人はライバル関係
さらに、カネをめぐってこの3人は因縁めいている。
世界で初めて青色LEDの開発に成功したのは、赤崎勇名城大教授(85)と天野浩名古屋大教授(54)の師弟コンビの方で、1989年のことだ。当時名大教授だった赤崎氏は、世界の研究者があまり目を向けていなかった窒化ガリウムに着目。赤崎研究室の大学院生だった天野氏とともに、青色LEDの開発に成功した。
赤崎氏の技術は豊田合成で95年に製品化されたが、その2年前に中村氏が日亜化学で製品化に成功。特許をめぐり豊田合成vs日亜の訴訟合戦も繰り広げられた。
「青色LEDをめぐる一連の特許訴訟は1996年8月に始まり、2002年9月に全面和解するまで6年、約40件にも上りました。和解した02年までに、両社とも青色LEDの売り上げが100億円規模に伸び、裁判で体力を消耗するのはやめようということになったのです」(科学ジャーナリスト)
つまり中村氏と赤崎・天野両氏は、研究者として、尊敬し合う関係である一方で、ビジネスでライバル関係にあったといえる。
7日の受賞会見で赤崎氏は中村氏について「いい仕事をされました」「この3人で他の受賞が何回もある」とコメントした。数々の受賞があってわだかまりは消えたわけだ。