01. 2011年7月20日 07:30:03: ynSQvzTlvk
北太平洋中層水の一部が、西へ流れ込んでいる?
15. 管理人さん 2011年7月20日 07:34:25: Master
>>14 消しておきました。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/152.html#c15
05. 管理人さん 2011年7月20日 07:35:00: Master
消しておきました。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/165.html#c5
25. 2011年7月20日 07:38:33: 4snUR3NSMc
>21
日本にある10基の火力発電所のボイラーが何者かに爆破されたとしよう。
同じように
日本にある10基の原子力発電所の原子炉が何者かに爆破されたとしよう。
26. 2011年7月20日 07:41:21: 4snUR3NSMc
それにあんた19の提案にまだ何も答えていないな。
131. 2011年7月20日 07:47:55: qzpFjuKHTs
kanegonn様
御教示ありがとうございます。感激しました。
127です。
「科学的訓練を受けない人との対談はこうなるという良い例と評された副島と武田のけんか対談あとがきとまえがき
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/397.html」
にも投稿させていただきました。(qzpFjuKHTsです。)
副島氏は憎めないところもあるので、放射能汚染の事実は決して米国による日本乗っ取りではないことを、噛んで含めるようによ〜く科学的に説得すれば、洗脳を解いてあげられるのではないかと思います。
この方の思い込んだらまっしぐらのところは、いつでも後戻りもできるということで、本人も薄々感ずいているのでは?というところもありますので、一度なんらかのチャンスを与えてはどうかと思います。
岩上さんのチャンネルで小出先生との対談とか。
ともかく弟子がいると気が大きくなるタイプですから、必ず一人にして接することだと思います。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/349.html#c131
02. 2011年7月20日 07:50:46: 0GJJznkobY
深海魚も汚染されたとなると、海洋深層水ももうだめかもわからんね
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c2
11. 2011年7月20日 07:58:22: RdrE7Fk3BM
放射性物質が海洋を漂っていれば、多くの魚の汚染が心配されるが、海底に沈殿するのであれば、海底に生息する特定の魚だけ警戒すれば済むので、管理はぐっと楽になる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/823.html#c11
01. 2011年7月20日 07:58:20: OZSzsyeAOI
「塗る太陽電池」実用化へ 車の窓ガラスや衣服などありとあらゆるもので発電が可能に
ビルの壁や車のボディーで使える「塗る太陽電池」の実用化のめどが立った。
従来の太陽光パネルでは置きにくかった場所に塗ることができ、量産もしやすい。
2013年春ごろに出回ることになりそうだ。
三菱化学が、光を電気に換える効率が実用レベルの10%を超える試作品づくりに、
世界で初めて成功した。従来のガラス板で挟む結晶シリコンではなく、炭素化合物を使う。
乾いて固まると「半導体」の役割を果たすようになり、配線を施せば、光に反応して電気を起こす。
煙突や高速道路の屋根など丸みがある物のほか、衣服など曲がる素材に対応できる。
通常の太陽光パネルはガラス込みで厚さは数センチ必要だが、この方式だと1ミリ弱で済む。
重さも同じ面積なら、結晶シリコン系の10分の1未満に抑えられるという。
塗る太陽電池は、変換効率が課題とされ、世界中で開発が競われてきた。三菱化学は成分や
構造を見直し、変換効率10.1%と10%超えに成功。結晶シリコン系の約20%には及ばないが、
薄型として市販される膜状シリコン系の太陽電池の水準に追いついた。
http://www.asahi.com/eco/TKY201107190319.html
補足ソース
>半透明なので、クルマの窓ガラスも大丈夫とのこと。
>「ゆくゆくはそれを繊維にも利用しようと考えています。
>そうなれば、洋服でも発電できるようになります。
>例えば、建設工事現場でその繊維でつくったテントを張っておけば、
>そこで使う電気をまかなえるわけです」と同関係者
http://response.jp/article/2010/02/20/136681.html
123:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/07/19(火) 23:00:06.09 ID:2Jp/pWhz0
ついに来たな
29:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/07/19(火) 22:25:24.39 ID:T0fUif80i
凄いなこれ
ひっくりがえるよ
間違いなく
2:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/19(火) 22:19:06.78 ID:A05OWLZr0
おち●ぽ発電
15:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/19(火) 22:22:38.97 ID:t18JOeu30
>>2に先を越された
36:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/19(火) 22:27:16.23 ID:nCng8FLs0
>>2
自家発電か・・・!!
5:名無しさん@涙目です。(広島県):2011/07/19(火) 22:19:18.87 ID:+UdqOHJV0
頭に塗れよ!はげ
26:名無しさん@涙目です。(山形県):2011/07/19(火) 22:24:36.98 ID:okPa0aaA0
ハゲの時代が来たな
127:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/07/19(火) 23:05:28.93 ID:KuSrjN2K0
道端にハゲが立っててコンセント差し込んで充電とか出来る社会が来るのか…
12:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/19(火) 22:21:42.00 ID:Bj00M/8wP
10%かよ
16:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/07/19(火) 22:22:41.15 ID:F1ohz4ly0
10%か…まだまだ先は長いな…
18:名無しさん@涙目です。(西日本):2011/07/19(火) 22:23:29.38 ID:hsk4hE/r0
いや10%って結構凄いぞ
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/544.html#c1
07. 2011年7月20日 08:01:18: od2rEwswAA
>>01
ならあんたもどんどん実名で訴訟してくださいな。
応援するから。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/530.html#c7
03. 2011年7月20日 08:04:46: B3FrSkvLWQ
放射能が日本中に拡散するのは時間の問題であり、だれも放射能から逃れられないのだろう。
小出氏が言うように、3,11以降世界は変わってしまったのだ。
まさかこういうことになろうとはほとんど誰も思っていなかったし、今もその現実を直視出来ているとは思えない。
推進派はむろん馬鹿のように楽観的だし、反対派も多分なお楽観的なのだ。現実の過酷さが徐々に姿を現してくるように思う。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c3
03. 2011年7月20日 08:07:34: OZSzsyeAOI
ドコモは、貸し自転車はじめてました
あと 基地局で発電 売電するそうです
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/456.html#c3
24. 2011年7月20日 08:08:22: kjjls0uWGE
『安全安心』のCo−opが大丈夫っていうから、つい・・・
コープネット事業連合
「・・・食品衛生法の暫定基準値を超えた食品は、出荷停止の扱いとなり、市場に出回らないようになっています。もしもそれを摂取してしまったとしても暫定基準値は厳しい値になっており、健康に影響を与えかねない値より、かなりの幅が設定されています。・・・・
放射性セシウムの暫定規制値(500ベクレル)について、シーベルトに換算すると、1キログラムあたり約0.007mSv(ミリシーベルト)/キログラムとなります。これは、このほうれん草を1キログラム食べると、東京〜ニューヨークを航空機で旅行(片道)したときの放射線の人体への影響(約0.1mSv)の約14分の1となります。・・・
現在測定されている範囲の放射線量では、長期的にも短期的にも健康影響が出るレベルではありませんのでご安心ください。(埼玉・東京)・・・
インターネット等で根拠の無い情報が飛び交っており、注意が必要です。
昆布やワカメなどには、ヨウ素が含まれていますが、含まれる安定ヨウ素量が一定でないなどの理由から予防効果は期待できません。・・・」
04. 2011年7月20日 08:09:52: OZSzsyeAOI
>>02 でも、ドコモは韓国サムソンのgayarakusi-を売っている
スマホの主力機が韓国製 きしょい
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/456.html#c4
116. 2011年7月20日 08:15:48: yacHndiybM
>101御意
しかしフランス、ドイツ駐日大使館の日本脱出勧告(自国民向け)から
4か月過ぎ、すでに遅い。
こうなれば やけくそ以外なし(覚悟を決めな!)
バカな大人、朝鮮半島、大陸帰化人を国政に送り込んだ 無党派、市民党派、連合組合員を怨め。この国は既に日本人の国ではない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/418.html#c116
80. 2011年7月20日 08:16:32: tVGMH9owzQ
HAARPと地震兵器の関連は偽装の可能性が高いです。
「地震兵器陰謀論」の根拠を薄弱にするための陽動と思われます。
ネバダの空軍・核施設での最新兵器研究を目立たなくするため
UFO宇宙人情報が広く拡散されたのと同じ図式ではないでしょうか。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/200.html#c80
http://takedanet.com/2011/07/post_a5f3.html
平成23年7月17日 午後9時
食品の汚染が広がってきました。
といっても、いつも北海道や九州の食材を求めることも難しいし、子供は守らなければならないし、財布はそれほど余裕はないし・・・と毎日、迷っているお母さんに、思い切ってアドバイスをします。
・・・前提・・・
1) 普通のお母さんができる範囲にする。つまり、
2) 政府や農業団体、流通はごまかすことが前提とする(危険サイドで計算する)。
3) スーパーに行っても野菜は地元のものしかないので、汚染されているのを承知で買う(思い切った前提ですが、現実を考えて)、
4) 魚は注意して日本海、北海道、九州などのものを選ぶが時々、間違って汚染された魚を買ってしまう(失敗あり)、
5) 牛肉はオーストラリア、豚肉はアメリカなどに限る。鶏肉はできるだけ買わない(肉だけは気をつける)、
6) 牛乳は時々、間違って汚染されたものを買ってしまう(失敗あり)、
7) 卵は売っているものを、選ばずに買う、
8) 米は去年のものか、今年なら、北海道、青森、秋田、新潟、西日本、外国のものしか買わない(産地を選べるから選ぶ)、
9) お茶は汚れていると言われる静岡茶を飲む、
10) 水は水道水を飲み、気にしない。
これなら現実的ではないかと思います。
それで被曝量を計算してみました。そうすると次のようになりました。
年間被曝量の予想値 (表)
http://takedanet.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/07/17/2.jpg
表にあるように、年間被曝量の予想値は2ミリシーベルト。1年1ミリの2倍ですが、来年からの2年間で取り戻すか、健康に留意して生活することを考えます。
私はこれでも今年を乗り切ることができると思います。
大丈夫!! 肉と米を気をつければ、政府にだまされても大丈夫。時々、失敗してもOK。
そのために、買うとき以外に必要なことが少しあります。
1) 野菜は地元産のものを買うけれど、よく洗い、5分の4は生で食べないで、ゆでたりして加工する。お湯は必ず捨てる。生で食べるときにはよく洗う。今年は生野菜は減らしてください。
2) 魚は煮魚を主とする。煮汁はすてる。計算では半分を煮魚としました。
3) 外部放射線は1時間に0.15マイクロのところに住み、家の中を除染する。ホットスポットにむやみに近寄らない。
4) 風の強い日はマスクをし、雨が降った日には家に帰ったら玄関先で靴と靴下を脱ぎ、ぬれティッシュで拭き取る。
5) (残念ですが)子供の運動を制限する。
をしてください。
これで、2ミリ。現実に子供たちを守ることができます。人間は5年間で調整できますし、子供も2年ぐらいの余裕がありますので、これで私は大丈夫と思います。
もちろん、魚を控え、牛乳の産地を選び、外部被爆を0.10のところに住めば、1年1ミリに入ります。
・・・・・・・・・
(感想)
今まで私は一貫して「1年1ミリ」という目標を言ってきました。
でも、現実に地元野菜しか買えない人もおられますし、どうせ政府や農業関係の団体、流通は今後もごまかします。
でも、ごまかされても大丈夫なようにこちらも作戦を考えたいと思いました。そして、日常生活では、なにからなにまで注意ができないので、肉とお米だけを注意することにしました。
肉とお米なら産地を選んだりすることが現実に可能だからです。少し不便ですが、今年は我慢してください。
また静岡のお茶はまだ汚れていますが、計算してみると0.004ミリですから、お茶はあまり気にしないでも良いようです。
(学校関係者にお願い)
給食を実施している学校関係者は、この計算のような計算をして、ご自分の学校に通っている子供たちが、現実にどのぐらいの被爆をしているか、学校給食は今のままで良いのか、子供の側にたって計算をしてください。
運動部の先生方も同じです。
(政府、自治体、学者の皆さん)
私が、
1) 福島、関東の平均空間線量、
2) 政府が公表している食品の暫定基準値、
3) 政府が公表している食品の摂取量、
4) 空間の放射性物質の濃度に呼吸量をかけたもの
を計算しますと、おおよそ1年間50ミリシーベルトを超えます。
「健康に影響がない」と言っておられますが、それは50ミリシーベルトでも大丈夫といっているのか、それとも、50ミリシーベルトに行かないのか、具体的な根拠を示して、計算結果を出してください。
日本人は自分で判断できるのですから、「大丈夫です」と言う代わりに数字を示してください。
(静岡のお茶の方へ)
静岡茶が汚染で騒がれたのは、国の暫定基準値があまりに甘いことや、消費者の立場で発表がおこなわれないことです。お茶の汚染は早く解消することにして、現在のお茶も問題がないことを、消費者の立場になって示せば、誤解は解けると思います。
正々堂々、放射性物質の量を測定をし、生茶にはベクレル表示と年間被爆予想値(3%以下になるから)を出して販売してください。
(平成23年7月17日 午後9時 執筆)
26. 2011年7月20日 08:18:26: f2fPaKZKZk
福島県産の酪農製品や農産物だけが汚染されているわけではないでしょうから、小出先生が言われているように、全ての食品等に、どのくらいそれが放射能によって汚染されているかを表示させるのが好ましいと思います。
福島県の農産物を排除して、自分だけは助かろうと考えるのは、人間の生き方としてやはり問題でしょうね。
同じように、米軍基地を沖縄に押しつけてほっかむりしているのも問題だと思います。
自己中心的な考え方では、今日本が直面している大問題は、震災地のガレキ処理問題を含め、解決できないでしょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/510.html#c26
01. 浅見真規 2011年7月20日 08:19:32: AiP1TYI88G3dI : zj9aZfzecI
週刊ポスト7月29日号の[「恐怖の放射能」の嘘を暴く] という特集の冒頭記事
[ 50年前の日本は「放射能まみれ」だった。 ] は極めて悪質なゴマカシを
している事が判明しました。
下記の私のHP記事参照
[ 「恐怖の放射能」の嘘を暴く(週刊ポスト特集)のゴマカシの手口 ]
http://masanori-asami-hp.web.infoseek.co.jp/Fukushima1NPP/trick_weeklypost.htm
下記の阿修羅掲示板投稿参照
[ 「恐怖の放射能」の嘘を暴く(週刊ポスト記事)こそ煽り記事 ]
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/441.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/407.html#c1
27. 2011年7月20日 08:21:17: vGEq9m90Mw
>25
質問は簡明なので、引用は省略。以下が答です。
原発(の危険性)は「こういう特質をもって他の発電方式とは隔絶しているという認識は当然至極」とは言えないだろう。ただし、「特質」が火力発とは違う「特質」であることは確かだが。(21から引用)
これで分かりますか。
>>26>19
1.中曽根・正力氏が原発の導入にどういう活動をしたか、少ししか知らないので、ここで答えるつもりはありません。
2.私のまったく知らないことなので、多忙な今、時間がないので勉強するつもりはありません。
「私に対する心証」は、色々な私の投稿から判断してください。「心証」が悪ければ議論しなければいいだけではないか。多摩散人。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/381.html#c27
08. 2011年7月20日 08:24:04: 7jgkU1MjFw
広瀬氏ってかなり深みのあるジャーナリストです。原発で有名になりましたが、阿修羅向けのジャーナリストでもあります。ジキル氏のハイド氏を探せや、赤い盾など、世界支配者の構造を追及する書籍も執筆しています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/530.html#c8
第七章
ボルシェビキがニューヨークに戻る
マルテンス(Martens)は非常に脚光を浴びている。そんなに大きく、影響力のある会社がボルシェビキ事業と関係を持つべきであるということは驚くべきであるけれども、彼のGuarantee [原文のまま] Trust Companyとの関係は疑いの余地がないように思われる。
スコットランドヤード諜報機関レポート、ロンドン、1919 1
革命の最初の成功に続き、ソ連は先に述べた合衆国居住者を通して、合衆国との外交関係を樹立し、合衆国の地方放送局をプロパガンダすることを試みるためにほとんど時間を浪費しなかった。1918年6月、ハルビン駐在のアメリカ領事はワシントンに電報を送った。
1917年5月15日省発行のパスポート52,913を所有するアルバート・R・ウィリアムス(Albert R. Williams)は、ソ連の職権を示す書類を持参していて、ソ連政府の情報局を樹立のため合衆国に進もうとしている。ビザを発給して良いか?
ワシントンはビザを拒絶したので、ウィリアムスはここに情報局を樹立しようという試みに失敗した。ウィリアムスの次に、1912年1月に合衆国へ移住したフィンランド人アレキサンダー・ニベルグ(Alexander Nyberg)(別名:サンテリ・ニュルテヴァ(Santeri Nuorteva))が続き、彼は合衆国における最初の影響力あるソ連代表者になった。ニベルグは活動力ある宣伝者であった。事実、1919年、J・エドガー・フーバー(Edgar Hoover)によれば(合衆国外交委員会宛の手紙において)、"グレゴリィ・ワインスタイン(Gregory Weinstein)に反対したLCAKマルテンスの先人で、合衆国におけるボルシェビキの公的プロパガンダをした最も精力的な個人"であった。3
脚注
1 Copy in U.S. State Dept. Decimal File, 316-22-656.
2 Ibid., 861.00/1970.
3 U.S., House, Committee on Foreign Affairs, Conditions in Russia, 66th Cong., 3d sess., 1921, p. 78.
p. 113
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ニベルグは、外交代表者として全然成功しなかっただけではなく、プロパガンディストとしても結局全然成功しなかった。国務省ファイルに、1919年1月29日付けの法廷弁護士事務所によるニベルグとのインタビューが記録されている。ニベルグは、"アメリカ市民でハーバード大学出身"と述べられているH.ケロッグ(Kellogg)、およびより驚くべきことにはHearst organizationの弁護士マクファーランド(McFarland)氏に伴われていた。国務省ファイル記録は、ニベルグが"ボルシェビキ政府に対する態度に関して沢山の虚偽の申し立てをした"ことや、ペトログラード在住のレット人(訳注:バルト海東岸, Latviaに住む民族)テロリスト取り締まり主任ピータース(Peters)は単なる"心優しい詩人"であると主張したことを示している。 ニベルグは、パリの連合軍によって提案されている会議を成し遂げるのに役立つかもしれないという理屈で、国務省にレーニン宛の電報を送ることを要望した。4 提案されたメッセージ、すなわち国際的な承認を得るためパリ会議に出席するレーニン宛てのまとまりの無いアピールは送られなかった。5
ニューヨークのソビエト連邦支局へのがさ入れ
アレクサンダー・ニベルグ(ニュルテヴァ)はその後放逐されて、ニューヨーク市西110番地40番街ワールドタワービルディングに1919年初期に設立されたソビエト連邦支局に置き換えられた。その支局は、合衆国における最初のソ連大使として一般に発表され、その時点まではニューヨーク市、ブロードウェイ120番地のエンジニアリング会社であるWeinberg & Posnerの副社長であったドイツ市民ルドウィグ・C・A・K・マルテンスによって率いられていた。何故、"大使"および彼の事務所がワシントンD.C.ではなくニューヨークに位置していたのかは、説明されていない。それは、外交よりもむしろ貿易が主要な目的であったことを示唆している。いずれにしても、支局は即座に合衆国とのロシアに対する支払い要求書を発行した。産業は崩壊していて、ロシアは機械類、鉄道機器、衣料品、薬類などの近代文化によって利用される全ての物を緊急に必要とした。その代わりに、ソ連は金および原料を提供した。ソ連支局はその後、通商禁止や非承認という事実を無視して、アメリカ企業との契約を締結し始めた。同時に、支局は発展段階の合衆国共産党のための金融支援をしていた。6
脚注
4 U.S. State Dept. Decimal File, 316-19-1120.
5 Ibid.
6 See Benjamin Gitlow, U.S., House, Un-American Propaganda Activities (Washington, 1939), vols. 7-8, p. 4539.
p. 114
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1919年5月7日、国務省は(他で述べた)支局のためのビジネス介入を止めさせ、ルドウィグ・マルテンス、ソ連支局、およびロシアのボルシェビキ政府を退けた。この公式の反駁はアメリカ産業における熱心な注文取り屋を思いとどまらせなかった。ソ連支局事務所が1919年6月12日にニューヨークのLusk Committee of the state代表者によってガサ入れされたとき、ほとんど千社を代表するアメリカのビジネスマンへまたはからの手紙のファイルは明るみに出されなかった。1919年7月14日付けでロンドンのスコットランドヤードから刊行され、バシル・H・トンプソンによって書かれたBritish Home Office 諜報理事会"特別レポートNo5(機密)"は、この押収された資料に基づいている。そのレポートには次のように書かれている。
全ての努力は最初からマルテンスと彼の仲間によって、アメリカの資本家の興味を喚起するためになされ、支局はGuarantee [原文のまま] Trust Companyからと同様、数社のロシアの輸出企業からも金融支援を受けてきたと信じる根拠が少しある。その会社(Guaranty Trust)はマルテンスの組織に資金援助しているという申し立てを否定しているけれども。8
ソ連支局事務所の月当たり賃料は300ドルであり、その事務所の給料は約3,000ドルに達するということをトンプソンが書き記していた。これらの経費を払うためのマルテンスの資金は、合衆国で売るためにロシアからダイヤモンドを持ち込んだジョン・リードやミカエル・グルゼンベルグのようなソ連の運び屋達から一部、またニューヨークのGuaranty Trust Companyを含むアメリカのビジネス会社から一部出ていた。その英国のレポートは支局事務所からLusk の捜査によって押収されたファイルを総括していて、この総括は全て残らず引用するに値する。
(1) アメリカによる承認を得るという観点で、ロシアのソ連政府との仲介役としてニュルテヴァを使うよう政府にしてもらうため、大統領が最初にフランスへ行った頃に陰謀が進行中であった。 ハウス大佐をそれに巻き込むための努力がなされていて、ニュルテヴァが援助と同情を当てにしていたと思われるフレデリィック・C・ハウエ宛ての長い興味深い手紙がある。ハウエをマルテンスやニュルテヴァに結びつける他の記録もある。
脚注
7 See p. 119.
8 Copy in U.S. State Dept. Decimal File, 316-22-656. Confirmation of Guaranty Trust involvement tomes in later intelligence reports.
p. 115
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(2) ユジェーン・デブス(Eugene Debs)との通信についてのファイルがある。
(3) レンルート(Lenroot)下院議員宛ての封筒内の、アモス・ピンチョット(Amos Pinchot)から合衆国関税委員会のウィリアム・ケント(William Kent )への手紙は、"現在、ロシアのソビエト共和国の支局にいる"エヴァンス・クラーク(Evans Clark)を紹介している。彼はコルチャク(Kolchak)の承認、封鎖解除などについて、あなたと話したがっている。
(4) 1919年5月27日付けのフェリックス・フランクフルター(Felix Frankfurter)宛のレポートは、ロシア政府を中傷する、敵意に満ちたキャンペーンについて述べている。
(5) 1918年と1919年において、レイモンド・ロビンス大佐、その夫人、およびニュルテヴァの間に相当な通信があった。1918年7月にロビンス夫人は、National Women's Trade Leagueの機関紙"生活と労働"のための原稿をニュルテヴァに頼んだ。1919年の2月と3月にニュルテヴァは、ロビンスを通して、監督委員会の前で証言するために招待されるよう試みた。
(6) ニューヨークのJansen Cloth Products Companyからニュルテヴァ宛ての1918年3月30日付けの手紙において、E・ワーナー・ヌドセン(Werner Knudsen)はニュルテヴァがフィンランドを通して食料を輸出するアレンジをしようと努めているのを理解しており、彼は彼の尽力を提供すると言っている。英国の船積みに関してのメキシコ経由のドイツへまたはからの情報を伝えたヌドセンについてのファイルを我々は持っている。9
諜報機関レポートは次のように続けている。ルドウィグ・マルテンスはジョン・リード、ルドウィグ・ロレ(Ludwig Lore)、およびアイルランドの反逆者であるハリー・J・ボランド(Harry J. Boland)を含む、合衆国の"左翼"のすべてのリーダーと接触していた。シベリアのアレクサンドル・コルチャクに反対する、精力的なキャンペーンはマルテンスによって組織されていた。そのレポートは次のように結論している。
[マルテンスの]組織は合衆国におけるボルシェビキ運動を支援するための強力な武器である。そして彼はアメリカ大陸全土の隅から隅まで政治的な動揺の扇動者達と密接に接触している。
ニューヨークのソ連支局雇用者についてのスコットランドヤード保有の職員リストは、今日一般に公開されているニューヨーク、オールバニーのLusk委員会ファイルにおける同様のリストと極めて良く一致している。10 その2つのリストの間には、一つの極めて重要な違いがある。英国の分析結果は"ジュリアス・ハマー"の名前を含んでいたが、Lusk委員会レポートではハマーの名前は書き落とされていた。11 英国のレポートはジュリアス・ハマーを次のように述べている。
脚注
9 On Frederick C. Howe see pp. 16, 177, for an early statement of the manner in which financiers use society and its problems for their own ends; on Felix Frankfurter, later Supreme Court justice, see Appendix 3 for an early Frankfurter letter to Nuorteva; on Raymond Robins see p. 100.
10 The Lusk Committee list of personnel in the Soviet Bureau is printed in Appendix 3. The list includes Kenneth Durant, aide to Colonel House; Dudley Field Malone, appointed by President Wilson as collector of customs for the Port of New York; and Morris Hillquit, the financial intermediary between New York banker Eugene Boissevain on the one hand, and John Reed and Soviet agent Michael Gruzenberg on the other.
11Julius Hammer was the father of Armand Hammer, who today is chairman of the Occidental Petroleum Corp. of Los Angeles.
p. 116
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ジュリアス・ハマーにおいて、マルテンスは、ロシアからそう遠くない昔にやって来た、本当のボルシェビキ主義者で熱狂的な左翼である追随者を持っている。彼は会合で話をする際には、ニューヨークにおける左翼運動を組織化した者達の一人で、たとえばリード、アワーウィッチ、ローレやラーキンのような左翼リーダと同じく演壇の上で話をする。
ソ連のためにハマーが活動したという他の証拠も存在する。ニューヨークのNational City Bankから合衆国財務省宛の手紙には、その銀行が受け取ったマルテンスからの文書はソ連支局の"金融省の取締役代理の代わりにジュリアス・ハマー博士によって立会人として署名"されていた。12
ハマー一家は1917年から現時点までロシアおよびソ連政権と密接な繋がりを持っている。アーマンド・ハマーはソ連契約のうち最も儲かるものを今日獲得することができる。アーマンド・ハマーの祖父ヤコブおよびジュリアスはロシアで生まれた。ジュリアスの息子達アーマンド、ハリー、およびビクターは合衆国で生まれ、合衆国市民である。ビクターは有名な芸術家であるが、アーマンドとまた名づけられた彼の息子と孫娘はソ連市民で、ソ連に居住している。アーマンド・ハマーはOccidental Petroleum Corporationの会長で、Occidental Petroleumの広告および出版分野での取締役であるジュリアンという息子がいる。
ジュリアス・ハマーは社会党左翼の著名なメンバーで財務担当であった。その1919年の大会において、ハマーはベルトラム・D・ウォルフおよびベンジャミン・ギトローとともに、合衆国共産党を生み出した運営委員会の委員を務めた。
1920年、ジュリアス・ハマーは犯罪的な妊娠中絶のためシンシン(訳注:ニューヨーク州の刑務所)での3年半から15年の刑を言い渡された。レーニンは、ジュリアスは非合法の妊娠中絶をした咎で投獄されたのではなく、事実は共産主義のためであったということを−弁護として−示唆した。13 他の合衆国共産党員は治安妨害で投獄されたり、ソ連に強制送還された。合衆国におけるソ連代表者はジュリアスと彼の仲間である党員を解放してもらうために多大な努力をしたが、失敗に終わった。
ソ連支局の他の著名なメンバーは、ハウス大佐の前補佐官であるケネス・ヂュラント秘書補佐官であった。1920年、ヂュラントはソ連の運び屋として確認されていた。Appendix3は1920年に合衆国司法省に逮捕されたケネス・ヂュラントへの手紙を復元していて、ソ連支配層とのヂュランツの親密な関係を述べている。それは次のコメントとともに、1920年のハウスの委員会ヒヤリングの記録に書き込まれていた。
脚注
12 See Appendix 3.
13 V. I. Lenin, Polnoe Sobranie Sochinenii, 5th ed. (Moscow, 1958), 53:267.
p. 117
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ニュートン氏:あの手紙の性質が何であるかを知ることは、この委員会にとって興味深い問題である。そして私は証人喚問に関する記録に差し入れてもらいたいと私が望む手紙のコピーを持っている。あの手紙は証人に示されなかった。彼はその手紙を見たことがなく、それを見たかったが、司法省は彼にそれを見せることを拒絶したと彼は言った。我々は、それを見ることなしに、いかなる証人をも証人席に立たせないであろうし、彼に手紙の内容を証明することを求めないであろう。
ニュートン氏:証人はそのような手紙を持っていると証言し、彼らがトランク内の彼のコート内にそれを見つけたと証言した、と私は信じる。あの手紙はケネス。ヂュラントという人物に宛てられたもので、同じように封印された別の封筒の中にあった。それらは政府の役人によって開封され、フォトスタットコピーが撮られた。その手紙は"ビル"という名前の男によって署名されていると私は言うことができる。それは、ノルウェイのChristianiaに預金されているソ連の資金について特に言及していて、その一部はこの国のソ連政府の役人に譲渡され浪費されている。14
資金の輸送のためのソ連の運び屋として活動したケネス・ヂュラントは、ソ連支局の会計屋で、またソ連支局の公式機関であるSoviet Russiaの報道官・発行者であった。ヂュラントは裕福なフィラデルフィ一族の出身であった。彼は人生のほとんどをソ連に仕えて過ごし、最初はソ連支局の出版業に従事し、その後1923年から1944年まで合衆国におけるソ連タス通信者の管理職であった。J・エドガー・フーバーはヂュラントを"いつも、マルテンスとソ連政府の利益のために特に活動"と述べている。15
最高裁の最近の判事フェリックス・フランクフルターは、ソ連支局ファイルにおいてもまた目立っている。フランクフルターからソ連のスパイであるニューテヴァ宛の手紙はAppendix3に復元されていて、フランクフルターがソ連支局にある影響力を持っていたことを暗示している。
要するに、ソ連支局は合衆国内部の影響力ある援助無しでは設立され得なかった。この援助の一部はソ連支局スタッフへの特別な影響力ある官職からで、また一部は支局と無関係のビジネス会社で、その援助を公衆に知られたくない会社からであった。
脚注
14 U.S., House, Committee. on Foreign Affairs, Conditions in Russia, 66th Cong., 3d sess., 1921, p. 75. "Bill" was William Bobroff, Soviet agent.
15 Ibid., p. 78.
p. 118
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ソビエト連邦支局のための企業連合
1920年2月1日、New York Times の第一面は、マルテンスが逮捕されロシアに強制送還されたようとしているという囲み記事を出した。同じ時に、マルテンスは合衆国におけるソ連の活動を調査する下院外交委員会の小委員会の前に証人として出頭するよう求められていた。2〜3日、身を隠した後、マルテンスは委員会の前に出頭し、外交特権を要求し、彼が所有する"公式の"新聞を止めることを拒んだ。それから宣伝の嵐のあと、マルテンスは"気持ちを和らげ"、彼の新聞を譲り渡し、資本主義システムを転覆させるという究極の目的とともに合衆国における革命活動を自白した。
マルテンスはニュースメディアと連邦議会に、大企業、それらのうちのシカゴの包装業者がソ連を助けていると自慢した。
マルテンスによれば、急進主義者およびプロレタリア階級の間にプロパガンダする代わりに、この国の巨大ビジネスおよび製造業、包装業者、United States Steel Corporation、Standard Oil Company、および国際貿易に従事する他の大会社がロシア側に勝利するよう、彼は努力のほとんどをささげていた。16
この声明は、ソ連支局の通商担当官A・A・へラーによって広められた。
我々が国務省からの承認を得られるように援助してくれた人々の中に、 big Chicago packers、Armour、Swift、Nelson MorrisおよびCudahyが含まれている。含まれている他の会社は、American Steel Export Company、Lehigh Machine Company、Adrian Knitting Company、International Harvester Company、Aluminum Goods Manufacturing Company、Aluminum Company of America、American Car and Foundry Export Company、M.C.D. Borden & Sonsである。17
脚注
16 New York Times, November 17, 1919.
17 Ibid.
p. 119
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New York Timesはこれらの声明に続き、名前を挙げられた会社のコメントをレポートした。"私は生涯においてこの男[マルテンス]について聞いたことが無い"と、Swift & Co.の輸出部門を管理しているG・F・スウィフトJrは宣言した。また、"我々が彼とどんな種類のどんな取引もしたことがないと、私はほとんど間違いなく確信している"とも宣言した。Timesは、その会社のもう一人O・H・スウィフト"もまた、マルテンスやニューヨークの彼の支局について全く何も知らないと断言した"と付け加えた。Swiftの言明はせいぜい責任逃れである。Lusk委員会の調査官がソ連支局ファイルを押収したとき、彼らはマルテンスとヘラーが名前を挙げたほとんど全ての会社の支局との通信文を発見した。これらのファイルから編集された"ロシアのソ連支局とのビジネスを申し出た会社一覧表"は、"Swift and Company, Union Stock Yards, Chicago, Ill."との記載(p. 16)を含んでいた。すなわち、New York Timesに否定の発言をしたにもかかわらず、Swiftはマルテンスと連絡をとっていた。
New York TimesはUnited States Steel とコンタクトし、"エルベート・H・グレイ判事は昨夜、この地におけるソ連代表者がUnited States Steel Corporationと何らかの取引をしたという声明は根拠がないと言った"とレポートした。この言い方は建前としては正しい。United States Steel Corporationはソ連ファイルにリストされていないが、そのリストは子会社として"United States Steel Products Co., 30 Church Street, New York City"を含んでいる(p. 16)。
Lusk委員会ファイルの記録によれば、マルテンスとヘラーによって列挙された他の会社については次の通りであった。 Standard Oil―リストに無し。 Armour 8c Co., meatpackers―"Armour Leather"および"Armour & Co. Union Stock Yards, Chicago."としてリストに有り。 Morris Go., meatpackers ―リストに有り(p. 13)。 Cudahy ―リストに有り(p. 6)。 American Steel Export Co. ―リストに有り(p. 2、住所はWoolworth Buildingとなっていて、ソ連との貿易を申し出ていた)。 Lehigh Machine Co.―リストに無し。 Adrian Knitting Co. — リストに有り(p. 1)。 International Harvester Co. — リストに有り(p. 11)。 Aluminum Goods Manufacturing Co. — リストに有り(p.1)。 Aluminum Company of America —リストに無し。 American Car and Foundry Export — リストに、"American Car Co. — Philadelphia."という近い名前が有り。 M.C.D. Borden 8c Sons —リストに有り(p.4、住所は90 Worth Streetとなっている)。
その後、1919年6月21日(土)、サンテリ・ヌオルテヴァ(アレクサンダー・ニベルグ)は新聞社のインタビューにおいてInternational Harvesterの役割を確証した。
[New York Timesのレポータによる]Q:あなたのビジネスは何ですか?
A:ソ連ロシアの購買取締役です。
Q:これを成し遂げるために、あなたは何をしましたか?
A:製造業者に集中した。
Q:それら製造業者の名を挙げてください。
A:International Harvester Corporationがその一つである。
Q:誰に会いましたか?
A:コーエン氏。
Q:彼に会いに行ったんですか?
A:そうだ。
Q:もっと名前を挙げてください。
A:非常に多くの人々、約500人に会いに行ったが、全ての名前を思い出すことは出来ない。 我々は事務所にそれらの名前を明らかにするファイルを持っている。19
脚注
18 New York Times, November 17, 1919.
19 New York Times, June 21, 1919.
p. 120
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要約すると、ある合衆国の会社との彼らの広範囲に及ぶ接触に関するヘラーとマルテンスの言明は、ソ連支局の事務所ファイルによって立証された。一方、彼らの独善の理由のため、これらの会社は彼らの活動を確認するのを渋ったように思われる。
欧州銀行家がボルシェビキを援助する
Guaranty Trust社とニューヨークの民間銀行家ボイセヴァイン以外に、幾人かの欧州銀行家はロシアでのボルシェビキの支配力を維持拡張するために直接の援助をした。我々のストックホルム大使から国務省への1918年のレポートは、これらの資金移動を詳しく記している。国務省は、その著者を褒めて、「ロシアの状況、欧州におけるボルシェビキ主義の拡散、および資金問題に関するレポートは国務省にとって最も役に立つことが分かった。国務省は、公使館ビジネスに関するあなたの有能な処理に大いに満足している」21と述べていた。このレポートによれば、ソ連体制を出現させるために活動しているこれらの"ボルシェビキ銀行家"の一人は、ペトログラードにある前のRusso-French bankのドミトリー・ルベンステインであった。悪名高いグリゴリ・ラスプーティンの仲間であったルベンステインは、 Second Russian Life Insurance社の譲渡契約に関する罪で、革命前のペトログラードにおいて投獄されていた。 Second Russian Life Insurance社のアメリカ人の支配人兼重役は、ニューヨーク市ブロードウェイ120番地のジョン・マックグレガー・グラントであった。グラントはPutiloff's Banque Russo-Asiatiqueのニューヨーク代表者でもあった。1918年8月にグラントは(その理由は分からないが)軍諜報機関支局の"疑惑リスト"に挙げられていた。22 これは恐らく、1918年初期にオロフ・アシュベルグがペトログラードにおける外国人預金口座を「スウェーデンにおいてアシュベルグが出資していて、アメリカではGuarantee [原文のまま] Trust Co.が出資していた輸出会社であるJohn MacGregor Grant Co.の名義で」23開いたとレポートしたためであったろう。革命の後、ドミトリー・ルベンステインはストックホルムに移り、ボルシェビキの金融エージェントになった。国務省は、ルベンステインは「ボルシェビキではないが、金儲けにおいて非良心的であったことに気付いていた。 そして、彼はボルシェビキの利益のため、およびボルシェビキの支払いのためという意図でアメリカを訪問しているのかも知れないと疑われている」。24
脚注
20 See p. 119.
21 U.S. State Dept. Decimal File, 861.51/411, November 23, 1918.
22 Ibid., 316-125-1212.
23 U.S., Department of State, Foreign Relations of the United States: 1918, Russia, 1:373.
24 U.S. State Dept. Decimal File, 861.00/4878, July 21, 1919.
p. 121
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他のストックホルムの"ボルシェビキ銀行家"は、トロツキーとレフ・カメネフの義兄弟のアブラム・ギヴァトフゾであった。国務省レポートは、ギヴァトフゾは"熱烈な反ボルシェビキ"を装っているが、実際は革命運動に資金を融通するための運び屋によるボルシェビキからの"多額の"資金を受け取っていたことを断言している。ギヴァトフゾは、前のSiberian bankのデニソフ、Asoff Don Bankのカメンカ、およびBank of Foreign Commerceのダヴィドフを含むシンジケートの一部であった。このシンジケートは前のSiberian bankの資産を英国政府に売った。
更にまた、帝政ロシアの民間銀行家グレゴリー・レッシネは、Dardel and Hagborg社を通してボルシェビキのビジネスを取り扱った。そのレポートに名前を挙げられている他の銀行家はスターラーと、妻を通してPetrograd Nelkens Bankを以前支配していたヤコブ・ベルリンである。イシドル・コンはこれらの銀行家によってスパイとして使われた。
ボルシェビキのために活動した欧州を基盤とする銀行家のうちで最も興味深いのは、取締役会のメンバーとしてS・H・クリップス、H・グエダラだけではなく、バルファー卿(英国の外務大臣)、I・M・H・アモリーを含むRussian and English Bankのペトログラード支店前頭取のグレゴリー・ベネンソンであった。ベネンソンは革命の後、ペトログラードに旅行し、次にストックホルムへ行った。一人の国務省官僚の言ったところでは、「私の知るところでは、彼は一千万ルーブルを持っていて、我々の大使アーチャンゲル用として高額の金銭を私に提供する」ために彼はやって来た。ベネンソンは6千ルーブルを150万ボンドと交換するということをボルシェビキと取り決めていた。
1919年1月、ボルシェビキの機関と提携していたコペンハーゲンの民間銀行家達は、デンマーク国家警察がソ連公使館員およびボルシェビキと関係している人々をデンマークから排除するためにマークしているという噂で警告されるようになった。これらの銀行家達と公使館は、デンマークの銀行から彼らの資金を、特にRevisionsbankenから8百万ルーブルを急いで引き上げようと試みた。25 また、機密文書が Martin Larsen Insurance社の事務所に隠されていた。
脚注
25 U.S. State Dept. Decimal File, 316-21-115/21.
p. 122
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その結果として、我々はソ連のために資本主義銀行家が支援したパターンを読み取ることが出来る。これらのうちの幾人かはアメリカの銀行家、幾人かは追放され、欧州に移住した帝政ロシアの銀行家、また幾人かは欧州の銀行家であった。彼らの共通の目的は金儲けであり、イデオロギーではない。
これらの"ボルシェビキ銀行家"−彼らはそう呼ばれている−の活動についての疑わしい見方は、ロシアにおけるその当時の出来事の構造から生じる。1919年、フランス、英国、およびアメリカの軍隊はアーカンゲル地区でソ連軍と戦っていた。たとえば、1919年4月の戦闘におけるアメリカの犠牲は、1人の将校と5人の兵の戦死と、9人の行方不明であった。26 実は、1919年のある時点で、アーカンゲルの合衆国司令官タスカー・H・ブリス将軍は、マーマンスクとアーカンゲル地区の連合軍は、もし緊急に増兵されないならば、壊滅の危険にあるという英国の声明を肯定した。27 その時、W・P・リチャードソン准将の指令の下、増兵は進行中であった。
要約すると、 Guaranty Trust社と一流のアメリカ企業はニューヨークのソ連支局の設立を支援していたのに対し、アメリカ軍は北ロシアでソ連軍と衝突していた。更に、これらの衝突は毎日New York Timesで報道されていて、これらの銀行家およびビジネスマンに読まれていたようである。更にまた、10章において言及するように、ニューヨークのソ連支局を支援していた金融界は、ニューヨークにおいて"連合アメリカ" ―ニューヨークの市街における血の革命、大衆飢餓、およびパニックを予言する敵意ある反共組織― をも作った。
脚注
26 New York Times, April 5, 1919.
27 Ibid.
p.123
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/chap7.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/512.html
〆現在の状況はリーマン危機のさなかよりもはるかに不可解で予測しにくい
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920016&sid=a.zspcI5pQsE
資産家ジョージ・ソロス氏が率いるヘッジファンド会社、ソロス・ファンド・マネジメントで255億ドル規模の「クオンタム・エンドウメント・ファンド」を運用するキース・アンダーソン氏は、国際市場の乱高下を目の当たりにしてきた。
事情に詳しい関係者2人によると、アンダーソン氏は今年6月半ば、ファンドが年間で6%のマイナスとなったことから、ポートフォリオマネジャーらに取引を手控えるよう指示した。より良い機会を待つ姿勢を取った結果、同ファンドの現金比率は約75%に達しているという。
欧州の債務危機や中国のインフレ抑制策、米国の連邦債務上限の引き上げ問題など世界の先行きに不透明感が広がる中、同社やムーア・キャピタル・マネジメントなどヘッジファンド会社は株式や債券、通貨への投資額を減らしている。先月公表されたバンク・オブ・アメリカ(BOA)の調査では、現金の比重を高めているヘッジファンドなどを含めた資産運用会社の割合は全体の約18%と、1年ぶりの高水準となった。5月は6%だった。
アンダーソン氏の上司で、1992年に英ポンド売りで10億ドルの利益を得たとされるソロス氏(80)でさえ当惑している。同氏は4月の会合で、「現在の状況は金融危機のさなかよりもはるかに不可解で予測しにくい」と述べ、「市場は本質的に不安定だ」と指摘した。
複数の投資家が匿名を条件に語ったところによれば、ルイス・ベーコン氏率いるムーア・キャピタル(運用資産150億ドル)もリスクを縮小しており、旗艦ファンド「ムーア・グローバル・ヘッジファンド」の今年のリターンは6月末時点でマイナス6%だという。ソロスとムーアの広報担当者はいずれもコメントを控えた。
14. 2011年7月20日 08:27:40: GTdx39dSTw
大気中への放出量が減ったのはいいことだけど、セシウムとヨウ素メインの煙よりはるかに恐ろしい汚染水の地下水汚染と海洋汚染はどうなったのでしょうか。
都合の良いことだけしか言わない新聞は信用されない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/532.html#c14
第八章
ブロードウェイ120番地、ニューヨーク市
7月から11月末までペトログラードにいたウィリアム・B・トンプソンは、ドイツとオーストリアにボルシェビキのドクトリンを広めるためにボルシェビキに個人的に100万ドルを寄付していた。
Washington Post、1918年2月2日
この本のために資料を集めている間に、ウォール街地域の単一の位置および住所 ―ブロードウェイ120番地、ニューヨーク市― が表面化した。たぶん、この本は1917年においてブロードウェイ120番地に所在の個人、企業、および組織だけを含んで書かれ得たのかも知れない。この研究方法だと押し付けで不自然になるかも知れないが、物語の比較的小さな断片だけを除外して良いならば可能である。
ブロードウェイ120番地に元々あった建物は第一次世界大戦前に火事で破壊された。その結果、その土地はdu Pont de Nemours Powder Companyの社長であるT・コールマン・ドゥ・ポントによって設立されたEquitable Office Building Corporationに売られた。1 新しい建物は1915年に完成し、Equitable Life Assurance Companyはその古い場所に戻った。2 ちなみに、我々はEquitableの歴史における興味深いインターロックに注目すべきである。1916年におけるベルリンのEquitable Life事務所の財務担当は、後にヒトラーの銀行家および金融魔人になったヒジャルマー・ホレイス・グリーリー・シャチの父親であるウィリアム・シャチであった。ウィリアム・シャチはアメリカ市民で、ドイツのEquitableに30年間勤め、"Equitable Villa"として知られるドイツの邸宅を所有していた。ヒトラーと合流する前、若い頃のヒジャルマー・シャチは、ゼフレンドフのWorkers and Soldiers Council (ソビエト)のメンバーとして務めていたが、1918年にこれと離別してNationalbank fur Deutschlandの取締役会に参画した。DONATにおける彼の取締役仲間は、ニューヨークのGuaranty Trust Companyのマックス・メイとともにソ連の最初の国際銀行であるRuskombankの取締役であったエミル・ウィッテンベルグであった。
脚注
1 By a quirk the papers of incorporation for the Equitable Office Building were drawn up by Dwight W. Morrow, later a Morgan partner, but then a member of the law firm of Simpson, Thacher & Bartlett. The Thacher firm contributed two members to the 1917 American Red Cross Mission to Russia (see chapter five).
2 R. Carlyle Buley, The Equitable Life Assurance Society of the United States (New York: Appleton-Century-Crofts, n.d.)
p. 125
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とにかく、ブロードウェイ120番地の建物は1917年においてEquitable Life Buildingとして知られていた。ニューヨーク市における最大のオフィースビルでは決してなかったが、その大きな建物はブロードウェイとパインの1ブロックの面積を占めていて、34階建てであった。Bankers Clubはその34階にあった。1917年のテナントリストはボルシェビキ革命とその余波に対するアメリカの関与を事実上反映していた。連邦準備地区の中で断然最も重要な連邦準備制度のNo.2地区 ―ニューヨーク地域― の本部はブロードウェイ120番地にあった。ニューヨーク連邦準備銀行の数名の取締役の個人事務所や、最も重要な点であるが、American International Corporationもまたブロードウェイ120番地にあった。対比するために述べると、ソ連によって合衆国への最初のボルシェビキ"大使"に任命され、ソ連支局の局長であったルドウィグ・マルテンスは、1917年においてWeinberg & Posner の副社長であったが、彼もまたブロードウェイ120番地に事務所を構えていた。*
この集中は偶然であろうか? その地理的な近接は何らかの意義を持つのであろうか? 答えを示唆しようと試みる前に、我々は論及の枠をスウィッチし、政治的分析の左翼的色合いを捨て去らなければならない。
ほとんど満場一致の直感で、アカデミックな世界は国際的な政治関係を資本主義と共産主義の確固不動の対立という状況で論じ、分析してきた。そして、このマルクス主義公式への硬直した固着が近代史を歪めてきた。その双極性は実際は見せかけであるという趣旨での常軌を逸した論及が時折投げかけられたが、これらは速やかに忘却の彼方に片付けられた。たとえば、ジョージタウン大学の国際関係学教授のキャロル・クイグリーは、House of Morganについて次のコメントをした。
脚注
* The John MacGregor Grant Co., agent for the Russo-Asiatic Bank (involved in financing the Bolsheviks), was at 120 Broadway ―and financed by Guaranty Trust Company.
p. 126
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50年以上前に、モルガン商会は合衆国において左翼政治運動を浸透させることを決めた。これらのグループは資金に飢えていて、人々に声が届くのを切望していたので、これは比較的し易かった。ウォール街は両方を供給した。その目的は、破壊することや、支配することや、引き継ぐことでもなかった。3
明らかに機密文書に基づいていると思われるクイグリー教授のコメントは、もしそれが支持されるならば、歴史的な爆弾宣言の全ての重要な構成要素を持っている。モルガン商会は、クイグリーが着目したように、国内の左翼だけではなく海外の左翼、すなわちボルシェビキ運動および第三インターナショナルを浸透させたことを、我々は示唆する。更に言えば、合衆国国務省の友人を通して、モルガンおよびその仲間の金融財閥、特にロックフェラー一族は、第一次世界大戦から現在まで合衆国とロシアの関係の上に強力な影響を行使してきた。この章に示す証拠は、海外革命運動を浸透させるかあるいは影響する2つの操作媒体がブロードウェイ120番地にあったことを示唆している。一つ目はモルガン被指名者と濃密に結ばれていたニューヨーク連邦準備銀行で、もう一つはモルガンが支配していたAmerican International Corporationである。更にまた、ニューヨ−ク連邦準備銀行とAmerican International Corporationとの間には重要なインターロックがあった ―すなわち、American International Corporationの社長C・A・ストーンは連邦準備銀行の重役でもあった。
現状では不確かな仮説であるが、単一の住所への普通でないこの集中は特別な会社や個人による目的ある活動を反映したものであり、これらの活動と出来事は左翼・右翼の政治的対立という通常の色合いに閉じこもっている限り分析不可である。
AMERICAN INTERNATIONAL CORPORATION
American International Corporation (AIC)は、スチルマンのNational City Bankとロックフェラー財閥を主要な参加者として、J・P・モルガン財閥によって1915年11月22日ニューヨークに設立された。 AICの全体的な事務所はブロードウェイ120番地にあった。その会社の設立勅許状は、世界中のどの国においても銀行業と公共事業を除く如何なるビジネスをも許すものであった。その会社の公表された目的は、国内および海外の事業を発展させること、アメリカの活動を海外に拡張すること、アメリカおよび海外の銀行家、ビジネスマン、エンジニアの利益を振興することであった。
脚注
3 Carroll Quigley, Tragedy and Hope (New York: Macmillan, 1966), p. 938. Quigley was writing in 1965, so this places the start of the infiltration at about 1915, a date consistent with the evidence here presented.
p. 127
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フランク・A・バンダーリップは彼の回顧録において、American International がどのようにして設立されたか、およびそのビジネスの潜在性に関してウォール街で湧き上がった興奮について述べている。4 元々のアイデアは、「合衆国においてそれほど沢山の鉄道ビルが必要だったのかを疑われていた」国有鉄道請負業者Stone & Websterと、National City Bank (NCB)のジム・パーキンスおよびフランク・A・バンダーリップとの間での議論によって生み出された。5 初期の資本認可は5千万ドルで、取締役会はニューヨーク金融界の第一級の傑物で占められていた。バンダーリップは、American International Corporationにとっての広大な潜在性に熱狂して、NCB社長スチルマンに次のように書き送ったことを記録している。
ジェームス・A・ファレルおよびアルバート・ウィギンが[取締役会に加わるように]招かれたが、それを受諾する前に彼らの委員会と相談しなければならなかった。私もまたヘンリー・ウォルターおよびマイロン・T・ハーリクに頼むことを忘れていなかった。ハーリク氏は極めて強くロックフェラー氏を嫌っていたが、ストーン氏は彼を欲しがっていて、私は彼がフランスで特に役に立つであろうと感じている。全体のことは満足できる順調さで進行し、たとえ私が我々は正しい道筋にいるのであろうかと強く疑問に思っているとしても、私にとって驚くべき熱烈さによってその受諾は特徴付けられた。
たとえば、今日、私はジェームス・J・ヒルに会った。彼は最初彼の責任範囲を拡張することについて考えられないと言ったが、我々がすることを期待していることを私が彼に告げ終えた後、彼は喜んで取締役に就任すると言い、大量の株式を買うこと、特にCity Bankにおいて相当な利権を望むこと、および彼のために市場で株式を買うのを私に委任することを告げた。
私は初めて今日その問題についてオグデン・アーマーと話し合った。私がその物語を話している間、彼は完全に沈黙して座っていた。そして、一つの質問をすることもなしに、取締役に就任するということと、50万ドルの株式が欲しいということを彼は言った。
脚注
4 Frank A. Vanderlip, From Farm Boy to Financier (New York: A. Appleton-Century, 1935).
5 Ibid., p. 267.
p. 128
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[General Electricの]コフィン氏はすべてからリタイヤしたもう一人の男であるが、これについて熱狂的になり、彼は喜んで取締役に就任し、最も積極的な協力を申し出た。
サビンを手に入れるのに関して私は非常に良い感触を得ている。Guaranty Trustは全体的に見てその分野での最も活動力のある競争相手であり、彼らをこういう風に取り込むことは非常に価値がある。 彼らは特にKuhn, Loeb'sに熱狂的であった。彼らは250万ドルまで買いたがっている。誰を取締役会に迎えるべきかという見解には、本当はかなり沢山の争いがあった。しかし、私はたまたまカーンと話し合い、最初に彼を招いたので、彼を迎えることは決定されていた。彼はたぶん誰よりも熱狂的であろう。彼らはその計画について電報で伝え、その承認を得た相手であるアーネスト・キャッスル卿*のために50万株を望んでいる。
私は金曜日に[City Bankの]取締役会に全容を説明したが、好ましいコメントがあっただけで、反対はなかった。6
皆がAIC株を切望した。 (W. R. Grace & Co.の)ジョー・グレイスはNational City Bankにおける彼の利権に加えて60万ドルを望んだ。アムブローズ・モネルは50万ドル、ジョージ・ベーカーは25万ドルであった。そして、「ウィリアム・ロックフェラーは入会権として5百万ドルを彼に払うよう私に働きかけたが、無駄であった」。7
1916年までにAICの海外投資額は2千3百万ドルを超え、1917年には2千7百万ドルを超えた。その会社は、ロシアのペトログラードだけではなく、ロンドン、パリ、ブエノスアイレス、および北京に代表者を就任させた。その設立後2年以内で、AICは豪州、アルゼンチン、ウルグアイ、コロンビア、ブラジル、チリ、中国、日本、インド、セイロン、イタリア、スイス、フランス、スペイン、キューバ、メキシコ、および中央アメリカの他の国において相当な規模で営業していた。
脚注
* Sir Ernest Cassel, prominent British financier.
6 Ibid., pp. 268-69. It should be noted that several names mentioned by Vanderlip turn up elsewhere in this book: Rockefeller, Armour, Guaranty Trust, and (Otto) Kahn all had some connection more or less with the Bolshevik Revolution and its aftermath.
7Ibid., p. 269.
p. 129
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American Internationalは数社の完全子会社を保有し、他の会社においても相当な所有権を有しており、更には合衆国および海外の他の企業も経営していた。Allied Machinery Company of Americaは1916年2月に設立されたが、その全株式資本はAmerican International Corporationによるものであった。American International Corporationの副社長はエンジニアでHolbrook Cabot & Rollins Corporationの前会長のフレデリック・ホルブルークであった。1917年1月、Grace Russian Companyが設立されたが、その共同経営者はW. R. Grace & Co.およびペトログラードのSan Galli Trading Companyであった。American International CorporationはGrace Russian Companyに相当投資していて、ホルブルークを通して連動する取締役職を有していた。
AICはまた、1920年代の中米革命に関わったUnited Fruit Companyにも投資した。American International Shipbuilding CorporationはAICによって完全に所有されていて、Emergency Fleet Corporationとの戦争用の船に関する相当数の契約に署名した。一つの契約は50隻で、次の契約では40隻、更に次の契約では60隻の貨物船であった。American International Shipbuildingは、合衆国政府によってEmergency Fleet Corporationとの契約を認められた最大で唯一の会社であった。AICによって経営されていた他の会社はニューヨークのG. Amsinck & Co., Inc.であった。その会社の支配権は1917年11月に獲得された。Amsinckは合衆国におけるドイツのスパイ行為のための融資の源泉であった(66ページ参照)。1917年11月、 American International Corporationは、砲弾鍛造品の主要な政府請負業者のSymington Forge Corporationを完全子会社として設立した。その結果、American International Corporationは合衆国および海外での戦争関連契約において著しい利権を持った。一言で言えば、それは第一次世界大戦の継続において既得の利権を持った。
American Internationalと提携会社数社の取締役は(1917年において)次のようであった。
シカゴのArmour & Companyの精肉業者J・オグデン・アーマー。 ニューヨークNational City Bankの取締役でもあり、ソ連支局との関連でA・ヘラーによって言及されている。
ブロードウェイ120番地のStone & Websterのジョージ・ジョンソン・バルドウィン。 第一次世界大戦の間、バルドウィンはAmerican International Shipbuildingの取締役会会長、American International Corporationの先任副会長、G. Amsinck(Amsinckのバン・パベンステッドは合衆国におけるドイツのスパイ工作の黒幕であった。65ページ参照)の取締役、および国際社会主義が世界金融によって陰で支配されるべくマーブルグ計画に融資した(ページ174−6を参照)Carnegie Foundationの役員であった。
General Electric(重役事務所:ブロードウェイ120番地)の会長で、アメリカ赤十字社の協力委員会委員長のC.A.コフィン。
American Bank Note Company、Mechanics and Metals Bank、Midvale Steel and Ordnance、およびInternational Nickel Companyの取締役で、後にNational City Bankの取締役になったW.E.コレイ。
合衆国法規に違反して1920年にソ連のために帝政ロシアの金本位制ルーブルを合衆国に輸入しようと企てたサンフランシスコ海運王のロバート・ダラー。
p. 130
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ド・ポント一族のピエール・S・ド・ポント。
National City Bank取締役のフィリップ・S・A・フランクリン。
National City Bank取締役のJ.P.グレイス
New York Life Insurance取締役、American Bankers Associationの前社長、Carnegie Foundationの役員のR.F.ヘーリク。
Kuhn, Loeb共同経営者のオットー・H・カーン。 カーンの父親は、"その年の不首尾に終わったドイツ革命に参加したあと"1948年にアメリカにやって来た。J.H.トーマス(ソ連から資金援助を受けていた英国の社会主義者)によれば、"オットー・カーンの顔は光に向いていた。"
Carnegie Foundationの役員H.W.プリチェット。
ジョン・H・ロックフェラーの息子で、National City BankのA.スチルマンの娘イザベルと結婚したパーシィ・A・ロックフェラー。
銅採鉱会社、National City Bank、およびMechanics and Metals Bankの取締役ジョン・D・ピィアン。(この本の口絵参照)
ブロードウェイ120番地のニューヨークFederal Reserve Bank取締役で、Ingersoll-Rand会長のW.L.サンダース。 National Cyclopaedia (26:81)によれば、"戦争中における大統領の最も信頼していた助言者の一人"。ソ連に関する彼の見解については15ページを参照のこと。
父親(NCB会長J.スチルマン)が1918年3月に亡くなった後、National City Bank社長に就任のJ.A.スチルマン。
ニューヨークのNational City Bank of Troy社長T.N.ベイル。
National City Bank社長F.A.バンダーリプ。
ブロードウェイ120番地のStone & WebsterのE.S.ウェブスター。
1930年代初期におけるニューヨーク連邦準備銀行取締役ベックマン・ウィンスロープ。
ブロードウェイ120番地のニューヨーク連邦準備銀行およびHanover National Bankの取締役ウィリアム・ウッドワード。
p. 131
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American International Corporation の22名の取締役の他の機関とのインターロックは意義深い。National City BankはAICの取締役会に少なくとも10名の役員を送り込んでいた。NCBのスチルマンはその当時、ロックフェラーおよびモルガン財閥の間の仲介者で、モルガンおよびロックフェラー財閥は両者ともにAICに直接代表を送っていた。Kuhn, Loebとdu Pontsはそれぞれ1名の取締役を送り込んでいた。Stone & Websterは3名であった。AICの取締役のうち4名(サンダース、ストーン、ウィギン、ウッドワード)以上は、ニューヨーク連邦準備銀行の取締役であったか、あるいは後にニューヨーク連邦準備銀行に加わった。我々は最初の方の章において、ボルシェビキ革命に資金および彼の相当な威信をささげたウィリアム・ボイス・トンプソンもまたニューヨーク連邦準備銀行の取締役の一人、7人しかいないニューヨークFRBの取締役であったことに言及している。
革命に対するAmerican Internationalの影響
AICの取締役を確認した今、我々は彼らの革命への影響を確認しなければならない。
ボルシェビキ革命が中央ロシアで起こったとき、国務長官ロバート・ランシングは政策に関するAmerican International Corporationの見解がソ連体制の方に針路を取られるべきと要求した。1918年1月16日 ―ペトログラードとモスクワでの奪取のあとのやっと2ヵ月後で、ロシアのほんの一部がボルシェビキの支配下になる前― American International Corporationの社長室長ウィリアム・フランクリン・サンヅは国務長官ランシング宛にロシア政策に関して要求されたメモを提出した。ブロードウェイ120番地というヘッダーの入ったサンヅの添え状は次のように始まっていた。
尊敬に値する国務長官殿、ワシントンD.C. 1918年1月16日
拝啓
ロシアの政治情勢についての私の見解について御要求のメモを作りましたので、同封させて頂きます。
私はそれを3つに分けました。すなわち、可能な限り簡潔に書いた革命の歴史的な原因についての説明、政策についての提案、およびロシアで進行中のアメリカの活動の様々な支流についての詳述の3つです。8
ボルシェビキはロシアにおいて不安定な支配力を持っていただけで、実際、1918年の春にそれを失いそうになっていたにも関わらず、合衆国は既に(1918年春)"トロツキー"を承認するのに遅れ過ぎているとサンヅは記した。「たとえ、立脚点が失われようとも、トロツキーの少し個人的勝利という犠牲を払ってでさえ、今、回復されるべきであるとも」9、彼は追記している。
脚注
8 U.S. Stale Dept. Decimal File, 861.00/961.
9 Sands memorandum to Lansing, p. 9.
p. 132
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ブロードウェイ120番地またはその近くにあった企業
American International Corp 120 Broadway
National City Bank 55 Wall Street
Bankers Trust Co Bldg 14 Wall Street
New York Stock Exchange 13 Wall Street/12 Broad
Morgan Building corner Wall & Broad
Federal Reserve Bank of NY 120 Broadway
Equitable Building 120 Broadway
Bankers Club 120 Broadway
Simpson, Thather & Bartlett 62 Cedar St
William Boyce Thompson 14 Wall Street
Hazen, Whipple & Fuller 42nd Street Building
Chase National Bank 57 Broadway
McCann Co 61 Broadway
Stetson, Jennings & Russell 15 Broad Street
Guggenheim Exploration 120 Broadway
Weinberg & Posner 120 Broadway
Soviet Bureau 110 West 40th Street
John MacGregor Grant Co 120 Broadway
Stone & Webster 120 Broadway
General Electric Co 120 Broadway
Morris Plan of NY 120 Broadway
Sinclair Gulf Corp 120 Broadway
Guaranty Securities 120 Broadway
Guaranty Trust 140 Broadway
事務所の位置を示したウォール街地区の地図
p. 133
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サンヅはその後、合衆国が失った時間を埋め合わせできる方法を念入りに仕上げ、ボルシェビキ革命を"我々自身の革命"と対比し、"ロシアのための政権の計画は連邦議会の全ての可能な支援、および合衆国における世論の暖かい是認を得るであろうと信じるに値するあらゆる理由を私はもっている"と結論する。
要約すれば、サンヅは、取締役達がウォール街における最も権威があった企業の社長室長として、革命が始まって数週間以内に早くも、ボルシェビキとボルシェビキ革命に対して断固たる支持を与えた。そして、ニューヨーク連邦準備銀行の取締役として、サンヅはボルシェビキに百万ドルをちょうど寄付したところであり、銀行事業によるそのようなボルシェビキ支援は少なくとも首尾一貫している。
更に付け加えると、American Internationalのウィリアム・サンヅは国務省との関係で本当に非凡な繋がりと影響力を持つ男だった。
サンヅのキャリアは国務省とウォール街を往復していた。19世紀末と20世紀初頭において、彼は様々な合衆国の政策に関わるポストに就いた。1910年、彼は国務省を去り、エクアドル債券を商議するためにジェームス・スペイヤーの銀行業に参画し、次の2年間、プエルトリコのCentral Aguirre Sugar Companyの代表者を務めた。1916年、彼は"赤十字の仕事" ―バシル・マイルスとともに実は2人用の"特別任務"― でロシアにいて、帰国後にニューヨークのAmerican International Corporationに参画した。10
1918年初頭、サンヅはあるロシアの"秘密協定書"の知られていて意図的な受取人になった。もし、国務省ファイルが信頼性あるならば、サンヅは運び屋でもあり、公文書を先立って ―すなわち合衆国の官僚に先立って― 目にしていた。1918年1月14日、サンヅがボルシェビキに対する政策についてのメモを書く丁度2日前、ランシング国務長官はストックホルムのアメリカ領事館宛に次の電文を緑の組字の付いた郵便袋に入れて送らせた。「ここに持ってこられるべき、サンヅにとって重要な公文書が領事館に残されている。それらを送ってくれ。ランシングより」。ストックホルムのモリスからの1月16日付けの返事には次のように書かれている。「1月14日午後5時の書類番号460への回答。言及の書類は12月28日に郵便袋No.34で国務省に送った。」これらの書類には、"BM"(サンヅの仲間であるバシル・マイルズ)と署名されたメモが添付されている。:「フリップ氏。彼らはサンヅがペトログラードからストックホルムに持ってきた秘密協定の第一回目の分割払込みを彼に渡すのに失敗した。」11
脚注
10 William Franklin Sands wrote several books, including Undiplomatic Memoirs (New York: McGraw-Hill, 1930), a biography covering the years to 1904. Later he wrote Our Jungle Diplomacy (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1941), an unremarkable treatise on imperialism in Latin America. The latter work is notable only for a minor point on page 102: the willingness to blame a particularly unsavory imperialistic adventure on Adolf Stahl, a New York banker, while pointing oust quite unnecessarily that Stahl was of "German-Jewish origin." In August 1918 he published an article, "Salvaging Russia," in Asia, to explain support of the Bolshevik regime.
11 All the above in U.S. State Dept. Decimal File, 861.00/969.
p. 134
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何故、私的な市民がロシアの秘密協定書を運んでいたのかと云う疑問や、そのような秘密協定書(たぶん、いわゆるシッソン文書の初期バージョン)の内容についての疑問は横に置いておいて、AICの社長室長が1917年末にペトログラードからストックホルムに旅行し、秘密協定書にアクセスできる特権を持ち、顔のきく市民であったに違いないということを少なくとも推量できる。12
2〜3ヵ月後の1918年7月1日、サンヅは財務長官マクアドーに、ロシアへの"経済的援助"に関する委員会を示唆する手紙を書いた。そのような援助が如何なるものであろうとも政府委員会がそのような"機械類を提供する"ことは困難であろうから、委員長またはこの目的のために大統領によって選ばれる官僚の支配の下で、そのような機械類を提供するために合衆国の金融、商業、産業の利害関係者を呼び込む必要があるように思えると、彼は力説した。13 換言すれば、ボルシェビキのロシアの商業的開拓はブロードウェイ120番地を含むように進んでいくであろうと、サンヅは明らかに意図した。
ニューヨーク連邦準備銀行
ニューヨーク連邦準備銀行の会社免許は1914年5月18日にファイルされた。その地区のメンバー銀行を代表する3人のクラスA取締役、商業、農業、工業を代表する3人のクラスB取締役、および連邦準備制度理事会を代表する3人のクラスC取締役に、それは与えられた。最初の取締役は1914年に選挙された。彼らは精力的なプログラム作成に前進した。ニューヨーク連邦準備銀行設立の1年目において開催されたミーティングは50回以上であった。
脚注
12 The author cannot forbear comparing the treatment of academic researchers. In 1973, for example, the writer was still denied access to some State Department files dated 1919.
13U.S. State Dept. Decimal File, 861.51/333.
p. 135
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我々の観点で興味深いことは、一方の(ニューヨーク地区の)連邦準備銀行およびAmerican International Corporationの取締役と、他方の新興ソ連ロシアの間の繋がりである。
1917年において、3人のクラスA取締役はフランクリン・D・ロッケ、ウィリアム・ウッドワード、およびロバート・H・トレマンであった。ウィリアム・ウッドワードは、American International Corporation(ブロードウェイ120番地)およびロックフェラーが支配するHanover National Bankの取締役であった。ロッケとトレマンはいずれもこの物語には含まれない。1917年におけるクラスB取締役は、ウィリアム・ボイス・トンプソン、ヘンリー・R・タウネ、およびレスリー・R・パルマーであった。ウィリアム・B・トンプソンがボルシェビキ運動に多額の現金を寄付したことは既に述べた通りである。ヘンリー・R・タウネは、ブロードウェイ120番地のニューヨークMorris Planの取締役会会長で、その席はのちにAmerican International Corporation(ブロードウェイ120番地)およびStone & Webster(ブロードウェイ120番地)のチャールズ・A・ストーンに引き継がれた。レスリー・R・パルマーはこの物語には含まれない。3人のクラスC取締役は、ピエール・ジェイ、W.L.サンダース、およびジョージ・フォスター・ピーボディである。事務所がブロードウェイ120番地にあったということ以外、ピエール・ジェイについて何も知られていないが、彼はBrearley School, Ltd.のオーナーであったという点のみで有意義なように思われる。ウィリアム・ローレンス・サンダースはAmerican International Corporationの取締役でもあった。彼は、これまで述べたように、公然と親ボルシェビキであることを認めていて、ウッドロー・ウィルソン大統領への手紙の中でそれを打ち明けていた(15ページ参照)。ジョージ・フォスター・ピーボディは社会主義活動家であった(ページ99−100参照)。
要約すると、ニューヨーク連邦準備銀行の7人の取締役のうち、4人がブロードウェイ120番地に身を置いていて、2人がAmerican International Corporationとその時に繋がりがあった。そして、AICの取締役会の少なくとも4名はニューヨークFRBの取締役でもあったか、あるいはかつてそうだった。我々はこのすべてを意義深いと称することができるが、それを優位な興味と必ずしも看做している訳ではない。
アメリカ-ロシア産業連合会社(AMERICAN-RUSSIAN INDUSTRIAL SYNDICATE INC.)
ロシアへの経済的な委任についてのウィリアム・フランクリン・サンヅの提案は採用されなかった。その代わり、ロシア市場を開拓するための私的な手段が組み立てられ、早期の援助がボルシェビキに与えられた。これらの機会を展開促進するために、ブロードウェイ120番地からの産業グループがAmerican-Russian Industrial Syndicate Inc.を設立した。新会社へ資金援助をしたのは、以前ウィリアム・ボイス・トンプソンの仲間であったブロードウェイ120番地のGuggenheim Brothers(グゲンヘイムはAmerican Smelting and Refiningとユタの銅会社を支配していた)、同じくブロードウェイ120番地のSinclair Gulf Corp.社長ハリー・F・シンクレア、およびエクスチェンジプレイス43番地 ―American-Russian Industrial Syndicateの住所― のG. White Engineering Corp.のジェイムス・G・ホワイトであった。
p. 136
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1919年秋、ロンドン駐在合衆国大使はワシントンに、"American-Russian Industrial Syndicate Incorporatedの代表者である"ルボヴィッチとロッシについて電報を送った。そのSyndicateと個人に対する国務省の評判および姿勢はどうですか?14
この電報に対して、サンヅの以前の仲間である国務省官僚バシル・マイルスは返答した。
言及の紳士達および彼らの会社は、ロシアとのビジネスの扉を開けるために、ホワイト、シンクレア、およびグゲンヘイム財閥によって資金的に支援された立派な身分である。15
それ故、ウォール街の財閥はロシア市場がどのように開拓されるべきかという極めて明確なアイデアを持っていたと結論して良い。ワシントンやその他の場所の当事者達によって差し出された、ボルシェビキのための援助および助言が報いられないままということではなかった。
ジョン・リード:革命の確立
国務省におけるAmerican Internationalの影響力とは全く別に、有名なボルシェビキ主義者ジョン・リードとの間に親密な関係 ―そしてそれはAIC自身、"支配"と呼んでいた― がある。 ジョン・リードは、多作の作家で、第一次世界大戦中、広く読まれ、ボルシェビキ寄りのMasses16、およびモルガンが支配していた雑誌Metropolitanに投稿していた。ボルシェビキ革命についてのリードの本「世界を震撼させた10日間」はニコライ・レーニンの序論を誇示していて、リードの最も有名で、最も広く読まれた文学作品になった。今日、その本は最近の事件についての皮相の実録のように読め、ボルシェビキ宣言と布告がちりばめられていて、海外の同情者を誘発するであろうボルシェビキの不可解な熱情が充満している。その革命のあと、リードは第三インターナショナルの執行委員会のアメリカのメンバーになった。彼は1920年にロシアでチフスで死んだ。
脚注
14 U.S. State Dept. Decimal File, 861.516 84, September 2, 1919.
15 Ibid.
16 Other contributors to the Masses mentioned in this book were journalist Robert Minor, chairman of the, U.S. Public Info, marion Committee; George Creel; Carl Sandburg, poet-historian; and Boardman Robinson, an artist.
p. 137
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ここで思いつく極めて重大な焦点は、リードの既知の親ボルシェビキ傾向・活動ではなく、レーニンの完全な信頼を持ち(レーニンは「10日間」において、"この本は何百万部を出版され、すべての言語に翻訳されるのが好ましいと思う"とコメントした)、第三インターナショナルのメンバーで、"American Socialist press"の代表者としていつでもSmolny Institute (革命本部)に入れる軍革命委員会パス(No.955、1917年11月16日発行)を所有していたリードが、―これらのことに関わらず― どのようにして、American International Corporationを通してモルガン金融財閥"支配"下の操り人形でもあったのかという点である。記録による証拠がこの外見上の矛盾のために実在する。(以下およびAppendix 3を参照)
その背景を書こう。MetropolitanとMassesの記事は、メキシコとロシアのボルシェビキ革命をレポートするため、ジョン・リードに広い読者を与えた。リードの伝記作家であるグランヴィル・ヒックスは、「ジョン・リード」において"彼は合衆国におけるボルシェビキのスポークスマンであった"ことを示唆している。一方、1913年から1918年までにおけるリードへの資金は、この本のすべての章で引用している機関Guaranty Trustの取締役ハリー・ペイン・ホイットニーが所有するMetropolitanから沢山援助され、また直接あるいは親ボルシェビキのMassesを通してリードに資金を流したニューヨークの銀行家で商人であるユーゲネ・ボイスヴェインからも援助されていた。換言すれば、ジョン・リードは政治的な色合いにおいて互いに競合すると思われる2グループの少数分子によって資金援助されていた。これらの資金は著作のためであって、次のように分類され得る。記事に対する1913年以降のMetropolitanからの支払い、1913年以降のMassesからの支払いで、その収入は少なくとも部分的にユーゲネ・ボイスヴェインに端を発していた。第三の分類が言及されるべきである。リードはペトログラードの赤十字社理事レイモンド・ロビンスから、より少ないが明らかに関連性の無い支払いを受けていた。多分、彼は他の雑誌に向けて書いた記事の原稿料や著作の印税として、より少額の支払いも受けていたのであろうが、それが支払われるべきだという証拠は見つかっていない。
p. 138
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ジョン・リードとメトロポリタン雑誌
Metropolitanは、たとえば軍備を含む同時代の体制運動を支援した。その雑誌は、Navy Leagueを創立し、J.P.モルガン商会のパートナーであったハリー・ペイン・ホイットニーによって所有されていた。1890年代後半にホイットニーはAmerican Smelting and RefiningとGuggenheim Explorationの取締役になった。1908年に彼の父親が亡くなると、彼はGuaranty Trust Companyを含む多数の他の企業の取締役になった。リードは1913年7月にホイットニーのMetropolitanのために書き始め、メキシコ革命について半ダースの記事、すなわち、"メキシコでヴィラと共に"、"背後の原因/メキシコの革命"、"もし我々がメキシコに入国するならば"、"3月にヴィラと共に"などの記事を投稿した。リードの共感は革命家パンチョ・ヴィラに対してであった。Guaranty Trust とヴィラの弾薬供給の間の繋がりを思い出して欲しい(65ページ参照)。
とにかくMetropolitanはリードの主要収入源であった。伝記作家グランヴィル・ヒックスの言葉では、「お金は主にMetropolitanに対する仕事を意味し、付随的に他の投稿料を払ってくれる雑誌向けの記事や物語を意味した」である。しかし、Metropolitanに雇われることで、リードはモルガンおよびロックフェラー財閥を批判する記事を書くのを妨げられなかった。その一例である"共和国の喉元で"(Masses、1916年7月)は、軍需産業、国家安全軍備ロビー、およびモルガン−ロックフェラー財閥の重なり合う取締役職との間の関係の足跡を辿っていて、「彼らは、後進国の開拓のために組織化された軍備産業および新しく設立されたAmerican International Corporationの両方を支配していることを示した。」17
1915年、ジョン・リードはロシア帝政のその筋によってロシアで逮捕され、Metropolitanはリードのために国務省と共に介入した。1915年6月21日、H.J.ウィグハムは国務長官ロバート・ランシングに手紙を書き、ジョン・リードとボードマン・ロビンソン(同じく逮捕され、同じくMassesへの寄稿者)が「東部戦線の記事とイラストを作成するというMetropolitan雑誌からの任務で」ロシアにいることを彼に知らせた。ウィグハムは、いずれも「交戦国官憲の作戦行動の邪魔をするという我々からの如何なる要望や権限」を持っていないと指摘した。ウィグハムからの手紙は次のように続いている。
もし、リード氏がブチャレストから精神的に反ロシア体制のガルシアの人々への紹介状を持ち運んでいるならば、できるだけ多くの人々に会いたいという単純な目的のために悪意なく為されたと私は確信している。
脚注
17 Granville Hicks, John Reed, 1887-1920 (New York: Macmillan, 1936), p. 215.
p. 139
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ウィグハムはランシング長官に、ジョン・リードはホワイトハウスで知られており、メキシコの事件に関して政府に"ある支援"をしたと指摘している。彼は、"作家および思索家としてのリードの偉大な才能に対して我々は最高の敬意を抱いており、彼の身の安全に関して非常に心配している"18と結論する。そのウィグハムの手紙はボルシェビキ作家を支援する体制雑誌からではないことに注意して欲しい。それは、Massesおよび同じような革命に関する印刷物のボルシェビキ作家で、Metropolitanを所有する同一のモルガン財閥への辛辣な攻撃(たとえば、"ビッグビジネスの不本意な倫理:ペシミストのための寓話")の著者でもある作家を支援する体制雑誌からである。
民間銀行家ボイスヴェインによる資金援助の証拠は疑いの余地が無い。1918年2月23日、ノルウェイのクリスティアニアのアメリカ公使館は、社会党の党首モリス・ヒルキットへの配達を目的として、ジョン・リードのためにワシントンへ電報を送った。その電文において、部分的に"ボイスヴェインは彼を利用しなければならないが、注意せよと伝えよ"と述べられている。1918年4月3日付けの、国務省ファイルのバシル・マイルスによる不可解な手記においては、「もし、リードが帰国しようとするならば、彼はお金を持っていた方が良いのに。代替案はノルウェイによる追放または丁重な召還と私は理解している。もしこの通りならば、後者が好ましいように思われる」と書かれている。この保護的な手記のあとに、1918年4月1日付けでクリスティアニアの公使館からの電文が続いている。「ジョン・リードは、ニューヨーク、ウィリアムス街29番地のユゲーネ・ボイスヴェインに、公使館気付けで300ドル送金することを要求している。」19 この電文は、1918年4月3日に国務省によってユゲーネ・ボイスヴェインに渡された。
リードは、どうやら彼の資金を受け取ったようで、無事に合衆国に戻った。国務省ファイルの次の文書はジョン・リードからW・フランクリン・サンズへの手紙で、その日付は1918年6月4日で、ニューヨークのクロトノン-ハドソンから書かれたものである。その手紙において、リードは国務省のためにメモを作成したと主張し、ロシアから持ち帰った書類箱の返却のため、サンヅの影響力を行使してくれるように彼に要請している。リードは、「あなたの邪魔をして申し訳ないけれども、私は他に頼れるところを知らないし、もう一度ワシントンへ旅行する余裕がない」と結んでいる。その結果、フランク・ポーク国務長官代理は、ジョン・リードの書類の返却に関してのサンヅからの手紙を受け取った。1918年6月5日付けでブロードウェイ120番地からのサンヅの手紙は、完全に復元されてここにある。それは、リードの影響力を全くあからさまに証明している。
脚注
18 U.S. State Dept. Decimal File, 860d.1121 R 25/4.
19 Ibid., 360d.1121/R25/18. According to Granville Hicks in John Reed, "Masses could not pay his [Reed's] expenses. Finally, friends of the magazine, notably Eugene Boissevain, raised the money" (p. 249).
p. 140
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ブロードウェイ120番地、ニューヨーク
1918年6月5日
親愛なるポーク様
勝手ながら、ジョン("ジャック")・リードからの ―もし可能ならば、彼がロシアから持ち帰った書類の返却を達成するのを助けて欲しいという内容の― 懇願状を同封する。
リード氏が最初に訪れたとき彼と会話したが、彼は建設的な発展をするためにロシア政府がしようとしているある試みをスケッチし、我々の政府の要望があれば、彼の得た如何なる情報でも、レオン・トロツキーとの繋がりを通して得た情報を提供したいと彼は述べた。私は、あなたのためにこの問題についてメモを書くように彼に示唆し、ワシントンに電話して彼にこの目的のためのインタビューをするよう、あなたに依頼することを約束した。彼は多量の書類を持ち帰ったが、調査のために没収されていて、この問題に関して、彼はその筋の誰かと話したがっていた。それらに含まれているかも知れない情報を自発的に政府に提供するため、および彼の新聞や雑誌に関わる仕事に必要とされるあれらの書類の返却を求めるためである。
私は、彼が噂されているのと違って、"ボルシェビキ主義者"や"危険な無政府主義者"ではないと信じている。彼は疑いなくセンセーショナルなジャーナリストであるが、それがすべてである。彼は我々の政府を困らせようとしているのではなく、この理由のため、彼がニューヨークに戻り、"Masses"裁判における彼に対する告発に直面する際、トロツキーによって彼に提供されたと私が理解している"保護"を拒絶した。しかし、彼はペトログラードのボルシェビキに好かれていて、それゆえ、警察がするかもしれない迫害のように見えるすべてのことは、ペトログラードを憤慨させるであろうし、それは不必要なため望ましくないと私は信じている。彼は警察よりも他の手段によって、はるかに良く統御支配され得る。
私は彼がブリット氏に与えたメモを見ていない。それを最初に私に見せて、必要ならば手を加えさせるように彼に言っておいたが、彼はそうする機会を持たなかった。
私がこの問題で出しゃばっているとか、私に関係のない問題でちょっかいを出していると、あなたは考えないと思う。そうする必要がないならば、また万一そうする必要が生じるとしてもその時までは、ボルシェビキの指導者達を怒らせないことが賢明であると私は信じる。また、ロシアのボルシェビキと友好関係にあるすべての人物を疑わしいとか、危険な人物だというように見ることは賢明でないと信じる。もし、そうすることが可能ならば、ロシアに対する我々の政策を展開するに際し、そのような人々を我々の目的のために利用しようと試みることは、より良い政策だと思う。リードがフィラデルフィアで述べようとして、警察に妨げられた(彼は冷静さを失い、警察と衝突して逮捕された)講演は、もし私が既にその話題についてのノートを見ていないならば、聴くためにお金を払っても良い、ロシアについての唯一の講演です。それは、我々がソ連政府との接触点や建設的な仕事を始める取っ掛かりを見つけ得る話題をカバーしていた!
p. 141
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彼に敵意を持たせ、敵にする代わりに、彼を利用することができませんか? 彼はあまり常識がないけれども、もし私が大きな間違いをしていないならば、彼は分別あるガイダンスに影響され易く、非常に役に立つかも知れない。
敬具
ウィリアム・フランクリン・サンヅ
フランク・リオン・ポーク閣下
国務省顧問、ワシントンD.C.
WFS:AO
同封物20
この書類の意義は、有名なボルシェビキのための、American International Corporationの役員(社長室長)による直接の干渉を厳然と暴露していることである。リードについてのサンヅの2〜3の言明を熟考しなさい。"彼は警察よりも他の手段によって、はるかに良く統御支配され得る"、および"彼に敵意を持たせ、敵にする代わりに、彼を利用することができませんか? もし私が大きな間違いをしていないならば、彼は分別あるガイダンスに影響され易く、非常に役に立つかも知れない"。極めて明らかなように、American International Corporation はジョン・リードをスパイまたはスパイとして使える人物と見ており、たぶん既にスパイであってその支配下にあったのであろう。サンヅが(ブリットのために)リードによるメモの編集を要求する立場にいたということは、ある程度の支配が既に確立されていたことを暗示している。
次に、サンヅのボルシェビキに対する潜在的に敵意ある態度 ―およびかろうじて隠された挑発する意図― に気付きなさい。"そうする必要がないならば、また万一そうする必要が生じるとしてもその時までは、ボルシェビキの指導者達を怒らせないことが賢明であると私は信じる"(イタリック体を追加した)。
脚注
20 U.S. State Dept. Decimal File, 360. D. II21.R/20/221/2, /R25 (John Reed). The letter was transferred by Mr. Polk to the State Department archives on May 2, 1935. All italics added.
p. 142
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これは、民間の合衆国市民からのソ連スパイのための異常な手紙であり、その市民の助言を国務省が求めたことがあって、求め続けていたのである。
国務省ファイルにおけるその後、1920年3月19日のメモは、アボでのフィンランド官憲によるジョン・リードの逮捕、およびリードが英国、アメリカ、ドイツのパスポートを保持していたことを報じていた。カスゴルムリッチの偽名の下に旅行していたリードは、ダイヤモンド、多額の現金、ソ連のプロパガンダ文献およびフィルムを携行していた。1920年4月21日に、ヘルシングフォースのアメリカ公使館は国務省に電報を送った。
次の郵便袋で、リードが所有していたと分かったエマ・ゴールドマン、レーニン、およびシロラからの手紙の公認コピーを後送する。外務省は法廷議事の完全な記録を与えると約束した。
もう一度、サンヅは干渉した。"私は個人的にリード氏を知った"。21 そして、1915年におけるように、Metropolitan雑誌もリードを助けた。H.J.ホイグハムは1920年4月15日に国務省のブレインブリッジ・コルビーに書いた。「ジョン・リードがフィンランドで処刑される危険があると聞いた。国務省は彼が適切な裁判を受けるように取り計らうために直ちに手段を講じることができると思う。迅速な行動を緊急に要求する。」"22 これは、ルーズベルト大統領のもとで名声を約束されていたハリー・ホプキンスからの1920年4月13日の次の電文に追加されたものであった。
国務省はフィンランドで監禁されたジャック・リードが処刑されるであろうという情報を持っていると理解している。彼の友人であなたの友人の一人として、彼の妻のために、あなたが処刑を阻止し、釈放を確固たるものにするために迅速な行動を起こすよう懇願する。あなたの迅速にして効果的な干渉に頼ることができると確信している。23
かくして、ジョン・リードはフィンランドのその筋によって釈放された。
脚注
21 Ibid., 360d.1121 R 25/72.
22 Ibid.
23 This was addressed to Bainbridge Colby, ibid., 360d.1121 R 25/30. Another letter, dated April 14, 1920, and addressed to the secretary of state from 100 Broadway, New York, was from W. Bourke Cochrane; it also pleaded for the release of John Reed.
p. 143
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ソ連スパイのための介入についてのこの奇妙は叙述に対して、いくらかの説明が成り立つ。ウォール街とボルシェビキ革命に関する他の証拠に合致する一つの仮説は、ジョン・リードが実質的にはモルガン財閥のエージェントであったということ ―たぶん、彼の二重の役割については半分気付いていたであろう― すなわち、彼の反資本主義的著作は、すべての資本家はすべての社会主義革命家と永遠に抗争するという有益な神話を維持したということである。既に述べたように、キャロル・クイグリィは、モルガン財閥が国内の革命組織および反資本主義的著作を金銭的に支援したことをレポートした。24 そして、我々はこの章で、モルガン財閥はソ連スパイに対しても影響力を行使していて、彼のために仲裁し、より重要なことに、ソ連の利益のために合衆国政府に広く介入していたという反駁できない証拠書類を提示した。これらの活動は、単一の住所 ―ニューヨーク市、ブロードウェイ120番地― に集中していた。
脚注
24 Quigley, op. cit.
p. 144
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/chap8.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/513.html
01. 2011年7月20日 08:29:28: P9lBJBtolI
宇宙一いい加減な博士さんおはようございます。
採り上げて頂いて光栄です。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/399.html#c1
01. 2011年7月20日 08:30:38: IV8vpzxuiI
高橋昌一郎国学院大学教授は「人間はまだ原子力を使いこなせるレベルに達していない」。
物理学者 武谷三男氏は「原発は危険だという人が扱ってこそ辛うじて安全なものができる。安全だという人が扱えばこんな危険なものはない」
と以前から警告されていました。リベラルな学者の警告を無視し、政府、経済人は国民の命を犠牲にして自分の利益だけを考えて原発を推進しました。情報社会の現代に人民を苦しめる暴政の国があるのが不思議。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/540.html#c1
原発反対運動を監視/科技庁(当時)80年代後半に/チェルノブイリ事故で世論警戒
「しんぶん赤旗」 2011年7月20日付 1面
1986〜89年にかけて、当時の科学技術庁が日本国内の原子力発電に反対する運動を監視していたことが分かりました。原発を押し付けるために、政府機関が先頭に立って国民に敵対する異様な姿が浮き彫りになりました。
同庁は監視した結果を89年6月に原子力局原子力調査室名で「最近の原子力発電に対する反対運動の動向について」としてまとめています。当時、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故(86年)をきっかけに、日本を含め世界各地で原発に反対する運動が起きていました。
報告書は、四国電力伊方原発での出力調整運転試験に反対する運動(88年2月)を取り上げています。出力調整は、チェルノブイリ原発で事故が起きたきっかけとなった実験です。伊方原発での出力調整に反対する運動に対して、「チェルノブイリ事故の原因となった実験と同様の試験を行うものであり、同様の事故が起こるとの誤解によって盛り上がる」と記述していました。
当時、「伊方等の原発の危険に反対する愛媛県民連絡会議」などで出力調整に反対する運動をしていた中川悦良元愛媛県議(84)は、「私たちは通常の運転でも危険な原発をさらに危険にするものとして出力調整に反対してきました。誤解だなんていいがかりです。実験に反対する署名を14万人分以上集めるなど多くの県民と共同した運動です。そうした運動を監視してきたとはとんでもないことです」と憤ります。
また、88年9〜11月には北海道の泊原発と幌延町の核廃棄物処理施設の設置に反対して、@建設の中止を事業者に勧告するA幌延の「貯蔵工学センター」設置に反対し一切の協力をしないこと―を知事に求める条例制定のための直接請求運動が取り組まれました。この運動に対して報告書は「共産党系反対派」とレッテル貼りをしています。
当時、原発問題全道連絡会として直接請求運動に取り組んだ菅野一洋さん(79)は、「署名運動は労働組合や女性団体など18の団体で実行委員会をつくって取り組み、125の地域実行委員会がつくられました。幅広い道民の力で50万もの署名を集めたのです。“共産党系”などというレッテル貼りは許されません」と話します。
報告は「原子力反対運動の特徴」として、「従来」と「最近」の運動を比較します。「技術論、安全論などの理論中心→感覚的、情緒的反対」「悲そうな使命感→遊び感覚、お祭り気分」などと運動の変化を描いており、運動に参加する市民を見下す姿勢が反映しています。
また、「原子力反対運動の背景」を分析して「欧州の一部の国における原子力政策の転換がマスコミを通じ大きく報道されたため、世界的に原子力から撤退する傾向にあると誤解している人が多い」などと、マスメディアにも攻撃の矛先を向けます。さらに、反対運動は「原子力による危険性のみを特別視している」として、反対運動を敵視しています。
この分析を受けて、「科学技術庁におけるPAの考え方」として「従来のマス・メディアの利用だけでなく、一般の人々との直接対話による草の根広報を導入する(講師派遣制度の実施等)」「反対派が国際的な結び付きを持ってきていることにかんがみ、国際的な連携を強化する(国際シンポジウムの開催等)」と説明しています。これらの施策は現在も行われています。
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PA 「パブリック・アクセプタンス」の頭文字をとったもので、「社会的受容性」とも訳されます。円滑に企業活動や事業展開ができるように、社会において企業活動の理解促進を図る働きかけをさします。
第九章
ギャランティ・トラスト、ロシアへ行く
ソ連政府は、ソ連のすべての事業のためにGuarantee[原文のまま] Trust Companyが合衆国における金融エージェントになることを望み、ソ連の資産をアメリカの金融財閥と完全に結びつけるという見地で、American purchase Eestibankを熟視している。
1920年6月1日、ロンドン駐在合衆国大使へのウィリアム・H・クームスのレポートより(合衆国国務省十進法ファイル861.51/752)
("Eestibank"はエストニアの銀行であった。)
1918年、ソ連は一続きの混乱した内部および外部の問題に直面した。彼らはロシアのほんの一部を占めていた。残りを征服するためには、彼らは外国の軍隊、輸入食料、外部の金融支援、外交上の承認、およびとりわけ海外貿易を必要としていた。外交上の承認および海外貿易を獲得するため、ソ連は先ず第一に海外での代表者を必要とし、代表者はさらに金または外貨を通しての融資を必要とした。既に述べてきたように、最初のステップはルドウィグ・マルテンスの下にニューヨークにおいてソ連支局を設立することであった。必要な商品を購入するため、合衆国および欧州に資金を送るための努力が同時になされた。その次に、合衆国において、承認を得るため、およびロシアへ商品を船積みするための輸出ライセンスを得るための影響力が行使された。
p. 145
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ニューヨークの銀行家および弁護士は、これらの仕事の各々に対して重要な ―数ケースでは決め手となった― 支援をした。ソ連支局におけるロシアの技術的専門家であるジョージ・V・ロモノッソフがスカンジナビアのソ連エージェントの長から資金を移動させる必要があったとき、著名なウォール街の弁護士が彼を助けるためにやってきて、公的な国務省のチャンネルや国務長官代理を仲介者として利用した。金銭を合衆国に送られねばならなくなったとき、その便を要求し、物事を円滑に運ぶためにワシントンへの影響力を行使したのは、American International Corporation、Kuhn, Loeb & Co.、およびGuaranty Trustであった。そしてそれが承認されたとき、アメリカ企業が議会および市民とともにソ連体制を是認するように申し立てているのが分かる。
もし、読者がこれらの主張から、ウォール街が本当に共産主義者に染まっていたとか、赤旗がウォール街で棚引いていた(口絵を参照)と推量しないならば、次章においてJ.P.モルガン商会がシベリアのコルチャック提督を金融支援したという証拠も提示する。アレクサンドル・コルチャックは権威主義的な規則という彼自身のブランドを据え付けるためにボルシェビキと戦っていた。モルガン商会は反共産主義の連合アメリカ組織にも貢献していた。
ウォール街、ロモノッソフ教授を援助する
ロモノッソフ教授の事例は、初期のソ連体制をウォール街が支援したという歴史の詳細が明らかな事例である。1918年末に、ニューヨークのソ連支局メンバーで、のちにソ連鉄道の初代代表になったジョージ・V・ロモノッソフは、合衆国において資金不足で彼自身が立ち往生しているのを知った。このとき、ボルシェビキの資金は合衆国に入るのを拒まれていた。確かにその体制の公的な承認は全くされてなかった。ロモノッソフは、合衆国司法省から国務省への1918年10月24日付けの手紙の主題であった。1 その手紙はロモノッソフのボルシェビキ的特質と親ボルシェビキ的発言に言及していた。司法省の調査官は、「ロモノッソフ教授の発言はボルシェビキの理想に対して明確な支援を構成しているけれども、彼はボルシェビキではない」と結論した。けれども、ロモノッソフは、(のちにChase Bankの副会長リーブ・シュレイの腹心の補佐人となった)スカンジナビアのソ連諜報員を通して、ソ連から2万5千ドルを送ってもらうために政府の最高レベルで糸を引くことができた。これはすべて弁護士達の著名なウォール街企業のメンバーの支援によるものだった!2
脚注
1 U.S. State Dept. Decimal File, 861.00/3094.
2 This section is from U.S., Senate, Russian Propaganda, hearings before a subcommittee of the Committee on Foreign Relations, 66th Cong., 2d sess., 1920.
p. 146
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その証拠は詳細に提示されている。なぜならば、今までは憎い敵として考えられてきたある財閥間の親密な関係をその詳細が指摘しているからである。ロムノッソフの問題の最初の指摘は、1919年1月7日付けのウォール街14番地のChadbourne, Babbitt & Wall(ウィリアム・ボイス・トンプソンと同じ住所)のトーマス・L・チャドボウルネから国務長官代理フランク・ポークへの手紙である。スカンジナビアの諜報員の長で後にロモノッソフの補佐官となった、アレクサンダー・ガンベルグという別名を持つミカエル・グルゼンベルグに対する親しみを込めた挨拶と打ち解けた関係に気付きなさい。
親愛なるフランク:もし、私が君にロモノッソフ夫妻に属している個人資産の2万5千ドルの費目の状態について知らせたら、彼らのためにここでそれを得るために組織を動かそうと、君は親切に言ってくれた。
私はそれに関してロモノッソフ氏と連絡したところ、彼は私に以下のように述べた。―バクメテフ大使とロモノッソフ氏の間の障害に先立って、ロモノッソフ氏のためにロシアに行ったミカエル・グルゼンベルグ氏は、最近スウェーデンから到着した3人のロシア人を通してこの金銭に関する情報を彼に伝えた。ロモノッソフ氏は、その金銭はストックホルムのMilmskilnad Gaten37番地のロシア大使館で所持されていると信じている。― もし、国務省の調査によりこれが預金してある場所でないことが明らかにされたならば、ストックホルム駐在のロシア大使がそれに関する適切な情報を与え得るグルゼンベルグ氏の正確な住所を示し得る。ロモノッソフ氏は手紙が書かれていたことを知らされていたけれども、グルゼンベルグ氏からの手紙を受け取っていない。グルゼンベルグ氏への彼の手紙が一通も届いていないことも彼は知らされている。こういう理由で、これ以上に明確にすることは出来ないが、資金の欠乏に対する夫妻の当惑を救うために何かできると思うし、水のこちら側にいる彼らを援助するために彼らに属するこの金銭を確保するのは少しの助けが必要なだけだと思う。
君がしてくれるであろうことに対し、前もって感謝する。変わらない関係を乞う。
敬具
トーマス・L・チャドブルネ
p. 147
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1919年、この手紙が書かれたとき、チャドブルネはワシントンにおけるその年のドル男で、U.S. War Trade Boardの法律顧問兼取締役で、更に合衆国政府の公式の最前線会社であるU.S. Russian Bureau Inc.の取締役であった。以前、1915年、チャドブルネは戦争ビジネスを利用するためMidvale Steel and Ordnanceを組織した。1916年、彼はDemocratic Finance Committeeの会長になり、のちにWright Aeronautical and of Mack Trucksの取締役になった。
ロモノッソフがグルゼンベルグからの手紙を受け取っていなかった理由は、その手紙は多分グルゼンベルグの活動に強い関心を持っていた政府機関の一つによって横取りされたということである。
1919年1月11日、フランク・ポークはストックホルムのアメリカ公使館に電報を送った。
省はあの2万5千ドルの個人資産の情報を得ている。もし、そのような金銭がかくのごとく保持されているならば、非公式にかつ個人的にロシア公使館へ問い合わせて頂きたく。もし、そうでないならば、この問題についての情報を持っていると報告されているミカエル・グルゼンベルグ氏の住所を突き止めて頂きたく。省は公式には関知していないのであり、この国の元ロシア役人のために単に問い合わせている。
ポーク、国務長官代理
ポークは、この手紙において、ロモノッソフのボルシェビキとの繋がりに気付いていないように思われ、彼を"この国の元ロシア役人"と呼んでいる。それはともあれ、3日以内にポークはストックホルムの合衆国公使館のモリスから返事を受け取った。
書番3492、1月14日3時 (書番1443、1月12日3時への返信)
合唱国におけるロシアのコミュニケーション方法委員会の前議長の2万5千ドルの金銭の件は、ロシア公使館では分からない。また、ミカエル・グルゼンベルグの住所も得られない。
モリス
どうやらフランク・ポークは、次にチャドボウルネへ手紙を書いたようで(その手紙は資料に含まれていない)、省はロモノッソフもミカエル・グルゼンベルグも調べることができなかったと知らせた。チャドボウルネは1919年1月21日に返事した。
親愛なるフランク:1月21日の手紙、有り難く拝読した。スウェーデンにはソ連の公使館とケレンスキーの公使館の二つがあると理解していて、手紙で示した住所はソ連公使館のそれ、すなわちストックホルム、ミルムスキルナド-ガテン37番地だったので、貴殿の問合せがソ連公使館に対してとなったのだと思う。
ミカエル・グルゼンベルグの住所は、ノルウェイ、クリスチアニア、ホルメンコーレン-サニタリウムであり、ソ連公使館が彼と連絡を取るならば、グルゼンベルグを通してその金銭について全て分かるだろうと思う。
この骨折りに対し感謝するとともに、私が深く貴殿に感謝していることを伝える。
敬具
トーマス・L・チャドボウルネ
p. 148
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国務長官代理とストックホルム駐在合衆国公使が住所の記録を持っておらず、公使館が追跡できないその時に、ウォール街の弁護士はスカンジナビアのボルシェビキのエージェントの長であるグルゼンベルグの住所を知っていたことに留意すべきである。その政府が合衆国によって承認されておらず、チャドボウルネのWar Trade Boardにおける公式な政府の地位は彼にそれを知ることを要求したであろうに、チャドボウルネはソ連がロシアの公式の政府だとも考えていた。
それから、フランク・ポークはクリスチアニアのアメリカ公使館に電報をして、ミカエル・グルゼンベルグの住所を知らせた。ポークがスパイ活動をしているエージェントの住所を知らせているのだと自覚していたかは不明であるが、彼のメッセージは次のようである。
アメリカ公使館御中、1919年1月25日。 ミカエル・グルゼンベルグはホルメンコーレン-サニタリウムにいるとの報告を受けている。彼の所在をつきとめられるだろうか。また、合衆国のロシアのコミュニケーション方法委員会の前議長であるロモノッソフ教授のものである2万5千ドルの資金の処置に関して、彼が何か知っているか問い合わせできないだろうか。
長官代理ポーク
クリスチアニアの合衆国代表者(シュメデマン)はグルゼンベルグを良く知っていた。実際、その名前は、ノルウェイにおけるグルゼンベルグの親ソビエト活動に関するシュメデマンからワシントンへのレポートに登場している。シュメデマンは次のように返答した。
1月29日、午後8時、書番1543、重要。 貴殿の1月25日の電報No.650
本日、ロシアに出発する前に、ミカエル・グルゼンベルグは我々の海軍大使館員に、数ヶ月前ロシアに居た時に彼は、ロモノッソフの要求で、ロモノッソフ教授が社長をしていたRussian Railway Experimental Instituteから2万5千ドルを受け取ったことを知らせた。グルゼンベルグは、本日ニューヨークのロモノッソフのために大使館員モリス・ヒルキット(Morris Hillquitt [原文のまま])に電報を送ったということ、および彼すなわちグルゼンベルグはその金銭を所有していて、それを送金する前に合衆国からの更なる指示を待っていて、ロモノッソフが、その金銭の受領を待つ間、ヒルキットによって彼自身および家族のための生活費を支給されるべきだという電報を要求していてると主張している。3
モリス大臣はグルゼンベルグと同じ列車でストックホルムへ旅行しているので、グルゼンベルグはこの問題についてモリスに更なるアドバイスをするであろうと述べていた。
シュメデマン
脚注
3 Morris Hillquit was the intermediary between New York banker Eugene Boissevain and John Reed in Petrograd.
p. 149
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合衆国の大臣がグルゼンベルグとストックホルムへ旅行し、そこでポークからの次の電報を受け取った。
クリスチアニアの公使館から、ミカエル・グルゼンベルグはG.ロモノッソフ教授に渡す予定の、Russian Railway Experimental Instituteから受け取った計2万5千ドルを持っているとの報告が入っている。もし、ボルシェビキのその筋に嗅ぎ付かれることなくできるならばであるが、この国にいるロモノッソフ教授にその金銭を渡すのを助けてくれたら有り難いと思う。返事を下さい。
長官代理ポーク
この電報は1919年2月5日に結果をもたらした。フランク・ポークは、"危険なボルシェビキ運動家"であるグゼンベルグについて次のような手紙を書いた。
親愛なるトム:私はクリスチアニアからの ―ミカエル・グルゼンベルグはロモノッソフ教授の2万5千ドルを持っていて、それはRussian Railway Experimental Instituteから受け取ったものである。また、問題の資金が彼に届くまでの生活費を工面するようにと、グルゼンベルグはニューヨークのモリス・ヒルキットに電報していた。― という内容の電報を所持している。グルゼンベルグは危険なボルシェビキ運動家と看做されてノルウェイを追放されたばかりなので、その国から電報を送るのは困難であった。彼はクリスチアニアに去ったと私は理解している。また、本省の職務の範囲を若干逸脱しているが、もし貴殿が望むならば、私がグルゼンベルグ氏にその金銭をストックホルムからロモノッソフ教授に送らせることが可能か喜んで試してみるし、現地の我が大臣に電報してそれがなされるか調べてみよう。
敬具
フランク・L・ポーク
このポークの手紙において言及されているクリスチアニアからの電報には、次のように書かれている。
2月3日、午後6時、電報No.3580、重要。ノルウェイのボルシェビキ前代表者の一人であるミカエル・グルゼンベルグによってロモノッソフ教授に送られるべき1万ドルは、私の指示によりストックホルムの口座に預けられている。私は、この金銭を受け入れる前に彼に、私は貴殿と連絡し、この金銭をロモノッソフ教授に送るのが貴殿の要望に適っているかを問い合わせると知らせた。それ故、私は職務に従い貴殿の指示を求めます。
モリス
p. 150
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引き続き、ストックホルム駐在のモリスはストックホルムの銀行に預けられている1万ドルの小切手の処置についての指示を仰いだ。彼の言い回し「[これは]その事柄に関しての私の唯一のコネクションである」は、この行為がそのような資金移動を合衆国が承認することを暗示したので、ソ連はこれを公式に迅速に資金移動するように要求でき、多分要求するであろうと、モリスが気付いていたことを示唆している。この時までは、ソ連は金銭を合衆国にこっそり持ち込むしかなかった。
2月12日、午後4時、電報No.3610、通常。
私の2月3日午後6時のNo.3580および貴殿の2月8日午後7時のNo.1501に関して。ロモノッソフ教授への1万ドルを貴殿を通して送金するように私は求められているのかが明白ではない。グルゼンベルグから聞いた話では、彼はこの金銭をロモノッソフのためにストックホルムの銀行に預け、その小切手が私を通してアメリカに送られ得るとその銀行にアドバイスした。私がそのように指示されたと仮定するならば、その事柄にに関しての私の唯一のコネクションである。電報で御指示下さい。
モリス
その後、1万ドルの送金に関して、A/B Nordisk Resebureauからニューヨーク市パーク・アベニュー520番地のトーマス・L・チャドブルネ(Chadbourne)への国務省を仲介しての一連の手紙が続く。最初の手紙は送金の手順に関してのポークからの指示を含み、2番目はモリスからポークへのもので1万ドルを含み、3番目はモリスからA/B Nordisk Resebureauへのもので小切手を要求していて、4番目は小切手とともにその銀行からの返書であり、5番目は受け取り通知である。
貴殿の2月12日、午後4時、電報No.3610。 金銭はニューヨーク市パーク・アベニュー520番地のトーマス・L・チャドブルネへ直送されて良い。
国務長官代理ポーク
* * * * *
速達便 No.1600、1919年3月6日
ワシントンの国務長官閣下
拝啓、2月12日の私からの電報No.3610、およびロモノッソフ教授の計1万ドルに関する2月19日の貴省からの返信No.1524に関して。この金銭が預けられている銀行のA. B. Nordisk Resebureauに宛てて2月25日に私が差し出した手紙のコピー、2月26日付けのA. B. Nordisk Resebureauからの返事のコピー、2月27日付けのA. B. Nordisk Resebureauへの私の手紙のコピーを同封させて頂きます。
p. 151
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その銀行はこの金銭がロモノッソフ教授に送られることを望んでいるということが、この往復書簡からお分かり頂けるでしょう。しかし、2月27日付けの私の手紙からお分かり頂けるように、私は彼らに、私はニューヨーク市パーク・アベニュー520番地のトーマス・L・チャドブルネへ直送して良いという許可を得ていることを説明しました。ニューヨークNational City Bankの1万ドルの小切手とともに、チャドブルネ氏への手紙を入れた同氏宛の封筒も同封させて頂きます。
敬具
貴殿の忠実なるしもべ
イラ・N・モリス
* * * * *
A. B. Nordisk Resebureau
No. 4 Vestra Tradgardsgatan, Stockholm.
拝啓:私の要求でG.V.ロモノッソフ教授に支払うべき1万ドルを受け取ったで始まる1月30日の貴社の手紙を受け取って直ぐ、この金銭がロモノッソフ教授に送られることを良しとするかを尋ねるため、私は我が政府に電報した。本日、私はそれに対する返事を受け取り、ロモノッソフ教授に支払うべき金銭をトーマス・L・チャドブルネへ直送すべしとの指示を受けた。我が政府が指示するようにそれを送って頂けると有り難い。
敬具
イラ・N・モリス
* * * * *
I.N.モリス殿
合衆国大使、ストックホルム
拝啓:G.V.ロモノッソフ教授への1万ドルの支払いに関しての昨日届いた書簡に対して感謝申し上げ、G.V.ロモノッソフ教授への上記金額の小切手を同封することを喜びとします。それを貴殿が御親切にその紳士に転送して頂けるであろうと我々は理解しています。今回も同じく受け取り通知をお願いします。今後とも宜しく。(We shall be glad to have your receipt for same, and beg to remain,)
敬具
A. B. Nordisk Resebureau
E.モリン
* * * * *
p. 152
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A. B. Nordisk Resebureau
Stockholm
拝啓:G.V.ロモノッソフ教授に支払われるべき1万ドルの小切手を同封した2月26日付けの手紙、受領しました。2月25日の私の手紙で述べたように、私はこの小切手をニューヨーク市パーク・アベニュー520番地のトーマス・L・チャドブルネ氏に送るように指示されていた。もし、貴社から異存がないようならば、2〜3日以内にそれをその紳士に転送します。
敬具
イラ・N・モリス
次に、国務省の内部メモとチャドブルネの礼状が続く。
フィリップ氏からチャドブルネ氏へ、1919年4月3日
拝啓:貴殿がストックホルムの合衆国公使館を通して送金されることを求めた、A. B. Norsdisk Resebureauからロモノッソフ教授への1万ドルの送金に関しての以前の通信の件であるが、1919年3月6日付けの速達便をストックホルムのアメリカ公使から受け取ったこと、それに貴殿宛の手紙が同封されていること、および言及された通りの金額でロモノッソフ教授の指示で引き出され得る小切手も入っていることを、本省は貴殿にお知らせする。
敬具
貴殿の忠実なるしもべ
ウィリアム・フィリップス
国務長官代理
同封物:スウェーデンから1,600で同封された、トーマス・L・チャドブルネ宛ての封印された手紙
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チャドブルネ氏の返事、1919年4月5日
拝啓:私宛の手紙が同封され、またロモノッソフ教授の指示で引き出され得る1万ドルの小切手が含まれた4月3日付けの貴殿からの手紙をお受け取りしました。その小切手は本日届けたところです。
今後とも宜しく
敬具
トーマス・L・チャドブルネ
その後、ストックホルム公使館は、合衆国でのロモノッソフの住所について尋ねたが、それに対して、国務省から「本省が知る限りでは、ジョージ・V・ロモノッソフ教授へは、ニューヨーク市パーク・アベニュー520番地トーマス・L・チャドブルネ氏気付で到着する」と知らされている
p. 153
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ポークとチャドブルネの間の個人的な親交のためか、あるいは政治的な影響力のためであろうか、国務省がノルウェイを追い出されたばかりのボルシェビキ工作員と折り合っていて、手先として振舞っているのが明白である。しかし、何故、 一流の支配階級法律事務所がボルシェビキの密偵の健康と福祉にそんなにも懇意に関心を示すのであろうか? 多分、同時代の国務省レポートがその手がかりを与える。:
ボルシェビキの代表者マルテンスおよびロモノッソフ教授は、ビルキットおよび彼の党がソビエトロシアにおける状況について、その使節団および団長に好ましい報告をするであろうという事実、およびその報告に基づいて合衆国政府はマルテンスが提案したようにソビエト政府に対して好意的に対応するであろうという事実の上で銀行取引をしている。
1919年3月29日4
ロシアの商品市場開拓の局面
ウォール街を興奮させたのはロシアの商品市場開拓で、ウォール街はそのプログラムを用意するのに時間を無駄にしなかった。1918年5月1日 ―共産主義革命にとって縁起の良い日― に、ロシアに対する援助と協力のためのアメリカン・リーグが設立され、そのプログラムはワシントンD.C.の上院事務所の建屋で開催された会議で承認された。そのリーグの職員および実行委員会は表面上は異なった派閥で代表された。その会長はジョンズ・ホプキンス大学の学長フランク・J・グッドナウ博士であった。副会長はいつもながら活動的なウィリアム・ボイス・トンプソン、オスカー・S・ストラウス、および独占者が社会をコントロールするためのルールブック「独占者の告白」の著者フレデリック・C・ハウエであった。経理部長はVacuum Oil Companyの副会長であるジョージ・P・ホエーレンであった。連邦議会は、上院外交委員会のウィリアム・エドガー・ボラー上院議員およびジョン・シャープ・ウィリアムス上院議員、ウィリアム・N・カルダー上院議員、銀行・通貨委員会の会長であるロバート・L・オーウェン上院議員で代表された。議会のメンバーは、ヘンリー・R・クーパー、および議会外交委員会議長のヘンリー・D・フラッドであった。アメリカのビジネスは、ヘンリー・フォード、General Electric Companyの取締役会長チャールズ・A・コフィン、およびGeneral Electric社の外国部長であったM.A.オウディンであった。ジョージ・P・ホエーレンはVacuum Oil Companyの代表者で、ダニエル・ウィラードはBaltimore & Ohio Railroadの会長であった。より公然と革命的な構成分子はレイモンド・ロビンス夫人で代表され、その名前は後にソビエト支局ファイルおよびラスク委員会聴聞会において著名であることが分かった。;ヘンリー・L・スロボディンは"著名な愛国的社会主義者"と記述していて、リンカーン・ステフェンスは注目に値する国内の共産主義者と記述している。
脚注
4 U.S. State Dept. Decimal File, 861.00/4214a.
p. 154
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換言するならば、これはハイブリッドの実行委員会であった。それは、国内の革命的分子すなわち合衆国連邦議会、および主にロシアの事情に関与した金融財閥を代表していた。
"強い男達"によって指導される、合衆国政府の公式のロシア部門の創設を力説するプログラムが実行委員会によって承認された。この部門は、"ロシア問題"を研究するために大学、科学機関、および他の研究所の援助を求めようとし、"ロシアの安全保護のために"合衆国内の組織を連携一体化しようとし、"ロシア問題研究のための特別な諜報委員会を用意しようとし、更に一般的に"ロシア問題"とは何であると思われているかを研究調査しようとした。それから、実行委員会はモスクワのソビエト議会へのウッドロー・ウィルソン大統領のメッセージを支援する決議を通し、アメリカン・リーグは新ソビエトロシアに対するそれ自身の援助を肯定した。
2〜3週間後の1918年5月20日、そのリーグの代表者であるフランク・J・グッドナウとハーバート・A・カーペンターは、ウィリアム・フィリップ国務長官代理を訪問し、全てのロシア問題を連携させるために政府の公式のロシア部門を創設する必要性を彼に説いた。彼らは、この問題に関して大統領に進言すべきかどうかを私に尋ねた[とフィリップは書き残している]。5
フィリップはこれを直接、国務長官に報告し、その翌日、ニューヨーク市のチャールズ・R・クレーンに手紙を書き、ロシアを援助・協力しようとするアメリカ・リーグについて彼の見解を求めた。フィリップはクレーンに懇願した。:「私は、我々がそのリーグをどのように扱うべきかについて本当に貴殿の助言を求める.......我々は彼らと協調するのを拒絶することで波風を立てたくない。それはそうとして、それは奇妙な委員会であり、私は全くそれを理解していない。6
6月の初め、American International Corporationのウィリアム・フランクリン・サンヅからロバート・ランシング国務長官宛の手紙が、国務省に届いた。サンヅは、合衆国はロシアに使節よりもむしろ行政官を任命することを提案し、「目下のところロシア駐留連合軍の提案は非常に危険なものと私には思える」7と意見を述べた。サンヅは、ロシアとの貿易の可能性や、この可能性が"政府の揺るぎない信任を有する厳選された行政官によって"前進させられ得るということを力説した。彼は"フーバー氏"がその役に適任であろうと述べた8。その手紙は、サンヅの以前の仕事仲間であるバシル・マイルスによって、「長官は読むに値するとお分りになると思います」との言葉を添えてフィリップスに渡された。
脚注
5 Ibid., 861.00/1938.
6 Ibid.
7 Ibid., 861.00/2003.
8 Ibid.
p. 155
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6月の初め、国務省下部組織である戦争貿易局(War Trade Board)が決議案を通し、トーマス・L・チャドブルネ(ロモノッソフ教授の連絡員)、クラレンス・M・ウーレイ、およびジョン・フォスター・ヅレスからなる取締役会は国務省に"合衆国とロシアの間の商業的関係をより親密により友好的にするための方法・手段を講じるようにとの催促の"メモを出した。取締役会はロシアへの使節派遣を推奨し、これがソビエト政府からの要請でとすべきかどうかという問題を再度提起した。
その後、6月10日、General Electric Companyの外国部部長M.A.オウディンはロシアについての彼の見解を表明し、ロシアの"経済的援助についての建設的な計画"が望ましいという立場を明らかにした。9 1918年8月、International Harvesterのサイルス・M・マコーミックは国務省のバシル・マイルスに手紙を書き、ロシアに対する会長のプログラムは"黄金色の機会"であると賞賛した。10
このように、1918年の半ばにおいて、アメリカのビジネスの一片によって、明らかに貿易を開始するための準備であり、ソビエトに関してそれ自身の好ましい地位を利用するための協調した努力がなされたのが分かる。
ドイツとアメリカ合衆国はロシアビジネスで奮闘する
1918年、未発達のボルシェビキ体制へのそのような援助は、ドイツを打ち負かし、ドイツによるロシアの開拓を阻止するという根拠で正当化された。これは、1918年にボルシェビキ革命家とプロパガンダチームをドイツに送る際に、W.B.トンプソンとレイモンド・ロビンスが使った論法である。その論法は1917年にもトンプソンによって使われていて、新興のボルシェビキ体制に対する英国の支援を得ることについてロイド・ジョージ首相との協議の際のことであった。1918年6月、フランシス大使と彼のスタッフは、ロシアから帰国し、ウィルソン大統領に"ロシアのソビエト政府を是認し支援するよう"説得した。11 その大使館スタッフが国務省に提出した報告書は新聞社にリークされて、広い地域で印刷された。ソ連を是認することの遅れは、ドイツに利し、ドイツの計画が反動と反革命を促進するのを助けることになるということが、取り分け主張された。 12 誇張された統計データがその提案を支持するために引用された。たとえば、ソビエト政府はロシア人の90%を代表しているとか、残りの10%は旧体制の富裕層と支配者階級からなるというような偽りのデータである。当然ながら、彼らは気分を害される。13 「もし、我々が何もしないならば、すなわち流れに任せたならば、ロシアのソビエト政府の弱体化を支援することになる。そして、それはドイツのゲームを上演することになる」とのアメリカの元公務員の発言が引用された。14 それで、「信用と良いビジネスの助言を装備した使節が大いに役立つ」ということが推奨された。
脚注
9 Ibid., 861.00/2002.
10 Ibid.
11 Ibid., M 316-18-1306.
12 Ibid.
13 Ibid.
14 Ibid.
p. 156
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暫くしてロシア内部において経済情勢が危機的になり、資本主義との抱擁が避けられないことが共産党およびその計画者に明らかになり始めた。レーニンはロシア共産党の第10回大会の前にこの気付きを明確な形にした。
資本家の援助が無いならば、圧倒的多数を占める農民もボロボロになっている信じられないほど荒廃した国において労働者階級の権力を維持することは不可能であろう。そして、この援助があれば、資本家は我々は100%搾取することになるであろう。これは我々が理解しなければならないことである。それ故、このタイプの経済的関係か無関係か・・・・15
その後、レオン・トロツキーは、「我々がここで必要とするのは、ベルナード・M・バルチのようなオーガナイザーである」と言ったとされた。16
経済的な破滅が切迫していることにソビエトが気付いたということは、アメリカおよびドイツのビジネスがロシア市場を必要な商品のために開拓する機会によって引き付けられたことを示唆している。実際、ドイツ人は1918年に早くもスタートした。ニューヨークのソビエト支局が最初にした取り決めは、より早いアメリカのボルシェビキに対する金融上および倫理上の支援が契約の形で期待の成果を上げていたことを示す。
1919−20年における最大の注文は、シカゴの精肉業者のMorris & Co.が契約したもので、5千万ポンドの食料品に対して1千万ドルという値段であった。モリスの精肉業関連一族は、スィフト家と親戚関係にあった。後にAbraham Lincoln Center "Unity"と結びつくヘレン・スィフトは(精肉会社の)エドワード・モリスと結婚し、1917年のトンプソンの赤十字ロシア派遣団の"少佐"であったハロルド・H・スィフトの兄弟でもあった。
脚注
15 V. I. Lenin, Report to the Tenth Congress of the Russian Communist Party, (Bolshevik), March 15, 1921.
16 William Reswick, I Dreamt Revolution (Chicago: Henry Regnery, 1952), p. 78.
p. 157
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Table:1919年にソビエト支局が合衆国の会社とした契約の一覧表
クリック → CONTRACTS MADE IN 1919 BY THE SOVIET BUREAU WITH U.S. FIRMS
ルドウィッグ・マルテンスは、ニューヨーク市ブロードウェイ120番地のWeinberg & Posnerの元副会長で、その会社は3百万ドルの注文を取っていた。
p. 158
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ソビエトの金と、アメリカの銀行
金(ゴールド)は、ソ連が海外からの購入品の代金として支払いできる唯一の実際的な手段であり、国際銀行家はソビエトの金の輸送を大いに喜んで手助けした。ロシアの金、主に皇帝の金貨の輸出は1920年の初頭に始まり、ノルウェイとスウェーデンに輸出された。これらは、合衆国を含む世界の他の目的地に向けて、オランダおよびドイツへ積み替えられた。
1920年8月、合衆国のNiels Juul and Company による3,000トンのソビエト政府向け石炭の支払いに対する保証金として、船積みされたロシア金貨はノルウェイのDen Norske Handelsbankによって受け取られた。これらの金貨は安全保管のためにNorges Bankへ転送された。その金貨は検査・計量され、1914年の戦争勃発前に鋳造されたことが分かったので、本物の皇帝ロシア金貨であった。17
この最初のエピソードのあと間も無く、サンフランシスコのRobert Dollar Companyは3千9百万スウェーデン・クローネの価値のある金の延べ棒をそのストックホルムの口座に受け取った。その金には"旧ロシア皇帝政府のスタンプがあった"。Dollar Companのストックホルム駐在員はその金を合衆国に運ぶための船の手配をAmerican Express Companyに依頼したが、American Expressは断った。ロバート・ダラー(Robert Dollar)はAmerican International Companyの取締役であって、かくしてAICは金を直接アメリカに送るという最初の試みに関わっていたということは注目に値する。18
合衆国に運ぶためのソビエトの金を搭載した3隻の船がバルト海のリーバル(Reval)を出発したということも同時に報告されていた。蒸気船Gauthod は、合衆国に今は帰国しているロモノッソフ教授の監督の下で金216箱を積んでいた。蒸気船Carl Line は3人のロシア人エージェントの監督の下で金216箱を積んでいた。蒸気船Ruheleva は金108箱を積んでいた。各箱にはそれぞれ6万ゴールドルーブルの値打ちのある3個の16.38kgの金塊が入っていた。この後、蒸気船Wheeling Mold での搬送が続いた。
Kuhn, Loeb & Companyは、明らかにGuaranty Trust Companyのために動いていたが、ソビエトの金を受け取ることに対する公式な態度に関して国務省に要求していた。レポートによれば、もし、受け取りが拒否され、"金が戦争省(War Department)の手に戻るならば、直接的に政府の責任問題が発生し、当惑を増大させるであろう"19ため、国務省は関心を示した。ケリーおよびギルバートと相談してマーレ・スミスによって書かれたそのレポートでは、所有者が所有権を不完全にするための明確な知識も持っていないならば、受け取りを拒絶することは不可能だろうとされていた。合衆国はその金を分析試験室で溶融することを要求されるであろうと予期されていて、その結果、ソビエトの金を合衆国に輸入することに関して制限は課せられないであろうと、Kuhn, Loeb & Companyに電報することが決定された。
脚注
17 U.S. State Dept. Decimal File, 861.51/815.
18 Ibid., 861.51/836.
19 Ibid., 861.51,/837, October 4, 1920.
p. 159
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その金はニューヨークの分析試験室に届けられ、 Kuhn, Loeb & Companyではなくニューヨーク市のGuaranty Trust Companyに預けられた。それからGuaranty Trustは連邦準備制度理事会に受け取りと支払いを要求し、順繰りに理事会は合衆国財務省に要求した。ニューヨーク分析試験室の室長は財務省に、約7百万ドルの金は識別番号がなく、預けられている延べ棒は既に溶解されて合衆国造幣局の延べ棒になっていることを知らせた。連邦準備制度理事会は、Guaranty Trust Companyが"その金を差し出すにおいてそれ自身のためか他のためだったか"を規定し、"信用または交換の取引の何らかの名義書き換えがその金の輸入または保管から生じたか否か"を特に規定するということを、財務省は示唆した。20
1920年11月10日、Guaranty Trustの副会長A.ブレトンは、財務省の副長官ギルバートに手紙を書き、"還元処理のあとに残る黄色の金属"の保管に対しての通常の迅速な申し出を、Guarantyは分析試験室から受けていないと不満を述べた。その手紙には、金の延べ棒はオランダで購入したものであるが、フランスおよびベルギーの金貨を溶かせたものであるという満足な確証をGuaranty Trustは得ていると述べている。その手紙は財務省がその金に対する支払いを迅速に処理することを要求していた。それに対し、「合衆国造幣局または分析試験室に提出された金貨はソビエトを起源としていると知られているかまたは疑われるので、その金を買わない」と財務省は返答している。また、オランダではソビエトの金が売られているとの見地からして、Guaranty Trust Companyによって提出された金は"ソビエト起源が示唆される疑わしい事例"であると判決されるとも言っている。Guaranty Trust Companyは望むならいつでも分析試験室からその金を引き出すことができ、"ニューヨークの連邦準備銀行または国務省がその金に対するソビエト起源疑惑を晴らす必要があるならば、財務省に更なる証拠を提出"できたことがうかがわれる。21
脚注
20 Ibid., 861.51/837, October 24, 1920.
21 Ibid., 861.51/853, November 11, 1920.
p. 160
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この件で最終的な保管に関して記録したファイルはないが、多分Guaranty Trust Companyがその輸送に対する支払いをしたのであろう。明らかに、この金の保管はGuaranty Trustとソビエト政府間の財務上の契約を実行したものであり、その契約の下でその会社は合衆国におけるソビエトのエージェントになっていた訳である(本章の題辞を参照のこと)。
後日、ソビエトの金はスウェーデンの造幣局にも送られるべきと決定された。スウェーデンの造幣局は、"ロシアの金を溶解し、分析し、スウェーデンの銀行あるいはその金を借りている他の対象の要求でスウェーデン造幣局の刻印を押す"22。そして同時に、Svenska Ekonomie A/B (ソビエトにおけるGuaranty Trustの仲介機関にして支部)の長であるオロフ・アシュベルグは、スウェーデンの銀行を通して"限りない量のロシアの金"を提供しようとしていた。23
要約すると、American International Corporation、顔のきくロモノッソフ教授、Guaranty Trust、および(既に同定済みの)オロフ・アシュベルグを、ソビエトの金を合衆国に輸入する最初の試みに結びつけることができる。
ギャランティ・トラストのマックス・メイ、ルスコム銀行の重役になる
ソビエトロシアにおけるGuaranty Trustの興味は、1920年におけるGuaranty Trustの外国部副部長ヘンリー・C・エメリィから国務省のデ・ウィット・C・プールへの手紙の形で一新された。その手紙は1920年1月21日付けで、外国部部長アレン・ウオーカが悪意のある反ソビエト組織United Americans(p. 165参照)を作ることにおいて活動する2〜3週間前であった。エメリィはロシアにおけるソビエト政府および銀行の法的根拠について夥しい質問を提示し、ソビエト政府がロシアの現存政府であるかを問うた。24 "共産主義者によって計画された1922年以前の反乱"は1920年にUnited Americansの権利を主張したが、Guaranty Trustはこれらの同じ共産主義者との交渉を開始していて、1920年半ばにおいて合衆国におけるソビエトのエージェントとして振舞っていた。
脚注
22 Ibid., 316-119, 1132.
23 Ibid., 316-119-785. This report has more data on transfers of Russian gold through other countries and intermediaries. See also 316-119-846.
24 Ibid., 861.516/86.
p. 161
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1922年1月、商務省長官ハーバート・フーバーは、Guaranty Trustの計画のため、"モスクワのNew State Bank"との交換関係を整えるように、国務省に嘆願した。ハーバート・フーバーが書いていたことであるが、この計画は「彼らの所有となる全ての金銭が合衆国における市民の日常品の購入に使われるという状況が作られれば、反対されるべきではないであろう。」 また、そのような関係は一般的な政策と整合するように思われると力説したあと、フーバーは「現行の崩壊した取引に代わってその運動がどうなるかが分かるようにこれらの取引を組織化することは有利であろう」25と付け加えている。 勿論、そのような"崩壊した取引"は自由市場の取引と一致しているが、ハーバート・フーバーはニューヨークにおける特殊で制御可能な筋を通して取引を進めるためにそのアプローチを拒絶した。国務長官チャールズ・E・ヒュージスは、フーバーとGuaranty Trustの計画に対して嫌悪を表したが、その計画は、要求されている外国の信用が合衆国の不利に使われる一方、ソビエトの事実上の是認と看做されると彼は考えたからである。26 国務省はGuaranty Trustに当たり障りの無い返答をした。しかし、Guarantyは(ハーバート・フーバーの支援の下)前進し27、最初のソビエト国際銀行の設立に参画し、Guaranty Trustのマックス・メイが新Ruskombankの外国部部長になった。28
脚注
25 Ibid., 861.516/111.
26 Ibid.
27 Ibid., 861.516/176.
28 本書のp. 161参照
p. 162
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/chap9.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/514.html
第十章
J.P.モルガン、もう一方の側を少し援助する
私は、モルガンの動機と態度について何かを学べる可能性がないならば、彼と昼食を共にすることはないであろう。
ウィリアム・E・ドッド、ドッド大使の日記、1933−1938年
これまで我々の物語は、単一の主要な金融一族、すなわち合衆国における最大の企業合同会社であり、J.P.モルガン商会に支配されたGuaranty Trust Companyのまわりで展開してきた。Guaranty Trustは革命の前後においてロシアでの仲介者としてボルシェビキ銀行家のオロフ・アシュベルグを使った。Guarantyはルドウィグ・マルテンスおよび合衆国における最初の代表機関であった彼のソビエト支局の後援者であった。そして1920年半ばにおいて、Guarantyは合衆国におけるソビエトの金融エージェントで、ソビエトの金の合衆国への最初の輸送もまた、Guaranty Trustまで辿り着く。
この親ボルシェビキ活動に対して驚くべき逆の側面がある。Guaranty Trustは過激な反ソビエト組織であるUnited Americansの創設者であったが、そのUnited Americansは1922年まで共産主義襲来を騒々しく脅かし、2千万ドルのソビエト資金が共産主義革命に資金を提供する途上にあると主張し、街でのパニックおよびニューヨーク市での大量餓死を予想した。勿論、この二重性はGuaranty Trustおよびその重役達の意図について重要な疑問を提起する。ソビエトと取引し、ソビエトをバックアップさえすることは、政治に無関心な強欲心あるいは単なる利益に対する動機によって説明されえる。一方、恐れとパニックを生み出すためのプロパガンダを広め、同時に恐れとパニックを生じさせる条件を促進することは、相当より重要な問題である。それは極めて異常な倫理上の腐敗を暗示している。先ず、反共産主義組織United Americansをより詳しく調べてみよう。
p. 163
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共産主義との闘いのために創設されたUnited Americans1
1920年にUnited Americansなる組織が創設された。その組織は合衆国の市民に制限されていて、5百万人の会員を集める計画で、"その唯一の目的は社会主義者、共産主義者、ロシアの組織で急進的な農民の団体であるI.W.W.の教義と戦うことであったろう"。
言い換えれば、United Americansは反資本主義者と考えられる全ての機関やグループと戦うことであった。
United Americansを創設するために作られた暫定的な組織の職員は、Guaranty Trust Companyのアレン・ウオーカー、Baltimore & Ohio Railroadの会長ダニエル・ウィラード、Westinghouse Air Brake CompanyのH.H.ウェスティングハウス、Kuhn, Loeb & CompanyおよびAmerican International Corporationのオットー・H・カーンであった。これらウォール街の住人は種々雑多な大学の学長およびニュートン・W・ギルバート(フィリピンの元支配者)によってバックアップされていた。一目で明らかなように、United Americansは支配階級の資本家が融資・加入することを期待されるような種類の組織であったのは正確である。その創設は驚くほどのことではなかったであろう。
一方、既に見てきたように、これらの金融業者はロシアのソビエト体制をサポートすることにも深く関与していた。ただし、そのサポートは隠されていて、政府ファイル内のみに記録されていて、50年間も公にされなかったのであるが。United Americansの役割として、ウオーカー、ウィラード、ウェスティングハウス、およびカーンは二重のゲームを演じていた。反共産主義組織の創設者オットー・H・カーンは、英国の社会主義者J.H.トーマスによって"光に面した顔"を持つと報告されている。カーンはトーマスの本の序文を書いている。1924年、オットー・H・カーンは産業民主化のためのリーグに取り組んでいて、この活動的な社会主義グループとの共通した目的を公言していた(p. 49 参照)。Baltimore & Ohio Railroad(ウィラードの雇い主)は1920年代においてロシアの発展に積極的であった。United Americansが創設された1920年、ウェスティングハウスは、国有化から除外されていたロシアのプラントを操業していた。そして、Guaranty Trustの役割は既に詳細に述べた通りである。
脚注
1 New York Times, June 21, 1919.
p. 164
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アメリカ人連合(United Americans)、赤に関する"驚くべき事実"を暴露する
1920年3月、New York Times は2年以内の共産主義による合衆国侵略についての長く詳細な恐怖話を主要見出しとして掲載した。その侵略は、"ロシア貴族階級の殺害と強奪によって得られた"2 2千万ドルのソビエト資金によって資金供給されるというものであった。
United Americansは合衆国における"急進的な活動"をサーベイし、"政府の代表形式と個人所有の権利を保障する合衆国憲法を維持するための"組織として、その役割に即してそうしたということが明かされた。
更にそのサーベイは、"オットー・H・カーン、Guaranty Trust Companyのアレン・ウオーカー、ダニエル・ウィラード他を含む" 執行役員によって支援されたことが公表された。そのサーベイは、
急進派のリーダ達は2年以内に革命を達成する自信があり、それはニューヨーク市においてゼネストとともに始まるであろうことや、共産主義リーダー達は大殺戮を予言し、ロシアのソビエト政府は合衆国の急進派運動に2千万ドルを与えた
ということを断言していた。1920年半ば、Guaranty Trustへ輸送されたソビエトの金(それぞれ49.14kgの540個の箱入り)は、大よそ(トロイ・オンス当り20ドルで換算して)1,500万ドルの値打ちがあって、ロバート・ダラーおよびオロフ・アシュベルグを通して輸送された他の金は総額で2,000万ドルに極めて近かった。急進派運動のためのソビエトの金についての情報は"完全に信頼できる"と判定され、"政府はその情報に目を向けようとしつつ"あった。共産主義者は4日以内にニューヨークを飢えさせ降伏させることを計画していると力説された。
また一方で、共産主義者は彼らの理想を進展させるために次の2〜3週間以内の金融パニックを期待している。パニックは労働者達の間に貧窮をもたらし、その結果、彼らは革命の教義に感染し易くなるであろう。
United Americansのレポートは、合衆国の急進派の数を著しく誇張して述べていて、最初は2百万人とか5百万人のような数字を挙げていたが、最後には4つの組織において正確に3,465,000人だとしている。そのレポートは殺戮の可能性を強調して終わっていて、「International Publishing Associationの会長かあるいは共産党の党首で、共産主義者が社会の現在の形態を完全に破壊する時が間も無く来るであろうと誇らしげに話すスカゼウスキ(Skaczewski)」を引用している。
要約すると、United Americansは、確証された証拠がなく、市民を怯えさせてパニックに陥らせるために設計されたレポートを発行したのである。経過の意義深いポイントは、これはソビエトを防衛・援助・支援したのと同じグループであったということであり、彼らはこれらの同じ計画を引き受けることができた。
脚注
2 New York Times, March 28, 1920.
p. 165
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アメリカ人連合(United Americans)に関する結論
これは左手がしていることを右手が知らないという事例なのだろうか? 多分、そうではない。我々は会社のトップ、そのことで大いに成功した会社について話しているところである。それ故、United Americansは多分、ロシア市場に参入するために為されていた秘密裏の奮闘から公衆の ―そして公的な― 注意をそらすための策略であった。
United Americansは、ソビエト体制を支援するその一方で、ソビエトに反対する最前線にいた組織として、本書の著者が知っている、文献で確認できる唯一の組織である。これは決して矛盾した行為ではなく、次の見方に焦点を当てた更なる調査研究が少なくとも必要である。
(a)権力機構として一般に知られている影響力あるグループによる二重行動の他の例があるか?
(b)これらの例が他の領域に拡張され得るか? たとえば、労働争議がこれらのグループによって扇動された証拠があるか?
(c)これらの挟み撃ち戦術の究極の目的は何であるか? それらの戦術が、テーゼとアンチテーゼの対立が統合(synthesis)を生み出すというマルクス主義の原理に関係しているか? もし、目的が共産主義世界であり、弁証法を受け入れるならば、マルクス主義運動がまっこうから資本主義を何故攻撃するのかは難題である。もし、その目的が共産主義世界であるならば、―すなわち共産主義が望ましい統合であるならば― 資本主義はテーゼであり、資本主義や共産主義と異なる何かがアンチテーゼでなければならない。それ故、共産主義と資本主義の2つのシステムを統合し、まだ述べられていないある世界システムを構築するという革命家グループおよびその後援者にとって、資本主義がテーゼで共産主義がアンチテーゼであり得るのであろうか?
p. 166
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モルガンとロックフェラーは、コルチャクを援助する
ソビエト支局とUnited Americansを支援するこれらの努力と同時に、Guaranty Trustを支配するJ.P.モルガン商会はボルシェビキの主要な対抗者の一人であるシベリアのアレクサンドル・コルチャク(Aleksandr Kolchak)提督の経済的な援助をしていた。1919年6月23日、マソン下院議員は連邦議会決議案132を提出した。その決議案は、"新聞記事の真実に関して、全ておよび異常なものについて取調べをすること"を国務省に指示するものであった。その新聞記事とは、ロシア国債所有者は、ロシア国債の利子支払い継続を確実にするために、"ロシアにおけるアメリカ軍の維持"を成し遂げるために、彼らの影響力を行使したということを非難したものであった。ある銀行が以前のロシア国債に対する支払いを得るためにシベリアのアレクサンドル・コルチャック提督の承認を保障しようと努めていたと、ウィリアム・F・サンヅの同僚バシル・マイルスのファイルメモを根拠として、マソン下院議員は告発した。
その後、1919年8月、国務長官ロバート・ランシングは、ロックフェラーの影響下にあるニューヨークのNational City Bankから、コルチャク提督への5百万ドルの融資計画についての公式コメントを求める手紙を受け取った。また、J.P. Morgan & Co.および他の銀行家達から、英国および合衆国の銀行家達のコンソーシアムによるコルチャクへの1千万ポンドの追加融資に関する国務省の見解を求める手紙も受け取った。3
ランシング長官はその銀行家達に、合衆国はコルチャクを承認していない、そして彼に援助を与える準備がされているけれども、「国務省はそのような交渉を奨励する責任を負うことができると思わない。しかし、それにも関わらず、銀行家達がそれをするのを望ましいと考えているならば、その融資に対して反対する必要はないように思われる」4 と知らせた。
引き続き、9月30日、ランシングはオムスク(Omsk)のアメリカ総領事館に「その融資は正常な手続きを踏んでまとまった」5 と知らせた。その全融資額のうち2/3は英国と合衆国で、残りの1/3はコルチャク政府が望む場所で使われた。その融資は、サンフランシスコへ輸送されたロシアの金(コルチャクのもの)によって保障された。先に述べたソビエトの金輸出のタイミングは、金売却に関するソビエトとの協力がコルチャクの金−融資契約に続いて決定されたということを暗示している。
脚注
3 U.S. State Dept. Decimal File, 861.51/649.
4 Ibid., 861.51/675
5 Ibid., 861.51/656
p. 167
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モルガン財閥は国内の左翼に潜入したというキャロル・クイグリィ(Carroll Quigley)の陳述は海外の革命および反革命運動にも当て嵌まるということも、ソビエトの金売却とコルチャクの融資は暗示している。1919年の夏はクリミアおよびウクライナにおけるソビエト軍の敗北の時であり、この悲観的な状況のため英国とアメリカの銀行家達は反ボルシェビキ権力と仲直りする気になったのかも知れない。明白な根本的理由は、二股をかけておいて、革命または反革命が成功して新政府が安定化した後、特権およびビジネスに関する交渉において有利な立場を得ようとするものであろう。スタート時点において、いかなる紛争の成行も分かりえないので、革命のレースにおいてすべての馬にかなり大きく賭けるという考えである。このような訳で、一方ではソビエトに、また他方ではコルチャクに援助が差し延べられた。― なお、英国政府はウクライナのデニキン(Denikin)を、フランス政府はポールズ(the Poles)を支援していていた。
1919年秋、ベルリンの新聞Berliner Zeitung am Mittak (10月8日、9日)は、西ロシア政府およびボルシェビキと戦っているバルチックのロシア-ドイツ連合軍 ―両者ともコルチャクと同盟― に融資したということでモルガン商会を非難した。モルガン商会はその非難を激しく否定した。:「弊社は、西ロシア政府およびそれを代表するふりをする誰とも議論したり、会ったりしたことは決して無い。」6 しかし、融資の非難が不正確と言うならば、協力の証拠がある。Western Volunteer Armyの指揮者ベルモント大佐の書類の中からラトビアン政府諜報部が発見した書類は、"コルチャクのロンドン駐在工作員とベルモントのバックであったドイツの産業一味との間に告発された関係が存在する"ことを確証している。7
言い換えると、J.P.モルガン、ロンドンおよびニューヨークの銀行家達はコルチャクに融資したことが分かる。コルチャクおよび彼の軍隊を他の反ボルシェビキ軍と結びつける証拠もある。そして、ドイツの産業および銀行界がバルチックにおける全ロシアの反ボルシェビキ軍に融資していたということに、ほとんど疑問の余地がない。
脚注
6 Ibid., 861.51/767 — a letter from J. P. Morgan to Department of State, November 11, 1919. The financing itself was a hoax (see AP report in State Department files following the Morgan letter).
7 Ibid., 861.51/6172 and /6361.
p. 168
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/chap10.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/515.html
第十一章
銀行家達と革命の同盟
ロックフェラーという名前は革命論者を暗示しておらず、私の生活状況は保守主義に近い、注意深く慎重な態度を育成してきた。私には正道から逸脱した動機はない・・・
ジョン・D・ロックフェラー三世、第二アメリカ革命(ニューヨーク:Harper & Row.1973年)
提示された証拠:概要
ジョージ・カトコブ、ステファン・ポッソニィ、およびミカエル・フトエルによって既に出版されている証拠は、レーニンおよび彼の仲間の放逐されたボルシェビキ主義者達のロシアへの帰国やそれから2〜3週間遅れのメルシェビキ主義者達の帰国がドイツ政府によって金融支援され組織化されたということを立証している。1 必要とされた資金の一部は、オロフ・アシュベルグが所有するストックホルムのNya Bankenを通して送られた。そしてそのドイツの2つの目的は、(a)ロシアを戦争から撤退させること、(b)戦後のロシア市場支配 であった。2
脚注
1 Michael Futrell, Northern Underground (London: Faber and Faber, 1963); Stefan Possony, Lenin: The Compulsive Revolutionary (London: George Allen & Unwin, 1966); and George Katkov, "German Foreign Office Documents on Financial Support to the Bolsheviks in 1917," International Affairs 32 (Royal Institute of International Affairs, 1956).
2 Ibid., especially Katkov.
p. 169
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ロシア革命中および革命前後におけるボルシェビキ銀行家オロフ・アシュベルグとニューヨークのモルガン支配下のGuaranty Trust Companyの間に、絶えることなく関係が続いていたことを証明するために、我々はこの証拠を今越えている。ロシア帝政時代、アシュベルグはロシアにおけるモルガンのエージェントで、合衆国におけるロシア公債の交渉人であった。1917年、アシュベルグは革命家達のための融資仲介人で、革命後、アシュベルグは最初のソビエトの国際銀行であるRuskombankの頭取になった。一方、モルガン支配下のGuaranty Trustの副会長マックス・メイは、Ruskombank外国部の取締役部長になった。我々は、Guaranty Trust Companyとボルシェビキの間に絶えることなく続いていた関係があったという文献に基づく証拠を提示した。1917年におけるGuaranty Trustの取締役はAppendix 1 に列挙した通りである。
更にまた、ウォール街の銀行家から国際革命家への資金移動の証拠がある。たとえば、ニューヨークの連邦準備銀行の取締役で、ロックフェラー支配下のChase Bankの大株主で、またグッゲンヘイムス一族およびモルガン一族の金融業仲間であるウィリアム・ボイス・トンプソンの(海底電信によって実証されている)言明があり、彼(トンプソン)はプロパガンダ目的でボルシェビキ革命に百万ドル寄付していたのである。他の例は、ニューヨークの民間銀行家であるユゲネ・ボイッセバインによって融資支援された第三インターナショナル実行委員会のアメリカのメンバーであり、またハリー・ペイン・ホイットニーのMetropolitan magazineに雇われていたジョン・リードである。ホイットニーはその当時Guaranty Trustの取締役であった。合衆国駐在の最初のソビエト大使であったルドウィグ・マルテンスは、(英国諜報部長バシル・トンプソン卿によれば)Guaranty Trust Companyからの資金によって支えられていたということも我々は立証した。合衆国におけるトロツキーの財源を追跡して、まだ確認する必要性が残っているものの、ニューヨークにおけるドイツ起源であることをつきとめている。そして、トロツキー財源の正確なドイツ起源を知らないけれども、合衆国におけるドイツ人スパイのボスであったバン・パヴェンステッドは、Amsinck & Co.の年長のパートナーでもあったことを我々は知っている。Amsinckは、いつも存在するAmerican International Corporationの子会社で、J.P.モルガン商会の支配下にもあった。
更に、Guaranty Trustを含むウォール街の企業は、メキシコにおけるカランザとヴィラの戦時下の革命活動に絡んでいた。今日では中国における毛沢東革命の前ぶれとして中国共産党に是認されている革命、すなわち1912年の孫文革命に対して、ウォール街のシンジケートが融資したことに関しての文献に基づく証拠も我々は明らかにした。このシンジケートのために孫文との交渉を担当したニューヨークの弁護士チャールズ・B・ヒルは、Westinghouseの子会社3社の取締役であって、ロシアのWestinghouseのチャールズ・R・クレーンはロシア革命に絡んでいたことを我々は示した。
p. 170
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金融から全く離れたところでも、ボルシェビキ運動におけるウォール街の関与についての他の、そして多分より意義のある証拠を我々は見出した。ロシアへのアメリカ赤十字派遣団はウィリアム・B・トンプソンの個人的な投機的事業であって、彼はボルシェビキへの遊撃兵的支援を公然と申し出ていた。現在では入手可能となっている英国戦時内閣の書類に、英国の政策は1917年12月のトンプソンとロード・ジョージの個人的な干渉によってレーニン-トロツキー体制に方向転換されたと記録されている。我々はトンプソン取締役とウィリアム・ローレンス・サンダース副議長の声明を再現した。両者は共にニューヨーク連邦準備銀行所属であり、ボルシェビキに極めて好意的であった。ジョン・リードはウォール街から融資を受けただけではなく、彼の活動に対して一貫した支援を受けていて、American International Corporationの社長室長ウィリアム・フランクリン・サンヅによる国務省への干渉というレベルの支援さえ受けていた。ロバート・マイナーの反政府的扇動運動においては、エドワード・ハウス大佐がマイナーを解放させるように干渉したという強い兆候およびある状況証拠がある。マイナー事件の意義は、ドイツにおけるボルシェビキ革命に対するウィリアム・B・トンプソンのプログラムはドイツで拘留されていた時にマイナーが実行したまさにそのプログラムであったということである。
たとえばアェクサンダー・ガンベルグのような何人かの国際エージェントがウォール街とボルシェビキのために働いた。1917年、ガンベルグはペトログラードの合衆国の会社の代表者であって、トンプソンのアメリカ赤十字派遣団のために働き、ノルウェイを去るまでの間、スカンジナビアにおけるボルシェビキエージェントのボスになっていた。その後、ニューヨークのChase Bankのリーブ・シュレイやAtlas Corporationのフロイド・オディウムの腹心の補佐人になった。
ボルシェビキのためのこの活動は、大部分が単一の住所 ―ニューヨーク市ブロードウェイ120番地― から発せられていた。この観察に対する証拠は概説したが、何故、活動が単一の住所に異常に集中しているかについては結論的な理由を述べなかった。ただし、J.P.モルガンが国内左翼に潜入しているというキャロル・クイグレイの告発の海外での複製であるように思えると述べた。モルガンはまた、国際左翼にも潜入していた。
p. 171
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ニューヨーク連邦準備銀行の所在地はブロードウェイ120番地であった。この親ボルシェビキ活動のための手段はAmerican International Corporationであり、その所在地もブロードウェイ120番地であった。AICは、ボルシェビキ体制に関する見解を述べるように、革命が始まって僅か2〜3週間後に、ロバート・ランシング国務長官によって求められ、AICの社長室長サンヅはボルシェビキ運動に対する彼の熱狂をほとんど抑制できなかった。最初のソビエト大使ルドウィグ・マルテンスはWeinberg & Posnerの副会長であったが、その会社の所在地もブロードウェイ120番地であった。Guaranty Trust Companyは隣のブロードウェイ140番地であったが、Guaranty Securities Co.はブロードウェイ120番地であった。1917年、Hunt, Hill & Betts社はブロードウェイ120番地で、この会社のチャールズ・B・ヒルは孫文との取引における交渉人であった。スウェーデンのオロフ・アシュベルグおよび合衆国のGuaranty Trustによって融資され、軍諜報部のブラックリストに載っていたJohn MacGregor Grant Co.は、ブロードウェイ120番地だった。Guggenheims社および(American Internationalにも参加していた)General Electric社の執行部の中核はブロードウェイ120番地であった。それ故、銀行家クラブもブロードウェイ120番地の最上階(34階)にあったということは、別段驚くべきことではない。
ボルシェビキに対する支援が革命の強化をもって終わることがなかった点は意義深い。したがって、この支援はドイツとの戦争の期間だったからだとは全面的に説明され得ない。ロシアにおける特権を得るために1918年に作られたアメリカ-ロシア・シンジケートは、ホワイト、グッゲンヘイム、およびシンクレア財閥によって支援された。これらの3人の金融業者に支配された会社の取締役として、トーマス・W・ラモント(Guaranty Trust)、ウィリアム・ボイス・トンプソン(連邦準備銀行)、およびジョン・リードの雇い主であったハリー・ペイン・ホイットニィ(Guaranty Trust)が含まれている。これは、革命中のボルシェビキ運動に対してより早急な支援して儲けるために、そのシンジケートが作られたことを強く示唆している。そして、1919年におけるニューヨークのソビエト支局をGuaranty Trustが金融支援していたことを我々は突き止めた。
以前の政治的および金融に関する支援が期待の成果を上げようとしている最初の現実的で具体的なシグナルは、ソビエトが最初の国際銀行Ruskombankを創立した1923年にやってきた。モルガンの仲間オロフ・アシュベルグはこのソビエトの銀行の名目上の頭取となり、Guaranty Trustの副会長マックス・メイはRuskom-bankの取締役となり、RuskombankはGuaranty Trust Companyをその合衆国における代理店に即座に任命した。
邪悪な同盟に対する説明
どのような動機が資本家とボルシェビキのこの連携を説明するだろうか?
p. 172
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ロシアはその当時の世界における最大の未開発市場であり、今でもそうである。更に、ロシアは当時も今もアメリカの産業および金融の覇権に対する最大の潜在的な競合する脅威である。(広い土地を有するロシアとより小さな合衆国の間の地形上の差異が目立っていることを知るには、世界地図を一目すれば十分である。)ウォール街は、アメリカを超える巨大産業国家としてロシアを思い描いたとき、寒さで身震いするに違いない。
しかし、何故、ロシアが合衆国の覇権に対する競合者・挑戦者になるのを許したのであろうか? 19世紀末、モルガン/ロックフェラーおよびグッゲンヘイムは独占的傾向を明白にしていた。農民ではなく鉄道所有者が彼らの独占を維持し、競合者を排除するために、鉄道が国家的にコントロールされることを如何にして望んだかということを、「鉄道と規制、1877−1916年」において、ガブリエル・コルコは立証した。それ故、我々の証拠の最も簡単な説明は、ウォール街金融業者のシンジケートは彼らの独占野望を拡大し、独占領域の水平線をグローバルに拡張したということである。巨大なロシア市場は、強大な力を持つアメリカの金融業者および彼らの支配下にある会社によって開拓されるべき専属の市場および特殊な植民地に変換されようとした。アメリカの産業の言いなりであった各州相互通商委員会および連邦通商委員会が国内においてその産業のために成し遂げたのと同じことを、ウォール街とワシントンD.C.の適切な援助および誘導の下で、計画的に作られた社会主義政府を使って海外において成し遂げようとしたのであろう。
最後に、この説明が余りに急進的と思わないならば、以下のことを思い出して欲しい。赤軍を強化するために独裁的将軍を任命したのはトロツキーである。革命下のロシアをコントロールし、ソビエトのために仲介するように、アメリカの公務員に訴えたのはトロツキーである。ロシア革命における自由主義者を、そして次に労働者および農民を鎮圧したのはトロツキーである。しかも、記録に残されている歴史において、革命の裏切りに怒り、白軍および赤軍と戦った元ボルシェビキからなる70万人の緑軍が全く持って無視されているのである。言い換えれば、ボルシェビキ革命とは、国家統制主義者、すなわちロシアにおける純粋に革命的な自由主義者に対抗して提携した国家統制主義革命家と国家統制主義金融業者の同盟であったのである。3
読者は、ここにおいて、これらの銀行家達も隠れボルシェビキだったのだろうかという疑問を抱いているに違いない。否、勿論、そうではなかった。金融業者達にイデオロギーなんてものは無い。どんなに狭い意味においても、ボルシェビキへの支援がイデオロギーに押されたものであると考えることは、著しい誤解であろう。金融業者は権力に関心があり、それ故、権力への入り口を提供してくれる可能性があるならば、どのような政治的組織であろうとも支援した。トロツキー、レーニン、皇帝、コルチャク、デニキン ― 彼らはすべて多かれ少なかれ支援を受けていた。すなわち、本当に自由な産業社会を望む人々以外ならば誰でも支援したのである。
脚注
3 See also Voline (V.M. Eichenbaum), Nineteen-Seventeen: The Russian Revolution Betrayed (New York: Libertarian Book Club, n.d.).
p. 173
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支援は、国家統制主義ボルシェビキおよび国家統制主義反ボルシェビキのいずれにも限定されなかった。ジョン・P・ディッギンスは「ムッソリーニとファシズム:アメリカからの見地」4において、Guaranty Trustのトーマス・ラモントについて次のように記している。
すべてのアメリカ人実業家のリーダのうち、ファシズム運動を最も精力的に後援した人物はトーマス・W・ラモントであった。強力なJ.P.モルガンの銀行業ネットワークのヘッドであったラモントは、イタリアのファシスト政府のためのビジネスコンサルタントの重要人物として仕えた。
ラモントは、特に厳しい状況であった1926年にイタリアの独裁者ムッソリーニのために1億ドル貸付の保障をした。Guaranty Trustのその取締役は、国内の共産主義者コーリス・ラモントの父親であったということも我々は思い出すかも知れない。双子の全体主義システムである共産主義とファシズムに対するこの片手落ちでない公平なアプローチはラモント家だけに限られたことではない。たとえば、American International CorporationとKuhn, Leob & Co.の取締役オットー・カーンは、「イタリアに投資されたアメリカ資本は安全、励み、機会、および報酬を見つけるであろう」5ということを確信していた。その目的が彼の目的であったところの産業民主主義の社会主義者リーグ(socialist League of Industrial Democracy)について1924年に講演していた人物が同じオットー・カーンである。6 オットー・カーンによれば、彼らはこれらの目的を達成するための手段を通じてのみ異なっていた。
ロックフェラーの広報担当者アイヴィ・リーは同様の宣言をしていて、1920年代後期において騙され易いアメリカの大衆にソビエト体制を売り込む責任者であった。国務省のロシア部局に勤務し、ウィリアム・フランクリン・サンヅの以前の仲間であったバシル・マイルスは、ボルシェビキ運動をプロモートする実業家達を明らかに手助けしたが、1923年に同じマイルスは親ファシズム記事「イタリアの黒シャツとビジネス」7を著わしたということも、我々は見てきた。ファシスト達の成功はイタリアの若さを表しているとマイルスは書いていたが、その一方でファシスト運動を賛美し、アメリカのビジネスのためのその評判に拍手を送っていた。
マルブルグ計画
アンドリュー・カーネギーの膨大な遺産によって融資されたマルブルグ計画は、20世紀初頭に立案された。それはこの種の見かけ上の統合失調症が前もって計画されていたことを示唆していて、それはつまり権益獲得のための統合されたプログラム ―「もしカーネギーと彼の無限の資産があるならば、国際金融家および社会主義者は、平和を強化するためのリーグ形成を屈服させるための運動において組織化され得るであろうこと」8― を覆い隠すものであった。
脚注
4 Princeton, N.J.: Princeton University Prss, 1972.
5 Ibid., p. 149.
6 See p. 49.
7 Nation's Business, February 1923, pp. 22-23.
8 Jennings C. Wise, Woodrow Wilson: Disciple of Revolution (New York: Paisley Press, 1938), p.45
p. 174
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マルブルグ計画によれば、世界の各政府は社会主義化され、その結果、"議会を支配し、平和を強化し、人類のすべての政治悪に対する特効薬を与えるために"9究極の権力が国際金融家達の手に委ねられるであろう。
このアイデアは、同様の目的を持った他の要素とも結び付けられていた。イングランドのミルナー卿は、マルクス主義の美徳と将来性を認識していた銀行業財閥の大西洋の向こうにある例を与えている。ミルナーは英国の戦争時に影響力があった親マルクス主義の銀行家であった。10 ニューヨークにおいて1903年に社会主義者"X"クラブが創立された。それは、メンバーとして、共産主義者リンカーン・ステフェンス、社会主義者ウィリアム・イングリッシュ・ウォーリング、共産主義銀行家モリス・ヒルキットだけではなく、ジョン・デウェイ、ジェームス・T・ショットウェル、およびラフス・ウィークス(New York Life Insurance Companyの副会長)を含んでいた。ニューヨークのAstor HotelにおけるEconomic Clubの年に一度の会議に、社会主義演説家が臨席していた。1908年、Chase National Bankの頭取A.バートン・ヘプバーンがEconomic Club会長であったとき、メインのスピーカは前述のモリス・ヒルキットであり、彼は"富裕層および金融財閥を代表する群集に対して社会主義を伝道するのに、あり余るほどの機会を持った"。11
これらの思いも寄らない種子から近代の国際主義者運動が成長し、その運動には、金融家カーネギー、ポール・ウォーバーグ、オットー・カーン、ベルナルド・バルチ、ハーバート・フーバーだけではなく、カーネギー財団およびその後継者International Conciliationが関与していた。我々が見てきたように、カーネギーの被信託人はAmerican International Corporationの取締役会において突出していた。1910年、カーネギーは国際平和のためのカーネギー基金設立のために1千万ドルを寄付した。そのカーネギー財団の取締役会のメンバーとして、エリフ・ルート(1917年のロシアへのルート派遣団)、クリーブランド・ドッジ(ウィルソン大統領の融資銀行家)、ジョージ・W・パーキンス(モルガンの仲間)、G・J・バルチ(AICとAmsinck)、R.F.ヘリク(AIC)、H.W.プリチェット(AIC)、および他のウォール街のお偉方が含まれていた。ウッドロー・ウィルソンはこの国際主義者グループの強力な影響下にあって、実際に彼らから借金をした。ジェニングス・C・ワイズが書いているように、"レーニンがアメリカのパスポートを持ってロシアに入国することを可能にしたのはウッドロー・ウィルソンであったということを歴史家達は決して忘れてはならない。"12
脚注
9 Ibid., p.46
10 See p. 89.
11 Morris Hillquit, Loose Leaves from a Busy Life (New York: Macmillan, 1934), p. 81.
12 Wise, op. cit., p. 647
p. 175
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しかし、レオン・トロツキーも彼自身、国際主義者だと宣言していた。ある関心とともに、彼の高レベルな国際主義者との繋がり、あるいは少なくともカナダにおける友人達に、我々は注目してきた。その時、多くの人々が彼はそうだろうと理解しようと努めたけれども、トロツキーは親ロシアでも親同盟軍でも親ドイツでもなかった。トロツキーは世界革命、世界独裁政権を望んでいた。13 彼は簡単に言えば国際主義者であった。ボルシェビキおよび銀行家はその当時、この重要な共通の基盤―国際主義―を持っていた。もし革命の結果がより中央集権化された権威を樹立することになるのであれば、革命と国際金融は全く矛盾しない。国際金融は中央政府を相手にするのを好む。銀行共同体が最も望まない事は、放任主義経済および地方分権化された力である。なぜならば、これらは力を分散させるからである。
それ故、これは証拠に合致する説明である。この一握りの銀行家およびプロモータはボルシェビキでも共産主義者でも社会主義者でも民主主義者でも、更にアメリカ人でもなかった。何よりも先ず、これらの男達は市場を、望むらくは専属の国際的な市場 ―究極のゴールとしての専属の世界市場の独占― を欲した。ロシア人、ドイツ人、あるいは(魔法で守られたサークルの外にいたアメリカの実業家を含む)その他の人々との競合の恐れ無しに独占的に開拓されえる市場を彼らは欲した。この閉鎖的なグループは政治に無関心で道徳観念がなかった。1917年、そのグループは一途な目的 ―平和を強化するためのリーグというシェルターの下に提供され、知的に保護されたロシアにおける専属市場を得るという目的― を持った。
ウォール街は実際にそのゴールに達した。このシンジケートに支配されたアメリカの会社は後に進出し、ソビエト連合を創立しようとし、現在ではソビエト軍産複合体をコンピューター時代に連れて行こうという途上にある。
脚注
13 Leon Trotsky, The Bolsheviki and World Peace (New York: Boni & Liveright, 1918).
p. 176
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今日、その目的はまだ生きていて健在である。 ジョン・D・ロックフェラーは、タイトル頁において五つ星を誇示する彼の著書「第二のアメリカ革命」において、それについて詳しく説明している。14 その本は、我々の第一の優先課題は他人のために働くことであるという、ヒューマニズムについてのあからさまな口実を含んでいる。すなわち、集産主義のための口実である。ニューマニズムは集産主義である。一世紀に亘ってこのヒューマニズムの概念を振興してきたロックフェラー一族は彼ら自身の資産を他人に渡すことがなかったことは注目に値する。我々全員がロックフェラー一族のために働くということが、彼らの推奨の中に多分含蓄されている。ロックフェラーの本は、"用心深い保守主義"および"公共の利益"といううわべの下、集産主義を振興している。それは実質的には、以前の集産主義者企業のモルガン-ロックフェラー支援および個人の権利の全転覆の持続のための口実である。
要約すると、世界平和および人間的良識を主張するエリート仲間による自己権力の拡張に対する策略および弁解として、公共の利益が利用されてきて、今日でも利用されている。しかし、資本主義と共産主義の間の不変のマルクス主義的矛盾という見地で世界史を見ている限り、国際金融と国際革命の間のそのような同盟の目的に気付かないままとなる。略奪者達による公共の利益振興の滑稽さも気付かないままになる。もし、読者がこれらの同盟にまだ騙されているならば、これらの同じ国際財閥およびプロモータが他の人々が何をすべきかをいつも喜んで決定するが、彼ら自身の富と権力を捨てるために先ず同調することに対しては著しく抵抗するという明白な事実について熟考すべきである。彼らの口は開いているが、ポケットは閉じている。
社会を搾取するために独占主義者が使うこのテクニックは、20世紀初め、フレデリック・C・ハウエによって「独占主義者の告白」15の中で述べられている。先ず第一に政治はビジネスの必要部分であるとハウエは言っている。産業を支配するためには、議会と規制者を支配すること、およびその結果として、独占主義者のために社会を動かすことが必要である。そうして、ハウエによれば、独占主義者が成功するための二つの原則は、「第一に社会を独占主義者のために働かせること、第二に政治からビジネスを作ること」16である。これらは基本的な"ビッグ・ビジネスのルール"であると、ハウエは書いている。
脚注
14 In May 1973 Chase Manhattan Bank (chairman, David Rockefeller) opened it Moscow office at 1 Karl Marx Square, Moscow. The New York office is at 1 Chase Manhattan Plaza.
15 Chicago: Public Publishin, n.d.
16 Ibid.
p. 177
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この途方もなく凄まじい目的が議会や学界にも知られていたという何らかの証拠はあるのであろうか? 確かにその可能性は知られていた、しかも公的に知られていた。たとえば、革命についての巧妙なコメンテータアルバート・リス・ウィリアムスの上院監督委員会における証言が証明している。:
・・・ソビエト政府の下では通常の資本主義システムの下におけるよりも、たぶん産業の発展がはるかにゆっくりになるであろうことはたぶん正しい。しかし、アメリカのような大産業国家が何故別の大産業ライバルを望むべきなのであろうか? この点に関するアメリカの利益は、ソビエトロシアがそれ自身のために計画する発展のスローテンポと同調しないのか?
ウォルコット上院議員:それならば、ロシアを抑圧することはアメリカの利益であると、あなたは主張するのか?
ウィリアムス氏:抑圧ではなく・・・
ウォルコット上院議員:アメリカは、何故ロシアがアメリカの産業対抗国になることを望むべきなのか?
ウィリアムス氏:これは資本家としての立場からの発言です。アメリカの全体利益で言えば、既に市場で競合しているドイツ、英国、フランス、およびイタリアのような別の大産業ライバルを持つべきではないと思います。ソビエト政府以外の他の政府ならば、たぶん発展のテンポまたは速度は大きくなると思います。そして、我々は別のライバルを持つでしょう。勿論、これは資本家としての立場からの発言です。
ウォルコット上院議員:アメリカの人々にアピールするかも知れないとあなたが思っている議論を、あなたはここで提示している。あなたの議論の要点は、あるがままのロシアのソビエト政府を我々が是認するならば、何年もの間、産業において我々と対抗できないであろう政府を我々が是認することと同等だということだ。
ウィリアムス氏:それが真相です。
ウォルコット上院議員:それは、ソビエト政府ロシアが少なくとも何年もの間アメリカに産業的に近付けるポジションにないという議論だ。
ウィリアムス氏:全くその通りです。17
そして、アルバート・リス・ウィリアムスの率直な言明において、過去半世紀に及ぶロシアの歴史の解釈は、修正主義者にとっての基本的な手がかりである。
脚注
17 U.S., Senate, Bolshevik Propaganda, hearings before a subcommittee of the Committee on the Judiciary, 65th Cong., pp. 679-80. See also herein p. 107 for the role of Williams in Radek's Press Bureau.
p. 178
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ウォール街、いやむしろブロードウェイ120番地およびウォール街14番地のモルガン-ロックフェラー複合体は、ウィリアムスの議論に極めて近い何かを計画していた。ウォール街はボルシェビキのためにワシントンを支持した。それは成功した。ソビエトの全体主義体制は生き延びた。1930年代に、ほとんどがモルガン-ロックフェラーのグループに属する外国の企業が50年計画を立てた。彼らは、引き続き、ロシアを経済的および軍事的に作り上げた。18 一方、ウォール街は朝鮮戦争とベトナム戦争をたぶん予見しなかった。それらの戦争において、10万人のアメリカ人および数え切れない同盟軍の兵士が、この同じ輸入されたアメリカの技術で作り上げられた軍備のために彼らの生命を失った。先見の明があり、疑いなく得だと思われたウォール街シンジケートの政策は、エリートの権力グループおよび支配者階級の外の何百万人もの人々にとっては、悪夢となった。
脚注
18 See Antony C. Sutton, Western Technology and Soviet Economic Development, 3 vols. (Stanford, Calif.: Hoover Institution, 1968, 1971, 1973); see also National Suicide: Military Aid to the Soviet Union (New York: Arlington House, 1973).
p. 179
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/chap11.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/516.html
10. 2011年7月20日 08:38:26: aQY6pXt3lQ
日本で100ミリはOKという人の代表的な論旨は、
「100ミリシーベルト以下の被曝の場合、(影響があっても)統計的に有意な数字が出ない」から問題はないといっています。被害が出る、出ないといったレベルの話ではありません。
要するにばれないからいいだろうということです。科学的な影響の有無ではなく、政治的に被害か顕在化するか否か(被害が出ても立証できなければ問題ない)という立場に基づく発言です。
100ミリまでOKと主張する人は、一族郎党でそういう環境に定住して見て貰いたいものですが、ICRPの言う意味を理解しておられる方でしたら、決して自分たちが被曝リスクを冒すことはできないと思います。相手が一般公衆だから、判らなければOKと主張しているように見えるのです。
なおICRP見解に従わず、個人的見解として放射能は体に良いとか信じている方たちがおられる場合、その根拠は私にはわかりかねます。
メディアで露出している100ミリ大丈夫という人のうち、政府機関系の方(原子力保安院、文科省、原子力安全委員会、官房長官・・・)や自治体、自治体のアドバイザーの場合、国策としてのICRP勧告から外れたことは官僚として(政治家として、医者として)主張しないと思いますので、私は「被害が立証できないからOK派」と言っているものと理解しています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/497.html#c10
20. 2011年7月20日 08:41:22: CMGAsPgzcc
>「検査をして全て安全と主張しても消費者は信用しない」
当たり前だろう。
安全だと言ってくれてる国に頼み込めよ。
「安全な農畜産物との評価を国よりいただいていますので、是非各省庁の国家公務員共済店舗で優先的全品販売してください」
というべきだろうが。
頭は使えよ。
納品を拒否されたら国を訴えればいいわけだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/525.html#c20
21. 2011年7月20日 08:41:35: GTdx39dSTw
日本以外の先進国から緩いといわれる放射性物質のWHO基準よりはるかに緩いので、基準に合格したからといっても信用されない。信用されたければ少なくともフランス以上の自主基準を設けるべき。食用に耐えないもののお代は東電に請求しましょ。会社ではなく会長と前社長個人を訴えると効果があるかも。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/525.html#c21
40. 2011年7月20日 08:42:00: aQY6pXt3lQ
大型魚について、既に汚染が顕在化していることはショック。ただし、これはまだ顕在化が始まっただけで、本格的な食物連鎖による深刻な汚染はさらにじわじわ進行すると考え、備える必要があるとしか思えません。
陸の汚染についても、わら、牛、これは氷山の一角としか見えません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/414.html#c40
67. 2011年7月20日 08:42:19: Uu25dzSZXs
>>65
オウム真理教信者を脱会させるとき、
信者を刺激してはいけないので、麻原と呼び捨てにしてはいけません。
尊師と呼びなさい。
と言う指導があったのは、ご存知でしょうか。
新興宗教の信者を脱会させようとするとき、周りがとても苦労しほとんど成功しないのは
@選ばれた人間だと言う優越感・選民思想を持たせている
A神仏信仰者を嫌う。
B他宗教より優れている。
C感謝・謝罪をしない、自己中心型。
と言う人格破壊が起きるからですが、神仏から離れている人は
別の悪霊にも支配されるからです。
ネット依存症でも同じですと、以前、ご説明したとおりです。
遠まわしに、伝えているのに気が付かないので、ハッキリ言うしかない。
つまり、あなたも感染者です。
悟りを得た人・・・先祖や神仏の結界に入ってないと、多かれ少なかれ影響を受けるのです。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/389.html#c67
付録T
この本で言及の(1917-1918年当時の)主要な銀行、企業、団体の重役
AMERICAN INTERNATIONAL CORPORATION (120 Broadway)
J. Ogden Armour Percy A. Rockefeller
G. J. Baldwin John D. Ryan
C. A. Coffin W.L. Saunders
W. E. Corey J.A. Stillman
Robert Dollar C.A. Stone
Pierre S. du Pont T.N. Vail
Philip A. S. Franklin F.A. Vanderlip
J. P. Grace E.S. Webster
R. F. Herrick A.H. Wiggin
Otto H. Kahn Beckman Winthrop
H. W. Pritchett William Woodward
CHASE NATIONAL BANK
J. N. Hill Newcomb Carlton
A. B. Hepburn D.C. Jackling
S. H. Miller E.R. Tinker
C. M. Schwab A.H. Wiggin
H. Bendicott John J. Mitchell
Guy E. Tripp
p. 181
--------------------------------------------------------------------------------
EQUITABLE TRUST COMPANY (37-43 Wall Street)
Charles B. Alexander Henry E. Huntington
Albert B. Boardman Edward T. Jeffrey
Robert.C. Clowry Otto H. Kahn
Howard E. Cole Alvin W. Krech
Henry E. Cooper James W. Lane
Paul D. Cravath Hunter S. Marston
Franklin Wm. Cutcheon Charles G. Meyer
Bertram Cutler George Welwood Murray
Thomas de Witt Cuyler Henry H. Pierce
Frederick W. Fuller Winslow S. Pierce
Robert Goelet Lyman Rhoades
Carl R. Gray Walter C. Teagle
Charles Hayden Henry Rogers Winthrop
Bertram G. Work
FEDERAL ADVISORY COUNCIL (1916)
Daniel G. Wing, Boston, District No. 1
J. P. Morgan, New York, District No. 2
Levi L. Rue, Philadelphia, District No. 3
W. S. Rowe, Cincinnati, District No. 4
J. W. Norwood, Greenville, S.C., District No. 5
C. A. Lyerly, Chattanooga, District No. 6
J. B. Forgan, Chicago, Pres., District No. 7
Frank O. Watts, St. Louis, District No. 8
C. T. Jaffray, Minneapolis, District No. 9
E. F. Swinney, Kansas City, District No. 10
T. J. Record, Paris, District No. 11
Herbert Fleishhacker, San Francisco, District No. 12
FEDERAL RESERVE BANK OF NEW YORK (120 Broadway)
William Woodward (1917) Class A
Robert H. Treman (1918)
Franklin D. Locke (1919)
Charles A. Stone (1920) Class B
Wm. B. Thompson (1918)
L. R. Palmer (1919)
Pierre Jay (1917) Class C
George F. Peabody (1919)
William Lawrence Saunders (1920)
p. 182
--------------------------------------------------------------------------------
FEDERAL RESERVE BOARD
William G. M'Adoo Adolph C. Miller (1924)
Charles S. Hamlin ( 1916) Frederic A. Delano (1920)
Paul M. Warburg (1918) W.P.G. Harding (1922)
John Skelton Williams
GUARANTY TRUST COMPANY (140 Broadway)
Alexander J. Hemphill (Chairman)
Charles H. Allen Edgar L. Marston
A. C. Bedford Grayson M-P Murphy
Edward J. Berwind Charles A. Peabody
W. Murray Crane William C. Potter
T. de Witt Cuyler John S. Runnells
James B. Duke Thomas F. Ryan
Caleb C. Dula Charles H. Sabin
Robert W. Goelet John W. Spoor
Daniel Guggenheim Albert Straus
W. Averell Harriman Harry P. Whitney
Albert H. Harris Thomas E. Wilson
Walter D. Hines London Committee:
Augustus D. Julliard Arthur J. Fraser (Chairman)
Thomas W. Lamont Cecil F. Parr
William C. Lane Robert Callander
NATIONAL CITY BANK
P. A. S. Franklin P.A. Rockefeller
J.P. Grace James Stillman
G. H. Dodge W. Rockefeller
H. A. C. Taylor J. O. Armour
R. S. Lovett J.W. Sterling
F. A. Vanderlip J.A. Stillman
G. H. Miniken M.T. Pyne
E. P. Swenson E.D. Bapst
Frank Trumbull J.H. Post
Edgar Palmer W.C. Procter
NATIONALBANK FÜR DEUTSCHLAND
(As in 1914, Hjalmar Schacht joined board in 1918)
Emil Wittenberg Hans Winterfeldt
Hjalmar Schacht Th Marba
Martin Schiff Paul Koch
Franz Rintelen
p. 183
--------------------------------------------------------------------------------
SINCLAIR CONSOLIDATED OIL CORPORATION (120 Broadway)
Harry F. Sinclair James N. Wallace
H. P. Whitney Edward H. Clark
Wm. E. Corey Daniel C. Jackling
Wm. B. Thompson Albert H. Wiggin
J. G. WHITE ENGINEERING CORPORATION
James Brown C.E. Bailey
Douglas Campbell J.G. White
G. C. Clark, Jr. Gano Dunn
Bayard Dominick, Jr. E.G. Williams
A. G. Hodenpyl A.S. Crane
T. W. Lamont H.A. Lardner
Marion McMillan G.H. Kinniat
J. H. Pardee A.F. Kountz
G. H. Walbridge R.B. Marchant
E. N. Chilson Henry Parsons
A. N. Connett
p. 184
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/Appendix1.html
付録U
ボルシェビキ革命のユダヤ陰謀論
ボルシェビキ革命は、"ユダヤ人の陰謀"の結果、より詳しく言えばユダヤ人の世界銀行家達による陰謀の結果であるというテーマを取り扱った、英語、フランス語、およびドイツ語の広範な文献が存在している。それらの文献において、一般に、世界の支配が究極の目的と見られている。すなわち、ボルシェビキ革命は、キリスト教と"暗黒の力"との間の太古からの宗教的争いを多分表しているより広いプログラムの単なる1フェイズであった。
そのようなテーマおよびその変形は、最も驚くべき場所において、また最も驚くべき人達から見出されうる。1920年2月、ウィンストン・チャーチルは、「シオニズム対ボルシェビズム」というタイトルの、今日ではほとんど引用されることのない記事をLondon Illustrated Sunday Herald に寄稿している。この記事の中でチャーチルは、それは"特に重要で、帰化した国に忠節なすべての国における愛国的ユダヤ人はすべての機会で表面に出てくるべきで、ボルシェビキ陰謀と闘うためあらゆる行動において目立った役割を演じるべき"と結論している。チャーチルは、愛国的ユダヤ人と彼が"国際的ユダヤ人"と呼ぶ者達の間に一線を画している。彼は、国際的で大抵は無神論者のユダヤ人がボルシェビズムの創生およびロシア革命の誕生において間違いなく非常に重要な役割を演じたと論じている。彼は(事実に反して)レーニンを除いて、革命における指導的人物の大多数がユダヤ人であったと断言し、また(これも事実に反するが)多くのケースにおいてユダヤ人の利権およびユダヤ人の礼拝所は差し押さえの方針からボルシェビキによって除外されたとも付け加えている。チャーチルは国際的ユダヤ人を、ユダヤ人が彼らの民族性のために迫害された国々の迫害された市民から出現した"邪悪な連合"と呼んだ。ウィンストン・チャーチルはこの動きをスパルタクス-ワイスハウプト(Spartacus-Weishaupt)まで遡って追跡し、トロツキー、ベラ・クン、ローザ・ルクセンブルグ、およびエマ・ゴールドマンの周りに彼の文学上のネットを投げ、"拘束された発達、妬み深い悪意、および不可能な平等性に基づく文明の打倒や社会の再構成のための世界規模の陰謀が絶え間なく成長してきている"と非難している。
p. 185
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それからチャーチルは、この共謀するスパルタクス-ワイスハウプト集団は19世紀における全ての破壊的運動の推進力になってきたと議論している。シオニズムとボルシェビズムはユダヤ人の人々の魂にとって矛盾すると指摘しながら、チャーチルは(1920年に)ボルシェビキ革命におけるユダヤ人の役割と世界中に及ぶユダヤ人の陰謀の存在に偏見を抱いていた。
他の有名な1920年代の著作家ヘンリー・ウィクハム・スチードは、彼の「1892−1922年の30年間を通して」の第2巻(p. 302)において、彼がどのようにしてユダヤ陰謀概念をエドワード・M・ハウス大佐およびウッドロー・ウィルソン大統領に注目させようと努めたかを述べている。1919年3月のある日、ウィクハム・スチードはハウス大佐を訪問し、ボルシェビキを合衆国が承認したことについてのスチードの最近の批判によってハウス大佐が当惑していることを知った。スチードはハウスに、ウィルソンは欧州の多くの人々および国々の間で評判を落とすであろうと指摘し、"彼は知らないことであるが、首謀者はヤコブ・シッフ、ウォーバーグ、および他の国際金融家であり、彼らはロシアをドイツ人とユダヤ人のために開拓するための領域を確保できるようにユダヤ人ボルシェビキ主義者を鼓舞することを取り分け望んでいたと主張した。"1 スチードによれば、ハウス大佐はソビエト連合との経済的な関係の樹立賛成論を唱えた。
ユダヤ人の陰謀について最も外見上のっぴきならない文書群は、多分、国務省十進法ファイル(861.00/5339)に集積されている。その中心的文書は、1918年11月13日付けで"ボルシェビキ主義とユダヤ主義"というタイトルの文書である。その本文はレポート形式であり、そこにはロシアにおけるその革命は"1916年2月に"企まれたということ、および"次の人物達と企業がこの破壊的な活動に従事したことが分かっている"と書かれている。
(1) ヤコブ・シッフ(Jacob Schiff) ユダヤ人
(2) Kuhn, Loeb & Company ユダヤ企業
経営陣: ヤコブ・シッフ(Jacob Schiff) ユダヤ人
フェリクス・ウォーブルグ(Felix Warburg) ユダヤ人
オットー・H・カーン(Otto H. Kahn) ユダヤ人
モルチマー・L・シッフ(Mortimer L. Schiff) ユダヤ人
ジェロム・J・ハナウアー(Jerome J. Hanauer) ユダヤ人
(3) グッゲンヘイム(Guggenheim) ユダヤ人
(4) マックス・ブレイタング(Max Breitung) ユダヤ人
(5) アイザック・セリグマン(Isaac Seligman) ユダヤ人
脚注
1 See Appendix 3 for Schiff's actual role.
p. 186
--------------------------------------------------------------------------------
そのレポートは、この集団によって、1917年4月にロシア革命が始められ企まれたことに疑いがないと確信するに至っている。
事実、ヤコブ・シッフは公式の声明を出しており、ロシア革命が成功裡に終わったのは彼の融資の影響力によるものであって、1917年春、ヤコブ・シッフはロシアにおける社会主義革命を成し遂げるためにユダヤ人トロツキーへの融資を開始した。
レポートは、マックス・ウォーブルグのトロツキーへの融資、レイニシュ-ウエストファリアン(Rheinish-Westphalian)シンジケートや、ジボトヴスキ(Jivotovsky)とNya Banken(ストックホルム)のオロフ・アシュベルグの役割についての他の種々雑多な情報を含んでいる。匿名の著者(現実には合衆国戦争貿易委員会によって雇われた人物)2は、これらの組織とその組織によるボルシェビキ革命への融資との間の繋がりは、どのように"ユダヤ人の億万長者とユダヤ人の労働者階級との間の繋がりが結ばれた"かを示していると述べている。レポートには、ユダヤ人であった多数のボルシェビキの氏名がリストされていて、ポール・ウォーブルグ、ジュダス・マグネス、Kuhn, Loeb & Company、およびSpeyer & Companyの行動について記されている。
レポートは"国際的ユダヤ民族"というトゲノある言葉で終わっていて、シオンのプロトコル(Protocols of Zion)からの引用で裏付けられたキリスト教-ユダヤ教対立(Christian-Jewish conflict)の状況に議論を置いている。これらの文書とともに取られたステップに関するワシントンの国務省とロンドンのアメリカ大使館の間で交わされた電信文のシリーズが、レポートとともに残されている。3
5399 大英帝国、TEL. 3253 i pm
1919年10月16日、機密ファイルにおいて
ライト(Wright)からウィンスロー(Winslow)への機密事項。ボルシェビキ主義とロシアのボルシェビキ革命への金融支援は、著名なアメリカのユダヤ人達、すなわちヤコブ・シッフ、フェリクス・ウォーブルグ、オットー・カーン、メンデル・シッフ、ジェローム・ハナウアー、マックス・ブレイタング、およびグッゲンヘイム一族の一人から。Document re- in possession of Brit. police authorities from French sources. Asks for any facts re-.
脚注
2 The anonymous author was a Russian employed by the U.S. War Trade Board. One of the three directors of the U.S. War Trade Board at this time was John Foster Dulles.
3 U.S. State Dept. Decimal File, 861.00/5399.
p. 187
--------------------------------------------------------------------------------
* * * * *
10月17日 大英帝国 TEL.6084、正午 r c-h 5399 極秘。ウィンスローからライトへ。著名なアメリカのユダヤ人からロシアのボルシェビキ革命への金融支援。証拠はないが、調査中(No proof re- but investigating)。少なくとも省による文書の受け取りまで出版を延期するように英国のその筋を説得するよう頼む。
* * * * *
11月28日 大英帝国 TEL. 6223 R 5 pro. 5399
ライト宛。著名なアメリカのユダヤ人によるボルシェビキへの金融支援に関する文書(Document re financial aid)。レポートは。アメリカ等におけるロシア人市民によって元々英語で書かれた声明書のフランス語訳と確認された。宣伝の栄誉を与えることは最も愚かなように思える
この資料を公表しないことで合意され、ファイルは"冷たい保管所の中に全体のものを我々が持っているように私は思う"と結論している。
"最重要機密"とマークされている別の文書が、この資料の束とともに含まれている。その文書の出自は不明であるが、多分FBIか軍諜報部であろう。それは、シオンの賢人会議のプロトコル(the Protocols of the Meetings of the Wise Men of Zion)の翻訳をレビューしたもので、次のように結論している。
この関係の中で、手紙がW氏に送られ、世界支配計画を企てている国際的ユダヤ人の様々な集団から英国のその筋が横取りした手紙を持っているという趣旨で、アメリカの大使館付き陸軍武官からのある情報に関しての我々からのメモが同封された。この資料のコピーは我々に非常に有益であろう。
この情報はどうやら拡散したようで、後の英国諜報部レポートはきっぱりとした非難をしている。
要約: ボルシェビズムがユダヤ人によって制御された国際的な運動であり、アメリカ、フランス、ロシア、およびイングランドの指導者達の間の連絡は一致団結した行為のようであったと見えるという明確な証拠がある。4
しかし、上記の言説はいずれも、強固な経験的証拠によって裏付けられえない。最も重大な情報は、英国のその筋が"世界支配計画を企てている国際的ユダヤ人の様々な集団から横取りした手紙"を所有しているという節に含まれている。もし、そのような手紙が実際に存在するならば、現在証拠立てられていない仮説、すなわちボルシェビキ革命および他の革命が世界中に及ぶユダヤ人の陰謀の仕業であるということを、それらの手紙は支持(or 非支持)することになるであろう。
脚注
4 Great Britain, Directorate of Intelligence, A Monthly Review of the Progress of Revolutionary Movements Abroad, no. 9, July 16, 1913 (861.99/5067).
p. 188
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更に、言説および主張が強固な証拠で裏付けられていなく、強固な証拠を明るみに出すための試みが出発点に戻る輪に引き込まれ、特に皆がその他皆の言葉を引用するとき、我々はそのストーリーを偽物として排除しなければならない。ユダヤ人が、ユダヤ教徒であったために、ボルシェビキ革命に関与したという具体的な証拠はない。確かにより高い比率のユダヤ人が関与してきたかも知れないが、ユダヤ人に対する皇帝の取扱を考えれば、他に何を我々は予期するであろうか? アメリカ革命において赤服の英国兵と戦った多くの英国人および英国起源の人々が多分居ただろう。それで、どうだと言うのだ。その事実がアメリカ革命を英国の陰謀とするであろうか? ユダヤ人がボルシェビキ革命において"非常に重要な役割"を演じたというウィンストン・チャーチルの言明は、曲解された証拠だけによって裏付けられている。ボルシェビキ革命に関与したユダヤ人のリストは、革命に関与した非ユダヤ人のリストに対して、重みが大きいに違いない。この科学的な方法が採用されるならば、革命に関与した外国人ユダヤ人ボルシェビキの比率は革命家全人数の20%未満になり、これらのユダヤ人は、革命後の数年以内に、国外追放されたり、殺されたり、シベリアに送られた。事実、近代のロシアは帝政の反ユダヤ風を維持してきている。
ボルシェビキ革命のための資金源としてしばしば引用される投資銀行家ヤコブ・シッフが本当はボルシェビキ体制の支援に反対していた5ということを、国務省ファイルにおける文書が確証しているということは重要である。今に分かるように、このポジションはモルガン-ロックフェラーのボルシェビキ振興と対照的である。
ユダヤ陰謀神話が押し付けられてきた粘り強さは、多分、本当の問題と本当の根拠から注意をそらすための巧妙な策略であったろうことを示唆している。本書で提示された証拠は、ユダヤ人であったニューヨークの銀行家達はボルシェビキ支援において相対的にマイナーな役割を演じ、非ユダヤ人のニューヨーク銀行家達(モルガン、ロックフェラー、トンプソン)が主要な役割を演じたということを示唆している。
本当の策士から注意をそらすための方法として、反ユダヤの中世的お化けによる方法以上のものはあるだろうか?
脚注
5 See Appendix 3.
p. 189
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/Appendix2.html
付録V
アメリカ合衆国と大英帝国の政府ファイルから選出した文書
注記:数件の文書(document)は関連するグループを形成する複数件の論文(papaer)からなる。
DOCUMENT NO. 1 ペトログラードのフランシス大使から合衆国国務省への電文、およびロバート・ランシング国務長官からウッドロー・ウィルソン大統領への関連する手紙(1917年3月17日)
DOCUMENT NO. 2 ケレンスキーがドイツ政府に雇われていて、ボルシェビキを支援していることを非難する英国外国事務所(British Foreign Office)文書 (October 1917年10月)
DOCUMENT NO. 3 Kuhn, Loeb & Companyのヤコブ・シッフ、およびケレンスキーとボルシェビキ体制における彼の立場 (1918年11月)
DOCUMENT NO. 4 ニューヨーク連邦準備銀行取締役ウィリアム・ボイス・トンプソンから英国首相デイビッド・ロイド・ジョージへのメモ (1917年12月)
DOCUMENT NO. 5 フェリックス・フランクフルター(Felix Frankfurter)からソビエトのエージェントであるサンテリ・ヌオルテヴァ(Santeri Nuorteva)への手紙 (May 9, 1918年5月9日)
DOCUMENT NO. 6 1920年ニューヨークのソビエト支局の全職員; ニューヨーク州ラスク(Lusk)委員会ファイルからのリスト
p. 191
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DOCUMENT NO. 7 ルドウィグ・マルテンスおよびジュリアス・ハマー博士に関する、National City Bankから合衆国財務省への手紙(1919年4月15日)
DOCUMENT NO. 8 ソビエトのエージェントであるウィリアム(ビル)・ボブロフからケネス・ヅラントへの手紙(1920年8月3日)
DOCUMENT NO. 9 J.P.モルガン商会のメンバーおよび英国のプロパガンダの指揮者ノースクリフェ卿に関するメモ(1918年4月13日)
DOCUMENT NO. 10 General Electric Co.に関する国務省メモ(1922年5月29日)
DOCUMENT NO. 1
ペトログラードのフランシス大使からワシントンD.C.の合衆国国務省への1917年3月14日付け電文で、ロシア革命の第一ステージについての報告(861.00/273)
ペトログラード
1917年3月14日付け
15日午前2時30分の記録
国務長官、
ワシントン
1287. 11日以後、電文を遅れなかった。革命家達はペトログラードを完全に掌握し、秩序を維持するために精力的な努力をしていて、それは稀な例外を除いて成功している。3月11日に受け取った9日付けの貴殿からの電文1251以降、新たな電文は届いていない。暫定政府がドウマ(the Douma)の権威の下に組織され、皇帝の散会命令に従うことを拒絶している。ドウマの大統領ロドジアンコ(Rodzianko)は彼自身の署名の入った命令書を発行している。閣僚達は辞職したと報告している。見つけられた大臣達はドウムの前に捕らえられていて、多くのロシア人公務員および他の高級官僚もそうである。ペトログラードに派遣された連隊は、全員ではないにしろ到着後に革命家の仲間になったならば、ほとんど。アメリカ人居住地は安全である。アメリカ市民に負傷者が出たとの情報はない。
フランシス、
アメリカ大使
上記電文を受け取るや否や、国務長官ロバート・ランシングはその内容がウィルソン大統領に伝わるよう計らった。(861.00/273):
p. 192
--------------------------------------------------------------------------------
私信・親展
親愛なる大統領閣下
ペトログラードから届いたばかりの非常に重要な電文と、今朝のNew York WORLDからの切抜きを同封致します。その切抜きには、イタリア内閣における無任所大臣シグノール・シアロイア(Signor Scialoia)の声明文が載っていて、フランシス氏のレポートの見地で意義深いものです。私自身の印象は、連合国はこの問題について知っていて、王室関係者は戦争期間中密かに親ドイツであったので、革命家達にたぶん好意的であるということです。
敬具
ロバート・ランシング
同封物:
大統領
ホワイトハウス
コメント
ランシング-ウィルソン間の手紙における意義深い言葉は、"私自身の印象は、連合国はこの問題について知っていて、王室関係者は・・・であったので、革命家達にたぶん好意的であるということです"である。ニューヨークのWestinghouseおよびCrane Co所属で、ウィルソン大統領のアドバイザーであるチャールズ・R・クレインがこの最初の革命に関与していたと、ドッド大使が非難していたことが思い出されるであろう(第二章)。
DOCUMENT NO. 2
大英帝国外国事務所ファイル FO 371/2999(戦争―ロシア)、1917年10月23日、ファイルno.3743
DOCUMENT
私信・極秘
心配な噂があちこちから我々に届いている。ケレンスキーはドイツに雇われていて、彼および彼の政府はロシアを弱め、解体しようと全力を尽くしていて、それは単独講和以外の他の手段が可能にならないような状況に到達させんがためであるという噂である。そのようなほのめかしに何らかの根拠があって、効果的な行為を控えることによってその政府は意図的にボルシェビキ分子がより強くなることを許していると、貴殿はお考えになるでしょうか?
p. 193
--------------------------------------------------------------------------------
万一、それが贈収賄の問題ならば、楽しい話ではないですが、それがどのように、またどのエージェントを通して為され得たかどうかを成功裡に競うことができるかも知れません。
コメント
ケレンスキーがドイツに雇われていたという情報に言及している。
DOCUMENT NO. 3
4つの部分から成っている。
(a) 1917年4月27日、ペトログラードのフランシス大使からワシントンD.C.への電文で、著名なロシア
のユダヤ人銀行家から著名なニューヨークのユダヤ人銀行家へのメッセージの伝達と、ケレンスキーの自由債券(Kerensky Liberty Loan)への彼らの応募を要求している。(861.51/139)
(b) アメリカのユダヤ人を代表するルイス・マーシャルからの返事(1917年5月10日):彼はアメリカの自由債券(American Liberty Loan)への支援を表明する一方、招待を辞退した。(861.51/143)
(c) Kuhn, Loebのヤコブ・シッフから国務省(ポーク氏)への手紙で、ボルシェビキに敵対して("なぜならば、ボルシェビキ政府はロシアの人々を代表していない")の連合国支援を求める、ロシアのユダヤ人銀行家カメンカからのメッセージを取り継いでいる。
(d) ヤコブ・シッフが取り継いだ、カメンカからの電文
DOCUMENTS
(a) 国務長官
ワシントン
1229、27番
次の述べることを、ヤコブ・シッフ、ブランディーズ(Brandies[原文のまま])判事、ゴッテイル教授、オスカー・ストラウス(Oscar Strauss[原文のまま])、ワイズ先生(Rabbi Wise)、ルイス・マーシャル、およびモルゲンソウ(Morgenthau)に申し渡してください。
『我々ロシアのユダヤ人は、ロシアの解放は我々の解放も意味すると常に信じていた。国に深く献身して、我々は暗黙の信頼を暫定政府に置いた。ロシアの無制限の経済力、その計り知れない天然資源、および我々が獲得した解放によって、我々は国の発展に参画できるであろうということを、我々は知っている。我々連合軍と合衆国の支援のお蔭で、戦争の勝利での終結は近いと我々は固く信じている。
p. 194
--------------------------------------------------------------------------------
暫定政府は新しい自由公債(public loan of freedom)を発行しているが、戦争と平和のために必須のその債券を支援することは我々の国家的義務と我々は感じている。ロシアは公的債権の不動の力を持っていて、11件の必要な金融負担を容易に担うであろうと我々は確信している。我々は融資を支援するためのロシアのユダヤ人の特別な委員会を作ったが、その委員会は金融および産業貿易の仲間や指導的な公務員の代表者から成っている。
我々はあなたにこの文書で知らせて、海を越えた我々の同胞にロシアの自由 ―人道であり世界の文明化でもある― を支援することを要望する。我々はあなたにそこで特別な委員会を作ることを示唆する。また、自由債権の成功を支援するためにユダヤ人の委員会に対して実施する手筈について知らせてください。 ボリス・カメンカ委員長、アレクサンダー・グンズブルグ男爵、ヘンリー・シロスベルグ』
フランシス
* * * * *
(b) 親愛なる長官殿:
あなたが最近我々に連絡したペトログラードのグンズベルグ男爵、モルゲンタウ氏、シロスベルグ氏の電文の要求に応じて、あなたが御親切に、ロシアの自由債権への応募を求めることが得策であることに関して、モルゲンタウ氏、ストラウス氏、および私自身に与えたインタビューの結果を我々の仲間に報告した後、我々はあなたの助言に厳密に従って行動することを結論した。数日前、我々はペトログラードの友人に対して彼らの支援要求への迅速な返答を約束した。それ故、もし御許可頂けるならばであるが、次の電文を転送して頂けると有り難い。
『ボリス・カメンカ
Don Azov銀行、ペトログラード.
我々が相談した我が国の国務省は、いかなる外国債についても公的な応募を保障することに対する如何なる現在の試みも勧められないと考えている。アメリカの戦時国債の成功にすべての努力を集中することが不可欠で、それによって、我が政府は連合国にそうでない場合よりも低い利率で資金を供給することが可能だと考えている。それ故、ロシアの運動を最も効果的に助けるための我々のエネルギーは、アメリカの自由債権への応募を奨励することに必ず向けられなければならない。シッフ、マーシャル、ストラウス、モルゲンタウ、ワイズ、ゴンヘイル』
勿論のことであるが、あなたには、この示唆する内容の電文の言葉遣いを、あなたが適切だと思うように変更する自由がある。また、我々に寄せられた要求に直接我々が返答できないのは、我々の活動を最も効果的にするための切望によるものだということが分かるような変更として頂きたい。
p. 195
--------------------------------------------------------------------------------
転送された電文のコピーをその費用のメモと一緒に私に送って頂けませんか? そうすることで、国務省は迅速に払い戻しを受けられるでしょう。
敬意を込めて
敬具
[署名] ルイス・マーシャル
国務長官
ワシントン D.C.
* * * * *
(c) 親愛なるポーク殿:
今朝受け取った電文のコピーを貴方に送ることをお許し下さい。そして、そのコピーは秩序を守るため国務長官または貴方自身が見るべきものだと私は考えます。そのように考慮して、これをお送りするのが適切と考えられます。
この電文の送信者カメンカ氏はロシアの指導者の一人であり、ルボフ(Lvoff)王子政府とケレンスキー政府の両方の金融アドバイザーだと私は知らされています。彼は、ロシアの最も重要な金融機関の一つである、ペトログラードの Banque de Commerce de l'Azov Don の会長でしたけれども、レーニンと彼の"共産党員"の出現によってロシアを去らねばならなかったようです。
この機会に、貴方およびポーク夫人に衷心からの挨拶の言葉を送らせて下さい。貴方が現在再び完璧な体型となり、ポーク夫人と子供達が健康であることを切望するものであることを述べさせて下さい。
敬具
[署名] ヤコブ・H・シッフ
フランク・L・ポーク閣下
国務省顧問
ワシントンD.C.
MM-Encl.
[1918年11月25日付け]
* * * * *
p. 196
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(d) 訳文
自由と権利の完全なる勝利の結果、気高いアメリカ国民に対する私の心からの賞賛を貴方に繰り返す新しい機会を私は得ている。秩序を再構築するにおいてロシアを助けるべく連合軍に関して新しい迅速な前進を取り計らって頂くことを望む。ボルシェビキの荒廃を避けるために、彼らの撤退の正にその瞬間に、ウクライナにおいて敵軍に取って代わることが緊急に必要であることにも貴方の注意を向けて下さい。連合軍の友好的な介入は何処ででも熱狂的に歓迎されるでしょうし、民主的な行為と看做されるでしょう。なぜならば、ボルシェビキ政府はロシア人民を代表していないからです。貴方宛に9月19日に書きました。誠心誠意を込めて。
[署名] カメンカ
コメント
これは、ボルシェビキ革命の後ろにユダヤ人銀行家の陰謀物語を反駁しているので、重要なシリーズである。明らかに、Kuhn,Loebのヤコブ・シッフはケレンスキーの自由公債を支援することに関心がなく、ボルシェビキに逆らっての連合軍の介入を求めるカメンカの希望に国務省の注意を引くという骨折りをしていた。明らかに、シッフとその銀行家仲間カメンカは、J.P.モルガンやジョン・D・ロックフェラーと違って、ロシア皇帝についてもそうであったようにボルシェビキも歓迎していなかった。
DOCUMENT NO. 4
説明
ウィリアム・ボイス・トンプソン(ニューヨーク連邦準備銀行取締役)からロイド・ジョージ(大英帝国首相)へのメモ、1917年12月
DOCUMENT
FIRST
ロシアの情勢は敗北であり、もし連合軍が政策の急進的な逆転に直ちに着手しないならば、ロシアはドイツの無競争の開拓に晒される。
SECOND
近視眼的外交のため、連合軍は、革命以後、有益なことを何も為して来なかったし、彼らの利害にとって相当な不都合を為して来た。
p. 197
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THIRD
ペトログラードの連合軍代表者達は、民主主義を得たいというロシア人民の気持ちへの共感が不足している。我々の代表者達は最初、ロシア皇帝体制と公式に結び付いていた。彼らがその環境に染まってしまっているのは当然だ。
FOURTH
一方、同時に、ドイツ人達は、政府を破壊すること、軍隊を台無しにすること、および貿易と産業を破壊することにおいて、彼らを相当助成するプロパガンダを疑いなく行ってきている。もし、これが無競争で続くようならば、連合軍の意図に反して、ドイツによってこの大国が完全に開拓される結果になるかも知れない。
FIFTH
私の意見は、外部および内部の公的なサークルについて注意深く詳細に研究した結果に基づくもので、その研究は、1917年8月7日から11月29日の間、ペトログラードに私が滞在中に行ったものである。
SIXTH
"ロシア駐留の連合軍の状況改善のために何が為され得るか"?
英国およびアメリカの外交官は、精神的に民主主義者であり、民主主義的共感を支持できる者に替えられるべきである。
ペトログラードの本部に強力な非公式の委員会を創設して、表立ってではなく陰において、いわば、政策に関して連合軍の外交官、領事館員、および武官によって承認・承諾されるべき影響を行使すべきである。そのような委員会は、広い自由裁量の権限を委託することが可能なように、人事構成されるべきである。それは恐らく様々なチャンネルにおいて機能するであろう。その性質は仕事が進むにつれて明らかになるであろう。その委員会は、今後起きるであろう全ての新しい事態に対処することを狙ったものである。
p. 198
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SEVENTH
この新しい連合国委員会のスコープを完璧に定義することは、現状では全く不可能である。私が始めて、今はレイモンド・ロビンスが引き継いでいる仕事に関して一言述べることによって、それが可能とする便利さおよびサービスを多分より良く理解して貰えるであろう。ロビンスはブチャン大佐として有名で評判の良い人物で、仕事は将来間違いなく幾分変更され、新しい状況に対応できるように追加されねばならないであろう。私の仕事は、革命の祖母ブレシュコブスキー(Breshkovsky)夫人によって支援されたロシア"市民教育委員会"を通して主に為されて来た。彼女は、当時の首相ケレンスキー(今ではロンドン在住)の私設秘書デービッド・ソスキス博士、ある時期の農業協同組合議長ニコラス・バシル・チャイコフスキー、およびその他の有力な革命家達 ―公務員および資産家階級の極"右"と、社会主義政党の最も急進的な分子を具象化する極"左"の間のような民主主義の救済分子からなる革命家達― によって支援されていた。この委員会の目的は、ブレシュコブスキー夫人からウィルソン大統領への電文メッセージで述べられているように、次の引用文から推測され得る。"ロシアを秩序ある民主主義国家にするためには広範囲の教育が必要である。我々はこの教育を、駐留地の兵士、工場の作業員、村の農民に授けることを計画している。" この仕事を助ける人々は、大衆は何世紀もの間、保護ではなく抑圧を与えてきた専制政治に虐げられてきたということや、ロシアにおける民主的な政府形態はドイツ軍を打ち負かして、ドイツの専制政治を打倒することによってのみ維持されるということを悟った。大きな政府責任の準備が出来ておらず、教育が行き届いておらず、職業訓練も未熟な自由ロシアが、ドア一枚隔てただけの隣人であるドイツ帝国と長期間共存できると期待され得ただろうか? 明らかに無理だ。民主国家ロシアは、たちどころに世界が知るところの最大の戦利品になってしまうであろう。
委員会は、ロシア軍の各連隊の中に兵士クラブという形で教育センターを設置することを計画した。これらのクラブは出来るだけ迅速に組織され、兵士に演説するための講師が雇われた。講師は現実に教師であり、ロシア兵の90%が読み書き出来ないということを想起すべきである。ボルシェビキ暴動の時、これらの演説者の多くは、現場で素晴らしい感銘を与え、秀でた結果を得た。モスクワ市だけでも250人居た。委員会はこれらの講師を5,000人以上にすることを目論んでいた。我々は、最も簡単な様式の印刷物であるところの"A B C"クラスの多数の新聞を出版し、約100件以上援助していた。これらの新聞は、労働者や農民の家庭の中へ、愛国心、協調、および対等についてのアピールを運んだ。
p. 199
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最後のケレンスキー政府が転覆したあと、我々はボルシェビキ文献拡散のために大いに支援した。すなわち、それを工作員を通して配布したり、航空機を使ってドイツ軍に空からまいた。もし、提案することが許されるならば、この同じボルシェビキ文献を西部戦線とイタリア戦線を横断してドイツとオーストリアに送ることが望ましくないかどうかを熟考すべきであろう。
EIGHTH
ペトログラードの少数の連合軍の存在は、11月におけるケレンスキー政府の転覆を防ぐために確かに大いに貢献したであろう。全ての英国およびフランス政府の被雇用者がペトログラードに集中している現在の状況が続くかどうか、また、相当に有力な軍隊として編成されるべき必要性が生じるかどうかを熟考して頂く様に提案したい。ロシア軍に少額の金銭を払うことさえ得策かも知れない。また、ロシアにおいて召集されたボランティアの大集団がいて、彼らの多くは"中心"階級の知識人であり、これらの人々は現場で素晴らしい仕事をしてきた。彼らは適切に支援されるべきだろう。
NINTH
もし、貴方が更なるプログラムを求めるならば、私は今それを与えることが不可能だと言うべきである。聡明で勇敢な働きによって、ドイツがそれ自身への場を占めることをこれから先もまだ防ぎ、そうして連合国の出費でロシアを開拓するのを防ぐであろうと、私は信じている。このサービスが報われ得て、その働きが進行するにつれて明らかになるであろう多くの手段があるであろう。
コメント
このメモに従って、英国の戦時内閣はその政策を熱意に欠ける親ボルシェビキ主義に変えた。トンプソンが彼の工作員を使ってボルシェビキ文献を拡散したことを認めていることに留意のこと。トンプソンがロシアを去った日付(この文書で彼は11月29日と述べている)についての混乱は、フーバー研究所のピルニー論文によって解決されている。旅行計画に何度も変更があり、12月上旬にトンプソンはまだロシアにいた。そのメモは多分、11月末にペトログラードにおいて書かれたものである。
p. 200
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DOCUMENT NO. 5
説明
フェリックス・フランクフルター(当時、戦争局長官の特別顧問)から、合衆国のボルシェビキのエージェントサンテリ・ヌオルテバ(アレキサンダー・ニベルグの別名)への1918年5月9日付けの手紙。ニューヨークのルスク委員会ファイルにおいて、文書No.1544としてリストされている。:
DOCUMENT
戦争局
ワシントン
1918年5月9日
親愛なる Nhorteva [原文のまま]殿:
4日の手紙、有難う御座いました。我々の会話が純粋に友情のこもったもので、全面的に非公式な性質のものであることを貴方が理解するであろうと思っていた。また、貴方のシロラ* の手紙を訂正するために貴方がとった迅速なステップに感謝している。貴方が提示した質問における私の関心を減少させるものは何も明るみに出ていないということは全面的に確かである。 完全に反対のこと。私は、貴方が進めている配慮、および説いている観点に非常に興味がある。(I am much interested in** the considerations you are advancing and for the point of view you are urging.) 争われている問題は全世界に対して大きな意味を持つ関心事である。(The issues*** at stake are the interests that mean much for the whole world.) それらに適切に対応するため、我々が手に入れることができる可能性のある全ての知識と知恵が必要である。(To meet them adequately we need all the knowledge and wisdom we can possibly get****.)
敬具
フェリックス・フランクフルター
サンテリ・ヌオルテバ殿
* Yrjo Sirola was a Bolshevik and commissar in Finland.
** Original text, "continually grateful to you for."
*** Original text, "interests."
**** Original text added "these days."
コメント
フランクフルターによるこの手紙は、合衆国在住ボルシェビキのエージェントであるヌオルテバ/ニベルグ宛に書かれたものである。その当時、フランクフルターは戦時局長官の特別顧問として、公式な地位に就いていた。ニベルグがフランクフルターの指示に従って人民委員"シロラ"への手紙を変えることを厭わなかったのは明らかである。 ルスク委員会は、フランクフルターによる変更を含むオリジナルのフランクフルターの草稿を入手したが、ニベルグが受け取った手紙についてはそうではなかった。
p. 201
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DOCUMENT NO. 6
1920年におけるソビエト支局(SOVIET BUREAU)
地位 名前 国籍 生まれ 前職
Representative of USSR Ludwig C.A.K. MARTENS German Russia V-P of Weinberg & Posner Engineering (120 Broadway)
Office manager Gregory WEINSTEIN Russian Russia Journalist
Secretary Santeri NUORTEVA Finnish Russia Journalist
Assistant secretary Kenneth DURANT U.S. U.S. (1) U.S. Committee on Public Information
(2) Former aide to Colonel House
Private secre tary to NUORTEVA Dorothy KEEN U.S. U.S. High school
Translator Mary MODELL Russian Russia School in Russia
File clerk Alexander COLEMAN U.S. U.S. High school
Telephone clerk Blanche ABUSHEVITZ Russian Russia High school
Office attendant Nestor KUNTZEVICH Russian Russia —
Military expert Lt. Col. Boris Tagueeff Roustam BEK Russian Russia Military critic on Daily Express (London)
Commercial Department
Director A. HELLER Russian U.S. International Oxy gen Company
Secretary Ella TUCH Russian U.S. U.S. firms
Clerk Rose HOLLAND U.S. U.S. Gary School League
Clerk Henrietta MEEROWICH Russian Russia Social worker
Clerk Rose BYERS Russian Russia School
Statistician Vladimir OLCHOVSKY Russian Russia Russian Army
Information Department
Director Evans CLARK U.S. U.S. Princeton University
Clerk Nora G. SMITHMAN U.S. U.S. Ford Peace Expedition
Steno Etta FOX U.S. U.S. War Trade Board
—
Wilfred R. HUMPHRIES U.K. —
American Red Cross
Technical Dept.
Director Arthur ADAMS Russian U.S. —
Educational Dept.
Director William MALISSOFF Russian U.S. Columbia University
Medical Dept.
Director Leo A. HUEBSCH Russian U.S. Medical doctor
D. H. DUBROWSKY Russian U.S. Medical doctor
Legal Dept.
Director Morris HILLQUIT Lithuanian —
—
Counsel retained:
Charles RECHT
Dudley Field MALONE
George Cordon BATTLE
Dept. of Economics & Statistics
Director Isaac A. HOURWICH Russian U.S. U.S. Bureau of Census
Eva JOFFE Russian U.S. National Child
Labor Commission
Steno Elizabeth GOLDSTEIN Russian U.S. Student
Editorial Staff of Soviet Russia
Managing editor Jacob w. HARTMANN U.S. U.S. College of City
of New York
Steno Ray TROTSKY Russian Russia Student
Translator Theodnre BRESLAUER Russian Russia —
Clerk Vastly IVANOFF Russian Russia —
Clerk David OLDFIELD Russian Russia —
Translator J. BLANKSTEIN Russian Russia —
情報源:
U.S., House, Conditions in Russia (Committee on Foreign Affairs), 66th Cong., 3rd sess. (Washington, D.C., 1921).
See also British list in U.S. State Department Decimal File, 316-22-656, which also has the name of Julius Hammer.
p. 202
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DOCUMENT NO. 7
説明
The National City Bank of New York
New York, 1919年4月15日
ジョエル・ラスボーン閣下
財務省副長官
Washington, D.C.
親愛なるラスボーン殿:
今朝、書留郵便でL.マルテンス氏から我々が受け取った2通の文書の写真を、ここに同封して貴方にお渡ししたい。マルテンス氏はロシアの社会主義者連邦ソビエト共和国の合衆国における代理人であると主張していて、ジュリアス・ハマー博士によって財務部の部長代理だと証言されている人物である。
p. 203
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これらの文書から、貴方は以下のことが分かるでしょう。合衆国におけるロシア大使らしいボリス・バクメテッフ氏の名前の下、あるいは、ボリス・バクメテッフ氏に従属するロシア政府のために活動するということになっている個人、委員会、または使節団の名前の下、あるいはまた直接に我々に託された、あらゆる且つ全ての資金に対して我々が埋め合わせをされるべき差し迫った必要性がある。.
この問題に関して何らかの助言や教示をして頂けると非常に有り難いです。
敬具
[署名] J. H. カーター
副会長
JHC:M
同封物
コメント
この手紙の重要性は、ハマー家のソビエトとの長期に亘る(1917-1974)付き合いに関連している。
DOCUMENT NO. 8
説明
ソビエトの配達人"ビル"・ボブロッフからハウス大佐の元補佐官ケネス・ヅラントへ宛てた1920年8月3日付けの手紙。合衆国司法省によってボブロッフから押収された。
DOCUMENT
司法省
調査局
15 パーク・ロー, ニューヨーク市, N. Y.,
1920年8月10日
調査局長
合衆国司法省, ワシントン, D.C.
拝啓:本日のRuch氏との電話での会話を確認するため、蒸気船フレデリック8世号に乗船していたB.L.ボブロッフの所持品から押収したオリジナルの文書をこれに同封してお送りします。
p. 204
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ケネス・ヅラント氏宛でビルが署名している1920年8月3日付けの手紙、1920年7月1日の"プラウダ"からのトロツキが署名している翻訳文、および電報のコピーが、ペンシルバニア州フィラデルフィア、南19番街228番地のケネス・ヅラント氏宛の青い封筒内に見つけられた。この青い封筒は、同封した白い封筒内で更に封されていた。
ボブロッフ氏の所持品のほとんどは、ロシアの港への様々な品物などの輸送に関する機械類カタログ、仕様書、および手紙から成っていた。ボブロッフ氏はデービス職員および税関によって念入りに尋問されたが、これと同じ物の詳細レポートがワシントンに送られるであろう。
敬具
G. F. ラム(Lamb)
部門管理者
ケネス・ヅラントへの手紙
親愛なるケネス: 最も喜ばしい手紙を有難う。私は孤立させられ、最近の体験によって鋭く強調されてきた感情に閉じ込められているように強く感じていた。支局に対して異なった態度を強いることができないことや、 なんとかして貴方への資金を手に入れることができないことで意気消沈していた。先週したように、電信で貴方に5千ドル送金したのは、すまないという気持ちでの単なるジョークである。最近それについて電報したことであるが、アメリカで金を売るという提案は、間も無く実行可能だと分かることと思う。現在の市場価格では51.44セントであるが、最低45セントで5百万ルーブルを貴方は売ることができるかを尋ねるため、昨日電報した。それは少なくとも222万5千ドルの純益になるであろう。Lが現在必要とするのは、アメリカからバルドー(Vardoe)、マーマンスク(Murmansk)、およびアーケインジェル(Archangel)への石炭輸送費支払いの第一回目として、クリスチアニア(Christiania)のNiels Juul & Co.へ払うための2百万ドルである。最初の船はバルドーに近付いていて、2番目は7月28日頃にニューヨークを出発した。概して云えば、Niels Juul & Co.あるいはむしろクリスチアニアのNorges' Bankは、彼らおよび我々の口座に我々のものである1千百万ドルのルーブル金貨を持っている。そのルーブル金貨は、我々の石炭の注文および必要な船舶のトン税に対する補償として、彼らが彼ら自身でリーバル(Reval)からクリスチアニアに持ち出したものである。しかし、この金の購入に対して彼らが今までに得ることができたレートは非常に安く、一番高いレートでもkg当り575ドルである。アメリカ造幣局または財務省のレートは644.42ドルであるにも関わらずである。多額の取引量であることを考慮するならば、このまま大損することは恥辱であろう。貴方がこれを受けるよりはむしろ売却を達成することができるであろうと思う。同時にそのようにすることで、支局のために百万ドルの1/4またはそれ以上を稼ぐことができると思う。もし、我々がクリスチアニアにおいてその2百万ドルを何らかの方法で払うことが出来ないならば、それは4日前に払われるべきであって非常に短い時間以内であるが、Niels Juul & Co.は我々の金を売る権利を持つでしょう。彼らはその時点での最良の価格を持っているが、上述のように極めて安い。
p. 205
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我々はカナダ人の交渉がどのように進んでいるのかまだ知らない。N.の拘束が切迫しているように思われた時、ヌオルテヴァ(Nuorteva)がショーエン(Shoen)への付帯条件をひっくり返したと我々は理解している。 これを書いている時点でヌオルテヴァがどこにいるか分からない。デンマークのEsbjergからイングランドへ彼が強制送還されたあと、バシル・トムソン卿が彼をリーバル(Reval)行きの蒸気船に乗船させたと推定しているが、 彼がそこに到着したという知らせをまだ聞いていない。そして、我々はゴウコブスキー(Goukovski)またはN.自身から、きっと便りがあるであろうと思っている。 ハンフリーズ(Humphries)はEsbjergでヌオルテヴァに会ったが、そのため彼自身、デンマーク警察と面倒なことになっている。彼のすべてのコネクションが綿密に調べられている。彼はパスポートを取り上げられている。彼は2度尋問されている。もし、国外追放を免れたならばラッキーであるように思える。ヌオルテヴァがここから300マイル離れたEsbjergに到着したのは2週間前であったけれども、デンマークのビザを持っていなかったので、デンマークの官憲は彼の上陸を許さず、彼は翌日の8時に出港予定の蒸気船に移された。200クローネの預託金を払って、彼は2〜3時間、海岸を離れるのを許された。コペンハーゲンへ長距離電話をしたかったが、実質的に所持金が無かったので、彼は彼の金時計を25クローネでもう一度質入れし、その後直ぐにハンフリーズと連絡を取った。ハンフリーズは半時間以内に夜汽車に飛び乗り、その夜は床で寝て、7時30分にEsbjergに到着した。ハンフリーズはヌオルテヴァを見つけ、船長の乗船許可を得て20分N.と話したが、その後、下船しなければならず、船は出港した。その後、ハンフリーズは、その事と次第を観察していた私服の二人によって、警察事務所に導かれた。彼は厳しく尋問され、住所を訊かれたあと釈放され、その夜、コペンハーゲン行きの汽車に乗った。彼は、Daily HeraldのEwer、ショーエン(Shoen)、およびNew Bond128番地のKliskhoに電報を送って、彼らにヌオルテヴァの船を出迎えるように要請した。その結果、N.は再び神隠しに遭うことがなかったけれども、何が起こったのかまだ我々には分からない。英国政府は彼をフィンランドに送るという意図を持っていたことを強く否定した。もし彼に何かあったならば、モスクワは報復を臭わせている。暫くしてからH.の取調べが始まった。彼がホテルに滞在中に警察が来て、本部への同行を求められた(しかし、逮捕されたのではない)。そして、彼の裁判は法務大臣預かりになっていると、我々は理解している。最後の結末がどうであろうとも、ハンフリーズは彼に示される合理的な礼儀正しさについて意見を述べ、それはアメリカにおける赤軍の襲撃の残忍さと対比されるであろう。
p. 206
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刑事本部において、彼らは彼の出した手紙や電報のいくらかについて知っているのを、彼は知った。
トベンケン(Tobenken)のもの―貴方はリトヴィノフ(Litvinoff)のものについては触れていない―についてのカラシン(Krassin)のインタビューについての貴方の好意的なコメントに私は興味があった。なぜならば、私はトベンケンのための機会を得るためにL.と悪魔のように闘わなければならなかったからである。アーサー・ルール(Arthur Ruhl)もそうしたように、T.を通じてヌオルテヴァからの手紙と一緒に到着し、L.はロシアに行きたいというT.の申し込みを1分間以内に断って、同じ証明書で二人の特派員がロシア入りすることは不可能だという彼の話を聞く時間を取ろうとしなかった。昨年の夏にL.がルールにした約束が主な理由で、彼はルールにビザを与え、ルールはリーバルに去り、そこでL.が電報してモスクワに求めた許可が下りるのを待った。彼の拒絶のためにナーバスになり、ほとんど落胆し切ったトベンケンはここに留まった。私は即断でなされた判断のミスを悟り、それを変更する作業を開始した。長い話であるが手短に言うと、私はL.からゴウコブスキー(Goukovsky)へ宛てた手紙とともに彼をリーバルに連れて行った。暫くして、L.のビザがあったにもかかわらず、モスクワはルールを拒絶した。L.は彼のビザに対する侮辱に対してかんかんに怒って、敬意を払うべきだと主張した。そういうことで、ルールは立ち去る準備をした。突然、その許可を破棄するという通達がモスクワからルールとリトヴィノフに届いたが、ルールが国務省に雇用されているという情報がモスクワに入ったからということであった。これを書いている現時点で、トベンケンもルールもリーバルに居て足止めされている。
私は今朝L.に船が明日出港すること、および配達人Bが使えることを告げ、マルテンスに書き送るべきことがないかを尋ね、彼のために速記することを申し出たが、答えはノーであった。私がマルテンスに我々の最近の電報のコピーを多分送るであろうことについて書くべきことはないと彼は言った。
カメネッフ(Kameneff)はロンドンへの途上、英国の駆逐艦に乗ってここを通り過ぎたが、ここには全く立ち寄らず、クラシン(Krassin)はストックホルムから直行した。連合軍とポーランドの交渉や一般的な情勢について、我々がここで知っている程度、貴方は知っている。イタリア人達とのL.の交渉は、最終的に相互の代表者を確立する結果になった。 我々の代表者ボロブスキー(Vorovsky)は既にイタリアに行っていて、彼らの代表者M.グラヴィナ(Gravina)はロシアへの途上にある。我々はオデッサからイタリアに向けてロシアの小麦を船2隻分送ったところである。
貴方のサークルの中で私が知っている人々に宜しくお伝え下さい。御多幸をお祈りします。
敬具
ビル(Bill)
p. 207
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貴方が送った一束の手紙 ―5 Cranbourne Road, Charlton cum Hardy, Manchester― はまだ届いていない。
M.がカナダへの移動を求めたので、Lのモスクワへの推奨は、M.がそこへ任命されるべきということ、および直接彼自身が近付きになるためモスクワに数週間滞在したあと、アメリカへの代理人に任命されるべきだということである。
Lは、支局が余りにも簡単にビザや推薦状を出すことに対して大いに批判的である。M.がB.に与えた手紙を頼みにしてモスクワにおいて手に入れた契約書とともにB.がここに到着したとき、彼は明らかに驚き激怒した。M.からのその後のメッセージがモスクワに届かなかったのは明白である。L.がそれについて何を計画していたのかは、私には分からない。 この問題において、M.が彼の忠告をL.に暗号での電報を送るように、私は示唆したい。L.はここでB.と関係はないであろう。注意を要する状況が生まれているのかも知れない。
L.はラビノフ(Rabinoff)の忠告も例に挙げた。
二通の封筒, Mr. Kenneth Durant, 228 South Nineteenth Street, Philadelphia, Pa., U.S.A.
情報源: U.S. State Department Decimal File, 316-119-458/64.
注釈: 個人の身元
William (Bill) L. BOBROFF ソビエトの運び屋で工作員。ミルウォーキーのBobroff Foreign Trading and Engineering会社を経営。 ミルウォーキー議会に使われている投票システムを発明。
Kenneth DURANT ハウス大佐の補佐官; 本文参照
SHOEN 著名な金融家で共産主義者のヘラーが所有するInternational Oxygen Co.の被雇用者
EWER ソビエトの工作員で、London Daily Heraldのレポーター
KLISHKO スカンジナビア滞在のソビエト工作員
NUORTEVA アレクサンダー・ニベルグとしても知られ、合衆国における初代のソビエト代理人; 本文参照
Sir Basil THOMPSON 英国諜報部のチーフ
"L" リトヴィノフ(LITVINOFF)
"H" マルテンス、リトヴィノフと親交のあったウィルフレッド・ハンフリーズ(Wilfred Humphries)で、ロシアにおける赤十字のメンバー
KRASSIN 貿易労働部門のボルシェビキ人民委員で、ロシアにおけるSiemens-Schukertの元社長
p. 208
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コメント
この手紙は、ボブロフ(Bobroff)とヅラント(Durant)との間の緊密な繋がりを暗示している。
DOCUMENT NO. 9
説明
ダヴィソン(モルガンのパートナー)からトーマス・タチャー(モルガン一族と親交のあったウォール街の弁護士)への要求に関するもので、ヅウィト・モロウ(モルガンのパートナー)に渡された、1918年4月13日付けのメモ。
DOCUMENT
バークレイ・ホテル(Berkeley Hotel)、ロンドン
April 13th, 1918年4月13日
ウォルター・H・ページ閣下(Hon. Walter H. Page)
イングランド駐在アメリカ大使
ロンドン
拝啓:
数日前、私はアメリカ赤十字社の戦争協議会会長であるH.P.ダヴィソン氏からの要請を受けた。ロシアの状況に関してノースクリフェ(Northcliffe)卿と協議してから、他の会議のためにパリに進むようにとの要請であった。ノースクリフェ卿が病気のため、私は彼と協議できなかったけれども、私はバークレイ・ホテルに今滞在していているヅウィト・W・モロウ氏と一緒に来ていて、ロンドンへの帰還に関してモロウ氏がノースクリフェ卿に提出しようとしていたロシア状況に関するメモを残しておこうとしている。
貴方および国務省にお知らせするために、そのメモのコピーを同封する。
敬具
[署名] トーマス・D・タチャー
p. 209
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コメント
ノースクリフェ卿は、プロパガンダのリーダに任命されたばかりだった。ウィリアム・B・トンプソンがボルシェビキのプロパガンダを支援していたことや、モルガン-ロックフェラー財閥との彼の繋がりという観点で、これは興味深い。
DOCUMENT NO. 10
説明
この文書は、国務省ロシア問題部門のD.C.プール(Poole)から国務長官に宛てた、General Electric社のM.オウディン(Oudin)氏との会話に関するメモである。
DOCUMENT
1922年5月29日
拝啓 長官殿:
General Electric社のオウディン氏が今朝私に、彼の会社はロシアにおけるビジネスの再開に関してクラシンとの会話を始めるべき時が近付いているかも知れないと感じていると知らせて来た。私は彼に次のように言った。この問題において実行されるべき方向性はビジネス判断の問題であるというのが国務省の見解であり、企業が実行可能と考える何らかの根拠に基づいてロシアにおける事業をアメリカの企業が再開することに関して妨害するような介入をするつもりは国務省には全くない。
戦争の前に協議していた経営協定を再開するために、GE社とAllgemeine Elektrizitats Gesellschaftの間で交渉が今進んでいると、彼は言った。締結されるであろう協定はロシアの協力のための準備を含むことになるだろうと、彼は期待している。
敬具
DCP D.C. Poole
p. 210
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コメント
これは、重要なアメリカの企業によるロシアとの関係の来るべき再開に関するものなので、重要な文書である。その文書は、国務省ではなく企業がイニシャチブを取っているということ、および自ら敵と公言しているロシアにGE社の技術が移転されることの影響に対して配慮がなされていないということを明らかにしている。このGE協定は、10万人のアメリカ人および数え切れない連合軍の死を導いた主要な技術移転の道路敷設の第一歩であった。
p. 211
04. 2011年7月20日 08:43:46: QSZ6F6BZHc
東京在住。事故直後から、スーパーでの食材を見るにつけ、
首都圏は東北、北関東にお世話になってきたことを実感する毎日だった。
福島の畜産物が日本全国に拡散されていくのを絶望的な目で見ながら、
このままでは、秋には食べるものがなくなるかもしれない、と思っていた。
そして、先週、予想以上に高濃度のセシウム汚染の牛肉が
大量に日本全国にまかれていたことを実感し、
さらに、現状が不安だった海の汚染もこうしてわかってくると…
秋には食料危機、と思っていたけれど、それはやはりもっと早い速度で、
汚染が拡大しているのを実感する。やはり夏までが勝負だった。
海水の流れも止められない。一度漏れ出た肉も、すべて回収なんてできないし
きっと大本営発表以上に状況は悪いはずだとみると…
本当に詰まれてきましたね、日本。
さらに詰まれると、いくら気のいい農家だろうが漁師だろうが、
自分が生きるためには「やむをえず」という気持ちでの産地偽装も横行すると推量。
今までは、日本の食料は、まだなんとか大丈夫かと思ってました。
しかし、もう汚染を食い止めるのは無理ですね。
本当に、無理なんですね…。
予測はしていましたが、こういう現実に直面すると、やはりショックですね。
日本は本当にいい国でした… おごれるものも久しからず、ってこういうこと?
本当に、本当に歴史が変わりましたね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c4
02. 2011年7月20日 08:45:26: LJTJTmsfW2
博士様は、中凶属国誘導党の党首もされているようですね。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/301.html#c11
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/399.html#c2
中国 チベット独立封じる姿勢強調
先週、アメリカのオバマ大統領が、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したことに強く反発している中国は、チベットに軍が進駐してから60年となるのを記念する大規模な式典を開き、チベットの独立を目指す動きを徹底して封じ込める姿勢を強調しました。
中国チベット自治区の中心都市ラサでは、19日、中国の軍が進駐して60年となるのを記念する大規模な式典が開かれ、習近平国家副主席が出席しました。この中で習副主席は、先週、アメリカでオバマ大統領と会談するなど活発な外交活動を続けているダライ・ラマ14世について「チベットの独立を目指す動きで、祖国の統一を脅かしている」として強く非難しました。
そのうえで「統一を損なう企ては打ち砕かなければならない」と述べ、こうした動きを徹底して封じ込める姿勢を強調しました。
ラサでは今月に入って、軍の進駐から60年を記念するさまざまな行事が相次いで行われており、その様子を中国中央テレビなどの国営メディアが連日伝えています。
しかし一方で、ラサへは先月下旬から来月上旬まで外国人観光客の立ち入りが禁止されているほか、現地の住民によると、市内は厳重な警備態勢が敷かれているということで、中国政府は、チベットの独立を求める運動が活発になることに神経をとがらせています。
NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110720/t10014314121000.html
独立封じるって、もともと独立国に勝手に侵攻しただけだろが
Q
なんで、世界の中心である中国が、 チベットみたいな小国にこだわるのか?
A
ウイグル自治区は中国の領土の
約六分の一にあたり、
日本の四倍以上の面積がある
面積だけで言えば小さくない
資源も豊富だそうだ
端的にいえば
・国家分裂警戒
・水資源確保
・対中東陸路確保
開放と言う名の支配
中共カルトは逆言葉を使うのがパターンだな
武力弾圧して民族浄化なんかマジでやってる中国人に比べたら、ナチスが可愛く見える
支那のプロバガンダの特長
地域の歴史と国家の歴史を混同して騙る。
漢民族なる純血でないものがあたかも純血であるかのように騙る
現在の自称「漢族」=文化大革命で知識人を根絶やしにした中共の犬
知り合ったギャンツェの30歳のチベット人は、二ヶ月に一度勝手に家に入ってきて、荒らされていくと言っていた。
ダライ・ラマの写真を隠し持っていないか探すらしい。
見つかったら危険分子とされ収容所送り。
参考
虐待されるウイグル人の子供。
YouTubeにて子どもが大勢の大人に囲まれ蹴られるなどの虐待をされる動画が公開され話題になっています。この動画は日本のものではなく、
中国で撮影されたもの。言葉も中国語でどうやら子どもが窃盗を働いたのが原因だそうです。それにしても多少やりすぎなこの虐待動画。
虐待と捉えるのか体罰と捉えるのか、、、「この手が悪いんだよ」と叱る人も居れば、笑う人、止めに入る人もなど様々です。しかしこの虐待動画が
「ニコニコ動画」に転載され話題が中国ではなく韓国での虐待となってしまっているようです。動画のタイトルからして「ゴミクズコリアンが子供虐待」と
あきらかに悪意のある動画タイトルなんですね。
動画のタグにも「←明らかに朝鮮語だろ何が関係ないんだ」、「韓国人が中国人の子供を虐待」と記載されており、それに釣られたのか動画コメントも
韓国での出来事と思い込んでしまっているようです。この動画を韓国専門ジャーナリストに確認してもらったところ「これ中国語ですよ。イントネー
ションが韓国っぽいですが」と返答。まわりの大人も全員中国語とのことです。
さて何故韓国にすり替わってしまったのでしょうか。ここ数日の「ニコニコ動画」での嫌韓は加速しつつあり動画ランキング上位も嫌韓関連動画が
数多く入っています。その関連からか、韓国が関係無いものまで韓国のせいにする人が増えてきたのでしょう。
この子どもの暴行行為を真面目に議論するのは良いですが、矛先をすり替えるのはどうかと思いますよ。日本人の民度が疑われます。
リンク先動画アリ
http://gdash.jp/arcdash/993
http://gdash.jp/wp-content/uploads/2011/07/china1.jpg
Youtubeでは
「中国で他民族への子供虐待 The child is maltreated to another race in China. 」
となっているから、意図的に改竄したんだろうな。レベル低い奴だな。
http://www.youtube.com/watch?v=YB9txMLnELM
衝撃映像 中国のリンチ 視聴注意! 本当に死んでいます
http://www.youtube.com/watch?v=8zW65mYk0xQ
アグネスは何で黙ってるの?
最後に
沖縄とかを持ち出して中国の問題を回避させたり
内政干渉してはいけないなどと意味不明なすり替えをしている
チベット問題の話題を消したいとする中国マンセーのバカどもへ
日本の場合、
北海道でも沖縄でも数年毎にちゃんと選挙が行われ、
知事が選ばれてますが、未だに北海道や沖縄の独立を
主張する知事が現れたことすらないし、そうした主張を
する知事が多数派を形成するなんて今後もあり得ないでしょう。
自由に自分の意見を表明できる国と、そうでない国を一緒くた
にしてはいけない。
チベット独立派は自分達の意見を平和的なプロセスで表明し、
実現することができない状態にあるのだから、外国が支援する
のは当然。
歴史的に固有の領土 というのは
日本という独自の歴史の国に特有の概念だし固有の紛争に特化した論点だ。
中国が台湾、チベット、ウイグル、モンゴル、満州、香港に対して言うことじゃない。
つまり、日本は天皇によって武家が国土の統治を任される事を統一といったわけだけど
中国のような大陸の国は皇統を滅亡させる事で所有者が変わるので
現代に至るまで国土が固有であったことはない。
チベットや台湾が共産党の所有というマヌケな主張はナンなのかなwww
安定を欠く多民族国家では民族自決の自治から力をつけて近隣の協力を得て特定の地域で独立する
という過程が理想的な国家の歴史の作り方だろうな。
そもそも今の中華人民共和国の版図を全部治めていたのは元くらいなもんだ。
その他の王朝はごく一部の地域を中心にして支配していたに過ぎない。
歴史なんていうけど、そもそも中華人民共和国に歴史なんてない。
チベットの方が国歌としての歴史ははるかに長い。
ていうか
中国の軍が進駐して60年となるのを記念する大規模な式典
これ恥じゃないのか、誇りなんだなすげえや
05. 2011年7月20日 08:52:33: eQXkK9aRp6
放射性物質の拡散の結果、日本はこれから五〇年の内に先進国の中で長寿国から最も平均寿命の短い国になるであろう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c5
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22259920110719?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0
<特定困難なアジアの深刻な打撃>
アジアにとって、西側の債務問題の深刻化は大き過ぎて無視できない問題であり、最も深刻な打撃がどこに生じるかを特定することは困難だ。
アジアの外貨準備のうち約3兆ドルが米国債の形で保有されており、このうち2兆ドル超は中国と日本が保有している。これを踏まえると、米国の格付けが引き下げられた場合や同国がデフォルトに陥った場合、アジアは直接的な影響を受けることになるだろう。巨額の米国債保有によってアジアは資産の逃避先を失っている。
東京三菱UFJ銀行(ニューヨーク)のチーフ・フィナンシャルエコノミスト、クリス・ラプキー氏は「これらの投資家は、このような額の資金をどこで運用できるだろうか。その場所はどこにもないというのが答えだ」と指摘した。さらに「ドルを売って、ほかに何を買うべきというのか。ユーロだろうか。それはドルよりも安全な投資だろうか」と指摘した。
日本の懸念は、債務問題が悪化した場合に対ドル、対ユーロで円高が進むことだろう。円高は国内輸出業者の業績を圧迫し、経済成長の足かせとなる。また、アジア全体としての最大の懸念は、2008年のリーマン破綻後のような世界的なパニックが起こることだろう。米国のデフォルトは、アジアを直撃するとみられる。
米国がデフォルトした場合、アジアの米国債保有が危機にさらされるだけでなく、一連のリスク回避の動きによって、新興国の市場から資金が流出する恐れがある。また、安全資産として米国債に投資している銀行は、資本増強のため、融資抑制やリスク資産の売却を余儀なくされる可能性がある。トリプルA格の債券のみに投資するファンドは、これらの債券の売却を余儀なくされるだろう。
<他の選択肢なく>
ただ、米欧の債務問題解決の最大の妨げとなっているのは、経済的な要因ではなく政治的な要因であり、これが問題の行方を予測することを一層困難にしている。
米国で浮上している予備案は、オバマ大統領に8月2日の期限前の債務上限引き上げを可能にし、デフォルトを回避しようとするものだが、長期的な赤字削減という、より厳しい課題を先延ばしするにすぎない。長期的な問題にも対応できなければ、米格付けを引き下げる可能性があるとしている。
確かに、1─2ノッチの格下げは米国債の大量売りにはつながらないだろうが、他国や他国の企業、消費者の借り入れコストを押し上げる可能性がある。また、アジア諸国の政府に投資基準の引き下げを余儀なくする可能性もある。インド準備銀行(中央銀行)の幹部は、現在同国はトリプルA格以外の債券を保有していないとした上で、米国の格付けが引き下げられた場合、トリプルA格以外の債券保有を余儀なくされるだろうと語った。 同幹部は「状況を見守るしかない」とし、「ユーロなど他の選択肢も同様に良くない状況な上、ポンドにはこのような投資を吸収できるだけの深みがない」と指摘した。(抜粋)
21. 2011年7月20日 08:55:24: VKtVdO1lZY
経済が〜と数字や専門用語ばかり並べて知ったかぶりをする「経済教」はカルト。
優先順位を間違えている。
原発が稼働し続けることによって量産される放射性物質は地球の恒常性によってさえ解毒不可能な毒。
子々孫々に命を繋ぐこともできなくなった実体世界が、経済という架空の概念に近い世界を支えられるはずもない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/524.html#c21
08. 2011年7月20日 08:58:18: GTdx39dSTw
マラー博士よりヤマシタ博士。ショウジョウバエより人間。どこの国も喉から手が出るほど欲しいデーターです。
でも残念ながらマラー博士のようにノーベル賞はもらえそうもない。ナチスや旧日本軍の細菌部隊のように人倫に反した研究は公式には認められないから。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/474.html#c8
http://diamond.jp/articles/-/13199
東日本大震災の被災地の地価が、一部で震災前より上昇している。
地価が上昇するエリアは大別して二つ。
一つは被災地域で被災を免れた高台など希少価値のある場所だ。新たな市街地建設や、低地から移住・移設が進むとの期待も価格を押し上げている。
すでに5月24日の衆議院で、岩手県大船渡市を事例に高台買い占めが懸念されていた。実際、震災前は坪10万円程度だった宅地が、「坪13万円で取引されたという話があった」(大船渡市関係者)。宮城県石巻市でも2割上昇した土地があると地元紙が報じた。
高台買い占めを指摘された大船渡市は情報収集を開始。「個人間の取引はあるが、現時点で投機的な大規模取引はない」(活力推進課)と胸をなで下ろすが、市のホームページで不当な土地取引の情報を市へ連絡するよう呼びかけるなど、地価動向に神経を尖らせている。
もう一つは建物が崩壊した跡地だ。以前から東北の沿岸部では放置された廃工場・倉庫が多数あった。更地価格より数百万円高い解体と廃棄物処理の費用が必要だったからだ。ところが、震災で建物は崩壊、がれき処理費用は国が負担する。ある不動産鑑定士は「解体費用がネックで長年売れなかった物件が、震災後に売却できた事例が出てきた」と驚く。
もちろん、こうした取引は一部の特殊な事例。だが、震災後の不動産価格を鑑定中の不動産鑑定士は、「公示地価は取引事例で鑑定するのが原則。鑑定では特殊事例は除くが、高い価格の取引が一般的になれば公示地価に反映せざるをえない」と悩んでいる。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/464.html
21. 2011年7月20日 09:01:32: xFW41378RM
ナント、すんばらしーっ!\(^▽^)/
どうせマスコミは、何処行っちゃったか誰にも判らない核燃料を冷温停止とか
大本営発表のシュールなファンタジー(嘘八百とも言う)を書き並べるだけ!
全面広告だらけの新聞をとるのをやめて、TVもやめちゃえば雑音は入らない!
ちゃんとクーラー入れて、ネットで正しく情報収集しよー!
電力足りてる! 原発要らない! 消費税上げる前に送電線売却して補償金払えっ!
20110719 たね蒔き「チェルノブイリ事故で体験した食の汚染」
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http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-July/010702.html
[CML 010834] チェルノブイリ後のドイツに学ぶ
Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 7月 20日 (水) 01:15:59 JST
みなさまへ (BCCにて)松元
おなじみの「たね蒔きジャーナル」ですが、7月19日は小出先生がお休みで、チェルノブイリ直後にベルリンに滞在していたジャーナリストの山本知佳子さんが、当時のドイツの状況とフクシマの状況が非常に似ているというお話です。転送させていただきます。
=====以下転送=====
永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫平野幸夫さんの解説で放送されました。今日は台風情報のために小出先生のお話はお休みで、チェルノブイリ事故の際にドイツで食物の汚染を体験したジャーナリストの山本知佳子さんのお話がありました。
原発のニュース、福島原発で原子炉への注水を減らしています。午前5時で4トン/時間を3.8トンに減らしています。台風による汚染水問題のためです。
また、菅総理、ステップ1が終了し、収束のめどがついたと言いました。原子炉の安定的な冷却が出来たと言うことです。今後3〜6ヶ月のステップ2、住民避難解除の工程表を発表、放射線量の減少を確認しています。年間1ミリシーベルト以下に抑えると言うことです。平野さん、政府だけがきちんとした段階を経ずに言っている、12万トンの汚染水があり手付かずであり、毎日不具合があり、原子炉の損傷が分からない状態で、なぜ第1段階終了と言えるのかと批判がありました。地下ダムのことも、いつまでに作るのかも工程表に出ていない、工程表になっていない、菅総理の言う「めどがついた」=先送りなのです。明確に、何が出来ているのか、が分からないのです。リーダーとしての決意の希薄さを感じるとのことです。
牛がわらが汚染されていたこと、山形県の保育園に給食として出されたと言うことです。園児242人、職員50人が食べました。一人20〜40g食べています。
平野さん、菅総理、自分が国会を阻害していると自覚しろと批判がありました。今日も、国会でちゃんと答弁していません。
そして、山本さんのお話、25年前にドイツで体験された(西ベルリン)、チェルノブイリ事故のことを「ベルリンからの手紙」として本を出しておられますが、ベルリンはチェルノブイリから離れているものの、ドイツの人も予想していなくて、1200km離れているのですが、ドイツだけでなく、ヨーロッパの人はまさかと思ったものの、放射能汚染が降りかかったのです。日本だと、1200kmなら福島−九州が全て入り、北は北海道はもちろん、北方領土のほとんども入るのです。
汚染は、原発が事故を起こしたら大変とは思っていたものの、自分の身に降りかかるとは思わなかった、西ドイツ政府も、ソ連の原発に対策は取れない、情報が取れず、スウェーデンで放射能が検出され、風向きからソ連と思われ、そして、ソ連が認めたのです。事故が4月26日、その後2〜3日でソ連と分かり、放射能の値が乳製品、ほうれん草が汚染、子供を外に出さないなど、今の日本と同じ状態なのです。
西ドイツ政府の規制も厳しくなく、ドイツの汚染がひどいと言うことは3〜4日でマスコミも報じ、しかし、放射能汚染のことは「すぐには影響はない」とドイツでも言われたのです。市民は、政府、行政に、汚染値を測れと言っても政府の動きが鈍く、市民で情報を集め、測定したのです。食品では、はちみつ、ヨーグルトが汚染され、汚染物は季節により変わり、最初は葉物、その後きのこ、ベリー類、はちみつ、牛乳(ヨーロッパは乳製品の使用量が日本より多い)が汚染され、ドイツだと、4ヶ月で肉の汚染、淡水魚の汚染が確認され、さらに秋には穀物が汚染され、干草を食べた牛、牛乳に汚染が出て、最初の数ヶ月だけではなく、汚染は続き、様々な食品から汚染が出て、山本さん、最初はどうしたらいいのかと言うことで、汚染の中でどう自衛するか、大事なのは事実を知ること、どこでどれだけ汚染されているかを知ることがあり、政府、自治体が測定しないなら、市民がお金を出し合い市民測定所を作り、ニュースレター、口コミで測定値を出していました。
全てのものは測定できず、継続的に測定して、全体像が分かる、また、ドイツにも、南ドイツのバイエルン州でホットスポットが出たのです。南ドイツの乳製品のほうが汚染値が高く、子供を持つ人は北ドイツの乳製品を求める、今はこの食べ物が危ないと自衛策を取る、というものでした。妊婦、小さい子供を持つ人がニュースレターを読んで情報を得ました。国に頼ると後手後手に回るのです。
また、ソ連で起きた事故なので、政府も情報が得られず、自分たちで測定するしかなかったのです。
日本でも牛肉、小売で情報をどうするか議論もありますが、ドイツでは店により対応が異なり、南ドイツの肉屋、測定してそれを貼って売っていたのです。汚染値の高いものは出さないと言うことで売りました。かえって、客が増えたのです。汚染値を公表する信頼感があったのです。はっきりした情報を出すのが信頼になるのです。
情報を出していないとかえって不安になる、汚染の現実をはっきりさせることが必要で、オープンに話が出来るとのことなのです。
これが25年前のチェルノブイリの現実でした。今回は時間がなくここまででしたが、今後も山本さんのお話があります。以上、お知らせいたしました。
==============================================
<参照>
2011/7/4 CNIC Ust ゲスト ジャーナリスト 山本知佳子さん
Wall Street and the Bolshevik Revolution
By Antony C. Sutton[外部リンク],1974
"What better way to divert attention from the real operators than by the medieval bogeyman of anti-Semitism? " Antony C. Sutton(1974)
<米公式文書と米財界人の回顧録を駆使した、真実のロシア革命史>
この本を、仮に日本語に翻訳した場合、これを読んだ人の反応は二種類に分かれるだろう。
一つは、信じられないとして思考停止する人々。もう一つは、「そうだったのか」として、世界史の裏側の秘密を的確に理解する人々である。
http://mblog.excite.co.jp/user/amesei/entry/detail/?id=4291064&_s=357e7804bf93774eef6722d08f468359
我々は世界史の授業で、ロシア革命は、レーニンとトロツキーという二人のボルシェヴィキ革命家によって、社会民主党のケレンスキー内閣を倒したことで実現したと教わっている。しかし、それは物事の半分しか見ていない説明である。ただのインテリだったレーニンやトロツキーが革命を資金もなしに実現できたはずがない。革命には巨額の資金が必要である。彼らはどこからその資金を得ていたのか。
ロシア革命を描いた文学作品ではアメリカ人のジョン・リードJohn Reed という人物による「世界を揺るがせた十日間」(岩波文庫)という本が有名である。この本をもとにつくられているのがウォーレン・ビーティ主演のハリウッド映画「レッズ」だ。このリードは、なぜロシアに行くことができたのか?
この二つの疑問にアントニー・サットンは明解な答えを出している。それも公式の一級資料を使っているので疑問の余地がない。ロシア革命を成功させたのは、アメリカのウォール街の巨大銀行家たちの提供した資金だった。つまり、ロシア革命はウォール街にとっての「投資案件」だったのである。リードはモルガン財閥の出資している『メトロポリタン』という雑誌の記者だった。彼自身はモルガンやロックフェラーなどの大財閥を批判する記事も書いていたのだが、リードはウォール街が求めていた革命PRのための人材として利用されてしまったわけだ。
ロシア革命が起こった1917年から1918年にかけては、まだ第一次世界大戦が進行中だった。レーニンやトロツキーに資金を提供したのは、アメリカであるとも、ドイツでもあるとも言われている。
ただ、この本を読んで分かることは、アメリカとドイツが大戦の裏側で、戦後のロシア市場を巡る暗闘を繰り広げており、レーニンやトロツキーたちは最終的にはアメリカのウォール街の支援を受けることを決めたという点だ。
ロシア革命を米英が支援したことについては、第一次大戦の米英仏露にとっては、反ドイツ・オーストリアという点で利害が一致していた。ボルシェヴィキという勢力がいかに危険な存在であるかを、ウォール街の巨大銀行家たちは気が付いていた。だから、ロシア革命に資金を提供し、反ドイツのプロパガンダやドイツにおける社会主義的革命の支援を送り込んだエージェントを通じて実行させておきながら、米国国内では、同じウォール街の人物たちが、反共産主義連盟を結成して、「赤の脅威」を宣伝している。
ウォール街の革命支援勢力は、大金をつぎ込んで、反ドイツ帝国キャンペーンを行っていた、とこの本は指摘する。彼らはロシアにドイツとの戦争を継続させるために、米国政府の資金を使って、プロパガンダキャンペーンを行っている。そのフロント団体となったのは、「自由ロシアにおける市民教育委員会」といった組織で、この組織が「皇帝と戦って、革命を守れ!Fight the Kaisar and save the revoluion!」とのスローガンで大衆を扇動し、米英の軍需産業にとって利益になる戦争の継続を訴えさせた。戦争末期には、ドイツ国内で労働者に革命蜂起を促す、宣伝ビラを連合国の戦闘機からばらまく宣伝も行った。スパルタクス団などの革命組織もこの流れの中で利用されたコマにすぎなかったというわけである。
アメリカの金融資本は、大戦後のロシア経済をドイツが支配するのを極度に恐れた。ウォール街の生みの親であるシティのマーチャント・バンカーたちも同様の考えを持っていた。イギリスはドイツ派だったヴィクトリア女王が亡き後は、勃興してきたドイツ帝国を敵国と見なし、フィッシャー提督によるドレッドノート駆逐艦の建造を始めとしてドイツと帝国主義的競争を繰り広げていた。このキャンペーンを担っていたのが、ミルナー卿のような「自由帝国主義」派であり、ウィンストン・チャーチルのような生粋の帝国主義者たちだった。
イギリスの当時の首相であった、デヴィッド・ロイド・ジョージは武器商人だったバジル・ザハロフ Sir Basil Zaharoff と関係が深かった。彼がドイツとの戦争を続けざるを得なかったのは、そのような「死の商人」のネットワークにがんじがらめになっていたからである。
サットンは、1917年12月にウォール街の代表が、JPモルガンのパートナーだったトーマス・ラモントと一緒にロンドンを訪れ、ロイド・ジョージ内閣に対して、ボルシェヴェィキを支援するように圧力をかけ、米英の意思統一を図っていた事実を指摘している。この事実はイギリス側の公式資料から採ったものだ。イギリス首相を裏で操っていたのは、有名なミルナー卿であった。
ウォール街で革命支援の司令塔となったのは、アメリカの総合商社である、アメリカン・インターナショナル・コーポレーション(AIC)とモルガン財閥系のギャランティ・トラストGuranty Trustという金融会社、そして巨大銀行の重役たちが理事を務めるニューヨーク連邦準備銀行であった。AICにはロックフェラー系のナショナル・シティバンクの人間が多数重役会メンバーとして参加し、ギャランティ・トラストはモルガン財閥の人間が多かった。〔注:アメリカン・インターナショナル・コーポレーションは、AIGとは関係がない〕
===
DIRECTORS OF MAJOR BANKS,FIRMS, AND INSTITUTIONS MENTIONED IN THIS BOOK(AS IN 1917-1918)
AMERICAN INTERNATIONAL CORPORATION (120 Broadway)
J. Ogden Armour Percy A. Rockefeller
G. J. Baldwin John D. Ryan
C. A. Coffin W.L. Saunders
W. E. Corey J.A. Stillman
Robert Dollar C.A. Stone
Pierre S. du Pont T.N. Vail
Philip A. S. Franklin F.A. Vanderlip
J. P. Grace E.S. Webster
R. F. Herrick A.H. Wiggin
Otto H. Kahn Beckman Winthrop
H. W. Pritchett William Woodward
CHASE NATIONAL BANK
J. N. Hill Newcomb Carlton
A. B. Hepburn D.C. Jackling
S. H. Miller E.R. Tinker
C. M. Schwab A.H. Wiggin
H. Bendicott John J. Mitchell
Guy E. Tripp
EQUITABLE TRUST COMPANY (37-43 Wall Street)
Charles B. Alexander Henry E. Huntington
Albert B. Boardman Edward T. Jeffrey
Robert.C. Clowry Otto H. Kahn
Howard E. Cole Alvin W. Krech
Henry E. Cooper James W. Lane
Paul D. Cravath Hunter S. Marston
Franklin Wm. Cutcheon Charles G. Meyer
Bertram Cutler George Welwood Murray
Thomas de Witt Cuyler Henry H. Pierce
Frederick W. Fuller Winslow S. Pierce
Robert Goelet Lyman Rhoades
Carl R. Gray Walter C. Teagle
Charles Hayden Henry Rogers Winthrop
Bertram G. Work
FEDERAL ADVISORY COUNCIL (1916)
Daniel G. Wing, Boston, District No. 1
J. P. Morgan, New York, District No. 2
Levi L. Rue, Philadelphia, District No. 3
W. S. Rowe, Cincinnati, District No. 4
J. W. Norwood, Greenville, S.C., District No. 5
C. A. Lyerly, Chattanooga, District No. 6
J. B. Forgan, Chicago, Pres., District No. 7
Frank O. Watts, St. Louis, District No. 8
C. T. Jaffray, Minneapolis, District No. 9
E. F. Swinney, Kansas City, District No. 10
T. J. Record, Paris, District No. 11
Herbert Fleishhacker, San Francisco, District No. 12
FEDERAL RESERVE BANK OF NEW YORK (120 Broadway)
William Woodward (1917)
Class A
Robert H. Treman (1918)
Franklin D. Locke (1919)
Charles A. Stone (1920)
Class B
Wm. B. Thompson (1918)
L. R. Palmer (1919)
Pierre Jay (1917)
Class C
George F. Peabody (1919)
William Lawrence Saunders (1920)
FEDERAL RESERVE BOARD
William G. M'Adoo Adolph C. Miller (1924)
Charles S. Hamlin ( 1916) Frederic A. Delano (1920)
Paul M. Warburg (1918) W.P.G. Harding (1922)
John Skelton Williams
GUARANTY TRUST COMPANY (140 Broadway)
Alexander J. Hemphill (Chairman)
Charles H. Allen Edgar L. Marston
A. C. Bedford Grayson M-P Murphy
Edward J. Berwind Charles A. Peabody
W. Murray Crane William C. Potter
T. de Witt Cuyler John S. Runnells
James B. Duke Thomas F. Ryan
Caleb C. Dula Charles H. Sabin
Robert W. Goelet John W. Spoor
Daniel Guggenheim Albert Straus
W. Averell Harriman Harry P. Whitney
Albert H. Harris Thomas E. Wilson
Walter D. Hines London Committee:
http://mblog.excite.co.jp/user/amesei/entry/detail/index.php?id=4291064&page=9&_s=357e7804bf93774eef6722d08f468359
Augustus D. Julliard Arthur J. Fraser (Chairman)
Thomas W. Lamont Cecil F. Parr
William C. Lane Robert Callander
NATIONAL CITY BANK
P. A. S. Franklin P.A. Rockefeller
J.P. Grace James Stillman
G. H. Dodge W. Rockefeller
H. A. C. Taylor J. O. Armour
R. S. Lovett J.W. Sterling
F. A. Vanderlip J.A. Stillman
G. H. Miniken M.T. Pyne
E. P. Swenson E.D. Bapst
Frank Trumbull J.H. Post
Edgar Palmer W.C. Procter
http://www.reformation.org/wall-st-bolshevik-app1.html
====
これらのウォール街のビジネスマンたちはボルシェヴィキ政権の実現とその米国政府による早期承認を目指して暗躍した。その一部は、1919年に行われたラスク委員会というニューヨークにおける公聴会で明らかになっている。
William Boyce Thompson
ウォール街は、アメリカ赤十字のミッションを隠れ蓑にして、ボルシェヴィキ・ロシアの市場調査を行っていた。その主要人物が、NY連銀の理事を1914年から1919年まで務めた、ウィリアム・ボイス・トンプソン William Boyce Thompson[外部リンク] であり、トンプソンの跡を継いだテキサスの石油業者を務めた後、進歩党に入党し赤十字ミッションに参加したレイモンド・ロビンス Raymond Robins [外部リンク]という人物であった。つまり、ボルシェヴィキ支援の裏にはスタンダード石油によるロシア産石油の確保というビジネス上の目的があったわけである。
Raymond Robins
さらに言えば、ロシア革命という現象は、アメリカの大学やシンクタンクの学者たちにとっての格好の研究材料だった。ボルシェヴィキは、ロシアという国土を舞台に、生身の人間を素材にしながら、「あるべき理想的社会」についての一大実験を行っていたのである。この実験場がアメリカの資本で確保されたことに、ジョンズ・ホプキンス大学などの社会科学者たちは色めき立った。ここまで指摘するサットンの眼力は凄いと言うしかない。
ソヴイエト共産主義とアメリカの独占資本主義というのは非常に親和性がある。イギリスは独占経済をアメリカほどは経験しておらず、もともとは自由主義の国だったが、アメリカは独占経済が世界覇権を実現させた原動力になっていたのであり、その統制経済を特徴とするアメリカとソ連のこの時代の経済構造はまさにコインの裏表。アメリカの独占資本主義の跋扈を憂えた一般の大衆の希望がソヴィエト共産主義だったのだが、実のところこのソヴィエト共産主義を動かしていたのがなんとウォール街の資金だったのである。こうなると身もふたもない話であるが、アメリカの公式文書はそれを裏付けているのだ。
ウォール街とロシア革命の関係については、従来陰謀論といわれるジャンルの立場から多くが語られていた。しかし、このサットンの著作はマルクス主義的な分析ではあるにせよ、依拠した資料の多くは政府の解禁された公式文書であり、彼が研究員を務めたフーバー研究所の資料庫に眠る貴重な資料、私信などである。サットン自身が巻末の注釈でユダヤ陰謀論の有害性を指摘していることに注意されたい。〔ユダヤ陰謀論の立場に立つ著作ではユースタス・マリンズの大著『世界権力構造の秘密』(日本文芸社・絶版)がある。この本は反ユダヤのバイヤスが強い部分もあるが、マリンズ自身が合衆国議会図書館の職員だったこともあり、多くの文献を詳細に調べているので資料性が高い。AICについてはサットン以外ではマリンズのものしかまとまった記述が存在しない。マリンズ本の129ページ以下の記述はサットン本に依拠している〕
ウォール街は、これから十数年後の1930年代には、ヒットラーのナチス・ドイツを支援する。サットンはこれに関する著作『ウォール街とヒトラーの勃興』も書いている。彼らは今度は、ドイツの石油化学企業であるIGファルベン(いまのヘキスト社など)に多額の資金をつぎ込んでいたのである。その後、今度はソ連がアメリカの冷戦の敵国の座に躍り出るが、冷戦期においてもウォール街とアメリカ財界はソ連とのビジネスを継続していた。この結果、ソ連に対してアメリカの科学技術が流出している。このテーマを扱ったサットンの著作は、『カネで買える最強の敵』である。
結論:
すべては「金銭欲」というビジネスの動機で説明が付く。左翼・右翼という分類自体がばかばかしい話なのだ。ウォール街はそれぞれの運動に巨額の資金をつぎ込むことで、その両方をコントロールできるからである。
IPR(太平洋問題調査会)とソ連の関係を論じる中西輝政氏[外部リンク]のような研究者はいい線を突いているとは思う。さらに掘り下げて、このあたりの基本的な事実とウォール街とソヴィエトの密接な関係の歴史をふまえて発言していただけばいいのだが。コミンテルンの陰謀よりも恐ろしいのがウォール街の政治資金であるわけだから・・・。
http://mblog.excite.co.jp/user/amesei/entry/detail/index.php?id=4291064&page=14&_s=357e7804bf93774eef6722d08f468359
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/518.html
22. 2011年7月20日 09:04:59: VKtVdO1lZY
無知は罪だ。
被ばく食材を生産・出荷することも。
頑張れば報われると信じているのかもしれないが、その頑張りは空回りであるばかりか災厄を周囲へ拡散させることに等しい。
頑張る方向性を間違えずに現状を認識して欲しい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/525.html#c22
68. 2011年7月20日 09:05:04: Uu25dzSZXs
>>65
悟りを得ていない人間とは 発展途上人間なのですが、
騙されていたと、羊飼い達を攻撃するのではなく、仮想敵対者が欲しくなる。
つまり、ジェダイの騎士以上の予知能力や透視能力を持つ霊能者達を嫉妬し 敵対視する。
または、恐怖感を覚えるのです。 プロフィールやプライバシーが筒抜けになるからです。
ハンドル名の意味が無いのです。 >>29で、貼り付けた二人の会話通りです。
従って、恐怖感を抱かなくても良い対象の悟りを得ていない私が指導しているのですが、
生理的に嫌らわれるのは、仕方が無いのです。
ただ、密教最短コースでは、日本が財政難に陥ることカルト化が進む前に対策が出来ていました。
つまり、あなたをカルト感染させることも無かった。
意味が解らないでしょうが、取り合えず、ご説明しておきます。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/389.html#c68
13. 2011年7月20日 09:05:15: YPXCFn708Q
みんなの党も次の選挙での反民主として投票対象としている者です。
脱原発への方向決定にどれだけ細かな検討がなされたか疑問です。
あくまで印象ですが・・・
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/350.html#c13
06. 2011年7月20日 09:06:00: lrPNzZkVrM
>
黒潮が流れているから西日本は大丈夫と言うひともいるが
汚染された親潮は冷たく重たいので黒潮の下層に潜り込み
湧昇流となって日本南岸の冷水塊等に湧き出すはずであるのに
漁協も海洋調査すらしていないのだろうか?
政府、東電ばかり批難するが、漁協も農協も悪質な隠蔽体質は
なんら変わりありません。漁協も農協も消費者の敵だ。
22. 2011年7月20日 09:06:28: CgPxaWt6OI
ICRP←信用できない。体内被曝(内部被曝)を故意に無視している。
ECRR←信用できる。「ふくしま集団疎開裁判」のグループがChris Busbyさんを日本 に招待して、日本で活躍中のようです。これだけでも、信用の度合いが分か る。これだけでも、反論したがる脳弱者の的になり易い。∴益々信用でき る、っちゅうこっちゃ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/505.html#c22
01. gataro 2011年7月20日 09:07:26: KbIx4LOvH6Ccw : IBBS2pmUMM
リンクが正しくありません。
ベルリンからの手紙 放射能は国境を越えて/山本知佳子/八月書館
http://books.rakuten.co.jp/rb/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99-%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%AF%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%9F%A5%E4%BD%B3%E5%AD%90-9784938140120/item/344083/
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/547.html#c1
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1526953.html
2011年06月15日18:38
八百長、FEMA
さてはてメモ帳さんのサイトより
http://satehate.exblog.jp/16469732/
<転載開始>
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/224.htmlコメント欄27より抜粋
以下、この本の、p091-097 から要点が抜粋されている。
「FEMA(連邦緊急事態管理庁)に注目したい。何か事件がおきる前に、FEMAは出現する。どうしてかを、私たち日本人は考えないように飼いならされている。
FEMA training manual cover
真相はこうである。9・11同時多発テロがあったとき、FEMAはその数日前からツインタワー・ビルの周辺で、”訓練中”であった。偶然か必然かは問わないが、ツインタワーが崩壊すると、その日からFEMAは鉄骨の後片付けを早急に開始した。コンクリートの破片だけが残った。
では、鉄骨はどうなったのか。ニューヨークの港に、やはり数日前から大型貨物船が待機していた。鉄骨はその貨物船に乗せられ、中国へ向った。
どうして鉄骨だけが消えたのか?あのツインタワーに飛行機が衝突することが前もってわかっていた。そのとき、小型原子爆弾が仕掛けられていた。鉄骨に放射能が残存していればヤラセがばれるからである。
あの事件以後、世界は大きく変わっていった。
ではスリーマイル島はどうか。ここでもFEMAが事故発生の前から待機していた。どうしてかは言うまでもない。」
The China Syndrome 1979.3.16
Three Mile Island accident 1979.3.28
Federal Emergency Management AgencyExecutive Order 12127--Federal Emergency Management Agency 1979.4.1、 FEMA業務開始は1979.3.27
・・・
「金融マフィアの最高のエージェントであるズビグニュー・ブレジンスキー[Zbigniew Kazimierz Brzeziński](彼はFEMAの実質的創始者)はスリーマイル島周辺にすでに配置していたFEMAの要員を動かし、周辺の住民を避難させた。
(東電と日本政府が、FEMAのように事前に福島第1原発の事故の前に要員を配置していたようなものである)
しかし、事故の規模は、FEMAを指揮したブレジンスキーの予想を上回ったにちがいない。放射性物質がスリーマイル島からペンシルヴァア州中部の大気中に広がっていったのだから。しかし、と私は言いたい。福島第1原発の事故に比較すれば、否、比較にならないほど、小さな事故であった。」
「”原発マフィア”はどこからきたのかを、私は原爆製造に求めた。ヴィクター・ロスチャイルドが原爆製造の中心人物であったことを書いた。それからヴィクターはルイス・L・シュトラウスをAECのトップにすえて核の平和利用をさせた」
(シュトラウスは、ロスチャイルドの優秀なエージェントとして、アメリカ出先機関クーン・ローブ商会の共同経営者を務めた。ロックフェラー・センターの56階に陣取り、ロックフェラー一族の財務管理をしていた。彼は原子力の平和利用の標的として日本に罠を仕掛け、CIAを使ってプロパガンダを展開させた)
「しかし、1970年代に原発事故が多発した。これを防止しようとしたが、うまい方法が見つからなかった。緊急炉心冷却装置が完全でないことを、ヴィクター・ロスチャイルドを頂点とする”原発マフィア”は認めた。それでフォード財閥(金融マフィアが謀略のためにでっちあげた組織)に『選択の時』を発表させ、原発推進から一歩後退することにした。スリーマイル島の事故は、このことを大々的に象徴する事件なのである。(引用注:パニックを作り出し、一石二鳥的にFEMAを正当化したことをいっておかなくちゃ)
彼らは何を狙ったのか?原子力利用からの一時的な撤退と、その代わりとなる石油エネルギーの利用である。原油の枯渇説を彼らは流しだした。『オイル・ピーク説』と俗にいわれるものであった。
結論を書くならば、原発マフィアは同時に石油マフィアであったということである。また、この原発マフィアと石油マフィアは、金融マフィアが支配しているということである。」
「原発マフィアたちは石油マフィアへと変身して、より一層の大儲けをしていくのである。」
「では、このまま石油時代が続いたのであろうか。金融マフィアは、原発マフィアをもう一度育てることになる。その秘策として彼らが登場させたのが、オイル・ピーク説ではなく、石油を使った発電所が出すCO2が地球を温暖化させるという、とんでもない妄説であった。
かくてまた、原子力発電所が復活してくるのである。日本人はどのように原発と取り組んだかのか?日本の原発マフィアたちはひたすら原発利権を漁っていたのである。スリーマイル島事件もなんら教訓とはならなかった。」
おまけ
爆発する福島原発3号機、水素爆発では見られないはずの閃光が
わかります
++
鬼塚氏は人工地震説をとらないと言っているのだが、空母ロナルド・レーガンは待機していたと付け加えておきたい。
ともだち
関連
自己弱体化 1
http://satehate.exblog.jp/7247653/
○アブラハム・ラーウィ著、黒田寛訳 「日本人への謀略―あるユダヤ人の証言」(Plot against the Japanese.) 一九八一年、かんき出版、絶版 。
○この本は奇妙な本である。
○あるユダヤ系アメリカ人が、日本に対して仕掛けられつつあるアメリカの謀略について警告する書、と言う。
○ 「われわれ西洋の人間は、基本的には肉食民族であり、東洋の民族に比べると、はるかに獰猛な性向を持っていることを忘れないで欲しい。」 (4頁)
○ 「日本の保守系現政権は、恐らく、アメリカの要求をいやいやながら、次々と呑まざるをえないであろうし、徐々にではあっても、アメリカが仕掛けた『自己弱体化』への道を走ることになるであろう。
日本人の見る道路標識には、日本人好みの行先が書かれることになるだろうが、裏側を見れば、英語で違う行先が印刷されて居るはずである。
親愛なる日本の読者諸氏に申し上げたいのは、自分が運転して居る道路上での道路標識を見る場合、その標識は、いつ、誰が、なぜ、そこに立てたのかを、ちょっと立ち止って考えて頂きたいということである。
運転手はあなたなのだから、その道を走った責任はあなたにある。アメリカ人が無理にその道を走らせたのだ!という言い訳は、もう役に立たない。」(217〜218頁)
○この文章が、一九八一年(昭和五十六年)に書かれていることに注目しなければならない。
原発マフィア、誕生の物語 鬼塚英昭
http://satehate.exblog.jp/16383166/
日本の原発マフィアたち
http://satehate.exblog.jp/16387395/
原子力ルネッサンス
http://satehate.exblog.jp/16387889/
イスラエルが9.11を行った、あなたが必要とするすべての証拠 その1
http://satehate.exblog.jp/15750732/ 他
++
まあ、とにかく世界のFEMA的管理をしたいんですナ。
<転載終了>
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69. 2011年7月20日 09:08:03: Uu25dzSZXs
× 日本が財政難に陥ることカルト化が進む前に対策が出来ていました。
○ 日本が財政難に陥ることも無く、カルト化が進む前に対策が出来ていました。
何度も、主張しているように、バブル化ネタにされた時点で シナリオが狂ったのです。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/389.html#c69
09. 2011年7月20日 09:08:40: I93K3ftoTo
虚偽ということは ありもしないことで告訴することでしょう。
これだけの人災を起こして 福島はじめ日本中から目の敵にされている東電、保安院を告訴することのどこが 虚偽なのか?
もしも 逆告訴するようなことになったら それこそ 日本中がひっくりかえるようなことになるよ。
11. 2011年7月20日 09:10:10: VKtVdO1lZY
石原都知事の言動すべてがおかしい。
このご時世にオリンピック招致に燃えていることも信じられない。
広島と長崎の「正しいトラウマ」を持つ日本人の心とここまで乖離している人間に都知事をさせる選挙で投票した有権者も理解できない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/529.html#c11
25. 2011年7月20日 09:10:43: GTdx39dSTw
>22さん
福島>茨城・宮城>関東>東日本>本土>日本国内の順で当たる確率の高いロシアンルーレットに参加させられているのはスーパーを利用する庶民だけ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/512.html#c25
01. 2011年7月20日 09:10:47: Pj82T22SRI
解体費用無料はまずいね
空いている土地が他にあるのに、他人の税金を浪費して
高価な解体作業に資源と人手が浪費されることになる
半額程度は自己負担にすべきだろう
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/464.html#c1
01. 2011年7月20日 09:10:58: u8T2aRIP9Y
予想通りの口だけ政党に成り果てたみんなの党。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/542.html#c1
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/
以下のコメントはある高知県の食肉通販会社の社長のコメントです。
************
『さて、御存知の通り、放射性セシウムに汚染された福島産の牛肉が一部市場に出回り、その中の一部は
高知県にも出荷され、すでに販売されているというニュースが報道されております。
原発事故以降に、放射性物質が含まれている可能性のある飼料を食べた牛が出荷されたということは、
3/11以降に「と蓄」さて、出荷された牛肉が対象ということになります。
当店では震災以降、福島県産の牛肉は取り扱っておりません。
また高知県に入荷され、出回っているという対象牛肉は、当店と全く仕入れルートが異なり、当店で販売はおろか、入荷することもございません。
更に、仕入れの際に必ず産地や「と蓄」した日など調べた上で仕入れを行っておりますので、安心してお召し上がりいただけます。
同じ食肉を扱う者として、現地で生産者している方々や、一生懸命販売しておられます方々の立場を考えますと、胸を痛める日々が続いております。
一日も早く、皆様が安心して召し上がっていただける日が来るよう、心よりお祈りいたします。
************
このようなコメントを発表する業者は信用がおけるものですが、これもこのコメントをどこまで信用するかに掛っています。
疑えばきりがありませんが、真摯に対応する業者と、デパート等のように「お金を返金すればよいだろう」という一種の開き直りをするところと比較すれば、どちらが安心できるか自ずと分かってきます。
それにしましても、このようなコメントを出さないといけない日本の食肉関係者の心の痛みは、いい加減な対応をした公務員達には届いていない筈です。
サッカーに勝った位で国をあげて大騒ぎする日本ですが、この間も汚染は広まっており、マスコミの低俗化と公務員天国と国会議員の体たらくが日本人を崩壊の淵に追いやるかも知れません。
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/407.html
菅首相に「サプライズ訪朝」説 窮地抜け出す「一発逆転劇」あるか (J-CAST )
http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/768.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 7 月 20 日 01:28:23: igsppGRN/E9PQ
菅首相に「サプライズ訪朝」説 窮地抜け出す「一発逆転劇」あるか
http://www.j-cast.com/2011/07/19101822.html?p=all
2011/7/19 20:01 J-CAST
浜岡原発の停止要請や「脱原発」宣言などが唐突な発表が目立つ菅直人首相に、今度は「電撃訪朝説」が浮上した。過去2回にわたって金正日総書記との首脳会談を行った小泉純一郎首相(当時)は、結果として会談後に支持率が上がったという経緯があるだけに、「追い詰められた権力者ならやりかねない」との見方もある。
訪朝説は、自民党の山本一太参院政審会長が2011年7月19日、「未確認情報」と断りつつ、ブログやツイッターに書き込んだ。ブログによると、山本氏は、「ある朝鮮半島問題の専門家」から、
「菅総理が極秘に訪朝(日朝首脳会談)の準備をしているという噂がある。外務省を通さずに北側にアプローチしているらしい。今のところ、北朝鮮側から返事はないようだ」
という話を伝えられたという。
01. 2011年7月20日 09:22:41: u8T2aRIP9Y
武田氏が一生懸命被曝回避を唱えても
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/12458
のサイトのように、被害拡大に努めている人もいます。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/545.html#c1
10. 2011年7月20日 09:23:02: 7WZekNACgc
検察が嫌疑なしで不起訴処分をした場合、虚偽告訴(罪、刑法172条)で逆に告訴される可能性
検察が告訴して、嫌疑無しで無罪判決が出た場合には、検察自身が虚偽告訴罪になるのではないか>
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/530.html#c10
15. 2011年7月20日 09:24:11: B3FrSkvLWQ
素人で申し訳ないが、
空間線量が減ったのは多分水で核燃料を洗っているからでしょう。その分水はきわめて高濃度な放射能汚染水となっているわけで、それを浄化し再使用しようとしているのでしょう。それが上手くいっても、放射能汚泥は溜まる一方で、その最終処理はどうするのか?
また空気は寒暖の差で動くが、水はより低いところに向かって流れていく。水はほんのわずかな隙間からでも漏れるのであり、福島第一原発汚染水が地下に漏れ、地下水脈を通って海に漏出しているのは当たり前であろう。
チェルノブイリは大気汚染だったが、フクシマは海洋汚染だろう。いま牛が騒がれているが、これからは海草、貝、魚の方が大きな問題になるだろう。
政府は「空間線量が減っている」等々と現状を述べるだけではなく、なぜそうなのかという科学的根拠を示さなくてはいけない。国民は馬鹿ではないのだ。それなしには政府への不信感が高まるばかりだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/532.html#c15
01. BRIAN ENO 2011年7月20日 09:24:47: tZW9Ar4r/Y2EU : GkP4o9Xp4U
アントニー・サットン『ウォール街とボルシェヴィキ革命』を投稿したのは、
日本語に訳された著作が出ていないからである。
サットンの書く文章は、ひじょうに癖があり、
なかなか訳しにくいとのこと・・
訳者にはその努力と行為に感謝したい。
一日も早く、この本が、わが国で日本語に訳され
出版されることを期待する。
この本を読みこなすには、
19世紀から20世紀初頭にかけての
企業名、事業家名、政治家の名前を
予備知識としてある程度知っていないと、
難しいであろう・・
まあ、この手の著作に興味のある方は、
そういった企業名や人物名に明るい人ばかりだと思うが・・
この本の他にも、
以下の著作の日本語訳による出版を期待する。
@キャロル・ギグリー「悲劇と希望」
Aディズレーリ「コニングスピー」
Bマンデル・ハウス「行政官フィリップ・ドルー」
昔の阿修羅は長編の投稿が結構あり、
私はそれを楽しみに閲覧したり、プリントして、
ファイルにとじこんでいたりしたが、
最近は、どうしてかわからないが、
少なくなったように思う・・。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/518.html#c1
01. 2011年7月20日 09:24:54: RoyNk38nDA
おーい橋下知事よ! 糞政府にもの申してくれ!!
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/539.html#c1
http://zai.diamond.jp/articles/-/115877
米国が仕組んだ世界経済混乱で資金は
ドル資産へ。ただし、ドル/円はダメ押しも!?2011年07月15日(金)東京時間 18:25 文字サイズ この記事を印刷する
ブックマーク ■上下に振れた今週の米ドル相場
足元の為替相場は目まぐるしい展開となっている。7月8日(金)発表の米国雇用統計の結果が芳しくなかったことから「米ドル売り」が先行したものの、今度はイタリア国債の暴落で「イタリア危機」の様相を呈し、リスク回避型の「米ドル買い」が進行した。
ユーロ/米ドルは一気に1.3837ドルレベルまで売られ、ドルインデックスは一時76.72まで上昇し、3月16日(水)以来の高値を更新した。
ユーロ/米ドル 4時間足
(リアルタイムチャートはこちら → FXチャート&レート:ユーロ/米ドル 4時間足)
そして、そのまま「米ドル高」の基調が定着するかと思いきや、FRB(米連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長の発言で状況は一変し、再び「米ドル売り」に転じた。
このバーナンキ議長の発言には、特に新味はなかった。ただ、新たな量的緩和策、すなわち「QE3(量的緩和策第3弾)」実施の可能性を否定しなかったため、市場関係者はいっせいに米ドルのロングポジション(買い持ち)を手仕舞おうとしている。
もっとも、米ドルが底打ちして反転するというシナリオは、リスク回避型の「米ドル買い」によるものである場合が多い。
だが「QE3」が実施されれば、米ドルそのものが「リスク資産」となりかねない。そのため、「QE3」の観測が高まるにつれて、米ドルが下げに転じているのは自然な成り行きだ。
何しろ、量的緩和とは、米ドルを「無節操」に刷ってバラ撒くことを意味するのだ。これはある意味では、基軸通貨の地位を悪用した政策とも思われる。
■世界経済が混乱に陥り、経済成長が滞る可能性が出てきた
追い打ちをかけるように、先のムーディーズに続き、S&P(スタンダード&プアーズ)も今週に入って、米国債の格付け見通しを「ネガティブ」の方向に修正する動きを見せた。「米国のソブリン危機」の前夜といった雰囲気が醸し出されている。
その背景には、目先では米国債の債務上限引き上げの問題、中長期では米国の財政赤字問題の深刻化があり、米国債の最高ランクの格付けが失われるのではないかといった危惧が高まっているようだ。
「米国のソブリン危機」+「QE3」という最悪の事態が起きた場合、「リーマン・ショックの数十倍の破壊力を持つ金融危機に陥る」と警告を発している市場関係者もいるほどだ。
前回のコラムで、筆者は今の状況を「世界ソブリン戦争」と表現したが、足元の展開はまさにそのとおりだ(「ムーディーズの『奇襲』に米国政府の影!『世界ソブリン戦争』の戦端は開かれた!!」を参照)。
ユーロ圏内の状況が悪化を続ける中で、ギリシャのデフォルト(債務不履行)は回避できないというコンセンサスが広がりつつあり、ユーロ圏の内部で暗黙の了解が得られているという話も聞こえてくる。
その上、中国の地方政府の債務が危険な水準に近づきつつある中で、中国政府が近日中にハードランディングを引き起こすと予測して、中国株や人民元を空売りするファンドも続出している。
実際のところ、ウォール街では、米国市場に上場する中国系企業の多くが「ショートチャイナ」という合い言葉で突き落とされ、株価暴落を演じてきた。これには不正会計問題も一因としてあるが、「中国バブル」の崩壊が近いといった見方も、その背景にあるようだ。
以上のことから、これから世界経済が混乱に陥り、景気が失速して経済成長のスピードがダウンすると多くの市場関係者は危惧している。
■世界情勢が混乱すればするほど、米ドルに有利になる
さて、このようなムードの中で、為替の問題だけに絞って検討すると、「世界ソブリン戦争」だからこそ、足元の状況は米ドルに有利に働くと筆者は思っている。
詳細な話をする前に、「世界経済が混乱すればするほど、米ドルにとって有利」という大原則を思い出してほしい。
あの「リーマン・ショック」が本家の米国で発生したにもかかわらず、米ドルと米国債がその恩恵をもっとも多く受けたということが、その何よりもの証拠だろう。
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05. 2011年7月20日 09:27:52: Pj82T22SRI
>>05 米大統領:上院超党派の財政案を支持−「極めて重要な一歩」(1)
7月19日(ブルームバーグ):オバマ米大統領は上院の超党派議員グループが提案した財政赤字削減計画に対し、政権が取り組んでいるアプローチに「おおむね一致している」と評価し、支持を表明した。
オバマ大統領は19日、ホワイトハウスで、上院超党派議員6人の案が復活したことは「朗報だ」とし、赤字削減や債務上限引き上げ交渉の前進につながる可能性があるとの認識を示した。
同大統領は「意地を張り合っている時間はもうない」と指摘。8月2日の期限までに債務上限が引き上げられるために残された時間はなくなりつつあると述べた。米財務省は同期限までに上限が引き上げられなければ米国がデフォルト(債務不履行)に陥るリスクがあるとしており、デフォルトは金融市場に混乱をもたらすとみている。
大統領は上院超党派議員が提案した10年間で債務を約3兆7000億ドル(約290兆円)削減する同計画は「極めて重要な一歩だ」と発言。政権はこの提案をまだ深く分析してはいないものの、「同じ立場に立っている」と述べた。
さらに、両党の議会首脳との協議がホワイトハウスで今週再開される可能性があるとの見方を示した。
記事に関する記者への問い合わせ先:Julianna Goldman in Washington at
jgoldman6@bloomberg.netRoger Runningen in Washington at 1884 orrrunningen@bloomberg.net
記事に関するエディターへの問い合わせ先:Mark Silva at msilva34@bloomberg.net
更新日時: 2011/07/20 04:42 JST
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/458.html#c5
08. 2011年7月20日 09:28:39: ef6LU18j7Q
本土上陸台風経路(2000年〜2007年上陸28台風 龍ヶ崎市HPより
http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/var/rev0/0001/1374/tyhtrack.jpg
情報弱者さんは
今回の台風の経路だけで思考停止して
かつてあったかどうか調べようとも思わなかったのでしょうかね
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/387.html#c8
02. 2011年7月20日 09:30:03: jw9soE2gD6
だんだん御用学者の馬脚を現して来たな。
長いものには巻かれろの思考を押し付けようとしている。
断固として政府と闘い、とんでもない暫定基準値をやめさせる、
全品検査を行わせるという思考がない。
賢明な母親なら、たとえ一時的に食費が倍増しようとも
子供と家族の健康を守るために奔走するはずだ。
その動きが広がれば売る側も無視はできないのに、
我慢、諦めで済ませようとする弱い日本人。
ヨーロッパなら政権がいくつも吹っ飛ぶような大事件なのに。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/545.html#c2
http://www.cyzo.com/2011/07/post_7943.html
【元木昌彦の「週刊誌スクープ大賞」第100回】
日本の被曝医療構造はピラミッド型? 切り捨てられる低線量被曝(日刊サイゾー)
「週刊朝日」7月29日号
第1位
「福島第一原発"最高幹部"が語るフクシマの真実(後編)『新工程表はデタラメ』」(「週刊朝日」7月29日号)
第2位
「被曝医療 市民の検査はできません」(「AERA」7月25日号)
第3位
「独占スクープ告白『わが子のオシッコからセシウムが出て』」(「週刊現代」7月30日号)
福島の子どもたちを夏の間だけでも北海道あたりへ「疎開」させる運動を、仲間と始めようと思っている。
これは先週(7月13日)、大阪・熊取にある京大原子炉実験所へ小出裕章氏を訪ね、話し合ったことがきっかけになった。
小出氏はかつて原発の平和利用に憧れを抱き、大学で原子力工学を学んだが、その後、原発の危険性に気が付き、現場に踏みとどまり、反原発の先頭に立っている人である。
小出氏の主張は一貫している。低線量でも人体には必ず影響がある。どんなにわずかな被曝でも、放射線がDNAを含めた分子結合を切断・破壊することは、これまで放射線の影響を調べてきた国際的な研究グループが認めている。
しかし、時間を戻せない以上、私たち大人は、放射線によって汚れてしまった環境の中で、汚染された食べ物を食べながら生きるしかない。
だが、放射線への感度が高い子どもたち、原発に何の責任のない子どもたちには、安全なものを食べさせてほしいし、できれば即刻、放射線量の少ないところへ避難させてあげてほしいと語った。私を見つめる目は「深刻」であった。
「現代」の記事は、福島市に住む子ども10人のオシッコを検査した結果、全員からセシウム134と137が検出されたことを受け、その親たちにインタビューしたものである。
この報を受けた斑目春樹原子力安全委員長や高木義明文科相は、健康への影響は考えられないと一顧だにしなかった。
政府のあまりにも無責任な対応に怒り、一人の親は、息子2人を兄の住む街に避難させることを決め、もう一人は、妻と息子を新潟の佐渡へ避難させた。
彼らが選んだ苦渋の決断は、多くの迷っている親たちに勇気を与えたはずである。
本来は、県や市町村、もっと言えば、国がやるべきことであるはずだ。しかし、権力争いに明け暮れるバカな政治家たちに期待しても無駄であろう。
そこで、まずは100人ぐらいの単位で、小学生以下の子どもを北海道へサマーキャンプに行かせ、思う存分自然と遊ばせてあげようという計画である。
苦しい避難生活ではなく、楽しい疎開生活をさせる。それがきっかけになって、多くの親たちが動き出し、国に疎開を求めていけば、いくら無責任な政治家でも動き出さずにはいられないはずだ。
親の世代や高齢者は、戦中のようにその場に踏みとどまり、放射能で汚染されたものを食べながら生き抜いていくしかない。それが原発を止められなかった者の責任と覚悟であると、小出氏から学んだ。
余談になるが、小出氏のところを辞する間際に、電話がかかってきた。そうした時間はないとすぐに切ったが、誰からですかと尋ねると、海江田万里経産相からだと教えてくれた。
面識はないと言う。菅直人に反旗を翻した海江田が、何用あって反原発のカリスマのところへ電話を寄こしたのだろうか。
第2位は、読んでいるうちに腹が立ってしょうがない「AERA」の記事である。
福島県二本松市の三保恵一市長は、独自に放射線量を測っている。原発事故発生当初は毎時5〜8マイクロシーベルトもあり、最近は少なくなってはいるが、7月2日は毎時1.30マイクロシーベルトで、福島市や郡山市を上回っている。
悩んだ市長は、子どもたちの外部、内部被曝を調べ、どういう医療を施せばいいのかを検討するため、ホールボディカウンター(全身測定装置、WBC)で調べてもらおうと、福島県立医科大学付属病院に懇請したが、「一般市民の検査はできない」と、あっさり断られてしまったのだ。アメリカでは、被曝医療は感染症対策と同じように、普通の公衆衛生行政として扱われている。
拒否した理由は、日本の緊急被曝医療体制にあるというのだ。被曝医療は厚労省ではなく文科省の担当である。
現在のような緊急被曝医療体制が作られたきっかけは、1999年9月に起きたJCO東海事業所での臨界事故による。多量の放射線を浴びた作業員3人のうち2人が死亡した(この2人のうち、大量の被曝をした大内久さんの、83日間にわたる壮絶な闘病と医師の必死の救命活動を記録した、新潮文庫のNHK東海村臨界事故取材班の『朽ちていった命』をぜひ読んでいただきたい)。
この事故に狼狽した原子力安全委員会は、「緊急被ばく医療のあり方について」という報告書をまとめ、緊急被曝医療を担う医療機関を、初期的・救急的診察をする原発近辺の医療機関を1次にするなど3段階に分けたのである。
今回、診察を断った福島県立医大付属病院は2次機関に位置付けられ、断った理由は、原発構内の高線量被曝者や半径20キロ圏内での警察や消防関係者への対応が役割だからだというのだ。
先の報告書では、放射線によって健康不安を抱く住民への精神的ケアを施すことを促してはいるが、低線量被曝は緊急医療の対象とはしないという原則が明確にされていると、記者は追及している。
さらに、低線量被曝を切り捨て、ピラミッド型の被曝医療構造を文科省に置いたままにしたのは、原発推進派に都合のいい被曝医療体制の構造作りに医学界が協力したのだと言及している。
それは今回のように、大人口が被曝し、医療需要が極端に膨れあがったら、その騒ぎだけで反・脱原発の機運を高めることになる。そのことを恐れてのことだろうと推測している。
数千人以上の被曝者に接してきた肥田舜太郎氏は低線量被曝についてこう語っている。
「微線量でも障害が生じる可能性があることは、海外の医学界の常識です」
こうした医学界ぐるみの原発擁護と重大な情報の隠ぺい体質が、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータ一時隠ぺいや、年間20ミリシーベルトの被曝まで許容するという許し難い校庭利用基準が、文科省から福島県側への通知だけで事足れりとすることに表れているのである。
これほどの事故が起こっても、いまだに原発を守り、東電を存続させようと画策する、政治家、官僚、財界の悪のトライアングルを破壊しない限り、福島の住民はもちろん国民の健康は顧みられることはない。
今週も第1位は、「朝日」の「最高幹部が語るフクシマの真実」の後編である。
前編がきっかけとなり、他のメディアも福島第一原発の現状や、工程表のいい加減さを競って取り上げている。
今回は、東電が4月19日に発表した工程表は、現場の意見を無視したものだったということが明らかにされる。フクイチの現場からは1年半というスケジュールを出したのに、これでは菅総理が納得しないと本社が9カ月に短縮してしまったのだ。
現在の作業を妨げている最大の要因は、汚染水。もし核燃料がメルトスルーしているならば、汚染水は非常な高濃度になっているから、チェルノブイリで日本の技術がしたように、地下にトンネルを通し、セメント、ベントナイト(粘土鉱物)などを注入して固めてしまう方式にしたいが、国土交通省と経産省の連携がうまくいかず、適切な対応策が講じられていないという。
さらに1〜4号機から白い煙が出ている。あれは水蒸気だが、その「湯気」の中にはやはり、放射性物質が含まれていると言っている。
また、3月11日午後3時36分に1号機で水蒸気爆発が起きたが、その後の政府の避難指示のやり方が拙かったと率直に話す。
「現場ではもっと広い範囲、少なくとも半径50キロは避難していると思った。(中略)避難範囲が半径30キロ圏内と聞いたときも、『大丈夫か?』と思ったのが正直な印象ですね。(中略)爆発が相次ぐ中、当時私自身、半径30キロどころか、青森から関東まで住めなくなるのではないかと思ったほどです。本社と政府の話し合いで決まったんだろうけど、余震の危険性などを考えれば、最低でも50キロ、万全を期すならば半径100キロでも不思議はなかった。(中略)いま原発は何とか安定していますが、放射性物質がかなり飛散しているのが実態です。避難地域の見直しが必要だと思います。実際、もう半径20キロ圏内は戻れないと、そろそろ発表してもいいんじゃないか。子どもたちが学校に通うのは無理です。最初からもっと広範囲で避難させていればと悔やまれます」
最高幹部は、フクイチから上げられる膨大な量の情報のうち、国民に公表されているのはその10%、いや、1%かもしれないというのである。
現場と本社は衝突ばかりで、情報公開を巡り、本社幹部は、「そんな情報が保安院や政府に分かると、大変なことになる」と言い放ち、最後にこう言ったそうだ。
「私の立場や出世はどうなるんだ。キミは分かっているのか!」
原発を担当してきた官僚たちの責任追及、東電解体をしてからでなくては、脱原発、再生可能ネルギー政策を考えるわけにはいかないと、私は思うのだが。
(文=元木昌彦)
撮影/佃太平●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
06. 2011年7月20日 09:31:41: 7WZekNACgc
中国四千年の歴史は「官吏の腐敗」に彩られている。否、「官吏の腐敗」のなかった帝国は無かったと言って過言ではない。
当に彼の国の伝統と言うべき。
恐らく今後何年経とうと、政体が変わろうと、これは変わらない。
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/818.html#c6
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011071900751
小倉会長、女子W杯招致へ意欲=サッカー
日本サッカー協会の小倉純二会長は19日、女子ワールドカップ(W杯)の日本招致について、「ぜひやってみたい。2019年以降は決まっていないので、関係者と相談しながら狙っていきたい」と改めて意欲を見せた。日本代表が優勝した女子W杯ドイツ大会視察などから帰国し、成田空港で取材に応じた。次回の女子W杯は、15年にカナダで開催されることが決まっている。
また、ドイツ大会での日本女子の優勝について、国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長らに「パスをつなぐ日本のサッカーは素晴らしかった。女子サッカーは変わってきている」と絶賛されたことを明かした。 (2011/07/19-19:51)
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http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/105.html
03. 2011年7月20日 09:36:09: yAZZCLUgJo
>>02さん
貴重な情報、ありがとうございました。
牛肉ユッケの問題は、当事者処罰で終わったのですね。
う〜〜〜ん、ずいぶん大きな力が働いたのでしょうね。
政治家も、自分の儲けばかり考える方ではなく、国民の為に働いてくださる方を選ばなければなりませんね。
原発利権団体、電力利権団体、食肉利権団体、各利権団体の代表者が国会議員なのが問題なのでしょうね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/537.html#c3
03. 2011年7月20日 09:36:42: ZPE8dRWurk
>断固として政府と闘い、とんでもない暫定基準値をやめさせる、
>全品検査を行わせるという思考がない。
それはあんたがかってにやればいいんだ。人に押し付けるな。
武田さんはタレント学者のなかでは一番信頼できる人。悪口を言っている暇があったらその歪んだ性格をなんとかしろ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/545.html#c3
01. 海幸彦 2011年7月20日 09:37:00: jY0c1QUHK1KaM : 3mojW9e0OQ
そろそろ英米仏の地上作戦始りますね。
カダフィー大佐の軍は40万人前後です。
米国6戦線:
対アフガン
対イラク
対リビア
対パキスタン
対イエメン
対ソマリア
対シリアも始める様です。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/796.html#c1
11. 2011年7月20日 09:37:11: 3Sz5bSNGFo
★「月と星」と称する自主制作投稿者・・
カルト「幸福せの科学」の工作員でしょ?
************
ほかにも・・英語3文字の工作員がおるようだが?
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/160.html#c11
01. 2011年7月20日 09:37:39: BCWAsi5be6
「みんなの党」よ。「脱原発」という姿勢はいい。 でもそれを言うならもっとハッキリ主張すべきだろう。 「破綻している『核燃料サイクル施設』は廃棄せよ」と。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/543.html#c1
01. gataro 2011年7月20日 09:37:46: KbIx4LOvH6Ccw : IBBS2pmUMM
タイトルすぐ下にある 「週刊朝日」7月29日号 の文字は不要です。無視してお読みください。
それにしても海江田経産大臣は何の意図があってkaieda、面識のない小出助教に電話をかけてきたんでしょうか?気になりますね。
お知らせが遅くて申し訳ないんですが、今夜、カールトンの労働会館(Trades Hall)のNew Council Chambers(2階に上がって奥のほうにあるホール)で7時から、同映画が上映されます。
これはメルボルンをベースにしている日本人のグループ、Japanese for Peace(JfP)が主催で、監督の鎌さんも丁度豪州に遊び(?)に来るから、この話が急遽決まったと聞きました。鎌さんには2003年ハンブルグの会議で会っているけど、その後私が書いた「劣化ウラン反対運動の誤り」(と、その続編)で嫌われたかも? でももし今夜行けたら、久しぶりに会ってきます。反核の思いでは繋がっているはずなので。
JfPはリーダーが「9/11には触れたくない」というタイプの人なので
残念ながらその根幹が抜けているのだけれども、上映会やコンサートなどを通じて反戦、原爆、原発の問題などをメルボルンの人々に訴え続けて立派な活動をしています。新しいメンバーも多いようなので、そのなかからひとりでも多く、9/11もイルミナティやNWOも見える人が出ることを祈っています。
鎌さんをインタビューしている映像があったので、載せておきます。
小出さんもチラッと出てるけど
「百万年間漏れないようにしなきゃいけないという、そういうことなんですよ」
と言っているとき、(人生の先輩に対し失礼ながら)可愛い顔してます。(^^;
*また奇妙な妨害が始まっていて- 私がブログに載せている動画、大き目のサイズにしてもちゃんと見えていたのに、つい先日から大きくすると、右の方が右にあるリンク集などの情報で隠れて見えないようになってしまった。自宅以外で見てもそうだったので、仕方なく、小さめのサイズで載せています
鎌さんのインタビューは英語ですから返答も英語ですが、
イラクで知っていた少女が「私を忘れないで」と鎌さんにメモを残して死んだことから反核(反DU)の映画を撮るようになって、もう3本作っている。日本人は日本で何が起きているかに無関心で、「社会的な覚醒」も見られずにいたけど、福島の事故後、これから本当の民主主義になるだろう
と語っています。
会場は、以前私がアレックス・ジョーンズの"Terror Storm"を見せた場所で(当時の宣伝↓)、
"Kids are small but kids are smart!
We know about 9/11!!"
子供たちは小さいけど、賢い
私たち(子供)だって、9/11のことを知っている!
(終わったあと"Up Next"に出てくるシドニーでは、運動のリーダー等がスパイだけど)
今夜の上映会は、午後7時から9時半まで。
鎌さんへのQ&Aコーナーもあるそうです。
★転送・転載の際は、この記事のURL
http://insidejobjp.blogspot.com/2011/07/blog-post_20.html
を必ず入れてください。
一人でも多くの人々に読んでもらうため、
これを読んだあなたも周りの人々に知らせてくださいね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/549.html
157. 2011年7月20日 09:44:44: 4fBJ0gfJIc
例年なら今日くらいが2ちゃんねるに「セミの声が聞こえない」スレが立つ時期
ちなみに去年
東京都副知事の猪瀬直樹氏もTwitterで
「今年は猛暑なのにセミがいない」(7月25日)とつぶやいている。
特に今年は6月から猛暑が続き、夏の訪れが早く感じられたことから
まだセミの時期ではないにも関わらず違和感を覚える人が多かったのだろう
11. 2011年7月20日 09:44:53: yAZZCLUgJo
広瀬さんを支持します。
告発した事件の判断には、世論の動向も重要な判断材料になると思います。
世論喚起にも協力いたします。頑張ってください。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/530.html#c11
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E6%B8%A1%E5%88%A9%E7%A7%8B
樋渡利秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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樋渡 利秋(ひわたり としあき 1945年8月4日 - )は第24代検事総長。TMI総合法律事務所顧問(第一東京弁護士会所属)。
目次
1 人物
2 略歴
3 関連項目
4 脚注
[編集] 人物
兵庫県出身。東大在学中に司法試験に合格。卒業後、司法修習を経て検事に任官。その後、リクルート事件で文部省ルートを担当し、日本赤軍によるダッカ事件で主任検事を務めた。また、司法制度改革審議会では事務局長を務め、反対意見の根強かった検察内部では、「国民のための司法改革。プロは好き嫌いを言ってはいけない」と主張するなど、裁判員制度創設に深く関わった[1]。
[編集] 略歴
1945年 8月4日生
1964年 甲陽学院高等学校卒業
1968年 東京大学法学部卒業
1970年 司法修習修了(22期)と同時に東京地方検察庁検事に任官。
1971年 松山地方検察庁検事
1973年 東京地方検察庁検事
1975年 宇都宮地方検察庁検事
1978年 東京地方検察庁検事
1978年 外務大臣官房領事移住部(現領事局)
1980年 東京地方検察庁検事
1983年 札幌地方検察庁公安部長
1986年 東京地方検察庁検事
1992年 東京高等検察庁検事 兼 最高裁判所司法研修所教官
1995年 法務大臣官房審議官(入国管理局担当)
1997年 最高検察庁検事
1997年 大分地方検察庁検事正
1999年 法務大臣官房総務審議官
1999年 内閣官房内閣審議官 兼 内閣司法制度改革審議会事務局長
2001年 内閣官房司法制度改革推進準備室長
2001年 最高検察庁総務部長
2002年 法務省刑事局長
2004年 法務事務次官
2006年 広島高等検察庁検事長
2006年 東京高等検察庁検事長
2008年7月1日 第24代検事総長
2010年6月17日 検事総長を退任、法務省を退職。8月の定年まで2か月足らずだった。
2010年9月 弁護士登録(第一東京弁護士会)、TMI総合法律事務所顧問
[編集] 関連項目
検察
検事総長
事務次官等の一覧
裁判員制度
[編集] 脚注
[ヘルプ]
^ 第24代検事総長に就任した樋渡利秋さん(産経ニュース、2008.7.1)[リンク切れ]
表・話・編・歴 検事総長
大検事(大審院詰)
検事長(大審院詰)
勅任検事(大審院詰) 岸良兼養 / 鶴田皓
大審院検事長 渡邊驥 / 名村泰藏 / 三好退藏
検事総長(大日本帝国憲法下) 三好退藏 / 松岡康毅 / 春木義彰 / 横田國臣 / 野崎啓造 / 横田國臣 / 松室致 / 平沼騏一郎 / 鈴木喜三郎 / 小山松吉 / 林頼三郎 / 光行次郎 / 泉二新熊 / 木村尚達 / 岩村通世 / 松阪廣政 / 中野並助 / 木村篤太郎 / 福井盛太
検事総長(日本国憲法下) 福井盛太 / 佐藤藤佐 / 花井忠 / 清原邦一 / 馬場義續 / 井本臺吉 / 竹内壽平 / 大澤一郎 / 布施健 / 神谷尚男 / 辻辰三郎 / 安原美穗 / 江幡修三 / 伊藤榮樹 / 前田宏 / 筧榮一 / 岡村泰孝 / 吉永祐介 / 土肥孝治 / 北島敬介 / 原田明夫 / 松尾邦弘 / 但木敬一 / 樋渡利秋 / 大林宏 / 笠間治雄
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/106.html
158. 2011年7月20日 09:45:44: 4fBJ0gfJIc
おおう、途中送信しちまったぜ
これは集団催眠とでもいうのか、人間の心理は面白いな
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/468.html#c158
07. 2011年7月20日 09:46:00: ZPE8dRWurk
最近おもうのだが、じつはずっとまえから放射能汚染は進んでいたのではないのだろうか。
こんな大事故でも起こらなければだれもヒラメの放射能なんか調べない。
おれはもうずっと大昔から原発汚染は進んでいると見ていた。
原発のあるところは近海の海草の放射能汚染度を調べてみるがいい。びっくりするような結果になると思うね、おれは。
つまり、逆にいえば日本人はずっと放射線汚染食品を食べていたのだ。
近年、27年間、癌の死亡率がトップになっているが、これは原発の建設ラッシュと関係しているといえなくもない。
東電が苦々しく思っているのはきっと、いまに始まったことじゃなくじつは放射能汚染はずっと昔から進んでいるのに、
いまさら大騒ぎしやがってということではないか。
でないと保安院や東電の落ち着きぶりが理解できないのだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c7
01. 千早@オーストラリア 2011年7月20日 09:52:16: PzFaFdozock6I : EIOdionqAo
大半の読者には関係ないでしょうが、冒頭部分を
New Council Chambers
(2階に上がって奥の階段を上がったあと、そのまた奥の方にあるホール)
に訂正しておきます(実質、3階だってこと)。
#これを見て来場される方が万が一にもいる可能性を考慮して。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/549.html#c1
02. 2011年7月20日 09:52:35: jw9soE2gD6
>これまでの放出分を除き、現時点で外部に出ている放射性物質による被曝線量
で、これまでの放出分はどうするの?日本中に降り積もり、海にもドクドクと流れ出た放射性物質を、
10年かかろうと、100年かかろうと、東電の責任で回収し、取り除くことが、
工程表に当然記載されるべきではないか?
それができないのであれば、早く罪状を認めて会社をたため。
「我々は取り返しのつかないことをしてしまった。原発を扱う資格はない。全ての被害を賠償する能力もない。」と認め、会社の資産は元より歴代幹部の私財を売り払って賠償に当てろ。それが何だ、節電しろ、われわれの年金に手はつけないでくれ、だと?
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/541.html#c2
27. 2011年7月20日 09:52:58: ZPE8dRWurk
今回、思わず小出が口に出してしまったことは官僚の発想なんです。
自分を優秀な頭脳だと思い込んでいるインテリ連中が、しらずに、つい陥る「優性思想」以外の何ものでもない。
どんな死にかけの老人だって放射能汚染食品なんか食べたくないし、食べろと他人に強制される必要はない。
子どもの命も大切だが、死にかけの役立たずの老人の命だって大切だ。そこに差別も区別もありはしない、
というのがわたしたちの知性の前提だ。
何を食い、何を食いたくないかは、個々人のまったくの自由。他人があーせい、こーせいなんて強制することはできない。
ましてや子どもに食わせてはいけないが大人ならいい、だから、福島の産物を流通させるべきだ、
なんて、この官僚(京大は国立だから小出も官僚の一人だ)学者はいったいどんな権利でそんなことをいうのか。
こいつはやはり官僚以外のなにものでもない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/510.html#c27
17. 2011年7月20日 09:57:11: DJdjAfoRdA
スズキのワゴンR乗っていたが、よかったよ。スイフトにしようかと思ったけど、別のにしてしまった。車はそうそう買い替えられないから当分だめだけど、スズキのような会社のなら乗ってもいいと思う。原発がなくなればいい、そういう会社が増えて来てほしいね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/506.html#c17
03. 2011年7月20日 09:57:53: gFvm5brfRA
博士、おはようございます。
オンナ 好きですよ。
たまらん。(爆笑)
メンタル界でしかお目に掛かれないのですな。
オンナの悪魔・・・。
その悪魔の乳のふくらみの曲線とか太ももの美とか・・・
それらは、やっぱり幻、インチキの神業なんじゃね。
>メンタル界までは、すべて、幻、インチキ、なのです。
この思考、エゴだけの、メンタル界からの、
離脱が、悟りへの、一歩なのです。
これが、今なのです。
これが難しいのです。
過去でも、未来でもなく、
今、今、今、
この瞬間、エゴから、離れよ、と言う意味なのです。
博士、この世は特殊な霊界というらしいですが、↑ のように離脱する
努力をしなければならない誠に苦しいこの世なのですな。
つまりこの世は修行の場だと?
それも自己責任で。
あの世の天国の門におられる門番の閻魔大王さま(博士はそんなものは
おらんというが、まあ、ええじゃないですか。(笑))の御前では、
この世での行いは何もかもバレバレで、ウソは一切通じぬらしい。
でも、悟りをちょとでも開いたものは、閻魔大王さまは評価してくださる
ということなのですね。
だからエゴから離れよ・・・と。
今の瞬間に。
今日は朝からええことを教わったな。
博士ありがとうございます。
08. 2011年7月20日 09:59:19: K1pb7oV0F2
ま、健康に影響ないけどね
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c8
12. 2011年7月20日 10:00:46: ZPE8dRWurk
JanJanって、あのヤメ検がバックアップしていたネット新聞のことか。w
こんな媒体はクソだよ。クソ。読むに値するとはおもえないね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/530.html#c12
12. 2011年7月20日 10:04:38: BCWAsi5be6
本当だったの?このニュース。 いかにもアメリカ的この発想。 日本人として恥ずかしい。日本人として許せない。(けどアメリカにもNO!の声はあるよね) 無知と貧困に突け入る強欲亡者、これ以上日本の名誉を貶めないでくれ。 こんな恥知らずな行為、即刻政府は撤回すべきだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/489.html#c12
01. 2011年7月20日 10:07:49: wIcpB1Tc7I
世界で最も美人な女子サッカー選手25人
http://gigazine.net/news/20110719_female_soccer_players/
ますます加速する格差社会、貧富の差が広がり続けてる事が明らかに!
http://www.gizmodo.jp/2011/07/post_9076.html
地球6度目の大量絶滅期、大型捕食動物が減少へ(米研究)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52026915.html
>2011年05月30日に指摘され・・・
>放射能汚染肉販売?ほんの一例?
>冷凍しほとぼりを待つ?総量どの位?
福島の牛 2011-5-30日
http://www.nikaidou.com/archives/13848
関西方面に東北・福島牛流れる・・・もう解らんね。
http://www.nikaidou.com/archives/13831
検索→ アメリカ 食肉 マフィア
検索→ スペイン 畜産 マフィア ・関連など?
検索→ イタリア 食肉 マフィア
検索→ 中国 畜産 マフィア
検索→ 食肉 マフィア 中国
01. 2011年7月20日 10:11:18: K1pb7oV0F2
>チェルノブイリの教訓
過剰に放射能の恐怖を煽る事が住民に精神的ストレスを与え
ひいては体調を悪化させ、免疫力の低下を招き
数多くの健康被害の引き金となった
チェルノブイリ最大の悲劇は
する必要の無かった大規模強制疎開によるコミュニテイの崩壊であった
これが住民に与えた精神的健康的経済的被害は計り知れないほど甚大なものであった
放射能が住民に与えた健康被害は一部甲状腺等への被害をのぞくと
予想されたものよりはるかに軽微であった
以上がホントに教訓とすべき事
したがってこれから出て来る結論は一つ
妄想は相手にしてはいけない
02. 2011年7月20日 10:11:31: tUmLmmqu0Y
確かに小出さんが少し出ている
イラクの白血病の少女が悲しい
菅よ、今すぐ福島の子供たちを避難させよ
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/549.html#c2
http://3620065.at.webry.info/201107/article_13.html
国民に背を向けているはずがない国会議員たちだが、
なぜか国民の意思に反した動きをしているようにしか観えない。
その原因がマスコミ報道にあることは明らかである。
国民の声が届かないのではなく、
議員生命の温存のためマスコミに狙われたくないという心理が働き、
どうにもこうにも思うように動けないというのが本音ではないのか?
これで立法府所属の議員が務まるというのだから、
本当にムダなこともあるものだと思う。
一方、どんなことでも休み休みやらねば疲労困憊して倒れてしまうため、
多少は許されることだが、何か時間が無駄にすぎてゆく感も否めない。
昨日、石川知裕衆議院議員の「悪党〜小沢一郎に仕えて」の
出版記念パーティーに集まった国会議員の顔を観て、そんな感じを持った。
ひとり一人の議員の顔は知らない人のほうが多かったし、
やはりテレビ、新聞に載る顔しか見覚えがないから仕方がない。
会う機会がなければ知りえようはずもないのだ。
今更ながらマスコミの影響力の大きいことに驚くばかりだ。
このマスコミが国民の側に立つことはない。
支配のツールとして作られた機関なのだから、
それを求めても無理なことである。
それでは国民の側に立った議員になってもらうにはどうすればよいのか?
それは有権者国民が厭きずに議員を支援し続けることしかない。
石川知裕議員は小沢一郎氏を狙ったハシゴ(佐藤優氏の言葉?)として、
東京地検特捜部に逮捕され今、裁判中の身である。
しかし、政治家として、
またひとりの人間として身の潔白に自信を持っているように観えた。
この試練の渦中にある石川氏には益々頑張ってほしい。
「悪党〜小沢一郎に仕えて」の帯には、
その思想、選挙戦術、日常の素顔から、知られざる弱点まで――。
政治資金規正法違反容疑で逮捕・起訴された元秘書が、
覚悟を込めて明かす、誰も書けなかった小沢一郎論。
「擁護」でも「排除」でもなく、等身大の政治家像を描き出す。
佐藤優氏も絶賛!
「この本は危ない。誰も書けなかった小沢一郎がいる」
とある。
既に2万部が売れ4刷りとなるという売れ行きだという。
小沢一郎氏のイメージはマスコミ偏向報道で作られたものであるが、
秘書として仕えた石川知裕氏の眼を通した小沢一郎氏の姿はどうなっているのか?
パーティー後にお土産として頂いた、
「悪党〜小沢一郎に仕えて」を早速、読んで見たくなった。
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/679.html
23. 2011年7月20日 10:15:11: sSejvHYdgY
Yo! B outie!(LMAO)
B dunno. L2W!
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/505.html#c23
02. 2011年7月20日 10:15:44: K1pb7oV0F2
>チェルノブイリ後のドイツに学ぶ
はい、ドイツでも大騒ぎでした
しかし、結局妄想されていた健康被害は起きまでんでした
メデタシ、メデタシ
04. 2011年7月20日 10:18:00: K1pb7oV0F2
>どう乗り切るか
普通に生活してぜんぜんオッケー
何にも問題ありません
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/545.html#c4
24. 2011年7月20日 10:18:34: CgPxaWt6OI
>>22.
追加:「哲野イサクの地方見聞録」http://www.inaco.co.jp/isaac/に、
ECRR=欧州放射線リスク委員会の資料あり。ICRPのも。
中でも、『(ECRR2010年勧告(日本語)「There is no safe dose of radiation(放射線に安全な線量はない)」PDF』は必見である。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/505.html#c24
21. 2011年7月20日 10:19:51: Uu25dzSZXs
トイ・ストーリーの映画は見ていないのですが、御蔭さまで、
バブル化ネタにされ酷い目に遭った当時を思い出し、ひとつメールしました。
>Sent: Wednesday, July 20, 2011 10:02 AM
>Subject: お元気ですかー? 食う・寝る・遊ぶ
>1988年9月1日、発売された、セダン型車の日産セフィーロ。
>そのCMは、フォーク歌手・井上揚水さんが
> 「お元気ですかー?」
>と言い、『食う・寝る・遊ぶ!』と言うコピーだった。
>私は、自分が馬鹿にされていると思った。
>以前、メールしましたが、
>88年正月、行者の大伯母が
> 「ま、暫くは、(何もせず)じっと しておきない。 観音さんが言うから仕方が無い。」
>と言われ、目立った行動をせず、沈黙を保っていたが いつまでなのかが解らなかった。
>だんだん、苦しくなり、逃げようとしたネタの中に
> 寝る・食う・遊ぶ
>と言うのがあり、フジTVの深夜番組で馬鹿にされていたのか、次々と映し出される
>中にも入っていたものです。
>偶然ではなく、誰かが、採用したものだろう。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/388.html#c21
09. 2011年7月20日 10:21:03: lrPNzZkVrM
↑
>
ま、命には、影響大ありだけどね)
という意味かい??
45. 2011年7月20日 10:21:25: DX5BClOpgQ
35です
浅見さん、ご親切にお答えありがとうございました。
もともと理系に弱く、でも、311以降疑問だらけで、命に直結する問題ですから、にわかに頭に詰め込んだ(つもりの)言葉で質問を繰り返してしまいました。
台風の進路が気がかりです。
どうか皆様に被害がおよびませんように。
福一建屋も倒壊しませんよう祈っています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/441.html#c45
01. 2011年7月20日 10:21:54: Pj82T22SRI
http://jp.wsj.com/Economy/Global-Economy/node_276139
ユーロ圏は経済統合の深化を=IMFが年次審査報告
2011年 7月 20日 9:24 JST
【ワシントン】国際通貨基金(IMF)は19日、ユーロ圏に対する年次経済審査報告を発表、欧州諸国は通貨同盟としてのユーロを危機に陥れている債務危機に耐えられるよう経済統合を深化させる必要があると訴えた。
イメージ AFP/Getty Images
IMFは、ギリシャなどの債務問題がユーロ圏の将来に影を落としているとし、「各国政府の対応は縮み志向であり、経済・通貨統合の時計の針を後退させる恐れがある」と警告。その上で、債務問題を抱えている一部の国の危機がユーロ圏全体、さらには世界に広がる恐れがあると指摘し、ユーロ圏各国の財政監視の強化など国家主権を実質的に低減させる措置を講じるよう求めた。
IMFはまた、21日のユーロ圏首脳会議を控え、ユーロ圏当局者はギリシャ支援に当たって民間の債権者の関与をめぐる不透明感を早急に払しょくする必要があると呼び掛けた。
年次審査報告は、ドイツを中心とする北欧諸国が民間需要の増加や労働市場の回復を受けて、ここ2、3カ月間予想外に力強い成長を実現していると述べ、ユーロ圏全体の今年の成長率を2%、2012年については1.7%と予想した。
記者: Sudeep Reddy
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/461.html#c1
05. 2011年7月20日 10:26:05: GHyWmNVIdc
個人的にはホットスポットの住民はどうすればいいのかを聞きたかったが
どうやら引っ越すしかないようだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/545.html#c5
07. 2011年7月20日 10:26:11: GTdx39dSTw
>7月17日いわき大集会 棄民の歴史繰り返させず、被曝のもとでこの地に踏みとどまり原発絶対反対つらぬき、福島を取り戻す!!
心がけは立派だが、最初は子ども、次に若者と若い順に病に倒れ、何十年か後、戦い続けられるほど元気な者はいなくなる。そして東電や国を訴えるものは誰もいなくなる。損害賠償が安く済み、ホッ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/503.html#c7
26. 2011年7月20日 10:26:56: 0J7slYFgPk
今頃汚染牛に驚くな。3月11日以降東北関東地域には大量の放射性物質が降り注いだことを忘れたのか。検査されたものなど、ものの数パーセントにも満たない。それも検査に先立ってゴシゴシとよく洗って洗浄し数値を低くして流通させていた食糧品で溢れていたのだ。3月4月ころはこの牛肉よりも汚染されていた食料品を摂取していたのに、周回遅れの汚染牛肉になぜあわてふためくのか理解できない。世の中には和牛など高くて手が出ない庶民がごまんといる。これから日本に住む限り汚染食品からは決して逃げられないことを自覚し自己防衛に努めるべきだ。因みに、静岡県が汚染茶をフランスに輸出して突き返されており、日本食品の評判はすでに地に落ちているので輸出を心配しても始まらない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/512.html#c26
14. 2011年7月20日 10:28:00: bb5koXnOYY
別冊「宝島」の「原発深い闇」を買って読んでいます。
最初の記事「使用済み核燃料プールはどこに消えた?」(注:3号機をめぐる不可解な動きを追っている)を読んだだけだけど、どこが「収束の方向」なのかメディアに携わる人間なら自分で検証すべきです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/511.html#c14
10. 2011年7月20日 10:31:06: aVoE1YRl5o
07様・・そうかもね・・・。
何をやって何を隠しているのか・・・
本当に、日本の政府と東電は信用できない。
本当に3/11の日の前から、原発から
汚染は流れ出ていたのかも。
よく、故障してたようだし
海の底の方には、既に放射能が溜まって
いたのかもしれないね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c10
28. 2011年7月20日 10:31:39: FcN0VgJf8c
小出さんの発言の奥にある「311以降世界は変わった」の捉え方。
この認識にあるのは、日本人として日本の国土で生きていくことの意志。
牛肉の汚染は氷山の一角。これから次々と現象化してくるのでしょう。
子どもには安全な食べ物を、大人には多少のリスクを覚悟して。
こう言わざるを得ない現実が日本の前提ですよね。
昨日、市の職員の方々と話し合いを持ちました。
課長級クラス13人の職員で、市内の独自測定と給食についての議論です。
国の定める規制値内であるなら安全だ。
市内は安心できる数値内だという考え方が職員側の基本。
市民の不安解消のために独自測定を行い、こうした場を持っているということ。
少しの汚染なら心配ないという意味。
国のモニタリングを拠り所としている職員諸兄に、
「わらは検体の対象ですか?」
「わらがだけが汚染されて、農産物は大丈夫何でしょうか?」
とおバカな質問をしてみましたが、場内は沈黙してしまいました。
”認識の違い”という壁の大きさに改めて戸惑うばかりです。
02. おっさんZ 2011年7月20日 10:31:55: vf1pLsPn/FgHY : G5q49oTzcE
>>1
と、言っている間にも放射性物質による内部被曝が進行している。
内部被曝の長期における影響については、3年を超える調査は行われておらず、誰も安全宣言をする資格など無い。
『安全かもしれないが駄目かもしれない』
『駄目だった時には手の施しようが無い』
ならば『駄目だった時』を基準に考える。
以上が国際標準、放射性物質は妄想ではない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/536.html#c2
03. 2011年7月20日 10:36:52: 2Q3XKO30E2
全ての責任は経済産業省の高級官僚と戦略を間違った政治家 東京電力の原子力推進派 似非学者にあり
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110720-00000008-mailo-l08
東日本大震災:稲わら県内にも 「値崩れ怖い」悲鳴 県、全畜産農家を調査 /茨城
毎日新聞 7月20日(水)10時27分配信
福島県内の農家で放射性セシウムを含む稲わらが肉牛に与えられていた問題で、国の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された宮城県内の業者が、本県の畜産農家にも稲わらを販売していたことが新たに判明。県内に波紋が広がった。県は肉牛、乳牛を飼育する県内約1400戸の全畜産農家を対象に、飼料の管理状況などを聞き取り調査し、21日までに結果をまとめ、国に報告する方針。畜産農家からは「問題が長引けば値崩れで餌代のために借金することになりかねない」との悲鳴が上がる。【山崎明子、鈴木敬子】
「本当は全頭検査してもらった方が安心できるんだが」。茨城町中石崎で肉牛25頭を肥育する大和陽治さん(75)は19日午後、飼料用の稲わらの保管状況の聞き取り調査に訪れた県畜産農業協同組合連合会(県畜連)の職員に本音をぶつけた。
調査では、稲わらについて「屋内やラップ等に保管していたか」「自家生産していたか」「原発事故前に収集したものか」などを聞き取る。大和さんが牛に与える稲わらは全て自分の水田で収穫した物で、冬のうちに保存用の倉庫に収めるため、「東京電力福島第1原子力発電所事故による放射性物質の影響は考えられない」と胸を張る。
それでも5月の大型連休以後、取引される牛肉の値段はAクラスでも半値近くに下落した。「牛に餌を与えないわけにはいかないが、このままでは餌代のために借金することになりかねない。問題が長引いて肉の値段が安くなることが一番おっかない」。大和さんは顔を曇らせた。
県畜連によると、宮城県内から稲わらを購入していた農家が県内に10軒ほどあることが分かっている。ほとんどが福島第1原発事故以前に収穫されたとみられるが、県は22日以降、保管されている宮城県産稲わらの放射性物質の検査を行う方針。
02. 2011年7月20日 10:39:24: Pj82T22SRI
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_276118
ギリシャの債務削減策で意見相違続く―ユーロ圏各国
2011年 7月 20日 8:48 JST
【ブリュッセル】21日のユーロ圏首脳会議を前に、ユーロ圏各国政府はギリシャ向け第2次金融支援の一環として同国の既存の債務の削減方法について議論を続けているが、意見の相違を埋めるのに苦慮している。20日には合意形成に向けて、ユーロ圏財務相会合が行われる予定。
ギリシャ向け支援について包括的な合意に達するかどうかは依然不透明で、メルケル独首相は19日、「首脳会議で目を見張る進展があるとは思わない」と慎重な見通しを示した。同首相は同日オバマ米大統領と電話会談し、ギリシャ問題の解決が世界経済にとって重要であるとの認識で一致した。
ユーロ圏と国際通貨基金(IMF)によるギリシャ向け第2次金融支援は1200億ユーロ(約13兆4400億円)規模だが、これが供与されても対国内総生産(GDP)比で160%近くに達しているギリシャの既存の債務が減少するわけではない。
IMFは19日、ユーロ圏はギリシャ向け第2次支援で民間の債権者の扱いについて早急に決定する必要があると訴えた。IMFは、ユーロ圏各国政府が優柔不断なため、国債危機を制御不能なものにしてしまう恐れがあるとの警告を繰り返している。
しかし、ユーロ圏当局者によれば、オランダとドイツはギリシャ向け債権を持つ銀行や年金基金、保険会社も損失を負担し、債務の元本減免(ヘアカット)に応じる必要があると引き続き主張している。一方、ユーロ圏の大半の国は、コストやリスクが高過ぎるとして、こうした厳しい債務再編に反対している。
現在検討されているオプションの一つは、ユーロ圏諸国の救済基金である欧州金融安定基金(EFSF)が流通市場で大幅に値を下げているギリシャ国債を購入すること。ただ問題は、国債購入が発表されれば、流通市場でのギリシャ国債の価格は上昇するとみられ、購入される国債の規模は縮小してしまう可能性がある点だ。
このオプションではまた、ギリシャの銀行が同国債保有損を補てんするための大規模増資にユーロ圏各国政府が応じるよう求めている。その場合、ギリシャの銀行は新たな担保を提供する必要がある。また国債保有について損失処理すれば、ギリシャは債務不履行(デフォルト)に陥るため、欧州中央銀行(ECB)は融資の担保としてギリシャ国債の受け入れを拒否するだろう。
フランスはユーロ圏の金融機関に新税を課し、その資金でギリシャの資金調達を支援するとの新たな提案を打ち出している。しかし、この提案には異論が多い。新税で銀行に過度な負担を掛けるとの懸念や、ギリシャ向け資産がほとんどない銀行にも負担を課すため不公平との主張が出ている。ただ、ギリシャ向け支援で負担を負わされている欧州の納税者にとっては歓迎すべき提案かもしれない。
第3のオプションは、民間債権者を説得して一部のギリシャ向け債権の借り換え(ロールオーバー)に応じさせること。併せて、EFSFはギリシャ向け融資の償還期限を延期するとともに、金利を引き下げる。いずれにしても、ECBの姿勢が引き続き重要となる。ECBは、格付け会社が選択的な債務不履行と認定すれば、融資の担保として受け入れないとの姿勢を変えていない 。
記者: Matthew Dalton and Costas Paris
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/461.html#c2
11. 2011年7月20日 10:41:06: oz33FCcPgo
>>05
先進国ですらなくなるかも。
企業の海外移転、食品の大量輸入、そして莫大な医療費負担で
アジアの中で最貧国になるかも知れない。
国家は凋落が始まるとあっという間に堕ちて行く。誰にも止めることはできない。
大航海時代の覇者ポルトガルは、1755年のリスボン大震災をきっかけに衰退が始まり、
今日までかつての繁栄が戻ることはなかった。
共産ソ連もチェルノブイリ事故がとどめになって崩壊した。
原発が爆発したら、ソ連のような超大国でも耐えられない。
無知無能な政治家や役人を見ていると、日本の将来に関して
ますます悲観的にならざるをえない。
>>07
確かに、ここ数十年癌が激増しているのは、核実験や原発の影響で環境汚染が
進んでいることと無縁ではないでしょう。
ただ今回の汚染はケタ違いだと思う。
核種を調べれば福一由来かどうかわかるでしょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c11
112. 2011年7月20日 10:42:15: Uu25dzSZXs
>>42
カルト感染者は、まず、羊飼い達に 騙されていたと敵対視して欲しい所ですが
それを認識させるのが至難の業です。 次に、悟り得てない人は、発展途上人間ですが
それを認識させるのも至難の業です。 そして、悟りを得た人には プロフィールや
プライバシーが筒抜けになり、ハンドル名や名無しが全く意味が無いと知ると
今度は 恐怖感を抱きます。 未だ悟りを得ていない私が説得するしか方法が無いのです。
悟りを得た者が感染者を説得しない理由は、そこにあります。
悪霊支配なので 生理的に毛嫌いします。 それをクリアしたら 筒抜けだと知ると恐怖感を抱きます。
全く割に合わないボランティアになってしまいます。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/146.html#c112
01. 2011年7月20日 10:43:13: LJTJTmsfW2
胡錦涛は1989年チベット虐殺の張本人
http://www.youtube.com/watch?v=7TGGJ1UvTDk&feature=related
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/820.html#c1
02. 2011年7月20日 10:43:28: j3sfPiSTZs
確かに、一般の方からすれば、一部の司法書士や弁護士の愚行を目の当たりにすると、「法律家全体が信用できなくなっている」と感じてしまうのは仕方のないことです。でも、一般の方の中にも法律家を悪用する人もいればそうでない人もいるように、法律家の中にも「強欲」にとりつかれた人もいればそうでない人もいます。そして、今なお弁護士が社会的な地位を保っているのは、当たり前すぎて絶対にニュースにならないところで真摯に相談者と向き合っておられる先生方がいるからなのです。どうか、一部の人間の行いだけで全体を判断せず、自分の身に何か起こったときには自分の目でしっかりと、相手が信用できるかどうか判断できる目をもつしかないのだと思います。大事なのは専門知識云々ではなく、人間性を見抜く目をもつことなのだと思います。
http://www.asyura2.com/09/hasan65/msg/283.html#c2
03. 2011年7月20日 10:48:41: lrPNzZkVrM
↑日本が、この様になっても、まだ、書き散らして幾ら貰えるのだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーー
セシウムの人体への影響ゴメリ医大の学長 バンダジェフスキー氏
チェルノブイリ原発事故によりべラルーシのゴメリ州は放射能汚染され、ゴメリ医大の学長だったバンダジェフスキー氏は放射線被ばくの影響を研究しました。
従来の被ばくの研究は原爆、原発事故、原発作業などで放射線を受けた人の発ガン確率等が多く、食物から体内に入った放射性物質による、人間の内部被ばくの研究はほとんどありませんでした。人間に放射性物質を投与して身体の変化を調べる実験は行えないからです。
チェルノブイリ原発事故による健康被害は、半減期8日の放射性ヨウ素による甲状腺ガンのみで、心理的影響が大きいという説が通用し、半減期30年のセシウム137の影響はほとんど発表されていません。
バンダジェフスキー氏は大学病院で死亡した患者を解剖し、心臓、腎臓、肝臓などに蓄積したセシウム137の量と、臓器の細胞組織の変化との関係を調べました。
その結果、臨床研究と動物実験を併せて、体内のセシウム137による被曝は低線量でも危険との結論に達し公表しました。
バンダジェフスキー氏の結論は、低線量の放射線は健康にほとんど影響しないという政府の方針に反するので、政府は入学試験の賄賂汚職の容疑で禁固8年の刑を与えました。
国際アムネステイの働きかけもあって5年で出獄しましたが、復職はできず、性格が変り、フランス滞在後にリトアニアに移り、ビリニュスの大学で働き、今はヴクライナのキエフに居ます。
癌だけではありません
彼が発表したセシウム137内部被曝の作用です
◉心筋細胞のミトコンドリアを破壊→不整脈→心臓発作で突然死。ペースメーカーの8歳児など。
◉腎臓ネフロン壊死→腎不全。
◉膵機能、肝機能低下(脂肪肝、肝炎、肝硬変があれば更に悪化)
◉免疫不全→リウマチ性感染症、結核、肝炎、呼吸器疾患など。造血機能低下→子供の赤血球、白血球、血小板減少。
◉女性の生殖系→下垂体、卵巣、子宮系のホルモン状態変化→月経不調、炎症、子宮筋腫、不妊。テストステロン生成増大で男のような性質。
◉神経系→ノルエピネフリン、セロトニン減少。自律神経機能障害。交感神経緊張亢進。子供は慢性胃腸病。視覚系→子供の白内障、硝子体破壊、屈折異常。
◉体内にCs-137がずっとあると心臓、肝臓、腎臓の不調の原因に。最初にやられるのが心臓血管系。血管系の病理学的変化が臓器を破壊→ゴメリ市の突然死の89%が腎臓の破壊を伴い、突然死の99%が心筋不調。
◉スカンジナビア諸国は60年代から食料品中の放射性セシウムの濃度を厳しく管理し、心臓血管病が急減。一方旧ソ連は増大(悪性腫瘍も同様)
◉セシウムは男の方が蓄積しやすく、男の寿命が低下。死因は腫瘍と心疾患。
http://sukoyaka-koshigaya.jimdo.com/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%81%AE%E4%BA%BA%E4%BD%93%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%BD%B1%E9%9F%BF/
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/536.html#c3
01. 2011年7月20日 10:50:05: LJTJTmsfW2
チベット国歌斉唱
http://www.youtube.com/watch?v=Q42QFikP8tM&feature=related
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/763.html#c1
12. 2011年7月20日 10:55:57: tUmLmmqu0Y
>福一由来かどうかわかる
フクイチしかねえよ馬鹿
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c12
04. 2011年7月20日 10:57:05: lrPNzZkVrM
ごめんなさい!
<<↑日本がーーー>>は、当然》1のことです。
2さんではありません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/536.html#c4
06. 2011年7月20日 11:00:57: SlXmd20vbQ
一国の繁栄が永遠に続いた歴史はない>
かつて長い繁栄を誇ったローマ帝国・・・コレが何故滅びたか?
外敵がいたからにほかならない!!堕落してた時に寝首を刈かれて滅びた
今度の目論みは違う、世界統一政府(新ローマと呼んでるが)あらゆる外敵を打ち滅ぼせば
誰もその体制を壊せない牙城となる(異星人以外は・・だけれど)
エリートたちはそれに気がついているだから国家を隠れ蓑にしたグローバル化&金融や宗教を利用した詐欺で
基軸通貨ドルを発行する時点で今の世界経済の終焉の時に彼らが世界の王になる青写真まで描いていたことだろう
Dアイクのトカゲ論は信じがたい話だが300人委員会彼の語るピラミッド理論は現実的な世界統治の為の支配を可能にするシステムだ
デフォルト自体を彼らは自ら起こせるから何時ソレが起こるか知っている
だから自らは真っ先に逃げる手段は常に織り込み済み
国家というアジトなど居心地が悪くなり用事が済めばもう要らない、そこに住む民など生きようが死のうが自分達を担いでてくれれば充分
まるでソロモン王のような搾取の構図、ダビデのような民を思う権威者はどこかに居るのか?
また新しい豪華な新ローマという煌びやかな高い絶景の御殿のようなねぐらをもう半ば建造中だろう
トカゲの頭をどこかの誰かが粉砕できるか? ANONIMOUSE?
PCマウスで訴えても日本の大衆は関心すら驚くほど低い・・
奴隷たちは皇帝のお脳の中など知る由もない
ローマ時代のコロセアムで キョウビはビョウキなバーチャルTVでと下品なドラマばかり見てる
コロセアムを建造中の王であるオレを誰か・・「殺せるかなぁAM?」頂点に居るオレは・・
DO YOU KNOW? WHO I AM?
04. 2011年7月20日 11:01:57: Pj82T22SRI
>>04 金融市場異論百出 【第187回】 2011年7月20日
資金余剰が市場で顕著でもなお続く日銀の緩和策
先日、東北地方のある金融機関の資金運用担当者からこんな話を聞いた。「日銀は“被災地金融機関支援のための資金供給”を4月から行っているが、実際のわれわれはカネが余って困った状況になっている。日銀が逆に、少し高い金利で、“被災地金融機関支援のための資金吸収オペ”をやってくれるとうれしいんだけどなあ(笑)」。
日銀は前述のオペ以外にもさまざまな手段を使って、市場にじゃぶじゃぶに資金を供給している。日銀当座預金は3月下旬より減少して30兆円前後となっているが、これは日銀の資金供給姿勢が後退したためではない。震災後に見られた流動性不安が消え、金融機関の側が日銀からの借り入れを減らしているためである。そうはいっても、日銀当座預金は7.6兆円あれば本来足りるので、市場では強烈な資金余剰が続いている。
一方で、被災者には保険金が入ってきており、多くの地方金融機関で預金が増加している。被災地での復興用の資金需要はまだ顕著には出てきていない。余った資金は国債市場に流れやすいが、長期国債の利回りはすでに低水準にあり、運用難に直面している地方金融機関は多い。冒頭のコメントにあった、“被災地金融機関支援のための資金吸収オペ”待望論というジョークの背景にはそのような実情が存在している。
次のページ>> 震災対応の大規模資金供給は見直されていい時期だが、流れは逆
震災後の流動性不安は和らいだのだから、日銀の震災対応モードの大規模資金供給は、見直されていい時期に来ている。しかし、流れは逆である。円高抑制のための追加緩和策を日銀に望む声が財界から強まってきている。
とはいえ、金利を下げても金融緩和効果が高まらない局面もある。ロナルド・マッキノン・スタンフォード大学教授の指摘のように、金利水準の低下によって銀行の収益が圧迫されると、彼らのリスクテーク能力は低下し、中小企業などへの貸し出しを十分に行うことができなくなる。海外の主要な中央銀行が超過準備に利息を払い、短期金利がゼロ%に下がらないようにしてきた理由の一つは、そういった弊害を避けるためである。
しかしながら、一段と円高が進むと、日銀は資産買取基金を現行の10兆円から15兆円に増額して、金融緩和イメージを演出しようとするだろう。その際、増額分で何を買うのか判断は非常に難しいと思われる。電力会社を除けば、社債やCPの金利は落ち着いている。J‐REITは市場規模が小さく、ETFは価格変動リスクが大きい。となると国債の買い入れが中心となるが、“国債バブル”を日銀があおるリスクがある。日銀にとっては悩ましい夏になりそうだ。
(東短リサーチ取締役 加藤 出)
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/453.html#c4
41. 2011年7月20日 11:04:32: JgyS3UTymo
だしの素って鰹や昆布から出汁取って作ってるんだよね?
大丈夫かなあ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/414.html#c41
159. 2011年7月20日 11:12:01: dcDS1rEEBA
去年、昼間あまり暑いので、夜鳴いてましたよ。五月蠅いくらいにアブラゼミが…。
ヒグラシならねぇ、わかるのですが(笑)。
今年も、先週かな、数は少なかったですが、夜に聞きました。
日曜に合った友人達も、蝉の声を聞かないと言ってましたが、私は上の皆さんの「まだ時期が早いから」に一票。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/468.html#c159
13. 2011年7月20日 11:12:39: oz33FCcPgo
>>12
政府はそう簡単には認めないよ。
プルトニウムが検出されても、それだけでは50-60年代の核実験の
降下物だと言い張るだろうからね。
きちんと調査して逃げ道を塞がないと。
10年、20年後に国、東電相手に、水俣病のような大規模な訴訟が
起きるだろうが、被害者が生存しているうちには解決しないだろう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/538.html#c13
23. おっさんZ 2011年7月20日 11:14:09: vf1pLsPn/FgHY : G5q49oTzcE
原子炉崩壊直後、「牛がいるから避難できね」と言う農家の姿をTVが映しているのを見て激しい違和感を持った私から見れば、イマサラとしか言い様が有りませんね(大爆笑)。
『牛は全頭県が買い上げて殺処分』だろうと思っていたら「牛がいるから避難できね」ですよ、農家も・県も・それを撮影していたTV局も、一体何をやっていたんです?。
「国が何もしてくれない」?、国は東電の前代未聞の不始末におおわらわで細かいところまで目が届く状態じゃあなかった、そんな事はわかっていたはずですよ?。
宮崎の口蹄疫の時は、人間には無害な病気であるにも関わらず、出張中で不在だった東国原を国中で散々叩いた、それが、人間にとって致命的な放射性物質では、『法律に規定が無い』から県も農家もTVも『ボケ〜〜〜〜ッ』と眺めていたんですよ。
避難地域ではないとはいえ、人間が『避難しなくちゃいけないかもしれない』放射線量が確認されている地域で飼育されている牛が、エサが何で有ろうと安全を保障できるわけが無い、まともな思考力を持った人間なら当然そう思い当たってしかるべきです。
それを『誰も何もせずに見ていた』。
よろしい、仮に『法に規定が無いから政府がやらなきゃ何も出来無い』としましょう、誰か、「なんとかしてくれ!」と声をあげましたか?、誰かあげたとしても少なくとも私の耳には入りませんでした、と、いう事は、原発で手一杯な政府に声が届くはずも有りません。
そんなのんきな人々が、誰も何もせずに放置した結果が『セシウム牛』です、農家の人々も『何もしなかった責任』から逃れられるものでは有りません。(注:残念ながら消費者には責任は無いんだよ、消費者は買わなければいいだけだからね)
とてもじゃないが、「安全を確認して早く出荷停止を解除してほしい」など、寝言は寝ていって欲しいものです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/525.html#c23
17. 2011年7月20日 11:15:13: 2uJWflgFAg
06,08,10,12です。
11,16さん、あらためてコメントありがとうございました。
私のコメント>>10 をきちんと読まれずに返答されていたということですね。了解です。
ところで、>>12 のコメントは最後まできちんと読まれていますでしょうか?
>これまでの投稿では、主旨に関する質問には誠実に回答されているようでした。
について質問と回答を参照できないかとコメントしていましたが、参照先を紹介いただけるわけでもなく、訂正されるわけでもないようです。大丈夫ですか。
ご本人が登場しているようですが、>>10で上げたような疑問には答えてくれそうにないように思えました。実際答えてませんし。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/439.html#c17
05. おっさんZ 2011年7月20日 11:15:43: vf1pLsPn/FgHY : G5q49oTzcE
毒牛を公然と販売かよ、さすがは『財界の手先』フランケン岡田の兄貴がやってる会社だな。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/522.html#c5
12. おっさんZ 2011年7月20日 11:19:01: vf1pLsPn/FgHY : G5q49oTzcE
>>04
キチガイだから都知事になれたんだよ、まともな人間はマスコミに叩かれて当選など不可能、マスコミは美濃部の再来を恐れているからねえ(大爆笑)。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/529.html#c12
29. 2011年7月20日 11:20:51: lBcB3UuO42
早い話が放射性物質(核種の詳細は検証されて居ない)を雲古に置き換えて其れも
毒雲古に 誰が食える 洗っても取れない毒雲古 見えないから成り立つ?話です
まぁ いずれ食べ物が無くなり 結局食べざるを得ない羽目に成る そして又
下水処理施設の汚泥に溜り 肥料となり野菜米となり又人々の口に?あーいやだねー放射性物質から放射能が無くなる迄毒雲古を食べ続ける事が決まった訳だ
まぁセレブも空気だけは貧乏人と一緒の物を吸わざるを得ない事が少しは救いか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/510.html#c29
02. 2011年7月20日 11:26:49: MzQ0dNuj7k
明快な、良い方針だ。
(しかし、この党の背後にはアメリカがいる。)
小沢グループもはっきりとこの方針を示せ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/542.html#c2
04. 2011年7月20日 11:27:25: wQ85kBIMTU
副島は一般人に影響力ゼロ、職務権限なし。
それ言ったらネトウヨを総告発せねばならない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/534.html#c4
06. 2011年7月20日 11:29:54: Ygvb5NySmk
武田氏はのこの記事に関しては(被曝量に関する)数字の部分(と計算)だけを参考にすれば充分。あとは無視しても構わない。これこそが賢いやり方だ。武田氏は何らかのシンボリックな存在ではなく庶民には理解が難しい専門知識を授けてくれる専門家なので、その部分が重要になる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/545.html#c6
01. 2011年7月20日 11:31:07: kNZ6dATxKA
科学技術庁から電力関係への天下りについてご存知の方がおられたらUPしてください。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/546.html#c1
03. 2011年7月20日 11:31:11: hyGFurB89s
日本での生活は住宅を含めてこれから大変です。
3.11以降の人生観を変えた方がよさそうです。
これからは、英語のほかに中国語は必須です。
何か専門的技術とか財務(特に原価)の知識も必要です。
これからの若者は、海外、特にアジアでの仕事は有望です。
日系・欧米企業なら、そこそこの収入があります。
私は、今中国の広東省で仕事をしています。
住宅価格は、中古なら10元-40万元(130万-500万)、新築でも50-60万元。
もう少し出せば、庭付き・プール(共同)つきもあります。
中国料理なら、日本の1/5程度、日本料理なら1/2程度の価格で食べれます。
野菜や果物は豊富です。日本の1/10から1/3程度。
01. 2011年7月20日 11:31:21: vJtRudcUoM
嘆かわしくて言葉も出ない!
原発人災という国難に直面している今、大量の放射線被爆をしても事前に対策可能
な方法があるという事実がオープンにされ懸命に努力されておられる医師や
山根先生などが訴えられているにも係わらずそれを無視し続ける東電・保安院
原子力安全委員会・政府の存在とはいったい何なのか?
原発収束に身を挺して国のために働き続ける作業員の方々の命をなんだと思ってい
るのか?
何年も前からこの阿修羅サイトで「原発奴隷」という言葉を始めて知ったが、いま
だに同じ状態に置かれていいるとは!
奴隷の数には限界があることを上記の責任部署は認識していないのか、奴隷でも
デイスポーザブルでは無い、数に限りがある。
人の命の重みを理解していない連中が上位にいては国が滅ぶ。
原発奴隷が使い捨てされ弾が尽きたときは、上記の政府関係者・安全委員会・
保安院・東電幹部に身代わりの作業員として原子炉内部に入ってもらおうではない
65歳定年延長は、年金年齢引き上げの言い逃れに過ぎない - (ひょう吉の疑問)
http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/775.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 7 月 20 日 09:42:45: FjY83HydhgNT2
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/eb1c03523e423344929360ee28cf1a71
産経新聞 より
http://www.sankei.jp.msn.com/economy/news/110719/biz11071918500023-n1.htm
定年65歳引き上げ「議論する状況にない」 経団連が反論
2011.7.19 18:48
経団連は19日、政府が検討している法定定年年齢を65歳に引き上げる案に反対する提言を発表した。
現行の60歳定年を引き上げるには賃金制度や人事配置など解決すべき問題が多いとして、
「定年引き上げの議論を行う状況にはない」としている。
定年をめぐっては、政府が昨年6月の新成長戦略で
「希望者全員が65歳までの雇用を確保されるよう2013年度まで措置を講じる」
と規定。
今年6月の厚労省の研究会では
「定年年齢が65際に引き上げられるよう議論を深めるべき」
と報告された。
だが提言は激化する国際競争を背景に企業は雇用維持にすら苦慮していると強調。
希望者全員を65歳まで雇用すると高齢労働者数が2017年には現行より約33万人増加し、
将来を担う新卒採用を抑制せざるを得なくなると主張した。
また経済の先行きが不透明なうえ当面は高齢就職希望者の増加が見込まれることから「自社内での雇用確保には限界がある」として、子会社や資本関係のない企業への転籍も高齢者雇用安定法に定められた措置を講じたものにすべきだと求めている。
04. 2011年7月20日 11:39:59: SlXmd20vbQ
01 ロックフェラー氏一族だけではなくて、グッゲンハイム・オッペンハイマー・モーガン・カーネギーなど、そしてロスチャイルド一族がいて、時には対立しているように見えたとしても、目的は同じだと言える>>>
誰もこんな事は言わない 言っても信用されない爆弾発言になるが・・ロスチャイルドは古来ユダヤの血を引く似非ではない本当のユダヤ人だと宇野正美さんが語っていた動画があるのだが・・
ロスチャイルドも金融で世界支配を支配してきたがもし彼がユダヤ教信者であるなら
似非ユダヤの悪行は許せないと考えるかもしれない
いつも悪事をユダヤのせいにされたら・・本当のユダヤ人とは古来からの血を引く者のみだと心の中で彼が思っているとしたら
朝鮮人が日本人の名前で悪さして日本民族が世界中で悪者にされてみろ・・
その民族の純血を今のロスチャイルドが考えたとしたら・・なぜなら
キリストはユダヤ人でありヨハネ教という新約聖書でローマに政治利用されたユダヤ人何千年もの間その屈辱を末裔に語る経緯はあったかもしれない
天下布武という思想をロスチャイルドが持ち、石油支配の為の戦争を終わらせてくれるダビデの若枝であることを私は祈ることがある
妄想でしかないけれど
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/416.html#c4
27. 2011年7月20日 11:45:29: oz33FCcPgo
>>18
汎用のガイガー・カウンタ、線量計では感度が低すぎて
食品の汚染は測定できません。
何万、何十万ベクレルとひどく汚染されていればガリガリ鳴るでしょうが、
そんなものは食べるどころか触れるのも厳禁です。
食品を測定する装置は数百万から数千万円します。
注文が殺到してメーカーはものすごいバックオーダーをかかえているようです。
検査体制は皆無に等しく、これから整えていかないといけませんが、
すぐにはできません。
検査できないのなら、本来なら疑わしきものはすべて廃棄しなければならないのですが、
被害額をおさえ、原発事故の影響を矮小化するために、すべてパスさせて来ました。
結果的に、消費者の不信を招き、汚染されていないものまで敬遠され、
実際以上の被害が出ています。愚かなことです。
将来は、保健所やCOOPなどで、誰でも気軽に汚染チェックができるようになるでしょうが、
まだまだ時間がかかると思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/512.html#c27
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110720ddm008040086000c.html
ファイル:東日本大震災 IMF「復興財源、国債より税で」
国際通貨基金(IMF)は19日、日本に関する年次審査報告書を発表した。東日本大震災を受けての財政政策については「被害に遭ったインフラの復旧と速やかな景気回復を促すことが喫緊の課題」と強調。国債発行を抑制するため「税制措置で財源を確保することが望ましい」との見解を示した。
また、昨年まで再三、警鐘を鳴らしてきた財政再建への取り組みについては、日本政府の「10年代半ばまでに消費税率を10%に引き上げる」との方針を評価しながらも「政府債務削減への道筋をつけるため、より積極的な消費税引き上げが必要」と中期戦略の重要性を指摘した。IMFはこれまで、消費税を現在の5%から今後10年間で15%まで引き上げるよう提言していた。
日本経済の現状については「震災の被害から回復の兆候を示しており、今年後半から来年にかけて回復に向かうだろう」と指摘。12年の経済成長見通しを2.9%と予想した。11年の成長率については、すでにマイナス0.7%との見通しを発表しており、12年にかけて日本経済が順調に回復すると予想した。ただ、「依然として不確実性は大きい」とも指摘し、電力供給の回復の遅れや長期にわたる国内需要の低迷をリスク要因として挙げた。【ワシントン】
毎日新聞 2011年7月20日 東京朝刊
IMF:日本の復興財源「国債より税で」 年次審査報告書
IMF:存在感増す中国…副専務理事獲得
IMF:副専務理事に初の中国出身者 発言力拡大へ
IMF前専務理事:仏捜査当局が予備捜査 女性記者が告訴
IMF:副専務理事の増員検討 ラガルド氏初会見
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/108.html
ユーロは数日内に「臨死体験」イタリア・スペイン債売 債務危機、21日の首脳会議で解決できず 世界回復頓挫のリスク
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/461.html
投稿者 sci 日時 2011 年 7 月 20 日 03:28:59: 6WQSToHgoAVCQ
今月が一応の山だろうが、先送りもできそうだから、
その場合、まだ暫く、このネタで投資家は戯れるのだろう
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=aiqTWlrnwRws
ユーロは数日内に「臨死体験」も、イタリア・スペイン債売りで−RBS
7月19日(ブルームバーグ):欧州債務危機は、場合によっては数日中にも「大規模なシステミックリスク・イベント」へと悪化する恐れがある。ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ(RBS)はこのような見方を示し、スペイン債とイタリア債の利回りの上昇に歯止めがかからないことを指摘した。
シニア債券ストラテジストのハービンダー・シアン氏は18日の投資家向けリポートで、「政策当局は大きく出遅れたままで、スペインとイタリアを助けるために意味のある行動を取る可能性は低い」とし、「ユーロは『臨死体験』をする条件が整っている。それに刺激されて当局はやっと、今までより真剣な対応を取るだろう」と記述した。
投資家は、いわゆる周辺国の国債のほか、可能であればドイツ債以外のユーロ圏の債券すべてで、下落を見込んだショートポジションを取るべきだと同氏は書いている。
記事に関する記者への問い合わせ先:Paul Dobson in London at pdobson2@bloomberg.net
記事に関するエディターへの問い合わせ先:Daniel Tilles at dtilles@bloomberg.net
更新日時: 2011/07/19 16:07 JST
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=a.MvlL2qXkk8
メルケル独首相:ユーロ圏債務危機、21日の首脳会議で解決できない(1
03. 2011年7月20日 11:51:57: LJTJTmsfW2
れんほ〜 の 実態
http://www.youtube.com/watch?v=PBwRFz7aX_0&NR=1
http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/336.html#c3
02. 2011年7月20日 11:52:43: rWmc8odQao
柿沢未途氏
「江田憲司幹事長が、菅総理の進退、脱原発会見の真意、原発事故を踏まえた電力改革のあるべき姿を質問。後半は発送電分離と電力自由化の必要性についての分かりやすいプレゼンテーションにもなっていた。後ほど衆議院TVのホームページに動画アップされるので必見。」
http://twitter.com/#!/310kakizawa/status/93511621619613697
「脱原発の実現には発送電分離と電力自由化が必要不可欠で、それを言わずに脱原発を語る資格はないと江田幹事長は力説。菅総理も「考えている方向性は同じ」と応じた。しかし「脱原発なら、核燃サイクルももんじゅも再処理施設も必要ないだろう」と詰めると、菅総理の答弁はムニャムニャに。」
http://twitter.com/#!/310kakizawa/status/93512848382246912
もう脱・原発は常識だね。あとは、「程度」の違いが焦点になってきたように思います。まぁ、この路線をみんなで進もう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/543.html#c2
30. 2011年7月20日 11:55:21: C2bGJyqgsg
TPPにしないといけない状況にしているのですかね?
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/510.html#c30
03. 2011年7月20日 11:56:43: B0CrU1jIAY
gataroさん、おつかれ〜!
全原発が廃炉になればいいですね!!
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/547.html#c3
欧米債務問題はアジアに直接影響、資産の逃避先選択肢なく /jp.reuters
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/463.html
投稿者 稲垣勘尚 日時 2011 年 7 月 20 日 08:53:10: Je/tdYZdw47GA
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22259920110719?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0
<特定困難なアジアの深刻な打撃>
アジアにとって、西側の債務問題の深刻化は大き過ぎて無視できない問題であり、最も深刻な打撃がどこに生じるかを特定することは困難だ。
アジアの外貨準備のうち約3兆ドルが米国債の形で保有されており、このうち2兆ドル超は中国と日本が保有している。これを踏まえると、米国の格付けが引き下げられた場合や同国がデフォルトに陥った場合、アジアは直接的な影響を受けることになるだろう。巨額の米国債保有によってアジアは資産の逃避先を失っている。
東京三菱UFJ銀行(ニューヨーク)のチーフ・フィナンシャルエコノミスト、クリス・ラプキー氏は「これらの投資家は、このような額の資金をどこで運用できるだろうか。その場所はどこにもないというのが答えだ」と指摘した。さらに「ドルを売って、ほかに何を買うべきというのか。ユーロだろうか。それはドルよりも安全な投資だろうか」と指摘した。
日本の懸念は、債務問題が悪化した場合に対ドル、対ユーロで円高が進むことだろう。円高は国内輸出業者の業績を圧迫し、経済成長の足かせとなる。また、アジア全体としての最大の懸念は、2008年のリーマン破綻後のような世界的なパニックが起こることだろう。米国のデフォルトは、アジアを直撃するとみられる。
米国がデフォルトした場合、アジアの米国債保有が危機にさらされるだけでなく、一連のリスク回避の動きによって、新興国の市場から資金が流出する恐れがある。また、安全資産として米国債に投資している銀行は、資本増強のため、融資抑制やリスク資産の売却を余儀なくされる可能性がある。トリプルA格の債券のみに投資するファンドは、これらの債券の売却を余儀なくされるだろう。
<他の選択肢なく>
ただ、米欧の債務問題解決の最大の妨げとなっているのは、経済的な要因ではなく政治的な要因であり、これが問題の行方を予測することを一層困難にしている。
米国で浮上している予備案は、オバマ大統領に8月2日の期限前の債務上限引き上げを可能にし、デフォルトを回避しようとするものだが、長期的な赤字削減という、より厳しい課題を先延ばしするにすぎない。長期的な問題にも対応できなければ、米格付けを引き下げる可能性があるとしている。
確かに、1─2ノッチの格下げは米国債の大量売りにはつながらないだろうが、他国や他国の企業、消費者の借り入れコストを押し上げる可能性がある。また、アジア諸国の政府に投資基準の引き下げを余儀なくする可能性もある。インド準備銀行(中央銀行)の幹部は、現在同国はトリプルA格以外の債券を保有していないとした上で、米国の格付けが引き下げられた場合、トリプルA格以外の債券保有を余儀なくされるだろうと語った。 同幹部は「状況を見守るしかない」とし、「ユーロなど他の選択肢も同様に良くない状況な上、ポンドにはこのような投資を吸収できるだけの深みがない」と指摘した。(抜粋)
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