04. 2011年2月05日 18:50:11: 3lOrqK4rNk
早く水谷建設の現金授受の捏造報道も発表して撤回、謝罪せんか。
1箇月ぐらいぶっとうしでやるくらいの「犯罪」だ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/529.html#c4
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2011年2月 > 05日18時50分 〜 ★阿修羅♪ |
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1箇月ぐらいぶっとうしでやるくらいの「犯罪」だ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/529.html#c4
俺的には今更騒ぎ出してるのが不思議だが
ネットでざわついてきたからと特別に感じるように
ネットに洗脳されてるんじゃね
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/532.html#c1
http://globalresearch.ca/index.php?context=theme&themeId=19
Science and Medicine ==>
http://globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=22354
Monsanto's Glyphosate: Impacts on Human Health and Plant Life
Scientist Warns of Dire Consequences with Widespread Use
ここにもモンサントの除草剤の環境や人体に与える悪影響が報告されています。
更には遺伝子操作されたウイルスと、それに対応するワクチンを開発し特許を取った後、対応する病気を蔓延させて大儲け等も可能となってきているようです。
精神病薬も儲けの手段で、短期的には効果があっても、数年に渡って調べると再発の割合はプラセボよりもずっと多く、薬漬け/精神病者の増大、金儲けに効果的との事です。
マスコミを巻き込んでのインフルワクチン、タミフル、或いは子宮頸がん予防ワクチンの宣伝等、軍事金融問題等だけではなく金儲けの手段には色々あるようですね。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/850.html#c9
今は警察関係含めて創価は政党を持っているので、特に与党でしたから有利でしたし沢山あったはずの資産があると言う事になっていますので、マスコミもまだ動きません。しかし創価分裂、日本国内の在日朝鮮創価と韓国創価は案外共同歩調も最近は難しい様ですし、北があれではアメリカと韓国の関係を見ても選挙に大敗、特に地方議員ですが、或いは先生の生存問題、そういうことでもあれば分裂する可能性はあるので、これからは楽しみだと思います。地方議員はまだ堅いので、この点は残念ですが、在日外国人の生活保護問題を解決すれば本当はスグにあれこれあるはずなのですけどね。日本人がしっかりしていけば、弱体は目の前なのです。電磁波攻撃も被害者が集まれば何れは理解いただけるはずです。
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/802.html#c4
http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=12025
八百長メール問題がこのタイミングで明るみに出たことについて、角界関係者は「裏に何か意図的なものを感じる。民主党の力が働いている可能性も十分あり得ると考えられる」と指摘をした。
国会では連日、衆議院の予算委員会が紛糾するなど民主党、菅政権は完全に行き詰まっている。解散総選挙もささやかれるなか、世間の批判の矛先をそらすため、マスコミにリークしたというわけだ。
「確かに菅内閣の意図的なものを感じるよね。国債の格付けがランクダウンしたときに“疎いですから、また後で”とやって物議を醸したけど、今回の八百長問題は早かった。まるで前もって準備していたかのような受け答えだったもの」とは、ある自民党関係者。矛先を相撲に向ける狙いは「十分あり得る」との見解だ。だが、狙いはそれだけではないとも。
「相撲協会は今、税金を優遇されている。当然、今後もそうしたいのはミエミエ。でも薬物問題を起こしたり、賭博だったり人気はガタ落ち。ならいっそ仕分けじゃないけど、優遇されなくすれば“よくやった”と国民の支持が得られると考えていてもおかしくない」(前出の自民党関係者)
つまり、民主党が「目くらましと人気回復」を狙ってリークしたというのだ。確かにあってもおかしくない話かも。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/533.html
根性なし、ヘタレばかりか。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/528.html#c4
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110205-00000013-ykf-soci
菅直人首相(64)ら閣僚が、大相撲の八百長問題に激しい批判を浴びせている。これまでマニフェスト違反や党内抗争をめぐり劣勢に立たされていただけに、どこか生き生きとしているようにすら見える。「自分のことは棚に上げて…」という、特異な本能がよみがえったのか。
八百長相撲の発覚後、菅直人首相のコメントは手厳しかった。「重大な国民に対する背信行為だ!」。場当たり的な政権運営で、国民の期待を裏切り続けた御仁とは思えぬセリフ。女房役の枝野幸男官房長官は、後でトーンダウンさせたとはいえ日本相撲協会の公益法人資格の取り消しまで言及した。
さらに過激なのは「仕分けの女王」こと蓮舫行政刷新担当相。相撲協会が2013年以降、税制優遇を受けられる「公益財団法人」への移行を目指していることに「内部の浄化ができているのか。現段階では難しい」とバッサリ。
3月の春場所の優勝力士に内閣総理大臣杯を授与するかどうかも、「適切かどうかは冷静に判断すべきだ。国民の相撲協会に対する思いは相当厳しい」と言い切った。
確かに、国技を失墜させたスキャンダルは多くの国民が注視しており、首相や閣僚がコメントするのはよく分かる。ただ、「菅内閣は、目くらましができて喜んでいるのでは」(自民党中堅議員)との声もある。
現に、国会では、与謝野馨経済財政相の変節や、菅首相の言動の矛盾などが連日炎上しているのに、八百長問題のために新聞やテレビであまり取り上げられず、影が薄くなっているのだ。
そもそも、民主党には他党や政敵を批判・攻撃することで党勢を拡大してきた歴史がある。今回も、相撲協会を悪役にすることで、低落傾向にある支持率を持ち直そうという思惑でもあるのか。
選挙プランナーの三浦博史氏は「相撲協会をたたくことで、菅政権の体たらくから目をそらす効果はあるだろう」といい、こう続ける。
「ただ、これはパフォーマンスに過ぎず、支持率上昇につながらない。国民が期待した事業仕分けは予算に反映されず、『小沢切り』も失敗した。いくら『相撲協会の法人認可取り消しも』と訴えても、できない可能性が高い。菅政権の優柔不断ぶりは、国民も見透かしている」
くれぐれも、国民を裏切る「八百長政治」だけは勘弁願いたい。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/534.html
為替レート本位制金融は、日本は輸出超過大国で円高だからできるのですよ、
それに人件費が安過ぎたから輸出超過になったので、賃金が安かった分を国民に支給するのです。
金融緩和とは違いますよ、金融緩和は合理化投資で人減らしになるだけ、だから消費は増えない、だからだめ
そもそも国民に金を配れば、国債価格はむしろ上がりますよ、国債が増えたのではないのですよ、勘違いしないで、
日本国民の生活が良くなれば良いではないですか、それで米国が喜ベばむしろ良いのでは
歯止めがあるし、円高は国民努力の結果なので、為替レート本位制金融は良いと思うが
this is a place where real fight between mubarak supporters and anti-mubarak protestres.most of mubarak supporters are paid.they first attacked around 2;30 in the afternoon 2-02-2011.To break anti-mubarak protests. this evening this place was really quiet.
2-4-2011 on the way to taharir sq.
today is Friday prayer's day.only in Taharir sq.Cairo there are more than 1.5 million gathering.on the way to square on talaat harb street,just before talaat harb square.
there is conflict between anti-mubarak and opposition.mubarak-supporters try to attack to anti-mubarak supporters first.
taharir,cairo 2-2-2011
2-2-2011 in the late at night,mubarak-supporters attacked anti-mubarak democracy seekers.but most of the people who join to attack,are not even mubarak suppoters.
many of them are polices and who were hired by the goverment.someone got 500 egyptian pound,some of them are 1000.12yrs boy only recived 50 pound to join to attacked.anti-mubaral supporeters are really resist mubarak supporters.after this early in the moring around 3 AM mubarak supporters started to use guns to shoot.
691 名前:名無しさん[]
投稿日:2011/02/05(土) 19:38:06
最近の7勝7敗で千秋楽を迎えた大関の成績
平成15年 9月 秋場所 ●魁皇 朝青龍(横綱)○ ←
平成16年 9月 秋場所 ○千代大海 若の里(関脇)●
平成18年 3月 春場所 ○魁皇 白鵬(関脇)●
平成18年 5月 夏場所 ○琴欧州 千代大海(大関)●
平成18年 7月 名古屋場所○琴欧州 栃東(大関)●
平成19年 1月 初場所 ○魁皇 栃東(大関)●
平成19年 3月 春場所 ○魁皇 安馬(小結)●
平成19年 3月 春場所 ●千代大海 朝青龍(横綱)○ ←
平成20年 1月 初場所 ○琴光喜 安美錦(関脇)●
平成20年 3月 春場所 ○琴光喜 千代大海(大関)●
平成20年 5月 夏場所 ○琴光喜 魁皇(大関)●
平成20年 9月 秋場所 ○琴欧洲 千代大海(大関)●
平成20年 11月 九州場所 ○琴欧洲 千代大海(大関)●
平成21年 1月 初場所 ○千代大海 豪栄道(前頭三)●
平成21年 5月 夏場所 ○千代大海 把瑠都(関脇)●
平成21年 5月 夏場所 ○琴光喜 魁皇(大関)●
平成21年 7月 名古屋場所○千代大海 鶴竜(関脇)●
平成21年 9月 秋場所 ○魁皇 琴光喜(大関)●
ドルジが引退した理由
品格とか八百長のことだな、このような談合八百長に対して嫌気がさして
辞めたというわけか・・
やくみつるのよく言う品格とか八百長のことだったか昔から八百長があることを知っていたということをいっていたようだが自ら墓穴をほったな。内館といい、品格と言う連中のいかがわしさがわかった気がした
1 名前: レイミーととお太(catv?):
2011/02/03(木) 13:13:37.95 ID:LR9SeYMcP ?PLT
漫画家のやくみつる氏の話
「これほどの物証が出た以上、もう観念するしかない。八百長の話は以前からあり、見ていて『おやっ』と思う取組もあったが、ファンはそれもひっくるめて楽しんでいた。相撲には興行という側面もあるから、それ(八百長)をいうのはやぼという気持ちだった。だが、不祥事が相次ぐ中、もはやうやむやにはできない。今回名前の出た一部の力士に限らず、さかのぼって調査を進め、認めるべきは認めなければ、相撲は今後、スポーツとしてみてもらえなくなる。国技の看板も守れない」
勝ち星が売買されていたメールが出てきたことに対するやくの発言
http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/295.html
で岡本教授が昨年出水市で行った講演の音声が聴けます。
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/842.html#c1
仏教は宗教ではない。という見解がある。
宗教とは、人間と神の関係を<信仰>を軸に構築したものである。
そこにおける神とは、ユダヤ教や、イスラム教のように創造神であったり、キリスト教のように創造神/聖霊/メシアの統合体(三位一体)、クリシュナ教徒のように近代化された古代神だったりするが、ある種の霊的超越者であり、多くは宇宙創造神である。
ところが、仏教は成立の初期において、教祖自身にこの種の信仰心が希薄なのである。
教祖シッタータ王子は、人間として真理に到達したが、自分が神であると宣言した訳ではないし、神の預言者であった訳でもない。
そもそも釈迦族のシッタータ王子は、クシャトリア階級の出目であるからバラモン階級のように精神世界に没入する訳にはいかなかった。
インドのカースト制度において伝統的な神事は、バラモン階級の専売特許であった。
そこで、かれは当時流行の精神世界ヒッピーである「沙門」になる道を選んだ。
沙門になるのは、簡単である。 身分も問われない。
「わたしは、沙門になった。」
と宣言し、林住期や遊行期の老バラモンのように無一文で修行三昧の生活に入れば良いのだ。
かれは様々な行者に倣い瞑想を深め、宇宙と人のあり方を追求した。
その意味で、シッタータ王子は宗教家と言うよりも実践的哲学者、精神修行者であった。
かれが求めたのは宇宙構造、なかんずく人間(小宇宙)と大宇宙の関係に関する真実(真理)であり、輪廻という循環構造からの自己の解放であった。
最近のひ弱な修行者のように精神的な安寧や、既存の神話体系を借定したヌミノース体験を追求した訳ではない。
その意味で、かれはニューエイジ・サイエンスを極めたと言っても良い。
そして、<12因縁の順観と逆観>という瞑想法を経て<成仏>したのである。
シッタータ王子が悟りを開いた後、その悟りを開くプロセスを<現法的梵行>と呼んだ。
現法的梵行とは、津田博士の言を借りると
「八正道の本質というのは、<現法的梵行>、すなわち、
一生の間性的貞潔を守る、要するにセックスをしないということです。」
ということだ。
つまり、仏教において、最大の戒律は、<不犯>であった。
もちろん、これは人間の本能に著しく反する行為である。
インド人にとって、性生活を営むことと生きることはほとんど同義語であり、<現法的梵行>に従うことは、生きることを放棄せよと命令するのに等しい。
悟達したシッタータ王子、いや釈迦無二仏陀は、この非人道的なシステムに人間が耐えられる訳がないと判断し、教えを伝授するのを断念(これを<不説>という。)し、そのまま涅槃に入ろうとした。
いかに真理であろうと、多数の人間が賛同できるか、少なくとも甘受できるシステムでないと、衆生の絶望を深めるだけだからだ。
このときのシッタータ王子の判断は、良く理解できる。
かれは衆生のために真理探究の道に入った訳ではない。
深刻な実存的疑問を味わって、その解決のために天才的な能力を傾けた青年なのである。
大宇宙と小宇宙に通底する真理を会得したからには、それを理解できず、まして、実践するなどおよそ不可能であろう大多数の人間に、無理な教えを提示するよりは、自得した理法を用いて、存在の次の位相に転移し、先を探ろうとするのは、探求者としては自然な成行きである。
仏陀の生存中の教団は、その哲学を科学的正確さで追求した。
理法の内容からして、一般の社会人が、たとえ王侯貴族であろうと、身分を保持し、社会生活を営みながら<最初期の解脱プログラム>を履修できるものではない。
そのためには社会生活と肉親の全てを犠牲にし、出家する必要があった。
仏陀が懸念したように、ほとんどの人間には実修できるものではない。
大多数の衆生は、仏陀の教え、最終的な解脱からは切り離されていた。
仏陀の教団についていける者たちは小数のエリートだったのだ。
従って、当然のことだが、カリスマ的指導者である仏陀の没後に、教団は崩落した。
それは<神秘哲学の閉鎖的実践集団>から、<教祖を神格化した布教集団>への変貌、或いは教えの民衆化という運動に現れた。
これを追求した者たちは、自分たちの運動を<大乗>と呼び、仏陀の本来の教えに忠実な者たち(上座部仏教)を侮蔑の念をこめて<小乗>と呼んだ。
「乗」とは<乗り物>の意味であり、<大乗>の方が多くの民草を救えるという自負が呼ばせたものだ。
しかし、仏陀の発見した真理の本質的部分が変化した訳ではない。
大乗仏教の僧侶は、トリックを使ったのだ。
釈迦の方法論は、人間の業や煩悩を無くすために否定的な努力を重ねる<止滅の道>(ニヴリッティ・マールガ)と、世間的活動を積極的に行い心活動を活発にする<促進の道>(プラヴリッティ・マールガ)という二つの相反する方法論に集約できるが、上座部仏教では主として<止滅の道>を、大乗仏教では主として<促進の道>を励行した。
正しい行為を積み重ねれば、仏陀への信仰心を維持し、「やがては安心往生できる」というのは<促進の道>としても、かなり欺瞞的な教えである。
単なる善行のレベルで、修行もしない衆生が輪廻の枠の外に出ることはないからだ。
大乗仏教の僧都が、衆生の目から真理を隠して、道徳性で埋めて教えた動機は、あまりにも残酷な真理(在家信徒は所詮、解脱できない。)から目をそらす<大慈悲>であっただろう。
しかし、哲学的立場から見れば、嘘は嘘である。
性を否定した仏教が、インドにおける最後の発展形態である後期密教において、性を肯定するがごとき教義に変化していったのは、興味深いものがある。
チベット仏教のサキャ派の碩学サチェン・クンガーニンポは、著書『密教概論』において、大乗仏教の顕教と密教の違いを次のようにまとめている。
顕教は、愛欲などの煩悩を打ちきる必要があり、<法身>と<色身>を成就するための菩薩としての修行期間が長い。それ故に<因乗>と呼ばれる。
密教は、愛欲を立つ必要がない。短い期間で果を得るので、<果乗>と呼ばれる。
つまりは、シッタータ王子が反自然的かつ直線的な技法で得た果を、自然かつ迂回的な技法で達成しようとするのが密教であるとも言える。
システムは常に進化するのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/1anti.html
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1) 経典結集の歴史
◆ 釈尊の口伝
「お釈迦様は当時何語でお説法されていたのでしょうか?」というご質問ですが、結論から申しますと<マガダ国を中心とする東方方言>であったことがほぼ確実視されています。しかしこの方言を正確に伝える経典は現存しません。
実は <パーリー語聖典>は(西暦)19世紀末、ヨーロッパの学者たちから注目を集め、「これこそが最も古い経典で、釈尊の教説を事実に近い形で伝えている」とする説が有力になりました。
一時はその説に日本の仏教者たちも惑わされ、漢訳の経典をないがしろにする学者も多数出ましたが、研究が進むにつれ、パーリー語聖典はインド西北部の方言に近く、しかも現存する経典は比較的新しいもの(5世紀以後)であることが分ってきました。
今では欧米の学者たちも、質・量・完成度ともに漢訳経典こそが第一で、古さの点でも漢訳は1世紀から始まっている上、内容的にもパーリー語経典と同様に釈尊在世当時の要素が含まれていることを認めています。
<サンスクリット語聖典>については、敦煌やバーミヤン等の地で発見された断片も含め、古いものでも4世紀後半で、大部分は7世紀から10世紀に書写されたものです。またネパールには大乗仏教と関連の深いサンスクリット語の写本が数多く発見されていて、研究のためには非常に貴重な資料ですが、古いものでも11世紀後半で多くは17世紀以後のものです。
なお、「当時は口伝で教えを伝えられていたとお聞きしたことがあるのですが、事実ですか?」というご質問ですが、これはまさに仏教の特徴で、当時も文字は存在していたのですが、宗教的な内容を文字で記すことはせず、口伝(もしくは以心伝心)による指導が中心でした。これは、<教えを文字で固定することを拒む何らかの宗教的習慣・文化が存在した>とも考えられますが、釈尊の行動範囲は広大であり、精力的な布教活動のさなか、教えをすぐ文字化することは物理的に困難だった、とも考えられます。そして釈尊滅後、経典を結集する際も、その慣わしに従い数百年間文字化することを避けていました。
◆ 他国の言語に訳された経典
次に「現在ある経典は、日本では音読みと訓読みがあるそうですが、他の国の言語に訳された経典はどれぐらい存在するのでしょうか」というご質問について――
歴史的にみますと、『パーリー語』『サンスクリット語』などインドの標準言語で書かれた経典や、『アパブランシャ語』『古ベンガル語』などのインド方言で書かれた経典、新疆の古代死語(コータン、クッチャー、ウイーグル、西夏など)で書かれた経典も発見されていますが、前述のように質量ともに『漢訳』の大蔵経が圧倒していて、続いて『チベット語訳』は量としては漢訳に匹敵しています。
日本の状況としては、漢訳の音読み(ただし呉音と漢音がある)が主として法要に用いられ、訓読み経典は教学として活用されてきました([訓読みのお経について] 参照)。また現代語訳も盛んに行なわれていますが、全宗旨宗派で統一した訳というものは作られておりません。ただ大正14年、木津無庵氏が中心となって編集した『新訳仏教聖典』は、縮訳ながら宗旨宗派を超えて好評を得、この訳を下地として『仏教聖典』(仏教伝道協会)が作られ、一般にも普及するようになりました。
◆ 経典結集の歴史
最後に「お経はもちろんお釈迦様によって説かれた内容を、釈尊滅後に後の僧侶達によって編纂され、莫大な数の経典が作られ、現在に至っているのですよね」という初めのご質問にお応えしますが、この問題はとても複雑で長い仏教の歴史を見定めて述べなければなりませんが、ごく短くまとめてみます。
経典の結集状況は学者によっても説が分かれ、方程式のように答えは出せません。しかしひとまず歴史的事実として以下のことが言えると思います。
• 釈尊の宣教活動は非常に広範で、成道から45年間と期間も長く、出家・在家あらゆる階層の人々に教えを説かれた。
• 経典を文字にしたのは釈尊滅後3〜4百年後。
• 文字化によって経典は膨大な量となる。
• 現存する部派(小乗)経典・大乗経典はともに何度も編集が繰り返されていて、部派経典が大乗経典より古いという訳ではない。
• 釈尊の言葉かどうかの判別はほぼ不可能だが、それが覚った人の言葉かどうかの判別は、覚ってみれば解る。
• 経典は釈尊の言動が基本にあるが、<過去仏>も存在していて、大乗仏教はそれを積極的に取り入れた。
こうしたことを踏まえ、ごく一般的な説として結集の様子を以下のように伝えています。
釈尊在世中は直接釈尊に確かめられたが、没後は記憶を成文化する必要にせまられた。教えの散佚を防ぎ、教権を確立するために、仏弟子が集まって口から口へと伝えられた教えを整理する編集会議が行なわれたのである。
(一)第一回結集(五百結集)。マハーカーシャパ(摩訶迦葉)が会議を招集し、五百人の有能な比丘がラージャグリハ(王舎城)郊外の七葉窟で、ウパーリ(優婆離)が律の、アーナンダ(阿難)が経の主任となり、読誦する本文を検討し、教団の名において編集決定された。これが現存のパーリ聖典であると南方仏教では信じているが、この伝説に対して種々の異論や批判がある。
(二)第二回結集(七百結集)。釈尊滅後100年のころ、戒律について異論が生じたので、ヴァイシャーリー(毘舎離)でヤシャス(耶舎)が主任となり、七百人が集まって律蔵が編集されたと伝えられている。
(三)第三回結集(千人結集)。釈尊滅後200年のころ、アショーカ王のもとで、首都パータリプトラ(華氏城)において、モッガリプッタ・ティッサが主任となり、千人の比丘が集まって、経・律・論蔵全部を集成したという。第一・二回は北方・南方の両仏教に伝えるが、第三回は南方仏教にのみ伝えている。
(四)第四回結集。二世紀のころ、カニシュカ王のもとで、パールシュヴァ(脇尊者)・ヴァスミトラ(世友)が中心となってカシュミール国の比丘五百人が集まって、三蔵に解釈を付し、それが『大毘婆沙論』となったというが、南方の仏教徒はこれを信じない。
『佛教語大辞典』(中村元著)「結集」より
では、『第一回結集』においてまとめられた経典を最も正確に伝えている経典は、現存する経典の中でどれなのか? もし複数存在するのであれば、どの経典のどの部分とどの部分をつなげればより事実に近づけるのか? 後世の記述であるという特定はどこでするのか? ・・・等々の疑問が出ます。
19世紀末の欧米や日本の研究者たちは、<論証を積み重ねていけば釈尊の説かれた教説の真実にせまることができる>という信念のもと、果敢にこの命題に取り組んでいきますが、結果としてその全てが失敗に終りました。これについて、<基本的な仏教教団の成り立ちが、現在我々が考えている組織とは随分隔たりがあるのではないか?>という視点から、以下のような説も出されています。
ある時期にはぜんぶで二十ほどの部派があったといわれる。パーリー語、漢文、チベット語などのさまざまの文献で、それらの部派の発生の歴史を述べている。ところが発生の順序や系統や名称は書物によってかなりの差異がある。これらの文献に共通するところによると、仏陀の入滅後ある時期(およそ百年のあいだ)を経てのち、大衆部と上座部との分裂がおこり、それから内部の分裂をくりかえして、このように多数部派ができたという。
こういう文献にもとづき、近代の研究者たちも、仏陀の残した教えはその入滅後ある時期まで(百年ほど)は統一ある形で伝えられていた、と推定することが多かった。原始仏教とか根本仏教とかいう区分はこの推定を根拠とする。
<中略>
こういうふうに多くの学者は考えてきた。そしてこれらの部派がいわゆる小乗仏教(または部派仏教)であり、その後しばらくして、おそらく紀元後になってから、これらとは別に、大乗仏教という新しい運動がおこった、とこう言う。
しかしこれらの点には問題がある。問題点を要約すると次のようになるであろう。
第一に、仏陀の入滅後百年ほどのあいだ統一見解が仏教教団ぜんたいを支配したということは疑わしい。仏陀の在世当時ですら、教理の統制は実際に強制されていなかったし、入滅後の第一回の会議の結果もすべての仏教者によって無条件に承認されたのではなかった。
第二に、部派の区別は仏陀の入滅後百年たってから始めて現れたのではない。仏陀の在世当時から地域別、または中心人物に別によって事実上の支部が存在していた。布教の地域が拡大するにしたがって、この傾向もいっそう盛んになった。
第三に、大乗は小乗よりも新しいと一概に断定することはできない。大乗が教団組織として固定し、その聖典を編集したのはかなり後であるが、大乗的傾向の活動はずっと以前からあった。その具体的な証拠は、紀元前二〜三世紀までさかのぼるサーンチー、バールハトその他に残る美術品からも推定される。また“説一切有部”や“経量部”などの小乗部派の教理はきわめて複雑なものであって、これらが大乗の興起以前にすでに成立していたと推定できる根拠はない。
第四に、前に紹介した部派の分裂の歴史は必ずしも客観的な記述ではないことも注意すべきであろう。書物によって記述が異なることからみても、このことは明らかであるが、これらはみなそれぞれの部派が事実上成立してからあとでおのおの自分の部派を権威づけるために作られた系図である。自分の部派が仏陀の真説にもっとも近いことを証明する意図によって書かれたものである。
『お経のはなし』(渡辺照宏著/岩波新書)「お経の成立」より
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/01_06_28.html
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2) ヒンズー教と仏教
インド旅行で、ヒンズー教と仏教は、非常に近いと実感した。お題目の唱和も鈴で拍子を取るのと、木魚などで取る違いはあるが、同じような感じである。お題目も南無シバ神であり、南無妙法華教や南無阿弥陀仏などと同様である。密教寺院では、声明で読経を1つの音楽のような印象を受けるが、それと同じ声明をヒンズー寺院で聞く。このように宗教を取り巻く雰囲気が非常に近い。
ガンジス川の沐浴も、日本でも冬に川に清めで行う沐浴と同じ雰囲気を感じた。感覚的に近い。全然違うものとは感じない何か懐かしさを感じる。ガイドさんによると、仏教はヒンズー教の1分派であるというが、その意味は分かるような気がする。
また、街中でののら牛、のら犬、のらヤギなどが、人間を恐れないで近づいてくる。サルも街中にいる。物乞いも物売りもいる感じが異空間であるが、人間と動物が同一平面で生きている仲間という感じがした。釈迦が動物に説教をする場面があり、その場面が本当のことだと実感できる。このように今のインドは懐かしさとある意味の理想郷でもあると感じた。
この原因を日本に戻ってから調べる必要があると、旅行中に感じていた。 ウイキペディアによると、
ヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて世界で第3番目の宗教である。
ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。 紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。彼らは前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。
紀元前400年頃にバラモン僧の腐敗の元、宗教改革で出来上がったのがジャイナ教と仏教だ。ジャイナ教は商人層に拡がり、仏教は支配階級層に拡がった。
このため、バラモン教は変貌を迫られた。その結果 バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。ヒンドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。この頃のヒンズー教や仏教やジャイナ教の区別は殆どない。大きな違いはヒンズー教がカーストを認めるのに対して残り2つはカーストを認めないことである。
しかし、その後インドの民族宗教としてヒンズー教が民衆に信仰され続けてきた。仏教はインドでは根付かなく、東南アジア、東アジアで盛んになる。
ヒンズー教は三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち
ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ :宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神
は一体をなすとされている。しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。その中でブッダはヴィシュヌ神の生まれ変わりとして描かれた。ヒンズー教での仏陀は、第9番目の聖人としている。
また、輪廻はインドにおいてサンサーラと呼ばれる。サンサーラとは、生き物が死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わることである。インドの思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想する。
輪廻教義の根幹に、信心と業(カルマ、karman)を置き、これらによって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カースト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。
業(行為)にもとづく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されてインド人の死生観・世界観を形成してきたのである。
このように輪廻と業は、仏教もヒンズー教も同じ思想である。
また、ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっているが、ヒンドゥー教は不殺生を旨とし、そのため肉食を忌避するので菜食主義の人が多い。しかし、身分やしきたりによってその度合いが異なる。一般的な菜食は植物に加えて鶏卵も可とする人と、鶏卵を不可とする人がいる。また上位カースト階級には、収穫の際に地中の生物を殺す惧れのあるタマネギなどの根菜類を不可とする人もいる。
いずれの場合も牛乳および乳製品は良く食べられる。
このため、ヒンズー教徒は動物を殺さないことで、動物が人間に近づいてくるのだ。また、今回の旅行で見た日本女性の1人旅が多いのも、安全だからであろう。
また、7世紀に入って大乗仏教も密教へと変化するが、密教とは仏教のヒンズー化である。仏教はヒンズー教一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。
4世紀にインドのグブタ朝はヒンズー教を国教と定め、ヒンズー教のバラモンを厚く保護した。これによりヒンズー教は圧倒的な勢力を持つようになった。ヒンズー教の発展と富豪商人の衰退が仏教をヒンズー化へと向かわせたのであった。
13世紀を過ぎると、ユダヤ教、キリスト教の後を受けて成立した一神教のイスラームが、インダス川を越えてインドに入り込んできた。多神教のヒンドゥー教と一神教のイスラームは、根本的に異なる宗教で、2つの宗教の信者はおたがいに対立することが多くなる。
この対立は、20世紀のインド(ヒンドゥー教徒多数)とパキスタン(イスラーム教徒多数)の緊張の背景にもなっている。仏教は、13世紀のイスラム教の侵攻で、インドから出て行く。この最後のインド仏教の逃げた場所がチベットであり、現在のチベット仏教になる。
日本に中国経由で伝来した密教は8世紀の密教であり、チベット仏教は12世紀の密教である。
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/230108.htm
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3) 部派仏教が最後に行き着く先は …
タイの仏教
タイの朝は僧たちの托鉢によって始まる。
愉楽に騒ぐ熱帯の夜の名残りと、新たな一日の光が生起する豊饒への胎動との境目に、密かt゚メ目と祈りが流れ出る。合掌した手の熱い思いから、あたかも一瞬一瞬紡ぎ出される奇跡のように、生きとし生けるものの時間が動き始める。あちこちの寺院の本堂や僧房から朝の読経の声が凛々と響き、その清澄な声に乗せて夜の戸帳が開かれてくる。暗がりのなか通りを朝市へ野菜を運ぶ人々のつつましい足がよぎる。
けだるさとさわやかさの錯曹オた薄萇のなかに、家々から人々が表へ出、托鉢に歩く僧たちに恭しく供物を捧げる。裸足の僧と、裸足で食物を捧げる叙ッの、大地を通した交歓のなかに、洗われる心が光る。「サバーイ チャイ」という内面の輝きの美しさを、タイの人々は生れながらに具備している。祈りの溶け合うそこに、タイの朝がある。
タイの寺院――二万八千。僧――二九万人。タに全人口の九六%が仏教徒であり、男九百人に一人が僧籍にある。
男にとって成人は得度することであり、誕生・祝磨E葬儀・新築祝など、およそ人生の節目は仏教によって彩られている。人々はすすんで寺院に寄進し、僧に捧げ物をする。善行を重ね徳を積んで、輪廻の巡りのうちに現世および来世の幸福を祈願する。
学校教育は仏教の儀礼と道徳をその根幹とし、どの校庭にも仏像があり、朝礼で生徒たちは経を唱和する。挨拶のしかた、目上の人への敬譲、父母への愛、一つの幹から出た枝々の茂りのように、それはタイの社会に隅々まで脈流している。
タイの時間は仏教の時間であり、季節は仏教の季節でもある。キリスト教暦一九九○年の今年は、仏暦二五三O年にあたる。マカブチャー、カオ・パンサー(安居入り)、オーク・パンサー(安居明け)などの仏教の祝日、仏教の儀ョが、一年という時の流れを色づける。
日本の鎌倉梠繧ノあたるスコタイv鑼明期、王朝は仏教を積極的に採り入れ、統。の根幹とした。崇・な南方上座部仏教の教理は、二つの側面を見せながら、農耕民族としての東南アジアの民に受け入れられていく。一つは為政者の統。闥iとして、一つはどんなものをも受容する、純朴で素直な叙ッの心の証として。
為政学をも内包していた仏教は、歴代の王によって国家秩序維持の手段として強力に保護され、中央集権国家との表裏をなしつつ、民衆のなかへ浸透していった。叙ッは、ただ素朴な心のうちにそれを呑みこみ、むしろ仏教への帰依のなかに、草木として茂る自身の心の風景を投影していった。
王朝の統。と民衆の心の無限の豊かさとの二重奏は、現在まで続く東南アジアの一つの原風景を作り出している。限りない矛盾であるがゆえに、それはまたこの地の一つの美しい精神風土をも形作っている。
現代の世界はむしろすべてが仏教の教理とは背馳する方向へ大きく動いている。欲望の放逸、物理的な集約化、物質の横溢――それらゆえに苦しんでいる我々の姿は、タイの仏教に照らし合わせるとき、逆説的な苦界の景観をなして浮かび上がってくる。足ることを知らない人間の弱さは、飽和へと追いつめられつつある人間の歴史の危機を警鐘する。
貧しさのなかから分かち合う者の姿、微笑み合う者の親しさと和かさは、ともに生きる人間の本来のあり方を過汲フ方向に照射しつつ、ひたむきな祈りのなかに、希望を繋げていく。
タイ人と仏教
タイ人は生まれながらに仏教の倫理観のなかにいる。
誕生も輪廻の秩序のなかにあり、父母への敬愛も、年寄への尊崇も、仏教の慈愛の精神のうちに培われる。子供たちはごく自然に仏教による礼儀を学ぶ。両手を前に合わせる合掌の挨拶も、目上の人への服従も、耡への思いやりも、すべて仏教規範のうちに一つの空気として身につけていく。
タイ人は朝托鉢に来る僧侶に食物を捧げる。また、誕生日には早朝から寺へ行って捧げ物をする。これらも、幼少の頃から一つの習慣として受け入れられていくものである。
「徳を積む」ことを社会と人生の価値観として学んでいく。
「ナーム チャイ」(水の心=怦、)とか、「サバーイ チャイ」(心がすっきりする)とか、精神の清らかさやさわやかさを表す言葉が、日常のなかに息づいている。
学校でも朝礼ではつねに経文を唱え、仏教式の礼儀作法を学ぶ。
男qは一生に一度は仏門に入るものとされ、一つの成人ョとみなされている。また母親は自分の息子を仏門に入れることを最上の幸福の一つとする。晩年、ミ会的な役割を終えた人々が、宸ノ入り、僧として孤独に静かな人生を終えていくことも、徳とされている。
どこへ行っても必ずお寺があり、村や町の組織の中核をなしている。村の人々にとって、宸ヘみんなが集まり、村長を中心に僧に相談を乞う政治の中心である。また重要な儀ョ行なう催しの場でもある。また学校は多く寺の敷地内に建てられ、読み書きを習う教育の場でもあった。なによりも精神的な支えであり、宸霖羶瓦紡爾寮験茲・弔泙譴討い襪噺世辰討いぁ」
タイでは国王が仏教徒であり、国王自身が一度は出家する。仏教は王室を守るものであり、タイの国家の精神的基盤である。 タイの人々にとって、仏教はたんなる宗教ではなく、日常生活そのものであり、価値観であり、ミ会のあり方だと言っても過言ではない。
http://www.asiawave.co.jp/AWbukkyo.htm
タイを含む東南アジア、ミャンマー、カンボジア、ラオス、マレーシア、インドネシア諸国では土地が富力の源泉にならなかった。それは人口が少なかったために、土地を基盤として、封建制社会の社会が形成できなかったということである。これらの諸国ではかつて王国を造り、維持するに当たって、支配層が苦労したのは、自己の支配を如何に正当化するかということであった。土地という絶対的生産手段で支配できないとすれば、精神的基盤で人間を支配する方式を採らざるを得ない。その結果として、今の言葉でいうイデオロギーが非常に重要視される社会になった。そのイデオロギー形成に使われたのが宗教だった。宗教を使いながら自らの支配を正当化し、社会秩序をつくっていったのは東南アジアに成立した王国の共通した姿であったように思う。
タイに仏教がはいってきたのはそれ程古いことではない。上座部仏教が最大の勢力を持つ宗教として成立するのはスコタイ朝三代目ラームカムヘーン王(在位・1279年? - 1300年?)の時代、13世紀である。
上座部仏教における頂点はもちろん仏陀、悟りを得て涅槃に入った人である。ところが、この仏陀は誰でも厳しい修行さえ積めば到達できるのだ。
どんな人間にもその機会は平等に与えられているのは、絶対王制を築こうと思っているものにとって、非常にまずい。国王は絶対であり、すべての頂点に立っていなければならないからで、平等思想が基本にあると権力による統治に説得力がなくなってしまう。しかも、仏陀とは世俗を捨て、すべての欲望を断ち切った人を指している。豪勢に暮らしたり、権力をふるったり、他国と戦争したりする人では絶対にない。
こういった矛盾を解決したのが、新たに導入されたバラモン教だ。
バラモン教国であったクメール帝国の歴代王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一した。神がこの地に再臨しているのだから、人々はひれ伏すのみ。王は天上界を支配する神が転身して地上に姿を現したものである。王は人間の姿をした神である。そう宣言することによって王は大衆の尊敬を得て、権力の絶対性を高めていった。
バラモン教義を採用したアユタヤ王朝(1350年-1767年)やトンブリー王朝(1767年-1782年)の国王は、国土を統治する権力者として、また、神の化身として、“ソムデット・プラプッタジャオユーフア”(神でもある国王陛下)と呼ばれていた。バラモン教では、ヴィシュヌ神が地上に現れる時の仮の姿が仏陀ということになっている。何百年にもわたって王様は神様(仏様)という教えが生きている。だからチャクリー朝のプミポン現国王は最高のタンブンを積んだ人という考えが一般にはある。タイの寺院に行くと寺院の中にプミポン国王の写真が必ずある。また、母の通院するシルブリン病院にはポミポン国王と高僧が向かい合った写真が飾ってあり、女中などその写真に手を合わせている。王様イコール神様、仏様の世界だ。
写真はチェンライのカオソーイ(ココナツカレーそば)屋さんに飾ってあった絵である。水の中で苦しむ人々に神鳥ガルーダに乗ったプミポン国王が空から手を差し伸べている。もう一つの絵は同じく苦界の海でもだえ苦しむ罪人と空で罪人の救済を祈るプミポン国王の図である。国王には光背があって、まさしく仏陀をイメージさせる。面白いことに地獄で苦しむ罪人はすべて男性で女性は描かれていない。
タイでは政治的混乱が起こると、王様が出てくる。王様の前で両者がひれ伏して王様の説教を聞いているというテレビ映像を覚えている人も多いだろう。王様が仲良くやれ、とか何とか言うと流血の惨事が起こった政治闘争も落ち着くところに落ち着いてしまう。あれはタイの社会通念、道徳が依然として強いことを証明していると思う。
プミポン国王は最近、ご健康が優れないため国内巡幸をされていないが、10数年前、活発に地方視察をされている頃には、沿道に庶民が詰め掛け、老婆がしわくちゃの20バーツ札を捧げ持って王様のおいでをお待ちしていた。王様は生活にお困りだからタンブンしましょう、ということではなく、タイで一番、徳の高い人にタンブンしてその効果を高いものにしたいからだ。王様が受け取ってくださったら老婆は無上の喜びを感じる。
タンブンはタイの人にとって喜び以外のなにものでもないように思える。お寺にとってこれ以上ありがたいシステムはない。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48189892.html
タイでは物質的基盤なしに権力を維持するために、温情的人間関係に頼る以外になかった。その温情的人間関係の補強材として仏教とバラモン教が利用された。
タイは仏教の国というが、バラモン教の影響を強く受けている。
タイのお寺にいくと仏陀のほかに三つ頭の象だの猿だのヘビだの、あるいは見たこともない怪しげな鳥の像を多く見かける。これらはバラモン教に由来する神像だ。バラモン教は古代ヒンドゥー教でクメールからタイに伝わったといわれる。バラモン教の特徴は儀式を重んじることであり、儀式を執り行えば神様は人間ののぞみを叶えてやらなければならないとされている。バラモン教の神様にはいろいろあって家庭のことだけ、地域のことをつかさどる、雨を降らしてくれるなど、それぞれ守備範囲が違っている。でも供物を捧げて儀式を執り行えば必ずご利益があるという判りやすい教えはタイ人には受け入れやすかったと思う。従来の仏教はきっちり存続させ、儀式的な要素だけをバラモン教から取り入れた。日本の神仏習合を思わせるような知恵である。
バラモン教の儀式には、神様の世界と人間界を仲介する特殊な人がいて、その頂点には国王がいる。タイ王室の国章にはバラモン教に由来するガルーダという神鳥が使われ、その国章はタイ紙幣の裏表に印刷されている。ガルーダは、ヴィシュヌ神(バラモン教の主神)の乗り物で、鷲の頭部・嘴・翼・爪を持ち、翼は赤く、全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。
タイ国王は、ヴィシュヌ神=仏陀=ラーマ王の生まれ変わりとされているので、ガルーダはタイ王室の守り神となっている。インドネシアでは仏教伝来と共に、国営航空会社「ガルーダ・インドネシア」のエンブレムにも採用されている。大乗仏教に帰依したガルーダは、「天竜八部衆の迦楼羅(かるら)神」として仏法守護神となった。日本の密教では、梵天や大自在天の化身、あるいは、文殊菩醍の化身といわれ、風雨を止めるための修法である伽楼羅法の本尊とされている。さらに、ガルーダは、日本の民間信仰に取り入れられて「カラス天狗」となった。カラス天狗がプミポン国王をお守りしていると思うと妙な気がするが。
話が横道にそれた。タイの権力者は温情主義をうまく作り出すために仏教の慈悲心を、神の世界との中継ぎにバラモン教を持ってきた。バラモン教は神王思想により、王を神に仕立てている。また、仏教とバラモン教を使って、社会の序列は積徳(タンブン)の量と神への近さで決まっていると一般の人たちに思い込ませている。下の人に、上の人は徳を積んだ人だから、すがって生きなさいと教え、上の人には、下の人に慈悲を垂れなさいと教えている。また上の人は神なる国王から眼に見えない威力を付与されている人達であるので、服従しないとバチが当たると教えている。
このように上の人は下に慈悲を垂れ、下の人は上の人に服従することが、保護ー被保護関係を支える道徳、社会通念となって、今日まで受け継がれてきている。
タイの選挙では(徳を積んだ)立候補者は金をバラまく。貰った人は必ずその恩に報いて投票する。金をもらって、その人に投票しないのはハーブ(悪行)になると考えているのだ。配った金と票数は村ごとに1票の狂いもなく一致するという。伝統的文化の重さを感じる話である。
上の人は徳を積んだ人であるから、下の人に慈悲を垂れなさい、下の人は徳がないから徳を積んだ上の人にすがって生きなさいという教えは、社会的不平等を平等化する見事な論理となっている。下の人が上に歯向かうことがないのだから社会的秩序は安定する。貧しければ貧しいほど、前世のタンブンが少なかったせいだとあきらめて、来世を願ってわずかな蓄えをタンブンに差し出し、上の人にすがって暮らす。益々不平等は拡大し、貧困は激化するのだが、そうなればなるほど上の人への依存が強まり社会は安定していく・・・
この論理は何世紀にもわたって造られてきたもので、なかなか崩れない。これがタイの組織原理、いうなれば文化になっている。制度はみなこれで動いているといっても過言ではないだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48157376.html
タイ仏教とバラモン教とのかかわり
タイ仏教に深いかかわりを持つバラモン教は、15世紀頃まで栄えた隣国クメール帝国から伝来したと言われている。 当時のクメール帝国は、現カンボジアに相当する大王国で、その文化は護国寺アンコール・ワットに象徴されるように、インド/ヒンドゥー文化の影響を色濃く受けていた。 その帝国の知識人や宗教家たちを、クメール王朝崩壊と同時に引き抜いた時から、タイ仏教のバラモン色が強まったとされている。
では、なぜ仏教国にバラモン教なのか?
仏教とは、本来反バラモン思想として生み出されものたものではなかったか?
これは、たぶん王制維持のための必然として導入されたのだろうと、現在では考えられている。つまり、上座部仏教の教えだけでは、王制を確固たるものにできなかったのだ。
上座部仏教における頂点はもちろん仏陀、悟りを得て涅槃に入った人である。ところが、この仏陀は誰でも厳しい修行さえ積めば到達できるのだ(できるかはともかく、チャンスはある)。 どんな人間にもその機会は平等に与えられているのは、絶対王制を築こうと思っているものにとって、非常にまずい。
国王は絶対であり、すべての頂点に立っていなければならないからで、平等思想が基本にあると権力による統治に説得力がなくなってしまう。
しかも、仏陀とは世俗を捨て、すべての欲望を断ち切った人を指している。豪勢に暮らしたり、権力をふるったり、他国と戦争したりする人では絶対にない。
こういった矛盾の中から導き出されたのが、バラモン教の導入だ。 バラモン教国であったクメール帝国の歴代王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一した。神がこの地に再臨しているのだから、人々はひれ伏すのみ。これをアユタヤー王朝は見習ったのだろう。
王は天上界を支配する神が転身して地上に姿を現したものである。 王は人間の姿をした神である。 そう宣言することによって王は大衆の尊敬を得て、権力の絶対性を高めていった。
これは第2次世界大戦集結前までの日本天皇が、現人神と名乗ってその権力と絶対性を維持していたのと同じような発想だろう。
しかも、よくできた具合にバラモン教では、ヴィシュヌ神が地上に現れる時の仮の姿が仏陀ということになっている(神は合計10の姿を持っている)。
この話の真実は、バラモン信者の信仰の確かさを試すために神が異教の伝導者である仏陀に転生するのだが、支配力強化に使えるものはなんでも使う。両者を合一させるのはかなり無理な話だが、異教と思わず同族と思えば問題ないのかもしれない。
とにかく、その利用価値は大変に高い。 さらにバラモン教独特の選民思想も、大衆支配にはとても都合がいい。バラモンのカースト制度を用いて生まれついての身分を決めてしまえば国家が統治しやすいからだ。
下から上への反乱は許されない。 支配者は常に偉く、不可侵である。
屈従を余儀なくされる大衆には仏教の輪廻転生思想を同時に教え諭す。 現世での不幸や苦悩は前世でのタンブン不足が原因であり、改善のための手段はなく、ただひたすらに来世を夢見て精進に励めと教え込む。 絶対権力を高めるのに、これほどいい材料は他にはない。タイに今もはびこる身分差別は、ここに端を発しているのである。
こうして仏教国タイに神がもたらされた。
王室行事にバラモン教的なものが多いのも、その絶対性と神性を維持するためには不可欠。 王室にはバラモン司祭もおり、彼の御託宣によって吉祥日時を決め、行事を執り行う。仏教の最大擁護者であるタイ国王でさえ、バラモンの命に従うのだ。 もっとも、最近は以前ほどおおっぴらにバラモン行事を行わなくなったと言われているが。
バラモン教はタイ仏教に神秘性を与え、今ではすっかり同化しているようにも思えるが、やはりどこかに無理がある。
ワット・アルンのように、何教の寺院なのかわかりにくい寺院もあるし、チャクリー王朝初期の寺院は、バラモン教の仏教的こじつけのような寺院が少なくない。しかし、それが複雑なタイ文化を形成しているのだ。 市内のあちこちにあるピーの祠も、バラモン教の影響だ。祠の中にバラモンの神を祭ってあることが多いことから、それがわかる。これは要するに神棚だ。
日本人が仏教を信仰しながらも神社に参ったり、神棚に供え物をしたりするのと同じ感覚だろう。 以前からタイで信仰されていた精霊信仰が、わかりやすい形になったのだ。 こんな神仏習合について深刻に考えるタイ人はあまりいない。 要は御利益さえあればいいのだろう。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism09.html
上座部仏教の功罪
仏教はタイ国民の生活に深くたしかに根付いている。思想や行動様式の中にも上座部仏教に基づいたものが多数あり、そこからタイ人の性格形成の秘密を探り出すことが可能だ。 たとえばタイ人の典型的な性格 「ヘン・ケー・トゥア(自分のことだけを考える)」 は、上座部仏教が掲げる 「己だけの完成と救済」 に起因しているのではないか。
大義を欲しない自己中心的な考え方はタイではごく当たり前のことだが、これは宗教的に見て悪いことではない。最終的に解脱できるのは、努力した本人ひとりなのだから。 一向に解消されない貧富の差や身分の差も、宗教的理由によるところが大きい。 もちろんここにはタイ仏教の底流と複雑に絡み合っているバラモン教の選民思想があるのだが、輪廻転生を信じ、現世の不幸は前世での徳が足らなかったためと思っているタイ人は多く、自分の地位の低さ、能力のなさ、度重なる不幸を生まれついての業と考えて、何事においてもすぐに諦めの境地に達してしまう傾向がある。
徳を多く積んだ人ほど救われる上座部仏教では、人々は平等に救済されることなどない。
仏教はそもそも反バラモン/カーストの立場から発生しており、仏陀は人間の身分の差を認めず平等を説いていたはずだったが、現在のこの状況はいったいどうしたことか。
また、男性以上に働きながらも社会的には下等とされている女性の地位も、上座部仏教の教儀に端を発している。女性は上座部仏教において不浄の存在とされているからだ。 僧侶となって修行することが認められていない女性は、必然的に解脱に至る道が閉ざされている。
これは戒律を守る以前の問題だ。尼僧になることはできるが、彼女たちは僧侶ではない。バスに乗っても席を譲ってはもらえないし、あまり敬意は払われない。
タイ上座部仏教における女性の救済は、まず男の子を産み、その子を立派に育てて出家させ、徳を積ませて初めて成就する。タイ人たちが言うところの、「僧侶の法衣の裾にすがって」 はじめて女性は救いを得ることができるのだ。 彼女たちは、自分だけの努力では、涅槃に行くことができない。
世の中は、まったく公平ではない。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism06.html
タイ人と仏教に関する考察
タイの仏教、即ち小乗仏教は極めて為政者にとって都合の良い宗教であると思う。
タイ人の大多数は仏教徒であり、その多くは定期的な寺への参拝と寄進を欠かさず、日常生活においても(少なくとも表向きは)仏教の教えに背かない様に留意しながら暮らしている。こういう風に述べるとタイ人は善男善女の集団であると誤解される向きがあるかも知れぬが、事実はやや異なり彼らのこういった行動は全て自分の利益の為である。即ち、来世でより良い身分で生まれ変わる為に現世で功徳を積もうとしているのである。
小乗仏教においては、死後に極楽浄土へ行くことが出来るのは戒律を守って修行をした僧のみである。僧以外の者は、修行をする僧の手助けをし功徳を積むことによって、死後には極楽浄土へは行けないもののより良い境遇での生まれ変わりが可能となるという訳だ。
http://plaza.rakuten.co.jp/bangkokian2547/diary/200910070000/
現世とか来世とか生まれ変わりとか、全く非科学的なこれらの事象を信じる人がこの現代社会のどこにいるのか?
と私も以前は疑問に思っていたが、考えてみれば何億といるインドのヒンズー教徒はこれらを固く信じているであろうし、インド人よりは遥かに我々日本人と感覚的に近い筈のタイ人も、その多くが何となくであったとしても輪廻転生を信じているのではないかと思われる。
少し前のことになるが、タイ東北部の田舎に蛇と暮らす男の話をニュースで見た。確か、ある日その男の家の前に大蛇が現れ何度追い払おうとしても頑として退こうとしない為、困って寺の僧に相談したところ
「その蛇は前世ではお前の妻だった」
と宣告され、以後彼は家の中でその蛇と暮らしている、という内容であった。馬鹿な男もいたものだ、と私は笑ったが、そのニュースでは「美談」として取り上げられていたからよく覚えている。横で見ている嫁も、下手に論評しようものなら「私が蛇に生まれ変わったら、貴方は私を捨てるのか?」などと言い出しかねない雰囲気であった。
このケースは極端な例で、だからこそニュースになったのだと思うが、最も軽薄な人々が鑑賞していると思われる夜のトレンディー?ドラマでも、生まれ変わったら云々、といったストーリーが散見されるので、田舎の無学な下層の人々だけが輪廻転生を盲信していると言う訳では断じてないと思う。
http://plaza.rakuten.co.jp/bangkokian2547/diary/200910080000/
タイ社会は日本とは比較にならぬ程の格差社会である。
であるにも関わらず、下層階級の人々に余り悲壮感がないのは、1つには温暖な気候と豊かな食料事情により極貧であっても少なくとも衣食住には困らないことに由るのだろうが、2つには輪廻転生を半ば信じていることも大きいと思う。
自分が現世において貧乏なのは前世における功徳が足りなかったからだと諦めがつくからである。それどころか、「蛇だとか動物に生まれ変わらなくて良かった」と思っているかも知れない。だからこそ、上流階級の金持ちは金持ちであることをこれ見よがしに見せびらかし、下層階級の同胞を思い切り見下すのである。金持ちに生まれたのは前世で功徳を積んだ証拠なのであるから当然である。
そして、そのヒエラルキーの頂上は仏教の守護者である国王である。国王をタイ国民が尊敬して止まないのは、現国王のタイ国への貢献によるところも大きいが、何よりも国王が前世で最高の功徳を積んだからである。
輪廻転生思想を伴うタイ仏教の思想は、学校教育やテレビ等のマスコミを通じてタイ国民に幅広く深く浸透しタイ社会の安定に非常に寄与している。一部の人々が富を独占しても、他の国の様な激しいデモや暴動にはなりにくいのである。
「タイは王国だから社会が安定している」とはよく聞く謂れであるが、「タイ国民は輪廻転生思想を持つ小乗仏教の信者が多数を占め、国王を頂点とする超階級社会にも宗教的合理性と納得性があるから安定している」というのが私なりの解釈である。本当に良く出来たシステムであると思う。
そして、今日も国民の大多数を占める下層階級の人々はなけなしの金で寺や僧への寄進をし、来世での良い生まれ変わりを目指すとともに、実は前世では非常な功徳を積んでいたことが判明したことによる一発逆転=宝くじで明日に夢を繋ぐのである。当然その後は何も努力をせず最低限働いては昼間からゴロゴロする。
日本人である私などはイライラして「神は自ら助く者を助く」って言葉を知っているか?と彼らに説教してやりたいのであるが、嫁に言わせるとああいう人たちには何を言っても無駄であるとの由。大方、「貧乏に生まれたからには頑張ってもタカが知れている、現世は諦めて来世に期待する」という様な回答が返ってくるのであろう。誠にもって嘆かわしいが、その一方で私も嫁もこの安定した格差社会から恩恵を受けていることも間違いないから、悩みは深いのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/bangkokian2547/diary/200910090000/
タンブン
修行中の僧侶だけが対象とされる上座部仏教。しかし、タイでは一般大衆にも救済の道が開かれている。 その道とは、「タンブン(徳を積む)」 こと。寺院や僧侶に喜捨寄進して善行を積む、いわば他力本願に近いものだ。 現世で身に降りかかる出来事のすべては前世での徳の高低によって決定されていると考えるのが、このタンブン思想の原点だ。
タイの仏教徒は輪廻転生を深く信じている。徳は積めば積むほど高くなり、それは次の転生時まで持ち越すことができる。幸福は前世で積んだ徳が高かったことを示し、不幸は努力の至らなさを表している。 わかりやすく書くと、タンブンは輪廻の中における善行の長期預金だ。運命の善し悪しは先天的なものだが、それも結局は個人の前世での努力量によって決まる。となれば、現世ではなにをなすべきか?
一心に、来世に向けて徳を積む作業に没頭するのが正しい。
この現世での生活は苦しいかもしれないが、苦難の道を乗り切れば、来世での安穏とした日々が待っている。長い輪廻の輪の中には、いい一生もあれば、ツキのない一生もあるというわけだ。
具体的にはどうするべきか?
もちろん僧侶となって修行に励むのが人生における最高の善行だが、実生活ではそうもいかない。 こうしてタイの人々は、日夜細かいタンブンに励むのだ。
また、転生は人間界だけに限ったものではない。タンブンを積む作業を怠ると徳は確実に目減りしていくし、悪行を働くと逆の作用が働いて、下等動物への転生が待っている。罪を犯したものの魂は犬などの獣へと転生され、向上どころではない生活が待っている。
早朝、僧侶たちはそれぞれがこもっている寺を出て、托鉢(ピンターバーツ)にまわる。
「坊主は乞食(こつじき)であるべし」 という仏陀の教えに従っているのだ。 人の残したものを食べ、人の捨てた布切れを身にまとい、欲望雑念を捨てて解脱する。人々は施しを与え、それが僧侶の修行の糧となることによって徳を積む。
しかし、彼らの鉢(バーツ)の中には、とても残飯とは思えないほど立派な食品ばかりが詰まっている。施しを希望する人はあとを絶たないし、早朝の市場に行くと 「喜捨セット(米・おかず・飲み物が小さなビニール袋に入っている)」 まで売られているのだ。 どんなにすばらしいものを与えられても、僧侶たちは絶対に感謝しない。
それはあくまでも残飯であり、彼らに向かって捨てられたものだからだ。
タンブンとはすなわち喜捨(喜んで捨てる)すること。人々は僧侶に捨てることによって徳を積み、喜びを得る。感謝するのは施された方ではなく、捨てた方なのだ。
タイにはひと月に4回の仏教日ワン・プラがある(新月と満月とその中間日)。この日は絶好のタンブン日となり、各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。ここでも、喜ぶのは徳を積むことができた一般の人々なのだ。 また、女性の場合は息子を出家させることが最高のタンブンとなり、家族の徳もまた高まる。
タイでは20歳以下の男子が出家することをネーンと呼び、成人して正式に僧侶となることはプラと呼ばれている。ネーンは母親に、プラは父親に功徳をもたらし、よって家族全員がタンブンできるのだ。 こうして徳を積めば積むほど来世での生活が保障され、その将来が安定していく。
しかし、ここにひとつの問題が生まれる。寺院や僧侶に施しを与える余裕のない人々は、どうすればよいのだろう?
ここから 「施す人は偉い人」 というタイ人の基本思想が芽生えるてくる。 裕福な階級の人々は財力を生かしてどんどん徳を積むことができるが、経済力のない人は積める徳の量も限られてくる。回数、質、量がモノを言うタンブンの世界だ。成り上がりのチャンスは少ない。
はっきり言うと、タイでは、「タンブンの金額」 が非常に重要視されている(どこの宗教でも同じか)。しかも、喜捨することによって浄化されるので、金の出所は問われない。
また、タンブンはサンガに対して行えばよく、どの僧侶、どの寺院であってもかまわない。 とにかく多くを与えたものが勝ちなのだ。
その格差は年を追うごとに開くばかり。さらに最近では子供を出家させるにも莫大な金が必要になっている。僧侶になるためには多額の準備金が必要で、手軽なように思える出家でさえも、実は楽ではない。
不平等の声はあちこちで聞くが、それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。
ちなみにタイにおける最高のタンブンとは、寺院を建立すること。高位階級への転生は、庶民にとってかなり遠い道でもある。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism05.html
タイの上座部仏教では修行中の僧侶だけが対象とされる。 しかし、タイでは一般大衆にも救済の道が開かれている。その道とは、「タンブン(徳を積む)」 こと。寺院や僧侶に喜捨寄進して善行を積む、いわば他力本願に近いものだ。
仏教の僧は、この世の無常を説きながら、タンブンしなされというばかりである。この現世には幸せはないのだと。だからこそ、来世で幸せになれるよう、現世でしげしげとタンブンに励むタイ娘も多い。
本来は帰依して仏教修行に励むことが最も徳を得る方法なのだろうが、一般人、特に女性の場合は、 “タンブン(托鉢)”という方法で徳を得ようとする。
輪廻転生を信じるお国柄、お金がないのは前世で悪いことをしたからと素直に信じタンブンに励んだり、タンブンの量によって、来世への幸せも得ようと金を出してはせっせとタンブンに励む人が多い。
従って、タンブンの量が多い金持ち=徳が多いという図式になり、社会的に尊敬されたりする。
反対に、タイ人は金がないことを最も恥とする。人が経済的に困っていると、あの人は徳がないからだと見下す傾向がある。
貧乏は、前世で悪いことをした=ゆえに罪が深い=徳がないことと考え、日本人が美徳として考える“清貧”などというのは、タイではバカ者、愚か者、能なし、罪深き人の代名詞なのだ。
特に娘に外国人の恋人ができたと知るや、親族は勿論のこと、親戚一同、どこからか借金の申し込みが絶えないといった被害に遭うことも少なくはない。借金を断ると怒り出す奴も中にはいる。徳の証である金がある人物が、どうしてそれっぽっちの金を貸してくれないか?・・・こちらは困っているのだぞと脅迫まがいの借金申し込みを受けたりする。そういう奴に限って、この娘が子供の頃には、こちらはいろいろ実家の両親に金を貸したり、世話をしてやったものだという話を聞かせる。うんざりである。
夜の商売に従事する人間だけでなくタイ人全般に言えることであるが、たとえ金持ちでも、自前で払うことができても、タイ人というのは他人様の金で飯を食い、酒を食らい、遊ぶことに全くためらいがないのが普通である。その図々しさには多々辟易するものがある。
タイ人というのは外国人からのタンブン(お布施とでも訳すか?)とでも思っているのか、他人に金を使わせることに遠慮はない。金を貰う羞恥も断るプライドもない。
タイ人と金銭のトラブルが発生するのもムリのないことである。金に対する考え方が、まるっきりちがうからだ。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism05.html
タイにちょっと詳しい人なら「タンブン」という言葉を耳にしたことがあるだろう。タンは徳、ブンは積むの意味で、徳を積むの意味になる。具体的には、お寺に寄進したり、托鉢する僧侶に施しを与えり、恵まれないものを援助することだ。
タイの仏教はスリランカ系の上座部仏教(小乗仏教)で本来は出家し、修行を重ねた坊さんしか救われないことになっている。しかし、一般の人でも救済され、来世でより良い生涯を送ることができる方法がある。それがタンブンだ。
現世での幸福は前世でのタンブンが多かったせいであり、不幸は前世でタンブンが少なかったことの表れだとタイ人は考える。現世でタンブンを怠り、悪行を行うと来世は不幸になるばかりか転生先は獣へ落とされる。タンブンは人間として生きるための当然の行いだ。
タンブンを重ねると、それは次の転生時まで持ち越すことができる。タンブンは輪廻の中における善行の長期預金だ。
タンブンをすればするほど来世での生活が保障され、その将来が安定していく。
タイにはひと月に4回の仏教日ワン・プラがある(新月と満月とその中間日)。この日は絶好のタンブン日となり、各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。線香、歯ブラシセット、石鹸、ローソク、花、布地、 お金等僧侶が必要 とする日用品等が入っているタムサンカターンという ポリバケツのセットがスーパーなどで売られていてこれがタンブンされる。トーパーパという竹のクシにお札を挟んだお飾り(丁度お札の花が咲いているように見える)もタンブンされる。
4月のワン・プラに女中のブアがトーパーパを用意していた。みると1000バーツ札の串が何本も刺さっている。全部で3,4万バーツはあるだろう。兄弟始め、村の人からのタンブンを集めたものだそうだ。お寺にタンブンをしに行くので数時間家を空けてもいいか、と聞く。公休ゼロが続いていたのでもちろん承知したが、タンブンが嬉しくてたまらないという様子でいそいそと出かけて行った。
そのあと、5月のワン・プラにもトーパーパを用意していた。ブアに頼まれて近くのお寺に車で行くことになった。お寺では本堂の正面に座ったお坊さんにトーパーパを差し出して三拝九拝する。トーパーパにはブア手書きの手紙がついている。ママさんの病気平癒と我々兄弟の満願成就を祈念して下さいと書いてあるそうだ。別に自分がタンブンしたわけでもないので少し申し訳ない気分になる。
帰りの車中でブアにいくらタンブンしたのかと聞いたら自分のポケットからは2千バーツだけと言う。エエーッ、2千も?それじゃ4月のトーパーパは、と聞くと5千バーツタンブンしたとのこと。
ソンクランの時にも近くのお寺に連れて行かれ、本堂や仏塔で拝むたびに100バーツをタンブンしていた。そのお寺で占いが良く当ると評判のお坊さんの庵に行った。ママさんの病気はどうしたら治るでしょう、とブアが100バーツ(自分も100バーツ)タンブンして尋ねてくれた。体中に刺青をしたアヤしい坊さんのご託宣は「よくゴハンを食べるように」といったものだったが。
ブアの月給は7千バーツだから、給料の大部分をタンブンしていることになる。タンブンすることが目的で働いているようなものだ。大体、キリスト教でも収入の10分の1を寄進すれば天国行きを保証してくれると聞いたことがある。これだと貧者にも救いがある。収入の大部分をタンブンしているブアのようなタイの善男善女に幸せな来世が約束されているのだろうか。
はっきり言うと、タイでは、「タンブンの金額」が非常に重要視されている。裕福な階級の人々は財力を生かしてどんどん徳を積むことができるが、経済力のない人は積める徳の量も限られてくる。回数、質、量がモノを言うのがタンブンの世界だ。残念ながら貧乏な人にはチャンスは少ない。ギブ(タンブン)・アンド・テイク(来世)のドライな勘定で、貧者の一灯といったウェットな感情が入る余地はない。 その格差は年を追うごとに開くばかり。子供が出家することは最高のタンブンとなるが子供を出家させるにも莫大な準備金が必要になっていて、手軽なように思える出家でさえも、実は楽ではない。
不平等の声はあちこちで聞くが、それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48005241.html
無功徳
無功徳(むくどく)と読む。禅をかじった人は、達磨大師と梁の武帝の間で交わされた有名な問答をご存知だろう。
達磨大師は南インドの香至(こうし)国の第三王子として誕生した。釈迦牟尼佛から数えて第二十七代目の般若多羅尊者の弟子となり、その法燈(佛法がこの世の闇を照らす燈火に喩えて言う語)を継いだ。よって 第二十八代目の祖師であり、また中国に禅を伝えた鼻祖として仰がれている。当時の中国は 北は「北魏」 南は「梁」の国に二分されていた。梁の皇帝は「仏心天使」と言われるほど仏教を熱烈に崇拝していた武帝であった。
達磨大師が、インドから中国の梁の国に来たのが 普通元年(520)九月二十一日、と「景徳傳灯録」にある。広州知事 蕭昂(しゅくこう)(武帝の従兄)、がインドから偉い僧侶が我が国に着(つい)たことを、武帝に奏聞した。この奏聞により武帝自ら車を連ねて大師を梁の都金陵の宮殿に迎え入れた。達磨大師が金陵の宮殿に迎えられると、武帝は大師に「朕、即位以来、寺を造り、経を写し、僧を度すること、勝紀すべからず。何の功徳かあらん〜(自分は、皇帝に即位して以来、多くの寺を建立し,経を書き写し、僧侶を養成し、わが民のために多くの事をなしてきた。その数は計り知れないが、どのような、功徳があるであろうか)」
武帝はこんなに仏法のために尽くしていているのだから、大師から、感謝され、きっと来世は極楽にいけるであろう、といった言葉を期待していたのであろう。だが大師の答えはまことに素っ気ないものであった。大師曰く「無功徳(むくどく)」(功徳などない) 武帝おどろき、「何をもってか功徳なきや」 (どうして、功徳がないのか)大師曰く「これ、人天の小果にして、有漏の因なり。影の形に随うがごとく、有りと雖も、実にあらず」 (それはみな 迷いの世界の中の小さな業績なり。迷いの原因を作っておるにすぎない。――影が人に付き纏う様なもので、譬え善意であるにしても、欲望が付き纏っていては、真実ではない ――)
善いことをすると「功徳」と いう お返しを人は心の奥に期待する。これは迷いのもとをこしらえておるようなものだ。お寺を建立したり、僧に供養したり、人民のために 療養所を作ったりするということは,善いことで悪いことではない。しかし、雨露(あまもり)がして部屋に水が漏れると、悩まなければならない様に、功徳を求めてする行為は煩悩のもとである。「あれもしてやった!」「これもしてやった!」と思うようでは、本当に善い事をしたとは、釈迦牟尼佛は教えてない。むしろ、そうする事によって「自我慾」を高めることになり、功徳につき纏う善意は善意であっても「善意にあらず」・「真実にあらず」と。
佛天子とまで言われた皇帝であり、また人格者で自身は悪衣悪食で一生を過ごし、居住するところも質素な建物だったと謂う。しかし、真の佛法というものをわかっていない、と大師は説くのである。
タイでタンブンを見るたびに達磨大師の「無功徳」を思い出す。タンブンはまさに見返り(現世も来世も)を期待して行なう行為である。タンブンはタイの日常生活、タイ人の精神生活に溶け込んでいる。タンブンはタイの文化を形作っている。 風邪を引くとタンブンしないせいだと500バーツほどタンブンして、全快を祈る。田舎だとラーメン一杯20バーツで食べられる。日本のラーメン一杯700円で換算すれば500バーツは一万数千円の感覚となる。
お寺の池には魚や亀がうようよ泳いでいる1メートル近い鯰もいる。池のほとりでは小さな魚や亀を売っている。池に放流してタンブンするためだ。市場でも20センチほどの田鰻が売られている。佃煮用ではなく、年の数だけお寺の池や川にタンブンするためだ。高齢者だと鰻の数を数えるだけでも大変だ。お寺には先を争ってお金や物品を寄進する。財力のある人はお寺そのものを建立して寄進する。
そんなタイ人のタンブンは達磨大師から見れば「無功徳」でなんの功徳もないということになる。しかし、タンブンのあと、晴れ晴れとした顔をしたタイの人々を見ると、対価を求めない喜びの境地、つまり「功徳」の世界に至っているのではないかという気もする。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48055508.html
タンブン文化
タンブンは来世への善行預金と書いた。お寺への金銭、物品を寄進、鳥、魚、亀、タニシの放流、乞食への喜捨、山岳民族子弟の奨学金、棄て犬猫の世話などタンブンは多岐にわたる。今の生活は苦しくともタンブンにより徳が溜まり、来世は白人や日本人に生まれ変わって、豊かな生活を送ることができる、と信じているからタンブンに励むのである。そして今、この世で経済的に苦しい、健康に不安がある、受験に失敗した、失業した、といった不幸はすべて前世でタンブンを積まなかったせいだと考える。逆に現世での成功者や恵まれた人、つまり、政治家、実業家、高級官僚、それから豊かな日本人は前世でタンブンを充分に積んだ人、徳の高い人ということになる。
だから権力者が横暴に振舞っても、「あの人たちは徳が高いのだから仕方がない」と言う考えになりがちだ。ここでは権力者に対して持たざるものが団結して立ち上がり、自らの権利を主張する、という社会主義的な政治運動は起こりにくい。タイの人間関係は、権力者に対立するのではなく、前世で高い徳を積んだ人の庇護を求める、という保護ー被保護の人間関係になる、と社会学者は説く。
自分は社会学者でも歴史学者でもない。これまで単なる旅行者として何度かタイを訪れているに過ぎない。しかし、ロングステイをしているといやおうなしにタイの文化に向き合う。女中との関係や交通ルール、市場での売買、食事作法など日常生活の小さなことにでも、これがタイなのかなーと、考え方の相違を感じることが多々あるということだ。
ここで、富山国際大学学長の田中忠治先生の著作を参考にしながら、タイ文化の基本を整理してみたいと思う。(ご興味のある方は先生の「タイ入門」、「 タイ歴史と文化、保護ー被保護関係と倫理」などをお読み下さい)
さて、タイ社会はすべて保護ー被保護の上と下に二分されている。金があり権力を握る人が保護者になり、金や権力のない人は被保護者になるという人間関係であらゆる制度が動かされている。夫婦関係以外の人間関係はすべて保護ー被保護関係になっているそうだ。それは一対一の人間関係で、日本の親分ー子分の人間関係に似ているが違う。権力者や富裕者の周りに人が集まるのは日本と同じだが、タイではこれが一対一に結びついているのが特徴で、被保護者同士が横につながりを持つことは一切ない。
一人一人が権力者に個別、直接に繋がる。もう一つの特徴は、功利的恩の授受関係にある。日本の親分子分の関係においては、一度受けた恩は決して忘れないということになるが、タイでは親分が失脚すると直ちに逃げ出し、次の親分を探すという冷たい関係である。お互い利益のある間だけの関係だ。タイ人には日本の忠臣蔵の話はどうしても理解できないという。利益を分け与えてくれなくなった、それに死んでしまった人(主君)のために命を張るなどということは考えられないのだ。
タイ人の留学生は日本にいるうちは、「先生。先生、」と慕って、先生を喜ばしてくれるが帰国すれば手紙一本も来ないのが普通だ。また、ある駐在員夫婦は、女中さんが結婚するに当たって多額の金品を与えた。しかしあれだけしてやったのに何という恩知らずと、ろくすっぽ挨拶にも来ない女中に失望していた。要するに「恩」の考え方が根本的に違っているようなのだ。
このような人間関係は、「サクディー・ナー制社会」という15世紀から20世紀まで4,5世紀続いた制度の下で生まれている。この制度では支配者と被支配者、王侯貴族と平民というように身分が別れていた、この王侯貴族と平民が保護と被保護の関係だったわけだ。タイでは人間の数に比べて土地が潤沢にあったので、土地を媒介にした社会秩序ができなかった。そこで人間を分配して社会秩序を作っていた。土地ではなく、人を一杯持っている人が偉い。
社会的序列が上の人ほど、国王から沢山の人間を分配され、人間の数によって位階を定めた。支配下の人間の数によって位階を定めたのであるが、それはまた、労働力即兵力の分配でもあった。タイの戦争は領地の奪い合いではなく、人力の奪い合いであり、歴史的にはかなり頻発している。
物質的基盤なしに、配分された人間をコントロールし、権力を維持するにはどうするか。それは温情的人間関係による以外になかったように思われる。その温情的人間関係を補強するために利用されたのが宗教であり、その具体的行動の一つとしてタンブンが登場する。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/48090428.html
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163 名前:名無しのタイちゃん 投稿日:2005/12/01(木) 12:54:04
タイ人って身近になれば身近になるほど『ありがとう』って言わないよな。
あと日本人の男、紹介しろ紹介しろとうるさい女(田舎)
あれを買え、これが欲しいとのたまう奴
いろいろ買ってやったのに自分の家の鶏一匹すら差し出そうとしないケチなイサン人
無償の助け合いが全然無いタイ
167 名前:163 投稿日:2005/12/01(木) 21:06:46
バイタじゃないけど小卒、中卒がゴロゴロしている田舎の話だ。
タイの田舎は昔の日本よりもネチネチの付き合いがある。
農耕民族+無教養、社会主義的思想が根底にある。
金はあるものから貰う物。物々交換なんてのも少ないし
とにかく金、金、金。日本人から見れば本当にカスみたいな額でも
何でもかんでも金が絡むと嫌になるよ。
村社会、相互扶助があってもいいだろうにもにもなし。親近者でなければとことん冷たい。
金が無ければ何も出来ない。助けない。病院へ連れて行こうともしない。
329 :オー様と名無し:2007/05/20(日) 23:33:09
仕方がなくお金を選ぶけど本当はそうじゃないと。
女がそれぞれのランクの男について解説してくれたが。
お金いっぱいくれる人は仕方がなく言うことを聞き来世のことをもう考えるそうだ。
その人がお金くれるのだから仕方がないその人の願いを叶えてやるんだって。
自分の体とお金は引き替えそのお金で来世こそだってさ。
この子も救ってあげられなかった。
211 :オー様と名無し:2009/01/01(木) 11:18:24 ID:kaY4rOm.0
タイで節約するのは、かなり惨めだけどな。
日本と違って、自分や他人のステータスをかなり気にしながら生活している
見栄っ張り社会だからな、タイは。
214 :オー様と名無し:2009/01/01(木) 11:57:24 ID:rhwTzBw20
他人を支援して自分の徳を積むからじゃない?
家計はめちゃくちゃだよね。
215 :オー様と名無し:2009/01/01(木) 14:05:08 ID:4TQR9cfA0
金で徳が積めるってのはなぁ・・・。
809 :オー様と名無し:2009/07/18(土) 12:39:24 ID:RIrQ0K8s0
タイでは、一般的に金をくれる人がいい人だ。
タイでは惚れられるかどうかが運命の分かれ道。
惚れられていない場合には、金の切れ目が縁の切れ目だな。
http://jbbs.livedoor.jp/travel/3341/storage/1099834899.html
http://jbbs.livedoor.jp/travel/3341/storage/1178959961.html
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/2009/08/blog-post_1860.html
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5)中国仏教 _ 様々な仏教で共通するのは考え方ではなく見た目だけ
中国儒教文化の中で独自に発展した大乗仏教
大乗仏教は、東アジア儒教文化圏において、儒教にない部分(呪術)が受けいれられました。そして、思想としては、儒教があったために、大乗仏教としては、体系化されることがなかった。 また、中国人に受けいれてもらうために、インド式の輪廻転生から、儒教の祖先崇拝の死生観に宗旨変えした。つまり、仏教として名乗っているが、実は、儒教的死生観にもとづいている、儒教を補完するものであったという試論です。
大乗仏教論 : 中国儒教文化の中で独自に発展した大乗仏教
(1) はじめに: 東アジアの独自宗教
釈尊の説いた仏教は、法(ダンマ)を知り、ダンマに従って生きなさいという生活の道徳を論じるものだった。
このダンマ主義の生活哲学は、仏教にとっての聖書をめざして20世紀半ばに著されたインドの法律家アンベードカルの「ブッダとそのダンマ」を読むかぎり、現代仏教にも受け継がれている。
これに対して、大乗仏教の特徴とはなんだろうか。
大乗仏教は、発祥の地インドには残っていない。5世紀の仏教迫害以来、あるいは13世紀初頭に密教が終焉して以来、インドにおいて大乗仏教の信者はいないという。
「ブッダとそのダンマ」においても、大乗的な思想は紹介されていない。例外的に、「空」について、「総ての事象は一時的で儚いと確信することがダンマである」というダンマが後に「空観」を生み出すという説明が行われている。浄土や本覚についての記述はない。
現在の大乗仏教は、中国や日本など東アジア儒教文化圏に地域的に限定して、漢訳された仏典を経典として独自に発展したものである。形式的にはインド由来とするが、内実は「漢訳以後の仏典にもとづいた東アジア儒教圏の独自宗教」として受け止めるべきだというのが私の結論である。
その特徴は、
・ 呪術性が非常に強い
・ 宗教概念があいまい(内容理解不十分なままに輸入された概念であり、それを究明する切実さが欠如していたため)
・ 儒教的死生観を取り込んだ
である。20世紀にインドで復興した仏教と、東アジアの大乗仏教は、21世紀にどのような対話を行うのか、興味深い。
(2) 呪術性が非常に強い
・ 原典の不確かさ
インドにおける大乗仏教は、釈尊が寂滅して数百年後の時代に、仏陀崇拝、仏伝文学、菩薩思想などが広まった結果として、紀元後1〜3世紀の時代に、般若経、法華経、華厳経、浄土経など初期大乗経典が生まれ、紀元後3〜5世紀には如来蔵思想や悉有仏性・法身常住思想、唯心などの思想が生まれ、さらに紀元後 7〜12
世紀に大日経・金剛頂経などの密教経典が成立したとされる。
奈良先生の「釈尊との対話」によれば、「5世紀に仏教弾圧があり、インドの仏教人口は皆無にひとしくなった」ということなので、インドで大乗仏教が信仰された時期はそれほど長くはなかったようだ。
そして法華経ひとつとっても、それが「いつ、どこで、どのような社会に成立したか、これまでに特にわが国の多くの学者が関心を示したにもかかわらず、未だ明確にされていないのが実情である」(岩波文庫「法華経」上、「解題」P429)。本家の大乗仏教については詳しいことはわからないのである。
・呪術師のような三蔵法師
原典も不確かなこれらの大乗経典は、鳩摩羅什(350-409)や玄奘(602-664)をはじめとする、三蔵法師たちによって漢訳された。シルクロードを横断し、インドと中国の両方の文化に通じた彼らの勇気と情熱と能力と幸運とによって、とくにインドと中国両方の文化に対する理解度の高さ、仏教に対する造詣の深さと類まれなる言語能力によって、漢訳大乗仏典が生まれたのであった。
「中国文化思想事典」(東大出版会、2001年)の「仏教」の項によれば、「インド・西域から渡来した訳経僧(三蔵法師)は、たんに経典の翻訳者として活躍しただけでなく、不思議な術を使う呪術者としてあがめられ、また軍事に関する予言者として重用された。最初期の訳経僧である安世高はあたかも魔術師のように描かれ」、鳩摩羅什も「翻訳僧としてよりも呪術者あるいは予言者」として『晋書』に描かれている。経典の漢訳よりも、経典を誦して祈りを捧げる呪術行為によって、彼らは名を上げたのだった。
呪術性という点では、現代においても大乗仏教は、護摩を焚いたり、念仏行が中心であり、呪術的性格は根づよい。むしろ、中国に存在しなかった呪術的性格ゆえに、大乗仏教は東アジアで受け容れられたのではないだろうか。
・儒教と似ていた原始仏教は忌避?
これはあくまで試論であるが、釈尊の説いた原始仏教が中国で受容されなかったのは、ダンマ主義の道徳・哲学が、孔子の説いた儒教の教えと重複しているところが多かったからではないか。また、道徳教義としては、孔子の教えのほうが馴染みがあってわかりやすく、体系化されていたので、中国人は原始仏教に見向きもしなかったのではないだろうか。
たとえば孔子についての表現や孔子本人言葉の中で、
「子、怪力乱神を語らず(怪異、怪力、無秩序、神を孔子は議論しなかった)」、
「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん(生の意味さえつかめていないのだ。ましてや死など)」
というのは、原始仏教の教えに近くないか。
孔子の死後、弟子たちが集まって「論語」をまとめたように、釈尊の死後、弟子たちが結集して釈尊の言葉をまとめたところも、仏教と儒教は似ている。
・漢訳の難しさ
インドの仏典を漢訳するというが、宗教理論や概念という形のない、抽象的な内容をさす異言語は、そうやすやすと理解し、翻訳できるものではない。ましてや、翻訳した概念を、その概念がもともと存在していない言語空間に住む人間に理解してもらおうというのは、土台無理な話である。
インドと中国両方の思想や宗教などの精神活動に関わる概念を体得し、理解したり、比較できる人間の数は当時少なかった。そもそも、両方の文化によほど精通していなければ、出来上がった翻訳が正しいかどうかを判断することすらできない。仮にうまく翻訳できたとしても、読む者がその概念を理解できる保証はどこにもない。五官で感じることのできる食べ物や樹木のような具体的な事物であれば、インドから中国に持ち込むことによって体験させることもできるが、「悟り」や「空」といった抽象的な宗教概念の場合、それを指し示して見せることも、触れさせたり、味わわせてみることもできないからである。
さらに仏教が持ち込まれたときの中国にはすでに儒教や老荘の思想が存在していたために、抽象概念を受容する行為そのものは容易であったが、それが既存の抽象概念に訳出された場合、理解や翻訳が正しいかどうか、確かめる術もなかったのである。
「初期の翻訳経典には儒教や老荘などの思想用語が多く援用され、外来の宗教・思想である仏教を中国人が理解し受容するために役立ったが、逆に仏教をきわめて中国的に理解してしまうという欠点をもっていた」
(中国思想文化事典)というのも、もっともなことである。
・土着思想の格子(パラダイム)で取捨選択
中国思想文化事典によれば、インドで生まれた仏教の思想は、中国土着思想の思考枠組によって、意識的・無意識的に取捨選択されて受容された。
「中国固有の伝統思想にもとづいて仏教を理解することを『格義仏教』といい、これが四世紀後半に活躍した釈道安によって批判されてのち、仏教は仏教そのものとして理解されていくようになる。ただ、格義的解釈の前提として、格義的翻訳とでもいいうる翻訳段階での中国化があった」。
その結果「中国的に潤色された漢訳仏典は、漢字文化圏のなかで中国固有の経典と同様に絶対的な価値をもつものとして組みこまれていき、原典は顧みられることがなかった。
インド仏教が伝来する以前、中国固有の思想にすでに類似した思想があった場合(利他行と経世済民、兼愛など)は、類似しているがゆえに共感し受容されやすかったと推定することも可能であるし、類似しているがゆえに受容する必要がなかったと結論づけることもできる。
また、逆に類似する思想がなかった場合(宗教的悟り、絶対者による救済、輪廻思想など)、ないからこそ学び受容した場合もあるし、類似した思惟がなかったため理解されずに反発され、あるいは関心さえ示されずに受容されなかった場合もある。」
(3)宗教概念があいまい
・翻訳文化の限界の例
奈良康明著「釈尊との対話」(NHKブックス、1988年)は、仏教概論のレポートを書くために読んだが、異文化理解がいかに大変であるかを感じさせる逸話があるので、紹介したい。
奈良先生がインドに留学しておられた「ある時、指導教授の家に招かれ、お茶をご馳走になったことがある。奥さんがだして下さったのが、ミルクの中に米粒がはいっている食べ物だった。甘くて、スパイスがたっぷりきいていて、良い匂いがして、いかにも滋養がありそうで、まことに美味しいものだった。名前を聞いたら、パヨシュだという。
『美味しいものですね。初めて食べました』、と私は言い、何げなしに昔からある食べ物かと尋ねた。
先生は教えてくれた。釈尊が苦行を中止した時、村娘のスジャーターが捧げ、それを食べて釈尊が元気をつけ、菩提樹下に赴いて悟りを開いたのが、このパーヤサではないか、お前は仏教を勉強していてそんなことも知らなかったのか!」
乳粥という名前を知っていても、その味は体験することができない。インドに留学していても、インド人の家庭に招待されなければそれを味わう機会すらなかった。そしてそれを実際に自分で食べておいしいと思っても、その感動を表現し、『昔からある食べ物か』という何気ない質問を幸運にも思いついて、相手をあきれかえらせるまで、それが釈尊が悟りの直前にスジャーターに捧げられた食べ物であることに気づくことはないのである。文化の壁というのは、意外に高いということがこの逸話によって確かめられる。おそらく何年インドに暮らしても、パーヤサを食べる機会のない留学生もいるだろう。異文化が、いかに盲点に隠されていて見えにくいかを、あらためて実感した。誰もがその名を知っている「乳粥」であっても、それを体験すること、それを自分の知識と結び付けることが、これほどまでに難しいのである。抽象概念の「悟り」や「空」を理解することが、いかに難しいかについて、想いを馳せてみるとよい。
・ 本家インドを顧みない伝統
大乗仏教は、仏教発祥の地とは異なる言語空間、異なる文明領域で、異なる死生観や家族観の支配する土地で発達した。世界に広がるキリスト教教団の中心にバチカンが位置して、世界各地で繰り広げられている宗教活動や教義内容をチェックするシステムはなかったし、幸か不幸かインドで仏教が消滅してしまったために、本家の教義や実践のことを気にすることなく自由に解釈し実践することができた。
外来思想をいいことに、あるいはより一層呪術めかして見せるために、翻訳の難しいところや雰囲気のあるところは、意味をまったく問わないで音だけを味わう「呪文」にしておくという寛容さ、いいかげんさも持ち合わせていた。
たとえば般若心経の最後の部分、「ギャーテイ、ギャーテイ」以下は、呪文扱いされている。訳出が難しかったのかもしれないが、呪文のほうがありがたいと思われたのかもしれない。儒教という大理論体系があったために、東アジアの人々はそもそも仏教に理論や意味を期待しなかったということもある。「まるでお経だ」という表現は、「おまじないみたいで、さっぱりわからない」という意味で通用するが、それが許されるのである。
一方で、般若経典において重要な意味をもつ「Sunnyata (sunya)」を理解するにあたって、インド仏教においてそもそもSunnyataがどう理解されているかということはあまり議論されることはなかった。すでにインドにおいて仏教が終焉していたこともあっただろうが、我々の頭は、原語であるSunnyataよりも、漢訳語で
ある「空」とは何かに興味が向いていた。
漢訳された後の概念である「空」とは何かについて議論すると、「空」という漢字が合わせもつ「空しい」とか「空っぽ、空虚」という意味に、本来それらの意味とは無関係であるかもしれない仏教概念Sunnyata理解が影響を受けることになりかねない。
大乗仏教の「Sunnyata」という概念が、たまたま「空」という文字で翻訳されたからといって、必ずしも「むなしい」とか「空っぽ」という意味と結びつくわけではないはずである。しかしながら、我々の頭はどうしても、漢字の「空」の併せもつ意味に引きづられてしまう。巷で売られている般若心経の解説書は、そのような説明が一般的である。
これは「空」を理解する上で不毛な混乱を招くことになった。「色即是空」の「空」を理解するためには、可能であったならば、なぜSunnyataは「空」として訳出されたのか、翻訳者はどういう意味として訳したのかも、問題にしたいところである。
そして、国際交流が可能となった現代、オリジナルのインドで、「Sunnyata」がどんな意味をもつのか、どんな文脈で使われているのかということに、もっと関心を示してもよいと思う。
・議論を不明快なまま放置
議論が収束しないのに、混乱したままで放置されていたことも問題ではなかったか。
中村元博士は、1994年に書かれた「空の論理」という本の中で、「{空}は大乗仏教の根本概念であるということは、だれでも知っている。では、{空}とは何か、ということになると、なかなか答えが簡単には出て来ない。{空}を説いた文献に関する研究は、毎年無数に多く刊行されている。しかし「{空}とは何か?」とい
う端的な問題にたいしては、かならずしも答えが与えられていない。学者はとかく避けて通っているという傾きがある。」という。
そういいながら、中村博士は、大乗仏教における「空」の概念は、「実体がない」という意味だと断定して、般若心経の説く最上のさとりとは、
「{一切空}を体得することに他ならない。智慧の完成というのは、あらゆる現象が実体性をもたないという道理をさとることにある」
と書いておられる。あるところでは「答えがない」と書き、別のところで「実体がない」と言い切るのはいかがなものか。まじめな読者が混乱しないだろうか。そもそも、「あらゆる現象が実体性をもたない」ということは、私の理解を超えている。実体とは何のことなのだろうかといぶかってしまう。
このように議論が混乱し錯綜したままで放置されているのは、中村博士一人の責任ではない。おそらく東アジアにおいては、すでに儒教や老荘の思想によって、独自の宇宙観・人間観が確立されていたために、誰も仏教に体系だった思想や哲学を求めなかったのだ。
人々が仏教に期待したのは呪術性であった。だから{空}が何であろうと、誰も困らなかったのだ。そのため、中途半端なわけのわからない説明であろうと、「答えはない」などと無責任に放り出されてしまっても、鷹揚に受け止め、問題にする人間がいなかったのではないだろうか。
法事でお坊さんの話の内容がよく理解できなかったとしても、悩み、落ち込む必要はない。おそらくお坊さんだって、よくわかっていないのだ。
(4) 儒教的死生観に変容
大乗仏教は、東アジア儒教文化圏において、釈尊の説いた生活や道徳に関する法の教えとは異なって、より呪術的な行、あるいは禅の精神集中法として、独自の発展をとげた。
また、死生観を異にする中国人に受け入れてもらうために、仏教は自ら中国に固有の儒教的死生観・祖先信仰を取り込んだ。その結果、インド仏教には存在しない位牌や墓地や年次法要が始まった。この点については、加地伸行著「沈黙の宗教―儒教」(筑摩書房、1994年)が詳しい。
・インドは輪廻転生の死生観
そもそも、中国とインドでは、気候風土が異なる。インドは「暑さの上に、雨が少ない。(略)村から1キロ、時には10キロも離れた井戸へ水を汲みに行く。それを何回も往復し、午前中はそのことで時間がつぶれ」る。「釈尊の時代の前六世紀ごろのインドでは、子供はたいてい乳幼小児期に急性罹患で倒れ、母親も産褥熱でよく死亡し、25歳を超えた成人は少なく、40歳ともなれば灼熱の地における体力の消耗で老化し、諸々の感染、脱水などで死亡したであろうと言う。すなわち老いと病と死とは同時に出現したであろう」。
「仏教のみならず他のほとんどすべてのインド諸宗教が、人生そのものが苦であると言うのは、インドの現実の上に立っての考え方であろう。生・老・病・死 この四苦は、インドにおいて現実であった。」
「せっかくこの世に生まれてきたのに、苦のままに寿命も短く死んでゆくというのはいやなことだ、つらいことだと考えるのがふつうであろう。(略) 儚い人生ながら、なにか希望を与えてほしいと願うのが自然である。短い人生を生きる者のための安心できる死生観を宗教者に説いてもらい、死の不安や恐怖を取り除いてほしいという要求」に「応えたものが、インド諸宗教を貫く輪廻転生という死生観であった。」(pp22-23)
・中国は招魂再生の祖霊信仰
一方、「中国人には、仏教が伝来するまで輪廻転生という考えかたはなかった。輪廻転生とは全く異なる死生観をもっていたからである。」
「中国人はインド人と異なり、この世を苦と考えず、楽しいところと見る。五感(五官)の楽しみー美しい物を目で見て楽しみ、心地よい音を聴いて楽しみ、気持のよい物に触れて楽しみ、おいしい物を食べて楽しみ、芳しい物の香りを楽しみ、それらを大切にする。」
現実的で即物的な中国人の死生観は儒者が説明した。
「人間は精神と肉体とから成り立っているとし、精神を主宰するものを{魂}、肉体を支配するものを{魄}とした。(略)この魂・魄は、人間が生きているときは共存して蔵まっているが、死ぬと分裂」して「魂は天へ浮遊し、魄は地下へ行く」。
天地に分裂した肉体と精神を再び結びつける儀式を行うと、死者は{この世}に再び現れて、なつかしい遺族と対面することができるのである。
「儒教の発生はシャマニズムにある。死者の魂降しである。しかも魂(精神)降しだけではなくて、魄(肉体)も呼びもどす。そして神主に依りつかせ{この世}に死者を再生させる。招魂(復魂)再生である。」
・儒教の大理論体系
シャマニズムは世界各地にあるが、「儒教は後に天才孔子の手を経て家族道徳につながり、さらに中国に皇帝制が確立した前漢王朝時代に政治理論を作るまでに大成して、以後、内部発展を続けながら、中国を支える大文化として存続した。このようにシャマニズムを基盤にして歴史を動かす大理論体系を作ったのは、世
界においておそらく儒教だけであろう。」(p44)
「死者の魂・魄をその命日の日に招き寄せるとき、依りつくべき場所が必要である。そのために儒教は神主を作った。こうして依りついた魂・魄は、その儀式が終わると、神主から離れて元の場所に帰る。魂は天上へ、魄は地下へと。天は広く、魂はそのまま浮遊しているが、魄は管理場所である墓へ帰る。残った神主は宗廟へ、あるいは祠堂や住居内の祠壇へ移し、安置する。これが儒教の祖先祭祀の大筋である。」(pp46-47)
「儒教が東北アジアにおいておそらく普遍化していた1〜2世紀ごろ、仏教が中国に伝来した。この仏教を生んだ南アジアのインドと、儒教を生んだ東北アジアの中国とは、イデオロギー的に共通するものはない。当然、仏教と儒教との両者は衝突した。」
・仏教が儒教的死生観を取り込む
だが、やがて「仏教側としては、儒教と抗争するよりも、すでに普遍化している儒教の本質的なものを取り入れることによって、儒教信奉者の自分たちに対する抵抗感をなくしてゆこうという考えかた」をとった。
すなわち、「祖先祭祀の導入 − その具体化とは、
1 神主を建て、招魂するシャマニズムを認めること(すなわち神主をまねて位牌を作った)、
2 墓を作り、形魄を拝むことをなんらかの形で認めること(仏教においては、遺骨を拝むことなどはありえない。釈迦の遺骨だけは特別に神聖視しているが、それは偉大なシャカの想い出、敬慕を表しているだけである)、
3 儒教式喪礼を取り入れた葬儀を行うこと、などである。」(p50)
ただし、インド仏教にはない考え方を、『盂蘭盆経』という偽経、インドに原典がなくて、中国において作り出された仏典で、祖先祭祀の理由を説明した。
「釈尊の弟子の目蓮は、神通力をもっていたのでいろいろな世界を見ることができた。或るとき、自分の母親が、輪廻転生をしているうちに、あろうことか餓鬼の世界で苦しんでいるのを見た。その母親を救い出す方法を釈尊に問うたところ、僧侶によって盛大に経典を読誦することを教えられたので、そのとおり行なうと、母は救われたという。これは目蓮の孝心に基づくものだとし、ここから先祖を供養する{お盆}という行事が行なわれるようになった。」 (p51)という話になっている。
だが、よくよく考えてみると、これでは毎年お盆の行事を行なうことの説明にはならない。これは後からつけた苦し紛れの説明だからで、実際は、儒教の祖先祭祀をやっているにすぎないからだ。
「先祖供養・墓という儒教風を取り入れ、その様式化を徹底した日本仏教は、葬儀もまた儒式を取り入れていることは言うまでもない。葬儀のときの祭壇を見るがいい。柩を置き、白木の位牌を建て、死者の写真を添える。それは事実上は死者のための設営である。仏教者として拝すべき最も大切な本尊は、最奥部に、あ
たかも飾りもののように置かれているだけである。(略)
大半の参列者は本尊を拝まず、死者の柩を、位牌を、特に写真を拝んでいる。それは、亡き人を想うことであり、ことばを換えれば儒教流の招魂再生をしているのである。」(p55)
・インドと中国の併存する日本の仏壇
儒教的な祖霊崇拝や死生観が取り入れられたからといって、もちろん全面的に中国化しているわけではない。
日本の仏壇は、「最上段の本尊に対して花を捧げて祈り、中段の位牌に対しては、灯明をもって祖先を幽暗のところからこの世に導き、線香をあげて位牌に依りつかせ、回向をする。すなわち、(インド仏教の){本尊と花と}、(中国儒教の){位牌と灯明・線香と}、という組み合わせである。われわれの日本仏教は、こういう形で、輪廻転生のインド仏教と招魂再生の儒教とを、仏壇においてみごとに併存させているのである。
われわれは仏壇に向かって、毎朝、仏に祈り、そして祖先と出会っている。毎朝―ここには、大きな意味がある。それは、家族の連帯を知らしめる行動だからである。」(p81)
(5)さいごに:インド仏教とどう付き合うか
・現代インド人による「空」の説明
日本人や中国人は、大乗仏教の理論のなかで重要である「空」を「空」として明らかにしようとするが、インド人は”Sunnyata”とはなにかと考える。グローバル化の進んだ21世紀に、この二つの概念の摺りあわせを行ってもよいのではないだろうか。
インドが独立当時のネルー政権で法務大臣の任にあり、インド憲法を起草したビーム・ラオ・アンベードカルは、不可触民だった。アンベードカルは、1920年代から、宗主国英国とインドの各社会集団(ヒンズー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、不可触民)が行ったインド独立交渉にかかわった結果、ヒンズー教徒であるかぎり、不可触民は救われないことを確信し、20年以上さまざまな宗教を吟味したあげく、1956年10月に改宗して仏教徒になった。
仏教がなかなかインドで広まらない原因のひとつは、聖書がないからだと考えたアンベードカルは、1956年12月の彼の死の直前まで「ブッダとそのダンマ」という本を書いた。本は彼の早すぎた死の後に出版された。
これはブッダの生涯と、主だった教えを、一冊にまとめたものである。
本書の「第3部 ブッダは何を教えたのか」の「第3章 ダンマとは何か」の「(5)総ての事象は一時的で儚いと確信することがダンマである」では、「空」について記述がなされている。
・空=Δt
「一時性の側面は普通人にはいささか理解し難いところがある。総ての生きものはいつか死ぬだろうということは容易に理解できる。だが、人は生きていながらいかに変化しつづけ生成してゆくかを理解するのは容
易くない。
『これはいかにして可能か? 総てが一時的であるが故に可能なのだ』
とブッダはいう。これが後に“空観”と呼ばれる理論を生み出したのである。仏教の“空”はニヒリズムを意味してはいない。それは現象界の一瞬毎に起る永久の変化を意味しているにすぎない。
総てのものが存在しうるのはこの“空”故であることを解するものは極めて少ない。それなくして世界には何ものも存在しえないのである。一切のものの可能性が依拠するのは正にこのあらゆるものの姿である一時性なのだ。“空”は広がりも長さもないが内容のある点のようなものである。(略)
“空”は、時間概念であり、「広がりも長さもないが内容のある点のようなもの」としてアンベードカルは説明する。数学的に評点すると「空とはΔt (時間の最小変化量)」ということができる。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/181005.htm
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1058.html#c7
オカシイと思わないか? 日本の全国紙は米国のプロパガンダ・マシンか?
「琉球新報」は共同通信、時事通信の配信なんかに頼る必要ない。国内外の信頼性ゼロの、談合東京情報にふりまわされるだけだ。ネットの時代である。ネット専従の外信部を作ればいいだけだ。加えて沖縄は、全世界に「ウチナーンチュ・ネットワーク」を持っているではないか。「県人会ニュース」だけでは勿体ないと思わないか?もっと活用すべきである。
「山椒は小粒でもピリリと辛い」そういう姿勢が望まれる。紙媒体が生き残ろうと思ったら知恵を出せ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/848.html#c1
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110205/t10013880901000.html
カンボジアとタイとの国境地帯にある世界遺産の遺跡周辺の領有権を巡って、双方の軍の間で2日連続で銃撃戦が起き、これまでに20人以上が死傷しました。両軍は5日、戦闘の停止を決めましたが、依然緊張した状態が続いています。
カンボジアとタイは、3年前に国境付近にある寺院遺跡「プレアビヒア」がカンボジア領として世界遺産に登録されたことをきっかけに、遺跡周辺の領有権を巡って、双方が軍を出してにらみ合うなど対立を続けています。こうしたなか、4日、プレアビヒアとその周辺で双方の軍が衝突し、激しい銃撃戦となったほか、5日朝も短時間ながら銃撃戦が起きました。今回の衝突では、当初10人以上が死亡したと伝えられましたが、両政府によりますと、これまでにカンボジア側で3人が死亡、少なくとも10人のけが人が確認されたとしているほか、タイ側で2人が死亡、12人がけがをしたとしています。死傷者は、さらに増えるという情報もあり、両政府は確認を急いでいます。この問題を巡っては、タイの一部の強硬派が去年の暮れにカンボジア側に不法に入国したとして逮捕されたことをきっかけに緊張が高まっていました。両国の軍高官は5日、戦闘を停止することで合意しましたが、現地では依然として双方の軍がにらみ合う緊張した状態が続いており、両国関係のさらなる悪化が懸念されています。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/265.html
目くらましでかすむ程度の行き詰まりではありませぬ。
お先真っ暗闇の中。お相撲は閑散、菅さんおすまいでねえか?
暗中無策もいいとこ、お相撲取りの賭け事はしょうもないでしょ。
楽しい事なさそうだし理解できます。
問題は公益法人だと言う事。それはもう無理無理。
コソ泥などの”軽微な犯罪”では刑務所に入る必要はなくなるだろう。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/836.html#c3
これは、アメリカの最大友好国イスラエルにとって国の滅亡に繋がるほどの脅威です。
イスラエルの存在さえ認めないアラブ諸国の中で、隷米政権のエジプトとヨルダンのおかげて、イスラエルの安全が保たれているからです。
ムバラク大統領が30年間も政権を維持できたのは、アメリカのイエスマンだったから。だから、空缶政権も、アメリカ様の言う事さえ聞いていれば長期間首相の座にいられると思っているのだろう。
矢張り、アメリカ優先、民意を疎かにする政権は、国を問わず、滅びる運命にあると言うを証明しています。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/252.html#c14
日本の税制や予算は米国より貧乏人に冷たく金持ちに優しい、全てのデータから言えるのです
逆のデータあったら指摘してください
善し悪しや社会の比較ではないのです、念のため付言します
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/a220.htm
▼加えて電気や食料や住居費は日本の1/2以下、だから生活は貧乏人でも楽なようですよ
U.S.Energy Infomation Administration
Released: September 15, 2010
U.S. Total(Cents per kilowatthour)
2010年、 2009年
Residential 11.32、 11.42
Commercial 10.03、 10.15
Industrial 6.65、 6.88
▼次より
「電気料金の国際比較」電気を安くするには
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/708.htm
※税制のみでなくこんなに電気が高いのに社会問題にならない、なんででしょうね。
日本のネット人口はすでに7千万人を突破。ひるがえってデモ参加者、ネット会見の視聴者数、小沢支持ブログのアクセス総数からわかる小沢支持者の総数は、せいぜい50万人。事実が見えている日本人はなんと人口1億3千万人の1%である130万人にすら遠く及ばないのが現実。
日本人にはウソまみれのテレビ新聞だけが今も現実そのもの。真っ黒の警察検察裁判所が絶対正義、「おまわりさん」は弱者の味方。理屈も根拠もクソもない、これが残り99%の日本人が見ている妄想の世界。日本人の人生そのもの、日本人の脳の中身そのもの。
これが、自力ではついに石器土器と狩猟採集しか生み出せなかったサルと人類の混血、日本人のあるがままの姿。
数千年もの長きにわたり人類最高の英知を歴史に背負うエジプト人と比べること自体、誠にもって失礼千万。「ユークリッドの互除法」は日本人がまだ文字も知らずはだかはだしで野原を走り回っていた時、すでに古代エジプト人が自力で発見し文字に残していたのをご存じか?ギリシャ時代のはるか一千年以上前すでに膨大な数の幾何学の定理が発見され、ピラミッドの建築や都市農地の設計整備に駆使されていたのをご存じか?
ユニセフの国際スタッフ(日本ユニセフ協会の職員じゃなくて、途上国の ユニセフ現地事務所で働く人)の日本人の友人が話していたことなんですけど、
日本帰国中に「国連機関に勤めています。ユニセフです」なんていう話をしていると、「ユニセフの職員が給料をもらっている!」と不満げな反応をする人が時々いるそうです。
そりゃ、給料もらいますよ。援助のプロですから、彼らは。片手間に道楽でやってるわけじゃなくて、高い専門性を持ったプロの仕事としてやってるわけですから。
生活環境の厳しいところでの仕事が多いし、危険もあるし、それなりの待遇が当然必要です。
「ユニセフのスタッフが給料をもらっている」といぶかる人々にとって、ユニセフとは慈善団体、ライオンズクラブとかロータリークラブとかと同じようなものと思われているんでしょうね。
途上国の貧しい人々のところに手弁当で出かけて行って援助を差し伸べる、純真な心の人たちの集団、くらいのイメージなんでしょうか。
開発協力、国際援助の分野で、日本に力のある大手のNGOがなかなか育たないのは、この「タダ働きであるべきだ」という信仰が影響している部分も大きいように思います。
国際NGOに幾ばくかの寄付をして、そのNGOがカンボジアに建てる学校の建設費になると思っていたら、そのNGOのスタッフの給料になっていた、といって怒る人がいる。
そしたら、誰がその事業を運営するんでしょう?
「お金持ちが、ボランティア精神を発揮してやればいい。若い人がインターンの一環でやればいい」
たしかにそれで賄える部分はあるかもしれませんが、それじゃいつまでたってもアマチュア仕事だし、事業の拡大の可能性も、それどころか継続の可能性も小さい。
結局、一時の自己満足に過ぎない事業や、とんちんかんな事業をやる小規模なNGOばかりになって、途上国の社会開発に自らコミットするような大手の NGOがなかなか育たない。
小粒でもすばらしい仕事をしているNGOが数多くあるのも知っていますが、往々にして専従スタッフは極めて少数で、しかも薄給です。
日本人に多い“サービスはタダ”という感覚の延長線上なのかもしれません。“ものづくり”信仰が強いせいか、モノではない目に見えないサービスにお金を払う感覚が希薄ですよね。
途上国に建てる学校の資材にお金を払うのはいいけれど、その建設のコーディネート作業にはお金を払いたくない。そんな空気がある。
小さなNGOや、普通に暮らす個々人の善意を軽んじるつもりはないですが、しかし、開発協力、途上国支援は“道楽”で済むものではなく、
“仕事”として取り組まねばならない水準のものです。「善意の種をひとつまけば、大きく花が咲いて世界が平和に」というほど世界は甘くない。
世界が多くの人々にとってもっと住みやすくなるにはどうしたらいいか、という課題に取り組むことを仕事としているプロフェッショナルが世界には大勢いて、
彼らの仕事がまわりまわって途上国に住んでいない人々の暮らしやすさにもつながってくるんですけど、「ユニセフの人が給料をもらっているなんて!」と文句を言う人たちにはそこまで想像力が及ばないんでしょうね。
まあ、街で外国人を見かけるときか、買い物のときに“Made in ナントカ”って書いてるのを見るときくらいしか、世界を意識しなくても楽しく生きて行ける日本にいれば、それも致し方ないか。
http://getnews.jp/archives/96262
ユニセフはまれにみて、運営費を何割とるなどと決めるべき条件を決めていない。
日本ユニセフだけが悪のようにいってる馬鹿が多いけど、本体もピンはねが多いから
関連のユニセフの規則についても都合がいいように決めずあやふやにしているだけ。
大体活動内容まであやふやにしてるやんけ
他にたくさんの団体があるから自分で調べて共感できる団体に支援すべきだ
ていうか
ユニセフが何十年活動した結果が今なんだから、成果なんてほぼゼロじゃん。
で、プロの仕事として
支援物資と引き替えに保護対象の女の子を犯したりするわけですよ
これがゆにせふくおりてぃ
でも
ユニセフで働いてるじゃなくて、ユニセフに雇われてるって言えば住むことでは?
それだとプライドが許さないんだろうか? 笑
コソボの国内避難民の子供に、燃えてる家から逃げ出す人の塗り絵配ってたユニセフさんか…
援助のプロ?嘘付けストックヤードすら現地で手配できない素人じゃん 笑
とにかく
募金を呼びかけてる時に、何%が懐に入るか言えよ
すべてが寄付のための募金だと勘違いするだろうが
広報して金を集めるのに金が必要なのはもちろん、
そこで働く職員に給料を払うのは当然。
しかし日本ユニセフ協会みたいに、
高輪に豪華ビルを立てたり、正規職員に公務員並の給与が支払われていたり、
特定の思想、政治勢力とつながっていたりするところが叩かれているんだけど。
そのあたりについては完全無視なんですね。 東京事務所にしても
結局、理事や幹部職員に高額給与
新規採用もコネのみ
都心一等地に自社ビルってなったら
自分たちの生活のために
寄付寄付いってると批判されても
仕方がない
天下りみたいな奴らを雇う必要があんのかよ
本家ユニセフにしても、金の流れが相当に不透明だろ
海外ボランティアで行った看護婦がエイズもらって帰ってきたのには笑った
もちろん性交渉して感染でな
寄付金で他人に恩を売りつけて給料までもらう。
宗教みたいで素晴らしいな
国境なき医師団だと初参加147,000円/月(現地での生活費別)らしいけどこれより少ないの?
公益法人、財団法人の利益率は25%設定が多いんだよな
75%を下請けに丸投げ
財団法人要らねえよ
25%を経費として処理できるが、年度ごとに寄付金は
激しく変動してるのに、経費は普通は年度ごとに乱高下するわけないのに、
引かれているのはほぼ25%一定割合だからおかしい、と言われてたかと思うが。
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_syusi.html
>寄付金収入 18,073,500,000
>ユニセフ本部支出 16,390,150,000
9割以上本部に行ってるけど
これ前年度のこと叩かれて焦ってそうしたんだぜ
自分自身が認めている
ユニセフと日本ユニセフ協会の収支・活動報告
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/syushi.html
「子供たちのための前進:子どもの保護に関する報告書」発表。(2009年10月6日)
ユニセフの活動はすべて、民間の皆様からの募金と各国政府の任意拠出金によって成り立っています。
各国内委員会※が皆様からお預かりした募金、及びグリーティングカード募金は、ユニセフ本部との協定により、その75%以上がユニセフへ拠出されることとなっています。
当協会の場合2009年度は188億3,150万円お預かりし、その80.7%がユニセフ本部に拠出され、子どもたちを支援するための活動に充てられました。
残りの19.3%を日本国内での募金活動費、啓発宣伝費、管理費※※等の事業経費や緊急支援時のための積み立て金等に充てさせていただきました。
改善してるのに叩くとか本当根性曲がってるな
裏返して反駁すれば
俺らが叩かなければ改善されず今ものうのうと2割中抜きしつづけたということだ
こんなんより、どこの子供施設にいくら募金してるのか、収支詳しく載せろ
つまり乞食の上前をはねる乞食って事だ
貧困ビジネスそのもの
現地で働いてる奴に文句なんか言わない。
そいつらを働かせて金集めに勤しんでる連中だ。
それでも
何も問題ない
問題ないから堂々とHPの真ん中に書いとけ
で
商売でやってるんだから税金払えよ
アグネスは良い商売見つけたよな、これほど楽して儲かるとはね…。
てことで
ユニセフはサービス業だった
もう完全に募金ビジネスだろ ちゃんと税金の納めてるのか ?
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/316.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110205-00000540-san-pol
「普通なら死にたくなる」小沢氏が弱音?
産経新聞 2月5日(土)17時43分配信
民主党の小沢一郎元代表は5日、広島県尾道市で開かれた同党参院議員の会合で「普通だったら新聞、テレビに1カ月も攻撃されれば、大概の政治家は死にたくなる」と弱音を吐いた。その上で小沢氏は「彼らの攻撃、誹謗(ひぼう)中傷に毅然(きぜん)と戦っていられるのは、地元の皆さんが支えてくれているからだ」と語った。
一方、民主党の岡田克也幹事長は5日、小沢氏の処分について「党として何も行わないままでは国民に理解されない。挙党態勢を成し遂げるため小沢氏の問題にきちんとした答えを出さないといけない」と述べ、早期に結論を出す考えを強調した。長崎県佐世保市で記者団の質問に答えた。
安住淳国対委員長も同日のテレビ東京番組で「秘書が罪に問われた段階で議員が離党したこともある。何らかのけじめが必要だ」と指摘し、厳格な処分が必要との考えをにじませた。
http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167.html
戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。
箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。
(1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。
この年は5月に江戸城が明け渡され、7月初めに上野で新政府軍と彰義隊との戦いが決着。戦争の舞台が東北へ移る緊迫した時期の交渉。両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられるが、ブラントは「北日本が有利になれば、この申し出は大変重要な意味を帯びる」とも記しており、政治的な狙いも込められていたようだ。
会津は京都を舞台に長州と激しく対立、庄内藩は江戸警備を担当して薩摩藩邸を襲撃したことがあり、両藩は同盟関係にあった。北海道の領地は北方警備強化のために1859年に幕府が東北の有力6藩に与えた。会津藩は根室や紋別を、庄内藩は留萌や天塩を領有していた。
http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167_01.html
箱石さんは「敗者の歴史は忘れ去られ、この交渉も日本にはまったく記録がない。会津と庄内は土地を提供することでプロイセンを味方につけようとしたのだろう。戦争が長引けば明治維新に違う展開があったかもしれない」。
明治維新を研究する東京大の保谷徹教授は「会津・庄内両藩がよくぞここまで国際活動を展開させたなと驚いた。歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあり、その答えが海外に眠っていることを示しているのだろう」と話している。
オネエタレントの人柄は良さそうで好感がもてる人もいますが・・・
マイノリティーなのにめげずにがんばっているのはすごいと思いますが・・・
いくらなんでも多すぎです。
子供たちがまねするのではないかという懸念があります。
まねして、親がしからないで、そのまま大きくなれば、
普通の子までがそうなってしまうのではないでしょうか?
自己顕示欲の強い子が、周りの注意をひくためにそういうことをするように
なるかもしれません。
垣根を低くするのが狙いでしょうか?
違和感を感じなくなってきたらやばいです。
そういう意味でもテレビは見ない方が良いと思います。
女性は女性らしく、男性は男性らしく生きた方が
無駄なエネルギーを使わずに、幸せになりやすいと思います。
中には例外もいるようだけれど。
そこばかりに焦点をあてるテレビはやはり異常と感じています。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/532.html#c2
エジプトなどの中東諸国で反政府デモの嵐が吹き荒れ、世界の注目の的となっている中、
中国のメディアは旧正月報道一色で、エジプト情勢に関する詳細な報道が見当たらない。
一方、20年前反政府運動で共産党体制が崩壊したロシアでは、
エジプト情勢の報道は各メディアのトップを飾り、
公にプーチン大統領をエジプトのムバラク大統領に例えるメディアも見受けられる。
「反政府抗議に対して、北京よりモスクワのほうが自信を持っている」
とロシアの中国問題専門家が述べている。
社会に鬱積した不満が何かのきっかけで一気に爆発することを恐れている中国当局は、
表向きは太平を装い、国民の目をそらしている。
体制的に共通点の多い国で起きている政変の飛び火防止に中国当局が長けているのは、
旧ソ連諸国で起きた一連の「色の革命」で「豊富な経験」を備えたからだと、
ロシアのビジネス紙が伝えている。
3日付の米VOA放送で紹介されたロシア紙の報道によると、
中国当局は「色の革命」を研究する専門チームを立ち上げていた。
グルジアやウクライナ、キルギスで起きた民衆革命について徹底的に分析し、
当局にデモの鎮圧手段やデモ情報のブロック策などを具体的に提案し、
胡錦濤主席にこれらの国の指導者の「二の舞」を演じないような方策も教え込んでいたという。
この方策に則って、今回のエジプト情勢について、中国当局は国内メディアに対し、
「新華社通信の記事の使用」や「ミニブログなどの書き込み管理強化」など、
厳しい報道規制を発していた。
国内報道はエジプト滞在中国人の帰国に焦点を当て、
騒乱の起因となる国民の執政者への不満については一切言及していない。
1月30日の中国政府系紙・環球時報の英語版で伝えられた内容からも、
中国当局の色の革命に対する警戒が窺える。
「色の革命が真の民主をもたらさない」と題する環球時報の社説で、
「世界共通の民主はない、失敗した民主も多々ある」ことを論じていた。
VOAが引用した香港中文大学の林和立・教授の分析によると、環球時報の社説は、
これらの国では民主の条件がまだ育っていないため、実現した民主は表面的なもので、
社会の安定や経済の発展には促進作用を持たないとの論調を国民に吹き込んでいた。
「これらの論調は、中国国民が抱く『色の革命は中国で起きないのか』という疑問を打ち消そうとしている」
と指摘した。
さらに、林教授は「北京当局は色の革命に常にビクビクしている」と話し、
エジプト情勢については、中国メディアは「政変がアメリカに与える影響を分析しても、
中国への影響に言及することを明らかに避けている」と指摘した。
中国当局がエジプト情勢の本質を避け、国民の関心をそらそうとする行為は、
革命が飛び火することへの警戒感からだと分析した。
VOAはさらに北京の匿名社会学者の話を紹介した。
同学者によれば、中国で毎年起きている群衆による抗議事件は20万件を超えており、
社会全体に不満が鬱積し、民衆の怨恨が根深いことを示している。
「中国社会では、権力に付着した腐敗はすでに人々の我慢の限界を超えており、
全国民にとって激痛を伴う社会の『ガン』と化している。
権力が市場に蔓延し市場経済を制御したところで、公平なんて存在しない。
腐敗と不公平な取引きによって、富が『権貴階層』に集中し、貧富の差はますます拡大していく」
と中国社会が抱える問題の深刻さを分析した。
また、同学者は、ムバラク政権のもとで、エジプトで拡大した腐敗、貧富の差、高失業率などの要素が、
最終的に民衆の自由を求める意識を目覚めさせたとして、
エジプトを引き合いに中国も革命の火種を同様に抱えていることを指摘した。
一方、中国がエジプト情勢に慎重な態度を示しているのは、革命の飛び火を恐れているほか、
北アフリカやアラブ諸国での経済的利害関係も影響するとの見解を示す専門家がいる。
中国はこれらの地域から大量の原材料とエネルギーを手に入れている。
地域情勢の不安定は、各国のこの地域における勢力関係の再編成に繋がりかねないため、
中国当局の緊張感が一層高まっている。
「普通なら死にたくなる」小沢氏が弱音?
2011.2.5 17:40 msn 産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110205/stt11020517420004-n1.htm
民主党の小沢一郎元代表は5日、広島県尾道市で開かれた同党参院議員の会合で「普通だったら新聞、テレビに1カ月も攻撃されれば、大概の政治家は死にたくなる」と弱音を吐いた。その上で小沢氏は「彼らの攻撃、誹謗(ひぼう)中傷に毅然(きぜん)と戦っていられるのは、地元の皆さんが支えてくれているからだ」と語った。
一方、民主党の岡田克也幹事長は5日、小沢氏の処分について「党として何も行わないままでは国民に理解されない。挙党態勢を成し遂げるため小沢氏の問題にきちんとした答えを出さないといけない」と述べ、早期に結論を出す考えを強調した。長崎県佐世保市で記者団の質問に答えた。
安住淳国対委員長も同日のテレビ東京番組で「秘書が罪に問われた段階で議員が離党したこともある。何らかのけじめが必要だ」と指摘し、厳格な処分が必要との考えをにじませた。
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「死にたくなる」のは「大概の政治家」であって、小沢氏自身が死にたくなると言っているわけではないだろう。
「弱音」ととりたいメディアの願望もわからないではないが、検察のリークに乗っかってデマを世間にまき散らかしたあんたらの悪行は消えない。
いつか必ず訪れる「報いのとき」まで、首を洗って待ってろ!
それと安住、なにが「けじめ」だ、お前は参議院選挙の選対委員長として、あの惨敗の責任をとったのか?
いつまでもそのケジメをつけられないお前に、他者のケジメをとやかく言う資格はない!
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/536.html
こんなクソ報道。必ず叩き潰してやる。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/535.html#c1
自己の存在を否定せよ!
とまでは言いませんが
ほんと、その通りですよ!
人の生きる道、
愛を説いたイエスキリスト、
イエスキリストの御名に権威は在ります。
異教徒の民を殺してよいとするキリスト教の教会に権威はありません。
バチカンは信者から集めたお金を人々にもどすのがよいでしょう。
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/307.html#c11
カンパをお預かりしました。
ありがとうございます。本当に助かります。
阿修羅掲示板の運営資金として大切に使わせていただきます。
今後とも★阿修羅♪掲示板を大活用してくださいませ。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/549.html#c3
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110205-00000006-ryu-oki
枝野氏「強引には進めない」
北沢氏「国民のための行為」
【東京】枝野幸男官房長官兼沖縄担当相は4日の衆院予算委員会で、米軍普天間飛行場移設をめぐり防衛省が名護市に行政不服審査法に基づく異議申し立てをしたことについて、「普天間移設問題を、地元の意思を完全に無視した形で強引に進めようというものではない」と説明した。服部良一氏(社民)への答弁。
市への申し立ては、名護市辺野古移設に伴う環境調査への協力を市が拒否したことに対する措置。国による申請について問われた枝野長官は、「普通の民間事業者や個人と同じような立場で、同じ手続きの中で技術的な事項について申し立てた」と述べ、一般私法人と同格の申請の権利があるとの考えを強調した。
片山善博総務相は「国には二つの立場がある。特権的、優越的地位を持っている立場では不服申し立ての主体になれない。一般私人としての立場もあり、その場合は行政不服審査法に基づいて申し立てし、その後訴訟できる」と解説した。
沖縄防衛局は漁港漁場整備法に基づき農相にも審査請求しており、鹿野道彦農相は「過去に政府機関が審査請求した事例はない」と国による請求は今回が初めてと明らかにした。
服部氏が「法律を使ってまで省が市に異議を申し立てるのは恥ずかしいと思わないか」と撤回を求めたが、北沢俊美防衛相は「国にも与えられている権利を国民のために行う行為を恥ずかしいというのは適切でない」と反論した。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/267.html
電話会社には無関係でした、大変失礼しました。
http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/290.html#c2
【重要】心ある政治ブロガーへの弾圧を許してはならない ! ansunduckさんへ
こういった露骨な弾圧が行われているのが現実です。政治ブロガーにとってブログは命であると同時に手足でもあるのです。こういう封殺をされてしまいますと、正直かなり痛いです。
こういったネットにおける個別の弾圧に対しては、ほとんどお手上げの状態なのが今現在の実情なのではないでしょうか。
私は声を大にして提案をしたいと考えます。
ネット防衛軍の設立を提起したいと思います。
防衛軍という表現は、少々穏やかではありませんが、私の友好ブログの地球防衛軍様の
名前からヒントを得たものでして、軍隊という意味ではありませんが、しかし情報社会の人間を守るためのネット情報社会防衛ネットワークシステムの仮称としても良いと思った次第であります。こういったものが無いのが今日の実情なのではないでしょうか。
まず手始めに、グルッポを作るところから始めようかと考えています。
名付けて、【ネット弾圧駆け込み寺】、ここにおいてブログを削除されたりの弾圧で手足をもぎとられた人にどんどんと発言の場を与えていくというものです。当然、その政治ブロガーの方の読者やファンの方たちなどにも簡単にアクセス出来るような仕組みを作っていく。
多くの人間が結集したグルッポを簡単に閉鎖に追い込む事は出来ないと思います。
権力もそれなりのリスクを背負う事になるでしょう。
そしてそういった駆け込み寺とも言うべきグルッポがあちこちに生まれたら、ゆくゆくは大きなサイトとして立ち上げていくという構想です。
不幸にも弾圧の被害に遭われた人には、特別会員になっていただき、自由にメインページに何時でも書き込みが可能というわけです。
こういったネットワークを縦横無尽にどんどんと拡大させていけたらと思うのです。
そして同時に、その他の趣味でされているグルッポなんかにも働きかけて、賛助グルッポとして名前を連ねていただき、もしもの時には活用させていただくのです。
そして出来れば阿修羅などの巨大サイトとの関係も深めていけたらと考えています。
いずれ近い内に、その準備にとりかかる予定にしています。
改めましてご紹介致します真実は「マスコミと脱税」でした。
今まで新聞TVは嘘こいてました、ここに訂正してお詫び申し上げます。
売(by)新聞、TV
あんたまともな文もかけないのか。
しかし、お釜大国のタイでもこんなに露出してないぞ。
同性愛者の権利尊重は当然だが、閉塞社会で男が女性化しているか、女性化願望を抱いているんだろう。これは超封建社会タイでも同じだ。
会津庄内の侍魂はきっとプロイセン騎士精神とあいまって、英米の覇権国家に操られた維新勢力を退けたであろう。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/266.html#c1
昨年3月、日本テレビは春闘の中で給与制度の全面的な改定を進めたが、同局の労働組合はこれに猛反発し、断続的なストライキを繰り返している。
新しい給与制度では年功序列が見直され、残業手当ても切り下げ、さらに評価が一定に達しない場合は定期昇給もなく、年収が3割ほど減るとも言われる。
「家族3人を抱え、月50万円ぐらいもらっている40代の社員が35万円ぐらいになってしまう計算。これは他局と比べても最も低い」と組合員。
昨年10月で経営側は、組合との交渉を事実上の打ち切りで、組合は都の労働委員会に調停を申し立てている前代未聞の状況だ。
根底にあるのは不況による経費削減。番組制作費の削減だけでは追いつかない現状で、ついに聖域とされた給与の大幅見直しとなったわけだ。これにより人件費は約10億円もの節約となったと言われるが、これにも組合員は噛みつく。
「日テレの利益率は、他局と比べても高く、制作費の切り詰めで経常利益の増益もしている。これは同じ読売グループの読売新聞の収益が減って、大株主への還元からテレビにしわ寄せが来たものでしょう。それを社員の給与でやるのがおかしい」(同)
しかし、組合側の主張は現時点で受け入れられておらず、約600人の組合員からは、新たに組合を動かすための新組合を結成する者まで出ている。
「このまま平行線なら不当労働として訴えます。既に労働問題のプロフェッショナルである弁護士が味方についています」(同)
ただ、周辺関係者の見方は冷ややかだ。もともとテレビ局員の給与は「高すぎる」と以前から言われてきたことで、日テレ局員の給与は平均1,200万円以上とされており、これは世間から見れば3倍もの超高給。番組制作の下請け会社で働く男性は「てめえの給料になったら大騒ぎしているけど、労働基準で言ったら下請けには不当な長時間労働させているし、コンビニ以下の時給でADをこき使っている連中」と賃下げに賛成している。
この男性は万一、労働委員会の調停でも決着つかず、裁判になった場合は「知られざるテレビ界の給与事情が表になる」とニヤリ。
「一般社会では考えられないような厚待遇が白日の下に晒されるし、誰も知らない裏手当とかも表になる可能性がある」(同男性)
そうなれば経営陣への反発の前に、国民から反発を受けることになるかもしれず、これには他局から「泥仕合はやめてくれ」という声も。空前のテレビ不況の中、大手局の動向に注目が集まっている。
(文=鈴木雅久)
http://news.livedoor.com/article/detail/5318495/
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/538.html
正しい報道を正しくすれば、給料は下がらないかも知れませんけど。
労働組合が騒いでいますが、労働組合を批判していたのはマスゴミですよね。
公務員の給料が高いと言っていたのもマスゴミですよね。
ざまぁ見ろと・・・。
【金融】ゆうちょ銀、海外投資8割増 貯金減で高利回りに活路[11/02/03]
1 :窓際記者こしひかりφ ★:2011/02/03(木) 19:47:36 ID:???
☆ ゆうちょ銀、海外投資が8割増=貯金減で高利回りに活路
日本郵政グループのゆうちょ銀行が、海外での資金運用を積極化させている。
昨年末の外国債券の投資残高は6兆6290億円と、3月末からの9カ月で
78.5%増加した。運用の原資となる貯金の減少に歯止めがかからない中、
収益を確保するため、より高い利回りが見込める海外投資に活路を求めている
格好だ。
軍人らに戦争犯罪とやらを擦り付け、でっち上げ、
挙句の果て日本を米国に売り渡す、仲立ちをした人間が
「天皇の軍隊」の憲兵参謀を勤め、
終戦工作に関与、戦後はそれらヤラセ終戦工作の隠蔽と
御主人の犬を務めに「電通」に入社。取締役を務めたとは。
電通というのは、やっぱり「天皇の私兵」の戦後版だったんでしょうね。
中国共産党の私兵である人民解放軍と
どこに代わりがあるんでしょうね。
調べ物ついでに、情報が出てきましたので、
役立てて下さい。
塚本 誠
明治36・9・24〜昭和50・8・6
大13・7 陸士卒(36期)
13・10 任歩兵少尉・歩兵第59聯隊付
昭2・10 任歩兵中尉
6・5 仙台教導学校付
7・11 任憲兵中尉・仙合憲兵隊付
7・12 岡山憲兵分隊長
8・8 任憲兵大尉
9・3 憲兵司付
10・3 大阪憲兵隊付
10・4 上海駐在
12・8 上海派遣軍司付
12・12 中支那派遣憲兵隊付
13・3 台北憲兵分隊長
13・7 任憲兵少佐
14・3 参本付仰付(上海駐在)
14・9 支那派遣軍総司令部付
16・3 中支那派遣憲兵分隊長
16・8 東京憲兵隊付(特高第2課長)
17・8 任憲兵中佐
18・8 宇都宮憲兵隊長
19・5 ビルマ方面軍憲兵隊長
19・12 第10方面軍司付
20・4 第10方面軍参謀
20・6 任憲兵大佐
20・8 東部憲兵隊司部員兼憲兵参謀
20・9 軍務局付
20・12 予備役
24年 電通入社
48年 電通取締役で退社
憲兵練習所甲種学生 首席
* 11期:昭和7年11月14日/塚本誠 歩兵中尉
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/527.html#c13
どうもネットマニアはIP通信を過信している。
こんなの電話局で回線を切られればおしまいだろうが。馬鹿やろーども。この辺が現実的な闘争力のなさにつながっている。
ようするに遠吠えレベルだ。
だから、ラジオ局等の放送メディアを確保することが必要なんだよ。戦中からBBCやVOA等のラジオが反体制活動の核となってきたんだよ。
政府に放送局をつぶされようが、山中や公海上で地下放送も可能だ。それから携帯に勝手に入ってくるくずメールも利用できるぞ。さらにプリンターは手軽な印刷機だ。
↓かな
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/MYBLOG/yblog.html
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/251.html#c7
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