01. 2010年8月07日 00:13:27: oX1STTPLao
「封印された原爆報告書」後半から見ました。
なので以下の理解の仕方に誤謬があればご指摘ください。
被爆者たちを、まるで人体実験のモルモットのように、「標本」として扱っていた事実もさることながら、
大事な問題は別にあると思いました。
広島への原爆投下の2日後には東京帝国大学医学部の精鋭たちが、現地に調査団を派遣しているとのこと。その調査結果の一つが、爆心地からの距離と死亡者数との相関を示す「死亡率曲線」なるものとか。しかしこれはアメリカによって公表された資料であり、日本の「研究業績」ではない様子であった。現在90歳の当時の日本人調査員がNHKのインタビューに答えていたが、「被爆者のためではなく、アメリカのための調査」だったという。それしか考えてなかったと。たとえば被爆者にアドレナリンを投与したらどんな反応が出るか、とか、治療はせずにそんな「実験」ばかりしていたらしい。それにしても、
投下の2日後?つまり1945年8月8日?つまり長崎への投下よりも前?つまり終戦よりも前?アメリカの命令で?
やはり、というか、でも驚かなければいけない事実でありましょう。
NHKは、この件そのものには一切突っ込みを入れてませんでした。
東大の、少なくとも一部は戦中からアメリカに支配されていた。
おそらくは、広島への原爆投下も事前に知らされていて、調査準備を整えていた。
これはもっと厳しく追求されるべきではないでしょうか。
日本人の若い調査員が「入市被曝」で発病し、調査終了後に山口県で入院していたら、東大病院の都築正男博士(「原爆症研究の父」。第五福竜丸の被災に際しても医学調査を担当)がわざわざやってきて、彼に、調査中の日々についての「日記」を書くことを強く勧めたらしい。
その日記が「英訳」されていて、これも今回アメリカ側から公表されている。
80歳台になったその「入市被曝」した調査員は、現在寝たきりで、NHKの取材に応じたときに初めて、自分の日記が英訳されていたことを知った。
都築博士も、早い段階でアメリカと気脈を通じていたのかもしれない。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/398.html#c1