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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100519
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[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
16. 中川隆[-15949] koaQ7Jey 2021年10月18日 17:58:59 : qkJ0267vVE : Y2lNRWlkTWpEVlE=[20]
人類における始原のカミは、抽象化された不可視のアニマ(生命、魂)としてではなく、個別具体的な事象に即して把握されていました。霊魂などの抽象的概念の登場以前に、眼前の現象がそのままカミとみなされていた段階があった、というわけです。

具体的には、人に畏怖の念を抱かせる、雷や竜巻などの自然現象です。より日常的な現象としては、毎日起きる昼夜の交代です。人がカミを見出したもう一つの対象は、人にない力を有する動物たちで、具体的には熊や猛禽類や蛇などです。また、生命力を感じさせる植物、巨木や奇岩なども聖なる存在として把握されました。

カミは最初、これら個々の現象や動植物などと不可分の存在でした。何かが個々の現象や動植物などに憑依することで、初めてカミになったわけではありませんでした。

2021年10月16日
佐藤弘夫『日本人と神』
https://sicambre.at.webry.info/202110/article_16.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E7%A5%9E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%BC%98%E5%A4%AB/dp/4065234042

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2021年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。著者の以前の一般向け著書『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』にたいへん感銘を受けたので(関連記事)、本書はまず、日本列島におけるあらゆる宗教現象を神と仏の二要素に還元する「神仏習合」で読み解くことはできず、それは近代的思考の偏りである、と指摘します。本書はこの視点に基づいて、日本列島における信仰の変容を検証していきます。


●先史時代

 日本列島における信仰について本書はまず、現代日本社会において一般的な認識と思われる、山のように自然そのものを崇拝することが日本列島における信仰の最古層になっている、というような太古からの信仰が今でも「神道」など一部で続いている、といった言説に疑問を呈します。山麓から山を遥拝する形態や、一木一草に神が宿るという発想は室町時代以降に一般化し、神観念としても祭祀の作法としても比較的新しい、というわけです。

 たとえば神祭りの「原初」形態を示すとされる三輪山では、山麓に点在する祭礼の痕跡は紀元後4世紀にさかのぼり、祭祀の形跡の多くは山を仰ぎ見る場所に設定されていることから、三輪山の信仰は当初から山を神聖視し、神の居場所である社殿はありませんでした。しかし、三輪山信仰の原初的形態が山を遥拝する形だったわけではない、と本書は指摘します。本書が重視するのは、恒常的な祭祀の場所が定められていなかった点です。山そのものを崇拝対象とするならば、現在の拝殿のように最適な地を祭祀の場と定めて定期的な祭りを行なえばすむだろう、というわけです。

 そこで本書は、三輪山信仰の原初的形態の手がかりとして、三輪山遺跡と同時代(弥生時代後期〜古墳時代)の日本列島における神信仰を見ていきます。信仰の側面から見た弥生時代の最も顕著な特色は、神が姿を消すことです。縄文時代には信仰の遺物として、人間を超えた存在=カミ(人間を超える存在、聖なるもの)の表象として土偶がありましたが、弥生時代には聖なるものを可視的に表現した広義の神像が欠けています。弥生時代には、カミは直接的にではなく、シンボルもしくはイメージを通じて間接的に描写されるようになります。銅鐸などカミを祀るための道具は多数出土しているものの、カミを象ったと推測される像はほとんどない、というわけです。

 カミが不可視の存在へと転換した弥生時代には、カミと人々とを媒介するシャーマンの役割が重視されるようになり、『三国志』に見える卑弥呼も三輪山遺跡もそうした文脈で解されます。古墳時代以前の社会では、カミは遠くから拝礼する対象ではなく、互いの声が届く範囲にカミを勧請して人々はその託宣を聞き、カミに語りかけました。これが弥生時代から古墳時代の基本的な祭祀形態だった、と本書は指摘します。記紀や風土記など古代の文献からも、山は神の棲む場所であっても神ではなく、人々が山を聖地として礼拝した事例はないので、現在の三輪山信仰は神祭りの最古形態ではなかった、と本書は指摘します。

 では、日本列島における最古のカミのイメージとその儀礼はいかなるものだったのかが問題となります。人類の宗教の最も原基的な形態は、自然の森羅万象の中に精霊の動きを見出すアニミズムだった、との見解は現代日本社会において広く浸透しているようです。一方で20世紀後半以降、カミの存在を感知する心的能力は6万年前頃に現生人類で起きた認知構造の革命的変化に由来する、との仮説も提示されています。これが芸術など複雑で象徴的な行動も含めて現生人類(Homo sapiens)の文化を飛躍的に発展させた(創造の爆発説、神経学仮説)、というわけです(関連記事)。

 本書はこうした認知考古学の成果も参照しつつ、日本の神の原型は不可視の「精霊」ではないと指摘し、「アニミズム」の範疇で把握することに疑問を呈します。本書が推測する人類における始原のカミは、抽象化された不可視のアニマ(生命、魂)としてではなく、個別具体的な事象に即して把握されていました。霊魂などの抽象的概念の登場以前に、眼前の現象がそのままカミとみなされていた段階があった、というわけです。具体的には、人に畏怖の念を抱かせる、雷や竜巻などの自然現象です。より日常的な現象としては、毎日起きる昼夜の交代です。人がカミを見出したもう一つの対象は、人にない力を有する動物たちで、具体的には熊や猛禽類や蛇などです。また、生命力を感じさせる植物、巨木や奇岩なども聖なる存在として把握されました。カミは最初、これら個々の現象や動植物などと不可分の存在でした。何かが個々の現象や動植物などに憑依することで、初めてカミになったわけではありませんでした。

 こうした最初期のカミに対して、人はひたすら畏敬の念を抱くだけで、ある定まった形式で崇拝することはなく、祭祀が開始されるには、無数に存在してイメージが拡散していたカミを、集団が共有できる実態として一旦同定する必要がありました。日本列島でそれが始まったのは縄文時代でした。縄文時代にカミのイメージを象徴的に表現したものとして土偶がありましたが、それを超える高次のカミは想定されていなかった、と本書は推測します。ただ、こうしたイメージが集団に共有され、定期的な祭祀が行なわれるようになるのは、縄文時代中期以降でした。これにより、霊威を引き起こす不可視の存在としてカミを想定する段階へと転換していきます。カミの抽象化が進行していった、というわけです。死者への認識も変容していき、死者を生前と同様の交流可能な空間に留めておく段階から、死者だけの独立した空間が生まれ、膨張していきます。不可視の存在により構成されるもう一つの世界(他界)が人々に共有されるようになります。

 上述のように、弥生時代にはカミそのものが殆ど表現されなくなります。カミの居場所はおおよその見当がつけられても、一ヶ所に定住することはなく、弥生時代から古墳時代のカミ祭りの形態は、カミを祭祀場に勧請し、終了後に帰っていただく、という形式でした。上述の三輪山祭祀遺跡はこの段階のものでした。超常現象は不可視のカミが起こすもの、との観念が共有されるようになった弥生時代以降には、自然災害や疫病など理解の及ばない事態にさいして、カミの意思の確認が喫緊の課題となりました。カミの意図を察知し、カミが求めるものを提供することでその怒りを和らげ、災禍の沈静化を図ったわけです。カミの言葉はシャーマンを介して人々に伝えられ、共同体共通の記憶としてのカミの言葉は次第に整序化された形で特定の語り部により伝承され、物語としての体系化と洗練化が進みます。カミの人格化と個性化の進展により、各集団の守護神もしくは祖先神としてのカミが特定されるようになると、太古のカミの仕業として世界や文化の起源が語られるようになりました。つまり、神話の誕生です。

 古代日本の神は生活に伴う汚染を徹底して嫌い、共同体における神の重要な機能が集団内の清浄性の確保にあったことを示します。こうした観念は定住生活への移行により強化されていきましたが、これにより、排泄物や死骸に単なる物理的な汚染以上の、より抽象的・精神的な位置づけが与えられるようになっていきます。まず神の祟りがあり、汚染感知警告の役割を果たし、穢れが神に及んでいる、と察知されます。この過程で、国家形成とともに、不浄→祟り→秩序回復のシステムを国家が独占し、「穢れ」の内容を詳細に規定することで、神への影響を最小限に食い止めようとします。カミが嫌うものとの規定により、日常生活に伴う汚染と共同体に違背する行為が、カミの保持する秩序に対する反逆=ケガレと位置づけられ、罪と穢れはしばしば等質として把握されます。ケガレの概念は多様化し、対処するための宗教儀礼も複雑化していきます。本来は生存のための道具だったはずのカミが人の言動を規定し、人を支配する時代が到来したわけです。カミが人の思惑を超えて清浄性をどこまでも追求し始めると、カミが嫌う個別具体的な「穢れ」も本来の意味を超えて一人歩きを開始し、人の意識と行動を縛るようになります。日本でその運動が本格的に開始されたのは9世紀で、物忌みや方違えなどの禁忌が急速に発展し、人々の日常生活を規制するようになります。


●古代

 弥生時代から奈良時代までカミは常態として可視的な姿を持ちませんでしたが、そのイメージは次第に変化し、とくに重要なのは人格化の進展です。その主因として考えられるのは、死者がカミとして祀られることの定着です。それには、傑出した人物の出現が必要となります。これは、首長の墓が集団墓地から分離して巨大化し、平地から山上や山腹などより高い土地に築かれるようになったことと関連しています。特定の人物を超人的な存在(カミ)と把握するヒトガミ信仰の画期は3世紀で、その象徴が前方後円墳でした。前方後円墳では祭祀が行なわれましたが、長く継続して実施された痕跡は見当たらない、と考古学では指摘されています。本書は、当時の信仰形態から推測して、カミの棲む山としての後円部を仰ぎ見ることができ、山にいるカミを呼び寄せる場所に祭祀の痕跡があるのではないか、と推測します。じっさい、仙台市の遠見塚古墳では、後円部の周辺で長期にわたる祭祀継続の痕跡が見つかっています。本書は、前方後円墳がカミの棲む場所として造られた人工の山で、そこにカミとなった首長の霊魂を定着させようした試みだった、と推測します。ヒトガミ信仰の次の画期は天武朝で、天皇自身が神(アキツミカミ)と強調されました。この律令国家草創期に、天皇陵と認定された古墳は国家による奉仕の対象となりました。巨大古墳の意義は、大伽藍の出現や律令制による神祇祭祀制度の整備により失われ、天皇の地位は諸仏諸神により守護される特権的存在となりました。カミの棲む清浄な地としての山には、清浄性を求めて修行者が入るようになります。

 カミのイメージ変遷で人格化とともに重要なのは、特定の地への神の定着です。弥生時代から古墳時代には、カミが特定の山にいたとしても、どこなのかは不明でした。そうした住所不定で祭祀の時にだけ来訪するカミから、定住するカミへの転換が進みます。これにより、7世紀末以降、神社の造営が本格化します。社殿の造営により、信仰形態は祭祀のたびに神を勧請することから、人が神のもとに出向いて礼拝することへと変わりました。これは寺院参詣と共通する形式で、神と仏(仏像)との機能面での接近を示します。神は一方的に祭祀を受ける存在となり、公的な儀礼の場から神と人との対話が消えていきます。

 上述のように神をめぐる禁忌が増幅され、神は人が安易に接近してはならないものへと変貌していきます。神と仏(仏像)との機能面での接近は、神像を生み出しました。長く身体性を失っていた神が、再び具象的な姿をとることになったわけです。こうした神の変貌により、人と神との仲介者としてのシャーマンが姿を消します。これは、俗権を掌握する王の地位強化と対応しており、古墳時代中期には支配層の父系化が進みます(関連記事)。カミの言葉の解釈権を王が手中に収めるようになり、8世紀後半の宇佐八幡宮神託事件はその象徴でした。

 カミの人格化と定住化の進展とともに、非合理で不可解だったカミの祟りが、次第に論理的なものへと変わっていきます。この過程で、善神と悪神の機能分化が進みます。祟りは全ての神の属性ではなく、御霊や疫神など特定の神の役割となりました。平安時代半ば以降、祟りの事例減少と比例するかのように、カミの作用として「罰(バチ)」が用いられるようになり、12世紀以降はほぼ「罰」一色となります。中世的な社会システムが整ってくる12世紀は、古代における「祟り」から中世の「罰」へとカミの機能が変化した時期でした。中世には、「賞罰」が組み合わされて頻出するようになります。カミは罰を下すだけの存在ではなく、人々の行為に応じて厳正な賞罰の権限を行使しました。カミは突然予期せぬ祟りを起こす存在から、予め人がなすべき明確な行動基準を示し、それに厳格に対応する存在と把握されるようになります。古代のカミは、目前に存在する生々しさと、人知の及ばない強い験力の保持を特徴とし、その力の源泉が「清浄」性でした。


●古代から中世へ

 人が神・仏といったカミ(超越的存在)や死者と同じ空間を共有するという古代的な世界観(来世は現世の投影で、その延長に他ならない、との認識)は、紀元後10世紀後半(以下、紀元後の場合は省略します)以降次第に変容していきます。人の世界(この世)からカミの世界(あの世)が分離し、膨張していきます。こうして、ヒトの住む現世(此岸)と不可視の超越者がいる理想郷(彼岸)との緊張感のある対峙という、中世的な二元的世界が形成されます。人の認知できないもう一つの空間イメージが、人々の意識において急速に膨張していったわけです。古代では、カミの居場所は遠くてもせいぜい山頂でしたが、中世では、この世とは次元を異にする他界が実在する、との観念が広く社会に流通しました。曖昧だったカミと死者との関係も、救済者・彼救済者として位置づけ直されました。彼岸=浄土はもはや普通の人が気軽に行ける場所ではなくなったわけです。

 12世紀には、救済者のいる彼岸世界(浄土)こそが真実の世界とされ、この世(此岸)は浄土に到達するための仮の世(穢土)との認識が一般化しました。浄土については、浄土教のように浄土の客観的実在性を強調するものから、ありのままの現実世界の背後に真実の世界を見ようとする密教に至るまで、この世とあの世の距離の取り方は宗派によりさまざまでしたが、身分階層を超えて人々を平等に包み込む普遍的世界が実在する、という理念が広く社会で共有されるようになります。この古代から中世への移行期に起きた世界観の大きな転換はかつて、浄土思想の受容と定着の結果と主張されました。しかし本書は、最初にこの世界観を理論化しようとしたのは浄土教の系譜に連なる人々だったものの、それは世界観の変容の原因ではなく結果だった、と指摘します。中世ヨーロッパのように、不可視の他界の膨張は、人類史がある段階で体験する一般的な現象だろう、と本書は指摘します。日本列島では、それに適合的な思想として彼岸の理想世界の実在を説く浄土信仰が受け入れられ、新たな世界観の体系化が促進された、というわけです。

 しかし中世には、全てのカミがその住所を彼岸に移したわけではなく、人と共生する神仏の方がはるかに多かった、と本書は指摘します。中世の仏には、人々を、生死を超えた救済に導く姿形のない普遍的な存在(民族や国籍は意味を持ちません)と、具体的な外観を与えられた仏像の二種類が存在しました。後者は日本の神と同様に日本の人々を特別扱いし、無条件に守護する存在で、「この世のカミ」としての仏です。中世の世界観は、究極の救済者が住む不可視の理想世界と、人が日常生活を送るこの世から構成される二重構造でした。

 この10〜12世紀における世界観の転換は、古代においてカミに宿るとされた特殊な力の源となった、仏像・神像に宿る「聖霊」と呼ばれるような霊魂のごとき存在に対する思弁が展開し、さまざまなイメージが付加されていく延長線上にありました。この大きな転換のもう一つの要因として、疫病や天変地異や騒乱などによる不安定な社会があります。中世は近世と比較してはるかに流動性の高い時代で、人と土地との結びつきは弱く、大半の階層は先祖から子孫へと受け継がれる「家」を形成できず、死者を長期にわたって弔い続ける社会環境は未熟でした。不安定な生活で継続的な供養を期待できないため、人は短期間での完全な救済実現を望みました。

 中世人にとって大きな課題となったのは、当然のことながら浄土を実際に見た人がおらず、その実在を信じることが容易ではなかったことでした。そこで、浄土の仏たちは自分の分身をこの世に派遣し、人々を励ました、と考えられました。それが「垂迹」で、あの世の仏がこの世に具体的な姿で出現することを意味します。不可視の本地仏の顕現こそが、中世の本地垂迹の骨子となる概念でした。垂迹を代表する存在が、菩薩像や明王像・天部の像を含む広義の仏像(この世の仏)でした。11〜14世紀に大量の阿弥陀像が造立され、人々が仏像に向かって浄土往生を願ったのは、阿弥陀像が浄土にいる本地仏(あの世の仏)の化身=垂迹だったからです。

 この世の仏で仏像より重要な役割を担うと信じられたのは、往生を願う者の祈りに応えてその場に随時化現する垂迹(生身)でした。これは、彼岸の仏がある人物のためだけに特別に姿を現す現象なので、祈願成就を意味すると解釈され、とくに尊重されました。仏像や生身仏とともに垂迹を代表するのが、日本の伝統的な神々でした。中世の本地垂迹は、彼岸世界の根源神と現世のカミを垂直に結びつける論理でした。それをインドの仏と日本の神との同一地平上の平行関係として、現世内部で完結する論理として理解しようとする立場は、彼岸世界が縮小し、人々が不可視の浄土のイメージを共有できなくなった近世以降の発想でした。

 垂迹として把握されていたのは、仏像と日本の神だけではなく、聖徳太子や伝教大師や弘法大師などの聖人・祖師たちでした。垂迹としての聖人の代表が聖徳太子で、古代には南岳慧思の生まれ変わりと考えられていましたが、中世には、極楽浄土の阿弥陀仏の脇侍である観音菩薩の垂迹との説が主流となりました。古代における日中という水平の位置関係から、中世における極楽浄土と此土という垂直の位置関係で把握されたわけです。親鸞も若いころに真実の救済を求めて聖徳太子の廟所を訪れました。インドに生まれた釈迦も垂迹とされ、その意味では聖徳太子と同水準の存在とみなされました。

 中世人に共有されていた根源的存在のイメージは、それと結びつくことにより、日常的なものや卑俗なものを聖なる高みに引き上げる役割を果たすことも多くありました。差別の眼差しに晒された遊女の長者が、普賢菩薩の化身とされたり、身分の低い牛飼い童が生身の地蔵菩薩とされたりしました。日頃差別される人々を聖なる存在の化身とする発想は非人でも見られ、文殊菩薩が非人の姿で出現する、と広く信じられていました。社会的弱者や底辺層の人々であっても、他界の根源神と結びつくことにより、現世の序列を超えて一挙に聖性を帯びた存在に上昇することがある、と考えられていたわけです。

 垂迹の使命は末法の衆生救済なので、その所在が聖地=彼岸世界の通路とみなされることはよくありました。善光寺や春日社や賀茂社などは、霊場として人々を惹きつけていきました。他界への通路と考えられた霊験の地は多くの場合、見晴らしのよい山頂や高台に設けられました。寺院では、垂迹の鎮座する「奥の院」は、高野山や室生寺や醍醐寺に典型的なように、寺内の最も高い場所に置かれました。これは、山こそがこの世で最も清浄な地であるという、古代以来の観念を背景としたものでした。山を不可欠の舞台装置として、周囲の自然景観を取り入れた中世の来迎図は、自然の風景が登場しない敦煌壁画の浄土変相図などとは異なり、日本の浄土信仰が大陸とは異なった方向に発展したことを端的に示す事例でした。

 こうした中世の世界観は、仏教者により占有されたとも言えます。これに違和感を抱いたり反発したりしたのが、神祇信仰に関わる人々でした。平安時代後期から「神道五部書」などの教理書が作成されるようになり、「中世神道」と呼ばれる壮大な思想世界が構築されていきました。その中心的課題は、人が感知できない根源者の存在証明とその救済機能でした。13世紀後半、伊勢において新たな神祇思想の流れが起き、度会行忠たち外宮の神官たちにより伊勢神道が形成されました。伊勢神道の聖典である神道五部書では、仏教や道教の思想的影響下で、この世を創生し主宰する唯一神の観念が成長していきます。国常立神や天照大神は超越性が格段に強化され、伊勢神道は仏教界が「本地」という概念で自らに取り込んだ根源的存在を、仏教から切り離して神祇信仰側に引き入れようとしました。伊勢神道の影響を受けた慈遍は、南北朝時代に国常立神を永遠不滅の究極的存在にまで高め、仏教が独占してきた究極的存在=本地仏の地位を神に与えました。こうして中世には、仏教・道教・神祇信仰といった枠組みを超えてカミの形而上学的考察が進み、不可視の究極者に対する接近が思想の基調となりました。人種や身分の相違を超えて、全ての人が等しく巨大な超越者の懐に包まれている、というイメージが中世人の皮膚感覚となります。

 救済者としてのカミに対する思弁の深化は、一方で被救済者としての人の存在について考察の深まりをもたらしました。救済を追求していくと、平凡な人が生死を超越できるのか、という疑問に正面から向き合わざるを得なくなるからです。人が救済されるための条件を思索するうちに、万人の持つ内なる聖性が発見されていきます。カミが徹底して外部の存在とされた古代に対して、中世では人に内在するカミが発見されていきます。人の肉体を霊魂の宿る場と考え、霊魂が体から離れて帰れなくなる事態を死とみなす発想は古代から存在しました。「タマ」と呼ばれた霊は、容易に身体を離れる存在でした。

 中世には、仏教の内在する「仏性」の観念と結びつき、その聖性と超越性が高まっていきます。仏教、とくにアジア東部に伝播した大乗仏教では、全ての人が仏性を持つことは共通の大前提でした(一切衆生、悉有仏性)。全ての人は等しく聖なる種子を持っており、修行を通じてその種子を発芽させて育てていくことにより、誰もが仏になれる、というわけです。こうした理念は古代日本にもたらされていましたが、超越的存在が霊威を持つ外在者のイメージで把握されていた古代社会では、内在する聖性という理念が大衆に受容され、定着することはできませんでした。聖なる存在への接近は、首長や天皇など選ばれた人が特別の儀式を経て上昇するか、修行者が超人的な努力の積み重ねにより到達できる地位でした。

 一方、万人に内在する仏性が発見された中世では、カミへの上昇は特別な身分や能力の人に限定されず、誰もが仏になれました。根源的存在は、絶対的な救済者であると同時に森羅万象に偏財しており、人は心の中の内なる仏性を発見し、発現することにより自らを聖なる高みに上昇させられる、との理念が人々に共有されるようになります。人と超越的存在を一体的に把握する発想は神祇信仰でも受容され、その基調となりました。一方的に託宣を下して祟りをもたらした古代の神が、宇宙の根源神へと上昇していくと同時に、個々人の心の中にまで入り込み、神は究極の絶対的存在故にあらゆる存在に内在する、と考えられました。こうした理念は、「神は正直の頭に宿る」、「心は神明の舎なり」といった平易な表現の俗諺として、衆庶に浸透していきます。

 いわゆる鎌倉仏教は、戦後日本の仏教研究の花形で、鎌倉時代に他に例のないほど仏教改革運動が盛り上がり、その大衆化が進んだのはなぜか、と研究が進みました。その後、鎌倉仏教を特別視するような見解は相対化されてきましたが(関連記事)、鎌倉時代における仏教の盛り上がり自体はほとんど否定されていません。鎌倉仏教に共通するのは、方法論の違いはあっても、身分や地位や学識などの相違に関わらず万人が漏れなく救済される、という強い確信です。悉有仏性の理念はインドの大乗仏教にすでに備わっていましたが、日本では上述のように古代には開花せず、絶対的な救済者と俗世を超える彼岸世界の現実感が人々に共有され、万人が聖性を内在しているという理念が社会に浸透した中世に初めて、生死を超えた救済の追求が可能となる客観的条件が整い、その延長線上に鎌倉仏教が誕生します。

 古代から中世への移行に伴うこうした世界観の変容は、王権の在り様にも重大な転換をもたらしました。古代の天皇は、アキツミカミとしての自身の宗教的権威により正当化されるだけではなく、律令制、皇祖神や天神地祇や仏教の諸尊など外部のカミにより、守護されていました。中世に彼岸世界のイメージが膨張すると、現世的存在である天皇は、もはや他界の根源神の仲間に加わることはできませんでした。天皇は一次的な権威になり得ない、というわけです。天皇は、古代のように同格のカミとの連携ではなく、より本源的な権威に支えられる必要性が生じます。

 12世紀に、伝統仏教で「仏法」と「王法」の協力関係の重要性が主張されるようになり、「仏法王法相依論」として定式化されます。これは、世俗権力の存続には宗教的権威による支援が不可欠とする、中世的な王権と仏教との関係を端的に表現していました。これは伝統仏教側から主張されましたが、同じ世界観を共有する王権も強く規定しました。王権の側は、仏法により外側から守護してもらうだけではなく、根源的存在との間に直接的通路を設けようとしました。古代では、原則として天皇が仏教と接触することは禁忌とされていましたが、12世紀以降、即位式の前に仏教的儀式が行なわれるようになり、天皇が大日如来に変身する即位灌頂などがあります。しかし、中世において天皇を神秘化する言説も散見されるものの、天皇が地獄や魔道に堕ちる話はずっと多く、王権側の試みは必ずしも奏功しませんでした。この世の根底に存在する人知を超えたカミの意思に反した場合、神孫である天皇でさえ失脚や滅亡から逃れられない、との理念が中世社会では共有されていました。中世人は、自身と天皇との間に、隔絶する聖性の壁を認めませんでした。天皇もあの世のカミの前では一人の救済対象にすぎなかった、というわけです。

 天皇の即位儀礼として最重視されていた大嘗祭が、応仁の乱の前年から200年以上にわたって中断された背景は、政治的混乱や経済的困窮だけではなく、皇祖神の天照大神の「この世のカミ」としての位置づけ=二次的権威化に伴い、大嘗祭が天皇神秘化の作法としてほとんど意味を喪失したことにもありました。こうした中世固有の世界観を前提として、他界の根源神の権威を現世の王権の相対化の論理として用いることにより、天皇家から北条への「国王」の地位の移動=革命を明言する日蓮のような宗教者も出現します。


●中世から近世へ

 中世前期に確立する、人の内面に超越的存在(カミ)を見出だそうとする立場は、中世後期にいっそう深化し、宗派の別を超えて共有されるとともに、芸能・文芸・美術などの分野に広範な影響を与えました。人のありのままの振る舞いが仏であり神の姿そのものとされたわけです。こうした思潮に掉さして発展し、浸透していくのが本覚思想(天台本覚思想)です。本覚思想では、ごく普通の人が如来=仏そのものと説かれています。人は努力と修行を重ねて仏という高みに到達するわけではなく、生まれながらにして仏であり、仏になるのではなく、自分が仏と気づきさえすればよい、というわけです。こうした思想に基づく文献が、最澄や良源や源信といった天台宗の高僧の名で大量に偽作され、流通していきました。

 カミ=救済者を人と対峙する他者として設定するキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教の特質は、人が到達すべき究極の目標を救済者と同水準に設定するところにありました。釈迦がたどり着いた仏の境地は釈迦だけの特権ではなく、万人に開かれたものであり、真実の法に目覚め、胸中の仏性(仏の種)を開花させることにより、誰もが仏になれる、というわけです。しかし、成仏に至る過程は、時代と地域により異なります。大まかな傾向として、人と仏との距離は、時代が下るにつれて、東方に伝播するにつれて短くなります。

 大乗仏教では「一切衆生、悉有仏性(聖性の遍在)」が強調されましたが、とりわけ日本では、人と仏は接近して把握される傾向が強く、その延長線上に生まれたのが本覚思想でした。本覚思想は二元的世界観とそれを前提とする浄土信仰が主流だった中世前期には、まだ教団教学の世界に留まっていましたが、中世後期には広く社会に受容されていきます。成仏を目指した特別の修行を不要とするような極端な主張は、日本以外の仏教ではほとんど見られません。絶対者を追求し続けた中世の思想家たちは、万物へのカミの内在の発見を契機に、その視点を外部から人の内面へと一気に転じました。カミはその超越性ゆえにあらゆる事物に遍在する、というわけです。超越性の追求が、キリスト教やイスラム教で見られるような人とカミの隔絶という方向ではなく、万物への聖性の内在という方向に進むところに、日本の神観念の特色がありました。

 こうした傾向の延長線上として、法然や日蓮など中世前期の思想に見られるような、救済者と彼救済者、浄土と此土といった厳しい二元的対立が解消されていきます。法然や日蓮においては、救済者は人と対峙する存在として超越性が強調されていましたが、その後継者たちは、救済者の外圧的・絶対的性格が薄められ、宇宙と人への内在が強調されるようになります。仏に手を引かれて向かうべき他界浄土のイメージがしだいに希薄化し、救済者と彼救済者、他界と現世の境界が曖昧となり、彼岸が現世に溶け込んでいきます。

 いわゆる鎌倉仏教において、その転換点に位置するのが一遍でした。一遍は浄土教の系譜に位置づけられますが、その救済論は、救済者としての阿弥陀仏と彼救済者としての衆生との間の厳しい葛藤と緊張を想定した法然の対極に位置し、仏は何の抵抗もなく彼救済者の体内に入っています。浄土は死後に到達すべき遠い他界ではなく、信心が確立した時、その人は阿弥陀仏の命を譲り受けている、というわけです。こうした発想は一遍に留まらず、中世後期の浄土信仰の主流となっていきます。救済者と彼救済者の境の曖昧化という方向性は、宗派を超えて中世後期の思想界の一大潮流となります。

 中世から近世への転換期において、外在する他界のカミが存在感を失っていくもう一つの原因は、政治権力に対する宗教勢力の屈伏でした。浄土真宗と法華宗(日蓮宗)ではとりわけ一揆が盛んで、両派は中世でもとりわけ他界の仏の超越的性格を強調しました。日本史上、外在する絶対的存在としてのカミのイメージが最も高揚したのは戦国時代の宗教一揆で、異次元世界にある万物の創造主を想定するキリスト教の思想も、そうした時代思潮を背景に受け入れられていきました。一向一揆が平定され、島原の乱が鎮圧されると、その背景にあった強大な超越者もその力を喪失し、カミの内在化という時代趨勢に呑み込まれ、現実世界に溶け込んでいきました。

 こうした過程を経て宗教的な理想世界のイメージが内在化・後景化した近世では、政治権力の正当性は他界のカミとの関係性ではなく、純然たる現実社会の力学から生み出されることになりました。人間関係の非対称性が、現世内部だけの要因により再生産される時代が到来したわけです。この新たに誕生した幕藩制国家に国制の枠組みと政治的権威を提供したのが天皇でした。天皇を頂点とする身分序列と天皇が授与する官位の体系は、国家水準での秩序を支える最上位の制度として、中世と比較して飛躍的に重みを増すことになりました。

 中世後期には、人の内側だけではなく、自然界にもカミとその働きを見ようとする指向性が強まりました。その思潮を理論的に裏づけたのが本覚思想で、草木から岩石に至るこの世の一切の存在に仏性を見出し、眼前の現実をそのまま真理の現れとして受け入れていこうとする立場は、「草木国土悉皆成仏」という言葉で概念化されて広く流通しました。人以外の生物や「非情(心を持たない)」という分類で把握される草木が人と同じように成仏できるのかという問題は、仏教発祥地のインドでは主要な問題とはならず、初期仏教で最大の関心事は、人はいかに生きるべきか、という問題でした。「草木国土」のような人を取り巻く存在に視線が向けられ、その救済が議論されるようになったのは、アジア東部に定着した大乗仏教においてでした。

 隋代の天台智は「一念三千」という法門を説き、この世界のあらゆる存在に仏性が遍く行き渡っていると論じ、草木や国土の成仏を肯定するための理論的基盤が確立されました。これを万物の成仏という方向に展開したのが平安時代前期の天台僧安然で、初めて「草木国土悉皆成仏」という言葉が生み出され、その延長線上に仏国土=浄土とする本覚思想が開花します。本覚思想では、理想世界は認知不可能な異次元空間に存在したり、現実の背後に隠れたりしているわけではなく、眼前の光景が浄土でした。室町時代には、古い道具が妖怪に変身する付喪神が絵画として表現されるようになりますが、これもそうした時代思潮を背景としていました。

 上述のように、古代において山に神が棲むという観念は一般化していても、山そのものを神とする見方はまだなく、山をまるごと御神体として遥拝する信仰形態の普及は、自然にカミを見出す「草木国土悉皆成仏」の理念が浸透する中世後期になって初めて可能となる現象でした。日本的な自然観の典型とされる山を神とみなす思想は、太古以来の「アニミズム」の伝統ではありませんでした。記紀神話における山の人格化は、人と自然を同次元の存在として、対称性・連続性の関係で把握する発想に基づいていました。人々が山に畏敬の念を抱いても、タマ(霊)が宿っているから山を拝むという発想は、古代には存在しませんでした。一方、神体山の信仰は、カミの自然への内在化という過程を経て出現する、高度に抽象化された中世の思想を背景としていました。「草木国土悉皆成仏」の思想は室町時代の芸術諸分野に広く浸透しました。

 内在するカミという概念は、中世前期には抽象的な理念の段階に留まっており、万人をカミに引き上げる論理として現実に機能することは殆どありませんでした。人のカミへの上昇(ヒトガミ)は、中世前期には聖徳太子など選ばれた人に限られており、それも本地垂迹の論理により彼岸の本地仏との関係で説明され、一般人はまだ救済の対象でした。しかし、中世後期には現実の光景と超越的存在との境目が次第に曖昧化し、現実の人がありのままの姿で仏だと強調され、そうした認識が思想界の主流を占めるようになります。これは、彼岸の超越的存在に媒介されない、新たなヒトガミの誕生を意味します。人は救済者の光を浴びてカミに上昇するのではなく、自らに内在する聖性によりカミになる、というわけです。これは仏教の世界に留まらず、中世後期にはまだ権力者や神官など特殊な人物に限定されているものの、古代の天皇霊とは異なり、人が自らの意志により生きたまま神に上昇できるようになります。神は誰もがじっさいに到達可能な地位とされ、神と人との距離は接近します。こうした思潮を神祇信仰で理論化したのが、吉田神道の祖とされる吉田兼倶でした。

 世俗社会の普通の人が実は神仏の姿そのものとの認識は、聖性発現によりカミへの上昇を目指す宗教的実践の軽視に結びつきました。これにより大きな問題となったのが、信仰の世界への世俗的要素の侵入です。中世において、寺社勢力の組織化と広大な荘園領有といった世俗化が進展した一方で、信仰世界から世俗的要素を締め出そうとする傾向も強くありました。しかし、中世後期における聖俗の緊張関係の弛緩は、信仰の世界への世俗的要素侵入の道を開きました。

 こうした理想世界と現世との一体化は、現実社会を相対化して批判する視点の喪失をもたらしました。中世前期に見られた信仰至上主義と信心の純粋化を目指す運動は、俗権に対する教権の優位を主張するとともに、信仰世界に向けられた権力の干渉の排除を指向しました。支配権力の意義は正しい宗教を庇護することにあり、その任務を放棄すれば、支配権力は正統性を失い、死後には悪道に堕ちることさえ覚悟しなければなりません。中世の文献に多数出現する天皇の堕地獄譚は、そうした思想状況を背景としていました。しかし、根源神が眼前の自然に溶け込んでしまうと、宗教者がカミの権威を後ろ盾としてこの世界の権力を相対化するような戦略は取れなくなりました。浄土が現世と重なりあったため、理想の浄土に照らして現状を批判するという視座も取れませんでした。この世に残ったカミからは、その聖性の水源が枯れてしまったことを意味するわけです。

 彼岸の根源神を背後に持たない日本の神仏には、もはや人々を悟りに導いたり、遠い世界に送り出したりする力はなく、神も仏も人々のこまごまとした現世の願いに丹念に応えていくことに、新たな生業の道を見出していきます。誰もがカミになれるので、より強大な権力を握る人物が、より巨大なカミになる道が開けました。中世前期のように他界の絶対者の光に照らされたカミになるわけではなく、中世後期には自らの内なる光源によりヒトガミが発生しました。その光源には、身分や地位や権力といった世俗的要素が入り込み、やがて主要な地位を占めるに至ります。

 聖俗の境界の曖昧化は、差別の固定化にもつながりました。とくに問題となったのは「穢れ」で、中世には社会の隅々にまで穢れ観念が浸透します。中世前期には、神が垂迹することは万人をはぐくみ助けるためで、本地の慈悲の心が垂迹にまとわりついた習俗としての忌に優先する、と考えられました。平安時代中期以降、女性は穢れた存在との見方が広まり、清浄な山への立ち入りが制限されていきましたが(女人結界)、いわゆる鎌倉仏教の祖師たちは、法然や親鸞のように女人罪障の問題にほとんど論及せず、弥陀の本願による平等の救済を強調するか、道元のように女性固有の罪障や女人結界そのものを否定しました。

 日本における穢れの禁忌は、その対極にある神仏との関係において肥大化し、中世において穢れ意識を増幅させるこの世の神仏とは、彼岸の仏の垂迹に他なりませんでした。禁忌に拘束されない事例は、いずれも垂迹の背後の本地仏=根源的存在の意思が働いたためでした。穢れ意識が拡大し、差別の網の目が社会に張り巡らされるかのように見える中世において、彼岸の根源的存在との間に直結した回路を設けることで、差別を一気に無化していく道筋が承認されていたわけです。しかし、不可視の彼岸世界と絶対的な救済者の現実感が褪色していくにつれて、本地仏の力により差別を瞬時に克服する方途は次第に縮小していき、社会において特定の身分と結びついた穢れと差別意識の固定化につながりました。その延長線上に、社会の穢れを一手に負わされた被差別民が特定の地区に封じ込められ、その刻印を消し去る道がほぼ完全に封じられた、近世社会が到来します。

 中世後期に進展する本源的存在の現実感の希薄化(彼岸の縮小と救済者としての本地仏に対する現実感の喪失)は、人々の関心を再び現世に向かわせます。彼岸の浄土は、もはや人々に共有されることはなく、人々を惹きつけてきた吸引力が失われていきます。近世にも浄土信仰はありましたが、仏の来訪はほとんど問題とされず、超越者からの夢告も重視されなくなり、個人的体験としての来迎仏=生身仏との遭遇が信仰上の価値を失い、仏像などの定型化した形像の役割が再浮上してきます。

 中世前期には、大半の人にとって現世での生活よりも死後の救済の方が切実な意味を持ち、来世での安楽が保証されるなら、この世の生を多少早めに切り上げてもよい、と考えられていました。不安定で流動的な生活と、死の危険に満ちた社会が、現世を相対化する認識の背景にありました。こうした世界観が中世後期に大きく転換する背景として、惣と呼ばれる地縁共同体が各地に生まれ、全構成員により村落運営が決定されるようになったことがあり、人々の土地への定着と、先祖から子孫へと継承される「家」の形成が庶民層まで下降しました。こうして、突然落命する危険性は中世と比較して大きく減少し、この世の生活自体がかけがえのない価値を有している、との見方が広く定着しました。浮世での生活を精一杯楽しみ、死後のことは死期が近づいたら考えればよい、という近代まで継続する新たな世界観と価値観が形成されたわけです。

 この中世後期に起きた世界観の旋回は、人生観だけではなく、死後世界のイメージも大きく転換させました。他界浄土の現実感が失われた結果、死者は遠い世界に旅立たなくなり、死後も懐かしい国土に留まり、生者と交流を継続することが理想と考えられるようになりました。カミだけではなく死者の世界でもこの世への回帰が開始され、冥界が俗世の延長として把握されるようになり、現世的要素が死後世界に入り込んでくるようになります。こうした転換を承けて神や仏が新たな任務として見出したのが、この世に共生する人と死者の多彩な欲求に応えていくことでした。とげ抜き地蔵や縛り地蔵などさまざまな機能を持ったカミが次々と誕生し、「流行神」が生まれては消えていきました。他界への飛翔を実現すべく、垂迹との邂逅を渇望して一直線的に目的地を目指した中世前期の霊場参詣とは異なり、平穏で満ち足りた生活を祈りながら、娯楽を兼ねて複数の神仏を拝む巡礼が、中世後期以降の霊場信仰の主流となります。

 中世前期には、彼岸の浄土とこの世の悪道の二者択一を死者は求められましたが、死後世界のイメージの大きな転換に伴い、そのどちらにも属さない中間領域が出現し、中世後期には急速にその存在感を増していきます。救済がまだ成就しない者たちは山で試練を受けている、といった話が語られるようになります。こうした中間領域など死後世界の世俗化が進み、死後の理想の在り様が生者の願望に引きつけて解釈されるようになり、人がこの世において生死を繰り返すだけで、どこか別の世界に行くことはない、との語りも登場します。仏はもはや人を他界に誘うことも、生死を超えた悟りへと導くこともなく、人が生死どちらの状態でも平穏な生活を送れるよう、見守り続けることが役割となります。

 近世人は、他界浄土の現実感を共有できず、遠い浄土への往生を真剣に願うことがなくなります。近世人にとって、人から人への循環を踏み外すことが最大の恐怖となり、その文脈で地獄など悪道への転落が忌避されました。ただ、いかに彼岸の現世化が進んだとはいえ、檀家制度が機能して仏教が圧倒的な影響力を有していた近世には、死者は仏がいて蓮の花の咲く浄土で最終的な解脱を目指して修行している、という中世以来のイメージが完全に消え去ることはありませんでした。しかし、幕末に向かうにつれて他界としての浄土のイメージがさらに希薄化すると、死後世界の表象そのものが大きく変わり、死者の命運をつかさどる仏の存在がさらに後景化し、ついには死後の世界から仏の姿が消え去ります。こうした世俗化の中で、近世には妖怪文化が開花し、妖怪は現実世界内部の手を伸ばせば触れられるような場所に、具体的な姿形で居住する、と描かれました。

 死者がこの世に滞在し、俗世と同じような生活を送ると考えられるようになると、死者救済の観念も変わっていきます。死者がこの世に留まるのは、遠い理想世界の観念が焼失したからで、死者を瞬時に救ってくれる絶対的な救済者のイメージが退潮していきます。仏はもはや人を高みに導く役割を果たさず、死者を世話するのはその親族でした。中世後期から近世にかけて、死者供養に果たす人の役割が相対的に浮上し、それは「家」が成立する過程と深く連動していました。この動向は支配階層から始まり、江戸時代には庶民層にまで拡大していき、江戸時代後期には裕福な商人層や上層農民からより下層へと降りていきます。死後の生活のイメージも変化し、生者が解脱を求めなくなるのと同様に、死者も悟りの成就を願わなくなり、世俗的な衣食住に満ち足りた生活を理想とするようになります。死者の安穏は遥かな浄土への旅立ちではなく、現実世界のどこかしかるべき地点になりました。「草葉の陰で眠る」というような死者のイメージが、近世には定着していきます。

 親族が死者の供養を継続するには、死者を記憶し続けることが不可欠でした。これにより、死者は次第に生前の生々しい欲望や怨念を振り捨てて、安定した先祖にまで上昇できる、と信じられました。中世には墓地に埋葬者の名が刻まれることはなく、直接記憶する人がいなくなると匿名化しました。死者は、その命運を彼岸の仏に委ねた瞬間に救済が確定するので、遺族が死者の行く末を気にする必要はありませんでした。しかし、遺族が供養を担当するようになると、死者が墓で心地よく眠り続けるために、生者の側がそのための客観的条件を整えねばならなくなります。墓は、朝夕にありがたい読経の声が聞こえる、寺院の境内に建てられる必要がありました。近世初頭には、墓地を守るための多数の寺院が新たに造営されました。さらに、縁者は死者が寂しい思いをしないですむよう、定期的に墓を訪問したり、時には死者を自宅に招いたりしなければなりませんでした。こうした交流を通じて、死者は徐々に神の段階=「ご先祖さま」にまで上昇する、と信じられました。死者は、中世には救済者の力により瞬時にカミに変身しましたが、近世には生者との長い交渉の末にカミの地位に到達しました。

 ただ、全ての死者が幸福な生活を送ったわけではなく、近世でも冷酷な殺人や死体遺棄や供養の放棄など、生者側の一方的な契約不履行は後を絶ちませんでした。そのため、恨みを含んで無秩序に現世に越境する死者も膨大な数になった、と考えられました。こうした恨みを残した人々は、幽霊となって現世に復讐に現れる、と考えられました。中世にも未練を伸してこの世をさまよう死霊はいましたが、大半は権力者のような特別な人物で、その結末は復讐の完結ではなく、仏の力による救済でした。近世には、誰でも幽霊になる可能性があり、その目的は宗教的な次元での救済ではなく、復讐の完遂でした。


●近世から近代へ

 上述のように、近世には誰もが自らの内なる光源によりカミとなれ、それは俗世の身分や権力を強く反映するものでした。近世初頭にまずカミとなったのが最高権力者である豊臣秀吉や徳川家康といった天下人だったことには、そうした背景がありました。天下人に続いて近世において神として祀られたのは、大名や武士でした。近世後期になると、カミになる人々の階層が下降するとともに、下からの運動で特定の人物が神にまで上昇する事例も見られ、その一例が天皇信仰です。以前よりも下層の人物がカミと崇められるようになった事例としては、治水工事などで人柱となった者がいます。人柱は古代にもありましたが、それは多くの場合、神からの供犠の要求でした。一方、近世の人柱は、神に要求されたからではなく、同じ村落などの他者への献身のためでした。また、こうした覚悟の死ではなく、日常の些細な問題を解決してくれた人が、神に祭り上げられることもあり、頭痛や虫歯など多彩な効能を持つヒトガミが各地に出現しました。近世後期には、誰もが状況によりカミとなれる時代で、世俗社会に先駆けて、神々の世界で身分という社会的縛りが意味を失い始めていました。

 幕末には世俗ではとくに他界身分ではない人々がイキガミとされ、そのイキガミを教祖としてさまざまな「民衆宗教」が誕生しました。それは黒住教や天理教や金光教などで、教祖は自ら神と認めていたものの、神としての権威を教祖が独占することはなく、広く信徒や庶民に霊性を見出だそうとしました。こうした理念が直ちに身分制撤廃といった先鋭的な主張に結びつくわけではなく、それぞれの分に応じて勤勉に励むことでより裕福になれる、という論理が展開されました。しかし、神人同体観な基づく人としての平等が主張され、その認識が社会に根づき始めていたことは重要で、富士講に身分を超えた参加者がいることに、幕府は警戒するようになります。

 これと関連して、近世には石田梅岩などにより通俗道徳が庶民層にも流通します。これを封建社会の支配イデオロギーと見ることもできるかもしれませんが、近代社会形成期に特有の広範な人々の主体形成過程を読みとる見解もあります。こうした石門心学などの思想には、人に内在する可能性を認めて社会での発現を是とする、民衆宗教と共通する人間観があり、近世に広く受容された、善としての本性を回復すれば全ての人間が聖人になれると説く朱子学や、人が持つ本源的可能性を肯定し、その回復のための実践を強調する陽明学とも共通していました。自分の職分の遂行により自らを輝かすことが肯定されるような新しい思潮は、近世後期の社会に着実に広がり始めていました。

 一方、誰もが自らの内なる光源でカミに上昇できる、との観念が広く定着した近世後期には、まったく異なる文脈で人をカミに上昇させようとする論理が次第に影響力を増していきました。それは、山崎闇斎に始まる垂加神道と、それに影響を与えた吉田神道が主張する、天皇への奉仕により死後神の座に列なることができる、という思想です。吉田神道や垂加神道では、特定の人物の霊魂に「霊神」・「霊社」号を付与して祀ることが行なわれていました。その系譜から、天皇との関係において人を神に祭り上げる論理が生み出され、実践されていきます。この場合の天皇の聖性は、上述の下からの運動による天皇信仰とは似て非なるものでした。庶民が心を寄せる小さな神々の一つだった天皇とは異なり、垂加神道における天皇は人をカミに上昇させる媒体として位置づけられ、通常の神々を凌ぐ強い威力の存在とみなされました。垂加神道では、肉体は滅びても霊魂は永遠に不滅で、生前の功績により人は神の世界に加わることができ、霊界でも現実世界と同様の天皇中心の身分秩序が形成されていました。天皇に対する献身の度合いによっては、現世の序列を一気に飛び越えることも可能になったわけです。垂加神道は、死後の安心を天皇信仰との関わりにおいて提起した点で、画期的意味を持ちました。

 幕末に向けての、こうしたヒトガミもしくはイキガミ観念の高揚も、民衆宗教と同様に、人の主体性と可能性を積極的に肯定しようとする時代思潮の指標とみなせます。垂加神道では天皇、民衆宗教では土着の神という相違点はありましたが、仏教やキリスト教など外来宗教のカミではなく、日本固有の(と考えられていた)カミが再発見されていくわけです。人々の肯定的な自己認識と上昇指向は、19世紀には幕藩体制下での固定化された身分秩序を負の制約と感じる段階にまで到達していました。現実の秩序を一気に超越しようとする願望は、民衆の深層意識の反映でした。

 こうした時代思潮を背景にした幕末維新の動乱は、単なる政治闘争ではなく、長期間の熟成を経た新たな人間観のうねりが既存の硬直化した身分制度に突き当たり、突き破ろうとする大規模な地殻変動でした。明治維新の原動力として、ペリー来航を契機となる日本の国際秩序への組み入れや、下級武士の役割は重要ではあっても副次的要因にすぎず、幕末維新期の動乱の根底には、多様な階層の人々が抱いていた差別と不平等への不満と、そこからの解放欲求がありました。それは明治時代に、自由民権運動などの民衆運動に継承されていきます。

 幕藩体制崩壊後、ヒトガミ指向が内包していた民衆の能動性を国家側に取り込み、国民国家を自発的に支える均質な「国民」を創出するとことが、新たに誕生した天皇制国家の最重要課題となりました。維新政府の政策は、ヒトガミに祀られることを希望するという形で噴出していた人々の平等への欲求と、新国家の精神的な機軸とされたてんのうに対する忠誠とを結びつけることでした。維新政府は、身分を超えた常備軍=国民軍を創出し、その任務を全うして天皇に命を捧げた者は神として再生し、永遠に人々の記憶に留められる、という招魂社の論理を採用しました。招魂社の源流は長州藩にあり、多様な階層の人々が同じく慰霊されました。これが靖国神社へとつながります。人々の上昇と平等化への欲求が、天皇に対する帰依に結びつけられたわけです。

 上述のように、近世には死者が祖霊となるまで供養を続けることが、慰霊の必須要件でしたが、幕末になっても独自の「家」を形成できない身分・階層は多く、そうした人々が、近代国家では天皇のために死ぬことにより、国家の手で神として検証されるわけです。靖国神社は、近世以来のヒトガミ信仰の系譜を継承しながら、近代天皇制国家に相応しい装いで誕生しました。近代天皇制国家において、天皇は民衆を神に変える唯一の媒体である必要があり、近世の国学で提唱され広がった、身分を超えて人々を包摂する特別の地としての「皇国」観念が、そうした方向を裏打ちしました。そのため、元首や統治機構の世俗化を伴う近代国民国家形成の一般的傾向とは対照的に、日本において君主たる天皇の地位が色濃い宗教性を帯びることになりました。近代天皇制国家の宗教性の背景として、日本社会の後進性(成熟した市民社会の不在)に原因を求める見解もありましたが、日本でもヨーロッパでも近代国家成立期の時代背景にあったのは、身分制に対する大衆水準での強い厭悪感情であり、発展段階の差異というよりは、国民国家に向けての二つの異なる道筋と把握できます。

 近代天皇制国家は、人をヒトガミへと引き上げるもう一つの装置である民衆宗教を、淫祠邪教として排撃することで、民衆聖別の権限を独占しようとしました。とくに、大本教や金光教など、天照大神を中核とする天皇制の世界観とは異なる神々の体系を持つ教団に対する圧迫は徹底していました。近代日本ではその当初より、ヒトガミ信仰に現出する民衆の主体性を根こそぎ国家側に搦め捕ろうとする政府と、国家によるヒトガミ創出の占有に抵抗する民衆宗教など在野勢力との激しい綱引きが続きました。

 近代西欧において、世俗権力相対化の役割を果たしたのがキリスト教で、中世から近代の移行に伴って宗教は政治の表舞台から姿を消し、私的領域を活動の場とするようになりました。しかし、その機能は近代社会において「国家権力の犯しえぬ前国家的な個人の基本権」として継承され、発展させられていきました。個々人が最も深い領域で超越的価値(レヒト)とつながっており、それはいかなる権力者にとっても不可侵の聖域でした。近代日本では、現人神たる天皇を何らかの形で相対化できる独立した権威は存在しませんでした。当時、天皇を本当に神とは思っていなかった、との証言は多いものの、表向きには天皇は現人神として神秘化され、その名を用いれば誰も異論を挟めないような客観的状況がありました。天皇の命と言われれば、生命を惜しむことさえ許されませんでしたし、どの宗教団体も、天皇の御稜威を傷つけることは許されず、その権威の風下に立たざるを得ませんでした。

 この背景には、上述のように中世から近世の移行期に起きた宗教勢力の徹底した解体と、宗教的権威の政治権力に対する屈伏がありました。日本は、神や教会の権威そのものが根底から否定されたわけではないヨーロッパとは異なる、というわけです。江戸時代後期から幕末には、幕府などが分担していた政治的権力と権威の一切を天皇に集中するよう、国学者などは目指しました。支配秩序の頂点に立つ天皇を正当化するうえで最も重要とされたのは、外在する超越的存在ではなく、神代以来の系譜を汲む神孫としての天皇自身が見に帯びた聖性でした。こうして、現人神たる天皇が聖俗の権威を独占して君臨する「神国」日本の誕生は準備されました。「神国」の概念はすでに中世で用いられていましたが、それは、仏が遠い世界の日本では神の姿で現れたから、という論理でした。同じ「神国」でありながら、近代のそれは彼岸の超越的存在の前に天皇の機能が相対化されていた中世のそれとは、まったく構造を異にするものでした。

 上述のように、中世にはこの世から分離していた他界が、再びこの世に戻ってきます。この点で古代と近世は同じですが、曖昧な境界のまま死者と生者が混在していた古代に対して、近世では死者と生者の世界が明確に区分され、両者の交渉儀式が事細かに定められました。上述のように、子孫による死者の供養は死者が「ご先祖さま」になるために必須で、祖先の近代天皇制国家も近世以来のこの死者供養を抑圧できず、「ヤスクニの思想」に全面的に吸収しようと試みます。

 中世から近世にかけて世俗社会への転換をもたらしたのは幕府や諸藩で導入された儒学だった、との見解もありますが、因果関係は逆で、現世一元論的な世界観が定着する過程で、それに適合的な生の哲学としての儒学が注目されていった、と考えるべきでしょう。その儒学の大きな問題は、当時の大半の日本人が納得できる死後世界のイメージを提示できなかったことです。日本儒学で大きな影響力を有した朱子学では、人の体は宇宙を構成する「気」の集合により構成され、死ぬとその「気」は離散してその人物の痕跡はやがて完全に消滅し、死後も霊魂は残るものの、遠からず先祖の霊の集合体と一体化する、と考えられました。これは、一部の知識人に受け入れられることはあっても、大衆に広く重用されることは不可能でした。儒学者たちもこの致命的な弱点に気づき、教理の修正を図るものの、仏教が圧倒的に大きな影響力を有する近世において、習俗の水準で大衆の葬送文化に入り込むことは容易ではありませんでした。

 近世の現世主義に対応する体系的な死生観は、仏教以外では国学の系譜から生まれました。とくに大きな役割を果たしたのは平田篤胤で、平田は死後の世界として大国主神が支配する「幽冥」界を想定し、「幽冥」は極楽浄土のように遠い場所にあるのではなく、湖のイ(顕世)と重なるように存在しており、この世から幽冥界を認知できなくとも、暗い場所から明るいところはよく見えるように、幽冥界からこの世はよく見える、と説明しました。平田の想定する幽冥界は、宗教色がきわめて薄く、この世の延長のような場所でした。


●神のゆくえ

 本書はまとめとして、こうした日本におけるカミ観念の変化の原因として、個別的事件や国家の方針転換や外来文化の導入などもあるものの、最も根源的なものは、日本の精神世界の深層で進行した、人々が共有する世界観(コスモロジー)の旋回だった、と指摘します。また本書は、社会構造の変動に伴う世界観の変容が日本列島固有ではなく、さまざまな違いがありつつも、世界の多くの地域で共通する現象であることを指摘します。一回限りの偶然の出来事や外来思想・文化の影響がカミの変貌を生み出すのではなく、社会の転換と連動して、精神世界の奥底で深く静かに進行する地殻変動が、神々の変身という事件を必然のものとする、というわけです。

 「仏教」や「神道」の思想は、基本ソフトとしての世界観によりそのあり方を規定される応用ソフトのような存在だった、と本書は指摘します。これまで、日本列島の思想と文化変容の背景として、仏教の受容が現世否定の思潮を生み出した、中世神話形成の背景に道教があった、ヒトガミ信仰を生み出したのは吉田神道だった、などといった見解が提示されてきました。しかし本書は、この説明の仕方を逆だと指摘します。初めに基本ソフトとしての世界観の変容があり、それが応用ソフトとしての個別思想の受容と展開の在り方を規定する、というわけです。たとえば、日本における初期の仏教受容では、仏教の霊威は全て超人的な力(霊験)で、その威力の源は神と同じく「清浄」性の確保で、悟りへの到達=生死を超えた救いという概念がまったく見られず、この世と次元を異にする他界を想定できない、古代の一元的世界に規定されていました。仏教の因果の理法も人の生死も、この世界の内部で完結し、真理の覚醒といった概念が入り込む余地はありません。

 また本書は、仏教受容が現世否定の思潮を生み出し、浄土信仰を高揚させたわけではない、と指摘します。世界観の展開が大乗仏教の本来の形での受容を可能として、伝統的な神のあり方を変化させた、というわけです。日本の神を日本列島固有の存在と主張しても、それ自体は無意味な議論ではないとしても、そこに神をより広い舞台に引き出すための契機を見出すことはできず、方法としての「神仏習合」も同様です。日本の神を世界とつなげるためには、神を読み解くためのより汎用性の高いフォーマットが求められます。本書は、そうしたフォーマットを追求しています。

 より広く世界を見ていくと、街の中心を占めているのは、神仏や死者のための施設です。それは日本列島も同様で、縄文時代には死者が集落中央の広場に埋葬され、有史時代にも寺社が都市の公共空間の枢要に長く位置していました。現代日本は日常の生活空間から人以外の存在を放逐してしまいましたが、前近代には、人々は不可視の存在や自身とは異質な他者に対する生々しい実在感を共有していました。上述のように、超越的存在と人との距離は時代と地域により異なりましたが、人々はそれらの超越的存在(カミ)の眼差しを感じ、その声に耳を傾けながら暮らしていました。カミは社会システムが円滑に機能するうえで不可欠の役割を担っており、定期的な法会や祭礼は、参加者の人間関係と社会的役割を再確認し、構成員のつながりの強化機能を果たしました。

 人の集団はいかに小さくとも、内部に感情的な軋轢や利害対立が起きます。共同体の構成員は、宗教儀礼を通じてカミという他者への眼差しを共有することで、構成員同士が直接向き合うことから生じるストレスと緊張感を緩和しようとしました。中世の起請文のように、誰かを裁くさいに、人々がその役割を超越的存在に委ねることにより、処罰することに伴う罪悪感と、罰した側の人への怨念の循環を断ち切ろうとしました。カミは人同士の直接的衝突回避のための緩衝材の役割を果たしていました。これは個人間だけではなく、集団間でも同様です。人間中心主義を土台とする近代社会は、カミと人との関係を切断し、人同士が直接対峙するようになります。近代の人間中心主義は人権の拡大と定着に大きく貢献しましたが、個人間や集団間や国家間の隙間を埋めていた緩衝材の喪失も意味します。それは、少しの身動きがすぐに他者を傷つけるように時代の開幕でもありました。

 カミの実在を前提とする前近代の世界観は、人々の死生観も規定していました。現代では、生と死の間に一線を引ける、と考えられています。ある一瞬を境にして、生者が死者の世界に移行する、というわけです。しかし、こうした死生観は、人類史では近現代だけの特殊な感覚でした。前近代では、生と死の間に、時空間的にある幅の中間領域が存在する、と信じられていました。呼吸が停止してもその人は亡くなったわけではなく、生死の境界をさまよっている、と考えられたわけです。その期間の周囲の人々の言動は、背景にある世界観と死生観に強く規定されました。日本列島では、身体から離れた魂が戻れない状態になると死が確定すると考えられており、遊離魂を体内に呼び戻すことにより死者(呼吸の停止した者)を蘇生しようとしました。中世には不可視の理想世界(浄土)が人々に共有され、死者を確実に他界に送り出す目的で追善儀礼が行なわれました。近世には、死者が遠くに去ることなく、いつまでも墓場に住むという感覚が強まり、死者が現世で身にまとった怒りや怨念を振り捨て、穏やかな祖霊へと上昇することを後押しするための供養が中心となりました。

 前近代には、生者と死者は交流を続けながら同じ空間を共有しており、生と死が本質的に異なる状態とは考えられていませんでした。死後も親族縁者と交歓できるという安心感が社会の隅々まで行き渡ることにより、人は死の恐怖を乗り越えることが可能となりました、死は全ての終焉ではなく、再生に向けての休息であり、生者と死者との新たな関係の始まりでした。しかし、死者との日常的な交流を失った現代社会では、人はこの世だけで完結することになり、死後世界は誰も入ったことのない闇の風景と化しました。近代人にとって、死とは現世と切断された孤独と暗黒の世界です。現代日本社会において、生の質を問うことがない、延命を至上視する背景には、生と死を峻別する現代固有の死生観があります。

 これまでに存在したあらゆる民族と共同体にはカミが存在し、不可視のものに対する強い現実感が共同体のあり方を規定していたので、前近代の国家や社会の考察には、その構成要素として人を視野に入れるだけでは不充分です。人を主役とする近代欧米中心の「公共圏」に関わる議論を超えて、人と人を超える存在とが、いかなる関係を保ちながら公共空間を作り上げているのか、明らかにできるかが重要です。これまでの歴史学で主流だった、人による「神仏の利用」という視点を超えて、人とカミが密接に関わりあって共存する前近代の世界観の奥深くに錘鉛を下し、その構造に光を当てていくことが必要です。

 現在、日本列島も含めて世界各地で、現実社会の中に再度カミを引き戻し、実際に機能させようとする試みが始まっているようです。北京の万明病院では、「往生堂」という一室が設けられ、重篤な状態に陥った患者が運ばれ、親族の介護を受けながら念仏の声に送られるというシステムが作り上げられており、敷地内の別の一室では、遺体を前に僧侶を導師として多くの人々が念仏を称え、その儀式は数日間続けられます。一方現代日本の多くの病院では、霊安室と死者の退出口を人目のつかない場所に設けることで、生と死の空間が截然と区別されていますが、臨床宗教師の育成が多くの大学で進められています。

 息詰まるような人間関係の緩衝材として、新たに小さなカミを生み出そうとする動きも盛んです。1990年代以降の精神世界探求ブームはそうでしたし、ペットブームもその無意識の反映と考えられます。現代日本で多く見られるゆるキャラも、現代社会の息詰まるような人間関係の緩衝材で、心の癒しと考えられます。現代日本社会におけるゆるキャラは、小さなカミを創生しようとする試みかもしれません。欧米諸国と比較すると、日本は今でも自然とカミとの連続性・対称性を強く保持する社会です。現代人は、近代草創期に思想家たちが思い描いたような、直線的な進化の果てに生み出された理想社会にいるわけではありません。近代化は人類にかつてない物質的な繁栄をもたらした一方で、昔の人が想像できなかったような無機質な領域を創り出しました。現在の危機が近代化の深まりの中で顕在化したのならば、人間中心の近代を相対化できる長い間隔のなかで、文化のあり方を再考していく必要があります。

 これは、前近代に帰るべきとか、過去に理想社会が存在したとかいうことではありません。どの時代にも苦悩と怨嗟はありましたが、現代社会を見直すために、近代をはるかに超える長い射程の中で、現代社会の歪みを照射していくことが重要になる、というわけです。これまでの歴史で、カミは人にとって肯定的な役割だけを果たしてきたわけではなく、カミが人を支配する時代が長く続き、特定の人々に拭い難い「ケガレ」のレッテルを貼って差別を助長したのもカミでした。カミの名のもとに憎悪が煽られ、無数の人々が惨殺される愚行も繰り返されてきました。人類が直面している危機を直視しながら、人類が千年単位で蓄積してきた知恵を、近代化により失われたものも含めて発掘していくことこそ、現代人に与えられている大切な課題かもしれません。


参考文献:
佐藤弘夫(2021)『日本人と神』(講談社)


https://sicambre.at.webry.info/202110/article_16.html  


夢を諦めない。サン・プラザホームの夢をプラスする家「+Dream(プラスドリーム)」
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雑記帳
2019年07月06日
佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_14.html

https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%A5%9E%E5%9B%BD%E3%80%8D%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E8%A8%98%E7%B4%80%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%B8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%BC%98%E5%A4%AB/dp/4065121264


 講談社学術文庫の一冊として、2018年6月に講談社より刊行されました。本書の親本『神国日本』は、ちくま新書の一冊として2006年4月に筑摩書房より刊行されました。以前、当ブログにて本書を取り上げましたが、制限字数の2万文字を超えてしまったので、前編と後編に分割しました。今週(2019年7月2日)、ウェブリブログの大規模メンテナンスおよびリニューアルにより、制限文字数が約13万文字に増えたので、記事を一つにまとめることにしました。以下、本文です。


 本書の親本を刊行直後に購入して読み、たいへん感銘を受けたので、何度か再読したくらいです。その後、また再読しようと思っていたところ、講談社学術文庫として文庫版後書が付け加えられて刊行されたことを知り、購入して読み進めることにしました。しっかり比較したわけではないのですが、本文は基本的に親本から変更はないようです(誤字の訂正はあるかもしれませんが)。以前、本書を改めて精読したうえで、当ブログで詳しく取り上げるつもりだ、と述べたので(関連記事)、この機会に以下やや詳しく本書の内容について述べていきます。


 本書はまず、現代日本社会における神国・神国思想の認識について論じます。現代日本社会では、神国思想についてある程度共通の認識はあるものの、その内実には揺らぎもあり、何よりも、好きか嫌いか、容認か否定かという立場が前提となって議論が展開されています。しかし、日本=神国の主張が実際にいかなる論理構造なのか、立ち入った考察がほとんどない、と本書は指摘します。神国思想の内容は議論の余地のないほど自明なのか、と本書は問題提起します。神国思想の論理を解明すべき学界では、神国思想は当初、公家政権側が自己正当化のため唱えた古代的思想と評価され、その後、鎌倉時代の公家政権を中世的とみなす見解が有力となり、神国思想も中世的理念と規定されました。しかし、神国思想が古代的か中世的かといった議論はあっても、それぞれの特色についてはまだ統一的見解が提示されていない、と本書は指摘します。本書は、まず現代日本社会における神国・神国思想についての認識を概観し、その認識への疑問を提示した後に、鎌倉時代を中心に神国思想の形成過程と論理構造を解明し、古代とどう異なるのか、鎌倉時代に確立した後はどう展開していったのか、展望します。

 近代の神国思想を代表するのは『国体の本義』で、神としての天皇を戴く日本は他の国々や民族を凌ぐ万邦無比の神聖国家とされました。天皇とナショナリズムこそ近現代日本社会における神国・神国思想認識の核心です。その『国体の本義』は、神の子孫故に外国(異朝)と異なる、との『神皇正統記』の一節を引用します。『神皇正統記』はまず、次のように説明します。この世界(娑婆世界)の中心には須弥山があり、その四方には四大陸が広がっていて、南の大陸を贍部と呼びます。贍部の中央に位置するのが天竺(インド)で、震旦(中国)は広いといっても、天竺と比較すれば「一片の小国」にすぎません。日本は贍部を離れた東北の海中にあります。日本は、釈迦の生まれた天竺からはるかに隔たった辺境の小島(辺土粟散)にすぎない、というわけです(末法辺土思想)。こうした理念は、末法思想の流行にともない、平安時代後期には社会に共有されました。

 13世紀後半のモンゴル襲来を契機に台頭する神国思想と末法辺土思想は、真っ向から対立する、との見解が学界では主流でした。神国思想は、末法辺土思想を克服するために説かれたのだ、というわけです。それは、「神道的優越感」による「仏教的劣等感」の「克服」と解釈されました。しかし、中世における神国思想の代表とされる『神皇正統記』にしても、日本を辺土粟散と位置づけていました。本書は、神国思想が外国を意識してのナショナリズムだったのか、疑問を呈します。神国思想のもう一つの核である天皇も、中世には儒教的徳治主義や仏教の十善の帝王説の立場から相対化されており、天皇を即自的に神聖な存在とする『国体の本義』とは異なります。

 神国思想の解明にさいしてまず重要なのは、日本における神です。日本の神は現代では、日本「固有」もしくは「土着」の存在として認識されています。しかし、古代と現代とでは、神のイメージは大きく異なります。次に、神国思想を「神道」の枠内にとどめず、より広い思想的・歴史的文脈で見ていかねばなりません。日本を神国とする主張は日本の神祇(天神地祇=天地のあらゆる神々)の世界と密接不可分ですが、中世において圧倒的な社会的・思想的影響力を有していたのは仏教でした。また、陰陽道・儒教など多様な宗教世界の全体的構図を視野に入れねばなりません。こうした視点から、本書は中世、とくに院政期と鎌倉時代を中心に、古代から現代にいたる神国思想の変遷とその論理構造を解明していきますが、その前に、そうした変遷と論理構造の前提となった世界観の変容が解説されます。


 本書は、古代における天皇号の確立を重視します。これにより、ヤマト政権の大王とは隔絶した権威が確立され、天皇が神聖化されるにともない、天照大神を頂点とする神々と神話の体系的秩序が形成されました。じゅうらいは、各氏族がそれぞれ神話と祖先神を有していました。律令体制の変容(本書では古代的な律令制支配の「解体」と表現されています)にともない、平安時代後半には、国家の支援を期待できなくなった大寺院が、摂関家や天皇家といった権門とともに荘園の集積を積極的に進め、古代から中世へと移行していきます。有力神社も、荘園を集積したり、不特定多数の人々に社参や参籠を呼びかけたりするようになります。律令制のもとで神社界の頂点にあった伊勢神宮も、御師が日本各地を回り、土地の寄進を募っていました。

 こうした変動は、伊勢神宮を頂点とする神々の序列にも影響を与えました。国家から以前のような保護を受けられなくなった代わりに、相対的に自立した各神社は、浮沈存亡をかけて競争するようになります。日吉神社を中心とする山王神道関係の書物では、山王神こそ日本第一の神と主張され、公然と天照大神を頂点とする既存の神々の秩序に挑戦しました。本書はこうした状況を、神々の世界における自由競争・下剋上と表現しています。春日社(春日大明神)や熊野本宮や石清水八幡宮なども、既存の神々の秩序に挑戦しました。伊勢神宮でも、経済力をつけてきた外宮が、天照大神を祭る内宮の権威に挑戦します。

 こうした神々の世界における自由競争・下剋上的状況で、天照大神というか伊勢神宮内宮の側も、「自由競争」に参加せざるを得なくなります。しかし本書は、これは天照大神にとって悪いことばかりではなかった、と指摘します。かつての天照大神は諸神の頂点に位置づけられていたものの、非皇族が参詣することも幣帛を捧げることも認められておらず、貴族層の間ですら詳しくは知られていませんでした。確固たる秩序の古代から「自由競争」の中世へと移行し、天照大神は伊勢神宮内宮の努力により、日本において広範な支持・基盤を得るようになります。人々の祈願に気軽に声を傾けるようになった天照大神の一般社会における知名度は、古代よりも飛躍的に上昇します。こうした神の性格の変化は天照大神だけではなく、程度の差こそあれ、どの有力神でも同様でした。有力な神々は、各氏族(天照大神の場合は皇族)の占有神から開かれた「国民神」としての性格を強めていった、というわけです。

 このように中世に神々の性格が変容するにつれて、神々は主権者として特定の領域に君臨し、排他的・独占的に支配する存在と主張されるようになります。寺院でも、寺領荘園が「仏土」と称されるようになります。こうした寺社領への侵犯は、仏罰・神罰として糾弾されました。古代にも一定の領域を神の地とする観念は存在しましたが、あくまでも抽象的・観念的で、中世のように可視的な境界線と具体的な数値で示されるものではありませんでした。さらに、古代と中世以降とでは、神への印象が大きく異なっていました。古代の神は常に一定の場所にいるわけではなく、人間の都合だけで会える存在ではありませんでした。古代の神は基本的に、祭りなど特定の期間にだけ祭祀の場に来訪し、それが終わればどこかに去ってしまうものでした。神が特定の神社に常駐するという観念が広く社会に定着するのは、せいぜい律令国家形成期以降でした。一方、中世の神は遊行を繰り返す存在ではなく、常に社殿の奥深くにあって現世を監視し続け、神社やその領地の危急時には、老人・女性・子供などの具体的姿で現世に現れて人々に指示をくだす存在でした。中世の神々は、人々に具体的な姿で現れ、信仰する者には厚い恩寵を与え、自らの意思に反する者には容赦ない罰をくだす、畏怖すべき存在でしたが、全知全能の絶対者ではなく、多彩で豊かな情感を有し、時には神同士の戦闘で傷つき、弱音を吐くこともありました。


 このように、古代と中世とでは、神の性格が大きく変容します。本書は次に、そうした変容がいかなる論理・契機で進行したのか、解説します。神祇界における古代から中世への移行で重要なのは、上述した国家的な神祇秩序の解体と神々の自立でしたが、もう一つ重要なのは、仏教との全面的な習合でした。主要な神々はすべて仏の垂迹とされ、仏教的なコスモロジーの中に組み込まれました。中世の神国思想は、こうした濃密な神仏混淆の世界から生まれました。仏教伝来後しばらく、神と仏が相互に内的な関係を結ぶことはありませんでした。朝廷の公的儀式でも、仏教は原則として排除されていました。しかし、奈良時代になると、日本の神々が仏法の守護神(護法善神)として位置づけられ、神社の周辺に神宮寺と呼ばれる寺院が建立されるようになります。神は煩悩に苦しむ衆生の一人として仏教に救済を求めていた、と信じられるようになります。

 しかし、この時点での主役はあくまでも神社に祀られた神で、寺院はまだ神を慰めるための付随的な施設にすぎませんでした。平安時代後半以降、神宮寺と神社の力関係は逆転します。王城鎮守としての高い格式を誇る石清水八幡宮では、元々はその付属寺院(神宮寺)にすぎなかった護国寺が逆に神社を支配するようになります。日吉社と延暦寺、春日社と興福寺、弥勒寺と宇佐八幡宮などのように、伊勢神宮を除く大規模な神社の大半が寺家の傘下に入り、その統制に服するようになります。こうした神社と寺院の一体化が進行するなか、思想的な水準でも神と仏の交渉が著しく進展します。神仏を本質的には同一とし、神々を仏(本地)が日本の人々の救済のために姿を変えて出現したもの(垂迹)とする本地垂迹説が、日本全域に浸透し、各神社の祭神は菩薩・権現と呼ばれるようになります。鎌倉時代には、ほとんどの神の本地が特定され、天照大神の本地は観音菩薩や大日如来とされました。


 平安時代に本地垂迹説が日本を席巻した背景として、10世紀頃から急速に進展する彼岸表象の肥大化と浄土信仰の流行がありました。死後の世界(冥界・他界)の観念は太古よりありましたが、平安時代前半まで、人々の主要な関心はもっぱら現世の生活に向けられており、来世・彼岸はその延長にすぎませんでした。しかし、平安時代半ば以降、しだいに観念世界に占める彼岸の割合が増大し、12世紀には現世と逆転します。現世はしょせん仮の宿で、来世の浄土こそ真実の世界なのだから、現世の生活のすべては往生実現のために振り向けられなければならない、との観念が定着しました。古代的な一元的世界にたいする、他界─此土の二重構造を有する中世的な世界観が完成したわけです。当時、往生の対象としての彼岸世界を代表するのは、西方の彼方にあると信じられていた、阿弥陀仏のいる西方極楽浄土でした。しかし、それに一元化されているわけではなく、観音菩薩の補陀落浄土・弥勒菩薩の兜率浄土・薬師仏の浄瑠璃世界・釈迦仏の霊山浄土などといった、多彩な他界浄土がありました。とはいえ、真実の世界たる彼岸の存在という確信は、どれも変わりませんでした。

 浄土往生に人生究極の価値を見出した平安時代後半以降の人々にとって、どうすればそれを実現できるのかが、最大の関心事でした。法然の出現前には、念仏を唱えれば往生できるといった簡単な方法はなく、試行錯誤が続いていました。そうした中で、最も効果的と考えられていたのは、垂迹たる神への結縁でした。平安時代後半から急速に普及する仏教的コスモロジーにおいて、日本は此土のなかでも中心である天竺から遠く離れた辺土と位置づけられました。しかも、平安時代後半には末法の世に入った、と信じられていました。こうした中で、末法辺土の救済主として垂迹が注目されるようになります。垂迹たる神が平安時代後半以降の日本に出現したのは、末法辺土の衆生を正しい信仰に導き、最終的には浄土へ送り届けるためでした。そのため、垂迹のいる霊地・霊場に赴いて帰依することが、往生への近道と考えられました。

 仏との親密化・同体化にともない、日本の伝統的な神々は仏教の影響を受け、その基本的な性格が大きく変容していきます。上述したように、日本の神は、律令国家成立の頃より、定まった姿を持たず、祭祀の期間にだけ現れ、終わると立ち去るような、気ままに遊行を繰り返す存在から、一つの神社に定住している存在と考えられるようになりました。律令国家は、天皇をつねに守護できるよう、神を特定の場所に縛りつけました。また、かつては定まった姿を持たない神が、9世紀になると、仏像にならって像を作られるようになります。このように、律令国家成立の頃よりの神の大きな変化として、可視化・定住化の進展が挙げられます。

 もう一つの神の重要な変化は「合理化」です。かつて神々が人間にたいして起こす作用は、しばしば「祟り」と呼ばれ、その時期と内容、さらにはどの神が祟りを下すのかさえ、人間の予知の範囲外とされました。祟りを鎮めるためには、いかに予測不能で非合理な命令でも、神の要求に無条件に従うしかありませんでした。しかし、平安時代半ば頃から、神と人間の関係は変容し始めます。たとえば、返祝詞の成立です。朝廷からの奉献された品々を納受とそのお返しとしての王権護持からは、もはや神が一方的に人間に服従を求める立場にはないことを示しています。神々は人間にとって「非合理的的」存在から「合理的」存在へと変容したわけです。神々の「合理化」は、神の作用を「祟り」から「罰」と表現するようになったことからも窺えます。罰は賞罰という組み合わせで出現する頻度が高く、賞罰の基準は神およびその守護者たる仏法にたいする信・不信でした。神が初めから明確な基準を示しているという意味で、罰と祟りは異質です。神が人間にたいして一方的に(しばしば「非合理」的な)指示を下す関係から、神と人間相互の応酬が可能な関係へと変容したわけです。こうした神々の「合理化」の背景として、本地垂迹説の定着にともなう神仏の同化がありました。本地垂迹説は、単に神と仏を結びつけるのではなく、人間が認知し得ない彼岸世界の仏と、現実世界に実在する神や仏や聖人とを結合する論理でした。救済を使命とする彼岸の仏(本地)と、賞罰権を行使する此土の神・仏・聖人(垂迹)という分類です。垂迹たる神は自らが至高の存在というわけではなく、仏法を広めるために現世に派遣されたので、その威力も神の恣意によるものではなく、人々を覚醒させるために用いられるべきものでした。神の「合理化」はこうして進展しました。古代ローマでも、当初の神は「理不尽」で「非合理的な」存在でした。

 本地垂迹説の流布は、仏と神がタテの関係においてのみならず、ヨコの関係においても接合されたことを意味します。垂迹たる現世の神・仏・聖人の背後には本地たる仏・菩薩がいますが、その本地も究極的には全宇宙を包摂する唯一の真理(法身仏)に溶融するものと考えられていました。個々の神々も本質的には同一の存在というわけです。法身仏の理念は、「神々の下剋上」的風潮において、完全な無秩序に陥ることを防ぐという、重要な機能を果たしました。仏教的な世界像では、現実世界(娑婆世界)の中心には須弥山がそびえ、その上空から下に向かって、梵天・帝釈天・四天王の住む世界があり、その下に日本の神々や仏像が位置づけられていました。日本の神は聖なる存在とはいっても、世界全体から見ればちっぽけな日本列島のごく一部を支配しているにすぎません。また、こうした序列のなかで、仏教や日本の神祇信仰だけではなく、道教の神々も取り入れられ、その順位は日本の神仏よりも上でした。それは、道教的な神々が日本の神仏よりも広範な地域を担当していたからでした。中世の神々の秩序においては、仏教から隔離された純粋な神祇世界に、相互の結合と神々の位置を確認するための論理は見出されませんでした。中世において、日本の神々は仏教的世界観の中に完全に身を沈めることで初めて、自らの安定した地位を占められました。こうして、天照大神を頂点とする強く固定的な上下の序列の古代から、神々が横一線で鎬を削りつつ、仏教的な世界観に組み入れられ、ゆるやかに結合した中世へと移行します。


 こうした古代から中世への思想状況の変容を背景に、本書は古代と中世の神国思想の論理構造と違いを解説していきます。『日本書紀』に初めて見える神国観念は、神国内部から仏教などの外来要素をできるだけ排除し、神祇世界の純粋性を確保しようとする指向性を有している、イデオロギー的色彩の濃厚なものでした。これには、新羅を強く意識した創作という側面も多分にあります。一方、院政期の頃より、神の国と仏の国の矛盾なき共存を認める神国観念が浮上します。仏教の土着化と本地垂迹説の普及を背景として、神仏が穏やかに調和する中世的な神国思想の出現です。

 『日本書紀』の時点では神国観念はそれほど表面に出ておらず、神国という用語が初めてまとまりをみって出現するのは9世紀後半で、その契機は新羅船の侵攻でした。古代の神国思想は、新羅を鏡とすることで確定する領域でした。その後、平安時代中期に日本の観念的な領域(東は陸奥、西は五島列島、南は土佐、北は佐渡の範囲内)が確定し、神国もこの範囲に収まりました。この範囲は、後に東方が「外が浜」へ、西方が「鬼界が島(現在の硫黄島?)」へと移動(拡大)したものの、基本的にはずっと維持されました。もっとも、これらの範囲は近現代のような明確な線というよりは、流動的で一定の幅を有する面でした。また、こうした日本の範囲は、濃厚な宗教的色彩を帯びていました。この範囲を日本の前提として、奈良時代から9世紀後半までの神国観念は、天照大神を頂点とし、有力な神々が一定の序列を保ちながら、天皇とその支配下の国土・人民を守護する、というものでした。本書はこれを「古代的」神国思想と呼んでいます。古代的神国思想の特徴は、仏教的要素が基本的にはないことです。古代において、公的な場での神仏分離は徹底されており、むしろ平安時代になって自覚化・制度化されていきました。

 古代的神国観念から中世的神国観念への移行で注目されるのは、院政期の頃より日本を神国とする表現が急速に増加し始めることです。神国は、古代の神国思想では、天照大神を頂点とする神々により守護された天皇の君臨する単一の空間が、中世の神国思想では、個々の神々の支配する神領の集合体が想定されていました。また、古代では一体とされていた「国家」と天皇が中世には分離します。中世の神国思想の前提には、上述の本地垂迹説がありました。彼岸と此岸の二重構造的な世界観を前提とし、遠い世界の仏が神として垂迹しているから日本は神国なのだ、という論理が中世の神国思想の特色でした。つまり、古代の神国思想とは異なり、中世の神国思想では仏は排除されておらず、むしろ仏を前提として論理が構築されていました。

 その意味で、上述した、神国思想は平安時代後期から広まった仏教的世界観に基づく末法辺土意識を前提として、その克服のために説きだされた、との近現代日本社会における認識は根本的に間違っています。日本が末法辺土の悪国であることは、本地である仏が神として垂迹するための必要条件でした。神国と末法辺土は矛盾するわけでも相対立するわけでもなく、相互に密接不可分な補完的関係にありました。中世の神国思想は、仏教が日本に土着化し、社会に浸透することにより、初めて成立しました。

 また、中世的神国思想は、モンゴル襲来を契機として、ナショナリズムを背景に高揚し、日本を神秘化して他国への優越を強く主張する、との近現代日本社会における認識も妥当ではありません。まず、日本の神祇を仏教的世界観に包摂する論理構造の神国思想は、国土の神秘化と他国への優越を無条件に説くものではなく、むしろ普遍的真理・世界観と接続するものでした。また、釈迦も孔子や日本の神々や聖徳太子などと同様に他界から派遣された垂迹であって、本地仏とは別次元の存在でした。中世的神国思想は、日本とインド(天竺)を直結させ、中国(震旦)を相対化するものではありませんでした。本地垂迹説の論理は、娑婆世界(現世)の二地点ではなく、普遍的な真理の世界と現実の国土を結びつけるものでした。ただ、中世の神国思想に、日本を神聖化し、他国への優越を誇示する指向性があり、鎌倉時代後半からそれが強くなっていったことも否定できません。しかし本書は、神国思想が仏教的理念を下敷きにしていたことの意義を指摘します。

 日本は天竺・震旦とともに三国のうちの一国として把握され、日本が神国であるのは、たまたま仏が神として垂迹したからで、天竺と震旦が神でないのは、神ではなく釈迦や孔子が垂迹したからでした。そのため、日本の聖性と優越が強調されたとしても、それは垂迹の次元でのことでした。日本に肩入れする神仏は垂迹で、日本と敵対する国にも垂迹はいました。垂迹たちの背後には共通の真理の世界が存在し、その次元ではナショナリズム的観念には意味がありませんでした。中世の僧侶が日本を礼賛して日本の神仏の加護を願いつつ、たびたび震旦・天竺行きを志したのも、本地垂迹説の「国際的な」世界観が前提としてあったからでした。上述した、『神皇正統記』における、日本神国で他国(異朝)とは異なる、との主張も、単純に日本の優越性を説いたものではなく、本地としての仏が神として垂迹し、その子孫が君臨しているという意味での「神国」は日本だけだ、と主張するものでした。『神皇正統記』では、日本賛美傾向もあるものの、日本が広い世界観の中に客観的に位置づけられており、その日本観はかなりの程度客観的です。


 中世的神国思想は、モンゴル襲来を契機として、ナショナリズムを背景に高揚し、日本を神秘化して他国への優越を強く主張する、との近現代日本社会における認識は、中世的神国思想がどのような社会的文脈で強調されたのか、との観点からも間違っています。中世において神国思想がある程度まとまって説かれる事例としては、院政期の寺社相論・鎌倉時代のいわゆる新仏教排撃・モンゴル襲来があります。すでにモンゴル襲来前に、「対外的」危機を前提とせずに、中世的神国思想が強調されていたわけです。中世において、神仏が現実世界を動かしているとの観念は広く社会に共有されており、寺社勢力が大きな力を振るったのはそのためでした。院政期に集中的に出現する神国思想は、国家的な視点に立って権門寺社間の私闘的な対立の克服と融和・共存を呼びかけるため、院とその周辺を中心とする支配層の側から説かれたものでした。神国思想の普遍性が活かされているのではないか、と私は思います。

 いわゆる鎌倉新仏教、中でも法然の唱えた専修念仏は、伝統仏教側から激しく執拗な弾圧を受けました。そのさい、しばしば神国思想が持ち出されました。専修念仏者が念仏を口実として明神を敬おうとしないのは、「国の礼」を失する行為で神の咎めに値する、と伝統仏教側は糾弾しました。神々の威光は仏・菩薩の垂迹であることによるのだから、神々への礼拝の拒否は「神国」の風儀に背く、というわけです。末法辺土の日本では存在を視認できない彼岸の仏を信じるのは容易ではないので、末法辺土の日本に垂迹して姿を現した神々・聖人・仏像などへの礼拝が必要とされました。伝統仏教側は、神々の「自由競争」・「下剋上的状況」のなか、礼拝・参詣により人々の関心を垂迹たる神々や仏像のある霊場に向けさせようとしました。しかし法然は、念仏により身分・階層に関わりなく本地の弥陀の本願により極楽往生できる、と説きました。誰もが、彼岸の阿弥陀仏と直接的に縁を結べるのであり、彼岸と此岸を媒介する垂迹は不要どころか百害あって一利なしとされました。法然の思想には本来、現実の国家・社会を批判するような政治性はありませんでしたが、荘園支配のイデオロギー的基盤となっていた垂迹の権威が否定されたことは、権門寺社にとって支配秩序への反逆に他ならず、垂迹の否定は神国思想の否定でもありました。そのため、専修念仏は支配層から弾圧されました。

 モンゴル襲来の前後には、神々に守護された神国日本の不可侵を強調する神国思想が広く主張されました。本書はこれを、ナショナリズム的観念の高揚というより、荘園公領体制下で所領の細分化による貧窮化などの諸問題を、神国と規定してモンゴル(大元ウルス)と対峙させることで覆い隠そうとするものだった、と指摘しています。院政期の寺社相論や鎌倉時代のいわゆる新仏教排撃で見られたように、中世の神国思想はモンゴル襲来よりも前に盛り上がりを見せており、対外的危機を前提とはしていませんでした。寺社相論も鎌倉新仏教への弾圧もモンゴル襲来も、権門内部で完結する問題ではなく、国家秩序そのものの存亡が根底から揺らぐような問題だったため、神国思想が持ち出された、と本書は論じます。中世において、国家全体の精神的支柱である寺社権門の対立は、国家体制の崩壊に直結しかねない問題でした。専修念仏の盛り上がりも、寺社権門の役割を否定するものという意味で、国家的な危機と認識されました。もちろん、モンゴル襲来はたいへんな国家的危機で、支配層たる権門の再結集が図られるべく、神国思想が強調されました。イデオロギーとしての神国思想はむしろ、内外を問わず、ある要因がもたらす国家体制の動揺にたいする、支配層内部の危機意識の表出という性格の強いものでした。

 神国思想は本来、日本を仏の垂迹たる神々の鎮座する聖地と見る宗教思想でしたが、支配層の総体的危機において力説されたように、政治イデオロギーの役割も担わされました。すべての権力が天皇に一元化していく古代とは異なり、中世社会の特色は権力の分散と多元化にありました。多元的な権力から構成される社会において、諸権門をいかに融和させるかが重要な課題となり、神国思想もそうした中世の国家体制を正当化するイデオロギーとして支配層から説きだされた、と本書は推測しています。神国思想が強調されたのは、個別の権門が危機に陥った時ではなく、国家秩序全体の屋台骨が揺らいでいるような時でした。ただ、中世、とくに前期においては、神国思想は民衆を支配するイデオロギーとして強く機能したわけではありませんでした。中世の民衆を束縛した理念は、荘園を神仏の支配する聖なる土地とする仏土・神領の論理だった、と本書は推測しています。国思想は、じっさいの海外交渉ではなく支配層の危機意識の反映だったので、抽象的でした。その背景となる仏教的世界観自体がきわめて観念的性格の強いものだったので、神国思想はなおさら抽象的にならざるを得ませんでした。天竺・震旦・日本から構成される三国世界との認識も観念的で、日本仏教との関わりの強い朝鮮半島が欠落していました。


 本書は次に、神国思想における天皇の占める位置の変遷を解説します。古代では天皇は神国思想の中核的要素でしたが、中世の神国思想では天皇の存在感は希薄です。古代の神国思想は天皇の安泰を目的としましたが、中世では、天皇は神国維持の手段と化し、神国に相応しくない天皇は速やかに退場してもらう、というのが支配層の共通認識でした。その前提として、天皇の在り様の変化があります。律令国家の変容にともない、天皇の在り様も大きく変わります。天皇の政治権力は失墜しますが、形式上は最高次の統治権能保有者たる「国王」であり続けました。それは、他の権力では代替できない権威を天皇が有していたからでした。それに関しては、大嘗祭に象徴される古代から現代まで一貫する権威があった、という説と、即位灌頂のような仏教的儀式に代表される、それぞれの時代に応じた権威があった、という説が提示されています。

 一方、院政期になると天皇がさまざまな禁忌による緊縛から解き放たれて、神秘性を失ってしまう、との見解もあります。天皇は現御神の地位から転落した、というわけです。天皇は、より高次の宗教的権威である神仏の加護なくして存立し得ず、罰を受ける存在でもある、との観念も広く見られるようになりました。つまり、天皇の脱神秘化が進み、天皇はもはや内的権威で君臨できなくなったので、即位灌頂のような新たな仏教的儀式に見られるように、外的権威を必要としたのではないか、というわけです。しかし本書は、天皇に対する仮借なき批判が一般的だったことから、新たな儀式の効果には限界があった、と指摘します。そもそも、即位灌頂は秘儀とされていて、特定の皇統で行なわれていただけで、よく知られていませんでした。即位灌頂き一般的な天皇神秘化の儀式ではなく、特定の皇統による自己正当化の試みの系譜ではないか、と本書は指摘しています。

 古代の神国思想は天皇の存在を前提として正当化することが役割でした。神々の守るべき国家とは天皇でした。中世には、国家的寺社が自立し天皇は権門の一員となりました。しかし、分権化の進行する中世において、とくに体制総体が危機にある時は、天皇が諸権門の求心力の焦点としての役割を果たすには、ある程度聖別された姿をとることが必要でした。古代には天皇が神孫であることは天皇個人の聖化と絶対化に直結していましたが、中世には神孫であることは即位の基礎資格でしかなく、天皇の終生在位を保証しませんでした。これは、中世には古代と異なり、天皇の観念的権威の高揚が天皇個人の長久を目的としておらず、国家支配維持の政治的手段だったことと密接に関連しています。そのため天皇が国王としての立場を逸脱したとみなされた場合は、支配層から批判され、交代が公然と主張されました。天皇は中世には体制維持の手段と化したわけです。古代には国家とは天皇そのものでしたが、中世の国家概念には国土や人民といった要素が含まれるようになり、国家はより広い支配体制総体を指す概念となりました。神孫であることだけでは天皇位を維持できないので、中世の天皇は徳の涵養を強調する場合もありました。

 より高次の宗教的権威が認められ、個人としては激しく批判されることもあった天皇が必要とされ続けたのは、一つには、神代からの伝統と貴種を認められた天皇に代わるだけの支配権力結集の核を、支配層が用意に見つけられなかったからです。権力の分散が進行する中世において、混乱状況の現出を防ぐために、権門同士の調整と支配秩序の維持が重要な課題として浮上しました。天皇が国家的な位階秩序の要を掌握していたのは、単に伝統だからではなく、支配層全体の要請でもありました。したがって、天皇位の喪失は、天皇家という一権門の没落にとどまらず、支配層全体の求心力の核と、諸権門を位置づけるための座標軸の消失を意味していました。既存の支配秩序を維持しようとする限り、国王たる天皇を表に立てざるを得ないわけです。そのため、体制の矛盾と危機が強まるほど、天皇の神聖不可侵は反動的に強調されねばならず、故にそうした時には神国思想も強調されました。

 天皇が必要とされたもう一つの理由は、中世固有の思想状況です。中世では地上の権威を超える権威たる本地仏が広く認められていたので、天皇ではない者が本地仏と直接結びつく可能性もありました。日蓮や専修念仏には、そうした論理の萌芽が認められ、天皇家と運命共同体の公家にとって、天皇に取って代わる権威は絶対に認められないので、新興仏教に対抗するために天皇と神国を表に出しました。武家政権も、中世前期においては荘園体制を基盤とし、垂迹たる神仏への祈祷に支えられていたので、垂迹を経由せず彼岸の本仏と直接結びつくような、日蓮や専修念仏の信仰を容認できませんでした。武家政権が神国思想を否定することは、鎌倉時代の段階では不可能でした。


 このように、神国思想は固定化された理念ではなく、歴史の状況に応じて自在に姿を変えてきました。神国思想はしばしば、普遍世界に目を開かせ、非「日本的」要素を包摂する論理としても機能しました。「神国」の理念を現代に活かすのであれば、安易に過去の「伝統」に依拠せず、未来を見据え、世界を視野に収めてその中身を新たに創造していく覚悟が求められます。日本を神国とみなす理念は古代から近現代に至るまでいつの時代にも見られましたが、その論理は時代と論者により大きな隔たりがありました。その背景には、神国思想の基盤となる神観念の変貌とコスモロジーの大規模な転換がありました。モンゴル襲来以降の神国思想も、決して手放しの日本礼賛論ではありませんでした。中世の神国思想の骨格は、他界の仏が神の姿で国土に垂迹している、という観念にありました。普遍的存在である仏が神の姿で出現したから「神国」というわけです。インド(天竺)や中国(震旦)が神国ではないのは、仏が神以外の姿をとって現れたからでした。

 現実のさまざまな事象の背後における普遍的な真理の実在を説く論理は、特定の国土・民族の選別と神秘化に本来なじみません。中世的な神国思想の基本的性格は、他国に対する日本の優越の主張ではなく、その独自性の強調でした。中世的な神国思想は、仏教的世界観と根本的に対立するのではなく、それを前提として初めて成立するものでした。中世的神国思想において、天皇はもはや中心的要素ではなく、神国存続のための手段でした。神国に相応しくない天皇は退位させられて当然だ、というのが当時の共通認識でした。中世的神国思想には普遍主義的性格が見られます。中世の思潮に共通して見られる特色は、国土の特殊性への関心とともに、普遍的世界への強い憧れです。現実世界に化現した神・仏・聖人への信仰を通じて、誰かもが最終的には彼岸の理想世界に到達できる、という思想的状況において、中世の神国思想は形成されました。

 中世後期(室町時代)以降、日本の思想状況における大きな変化は、中世前期(院政期・鎌倉時代)に圧倒的な現実感を有していた他界観念の縮小と、彼岸─此岸という二重構造の解体です。古代から中世への移行期に、現世を仮の宿と考え、死後の理想世界たる浄土への往生に強い関心を寄せる世界観が成立しました。しかし、中世後期には浄土のイメージが色褪せ、現世こそが唯一の実態との見方が広まり、日々の生活が宗教的価値観から解放され、社会の世俗化が急速に進展します。仏は人間の認知範囲を超えたどこか遠い世界にあるのではなく、現世の内部に存在し、死者が行くべき他界(浄土)も現世にある、というわけです。死者の安穏は遥かな浄土への旅立ちではなく、墓地に葬られ、子孫の定期的な訪れと読経を聞くことにある、とされました。神は彼岸への案内者という役割から解放され、人々の現世の祈りに耳を傾けることが主要な任務となりました。この大きな社会的変化は、江戸時代に完成します。このコスモロジーの大変動は、その上に組み上げられたさまざまな思想に決定的転換をもたらしました。彼岸世界の衰退は、垂迹の神に対して特権的地位を占めていた本地仏の観念の縮小を招き、近世の本地垂迹思想は、他界の仏と現世の神を結びつける論理ではなく、現世の内部にある等質な存在としての仏と神をつなぐ論理となりました。その結果、地上のあらゆる存在を超越する絶対者と、それが体現していた普遍的権威は消滅しました。中世において、現世の権力や価値観を相対化して批判する根拠となっていた他界の仏や儒教の天といった観念は、近世では現世に内在化し、現世の権力・体制を内側から支えることになりました。

 彼岸世界の後退という大きな変動が始まるのは14世紀頃で、死後の彼岸での救済ではなく、現世での充実した生が希求されるようになりました。もっとも、客観的事実としての彼岸世界の存在を強力に主張し、彼岸の仏の実在を絶対的存在とする発想は、中世を通じておもに民衆に受容されて存続しました。一向一揆や法華一揆は、他界の絶対的存在と直結しているという信念のもと、現世の権力と対峙しましたが、天下人との壮絶な闘争の末に、教学面において彼岸表象の希薄な教団だけが正統として存在を許されました。江戸時代にはすべての宗教勢力が統一権力に屈し、世俗の支配権力を相対化できる視点を持つ宗教は、社会的な勢力としても理念の面でも消滅しました。神国思想も、近世には中世の要素を強く継承しつつも、大きく変わりました。近世の神国思想では、本地は万物の根源ではなく「心」とされました。本地は異次元世界の住人ではなく、人間に内在するものとされました。また、近世の神国思想では、垂迹は浄土と現世を結ぶ論理とは認識されておらず、中世の神国思想の根底をなした遠い彼岸の観念は見られません。近世の神国思想では、本地垂迹は他界と現世とを結ぶのではなく、現世における神仏関係となっていました。

 中世的神国思想の中核は、他界の仏が神として日本列島に垂迹している、という理念でした。現実の差別相を超克する普遍的真理の実在にたいする強烈な信念があり、それが自民族中心主義へ向かって神国思想が暴走することを阻止する役割を果たしていました。しかし、中世後期における彼岸表象の衰退にともない、諸国・諸民族をともかくも相対化していた視座は失われ、普遍的世界観の後ろ盾を失った神国思想には、日本の一方的な優越を説くさいの制約は存在しませんでした。じっさい、江戸時代の神道家や国学者は、神国たる日本を絶賛し、他国にたいする優越を説きました。中世的な神国思想では日本の特殊性が強調されましたが、近世の神国思想では、日本の絶対的優位が中核的な主張となりました。

 古代においても中世前期においても、神国思想には制約(古代では神々の整然たる秩序、中世では仏教的世界観)があり、自由な展開には限界があった、という点は共通していました。しかし、近世においては、権力批判に結びつかない限り、神国思想を制約する思想的条件はありませんでした。近世には、思想や学問が宗教・イデオロギーから分離し、独立しました。近世の神国思想は多様な人々により提唱され、日本を神国とみなす根拠も、さまざまな思想・宗教に基づいていました。共通する要素は、現実社会を唯一の存在実態とみなす世俗主義の立場と強烈な自尊意識です。近世の神国思想の重要な特色としては、中世では日本=神国論の中心から排除されていた天皇が、再び神国との強い結びつきを回復し、中核に居座るようになったことです。中世において至高の権威の担い手は、超越的存在としての彼岸の本地仏でした。中世後期以降、彼岸のイメージが縮小し、中世には天皇を相対化していた彼岸的・宗教的権威が後退していきます。近世の神国思想において、本地垂迹の論理は神国を支える土台たり得ず、日本が神国であることを保証する権威として、古代以来の伝統を有する天皇が持ち出されました。

 明治政府は神国=天皇の国という近世の神国思想の基本概念を継承しますが、神仏分離により、外来の宗教に汚されていない「純粋な」神々の世界のもと、神国思想を再編しました。近代の神国理念には、(近世以降に日本「固有」で「純粋な」信仰として解釈された)神祇以外の要素を許容する余地はなく、中世の仏教的世界観も、近世の多様な思想・宗教も排除されました。天皇を国家の中心とし、「伝統的な」神々が守護するという現代日本人に馴染み深い神国の理念は、こうした過程を経て近代に成立しました。近代の神国思想には、日本を相対化させる契機は内在されていませんでした。独善的な意識で侵略を正当化する神国思想への道が、こうして近代に開かれました。

 現代日本社会における神国思想をめぐる議論について、賛否どちらの議論にも前提となる認識に問題があります。日本=神国とする理念自体は悪ではなく、議論を封印すべきではありません。自民族を選ばれたものとみなす発想は時代を問わず広範な地域で見られ、神国思想もその一つです。排外主義としてだけではなく、逆に普遍的世界に目を開かせ、外来の諸要素を包摂する論理として機能したこともありました。神国思想は日本列島において育まれた文化的伝統の一つで、その役割は総括すべきとしても、文化遺産としての重みを正しく認識する義務があります。一方、神国思想を全面的に肯定する人々には、他者・他国に向けての政治的スローガンにすべきではない、と本書は力説します。そうした行為は、神国という理念にさまざまな思いを託してきた先人たちの努力と、神国が背負っている厚い思想的・文化的伝統を踏みにじる結果になりかねません。神国思想は、一種の選民思想でありながら、一見すると正反対な普遍主義への指向も内包しつ、多様に形を変えながら現代まで存続してきました。仏教・キリスト教・イスラム教などが広まった地域では、前近代において、普遍主義的な世界観が主流を占めた時期があります。宇宙を貫く宗教的真理にたいする信頼が喪失し、普遍主義の拘束から解放された地域・民族が、自画像を模索しながら激しく自己主張をするのが近代でした。自尊意識と普遍主義が共存する神国思想に関する研究成果は、方法と実証両面において、各地域における普遍主義と自民族中心主義の関わり方と共存の構造の解明に、何らかの学問的貢献ができる、と予想されます。


 以上が親本の内容となり、以下が文庫版の追加分となります。本書執筆の背景には、異形のナショナリズムと排他主義の勃興、大規模な汚染や大量破壊兵器といった近代が生み出した問題にたいする危機意識がありました。文庫版では、親本よりもこの問題意識が強く打ち出されています。近代化の延長線上にある現代の危機的状況の解決・克服には、近代そのものを相対化できる視座が不可欠で、それは前近代にまで射程を延ばしてこそ可能ではないか、というのが本書の見通しです。以下、親本での内容とかなり重なりますが、文庫版の追加分について備忘録的に取り上げていきます。


 中世には機能の異なる二種類の仏がいました。一方は、生死を超越した救済に民族(的概念に近い分類)・国の別なく衆生を導く普遍的存在で、姿形を持ちません。もう一方の仏は、具体的な形を与えられた仏像で、日本列島の住民を特別扱いし、無条件に守護する存在です。日本の仏は人々を彼岸(他界)の本仏に結縁させる役割を担っていますが、それ自体が衆生を悟りに到達させる力は持ちません。日本に仏教が導入された当初の古代において、死後の世界たる浄土は現世と連続しており、容易に往来できました。このような仏教受容は、人間が神仏や死者といった超越的存在(カミ)と同じ空間を共有する、という古代的なコスモロジーを背景としていました。

 こうした古代的な一元的世界観は、10〜12世紀に転換していきます。超越的存在にたいする思弁が深化して体系化されるにつれてその存在感が増大し、その所在地が現世から分離し始めます。人間の世界(現世)から超越的存在の世界(他界)が自立して膨張します。この延長線上に、現世と理想の浄土が緊張感をもって対峙する二元的な中世的コスモロジーが成立します。至高の救済者が住む他界こそが真実の世界とされ、現世は他界に到達するための仮の宿という認識が一般化しました。言語や肌の色の違いを超えて人々を包み込む普遍的世界が、現実の背後に実在すると広く信じられるようになりました。日本の神や仏像など、現世に取り残されたカミは、衆生を他界に導くために現世に出現した、彼岸の究極の超越的存在(本地仏)の化現=垂迹として位置づけられました。

 日本では古代から中世においてこのようにコスモロジーが転換し、仏教、とりわけ浄土信仰が本格的に受容されます。教理として論じられてきた厭離穢土欣求浄土の思想や生死を超えた救済の理念が、閉じられた寺院社会を超えて大衆の心をつかむ客観的情勢がやっと成熟したわけです。仏教や浄土教が受容されたから彼岸表象が肥大化したのではなく、他界イメージの拡大が、浄土信仰本来の形での受容を可能にしました。コスモロジーの変容が仏教受容の在り方を規定する、というわけです。現世を超えた個々人の救済をどこまでも探求する「鎌倉仏教」誕生の前提には、こうした新たなコスモロジーの形成がありました。このコスモロジーの転換の要因について、本書は人類史の根底にある巨大な潮流を示唆していますが、いずれ本格的に論じたい、と述べるに留まっています。

 神国がしきりに説かれるようになる中世は、多くの人が現世を超えた心理の世界を確信していた時代でした。日本の神は仏(仏像)と同じく、それ自体が究極の真理を体現するのではなく、人々を他界に送り出すことを最終的な使命として、現世に出現=垂迹した存在でした。神の存在意義は衆生を普遍的な救済者につなぐことにあったわけです。こうした世界観では、現世的存在で、他界の仏の垂迹にすぎない神に光を当てた神国の論理は、他国を見下し、日本の絶対的な神聖性と優位を主張する方向らには進みませんでした。神に託して日本の優越性が主張されるのは、世俗的な水準の問題に限られており、真実の救済の水準では、国や民族(的概念に近い分類)といった修行者の属性は意味を失いました。中世の神国思想は普遍的な世界観の枠組みに制約されていたわけです。日本が神国であるのは、彼岸の仏がたまたま神という形で出現したからで、インド(天竺)はそれが釈迦で、中国(震旦)はそれが孔子や顔回といった学者(聖人)だったので、神国とは呼ばれませんでした。

 中世的なコスモロジーは14〜16世紀に大きく転換していきます。不可視の理想世界にたいする現実感が消失し、現世と他界という二元的世界観が解体し、現世が肥大化していきます。人々が目に見えるものや計測できるものしか信じないような、近代へとつながる世界観が社会を覆い始めます。生死を超えた救済に人々を誘う彼岸の本地仏の存在感は失われ、現世での霊験や細々とした現世利益を担当する日本の神や仏像の役割が増大し、日本と外国を同次元においたうえで、日本の優位を主張するさまざまな神国思想が近世(江戸時代)には登場します。

 近世的神国思想では、背景にあった普遍主義の衰退にも関わらず、日本優位の主張が暴走することはありませんでした。その歯止めになっていたのは、一つには身分制でした。国家を果実にたとえると、身分制社会は、ミカンのようにその内部に身分や階層による固定的な区分を有しており、それが国家権力により保証されています。一つの国家のなかに利害関係を異にする複数の集団が存在し、国家全体よりも各集団の利害の方が優先されました。モンゴル襲来にさいして神国観念が高揚した中世においても、モンゴルと対峙した武士勢力に純粋な愛国心があったわけではなく、自らが君臨する支配秩序の崩壊にたいする危機意識と、戦功による地位の上昇・恩賞が主要な動機でした。自分の地位に強い矜持を抱き、命をかけてそれを貫こうとする高い精神性はあっても、愛する国土を守るために侵略者に立ち向かうといった構図は見当たらず、それが中世人の普通の姿でした。愛国心がないから不純だと考えるのは、近代的発想に囚われています。中世の庶民層でも国家水準の発想は皆無で、モンゴル襲来は、日本の解体につながるからではなく、日常生活を破壊するものとして忌避されました。

 近代国家は、内部が区分されているミカン的な近世社会から、一様な果肉を有するリンゴ的社会へと転換しました。近代国家は、全構成員を「国民」という等質な存在として把握します。この新たに創出された国民を統合する役割を担ったのが天皇でした。神国日本は悠久の伝統を有する神としての天皇をいただく唯一の国家なので、他国と比較を絶する神聖な存在であり、その神国の存続と繁栄に命を捧げることが日本人の聖なる使命とされました。普遍主義的コスモロジーが失われ、全構成員たる国民が神国の選民と規定された近代国家の成立により、神国日本の暴走に歯止めをかける装置はすべて失われました。第二次世界大戦での敗北により状況は一変しましたが、ナショナリズムを制御する役割を果たす基本ソフト(コスモロジー)が欠けているという点では、現在も変わりません。

 社会の軋轢の緩衝材としてのカミが極限まで肥大化し、聖職者によりその機能が論理化され、普遍的存在にまで高められたのが中世でした。現世の根源に位置する超越者は、民族・身分に関わりなく全員を包み込む救済者でした。近代化にともなう世俗化の進行とカミの世界の縮小により、人間世界から神仏だけではなく死者も動物も植物も排除され、特権的存在としての人間同士が直に対峙する社会が出現しました。近代社会は、人間中心主義を土台としていたわけです。この人間中心主義は基本的人権の拡大・定着に大きな役割を果たしましたが、社会における緩衝材の喪失も招きました。人間の少しの身動きがすぐに他者を傷つけるような時代の到来です。現在の排他的な神国思想は、宗教的装いをとっていても、社会の世俗化の果てに生まれたもので、その背後にあるのは、生々しい現世的な欲望と肥大化した自我です。自分の育った郷土や国に愛情と誇りを抱くのは自然な感情ですが、問題はその制御です。現在の危機が近代化の深化のなかで顕在化したものであれば、人間中心主義としての近代ヒューマニズムを相対化できる長い射程のなかで、文化・文明を再考することが必要です。これは、前近代に帰れとか、過去に理想社会が実在したとかいうことではなく、近代をはるかに超える長い射程のなかで、近現代の歪みを照射することが重要だ、ということです。


 以上、本書の見解について備忘録的に詳しく取り上げてきました。そのため、かなりくどくなってしまったので、改めて自分なりに簡潔にまとめておきます。神国思想は、神としての天皇を戴く日本を神国として、他国に対する絶対的優位を説いた、(偏狭な)ナショナリズムで、鎌倉時代のモンゴル襲来を契機に盛り上がりました。平安時代後期〜モンゴル襲来の頃まで、日本は釈迦の生まれた天竺からはるかに隔たった辺境の小島(辺土粟散)にすぎない、という末法辺土思想が日本では浸透しており、神国思想は神道的優越感による仏教的劣等感の克服でした。

 本書は、このような近現代日本社会における(おそらくは最大公約数的な)神国思想認識に疑問を呈し、異なる解釈を提示します。神国思想は、古代・中世・近世・近現代で、その論理構造と社会的機能が大きく変容しました。古代のコスモロジーは、人間が神仏や死者といった超越的存在と同じ空間を共有する、というものでした。しかし、古代の神は人間にとって絶対的で理不尽な存在で、人間には祟りをもたらし、予測不能で非合理的な命令をくだしました。また、古代の神は一ヶ所に定住せず、祭祀の期間にだけ現れ、終わると立ち去るような、気ままに遊行を繰り返す存在でした。これも、古代の神の人間にとって理不尽ではあるものの、絶対的存在でもあったことの表れなのでしょう。古代の神は氏族に占有されており、広く大衆に開かれているわけではありませんでした。しかし、律令国家形成の頃より、次第に神は一ヶ所に定住する傾向を強めていきます。中央集権を志向した律令国家により、神々も統制されていくようになったわけです。このなかで、皇祖神たる天照大神を頂点とする神々の整然とした秩序が整備され、天皇は国家そのものとされ、神々が守護すべき対象とされました。古代的神国思想では、仏教的要素は極力排除され、天皇が中核的要素とされました。

 こうした整然とした古代的秩序は、律令制度の変容にともない、平安時代前期に大きく変わります。神社にたいする国家の経済的支援は減少し、神社は皇族や有力貴族・寺院などとともに、荘園の集積に乗り出し、経済的基盤を確立しようとします(荘園公領制)。この過程で、古代的な整然とした神々の秩序は崩壊し、神々の自由競争的社会が到来します。これが古代から中世への移行で、古代から中世への移行期を経て、中世にはコスモロジーも神国思想も大きく変容します。古代から中世への移行期に、神の立場が大きく変わります。かつては一ヶ所に定住せず、人間に祟り、理不尽な命令をくだす絶対的な存在だったのが、一ヶ所に定住し、人間の信仰・奉仕に応じて賞罰をくだす、より合理的存在となります。神の一ヶ所への定住は、集積された各所領の正当性の主張に好都合でした。また、仏像にならって神の像も作られるようになります。古代から中世への神の変化は、合理化・定住化・可視化と評価されます。

 さらに、仏教の浸透、神々の仏教への融合により、かつては人間と神などの超越的存在とが同じ空間を共有していたのに、超越的存在の空間としての彼岸の観念が拡大し、理想の世界とされ、現世たる此岸と明確に分離します。こうしたコスモロジーは、仏教信仰と教学の深化により精緻になっていきました。そこで説かれたのが本地垂迹説で、普遍的真理たる彼岸の本地仏と、その化現である垂迹としての神や仏(仏像)という構図が広く支持されるようになりました。古代において人間にとって絶対的存在だった神は、普遍的真理ではあるものの、あまりにも遠く、人間には覚知しにくい彼岸と、現世の存在たる人間とを結びつける、本地仏より下位の存在となりました。この垂迹は、天竺(インド)・震旦(中国)・日本という当時の地理的認識における各国では、それぞれ異なる姿で現れました。天竺では釈迦、震旦では孔子、日本では神々というわけです。日本が神国との論理は、中世においては、垂迹が神であるという意味においてであり、日本が天竺や震旦より優位と主張する傾向もありましたが、それは垂迹の水準でのことで、本質的な主張ではありませんでした。中世の神国思想は、仏教的世界観を前提とした普遍的真理に基づいており、モンゴル襲来のようなナショナリズム的観念の高揚を契機に主張されるようになったのではありませんでした。じっさい、中世において神国思想が盛んに説かれる契機となったのは、院政期の寺社相論と鎌倉時代のいわゆる新仏教(とくに専修念仏)排撃で、モンゴル襲来よりも前のことでした。このような中世的神国思想は、他国にたいする絶対的優位を説く方向には進みませんでした。また、中世には天皇の権威も低下し、神国思想において天皇は自身が守護の対象というより、体制維持の手段でした。

 しかし、神国思想の前提となるコスモロジーが変容すれば、神国思想自体も大きく変わっていきます。14世紀以降、日本では中世において強固だった彼岸─此岸の構造が解体していきます。彼岸世界の観念は大きく縮小し、此岸たる現世社会が拡大していき、人々が彼岸世界に見ていた普遍的真理も衰退していきます。こうした傾向は江戸時代に明確になり、ナショナリズム的観念の肥大を阻止していた普遍的真理が喪失されたコスモロジーにおいて、自国の絶対的優越を説く主張への歯止めはもはや存在していませんでした。江戸時代(近世)には、さまざまな思想・宗教的根拠で他国にたいする日本の絶対的優位が主張され、天皇がその中核となっていきました。しかし、身分制社会の近世において、身分や階層による固定的な区分の、利害関係を異にする複数の集団が存在していたため、国家全体よりも各集団の利害の方が優先され、神国思想の他国にたいする暴走に歯止めがかけられていました。近代日本は、近世の神国思想を継承しつつ、(近世以降に日本「固有」で「純粋な」信仰として解釈された)神祇以外の要素を排除し、近現代日本社会における(最大公約数的な)神国思想認識が確立しました。近代日本は、全構成員を「国民」という等質な存在として把握します。この新たに創出された国民を統合する役割を担ったのが天皇でした。普遍主義的コスモロジーが失われ、全構成員たる国民が神国の選民と規定された近代国家の成立により、神国思想の暴走に歯止めをかける装置はすべて失われました。


 短くと言いつつ、長くなってしまい、しかもさほど的確な要約にもなっていませんが、とりあえず今回はここまでとしておきます。神国思想の論理構造と社会的機能の変遷を、世界観・思想・社会的状況から読み解いていく本書の見解は、12年前にはたいへん感銘を受けましたし、今でもじゅうぶん読みごたえがあります。ただ、当時から、古代が一元的に把握されすぎているのではないか、と思っていました。もっとも、諸文献に見える思想状況ということならば、本書のような把握でも大過はない、と言えるのかもしれませんが。一向一揆などいわゆる鎌倉新仏教系と支配層との対立的関係が強調されすぎているように思われることも、気になります(関連記事)。戦国時代の天道思想(関連記事)と中世のコスモロジーとの整合的な理解や、今後の日本社会において神国思想はどう活かされるべきなのか、あるいは否定的に解釈していくべきなのかなど、まだ勉強すべきことは多々ありますし、今回はほとんど本書の重要と思った箇所を引用しただけになったのですが、今回は長くなりすぎたので、それらは今後の課題としておきます。

https://sicambre.at.webry.info/201907/article_14.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c16

[近代史5] シャーマニズムの世界 中川隆
16. 中川隆[-15948] koaQ7Jey 2021年10月18日 18:00:58 : qkJ0267vVE : Y2lNRWlkTWpEVlE=[21]
人類における始原のカミは、抽象化された不可視のアニマ(生命、魂)としてではなく、個別具体的な事象に即して把握されていました。霊魂などの抽象的概念の登場以前に、眼前の現象がそのままカミとみなされていた段階があった、というわけです。

具体的には、人に畏怖の念を抱かせる、雷や竜巻などの自然現象です。より日常的な現象としては、毎日起きる昼夜の交代です。人がカミを見出したもう一つの対象は、人にない力を有する動物たちで、具体的には熊や猛禽類や蛇などです。また、生命力を感じさせる植物、巨木や奇岩なども聖なる存在として把握されました。

カミは最初、これら個々の現象や動植物などと不可分の存在でした。何かが個々の現象や動植物などに憑依することで、初めてカミになったわけではありませんでした。

2021年10月16日
佐藤弘夫『日本人と神』
https://sicambre.at.webry.info/202110/article_16.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E7%A5%9E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%BC%98%E5%A4%AB/dp/4065234042

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2021年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。著者の以前の一般向け著書『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』にたいへん感銘を受けたので(関連記事)、本書はまず、日本列島におけるあらゆる宗教現象を神と仏の二要素に還元する「神仏習合」で読み解くことはできず、それは近代的思考の偏りである、と指摘します。本書はこの視点に基づいて、日本列島における信仰の変容を検証していきます。


●先史時代

 日本列島における信仰について本書はまず、現代日本社会において一般的な認識と思われる、山のように自然そのものを崇拝することが日本列島における信仰の最古層になっている、というような太古からの信仰が今でも「神道」など一部で続いている、といった言説に疑問を呈します。山麓から山を遥拝する形態や、一木一草に神が宿るという発想は室町時代以降に一般化し、神観念としても祭祀の作法としても比較的新しい、というわけです。

 たとえば神祭りの「原初」形態を示すとされる三輪山では、山麓に点在する祭礼の痕跡は紀元後4世紀にさかのぼり、祭祀の形跡の多くは山を仰ぎ見る場所に設定されていることから、三輪山の信仰は当初から山を神聖視し、神の居場所である社殿はありませんでした。しかし、三輪山信仰の原初的形態が山を遥拝する形だったわけではない、と本書は指摘します。本書が重視するのは、恒常的な祭祀の場所が定められていなかった点です。山そのものを崇拝対象とするならば、現在の拝殿のように最適な地を祭祀の場と定めて定期的な祭りを行なえばすむだろう、というわけです。

 そこで本書は、三輪山信仰の原初的形態の手がかりとして、三輪山遺跡と同時代(弥生時代後期〜古墳時代)の日本列島における神信仰を見ていきます。信仰の側面から見た弥生時代の最も顕著な特色は、神が姿を消すことです。縄文時代には信仰の遺物として、人間を超えた存在=カミ(人間を超える存在、聖なるもの)の表象として土偶がありましたが、弥生時代には聖なるものを可視的に表現した広義の神像が欠けています。弥生時代には、カミは直接的にではなく、シンボルもしくはイメージを通じて間接的に描写されるようになります。銅鐸などカミを祀るための道具は多数出土しているものの、カミを象ったと推測される像はほとんどない、というわけです。

 カミが不可視の存在へと転換した弥生時代には、カミと人々とを媒介するシャーマンの役割が重視されるようになり、『三国志』に見える卑弥呼も三輪山遺跡もそうした文脈で解されます。古墳時代以前の社会では、カミは遠くから拝礼する対象ではなく、互いの声が届く範囲にカミを勧請して人々はその託宣を聞き、カミに語りかけました。これが弥生時代から古墳時代の基本的な祭祀形態だった、と本書は指摘します。記紀や風土記など古代の文献からも、山は神の棲む場所であっても神ではなく、人々が山を聖地として礼拝した事例はないので、現在の三輪山信仰は神祭りの最古形態ではなかった、と本書は指摘します。

 では、日本列島における最古のカミのイメージとその儀礼はいかなるものだったのかが問題となります。人類の宗教の最も原基的な形態は、自然の森羅万象の中に精霊の動きを見出すアニミズムだった、との見解は現代日本社会において広く浸透しているようです。一方で20世紀後半以降、カミの存在を感知する心的能力は6万年前頃に現生人類で起きた認知構造の革命的変化に由来する、との仮説も提示されています。これが芸術など複雑で象徴的な行動も含めて現生人類(Homo sapiens)の文化を飛躍的に発展させた(創造の爆発説、神経学仮説)、というわけです(関連記事)。

 本書はこうした認知考古学の成果も参照しつつ、日本の神の原型は不可視の「精霊」ではないと指摘し、「アニミズム」の範疇で把握することに疑問を呈します。本書が推測する人類における始原のカミは、抽象化された不可視のアニマ(生命、魂)としてではなく、個別具体的な事象に即して把握されていました。霊魂などの抽象的概念の登場以前に、眼前の現象がそのままカミとみなされていた段階があった、というわけです。具体的には、人に畏怖の念を抱かせる、雷や竜巻などの自然現象です。より日常的な現象としては、毎日起きる昼夜の交代です。人がカミを見出したもう一つの対象は、人にない力を有する動物たちで、具体的には熊や猛禽類や蛇などです。また、生命力を感じさせる植物、巨木や奇岩なども聖なる存在として把握されました。カミは最初、これら個々の現象や動植物などと不可分の存在でした。何かが個々の現象や動植物などに憑依することで、初めてカミになったわけではありませんでした。

 こうした最初期のカミに対して、人はひたすら畏敬の念を抱くだけで、ある定まった形式で崇拝することはなく、祭祀が開始されるには、無数に存在してイメージが拡散していたカミを、集団が共有できる実態として一旦同定する必要がありました。日本列島でそれが始まったのは縄文時代でした。縄文時代にカミのイメージを象徴的に表現したものとして土偶がありましたが、それを超える高次のカミは想定されていなかった、と本書は推測します。ただ、こうしたイメージが集団に共有され、定期的な祭祀が行なわれるようになるのは、縄文時代中期以降でした。これにより、霊威を引き起こす不可視の存在としてカミを想定する段階へと転換していきます。カミの抽象化が進行していった、というわけです。死者への認識も変容していき、死者を生前と同様の交流可能な空間に留めておく段階から、死者だけの独立した空間が生まれ、膨張していきます。不可視の存在により構成されるもう一つの世界(他界)が人々に共有されるようになります。

 上述のように、弥生時代にはカミそのものが殆ど表現されなくなります。カミの居場所はおおよその見当がつけられても、一ヶ所に定住することはなく、弥生時代から古墳時代のカミ祭りの形態は、カミを祭祀場に勧請し、終了後に帰っていただく、という形式でした。上述の三輪山祭祀遺跡はこの段階のものでした。超常現象は不可視のカミが起こすもの、との観念が共有されるようになった弥生時代以降には、自然災害や疫病など理解の及ばない事態にさいして、カミの意思の確認が喫緊の課題となりました。カミの意図を察知し、カミが求めるものを提供することでその怒りを和らげ、災禍の沈静化を図ったわけです。カミの言葉はシャーマンを介して人々に伝えられ、共同体共通の記憶としてのカミの言葉は次第に整序化された形で特定の語り部により伝承され、物語としての体系化と洗練化が進みます。カミの人格化と個性化の進展により、各集団の守護神もしくは祖先神としてのカミが特定されるようになると、太古のカミの仕業として世界や文化の起源が語られるようになりました。つまり、神話の誕生です。

 古代日本の神は生活に伴う汚染を徹底して嫌い、共同体における神の重要な機能が集団内の清浄性の確保にあったことを示します。こうした観念は定住生活への移行により強化されていきましたが、これにより、排泄物や死骸に単なる物理的な汚染以上の、より抽象的・精神的な位置づけが与えられるようになっていきます。まず神の祟りがあり、汚染感知警告の役割を果たし、穢れが神に及んでいる、と察知されます。この過程で、国家形成とともに、不浄→祟り→秩序回復のシステムを国家が独占し、「穢れ」の内容を詳細に規定することで、神への影響を最小限に食い止めようとします。カミが嫌うものとの規定により、日常生活に伴う汚染と共同体に違背する行為が、カミの保持する秩序に対する反逆=ケガレと位置づけられ、罪と穢れはしばしば等質として把握されます。ケガレの概念は多様化し、対処するための宗教儀礼も複雑化していきます。本来は生存のための道具だったはずのカミが人の言動を規定し、人を支配する時代が到来したわけです。カミが人の思惑を超えて清浄性をどこまでも追求し始めると、カミが嫌う個別具体的な「穢れ」も本来の意味を超えて一人歩きを開始し、人の意識と行動を縛るようになります。日本でその運動が本格的に開始されたのは9世紀で、物忌みや方違えなどの禁忌が急速に発展し、人々の日常生活を規制するようになります。


●古代

 弥生時代から奈良時代までカミは常態として可視的な姿を持ちませんでしたが、そのイメージは次第に変化し、とくに重要なのは人格化の進展です。その主因として考えられるのは、死者がカミとして祀られることの定着です。それには、傑出した人物の出現が必要となります。これは、首長の墓が集団墓地から分離して巨大化し、平地から山上や山腹などより高い土地に築かれるようになったことと関連しています。特定の人物を超人的な存在(カミ)と把握するヒトガミ信仰の画期は3世紀で、その象徴が前方後円墳でした。前方後円墳では祭祀が行なわれましたが、長く継続して実施された痕跡は見当たらない、と考古学では指摘されています。本書は、当時の信仰形態から推測して、カミの棲む山としての後円部を仰ぎ見ることができ、山にいるカミを呼び寄せる場所に祭祀の痕跡があるのではないか、と推測します。じっさい、仙台市の遠見塚古墳では、後円部の周辺で長期にわたる祭祀継続の痕跡が見つかっています。本書は、前方後円墳がカミの棲む場所として造られた人工の山で、そこにカミとなった首長の霊魂を定着させようした試みだった、と推測します。ヒトガミ信仰の次の画期は天武朝で、天皇自身が神(アキツミカミ)と強調されました。この律令国家草創期に、天皇陵と認定された古墳は国家による奉仕の対象となりました。巨大古墳の意義は、大伽藍の出現や律令制による神祇祭祀制度の整備により失われ、天皇の地位は諸仏諸神により守護される特権的存在となりました。カミの棲む清浄な地としての山には、清浄性を求めて修行者が入るようになります。

 カミのイメージ変遷で人格化とともに重要なのは、特定の地への神の定着です。弥生時代から古墳時代には、カミが特定の山にいたとしても、どこなのかは不明でした。そうした住所不定で祭祀の時にだけ来訪するカミから、定住するカミへの転換が進みます。これにより、7世紀末以降、神社の造営が本格化します。社殿の造営により、信仰形態は祭祀のたびに神を勧請することから、人が神のもとに出向いて礼拝することへと変わりました。これは寺院参詣と共通する形式で、神と仏(仏像)との機能面での接近を示します。神は一方的に祭祀を受ける存在となり、公的な儀礼の場から神と人との対話が消えていきます。

 上述のように神をめぐる禁忌が増幅され、神は人が安易に接近してはならないものへと変貌していきます。神と仏(仏像)との機能面での接近は、神像を生み出しました。長く身体性を失っていた神が、再び具象的な姿をとることになったわけです。こうした神の変貌により、人と神との仲介者としてのシャーマンが姿を消します。これは、俗権を掌握する王の地位強化と対応しており、古墳時代中期には支配層の父系化が進みます(関連記事)。カミの言葉の解釈権を王が手中に収めるようになり、8世紀後半の宇佐八幡宮神託事件はその象徴でした。

 カミの人格化と定住化の進展とともに、非合理で不可解だったカミの祟りが、次第に論理的なものへと変わっていきます。この過程で、善神と悪神の機能分化が進みます。祟りは全ての神の属性ではなく、御霊や疫神など特定の神の役割となりました。平安時代半ば以降、祟りの事例減少と比例するかのように、カミの作用として「罰(バチ)」が用いられるようになり、12世紀以降はほぼ「罰」一色となります。中世的な社会システムが整ってくる12世紀は、古代における「祟り」から中世の「罰」へとカミの機能が変化した時期でした。中世には、「賞罰」が組み合わされて頻出するようになります。カミは罰を下すだけの存在ではなく、人々の行為に応じて厳正な賞罰の権限を行使しました。カミは突然予期せぬ祟りを起こす存在から、予め人がなすべき明確な行動基準を示し、それに厳格に対応する存在と把握されるようになります。古代のカミは、目前に存在する生々しさと、人知の及ばない強い験力の保持を特徴とし、その力の源泉が「清浄」性でした。


●古代から中世へ

 人が神・仏といったカミ(超越的存在)や死者と同じ空間を共有するという古代的な世界観(来世は現世の投影で、その延長に他ならない、との認識)は、紀元後10世紀後半(以下、紀元後の場合は省略します)以降次第に変容していきます。人の世界(この世)からカミの世界(あの世)が分離し、膨張していきます。こうして、ヒトの住む現世(此岸)と不可視の超越者がいる理想郷(彼岸)との緊張感のある対峙という、中世的な二元的世界が形成されます。人の認知できないもう一つの空間イメージが、人々の意識において急速に膨張していったわけです。古代では、カミの居場所は遠くてもせいぜい山頂でしたが、中世では、この世とは次元を異にする他界が実在する、との観念が広く社会に流通しました。曖昧だったカミと死者との関係も、救済者・彼救済者として位置づけ直されました。彼岸=浄土はもはや普通の人が気軽に行ける場所ではなくなったわけです。

 12世紀には、救済者のいる彼岸世界(浄土)こそが真実の世界とされ、この世(此岸)は浄土に到達するための仮の世(穢土)との認識が一般化しました。浄土については、浄土教のように浄土の客観的実在性を強調するものから、ありのままの現実世界の背後に真実の世界を見ようとする密教に至るまで、この世とあの世の距離の取り方は宗派によりさまざまでしたが、身分階層を超えて人々を平等に包み込む普遍的世界が実在する、という理念が広く社会で共有されるようになります。この古代から中世への移行期に起きた世界観の大きな転換はかつて、浄土思想の受容と定着の結果と主張されました。しかし本書は、最初にこの世界観を理論化しようとしたのは浄土教の系譜に連なる人々だったものの、それは世界観の変容の原因ではなく結果だった、と指摘します。中世ヨーロッパのように、不可視の他界の膨張は、人類史がある段階で体験する一般的な現象だろう、と本書は指摘します。日本列島では、それに適合的な思想として彼岸の理想世界の実在を説く浄土信仰が受け入れられ、新たな世界観の体系化が促進された、というわけです。

 しかし中世には、全てのカミがその住所を彼岸に移したわけではなく、人と共生する神仏の方がはるかに多かった、と本書は指摘します。中世の仏には、人々を、生死を超えた救済に導く姿形のない普遍的な存在(民族や国籍は意味を持ちません)と、具体的な外観を与えられた仏像の二種類が存在しました。後者は日本の神と同様に日本の人々を特別扱いし、無条件に守護する存在で、「この世のカミ」としての仏です。中世の世界観は、究極の救済者が住む不可視の理想世界と、人が日常生活を送るこの世から構成される二重構造でした。

 この10〜12世紀における世界観の転換は、古代においてカミに宿るとされた特殊な力の源となった、仏像・神像に宿る「聖霊」と呼ばれるような霊魂のごとき存在に対する思弁が展開し、さまざまなイメージが付加されていく延長線上にありました。この大きな転換のもう一つの要因として、疫病や天変地異や騒乱などによる不安定な社会があります。中世は近世と比較してはるかに流動性の高い時代で、人と土地との結びつきは弱く、大半の階層は先祖から子孫へと受け継がれる「家」を形成できず、死者を長期にわたって弔い続ける社会環境は未熟でした。不安定な生活で継続的な供養を期待できないため、人は短期間での完全な救済実現を望みました。

 中世人にとって大きな課題となったのは、当然のことながら浄土を実際に見た人がおらず、その実在を信じることが容易ではなかったことでした。そこで、浄土の仏たちは自分の分身をこの世に派遣し、人々を励ました、と考えられました。それが「垂迹」で、あの世の仏がこの世に具体的な姿で出現することを意味します。不可視の本地仏の顕現こそが、中世の本地垂迹の骨子となる概念でした。垂迹を代表する存在が、菩薩像や明王像・天部の像を含む広義の仏像(この世の仏)でした。11〜14世紀に大量の阿弥陀像が造立され、人々が仏像に向かって浄土往生を願ったのは、阿弥陀像が浄土にいる本地仏(あの世の仏)の化身=垂迹だったからです。

 この世の仏で仏像より重要な役割を担うと信じられたのは、往生を願う者の祈りに応えてその場に随時化現する垂迹(生身)でした。これは、彼岸の仏がある人物のためだけに特別に姿を現す現象なので、祈願成就を意味すると解釈され、とくに尊重されました。仏像や生身仏とともに垂迹を代表するのが、日本の伝統的な神々でした。中世の本地垂迹は、彼岸世界の根源神と現世のカミを垂直に結びつける論理でした。それをインドの仏と日本の神との同一地平上の平行関係として、現世内部で完結する論理として理解しようとする立場は、彼岸世界が縮小し、人々が不可視の浄土のイメージを共有できなくなった近世以降の発想でした。

 垂迹として把握されていたのは、仏像と日本の神だけではなく、聖徳太子や伝教大師や弘法大師などの聖人・祖師たちでした。垂迹としての聖人の代表が聖徳太子で、古代には南岳慧思の生まれ変わりと考えられていましたが、中世には、極楽浄土の阿弥陀仏の脇侍である観音菩薩の垂迹との説が主流となりました。古代における日中という水平の位置関係から、中世における極楽浄土と此土という垂直の位置関係で把握されたわけです。親鸞も若いころに真実の救済を求めて聖徳太子の廟所を訪れました。インドに生まれた釈迦も垂迹とされ、その意味では聖徳太子と同水準の存在とみなされました。

 中世人に共有されていた根源的存在のイメージは、それと結びつくことにより、日常的なものや卑俗なものを聖なる高みに引き上げる役割を果たすことも多くありました。差別の眼差しに晒された遊女の長者が、普賢菩薩の化身とされたり、身分の低い牛飼い童が生身の地蔵菩薩とされたりしました。日頃差別される人々を聖なる存在の化身とする発想は非人でも見られ、文殊菩薩が非人の姿で出現する、と広く信じられていました。社会的弱者や底辺層の人々であっても、他界の根源神と結びつくことにより、現世の序列を超えて一挙に聖性を帯びた存在に上昇することがある、と考えられていたわけです。

 垂迹の使命は末法の衆生救済なので、その所在が聖地=彼岸世界の通路とみなされることはよくありました。善光寺や春日社や賀茂社などは、霊場として人々を惹きつけていきました。他界への通路と考えられた霊験の地は多くの場合、見晴らしのよい山頂や高台に設けられました。寺院では、垂迹の鎮座する「奥の院」は、高野山や室生寺や醍醐寺に典型的なように、寺内の最も高い場所に置かれました。これは、山こそがこの世で最も清浄な地であるという、古代以来の観念を背景としたものでした。山を不可欠の舞台装置として、周囲の自然景観を取り入れた中世の来迎図は、自然の風景が登場しない敦煌壁画の浄土変相図などとは異なり、日本の浄土信仰が大陸とは異なった方向に発展したことを端的に示す事例でした。

 こうした中世の世界観は、仏教者により占有されたとも言えます。これに違和感を抱いたり反発したりしたのが、神祇信仰に関わる人々でした。平安時代後期から「神道五部書」などの教理書が作成されるようになり、「中世神道」と呼ばれる壮大な思想世界が構築されていきました。その中心的課題は、人が感知できない根源者の存在証明とその救済機能でした。13世紀後半、伊勢において新たな神祇思想の流れが起き、度会行忠たち外宮の神官たちにより伊勢神道が形成されました。伊勢神道の聖典である神道五部書では、仏教や道教の思想的影響下で、この世を創生し主宰する唯一神の観念が成長していきます。国常立神や天照大神は超越性が格段に強化され、伊勢神道は仏教界が「本地」という概念で自らに取り込んだ根源的存在を、仏教から切り離して神祇信仰側に引き入れようとしました。伊勢神道の影響を受けた慈遍は、南北朝時代に国常立神を永遠不滅の究極的存在にまで高め、仏教が独占してきた究極的存在=本地仏の地位を神に与えました。こうして中世には、仏教・道教・神祇信仰といった枠組みを超えてカミの形而上学的考察が進み、不可視の究極者に対する接近が思想の基調となりました。人種や身分の相違を超えて、全ての人が等しく巨大な超越者の懐に包まれている、というイメージが中世人の皮膚感覚となります。

 救済者としてのカミに対する思弁の深化は、一方で被救済者としての人の存在について考察の深まりをもたらしました。救済を追求していくと、平凡な人が生死を超越できるのか、という疑問に正面から向き合わざるを得なくなるからです。人が救済されるための条件を思索するうちに、万人の持つ内なる聖性が発見されていきます。カミが徹底して外部の存在とされた古代に対して、中世では人に内在するカミが発見されていきます。人の肉体を霊魂の宿る場と考え、霊魂が体から離れて帰れなくなる事態を死とみなす発想は古代から存在しました。「タマ」と呼ばれた霊は、容易に身体を離れる存在でした。

 中世には、仏教の内在する「仏性」の観念と結びつき、その聖性と超越性が高まっていきます。仏教、とくにアジア東部に伝播した大乗仏教では、全ての人が仏性を持つことは共通の大前提でした(一切衆生、悉有仏性)。全ての人は等しく聖なる種子を持っており、修行を通じてその種子を発芽させて育てていくことにより、誰もが仏になれる、というわけです。こうした理念は古代日本にもたらされていましたが、超越的存在が霊威を持つ外在者のイメージで把握されていた古代社会では、内在する聖性という理念が大衆に受容され、定着することはできませんでした。聖なる存在への接近は、首長や天皇など選ばれた人が特別の儀式を経て上昇するか、修行者が超人的な努力の積み重ねにより到達できる地位でした。

 一方、万人に内在する仏性が発見された中世では、カミへの上昇は特別な身分や能力の人に限定されず、誰もが仏になれました。根源的存在は、絶対的な救済者であると同時に森羅万象に偏財しており、人は心の中の内なる仏性を発見し、発現することにより自らを聖なる高みに上昇させられる、との理念が人々に共有されるようになります。人と超越的存在を一体的に把握する発想は神祇信仰でも受容され、その基調となりました。一方的に託宣を下して祟りをもたらした古代の神が、宇宙の根源神へと上昇していくと同時に、個々人の心の中にまで入り込み、神は究極の絶対的存在故にあらゆる存在に内在する、と考えられました。こうした理念は、「神は正直の頭に宿る」、「心は神明の舎なり」といった平易な表現の俗諺として、衆庶に浸透していきます。

 いわゆる鎌倉仏教は、戦後日本の仏教研究の花形で、鎌倉時代に他に例のないほど仏教改革運動が盛り上がり、その大衆化が進んだのはなぜか、と研究が進みました。その後、鎌倉仏教を特別視するような見解は相対化されてきましたが(関連記事)、鎌倉時代における仏教の盛り上がり自体はほとんど否定されていません。鎌倉仏教に共通するのは、方法論の違いはあっても、身分や地位や学識などの相違に関わらず万人が漏れなく救済される、という強い確信です。悉有仏性の理念はインドの大乗仏教にすでに備わっていましたが、日本では上述のように古代には開花せず、絶対的な救済者と俗世を超える彼岸世界の現実感が人々に共有され、万人が聖性を内在しているという理念が社会に浸透した中世に初めて、生死を超えた救済の追求が可能となる客観的条件が整い、その延長線上に鎌倉仏教が誕生します。

 古代から中世への移行に伴うこうした世界観の変容は、王権の在り様にも重大な転換をもたらしました。古代の天皇は、アキツミカミとしての自身の宗教的権威により正当化されるだけではなく、律令制、皇祖神や天神地祇や仏教の諸尊など外部のカミにより、守護されていました。中世に彼岸世界のイメージが膨張すると、現世的存在である天皇は、もはや他界の根源神の仲間に加わることはできませんでした。天皇は一次的な権威になり得ない、というわけです。天皇は、古代のように同格のカミとの連携ではなく、より本源的な権威に支えられる必要性が生じます。

 12世紀に、伝統仏教で「仏法」と「王法」の協力関係の重要性が主張されるようになり、「仏法王法相依論」として定式化されます。これは、世俗権力の存続には宗教的権威による支援が不可欠とする、中世的な王権と仏教との関係を端的に表現していました。これは伝統仏教側から主張されましたが、同じ世界観を共有する王権も強く規定しました。王権の側は、仏法により外側から守護してもらうだけではなく、根源的存在との間に直接的通路を設けようとしました。古代では、原則として天皇が仏教と接触することは禁忌とされていましたが、12世紀以降、即位式の前に仏教的儀式が行なわれるようになり、天皇が大日如来に変身する即位灌頂などがあります。しかし、中世において天皇を神秘化する言説も散見されるものの、天皇が地獄や魔道に堕ちる話はずっと多く、王権側の試みは必ずしも奏功しませんでした。この世の根底に存在する人知を超えたカミの意思に反した場合、神孫である天皇でさえ失脚や滅亡から逃れられない、との理念が中世社会では共有されていました。中世人は、自身と天皇との間に、隔絶する聖性の壁を認めませんでした。天皇もあの世のカミの前では一人の救済対象にすぎなかった、というわけです。

 天皇の即位儀礼として最重視されていた大嘗祭が、応仁の乱の前年から200年以上にわたって中断された背景は、政治的混乱や経済的困窮だけではなく、皇祖神の天照大神の「この世のカミ」としての位置づけ=二次的権威化に伴い、大嘗祭が天皇神秘化の作法としてほとんど意味を喪失したことにもありました。こうした中世固有の世界観を前提として、他界の根源神の権威を現世の王権の相対化の論理として用いることにより、天皇家から北条への「国王」の地位の移動=革命を明言する日蓮のような宗教者も出現します。


●中世から近世へ

 中世前期に確立する、人の内面に超越的存在(カミ)を見出だそうとする立場は、中世後期にいっそう深化し、宗派の別を超えて共有されるとともに、芸能・文芸・美術などの分野に広範な影響を与えました。人のありのままの振る舞いが仏であり神の姿そのものとされたわけです。こうした思潮に掉さして発展し、浸透していくのが本覚思想(天台本覚思想)です。本覚思想では、ごく普通の人が如来=仏そのものと説かれています。人は努力と修行を重ねて仏という高みに到達するわけではなく、生まれながらにして仏であり、仏になるのではなく、自分が仏と気づきさえすればよい、というわけです。こうした思想に基づく文献が、最澄や良源や源信といった天台宗の高僧の名で大量に偽作され、流通していきました。

 カミ=救済者を人と対峙する他者として設定するキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教の特質は、人が到達すべき究極の目標を救済者と同水準に設定するところにありました。釈迦がたどり着いた仏の境地は釈迦だけの特権ではなく、万人に開かれたものであり、真実の法に目覚め、胸中の仏性(仏の種)を開花させることにより、誰もが仏になれる、というわけです。しかし、成仏に至る過程は、時代と地域により異なります。大まかな傾向として、人と仏との距離は、時代が下るにつれて、東方に伝播するにつれて短くなります。

 大乗仏教では「一切衆生、悉有仏性(聖性の遍在)」が強調されましたが、とりわけ日本では、人と仏は接近して把握される傾向が強く、その延長線上に生まれたのが本覚思想でした。本覚思想は二元的世界観とそれを前提とする浄土信仰が主流だった中世前期には、まだ教団教学の世界に留まっていましたが、中世後期には広く社会に受容されていきます。成仏を目指した特別の修行を不要とするような極端な主張は、日本以外の仏教ではほとんど見られません。絶対者を追求し続けた中世の思想家たちは、万物へのカミの内在の発見を契機に、その視点を外部から人の内面へと一気に転じました。カミはその超越性ゆえにあらゆる事物に遍在する、というわけです。超越性の追求が、キリスト教やイスラム教で見られるような人とカミの隔絶という方向ではなく、万物への聖性の内在という方向に進むところに、日本の神観念の特色がありました。

 こうした傾向の延長線上として、法然や日蓮など中世前期の思想に見られるような、救済者と彼救済者、浄土と此土といった厳しい二元的対立が解消されていきます。法然や日蓮においては、救済者は人と対峙する存在として超越性が強調されていましたが、その後継者たちは、救済者の外圧的・絶対的性格が薄められ、宇宙と人への内在が強調されるようになります。仏に手を引かれて向かうべき他界浄土のイメージがしだいに希薄化し、救済者と彼救済者、他界と現世の境界が曖昧となり、彼岸が現世に溶け込んでいきます。

 いわゆる鎌倉仏教において、その転換点に位置するのが一遍でした。一遍は浄土教の系譜に位置づけられますが、その救済論は、救済者としての阿弥陀仏と彼救済者としての衆生との間の厳しい葛藤と緊張を想定した法然の対極に位置し、仏は何の抵抗もなく彼救済者の体内に入っています。浄土は死後に到達すべき遠い他界ではなく、信心が確立した時、その人は阿弥陀仏の命を譲り受けている、というわけです。こうした発想は一遍に留まらず、中世後期の浄土信仰の主流となっていきます。救済者と彼救済者の境の曖昧化という方向性は、宗派を超えて中世後期の思想界の一大潮流となります。

 中世から近世への転換期において、外在する他界のカミが存在感を失っていくもう一つの原因は、政治権力に対する宗教勢力の屈伏でした。浄土真宗と法華宗(日蓮宗)ではとりわけ一揆が盛んで、両派は中世でもとりわけ他界の仏の超越的性格を強調しました。日本史上、外在する絶対的存在としてのカミのイメージが最も高揚したのは戦国時代の宗教一揆で、異次元世界にある万物の創造主を想定するキリスト教の思想も、そうした時代思潮を背景に受け入れられていきました。一向一揆が平定され、島原の乱が鎮圧されると、その背景にあった強大な超越者もその力を喪失し、カミの内在化という時代趨勢に呑み込まれ、現実世界に溶け込んでいきました。

 こうした過程を経て宗教的な理想世界のイメージが内在化・後景化した近世では、政治権力の正当性は他界のカミとの関係性ではなく、純然たる現実社会の力学から生み出されることになりました。人間関係の非対称性が、現世内部だけの要因により再生産される時代が到来したわけです。この新たに誕生した幕藩制国家に国制の枠組みと政治的権威を提供したのが天皇でした。天皇を頂点とする身分序列と天皇が授与する官位の体系は、国家水準での秩序を支える最上位の制度として、中世と比較して飛躍的に重みを増すことになりました。

 中世後期には、人の内側だけではなく、自然界にもカミとその働きを見ようとする指向性が強まりました。その思潮を理論的に裏づけたのが本覚思想で、草木から岩石に至るこの世の一切の存在に仏性を見出し、眼前の現実をそのまま真理の現れとして受け入れていこうとする立場は、「草木国土悉皆成仏」という言葉で概念化されて広く流通しました。人以外の生物や「非情(心を持たない)」という分類で把握される草木が人と同じように成仏できるのかという問題は、仏教発祥地のインドでは主要な問題とはならず、初期仏教で最大の関心事は、人はいかに生きるべきか、という問題でした。「草木国土」のような人を取り巻く存在に視線が向けられ、その救済が議論されるようになったのは、アジア東部に定着した大乗仏教においてでした。

 隋代の天台智は「一念三千」という法門を説き、この世界のあらゆる存在に仏性が遍く行き渡っていると論じ、草木や国土の成仏を肯定するための理論的基盤が確立されました。これを万物の成仏という方向に展開したのが平安時代前期の天台僧安然で、初めて「草木国土悉皆成仏」という言葉が生み出され、その延長線上に仏国土=浄土とする本覚思想が開花します。本覚思想では、理想世界は認知不可能な異次元空間に存在したり、現実の背後に隠れたりしているわけではなく、眼前の光景が浄土でした。室町時代には、古い道具が妖怪に変身する付喪神が絵画として表現されるようになりますが、これもそうした時代思潮を背景としていました。

 上述のように、古代において山に神が棲むという観念は一般化していても、山そのものを神とする見方はまだなく、山をまるごと御神体として遥拝する信仰形態の普及は、自然にカミを見出す「草木国土悉皆成仏」の理念が浸透する中世後期になって初めて可能となる現象でした。日本的な自然観の典型とされる山を神とみなす思想は、太古以来の「アニミズム」の伝統ではありませんでした。記紀神話における山の人格化は、人と自然を同次元の存在として、対称性・連続性の関係で把握する発想に基づいていました。人々が山に畏敬の念を抱いても、タマ(霊)が宿っているから山を拝むという発想は、古代には存在しませんでした。一方、神体山の信仰は、カミの自然への内在化という過程を経て出現する、高度に抽象化された中世の思想を背景としていました。「草木国土悉皆成仏」の思想は室町時代の芸術諸分野に広く浸透しました。

 内在するカミという概念は、中世前期には抽象的な理念の段階に留まっており、万人をカミに引き上げる論理として現実に機能することは殆どありませんでした。人のカミへの上昇(ヒトガミ)は、中世前期には聖徳太子など選ばれた人に限られており、それも本地垂迹の論理により彼岸の本地仏との関係で説明され、一般人はまだ救済の対象でした。しかし、中世後期には現実の光景と超越的存在との境目が次第に曖昧化し、現実の人がありのままの姿で仏だと強調され、そうした認識が思想界の主流を占めるようになります。これは、彼岸の超越的存在に媒介されない、新たなヒトガミの誕生を意味します。人は救済者の光を浴びてカミに上昇するのではなく、自らに内在する聖性によりカミになる、というわけです。これは仏教の世界に留まらず、中世後期にはまだ権力者や神官など特殊な人物に限定されているものの、古代の天皇霊とは異なり、人が自らの意志により生きたまま神に上昇できるようになります。神は誰もがじっさいに到達可能な地位とされ、神と人との距離は接近します。こうした思潮を神祇信仰で理論化したのが、吉田神道の祖とされる吉田兼倶でした。

 世俗社会の普通の人が実は神仏の姿そのものとの認識は、聖性発現によりカミへの上昇を目指す宗教的実践の軽視に結びつきました。これにより大きな問題となったのが、信仰の世界への世俗的要素の侵入です。中世において、寺社勢力の組織化と広大な荘園領有といった世俗化が進展した一方で、信仰世界から世俗的要素を締め出そうとする傾向も強くありました。しかし、中世後期における聖俗の緊張関係の弛緩は、信仰の世界への世俗的要素侵入の道を開きました。

 こうした理想世界と現世との一体化は、現実社会を相対化して批判する視点の喪失をもたらしました。中世前期に見られた信仰至上主義と信心の純粋化を目指す運動は、俗権に対する教権の優位を主張するとともに、信仰世界に向けられた権力の干渉の排除を指向しました。支配権力の意義は正しい宗教を庇護することにあり、その任務を放棄すれば、支配権力は正統性を失い、死後には悪道に堕ちることさえ覚悟しなければなりません。中世の文献に多数出現する天皇の堕地獄譚は、そうした思想状況を背景としていました。しかし、根源神が眼前の自然に溶け込んでしまうと、宗教者がカミの権威を後ろ盾としてこの世界の権力を相対化するような戦略は取れなくなりました。浄土が現世と重なりあったため、理想の浄土に照らして現状を批判するという視座も取れませんでした。この世に残ったカミからは、その聖性の水源が枯れてしまったことを意味するわけです。

 彼岸の根源神を背後に持たない日本の神仏には、もはや人々を悟りに導いたり、遠い世界に送り出したりする力はなく、神も仏も人々のこまごまとした現世の願いに丹念に応えていくことに、新たな生業の道を見出していきます。誰もがカミになれるので、より強大な権力を握る人物が、より巨大なカミになる道が開けました。中世前期のように他界の絶対者の光に照らされたカミになるわけではなく、中世後期には自らの内なる光源によりヒトガミが発生しました。その光源には、身分や地位や権力といった世俗的要素が入り込み、やがて主要な地位を占めるに至ります。

 聖俗の境界の曖昧化は、差別の固定化にもつながりました。とくに問題となったのは「穢れ」で、中世には社会の隅々にまで穢れ観念が浸透します。中世前期には、神が垂迹することは万人をはぐくみ助けるためで、本地の慈悲の心が垂迹にまとわりついた習俗としての忌に優先する、と考えられました。平安時代中期以降、女性は穢れた存在との見方が広まり、清浄な山への立ち入りが制限されていきましたが(女人結界)、いわゆる鎌倉仏教の祖師たちは、法然や親鸞のように女人罪障の問題にほとんど論及せず、弥陀の本願による平等の救済を強調するか、道元のように女性固有の罪障や女人結界そのものを否定しました。

 日本における穢れの禁忌は、その対極にある神仏との関係において肥大化し、中世において穢れ意識を増幅させるこの世の神仏とは、彼岸の仏の垂迹に他なりませんでした。禁忌に拘束されない事例は、いずれも垂迹の背後の本地仏=根源的存在の意思が働いたためでした。穢れ意識が拡大し、差別の網の目が社会に張り巡らされるかのように見える中世において、彼岸の根源的存在との間に直結した回路を設けることで、差別を一気に無化していく道筋が承認されていたわけです。しかし、不可視の彼岸世界と絶対的な救済者の現実感が褪色していくにつれて、本地仏の力により差別を瞬時に克服する方途は次第に縮小していき、社会において特定の身分と結びついた穢れと差別意識の固定化につながりました。その延長線上に、社会の穢れを一手に負わされた被差別民が特定の地区に封じ込められ、その刻印を消し去る道がほぼ完全に封じられた、近世社会が到来します。

 中世後期に進展する本源的存在の現実感の希薄化(彼岸の縮小と救済者としての本地仏に対する現実感の喪失)は、人々の関心を再び現世に向かわせます。彼岸の浄土は、もはや人々に共有されることはなく、人々を惹きつけてきた吸引力が失われていきます。近世にも浄土信仰はありましたが、仏の来訪はほとんど問題とされず、超越者からの夢告も重視されなくなり、個人的体験としての来迎仏=生身仏との遭遇が信仰上の価値を失い、仏像などの定型化した形像の役割が再浮上してきます。

 中世前期には、大半の人にとって現世での生活よりも死後の救済の方が切実な意味を持ち、来世での安楽が保証されるなら、この世の生を多少早めに切り上げてもよい、と考えられていました。不安定で流動的な生活と、死の危険に満ちた社会が、現世を相対化する認識の背景にありました。こうした世界観が中世後期に大きく転換する背景として、惣と呼ばれる地縁共同体が各地に生まれ、全構成員により村落運営が決定されるようになったことがあり、人々の土地への定着と、先祖から子孫へと継承される「家」の形成が庶民層まで下降しました。こうして、突然落命する危険性は中世と比較して大きく減少し、この世の生活自体がかけがえのない価値を有している、との見方が広く定着しました。浮世での生活を精一杯楽しみ、死後のことは死期が近づいたら考えればよい、という近代まで継続する新たな世界観と価値観が形成されたわけです。

 この中世後期に起きた世界観の旋回は、人生観だけではなく、死後世界のイメージも大きく転換させました。他界浄土の現実感が失われた結果、死者は遠い世界に旅立たなくなり、死後も懐かしい国土に留まり、生者と交流を継続することが理想と考えられるようになりました。カミだけではなく死者の世界でもこの世への回帰が開始され、冥界が俗世の延長として把握されるようになり、現世的要素が死後世界に入り込んでくるようになります。こうした転換を承けて神や仏が新たな任務として見出したのが、この世に共生する人と死者の多彩な欲求に応えていくことでした。とげ抜き地蔵や縛り地蔵などさまざまな機能を持ったカミが次々と誕生し、「流行神」が生まれては消えていきました。他界への飛翔を実現すべく、垂迹との邂逅を渇望して一直線的に目的地を目指した中世前期の霊場参詣とは異なり、平穏で満ち足りた生活を祈りながら、娯楽を兼ねて複数の神仏を拝む巡礼が、中世後期以降の霊場信仰の主流となります。

 中世前期には、彼岸の浄土とこの世の悪道の二者択一を死者は求められましたが、死後世界のイメージの大きな転換に伴い、そのどちらにも属さない中間領域が出現し、中世後期には急速にその存在感を増していきます。救済がまだ成就しない者たちは山で試練を受けている、といった話が語られるようになります。こうした中間領域など死後世界の世俗化が進み、死後の理想の在り様が生者の願望に引きつけて解釈されるようになり、人がこの世において生死を繰り返すだけで、どこか別の世界に行くことはない、との語りも登場します。仏はもはや人を他界に誘うことも、生死を超えた悟りへと導くこともなく、人が生死どちらの状態でも平穏な生活を送れるよう、見守り続けることが役割となります。

 近世人は、他界浄土の現実感を共有できず、遠い浄土への往生を真剣に願うことがなくなります。近世人にとって、人から人への循環を踏み外すことが最大の恐怖となり、その文脈で地獄など悪道への転落が忌避されました。ただ、いかに彼岸の現世化が進んだとはいえ、檀家制度が機能して仏教が圧倒的な影響力を有していた近世には、死者は仏がいて蓮の花の咲く浄土で最終的な解脱を目指して修行している、という中世以来のイメージが完全に消え去ることはありませんでした。しかし、幕末に向かうにつれて他界としての浄土のイメージがさらに希薄化すると、死後世界の表象そのものが大きく変わり、死者の命運をつかさどる仏の存在がさらに後景化し、ついには死後の世界から仏の姿が消え去ります。こうした世俗化の中で、近世には妖怪文化が開花し、妖怪は現実世界内部の手を伸ばせば触れられるような場所に、具体的な姿形で居住する、と描かれました。

 死者がこの世に滞在し、俗世と同じような生活を送ると考えられるようになると、死者救済の観念も変わっていきます。死者がこの世に留まるのは、遠い理想世界の観念が焼失したからで、死者を瞬時に救ってくれる絶対的な救済者のイメージが退潮していきます。仏はもはや人を高みに導く役割を果たさず、死者を世話するのはその親族でした。中世後期から近世にかけて、死者供養に果たす人の役割が相対的に浮上し、それは「家」が成立する過程と深く連動していました。この動向は支配階層から始まり、江戸時代には庶民層にまで拡大していき、江戸時代後期には裕福な商人層や上層農民からより下層へと降りていきます。死後の生活のイメージも変化し、生者が解脱を求めなくなるのと同様に、死者も悟りの成就を願わなくなり、世俗的な衣食住に満ち足りた生活を理想とするようになります。死者の安穏は遥かな浄土への旅立ちではなく、現実世界のどこかしかるべき地点になりました。「草葉の陰で眠る」というような死者のイメージが、近世には定着していきます。

 親族が死者の供養を継続するには、死者を記憶し続けることが不可欠でした。これにより、死者は次第に生前の生々しい欲望や怨念を振り捨てて、安定した先祖にまで上昇できる、と信じられました。中世には墓地に埋葬者の名が刻まれることはなく、直接記憶する人がいなくなると匿名化しました。死者は、その命運を彼岸の仏に委ねた瞬間に救済が確定するので、遺族が死者の行く末を気にする必要はありませんでした。しかし、遺族が供養を担当するようになると、死者が墓で心地よく眠り続けるために、生者の側がそのための客観的条件を整えねばならなくなります。墓は、朝夕にありがたい読経の声が聞こえる、寺院の境内に建てられる必要がありました。近世初頭には、墓地を守るための多数の寺院が新たに造営されました。さらに、縁者は死者が寂しい思いをしないですむよう、定期的に墓を訪問したり、時には死者を自宅に招いたりしなければなりませんでした。こうした交流を通じて、死者は徐々に神の段階=「ご先祖さま」にまで上昇する、と信じられました。死者は、中世には救済者の力により瞬時にカミに変身しましたが、近世には生者との長い交渉の末にカミの地位に到達しました。

 ただ、全ての死者が幸福な生活を送ったわけではなく、近世でも冷酷な殺人や死体遺棄や供養の放棄など、生者側の一方的な契約不履行は後を絶ちませんでした。そのため、恨みを含んで無秩序に現世に越境する死者も膨大な数になった、と考えられました。こうした恨みを残した人々は、幽霊となって現世に復讐に現れる、と考えられました。中世にも未練を伸してこの世をさまよう死霊はいましたが、大半は権力者のような特別な人物で、その結末は復讐の完結ではなく、仏の力による救済でした。近世には、誰でも幽霊になる可能性があり、その目的は宗教的な次元での救済ではなく、復讐の完遂でした。


●近世から近代へ

 上述のように、近世には誰もが自らの内なる光源によりカミとなれ、それは俗世の身分や権力を強く反映するものでした。近世初頭にまずカミとなったのが最高権力者である豊臣秀吉や徳川家康といった天下人だったことには、そうした背景がありました。天下人に続いて近世において神として祀られたのは、大名や武士でした。近世後期になると、カミになる人々の階層が下降するとともに、下からの運動で特定の人物が神にまで上昇する事例も見られ、その一例が天皇信仰です。以前よりも下層の人物がカミと崇められるようになった事例としては、治水工事などで人柱となった者がいます。人柱は古代にもありましたが、それは多くの場合、神からの供犠の要求でした。一方、近世の人柱は、神に要求されたからではなく、同じ村落などの他者への献身のためでした。また、こうした覚悟の死ではなく、日常の些細な問題を解決してくれた人が、神に祭り上げられることもあり、頭痛や虫歯など多彩な効能を持つヒトガミが各地に出現しました。近世後期には、誰もが状況によりカミとなれる時代で、世俗社会に先駆けて、神々の世界で身分という社会的縛りが意味を失い始めていました。

 幕末には世俗ではとくに他界身分ではない人々がイキガミとされ、そのイキガミを教祖としてさまざまな「民衆宗教」が誕生しました。それは黒住教や天理教や金光教などで、教祖は自ら神と認めていたものの、神としての権威を教祖が独占することはなく、広く信徒や庶民に霊性を見出だそうとしました。こうした理念が直ちに身分制撤廃といった先鋭的な主張に結びつくわけではなく、それぞれの分に応じて勤勉に励むことでより裕福になれる、という論理が展開されました。しかし、神人同体観な基づく人としての平等が主張され、その認識が社会に根づき始めていたことは重要で、富士講に身分を超えた参加者がいることに、幕府は警戒するようになります。

 これと関連して、近世には石田梅岩などにより通俗道徳が庶民層にも流通します。これを封建社会の支配イデオロギーと見ることもできるかもしれませんが、近代社会形成期に特有の広範な人々の主体形成過程を読みとる見解もあります。こうした石門心学などの思想には、人に内在する可能性を認めて社会での発現を是とする、民衆宗教と共通する人間観があり、近世に広く受容された、善としての本性を回復すれば全ての人間が聖人になれると説く朱子学や、人が持つ本源的可能性を肯定し、その回復のための実践を強調する陽明学とも共通していました。自分の職分の遂行により自らを輝かすことが肯定されるような新しい思潮は、近世後期の社会に着実に広がり始めていました。

 一方、誰もが自らの内なる光源でカミに上昇できる、との観念が広く定着した近世後期には、まったく異なる文脈で人をカミに上昇させようとする論理が次第に影響力を増していきました。それは、山崎闇斎に始まる垂加神道と、それに影響を与えた吉田神道が主張する、天皇への奉仕により死後神の座に列なることができる、という思想です。吉田神道や垂加神道では、特定の人物の霊魂に「霊神」・「霊社」号を付与して祀ることが行なわれていました。その系譜から、天皇との関係において人を神に祭り上げる論理が生み出され、実践されていきます。この場合の天皇の聖性は、上述の下からの運動による天皇信仰とは似て非なるものでした。庶民が心を寄せる小さな神々の一つだった天皇とは異なり、垂加神道における天皇は人をカミに上昇させる媒体として位置づけられ、通常の神々を凌ぐ強い威力の存在とみなされました。垂加神道では、肉体は滅びても霊魂は永遠に不滅で、生前の功績により人は神の世界に加わることができ、霊界でも現実世界と同様の天皇中心の身分秩序が形成されていました。天皇に対する献身の度合いによっては、現世の序列を一気に飛び越えることも可能になったわけです。垂加神道は、死後の安心を天皇信仰との関わりにおいて提起した点で、画期的意味を持ちました。

 幕末に向けての、こうしたヒトガミもしくはイキガミ観念の高揚も、民衆宗教と同様に、人の主体性と可能性を積極的に肯定しようとする時代思潮の指標とみなせます。垂加神道では天皇、民衆宗教では土着の神という相違点はありましたが、仏教やキリスト教など外来宗教のカミではなく、日本固有の(と考えられていた)カミが再発見されていくわけです。人々の肯定的な自己認識と上昇指向は、19世紀には幕藩体制下での固定化された身分秩序を負の制約と感じる段階にまで到達していました。現実の秩序を一気に超越しようとする願望は、民衆の深層意識の反映でした。

 こうした時代思潮を背景にした幕末維新の動乱は、単なる政治闘争ではなく、長期間の熟成を経た新たな人間観のうねりが既存の硬直化した身分制度に突き当たり、突き破ろうとする大規模な地殻変動でした。明治維新の原動力として、ペリー来航を契機となる日本の国際秩序への組み入れや、下級武士の役割は重要ではあっても副次的要因にすぎず、幕末維新期の動乱の根底には、多様な階層の人々が抱いていた差別と不平等への不満と、そこからの解放欲求がありました。それは明治時代に、自由民権運動などの民衆運動に継承されていきます。

 幕藩体制崩壊後、ヒトガミ指向が内包していた民衆の能動性を国家側に取り込み、国民国家を自発的に支える均質な「国民」を創出するとことが、新たに誕生した天皇制国家の最重要課題となりました。維新政府の政策は、ヒトガミに祀られることを希望するという形で噴出していた人々の平等への欲求と、新国家の精神的な機軸とされたてんのうに対する忠誠とを結びつけることでした。維新政府は、身分を超えた常備軍=国民軍を創出し、その任務を全うして天皇に命を捧げた者は神として再生し、永遠に人々の記憶に留められる、という招魂社の論理を採用しました。招魂社の源流は長州藩にあり、多様な階層の人々が同じく慰霊されました。これが靖国神社へとつながります。人々の上昇と平等化への欲求が、天皇に対する帰依に結びつけられたわけです。

 上述のように、近世には死者が祖霊となるまで供養を続けることが、慰霊の必須要件でしたが、幕末になっても独自の「家」を形成できない身分・階層は多く、そうした人々が、近代国家では天皇のために死ぬことにより、国家の手で神として検証されるわけです。靖国神社は、近世以来のヒトガミ信仰の系譜を継承しながら、近代天皇制国家に相応しい装いで誕生しました。近代天皇制国家において、天皇は民衆を神に変える唯一の媒体である必要があり、近世の国学で提唱され広がった、身分を超えて人々を包摂する特別の地としての「皇国」観念が、そうした方向を裏打ちしました。そのため、元首や統治機構の世俗化を伴う近代国民国家形成の一般的傾向とは対照的に、日本において君主たる天皇の地位が色濃い宗教性を帯びることになりました。近代天皇制国家の宗教性の背景として、日本社会の後進性(成熟した市民社会の不在)に原因を求める見解もありましたが、日本でもヨーロッパでも近代国家成立期の時代背景にあったのは、身分制に対する大衆水準での強い厭悪感情であり、発展段階の差異というよりは、国民国家に向けての二つの異なる道筋と把握できます。

 近代天皇制国家は、人をヒトガミへと引き上げるもう一つの装置である民衆宗教を、淫祠邪教として排撃することで、民衆聖別の権限を独占しようとしました。とくに、大本教や金光教など、天照大神を中核とする天皇制の世界観とは異なる神々の体系を持つ教団に対する圧迫は徹底していました。近代日本ではその当初より、ヒトガミ信仰に現出する民衆の主体性を根こそぎ国家側に搦め捕ろうとする政府と、国家によるヒトガミ創出の占有に抵抗する民衆宗教など在野勢力との激しい綱引きが続きました。

 近代西欧において、世俗権力相対化の役割を果たしたのがキリスト教で、中世から近代の移行に伴って宗教は政治の表舞台から姿を消し、私的領域を活動の場とするようになりました。しかし、その機能は近代社会において「国家権力の犯しえぬ前国家的な個人の基本権」として継承され、発展させられていきました。個々人が最も深い領域で超越的価値(レヒト)とつながっており、それはいかなる権力者にとっても不可侵の聖域でした。近代日本では、現人神たる天皇を何らかの形で相対化できる独立した権威は存在しませんでした。当時、天皇を本当に神とは思っていなかった、との証言は多いものの、表向きには天皇は現人神として神秘化され、その名を用いれば誰も異論を挟めないような客観的状況がありました。天皇の命と言われれば、生命を惜しむことさえ許されませんでしたし、どの宗教団体も、天皇の御稜威を傷つけることは許されず、その権威の風下に立たざるを得ませんでした。

 この背景には、上述のように中世から近世の移行期に起きた宗教勢力の徹底した解体と、宗教的権威の政治権力に対する屈伏がありました。日本は、神や教会の権威そのものが根底から否定されたわけではないヨーロッパとは異なる、というわけです。江戸時代後期から幕末には、幕府などが分担していた政治的権力と権威の一切を天皇に集中するよう、国学者などは目指しました。支配秩序の頂点に立つ天皇を正当化するうえで最も重要とされたのは、外在する超越的存在ではなく、神代以来の系譜を汲む神孫としての天皇自身が見に帯びた聖性でした。こうして、現人神たる天皇が聖俗の権威を独占して君臨する「神国」日本の誕生は準備されました。「神国」の概念はすでに中世で用いられていましたが、それは、仏が遠い世界の日本では神の姿で現れたから、という論理でした。同じ「神国」でありながら、近代のそれは彼岸の超越的存在の前に天皇の機能が相対化されていた中世のそれとは、まったく構造を異にするものでした。

 上述のように、中世にはこの世から分離していた他界が、再びこの世に戻ってきます。この点で古代と近世は同じですが、曖昧な境界のまま死者と生者が混在していた古代に対して、近世では死者と生者の世界が明確に区分され、両者の交渉儀式が事細かに定められました。上述のように、子孫による死者の供養は死者が「ご先祖さま」になるために必須で、祖先の近代天皇制国家も近世以来のこの死者供養を抑圧できず、「ヤスクニの思想」に全面的に吸収しようと試みます。

 中世から近世にかけて世俗社会への転換をもたらしたのは幕府や諸藩で導入された儒学だった、との見解もありますが、因果関係は逆で、現世一元論的な世界観が定着する過程で、それに適合的な生の哲学としての儒学が注目されていった、と考えるべきでしょう。その儒学の大きな問題は、当時の大半の日本人が納得できる死後世界のイメージを提示できなかったことです。日本儒学で大きな影響力を有した朱子学では、人の体は宇宙を構成する「気」の集合により構成され、死ぬとその「気」は離散してその人物の痕跡はやがて完全に消滅し、死後も霊魂は残るものの、遠からず先祖の霊の集合体と一体化する、と考えられました。これは、一部の知識人に受け入れられることはあっても、大衆に広く重用されることは不可能でした。儒学者たちもこの致命的な弱点に気づき、教理の修正を図るものの、仏教が圧倒的に大きな影響力を有する近世において、習俗の水準で大衆の葬送文化に入り込むことは容易ではありませんでした。

 近世の現世主義に対応する体系的な死生観は、仏教以外では国学の系譜から生まれました。とくに大きな役割を果たしたのは平田篤胤で、平田は死後の世界として大国主神が支配する「幽冥」界を想定し、「幽冥」は極楽浄土のように遠い場所にあるのではなく、湖のイ(顕世)と重なるように存在しており、この世から幽冥界を認知できなくとも、暗い場所から明るいところはよく見えるように、幽冥界からこの世はよく見える、と説明しました。平田の想定する幽冥界は、宗教色がきわめて薄く、この世の延長のような場所でした。


●神のゆくえ

 本書はまとめとして、こうした日本におけるカミ観念の変化の原因として、個別的事件や国家の方針転換や外来文化の導入などもあるものの、最も根源的なものは、日本の精神世界の深層で進行した、人々が共有する世界観(コスモロジー)の旋回だった、と指摘します。また本書は、社会構造の変動に伴う世界観の変容が日本列島固有ではなく、さまざまな違いがありつつも、世界の多くの地域で共通する現象であることを指摘します。一回限りの偶然の出来事や外来思想・文化の影響がカミの変貌を生み出すのではなく、社会の転換と連動して、精神世界の奥底で深く静かに進行する地殻変動が、神々の変身という事件を必然のものとする、というわけです。

 「仏教」や「神道」の思想は、基本ソフトとしての世界観によりそのあり方を規定される応用ソフトのような存在だった、と本書は指摘します。これまで、日本列島の思想と文化変容の背景として、仏教の受容が現世否定の思潮を生み出した、中世神話形成の背景に道教があった、ヒトガミ信仰を生み出したのは吉田神道だった、などといった見解が提示されてきました。しかし本書は、この説明の仕方を逆だと指摘します。初めに基本ソフトとしての世界観の変容があり、それが応用ソフトとしての個別思想の受容と展開の在り方を規定する、というわけです。たとえば、日本における初期の仏教受容では、仏教の霊威は全て超人的な力(霊験)で、その威力の源は神と同じく「清浄」性の確保で、悟りへの到達=生死を超えた救いという概念がまったく見られず、この世と次元を異にする他界を想定できない、古代の一元的世界に規定されていました。仏教の因果の理法も人の生死も、この世界の内部で完結し、真理の覚醒といった概念が入り込む余地はありません。

 また本書は、仏教受容が現世否定の思潮を生み出し、浄土信仰を高揚させたわけではない、と指摘します。世界観の展開が大乗仏教の本来の形での受容を可能として、伝統的な神のあり方を変化させた、というわけです。日本の神を日本列島固有の存在と主張しても、それ自体は無意味な議論ではないとしても、そこに神をより広い舞台に引き出すための契機を見出すことはできず、方法としての「神仏習合」も同様です。日本の神を世界とつなげるためには、神を読み解くためのより汎用性の高いフォーマットが求められます。本書は、そうしたフォーマットを追求しています。

 より広く世界を見ていくと、街の中心を占めているのは、神仏や死者のための施設です。それは日本列島も同様で、縄文時代には死者が集落中央の広場に埋葬され、有史時代にも寺社が都市の公共空間の枢要に長く位置していました。現代日本は日常の生活空間から人以外の存在を放逐してしまいましたが、前近代には、人々は不可視の存在や自身とは異質な他者に対する生々しい実在感を共有していました。上述のように、超越的存在と人との距離は時代と地域により異なりましたが、人々はそれらの超越的存在(カミ)の眼差しを感じ、その声に耳を傾けながら暮らしていました。カミは社会システムが円滑に機能するうえで不可欠の役割を担っており、定期的な法会や祭礼は、参加者の人間関係と社会的役割を再確認し、構成員のつながりの強化機能を果たしました。

 人の集団はいかに小さくとも、内部に感情的な軋轢や利害対立が起きます。共同体の構成員は、宗教儀礼を通じてカミという他者への眼差しを共有することで、構成員同士が直接向き合うことから生じるストレスと緊張感を緩和しようとしました。中世の起請文のように、誰かを裁くさいに、人々がその役割を超越的存在に委ねることにより、処罰することに伴う罪悪感と、罰した側の人への怨念の循環を断ち切ろうとしました。カミは人同士の直接的衝突回避のための緩衝材の役割を果たしていました。これは個人間だけではなく、集団間でも同様です。人間中心主義を土台とする近代社会は、カミと人との関係を切断し、人同士が直接対峙するようになります。近代の人間中心主義は人権の拡大と定着に大きく貢献しましたが、個人間や集団間や国家間の隙間を埋めていた緩衝材の喪失も意味します。それは、少しの身動きがすぐに他者を傷つけるように時代の開幕でもありました。

 カミの実在を前提とする前近代の世界観は、人々の死生観も規定していました。現代では、生と死の間に一線を引ける、と考えられています。ある一瞬を境にして、生者が死者の世界に移行する、というわけです。しかし、こうした死生観は、人類史では近現代だけの特殊な感覚でした。前近代では、生と死の間に、時空間的にある幅の中間領域が存在する、と信じられていました。呼吸が停止してもその人は亡くなったわけではなく、生死の境界をさまよっている、と考えられたわけです。その期間の周囲の人々の言動は、背景にある世界観と死生観に強く規定されました。日本列島では、身体から離れた魂が戻れない状態になると死が確定すると考えられており、遊離魂を体内に呼び戻すことにより死者(呼吸の停止した者)を蘇生しようとしました。中世には不可視の理想世界(浄土)が人々に共有され、死者を確実に他界に送り出す目的で追善儀礼が行なわれました。近世には、死者が遠くに去ることなく、いつまでも墓場に住むという感覚が強まり、死者が現世で身にまとった怒りや怨念を振り捨て、穏やかな祖霊へと上昇することを後押しするための供養が中心となりました。

 前近代には、生者と死者は交流を続けながら同じ空間を共有しており、生と死が本質的に異なる状態とは考えられていませんでした。死後も親族縁者と交歓できるという安心感が社会の隅々まで行き渡ることにより、人は死の恐怖を乗り越えることが可能となりました、死は全ての終焉ではなく、再生に向けての休息であり、生者と死者との新たな関係の始まりでした。しかし、死者との日常的な交流を失った現代社会では、人はこの世だけで完結することになり、死後世界は誰も入ったことのない闇の風景と化しました。近代人にとって、死とは現世と切断された孤独と暗黒の世界です。現代日本社会において、生の質を問うことがない、延命を至上視する背景には、生と死を峻別する現代固有の死生観があります。

 これまでに存在したあらゆる民族と共同体にはカミが存在し、不可視のものに対する強い現実感が共同体のあり方を規定していたので、前近代の国家や社会の考察には、その構成要素として人を視野に入れるだけでは不充分です。人を主役とする近代欧米中心の「公共圏」に関わる議論を超えて、人と人を超える存在とが、いかなる関係を保ちながら公共空間を作り上げているのか、明らかにできるかが重要です。これまでの歴史学で主流だった、人による「神仏の利用」という視点を超えて、人とカミが密接に関わりあって共存する前近代の世界観の奥深くに錘鉛を下し、その構造に光を当てていくことが必要です。

 現在、日本列島も含めて世界各地で、現実社会の中に再度カミを引き戻し、実際に機能させようとする試みが始まっているようです。北京の万明病院では、「往生堂」という一室が設けられ、重篤な状態に陥った患者が運ばれ、親族の介護を受けながら念仏の声に送られるというシステムが作り上げられており、敷地内の別の一室では、遺体を前に僧侶を導師として多くの人々が念仏を称え、その儀式は数日間続けられます。一方現代日本の多くの病院では、霊安室と死者の退出口を人目のつかない場所に設けることで、生と死の空間が截然と区別されていますが、臨床宗教師の育成が多くの大学で進められています。

 息詰まるような人間関係の緩衝材として、新たに小さなカミを生み出そうとする動きも盛んです。1990年代以降の精神世界探求ブームはそうでしたし、ペットブームもその無意識の反映と考えられます。現代日本で多く見られるゆるキャラも、現代社会の息詰まるような人間関係の緩衝材で、心の癒しと考えられます。現代日本社会におけるゆるキャラは、小さなカミを創生しようとする試みかもしれません。欧米諸国と比較すると、日本は今でも自然とカミとの連続性・対称性を強く保持する社会です。現代人は、近代草創期に思想家たちが思い描いたような、直線的な進化の果てに生み出された理想社会にいるわけではありません。近代化は人類にかつてない物質的な繁栄をもたらした一方で、昔の人が想像できなかったような無機質な領域を創り出しました。現在の危機が近代化の深まりの中で顕在化したのならば、人間中心の近代を相対化できる長い間隔のなかで、文化のあり方を再考していく必要があります。

 これは、前近代に帰るべきとか、過去に理想社会が存在したとかいうことではありません。どの時代にも苦悩と怨嗟はありましたが、現代社会を見直すために、近代をはるかに超える長い射程の中で、現代社会の歪みを照射していくことが重要になる、というわけです。これまでの歴史で、カミは人にとって肯定的な役割だけを果たしてきたわけではなく、カミが人を支配する時代が長く続き、特定の人々に拭い難い「ケガレ」のレッテルを貼って差別を助長したのもカミでした。カミの名のもとに憎悪が煽られ、無数の人々が惨殺される愚行も繰り返されてきました。人類が直面している危機を直視しながら、人類が千年単位で蓄積してきた知恵を、近代化により失われたものも含めて発掘していくことこそ、現代人に与えられている大切な課題かもしれません。


参考文献:
佐藤弘夫(2021)『日本人と神』(講談社)


https://sicambre.at.webry.info/202110/article_16.html  


夢を諦めない。サン・プラザホームの夢をプラスする家「+Dream(プラスドリーム)」
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雑記帳
2019年07月06日
佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_14.html

https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%A5%9E%E5%9B%BD%E3%80%8D%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E8%A8%98%E7%B4%80%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%B8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%BC%98%E5%A4%AB/dp/4065121264


 講談社学術文庫の一冊として、2018年6月に講談社より刊行されました。本書の親本『神国日本』は、ちくま新書の一冊として2006年4月に筑摩書房より刊行されました。以前、当ブログにて本書を取り上げましたが、制限字数の2万文字を超えてしまったので、前編と後編に分割しました。今週(2019年7月2日)、ウェブリブログの大規模メンテナンスおよびリニューアルにより、制限文字数が約13万文字に増えたので、記事を一つにまとめることにしました。以下、本文です。


 本書の親本を刊行直後に購入して読み、たいへん感銘を受けたので、何度か再読したくらいです。その後、また再読しようと思っていたところ、講談社学術文庫として文庫版後書が付け加えられて刊行されたことを知り、購入して読み進めることにしました。しっかり比較したわけではないのですが、本文は基本的に親本から変更はないようです(誤字の訂正はあるかもしれませんが)。以前、本書を改めて精読したうえで、当ブログで詳しく取り上げるつもりだ、と述べたので(関連記事)、この機会に以下やや詳しく本書の内容について述べていきます。


 本書はまず、現代日本社会における神国・神国思想の認識について論じます。現代日本社会では、神国思想についてある程度共通の認識はあるものの、その内実には揺らぎもあり、何よりも、好きか嫌いか、容認か否定かという立場が前提となって議論が展開されています。しかし、日本=神国の主張が実際にいかなる論理構造なのか、立ち入った考察がほとんどない、と本書は指摘します。神国思想の内容は議論の余地のないほど自明なのか、と本書は問題提起します。神国思想の論理を解明すべき学界では、神国思想は当初、公家政権側が自己正当化のため唱えた古代的思想と評価され、その後、鎌倉時代の公家政権を中世的とみなす見解が有力となり、神国思想も中世的理念と規定されました。しかし、神国思想が古代的か中世的かといった議論はあっても、それぞれの特色についてはまだ統一的見解が提示されていない、と本書は指摘します。本書は、まず現代日本社会における神国・神国思想についての認識を概観し、その認識への疑問を提示した後に、鎌倉時代を中心に神国思想の形成過程と論理構造を解明し、古代とどう異なるのか、鎌倉時代に確立した後はどう展開していったのか、展望します。

 近代の神国思想を代表するのは『国体の本義』で、神としての天皇を戴く日本は他の国々や民族を凌ぐ万邦無比の神聖国家とされました。天皇とナショナリズムこそ近現代日本社会における神国・神国思想認識の核心です。その『国体の本義』は、神の子孫故に外国(異朝)と異なる、との『神皇正統記』の一節を引用します。『神皇正統記』はまず、次のように説明します。この世界(娑婆世界)の中心には須弥山があり、その四方には四大陸が広がっていて、南の大陸を贍部と呼びます。贍部の中央に位置するのが天竺(インド)で、震旦(中国)は広いといっても、天竺と比較すれば「一片の小国」にすぎません。日本は贍部を離れた東北の海中にあります。日本は、釈迦の生まれた天竺からはるかに隔たった辺境の小島(辺土粟散)にすぎない、というわけです(末法辺土思想)。こうした理念は、末法思想の流行にともない、平安時代後期には社会に共有されました。

 13世紀後半のモンゴル襲来を契機に台頭する神国思想と末法辺土思想は、真っ向から対立する、との見解が学界では主流でした。神国思想は、末法辺土思想を克服するために説かれたのだ、というわけです。それは、「神道的優越感」による「仏教的劣等感」の「克服」と解釈されました。しかし、中世における神国思想の代表とされる『神皇正統記』にしても、日本を辺土粟散と位置づけていました。本書は、神国思想が外国を意識してのナショナリズムだったのか、疑問を呈します。神国思想のもう一つの核である天皇も、中世には儒教的徳治主義や仏教の十善の帝王説の立場から相対化されており、天皇を即自的に神聖な存在とする『国体の本義』とは異なります。

 神国思想の解明にさいしてまず重要なのは、日本における神です。日本の神は現代では、日本「固有」もしくは「土着」の存在として認識されています。しかし、古代と現代とでは、神のイメージは大きく異なります。次に、神国思想を「神道」の枠内にとどめず、より広い思想的・歴史的文脈で見ていかねばなりません。日本を神国とする主張は日本の神祇(天神地祇=天地のあらゆる神々)の世界と密接不可分ですが、中世において圧倒的な社会的・思想的影響力を有していたのは仏教でした。また、陰陽道・儒教など多様な宗教世界の全体的構図を視野に入れねばなりません。こうした視点から、本書は中世、とくに院政期と鎌倉時代を中心に、古代から現代にいたる神国思想の変遷とその論理構造を解明していきますが、その前に、そうした変遷と論理構造の前提となった世界観の変容が解説されます。


 本書は、古代における天皇号の確立を重視します。これにより、ヤマト政権の大王とは隔絶した権威が確立され、天皇が神聖化されるにともない、天照大神を頂点とする神々と神話の体系的秩序が形成されました。じゅうらいは、各氏族がそれぞれ神話と祖先神を有していました。律令体制の変容(本書では古代的な律令制支配の「解体」と表現されています)にともない、平安時代後半には、国家の支援を期待できなくなった大寺院が、摂関家や天皇家といった権門とともに荘園の集積を積極的に進め、古代から中世へと移行していきます。有力神社も、荘園を集積したり、不特定多数の人々に社参や参籠を呼びかけたりするようになります。律令制のもとで神社界の頂点にあった伊勢神宮も、御師が日本各地を回り、土地の寄進を募っていました。

 こうした変動は、伊勢神宮を頂点とする神々の序列にも影響を与えました。国家から以前のような保護を受けられなくなった代わりに、相対的に自立した各神社は、浮沈存亡をかけて競争するようになります。日吉神社を中心とする山王神道関係の書物では、山王神こそ日本第一の神と主張され、公然と天照大神を頂点とする既存の神々の秩序に挑戦しました。本書はこうした状況を、神々の世界における自由競争・下剋上と表現しています。春日社(春日大明神)や熊野本宮や石清水八幡宮なども、既存の神々の秩序に挑戦しました。伊勢神宮でも、経済力をつけてきた外宮が、天照大神を祭る内宮の権威に挑戦します。

 こうした神々の世界における自由競争・下剋上的状況で、天照大神というか伊勢神宮内宮の側も、「自由競争」に参加せざるを得なくなります。しかし本書は、これは天照大神にとって悪いことばかりではなかった、と指摘します。かつての天照大神は諸神の頂点に位置づけられていたものの、非皇族が参詣することも幣帛を捧げることも認められておらず、貴族層の間ですら詳しくは知られていませんでした。確固たる秩序の古代から「自由競争」の中世へと移行し、天照大神は伊勢神宮内宮の努力により、日本において広範な支持・基盤を得るようになります。人々の祈願に気軽に声を傾けるようになった天照大神の一般社会における知名度は、古代よりも飛躍的に上昇します。こうした神の性格の変化は天照大神だけではなく、程度の差こそあれ、どの有力神でも同様でした。有力な神々は、各氏族(天照大神の場合は皇族)の占有神から開かれた「国民神」としての性格を強めていった、というわけです。

 このように中世に神々の性格が変容するにつれて、神々は主権者として特定の領域に君臨し、排他的・独占的に支配する存在と主張されるようになります。寺院でも、寺領荘園が「仏土」と称されるようになります。こうした寺社領への侵犯は、仏罰・神罰として糾弾されました。古代にも一定の領域を神の地とする観念は存在しましたが、あくまでも抽象的・観念的で、中世のように可視的な境界線と具体的な数値で示されるものではありませんでした。さらに、古代と中世以降とでは、神への印象が大きく異なっていました。古代の神は常に一定の場所にいるわけではなく、人間の都合だけで会える存在ではありませんでした。古代の神は基本的に、祭りなど特定の期間にだけ祭祀の場に来訪し、それが終わればどこかに去ってしまうものでした。神が特定の神社に常駐するという観念が広く社会に定着するのは、せいぜい律令国家形成期以降でした。一方、中世の神は遊行を繰り返す存在ではなく、常に社殿の奥深くにあって現世を監視し続け、神社やその領地の危急時には、老人・女性・子供などの具体的姿で現世に現れて人々に指示をくだす存在でした。中世の神々は、人々に具体的な姿で現れ、信仰する者には厚い恩寵を与え、自らの意思に反する者には容赦ない罰をくだす、畏怖すべき存在でしたが、全知全能の絶対者ではなく、多彩で豊かな情感を有し、時には神同士の戦闘で傷つき、弱音を吐くこともありました。


 このように、古代と中世とでは、神の性格が大きく変容します。本書は次に、そうした変容がいかなる論理・契機で進行したのか、解説します。神祇界における古代から中世への移行で重要なのは、上述した国家的な神祇秩序の解体と神々の自立でしたが、もう一つ重要なのは、仏教との全面的な習合でした。主要な神々はすべて仏の垂迹とされ、仏教的なコスモロジーの中に組み込まれました。中世の神国思想は、こうした濃密な神仏混淆の世界から生まれました。仏教伝来後しばらく、神と仏が相互に内的な関係を結ぶことはありませんでした。朝廷の公的儀式でも、仏教は原則として排除されていました。しかし、奈良時代になると、日本の神々が仏法の守護神(護法善神)として位置づけられ、神社の周辺に神宮寺と呼ばれる寺院が建立されるようになります。神は煩悩に苦しむ衆生の一人として仏教に救済を求めていた、と信じられるようになります。

 しかし、この時点での主役はあくまでも神社に祀られた神で、寺院はまだ神を慰めるための付随的な施設にすぎませんでした。平安時代後半以降、神宮寺と神社の力関係は逆転します。王城鎮守としての高い格式を誇る石清水八幡宮では、元々はその付属寺院(神宮寺)にすぎなかった護国寺が逆に神社を支配するようになります。日吉社と延暦寺、春日社と興福寺、弥勒寺と宇佐八幡宮などのように、伊勢神宮を除く大規模な神社の大半が寺家の傘下に入り、その統制に服するようになります。こうした神社と寺院の一体化が進行するなか、思想的な水準でも神と仏の交渉が著しく進展します。神仏を本質的には同一とし、神々を仏(本地)が日本の人々の救済のために姿を変えて出現したもの(垂迹)とする本地垂迹説が、日本全域に浸透し、各神社の祭神は菩薩・権現と呼ばれるようになります。鎌倉時代には、ほとんどの神の本地が特定され、天照大神の本地は観音菩薩や大日如来とされました。


 平安時代に本地垂迹説が日本を席巻した背景として、10世紀頃から急速に進展する彼岸表象の肥大化と浄土信仰の流行がありました。死後の世界(冥界・他界)の観念は太古よりありましたが、平安時代前半まで、人々の主要な関心はもっぱら現世の生活に向けられており、来世・彼岸はその延長にすぎませんでした。しかし、平安時代半ば以降、しだいに観念世界に占める彼岸の割合が増大し、12世紀には現世と逆転します。現世はしょせん仮の宿で、来世の浄土こそ真実の世界なのだから、現世の生活のすべては往生実現のために振り向けられなければならない、との観念が定着しました。古代的な一元的世界にたいする、他界─此土の二重構造を有する中世的な世界観が完成したわけです。当時、往生の対象としての彼岸世界を代表するのは、西方の彼方にあると信じられていた、阿弥陀仏のいる西方極楽浄土でした。しかし、それに一元化されているわけではなく、観音菩薩の補陀落浄土・弥勒菩薩の兜率浄土・薬師仏の浄瑠璃世界・釈迦仏の霊山浄土などといった、多彩な他界浄土がありました。とはいえ、真実の世界たる彼岸の存在という確信は、どれも変わりませんでした。

 浄土往生に人生究極の価値を見出した平安時代後半以降の人々にとって、どうすればそれを実現できるのかが、最大の関心事でした。法然の出現前には、念仏を唱えれば往生できるといった簡単な方法はなく、試行錯誤が続いていました。そうした中で、最も効果的と考えられていたのは、垂迹たる神への結縁でした。平安時代後半から急速に普及する仏教的コスモロジーにおいて、日本は此土のなかでも中心である天竺から遠く離れた辺土と位置づけられました。しかも、平安時代後半には末法の世に入った、と信じられていました。こうした中で、末法辺土の救済主として垂迹が注目されるようになります。垂迹たる神が平安時代後半以降の日本に出現したのは、末法辺土の衆生を正しい信仰に導き、最終的には浄土へ送り届けるためでした。そのため、垂迹のいる霊地・霊場に赴いて帰依することが、往生への近道と考えられました。

 仏との親密化・同体化にともない、日本の伝統的な神々は仏教の影響を受け、その基本的な性格が大きく変容していきます。上述したように、日本の神は、律令国家成立の頃より、定まった姿を持たず、祭祀の期間にだけ現れ、終わると立ち去るような、気ままに遊行を繰り返す存在から、一つの神社に定住している存在と考えられるようになりました。律令国家は、天皇をつねに守護できるよう、神を特定の場所に縛りつけました。また、かつては定まった姿を持たない神が、9世紀になると、仏像にならって像を作られるようになります。このように、律令国家成立の頃よりの神の大きな変化として、可視化・定住化の進展が挙げられます。

 もう一つの神の重要な変化は「合理化」です。かつて神々が人間にたいして起こす作用は、しばしば「祟り」と呼ばれ、その時期と内容、さらにはどの神が祟りを下すのかさえ、人間の予知の範囲外とされました。祟りを鎮めるためには、いかに予測不能で非合理な命令でも、神の要求に無条件に従うしかありませんでした。しかし、平安時代半ば頃から、神と人間の関係は変容し始めます。たとえば、返祝詞の成立です。朝廷からの奉献された品々を納受とそのお返しとしての王権護持からは、もはや神が一方的に人間に服従を求める立場にはないことを示しています。神々は人間にとって「非合理的的」存在から「合理的」存在へと変容したわけです。神々の「合理化」は、神の作用を「祟り」から「罰」と表現するようになったことからも窺えます。罰は賞罰という組み合わせで出現する頻度が高く、賞罰の基準は神およびその守護者たる仏法にたいする信・不信でした。神が初めから明確な基準を示しているという意味で、罰と祟りは異質です。神が人間にたいして一方的に(しばしば「非合理」的な)指示を下す関係から、神と人間相互の応酬が可能な関係へと変容したわけです。こうした神々の「合理化」の背景として、本地垂迹説の定着にともなう神仏の同化がありました。本地垂迹説は、単に神と仏を結びつけるのではなく、人間が認知し得ない彼岸世界の仏と、現実世界に実在する神や仏や聖人とを結合する論理でした。救済を使命とする彼岸の仏(本地)と、賞罰権を行使する此土の神・仏・聖人(垂迹)という分類です。垂迹たる神は自らが至高の存在というわけではなく、仏法を広めるために現世に派遣されたので、その威力も神の恣意によるものではなく、人々を覚醒させるために用いられるべきものでした。神の「合理化」はこうして進展しました。古代ローマでも、当初の神は「理不尽」で「非合理的な」存在でした。

 本地垂迹説の流布は、仏と神がタテの関係においてのみならず、ヨコの関係においても接合されたことを意味します。垂迹たる現世の神・仏・聖人の背後には本地たる仏・菩薩がいますが、その本地も究極的には全宇宙を包摂する唯一の真理(法身仏)に溶融するものと考えられていました。個々の神々も本質的には同一の存在というわけです。法身仏の理念は、「神々の下剋上」的風潮において、完全な無秩序に陥ることを防ぐという、重要な機能を果たしました。仏教的な世界像では、現実世界(娑婆世界)の中心には須弥山がそびえ、その上空から下に向かって、梵天・帝釈天・四天王の住む世界があり、その下に日本の神々や仏像が位置づけられていました。日本の神は聖なる存在とはいっても、世界全体から見ればちっぽけな日本列島のごく一部を支配しているにすぎません。また、こうした序列のなかで、仏教や日本の神祇信仰だけではなく、道教の神々も取り入れられ、その順位は日本の神仏よりも上でした。それは、道教的な神々が日本の神仏よりも広範な地域を担当していたからでした。中世の神々の秩序においては、仏教から隔離された純粋な神祇世界に、相互の結合と神々の位置を確認するための論理は見出されませんでした。中世において、日本の神々は仏教的世界観の中に完全に身を沈めることで初めて、自らの安定した地位を占められました。こうして、天照大神を頂点とする強く固定的な上下の序列の古代から、神々が横一線で鎬を削りつつ、仏教的な世界観に組み入れられ、ゆるやかに結合した中世へと移行します。


 こうした古代から中世への思想状況の変容を背景に、本書は古代と中世の神国思想の論理構造と違いを解説していきます。『日本書紀』に初めて見える神国観念は、神国内部から仏教などの外来要素をできるだけ排除し、神祇世界の純粋性を確保しようとする指向性を有している、イデオロギー的色彩の濃厚なものでした。これには、新羅を強く意識した創作という側面も多分にあります。一方、院政期の頃より、神の国と仏の国の矛盾なき共存を認める神国観念が浮上します。仏教の土着化と本地垂迹説の普及を背景として、神仏が穏やかに調和する中世的な神国思想の出現です。

 『日本書紀』の時点では神国観念はそれほど表面に出ておらず、神国という用語が初めてまとまりをみって出現するのは9世紀後半で、その契機は新羅船の侵攻でした。古代の神国思想は、新羅を鏡とすることで確定する領域でした。その後、平安時代中期に日本の観念的な領域(東は陸奥、西は五島列島、南は土佐、北は佐渡の範囲内)が確定し、神国もこの範囲に収まりました。この範囲は、後に東方が「外が浜」へ、西方が「鬼界が島(現在の硫黄島?)」へと移動(拡大)したものの、基本的にはずっと維持されました。もっとも、これらの範囲は近現代のような明確な線というよりは、流動的で一定の幅を有する面でした。また、こうした日本の範囲は、濃厚な宗教的色彩を帯びていました。この範囲を日本の前提として、奈良時代から9世紀後半までの神国観念は、天照大神を頂点とし、有力な神々が一定の序列を保ちながら、天皇とその支配下の国土・人民を守護する、というものでした。本書はこれを「古代的」神国思想と呼んでいます。古代的神国思想の特徴は、仏教的要素が基本的にはないことです。古代において、公的な場での神仏分離は徹底されており、むしろ平安時代になって自覚化・制度化されていきました。

 古代的神国観念から中世的神国観念への移行で注目されるのは、院政期の頃より日本を神国とする表現が急速に増加し始めることです。神国は、古代の神国思想では、天照大神を頂点とする神々により守護された天皇の君臨する単一の空間が、中世の神国思想では、個々の神々の支配する神領の集合体が想定されていました。また、古代では一体とされていた「国家」と天皇が中世には分離します。中世の神国思想の前提には、上述の本地垂迹説がありました。彼岸と此岸の二重構造的な世界観を前提とし、遠い世界の仏が神として垂迹しているから日本は神国なのだ、という論理が中世の神国思想の特色でした。つまり、古代の神国思想とは異なり、中世の神国思想では仏は排除されておらず、むしろ仏を前提として論理が構築されていました。

 その意味で、上述した、神国思想は平安時代後期から広まった仏教的世界観に基づく末法辺土意識を前提として、その克服のために説きだされた、との近現代日本社会における認識は根本的に間違っています。日本が末法辺土の悪国であることは、本地である仏が神として垂迹するための必要条件でした。神国と末法辺土は矛盾するわけでも相対立するわけでもなく、相互に密接不可分な補完的関係にありました。中世の神国思想は、仏教が日本に土着化し、社会に浸透することにより、初めて成立しました。

 また、中世的神国思想は、モンゴル襲来を契機として、ナショナリズムを背景に高揚し、日本を神秘化して他国への優越を強く主張する、との近現代日本社会における認識も妥当ではありません。まず、日本の神祇を仏教的世界観に包摂する論理構造の神国思想は、国土の神秘化と他国への優越を無条件に説くものではなく、むしろ普遍的真理・世界観と接続するものでした。また、釈迦も孔子や日本の神々や聖徳太子などと同様に他界から派遣された垂迹であって、本地仏とは別次元の存在でした。中世的神国思想は、日本とインド(天竺)を直結させ、中国(震旦)を相対化するものではありませんでした。本地垂迹説の論理は、娑婆世界(現世)の二地点ではなく、普遍的な真理の世界と現実の国土を結びつけるものでした。ただ、中世の神国思想に、日本を神聖化し、他国への優越を誇示する指向性があり、鎌倉時代後半からそれが強くなっていったことも否定できません。しかし本書は、神国思想が仏教的理念を下敷きにしていたことの意義を指摘します。

 日本は天竺・震旦とともに三国のうちの一国として把握され、日本が神国であるのは、たまたま仏が神として垂迹したからで、天竺と震旦が神でないのは、神ではなく釈迦や孔子が垂迹したからでした。そのため、日本の聖性と優越が強調されたとしても、それは垂迹の次元でのことでした。日本に肩入れする神仏は垂迹で、日本と敵対する国にも垂迹はいました。垂迹たちの背後には共通の真理の世界が存在し、その次元ではナショナリズム的観念には意味がありませんでした。中世の僧侶が日本を礼賛して日本の神仏の加護を願いつつ、たびたび震旦・天竺行きを志したのも、本地垂迹説の「国際的な」世界観が前提としてあったからでした。上述した、『神皇正統記』における、日本神国で他国(異朝)とは異なる、との主張も、単純に日本の優越性を説いたものではなく、本地としての仏が神として垂迹し、その子孫が君臨しているという意味での「神国」は日本だけだ、と主張するものでした。『神皇正統記』では、日本賛美傾向もあるものの、日本が広い世界観の中に客観的に位置づけられており、その日本観はかなりの程度客観的です。


 中世的神国思想は、モンゴル襲来を契機として、ナショナリズムを背景に高揚し、日本を神秘化して他国への優越を強く主張する、との近現代日本社会における認識は、中世的神国思想がどのような社会的文脈で強調されたのか、との観点からも間違っています。中世において神国思想がある程度まとまって説かれる事例としては、院政期の寺社相論・鎌倉時代のいわゆる新仏教排撃・モンゴル襲来があります。すでにモンゴル襲来前に、「対外的」危機を前提とせずに、中世的神国思想が強調されていたわけです。中世において、神仏が現実世界を動かしているとの観念は広く社会に共有されており、寺社勢力が大きな力を振るったのはそのためでした。院政期に集中的に出現する神国思想は、国家的な視点に立って権門寺社間の私闘的な対立の克服と融和・共存を呼びかけるため、院とその周辺を中心とする支配層の側から説かれたものでした。神国思想の普遍性が活かされているのではないか、と私は思います。

 いわゆる鎌倉新仏教、中でも法然の唱えた専修念仏は、伝統仏教側から激しく執拗な弾圧を受けました。そのさい、しばしば神国思想が持ち出されました。専修念仏者が念仏を口実として明神を敬おうとしないのは、「国の礼」を失する行為で神の咎めに値する、と伝統仏教側は糾弾しました。神々の威光は仏・菩薩の垂迹であることによるのだから、神々への礼拝の拒否は「神国」の風儀に背く、というわけです。末法辺土の日本では存在を視認できない彼岸の仏を信じるのは容易ではないので、末法辺土の日本に垂迹して姿を現した神々・聖人・仏像などへの礼拝が必要とされました。伝統仏教側は、神々の「自由競争」・「下剋上的状況」のなか、礼拝・参詣により人々の関心を垂迹たる神々や仏像のある霊場に向けさせようとしました。しかし法然は、念仏により身分・階層に関わりなく本地の弥陀の本願により極楽往生できる、と説きました。誰もが、彼岸の阿弥陀仏と直接的に縁を結べるのであり、彼岸と此岸を媒介する垂迹は不要どころか百害あって一利なしとされました。法然の思想には本来、現実の国家・社会を批判するような政治性はありませんでしたが、荘園支配のイデオロギー的基盤となっていた垂迹の権威が否定されたことは、権門寺社にとって支配秩序への反逆に他ならず、垂迹の否定は神国思想の否定でもありました。そのため、専修念仏は支配層から弾圧されました。

 モンゴル襲来の前後には、神々に守護された神国日本の不可侵を強調する神国思想が広く主張されました。本書はこれを、ナショナリズム的観念の高揚というより、荘園公領体制下で所領の細分化による貧窮化などの諸問題を、神国と規定してモンゴル(大元ウルス)と対峙させることで覆い隠そうとするものだった、と指摘しています。院政期の寺社相論や鎌倉時代のいわゆる新仏教排撃で見られたように、中世の神国思想はモンゴル襲来よりも前に盛り上がりを見せており、対外的危機を前提とはしていませんでした。寺社相論も鎌倉新仏教への弾圧もモンゴル襲来も、権門内部で完結する問題ではなく、国家秩序そのものの存亡が根底から揺らぐような問題だったため、神国思想が持ち出された、と本書は論じます。中世において、国家全体の精神的支柱である寺社権門の対立は、国家体制の崩壊に直結しかねない問題でした。専修念仏の盛り上がりも、寺社権門の役割を否定するものという意味で、国家的な危機と認識されました。もちろん、モンゴル襲来はたいへんな国家的危機で、支配層たる権門の再結集が図られるべく、神国思想が強調されました。イデオロギーとしての神国思想はむしろ、内外を問わず、ある要因がもたらす国家体制の動揺にたいする、支配層内部の危機意識の表出という性格の強いものでした。

 神国思想は本来、日本を仏の垂迹たる神々の鎮座する聖地と見る宗教思想でしたが、支配層の総体的危機において力説されたように、政治イデオロギーの役割も担わされました。すべての権力が天皇に一元化していく古代とは異なり、中世社会の特色は権力の分散と多元化にありました。多元的な権力から構成される社会において、諸権門をいかに融和させるかが重要な課題となり、神国思想もそうした中世の国家体制を正当化するイデオロギーとして支配層から説きだされた、と本書は推測しています。神国思想が強調されたのは、個別の権門が危機に陥った時ではなく、国家秩序全体の屋台骨が揺らいでいるような時でした。ただ、中世、とくに前期においては、神国思想は民衆を支配するイデオロギーとして強く機能したわけではありませんでした。中世の民衆を束縛した理念は、荘園を神仏の支配する聖なる土地とする仏土・神領の論理だった、と本書は推測しています。国思想は、じっさいの海外交渉ではなく支配層の危機意識の反映だったので、抽象的でした。その背景となる仏教的世界観自体がきわめて観念的性格の強いものだったので、神国思想はなおさら抽象的にならざるを得ませんでした。天竺・震旦・日本から構成される三国世界との認識も観念的で、日本仏教との関わりの強い朝鮮半島が欠落していました。


 本書は次に、神国思想における天皇の占める位置の変遷を解説します。古代では天皇は神国思想の中核的要素でしたが、中世の神国思想では天皇の存在感は希薄です。古代の神国思想は天皇の安泰を目的としましたが、中世では、天皇は神国維持の手段と化し、神国に相応しくない天皇は速やかに退場してもらう、というのが支配層の共通認識でした。その前提として、天皇の在り様の変化があります。律令国家の変容にともない、天皇の在り様も大きく変わります。天皇の政治権力は失墜しますが、形式上は最高次の統治権能保有者たる「国王」であり続けました。それは、他の権力では代替できない権威を天皇が有していたからでした。それに関しては、大嘗祭に象徴される古代から現代まで一貫する権威があった、という説と、即位灌頂のような仏教的儀式に代表される、それぞれの時代に応じた権威があった、という説が提示されています。

 一方、院政期になると天皇がさまざまな禁忌による緊縛から解き放たれて、神秘性を失ってしまう、との見解もあります。天皇は現御神の地位から転落した、というわけです。天皇は、より高次の宗教的権威である神仏の加護なくして存立し得ず、罰を受ける存在でもある、との観念も広く見られるようになりました。つまり、天皇の脱神秘化が進み、天皇はもはや内的権威で君臨できなくなったので、即位灌頂のような新たな仏教的儀式に見られるように、外的権威を必要としたのではないか、というわけです。しかし本書は、天皇に対する仮借なき批判が一般的だったことから、新たな儀式の効果には限界があった、と指摘します。そもそも、即位灌頂は秘儀とされていて、特定の皇統で行なわれていただけで、よく知られていませんでした。即位灌頂き一般的な天皇神秘化の儀式ではなく、特定の皇統による自己正当化の試みの系譜ではないか、と本書は指摘しています。

 古代の神国思想は天皇の存在を前提として正当化することが役割でした。神々の守るべき国家とは天皇でした。中世には、国家的寺社が自立し天皇は権門の一員となりました。しかし、分権化の進行する中世において、とくに体制総体が危機にある時は、天皇が諸権門の求心力の焦点としての役割を果たすには、ある程度聖別された姿をとることが必要でした。古代には天皇が神孫であることは天皇個人の聖化と絶対化に直結していましたが、中世には神孫であることは即位の基礎資格でしかなく、天皇の終生在位を保証しませんでした。これは、中世には古代と異なり、天皇の観念的権威の高揚が天皇個人の長久を目的としておらず、国家支配維持の政治的手段だったことと密接に関連しています。そのため天皇が国王としての立場を逸脱したとみなされた場合は、支配層から批判され、交代が公然と主張されました。天皇は中世には体制維持の手段と化したわけです。古代には国家とは天皇そのものでしたが、中世の国家概念には国土や人民といった要素が含まれるようになり、国家はより広い支配体制総体を指す概念となりました。神孫であることだけでは天皇位を維持できないので、中世の天皇は徳の涵養を強調する場合もありました。

 より高次の宗教的権威が認められ、個人としては激しく批判されることもあった天皇が必要とされ続けたのは、一つには、神代からの伝統と貴種を認められた天皇に代わるだけの支配権力結集の核を、支配層が用意に見つけられなかったからです。権力の分散が進行する中世において、混乱状況の現出を防ぐために、権門同士の調整と支配秩序の維持が重要な課題として浮上しました。天皇が国家的な位階秩序の要を掌握していたのは、単に伝統だからではなく、支配層全体の要請でもありました。したがって、天皇位の喪失は、天皇家という一権門の没落にとどまらず、支配層全体の求心力の核と、諸権門を位置づけるための座標軸の消失を意味していました。既存の支配秩序を維持しようとする限り、国王たる天皇を表に立てざるを得ないわけです。そのため、体制の矛盾と危機が強まるほど、天皇の神聖不可侵は反動的に強調されねばならず、故にそうした時には神国思想も強調されました。

 天皇が必要とされたもう一つの理由は、中世固有の思想状況です。中世では地上の権威を超える権威たる本地仏が広く認められていたので、天皇ではない者が本地仏と直接結びつく可能性もありました。日蓮や専修念仏には、そうした論理の萌芽が認められ、天皇家と運命共同体の公家にとって、天皇に取って代わる権威は絶対に認められないので、新興仏教に対抗するために天皇と神国を表に出しました。武家政権も、中世前期においては荘園体制を基盤とし、垂迹たる神仏への祈祷に支えられていたので、垂迹を経由せず彼岸の本仏と直接結びつくような、日蓮や専修念仏の信仰を容認できませんでした。武家政権が神国思想を否定することは、鎌倉時代の段階では不可能でした。


 このように、神国思想は固定化された理念ではなく、歴史の状況に応じて自在に姿を変えてきました。神国思想はしばしば、普遍世界に目を開かせ、非「日本的」要素を包摂する論理としても機能しました。「神国」の理念を現代に活かすのであれば、安易に過去の「伝統」に依拠せず、未来を見据え、世界を視野に収めてその中身を新たに創造していく覚悟が求められます。日本を神国とみなす理念は古代から近現代に至るまでいつの時代にも見られましたが、その論理は時代と論者により大きな隔たりがありました。その背景には、神国思想の基盤となる神観念の変貌とコスモロジーの大規模な転換がありました。モンゴル襲来以降の神国思想も、決して手放しの日本礼賛論ではありませんでした。中世の神国思想の骨格は、他界の仏が神の姿で国土に垂迹している、という観念にありました。普遍的存在である仏が神の姿で出現したから「神国」というわけです。インド(天竺)や中国(震旦)が神国ではないのは、仏が神以外の姿をとって現れたからでした。

 現実のさまざまな事象の背後における普遍的な真理の実在を説く論理は、特定の国土・民族の選別と神秘化に本来なじみません。中世的な神国思想の基本的性格は、他国に対する日本の優越の主張ではなく、その独自性の強調でした。中世的な神国思想は、仏教的世界観と根本的に対立するのではなく、それを前提として初めて成立するものでした。中世的神国思想において、天皇はもはや中心的要素ではなく、神国存続のための手段でした。神国に相応しくない天皇は退位させられて当然だ、というのが当時の共通認識でした。中世的神国思想には普遍主義的性格が見られます。中世の思潮に共通して見られる特色は、国土の特殊性への関心とともに、普遍的世界への強い憧れです。現実世界に化現した神・仏・聖人への信仰を通じて、誰かもが最終的には彼岸の理想世界に到達できる、という思想的状況において、中世の神国思想は形成されました。

 中世後期(室町時代)以降、日本の思想状況における大きな変化は、中世前期(院政期・鎌倉時代)に圧倒的な現実感を有していた他界観念の縮小と、彼岸─此岸という二重構造の解体です。古代から中世への移行期に、現世を仮の宿と考え、死後の理想世界たる浄土への往生に強い関心を寄せる世界観が成立しました。しかし、中世後期には浄土のイメージが色褪せ、現世こそが唯一の実態との見方が広まり、日々の生活が宗教的価値観から解放され、社会の世俗化が急速に進展します。仏は人間の認知範囲を超えたどこか遠い世界にあるのではなく、現世の内部に存在し、死者が行くべき他界(浄土)も現世にある、というわけです。死者の安穏は遥かな浄土への旅立ちではなく、墓地に葬られ、子孫の定期的な訪れと読経を聞くことにある、とされました。神は彼岸への案内者という役割から解放され、人々の現世の祈りに耳を傾けることが主要な任務となりました。この大きな社会的変化は、江戸時代に完成します。このコスモロジーの大変動は、その上に組み上げられたさまざまな思想に決定的転換をもたらしました。彼岸世界の衰退は、垂迹の神に対して特権的地位を占めていた本地仏の観念の縮小を招き、近世の本地垂迹思想は、他界の仏と現世の神を結びつける論理ではなく、現世の内部にある等質な存在としての仏と神をつなぐ論理となりました。その結果、地上のあらゆる存在を超越する絶対者と、それが体現していた普遍的権威は消滅しました。中世において、現世の権力や価値観を相対化して批判する根拠となっていた他界の仏や儒教の天といった観念は、近世では現世に内在化し、現世の権力・体制を内側から支えることになりました。

 彼岸世界の後退という大きな変動が始まるのは14世紀頃で、死後の彼岸での救済ではなく、現世での充実した生が希求されるようになりました。もっとも、客観的事実としての彼岸世界の存在を強力に主張し、彼岸の仏の実在を絶対的存在とする発想は、中世を通じておもに民衆に受容されて存続しました。一向一揆や法華一揆は、他界の絶対的存在と直結しているという信念のもと、現世の権力と対峙しましたが、天下人との壮絶な闘争の末に、教学面において彼岸表象の希薄な教団だけが正統として存在を許されました。江戸時代にはすべての宗教勢力が統一権力に屈し、世俗の支配権力を相対化できる視点を持つ宗教は、社会的な勢力としても理念の面でも消滅しました。神国思想も、近世には中世の要素を強く継承しつつも、大きく変わりました。近世の神国思想では、本地は万物の根源ではなく「心」とされました。本地は異次元世界の住人ではなく、人間に内在するものとされました。また、近世の神国思想では、垂迹は浄土と現世を結ぶ論理とは認識されておらず、中世の神国思想の根底をなした遠い彼岸の観念は見られません。近世の神国思想では、本地垂迹は他界と現世とを結ぶのではなく、現世における神仏関係となっていました。

 中世的神国思想の中核は、他界の仏が神として日本列島に垂迹している、という理念でした。現実の差別相を超克する普遍的真理の実在にたいする強烈な信念があり、それが自民族中心主義へ向かって神国思想が暴走することを阻止する役割を果たしていました。しかし、中世後期における彼岸表象の衰退にともない、諸国・諸民族をともかくも相対化していた視座は失われ、普遍的世界観の後ろ盾を失った神国思想には、日本の一方的な優越を説くさいの制約は存在しませんでした。じっさい、江戸時代の神道家や国学者は、神国たる日本を絶賛し、他国にたいする優越を説きました。中世的な神国思想では日本の特殊性が強調されましたが、近世の神国思想では、日本の絶対的優位が中核的な主張となりました。

 古代においても中世前期においても、神国思想には制約(古代では神々の整然たる秩序、中世では仏教的世界観)があり、自由な展開には限界があった、という点は共通していました。しかし、近世においては、権力批判に結びつかない限り、神国思想を制約する思想的条件はありませんでした。近世には、思想や学問が宗教・イデオロギーから分離し、独立しました。近世の神国思想は多様な人々により提唱され、日本を神国とみなす根拠も、さまざまな思想・宗教に基づいていました。共通する要素は、現実社会を唯一の存在実態とみなす世俗主義の立場と強烈な自尊意識です。近世の神国思想の重要な特色としては、中世では日本=神国論の中心から排除されていた天皇が、再び神国との強い結びつきを回復し、中核に居座るようになったことです。中世において至高の権威の担い手は、超越的存在としての彼岸の本地仏でした。中世後期以降、彼岸のイメージが縮小し、中世には天皇を相対化していた彼岸的・宗教的権威が後退していきます。近世の神国思想において、本地垂迹の論理は神国を支える土台たり得ず、日本が神国であることを保証する権威として、古代以来の伝統を有する天皇が持ち出されました。

 明治政府は神国=天皇の国という近世の神国思想の基本概念を継承しますが、神仏分離により、外来の宗教に汚されていない「純粋な」神々の世界のもと、神国思想を再編しました。近代の神国理念には、(近世以降に日本「固有」で「純粋な」信仰として解釈された)神祇以外の要素を許容する余地はなく、中世の仏教的世界観も、近世の多様な思想・宗教も排除されました。天皇を国家の中心とし、「伝統的な」神々が守護するという現代日本人に馴染み深い神国の理念は、こうした過程を経て近代に成立しました。近代の神国思想には、日本を相対化させる契機は内在されていませんでした。独善的な意識で侵略を正当化する神国思想への道が、こうして近代に開かれました。

 現代日本社会における神国思想をめぐる議論について、賛否どちらの議論にも前提となる認識に問題があります。日本=神国とする理念自体は悪ではなく、議論を封印すべきではありません。自民族を選ばれたものとみなす発想は時代を問わず広範な地域で見られ、神国思想もその一つです。排外主義としてだけではなく、逆に普遍的世界に目を開かせ、外来の諸要素を包摂する論理として機能したこともありました。神国思想は日本列島において育まれた文化的伝統の一つで、その役割は総括すべきとしても、文化遺産としての重みを正しく認識する義務があります。一方、神国思想を全面的に肯定する人々には、他者・他国に向けての政治的スローガンにすべきではない、と本書は力説します。そうした行為は、神国という理念にさまざまな思いを託してきた先人たちの努力と、神国が背負っている厚い思想的・文化的伝統を踏みにじる結果になりかねません。神国思想は、一種の選民思想でありながら、一見すると正反対な普遍主義への指向も内包しつ、多様に形を変えながら現代まで存続してきました。仏教・キリスト教・イスラム教などが広まった地域では、前近代において、普遍主義的な世界観が主流を占めた時期があります。宇宙を貫く宗教的真理にたいする信頼が喪失し、普遍主義の拘束から解放された地域・民族が、自画像を模索しながら激しく自己主張をするのが近代でした。自尊意識と普遍主義が共存する神国思想に関する研究成果は、方法と実証両面において、各地域における普遍主義と自民族中心主義の関わり方と共存の構造の解明に、何らかの学問的貢献ができる、と予想されます。


 以上が親本の内容となり、以下が文庫版の追加分となります。本書執筆の背景には、異形のナショナリズムと排他主義の勃興、大規模な汚染や大量破壊兵器といった近代が生み出した問題にたいする危機意識がありました。文庫版では、親本よりもこの問題意識が強く打ち出されています。近代化の延長線上にある現代の危機的状況の解決・克服には、近代そのものを相対化できる視座が不可欠で、それは前近代にまで射程を延ばしてこそ可能ではないか、というのが本書の見通しです。以下、親本での内容とかなり重なりますが、文庫版の追加分について備忘録的に取り上げていきます。


 中世には機能の異なる二種類の仏がいました。一方は、生死を超越した救済に民族(的概念に近い分類)・国の別なく衆生を導く普遍的存在で、姿形を持ちません。もう一方の仏は、具体的な形を与えられた仏像で、日本列島の住民を特別扱いし、無条件に守護する存在です。日本の仏は人々を彼岸(他界)の本仏に結縁させる役割を担っていますが、それ自体が衆生を悟りに到達させる力は持ちません。日本に仏教が導入された当初の古代において、死後の世界たる浄土は現世と連続しており、容易に往来できました。このような仏教受容は、人間が神仏や死者といった超越的存在(カミ)と同じ空間を共有する、という古代的なコスモロジーを背景としていました。

 こうした古代的な一元的世界観は、10〜12世紀に転換していきます。超越的存在にたいする思弁が深化して体系化されるにつれてその存在感が増大し、その所在地が現世から分離し始めます。人間の世界(現世)から超越的存在の世界(他界)が自立して膨張します。この延長線上に、現世と理想の浄土が緊張感をもって対峙する二元的な中世的コスモロジーが成立します。至高の救済者が住む他界こそが真実の世界とされ、現世は他界に到達するための仮の宿という認識が一般化しました。言語や肌の色の違いを超えて人々を包み込む普遍的世界が、現実の背後に実在すると広く信じられるようになりました。日本の神や仏像など、現世に取り残されたカミは、衆生を他界に導くために現世に出現した、彼岸の究極の超越的存在(本地仏)の化現=垂迹として位置づけられました。

 日本では古代から中世においてこのようにコスモロジーが転換し、仏教、とりわけ浄土信仰が本格的に受容されます。教理として論じられてきた厭離穢土欣求浄土の思想や生死を超えた救済の理念が、閉じられた寺院社会を超えて大衆の心をつかむ客観的情勢がやっと成熟したわけです。仏教や浄土教が受容されたから彼岸表象が肥大化したのではなく、他界イメージの拡大が、浄土信仰本来の形での受容を可能にしました。コスモロジーの変容が仏教受容の在り方を規定する、というわけです。現世を超えた個々人の救済をどこまでも探求する「鎌倉仏教」誕生の前提には、こうした新たなコスモロジーの形成がありました。このコスモロジーの転換の要因について、本書は人類史の根底にある巨大な潮流を示唆していますが、いずれ本格的に論じたい、と述べるに留まっています。

 神国がしきりに説かれるようになる中世は、多くの人が現世を超えた心理の世界を確信していた時代でした。日本の神は仏(仏像)と同じく、それ自体が究極の真理を体現するのではなく、人々を他界に送り出すことを最終的な使命として、現世に出現=垂迹した存在でした。神の存在意義は衆生を普遍的な救済者につなぐことにあったわけです。こうした世界観では、現世的存在で、他界の仏の垂迹にすぎない神に光を当てた神国の論理は、他国を見下し、日本の絶対的な神聖性と優位を主張する方向らには進みませんでした。神に託して日本の優越性が主張されるのは、世俗的な水準の問題に限られており、真実の救済の水準では、国や民族(的概念に近い分類)といった修行者の属性は意味を失いました。中世の神国思想は普遍的な世界観の枠組みに制約されていたわけです。日本が神国であるのは、彼岸の仏がたまたま神という形で出現したからで、インド(天竺)はそれが釈迦で、中国(震旦)はそれが孔子や顔回といった学者(聖人)だったので、神国とは呼ばれませんでした。

 中世的なコスモロジーは14〜16世紀に大きく転換していきます。不可視の理想世界にたいする現実感が消失し、現世と他界という二元的世界観が解体し、現世が肥大化していきます。人々が目に見えるものや計測できるものしか信じないような、近代へとつながる世界観が社会を覆い始めます。生死を超えた救済に人々を誘う彼岸の本地仏の存在感は失われ、現世での霊験や細々とした現世利益を担当する日本の神や仏像の役割が増大し、日本と外国を同次元においたうえで、日本の優位を主張するさまざまな神国思想が近世(江戸時代)には登場します。

 近世的神国思想では、背景にあった普遍主義の衰退にも関わらず、日本優位の主張が暴走することはありませんでした。その歯止めになっていたのは、一つには身分制でした。国家を果実にたとえると、身分制社会は、ミカンのようにその内部に身分や階層による固定的な区分を有しており、それが国家権力により保証されています。一つの国家のなかに利害関係を異にする複数の集団が存在し、国家全体よりも各集団の利害の方が優先されました。モンゴル襲来にさいして神国観念が高揚した中世においても、モンゴルと対峙した武士勢力に純粋な愛国心があったわけではなく、自らが君臨する支配秩序の崩壊にたいする危機意識と、戦功による地位の上昇・恩賞が主要な動機でした。自分の地位に強い矜持を抱き、命をかけてそれを貫こうとする高い精神性はあっても、愛する国土を守るために侵略者に立ち向かうといった構図は見当たらず、それが中世人の普通の姿でした。愛国心がないから不純だと考えるのは、近代的発想に囚われています。中世の庶民層でも国家水準の発想は皆無で、モンゴル襲来は、日本の解体につながるからではなく、日常生活を破壊するものとして忌避されました。

 近代国家は、内部が区分されているミカン的な近世社会から、一様な果肉を有するリンゴ的社会へと転換しました。近代国家は、全構成員を「国民」という等質な存在として把握します。この新たに創出された国民を統合する役割を担ったのが天皇でした。神国日本は悠久の伝統を有する神としての天皇をいただく唯一の国家なので、他国と比較を絶する神聖な存在であり、その神国の存続と繁栄に命を捧げることが日本人の聖なる使命とされました。普遍主義的コスモロジーが失われ、全構成員たる国民が神国の選民と規定された近代国家の成立により、神国日本の暴走に歯止めをかける装置はすべて失われました。第二次世界大戦での敗北により状況は一変しましたが、ナショナリズムを制御する役割を果たす基本ソフト(コスモロジー)が欠けているという点では、現在も変わりません。

 社会の軋轢の緩衝材としてのカミが極限まで肥大化し、聖職者によりその機能が論理化され、普遍的存在にまで高められたのが中世でした。現世の根源に位置する超越者は、民族・身分に関わりなく全員を包み込む救済者でした。近代化にともなう世俗化の進行とカミの世界の縮小により、人間世界から神仏だけではなく死者も動物も植物も排除され、特権的存在としての人間同士が直に対峙する社会が出現しました。近代社会は、人間中心主義を土台としていたわけです。この人間中心主義は基本的人権の拡大・定着に大きな役割を果たしましたが、社会における緩衝材の喪失も招きました。人間の少しの身動きがすぐに他者を傷つけるような時代の到来です。現在の排他的な神国思想は、宗教的装いをとっていても、社会の世俗化の果てに生まれたもので、その背後にあるのは、生々しい現世的な欲望と肥大化した自我です。自分の育った郷土や国に愛情と誇りを抱くのは自然な感情ですが、問題はその制御です。現在の危機が近代化の深化のなかで顕在化したものであれば、人間中心主義としての近代ヒューマニズムを相対化できる長い射程のなかで、文化・文明を再考することが必要です。これは、前近代に帰れとか、過去に理想社会が実在したとかいうことではなく、近代をはるかに超える長い射程のなかで、近現代の歪みを照射することが重要だ、ということです。


 以上、本書の見解について備忘録的に詳しく取り上げてきました。そのため、かなりくどくなってしまったので、改めて自分なりに簡潔にまとめておきます。神国思想は、神としての天皇を戴く日本を神国として、他国に対する絶対的優位を説いた、(偏狭な)ナショナリズムで、鎌倉時代のモンゴル襲来を契機に盛り上がりました。平安時代後期〜モンゴル襲来の頃まで、日本は釈迦の生まれた天竺からはるかに隔たった辺境の小島(辺土粟散)にすぎない、という末法辺土思想が日本では浸透しており、神国思想は神道的優越感による仏教的劣等感の克服でした。

 本書は、このような近現代日本社会における(おそらくは最大公約数的な)神国思想認識に疑問を呈し、異なる解釈を提示します。神国思想は、古代・中世・近世・近現代で、その論理構造と社会的機能が大きく変容しました。古代のコスモロジーは、人間が神仏や死者といった超越的存在と同じ空間を共有する、というものでした。しかし、古代の神は人間にとって絶対的で理不尽な存在で、人間には祟りをもたらし、予測不能で非合理的な命令をくだしました。また、古代の神は一ヶ所に定住せず、祭祀の期間にだけ現れ、終わると立ち去るような、気ままに遊行を繰り返す存在でした。これも、古代の神の人間にとって理不尽ではあるものの、絶対的存在でもあったことの表れなのでしょう。古代の神は氏族に占有されており、広く大衆に開かれているわけではありませんでした。しかし、律令国家形成の頃より、次第に神は一ヶ所に定住する傾向を強めていきます。中央集権を志向した律令国家により、神々も統制されていくようになったわけです。このなかで、皇祖神たる天照大神を頂点とする神々の整然とした秩序が整備され、天皇は国家そのものとされ、神々が守護すべき対象とされました。古代的神国思想では、仏教的要素は極力排除され、天皇が中核的要素とされました。

 こうした整然とした古代的秩序は、律令制度の変容にともない、平安時代前期に大きく変わります。神社にたいする国家の経済的支援は減少し、神社は皇族や有力貴族・寺院などとともに、荘園の集積に乗り出し、経済的基盤を確立しようとします(荘園公領制)。この過程で、古代的な整然とした神々の秩序は崩壊し、神々の自由競争的社会が到来します。これが古代から中世への移行で、古代から中世への移行期を経て、中世にはコスモロジーも神国思想も大きく変容します。古代から中世への移行期に、神の立場が大きく変わります。かつては一ヶ所に定住せず、人間に祟り、理不尽な命令をくだす絶対的な存在だったのが、一ヶ所に定住し、人間の信仰・奉仕に応じて賞罰をくだす、より合理的存在となります。神の一ヶ所への定住は、集積された各所領の正当性の主張に好都合でした。また、仏像にならって神の像も作られるようになります。古代から中世への神の変化は、合理化・定住化・可視化と評価されます。

 さらに、仏教の浸透、神々の仏教への融合により、かつては人間と神などの超越的存在とが同じ空間を共有していたのに、超越的存在の空間としての彼岸の観念が拡大し、理想の世界とされ、現世たる此岸と明確に分離します。こうしたコスモロジーは、仏教信仰と教学の深化により精緻になっていきました。そこで説かれたのが本地垂迹説で、普遍的真理たる彼岸の本地仏と、その化現である垂迹としての神や仏(仏像)という構図が広く支持されるようになりました。古代において人間にとって絶対的存在だった神は、普遍的真理ではあるものの、あまりにも遠く、人間には覚知しにくい彼岸と、現世の存在たる人間とを結びつける、本地仏より下位の存在となりました。この垂迹は、天竺(インド)・震旦(中国)・日本という当時の地理的認識における各国では、それぞれ異なる姿で現れました。天竺では釈迦、震旦では孔子、日本では神々というわけです。日本が神国との論理は、中世においては、垂迹が神であるという意味においてであり、日本が天竺や震旦より優位と主張する傾向もありましたが、それは垂迹の水準でのことで、本質的な主張ではありませんでした。中世の神国思想は、仏教的世界観を前提とした普遍的真理に基づいており、モンゴル襲来のようなナショナリズム的観念の高揚を契機に主張されるようになったのではありませんでした。じっさい、中世において神国思想が盛んに説かれる契機となったのは、院政期の寺社相論と鎌倉時代のいわゆる新仏教(とくに専修念仏)排撃で、モンゴル襲来よりも前のことでした。このような中世的神国思想は、他国にたいする絶対的優位を説く方向には進みませんでした。また、中世には天皇の権威も低下し、神国思想において天皇は自身が守護の対象というより、体制維持の手段でした。

 しかし、神国思想の前提となるコスモロジーが変容すれば、神国思想自体も大きく変わっていきます。14世紀以降、日本では中世において強固だった彼岸─此岸の構造が解体していきます。彼岸世界の観念は大きく縮小し、此岸たる現世社会が拡大していき、人々が彼岸世界に見ていた普遍的真理も衰退していきます。こうした傾向は江戸時代に明確になり、ナショナリズム的観念の肥大を阻止していた普遍的真理が喪失されたコスモロジーにおいて、自国の絶対的優越を説く主張への歯止めはもはや存在していませんでした。江戸時代(近世)には、さまざまな思想・宗教的根拠で他国にたいする日本の絶対的優位が主張され、天皇がその中核となっていきました。しかし、身分制社会の近世において、身分や階層による固定的な区分の、利害関係を異にする複数の集団が存在していたため、国家全体よりも各集団の利害の方が優先され、神国思想の他国にたいする暴走に歯止めがかけられていました。近代日本は、近世の神国思想を継承しつつ、(近世以降に日本「固有」で「純粋な」信仰として解釈された)神祇以外の要素を排除し、近現代日本社会における(最大公約数的な)神国思想認識が確立しました。近代日本は、全構成員を「国民」という等質な存在として把握します。この新たに創出された国民を統合する役割を担ったのが天皇でした。普遍主義的コスモロジーが失われ、全構成員たる国民が神国の選民と規定された近代国家の成立により、神国思想の暴走に歯止めをかける装置はすべて失われました。


 短くと言いつつ、長くなってしまい、しかもさほど的確な要約にもなっていませんが、とりあえず今回はここまでとしておきます。神国思想の論理構造と社会的機能の変遷を、世界観・思想・社会的状況から読み解いていく本書の見解は、12年前にはたいへん感銘を受けましたし、今でもじゅうぶん読みごたえがあります。ただ、当時から、古代が一元的に把握されすぎているのではないか、と思っていました。もっとも、諸文献に見える思想状況ということならば、本書のような把握でも大過はない、と言えるのかもしれませんが。一向一揆などいわゆる鎌倉新仏教系と支配層との対立的関係が強調されすぎているように思われることも、気になります(関連記事)。戦国時代の天道思想(関連記事)と中世のコスモロジーとの整合的な理解や、今後の日本社会において神国思想はどう活かされるべきなのか、あるいは否定的に解釈していくべきなのかなど、まだ勉強すべきことは多々ありますし、今回はほとんど本書の重要と思った箇所を引用しただけになったのですが、今回は長くなりすぎたので、それらは今後の課題としておきます。

https://sicambre.at.webry.info/201907/article_14.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html#c16

[番外地9] 昭和天皇、岸伸介や吉田茂はCIAの工作員名簿に載っているアメリカのスパイだった
昭和天皇、岸伸介や吉田茂はCIAの工作員名簿に載っているアメリカのスパイだった:
戦中、米駐日大使グルーとゴルフ三昧の岸信介。50年経過しCIA公開。敗戦を見越して米に内通。進駐軍下士官サムが父に語った内通者は岸信介。情報筒抜け。ほぼ丸腰の竹槍戦法と焼夷弾、原爆などで日本人ホロコースト。日米開戦半年で既に日本は敗戦状態。国民に嘘ついて日本人を死に追いやった天皇家。

アメリカ軍やNATOの方針は19世紀にイギリスの支配者が描いた長期戦略に従っている。この戦略をまとめ、1904年に発表したのが地理学者で地政学の父と呼ばれているハルフォード・マッキンダーである。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げていくというものだ。
 締め上げていく三日月帯の西端はイギリス。この国が1822年から支配するようになったエジプト、1757年のプラッシーの戦いで制圧したインド、1886年から全土を占領することになったビルマを経て東端が日本だ。その三日月帯にイギリスはイスラエルを1948年に、サウジアラビアを1932年に建国させている。明治維新でイギリスが金融や技術面で日本を支援した理由は言うまでもないだろう。

 日本は1923年9月1日に起こった関東大震災の復興資金調達をJPモルガンに頼り、それ以降、その強い影響下に入った。

 この金融機関の創設者と言われているジョン・ピアポント・モルガンだが、その父親、ジュニアスはロンドンでジョージ・ピーボディと銀行を経営していた。その銀行の経営状況が悪化した際、助けたのがネイサン・ロスチャイルド。このロスチャイルドに評価され、アメリカでのビジネスを任されたのがジョン・ピアポント・モルガン。関東大震災当時は息子のジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの時代になっていた。

 このジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚した相手のいとこが1932年から駐日アメリカ大使に就任したジョセフ・グルー。日本で彼が最も親しくしていた人物は松岡洋右と言われている。そのほか松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らとも親しく、真珠湾攻撃の後、1942年8月に離日する直前、岸信介とゴルフをしたと言われている。

 グルーが来日した1932年にアメリカでは大統領選挙があり、ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが勝利した。その政権を倒すため、JPモルガンを中心とするウォール街の住人たちが1933年から34年にかけてクーデターを計画、ファシズム体制を樹立させようとしていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。このクーデターを阻止、計画の内容を議会で詳細に証言したのがスメドリー・バトラー退役少将だ。第2次世界大戦で日本は敗北するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。戦後レジームと戦前レジームは基本的に同じだ。

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昭和天皇はアメリカと内通していた
日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」=吉田茂

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。
また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CxA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。
「吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

吉田茂の養父である吉田 健三。
吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。
吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇

吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。

麻生の正体                                                             
 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。

 その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。

 麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧米へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した

▲△▽▼

米国公文書館HPに公表されている日本帝国政府関係者のCIAエージェントリストに昭和天皇裕仁を含む29名の日本人が載っている!

★吉田茂

★辰巳栄一 (1895年1月19日ー1988年2月17日)
コードネーム「POLESTAR―5」
元陸軍中将

★緒方竹虎 (1888年1月30日 - 1956年1月28日)
コードネーム「POCAPON(ポカポン)」

★岸信介 (1896年11月13日 - 1987年8月7日)

★ハリー・カーン
ニューズウィークの元編集長。岸信介の英語の教師。

★児玉誉士夫 (1911年(2月18日 - 1984年1月17日)

★笹川良一 (1899年5月4日 - 1995年7月18日)

★正力松太郎 (1885年4月11日 - 1969年10月9日)
コードネーム「PODAM」

★渡辺恒雄

★船橋洋一

★東久邇稔彦 (1887年12月3日 - 1990年1月20日)

★辻政信 (1902年10月11日 - 1961年に行方不明)

★五島慶太 (1882年4月18日 - 1959年8月14日)

★秋山浩
(旧731部隊情報提供者)

★有末精三 (1895年5月22日 - 1992年2月14日)
元陸軍中将 駐留米軍顧問 日本郷友連盟会長

★麻生達男 詳細不明

★福見秀雄 (1914年4月20日 - 1998年12月19日)

★服部卓四郎 (1901年1月2日 - 1960年4月30日)

★今村均

★石井四郎 (1892年6月25日 - 1959年10月9日)
(旧731部隊長)

▲△▽▼

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/907.html

[近代史5] 脱炭素政策による電力価格高騰
脱炭素政策による電力価格高騰


サマーズ氏: エネルギー価格を高騰させる脱炭素政策は健全ではない
2021年10月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16442

引き続きBloombergによる経済学者ラリー・サマーズ氏のインタビューである。今回は気候変動とエネルギー価格高騰に関する部分を紹介したい。

エネルギー価格の高騰

サマーズ氏は次のように始める。

現在エネルギー価格が急上昇しており、このエネルギー価格の急上昇は世界でもっとも貧しい人々に与える被害を含め、様々な害を生んでいるのを憂慮している。

何故エネルギー価格が上がっているのか? これはヨーロッパのリベラル派やアメリカのバイデン政権が推し進めた、いわゆる脱炭素政策によるものである。

地球温暖化は人間の活動から生じているという考え方から、彼らは原油や天然ガスなど化石燃料の採掘に制限を掛け、いわゆる再生可能エネルギーにシフトするように人々を誘導しようとした。

しかし実際にはどうなったかと言えば、採掘量に制限がかかったために化石燃料が足りなくなり、原油や天然ガスの価格が高騰し人々が困っている。原油価格は次のように推移している。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/10/2021-10-18-wti-crude-oil-chart.png


天然ガスにいたっては半年前から倍になっている。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/10/2021-10-18-wti-henry-hub-natural-gas-chart.png

これはアメリカの天然ガス価格だが、自身が世界最大級の産出国であるアメリカとは違い、輸入に頼るヨーロッパではそれ以上に上がっている。それで電力価格が高騰し社会問題となっているのである。

脱炭素政策による電力価格高騰

この状況についてサマーズ氏は次のように述べている。

化石燃料への資金の流れを政策によって強制的に停止するという考え一般にはかなり懸念がある。化石燃料への供給を止めるのではなく、需要を減らすよう努力するべきだろう。そういったやり方は健全ではない。

火力発電を否定していわゆる再生可能エネルギーだけでやろうとした時点で電力不足は見えていた。ヨーロッパで脱炭素政策を特に推進しているのは「緑の党」が世論調査で首位に立ったこともあるドイツであり、ドイツは原子力発電も否定しているのでもう本当にどうにもならない。

これは日本にとっても対岸の火事ではない。自民党の菅氏や小泉氏が同じようなことを推進しようとしたのであり、アメリカのような産油国ではない日本が本当に同じことをしようとすれば、ヨーロッパと同じことがすぐに日本でも起こるだろう。

こう言うのは申し訳ないが、本当にリベラル派の人々はろくなことを考えない。彼らが政治的であることを止めれば世界は平和になるだろう。

ちなみに不動産バブル崩壊が懸念されている中国では電力不足ももっと深刻であり何度も停電が起こっているが、歴史的にも様々なものを発明してきた中国人はこの状況においても発電所に頼らない画期的な解決法を発見した。

中国、電力不足深刻化でろうそくが大人気
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16155

電力価格高騰で苦しむヨーロッパの人々も、方針を転換しなければいずれ中国に続くことになるだろう。そして日本も例外ではない。「気候変動のための政党」さえ誕生し、「気候変動のために食肉を減らす」「気候変動のために中央銀行は動くべき」と主張するヨーロッパ人の異常さに日本人は早く気付くべきである。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16442
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1190.html

[近代史5] 脱炭素政策による電力価格高騰 中川隆
1. 中川隆[-15956] koaQ7Jey 2021年10月19日 00:52:54 : SKiLcsu4ww : Y3pyR1ljRjJMamc=[1]
原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

バイオマス発電のウソ 森林伐採しCO2増加を招く
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/322.html

調査報告/原子力発電所における秘密
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html

原発廃炉作業は放射能に強い中国人移民に任せるのが正解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/520.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/747.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1190.html#c1

[近代史5] 脱炭素政策による電力価格高騰 中川隆
2. 中川隆[-15955] koaQ7Jey 2021年10月19日 00:54:21 : SKiLcsu4ww : Y3pyR1ljRjJMamc=[2]
発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

もうすぐ氷河時代が来る証拠?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html

温暖化か寒冷化か
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/710.html

原発の専門家だった武田邦彦は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/238.html

櫻井春彦:「地球温暖化はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/647.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1190.html#c2

[近代史5] 脱炭素政策による電力価格高騰 中川隆
3. 中川隆[-15954] koaQ7Jey 2021年10月19日 00:58:51 : SKiLcsu4ww : Y3pyR1ljRjJMamc=[3]
東電福島第一原発汚染水の太平洋への放出の影響
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1630.html

極悪の殿堂、東京電力
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1561.html

太陽光発電・風力発電等の再生可能エネルギー発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/435.html

バイオマス発電の為に放火による森林火災が世界中で激増
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1038.html

電力自由化 地方では弊害
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/962.html

新電力の契約プランによって「突然電気代が10倍になった」などのトラブルが多発
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1573.html

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/424.html

放射能汚染地帯から子供たちを避難させなかった人々
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/986.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1190.html#c3

[近代史5] 脱炭素政策による電力価格高騰 中川隆
4. 中川隆[-15953] koaQ7Jey 2021年10月19日 01:32:19 : SKiLcsu4ww : Y3pyR1ljRjJMamc=[4]
中国、電力不足深刻化でろうそくが大人気
2021年10月6日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16155

冗談みたいなタイトルだが、冗談ではない。中国では脱炭素政策によって電力供給の主力だった石炭発電が制限され、深刻な電力不足に陥っており、特に東北の地域では住宅でも工場でも停電に見舞われている。

停電でろうそくが人気に

紅星新聞によると、こうした状況下で中国の人々が買い漁っているのがろうそくである。中国のあるろうそくメーカーによれば、注文が一気に数十倍に増え、在庫がなくなったらしい。注文元は当然ながら停電が発生している地域である。

大変面白いのは、中国政府の「脱炭素」の掛け声のもとに火力発電を止めた結果人々がろうそくに走っているということだ。エコ推進の結果、中国の人々は無事に代替燃料を見つけたというわけである。日本でも菅氏や小泉氏が同じようなことをやろうとしていたが、日本はプラごみ同様に彼らの処分に困っている。

ちなみにこの話は笑い事ではない。世界第2位の経済大国に対して恒大集団のデフォルト懸念と同じタイミングで、しかも同じ原因によって降り掛かっている経済危機だからである。

サマーズ氏: 中国恒大集団のデフォルト危機は日本のバブル崩壊と同じで極めて深刻
中国政府の自滅政策

中国のGDP2%分の負債を抱えた不動産ディベロッパーである恒大集団が倒産しかかっているのは、習近平氏率いる中国政府が不動産の融資などの規制を強化したからである。不動産バブル自体は必ずしも中国政府が作り出したわけではないが、崩壊のトリガーを引いたのは中国政府自身である。

バブルを野放しにしないこと自体には経済的意義があるにしても、中国政府には最近自国産業を破壊するような行動が多い。私企業による学習塾運営を禁じたり、未成年のゲームを1日90分に制限してゲーム業界の株価を暴落させるなど、折角成長してきた中国経済をわざと壊すような振る舞いが多く理解に苦しむ。投資家のジム・ロジャーズ氏も同じことを言っていた。

ジム・ロジャーズ氏: 中国は自国の人々を害している
欧米ではこれを中国の独裁政治の表れだと見なしているが、彼らも例えば地球温暖化対策を中央銀行に強いるという意味不明の方針を他国にも強要するなど、かなり良い線を行っている。実は彼らはよく似ているのではないか。

金融市場への影響

投資家としてはこうした状況をどう解釈すれば良いか。先ず、中国政府の意図はどうあれ、彼らはこれらの政策を実行することに関してどうやら本気らしいということである。これは恒大集団が救済される可能性が低いことを意味する。そして電力不足や不動産市場の不振を中心とする中国の経済危機は今後も続いてゆくだろう。

そしてもう1つは、恒大集団の危機は恐らくかなり取り返しの付かないところまで行っているということである。経済学者ラリー・サマーズ氏はこう言っていた。

サマーズ氏: 中国恒大集団のデフォルト危機は日本のバブル崩壊と同じで極めて深刻

中国で何が起きているのかについて完全な情報を持っている人は誰もいない。少なくともわたしは持っていない。そしてわたしの金融における経験で言えば、まだ知られていない情報は通常知られている情報よりも悪い。

そもそもこうした危機が世界のニュースになっているということ自体、本来中国政府にとって好ましくない状況である。中国の不動産バブルは何年も前から知られていたが、ここに来て表立った混乱になったということは、恐らく中国政府にはもうどうしようもない状況まで中国の不動産業界は来てしまっているということだろう。

電力不足についても同様のことが言える。中国政府の脱炭素政策もそうだが、コロナ後にエネルギー価格が世界的に上昇しているというのも原因の1つだろう。以下は原油価格のチャートである。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/10/2021-10-6-wti-crude-oil-chart.png

エネルギーが不足し、工場が止まり、物品が不足して経済全体的なインフレになる。そこにコロナによる工場停止も加わって不景気とインフレが一緒に来る。それがサマーズ氏の主張するスタグフレーションである。

サマーズ氏: スタグフレーションが近い


実際には、こうした危機により株価が下がればデフレになる可能性もある。しかし以下の記事で述べたように、インフレになるかデフレになるかは大した問題ではない。どちらにせよインフレを差し引いた実質経済成長率は悪くなるということが経済にとっての問題なのである。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想


世界第2位の経済大国の経済危機は世界経済に大きな影響を及ぼすだろう。これからも中国経済のニュースを届けてゆく。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16155


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1190.html#c4

[近代史5] 脱炭素政策による電力価格高騰 中川隆
5. 中川隆[-15952] koaQ7Jey 2021年10月19日 01:35:36 : SKiLcsu4ww : Y3pyR1ljRjJMamc=[5]

2021年10月18日
欧州の再生エネルギー政策の失敗

ドイツと欧州はロシアの天然ガスに依存する事になり、今後ロシアに逆らえなくなる

ロシアに生命線を握られたドイツ

日本のメディアはことあるごとに欧州を見習え、ドイツを見習えと言ってきたが、欧州はエネルギー政策で見事に失敗した。

ドイツのメルケル政権は太陽光や風力を推し進め、原発を敵視していました。

そのドイツが実際にはまだ石炭発電に依存し、ロシアからパイプラインを引いて天然ガス発電を増やそうとしている。

ドイツは反原発や反火力を推し進め自然エネルギーを推進したが、結局エネルギーは足りないので天然ガスを増やすことにした。

石炭に較べて天然ガスはCO2排出量が少ないが、国内で採れないのでロシアからパイプラインを引く。

つまりドイツのエネルギー政策は今後ロシアが決定権を握ることになり、プーチンがニヤリと笑う。


ドイツのエネルギーのうち約45%が自然エネルギーで、そのほとんどを太陽光と風力が占めている。

仮に自然エネルギー100%にしても、電気は備蓄できないので捨てるしかない。

昼間の太陽で発電しても夜や曇りの時に使えないし、良い風が吹いたときの電気を取っておく事も出来ない。


自然エネルギーは今後も増えるでしょうが、総電力の何割かは「天気に左右されない方法」で発電する必要があります。

メルケルは原発ゼロと言ってしまったので残るのは火力発電のみ、それもロシア産の天然ガスのみになる。

これだと天候不順などで天然ガスに依存する時、「見返り」にロシアから条件を突きつけられても拒否できません。

理想主義でエネルギー転換はできなかった

例えば対ロ経済制裁からドイツが抜けるとか、EUがロシア制裁解除するなどです。

実際EUはアメリカから「EUは対ロ制裁をさぼっている」と苦情を言われています。

例えば日本が韓国や中国から天然ガスを輸入し、ガスを止められたら経済破綻する状況を考えてみる。


日本の首相は韓国や中国に絶対逆らえなくなり、イエスマンになる他ありません。

EUはドイツが主導して自然エネルギー比率増を義務化したが、結果として欧州のすべての国はロシア産天然ガスを買うしかなくなった。

他の選択肢は原発しかなく、フランスですら原発を減らそうとしている。


結局欧州は原発廃止や自然エネルギー推進のために「ロシアによるエネルギー支配」を受け入れるしかなくなった。

日本がエネルギーミックスしなくてはならない理由がここにあり、自然エネルギーだけで自給自足はできない。

もしロシアや中国からパイプラインなど引いたら相手国の言いなりになり、「ガスを止められたくなければ謝罪して金払え」と平気で言ってくるでしょう。

https://www.thutmosev.com/archives/86962447.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1190.html#c5

[番外地9] 旭川凍死事件で掲示板や youtube で発信している人の大半は児童売春組織の工作員です。 中川隆
1. 中川隆[-15969] koaQ7Jey 2021年10月19日 06:52:06 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[1]
旭川凍死事件で掲示板や youtube で発信している人の大半は児童売春組織の工作員です。
そんなのはデマだ、本当かどうかわからない
無責任な事は言うな
確実に正しいと証明された事以外は一切言うな
不確かな情報は書くな
被害者を冒涜するな、
そんな事まで晒したら被害者や母親がかわいそうだ、
被害者の母親への名誉棄損は許せない
削除依頼を出す、
通報する、
告訴する、
というのが児童売春組織の工作員の もっともらしい批判です。
誰も知らなかった真相が暴かれる事もあるけど、そうするとすぐに削除依頼が出されたり、どうでもいい話を大量に書いて重要な情報を隠す。

(マスコミは真実を報道できないし、公式の場では立場上本当の事が言えない関係者で真実をどうしても知らせたいと思った人は爆サイ等の匿名掲示板に書き込みます。)

旭川凍死事件の同じ様なスレが何千個も建てられているのは、真実が書かれたスレを見つけられない様にする為です:

#5 2021/08/24 23:09
爆サイ掲示板 旭川雑談のほとんどのスレが加害者が立てる

#6 2021/08/25 01:55
ガセが大好きな加害者

#7 2021/08/25 02:27
ガセだぁ、なんだと言いながら、真相に迫った書き込みがあると、必死にスレッド立てまくるんだろ?加害者くんwwwwww
__________

証拠隠蔽の為に何十人もの工作員と何億円もの資金が使われています。
被害者の遺族までが明らかに間違ったデマを流して児童売春組織の隠蔽工作に加わっています。
単なる中学生のイジメ事件では絶対に有り得ない事です。  

因みに名誉棄損で訴訟を起こしても賠償金額はせいぜい30万円程度なのに、訴訟費用が90万円もかかる。そんな事をやる物好きは何処にも居ません。

タカユキさんも工作員の批判を真に受けて何も言わなくなりましたね。
工作員に情報提供者の身元調査までされたら聞き取り調査ができなくなりますからね。

▲△▽▼

旭川 児童 売春・ハニートxップ帝国!

◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇2021/3/26
旭川市東光の中学校教師・畔柳(くろやなぎ)健容疑者(46) 女子高生(17)こどもの日に買春
◇2020/12/2
旭川市立 東鷹栖中学校の教師、丸田文則容疑者(50) ツイッターで知り合った女性(17)買春
◇2020/1/15-
旭川市立永山南中学校の男性教諭(44)が7月に児童買春の容疑で逮捕されたのに続いて、この9月には東鷹栖中学校の男性教諭(50)も同様の容疑で逮捕。
◇2018/4/23
旭川市立北鎮小教諭進藤隆英容疑者(43)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕
◇2021/3/18
児童売春で懲戒免職など道教委4件処分】
【再犯】
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇買春に中3を派遣 鈴商=暴力団員を逮捕
旭川中央署は児童福祉法違反などの疑いで松本豊容疑者(43)と内縁の妻の北野恵美容疑者(29)暴力団員、無職石川斤三容疑者(62)同豊岡五ノ三、同、塗装工荒井孝司容疑者の四人を逮捕した


#173 2021/05/21 02:13
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です

#52 2021/05/19 03:09
産業のない旭川では児童売春は重要な資金稼ぎ。
誰かが児童売春をすれば、その上がりで町全体にお金が回る。

旭川で生まれ育った低所得者の子は、中学入学後売春をするものだと思っていた。
旭川以外で育った子は、親を含めてそんなことは知らない。

被害者が9歳の頃から、お母さんの悪い噂を流し、被害者が中1になると同時に
性奴隷にすべく魔法が近づく。旭川の地元民は、如何によそ者から搾取するかが
重要な収入手段。被害者が自閉症であるから、おごらせるのも当然。

学校でいじめて、追い込んで、性的画像を手に入れて、売春を強要。
校長も教頭も担任も、旭川の人が生きていくための性奴隷を学校で
捕獲調教する必要があるので被害者を助けない。

警察も市役所もみんな性奴隷が必要。旭川全体で隠蔽した。おそらく
被害者以外にも、自殺した子はもともと旭川以外の人ではないだろうか。

つまり旭川の地元の人にとっては、地元で生まれ育った人以外は、搾取する相手。
よそ者いじめがきつい、とネット情報にある。よそ者いじめではなく追い込んで
痛めつけて性奴隷にしたり地元民のために搾取する相手がよそ者。

#27 2021/05/12 10:40
子どもの頃から自分を売って稼ぐのが当たり前だとして育ってたら
周囲もそうだったら何の疑問も持たずできてしまうでしょ


#31 2021/05/20 09:41
今回の旭川でクラス一番かわいい女の子を『自分たちの性の便所』ミッションの成功を物凄く喜ぶ人々多過ぎて怖いくらいです。

旭川では、クラスで一番かわいい女の子を集団で性的玩具にして遊ぶというのは『伝統』です
今はスマホが小学生から持ち歩いているのて
学校カースト上位の児童はカースト下位の女子児童を性的玩具にして みんなで共有して遊んでいます。

そして、一切罪として立憲されないという『成功体験』を旭川の住民は与えてしまいました。
これから街を歩く少しかわいい女子児童すべてターゲット

ワイセツ画像をとり
脅し、集団で暴行
性の奴隷として
動画をみんなで共有

かわいい女の子も
自分は汚れた
将来の楽しい夢や希望は無くなり
加害者の奴隷としてしか生きていけない
自覚し、将来を嘆き
あボーンする

旭川という女子児童を性の奴隷化するという『伝統』は日本のレジェンドとなっていきます。旭川は、児童 rape の『聖地』

▲△▽▼

旭川では中学の上級生が顧客に下級生を紹介して児童売春させている
2007年12月02日 女子中学生を買春 容疑の自衛官逮捕 旭川(11/28 10:10)
【旭川】旭川東署は二十七日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで、旭川市大町二の九、陸上自衛隊旭川駐屯地所属の三等陸曹 菱沼泰巳 容疑者(27)を逮捕した。
 調べでは、菱沼容疑者は八月二十六日、携帯電話の出会い系サイトで知り合った同市内の女子中学生(14)から、別の女子中学生二人(いずれも十三歳)を紹介され、十八歳未満と知りながら、二人に二万−六万円を渡す約束をし同市内のホテルでいかがわしい行為をした疑い。
 菱沼容疑者は金を渡さなかったため仲介した女子中学生が学校に相談し発覚した。最終的に金を払わなくても約束をしていれば児童買春は成立するという。

▲△▽▼

#132 2021/05/19 15:04
中学生とセックスしたいオッサン多いからな
それにしてもセックス代がたったの1万円っつのはあり得ないな

#140 2021/05/19 17:30
>>132
当日は1万、1.5万円だからと油断してると翌日には旭導が家に来て昨日小学生とやりましたね
この写真を100万円で買ってくれますかって来られて、払えないと言うと見せしめに新聞社に流すらしいよ

▲△▽▼

旭川での児童売春・ハニートxップの総元締めはマカオ犯罪集団「14k」だった

2020年12月9日、米国財務省はマカオ犯罪集団「14k」の親分、尹国駒(ワン・コクコイ)の在米資産を凍結したと発表した
 一帯一路プロジェクトは中国共産党の利権でもある。べったりと、この国家プロジェクトに張り付いて利権をむさぼり、麻薬・売xからカジノ経営、はては不動産投資に仮想通貨取引でも暗躍したのは「洪門会」と総称されるヤクザである。
 カンボジアを拠点としてのオレオレ詐欺の上部組織ではないか、という疑念もある。
 中国系のヤクザは日本の仁義深いヤクザとは雲泥の差があり、約束は守らず仁義なんて何のことか、裏切りは日常の風景。すぐに殺人事件に発展する。

 中国大陸、マカオ、香港、そして一帯一路プロジェクトの拡充にともなって犯罪組織「14k」はカンボジア、ミャンマー、パラオ諸島にも進出し、裏社会に深く浸透している。拠点はカジノである。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/903.html#c1

[番外地9] 日本の輸出攻勢にアメリカが怒ったので、自民党が「日本は農作物を輸入し農業を廃止するので自動車を輸出させてください」という取引をした
自民党の地方無人化政策
日本の輸出攻勢にアメリカが怒ったので、自民党が「日本は農作物を輸入し農業を廃止するので自動車を輸出させてください」という取引をした。
地方の人口減少で、地方で若者を育てて、都会の大学に進学して都会で就職するという人材教育システムが破綻する。

急激な人口減を迎えている地方では、これまで「文明のエリア」と「野生のエリア」の間にあって、緩衝帯として機能していた里山が無くなりつつあり、里山に無住の集落が発生してきています。無住の集落は短期間に廃村となり、山に飲み込まれます。
 21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。日本政府はこの人口減少に対して、国としての基本方針を示しておりません。シナリオは「資源を地方に分散する」か「都市に集中するか」の二つしかありません。

 本来なら、政府はこの二つのシナリオを国民の前に提示して、それぞれのメリット、デメリットを列挙した上で、合意形成をはかるべきなのですが、それをしていない。国策についての国民的議論を回避したまま、「都市一極集中」というシナリオを無言で実践している。これは民主国家においてあってはならないことだと思います。国民の同意を取り付けないままに、「地方切り捨て」を黙って続けて、ある時点でもう地方再生が不可能というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてから、「やはり都市集中しかない」となし崩しに持って行く。政官財はそういう計画でいます。しかし、黙って政策を実行しているので、地方が切り捨てられた場合に「何が起こるか?」ということは議論のテーブルに上がってこない。その話はしない約束になっている。そして、「人口の少ないところに暮している国民は、都市に暮している国民と同等の行政サービスを受ける資格がない」という主張だけが、一部の政治家やメディアを通じて、拡散されています。すでに、JRは赤字路線を次々と廃線にしています。その時のロジックは、「人口の少ないところに住んでいる人たちは、そこに住むことを自己決定しているわけだから、自己責任で不便に耐えなければならない」というものです。自分の好きで過疎地に住んでいる人間が「便利な暮らし」を求めて、税金の支出を求めるのはフェアではない、と。

 実際に、そのようなロジックに基づいて、公共交通機関は廃止されています。行政機関も統廃合されている。そして、過疎地では、医療機関もない、学校もない、警察も消防もないという状態になりつつある。そういう不便なところに住むことを自己決定している人間は、その不便に耐えるべきだという意見はもう既に日本国民のマジョリティを占めていると思います。
 しかし、この言い分に一度頷いてしまうと、後もどりが効きません。この後、人々が里山を捨てて、地方の中核都市に移動したとしても、遠からずそこも「過疎の都市」になります。そうしたら、同じロジックで、「不便なところに自分の意思で住んでいる人間は、その不便を甘受すべきで、税金を投じて都市と同じサービスを享受する権利はない」と切り捨てられる。そんなことが二、三回続けば、日本国内に文明的な生活が出来る圏域は太平洋ベルト地帯の都市部だけになります。
 現在の日本政府はそういうシナリオを描いていると思います。それを国民に開示して、議論したり、同意を求めたりということをしないのは、「地方を捨てます」と宣言した途端に地方の選挙区で自民党が惨敗して、政権から転落することが確実だからです。だから、人口急減という危機的局面を迎えながら、それについては「何も言わない」という任務放棄が公然と行われている。

 しかし、すでに過疎地での「野生の侵略」はかなりのスピードで進行しています。僕の友人の話ですが、先祖のお墓が西日本の過疎地にあります。お墓の管理はいとこがしてくれている。祖父母のお墓参りに行こうと思って、そのいとこに連絡したところ、「もう無理」という返事があったそうです。お墓のある集落が無人になり、「山に呑まれて」しまったというのです。集落へ行く道も藪に覆われて、通れない。獣も出るし、蛇もいるので、怖くて、かつて祖父母のいた集落にはもう入ることができないと言われたそうです。これに類したことは、急激な人口減を迎えている日本中の土地で今同時多発的に起きていると思います。

▲△▽▼

地方の人口減少で、地方で若者を育てて、都会の大学に進学して都会で就職するという人材教育システムが破綻する

日本の輸出攻勢にアメリカが怒ったので、自民党が「日本は農作物を輸入し農業を廃止するので自動車を輸出させてください」という取引をした
これが人口崩壊の始まりです

自動車輸出の見返りに農業を壊滅させた日本人

2040年に日本の自治体の半数が人口半減し消滅する、そんな衝撃予想がでたのは数年前でした。
全国1800市区町村の半分は2040年に人口半減し、自治体が維持できくなり統廃合する。
それから数年たったが何も改善されず、これが現実になる日が近づいている。
問題点は色々あり、日米貿易交渉で自動車を売るために「日本は農業を廃止するので自動車を売らせてください」と取引したのが引き金でした。

日本は牛肉、オレンジなど次々に市場開放し、見返りに自動車をアメリカに輸出させてもらっている。
日本の人口構造は弥生時代から2000年以上、農村で生まれて人口が増え、都会に出ていく構造でした。

都会の女性は子供を産まないうえに、都会では男が多いので都会で人は生まれにくい。
人口生産地だった農村を廃止した事で日本の出生数は激減し、回復する見込みはありません。
結局農村は農作物よりもっと重要な「人間」を生産していたのに、それを廃止したのが人口減の原因でした。


今のペースでは2060年には人口1億人を割り、今世紀末には半分の6000万人に減っているでしょう。
そうなる前に日本人が「農村が最も重要だった」と気づくかどうかですが、気づかないでしょう。
人は結局金儲けの為に行きているので、農村に補助金出すより自動車売る方が儲かるならそうします。

現在ある田舎はすべて消滅する
この政策が続くと我々が生きている間に日本の農村はすべて消滅し、荒れ地や森になります。
『地球環境に優しい』人たちは大喜びで、廃村にソーラーパネルを敷き詰めます。
林業も自動車を売る見返りに市場開放してしまったので、数十年間木を育てても1本数千円にしかなりません。

今田んぼ1反を1年間耕した年収が数万円、一生かけて1本の木を育てても数千円か数万円です。
代わりにトヨタやホンダはアメリカで車を売りまくっているが、トヨタやホンダは日本人に何もしてくれません。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/908.html

[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で…
【ゆっくり解説】天皇陛下の叡智な事情!巫女との儀式で…
2021/10/18




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html

[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で… 中川隆
1. 中川隆[-15968] koaQ7Jey 2021年10月19日 07:52:44 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[2]
「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w

知恵遅れの皇太子の嫁にされた上に、皇族全員から陰湿な苛めに遭った美智子妃殿下は復讐の鬼と化した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/118.html

宮中『魔女追放事件』 _ 入江侍従長の祭祀簡略化工作と戦い敗れた女官
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/618.html

秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html


▲△▽▼


片山徹 皇族の児童売春関係 Twitter

片山徹さん (@_9105294027642) / Twitter
https://twitter.com/_9105294027642  

日本の皇族・政治家を中国のハニートラップにかけたプチエンジェル事件
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/761.html

三浦春馬は創価学会に殺されたのか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/763.html

プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html

プチエンジェル事件
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/473.html

今上天皇が同性愛だというのは本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/642.html

今上天皇の父親が朝日新聞記者だった佐伯晋だというのは本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/643.html

高円宮承子様のタトゥーや茶髪画像とタバコがやばい!性病との噂だが現在結婚はしてる?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/366.html

高円宮が 47歳の若さで腹上死(?)しなければならなかった理由とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/370.html


▲△▽▼


美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html

美智子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/586.html

美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html

柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html

雅子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/587.html

雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html

皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html

天皇一族は反日売国奴
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/782.html

日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/580.html

平成とは何だったのか _ アメリカの属州化の完遂
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/601.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html#c1

[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で… 中川隆
2. 中川隆[-15967] koaQ7Jey 2021年10月19日 07:54:10 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[3]
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏朝鮮の王族や両班階級の血筋だった?

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画




熊毛郡 田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)


田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。


永田町における「朝鮮系」というのは李氏朝鮮時代の両班階級出身という意味です。
以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。


岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「朝鮮系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「朝鮮系」。


二階さんも同じく遠い祖先が李氏朝鮮系だったという区分けです。
また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。
清和会というのは、多くが「朝鮮系」の人々の集まりで、永田町では常識です。


実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏朝鮮最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。


これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/779.html

田布施システム

そもそも、あのあたりの土地は昔から地元では朝鮮部落として知られています。といっても田布施だけが特別なのではありません。奈良平安の頃から瀬戸内海沿岸は朝鮮半島から渡ってきた人たちが多数移り住んできた土地なので、彼らの集落があっても別段珍しいことではないのです。彼らは皆、陶工であったり、刀鍛冶であったり、特殊技能を持った職人の集団として活躍していました。

まず、近代の半島を語る上で李氏朝鮮を理解しないといけません。李氏朝鮮は1392年から高麗の武将、李成桂が興した王朝で、中国冊封体制の下、王朝内で多くの内紛が起こっていました。いまの韓国を見ていてもわかると思いますが、選挙で負けた大統領は罪に問われてほとんどが監獄に放り込まれています。李氏朝鮮王朝時代はさらにそれが徹底されており、内紛で負けた派閥は殺されたのです。

 とはいえ、負けたほうも黙って手をこまねいているわけではありません。当然、逃亡を図るわけで、そのほとんどが海を渡って日本へと逃げてきていたのです。
彼ら政争に負けた朝鮮の人々は日本の瀬戸内海沿岸まで逃げてひとつの集落を作っていったのです。田布施はそういった町の一つでした。


朝鮮と明治維新の濃密なつながり

 岸家も佐藤家も田布施という町も、李氏朝鮮王朝の血を引く、とても由緒正しい人たちでした。

田布施からは伊藤博文、木戸幸一が出ており、さらに山口県そのものがかつての長州藩(正確には萩藩)です。明治維新を薩摩藩とともに推進した土地です。
 さらに、鹿児島にも田布施という町名が最近まで残っており(そこの出身者として小泉純一郎元首相がいます)、かつての肥後藩である佐賀県にも、字こそ違いますが多布施という土地があります。維新を引っ張った薩長土肥のうちの3つにタブセという名が絡んでいるのです。

 もっと言えば、維新後に薩摩藩で最も出世した大久保利通は鹿児島市高麗町の出身です。高麗という名が示すように大久保は朝鮮系の人である可能性が高く、少なくとも彼が生まれた土地は朝鮮集落でした。さらに言えば、維新を引っ張った薩摩の志士たちもほとんどが同じ町内に住んでいました。それも高麗町の隣の町です。

 このように明治維新と朝鮮は極めて親しい関係なのです。

 このことを皆さんはどう感じますか?

明治維新は朝鮮系の人々によるクーデターに感じてしまうのです。口さがないエージェントなんかはもっとハッキリ「明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取りなのに、なぜか、日本人は明治維新が好きだよね」と言います。
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry_3.html 

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html#c2
[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で… 中川隆
3. 中川隆[-15966] koaQ7Jey 2021年10月19日 08:00:11 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[4]
皇族初夜の儀式
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html

宮崎の山村に伝わる「百済王伝説」の謎
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/849.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html#c3

[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で… 中川隆
4. 中川隆[-15965] koaQ7Jey 2021年10月19日 08:04:20 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[5]
後醍醐天皇が熱中した真言密教


皇族初夜の儀式
03. 中川隆 2013年7月15日
真言密教立川流と後醍醐天皇の子沢山
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c3

「宗教」とは根源的な世界畏怖、怖れ畏む気持ちこそが原点ではないかと思うー鎌田東二
04. 中川隆 2012年11月05日
密教の起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/614.html#c4


西洋の達人が悟れない理由
04. 中川隆 2011年1月30日 V. 密教は宗教の最終到達点
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html


西洋の達人が悟れない理由
2. 梵我一如はエロスの世界
3. 秘密仏教(密教)とは…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html#c4

[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で… 中川隆
5. 中川隆[-15964] koaQ7Jey 2021年10月19日 08:40:53 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[6]
天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html

伏見宮家は間男の子孫だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/240.html

「万世一系」の虚妄
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/237.html

天皇はソウル出身の漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/233.html

天皇家は弥生時代後期にソウルから福岡県の伊都国に植民した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/234.html

天皇家は2世紀に伊都国から日向・大和・丹後に天孫降臨した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/235.html

古代日本の主流氏族の26%が韓国系、天皇制国家支配体制の一軸を成す
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/534.html

天皇の姓は阿毎氏(あまし/あめし/あまうじ/あめうじ)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/232.html

皇位継承は兄弟相続するのが古くからの伝統
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/236.html

明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/239.html

田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/357.html

皇室がDNA公開を厳禁している理由
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/242.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html#c5

[近代史5] 天皇陛下の H な事情!巫女との儀式で… 中川隆
6. 中川隆[-15963] koaQ7Jey 2021年10月19日 08:41:44 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[7]
今上天皇に関係するプチエンジェル事件の資料






















▲△▽▼

赤坂プチエンジェル事件アーカイブ・Akasaka Petit Angel Archive 動画
https://video.fc2.com/search/video/?keyword=%E8%B5%A4%E5%9D%82%E3%83%97%E3%83%81%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96+

▲△▽▼

2010年01月18日 「プライム赤坂」の内装にびっくり・。・
https://pitanpitan.at.webry.info/201001/article_12.html

プチエンジェル事件と小沢一郎陸山会との真っ黒な繋がり

港区赤坂2-17番地は陸山会所有となっている。
赤坂2-17-54はプチエンジェルの現場で、赤坂2-17-55はプライム赤坂。

染谷悟フリーライター殺害事件の犯人や真相!
プチエンジェル事件の取材中に東京湾で遺体が発見される
https://newsmatomedia.com/someya-satoru

▲△▽▼

小向 美奈子(こむかい みなこ、1985年5月27日 - )は、日本のAV女優、元グラビアアイドルである。埼玉県蓮田市出身。カプセルエージェンシー所属。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%90%91%E7%BE%8E%E5%A5%88%E5%AD%90

グラビアアイドル
埼玉県蓮田市に生まれる。蓮田市立黒浜中学校卒業。日本音楽高等学校中退。

小向美奈子 - Bing 画像
https://www.bing.com/images/search?q=%e5%b0%8f%e5%90%91%e7%be%8e%e5%a5%88%e5%ad%90&qpvt=%e5%b0%8f%e5%90%91%e7%be%8e%e5%a5%88%e5%ad%90&form=IARRSM&first=1&tsc=ImageBasicHover

15歳の時に家出をして渋谷センター街にてビラ配りのバイト中に、後に所属することになる事務所のマネージャーにスカウトされグラビアアイドルとしてデビューする。なお、このマネージャーは後に芸能事務所SPエージェンシーの社長となり、所属タレントの山地まりにデビュー当時の小向美奈子の面影を見出しスカウトしたことを週刊アサヒ芸能のテリー伊藤と山地まりの対談企画で語っている[2]。

2000年(平成12年)終盤に第1期プチエンジェル、2001年(平成13年)にフジテレビビジュアルクイーンの一員として選出された。昼ドラ『冬の輪舞スペシャル』ではウェディングドレス姿を披露している。サッカーアニメ『ホイッスル!』では、主人公の風祭将の声優も務め、主題歌も担当。2005年(平成17年)夏頃に水着卒業を発表。しかし、ほしのあきの活躍ぶりに心を打たれたとの理由で、2006年(平成18年)7月発売のDVD「REVOIR」でグラビア活動を再開した。

契約解除と告白記事
2008年(平成20年)9月24日、所属事務所リップが契約解除を発表。事務所側は「本人の体調不良・精神的不安定・音信不通状態なども幾度かあり、仕事上でも支障をきたすことがありました」「復帰に向けて動き出してきましたが、我々の予想以上に困難な状態となり、これ以上本人の芸能活動を支えることが不可能と判断し、専属契約を解除する運びとなりました」と説明した[3]。

同年11月末、小学館『週刊ポスト』は「私が見た『副業は売春という悪夢』」という衝撃的なタイトルで、小向の告白を掲載した。小向は「アイドルを紹介することでお金を得ている人たちがいて、デートクラブみたいな仕組みができている。闇社会の人もいます(中略)売春を副業にしちゃうグラドル、何人もみてきた」と芸能界の“売春ネットワーク”の存在を明かした。ただ、本人は「あたしは神様に誓ってやったことはない」と売春をしなかったと断言。何人かのIT社長から札束を積まれたが、金銭を受け取らなかったと述べている[4]。

覚せい剤取締法違反事件
2009年(平成21年)1月22日、2008年(平成20年)6月下旬に交際相手の男の自宅で、微量の覚醒剤を共同で所持した疑いで覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された。所持量がわずかだったため所持容疑は起訴猶予処分となったが、尿検査で陽性反応があり、「六本木のクラブで知り合いの外国人女性に勧められて、店内で吸引した」と供述したため、同法違反(使用)容疑で追送検され、起訴された。

小向は被告人質問で、覚醒剤を始めた経緯を「付き合っていた男性に強要された。断ると暴力を振るわれた」と語り、また、今回の使用については「六本木のクラブで外国人の女性に誘われた。酔っぱらった勢いで使った。仕事を解雇され、いろいろな負い目があった」と涙ながらに語った。同年2月26日東京地方裁判所は小向に懲役1年6カ月、執行猶予3年の判決を言い渡した[5][6]。今後については「同世代の女の子のように、普通の生活を送りたい」と述べた。

ストリップ転向とアダルトイメージビデオ発売
2009年(平成21年)6月5日から25日間連続で、ストリップ劇場である浅草ロック座の『25周年特別興行第一弾』に特別ゲストとして出演した。これに先立ち、前所属事務所リップから契約違反を理由に出演禁止を求める仮処分の申請が東京地方裁判所にされ、同裁判所が出演禁止を命令した中での出演となった。グラビアアイドル時代にセミヌードになったことがあるもののバストトップを晒すことはなかったが、舞台ではセクシーな下着を身につけて演舞し、自らブラジャーを外して乳房を全てあらわにした。劇場内は撮影禁止であったが、劇場内で撮影した写真を雑誌フライデーと週刊現代が掲載、浅草ロック座は掲載された両誌の出版差し止めの仮処分申請を東京地裁に提出した(申請は却下された模様)。

2009年(平成21年)8月5日放送回『ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV』で生着替えのコーナーに出演。2009年12月4日、ソフト・オン・デマンドより、浅草ロック座でのオリジナルストリップムービーを収録したDVD「DANGEROUS STRIPPER」が2010年1月に発売される、と発表される。

再びの逮捕と釈放・不起訴
2011年(平成23年)2月7日、覚醒剤を譲り受けたとして、警視庁が逮捕状を東京地方裁判所からとった。その直後フィリピンに出国し、暫くマニラ首都圏に滞在していたが、25日にマニラ発成田国際空港行きの旅客便で日本へ帰国。成田空港に到着後、そのまま警視庁に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された後に、東京地方検察庁立川支部に送致されたものの、3月18日に証拠不十分で釈放され、不起訴となった[7]。

3月24日にフィリピンへ再渡航。永住権取得が目的という[8]。その後、表立った行動はなかったが、5月6日に自身が主演した映画「花と蛇3」の作者である団鬼六が死去した際、16日に行われた告別式に参列した[9]。尚、団は生前に小向に対して復帰するなら「SMのような作品に出たらいい」と勧めたと語っていた[10]。

アダルトビデオ発売
2011年(平成23年)9月9日、アダルトビデオ制作会社であるアリスJAPANと専属契約し、10月14日に発売されたAVでデビューした[11]。デビュー作である「AV女優 小向美奈子」は、20万本を売り上げる大ヒットとなり[12]、メンズサイゾーでは2012年1月時点で最も売れたAVであるとしている。

三度目の逮捕
2015年2月6日午前7時ごろ、自宅マンションにて覚醒剤約0.1グラムを所持したとし、関東信越厚生局麻薬取締部によって覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕、また同時に吸引器具も発見された[13][14][15]。

2月26日、自宅で覚醒剤約0.05グラムを所持したとして、覚せい剤取締法違反(所持)の罪で東京地方検察庁に起訴される[16]。3月3日、覚醒剤を使用したとして、覚せい剤取締法違反(使用)容疑で関東信越厚生局麻薬取締部によって追送検される[17]。3月9日、保釈保証金200万円を納め、勾留先の警視庁東京湾岸警察署から保釈された[18]。保釈保証金200万円は関係者がこの日納付したが、東京地方裁判所が保釈を認めたのは同月2日であり、1週間も保釈されなかった。捨て鉢な態度を取る小向を戒めようと、関係者らが保釈保証金を納めずに勾留期間を延ばしたとされる[19]。3月11日、覚せい剤取締法違反(使用)の罪で追起訴された[20]。

4月16日、初公判が東京地方裁判所で行われ、懲役2年が求刑された[21]。4月27日に東京地方裁判所は、執行猶予の無い懲役1年6月の実刑判決を言い渡した[22]。これに対し東京高等裁判所への控訴はせず、また交際中の男性と出所後に結婚する意向であると報じられた[23]。しかし、服役前に交際中の男性とは破局し、栃木刑務所に収監された[24]。収容の際にバイセクシャルである事を申告したため、通常の雑居房ではなく独居房での生活となり、服役中は所内の図書館で借りた『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を愛読した[25]。

2016年の7月に釈放され[26]、この年にはグラビアに登場してDVDが発売され、仕事を再開した[27]。

2017年2月にBSスカパー!の「田村淳の地上波ではダメ!絶対!」に出演し、覚醒剤について語った[28]。

YouTuberとして活動を開始
2020年4月19日にYouTubeで『小向美奈子公式チャンネル375』を開設しYouTuberとして活動を開始する[29]。 2021年4月13日にクラウドファンティング「CAMPFIRE」にて『小向美奈子公式チャンネル375』の1周年記念として『【小向美奈子】YouTube1周年記念Tシャツを作ろう!』の支援を募集する[30]。

人物
自身の胸の柔らかさが気に入っており、自らスライム乳と呼んでいる。
浦和レッズと読売ジャイアンツのファン。巨人で好きな選手は高橋由伸。
動物を飼うことが好きで、ペットにはイヌやネコをはじめ、ヘビやタランチュラもいる模様。特に爬虫類が好き。一方で怖がりの一面があり、バラエティ番組『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』のチキンNo.1決定戦「女だらけの10m高飛び込み」コーナーおいて、1時間2分32秒の女性芸能人最長記録を持っている。
グラビアを中心に活動していた10代の頃は、少しぽっちゃりした印象があり、グラビアでもそのイメージで売っていた。胸が大きくなり始めたのは小学生の頃で、男子生徒には牛とからかわれることもあったという。
2008年(平成20年)3月4日放送の「よゐこのワケアリ」(毎日放送)で、財布には常に弟の写真を入れ持ち歩き、かばんの中の物が綺麗に整理されていないと嫌と語る。
父親に護身術を伝授された経験がある。尊敬する人は父親であり、大人になってからも「一緒にお風呂に入ろう」と誘った事がある。
2009年に出版した自叙伝である「いっぱい、ごめんネ。」にて、処女喪失は中学1年時の13歳であるとカミングアウトしている。愛煙家
2020年4月19日小向美奈子がYouTubeに『小向美奈子公式チャンネル375』を開設しYouTuberとして活動を開始する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%90%91%E7%BE%8E%E5%A5%88%E5%AD%90





























































































































































































































http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1191.html#c6
[近代史5] 平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み
平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み


【討論】米中欧と日本の危機[桜R3/10/18]



◆米中欧と日本の危機


パネリスト:
 川口マーン恵美(作家) ※スカイプ出演
 古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
 島田洋一(福井県立大学教授) ※スカイプ出演
 石平(評論家) ※スカイプ出演
 平井宏治(株式会社アシスト代表取締役)
 室伏謙一(室伏政策研究室代表・政策コンサルタント)
 山岡鉄秀(情報戦略アナリスト・令和専攻塾塾頭)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1192.html

[近代史5] 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 中川隆
37. 中川隆[-15962] koaQ7Jey 2021年10月19日 09:37:05 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[8]
平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み

【討論】米中欧と日本の危機[桜R3/10/18]




◆米中欧と日本の危機

パネリスト:
 川口マーン恵美(作家) ※スカイプ出演
 古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
 島田洋一(福井県立大学教授) ※スカイプ出演
 石平(評論家) ※スカイプ出演
 平井宏治(株式会社アシスト代表取締役)
 室伏謙一(室伏政策研究室代表・政策コンサルタント)
 山岡鉄秀(情報戦略アナリスト・令和専攻塾塾頭)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/384.html#c37
[近代史5] 新自由主義の時代 中川隆
14. 中川隆[-15961] koaQ7Jey 2021年10月19日 09:37:49 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[9]
平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み

【討論】米中欧と日本の危機[桜R3/10/18]




◆米中欧と日本の危機

パネリスト:
 川口マーン恵美(作家) ※スカイプ出演
 古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
 島田洋一(福井県立大学教授) ※スカイプ出演
 石平(評論家) ※スカイプ出演
 平井宏治(株式会社アシスト代表取締役)
 室伏謙一(室伏政策研究室代表・政策コンサルタント)
 山岡鉄秀(情報戦略アナリスト・令和専攻塾塾頭)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/268.html#c14
[近代史4] 新自由主義の世界 中川隆
10. 中川隆[-15960] koaQ7Jey 2021年10月19日 09:38:34 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[10]
平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み

【討論】米中欧と日本の危機[桜R3/10/18]




◆米中欧と日本の危機

パネリスト:
 川口マーン恵美(作家) ※スカイプ出演
 古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
 島田洋一(福井県立大学教授) ※スカイプ出演
 石平(評論家) ※スカイプ出演
 平井宏治(株式会社アシスト代表取締役)
 室伏謙一(室伏政策研究室代表・政策コンサルタント)
 山岡鉄秀(情報戦略アナリスト・令和専攻塾塾頭)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/916.html#c10
[近代史5] 現生人類の起源 中川隆
13. 中川隆[-15959] koaQ7Jey 2021年10月19日 10:47:02 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[11]
雑記帳
2021年10月19日
河野礼子「猿人とはどんな人類だったのか 最古の人類」
https://sicambre.at.webry.info/202110/article_19.html

 井原泰雄、梅ア昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。本論文はまず、「猿人」について定義します。霊長類で人類の身体的独自性を3点に集約すると、直立二足歩行に適した全身、拡大した脳、縮小した犬歯となり、「猿人」を簡単に言うと、脳が拡大していない人類となります。また、現代人も含まれるホモ属とは別属に分類される人類全てのことでもあります。現代人は分類学的には、霊長目真猿下目ヒト上科ヒト科ホモ属サピエンス種(Homo sapiens)と位置づけられます。霊長目は全ての霊長類を、真猿下目はニホンザルやリスザルなどのサルらしいサルを含み、ヒト上科(Hominoidea)には現生および絶滅したヒトと(非ヒト)類人猿が全て含まれます。

 ヒト科(Hominidae)の定義は多少ややこしく、従来はチンパンジーとの共通祖先から分岐して以後のヒトの系統ほうべてヒト科としてきましたが、DNA研究の進展などにより、ヒトとチンパンジーの違いがごくわずかと示され、科の水準では区分できないのではないか、と議論されるようになりました。現在では、ヒト科にチンパンジーとゴリラも含める立場がどちらかと言えば優勢で、その立場では従来のヒト科を一つ下の分類階級のヒト族(Hominini)として扱います。しかし、オランウータンまでヒト科に含める意見や、従来的な定義の方が適切との立場もあり、広く合意が形成されているわけではありません。

 「猿人」というまとまりは正式な分類群ではなく、元々英語の「ape man」に対応した訳語として「猿人」という用語になりましたが、英語圏では現時点でこの「猿人」に対応した用語は正式には使われておらず、つまり日本独自の用語です(関連記事)。これは、新たな属名や種名がさまざまに提唱されたり、既存の分類群の定義について研究者間で見解が異なったりする場合などもある状況で、ある進化段階を表す名称が実用的で便利なので、慣例的に用いられ続けている、という事情のためです。同じ理由でホモ属についても、段階を表す用語として「原人」と「旧人」と「新人」という表現が慣例的に用いられています。

 本論文は「猿人」を3集団に大別します。まずは「初期猿人」で、1990年代以降に化石が発見されるようになった、400万年以上前の人類化石で、アウストラロピテクス属には含まれない、それ以前の人類となります。次に、狭義のアウストラロピテクス属です。最後に、「猿人」独自の特徴である咀嚼器官の発達がとりわけ顕著な3種から構成される「頑丈型猿人」です。「頑丈型猿人」は、属の水準ではアウストラロピテクス属とは別のパラントロプス属に分類されることもあります。狭義のアウストラロピテクス属は頑丈型に対して華奢型と呼ばれることもありましたが、現代人との比較では「猿人」全体で咀嚼器官が発達しているので、華奢とは言えません。現在では、頑丈型に対して「非頑丈型」と呼ばれることもあります。以下基本的に、「猿人」を「」でくくらず、類人猿は非ヒト類人猿を示します。


●初期猿人

 初期猿人は、サヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis)、オロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)、アルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)の4種です。サヘラントロプス・チャデンシスは、現時点で最古となる人類(候補)化石で、アフリカ中央部のチャドの砂漠地帯で発見され、トゥーマイと呼ばれる頭骨化石が基準標本です。この化石が発見された地域には放射性年代測定法の適用可能な火山性堆積物が存在しないので、推定年代は他地域との化石動物層の対比に基づいており、700万〜600万年前頃ですが、その後の研究では704万±18万年前と推定されています(関連記事)。トゥーマイの頭骨の下面には脳から体へ神経をつなぐ脊髄の出入口である大後頭孔という直径3〜4cmの穴があり、この穴が下方を向いているので、サヘラントロプス・チャデンシスが直立二足歩行していたことを示す、と解釈されていますが、異論もあります。

 現時点でアフリカ東部最古となる人類(候補)は、ケニアのトゥゲン丘陵で発見されたオロリン・トゥゲネンシスの化石です。その年代は、放射性年代測定法により600万年前頃と推定されています。オロリン・トゥゲネンシスの化石では、大腿骨近位半や上腕骨遠位半などの四肢骨片、下顎骨片、遊離歯などが報告されています。大腿骨近位半は3標本あり、大腿骨頸断面の緻密骨分布パターンが類人猿よりも人類に近いことなどから、オロリン・トゥゲネンシスも直立二足歩行だった、と指摘されています。

 1990年代に400万年以上前の人類(候補)化石として最初に発見されたのはアルディピテクス・ラミダスでした。当初はアウストラロピテクス属の一種として報告されましたが、アウストラロピテクス属とは明瞭に異なる進化段階にあるとして、アルディピテクス属に分類されました。2009年にはアルディピテクス・ラミダスの包括的な分析結果が公表されました(関連記事)。この包括的な分析に基づくと、アルディピテクス・ラミダスは腰や足部の骨の形状から地上では直立二足歩行だったと考えられますが、後の人類とは異なり拇指対向性を残していたので、樹上ニッチ(生態的地位)も完全には放棄していなかったようです。アルディピテクス・ラミダスの歯や顎は特殊化しておらず、果実やその他さまざまな食料を利用するジェネラリスト(万能家)だった、と推測されます。アルディピテクス・ラミダスの犬歯の大きさについては、発見されている20個体分以上が全て雌のチンパンジー程度、雄相当の大きなものが含まれないため、確率論的に雌雄の差はほぼなくなっていた、と推測されています。つまり、直立二足歩行への移行と犬歯の小型化がすでに始まっている人類だった、というわけです。アルディピテクス属には、ラミダスよりも古い年代の別種としてカダバも報告されています。ラミダスと比較すると資料は少なめですが、より大きな犬歯など、ラミダスの前段階である特徴が認められます。

 これら初期の猿人各種については、発見されたのが比較的最近ということもあり、相互比較研究などはさほど進んでいません。そのため、これら3属がじっさいに別の属として成立するのかどうか、といった観点の検討は今後の課題となりそうです。属の水準では全て同じでよいという結論になる可能性もあるものの、その場合は先に命名された属名に先取権があるため、全てアルディピテクス属に含められることになります。


●アフリカ東部の狭義のアウストラロピテクス属

 アウストラロピテクス属の既知の最古種は、アルディピテクス属と同じく1990年代に報告されたアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)です。アウストラロピテクス・アナメンシスは大きな臼歯列などアウストラロピテクス属の特徴を示すことから、既知のアウストラロピテクス属と属の水準で区別する必要はなく、おそらくアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の祖先だろう、と推測されました。最近、エチオピアのウォランソミル(Woranso-Mille)研究地域で発見された380万年前頃の頭骨(MRD-VP-1/1、以下MRDと省略)が、犬歯の形態などに基づいて、アウストラロピテクス・アナメンシスに分類されました(関連記事)。MRDには脳頭蓋が前後に長細いというサヘラントロプス属に似た祖先的特徴と、頬骨が前方へ向くという頑丈型猿人とも似た派生的特徴とが混在する、と報告されています。アナメンシスはアファレンシスと共存していた可能性も指摘されており、猿人進化に関する理解が、一段と進むことも混迷することもありそうです。

 アウストラロピテクス・アファレンシスは猿人を代表する種の一つで、現在のエチオピアとケニアとタンザニアにまたがる広範な地域から化石が出土し、資料数も多いことから、猿人像についての知見のかなりはアファレンシス化石の研究により明らかになった、と言えます。ルーシーと呼ばれるアファレンシスの有名な部分骨格標本(A.L. 288-1)や、一地点からまとまって発見されたために「最初の家族」と呼ばれる化石群など、アファレンシス化石の9割近くはエチオピアのハダール(Hadar)で得られていますが、基準標本に指定されたのはタンザニアのラエトリ(Laetoli)で発見された下顎骨です。また、チャドで発見され、アウストラロピテクス・バーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)という新種として報告された下顎骨標本も、形態的にはアファレンシスの変異の範疇に収まる、と考えられています。ケニアで発見され、アウストラロピテクス属とは別属とされたケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)化石については、中心的標本である頭骨の保存状態が悪いため、同年代のアファレンシスの違いが確定的とは言えないようです。

 エチオピアのウォランソミルでは、新たなアウストラロピテクス属化石(上下の顎骨数点)が報告されており、新種のアウストラロピテクス・デイレメダ(Australopithecus deyiremeda)と命名されました(関連記事)。デイレメダはアファレンシスと年代が重なり、発見場所も近いものの、臼歯列が小さめであることや顎骨の形態などに基づいて、新種と判断されました。これらの化石が発見されたウォランソミルのブルテレ地点では、それ以前に猿人の足部の化石が発見されており、拇指対向性が見られることから、アファレンシスと同年代にアルディピテクス属のような形態を有する別種の存在が示唆されていました(関連記事)。ウォランソミルの歯や顎がアファレンシスとは種の水準で異なると言えるのか、判断は難しく、またデイレメダとその足部化石との対応関係は確認できていません。


●アウストラロピテクス・アフリカヌス

 上述の猿人化石はいずれもアフリカ東部と中央部で発見されましたが、アフリカ南部でもアウストラロピテクス属化石が発見されており、最初に発見された猿人は現在の南アフリカ共和国で発見されたアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)化石でした。ただ、類人猿とヒトの中間的特徴を示すこの化石が報告された1925年には、後に捏造が発覚するピルトダウン人に学界の関心が集中しており、単なる類人猿の化石と考えられ、その意義は軽視されました。ピルトダウン人は、現代人的な脳と類人猿的な咀嚼器官を有する人類の祖先がヨーロッパで進化した、という当時の人類進化観に当てはまっており、逆に脳はヒトより小さいものの、咀嚼器官はヒト的な人類の祖先がアフリカ南部に存在した、という見解はなかなか受け入れられませんでした。アウストラロピテクス・アフリカヌスが人類の祖先として受け入れられるようになったのは、発表から20年近く経ってからでした。

 アフリカヌス化石は南アフリカ共和国のスタークフォンテン(Sterkfontein)洞窟やマカパンスガット(Makapansgat)で発見されており、とくにスタークフォンテンではかなりの点数が見つかっています。アフリカヌスはアファレンシスとともに猿人の代表種と言えますが、スタークフォンテンで発見された複数個体分の部分骨格はいずれも、頭骨と確実にセットになっていません。アフリカヌスの形態では個体変異が大きく、2種以上が含まれる可能性も指摘されていますが、明瞭な境界の定義も難しいので、アフリカヌスとしてまとめられています。

 アフリカヌスの系統的位置づけについては、アファレンシスから進化した、との見解以外にも、アファレンシスより祖先的とか、ホモ属の祖先とか、ホモ属と頑丈型猿人であるパラントロプス(もしくはアウストラロピテクス)・ロブストス(Paranthropus robustus)両者の祖先であるとか、さまざまな見解が提示されています。こうした議論の錯綜は、アフリカ南部の化石は基本的に洞窟堆積物から発見され、放射性年代測定によるアフリカ東部の化石よりも年代推定が難しく、揺れ幅が大きい、という事情も少なからず影響しています。

 スタークフォンテンでは、堆積物に全身骨格化石(90%以上の保存状態)が存在する、と1997年に確認されて以降、20年にわたって発掘作業が続けられ、最近になって化石の掘り出しと洗浄がほぼ完了し、分析結果が報告され始めています。この化石はリトルフット(StW 573)と呼ばれており、アフリカヌスの発見地点よりも下層で発見され、その年代は360万年前頃と推定されていますが、280万年前頃以降との見解も提示されています(関連記事)。リトルフットにはアフリカヌスとは異なる形態的特徴が認められ、アフリカヌスとは別種と判断されています。ただ、新種ではなく、20世紀半ばに提案されたアウストラロピテクス・プロメテウス(Australopithecus prometheus)に分類されています。


●頑丈型猿人

 アナメンシス以降のアウストラロピテクス属各種は、犬歯よりも後方の臼歯列、つまり小臼歯と大臼歯が大きく、表面を覆うエナメル質が厚いなど、全体的に咀嚼器官が発達しています。とくに顕著に咀嚼器官が発達しているのが、頑丈型と呼ばれる猿人です。頑丈型猿人では3種が存在します。頑丈型猿人はアファレンシスやアフリカヌスとは明らかに異なる進化段階を示していると考えられるので、アウストラロピテクス属とは別属のパラントロプス属と分類することが多くなっています。しかし、頑丈型猿人3種の系統関係が完全には解明されていない現状では、アウストラロピテクス属から独立させることの妥当性も担保されていないので、アウストラロピテクス属に分類する立場もあります。本論文は、基本的に頑丈型猿人をアウストラロピテクス属に分類しています。

 頑丈型猿人3種のうち最古はパラントロプス(アウストラロピテクス)・エチオピクス(Paranthropus aethiopicus)で、おもにアフリカ東部のエチオピアとケニアで化石が発見されています。資料数はあまり多くないものの、ケニアのトゥルカナ(Turkana)湖西岸でブラックスカルと呼ばれるほぼ完全な頭骨化石(KNM-WT 17000)が発見されています。この頭骨化石は、広くて平たい顔面部と突出した上顎が特徴で、歯はほとんど残っていないものの、歯根などから臼歯列はひじょうに大きかった、と推測されます。

 アフリカではもう1種の頑丈型猿人が確認されており、それはパラントロプス(アウストラロピテクス)・ボイセイ(Paranthropus boisei)です。ボイセイはおそらくエチオピクスから進化史、より咀嚼器官が発達した、と考えられます。ボイセイ化石で最良の保存状態の頭骨(OH5標本)は、アフリカ東部の猿人化石で最初に発見されました。OH5標本は、「皿状」とも評される顔面部と、分厚いエナメル質で表面を覆われたひじょうに大きな臼歯列が特徴的です。ボイセイ化石はアフリカ東部のエチオピアとケニアとタンザニアにまたがる広範囲で比較的多く発見されています。ボイセイは、下顎骨か大きくしっかりとしており、頭骨にはその下顎を動かすための強大な咀嚼筋の付着部となる骨の出っ張り(矢状稜)などが著しく発達し、顔面が平坦で皿状とも言われ、臼歯列の各歯のサイズはエチオピクスや同じく頑丈型猿人のパラントロプス(アウストラロピテクス)・ロブストス(Paranthropus robustus)と比較しても多くいものの、切歯と犬歯は相対的のみならず実寸でも著しく小さくなっている、といった共通の特徴が認められ、種としてのまとまりが分かりやすくなっています。ただ、エチオピア南部のコンソ(Konso)で発見された140万年前頃の頭骨化石には、エチオピクスやロブストスと類似する特徴が混在するので、種内変異もそれなりにあった、と推測されています。

 アフリカ南部で発見された頑丈型猿人がロブストスで、頑丈型猿人としては最初に発見されました。ロブストスは1930年代にクロムドライ(Kromdraai)で頭骨化石などが発見されて以降、スワートクランズ(Swartkrans)やドリモレン(Drimolen)などで数百点の化石が見つかっています。ロブストスは、咀嚼器官が発達している点ではアフリカ東部の2種(エチオピクスとボイセイ)と共通しており、ロブストスの方がエチオピクスよりも派生的で年代も後なので、頑丈型猿人3種はエチオピクスを祖先種とするクレード(単系統群)と考えるのが最も自然です。しかし、アフリカ南部のアフリカヌスとロブストスの間に共通点も見られることから、頑丈型猿人がアフリカの東部と南部で別々に進化した可能性(関連記事)も完全には否定されていません。

 頑丈型猿人で最も後まで存在したと考えられるのはボイセイで、ボイセイで最新の化石はコンソで発見されており、年代は140万年前頃です。これは猿人化石全体でも最も新しい年代で、ボイセイは最後の猿人と言えそうです。アフリカ東部では140万〜100まの化石産地があまり存在しないので、遅くとも100万年前頃までに猿人は絶滅したことになのそうです。ボイセイは230万年前頃かそれ以前から存在が確認されており、少なくとも100万年近く存続したことになります。コンソで発見された化石から、ボイセイのある程度の種内変異が示唆されるものの、100万年間に起き得る進化としてはさほど大きくなく、かなり安定した種と言えそうです。同年代にホモ属も存在しており、ボイセイは種間競争に敗れて最終的に絶滅したかもしれませんが、100万年続いてからの絶滅なので、惨めな敗者というよりは、随分長く頑張った種と言えそうです。


●ホモ属の起源と関連しているかもしれない猿人

 猿人の次に現代人も含まれるホモ属が(一定期間共存しつつ)登場しますが、猿人のうちどの種がホモ属の直接的祖先となったのか、明確ではありません。ホモ属とつながりがあると報告された猿人には、アウストラロピテクス・ガルヒ(Australopithecus garhi)とアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)があります。ガルヒの化石はエチオピアのミドル・アワシュで発見され、年代は250万年前頃です。ガルヒの頭骨は頑丈型猿人には似ていないため、同年代のエチオピクスとは別種で、四肢の長さの比率が猿人よりも現代人に近いことと、同じ遺跡から石器による傷のついた動物化石が発見されたことから、ホモ属の祖先と主張されています。ガルヒは、エチオピクスとは別種でありながら、歯が全体的に大きく、この時代に咀嚼器官の頑丈化が複数系統で起きた可能性も指摘されています。

 セディバは南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)遺跡でのみ発見されており(関連記事)、年代は200万年前頃です。セディバは同年代のロブストスと違って歯が小さくホモ属的ではあるものの、ホモ属にしては頭骨が小さく、脳の発達の気配がまったく見られないため、アウストラロピテクス属の新種と判断されたようです。セディバは2個体分の部分骨格化石が発見されており、腰骨などには現代人に近い特徴が見られますが、足部の骨には祖先的特徴も見られます。バーガー(Lee Rogers Berger)氏などセディバを報告した研究者は、セディバが猿人の中で最もホモ属に近い種と主張しますが、200万年前頃ではホモ属の祖先となるには遅すぎるので、あまり説得力はありません。セディバについては、アフリカヌスの生き残りという見解や、ホモ属に分類すべきといった、さまざまな見解が提示されています。

 ホモ属の起源について最古の証拠は、エチオピアのハダールで発見された233万年前頃の上顎骨とされてきました。しかし、同じアファール地域のレディゲラル(Ledi-Geraru)調査区域で発見された、5個の歯の残っている左側下顎が、最古のホモ属ではないか、と主張されています(関連記事)。この化石の年代は280万年前頃で、ホモ属の起源が一気にさかのぼった、とも評価されましたが、脳容量は不明で、歯や顎の化石でホモ属と判断するのは難しく、ホモ属出現の年代や場所の絞り込みは容易ではありません。また、「ホモ属の直前」といった特徴を示す猿人化石が発見されない限り、特定の猿人とホモ属との系統関係を確実に示すのは困難です。仮に「ホモ属の直前」の化石が発見されても、それがホモ属なのか猿人なのか判断するのは難しそうで、系統関係や分岐年代については、ある程度の解像度以上には明らかにできないかもしれません。


●猿人の特徴

 アファレンシスやアフリカヌスといった狭義のアウストラロピテクスの特徴は、直立二足歩行と犬歯サイズはヒト的であるものの、脳容量と四肢の比率は類人猿的で、ヒト的でも類人猿的でもない独自の特徴は、咀嚼器官が発達していたことです。猿人の直立二足歩行について、現代人との比較では見解が一致していないものの、直立二足歩行していたことは疑われていません。直立二足歩行への適応を示す特徴は、腰や大腿や膝や足部の骨の形状などに広く認められます。幅広で低い骨盤は類人猿よりもヒト的で直立姿勢を示唆し、大腿骨も股関節から膝にかけて傾くことにより直立姿勢で体の重心を体のましたに近づけるという、ヒト的特徴が認められます。

 類人猿の足は、手と同じように親指が他の指と向き合って物を掴める、すなわち把握性がありますが、ヒトでは足の親指は他の4本の指と並列しており横にはほとんど向かないため、上手く物を掴めません。猿人の足はこの点でヒト的です(例外が上述のブルテレ標本)。さらに、ヒトの足は縦方向にアーチを形成する点で類人猿と異なっていますが、猿人の足にも同様のアーチ構造が認められ、このアーチが歩行時の着地から蹴り出しにかけて効果的に体重移動をすると同時に、体重を支えるクッションのように機能していた、と考えられます。猿人の直立二足歩行の直接的証拠としては、タンザニアで発見された366万年前頃の足跡があります(関連記事)。

 このように猿人の直立二足歩行は確実と考えられますが、身体比率では猿人は類人猿的だったようです。類人猿は基本的に下肢に対して相対的に腕(上肢)が長いのに対して、現代人では相対的に下肢が長く、歩幅をかせいでいます。猿人は上肢が下肢に対して相対的に長く、この点ではヒトより類人猿に近かったようです。とくに、肘から先の前腕と手が相対的に長くなっています。猿人は現代人と比較して、身長が低かったようです。こうした身体比や全身像の検討には同一個体の化石が必要なので、多くの見解がアファレンシスの全身骨格(A.L. 288-1標本)の研究に基づいています。しかし、化石はなかなかまとまって見つからないので、難しい面もあります。

 一方、頭部については、全体的にヒトより類人猿的な特徴が多く見られます。まず、頭蓋内腔容量(脳サイズ)は375〜550㎤と小さく、現生類人猿と本質的に違わない、と言えます。顔面についても、眼窩の上の出っ張り(眼窩上隆起)が発達しており、上顎部分が前方へ突出しているなど、明らかに現代人より類人猿に似ています。ただ、上述の大後頭孔が類人猿と比較して頭蓋底のより前方にあり、首を動かす筋肉が付着する項平面が下方を向いている点などはヒト的で、これらも直立二足歩行と関連する特徴と理解されています。

 猿人の咀嚼器官については、頭蓋の咀嚼筋付着部が全体的によく発達しており、咀嚼力が強かった、と推測されます。上顎も下顎もがっしりとしており、とくに下顎骨の歯の生えている部分である下顎体は分厚く、下顎枝と呼ばれる工法の垂直部分は高くなっています。歯については、臼歯列、とくに大臼歯が大きく、歯冠表面のエナメル質も厚くなっています。一方、歯の中でも犬歯は咀嚼とは別の観点で重要です。類人猿の犬歯は三角錐型で尖っており、上下の犬歯の三角の一辺同士が擦れあって研がれるように減っていきますが、ヒトの犬歯は切歯とあまり違わない形で、他の歯と同じように先端からすり減ります。また類人猿は雌の犬歯もヒトより大きいものの、雄の犬歯はずば抜けて大きく、性差が著しいことも特徴です。類人猿の雄の犬歯が大きいことは、雄同士の競争が激しいことと関連していると考えられるので、犬歯サイズと性差の程度には社会の在り方が反映されている、と予測されます。

 猿人の犬歯は現代人と比較して大きく、個体によっては類人猿的に上顎歯列に下顎犬歯が収まるための隙間(歯隙)が認められます。しかし、類人猿と比較して猿人の犬歯はずっと小さく、目立ったサイズの性差も見られません。歯冠の形も三角錐というよりは先の尖ったヘラ状に近く、ヘラの先端から擦り減っていく点でもヒト的です。こうした犬歯の特徴から、猿人社会は類人猿と比較して雄間競争が激しくなかった、と想定されます。猿人では、犬歯サイズの性差は小さいものの、身体サイズの性差は大きかった、との指摘もあり、確かに現代人よりは性差があったにしても、類人猿ほどではなかった、との分析結果もあります。現代人でも同性内の個体差はそれなりに大きく、限られた点数しか見つからない化石の比較で個体差と性差をどこまで正確に評価できるのかは、難しい問題です。

 こうした特徴一式を仮に猿人の「典型」と考えると、初期の猿人と頑丈型猿人の違いも見えてきます。初期猿人では、犬歯がもう少し大きくて小型化の程度がもう少し前の段階にあったことと、咀嚼器官の発達が進んでいなかったことと、直立二足歩行をしていたものの足に拇指対向性が見られるなど樹上も生活空間として利用されていただろう、といったことが挙げられます。一方、「後期猿人」とも言うべき頑丈型猿人では、咀嚼器官のさらなる発達が独自の特徴で、咀嚼筋の一つである側頭筋の付着面積をかせぐための骨稜がよく発達しており。皿状の顔面も強大な咀嚼筋の付着領域や咀嚼力に対する強度の確保と関連して発達した、と考えられます。大臼歯はさらに大きくなり、小臼歯も「大臼歯化」するなど、咀嚼の必要性がひじょうに大きかった、と推測されます。頑丈型猿人の身体サイズはアファレンシスやアフリカヌスと本質的には違わなかった、と推測されています。ボイセイやロブストスは初期ホモ属と共存していたので、四肢骨化石が見つかっても、どちらなのか明瞭に区別することは難しく、逆に「頑丈」なのは咀嚼器官だけだったようです。


●猿人の進化の背景

 猿人の進化の背景としても二つの観点が着目されます。まず、人類の最大の特徴とも言うべき直立二足歩行の起源についてです。これについては古くからさまざまな理由が提案されてきました。たとえば、物の運搬、草原で見晴らしがよくなる、エネルギー効率がよい、といったものです。とくに、草原に生活域が移ったことで直立したとする「サバンナ仮説」や、その発展形で、大地溝帯の隆起によりアフリカの東西で環境が異なるようになったからとする「イーストサイドストーリー」が一時は有力でした。しかし、初期猿人化石が発見されていくにつれて、人類の起源がさかのぼり、初期猿人化石の発見地の古環境が必ずしも乾燥した草原とは言えないと明らかになり、これらの仮説の論拠は弱まりました。現在では、ラブジョイ(Claude Owen Lovejoy)氏の「食料供給仮説(プレゼント仮説)」が一定の説得力を有するようになっています。

 食料供給仮説では、直立二足歩行の起源と犬歯の小型化が同時に説明されます。現生チンパンジーにおいて雄間の競争が激しいのは、複雄複雌の群れにおいて性皮が膨張した発情中の雌をめぐってのことですが、ヒトの女性では発情中も周囲にはそうだと分からず、本人にも分かりません。発情中か否かが明示的でないと、なるべく多くの雌と発情の時期を狙って交尾するという雄の繁殖戦略が成り立たず、数は少なくなっても特定の相手を常時確保する方が戦略として有効となり得るため、雌雄ペアのつがい型、一夫一妻型社会が生じ得ます。雄同士の競争が不要になると巨大な犬歯の必要がなくなるので、犬歯が小型化します。一方、複雄複雌の群れからつがい型に移行することで、雄にとって自身の子であるかどうか判断できるようになり、小に食料を持ってくる行動が適応的に有利となり、食料運搬に適した移動様式として直立二足歩行が適応的に有利になった、というわけです。アルディピテクス・ラミダス化石などの研究により、初期猿人が本格的に草原に出る前に二足歩行を始めていたらしいことや、犬歯の小型化も同時に早くから進行していたことが明らかとなり、かなりの説得力があるように思われる食料供給仮説には批判も多いようで、広く合意が得られているとは言えないようです。

 次に、咀嚼器官の発達についてです。まず、アウストラロピテクス属全体として咀嚼器官が発達したのは、初期猿人の段階からアウストラロピテクスへの移行が、樹上空間と決別して本格的に草原、つまりサバンナへ進出し、地上での直立二足歩行に特化していくことを意味していると考えれば、サバンナで得られる食料に対して有利だったから、と解釈できます。頑丈型猿人においてさらに咀嚼器官の発達度合いが強化されたことも、ある意味ではその延長として理解できます。頑丈型猿人が出現した300万〜250万年前頃は、地球規模の寒冷化が進行し、アフリカにおいても乾燥化が進み、一段と草原が広がった時期とされています。このような環境変化により食料が乏しくなる中、咀嚼器官の発達によりしのいだのが頑丈型猿人だろう、というわけです。一方、同じ状況下で咀嚼器官の発達の代わりに道具製作・作用行動を進化させた系統があり、これがホモ属の祖先になったと考えられます。道具使用の証拠としては、エチオピアのゴナ(Gona)で発見された260万年前頃の石器群が最古とされており、ホモ属出現の時期にも合致します。しかし最近になって、330万年前頃の石器が発見されたとの報告もあるので(関連記事)、石器=ホモ属とは断定できません。

 この点に関して、アルディピテクス・ラミダスを含む視野で見れば、アウストラロピテクス属自体がホモ属への移行の準備段階で、形態的には祖先的なアウストラロピテクス属自体において、ホモ属を特徴づける道具使用行動や社会性や認知的行動の複雑化が萌芽的に存在していたに違いない、との指摘もあります。この指摘に基づけば、アウストラロピテクス属とホモ属との間には大きな段差があるのではなく、ある程度連続的な変化であって問題ないわけで、最古の石器の証拠が少々古くさかのぼっても、とくに不思議ではないかもしれません。


参考文献:
河野礼子(2021)「猿人とはどんな人類だったのか 最古の人類」井原泰雄、梅ア昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第2章P23-40


https://sicambre.at.webry.info/202110/article_19.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/464.html#c13

[近代史5] ソンミ村での住民虐殺
ソンミ村での住民虐殺

10月18日には​コリン・パウエル​元国務長官が死亡した。COVID-19が死因だとというが、「ワクチン」はフル接種していたと発表されている。この発表が事実なら、「ワクチン」はCOVID-19を防げないということだ。

 ベトナム戦争でアメリカ軍が泥沼に入っていることを印象づけたテト攻勢のあった1968年7月にパウエルは第23歩兵師団の将校として南ベトナムへ入った。その年の3月には南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落の住民がウィリアム・カリー大尉が率いる第23歩兵師団の小隊に虐殺されている。アメリカ軍によると、犠牲になった村民の数はミライだけで347名、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504名だ。2004年5月にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、パウエルは彼が所属する師団の小隊がソンミ村で住民を虐殺、後で自分も現場へ入ったと語っている。

 この虐殺について従軍記者や従軍カメラマンも知っていたのだが、報道していない。事件が広く知られるようになったのは、兵士の告発を知り、取材したシーモア・ハーシュの書いた記事をAPが配信してからである。「従軍」という形態でジャーナリストとしての取材はできないということだが、2003年3月のイラク侵略戦争で導入された「埋め込み取材」は軍による記者やカメラマンの管理がより強くなり、プロパガンダ色は濃くなっている。

 この出来事はCIAが特殊部隊を使って実行していた住民を皆殺しにする「フェニックス・プログラム」の一環だと考えられている。虐殺が発覚した一因は、農民が殺害されている最中に現場の上空にさしかかったアメリカ軍のOH-23偵察ヘリコプターが介入、兵士による告発があったからだ。

 ソンミ村での虐殺が報道されるとCIAは事件の隠蔽を図る。調査を任されたウィリアム・ピアーズ将軍は第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIA台湾支局長を務め、その後もCIAとの関係は続いていた。この事件の真相が明らかになるとフェニックス・プログラム全体が表面化する可能性が出てくる。そうした虐殺事件などをもみ消す役割を負っていたひとりが1968年7月に少佐としてベトナム入りしたコリン・パウエルにほかならない。アメリカの支配システムにとって、その程度の人間だとも言える。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110190000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1193.html

[近代史3] 自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論 中川隆
4. 中川隆[-15958] koaQ7Jey 2021年10月19日 12:02:30 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[13]

2021年10月19日
フランス人はなぜ休んでばかりいるのか?
https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html

日本人が輸出で勝つには、1日1ドルで働くインド人より給料を下げる必要がある
まさに敗者の競争ではないだろうか

日本人がしぬまで働いても勝てないシステム

統計によると日本は30年間賃金が上がっていないそうで、特に欧米と比べて庶民の生活水準が低い。

家が狭いうえ政府の政策で30年で「ボロ家」になるよう設計されているので、住宅がみすぼらしい。

日本政府は「中古が売れると新築が売れず不況になる」という謎理論を財務省が展開し、意図的に住宅寿命を短くしている。

新築ピカピカの家を平均3000万円で買うが、ローンを払い終えた30年後はもうボロボロになっている。

こういう政策なので中古住宅には住めたものではなく、仕方なくまた新築住宅を買う。

アメリカの住宅販売の8割は中古で、新築を建てるのは大富豪かその土地に適した住宅がない場合だけです。


中古住宅はリフォーム前提に設計されているのでどれも新築とそん色なく、築100年以上の中古住宅は珍しくない。

欧州も古い高層アパートが多く、中古住宅は30年で廃屋同然などと言う事は無い。

問題は日本政府がこの状態を意図的に作り出している事で、世間を知らない財務官僚が「中古住宅が売れないようにしろ」と指示しています。


そんな頭パーの連中が指導しているから日本は30年間ずっと不景気、所得が同じ欧米諸国と比べて生活水準が低い。

日本より生活水準が高そうな「イメージ」の国としては、カナダやスイスや北欧や南仏などを思い浮かべるでしょう。

本当かどうか知らないがフランス人は夏に2か月バカンスをとり、のんびり暮らしているそうです。

輸出も国際競争も不要

1人当たりGDPを調べてみるとこれら生活が豊かな国と日本は同じ程度で、日本の方が上位の場合も多い。

例えばフランス、イギリスなど欧州の半分以上は1人当たりGDPが日本より下か同じ程度です。

ドイツを除く欧州国家は輸出品と言っても何も思い浮かばないと思いますが、ドイツ以外ほぼ貿易赤字です。


日本の経済学者や官僚によると「輸出で勝った国が勝者」らしいですが、欧米で貿易黒字なのは主要国ではドイツのみです。

フランス人は貿易赤字なのにあまり働かず、それでいて日本人より豊かな生活をしている(ように見える)

例えば2021年は半導体不足で自動車などが減産し、ほぼすべての輸出産業が悪影響を受けています。


輸出産業とは日本より遥かに低賃金な韓国、中国、ベトナムやインドと競争しなくてはならず、必然的に「1億総貧困」になります。

昔日本が輸出で儲かったのは日本人自身の所得が低かったのと、まだライバルがいなかったからでした。

例えばボーイング737 MAXが2機墜落しましたが、原因はインド人学生に格安でプログラミングさせていたからでした。


金額は分からないがアメリカ人技術者は年収数千万円のところを、おそらく数万円程度でやらせていた。(数千円や数百円かも知れない)

日本やアメリカが輸出でインドに勝とうと思ったら、時給100円にしないと勝てません。

欧米は輸出で勝つ機など無く、インドや中国から安い製品を輸入し、それを国内で使って経済成長します。


このモデルではインド人より賃金を下げる必要が無いので、フランス人は怠けている上に2か月休暇を取れる。

もう輸出企業を儲けさせるために、インド人より安く働くような事は辞めるべきです。

トヨタやホンダが潰れてしまうというなら、潰れればいいのです

https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/192.html#c4

[近代史4] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
12. 中川隆[-15957] koaQ7Jey 2021年10月19日 12:02:53 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[14]

2021年10月19日
フランス人はなぜ休んでばかりいるのか?
https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html

日本人が輸出で勝つには、1日1ドルで働くインド人より給料を下げる必要がある
まさに敗者の競争ではないだろうか

日本人がしぬまで働いても勝てないシステム

統計によると日本は30年間賃金が上がっていないそうで、特に欧米と比べて庶民の生活水準が低い。

家が狭いうえ政府の政策で30年で「ボロ家」になるよう設計されているので、住宅がみすぼらしい。

日本政府は「中古が売れると新築が売れず不況になる」という謎理論を財務省が展開し、意図的に住宅寿命を短くしている。

新築ピカピカの家を平均3000万円で買うが、ローンを払い終えた30年後はもうボロボロになっている。

こういう政策なので中古住宅には住めたものではなく、仕方なくまた新築住宅を買う。

アメリカの住宅販売の8割は中古で、新築を建てるのは大富豪かその土地に適した住宅がない場合だけです。


中古住宅はリフォーム前提に設計されているのでどれも新築とそん色なく、築100年以上の中古住宅は珍しくない。

欧州も古い高層アパートが多く、中古住宅は30年で廃屋同然などと言う事は無い。

問題は日本政府がこの状態を意図的に作り出している事で、世間を知らない財務官僚が「中古住宅が売れないようにしろ」と指示しています。


そんな頭パーの連中が指導しているから日本は30年間ずっと不景気、所得が同じ欧米諸国と比べて生活水準が低い。

日本より生活水準が高そうな「イメージ」の国としては、カナダやスイスや北欧や南仏などを思い浮かべるでしょう。

本当かどうか知らないがフランス人は夏に2か月バカンスをとり、のんびり暮らしているそうです。

輸出も国際競争も不要

1人当たりGDPを調べてみるとこれら生活が豊かな国と日本は同じ程度で、日本の方が上位の場合も多い。

例えばフランス、イギリスなど欧州の半分以上は1人当たりGDPが日本より下か同じ程度です。

ドイツを除く欧州国家は輸出品と言っても何も思い浮かばないと思いますが、ドイツ以外ほぼ貿易赤字です。


日本の経済学者や官僚によると「輸出で勝った国が勝者」らしいですが、欧米で貿易黒字なのは主要国ではドイツのみです。

フランス人は貿易赤字なのにあまり働かず、それでいて日本人より豊かな生活をしている(ように見える)

例えば2021年は半導体不足で自動車などが減産し、ほぼすべての輸出産業が悪影響を受けています。


輸出産業とは日本より遥かに低賃金な韓国、中国、ベトナムやインドと競争しなくてはならず、必然的に「1億総貧困」になります。

昔日本が輸出で儲かったのは日本人自身の所得が低かったのと、まだライバルがいなかったからでした。

例えばボーイング737 MAXが2機墜落しましたが、原因はインド人学生に格安でプログラミングさせていたからでした。


金額は分からないがアメリカ人技術者は年収数千万円のところを、おそらく数万円程度でやらせていた。(数千円や数百円かも知れない)

日本やアメリカが輸出でインドに勝とうと思ったら、時給100円にしないと勝てません。

欧米は輸出で勝つ機など無く、インドや中国から安い製品を輸入し、それを国内で使って経済成長します。


このモデルではインド人より賃金を下げる必要が無いので、フランス人は怠けている上に2か月休暇を取れる。

もう輸出企業を儲けさせるために、インド人より安く働くような事は辞めるべきです。

トヨタやホンダが潰れてしまうというなら、潰れればいいのです

https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/749.html#c12

[近代史5] 自由貿易と輸出・インバウンドが日本経済を滅ぼす 中川隆
9. 中川隆[-15956] koaQ7Jey 2021年10月19日 12:03:22 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[15]

2021年10月19日
フランス人はなぜ休んでばかりいるのか?
https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html

日本人が輸出で勝つには、1日1ドルで働くインド人より給料を下げる必要がある
まさに敗者の競争ではないだろうか

日本人がしぬまで働いても勝てないシステム

統計によると日本は30年間賃金が上がっていないそうで、特に欧米と比べて庶民の生活水準が低い。

家が狭いうえ政府の政策で30年で「ボロ家」になるよう設計されているので、住宅がみすぼらしい。

日本政府は「中古が売れると新築が売れず不況になる」という謎理論を財務省が展開し、意図的に住宅寿命を短くしている。

新築ピカピカの家を平均3000万円で買うが、ローンを払い終えた30年後はもうボロボロになっている。

こういう政策なので中古住宅には住めたものではなく、仕方なくまた新築住宅を買う。

アメリカの住宅販売の8割は中古で、新築を建てるのは大富豪かその土地に適した住宅がない場合だけです。


中古住宅はリフォーム前提に設計されているのでどれも新築とそん色なく、築100年以上の中古住宅は珍しくない。

欧州も古い高層アパートが多く、中古住宅は30年で廃屋同然などと言う事は無い。

問題は日本政府がこの状態を意図的に作り出している事で、世間を知らない財務官僚が「中古住宅が売れないようにしろ」と指示しています。


そんな頭パーの連中が指導しているから日本は30年間ずっと不景気、所得が同じ欧米諸国と比べて生活水準が低い。

日本より生活水準が高そうな「イメージ」の国としては、カナダやスイスや北欧や南仏などを思い浮かべるでしょう。

本当かどうか知らないがフランス人は夏に2か月バカンスをとり、のんびり暮らしているそうです。

輸出も国際競争も不要

1人当たりGDPを調べてみるとこれら生活が豊かな国と日本は同じ程度で、日本の方が上位の場合も多い。

例えばフランス、イギリスなど欧州の半分以上は1人当たりGDPが日本より下か同じ程度です。

ドイツを除く欧州国家は輸出品と言っても何も思い浮かばないと思いますが、ドイツ以外ほぼ貿易赤字です。


日本の経済学者や官僚によると「輸出で勝った国が勝者」らしいですが、欧米で貿易黒字なのは主要国ではドイツのみです。

フランス人は貿易赤字なのにあまり働かず、それでいて日本人より豊かな生活をしている(ように見える)

例えば2021年は半導体不足で自動車などが減産し、ほぼすべての輸出産業が悪影響を受けています。


輸出産業とは日本より遥かに低賃金な韓国、中国、ベトナムやインドと競争しなくてはならず、必然的に「1億総貧困」になります。

昔日本が輸出で儲かったのは日本人自身の所得が低かったのと、まだライバルがいなかったからでした。

例えばボーイング737 MAXが2機墜落しましたが、原因はインド人学生に格安でプログラミングさせていたからでした。


金額は分からないがアメリカ人技術者は年収数千万円のところを、おそらく数万円程度でやらせていた。(数千円や数百円かも知れない)

日本やアメリカが輸出でインドに勝とうと思ったら、時給100円にしないと勝てません。

欧米は輸出で勝つ機など無く、インドや中国から安い製品を輸入し、それを国内で使って経済成長します。


このモデルではインド人より賃金を下げる必要が無いので、フランス人は怠けている上に2か月休暇を取れる。

もう輸出企業を儲けさせるために、インド人より安く働くような事は辞めるべきです。

トヨタやホンダが潰れてしまうというなら、潰れればいいのです

https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/392.html#c9

[近代史5] 深刻な漁業の衰退 なぜ漁師が20年で6割も減少したのか
北浦沿岸の深刻な漁業の衰退 なぜ漁師が20年で6割も減少したのか 事態悪化を危惧する声
2021年10月18日
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/22007


 山口県下関市の日本海側に面した北浦沿岸部の地域では、古くから水産業を基幹産業として各地の漁港を中心に集落が形成され、人々の暮らしが営まれてきた。しかしこの数年、漁業者の高齢化や減少が進み水揚げ量が減少している。そして漁業の衰退が北浦沿岸地域全体の人口減少や地域コミュニティの縮小へと繋がり、人々の暮らしにも影響してきた。こうしたなか、漁業現場ではコロナ禍で魚価が下落し、北浦沿岸全体で疲弊感がいっそう強まっている。なぜ、「漁師一本では生活していけなくなった」といわれるほどの状況になっているのか。2005年の県一漁協合併も経ながら、この20年来北浦沿岸や山口県内全体の漁業がどのように変化してきたのかについて、統計資料や現場の漁師の声をもとに取材した。


特牛港に鰯を水揚げする漁業者(5日、下関市)

 下関市豊浦町、豊北町の沿岸には、14の漁港が南北に連なっている。もともとはすべて単独の漁協だったが、2005年の県一漁協合併を機に角島漁協と黒井漁協を除く12漁協が「豊浦統括支店」に統合され、山口県漁協の支店となった。

 漁協合併した2005年から2019年にかけての北浦沿岸の各漁協における漁業就業者数の変遷を見てみると、すべての支店でその数が大きく減少している。漁業就業者とは「過去1年間に30日以上漁業の海上作業に従事した満15歳以上の者」が対象で、豊浦町、豊北町の漁業従事者は2005年時点で合計1429人いたが、2019年には570人まで減少している【図@】。14年間で実に漁業者の約60%が現場から退いており、そこには「漁師一本では食えない」「家族を養えない」「年金なしではやっていけない」などと語られるように、漁業だけで生活していくことが困難な実情があるようだ。

 この約20年間で大きく変わったことが、経費の高騰だ。豊北町角島のある漁師は「20年前は軽油が1g当り40円台だった。もっとも安い時で37円ということもあった。しかし今は90円台にまで値上がりしている。燃料代だけを考えても経費は当時よりも倍増している」と指摘する。燃料が高いため、船を走らせればそれだけ経費もかかる。漁で使用する燃料にかかる経費と、とれなかったときのリスクや魚価などを天秤にかけると、ほとんど収益にならないため、沖まで出て漁場を探すのではなく「損益を出すくらいならやめておこう」と意欲を削がれる悪循環にも繋がっているという。

 必要経費の大部分を燃料代が占めているが、他にも魚の出荷には必ず発泡スチロールを使用しなければならないし、鮮度維持のための氷などもすべて毎回購入しなければならない。

 経費の問題に加え、海そのものの環境も大きく変化している。沿岸漁業者の間では、夏場の水温が高すぎるためウニやアワビ、サザエなどのエサになるカジメ等の海藻類が立たなくなり、魚の稚魚などの隠れ家になる藻場が減っていることが問題になっている。その他にも、今年はとくにウニの身入りが悪く、とって殻を開けてみると身がどろどろに溶けているといった状態が響灘全体で起きている。

 地元漁師の間では「夏場の長雨によって淡水が大量に海底にたまった影響だ」ともいわれている。

 その他にも、3年前頃には全国的なイカの不漁によって豊北町の特牛市場では水揚げ量が大幅に減少した。市場の売上が減ったことも大きな打撃だが、それ以上に山陰の海で漁をおこない特牛市場に水揚げをおこなってきた県外のイカ釣り漁船の経営がなりたたなくなり、この数年で廃業が増えていることが大きな痛手となっている。また、豊北町で長年定置網漁をおこなってきた水産会社が、今年の9月に網を引き上げて事業を止めている。

 北浦沿岸における海の環境の変化について、実情に基づいて正式な調査や研究によって解明された情報は少ない。自然の環境は変化するものだが、すべての漁業者がその変化によってもたらされる漁業への影響は「良い方向ではない」と実感を抱いている。

スーパー乱出店の影響

 経費負担が増し、水揚げ量も芳しくないなかで、魚の値段は低い。角島の漁師は「今は水揚げした魚を冷蔵トラックや水槽付きの活魚車で出荷しているため、昔に比べて魚の鮮度ははるかによくなっている。しかし単価はそれほど変わらない」と語る。

 また、大手スーパーの乱出店など流通形態が変化したことによって、沿岸漁業の現場をとりまく環境も大きく変化してきた。漁業者や市場関係者、仲買人などの間では、2000年の大店法廃止・大店立地法の施行が大きなきっかけとなったと指摘する声もある。

 かつては大店法によって大規模小売業の出店が規制され、中小小売業の保護・育成がおこなわれてきたが、これを廃止したことで大型チェーンやスーパーなどが急増した。スーパーを経営する県外大手は県外にある自社提携先から独自のルートで決められた量・金額で仕入れをおこなうケースが多い。しかし北浦沿岸で営まれている漁業は主に個人漁師による釣りや網であるため、大規模な養殖業などと違って天候や季節によって水揚げ量や価値が変化しやすい。そのような条件は大手スーパーにとっては「不安定」な商材とみなされ仕入れの対象になりにくく、次第に地元でとれた魚が地元で流通しない構造が拡大してきた。

 大手販売業が幅をきかせるようになると同時に地元の仲買業者、加工業者の規模も縮小していき、市場の競りでは買い手の競争力が減退して魚価の低迷にも影響している。

 こうした状況が長年続いてきたなかで、一昨年から新型コロナウイルスの影響で魚価がさらに下がり、厳しさは増している。

 豊北町にある特牛市場ではこの時期、棒受け網漁でとれる「ウルメイワシ」の水揚げがおこなわれている。夜中から早朝にかけてとったイワシを朝市場に水揚げしに漁船が漁港に並ぶ。本来なら一箱3000〜4000円するものが、今は1200円ほどまで値下がりしているという。

 ある漁業者は「ウルメイワシは主に“めざし”に加工して販売されるが、山口県内ではこの市場の水揚げ量をまかなえるほどの加工業者がなくなってしまった。どんどん加工業者は減っている。今は大分県から2社、鹿児島県から1社が市場まで仕入れに来ているのだが、もしも仕入れてくれる加工業者がいなくなれば、私たち漁師がいくら頑張って水揚げしても魚は売れなくなる」と危惧していた。先日、特牛市場ではイワシが大量に水揚げされたはいいが、市場に仕入れに来ている業者が一社しかいなかったため、供給過多になり、まったく値が付かなかったこともあったという。

 ベテラン漁師は「スーパーの店頭価格が基準になり、そこから店舗のもうけや運送費など中間業者のマージンを差し引いた額が市場の競り値になる。漁師が漁業で生活していける最低ラインの魚価の確保ができなくなっており、今の流通の仕組みのなかでは一次産業は浮かばれない。さらにコロナの影響でもっと値が下がる。漁師自身が思っている値段で売れず、経費などと差し引きして手元に入る収益は少ない。こんなに悲しいことはない」と話していた。


特牛市場での活魚の競り(下関市)

並行して地域も衰退

 北浦沿岸全体で年々漁業者の減少・高齢化が進んで水揚げや売上金額も減少し、漁協運営も厳しくなっている。

 こうしたなかで豊浦統括支店は昨年11月に突然、各漁協支店に所属する漁業者に対し、一人当り3万5000円の「運営協力金」の支払いを求めた。豊浦統括支店では、特牛市場で「県外イカ」の水揚げが不調に陥るなどした影響から、平成29・30年度、令和元年度は3期連続で赤字を計上。協力金支払いの理由について漁業者に対しては「本店(山口県漁協)から3期連続の赤字は許さないといわれている」などと説明がおこなわれた。県一漁協合併以後、県下では赤字補填のために漁業者から協力金を徴収している支店もあるが、豊浦統括支店では昨年が初めてのことであり、反発も大きかった。

 同じ北浦沿岸部の長門統括支店傘下の漁協でも、昨年に引き続き、今年も組合員一人当り6万5000円の協力金支払いが求められ、各支店で説明がおこなわれた。

 組合員が減少するなかで、漁協の三つの柱である「信用」「共済」「購買」事業が成り立たなくなっており、豊浦統括支店に所属する各支店では信用部門を「曜日営業」にしたりと規模縮小も進められている。

 これまで北浦沿岸の地域では、多くの住民が基幹産業である漁業に家族ぐるみで従事し、商店や学校が地域コミュニティの核となって小さな集落ごとに地域の暮らしが形成されてきた。しかし漁業就業者の減少と並行して地域人口も急速に減少している。豊北町内にはもともと小学校が8校あったが、2015年3月に田耕小、二見小が閉校。2019年3月には神玉小、神田小が閉校。2020年3月に阿川小、粟野小、滝部小、角島小とすべての小学校が閉校し、現在は滝部小校舎に開校した豊北小1校のみとなっている。また中学校も2006年に町内4校が閉校し、豊北中1校のみとなっている。

 そして町内にあったスーパーも2016年4月いっぱいで丸和滝部店と特牛店が同時に閉店し、現在は滝部にある「サンマート」一店のみとなっている。

 長年豊北町内に暮らす元漁師は「漁船の設備も今は魚群探知機やGPSなど便利なものが増えた。陸の生活も同じようにどの家庭にも車があり、インターネットなども普及して一見便利な暮らしになった。だが、豊北町内ではだんだんと水揚げが減り、漁業者が減り、子どもが減り、学校が減り、商店が減り、挙げ句の果てには町内のスーパーは一軒だけになった。地域の暮らしは昔の方がはるかに便利だった。小さな店があちこちにあり、買い物は集落内で済ませられたし、学校も病院もすぐ近くにあった。今では私のような年寄りは車がなければ買い物にも行けず、生活に困る。海から陸への贈りものが少なくなって漁業が衰退すれば、陸の人々の暮らしや地域全体が寂れていく」と話していた。

県内漁師 高齢化率58%

 ここまで、下関市豊浦・豊北町の沿岸漁業地域の現状について見てきたが、水産業界の厳しさや漁業者の減少の問題は、山口県内全体でも共通している。それは、農林水産省が5年に一度おこなっている基幹統計調査「漁業センサス」の調査結果にもあらわれている。現時点で最新の漁業センサス調査結果は2018年版となっている。これをもとに山口県が漁業経営体についてまとめた「山口県・漁業経営体調査」のなかでは、山口県の漁業就業者が全国的に見ても高齢化しており、5年間での減少率も全国平均を大きく上回っている。

 2018年の山口県内の漁業就業者数は3923人で、前回2013年調査の5106人と比べて5年間で1183人(23・2%)減少した【図A】。5年間での減少率の全国平均が16・0%であったことを見ても、山口県内の漁業就業者減少のペースが突出していることがわかる。また、漁業就業者の減少について過去20年間の調査から見てみると、1998年調査時点での県内漁業従事者数は9800人だったが、2018年時点では3923人となっており、県内の漁業従事者は20年間で実に60%も減少していた。また、漁業就業者に占める65歳以上の割合は2018年時点で58・6%で、全国2番目に高かった。全国平均の38・3%と比較しても山口県内の高齢化は突出している。

 ある漁協関係者にこの調査結果について聞いてみると「県内の漁業者の高齢化率が高いというのは、“高齢漁師が頑張っている”と見うけられるかもしれないが、それだけでなく漁業現場から退く人が多いことについてよく考えなければならない。とくに若い世代が漁師一本で生活できないことが重大な問題だ。県一漁協合併以後、県内あちこちの漁協で毎年のように組合員に協力金の支払いが求められるようになった。“魚をとるためにはみずからお金を出して漁をするしかない”という条件が、全世代の漁業者にとって意欲の減退を促し“漁師をやめる理由”の一因になっているのではないか」と話していた。

 山口県では2005年の県一漁協合併以後、県内の各漁協がブロックごとに分けられ、10の統括支店(岩柳大島統括支店、光熊毛統括支店、周南統括支店、吉佐統括支店、宇部統括支店、本山以西統括支店、下関外海統括支店、豊浦統括支店、長門統括支店、はぎ統括支店)傘下の「支店」となった。

 前出の豊浦統括支店や、長門統括支店だけでなく、県内の他の統括支店傘下でも赤字補填のための協力金が要請されている組合がある。統括支店傘下にある複数の支店のうち、黒字経営の支店があったとしても、その他に赤字の支店があり統括支店全体で赤字だった場合は、連帯責任のような形ですべての支店の組合員に均等に協力金の負担が要請される。そのため「うちは単独の漁協なら黒字なのに……」と不満の声が上がっているのも事実だ。そして「赤字のときには漁師が負担を被り、黒字のときには県漁協本店に吸いとられる」という意見があちこちの浜で共通して語られている。

 ちなみに、山口県内では農協も2019年4月に一県一農協となっている。そして、漁業者と同じく農業者の高齢化も全国平均を大きく上回っている。2020年農林業センサスによると、県内の農業従事者の数は1万6613人であり、前回から5年間で7276人(30・5%)減少していた。そして65歳以上の高齢者は農業従事者全体の84・9%を占めている。平均年齢は72・3歳で広島県と並んで全国でもっとも高く、全国平均の67・8歳と比較しても高齢化は深刻なものとなっている。

 山口県内では、一次産業の現場から急速に担い手が減少している。これに比例するように人口減少も進んでおり、下関市を例に見ても人口減少数は全国八位だ。一次産業の衰退は、業界に携わる市場や卸、運送、加工、販売、飲食業など、地域の幅広い裾野産業にとっても大きな打撃であり、地域全体の衰退にも影響している。県内の一次産業従事者の減少・高齢化は全国的に見ても突出しており、さらなる衰退を危惧する声が現場で日に日に強まっている。

https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/22007
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1194.html

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
57. 中川隆[-15955] koaQ7Jey 2021年10月19日 16:42:27 : I1WTnafCCY : ZThJc0VIS2ouMzI=[2]

【ゆっくり解説】近寄るだけで危険?ヤバい事故物件10選 - Part2
2021/10/18




今回は呪われていたり事案があったりとさまざまないわくつき物件についてゆっくり解説していくぜ。


▼関連動画

【ゆっくり解説】泊まったら終わり…絶対に近づいてはいけない最恐幽霊ホテル5選



【ゆっくり解説】住んだら終わり。ヤバい事故物件7選


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c57
[近代史5] コーヒーフレッシュを使うとガンになる?!誰も知らないコーヒーフレッシュの危険性
【ゆっくり解説】コーヒーフレッシュを使うとガンになる?!誰も知らないコーヒーフレッシュの危険性
2021/10/19




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1195.html

[近代史5] 旭川では前にもこういう事件が _ 中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件 中川隆
8. 中川隆[-15954] koaQ7Jey 2021年10月20日 01:11:09 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[1]
鑑定書を見た検察から「その記述は消すように」との指示が…“解剖医”が証言する旭川地検の恣意的な“死因究明姿勢”
『死体格差―異状死17万人の衝撃―』より #1
山田 敏弘2021/10/18
https://bunshun.jp/articles/-/48676


 病院の外で死を迎えた“異状死体”は現場に臨場した警察が扱い、そこで犯罪性が疑われた場合には、死因を突き止めるプロフェッショナルである法医学者が解剖を行う。これは日本における死体の取り扱われ方の基本だ。しかしながら、ときに検察から「法医学者による記述を削除するように」との働きかけが行われることもあるという。

 ここでは、国際ジャーナリストとして活躍する山田敏弘氏が、“異状死”として死体を取り扱う現場の実態に迫った著書『死体格差―異状死17万人の衝撃―』(新潮社)の一部を抜粋。旭川医科大学教授で日本法医学会の庶務委員会理事を務める医師、清水恵子氏が経験した“忘れられない事件”を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆


忘れられない事件
 清水の場合、解剖は前日までに連絡が入り、午前中には執刀、解剖後は鑑定書を作成する。解剖が複数なら、すべての遺体の執刀が終わるまで解剖室で作業し、それから鑑定書を書く。大学に属しているため、それらと並行して教育や研究も行っている。

 大学の授業や委員会などがあれば、夜中まで作業が続く。教科書改訂作業、雑誌の執筆作業などもある。

 土日や祝日は、北海道で司法解剖ができる3大学(北海道大学、札幌医科大学、旭川医科大学)が、交代で勤務をする。当番制で解剖を担当するのだ。

 この制度について話をしている際に、清水は冗談っぽく笑いながらこう漏らした。

「1年の土日祝日の3分の1が待機も含めて当番で拘束されることになります。それが定年まで続きます。定年後は何をしようかな、と今から少し楽しみにしています」


 旭川医大の法医学講座は、年間250体ほどの解剖を行う。

 北海道では、異状死体(編集部注:病死・自然死以外の死亡死体)に対する解剖率は10.3%で、これは全国平均である11.5%と比べても遜色はない。清水がこれまで執刀した遺体の数は2000体以上、助手として関わった数は1300体程度にもなる。

 裁判に出廷する仕事もある。法医解剖を担当している清水の場合、9割ほどは検察側証人となるが、1割くらいは弁護側の鑑定や証人も依頼される。

 警察や検察の捜査や裁判などに話が及ぶと、清水はぽろっとこんな本音を吐露した。

「被疑者が女性で、捜査機関や司法、マスコミという公権力から『いじめ』にあっているように思える案件は、何を敵にまわしても、正義を主張したいと思っている」

 そう言った清水は、すぐにこう言い添えた。

「まあ、そんな事ができるのも、国立大学の教員だからだと感謝していますよ」

内縁の夫の首を自宅にあった包丁で刺す
 そんな清水の「人間らしさ」を垣間見ることができるエピソードがある。2009年に起きた事件にまつわるものだ。

 同年2月、北海道紋別郡興部町(おこっぺちょう)で、パート店員だった女性(39)が、殺人未遂の疑いで逮捕された。当時の警察の発表によれば、女性は朝の6時ごろ、同居中だった内縁の夫の首を自宅にあった包丁で刺した疑いを持たれた。内縁の夫は、搬送先の病院で死亡した。

 事件は、朝の些細な喧嘩から始まった。早朝に、内縁の夫が設定していた携帯電話の目覚まし時計の音をめぐって、両者は口論となった。その音があまりにもうるさかったからだという。

 女性は前夫からドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)を受けていた経験があったため、夫婦喧嘩になると刃物を手にとって自己防衛する癖がついていたという。その朝も、興奮して、洗い場にあった前夜に使い始めたばかりの刃渡り12センチの果物ナイフのようなものを掴んで夫を威嚇した。

また妻は、極度の近眼だった。そんなことから、夫が「危ないからやめろ」と近づいてきたことで、「近づかないで」と果物ナイフを持った右手を反射的に真っ直ぐ前に突き出した。するとそのナイフが、夫の左の肩口の鎖骨付近に刺さった。夫は「痛い!」と言い、前につんのめる形となり、その瞬間に刃物が深く入ってしまった。ごくわずかだが左肺にも達した。果物ナイフはすぐに抜き取られたが、血が噴き出すようなことはなかった。

車で30分ほど離れたすこし規模の大きい公立病院に
 我に返った妻は痛がる夫を連れて、軽自動車を運転して近所の病院に向かった。この時、傷口は小さく、2人は怪我をしたくらいにしか思っていなかった。事実、町立病院についても駐車場から2人で歩いて診察に向かっている。

 診察室で夫は横になり、酸素を吸入した。朝の6時ごろだったこともあり、ちょうど医師が入れ替わるタイミングだった。夫は、その状態のまま2時間ほど診察室で待つことになった。


 8時ごろに出勤してきた医師が診察を行ったが、傷が深そうなので、この町立病院では治療できないと判断。病院側は状況を鑑みて、妻の同意を元に警察に通報し、傷などの写真を撮影し、そこから車で30分ほど離れたすこし規模の大きい公立病院に夫婦を送った。

 公立病院に着くと、すぐにCTを撮影。すると左胸腔血気胸(左胸腔に血が溜まり、左肺が潰れた状態)が判明した。夫は意識もはっきりとしており、看護師たちの会話に割って入って、「朝食は、まだ食べていない」と話すほどだった。

©iStock.com
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「その時の夫の状態を見れば、出血元は左の胸腔内であることは明らかだった」と清水は言う。

 にもかかわらず、公立病院側は出血源が頸部(首)にあると判断し、緊急手術をする判断をした。夫はその時点でも意識状態は良く元気で、看護師と日常会話をしていた。

致命的だったのは、手術のために行った人工呼吸
 担当医師たちは、手術を始めると、鎖骨付近の小さな傷の周辺を何十センチも切り開き、出血している血管を探そうとした。この措置について、事件にかかわった医療関係者は、「もともと頸部周辺に出血の元はないわけだから、無駄なことをしていたのではないかと後に議論になった」と言う。

「解剖学の知識があれば、出血元は胸腔内であることは明らかです。なぜなら、もし首に出血源があるとすれば、それは動脈か静脈のどちらかの血管が原因ということになりますが、もし動脈からの出血なら、勢いよく血液が噴き出すので、最初の町立病院に行く前に死亡している。静脈の損傷が原因なら、最初の病院で待たされていた2時間ほどの間に、皮下出血で首や左の鎖骨周辺が盛り上がって腫れて、皮膚は紫色になって膨らんでくる。ところがそれはなかった。しかも、この時点で胸腔内から胸腔ドレナージによって血液を抜けば、死ぬようなこともなく、数日の治療で歩いて退院した可能性が極めて高かったと考えられます」

 その判断ミス以上に致命的だったのは、手術のために行った人工呼吸だった。


夫は全身麻酔を行うため、人工呼吸管理で気管支にチューブを入れられ、酸素と麻酔薬のガスが強制的に肺に送り込まれた。だが肺の表面に傷のある状態で肺の中に空気やガスを注入したことで、空気もガスもすべて、血が溜まっている胸腔内に漏れ、胸腔内をどんどん圧迫していくことになった。そして心臓や静脈も圧迫されて動きが阻害された。その状態を医療用語では「緊張性気胸」と言うが、それが手術中に起きた可能性があり、脈拍や心拍数が見る見る落ちていった。

 その様子を見た病院側は自分たちでは手に負えないと結論付け、胸部外科がある別の市立病院に搬送する手続きをとった。搬送先の病院は90kmほど離れており、搬送途中に夫の心臓は停止した。

 捜査資料によれば、夫は、市立病院に到着時には心臓が停止してから30分以上経過して死亡していたが、病院で傷口のガーゼを外すと、心臓が動いていないにもかかわらず、300mlほどの血液が噴き出したという。左の胸腔内の圧力がいかに上昇していたのかがわかる。


作られた「殺人罪」
 こうした経緯があったために、遺体は司法解剖に付されることになった。そして、旭川医大の清水が執刀した。

 清水は解剖を始めると、遺体に残された異常に気がついた。治療が不適切だった可能性が清水の目には明らかだった。

 例えば、遺体の左胸壁に胸腔ドレナージを挿入した痕跡は見当たらなかった。つまり、胸腔内から血液を抜く措置をした形跡が遺体にはなかった。

 清水は医学部大学院在学中に学位論文の作成と並行して麻酔科研修を行っていたこともあって、麻酔科標榜医の資格を取得していた。麻酔科でも修練や経験を積んできたため、不適切な措置にすぐさま気がついた。

 そして最初に搬送された町立病院の医師が撮影した受傷間もない小さな傷の写真から、遺体の手術痕など死亡するまでの経緯などを踏まえ、遺体が最後に残した死の真相を示す客観的事実を丁寧に拾いながら司法解剖を行った。

検察からの記述削除の要請を断固として拒否
 鑑定書に、夫には受けた傷に対して標準的治療を受けた痕跡が見あたらなかったこと、標準的医療がなされていれば死ななくて済んだ可能性があることを明記した。

 だが、清水は鑑定書を見た検察側から「その記述は消すように」との指示を受ける。

 検察の見立てでは、妻は口論になって刃物を持ち出し、上から刃物を振り下ろして首に刺したとなっていたからだ。首に向けて振り下ろしたために、そこには妻の殺意があったというロジックである。

 だが司法解剖の所見では、傷は果物ナイフを上から振り下ろして首を刺してできたものではなかった。実際の傷ともマッチしないのである。創角(傷口)を見ると、刃物は体に向かって下から外側方向に刺さったことを物語っていた。

 清水は、検察からの記述削除の要請を断固として拒否した。

 一審で検察側は、病院側の主張する「出血性ショック」と「左肺血気胸」が死因だったと主張し、清水の法医解剖の鑑定を証拠として採用しなかった。司法解剖による医学的.専門的な死因調査を無視するという暴挙に出たのである。


検察側から、鑑定書の「不都合な部分」の記述を消すように言われた経緯からも、検察側がこの妻を殺人罪で有罪にしたかった意図が見え隠れする。

 結局一審では、検察の主張通り、刃物を「上から振り下ろした」と旭川地裁が殺意を認定し、妻に殺人罪が適用された。検察は懲役13年を求刑したが、地裁は懲役9年を言い渡している。

公権力からの『いじめ』に近いもの
 この判決を受け、被疑者側は控訴。控訴審では弁護士も代わり、たまりかねた清水も法廷で証言することになった。当時の北海道新聞では、こう報じられている。


「男性の司法解剖を担当した旭川医大の清水恵子教授の証人尋問が行われ、清水教授は鑑定書に記載した死因について、一審旭川地裁の初公判前に旭川地検から削除を求められたことを明らかにした。

 清水教授は22日の公判で、男性の死因は一審判決が認定した出血性ショックなどでなく、『搬送先の病院が適切な処置をしなかったことによる緊張性血気胸だった』と述べた。弁護側はこの証言を基に、男性にけがをさせたことと死亡の因果関係は証明されていないとし、殺人罪でなく傷害罪に止まり、執行猶予が相当と主張した」

 記事は続く。

「証人尋問で弁護側証人として出廷した清水教授は、『男性は(病院で)輸血を受けており、(その後)出血性ショックになるはずがなかった』と指摘した。(中略)清水教授は、搬送先の病院で適切な処置が行われなかったことが直接の死因とする司法解剖の鑑定書を旭川地検に提出したが、地検は死因について記載の一部削除を求め、拒否したと述べた」

 ここまで清水が強く自らの主張を貫いた背景には、彼女の人生観があったと考えていい。検察による恣意的な見立てを前に、被告となっていた妻に対する「捜査機関や司法、マスコミという公権力から『いじめ』」に近いものを感じていたのだろう。

 司法解剖の鑑定は一審でも証拠として調べられるべきだったが、それが行われなかった。遺体から得られる事件の重要な手掛かりが聞き入れられず、遺体の「尊厳」が踏みにじられた格好になった。清水は、黙っているわけにいかなかった。

ネット上で巻き起こる批判
 清水が「搬送先の病院が適切な治療をしていれば、助かった可能性があった」と証言した二審では、札幌高裁が、懲役9年とした一審・旭川地裁の判決を棄却。妻の殺意を認めずに、傷害致死罪を適応して2011年に懲役4年6カ月を言い渡した。ただ高裁は、治療にあたった「医師らの判断、措置が根本的に誤っているとは言えない」との発言も残している。 

 公判での清水の証言が報じられると、ネット上で批判が巻き起こった。

 清水の裁判での言動について、「自分の専門の範囲を超えた無責任な発言であることは自明」といった意見が今もネット上に残されている。

 清水に水を向けると、断言した。

「まったく気にしていません。私はインターネット世代ではないので、ネットは自分が見なければ、無いのと同じという感覚です。法医学は、とにかく、公平公正であるように努めなければいけません。被疑者でも被害者でも、それは関係ありません」

自分の証言が、死者の尊厳を守るのであればいい、と。そして笑いながらこう続けた。

「私が死んだ時に、これまで司法解剖してきた人たちから『お前、周りの意見聞いて、忖度して、死因変えたべ!』って怒られないようにしないと」

 誤解ないように言うが、清水は、このケースのようにいつも警察や検察といがみ合っているわけではない。むしろ、日本の他の地域と比べると、北海道は死因究明で頑張っているほうだと、北海道警を評価している。


死者の尊厳を真摯に守ろうとする法医学者
 言うまでもなく、北海道は面積が広い。九州と四国を足したより広く、東北6県より広い。そのためにどうしても死体の搬送時間がかかるという問題がある。移動だけで200qを超えてしまうこともあるという。また冬は雪深いため、遺体を搬送する際に、車が動けなくなったりすることもある。警察官は、命がけで死因究明をしている。そんな苦労もよくわかっている。

「他のいろんな県警の様子を聞くと、北海道警察は非常に真面目に取り組んでいると思う。人口の割に犯罪数は多くないですし、警察網もきちんと張り巡らされているので、一つ一つのケースに、誠実に取り組んでいると思います」

 少なくとも、死者の尊厳を真摯に守ろうとする法医学者がいるという点で、道民は恵まれているのかも知れない。

 清水に聞いてみた。

「これまで心を揺さぶられた解剖はありましたか?」

「いえ、解剖の時は仕事モードなので、感情が動く余裕はありません。学生時代は、まだ素人だったし、自分に解剖の責任が無かったので、児童虐待死の解剖に感情を揺さぶられたこともあった。でも今は、どの案件も『ご遺体』です。ご冥福をお祈りするばかりです。人はいつか必ず死ぬので」

 よく聞かれる質問なのか、予想通りの法医学者らしい答えだと感じたが、実は、先に触れた北海道紋別郡興部町で内縁の夫を刺してしまった女性の事件には、続きがある。

事件に翻弄され、混乱する被害者の子供
 亡くなった内縁の夫には、女子高校生の連れ子がいた。裁判が終わったあと、清水は弁護士からの要請で、彼女の“両親”にいったい何が起きたのかを事件を担当した法医学者として彼女に説明することになった。家庭内で起きた、非常に複雑な事件だったことから、心のケアのつもりでもあった。

「この女子高校生から見れば、実の父親が被害者で、内縁ではあっても母親が加害者ということになった。そして私は、法医学に基づいて、二審で母親のほうを助けたことになったわけです。子どもの立場としては複雑な状況だったために、事件について説明するために、娘さんに会いに行ったのです」

 その際、事件によって家庭が崩壊状態になってしまったことで、専門学校を目指していたこの女子高生は、勉強どころではなくなってしまったことがわかった。

「これまでも親に満足に育ててもらえなかったから、保育士になりたいんです」と、娘は言った。

 事件に翻弄され、混乱している様子を目の当たりにした清水は、「それならば私が家庭教師をしますよ」と申し出て、「もう大丈夫です」と言うまで、勉強を見続けたという。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/592.html#c8

[近代史5] 旭川にだけは住んではいけない 中川隆
193. 中川隆[-15953] koaQ7Jey 2021年10月20日 01:13:02 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[2]
鑑定書を見た検察から「その記述は消すように」との指示が…“解剖医”が証言する旭川地検の恣意的な“死因究明姿勢”
『死体格差―異状死17万人の衝撃―』より #1
山田 敏弘2021/10/18
https://bunshun.jp/articles/-/48676

 病院の外で死を迎えた“異状死体”は現場に臨場した警察が扱い、そこで犯罪性が疑われた場合には、死因を突き止めるプロフェッショナルである法医学者が解剖を行う。これは日本における死体の取り扱われ方の基本だ。しかしながら、ときに検察から「法医学者による記述を削除するように」との働きかけが行われることもあるという。

 ここでは、国際ジャーナリストとして活躍する山田敏弘氏が、“異状死”として死体を取り扱う現場の実態に迫った著書『死体格差―異状死17万人の衝撃―』(新潮社)の一部を抜粋。旭川医科大学教授で日本法医学会の庶務委員会理事を務める医師、清水恵子氏が経験した“忘れられない事件”を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆


忘れられない事件
 清水の場合、解剖は前日までに連絡が入り、午前中には執刀、解剖後は鑑定書を作成する。解剖が複数なら、すべての遺体の執刀が終わるまで解剖室で作業し、それから鑑定書を書く。大学に属しているため、それらと並行して教育や研究も行っている。

 大学の授業や委員会などがあれば、夜中まで作業が続く。教科書改訂作業、雑誌の執筆作業などもある。

 土日や祝日は、北海道で司法解剖ができる3大学(北海道大学、札幌医科大学、旭川医科大学)が、交代で勤務をする。当番制で解剖を担当するのだ。

 この制度について話をしている際に、清水は冗談っぽく笑いながらこう漏らした。

「1年の土日祝日の3分の1が待機も含めて当番で拘束されることになります。それが定年まで続きます。定年後は何をしようかな、と今から少し楽しみにしています」


 旭川医大の法医学講座は、年間250体ほどの解剖を行う。

 北海道では、異状死体(編集部注:病死・自然死以外の死亡死体)に対する解剖率は10.3%で、これは全国平均である11.5%と比べても遜色はない。清水がこれまで執刀した遺体の数は2000体以上、助手として関わった数は1300体程度にもなる。

 裁判に出廷する仕事もある。法医解剖を担当している清水の場合、9割ほどは検察側証人となるが、1割くらいは弁護側の鑑定や証人も依頼される。

 警察や検察の捜査や裁判などに話が及ぶと、清水はぽろっとこんな本音を吐露した。

「被疑者が女性で、捜査機関や司法、マスコミという公権力から『いじめ』にあっているように思える案件は、何を敵にまわしても、正義を主張したいと思っている」

 そう言った清水は、すぐにこう言い添えた。

「まあ、そんな事ができるのも、国立大学の教員だからだと感謝していますよ」

内縁の夫の首を自宅にあった包丁で刺す
 そんな清水の「人間らしさ」を垣間見ることができるエピソードがある。2009年に起きた事件にまつわるものだ。

 同年2月、北海道紋別郡興部町(おこっぺちょう)で、パート店員だった女性(39)が、殺人未遂の疑いで逮捕された。当時の警察の発表によれば、女性は朝の6時ごろ、同居中だった内縁の夫の首を自宅にあった包丁で刺した疑いを持たれた。内縁の夫は、搬送先の病院で死亡した。

 事件は、朝の些細な喧嘩から始まった。早朝に、内縁の夫が設定していた携帯電話の目覚まし時計の音をめぐって、両者は口論となった。その音があまりにもうるさかったからだという。

 女性は前夫からドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)を受けていた経験があったため、夫婦喧嘩になると刃物を手にとって自己防衛する癖がついていたという。その朝も、興奮して、洗い場にあった前夜に使い始めたばかりの刃渡り12センチの果物ナイフのようなものを掴んで夫を威嚇した。

また妻は、極度の近眼だった。そんなことから、夫が「危ないからやめろ」と近づいてきたことで、「近づかないで」と果物ナイフを持った右手を反射的に真っ直ぐ前に突き出した。するとそのナイフが、夫の左の肩口の鎖骨付近に刺さった。夫は「痛い!」と言い、前につんのめる形となり、その瞬間に刃物が深く入ってしまった。ごくわずかだが左肺にも達した。果物ナイフはすぐに抜き取られたが、血が噴き出すようなことはなかった。

車で30分ほど離れたすこし規模の大きい公立病院に
 我に返った妻は痛がる夫を連れて、軽自動車を運転して近所の病院に向かった。この時、傷口は小さく、2人は怪我をしたくらいにしか思っていなかった。事実、町立病院についても駐車場から2人で歩いて診察に向かっている。

 診察室で夫は横になり、酸素を吸入した。朝の6時ごろだったこともあり、ちょうど医師が入れ替わるタイミングだった。夫は、その状態のまま2時間ほど診察室で待つことになった。


 8時ごろに出勤してきた医師が診察を行ったが、傷が深そうなので、この町立病院では治療できないと判断。病院側は状況を鑑みて、妻の同意を元に警察に通報し、傷などの写真を撮影し、そこから車で30分ほど離れたすこし規模の大きい公立病院に夫婦を送った。

 公立病院に着くと、すぐにCTを撮影。すると左胸腔血気胸(左胸腔に血が溜まり、左肺が潰れた状態)が判明した。夫は意識もはっきりとしており、看護師たちの会話に割って入って、「朝食は、まだ食べていない」と話すほどだった。

©iStock.com
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「その時の夫の状態を見れば、出血元は左の胸腔内であることは明らかだった」と清水は言う。

 にもかかわらず、公立病院側は出血源が頸部(首)にあると判断し、緊急手術をする判断をした。夫はその時点でも意識状態は良く元気で、看護師と日常会話をしていた。

致命的だったのは、手術のために行った人工呼吸
 担当医師たちは、手術を始めると、鎖骨付近の小さな傷の周辺を何十センチも切り開き、出血している血管を探そうとした。この措置について、事件にかかわった医療関係者は、「もともと頸部周辺に出血の元はないわけだから、無駄なことをしていたのではないかと後に議論になった」と言う。

「解剖学の知識があれば、出血元は胸腔内であることは明らかです。なぜなら、もし首に出血源があるとすれば、それは動脈か静脈のどちらかの血管が原因ということになりますが、もし動脈からの出血なら、勢いよく血液が噴き出すので、最初の町立病院に行く前に死亡している。静脈の損傷が原因なら、最初の病院で待たされていた2時間ほどの間に、皮下出血で首や左の鎖骨周辺が盛り上がって腫れて、皮膚は紫色になって膨らんでくる。ところがそれはなかった。しかも、この時点で胸腔内から胸腔ドレナージによって血液を抜けば、死ぬようなこともなく、数日の治療で歩いて退院した可能性が極めて高かったと考えられます」

 その判断ミス以上に致命的だったのは、手術のために行った人工呼吸だった。


夫は全身麻酔を行うため、人工呼吸管理で気管支にチューブを入れられ、酸素と麻酔薬のガスが強制的に肺に送り込まれた。だが肺の表面に傷のある状態で肺の中に空気やガスを注入したことで、空気もガスもすべて、血が溜まっている胸腔内に漏れ、胸腔内をどんどん圧迫していくことになった。そして心臓や静脈も圧迫されて動きが阻害された。その状態を医療用語では「緊張性気胸」と言うが、それが手術中に起きた可能性があり、脈拍や心拍数が見る見る落ちていった。

 その様子を見た病院側は自分たちでは手に負えないと結論付け、胸部外科がある別の市立病院に搬送する手続きをとった。搬送先の病院は90kmほど離れており、搬送途中に夫の心臓は停止した。

 捜査資料によれば、夫は、市立病院に到着時には心臓が停止してから30分以上経過して死亡していたが、病院で傷口のガーゼを外すと、心臓が動いていないにもかかわらず、300mlほどの血液が噴き出したという。左の胸腔内の圧力がいかに上昇していたのかがわかる。


作られた「殺人罪」
 こうした経緯があったために、遺体は司法解剖に付されることになった。そして、旭川医大の清水が執刀した。

 清水は解剖を始めると、遺体に残された異常に気がついた。治療が不適切だった可能性が清水の目には明らかだった。

 例えば、遺体の左胸壁に胸腔ドレナージを挿入した痕跡は見当たらなかった。つまり、胸腔内から血液を抜く措置をした形跡が遺体にはなかった。

 清水は医学部大学院在学中に学位論文の作成と並行して麻酔科研修を行っていたこともあって、麻酔科標榜医の資格を取得していた。麻酔科でも修練や経験を積んできたため、不適切な措置にすぐさま気がついた。

 そして最初に搬送された町立病院の医師が撮影した受傷間もない小さな傷の写真から、遺体の手術痕など死亡するまでの経緯などを踏まえ、遺体が最後に残した死の真相を示す客観的事実を丁寧に拾いながら司法解剖を行った。

検察からの記述削除の要請を断固として拒否
 鑑定書に、夫には受けた傷に対して標準的治療を受けた痕跡が見あたらなかったこと、標準的医療がなされていれば死ななくて済んだ可能性があることを明記した。

 だが、清水は鑑定書を見た検察側から「その記述は消すように」との指示を受ける。

 検察の見立てでは、妻は口論になって刃物を持ち出し、上から刃物を振り下ろして首に刺したとなっていたからだ。首に向けて振り下ろしたために、そこには妻の殺意があったというロジックである。

 だが司法解剖の所見では、傷は果物ナイフを上から振り下ろして首を刺してできたものではなかった。実際の傷ともマッチしないのである。創角(傷口)を見ると、刃物は体に向かって下から外側方向に刺さったことを物語っていた。

 清水は、検察からの記述削除の要請を断固として拒否した。

 一審で検察側は、病院側の主張する「出血性ショック」と「左肺血気胸」が死因だったと主張し、清水の法医解剖の鑑定を証拠として採用しなかった。司法解剖による医学的.専門的な死因調査を無視するという暴挙に出たのである。


検察側から、鑑定書の「不都合な部分」の記述を消すように言われた経緯からも、検察側がこの妻を殺人罪で有罪にしたかった意図が見え隠れする。

 結局一審では、検察の主張通り、刃物を「上から振り下ろした」と旭川地裁が殺意を認定し、妻に殺人罪が適用された。検察は懲役13年を求刑したが、地裁は懲役9年を言い渡している。

公権力からの『いじめ』に近いもの
 この判決を受け、被疑者側は控訴。控訴審では弁護士も代わり、たまりかねた清水も法廷で証言することになった。当時の北海道新聞では、こう報じられている。


「男性の司法解剖を担当した旭川医大の清水恵子教授の証人尋問が行われ、清水教授は鑑定書に記載した死因について、一審旭川地裁の初公判前に旭川地検から削除を求められたことを明らかにした。

 清水教授は22日の公判で、男性の死因は一審判決が認定した出血性ショックなどでなく、『搬送先の病院が適切な処置をしなかったことによる緊張性血気胸だった』と述べた。弁護側はこの証言を基に、男性にけがをさせたことと死亡の因果関係は証明されていないとし、殺人罪でなく傷害罪に止まり、執行猶予が相当と主張した」

 記事は続く。

「証人尋問で弁護側証人として出廷した清水教授は、『男性は(病院で)輸血を受けており、(その後)出血性ショックになるはずがなかった』と指摘した。(中略)清水教授は、搬送先の病院で適切な処置が行われなかったことが直接の死因とする司法解剖の鑑定書を旭川地検に提出したが、地検は死因について記載の一部削除を求め、拒否したと述べた」

 ここまで清水が強く自らの主張を貫いた背景には、彼女の人生観があったと考えていい。検察による恣意的な見立てを前に、被告となっていた妻に対する「捜査機関や司法、マスコミという公権力から『いじめ』」に近いものを感じていたのだろう。

 司法解剖の鑑定は一審でも証拠として調べられるべきだったが、それが行われなかった。遺体から得られる事件の重要な手掛かりが聞き入れられず、遺体の「尊厳」が踏みにじられた格好になった。清水は、黙っているわけにいかなかった。

ネット上で巻き起こる批判
 清水が「搬送先の病院が適切な治療をしていれば、助かった可能性があった」と証言した二審では、札幌高裁が、懲役9年とした一審・旭川地裁の判決を棄却。妻の殺意を認めずに、傷害致死罪を適応して2011年に懲役4年6カ月を言い渡した。ただ高裁は、治療にあたった「医師らの判断、措置が根本的に誤っているとは言えない」との発言も残している。 

 公判での清水の証言が報じられると、ネット上で批判が巻き起こった。

 清水の裁判での言動について、「自分の専門の範囲を超えた無責任な発言であることは自明」といった意見が今もネット上に残されている。

 清水に水を向けると、断言した。

「まったく気にしていません。私はインターネット世代ではないので、ネットは自分が見なければ、無いのと同じという感覚です。法医学は、とにかく、公平公正であるように努めなければいけません。被疑者でも被害者でも、それは関係ありません」

自分の証言が、死者の尊厳を守るのであればいい、と。そして笑いながらこう続けた。

「私が死んだ時に、これまで司法解剖してきた人たちから『お前、周りの意見聞いて、忖度して、死因変えたべ!』って怒られないようにしないと」

 誤解ないように言うが、清水は、このケースのようにいつも警察や検察といがみ合っているわけではない。むしろ、日本の他の地域と比べると、北海道は死因究明で頑張っているほうだと、北海道警を評価している。


死者の尊厳を真摯に守ろうとする法医学者
 言うまでもなく、北海道は面積が広い。九州と四国を足したより広く、東北6県より広い。そのためにどうしても死体の搬送時間がかかるという問題がある。移動だけで200qを超えてしまうこともあるという。また冬は雪深いため、遺体を搬送する際に、車が動けなくなったりすることもある。警察官は、命がけで死因究明をしている。そんな苦労もよくわかっている。

「他のいろんな県警の様子を聞くと、北海道警察は非常に真面目に取り組んでいると思う。人口の割に犯罪数は多くないですし、警察網もきちんと張り巡らされているので、一つ一つのケースに、誠実に取り組んでいると思います」

 少なくとも、死者の尊厳を真摯に守ろうとする法医学者がいるという点で、道民は恵まれているのかも知れない。

 清水に聞いてみた。

「これまで心を揺さぶられた解剖はありましたか?」

「いえ、解剖の時は仕事モードなので、感情が動く余裕はありません。学生時代は、まだ素人だったし、自分に解剖の責任が無かったので、児童虐待死の解剖に感情を揺さぶられたこともあった。でも今は、どの案件も『ご遺体』です。ご冥福をお祈りするばかりです。人はいつか必ず死ぬので」

 よく聞かれる質問なのか、予想通りの法医学者らしい答えだと感じたが、実は、先に触れた北海道紋別郡興部町で内縁の夫を刺してしまった女性の事件には、続きがある。

事件に翻弄され、混乱する被害者の子供
 亡くなった内縁の夫には、女子高校生の連れ子がいた。裁判が終わったあと、清水は弁護士からの要請で、彼女の“両親”にいったい何が起きたのかを事件を担当した法医学者として彼女に説明することになった。家庭内で起きた、非常に複雑な事件だったことから、心のケアのつもりでもあった。

「この女子高校生から見れば、実の父親が被害者で、内縁ではあっても母親が加害者ということになった。そして私は、法医学に基づいて、二審で母親のほうを助けたことになったわけです。子どもの立場としては複雑な状況だったために、事件について説明するために、娘さんに会いに行ったのです」

 その際、事件によって家庭が崩壊状態になってしまったことで、専門学校を目指していたこの女子高生は、勉強どころではなくなってしまったことがわかった。

「これまでも親に満足に育ててもらえなかったから、保育士になりたいんです」と、娘は言った。

 事件に翻弄され、混乱している様子を目の当たりにした清水は、「それならば私が家庭教師をしますよ」と申し出て、「もう大丈夫です」と言うまで、勉強を見続けたという。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html#c193

[近代史5] 成仏不動産 | 事故物件の買取・売却・流通専門サイト 中川隆
17. 中川隆[-15952] koaQ7Jey 2021年10月20日 01:18:03 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[3]
“解剖現場”では臭いが一気に広がり「ウワッ」となることも…法医学者が目にする孤独死体の“その後”を徹底ルポ!
『死体格差―異状死17万人の衝撃―』より #2
山田 敏弘2021/10/18
https://bunshun.jp/articles/-/48680


 病院の外で死を迎えた異状死体を扱う法医学者(法医解剖医)。全国で約150人を数える彼ら彼女らプロフェッショナルたちは、日々さまざまな解剖現場に立ち会い、死因を突き止めている。なかには凄惨な状態の死体もあり、その代表的なものが、死後、時間が経過した孤独死体だ。

 ここでは、国際ジャーナリストの山田敏弘氏による著書『死体格差―異状死17万人の衝撃―』(新潮社)の一部を抜粋。日本における死因究明現場から見た孤独死の実態について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆


ゴミ屋敷の中で
 東京都大田区にそのアパートはあった。

 数年前のその日、私は数日前に腐乱死体で発見された男性の自宅の清掃に向かっていた。孤独死が発生した後に遺体発見場所となった部屋を掃除したり遺品整理をする業者に密着取材をするためだった。当時、そうした業者がメディアでもよく取り上げられるようになっていた。

 アパートに着くと、すぐ前の道路脇に作業を担当する3人の男性がいた。作業員が勢揃いしたところで、全員が白い防護服を着用、それぞれが独自で持ってきた高性能防塵マスクを用意する。

※写真はイメージです ©iStock.com
※写真はイメージです ©iStock.com
この記事の画像(2枚)
 マスクは普通のサージカルマスクなどとは違って、防毒マスクのようなものである。私もこの取材のために防毒マスクを購入していた。

 朝の9時。「では始めますか」とリーダー格の男性が言った。

 そのアパートは2階建てで、それぞれの階に4部屋ずつあった。現場の部屋は、階段を上がって二つ目の部屋である。

 ドアの前にはこんな張り紙がしてあった。

「お友達が心配してアパートに訪ねてきました。不動産屋さんと連絡して話をしてもらいました。家にもどったら申し訳ありませんが、不動産屋さんに連絡してください」

 すぐ近くに住むアパート所有者である人物の名前が最後に記されていた。連絡が取れなくなった住民の身を案じて友人が訪ねてきたが、アパートの管理は不動産屋に任せているため、そちらに連絡をするよう手書きでメモを残していたのだった。

 作業員はその張り紙には目もくれず、ドアを開けて入っていく。

死因は熱中症
 部屋の中は、いわゆるゴミ屋敷。私はほかの孤独死の現場もいくつか取材しているが、ここと同じように、物が山積みになっているだけでなく、ゴミ袋に入ったままのゴミもたくさん放置されている部屋が多い。遺族や不動産屋が手を付けることができないから業者に依頼がくるのだ。

 部屋に入ると、鼻をつく独特の悪臭がマスクを突き抜けてくる。人間の腐敗臭だ。

 依頼者である不動産屋によると、部屋に住んでいたのは60代の男性。わかっているところでは、職を転々としながら、休みにはバイクで日本を放浪していたという。このアパートには10年近く住んでおり、6年ほど前に不動産屋が家賃の支払いの遅延で訪問した際、すでに、部屋の中がゴミだらけになっていることに気が付いたという。

 玄関を入ると、すぐに4畳半のダイニングがあり、右側にはトイレと風呂があった。奥にはまた4畳半の居間があるのだが、ゴミだらけで足の踏み場もない。中に入っていくのもひと苦労だった。

 住民男性は、奥の部屋で壁にもたれ座るような形で亡くなっているのが発見された。腐敗していたため、すぐに警察が呼ばれた。遺体は解剖され、死因は熱中症だったことが判明したのだという。

 その後聞いた話では、部屋の腐敗臭を消すために、遺品整理業者が独自に開発した液体を繰り返しふりかけて対処したというが、それも大変な作業だったらしい。遺族に返せる品物は引き渡し、それ以外はほとんどを回収業者が処分した。


増えつつある孤独死
 孤独死というものは昔から存在する。

 1人で生活をしていて死亡する人はいつの時代にも、どこの世界にもいる。日本の新聞でも明治時代の1884年10月11日付の読売新聞の朝刊社会面には、「丁稚・手代を次々解雇、女房を雇い女代わりに使ったケチ男が孤独死」と孤独に死んだ男の記事も存在している。

 1886年10月14日の読売新聞の記事では、一人暮らしの飯屋の主人がコレラにかかり、看取る者もなく吐瀉死したと報じている。警察にそれを届ける者もいなかったとし、発見後は、周囲を消毒して対処したと書かれている。


 近年では、孤独死の数はかなり増えつつあるようだ。

 現在、孤独死についての全国的な統計はない。だが調べている自治体はある。例えば東京23区では、2016年に孤独死した人の数は3179人。1日に10人近くが孤独死していることになる。

 東京23区の孤独死は年々増加している。2005年には1860人だったのが、2011年は2618人、2014年には2891人だ。

 また2019年の大阪府警での調査では、大阪府内の孤独死の数は2996人となっている。その年の異状死(孤独死を含む)が大阪全体で1万2309人報告されており、孤独死で最も多いのは70歳代だった。次いで、60歳代、80歳代と続く。男女を見ると、男性の孤独死は2213人で女性の783人の3倍ほどになっている。大阪市の調査でも市内の孤独死の8割は男性だったという。

孤独死の死因の特徴
 日本は世界と比べても高齢化が進んだ国である。高齢化に伴って、単身者も増えており、孤独死も増えているのが実情のようだ。内閣府の高齢社会白書によれば、60歳以上で一人暮らしをしている人の45.4%が孤独死を身近な問題と感じていると答えている。

 日本医科大学の研究では、孤独死の死因の特徴としては、循環器疾患が多い。心筋梗塞や狭心症などの急性虚血性心疾患、さらにはくも膜下出血で亡くなっているということである。これは異状死でも同様の傾向がある。それ以外でも、自殺やアルコール性肝障害が顕著だという。

 近年では、「同居孤独死」という言葉も生まれている。同居者がいるにもかかわらず孤独死が報告されるケースだ。2020年11月、読売新聞は「同居孤独死」の実態についてこう報じている。

「自宅で死亡し、同居の家族らがいるにもかかわらず4日以上発見されなかった『同居孤独死』が2018年の1年間で、東京23区と大阪、神戸両市内で204人いたことが、各監察医事務所への取材でわかった」

 高齢化が進むことによって高齢者のみの世帯が増加したり、認知症や寝たきりなど自宅で介護が行われるケースも増えている。またひきこもりなど未婚の子どもと同居している高齢世帯もある。そういう世帯で、「同居孤独死」が起きやすいという。

 そうした死体が発見された場合、異状死として扱われ、警察によって処理されることになる。


日本では「8050問題」と呼ばれる問題も顕在化している。文字通り、80歳代の親と、ひきこもりなどの問題を抱えた50歳代の子どもの2人暮らし世帯という意味だ。未婚で親と同居している40〜50代の数は、1995年の112万人から2010年は263万人、2015年には341万人と増加を続けている。こういう世帯が増えれば、「同居孤独死」の件数も増えることになるだろう。

 孤独死の取材もしてきた私の感触では、孤独死という言葉は、必ずしも実態を反映しているとは言えないかもしれない。なぜなら、1人で、部屋などで亡くなってからしばらく発見されることがないケースでは「孤独」ではない人も多いからだ。

 同じ屋根の下に暮らしていたり、近所に家族や親戚がいるケースもあり、決して社会的に身寄りもない「孤独」とは違うからだ。このあたりの定義もまだ曖昧なままである。


「同居孤独死」の現場
 孤独死で発見された遺体はどう扱われるのだろうか。発見者はまず警察に連絡することになる。すると警察が現場に臨場し、遺体は解剖にまわされる可能性が高い。事件性の有無も調べる必要がある。

 法医学者らが扱う遺体の中でも腐敗している場合は、対処が異なってくる。まず臭いが強いからだ。その臭いは一度嗅いだら忘れないものである。私は、真夏の炎天下で腐った生ゴミの入ったゴミ袋から漂う甘酸っぱいような臭いを嗅ぐと、人の腐敗臭を思い出す。

 ある元監察医はこう語る。

「お腹にはガスが溜まるので切って開けたときに、その臭いが一気に広がり『ウワッ』となることもある」

 こんな死因究明の現場に立ち会ったことがある。70歳代の男性が訪ねてきた介護士によって発見された。布団の中で、仰向きで亡くなっていた。遺体は腐敗が始まっていた。

 現場検証をした警察は、死体には争った形跡も外傷もなかったが、発見状況、現場の状況、死体所見などで死因が判然としないために、司法解剖を実施することに決めた。

警察が用意した現場の写真なども、重要なヒントに
 朝の9時には、納体袋に入った遺体が解剖室に運び込まれた。解剖室の隣にある事務所で、警察の検視官などがこの日に執刀する法医学者に状況を事細かに説明する。法医学者も既往歴から服用していた薬などについて質問し、検視官による説明にさらに突っ込んだ質問を行なっていく。警察が用意した現場の写真などもじっくりとチェックする。そうした細かな情報を把握することで、解剖時の死因究明には重要なヒントになるのである。

 説明によれば、この男性には同居する中年の息子がいた。だが少し知的障害があったため、おそらく、父親が死亡していることに気が付いて、姿を消し、行方不明になったとみられていた。また男性は数年前に脳梗塞で入院したことがあったが、その後、病院には行きたくないと主張して、通院を止めてしまっていた。

「では行きましょう」

 法医学者が一言発すると、検視官らは「よろしくお願いします」と席を立つ。そしてともに解剖室に移動する。


解剖台に仰向けに横たわった遺体の周りには、法医学者と解剖助手、記録係、内臓などを撮影する写真係、警察の検視官、さらに遺体を解剖する際に血液などを拭き取るタオルを次々と洗う助手もいる。こうした人たちがチームになって解剖を行なっていく。

腐敗臭が漂う解剖室
 腐敗したその遺体は、皮膚がかなり変色している。

 腐敗とは、バクテリアによる組織の破壊である。青緑っぽい色になっている部分もある。皮膚の一部は腐敗して火傷をしたときに1枚うっすらと皮がめくれたような状態になっている。また仰向けで死んでいたことから、背中を見ると、広く死斑が確認できた。背中に血液が溜まるために、青黒くなるのだ。


 前面から体を開き、内臓を確認していく。なんとも言えない生臭さのある腐敗臭が漂う。ただ解剖室にいる誰も気にするそぶりはない。腐敗が進んでいるために、内臓は溶解が起きていて、臓器が確認しづらくなっている。法医学者からも、「うーん、臓器が溶けていてわかりづらい」との声が漏れる。

 そうしていると、電動ノコギリの音が聞こえた。助手が頭を開けるために頭蓋骨を削っているのだ。頭蓋骨を外して確認すると脳も溶けかけていた。すぐにでも崩れてしまいそうな脳を取り出し、スライスしながら調べるが、脳内に出血した形跡は確認できなかった。脳梗塞の既往例があったが、脳に死因は見つけられない。

 あっという間に、ほとんどの臓器が取り出された。脳には致命傷はないと見たこの法医学者が次に注目したのは胃である。胃の内容物と消化具合で少なくとも死のタイミングはわかるからだ。

死因を特定できないまま、解剖は終了
 プラスチック容器の上で、食道部分を左手で持ちながら、胃袋を切ると内容物がボトボトと落ちる。遺体が腐敗しているため、胃の内容物も異様な臭いを発している。胃をさらにきれいに開いて内側にも異状がないかを調べる。

 内容物は裏ごし器ですくって、水をゆっくりと垂らしながら見ていく。すると、まだ消化し切っていない玉ねぎやにんじんなどが確認できた。実は検視官の説明では、遺体が発見された際、部屋には野菜の煮物などを食べた形跡が残されていた。

 執刀の法医学者は、「胃の内容物の消化具合を考えると、死亡したのは煮物を食べた後3時間以内だと考えられる」と述べた。

 ここからどんなことがわかるのか。

 人は死亡するとその瞬間に胃の働きが止まる。ただ脳梗塞などを起こして意識がなくなってゆっくり死亡していく場合、胃の働きはすぐには止まらないため、数時間、消化が続いている可能性が高い。

 仮にこの男性が脳梗塞などで死亡した場合は、ここまで胃の内容物が残っていないと考えられた。つまり、死因は心筋梗塞などの急死だった可能性があるという。

 死因を特定できないまま、解剖は終了した。このあとは、さまざまな薬毒物検査で、死因につながるヒントはないかを調べることになる。臓器の一部や血液などを採取して、ホルマリンで状態を固定して保管した。

このケースのような腐敗した死体は夏場に急増するという。気温が高いために、腐敗が進むペースも早い。そうなると死因究明も一筋縄ではいかなくなるのである。

 煮物を食べてから亡くなった男性と同居していた息子は、後日水死体で発見された。自殺だったと見られている。自殺の理由はわからないが、仕事をしておらず、父親の年金で暮らしていたことから、父親が亡くなったことで将来を悲観したのかもしれない。

妻と娘も同じ屋根の下で同居していたが…
 先に述べた通り、同居人がいても孤独で死亡するケースは少なくない。孤立していたのである。関東のある法医学者はこんなケースを担当している。


 男性は50歳代。一軒家の自室で死亡しているところを発見されたのだが、死後10日ほどが経っていた。男性が住んでいた家では、実は妻と娘も同じ屋根の下で同居していた。ただ妻によれば、夫は家で自室に引き籠もっていたのだという。食事などは台所に用意されているものを気が向いたときに取りに来て、部屋に運んで食べるという生活だった。しばらく姿を見なくても誰も気にしない、という家庭環境だった。

 遺体は、しばらく姿を見ていないと思った妻が部屋を確認したことで発見された。警察はもしかしたら事件の可能性もあるかもしれないということで、司法解剖が行われた。

 男性は、自宅にあるベッドの端に座って立ち上がろうとしたところで意識を失ったのか、下半身がベッドの外に出ている状態で、仰向きに寝ている状態で発見された。

 解剖を進めていくと、特に身体からは異状は見つからなかった。ただ、胸部の大動脈に豚脂様凝血という血の塊があったことから、気を失ってから、ゆっくりと亡くなっていったことがわかり、死因は凍死であることが判明した。

要介護の夫をネグレクトし、死亡させた妻と息子
 また孤独死では、こんなケースも起きうる。

 2006年に広島で寝たきり状態だった60歳の男性が死亡しているのが発見された。男性はその3年ほど前に脳内出血を起こして手術を受け、一命を取り止めたが、歩けなくなり、言語障害も残った。食事や排泄など身の回りのこと全般で介護が必要な「要介護3」に認定されていたという。

※写真はイメージです ©iStock.com
※写真はイメージです ©iStock.com
 その後、男性と一緒に暮らしていた妻と息子2人が逮捕された。介護がなければ生きられない状態の男性を、ネグレクトしたことで死亡させたという容疑だった。民間の介護施設の職員が訪問した際に、男性の遺体を見つけて通報した。

 この一件を報じた読売新聞によれば、遺体は一部白骨化しており、家族のネグレクトが悪質だとして、警察は家族を保護責任者遺棄致死容疑ではなく、「未必の故意」による殺人容疑を適用したという。「未必の故意」とは、明確に殺す意思がなくても、そのままでは死亡することを認めつつ放置することを指す。

 こういうケースでも、解剖は不可欠である。

 前出の千葉大学の岩瀬博太郎教授はこの事件について、「たとえば、糖尿病の患者にインスリンを打たずに放置し、高血糖発作で死亡させた場合には殺人や保護責任者遺棄致死になり得る」と述べる。しかし、きちんと解剖に回して死因を精査することなく、見ためや状況から考えて死因をよくある「心筋梗塞」などとして処理してしまえば、「犯罪の認定は困難になる」という。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/503.html#c17

[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
58. 中川隆[-15951] koaQ7Jey 2021年10月20日 01:18:43 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[4]
“解剖現場”では臭いが一気に広がり「ウワッ」となることも…法医学者が目にする孤独死体の“その後”を徹底ルポ!
『死体格差―異状死17万人の衝撃―』より #2
山田 敏弘2021/10/18
https://bunshun.jp/articles/-/48680

 病院の外で死を迎えた異状死体を扱う法医学者(法医解剖医)。全国で約150人を数える彼ら彼女らプロフェッショナルたちは、日々さまざまな解剖現場に立ち会い、死因を突き止めている。なかには凄惨な状態の死体もあり、その代表的なものが、死後、時間が経過した孤独死体だ。

 ここでは、国際ジャーナリストの山田敏弘氏による著書『死体格差―異状死17万人の衝撃―』(新潮社)の一部を抜粋。日本における死因究明現場から見た孤独死の実態について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆


ゴミ屋敷の中で
 東京都大田区にそのアパートはあった。

 数年前のその日、私は数日前に腐乱死体で発見された男性の自宅の清掃に向かっていた。孤独死が発生した後に遺体発見場所となった部屋を掃除したり遺品整理をする業者に密着取材をするためだった。当時、そうした業者がメディアでもよく取り上げられるようになっていた。

 アパートに着くと、すぐ前の道路脇に作業を担当する3人の男性がいた。作業員が勢揃いしたところで、全員が白い防護服を着用、それぞれが独自で持ってきた高性能防塵マスクを用意する。

※写真はイメージです ©iStock.com
※写真はイメージです ©iStock.com
この記事の画像(2枚)
 マスクは普通のサージカルマスクなどとは違って、防毒マスクのようなものである。私もこの取材のために防毒マスクを購入していた。

 朝の9時。「では始めますか」とリーダー格の男性が言った。

 そのアパートは2階建てで、それぞれの階に4部屋ずつあった。現場の部屋は、階段を上がって二つ目の部屋である。

 ドアの前にはこんな張り紙がしてあった。

「お友達が心配してアパートに訪ねてきました。不動産屋さんと連絡して話をしてもらいました。家にもどったら申し訳ありませんが、不動産屋さんに連絡してください」

 すぐ近くに住むアパート所有者である人物の名前が最後に記されていた。連絡が取れなくなった住民の身を案じて友人が訪ねてきたが、アパートの管理は不動産屋に任せているため、そちらに連絡をするよう手書きでメモを残していたのだった。

 作業員はその張り紙には目もくれず、ドアを開けて入っていく。

死因は熱中症
 部屋の中は、いわゆるゴミ屋敷。私はほかの孤独死の現場もいくつか取材しているが、ここと同じように、物が山積みになっているだけでなく、ゴミ袋に入ったままのゴミもたくさん放置されている部屋が多い。遺族や不動産屋が手を付けることができないから業者に依頼がくるのだ。

 部屋に入ると、鼻をつく独特の悪臭がマスクを突き抜けてくる。人間の腐敗臭だ。

 依頼者である不動産屋によると、部屋に住んでいたのは60代の男性。わかっているところでは、職を転々としながら、休みにはバイクで日本を放浪していたという。このアパートには10年近く住んでおり、6年ほど前に不動産屋が家賃の支払いの遅延で訪問した際、すでに、部屋の中がゴミだらけになっていることに気が付いたという。

 玄関を入ると、すぐに4畳半のダイニングがあり、右側にはトイレと風呂があった。奥にはまた4畳半の居間があるのだが、ゴミだらけで足の踏み場もない。中に入っていくのもひと苦労だった。

 住民男性は、奥の部屋で壁にもたれ座るような形で亡くなっているのが発見された。腐敗していたため、すぐに警察が呼ばれた。遺体は解剖され、死因は熱中症だったことが判明したのだという。

 その後聞いた話では、部屋の腐敗臭を消すために、遺品整理業者が独自に開発した液体を繰り返しふりかけて対処したというが、それも大変な作業だったらしい。遺族に返せる品物は引き渡し、それ以外はほとんどを回収業者が処分した。


増えつつある孤独死
 孤独死というものは昔から存在する。

 1人で生活をしていて死亡する人はいつの時代にも、どこの世界にもいる。日本の新聞でも明治時代の1884年10月11日付の読売新聞の朝刊社会面には、「丁稚・手代を次々解雇、女房を雇い女代わりに使ったケチ男が孤独死」と孤独に死んだ男の記事も存在している。

 1886年10月14日の読売新聞の記事では、一人暮らしの飯屋の主人がコレラにかかり、看取る者もなく吐瀉死したと報じている。警察にそれを届ける者もいなかったとし、発見後は、周囲を消毒して対処したと書かれている。


 近年では、孤独死の数はかなり増えつつあるようだ。

 現在、孤独死についての全国的な統計はない。だが調べている自治体はある。例えば東京23区では、2016年に孤独死した人の数は3179人。1日に10人近くが孤独死していることになる。

 東京23区の孤独死は年々増加している。2005年には1860人だったのが、2011年は2618人、2014年には2891人だ。

 また2019年の大阪府警での調査では、大阪府内の孤独死の数は2996人となっている。その年の異状死(孤独死を含む)が大阪全体で1万2309人報告されており、孤独死で最も多いのは70歳代だった。次いで、60歳代、80歳代と続く。男女を見ると、男性の孤独死は2213人で女性の783人の3倍ほどになっている。大阪市の調査でも市内の孤独死の8割は男性だったという。

孤独死の死因の特徴
 日本は世界と比べても高齢化が進んだ国である。高齢化に伴って、単身者も増えており、孤独死も増えているのが実情のようだ。内閣府の高齢社会白書によれば、60歳以上で一人暮らしをしている人の45.4%が孤独死を身近な問題と感じていると答えている。

 日本医科大学の研究では、孤独死の死因の特徴としては、循環器疾患が多い。心筋梗塞や狭心症などの急性虚血性心疾患、さらにはくも膜下出血で亡くなっているということである。これは異状死でも同様の傾向がある。それ以外でも、自殺やアルコール性肝障害が顕著だという。

 近年では、「同居孤独死」という言葉も生まれている。同居者がいるにもかかわらず孤独死が報告されるケースだ。2020年11月、読売新聞は「同居孤独死」の実態についてこう報じている。

「自宅で死亡し、同居の家族らがいるにもかかわらず4日以上発見されなかった『同居孤独死』が2018年の1年間で、東京23区と大阪、神戸両市内で204人いたことが、各監察医事務所への取材でわかった」

 高齢化が進むことによって高齢者のみの世帯が増加したり、認知症や寝たきりなど自宅で介護が行われるケースも増えている。またひきこもりなど未婚の子どもと同居している高齢世帯もある。そういう世帯で、「同居孤独死」が起きやすいという。

 そうした死体が発見された場合、異状死として扱われ、警察によって処理されることになる。


日本では「8050問題」と呼ばれる問題も顕在化している。文字通り、80歳代の親と、ひきこもりなどの問題を抱えた50歳代の子どもの2人暮らし世帯という意味だ。未婚で親と同居している40〜50代の数は、1995年の112万人から2010年は263万人、2015年には341万人と増加を続けている。こういう世帯が増えれば、「同居孤独死」の件数も増えることになるだろう。

 孤独死の取材もしてきた私の感触では、孤独死という言葉は、必ずしも実態を反映しているとは言えないかもしれない。なぜなら、1人で、部屋などで亡くなってからしばらく発見されることがないケースでは「孤独」ではない人も多いからだ。

 同じ屋根の下に暮らしていたり、近所に家族や親戚がいるケースもあり、決して社会的に身寄りもない「孤独」とは違うからだ。このあたりの定義もまだ曖昧なままである。


「同居孤独死」の現場
 孤独死で発見された遺体はどう扱われるのだろうか。発見者はまず警察に連絡することになる。すると警察が現場に臨場し、遺体は解剖にまわされる可能性が高い。事件性の有無も調べる必要がある。

 法医学者らが扱う遺体の中でも腐敗している場合は、対処が異なってくる。まず臭いが強いからだ。その臭いは一度嗅いだら忘れないものである。私は、真夏の炎天下で腐った生ゴミの入ったゴミ袋から漂う甘酸っぱいような臭いを嗅ぐと、人の腐敗臭を思い出す。

 ある元監察医はこう語る。

「お腹にはガスが溜まるので切って開けたときに、その臭いが一気に広がり『ウワッ』となることもある」

 こんな死因究明の現場に立ち会ったことがある。70歳代の男性が訪ねてきた介護士によって発見された。布団の中で、仰向きで亡くなっていた。遺体は腐敗が始まっていた。

 現場検証をした警察は、死体には争った形跡も外傷もなかったが、発見状況、現場の状況、死体所見などで死因が判然としないために、司法解剖を実施することに決めた。

警察が用意した現場の写真なども、重要なヒントに
 朝の9時には、納体袋に入った遺体が解剖室に運び込まれた。解剖室の隣にある事務所で、警察の検視官などがこの日に執刀する法医学者に状況を事細かに説明する。法医学者も既往歴から服用していた薬などについて質問し、検視官による説明にさらに突っ込んだ質問を行なっていく。警察が用意した現場の写真などもじっくりとチェックする。そうした細かな情報を把握することで、解剖時の死因究明には重要なヒントになるのである。

 説明によれば、この男性には同居する中年の息子がいた。だが少し知的障害があったため、おそらく、父親が死亡していることに気が付いて、姿を消し、行方不明になったとみられていた。また男性は数年前に脳梗塞で入院したことがあったが、その後、病院には行きたくないと主張して、通院を止めてしまっていた。

「では行きましょう」

 法医学者が一言発すると、検視官らは「よろしくお願いします」と席を立つ。そしてともに解剖室に移動する。


解剖台に仰向けに横たわった遺体の周りには、法医学者と解剖助手、記録係、内臓などを撮影する写真係、警察の検視官、さらに遺体を解剖する際に血液などを拭き取るタオルを次々と洗う助手もいる。こうした人たちがチームになって解剖を行なっていく。

腐敗臭が漂う解剖室
 腐敗したその遺体は、皮膚がかなり変色している。

 腐敗とは、バクテリアによる組織の破壊である。青緑っぽい色になっている部分もある。皮膚の一部は腐敗して火傷をしたときに1枚うっすらと皮がめくれたような状態になっている。また仰向けで死んでいたことから、背中を見ると、広く死斑が確認できた。背中に血液が溜まるために、青黒くなるのだ。


 前面から体を開き、内臓を確認していく。なんとも言えない生臭さのある腐敗臭が漂う。ただ解剖室にいる誰も気にするそぶりはない。腐敗が進んでいるために、内臓は溶解が起きていて、臓器が確認しづらくなっている。法医学者からも、「うーん、臓器が溶けていてわかりづらい」との声が漏れる。

 そうしていると、電動ノコギリの音が聞こえた。助手が頭を開けるために頭蓋骨を削っているのだ。頭蓋骨を外して確認すると脳も溶けかけていた。すぐにでも崩れてしまいそうな脳を取り出し、スライスしながら調べるが、脳内に出血した形跡は確認できなかった。脳梗塞の既往例があったが、脳に死因は見つけられない。

 あっという間に、ほとんどの臓器が取り出された。脳には致命傷はないと見たこの法医学者が次に注目したのは胃である。胃の内容物と消化具合で少なくとも死のタイミングはわかるからだ。

死因を特定できないまま、解剖は終了
 プラスチック容器の上で、食道部分を左手で持ちながら、胃袋を切ると内容物がボトボトと落ちる。遺体が腐敗しているため、胃の内容物も異様な臭いを発している。胃をさらにきれいに開いて内側にも異状がないかを調べる。

 内容物は裏ごし器ですくって、水をゆっくりと垂らしながら見ていく。すると、まだ消化し切っていない玉ねぎやにんじんなどが確認できた。実は検視官の説明では、遺体が発見された際、部屋には野菜の煮物などを食べた形跡が残されていた。

 執刀の法医学者は、「胃の内容物の消化具合を考えると、死亡したのは煮物を食べた後3時間以内だと考えられる」と述べた。

 ここからどんなことがわかるのか。

 人は死亡するとその瞬間に胃の働きが止まる。ただ脳梗塞などを起こして意識がなくなってゆっくり死亡していく場合、胃の働きはすぐには止まらないため、数時間、消化が続いている可能性が高い。

 仮にこの男性が脳梗塞などで死亡した場合は、ここまで胃の内容物が残っていないと考えられた。つまり、死因は心筋梗塞などの急死だった可能性があるという。

 死因を特定できないまま、解剖は終了した。このあとは、さまざまな薬毒物検査で、死因につながるヒントはないかを調べることになる。臓器の一部や血液などを採取して、ホルマリンで状態を固定して保管した。

このケースのような腐敗した死体は夏場に急増するという。気温が高いために、腐敗が進むペースも早い。そうなると死因究明も一筋縄ではいかなくなるのである。

 煮物を食べてから亡くなった男性と同居していた息子は、後日水死体で発見された。自殺だったと見られている。自殺の理由はわからないが、仕事をしておらず、父親の年金で暮らしていたことから、父親が亡くなったことで将来を悲観したのかもしれない。

妻と娘も同じ屋根の下で同居していたが…
 先に述べた通り、同居人がいても孤独で死亡するケースは少なくない。孤立していたのである。関東のある法医学者はこんなケースを担当している。


 男性は50歳代。一軒家の自室で死亡しているところを発見されたのだが、死後10日ほどが経っていた。男性が住んでいた家では、実は妻と娘も同じ屋根の下で同居していた。ただ妻によれば、夫は家で自室に引き籠もっていたのだという。食事などは台所に用意されているものを気が向いたときに取りに来て、部屋に運んで食べるという生活だった。しばらく姿を見なくても誰も気にしない、という家庭環境だった。

 遺体は、しばらく姿を見ていないと思った妻が部屋を確認したことで発見された。警察はもしかしたら事件の可能性もあるかもしれないということで、司法解剖が行われた。

 男性は、自宅にあるベッドの端に座って立ち上がろうとしたところで意識を失ったのか、下半身がベッドの外に出ている状態で、仰向きに寝ている状態で発見された。

 解剖を進めていくと、特に身体からは異状は見つからなかった。ただ、胸部の大動脈に豚脂様凝血という血の塊があったことから、気を失ってから、ゆっくりと亡くなっていったことがわかり、死因は凍死であることが判明した。

要介護の夫をネグレクトし、死亡させた妻と息子
 また孤独死では、こんなケースも起きうる。

 2006年に広島で寝たきり状態だった60歳の男性が死亡しているのが発見された。男性はその3年ほど前に脳内出血を起こして手術を受け、一命を取り止めたが、歩けなくなり、言語障害も残った。食事や排泄など身の回りのこと全般で介護が必要な「要介護3」に認定されていたという。

※写真はイメージです ©iStock.com
※写真はイメージです ©iStock.com
 その後、男性と一緒に暮らしていた妻と息子2人が逮捕された。介護がなければ生きられない状態の男性を、ネグレクトしたことで死亡させたという容疑だった。民間の介護施設の職員が訪問した際に、男性の遺体を見つけて通報した。

 この一件を報じた読売新聞によれば、遺体は一部白骨化しており、家族のネグレクトが悪質だとして、警察は家族を保護責任者遺棄致死容疑ではなく、「未必の故意」による殺人容疑を適用したという。「未必の故意」とは、明確に殺す意思がなくても、そのままでは死亡することを認めつつ放置することを指す。

 こういうケースでも、解剖は不可欠である。

 前出の千葉大学の岩瀬博太郎教授はこの事件について、「たとえば、糖尿病の患者にインスリンを打たずに放置し、高血糖発作で死亡させた場合には殺人や保護責任者遺棄致死になり得る」と述べる。しかし、きちんと解剖に回して死因を精査することなく、見ためや状況から考えて死因をよくある「心筋梗塞」などとして処理してしまえば、「犯罪の認定は困難になる」という。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c58

[番外地9] 背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だ 中川隆
1. 中川隆[-15950] koaQ7Jey 2021年10月20日 02:42:49 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[5]
マルクス個人の背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だよ。
研究者が右翼でも左翼でも、資本家でも労働者でも研究結果とは何の関係もない
数学の定理の証明は誰がやろうが証明自体には影響無いからね。 

それから、中国は共産主義でなく単なるファシズムだよ
マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。
ソ連や中国みたいな階級社会はマルクス主義じゃない。単に建前だけ、我が国は民主主義だ、共産主義だ、と言って支配を正当化しているだけだ:

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/766.html#c1

[番外地9] マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。 中川隆
1. 中川隆[-15949] koaQ7Jey 2021年10月20日 02:43:45 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[6]
マルクス個人の背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だよ。
研究者が右翼でも左翼でも、資本家でも労働者でも研究結果とは何の関係もない
数学の定理の証明は誰がやろうが証明自体には影響無いからね。 

それから、中国は共産主義でなく単なるファシズムだよ
マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。
ソ連や中国みたいな階級社会はマルクス主義じゃない。単に建前だけ、我が国は民主主義だ、共産主義だ、と言って支配を正当化しているだけだ:

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/557.html#c1

[番外地9] 背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だ 中川隆
2. 中川隆[-15948] koaQ7Jey 2021年10月20日 02:52:23 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[7]
マルクス個人の背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だよ。
研究者が右翼でも左翼でも、資本家でも労働者でも研究結果とは何の関係もない
数学の定理の証明は誰がやろうが証明自体には影響無いからね。 

それから、中国は共産主義でなく単なるファシズムだよ
マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。
ソ連や中国みたいな階級社会はマルクス主義じゃない。単に建前だけ、我が国は民主主義だ、共産主義だ、と言って支配を正当化しているだけだ:

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

過去に存在した本物の共産主義者は日本を戦後統治したGHQだけだった、毛沢東はマルクスの著書を一冊すら読んでおらず、自分の事を中国皇帝だと言っていたインチx共産主義者:

共産主義者ばかりだった GHQは日本を意図的にインフレにして資本家の資産を奪い、一億総中流社会を作り上げた
一億総中流社会を作ったのは共産主義者のGHQ, 一億総中流社会を壊したのがグローバリスト
日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。
特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。
戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。
何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。
平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。
20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
ユダヤ国際金融資本と GHQ は日本を共産化しようとして農地改革と人為的インフレ生成・金融封鎖を行った
フランクリン・ルーズベルト大統領やニューディール派は親共産主義だったので、戦後の日本を階級か無い疑似共産社会にしようと計画していた。

それで平等主義的な日本国憲法を制定、
農地改革で地主の土地を取り上げて貧民にタダ同然で分配、
貧民が土地を買う金を出せる様に人為的なインフレを起こし
預金封鎖で資産家の資産を取り上げた

戦後の人為的なインフレはそういう背景で起こされた 

 東京の小売物価は、全国平均と比べて高く推移する傾向があった。その東京の小売物価指数で見てさえ、1946年のピーク時のインフレ率は500%「程度」に過ぎない。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/766.html#c2

[番外地9] マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。 中川隆
2. 中川隆[-15947] koaQ7Jey 2021年10月20日 02:53:07 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[8]
マルクス個人の背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だよ。
研究者が右翼でも左翼でも、資本家でも労働者でも研究結果とは何の関係もない
数学の定理の証明は誰がやろうが証明自体には影響無いからね。 

それから、中国は共産主義でなく単なるファシズムだよ
マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。
ソ連や中国みたいな階級社会はマルクス主義じゃない。単に建前だけ、我が国は民主主義だ、共産主義だ、と言って支配を正当化しているだけだ:

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

過去に存在した本物の共産主義者は日本を戦後統治したGHQだけだった、毛沢東はマルクスの著書を一冊すら読んでおらず、自分の事を中国皇帝だと言っていたインチx共産主義者:

共産主義者ばかりだった GHQは日本を意図的にインフレにして資本家の資産を奪い、一億総中流社会を作り上げた
一億総中流社会を作ったのは共産主義者のGHQ, 一億総中流社会を壊したのがグローバリスト
日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。
特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。
戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。
何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。
平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。
20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
ユダヤ国際金融資本と GHQ は日本を共産化しようとして農地改革と人為的インフレ生成・金融封鎖を行った
フランクリン・ルーズベルト大統領やニューディール派は親共産主義だったので、戦後の日本を階級か無い疑似共産社会にしようと計画していた。

それで平等主義的な日本国憲法を制定、
農地改革で地主の土地を取り上げて貧民にタダ同然で分配、
貧民が土地を買う金を出せる様に人為的なインフレを起こし
預金封鎖で資産家の資産を取り上げた

戦後の人為的なインフレはそういう背景で起こされた 

 東京の小売物価は、全国平均と比べて高く推移する傾向があった。その東京の小売物価指数で見てさえ、1946年のピーク時のインフレ率は500%「程度」に過ぎない。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/557.html#c2

[番外地9] 国家主導の経済政策が上手くいった事は過去一度も無い 中川隆
1. 中川隆[-15946] koaQ7Jey 2021年10月20日 03:18:24 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[9]
国家主導の経済政策が上手くいった事は過去一度も無い
1970年代まで西欧各国で採用されたケインズ政策は大失敗に終わり、財政均衡が必要だというのが経済政策の常識になった。
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません:
今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。
国民の半数は働く必要は有りません。民間銀行が企業に事業資金を貸す必要もありません。
政府が貧困者に金さえ出せば企業活動を半分にしても需要供給のバランスが取れる様になるのです。

アメリカ中央銀行はアメリカ政府から利子付きアメリカ国債を買ってドルを発行しているので、利子の分だけドルの発行量が毎年毎年増えていく、従ってドルの貨幣価値も毎年毎年減ってインフレが進行していく。
ドルの増加分はすべて資本家の所に行き、労働者の賃金は大して上がらず、実質賃金は毎年毎年下がっていく。従って、内需は毎年毎年減っていき、失業が増え、貧富の差が開いていってマルクスが預言した階級社会が完成する。国債金利がゼロに近づいているというのは、企業が民間銀行から借金して投資する額がこれ以上は増やせない上限に到達してしまい、投資して利子と配当で儲ける資本主義システムが破綻したという事です。 資本主義システムが破綻してできた階級社会の混乱と暴動に対処する方法としては今まで次の3案が考えられています:

・マルクス主義革命:階級闘争で階級を無くし、総中流社会に変える
・エンデの地域通貨発行論:民間銀行の信用創造による企業への融資を止めて、公的機関が利子ゼロで融資する。
・グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする

現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。
TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。

 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。

 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。

グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。

温暖化対策はグレートリセットの柱の一つだ。
温暖化対策・2酸化炭素排出削減のため、人々(平民)は肉を食べず(家畜が2酸化炭素を出すから)代わりに昆虫や植物由来の擬似肉を食べるべきだとか、穀物でなく雑草を食べよとか、下水を飲めといった提案がグレートリセットの一環として欧米で出されている(金持ちはおいしい肉や水を飲食できる)。
こういった資本主義の信用貨幣制度の限界は大西つねきが昔から警告していた事です:

大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U  


ハイエク vs ケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション
https://www.youtube.com/watch?v=lEe7KCshrec

ケインズ政策を採用した英国の IMF危機〜しくじり財政破綻〜【福祉国家の末路】
https://www.youtube.com/watch?v=QE83IQM2SfY

公共投資による内需拡大策が失敗した例 _ ニューディール政策は失敗だった
https://www.youtube.com/watch?v=rz9-7V-c9H4

公共投資による内需拡大策が失敗した例 _ ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

▲△▽▼

民間銀行が日銀に国債を売る時は買った値段よりかなり高く買ってくれる。
そのお金は日銀当座預金に入れておくけど、最近は日銀当座預金に年0.1%もの金利を付けている。
つまり、国債発行は民間銀行や保険会社にタダでお金をやるのが目的だ。
従って国債発行している限り、労働者から金をとって資本家にその金をやっている、という事になる
今株価が上がっているのは中央銀行がばら撒いた金がすべて資本家の所に行って、その金が不動産や株を買うのに使われているからだ。 財政出動してもバブルになるだけだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/894.html#c1

[番外地9] 自公体制を維持しようとする勢力は反自公陣営の分断を目指してきた。 中川隆
2. 中川隆[-15945] koaQ7Jey 2021年10月20日 03:23:48 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[10]
国民民主党は昔の民社党と同じ様に CIA が作った政党


野党第一党の立憲民主党は野党候補一本化に向けてリーダーシップを発揮してこなかった。逆に共産党との共闘を攻撃する連合六産別の意向にばかり配慮し続けてきた。

立憲民主党は連合六産別の支配下に置かれている印象。

これまでに指摘してきていることだが、野党陣営の分断を指向し続けているのは米国の日本支配勢力だ。

日本の革新勢力が一枚岩で団結しないよう、分断するために1960年に民主社会党が創設された。

その民社党の支援母体とされたのが同盟。

「連合六産別」は「同盟」の系譜に連なる大企業御用組合の連合体だ。

民社党の系譜にそのまま連なるのが現在の国民民主党。

▲△▽▼

自公体制を維持しようとする勢力は反自公陣営の分断を目指してきた。
本尊はCIA。

CIAは1960年に民主社会党(民社党)を創設。
日本の革新勢力が一枚岩になることを妨害するためだった。
民社党支援組織に位置付けたのが大企業御用組合連合の「同盟」だ。
この使命を引き継いでいるのが現在の国民民主党と連合六産別。
反自公陣営が結集して政権刷新を実現するには反自公陣営の連帯、大同団結が必要不可欠。
かつての民主党、民進党には、「共産党と共闘する勢力」と「共産党と共闘しない勢力」が同居していた。
そのために、野党共闘があいまいになった。
ようやく旧民主党、旧民進党が国民民主党と立憲民主党の二つに割れた。
その上で、立憲民主党が共産党と共闘する勢力として明確な路線を示すことが期待された。

ところが、立憲民主党が先祖返りしてあいまい路線に回帰している。

立憲民主党は連合六産別の支配下に置かれつつある。

枝野幸男氏は共産党との共闘を明確に肯定しない。

その路線が確固たるものであるなら堂々と宣言するべきだ。

「私たちは共産党と共闘しない」ことを明確にするべきだ。

共産党の支援なしに当選できる立憲民主党候補は少ない。

比例復活で議席を確保できると高を括っているのかも知れないが、立憲民主党を除く反自公勢力が結集すれば立憲民主党を上回る票を獲得することになるだろう。

枝野幸男氏があいまいな対応を続けるなら、反自公陣営は立憲民主党を除いて連帯を構築することを検討する必要がある。

選挙で立憲民主党の本当の実力が明らかになる。

そのときに立憲民主党が後悔しても遅い。

▲△▽▼

枝野幸男氏が野党共闘破壊推進

連合に付き従う立憲民主党。
現在の日本政治を刷新しようと考える主権者のどれだけが、この立憲民主党を支持するのか。
立憲民主党が「連合六産別党」になるなら大半の主権者は立憲民主党を支持しなくなるだろう。
「連合六産別党」は表現を変えれば「CIA党」。

連合の会長が交代した。
神津里季生氏から芳野友子氏に交代した。
しかし、本質は何も変わらない。

連合は旧総評系組合と旧同盟系組合が軸になって労働組合組織を統合したもの。
政権交代の実現が目標だった1990年代には細川政権誕生に一定の役割を果たした。
しかし、現在では統合のメリットよりも弊害の方が大きい。

現在の連合は本来の労働組合と大企業の御用組合の同居体。
大企業の御用組合が六産別と呼ばれている。
電力、自動車、電機、鉄鋼、機械、金属、流通などの大企業御用組合グループだ。
連合構成員700万人の約6割を占める。
これに対して旧総評系の組合が本来の労働組合。
自治労、日教組、私鉄労連、JR総連などのグループで全体の約4割を占める。
この連合が六産別に支配されてしまっている。

連合は立憲民主党、国民民主党と共産党との共闘に反対している。
六産別のルーツは同盟だが、同盟は1960年に創設された民主社会党=民社党の支援母体。
民社党は1960年にCIAの資金援助で創設された政党。
日本の革新勢力が一枚岩になって団結すれば政権刷新が生じる。
これを妨害するために、革新勢力を分断するために創設された存在だ。
この使命をいまも継承しているのが連合六産別。

野党陣営を「共産党と共闘する勢力」と「共産党と共闘しない勢力」に分断することが六産別の使命。
立憲民主党と国民民主党に分裂して六産別の立憲民主党への影響力が落ちた。
六産別と直結する国民民主党は消滅の危機に直面した。
しかし、そこから巻き返しが展開されて立憲民主党が六産別に強く引き寄せられている。
カネの力か。

挙げ句の果てに立憲民主党と国民民主党の再合流まで叫ばれている。
立憲民主党を連合六産別の下部組織にしようという魂胆だろう。
連合六産別が野党第一党を振り回す珍事が広がっている。
これをwag the dog=本末転倒という。

連合傘下の労働組合に所属する労働者は労働者全体の1割しかいない。
六産別はそのなかのさらに約6割に過ぎない。
つまり、六産別に所属する労働者は全体の6%しかいない。
大半が大企業労働者で、労働者全体の利害をまったく代表していない。

六産別の主張は
戦争法制容認、原発稼働推進、消費税増税推進、の色彩が濃い。
自公政治刷新でなく自公政治翼賛の主張だ。
枝野幸男氏の主張は連合六産別の支配下に立憲民主党を置くかのもの。

今回の衆院総選挙について枝野幸男氏が次のように述べた。

「「野党共闘」というのは皆さんがいつもおっしゃっていますが、私の方からは使っていません。
あくまでも国民民主党さんと2党間で連合さんを含めて政策協定を結び、一体となって選挙を戦う。
共産党さんとは(共産、社民、れいわの3党と一致した政策に)限定した範囲で閣外から協力を頂く。」

つまり、枝野氏は立憲・国民・連合で「共闘」し、共産、社民、れいわとは「共闘」しないと言っている。
立憲が「CIA党」であると宣言しているに等しい。
この現状を踏まえるなら、共産党が一方的に譲歩して立憲民主党に選挙協力することは適正でない。
次の選挙で立憲民主党を勝利させることは政治刷新を遠ざけることになる点を認識する必要がある。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/892.html#c2

[昼休み53] 京都にだけは住んではいけない 中川隆
22. 中川隆[-15944] koaQ7Jey 2021年10月20日 03:31:00 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[12]
【ゆっくり解説】朝鮮人に乗っ取られた京都の街〜ウトロ地区〜
2021/10/19




今回は、在日朝鮮人に不法占拠された街「ウトロ地区」を解説しました。
どのような経緯があって不法占拠されるに至ったのでしょうか。
また、ウトロ住民との間で起こった数々のいざこざにも着目していきます。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/918.html#c22
[近代史5] 京都市は財政破綻するのか!? 中川隆
2. 中川隆[-15943] koaQ7Jey 2021年10月20日 03:31:39 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[13]
【ゆっくり解説】朝鮮人に乗っ取られた京都の街〜ウトロ地区〜
2021/10/19




今回は、在日朝鮮人に不法占拠された街「ウトロ地区」を解説しました。
どのような経緯があって不法占拠されるに至ったのでしょうか。
また、ウトロ住民との間で起こった数々のいざこざにも着目していきます。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1065.html#c2
[近代史5] 被差別同和部落問題・在日朝鮮人問題 中川隆
4. 中川隆[-15942] koaQ7Jey 2021年10月20日 03:32:43 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[14]
【ゆっくり解説】朝鮮人に乗っ取られた京都の街〜ウトロ地区〜
2021/10/19




今回は、在日朝鮮人に不法占拠された街「ウトロ地区」を解説しました。
どのような経緯があって不法占拠されるに至ったのでしょうか。
また、ウトロ住民との間で起こった数々のいざこざにも着目していきます。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/602.html#c4
[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
456. 中川隆[-15941] koaQ7Jey 2021年10月20日 03:33:15 : QqNo1TrTCE : ZDJLNW5rRTJFdm8=[15]
【ゆっくり解説】朝鮮人に乗っ取られた京都の街〜ウトロ地区〜
2021/10/19




今回は、在日朝鮮人に不法占拠された街「ウトロ地区」を解説しました。
どのような経緯があって不法占拠されるに至ったのでしょうか。
また、ウトロ住民との間で起こった数々のいざこざにも着目していきます。

http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c456
[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ
警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ

これはすべてサアヤさんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html

[近代史4] 普通選挙の起源
普通選挙の起源


2021年10月20日
貧困国の民主主義は1票より武力? 公正な選挙は地球の一部だけ

選挙でなんでも決めるのは一部の先進国だけで
多くの国では今も武力で決めている

先進国と貧困国の選挙はこれだけ違う

日本では衆議院選挙が行われ、予想通りなら与党が政権を維持するが、世界はこんなに平和ではない。

欧米は安定した国が多いが自民党のような『与党』は存在せず、選挙でかった政党が与党になるだけです。

欧米と日本以外の国でまともな選挙が行われている国は少なく、共産圏や独裁国に選挙は無い。


選挙で政権交代なんかされては困るので、与党しか立候補できないような制度を作る。

最近クーデターで軍事政権になったミャンマーやタイでは、軍が推薦した人しか国会議員になれないような制度になっている。

最初から議席の過半数が軍に割り当てられていたり、絶対に与党が負けない制度です。


香港には選挙権はなく、自治組織選挙に投票できるのは中国政府が認めた人だけ、立候補できるのも中国が推薦した人だけです。

その中国にも選挙は有るが立候補できるのは共産党員だけで、共産党や政府の推薦がないと立候補できない。

ロシアは表向き自由選挙だが、プーチンの対立候補や対立政党は、かならず逮捕されたり謎の死をとげる決まりになっています。


噂ではロシアでは誰がどこに投票したのか公安が把握していて、市民はプーチン以外に投票すると不利益を受ける。

日本人は選挙は人類普遍の権利だと思っているが、こんな風に「当たり前の選挙」が行われるのは地球のごく一部だけです。

インドにはカースト制度があり、最下層は選挙で投票すらできないと言われている。

貧者の民主主義

一つの国で民族同士や宗教が対立している場合、選挙や投票ですべてを決めるのは難しい。

ミャンマーでは多数の仏教徒が少数のイスラム教徒を迫害しているが、多数決ではイスラム教徒は常に負ける。

中国は1割程度の漢民族が9割の「少数民族」を支配していて、だから自由選挙など絶対にしない。


タイも実は少数の中国系人種が土着のタイ民族を支配していて、選挙で負けるので絶対に自由選挙に戻したくない。

さて選挙以外にも政権を奪取する方法があり、武力や群衆デモで権力を強奪する方法です。

2014年頃ウクライナで民主化クーデターがあり、市民が独裁政権を倒したと言われている。


ところが倒されたヤヌコーヴィチはは民主的な選挙で選ばれた人で、民主化と称してアメリカが支援した武装組織が政府を倒した。

政権を倒した武装組織は「民主派」にしか投票できない監視下の下で、選挙を実施し正式に政府になった。

公正な選挙で選ばれた人を、火炎瓶で追放して「民主化」だと名乗ったのだが、これはテロでしかない。


ウクライナのように混乱した国では先進国のように選挙だけでは解決せず、こうした武力闘争を経て権力が成立する。

話し合いや多数決で解決するには問題が深刻すぎ、武力と武力で戦わないと双方が納得しない。

世界では実はこういう国のほうが多数で、話し合いや多数決でなんでも解決する国が少数です

https://www.thutmosev.com/archives/86976467.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1712.html

[リバイバル3] スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ 中川隆
82. 中川隆[-15940] koaQ7Jey 2021年10月20日 12:02:20 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[1]

雪日記
2021-2022シーズンが始まります。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4150.html

今シーズン(20-21)の10月滑走はパスしました。
って事で前回の滑走で本当の滑り納め、只今絶賛シーズンオフ満喫中です(笑)

まだ全然来シーズン(21-22)が始まる実感はありませんが、
どうやらイエティは10/22(金)にオープンがほぼ確定?っぽい?のようです。
熱心な方々はもう今からシーズンインの準備で忙しい事でしょう。

わたくしめはまだ20-21シーズンの片付けもままならない。
やっと先週車から板などを下ろして、今週からウェア類の洗濯を…なんて状況です(笑)

そんなこんなな状況ですが、
もう初雪の季節に。
季節は廻ります。

予報的に気になっていた先日、
ライブカメラを眺めていたら、やはり、白いモノがチラチラ舞ってきました。

時間の経過と共にゲレンデも白くなっていく。

嗚呼…!!

やっぱり雪はイイね。

かぐらはもちろん、各地の雪山が初冠雪を迎え、新シーズンの幕開けが告げられました。
とは言っても、オープンするのは先ずはイエティのみ。
何はともあれ、今年も日本一早いスキー場がついにオープンします。

10月はスキーヤースノーボーダーにとって新シーズンの始まり。
イエティで一足早くシーズンインする方々を羨ましいなと思いつつ、
先ずはシーズン券を決めなくては!! 遅い(笑)

各スキー場のシーズン券情報を確認してみると、
今シーズンはどこも値上がり傾向のようです。
スキー場にとって厳しい状況が続いていますのである程度は仕方ないですね。

かぐら・苗場・八海山の共通券がついに9万円か…。

それならプレミアムの方がいいではないか!!
って誰もが思うはず。

単体スキー場は値上げですが、プリンス共通はお値段据え置き。
内容も変わらず10万円を維持しております。
プリンス系で使用できる金券2万円分を考慮すると実質8万円。
軽井沢から始動できるし、この価格差だとかぐら・苗場・八海山共通の存在意義が…(笑)

以前はプリンスホテルの宿泊券も付き、無くなった時は物凄い改悪に思えましたが、
単体シーズン券の値上がりで、お値段据え置きのプレミアムが相対的に魅力度アップに思えます。
11月から5月まで、ひとつのシーズン券でガッツリ滑られる方には最強のシーズン券でしょう。

しかし、湯沢町民にはこれ、
湯沢町スキーリフト等共通乗車証が最強です。
11月と4月8日以降の滑走が悩ましい事は変わりませんが、
トップシーズン中に臨機応変に立ち回れるメリットはやはりデカい。

21-22シーズンもホームゲレンデはかぐらです。
第2のホームは湯沢高原(笑)
それにガーラ、神立、ナスパ、この5つのスキー場をメインに、
たまに苗場、暴風雪の時は中里、気分転換にパーク、岩原、
二日酔いで動けない時は一本杉(笑)

3年連続少雪暖冬が続いておりますが、今年の冬はどうなるかな?
今年こそいっぱい雪が降ってくれるといいな。
越後湯沢の冬もまもなくすぐです!!

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4150.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html#c82

[リバイバル3] 苗場スキー場 中川隆
75. 中川隆[-15939] koaQ7Jey 2021年10月20日 12:03:14 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[2]
雪日記
2021-2022シーズンが始まります。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4150.html
今シーズン(20-21)の10月滑走はパスしました。
って事で前回の滑走で本当の滑り納め、只今絶賛シーズンオフ満喫中です(笑)

まだ全然来シーズン(21-22)が始まる実感はありませんが、
どうやらイエティは10/22(金)にオープンがほぼ確定?っぽい?のようです。
熱心な方々はもう今からシーズンインの準備で忙しい事でしょう。

わたくしめはまだ20-21シーズンの片付けもままならない。
やっと先週車から板などを下ろして、今週からウェア類の洗濯を…なんて状況です(笑)

そんなこんなな状況ですが、
もう初雪の季節に。
季節は廻ります。

予報的に気になっていた先日、
ライブカメラを眺めていたら、やはり、白いモノがチラチラ舞ってきました。

時間の経過と共にゲレンデも白くなっていく。

嗚呼…!!

やっぱり雪はイイね。

かぐらはもちろん、各地の雪山が初冠雪を迎え、新シーズンの幕開けが告げられました。
とは言っても、オープンするのは先ずはイエティのみ。
何はともあれ、今年も日本一早いスキー場がついにオープンします。

10月はスキーヤースノーボーダーにとって新シーズンの始まり。
イエティで一足早くシーズンインする方々を羨ましいなと思いつつ、
先ずはシーズン券を決めなくては!! 遅い(笑)

各スキー場のシーズン券情報を確認してみると、
今シーズンはどこも値上がり傾向のようです。
スキー場にとって厳しい状況が続いていますのである程度は仕方ないですね。

かぐら・苗場・八海山の共通券がついに9万円か…。

それならプレミアムの方がいいではないか!!
って誰もが思うはず。

単体スキー場は値上げですが、プリンス共通はお値段据え置き。
内容も変わらず10万円を維持しております。
プリンス系で使用できる金券2万円分を考慮すると実質8万円。
軽井沢から始動できるし、この価格差だとかぐら・苗場・八海山共通の存在意義が…(笑)

以前はプリンスホテルの宿泊券も付き、無くなった時は物凄い改悪に思えましたが、
単体シーズン券の値上がりで、お値段据え置きのプレミアムが相対的に魅力度アップに思えます。
11月から5月まで、ひとつのシーズン券でガッツリ滑られる方には最強のシーズン券でしょう。

しかし、湯沢町民にはこれ、
湯沢町スキーリフト等共通乗車証が最強です。
11月と4月8日以降の滑走が悩ましい事は変わりませんが、
トップシーズン中に臨機応変に立ち回れるメリットはやはりデカい。

21-22シーズンもホームゲレンデはかぐらです。
第2のホームは湯沢高原(笑)
それにガーラ、神立、ナスパ、この5つのスキー場をメインに、
たまに苗場、暴風雪の時は中里、気分転換にパーク、岩原、
二日酔いで動けない時は一本杉(笑)

3年連続少雪暖冬が続いておりますが、今年の冬はどうなるかな?
今年こそいっぱい雪が降ってくれるといいな。
越後湯沢の冬もまもなくすぐです!!

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4150.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html#c75

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
145. 中川隆[-15938] koaQ7Jey 2021年10月20日 12:03:52 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[3]
雪日記
2021-2022シーズンが始まります。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4150.html
今シーズン(20-21)の10月滑走はパスしました。
って事で前回の滑走で本当の滑り納め、只今絶賛シーズンオフ満喫中です(笑)

まだ全然来シーズン(21-22)が始まる実感はありませんが、
どうやらイエティは10/22(金)にオープンがほぼ確定?っぽい?のようです。
熱心な方々はもう今からシーズンインの準備で忙しい事でしょう。

わたくしめはまだ20-21シーズンの片付けもままならない。
やっと先週車から板などを下ろして、今週からウェア類の洗濯を…なんて状況です(笑)

そんなこんなな状況ですが、
もう初雪の季節に。
季節は廻ります。

予報的に気になっていた先日、
ライブカメラを眺めていたら、やはり、白いモノがチラチラ舞ってきました。

時間の経過と共にゲレンデも白くなっていく。

嗚呼…!!

やっぱり雪はイイね。

かぐらはもちろん、各地の雪山が初冠雪を迎え、新シーズンの幕開けが告げられました。
とは言っても、オープンするのは先ずはイエティのみ。
何はともあれ、今年も日本一早いスキー場がついにオープンします。

10月はスキーヤースノーボーダーにとって新シーズンの始まり。
イエティで一足早くシーズンインする方々を羨ましいなと思いつつ、
先ずはシーズン券を決めなくては!! 遅い(笑)

各スキー場のシーズン券情報を確認してみると、
今シーズンはどこも値上がり傾向のようです。
スキー場にとって厳しい状況が続いていますのである程度は仕方ないですね。

かぐら・苗場・八海山の共通券がついに9万円か…。

それならプレミアムの方がいいではないか!!
って誰もが思うはず。

単体スキー場は値上げですが、プリンス共通はお値段据え置き。
内容も変わらず10万円を維持しております。
プリンス系で使用できる金券2万円分を考慮すると実質8万円。
軽井沢から始動できるし、この価格差だとかぐら・苗場・八海山共通の存在意義が…(笑)

以前はプリンスホテルの宿泊券も付き、無くなった時は物凄い改悪に思えましたが、
単体シーズン券の値上がりで、お値段据え置きのプレミアムが相対的に魅力度アップに思えます。
11月から5月まで、ひとつのシーズン券でガッツリ滑られる方には最強のシーズン券でしょう。

しかし、湯沢町民にはこれ、
湯沢町スキーリフト等共通乗車証が最強です。
11月と4月8日以降の滑走が悩ましい事は変わりませんが、
トップシーズン中に臨機応変に立ち回れるメリットはやはりデカい。

21-22シーズンもホームゲレンデはかぐらです。
第2のホームは湯沢高原(笑)
それにガーラ、神立、ナスパ、この5つのスキー場をメインに、
たまに苗場、暴風雪の時は中里、気分転換にパーク、岩原、
二日酔いで動けない時は一本杉(笑)

3年連続少雪暖冬が続いておりますが、今年の冬はどうなるかな?
今年こそいっぱい雪が降ってくれるといいな。
越後湯沢の冬もまもなくすぐです!!

http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4150.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c145

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年) 中川隆
27. 中川隆[-15937] koaQ7Jey 2021年10月20日 13:06:50 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[8]
【ゆっくり解説】ドラマ『高校教師』が再放送できない理由をゆっくり解説
2021/10/19



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html#c27
[近代史5] 平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み 中川隆
1. 中川隆[-15936] koaQ7Jey 2021年10月20日 15:02:37 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[10]
【平井宏治】中国スパイ対策は「早苗あれば憂いナシ」!【WiLL増刊号#657】
2021/09/28






【平井宏治】河野太郎と小泉進次郎の“利益誘導”疑惑【WiLL増刊号#656】
2021/09/28






河野太郎&日本端子の実態が怪しすぎる!中国・超巨大企業との合弁の裏側 A【The Q&A】9/24
2021/09/25







零細、中小企業でもできるM&Aの成功法則|株式会社アシスト 平井宏治 氏
2021/09/23




総裁選は愛国vs売国!高市総理で中国の脅威に立ち向かうべし! E【The Q&A】9/17
2021/09/19








#塩野義製薬 #経済安全保障
特番『塩野義製薬による中国への”お注射”提携の本質と問題点とは?』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/09/02




【平井宏治】東芝問題でわかった強欲株主のホンネ【WiLL増刊号#604】
2021/08/16







【平井宏治】東芝解体をねらう売国奴の正体【WiLL増刊号#603】
2021/08/15





断固たる「経済安全保障」を実現していかなければ!【政党DIY→参政党 松田学×平井宏治】#106
2021/08/13









楽天は崩壊直前?テンセント内部に共産党支部が… D【The Q&A (7/30)】
2021/08/01







特番『東芝をめぐる問題と株主資本主義の弊害』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/07/25





特番『日本企業は半導体・通信で成長できる!』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/04/23






特番『楽天は大丈夫か!?中国企業テンセントと業務提携・・・帳簿閲覧権も!』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/04/20









特番『日本企業よ目を覚ませ!経済安全保障リスク 米中対立が突き付けたビジネスの課題』ゲスト:(株)アシスト代表取締役社長 平井宏治氏
2021/02/02




中国「輸出管理法」の狙い 潟Aシスト平井宏冶さんに聞く【パトリオットTV:092】
2020/12/24








特番『超限戦に備えよ!12/1中国輸出管理法施行』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井宏治氏
2020/12/16




特番『学術界の技術流出を防げ!千人計画と国防七校とは?』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井宏治氏
2020/10/29






特番『米中経済戦争激化!日本企業はどうすべきか?経済安全保障の重要性』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井宏治氏
2020/10/11



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1192.html#c1
[近代史5] 新自由主義の時代 中川隆
15. 中川隆[-15935] koaQ7Jey 2021年10月20日 15:06:23 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[11]
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#塩野義製薬 #経済安全保障
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2020/10/29






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2020/10/11



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/268.html#c15
[近代史4] 新自由主義の世界 中川隆
11. 中川隆[-15934] koaQ7Jey 2021年10月20日 15:07:32 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[12]
【平井宏治】中国スパイ対策は「早苗あれば憂いナシ」!【WiLL増刊号#657】
2021/09/28






【平井宏治】河野太郎と小泉進次郎の“利益誘導”疑惑【WiLL増刊号#656】
2021/09/28






河野太郎&日本端子の実態が怪しすぎる!中国・超巨大企業との合弁の裏側 A【The Q&A】9/24
2021/09/25







零細、中小企業でもできるM&Aの成功法則|株式会社アシスト 平井宏治 氏
2021/09/23




総裁選は愛国vs売国!高市総理で中国の脅威に立ち向かうべし! E【The Q&A】9/17
2021/09/19








#塩野義製薬 #経済安全保障
特番『塩野義製薬による中国への”お注射”提携の本質と問題点とは?』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/09/02




【平井宏治】東芝問題でわかった強欲株主のホンネ【WiLL増刊号#604】
2021/08/16







【平井宏治】東芝解体をねらう売国奴の正体【WiLL増刊号#603】
2021/08/15





断固たる「経済安全保障」を実現していかなければ!【政党DIY→参政党 松田学×平井宏治】#106
2021/08/13









楽天は崩壊直前?テンセント内部に共産党支部が… D【The Q&A (7/30)】
2021/08/01







特番『東芝をめぐる問題と株主資本主義の弊害』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/07/25





特番『日本企業は半導体・通信で成長できる!』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/04/23






特番『楽天は大丈夫か!?中国企業テンセントと業務提携・・・帳簿閲覧権も!』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井 宏治氏
2021/04/20









特番『日本企業よ目を覚ませ!経済安全保障リスク 米中対立が突き付けたビジネスの課題』ゲスト:(株)アシスト代表取締役社長 平井宏治氏
2021/02/02




中国「輸出管理法」の狙い 潟Aシスト平井宏冶さんに聞く【パトリオットTV:092】
2020/12/24








特番『超限戦に備えよ!12/1中国輸出管理法施行』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井宏治氏
2020/12/16




特番『学術界の技術流出を防げ!千人計画と国防七校とは?』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井宏治氏
2020/10/29






特番『米中経済戦争激化!日本企業はどうすべきか?経済安全保障の重要性』ゲスト:(株)アシスト代表取締役 平井宏治氏
2020/10/11



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/916.html#c11
[近代史6] 巨大すぎる銀河「アンドロメダ銀河」とは?
【ゆっくり解説】巨大すぎる銀河「アンドロメダ銀河」とは?【宇宙】
2021/10/19



今回は「アンドロメダ銀河」についてゆっくり解説しました。


▼動画の内容
@アンドロメダ銀河とは
A肉眼で観測可能な最も遠い天体
Bアンドロメダ銀河は巨大銀河
C銀河核が2つある?
Dアンドロメダ銀河の惑星
E天の川銀河と衝突する?

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/947.html

[近代史6] 未知の天体「ホワイトホール」とは?
【ゆっくり解説】未知の天体「ホワイトホール」とは?【宇宙】
2021/10/16



今回は幻の天体「ホワイトホール」についてゆっくり解説しました。
ホワイトホールはブラックホールと対になるような、真逆の性質を持つとされる天体です。
ブラックホールは全てを飲み込んでしまうのに対し、ホワイトホールは全てを吐き出す、つまり放出します。
今回の動画では、ホワイトホールに関する様々な説を解説しているのでゆっくりしていって下さいね♪

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/948.html

[近代史3] 自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由 中川隆
36. 中川隆[-15933] koaQ7Jey 2021年10月20日 15:53:22 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[16]

2021年10月20日
中国の極めて強い部分と、極めて弱い部分

省によって大きな差があるが、同じ省でもかなりの貧困層がいる

画像引用:https://cte.trendexpress.jp/blog/20190816-chinacity-1.html 「〇線都市って何が違うの?」 中国都市ランキングの読み解き方・前編 _ 中国トレンドExpress

マスコミが誉める中国と本当の中国の違い

中国には極端に強い部分と、同じ国とは思えないような弱い部分が混在している。

英紙フィナンシャルタイムズは先日、8月に中国が極超音速ミサイルを発射し「米軍が驚愕した」と報じました。

ロケットを打ち上げ低軌道で移動しながら、目標から24マイル地点に到達したという。

同様のものは米ロも実験に成功していて、スクラムジェットエンジンの米軍のものが最も高性能と言われている。

中国のはおそらく宇宙空間に大型ロケットを打ち上げて弾道ミサイルのように切り離し、途中で変則的な動きをする。

中国は有人ロケットを打ち上げたり宇宙ステーションを建設するなど、宇宙分野で欧米に対抗している。


コンピュータや半導体、AIやネット支配に強く、13億人全員の顔データを集め街頭カメラで監視しているとも言われている。

10年ほど前に中国は「半導体覇権を握り世界を支配する」と言って10兆円単位の政府支出をしていた。

当時は笑いものにされていたが、今は笑う人はおらず現実になるかも知れないと考える人が多い。


数年前中国は「EV覇権を握りEV強国になる」と宣言し、実際世界一EVが売れているし国産EVは日本製に匹敵すると言われている。

このように中国は「XXXで世界覇権を握る」とある日宣言し、10兆円のような金額をポンと投資する。

国会の審議もマスコミの論戦もなく習近平1人で即断が可能で、とにかく大規模で速い。


特定の分野、特に成長過程の先端技術ではこの方法は驚くほどの成果を上げる。

貧困農民の年収は今も10万円以下

これが中国が極端に強い分野だが、一方で信じられないほど弱く遅れている分野がある。

中国は数年前に農民の平均収入発表を辞めてしまったが、最後の発表は年収8万円くらうでした。

その数年前は年収4万円程度だったので倍増したと誇っていたが、当時上海や北京は10倍以上の年収があった。


中国人民銀行(中央銀行)は2020年に月収1.5万円の人が6億人、中国人全員の月収の中央値は3万5000円だったと発表した。

日本のマスコミが垂れ流す中国のイメージは、「平均年収150万円くらい」で「上海や北京は日本より高収入」のようなものです。

こういうニュースを皆聞いたことがあると思いますが、実際の中国人労働者の年収中央値は40万円程度です。


平均年収には年収1兆円のような人が含まれるので、どの層に何人がいるかのほうが重要です。

月収1万5000円の人が6億人いるのだが、この中でもやはり貧富の差が存在します。

つまり中国の貧困層では「月収1万5000円」は高収入で、その2割くらいの収入の人も存在します。


月収500元(約7800円)までは2億1500万人、くわえて収入ゼロの人が500万人くらい存在する。

収入ゼロは扶養家族や年金生活ではなく、おそらく農地で自給自足的な生活をしている。

中国奥地にはまだ現金収入が乏しく物々交換している村があり、そうした農民は現金としての収入は少ない。


一方で宇宙ロケットや半導体覇権を目指していて、奥地では年収10万円以下の人が3億人くらい存在する。

これが現実の中国で、北京や上海でも農民工や下級労働者を含めれば平均年収は100万円にも及ばない。

先端分野と農村や貧困層の乖離は高度成長期の日本も悩まされた問題で、結局解決できなかった。

中国が発展しているのは大都市だけで、奥地や農村は貧しいままです

https://www.thutmosev.com/archives/86983094.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html#c36

[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
16. 中川隆[-15932] koaQ7Jey 2021年10月20日 15:53:38 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[17]

2021年10月20日
中国の極めて強い部分と、極めて弱い部分

省によって大きな差があるが、同じ省でもかなりの貧困層がいる

画像引用:https://cte.trendexpress.jp/blog/20190816-chinacity-1.html 「〇線都市って何が違うの?」 中国都市ランキングの読み解き方・前編 _ 中国トレンドExpress

マスコミが誉める中国と本当の中国の違い

中国には極端に強い部分と、同じ国とは思えないような弱い部分が混在している。

英紙フィナンシャルタイムズは先日、8月に中国が極超音速ミサイルを発射し「米軍が驚愕した」と報じました。

ロケットを打ち上げ低軌道で移動しながら、目標から24マイル地点に到達したという。

同様のものは米ロも実験に成功していて、スクラムジェットエンジンの米軍のものが最も高性能と言われている。

中国のはおそらく宇宙空間に大型ロケットを打ち上げて弾道ミサイルのように切り離し、途中で変則的な動きをする。

中国は有人ロケットを打ち上げたり宇宙ステーションを建設するなど、宇宙分野で欧米に対抗している。


コンピュータや半導体、AIやネット支配に強く、13億人全員の顔データを集め街頭カメラで監視しているとも言われている。

10年ほど前に中国は「半導体覇権を握り世界を支配する」と言って10兆円単位の政府支出をしていた。

当時は笑いものにされていたが、今は笑う人はおらず現実になるかも知れないと考える人が多い。


数年前中国は「EV覇権を握りEV強国になる」と宣言し、実際世界一EVが売れているし国産EVは日本製に匹敵すると言われている。

このように中国は「XXXで世界覇権を握る」とある日宣言し、10兆円のような金額をポンと投資する。

国会の審議もマスコミの論戦もなく習近平1人で即断が可能で、とにかく大規模で速い。


特定の分野、特に成長過程の先端技術ではこの方法は驚くほどの成果を上げる。

貧困農民の年収は今も10万円以下

これが中国が極端に強い分野だが、一方で信じられないほど弱く遅れている分野がある。

中国は数年前に農民の平均収入発表を辞めてしまったが、最後の発表は年収8万円くらうでした。

その数年前は年収4万円程度だったので倍増したと誇っていたが、当時上海や北京は10倍以上の年収があった。


中国人民銀行(中央銀行)は2020年に月収1.5万円の人が6億人、中国人全員の月収の中央値は3万5000円だったと発表した。

日本のマスコミが垂れ流す中国のイメージは、「平均年収150万円くらい」で「上海や北京は日本より高収入」のようなものです。

こういうニュースを皆聞いたことがあると思いますが、実際の中国人労働者の年収中央値は40万円程度です。


平均年収には年収1兆円のような人が含まれるので、どの層に何人がいるかのほうが重要です。

月収1万5000円の人が6億人いるのだが、この中でもやはり貧富の差が存在します。

つまり中国の貧困層では「月収1万5000円」は高収入で、その2割くらいの収入の人も存在します。


月収500元(約7800円)までは2億1500万人、くわえて収入ゼロの人が500万人くらい存在する。

収入ゼロは扶養家族や年金生活ではなく、おそらく農地で自給自足的な生活をしている。

中国奥地にはまだ現金収入が乏しく物々交換している村があり、そうした農民は現金としての収入は少ない。


一方で宇宙ロケットや半導体覇権を目指していて、奥地では年収10万円以下の人が3億人くらい存在する。

これが現実の中国で、北京や上海でも農民工や下級労働者を含めれば平均年収は100万円にも及ばない。

先端分野と農村や貧困層の乖離は高度成長期の日本も悩まされた問題で、結局解決できなかった。

中国が発展しているのは大都市だけで、奥地や農村は貧しいままです

https://www.thutmosev.com/archives/86983094.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c16

[近代史5] 平井宏治 M&Aファンドが儲ける仕組み 中川隆
2. 中川隆[-15931] koaQ7Jey 2021年10月20日 17:07:22 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[18]
【トップは語る】カチタス社長・平井宏治さん(56) (1/2ページ)
2015.3.25
https://www.sankeibiz.jp/business/news/150325/bsd1503250500001-n1.htm


 ■「1+1」が2を超えるM&A推進

 −−M&A(企業の合併・買収)の最近の動向は

 「国内のM&A案件は民主党政権時代には年間約1600件と低迷していたが、2013年は2000件を超え、14年は2285件に達した。アベノミクスで過度の円高が修正され、輸出企業を中心に業績や株価が回復して資金も回り始めたことから、M&A市場が活性化した」

 −−中小・中堅企業のM&Aも増加傾向にある

 「最も多い理由は後継者の不在。海外では『脱中国』の動きが顕著で、撤退の相談を受けることもある。逆にタイやベトナムへの進出に関する相談が多く、現地企業のM&A案件も増えている。海外ネットワークを強化し、中小・中堅企業のM&Aを支援していく」

 −−カチタスの得意分野や信条は

 「主に上場会社の『ストラテジックバイヤー』(事業強化・拡大を目的とした事業会社)を相手にしたM&Aが得意。被買収企業には上場会社から人材が送り込まれてノウハウが入り、自社のノウハウも生かせる。当社の案件では被買収先の中堅・中小企業が大きく成長している。M&Aでは『1+1』が2を超えないといけない」

 −−酒造会社の企業再生も手掛けている

 「ここ10年間で酒造会社は2割減り、日本酒市場が4割縮小する一方で、日本酒の海外需要が増えている。経営基盤を強化して家業から企業に転換することで、高付加価値商品を生み出せる体制にしたい。酒造事業に精通したメンバーとともに企業再生コンサルティング会社の『TASK』を設立し、事業改善に取り組んでいる」

 −−社名の由来は

 「早大大学院ファイナンス研究科ゼミの恩師、堺屋太一氏が名付け親。M&Aを通じ、お客さまの価値を足すとの思いから、この社名にした。業界再編を促し、日本企業の国際競争力の向上に貢献したい」

                  ◇

【プロフィル】平井宏治

 ひらい・こうじ 1982年キヤノン入社。UBSフィリップス・アンド・ドリュー証券(現UBS証券)、レコフ、PwCアドバイザリー(現プライスウォーターハウスクーパース)などでM&A(企業の合併・買収)を手掛ける。2007年カチタスを設立し、現職。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1192.html#c2

[近代史5] グレートリセットで地球温暖化を防ぐ _ 世界人口を 3億人に減らすだけでなく、気候操作にも手を出すビル・ゲーツ 中川隆
12. 中川隆[-15930] koaQ7Jey 2021年10月20日 17:11:26 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[20]

 ビルゲイツが世界人口の9割をワクチンによって削減すると言い出したのは2009年だが、それは本当に陰謀論妄想なのか?
2021年10月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1653.html


 阿修羅掲示板から、世にも恐ろしい陰謀論を転載する。

 (重要)ワクチンによる人口削減「グレートカーリング」を超有名医師リマ・ライボウが2009年に警告! 人口の9割削減、TVで発言 (TOCANA) 2021 年 10 月 19 日
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/557.html

 「【重要】ワクチンによる人口削減「グレートカーリング」を超有名医師リマ・ライボウが2009年に警告! 人口の9割削減、TVで発言」 (TOCANA 2021/7/7)
https://tocana.jp/2021/07/post_214236_entry.html

 コロナ禍が始まるはるか前からワクチンについて警鐘を鳴らしていた医師がいた。ワクチンの背後には世界の人口削減計画が企てられているというのだ。

■ 世界人口削減計画“グレートカーリング”とは

 社会システムのすべてを見直す“大いなるやり直しの時”が到来したとする「グレートリセット(The Great Reset)」を標榜した今年のダボス会議(世界経済フォーラム)は、ご存知の通りコロナ禍で中止となった。

 グレートリセットの本格始動はいったんは保留という格好になったのだが、その一方ですでに始まっている計画があるという。それは世界人口削減計画「グレートカーリング(The Great Culling)」である。

 昨年からはじまったコロナ禍のはるか前、2009年の時点でグレートカーリングを警告していた医師がいた。

 著名な精神科医、リマ・ライボウ氏は2009年に放映された「TruTV」のリアリティ番組「Conspiracy Theory with Jesse Ventura(ジェシー・ベンチュラと陰謀論)」に出演し、番組進行役の元プロレスラーで元ミネソタ州知事でもあるジェシー・ベンチュラ氏にグレートカーリングを解説している。

In 2009 A Doctor Claimed The U.N. Would Release A Virus To Trigger Depopulation Through Vaccines! ("Conspiracy Theory With Jesse Ventura")
https://worldstarhiphop.com/videos/video.php?v=wshhmh12gCs941jgkXvl

ライボウ氏によればグレートカーリングでは世界人口の90%の削減が計画されていて、その手はじめは世界的なパンデミックを起こして予防接種を行き渡らせることにあるという。その予防接種は不妊を蔓延させる形で、大量虐殺的なホロコースト(genocidal holocaust)に導くというのだ。

 ライボウ氏は2003年に患者の1人である元国家元首の人物(女性)から最初にグレートカーリングについて聞かされ、ライボウ氏に「もうすぐ大規模な間引きが始まる時期がくる」と告げたそうだ。

 いったい何の話かと聞き返すと女性はやはり「大規模な間引き(グレートカーリング)」であると言い、ライボウ氏はそれはどういうことなのかと質問した。

「無駄飯食らいどもの淘汰を知ってますか? 私たちの再生可能な天然資源を消費しているすべての人間の間引きです」と彼女は答えた。

「誰がそんなことを決めるのですか」と聞くと彼女は「私たち新貴族です」と即答したという。

 ベンチュラ氏は思わず「その人たち(新貴族)はビルダバーグ会議のメンバーということですか?」とライボウ氏に質問する。

 するとライボウ氏は「彼女はベアトリクス女王でもなく、エリザベス女王でもなく、ヘンリー・キンシンジャーでもありません。でも彼女はパワーエリートのメンバーで元・国家元首です」と説明している。

 このコロナ禍で現在、全世界でワクチン接種が着々と進められているが、これはグレートカーリングがすでに始動し着実に推進されている証なのだろうか。

 ■ 「世界人口の90%を削減しなければならない」

 番組出演の翌年、2010年2月にライボウ氏は米ワシントン州イェルムの田舎町にある「ラムサの啓蒙学校(Ramtha School of Enlightenment)」で行った講演で、グレートカーリングについてより詳しく解説している。

 「今日、すべての人が“持続可能な地球”というコンセプトを知っています。…(中略)…WHOはFRBと同じくプライベートな組織であり、その運営資金の3分の2が製薬企業から提供されています。WHOをはじめ、国連、アメリカ政府、ローマクラブ、イルミナティ、CFRなどのすべての組織が、今日の世界は人口が多すぎると指摘しています」(ライボウ氏)

 そしてこれらの組織は“持続可能な地球”を維持するために9割の人口削減が必要であると言及しているという。現在の世界人口の90%を削減するというのはショッキングな数字だ。

「世界人口の90%を削減しなければならないと彼らは言います」(ライボウ氏)

 その元国家元首の女性の話では「彼らエリートは現在の1割の人口しか必要としていない」というのだ。

「1974年からWHOはあなたの友だちではなくなり、女性を不妊に導くワクチンの開発と接種を進める組織になりました」(ライボウ氏)

 ライボウ氏によればワクチン接種によりフィリピンの300万人の女性が不妊となり、アフリカでは天然痘撲滅プログラムでサハラ以南おいて1憶5000万人の人口削減を見込んでいることが記された文書が存在しているという。

 そしてこれらは計画のほんの一部で、このグレートカーリングを始めさせてはいけないとライボウ氏は訴え会場は拍手喝采に包まれる。

 この講演からすでに10年が経ち、そして現在の世界はコロナ禍に包まれている。今日の状況において人口の90%が削減されるという“グレートカーリング”をどうとらえたらよいのか、白黒はっきりするのはそう遠くない未来であることは間違いない。
Dr Rima Laibow - The Globalist Agenda
https://www.youtube.com/watch?v=2dIn0izZpvc


--------(引用ここまで)--------------------------------------------------

他のメディアでは絶対に報道できない、TOCANAならではの記事です。リマ・ライボウ医師は、10年以上前から、大規模な間引き、大量虐殺が近い将来、計画されていると警告してきました。
 長らく、陰謀論として相手にされませんでしたが、ワクチン死が続出する現在では
彼女の警告が正しかったことを否定する人はいないでしょう。

(関連情報)
https://twitter.com/retopsnart/status/1449721319210192896
https://twitter.com/retopsnart/status/1449750490544107526
https://twitter.com/retopsnart/status/1449797561825382404
(Transporter)
だいぶお年を召しましたが、相変わらず歯に衣を着せないリマ・ライボウ医師です。(1/3 - 3/3)5:57 AM Oct 17, 2021

******************************************************************
引用以上

 私は、リマ・ライボウについて知らなかったが、2009年頃、ビルゲイツが「ワクチンによって世界人口を削減する」と公然と発言していたことは、ブログに何度も書いた。
 しかし、ほとんどヤフー管理者によって無断削除されてしまい、少ししか残っていない。

 上の「元国家元首の女性」というのは、マーガレット・サッチャーしかいない。
 サッチャーが英国イルミナティのトップだったのはよく知られた話だ。徹底した特権意識の持ち主で知られ、上の話(私たち貴族)とよく符合している。
 レーガン・中曽根とともに、1990年代の新自由主義勃興の旗手、三羽カラスだった。彼女の指示により、オックスフォードで、レーガンによりハーバードで、新自由主義(特権階級=貴族のための社会)価値観が薫陶され、世界に拡大していった。

 ハーバードには竹中平蔵がいて、新自由主義の薫陶を受けて帰国し、小泉政権で経済政策を担当し、労働者の権利を廃棄して臨時雇用(ルンペンプロレタリアート)に貶め、大金持ち、特権階級だけに奉仕するための社会体制を構築した。もちろん、竹中もイルミナティ(ダボス陰謀団)の幹部メンバーだ。

 イルミナティ(ダボス会議開催者グループ)は、グレートリセットを旗印に掲げているが、その内容は、原発電気を使った完全電化社会を作ること。コンピュータAIによる完全な監視と支配。そして医療体制を使って適正人口(全地球上で7〜10億人程度)に抑制することなどが含まれている。

 ビルゲイツと人口削減 2018年06月26日 
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-396.html

グレートリセット 世界の人口を10億人に
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39249910?ref=search_tag_video&playlist=eyJ0eXBlIjoic2VhcmNoIiwiY29udGV4dCI6eyJ0YWciOiJcdTRlYmFcdTUzZTNcdTUyNGFcdTZlMWIiLCJzb3J0S2V5IjoiaG90Iiwic29ydE9yZGVyIjoibm9uZSIsInBhZ2UiOjEsInBhZ2VTaXplIjozMn19&ss_pos=26&ss_id=a5fa16b6-4c16-4a49-b4e2-a524d8a31fc6

ビル・ゲイツが「ワクチンで人口削減が可能」と発言したのはTED2010会議.mp4
 https://video.fc2.com/ja/content/20210723kScWNB1b
 (YouTubeからは完全削除されたが、誰かがFC2に転載してくれていた)

 現在、進行中の新型コロナ禍は、原疾患のCOVID19よりも、ワクチン接種有害反応による死者の方が上回る状況が始まっている
 
 台湾 : ワクチン接種後の死亡者数がコロナによる総死亡数を超える 2021年10月13日
 https://earthreview.net/deaths-after-vaccination-exceed-total-corona-deaths-in-taiwan/

 アメリカの10月8日までのワクチン接種後の有害事象報告は 79万8636件超、死亡例は 1万6766件。米政府は11月からワクチン接種年齢を「5歳」まで拡大する模様 2021/10/16
 https://earthreview.net/16766-deaths-798636-other-injuries-reported-1008/

 隠せなくなったワクチン副反応 心筋症・血栓症 2021年10月14日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1647.html

 厚労省は、新型コロナ概況から、ワクチン死者の項目を削除した。
 https://earthreview.net/death-report-cases-disappeared-from-official-documents/

 そして、これこそビルゲイツらダボス陰謀団の真の狙いか?

 米コロンビア大学の研究でコロナ感染の回復者の「精液にコロナウイルスが存在する」ことを確認し、精子の数、運動が極端に少ないことが見いだされる 投稿日:2021年10月18日
 https://earthreview.net/no-sperm-in-vacs-world/

 日本で、1200名もの「ワクチン接種後の死者」が出ていることを厚労省が報告した直後に、厚労省はワクチン=死者の関連項目を報告から削除してしまった。
 ワクチンによる実際の死者数は、報告の数十倍、数百倍のオーダーであることは、上の「隠せなくなった副反応」のなかで紹介している。
 結局、厚労省は、ワクチンと死者の関係を徹底的に矮小化、隠蔽する作戦に出ている。しかし、もう遅い。
 おそらく来月、11月頃から、イスラエルやシンガポールで起きている、ワクチン二回接種者の感染死者激増という現象が、日本でも始まるからだ。
 
 接種率78%「イスラエル」で死亡者増加のなぜ 「集団免疫」の勝利から一転、ロックダウンも 2021/08/24
 https://toyokeizai.net/articles/-/450304

 シンガポールの1日の新たな感染者数がついに3000人を突破。人口100万人あたりでは日本の約40倍 2021年10月7日
 https://earthreview.net/singapore-new-daily-cases-finally-surpass-3000/

 もう、ワクチン接種が、ビルゲイツらのビジョン=地球人口の9割を削減する、というダボス陰謀団の作戦であると断定してもよいのではないか?
 ワクチン接種などしなくても、新型コロナ禍は自然収束する。
 それは、大気中に立方メートルあたり数個〜数十個という極微量のウイルスが漂い、それを日常的に呼吸し、健全な免疫反応で撃退した抗体を持った人々が優勢になるからだ。

 大切なことは、医療に頼ることではなく、まずは歩いて汗をかき、体液の循環を高め、日光に当たってビタミンDを生成し、キクラゲのようなビタミンD食品を食べ、森林浴を行い、入浴して体温を上げるという、免疫増強作戦を実行することだった。
 大都会で多量のウイルスに暴露されても発症しないですんだ人々は、ワクチンを打った人々ではなく、免疫を高めた人々だったのだ。

 強力な自己免疫を持った人々が優勢になれば、ほぼ、すべての疫病は自然収束するのだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1653.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/566.html#c12

[近代史5] アングロ・サクソン人は最も高貴な人種、資本主義を大々的に「リセット」して劣等民族のアジア系やアフリカ系の人口を減らすの… 中川隆
9. 中川隆[-15929] koaQ7Jey 2021年10月20日 17:11:59 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[21]

 ビルゲイツが世界人口の9割をワクチンによって削減すると言い出したのは2009年だが、それは本当に陰謀論妄想なのか?
2021年10月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1653.html


 阿修羅掲示板から、世にも恐ろしい陰謀論を転載する。

 (重要)ワクチンによる人口削減「グレートカーリング」を超有名医師リマ・ライボウが2009年に警告! 人口の9割削減、TVで発言 (TOCANA) 2021 年 10 月 19 日
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/557.html

 「【重要】ワクチンによる人口削減「グレートカーリング」を超有名医師リマ・ライボウが2009年に警告! 人口の9割削減、TVで発言」 (TOCANA 2021/7/7)
https://tocana.jp/2021/07/post_214236_entry.html

 コロナ禍が始まるはるか前からワクチンについて警鐘を鳴らしていた医師がいた。ワクチンの背後には世界の人口削減計画が企てられているというのだ。

■ 世界人口削減計画“グレートカーリング”とは

 社会システムのすべてを見直す“大いなるやり直しの時”が到来したとする「グレートリセット(The Great Reset)」を標榜した今年のダボス会議(世界経済フォーラム)は、ご存知の通りコロナ禍で中止となった。

 グレートリセットの本格始動はいったんは保留という格好になったのだが、その一方ですでに始まっている計画があるという。それは世界人口削減計画「グレートカーリング(The Great Culling)」である。

 昨年からはじまったコロナ禍のはるか前、2009年の時点でグレートカーリングを警告していた医師がいた。

 著名な精神科医、リマ・ライボウ氏は2009年に放映された「TruTV」のリアリティ番組「Conspiracy Theory with Jesse Ventura(ジェシー・ベンチュラと陰謀論)」に出演し、番組進行役の元プロレスラーで元ミネソタ州知事でもあるジェシー・ベンチュラ氏にグレートカーリングを解説している。

In 2009 A Doctor Claimed The U.N. Would Release A Virus To Trigger Depopulation Through Vaccines! ("Conspiracy Theory With Jesse Ventura")
https://worldstarhiphop.com/videos/video.php?v=wshhmh12gCs941jgkXvl

ライボウ氏によればグレートカーリングでは世界人口の90%の削減が計画されていて、その手はじめは世界的なパンデミックを起こして予防接種を行き渡らせることにあるという。その予防接種は不妊を蔓延させる形で、大量虐殺的なホロコースト(genocidal holocaust)に導くというのだ。

 ライボウ氏は2003年に患者の1人である元国家元首の人物(女性)から最初にグレートカーリングについて聞かされ、ライボウ氏に「もうすぐ大規模な間引きが始まる時期がくる」と告げたそうだ。

 いったい何の話かと聞き返すと女性はやはり「大規模な間引き(グレートカーリング)」であると言い、ライボウ氏はそれはどういうことなのかと質問した。

「無駄飯食らいどもの淘汰を知ってますか? 私たちの再生可能な天然資源を消費しているすべての人間の間引きです」と彼女は答えた。

「誰がそんなことを決めるのですか」と聞くと彼女は「私たち新貴族です」と即答したという。

 ベンチュラ氏は思わず「その人たち(新貴族)はビルダバーグ会議のメンバーということですか?」とライボウ氏に質問する。

 するとライボウ氏は「彼女はベアトリクス女王でもなく、エリザベス女王でもなく、ヘンリー・キンシンジャーでもありません。でも彼女はパワーエリートのメンバーで元・国家元首です」と説明している。

 このコロナ禍で現在、全世界でワクチン接種が着々と進められているが、これはグレートカーリングがすでに始動し着実に推進されている証なのだろうか。

 ■ 「世界人口の90%を削減しなければならない」

 番組出演の翌年、2010年2月にライボウ氏は米ワシントン州イェルムの田舎町にある「ラムサの啓蒙学校(Ramtha School of Enlightenment)」で行った講演で、グレートカーリングについてより詳しく解説している。

 「今日、すべての人が“持続可能な地球”というコンセプトを知っています。…(中略)…WHOはFRBと同じくプライベートな組織であり、その運営資金の3分の2が製薬企業から提供されています。WHOをはじめ、国連、アメリカ政府、ローマクラブ、イルミナティ、CFRなどのすべての組織が、今日の世界は人口が多すぎると指摘しています」(ライボウ氏)

 そしてこれらの組織は“持続可能な地球”を維持するために9割の人口削減が必要であると言及しているという。現在の世界人口の90%を削減するというのはショッキングな数字だ。

「世界人口の90%を削減しなければならないと彼らは言います」(ライボウ氏)

 その元国家元首の女性の話では「彼らエリートは現在の1割の人口しか必要としていない」というのだ。

「1974年からWHOはあなたの友だちではなくなり、女性を不妊に導くワクチンの開発と接種を進める組織になりました」(ライボウ氏)

 ライボウ氏によればワクチン接種によりフィリピンの300万人の女性が不妊となり、アフリカでは天然痘撲滅プログラムでサハラ以南おいて1憶5000万人の人口削減を見込んでいることが記された文書が存在しているという。

 そしてこれらは計画のほんの一部で、このグレートカーリングを始めさせてはいけないとライボウ氏は訴え会場は拍手喝采に包まれる。

 この講演からすでに10年が経ち、そして現在の世界はコロナ禍に包まれている。今日の状況において人口の90%が削減されるという“グレートカーリング”をどうとらえたらよいのか、白黒はっきりするのはそう遠くない未来であることは間違いない。
Dr Rima Laibow - The Globalist Agenda
https://www.youtube.com/watch?v=2dIn0izZpvc


--------(引用ここまで)--------------------------------------------------

他のメディアでは絶対に報道できない、TOCANAならではの記事です。リマ・ライボウ医師は、10年以上前から、大規模な間引き、大量虐殺が近い将来、計画されていると警告してきました。
 長らく、陰謀論として相手にされませんでしたが、ワクチン死が続出する現在では
彼女の警告が正しかったことを否定する人はいないでしょう。

(関連情報)
https://twitter.com/retopsnart/status/1449721319210192896
https://twitter.com/retopsnart/status/1449750490544107526
https://twitter.com/retopsnart/status/1449797561825382404
(Transporter)
だいぶお年を召しましたが、相変わらず歯に衣を着せないリマ・ライボウ医師です。(1/3 - 3/3)5:57 AM Oct 17, 2021

******************************************************************
引用以上

 私は、リマ・ライボウについて知らなかったが、2009年頃、ビルゲイツが「ワクチンによって世界人口を削減する」と公然と発言していたことは、ブログに何度も書いた。
 しかし、ほとんどヤフー管理者によって無断削除されてしまい、少ししか残っていない。

 上の「元国家元首の女性」というのは、マーガレット・サッチャーしかいない。
 サッチャーが英国イルミナティのトップだったのはよく知られた話だ。徹底した特権意識の持ち主で知られ、上の話(私たち貴族)とよく符合している。
 レーガン・中曽根とともに、1990年代の新自由主義勃興の旗手、三羽カラスだった。彼女の指示により、オックスフォードで、レーガンによりハーバードで、新自由主義(特権階級=貴族のための社会)価値観が薫陶され、世界に拡大していった。

 ハーバードには竹中平蔵がいて、新自由主義の薫陶を受けて帰国し、小泉政権で経済政策を担当し、労働者の権利を廃棄して臨時雇用(ルンペンプロレタリアート)に貶め、大金持ち、特権階級だけに奉仕するための社会体制を構築した。もちろん、竹中もイルミナティ(ダボス陰謀団)の幹部メンバーだ。

 イルミナティ(ダボス会議開催者グループ)は、グレートリセットを旗印に掲げているが、その内容は、原発電気を使った完全電化社会を作ること。コンピュータAIによる完全な監視と支配。そして医療体制を使って適正人口(全地球上で7〜10億人程度)に抑制することなどが含まれている。

 ビルゲイツと人口削減 2018年06月26日 
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-396.html

グレートリセット 世界の人口を10億人に
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39249910?ref=search_tag_video&playlist=eyJ0eXBlIjoic2VhcmNoIiwiY29udGV4dCI6eyJ0YWciOiJcdTRlYmFcdTUzZTNcdTUyNGFcdTZlMWIiLCJzb3J0S2V5IjoiaG90Iiwic29ydE9yZGVyIjoibm9uZSIsInBhZ2UiOjEsInBhZ2VTaXplIjozMn19&ss_pos=26&ss_id=a5fa16b6-4c16-4a49-b4e2-a524d8a31fc6

ビル・ゲイツが「ワクチンで人口削減が可能」と発言したのはTED2010会議.mp4
 https://video.fc2.com/ja/content/20210723kScWNB1b
 (YouTubeからは完全削除されたが、誰かがFC2に転載してくれていた)

 現在、進行中の新型コロナ禍は、原疾患のCOVID19よりも、ワクチン接種有害反応による死者の方が上回る状況が始まっている
 
 台湾 : ワクチン接種後の死亡者数がコロナによる総死亡数を超える 2021年10月13日
 https://earthreview.net/deaths-after-vaccination-exceed-total-corona-deaths-in-taiwan/

 アメリカの10月8日までのワクチン接種後の有害事象報告は 79万8636件超、死亡例は 1万6766件。米政府は11月からワクチン接種年齢を「5歳」まで拡大する模様 2021/10/16
 https://earthreview.net/16766-deaths-798636-other-injuries-reported-1008/

 隠せなくなったワクチン副反応 心筋症・血栓症 2021年10月14日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1647.html

 厚労省は、新型コロナ概況から、ワクチン死者の項目を削除した。
 https://earthreview.net/death-report-cases-disappeared-from-official-documents/

 そして、これこそビルゲイツらダボス陰謀団の真の狙いか?

 米コロンビア大学の研究でコロナ感染の回復者の「精液にコロナウイルスが存在する」ことを確認し、精子の数、運動が極端に少ないことが見いだされる 投稿日:2021年10月18日
 https://earthreview.net/no-sperm-in-vacs-world/

 日本で、1200名もの「ワクチン接種後の死者」が出ていることを厚労省が報告した直後に、厚労省はワクチン=死者の関連項目を報告から削除してしまった。
 ワクチンによる実際の死者数は、報告の数十倍、数百倍のオーダーであることは、上の「隠せなくなった副反応」のなかで紹介している。
 結局、厚労省は、ワクチンと死者の関係を徹底的に矮小化、隠蔽する作戦に出ている。しかし、もう遅い。
 おそらく来月、11月頃から、イスラエルやシンガポールで起きている、ワクチン二回接種者の感染死者激増という現象が、日本でも始まるからだ。
 
 接種率78%「イスラエル」で死亡者増加のなぜ 「集団免疫」の勝利から一転、ロックダウンも 2021/08/24
 https://toyokeizai.net/articles/-/450304

 シンガポールの1日の新たな感染者数がついに3000人を突破。人口100万人あたりでは日本の約40倍 2021年10月7日
 https://earthreview.net/singapore-new-daily-cases-finally-surpass-3000/

 もう、ワクチン接種が、ビルゲイツらのビジョン=地球人口の9割を削減する、というダボス陰謀団の作戦であると断定してもよいのではないか?
 ワクチン接種などしなくても、新型コロナ禍は自然収束する。
 それは、大気中に立方メートルあたり数個〜数十個という極微量のウイルスが漂い、それを日常的に呼吸し、健全な免疫反応で撃退した抗体を持った人々が優勢になるからだ。

 大切なことは、医療に頼ることではなく、まずは歩いて汗をかき、体液の循環を高め、日光に当たってビタミンDを生成し、キクラゲのようなビタミンD食品を食べ、森林浴を行い、入浴して体温を上げるという、免疫増強作戦を実行することだった。
 大都会で多量のウイルスに暴露されても発症しないですんだ人々は、ワクチンを打った人々ではなく、免疫を高めた人々だったのだ。

 強力な自己免疫を持った人々が優勢になれば、ほぼ、すべての疫病は自然収束するのだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1653.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/509.html#c9

[近代史6] これから起きるのは共産革命か?、資本主義のグレートリセットか? 中川隆
5. 中川隆[-15928] koaQ7Jey 2021年10月20日 17:12:53 : OX4jKTRbWY : Z0pnZmFPeUdaL0E=[22]

 ビルゲイツが世界人口の9割をワクチンによって削減すると言い出したのは2009年だが、それは本当に陰謀論妄想なのか?
2021年10月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1653.html


 阿修羅掲示板から、世にも恐ろしい陰謀論を転載する。

 (重要)ワクチンによる人口削減「グレートカーリング」を超有名医師リマ・ライボウが2009年に警告! 人口の9割削減、TVで発言 (TOCANA) 2021 年 10 月 19 日
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/557.html

 「【重要】ワクチンによる人口削減「グレートカーリング」を超有名医師リマ・ライボウが2009年に警告! 人口の9割削減、TVで発言」 (TOCANA 2021/7/7)
https://tocana.jp/2021/07/post_214236_entry.html

 コロナ禍が始まるはるか前からワクチンについて警鐘を鳴らしていた医師がいた。ワクチンの背後には世界の人口削減計画が企てられているというのだ。

■ 世界人口削減計画“グレートカーリング”とは

 社会システムのすべてを見直す“大いなるやり直しの時”が到来したとする「グレートリセット(The Great Reset)」を標榜した今年のダボス会議(世界経済フォーラム)は、ご存知の通りコロナ禍で中止となった。

 グレートリセットの本格始動はいったんは保留という格好になったのだが、その一方ですでに始まっている計画があるという。それは世界人口削減計画「グレートカーリング(The Great Culling)」である。

 昨年からはじまったコロナ禍のはるか前、2009年の時点でグレートカーリングを警告していた医師がいた。

 著名な精神科医、リマ・ライボウ氏は2009年に放映された「TruTV」のリアリティ番組「Conspiracy Theory with Jesse Ventura(ジェシー・ベンチュラと陰謀論)」に出演し、番組進行役の元プロレスラーで元ミネソタ州知事でもあるジェシー・ベンチュラ氏にグレートカーリングを解説している。

In 2009 A Doctor Claimed The U.N. Would Release A Virus To Trigger Depopulation Through Vaccines! ("Conspiracy Theory With Jesse Ventura")
https://worldstarhiphop.com/videos/video.php?v=wshhmh12gCs941jgkXvl

ライボウ氏によればグレートカーリングでは世界人口の90%の削減が計画されていて、その手はじめは世界的なパンデミックを起こして予防接種を行き渡らせることにあるという。その予防接種は不妊を蔓延させる形で、大量虐殺的なホロコースト(genocidal holocaust)に導くというのだ。

 ライボウ氏は2003年に患者の1人である元国家元首の人物(女性)から最初にグレートカーリングについて聞かされ、ライボウ氏に「もうすぐ大規模な間引きが始まる時期がくる」と告げたそうだ。

 いったい何の話かと聞き返すと女性はやはり「大規模な間引き(グレートカーリング)」であると言い、ライボウ氏はそれはどういうことなのかと質問した。

「無駄飯食らいどもの淘汰を知ってますか? 私たちの再生可能な天然資源を消費しているすべての人間の間引きです」と彼女は答えた。

「誰がそんなことを決めるのですか」と聞くと彼女は「私たち新貴族です」と即答したという。

 ベンチュラ氏は思わず「その人たち(新貴族)はビルダバーグ会議のメンバーということですか?」とライボウ氏に質問する。

 するとライボウ氏は「彼女はベアトリクス女王でもなく、エリザベス女王でもなく、ヘンリー・キンシンジャーでもありません。でも彼女はパワーエリートのメンバーで元・国家元首です」と説明している。

 このコロナ禍で現在、全世界でワクチン接種が着々と進められているが、これはグレートカーリングがすでに始動し着実に推進されている証なのだろうか。

 ■ 「世界人口の90%を削減しなければならない」

 番組出演の翌年、2010年2月にライボウ氏は米ワシントン州イェルムの田舎町にある「ラムサの啓蒙学校(Ramtha School of Enlightenment)」で行った講演で、グレートカーリングについてより詳しく解説している。

 「今日、すべての人が“持続可能な地球”というコンセプトを知っています。…(中略)…WHOはFRBと同じくプライベートな組織であり、その運営資金の3分の2が製薬企業から提供されています。WHOをはじめ、国連、アメリカ政府、ローマクラブ、イルミナティ、CFRなどのすべての組織が、今日の世界は人口が多すぎると指摘しています」(ライボウ氏)

 そしてこれらの組織は“持続可能な地球”を維持するために9割の人口削減が必要であると言及しているという。現在の世界人口の90%を削減するというのはショッキングな数字だ。

「世界人口の90%を削減しなければならないと彼らは言います」(ライボウ氏)

 その元国家元首の女性の話では「彼らエリートは現在の1割の人口しか必要としていない」というのだ。

「1974年からWHOはあなたの友だちではなくなり、女性を不妊に導くワクチンの開発と接種を進める組織になりました」(ライボウ氏)

 ライボウ氏によればワクチン接種によりフィリピンの300万人の女性が不妊となり、アフリカでは天然痘撲滅プログラムでサハラ以南おいて1憶5000万人の人口削減を見込んでいることが記された文書が存在しているという。

 そしてこれらは計画のほんの一部で、このグレートカーリングを始めさせてはいけないとライボウ氏は訴え会場は拍手喝采に包まれる。

 この講演からすでに10年が経ち、そして現在の世界はコロナ禍に包まれている。今日の状況において人口の90%が削減されるという“グレートカーリング”をどうとらえたらよいのか、白黒はっきりするのはそう遠くない未来であることは間違いない。
Dr Rima Laibow - The Globalist Agenda
https://www.youtube.com/watch?v=2dIn0izZpvc


--------(引用ここまで)--------------------------------------------------

他のメディアでは絶対に報道できない、TOCANAならではの記事です。リマ・ライボウ医師は、10年以上前から、大規模な間引き、大量虐殺が近い将来、計画されていると警告してきました。
 長らく、陰謀論として相手にされませんでしたが、ワクチン死が続出する現在では
彼女の警告が正しかったことを否定する人はいないでしょう。

(関連情報)
https://twitter.com/retopsnart/status/1449721319210192896
https://twitter.com/retopsnart/status/1449750490544107526
https://twitter.com/retopsnart/status/1449797561825382404
(Transporter)
だいぶお年を召しましたが、相変わらず歯に衣を着せないリマ・ライボウ医師です。(1/3 - 3/3)5:57 AM Oct 17, 2021

******************************************************************
引用以上

 私は、リマ・ライボウについて知らなかったが、2009年頃、ビルゲイツが「ワクチンによって世界人口を削減する」と公然と発言していたことは、ブログに何度も書いた。
 しかし、ほとんどヤフー管理者によって無断削除されてしまい、少ししか残っていない。

 上の「元国家元首の女性」というのは、マーガレット・サッチャーしかいない。
 サッチャーが英国イルミナティのトップだったのはよく知られた話だ。徹底した特権意識の持ち主で知られ、上の話(私たち貴族)とよく符合している。
 レーガン・中曽根とともに、1990年代の新自由主義勃興の旗手、三羽カラスだった。彼女の指示により、オックスフォードで、レーガンによりハーバードで、新自由主義(特権階級=貴族のための社会)価値観が薫陶され、世界に拡大していった。

 ハーバードには竹中平蔵がいて、新自由主義の薫陶を受けて帰国し、小泉政権で経済政策を担当し、労働者の権利を廃棄して臨時雇用(ルンペンプロレタリアート)に貶め、大金持ち、特権階級だけに奉仕するための社会体制を構築した。もちろん、竹中もイルミナティ(ダボス陰謀団)の幹部メンバーだ。

 イルミナティ(ダボス会議開催者グループ)は、グレートリセットを旗印に掲げているが、その内容は、原発電気を使った完全電化社会を作ること。コンピュータAIによる完全な監視と支配。そして医療体制を使って適正人口(全地球上で7〜10億人程度)に抑制することなどが含まれている。

 ビルゲイツと人口削減 2018年06月26日 
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-396.html

グレートリセット 世界の人口を10億人に
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39249910?ref=search_tag_video&playlist=eyJ0eXBlIjoic2VhcmNoIiwiY29udGV4dCI6eyJ0YWciOiJcdTRlYmFcdTUzZTNcdTUyNGFcdTZlMWIiLCJzb3J0S2V5IjoiaG90Iiwic29ydE9yZGVyIjoibm9uZSIsInBhZ2UiOjEsInBhZ2VTaXplIjozMn19&ss_pos=26&ss_id=a5fa16b6-4c16-4a49-b4e2-a524d8a31fc6

ビル・ゲイツが「ワクチンで人口削減が可能」と発言したのはTED2010会議.mp4
 https://video.fc2.com/ja/content/20210723kScWNB1b
 (YouTubeからは完全削除されたが、誰かがFC2に転載してくれていた)

 現在、進行中の新型コロナ禍は、原疾患のCOVID19よりも、ワクチン接種有害反応による死者の方が上回る状況が始まっている
 
 台湾 : ワクチン接種後の死亡者数がコロナによる総死亡数を超える 2021年10月13日
 https://earthreview.net/deaths-after-vaccination-exceed-total-corona-deaths-in-taiwan/

 アメリカの10月8日までのワクチン接種後の有害事象報告は 79万8636件超、死亡例は 1万6766件。米政府は11月からワクチン接種年齢を「5歳」まで拡大する模様 2021/10/16
 https://earthreview.net/16766-deaths-798636-other-injuries-reported-1008/

 隠せなくなったワクチン副反応 心筋症・血栓症 2021年10月14日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1647.html

 厚労省は、新型コロナ概況から、ワクチン死者の項目を削除した。
 https://earthreview.net/death-report-cases-disappeared-from-official-documents/

 そして、これこそビルゲイツらダボス陰謀団の真の狙いか?

 米コロンビア大学の研究でコロナ感染の回復者の「精液にコロナウイルスが存在する」ことを確認し、精子の数、運動が極端に少ないことが見いだされる 投稿日:2021年10月18日
 https://earthreview.net/no-sperm-in-vacs-world/

 日本で、1200名もの「ワクチン接種後の死者」が出ていることを厚労省が報告した直後に、厚労省はワクチン=死者の関連項目を報告から削除してしまった。
 ワクチンによる実際の死者数は、報告の数十倍、数百倍のオーダーであることは、上の「隠せなくなった副反応」のなかで紹介している。
 結局、厚労省は、ワクチンと死者の関係を徹底的に矮小化、隠蔽する作戦に出ている。しかし、もう遅い。
 おそらく来月、11月頃から、イスラエルやシンガポールで起きている、ワクチン二回接種者の感染死者激増という現象が、日本でも始まるからだ。
 
 接種率78%「イスラエル」で死亡者増加のなぜ 「集団免疫」の勝利から一転、ロックダウンも 2021/08/24
 https://toyokeizai.net/articles/-/450304

 シンガポールの1日の新たな感染者数がついに3000人を突破。人口100万人あたりでは日本の約40倍 2021年10月7日
 https://earthreview.net/singapore-new-daily-cases-finally-surpass-3000/

 もう、ワクチン接種が、ビルゲイツらのビジョン=地球人口の9割を削減する、というダボス陰謀団の作戦であると断定してもよいのではないか?
 ワクチン接種などしなくても、新型コロナ禍は自然収束する。
 それは、大気中に立方メートルあたり数個〜数十個という極微量のウイルスが漂い、それを日常的に呼吸し、健全な免疫反応で撃退した抗体を持った人々が優勢になるからだ。

 大切なことは、医療に頼ることではなく、まずは歩いて汗をかき、体液の循環を高め、日光に当たってビタミンDを生成し、キクラゲのようなビタミンD食品を食べ、森林浴を行い、入浴して体温を上げるという、免疫増強作戦を実行することだった。
 大都会で多量のウイルスに暴露されても発症しないですんだ人々は、ワクチンを打った人々ではなく、免疫を高めた人々だったのだ。

 強力な自己免疫を持った人々が優勢になれば、ほぼ、すべての疫病は自然収束するのだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1653.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/160.html#c5

[近代史5] 北海道ゆっくり研究室
北海道ゆっくり研究室 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UC86tQpb-ue2cCd1FawO01mQ/videos
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1196.html
[近代史5] 希ガスchannel(ゆっくり解説) - YouTube 動画
希ガスchannel【ゆっくり解説】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/channel/UC1fy8MTh87ON0fxJxMvZErA/videos
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1197.html
[近代史6] 宇宙誕生前は何があったのか?
【ゆっくり解説】宇宙誕生前は何があったのか?3つの説を紹介!
2021/10/20



今回は「宇宙誕生前には何があったのか」というテーマでゆっくり解説しました!宇宙はどこから始まったのか、どう誕生したのか、誕生前はなにがあったのか、謎だらけですね。


▼動画の内容
@エントロピー増大の法則
Aビッグバウンス理論
B無から始まった説
C膜宇宙論

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/949.html

[近代史6] 謎が多い惑星 探査がすすまないのはなぜ? 水星探査の歴史
【ゆっくり解説】謎が多い惑星 探査がすすまないのはなぜ? 水星探査の歴史前編
2021/10/12



今回は、水星探査の歴史前編です
一向に探査が進まない水星
冥王星の次くらいに探査が進んでいないと言われています
冥王星の場合は遠すぎるという単純な理由がありますが、水星は冥王星ほど離れていません
なのになぜ探査が進まないのでしょうか?
そこには、人類の興味と水星が持つ厳しい環境がありました




【ゆっくり解説】謎が解明しても謎が謎を呼ぶミステリー 水星探査の歴史後編
2021/10/14



今回は、水星探査の歴史後編です
マリナー10号でどんなことが判明したのか
水星大気になぜ水素とヘリウムが多いのか
水星の公転と自転が同期している派との決着問題
マリナー10号がなぜ全体の40%台しか撮影できなかったのか
なぜ水星探査が難しいのか
マリナー10号のその後などを解説していきます
【訂正】2万テスラではなく、2万ナノテスラです


今回は尺はちょっと短めでしたね 反省だけしてます



【ゆっくり解説】二度目の謎解きの冒険へ探査機メッセンジャー 水星探査の歴史後編の後編
2021/10/16



今回は、水星探査の歴史後編の後編です
マリナー10号で観測した内容から、更に謎が生まれたのにも関わらず
人類は、水星へ探査機を飛ばしませんでした
その理由は、水星へ行くのも言った後も難しい難問が山積しているからです
しかし、NASAジェット推進研究所の人が、複雑な計算から導き出した軌道を開発したおかげで、二回目の探査計画が立ち上がりました
その名も水星探査機メッセンジャー
マリナー10号の打ち上げから30年後となった二度目の水星探査はどのような観測をしていくのでしょうか?



【ゆっくり解説】二度目の謎解きの冒険へ探査機メッセンジャー 水星探査の歴史 最終回
2021/10/20



今回は、水星探査の歴史後編の後編です
史上2基目の水星探査機メッセンジャーが水星周回軌道に到着して観測を始めました
いったい、どんな観測をしたんでしょうか?
マリナー10号では半分しか写ってなかったカロリス盆地がバッチリと見えるようになり、カロリス盆地の成り立ちからその影響を知ることができました
さらに、カロリス盆地には大きな衝突跡があり、水星が崩壊寸前だったと考えられています
メッセンジャーでは、水星地表の元素構成を調査したところある新発見があり説が覆ることがありました
その他もなるべくわかりやすく解説していきます

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/950.html

[近代史5] 悪用厳禁!?女を射止める H なカクテル
【ゆっくり解説】悪用厳禁!?女を射止める叡智なカクテル




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1198.html

[近代史5] 9月と10月は株式市場にとってパフォーマンスが最弱の月 _ 5月に売って10月に買うのが良い
9月と10月は株式市場にとってパフォーマンスが最弱の月 _ 5月に売って10月に買うのが良い


マイナード氏: 株式市場の調整は終了、ここから上昇へ
2021年10月20日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16491

Guggenheim Partnersのスコット・マイナード氏がBloombergのインタビューで久々に株式市場についてコメントしているので紹介したい。

マイナード氏の株価推移予想

マイナード氏はこう始めている。

株式市場にリスクがあるとは思わない。デルタ株と感染拡大に関するレポートに書いたように、数ヶ月前にリスク資産には調整があると予想した。

ここの読者は覚えているだろうが、マイナード氏は夏頃から9月の株価下落を予想していた。彼はこう述べている。

マイナード氏: 株式市場はコロナ増加で10月までに急落へ (2021/7/26)
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/14566


9月と10月は通常株式市場にとってパフォーマンスが最弱の月だ。「5月に売って労働者の日(9月)に戻ってこい」という古い言い回しがあるが、実際には追悼記念日(5月)に売ってワールドシリーズの第1試合(10月)に買うというのが株式市場の良い入り方だ。

だから今年の9月と10月はかなり荒れた月になるだろう。15%かそれより少し大きい下落幅になるだろう。

そしてその後の株式市場の動きについては彼はこう述べている。

そしてそれはもう起こったと考えている。先週の上げで調整は底を脱しただろう。

米国株はどうなったか? S&P 500のチャートを見てみよう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/10/2021-10-20-s-and-p-500-chart.png


下がるには下がったが、10%も下がっていないので調整と呼ぶには小さすぎる。

また、この下落は実際にはデルタ株よりも恒大集団のデフォルト危機によって引き起こされた感は大きい。

中国恒大集団、来週にもデフォルトか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16356


しかしタイミングはきっちり合っているので、あながち間違いとも言えないだろう。

株式市場の今後の見通し

マイナード氏によれば株式市場は今後どうなるだろうか? 彼は次のように主張する。

季節的に考えれば、これから5月まで株式はとても好調になることが多い。

個人的には、彼の「季節的にはこうなる」論にはあまり論拠を感じていない。そうなる年もあればそうならない年もあるからだ。

しかしマイナード氏の場合は季節性の他にファンダメンタルズも論拠にしていることが多いので、気には留めておくべきだろう。彼はこれとは別に暗号通貨についてもコメントしているので、別の記事で紹介するつもりである。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16491
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1199.html

[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ 中川隆
6. 中川隆[-15927] koaQ7Jey 2021年10月21日 02:23:00 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[4]
サアヤさんは自殺未遂事件の後、毎月警察に呼ばれて病状や家庭環境等を聞いていたんだから、画像の拡散なんか有る訳ないんだよ。画像拡散なんかしたらすぐに逮捕されて少年院行きだからね。

すべてサアヤさんの被害妄想だった可能性が高い
サアヤさんの死体検案書に記載された精神疾患名は、統合失調症
統合失調症は覚醒剤中毒と同じ症状で治療薬も同じだよ。
本当は覚醒剤中毒と書かなければいけなかったけど、加害者か母親がサアヤさんに覚醒剤を飲ませたと思われると困るから、統合失調症と書いたんだよ

おそらくイジメ事件はサアヤさんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

ウッペツ川の欄干からの飛び降り事件でも母親は弁護士まで雇っていながら民事訴訟を起こさなかった。
知られると困る事が有ったのかな?

ふつざわしゅん氏はサアヤさんの母親は事件の事だけは絶対に話さない、新しい情報は母親からは何一つ得られなかったと言っています。
余程隠したい事が有るのでしょうね。

覚醒剤中毒だと被害妄想になるから、先生もサアヤさんを相手にしなかったんだろうね
母親も児童売春組織と何か関係あるんだろうね
だから必死で隠蔽工作している
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html#c6

[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ 中川隆
7. 中川隆[-15926] koaQ7Jey 2021年10月21日 02:24:11 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[5]
サアヤさんは自殺未遂事件の後、毎月警察に呼ばれて病状や家庭環境等を聞いていたんだから、画像の拡散なんか有る訳ないんだよ。画像拡散なんかしたらすぐに逮捕されて少年院行きだからね。
すべてサアヤさんの被害妄想だった可能性が高い
サアヤさんの死体検案書に記載された精神疾患名は、統合失調症
統合失調症は覚醒剤中毒と同じ症状で治療薬も同じだよ。
本当は覚醒剤中毒と書かなければいけなかったけど、加害者か母親がサアヤさんに覚醒剤を飲ませたと思われると困るから、統合失調症と書いたんだよ

おそらくイジメ事件はサアヤさんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

ウッペツ川の欄干からの飛び降り事件でも母親は弁護士まで雇っていながら民事訴訟を起こさなかった。
知られると困る事が有ったのかな?

ふつざわしゅん氏はサアヤさんの母親は事件の事だけは絶対に話さない、新しい情報は母親からは何一つ得られなかったと言っています。
余程隠したい事が有るのでしょうね。

覚醒剤中毒だと被害妄想になるから、先生もサアヤさんを相手にしなかったんだろうね
母親も児童売春組織と何か関係あるんだろうね
だから必死で隠蔽工作している


警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ

これはすべてサアヤさんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html#c7

[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ 中川隆
8. 中川隆[-15925] koaQ7Jey 2021年10月21日 02:27:43 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[6]
サアヤさんは自殺未遂事件の後、毎月警察に呼ばれて病状や家庭環境等を聞かれていたんだから、画像の拡散なんか有る訳ないんだよ。画像拡散なんかしたらすぐに逮捕されて少年院行きだからね。
すべてサアヤさんの被害妄想だった可能性が高い
サアヤさんの死体検案書に記載された精神疾患名は、統合失調症
統合失調症は覚醒剤中毒と同じ症状で治療薬も同じだよ。
本当は覚醒剤中毒と書かなければいけなかったけど、加害者か母親がサアヤさんに覚醒剤を飲ませたと思われると困るから、統合失調症と書いたんだよ

おそらくイジメ事件はサアヤさんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

ウッペツ川の欄干からの飛び降り事件でも母親は弁護士まで雇っていながら民事訴訟を起こさなかった。
知られると困る事が有ったのかな?

ふつざわしゅん氏はサアヤさんの母親は事件の事だけは絶対に話さない、新しい情報は母親からは何一つ得られなかったと言っています。
余程隠したい事が有るのでしょうね。

覚醒剤中毒だと被害妄想になるから、先生もサアヤさんを相手にしなかったんだろうね
母親も児童売春組織と何か関係あるんだろうね
だから必死で隠蔽工作している


警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ

これはすべてサアヤさんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html#c8

[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ 中川隆
9. 中川隆[-15924] koaQ7Jey 2021年10月21日 03:05:28 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[9]
爽彩さんは自殺未遂事件の後、毎月警察に呼ばれて病状や家庭環境等を聞かれていたんだから、画像の拡散なんか有る訳ないんだよ。画像拡散なんかしたらすぐに逮捕されて少年院行きだからね。
すべて爽彩さんの被害妄想だった可能性が高い
爽彩さんの死体検案書に記載された精神疾患名は、統合失調症
統合失調症は覚醒剤中毒と同じ症状で治療薬も同じだよ。
本当は覚醒剤中毒と書かなければいけなかったけど、加害者か母親が爽彩さんに覚醒剤を飲ませたと思われると困るから、統合失調症と書いたんだよ

おそらくイジメ事件は爽彩さんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

ウッペツ川の欄干からの飛び降り事件でも母親は弁護士まで雇っていながら民事訴訟を起こさなかった。
知られると困る事が有ったのかな?

ふつざわしゅん氏は爽彩さんの母親は事件の事だけは絶対に話さない、新しい情報は母親からは何一つ得られなかったと言っています。
余程隠したい事が有るのでしょうね。

覚醒剤中毒だと被害妄想になるから、先生も爽彩さんを相手にしなかったんだろうね
母親も児童売春組織と何か関係あるんだろうね
だから必死で隠蔽工作している


警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ

これはすべて爽彩さんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

▲△▽▼

爽彩さんの母親は何故先頭に立って殺人事件の揉み消し、遺体発見場所や加害者の隠蔽をしているのか?

爽彩さんの母親は爽彩さんの遺体の発見場所の公開をストップさせ、凍死体をどうやって公園に運んだかをわからなくさせました。トイレの裏側の遺体発見場所では、その場所だけ雪が人工的に 1.5mも 積み上げられていたのがわかっています。
爽彩さんの母親は爽彩さんの失踪当日は氷点下17℃の極寒日だった、被害者が自殺したのは間違い無い、吉田は犯人じゃない、といった明らかに間違ったデマを多数発言して、事件に関心を持った人をすべて混乱させ、何が本当か判断できなくしました。

被害者の母親は事件を矮小化しようと必死でデマを拡散しています。

・被害者の母親は爽彩さんの遺体が発見された場所を公開しないでくれと警察に頼んだ

トイレの裏側の遺体発見場所では、その場所だけ雪が人工的に 1.5mも 積み上げられていたのがわかっています。
その事実が明らかにされると他殺だとわかってしまうので、遺体が発見された場所の公開を止めさせたとしか思えません。

「ここ」をわかられると、以下のような疑問がわく

向かいの住宅の通報なので、近所には知れていますし
事件捜査時点で、トイレわきの水場石垣にブルーシートがかけられたので、犯人のみ知るじじつだからというのは「いいわけ」です。
場所の隠蔽、15〜20の天気気温の隠蔽はKが
でもね、ニュースで最初に現場がでてるしね

#22 2021/06/15 00:40
トイレの近くにブルーシートがあったらしいよ
水路からひきあげて置いたかも?

#33 2021/06/29 22:24
そもそも、向かいの住宅から、遺体の一部が見えたから通報したんですよ
ですから、もうそれだけで場所はトイレわきの水路あたりのエリアしかないの。
住宅地がそこだけだから。
車道にも近いし
youtube.com
の天気見ればわかるけど、こんな状態で1ケ月も雪の中でしたなんてありえんのよ
まあ、発見の前日が雪ね(逆に)

で、警察は事件性を否定しないとやばいから、
そこを突かれないおうに土管のなかみたいなリークをしたの。
もう仕組まれてんのよ。

4月22日HTB北海道ニュース
この事件の最初の報道で映されたのは、水路の終点。トイレの建物から10数m離れた個所。花束が水路の石垣の
どこかに置かれてるのも映ってる。

もりりん、ここから360度撮影と、石の場所特定して。
あと、土管との位置関係と、公園の全体との位置関係、道路からの位置関係。行き倒れに不自然ないか、車で運んだっぽいのか。

つまり、遺体の置かれていたのが道路のすぐ近くで人家から良く見える所だとわかると、自殺ではない事がわかってしまうので、遺体発見場所を公開させないのです。

▲△▽▼

纏めると、 爽彩さんの母親は

・遺体の発見場所の公表を止めさせた

・失踪当日は零下17℃ だった
・吉田ゆうきは加害者じゃない

等の悪質なデマを撒き散らした。

・掲示板やyoutube の名探偵さんは迷惑だ、加害者を明らかにしないで欲しい

と何度も発言し、事件に関心を持った人が事件について調べるの止めさせようとした。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html#c9

[近代史6] 大西つねきが三橋貴明の間違いを正確に指摘しています。政府がいくら財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。 中川隆
7. 中川隆[-15923] koaQ7Jey 2021年10月21日 03:59:27 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[11]
日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
需給で大事なのは生活必需品の需給だけ、不要品や高級品まで入れたすべての商品の需給に意味は無い
労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えない
労働生産性というのは賃金額の事だよ、地方の生産性が低いというのは地方の賃金が安いというだけの事だ。
GDPというのは企業や金持ちの所得の事だ、労働者の所得とはあまり関係しない。
やっても やらなくてもいい仕事ばかりの需要・供給は生活必需品の需要・供給とはあまり関係しない。
消費者物価指数というのは高級酒や高級車や贅沢品の価格を反映する物価で、生活必需品の価格とはあまり関係しない。
従って、労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えないのです。
金利が上がらないのは日本だけでなく世界中で起きている現象で、階級社会が完成して内需が壊滅したのが原因です。
奥の院は今 資本主義をグレートリセットして地球人口を3億人まで減らそうとしています。

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。

理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです。

今は世界中が階級社会になってしまって内需が壊滅したので資本主義の時代はもう終わったと言われています。
銀行から金を借りて新規事業をやっても儲からないですからね。
それで資本主義のグレートリセットをやらないといけないという結論になったのです。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

民間銀行は自己資金ゼロでも、顧客に借用書を書いてもらって、融資金額を顧客の銀行預金として記帳するだけでお金が無から生まれると思っているアホが多過ぎる。
そもそも民間銀行が自己資金も持っていないのに顧客に融資したとしたら、顧客が自分が借りた金を日銀券(円紙幣)で引き出したいと言った時に、全く金を持っていない民間銀行が顧客に日銀券を渡せる訳がないですね。
小学生でもわかる道理です。

民間銀行の信用創造というのは民間銀行が自分の持っている日銀当座預金口座の日銀当座預金を日銀券に変えるという意味です。日銀当座預金口座は政府と民間銀行しか作れないので、民間銀行に借金しないと日銀券を発行してもらえないのです。
それが、借金でお金を作る、という意味です。

ゼロからお金を作るのではなく、日銀当座預金を日銀券に変えているだけです。 銀行が顧客に金を貸せるのは、貸す金額と同額の日銀当座預金を持っている場合だけです。

融資が焦げ付いた場合、預金などの他人資本に手を付けるわけにはいかないので、銀行には一定水準以上の自己資本を持つことが義務付けられています。 

国際的な業務を営む銀行の場合、自己資本比率=自己資本÷融資額(リスクアセット)×100 の下限は8%、
国内業務に限っている場合には4%

という「自己資本比率規制」があり、これを維持することがBIS(国際決済銀行)によって義務付けられています。

預貸率 : 銀行の預金に対する貸出金の比率

日銀によると、2020年5月の国内銀行の預貸率は63.7%で、2カ月連続で過去最低を更新した。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が多額の給付金を支給したり企業が手元資金を厚くしたりしたため、預金が急増した。銀行も貸し出しを増やすが、預金の増加幅を下回る。5月の国内銀行の預金平均残高は前年同月比6.2%増の772兆535億円だった。

日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
https://www.youtube.com/watch?v=20L9UD0qtwc

中国の元高為替操作によるコストプッシュインフレが始まった

妙佛 DEEP MAX 日本にも悪性の物価上昇が迫っている!
https://www.youtube.com/watch?v=ZhTgq_eGaI4

妙佛 DEEP MAX 物価高が迫っている
https://www.youtube.com/watch?v=cMilMd7e9mY


MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/135.html#c7

[近代史6] 大西つねきが三橋貴明の間違いを正確に指摘しています。政府がいくら財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。 中川隆
8. 中川隆[-15922] koaQ7Jey 2021年10月21日 04:00:30 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[12]
国家主導の経済政策が上手くいった事は過去一度も無い
1970年代まで西欧各国で採用されたケインズ政策は大失敗に終わり、財政均衡が必要だというのが経済政策の常識になった。
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません:
今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。
国民の半数は働く必要は有りません。民間銀行が企業に事業資金を貸す必要もありません。
政府が貧困者に金さえ出せば企業活動を半分にしても需要供給のバランスが取れる様になるのです。
アメリカ中央銀行はアメリカ政府から利子付きアメリカ国債を買ってドルを発行しているので、利子の分だけドルの発行量が毎年毎年増えていく、従ってドルの貨幣価値も毎年毎年減ってインフレが進行していく。
ドルの増加分はすべて資本家の所に行き、労働者の賃金は大して上がらず、実質賃金は毎年毎年下がっていく。従って、内需は毎年毎年減っていき、失業が増え、貧富の差が開いていってマルクスが預言した階級社会が完成する。国債金利がゼロに近づいているというのは、企業が民間銀行から借金して投資する額がこれ以上は増やせない上限に到達してしまい、投資して利子と配当で儲ける資本主義システムが破綻したという事です。 資本主義システムが破綻してできた階級社会の混乱と暴動に対処する方法としては今まで次の3案が考えられています:

・マルクス主義革命:階級闘争で階級を無くし、総中流社会に変える
・エンデの地域通貨発行論:民間銀行の信用創造による企業への融資を止めて、公的機関が利子ゼロで融資する。
・グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする

現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。
TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。

 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。

 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。

グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。

温暖化対策はグレートリセットの柱の一つだ。
温暖化対策・2酸化炭素排出削減のため、人々(平民)は肉を食べず(家畜が2酸化炭素を出すから)代わりに昆虫や植物由来の擬似肉を食べるべきだとか、穀物でなく雑草を食べよとか、下水を飲めといった提案がグレートリセットの一環として欧米で出されている(金持ちはおいしい肉や水を飲食できる)。
こういった資本主義の信用貨幣制度の限界は大西つねきが昔から警告していた事です:

大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U  


ハイエク vs ケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション
https://www.youtube.com/watch?v=lEe7KCshrec

ケインズ政策を採用した英国の IMF危機〜しくじり財政破綻〜【福祉国家の末路】
https://www.youtube.com/watch?v=QE83IQM2SfY

公共投資による内需拡大策が失敗した例 _ ニューディール政策は失敗だった
https://www.youtube.com/watch?v=rz9-7V-c9H4

公共投資による内需拡大策が失敗した例 _ ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

▲△▽▼

民間銀行が日銀に国債を売る時は買った値段よりかなり高く買ってくれる。
そのお金は日銀当座預金に入れておくけど、最近は日銀当座預金に年0.1%もの金利を付けている。
つまり、国債発行は民間銀行や保険会社にタダでお金をやるのが目的だ。
従って国債発行している限り、労働者から金をとって資本家にその金をやっている、という事になる
今株価が上がっているのは中央銀行がばら撒いた金がすべて資本家の所に行って、その金が不動産や株を買うのに使われているからだ。 財政出動してもバブルになるだけだ。
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/135.html#c8

[近代史6] 大西つねきが三橋貴明の間違いを正確に指摘しています。政府がいくら財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。 中川隆
9. 中川隆[-15921] koaQ7Jey 2021年10月21日 04:01:21 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[13]
貨幣のプール論は正しい _ 銀行は国民の預金で国債を買っている
民間銀行の信用創造について低レベルの誤解をしている人が多い
民間銀行は自己資金ゼロでも、顧客に借用書を書いてもらって、融資金額を顧客の銀行預金として記帳するだけでお金が無から生まれると思っているアホが多過ぎる。
そもそも民間銀行が自己資金も持っていないのに顧客に融資したとしたら、顧客が自分が借りた金を日銀券(円紙幣)で引き出したいと言った時に、全く金を持っていない民間銀行が顧客に日銀券を渡せる訳がないですね。小学生でもわかる道理です。
信用貨幣論というのは要するに、
貨幣と言っても、マネタリーベース、マネーストック、銀行預金、国内で商品購買に使うお金、国内で不動産・株式購買に使うお金、為替交換して外国に投資するお金等 何種類もありますが、

・政府の信用創造: 国債と硬貨国債を発行、国債は政府が発行する有利子貨幣、硬貨は政府が発行する無利子貨幣

・日銀の信用創造: 日銀当座預金と日銀券(円紙幣)を発行、日銀当座預金は有利子貨幣で、日銀は民間銀行から国債を買って、民間銀行の日銀当座預金口座に日銀当座預金を信用創造し、マネタリーベースを増やす。
日銀券(円紙幣)は日銀が発行する無利子貨幣で、日銀は民間銀行の要請で日銀当座預金と日銀券(円紙幣)を交換する。

・民間銀行の信用創造:、銀行預金は民間銀行が発行する有利子貨幣で、民間銀行は一般人に融資して民間銀行の口座に銀行預金を信用創造し、マネーストックを増やす。民間銀行が日銀券(円紙幣)を持っていてもマネーストックにはならない。

お金の又貸し説は日銀当座預金では正しい

民間銀行の信用創造というのは民間銀行が自分の持っている日銀当座預金口座の日銀当座預金を日銀券に変えるという意味です。日銀当座預金口座は政府と民間銀行しか作れないので、民間銀行に借金しないと日銀券を発行してもらえないのです。
それが、借金でお金を作る、という意味です。
ゼロからお金を作るのではなく、日銀当座預金を日銀券に変えているだけです。 銀行が顧客に金を貸せるのは、貸す金額と同額の日銀当座預金を持っている場合だけです。

民間銀行の持っている日銀当座預金は、顧客から銀行預金として預かっている日銀券を日銀でデータに変えて保管したものです。民間銀行の融資というのは顧客から銀行預金として預かっているお金を又貸ししているだけです。

 銀行は自己資本だけではなく、お金を借りてそれをさらに融資するという「又貸し」を行っています。銀行の最大の他人資本は「預金」であり、この他に、他の金融機関からの借り入れや社債を発行して集めたお金、さらには中央銀行から借りたお金なども他人資本となります。融資が焦げ付いた場合、預金などの他人資本に手を付けるわけにはいかないので、銀行には一定水準以上の自己資本を持つことが義務付けられています。 国際的な業務を営む銀行の場合、自己資本比率=自己資本÷融資額(リスクアセット)×100 の下限は8%、国内業務に限っている場合には4%という「自己資本比率規制」があり、これを維持することがBIS(国際決済銀行)によって義務付けられています。

預貸率 : 銀行の預金に対する貸出金の比率
日銀によると、2020年5月の国内銀行の預貸率は63.7%で、2カ月連続で過去最低を更新した。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が多額の給付金を支給したり企業が手元資金を厚くしたりしたため、預金が急増した。銀行も貸し出しを増やすが、預金の増加幅を下回る。5月の国内銀行の預金平均残高は前年同月比6.2%増の772兆535億円だった。


一方、日銀は買いオペで国債を買って日銀当座預金を信用創造できますが、マネタリーベースを増やすと貨幣価値が下がってしまい、マネタリーベースすべてを使って買えるものの総量はマネタリーベースを増やしても変わりません。
日銀当座預金の信用創造というのは単に貨幣価格の単位を変えただけです。
いままで1万円札で10ケ買えていたものが、貨幣量を10倍にすると貨幣価値が1/10になって、1万円札で1ケしか買えなくなります。 日銀が信用創造で円貨幣を増やしても、貨幣の単位が変わるだけで経済には(長期的には)影響しません。

民間銀行が一般人に融資して民間銀行の口座に銀行預金を信用創造しても、それは民間銀行が元々日銀当座預金口座に持っている日銀当座預金の一部を一般人専用にしているだけで、お金が増えた訳ではありません。民間銀行の信用創造というのは日銀当座預金を日銀券(円紙幣)に変えてマネーストックが増えた場合だけです。但し、マネーストックが増えても国内で商品購買に使われなければ物価は上がりません。

お金が増えるのは、買いオペで日銀が国債を買い取って、その代金を日銀当座預金口座に信用創造して、マネタリーベースが増えた場合だけです。マネタリーベースが増えると貨幣価値は下がりますが、物価があがる訳ではありません。

日本人の給料は30年前と変わらないので、国内で商品の購買に使われる総額も同じで、従って国内物価は上がりません。金利も変わりません。円の貨幣価値が下がったというのは輸入物価やゴールド・原油・鉄鋼・穀物・大豆などの商品相場が上がったという事で、国内の消費者物価や金利が上がった訳ではないんですね。

▲△▽▼


古典派経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説
貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。
重金主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

一方、古典派経済学の貨幣中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。 中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

ルーズベルトやニューディーラーは古典派経済学・マルクス経済学の系統で、ソ連の5か年計画を真似してニューディール政策を行っています。ルーズベルトやニューディーラーは勿論 緊縮財政派です。
長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致しています。

一方、ケインズやMMT学派は古典派経済学・マルクス経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説を否定して、金融緩和や財政出動が経済を変えると思っているのですね。 1970年代までは欧米政府はすべてケインズ政策に基づいた経済政策を行っていましたが、悉く失敗したので。経済政策をハイエクの自由主義経済と財政均衡主義に変えたのです。
しかし、三橋貴明さんはそういう経済の流れを全く知らず、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。この現代に既に大失敗したケインズ政策をもう一度繰り返す事に意味は無いのですけどね。
5月の国内銀行の預金平均残高は前年同月比6.2%増の772兆535億円だった。
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/135.html#c9

[近代史6] 大西つねきが三橋貴明の間違いを正確に指摘しています。政府がいくら財政出動しても絶対にデフレから脱却できません。 中川隆
10. 中川隆[-15920] koaQ7Jey 2021年10月21日 04:02:23 : AR6iYzyJP2 : RDc0NFYuY24ua0k=[14]
金融緩和と財政出動は資本家と中国を裕福にし労働者をより貧乏にする
コロナで職を失ったり商売が立ち行かなくなった人が大勢いる。それで現金給付のような政策が支持されており、アメリカでは増税と景気刺激の組み合わせを行おうとしているバイデン政権が選ばれたのである。
しかし国民から多く徴収して多くばらまくという政策には経済学的には疑問も残る。
増税をすればその分国民は消費が出来なくなるだろう。その分を政府が代わりに投資するというコンセプトなのだが、これは実際にはライブのチケットを買おうとする音楽ファンの国民からチケット代を取り上げ、代わりに五輪のチケットを渡す政策に等しい。
日本で自民党が行なっている増税・財政支出の組み合わせも同じである。このような経済政策が機能するだろうか。それを考えるためには、歴史上同じような政策が採用された例を探せば良い。

現在のような節操のない金融・財政政策を行なった結果を歴史上の例から探すと、かなり悲惨な結果となる。その結果は大体内戦か革命だ。
歴史的に著名な例はフランスの王政である。
フランス革命の時にも現在と同じような経済政策が取られた。

フランスは1770年代に金本位制度から離脱したが、1780年代には食糧を求めて暴動が起きた。パンが不足してパンの価格が高騰したので、女性たちはヴェルサイユ宮殿にいるルイ16世と王妃マリー=アントワネットに対してデモを起こした。

金本位制度からの離脱とは、元々中央銀行が紙幣と金を交換する約束をしていたのをその約束を反故にし、紙幣を持ってきても金は渡さないと宣言することである。

つまり金本位制度からの離脱は中央銀行の債務不履行であり、紙幣の価値を下落させる量的緩和と基本的に同じである。アメリカでは1970年代に同じことが起こり、ニクソンショックと呼ばれた。それと同じことがフランス革命においても起こった。当時パンの価格が高騰したことは、現在金融市場において物価高騰が懸念されている状況と重なる。

現金がばら撒かれたにもかかわらず、何故フランスの人々はデモを起こさなければならなかったのか。

紙幣印刷と現金給付によって中流階級が貧乏になり、貧困階級は死ぬほど飢えた。一方で紙幣印刷のレバーを握っている側は更に裕福になった。

量的緩和がどういう理由で行われているかを考えればそれは明らかだろう。量的緩和は政府債務を支えるために行われている。金利を低く抑えられなければ政府は膨大な借金の利払いで他の支出が出来なくなる。他の支出が出来なくなれば何故困るのか。政府予算に依存して利益を得ている人々が利益を得られなくなるからである。

だからばら撒き政策は既得権益層をますます裕福にし、その恩恵は中間層には返ってくることはない。

アメリカの消費と中国の輸出
こうした政策はアメリカの消費を促進している。だがアメリカの生産者にはほとんど関係のない話だ。消費は増えたが、消費されるものは中国から来ている。アメリカ人が中国のものを大量に消費しているので中国のGDPはどんどん上がっている。

現金給付によりGDPの構成要素である個人消費は上がった。現金給付によって毎月の消費が押し上げられる。しかし消費される商品は何処から来ているのか。これらの商品の多くは現代においては中国で作られている。つまりアメリカの資金が中国に流れているのである。アメリカは借金をしてこれらの政策を行なっているので、アメリカは実質的には借金をして中国に貢いでいることになる。

その資金はAmazon.comなどのオンラインストアを通して中国に流れてゆく。
こうした消費はどうやって起こるか。単純化して言えばこうした消費はアマゾンを通して行われている。アマゾンはこうしたビジネスで大きなシェアを獲得している。だからジェフ・ベゾス(訳注:Amazon.comのCEO)のようなシリコンバレーの億万長者が政府の現金給付によって相当に豊かになる。

しかしその資金は中流階級の自国民には返ってこないのである。中間層に何が起こるかと言えば、後に残った莫大な政府債務を返すために増税のくびきに掛けられることになる。

大きな政府と小さな政府
増税と財政出動を組み合わせ、国民から大きく吸い取り大きく吐き出す政府のことを大きな政府と言うが、予算の大きな政府の政治家達が資金を吐き出す時には当然ながら彼らの利益となる場所に資金吐き出すことになる。

日本政府が消費増税を行いオリンピックやGO TOトラベルを強行する理由は何か。一般国民から吸い取って自分の票田である宿泊業界や大手メディア、広告代理店などに吐き出すためである。保守派とは伝統的にこうした政府の利権を認めず政府の予算を縮小しようとする立場のことを言うので、自民党は保守ではない。何度も言っているのだが大半の日本人にはこれが分からないらしい。

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/135.html#c10

[近代史6] 土星の輪はどうやってできたのか?
【ゆっくり解説】土星の輪はどうやってできたのか?
2021/10/18



太陽系で2番目に巨大な惑星「土星」
土星には巨大な環がついていますが、なぜこんな巨大なリングができたのか、、?


実は土星には知られざる秘密が隠されているかも!?


土星の環の謎を見ていきましょう!!

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/951.html

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
38. 中川隆[-15919] koaQ7Jey 2021年10月21日 09:59:39 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[2]
雑記帳
2021年09月26日
オホーツク文化人のゲノム解析とアイヌ集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html

 オホーツク文化人のゲノム解析結果を報告した研究(Sato et al., 2021)が公表されました。古代ゲノム学は、過去の人口史の遺伝的特徴の片鱗を捉えることのできる強力な手法です。最近の古代ゲノム研究は多くのアジアの旧石器時代人と新石器時代人のゲノムを報告しており、ユーラシア東部におけるヒトの移住過程への新たな洞察を提供してきました(関連記事)。とくに、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)と、シベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡(関連記事)の少年個体(MA-1)と、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体(関連記事)の古代ゲノム研究は、ユーラシア東部の初期人口史を理解するうえで重要です。

 系統樹では、田園個体はパプア人およびユーラシア東部人口集団と一まとまりを形成しますが、MA-1とヤナRHSの2個体(ヤナUP)はユーラシア西部人口集団と遺伝的に密接です。詳細な経路はまだ議論の余地がありますが、これら古代人のゲノムは、ユーラシア東部への2回の過去の移住を示唆しています。一方は南方経路で、ユーラシア大陸南岸地域に沿って拡散し、もう一方の北方経路は、おそらくシベリアも含めてユーラシア中緯度の草原地帯を通って拡散しました。南方の移住の波は、アジア東部(本論文では、現在の中国と日本と朝鮮とモンゴルと台湾を含む地域として定義されます)および南東部の局所的人口集団に分化していったようです。北方の移住の波は南方の移住の波とおそらくはシベリアで混合し、チュクチ・カムチャッカ(チュクチ半島とカムチャッカ半島、図1a)の人口集団とアメリカ大陸先住民の起源となりました(関連記事)。さらに、新石器時代と青銅器時代以降の古代人ゲノムを分析したその後のいくつかの研究では、半島アジア大陸における新石器時代後の人口動態が明らかにされてきました(関連記事1および関連記事2)。

 日本列島に関しては、完新世人口集団である「縄文人」のゲノムが報告されており(関連記事1および関連記事2)、南方移住の波系統からの深い分岐が示唆されています。しかし、新石器時代以後の日本列島の人口集団の遺伝的歴史は、この期間の古代ゲノムデータの不足ため、依然として不明です。いくつかの以前の研究では、現代日本列島の人口集団はアジア東部大陸部人口集団および/もしくはアジア北東部(本論文ではロシア極東に相当します)人口集団からの遺伝子流動の影響を受けたものの、その詳細な起源と移住の仮定は不明なままと示唆されています(関連記事)。したがって、そうした過去の移住の遺伝的特徴の解明も、日本列島周辺の人口史の理解の向上に重要です。考古学的証拠で示唆されているように、新石器時代後に日本列島に起きたように見える過去の主要な移住事象の一つは、先史時代オホーツク人による日本列島北部での定住です。

 高度な海洋漁業と狩猟技術を有する先史時代狩猟採集文化であるオホーツク文化は、紀元後5世紀〜13世紀まで、オホーツク海の南部沿岸地域に分布していました(図1a)。オホーツク文化の最も重要な特徴である海洋資源への依存は、以前の動物考古学および同位体研究により明らかになりました。じっさい、オホーツク文化の遺跡の分布は明らかに沿岸地域に限られています(図1a)。この特徴は、日本列島における先住の縄文文化(紀元前14000〜紀元前300年頃)やその後の続縄文時代(紀元前3世紀〜紀元後7世紀)や擦文時代(紀元後8〜14世紀)とは大きく異なります(図1a)。

 アジア北東部におけるオホーツク文化とその近隣古代文化との間の関係の観点では、オホーツク文化の遺跡から発掘された土器や鉄器や青銅器の一部が、ロシアのプリモルスキー(Primorski)地域で発展した、紀元後6〜9世紀となるモヘ(Mohe、靺鞨)文化(図1a)遺跡で発見されたものと類似しています。さらに、オホーツク文化の遺跡から発掘されたセイウチの牙製の彫像や釣針は、オホーツク文化と紀元後5〜17世紀となる古代コリャーク(Koryak)文化(図1a)との間の相互作用を示唆しており、それはセイウチが現在では北極海とベーリング海にしか分布していないからです。しかし、考古学的遺物のこれら文化間の共通性がヒトの移住と移住なしの交易のどちらに由来するのかは、不明なままです。

 オホーツク文化人の起源は、考古学者と人類学者により長く議論されてきました。オホーツク文化人の骨格遺骸の形態学的研究は、アムール川流域周辺およびサハリン北部の現代人集団との類似性を示唆してきました。さらに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果は、形態学的証拠を裏づけます。mtDNAハプログループ(mtHg)Y1とG1bとN9bはアムール川下流人口集団間において高頻度で共有されており、オホーツク文化の骨格遺骸でよく検出され、オホーツク文化人のアムール川下流地域起源を示唆します。しかし、オホーツク文化人の包括的なゲノム規模データが欠けているため、最終的な結論にはまだ達していません。したがって、この研究の主な動機は、ゲノム規模データ分析に基づいてオホーツク文化人の遺伝的起源を理解することです。

 考古学的証拠に基づくと、オホーツク文化は紀元後13世紀頃に消え、その原因は依然として不明です。これと関連して、オホーツク文化とその後のアイヌ文化との間の関係が調べられてきました。考古学者たちは、アイヌとフィン人とニブフ人とサーミ人などユーラシア北部の民族集団間で広く観察される宗教的慣行である熊崇拝もオホーツク文化人により共有されていた、と考えてきました。他方、そうした宗教的慣行の痕跡は、アイヌ文化期より前の縄文時代と続縄文時代の遺跡では発見されていません。アイヌ文化の熊崇拝はイオマンテで見られ、これは熊を犠牲にしてその精神をカムイ(アイヌ文化の神聖な存在)の世界に送る儀礼です。オホーツク文化では、ヒグマの安置された頭蓋骨がいくつかの住居遺跡で発見されており、熊崇拝と関連した宗教的慣行が示唆されます。

 これは、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に寄与したことを示唆します。いくつかの頭蓋学およびmtDNA研究は、アイヌとアジア北東部人口集団との間の遺伝的類似性を示唆してきました。頭蓋測定に基づく統計分析では、アジア北東部人がオホーツク海沿岸に居住するアイヌにわずかな遺伝的影響を残した、と示唆されました。アイヌ現代人のmtDNAとY染色体DNAの分析は、ニブフ人とアイヌとの間の母系および父系遺伝子プールの類似性を示唆します。これらの知見は、アジア北東部から(北海道を中心とする)日本列島北部への遺伝子流動の可能性として解釈されてきました。さらに、古代のmtDNAと頭蓋非計測的変異の研究は、オホーツク文化人とアムール川下流人口集団との間の密接な関係と、アムール川下流人口集団からアイヌへのオホーツク文化人経由の遺伝子流動を示唆しており、これはオホーツク文化人がアイヌ文化の確立に寄与した、との考古学的仮説を裏づけます。

 しかし、これらの研究の形態学的もしくは遺伝学的指標は少なく、オホーツク文化人のアイヌへの遺伝的寄与について最終的な結論を提供できません。それは、こうした研究が統計的に人口集団の混合を評価できないからです。対照的に、統計的に人口集団の混合を評価できる現代人の最近のゲノム規模一塩基多型分析は、アムール川下流人口集団からアイヌへの遺伝子流動を検出していませんが、これはオホーツク文化人がアイヌに遺伝的に寄与したならば、予測されることです。したがって、さまざまな手法を用いた多くの研究がアイヌ集団の形成過程を解明する目的で行なわれてきましたが、オホーツク文化人がこの過程に遺伝的に寄与したのかどうかは不明なままです。

 オホーツク文化人の形成過程と、アイヌへの遺伝的および文化的寄与を調べるため、国際的な学際的調査団が、北海道の礼文島の浜中2遺跡の発掘に着手しました(図1a)。2013年に、重度の骨肥厚症の成人女性のよく保存された骨格遺骸(NAT002)が、オホーツク文化期の最終段階となる貝塚の上部表面で回収されました(図1b・c)。NAT002の較正放射性炭素年代は紀元後1060〜1155年(68.2%)と推定され、骨肥厚症は皮膚科学的観察なしの滑膜炎と痤瘡と膿疱症と骨肥厚症と骨炎(SAPHO)症候群と診断されました。

 本論文は、NAT002の全ゲノム配列結果を報告し、オホーツク文化人の起源に関する問題と、アイヌ集団への遺伝的寄与に関する問題を解決します。本論文はNAT002のゲノムをアジア東部および北東部の現代の人口集団および最近報告されたアジア北東部古代人と比較します。この古代人には、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の悪魔の門遺跡の7700年前頃の個体群(関連記事)や、プリモルスキー地域の新石器時代後個体群(関連記事)や、礼文島の浜中2遺跡に近い(図1a)船泊遺跡(関連記事)の縄文時代の女性個体(F23)が含まれます。また本論文は、NAT002の一部の骨で観察されたSAPHO症候群的骨肥厚症の遺伝的背景の特定も試みます。

 NAT002のDNA保存状態は良好で、平均深度35.03倍のゲノム配列が得られました。これは埋葬と寒冷な環境と比較的新しい年代(紀元後11〜12世紀)に起因すると考えられますNAT002はX染色体とY染色体にマップしたリード数の比から女性と推定され、これは形態学的およびアメロゲニン遺伝子に基づく以前の性別判定と一致します。以下は本論文の図1です。
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●NAT002と隣接集団との間の遺伝的関係

 アジア北東部人口集団に対するNAT002の遺伝的類似性を評価するため、49079ヶ所の一塩基多型で外群f3統計が計算されました。f3(ムブティ人;NAT002、X)では、NAT002は近隣地域のニブフ人とアイヌとウリチ人とF23に密接に関連しており、それに続いて密接なのが、イテリメン人(Itelmen)やコリャーク人(Koryak)を含むカムチャッカ半島人口集団、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」人、オロチョン人(Oroqen)やダウール人(Daur)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)を含むアムール川上流人口集団です(図2)。以下は本論文の図2です。
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 49079ヶ所の一塩基多型に基づく主成分分析(図3)も、NAT002が遺伝的にニブフ人およびウリチ人と密接であることを示唆し、以前の形態学的およびmtDNA研究を裏づけます。以下は本論文の図3です。
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 ADMIXTURE が2〜10の系統構成要素(K=2〜10)で実行されました(図4)。最小交差検証(CV)誤差はK=5の時に観察されました。NAT002は4つの遺伝的構成要素で混合された個体として表されました(図4)。緑色の構成要素(24.6%)は、広くアジア北東部人口集団で共有されています。青色の構成要素(15.8%)は、アジア東部人で広く共有されています。濃紺色の構成要素(33.2%)はF23とアイヌにおいてほぼ100%で観察されます。黄色の構成要素(26.4%)はイテリメン人およびコリャーク人に高い割合で共有されています。NAT002の構成要素の割合は、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団と似ています。以下は本論文の図4です。
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 次に、NAT002とアジア北東部人との間の系統発生関係を推測するため、NAT002とF23とSGDP(サイモンズゲノム多様性計画)標本で観察される2556493ヶ所の多様体に基づくTreeMixが実行されました。NAT002とニブフ人とウリチ人は単系統性の一まとまりを形成し(図5a)、主成分分析およびADMIXTUREの結果と対応しています。2回の移住事象を想定した場合、遺伝子流動はF23からNAT002とニブフ人との間の共通祖先で観察されました(図5a)。

 F23とウリチ人との間、およびNAT002とイテリメン人との間でも大規模な残余が観察され、それらの間の遺伝子流動が示唆されます(図5b)。ウリチ人と「縄文人」/アイヌとの間の遺伝的類似性は以前に報告されていました(関連記事)。さらに、NAT002とアジア北東部の前期新石器時代人の悪魔の門個体群との間の遺伝的類似性が、外群f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、X)の計算により調べられました。検証人口集団間で、NAT002はニブフ人に次いで2番目位に高いf3値を示しました。この結果は古代人のゲノム間で共有された偏りの影響を受けた可能性がありますが、古代人のゲノム間の遺伝的類似性のそうした過大評価は、おもに配列の短さや死後の損傷の高頻度や比較された古代人2個体の不充分な深度に起因する可能性が高そうです。

 悪魔の門個体群のゲノムにおける参照の偏りの程度は、低い網羅率のため比較的強くなるでしょう。しかし、NAT002ゲノムにおける参照の偏りは、本論文の遺伝子型コール閾値として用いられた、選別の水準0および1の現代日本人のゲノムの30倍の網羅率よりもさほど強くありませんでした。したがって、悪魔の門個体群とNAT002との間の観察された類似性は、大幅に過大評価される可能性は低そうです。f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、NAT002)の高い値は、オホーツク文化人の起源がアムール川流域周辺にある、との仮説を裏づけます。他方、F23は低いf3値を示しており、日本列島北部からアムール川流域への「縄文人」系統の移住はおもに新石器時代後に起きた、と示唆され、ウリチ人における以前の混合年代を裏づけます。以下は本論文の図5です。
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 系統樹の接続形態を考慮すると(図5a)、f3(ムブティ人;NAT002、X)により示されるアムール川流域人口集団とNAT002との間の類似性は、密接な系統発生関係として解釈できます。これらの示唆された混合事象を確認するため、49079ヶ所の一塩基多型に基づくD(ムブティ人、X;ニブフ人、NAT002)検定が実行され、F23とアイヌとイテリメン人は有意な正の値を示しました(図6a)。古代人のゲノム間の共有された偏りのため、D(ムブティ人、F23;ニブフ人、NAT002)で観察された兆候の過大評価の可能性も考慮されねばなりませんが、F23とNAT002の参照の偏りは現代日本人の網羅率30倍のゲノムと比較してさほど強くないので、過大評価の程度はそれほど深刻ではないでしょう。混合兆候はD(ムブティ人、F23;アムール川流域集団、NAT002)とD(ムブティ人、イテリメン人;アムール川流域集団、NAT002)でも観察されました。この場合のアムール川流域人口集団とは、ウリチ人とオロチョン人とホジェン人とダウール人とシボ人(Xibo)です(図2)。これらの知見から、NAT002は3祖先的系統(アムール川流域集団、チュクチ・カムチャッカ集団、「縄文人」)間の混合個体だった、と示唆されます。

 次にqpAdmモデルを用いて、NAT002と関連する過去の混合事象についてのこの仮説が検証されました。オロチョン人とイテリメン人とF23が、それぞれアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の供給源人口集団の代表として用いられました。完全ランク付けモデルに対する提案された混合の尤度比検定(LRT)のP値は有意ではなく(P=0.14)、NAT002のゲノムはアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の混合として説明できます。アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の推定された祖先系統は、それぞれ64.9±8.0%、21. 9±6.4%、13.2±4.3%です(図6c)。

 アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団からの推定される祖先系統の割合の比較的大きな標準誤差は、これら供給源人口集団間の密接な関係に起因するかもしれません。じっさい、ADMIXTURE分析(図4)で観察された黄色と赤色の構成要素は、チュクチ・カムチャッカ人口集団(イテリメン人とコリャーク人とエスキモーとチュクチ人)間で支配的ですが、ニブフ人やウリチ人やオロチョン人やホジェン人やダウール人やシボ人などアムール川流域人口集団でも広く観察されます。構成要素のこの共有は、アムール川流域人口集団とチュクチ・カムチャッカ人口集団との間の混合か、両者の間で部分的に共有される遺伝的浮動の結果のようです。さらに、入れ子モデルへのLRTでは、あらゆる2方向混合モデルがNAT002ゲノムを適切に説明できない、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
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●在来祖先系統と混合年代の推定

 アムール川流域集団と「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の系統間の混合事象の順番を決定するため、NAT002ゲノムの在来祖先系統が推測されました。本論文の在来祖先系統推定は大陸内規模(つまり、アジア東部と北東部全参照人口集団)で行なわれましたが、NAT002ゲノムの大半は0.9以上の事後確率を有する3つの祖先的ハプロタイプの一つに分類できました。在来祖先系統の割合から計算された世界規模の祖先系統の割合は、アムール川流域集団が83.6%、チュクチ・カムチャッカ集団が10.0%、「縄文人」が6.4%です。

 ADMIXTURE(図4)とqpAdm(図6c)の結果を考慮すると、「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の祖先系統の堀合は過小評価されているようで、おそらくは参照人口集団における「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ個体の標本規模の小ささに起因します。「縄文人」は1個体(F23)のみで、チュクチ人やエスキモーなどチュクチ人口集団の5個体とともに、チュクチ・カムチャッカ参照人口集団におけるカムチャッカ人口集団の代表としてイテリメン人1個体のみが含まれています。

 本論文は、3系統間の混合年代を推測するため、単純な波動移住モデルを想定しました。アムール川流域系統の移住年代はNAT002の22世代前と推定されました(図7)。1世代30年と仮定し、NAT002の放射性炭素年代(900年前頃)を考慮すると、アムール川流域関連祖先系統の移住は1600年前頃に起きました。これは、以前の考古学的証拠により示唆されるように、オホーツク文化の始まりと正確に対応していますが、本論文の混合年代は1個体のみの祖先系統の領域の長さに基づいています。

 チュクチ・カムチャッカ系統と「縄文人」系統間の混合はNAT002の35世代前(1950年前頃)と推定され、縄文時代の後の続縄文時代(紀元前3〜紀元後7世紀)と対応します。本論文が把握している限りでは、その期間のカムチャッカ半島から日本列島北部へのヒトの移住を示す考古学的証拠は提示されていませんが、以前の古代DNA研究は縄文時代標本と続縄文時代標本との間のmtHg特性の変化を報告しています。カムチャッカ半島人口集団においてひじょうに高頻度で観察されるmtHg-G1bは、続縄文時代の標本の15.0%で検出されますが、縄文時代標本では検出されません。さらに最近の研究では、千島列島南西部に位置する択捉島のタンコウォイェ1(Tankovoye 1)遺跡(図1a)の続縄文時代標本と、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島現代人集団との間の遺伝的類似性が報告されました。これらの知見は、続縄文時代における千島列島を経由してのカムチャッカ半島から日本列島北部への移住の波を裏づけます。

 本論文は、混合していないアイヌの10個体を参照「縄文人」に追加することにより、類似の混合年代測定を実行しました。この場合、NAT002における「縄文人」祖先系統の割合は増加し、アムール川流域祖先系統が64.4%、チュクチ・カムチャッカ祖先系統が9.8%、縄文人祖先系統が25.8%と推定されました。しかし、推定された混合年代は、アムール川流域関連祖先系統の移住についてはNAT002の17世代前(1410年前頃)、「縄文人」系統とカムチャッカ系統との間の混合についてはNAT002の37世代前(2010年前頃)と大きくは変わらず、本論文の混合年代は中程度の堅牢性を有する、と示唆されました。以下は本論文の図7です。
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●アイヌ集団に対するオホーツク文化人の遺伝的寄与

 アイヌ集団の形成過程は長く議論されてきました。しかし、アイヌと縄文時代個体群との間の遺伝的類似性は以前の研究で確認されてきましたが(関連記事)、新石器時代後の人口動態に関する決定的な結論には至っていません。F23と比較して主成分分析では、アイヌ個体群はわずかにアジア北東部人に影響を受けていると示唆されますが(図3)、ADMIXTURE分析の結果では、アイヌ個体群はほぼ単一の祖先系統で表される、と示唆されます。
 したがって、縄文時代後のアジア北部人口集団からの遺伝的影響を確かめるため、D(ムブティ人、X;F23、アイヌ)検定が実行されました。その結果、アジア北部人口集団は有意に正の値を示しました。とくに、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島人口集団と、ホジェン人やオロチョン人やシボ人やダウール人などアムール川流域人口集団は強い兆候を示しました。以前の研究では、アイヌとカムチャッカ半島人口集団との間の遺伝的類似性が報告されました。

 アイヌ集団の形成過程をモデル化するため、qpGraphを用いて混合図が作成されました。まず、NAT002やF23やSGDP標本群を含む混合図が作成されました。アムール川流域系統と「縄文人」系統とカムチャッカ半島系統の間の混合事象の順序は、混合年代の結果にしたがって決定されました。図における最低のf4統計のZ得点は-2.1でした。次に、足場図(scaffold graph)にアイヌを追加することにより、アイヌ集団の形成過程が検証されました。アイヌは「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の間の混合人口集団と仮定したモデルが、検証されたモデルの中で最適でした(図8a)。

 しかし、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定しない別のモデルも許容されました(図8b)。最低のf4統計を考慮すると、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定する最初のモデル(図8a)が最も可能性の高いシナリオですが、混合図の枠組みでは2番目のモデル(図8b)を明示的に却下できませんでした。この二つのモデル間の顕著な違いの一つは、「本土」日本人からアイヌへの混合割合で、最初のモデルでは29%、二番目のモデルでは44%でした。以前の研究はmtHg頻度に基づいて、近世アイヌ集団における「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の混合割合が推定されました(関連記事)。その研究では、アイヌへの「本土」日本人の遺伝的寄与は28.1%と推定され、本論文の最初のモデルと近くなっているので、最終的な結論には至りませんが、本論文の最初のモデルが最も可能性の高そうなシナリオとして支持されるようです。以下は本論文の図8です。
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●HLA型とNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性

以前の研究では、HLA(ヒト白血球型抗原)B遺伝子、とくにHLA-B*27アレル(対立遺伝子)が、SAPHO症候群と強く関連している、と報告されました。したがって、以前の研究によりSAPHO症候群として推測されたNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性を調べるため、HLA-VBSeqとHLA EXPLORE を用いてNAT002のHLA型が決定されました。HLA-VBSeqでの型別における上位2つの平均深度はHLA-B*40:02:01(平均深度22.93倍)とHLA-B*40:06:01:01(平均深度12.57倍)で、NAT00がB*40:02:01とB*40:06:01:01の異型接合体だったことを示唆します。しかし、B*40:06:01アレル特有の配列はTARGTとHLA EXPLOREでは検出されませんでした。おそらく、HLA-VBSeqで識別されたB*40:06:01:01はHLA-C遺伝子座に由来するリードのミスマッピングで、それは、HLA-Bエクソン3におけるB*40:06:01特有の置換部位を含む100塩基対配列が、IMGT/HLAデータベースのリリース3.43.0におけるHLA-C配列とひじょうに高い同一性を示すからです。

他の古典的なHLA遺伝子も、HLA-VBSeqとTARGTとHLA EXPLOREで分類されました。HLA-VBSeqの結果から、NAT002はA*02:01:01(平均深度30.74倍)とC*15:02:01(平均深度33.33倍)とDQB1*05:03:01(平均深度35.07倍)の同型接合体で、DRB1*14:05:01(平均深度7.36倍)とDRB1*14:54:01(平均深度12.93倍)の異型接合体と示唆されました。しかしHLA-DRB1については、DRB1*14:05:01アレルはTARGTとHLA EXPLORE分析では検出されませんでした。これも、HLA-VBSeqのミスマッピングの結果と推測されます。

HLA 領域でNAT002の同型接合体と異型接合体を確認するため、NAT002配列データの別のアレル頻度が調べられました。HLA領域を含む約1000万塩基対におよぶ領域で、中間的な別のアレル頻度の明らかな欠如が観察され、ROH(runs of homozygosity)が示唆されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています。

6番染色体上でROHが観察される領域と他の領域との間の類似した配列深度を考えると、アレルの脱落である可能性は低そうです。HLA-DRA・DRB1・DRB5・DRB6を含むHLA-DR領域(参照ゲノムhs37d5では、HLA-DRB3・DRB4が含まれません)における比較的多い部位は、HLA-VBSeq分析でも示唆されているように、この領域におけるNAT002の異型接合体を示唆している可能性が高そうです。しかし、これらの部位の配列深度は他の部位よりも顕著に高く、この領域への配列のミスマッピングを示唆します。したがって最終的に、NAT002はA*02:01:01とB*40:02:01とC*15:02:01とDQB1*05:03:01の同型接合体と結論づけられますが、HLA遺伝子座で1個体が同型接合体であることは一般的に稀です。

本論文が把握している限りでは、SAPHO症候群とHLA-B*40アレルとの間の関連は充分には解明されていませんが、以前の研究では、SAPHO症候群の日本人患者6人のうち3人でHLA-B61(B*40:02やB*40:03やB*40:06などいくつかのHLA-B*40アレルを含む血清型)が検出されました。さらに、HLA-B*40アレルは、強直性脊椎炎や反応性関節炎や未分化脊椎関節症の危険性アレルの一つと報告されてきました。これらの疾患はSAPHO症候群と類似しており、骨肥厚症を伴う疾患でもあります。したがって、HLA型はNAT002における骨肥厚症への遺伝的感受性を部分的に説明できるかもしれません。ニブフ人ではHLA-B*40アレルが高頻度(1998年の研究では25.5%、現在のアレル頻度データベースでは31.2%)です。

NAT002とF23との間では、共有されるHLAアレルは観察されませんでした。F23では、A*24:02:01とB*15:01:01とC*03:03:01が同型接合体です。したがって、HLA遺伝子の観点では、同じ礼文島で発掘されたNAT002とF23との間の遺伝的関係を議論できません。しかし、NAT002とF23は両方、HLA 領域では同型接合体とみなされました。これは、おそらくNAT002とF23が小さな人口規模しか維持できなかったひじょうに小さな島で暮らしていた、という事実に起因するかもしれません。


●アジア東部/北東部人において高頻度で観察される形質の推定表現型

アジア東部/北東部人口集団と他の人口集団との間で顕著に異なる頻度を示す形質と関連するいくつかの一塩基多型について、NAT002の遺伝子型に基づいてNAT002の表現型が推測されました。NAT002は、耳垢の表現型を決定するABCC11遺伝子の一塩基多型(rs17822931)でAアレルの同型接合体を有しており、乾燥した耳垢だったと示唆されます。以前の研究では、オホーツク文化標本では乾燥した耳垢が高頻度(83.9%)と報告されました。

NAT002はADH1B遺伝子の一塩基多型(rs1229984)とALDH2遺伝子の一塩基多型(rs671)でGアレルの同型接合体を有しており、それぞれアルコールとアセトアルデヒドの代謝率と関連していて、アルコール耐性が示唆されます。アルコール不耐性のアレルは、アジア東部新石器時代農耕民に遺伝的影響を受けた人口集団において、シベリア人を含む他の人口集団よりも高頻度を示します。NAT002の推定されるアルコール耐性は、アジア東部農耕民よりもシベリアの狩猟採集民において高頻度で観察される表現型と関連しているようで、アジア北部人口集団とのNAT002の遺伝的類似性に対応しています。


●まとめ

 北海道の礼文島の浜中2遺跡の先史時代オホーツク文化個体である、NAT002の高網羅率ゲノムが得られました。本論文の集団遺伝学的分析の結果から、NAT002と、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団との間の密接な関係が示唆され、以前の形態学的およびmtDNA研究の結果を裏づけます。系統樹におけるNAT002への外部分枝の長さ(図5)は、現代のニブフ人およびウリチ人と同等で、死後損傷もしくは不充分な深度に起因する本論文の配列データの間違った遺伝子型呼び出しの小さな影響を示唆します。

 NAT002のゲノムは、日本列島北部周辺の3系統(アムール川集団、「縄文人」、カムチャッカ半島集団)間の過去の混合事象を裏づけます。これらの混合事象で最古となるのは、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間だったようです。混合年代測定に基づくと、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間の混合は続縄文時代となる2000年前頃に起きた、と仮定されます。本論文が把握している限りでは、続縄文時代におけるカムチャッカ半島から日本列島北部への移住を示唆する考古学的証拠は報告されていませんが、本論文の結果は以前の遺伝学的研究と一致します。さらに、歯冠測定に基づく以前の形態学的研究も、続縄文時代におけるアジア大陸部から日本列島北部への移住を示唆していますが、移住の起源はカムチャッカ半島ではなくアムール川流域と推定されました。この混合事象を明らかにするには、続縄文時代標本のさらなるゲノム研究が必要です。

 アムール川関連祖先系統の移動は、以前の考古学的証拠により示唆されたように、オホーツク文化の始まりに相当する1600年前頃に起きた可能性があります。本論文のゲノム研究は、アムール川流域からの移住の波が北海道におけるオホーツク文化開始の契機だった、との仮説を裏づけます。他方、アイヌ集団の形成過程へのオホーツク文化人の遺伝的寄与に関しては、最終的な結論には達しませんでした。

 本論文の限界の一つは、オホーツク文化期の1個体(NAT002)のみに由来するゲノムデータに依存し、NAT002が先史時代のオホーツク文化人を代表できると仮定していることで、NAT002が他地域からの移住個体である可能性を完全には排除できません。炭素と窒素の同位体比からは、NAT002が同じ遺跡で発掘された先史時代オホーツク文化個体群の変異内に収まり、NAT002が礼文島のオホーツク文化の一般的な食習慣だった、と示唆されます。しかし、この事実はNAT002がこの地域で生まれたことを証明できません。以前の研究では、女性のコラーゲン代謝回転率が、思春期には0.060±0.040で、成長停止後は0.041±0.010だった、と報告されています。したがって、NAT002が移民だとしとても、移住後に充分な時間が経過した場合には、炭素と窒素の同位体比で移住前の食習慣が反映されないでしょう。

 ストロンチウム同位体分析はNAT002の出生地を明らかにできるかもしれませんが、日本列島北部周辺のストロンチウム同位体の地理的分布図は利用できません。NAT002が先史時代オホーツク文化人を代表できるのかどうか調べる別の方法は、オホーツク文化個体の多くの標本を分析することです。したがって、複数のオホーツク文化標本を用いてのさらなるゲノム研究が、環オホーツク海地域周辺の人口史を明らかにするには必要です。さらに、本論文は特定の偏りのない混合年代測定において単一波動の移住モデルを想定しました。将来、オホーツク文化期のさまざまな時間区分の時点の複数個体のゲノムが、その詳細な移住様式(たとえば、単一、複数、継続)を明らかにできるかもしれません。環オホーツク海地域周辺の人口史についての提案に加えて、本論文は1000塩基対より長いDNA分子が特定の理想的な条件下でほぼ千年残存することも示唆しており、古代DNA研究への追加の洞察を提供できるかもしれません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、オホーツク文化遺跡の1個体(NAT002)の高品質なゲノムデータを報告しており、たいへん意義深いと思います。本論文が指摘するように、NAT002がオホーツク文化集団を表しているとは断定できないものの、その可能性は高そうです。オホーツク文化集団は、続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合により形成された、と推測されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合は、考古学的裏づけはまだないようですが、mtDNA研究ではその可能性が示唆され、今後の古代ゲノム研究の進展が期待されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合は、オホーツク文化が始まった1600年前頃に起きたと推定されており、オホーツク文化が遺伝的に異なる集団間の混合により形成されたことを示唆します。もちろん本論文が指摘するように、こうした混合事象が1回だけではなく、複数回起きたり継続的だったりする可能性も考えられます。

 オホーツク文化集団とアイヌ集団との遺伝的関係については、本論文では決定的な結論には至りませんでしたが、アイヌ集団の形成において、オホーツク文化集団が一定以上の遺伝的影響を残した可能性は高そうです。本論文で提示された最も可能性が高い混合モデルに従うと、遺伝的にほぼ「縄文人」の構成の擦文文化集団(69%)とオホーツク文化集団(31%)が混合し、この混合集団(71%)と「本土」日本人集団(29%)が混合したことにより、現代アイヌ集団が形成されました。江戸時代のアイヌ集団94標本のmtDNA分析によると、「本土」日本人型は28.1%を占めます(関連記事)。これは、江戸時代においてアイヌ集団と「本土」日本人集団との混合がすでにかなり進んでいたことを示唆します。

 擦文文化集団が遺伝的にほぼ「縄文人」で、本論文のモデルが妥当だとすると、江戸時代アイヌ集団のゲノム構成は、単純計算で50%弱が擦文文化集団に由来することになります。以前の研究では、現代アイヌ集団のゲノムにおける「縄文人」構成要素の割合は66%と推定されていますが(関連記事)、その10〜15%はオホーツク文化集団と「本土」日本人集団に由来するかもしれません。その意味でも、遺伝的にアイヌ集団を「縄文人」の単純な子孫と考えることはできず、「縄文人」以外の遺伝的影響はかなり大きかった、と考えるべきでしょう。

 また、本論文でも改めて指摘されているように、アイヌ集団の重要な文化要素と考えられる熊崇拝の痕跡が、縄文時代と続縄文時代で見られないことも、オホーツク文化がアイヌ集団の形成に及ぼした重要な影響を示唆します。アジア北東部集団間の遺伝と文化の相関関係を検証した最近の研究でも、音楽でアイヌとコリャーク人とが比較的近いと示されており、アイヌ集団にアジア北東部集団が文化的影響を与えてきた、と示唆されます(関連記事)。アイヌは非縄文文化から多くの影響を受けて成立したのでしょう。

 しかし、まだ擦文文化集団の古代ゲノム研究が進んでいないとはいえ、本論文の結果からは、擦文文化集団がアイヌ集団の最も重要な祖先となった可能性が高いと考えられ、文化的にも、オホーツク文化およびその後継のトビニタイ文化の消長からも、オホーツク文化集団に対する擦文文化集団の優位が示唆されます(関連記事)。その意味で、アイヌを遺伝的にも文化的にも単純に「縄文人」の子孫とは言えないとしても、アイヌは鎌倉時代に北海道に侵略してきた外来集団といった、現代日本社会の一部?で根強く支持されているかもしれない言説(関連記事)は的外れだと思います。

 「縄文人」は、今ではアイヌなど一部の集団にしか遺伝的影響を残していないため、本論文の系統樹(図5a)で示されているように、アジア東部現代人集団との比較では特異な集団に位置づけられます。しかし、「縄文人」はユーラシア東部の人類集団間の複雑な相互作用により形成されたと考えられ、当時は「縄文人」のようにアジア東部現代人集団とは遺伝的に大きく異なる複数の集団が存在した、と考えられます(関連記事)。最近、「縄文人」に関する研究が大きく進展しており(関連記事)、今後は「縄文人」の時空間的にさらに広範囲の古代ゲノムデータが蓄積されていき、アイヌ集団との関係など日本列島も含めてユーラシア東部の人口史の解明が進むことを期待しています。


参考文献:
Sato T. et al.(2021): Whole-Genome Sequencing of a 900-Year-Old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan. Genome Biology and Evolution, 13, 9, evab192.
https://doi.org/10.1093/gbe/evab192

https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c38

[近代史3] アイヌ民族は12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した? 中川隆
6. 中川隆[-15918] koaQ7Jey 2021年10月21日 10:00:49 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[3]
雑記帳
2021年09月26日
オホーツク文化人のゲノム解析とアイヌ集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html

 オホーツク文化人のゲノム解析結果を報告した研究(Sato et al., 2021)が公表されました。古代ゲノム学は、過去の人口史の遺伝的特徴の片鱗を捉えることのできる強力な手法です。最近の古代ゲノム研究は多くのアジアの旧石器時代人と新石器時代人のゲノムを報告しており、ユーラシア東部におけるヒトの移住過程への新たな洞察を提供してきました(関連記事)。とくに、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)と、シベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡(関連記事)の少年個体(MA-1)と、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体(関連記事)の古代ゲノム研究は、ユーラシア東部の初期人口史を理解するうえで重要です。

 系統樹では、田園個体はパプア人およびユーラシア東部人口集団と一まとまりを形成しますが、MA-1とヤナRHSの2個体(ヤナUP)はユーラシア西部人口集団と遺伝的に密接です。詳細な経路はまだ議論の余地がありますが、これら古代人のゲノムは、ユーラシア東部への2回の過去の移住を示唆しています。一方は南方経路で、ユーラシア大陸南岸地域に沿って拡散し、もう一方の北方経路は、おそらくシベリアも含めてユーラシア中緯度の草原地帯を通って拡散しました。南方の移住の波は、アジア東部(本論文では、現在の中国と日本と朝鮮とモンゴルと台湾を含む地域として定義されます)および南東部の局所的人口集団に分化していったようです。北方の移住の波は南方の移住の波とおそらくはシベリアで混合し、チュクチ・カムチャッカ(チュクチ半島とカムチャッカ半島、図1a)の人口集団とアメリカ大陸先住民の起源となりました(関連記事)。さらに、新石器時代と青銅器時代以降の古代人ゲノムを分析したその後のいくつかの研究では、半島アジア大陸における新石器時代後の人口動態が明らかにされてきました(関連記事1および関連記事2)。

 日本列島に関しては、完新世人口集団である「縄文人」のゲノムが報告されており(関連記事1および関連記事2)、南方移住の波系統からの深い分岐が示唆されています。しかし、新石器時代以後の日本列島の人口集団の遺伝的歴史は、この期間の古代ゲノムデータの不足ため、依然として不明です。いくつかの以前の研究では、現代日本列島の人口集団はアジア東部大陸部人口集団および/もしくはアジア北東部(本論文ではロシア極東に相当します)人口集団からの遺伝子流動の影響を受けたものの、その詳細な起源と移住の仮定は不明なままと示唆されています(関連記事)。したがって、そうした過去の移住の遺伝的特徴の解明も、日本列島周辺の人口史の理解の向上に重要です。考古学的証拠で示唆されているように、新石器時代後に日本列島に起きたように見える過去の主要な移住事象の一つは、先史時代オホーツク人による日本列島北部での定住です。

 高度な海洋漁業と狩猟技術を有する先史時代狩猟採集文化であるオホーツク文化は、紀元後5世紀〜13世紀まで、オホーツク海の南部沿岸地域に分布していました(図1a)。オホーツク文化の最も重要な特徴である海洋資源への依存は、以前の動物考古学および同位体研究により明らかになりました。じっさい、オホーツク文化の遺跡の分布は明らかに沿岸地域に限られています(図1a)。この特徴は、日本列島における先住の縄文文化(紀元前14000〜紀元前300年頃)やその後の続縄文時代(紀元前3世紀〜紀元後7世紀)や擦文時代(紀元後8〜14世紀)とは大きく異なります(図1a)。

 アジア北東部におけるオホーツク文化とその近隣古代文化との間の関係の観点では、オホーツク文化の遺跡から発掘された土器や鉄器や青銅器の一部が、ロシアのプリモルスキー(Primorski)地域で発展した、紀元後6〜9世紀となるモヘ(Mohe、靺鞨)文化(図1a)遺跡で発見されたものと類似しています。さらに、オホーツク文化の遺跡から発掘されたセイウチの牙製の彫像や釣針は、オホーツク文化と紀元後5〜17世紀となる古代コリャーク(Koryak)文化(図1a)との間の相互作用を示唆しており、それはセイウチが現在では北極海とベーリング海にしか分布していないからです。しかし、考古学的遺物のこれら文化間の共通性がヒトの移住と移住なしの交易のどちらに由来するのかは、不明なままです。

 オホーツク文化人の起源は、考古学者と人類学者により長く議論されてきました。オホーツク文化人の骨格遺骸の形態学的研究は、アムール川流域周辺およびサハリン北部の現代人集団との類似性を示唆してきました。さらに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果は、形態学的証拠を裏づけます。mtDNAハプログループ(mtHg)Y1とG1bとN9bはアムール川下流人口集団間において高頻度で共有されており、オホーツク文化の骨格遺骸でよく検出され、オホーツク文化人のアムール川下流地域起源を示唆します。しかし、オホーツク文化人の包括的なゲノム規模データが欠けているため、最終的な結論にはまだ達していません。したがって、この研究の主な動機は、ゲノム規模データ分析に基づいてオホーツク文化人の遺伝的起源を理解することです。

 考古学的証拠に基づくと、オホーツク文化は紀元後13世紀頃に消え、その原因は依然として不明です。これと関連して、オホーツク文化とその後のアイヌ文化との間の関係が調べられてきました。考古学者たちは、アイヌとフィン人とニブフ人とサーミ人などユーラシア北部の民族集団間で広く観察される宗教的慣行である熊崇拝もオホーツク文化人により共有されていた、と考えてきました。他方、そうした宗教的慣行の痕跡は、アイヌ文化期より前の縄文時代と続縄文時代の遺跡では発見されていません。アイヌ文化の熊崇拝はイオマンテで見られ、これは熊を犠牲にしてその精神をカムイ(アイヌ文化の神聖な存在)の世界に送る儀礼です。オホーツク文化では、ヒグマの安置された頭蓋骨がいくつかの住居遺跡で発見されており、熊崇拝と関連した宗教的慣行が示唆されます。

 これは、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に寄与したことを示唆します。いくつかの頭蓋学およびmtDNA研究は、アイヌとアジア北東部人口集団との間の遺伝的類似性を示唆してきました。頭蓋測定に基づく統計分析では、アジア北東部人がオホーツク海沿岸に居住するアイヌにわずかな遺伝的影響を残した、と示唆されました。アイヌ現代人のmtDNAとY染色体DNAの分析は、ニブフ人とアイヌとの間の母系および父系遺伝子プールの類似性を示唆します。これらの知見は、アジア北東部から(北海道を中心とする)日本列島北部への遺伝子流動の可能性として解釈されてきました。さらに、古代のmtDNAと頭蓋非計測的変異の研究は、オホーツク文化人とアムール川下流人口集団との間の密接な関係と、アムール川下流人口集団からアイヌへのオホーツク文化人経由の遺伝子流動を示唆しており、これはオホーツク文化人がアイヌ文化の確立に寄与した、との考古学的仮説を裏づけます。

 しかし、これらの研究の形態学的もしくは遺伝学的指標は少なく、オホーツク文化人のアイヌへの遺伝的寄与について最終的な結論を提供できません。それは、こうした研究が統計的に人口集団の混合を評価できないからです。対照的に、統計的に人口集団の混合を評価できる現代人の最近のゲノム規模一塩基多型分析は、アムール川下流人口集団からアイヌへの遺伝子流動を検出していませんが、これはオホーツク文化人がアイヌに遺伝的に寄与したならば、予測されることです。したがって、さまざまな手法を用いた多くの研究がアイヌ集団の形成過程を解明する目的で行なわれてきましたが、オホーツク文化人がこの過程に遺伝的に寄与したのかどうかは不明なままです。

 オホーツク文化人の形成過程と、アイヌへの遺伝的および文化的寄与を調べるため、国際的な学際的調査団が、北海道の礼文島の浜中2遺跡の発掘に着手しました(図1a)。2013年に、重度の骨肥厚症の成人女性のよく保存された骨格遺骸(NAT002)が、オホーツク文化期の最終段階となる貝塚の上部表面で回収されました(図1b・c)。NAT002の較正放射性炭素年代は紀元後1060〜1155年(68.2%)と推定され、骨肥厚症は皮膚科学的観察なしの滑膜炎と痤瘡と膿疱症と骨肥厚症と骨炎(SAPHO)症候群と診断されました。

 本論文は、NAT002の全ゲノム配列結果を報告し、オホーツク文化人の起源に関する問題と、アイヌ集団への遺伝的寄与に関する問題を解決します。本論文はNAT002のゲノムをアジア東部および北東部の現代の人口集団および最近報告されたアジア北東部古代人と比較します。この古代人には、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の悪魔の門遺跡の7700年前頃の個体群(関連記事)や、プリモルスキー地域の新石器時代後個体群(関連記事)や、礼文島の浜中2遺跡に近い(図1a)船泊遺跡(関連記事)の縄文時代の女性個体(F23)が含まれます。また本論文は、NAT002の一部の骨で観察されたSAPHO症候群的骨肥厚症の遺伝的背景の特定も試みます。

 NAT002のDNA保存状態は良好で、平均深度35.03倍のゲノム配列が得られました。これは埋葬と寒冷な環境と比較的新しい年代(紀元後11〜12世紀)に起因すると考えられますNAT002はX染色体とY染色体にマップしたリード数の比から女性と推定され、これは形態学的およびアメロゲニン遺伝子に基づく以前の性別判定と一致します。以下は本論文の図1です。
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●NAT002と隣接集団との間の遺伝的関係

 アジア北東部人口集団に対するNAT002の遺伝的類似性を評価するため、49079ヶ所の一塩基多型で外群f3統計が計算されました。f3(ムブティ人;NAT002、X)では、NAT002は近隣地域のニブフ人とアイヌとウリチ人とF23に密接に関連しており、それに続いて密接なのが、イテリメン人(Itelmen)やコリャーク人(Koryak)を含むカムチャッカ半島人口集団、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」人、オロチョン人(Oroqen)やダウール人(Daur)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)を含むアムール川上流人口集団です(図2)。以下は本論文の図2です。
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 49079ヶ所の一塩基多型に基づく主成分分析(図3)も、NAT002が遺伝的にニブフ人およびウリチ人と密接であることを示唆し、以前の形態学的およびmtDNA研究を裏づけます。以下は本論文の図3です。
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 ADMIXTURE が2〜10の系統構成要素(K=2〜10)で実行されました(図4)。最小交差検証(CV)誤差はK=5の時に観察されました。NAT002は4つの遺伝的構成要素で混合された個体として表されました(図4)。緑色の構成要素(24.6%)は、広くアジア北東部人口集団で共有されています。青色の構成要素(15.8%)は、アジア東部人で広く共有されています。濃紺色の構成要素(33.2%)はF23とアイヌにおいてほぼ100%で観察されます。黄色の構成要素(26.4%)はイテリメン人およびコリャーク人に高い割合で共有されています。NAT002の構成要素の割合は、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団と似ています。以下は本論文の図4です。
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 次に、NAT002とアジア北東部人との間の系統発生関係を推測するため、NAT002とF23とSGDP(サイモンズゲノム多様性計画)標本で観察される2556493ヶ所の多様体に基づくTreeMixが実行されました。NAT002とニブフ人とウリチ人は単系統性の一まとまりを形成し(図5a)、主成分分析およびADMIXTUREの結果と対応しています。2回の移住事象を想定した場合、遺伝子流動はF23からNAT002とニブフ人との間の共通祖先で観察されました(図5a)。

 F23とウリチ人との間、およびNAT002とイテリメン人との間でも大規模な残余が観察され、それらの間の遺伝子流動が示唆されます(図5b)。ウリチ人と「縄文人」/アイヌとの間の遺伝的類似性は以前に報告されていました(関連記事)。さらに、NAT002とアジア北東部の前期新石器時代人の悪魔の門個体群との間の遺伝的類似性が、外群f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、X)の計算により調べられました。検証人口集団間で、NAT002はニブフ人に次いで2番目位に高いf3値を示しました。この結果は古代人のゲノム間で共有された偏りの影響を受けた可能性がありますが、古代人のゲノム間の遺伝的類似性のそうした過大評価は、おもに配列の短さや死後の損傷の高頻度や比較された古代人2個体の不充分な深度に起因する可能性が高そうです。

 悪魔の門個体群のゲノムにおける参照の偏りの程度は、低い網羅率のため比較的強くなるでしょう。しかし、NAT002ゲノムにおける参照の偏りは、本論文の遺伝子型コール閾値として用いられた、選別の水準0および1の現代日本人のゲノムの30倍の網羅率よりもさほど強くありませんでした。したがって、悪魔の門個体群とNAT002との間の観察された類似性は、大幅に過大評価される可能性は低そうです。f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、NAT002)の高い値は、オホーツク文化人の起源がアムール川流域周辺にある、との仮説を裏づけます。他方、F23は低いf3値を示しており、日本列島北部からアムール川流域への「縄文人」系統の移住はおもに新石器時代後に起きた、と示唆され、ウリチ人における以前の混合年代を裏づけます。以下は本論文の図5です。
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 系統樹の接続形態を考慮すると(図5a)、f3(ムブティ人;NAT002、X)により示されるアムール川流域人口集団とNAT002との間の類似性は、密接な系統発生関係として解釈できます。これらの示唆された混合事象を確認するため、49079ヶ所の一塩基多型に基づくD(ムブティ人、X;ニブフ人、NAT002)検定が実行され、F23とアイヌとイテリメン人は有意な正の値を示しました(図6a)。古代人のゲノム間の共有された偏りのため、D(ムブティ人、F23;ニブフ人、NAT002)で観察された兆候の過大評価の可能性も考慮されねばなりませんが、F23とNAT002の参照の偏りは現代日本人の網羅率30倍のゲノムと比較してさほど強くないので、過大評価の程度はそれほど深刻ではないでしょう。混合兆候はD(ムブティ人、F23;アムール川流域集団、NAT002)とD(ムブティ人、イテリメン人;アムール川流域集団、NAT002)でも観察されました。この場合のアムール川流域人口集団とは、ウリチ人とオロチョン人とホジェン人とダウール人とシボ人(Xibo)です(図2)。これらの知見から、NAT002は3祖先的系統(アムール川流域集団、チュクチ・カムチャッカ集団、「縄文人」)間の混合個体だった、と示唆されます。

 次にqpAdmモデルを用いて、NAT002と関連する過去の混合事象についてのこの仮説が検証されました。オロチョン人とイテリメン人とF23が、それぞれアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の供給源人口集団の代表として用いられました。完全ランク付けモデルに対する提案された混合の尤度比検定(LRT)のP値は有意ではなく(P=0.14)、NAT002のゲノムはアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の混合として説明できます。アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の推定された祖先系統は、それぞれ64.9±8.0%、21. 9±6.4%、13.2±4.3%です(図6c)。

 アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団からの推定される祖先系統の割合の比較的大きな標準誤差は、これら供給源人口集団間の密接な関係に起因するかもしれません。じっさい、ADMIXTURE分析(図4)で観察された黄色と赤色の構成要素は、チュクチ・カムチャッカ人口集団(イテリメン人とコリャーク人とエスキモーとチュクチ人)間で支配的ですが、ニブフ人やウリチ人やオロチョン人やホジェン人やダウール人やシボ人などアムール川流域人口集団でも広く観察されます。構成要素のこの共有は、アムール川流域人口集団とチュクチ・カムチャッカ人口集団との間の混合か、両者の間で部分的に共有される遺伝的浮動の結果のようです。さらに、入れ子モデルへのLRTでは、あらゆる2方向混合モデルがNAT002ゲノムを適切に説明できない、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
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●在来祖先系統と混合年代の推定

 アムール川流域集団と「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の系統間の混合事象の順番を決定するため、NAT002ゲノムの在来祖先系統が推測されました。本論文の在来祖先系統推定は大陸内規模(つまり、アジア東部と北東部全参照人口集団)で行なわれましたが、NAT002ゲノムの大半は0.9以上の事後確率を有する3つの祖先的ハプロタイプの一つに分類できました。在来祖先系統の割合から計算された世界規模の祖先系統の割合は、アムール川流域集団が83.6%、チュクチ・カムチャッカ集団が10.0%、「縄文人」が6.4%です。

 ADMIXTURE(図4)とqpAdm(図6c)の結果を考慮すると、「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の祖先系統の堀合は過小評価されているようで、おそらくは参照人口集団における「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ個体の標本規模の小ささに起因します。「縄文人」は1個体(F23)のみで、チュクチ人やエスキモーなどチュクチ人口集団の5個体とともに、チュクチ・カムチャッカ参照人口集団におけるカムチャッカ人口集団の代表としてイテリメン人1個体のみが含まれています。

 本論文は、3系統間の混合年代を推測するため、単純な波動移住モデルを想定しました。アムール川流域系統の移住年代はNAT002の22世代前と推定されました(図7)。1世代30年と仮定し、NAT002の放射性炭素年代(900年前頃)を考慮すると、アムール川流域関連祖先系統の移住は1600年前頃に起きました。これは、以前の考古学的証拠により示唆されるように、オホーツク文化の始まりと正確に対応していますが、本論文の混合年代は1個体のみの祖先系統の領域の長さに基づいています。

 チュクチ・カムチャッカ系統と「縄文人」系統間の混合はNAT002の35世代前(1950年前頃)と推定され、縄文時代の後の続縄文時代(紀元前3〜紀元後7世紀)と対応します。本論文が把握している限りでは、その期間のカムチャッカ半島から日本列島北部へのヒトの移住を示す考古学的証拠は提示されていませんが、以前の古代DNA研究は縄文時代標本と続縄文時代標本との間のmtHg特性の変化を報告しています。カムチャッカ半島人口集団においてひじょうに高頻度で観察されるmtHg-G1bは、続縄文時代の標本の15.0%で検出されますが、縄文時代標本では検出されません。さらに最近の研究では、千島列島南西部に位置する択捉島のタンコウォイェ1(Tankovoye 1)遺跡(図1a)の続縄文時代標本と、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島現代人集団との間の遺伝的類似性が報告されました。これらの知見は、続縄文時代における千島列島を経由してのカムチャッカ半島から日本列島北部への移住の波を裏づけます。

 本論文は、混合していないアイヌの10個体を参照「縄文人」に追加することにより、類似の混合年代測定を実行しました。この場合、NAT002における「縄文人」祖先系統の割合は増加し、アムール川流域祖先系統が64.4%、チュクチ・カムチャッカ祖先系統が9.8%、縄文人祖先系統が25.8%と推定されました。しかし、推定された混合年代は、アムール川流域関連祖先系統の移住についてはNAT002の17世代前(1410年前頃)、「縄文人」系統とカムチャッカ系統との間の混合についてはNAT002の37世代前(2010年前頃)と大きくは変わらず、本論文の混合年代は中程度の堅牢性を有する、と示唆されました。以下は本論文の図7です。
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●アイヌ集団に対するオホーツク文化人の遺伝的寄与

 アイヌ集団の形成過程は長く議論されてきました。しかし、アイヌと縄文時代個体群との間の遺伝的類似性は以前の研究で確認されてきましたが(関連記事)、新石器時代後の人口動態に関する決定的な結論には至っていません。F23と比較して主成分分析では、アイヌ個体群はわずかにアジア北東部人に影響を受けていると示唆されますが(図3)、ADMIXTURE分析の結果では、アイヌ個体群はほぼ単一の祖先系統で表される、と示唆されます。
 したがって、縄文時代後のアジア北部人口集団からの遺伝的影響を確かめるため、D(ムブティ人、X;F23、アイヌ)検定が実行されました。その結果、アジア北部人口集団は有意に正の値を示しました。とくに、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島人口集団と、ホジェン人やオロチョン人やシボ人やダウール人などアムール川流域人口集団は強い兆候を示しました。以前の研究では、アイヌとカムチャッカ半島人口集団との間の遺伝的類似性が報告されました。

 アイヌ集団の形成過程をモデル化するため、qpGraphを用いて混合図が作成されました。まず、NAT002やF23やSGDP標本群を含む混合図が作成されました。アムール川流域系統と「縄文人」系統とカムチャッカ半島系統の間の混合事象の順序は、混合年代の結果にしたがって決定されました。図における最低のf4統計のZ得点は-2.1でした。次に、足場図(scaffold graph)にアイヌを追加することにより、アイヌ集団の形成過程が検証されました。アイヌは「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の間の混合人口集団と仮定したモデルが、検証されたモデルの中で最適でした(図8a)。

 しかし、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定しない別のモデルも許容されました(図8b)。最低のf4統計を考慮すると、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定する最初のモデル(図8a)が最も可能性の高いシナリオですが、混合図の枠組みでは2番目のモデル(図8b)を明示的に却下できませんでした。この二つのモデル間の顕著な違いの一つは、「本土」日本人からアイヌへの混合割合で、最初のモデルでは29%、二番目のモデルでは44%でした。以前の研究はmtHg頻度に基づいて、近世アイヌ集団における「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の混合割合が推定されました(関連記事)。その研究では、アイヌへの「本土」日本人の遺伝的寄与は28.1%と推定され、本論文の最初のモデルと近くなっているので、最終的な結論には至りませんが、本論文の最初のモデルが最も可能性の高そうなシナリオとして支持されるようです。以下は本論文の図8です。
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●HLA型とNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性

以前の研究では、HLA(ヒト白血球型抗原)B遺伝子、とくにHLA-B*27アレル(対立遺伝子)が、SAPHO症候群と強く関連している、と報告されました。したがって、以前の研究によりSAPHO症候群として推測されたNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性を調べるため、HLA-VBSeqとHLA EXPLORE を用いてNAT002のHLA型が決定されました。HLA-VBSeqでの型別における上位2つの平均深度はHLA-B*40:02:01(平均深度22.93倍)とHLA-B*40:06:01:01(平均深度12.57倍)で、NAT00がB*40:02:01とB*40:06:01:01の異型接合体だったことを示唆します。しかし、B*40:06:01アレル特有の配列はTARGTとHLA EXPLOREでは検出されませんでした。おそらく、HLA-VBSeqで識別されたB*40:06:01:01はHLA-C遺伝子座に由来するリードのミスマッピングで、それは、HLA-Bエクソン3におけるB*40:06:01特有の置換部位を含む100塩基対配列が、IMGT/HLAデータベースのリリース3.43.0におけるHLA-C配列とひじょうに高い同一性を示すからです。

他の古典的なHLA遺伝子も、HLA-VBSeqとTARGTとHLA EXPLOREで分類されました。HLA-VBSeqの結果から、NAT002はA*02:01:01(平均深度30.74倍)とC*15:02:01(平均深度33.33倍)とDQB1*05:03:01(平均深度35.07倍)の同型接合体で、DRB1*14:05:01(平均深度7.36倍)とDRB1*14:54:01(平均深度12.93倍)の異型接合体と示唆されました。しかしHLA-DRB1については、DRB1*14:05:01アレルはTARGTとHLA EXPLORE分析では検出されませんでした。これも、HLA-VBSeqのミスマッピングの結果と推測されます。

HLA 領域でNAT002の同型接合体と異型接合体を確認するため、NAT002配列データの別のアレル頻度が調べられました。HLA領域を含む約1000万塩基対におよぶ領域で、中間的な別のアレル頻度の明らかな欠如が観察され、ROH(runs of homozygosity)が示唆されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています。

6番染色体上でROHが観察される領域と他の領域との間の類似した配列深度を考えると、アレルの脱落である可能性は低そうです。HLA-DRA・DRB1・DRB5・DRB6を含むHLA-DR領域(参照ゲノムhs37d5では、HLA-DRB3・DRB4が含まれません)における比較的多い部位は、HLA-VBSeq分析でも示唆されているように、この領域におけるNAT002の異型接合体を示唆している可能性が高そうです。しかし、これらの部位の配列深度は他の部位よりも顕著に高く、この領域への配列のミスマッピングを示唆します。したがって最終的に、NAT002はA*02:01:01とB*40:02:01とC*15:02:01とDQB1*05:03:01の同型接合体と結論づけられますが、HLA遺伝子座で1個体が同型接合体であることは一般的に稀です。

本論文が把握している限りでは、SAPHO症候群とHLA-B*40アレルとの間の関連は充分には解明されていませんが、以前の研究では、SAPHO症候群の日本人患者6人のうち3人でHLA-B61(B*40:02やB*40:03やB*40:06などいくつかのHLA-B*40アレルを含む血清型)が検出されました。さらに、HLA-B*40アレルは、強直性脊椎炎や反応性関節炎や未分化脊椎関節症の危険性アレルの一つと報告されてきました。これらの疾患はSAPHO症候群と類似しており、骨肥厚症を伴う疾患でもあります。したがって、HLA型はNAT002における骨肥厚症への遺伝的感受性を部分的に説明できるかもしれません。ニブフ人ではHLA-B*40アレルが高頻度(1998年の研究では25.5%、現在のアレル頻度データベースでは31.2%)です。

NAT002とF23との間では、共有されるHLAアレルは観察されませんでした。F23では、A*24:02:01とB*15:01:01とC*03:03:01が同型接合体です。したがって、HLA遺伝子の観点では、同じ礼文島で発掘されたNAT002とF23との間の遺伝的関係を議論できません。しかし、NAT002とF23は両方、HLA 領域では同型接合体とみなされました。これは、おそらくNAT002とF23が小さな人口規模しか維持できなかったひじょうに小さな島で暮らしていた、という事実に起因するかもしれません。


●アジア東部/北東部人において高頻度で観察される形質の推定表現型

アジア東部/北東部人口集団と他の人口集団との間で顕著に異なる頻度を示す形質と関連するいくつかの一塩基多型について、NAT002の遺伝子型に基づいてNAT002の表現型が推測されました。NAT002は、耳垢の表現型を決定するABCC11遺伝子の一塩基多型(rs17822931)でAアレルの同型接合体を有しており、乾燥した耳垢だったと示唆されます。以前の研究では、オホーツク文化標本では乾燥した耳垢が高頻度(83.9%)と報告されました。

NAT002はADH1B遺伝子の一塩基多型(rs1229984)とALDH2遺伝子の一塩基多型(rs671)でGアレルの同型接合体を有しており、それぞれアルコールとアセトアルデヒドの代謝率と関連していて、アルコール耐性が示唆されます。アルコール不耐性のアレルは、アジア東部新石器時代農耕民に遺伝的影響を受けた人口集団において、シベリア人を含む他の人口集団よりも高頻度を示します。NAT002の推定されるアルコール耐性は、アジア東部農耕民よりもシベリアの狩猟採集民において高頻度で観察される表現型と関連しているようで、アジア北部人口集団とのNAT002の遺伝的類似性に対応しています。


●まとめ

 北海道の礼文島の浜中2遺跡の先史時代オホーツク文化個体である、NAT002の高網羅率ゲノムが得られました。本論文の集団遺伝学的分析の結果から、NAT002と、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団との間の密接な関係が示唆され、以前の形態学的およびmtDNA研究の結果を裏づけます。系統樹におけるNAT002への外部分枝の長さ(図5)は、現代のニブフ人およびウリチ人と同等で、死後損傷もしくは不充分な深度に起因する本論文の配列データの間違った遺伝子型呼び出しの小さな影響を示唆します。

 NAT002のゲノムは、日本列島北部周辺の3系統(アムール川集団、「縄文人」、カムチャッカ半島集団)間の過去の混合事象を裏づけます。これらの混合事象で最古となるのは、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間だったようです。混合年代測定に基づくと、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間の混合は続縄文時代となる2000年前頃に起きた、と仮定されます。本論文が把握している限りでは、続縄文時代におけるカムチャッカ半島から日本列島北部への移住を示唆する考古学的証拠は報告されていませんが、本論文の結果は以前の遺伝学的研究と一致します。さらに、歯冠測定に基づく以前の形態学的研究も、続縄文時代におけるアジア大陸部から日本列島北部への移住を示唆していますが、移住の起源はカムチャッカ半島ではなくアムール川流域と推定されました。この混合事象を明らかにするには、続縄文時代標本のさらなるゲノム研究が必要です。

 アムール川関連祖先系統の移動は、以前の考古学的証拠により示唆されたように、オホーツク文化の始まりに相当する1600年前頃に起きた可能性があります。本論文のゲノム研究は、アムール川流域からの移住の波が北海道におけるオホーツク文化開始の契機だった、との仮説を裏づけます。他方、アイヌ集団の形成過程へのオホーツク文化人の遺伝的寄与に関しては、最終的な結論には達しませんでした。

 本論文の限界の一つは、オホーツク文化期の1個体(NAT002)のみに由来するゲノムデータに依存し、NAT002が先史時代のオホーツク文化人を代表できると仮定していることで、NAT002が他地域からの移住個体である可能性を完全には排除できません。炭素と窒素の同位体比からは、NAT002が同じ遺跡で発掘された先史時代オホーツク文化個体群の変異内に収まり、NAT002が礼文島のオホーツク文化の一般的な食習慣だった、と示唆されます。しかし、この事実はNAT002がこの地域で生まれたことを証明できません。以前の研究では、女性のコラーゲン代謝回転率が、思春期には0.060±0.040で、成長停止後は0.041±0.010だった、と報告されています。したがって、NAT002が移民だとしとても、移住後に充分な時間が経過した場合には、炭素と窒素の同位体比で移住前の食習慣が反映されないでしょう。

 ストロンチウム同位体分析はNAT002の出生地を明らかにできるかもしれませんが、日本列島北部周辺のストロンチウム同位体の地理的分布図は利用できません。NAT002が先史時代オホーツク文化人を代表できるのかどうか調べる別の方法は、オホーツク文化個体の多くの標本を分析することです。したがって、複数のオホーツク文化標本を用いてのさらなるゲノム研究が、環オホーツク海地域周辺の人口史を明らかにするには必要です。さらに、本論文は特定の偏りのない混合年代測定において単一波動の移住モデルを想定しました。将来、オホーツク文化期のさまざまな時間区分の時点の複数個体のゲノムが、その詳細な移住様式(たとえば、単一、複数、継続)を明らかにできるかもしれません。環オホーツク海地域周辺の人口史についての提案に加えて、本論文は1000塩基対より長いDNA分子が特定の理想的な条件下でほぼ千年残存することも示唆しており、古代DNA研究への追加の洞察を提供できるかもしれません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、オホーツク文化遺跡の1個体(NAT002)の高品質なゲノムデータを報告しており、たいへん意義深いと思います。本論文が指摘するように、NAT002がオホーツク文化集団を表しているとは断定できないものの、その可能性は高そうです。オホーツク文化集団は、続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合により形成された、と推測されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合は、考古学的裏づけはまだないようですが、mtDNA研究ではその可能性が示唆され、今後の古代ゲノム研究の進展が期待されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合は、オホーツク文化が始まった1600年前頃に起きたと推定されており、オホーツク文化が遺伝的に異なる集団間の混合により形成されたことを示唆します。もちろん本論文が指摘するように、こうした混合事象が1回だけではなく、複数回起きたり継続的だったりする可能性も考えられます。

 オホーツク文化集団とアイヌ集団との遺伝的関係については、本論文では決定的な結論には至りませんでしたが、アイヌ集団の形成において、オホーツク文化集団が一定以上の遺伝的影響を残した可能性は高そうです。本論文で提示された最も可能性が高い混合モデルに従うと、遺伝的にほぼ「縄文人」の構成の擦文文化集団(69%)とオホーツク文化集団(31%)が混合し、この混合集団(71%)と「本土」日本人集団(29%)が混合したことにより、現代アイヌ集団が形成されました。江戸時代のアイヌ集団94標本のmtDNA分析によると、「本土」日本人型は28.1%を占めます(関連記事)。これは、江戸時代においてアイヌ集団と「本土」日本人集団との混合がすでにかなり進んでいたことを示唆します。

 擦文文化集団が遺伝的にほぼ「縄文人」で、本論文のモデルが妥当だとすると、江戸時代アイヌ集団のゲノム構成は、単純計算で50%弱が擦文文化集団に由来することになります。以前の研究では、現代アイヌ集団のゲノムにおける「縄文人」構成要素の割合は66%と推定されていますが(関連記事)、その10〜15%はオホーツク文化集団と「本土」日本人集団に由来するかもしれません。その意味でも、遺伝的にアイヌ集団を「縄文人」の単純な子孫と考えることはできず、「縄文人」以外の遺伝的影響はかなり大きかった、と考えるべきでしょう。

 また、本論文でも改めて指摘されているように、アイヌ集団の重要な文化要素と考えられる熊崇拝の痕跡が、縄文時代と続縄文時代で見られないことも、オホーツク文化がアイヌ集団の形成に及ぼした重要な影響を示唆します。アジア北東部集団間の遺伝と文化の相関関係を検証した最近の研究でも、音楽でアイヌとコリャーク人とが比較的近いと示されており、アイヌ集団にアジア北東部集団が文化的影響を与えてきた、と示唆されます(関連記事)。アイヌは非縄文文化から多くの影響を受けて成立したのでしょう。

 しかし、まだ擦文文化集団の古代ゲノム研究が進んでいないとはいえ、本論文の結果からは、擦文文化集団がアイヌ集団の最も重要な祖先となった可能性が高いと考えられ、文化的にも、オホーツク文化およびその後継のトビニタイ文化の消長からも、オホーツク文化集団に対する擦文文化集団の優位が示唆されます(関連記事)。その意味で、アイヌを遺伝的にも文化的にも単純に「縄文人」の子孫とは言えないとしても、アイヌは鎌倉時代に北海道に侵略してきた外来集団といった、現代日本社会の一部?で根強く支持されているかもしれない言説(関連記事)は的外れだと思います。

 「縄文人」は、今ではアイヌなど一部の集団にしか遺伝的影響を残していないため、本論文の系統樹(図5a)で示されているように、アジア東部現代人集団との比較では特異な集団に位置づけられます。しかし、「縄文人」はユーラシア東部の人類集団間の複雑な相互作用により形成されたと考えられ、当時は「縄文人」のようにアジア東部現代人集団とは遺伝的に大きく異なる複数の集団が存在した、と考えられます(関連記事)。最近、「縄文人」に関する研究が大きく進展しており(関連記事)、今後は「縄文人」の時空間的にさらに広範囲の古代ゲノムデータが蓄積されていき、アイヌ集団との関係など日本列島も含めてユーラシア東部の人口史の解明が進むことを期待しています。


参考文献:
Sato T. et al.(2021): Whole-Genome Sequencing of a 900-Year-Old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan. Genome Biology and Evolution, 13, 9, evab192.
https://doi.org/10.1093/gbe/evab192

https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/538.html#c6

[近代史6] 数学で解き明かす宇宙の形「ポアンカレ予想」とは?
数学で解き明かす宇宙の形「ポアンカレ予想」とは?【ゆっくり解説】
2021/10/17



宇宙はどんな形をしているのか?
その答えを出すのは、天文学者でも宇宙学者でもなく「数学者」かもしれません。


100年も解けなかったポアンカレ予想とは何なのか?
それは宇宙の形を知るのに、絶対に解き明かさないといけない難問。


ある天才数学者によって、宇宙の形は見えてきたのかもしれません。


宇宙の形がどうなっているのか見ていきましょう!

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/952.html

[近代史5] 凶悪事件が蔓延る街〜歌舞伎町〜
【ゆっくり解説】凶悪事件が蔓延る街〜歌舞伎町〜
2021/10/15




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1200.html

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 岸田文雄 中川隆
3. 中川隆[-15917] koaQ7Jey 2021年10月21日 12:01:27 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[6]
衆院選、始まる。「餓死か泥棒しかない」という声を政治はどう受け止めるのか
ハフポスト日本版 2021/10/21

衆院選を前にして、発足わずかの岸田内閣がさっそくボロボロだ。

10月8日の所信表明演説では「分配なくして次の成長なし」とブチ上げていたのに、その3日後にはなぜかそのフレーズが「成長なくして分配なし」に変化。

また「新自由主義からの転換」という巨大花火も打ち上げていたのに、金融所得課税強化は見送り。

そうして選択的夫婦別姓は、いつのまにか検討すらしない方向のようだ。

そんな岸田首相に関して、非常に腑に落ちる言葉に出会った。「週刊金曜日」10月15日号の中島岳志氏と山本太郎氏の対談だ。ここで中島氏は、岸田首相を「彼が一貫しているのは、ぶれることのみ」と評している。

「目の前にいる人に合わせるっていうだけの人で、それで嫌われないということによって出世していく」

確かにまったくその通りで、そんな処世術によってとうとう総理大臣にまで登りつめたのだから、なんだか今の時代を象徴しているようである。

さて、そんな「ブレる男」岸田首相、所信表明演説で「人生百年時代の不安解消」や「働く人への分配機能の強化」「中間層の拡大」「少子化対策」などと言っているが、その一番の近道は、誰が考えても安定した雇用ではないだろうか。

最近、国税庁が2020年の「民間給与実態統計調査」の結果を発表したが、それによると、正社員の平均年収は496万円であるのに対し、非正規は176万円。男女別で見ると、非正規男性は228万円、非正規女性は153万円。強調したいのは、今や働く人の4割が非正規であり、女性は半分以上が非正規ということ。2000万人を超える人々が、平均すれば100万円台の年収しか得ていないことである。

「少子化が問題だ」と言うのであれば、岸田首相はこの額で子育てできるかどうか、考えてみればいいだけのことだ。

ちなみに40代、ロスジェネの私は、同世代の非正規の人々から「正社員として長く働けるなら、結婚や出産について前向きになれる」という言葉をもう、うんざりするほど聞いてきた。仕事さえ安定していたら、1年後、5年後、10年後を予想してライフプランを立てることができる。

しかし、ロスジェネの中には、20年以上前の90年代から今に至るまで、ずーっと「3ヶ月先の生活がまったく不明」という人が多く存在する。非正規化によって生み出された層だが、「たかが雇用形態」が結婚や出産という人生の選択肢に大きな影響を及ぼしていることを政治はこれまで完全に放置してきた。

それだけではない。非正規ゆえ、ローンが組めない、賃貸物件の入居審査に落ちるなど、もはや「身分制度」のようになっていることをどう考えているのか。非正規は、もはや雇用だけの問題ではまったくないのだ。だからこそ、「中間層の拡大」とか言うのであれば、ここに目を向けてほしいのだ。というか、自民党政治が長年かけてここまで非正規を増やし続けてきたのだ。誤った政策の犠牲者に対して「自己責任」と言い続けるだけで放置してきた罪は、絶対に問われなければならないと思う。

さて、私がこの一年半目撃しているのは、そんな非正規層の中からコロナが「トドメの一撃」となり、深刻な貧困状態に陥ったり、住まいを失ったりしている人が続出していることだ。

「新型コロナ災害緊急アクション」に「ホームレスになった」「所持金が尽きた」とSOSメールをくれるほとんどが、非正規。ついでフリーランスや自営業。

しかし、支援団体に出会えた人はまだ幸福と言える。そのような情報にたどり着けず、自ら命を絶っている人は確実に存在するし、ひっそりと路上に出て、空腹から窃盗などをして捕まる人も出ている。コロナによる貧困ゆえに起きた事件。思えばこの一年半、そんな事件を多く見聞きしてきた。

例えば20年4月には横浜で不動産業者の女性を刺し、バッグを奪ったとして20代男性が逮捕されている。男性は新型コロナの影響で仕事がなくなり、ネットカフェにも泊まれなくなり路上生活になっていた。

20年8月には、福岡で30歳の女性が恐喝未遂で逮捕されている。真珠販売店でカッターナイフを店員に向け、現金を脅しとろうとした容疑だ。女性はコロナでうどん屋の仕事を失い、たちまち家賃を払えなくなり、公園で寝泊まりする日々に。紙に「食べ物をください」と書いて路上に立つこともあったという。事件を起こした時の所持金はわずか257円だった。

20年11月には熊本県で53歳の男性が、本屋でコミック一冊を万引きして交番に自首、逮捕されている。男性は5月まで機械製造会社で派遣で働いていたもののコロナによる不景気で契約を打ち切られ、「家と食べ物に困っていて、警察に捕まりたかった」と話したという。

一方、昨年にはコロナで生活苦に陥ったベトナム人実習生を風俗で働かせたとして経営者が逮捕されているし、家畜窃盗に関与した疑いで外国人が逮捕された事件もあった。

どれもこれも、「公助」がマトモに機能していたら、決して起こらなかった事件だろう。

ちなみに、コロナ禍で犯罪自体は減少している。20年の犯罪は17.9%減。特に「窃盗」は21.6%も減っている。外出の機会が減ったことで、犯罪そのものも減ったようである。

3・11の時、暴動や略奪が起こらなかったことが世界から驚かれたように、この国では、どんなに生活が厳しい人が増えても、途端に盗みが増えて治安が悪くなることはなかった。

しかし、このまま放置しておけば、そんな「日本の神話」だって崩れかねないだろう。そうして一度悪くなってしまった治安をもとに戻すには、膨大なコストがかかる。

だからこそ、公助が必要なのだ。今のように「若いから」と追い返されたり時に人格を否定されるのではなく、助けを求めたら「大変でしたね」と手が差し伸べられるような、そんな福祉が必要だと思うのだ。

この一年半、住まいも仕事も所持金も失った人たちの声に、相談会などで耳を傾けてきた。彼ら彼女らの言葉を要約すると、「餓死か自殺かホームレスか刑務所か」という「最悪の四択」になる。この中で、もっとも「公的」っぽいのは刑務所だ。そんな社会は、はっきり言って終わっている。

さて、衆院選公示の前日、厚労省で「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」の記者会見をした。

昨年4月に始まったこの相談会は、10月23日で10回目を迎える。2ヶ月ごとに開催される相談会では私もずっと相談員をしてきた。相談会ではこれまで1万人以上の悲鳴を受けとめてきたのだが、コロナ禍が始まってから時間が経てば経つほど労働相談は減り、生活苦の相談が増えている。同時に増えているのは相談者における無職者の割合だ。

そんな相談会に寄せられる相談を、昨年8月から「貧困研究会」が分析をしているのだが、事態の悪化が如実に表れているのは預貯金額だ。例えば昨年8月に電話してきた人の預貯金額は、平均値で232万円。しかし、直近の今年8月には、平均額が67万円まで下がっていた。中央値は昨年8月で16万円。今年8月で0円。

また、今年8月に電話をくれた中で、預貯金額について回答があった226人のうち、54.9%の124人が預貯金・手持ち金が0円。10万円までが全体の71%を占めている。

この電話相談では国の対策についての評価を聞いているのだが、今年8月、「全く評価しない」が43.3%で過去最高となった。「評価しない」は25.4%。実に7割近くが国の対策を評価していないのだ。

一方、最近目立つのは、緊急小口資金、総合支援資金などの貸付金をすべて借り切ってしまい、どうにもならないという相談だ。例えば以下のようなもの。

「緊急小口も総合支援資金も利用し、合計155万円。年を越せない。餓死か泥棒しかない」(男性)

貸付金を借り切った人には「生活困窮者自立支援金」という制度があるにはあるが、支給額は一人世帯で6万円が最大3ヶ月。はっきり言って焼け石に水だし、支給要件が厳しいことから以下のような声もある。

「緊急小口、総合支援資金で200万円借りたが生活できない。自立支援金は要件満たず。派遣で働いているが、もうすぐ期間3年で終了となる」(女性)

そもそも困窮者に給付ではなく貸付をするという支援策自体、最初から無理があることは多くの人が指摘していたことだ。一方、8月と言えば第5波の真っ只中だったので、コロナに感染した人からの相談もあった。

「コロナに感染した。症状が治れば働いていいと言われているが、家賃が払えない」

「一人親方。コロナにかかって今日で12日目。ホテルに空きがなく自宅療養。酸素飽和度は一時90にまで下がった。昨年一時仕事が半減し、その後復調していたが、コロナに罹患して今は無収入。収入減った際に、特例貸付を枠いっぱい借り、サラ金等から合計200万円の借金がある。毎月の保険料も払えない」

このような事例が報告された記者会見の場で、700件以上の駆けつけ支援をしている「新型コロナ災害緊急アクション」の瀬戸大作さんは、最近の傾向に触れた。

7〜9月にかけて、「住まいがない」「所持金が尽きた」などSOSメールをくれる人の65%が20代と若年化していること。生活保護申請同行に至っては、4割が女性であること。シェアハウスからの追い出しも見られること。また、一年前に支援し、生活保護に繋げた人たちの多くが、今も仕事が見つかっていないこと。正社員になっている人はゼロであること。また、ここに来て生活保護の申請を追い返す「水際作戦」が増えていること。

そうして、厳しい生活の中、やむにやまれず万引きをしてしまい、捕まる人が出ていることについても触れた。

もちろん、罪は償わなければならない。しかし、経済的に追い詰められて万引きすれば「前科者」となり、生活再建はさらに茨の道となってしまう。万引きを考えるくらいなら役所に行って助けを求めればいいと思うが、役所の中には助けを求める手を振り払うところもある。ある意味、刑務所より役所の窓口の方がハードルが高くなってしまっているなら、それはセーフティネットが機能しているとは到底、言えない。

このような限界状態の支援の現場を、どれほどの政治家が知っているだろうか。

さて、そんなコロナ禍で始まった衆院選。

なんとかして、岸田政権に大きな打撃を与えたい。

***

© ハフポスト日本版
(以下引用)

「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」

10月23日(土)10:00〜22:00

(無料・全国いっせい)

TEL: 0120-157930

https://www.atpress.ne.jp/news/272016

住まい、生活保護、労働、借金、学費などについて、弁護士、司法書士、社会福祉士、労働問題の専門家などが無料で相談にお答えします。お気軽にご相談を。

(以上引用)

(2021年10月20日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『第572回:衆院選、始まる。「餓死か泥棒しかない」という声を政治はどう受け止めるのか。の巻(雨宮処凛)』より転載)

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E8%A1%86%E9%99%A2%E9%81%B8-%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B-%E9%A4%93%E6%AD%BB%E3%81%8B%E6%B3%A5%E6%A3%92%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%A3%B0%E3%82%92%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E5%8F%97%E3%81%91%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B/ar-AAPLqMN
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1709.html#c3

[番外地10] (藤井聡)各政党の経済政策公約を5点満点評価
2021年10月21日
【藤井聡】各政党の経済政策公約を5点満点評価〜トップは国民民主&れいわ(5点)、次点は立憲民主(4.5点)、大きく落ちる自民&公明は共産&社民と同レベル(2点)〜

選挙戦がはじまりました。各党が様々な公約を掲げていますが、何よりも今、重要な争点は、

「経済対策」(デフレ不況からの脱却対策)

の一点をおいて他にありません。

経済が悪ければ、教育も科学技術もDXも安全保証も防災も、そして何より、財政再建も全て出来なくなるからです。
そしてその視点で当方は、今年のこの総選挙を見通し、本年4月にジャーナリストの田原総一朗氏と共に、

1)プライマリーバランス(PB)規律の凍結
2)消費税の減税・凍結
3)コロナ禍における損失補償
4)政府投資の拡大

という「4提言」を行った書籍
『こうすれば絶対よくなる!日本経済』を出版しました。

この4つさえ行えば、コロナ禍は言うに及ばず、1997年の消費増税によってもたらされた「失われた20年」を取り戻し、デフレ不況から脱却することも勿論可能となります。

ついては、本年6月、与野党を問わず、あらゆる国会議員にこうした4提言をしっかり進めて頂く事を祈念し、田原さんとこの4提言を国会議員各位に理解して頂くためのシンポジウムを国会議員会館で開催しました。

お陰様でそのシンポジウムには、与党、野党各政党から100名を超える国会議員の参加が集まり、上記4提言をじっくりと解説することが出来ました。

このシンポジウム後には、各政党、ならびに国会議員各位から追加説明を求める問い合わせなどが相次ぎ、それ以後も、本4提言のレクチャーに努めて参りました。

こうした議論の影響がどの程度あったのかは神のみぞ知るところではありますが、それ以後、例えば自民党の総裁選挙の候補者の公約や各政党の選挙公約にも、この4提言のそれぞれの提言内容に直接間接に関わる項目が見られる様になったものと感じています。

ついてはこの総選挙にあたり、各政党の公約を、この4提言の視点からそれぞれ○△×の三段階評価を行いつつ評価したところ、以下の様な結果となりました。

https://38news.jp/economy/19803

ご覧の様に、当方が、重要と考えている「4提言」の視点で、最も秀逸な公約を掲げているのは国民民主党とれいわ新選組となり、双方とも5点満点となりました(なお、100点満点で付けると双方100とはなりませんが、大雑把な5段階なら5点となった、という主旨です)。

次いで、「投資」の項目が中程度の△となったものの、それ以外の項目が全て○となった立憲民主党が次点の4.5点となりました。

ちなみに、上記表の補注でも記載しましたが、この4提言の中でも特に重要なのが、「PB規律の凍結」です。

PB規律凍結があれば残りがどれだけ適当でも必然的に必要な政府対策が進む一方、これが無ければどれだけ立派な事を口で言っていても結局何も出来ず、口だけで終わってしまうからです。

上記の3野党(国民民主、れいわ新選組、立憲民主)はいずれも、このPB規律の凍結についてそれぞれ踏み込んだ記述を公約に掲げていることから、「○」の評価となりましたが、与党の自民党、公明党はこの点について、必ずしも十分に踏み込んだ公約が掲げられていなかったということで残念ながら「△」の評価となりました。

そして、このPB規律が△であることが災いして、自民党、公明党はコロナ補償についても「投資」についても、必ずしも高い評点を与えることができず「△」となりました。

自民党は「(5年程度で)15兆円規模の防災・強靱化投資」や「単年度主義の脱却」等、積極的な投資に関する公約もあるにはあるのですが、その主張は、れいわ新選組の「毎年10兆円の公共事業」、国民民主党の「今後10年間で合計150兆円を新たに投資する」よりは圧倒的に小粒の投資規模であることは否めず、「△」評価となりました。

(「たられば」は意味の無いものではありますが、もしも高市総理が誕生していたのなら、「100兆円の政府投資」「PB規律の凍結」が公約に掲げられ、国民民主党やれいわ新選組と同程度の評価をPB規律と投資について下すことが出来ていたに違い無かっただろうにと……思いますと、自民党支持者の方にとっては、現状は大変に口惜しい状態だと言うことが言えたのかも知れませんが……)

なお、自民・公明は「PB規律の呪縛」故に、投資と保証が中途半端な「△」ですが、消費増税については全く言及がなく「×」となってしまっています。自民・公明はその「×」が禍となり、与党であるにもかかわらず社民・共産と同ランクの「2点」となってしまっています。

これは、「所得倍増」まで総裁選で言及していた岸田総理にしてみれば、随分と屈辱的な評価結果だと言わざるを得ないものと思いますが……岸田総理が「PB規律を思い切って凍結する」という毅然とした態度を見せられない以上、この程度の評価に甘んじて貰うのも致し方無き所と言えるでしょう。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/103.html

[近代史5] 北朝鮮伝統の「ミサイル芸」、日本の国政選挙のタイミングに合わせる深い理由
北朝鮮伝統の「ミサイル芸」、日本の国政選挙のタイミングに合わせる深い理由
窪田順生 2021/10/21
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E3%81%AE-%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E8%8A%B8-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%94%BF%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AB%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%82%8B%E6%B7%B1%E3%81%84%E7%90%86%E7%94%B1/ar-AAPLcAJ

「そろそろミサイル発射か」と予期していた?

東京不在の首相、過去にも

 衆議院議員選挙公示日である10月19日午前、北朝鮮が日本海へ向けてミサイルを発射した。北朝鮮の国防科学院の発表では、新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)だったという。

 この時、岸田文雄首相は選挙の第一声を上げるため福島にいた。「官邸危機管理の要」である松野博一官房長官も自身の選挙区である千葉県にいた。慌てて官邸に戻った岸田首相は、国家安全保障会議を開催して、「北朝鮮のミサイル技術の著しい発展は我が国と地域の安全保障にとって見過ごすことができない」として、関係閣僚に「敵基地攻撃能力の保有」の検討を指示した。

 実は今回のミサイル発射に関しては、日本の防衛関係者、そして政府高官の多くは、「そろそろ発射するだろうなあ」と予測していた可能性が高い。つまり「想定内」だったのだ。

 なぜかというと、北朝鮮の金正恩最高指導者は権力の座に座ってから、日本や韓国の国政選挙を意識したスケジュール感で、ミサイルを打ち上げてきた、という「実績」があるからだ。

 例えば、2016年の参院選は今回とまるっきり同じパターンで、6月22日の公示日にやはり北朝鮮が弾道ミサイルを発射している。この時も、安倍晋三元首相はやはり選挙の第一声をあげるため、大分県由布市に滞在していた。官邸には菅義偉官房長官がいたが、対応状況を確認してから選挙の遊説に出かけてしまったことで叩かれている。当時、民進党の岡田克也代表はこう訴えた。

「我々の時にも北朝鮮問題があり、関係閣僚5、6人が選挙期間中も東京にいた」(読売新聞2016年6月23日)

日本の国政選挙のタイミングで

ミサイル発射する北朝鮮

 岡田氏の言葉の通り、実は自民党が政権奪取をした2012年の衆院選も公示の3日前、北朝鮮がミサイルを発射すると事前予告をしたことがあったのだ。この時は12月16日が投票日だったのだが、北朝鮮が“人工衛星”を10日以降の午前中に打ち上げると宣言。そのため、野田佳彦首相(当時)が想定される時間帯の遊説の自粛をしなくてはいけなくなった。

 そういう状況の中で、12月8日には藤村修官房長官(当時)が自身の選挙区で「要は北朝鮮のミサイルがいつ上がるかだ。さっさと月曜日(10日)に上げてくれるといいんですが」(読売新聞2012年12月8日)と失言。当時は野党だった自民・安倍総裁から批判されるというようなドタバタも起きている。結局、官房長官が「待ち焦がれていた」北のミサイルは13日、投票日の3日前に発射された。

 このように、北朝鮮がこれまで日本の国政選挙にドンピシャのタイミングで、ミサイルを打ち上げてきたという動かし難い事実がある。

 そこに加えて今回は、自民党総裁選前の9月13日に巡航ミサイル、15日には弾道ミサイル2発が発射されている。セオリーでいけば、衆院選の公示前後にも仕掛けてくると考えるのは当然だ。日本の防衛関係者、安全保障担当者がこのようなリスクを、官邸に報告しないわけがない。これが冒頭で「想定内」と申し上げた理由である。

北朝鮮の巧みな

「熱湯風呂」ネタ的PR戦略

 さて、そこで皆さんが気になるのが、なぜ北朝鮮が国政選挙のタイミングを狙ってくるのかということだが、これはシンプルで、「北朝鮮という国をたっぷり恐れてもらいたい」というPR戦略に尽きる。

 ご存じのように、庶民が飢える中で北朝鮮が巨額の費用をかけたミサイルを日本海に落とし続けるのは、軍事技術に磨きをかけているからだけではなく、アメリカに「北の脅威」を認識させて、交渉のテーブルにつかせるという「ミサイル外交」のためでもある。

 本連載の過去記事『金正恩、実は高度なPR戦略と交渉術を持つ男の真の狙い』の中で紹介しているが、ミサイル発射で国際社会で批判されていた2012年、朝鮮労働党高級幹部が講演の中で、金正恩氏のこんな「名言」を誇らしげに紹介している。

「実は賛成の中で発射するより、反対の中で発射する方が、我々の威力を誇示できる」

 これはダチョウ倶楽部の伝統芸「熱湯風呂」をイメージしていただければわかりやすい。素直に熱湯風呂に浸かろうとしている上島竜兵さんを突き落としても何も面白くない。しかし、「押すなよ、絶対に押すなよ」としつこく訴える上島さんの背中を押すので盛り上がって「芸」として成立する。

 金正恩氏もこれをよくわかっている。日米韓から「ミサイル発射するなよ、発射したらただじゃおかないぞ」と強く警告されればされるほど、ポチッとやる時に大きな衝撃がある。北朝鮮ここにあり、と存在を世界にアピールすることができる。まさしく父・金正日氏の代から続く、伝統の「ミサイル芸」と言っていい。

 だから、米韓の軍事演習などでは必ずミサイルを飛ばす。そしてもうひとつ格好のタイミングが選挙だ。

 日本でも韓国でも対北朝鮮政策は極めて大きな政治的イシューだ。選挙になれば、候補者は必ず訴える。有力議員はテレビに出演して、コメンテーターと激論もする。そんな時に日本海にミサイルを落とせば、日本全国に散らばった候補者たちが「北の脅威」を朝から晩まで演説をしてくれる。そのPR効果たるや凄まじいものがある。

 要するに、広告代理店やウェブマーケティング会社の人間がちょっと前、何かとつけて口にした「バズらせる」ことができるのだ。

ミサイル発射は

強硬姿勢の政党に有利

 ここまでの話を聞くとモヤモヤしたものを感じる方も多いだろう。

 もし選挙期間を狙ってミサイルを発射したら、安倍晋三元首相や高市早苗氏のように、北朝鮮に強硬な姿勢でのぞむ政治家や、厳しい制裁を訴えるような政党に票が流れてしまうおそれもある。そんな自分たちの首を絞めるようなことをするだろうか…と。

 そのご指摘はごもっともで、確かに北朝鮮が選挙のタイミングにミサイルを打てば打つほど、「国際社会と連携して制裁すべし」と訴える自民党の議席が増えて、「ミサイル発射はとんでもないが、まずは対話が基本」などと弱腰の政党が失速する、という現象が起きている。

 例えば、先ほども触れた2012年のミサイル発射後、「衆院選の候補者は敏感に反応。発射を強行した北朝鮮を一斉に非難した」(読売新聞2012年12月13日)と有権者の投票行動にも大きな影響を与えた。ミサイル発射直後、群馬県の会社員はこう述べている。

「打ち上げられたと聞いてどきっとした。今度の選挙でも日本の安全保障をきちんと考えてくれる政党を選びたい」(同上)

 この時、自民党は294議席獲得して大勝し、民主党から政権を奪取した。公示日にミサイル発射があった2016年の参院選も、自民党は議席を6増やして121議席。民進党は32議席に後退した。

 この傾向は、韓国も同じだ。日本の与野党候補者が選挙カーで「北の脅威」を連呼していた2012年12月、実は韓国も19日に大統領選挙を控えてザワザワしていた時だったのだ。当時、聯合ニュースが、任期を終える李明博大統領のインタビューを報じていて、その中で李氏は、北朝鮮が過去にも国政選挙に合わせて武力挑発を仕掛けてきたと指摘したうえで、こう述べている。

「北朝鮮好みの候補がいるかもしれないが、北朝鮮が(有権者の投票行動に)影響を与えることはできない」(読売新聞2012年12月3日)

 しかし、蓋を開ければ、朴槿恵氏が、筋金入りの親北政治家・文在寅氏に108万票余の差をつけて大勝している。投票日の6日前に発射された北のミサイルの影響もゼロではないはずだ。

敵視してくれる政治家・政党は

北朝鮮の思う壺?

 こういう事実を踏まえると確かに、「金正恩の選挙を狙ったミサイル発射は自分の首を絞めている」と感じる方もいらっしゃるだろう。しかし、筆者は「逆」ではないか、と考えている。

 国政選挙のタイミングでミサイルを発射するのは、北朝鮮の脅威を唱える政治家、厳しい対応を主張する政党が台頭してくることを期待しているようにしか見えない。

 つまり、金正恩氏が選挙のたびにミサイルを発射するのは、「北朝鮮に対して強硬姿勢の政治家・政党」を、文字通り「援護射撃」をしているのだ。

 なぜそんな自分を窮地に立たせるようなことをするのかというと、「体制維持」のためである。

 ヒトラー、カエサルなど歴史上の独裁者を見れば明白だが、独裁政権の維持のためには「強い外敵」の存在が必要不可欠だ。侵略や略奪に対する恐怖心のある国民は、議会制民主主義で不毛な議論を延々と続けられるより、「強いリーダー」がスピード感を持って「敵を叩く」と宣言するような専制スタイルを待望する。そのような国民的人気があれば、独裁者は政敵やクーデターをねじ伏せられる。

 つまり、独裁者にとっての「強い外敵」とは、「ものわかりの良い平和的な隣人」よりも、「常にけんか腰で何かとつけてイチャモンをつけるクレーマー」の方がありがたいのだ。

 激しいけんかを続けるにしても、和解して信頼関係を築くにしても、独裁者自身の「唯一無二の存在」という価値がつり上がるからだ。

 これは親子三代で独裁を続けてきた金正恩氏にも当てはまる。それを示したのがトランプ前米大統領だ。

北朝鮮が切望する

日本の「次のトランプ」

 トランプ氏は周囲やメディアが狂人扱いする中で、ミサイル発射をちらつかせる金正恩氏を「リトル・ロケットマン」などとバカにした。これに対して、金氏も「老いぼれ」「おじけづいた犬」などと応酬。ジャーナリストの中には、「第三次世界大戦の危機」などと騒いだが結果として、2人は蜜月となった。

 トランプ氏は手のひら返しで「とても頭がよく、才能がある」「彼のようにタフに国家の運営をしてきた人物は1万人に1人」と絶賛。互いに連絡を取るようになった。トランプ氏が負けて、米朝関係は振り出しに戻ったが、これこそが金正恩氏が理想とする「ミサイル外交」の姿だ。強い外敵とバチバチ火花を散らし、緊張を極限まで高めて、内政でも外交でも「やはり金正恩がいないとダメだ」というブランディングをするのだ。

 そう考えていくと、金正恩氏が日本の選挙のたびにミサイル発射をしているのは、一体誰を「援護射撃」するためなのか、という構図が見えてくる。北朝鮮に厳しく、拉致被害者奪還を叫び、厳しい制裁を強く求めていく。そう、安倍元首相をはじめとした保守系政治家の皆さんだ。

 口では安倍元首相のことを「ならず者」「白痴」などと口汚く罵るが、結果として安倍政権をずっと支えた陰の立役者になっている。ミサイルを発射するたび、スキャンダルで弱った自民党は息を吹き返している。

 この両者の「強敵と書いて友と読む」的な関係は、安倍元首相もよくわかっているのではないか。

 そう思えるのが、前回、2017年10月22日の衆院選だ。実はこの時には北朝鮮のミサイルは飛んでいないが、これまで同様に「北のミサイル」が争点になった。というよりも、安倍元首相がそうした。

 8月29日、北海道えりも町の上空を、北朝鮮の弾道ミサイルが通過して、太平洋に落下したのだ。さらに9月に入ると核実験も行い、15日には再び北海道上空を越えるミサイルを発射した。これまで日本海に落ちていたミサイルが、日本の上空を超えていった。これで「北の脅威」のステージが上がったのだ。

 その13日後、安倍元首相は解散を決断。これを「国難突破解散」と名付けて、実質的に選挙戦に突入したのである。

 当時、モリカケ問題などで逆風の中だったが、この衆院選は議席増減なくなんとか乗り越えた。起きた現象だけを客観的に見れば、安倍政権にとって、金正恩氏のミサイルは「ナイスアシスト」になっているのだ。

 さまざまな事実が示しているとおり、北朝鮮のミサイルが、日本の選挙と密接な関係があることはお分かりいただけただろうか。これまでの状況を見れば、金正恩氏が望んでいるのは、「強い外敵」、日本で言えばゴリゴリの対中・対北朝鮮強硬派だ。

 これまでのミサイル発射の傾向を見ると、その役割を安倍元首相に求めてきたフシがあるが、世代交代でもっと過激で、もっと若い政治家を望んでいるはずだ。

 そこで思い浮かぶのは、新たな「保守のマドンナ」となった高市早苗氏だ。今回も選挙応援で引っ張りだこだという。

 敵基地無力化を強く主張する高市氏は、拉致問題を最重要課題の一つに位置づけて、総裁選でも金正恩氏と1対1の対談の場をつくるべきであり、北朝鮮に乗り込んででも話をつける、と力強いメッセージを発信した。

 そういえば、しばらくおとなしかった北朝鮮がミサイルが発射し始めたのは、自民党総裁選からだ。今回のミサイルは、金正恩氏なりの高市氏への「ラブレター」かもしれない。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E3%81%AE-%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E8%8A%B8-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%94%BF%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AB%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%82%8B%E6%B7%B1%E3%81%84%E7%90%86%E7%94%B1/ar-AAPLcAJ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1201.html

[近代史6] 6億年前の生物進化!カンブリア爆発の謎
【ゆっくり解説】6億年前の生物進化!カンブリア爆発の謎。
2021/10/20



カンブリア爆発は生命大進化のタイミングでした。
いったいこの時期には何が起きていたのでしょうか。カンブリア爆発の謎に迫る。

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/953.html

[近代史5] スタグフレーションに備えよ!
スタグフレーションに備えよ!
2021/10/14




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html

[リバイバル3] 富士山登山を「ニコ生」中継中に滑落か 救助隊が捜索 中川隆
73. 中川隆[-15916] koaQ7Jey 2021年10月21日 17:38:32 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[9]
富士山滑落事故 バラバラ遺体で発見 完全ノーカット版
2021/07/02



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1012.html#c73
[番外地9] 共産主義はグローバリズムじゃないよ、昭和に流行った yudaya陰謀論を無批判に信じてしまったんだね
共産主義はグローバリズムじゃないよ、昭和に流行った yudaya陰謀論を無批判に信じてしまったんだね。
グローバリストは ウォール街、ロスチャイルド、ロックフェラー、ヒトラー、ムッソリーニ、昭和天皇、近衛文麿、フーバー、チャーチル
共産主義者はレーニン、ルーズベルト、チャップリン、日本陸軍軍人や2・26事件の将校、ヨーロッパの反ナチス レジスタンス
ルーズベルトは反ウォール街の共産主義者
ヒトラーや昭和天皇・近衛文麿は反共でウォール街のエージェントだよ
日本陸軍軍人は共産主義者ばかりで戦後は日本共産党員になった人が多い

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
 アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。
 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。

 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。

 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。

 ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。

 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。

 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。

 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。

 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。

 日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本とアメリカが戦争を始めてしばらくの間、グルーは日本に滞在。離日したのは1942年8月だが、その直前に彼がゴルフをした相手は岸信介だ。大戦後、日本の進む方向を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。グルーが親ファシスト勢力に属していたことを忘れてはならない。

 すでにアメリカでは強大な私的権力が国を上回る力を持っている。その結果、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らか」になっていると言える。

 2011年9月11日以降、アメリカでは国外での侵略戦争、国内での刑務所化が急速に進んでいる。アメリカの属国である日本もその後を追っている。そうした現状を見ながら、「それでもアメリカは民主主義国だ」とか「それでもアメリカの方がましだ」という「左翼」、「リベラル派」、「革新勢力」が日本にはいる。 

▲△▽▼

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。
理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。
今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです:
デジタルIDを推進することを目指すNGO、「ID2020」が存在する。ビル・ゲーツのマイクロソフト、Gavi、あるいはロックフェラーやロスチャイルドといった富豪が参加したプログラムで、2019年9月にニューヨークで開かれたID2020の総会で2020年から新しいプログラムを始めることを決めている。デジタルIDをテストする場所として決まったのはバングラデシュだった。
 デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートが必要なくなるだけでなく、日常の生活も一括管理されることになる。1980年代からアメリカの軍、治安機関、情報機関などは個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどの個人データを収集、分析するシステムを開発、実用化してきたのだが、そうした個人データを一括管理する仕組みの中にデジタルIDも組み込まれることになるだろう。
ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/909.html

[番外地10] 資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる
資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる。
資本主義は自国だけでは階級ができた段階で内需が壊滅し恐慌になって行き詰る。
それで需要を求めて植民地を作り、植民地人から搾取して生き延びるしかなくなる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/104.html

[番外地10] 資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる 中川隆
1. 中川隆[-15915] koaQ7Jey 2021年10月21日 19:02:46 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[10]
ジニ係数は0から1までの数字で表され、以下のように定義されている。
完全に所得分配ができている(格差がない)状態→0
1つの世帯がすべての所得を独占している(最大の格差が生じている)状態→1

近年、日本において所得格差の拡大が問題視されている。1999年は0.472であった当初所得のジニ係数は、2017年には0.5594にまで上昇。格差は着実に拡大中だ。
2016年のデータによると、日本のジニ係数0.339に対し、先進国の平均は0.297、新興国の平均は0.462であった。日本の所得格差は、「ほとんどの先進国よりも大きい」というのが現状である。

▲△▽▼

資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる。
資本主義は自国だけでは階級ができた段階で内需が壊滅し恐慌になって行き詰る。
それで需要を求めて植民地を作り、植民地人から搾取して生き延びるしかなくなる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

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人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/104.html#c1

[番外地10] 資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる 中川隆
2. 中川隆[-15914] koaQ7Jey 2021年10月21日 19:11:49 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[11]
ジニ係数は0から1までの数字で表され、以下のように定義されている。
完全に所得分配ができている(格差がない)状態→0
1つの世帯がすべての所得を独占している(最大の格差が生じている)状態→1

近年、日本において所得格差の拡大が問題視されている。1999年は0.472であった当初所得のジニ係数は、2017年には0.5594にまで上昇。格差は着実に拡大中だ。

ジニ係数の一般的な目安は「0.5」と言われており、この数値を超えると所得格差がかなり大きい状態となる。
日本のジニ係数は右肩上がりの状態にある。特に当初所得の格差は急速に広がっており、2005年にはついに基準となる0.5を超えてしまった。

ジニ係数の2つの種類
ジニ係数には「当初所得ジニ係数」と「再分配所得ジニ係数」の2つが存在する。
当初所得ジニ係数とは、純粋に前年の所得を対象に計算して求められた数値である。一方で再分配所得ジニ係数とは、社会保障料および税金の控除をおこない、年金や医療、介護などの社会保障給付をくわえた所得から求められる数値を示している。

2016年のデータによると、日本の再分配所得ジニ係数0.339に対し、先進国の平均は0.297、新興国の平均は0.462であった。日本の所得格差は、「ほとんどの先進国よりも大きい」というのが現状である。

▲△▽▼

資本主義はすぐに階級社会になって行き詰まる。
資本主義は自国だけでは階級ができた段階で内需が壊滅し恐慌になって行き詰る。
それで需要を求めて植民地を作り、植民地人から搾取して生き延びるしかなくなる。

シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/104.html#c2

[近代史4] 鶴田法男 予言(東宝 2004)
鶴田法男 予言(東宝 2004)


監督 - 鶴田法男
原作 - つのだじろう『恐怖新聞』
脚本 - 高木登、鶴田法男
音楽 - 川井憲次



『予言』
2004年制作で10月2日劇場公開作品。東宝配給。Jホラーシアターシリーズの第1弾作品。原作の「未来を予告する新聞」という設定のみ抽出し、別の物語として描かれている。


キャスト
里見英樹 - 三上博史
里見綾香 - 酒井法子
若窪沙百合 - 堀北真希
宮本美里 - 小野真弓
鬼形礼 - 山本圭
吉行和子


https://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC#%E3%80%8E%E4%BA%88%E8%A8%80%E3%80%8F

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1713.html

[番外地9] GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する 中川隆
3. 中川隆[-15912] koaQ7Jey 2021年10月21日 20:38:37 : Lvflp4LPmM : bXYvdHNvRFNWMkk=[13]
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
需給で大事なのは生活必需品の需給だけ、不要品や高級品まで入れたすべての商品の需給に意味は無い
労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えない
労働生産性というのは賃金額の事だよ、地方の生産性が低いというのは地方の賃金が安いというだけの事だ。
GDPというのは企業や金持ちの所得の事だ、労働者の所得とはあまり関係しない。
やっても やらなくてもいい仕事ばかりの需要・供給は生活必需品の需要・供給とはあまり関係しない。
消費者物価指数というのは高級酒や高級車や贅沢品の価格を反映する物価で、生活必需品の価格とはあまり関係しない。

従って、労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えないのです。

金利が上がらないのは日本だけでなく世界中で起きている現象で、階級社会が完成して内需が壊滅したのが原因です。
奥の院は今 資本主義をグレートリセットして地球人口を3億人まで減らそうとしています。

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。

理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです。

今は世界中が階級社会になってしまって内需が壊滅したので資本主義の時代はもう終わったと言われています。
銀行から金を借りて新規事業をやっても儲からないですからね。
それで資本主義のグレートリセットをやらないといけないという結論になったのです。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

GDPが増えても国民は豊かにならない
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日本を始めとして世界中で”親世代より貧しい子供世代”に入っていて、韓国もご多分に漏れず子供世代が貧しい。
先進国で初めてこうなったのはおそらく1980年代以降のアメリカで、マイホームが買えなくなった。
アメリカは1950年代が絶頂期で(裕福な白人家庭は)7リッターの大型車を乗り回し、芝生やプール付きの家を所有していた。

当然未来のアメリカはもっと豊かになると想像していたが、子供や孫の世代になるほど貧困化している。
アメリカは60年代、70年代、80年代と不況が続き、やっと好景気になった90年代は以前とは違っていた。
前の好景気では労働者の所得が増え、自動車工場の従業員は自分が作った車を買うことが出来た。

だが90年代以降の好景気では労働者の給料はあまり増えず、資産価値だけが増加しました。
つまりお父さんの給料は30万円で変わらないのに、株価や地価やビットコインだけが値上がりしました。
値上がりした株やビットコインでGDPは上昇するので、物価も資産上昇につれて上昇しました。
だが物価が上昇してもお父さんの給料は30万円のままなので、労働者家庭はどんどん貧困化しました。

統計によるとアメリカの中産階級は1980年代から貧困化していて、中産階級から貧困階級に転がり落ちる人が多い。
こうした例を日本に当てはめるまでも無く、労働者の所得は減り資産だけが増え日本人は『貧困民族』になりました。

資産価値上昇が日本人を貧困にしている。
個人資産が1500兆円とか2000兆円という数字を聞いたことがあると思いますが、アレが増えれば増えるほど日本人は貧困になります。
なぜなら汗を流して働いた人の給料は減り続け、働かずに土地や株を所有する人の収入が増え続けるからです。
多分あなたは週5日以上、一日8時間以上働いているが、収入は増えていないのではないでしょうか?
ところが資産を保有している人は1年に1日も働いていないのに、資産が倍になったりしています。
資産価値が上昇した分日本のGDPが増えたことになり物価が少し上がるので、労働者は毎年貧しくなります。
これが安倍、小泉や自民党政権が20年やった事だが、自民党のせいというほど話は単純ではない。

欧米や中韓ロですらそうなっていて、労働者の給料は実質減り続けて、不労者である資産階級だけが収入を増やしている。
この原因が資産価値の上昇で、マネー経済ともバブル経済とも言います。
労働価値は変わらないのに株やビットコインや地価だけが上昇する社会は労働者にとって地獄の世界になります。
そして世界中が地獄化しているのです。


日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
https://www.youtube.com/watch?v=20L9UD0qtwc

中国の元高為替操作によるコストプッシュ インフレが始まった
日本にも悪性の物価上昇が迫っている!
https://www.youtube.com/watch?v=ZhTgq_eGaI4

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/869.html#c3

[番外地10] GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
需給で大事なのは生活必需品の需給だけ、不要品や高級品まで入れたすべての商品の需給に意味は無い
労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えない
労働生産性というのは賃金額の事だよ、地方の生産性が低いというのは地方の賃金が安いというだけの事だ。
GDPというのは企業や金持ちの所得の事だ、労働者の所得とはあまり関係しない。
やっても やらなくてもいい仕事ばかりの需要・供給は生活必需品の需要・供給とはあまり関係しない。
消費者物価指数というのは高級酒や高級車や贅沢品の価格を反映する物価で、生活必需品の価格とはあまり関係しない。

従って、労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えないのです。

金利が上がらないのは日本だけでなく世界中で起きている現象で、階級社会が完成して内需が壊滅したのが原因です。
奥の院は今 資本主義をグレートリセットして地球人口を3億人まで減らそうとしています。

これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?

資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。

理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです。

今は世界中が階級社会になってしまって内需が壊滅したので資本主義の時代はもう終わったと言われています。
銀行から金を借りて新規事業をやっても儲からないですからね。
それで資本主義のグレートリセットをやらないといけないという結論になったのです。

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

GDPが増えても国民は豊かにならない
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日本を始めとして世界中で”親世代より貧しい子供世代”に入っていて、韓国もご多分に漏れず子供世代が貧しい。
先進国で初めてこうなったのはおそらく1980年代以降のアメリカで、マイホームが買えなくなった。
アメリカは1950年代が絶頂期で(裕福な白人家庭は)7リッターの大型車を乗り回し、芝生やプール付きの家を所有していた。

当然未来のアメリカはもっと豊かになると想像していたが、子供や孫の世代になるほど貧困化している。
アメリカは60年代、70年代、80年代と不況が続き、やっと好景気になった90年代は以前とは違っていた。
前の好景気では労働者の所得が増え、自動車工場の従業員は自分が作った車を買うことが出来た。

だが90年代以降の好景気では労働者の給料はあまり増えず、資産価値だけが増加しました。
つまりお父さんの給料は30万円で変わらないのに、株価や地価やビットコインだけが値上がりしました。
値上がりした株やビットコインでGDPは上昇するので、物価も資産上昇につれて上昇しました。
だが物価が上昇してもお父さんの給料は30万円のままなので、労働者家庭はどんどん貧困化しました。

統計によるとアメリカの中産階級は1980年代から貧困化していて、中産階級から貧困階級に転がり落ちる人が多い。
こうした例を日本に当てはめるまでも無く、労働者の所得は減り資産だけが増え日本人は『貧困民族』になりました。

資産価値上昇が日本人を貧困にしている。
個人資産が1500兆円とか2000兆円という数字を聞いたことがあると思いますが、アレが増えれば増えるほど日本人は貧困になります。
なぜなら汗を流して働いた人の給料は減り続け、働かずに土地や株を所有する人の収入が増え続けるからです。
多分あなたは週5日以上、一日8時間以上働いているが、収入は増えていないのではないでしょうか?
ところが資産を保有している人は1年に1日も働いていないのに、資産が倍になったりしています。
資産価値が上昇した分日本のGDPが増えたことになり物価が少し上がるので、労働者は毎年貧しくなります。
これが安倍、小泉や自民党政権が20年やった事だが、自民党のせいというほど話は単純ではない。

欧米や中韓ロですらそうなっていて、労働者の給料は実質減り続けて、不労者である資産階級だけが収入を増やしている。
この原因が資産価値の上昇で、マネー経済ともバブル経済とも言います。
労働価値は変わらないのに株やビットコインや地価だけが上昇する社会は労働者にとって地獄の世界になります。
そして世界中が地獄化しているのです。


日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
https://www.youtube.com/watch?v=20L9UD0qtwc

中国の元高為替操作によるコストプッシュ インフレが始まった
日本にも悪性の物価上昇が迫っている!
https://www.youtube.com/watch?v=ZhTgq_eGaI4

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/105.html

[近代史7] 給料15万で失業を繰り返す…伝説の大家族 渡津家
【ゆっくり解説】給料15万で失業を繰り返す…伝説の大家族 渡津家をゆっくり解説
2021/10/21




http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/124.html

[近代史7] 江原啓之がTVから消えた理由とオーラの泉 打ち切り理由とは?業界事情から紐解く
【ゆっくり解説】江原啓之がTVから消えた理由とオーラの泉 打ち切り理由とは?業界事情から紐解く
2021/10/21



スピリチュアルカウンセラーとして一斉を風靡した江原啓之さんの解説です。2006年頃からテレビで活躍 『オーラの泉』の大ヒットで大変著名なかたとなりました。あまりにヒットコンテンツとなったため、いわれなき批判などもあったようですが、『オーラの泉』の打ち切り、江原啓さん之がテレビから遠ざかってしまった理由は 業界を取り巻くのっぴきならない理由もあったようです。


【ご注意】当チャンネルは廃墟探索や肝試しを推奨して「おりません」。「やめたほうがいいですよ」というのが首尾一貫した主張となります。万が一廃墟探索や肝試しなどをされても、その結果やトラブル等の全ての責任は一切負いかねます。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/125.html

[近代史7] 霊能力者 宜保愛子の生涯 - テレビ番組裏事情から大槻教授との伝説バトルまで
【ゆっくり解説】霊能力者 宜保愛子の生涯 - テレビ番組裏事情から大槻教授との伝説バトルまで
2021/10/12



みんな大好き「宜保愛子さん」特集です。稀代の霊能力者と言われた宜保愛子さんがどんな生い立ちを経て、全国民に知られるような霊能力者になっていったのか。そして心霊否定派「大槻教授」とのバトルの行方は?
テレビ業界の論理に翻弄された彼女の生涯を解説いたします。



【閲覧注意】島根県出雲市「かもめ荘」…宜保愛子が除霊を諦めた因縁の場所
2021/10/04



興味本位で行かないでください。


【ご注意】当チャンネルは廃墟探索や肝試しを推奨して「おりません」。「やめたほうがいいですよ」というのが首尾一貫した主張となります。万が一廃墟探索や肝試しなどをされても、その結果やトラブル等の全ての責任は一切負いかねます。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/126.html

[近代史5] 本当は怖い日本の「名城」7選!
【ゆっくり解説】本当は怖い日本の「名城」7選!
2021/10/07



日本には世界遺産のお城があります。
日本100名城と呼ばれるお城には戦国の歴史があります。
そこには恐ろしい過去があるのです。
この動画を見るとお城巡りをするのが楽しくなるかもしれません。
今回は本当は怖い日本の名城の選を紹介して行きます。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1203.html

[近代史7] 本当にヤバイ!日本で現実に起きた「心霊事件」5選!
【ゆっくり解説】本当にヤバイ!日本で現実に起きた「心霊事件」5選!
2021/10/19



日本には現実では信じられない現象が実際に起きている場所があります。
今回は日本で実際に起きた心霊事件5選を紹介して行きます。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/127.html

[番外地10] 警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ 中川隆
11. 中川隆[-15911] koaQ7Jey 2021年10月22日 02:55:01 : slG4eocKok : SzJRNjlFVVZRLlk=[2]
爽彩さんは自殺未遂事件の後、毎月警察に呼ばれて病状や家庭環境等を聞かれていたんだから、失踪前の段階では画像の拡散なんか有る訳ないんだよ。画像拡散なんかしたらすぐに逮捕されて少年院行きだからね。
すべて爽彩さんの被害妄想だった可能性が高い
爽彩さんの死体検案書に記載された精神疾患名は、統合失調症
統合失調症は覚醒剤中毒と同じ症状で治療薬も同じだよ。
本当は覚醒剤中毒と書かなければいけなかったけど、加害者か母親が爽彩さんに覚醒剤を飲ませたと思われると困るから、統合失調症と書いたんだよ
おそらくイジメ事件は爽彩さんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

ウッペツ川の欄干からの飛び降り事件でも母親は弁護士まで雇っていながら民事訴訟を起こさなかった。
知られると困る事が有ったのかな?

ふつざわしゅん氏は爽彩さんの母親は事件の事だけは絶対に話さない、新しい情報は母親からは何一つ得られなかったと言っています。
余程隠したい事が有るのでしょうね。

覚醒剤中毒だと被害妄想になるから、先生も爽彩さんを相手にしなかったんだろうね
母親も児童売春組織と何か関係あるんだろうね
だから必死で隠蔽工作している


警察と病院と学校がすべてグルだとか、有り得ないアホ陰謀論だろ

これはすべて爽彩さんの覚醒剤中毒による被害妄想だよ
加害者を調べるより家庭環境が きなこもちの言っていた通りだったか確認した方がいい

▲△▽▼

爽彩さんの母親は何故先頭に立って殺人事件の揉み消し、遺体発見場所や加害者の隠蔽をしているのか?

爽彩さんの母親は爽彩さんの遺体の発見場所の公開をストップさせ、凍死体をどうやって公園に運んだかをわからなくさせました。トイレの裏側の遺体発見場所では、その場所だけ雪が人工的に 1.5mも 積み上げられていたのがわかっています。
爽彩さんの母親は爽彩さんの失踪当日は氷点下17℃の極寒日だった、被害者が自殺したのは間違い無い、吉田は犯人じゃない、といった明らかに間違ったデマを多数発言して、事件に関心を持った人をすべて混乱させ、何が本当か判断できなくしました。

被害者の母親は事件を矮小化しようと必死でデマを拡散しています。

・被害者の母親は爽彩さんの遺体が発見された場所を公開しないでくれと警察に頼んだ

トイレの裏側の遺体発見場所では、その場所だけ雪が人工的に 1.5mも 積み上げられていたのがわかっています。
その事実が明らかにされると他殺だとわかってしまうので、遺体が発見された場所の公開を止めさせたとしか思えません。

「ここ」をわかられると、以下のような疑問がわく

向かいの住宅の通報なので、近所には知れていますし
事件捜査時点で、トイレわきの水場石垣にブルーシートがかけられたので、犯人のみ知るじじつだからというのは「いいわけ」です。
場所の隠蔽、15〜20の天気気温の隠蔽はKが
でもね、ニュースで最初に現場がでてるしね

#22 2021/06/15 00:40
トイレの近くにブルーシートがあったらしいよ
水路からひきあげて置いたかも?

#33 2021/06/29 22:24
そもそも、向かいの住宅から、遺体の一部が見えたから通報したんですよ
ですから、もうそれだけで場所はトイレわきの水路あたりのエリアしかないの。
住宅地がそこだけだから。
車道にも近いし
youtube.com
の天気見ればわかるけど、こんな状態で1ケ月も雪の中でしたなんてありえんのよ
まあ、発見の前日が雪ね(逆に)

で、警察は事件性を否定しないとやばいから、
そこを突かれないおうに土管のなかみたいなリークをしたの。
もう仕組まれてんのよ。

4月22日HTB北海道ニュース
この事件の最初の報道で映されたのは、水路の終点。トイレの建物から10数m離れた個所。花束が水路の石垣の
どこかに置かれてるのも映ってる。

もりりん、ここから360度撮影と、石の場所特定して。
あと、土管との位置関係と、公園の全体との位置関係、道路からの位置関係。行き倒れに不自然ないか、車で運んだっぽいのか。

つまり、遺体の置かれていたのが道路のすぐ近くで人家から良く見える所だとわかると、自殺ではない事がわかってしまうので、遺体発見場所を公開させないのです。

▲△▽▼

纏めると、 爽彩さんの母親は

・遺体の発見場所の公表を止めさせた

・失踪当日は零下17℃ だった
・吉田ゆうきは加害者じゃない

等の悪質なデマを撒き散らした。

・掲示板やyoutube の名探偵さんは迷惑だ、加害者を明らかにしないで欲しい

と何度も発言し、事件に関心を持った人が事件について調べるの止めさせようとした。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/102.html#c11

[番外地10] >旭川市の女子中学生いじめ疑いで遺族が「名誉棄損」を訴え SNS投稿を開示請求
>旭川市の女子中学生いじめ疑いで遺族が「名誉棄損」を訴え SNS投稿を開示請求

そもそもどんな名誉棄損のデマでも 7割は真実で残りの3割だけが尾ひれです。
旭川少女凍死事件では学校も教育委員会も警察も、そのデマのかなりの部分は真実だと判断していました。
自殺未遂事件では警察は爽彩さんと母親の関係が原因だと判断して、爽彩さんを精神病院に二か月も入院させて母親とは会わせませんでした。
失踪・凍死事件では警察は爽彩さんと母親の喧嘩が原因の家出だと判断して、初期捜査を殆ど行いませんでした。
そもそも警察は自殺未遂事件で爽彩さんが退院して以降は、爽彩さんを毎月呼び出して、母親との関係、売春していないかどうか、覚醒剤使用の有無等を聞いていた様です。 従って警察は爽彩さんの病状や家庭の状況を完全に把握した上で、失踪・凍死事件は爽彩さんと母親の喧嘩が原因の家出だと判断したのです。

爽彩さんは精神病院に二か月も入院させられていたので、唯のパニック障害なら、退院後も病院でカウンセリングを受けるのが普通ですが、病院ではなく警察に毎月呼び出したというのは、警察は爽彩さんのパニック障害はイジメが原因ではなく、家庭環境や覚醒剤障害が原因だと判断していた可能性が高いのです。

校長や教頭、担任、教育委員会も失踪・凍死事件は中学でのイジメが原因ではなく、家庭の問題だと何度も指摘しています。
第三者委員会のメンバーの大半が精神科医や心理学者で、加害者への聞き取り調査を一切していないのも、旭川少女凍死事件は中学でのイジメが原因ではなく、家庭の問題だと判断しているからです。

▲△▽▼

#282 2021/05/20 08:15
担任の菅野未里先生がこの噂を信じていたのは間違いないみたい
知人とのLINEで「デートと言って断ってやったわ」「子供ほったらかしてる分際で」と送信してる

▲△▽▼

旭川の人々の本心は

『少女が勝手に自分の画像を男子に送り騒いでる』
『彼女の家はモンスターペアレント』
『いじめではなく性的いじりなのに騒いでる』
『橋の上で男子生徒と揉めて、勝手に身投げした』
『2年前の話でしっかり謝罪した』
『彼女が自殺したのは家庭の問題』
『いじめと自殺は関係ない』

朝日新聞も同様の書き方していた
これが旭川の多くの人々の認識
だから2年前の謝罪で終わってるのに犯人扱いされて、未成年なのに家族まで特定されて『名誉毀損』

ほぼこれ

▲△▽▼

因みに、上に書いたのは警察や学校関係者、旭川の一般人がどう判断しているかという事で、真実は誰にもわかりません。
爽彩さんの母親は、爽彩さんは自殺で間違い無い、掲示板や youtube の名探偵さんの話はすべて間違いだ、と繰り返し何度も言っています。

何故か、爽彩さんの母親は爽彩さんの遺体の発見場所の公開をストップさせ、凍死体をどうやって公園に運んだかをわからなくさせました。トイレの裏側の遺体発見場所では、その場所だけ雪が人工的に 1.5mも 積み上げられていたのがわかっています。
爽彩さんの母親は爽彩さんの失踪当日は氷点下17℃の極寒日だった、爽彩さんが自殺したのは間違い無い、吉田は犯人じゃない、といった明らかに間違ったデマを多数発言して、事件に関心を持った人をすべて混乱させ、何が本当か判断できなくしました。

爽彩さんの母親は事件を矮小化しようと必死でデマを拡散しています。

・爽彩さんの母親は爽彩さんの遺体が発見された場所を公開しないでくれと警察に頼んだ

トイレの裏側の遺体発見場所では、その場所だけ雪が人工的に 1.5mも 積み上げられていたのがわかっています。
その事実が明らかにされると他殺だとわかってしまうので、遺体が発見された場所の公開を止めさせたとしか思えません。

「ここ」をわかられると、以下のような疑問がわく

向かいの住宅の通報なので、近所には知れていますし
事件捜査時点で、トイレわきの水場石垣にブルーシートがかけられたので、犯人のみ知るじじつだからというのは「いいわけ」です。
場所の隠蔽、15〜20の天気気温の隠蔽はKが
でもね、ニュースで最初に現場がでてるしね

#22 2021/06/15 00:40
トイレの近くにブルーシートがあったらしいよ
水路からひきあげて置いたかも?

#33 2021/06/29 22:24
そもそも、向かいの住宅から、遺体の一部が見えたから通報したんですよ
ですから、もうそれだけで場所はトイレわきの水路あたりのエリアしかないの。
住宅地がそこだけだから。
車道にも近いし
youtube.com
の天気見ればわかるけど、こんな状態で1ケ月も雪の中でしたなんてありえんのよ
まあ、発見の前日が雪ね(逆に)

で、警察は事件性を否定しないとやばいから、
そこを突かれないおうに土管のなかみたいなリークをしたの。
もう仕組まれてんのよ。

4月22日HTB北海道ニュース
この事件の最初の報道で映されたのは、水路の終点。トイレの建物から10数m離れた個所。花束が水路の石垣の
どこかに置かれてるのも映ってる。

もりりん、ここから360度撮影と、石の場所特定して。
あと、土管との位置関係と、公園の全体との位置関係、道路からの位置関係。行き倒れに不自然ないか、車で運んだっぽいのか。

_______

つまり、遺体の置かれていたのが道路のすぐ近くで人家から良く見える所だとわかると、自殺ではない事がわかってしまうので、遺体発見場所を公開させないのです。

遺体が土管の中で見つかったとすると自殺だと判断されます。
雪上は足跡が付くので、遺体を土管まで運ぶと、見てすぐにわかってしまいますから。

一方、遺体がトイレの裏から見つかったとすると他殺だと判断されます。
トイレの裏は歩道のすぐ傍で人家から良く見える所なので、そんな所で凍死自殺したり、行倒れる可能性は完全にゼロだからです。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/106.html

[近代史7] (ゾッとする怪事件)日本で本当に起こった心霊事件 二選
【ゾッとする怪事件】日本で本当に起こった心霊事件 二選【ゆっくり解説】
2021/09/26




http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/128.html

[番外地10] ここも児童売春組織の工作員が頑張っているね
ここも児童売春組織の工作員が頑張っているね
児童売春組織と麻薬使用を隠したがっているんだ

名誉棄損、名誉棄損と騒いでいるのも児童売春組織の工作員だよ
真実を明らかにされると困るから名誉棄損、名誉棄損と騒いでいるんだろ
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/107.html

[近代史6] 核爆発の工業利用という幻想
核爆発の工業利用という幻想
2021年10月21日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1654.html


 原爆による核実験を工業的に利用できないかという試しみは1950年代から頻繁にあった。当時、すでに広島長崎の惨禍が世界的に知られていたにもかかわらず、米軍が被害を軍事機密に指定し、隠蔽したことで、「残置放射能の影響は取るに足らない」と勘違いした人々がたくさん現れた。

 【1958年、日本住宅公団初代総裁である加納久朗は、原爆を使った東京湾の埋め立てによる新首都建設構想を発表した。
 これは房総丘陵の山々を崩して埋め立て用の土を確保、それを使い東京湾の東半分をすべて埋め立て、ここに皇居を含めた首都機能を移転、新首都「ヤマト」を建設するという壮大な構想だった。
 崩す山々のうち、堆積岩から成る鋸山については、核爆発によって山全体をゆるませて岩石を掘りとるというプランを提示していた】
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%9A%84%E6%A0%B8%E7%88%86%E7%99%BA

 https://tanken.com/tokyobay.html

 哀れ、房総半島の名山、鋸山と鹿野山は、海の藻屑に消える運命だった。八犬伝と里見甫を生んだ里見郷も消え去る寸前だった。
 しかし、1954年に行われたブラボー水爆による第五福竜丸事件を契機に、国内で原水禁運動が大規模に盛り上がったことにより、東京近郊で核爆発を起こす計画は、トンデモとして消え去った。

 だが、1950〜70年代にかけて、米ソが、軍事用大気圏核実験を正当化する目的で、民生利用としての核爆発を相当数、実行した。
 そのなかの、ソ連イワノボ州で行った核使用土木工事が何をもたらしたのか、東京新聞が特集した。

 双頭の牛が生まれ、住民はガンに…50年前の「ヒロシマ事故」で滅んだソ連の村の真相とは 2021年10月20日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/137831?rct=world

  核エネルギー利用の危険性は、核兵器や原発事故を前提に語られてきた。だが原爆で国土開発する実験に失敗し、住民が被ばく、村が滅んだ特異な例もある。ソ連でちょうど50年前に起きた「ヒロシマ事故」の真相を探った。(ロシア西部イワノボ州で、小柳悠志、写真も)

 ボルガ川と紅葉した対岸の森の対比が美しい。この森の奥、工業用核実験場グロブス1で1971年9月、「イワノボのヒロシマ」と呼ばれる事故が起きた。

 当時の惨事を、現地メディア「ロシア・ビヨンド」はこう伝える。
 ソ連は65年以降、人工貯水池を造ったり、地下資源を探査したりするために原爆を「人民経済のための核爆発」として、工業利用してきた。
 ツルハシで土を掘ったり、ダイナマイトで発破を掛けたりするよりも、核爆発の方が手っ取り早いと考えたからだ。

 71年9月、グロブス1では、広島の原爆の6分の1の威力の核爆弾を地下610メートルで爆発させた。ところが想定外にも、放射性物質で汚染された地下水や土砂が地表に20日間にわたって噴出。最大1万平方メートルの土地が汚染された。
 当局は実験場に「立ち入り禁止」の看板を立て、技術者たちは安全な場所に撤退した。

 ロシア・ビヨンドによれば、好奇心から事故現場の穴に立ち入った少年2人は「みるみる弱って死んだ」と伝える。奇形の家畜も生まれた。
 核事故の情報は隠され、自家用にと実験場の資材を取りに行った住民も死んだとされる。
 核政策に詳しい元プラウダ紙科学部長、ウラジーミル・グバレフ氏(83)によると、ソ連は鉱物掘削などに絡む「平和的な産業利用」の核爆発を124回も実施。「300年の作業が数年で終わった」と評価している。

 85年に就任したゴルバチョフ書記長は、米国と核軍縮に動き、ソ連の核の工業利用は封印されることになった。

◆生存者が証言「ようやく話題にできた」

 「グロブス1」跡地近くのレシュマ村で、ニーナ・ルィービナさん(57)から「ヒロシマ事故」の証言を得た。一問一答は次の通り。

 ―事故の影響は。
 「当時、私は7歳で爆心地から12キロの村に住んでいた。翌年から大きなキノコが生えてきた。事故について政府の説明はなかったが、森への立ち入りやキノコ狩りは禁じられた。年2回、医者が学校に来るようになり、ヨウ素入りの薬が処方された」
 ―奇形の動物が生まれたとの説がある。
 「2年後、双頭の子牛が生まれた。母が勤めていた農場で私も見たので事実だ。事故後はがんで死ぬ人が増えた。若くして死んだ人もいる。私の2人目の子どもは皮膚が黄色くなり、モスクワの特別な病院に連れて行かれた。そこには(核関連施設がある)中部チェリャビンスクの子どもたちも治療に来ていた」

 ―実験場での爆発時は。

 「地震があった。窓が割れるほどではなく、家がゆらゆらする感じ。母によれば、赤いトラックが来て土壌を交換していった。こうした出来事は口外できず、ペレストロイカ(1980年代後半の改革期)が来て、ようやく話題にできるようになった」

 ―原発など核エネルギーの利用に賛成か。

 「太陽光はこの地で十分ではない。石炭も(埋蔵量が)いずれ尽きる。核エネルギーは神様が造ったものだから利用しなければ」
*****************************************************************
 引用以上

 最後のオチは残酷なものだった。村人は科学技術への信仰を捨て去れないのだ。数百年、数千年もの伝統のある村落では、必ず「自分たちの里を守る」という一見保守的な信念が村人たちに根付いているもので、得体の知れない核爆発工事など絶対に許さないだろう。
 だが、広大な未開地を抱え、侵略に次ぐ侵略で領土を拡張してきたロシア人・アメリカ人にとって、土地や文化に対する執着は、日本人と比較すれば薄いように思える。

 核エネルギーのような科学技術=未知の救世主に期待を寄せる風土というのは、自分たちの生活に伝統と愛着が存在しないことを示している。
 また、こんな暴力的事業をやりたがるのは、共産党のような新興勢力の特徴=習性でもある。「科学という御旗」を掲げれば、何でも正当化できると思いたがるのだ。

 ソ連では、1957年、チェリャビンスクで「ウラルの核惨事」と呼ばれる巨大放射能事故が起きた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%AB%E6%A0%B8%E6%83%A8%E4%BA%8B

 このときも、ソ連共産党は、ほとんど核汚染による被害を認めていないが、少なくとも数十万人が致死的線量を被曝していて、現在までに、おそらく数百万人が被曝によって心筋梗塞や発癌などで死亡したと思われる。また恐ろしい奇形児や遺伝障害が数え切れないほど登場したことだろう。

 ソ連共産党は、「共産主義の宣伝」という大義名分のためなら、被害の隠蔽、矮小化が許されると思い込んでいて、党(官僚の利権)のためなら、どんな情報操作を許されると信じているようだ。

 だから反省がないことで、1986年、チェルノブイリ原発、巨大放射能事故を起こした。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85

 このときもソ連当局は、直接の死亡被害者が、わずか33名と公表しただけだが、専門家のなかには、周産期前死産や数十年後の発癌死者を含めれば、地球上で億の単位の死者が出たと推定する者がいる。私も賛成だ。
 なお、グリーンピースは直接の事故被曝死者数を約10万人と評価している。

 放射能汚染による死亡は、とにかく潜伏期間が長い。もっとも短い白血病や小児甲状腺癌でも数年後からで、心筋梗塞など循環器系疾患のピークは5年後だ。発癌に至っては、最短潜伏期間が10年、プルトニウム誘発癌は40年と評価されていて、遺伝障害の伝播は、7世代200年以上とも評価されている。

 だから、フクイチ事故の場合も、おそらく、全世界で周産期前死亡や数十年後の発癌死を含めれば、億単位の死者が出ると理解される可能性は十分にある。
 ただ、あまりの潜伏期間の長さが、統計上の因果関係の確定を困難なものにしていて、正確な数字を出せる状況ではない。

 アメリカにおける核爆発の工業利用でも、ほぼロシアと同等の被曝事例が発生している。
 チャリオット作戦
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E4%BD%9C%E6%88%A6

  米ソ、英仏、中印のような大国は、自らの権威を誇示する目的で核開発を行う場合が多く、日本も例外ではない。
 日本の場合も平和利用を隠れ蓑にして、原子力発電を通じた核開発を行っているが、1966年開業の東海原発は、すでに軽水炉が主流だったのに、わざわざ時代遅れの黒鉛冷却炉を導入した。その理由は、兵器用プルトニウムの生成のために効率的だったからで、逆に民生用、発電炉としては、巨大地震が懸念される茨城太平洋岸の地は不適格だった。
 したがって、平和利用を隠れ蓑にした核爆弾開発だったといえよう。

 核兵器放射能の恐ろしさは、広島長崎の経験が報告されていながら、その威力に対する魅力の前に、正しく評価されないことが多い。
 1978年、夏目雅子主演の「西遊記」が、中国核実験場ロブノールでロケを行い、その後、夏目雅子は、急性骨髄性白血病で死亡した。
 だが、この番組を視聴した日本人30万人が、核汚染の恐怖も理解できずに楼欄などに憧れ、観光旅行に出かけて被曝させられている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93

  https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/c7d9ab691b7f457cb726db9a4672a7d7

 東京電力フクイチ事故現場も、外国人留学生や地元高校生を被曝防御もなしに安全だと決めつけ、見学させているが、被曝しても、すぐに症状が出ないで、10年も経てから致死的発癌がはじまる放射能被曝の性質から、本当の恐ろしさを実感できるのは、これからのことだ。だが、ほとんどの場合、気づいてからでは遅い。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1654.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/954.html

[近代史6] 原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

鬼塚英昭著『原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1051.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/955.html

[近代史6] 地球温暖化はデマだった?
地球温暖化はデマだった?


発電をすべて原子力にしなければ地球温暖化で地球の気温は250℃になる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/140.html

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

もうすぐ氷河時代が来る証拠?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html

温暖化か寒冷化か
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/710.html

原発の専門家だった武田邦彦は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/238.html

櫻井春彦:「地球温暖化はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/647.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/956.html

[近代史6] 地球温暖化はデマだった? 中川隆
1. 中川隆[-15910] koaQ7Jey 2021年10月22日 08:58:09 : mg1TZcTUuA : Lk8zOWw4NDR0YTI=[2]
2020年08月09日
異常気象で衰退する文明 熱帯は高温と水不足で住めなくなる
2050年にアフリカからインドにかけて夏の最高気温50度になる


今世紀末に赤道では気温60度

CO2のせいなのかは分からないが、異常気象が毎年発生していて、異常ではなくなって来ています。

史上最悪の猛暑が何年か続いたかと思うと、史上最長の長雨だったりして、気象が不安定になっています。

世界的にも異常気象のせいで、高温が続いたり降水量が減って水不足になっている地域が多いです。


このまま地球の温暖化が進むと、人間が(ほぼ)住めなくなる国も出てくると予想されています。

現在の地球の平均気温は100年前より2度上昇しただけですが、局地的にはこの2倍の上昇率になっています。

今世紀中に地球の平均気温はもう3度上昇しますが、局地的にはやはり2倍の6度以上上昇します。


しかも冬の気温はあまり上がらず夏の気温だけ上昇し、さらに暑い地域ほど上昇幅が大きいと予想されています。

赤道近くのアフリカから中東、インドのような最初から暑い地域が、最も温暖化が進んで最高気温50度を超える日が増えます。

インドは現在もたまに50度を越えているので、今世紀終わりには気温60度の日が現実になります。


さらにもう100年後の22世紀には、北極圏や南極の地表が露出し、熱を吸収しやすくなるので、平均気温が現在より8度上昇すると言われています。

さっきの法則からすると局地的に現在より16度も上昇し、赤道では最高気温60度が普通の日常になります。

この頃には赤道周辺に人間は住めなくなり、北極や南極が現在のアマゾンみたいな気候になるようです。

水不足が熱帯の国々を襲う

住めなくなるもう一つの理由が水不足で、日本はあまり影響を受けていないが、世界的に雨が降らない旱魃が増えています。

温暖化は各地の降水量に大きな変化を及ぼし、大陸の内陸部では雨がほとんど降らなくなり砂漠化すると予想されています。


その一方で温暖化は海水からの水蒸気を増やすので、どこかに集中的に雨が降ると考えられていて、日本も豪雨地域かも知れません。


日本の夏は現在よりかなり暑くなり、雨が降り出すと滝のような豪雨になる未来かも知れません。

この場合水不足にはならないが、常に水害に悩まされる事になります。

ところで世界では現在でも、世界の66%の人は年間1ヶ月間真水を得る事ができない状態にある。


水不足は気温が高く人口が過剰で夏の降水量が少ない地域、つまり赤道周辺の国々で発生しています。

アメリカ西部、オーストラリア、アフリカ、中東、インド、中国内陸、インドシナ半島などは既に夏は新鮮な真水を入手できなくなっている。

赤道周辺の国々は気温の急激な上昇と水不足のダブルパンチに見舞われ、今後数十年で人の居住に適さなくなります。


水不足になるのは人口が多い国であるため、2030年代に人類の3分の2が慢性的な水不足状態に置かれます。

日本は幸いにも(?)人口が減り雨が大量に降っているので、ダムなどを適切に作れば水不足にならないでしょう。

真水の大半は飲料ではなく農業用に消費されていて、日本は食料自給率が低いので、大量の真水を輸入しているのと同じになります。

http://www.thutmosev.com/archives/72253367.html


▲△▽▼


グレートリセットで地球温暖化を防ぐ _ 世界人口を 3億人に減らすだけでなく、気候操作にも手を出すビル・ゲーツ
2021.04.05
人類のDNA改造だけでなく、気候操作にも手を出すビル・ゲーツ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104050000/

 ビル・ゲーツをスポンサーとする​ハーバード大学の研究者チーム​が2018年に始めたプロジェクト「SCoPEx(成層圏制御摂動実験)」の一環として、今年6月にスウェーデンの​SSC(スウェーデン宇宙公社)の協力を受けて炭酸カルシウムの粉末を大気中に散布する実験​をする予定だった。気球を高度20キロメートル程度まで上昇させ、そこで散布して太陽光を遮って地球を冷却しようとしたのだ。大がかりな環境汚染。反対の声が強く、SSCは実験の中止を決めざるをえなかった。

 安全性を確認せずにmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンを全人類に接種したがっているゲーツは、やはり安全性を確認しないまま気候を操作しようと目論んでいる。

 エルニーニョ現象(ペルー沖の海水温が上昇する現象)が起こる頻度が増えている、あるいは北極圏の先住民やその地域の学者たちの北極圏で氷が溶けているという指摘などから海水温の上昇が注目され、それが気温の問題になり、「温室効果ガス」が議論されるようになる。

 温室効果ガスは19世紀に議論されている。その後もこの方面の研究は続き、1973年になると、イギリスの科学者、ジェームズ・ラブコックはフロンガスが温室効果の大きな要素だと主張している。

 1997年12月には二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、ハイドロカーボン類、パーフルオロカーボン類、6フッ化硫黄など「温室効果ガス」を規制する議定書が京都で議決された。この「京都議定書」は2004年にロシア連邦が批准し、2005年に発効。この温室効果ガスはいつの間にか二酸化炭素の問題にすり替わってしまった。

 二酸化炭素は勿論、温室効果ガスが海水温を上昇させる原因なのかどうかは明確でない。少なくとも今のところ、仮説にすぎない。海水温の上昇が言われ始めた後、環太平洋地域では大きな地震の回数が増え、地殻変動が活発化していると言われるようになった。マグマの上昇が海水温上昇の原因だという説も唱えられている。2017年には巨大カルデラであるイエローストーンの周辺で地震が頻発、野生生物が暴走するなど何らかに異変が起こっているのではないかと話題になった。

 所詮、科学は人間が考えたことにすぎず、ヒトの知恵などは宇宙の真理などからほど遠い。自然に対して人間は謙虚でなければならないのだが、傲慢な人間も少なくない。その傲慢な人間が人類の運命を左右できるほどの力を持ってしまった。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104050000/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/956.html#c1

[近代史5] いくら食べても太らない!?奇跡の食べ物15選
いくら食べても太らない!?奇跡の食べ物15選【ゆっくり解説】




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1204.html

[近代史5] 衝撃!スーパーの醤油が偽物、危険!?本当の醤油っていったいなに?
【ゆっくり解説】衝撃!スーパーの醤油が偽物、危険!?本当の醤油っていったいなに?
2021/10/21



スーパーで売っている醤油がほとんど偽物、危険、という情報について、それは本当なのかどうか解説しています。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1205.html

[近代史5] 中国人がどこに行っても嫌われている理由
中国人がどこに行っても嫌われている理由


【ゆっくり解説】隣国「お願いだから戻ってきてくれ;;」日本人がいなくなった空港が驚愕の姿に…【海外の反応】
2021/10/21




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1206.html

[番外地10] 中国軍機による台湾威嚇は無能の証明
中国軍機による台湾威嚇は無能の証明
このように威嚇するのは現実には何もできないからで、ソ連軍もよくやっていました
 

なぜ? 5日間で延べ150機 中国軍機が台湾防空識別圏に進入 _ 中国・台湾 _ NHKニュース

多数の中国軍機が台湾に飛来

2021年9月5日、中国軍機19機が台湾の防空識別圏(ADIZ)に侵入し、J‐16戦闘機10機、Su-30戦闘機4機、 H-6爆撃機4機、 対潜哨戒機1機だったお発表された。

続いて10月2日に38機、10月4日に56機と増えていき、10月1日から4日までで149機が侵入した。

中国共産党政府は台湾統一は時間の問題だと戦力を誇示し、台湾の中華民国は圧力に屈しないと述べた。

台湾は最近米国製装備の導入を進めていて、21年10月は対艦ミサイルなど総額23億7000万ドル(約2500億円)で合意した。

トランプ政権も多くの装備を台湾に輸出承認したが、バイデン政権になってからも続いている。

これは原因と結果であって、中国が台湾を脅せば脅すほど、米国は台湾に多くの装備を輸出する。


うがった見方をすると米国兵器産業と中国軍は”通じていて”、互いに支援してるのではないかとすら思えます。

というのは米軍需産業は台湾危機で儲かり、中国側も軍の地位が高まり軍需産業も儲かるからです。

ところでこうした中国側の威嚇で「台湾侵攻」や中台戦争が起きるかと言えば、絶対に起きない。


本当に侵攻する計画があるなら、日本軍の真珠湾攻撃のように平和主義を偽装します。

「やる気なんかないからね」のようなポーズをとって油断させ、ある日だまし討ちします。

だまし討ちは有能な軍隊の特技であって、米国は建国以来(建国前から)宣戦布告してから戦争を始めたことが1回もありません。

弱い犬ほど吠える法則

アメリカ軍が攻撃開始する前は必ず「音無しのかまえ」で一時的な油断を誘い、その隙をついて敵の10倍ほどの戦力で襲い掛かる。

敵の10倍も戦力があるのだから堂々と立ち合えば良さそうだが、ベトナムのように負ける事があるので慎重です。

中国と台湾では戦力が100倍はあるが、台湾には日米欧がついていて中国には同盟国が無い。


中国軍が台湾を攻撃して日米欧と戦い始めたら、ロシアやパキスタンは「僕関係ないよ」と中国を見捨てます。

すると台湾島に上陸した少数の中国軍は雨あられの攻撃を受けて壊滅、いくら地上戦をやっても中国側に勝ち目はありません。

中国は本土から台湾の都市にミサイル攻撃も可能だが、これは明白に国際法違反なので米国と全面的に対立する。


アメリカは攻撃しないまでも「いつでも北京を廃墟にできる」体制を取り、西側の全ての国VS中国1国の戦争になる。

だから中国軍は台湾を攻撃しないし、攻撃できないからあのような示威行動を続けています。

古来から本当に襲い掛かる時はおとなしくしていて、やる気のない軍隊ほど勇ましく振舞うのが決まりです。


むしろ台湾軍が飛来した中国機を攻撃する可能性のほうが高いでしょう
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/108.html

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
14. 中川隆[-15909] koaQ7Jey 2021年10月22日 12:17:23 : mg1TZcTUuA : Lk8zOWw4NDR0YTI=[5]
共産党は経済成長を喜ばない

10-22 中国経済はファンダ分析では理解不能
2021/10/22



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c14
[近代史4] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
12. 中川隆[-15908] koaQ7Jey 2021年10月22日 14:58:56 : rwUVP6iK1U : akZLN1hRRkZzZms=[1]
2021年10月21日
財務官僚の自尊心と大衆の学歴崇拝
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68875362.html

アホな官僚が跋扈する財務省

  今月、『文藝春秋』誌の11月号で、財務省事務次官の矢野康治(やの・こうじ)が、高市早苗議員を批判したいのか、政府の“バラマキ政策”を咎める論文を発表した。矢野氏は掲載論文の中で次のように述べていた。

  最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます。(「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」)

Yano 001( / 矢野康治)
  日本の国益をずっと蹂躙してきた財務官僚が、「やむにやまれぬ大和魂」なんて言葉を吐くとは、まさしく笑止千万だが、矢野氏本人は意外と本気なんだろう。だいたい、何で消費税の引き下げが悪いんだ? 平成時代ずっと不況続きで、これといった経済成長もない割に、税金だけはどんどん吸い取られるなんておかしいじゃないか ! 本来なら、消費税をゼロ%にして消費意欲を刺戟すべきだろう。それなのに、財務官僚ときたら国民の生活などお構いなしに、「我々は竹下内閣、いや大平内閣以来、ずっと間接税の導入に奔走してきた。日本の財政を憂慮し、せっかく10%までに上げたのに、それを今更3%やゼロ%下げろとは何だ ! お前ら平民は日本経済の危機を分かっているのか?! 俺達の苦労が水の泡じゃないか!」と激怒する。

  もう、聞いているだけで顎が外れるくらいの傲慢さだが、財務省の役人は自分達が日本の政治を担っていると思っているのだ。さらに、心配なのは総理大臣になった岸田文雄の動向である。財務省の親戚に囲まれた岸田総理は、低所得家庭の日本人なんかに興味が無い。国民から信託を受けても、耳を傾けるのは財務省のレクチャーだ。選挙の結果がどうであれ、岸田総理は金融課税か環境税などの導入に焦点を絞り、もっと税収を上げようと目論んでいる。

  緊縮財政を「善」と思っている矢野氏は、未来への投資でも借金は御免で、別口の税金で賄うべき、と考えているようだ。普通の国民は開いた口が塞がらない。雑誌論文の中で矢野事務次官はビックリするような事を述べていた。曰わく、

  私は、国家公務員は『心あるモノ言う犬』であらねばと思っています。昨年、脱炭素技術の研究・開発基金を1兆円から2兆円にせよという菅前首相に対して、私が『2兆円にするにしても、赤字国債によってではなく、地球温暖化対策税を充てるべき』と食い下がろうとしたところ、厳しくお叱りを受け一蹴されたと新聞に書かれたことがありました。あれは実際に起きた事実ですが、どんなに小さなことでも、違うとか、よりよい方途があると思う話は相手が政治家の先生でも、役所の上司であっても、はっきり言うようにしてきました。

  新たな技術を研究・開発するのに国債発行は嫌だから、「徴税で資金を集めろ !」なんて暴論だ。じゃあ、国防のために新兵器を開発する時も税金で費用を賄い、直接の利益に繋がらない基礎研究も税金で行えと言うのか? おそらく、財務省のお役人は、「消費税を28%あるいは33%にまでアップすればいいじゃん !」と思っているんだろう。「不偏不党」を口にする矢野氏は、私欲・省益を無視するかの如く、「国家公務員は忠犬であるべし」と公言するが、本当に国家への忠誠心から提言を行っているのか? もしかすると、財務省の中枢には、外国勢力に協力するエージェントや手下が居るんじゃないか?

  ここでは詳しく述べないが、敗戦後、財務省や日銀のトップに坐る者は、日本の国益を後回しにして、アメリカの要求に従ってきた。愚劣な国会議員に飽き飽きする高級官僚は、ワシントンやウォール・ストリートにいる旦那衆に向かって忠誠を示し、無理難題を突きつけられても、「仰せの通りに」と彼らの意向で動く。なぜなら、財務官僚や日銀の幹部は、アメリカに逆らっても勝ち目が無いと分かっているから、それなら恭順を示した方が得策じゃないか、と考えてしまうのだ。日本は軍事的に独立していないし、エネルギーの供給や金融システムも西歐諸国に依存しているから、宗主国のアメリカに従うしかない。保守派国民は認めたくないだろうが、日本は軍隊を廃止したコスタリカと同じで属州のままだ。たとえ、自衛隊がイージス艦を保有しようが、パトリオット・ミサイルで防禦しようが、何らかの有事が勃発すればアメリカ軍に守ってもらうしかない。自衛隊に「宇宙作戦隊」ができたって、アメリカの宇宙軍と比べたら月とスッポンだ。平和教育で雁字搦めにされた日本の空軍力なんて貧弱なんだから。

  それにしても、どうして矢野氏のような事務次官が財務省に生まれてしまうのか? もちろん、彼が官房長官時代の菅義偉に仕え、菅氏の秘書官になっていたことが出世の要因なんだろが、もう一つ考えられるのは、矢野氏が「便利な馬鹿だから」という点である。国債を負の遺産のように考え、国家破滅に導く元兇みたいに考えているんだから、経済音痴というしかない。自国通貨建ての国債なんだから、日本がエクアドルとかアンゴラ、スリランカみたいにデフォルトの危機に陥るのか? これは筆者の勝手な憶測なんだけど、なるほど、財務省には現実の経済に疎い官僚が多い。でも、中には狡猾な役人がいて、愛国者のフリをした「確信犯」がいるのかも知れないぞ。こうした人物は憂国の士を装い、同僚に向かって、「馬鹿な議員どもに国政を任せてはならん ! 優秀な我々が日本の将来を担うんだ !」と述べて、プライマリー・バランスの黒字化とかバラマキ行政の歯止めとかを宣伝する。 でも本当は、こうした熱血官僚こそが売国奴で、外国勢力の配下になっている場合がある。

財務官僚上がりの政治家

  所謂「キャリア官僚」の弊害は昔から指摘されてきたけど、何故、霞ヶ関の官僚は政治家を凌ぐほどの権力を持ってしまうのか? 確かに、彼らは特殊分野の専門家で、腰掛け程度の大臣とは違っている。何十年にも亙、り国家行政に携わっているから、普通の代議士よりも遙かに事情通だ。しかし、そうした構造を支えているのは、一般国民が抱く劣等感と高等文官が当然とする優越感である。普通の日本人は子供の頃から筆記試験で評価され、テストの成績で序列化されているから、どうしても難関大学の合格者を“上等な人間”と思いがちだ。「東大生」と聞いただけで、巷の庶民は「何か偉い人なんじゃないか」と勘違いして跪く。

  それもそのはず。受験生の子供を持つ親は、「週刊ダイヤモンド」のような雑誌を手に取り、大学のランキング情報を隈なく読む。それゆえ、最難関の東京帝國大学を御卒業になったお坊ちゃん、お嬢ちゃんは、誰もが認めるエリート人間。) 一方、底辺大学にしか合格しなかった庶民は、東大卒のエリートを羨む。特に、新聞記者などは挫折感の固まりだから、東大出身の高級官僚を仰ぎ見る。「俺は東大を目指したけど駄目だった。慶應義塾も不合格。でも、早稲田に受かったから、そこら辺の一般人よりも上等だ!」と密かに思っている。

  ジャーナリストから馬鹿にされる庶民も同じく学歴に悩まされ、骨の髄まで劣等感が染み渡っているから、有名校の学生は人格的にも“上等”と思っている。例えば、偏差値の低い大学に通っている者、あるいは専門学校生が、痴漢や強姦の容疑で捕まっても雑誌の記事にはならない。ところが、東大生が飲み会で女子学生を強姦したとか、電車内で盗撮を行ったとすれば、新聞の三面記事に載ったりする。なぜなら、赤化した大学や教授会の実情を知らない一般人は、偏差値が高いと倫理観も高いと思ってしまうからだ。実際はそうでもなく、大学の先生にもスケベや痴漢がいると、人権派なのに裏では冷酷なサディスト、あるいは国家転覆を狙うアナーキスト、元学生運動家のマルキストなど、非常識の輩(やから)が少なくない。特に、東大や京大には真っ赤な教師がウジャウジャいるから、そこで仕込まれた学生は無意識の左翼になるか、ピンク色に染まった“なんちゃってリベラル”になるかのがほとんど。教授の言説を鵜呑みにする優等生が、霞ヶ関のキャリア官僚になれば、どんな事をしでかすのか、誰にでも想像できる。

   矢野氏のような人物が事務次官になるのは問題である。しかし、財務省を辞めて政治家に転職する奴はもっと有害だ。原則上、役人は勝手に行政を左右してはならないが、国会議員となれば国政を動かすことができる。(ただし、「通達」という脅迫で民間企業を支配することが出来るみたい。) 財務官僚上がりの政治家を探せば、昔、民主党に属していた古川元久を挙げることができよう。以前、彼はテレ朝の政治番組に出演し、偉そうに経済問題を語っていたから、この議員を覚えている一般人も多いんじゃないか。

Furukawa Motohisa 1( / 古川元久 )
  古川氏は東大法学部を卒業後、大蔵省に入り、1996年にコロンビア大学に留学するが、翌年に戻ってくると、さっさと大蔵省を退官して政界に転職した。これは国費留学の利益を頂いて、スッと役所を去ってしまう典型例である。それでも、国家のために尽力する議員にならまだしも、左巻きの思考で権力を行使されたのでは堪らない。古川議員は野田内閣で国家戦略担当大臣となったが、彼が担当する社会保障政策や宇宙開発の分野で、何か成果を残したのか? 民主党の議員だからしょうがないけど、彼は選択的夫婦別姓や女性宮家の創設に賛成で、それだけでも愚挙なのに、彼は何と移民を1000万人も受け容れようと述べていたのだ。(浅尾慶一郎、大塚耕平、細野豪志、古川元久、松井孝治、松本剛明 「1000万人移民受け入れ構想」『VOICE』 2003年9月号、pp.142-149.)

  筆者は毎月購読していたけど、たまたま当時『VOICE』を読んだ一般国民だって、「えぇぇぇ〜、移民を1千万人も迎えてしまうのぉぉ? マジかよぉぉ?!」と驚愕したんじゃないか。山本モナと浮気をした細野豪志や、伊藤博文の子孫たる松本剛明(まつもと・たけあき)は、こっそりと自民党に潜り込んだけど、過去の発言をどう説明するのか、ぜひ尋ねたい。1000万人の移民というのは、ブリテンやデンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデン、オーストリアなどからやって来る中流階級の西歐人じゃないぞ。大量に押し寄せてくる移民というのは、見ているだけで不愉快な朝鮮人や図々しい支那人、下層階級を形成するフィリピン人、犯罪率を上げるベトナム人などである。

  古川氏の選挙区に住む愛知県民は、ブラジル人の移民労働者を歓迎したのか? 出稼ぎで来にしたブラジル人は、下層階級の者がほとんどであったから、子供の教育なんかに熱心な訳がない。知的な雰囲気が無い親に育てられた子供は、日本語が拙く、学校の勉強にも追いつけなかった。同じクラスにいる日本人生徒からは嫌われ、学校の負担にもなっていたから、ブラジル人生徒でまともな大人になる者は少なく、中には暴走族やチンピラになった者までいるそうだ。もっと酷いのは、高飛びしたひき逃げ犯で、日本人を轢き殺しても、引渡条約の無いブラジルに帰ってしまえば、日本の警察は逮捕することができない。悔しいけど、被害者の家族は泣き寝入りだ。筆者には「移民歓迎」を掲げた議員が責任を取るとは思えない。古川氏はサギのように身軽で、民進党が解体すると小池百合子の「希望の党」に潜り込み、そこもダメとなったから、国民民主党へ移って代表代行に納まった。今回の選挙でも再選されるだろう。

日本に財政破綻が訪れる !

  話を戻す。財務省出身だから「経済問題」に精通していると自慢する古川議員だが、彼の著書に目を通すと、「本当に金融や経済の事を解っているのか?」と疑いたくなる。矢野事務次官も昔から財政破綻や赤字国債のことを述べてきたが、古川議員も唖然とするような「自説」を述べていた。この議員も財務官僚と同じく、プライマリー・バランス重視の人物で、「赤字国債」の増加・累積は国家崩壊に繋がると仄めかしていた。古川氏曰わく、「財政が破綻すれば、困るのは国家ではなく国民である ! 」と。

  国債の大部分を保有しているのは、国民だ。国民が持っている国債が紙切れになる。さらに、国家財政を立て直すために、緊縮財政、すなわち、大幅な増税と歳出削減を行う。こうして国民は暗くて出口の見えない長いトンネルに追い込まれることになる。(古川元久 『財政破綻に備える : 今なすべきこと』 ディスカバー携書、2015年、p.25)
 
  そりゃあ、国債が紙切れ同然となれば国民は大慌てだが、財務省自体が「自国通貨建ての日本国債は安全です !」と公言しているんだから、古川氏の心配は杞憂なんじゃないか。しかも、財務省はホームページで外国の格付け機関による日本国債の評価が低すぎる、と抗議しているのだ。もし、日本が「赤字国債」の乱発で財政破綻に瀕しているんなら、一般の銀行や保険会社があんなに国債を買うわけないだろう。でも、古川議員は安倍政権の「アベノミックス」に反対したかったのか、矢鱈と危機感を煽り、通貨発行の増加に懸念を抱いていた。財政通の古川議員は、日本のインフレーションに警鐘を鳴らし、次のような事例を挙げていた。

    戦後のハイパー・インフレは100倍になった。(上掲書、p.28)

  元財務官僚という経歴をひけらかす古川議員は、著書が発売された当時、話題となっていたギリシアの金融危機に言及し、日本が債務不履行(デフォルト)になったら大変だ、と騒いでいた。(上掲書、pp.31-32) 彼の著書は2015年に発売されたが、もう月日が経って今は2021年になる。だが、懸念された事態は一向に表面化せず、武漢ウイルス騒ぎになっても、菅政権が倒れて岸田内閣になっても、デフォルトの危機に陥っていないんだから不思議だ。古川氏の予想だと、もう財政破綻になっているはずなんだが、どうしたんだろう? 彼は次のように心配していた。

  長期国債の残高は2015年度末には800兆円を超える。短期国債も含めれば、国債の残高は1000兆円を超える。また、地方政府の債務も加えた政府全体の長期債務残高は、14年度末ですでに1000兆円を突破している。まさに、天文学的数字だ。日本の政府の債務残高はGDPの2倍に達しており、これほどの政府債務を抱えている国は、ほかにジンバブエぐらいしかないといわれている。(上掲書、p.39)

  うわぁぁぁ〜、莫大な債務を抱えた我が国は、いずれジンバブエ並になってしまうのかぁ〜。でも、ジンバブエはGDPの世界ランキングで213ヶ国中115位だけど、日本はジンバブエと同じくらい危ないのか? 確かに、ジンバブエは凄まじいハイパーインフレを起こして、自国の「ジンバブエ・ドル」を四回も変えてデノミを断行した。それゆえ、現地の人々は自国通貨を信用せず、外国の通貨である米ドルか南アフリカの「ランド(Rand)」を用いているそうだ。我が国とアフリカの貧乏国を同列に論じるというのは滑稽だが、古川氏は真面目に債務残高を心配していた。彼は以下のように言う。

  もう20数年前になるが、私がまだ役所にいたときに、財政演説の草稿を書く担当だった時期がある。当時はまだ国債残高が180兆円くらいだったのだが、それでも日本の財政は大変危機的な状態だと書いていた。それが今は長期国債だけで800兆円にまで膨れ上がり、政府全体の長期債務は1000兆円を超えた。まさに、異次元の世界だ。(上掲書、p.42)

  思わず笑ってしまうが、「異次元の世界」とは、古川氏が住んでいる「仮想現実」のことか? なるほど、GDPに対する債務残高の比率を見れば、西歐諸国と比べて日本の比率が高いことに気づく。IMFの「2020年World Economic Outlook Database」によれば、2021年、日本は264%、米国133.6%、英国111.5%、ドイツ72.2%、フランス118.6%、イタリア158.3%、カナダ115.0%となるそうだ。緊縮財政を追求する財務省は、各国の債務残高を表にして、「日本の状況は急速に悪くなっており、最悪の水準になっています !」と騒ぐ。でも、そんなのいいじゃないか。国債の多くは日銀が引き取る訳だし、国債を購入したオッちゃんやオバちゃん達にとっては、ちゃんと「資産」になっているのだ。筆者が学生時代、知人のオバはん達はタンス預金を持っていたけど、賭博要素の強い株への投資は怖いから避けていた。そこで、利回りは低いけど安全ということで、国債をどんどん買っていたものだ。もし、紙屑になると思っていれば、あんなに買わないだろう。

  ところが、古川氏の見解によれば、日銀が日本の国債を買い続けると危機をもたらす、というのだ。

  日銀だけが国債をどんどん高値でも買い続けるという状況は、とても健全な市場とは言えないばかりか、市場が価格形成を通じて発する警鐘機能を崩壊させるとともに、他の投資家の投資額の減少で債権市場の不安定化をもたらし、それがさらなる国債投資の手控えをもたらすという負の循環を生み出していると言える。(上掲書、p.51)

  平民の筆者は「へぇ〜、そうなのかぁ〜」と言うしかないが、さらに驚くのは、古川氏が安倍政権の時代から「金利の上昇」を心配していたことだ。彼の著書によれば、財政破綻の主な要因は金利の上昇で、もしも金利が急騰し、もはや利払いができないような状態になれば、それ以上の資金調達ができなくなり、財政破綻という状況になるらしい。古川先生はこう述べていた。

  「日本の財政が破綻する」などというのは、オオカミ少年だという意見も少なくない。本当にそうならばいい。 ・・・・だが、そろそろ、本当にオオカミがやってきそうな気配だから心配なのだ。(p.63)

   2015年からだいぶ経つけど、「金利の上昇による財政破綻」は何時(いつ)来るんだ? 今年は無理でも来年の2022年になれば、待ちに待った金利の上昇が起こるのか? でもさぁ〜、国債の金利が上昇したら、他の金融商品の金利も上がるから、そんなに被害が増加するとは思えないんだけど。おそらく、元財務官僚あがりのエリート議員には、庶民には見えない恐ろしい将来や刻々と近づく大破綻が見えてしまうんだろう。この様子だと、オオカミ少年はオオカミ老人になってしまうぞ。

  古川氏の著書を読んでいると、「本当に財務省の仲間なんだなぁ〜」と思えてくる。彼も矢野氏と同じく、「プライマリーバランスの黒字化」を目指しているらしい。古川氏曰わく、

   仮にプライマリーバランスの赤字がゼロになって収支が均衡した場合でも、財政収支はゼロにはならず、利払い費分だけ財政収支は赤字になる。(上掲書、p.94)

  プライマリーバランスの黒字化目標の達成が財政健全化のゴールではない。これは一里塚に過ぎず、そこから先の次なる目標を視野に置く必要があり、具体的には公費残高の対GDP比の引き下げや、財政収支の均衡などを次なる目標としていく必要がある。(上掲書、p.95)

  プライマリー・バランスの黒字化を達成するためなら、どんどん歳出を削って節約に努めようという訳だ。しかし、日本経済が縮小し、個人所得も減ってしまったら、愛知県に住む有権者の生活も苦しくなるんじゃないか? 愛知県の支持者だけは被害を受けず、健全な中流階級が維持されるとは、到底思えない。今度の衆院選の中で彼はどんな政策を公約に掲げているのか? 彼のオフィシャル・サイトを覗いてみたら、何と古川先生は「東京一極集中」を避けるため、皆さんに地方移住を推奨し、「居住面積の倍増」まで提言していたのだ。唖然としてしまうが、この古川先生は「広い住宅」を推進する政策を掲げている。しかし、所得が低くなった世帯は新築どころか、住宅ローンを払えず自宅を売却する破目になるんじゃないか?

  でも、大丈夫。古川議員は、ちゃんと日本の成長戦略を考えていた。先生曰く、

  日本の生産、雇用を支えているのは全国の中小企業だ。・・・それぞれの地域に優れた技術があり、それを支えている人材がいるということだ。・・・・地域にある「世界でオンリーワン」の技術には、「グローバル・ニッチ・トップ企業」を生む可能性が秘められているのだ。(上掲書、p.132)

  えっ ! 成長の目玉が「ニッチ産業」なのか? 確かに、「グローバル・ニッチ・トップ企業」のリストを見れば、立派な会社も多い。でも、その中には「どら焼き機械」、「即席麺製造ライン」、「イカ釣り機」、「背もたれ椅子の部品」なども含まれているから、「他の産業も育成した方がいいんじゃないか」と思えてくる。

  古川氏は地元の愛知県を愛しているのか、「地産地消システムの構築」を強調していた。古川氏はハイパーインフレ時代の到来に備えて、地方経済の基盤を強化したいそうだ。

  地産地消のシステムがあれば、万一財政破綻などが起きてハイパーインフレとなり、生活に必要な物資の調達をすることが難しくなった場合でも、その地域社会の最低限の生活だけは維持することができることにつながる「方船」になり得ると思うからだ。(上掲書、pp.133-134)

  でも、ハイパーインフレになったら、都会よりも地方の国民がダメージを受けやすいと思うんだけど・・・。それでも、古川先生の地方主義は根強く、エネルギー政策でも地方重視だ。原発反対の古川先生は、自然エネルギーで必要な電力を賄うつもりらしい。

  実は地域単位で考えれば、電力が自給自足である地域は多い。・・・水力発電に加えて、太陽光や風力、あるいはバイオマスなどを使った再生可能エネルギーの発電施設も、それぞれの地域の特性に応じて導入を進めていくべきであることは言うまでもない。(上掲書、pp.141-142)

  えぇぇ〜、太陽光発電を推進した結果、森林が伐採されて、土砂崩れまで起こったのに、それでも自給自足の電力供給を目指すのか? リベラル派の政治家は再生エネルギーとやらに熱心だが、ギラギラ光る太陽光パネルの近くに住む庶民からすれば、そんなのは大迷惑だ。第一、毎月の電気代を目にすると、請求書に「再生可能エネルギー発電促進賦課金」が記されている。「こんなモノのために、毎月高い料金を払っているのか」と思えば、誰だって腹が立ってくる。無駄としか言い様のない太陽光発電を維持する為に、多くの国民が余計な料金を負担しているなんて承知できない。風力発電だって非効率で、風車を廻すために電気を使っているくらいだ。木材のチップや生ゴミを使ったバイオマス発電なんか、どれくらいの電力需要を賄えるんだ? それに、「地域の特性」というが、温泉が出る地域でも、そんなのは茹で卵を作るくらいの地熱である。

  東大法学部を出た元財務官僚ということで、有権者は古川氏を「優秀」と思っているんだろうが、多少なりとも教養を持つ国民なら、彼の発言を怪しく思うし、その著作を読んだら大爆笑だ。しかし、「なぜ彼が8回も連続当選したのか?」と言えば、もちろん民主党の看板もあったが、彼の華々しい経歴が目に付いたからだろう。確かに、成績の良い者は理解力があって博学だから、巷の庶民は「さすが、名門進学校の人は違うなぁ〜」と溜息をつく。だが、実際に東大法学部の学生が優秀なら、大半が選良憲法の廃止を訴え、国軍と諜報組織の創設を主張するだろう。ところが、私立大学の学生を含めて、法学部に属した日本人は、ほとんど護憲派になる。しかも、地球人なら誰でも有するとされる「人権」の方に熱心なんだから、呆れてしまうじゃないか。

  なるほど、偏差値の高い大学に合格する受験生は優秀だ。しかし、有能に見える高校生でも、実は記憶力が良いだけの人物で、判断力や思考力に欠ける人が少なくない。例えば、高級官僚になる人は、財務省編の『財政学入門』といった教科書をチラッと読んで直ぐ要点を覚える。試験前に担任の先生が、「試験の範囲は25頁から62頁までね !」と言えば、ちゃんと勉強して95点か100点を取ってしまう。しかし、教科書の内容が「おかしい!」とか「間違っている!」とは思わない。それに、出題範囲を超えた質問だと困ってしまう。矢野氏や古川氏は難しい経済用語を混ぜて素人の平民に講義を垂れるが、自分が何を述べて、どんな策略に引っ掛かっているのかを理解しているのか?

  今も昔も財務省(大蔵省)の高級官僚は自尊心が強く、国家権力を背景にしているから民間人はひれ伏しているだけなのに、彼らは自分の“実力”と思い込む。徴兵逃れで総理になった宮澤喜一は典型的な元大蔵官僚で、高等文官試験、すなわち国家公務員試験のT種合格者のみが「真の選良」と信じていた。「我ら富士山、他は並の山」と言って他の省庁を見下す財務官僚は多い。しかし、キャリア官僚の金融や税制に関する知識は怪しく、ひょんな事から実態がバレてしまうこともある。例えば1990年代、大蔵省で主計局畑を歩んでいた田谷廣明(たや・たかあき)と、同じく主計局の総務課長や次長を歴任し、財務研究所の所長にまでなった中島義雄は、スキャンダルで失脚した。両者とも東大卒の「エリート官僚」だった。

  失脚前の田谷氏は、主計局の総務課長であったが、「EIEインターナショナル」(不動産屋)の高橋治則・社長から豪華な接待を受けたことで、マスコミの集中攻撃を浴びることになった。田谷氏は高橋社長の自家用ジェット機で香港に赴き、大名旅行を楽しんだというから、他にも色々な接待を受けたはず。中島氏も「EIE」の高橋氏と昵懇だったが、彼は支那人が経営する「楼蘭」に通っていたことがバレて辞任する破目になった。これは現在でも有名な「ノーパン・しゃぶしゃぶ事件」である。(1998年に発覚した大蔵省瀆職事件) 世間のオッちゃんオバちゃん達はビックリしたけど、この二人は共に税務署勤めの経験があった。田谷氏は室蘭税務署の署長や東京税関長を務めた経歴があり、中島氏も新潟県にある三条税務署の署長を務めていた。(大蔵省のキャリア官僚は、20代の若さで税務署の署長になる。) 彼らは税務署長を経験したのに、スキャンダルが発覚して尋問されると、税法を知らなかったと言い訳をしたので、民間のビジネスマンは驚きを隠せなかった。ちなみに、中島氏は退官後、京セラや船井電機に天下りし、渡り鳥よりも優秀だったので、セーラー万年筆の代表取締役にもなれたという。

  とにかく、我が国のお役人様には色々な奴がいる。日本には防諜機関が無いから露見しないけど、財務省には外国勢力の手先になって世論を操っている奴がいるはずだ。この確信犯は、アホな試験秀才を利用して、本当の狙いを隠している。狡猾な財務官僚や日銀の幹部どもは、誰が真の支配者なのかをよく分かっているから、日本の財務大臣や総理大臣なんかに従うことはない。彼らはヨーロッパの国際会議やワシントンD.C.に参拝し、恭しく大御所様の勅命を持ち帰ってくる。麻生太郎が財務省に従順なのは、官僚を尊敬しているからじゃなく、彼らの背後に居るパトロンを“権力者”と見なしているからだ。軍隊を持たない属州の酋長は、丸腰の藩主と一緒で、幕府から「江戸城の石垣を建築しろ」と言われれば、外様大名は資金と人材を提供せねばならない。これと同じく、ウォール街の旦那衆から、「お前の国は閉鎖的だ ! もっと自由な市場にしろ !」と厳命されれば、竹中平蔵のような買弁が現れて、構造改革とか自由主義で国内企業を売り渡す。貧困化した庶民は抵抗すらできず、「お上に逆らっても仕方がない」と諦めてしまい、あとはディスカウント・ショップにに通って節約生活に励む。悲しいけど、これが日本の現実である。

  別の記事で述べたいが、日本の経済評論家というのは、経済統計や専門用語を使って目先の経済現象を云々する。しかし、もっと重要なのは、世界経済のシステムや枠組み、ルールなどを誰がどのように決めたのかである。YouTube番組に出てくる経済通は、矢野氏の雑誌論文を取り上げ、「アホな奴だなぁ〜」と笑っているが、冷静な日本国民は、裏で糸を引く人物の魂胆を探った方がいい。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68875362.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/775.html#c12

[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
40. 中川隆[-15907] koaQ7Jey 2021年10月22日 14:59:30 : rwUVP6iK1U : akZLN1hRRkZzZms=[2]
2021年10月21日
財務官僚の自尊心と大衆の学歴崇拝
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68875362.html

アホな官僚が跋扈する財務省

  今月、『文藝春秋』誌の11月号で、財務省事務次官の矢野康治(やの・こうじ)が、高市早苗議員を批判したいのか、政府の“バラマキ政策”を咎める論文を発表した。矢野氏は掲載論文の中で次のように述べていた。

  最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます。(「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」)

Yano 001( / 矢野康治)
  日本の国益をずっと蹂躙してきた財務官僚が、「やむにやまれぬ大和魂」なんて言葉を吐くとは、まさしく笑止千万だが、矢野氏本人は意外と本気なんだろう。だいたい、何で消費税の引き下げが悪いんだ? 平成時代ずっと不況続きで、これといった経済成長もない割に、税金だけはどんどん吸い取られるなんておかしいじゃないか ! 本来なら、消費税をゼロ%にして消費意欲を刺戟すべきだろう。それなのに、財務官僚ときたら国民の生活などお構いなしに、「我々は竹下内閣、いや大平内閣以来、ずっと間接税の導入に奔走してきた。日本の財政を憂慮し、せっかく10%までに上げたのに、それを今更3%やゼロ%下げろとは何だ ! お前ら平民は日本経済の危機を分かっているのか?! 俺達の苦労が水の泡じゃないか!」と激怒する。

  もう、聞いているだけで顎が外れるくらいの傲慢さだが、財務省の役人は自分達が日本の政治を担っていると思っているのだ。さらに、心配なのは総理大臣になった岸田文雄の動向である。財務省の親戚に囲まれた岸田総理は、低所得家庭の日本人なんかに興味が無い。国民から信託を受けても、耳を傾けるのは財務省のレクチャーだ。選挙の結果がどうであれ、岸田総理は金融課税か環境税などの導入に焦点を絞り、もっと税収を上げようと目論んでいる。

  緊縮財政を「善」と思っている矢野氏は、未来への投資でも借金は御免で、別口の税金で賄うべき、と考えているようだ。普通の国民は開いた口が塞がらない。雑誌論文の中で矢野事務次官はビックリするような事を述べていた。曰わく、

  私は、国家公務員は『心あるモノ言う犬』であらねばと思っています。昨年、脱炭素技術の研究・開発基金を1兆円から2兆円にせよという菅前首相に対して、私が『2兆円にするにしても、赤字国債によってではなく、地球温暖化対策税を充てるべき』と食い下がろうとしたところ、厳しくお叱りを受け一蹴されたと新聞に書かれたことがありました。あれは実際に起きた事実ですが、どんなに小さなことでも、違うとか、よりよい方途があると思う話は相手が政治家の先生でも、役所の上司であっても、はっきり言うようにしてきました。

  新たな技術を研究・開発するのに国債発行は嫌だから、「徴税で資金を集めろ !」なんて暴論だ。じゃあ、国防のために新兵器を開発する時も税金で費用を賄い、直接の利益に繋がらない基礎研究も税金で行えと言うのか? おそらく、財務省のお役人は、「消費税を28%あるいは33%にまでアップすればいいじゃん !」と思っているんだろう。「不偏不党」を口にする矢野氏は、私欲・省益を無視するかの如く、「国家公務員は忠犬であるべし」と公言するが、本当に国家への忠誠心から提言を行っているのか? もしかすると、財務省の中枢には、外国勢力に協力するエージェントや手下が居るんじゃないか?

  ここでは詳しく述べないが、敗戦後、財務省や日銀のトップに坐る者は、日本の国益を後回しにして、アメリカの要求に従ってきた。愚劣な国会議員に飽き飽きする高級官僚は、ワシントンやウォール・ストリートにいる旦那衆に向かって忠誠を示し、無理難題を突きつけられても、「仰せの通りに」と彼らの意向で動く。なぜなら、財務官僚や日銀の幹部は、アメリカに逆らっても勝ち目が無いと分かっているから、それなら恭順を示した方が得策じゃないか、と考えてしまうのだ。日本は軍事的に独立していないし、エネルギーの供給や金融システムも西歐諸国に依存しているから、宗主国のアメリカに従うしかない。保守派国民は認めたくないだろうが、日本は軍隊を廃止したコスタリカと同じで属州のままだ。たとえ、自衛隊がイージス艦を保有しようが、パトリオット・ミサイルで防禦しようが、何らかの有事が勃発すればアメリカ軍に守ってもらうしかない。自衛隊に「宇宙作戦隊」ができたって、アメリカの宇宙軍と比べたら月とスッポンだ。平和教育で雁字搦めにされた日本の空軍力なんて貧弱なんだから。

  それにしても、どうして矢野氏のような事務次官が財務省に生まれてしまうのか? もちろん、彼が官房長官時代の菅義偉に仕え、菅氏の秘書官になっていたことが出世の要因なんだろが、もう一つ考えられるのは、矢野氏が「便利な馬鹿だから」という点である。国債を負の遺産のように考え、国家破滅に導く元兇みたいに考えているんだから、経済音痴というしかない。自国通貨建ての国債なんだから、日本がエクアドルとかアンゴラ、スリランカみたいにデフォルトの危機に陥るのか? これは筆者の勝手な憶測なんだけど、なるほど、財務省には現実の経済に疎い官僚が多い。でも、中には狡猾な役人がいて、愛国者のフリをした「確信犯」がいるのかも知れないぞ。こうした人物は憂国の士を装い、同僚に向かって、「馬鹿な議員どもに国政を任せてはならん ! 優秀な我々が日本の将来を担うんだ !」と述べて、プライマリー・バランスの黒字化とかバラマキ行政の歯止めとかを宣伝する。 でも本当は、こうした熱血官僚こそが売国奴で、外国勢力の配下になっている場合がある。

財務官僚上がりの政治家

  所謂「キャリア官僚」の弊害は昔から指摘されてきたけど、何故、霞ヶ関の官僚は政治家を凌ぐほどの権力を持ってしまうのか? 確かに、彼らは特殊分野の専門家で、腰掛け程度の大臣とは違っている。何十年にも亙、り国家行政に携わっているから、普通の代議士よりも遙かに事情通だ。しかし、そうした構造を支えているのは、一般国民が抱く劣等感と高等文官が当然とする優越感である。普通の日本人は子供の頃から筆記試験で評価され、テストの成績で序列化されているから、どうしても難関大学の合格者を“上等な人間”と思いがちだ。「東大生」と聞いただけで、巷の庶民は「何か偉い人なんじゃないか」と勘違いして跪く。

  それもそのはず。受験生の子供を持つ親は、「週刊ダイヤモンド」のような雑誌を手に取り、大学のランキング情報を隈なく読む。それゆえ、最難関の東京帝國大学を御卒業になったお坊ちゃん、お嬢ちゃんは、誰もが認めるエリート人間。) 一方、底辺大学にしか合格しなかった庶民は、東大卒のエリートを羨む。特に、新聞記者などは挫折感の固まりだから、東大出身の高級官僚を仰ぎ見る。「俺は東大を目指したけど駄目だった。慶應義塾も不合格。でも、早稲田に受かったから、そこら辺の一般人よりも上等だ!」と密かに思っている。

  ジャーナリストから馬鹿にされる庶民も同じく学歴に悩まされ、骨の髄まで劣等感が染み渡っているから、有名校の学生は人格的にも“上等”と思っている。例えば、偏差値の低い大学に通っている者、あるいは専門学校生が、痴漢や強姦の容疑で捕まっても雑誌の記事にはならない。ところが、東大生が飲み会で女子学生を強姦したとか、電車内で盗撮を行ったとすれば、新聞の三面記事に載ったりする。なぜなら、赤化した大学や教授会の実情を知らない一般人は、偏差値が高いと倫理観も高いと思ってしまうからだ。実際はそうでもなく、大学の先生にもスケベや痴漢がいると、人権派なのに裏では冷酷なサディスト、あるいは国家転覆を狙うアナーキスト、元学生運動家のマルキストなど、非常識の輩(やから)が少なくない。特に、東大や京大には真っ赤な教師がウジャウジャいるから、そこで仕込まれた学生は無意識の左翼になるか、ピンク色に染まった“なんちゃってリベラル”になるかのがほとんど。教授の言説を鵜呑みにする優等生が、霞ヶ関のキャリア官僚になれば、どんな事をしでかすのか、誰にでも想像できる。

   矢野氏のような人物が事務次官になるのは問題である。しかし、財務省を辞めて政治家に転職する奴はもっと有害だ。原則上、役人は勝手に行政を左右してはならないが、国会議員となれば国政を動かすことができる。(ただし、「通達」という脅迫で民間企業を支配することが出来るみたい。) 財務官僚上がりの政治家を探せば、昔、民主党に属していた古川元久を挙げることができよう。以前、彼はテレ朝の政治番組に出演し、偉そうに経済問題を語っていたから、この議員を覚えている一般人も多いんじゃないか。

Furukawa Motohisa 1( / 古川元久 )
  古川氏は東大法学部を卒業後、大蔵省に入り、1996年にコロンビア大学に留学するが、翌年に戻ってくると、さっさと大蔵省を退官して政界に転職した。これは国費留学の利益を頂いて、スッと役所を去ってしまう典型例である。それでも、国家のために尽力する議員にならまだしも、左巻きの思考で権力を行使されたのでは堪らない。古川議員は野田内閣で国家戦略担当大臣となったが、彼が担当する社会保障政策や宇宙開発の分野で、何か成果を残したのか? 民主党の議員だからしょうがないけど、彼は選択的夫婦別姓や女性宮家の創設に賛成で、それだけでも愚挙なのに、彼は何と移民を1000万人も受け容れようと述べていたのだ。(浅尾慶一郎、大塚耕平、細野豪志、古川元久、松井孝治、松本剛明 「1000万人移民受け入れ構想」『VOICE』 2003年9月号、pp.142-149.)

  筆者は毎月購読していたけど、たまたま当時『VOICE』を読んだ一般国民だって、「えぇぇぇ〜、移民を1千万人も迎えてしまうのぉぉ? マジかよぉぉ?!」と驚愕したんじゃないか。山本モナと浮気をした細野豪志や、伊藤博文の子孫たる松本剛明(まつもと・たけあき)は、こっそりと自民党に潜り込んだけど、過去の発言をどう説明するのか、ぜひ尋ねたい。1000万人の移民というのは、ブリテンやデンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデン、オーストリアなどからやって来る中流階級の西歐人じゃないぞ。大量に押し寄せてくる移民というのは、見ているだけで不愉快な朝鮮人や図々しい支那人、下層階級を形成するフィリピン人、犯罪率を上げるベトナム人などである。

  古川氏の選挙区に住む愛知県民は、ブラジル人の移民労働者を歓迎したのか? 出稼ぎで来にしたブラジル人は、下層階級の者がほとんどであったから、子供の教育なんかに熱心な訳がない。知的な雰囲気が無い親に育てられた子供は、日本語が拙く、学校の勉強にも追いつけなかった。同じクラスにいる日本人生徒からは嫌われ、学校の負担にもなっていたから、ブラジル人生徒でまともな大人になる者は少なく、中には暴走族やチンピラになった者までいるそうだ。もっと酷いのは、高飛びしたひき逃げ犯で、日本人を轢き殺しても、引渡条約の無いブラジルに帰ってしまえば、日本の警察は逮捕することができない。悔しいけど、被害者の家族は泣き寝入りだ。筆者には「移民歓迎」を掲げた議員が責任を取るとは思えない。古川氏はサギのように身軽で、民進党が解体すると小池百合子の「希望の党」に潜り込み、そこもダメとなったから、国民民主党へ移って代表代行に納まった。今回の選挙でも再選されるだろう。

日本に財政破綻が訪れる !

  話を戻す。財務省出身だから「経済問題」に精通していると自慢する古川議員だが、彼の著書に目を通すと、「本当に金融や経済の事を解っているのか?」と疑いたくなる。矢野事務次官も昔から財政破綻や赤字国債のことを述べてきたが、古川議員も唖然とするような「自説」を述べていた。この議員も財務官僚と同じく、プライマリー・バランス重視の人物で、「赤字国債」の増加・累積は国家崩壊に繋がると仄めかしていた。古川氏曰わく、「財政が破綻すれば、困るのは国家ではなく国民である ! 」と。

  国債の大部分を保有しているのは、国民だ。国民が持っている国債が紙切れになる。さらに、国家財政を立て直すために、緊縮財政、すなわち、大幅な増税と歳出削減を行う。こうして国民は暗くて出口の見えない長いトンネルに追い込まれることになる。(古川元久 『財政破綻に備える : 今なすべきこと』 ディスカバー携書、2015年、p.25)
 
  そりゃあ、国債が紙切れ同然となれば国民は大慌てだが、財務省自体が「自国通貨建ての日本国債は安全です !」と公言しているんだから、古川氏の心配は杞憂なんじゃないか。しかも、財務省はホームページで外国の格付け機関による日本国債の評価が低すぎる、と抗議しているのだ。もし、日本が「赤字国債」の乱発で財政破綻に瀕しているんなら、一般の銀行や保険会社があんなに国債を買うわけないだろう。でも、古川議員は安倍政権の「アベノミックス」に反対したかったのか、矢鱈と危機感を煽り、通貨発行の増加に懸念を抱いていた。財政通の古川議員は、日本のインフレーションに警鐘を鳴らし、次のような事例を挙げていた。

    戦後のハイパー・インフレは100倍になった。(上掲書、p.28)

  元財務官僚という経歴をひけらかす古川議員は、著書が発売された当時、話題となっていたギリシアの金融危機に言及し、日本が債務不履行(デフォルト)になったら大変だ、と騒いでいた。(上掲書、pp.31-32) 彼の著書は2015年に発売されたが、もう月日が経って今は2021年になる。だが、懸念された事態は一向に表面化せず、武漢ウイルス騒ぎになっても、菅政権が倒れて岸田内閣になっても、デフォルトの危機に陥っていないんだから不思議だ。古川氏の予想だと、もう財政破綻になっているはずなんだが、どうしたんだろう? 彼は次のように心配していた。

  長期国債の残高は2015年度末には800兆円を超える。短期国債も含めれば、国債の残高は1000兆円を超える。また、地方政府の債務も加えた政府全体の長期債務残高は、14年度末ですでに1000兆円を突破している。まさに、天文学的数字だ。日本の政府の債務残高はGDPの2倍に達しており、これほどの政府債務を抱えている国は、ほかにジンバブエぐらいしかないといわれている。(上掲書、p.39)

  うわぁぁぁ〜、莫大な債務を抱えた我が国は、いずれジンバブエ並になってしまうのかぁ〜。でも、ジンバブエはGDPの世界ランキングで213ヶ国中115位だけど、日本はジンバブエと同じくらい危ないのか? 確かに、ジンバブエは凄まじいハイパーインフレを起こして、自国の「ジンバブエ・ドル」を四回も変えてデノミを断行した。それゆえ、現地の人々は自国通貨を信用せず、外国の通貨である米ドルか南アフリカの「ランド(Rand)」を用いているそうだ。我が国とアフリカの貧乏国を同列に論じるというのは滑稽だが、古川氏は真面目に債務残高を心配していた。彼は以下のように言う。

  もう20数年前になるが、私がまだ役所にいたときに、財政演説の草稿を書く担当だった時期がある。当時はまだ国債残高が180兆円くらいだったのだが、それでも日本の財政は大変危機的な状態だと書いていた。それが今は長期国債だけで800兆円にまで膨れ上がり、政府全体の長期債務は1000兆円を超えた。まさに、異次元の世界だ。(上掲書、p.42)

  思わず笑ってしまうが、「異次元の世界」とは、古川氏が住んでいる「仮想現実」のことか? なるほど、GDPに対する債務残高の比率を見れば、西歐諸国と比べて日本の比率が高いことに気づく。IMFの「2020年World Economic Outlook Database」によれば、2021年、日本は264%、米国133.6%、英国111.5%、ドイツ72.2%、フランス118.6%、イタリア158.3%、カナダ115.0%となるそうだ。緊縮財政を追求する財務省は、各国の債務残高を表にして、「日本の状況は急速に悪くなっており、最悪の水準になっています !」と騒ぐ。でも、そんなのいいじゃないか。国債の多くは日銀が引き取る訳だし、国債を購入したオッちゃんやオバちゃん達にとっては、ちゃんと「資産」になっているのだ。筆者が学生時代、知人のオバはん達はタンス預金を持っていたけど、賭博要素の強い株への投資は怖いから避けていた。そこで、利回りは低いけど安全ということで、国債をどんどん買っていたものだ。もし、紙屑になると思っていれば、あんなに買わないだろう。

  ところが、古川氏の見解によれば、日銀が日本の国債を買い続けると危機をもたらす、というのだ。

  日銀だけが国債をどんどん高値でも買い続けるという状況は、とても健全な市場とは言えないばかりか、市場が価格形成を通じて発する警鐘機能を崩壊させるとともに、他の投資家の投資額の減少で債権市場の不安定化をもたらし、それがさらなる国債投資の手控えをもたらすという負の循環を生み出していると言える。(上掲書、p.51)

  平民の筆者は「へぇ〜、そうなのかぁ〜」と言うしかないが、さらに驚くのは、古川氏が安倍政権の時代から「金利の上昇」を心配していたことだ。彼の著書によれば、財政破綻の主な要因は金利の上昇で、もしも金利が急騰し、もはや利払いができないような状態になれば、それ以上の資金調達ができなくなり、財政破綻という状況になるらしい。古川先生はこう述べていた。

  「日本の財政が破綻する」などというのは、オオカミ少年だという意見も少なくない。本当にそうならばいい。 ・・・・だが、そろそろ、本当にオオカミがやってきそうな気配だから心配なのだ。(p.63)

   2015年からだいぶ経つけど、「金利の上昇による財政破綻」は何時(いつ)来るんだ? 今年は無理でも来年の2022年になれば、待ちに待った金利の上昇が起こるのか? でもさぁ〜、国債の金利が上昇したら、他の金融商品の金利も上がるから、そんなに被害が増加するとは思えないんだけど。おそらく、元財務官僚あがりのエリート議員には、庶民には見えない恐ろしい将来や刻々と近づく大破綻が見えてしまうんだろう。この様子だと、オオカミ少年はオオカミ老人になってしまうぞ。

  古川氏の著書を読んでいると、「本当に財務省の仲間なんだなぁ〜」と思えてくる。彼も矢野氏と同じく、「プライマリーバランスの黒字化」を目指しているらしい。古川氏曰わく、

   仮にプライマリーバランスの赤字がゼロになって収支が均衡した場合でも、財政収支はゼロにはならず、利払い費分だけ財政収支は赤字になる。(上掲書、p.94)

  プライマリーバランスの黒字化目標の達成が財政健全化のゴールではない。これは一里塚に過ぎず、そこから先の次なる目標を視野に置く必要があり、具体的には公費残高の対GDP比の引き下げや、財政収支の均衡などを次なる目標としていく必要がある。(上掲書、p.95)

  プライマリー・バランスの黒字化を達成するためなら、どんどん歳出を削って節約に努めようという訳だ。しかし、日本経済が縮小し、個人所得も減ってしまったら、愛知県に住む有権者の生活も苦しくなるんじゃないか? 愛知県の支持者だけは被害を受けず、健全な中流階級が維持されるとは、到底思えない。今度の衆院選の中で彼はどんな政策を公約に掲げているのか? 彼のオフィシャル・サイトを覗いてみたら、何と古川先生は「東京一極集中」を避けるため、皆さんに地方移住を推奨し、「居住面積の倍増」まで提言していたのだ。唖然としてしまうが、この古川先生は「広い住宅」を推進する政策を掲げている。しかし、所得が低くなった世帯は新築どころか、住宅ローンを払えず自宅を売却する破目になるんじゃないか?

  でも、大丈夫。古川議員は、ちゃんと日本の成長戦略を考えていた。先生曰く、

  日本の生産、雇用を支えているのは全国の中小企業だ。・・・それぞれの地域に優れた技術があり、それを支えている人材がいるということだ。・・・・地域にある「世界でオンリーワン」の技術には、「グローバル・ニッチ・トップ企業」を生む可能性が秘められているのだ。(上掲書、p.132)

  えっ ! 成長の目玉が「ニッチ産業」なのか? 確かに、「グローバル・ニッチ・トップ企業」のリストを見れば、立派な会社も多い。でも、その中には「どら焼き機械」、「即席麺製造ライン」、「イカ釣り機」、「背もたれ椅子の部品」なども含まれているから、「他の産業も育成した方がいいんじゃないか」と思えてくる。

  古川氏は地元の愛知県を愛しているのか、「地産地消システムの構築」を強調していた。古川氏はハイパーインフレ時代の到来に備えて、地方経済の基盤を強化したいそうだ。

  地産地消のシステムがあれば、万一財政破綻などが起きてハイパーインフレとなり、生活に必要な物資の調達をすることが難しくなった場合でも、その地域社会の最低限の生活だけは維持することができることにつながる「方船」になり得ると思うからだ。(上掲書、pp.133-134)

  でも、ハイパーインフレになったら、都会よりも地方の国民がダメージを受けやすいと思うんだけど・・・。それでも、古川先生の地方主義は根強く、エネルギー政策でも地方重視だ。原発反対の古川先生は、自然エネルギーで必要な電力を賄うつもりらしい。

  実は地域単位で考えれば、電力が自給自足である地域は多い。・・・水力発電に加えて、太陽光や風力、あるいはバイオマスなどを使った再生可能エネルギーの発電施設も、それぞれの地域の特性に応じて導入を進めていくべきであることは言うまでもない。(上掲書、pp.141-142)

  えぇぇ〜、太陽光発電を推進した結果、森林が伐採されて、土砂崩れまで起こったのに、それでも自給自足の電力供給を目指すのか? リベラル派の政治家は再生エネルギーとやらに熱心だが、ギラギラ光る太陽光パネルの近くに住む庶民からすれば、そんなのは大迷惑だ。第一、毎月の電気代を目にすると、請求書に「再生可能エネルギー発電促進賦課金」が記されている。「こんなモノのために、毎月高い料金を払っているのか」と思えば、誰だって腹が立ってくる。無駄としか言い様のない太陽光発電を維持する為に、多くの国民が余計な料金を負担しているなんて承知できない。風力発電だって非効率で、風車を廻すために電気を使っているくらいだ。木材のチップや生ゴミを使ったバイオマス発電なんか、どれくらいの電力需要を賄えるんだ? それに、「地域の特性」というが、温泉が出る地域でも、そんなのは茹で卵を作るくらいの地熱である。

  東大法学部を出た元財務官僚ということで、有権者は古川氏を「優秀」と思っているんだろうが、多少なりとも教養を持つ国民なら、彼の発言を怪しく思うし、その著作を読んだら大爆笑だ。しかし、「なぜ彼が8回も連続当選したのか?」と言えば、もちろん民主党の看板もあったが、彼の華々しい経歴が目に付いたからだろう。確かに、成績の良い者は理解力があって博学だから、巷の庶民は「さすが、名門進学校の人は違うなぁ〜」と溜息をつく。だが、実際に東大法学部の学生が優秀なら、大半が選良憲法の廃止を訴え、国軍と諜報組織の創設を主張するだろう。ところが、私立大学の学生を含めて、法学部に属した日本人は、ほとんど護憲派になる。しかも、地球人なら誰でも有するとされる「人権」の方に熱心なんだから、呆れてしまうじゃないか。

  なるほど、偏差値の高い大学に合格する受験生は優秀だ。しかし、有能に見える高校生でも、実は記憶力が良いだけの人物で、判断力や思考力に欠ける人が少なくない。例えば、高級官僚になる人は、財務省編の『財政学入門』といった教科書をチラッと読んで直ぐ要点を覚える。試験前に担任の先生が、「試験の範囲は25頁から62頁までね !」と言えば、ちゃんと勉強して95点か100点を取ってしまう。しかし、教科書の内容が「おかしい!」とか「間違っている!」とは思わない。それに、出題範囲を超えた質問だと困ってしまう。矢野氏や古川氏は難しい経済用語を混ぜて素人の平民に講義を垂れるが、自分が何を述べて、どんな策略に引っ掛かっているのかを理解しているのか?

  今も昔も財務省(大蔵省)の高級官僚は自尊心が強く、国家権力を背景にしているから民間人はひれ伏しているだけなのに、彼らは自分の“実力”と思い込む。徴兵逃れで総理になった宮澤喜一は典型的な元大蔵官僚で、高等文官試験、すなわち国家公務員試験のT種合格者のみが「真の選良」と信じていた。「我ら富士山、他は並の山」と言って他の省庁を見下す財務官僚は多い。しかし、キャリア官僚の金融や税制に関する知識は怪しく、ひょんな事から実態がバレてしまうこともある。例えば1990年代、大蔵省で主計局畑を歩んでいた田谷廣明(たや・たかあき)と、同じく主計局の総務課長や次長を歴任し、財務研究所の所長にまでなった中島義雄は、スキャンダルで失脚した。両者とも東大卒の「エリート官僚」だった。

  失脚前の田谷氏は、主計局の総務課長であったが、「EIEインターナショナル」(不動産屋)の高橋治則・社長から豪華な接待を受けたことで、マスコミの集中攻撃を浴びることになった。田谷氏は高橋社長の自家用ジェット機で香港に赴き、大名旅行を楽しんだというから、他にも色々な接待を受けたはず。中島氏も「EIE」の高橋氏と昵懇だったが、彼は支那人が経営する「楼蘭」に通っていたことがバレて辞任する破目になった。これは現在でも有名な「ノーパン・しゃぶしゃぶ事件」である。(1998年に発覚した大蔵省瀆職事件) 世間のオッちゃんオバちゃん達はビックリしたけど、この二人は共に税務署勤めの経験があった。田谷氏は室蘭税務署の署長や東京税関長を務めた経歴があり、中島氏も新潟県にある三条税務署の署長を務めていた。(大蔵省のキャリア官僚は、20代の若さで税務署の署長になる。) 彼らは税務署長を経験したのに、スキャンダルが発覚して尋問されると、税法を知らなかったと言い訳をしたので、民間のビジネスマンは驚きを隠せなかった。ちなみに、中島氏は退官後、京セラや船井電機に天下りし、渡り鳥よりも優秀だったので、セーラー万年筆の代表取締役にもなれたという。

  とにかく、我が国のお役人様には色々な奴がいる。日本には防諜機関が無いから露見しないけど、財務省には外国勢力の手先になって世論を操っている奴がいるはずだ。この確信犯は、アホな試験秀才を利用して、本当の狙いを隠している。狡猾な財務官僚や日銀の幹部どもは、誰が真の支配者なのかをよく分かっているから、日本の財務大臣や総理大臣なんかに従うことはない。彼らはヨーロッパの国際会議やワシントンD.C.に参拝し、恭しく大御所様の勅命を持ち帰ってくる。麻生太郎が財務省に従順なのは、官僚を尊敬しているからじゃなく、彼らの背後に居るパトロンを“権力者”と見なしているからだ。軍隊を持たない属州の酋長は、丸腰の藩主と一緒で、幕府から「江戸城の石垣を建築しろ」と言われれば、外様大名は資金と人材を提供せねばならない。これと同じく、ウォール街の旦那衆から、「お前の国は閉鎖的だ ! もっと自由な市場にしろ !」と厳命されれば、竹中平蔵のような買弁が現れて、構造改革とか自由主義で国内企業を売り渡す。貧困化した庶民は抵抗すらできず、「お上に逆らっても仕方がない」と諦めてしまい、あとはディスカウント・ショップにに通って節約生活に励む。悲しいけど、これが日本の現実である。

  別の記事で述べたいが、日本の経済評論家というのは、経済統計や専門用語を使って目先の経済現象を云々する。しかし、もっと重要なのは、世界経済のシステムや枠組み、ルールなどを誰がどのように決めたのかである。YouTube番組に出てくる経済通は、矢野氏の雑誌論文を取り上げ、「アホな奴だなぁ〜」と笑っているが、冷静な日本国民は、裏で糸を引く人物の魂胆を探った方がいい。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68875362.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c40

[番外地10] 岸田首相の経済政策「特になし」

2021年10月22日
岸田首相の経済政策「特になし」
総裁選では「所得倍増」「積極財政」と言っておいて、首相に就任すると「言ってません」
これでは犬より下
嘘つき野郎
岸田首相は総裁選前に色々な経済対策を口にしていた気がするが、総理になるとほとんどを取り消した。
まず超大型の給付金と言っていたが、だんだん話は小さくなり子供がいる困窮家庭に数万円などに変わっている。
その程度は安倍政権や菅政権でもやっていたので、要するに何もしない事になる。

「令和版所得倍増」を掲げていたが、いざ首相になると「所得倍増などと言っていない」と発言を翻した。
山際大志郎経済再生担当大臣は「所得が2倍になるという意味ではない」、そういう環境をつくろうという意味だと説明した。
これではまるで詐欺師であり、右翼や拉致家族を騙して選挙で利用した安倍晋三首相と変わらない。

安倍首相は衆院選や総裁選の度に拉致家族を利用し右翼を利用したが、選挙で勝つといつも反故にするのを繰り返した。

所得倍増は総裁選で岸田氏が「しゃべっただけ」で自民党の衆院選公約になっていないし、政府の目標にも明記されていない。

また安倍首相の引き合いにあるが、安倍首相は物価上昇率と経済成長率目標を2%、名目GDP目標600兆にしたが、結局一度も達成しなかった。


2019年にはGDP559兆円になっており、もし2度の消費増税をやらなければGDP600兆円は達成できていたと考えられる。

政治家は公約を守らないので公約を見る事自体意味が無いが、岸田首相にはその公約もない。

岸田氏は総裁選から「新しい資本主義」と言っているが、具体的に何をするかは書いてないし、GDP2%成長のような目標もない。

やはり財務省の犬か

「経済安全保障推進法」は割りと明白で、半導体輸出規制や中韓への技術流出防止などを差しているようです。

自民党の衆院選公約には「敵基地攻撃能力」(相手の領域内で阻止する能力と書き替えている)、防衛費2%以上、憲法改正などが書いてある。

だがこれら安保関係はどう見ても「安倍氏の公約」で、岸田氏がやりたがるような事ではない。


岸田内閣は麻生派と安倍グループ、岸田派、二階派、竹下派などが支えていて、中でも麻生派と安倍派の影響が大きい。

麻生、安倍の両グループは保守勢力なので、安保関連で強気の政策が並んでいる。

一方で安倍・麻生時代は財務省の影響が強く、財務省に逆らうような政策は一切しませんでした。


岸田氏自身も「財務省の犬」とニックネームを貰うほど、財務省との関係が深いとされている。

岸田氏が総裁選で主張した「数十兆円給付金」「税制変更」「積極財政」「所得倍増」はいずれも財務省と正面衝突する。

財務省と戦争する覚悟なのかなと思ったら、首相就任したら「なにもしません」「所得倍増なんて言ってません」と言い始めた。
やはりこの人は財務省の犬でしかない気がします
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/109.html

[リバイバル3] 楳図かずお作品集(動画) 中川隆
14. 中川隆[-15906] koaQ7Jey 2021年10月22日 15:59:41 : rwUVP6iK1U : akZLN1hRRkZzZms=[5]
2021.10.22
今こそ漂流教室を
https://golden-tamatama.com/blog-entry-hyoryukyoshitsu2021.html


ヒャッハー!

ところで皆さん漂流教室という作品知ってるでしょうか。

楳図かずお氏原作の漫画ですね。

この作品は今まで、何度も映画やドラマ化されてます。


生徒達が荒廃した未来にタイムスリップする話。

いや、もうワタスは漂流教室の大ファンなのですた。

なぜかって、この作品はワタスが伝えたいメッセージそのまんまを凝縮されてるから。

以下は、もうかれこれ20年前にドラマ化された作品です。

窪塚洋介さん常盤貴子さん主演 ロングラブレター・漂流教室。
youtubeに全編がアップされてるので絶対見るべし。
見るとハマる。

第1話





2話 3話 4話 5話 6話  7話 8話 9話 10話 11話
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%BC%82%E6%B5%81%E6%95%99%E5%AE%A4+%E8%A9%B1%E3%83%95%E3%83%AB++Yuu+LAchannel


このドラマは横浜の高校の生徒と教師の話です。

ある日、突然、大きな地震が起きる。
そして気づくと、高校だけを残し、周りの建物がすべて消え、辺りは砂と岩で覆われた世界になってしまうのでした。

何が起きたんだ?
最初はみんな核戦争が起きたと勘違いする。

核戦争で回りの建物がすべて吹っ飛び、自分たちだけが生き残ったと勘違いしたのです。

そして、その日、日食が起きる。
おかしい。

ある生徒がこの日に日食なんて起きるはずがないという。

そして、砂で覆われたまわりを探し回ると電車の残骸を見つける。
でも、その形は今の時代にはない新幹線でした。

ヒカリでもコダマでもない。イノリという名前の新幹線でした。

学校に置いてあった自動車のGPSは壊れていました。
修理すると一瞬表示された年は2020年12月5日でした。

まさか。。
僕たちは未来に来てしまったのか?

核戦争と思ってたら、実は未来にタイムスリップしていた。
現代では、高校のあった場所は巨大なシンクホールになっていたのでした。


2020年12月の未来の世界は、食料もなく荒廃していました。
生徒や先生は生き延びようと必死に頑張る。

そして最後に、体が変異した新人類たちに会う。
未来では人類はまったく違う化け物のような姿に進化していたのでした。


いや、このドラマ凄すぎでしょう。

あの当時、遺伝子変異した人類を言い当ててるとは。
それも設定が2020年12月以降です。

ちなみにこのドラマのキャラと漫画は性別が逆になってますね。

IQ200の天才 我猛君は漫画では男子生徒、ドラマでは女子生徒です。

食料を独り占めして皆を困らせる関谷は、ドラマでは女性教師。


このドラマに出演したタレントは、その後みんな大物になりますた。

窪塚洋介、常盤貴子、山田孝之、山下 智久、妻夫木聡、加里奈、鈴木えみ、水川あさみ。等々。


ワタスが大ファンになったのは、
このドラマが伝えたいメッセージです。

自分達の手で環境をぶっ壊したら、未来はこうなるよ。

ドラマ中、どんどん違法産廃してる業者が出てきます。

我々のような存在がいなけりゃあんた達は綺麗で清潔な暮らしができないでしょう。

そして未来に行くと壊れたロボットが言うのです。
ようこそテクノロジーの進化した地上天国へ

砂漠化した中でその声がむなしく響く。

生徒達は言うのでした、なにが天国だ。。
自分たちの手でこんな世界を作り出してしまったのか。

ひじょーに深いドラマなのです。

なぜ、ワタスはイベント名に漂流教室と入れたかというと。

現在、過去、未来を見るタイムウェーバーなる機械もあるし。
なにより学校でやる。
そしてみんなで、電気を発電する。

いや、それよりも何よりもたった今の状況が酷似し過ぎてる。

正常な遺伝子の人類は完全な少数派になって
まわりは遺伝子組み換え人間ばかりになってしまった。

こりゃ完全に漂流教室そのまんまでしょう。

と言う訳で、当日はみんなで小学校借りて漂流教室ごっこをやるのですた。

漂流教室ファンは来るべし。
まだ見てない参加者も全編視聴してから来るべし。

とにかく漂流教室するんだ。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-hyoryukyoshitsu2021.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/629.html#c14
[リバイバル3] 楳図かずお の世界 中川隆
42. 中川隆[-15905] koaQ7Jey 2021年10月22日 16:01:43 : rwUVP6iK1U : akZLN1hRRkZzZms=[6]
2021.10.22
今こそ漂流教室を
https://golden-tamatama.com/blog-entry-hyoryukyoshitsu2021.html


ヒャッハー!

ところで皆さん漂流教室という作品知ってるでしょうか。

楳図かずお氏原作の漫画ですね。

この作品は今まで、何度も映画やドラマ化されてます。


生徒達が荒廃した未来にタイムスリップする話。

いや、もうワタスは漂流教室の大ファンなのですた。

なぜかって、この作品はワタスが伝えたいメッセージそのまんまを凝縮されてるから。

以下は、もうかれこれ20年前にドラマ化された作品です。

窪塚洋介さん常盤貴子さん主演 ロングラブレター・漂流教室。
youtubeに全編がアップされてるので絶対見るべし。
見るとハマる。

第1話





2話 3話 4話 5話 6話  7話 8話 9話 10話 11話
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%BC%82%E6%B5%81%E6%95%99%E5%AE%A4+%E8%A9%B1%E3%83%95%E3%83%AB++Yuu+LAchannel


このドラマは横浜の高校の生徒と教師の話です。

ある日、突然、大きな地震が起きる。
そして気づくと、高校だけを残し、周りの建物がすべて消え、辺りは砂と岩で覆われた世界になってしまうのでした。

何が起きたんだ?
最初はみんな核戦争が起きたと勘違いする。

核戦争で回りの建物がすべて吹っ飛び、自分たちだけが生き残ったと勘違いしたのです。

そして、その日、日食が起きる。
おかしい。

ある生徒がこの日に日食なんて起きるはずがないという。

そして、砂で覆われたまわりを探し回ると電車の残骸を見つける。
でも、その形は今の時代にはない新幹線でした。

ヒカリでもコダマでもない。イノリという名前の新幹線でした。

学校に置いてあった自動車のGPSは壊れていました。
修理すると一瞬表示された年は2020年12月5日でした。

まさか。。
僕たちは未来に来てしまったのか?

核戦争と思ってたら、実は未来にタイムスリップしていた。
現代では、高校のあった場所は巨大なシンクホールになっていたのでした。


2020年12月の未来の世界は、食料もなく荒廃していました。
生徒や先生は生き延びようと必死に頑張る。

そして最後に、体が変異した新人類たちに会う。
未来では人類はまったく違う化け物のような姿に進化していたのでした。


いや、このドラマ凄すぎでしょう。

あの当時、遺伝子変異した人類を言い当ててるとは。
それも設定が2020年12月以降です。

ちなみにこのドラマのキャラと漫画は性別が逆になってますね。

IQ200の天才 我猛君は漫画では男子生徒、ドラマでは女子生徒です。

食料を独り占めして皆を困らせる関谷は、ドラマでは女性教師。


このドラマに出演したタレントは、その後みんな大物になりますた。

窪塚洋介、常盤貴子、山田孝之、山下 智久、妻夫木聡、加里奈、鈴木えみ、水川あさみ。等々。


ワタスが大ファンになったのは、
このドラマが伝えたいメッセージです。

自分達の手で環境をぶっ壊したら、未来はこうなるよ。

ドラマ中、どんどん違法産廃してる業者が出てきます。

我々のような存在がいなけりゃあんた達は綺麗で清潔な暮らしができないでしょう。

そして未来に行くと壊れたロボットが言うのです。
ようこそテクノロジーの進化した地上天国へ

砂漠化した中でその声がむなしく響く。

生徒達は言うのでした、なにが天国だ。。
自分たちの手でこんな世界を作り出してしまったのか。

ひじょーに深いドラマなのです。

なぜ、ワタスはイベント名に漂流教室と入れたかというと。

現在、過去、未来を見るタイムウェーバーなる機械もあるし。
なにより学校でやる。
そしてみんなで、電気を発電する。

いや、それよりも何よりもたった今の状況が酷似し過ぎてる。

正常な遺伝子の人類は完全な少数派になって
まわりは遺伝子組み換え人間ばかりになってしまった。

こりゃ完全に漂流教室そのまんまでしょう。

と言う訳で、当日はみんなで小学校借りて漂流教室ごっこをやるのですた。

漂流教室ファンは来るべし。
まだ見てない参加者も全編視聴してから来るべし。

とにかく漂流教室するんだ。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-hyoryukyoshitsu2021.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/628.html#c42
[近代史5] 「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ” 中川隆
344. 中川隆[-15904] koaQ7Jey 2021年10月22日 20:21:30 : rwUVP6iK1U : akZLN1hRRkZzZms=[8]
旭川市ウッペツ川の件のあとなぜ精神科へ入院になったのか!?
2021/10/22



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html#c344
[近代史5] 伊藤貫の真剣な雑談 - YouTube 動画
伊藤貫の真剣な雑談 - YouTube 動画


【新番組】伊藤貫の真剣な雑談−第1回前半「アメリカの政治を語る」[桜R3/10/22]



この番組は、米ワシントンに30年以上在住で、外交・国際関係・金融問題に定評のある国際政治アナリストの伊藤貫氏が、月並みな時事解説とは一線を画す真剣な雑談を、毎月1回のペースでお送りいたします。記念すべき第1回は、特別に前半と後半の2回に分けて、2日連続で公開いたします!


出演:伊藤貫(国際政治アナリスト)

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1207.html

[番外地10] 日本人と天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
日本は多民族国家、特に支配者層は田布施の chousen人なので、どの階層に属するかで死生観も全く異なっている:
日本人と天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
・chousen で長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる
・chousen の無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作り、日本人奴隷(生口)を青銅器・鉄と交換する奴隷貿易で稼いでいた。後漢の光武帝が贈った金印(漢委奴国王印)の「委奴」は「いと」と読む。

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた台湾先住民をジェノサイド

・豊臣秀吉の chousen 出兵 → chousen で奴隷狩り、平戸や長崎は世界有数の奴隷市場になった。ポルトガル商人に奴隷を売って鉄砲や白糸を得た

・明治維新 → 田布施の chousen 人が徳川幕府を倒し英米の傀儡政権を作る。

・神仏分離令・廃仏毀釈・神社合祀令 → 神仏習合の禁止・日本の仏教と神道を弾圧、六部・虚無僧・山伏・梓巫女・憑祈祷・狐下しを禁止、神社を統廃合した。日本人は無信仰・無神論の民族に変わった

・欧米との貿易開始 → 日本人女性50万人を騙して売春婦として海外に売り飛ばした

・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力をジェノサイド

・千島列島の乗っ取り → 千島アイヌを色丹島の強制労働所に集めて絶滅させる

・chousen の乗っ取り → 農民から農地を取り上げ、作物を日本へ飢餓輸出、chousen 女性を性奴隷 にする

・台湾のアヘン漸禁政策 → アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達した。

・満州の乗っ取り → 農民から農地を取り上げケシを栽培、麻薬商売で ぼろ儲け

・関東大震災 → JPモルガンから復興費用を借り、それ以降天皇一族は JPモルガンのエージェントになる

・2・26事件 → 政府の新自由主義政策に憤った共産主義者の将校が革命を起こすが、味方だと思っていた昭和天皇に裏切られる

・大東亜共栄圏 → 満州でケシ栽培、chousen の工場で麻薬製造、中国・東南アジアで麻薬を売って ぼろ儲けする体制

・南京大虐殺・慰安婦強制連行・731部隊の人体実験 → 昭和天皇直々の命令でやったので陸軍や外務省では止められなかった

・中国・東南アジア侵略 → 食料を強制調達して日本に送り現地で1000万人以上餓死させる。 現地女性を性奴隷 にする

・近衛上奏文 → 日本陸軍の軍人の殆どが共産主義者で、ソ連の対日開戦に合わせて共産革命を起こそうとしている、と警告

・太平洋戦争 → 日本陸軍による共産革命を防ぐ為にアメリカと八百長戦争をやって、アメリカ軍に日本を占領して貰った

・大空襲・原爆投下 → 共産主義者を武器・食料無しで最前線へ送り、本土の共産主義者も大空襲・原爆投下で革命を起こす気力を無くさせた

・特殊慰安施設協会(RAA)設置 → 35万人の日本駐留米軍の為に、仕事の無い日本女性に女性事務員募集と偽り 7万人の慰安婦を集めた。当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。
朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

・極東国際軍事裁判(東京裁判) → 昭和天皇の戦争犯罪を日本陸軍の軍人に肩代わりさせる目的で開廷される。

・日本国憲法第九条 → 日本陸軍は共産主義者ばかりだったので、共産革命を起こせない様に軍隊を廃止した

・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・1971年 本多勝一のルポ 「中国の旅」が朝日新聞に連載される → 南京大虐殺や戦時中の中国での日本支配の実態をルポ、文春や新潮は昭和天皇の戦争犯罪を隠蔽する為に渡部昇一や鈴木明に本多勝一批判をさせ、それ以降右翼は現在に至る迄、南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定する悪質なデマを流し続けている。

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償請求権を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした。アメリカは10年間で総額430兆円の公共投資の実施を日本政府に約束させ、意図的に平成バブルを起こさせた。

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから売り攻勢をかけ 7607円まで暴落させるのに成功した。 更に日銀に金融引き締めをさせ、外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

・尖閣乗っ取り → 尖閣を漁場にしていた台湾人を追い出す。中華民国(台湾)は尖閣は宜蘭県に属す島嶼だ、と昔から主張している。宜蘭は台湾原住民平埔族の中の一群であるクヴァラン族が広く住んでいた地域で、1632年にはクヴァラン族が歴史資料に登場している。

が、大まかな流れです。

▲△▽▼

日本の支配者は今も昔も chousen 人なので残虐で非人間的、どんな酷い事でも平然と実行できるのです
今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、縄文系琉球人、douwa buraku 民だけです。

天皇家は漢民族で百済語を話していた、
弥生人(chousenの無土器文化人)は日本語を話していた、
縄文人はアイヌ語を話していた。

ヤマトの英雄 ヤマトタケル(=関西チョx) 坂上田村麻呂(=百済出自の在コリ)
ヤマトの王 桓武天皇(=母ちゃんが百済人)
ヤマトの信仰 稲荷神(=渡来系の秦氏が広める) 
ヤマトの国史 日本書紀(=百済人の編纂)
ヤマトの天 高天原(=chousen半島)

半島出身のスメラ尊の和風諡号にはかならず「天」がつく。書紀で「天」は chousen 半島を指すのだ。
________

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り:

明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【田布施システム】chousen系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/110.html

[番外地10] 自民党の地方無人化政策が地方を極貧にした
自民党の地方無人化政策が地方を極貧にした
急激な人口減を迎えている地方では、これまで「文明のエリア」と「野生のエリア」の間にあって、緩衝帯として機能していた里山が無くなりつつあり、里山に無住の集落が発生してきています。無住の集落は短期間に廃村となり、山に飲み込まれます。
 21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。日本政府はこの人口減少に対して、国としての基本方針を示しておりません。シナリオは「資源を地方に分散する」か「都市に集中するか」の二つしかありません。

 本来なら、政府はこの二つのシナリオを国民の前に提示して、それぞれのメリット、デメリットを列挙した上で、合意形成をはかるべきなのですが、それをしていない。国策についての国民的議論を回避したまま、「都市一極集中」というシナリオを無言で実践している。これは民主国家においてあってはならないことだと思います。国民の同意を取り付けないままに、「地方切り捨て」を黙って続けて、ある時点でもう地方再生が不可能というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてから、「やはり都市集中しかない」となし崩しに持って行く。政官財はそういう計画でいます。しかし、黙って政策を実行しているので、地方が切り捨てられた場合に「何が起こるか?」ということは議論のテーブルに上がってこない。その話はしない約束になっている。そして、「人口の少ないところに暮している国民は、都市に暮している国民と同等の行政サービスを受ける資格がない」という主張だけが、一部の政治家やメディアを通じて、拡散されています。すでに、JRは赤字路線を次々と廃線にしています。その時のロジックは、「人口の少ないところに住んでいる人たちは、そこに住むことを自己決定しているわけだから、自己責任で不便に耐えなければならない」というものです。自分の好きで過疎地に住んでいる人間が「便利な暮らし」を求めて、税金の支出を求めるのはフェアではない、と。

 実際に、そのようなロジックに基づいて、公共交通機関は廃止されています。行政機関も統廃合されている。そして、過疎地では、医療機関もない、学校もない、警察も消防もないという状態になりつつある。そういう不便なところに住むことを自己決定している人間は、その不便に耐えるべきだという意見はもう既に日本国民のマジョリティを占めていると思います。
 しかし、この言い分に一度頷いてしまうと、後もどりが効きません。この後、人々が里山を捨てて、地方の中核都市に移動したとしても、遠からずそこも「過疎の都市」になります。そうしたら、同じロジックで、「不便なところに自分の意思で住んでいる人間は、その不便を甘受すべきで、税金を投じて都市と同じサービスを享受する権利はない」と切り捨てられる。そんなことが二、三回続けば、日本国内に文明的な生活が出来る圏域は太平洋ベルト地帯の都市部だけになります。
 現在の日本政府はそういうシナリオを描いていると思います。それを国民に開示して、議論したり、同意を求めたりということをしないのは、「地方を捨てます」と宣言した途端に地方の選挙区で自民党が惨敗して、政権から転落することが確実だからです。だから、人口急減という危機的局面を迎えながら、それについては「何も言わない」という任務放棄が公然と行われている。

 しかし、すでに過疎地での「野生の侵略」はかなりのスピードで進行しています。僕の友人の話ですが、先祖のお墓が西日本の過疎地にあります。お墓の管理はいとこがしてくれている。祖父母のお墓参りに行こうと思って、そのいとこに連絡したところ、「もう無理」という返事があったそうです。お墓のある集落が無人になり、「山に呑まれて」しまったというのです。集落へ行く道も藪に覆われて、通れない。獣も出るし、蛇もいるので、怖くて、かつて祖父母のいた集落にはもう入ることができないと言われたそうです。これに類したことは、急激な人口減を迎えている日本中の土地で今同時多発的に起きていると思います。

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地方の人口減少で、地方で若者を育てて、都会の大学に進学して都会で就職するという人材教育システムが破綻する

日本の輸出攻勢にアメリカが怒ったので、頭の良い人が「日本は農作物を輸入し農業を廃止するので自動車を輸出させてください」という取引をした
これが人口崩壊の始まりです

自動車輸出の見返りに農業を壊滅させた日本人

2040年に日本の自治体の半数が人口半減し消滅する、そんな衝撃予想がでたのは数年前でした。

全国1800市区町村の半分は2040年に人口半減し、自治体が維持できくなり統廃合する。

それから数年たったが何も改善されず、これが現実になる日が近づいている。

問題点は色々あり、日米貿易交渉で自動車を売るために「日本は農業を廃止するので自動車を売らせてください」と取引したのが引き金でした。

日本は牛肉、オレンジなど次々に市場開放し、見返りに自動車をアメリカに輸出させてもらっている。

日本の人口構造は弥生時代から2000年以上、農村で生まれて人口が増え、都会に出ていく構造でした。


都会の女性は子供を産まないうえに、都会では男が多いので都会で人は生まれにくい。

人口生産地だった農村を廃止した事で日本の出生数は激減し、回復する見込みはありません。

結局農村は農作物よりもっと重要な「人間」を生産していたのに、それを廃止したのが人口減の原因でした。


今のペースでは2060年には人口1億人を割り、今世紀末には半分の6000万人に減っているでしょう。

そうなる前に日本人が「農村が最も重要だった」と気づくかどうかですが、気づかないでしょう。

人は結局金儲けの為に行きているので、農村に補助金出すより自動車売る方が儲かるならそうします。

現在ある田舎はすべて消滅する

この政策が続くと我々が生きている間に日本の農村はすべて消滅し、荒れ地や森になります。

『地球環境に優しい』人たちは大喜びで、廃村にソーラーパネルを敷き詰めます。

林業も自動車を売る見返りに市場開放してしまったので、数十年間木を育てても1本数千円にしかなりません。


今田んぼ1反を1年間耕した年収が数万円、一生かけて1本の木を育てても数千円か数万円です。

代わりにトヨタやホンダはアメリカで車を売りまくっているが、トヨタやホンダは日本人に何もしてくれません。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/111.html

[リバイバル3] 神戸元町 ジャズ喫茶 jamjam _ UREI 813BX 富山誠
18. 中川隆[-15903] koaQ7Jey 2021年10月23日 08:10:48 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[2]
Date: 10月 22nd, 2021
色づけ(colorationとcolorization・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=35798

カラーレイション(coloration)とカラリゼイション(colorization)は、
同じように捉えがちの人もいるようだが、同じ色づけであっても、
その意味あいが違う、ということを(その1)で触れている。

カラリゼイションということで、私がまっさきに思い浮べるスピーカーは、
やはりアルテックだ。

往時のアルテックのことであり、
そのアルテックの604-8Gを搭載したUREIの813のことである。

UREIの813は聴く機会がなかった。
813Aもなかった。
私がステレオサウンドの試聴室で聴いたのは、813Bと、
そのコンシューマー・ヴァージョンの813Bxである。

813Bはアルテックの604ではなくなっている。

813の音は、ほんとうに聴きたかった。
瀬川先生は、「続コンポーネントステレオのすすめ」で、813についてこう書かれている。
     *
なにしろ、音がいくらでも湧き出てくるような、弾みのついた明るい響き。雄大なスケール感。まるでコダカラーのような、つまりどこか人工的な味わいであることは感じさせながらも、しかしこれはアメリカでしか作ることのできない色彩のあざやかさと豊富さ。
     *
ステレオサウンド 46号の特集の試聴記では、こう書かれている。
     *
たとえばブラームスのP協のスケールの雄大な独特な人工的な響き。アメリカのスピーカーでしか鳴らすことのできない豪華で華麗な音の饗宴。そしてラヴェル。「パリのアメリカ人」ではなくて「パリジャン・イン・アメリカ」とでも言いたい、まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ。
     *
46号では、岡先生も、同じように評価されていた。

こういう良さが、813Bでは、少なくとも私は感じられなかった。
アルテックのユニットではなくなったからなのか。

UREIの813の音は、はっきりとカラリゼイションである。
しかもそのカラリゼイションは、
アルテックのユニットだからこその色づけだと感じるし、
五味先生が山中先生のリスニングルームで、ブルックナーを聴かれたことも思い出す。

http://audiosharing.com/blog/?p=35798
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/417.html#c18

[番外地10] そもそも明治以降の日本政府を支配していたのは田布施の chousen人で、戦前からずっと英米の傀儡政権だよ
そもそも明治以降の日本政府を支配していたのは田布施の chousen人で、戦前からずっと英米の傀儡政権だよ
日本では「防衛」を前提にした議論が続けられてきたが、実態は「侵略」である。「親米リベラル」を自称する人びとは否定したいようだが、19世紀から続くアングロ・サクソンの長期戦略はまだ生きている。
アメリカ、イギリス、オーストラリアのアングロ・サクソン系の国と日本やインドはユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸国を締め上げるというイギリスの長期戦略に組み込まれてきた。大陸を締め上げる「三日月帯」の西端がイギリス、東端が日本だ。

 日本は中国やロシアを封じ込めるために重要な位置にあるだけでなく、戦闘員の供給源でもある。アヘン戦争でも明らかなように、中国を制圧するだけの戦力をイギリスもアメリカも持っていない。アメリカ国防総省のシンクタンク、RANDコーポレーションは2016年に中国との戦争を想定した文書を作成したが、そこでも地上での戦闘は考えられていなかった。地上戦を行うなら日本人を使うしかない。

 かつて中国侵略を狙うイギリスとアメリカが日本列島と日本人に目をつけ、「明治維新」を支援、新体制になってからイギリスの外交官アーネスト・サトー、アメリカの厦門駐在領事だったチャールズ・ルジャンドルや駐日公使だったチャールズ・デロングは台湾や大陸を侵略するように焚きつけていた。そして明治政府は琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争へと突き進む。

 この当時と基本的に同じことを現在の日本も求められている。沖縄はアメリカの軍事基地になっているが、沖縄諸島から先島諸島へと自衛隊は活動範囲を拡大させている。その先にある台湾は2016年から総統を務めている蔡英文がアメリカにすり寄り、中国を揺さぶる拠点になっている。

▲△▽▼

米国が東アジア侵略の拠点と考える日本

日本は明治維新以来、アングロ・サクソンの影響下にある。地政学の父と呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダーは1904年に発表した論文の中で、ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げて最終的にはロシアを制圧するというプランを示していた。彼はイギリスの支配グループの所属、そのグループのプランをまとめと考えられる。
 イギリスが薩摩や長州を中心とする勢力に肩入れして「明治維新」と呼ばれるクーデターを成功させ、明治政府に対して技術や資金を提供したのは、侵略の手先を育てることが目的だったのだろう。薩長政権は1872年に琉球を併合、74年に台湾に派兵、75年には江華島事件で朝鮮王朝に揺さぶりをかけ、94年から95年にかけては清(中国)と戦争、マッキンダーが論文を発表した1904年にはロシアと戦争を始めた。

 明治維新以降、日本を支配してきた勢力の背後にはアングロ・サクソンが存在、日本人を大陸侵略の手先に提供することで彼らの地位と富は保障されてきた。侵略を受け入れさせるため、日本では東アジアを貶める「反アジア教育」が徹底され、その影響は現在も残っている。

 日露戦争後、1917年11月にロシアで十月革命を経て社会主義の看板を掲げるソ連が誕生すると、日本はイギリス、アメリカ、フランスと共同で軍事介入した。1922年に日本軍は略奪物資を携えて帰国するが、1941年7月の関東軍特種演習までソ連侵略の意思は持ち続けている。

 その後、日本軍は石油を求めて東南アジアへ向かい、ハワイの真珠湾を1941年12月7日午前8時(UTC7日18時)に、またマレーシア北端の港町コタバルを12月8日午前1時(UTC7日17時)にそれぞれ奇襲攻撃してイギリスやアメリカと戦争を始めた。それでも日本の一部支配層はアメリカの金融資本や石油資本と関係を維持している。

 日本とウォール街との関係を象徴する人物がジョセフ・グルーだということは繰り返し書いてきた。1932年から駐日アメリカ大使に就任、松岡洋右、松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎、岸信介らと親しく、皇室にも太いパイプを持っていた。1945年に日本は降伏するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。

 日本列島、南西諸島、台湾をつなぐ弧で大陸を封鎖、朝鮮半島に橋頭堡を築くという戦略をアングロ・サクソンは明治時代から現在に至るまで維持している。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/112.html

[番外地10] プーチンとロスチャイルド、yudaya、ロシアの真実とは!? 2021.06.22
グローバリズム 対 反グローバリズム に分けて、yudaya人=グロ−バリスト、共産主義=グローバリズム、トランプやプーチンは反グローバリズムと考えるのはレベルが低い y udaya陰謀論ですね。 世界の支配階層の殆どが y udaya人で、その y udaya人が資本主義者と共産主義者に別れて相争っていたというのが20世紀以降の歴史です:
グローバリストと反グローバリストの戦い、資本主義者と共産主義者の戦い、というのは y udaya 人の内ゲバ、
ロスチャイルドが意図的にグローバリストと反グローバリスト、資本主義者と共産主義者を争わせている訳ではない。

プーチンとロスチャイルド、yudaya、ロシアの真実とは!? 2021.06.22

ジェームズ 今回は特にロシアとプーチンについてぜひ知っておいて欲しいことがあります。まず、ロシアという国を見る時は、すべてがフェイクという前提で見ないといけません。実は、その視点こそがロシアを、ひいてはプーチンを理解する際に凄く重要な点になります。いまのロシアに限らず、ソ連時代、さらにロシア帝国、モスクワ公国、キエフ公国時代からあの国はずっとフェイクだったんです。もちろん、共産党もフェイクです。多くの日本人は良くも悪くもロシアの革命の原動力だったと、共産党のことを考えていますが、全然違います。あれは y udaya人やタタール人等の非ロシア人によるロシアの乗っ取りです。レーニンもy udayaの血が入っていましたし、トロツキーは生粋のy udaya人です。

そもそもロシアという国は帝政時代にはポグロムといって、y udaya人をずっと迫害してきたんです。特に18世紀が一番ひどくてy udaya人村を取り囲んで虐殺を繰り返していました。y udaya人たちにはその時の恨みがずっと残っているんです。その中で、ロシア革命が起きているんです。ですから、ロシア革命を単なる共産革命だと思ったらロシアという国を完全に見誤りますね。

で、ここで大切なのが、ソ連時代の諜報組織KGBの歴代トップが全員 y udaya人だと言われていることです。

──KGBまで y udayaなんですか!?

ジェームズ そうです。ということは当然プーチンも y udayaなんです。隠れ y udayaです。

──えっ!

ジェームズ いえいえ、驚くことではありません。私のいる諜報の世界では常識ですし、いくつも証拠があります。まず、彼の母親の名字はシャロモビッチというのですが、最後にビッチがつくのはウクライナ系に多く、シャロモはシャロームで、ヘブライ語で平和を意味します。ロシア人ではこういう名前はありません。しかも、プーチンは自伝を書いているのですが、初版では母の名をシャロモビッチと書いています。しかし、第2版からはロシア風のシャロモーバに変えているんです。母親の名前が変わるなんて普通では考えられません。そして彼の父親ですが、タルムードの研究家なんです。

──シャロームにしろ、タルムードにしろ、完全にヘブライ、完全にy udaya教ですね。

ジェームズ そうです。そしてプーチンの出身地、サンクトペテルブルク、当時はレニングラードと呼ばれていたんですが、彼が生まれたアパート街はy udaya人居住区だったんです。あとは過去の発言を聞いてみるとソ連を礼賛しているようでいてy udayaを持ち上げることばかり言っています。一番はっきり言ったのは2010年で「私はy udaya人のためならなんでもやる」と。ですから、プーチン・y udaya人説はほぼ確定しています。

──じゃあ、プーチンはy udaya教の信者なんですね。

ジェームズ いいえ、プーチンは表向きは敬虔なロシア正教徒です。だから、そこもフェイクなんですが、もっと凄いのはロシア正教会自体もフェイクです(笑)。なぜなら、ロシア正教会を運営しているのはFSBという諜報機関だからです。ロシア正教会はソ連時代にKGBが乗っ取っていて、そのあとKGBの後継組織であるFSBが運営しています。事実、いまのロシア正教のトップ、キリル一世はFSBの大物エージェントです。

──FSBが裏で操っているとかじゃなくて。

ジェームズ そうです。ロシア正教会そのものがFSBなんです。ですから、キリルー一世は高額な給料を貰っていて、ベンツのリムジンに乗っていますし、ブレゲの高級銀時計も付けています(笑)。キリルー一世がブレゲを着けて宗教活動をしている画像もあります。これがロシアという国です。大統領がy udaya教であることを隠して、民族を隠して、宗教が秘密組織そのものという国です。

ともかくプーチンという存在はロシアのアイコンでしかありません。敬虔なロシア正教徒として世界のキリスト教徒を守る救世主であるというカバーをプーチンというアイコンはやっています。また、KGBとしてのプーチンは、大統領としての職業もカバーでしかありません。だから、彼は根っからの諜報員で、工作員のやり方で政治をやっているんです。つまり、プーチンのロシアそのものが謀略工作です。

──裏と表がまるで違いますね。

ジェームズ そうです。ロシアの裏側には常に y udayaがいます。ただし、y udayaと言ってもプーチンの y udayaコネクションは y udayaの正統派、保守系で「チャバッド・マフィア」と呼ばれる、聖職者とマフィアを兼職する離れ業を生業にしている人士です。彼らの多くはヴァチカン、ロシア正教会、ヨーロッパ王室の金庫番を務めており、「権力者に擦り寄り稼ぐ」という独特のユダヤ流生き残り戦略を持っています。当然彼らはプーチンや彼の「お友達」の金庫番も務めています。彼らのお陰で大統領名義の個人資産は米国、英国、スイス等に厳重に保管され、その額は200兆円に上ります。おそらくプーチンは世界の指導者で最も資産家で、トランプやバイデンが小物に見えるほどです。プーチンのロシアはチャバッド・マフィアが支配し、国民から資産をカツアゲするただの泥棒国家です。そして、プーチンが表向き反グローバル主義を掲げている理由はここにあるんです。


──ただ、グローバリストたちもy udayaですよね?

ジェームズ そうです。ですから、グローバリストと反グローバリストの戦いというのは、実は y udayaの内ゲバなんです。ここを多くの人が理解していません。
 グローバリストという呼ばれる人たち、典型的なのがジョージ・ソロスですが、彼にしたって基本的に y udaya系なんですけど、本音は無神論者です。彼らは y udaya系ですけど、ナチスにも協力するような化け物なんですよ。ですから、彼らは神と決別し、約束の地もないような人たちなんです。

 しかし、反グローバリスト派は約束の地があるという立場で、それがカナンの地であるイスラエルです。プーチンはイスラエルを認める立場で、バリバリのシオニストです。なにしろ、いまロシアではホロコーストに関する疑問を持つだけで5年間の収容所行きです。プーチンは反 y udaya主義に関しては物凄く厳しいです。ホロコースト説を法律によって守っている国なんです。反グローバリストとグローバリストの対立の軸はここです。

──ロスチャイルド家とかは保守系なんですか?

ジェームズ ロスチャイルドはどちらにも加担しています。ロスチャイルドにとっては、プーチンもソロスも投資のためのひとつのコマでしかありません。それはロックフェラーも同様ですが、影響力は遥かにロスチャイルドのほうが大きいです。ちなみにスターリンも革命家だった当時はロスチャイルド家がパトロンでした。もともとスターリンはギャングのメンバーで銀行強盗とかをやりまくっていたんですけど、それを裏で支援したのがロスチャイルド家です。彼はロスチャイルド家のためのマフィアだったんです。

 ともかく、プーチンはロシアファーストではなくて y udayaファーストです。ロシアファーストのように見せかけていますけど、y udaya に忠誠を尽くしているという視点で見ると世界が見えてきます。
https://tocana.jp/2021/06/post_212901_entry.html
https://tocana.jp/2021/10/post_222938_entry.html
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/113.html

[番外地10] マルクス個人の背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だよ。
マルクス個人の背景はどうでもいい、マルクス経済学はリカード経済学の分派で純粋な経済理論だよ。
研究者が右翼でも左翼でも、資本家でも労働者でも研究結果とは何の関係もない
数学の定理の証明は誰がやろうが証明自体には影響無いからね。 
それから、中国は共産主義でなく単なるファシズムだよ
マルクス経済学の基本は階級を無くして内需を拡大する事だよ。
ソ連や中国みたいな階級社会はマルクス主義じゃない。単に建前だけ、我が国は民主主義だ、共産主義だ、と言って支配を正当化しているだけだ:

▲△▽▼

人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。

その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。

▲△▽▼

過去に存在した本物の共産主義者は日本を戦後統治したGHQだけだった、毛沢東はマルクスの著書を一冊すら読んでおらず、自分の事を中国皇帝だと言っていたインチx共産主義者:

共産主義者ばかりだった GHQは日本を意図的にインフレにして資本家の資産を奪い、一億総中流社会を作り上げた
一億総中流社会を作ったのは共産主義者のGHQ, 一億総中流社会を壊したのがグローバリスト
日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。
特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。
戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。
何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。
平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。
20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
ユダヤ国際金融資本と GHQ は日本を共産化しようとして農地改革と人為的インフレ生成・金融封鎖を行った
フランクリン・ルーズベルト大統領やニューディール派は親共産主義だったので、戦後の日本を階級か無い疑似共産社会にしようと計画していた。

それで平等主義的な日本国憲法を制定、
農地改革で地主の土地を取り上げて貧民にタダ同然で分配、
貧民が土地を買う金を出せる様に人為的なインフレを起こし
預金封鎖で資産家の資産を取り上げた

戦後の人為的なインフレはそういう背景で起こされた 

 東京の小売物価は、全国平均と比べて高く推移する傾向があった。その東京の小売物価指数で見てさえ、1946年のピーク時のインフレ率は500%「程度」に過ぎない。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/114.html

[近代史6] 地球から最も近い太陽系外惑星「プロキシマ・ケンタウリb」とは?
【ゆっくり解説】地球から最も近い太陽系外惑星「プロキシマ・ケンタウリb」とは?【宇宙】
2021/10/22



今回は、地球から最も近い太陽系外惑星「プロキシマ・ケンタウリb」についてゆっくり解説しました。


最も近いと言っても、人類が行くには7000年以上、、、果てしない時間ですよね。


太陽系惑星にも人類はまだ着陸できていないので、太陽系外惑星に行けるのは遥か未来になりそうです。


▼動画の内容
@プロキシマ・ケンタウリbとは
Aプロキシマ・ケンタウリbのプロフィール
B恒星との関係
C生命の存在可能性
D移住できるのか
E今後の探査計画

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/957.html

[近代史5] 山へ行こう 中川隆
11. 中川隆[-15902] koaQ7Jey 2021年10月23日 12:21:46 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[6]
【ゆっくり】群馬県の野反湖近くの高沢山をハイキング中の親子が遭難。深い森をさまよった彼らに待ち受ける運命は・・・




2003年5月に起きた高沢山遭難事故について
ストーリー仕立てで解説するぜ

参考文献
・「ドキュメント 道迷い遭難 」(ヤマケイ文庫) 羽根田 治著

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/422.html#c11
[リバイバル3] イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II
イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II
オーディオ製品製造輸入商社 株式会社ナスペックオーディオ


Monitor Audio(モニターオーディオ)は、1972年に創業し英国東海岸の街Rayleigh(レイリー)に拠点を置く、約48年の歴史を持つスピーカーメーカーです。ゴールド・ファイン・テクノロジーに代表される、先進技術の開発に積極的であると同時に、キャビネットをはじめ、ユニットからネットワーク回路までの全てを自社内で一貫生産できる数少ないメーカーです。
1991年に世界初セラミック・アルミニュウム・ウーハーを発表して以来、「メタルユニットのパイオニア」として世界で知られるようになりました。

Gold、Silver、Bronzeと名付けられた各シリーズは確かな技術と良識ある価格設定、全帯域の音色が揃った魅力的なサウンドが評価され、全てのシリーズが現在まで続くロングセラーシリーズとなっています。
そして2007年。およそ10年の開発期間を経て遂にフラッグシップPlatinumが発表されました。
2016年にはPlatinumはUへと進化。初代Platinum発表から9年かけた研究開発の集大成です。
http://naspecaudio.com/monitor-audio/

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Platinum Series II
オーディオ製品製造輸入商社 株式会社ナスペックオーディオ
http://naspecaudio.com/monitor-audio/platinum-series-ii/

Monitor Audio | Hi-Fi, Cinema & Architectural Speakers
https://www.monitoraudio.com/

Bookshelf Speakers | Hi-Fi | Monitor Audio
Platinum PL100 II
https://www.monitoraudio.com/en/speaker-type/bookshelf-speakers/

Floorstanding Speakers | Hi-Fi | Monitor Audio
Platinum PL200 II Platinum PL300 II Platinum PL500 II
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7つのユニットが奏でるシームレスで壮大なオーケストレーション、かつてないインパクト、三次元的なサウンドスケープ、全てのサウンドが完璧に調和し、大きなリスニングルームを素晴らしいサウンドでくまなく満たします。

■形式:3way 7スピーカー バスレフ フロアースタンディング
■ユニット:MPD トランスデューサーx1, 100mm RDT II Midドライバーx2, 200mm RDT II Bassドライバーx4
■周波数特性:22Hz – 100kHz
■クロスオーバー:MF/HF: 3.6kHz, LF/MF: 460Hz
■感度:91dB
■最大SPL:120dBA (ペア)
■許容入力:400W
■インピーダンス:4Ω
■推奨アンプ出力:150W – 400W
■サイズ(W×H×D) :504 x 1848 x 626mm
■重量(1台):99.1kg
■バイワイヤ対応
※「PL500 II」は受注オーダー品の為、受注後の納期を必要とします。納期をご確認ください。

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PL300II \1,600,000-(税込 \1,760,000-/ペア)
PL300 IIは、200mm RDT II Bassドライバーを2基、100mm RDT II Midドライバーを1基と、MPD トランスデューサーを備えた高さ約1.2mのフロアースタンディング型スピーカーです。PL300 IIは、大きいリスニングルームを満たすのに必要なパワーと、より緻密なディティールの再現性を有しています。
PL200 IIより一回り大きいエンクロージャーと、さらに低いクロスポイントを取るBassドライバーは、広いリスニングルームで、ディープかつワイドなサウンドステージを展開することが可能です。 魔法の様なコンビネーションを持つ4つのユニットが奏でる豊かなオーケストラは、完璧なバランスを維持し、印象的で生き生きとしたサウンドで部屋中を満たします。

■形式:3way 4スピーカー バスレフ フロアースタンディング
■ユニット:MPD トランスデューサーx1, 100mm RDT II Midドライバーx1, 200mm RDT II Bassドライバーx2
■周波数特性:28Hz – 100kHz
■クロスオーバー:MF/HF: 3.4kHz, LF/MF: 500Hz
■感度:90dB
■最大SPL:117.8dBA (ペア)
■許容入力:300W
■インピーダンス:4Ω
■推奨アンプ出力:100W – 300W
■サイズ(W×H×D) :433 x 1112 x 518mm
■重量(1台):54.52kg
■バイワイヤ対応

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PL200II \1,100,000-(税込 \1,210,000-/ペア)
PL200 IIは、PL100 IIの165mm RDT II Mid/BassドライバーをBass用ドライバーとして2基に変更し、100mm RDT II Midドライバーを追加した、高さ約1mのコンパクトで、使い勝手の良いフロアースタンディング型スピーカーです。
RDT II Midドライバーは、750 Hzから3.9k Hzの間の帯域を担当します。ARC(アンチ・レゾナンス・コンポジット)素材により作られ、ドライバーを密閉して収めるTLE(テーパード・ライン・エンクロージャー)は、定在波の発生を防ぐ様にチャンバーを形成。この優れたミッドレンジユニットの構成は、ユニットの精度を向上させ、アキュレートな中音域の再生に貢献します。 2基のRDT II Bassドライバーは、よりワイドかつ強力な低音を生み出します。コンパクトなサイズながら、ワイドなサウンドを楽しめるハイパフォーマンスなフロアースタンディング型のスピーカーです。

■形式:3way 4スピーカー バスレフ フロアースタンディング
■ユニット:MPD トランスデューサーx1, 100mm RDT II Midドライバーx1, 165mm RDT II Bassドライバーx2
■周波数特性:35Hz – 100kHz
■クロスオーバー:MF/HF: 3.9kHz, LF/MF: 750Hz
■感度:90dB
■最大SPL:117dBA (ペア)
■許容入力:250W
■インピーダンス:4Ω
■推奨アンプ出力:100W – 250W
■サイズ(W×H×D) :380x 1052 x 408mm
■重量(1台):36.08kg
■バイワイヤ対応

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PL100II \680,000-(税込 \748,000-/ペア)
PL100 IIは165mm RDT II Mid/Bassドライバーと、MPD(マイクロ・プリーテッド・ダイアフラム) トランスデューサーを備え、コンパクトかつ美しいボディーに、PlatinumシリーズIIのテクノロジーが凝縮された2wayブックシェルフ型スピーカーです。

ディティールに優れたミッドレンジとディープな低音。優れた広帯域でのレスポンス。息を呑むダイナミクス。ワイドなサウンドステージは、ブックシェルフ型のスピーカーの次元を超えたサウンドを実現しています。 超低歪みで強力な低音と豊かな中音域を奏でるRDT II Mid/Bassドライバーと、音楽的なサウンドとハーモニックスに貢献するMPD トランスデューサーという2つの全く新しいユニットは、高い次元で融合し、シンプルな2ウェイ2ユニットスピーカーでの、優れたコンビネーションを実現します。

オプションの専用スタンド“PL100 II STANDS(別売)”は、安定性と性能を損ねないために二重構造の天板を採用。キャビネットを固定する上部の天板と、スタンドの脚に固定された下部の天板がアイソレーションされています。振動対策に配慮し、シビアなセッティングが可能です。

■形式:2way 2スピーカー バスレフ ブックシェルフ
■ユニット:MPD トランスデューサーx1, 165mm RDT II Mid/Bass ドライバーx1■周波数特性:40Hz-100kHz
■クロスオーバー:3.0kHz
■感度:88dB
■最大SPL:111.8dBA (ペア)
■許容入力:120W
■インピーダンス:6Ω
■推奨アンプ出力:60W – 120W
■サイズ(W×H×D) :225 x 372 x 326mm
■重量(1台):14.94kg
■バイワイヤ対応

PL100 II STANDS
Stands \120,000-(税込 \132,000-/ペア)
■概要:PL 100 II専用スピーカースタンド
■寸法:H652 x W380 x D 407 mm/フィートとスパイク込み
http://naspecaudio.com/monitor-audio/platinum-series-ii/

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モニターオーディオから新旗艦スピーカー「PLATINUM SERIES II」登場。最上位「PL500 II」も
2016年03月25日
https://www.phileweb.com/news/audio/201603/25/17069.html

ナスペックは、同社が取り扱う英MONITOR AUDIO(モニターオーディオ)の新フラグシップ・スピーカーシステム「PLATINUM SERIES II」の発表会を、英国大使館にて開催。ラインナップ各モデルを4月15日より発売する。

2007年に登場した旗艦モデル「PLATINUM」を約9年ぶりにフルモデルチェンジ。従来は3ウェイ・4スピーカー「PL300」がトップエンドだったが、PLATINUM SERIES IIでは3ウェイ・7スピーカーのバーチカルツイン(仮想同軸)型「PL500 II」が最上位として新登場。本機以外では、従来シリーズに倣ったラインナップを用意する。トゥイーターを従来のリボン型から独自のハイルドライバー「MPD」へと刷新し、ミッド/ウーファーも「RDT II」ドライバーへと進化させた。各モデルの型番と価格は以下の通り。

・「PL500 II」 ¥3,200,000/ペア(税抜)※受注製品
今回からラインナップされた旗艦モデル「PL500 II」は、3ウェイ・7スピーカー構成のバスレフ型/フロア型スピーカーシステム。本機のみ受注生産での販売となる。

・「PL300 II」 ¥1,600,000/ペア(税抜)
・「PL200 II」 ¥1,100,000/ペア(税抜)
従来のトップエンド PL300の後継となる「PL300 II」は、3ウェイ・4スピーカー構成のバスレフ型/フロア型スピーカー。「PL200 II」は、PL300 IIより一回り小さい3ウェイ・4スピーカー構成のバスレフ型/フロア型モデルとなる。

・「PL100 II」 ¥680,000/ペア(税抜)
ラインナップ唯一のブックシェルフ型である「PL100 II」は、2ウェイ・2スピーカー構成のバスレフ型。専用スタンド「PL100 II STAND」(¥120,000/ペア・税抜)も用意されている。

・「PLC350 II」 センタースピーカー ¥680,000(税抜)
・「PLC150 II」 センタースピーカー ¥450,000(税抜)
センタースピーカー「PLC350 II」は3ウェイ・4スピーカー構成のバスレフ型で、PL300 IIと同様のユニット構成を採用。より小型の「PLC150 II」は2.5ウェイ・3スピーカー構成のバスレフ型で、PL200 IIのユニット構成と対応。両センタースピーカー向けのスタンド「PL CENTRE STAND II」(¥80,000・税抜)も用意する。

・「PLW215 II」 サブウーファー ¥700,000(税抜)
サブウーファー「PLW215 II」は、380mmドライバー 2基を対向配置。DSPを内蔵しており、マイク測定による音場補正機能も備えている。

発表会には英モニターオーディオ社よりグローバルセールス・マーケティングディレクターであるアレックス・エムソン氏が登場。駐日英国大使館からは対英投資部貿易担当一等書記官のエスター・ウィリアムス氏が登壇し、挨拶を行った。

英モニターオーディオ社 グローバルセールス・マーケティングディレクター アレックス・エムソン氏
駐日英国大使館 対英投資部貿易担当一等書記官 エスター・ウィリアムス氏

以下、英国大使館で開催された発表会の模様と併せて、PLATINUM SERIES IIの特徴を紹介していく。

■トゥイーターをリボン型から独自設計のハイルドライバー型へ刷新

「PLATINUM SERIES II」のプレゼンテーションは、英モニターオーディオ社のテクニカル・ディレクターであるディーン・ハートレイ氏が行った。同氏は、従来のPLATINUMシリーズを含む同社スピーカーの開発を一貫して担ってきた人物だ。

英モニターオーディオ テクニカル・ディレクター ディーン・ハートレイ氏

最大のトピックと言えるのが、ハイルドライバー型トゥイーター「MPD(Micro Pleated Diaphragm)トランスデューサー」をラインナップ全モデルで新採用したことだ。従来のPLATINUMシリーズでは、同社が伝統的に用いてきたC-CAM合金を用いたリボン型トゥイーターを搭載していた。同社上位シリーズ「Gold」にも採用されたこのC-CAMリボントゥイーターをあえて採用せず、新旗艦シリーズでは新開発されたハイルドライバー型トゥイーターを採用した。

MPDトランスデューサーはカプトン素材による“超軽量プリーツ振動板”を採用。ドーム型トゥイーターと比較して8倍の表面積を備えることで、高能率と低歪みを実現した。能率については96dBという値を可能にしたと説明された。

また、一般的なハイルドライバー型のユニットでは、25kHz付近に大きなブレークアップポイントが出てしまうとのこと。しかしMPDトゥイーターにおいては、コンピューターシミュレーションによる設計を行うことで、60kHz以上の超高音域再生を実現しつつ、ブレークアップ・ポイントが存在しないという特徴を可能にしたという。振動板自体がショック・アブソーバーとして機能することにより、優れた減衰特性も得られ、不要な表面振動を抑制。これにより、100kHzまでの高域再生を実現しつつ、大きな入力レベルにおいても歪みのないサウンドを実現できると説明していた。

またフラットなインピーダンス特性により、ダインピングファクターの小さいアンプでも高いパフォーマンスで再生できるという。また、各スピーカーのL/Rにおいてペアマッチングが図られている。

■ウーファーには第二世代「RDT II」ドライバーを採用

ミッドレンジ/ウーファーには、第二世代となる「RDT II(Rigid Diaphragm Technology II」)ドライバーを採用する。コーンのコア部には、軽量かつ高い高度を備えたNomex複合素材を使用。表面はハニカム構造のディンプル(くぼみ)を施し、超薄型に仕上げられている。このコア部の表面側にモニターオーディオでお馴染みのC-CAM(セラミック・コーンテッドアルミニウム/マグネシウム合金)によるコーンを、背面側には撚り構造のカーボンスキンを特殊接着によって組み合わせ、3層のサンドイッチ構造としている。

このRDT IIは、高い硬度と、センターホールを廃した精度の高い放射形状により、ブレークアップ共振モードを回避し、スムーズなロールオフ特性を実現。300Hz以上の音域で8dB以上の歪みを低減できたという。こうした成果には、FEA(有限要素解析)を用いて最適化されたコーンデザインや、振動板各層の新たな接着方法も寄与していると説明していた。

ユニットコーンの背後には、特許技術となるDCF(ダイナミック・カップリング・フィルターを搭載する。これはナイロンリング状のメカニカル・フィルターで、振動板の動きに対して吸収材のように働く。さらにユニット駆動時の背圧を逃す空気穴を配置するとともに、ドライバーが動くことで発生する高周波エネルギーを効果的に減衰させ、駆動時に発生するボイスコイルの熱を冷却。歪みを低減し、さらなる高能率化と、自然なロールオフ特性の獲得に寄与する。
https://www.phileweb.com/news/audio/201603/25/17069.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html

[近代史4] イギリスのスピーカー 中川隆
27. 中川隆[-15901] koaQ7Jey 2021年10月23日 13:59:48 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[7]
イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/111.html#c27
[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
32. 中川隆[-15900] koaQ7Jey 2021年10月23日 14:00:39 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[8]
イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/414.html#c32
[リバイバル3] 最高の音を一番安く手に入れる方法 _ パソコンの iTunes ファイル + プリ機能付き DAC + フルレンジスピーカー 中川隆
135. 中川隆[-15899] koaQ7Jey 2021年10月23日 14:01:29 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[9]
イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1002.html#c135
[近代史5] 最高の音を一番安く手に入れる方法 中川隆
8. 中川隆[-15898] koaQ7Jey 2021年10月23日 14:01:59 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[10]
イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/411.html#c8
[リバイバル3] イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II 中川隆
2. 中川隆[-15897] koaQ7Jey 2021年10月23日 14:07:33 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[12]
MonitorAudio Platinum PL100 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=MonitorAudio+Platinum+PL100

MonitorAudio Platinum - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=MonitorAudio+Platinum
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html#c2

[リバイバル3] イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II 中川隆
3. 中川隆[-15896] koaQ7Jey 2021年10月23日 14:22:00 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[13]
「音楽&オーディオ」の小部屋
新たな小型SPに挑戦
2021年10月12日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bdc1f9d6d88a347ba3a057aa495a4d37


たまたまオークションで見かけた「モニター オーディオ」(英国)の「PLー100」。


寸法では小型SPの範疇に入るのだが、性能となるとおそらく際立っているはずと踏んだ。

というのも、このSPの大型版を数年前の「オーディオフェア」(福岡)で試聴したときにアッと驚くほどのサウンドに打ちのめされたから。

当時のブログを振り返ってみよう。

   

モニターオーディオ(イギリス)の「PLー300U」(160万円)だが、これが一番気に入った。日本のイギリス大使館に収めてあるそうだが、とてもバランスが良く品のいい音で感心した。

低音域の沈み込み、独特のリボン・ツィーターによる高音域の自然な佇まいなど非の打ちどころがなく、これは欲しいなあ、一瞬、我が家のウェストミンスターを叩き売ろうかと思ったほど(笑)。

当日は、ほかにも数百万円前後のSPが目白押しだったが「タダでくれると言われても要らない」ものばかりで、へきへきしていたのだがこのSPばかりは別格で「いい音の記憶」は生涯に亘って「耳にこびりき」どうしても離れてくれない(笑)。

爾来、機会があればぜひと思っていたのだが、そのミニ版が出品されたのだから黙って見過ごす手はない。このところ小型SPに凝っているのはご承知の通りだがおそらくこのSPが極みに位置することだろう。

他にも同類としては「B&W」あたりがあるが、肝心のツィーターが「リボン型」ではないのでおそらく繊細さにかけては及ぶところではあるまい。

ちなみに現在使っている小型SPに「まったく不満はない」のだが、もっと「いい音」に出会えるかもしれない、それも確率が非常に高いという誘惑にはどうしても抗し難い(笑)。

とはいっても「ポケットマネー」で済む話ではないので大いに迷ったが、落札日(10日)の夕方に「これが勝負どきだ!」とばかり、思い切って盛大にアクセルを吹かした!!

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/bdc1f9d6d88a347ba3a057aa495a4d37


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「音楽&オーディオ」の小部屋
2018九州ハイエンド・オーディオ・フェア
2018年04月19日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0c186ce30301a4edc1cab900c1fb40ab

去る15日(日)、「2018九州ハイエンド・オーディオ・フェア」(会場:福岡市、「マックス・オーデイオ」主催)に行ってきた。

         

昨年に続いて2回目の訪問だが、九州の片田舎では日ごろ聴けない高級機が一堂に会する得難い機会なのでオーディオ仲間(4名)で押し掛けた。

10か所ほどのブースを聴いて回ったが、機器の「エージング不足」を割り引く必要があるし、我が家の旧式な音と比較しての個人的な感想なのでどうか「真に受けないようにね」とお断りして、腹蔵のない意見を述べてみよう。

何しろ他人のシステムを云々するときとは違って、いくら貶(けな)してもいっこうに構わないのがとてもいい(笑)。

まず個別のスピーカーごとの感想からいこう。

   

JBLの「エベレスト」(648万円)だが、妙に低音域が膨らんでいて嫌な音だった。2本のウーファーのうち1本はサブウーファーの役割とのことだが、「コルトレーン&ハートマン」(レコード)では音像(歌手の口元)がやたらに大きくなってとても聴けたものではなかった。

同行の仲間曰く「カートリッジの選択ミスですね。昔のレコードをこんなところで鳴らすものではありません。」

「成る程、スピーカー側の一方的な責任ではないかもしれませんがそれにしてもねえ。こんなスピーカーならただでくれるといっても願い下げですよ。」(笑)。

    

アバロン(580万円)というスピーカーだったが、もう弦の音が固くて硬くて・・・。このスピーカーの存在価値がどうもよく分からない。

     

タンノイさんの「カンタベリー」(356万円)だが、これも感心できなかった。やたらに高音域がうるさく何だか金属的な響きがするし、低音域の沈み込みも明らかに足りない。

昔のタンノイは良くも悪くも「いぶし銀のような音」に特徴があったのだが、まさに隔世の感がある。

クラシック再生に限らずジャズの再生も併せて狙ったような音だったがどうも周波数レンジを広げ過ぎて音の密度を薄くしたような印象で、このスピーカーもただでくれるといっても要らない。

   

モニターオーディオ(イギリス)の「PLー300U」(160万円)だが、これが一番気に入った。日本のイギリス大使館に収めてあるそうだが、とてもバランスが良く品のいい音で感心した。

低音域の沈み込み、独特のツィーターによる高音域の自然な佇まいなど非の打ちどころがなく、これは欲しいなあ、一瞬、我が家のウェストミンスターを叩き売ろうかと思ったほど(笑)。

ただし、仲間に「モニターオーディオが一番良かった!」と言っても皆さん「?」だったが、それぞれが個別に回ったので聴く機会がなかったのかもしれない。

    

これは大きな真空管ですねえ!「CSーport」のシングルアンプ(5、378千円)だそうで、見かけに応じてどうせ大味な音だろうと思ったがそうでもなかった。

しかし、こういう大型管を使う必然性とメリットについては短い試聴時間ではどうもよくわからなかった。

以上のとおりだったが、総合的な所感は次のとおり。

☆ 総じて周波数レンジが広くてよく言えばブライト、悪く言えばギラギラした音が多かった。こういう音は「ちょっと聴き」はいいのだろうが長時間聴くとなると耳が疲れそうで、ついていけない気がした。少なくとも静謐感のもとでクラシック音楽に浸れる音ではない。まあ、瞬間風速向けのデモ用に調整された音なのかもしれないが。

☆ オーディオはどんなに高価な機器でも必ずしも「気に入った音は出ない」ことを改めて感じた。「パワーとお金は、かければかけるほど音が悪くなる」という通説は一面の真実ではありますなあ。

いずれにしても今回のフェアを通じてアンプにしろスピーカーにしろ昔と比べて進歩したのだろうかという思いが沸き起こったが、一方では自分の耳がガラパゴス化した可能性もありそうだ(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0c186ce30301a4edc1cab900c1fb40ab
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html#c3

[リバイバル3] イギリス モニターオーディオ社 Platinum Series II 中川隆
4. 中川隆[-15895] koaQ7Jey 2021年10月23日 14:56:41 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[14]
「音楽&オーディオ」の小部屋
東奔西走
2021年10月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b9ea0817e0b204d2c8e0a4cf1a1df3ec


前々回からの続きです。

たまたまオークションに出品されていた小型SPの白眉ともいえる「PL-100」(英国:モニターオーディオ)。「千載一遇」のチャンスが巡ってきたともいえる(笑)。

となると「どのくらいの金額なら落札できるんだろう」の一点に絞られる。

そこで、これまで数知れないほどオークションを利用してきた経験を踏まえて自分なりの「落札のセオリー」を披露しよう。

たとえば、その製品の定価の3割程度で入札すると落札する確率が50%ほど、つまり五分五分だし、もし4割程度なら70〜80%へと確率が上がり、定価の5割程度で入札したときはほぼ100%近い確率で落札できるというもの。

もちろん、例外があって「AXIOM80」や「WE300B真空管」のような根強い人気製品の場合はこのセオリーはまったく当てはまらない。

というわけで、今回はどうしても落札したかったので目一杯の「5割」で入札した。

入札時刻は10日(日)の深夜だったが、自分は早朝型なので毎晩20時までには就寝する。そこで夕食後のほろ酔い気分のもと乾坤一擲とばかりに入札して後は白川夜船〜。

翌朝の3時頃に目を覚ますとワクワクしながらパソコンを開けたところ見事に「貴方が落札者です」の文字が躍っていた。ニンマリ(笑)。

しかも肝心の落札価格となると、定価の3割程度にちょっと毛が生えた程度なのでもう二重の喜び〜。

幸か不幸か、このSPの凄さを知らない人が多いみたい。おそらく「小型だから」との先入観があるのだろう。

たしかに大型SPのそれなりの良さもあるが、裏腹としてどうしてもサウンドが大味になる傾向にあるのは否めない(と思う)。

したがって両方を天秤にかけるとしたらきめ細かで緻密な再生を誇る小型SPに軍配を上げたくなるのが現時点での我が心境である。

さて、こうして落札できたとなると出来るだけ早く送付してもらいたいので急いで「出品者」(関西地方の業者)に連絡したところ、意外とスローモーで返事が来たのが翌11日(月)の夕方だった。遅過ぎるっ!

「送料込みで〇円になります。振込先はPAYPAY銀行です。運送はS運輸に絞っています。宅配をやっておらず営業所留めになりますので送付先(近くの営業所を)を指定してください」

面倒くさいなあ・・。

長年オークションを利用してきたが「PAYPAY銀行」への振り込みとか、営業所留めの送付なんて初めてである。

とはいえ、言われたとおりにしなくては仕方がない。ネットで調べるとS運輸の営業所は県内2か所で「大分市」と「杵築市」(県北)となっている。

とにかく12日の午前9時過ぎにネットで代金を振り込み(PAYPAY銀行は「へ」で検索して出てきた!)、「大分支店留めにしてください」とコメントを添えたところ、同日の夕方には「商品を発送しました。問い合わせ番号は〇〇です」と予想外に早い連絡が入った。

オッ、なかなか手早くてよろしい(笑)。

関西から大分への場合は発送翌日には到着するが、おそらく12日の夜に発送したとなると到着は14日(木)の午前中だと踏んだ。

そこで、とりあえず「S運輸大分支店」の場所を知っておきたいし、(荷物が)支店到着後にすぐに連絡を入れてもらいたいしで、電話ぐらいでは埒(らち)が明かないので13日の午後になってカーナビを頼りに「S運輸大分支店」目指して出発。

すいすいと快調に飛ばして50分ほどで無事到着。

事務所の窓口で「明日、荷物が届くことになっているんですが・・」「送り状番号はどうなってますか」「ハイ、006−・・・ですが」「あれ、もう届いてますよ」「エ〜ッ」とうれしい悲鳴(笑)。

ところが・・・。小型SP2個とはいえ二つまとめて梱包となると図体が結構大きいし、重さも半端ではなく一人で抱え上げるのはとても無理。

結局、係りの方に加勢してもらい、車のトランクにギリギリで詰め込んだ。滑り込みセーフ〜。

帰りの道中で「重たすぎるので車のトランクの中で荷物をばらして1台づつ外に出さないと無理だな」などと思案しながら自宅に到着。

すると、何と車庫の奥に家内のクルマが止まっている!

どうやら今日は早めに仕事を終えて帰ってきたらしい。これは拙いなあ・・。

「触らぬ神に祟りなし」で本日の作業は止めて明日(14日)に伸ばすことにした(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b9ea0817e0b204d2c8e0a4cf1a1df3ec

スピーカーの存在を意識させない自然な音
2021年10月16日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a6858e789a03a7321e8577acc2672d02

前回からの続きです。

14日(木)の早朝のこと、家内に向かって「おい、今日は何時ごろに出かけるんだ?」

「10時ごろよ、どうして?」「いや、俺のクルマが先だから動かさないといかんからな・・・」。

昨日からクルマの中に積んでいる「PL-100」を早く引っ張り出したい一心だ(笑)。

そして、ようやく作業に取りかかれたのが10時半ごろだった。一人では重すぎて持てないのでトランクの中で大型のカッターナイフを使って極めて頑丈に梱包された荷物を解体した。

そして、ようやくピアノ・ブラックの艶やかな光沢に包まれた筐体が姿を現した。

中古とあったがほとんど新品と見まごうほどで程度は極上。そして、小型とはいえズシリと重たい。とりあえず1台づつ大切にオーディオルームに運び込んだ。

早く音を鳴らしたいが、空になった段ボールなどの処理の方が先だ。ほとんど木に近いような硬い段ボールに無数に留められた大型ホッチギスの針をペンチで引き抜くのが一苦労で20分ほどかかった。紐で一括りにしてゴミ出し日まで倉庫の片隅にひとまず保管。

さあ、いよいよ待望の音出しだ。もう期待と不安と緊張で頭が鉢割れそうだ(笑)。

ご覧の通り、グッドマンの「AXIOM80」(復刻版)とJBLの「D123」の上に載せた。

そして、まず単独で鳴らしてみた。

アンプは「WE300Bシングル」だ。カタログ上では「能率88db」とあったのでパワー面でも十分いけるだろうと踏んだ。

はじめに「ブルーレイ」に収納している「エンヤ」を聴いてみた。とりあえず何よりも「ノイズ」が皆無なのにひと安心、それからじっくりとサウンドに耳を傾けた。

実にさりげなく、それでいて奥行きが深くて密度の高い音・・。

そして、両方のスピーカーの間に(聴感上の)ステージ(舞台)を作ることが出来ることを確認した。音像定位が乱れているとこうはいかない。それに小型の割には低音域もよく伸びている。

リモコンで「ちあきなおみ」、「小椋佳」など次から次に聴いてからいよいよ真打のモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」に移った。

第一印象は、弦楽器のハモリ具合がたいへん美しい!

それに加えて「スピーカーの存在を意識させない、自然に音楽に没入できる音」といえばいいのだろうか。

これは明らかに従来の「ブリティッシュ・サウンド」を踏襲していて大歓迎。さすがは英国製だ。

また、音が消え去っていくときの余韻がことのほか美しくて、音響空間の中ではかなく漂いながらそっと気配を絶っていく印象がお見事。「リボン型ツィーター」の面目躍如である。

しかし、欲を言うとキリがないがもう少し低音域の量感があるといいんだけどなあ・・。

というわけで、我が家の常套手段である「フルレンジ+サブウーファー」(2台のアンプを使用)の展開へ持ち込むことにした(笑)。

かねてからの狙い通り「第一弾」として「AXIOM80」(復刻版:15Ω)を「サブ・ウーファー」として使ってみることにした。

おそらく世界初の組み合わせだろうし、世界で唯一のサウンドになるだろう。

次の「第2弾」は「D123」を(サブウーファーとして)使う見込み。

そのための「画像」のような配置である。先刻、ご承知の通りかな(笑)

さあ、いよいよ実験開始〜。

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/a6858e789a03a7321e8577acc2672d02


オーディオの「終着駅」は「この音」で十分だね
2021年10月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ebe2e0989695c5cee6ab5c60f54816c4


一昨日(土)の夕方のこと「お父さん、またスピーカーを買ったの?」と県外の娘から電話があった。父親の健在の証として毎日ブログを見ているそうなので当然の如く知ることとなる。

「ああ、お母さんに内緒だぞ!」と言うと「お母さんは何だか気付いているみたいよ。凄くカンのいい人だから用心した方がいいわよ。」「オッ、そうか。油断できんなあ〜」

まるで「狐と狸」の化かし合いかもね(笑)。

以下、前々回の「スピーカーの存在を意識させない自然な音」からの続きです。

久しぶりに我が家のオーディオに新風を吹き込んだ小型スピーカー「PL-100」(モニターオーディオ:英国)。

その音質にうっとりと酔い痴れながら、フルレンジの次には第二段階の試みとして、我が家独特の「フルレンジ+サブウーファー」へと展開した。

まずは、サブ・ウーファーとして「AXIOM80」(復刻版)の登場。

ハイカット用のコイルは「12mh(ミリヘンリー)」だからインピーダンス「15Ω」の場合の周波数は「200ヘルツ」(−6db/oct)あたりになる。まあ、丁度いいところかな。

「AXIOM80」用のアンプは「6098=6AR6」シングルを使った。

前段管の仕様は「6SL7」だが、なぜか「μ(ミュー)=増幅率」の低い「E180CC」(独:ヴァルボ)の方が音がいいので変換アダプターを使って差し換えている。

周波数レンジの広さにかけてはこのアンプが我が家で一番だし、音にも癖が無いしでどのスピーカーにも合うのが特徴!

そして、フルレンジのときと同様に再び同じ曲目をなぞっていったが、抜けるように色鮮やかで繊細な水彩画のサイズが2倍以上になった印象を受けた!!

解像力と透き通った音の存在感が抜きんでていて双方のユニットの魅力全開といったところ。いや、けっして大袈裟じゃなく〜(笑)。

「AXIOM80」をサブウーファーとして使うなんてと「眉」を顰める向きもあるだろうが、実は「PL-100」に目を付けてからずっと暖めていた着想である。

「強力なマグネットとエッジレス効果による極めて抜けのいい音」は、むしろ低音域でその魅力を発揮されると思っていたし、どんなユニットと組み合わせても、きっとマッチングするはずだとの読みは間違っていなかった。

その一方、逆の発想としてAXIOM80をフルレンジで鳴らして「PL-100」をサブウーファーとして使う手もあるが、AXIOM80の中高音域よりも「PLー100」のリボン型ツィーター(受け持ちは2800ヘルツ以上)の方が質感、安定感ともに明らかに上なので迷うことはなかった。

となると、もう一つの方法がある。

「PL-100」は2800ヘルツを境に(バイワイヤリング接続で)ユニットごとに別々に活用できるようになっている。

そこで、2800ヘルツあたりまでを「AXIOM80」が担当し、それ以上をリボン型ツィーターに受け持たせる発想もある。いずれ適当な数値のコイルを使って、ぜひ試してみたいですね〜。

それはともかく、このシステムで夜遅くまでいろんな曲目をまんじりともせずに聴いていたら不覚にも目頭が熱くなってきた。

年を取るとやたらに涙もろくなって・・(笑)。

長年、追い求めてきたのはこういう音だったんだ!

(ここまで来るのに)50年もかかったのか・・・。オーディオは終着駅のない世界だと思っていたが、ちゃんとあったんだなあ。

おっと、ちょっと話が湿っぽくなりましたね(笑)。

翌日は朝から「AXIOM80」に惜別の情を送りながら、その代わりにJBL「D123」の登板だ。

インピーダンスが8Ωだから、「12mh」のコイルを使った場合「100ヘルツ」(−6db/oct)あたりでのハイカットなる。

まあ、理論上の話だからやってみなくちゃ分からんのが正直なところで、インピーダンス絡みの話は特にそうで、たとえば「8Ω」接続と「16Ω」接続の音の違いなんか闇の中に等しい

すると「AXIOM80」のときとは打って変わって低音域の厚い堂々たるサウンドになった。ちょっと大げさに言えば100ヘルツ前後の音はサウンド全体を支配しますね。

ジャズ好きの方はこちらの方が好みかも・・。

ただし、「AXIOM80」も「D123」にしても「祈り」(ゲリー・カー)に収録されたオルガンの重低音の再生は無い物ねだりだった。

こればかりは長大なバックロード・ホーンに恵まれた「ウェストミンスター」の独壇場である。

となると、「PL−100」を「ウェストミンスター」(サブウーファー)の上に載せて鳴らしてみたくなる〜。

我が「オーディオ人生」は次から次に夢が膨らんでいくなあ(笑)
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/ebe2e0989695c5cee6ab5c60f54816c4


小型スピーカー「PL-100」を巡る波紋
2021年10月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3b158baab3bd8733008c89960d8fa1b2


我が家のオーディオに久しぶりに新風を吹き込んだ小型SP「PL-100」(モニター・オーディオ:英国)。

やっぱりオーディオの華は「スピーカー」に尽きることを痛感しますね(笑)。

さっそく、ブログを読んだメル友さんたちからもお便りが寄せられた。

まず横浜のKさんから。

「小型(超小型ですね)のSP記事楽しいです。読み手も”わくわく”しながらブログ開いてます。素敵な記録に感謝です。ネットで調べるとPL-100はかなりの高額商品ですが、お小遣いの額が違いますね(笑)。」

これに対して次のとおり返信。

「それこそ、毎日のように”爪に火を灯す”ような細々とした生活の中でオーディオ経費を捻出しています(笑)。これから他にもいろんな鳴らし方に挑戦してみる積りです。どうかご期待ください」

そして次は東海地方の「I」さんからも次のようなメールが届いた。

「モニター・オーディオ良さそうですね。ハイエンドの系譜ですね。たぶん16センチウーファーで普通(?)の人は十分満足されてると思います。ただ、低音を・・・と感じてしまうと、泥沼の始まりでしょうね。ウェストミンスターで落ち着くかとというと、きっと落ち着かないですよね!それがマニアの性ですから(笑)。

ところで、モニターオーディオのPL-100の中高音域はAXIOM80よりいいですか?どんな違いでしょうか? ブログ記事で結構ですので教えてください」

これに対して、

「PL-100を大いに楽しんでます。AXIOM80との違いですが周波数レンジがさらに広いことです。繊細な高音域が果てしなく伸びていく感じです。鮮度も抜群で臨場感に溢れており思わずハット息を呑むような美しさです。このリボンツィーターを聴くともう元に戻れませんね。」

そして近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからも18日(月)の午後に電話があった。

「PL-100の件ですが以前製作したSPの置台がありますよ。現在使っていないので持って行きましょうか。ガラッと音が変わりますよ」

「エッ、それはありがたいですね。ぜひ試してみたいのでお願いします。」

そして1時間後には次のような状況に・・。

これから波乱万丈の展開が待っているとは、そのときは知る由も無かった・・。

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3b158baab3bd8733008c89960d8fa1b2

「古い音」 と 「新しい音」
2021年10月22日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/802022b2828188d980b1596717274749


前々回のブログ「小型スピーカーPL-100を巡る波紋」の続きです。

「女房と畳は新しい方がいい」という、味も素っ気もない言葉があるが(笑)、オーディオにも似たようなところがあるようだ。

つまり、新しいサウンドは「新しさ」というだけで愛好家を魅了するところがあり、それはそれで結構なことだが問題はそういうハネムーンの期間が過ぎてからのことで、段々とほんとうの実力が分かってくると「何だ、たいしたことないな」というオチをこれまで何度も何度も繰り返し経験してきた。

これはいいも悪いもなく、冒険好きのオーディオ愛好家の宿命みたいなものだが、今回の小型SP「PL-100」ばかりはまったく話が違ってきて、我が家に来てからおよそ10日あまり、毎日10時間ほど飽くことなく付き合っているが聴けば聴くほどに魅了されてしまう。

これまでとはまったく系統の違った音で、聴き慣れた音楽がどういう音で鳴ってくれるんだろうという期待のもとに次から次に聴きたくなる。こういうことはこれまでのオーディオ人生の中でも極めて珍しい。

周辺からも注目されているみたいで、メル友さんやオーディオ仲間からもいろいろ便りが舞い込んでくる。

そして、近隣のオーディオ仲間「Y」さんからも「スピーカー・スタンド」提供の申し出があった。まったく願ってもない話でさっそく持参していただいて二人して試聴した。

これまでは自作の箱(AXIOM80内蔵)の上で鳴らしていたのだが、「SPスタンドでこんなに音が変わるの!」と、腰が抜けるほど驚いた。

一言でいえば、音響空間の広がりと透明感が際立ってきた。

「これは素晴らしい」と思わず叫んだ!

Yさんも非常に感心されたご様子で「こういう透明感のある音を聴くといかにもAXIOM80の音が古く感じます。スピーカーは時代とともにちゃんと進化していたんですねえ・・。

ある高名なオーディオ評論家がレイ・オーディオの大型システムからいきなりモニター・オーディオのシステムに変更したのもわかる気がします。

こういう音を聴くとこれまでの苦労がいったい何だったのかとガッカリしませんか?」

「いいえ〜、ガッカリしませんよ!むしろこれまでの苦労がやっと報われたと、うれしいくらいです。Yさんは我が家に比べてはるかにお金持ちなんだからいっそのことモニター・オーディオの上級システムに変更したらいかがですか」

「ウ〜ン・・・」

小型スピーカーはその姿だけで「どうせ低音が出ないだろうから所詮はセカンドシステムだ」と軽視される傾向があるが、それはとんでもない話でいろいろと教えられた。

たとえば、音は空気の波紋なんだから出来るだけ小さな音源できれいな波紋を素早くスピード感をもって音響空間の中で広げていくことが本来の在り方ではないだろうか・・等々。

まあ、これを「我田引水」と受け取るような「縁なき衆生」が居ても仕方がないけれど(笑)。

それにしても、この「PL-100」を知らないまま人生を終える可能性も十分あったわけだが、そもそものきっかけは9月のオーディオ愛好家「YA」さん宅(豊後大野市)への訪問だったことになる。

そのYAさんからも昨日(21日)連絡があって、「PLー100に興味があります。ぜひ試聴させてください。」「ハイ結構ですよ、いつでもどうぞ〜」

さて「仕事の途中ですから・・」と、早々にYさんが辞去されたあとで再びじっくりと聴き込んだが、音楽ソースのたとえばオーケストラなどを聴くときは、やはり「ほんのもう少し低音域の量感があるといいなあ」という感がどうも拭えない。

さあ、どうしようか・・。

以下続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/802022b2828188d980b1596717274749
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1194.html#c4

[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
41. 中川隆[-15894] koaQ7Jey 2021年10月23日 16:22:51 : PHeKaqYmhc : RTk1bTBYOXF2SkE=[17]
2021年10月23日
日本国民と財務省の利益相反
田名角栄は豪快に金を使い日本を急成長させ、財務省(大蔵省)は存在意義をなくした。
すると大蔵省は東京地検に働きかけ田中逮捕に動き、日本財政悪化、日本経済破綻にむけて邁進する

画像引用:https://www.dailyshincho.jp/article/2018/05120700/?all=1 生誕100年 いまも色褪せない「田中角栄」秘蔵ショット集 _ デイリー新潮

日本を貶めるほど利益を得る集団

利益相反はその役職に就いている者が、役目の遂行と相反する利害関係にある事を言います。

例えば小泉政権から日本政府の経済会議で中心的役割を担ってきた竹中平蔵は、個人としてパソナ取締役会長などを兼ねていた。

竹中は政府を主導して派遣業の規制緩和や悪名高い「中抜き」を勧め、パソナはそれで利益を得て竹中個人も金を得た。

典型的な利益相反でアメリカなら逮捕されるところだが、今も自分が決めた法律や制度によって利益を得ている。

こうした例が日本政府には無数にあり、安倍夫婦はその一端で、国会議員は何かしら自分が関与した事で利益を得ている。

利益相反の頂点に位置するのが財務官僚で、財務省は日本の財政が悪化しないよう収入と支出を監督する役所です。


1980年代いわゆるバブル時代や、もっと前の高度成長期に財務省は大蔵省と言う名前だった。

バブル時代の大蔵省は金余りの時代で税収が多かったので、必ずしも敬意を払われていませんでした。

敬意を払わない頂点の男が田中角栄首相で、公然と大蔵省をばか、無能呼ばわりし積極財政を展開していた。


当時の田中首相は政界の闇将軍と呼ばれ国民には絶大な人気を誇り、日本の機関車のような存在だった。

これが気に食わないと思った大蔵省は、東京地検に依頼して田中角栄逮捕を働きかけたと言われている。

田中は1976年(昭和51年)に逮捕されたが、その後も政界の闇将軍として日本を支配し続けた。


日本経済と財政が「破綻寸前」だから財務官僚が大威張りし政治家や国民がひれ伏す。
日本が好景気で財政健全になってしまったら、こんな奴は無能呼ばわりされる
これが財務省が日本経済を破綻させる利益相反
20211014-00786015-shincho-000-1-view画像引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/50a73e426b6b40e4c6ef9cfa095b6111ea0afaa4 

財務次官の異例の「国家破綻・財政再建」寄稿 過去の「国債の暴落を引き金にした財政破綻を明確に否定した公式文書」との整合性は?(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

財政悪化させるほど財務官僚は利益を得る

田中角栄の信念は「金を使えば金は増える」で、イケイケどんどんを地で行くような政治を好んだ。

田中逮捕は「大蔵省に逆らうものはこうなるぞ」という見せしめで、大蔵省に従い田中を裏切ったのが竹下首相でした。

竹下は総理大臣になるため田中を裏切り、大蔵省の支援を受けて消費税を創設した。


この消費税こそ財務省の利益相反の最たるもので、日本の景気を悪化させるために意図的に仕組んだ。

財務省=大蔵省は日本の景気が良く財政が健全だと、田中のような人物に「バカ、無能」呼ばわりされる。

それなら景気を悪化させて日本を財政破綻させれば、日本中が財務省に服従するようになる。


これが消費税創設と3度の増税で、4回とも見事に日本を不況のどん底に陥れ、デフレ不況を悪化させた。

消費税の税収は増えたが日本のGDPを縮小させたので、国全体の税収は減少し4回とも財政を悪化させた。

ここからが面白い話で、日本経済が破綻し財政悪化するほど財務省の力が強まり、財務官僚に逆らうものは居なくなった。


安倍首相は2012年から2013年にかけて消費増税を渋ったが、そこで降ってわいたように「安保論争、憲法論争」が起きた。

日本中のメディアや学者が反安倍、反安保を表明し安倍首相は退陣寸前に追い込まれた。

だが安倍首相が消費増税を表明すると潮が引くように反安倍は収まり、4回目の消費増税でも同じ事が繰り返された。


これを仕組んだのも財務省で、財務省は経済情報の元ネタを全て握っているので、あらゆるニュースメディアに支配権を持っている。

財務省は予算も握っているのであらゆる大学も支配下に置いており、学者や教授はみんな財務省から給料をもらっている。

このように財務省・財務官僚は日本の財政を悪化させるほど、日本を経済破綻に追い込むほど利益を受けます。

岸田新首相は評判通り「財務省の犬」なのか、時間が経てば分かるでしょう

https://www.thutmosev.com/archives/87001911.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c41

[近代史4] 田中角栄
2021年10月23日
日本国民と財務省の利益相反
田中角栄は豪快に金を使い日本を急成長させ、財務省(大蔵省)は存在意義をなくした。
すると大蔵省は東京地検に働きかけ田中逮捕に動き、日本財政悪化、日本経済破綻にむけて邁進する

画像引用:https://www.dailyshincho.jp/article/2018/05120700/?all=1 生誕100年 いまも色褪せない「田中角栄」秘蔵ショット集 _ デイリー新潮

日本を貶めるほど利益を得る集団

利益相反はその役職に就いている者が、役目の遂行と相反する利害関係にある事を言います。

例えば小泉政権から日本政府の経済会議で中心的役割を担ってきた竹中平蔵は、個人としてパソナ取締役会長などを兼ねていた。

竹中は政府を主導して派遣業の規制緩和や悪名高い「中抜き」を勧め、パソナはそれで利益を得て竹中個人も金を得た。

典型的な利益相反でアメリカなら逮捕されるところだが、今も自分が決めた法律や制度によって利益を得ている。

こうした例が日本政府には無数にあり、安倍夫婦はその一端で、国会議員は何かしら自分が関与した事で利益を得ている。

利益相反の頂点に位置するのが財務官僚で、財務省は日本の財政が悪化しないよう収入と支出を監督する役所です。


1980年代いわゆるバブル時代や、もっと前の高度成長期に財務省は大蔵省と言う名前だった。

バブル時代の大蔵省は金余りの時代で税収が多かったので、必ずしも敬意を払われていませんでした。

敬意を払わない頂点の男が田中角栄首相で、公然と大蔵省をばか、無能呼ばわりし積極財政を展開していた。


当時の田中首相は政界の闇将軍と呼ばれ国民には絶大な人気を誇り、日本の機関車のような存在だった。

これが気に食わないと思った大蔵省は、東京地検に依頼して田中角栄逮捕を働きかけたと言われている。

田中は1976年(昭和51年)に逮捕されたが、その後も政界の闇将軍として日本を支配し続けた。


日本経済と財政が「破綻寸前」だから財務官僚が大威張りし政治家や国民がひれ伏す。
日本が好景気で財政健全になってしまったら、こんな奴は無能呼ばわりされる
これが財務省が日本経済を破綻させる利益相反
20211014-00786015-shincho-000-1-view画像引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/50a73e426b6b40e4c6ef9cfa095b6111ea0afaa4 

財務次官の異例の「国家破綻・財政再建」寄稿 過去の「国債の暴落を引き金にした財政破綻を明確に否定した公式文書」との整合性は?(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

財政悪化させるほど財務官僚は利益を得る

田中角栄の信念は「金を使えば金は増える」で、イケイケどんどんを地で行くような政治を好んだ。

田中逮捕は「大蔵省に逆らうものはこうなるぞ」という見せしめで、大蔵省に従い田中を裏切ったのが竹下首相でした。

竹下は総理大臣になるため田中を裏切り、大蔵省の支援を受けて消費税を創設した。


この消費税こそ財務省の利益相反の最たるもので、日本の景気を悪化させるために意図的に仕組んだ。

財務省=大蔵省は日本の景気が良く財政が健全だと、田中のような人物に「バカ、無能」呼ばわりされる。

それなら景気を悪化させて日本を財政破綻させれば、日本中が財務省に服従するようになる。


これが消費税創設と3度の増税で、4回とも見事に日本を不況のどん底に陥れ、デフレ不況を悪化させた。

消費税の税収は増えたが日本のGDPを縮小させたので、国全体の税収は減少し4回とも財政を悪化させた。

ここからが面白い話で、日本経済が破綻し財政悪化するほど財務省の力が強まり、財務官僚に逆らうものは居なくなった。


安倍首相は2012年から2013年にかけて消費増税を渋ったが、そこで降ってわいたように「安保論争、憲法論争」が起きた。

日本中のメディアや学者が反安倍、反安保を表明し安倍首相は退陣寸前に追い込まれた。

だが安倍首相が消費増税を表明すると潮が引くように反安倍は収まり、4回目の消費増税でも同じ事が繰り返された。


これを仕組んだのも財務省で、財務省は経済情報の元ネタを全て握っているので、あらゆるニュースメディアに支配権を持っている。

財務省は予算も握っているのであらゆる大学も支配下に置いており、学者や教授はみんな財務省から給料をもらっている。

このように財務省・財務官僚は日本の財政を悪化させるほど、日本を経済破綻に追い込むほど利益を受けます。

岸田新首相は評判通り「財務省の犬」なのか、時間が経てば分かるでしょう

https://www.thutmosev.com/archives/87001911.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1714.html

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ベルリオーズ『劇的物語 ファウストの劫罰』
ベルリオーズ『劇的物語 ファウストの劫罰』


Furtwängler, condutor CD096 Berlioz The Damnation of Faust Op 24, Parte 1



01. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 1 Scene 1 – Introduction 0:00
02. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 1 Scene 1 - Reigen der Bauern 7:10
03. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 1 Scene 2 - Aber die Ebenen blitzen 11:40
04. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 1 Scene 2 - Ungarischer Marsch 12:34
05. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 3 - Ohne Bedauern verließ ich die lachenden Auen 17:35
06. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 3 - Christ ist erstanden 22:36
07. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 4 - O reine Rührung! 31:19
08. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 5 - Noch zu trinken! Wein! 33:09
09. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 5 - Es war eine Ratt im Kellernest 36:45
10. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 5 – Amen 38:27
11. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 5 - Es war einmal ein König 42:09
12. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 6 - Rosen sind hier 46:36
13. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 6 - Schlafe, glücklicher Faust 49:10
14. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 6 - Tanz der Sylphen 56:39
15. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 7 - Margarita! 1:00:00
16. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 2 Scene 7 - Burgen mit hohen 1:01:19



Furtwängler, condutor CD097 Berlioz The Damnation of Faust Op 24



01. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 - Trommeln und Trompeten erklingen zum Zapfenstreich 0:00
02. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 8 - Hab Dank, süße Daemmerung 1:14
03. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 8 - Fausts Lied 7:25
04. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 9 - Ich Höre Sie 9:11
05. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 10 - Wie schwül die Luft ist! 11:48
06. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 11 - Geister der flackernden Flammen 18:57
07. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 11 - Tanz der Irrlichter 21:17
08. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 12 - Was machst du mir 27:22
09. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 13 - Grosser Gott! 30:13
10. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 3 Scene 14 - Fort! Es ist zu spaet! 36:07
11. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 15 - Meine Ruh ist hin 42:01
12. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 15 - Und die Trompete 51:01
13. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 16 - Unermessliche, unerforschliche, stolze Natur 53:52
14. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 17 - Sage mir 59:32
15. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 18 - Ihre verweifelte Stimme 1:02:57
16. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 19 - Has! Irimirukarabrao! Has 1:06:58
17. Berlioz: The Damnation of Faust Op. 24 - Part 4 Scene 21 - Steig auf zum Himmel 1:12:29




Berlioz La damnation de Faust -- Furtwängler -- Schwarzkopf -- Hotter -- Lucerne Festival



Berlioz "Fausts Verdammnis"
Faust: Frans Vroons
Méphistophélès: Hans Hotter
Marguerite: Elisabeth Schwarzkopf
Brander: Alois Pernerstorfer


Hector Berlioz "La damnation de Faust
Dramatic legend in four parts
" Fausts Verdammnis "
Libretto by the composer and Almire Gandonnière
Lucerne Festival Chorus
Lucerne Festival Orchestra 1950
Conductor: Wilhelm Furtwängler




http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/958.html

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ベルリオーズ『劇的物語 ファウストの劫罰』 中川隆
1. 中川隆[-15893] koaQ7Jey 2021年10月24日 00:47:32 : KMcXWBByqs : ZDFML3hCSi4uczI=[1]
『ファウストの劫罰』(フランス語:légende dramatique "La damnation de Faust" )は、フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが作曲した作品。オーケストラに声楽、合唱が加わる大作であり、ベルリオーズの代表作の1つで、劇的物語『ファウストの劫罰』と言われている。ドイツの文豪ゲーテの代表作『ファウスト』から着想を得ている。 フランス語による台本は、ジェラール・ド・ネルヴァル、 アルミール・ガンドニエール(フランス語版)とベルリオーズによる。


作曲の経緯

1824年頃、ベルリオーズは『ファウスト』のフランス語訳を購入した。たちまち『ファウスト』の虜になったベルリオーズは「この素晴らしい本は、最初から私を魅了した。あらゆる機会に読み漁った。そして、これを音楽にしようと決心した。」と回想している[1]。夢中になった勢いで『ファウストからの八つの情景』を作曲し、自腹で楽譜を出版した。得意になっていたベルリオーズは総譜をゲーテに贈呈したが、ゲーテが知り合いの音楽家であるカール・フリードリヒ・ツェルターに楽譜を見せて意見を聞いたところ、ツェルターは曲そのものを否定。ゲーテも何となくそれに賛同したため(ゲーテは音楽方面の知識は素人よりやや上程度だったと言われる)、総譜はベルリオーズの元に返され、『ファウストからの八つの情景』はそのまま20年近く放置された。 1845年ベルリオーズの『ファウスト』へのが想いが再燃する。この頃、ベルリオーズはハンガリーやオーストリアを演奏旅行していたことから、『ファウスト』への関心が強まったのである。そして、長らく放置していた『ファウストからの八つの情景』を元に「劇的物語」と命名し、作曲を続けた[2]。作曲の途中でハンガリー楽旅中に採りあげて喝采を浴びた「ラコッツィ行進曲」をどうしても使いという欲求が高まり、原作の設定のうち冒頭の部分をドイツからハンガリーへと変更した[3]。

初演とその後
1846年12月、パリ・オペラ=コミック座で初演された。しかしまったく観客がはいらず、わずか2回上演されるにとどまった。ベルリオーズは破産してロシアに逃れ、オペラ=コミック座は大損害を被った[4]。この作品が初めて喝采を浴びるようになったのはベルリオーズが亡くなってからの事であった。 日本初演は、本来の演奏会形式では1936年6月20日の東京音楽学校定期演奏会にて。指揮はクラウス・プリングスハイム[5]。舞台形式では1951年11月28日、東京芸術大学歌劇研究部による文部省芸術祭公演・都民劇場公演。指揮は近衛秀麿[6][7]。この間の1945年3月10日には、日本語訳での初演が東京交響楽団臨時公演で行われるはずだった。しかし、前日から当日にわたった東京大空襲により、御成門にあった練習所が総譜、楽器ごと焼失してしまった。

楽曲
作品中では「ラコッツィ行進曲」(ハンガリー行進曲)、「妖精の踊り」、「鬼火のメヌエット」の3曲は特に有名であり、しばしば独立して演奏される。

上演形式
通常はコンサートホールにおいてコンサート形式で演奏されるが、ベルリオーズの生誕200年を迎えた2003年前後からは欧米ではオペラ形式での上演が優勢になってきた。コンサート形式での上演は交響楽団による1回、もしくは2回の単発上演だが、歌劇場による舞台上演の場合、1シーズンに6回から10回程度繰り返され、評判が良ければ同じプロダクションで数年後に再演されるからである。この傾向はドイツやフランスでは顕著だが、歌劇場の少ない日本ではあまり当てはまらない。

オーケストラと合唱の編成
木管楽器:フルート3(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2(コーラングレ1持ち替え)、クラリネット2、バス・クラリネット、バスーン4
金管楽器:ホルン4、トランペット2、ヴァルヴ式トランペット2、トロンボーン3、オフィクレイド、チューバ
打楽器:ティンパニ2対(奏者4)、大太鼓、タンブリン、シンバル、トライアングル、タムタム、鐘、
その他:弦五部(最低で第1ヴァイオリン15、第2ヴァイオリン15、ヴィオラ10、チェロ10、コントラバス9、ハープ8〜10
混声6部合唱(ソプラノ2部、テノール2部、バス2部)
児童合唱(ソプラノ2部)

登場人物
人物名 声域 役

ファウスト テノール 年老いた学者。
メフィストフェレスの力で若返る ギュスターヴ=イポリット・ロジェ
メフィストフェレス バリトン
またはバス 悪魔。
ファウストと魂をもらう契約を結ぶ レオナール・エルマン=レオン
マルグリート メゾソプラノ 村の若く美しい娘 オルタンス=デュフロ・メヤール
ブランデル バリトン 学生。 アンリ
合唱:農民、学生、悪魔たち、兵士、天使達、その他
バレエ団:精霊・妖精。

演奏時間
第1部:約17分、第2部:約50分、第3部:約40分、第4部:約36分。計約2時間23分。

あらすじ

第1部
《第1場:ハンガリーの平原》ファウスト伝説やゲーテの原作にはない、ハンガリーの場面に始まる。ハンガリーの丘の上にたたずむファウストは、自然の美しさと孤独感に浸っている。季節は春、日が昇る時刻である。曲はフガートで始まり、やがて遠くのざわめき(「農夫たちのロンド」と「ハンガリー行進曲」のファンファーレの一部)が聞こえてくる。これは後に続く2つの場面を予告するものである。
《第2場:農夫たちのロンド》原曲は『ファウストからの八つの情景』の第2曲である。ファウストの耳には農民の歌や踊りが聞こえてくるが、ファウストの気分は沈んでいる。
《第3場:平原のもう一方のある場所》今度は軍隊が進んでくるのに出会う。遠くにはハンガリーの兵隊の行進(「ラコッツィ行進曲」)の音が聞こえてくるが、軍隊を見ても、ファウストは無関心なままである。

第2部

メフィストフェレス
《第4場:北ドイツ》ファウストは深く沈んだ気分で書斎にこもっている。第1部と同じようにフガートから始まるが、今回は短調で半音階的に進行する。ファウストは、絶望の果てに自殺を決意する。しかし、毒入りのカップを口に運んだとき、教会の鐘が鳴り、「復活祭の歌」が聞こえてくると、ファウストは再び生きる気力を取り戻す。この「復活祭の歌」は、もともと『ファウストのからの八つの情景』の第1曲に使われていたものである。
《第5場》突然、トロンボーンと木管楽器の音色に乗せて悪魔メフィストフェレスが現れる。この後、メフィストフェレスの音楽には必ずトロンボーンが使われる。メフィストフェレスはファウストに幸福と快楽を与えようともちかけ、外へと連れ出す。
《第6場:ライプツィヒのアウエルバッハの酒場》メフィストフェレスはファウストをライプツィヒのアウエルバッハ・ケラーという酒場(実在する)へと連れて行く。そこにいた酒飲みのブランデルは「ネズミの歌」をうたい、その主題をもとにフーガの大合唱(「アーメン・コーラス」)を仲間たちが歌う。続いてメフィストフェレスが「蚤の歌」を歌う。この2つの歌(「ネズミの歌」と「蚤の歌」)は、『ファウストからの八つの情景』の第4曲と第5曲をそのまま用いている。しかしファウストは気が滅入り他の場所はないのかとメフィストフェレスに要求する。
《第7場:エルベ河の河岸、林と草原》メフィストフェレスがアリア「ばらはこの夜、花開く」を歌う。このアリアに続いて、「地中の精たちと空気の精たちの合唱」となる。これは『ファウストからの八つの情景』の第3曲が原曲である。合唱によって眠りに誘われたファウストは、マルグリート(マルガリータ)という女性の夢を見る。やがて、「空気の精たちのバレエ」と入る。深い夢から「マルグリート!」と叫びながら目覚めたファウストに、メフィストフェレスは彼女のところへ連れて行こうとするが、途中で学生や兵隊の行進と一緒になる。
《第8場:フィナーレ》「兵士たちの合唱」(原曲は『ファウストからの八つの情景』の第7曲に出てくる。)と「学生たちの合唱」が歌われるが、その後、この2曲は対位法的に組み合わされてクライマックスとなる。

第3部
《第9場:小太鼓とラッパが帰営を告げる》帰営を告げる太鼓とトランペットが聞こえ、舞台裏の金管がそれに応える。ファウストとメフィストフェレスはマルグリートの家に侵入し、ファウストはアリアを歌う。
《第10場》メフィストフェレスはマルグリートが近づいてくることをファウストに知らせ、ファウストをカーテンの後ろに隠して去っていく。
《第11場》マルグリートが部屋に入ってきて、トゥーレ王の歌(原曲は『ファウストからの八つの情景』の第6曲)を歌う。マルグリートも夢の中でファウストに出会い、彼に恋している。
《第12場:霊の呼び出し》場面はマルグリートの家の前となる。メフィストフェレスは鬼火を召喚し、鬼火はマルグリートの周りで踊り始める(「鬼火のメヌエット」)。この「鬼火のメヌエット」は4分の3拍子のメヌエットのリズムで始まり、次第に速さを増して2分の2拍子の新しい旋律が出る。この旋律は、この後のメフィストフェレスの「セレナード」の旋律を速くしたものである。次の「セレナード」は、もともと『ファウストからの八つの情景』の終曲だったものである。
《第13場:フィナーレ》舞台はマルグリートの部屋に戻る。ファウストはマルグリートの前に姿を現す。すると、マルグリートはファウストのことを夢に見たと告白する。2人は愛の二重唱を歌う。
《第14場:三重唱と合唱》そここへメフィストフェレスが入ってきて、マルグリートの母親が町中の人を連れて近づいてきているからここを速やかに立ち去らなければならない、とファウストに告げる。ファウストはマルグリートに別れを告げて去る。

第4部

ヴィッテンベルグの空を飛ぶメフィストフェレス、ウジェーヌ・ドラクロワ によるリトグラフ
《第15場:ロマンス》マルグリートは家でファウストが帰ってくるのを待ちながら「ロマンス」(原曲は『ファウストからの八つの情景』の第7曲)を歌う。再び学生と兵士の行進に移るが、そこにファウストの姿はない。
《第16場:自然への祈り》場面は森と洞窟に移り、そこでファウストは「自然への祈り」を歌う。
《第17場:レチタティーヴォと狩り》メフィストフェレスが現れ、マルグリートが絞首刑になると告げる。マルグリートはファウストが訪れるときのために毎夜母親に眠り薬を飲ませ続け、ついに母親を殺してしまったというのである。ファウストは混乱したが、メフィストフェレスは、自分にはマルグリートを救うことができると説明した。ただしそれには、ファウストが自分自身の魂を放棄するという契約書にサインしなければならない。そして、ファウストはこの契約に応じる(そのとき、台詞は一瞬途絶え、打楽器が破滅の予感を示す音を演奏する)。メフィストフェレスは2頭の黒い馬を呼び、ファウストを乗せる。
《第18場:地獄への騎行》2頭の馬に乗ったファウストとメフィストフェレスは、地獄へと向かう。その途中で恐怖の場面が次々と現れる。彼らは急に止まり、鐘の音を耳にする。それはマルグリートの死刑が執行されるのが近いことを意味していた。そして、彼らはさらに速度を上げる。周りの風景はさらに恐ろしく奇怪なものへと変化してゆく。骸骨たちが列をなして踊り、天からは血の雨が降る。ついに二人は奈落の底へ落ちてゆく(なお、これは第1部と同様、原作とは話の筋が異なる)。
《第19場:地獄の首都》悪魔達はメフィストフェレスに対し、ファウストは本当に自ら魂を明け渡したのか尋ねる。メフィストフェレスはこれにうなずく。悪魔達は、メフィストフェレスの周りを踊りながら合唱を歌う。この合唱では、奇妙なシラブルを並べた「亡者の言語」が使われている。
エピローグ
解説風の合唱が、地獄の恐ろしさや「恐怖の神秘」を歌う。そこへファウストの契約通り、贖罪されたマルグリートの魂が現れる。マルグリートは天使達の合唱に連れられて天国へと迎え入れられた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E5%8A%AB%E7%BD%B0
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/958.html#c1

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