シャルル・グノー(Charles François Gounod,1818 - 1893)
交響曲
交響曲第1番 ニ長調(1854)
2点
オペラ作曲家らしいはつらつとした快活さが印象的。しかし、あまりに古典的すぎるし、かといってハイドンのような霊感に満ちている感はなく、聴いていて心地よいのだが物足りない。
交響曲第2番 変ホ長調(1856)
3.5点
1番の2年後の作品で、音楽的には似ているのだが、モーツァルトのようなシンプルな中にロマン的な情緒を篭める技術を体得したのか、はるかに深みがありいい音楽になっている。
小交響曲 変ホ長調(1888)
シャルル・フランソワ・グノー(フランス語: Charles François Gounod、1818年6月17日 - 1893年10月18日)は、フランスの作曲家。
ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラで知られるほか、バチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲したことでも知られている。「フランス近代歌曲の父」とも呼ばれ、美しい旋律、色彩感に満ちたハーモニーを伴った優雅でやさしい音楽は今日も広く愛されている[1]。
生涯
パリ生まれ。母はピアニスト、父は設計士であった。母親にピアノの手ほどきを受けて楽才を開花させ、パリ音楽院に入学してオペラ作曲家フロマンタル・アレヴィに師事した。1839年にカンタータ『フェルディナン』(Ferdinand)でローマ大賞を受賞、ただちにローマへ留学し、パレストリーナの作品を研究した。
2年間のローマ留学の後、ウィーン、ベルリン、ライプツィヒ等を経由して、1843年にパリに戻り、サン・トゥスタッシュ教会(英語版)の聖歌隊楽長兼教会オルガニストとなった。1851年に最初のオペラ『サッフォー(英語版)』(Sapho)を作曲するが、1859年の『ファウスト』(Faust)まで大成功をおさめることはできなかった。この作品は今日でも最も有名なグノー作品であるが、シェイクスピア原作のオペラ『ロメオとジュリエット』(1867年初演)もまた定期的に上演・録音がなされている。
1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドに過ごし、のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めた。この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となった。
グノーは後半生において主に宗教曲を手掛けているが、中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名であり、『グノーのアヴェ・マリア』と称されている。
管弦楽曲『操り人形の葬送行進曲』は、アルフレッド・ヒッチコックのテレビシリーズ『ヒッチコック劇場』でテーマ音楽に用いられて有名になった[2]。
2つの交響曲はハイドンやモーツァルトらの作品を熟知した上で作曲されている。この2曲は17歳のビゼーが交響曲ハ長調を作曲する上でも手本となった。
1893年、パリ郊外のサン=クルーで死去。墓所はパリメトロ9号線のエグゼルマン駅の南にあるオートゥイユ墓地。
主要作品
オペラ
サッフォー(英語版)(Sapho, 1851年)
E.オージエの台本による3幕のオペラ。1884年に4幕に改訂される。初期作品であるが、時折上演され、終幕のアリア『不滅の竪琴よ』は有名である。
血まみれの修道女(英語版)(La nonne sanglante, 1854年)
A-E.スクリーブとG.ドラヴィーニュの台本による5幕のオペラ。『血にまみれた尼』とも。初期作品であり、演奏や録音は少なかったが、2010年にCPOレーベルからCDがリリースされた。
いやいやながら医者にされ(英語版)(Le médecin malgré lui, 1858年)
J.バルビエとM.カレ、作曲者自身の台本による3幕のオペラ・コミーク(モリエール原作)。『にわか医師』の訳題も用いられる。1924年のディアギレフによる上演では、エリック・サティがレシタティーフを作曲。
ファウスト(Faust, 1859年)
J.バルビエとM.カレの台本による5幕のオペラ(フランス語の発音では「フォースト」)。最も有名なオペラで、同時に最初に大規模な成功を収めた作品でもある。当初は対話を含むオペラ・コミーク形式であったが、1868年のオペラ座での上演に際して、対話をレシタティーフ化し、オペラ座の慣習に基づいてバレエ音楽を追加する形で改訂しており、現在では、ほぼこの形で上演される。なお、バレエ音楽の作曲者はグノー本人でないとの説がある。またドイツでは、原作であるゲーテの『ファウスト』からかけ離れた内容であるとの理由から『マルガレーテ』(ヒロインであるマルグリートを原作通りにドイツ語で発音したもの)と呼ばれることが多かった。
鳩(英語版)(La colombe, 1860年)
J.バルビエとM.カレの台本による2幕のオペラ・コミーク。1924年のディアギレフによる上演では、フランシス・プーランクがレシタティーフを作曲。
フィレモンとボーシス(英語版)(Philémon et Baucis, 1860年)
J.バルビエとM.カレの台本による2幕のオペラ・コミーク(オヴィディウスの『変身物語』中の挿話に基づくラ・フォンテーヌの寓話による)。初演時は3幕構成であったが、1976年の改訂時に2幕とされた。1924年のディアギレフによる上演では、ジョルジュ・オーリックがレシタティーフを作曲。
サバの女王(La reine de Saba, 1862年)『シバの女王』とも表記される。
J.バルビエとM.カレの台本による5幕のオペラ。
ミレイユ(Mireille, 1864年)
M.カレの台本による5幕のオペラ(ミストラル原作)。2番目に成功したオペラである。1874年に4幕に改訂されたが成功せず、1889年に3幕のハッピーエンド版が作成され、比較的成功した。しかし、1901年にはオペラ・コミーク座で再度、当初の悲劇的結末の5幕に戻しつつ、レシタティーフではなくセリフによる対話の版が上演され、こちらも成功した。しかし、1939年にレイナルド・アーンとアンリ・ビュッセルによるグノーの当初の意図を復元しようとする版(完全に正確な復元ではないにせよ)が上演され、これが成功すると、以後はこの版に基づく上演が主流となった。
ロメオとジュリエット(Roméo et Juliette, 1867年)
J.バルビエとM.カレの台本による5幕のオペラ(シェークスピア原作)。『ファウスト』と共に最も知られる作品。ジュリエットのワルツ『私は夢に生きたい』はコロラトゥーラを得意とするソプラノたちに好んで歌われるアリアである。
サン=マール(英語版)(Cinq-Mars, 1877年)
L.ガレとP.ポワルソンの台本による4幕のオペラ。サン=マール侯を題材にしており、王(ルイ13世)やマリオン・ドロルム(当時の有名なクルティザンヌ)が登場する。
ポリュクト(英語版)(Polyeucte, 1878年)
J.バルビエとM.カレの台本による5幕のオペラ。
ザモラの貢ぎ物(英語版)(Le tribut de Zamora, 1881年)
A.P.デリーとJ.ブレジルの台本による5幕のオペラ。ただし台本作者にJ.バルビエとM.カレも関わっているとされる。このオペラをもってグノーはオペラの作曲を止めたため、最後の作品である。
ピエール親方(英語版)(未完)(Maitre Pierre, 1877年-1878年)
L.ガレの台本による5幕のオペラ(アベラールとエロイーズの物語に基づく)。管弦楽配置が半分ほど終了した時点で放棄された。グノーは、「4部からなる劇的組曲」に素材を流用した(スコアがパリの国立図書館に存在する)。グノーの死後、未亡人がカミーユ・サン=サーンスに完成を依頼し、グノーが完成した部分をつなぐレシタティーフが追加された。1939年に、レイナルド・アーンが最後の場面のみ演奏会形式で上演した。
劇音楽
ユリシーズ(Ulysse, 1851年)
Ponsardの劇のための音楽。全5幕。
町人貴族(Le bourgeois gentilhomme, 1856年)
モリエールの劇のための音楽。
フランスの2人の王女(Les deux reines, 1865年)
ルグヴェの劇のための音楽。全4幕。
ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc, 1873年)
J.バルビエの劇のための音楽。全5幕。
交響曲と管弦楽曲
交響曲第1番 ニ長調(1854年)
全4楽章からなる最初の交響曲。ミシェル・プラッソンの録音が残されている。
交響曲第2番 変ホ長調(1856年)
全4楽章からなる2番目の交響曲。イーゴリ・マルケヴィチによる録音(1957年)は隠れた名盤として知られている。
小交響曲 変ホ長調(1888年)
管楽器(ハルモニームジークの編成)のためのシンフォニエッタであるが、厳密には室内楽に分類される。
操り人形の葬送行進曲
宗教音楽・ミサ曲
聖セシリア荘厳ミサ曲(Messe solennelle en l'honneur de Sainte Cécile, 1855年)
3人の独唱陣(S,T,Bs)、合唱、管弦楽とオルガンのための作品。同年に作曲された『荘厳ミサ』より改作したもの。『聖チェチーリア荘厳ミサ曲』とも呼ばれる。
レクイエム ハ長調(Requiem en Do majeur, 1893年)
4人の独唱陣(S,A,T,Bs)、合唱と管弦楽(ピアノまたはオルガンの任意)のための作品。
オラトリオ
トビー(英語版)(Tobie, 1854年)
十字架上のキリストの最後の7つの言葉(英語版)(Les Sept Paroles de Notre Seigneur Jésus-Christ sur la Croix, 1855年)
贖罪(英語版)(La rédemption, 1882年)
死と生(英語版)(Mors et vita, 1885年)
アッシジの聖フランチェスコ(英語版)(Saint Francois d'Assise, 1891年)
エピソード
グノーが楽長を務めていたサン・トゥスタッシュ教会の聖歌隊に、後に画家として著名になるピエール=オーギュスト・ルノワールが、1850年頃から数年間所属していたことがある。グノーはルノワールに声楽を教え、ルノワールの歌手としての才能を高く評価していた。そのため、グノーはルノワールの両親にルノワールをオペラ座の合唱団に入れることを提案したが、断られた。グノーはルノワールを歌手にしようと考えていたので、その才能を惜しんだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/851.html