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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100471
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[番外地9] 三橋さんが何時も否定している貨幣のプール論は正しい。 中川隆
1. 中川隆[-6955] koaQ7Jey 2021年3月03日 09:45:58 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[1]
日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる

何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると

・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼


GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg


NYダウゴールド換算のチャート
https://realtime-chart.info/%E8%AA%AC%E6%98%8E/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88/NY%E3%83%80%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E6%8F%9B%E7%AE%97.html


日経平均はゴールド何グラム?

https://realtime-chart.info/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%A0%AA%E4%BE%A1/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%87%91%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.html

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-dow-800-down.html


因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

ジム・ロジャーズ氏: 物価高騰になれば中央銀行は緩和を止めるか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12581

米国GDPはコロナ禍から回復も低金利に依存、金利高騰で株価と共倒れへ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12654

ガンドラック氏: 金利上昇で株価下落の新トレンドへ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12696

▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/124.html#c1

[番外地9] 日本人一人当たりの借金が1000万円というのは正しい
日本人一人当たりの借金が1000万円というのは正しい
MMTバカには理解できない事
誤:お金は政府の債務で、国民の債権
正:お金は政府の債務で、資本家の債権

誤:プライマリーバランスをゼロにすると民間の資金が無くなってしまう
正:プライマリーバランスをゼロにすると資本家の資金が無くなってしまう

バブル崩壊以降は民間銀行の企業への貸し出しが頭打ちになっています。 しかし、マネーストックは企業の借金や国債の利息の分だけ毎年毎年増え続けています。 従って、日本のマネーストックの増加分はすべて日本政府が新規国債発行で賄っている事になります。言い換えると、日本政府が資本家に金をタダでやっている事になります。
プライマリーバランスがゼロというのは、新規国債発行がゼロという事ですが、そうすると国債の利子で運用していた民間銀行や保険会社が倒産します。 民間銀行から融資を受けていた企業も連鎖倒産します。
そうすると倒産企業に投資していた資本家も大損します。 これが資本家の資金が無くなってしまうという意味です。

プライマリーバランスがマイナスというのは労働者から民間銀行や保険会社に所得移転をしているという事です。
そうすると労働者がどんどん貧しくなって、反対に資本家はますます肥え太って行きます。
MMT推進者は資本家の利益を代表する立場なんですね。

国債発行で得た金は政府が資本家から借りているもので、利子付きで返さないといけない。
国債の返済に使う金は労働者から税金・社会保険やインフレ税の形で集める。
資本家は20%の配当課税しか払っていないから、国債の返済には関わらない。
つまり、国債発行は労働者から資本家への所得移転なのです。
財務省が国民一人当たりの借金と言っているのは、資本家からの借金を労働者の総数で割ったもので、実際に労働者が税金として払わないといけないのです。
国民一人当たりの借金というから見当外れの批判が出るので、労働者一人当たりの資本家への借金、と言えばいいのです。
しかし、財務省が資本家・労働者とか、共産主義用語を使える訳ないですね。

▲△▽▼

1% の資本家を民間として扱うのが
MMT論者の誤解の原因になっている:

竹中平蔵
派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしないといけない

自称マルクス主義者の階級闘争というのは 1% 対 99% の階級差を解消するのではなく、99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないという主張なのです。
中國共産党もソ連共産党もカンボジア ポル・ポト政権も 1% 対 99% の階級差を温存して、99% の被支配者の間の格差だけを無くすインチキ共産主義政策を取っていました。

1% は民間に入れてはいけない。

グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする

現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。


TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。


 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。


 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。

グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。

温暖化対策はグレートリセットの柱の一つだ。
温暖化対策・2酸化炭素排出削減のため、人々(平民)は肉を食べず(家畜が2酸化炭素を出すから)代わりに昆虫や植物由来の擬似肉を食べるべきだとか、穀物でなく雑草を食べよとか、下水を飲めといった提案がグレートリセットの一環として欧米で出されている(金持ちはおいしい肉や水を飲食できる)。

▲△▽▼

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。
そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんです。言い換えると日本人は働く必要はないんです。
失業者や無職には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。

今の日本に必要なのは「経済成長」ではなく「循環」
今の日本で問題なのは金がないことではなく、金があるのにそれがきちんと循環していない、ということなのです。
週に40時間まともに働いて、家族を養うどころか自分がまともに食う事さえできない国というのは、世界中そうそうあるものではありません。
これだけ金を持っているくせに、国民をまともに食わせることさえできないのか、ということです。

景気対策などは必要ないのです。
必要なのは、大企業や富裕層がため込んでいる金を引き出して、金が足りない人のところに分配することだけなのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/132.html

[近代史4] 国庫短期証券とは
国庫短期証券とは


国民の9割が騙されている?池上彰の大嘘 国庫の資金繰りを徹底解説(室伏謙一×森井じゅん)
2021/03/03




【目次】
00:00:00​|導入
00:02:36​|国庫短期証券とは
00:07:21​|会計で読み解く具体的なおカネの流れ
00:13:10​|給付金等の財源は誰かの税金ではない
00:17:36​|財務省が作成したイヤらしい概念図
00:23:27​|麻生財務相の重要な言質
00:28:21​|富裕層に給付金を配るべきか
00:36:54​|国民全員で豊かになるために

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1562.html

[近代史4] 重商主義の世界 中川隆
1. 中川隆[-6953] koaQ7Jey 2021年3月03日 10:37:46 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[4]
グレートリセット?金本位制?(Live配信2021/3/2)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1530.html#c1
[近代史5] グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの 中川隆
17. 中川隆[-6952] koaQ7Jey 2021年3月03日 10:38:25 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[5]
グレートリセット?金本位制?(Live配信2021/3/2)



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html#c17
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき 中川隆
13. 中川隆[-6951] koaQ7Jey 2021年3月03日 10:41:45 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[6]
グレートリセット?金本位制?(Live配信2021/3/2)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/793.html#c13
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき 中川隆
14. 中川隆[-6950] koaQ7Jey 2021年3月03日 10:43:28 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[7]
大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/793.html#c14
[番外地9] 馬淵さんはグローバリズムがどういうものか、「世界の支配者」とは誰か、全く理解できていない、IQ 低過ぎ 中川隆
8. 中川隆[-6949] koaQ7Jey 2021年3月03日 11:02:27 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[8]
グレートリセットで新自由主義者が敵だと考えているのは中共ではなく労働者階級です:
グローバリズムは19世紀の帝国主義の21世紀版で反共、反ソ、資本主義の最終段階、共産主義とは対極にある考え方
中共は共産主義ではなく帝国主義の儒教国家です。独裁国家は名前だけ民主主義共和国とか共産主義国とか自称するものなんです。今の米中対立は資本主義 vs 共産主義 の対立ではなく、帝国主義国家間の植民地争奪戦ですね:


「世界の支配者」が反中のトランプ大統領を排斥した理由
中国の上場企業の大株主はすべて欧米のファンドだった
https://www.youtube.com/watch?v=l25ziXAxM8E&feature=emb_title

バイデン政権の背後にいる「外交問題評議会 CFR」や、それと連動して動いていると思われる「ダボス会議」が目標にする「グレート・リセット」

「CFR」の核となる企業が、「ゴールドマン・サックス」、「JPモーガン」、「モーガンスタンレー」、「シティ」、「バンク・オブ・アメリカ」、「ムーディーズ」などの国際的な金融資本、また「グーグル」や「フェースブック」、「AT&T」などの大手IT・通信企業、さらに「エクソンモービル」や「シェブロン」などの国際エネルギー企業などであることを見ると、グローバリゼーションの促進で国家と政府の規制が弱められ、世界のあらゆる地域が彼らの自由な投資領域として確保されることは、まさに「CFR」の利害に合致している。もちろんこれらの企業は、「ダボス会議」にも名前を連ねている。

アメリカをコントロールしている私的権力は支配的な地位を維持するために「資本主義の大々的なリセット」を始めている。これはWEF(世界経済フォーラム)の創設者であるクラウス・シュワブが宣言、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」が推進することになるのだろう。そのリセットを実現するためにはロシアや中国を制圧する必要がある。この方針にアメリカ政府は逆らうことができない。

これを推進してきたのは、まさに「CFR」や「ダボス会議」などに結集し、独自のアジェンダを追求している欧米の支配勢力。彼らが提示する次のアジェンダこそ、ITによる社会管理を全面的に取り入れた新しい社会状態への「グレート・リセット」だ。

社会矛盾の爆発によって既存の支配勢力が民衆の怒りのターゲットとなり、自分たちが排除される前に、新しい社会状態を先行して導入し、支配勢力としての地位を継続して維持するために行っていること。
これは規制緩和、ならびに富裕層と企業への減税を条件に民間の債務を増やし、経済成長を最優先した政策だ。
グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。
こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

 資本主義とは強大な私的権力がすべての富を吸い上げる経済システムであるため、早晩行き詰まる。そこで外国を侵略して略奪しなければならなくなるのだが、それが「帝国主義」にほかならない。必然的に帝国主義は世界制覇へ向かうことになるが、世界を制覇できていない段階でも略奪が滞ればシステムが崩壊する。

 この略奪を進めるために軍事力が使われる。軍事力が不足していたイギリスは現地の支配者を手なずけたり、現地で傭兵を組織した。明治維新によって日本は事実上イギリスの傭兵になっている。 イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛けて勝利するが、内陸部を支配するだけの戦力はなかった。足りない戦力を補うため、イギリスは日本に目をつけた。

第2次世界大戦後、アメリカは基軸通貨を発行する特権を使い、その通貨を回収する仕組みを作った。必要なだけ通貨を発行し、インフレにならないよう、通貨を回収する仕組みだ。このドル体制が「アメリカ帝国」を支えているわけで、ドル体制が揺らぐと帝国も揺らぐ。現在、そうした状況に至っている。体制をリセットする必要が生じたのだ。

 現在、西側を支配している人びとがその地位を維持するためにも、長期戦略を完成させるためにも、中国とロシアを制圧する必要がある。アメリカ大統領がこうしたことに反対することは許されない。

資本主義の最終段階が グローバリズム=帝国主義 で、その後に共産社会が来るのです。
グローバリズムはヒト・モノ・カネの自由な移動が基本で、資本家と労働者という階級の存在も認める。

一方、共産主義では国家間のヒト・モノ・カネの自由な移動も、資本家階級の存在も一切認めない。

従って、共産主義はグローバリズムとは対極の考え方です。
共産主義はあくまでもインターナショナリズムで、グローバリズムとは対極にある考え方です。

帝国主義の次の段階が共産社会なので共産主義もインターナショナリズムになっているというだけなのです:


帝国主義とグローバリズムは根がひとつ


グローバリズムとはヒト・モノ・カネの移動を出来る限り自由にしようという「考え方」です。
「ルールの統一化」、「国家主権の喪失」でもあります。
市場原理主義、新古典派経済学に即した考え方です。

グローバリズムと帝国主義の行き着く先は同一の結果

これらが全てではなく極々一部のグローバリズムの弊害を取り上げましたが、これだけでも十分問題があると思われる方は多いと思いますし、現実にグローバリズムの是正が叫ばれているこの事実を我が国は参考にしなければいけません。

新自由主義的なグローバリズムの行き過ぎで判明したことは国家も企業も個人も必ず
「勝ち組と負け組に分かれる」
ということです。

グローバリズムを推進しているのは経団連や大手企業です。
移民も受け入れようと主張しています。人件費が安く済むそれだけの理由で。
これは世界的に問題となっています。

「底辺への競争」と言われ、企業が人件費の低い国を求めて工場を移すことで世界的に賃金が上がらないといった状況です。

またグローバリスト達は負け組になった人を自己責任と言って突き放します。

とことん自分や自分の企業のことしか考えていないのです

完全に負け組と勝ち組が分かれた現実は、負け組の人間は低賃金労働で働かされ、企業の歯車となり一生こき使われることでしょう。
低賃金労働が嫌だと言っても移民は本国よりも賃金が良いので働きます。
その割を食うのは一般の日本人です。
いずれは食料や電気、水道などのインフラも民営化され自分が何を食べているのかわからない、光熱費は上がり、消費税もまた上がることでしょう。


晴れて「外国人と日本人の平等」が実現するわけです
中流の人間は下っていき、底辺にいた人間はちょっとだけ上がるといったところでしょう。

この状況はイギリスがインドに行ったことと何が違うのでしょうか?
グローバリズムとは武力を使わない戦争なのです。

レーニンは1917年に『資本主義の最高段階としての帝国主義』を出版した。
同著によれば帝国主義は特殊な資本の発展段階である。

帝国主義においては独占が資本の集中をもたらし、また金融資本が産業資本と融合した寡頭的な支配が行われ、腐敗が進行し、長期的には死滅しつつある。レーニンは帝国主義の列強間で不可避的に生じる衝突を予見し、そのときこそ社会主義革命の契機と捉えていた。

レーニンの帝国主義論では、帝国主義とは、資本主義の独占段階(最終段階)であり、列強諸国が植民地経営や権益争いを行い世界の再分割を行っていた時代を指す。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/115.html#c8

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
178. 中川隆[-6948] koaQ7Jey 2021年3月03日 15:39:02 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[11]
2021.03.03
バイデン政権の対ロシア戦争は対EU戦争でもある
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103030000/


 ​アメリカはロシアに対する新たな「制裁」を課そうとしていると伝えられている​。今回、その口実として利用されているのはアレクセイ・ナワリヌイを巡る話だ。西側では「民主派」として宣伝され、一部の人にからはスター扱いされているナワリヌイだが、ロシアでの支持率は2%にすぎない。ロシア人からは相手にされていないのだ。

 そのナワリヌイは2013年7月にロシアの法廷で横領執行猶予付きの有罪判決を受け、翌年にも別の件で有罪になった人物。ところが執行猶予の条件を破って出国、今年1月17日に帰国、逮捕、収監された。今年2月2日に懲役3年半が言い渡されたが、自宅に軟禁されていた期間が除かれるので、実質は2年半になる。

 不法出国の理由として「神経ガスによる攻撃」が宣伝されている。つまり、2020年8月20日にシベリアのトムスクからモスクワへ航空機で移動しているときにナワリヌイは倒れて昏睡状態になり、シベリアの都市オムスクへ緊急着陸、そこの病院で治療を受けて回復したのだ。その直前、彼は側近6名を伴ってシベリアを訪問していた。

 回復したナワリヌイを彼の側近はドイツへ不法出国させ、そこから「神経ガス」キャンペーンが始まる。毒を盛られたと最初に主張したのはドイツ軍の研究機関。「ノビチョク(初心者)」なる神経ガスが使われたとも言われているが、その毒性は別の神経ガスVXの10倍だと宣伝されている。VXガスの致死量は体重70キログラムの男性で10ミリグラムなので、ノビチョクは1ミリグラムということになる。大変な毒薬のように思えるが、なぜか人を殺すことができない。

 今年2月5日にジョセップ・ボレルEU外務安全保障政策上級代表(外相)がモスクワを訪問、セルゲイ・ラブロフ露外相と会談したが、その際にボレルはナワリヌイを釈放するように求め、ラブロフに軽くあしらわれている。ボレルは帰国後、対応が甘かったと批判されたが、その背後にジョー・バイデン政権を操っている私的権力がいるだろう。

 ナワリヌイ自身、アメリカの私的権力と深く結びついている。彼はアメリカのエール大学で奨学生として学んでいるが、この留学を手配をしたのはマイケル・マクフォール。2012年1月には大使としてモスクワに赴任するが、​その3日後にロシアの反プーチン派NGOの幹部が挨拶に出向いている​。2月に予定されていたロシアの大統領選挙に対する工作を指揮することが任務だったと見られている。その2年前の8月、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域でアメリカ支配層にとって目障りな体制を転覆させるためにPSD-11をバラク・オバマ大統領は承認したが、その計画を作成したチームにマクフォールは含まれていた。

 また、ナワリヌイの妻の父親、ボリス・アブロシモフはロンドンにおけるロシア人の財産を管理している銀行家で、元KGB。ロシアの富豪で元KGBのアレクサンダー・レベデフの同僚だという。

 ナワリヌイはビル・ブロウダーという人物から資金援助を受けてきたと言われている。ブロウダーはシカゴで生まれたが、ボリス・エリツィン時代にヘルミテージ・キャピトルをロシアで設立して大儲けした。エリツィン時代にはクレムリンの腐敗勢力と手を組んでロシア国民の資産を盗み、巨万の富を手にした若者がいる。オリガルヒだ。その背後にはミハイル・ゴルバチョフを操っていたKGBの上層部が存在、そのひとりがKGBの頭脳と言われ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだとされている。こうしたKGBの腐敗分子はジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIA人脈とつながっていた。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 不正な手段で手に入れた資産をロシアから持ち出すために使われた銀行の中にリパブリック・ナショナル銀行ニューヨークがある。この銀行を創設したエドモンド・サフラはプラウダーと共同でヘルミテージ・キャピタル・マネージメントなる会社を創設した。

 1991年12月にソ連が消滅する直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)には2000トンから3000トンの金塊が保管されていたが、400トンに減っていることが判明した。CIAとKGBの腐敗グループが盗んだと見られているが、その金塊横領でもサフラの名前が出てくる。なお、この金塊の行方を追った金融調査会社のジュールズ・クロール・アソシエイツは不明だとしているが、この調査会社とCIAとの緊密な関係は有名だ。

 ヘルミテージ・キャピタルはモスクワの法律会計事務所ファイアーストーン・ダンカンと契約、その事務所で税金分野の責任者だったのがセルゲイ・マグニツキー。この人物を弁護士だとする人もいたが、実際は会計士だ。受託者はHSBC(昔は香港上海銀行と呼ばれた)だった。

 ​ECHR(欧州人権裁判所)が2019年8月に出した判決​によると、捜査対象になっていたマグニツキーがイギリスのビザを請求、キエフ行きのチケットを予約、しかも登録された住所に彼が住んでいないことが判明したためだという。その捜査は正当なもので、政府高官の不正をマグニツキーやブラウダーが主張し始める数年前から当局はふたりを脱税容疑で調べ始めている。そして2009年11月、マグニツキーは獄中で死亡した。

 マグニツキーは心臓に持病があり、適切な医療が受けられなかったと考えられているが、彼の妻も直接的な死因は心臓病だと考えているようだ。(Andrey Nekrasov, “The Magnitsky Act. Behind the Scenes,” 2016)適切な医療が受けられなかった可能性が高いのだが、それはロシアの刑務所におけるシステム的な問題。マグニツキーの事件だけの個別的な問題ではない。

 この死を利用してブラウダーは反ロシアの法律をアメリカで制定することに成功、さらに宣伝映画を作ろうと決める。そこで監督として雇われた人物がプーチンに批判的なことで知られていたアンドレー・ネクラソフだ。

 ところが、調査を進めたネクラソフはブラウダーの話が事実に反していることに気づく。不正を内部告発したのはブロウダーの会社で働いていた女性で、脱税はブロウダーが行っていたという事実を知ったのだ。しかも、その不正にマグニツキーは金庫番として関わっていたことも判明した。ネクラソフはその事実をドキュメンタリーの中に盛り込んだためにブロウダーと対立、作品を西側で公開することが困難になる。

 ブラウダーは2013年7月に脱税で懲役9年の判決を受け、ロシア当局は2017年10月にブラウダーを国際手配。それにアメリカ議会は反発、インターポールはロシアの手配を拒否した。

 ところで、ナワリヌイのシベリア訪問に同行、ただひとりロシアの警察による事情聴取要請を拒否して2020年8月22日に出国したマリーナ・ペブチフという女性がいる。1987年にロシアで生まれ、イギリスの永住権を持っている。

 ロシアでの報道によると、ペブチフがナワリヌイの活動に合流したのは2009年で、その当時、イギリスの国会議員のアシスタントをしていた。2010年にはモスクワ・ロモノソフ大学を卒業、現在はイギリスやオーストラリアで書店チェーンを経営している。彼女は反ウラジミル・プーチンの富豪、ミハイル・ホドルコフスキーやイエブゲニー・チチバルキンと親しいと言われているので、資金的な後ろ盾はしっかりしているのだろう。

 ジョー・バイデン大統領はジョージ・W・ブッシュ政権やバラク・オバマ政権と同様、ロシアへの経済戦争を激化させようとしているわけだが、これはEUに対する圧力でもある。EUを完全に従属させようとしているのだろう。COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミック騒動で政治経済が麻痺し、余裕がなくなっている現在は絶好のタイミングだとアメリカの私的権力は考えているだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103030000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c178

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
57. 中川隆[-6947] koaQ7Jey 2021年3月03日 18:09:14 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[14]
 安倍晋三という稀代の激馬鹿クズ首相が遺したもの
2021年03月03日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1421.html

 2018年、安倍晋三政権は、不可解な移民政策を実現した。私は、自民党のこの施政計画の背後には、竹中平蔵主導の「新自由主義」思想があるものと考えている。
 超低賃金労働者の存在で、誰がトクをするか? パソナなど派遣労働企業を経営する竹中平蔵だ。

 https://diamond.jp/articles/-/183282

 安倍は、外国の高度学識・技能人材を受け入れたのではない。教育もない「身一つ」の単純労働者=いわば「奴隷階級」を大量に日本に送り込んだ。
 これは、人手不足に悩む底辺産業にとって、低賃金苛酷労働者による救世主として機能する目論見だったのだが、現実は、そうは問屋が卸さなかった。

 安倍政権による、いわば「無条件移民受入」で誰が喜ぶかといえば、まずは中国だが、ちょうど尖閣強奪問題が勃発していたので、さすがに外務省も抑制しているが、とりあえず問題を起こしていないベトナム・タイ・インドネシアから、大量の「身一つ労働者」が流れ込んできて、「農業実習生」の名目で、農村事業の奴隷労働力となった。

 これによって、数十万人(予定では来年までに50万人)の得体の知れない若者たちが日本に流れ込んできたが、もとより自民党政権や官僚が、ちょうど現在起きているコロナ禍のように、官僚の知能は軽薄で、起きうる事態をまるで予測せず、支援や管理も、ほとんど行わなかったため、彼らは超低賃金苛酷労働の「実習生待遇」を嫌って、たちまち脱走した。

 「不法滞在者」となった「無技能、外国人」の数は、ベトナム人を中心に、数万〜数十万人に達している。
 竹中平蔵経済政策によって、日本人でさえ貧窮を強いられているこの社会で、まともな教育も受けず、言葉も話せない母国から闇の斡旋業者によって日本に「実習生」として送られてくる彼らが、たちまちアウトローに転ずるのは分かりきったことだった。

 当然の結果として、日本では犯罪率が激増することになった。
 調べてみたが、警察庁は、最終データがH27と6年前2015年のものしか公開していない。これは、安倍阿呆政権が外国人単純労働者を受け入れる前のデータだ。
 一見、外国人犯罪の総数が減っているように見えるが、内容が深刻で凶悪化していることが分かる。
 
gaikokujinhanzai01.jpg

https://www.excite.co.jp/news/article/Bizjournal_mixi201903_post-14953/
 おそらく移民受入以降、2021年までのデータを公開すると自民党政権に打撃が及ぶとして隠蔽しているのだろう。
 だが、毎日ベトナム人犯罪がニュースにならない日はない。
 これで、もし尖閣問題がなく中国人単純労働者を受け入れていたなら、身の毛もよだつ結果が起きていただろう。外国に送り込まれるのは、本国にいて欲しくない人物が多いからだ。中国共産党は、たぶん本国で持て余す犯罪者ばかり送り込んでくるはずだ。

 彼らが持ち込んだものは、犯罪だけではない。単純労働者として日本人の若者たちの職場を奪い、その労働条件をひどく低下させ、賃金を低下させているのだ。
 ちょうど、バブル景気の1980年代にも同じような政策が行われた。そのときは、フィリピン・ブラジルなどから大量の低賃金労働者が送り込まれた。
 女性たちは「技能ダンサー」としてフィリピンパブに送られ、離島で性産業の主役となっている。たぶんベトナム人女性も同じ運命をたどるはずだ。

 当時、来日したフィリピン女性たちは、たくさんの日本人の母親となった。高安や御嶽海を生んだ。その意味では、これは歴史の必然であるといってもいい。だから、必ずしも他民族流入を否定しているわけではない。
 https://www.asahi.com/articles/DA3S13902126.html
 https://www.youtube.com/watch?v=z9EloDkKHBw&ab_channel=%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%AD%8C%E9%9F%B3%2FKanonAoki

 だが、まだ当時は、中曽根康広や鈴木善幸、海部俊樹など、自民党も今ほど腐ってはおらず、官僚もしっかりしていたから、外国人管理もできていた。
 今は違う。超無能な安倍晋三はじめ自民党政権と、無能な官僚ばかりなのはコロナ禍の対策を見れば分かる。

 無能な官僚たちのザル管理から抜け落ちて日本社会の底辺に溶け込みつつある外国人単純労働者たちが、どのようなライフスタイルになっているのか、ルポが出ていた。
  
「群馬の兄貴」、ひき逃げ、豚解体風呂…ベトナム人不法滞在者のアジトに“突撃7連発”3/3(水)
  https://news.yahoo.co.jp/articles/183697b33906561474e51c90ac8ea2c6255b3080

  昨年に北関東一帯で発生した家畜窃盗事件以来、注目を集めるようになったのが在日ベトナム人問題だ。制度に疎漏が多い技能実習制度のもとで逃亡者が続出し、2020年6月末時点で国内のベトナム人不法滞在者は約1万5000人。

 昨年からはコロナ禍の影響で、留学や技能実習を終えても、航空券の高騰などで帰国できない人も増加している(特例として在留を認められる例が多いが、困窮ぶりは大して変わらない)。

 いっぽう、犯罪も増加中だ。昨年、窃盗品の食肉売買で話題になった「ボドイ・グンマ(群馬の兵士)」をはじめとする彼らの複数のSNSコミュニティを覗くと、不法滞在者でも働ける職場の情報や、トバシの銀行口座、偽造の在留カードや車検シールの売買情報といった、怪しげな書き込みが多数見つかる。こうした場所で車両を違法に調達し、無免許状態で乗り回す人も非常に多い。

 通常、この手の外国人問題がらみの記事が出ると、Yahoo!ニュースのコメント欄あたりには「さっさと送り返せ」といった勇ましい意見が大量に書き込まれる。しかし、困窮ベトナム人の多くはもともと日本国家の制度下(技能実習制度)で来日し、帰りたくてもコロナ禍のせいで帰れない人たちである。もっとも、逆に「かわいそう」一辺倒の論調で彼らの姿を伝える大手メディアの報道も、昨今のアナーキーすぎる現状との乖離が大きい。

「微妙」なベトナム人の棲み家たち

 私は過去3年以上にわたり、こうした「微妙」な外国人たちの現状を追い続け、今年3月2日に『 「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本 』(KADOKAWA)を刊行した。

 なお、同書の主役でもある「微妙」なベトナム人たちについては「技能実習生や偽装留学生・不法滞在者・帰国困難者」などと毎回書くのは面倒なので、私は彼らのSNSコミュニティ名から「ボドイ(兵士)」と総称することにしている。

 そんな私が最近行っているのは、上記の書籍にも収録した 「群馬の兄貴」のアジト取材 をはじめ、社会的事件を起こしたボドイたちの隠れ家を特定して突撃取材を仕掛けることだ。

 今回の記事では、過去に私と通訳のT(日本育ちのベトナム難民2世)が訪れたさまざまなボドイの棲み家を紹介していくことにしよう。

 (1)兄貴ハウス(通称アニハ) 群馬県太田市
 アニハは群馬県の田んぼのまんなかにたたずむ、縁もゆかりもない男女19人が共同生活を送るシェアハウスである。豚窃盗疑惑や家宅捜索など数々のハプニングが起きるなか、男女は近所のため池で小鮒を釣って唐揚げにしたり素手でビール瓶を開けたりしながらリアルなストーリーをつむいでいる。

 昨年11月以来、私はこのアニハに合計3〜4回訪問した。どうやらここでは、スキンヘッドの半グレ博徒4〜5人と、カタギの逃亡技能実習生たちが互いにさしたる関心を持たないまま、同室で寝泊まりして食事を共にして家計を助け合うという、不思議なコミュニティを形成しているようだった(これはその後、複数のボドイの隠れ家を観察するなかでもみられた)。

 なお、このアニハは北関東一帯で頻発している家畜窃盗事件の犯人グループの拠点であるとみなされ、昨年10月26日に群馬県警による大捕物を受けて「群馬の兄貴」こと39歳のレ・ティ・トゥン容疑者らが逮捕されている。

 ただ、今月に至るまで、兄貴に対しては入管難民法違反から道交法違反、略取監禁容疑とさまざまな容疑での再逮捕が繰り返されているものの、肝心の家畜窃盗事件の真相は明らかにならないままだ。群馬県警を挙げた大捕物は、大山鳴動して兄貴一人が貧乏クジを引くという腰砕けの展開となっている。

「同じ空間で寝食や家計をひとつにしており、一見するとみんな仲がいいのに、他の人間が何をやっている何者なのかは誰もよくわかっていない」という、日本人の感覚では非常にわかりづらい人間関係が構築されていることが、本件に限らず警察のボドイ捜査が迷走しがちな一因になっているように感じられる。

 (2)豚解体風呂 埼玉県上里町

 2020年10月から11月にかけて逮捕された、元技能実習生のベトナム人不法滞在者による、住居内の浴室での豚解体事件。私がさっそく現場に行ってみると、逮捕を免れたボドイが3〜4人、まだ同じ部屋で暮らしていた(詳しくは 2020年11月18日掲載の記事 を参照)。

 1人の話によれば、ある夏の夜、同居人の誰かが購入したらしい成獣の豚1頭の死体が家に運び込まれ、浴室で解体がはじまった。しかし、例によって同居人であっても他人の行動に関心がないので放っておいたところ、翌朝には食肉になっていたそうだ。

 ボドイたちは警察に対しては、解体された豚肉を「自分たちで食べた」と供述しているが、実際はネット経由で他に売っていた。特に2020年夏ごろはコロナ禍によって不法滞在者の働き口が激減しており、手っ取り早く現金を確保するためになりふり構わない振る舞いに出ていたようだ。

 (3)豚解体風呂別館 群馬県太田市

 2020年10〜11月の「群馬の兄貴」逮捕前後のころ、群馬・埼玉両県警は家畜窃盗や果物窃盗に非常に強い関心を持っており、ボドイたちのSNS上に怪しげな投稿をおこなっている人物を中心にあちこちで摘発をおこなっていた。

 もっとも、このときには20人以上のベトナム人があちこちで逮捕されたにもかかわらず、肝心の家畜窃盗については現時点までほとんどわからずじまいである。

「豚解体風呂」についても、実は上記の(2)だけではなく、他の場所にも複数ある。たとえば、私たちはベトナム人の逮捕者が出た群馬県太田市由良町のアパートも尋ねている。こちらは不法滞在者ではなく、技能実習生たちが集まり住んでいた場所だったようだ。

 近所で聞き込みを重ねた末に現場を特定。いざ行ってみると、換気扇が動いており、室内からはカビと獣臭が混じった独特の臭気(中国の下町の飲食店の台所裏に似た匂いだ)が漂っていたが、昼と夜に時間をズラして何度か訪問しても住民に出会うことはできなかった。

 部屋は1階にあり、2軒隣には日本語がほとんど通じないフィリピン人が住んでいた。ボドイたちの部屋の裏手に回ってみると、食料用の植物が何種類も栽培されていたのが印象的だった。

(4)豚発送小屋 群馬県太田市

 2020年末に訪問。地主らしきそこそこ大きな家の敷地に、1棟4部屋ほどの貸家があり、そのうち1棟で暮らすベトナム人男女がここから豚肉を発送していたことで群馬県警に逮捕された……。はずなのだが、私たちが苦労して場所を特定してアタックしてみたところ、当該の男女はすでに退去していた。

 周囲はほぼ田園地帯で、立地環境は「群馬の兄貴」のアジトとよく似ている。こうした場所での日常生活は自転車ですら不便であり、ボドイたちがこぞって(違法に)仲間内で自動車を調達して無免許運転をおこなうのも納得できる気がする。

 なお、ボドイ・コミュニティを通じて自動車を購入する場合、相場は10万〜30万円ほどだ(車検も自賠責保険料も支払わないので安い)。

 昨年9月にはこうしたルートでボドイたちに自動車を売っていた岐阜県内の35歳の男が逮捕されている。『日本経済新聞』によれば、男は2018年12月以降に80台の中古車を販売し、そのうちのべ64台が24府県で(ボドイらによる)当て逃げ事件や無免許運転などを起こしていたという。

 (5)南シナ海防衛軍人ハウス 茨城県つくばみらい市

 こちらはちょっと変わり種だ。業界最上位の素材メーカーの技能実習生の宿舎なのだが、福利厚生がしっかりしている会社らしく、たとえば私が若いころに一人暮らししていたアパートと比べても、よっぽど清潔で新しい住居である。築10年ほどの50平米の家を2人でシェア。付近は閑静な住宅街で、駐車場にBMWを停めている家すらある。

 技能実習制度は性善説で構築されているため、母国での送り出し機関と日本側で仲介する監理団体、受け入れ先企業の3者いずれかがブラック企業であれば、実習生にとって厳しい環境が生まれる。だが、コンプライアンス意識の高い大企業がまともな監理団体と付き合い、まともな監理団体がまともな送り出し機関と提携し……といった「正」の契約関係が連なった結果、ハッピーな技能実習生生活が奇跡的に実現するケースもある。

 この家の住人はまさにそういう人たちだった。私たちが友達になった実習生A君(30)は、なんとベトナム海軍の兵士を経て技能実習生になった人物である。過去の勤務地は中国との領有権紛争が激しい南シナ海の某島で、中国漁船(という名の武装船舶)から圧迫を受けながら島内で構築物を建築していたという。

 では、なぜそんなホワイトな実習生宅に私が突撃したかというと、昨年12月に県内で無免許ひき逃げ死亡事故を起こした不法滞在者女性のチャン・ティ・ホン・ジエウ容疑者(30)がA君と交際しており、事故当日の夜もこの家に宿泊していたからである。

 ボドイのチャン容疑者は、無車検無保険のセレナでひき逃げ死亡事故を起こした当夜、A君になにを話したのか。3月10日発売の 『文藝春秋』4月号 に詳しいルポを寄稿したので、興味がある人は手にとってみてほしい。

(6)「名古屋の兄貴(自称)」部屋 愛知県岩倉市

 こちらは初の中京圏での突撃となる築40年のアパートだ。すでに6軒目にもなると、私と通訳のTはボドイの隠れ家捜索にすっかり慣れてしまい、集合住宅の洗濯物を一瞥しただけで彼らがどこに住んでいるかおおよそ見当が付くという謎の鑑定能力を獲得するにいたった。

 ちなみにこちらの物件は、去る12月某日に愛知県小牧市内で39歳の女性を無免許運転でひき逃げして骨盤骨折の重傷を負わせた元技能実習生の不法滞在者、レ・ホン・ファット容疑者(25)が住んでいた場所だ(正確にはレ容疑者は逮捕よりしばらく前に同じアパートの別室に転居)。

 例によってビールと焼き鳥を手に突撃してみたところ、仲間が3〜4人ほど住み続けていたので、日頃のレ容疑者の様子や人となりについて聞き出すことができた。ちなみにこの家の居住者のうち、不法滞在者はレ容疑者のみで、残りの彼らは元留学生などでコロナ禍による帰国困難者。いちおう、日本には合法的な身分で滞在する人たちである。

 彼らとの話のなかでは「群馬の兄貴」の話題が出た。いちばん年上の住人の1人が、ビール缶を片手に「俺は名古屋の兄貴だ!」と怪気炎を上げたので、ここは名古屋版のアニハと呼んでおくことにする。

 (7)借金賭博録イバラキ 茨城県某市

 実はまだ訪問していない……。というか、企画が固まって編集部からよほど明確なGoの指示を出されない限り、可能なら行きたくない場所である。なぜなら、ベトナム人マフィアグループの明確な組織犯罪行為と関係がある場所だからだ。近年のボドイたちのコミュニティを震撼させている事件である。

 これはどういう犯罪かというと、まずはどんくさそうなボドイや技能実習生たちに対して、半グレたちが圧倒的僥倖とばかりにオンラインギャンブルを持ちかける。そして、額面のうえでは数百万円という、ベトナム人の出稼ぎ者にとっては天文学的な金額の借金を背負わせる。

 そうした債務者をアジトに拉致して制裁を加え、ベトナム国内にいる家族を締め上げれば、なんだかんだで50万円くらいは絞り取れてしまう……。という、借金返済目的の拉致というよりもむしろ身代金誘拐に近い、悪魔的発想による犯罪である。

 昨年秋ごろから、日本全国ですくなくとも5〜6件、類似の事件が明るみに出ている。そのうち1件では、茨城県某市のボドイの隠れ家が債務者たちの拉致監禁場所として用いられた。

 事件の現場となったアパートの名前は、なんと「エスポワール」である(本当)。人生逆転ゲームを望んだ債務者を欲望の泥沼に沈めて監禁する、ベトナム人半グレ集団が築いた地下帝国の拠点。ボドイの世界の現実は、マンガよりもよっぽどマンガ的なのだ。

技能実習制度と表裏をなす“無法地帯ぶり”
 私が見るかぎり、どうやらベトナムの人たちは、外部から怪しげな人間(私たちのことだ)がやってきても、ひとまず受け入れてみてからもっと深い部分で信用できるか見極める傾向がある。彼らの隠れ家を見つけ出し、どれだけ腹を割った話を聞き出せるかを試してみる作業は、取材者としてはかなり「楽しい」ものである。

 ただし、真面目に調べていけば調べていくほど、穴だらけの技能実習制度と表裏をなすボドイのコミュニティの無法地帯ぶりに驚かされるのも確かだ。取材のなかで不法滞在者に会いすぎたせいで、最近の私はもはや合法的なビザを持っている外国人をみただけで「ものすごく真面目で偉い人」だと感じてしまうという、認知の歪みすら生じつつある。

 北関東と中京地方を中心に広がるボドイの世界は、徐々に広がりを見せつつある。これが一定以上まで膨れ上がったとき、世の中はどう変わるのか。否が応でも逃げられない多文化社会化の波が、日本を覆いつつある。
********************************************************
 引用以上

 予想通り、竹中平蔵による若者窮乏化社会である日本で、外国人無技能労働者が生き抜いてゆくためには、苛酷な犯罪に手を染めるしかない。また無免許運転など、母国では誰でも普通にやっている習慣にも染まっている。
 上には、家畜や農業生産物の窃盗、再販などの犯罪が紹介されているが、本当は、はるかに深刻な犯罪も行われている。
 一般住宅での強盗・窃盗、ベトナム人の十八番ともいえるバイク窃盗、レクサスや重機などの窃盗輸出などだ。

 これらは、日本政府が移民に手厚い保護対策と管理救援を行っていれば起きないものが多い。そもそも、移民として日本にやってくるのは、本国で無用の烙印を押された者や、大きな稼ぎを夢見ている冒険的な若者たちが多い。
 私は、かなり前に、中国人が大量に入ってきたとき、日本の平和な山村で多発した残酷な殺人窃盗事件を思い出す。これは殺人が日常茶飯の文化を持っている「命の安い」国から来た若者でなければやれない仕事なのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E4%B8%8A%E5%B8%82%E5%92%8C%E8%89%AF%E7%94%BA%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%BC%B7%E7%9B%97%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 上の豚窃盗だって、鶏も殺せない日本の若者たちに、やれといっても無理な話だ。
 家畜を殺す文化圏では、人も容易に殺される。日常的な人殺し習慣がなければ、世田谷一家惨殺事件など起こしようがない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 鎌倉仏教で、「人を殺すな・命を大切に」と薫陶された日本社会と、日常的に家畜を殺して食べている外国人では、命に対する考え方、文化がまるで異なる。
 こうした文化的、思想的な差異を十分に咀嚼しなければ、外国人を無闇に受入、同化させてはならないのだ。

 しかし、基本的に、民族の融合、分散化が進むのは歴史の本質であるから、それを阻止することはできないだろう。
 だが、安倍晋三のような無知蒙昧、嘘つきのクズが、それをやれば、大変な事態、日本社会の根底的破壊が起きると警告しておきたい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1421.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c57

[近代史3] 日本のアンティーク・オーディオ関係のガレージメーカーの実力は凄い 中川隆
6. 中川隆[-6946] koaQ7Jey 2021年3月03日 19:42:03 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[15]

静電型スピーカーの修理


STAX ・ QUAD ELECTROSTATIC  LOUDSPEAKER
RESTORATION
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/index.html

2021年 2 月 4 日現在、4 件の予約があります。 (作業中 1 件)
 計 5 件の内訳は、QUAD 4 件、STAX 1件です。

内容は、4件がフルレストア、1件がユニットのみで、完了は 5 月になると思います。
また、未だ予約には至っていない、レストア内容などをご相談中のものが2件あります。
お待たせして申し訳ありませんが、ご予約順に対応しておりますのでご了承ください。

外出の機会がかなり減り、作業時間が増えたことで作業が捗っているようです。


最初にお読みいただき、ご了承いただきたい事柄

 静電型、この優れたスピーカーを少しでも永く世に残したいと思い、道楽でSTAXとQUADのレストアをしています。

 2021年2月現在のレストア実績は次のとおりで、自家用、依頼を受けてのレストア、友人に依頼してのモニター使用や譲渡、オークション出品などをしてきました。

STAX フルレストア  ESS-3A  ELS-4A  ESS-6A  ELS-6A を各一組
    ユニットのみ  ESS-6A   ELS-4A  各一組、 ESS-4Aを二組
    高圧電源装置 ESS-6A 二台

QUAD  フルレストア  ESL-63 13組  PRO-63 12 組  ESL-2805 4組  ESL-2905 1組  ESL-988 1組
    ESL-63の片ch、PRO-63の片ch
    ユニットのみ ESL-2905  ESL-2805  ESL-63  各1組

 中には、PRO-63を落札された後にESL-2805を追加で直接お譲りしたケースや、QUAD と STAX の両方のレストアをお受けしたケースが二件、ESS-4A を落札された後に追加でESS-6Aを直接お譲りしたケース、あるいは、PRO-63を落札した後、お手持ちの63のレストアをお受けしたケースなどもあります。

 ACOUSTATにつきましては、手持ちのものも含めて二組は高圧回路の修理などをしていますが、ユニットは未だ未経験です。 ユニットのレストアをご希望の場合はご相談ください。

 レストアを始めて六年ほどになりますが、全てのものが元気に鳴っていて、ご愛用いただいています。

 静電型スピーカーは、音はいいのだが故障し易い、メインテナンスが高額だ、などと言われています。 私のレストアの手法は、具体的にはそれぞれのページをお読みいただくとして、出来る限り長期間、その性能が維持できるように考えた末にたどり着いたものです。

 導入後のフォローも誠意と責任をもって対応いたしますので、安心してご愛用いただけると考えています。

 レストアしたスピーカーをオークションに出品しますと、お手持ちの、故障したSTAXやQUADに関するご相談が多く寄せられます。 そこで、レストアをお請けする窓口としてこのサイトを立ち上げた次第です。

 最初に書きましたとおり、商売ではなく道楽でやっています。 道楽でやっているのだから損得抜きで面倒みてくれるのだろう、と思われるのか、あるいは、商売ではないのだから何かいい加減なことをやっているのだろう、と思われるのかは判りません。 私は、取引ではなくお付き合い、つまり、レストアしたスピーカーを引き渡して料金を頂いて完了というのではなく、それも長いお付き合いの一環だと考えています。

 最後に二つお願いがございます。

 商売ではありませんし、気持ちのよいお付き合いをさせていただきたいので、マナーの良い方からの依頼しかお受けいたしません。 私も礼を失しないよう努めて参ります。

 二つ目は、レストア作業に着手できる時期と作業に要する期間についてです。 レストア作業はご予約順に着手しておりますので、着手時期は予約状況次第ということになります。 予約状況によっては長期間お待ちいただくことになりますのでご了承願います。 次にレストアに要する期間についてです。 一組のスピーカーのレストアに要する期間は、平均では一か月ほどですが、モデルによっては最長二か月ほど要しますのでご了承願います。

・ STAX レストア対象モデルについて
レストア方法
ユニット
高圧発生回路
ネットワーク
その他
費用 ・ 保証
   
・ QUAD レストア対象モデルについて
レストア方法
発音ユニット
高圧発生回路
保護回路
遅延回路(ネットワーク)
ユニット配置替え
その他
費用 ・ 保証
・ ACOUSTAT ACOUSTAT の型番、ユニットサイズなどについて、下の「思い付くまま」の記述には誤りが多くあります。 愛媛県 M氏から多くの情報をいただいていますが、未だに整理してUPできていません。 大変申し訳ありません。
・ 思い付くまま 何と呼びましょう
ひどい仕事
如何なものか
原因不明
維持に金がかかる
現在の使用システム
STAX本社での試聴
黒ユニット
ひどい仕事   その二
ACOUSTATのこと
ACOUSTATの修理
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/index.html


連 絡 先

メールアドレスは次のとおりです。

stax_buy@yahoo.co.jp

レストアに関するご相談、当サイトに関するご意見など、遠慮なくお寄せください。

お送りいただいたメールは必ず読むようにしておりますが、スパムメールも多く、読みそこねる場合もございますので、一週間経っても返信が届かない場合は、恐縮ですが再送してくださるようお願いいたします。

埼玉県 さいたま市 見沼区

 岩  田

▲△▽▼

・ QUAD レストア対象モデルについて
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/index.html

QUAD レストア対象モデル

57以外の静電型のラウドスピーカー(所謂フロア型)であればレストアをお受けできると思います。
具体的には次のとおりです。

ESL−63 ・ PRO−63
ESL−988 ・ ESL−989
ESL−2805 ・ ESL−2905
ESL−2812 ・ ESL−2912

 これらのモデルのユニットは、全て同じものですので、ここに列挙していないモデルであっても同じユニットであればレストア可能だと思います。 (ESL−57のユニットのレストアはいたしません。)

 このサイトでは、これらの同一のユニットを使用した全てのモデルを総称して、63系と呼ぶことにします。


 なお、日本にあるのかどうか知りませんが、ESL−63QAというモデルを始めとするいくつかのモデルが存在するそうです。 ユニットが63系であればレストア可能と思われますので、ご相談ください。

QUAD レストア方法
発音ユニット
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/quad-unit/quad-howto.html

63系は、片chにつき、4枚又は6枚のユニットで構成されていて、一枚のユニットは、二つの格子状の枠が貼り合わされてます。

下の写真は、上が低域ユニットで下が中高域ユニットです。 個々のユニットは、格子状の枠に、2mmほどの穴が無数に開いたプリント基板の信号電極が接着されています。片側の枠に導電剤が塗布されたフィルム(振動膜)が貼ってあり、二つの枠を貼り合わせると、フィルムが電極の中央にきます。

写真の上側はフロント側の枠で、こちらにフィルムが貼られています。 下はリア側の枠で、中央縦に高圧配電用の赤色の配線が見えます。

大型モデルである 2905 と 2912 は、片chで低域ユニット4枚、中高域ユニット2枚の計6枚で構成されており、その他のモデルでは、各2枚の計4枚で構成されています。

以下、特にことわらない限りユニット数が片ch4枚のモデルについて記載します。

下がユニットの内側です。 上がフィルムの張られたフロント側で、黒く見えるのが導電剤です。

このユニットでは、左側二箇所に破れが見られ、周囲に剥離が見られます。 しかし、この程度の破れや剥離は、通常、ノイズの原因とはならないようです。

下のリア側の内側には化学繊維の目の細かい「紗」のような布が貼られています。上下には高圧配電用のアルミ箔が貼られています。

ノイス発生の最大原因は電極の剥離による電極とフィルムの近接です。
下の写真が枠と電極が剥離している様子です。 枠と電極の接着には、G17のようなゴム系の接着剤が使われているようで、経年劣化によりボロボロになって接着力を無くし、剥離を起こしています。

しかし、プリント基板の電極に信号を入力するためのラグが付けられている個所では剥離は起きていない場合が殆どです。 仮に接着剤の劣化が起きても、ラグで電極と枠が繋げられているため、剥離には至らないということです。
下の写真は、ラグが最も多い、中高域ユニットの信号が入力されるラグの部分です。

ラグの数は、最も少ない低域ユニットで片面二つだけ(ユニット一枚で四つ)です。そして、ラグの多い中高域ユニットでも片面十一個(ユニット一枚で二重二個)です。

ノイズの発生は、ラグの無い箇所で最初に起きる場合が殆どで、具体的には、スピーカーの四隅からということになります。 


ユニットは、下の写真のとおり、ガチャ玉やガチャックのようなクリップで止めて貼り合わされています。使用されているクリップの数は、一枚のユニットについて四つから八つとマチマチです。 クリップが四つしか使用されていない場合、隙間ができいることも見受けられます。 また、テンションが落ちているものがあったり、右の写真のとおり、割れてしまっていて用をなしていない場合もあります。

ユニットは、中央三ヶ所も金属のボルト・ナットで留めて貼り合わされています。

それでは、レストア手順を説明します。

ユニットを二枚に剥がす前に、ボルト・ナットで貼り合わせるための穴を枠の周囲10ヶ所に開けます。

そしてユニットを二枚に離し、フィルムを剥がす、ラグを外す、といった作業をし、枠と電極板を別々にします。 次は枠と電極のクリーリニグです。 枠はスクレパーと溶剤で接着剤をきれいに落とします。

クリーニングが大変なのは電極であるプリント基板です。

枠のリブと接着されていた部分の穴が接着剤のカスでふさがっています。
このふさがった穴の数は、ざっと計算したところ、基板8枚で約6000 もありました !

この穴を、まずドリルの刃を一つ一つ通してカスを落とします。 実にウンザリする作業です。 その後、溶剤で洗浄するようにクリーニングします。

写真は作業前後が判るように撮ったものです。
手前半分がクリーニング済みで、うしろ半分が作業前の状態です。

カスは大雑把に落としても、次の接着面さえ綺麗にしてあれば接着力には問題ないばすですが、カスが残っていると?れ落ちてノイズの原因にもなりかねないと思い、完全に除去するようにしています。

なお、スピーカーのリア側となる電極には紗のような布が貼られていて穴のクリーニングにドリルは使えないので、溶剤でクリーニングしています。

なお、接着剤が劣化しておらず、枠と電極板が強固に接着された状態が保たれており、無理に剥がすと電極板そのものが割れたり、銅のプリントが剥離したりする恐れのある場合は、枠の裏側から、枠のリブと電極板の間に接着剤を流し、「裏打ち」で補強することもあります。 この方法は、経年変化の少ない、新しいモデル、例えば 988 や 2805 などで使用することが多いです。 63 や PRO-63 では、まずこの方法は使えず、電極板を剥がすことになります。

次に、枠と電極とをエポキシ系接着剤で付けてから、ラグを付けます。 ラグは、信号入力用にもともとあったものに加え、剥離防止用として増設します。
ラグの数は、低域用ユニットで片面2個から18個 (ユニット一つ両面で36個) に、中高域用ユニットで片面11個から22個 (ユニット一つ両面で44個) にしています。

下の写真はラグ増設後のものです。 両方とも低域ユニットで、端と中央部分で、元々は全くラグの無かった部分です。

これでユニット枠にフィルムが貼れます。 木枠にフィルムを張り、適当なテンションをかけてから枠に接着します。ここで使用するのもエポキシ系接着剤です。 

接着剤が固まったら枠の周囲を切り、導電剤を塗布します。 使用する導電剤は、スマホやタブレットに使用されている最新のポリマー系のものです。 この、導電剤の効果持続期間ですが、英文の説明では PERMANENT ですが、日本語では「半永久」と、異なっています。

次に中央三ヶ所の貫通部分のフィルムを切り取り、ユニット左右端と、中央三ヶ所の穴の周囲の導電剤を拭き取ります。左右の端はユニットを取り付ける金属アングルへの高圧のリークをなくすために必須ですが、中央の穴の部分は、ポリカーボネートのボルトナットを使用することもあり、理屈の上では拭き取る必要はありません。しかし、この部分は信号電極のプリントが無いので導電剤の意味が無く、オリジナルと同様に拭きとっています。

ユニットを貼り合わせます。

電気的には浮いていて問題ないものの、金属を使用するのは精神衛生上良くないので、周囲10ヶ所と中央3ヶ所をポリカーボネートのボルト・ナットで留めています。 周囲の穴はフィルムで塞がれていますので、ボルトを通すことでフィルムを破損することのないよう前処理をしておきます。
組み上げたユニットを本体に入れて仮接続をし、音出しテストをします。 このとき使用する本体は、テストベンチとして別に用意してある正常なものです。 聴感テストのほか、入力端子ごとの電圧を測定し、場合によっては、念のため周波数特性も測定します。 無響室ではない普通の部屋ですので正しい周波数特性はとれませんが、異常なピークやディップが判別できる可能性があるので実施しています。

音出しテストが済んだら、高圧回路の部品交換、保護回路外しなどを終えてある本来の本体に戻して仮接続で音出しテストをします。 この段階で問題が出ることはまずありませんが、ユニットに問題が無いことは判っていますので、仮に問題が出ても切り分けは容易です。

長時間と大音量の音出しテストを経て本組みをします。 この先はユニット配置替えの項をご覧ください。
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/quad-unit/quad-howto.html

QUAD レストア方法
高圧発生回路
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/quad-kouatu/quad-how-kouatu.html

高圧発生回路の基板は写真のように取り付けられています。 左上に写っているのがトランスです。

この回路は、ご覧のとおり8段のコッククロフト・ウォルトン回路から成り、入力側にバリスタを含む抵抗のブリッジ回路が、出力側にはネオン管発振回路が付けられています。 回路構成は同じですが、使用されているダイオード、コンデンサーは、製造時期によって異なっています。

この回路の部品は、製造時期が新しいほど品質が良いようですし、当然のことながら、劣化も製造時期に比例しているようです。
この回路が壊れてしまっていたケースには遭っていませんが、多かれ少なかれ能率が低下しているので、念のため、コンデンサーとダイオードを交換しています。

そして、入力側の抵抗のブリッジ回路を外し、出力側のネオン管発振回路をバイパスしています。

その理由は次のとおりです。

入力側のバリスタと抵抗のブリッジ回路は、サージ電流からの保護が主な的と考えられますが、部品劣化のリスクと、現代の商用電源の安定性に基づくサージ電流のリスクの少なさとを比較衡量したとき、この回路は不要と判断しました。 次にネオン管発振回路ですが、定電圧供給を目的として設けられていますが、前記と同様、現代の電源事情を考慮すると、ネオン菅とコンデンサーの寿命の方が心配ですので、これも不要と判断しました。
あと、私の考え方ですが、出来る限り回路は単純にしたいというのもあります。

なお、これらの改造は、ブリッジ回路以外では部品を外さずに行っていますので、(お勧めはしませんが)ご希望であれば容易に元に戻せます。

上は比較的新しいPRO-63の基板、下はかなり初期のESL-63の基板です。

これがダイオードとコンデンサー交換後のものです。 見づらいのですが、左端にあったブリッジ回路を外してあります。
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保護回路
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保護回路は二種類あります。 製造時期のある時点によって明確に新旧が変わるというのではなく、モデルによっても製造時期によっても、どちらを使用するかというルールは判りません。

この保護回路は、数種類のトランジスタとダイオード、ICなどで構成されていて、一つのタイプには40個ほどのダイオードが使用されています。

これまでレストアを手掛けたうち数台でこの保護回路が故障しており、過敏に働いてしまっていました。 どちらのタイプにしても修理には非常に手間とコストがかかります。 保護回路は、車で言えばアンティロックブレーキシステムとかトラクションコントロールシステムのようなもので、通常の使用状況であれば無くても問題ないと言えます。 また、最近ではアンプの方に保護回路があり、スピーカーの方には不要と思われます。 普通のダイナミック型のスピーカーであっても過大入力には気を付けるべきですし、普通の音量でしたら保護回路は不要です。
そこで、将来の故障リスクを軽減するためもあり、また、信号系に余分な回路を入れたくないので保護回路を外しています。 外し方は、配線を切断する方法を採りましたので、(お勧めはしませんが)必要であれば元に戻すことは容易です。

(これまで遭遇した保護回路が故障していたものは、保護回路が過敏に働くものだったので判りましたが、ほかにも、機能しなくなっている故障や機能する信号レベルが狂っている故障があった可能性もあります。 アンプの保護回路が働いてしまうためや、厳密な測定器による診断はしていないために、この類の故障は診断できませんでした。)

この回路の動作は概ね次のとおりのようです。
過大入力があった場合の信号を電磁波として検知 (アンテナがあります) し、信号を切断もしくは弱くし、ディレイ回路で一定時間後に復帰させるというものです。

写真は二種類のうちの一方の保護回路の一部で、多くのダイオードが使用されている基板です。


写真の中央を上下に貫通している白い線がアンテナです。 上は検出回路の基板に繋がっていますが、下はご覧のとおりケースですのでどこにも繋がっていません。 左右に走る紅白の線から電磁波を検出しています。
保護回路の判り易い写真が現在はほかにないので、申し訳ありません。 何か良い写真を掲載するようにします。
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信号遅延回路(ネットワーク)
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63系では、信号は7つの周波数帯域に分割され、それぞれが時間差をもってユニットに送られています。 中高域ユニットを見ると判るように、プリント基板が同心円状に作られています。 中心が最高音で、最も早く音が出て、それから外周に向かって順次遅れて音が出るようになっています。 つまり、音は(疑似)球面波となり、QUADの説明によれば、音源がスピーカーより30cm後方にあるように聞こえる、とのことです。

写真の左右に6個づつあるのがコイルで、中央紅白の線のうしろで見えづらくなっているのがコンデンサーです。

この左右のものが、それぞれ前後の信号電極に繋げられています。 この回路は、基本的にはコイルとコンデンサーで構成されており、故障に遭遇したのは一台だけで、まず故障はしないと思ってよいと思いますし、故障の可能性ははコンデンサーを想定しておけばいいと思います。 コイルが駄目になった場合は、巻き直しは非現実的ですので、他の個体から移植するしかないと思います。
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ユニット配置替え
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63系のユニットは、4つのユニットが、上から、低域用、中高域用、中高域用、低域用の配置となっており、中心から同心円状に、高域から低域へと順にディレイ回路を通った音が出るようになっています。 その設計意図としては、中心から上下左右対称に疑似的な球面波を出すことにあるようです。

しかし、この配置には二つの欠点があります。
一つは、音の出る中心が低すぎることです。 スピーカーの中心が床から52cmしかないため、床に座って聴く分にはいいのですが、通常の着座位置では低いのです。 そのため、スタンドが別売りされていますが、これを使用すると、ただでも不足していると言われる低音がますます不利になってしまいます。
二つ目の欠点は、低域ユニットの一つが最上部にあることです。 低域は、床の影響を強く受けますので、低域ユニットは床に近い方が有利です。

これらの欠点を改善するためユニット配置を変更し、中高域用二つを上に、低域用二つを下に移設しています。 これにより、音の中心がユニット一つ分19.5cm上がって自然な聴きやすい位置から聴こえるようになった上、低域も増強されます。 ちなみに、この中高域ユニットの高さの位置は、上位モデルである 2905と2912同じということになります。 音の出方として、上下対称ではなくなっていますが、聴感上、全く感知できませんし、不自然な感じもなく、全く問題ありません。 また、低域ユニットが上部にあると低音でスピーカーが揺すられる度合いが高まりますので、低域ユニットを下ろしたことで副次的な効果もあると思われます。

写真は配置替え後のものです。 右側に信号線を延長した様子が判ります。
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そ の 他
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防塵フィルム

写真のとおり、オリジナルではフロント、リアともに防塵フィルムが張られています。
このフィルムは枠に張られていて、枠ごと取り外せます。

このフィルムを付けた理由を推測すると、開発されたのが1960年代であり、当時の喫煙状況、ディーゼル排気ガスの状況、更には暖房用などの石炭の使用状況などを考慮すると、これらの微粒子が振動膜に付着するという問題があったのだろうと思います。
しかし、振動膜が空気を動かし、その空気が防塵フィルムを動かし、そして、その防塵フィルムが動かした空気を音として聴いている訳で、どうも隔靴掻痒の感が拭えず、精神衛生上好ましいとは言えません。 この防塵フィルムを外すと明らかに音の鮮度が上がります。 この防塵フィルムの汚れを見ると、(もちろん 使用環境に依存しますが ) 20年以上使用されたと思われるものでもわずかにグレーに見える程度に汚れているだけです。 現在の環境を考慮すると、振動膜に微粒子が付着して性能が劣化すると考えるのはいささか考え過ぎの感があるような気がします。 なお、STAX 、 MARTIN LOGAN 、 ACOUSTAT には、元々このような防塵フィルムはありません。

また、防塵フィルムどころか、パンチングメタルやグリルネットまで外して使用している人もいるそうです。 確かに、そこまでやればユニットの音をダイレクトに聴けてベストであるのは判りますが、美観・剛性・安全性に問題が出そうで、一般家庭では如何なものかと思います。

背面は音質には殆ど関係ないようですし、僅かでも遮蔽したいので、2020年3月まではフィルムはそのまま残していました。 現在は、下に追記したとおり、前後ともにフィルムは無くしています。 なお、枠は残して嵌め込んでありますので、お勧めはしませんが、再度フィルムを張ることは可能です。

2020/04/09 追記
不思議な事案に二件立て続けに遭遇しました。 

一件目は防塵フィルムからのノイズです。
レストアが完成し、お送りしたことろ ジーーーッ という微かなノイズが出るとのことでした。 ノイズの音量が背面の方が大きいという何とも不思議なもので、トランスの鳴きまで疑いましたが、兎に角送っていただいて調べることに・・・
後ろから息を吹きかけるとノイズが変化します ? ? ? ?
電源を入れたままフィルムを外していくとノイズが変化し、外し終わるとノイズは無し。
防塵フィルムが帯電してノイズが出ていると思い、帯電防止剤を塗布してみても、清掃してみても変化ありません。
帯電防止剤を塗布してもノイズが出るのは、帯電した静電気の逃げ場がないためではないのか、と推測しています。
手持ちの別のフィルムを嵌めてみるとノイズは出ませんので、これはこれで完了としました。

二件目は防塵フィルムのビビリです。
それほどの大音量でなくとも低音の( 特定の帯域 ? ) でビビリが出ていました。
最初は躯体のビビリなども含めて色々と調べましたが、結論としてフィルムから出ていました。
フィルムを見ても、厚み・材質ともにオリジナルのようで、何とも不思議な現象です。
前記のノイズのケースもあり、こちらの場合は、手持ちのものに交換することはせず、フィルムを外してしまいました。

原因究明は兎も角、かねてからの考えのとおり、今後は、リアの防塵フィルムもなしにすることにしました。
元々、防塵フィルムは不要と考え、フロントは外していました。 リアは音への影響も少ないだろうと思い残してきましたが、外すと低域の抜けが良くなるというご意見もあり、前後ともに外すことにしました。

   


入力端子

下の写真のとおり、モデルや製造時期によって色々なものが使われているようです。
PRO−63でも、比較的普通の形状のものもあれば、バナナプラグ専用のものもあります。 また、コネクターの形状も二種類あります。

左のものは、普通の形状ですが、上からはバナナプラグが入りません。 

と書きましたが、2019年4月末に気付きました。 この端子は、上部の中央がプラグ(栓)になっていて、外すと三枚目の写真のようになり、バナナブラグが上から入ります。 つまり、このプラグは三枚目の写真のものと同じで、三枚目の写真の端子は、栓が無くなっているものでした。 
こちらはバナナプラグ専用の端子です。これは作りが悪く、破損しているものが多く見受けられます。
ESL−63ではコネクターは設けられていません。
このタイプの端子ですと、上からバナナプラグが挿せますので、破損がなければ交換はしていません。

最初の写真の説明で追記したとおり、栓が無くなっていますが、支障はありません。
交換後の端子です。

バナナプラグにも対応した一般的なものを使用しています。

電源スイッチ

シーソー型のものが使われていますが、動きがかなり渋くなっているものが多く、接触不良や破損のリスクがありますので、分解掃除をしています。

オリジナルのものは、樹脂の筒を輪切りにしたようなものを本体に留め、それに蓋をしたような脚が使われています。 蓋がなくなっていたり、脚そのものが無くなっといるものが多く見受けられます。 同じような構造のものは手に入らないので、樹脂製のモールドタイプの同じような寸法のものを付けています。
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QUAD レストア費用 ・ 保証
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ユニット
一枚8000円 一組二台 8枚で計64000円、 12枚のモデルでは96000円


高圧発生回路関係
コンデンサーとダイオードを交換
コンデンサー14個、ダイオード8個で、一台5000円、一組二台10000円


ユニットと高圧発生回路の無償修理保証期間は三年です。
無償修理保証期間経過後は、ユニット一枚5000円、高圧発生回路は一台2000円で有償修理いたします。


本体分解費用・・・一台3000円 一組二台6000円 
          ESL-988 と ESL-989 に限り、一台6000円 一組二台12000円です。


以下はオプションです。

ユニット配置替え
音の出る位置が自然になりますし、低域も改善しますのでご好評です。  一組二台で4000円

ターミナル交換
製造時期やモデルによって色々なものが使用されているので一概に必要性は言えませんが、ご希望があれば一組二台で2000円

脚取付け
オリジナルのものが無くなっているものが多く見受けられます。 シリコンゴムのものをネジ止めします。一組二台で1000円

電源SWオーバーホール
動きが渋くなって接触不良のリスクが高いものが多いです。 一組二台で1000円

保護回路切断
一組二台1000円

信号遅延回路(ネットワーク)
故障の可能性は殆どありませんが、コンデンサー交換の必要がある場合は一台5000円

防塵フィルム外し
フィルムを外すのはお勧めですし、無料です。
防塵フィルムを外すと音の鮮度が上がりますし、フイルムからのノイズ発生やフィルムのビビリ発生の懸念がなくなります。

その他のものは一般的ではないので、その都度ご相談させていただきます。

保証は全て三年間です。
保証書をお渡しします。 保証は保証書をなくされても有効です。
商売のための転売を防止するため、当方の承認なく譲渡された場合は保証の対象ではなくなります。 愛好家のためのレストアいう趣旨をご理解いただき、ご了承をお願いします。


運搬費用は、全ての場合でご依頼者のご負担といたします。
方法は、大きく分けて、本体全部を送っていただく方法と、必要な部分だけを送っていただく方法とがあります。

本体全部を送っていただく方法としては次に挙げるような方法があります。

 ・ 片道100km程度まででしたら、高速道路代とガソリン代実費の半額程度で引取り、引渡しにも伺います(ユニットが片ch四枚までのものに限ります。)

 ・ 梱包して宅配便(佐川急便 ラージサイズなど)で送っていただく方法ですが、自転車屋さんで、自転車用のダンボール箱を利用すると比較的楽に梱包できます。 自転車用の箱には、厚みが20cmと丁度良いものがありますので、それを二つ使うと一組の63を梱包できます。 緩衝材は殆ど必要なく、汚れ防止にプチプチを一重に巻く程度で十分です。

 ・ 当方手持ちの元箱をお貸しする方法。 送料が二往復分かかってしまいますが、梱包の手間はかなり減らせます。 サイズは一個が220あります。

 ・ 車で直接持ち込まれる方法。 容積的に積める車であれば積載方法は難しく考える必要はありません。 落としたりしてベースの樹脂が割れる事故が最も怖く、その意味では、宅配便の方がリスクが高いと言えます。 可動部分の質量は無い等しいくらいですので、ユニット自体は、振動や衝撃には極めて強いです。 私は、ハッチバック普通車に寝かせて積載しています。

 ・ 赤帽を使う方法。 手間としては最も楽ですが、費用がかなりかかります。 とはいっても、高い引越便よりは安く済むようです。

次に、必要な部分だけ、つまり、ユニットだけとか高圧回路だけとかをお送りいただく方法です。

場合によっては、当面の措置として、ノイズの出ているユニットだけ修理する、ということも可能です (残りのユニットもいずれはノイズが出ますので、その都度対応するのは送料も結局高くつきますし、正直、あまりお勧めはしませんが・・・)
ユニットや高圧発生回路を外す方法は文書でお渡しします。 普通にドライバーが使え、半田付けができる方でしたらそれほど難しい作業ではありませんのでご相談ください。

そのほか、ご不明の点は遠慮なくご質問ください。
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QUAD ESL63 の修理
思い付くまま・・・・・ひどい仕事
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これはいけません。

先ずは写真をご覧ください。
この写真は、ユニットを二枚に離してフイルムの貼られた面を出し、フィルムを圧しながら写したものです。
指の周りにプツプツと、何か突起が見えます。 これは何でしょうか ?

このフイルムを剥がしてアップで写したのが下の写真です。

信号電極の裏からキノコのようなものが生えてフィルムの裏に繋がっていました。

これを見たとき、目が点になったというか、開いた口が塞がらなかったというか、兎に角びっくり仰天しました。

種明かしをしますと、これは、枠と電極の剥離を防ぐため、フィルムが貼られている状態のまま、枠と電極の間に補強のために接着剤を付けたことにより、その接着剤が流れてフィルムの内側にくっついてしまったものと想像されます。 想像と書きましたが、まずそれに間違いありません。 キノコの頭に付いている黒いものは、くっついてしまったフイルムです。 これでは、この部分のフイルムは信号どおりに動くことはできません。 この部分のフィルムは、キノコに囲まれたそれぞれの狭い面積が、あたかも個々の小さなスピーカーのように動作してしまう、と想像されます(最高に楽観的に考えた場合ですが・・・・)。

これが誰の仕事なのかは知りませんが、本当に酷い仕事です。 絶対にやってはいけない仕事です。
これがレストアを請ける業者の仕事だとしたら、絶対にこんな業者にレストアを頼んではいけません。
この個体はある方からレストアを依頼されたものですが、前回レストアから帰ってきて、わずか三か月で再びノイズが出たそうです。

枠と電極の剥離が起きていない場合、補強のために接着剤を追加し「裏打ち」をすることは否定しません。 ただし、それには次の二つの条件を満たす必要があると考えます。
まず、現在は剥離が起きていないとしても将来は必ず起きますから、剥離を防止するためにラグを増設すること。 次に、フィルムを剥がした状態で裏打ちし、接着剤がフィルム側にはみ出た部分があった場合はそれを完全に削り、平滑にしてからフィルムを貼ること、です。 更に言えば、使用する接着剤の種類にも留意すべきだと思います。 これは一概には言えませんが、オリジナルと同じようなゴム系のものは避けた方がいいと私は考えています。

レストアを依頼する場合は作業内容を十分確認し、保証内容も含めて納得の上で出してください。
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思い付くまま・・・・・ひどい仕事 その二
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またまた遭遇してしまいました。

「ひどい仕事」で紹介したのと同じです。
今回いくらかマシなのは、「キノコ」の数が五つ「しか」ないことです。
ちょっと判りにくいので矢印を付けておきました。 奥の一つはピントが行っていないので特に判りにくいのですが、頭にフィルムの黒い破片が付いています。


今回のレストアのご依頼は、ノイズの出ているユニット一枚だけということで、ご依頼者が本体を分解し、該当ユニット一枚だけをお送りいただいたものです。 現状では他のユニットにノイズは出ていないとのことですが、このユニットと同じような状態のものがある可能性が否定できず、最悪の場合、高圧が「キノコ」を通って信号系に流れ込み、遅延回路(ネットワーク)や入力トランスを破壊するという事態もあり得ますので、知ってしまった以上、私でしたら、ノイズが出ていないからといって放置することはとてもできません。

しかし、本当にひどい仕事です。 以前、誰の仕事か判らないと書きましたが、実は判っています。 
〇〇さん、こんな仕事が重大なトラブルに繋がる可能性があることが判りませんか。 それ以前に、そもそもこんな酷い仕事をしてはいけません。

今回のユニットは、私が勝手に「黒ユニット」と呼んでいるものです。 この「黒ユニット」については、こちらをご覧ください。


と、ここまで書いて、下書きとして準備していたところで、またまた遭遇してしまったので併せてUPします。
今度は「大キノコ」です。 このユニットは、分解するまでは修理歴の無いものかな、と思っていたのですが、オリジナルの状態でこんなはずはありません。 来歴は判らないので何とも言えませんが、フィルムを貼り替えずに裏打補強したことは間違いないようです。 今回のケースでは、接着剤がそこそこ盛り上がっている部分が多くありましたが、基板とフィルムとが繋がっている部分は運良く(?)、この写真の部分だけでした。

直径約5mmと「大キノコ」で、頭に派手にフィルムが残っています。 溜息が出るような酷い仕事です。
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/zakkan-hidoi2/zakkan-hidoi2.html

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思い付くまま ・・・・・ 如何なものか
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/zakkan-bari/zakkan-bari.html

まずは写真をご覧ください。

63系のユニットの写真です。

接着剤が流れ出て、枠の下まで流れて固まっています。 この写真は信号電極側を下にしてありますが、この接着剤が固まったときは上下逆になっていたはずです。 これを置いた台に接着剤が流れて固まり、バリのようになって残っています。 そして、これをそのまま使い製品にしてしまっています。 このユニットに手が加えられた様子はなく、恐らくオリジナルのままでしょう。

「維持に金がかかる ?」の項にも書いたとおり、あるスピーカー設計者の方に伺ったのですが、一般的なスピーカーを組み立てる際の接着剤にはゴム系のものが使用されているようで、水道の蛇口のようなところから接着剤を出し、それを塗布しているようです。 これをやった職人さんは、余分に付けてしまって流れた接着剤をそのままにしたようです。 さらにその後、フィルム貼り、導電剤塗布、ユニット貼り合わせ、ユニット単位の性能テスト、本体への組み付け、性能測定、など、この場所が見える段階での多くのチェックをこの状態で通してしまっているのです。

どう思われますか。

63系のユニットでは、多かれ少なかれ、このような接着剤の流れ出しが見られます。 劣化するとボロボロに崩れてしまいます。 チリやホコリを嫌うスピーカーであることは十分知っているメーカーであるのに、如何なものかと思います。

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QUAD ESL63
思い付くまま・・・・・維持に金がかかる ?
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/zakkan-takai.html

静電型スピーカーは、すぐに壊れる、デリケート、修理が高額、などと言われ、購入に二の足を踏む方が多いようです。

それでは、まず、普通のコーン、ホーン、ドームのスピーカーについて考えてみましょう。
普通に使っている分には、恐らく、30ー50年経っても音は出ると思いますし、ヴォイスコイル部分が錆びてジャリジャリといったり、エッジが破れたりしない限り、普通は修理に出すことはあまりないでしょう。 しかし、エッジ、ダンパーは確実に経年劣化していますし、磁力も落ちています。 更に、ネットワークのコンデンサーも確実に経年変化を起こしています。 継続して使っていると、音の劣化に気付きにくいと思います。 どれだけの方が定期的にこれらのパーツを交換したり再着磁を行ったりしているでしょうか。 QUAD-63 と同価格帯のスピーカーでこれらのメインテナンスを定期的に行った場合、維持費はどれだけかかるでしょうか。 普通のスピーカーは、なまじ音が出てしまうがために維持費のことが考慮されていないだけのような気がします。

次に、静電型について考えてみます。
静電型は、ノイズが発生してしまうために、その時点で修理が必須となってしまいます。 しかし、それまでは、高圧回路とフィルム、あるいは導電剤の経年劣化で能率は落ちるものの、殆ど重量のないフィルムをクーロン力で駆動しているため、音の劣化は少ないと思います。

それでは、静電型がすぐに壊れる上に修理が高額と言われるのは何故なのでしょうか。 これは悪口ととられると残念ですが、これまでの経験を踏まえ、正直に書きます。
これらの評価は、主にQUADに対するもので、それが静電型全体の評価に繋がったものだと思います。 これば、QUADの市場占有率が高いので仕方ないことなのかもしれません。

レストアの項にも書きましたが、QUADのノイズの原因の殆どは枠と電極との剥離で、次に多いのが枠とフィルムとの剥離です。 何故剥離が起きるのかというと、接着剤が劣化するからです。 発売以来、50年以上、ゴム系のものが使用されています。 そして、どんな接着剤であろうと劣化するのは明白で、しかも剥離によるノイズ発生事例はいくらでもあるのに、剥離を防ぐ方策が、これまた50年以上とられていません。 あるスピーカー設計者の方に伺ったのですが、一般的なスピーカーを組み立てる際の接着剤にも、結構同じようなものが使用されるようです。 水道の蛇口のようなところから接着剤を出し、それを塗布しているようです。 確かに、エポキシ系のような二液混合型では使用時間に制限があるため、生産性・収益性が低下してしまいます。

更に、レストアを請ける側にも問題があるように感じます。 いい加減な作業では悪評に輪をかけてしまいます。 ネット上でもひどい話が見受けられます。 また、輸送事故を防ぎたいのでしょうが、法外な送料を要求するところもあるようです。 商売ですから利益を出すのはいいのですが、責任のある作業をして欲しいと思います。

代理店や修理業者を儲けさせるために、意識的に耐久性を落としているのではないかと思ってしまいます。こういうのを下衆の勘繰りと言うのですが・・・・・


台数が少ないためでしょうか。 STAXやMartin Loganの丈夫さを言われることはないようです。


閑話休題
要は、同じ質の音を継続させようとすると、普通のスピーカーでも静電型でも維持費はそれなりにかかる、ということを言いたいのです。
決してQUADの悪口を言う意図はありません。 QUADが素晴らしいスピーカーであることは自明です。

http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/zakkan-takai.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/455.html#c6

[番外地9] 日本人一人当たりの借金が1000万円というのは正しい 中川隆
1. 中川隆[-6945] koaQ7Jey 2021年3月03日 19:46:44 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[16]
三橋貴明は何もわかっていない _ 日本人一人当たりの借金が1000万円というのは正しい
MMTバカには理解できない事
誤:お金は政府の債務で、国民の債権
正:お金は政府の債務で、資本家の債権

誤:プライマリーバランスをゼロにすると民間の資金が無くなってしまう
正:プライマリーバランスをゼロにすると資本家の資金が無くなってしまう

バブル崩壊以降は民間銀行の企業への貸し出しが頭打ちになっています。 しかし、マネーストックは企業の借金や国債の利息の分だけ毎年毎年増え続けています。 従って、日本のマネーストックの増加分はすべて日本政府が新規国債発行で賄っている事になります。言い換えると、日本政府が資本家に金をタダでやっている事になります。
プライマリーバランスがゼロというのは、新規国債発行がゼロという事ですが、そうすると国債の利子で運用していた民間銀行や保険会社が倒産します。 民間銀行から融資を受けていた企業も連鎖倒産します。
そうすると倒産企業に投資していた資本家も大損します。 これが資本家の資金が無くなってしまうという意味です。

プライマリーバランスがマイナスというのは労働者から民間銀行や保険会社に所得移転をしているという事です。
そうすると労働者がどんどん貧しくなって、反対に資本家はますます肥え太って行きます。
MMT推進者は資本家の利益を代表する立場なんですね。

国債発行で得た金は政府が資本家から借りているもので、利子付きで返さないといけない。
国債の返済に使う金は労働者から税金・社会保険やインフレ税の形で集める。
資本家は20%の配当課税しか払っていないから、国債の返済には関わらない。
つまり、国債発行は労働者から資本家への所得移転なのです。
財務省が国民一人当たりの借金と言っているのは、資本家からの借金を労働者の総数で割ったもので、実際に労働者が税金として払わないといけないのです。
国民一人当たりの借金というから見当外れの批判が出るので、労働者一人当たりの資本家への借金、と言えばいいのです。
しかし、財務省が資本家・労働者とか、共産主義用語を使える訳ないですね。

▲△▽▼

1% の資本家を民間として扱うのが
MMT論者の誤解の原因になっている:

竹中平蔵
派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしないといけない

自称マルクス主義者の階級闘争というのは 1% 対 99% の階級差を解消するのではなく、99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないという主張なのです。
中國共産党もソ連共産党もカンボジア ポル・ポト政権も 1% 対 99% の階級差を温存して、99% の被支配者の間の格差だけを無くすインチキ共産主義政策を取っていました。

1% は民間に入れてはいけない。

グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする

現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。


TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。


 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。


 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。

グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。

温暖化対策はグレートリセットの柱の一つだ。
温暖化対策・2酸化炭素排出削減のため、人々(平民)は肉を食べず(家畜が2酸化炭素を出すから)代わりに昆虫や植物由来の擬似肉を食べるべきだとか、穀物でなく雑草を食べよとか、下水を飲めといった提案がグレートリセットの一環として欧米で出されている(金持ちはおいしい肉や水を飲食できる)。

▲△▽▼

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。
そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんです。言い換えると日本人は働く必要はないんです。
失業者や無職には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。

今の日本に必要なのは「経済成長」ではなく「循環」
今の日本で問題なのは金がないことではなく、金があるのにそれがきちんと循環していない、ということなのです。
週に40時間まともに働いて、家族を養うどころか自分がまともに食う事さえできない国というのは、世界中そうそうあるものではありません。
これだけ金を持っているくせに、国民をまともに食わせることさえできないのか、ということです。

景気対策などは必要ないのです。
必要なのは、大企業や富裕層がため込んでいる金を引き出して、金が足りない人のところに分配することだけなのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/132.html#c1

[リバイバル3] 音楽はこういう部屋で聴きたい 中川隆
102. 中川隆[-6944] koaQ7Jey 2021年3月03日 21:54:09 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[18]
827名無しさん@お腹いっぱい。2021/03/02(火) 10:43:31.69ID:QoAFdZls
オーディオ業界から圧力をかけられ
部屋のことは言うなといわれ研究を中止させられた
http://sanzoku.mitelog.jp/photos/uncategorized/2014/10/12/117.jpg

やって見りゃ分かるけど部屋に合った大きさってのはあるよ
どんな部屋だろうとタンノイがJBLの音になる事はないけどね
小さい部屋では音量自体も上げられないし

〜6畳・・・口径10センチ前後の小型スピーカー
〜8畳・・・口径13センチ前後の中型スピーカー
〜12畳・・・口径16.5センチ前後の中型スピーカー
〜20畳・・・口径20センチ前後の中型スピーカー
20畳〜・・・大型スピーカー

だいたいこんな感じだね
一般的な日本の住宅で大型スピーカーは要らない

大は小を兼ねないのがオーディオ

それなのにしきりに大きいの、セパレートの。高価な物を買わせようとする
売らんかなステマの多い事・・・www

828名無しさん@お腹いっぱい。2021/03/02(火) 12:38:04.79ID:xtS1Jpo5

部屋の音響がだめなら何をやってもたいして良くならないことがわかりはじめてきたのに
オーディオ業界から圧力をかけられ
部屋のことは言うなといわれ研究を中止させられた
http://sanzoku.mitelog.jp/photos/uncategorized/2014/10/12/117.jpg

氏は元テクニクスのアンプやスピーカーを設計していた技術者であって、
その音響技術を生かした石井式リスニングルームの提唱者です。

音響で最も影響を受けるのがリスニングルームの構造。
ついでスピーカー。アンプ、プレーヤーであるといいます。

全くその通りだよね。部屋が良くないと反射音や残響で部屋の音響特性はでこぼこのひどい物になることは想像出来る。
拙宅も約10畳の洋間があるのだが、音にピークを感じてセットは置いてあるもの和室8畳でばかり聞いている状態です。

リスニングルームの重要性は分かっていたものの、それを言うと器機が売れなくなるので、黙っていたらしい。
氏によると部屋の大きさには最適値があるといいます。
つまり縦が1なら横は0.7.高さは0.6という具合です。
部屋自体は出来るだけ堅固なものとし、反射はグラスウールを大量に使って適度な量に抑えるのが良いらしいです。
詳しくは自分の本を読んでくれということでした。

こういう話を聞くと、アンプの音の微々たる違いなど何の意味があるのかと思えてくる。

ましてやコードの材質の違いなど聞くのもあほらしいね。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c102

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
115. 中川隆[-6943] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:29:21 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[1]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c115

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
96. 中川隆[-6942] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:30:52 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[2]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c96

[近代史3] 日本のアンティーク・オーディオ関係のガレージメーカーの実力は凄い 中川隆
7. 中川隆[-6941] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:32:12 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[3]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/455.html#c7

[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
19. 中川隆[-6940] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:32:42 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[4]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/414.html#c19

[近代史5] アンティーク オーディオの販売店・修理を頼める店 中川隆
10. 中川隆[-6939] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:33:12 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[5]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/430.html#c10

[近代史4] QUAD の静電型スピーカーが全然売れなくなった理由 中川隆
9. 中川隆[-6938] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:33:57 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[6]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/506.html#c9

[近代史4] アンティーク・オーディオ取扱い店 中川隆
9. 中川隆[-6937] koaQ7Jey 2021年3月04日 08:34:27 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[7]

2012年 01月 15日
QUAD修理で判明したとんでもない新事実
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

ESL-63につきものの、ボツボツ音がするトラブルに見舞われたが、修理費用がべらぼうなので躊躇し、休眠状態になっていたが、よさそうな修理工房を見つけて、ようやく修理が終わり、後は到着を待つだけとなった。

年末ギリギリに運び込んでから約2週間と、修理期間もすごく短いし、何しろ今まで知り得なかったことをご教示頂き、かなり勉強にもなった。

将来の予防的メンテを含めての修理総額は、今ある2つの修理店の4分の1位だと思う。
ここではその修理メンテ内容の詳細はお示ししないが、2台共にカナリ細かくチェックした上で修理していただいたことだけ申し述べておくことにする。

後は到着し、エージングをしながら音の状態をレポートしていく予定だ。
何故エージングが必要かということも含め、この間において意外な、そして空恐ろしいことが明らかになった。

これを書くか書くまいか相当迷ったのだが、こういうことが闇から闇に消えて行くのは良くないと思い切った。

小生がこのESL-を購入したのは1984か5年、発売開始してから数年後のことで、名古屋の大須にある棒オーディオ店だった。

この店の店長と思しきS浦という人は、ESL-63の音に惚れて、店のハイエンドオーディオ客に、かなり積極的に薦めていたから、おそらく全国的にも一番多くESL-63を販売したのではないだろうか。

店にはその頃の輸入代理店「ハーマンインターナショナル」の人間がいつも出入りしていた記億がある。

小生はハイエンドオーディオ人間では全くないが、店内で音を聴いてから家で聞くYAMAHA NS1000の音と、あまりにも・・次元の違う音なので驚き、そして使ってみたいという気持ちが強くなってきた。

しばらくしていざ購入という時に、アンプは何を使っているかと聽かれ、その頃小生はLUXのB-12という方チャン150Wモノラルアンプを2台で使用していたから、そのように告げると、それではダメ、よく鳴らないと無気な言葉を返し、このアンプならまだ良く鳴るといって示したのが、ハーマンカードンのhk-870だった。

およそデザイン感覚があるとは言えない全身黒尽くめの箱が、良い音で鳴るとは思ってなかったので、出力を訊くと100W×2だという。
それなら所有のLUXのほうが性能が良いのではというと、何やら難しげなことを説明したがよく分からなかったが、今思えば低インピーダンス負荷時の供給能力が問われるということだ。

それでも問題ないだろうと購入したESL-63をつないで聴き始めたが、音量が高くなると、アンプのヒューズが飛びまくってしまい、聴きものにならなくなった。

それで仕方なく入手する羽目になったのが先のhk-870。
これでそうやすやすとアンプがクラッシュすることは少なくなったが、それでもたまにあるので、今度はもう1台追加し、擬似ブリッジ仕様にした。
こうすると供給能力は約3倍ほどに増えるから、今度はアンプも十分耐えてはくれたが、通常ではあまり目立つことのなかったものも増幅されるから、1台の時のほうが良い音がした。

それからアンプ遍歴が始まり、ひょっとしたことで今の、インナーサウンド社のE-300に落ち着いたのだが、このアンプは堀出しもので、静電型SPを鳴らすための工夫がいたるところで、されているアンプであった。

しかし我が家にやってきたESL-63は、どうも因縁のSPのようで、こんな話からスタートする。

丁度マイナーチェンジを控えた時に購入したから、小生に届けられるものは、SPコード接続端子が従来の差込式からバナナプラグ兼用になったものが運ばれる予定で、店のS浦氏もハッキリそう言っていた。
しかし到着したものは従来のタイプだった。

どちらでも大して差はないのだと思うが、予定の商品とは違うものが到着したからには、クレームを入れると、数日後にNEWタイプが届いた。
しかし届いたのは良いのだけれど、次の朝片方のSPからボツボツ音が出ているではないか。

新商品、しかも相当高額で購入した次の朝にはもうトラブルだから、そして最初に搬入されたものが旧機種だったこともあり、相当頭に来たが、音に惚れていたからには仕方なく、再度機械交換(したと思っていた)することになった。

そしてその後は先に書いたようにアンプ選定に力を注いできたというわけだが、使用して4年経った時また片方からノイズが出るようになった。

実はその前からどうも音の調子が良くないので、ハーマンに点検させようと送ったことがあったが、何をどういじったかは説明なしに戻され、おまけにSPサイドのカバーが破れていたので、電話するとはじめから破れていましたという。

自然に破れるわけはなく、相当無理してSPを持ちあげない限り破れることは絶対ないはずだ。
(今回の修理で判明したが、裏側で2ヶ所補修テープで止めた後があったが、収縮しなかったため、たるみが生じているとのこと)

新品を購入し、まだ1年経ってないものが、自然にカバーが破れるはずがないが、確固とした原因が不明なため仕方なくほつれ破れの補修をすることになった。(補修の仕方がプロの仕事とは思えない)

これがけちの付き始めの2番目いや3番目になる。
1番は旧タイプ搬入。2番は交換したSPが翌朝にトラブル。3番はなんだか出てくる音がにごり気味、4番は点検に出すもカバー破損し戻ったこと。
点検の結果問題なしということだったが、以前音がにごり気味。

アンプのせいだということにして、アンプを探すことに専念することになった。

結果インナーサウンドのE-300というアンプを見つけ持込テストの結果、現状より数段良好だったから、購入することにした。

この結果静電型SPがダイナミックSPのように鳴ってくれることになり、音楽を選ばずに済むことにつながった。
以前より相当良くなてはいたが、あのESL-63の音は美しものとは決して言えなかったが、そうこうするうちに片方のSPの音量が少し小さいことに気づいた。

点検の結果問題なしということなので、セッティングの問題だろうと思い、バランサーで調整して聴いているうちに、今度は違う片方から、あのノイズが発生。

2001年の事、修理業者を当たるが、ハーマンはすでに撤退していて、見知らぬオーディオ販売店が修理を引き受けることを知った。

リビルト品を使うから安くできるというのでお願いすることにした。
ユニット交換料金は1つ60000万円、ESL-63は全部で4枚のユニットがあり、全て交換となると24万円プラス工賃で30万以上になる。

もう少しで新品が入手できる価格だから躊躇したが、まずは見積もりを取るためにSPを修理工場のある静岡に送ることにした。

そんなに遠くでもないから車で運ぼうとしたが、運送屋に頼んで運んでくれという。
そして両方運ぶからチェックして欲しいというと、ブツブツ音が出ている側だけで良いと、オーディオエンジニアとしては信じられないようなことを言うではないか。
何故だろうと思ったが、仕方なく運送屋に依頼するために元箱が必要となり、購入先のオーディオ店で箱を借りた。

送ってしばらくし、見積もりの連絡があり、その時電話に出て応対したのは社長という人物。
見積もり額は15万以内だから思ったよりは少額であったが、問題はその時の電話である。

オーディオ店から借りた元箱には送り状が貼られていて、送り主はハーマン、送り先には借りたオーディオ店の名前が貼ってあったのだ。(これは通常のことだ)

東京の店にいるその社長は、静岡の工房の誰かからその話を聴き、小生をてっきりオーディオ店の人間だと思い込んだらしい。

全国でおそらくトップのESL-63の実績の箱の持ち主の店に対して、よく思っていなかったのか、「売るだけ売っておいて、修理は他の業者に任せるとは・・・」と凄い剣幕で罵られてしまい、違うと何度説明しても嘘をつくなの一点張りだった。

30分以上も文句を言われ電話を切った3日後、その社長から電話があって、あの時はどうもすみませんでした、そばで聴いていた女性の事務員からたしなめられました、苦労して修理技術を会得し、資格を取得したもので、思わず興奮してしまいました・・・そんなお詫びの電話であった。

このことが静岡に伝わった・・・元は静岡からの連絡が発端だったろうから、お詫びの印なのか、ユニット3枚交換したが、2枚分の修理代を請求してきたので10数万円で良いことになった。
(最後に記述するが、ところがこれが、あってはならない凄い結果を生むことになるのだ)

修理の時に、小生はもう1台のSPも点検して欲しいというと、雑音が出rてなければ問題ないから必要なしと言われてしまい、多分忙しいからだろうとおもっていた。
使用して15年近く立つSP、両方点検したほうが良いだろうとは、誰しも考えることなのだが、この工房では必要なしという。

戻ってきた修理品と問題無の方では音質の違いが散見されたが、他の要因だと解釈していた。
しかしたまたま遊びに来たオーディオに無知な若い女性から、左右の音がだいぶ違いますね、それに音の大きさも違う・・・と言われ、やはりそうなのか、SP自体の原因ではないか、そう思い始めたが、時は流れ3年前の2009年片方からノイズが出るようになったのを切っ掛けに、修理費も更に高額になっていることもあって、ESL-63とお去らばすることにし、部屋の片隅におしやったが、どうしてもあの音が忘れられずにいたところ、偶然今回の修理工房にめぐり合ったというわけだった。

ここから本日の核心となる。
今回面倒を見てもらった工房の主人が言うには
このシリアルナンバーの機械は旧製品:すなわちSP接続が差込式のはず、それが何故バナナプラグ兼用タイプになっているのか不思議なことだというコメントがあった。

このことから推測できることは、最初搬入された旧機種が返品されたので、SP接続部分だけを交換し、ニュータイプに仕立て上げた。このためシリアルナンバーが旧タイプの番号のままになっていた。

あるいはSPの上部だけをソックリ入れ替えた可能性も否定できない。
調子がおかしいとハーマンに送ったときに、SPの下部はそのままにし、上部だけを交換した可能性があり、というのはこのSP修理交換の実績も知らされてないのに、今回の修理点検で、ユニットが2枚交換してあったことが判明し、新旧でユニットの幅が若干違うから、必ず見合ったものにしなければならないのに、規格でないものが無理やり取り付けられていて、その結果フレームが反り返っていて電極が剥がれていたということでしたから、ハーマンが実施した隠れメンテナンスと言うより機械交換したものがそういう状態の傷物であったということになる。

古い機械でろくに状態を確かめもせずに販売するという姿勢は、あり得ることだし、こっそりと交換してしまうことも十分あり得ること。新製品販売前に旧製品の在庫を何としても履きたかったのだろう。

いずれもが絶対にばれない、そう思って実施した行為、本来ならば企業生命をおびやかすほど大問題となるだろうがもう時遅し。

誰が小生等の購買者を騙す結果にしたのかは定かではないが、旧製品の在庫をなくすことが至上命令だった可能性は否定できない。
残れば永久に売れ残るか、安く買い叩かれるかどちらかで、高級外車同様高額商品であるが故に、モデルチェンジの時には苦労するようだ。

このような行為に及んだのがハーマンの営業そしてエンジニアだとすると、知見のないままにやってしまったという事になるが、この頃は・・・今でもまだソウなのだが海外製品に対するメンテ知見は相当厳しい物があったようで、ESL-63のような非ポピュラーな機械では特にそういう傾向が強かったと思われる。

音は確かに良いからオーディオを職業にしていた人間は、こぞって絶賛し、推奨したが、まさか経年で接着剤の劣化が起こりそれが主な原因で様々なトラブルが出ることなど、イfギリス本国でも情報がなかったのだろうから致し方ないことでもあった。

使用してから15年ぐらい経つとそれが起こるから、最近では富にトラブルが増えていて修理代がべらぼうだから、手放す人が多くなってきた。
オークションではまともな機械が出品された試しがなく、リビルトし、保証も有るものだと新品購入価格に近い値段がしてしまう。

因縁の話はこれで終わりだと思われるかも知れないが、更に続きがある。
先ほどのことは修理が必要なボツボツ音の出る方からのもので、中を開けて見ることによって驚くべき過去の経緯が明らかになってしまった。

一方正常と思っていたほうだが、小生が音量が少し小さいと感じていた理由がハッキリした。
このSPは静岡の工房に運んだもので、ユニット3枚交換して帰ってきたものだった。

しかし中を点検チェックしてもらうと、またもやとんでもないことが発覚したのであった。
全パネルユニット4枚中、生きているのは交換してない1枚だけで、交換した3枚は死んだ状態だという。

パネルには導電塗料を塗布するのだが、それを忘れたのか、あるいは57という別の機械のものを塗布したのか、全く導電体として機能してないから音がでない状態であったらしい。
修理交換してない1枚だけが生きていて音が出ていたから、道理で音量が小さかったわけだ。

塗装しなおしし、導電リボンを交換、更に電源ユニット交換でようやく正常な状態になったらしい。
しかしこれは明らかに手術ミスであり、訴訟されても仕方がない事例である。
小生も音が少し小さいと思っただけで、通常の3分の1しか出てなかったことは気が付かなかった。
というのはのこのSPは構造上、裏側からも音が出て、ソレが混合すると、3分の1の音量なのに少しという感覚認識となってしまったからだ。
SPが4つ有るのとほぼ同じ状態で音が混合されて聴こえてくるから、両方いっぺんに聴くと、ほんの些細な事のようにしか聴こえて来なかった。

音など感覚の世界は実に恐ろしいものだ。

修理に出したもbのが、以前より悪くなって戻ってくることは、医療の世界と同じような頻度があるかも知れない。
だからユーザーはひたすら良い医者を見つけることが必要とされる。

今回そのような過去の事実があからさまになって、これで今まで漠然と抱えていたこのSPに対するマイナスイメージが現実となり、今回それに対してできる限りの手を打っていただいた。
まだ音を聞いてないが、これで30年かかってようやくまともな音に返り咲いたのではないかと期待している。

更に今回の徹底修理メンテで、過去からまとわりついてきたこのSPの亡霊たちがいなくなる禊ができたのではないかとも期待する。
そして10年以上通電されなかった、動いていないパネルが3枚あるということは、今後のエージングの楽しみもある。

目の玉が飛び出すような修理代金を請求しながら、改悪されていたという悲劇はあってはならないことだ。
輸入代理店、販売店、メンテナンスサイド、雑誌や評論はもちろん、更にはユーザー自体が知見を持つことが必要なことと改めて認識した。

今回の総点検および修理で初めて分かったことにも仰天したが、30年経ってようやくこのSPから厄が消え禊となったたような気持ちになれた。

最初音を聞いたときに「何かおかしい」と思ったのは事実であった。
その原因も複数であることも今回でようやくわかった。

それにしても、今まで修理点検に携わった人たち、いったい何をしていたのか、機械だからまさに機械的なことしかやらなかったのか。

SPは音楽を聴くための道具という基本概念をすっかり忘れてしまったのか、実に嘆かわしい。
問題大有りのものを問題なし・・・・テスターなどで測ればすぐに判明するものをやらずに問題なしといったと推測されることなど。

思い出したのが今の家に移るとき、TV・FMアンテナ工事もあわせてお願いした。
電波状態があまりよくないと聴いていたので、業者の担当者に、結果はどうだったか訊くと、バッチリ写ってますから大丈夫ですという答え。
引越し後TV設置し、電源を入れるも雑音だけで何も映らない。
ちゃんと映ると言っていたから、アンテナは大丈夫という前提で、TVのチェックを始め様々時間を欠けてやったがダメだったので、最寄りの電気屋に来てもらうと、一発でアンテナが死んでいるとのこと。

屋根に上がってチェックすると、なんとあり得ない初歩的ミスが発覚。
同軸ケーブルが皮膜を剥がさずにそのまま接続されていた。

あり得ないことであるし、見もせずにチャント映っていると言い切った奴もやつ。
集団で猿芝居をされてしまったことがあった。(業者もまさかこんなミスが有るとは夢にも思わなかっただろう)

これからもそういう直感、熟成された感性、そして勘を大事にしていこうと強く思っている。
https://dracdrac.exblog.jp/15273611/

2012年 01月 17日 ESL-63復活

もう使うことはないだろうと諦めていたESL-63が修理を終えて無事帰ってきた。
京都は八瀬のオーディオ職人の手であらゆる問題がクリアになった。

過去の病歴までわかってしまうのはさすがに名医である。
QUADからライセンスを得たという業者の1つに10年ほど前依頼したが、個々は散々であった。

交換はされていたが交換したものが動いてないという診断で、そういえば戻ってきた後どうもおかしいので、サイド見てもらったが、問題なしで戻された経緯があったが、この時小生の耳は確かで、なにかおかしいと感じたのだったが、2度のチェックデ問題なしと言われ、他の要因があるのかとおもっていたのだった。

しかし4つ有るユニットのうち交換した3つが全く動いていないのだから、おかしいに決まっている。
業者は本当にチェックしたのだろうかと非常に疑わしい。

原因は前回修理業者の導電塗料の塗り忘れ、あるいは前任機種ESL-57の塗料を流用してしまったかどちらかのミスであるということが今回の診断で判明した。

このSPは因縁がついていたのか、その他にも修理のミスによる影響をまともに受け続けたのであった。
このあたりは前回書いたが、どうしてもまだ脳裏から消えないのでまた書いてしまった。

一番不可思議なことは、初期のモデルのシリアルナンバーであるにもかかわらず、シリアルナンバーはそのままで、マイナーチェンジサれたものになっていたということだった。
色々なことが考えられるが、これは衝撃の事実であった。

しかし今回の外科的内科的大手術で、過去の信じられないような多くの不幸な因縁も多分消えてくれたと思う。

先ほど到着し、厳重な梱包を解いてしばらく通電、3時間ほどたってから、バナナプラグ接続しようとしたが、この日のために取っておいた物が見つからず、やむなく通常接続にした。

最初の音を確認しなければならないので、切り替えスイッチを使わずに、NS-1000のケーブルを外し繋ぎかえることにした。

NS-1000の欠点はSPケーブル入力端子がプアーで、細いコードか、ターミネートしたものしか入らないことだ。

最初だからどうしても動作が慎重になる。
音楽を聞く前にしばらく通電するなんていうことは金輪際したことがないのに。

取り出したCDは最近の愛聴盤、シモーネのERAT録音でマンドリン協奏曲ヴァイオリン協奏曲集である。
2つのマンドリンの音色の違いと位置、そして奏法の若干の違い、奏者の息遣いのようなものの雰囲気が出ているかなどチェックポイントは多い。

心配事はルームチューニングをNS-1000に徹底して合わせたこと、本来ライブナ部屋だが、相当デッドになっているから、ESL-63がどのように反応するか。

後方を片付けなくてはならないが・・・

昔と少しセッティングを変えてESLのバックにカナリ余裕をもたせ、コーナーからの対角線距離1.8mを確保することにしたのと、SPの角度を鋭角にして内向きのしたこと。多分45度はある思う。
これですぐにベストポジションとは行かないのはわかっているが、調整のための基本としておかねばならない。床に目印をつけることにした。

さて初めての音はどうだったか。

弦楽器が明るい。
繊細な演奏の雰囲気がよく出ている。
音が拡散するためか、定在波の影響がない。

当たり前だが低音はNS-1000に比べ強くでない。
マンドリンの強弱の奏法がとても良く掴めるし、等身大だ。
バックのオケの弦が少しきつく思って接続を調べると逆相接続になっていて低音が拡散されたのか、中域に影響があったようだ。

接続を正規にすると落ち着いた音になった。(通常のダイナミックSPでは位相が違っても大した音の違いはなかったようだ)
CDだがLPの持つ音が出る予感が漂いそして音が消えるときの余韻がすごく出るのには驚いた。
(こういう所が静電型SPを愛好する人の共感を呼ぶのではないか)
新品同様のユニットが3つ内蔵されているので、しばらくはエージングが必要だが、そのうち更に音が変化してくると思われる。

ファーストインプレッションは非常に高いレベルの満足度である。
音圧も以前よりは相当高くなっていて、アンプのヴォリュームは2目盛ほど少なくて済むのはオドロp機だが、多分これは電源ユニットを2台ともソックリ交換したことによるのかも知れない。

また片方のSPが交換した3枚が働いてなあ買ったから、音圧が出なくて当たりませなのだが、ESL-63は後方にも音を放出するからどちらのSPが良くないのか1台づつ切り離して聴かないとわからないことと知った。

さあて、明日から調整だ。
今月末には相当素晴らしい音色を聴かせてくれることだろう。

ESL-63を久しぶりに聞いて、面白い事に気がついた。
調整してきたNS-1000の音がESL-63にかなり近い音になっていたということだ。
やはりESL-63の音が染み付いていたのだろうか。
http://dracdrac.exblog.jp/15285906/
http://dracdrac.exblog.jp/15293509/

ここでも賞賛されている QUAD ESLスピーカーの修理で定評あった京都八瀬のサウンドポイント55 の三村さんは 2019年 5月に亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/122.html#c9

[番外地9] 2020年の米国が混乱状態になることを予測し、見事に的中させた歴史学者ピーター・ターチン

革命や暴動が頻発する時期は予測できますからね:
10年前から2020年の米国が混乱状態になることを予測し、見事に的中させた歴史学者ピーター・ターチンの最新の発言を紹介したい。氏は歴史には明らかに再帰的なパターンが存在していると発表している。今後の米国抗議デモの行方と、ひいては世界経済がどう動くのかを見通す参考になるはずだ。
https://www.mag2.com/p/money/935567

ターチンは、ロシア生まれだが、1977年、父がソビエトを追放となったため、アメリカに移り住んだ人物である。現在はコネチカット州のコネチカット大学の教授で、生態学、進化生物学、人類学、数学を教えている。

1997年まで主要な研究分野は生態学であったが、現在は歴史学の研究が中心になっている。

歴史学ではこれまで、ヘーゲルやマルクスなど歴史の統一的な法則性の存在を主張する理論はあったが、そうした法則性にしたがって歴史が動いていることを証明することはできなかった。つまるところ歴史とは、それぞれ個別の背景と因果関係で起こった個々の事件の連鎖であり、そこに統一した法則性の存在を発見することはできないとするのが、現在の歴史学の通説である。

しかしターチンは、生態学と進化生物学の手法、そして非線形数学という現代数学のモデルを適用することで、歴史には明らかに再帰的なパターンが存在していることを発見した。

近代以前の帝国のパターン

そのパターンは、人口数、経済成長率、労働賃金、生活水準、支配エリートの総数などの変数の組み合わせから導かれる比較的に単純なパターンであった。ターチン教授はこれを、ローマ帝国、ピザンチン帝国、明朝などの近代以前の大農業帝国に適用し、そこには帝国の盛衰にかかわる明白なパターンが存在することを明らかにした。

詳しく書くと長くなるので要点だけを示すが、そのパターンとは次のようなものだ。

まず初期の帝国は、人口が少なく、未開拓地が多い状態から出発する。しかし、時間の経過とともに経済発展が加速すると、人口は増加し、未開拓地は減少する。それと平行して支配エリートの人口も増加する。この拡大が臨界点を越えると、帝国は分裂期に入る。

まず、人口の増加で労働力人口は急速に増加するため、労賃は下落する。さらに各人に与えられる土地も減少する。そのため、生活水準は低下し、これを背景とした社会的不満が高まる。

他方、支配エリートの数の増加は、すべての支配エリートに割り振られる国家の主要なポストの不足を引き起こす。これはエリート間のポストを巡る熾烈な権力闘争を引き起こす。この状態を放置すると、国内は支配層の権力闘争と農民の度重なる反乱により、帝国は衰退してしまう。

これを少しでも回避するためには、人口が増加した国民に十分な生活水準を保証するだけの土地を与え、また支配層には国家の十分なポストを与えることができるように、帝国を戦争を通して外延的に拡大し、新しい領地を獲得しなければならない。

だが、この外延的な拡大の勢いよりも、人口の増加と生活水準の低下、そして支配層のポストが不足するスピードが速ければ、帝国の分裂と崩壊が進む。

このようなサイクルだ。

歴史は、多様な出来事が複雑に絡み合った織物のように見えるが、実際は比較的に単純なパターンとサイクルが主導していることが明らかになった。ターチンは、こうした歴史的なサイクルが近代以前のどの帝国にも存在したことを証明し、大変に注目された。


現代アメリカの内乱のパターン
しかし、ターチンが注目されたのはこれだけではない。いまターチンは、近代以前に存在したようなパターンとサイクルが、近代的な工業国家である現代のアメリカにも適用可能であるかどうか研究している。研究は2010年に始まり暫定的な結果が発表され、大変に注目されている。

なかでももっとも注目された論文は、「平和研究ジャーナル」という専門紙に2010年に寄稿された「1780年から2010年までの合衆国における政治的不安定性のダイナミズム」という論文である。2017年4月には、この論文を元にして「不和の時代(Ages of Discord)」という本として刊行された。

この論文でターチンは、アメリカが独立間もない1780年から、2010年までの230年間に、暴動や騒乱などが発生するパターンがあるのかどうか研究した。すると、アメリカでは、農業国から近代的な工業国に移行した19世紀の後半からは、約50年の「社会的不安定性」のサイクルが存在していることが明らかになった。

暴動や騒乱が発生し、南北戦争のような本格的な戦争を除くと、アメリカで内乱が多発した時期がこれまで3つ存在した。1871年、1920年、1970年の3つである。

これをグラフ化したのが以下の画像だ。ぜひ見てもらいたい。

https://www.mag2.com/p/money/935567/2

明らかにこれらの年には、社会で見られる暴力は突出していることが分かる。

社会的不安定の原因
その原因はなんだろうか?

ターチンによると、近代の工業国家は前近代の農業帝国に比べて、経済成長のスピードが極端に速いので、人口の増加とそれによって発生する労賃の低下、生活水準の低下、エリートのポストの不足などにははるかに容易に対処することができるという。

その結果、これらの要因が深刻な社会的不安定性の原因となることは、かなり緩和される。

だが、これらの要因が近代工業国家でも作用し、社会的不安定性の背景となっていることは間違いないとしている。

アラブの春におけるエジプトの例
最近、これをもっともよく象徴しているのは「アラブの春」ではないかという。

たとえば、エジプトのような国は年5%から6%の経済成長率を維持しており、決して停滞した経済ではなかった。

しかし、出生率は2.8と非常に高く、また生活水準の上昇に伴って高等教育を受ける若者の人口が大きく増大したため、経済成長による仕事の拡大が、高等教育を受けた若者の増加スピードに追いつくことができなかった。

その結果、高い教育を受けた若年層の高い失業率が慢性化した。これが、アラブの春という激しい政治運動を引き起こす直接的な背景になった。

格差の固定と現代アメリカの不安定
これとほぼ同じような要因の組み合わせが、やはりアメリカの社会的不安定性の50年サイクルにも当てはまるとターチンは主張する。

人口数と高学歴者の数が増加していても、高い経済成長が続き、生活水準の上昇、ならびに高学歴者の雇用数が増大している限り、社会は安定しており、社会的な騒乱はめったに発生しない。どんな人間でも努力さえすれば、社会階層の上昇が期待できる状況である。

しかし反対に、格差が固定化して、政治や経済のシステムが一部の特権階級に独占された状況では、たとえ経済が成長していたとしても、社会階層の上昇は保証されない。格差とともに社会階層は固定化される。すると、たとえ高等教育を受けていたとしても、期待した仕事は得られないことになる。

このような状況が臨界点に達すると、社会的な暴力は爆発し、多くの騒乱や内乱が発生するというのだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/133.html

[近代史5] 低開発国の人間の老化が早い理由
低開発国の人間の老化が早い理由


自分は生き急いだ方がいいライフスタイルなのかどうかを先に考えて生きていく
https://blackasia.net/?p=22833


「環境が恵まれていたら、この人はもっと若々しかったはずなのに」と思ったりすることもある。しかし、彼らは環境が悪いから健康に気をつけるのではなく、逆に自ら肉体の破壊に結びつくものに突き進む。別の言い方をすると、生き急いでいるかのような方向に突き進んでいく。(鈴木傾城)


彼女たちの容姿の衰えは、日本人女性と違ってとても早い

私は東南アジア・南アジアの女性たちが大好きで、彼女たちと深く関わって今まで生きて来た。今でも彼女たちの褐色の肌を懐かしく思う。暑い部屋の中で汗に濡れた彼女たちの湿った肌の美しさは今でも私の大切な記憶だ。

私が付き合ってきた女性は社会の底辺で過酷な人生を生き延びた女性ばかりだ。恵まれた人生を送ってきた女性なんかひとりもいない。私たちが想像すらできないような過酷な人生で彼女たちの身体は傷ついてきた。

出産した女性の身体についても、そのダメージは日本女性よりも東南アジアや南アジア女性の方が大きい。

日本女性は一人目の子供を産んでも、身体のケアは万全なので、思うほど身体が経産婦《けいさんぷ》のものにならない。人によってはまったく妊娠線もなく、子供を産んだのが分からないことすらもある。

しかし、東南アジアや南アジアの女性たちは、一人目の子供の出産で大きくダメージを受けることが多い。これは女性によって個人差があるので一般化はできない話なのだが、総合的に見るとダメージの鮮明さは南方の貧しい女性の方が大きい。

老いに関してもそうだ。日本人の40代の女性はまだ若々しさを十分に保っているのだが、東南アジアや南アジアの貧しい女性たちの40代というのは老化が加速度的に進んでいて日本人女性の60代と同じレベルに見えることも多い。

彼女たちの容姿の衰えは、日本人女性と違ってとても早いことは私は20代の頃から気付いていた。

強烈な紫外線。厳しい肉体労働。脆弱な医療。絶えない生傷。栄養不良……。

彼女たちの肉体は厳しい環境でどんどん傷つけられていた。そして、寿命は日本人よりもずっと短い。だからなのだろうか。私は彼女たちの姿勢に、どこか生き急いでいるような感覚があることにも気付いている。


人生を早回しで生きようとする姿勢を持つ人がいる
タイ女性のみならず、東南アジアの女性と付き合ったことのある男はみんな一様に言うのは彼女たちがあまり先のことは考えず、常に短期的な利益や快楽をすぐに手に入れようとすることだ。

欲しいモノはすぐに買う。持っている金もすぐに使う。金がなければ借金する。多く食べ、多く楽しみ、多く施しをする。まるで明日がないかのように生きている。

貧しいフィリピン女性と結婚した日本人男性が、一ヶ月分の生活費を渡したらそれを当日には全額を欲しいモノを買って使い切ったという話も普通に聞く。

「彼女たちは欲望を我慢できない」という人もいる。そういう側面も確かにあるかもしれない。それと同時に私は彼女たちの中に「生き急ぎ」があるのではないかとも思っている。「生き急ぎ」というのは、要するに人生を早回しで生きようとする姿勢である。

私が見てきた東南アジアや南アジアの女性の過酷さと重なるのが、肉体労働に従事してきた労働者たちだ。

ドヤ街である大阪あいりん地区や、横浜の寿町や、東京の山谷で、老いた労働者が歩いている姿を見ていると、足を引きずっている人や、どこか身体を壊して背を丸めて痛みをかばいながら歩いている姿をよく見る。

身体を酷使し続けて生きてきた人たち……。そうした人たちの姿に、過酷だった彼の人生を思い描くことができる。

若い頃が過酷でも、徐々に良い環境で暮らせるようになったら身体をいたわる余裕も出てくるかもしれない。しかし、そうでないと身体は修復が効かなくなってしまう。

過酷な環境は人の身体に大きなダメージを与えるというのは、私は貧しさの中で出会う人たちを見てずっと気にしてきたことでもある。「環境が恵まれていたら、この人はもっと若々しかったはずなのに」と思ったりすることもある。

しかし、彼らは環境が悪いから健康に気をつけるのではなく、逆に自ら肉体の破壊に結びつくものに突き進む。別の言い方をすると、生き急いでいるかのような方向に突き進んでいる人が多い。具体的にはどういうことか。

身体が壊れるよりも死ぬ方が先だと思っている
たとえば、過度のアルコールに溺れる人は大勢いる。アルコールの大量摂取もまた人間の身体を大きく老化させるのは誰もが経験的に知っていることだ。

アルコールの摂取は身体の「糖化」を進める要因になっているのだが、この糖化が身体の老化を押し進める元凶となる。さらに言えば、喫煙も大きな影響がある。喫煙は身体に悪いとは言われ続けているが「だから何だ?」と取り合わない。

アンダーグラウンドに生きている男女が急激に老け込むように見えるのは、アルコールとタバコが最も大きな要因になっているのは間違いない。

アンダーグラウンドの人間はそこに恒常的な睡眠不足が加わる。この睡眠不足もまた身体を老化させる大きな要因だ。

どんなに環境的に恵まれていても、酒・タバコ・睡眠不足というライフスタイルに染まっていくと、想像以上のダメージを身体に与える。しかし、生き急いでいる人にとってはダメージなんか関係ない。

身体が壊れるよりも死ぬ方が先だと思っているからだ。

人間の身体はひとつしかない。この身体は徐々に徐々に劣化して最後にはあちこち壊れて使えなくなる。挙げ句の果てに、最後は何をどうしても完全に機能を停止する。それが死だ。どんなに身体を大切にしても、最後は身体が壊れて死に至る。

人の身体は常に良い状態を保てるわけではない。時間の経過と共に、どんなにメンテナンスをきちんとしていても劣化して壊れて死んでいく。生老病死のサイクルから逃れられた個体はひとつもない。

すべての形あるものは崩れて壊れていく。だから「諸行無常」であって「栄枯盛衰」なのである。

若さはなくなってから貴重なものであると気付く。健康は失ってから大切なものであると気付く。命は消えつつあることを自覚した瞬間から取り返せないものであったことを理解する。

もし自分の寿命が長くないと思う人は、どうするのだろうか。少なくともじっくり生きようとは思わなくなる。それよりも、楽しいこと、面白いこと、心地良いことは、どんどん経験しておこうと思う。つまり、生き急ぎがそこに発生する。

生き急いだ方がいいのに何もしていない人が多いように見える
かく言う私は、東南アジアの売春地帯にどっぷり浸っていた時、自分の寿命はもしかしたら長くないのではないかという予感にいつも怯えていた。20代から30代は健康にはかなり無頓着な状況で過ごしてきたからだ。

20代の私はアルコール、タバコ、ドラッグ、連日連夜の睡眠不足のすべてを一通りやってきた。その時期の私は確かに「どうせ人生が短いなら、今のうちにいろいろ経験しておかないと損だ」という気持ちが無意識にあったように思える。

その乱脈生活は40代から悪影響として現れた。きっかけは交通事故だった。全快するのに半年以上もかかった。

そして、その後から体力が急激に衰えていき、原因不明の倦怠感、絶え間ない頭痛、耳鳴り、めまいに苦しむようになり、突発性難聴になって聴力の半分以上を失った。今も聴力は戻らない。

慢性的に腰も痛いし、歩き続けると足の先から膝まで痛んでくる。身体のいろんなところが徐々に徐々に劣化し、壊れているのがリアルタイムで分かる。

結局、私は身体を壊すごとに悪い習慣をやめていったのだが、若い頃は生き急いでいたので健康悪化を食い止めるのはやや遅かった。そのため、健康を害したまま生きなければならない羽目に陥っている。

モノは壊れたら買いかえればいいが、肉体はそういうわけにはいかない。自分の身体は劣化したからと言って、違う身体に乗り換えることはできない。そのように考えると、自分の身体は早く劣化するのか、それとも徐々に劣化していくのかを考えておくのは悪くない。

悪い環境で生きるしかない人や、悪いライフスタイルをやめられない人は、とにかく生き急いだ方がいい。もし、身体を大切にして慎重に生きることができる人はじっくりと物事を詰めることができる時間的余裕はある。

生き急いだ方がいいのか。
じっくり生きた方がいいのか。

私から見ると、生き急いだ方がいいのに何もしていない人が多いように見える。身体はひとつしかなく、時間は巻き戻せないのでもったいないと思う。

https://blackasia.net/?p=22833
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/525.html

[近代史5] 低開発国の人間の老化が早い理由 中川隆
1. 中川隆[-6936] koaQ7Jey 2021年3月04日 10:14:33 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[10]
老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html
 

あなたは年齢よりも若く見られるだろうか。それとも、老けて見られるだろうか。

人の見かけは意外と差が大きくて、人によってまったく見た目の年齢が違ってくる。

まだ20代なのにもう30代後半のような年齢に見られたり、もう50代なのに、なぜか30代前半にしか見えない人がいる。男女共に、見た目の年齢はまったく違う。

欧米人の白人の高校生は、日本人の目から見たらすでに男も女も30代に見えるティーンエイジャーも多い。また、少女の頃は妖精のように美しかったのに、20代を超えた瞬間にもう40代にしか見えないことはしばしばだ。

インド人も見た目年齢は驚くほど老けるのが早い。あるインド女性は私に、日本人の女性は年を取っても少女に見えると言ったことがあった。

タイ女性も意外に老化が早いように見える。以前、タイで知り合った60代だと勝手に思っていた女性の年齢を聞いたら、まだ40代だったことに驚いたことがあった。

なぜ老化するのかは、諸説があって決定打はない

老化は人種によっても努力によっても、もしかしたら極端に違ってくるものなのかもしれない。その上で、個人間でもまた極端に違ってくる。

最近は20代の若年層でも、「極端」に身なりや食生活に関心を持たない若者が世界的に増えている。こういった人々は若いにも関わらず、同年代から見ると見た目は老けて見えることが多い。

老化を早めやすいライフスタイルや食生活というものは、馬鹿にできないのかもしれない。

なぜ老化するのかは、諸説がある。実はまだ科学的に解明されたわけではなく、どれも「諸説」の段階なのだそうだ。

細胞が消耗して老化するという説、ホルモンが減少して老化するという説は有名だ。

他にも、遺伝子に最初から老化を促進させるものがあるという説、有害なフリーラジカルが老化を促進させるという説と、いくつも老化メカニズムが語られている。

どのメカニズムが老化を促進させているのかは分からないが、この研究の過程で、老化を遅らせるいくつかの方法も見つかっているのだという。

たとえば、紫外線が肌を老化させることはよく知られている。

もっと分かりやすく言うと、「極端」に太陽を浴び続けるのは健康的に見えるのだが、それにも限度があって、逆に老化を早めてしまう。

同じアジア人でもインド人やタイ人が日本人よりも老化が早いと感じるのは、もしかしたら強烈な太陽をずっと浴びているせいかもしれない。

とても上品な感じがするインド女性だ。彼女は何歳なのだろうか。髪を染めていないように見受けられるが、まだ40代なのかもしれない。


人間の身体を老化させるものは、多くの要因がある

タバコも老化を促進させるとはよく言われている。また、極端に激しい運動も、老化を早める。運動しないのも老化を早めるのだが、激しい運動も老化を早めるのである。

あと、老化には「生活習慣」も非常に強く関わっていて、頭を使わない人はどんどん脳が老化し、身体を使わない人はどんどん身体が老化していくのだという。

よくよく考えてみれば、「使わない部分が退化する」というのはそれほど不思議ではない。

差が出てくるのはある程度の年齢に達したときだ。頭と身体の両方をバランス良く使っている人はどちらも退化させることなく保つことができる。頭だけの人は身体が退化し、身体だけの人は頭が退化する。

しかし、ブルーカラーの人たちよりも、ホワイトカラーの人たちのほうが統計的にも若く見られる人が多い。

このことから、老化防止には頭脳を使い続けているほうが、最終的には老化を遅らせる可能性があるとも言われている。

あと、見た目に気を配る人と、そうでない人では、圧倒的に見た目に気を配る人のほうが老化を遅らせる効果があるという。見た目をまったく構わない人は、精神活動が高くないからだとも言われている。

意外なのは、痩せている人と太っている人を比較すると、「少し」太っている人のほうが老化を遅らせるという。

もちろん、太っていると言っても程度があるのだが、「若干太め」のほうが痩せている人よりも細胞の状態がよい。しかし、体脂肪30%を超えるような人は長生きしない。

だから、太っている人は長生きできないという固定観念ができたようなのだが、全体的に見ると、痩せた人よりも少し太っている程度の人のほうが老化は遅い。

極端に太っていたり、極端に痩せていたら、それだけでどちらも老化を早めるのは間違いない。

ドラッグでどんどん人生を転落させていくリンジー・ローハン。これは彼女が23歳のときの写真だが、そのような年齢に見えるだろうか?


人生から「極端なもの」や「無理やり」を減らす

鬱病になりやすい人、極端にストレスの多い人は老化が早い。あまりのストレスは精神を破壊する。精神を破壊された人は、一気に老化する。

あと、これも程度の問題によるのだが、菜食主義者と肉食主義者では、菜食主義者のほうが老けやすいと言われている。

肉食は身体に悪いと言われているのだが、どうもそう断言できるものではないようだ。極端な菜食主義は、ほどほどに肉を食べている人よりも老化が早い。

極端なダイエットをする人間としない人間では、しない人間のほうが老化が遅い。

極端のダイエットとは、人工的に飢餓を引き起こすことだ。飢餓状態では、健康を保つことはできない。ストレスも増大し、結果として老化が促進する。

また、ダイエットではなくても、常に食事を我慢し続けている人はやはりそれがストレスになり、老化が進むという。食べたいものは食べるほうが老化は防止できる。

こういった細々としたものがすべて積み重なって、老化が早いか遅いかが決まっていくのだが、そのすべてをいちいち暗記して覚えなければならないのだろうか。

実は、覚えておかなければならないのは、ひとつだけなのかもしれない。それは、自分の人生から「極端なもの」や「無理やり」を減らすということだ。

何事も極端になればなるほど、身体や精神が追い詰められていき、それが老化を早めることになる。

しかし、皮肉なことに、人は他人よりも何かが極端であることによって、その人の個性や特技が活きてくる。

アスリートなどはその典型であると言える。極端で極度のトレーニングやストレスによって勝敗が決まってくるからだ。

その「極端」は両刃の剣だ。自分を活かすかもしれないが、自分を殺すかもしれない。自分を殺すだけの「極端」は、ないほうがいいのは間違いない。

熱帯の地でもあるにも関わらず、紫外線をしっかりと防止しているベトナム女性。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130720T0048110900.html  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/525.html#c1

[昼休み52] 老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった 中川隆
12. 中川隆[-6935] koaQ7Jey 2021年3月04日 10:19:43 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[11]
自分は生き急いだ方がいいライフスタイルなのかどうかを先に考えて生きていく
https://blackasia.net/?p=22833


「環境が恵まれていたら、この人はもっと若々しかったはずなのに」と思ったりすることもある。しかし、彼らは環境が悪いから健康に気をつけるのではなく、逆に自ら肉体の破壊に結びつくものに突き進む。別の言い方をすると、生き急いでいるかのような方向に突き進んでいく。(鈴木傾城)


彼女たちの容姿の衰えは、日本人女性と違ってとても早い

私は東南アジア・南アジアの女性たちが大好きで、彼女たちと深く関わって今まで生きて来た。今でも彼女たちの褐色の肌を懐かしく思う。暑い部屋の中で汗に濡れた彼女たちの湿った肌の美しさは今でも私の大切な記憶だ。

私が付き合ってきた女性は社会の底辺で過酷な人生を生き延びた女性ばかりだ。恵まれた人生を送ってきた女性なんかひとりもいない。私たちが想像すらできないような過酷な人生で彼女たちの身体は傷ついてきた。

出産した女性の身体についても、そのダメージは日本女性よりも東南アジアや南アジア女性の方が大きい。

日本女性は一人目の子供を産んでも、身体のケアは万全なので、思うほど身体が経産婦《けいさんぷ》のものにならない。人によってはまったく妊娠線もなく、子供を産んだのが分からないことすらもある。

しかし、東南アジアや南アジアの女性たちは、一人目の子供の出産で大きくダメージを受けることが多い。これは女性によって個人差があるので一般化はできない話なのだが、総合的に見るとダメージの鮮明さは南方の貧しい女性の方が大きい。

老いに関してもそうだ。日本人の40代の女性はまだ若々しさを十分に保っているのだが、東南アジアや南アジアの貧しい女性たちの40代というのは老化が加速度的に進んでいて日本人女性の60代と同じレベルに見えることも多い。

彼女たちの容姿の衰えは、日本人女性と違ってとても早いことは私は20代の頃から気付いていた。

強烈な紫外線。厳しい肉体労働。脆弱な医療。絶えない生傷。栄養不良……。

彼女たちの肉体は厳しい環境でどんどん傷つけられていた。そして、寿命は日本人よりもずっと短い。だからなのだろうか。私は彼女たちの姿勢に、どこか生き急いでいるような感覚があることにも気付いている。


人生を早回しで生きようとする姿勢を持つ人がいる
タイ女性のみならず、東南アジアの女性と付き合ったことのある男はみんな一様に言うのは彼女たちがあまり先のことは考えず、常に短期的な利益や快楽をすぐに手に入れようとすることだ。

欲しいモノはすぐに買う。持っている金もすぐに使う。金がなければ借金する。多く食べ、多く楽しみ、多く施しをする。まるで明日がないかのように生きている。

貧しいフィリピン女性と結婚した日本人男性が、一ヶ月分の生活費を渡したらそれを当日には全額を欲しいモノを買って使い切ったという話も普通に聞く。

「彼女たちは欲望を我慢できない」という人もいる。そういう側面も確かにあるかもしれない。それと同時に私は彼女たちの中に「生き急ぎ」があるのではないかとも思っている。「生き急ぎ」というのは、要するに人生を早回しで生きようとする姿勢である。

私が見てきた東南アジアや南アジアの女性の過酷さと重なるのが、肉体労働に従事してきた労働者たちだ。

ドヤ街である大阪あいりん地区や、横浜の寿町や、東京の山谷で、老いた労働者が歩いている姿を見ていると、足を引きずっている人や、どこか身体を壊して背を丸めて痛みをかばいながら歩いている姿をよく見る。

身体を酷使し続けて生きてきた人たち……。そうした人たちの姿に、過酷だった彼の人生を思い描くことができる。

若い頃が過酷でも、徐々に良い環境で暮らせるようになったら身体をいたわる余裕も出てくるかもしれない。しかし、そうでないと身体は修復が効かなくなってしまう。

過酷な環境は人の身体に大きなダメージを与えるというのは、私は貧しさの中で出会う人たちを見てずっと気にしてきたことでもある。「環境が恵まれていたら、この人はもっと若々しかったはずなのに」と思ったりすることもある。

しかし、彼らは環境が悪いから健康に気をつけるのではなく、逆に自ら肉体の破壊に結びつくものに突き進む。別の言い方をすると、生き急いでいるかのような方向に突き進んでいる人が多い。具体的にはどういうことか。

身体が壊れるよりも死ぬ方が先だと思っている
たとえば、過度のアルコールに溺れる人は大勢いる。アルコールの大量摂取もまた人間の身体を大きく老化させるのは誰もが経験的に知っていることだ。

アルコールの摂取は身体の「糖化」を進める要因になっているのだが、この糖化が身体の老化を押し進める元凶となる。さらに言えば、喫煙も大きな影響がある。喫煙は身体に悪いとは言われ続けているが「だから何だ?」と取り合わない。

アンダーグラウンドに生きている男女が急激に老け込むように見えるのは、アルコールとタバコが最も大きな要因になっているのは間違いない。

アンダーグラウンドの人間はそこに恒常的な睡眠不足が加わる。この睡眠不足もまた身体を老化させる大きな要因だ。

どんなに環境的に恵まれていても、酒・タバコ・睡眠不足というライフスタイルに染まっていくと、想像以上のダメージを身体に与える。しかし、生き急いでいる人にとってはダメージなんか関係ない。

身体が壊れるよりも死ぬ方が先だと思っているからだ。

人間の身体はひとつしかない。この身体は徐々に徐々に劣化して最後にはあちこち壊れて使えなくなる。挙げ句の果てに、最後は何をどうしても完全に機能を停止する。それが死だ。どんなに身体を大切にしても、最後は身体が壊れて死に至る。

人の身体は常に良い状態を保てるわけではない。時間の経過と共に、どんなにメンテナンスをきちんとしていても劣化して壊れて死んでいく。生老病死のサイクルから逃れられた個体はひとつもない。

すべての形あるものは崩れて壊れていく。だから「諸行無常」であって「栄枯盛衰」なのである。

若さはなくなってから貴重なものであると気付く。健康は失ってから大切なものであると気付く。命は消えつつあることを自覚した瞬間から取り返せないものであったことを理解する。

もし自分の寿命が長くないと思う人は、どうするのだろうか。少なくともじっくり生きようとは思わなくなる。それよりも、楽しいこと、面白いこと、心地良いことは、どんどん経験しておこうと思う。つまり、生き急ぎがそこに発生する。

生き急いだ方がいいのに何もしていない人が多いように見える
かく言う私は、東南アジアの売春地帯にどっぷり浸っていた時、自分の寿命はもしかしたら長くないのではないかという予感にいつも怯えていた。20代から30代は健康にはかなり無頓着な状況で過ごしてきたからだ。

20代の私はアルコール、タバコ、ドラッグ、連日連夜の睡眠不足のすべてを一通りやってきた。その時期の私は確かに「どうせ人生が短いなら、今のうちにいろいろ経験しておかないと損だ」という気持ちが無意識にあったように思える。

その乱脈生活は40代から悪影響として現れた。きっかけは交通事故だった。全快するのに半年以上もかかった。

そして、その後から体力が急激に衰えていき、原因不明の倦怠感、絶え間ない頭痛、耳鳴り、めまいに苦しむようになり、突発性難聴になって聴力の半分以上を失った。今も聴力は戻らない。

慢性的に腰も痛いし、歩き続けると足の先から膝まで痛んでくる。身体のいろんなところが徐々に徐々に劣化し、壊れているのがリアルタイムで分かる。

結局、私は身体を壊すごとに悪い習慣をやめていったのだが、若い頃は生き急いでいたので健康悪化を食い止めるのはやや遅かった。そのため、健康を害したまま生きなければならない羽目に陥っている。

モノは壊れたら買いかえればいいが、肉体はそういうわけにはいかない。自分の身体は劣化したからと言って、違う身体に乗り換えることはできない。そのように考えると、自分の身体は早く劣化するのか、それとも徐々に劣化していくのかを考えておくのは悪くない。

悪い環境で生きるしかない人や、悪いライフスタイルをやめられない人は、とにかく生き急いだ方がいい。もし、身体を大切にして慎重に生きることができる人はじっくりと物事を詰めることができる時間的余裕はある。

生き急いだ方がいいのか。
じっくり生きた方がいいのか。

私から見ると、生き急いだ方がいいのに何もしていない人が多いように見える。身体はひとつしかなく、時間は巻き戻せないのでもったいないと思う。

https://blackasia.net/?p=22833
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html#c12

[近代史5] 低開発国の人間の老化が早い理由 中川隆
2. 中川隆[-6934] koaQ7Jey 2021年3月04日 10:27:52 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[12]
甘いものを沢山とる人ほど老化が早い (zeraniumのブログ) 
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/790.html
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-5dfc.html


  長年にわたり私たちは、チョコレートや甘いものが肌に悪影響を及ぼすことは聞いていました。しかし最近の研究で、砂糖やクイックカーボの摂取がニキビやシワを増やし、皮膚を老化させていることが明らかになりました。これまでの皮膚科の医師は食べ物の影響を認めない他の医師と同じように、食べ物がニキビの原因であることを認めることはありませんでした。きちんと洗顔して皮脂をとり、ニキビ用の基礎化粧品でケアしてさえいれば、きれいな肌になると信じられてきたのです。

   ニキビと食事の関係について調査したパイオニアが、コロラド州立大学のローレン・コーディン教授です。彼は20年以上にわたり、加工食品があまり浸透していない世界各地のさまざまな地域に出向き、現地人の食事とその健康に及ぼす影響を調査してきました。こうした骨の折れる研究から得られた驚くべき結論は、砂糖や砂糖のように高度に精製されたカーボがニキビを発生させるというものでした。しかも彼が訪れたどの地域の調査からも同じ結論が得られたのです。

   この画期的な結果は、2002年に「ニキビは西洋文明の病気である」というタイトルの論文として発表され、世界から大きな注目を集めました。ニキビは西洋文明以外ではあまり見られないという驚くべき結果は、チョコレートや甘いものの愛好家からはかなり激しく批判されました。コーディン教授や他の科学者の研究結果は、食事の影響を認めない皮膚科の主流派と真っ向から対立することになりました。(略)

   しかし食事が直接また間接的に、ニキビを引き起こすという有力な証拠はいくつもあります。一般的に、ポリネシア人や南アメリカのインディオが故郷を離れて都会に移住し、砂糖や高度に精製されたカーボの多い現代人の食事をするようになると、ニキビができるのです。同じことが、イヌイットが西洋食を食べても起きています。

 栄養状態の悪い人ほど老化が早い

   あなたが食事から砂糖やクイックカーボを取り除くと、ニキビの問題は解決することができますが、実はそれ以上にアンチエイジング効果があるのです。70歳以上の高齢者を対象に、食べ物が肌の状態を改善することが報告されています。それによると砂糖の少ない栄養豊富な食事をすると、シワが減り、肌がしなやかになるというのです。

   つまり肌のシワは食べ物から来ているのです。
   野菜やオリーブ油、魚などの健康によい油を食べた群は、日光に当ってもシワが少なかったのです。それとは対照的に、精白されたパンや乳製品、コーラやバター、マーガリン、甘いお菓子、赤肉を中心に食べた群はシワが多かったのです。

   別の研究では、リンゴと茶を摂取すると、シワが34%減少していました。
   「毎日1個リンゴを食べると医者いらず」ということわざがありますが、リンゴは健康にとてもよいのです。すでに皮膚科の医者は、糖尿病患者はそうでない人に比べ、老化しやすく、皮膚の障害が起きやすいことに気づいています。糖尿病を長く患うとシミやシワが足や前腕、太ももにできるだけでなく、顔や手足が赤くなりやすいのです。

   こういった老化現象が早く現れるのは糖尿病患者だけとは限りません。
   血糖値がやや高めの人(前糖尿病)や、血糖値の低い人(低血糖症)もまた老化が加速するのです。つまり言い換えるなら、血糖値のコントロールがうまくいかないと、肌に老化が現れ、本来の年齢よりも年寄りに見えるということです。ですから栄養状態の悪い人ほど、シワが多くなるのです。

 過剰な砂糖がシミやシワをつくる

   ではどのようにして過剰な砂糖が肌のシミやシワを増やすのでしょうか?
   まず、甘いものや砂糖のクイックカーボを沢山食べると、高血糖になります。それが血液中にブドウ糖が過剰にある状態です。この過剰なブドウ糖がタンパク質とドッキングするのです。これを糖化と呼んでいます。もしあなたが意識せずに毎日、チョコレートや餅菓子、ケーキやジュースなどの甘いものを口にしており、コーラを2〜3杯飲み続けるなら、糖化によって細胞が茶色になってしまいます。これがシミです。食べ物を長く保存しておくと変色し、硬くなりますが、これも糖化が原因です。

   肌が滑らかでしなやかなのは、その成分であるコラーゲンと言うタンパク質のおかげです。コラーゲンは互いに滑るために肌に柔軟性を持たせます。コラーゲンが糖化すると、柔らかくしなやかなはずの肌が硬くなり、ゴワゴワになります。しかし硬くなるのは皮膚だけではありません。関節や血管も硬くなり、関節痛や腎臓病、心臓病、脳卒中など多くの健康問題を引き起こします。長年にわたって甘いものばかり食べていると、血糖値が慢性的に高くなり、過剰のブドウ糖がタンパク質とドッキングします。これをAGE(終末糖化産物)と呼んでいます。つまり老化を促進するのは、AGEの蓄積なのです。

 皮膚を老化させる活性酸素

   しかし皮膚を老化させるのは、ニキビと糖化だけではありません。
   それは酸素に由来する、有毒物質である活性酸素が老化を進めるのです。物質を構成する結合は2個の電子が対になっていると安定しますが、活性酸素には対になっていない電子が1個あります。この状態をフリーラジカルといいます。フリーラジカルはとても化学反応しやすいのです。つまり抗血糖になると、このフリーラジカルの活性酸素が大量に発生し、コラーゲンを破壊します。コラーゲンが壊れると、皮膚の表面にシワが現れるのです。

   しかし人体とは不思議なもので、コラーゲンは再構築されます。
   それは年齢に関係なく、皮膚は28日ごとに再生を始めるのです。しかしながら皮膚のダメージが大きいほど修復は難しくなるだけでなく、時間もかかります。皮膚の老化を遅らせるためには、活性酸素の生産量を減らし、コラーゲンへのダメージを最小限にとどめればよいことになります。そして活性酸素の生産量を減らすには、甘いものを食べるのをやめ、高血糖になるのを防ぐことです。またコラーゲンの再構築を助けることもできます。コラーゲンのもとになるタンパク質を積極的に食べると同時に、コラーゲンを作るビタミンCを毎日2〜6g摂取することです。

 砂糖が引き起こす炎症

   甘いものや砂糖のように高度に精製されたカーボは、もうひとつの方法で皮膚にダメージを与えます。それが、全身に起きる炎症です。炎症とは何でしょうか? ふつう炎症といえば怪我をしたときに皮膚が腫れて赤くなり、熱を持ち、痛くなることを言います。風邪を引いて病院で診察を受け、「喉が赤く腫れています。炎症が起きています」などと言われるのが、身近な炎症の例です。

   つまり簡単にいうと、炎症は体の火事のようなもので、皮膚だけでなく、脳にも血管にもそれぞれの臓器にも起きるのです。この炎症が全身を老化させるのですが、その炎症を促進させるのが、砂糖なのです。たとえば、皮膚細胞を培養し、そこに2〜3滴の砂糖水を注ぐと、1時間以内に炎症性物質が10倍に増えるのです。

   もしあなたが甘いものをたくさん食べて、高血糖でインスリンの効果が低下する状態を選ぶなら、あなたの全身は炎症状態になります。体には脂肪がつき、元気が出ず、細胞の活力が不足し、ニキビも出て、性的欲求も低く、人生の楽しみを実感できず、おまけに肌にはたくさんのシワという状態になります。

   あなたは何を食べるかによって自分の生き方を決めることができます。
   それほどに私たちが何を口に入れるかは重要なことなのです。そして私たちが思っている以上に、脳と皮膚も密接な関係にあります。脳に良い食べ物はどんなものでも皮膚を美しくします。タンパク質とオメガ3が豊富で砂糖の少ない食事をすることで、顔も皮膚も美しくなります。

   ポイントは、インスリンの感受性を回復することです。
   食事を変えるならば、数週間のうちにインスリン感受性を高めることができます。ですからあなたの老化のスピードは、あなたの体がどのようにインスリンに反応するかで決まるのです。甘いものを食べることをやめるならば、エステやビューティサロンへ行くよりもはるかに効果的です。あなたが口から体に入れるものが、あなたの容姿を決めます。砂糖やクイックカーボをやめた人の皮膚は美しく、顔はシャープになります。あなたの美と賢さは食べるもので決まります。

   米国低血糖症支援協会の創立者ロベルタ・ラッギエーロはこう言っています。
  「甘いものをやめて数週間のうちに、皮膚が柔らかくなり、しなやかになりました。これは大きな驚きでした。これまでさまざまなスキンクリームを試しましたが、食事から甘いものを取り除いた効果にはとうてい及びません」


        「砂糖をやめればうつにならない」 生田 哲著 角川oneテーマ21

                          抜粋
        


砂糖を摂っているのに気付かないだけ:

ノンオイルドレッシングはサラダに砂糖を掛けて食べるようなもの

ポン酢醤油は果汁がほとんど入っておらず味も香りも化学物質で作る

 

 
■ノンオイルドレッシングは油の代わりに果糖ぶどう糖液糖が主体

油脂の摂り過ぎから、「ノンオイルドレッシング」に替えた方も多いのではないでしょうか?

ヘルシー・健康的と思いきや、


「ノンオイルドレッシング青じそ」はノンオイルでも、中身を糖類に代えただけなのです。家庭で使われている、様々なノンオイルドレッシングのラベルを見て下さい。最も多い原材料は、果糖ぶどう糖液糖です。
油脂を使わないことの物足りなさを、糖類でカバーしているのです。これでは、まるでサラダに砂糖を掛けて食べているようなものです。ノンオイルであっても、ノンヘルシーではないでしょうか?


一方、ごま風味ドレッシングは、胡麻や胡麻油を使っていても同じく糖類が主役です。


「冷しゃぶドレッシングごまみそ」は、糖類(還元水あめ・砂糖)みそ…の順。


「ごま搾り香りのドレッシング」も、果糖ぶどう糖液糖・胡麻油と続きます。原材料の多い順に表示しなくてはならないので、やはり糖類が主体になっています。


何もご存じない消費者は、甘味が強いドレッシングばかり買ってしまいます。メーカーがノンオイル・胡麻などの健康さを売り物にしても、所詮、真剣に健康を考えている訳ではないのです。最近は、消費者に段々こういう実態が分ってきて、表示を見て最初に糖類が書かれているものは避けましょう。


 
■豆腐や鍋料理は健康でもケミカルポンズはやめよう

よし分かった!さっぱりとした「ポン酢」(ポン酢醤油)に切り替えようとしても、悪あがきです。

ポン酢の成分も、醤油の次が果糖ぶどう糖液糖なのです。

製品イメージに騙されてポン酢は果汁がたっぷりと思っても、ほとんど入っていません。その証拠に、柚子・かぼす醤油などを暑い時期にテーブルに置き放しでも腐りません。果汁が表示されている製品は、ポーズとしてホンの少々入れているだけに過ぎません。

実際の香り風味は、アスコルビン酸などの食品添加物(化学物質)で酸味を付け香料を加えたもので、いかにも柚子が沢山入っているように思わせます。そして、アミノ酸などの調味料を加えます。防腐剤も、しっかり入っています。

このように天然果汁と思えても、ほとんどが化学物質〜食品添加物で作られているものばかりです。もちろん一部の地方メーカーの製品は、醤油のあとに果汁(かぼす・ゆず)・醸造酢…と続く良識ある品もあります。しかしスーパーなどで安くすぐ手に入るものは、間違いなく化学物質が液体になった製品です。

“自然さ”がない調味料は、できる限り摂る量(回数)を減らしましょう。私(ブログ者)は、いつも「ノンドレッシング」です。何も掛けないでサラダを食べるのが、一番美味しく感じます。
http://okd-galaxy.blog.ocn.ne.jp/familydayori/2009/10/post_05af-58.html

砂糖考〔1〕

おいらが料理の世界に入る前と後で、まったく逆転しちゃったのが砂糖に対する考え方です。

ガキの時分にゃ甘い物が大好きだったもんですわ。
わた飴やどら焼き、人工甘味料や着色料でドギツイ色した菓子やジュースにまで目が眩んだりしてましたねぇ。小遣いの無い時は、水飴舐めたり、ともかく甘いもんに餓えてました。

板前になっても最初のうちは、何も考えず上白糖の一キロ袋をガバガバ鍋に放り込んでましたね。疑問は無かった。

ある日大先輩の板前がこんな事言ったんですよ

「日本料理は吉宗公が砂糖を奨励しだした頃から狂ちゃった」

意味が分からねぇんで
「どうしてですか?」訊ねたんです
そしたら

「お前、砂糖なしの煮物食ったことあるか?」

おいら「いや、そんなもん食えませんよ」

そう答えたら

「だろうな」

「世の中、おまえみたいな料理人しかいなくなるんだろうな」

その人は高齢だったんで、それからすぐに引退して居なくなったんですが、何故かその言葉が頭から離れませんでした。

暫らくしておいらの仲間が病気で入院したんですよ、20代前半で健康そのものだってのに。郷里から親まで飛んできて、なんと危篤状態にまでなっちまった。病名は【糖尿病性ケトアシドーシス】

この時からおいらは、料理と砂糖の因果関係に関心が深まりました。

この友達はね、一日に缶コーヒーを5〜6本、その他に清涼飲料水一リットルを飲んでました。毎日です。『ペットボトル症候群』だったんですよ。

人が1日に必要とする糖分は20g〜40g。こいつが飲んでたドリンクを計算してみたら、一日それだけで約200g強。ドリンクだからピンときませんが、コーヒーのスティックシュガーだと、なんと100本分。

おいらは空恐ろしくなりました。自分のしてる仕事がです。
一斗鍋に上白糖を10キロぶち込んで作った料理を当たり前の様にお客に出してる世界。

その後色々考えた挙句、和食をもっと習いたくて、関西で修行する為、店をあがりました。
http://temaeitamae.2-d.jp/top/t1/d/3.html


 すき焼き、肉じゃが…。日本料理の味付けに、砂糖は不可欠。

ところがフランス料理やイタリア料理では、料理に直接砂糖を使うことはほとんどない。欧米型の料理からすると、料理に砂糖やみりんなどのダイレクトな甘みを多用する日本料理は、非常に独特な料理体系に映るのだとか。

フランス料理の巨匠、上島シェフも

「いわゆる和食の、魚を甘辛く炊くという味付けは、フランス料理にはあまりない領域なんです」

と興味津々である。今回はそんな、誰にでも馴染みがありながら実は奥深い、和食の甘み付けがテーマである。

 このテーマに

「砂糖もみりんも両方使うから、一皿で片がつく」

と村田さんが選んでくれたのは、鯛のアラ炊き。まず下処理にさっと鯛の頭を熱湯にくぐらせ、ぬめりやわずかな血を丁寧に落とす。村田さんが言うには

「日本料理の甘み付けで大事なのは、砂糖とみりんだけやない。日本酒を煮詰めた時の、旨みを伴う甘みも大事なんや。普通のワインはいくら煮詰めても、甘くならんやろ」。

そして出てきたのは、3種類の日本酒。すべて純米酒なのだが、通常の清酒以外に、麹や米の量を通常より多く使って仕込む回数を増やす琥珀色の三段仕込酒、五段仕込酒が出た。旨みやコクは歴然と、酒の色の濃さに比例する。この酒のブレンドが、煮炊き物の味を大きく左右するのだ。

 この日は、上島シェフが濃いめの仕上がりをリクエストしたため、清酒:三段仕込酒:五段仕込酒=3:2:2。計1Lの日本酒に、大さじ1.5杯の砂糖と、濃い口醤油約150ccを入れ、落とし蓋。終始強火で鯛を炊いていく。砂糖は

「純粋なグラニュー糖が一番。和三盆? あれは不純物多くてだめ」

と村田さん。上島さんが

「意外に砂糖の量が少ないですね」

と尋ねると、

「うちの鯛は、いい鯛だからこの量で充分。養殖もんとか、古なった鯛なら、もっと砂糖が要る。煮炊き物は、プロなら、レシピ通りにやったって絶対だめ。ひとつ一つ、目の前の素材に応じた炊き方せんとあかんのや」

と喝破した。
(左)使う砂糖は少なめ。

「10年後、20年後の日本料理は、今よりもっと砂糖の使用量は減るはず」

と村田さん。(右)落し蓋をして終始強火で炊くのも、アラ炊きのポイント。

(左)日本酒などの煮汁が、約半分になったところで、最後の味を決める。(右)純米酒3種。色の濃いものほどコクが強い。

 さらに、砂糖とみりんの使い分けのポイントを尋ねると

「砂糖の甘みは、いつまでも口にベタッと残る。逆にみりん、特にうちの店で使うような上モノのみりんは、甘みのキレがいい。だから料理にどっちの要素がほしいかで砂糖とみりんの比率を決めるんよ」

と村田さん。ただ、みりんには身を縮める作用がある。だからすき焼きには砂糖。逆に素材からみりんの作用で水分を抜いて締めて、保存を良くする料理もある。みりん干しなんかはその典型という。立て板に水を流すような、理路整然たる説明に、一同舌を巻いた。

 そうしているうちに、いよいよ日本酒が煮詰まり、完成間近。ここでやっとみりんの出番。大さじ1.5杯を入れ、さっとひと煮立ちしたら、すぐに火を止め、柚子をのせて完成。鯛に臭みがないので、ゴボウも不要である。完成品を試食した上島シェフは「甘さのキレの良さがすごいですね」とまず驚嘆。村田さんは

「それは砂糖が主役ではなく、日本酒とみりんの甘みを補足する程度の少量しか使っていないからや」

と解説する。続けて上島さん、

「ワインや果実を煮詰めたソースとは、甘みの質がまるで違う。上質のみりんは、デザートに活用しても面白いかもしれないですね」

と、イメージが膨らんだ。
(左)『菊乃井』のみりんは、そのままロックで食後酒として飲めるほどの滋味とキレのいい甘みが特徴。醸造元は『白扇酒造』。(右)照りを付けるため、みりんは完成直前に加える。先に入れるのは身が固くなるので厳禁。

 しかし村田さんの徹底した探求は、伝統の踏襲だけでは終わらない。なんと

「アラ炊きを含め、日本料理は、これからはフレンチみたいにもっと酸味を活用したらいい。例えばこうやって」

と、完成したアラ炊きに、突然大さじ1杯の酢をふりかけ、煮汁とかき混ぜて一同、再試食。すかさず上島さん、

「ごく少量の酢で、劇的に甘みが引き締まりましたね! 甘みのキレの良さも一気に良くなりました!」

と目を丸くした。村田さん曰く

「酢の代わりに、フレンチみたいに、煮詰めた赤ワインで酸味を加えてもいい。このひと手間で、アラ炊きが現代の世界標準の味になると思うな。流通技術が向上して、良い素材が容易に手に入ると、料理に使う砂糖の量はどんどん減るやろな。もちろん、昔ながらのアラ炊きは、過去への郷愁としてはええけど。上島さんなら"世界を唸らせる日本発フレンチ"の武器として、みりんなんかも活用できるんじゃないの」。

とエールを贈ってくれた。

 アラ炊き一皿から、世界標準の旨みの探求と開拓まで視野に。村田さんの静かな挑戦と革新は、ますます熱さを増しているようだ。
http://www.amakaratecho.jp/propro/0909/


とりあえず、お寿司に使う寿司酢は砂糖をドバドバ入れてるから、お寿司だけは絶対に食べないでね。

寿司飯に砂糖を入れるワケ


江戸前寿司といえば、にぎり寿司のことで、関西の寿司は、もともとは押し寿司やバラ寿司が中心だった。江戸前寿司と関西寿司は、それぞれ別個に発展してきたもので、作り方はもちろん、寿司飯の味つけからして異なっている。
 
 江戸(東京)では、戦前まで、砂糖は使わず、塩と食酢だけで寿司飯を作っていた。そのほうが、ネタである魚の味が際立つからである。その時代、江戸では、江戸前(東京湾)の新鮮な魚が手に入ったので、魚の味を引き立てることが、もっとも重要とされたのだ。

  一方、関西では、砂糖を米の10%も入れる。甘口にすると、米が固くなりにくく、殺菌効果も期待できる。関西では、祭りやお祝いなどの前日に寿司を作って、家族で食べたり、客にふるまうことが多かったから、ひと晩おいても大丈夫なように、雑菌の繁殖を抑えることが必要だったのだ。

 ところが、戦後のなると、江戸前寿司でも、寿司飯に砂糖を加えるようになった。戦後の食糧難に、甘味に対する飢餓に近い状況から砂糖が使われ始めたのである。その後は、米の質が低下し、砂糖を使わなければ、味が保てなくなった。
 とりわけ、人工乾燥させた米は、吸収力が弱く、酢をふりかけても十分には吸わない。そこで砂糖の保水力を利用して、米に酢を吸収させているのである。

 また、砂糖を加えると、寿司飯にツヤが出て、輝きが出るという効果も生じる。単に砂糖を溶かしただけではツヤは出ないが、合わせ酢を作るとき、砂糖を溶けやすくするため加熱すると、飴のようなつやが生まれ、輝きのある寿司飯になるのだ。

 ちなみに、江戸前寿司が全国に広まったのは、関東大震災がきっかけだった。職場を失った寿司職人たちが、故郷に帰るなど、全国に散らばって店を開いたためである。
http://blog.livedoor.jp/oobaka1/archives/51431817.html


寿司酢に含まれる砂糖の量は?

回転すしチェーンのくら寿司が好きでよく行くんだけど、そういえば寿司酢って白砂糖けっこう入ってるんじゃとこの前思い当たったので(自分で寿司酢を作ったことなかったので盲点だった)くら寿司にどれくらい入ってるか問い合わせてみたのだけど、 企業秘密なんだって〜〜〜

でもメニューのたっぷりマンゴーには砂糖等の添加はしてないらしいので良かった(たっぷりマンゴー好きでよく食べるから)


というわけで自分で寿司酢について調べてみた

米一合を炊くと   340g
寿司一貫の酢飯  20g
寿司飯一合に含まれる砂糖の量 15g

ここから計算すると

寿司10貫分の寿司飯に含まれる上白糖の量は約大さじ1


ちなみに上白糖大さじ1は9g


成人の一日の砂糖摂取上限量はネットで調べるとばらつきがあるものの
10gや20gという記述が多い
http://ameblo.jp/pomukotu/entry-10950156278.html

〜現代人は砂糖を摂りすぎている〜

精製された砂糖は人間に必要な栄養素であるたんぱく質もビタミンやミネラル類もゼロに近い無意味なカロリーだけの食品です。

こここ20年間の砂糖の消費量は、国民一人当たり、年間15kgから30kgへと倍増し、私たちの健康を蝕む食品として「甘い麻薬」と呼ばれ、最も減らしたい商品の一つとなっています。

日本人が一日に摂取してもいい砂糖の量は体重1kgに対して1gといわれています。

しかし40代を超えると男女とも30g程度が適量といわれています。

食品に含まれる砂糖の量

品名 容量 砂糖の量

清涼飲料水 250ml 20〜40g
菓子パン類 1個 15〜20g
チョコレート 38g 15〜20g
アイスクリーム 1個 15〜20g
甘納豆 100g 50〜60g
塩せんべい 100g 20〜40g
カステラ 100g 20〜40g
ドーナッツ 100g 15〜30g

天丼 1杯 5〜7g
カレーライス 1皿 5〜6g
http://arigataya2003.ehoh.net/satou.htm

うどん・そば、煮物すき焼き、肉じゃが、お寿司、天ぷら、カレーライスはすべて NG ですね。


おいしいうどんのつゆの作り方おしえてください。


ベスト回答

材料
味醂 ・・・ 180cc
砂糖(三温糖) ・・・ 150g
醤油 ・・・ 1000CC

味醂と砂糖を煮溶かし砂糖が溶けてあわ立ってきたら醤油を少しづつ入れます。
これが泡だって煮立ったら火を止め2、3日以上置きます。(冷暗所保存)
これは煮物等にも使えますし、冷蔵保存では2、3ヶ月以上持ちます。

次に出汁です。
鍋に水を張り昆布を入れておきます。
30分以上置いてから火をつけ煮たつ直前に昆布を取り出し、
たっぷりの鰹節をいれすぐに火を止めます。
鰹節が沈んだら濾して前述の汁とあわせます。
濃さはお好みでどうぞ。

本職のかたは厚い鰹節を使い2、30分煮込むそうですが
我が家では花削りを使っています。
出汁のほうですが少し濃い目に作れば冷凍庫でキューブに凍らせていつでも使えますよ。
http://sooda.jp/qa/2672

美味しいそうめんつゆの作り方


そうめんつゆの材料(4人前)

・母ゆずり濃口・・1/2カップ 

・みりん・・1/2カップ 

・砂糖・・小さじ2杯 

・水・・2カップ ・かつお節・・3パック


そうめんつゆの作り方

1.鍋にみりんを入れ、火にかけ軽く沸騰させてアルコール分をとばします。
2.濃口しょうゆを加え、みりんと砂糖を入れなじませます。
3.次に水を加え、よく混ぜ合わせ沸騰させます。
4.かつお節を鍋に入れ、鍋を揺らしてつゆとなじませます。
5.沸騰してきたら、しっかりアクを取り、濁らないようになるべく
かき混ぜないでかつお節を煮出していきます。
6.乾いたボウルにふきんをかけて十分にだしが出たつゆをこします。
こした後のふきんはだしが濁るので絞りこまないこと!後はボールごと冷やせば出来上がり。


鹿児島のそうめんつゆは甘口なので、砂糖はお好みでどうぞ!
http://www.110mama.com/recipes/item/122/catid/17


こういう訳で そうめん、うどん、そば は食べない方がいいですね。
タレントや俳優やマスコミに出る人がに早死が多いのは外食して糖分を摂る量が多いからなのですね。

食事は家庭で一汁一菜が正しいのですね。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/525.html#c2

[近代史5] 低開発国の人間の老化が早い理由 中川隆
3. 中川隆[-6933] koaQ7Jey 2021年3月04日 10:29:37 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[13]
がん死亡率ワースト…やってはいけない青森県の不健康習慣 5 : 2015年11月18日


がん死亡率11年連続で1位の青森県。その原因になっている生活習慣はなんなのか?そこで青森県出身の記者ならではの視点で、何げなくやっている習慣をあげてみると、専門家から次々に指摘が!そんな、やってはいけない青森県の不健康習慣を紹介。

 

【朝からスープ一気飲み!ラーメン大好きな県民性】

とにかく青森県民はラーメンが大好き。県庁所在地を調査した総務省の『家計調査』(’13年)では、青森市が中華めんとカップめんの購入数量全国1位に。また、朝からラーメン店は、サラリーマンや主婦で満席。スープはほとんどの人が飲み干す。

 

「ラーメンのスープの塩分が気がかりですね。スープを最後まで飲み干すと、日本人の1日食塩平均摂取量11gの半分近く取ることに。がんや生活習慣病にとっていいはずがありません」(白澤抗加齢医学研究所所長・白澤卓二医師)

 

【病院に行くのが遅い】

「青森県のがんの発症率は全国平均とさほど変わりません。がん検診率も同じく、とりわけ低いワケではありません。それなのに、がん死亡率が高い。その要因のひとつは、転移もなく治療が期待できる『早期発見率』が43.6%の全国平均に比べて10ポイント近く下回っていることです。つまり、医療機関を受診したときには、症状がかなり進行した状態の人が多いのです。今後は、受診する機会を早めていく対策が求められています」(弘前大学医学部附属病院・松坂方士准教授)

 

【やめられない禁断の味。焼き魚に醤油ドバドバ〜】

青森市内の食堂では、焼き魚に醤油をドバドバかけ、真っ黒になった焼き魚でご飯をかっ込む人を多く見かける。

 

「青森県では脳卒中で亡くなられる方が多く、県を挙げての減塩運動をした結果、塩分摂取量は11.7gにまで減り、全国2位から15位に。それでも全国平均よりも高いので、県では塩分摂取量1日8gを目標として、塩分の代わりに県産食材でダシをとる“ダシ活”に力をいれています」(青森県庁のがん・生活習慣病対策課の嶋谷嘉英課長)

 

【日本一ソーセージを愛する人々】

実は、青森は一世帯当たりのソーセージの購入数量も全国トップ。ソーセージといえば、先ごろ、WHO(世界保健機関)がソーセージやハムなどの肉の加工食品を過剰に摂取すると、がんのリスクを18%高めるという調査結果を発表したばかり。

 

「共働きが多く、手軽に作れる加工品が好まれる土地柄です。総菜も揚げ物や肉類が多く脂っこいものが特徴です」(対策課の嶋谷課長)

 

【スナックで、ウイスキーを飲むのがたしなみ】

ソーセージと並んで意外なのが、ウイスキーの購入額も日本一の県だということ。

 

「ウイスキーはアルコール度数も高く、水割りやソーダ割りにすることでがぶ飲みしてしまうお酒。どうせならポリフェノールが豊富な赤ワインに切り替えたほうが見栄えもよくて健康的」(白澤医師)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/525.html#c3

[近代史5] 低開発国の人間の老化が早い理由 中川隆
4. 中川隆[-6932] koaQ7Jey 2021年3月04日 10:30:13 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[14]
「運動は体に良いと言ったな。あれは嘘だ。」 高須賀 2017/8/22

運動は身体によいと思っている人もいるだろう。実はそれは真っ赤な嘘だ。


スポーツ健康法は幻想だ。データ上でも、激しい運動を行ったスポーツ選手の寿命は、一般的な寿命と比較して6〜10年ほど短いとされている。人生が80年と仮定すれば、スポーツマンはなんと一般人よりも一割も寿命が短いのである。

「それは極端な運動を行っている人の場合であって、ほどほどに運動している人は健康なんじゃないの?」

そう思う人もいるだろう。しかし残念ながら現実はそう簡単ではない。

データの上では、最も平均寿命が長いとされている人達は東洋の僧侶だ。彼らの生活の特徴は、激しい運動はせずに一日中座ってお経を唱えた生活を行い、かつ食生活は質素だという事があげられる。

この東洋の僧侶を現代の「適度な運動」をしているという人達と比較すると、あくまで傾向ではあるが長寿だという。

スポーツは体にわるい―酸素毒とストレスの生物学 (カッパ・サイエンス)
光文社 発売日1992/11
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AF%E4%BD%93%E3%81%AB%E3%82%8F%E3%82%8B%E3%81%84%E2%80%95%E9%85%B8%E7%B4%A0%E6%AF%92%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E9%82%A6%E5%BD%A6/dp/4334060706?SubscriptionId=AKIAJJXNSRE3ZQJGHHRQ&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4334060706


実はかなり前から判明しているのだが大規模なデータを分析した結果、人間の寿命にもっとも作用するのは運動量と食習慣だという事がわかっている。他にもいろいろな要素はあるのだけど、この2つが最も人の寿命を左右する。

この2つの組み合わせのうち、最も健康で長生きなのは運動量が少なく・食事量も少ないグループだ。

ちなみに最も短命なのは、よく動き・よく食べる人である。一般的には健康だと思われている彼らだが、実は検討上は最も短命な軍に所属しているという事がわかっている。

ハチも過労死する。

この運動量と寿命の関係は、人間のみならず他のほとんどの動物でも影響がみられる事がわかっている。有名なのはミツバチの過労死である。

このミツハチの過労死のエピソードは以下のような事例により明らかとなった。

ハウス栽培農家では、受粉作業の効率化の為にミツバチを用いる事がある。

もともと自然界でミツバチは、蜜を集めるという行為の過程で体中に花粉がまとわりつくようになっており、この事で雌しべから雄しべに花粉を効率よく運ぶという役割を副次的にではあるが遂行している。

まったく自然というのは実にうまくできているものである。この作業をハウス栽培という人口で作られた環境で行わせることで、植物の受粉作業を極めて円滑に行う事ができるというわけだ。

当然だけど、普通の農家はミツバチなんて所有していない。蜂蜜製造業者である、養蜂家から、受粉の作業の時期にだけミツバチをレンタルして、この受粉作業をミツバチに代行させるのである。

この作業が行われていた当初の頃、養蜂家も「まあ減るもんじゃないし、一時的にミツバチを貸しても構わないだろう」と好意的にミツバチのレンタルをしていたそうである。

だが徐々に養蜂家の間で「農家にミツバチを貸し出すと、ミツバチが早死にする」という事が経験則として蓄積されていき、だんだんとミツバチ・レンタルを渋るようになっていったのである。

「どういうわけだがわからないが、ハウス栽培場に送り込まれたミツバチは早死するらしい」

この事が広く知れわたるにつれ、ミツバチの早死現象は極めて関心深い現象として専門家の間で話題となった。原因について様々な憶測がされたのだが、最終的に導き出された結論は1つだった。過労である。

人だけでなく、ミツバチも過労死するのだ。

実はミツバチに限らず、自然界でも動きすぎによる身体破壊の問題はかなり広範にみられる。

例えばチーターは非常に早いスピードで走れる事が知られているが、その高負荷により年老いた個体はかなりの割合で関節に問題を抱えている事が多い事が知られている。運動で膝を悪くするのも、人間だけの特権?ではないのだ。

激しい運動は、人間だけでなく、全ての生物にとって毒なのである。

寿命に大きく影響するのは運動量、食事量、睡眠時間の3つ

では長寿に最も何が関係するのかが気になる人もいるだろう。一応、科学的に大切だといわれているのは、これまで話した運動量以外に2つわかっている。食事量と睡眠時間である。

先にも少し書いたが、食事量は多いよりも少ないほうがよいといわれている。特に大切だと言われているのが炭水化物の摂取量だ。

これは実は先行研究がされている。東大の医学部を卒業し東北大学で教鞭を取られていた近藤 正二 氏は、長寿者の多い村と少ない村との衛生学的比較調査研究の為に、日本全国くまなく、990カ町村以上を歩き続け、現地探訪の記録をまとめ上げられている。

その研究は著書である<日本の長寿村・短命村―緑黄野菜・海藻・大豆の食習慣が決める>に詳しいのだけど、端的にいうと、塩辛いものを食べて炭水化物をどか食いするタイプの人が多い村は、その他のグループと比較して著しく寿命が短かったのである。

昨今糖質制限ダイエットがブームだが、その理論の骨子となるような事例は近藤正ニ氏によりかなり詳細に調べられている。少々古い本だが、ぜひ図書館で借りるなどして読むとよいだろう。素晴らしい名著である。

他にも睡眠時間も結構重要なファクターだ。僕らの医療業界でも、外科系の医師はその他の医療従業者と比較して、寿命が10年程度短くなるといわれている。

これは長時間勤務の問題もあるが、それに加えて夜中の緊急呼び出しなどという、睡眠時間が不規則になる傾向が左右しているという風に一般的には理解されている。

その他にも速報を扱う事の多い就労時間の不安定な新聞記者等のマスコミ関係者も、定時で終了するような就労時間が安定した職についている人と比較すると、かなり寿命が短い傾向にあるらしい。

作家の佐々木俊尚さんによると、新聞社の社会部に所属する記者の平均睡眠時間は2時間で、死亡平均年齢は61.3歳だという。なんと日本人の平均寿命よりも10年以上も短い。

<参考 職業で寿命が決まる!? 新聞記者時代の睡眠事情【ジャーナリスト・佐々木俊尚】>

やっぱり規則正しい睡眠は最高の妙薬であり、寝ないのは駄目なのである。

こうして眺めてみると、健康で長生きな生活をおくるにあたって特別な機材や習慣は必要ない事がわかるだろう。

あなたがどういう風な人生を選びたいかにもよるけども、これら3つのパラメータを自分や子供の人生に適切に運用するように考えるのは、悪くはないだろう。

まとめると食事は炭水化物をあまり多く取りすぎず、激しい運動をあまり行わず、しっかり寝て身体にストレスをあまり与えないような生活をするのが、いまのところの長寿最適解である。

結局のところ多くの場合において病気を引き込むのは自分の選んだ生活習慣なのである。我々の業界ではよく予防は治療に勝るというけども、まさに上に書いた生活習慣こそが至上の人生戦略といえるだろう。しっかり参考にして欲しい。
http://blog.tinect.jp/?p=42446
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/525.html#c4

[近代史5] 低開発国の人間の老化が早い理由 中川隆
5. 中川隆[-6931] koaQ7Jey 2021年3月04日 10:31:44 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[15]
長生きするには温泉が一番

男性で国内最高齢の足寄町、野中正造さん(111)は、雌阿寒岳のふもとで約100年続く旅館「野中温泉」を支えてきた。足腰が衰えて車いす生活になった今も、時折温泉につかって体を温め、寒い冬を元気に過ごしている。

 野中さんは1905年7月25日生まれ。父増次郎さん(故人)は富山県から足寄町に入植し、13年に野中温泉を開湯した。長男の野中さんが経営を引き継いだが、温泉旅館だけでは生活できず、畑作や林業もしながら一家を支えた。

 現在は孫の祐子さんが旅館経営を引き継ぎ、ともに暮らす。猫3匹と犬2匹にも囲まれ、穏やかな日々だ。


十勝毎日新聞社ニュース
111歳 足寄の野中さん 男性国内最高齢に 2016年12月15日 14時01分


国内最高齢の男性となった野中さん。日課として新聞に目を通す(野中温泉別館で)

 足寄町茂足寄在住で、道内最高齢の野中正造(まさぞう)さん(111)が、国内最高齢の男性になったことが15日分かった。厚生労働省によると、これまで最高齢だった男性(112)が死去し、野中さんが男性長寿日本一となった。

 野中さんは1905(明治38)年7月25日生まれ。町内の野中温泉の創業者益次郎さんとキヨさんの長男として町上利別で生まれた。長年、畑作と兼業で同温泉を切り盛りしてきた。現在は同温泉で家族と暮らしている。道内では2013年から4年連続で男性最高齢になっている。

 厚労省によると、これまで男性最高齢だった東京都の吉田正光さんが10月29日、112歳で死去。都から同省に今月14日になって連絡があり、111歳の野中さんが最高齢になった。

 1日3回の食事をきちんと取り、新聞も毎日読むという野中さんは「長生きは温泉のおかげ。今後も時折湯につかり、元気に暮らしていきたい」と話した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0

野中温泉
http://www.minkoku.com/yado/top.php?yado_id=7
http://www.jiyujin.co.jp/onsen/onsen.html?hotel_id=264

北海道足寄郡足寄町茂足寄159
電話: 0156-29-7321


山の宿 野中温泉 - ホーム Facebook
https://ja-jp.facebook.com/Nonakaonsen/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/525.html#c5

[近代史4] 中国共産党の暴力と脅迫をスルーする大手マスコミ
中国共産党の暴力と脅迫をスルーする大手マスコミ


03-04 中国社会のリアルのスルーする大手マスコミ
2021/03/04




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1563.html

[近代史3] EUの大変化と本性を露呈したメルケル
川口マーン惠美〜EUの大変化と本性を露呈したメルケル [桜R3/3/4]






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1046.html

[近代史5] オランダ・ドイツ・オーストリアの歴史と現代史 中川隆
15. 中川隆[-6930] koaQ7Jey 2021年3月04日 11:37:38 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[16]
EUの大変化と本性を露呈したメルケル
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1046.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/475.html#c15
[近代史5] テレビ・新聞による情報操作と Google・Appl・Facebook・Amazon による検閲・言論統制に歯止めがかからない 中川隆
8. 中川隆[-6929] koaQ7Jey 2021年3月04日 12:24:11 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[17]
2021.03.04
コービン前英労働党首に続き、露国に対する英外務省の偽情報工作が発覚
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103040000/


 ジョー・バイデン政権はロシア、中国、イランといった国々に対する「超限戦」を強化しているが、イギリスも歩調を合わせている。そのイギリス外務省による情報操作プロジェクト「CDMD(対偽情報メディア開発)」に関する文書を​アノニマスと名乗るハッカー集団が2月18日に公表​したのだ。

 2015年秋に創設された「インテグリティ・イニシアチブ」にイギリス外務省は資金を提供、2015年9月から20年4月まで労働党の党首を務めたジェレミー・コービンを攻撃している。今回明らかにされたCDMDのターゲットはロシアだ。

 CDMDは広告会社を経由してロシアの反政府メディアを支援、ロシアの体制転覆を目指す一方、東ヨーロッパや中央アジアにおけるロシアの影響力を弱めることを目的としている。この工作で重要な役割を果たしているとして名前が挙がっている有力メディアはロイターとBBCだ。

 現在、アメリカやイギリスはEUを巻き込み、アレクセイ・ナワリヌイなる傀儡を利用してロシアに対するプロパガンダを展開しているが、ここでも「ノビチョク(初心者)」なる神経ガスが出てくる。その毒性は別の神経ガスVXの10倍だと宣伝されている。VXガスの毒性はサリンの数百倍だとされている。つまりサリンの数千倍という猛毒。サリンの恐ろしさは日本でも経験済みだ。

 このノビチョクという名称が登場したのは2018年3月のこと。GRU(ロシア軍の情報機関)の元大佐で、1995年にイギリスの情報機関MI6に雇われ、99年に退役するまでイギリスのスパイとして働いていた人物。そうした事実が退役後に発覚、2004年12月にロシアで逮捕された。2006年に懲役13年が言い渡されたものの、10年7月にスパイ交換で釈放され、それからはソールズベリーで生活していた。イギリスにとってもロシアにとっても「過去の人」だった。

 ところが、MI6の元スパイは娘のユリア・スクリパリと一緒にイギリスのソールズベリーで2018年3月にノビチョクで攻撃されたことになっている。この猛毒が使われたにもかかわらず、親子は死んでいない。ナワリヌイも死んではいない。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、CIAは第2次世界大戦が終わって間もないころに「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトが始められている。

 CIAが有力メディアをコントロールしている実態は1970年代から指摘されていた。例えば、ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したことで有名なカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。

 その記事によると、記事が出るまでの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 ジャーナリストのデボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』もCIAによるメディア支配の一端を明らかにしている。彼女によると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃にアメリカでは「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしている。そのプロジェクトを指揮していたのは4人で、第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979)

 ダレスはOSSやCIAに君臨していたウォール街の弁護士、ウィズナーはダレスの側近で、やはりウォール街の弁護士。ヘルムズもダレスの側近で、国際決済銀行初代頭取の孫。グラハムの妻、キャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主として有名だが、その父親は世界銀行の初代総裁である。

 また、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だった​ウド・ウルフコテ​は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出し、世界各国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。ウルフコテは2017年1月、56歳の若さで心臓発作のために死亡した。

 アメリカとイギリスは2003年3月にイラクを先制攻撃しているが、その前に両国政府はイラクが大量破壊兵器を保有、今にも核兵器を使うかのようなことを宣伝していたが、これは真っ赤な嘘だった。両国の情報機関は緊密な関係にある。そもそもCIAや前身であるOSSはイギリスの情報機関MI6のアドバイスで創設されているが、その背後には両国の巨大金融資本が存在していた。

 アメリカとイギリスの配下にはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドがあるが、この3カ国より米英に近いのはイスラエルだ。そのイスラエルが主導して1982年9月にレバノンのパレスチナ難民キャンプ、サブラとシャティーラで住民が虐殺されている。

 ベイルートのキリスト教勢力、ファランジスト党のメンバーがイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧、その際に数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われている。この虐殺を受け、イギリス労働党の内部でもイスラエルの責任を問う声が大きくなり、イスラエルを無条件に擁護するアメリカとの関係を見直すべきだとする意見も強まった。

 そこでアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)だ。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが目的だが、その特徴のひとつは少なからぬメディアの記者や編集者が参加していたことにある。そしてイスラエルをスポンサーにするトニー・ブレアが首相になった。

 アメリカとイギリスは現在、ロシアと並んで中国を攻撃している。対中国で重要な場所はいくつかあるが、海では東シナ海から南シナ海、陸では新疆ウイグル自治区だろう。香港の反政府運動でもそうだったが、ウイグルの問題でも信頼度の低い情報を西側の有力メディアが大々的に宣伝していることは本ブログでも指摘してきた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103040000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/513.html#c8

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
77. 中川隆[-6928] koaQ7Jey 2021年3月04日 13:57:58 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[18]
GOODMANS AXIOM80 [オーディオ]
名器GOODMANS AXIOM80です。
https://takoyakiongaku.blog.ss-blog.jp/2008-04-03

コーンのエッジを糸で吊ってある珍しいタイプのスピーカーです。私はこのスピーカーが欲しかったのですが買えませんでした。GOODMANS AXIOM80MKUというエッジは普通のゴムになったものを使用しています。バスレフのボックスに入れてあります。

AXIOM80MKUは20cmダブルコーン型で能率は96dBありますので小出力の真空管アンプでも朗々と鳴ります。

AXIOM80MKUはインターネットで調べても出てきません。ある意味AXIOM80より希少価値かもしれません。

コメント 10

☆ほし
私もAXIOM80 mkUを持ってますよ。1980年頃の購入です。
by ☆ほし (2012-08-20 21:19)

たこやきおやじ
✩ほし さんはじめまして。(^^;

私はたしか秋葉原のキムラ無線だったと思います。
✩ほしさんは、どちらで購入されたのですか。
アンプはどの様なものをお使いですか。


by たこやきおやじ (2012-08-24 13:17)

☆ほし
購入は、確かラジカン(ラジオ会館)の4階にあったキムラ無線と記憶してます。在庫処分品で、かなり安かったと思いました。
この製品、箱の白色塗料の劣化が早いように思います。5~6年でざらざらしてきました。
アンプは、初めは2A3pp、後に6CA10ppで、今でも現役です。
by ☆ほし (2012-08-27 20:39)

たこやきおやじ
✩さん

やはりそうでしたか。同じですね。(^^;
6CA10ppは珍しいですね、ラックス製ですか、自作ですか。
by たこやきおやじ (2012-08-28 14:09)

☆ほし
たこやきおやじ さん

キムラ無線の店員の話では、AXIOM80と80MK2とでは音の傾向はかなり異なって、MK2のほうがjazz向き(現代的な音?)と言ってたように思いました。
それにしてもMK2、ネットで検索しても殆どhitしませんね。詳しい特性や仕様は?です。

6CA10ppは自作です。LuxKitは、プリアンプを作ったことがあります。型番は3032だったような。
by ☆ほし (2012-08-29 10:28)

たこやきおやじ
✩ほし さん

私も、特性や仕様は見た記憶があるようなないような、はっきりしたことはわかりません。(^^;

何向きということは考えず、ただGOODMANの名前に憑かれて買ったような気がします。(^^;
by たこやきおやじ (2012-08-29 12:59)

☆ほし
私の場合は、ちょうど在庫処理で格安だったので、GOODMANも面白いかなと思って買いました。

このMKUのユニットは、AXIOM 8と言うらしいですね。Axiettaの後継製品との書き込みがどこかのサイトにあるのを見た覚えがあります。
MKUは、箱を日本のどこかのメーカーで作って組み合わせたとか。
それにしてもAXIOM80と紛らわしい!

VT-52シングルで鳴らそうと思って部品集めをしたのですが、未だに未完成です。シャーシ加工の途中で引っ越しをし、未だにそのままになってます。
前段が6C8で、トランス結合の予定でした。
by ☆ほし (2012-08-31 14:09)

たこやきおやじ
✩ほし さん

私も多分その頃だと思います。
だいぶ前ですが、遊びで作った6BX7シングルで聞いていた頃がありました。
PPアンプより繊細でリアルな音に聞こえた記憶があります。タンノイのDEVON
を修理した暁には、GOODMANはシングル専用にしようと思っています。
by たこやきおやじ (2012-09-02 14:17)

☆ほし
AxiettaではなくてAxietteの間違いでした。

ヤフオクにつぎのような出品がありました。
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d129977032

私も6BX7シングルで聴いてたときがありました。東芝の6GA4は、6BX7のユニットの片側だとか。

DEVON、お持ちでしたか。私もメインに使ってましたが、エッジがダメになってしまい、修理しようかと考えてます。
TEACでは修理してくれるのかな?
by ☆ほし (2012-09-02 21:48)

たこやきおやじ
✩ほし さん

DEVONは一応修理キットごと譲ってもらったのですが、シンナーで劣化したエッジを剥がしたりでけっこう大変なので、今のところ修理は躊躇しています。
(^^;
by たこやきおやじ (2012-09-04 13:40)

https://takoyakiongaku.blog.ss-blog.jp/2008-04-03
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c77

[近代史4] 黒沢清 CURE キュア(大映 1997年) 中川隆
3. 中川隆[-6927] koaQ7Jey 2021年3月04日 14:22:12 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[19]
CURE キュアのあらすじ(1997年 黒沢清)
2014年8月26日 KAZU
http://e-zanzo.com/519.html

刑事の高部(役所広司)は事件現場のホテルに向かっていた。

現場に着くとすでに検証は始まっていた。被害者は女性、ベッドに仰向けの状態ですでに息は無かった。

容疑者の男はホテル内ですぐに見つかった。手口は刃物を使った特異なもので、被害者の首スジにはX字の大きな切り傷があった。今回の件で同様の手口の事件はここ2ヶ月で3件目になる。

しかし、犯行に及んだ人間はそれぞれ別人で接点は見つかっていなかった。

高部の友人で精神科医の佐久間(うじきつよし)は、取調べ中の容疑者をビデオで見て特に異常はないと言った。佐久間の見立ては犯行はただ魔が差しただけで手口の一致もただの偶然というものだが、高部は納得できず途方にくれた。

そんな高部にはもう1つ心配事があった。妻の文江(中川安奈)が精神を病んでいたのだ。彼女は佐久間が紹介してくれた病院に通っていたが、病状はまだ改善していなかった。

その後も同じ手口の事件が頻発し、ついにそれは警察内でも起きた。年配の警官が同じ派出所に勤務する部下の頭を撃ったのだ。撃たれた警官の首スジには、やはりX字の切り傷が付いていた。

催眠術が悪用された可能性を考えた高部は、取調べに佐久間を同席させた。

年配警官に注意深く犯行動機を聞きだす高部、その途中で佐久間が割って入った。佐久間は自分が精神科医であることを告げると、点滅するペンライトを年配警官の顔に近づけて質問した。

「何か光るものを見た覚えはありますか?」

年配警官はそれを否定したが、なぜか佐久間の持っているペンライトから顔をそむけた。

その反応に違和感を感じた高部は、犯行前に誰かと会っているはずだと迫った。すると、年配警官は入り口に立っていた若い警官にゆっくりと近づき、その身体の上をペンでX字になぞったのだ。年配警官の表情はぼんやりしていて、その行動の意味を佐久間に聞かれてもうまく説明できなかった。


その後も同様の事件は収まらず、休む暇のない高部に部下から連絡が入った。年配警官が犯行前に会っていたと見られる人物がとある病院で見つかったというのだ。

高部はその病院に急行し倉庫の暗がりでその男(萩原聖人)を発見した。20代後半のその男は署で高部に尋問されたが、話の途中で「あんた誰だ?」などと言い要領を得ない答えを繰り返した。そして、自分の写真を見せられてもそれが誰だか判らないようだった。

その後の調べで、男が「間宮」という名前で精神科の医大生であることが分かった。そして、高部は間宮の自宅を捜索し、メスマーという18世紀の催眠法考案者についての文献とそれをテーマにした間宮の論文を発見した。バスルームには磔になった猿のミイラがあった。

その帰り道、高部は文江の幻覚を見た。彼女は自宅の天井から首に巻いたロープ一本でぶら下がっていた。

一方、佐久間は間宮を精神病とみなし病院に移送してしまった。佐久間は間宮の危険性を感じていて、高部にこれ以上間宮と話をさせないという意図もあった。しかし、それを知った高部は憤り、佐久間の警告を無視して間宮のいる病院へと向かった……
http://e-zanzo.com/519.html

CURE キュアの解説(1997年 黒沢清)
2014年8月6日 KAZU
http://e-zanzo.com/179.html

 この作品は残酷なシーンのあるサスペンス・スリラーです。しかし、黒沢清のスタイリッシュな映画的文法によってつかみどころのない心理的な恐怖を見るものに植えつける、邦画の中でも稀有な作品となっています。

 この作品の見どころは高部刑事役の役所広司と間宮を演じる萩原聖人、この二人の迫真の演技です。高部刑事は取り調べで間宮に対して高圧的な態度に出ますが、プライベートでは妻が精神病を患っていて大きな悩みを抱えています。間宮はそこを巧みに利用し催眠術で自分の世界に引きずり込もうとします。役所と萩原の鬼気迫る対決は作品全体に異様な緊迫感を与えています。

 また、後半は現実の風景と心象風景が交差し、映画の中の立ち位置が曖昧になっていきます。観客は自分が間宮の暗示に掛かってしまったかのような不安な状態に置かれます。

 人の心を熟知している催眠術に長けた人物が、普通の人間を次々に狂わせていく恐ろしい世界を黒沢は独自の映像感覚で描いています。ラストは底の見えないゾッとするような結末が待っています。

■作品のモチーフ
 黒沢は作品を企画するにあたって、犯人を異常者として扱うものはたくさんあるが、ごく普通の人間が猟奇的な事件の実行犯になるといったものはまだ存在していないと思っていました。

 テレビニュースでも容疑者の過去の良い人ぶりが、関係者の「まさか、あの人が…」などの証言と共によく伝えられます。ところが、メディアは最終的に犯人は善人の仮面を被っていたと結論付ける場合がほとんどです。

 しかし、黒沢は元々普通だった人間が突然異常な行動をするというのが正しいと考えました。

 そして、『羊たちの沈黙』(91年 米)を見てある男が催眠術で普通の人間を狂わせて事件を起こすという話の骨格が生まれました。当初のタイトルは「伝道師」でした。……この後の CURE キュアの解説2 では、この作品のさらに詳しい内容に迫ります。
http://e-zanzo.com/179.html


CURE キュアの解説2(1997年 黒沢清)
2014年10月28日 KAZU
http://e-zanzo.com/1176.html

CURE キュア の解説からの続きです

▲ネタバレを含みます

■黒沢が目指したリアルな表現とは?
 黒沢がこの作品でこだわったのが日常の中で起きる非日常的な出来事をどのように表現するのか、という点でした。

 例えば、スマートフォンで街の風景を撮影していたらたまたま近くで交通事故が起きて、その様子が写ってしまったとしましょう。

 その映像は間違いなく人の関心を引きつけます。なぜなら、そこには現実に起きた決定的瞬間が写っているからです。

 このような映像は当然ですが編集が無くワンカットです。もし、これが映画であればさまざまな編集をほどこしてもっと迫力のあるシーンにすることができます。

 しかし、その一方で編集という行為によってそれが現実に起きたという確信が揺らぎ、映像の持つ説得力は弱まります。

 黒沢は映画の中の決定的なシーンを編集無しのワンカットで見せることに強いこだわりを持っていました。黒沢は著書の中でこう語っています。

“考えれば考えるほど、決定的なワンカットを撮るのは大変なんです。…(中略)…ある監督に才能があるかどうか、下手すると作品の冒頭一分で判断できてしまうぐらいで、この、あるカットのワンカット性というものは、物語や俳優の演技などとは違ったところで、映画の質を決定づけてしまいます。”
(黒沢清『黒沢清の映画術』新潮社、2006、p.145)

“ワンカット性の根拠を、最も単純なレベルで挙げてみれば、映画が本当にその場で起こったことを捉えるメディアだからということがあります。”
(同書 p.146)

“映画は原理的に、動く写真とは全然違うもので、空間と時間の両方を写し、かつてそこに確実にあったということを伝達するメディアなんです。”
(同書 p.146)


■文江を殺したのは誰か?
 映画の終盤で高部刑事の妻文江の身体が病院内を台車で運ばれている短いショットがあります。このとき、文江には意識が無く首筋にはX字の裂け目。これは誰の仕業なのか映画の中でははっきりしません。

 しかし、文江の存在から一番大きなストレスを受けていたのは映画で描かれていたように夫である高部刑事。この殺害が誰の手によるものであってもその動機の源泉はすでに間宮と深く関わっていた高部刑事以外は考えづらいと思います。

 結局、この病院内の異常事態を示した短いショットは、間宮亡きあとも催眠による被害が広がり続けていることだけを観客に伝えます。
 
 一方、『CURE』公開の年に出版された小説、黒沢清著『キュア』(徳間書店)には文江が殺害される場面があります。文江が病院内の公園で夫に首をナイフで刺されるのです。その描写は精神病者である文江の視点で書かれていて白昼夢のような感じです。刺されたあと文江は自分は覚めることのない深い眠りについたと言っています。

 映画も小説も黒沢の手によるものですが、双方の見せ方の違いは興味深いところです。

■高部刑事はラストで何になったのか?
 当初の脚本のラストは高部刑事が間宮を殺したあと海辺に現れて女子高生の横で「ここどこ」と呟くというものでした。

 しかし、黒沢は間宮を自ら葬った高部刑事が間宮と同じような存在になるのも変だと考えて、高部刑事を間宮より<グレードアップ>させることにしたのです。

 それは間宮が記憶喪失だったのとは違い、高部刑事は自分が誰なのかはっきりと認識がありながら間宮と同じようなことをするというものです。

 それを示したのが最後のファミレスでの高部刑事の言動とその後のウエイトレスの行動です。

■ラストシーンは大幅にカットされていた
『CURE』のラストは高部刑事と言葉を交わしたウエイトレスが店の奥でナイフを手にしたところで突然終わります。これは黒沢の大胆な編集の結果です。

 本来はこのあとウエイトレスが同僚をナイフで刺し、その身体を処理するシーンが延々と続いていたのです。

 編集カット後のラストシーンはウエイトレスがナイフを持っているところがチラッと写っているだけで、このあと何が起きるのか観客が理解できるギリギリの表現になりました。

 この判断ついて黒沢は著書の中でこう語っています。

“映画の頭から、ワンカットで急に人を殺すシーンが何度も出てくるんで、最後もきっと何かあるだろうと観客も注意して見てくれることを期待しました。”
(黒沢清『黒沢清の映画術』新潮社 2006年 p.187)

 黒沢はこの編集によってそれまで描いてきた「日常が非日常に変わる瞬間」そのものを省略し、あとは観客の想像力に委ねたのです。

 そして、もう一つ注目したいのがウエイトレスがナイフを手にする前です。タバコを吸う高部刑事の横顔から画面奥のウエイトレスにゆっくりとカメラの焦点が合っていくところです。ここで高部刑事とウエイトレスの間に「客と店員」以外の関係性がすでに構築されていることが表現されています(その引き金はタバコの火であると解釈することもできます)。間宮のときは催眠をかける側とかけられる側の関係がしっかり描かれていましたが、高部刑事の場合はたったこれだけです。

 黒沢は必要最低限の描写で間宮よりさらに強力で得体の知れない人間の誕生を示唆しました。

■メスマーとは?
フランツ・アントン・メスメル

 間宮の書いた論文にでてくるメスマーをネットで調べてみると実在の人物でした。

 ウィキペディアによると主に18世紀に活躍したドイツ人の医師で、フランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer 1734-1815)。
 彼は患者に鉄を調合した薬を飲ませたり、体に磁石を貼り付けたりして病状の改善を図っていました。メスメルは病状が改善したのは磁石だけが原因ではなく、人間が本来持っている「動物磁気」のせいだと考えました。
 その後、「動物磁気」はメスメリズム (mesmerism) と呼ばれるようになり、ジェームズ・ブライド(1795-1860)が発明した催眠術の元になったと言われています。

■『邪教』と伯楽陶二郎について
 この映画にはもう1人謎の人物が登場します。間宮の部屋にあった『邪教』という本に記載されている伯楽陶二郎です。この人物に関しては上述の小説版『キュア』に詳細が書かれています。精神科の佐久間真教授が高部刑事を自宅に呼んで伯楽陶二郎についての調査内容を話す場面があるのです。その部分を参考までに要約してみました。

 伯楽陶二郎(はくらくとうじろう)は明治時代に存在した精神医療グループ「気流の会」のリーダー。明治政府の依頼で作られた危険思想集団をリスト化した文献『邪教』に「気流の会」の名前がある。
 彼らは人間の精神を“流れ”と捉えていた。催眠暗示は彼らの思想の根底をなす現象だった。
「気流の会」は明治政府の弾圧を受け解散に追い込まれた。しかし、彼らは地下にもぐり活動を続け、弾圧に対する憎悪をつのらせ邪教化し布教活動を開始。彼らは活動拠点となる療養所を富山県の奥穂高岳に建設した。しかし、ここも1897年に警察の摘発を受け全員逮捕されたが伯楽の行方はわからない。
 それから1年後の1898年に富山県在住の村川スズが自分の息子の首筋を十文字に切り裂く事件が起きた。
 間宮は催眠やメスマーの研究をする過程で「気流の会」の伯楽が残した教典に辿り着いたのではないか。

 つまり、事件は100年前に存在したカルト集団が発端となっていたということですね。

■東京国際映画祭への出品
『CURE』は制作会社である大映社長の徳間康快が当時「東京国際映画祭」のゼネラル・プロデューサーを務めていた関係で、97年の同映画祭にコンペ部門で正式に出品されました。主演の役所広司は最優秀男優賞を獲得しました。

 11月6日の『CURE』の記者会見場は満員になり、映画祭の公式記録によると監督と出演者は次のようにコメントしています。

●「ネガティブな精神状態の時にネガティブな役をやることになり、撮影前は<どこ>に連れて行かれるかわからない不安があった」(萩原聖人)

●「監督が見つけてきた妙な場所で、隠れていたずらをしてるみたいだった」(うじきつよし)

●「もう元には引き返せない、日常とは違うレベルに達する男の物語」(黒沢清)

●「ストレスの固まりだった男がストレスのない人間になる。監督の言葉を借りれば〈怪物の出来上がり〉」(役所広司)

 この映画祭ではフランスの映画批評家ジャン=ミシェル・フロドンが『CURE』を鑑賞していました。その内容に驚いたフロドンは、帰国すると早速フランスのル・モンド紙で『CURE』を大きく取り上げました。この出来事は黒沢の海外進出のきっかけになりました。

 その後、黒沢の他の作品(『蛇の道』『蜘蛛の瞳』『地獄の警備員』『ニンゲン合格』など)も欧州でたびたび紹介されるようになり、新たに発見された現代作家として認められるようになりました。
http://e-zanzo.com/1176.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1029.html#c3

[番外地9] 菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり…ジェームズ斉藤が暴露 中川隆
1. 中川隆[-6926] koaQ7Jey 2021年3月04日 14:53:00 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[20]
自民党と日本の官僚、外務省、天皇一族は中国共産党の傀儡なんだよ:
──菅さんって一見地味な方ですが、実際どういう人なんですか?

ジェームズ はっきり言えば怖いですよ。まず、彼のお父さんの菅和三郎さんですけど、謎多き人物で、公開情報のほとんどがフェイクです。私の情報源である永田町のドンの方々の話によると、和三郎氏は満州鉄道の調査部出身です。これはググっても出てきません。


──えっ! 満州鉄道の調査部って!

ジェームズ そうです。バリバリの諜報機関です。特に、菅総理のお父さんが所属した時期は第二次世界大戦の真っ最中で、関東軍肝入りの特務機関の頃でしたから、世界最高レベルのエージェントばかり揃っていました。ゾルゲ事件の尾崎秀実や大川周明なんかもいましたので。ただ、日本が戦争で負けたあとは、秋田で暮らし始めたんです。

──秋田で!?

ジェームズ そうです。日本の政治家の中枢がそうであるように(詳しくはこちらの記事を参照)、菅さんのお父さんも c house n半島の人ですから。正確に言うと日本統治下のc house nで生まれているので日本の臣民とも言えますが。菅総理の名前菅義偉がc house n名みたいなのもそういう理由です。これで「すが・よしひで」と読むのは珍しいですからね。また、菅和三郎氏も「和」という、「清和会」の由来にも通じるc house n系が好む漢字を使っています。しかもあえて音読みとなっているので、c house n系であることはほぼ間違いないところです。

──ということは今回の総理も、例の永田町独特の朝鮮系の人ということなんですね。

ジェームズ いえ、c house n系はc house n系なんですけど、安倍(晋三)さん、今井(尚弥)さん、二階(俊博)さんみたいな人たちとは違います。彼らは李氏c house nの両班出身で、要は貴族です。彼らの祖先が渡日した時期も古く、ほとんどが豊臣秀吉のc house n出兵時に日本に連れられてきた人たちです。一方、菅総理は戦後日本に来た家系なのでかなり新参者です。

 だからこそ、お父さんは切った張ったの世界でのし上がれる特務機関に入っていったんだと思います。そこで人脈を作った。そして諜報活動の経験が功を奏してか、新天地秋田ですぐにイチゴ栽培の事業に成功し、後に地方議員にもなり、地元の「ドン」になっていきます。

 ですから、菅総理はそこそこの名望家の出ということになるのですが、永田町でいう「両班c house n系」ではありませんので、そっちのグループには入れません。じゃあ、何系かという最初の派閥が宏池会の小渕派なんです。この小渕(恵三)さんと最初につながったというのが菅総理らしいんです。実は、小渕さんは菅総理と一緒の諜報系の人なんですよ。


──諜報系? あのブッチホンの小渕さんがですか? 

ジェームズ まあ、小渕さん自身が諜報機関の人というわけではないですけど、小渕さんの叔父さんが陸軍中野学校出身で台湾どで活動していた人だったんです。なので、小渕さんは叔父さんの薫陶を受け、その知識と人脈を外交に活かしていました。例えば、エリツィン大統領が病気になった時には病状を確かめるために官房機密費を使って、あの大物三重スパイの佐藤優さんをモスクワに送ったりもしています。ですから、小渕さんと菅総理というのはインテリジェンスの世界でつながっていたんですよ。この二人は、親しい身内に諜報組織の人間がいたという点で、戦後の総理の中でも際立った存在です。

──なんか、インテリジェンスな首相って聞くとカッコいい感じもしますが。

ジェームズ いや、それは映画や小説の世界の話で、実際はかなりドロドロですよ。その辺のことはあとで話しますが、菅総理はそういう出身だということです。これが意味することは本来、永田町の中ではメインストリームには上がってこれない、ということです。なにしろ、日本の政治家としての出世には両班であることが第一条件ですから。しかも、両班であれば誰でもOKではないんです。両班の中にも序列があって、足の引っ張り合いやいがみ合いがしょっちゅうおきてますから。それで思い出しましたが、昔、宏池会の林芳正さんと清和会の安倍さんがケンカになったことがあって、「お前は同じ両班でも俺より下だろう」とか言ってたらしいですよ。ホント、どこの国の話なのかと思いますが(笑)。

──まったくです。ちなみに、そのケンカは安倍さんが勝ったんですよね、李氏c house nの王家ですから。

ジェームズ いえいえ、勝ったのは林さんです。李氏c house nの王家であっても直系と傍流ってあるじゃないですか? それで見ると林さんのほうが直系に近いらしいんですよ。だから、安倍さん対林さんのケンカは林さんが勝ったみたいですよ。しかし、日本の政治ではこれが重要なんです。なぜなら、普通に実力勝負だと上にいけば行くほど似たりよったりで優劣がつかないんです。例えば、組閣になったときにどっちを大臣にするんだって場面で実力は一緒となったら、バックグラウンドで決めるしかないんです。つまり、両班かどうか? 両班同士であれば、どの階級の両班なのか? なんです。これが日本の政治の実態です。

──永田町にはいまどのくらい両班階級がいるんですか? 

ジェームズ かなり多いですよ。この前話しました安倍さん、二階さんもそうですし、岸田(文雄)さんもそうです。小泉純一郎、進次郎親子も鹿児島の旧田布施出身(田布施システムについてはコチラを参照)ですからそうですし、清和会の創設者の福田赳夫、康夫親子も釜山系の両班です。一方、宏池会の岸田さんは北系の両班なので、釜山よりは上なんですよ、林さんもここですね。

──もともと李氏c house nって北にあったんで、北出身のほうがヒエラルキーは上だと。

ジェームズ 中華の世界観では、北が特別な意味を持ち、北を制するものが政治権力を支配します。したがって、北系のほうが格は断然上です。ただし、宏池会は清和会のようなc house n系というわけではないです。宏池会を作ったのは池田勇人ですから、吉田茂の流れです。

──そうするとイギリス系ですか?

ジェームズ そうですね。どちらかというと。吉田茂の義理のお父さんは大英帝国のジャーディン・マセソンという横浜にあった商社の支店長で、イギリスのユダヤ利権を継承していましたから。11歳だった吉田茂に当時で60億円ぐらいの遺産を残しています。もともとこの家系は幕末に暗躍した武器商人グラバーの財務下請けをやっていて、坂本竜馬とかああいうのが営業ですね。伊藤博文は転売屋というイメージです。一言で言えば、せどりですね(笑)。吉田とセットで語られる白洲次郎はケンブリッジ留学時代にMI6にリクルートされています。彼はそもそもウォーバーグ財閥のウォーバーグの隠し子だと言われていて顔立ちもハーフみたいですからね。遺言にも「葬式無用、戒名不要」と世間の注目を嫌うスパイの葬られ方を選んでいます。そんな感じなので、確かに外国の勢力は多いですね。

──日本人の勢力はないんですか?

ジェームズ もちろんありますが…●●●系ですね。日本の政治の世界はc house n系が多く、次いで●●●系が多いです。普通の日本人の勢力でいうと、ごくたまに麻生太郎さんのような旧貴族系日本人がいる程度という構成です。

──日本の政治が日本のためにやっているように見えない理由がわかりますね。
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_172263_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_172879_entry.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/130.html#c1

[近代史5] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
21. 中川隆[-6925] koaQ7Jey 2021年3月04日 16:32:07 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[22]
2021年2月23日@たねの学校での26分講演、「お金の仕組みとたね」
2021/03/04




2021年2月23日にたねの学校で行われた岡本よりたかさん、中島デコさんとの鼎談の前に話した「お金の仕組みとたね」についての26分講演。問題の本質に絞って短く話しましたので、周知拡散などにお役立てください。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/110.html#c21
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 中川隆
27. 中川隆[-6924] koaQ7Jey 2021年3月04日 16:32:44 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[23]
2021年2月23日@たねの学校での26分講演、「お金の仕組みとたね」
2021/03/04




2021年2月23日にたねの学校で行われた岡本よりたかさん、中島デコさんとの鼎談の前に話した「お金の仕組みとたね」についての26分講演。問題の本質に絞って短く話しましたので、周知拡散などにお役立てください。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html#c27
[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : 資本主義がダメな理由 中川隆
17. 中川隆[-6923] koaQ7Jey 2021年3月04日 16:33:32 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[24]
2021年2月23日@たねの学校での26分講演、「お金の仕組みとたね」
2021/03/04




2021年2月23日にたねの学校で行われた岡本よりたかさん、中島デコさんとの鼎談の前に話した「お金の仕組みとたね」についての26分講演。問題の本質に絞って短く話しましたので、周知拡散などにお役立てください。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/766.html#c17
[番外地9] 三橋さんが何時も否定している貨幣のプール論は正しい。 中川隆
2. 中川隆[-6922] koaQ7Jey 2021年3月04日 17:04:04 : YjA7HOXJqc : WS84cnU2ajdvd3M=[25]
日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる

何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると

・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼


GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg


NYダウゴールド換算のチャート
https://realtime-chart.info/%E8%AA%AC%E6%98%8E/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88/NY%E3%83%80%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E6%8F%9B%E7%AE%97.html


日経平均はゴールド何グラム?

https://realtime-chart.info/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%A0%AA%E4%BE%A1/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%87%91%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.html

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-dow-800-down.html


因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

ジム・ロジャーズ氏: 物価高騰になれば中央銀行は緩和を止めるか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12581


米国GDPはコロナ禍から回復も低金利に依存、金利高騰で株価と共倒れへ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12654

ガンドラック氏: 金利上昇で株価下落の新トレンドへ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12696


▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

大西つねき 民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西つねき 2021年2月23日@たねの学校での26分講演、「お金の仕組みとたね」
https://www.youtube.com/watch?v=ePNfqu12S6A

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/124.html#c2

[番外地9] トランプが素晴らしかったかといえば、そうでもないので、バイデンだけが取り立てて悪いわけでもないです。この前の大統領選挙同様、いま世界中で新しい情報戦である認知戦争が始まっています。
日本でトランプを賞賛しているのは洗脳されたアホ右翼だけ
ジェームズ トランプが素晴らしかったかといえば、そうでもないので、バイデンだけが取り立てて悪いわけでもないです。この前の大統領選挙同様、いま世界中で新しい情報戦である認知戦争が始まっています。

──認知戦争? なんですか、それは? 洗脳みたいなものですか?

ジェームズ 洗脳と言っていいでしょう。しかし、それはCIAが昔やったようなMKウルトラのような薬物を使ったり、拷問したりといったことではありません。 2016年の大統領選ではロシアはアメリカ国民全体を標的とするため、陰謀論やフェイクニュースを、ソーシャルメディアを主に使って撒き散らしました。この時、ロシアはトランプ支持者になりすましたり、民主党支持者になりすましたり、それこそ、いろんな勢力になりすまして情報を発信していったのです。それをされたアメリカ国民は客観的現実が完全に汚染されて、何が本当なのかわからなくなってしまったんです。 いま一番の問題は国家権力よりもさらに上、超国家権力が最も巧妙に仕掛けているということです。

──超国家権力?

ジェームズ GoogleやFacebookなどGAFAと呼ばれる勢力がいま代表的ですけれども、彼らがメインプレイヤーかというとそうではありません。その後ろにいる金融家たちです。具体的にはジョージ・ソロスやロックフェラー家、ロスチャイルド家といった連中です。彼らが仕掛けています。私の以前の記事で何度も紹介している、「ディープステート」もその一つの勢力です。

──彼らの目的は何なんですか? 世界を牛耳りたいんですか?

ジェームズ もっと実は単純で金儲けです。金儲けで最もいいのは世界がカオスになることです。カオスになれば、株価などが大きく変動します。これをボラティリティというのですが、資本主義はボラティリティが生まれないと儲からないのです。ですから、彼ら超国家権力はカオスさえ生み出せればいいんです。超国家権力はボラティリティのためだけにカオスを生み出していますから、混乱さえ起こせばいいわけです。

ジェームズ 1月6日、議会に突入したあのデモの再検証からしたいと思います。

──誰かが煽ったんですよね?

ジェームズ そうです。問題は誰が煽ったのかで、4つのグループに分けることができます。1つは極左、2つ目は極右、3つ目はエスタブリッシュメントのエージェント、そして最後は、煽られたトランプ支持者です。極左というのはアンティファやBLMですね。これらは金融家などの超国家勢力にコントロールされた反対勢力です。トカナではいま新CIA左派と呼んでいますが、ジョージ・ソロスとか左派の富豪の支援を受けています。実は私のところにも一時期アンティファに入らないかというリクルートがきました。

──えっ、そうだったんですか!? 

ジェームズ はい。その時は週給2000ドルのオファーでした。なにをするのかというと鉄パイプや金属バットを持って道に停まっている車や店の窓ガラスを破壊するんです。それで一ヶ月8000ドル。1ドル100円で換算する80万円ですよ。ですから、超国家勢力のソロスたちはそのぐらい金をばら撒まいています。そうやってアンティファたちが活発に暴れまわり、現実がカオスになると、ボラティリティ(株価の値動きの幅)が高まるんです。それでソロスたちは儲けているんです。

──その超国家勢力に操られている極左たちが、あのデモ隊の中にいたんですよね?

ジェームズ はい。彼らが最初に議会に突入しました。それがきっかけであんな騒動になったのですが、ここで考えなければいけないのは、そもそも彼らはどこの段階で極左になったのか?なんです。

──どこなんですか?

ジェームズ 実はアメリカの高校とか大学には極左の学生サークルがいっぱいあるんですよ。もちろん、それは極左と名乗ってはいません。平和や反差別といったことを前面に押し出して人々を勧誘します。しかし、その中身はドラッグに耽る素行の悪い連中で、そんな輩を洗脳するなど簡単です。こういったサークルに何年もいると、次第に快楽に耽ることばかりを考える、自分でモノを考えないゾンビのような人間になっていきます。生活のすべてをデモのために尽くすとか、そういうふうになってしまうんですよ。そういう人たちを私は何度も見てきました。普通の生活が彼らはできないんです。ですから、極左はゾンビなんですよ。デモの時も「ペンスを殺せ」と叫んだりしていたのはほとんどが極左でした。

──つまり、アンティファやBLMは何年も前から時間をかけて洗脳されてきた人たちなんですね。

ジェームズ そうです。たぶん、15年ぐらい前からの東側の工作が進んでいます。彼らは徹底的に煩悩を刺激されてゾンビ化した輩で、堕落しきった人間です。なにしろ、デモを画策したり、街の破壊をするだけで金が貰える生活をずっとしてきたのですから。沖縄なんかで活動している極左も大抵この類です。彼らは実働部隊として動かしやすい人間たちなんです。

ジェームズ そして、3番目がエスタブリッシュメントのエージェント。これは認知戦争を仕掛ける側です。彼らもゾンビではありません。明確なミッションをもって、トランプ支持者になりすまして、デモ隊を議会に誘導して突っ込ませるんですよ。事実、警察やFBIのアンダーカバーなどがデモ隊にまぎれてたくさんいました。知り合いなので、すぐにわかりました。

──この3つがデモを破壊活動に変えてしまったんですね。ということは、4つ目の煽られたトランプ支持者はいわば犠牲者ですよね。

ジェームズ まあ、犠牲者といえば犠牲者かもしれませんが、私は一番の問題だったのが彼らだと思っています。煽られたトランプ支持者つまりQアノンたちこそが今回の認知戦によってゾンビ化されてしまったんです。例えば、角がついた兜を被って議会に突っ込んで有名になったQシャーマンなんかは認知戦で思考がメチャクチャになってゾンビ化してしまったんですよ。それで議会に突っ込んでいったんです。
彼らこそ、典型的なコントロールされた反対勢力なんです。Qアノン支持者っていま世界中にいますよね、アメリカだけでなく、日本にも。彼らは陰謀論を主体にしたQアノンの匿名掲示板Qポストにアクセスすることでのめり込んでいくんですが、いまはトランプの再選を待つということになっています。

ジェームズ 実際、カルト組織の結成や運営はCIAの裏工作での十八番で、ヒッピー運動や朝鮮系カルト宗教の統一教会もCIAが作り出したものです。中でも特筆すべきが、CIA左派は2011年にソーシャルメディアを利用して中東に認知戦争を仕掛け、「アラブの春」を起こしました。Qアノンの運営手法を見てみると、完全にアラブの春の焼き直しです。

 アラブの春はCIA左派とGAFAが結託して実現しました。QアノンもGAFAが「看過」していたからこそ人気が出たわけですよ。インテリジェンス的には、この「看過」するという行為は、ただ気づいていないだけでなく、「防諜(カウンターインテリジェンス)的な意味を持ちます。つまり、「泳がせていた」ということです。

 あの1月6日の議会突入デモを境に、Qアノン弾圧が始まりましたが、これが完全な自作自演であった証拠です。つまり、Qアノンが用済みとなり、ディープステートに「ポイ捨て」されたということです。Qアノンは完全なフェイクだったんです。

 そもそもデモというのは自発的なものなどひとつもありません。なんらかの勢力、特に超国家勢力が裏で動かしている場合が多いんです。ですから、日本でもデモに参加する時は凄く気をつけないといけません。といっても、日本のQアノンのデモは前述の統一教会や同じく朝鮮系のカルト宗教の幸福の科学がバックに存在し、普通の日本人なら関わらないと思いますが(笑)。いずれにせよ、簡単にその場の雰囲気に煽られてとんでもない行動をしてしまうことがあるんです。実際アメリカではその場で煽られて議会に突っ込んでいった素朴なトランプ支持者たちが出現したわけですから。彼らは本気で、その行動が正しいと思ってしまったんです。



http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/134.html

[番外地9] 頭が弱い正論・チャンネル桜系のネトウヨがこんなデマを信じ込んだ
日本でトランプを賞賛しているのは洗脳されたアホ右翼だけ
頭が弱い正論・チャンネル桜系のネトウヨがこんなデマを信じ込んだ

× 隠れトランプで圧勝 → 得票数で負け
× 投票用紙にGPSを付けてる → は?
× 巡回裁判所でトランプ勝利 → 連敗
× 無敗のリンウッド → 連戦連敗
× ヒラリー逮捕された → 選挙人で登場
× クラーケンが解放された → どこ?
× ドイツでサーバ押収 → 紛失した
× 連邦最高裁に証拠を出す → 一切なし
× 連邦最高裁は共和党判事多数 → 棄却
× 18日にラトクリフ報告がある → 休暇
× 戒厳令 → 軍・パウエル・トランプが否定
× 12月23日にペンスが受け取らない → 受け取った
× 12月24日に新司法長官就任で逮捕祭り → なにもなし
× ナッシュビルは組織的隠滅 → トカゲ人間を狙った単独犯
× ペロシ逮捕 → カンファレンスで演説
× 230条に拒否権 → 両院2/3でオーバーライド
× アサンジ恩赦 → 却下
× 1月6日に選挙人票をすり替える → ペンス、バイデン勝利を宣言
× ローマ法王逮捕 → 動画で声明
× 世界緊急放送 → ない
× アラモで勝利宣言 → 実質的敗北宣言
× ペロシ逮捕 → 議会に出席
× アラモで反撃演説 → 次の政権は壁を壊さないで


「嘘をついて金儲けをする」YouTuberも悪いな


中国主導の多極型世界を示したダボス会議 2021年2月5日   田中 宇
1月25-29日に完全オンラインで開催されたダボス会議で主導的な基調演説をしたのは中国の習近平主席だった。このバーチャル会議で、習近平の次に注目されたのはロシアのプーチン大統領だった。これが、今回のバーチャルダボス会議での国家指導者群の序列である。

ダボス会議は、今の国際社会を代表する会議である。世界中の財界人や政治家、固い業界の有名人たちが参加を切望してきた。ダボス会議での序列は、世界の政治的な序列でもある。今回から、中国が世界のトップになった。国際社会では今後ずっと中国が台頭し、米国が衰退する状況が続く。今回のダボス会議は、こういった米中逆転的な覇権の状態を踏まえて、中国に主導役をやらせた感じだ。ダボス会議は今後もずっと、中国が主導役をやるだろう。国連も同様だ。 (大リセットで欧米人の怒りを扇動しポピュリズムを勃興、覇権を壊す)

覇権放棄屋のトランプから(不正に?)政権を奪ったバイデンは、米国の覇権体制を蘇生したいと考えている。その目標のためには、バイデンがダボス会議の主役として基調演説し、会議の主催者WEFが立案した「大リセット」のシナリオに沿った話を展開すべきだった。大リセットのシナリオは(表向き)「人類が仲良くしてコロナ危機を乗り越え、温暖化対策など地球環境に配慮した、格差や差別のない協調的な世界を作っていくこと」を語っており、バイデン政権が掲げた(表向きの)目標や戦略と齟齬がない。習近平でなく、バイデンがダボス会議の主役として基調演説をしていたら、トランプからバイデンに代わった米国が覇権国の座に戻ったことの象徴として世界に認めてもらえたはずだ。だが実際にWEFが立案した大リセットのシナリオに沿ってダボス会議の基調演説を行ったのは、中共の習近平だった。これは中国が世界の頂点に立ったことの象徴だった。習近平は中国語で演説し、中国では全人民がそれを見るよう奨励された。 (米大都市の廃墟化・インフレ激化・銀行やドルの崩壊)


バイデンはなぜダボス会議に出なかったのか。それは多分、会議主催者のWEFが、主役として基調演説するのは習近平だと決めたことをくつがえして主役をバイデンに替えることを拒否したからだ。バイデンが出ると言ったら、ダボス会議の事務局は、米中が仲良く共同主催する構図にするつもりだったかもしれない。だがバイデン政権は、米単独覇権体制を蘇生したい。ブリンケン国務長官が、そのような趣旨のことを言っている。バイデンの米国は、中国が米国と肩を並べている、もしくは中国が米国より上段にいる状態の国際会議に出席するわけにいかない。 (トランプの自滅的な中国敵視を継承したバイデン)

ドイツやEU上層部も、今回のダボス会議の開催前、バイデンに対して参加を要請していたようだ。ドイツのメルケル首相は、ダボス会議での演説の中で「米国は(中露などを敵視せず)協調姿勢に戻ってほしい」という趣旨を述べている。メルケルは対米従属で軍産傀儡の人だが、米国の覇権衰退と中国の台頭を見て、米国が中国を押しのけて単独覇権国であり続けるのは無理だと思っているのだろう。米国が覇権を蘇生するには、まず中国と和解し、ある程度多極型の覇権構造を容認するしかない。メルケルなどEUは、ダボス会議事務局とともにそう考えて、バイデンになった米国がダボス会議に参加して、中国の台頭と多極化を容認しつつ、米国覇権の蘇生を演出してほしかった。だが、米国はそのシナリオを拒否した。英国や豪州などアングロサクソン全体が米国の欠席に追随した。

ダボス会議は、EUが中国を呼んで世界の主役に据え、中国主導のBRICSとEUが仲良くし、そこに日韓など中国傘下に移った国々も入るという「非米同盟」の会合になった。この新たな隠然同盟体は国連を牛耳っており「新たな連合国」と呼べる。対照的に、ダボス会議を欠席した米英アングロサクソン諸国は負け組であり、「新たな枢軸国」である。世界は第2次大戦の状況から、75年後の今、見事に逆転した。 (ユーラシアの非米化)
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/135.html

[番外地9] 大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される
大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される

経済コラムマガジン 2018/4/30(984号)「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末


筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。時には

16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
http://www.adpweb.com/eco/eco883.html

で述べたたように、元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。

一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。


しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。

ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。


追出された柔軟派の官僚

「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。

陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。

たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。


それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。

この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。

銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。


このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。

銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。


ところが銀行局が金融庁に変わって10年以上が経ち、今日、銀行行政は様変わりしている。リスクを取らず貸出しが伸びない銀行の方が、むしろ指導を受けるという風になった。金融庁は立上がってしばらくは規律派の天下であった。しかし今日に到り、金融庁は現実を重視した柔軟派に転向したと言える。ただ昔の貸し渋りや貸し剥がしを知っている企業は、簡単には銀行からの借入を増やそうとはしない。

ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。

筆者は、当時、日米が保険で揉めていたことがこれに関係しているのではないかと憶測する。日本の国益を守るため盗聴を警戒していた柔軟派の大蔵官僚と、籠池氏や女性記者に簡単に会話を録音されている今日の規律派の財務官僚とは好対照である。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/136.html

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
117. 中川隆[-6921] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:40:07 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[2]

ヤフオクでは QUAD ESL63 は激安価格なのですが、すべてエレメントの接着剤が剥落して本来の音は出ていません:

ヤフオク! -「QUAD ESL63」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?p=QUAD+ESL63&va=QUAD+ESL63&b=1&n=50
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?va=QUAD+ESL63&b=1&n=50&auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=QUAD+ESL&x=0&y=0


現在 QUAD ESL の修理ができるのは次の二か所だけです:

サウンドボックス (ドイツ QUAD Musikwiedergabe GmbH 代理店)
http://www.soundbox.co.jp/
https://www.facebook.com/soundboxaudio/

QUAD ESL57, ESL63 ESL63Pro 修理受付中
http://www.soundbox.co.jp/quad63repair.html 

オーディオ機器の修理
http://www.soundbox.co.jp/ortofon.html

復刻品 QUAD-II 真空管モノラル・アンプ (ドイツ QUAD MusikWiedergabe GmbH) 製 ¥600.000/ペア 
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD-II_3.htm

オランダ QUAD REVISIE社製 復刻品 QUAD 33/2プリアンプ +  QUAD 303QR パワーアンプ + QUAD FM3 特価セット価格 ¥400,000/セット 
*QUAD FM3QR
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD_33_303_FM3_set.htm

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL57 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL57QA ¥1,300,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL57QA_Cata_a.pdf

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL63 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL63QA_Cata_a.pdf

サウンドボックスの修理は自社修理ではなく外注なので割高になります。
その外注先も問題の有る所が多いみたいですね。


▲△▽▼


STAX ・ QUAD ELECTROSTATIC  LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/index.html

メールアドレス
stax_buy@yahoo.co.jp

埼玉県 さいたま市 見沼区
 岩  田


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c117

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
97. 中川隆[-6920] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:42:58 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[3]
QUAD 正規代理店 ロッキーインターナショナル ROCKY INTERNATIONAL
http://rocky-international.co.jp/quad_index.html

お客様各位 2020/3/10 QUAD ESL修理に関してのお知らせ
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf

日頃よりQUAD製品をご愛顧いただきありがとうございます。
QUAD ESLの修理に関してお知らせです。2017年より一部製品の修理受付を終了
のご連絡をしておりますが修理に関しまして完全事前予約制にさせて頂きます。


《修理受付終了製品》
・ESL57/ESL63/ESL63pro/ESL988・ESL989(ヴィンテージ含)
※上記製品は部品の廃品により修理・点検を終了しております。


《修理受付予約保留製品》
・ESL2805/ESL2905
※上記製品はオリジナルの部品は廃品になっておりますが、今日まで現行品の部品を
  代用して修理・点検を受け付けておりましたが現状メーカーからの部材供給が不安
定なため受付を保留しております。また予約に関しても受付をしておりません。予約
再開の目処が立ち次第、HP上でご連絡申し上げます。
※また部品供給の状況によっては修理受付終了にさせて頂くことがございますので何 
卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


《修理受付製品》
・ESL2812/ESL2912
※上記製品はオリジナルの部品の入荷が不安定でございます。修理・点検に関しては
    完全予約制にて受付しております。なお現状修理完了までおおよそ3ヶ月のお時間
    を頂戴しております。

以上

株式会社ロッキーインターナショナル
TEL03-5850-6962/FAX03-5850-6970
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf


>>65, >>66 に書きましたが、ロッキーインターナショナルも以前は QUAD ESL63 のエレメント交換修理を引き受けていましたが、エレメントをオリジナルとは全く違う分厚い丈夫な材質に変えた為に酷い音になってしまい、評判を落としていたのです:


2016 年 10 月 18 日 潟鴻bキーインターナショナル

QUAD ESL スピーカー、エレメントユニット交換修理の修理代
エレメントユニットの交換は基本的に 1台分全ての交換を行います。

・ESL 63 および 63pro 1台あたりおよそ 30 万円

※ESL57 は修理対象外製品となります。

ESL 63 および 63pro の交換エレメントは、新発売のESL2912、及び2812に搭載されている最新のエレメントを使用します
https://www.good-stuff.net/rocky_html/pdf/QUAD_ESL_campaign130510.pdf



▲△▽▼

ヤフオクでは QUAD ESL63 は激安価格なのですが、すべてエレメントの接着剤が剥落していて本来の音は出ていません:


ヤフオク! -「QUAD ESL63」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?p=QUAD+ESL63&va=QUAD+ESL63&b=1&n=50
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?va=QUAD+ESL63&b=1&n=50&auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=QUAD+ESL&x=0&y=0

現在 QUAD ESL の修理ができるのは次の二か所だけです:

サウンドボックス (ドイツ QUAD Musikwiedergabe GmbH 代理店)
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QUAD ESL57, ESL63 ESL63Pro 修理受付中
http://www.soundbox.co.jp/quad63repair.html 

オーディオ機器の修理
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復刻品 QUAD-II 真空管モノラル・アンプ (ドイツ QUAD MusikWiedergabe GmbH) 製 ¥600.000/ペア 
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD-II_3.htm

オランダ QUAD REVISIE社製 復刻品 QUAD 33/2プリアンプ +  QUAD 303QR パワーアンプ + QUAD FM3 特価セット価格 ¥400,000/セット 
*QUAD FM3QR
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD_33_303_FM3_set.htm

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL57 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL57QA ¥1,300,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL57QA_Cata_a.pdf

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL63 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL63QA_Cata_a.pdf

サウンドボックスの修理は自社修理ではなく外注なので割高になります。
その外注先も問題の有る所が多いみたいですね。


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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c97

[近代史5] アンティーク オーディオの販売店・修理を頼める店 中川隆
11. 中川隆[-6919] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:46:32 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[4]
QUAD 正規代理店 ロッキーインターナショナル ROCKY INTERNATIONAL
http://rocky-international.co.jp/quad_index.html

お客様各位 2020/3/10 QUAD ESL修理に関してのお知らせ
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf

日頃よりQUAD製品をご愛顧いただきありがとうございます。
QUAD ESLの修理に関してお知らせです。2017年より一部製品の修理受付を終了
のご連絡をしておりますが修理に関しまして完全事前予約制にさせて頂きます。


《修理受付終了製品》
・ESL57/ESL63/ESL63pro/ESL988・ESL989(ヴィンテージ含)
※上記製品は部品の廃品により修理・点検を終了しております。


《修理受付予約保留製品》
・ESL2805/ESL2905
※上記製品はオリジナルの部品は廃品になっておりますが、今日まで現行品の部品を
  代用して修理・点検を受け付けておりましたが現状メーカーからの部材供給が不安
定なため受付を保留しております。また予約に関しても受付をしておりません。予約
再開の目処が立ち次第、HP上でご連絡申し上げます。
※また部品供給の状況によっては修理受付終了にさせて頂くことがございますので何 
卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


《修理受付製品》
・ESL2812/ESL2912
※上記製品はオリジナルの部品の入荷が不安定でございます。修理・点検に関しては
    完全予約制にて受付しております。なお現状修理完了までおおよそ3ヶ月のお時間
    を頂戴しております。

以上

株式会社ロッキーインターナショナル
TEL03-5850-6962/FAX03-5850-6970
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf


>>65, >>66 に書きましたが、ロッキーインターナショナルも以前は QUAD ESL63 のエレメント交換修理を引き受けていましたが、エレメントをオリジナルとは全く違う分厚い丈夫な材質に変えた為に酷い音になってしまい、評判を落としていたのです:


2016 年 10 月 18 日 潟鴻bキーインターナショナル

QUAD ESL スピーカー、エレメントユニット交換修理の修理代
エレメントユニットの交換は基本的に 1台分全ての交換を行います。

・ESL 63 および 63pro 1台あたりおよそ 30 万円

※ESL57 は修理対象外製品となります。

ESL 63 および 63pro の交換エレメントは、新発売のESL2912、及び2812に搭載されている最新のエレメントを使用します
https://www.good-stuff.net/rocky_html/pdf/QUAD_ESL_campaign130510.pdf



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ヤフオクでは QUAD ESL63 は激安価格なのですが、すべてエレメントの接着剤が剥落していて本来の音は出ていません:


ヤフオク! -「QUAD ESL63」の落札相場・落札価格
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https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?va=QUAD+ESL63&b=1&n=50&auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=QUAD+ESL&x=0&y=0

現在 QUAD ESL の修理ができるのは次の二か所だけです:

サウンドボックス (ドイツ QUAD Musikwiedergabe GmbH 代理店)
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QUAD ESL57, ESL63 ESL63Pro 修理受付中
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オーディオ機器の修理
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復刻品 QUAD-II 真空管モノラル・アンプ (ドイツ QUAD MusikWiedergabe GmbH) 製 ¥600.000/ペア 
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オランダ QUAD REVISIE社製 復刻品 QUAD 33/2プリアンプ +  QUAD 303QR パワーアンプ + QUAD FM3 特価セット価格 ¥400,000/セット 
*QUAD FM3QR
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD_33_303_FM3_set.htm

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL57 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL57QA ¥1,300,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL57QA_Cata_a.pdf

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL63 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL63QA_Cata_a.pdf

サウンドボックスの修理は自社修理ではなく外注なので割高になります。
その外注先も問題の有る所が多いみたいですね。


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STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
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[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
20. 中川隆[-6918] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:46:57 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[5]
QUAD 正規代理店 ロッキーインターナショナル ROCKY INTERNATIONAL
http://rocky-international.co.jp/quad_index.html

お客様各位 2020/3/10 QUAD ESL修理に関してのお知らせ
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf

日頃よりQUAD製品をご愛顧いただきありがとうございます。
QUAD ESLの修理に関してお知らせです。2017年より一部製品の修理受付を終了
のご連絡をしておりますが修理に関しまして完全事前予約制にさせて頂きます。


《修理受付終了製品》
・ESL57/ESL63/ESL63pro/ESL988・ESL989(ヴィンテージ含)
※上記製品は部品の廃品により修理・点検を終了しております。


《修理受付予約保留製品》
・ESL2805/ESL2905
※上記製品はオリジナルの部品は廃品になっておりますが、今日まで現行品の部品を
  代用して修理・点検を受け付けておりましたが現状メーカーからの部材供給が不安
定なため受付を保留しております。また予約に関しても受付をしておりません。予約
再開の目処が立ち次第、HP上でご連絡申し上げます。
※また部品供給の状況によっては修理受付終了にさせて頂くことがございますので何 
卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


《修理受付製品》
・ESL2812/ESL2912
※上記製品はオリジナルの部品の入荷が不安定でございます。修理・点検に関しては
    完全予約制にて受付しております。なお現状修理完了までおおよそ3ヶ月のお時間
    を頂戴しております。

以上

株式会社ロッキーインターナショナル
TEL03-5850-6962/FAX03-5850-6970
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf


>>65, >>66 に書きましたが、ロッキーインターナショナルも以前は QUAD ESL63 のエレメント交換修理を引き受けていましたが、エレメントをオリジナルとは全く違う分厚い丈夫な材質に変えた為に酷い音になってしまい、評判を落としていたのです:


2016 年 10 月 18 日 潟鴻bキーインターナショナル

QUAD ESL スピーカー、エレメントユニット交換修理の修理代
エレメントユニットの交換は基本的に 1台分全ての交換を行います。

・ESL 63 および 63pro 1台あたりおよそ 30 万円

※ESL57 は修理対象外製品となります。

ESL 63 および 63pro の交換エレメントは、新発売のESL2912、及び2812に搭載されている最新のエレメントを使用します
https://www.good-stuff.net/rocky_html/pdf/QUAD_ESL_campaign130510.pdf



▲△▽▼

ヤフオクでは QUAD ESL63 は激安価格なのですが、すべてエレメントの接着剤が剥落していて本来の音は出ていません:


ヤフオク! -「QUAD ESL63」の落札相場・落札価格
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?p=QUAD+ESL63&va=QUAD+ESL63&b=1&n=50
https://auctions.yahoo.co.jp/closedsearch/closedsearch?va=QUAD+ESL63&b=1&n=50&auccat=&tab_ex=commerce&ei=utf-8&aq=-1&oq=&sc_i=&exflg=&p=QUAD+ESL&x=0&y=0

現在 QUAD ESL の修理ができるのは次の二か所だけです:

サウンドボックス (ドイツ QUAD Musikwiedergabe GmbH 代理店)
http://www.soundbox.co.jp/
https://www.facebook.com/soundboxaudio/

QUAD ESL57, ESL63 ESL63Pro 修理受付中
http://www.soundbox.co.jp/quad63repair.html 

オーディオ機器の修理
http://www.soundbox.co.jp/ortofon.html

復刻品 QUAD-II 真空管モノラル・アンプ (ドイツ QUAD MusikWiedergabe GmbH) 製 ¥600.000/ペア 
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD-II_3.htm

オランダ QUAD REVISIE社製 復刻品 QUAD 33/2プリアンプ +  QUAD 303QR パワーアンプ + QUAD FM3 特価セット価格 ¥400,000/セット 
*QUAD FM3QR
https://soundbox.co.jp/QUAD/QD_33_303_FM3_set.htm

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL57 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL57QA ¥1,300,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL57QA_Cata_a.pdf

ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL63 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
https://soundbox.co.jp/QUAD_ESL63QA_Cata_a.pdf

サウンドボックスの修理は自社修理ではなく外注なので割高になります。
その外注先も問題の有る所が多いみたいですね。


▲△▽▼


STAX・QUAD ELECTROSTATIC LOUDSPEAKER RESTORATION
http://www2.ttcn.ne.jp/~bafu/index.html

メールアドレス
stax_buy@yahoo.co.jp

埼玉県 さいたま市 見沼区
 岩  田
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[近代史3] 日本のアンティーク・オーディオ関係のガレージメーカーの実力は凄い 中川隆
8. 中川隆[-6917] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:47:34 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[6]
QUAD 正規代理店 ロッキーインターナショナル ROCKY INTERNATIONAL
http://rocky-international.co.jp/quad_index.html

お客様各位 2020/3/10 QUAD ESL修理に関してのお知らせ
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf

日頃よりQUAD製品をご愛顧いただきありがとうございます。
QUAD ESLの修理に関してお知らせです。2017年より一部製品の修理受付を終了
のご連絡をしておりますが修理に関しまして完全事前予約制にさせて頂きます。


《修理受付終了製品》
・ESL57/ESL63/ESL63pro/ESL988・ESL989(ヴィンテージ含)
※上記製品は部品の廃品により修理・点検を終了しております。


《修理受付予約保留製品》
・ESL2805/ESL2905
※上記製品はオリジナルの部品は廃品になっておりますが、今日まで現行品の部品を
  代用して修理・点検を受け付けておりましたが現状メーカーからの部材供給が不安
定なため受付を保留しております。また予約に関しても受付をしておりません。予約
再開の目処が立ち次第、HP上でご連絡申し上げます。
※また部品供給の状況によっては修理受付終了にさせて頂くことがございますので何 
卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


《修理受付製品》
・ESL2812/ESL2912
※上記製品はオリジナルの部品の入荷が不安定でございます。修理・点検に関しては
    完全予約制にて受付しております。なお現状修理完了までおおよそ3ヶ月のお時間
    を頂戴しております。

以上

株式会社ロッキーインターナショナル
TEL03-5850-6962/FAX03-5850-6970
http://rocky-international.co.jp/pdf/repair_ESL.pdf


>>65, >>66 に書きましたが、ロッキーインターナショナルも以前は QUAD ESL63 のエレメント交換修理を引き受けていましたが、エレメントをオリジナルとは全く違う分厚い丈夫な材質に変えた為に酷い音になってしまい、評判を落としていたのです:


2016 年 10 月 18 日 潟鴻bキーインターナショナル

QUAD ESL スピーカー、エレメントユニット交換修理の修理代
エレメントユニットの交換は基本的に 1台分全ての交換を行います。

・ESL 63 および 63pro 1台あたりおよそ 30 万円

※ESL57 は修理対象外製品となります。

ESL 63 および 63pro の交換エレメントは、新発売のESL2912、及び2812に搭載されている最新のエレメントを使用します
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[近代史4] QUAD の静電型スピーカーが全然売れなくなった理由 中川隆
10. 中川隆[-6916] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:48:18 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[7]
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    完全予約制にて受付しております。なお現状修理完了までおおよそ3ヶ月のお時間
    を頂戴しております。

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>>65, >>66 に書きましたが、ロッキーインターナショナルも以前は QUAD ESL63 のエレメント交換修理を引き受けていましたが、エレメントをオリジナルとは全く違う分厚い丈夫な材質に変えた為に酷い音になってしまい、評判を落としていたのです:


2016 年 10 月 18 日 潟鴻bキーインターナショナル

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[近代史4] アンティーク・オーディオ取扱い店 中川隆
10. 中川隆[-6915] koaQ7Jey 2021年3月05日 05:48:57 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[8]
QUAD 正規代理店 ロッキーインターナショナル ROCKY INTERNATIONAL
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TEL03-5850-6962/FAX03-5850-6970
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ドイツ QUAD Musikviedergab GmbH 社 QUAD ESL63 復刻新品 (受注生産品) * QUADESL63QA ¥1,600,000 ペア(税別)
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[番外地9] 日本人によるアイヌ人のジェノサイド _ 明治時代の日本政府は今のウイグルでのジェノサイドと同じ事をやっていた
日本人によるアイヌ人のジェノサイド
_ 明治時代の日本政府は今のウイグルでのジェノサイドと同じ事をやっていた

アイヌ人は縄文人の直系の子孫だというのが遺伝学や考古学の定説、北海道にいた和人は日本海沿岸のニシン漁民だけ。
日本人はこうやってアイヌ人から北海道を乗っ取った、アイヌは日本人ではないから日本の法律に従う必要は無い:

とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化―日本人が自ら葬り去った異文化―

 日本列島に三つの異なった文化があることは存外知られていない。ひとつはいうまでもない、天皇を中心とした国家が育んだ「日本文化」であり、ひとつは琉球国王を中心とした琉球王国が育んだ「琉球文化」であり、いまひとつが北辺でアイヌの人びとが育んだ「アイヌ文化」である。これらは広い意味での「日本文化」ともいいうるのであるが、そうした扱いはなされてこなかったといっていい。
 それでも、狭義の「日本文化」と深くかかわる「琉球文化」については、近年、新たな視点からの研究・紹介がなされはじめている。しかるに、アイヌ文化は広義の「日本文化」の枠内には容れられないままなのである。
 アイヌ文化には三つの文化圏がある。すなわち「北海道」島に栄えた北海道アイヌ、樺太(ロシア領サハリン)島南部に栄えた樺太アイヌ、そして、中部千島・北千島(ロシア領クリール諸島)に栄えた千島アイヌである。

 このなかで、千島アイヌはそのひとを含め、文化・言語は今日にまったく伝わらないのである。国際交渉の陰で、しかもきわめて平和裡に、日本人は地上から一つの文化を葬り去ったのである。

 いまひとつの文章がある。主題とも深く関わるので一瞥してみよう。

「1884年の日露両国間の協定によって、樺太はロシアに、千島列島は日本に帰することになった。その後、日本は総人口わずか九七人のものが群島の各地点に分散している極北の新しい国民の憐れな状態に憐憫の情をもよおし、彼らを絶滅から救うことを願った。そのため、彼ら全員を、はるかに豊で気候も温暖なシコタン島へ移住させた。ここは蝦夷の根室地方とクナシリ島の間にあり、千島列島の最南端に位置する。しかし、憐れな彼らにとってそこが楽園となったであろうか。否、無益であった…」(鳥居竜蔵『千島アイヌ』序)。

 日露間で締結された「樺太千島交換条約」によって、樺太はロシアに割譲され、全千島列島が日本の版図となった。このとき、日本政府は先住民であるアイヌの人びとをも同時に自らの民に加えた。樺太アイヌは北海道に強制移住させられ、当初は樺太に程近い稚内のメグマに居住地が定められたが、じきに札幌近郊の対雁(ツイシカリ、現在の江別市内)に移された。

 シムシュ島、ホロムシリ島などに住む千島アイヌが移された先が、鳥居の序文にあるシコタン島である。

 このいずれもが、かれらがロシア人と通交をおこなって、結果的に日本に不利となる行為を働くことを危惧してのものであった。

 明治36年の戦争の結果、樺太アイヌはそれでも故郷に帰りえた。しかし千島アイヌは、そこが日本領土であったにもかかわらず、帰ることはできなかった。望郷の想いにかられながらも、かれらは北海道とその付属島嶼(島々)のなかで、みずからの文化を放棄せざるを得なかった。今日、千島アイヌの文化を伝えるひとはただのひとりも存在しない。

佐々木 利和(ささき としかず)

東京国立博物館
主著等:
『アイヌ文化誌ノート』(吉川弘文館 2001年)
『アイヌの工芸』(日本の美術354号 至文堂 1995年)
「東京国立博物館のアイヌ民族資料(上)」『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要』3号(1994年)
『アイヌ語地名資料集成』(草風館 1988年)
___
千島アイヌの強制移住
1884年(明治17年)に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌの人々が色丹島に強制移住させられた。

これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与える恐れがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、日本の領域を確定するにおいて危険な障害と感じられたためである。

移住した千島アイヌに対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が漁撈民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失った。
_____

色丹島移住後のクリル人

 移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。

 この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。

強制移住による人口の減少

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。
 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/137.html

[近代史5] 20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか? 中川隆
4. 中川隆[-6914] koaQ7Jey 2021年3月05日 09:16:24 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[13]

2021年03月05日
止まらない中国のソ連化、急速な成長のあとに人口減少と経済崩壊
http://www.thutmosev.com/archives/85254226.html


共産主義とは王の代わりに共産党が支配者となる制度で、民主化など起きない(ロシア革命のレーニン)
img_e9a08a736bb3446ec5d2c702ed8ac46a285492
画像引用:https://toyokeizai.net/mwimgs/e/9/-/img_e9a08a736bb3446ec5d2c702ed8ac46a285492.jpg


絶対王政のロシア・中国が共産化した

近年の中国の急速な膨張と矛盾の噴出は、かつてのソ連の膨張と限界露呈、そして崩壊に向かった過程を連想させる。

ソ連は1922年から1991年まで存在した国家で、厳密には世界連邦つまり国連みたいなものを目指していたようです。

全世界を共産主義で統一した世界連邦がソ連だったが、現実には世界の半分で頭打ちになり「国家」のようなものになった。

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ソ連の特異性は思想によって全世界を統一しようとした点で、オウムが世界連邦を作ったのに等しい。

ソ連の始まりは資本論という一冊の本で、「共産主義にすれば問題はすべて解決する」と書いてありました。

現代の人は資本論がウソなのを知っているが当時の人々は真に受けて、本気で世界共産化を目指した。


共産主義を一言でいうと「王の資産を奪えば民衆は豊かになる」という原理で、金持ちから金を奪えば自分が金持ちになるという単純な思想です。

20世紀が始まった第一次大戦前には世界には王政国家が多く、土地などの資産を貴族と王が所有していました。

ロシアではロマノフ王朝が全国土を独占し国民に私有財産はなく、英米より圧倒的に貧しかった。


「王が全国土を独占し国民に私有財産はない」のが絶対王政で、共産党が王に変わっただけで国民に私有財産がないのは同じです。

共産化するのは王が資産を独占する絶対王政の国で、日本や英仏のような封建制の国は共産化しない。

中国も秦の始皇帝以来、皇帝がすべてを独占する絶対王政だったので、王が倒れると容易に共産化しました。

共産主義とは絶対王政の現代版

日米欧は封建国家で、朝廷の下に将軍が居て将軍の下に大名、大名の下に武士団がいるが僧侶や神官も権限があり商人は大名より豊かだった。

朝廷や貴族は名目上土地の支配者だったが、実際は京都御所周辺の土地しか所有していませんでした。

朝廷は御所の雨漏りの修理代すら出せず、信長や家康のような有力武将に「征夷大将軍」などの官位を販売して生活していました。


こうした国では王は絶対的支配者にはなりえず、封建制の次に議会制民主主義と資本主義に移行していった。

李氏朝鮮は絶対王政であり、韓国が”変な民主国家”にしかならないのはこれが理由です。

ロシアのような絶対王政国家が共産国家になると、目覚ましい軍事的経済的発展を遂げます。


民主国家や封建国家では「抵抗勢力」が強力だが、絶対王政=共産主義では遮るものが何もないからです。

ロシアは欧州最弱だったが共産化するや最強国家に変身し、これを見誤ったドイツは手痛い敗戦を喫した。

第二次大戦前の日本は日露戦争の経験から「ロシア人は弱い」と学習したが、共産化したソ連軍は強大になっていました。


ソ連は第二次大戦後の短期間に経済が急成長し、1950年代から70年代には「すぐにアメリカ経済を抜く」と思われていました。

アメリカの政治家や経済学者すらソ連に抜かれるのは時間の問題と考え、恐れおののいていました。

ソ連の急成長と崩壊

だがソ連の急成長は1980年を境にピタリと止まり、1990年には経済も軍事も崩壊していました。

全盛期からたった10年で崩壊するのも共産主義の特徴で、崩壊を遮るものも支えるものも存在しません。

徳川幕府が薩長軍に包囲された時、江戸城にはわずか500人の武士しか居なかったそうですが、それでも500人は玉砕覚悟で将軍を守ろうとしました。


ロマノフ王朝や清朝が滅んだ時、組織は内部崩壊を起こしたが、徳川幕府は組織として最後まで機能を保っていました。

共産国家は急速な発展のあと急速な崩壊を起こすのが常で、北朝鮮もこれに当てはまる。

今では考えられないが1950年代には北朝鮮経済は韓国より発展しており、だから北は南に侵攻しました。


ところが成長期を過ぎた北朝鮮は急速に衰退し、日米の全面支援を受ける韓国とは100倍以上の差がついています。

これは共産主義は絶対王政の為、国民は共産党の所有物に過ぎず、党(王)が豊かになっても民衆は貧しいままだからです。

中国も同じ欠陥をかかえていて、香港やウイグルでは問題が噴出しています。


中国の成長の最大の原動力は人口増加だったが、意外にもその人口が最初に減り始めた。

2020年の出生率は2016年(2000万人)のたった半分の1000万人に落ち込み、すぐに1000万人も割り込むでしょう。

これもソ連と同じであり計画経済のような計画出産というシステムが破綻してこうなっています。
http://www.thutmosev.com/archives/85254226.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/116.html#c4

[近代史3] ロシア革命とは何だったのか? 中川隆
10. 中川隆[-6913] koaQ7Jey 2021年3月05日 09:16:55 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[14]

2021年03月05日
止まらない中国のソ連化、急速な成長のあとに人口減少と経済崩壊
http://www.thutmosev.com/archives/85254226.html


共産主義とは王の代わりに共産党が支配者となる制度で、民主化など起きない(ロシア革命のレーニン)
img_e9a08a736bb3446ec5d2c702ed8ac46a285492
画像引用:https://toyokeizai.net/mwimgs/e/9/-/img_e9a08a736bb3446ec5d2c702ed8ac46a285492.jpg


絶対王政のロシア・中国が共産化した

近年の中国の急速な膨張と矛盾の噴出は、かつてのソ連の膨張と限界露呈、そして崩壊に向かった過程を連想させる。

ソ連は1922年から1991年まで存在した国家で、厳密には世界連邦つまり国連みたいなものを目指していたようです。

全世界を共産主義で統一した世界連邦がソ連だったが、現実には世界の半分で頭打ちになり「国家」のようなものになった。

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ソ連の特異性は思想によって全世界を統一しようとした点で、オウムが世界連邦を作ったのに等しい。

ソ連の始まりは資本論という一冊の本で、「共産主義にすれば問題はすべて解決する」と書いてありました。

現代の人は資本論がウソなのを知っているが当時の人々は真に受けて、本気で世界共産化を目指した。


共産主義を一言でいうと「王の資産を奪えば民衆は豊かになる」という原理で、金持ちから金を奪えば自分が金持ちになるという単純な思想です。

20世紀が始まった第一次大戦前には世界には王政国家が多く、土地などの資産を貴族と王が所有していました。

ロシアではロマノフ王朝が全国土を独占し国民に私有財産はなく、英米より圧倒的に貧しかった。


「王が全国土を独占し国民に私有財産はない」のが絶対王政で、共産党が王に変わっただけで国民に私有財産がないのは同じです。

共産化するのは王が資産を独占する絶対王政の国で、日本や英仏のような封建制の国は共産化しない。

中国も秦の始皇帝以来、皇帝がすべてを独占する絶対王政だったので、王が倒れると容易に共産化しました。

共産主義とは絶対王政の現代版

日米欧は封建国家で、朝廷の下に将軍が居て将軍の下に大名、大名の下に武士団がいるが僧侶や神官も権限があり商人は大名より豊かだった。

朝廷や貴族は名目上土地の支配者だったが、実際は京都御所周辺の土地しか所有していませんでした。

朝廷は御所の雨漏りの修理代すら出せず、信長や家康のような有力武将に「征夷大将軍」などの官位を販売して生活していました。


こうした国では王は絶対的支配者にはなりえず、封建制の次に議会制民主主義と資本主義に移行していった。

李氏朝鮮は絶対王政であり、韓国が”変な民主国家”にしかならないのはこれが理由です。

ロシアのような絶対王政国家が共産国家になると、目覚ましい軍事的経済的発展を遂げます。


民主国家や封建国家では「抵抗勢力」が強力だが、絶対王政=共産主義では遮るものが何もないからです。

ロシアは欧州最弱だったが共産化するや最強国家に変身し、これを見誤ったドイツは手痛い敗戦を喫した。

第二次大戦前の日本は日露戦争の経験から「ロシア人は弱い」と学習したが、共産化したソ連軍は強大になっていました。


ソ連は第二次大戦後の短期間に経済が急成長し、1950年代から70年代には「すぐにアメリカ経済を抜く」と思われていました。

アメリカの政治家や経済学者すらソ連に抜かれるのは時間の問題と考え、恐れおののいていました。

ソ連の急成長と崩壊

だがソ連の急成長は1980年を境にピタリと止まり、1990年には経済も軍事も崩壊していました。

全盛期からたった10年で崩壊するのも共産主義の特徴で、崩壊を遮るものも支えるものも存在しません。

徳川幕府が薩長軍に包囲された時、江戸城にはわずか500人の武士しか居なかったそうですが、それでも500人は玉砕覚悟で将軍を守ろうとしました。


ロマノフ王朝や清朝が滅んだ時、組織は内部崩壊を起こしたが、徳川幕府は組織として最後まで機能を保っていました。

共産国家は急速な発展のあと急速な崩壊を起こすのが常で、北朝鮮もこれに当てはまる。

今では考えられないが1950年代には北朝鮮経済は韓国より発展しており、だから北は南に侵攻しました。


ところが成長期を過ぎた北朝鮮は急速に衰退し、日米の全面支援を受ける韓国とは100倍以上の差がついています。

これは共産主義は絶対王政の為、国民は共産党の所有物に過ぎず、党(王)が豊かになっても民衆は貧しいままだからです。

中国も同じ欠陥をかかえていて、香港やウイグルでは問題が噴出しています。


中国の成長の最大の原動力は人口増加だったが、意外にもその人口が最初に減り始めた。

2020年の出生率は2016年(2000万人)のたった半分の1000万人に落ち込み、すぐに1000万人も割り込むでしょう。

これもソ連と同じであり計画経済のような計画出産というシステムが破綻してこうなっています。
http://www.thutmosev.com/archives/85254226.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html#c10

[リバイバル3] 「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件
「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件


5歳児餓死事件 ママ友容疑者の恐怖シナリオ「3人のうち1人が亡くなれば…」
2021/3/4
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a4d7adaaf95fef65749b5b3edbd8c7d815acb2b


「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった事件の恐怖のシナリオとは…。福岡県篠栗町で5歳だった男児が餓死した事件で、保護責任者遺棄致死容疑で母親の碇利恵容疑者(39)とともに逮捕された知人の赤堀恵美子容疑者(48)に、碇容疑者からだまし取るなどした金の総額が1000万円を超える疑いがあることが3日、分かった。赤堀容疑者の心の闇に専門家が迫った。

 赤堀容疑者は、碇容疑者の三男翔士郎ちゃんが昨年4月に死亡した後も詐取を続けていた。通帳を管理して金を引き出した他、車を売却させた疑いもある。

 赤堀容疑者が一家の食事について「翔士郎は兄の半分」などと具体的に指示していたことも判明。2019年に離婚し、子供3人と暮らす碇容疑者の一家は、わずかな米をおかゆにして分け合っていたという。

 日米で連続殺人犯、大量殺人犯など数多くの凶悪犯と直接やりとりしてきた国際社会病理学者で、桐蔭横浜大学の阿部憲仁教授はこう語る。

「3人の子供のうち1人だけが餓死すれば、生活保護の手当が足りなかったとして、さらに国から金を要求する心づもりであった可能性すら否定できない」

 赤堀容疑者がここまで金と支配に執着した理由は一体何だったのだろうか?

「これまで明らかになっている情報から確実に言えることは、本件の手口がマインドコントロールの基本を忠実に踏襲しているということだ。今回のケースも“金目的”であったが、その背後には“他者を思い通りに操りたいという、ゆがんだ心理”が必ず存在する。こうした犯行に手を染める者は、通常幼少子供時代にかけて“極度の孤独”を経験し、ある時点で“人を利用する快感”を体験しているケースが非常に多い。また、赤堀容疑者の場合、恐らくは何らかの新興の宗教に精通した関係者からそのノウハウを吸収した可能性は高いかもしれない」(阿部氏)

 このように人を支配し、搾取する犯人は、一度だけではなく、複数の人を餌食にしているケースが多い。

「一度、人を食って、生きていく味を覚えた人間は、獲物になる可能性の高い、心に傷を抱えた人間を見抜く力に非常にたけている。赤堀容疑者が“食える”と踏んだ碇容疑者に近寄り、『ノー』と言えない人格であることをまず確認し、マインドコントロールの鉄則である周りの人間から完全に切り離す第一歩として、心底心配しているフリをして碇の夫の浮気話をでっち上げ、まずその調査費用の請求に応えられるかテスト。“合格”を確認後は、家庭調査員とも切り離し、やりたい放題にカネを請求したのだろう。生活保護費をすべて取り上げ、その一部だけをまるで親切のように手渡すやり方も常とう手段だ」(同)

 赤堀容疑者には、碇容疑者の離婚を後押ししていたとの疑いも浮上している。

 阿部氏は「この小さな島国では尼崎事件や北九州監禁殺人事件のように、周囲から目立つことを避ける日本人特有の心理を悪用した、こうした陰湿な恐喝手口が後を絶たない。真の問題の本質は『翔士郎』という愛情のこもった名前を付けた我が子をはっきり『ノー』と言えなかったがあまり、碇容疑者が死なせてしまったという一生背負い続けていかなければならない『心の地獄』なのではないだろうか」と指摘する。

 県警は実態解明を進めている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5a4d7adaaf95fef65749b5b3edbd8c7d815acb2b
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1132.html

[近代史4] 100人に1人はサイコパス。私たちは人生のどこかで必ずサイコパスと出会う 中川隆
1. 中川隆[-6912] koaQ7Jey 2021年3月05日 10:16:28 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[17]
「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1132.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1003.html#c1
[近代史4] 公共事業や量的緩和で経済は救えない _ 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる 中川隆
7. 中川隆[-6911] koaQ7Jey 2021年3月05日 11:34:22 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[18]
ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

前回の記事ではジョン・メイナード・ケインズと論陣を張り合った経済学者のフリードリヒ・フォン・ハイエク氏の主張が現在のコロナ禍における経済にぴったりと当てはまることを紹介した。

インフレが制御不能になれば政府は価格統制を始める
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11964


莫大な量的緩和と現金給付によりアメリカでは既に物価上昇が始まっているからである。

経済学者によるインフレ至上主義

それを遠い昔に諌めていたのがハイエク氏だった。しかし現代の経済学者はインフレを善とし、インフレターゲットなる言葉まで作られた。

繰り返すがインフレとは需要に対して供給が不足していることであり、物が足りないことである。

物が足りないことの何が善なのだろうか? これについて筆者を説得できた経済学者はいまだ存在しないが、インフレは現代の経済学では善とされており、結果としてのインフレではなくインフレ自体をターゲットとした政策が平然と行われている。

何故インフレが政治家や経済学者の間で好まれたのだろうか? それは政治家が支出を好むという事実と関係している。政府が財政出動により人々を失業から救わなければならないというのは現代の経済学ではケインズからの伝統である。

ケインズはその著書のなかで、無意味に穴を掘るだけの事業であっても公共事業として効果がありうると主張している。政治家は自分の票田に金を配ることを主な仕事としているので、ケインズのこうした主張が彼らに受けたことは自然な帰結である。

公共事業は失業を救うか

しかしそれが経済学的に正しいかどうかは別の問題である。ハイエク氏は次のように述べている。

現在の通貨の問題の主な原因は、当然ながらケインズとその弟子が、支出の総額増やせば繁栄と完全雇用を長期的に約束できるという古い迷信に科学的権威を与えたと思い込んでいることにある。

公共事業自体はケインズ以前から存在する古い迷信である。しかしそれが戦後の世界秩序の決定に大きな役割を果たした著名人ケインズによって流布されたことで神格化され、世界中の政府と中央銀行の不文律のようになってしまった。

しかしトランプ政権によるインフラ投資は実際に経済を押し上げたではないか? それは勿論そうである。ハイエク氏は次のように述べる。

通貨の量が増加することによって雇用が急速に増大し、最短経路で完全雇用に達することは勿論否定されていない。

しかし問題はそこではない。それが長期的に見ても本当にプラスに働いているのかということである。ハイエク氏はこう続ける。

インフレが加速を止めたとき、失業は過去の誤った政策の結果として、そして非常に残念ながら避けられない結果として出現する。

そして問題はこの部分が経済学的に理解が難しいということである。

公共事業がいかに失業を生むか

何故公共事業が長期的には失業を生むか。ハイエク氏は次のように説明している。

すべての職種に対して画一的に同じ給与を決めることができないように、総需要を操作してすべての労働に対する需要と供給を均衡させることはできない。

雇用の量は経済の各部門の需要と供給が一致することで決まる。つまりは経済のどの部門にどのような需要があり、どういう賃金が割り振られているかによって決まるということである。

これはやや難解な箇所である。そしてここが難解であるためにインフレ主義は何十年も何百年も生き延びてきたのである。

問題は紙幣印刷や公共事業などのインフレ政策が局所的には多大な不均衡を生むということである。GDPで全体の大きさだけを気にすることが常習化した現代においてはこの重要な点が容易に無視されてしまう。

紙幣印刷は経済のどの部分にどれだけの需要が本当に必要かを考えずに経済全体の貨幣量を増やす。公共事業は政府が恣意的に選んだ受益者にだけ大量の資金を投下する。

どちらの方法でも本当に必要な場所に資金が行くことはない。現代の量的緩和バブルでも株式市場がまず上がって実体経済にはなかなか反映されないのと同じである。結果としてインフレは起こるわけだが、オーストリア出身のハイエク氏は1920年代に起こったインフレにおいて街の様子がどうなったかを描写している。

ウィーンの中心街では多くの有名なカフェが街角の一等地から追い出され、銀行の新しい事務所が取って代わった。

こうした政府による資金投下バブルで一番に利益を得るのはいつも金融業である。金融など一部の分野がバブルで先に得をし、他の業種を追い出してゆく。先進国政府が何年も紙幣を刷り続けた結果、富の不均衡が起こり、アメリカでは暴動に発展している。

しかしインフレになったことで銀行業が飲食店より経済的に重要になったという事実はない。それでも紙幣印刷によって膨張した貨幣量は経済に一様には注ぎ込まれず、一部の業種にバブルを引き起こしてゆく。

しかし例えばハイエク氏の例では不必要に増やされた銀行の職員は長期的には必要ではなくなってゆく。ハイエク氏はそのインフレの時代の顛末をこう語っている。

銀行が事業を縮小するか倒産しなければならなくなり、何千人もの銀行員が失業者の行列を作った時代を過ぎ去るとカフェは戻ってきた。

しかし本来はカフェの従業員は一等地から追い出されて失業する必要はなかったし、大量の新しい銀行員がその後失業者の列となる必要もなかった。これがインフレ政策による長期的失業の増加である。

結論

不均衡は必ず長期的にはネガティブな結果を引き起こす。しかしそれでも主流派の経済学者はいまだに完全雇用とインフレを神のように崇めている。

政府が借金を積み上げて無理に作り出した雇用はリーマンショックやコロナ禍などでインフレが止まった瞬間に、それまでは留保されていた分の失業を大量に吐き出す。それは本来存在しなかったはずの、インフレ政策が故意に生み出した失業なのである。

新型コロナで借金が実体経済に影響を与える仕組みを分かりやすく説明する
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10248


しかし因果関係という概念を理解しない主流派経済学者はそのようなことは気にしない。ハイエク氏は次のように続ける。

完全雇用政策の支柱となっている理論はすべてここ数年の経験によって完全に否定されるに至っている。経済学者はその理論の致命的な知的欠陥を発見したが、それはそもそも以前から分かりきっていた。

しかしこの理論は今後も多くの問題を生むだろう。何故ならば、インフレ理論の他に何も学ばなかった失われた世代の経済学者が残されたからである。

果たしてそのようになった。政治家にとっては状況はより簡単である。票田に資金を注入することをケインズという偶像が肯定してくれるのだから、それほど有難いことはない。

新型コロナによって政治家のそういう傾向は極まったように思える。GO TOトラベルを無事成功させた日本政府はいまだに東京オリンピックを強行しようとしている。

GO TOトラベルで安全な旅行を楽しむコロナウィルス
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11550


Bridgewaterのレイ・ダリオ氏は政府を信用してはならないと警告した。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


ハイエク氏はどう言うだろうか。彼はコロナ禍における政府の行動を予想したかのようなコメントを残している。

政府が自分の頭で考えて行動しようとすれば、その被害は増大するように思われる。

大変残念である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/892.html#c7

[近代史4] 何故公共事業が長期的には失業を生むか
何故公共事業が長期的には失業を生むか

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

前回の記事ではジョン・メイナード・ケインズと論陣を張り合った経済学者のフリードリヒ・フォン・ハイエク氏の主張が現在のコロナ禍における経済にぴったりと当てはまることを紹介した。

インフレが制御不能になれば政府は価格統制を始める
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11964


莫大な量的緩和と現金給付によりアメリカでは既に物価上昇が始まっているからである。

経済学者によるインフレ至上主義

それを遠い昔に諌めていたのがハイエク氏だった。しかし現代の経済学者はインフレを善とし、インフレターゲットなる言葉まで作られた。

繰り返すがインフレとは需要に対して供給が不足していることであり、物が足りないことである。

物が足りないことの何が善なのだろうか? これについて筆者を説得できた経済学者はいまだ存在しないが、インフレは現代の経済学では善とされており、結果としてのインフレではなくインフレ自体をターゲットとした政策が平然と行われている。

何故インフレが政治家や経済学者の間で好まれたのだろうか? それは政治家が支出を好むという事実と関係している。政府が財政出動により人々を失業から救わなければならないというのは現代の経済学ではケインズからの伝統である。

ケインズはその著書のなかで、無意味に穴を掘るだけの事業であっても公共事業として効果がありうると主張している。政治家は自分の票田に金を配ることを主な仕事としているので、ケインズのこうした主張が彼らに受けたことは自然な帰結である。

公共事業は失業を救うか

しかしそれが経済学的に正しいかどうかは別の問題である。ハイエク氏は次のように述べている。

現在の通貨の問題の主な原因は、当然ながらケインズとその弟子が、支出の総額増やせば繁栄と完全雇用を長期的に約束できるという古い迷信に科学的権威を与えたと思い込んでいることにある。

公共事業自体はケインズ以前から存在する古い迷信である。しかしそれが戦後の世界秩序の決定に大きな役割を果たした著名人ケインズによって流布されたことで神格化され、世界中の政府と中央銀行の不文律のようになってしまった。

しかしトランプ政権によるインフラ投資は実際に経済を押し上げたではないか? それは勿論そうである。ハイエク氏は次のように述べる。

通貨の量が増加することによって雇用が急速に増大し、最短経路で完全雇用に達することは勿論否定されていない。

しかし問題はそこではない。それが長期的に見ても本当にプラスに働いているのかということである。ハイエク氏はこう続ける。

インフレが加速を止めたとき、失業は過去の誤った政策の結果として、そして非常に残念ながら避けられない結果として出現する。

そして問題はこの部分が経済学的に理解が難しいということである。

公共事業がいかに失業を生むか

何故公共事業が長期的には失業を生むか。ハイエク氏は次のように説明している。

すべての職種に対して画一的に同じ給与を決めることができないように、総需要を操作してすべての労働に対する需要と供給を均衡させることはできない。

雇用の量は経済の各部門の需要と供給が一致することで決まる。つまりは経済のどの部門にどのような需要があり、どういう賃金が割り振られているかによって決まるということである。

これはやや難解な箇所である。そしてここが難解であるためにインフレ主義は何十年も何百年も生き延びてきたのである。

問題は紙幣印刷や公共事業などのインフレ政策が局所的には多大な不均衡を生むということである。GDPで全体の大きさだけを気にすることが常習化した現代においてはこの重要な点が容易に無視されてしまう。

紙幣印刷は経済のどの部分にどれだけの需要が本当に必要かを考えずに経済全体の貨幣量を増やす。公共事業は政府が恣意的に選んだ受益者にだけ大量の資金を投下する。

どちらの方法でも本当に必要な場所に資金が行くことはない。現代の量的緩和バブルでも株式市場がまず上がって実体経済にはなかなか反映されないのと同じである。結果としてインフレは起こるわけだが、オーストリア出身のハイエク氏は1920年代に起こったインフレにおいて街の様子がどうなったかを描写している。

ウィーンの中心街では多くの有名なカフェが街角の一等地から追い出され、銀行の新しい事務所が取って代わった。

こうした政府による資金投下バブルで一番に利益を得るのはいつも金融業である。金融など一部の分野がバブルで先に得をし、他の業種を追い出してゆく。先進国政府が何年も紙幣を刷り続けた結果、富の不均衡が起こり、アメリカでは暴動に発展している。

しかしインフレになったことで銀行業が飲食店より経済的に重要になったという事実はない。それでも紙幣印刷によって膨張した貨幣量は経済に一様には注ぎ込まれず、一部の業種にバブルを引き起こしてゆく。

しかし例えばハイエク氏の例では不必要に増やされた銀行の職員は長期的には必要ではなくなってゆく。ハイエク氏はそのインフレの時代の顛末をこう語っている。

銀行が事業を縮小するか倒産しなければならなくなり、何千人もの銀行員が失業者の行列を作った時代を過ぎ去るとカフェは戻ってきた。

しかし本来はカフェの従業員は一等地から追い出されて失業する必要はなかったし、大量の新しい銀行員がその後失業者の列となる必要もなかった。これがインフレ政策による長期的失業の増加である。

結論

不均衡は必ず長期的にはネガティブな結果を引き起こす。しかしそれでも主流派の経済学者はいまだに完全雇用とインフレを神のように崇めている。

政府が借金を積み上げて無理に作り出した雇用はリーマンショックやコロナ禍などでインフレが止まった瞬間に、それまでは留保されていた分の失業を大量に吐き出す。それは本来存在しなかったはずの、インフレ政策が故意に生み出した失業なのである。

新型コロナで借金が実体経済に影響を与える仕組みを分かりやすく説明する
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10248


しかし因果関係という概念を理解しない主流派経済学者はそのようなことは気にしない。ハイエク氏は次のように続ける。

完全雇用政策の支柱となっている理論はすべてここ数年の経験によって完全に否定されるに至っている。経済学者はその理論の致命的な知的欠陥を発見したが、それはそもそも以前から分かりきっていた。

しかしこの理論は今後も多くの問題を生むだろう。何故ならば、インフレ理論の他に何も学ばなかった失われた世代の経済学者が残されたからである。

果たしてそのようになった。政治家にとっては状況はより簡単である。票田に資金を注入することをケインズという偶像が肯定してくれるのだから、それほど有難いことはない。

新型コロナによって政治家のそういう傾向は極まったように思える。GO TOトラベルを無事成功させた日本政府はいまだに東京オリンピックを強行しようとしている。

GO TOトラベルで安全な旅行を楽しむコロナウィルス
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11550


Bridgewaterのレイ・ダリオ氏は政府を信用してはならないと警告した。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


ハイエク氏はどう言うだろうか。彼はコロナ禍における政府の行動を予想したかのようなコメントを残している。

政府が自分の頭で考えて行動しようとすれば、その被害は増大するように思われる。

大変残念である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html

[近代史5] 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 中川隆
13. 中川隆[-6910] koaQ7Jey 2021年3月05日 11:40:22 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[19]
何故公共事業が長期的には失業を生むか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/384.html#c13
[近代史5] 本当はヤバイ MMT 中川隆
2. 中川隆[-6909] koaQ7Jey 2021年3月05日 11:40:50 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[20]
何故公共事業が長期的には失業を生むか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/511.html#c2
[近代史5] GDP・経済成長率や株価の上昇に意味は無い _ 貨幣価値が下がったから GDP も株価も名目値が上がっているだけ 中川隆
5. 中川隆[-6908] koaQ7Jey 2021年3月05日 11:41:19 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[21]
何故公共事業が長期的には失業を生むか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/391.html#c5
[番外地9] 三橋さんが何時も否定している貨幣のプール論は正しい。 中川隆
3. 中川隆[-6907] koaQ7Jey 2021年3月05日 11:46:40 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[22]
日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる
何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると

・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼


GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。
https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg


NYダウゴールド換算のチャート
https://realtime-chart.info/%E8%AA%AC%E6%98%8E/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88/NY%E3%83%80%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E6%8F%9B%E7%AE%97.html


日経平均はゴールド何グラム?

https://realtime-chart.info/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%A0%AA%E4%BE%A1/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%87%91%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.html

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-dow-800-down.html


因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

何故公共事業が長期的には失業を生むか
ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

ジム・ロジャーズ氏: 物価高騰になれば中央銀行は緩和を止めるか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12581

米国GDPはコロナ禍から回復も低金利に依存、金利高騰で株価と共倒れへ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12654

ガンドラック氏: 金利上昇で株価下落の新トレンドへ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12696


▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

大西つねき 民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西つねき 2021年2月23日@たねの学校での26分講演、「お金の仕組みとたね」
https://www.youtube.com/watch?v=ePNfqu12S6A

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。
大西さんの話は間違いが多いですが、この部分は正しいです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/124.html#c3

[近代史4] 何故公共事業が長期的には失業を生むか 中川隆
1. 中川隆[-6906] koaQ7Jey 2021年3月05日 12:29:27 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[23]
インフレが制御不能になれば政府は価格統制を始める
2021年1月22日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11964

これまでの記事で論じてきたとおり、アメリカで物価の高騰が始まっている。

新型コロナ対策として日本やアメリカで政府による未曾有の資金注入が行われた。アベノミクスにおける量的緩和など、これまではどれほど紙幣を印刷してもインフレにはならないように思われていたが、コロナ禍における現金給付でアメリカではついに許容量を超えたようである。物価指数の上がり具合をもう一度引用しておこう。

コロナ不況でデフレになる日本、インフレになるアメリカ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11939

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/01/2020-dec-us-consumer-price-index-chart-1.png


新型コロナ不況による先進国政府の未曾有の紙幣印刷に警鐘を鳴らしてきた著名投資家は多いが、特にレイ・ダリオ氏はこの危険性を早くから的確に指摘し続けてきたと言える。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな (2020/4/29)
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


ダリオ氏の先見の明にはいつも驚かされるが、ではインフレの後にはどうなるのだろうか。今回はダリオ氏よりも更に先を見据えている別の人物の見解を引用してみたい。

政府は紙幣印刷を止められない

この人物の名はあとで挙げるが、この人物は現在のような不況において紙幣印刷は状況を長期的に悪化させるにもかかわらず、政府が紙幣印刷という手段に頼り続けることは避けられないと主張する。彼はこのように述べている。

あらゆる世代の経済学者は政府が貨幣の量を素早く増加させることによって短期的には政府は失業のような経済的害悪から人々を救済する力を持っていると主張し続けてきた。残念ながらこれは短期的に正しいに過ぎない。

貨幣の量を増やすことは短期的には有効に見えるかもしれないが、長期的にはさらに大きな失業を引き起こす原因となる。これが事実である。しかし短期的に支持を獲得することが出来るならば、長期的な効果を気にかける政治家が果たして存在するだろうか。

今の日本政府や米国政府に対する痛烈な皮肉ではないか。紙幣印刷は不況の直接的な原因である。ここの読者であればそれがどのように不況の原因であるのかはお分かりだろうが、分かりやすく解説した以下の記事をもう一度挙げておこう。

新型コロナで借金が実体経済に影響を与える仕組みを分かりやすく説明する
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10248


コロナでGDPが大幅に下落した原因は過去の紙幣印刷による債務の拡大なのである。それがなければここまでの不況にはならなかった。しかし麻薬中毒者が麻薬を止められないように、すべての政府と短期的な視野しかない有権者は紙幣印刷を選好し続ける。

それはいずれ不可避的な物価高騰に繋がってゆく。インフレは緩やかにしか起こらないので人々は安心して何十年も紙幣を刷り続けるが、起こった時にはもう止めることができない。それがインフレである。

アメリカでは遂にそれが起こりつつあるということである。では止められない物価高騰が起こったとき、政府はそれをどのようにしてお茶を濁すだろうか。彼は次のように説明している。

周知の通り、インフレは経済や市場の秩序が破壊されるまで続く。しかしわたしにはより悪い可能性のほうがありうるように思われる。

政府は物価高騰を止めることができない。しかしこれまでもそうだったように、物価高騰の目に見える効果だけは抑えたいと考える。物価高騰が続き、価格のコントロールが行われるようになり、それは究極的には経済制度全体を管理するところにまでいたる。

インフレが市場と経済を破壊するところまではもうその兆候が観測されている。金融市場で取引される種類の日用品の価格高騰は去年から始まっており、あとはその価格上昇がスーパーに並ぶ品物の価格にまで及ぶのを待つだけである。

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801


経済の混乱は既に始まっている。そして彼は追い詰められた政府が行うのは価格統制だと主張している。正規の店舗に並ぶ品物の価格は見た目上抑えられ、ブラックマーケットでは品物が高値で取引させる世界が来るのである。

それでも正規の店舗では安値で日用品が買えるなら良いのではないか? しかし現実はそう甘くない。誰も安値で売りたがらないので、すべての品物はブラックマーケットに流れて高値で売られ、単に正規の店舗でものが買えなくなるだけである。それが経済である。ダリオ氏も言っていた。

われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし誰も彼の警鐘を聞かなかった。

そして価格統制が上手くいかなくなると、政府は経済全体を管理しようとするだろう。それがこの人物の主張である。

結論

このような世界が来るとコロナ前には誰が予想していただろうか? しかしインフレ率や金融市場などの現実はダリオ氏やこの人物の予想通りに推移している。そして興味深いのはダリオ氏も彼もともに政府のこうした近視的行動が共産主義的な計画経済にいたるリスクを指摘していることである。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10831


コロナ後の経済についてダリオ氏よりも更に先を読むこの人物は誰か? 経済学に明るいここの読者ならば分かる人もいるだろうか。今回の記事で引用した主張を述べた人物はフリードリヒ・フォン・ハイエク(1899-1992)である。19世紀に生まれ、ジョン・メイナード・ケインズと論陣を張り合い、コロナよりもはるか昔に亡くなったオーストリアの経済学者である。

引用した文章も何十年も前に書かれたものだ。しかしその主張はまるで今の経済状況と政府の対応を批評するために誂えたような文章ではないか。

今回の文章は日本語版では彼の『貨幣論集』などに収録されているが、ハイエク氏の著作にはコロナ禍に適用できる更に面白い知見が含まれているので続けて紹介したいと思っている。ダリオ氏の記事も再読しながら楽しみにしてもらいたい。

世界最大のヘッジファンド: 紙幣印刷で経済成長率は救える
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11736


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11964
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html#c1

[近代史4] 何故公共事業が長期的には失業を生むか 中川隆
2. 中川隆[-6905] koaQ7Jey 2021年3月05日 13:09:19 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[24]
【ゆっくり解説】ハイエクvsケインズ〜経済学を変えた世紀の対決








経済学に限らずその後の歴史を変えた二人の経済学者の世紀の対決、その後編です。
果たして市場に必要なのは「自由」なのか「介入」なのか?



【ゆっくり解説】ハイエクvsケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html#c2
[近代史4] 何故公共事業が長期的には失業を生むか 中川隆
3. 中川隆[-6904] koaQ7Jey 2021年3月05日 13:10:16 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[25]
ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
2021年1月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

ここのところ続けて19世紀生まれの経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエク氏の論考を紹介しているが、ようやく本題である。

新型コロナとハイエク経済学

2020年の新型コロナウィルスの世界的流行によって世界経済は未曾有の景気後退にさいなまれ、日本やアメリカなどの先進国政府は紙幣印刷や現金給付を行なって多数派の有権者の支持を取り付けた。

政府は中央銀行にいくらでも紙幣を刷らせることが出来るので、新型コロナで店舗や企業が儲からなくても人々は生活に困らないというわけである。

実際には先進国政府はコロナ前にも紙幣印刷を大量に行なってきた。その紙幣で中央銀行が国債を買い上げたために政府はいくらでも借金ができたのである。

その借金で政府は長らく有権者の支持を購入してきた。新型コロナで多くの人が亡くなっているにもかかわらず、政府の関心はオリンピックの開催とGO TOトラベルによって建設業界や広告業界、宿泊産業の政治的支持を取り付けることにある。これはどの国の政府も行なってきたことである。しかしアメリカではそうした慣習にも限界が来ている。インフレの到来である。

・コロナ不況でデフレになる日本、インフレになるアメリカ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11939


そして日本はその背中を追っている。

政府に借金をさせないために

政府が借金をこれほどまでに増やせなかったなら、政府がここまで好き放題にすることもなかっただろう。そして中央銀行が紙幣を印刷できなかったならば、政府が借金をここまで増やすことも不可能だっただろう。

通貨は政府が発行するものだというここ100年くらいの間に生まれた特異な考え方に慣れた者でなければ、これは当然の考え方である。そしてその当然の考え方を主流派経済学者の間違った意見に左右されずに主張し続けた経済学者がいる。ハイエク氏である。

戦前、戦後の時代にケインズ氏とやりあったハイエク氏は様々な経済学上の功績で有名だが、その中でも異彩を放つのが通貨発行自由化論である。ハイエク氏は政府のみならず民間企業や個人も通貨を発行すべきであり、政府の通貨と競争させることで政府の浪費を牽制できるという考え方の持ち主なのである。

ハイエク氏は彼の

『貨幣論集』
https://www.amazon.co.jp/%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96%E9%9B%86-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF%E5%85%A8%E9%9B%86-%E7%AC%AC2%E6%9C%9F-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF/dp/4393621921?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF+%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96%E9%9B%86&qid=1611295460&sr=8-1&linkCode=sl1&tag=asyuracom-22&linkId=eb7e92ebe3988e41f171092f0fdf438f&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl


においてむしろ控えめに次のように述べている。

こうした提案は法定通貨という概念のもとで育ったすべての人にとって最初は馬鹿げたものに映るかもしれない。

しかしかつて紙幣を中央銀行に持っていけば金(ゴールド)と交換できた金本位制の時代の人々は、何と交換することもできない何の保証もない紙切れを大事に財布に持っている人々の方を不思議に思うだろう。

現代の通貨は本当に暴落しないのか

繰り返しになるが日本円もかつては金と交換できたのであり、金を中央銀行に預ける代わりに紙幣を受け取って、中央銀行に紙幣を持ち込めば預けた金が返ってきたのである。しかしいつの間にか金は返ってこなくなった。政府がそう決めたからである。では預けられていたはずの金は何処へ行ったのだろう。政府がすべて使ってしまったのである。

このようなあからさまな詐欺に多くの人々がまったく気付いていない。ハイエク氏は次のように述べる。

200年間の金本位制の時代だけを例外として、実際には歴史上ほとんどの政府が人々を騙し搾取するために通貨発行の独占権を行使してきた。

大英帝国のポンドやオランダ海洋帝国のギルダーが政府による紙幣印刷で暴落していったことは以前解説した通りである。

・世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903

・世界最大のヘッジファンド: 大英帝国の基軸通貨ポンドはいかに暴落したか
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10953


そしてその犠牲者はその通貨を持っていた一般市民であり、政府ではなかった。通貨が暴落したときには既に政府は多額の借金をしてその資金を使い果たしてしまっていた。

根拠はないはずなのだが、現代のわれわれはこれを過去のことであり、今の円やドルには起こらないと無根拠に信じている。しかし実際にはメジャーな通貨の減価はゆるやかにしか起きないので、そのトレンドのただ中にいると気付かないだけなのである。

事実、1970年のドルの価値を100とし、その価値をゴールド本位で計算すると今のドルの価値は次のチャートのようになる。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/01/since-1970-value-of-usd-in-gold-chart.png

ほぼ皆無である。そして2021年、コロナで大量の紙幣印刷と現金給付を行なったことにより、死に体のドルにはとどめが差されようとしている。

・世界最大のヘッジファンド: ドルが下落したらアメリカは終わり
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11762


そしてアメリカに起こることは日本にも起こるのである。

ハイエク氏の通貨発行自由化論

こうした状況を打開するためにハイエク氏は政府から通貨発行の独占権を剥奪すべきだという。ハイエク氏は言う。

人々が使いたい通貨を自由に選択させてはなぜいけないのだろうか。

ハイエク氏が想定するのは政府だけではなく民間企業や個人が通貨を発行する世界である。そこでは人々は自分の好きな通貨で貯金をし、好きな通貨で買い物をする。好きな通貨で会計報告をして好きな通貨で納税をする。

彼は次のように続ける。

店主が現行のレートで望む通貨に即座に両替できると分かれば、すぐにどのような通貨に対しても適切な価格で商品を売るだろう。しかし政府の通貨で表示される物価だけが上昇していることが分かれば、政府の悪行はもっと早く察知されることになる。

そして人々はより安定した通貨を主に利用するようになるだろう。そうすれば通貨発行者は自分の通貨の価値をより安定させ、より多くの人に使われるように努力するようになる。ハイエク氏の主眼は通貨をこのような競争にさらさせることになるのである。彼は次のように続けている。

人々が信用できない通貨を拒否し、信用できる通貨を選んで使うことができるとすればどうか。政府が通貨を乱用するのを避けるためにはこれ以上に有力な抑止力は有り得ない。そうすれば通貨の供給を需要より低く抑えるかぎり、その通貨の需要は増大してゆくだろう。そしてそれは政府が通貨の安定性を維持させるための何よりも強い要因となる。

つまり、政府が無思慮に紙幣を膨大に印刷しようとすれば政府発行の通貨が使われなくなるという状況に直面させることで政府を律しようというわけである。

これは同様に民間の通貨発行者にも適用されるだろう。通貨発行者は手数料のような利益を(政府と同じように)得るだろうが、ハイエク氏の言う世界ではこれが今のように通貨発行権の独占の対価として与えられるのではなく、価値の安定した通貨を発行していることに対する対価として与えられるならば、通貨発行者に対して国民が払うコストは合理的なものになってゆくだろう。

少なくとも、金塊がいつの間にか盗まれているとか、数十年の間に価値がほぼゼロになっているとか、そういうことはなくなるはずである。有り得ないような話が日本円や米ドルで実際に起きているのである。

・ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html#c3

[近代史4] 何故公共事業が長期的には失業を生むか 中川隆
4. 中川隆[-6903] koaQ7Jey 2021年3月05日 13:29:27 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[26]
【ゆっくり解説】ニューディール政策は失敗だった?





【ゆっくり解説】ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
ヒトラーの戦争はドイツを滅ぼしたが、経済政策はドイツを復興させた。
そう説明されることも最近、増えましたが本当でしょうか??
解説します。






【ゆっくり解説】英国IMF危機〜しくじり財政破綻〜【英国病・福祉国家の末路】
ゆりかごから墓場までの福祉国家であった英国の財政破綻。
なぜ大きな政府は破綻したのか?
解説します。



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html#c4
[近代史4] 売国政治家列伝 _ 菅義偉 中川隆
55. 中川隆[-6902] koaQ7Jey 2021年3月05日 13:38:13 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[27]
2021年3月5日
【藤井聡】菅長男接待問題は「菅政権の腐敗」を示している。これこそ、現在の日本における最大の問題である。
https://38news.jp/economy/17761

From 藤井聡@京都大学大学院教授

以前、表現者クライテリオンメルマガで

『安倍政権「腐敗」仮説:今、日本がウソで自滅しかかっているのは、安倍政権が「腐敗」しているからではないか?』
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200224/

という記事にて論じましたが、現在の政府は、激しく「腐敗」(コラプション)してしまっていると考えざるを得ません。

「腐敗」とは、「精神が堕落して、弊害が生じる状態になること」(広辞苑)なのですが、要するに政府が政府であるために絶対に必要な「国民のために働く」という当たり前の精神が失われ、そのせいで国益が激しく毀損していくのが、「政府の腐敗」という現象です。

上記記事では、政治的腐敗についての学術研究に基づいて、当時の安倍政権は典型的な「腐敗」政権であるという旨を、学術的視点から解説したのですが、今の菅政権においては、さらにその腐敗の度合いが激化しています。もはやもう、「仮説」なぞというヌルイ言葉は著しく不十分なほどに、誰の目にも明らかな程に政府の腐敗が進行しているのが、今の菅政権です。

その象徴が今回の、「菅長男接待問題」。

この話についてはこの記事で詳しく論じましたが……

『「ワクチン接種」は予定通りには絶対進まない 〜菅長男接待に象徴される菅“腐敗”政権がまともに機能する事などあり得ない本質的理由〜』
https://foomii.com/00178/2021022716431977161

この問題は単なる官僚の法律違反の問題ではないのです。小役人達の法律違反ごとき、そんなものは年がら年中生じている問題であって、それごとき、大騒ぎする必要など何もありません。

それよりも問題なのは、この問題が示しているのは、菅政権そのものが腐敗しているという事実であり、その中心に存在する菅という政治家そのものが激しく腐敗しているという真実なのです。

何と言ってもこの事例は、今の官僚達が、国民の利益の事等そっちのけで、上司である菅総理に尻尾を振りまくっていることを明らかに示しているからです。

そもそも今の小役人達は、法律違反をして事後的に罰せられることを極端に恐れているため、関連業者の接待を絶対に受けないのです。にも関わらず、彼等が心底嫌がっている違法接待という法律違反をする方がまだマシだ、と彼等に思わせるくらいに、彼等は菅息子の接待を断ることはヤバイと認識していたことを、今回の違法接待は意味しているのです。

つまり、それはいわゆる「暴力団」の親分と子分の関係と同じ。親分は子分に「あいつを脅してこい」だの「あいつを消せ」だのとヤバイ犯罪をすることを命令します。子分はできれば、そんなヤバイことはやりたくないけれど、それを断ればもっとヤバイ事になる…という考えて、仕方なく子分や、ヤバイ橋を渡ることになるわけです。

つまり、菅総理というのは、部下に国民のために自由に働かせるのではなく、「兎に角俺が気に入るように動け。動かないとどうなるか、分からないぞ」という凄まじい圧力、というか脅しをかけているという――内部経験のある人間ならば皆常識の様に知っていた――実態が、今回の事件により明らかになったのです。

実際、菅総理は、「俺は気に入らない部下を左遷するんだ」(左遷=高い官職から低い官職におとす)という事を、国会で明言してすらいます。
https://twitter.com/SF_SatoshiFujii/status/1366518629143994374

総理大臣が部下の官僚の人事について「左遷」という言葉を使うのは前代未聞なのですが、これは正に、部下に脅しをかけ続けていることを、自分自身も常識の様に理解していることを意味しています。

いずれにせよ、こうした状況は、官邸を中心とした政府組織についての、菅義偉という人物による「私物化」が進行していることを示唆しているのです。

まさにそれは、政府において「国民のために働く」という当たり前の精神が失われ、そのせいで国益が激しく毀損していくという「腐敗」が激しく進行していることを意味しています。

ただし、こうやって菅政権が腐敗していくのは、表現者クライテリオンの特集号『菅義偉論』
https://the-criterion.jp/backnumber/94_202101/
にて詳しく論じた様に、菅義偉という一人の政治家がそもそも腐敗している存在であることの必然的な帰結と言うことができます。

詳しくは、『菅義偉論』をご参照いただければと思いますが、菅という一政治家は、政治家が当然携えているべき「国民を豊かにする」という精神をとりたてて持ち合わせておらず、ただただ自身の政治権力の維持・拡大を考えていると批評可能な人物。

しかも、彼自身は、田舎の秋田から東京に出てきた時から、日本の伝統的な仕組みそのものに対するルサンチマン(=弱者の恨み)を抱え、それらを「破壊」する事に快感を覚える傾向を持ち合わせており、したがって、その「破壊」のために政治権力の維持・拡大を企図しているという恐るべき倒錯を抱えた人物であることも、上記『菅義偉論』から示唆されています。

その意味においても、菅氏は激しく腐敗している政治家であると解釈することもできるのです。

だから、そういう人物が総理大臣の地位に就けば、その強大な権限を国民の為ではなく、ただただ自分自身の政治権力の維持・拡大に活用するのはもちろんのこと、彼の倒錯した精神故に、平然と、というよりむしろ喜々として伝統ないしは国体を破壊するための行政を展開し続けることは不可避と予期されるのです。

そして事実、今回の菅長男接待問題は、以上に述べた『菅義偉論』の正当性を雄弁に例証しているわけです。

・・・

これは日本国家にとって極めて深刻な問題です。

なぜならそもそも「政府が腐敗」すれば、まともな政治が展開される事等、万に一つも無いからです。

それはまるで、アフリカや東南アジア、南米の小さな後進国の政府のようなもの。アメリカでよく言われる「バナナ共和国」という比喩がまさにそういう事を示しているのですが、そうした国々では、政治家や官僚は、私利私欲のためだけに自らの政治権力を使い、国家はどんどん疲弊し、民はどんどん貧しくなっていくわけですが、それに似たような状況が日本で進行しているわけです。

そう考えれば、コロナ対策が出鱈目だらけなのも、延々とデフレが続いているのも、尖閣や北方領土の外交が滅茶苦茶なのも全て合点がいきます。そうした滅茶苦茶な政治は全て、政府の「腐敗」という唯一の原因の必然的な帰結なのです。だから、この政府の腐敗問題を、我々国民は看過してはならないのです。

この腐敗問題を国会で追及していると「国会でいつまで下らない議論してるんだ!コロナ対策とかの議論をやれ!」なぞという声がでてきますが、実はそれは単に腐敗を助長するだけの愚かな意見に過ぎないのです。

この腐敗問題を徹底的に改善しない限り、国会の審議などには応じられない、という国会運営も、当然成り立ち得るのです。

つまり日本人はもっと、政府の腐敗、政治家の腐敗問題に敏感になるべきなのです。日本人達が政治の腐敗に愚鈍である限りにおいて、日本に未来など絶対に訪れ得ないのです。

追伸:政治における「腐敗」の問題の重要性をしっかりと理解するためにも是非、ご一読ください。
『「ワクチン接種」は予定通りには絶対進まない 〜菅長男接待に象徴される菅“腐敗”政権がまともに機能する事などあり得ない本質的理由〜』
https://foomii.com/00178/2021022716431977161

https://38news.jp/economy/17761
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1084.html#c55

[近代史5] 日本を支配した電通の影響力と凋落

2021年02月27日
日本を支配した電通の影響力と凋落
http://www.thutmosev.com/archives/85207570.html


小泉・安倍政権の宣伝広報を担当したのも電通だった。
政府は見返りに電通にさまざまな利権を提供した

画像引用:https://times.abema.tv/news-article/3085138 郵政選挙で造反者に刺客!__小泉劇場__がもたらしたものとは?総選挙プレイバック(3) 【ABEMA TIMES】

大赤字で本社ビル売却

電通といえばバブル期から最近まで圧倒的なマスコミ影響力を駆使し、日本を操る影の勢力とすら言われていました。

安倍晋三の”嫁”の昭惠夫人は電通出身で、電通社員は9割以上がコネ入社だと言われています。

小泉純一郎の小泉政権でマスコミ対策や宣伝を担当したのも電通で、郵政選挙では悪の勢力を倒す正義仮面みたいなイメージで圧勝しました。

政府や時の首相より上に立つ権力だったのだが、その電通の屋台骨が傾いてきました。

電通は最近本社ビル売却が報道され、2年連続赤字で経営は不振の極みに達しています。

もしかしたら安倍政権がモリカケで追及されたり辞任したのは、電通の後ろ盾が効かなくなったからかも知れません。


電通は考えられているよりずっと古い企業で、その起源は明治にまでさかのぼります。

光永星郎という従軍記者が日清戦争の記事を書いたが通信手段がなく新聞に掲載できなかった経験から、通信広告会社の日本広告、日本電報通信社を設立した。

通信社だけでは採算性がないというので広告代理店を先に創設し、両者合わせて後に電通になった。


電通の最大の顧客は軍であり、第一次大戦から第二次大戦まで戦時ニュースや軍部の宣伝を請け負い急成長した。

戦後は顧客がGHQ連合軍に変わったがやっていることは同じで、新聞やラジオなどを通じて人心操作をした。

GHQが撤退してテレビ放送が本格化すると、電通はCM放送を握ることで民放テレビ局を支配下に置いていった。

電通支配力の陰り

CMがないNHKも俳優やタレントの手配は電通に依存しており、大河や朝ドラ、紅白の出演者は電通が決めているとも言われていました。

ネット時代になりテレビ放送の視聴率は1桁が普通になり、テレビを主体にしていた電通ビジネスが徐々に傾いていった。

そんな中で起きたのが「韓流騒動」と「反フジテレビデモ」で、今思えばここが電通凋落のターニングポイントだった。


電通のごり押しで”ヨンさま”などの韓流ブームをつくり、朝から晩までずっとどこかで韓流ドラマを放送している始末だった。

電通が関与したといわれているのがフジテレビの反日報道で、2002年日韓ワールドカップでは日本の敗戦を喜び韓国を応援する気持ち悪い番組が多数放送されていた。

電通はスポーツにも関与しオリンピックなどの企業広告を取り仕切り、電通の意に沿わない選手はテレビでバッシングされた。


スケートの浅田真央はなぜかテレビのワイドショーで貶められ続け、彼女が出演する時には背景に転んだ写真が大写しで使われたりした。

これも今思えば何らかの理由で浅田真央が電通の標的にされたという事で、スポーツすら電通が支配していた。

そんな電通の支配力がネットでは通用しないのが示されたのは2020年の「100日後に死ぬワニ」事件でした。


「100日後に死ぬワニ」はツイッターで人気になったが、実は最初から電通か仕掛けてブームをつくった「やらせ」だったのが発覚した。

電通のやりかたはこうで、例えば素人が路上で歌いだしスターになってデビューするが、全て電通が仕組んでいたりします。

ネット上では最も嫌われるやり方で、電通はネットでは通用しないのを証明した。


電通は2020年に1595億円の赤字(19年は808億円の赤字)で本社ビル(約3000憶円)を売却しようとしている。

コロナの影響で広告費が減少したのだが、2019年も赤字なので実際にはコロナ以前にすでに転落していた。

根本原因はビジネスの陳腐化で、日本人を上から見て「おい、次はこれだ」というやり方が古臭いのです。

電通得意のヤラセとメディアミックスは、今では押しつけがましいのです

http://www.thutmosev.com/archives/85207570.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/526.html

[近代史4] 学校が自分の意見を殺して他人に合わせろと教育、マスコミは世論をねじ曲げて国民を誤った方向に連れていく 中川隆
1. 中川隆[-6901] koaQ7Jey 2021年3月05日 14:38:27 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[29]
日本を支配した電通の影響力と凋落
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/526.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/956.html#c1
[近代史4] 中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家 中川隆
7. 中川隆[-6900] koaQ7Jey 2021年3月05日 16:58:24 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[31]

2021年02月26日
中国は超大国になれず、再び日英に抜かれる
http://www.thutmosev.com/archives/85202691.html


毛沢東は10年以内にアメリカを抜くと宣言し、今も実現していない

画像引用:http://pacificfreepress.com/opinion/page-3-17.html Pacific Free Press - Pacific Free Press

中国アズナンバーワン?

中国のGDPがアメリカを抜くという説が人気を得たのは北京五輪が開催された2008年で、言い出したのは中国自身でした。

最初に言い出したのは毛沢東で1958年から1961年まで、短期間でアメリカを抜くとして大躍進政策を実施しました。

1957年のソ連共産党のフルシチョフは「15年以内に経済力でアメリカを抜く」と毛沢東に話して聞かせた。

中国共産党はソ連共産党北京支部として創設され、毛沢東はその使いッパシリとして入党した。

毛沢東のソ連へのコンプレックスは相当なもので、どうしてもソ連以上の実績を残したかった。

毛沢東は当時世界第2位だったイギリス経済を3年以内に追い越し、次いでアメリカも追い抜くという目標を発表した。


当時共産主義は資本主義より遥かに効率が高い経済システムと考えられていて、共産化によってアメリカを抜ける筈でした。

毛沢東はあらゆる私有財産を没収し、共同農場や共同工場に労働集約を命じ、伝統的農業を崩壊させた。

結果は惨憺たるもので3年ほどで5000万人が食糧不足などでなくなったと言われています。


毛沢東や胡錦涛も同じような目標を発表し、習近平もやっぱり短期間でアメリカを抜くと宣言している。

この手の話はバカバカしすぎて真に受ける人間はいなかったが、北京五輪の2008年にGDPで日本を抜いて信ぴょう性が出てきた。

そして今中国は2050年までにアメリカ経済を抜くと言い、左翼を中心に信じているものが多い。

中国は再び日本やイギリスに抜かれるだろう

中国の自律的経済成長は2008年に終わっていて、この年から毎年膨大な公共事業を行うようになった。

2008年はリーマンショックで50兆円の公共投資をしたが、その後も毎年100兆円、200兆円と公共投資金額を増やし続けている。

その分は公的債務が増えているので現在の中国の公的債務はGDP比200%を上回っていると考えられる。


中国は民間債務に付け替える手口で公的債務を小さく見せていて、公式発表では100%以下になっている。

公共事業で経済成長率を積み増す手法は80年代から90年代にかけて日本もやっていたが、結局は行き詰った。

借金でGDPを増やしても借金の増加速度が経済成長率を遥かに上回るからで、子供が考えても持続不可能です。


中国は2016年に出生数2000万人だったが、2020年は1000万人と半減し今後も減少が予想されている。

年間0.5%以上労働人口が減少すると、GDPを約1%低下させる効果がある。

今まで中国は6%以上成長していたが、今後4%になり3%以下になるとこの「たった1%」が効いてくる。


日本がどうしても成長率1%を超えられないのも、人口減少によって毎年GDPから1%以上差し引かれているからです。

一方アメリカのGDPはコロナ以前は毎年2%から3%であり、今後予想されている中国の成長率と変わらない。

こうした人口動態の立場から「中国はアメリカを抜けない」とする見方が強まっている


中国のアキレスけんとも言えるものが中国共産党で、天安門事件や香港民主運動を見れば、「共産党を維持する為なら経済を犠牲にする」のが明らかです。

今後も中国は国内で独裁政治を続けるので、これ以上中国の民間経済は発展しない。

欧米の中国への対応は厳しさを増しており、もう中国だけを多めに見て甘やかす事は無い

http://www.thutmosev.com/archives/85202691.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/567.html#c7

[番外地9] 貨幣の中立説
このオッサン、完全なバカだろ。 パウエルFRB議長が言っているのは、ケインズが間違いで貨幣の中立説・貨幣数量説が正しいという事だよ:

貨幣の中立説
貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。後の絶対王政以後のフランスでは重商主義が唱えられ、貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されるという考え方であった[4]。

フリードリヒ・ハイエクは、貨幣は相対価格を動かすことによって生産量に影響を及ぼすと考え、貨幣中立説を否定している[5][6]。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。

国債を発行すると、その金利でマネーストックが増え、増えた金が海外投資されるだけで、労働者の実質賃金は下がり続ける。円は現在も着々と紙屑化している。
この30年間汗水たらして働いた人の給料は実質1円も増えず資産は減り、一切働かず国債の金利収入だけを得た人の資産は倍増しました。経済学者によると現代は中世暗黒時代以上に貧富の差が大きく、人類史上最大の格差が生まれようとしている。
国債を大量発行すると、こういうメカニズムで労働者の実質賃金が下がる:



▲△▽▼

貨幣数量説
フィッシャーの交換方程式 MV=PQ

ここで
M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)
V は貨幣の"流通速度"(特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

である。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ は
販売価格総額=購買価格総額
という恒等式だから誰も否定できない。
フィッシャーの交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。
新古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので(セイの法則)、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになる。
フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものである。

古典派経済学の貨幣の中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。
貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。
フィッシャーは、貨幣の流通速度:Vと1期間における財・サービスの取引量:Qは慣習的に(大きな)変動はないとみなした(実際はVを観測するのは非常に難しく、観測はほぼ不可能である)。だとすると、MV=PQの左辺のV、右辺のQが大きく変動しないのであるから、自明なこととして、この方程式においてMとPは常に比例することになる。そうであるならば、M(貨幣量)を増やせば、P(物価)も上昇することになる。あるいは、M(貨幣量)を減らせば、P(物価)も低下するであろう。そうだとすれば、政策論的に言えば、例えばある経済の物価を上昇させたいのであれば、貨幣量を増やせば物価が上昇させることができるとこの方程式から言えるだろう。あるいは、もし物価が下がっているならば、それは貨幣量が足りないからだということができるだろう。これが古典派の貨幣数量説の基本的な考え方である。

ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。
__

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ を国内と海外で別にすれば正確に現状に当てはまっているよ
日銀が発行したマネーストックのかなりはドルに変えられて海外で流通している

だから超円安になって、スイスの最低賃金は時給4500円、昼食代1万円 になったのさ。

国内金融に対するフィッシャーの交換方程式 MV=PQ
M : 貨幣量 = マネーストックの内、実際に国内市場で流通している金額、ドルに変えられて海外で運用されている金額は含まない
V : 貨幣の国内での取引流通速度
P : 国内物価(基準年度を1とした GDPデフレータ)
Q:1期間における財・サービスの取引量 ≒ 実質GDP
PQ ≒ 名目GDP


ドルを商品、ドル価格を物価P、日銀異次元緩和で増えた円の総額を貨幣量Mとすると

海外金融に対するフィッシャーの交換方程式 MV=PQ
M : 貨幣量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)V : 貨幣の取引流通速度
P : 物価(基準年度を1としたデフレータ)
Q : 1期間における財・サービスの取引量

が成立して、何故ドルが円ベースで高くなったか説明できる

国内で流通するマネーストックは異次元金融緩和以前と変わらないから国内物価も上がっていない
すべて フィッシャーの交換方程式 MV=PQ で説明できるよ

http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/138.html

[番外地9] 貨幣の中立説 中川隆
1. 中川隆[-6899] koaQ7Jey 2021年3月05日 18:58:51 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[32]
このオッサン、完全なバカだろ。 パウエルFRB議長が経済学の定説と呼んでいるのはケインズ経済学の事だよ。
パウエルFRB議長が言っているのは、ケインズ経済学が間違いで、古典派経済学の貨幣の中立説・貨幣数量説が正しいという事だよ:

貨幣の中立説
貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。後の絶対王政以後のフランスでは重商主義が唱えられ、貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されるという考え方であった[4]。

フリードリヒ・ハイエクは、貨幣は相対価格を動かすことによって生産量に影響を及ぼすと考え、貨幣中立説を否定している[5][6]。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。

国債を発行すると、その金利でマネーストックが増え、増えた金が海外投資されるだけで、労働者の実質賃金は下がり続ける。円は現在も着々と紙屑化している。
この30年間汗水たらして働いた人の給料は実質1円も増えず資産は減り、一切働かず国債の金利収入だけを得た人の資産は倍増しました。経済学者によると現代は中世暗黒時代以上に貧富の差が大きく、人類史上最大の格差が生まれようとしている。
国債を大量発行すると、こういうメカニズムで労働者の実質賃金が下がる:



▲△▽▼

貨幣数量説
フィッシャーの交換方程式 MV=PQ

ここで
M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)
V は貨幣の"流通速度"(特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

である。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ は
販売価格総額=購買価格総額
という恒等式だから誰も否定できない。
フィッシャーの交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。
新古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので(セイの法則)、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになる。
フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものである。

古典派経済学の貨幣の中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。
貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。
フィッシャーは、貨幣の流通速度:Vと1期間における財・サービスの取引量:Qは慣習的に(大きな)変動はないとみなした(実際はVを観測するのは非常に難しく、観測はほぼ不可能である)。だとすると、MV=PQの左辺のV、右辺のQが大きく変動しないのであるから、自明なこととして、この方程式においてMとPは常に比例することになる。そうであるならば、M(貨幣量)を増やせば、P(物価)も上昇することになる。あるいは、M(貨幣量)を減らせば、P(物価)も低下するであろう。そうだとすれば、政策論的に言えば、例えばある経済の物価を上昇させたいのであれば、貨幣量を増やせば物価が上昇させることができるとこの方程式から言えるだろう。あるいは、もし物価が下がっているならば、それは貨幣量が足りないからだということができるだろう。これが古典派の貨幣数量説の基本的な考え方である。

ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。
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フィッシャーの交換方程式 MV=PQ を国内と海外で別にすれば正確に現状に当てはまっているよ
日銀が発行したマネーストックのかなりはドルに変えられて海外で流通している

だから超円安になって、スイスの最低賃金は時給4500円、昼食代1万円 になったのさ。

国内金融に対するフィッシャーの交換方程式 MV=PQ
M : 貨幣量 = マネーストックの内、実際に国内市場で流通している金額、ドルに変えられて海外で運用されている金額は含まない
V : 貨幣の国内での取引流通速度
P : 国内物価(基準年度を1とした GDPデフレータ)
Q:1期間における財・サービスの取引量 ≒ 実質GDP
PQ ≒ 名目GDP


ドルを商品、ドル価格を物価P、日銀異次元緩和で増えた円の総額を貨幣量Mとすると

海外金融に対するフィッシャーの交換方程式 MV=PQ
M : 貨幣量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)V : 貨幣の取引流通速度
P : 物価(基準年度を1としたデフレータ)
Q : 1期間における財・サービスの取引量

が成立して、何故ドルが円ベースで高くなったか説明できる

国内で流通するマネーストックは異次元金融緩和以前と変わらないから国内物価も上がっていない
すべて フィッシャーの交換方程式 MV=PQ で説明できるよ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/138.html#c1

[番外地9] パウエル議長、根拠不明の2%インフレ目標に固執、物価高騰は不可避
このオッサン、完全なバカだろ。 パウエルFRB議長が経済学の定説と呼んでいるのはケインズ経済学の事だよ。
パウエルFRB議長が言っているのは、ケインズ経済学が間違いで、古典派経済学の貨幣の中立説・貨幣数量説が正しいという事だよ:
パウエル議長、根拠不明の2%インフレ目標に固執、物価高騰は不可避
2021年2月24日 GLOBALMACRORESEARCH

アメリカの中央銀行Fed(連邦準備制度)の議長であるジェローム・パウエル氏が議会証言で金融政策の見通しについて語っている。

新型コロナウィルスの世界的流行で中央銀行は直ちに金融緩和を行い、政府は莫大な現金給付を行なった。株式市場は上がったが、アメリカでは上がって困るインフレ率まで上がっている。

こうした状況を受けて中央銀行がどう対応するのかが投資家に注目されている。インフレを懸念して緩和の解除を考えるのだろうか? インフレが起こっても緩和を止めないのだろうか?

どちらも嬉しくない二者択一

実際にはそれらは両方とも地獄への入り口である。緩和を止めれば緩和で支えられてきた株式市場は間違いなく暴落する。2018年に一度試したのでパウエル議長もよく知っている。

しかし緩和を止めなければ物価は上がり続けるだろう。これまではどれだけ緩和をしてもインフレにはならなかったが、コロナによる未曾有の景気後退を現金給付で無理矢理支えたために臨界点を超えたのである。

グローバルマクロの投資家は皆それを知っていて投資で儲けるチャンスだと考えている。インフレになれば金属や穀物などのコモディティが高騰するからである。このトレンドについては投資の参考になるだろうと考え去年のうちに報じておいた。

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰 (2020/10/14)
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801

しかし中央銀行家にとっては(彼らが引き起こした事態ではあるのだが)この状況は袋小路である。パウエル議長はこの二者択一をどう乗り越えるのか? もう緩和をやってしまった以上乗り越える方法はないのだが、彼の選択は次のようなものである。2月23日の議会証言で述べている。

労働市場が強くなったからといって直ちに金融政策を引き締めることはしない。物価安定目標に則り、インフレが平均して2%となること目指す。これはつまり、これまで長らくインフレが2%を下回っていることを踏まえると、今後のインフレが2%を緩やかに上回って推移するような金融政策が適切になるだろう。

パウエル氏は物価高騰を選択したようである。これはBridgewaterのレイ・ダリオ氏が早くも去年に予測した通りである。彼は現金給付などの財政政策で膨らんだ莫大な政府債務の行く末として緊縮財政による返済とインフレによる物価高騰などを挙げた上で、政治的に一番ありうるのは物価高騰だろうと指摘していた。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする (2020/5/8)

紙幣印刷はもっとも便利で、もっとも誤解されやすく、もっとも行われやすい債務縮小の方法である。

実際、紙幣印刷は債務の急な縮小を和らげ、この金融上の富を供給する代償として誰が富を取り上げられる被害者になるのかが分かりにくい(しかしそれは実際には通貨と債券の保有者全員である)。しかも大抵の場合資産価格が減価された通貨建てで上昇するので人々はリッチになったような気がする。

リッチになったような気がしている人々が市場に沢山いるのではないか。

インフレ政策の根拠

さて、パウエル議長が政治的に一番容易な選択をする上で口実に持ち出したのが2%のインフレ目標である。しかも今回パウエル議長はインフレが2%となることだけではなく、2%を超えて推移することを明示的に許容している。

これこそが経済学者ハイエク氏が言うところの根拠不明のインフレターゲット論である。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

皆念仏を唱えるように2%と言うが、2%のインフレが良いとする根拠はインフレ推進派の経済学者でさえ誰も示していない。何故2%なのか? 誰も答えられないはずである。それには誰も答えられないが政治には採用される。何が正しいかは政治とは無関係だからである。

根拠もなくインフレが善とされている本当の理由についてはBridgewaterのレイ・ダリオ氏が答えてくれるだろう。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな

しかし投資家にとって重要なのは、これまでならばインフレが2%を超えて推移すればFedが金融引き締めで冷水を掛けていたのが、2%を超えてもある程度許容するとパウエル議長がはっきり言っていることである。

それまではゼロ金利と量的緩和が続けられることになる。量的緩和についてはパウエル氏は次のように述べている。

中央銀行による資産買い入れとそれに付随するバランスシートの拡大は金融環境を十分に緩和し経済の大きな支えとなっている。経済はわれわれが目標とする水準までまだまだ遠く、金融政策の変更が必要となるまで時間がかかるだろう。

これは投資家にとって「コモディティ相場の高騰が終わるまでには時間がかかるだろう」という意味と同義である。コモディティ市場は長期上昇トレンドの初期に位置しており、優れたグローバルマクロの投資家であるドラッケンミラー氏らはそれを知っている。

ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
この2人は両方ともソロス氏のクォンタム・ファンド出身であり、相場観が一致するのは偶然ではない。

緩和はいつ終わるか

ではその相場はいつ終わるのだろうか。パウエル議長がこのような悠長なことを言っていられなくなるのはインフレが2%を超えてしかも止まらなくなった時である。そうなる未来は上記の投資家たちには当然の結果として見えているのだが、パウエル議長は2メートル先しか見えないので緩和は続く。

パウエル議長が現実を直視しなければならなくなる時にはこの問題は今よりもずっと難しい問題としてパウエル議長にのしかかっているだろう。緩和が続けば続くほどそれを止めたときの市場の癇癪は大きくなる。しかし止めなければドルが完全に崩壊するだろう。

問題は先送りにすればするほど大きくなる。このことについてロイターで面白い表現を目にした。2歳児の癇癪のほうが14歳児の癇癪よりもまだしのぎやすいはずだと。

しかしパウエル議長は現実を直視したくない。市場をあやす方が短期的に楽なのであやしておくのである。最近の子育てにも似ているのではないか。
投資家はパウエル議長の現実逃避を横目に仕事をするだけである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12500
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/139.html

[番外地9] 小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。
CIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。

小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。

現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。

相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
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2000年7月16日付、「琉球新報」によると、1968年11月に行われた沖縄の日本「返還」後初の沖縄知事選挙(当時は主席公選と呼んだ)において、米国CIAが自民党の知事候補に選挙資金を援助し、自民党を勝たせるように裏工作していた事実が報道されている。

 この記事では、米国大使館から出された、「自民党にCIA資金を選挙の裏金として渡すよう」指示した、68年8月16日付の電文がスクープ掲載されている。

CIAが「日本の政治家の買収資金を提供」するのは、「沖縄での米軍の駐留・永久化」のためであった。歴代自民党政権は、このCIA資金に買収され、「沖縄を米軍に売り渡し」、その見返りにCIA資金の提供を受け、その資金で選挙に「勝利」してきた売国政権でった。

 なお、この沖縄知事選挙で自民党幹部職員として選挙を担当していた金尚氏によると、CIAの代理人として沖縄でCIA資金2000万円の授受を担当していたのは、小泉純一郎元首相である(週刊文春2002年8月15日、22日合併号)。

 小泉純一郎元首相は、40年前からCIA工作員であった。
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CIA極秘ファイルの破壊力 霍見芳浩

これまでに判明していることがある。米国政府がとくに、一九五一年のサンフランシスコ講和条約直前にA級戦犯を解かれた岸信介の要求を入れて、岸の政界復帰のためにCIAの対外工作機密費から毎年、資金と政治的援助を開始して以来、自民党の代々の首相や派閥のボスたちは、「米国の日本探偵(エージェント)」として、CIAの機密費を受け取ってきた。このために国務省とCIAは協力して、自民党の首相や派閥ボスたちについて、詳細な「人物と信用調査ファイル」を作成している。

 ○一年一月、ブッシュは小泉より一足先に米大統領になり、四月の日本の自民党総裁選挙では裏から小泉支持に回った。「ブッシュのポチ」としてしつけやすいと見抜いたからだった。私の開くところでは(ブッシュにごく近い筋から)、小泉ファイルを土台にした心理分析で、ブッシュと似た性格で、おだてと脅しの使い分けで自由に操作できるとの人物八卦(はっけ)だった。

万一の場合、脅しの種としていくつかのメニューがあったとされる。

私がCIA筋から聞いた話では、小泉が慶應義塾大学四年生の春に起こしたデートについての不行跡、そしてロンドンヘ逃避(留学名目)した事情がある。

 ○一年四月、小泉首相誕生で、小泉・竹中平蔵・奥田碩(ひろし)(経団連会長)のトリオによるブッシュの振り付けどおりの日本の大改悪が始まった。何が何でも民営化と政府規制撤廃だとして、「新自由主義」だの「市場主義」だのというエセ学理で経済オンチのメディアや人や御用学者を操り、「所得格差は経済成長をもたらす」だの「企業は短期の株価極大で株主に酬いることに専念しろ」だのと日本経済のマネー・ゲームカジノ化を強行した。ブッシュの狙いは日本の金融資産、企業資産、そして科学技術資産の買い叩きと自衛隊の米国傭兵化、つまりブッシュ帝国主義の海外膨張に日本の人、もの、金を使うことだった。

 米企業による日本企業の買い叩きと解体を容易にするために、小泉・竹中・奥田トリオは日米企業株式の交換制度を合法化して、これに法人税上の優遇措置までつけた。そして、九〇年代半ばから進行していた労慟基準法のなし崩し改悪を一気に推し進めて、偽装請負、もっぱら派遣、フリーターなどのワーキングプアの増大を作り出した。この行き着くところは今のブッシュ米国の惨状である。製造業の空洞化、貧困の増大、金権主義とマネー・ゲームの跋扈(ばっこ)。そして、ついに金融崩壊から大不況。
http://www.asyura.com/08/senkyo54/msg/365.html

日本の首相といえども、アメリカのいうことを聞かない人物はMP(憲兵)が連れていって、ヘリコプターで吊して脅迫するようなことまでされるということです。

  現に故・竹下登元首相は横田基地のMPに連れて行かれて、飛行機に乗せられ、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」と脅迫されたことが実名で紹介されています。さらに「今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです」とあるのは誰のことを指しているのでしょうか。

  これこそ、病名も分からないまま意識不明となって突然死した小渕元首相のことでしょう。さすがに「横田基地のMPが拉致して行って、海に顔をつけて殺した」とは書けませんので、ここは実名は伏せてあります。しかし、「顔を海に何回も浸ける」とか、「海水が入って頭がおかしくなる」といった大変具体的な表現は、まさに実際に誰かがそのようにされたことを表しています。当時の小渕首相のボディーガードも一緒に同行させられて、その様子を目撃した(させられた)のでしょう。そうすることによって、次の首相に対する“警告”の効果もあるからです。

  実は、この「小渕元首相の拉致・暗殺説」を裏づけするような書籍があるのです。  それは、元民主党の参議院議員だった平野貞夫氏が、政界のドロドロとした裏話を綴った『亡国』(展望社)というタイトルの本です。平野貞夫氏は、2004年に政界を引退しています。


それにしても、平野氏はよくここまで暴露する記事を書けたものだと、その勇気に感心しています。ただ、日本の政治をコントロールしている“アメリカの影”についてはまったく触れていませんので、やはりタブーとされる部分は避けていることがうかがえます。
 
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki006.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/140.html

[番外地9] コイズミの学生時代のレイプ事件、今になって海外のマスコミが次々と取り上げ始め、もう、10ヶ国以上の新聞で叩かれている。
コイズミの学生時代のレイプ事件、今になって海外のマスコミが次々と取り上げ始め、もう、10ヶ国以上の新聞で叩かれている。そして、その内容は、「レイプ犯を総理大臣にしている呆れた国」と言うもので、コイズミのことじゃなくて、あたしたち国民がバカにされてるのだ。

前にもチョコっと書いたけど、どんな事件なのか簡単に説明すると、コイズミは慶応大学時代に、「慶応横須賀学生会」って言うサークルの会長をやってて、名前は固いけど、ようするにスーパーフリーとまったく同じで、女性をレイプするためのサークルだったのだ。女子大生だけじゃなく、下は女子高生から上はOLまで、手当たり次第に女性をワナにかけ、泥酔させて、海岸や草むら、仲間の部屋などでレイプを繰り返していたのだ。その上、地元の横須賀だけじゃ物足りなくなり、他の地域にまで女性を物色しに行く、ナンパツアーまで行なっていた。このサークルに所属していた当時のメンバーの証言によると、このナンパツアーのことをサークル内では、「出張」と言う隠語で呼んでいて、コイズミは、この「出張」に行く時は、身元を隠すために、「結城純一郎」と言う偽名を使っていたのだ。

また、レイプのことは、「やっつける」と言う隠語で呼んでいて、つまり、「おい、やっつけに出張に行くぞ!」って言えば、「女をレイプしに遠出するぞ!」ってことだったのだ。遊び感覚で仲間うちの隠語まで作り、何十人もの女性をレイプし続けた凶悪犯、コイズミ。

数十回にも及ぶレイプの果てに、コイズミはようやく神奈川県警に逮捕されたんだけど、防衛庁長官のオヤジが県警に圧力をかけ、この事件をもみ消したのだ。スーパーフリーの和田被告に、懲役14年が求刑されたけど、コイズミのオヤジが権力者じゃなかったら、間違いなく和田被告以上の刑になっていただろう。その上、このバカオヤジは、ホトボリがさめるまでニポンにいないほうがいいだろうって考えて、留学って名目で、コイズミをイギリスへ遊びに行かせたのだ。そして、行った先のイギリスでも、オヤジのコネで無理やりに入ったロンドン大学にはまったく通わず、セックス三昧の毎日を過ごし、結局、1単位も取得できなかったコイズミ。

そして、留学中にバカオヤジが死んだので、仕方なくニポンに帰って来て、あとは皆さんご存知の通り、代議士の秘書になり、コネで不動産会社の幽霊社員にもなり、1日も出勤してないのに給料やボーナスをもらいながら、嘘と性欲で固めた口先だけの人生を歩んで来たのだ。

早稲田大学時代に、何度も何度も女性を買って、しまいには売春で逮捕されちゃった森喜朗前総理。そして、そんな最低な犯罪者、森喜朗なんかを尊敬してるって言うコイズミは、売春どころか、女性をだまして泥酔させ、レイプするサークルまで作ってた大犯罪者だ。どうやら、この「性犯罪早慶戦」は、コイズミのほうに軍配が上がりそうだけど、それにしても、これだけの犯罪を犯し、闇献金を受け続け、下品な下ネタを連発し、還暦を過ぎても「右手が恋人」だなんて言い放つ変質者をこれ以上、野放しにしておいてもいいんだろうか? ニポン中でドラクエをやってる300万人の人たちは、モンスターなんか倒してる場合じゃなくて、このバカの頭をハイテンションなヤンガスの斧で、思いっきりぶっ叩いてやったほうが世の中のためになるんじゃないだろうか?‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20041208

慶応大学4年の時に、同じ慶応大学の女学生に対する強姦の容疑で神奈川県警に逮捕され、その後のロンドン留学中に、イギリス人女性に対する暴行未遂で訴えられ、ニポンに戻って来て、代議士になってからも、女子高生に対する強姦で逮捕されているレイプ魔、コイズミは、これらの前科情報を警視庁に正直に話さなくちゃならないワケだ。だって、2度も逮捕されてるのに、1度目は親父の圧力でもみ消して、2度目は福田赳夫の圧力でもみ消したから、調書も訴状も残ってない。だから、自分の口で話してもらわなくちゃならない。

それにしても、自分が性犯罪の権化なのに、性犯罪者の再犯防止策に賛成するなんて、コイズミって、あの薄汚い長髪のせいで、脳に酸素が行ってないんじゃないの?(笑)

ちなみに、1度目のレイプ事件で逮捕された大学4年の時って、1967年の4月なんだけど、コイズミが生まれたのは、1942年1月8日なので、計算すると25才ってことになる。これは、県立横須賀高校時代から、親に小遣いをせびり、ナンパだ飲酒だギャンブルだと遊びまくってたコイズミは、親のコネがあったのにも関わらず、ほとんどのテストが30点以下だったので、大学に入るのに2浪もしたからだ。それも、力を持ってる教授2人に、一口200万円の寄付金を5口ずつ、合計2000万円もワイロを贈り、やっとのことで裏口入学できたのだ。

その上、入学してからは、スーパーフリーのような強姦サークルを作って、連日レイプに明け暮れていたため、2年も留年した。そして、3回目の留年が決定したのが、1967年の3月、レイプ事件で逮捕されたのが4月、親父の圧力でもみ消したはいいけど、ウワサが広まるのを怖れて、嫌がるコイズミを親父が無理やりにロンドンへ留学させたのが5月。だから、大学4年なのに25才って言う、おかしなことになるのだ。

ここで、ひとつ、ツジツマの合わないことがある。コイズミが公式発表してる経歴には、「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業、ロンドン大学留学」って書いてある。つまり、慶応大学を卒業してから、ロンドン大学に留学したって言うように読める。だけど、本当は、1967年の3月には3回目の留年が決定して、4月にレイプ事件で逮捕された時には、4年生として慶応大学に在籍してた。そして、大学には休学届けを出して、5月からロンドンへ留学したのだ。

コイズミの書いてる経歴がホントなら、1967年の3月に慶応大学を卒業して、4月にロンドンへ留学してなくちゃ、ツジツマが合わない。だけど、実際は、新学期が始まった4月の時点でも、4年生として慶応大学に在籍してて、ニポンに住んでたのだ。婦女暴行で逮捕された事実は、親父の力でもみ消すことはできたかも知れないけど、この時点で大学の単位が足りずに留年していたと言う事実、つまり、1967年の3月には卒業できずに、4月からも4年生に在籍してたって言う事実は、改ざんできないのだ。

そして、2年間のロンドン大学の在学中も、たった1単位も取ってなくて、連日SMクラブに通い、暴行事件まで起こしている。親父の急逝でニポンに帰って来てからは、すぐに福田赳夫の秘書になったんだから、慶応大学には戻ってない。それに、もしも、秘書をやりながら大学へ通い、不足してた単位を取ってちゃんと卒業したって言うのなら、卒業は1967年じゃなくて、1970年てことになる。だから、「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業」って言うのは、完全に学歴詐称であって、コイズミは大学を卒業していないのだ。


http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/141.html

[番外地9] プチエンジェル事件 (中国政府が日本の皇族・政治家・官僚をハニートラップにかけた事件)
今上天皇が中国のエージェントになった理由
プチエンジェル事件 (中国政府が日本の皇族・政治家・官僚をハニートラップにかけた事件)
今から16年前の2003年、小学6年生の女子児童を渋谷でスカウトして赤坂のウイークリーマンションに監禁した、
小児買春組織の事件。この組織の顧客リストに、当時皇太子だった徳仁氏の名前があった。
皇室全般画像掲示板を読んでたら、
『プチエンジェルの顧客名簿に名前が載ってたのって秋篠宮だよ!』
などと、東宮擁護工作員が騒いでいた。ヤフコメでも言ってるらしい。
とのこと。
これではっきりした。顧客リストに徳仁氏の名前があったというのは間違いないということだ。
しかも、秋篠宮文仁様に罪をなすりつける必要まで出てきた、ということだ。
あんた15年前、小学生買ってたの?、最低ね皇太子役だったくせに。
君だって国連大学にヤリ部屋持って六本木の白人買ってたでしょ、雅子さん。
この時、どうやって女子児童をマンションにおびき寄せたかというと、
「事務所の掃除をしてほしい。学校でやってる掃除と同じ。1万円払う。」
そう言って誘った。
女子児童は、掃除ごときで1万円がもらえるならと騙され、監禁された。
その後は、「同じように女子児童をスカウトして来い、そうしないと児童ポルノに出演させる。」と
脅し、被害者を加害者側に引きずり込んだ。
被害女児は、犯罪に加担してしまった罪悪感を植え付けられ、なかなか警察に通報することができなかった。
あれから15年。彼女たちの心の傷は癒えたのだろうか。
*監禁された四人の少女は、まだ若いのになぜか皆異なる死因で命を落としていた。
たとえもし被害者である彼女たちが、生きていて発言できる立場であったとしても、
日本人なのだから、ch ousen 人と違って「金になるから売春してたことを名乗りでろ」なんて
言われたとしても、決して出てこられなかっただろう。
そういう国民性に付け込まれた事件でもある。
もみ消すのが宮内庁の仕事です。
犯人は、練炭自殺(練炭自殺は、南ch ousen でポピュラーな自殺法)←不審な点が多い
宮内庁も皇太子も、コメント無し。
真実は闇の中。
小児性愛は、欧米では大物政治家であっても、バレたら一発アウト。
大臣であっても即辞職に追い込まれ、敗者復活は無い。
PCに、ポルノ画像や動画があったという事で発覚する。
日本の警察、検察が、皇太子のPCを調べるなんて思えない。
ハッキング?そんな事、スパイ防止法もない日本で出来る訳がない。
この疑惑を残したままで、天皇に即位するのは、国際常識として極めて難しい。
だから、15年たった今、徳仁皇太子側の反日勢力は、事件を必死に風化させた。
でも、15年の年月が、情報環境を変えた。
さあ、プチエンジェル事件を再び蒸し返そう、国民の手で。
なお、反日国である中国や北ch ousen、ka nkoku は、小児性愛者が極めて多く
小児ポルノも多く出回っている。
https://naruzu3.exblog.jp/29341158/

ああ、ロリだからな徳仁は。やっぱりそっちを取ったかw
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1421909392/


32 :可愛い奥様@避難所生活:2014/02/03(月) 17:59:49 ID:68.HsP5o

ローリーと言えば、プチエンジェル。
タトムもいっちょ噛みしていたと噂されていましたねぇ。
時系列的にマサ丼&準皇族ご一行様の狼藉具合と照らし合わせると、面白い妄想が出来るかも知れませんねw


39 :可愛い奥様@避難所生活:2014/02/04(火) 11:31:23 ID:sSD5QI8o
>>34
owd(中川註:小和田)が皇室の弱みを握ってるってよく聴くけど
ナルのプチエン遊びのことかな?
あの人若い頃は巨乳好きでロリってイメージじゃなかったんだけど
でもブルックシールズのデビュー作って思っきしロリなのよね(プリティベイビー)
青い珊瑚礁の時でも15歳だもんな


806 :可愛い奥様@避難所生活:2014/03/13(木) 14:44:41 ID:VPmj/kMM
ヒント:ロリコン
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/news/5135/1391054484/-100


789 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 12:06:45.39 ID:cmQqIkIl0.net[2/2]

そう言えばプチエンの話題で唐突に秋篠宮殿下のお名前を出してきたり、異様だったな。
いつもの●の行動パターンなら東宮が絡んでるとしか思えんぞ。


790 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 12:16:29.97 ID:5q0BW7LL0.net[3/3]

そっか・・・
じゃあ、取引材料かな
認めざる負えない証拠、次々と事件発覚
で、関わっている各擁護勢力の力が衰える展開
お手上げ、身を引く代わりに不問?
廃太子に出来るなら致し方なしとか


791 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 12:55:22.54 ID:n3SWW+i5O.net

全てowd(中川註:小和田)一味がやったことなので
無条件廃妃・現盗宮家劣り潰しでおk

 

800 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 14:20:14.12 ID:jqePko710.net[1/3]
プチエンはマサが関係?それにナルだよ、ナる。
今だって学習院で運動会、幼女の写真撮りまくり。
アーヤじゃないよ、ナル。自分より小さいヨウジョに・・・


806 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 16:03:22.76 ID:cbuHdh5qO.net[1/7]
>>796
ナルは愛子の運動会でも女子小学生を撮りまくるロリコン。
モテないし妻の雅と新婚時から寝室は別。
昔イギリス留学時にそっち関係の遊びをお付きの人が同行したと、過去スレ。
秋篠宮殿下は紀子様とラブラブ。愛人報道は捏造。タイの王女の写真付証言あり。


700 :名無しさん@お腹いっぱい2011/03/30(水) 09:58:06.58 ID:???.
兄。嗜好は学友の間でも有名である。英国留学の際のエピソードあり。
常に側近が同行している。
妃の入内に関わりありとの噂→小和田恒


701:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 14:11:37.11 ID:???
12歳当時の雅子様の写真とプチトマト(中川註:ロリ写真集)に掲載されていた少女の一人がそっくりだった件w
ちなみに清岡女史は元華族


709:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 10:03:47.11 ID:???
>>701
なにそれ?


710:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 13:06:24.68 ID:???
>>709
それ、ロリコンにしかわからない隠語のようなもんだから
気にすんな!w
http://shimasoku.com/kakolog/read/archives/1146071493/

812 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 17:39:56.49 ID:vA0p93nx0.net[5/5]
>>808
ヒサシジジンもマサが本当の娘じゃないから手を出して売り飛ばしたんじゃないのって噂があった。
プチエンの前はプチ○マの話がかつて出たよ。
嘘か誠か不明だけどプチ○マにスレタイらしき少女が居たって。
裏で実はある部署が絡んでいる説もある、あの女性写真家はいつ死んだかも分からない。
国会図書館でも、この手の本は既に閲覧禁止になっている。

スレタイ妻が中学生から野球選手の追っかけやってた、というのは
性的な部分が発達しすぎていたというより幼少期にすでに壊れたんじゃないか?


813 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/28(木) 17:57:51.66 ID:cbuHdh5qO.net[4/7]
>>812
そのような事が書いてあるblogを前に読みました。
ジジンもプチ○ンで脅迫されていると書いてありました。
死んだ女性写真家ってのは初めて知りました。
よくわからないけど口封じ?裏の世界は汚くて怖い。

882 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/29(金) 13:32:06.65 ID:iqgRfbuUO.net[3/4]
あるblogより→2012/01/0901:31

東宮家の渡仏渡英予定も麻薬利権がらみ?
プチ○ン事件で脅迫されて○璽を持ち出し…
オランダ静養日本出国時の大量スーツケースの中身は?
帰国時 中身は麻薬?国連大学○本木で売りさばく?  
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/142.html

[近代史4] アメリカ人の家計は火の車だった のしかかる住宅、医療、教育費 中川隆
3. 中川隆[-6898] koaQ7Jey 2021年3月05日 21:50:31 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[35]
2021年02月23日
アメリカは借金で経済成長を買い、一般家庭に押し付けた
http://www.thutmosev.com/archives/72982065.html

借金や毎月の支払い、増えない賃金、上がる物価がアメリカの一般家庭を圧迫している

引用:カリフォルニアの住宅http://img-cdn.jg.jugem.jp/252/475963/20100416_622236.jpg

アメリカは借金で経済成長を買っている

アメリカはリーマンショック以来、10年にも渡って経済成長を続けてきました。

成長の枝葉を見ればIT産業の隆盛だが、もっと根元の部分に注目すると、債務と成長率の交換だと言える。

リーマンショックの時、ブッシュ政権時代に米国の公的債務は約30兆ドルと言われていました。

それが今では50兆ドル以上と言われていて、日本政府が言っている1050兆円の4倍以上に相当する。

アメリカは連邦制なので公式発表している「国の借金」は連邦債務だけであり、国全体の公的債務は通常は公開されない。

米ソ冷戦時代には国の借金は国家機密として守られていて、現在も公表されていません。


シリコンバレーという米IT企業の総本山は、米国防省が核ミサイルなどの研究を外部委託して始まった軍需城下町です。

アメリカは年間数十兆円もの軍事予算を投入するので研究費も莫大であり、膨大な軍事研究費は米IT企業を作りました。

初期の研究はマンハッタン計画すなわち日本に原子爆弾を投下することで、アポロ計画でも莫大な投資が行われました。


こうした『公共事業』がシリコンバレーやマイクロソフトを形成したので、おめでたい有識者が言うような創造性とは何の関係もありません。

アメリカがリーマンショック後に行ったのも、要するに公共事業を行って景気を良くするという事でした。

10年間で2000兆円以上も、アメリカの借金が増えている事実からは、「借金を成長率に交換した」と言えます。

経済成長したのに貧しくなった

借金と成長率の交換は中国も行っていて、中国のGDPはアメリカの7割なのに、既に3,000兆円以上の借金があると言われています。

こうした数字を掲げているのは世界的な経済メディア、格付け会社、大手投資機関などで、事実だと考えられます。

経済の基礎として「資産=負債」で両者は必ず釣り合うので、経済成長して資産が増加すれば、同じ金額の借金がどこかで増加した筈です。


アメリカと中国に関しては、借金で成長を買ったのだが、この間日本の借金はあまり増えませんでした。

アメリカは成長によって富裕層は莫大な富を増やしたが、富裕層でないほとんどの人は、1980年代より相対的に貧しくなりました。

豊かさは相対的なものなので、自分の給料が増えても平均所得より低いなら、貧しくなった事になります。


借金で成長を買うとこのように、見えない借金によって平均的庶民はどんどん貧しくなって行きます。

例えばアメリカではインターネットが通じない地域に住む人が2000万人居て、金にならないのでずっと放置されています。

こうした地域は大きな医療施設もなく、教育施設も限られていて、近代的な就職先も存在しません。


アメリカは10年間経済成長したのだが、最近は賃金上昇率が年3%未満に留まっています。

アメリカのインフレ率が年2%以上なのを考慮すると、実質的な賃金上昇は限りなくゼロに接近しています。

米IT企業たちはますます繁栄しているが、ITと無関係な労働者たちはどんどん貧しくなっています。

成長で置き去りになった低所得者

成長しても賃金が上がらないのは世界的な傾向で、ITやAIのせいとも言われるが、理由は良く分かっていません。

一般的労働者の収入は増えないのに、経済成長によって家賃や公共料金は値上げされています。

最近では大学進学率が上がった結果、大学に行かなくては「まともな職」につけなくなり、大学ローンの負担も増加しました。


家賃や自動車リースなど借金以外の毎月の支払いは平均5.5%で、最悪だった1980年代と同水準になりました。

アメリカで持ち家世帯の年収は6万3400ドルなのに、借家世帯の年収は2万7800ドルに過ぎません。

アメリカで自動車は不可欠だが、買うよりリースする人が増えています。


だが自動車リースは、当たり前だが購入するより支払い金額が多くなり、さらに支出を増やしています。

自動車リースを利用するのは現金を用意できない低所得者だが、リースを利用すると支出が増えてしまいます。

携帯電話やインターネット料金も1980年代の過去にはなかった物で、一般労働者の生活を苦しめています。


これらの始末が悪いのは、必ず必要で、永続的に支払いが続き、逃れる事が出来ない点です。

さらにアメリカの医療費の高さは有名で、オバマケアで改善されたが、高い事に変わりはありません。

アメリカでは国全体のホームレス集計をしていないが、各地を合計すると推定で10万人程度ではないかと言われています。


さらに貧困家庭が4500万人以上、貧困予備軍が1億人とも言われています。

一度貧困予備になってしまうと毎月の支払いで圧迫されて、そこから這い上がるのが難しいです。

結局成長の豊かさはビルゲイツのような富裕層が甘受し、成長のための借金は貧困層に押し付けられるのです。

http://www.thutmosev.com/archives/72982065.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/964.html#c3

[近代史4] アメリカGDPのまやかし 富裕層以外はマイナス成長だった 中川隆
2. 中川隆[-6897] koaQ7Jey 2021年3月05日 21:51:02 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[36]
2021年02月23日
アメリカは借金で経済成長を買い、一般家庭に押し付けた
http://www.thutmosev.com/archives/72982065.html

借金や毎月の支払い、増えない賃金、上がる物価がアメリカの一般家庭を圧迫している

引用:カリフォルニアの住宅http://img-cdn.jg.jugem.jp/252/475963/20100416_622236.jpg

アメリカは借金で経済成長を買っている

アメリカはリーマンショック以来、10年にも渡って経済成長を続けてきました。

成長の枝葉を見ればIT産業の隆盛だが、もっと根元の部分に注目すると、債務と成長率の交換だと言える。

リーマンショックの時、ブッシュ政権時代に米国の公的債務は約30兆ドルと言われていました。

それが今では50兆ドル以上と言われていて、日本政府が言っている1050兆円の4倍以上に相当する。

アメリカは連邦制なので公式発表している「国の借金」は連邦債務だけであり、国全体の公的債務は通常は公開されない。

米ソ冷戦時代には国の借金は国家機密として守られていて、現在も公表されていません。


シリコンバレーという米IT企業の総本山は、米国防省が核ミサイルなどの研究を外部委託して始まった軍需城下町です。

アメリカは年間数十兆円もの軍事予算を投入するので研究費も莫大であり、膨大な軍事研究費は米IT企業を作りました。

初期の研究はマンハッタン計画すなわち日本に原子爆弾を投下することで、アポロ計画でも莫大な投資が行われました。


こうした『公共事業』がシリコンバレーやマイクロソフトを形成したので、おめでたい有識者が言うような創造性とは何の関係もありません。

アメリカがリーマンショック後に行ったのも、要するに公共事業を行って景気を良くするという事でした。

10年間で2000兆円以上も、アメリカの借金が増えている事実からは、「借金を成長率に交換した」と言えます。

経済成長したのに貧しくなった

借金と成長率の交換は中国も行っていて、中国のGDPはアメリカの7割なのに、既に3,000兆円以上の借金があると言われています。

こうした数字を掲げているのは世界的な経済メディア、格付け会社、大手投資機関などで、事実だと考えられます。

経済の基礎として「資産=負債」で両者は必ず釣り合うので、経済成長して資産が増加すれば、同じ金額の借金がどこかで増加した筈です。


アメリカと中国に関しては、借金で成長を買ったのだが、この間日本の借金はあまり増えませんでした。

アメリカは成長によって富裕層は莫大な富を増やしたが、富裕層でないほとんどの人は、1980年代より相対的に貧しくなりました。

豊かさは相対的なものなので、自分の給料が増えても平均所得より低いなら、貧しくなった事になります。


借金で成長を買うとこのように、見えない借金によって平均的庶民はどんどん貧しくなって行きます。

例えばアメリカではインターネットが通じない地域に住む人が2000万人居て、金にならないのでずっと放置されています。

こうした地域は大きな医療施設もなく、教育施設も限られていて、近代的な就職先も存在しません。


アメリカは10年間経済成長したのだが、最近は賃金上昇率が年3%未満に留まっています。

アメリカのインフレ率が年2%以上なのを考慮すると、実質的な賃金上昇は限りなくゼロに接近しています。

米IT企業たちはますます繁栄しているが、ITと無関係な労働者たちはどんどん貧しくなっています。

成長で置き去りになった低所得者

成長しても賃金が上がらないのは世界的な傾向で、ITやAIのせいとも言われるが、理由は良く分かっていません。

一般的労働者の収入は増えないのに、経済成長によって家賃や公共料金は値上げされています。

最近では大学進学率が上がった結果、大学に行かなくては「まともな職」につけなくなり、大学ローンの負担も増加しました。


家賃や自動車リースなど借金以外の毎月の支払いは平均5.5%で、最悪だった1980年代と同水準になりました。

アメリカで持ち家世帯の年収は6万3400ドルなのに、借家世帯の年収は2万7800ドルに過ぎません。

アメリカで自動車は不可欠だが、買うよりリースする人が増えています。


だが自動車リースは、当たり前だが購入するより支払い金額が多くなり、さらに支出を増やしています。

自動車リースを利用するのは現金を用意できない低所得者だが、リースを利用すると支出が増えてしまいます。

携帯電話やインターネット料金も1980年代の過去にはなかった物で、一般労働者の生活を苦しめています。


これらの始末が悪いのは、必ず必要で、永続的に支払いが続き、逃れる事が出来ない点です。

さらにアメリカの医療費の高さは有名で、オバマケアで改善されたが、高い事に変わりはありません。

アメリカでは国全体のホームレス集計をしていないが、各地を合計すると推定で10万人程度ではないかと言われています。


さらに貧困家庭が4500万人以上、貧困予備軍が1億人とも言われています。

一度貧困予備になってしまうと毎月の支払いで圧迫されて、そこから這い上がるのが難しいです。

結局成長の豊かさはビルゲイツのような富裕層が甘受し、成長のための借金は貧困層に押し付けられるのです。

http://www.thutmosev.com/archives/72982065.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/877.html#c2

[番外地8] 日本の周りの国にはアイヌ人の遺伝子に近い民族は一つも居ないんだよ。アイヌ語に近い言葉を話す民族も一つもない
日本の周りの国にはアイヌ人の遺伝子に近い民族は一つも居ないんだよ。アイヌ語に近い言葉を話す民族も一つもない。
しかし、沖縄や東北・関東や島根の人間の遺伝子はアイヌに近い、島根や九州や沖縄の方言はアイヌ語に近い。
それからカムイとかラマットとか藻岩山とか日本の縄文時代から伝わる古神道の用語はアイヌ語と全く同じだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/914.html
[近代史5] 凶悪犯罪関係投稿集 中川隆
1. 中川隆[-6896] koaQ7Jey 2021年3月06日 06:22:03 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[1]
「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1132.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/395.html#c1
[近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
30. 中川隆[-6895] koaQ7Jey 2021年3月06日 07:31:53 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[2]
雑記帳 2021年03月06日
楊海英『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_6.html


 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2019年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は独裁の観点からの中国近現代史です。本書は中国共産党を主要な対象としていますが、政権獲得(中華人民共和国成立)前の共産党だけではなく、孫文にまでさかのぼって現代中国の起源を検証します。新書となると、古い時代までさかのぼるよりは、孫文から見ていく方が、分量の点からも適切かもしれません。本書は孫文について、漢民族至上主義的なところがあった、と指摘します。現代中国の民族問題を考えるうえで、孫文にまでさかのぼることは重要だと思います。中国共産党には伝統的な秘密結社の性格が多分にあった、との見解も重要だと思います。現在、中国は事実上共産党の一党独裁制ですが、当初強かった秘密結社的性格が現在の有り様を規定するところはあると思います。

 本書は、国民党と共産党との組織体質や理念の類似性、さらには第一次国共合作において、まだ小勢力だった共産党が国民党に寄生する側面もあったことを指摘します。まだ小勢力だった共産党は、国民党との違いを打ち出そうとします。それは、コミンテルンとの類似性の強調と、民族政策でした。国民党が、孫文の漢民族至上主義方針を継承したのに対して、共産党は各民族の自立、対等の立場での民主共和国の設立を主張しました。一方で共産党は、モンゴルやチベットやウイグルは遊牧など原始状態にあり、それを支援するのが共産党の任務とも主張しました。マルクス史観を根拠に、諸民族を序列化する意識がすでに見られたわけです。とはいえ、当時の共産党は、漢民族による少数民族の植民地支配の見直しと、各民族の独立を主張していました。しかし本書は、こうした主張が野党的な立場にいた時だけだったことを指摘します。

 結成当初、知識人と富裕層が主導していた共産党を変えたのは毛沢東でした。第一次国共合作の破綻により、共産党は国民党に迫害される立場に追い込まれ、農村部に逃亡します。この時、農民をまとめあげて軍隊に組織していったのが毛沢東でした。毛沢東は地主や富農を敵視し、その土地や財産を没収して貧農に分配する「土地革命」により農村に勢力を拡大していこうとしました。しかし、地主や富農は農村の指導者でもあり、毛沢東の思惑通りには支持は拡大しませんでした。

 この状況で国民党からの攻撃を受けた共産党は、延安まで長距離の敗走を余儀なくされ、途中で略奪もしましたが、これを「長征」と輝かしい歴史であるかのように語りました。この過程で、共産党の一方面軍はイスラム軍閥に壊滅させられます。毛沢東は延安で、厳格な等級制を導入し、密告を推奨しました。共産党はモンゴルの有力者と義兄弟の契りを結び、独立を約束するなどして協力関係を築いていきました。抗日戦争における共産党の役割について、本書はかなり厳しいというか、中華人民共和国の体制教義とは正反対に近いような見解を提示します。この問題に関しては不勉強なので、本書の見解がどこまで妥当なのか、的確に判断できませんが、一般的に、中華人民共和国の体制教義をそのまま受容することにはもはや大きな無理がある、と言うべきでしょう。

 第二次世界大戦で日本が敗北した後、中国では国共内戦が再開され、アメリカ合衆国だけではなく、ソ連も国民党の統治を想定していましたが、共産党が勝ち、中華人民共和国が成立します。本書はその理由として、抗日戦争でおもに日本軍と戦った国民党軍が疲弊していたのに対して、共産党軍は戦力を温存していたことと、ソ連軍が一時的に満州を占拠し、日本軍の兵器が共産党軍に渡ったことを挙げます。また本書は、国共内戦における長春包囲戦など、共産党の残虐性を強調します。確かに、中華人民共和国(共産党政権)の体制教義を鵜呑みにすることはひじょうに危険ですが、共産党の勝因やその残虐さの度合いに関しては、今後も少しずつ調べていくつもりです。

 本書は中華人民共和国には三つの側面がある、と指摘します。それは、古くからの王朝支配、ダイチン・グルン(大清帝国)を打倒した孫文に始まる「漢民族中心主義」、中国を「更地化」する社会主義イデオロギーで、これらにより毛沢東は「完璧な独裁」を確立した、と本書は指摘します。土地改革も含めてこの過程で、粛清により多くの人が犠牲になりました。毛沢東による独裁は、1950年代後半の反右派闘争でほぼ完成します。

 1950年代の大躍進政策と1960年代の文化大革命により、中国では多数の死者(とくに大躍進政策で)が出て、経済も大打撃を受けました。本書はこの大惨事の要因が、毛沢東という独裁者だけではなく、共産党政権の志向・野望にもあった、と指摘します。本書は文革を、国際的(とくにインドネシアの九・三〇事件)および地方の視点(漢民族から見て「周辺地域」となるチベットやモンゴルやウイグル)と、中華人民共和国で繰り返され、今も続く「粛清の連鎖」との観点から把握します。「周辺地域」では文革期に、漢民族による強圧的支配が進行しました。本書はこの民族浄化の背景に 漢民族中心主義・中華思想があった、と指摘します。今も続く「粛清の連鎖」は、敵の定義の曖昧さと恣意性、誰でもいつまでも敵とみなされる可能性があることです。著者は1989年の天安門事件の直前に日本に留学しますが、これは、当時の学生運動に半ば見切りをつけたためでもあるようです。モンゴル出身の著者にとって民族問題はひじょうに重要でしたが、北京の学生たちの多くは少数民族問題への関心があまりにも低いように、著者には見えたためでした。

 改革開放路線で中国経済は飛躍的に発展しましたが、腐敗も進み、それは一部の不心得者が起こした例外ではなく、構造的必然だ、と本書は指摘します。これは妥当な見解で、現代中国における腐敗と格差の背景には、根深い歴史的問題があると思います(関連記事)。現在の習近平政権は、反腐敗闘争で支持を得ましたが、腐敗は構造的問題なので、現代中国である程度以上の地位にある人間を腐敗の罪状で処分することはいつでも可能で、腐敗を理由とした政敵の追い落としも可能です。じっさい、習近平政権はそうして政敵を失脚させてきたわけで、本書はこれを文革的手法そのものと指摘します。

 なお本書は、人類の起源について世界中のほとんどの学者はアフリカ起源説を基本に研究を進めているものの、中国は例外で、中国の学者だけは、今も中国人は「北京原人」の子孫で、人類の起源は中国と主張し続けている、と指摘しています。しかし、そもそも以前に中国で主流だった見解は、各地域の現代人の起源は基本的にその地域の太古の人類集団にまでさかのぼり、それは中国も同様とする多地域進化説的な見解で、人類の起源は中国とまで主張した中国人研究者はほとんどいなかったでしょう。また、現在では中国のとくに遺伝学の研究者のほとんどは、基本的に現代人のアフリカ起源説を認めていると言えるでしょう。さらにさかのぼって人類というかホモ属の起源に関しても、自然人類学の研究者たちの多くはアフリカ起源説を大前提としているようです。以前、中国人研究者が中心になって、陝西省の212万年前頃の石器を報告した研究が公表されましたが、アフリカ起源説を前提としています(関連記事)。

 このように、本書の見解には誇張されているところも多いと思われ、もちろん鵜呑みにはできません。著者が中華人民共和国(共産党政権)に批判的なのは明らかで、それは少数民族出身であることから仕方のないところもありますが、それ故の行き過ぎは少なからずあるとは思います。その意味で、本書の問題点を挙げて、著者の見解全体が出鱈目であるかのように主張する人もいるでしょう。ただ、誇張や誤りが少なからずあるとしても、本書の中華人民共和国に関する見解には、参考になるものが多いと考えています。
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_6.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c30

[番外地9] アイヌ人の遺伝子は縄文人93%とオホーツク人7%から成っている
アイヌ以前に北海道に居たのは縄文人とオホーツク人だけだよ。
アイヌ人の遺伝子は縄文人93%とオホーツク人7%から成っている。
現在のニブフ人の遺伝子の4割はオホーツク人から来てるけど、ニブフ語はアイヌ語とは全く違う言語だ。シベリアのツングース人の言葉もアイヌ語とは全く違う。アイヌ語は縄文人の言葉という事だ。

擦文文化とオホーツク文化は、700〜900年頃に北海道で並存していましたが、それぞれ異なる生活圏に分布し、基本的には相互交流などの接触関係はひじょうに限定的でした。しかし、10世紀頃に両文化は急激に接触融合していきます。また、こうした接触融合は、北海道の東部と北部で別々に進展した、と考古資料から確認されています。本論文は、資料的にも豊富で研究の蓄積が進んでいる、トビニタイ文化と考古学的に設定された北海道東部の事例に焦点を当てています。トビニタイ文化は、オホーツク文化が擦文文化から人工物や生産・生業技術や居住パターンや生計戦略などの数々の要素を段階的に受け入れ、最終的に擦文文化に吸収・同化されていく移行段階と推定されています。たとえば、トビニタイ文化集団は、最初期のトビニタイ土器を、オホーツク文化の製作技術を用いて、擦文式土器の模様・装飾・器形を模倣して製作していましたが、最終段階ではその技術を完全に習得し、擦文式土器そのものとしか判断できないものを製作するようになります。同様の現象は、住居構造や道具組成などでも確認されています。これらの事例から、トビニタイ文化は、最終的には少なくとも物質文化側面では、擦文文化そのものと区別がつかないものになります。

 一方、擦文文化の側には、オホーツク文化と接触融合し、トビニタイ文化を形成する証拠や動機は確認されていません。そのため、トビニタイ文化は、オホーツク文化側が積極的に擦文文化に同化吸収された過程と想定されています。遺伝学でも、考古資料から導かれたオホーツク文化集団の擦文文化集団への同化吸収が確認されており、現在のアイヌ民族はオホーツク文化集団の遺伝子を相当な割合で継承している、と明らかになっています(関連記事)。北海道東部におけるオホーツク文化と擦文文化の接触融合が起きた理由として、環境変動や政治社会的影響などが提示されています。しかし、そうした仮説の大部分は、具体的かつ充分な考古学的証拠に基づくものではない、と指摘する本論文は、考古資料から両文化の接触融合の要因を検証できる対象として、トビニタイ文化の鉄器を挙げています。

 まずトビニタイ文化の鉄器に関しては、その形態的特徴に基づいて、オホーツク文化から擦文文化に類似するものに置換した、と指摘されています。つまり、トビニタイ文化における鉄器の供給源は、アムール河流域を中心とする北方経路から、本州以南からの南経路に移行した、と推測されます。またオホーツク文化の分布圏は、本州以南の鉄器供給経路と直接的には接していないため、擦文文化を介して鉄器を入手していたと推測されます。もしそうだったなら、北海道東部のオホーツク文化集団は、日常生活を営む上で不可欠な鉄器の安定供給を確保するため、擦文文化との関係性の構築が不可避となり、両文化集団の接触融合が進んだ、と考えられます。こうした接触融合は、オホーツク文化の期間よりも遥かに多くの量の鉄器をトビニタイ文化集団に安定的に供給し、その結果として、日々の社会生活を維持するために不可欠な道具のほとんどを石器から鉄器に置き換えることができた、と推測されます。

 こうした歴史展開を踏まえると、北海道におけるオホーツク文化集団もまた、アイヌ文化形成の潮流に関与している、と理解できます。なぜならば、「原アイヌ期」とされる擦文文化期から中世アイヌ期への移行は、「本土」における交易ネットワークと地域分業への統合過程に起因すると想定されるからです。つまり、遺伝的・文化的に擦文文化集団と異なる系統とされるオホーツク文化集団の消長もまた、アイヌ文化形成の展開のなかの一潮流に統合される、という理解が可能となるわけです。

 本論考は最後に、アイヌ文化形成におけるオホーツク文化の役割について考察しています。オホーツク文化のなかには、中世以降のアイヌ文化形成において重要な関与を果たし、現在までのアイヌの文化遺産として引き継がれている要素が少なからず指摘されています。その最も顕著な事例の一つとして、イオマンテと呼称されるクマの送り儀礼が挙げられます。この儀礼は、アイヌ社会において最も重要な文化的実践とみなされています。しかし、現在まで擦文文化には、クマ送り儀礼の痕跡と言えるような考古資料はきわめて限定的にしか確認されていません。これに対してオホーツク文化の遺跡からは、クマなど動物の送り儀礼に関連すると推察される遺物や遺構が数多く検出されています。この他、アイヌ民族・文化の言語や象徴実践などにも、オホーツク文化に由来すると推察される痕跡が少なからず指摘されています。

 こうした事例から、オホーツク文化集団は、遺伝的にも文化的にもアイヌ民族・文化のもう一つの源流である、と理解できます。この見解は、従来、縄文文化・時代から直接的かつ単線的に語られてきたアイヌ集団の歴史に対する再考と新たな展望を開くものとなるだろう、と本論文は指摘します。さらに本論文は、資料的に限定された先史考古学にとっても、時間的に限定された民族誌調査にとっても、アプローチが困難な異系統集団の接触・融合の仮定と要因を追究する上で、擦文文化とオホーツク文化は有用な参照事例となるだろう、との見通しを提示しています。

https://sicambre.at.webry.info/201911/article_24.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/143.html

[番外地9] 小泉純一郎の性癖 「きっこの日記」の2005年1月15日のブログ 「脳に酸素」1~5
小泉純一郎の性癖
「きっこの日記」の2005年1月15日のブログ 「脳に酸素」1~5
■2005/01/15 (土) 脳に酸素 1
そんなワケで、奈良の女児誘拐殺人事件の犯人、小林薫が、少女に対する性犯罪の前科があったことから、警視庁は、性犯罪者の再犯防止策として、性犯罪者の前科情報や住居情報などを把握する制度を新設する方針を示した。これに対して、コイズミは、「少なくとも警察ではしっかりと把握する必要がある」って述べた。

■2005/01/15 (土) 脳に酸素 2
てことは、慶応大学4年の時に、同じ慶応大学の女学生に対する強姦の容疑で神奈川県警に逮捕され、その後のロンドン留学中に、イギリス人女性に対する暴行未遂で訴えられ、ニポンに戻って来て、代議士になってからも、女子高生に対する強姦で逮捕されているレイプ魔、コイズミは、これらの前科情報を警視庁に正直に話さなくちゃならないワケだ。だって、2度も逮捕されてるのに、1度目は親父の圧力でもみ消して、2度目は福田赳夫の圧力でもみ消したから、調書も訴状も残ってない。だから、自分の口で話してもらわなくちゃならない。

それにしても、自分が性犯罪の権化なのに、性犯罪者の再犯防止策に賛成するなんて、コイズミって、あの薄汚い長髪のせいで、脳に酸素が行ってないんじゃないの?(笑)

ちなみに、1度目のレイプ事件で逮捕された大学4年の時って、1967年の4月なんだけど、コイズミが生まれたのは、1942年1月8日なので、計算すると25才ってことになる。これは、県立横須賀高校時代から、親に小遣いをせびり、ナンパだ飲酒だギャンブルだと遊びまくってたコイズミは、親のコネがあったのにも関わらず、ほとんどのテストが30点以下だったので、大学に入るのに2浪もしたからだ。それも、力を持ってる教授2人に、一口200万円の寄付金を5口ずつ、合計2000万円もワイロを贈り、やっとのことで裏口入学できたのだ。


その上、入学してからは、スーパーフリーのような強姦サークルを作って、連日レイプに明け暮れていたため、2年も留年した。そして、3回目の留年が決定したのが、1967年の3月、レイプ事件で逮捕されたのが4月、親父の圧力でもみ消したはいいけど、ウワサが広まるのを怖れて、嫌がるコイズミを親父が無理やりにロンドンへ留学させたのが5月。だから、大学4年なのに25才って言う、おかしなことになるのだ。

ここで、ひとつ、ツジツマの合わないことがある。コイズミが公式発表してる経歴には、「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業、ロンドン大学留学」って書いてある。つまり、慶応大学を卒業してから、ロンドン大学に留学したって言うように読める。だけど、本当は、1967年の3月には3回目の留年が決定して、4月にレイプ事件で逮捕された時には、4年生として慶応大学に在籍してた。そして、大学には休学届けを出して、5月からロンドンへ留学したのだ。

■2005/01/15 (土) 脳に酸素 3
コイズミの書いてる経歴がホントなら、1967年の3月に慶応大学を卒業して、4月にロンドンへ留学してなくちゃ、ツジツマが合わない。だけど、実際は、新学期が始まった4月の時点でも、4年生として慶応大学に在籍してて、ニポンに住んでたのだ。婦女暴行で逮捕された事実は、親父の力でもみ消すことはできたかも知れないけど、この時点で大学の単位が足りずに留年していたと言う事実、つまり、1967年の3月には卒業できずに、4月からも4年生に在籍してたって言う事実は、改ざんできないのだ。

そして、2年間のロンドン大学の在学中も、たった1単位も取ってなくて、連日SMクラブに通い、暴行事件まで起こしている。親父の急逝でニポンに帰って来てからは、すぐに福田赳夫の秘書になったんだから、慶応大学には戻ってない。それに、もしも、秘書をやりながら大学へ通い、不足してた単位を取ってちゃんと卒業したって言うのなら、卒業は1967年じゃなくて、1970年てことになる。だから、「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業」って言うのは、完全に学歴詐称であって、コイズミは大学を卒業していないのだ。

話は変わって、コイズミが代議士になってから、10年近くも通いつめてた六本木のSMクラブは、今はなくなっちゃったけど、当時は東京のSMクラブの老舗で、コイズミ以外にも、何人もの政治家や財界人たちがメンバーになってた。でも、ほとんどの政治家がマゾだったのに対して、生粋のサディスト、コイズミは、SMクラブのコースメニューにある通常のプレイでは満足できずに、毎回、特別料金を払って、相手の女性が失神するまで、何時間でも責め続けたそうだ。

当時、何度もコイズミの相手をしたことがあると言う女性は、「小泉先生のお相手をすると、(激しく痛めつけられるため)2〜3日はクラブに出勤できなくなるので、そのぶんのお手当てもいただいていました」と語っている。また、この女性によると、コイズミは、さんざん痛めつけた最後に、女性を大の字に寝かせ、両方の二の腕を両足で踏みつけ、仁王立ちして、笑いながら女性の顔面に放尿したそうだ。この女性は、その時の高笑いをするコイズミの顔は、今でも決して忘れることはできないと言っている。

■2005/01/15 (土) 脳に酸素 4
こう言ったプレイは、ちゃんと所定のクラブへ行って、所定の料金を払ってやってるんだから、犯罪じゃない。だから、誰も裁くことはできないし、個人の自由だと思う。だけど、コイズミが、一国の総理としてふさわしいかどうかを判断する場合には、大きな要因になるだろう。

でも、SMクラブでのハレンチ極まりない姿は別としても、高校時代から遊びまくり、浪人時代の2年間、慶応大学時代の6年間、留学中の2年間、そして代議士になってからも、ずっと女性をレイプし続けて来た性犯罪者、コイズミの前科や経歴は、性犯罪者の再犯防止のために、公にしなくちゃならない。だって、コイズミ自身が、警視庁の方針に賛成してるんだから。だけど、新聞記事を最後まで読んだあたしは、どこまでもコソクなコイズミの周到さに、唖然とした。コイズミは、「(性犯罪者の前科情報などを)少なくとも警察ではしっかりと把握する必要がある」って言ったあと、次のように付け足していたのだ。

「(しかし)住民に知らせるのは問題で、米国でやっているようなものはなかなか難しい」

つまり、警察の内部だけは性犯罪者の情報を把握してたほうがいいけど、地域住民への開示には反対だって言ってる。これって、何かおかしいと思う。だって、警察の内部にだけしか情報を知らせず、一般には開示しないってことは、地域住民は自衛することができないから、今と何ひとつ変わらないじゃん。結局、同じような性犯罪が繰り返され、事件が起こってから、犯人を特定したり捜査したりする段階になって、初めて警察が把握してる情報が役に立つってだけじゃん。

今回の方針の骨子は、あくまでも「再犯防止」なんだから、変質者の情報を一般に開示して、地域住民が気をつけるようにしない限り、何の効果もない。それとも、警察だけが情報を把握してて、それでも再犯防止につながるってことは、地域に潜む何人もの変質者に、マンツーマンで私服刑事が張り付いて、24時間監視でもしてくれるって言うの?

いくら性犯罪の前科があるって言っても、それでも人間である以上、人権はあるワケで、そんなヤツラの人権でも擁護すべきだって考える人たちもいるだろう。それだったら、今までと同じに、地域住民だけでなく、警察にも、前科者の個人情報を知らせるべきじゃない。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/144.html

[番外地9] 「小泉純一郎という男がいる。この男、極度のハードS(サディスト)というのは政治家の間では有名な話である
「小泉純一郎という男がいる。この男、極度のハードS(サディスト)というのは政治家の間では有名な話である。なんでも、『小泉部屋』なるSMルームを作らせ、日夜励んでいるとか。このハードSの小泉という男は、女の子のクビを絞めながらプレイするのが好きなんだそうだ。なんでも『締りがよくなるから』らしいのだが、全くもって噂どおりの変人、変態である」(「噂の真相」、ジャーナリストの二階堂豹介氏の公開日記、2003.10.3)とある。


「都内の有名SMクラブ『M』に、郵政大臣時代の小泉が足繁く通っていたとの情報がある。首相に就任した後も総理公邸にSM嬢が“出張”していたともいわれる。(中略) 

本誌はこのSM嬢を特定、その女性と親しい人物と接触することに成功したのだ。このSM嬢と親しい人物が語る。『彼女から小泉のことを聞いたことがあります。彼女は女王サマではなく、小泉の方がSだと聞いた』。

そこで彼女にも連絡を取ってもらったが、『まだ仕事をしているし、しゃべることはできない』との返事。(後略)」(「噂の真相」2004.4別冊)。

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小泉に関しては、2004年2月に「ロンドン大学留学疑惑事件」と「レイプ事件」が発覚したことがあった。これはもう例によって、大手マスゴミは完全に黙殺したが、知っている人は先刻承知、とくに地元では知らぬ人はないというくらい有名な話である。

 小泉純一郎は、1967年の4月に慶応の女学生を相手に婦女暴行事件を引き起こした。その後、都立松沢病院に入院している。強制的な入院であり、父親が入院させた。精神分裂病であると診断されている。都立松沢病院側にも「婦女暴行事件を引き起こしたから」と説明がなされている。

 小泉の婦女暴行事件は、多くの週刊誌の編集長が知っていた有名な出来事である。被害者も横須賀に在住する。被害女性がいるにもかかわらず、マスコミにでない理由とは、婦女暴行が親告罪であるため、女性が500万円を小泉から和解金としてもらって和解したため、「婦女暴行されました」と証言してしまえば、その500万円は小泉側に、返金しなくてはならないからだという。そのため、被害者である女性は、500万円のために証言をしない。しかし事件としては存在した。
 小泉純一郎は都立松沢病院に強制入院させられ2ヶ月間入院した後、ロンドンに留学という名目で日本を離れている(慶応大学は休学扱い)。慶応大学卒業後留学ではなく、帰国後に卒業した。

小泉が婦女暴行事件を起こした慶応大4年生のときは、すでに2浪、2留年をし67年の3月にも卒業できないことが決定していた。副島隆彦氏のサイト「今日のぼやき」によると、小泉が女子大生を強姦しようとして警察につかまり、そのときに、彼がなんと言ったかというと、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。だから小泉は地元には滅多に帰らない。昔のことをあれこれ詮索されるのがいやだから、帰りたくないのである…と言う。


当時、防衛庁長官であった父親の小泉純也が圧力をかけ、この事件をもみ消したが、学内でうわさの広まるのを恐れ、小泉純一郎を急遽同年の5月にロンドンに留学という口実で日本から逃がした。

 9月から通常始まるロンドンの大学に留学という形をとる予定であったが、英語ができないため仕方なく聴講生として一般に開放されている大学の講座をとっていた。2年間ロンドンにいて、とった単位はゼロ。つまり勉強せずに遊んでいたのだ。
 小泉にはサドの趣味があるのは永田町では有名な話だった。よく相手の首をしめてプレイするという。それで一度相手が半死の状態になってしまい、驚いた飯島秘書官が500万円を支払い、示談にしたことがあるそうだ。

 小泉とつきあっていた新橋の芸者の小はんという女性が、なぞの死をとげている。これは自殺として処理されているのだが、別に悩みもなく、人気もあり、死ぬ理由も動機などなかった。後で浜田幸一元代議士が、小泉に対して「この芸者殺し野郎!」と代議士仲間の前で、ののしったことがある。

 小泉は結婚して3人子供を生ませて、離婚をしているが、その離婚の動機も、妻が小泉の殴る蹴るの家庭内暴力に耐えられずに離婚をしたそうだ。

 1977年の夏(ロンドン逃避行から10年後)、小泉は青山学院大学4年の宮本佳代子さんと見合いをした。見合いの翌日、小泉はプロポーズする。見合いの翌日二人でデートした後、小泉は「あのー、僕を信頼してくれますか?」彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ」と答えると、小泉は、「それで決まりましたね」といい、結婚が決まった。むちゃくちゃな話である。

 4年後、結婚は破綻。夫人が、さんざん家庭内暴力を小泉から受け出て行くと決めたあとに、小泉が夫人に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追わず、来るものは拒まずだな」だったそうだ。

夫人の親族は、「あの人は、表の顔と、裏の顔がかけ離れた二重人格」と言っているそうな。この結婚と離婚の軽さと、郵便局関係者への怨念の執拗さは、郵政造反組議員への仕打ちと相通じる異常性である。

 小泉は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされる。夫人も夜の営みのときに首をしめられていた。

 小泉が第三子に絶対に会わなかったのは有名な話である。離婚後に生まれたというだけで、この仕打ち。外国メディアにも知れて、異常な男という報道がされたが、国内メディアはほとんどスルーだった。この事実からも、小泉の異常性がよくわかる。

 ニューヨーク市立大教授霍見芳浩氏が言うには、小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。同首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたもの、ということを知られているのだ。

 外国の諜報機関が知るのは、当たり前であろう。どうして自民党はこんな男を総裁にしたのか。それはもちろん、ユダヤ闇組織にとって、小泉ほど都合がいい人間はいなかったからだ。 人(世論)に知られたくない過去がある人間ほど、ユダヤ国際金融資本は脅迫して使いやすい。
http://www.asyura2.com/08/senkyo53/msg/424.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/145.html

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 小泉純一郎 中川隆
3. 中川隆[-6894] koaQ7Jey 2021年3月06日 09:33:13 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[4]
橋洋一チャンネル 第113回 
小泉純一郎のホントの顔【前編】 実は仕事が嫌いで○○ばかり!






橋洋一チャンネル 第114回 
小泉純一郎のホントの顔【後編】 拉致被害者奪還と外交力



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/784.html#c3
[近代史5] ネオコンの世界 中川隆
14. 中川隆[-6893] koaQ7Jey 2021年3月06日 11:18:19 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[6]
2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/


 OECD(経済協力開発機構)の発表した加盟国の平均賃金が話題だ。日本は平均以下で、韓国を下回っているからだ。しかも、OECDはアメリカを中心とする西側諸国の集まりだが、落ち目である。


 アメリカの支配力を支えてきたのは基軸通貨であるドルを発行する特権。その特権がなければ各国のエリートを買収し、脅し、排除し、軍隊を世界に展開するといったようなことは不可能。その特権は世界の人びとがドルを交換の基本単位として認めているので成り立つ。貨幣を呪物として崇拝しているとも言える。カール・マルクスが言うところの「貨幣物神」だ。

 そのドル信仰を維持するために「ペトロダラー」の仕組みを作り、金融規制を大幅に緩和して投機市場を肥大化させた。「カジノ化」とも呼ばれたが、一種の金融マジックだ。

 しかし、ドル体制を支える金融システムが揺らいでいる。2008年9月にアメリカの大手投資会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングズは連邦倒産法の適用を申請したが、この出来事は金融システムが危機的な状況にあることを世に知らしめた。このときはツケを庶民に回して乗り切ったが、その後も状況は改善されていない。

 そもそもカジノ化は行き詰まった資本主義システムを生きながらえさせるために導入された。生産を放棄し、投機でカネを回転させようとしたのだが、社会を実際に支えているのは生産活動であり、生産活動がなければ人間は生きていけない。

 しかし、経済のカジノ化を推進した人びとにとって商品やサービスはカネ儲けの手段にしかすぎない。生産活動に支えられている社会が見えていないとも言える。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/


2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/


 これまで資本主義の信奉者はシステムの行き詰まりを侵略と略奪で打開してきた。「帝国主義」、最近の用語を使うならば「グローバル化」だが、それも限界に近づいている。しかもドル信仰を放棄する国も出てきている。そうした流れの中心に存在しているのがロシアと中国。ドルを信仰している人びとにとってロシアや中国は「異教徒」であり、破壊の対象である。

 ロシアはソ連の中心国だったが、そのソ連とアメリカが核戦争の寸前になったことが何度かある。大韓航空007便がソ連領空を深々と侵犯、カムチャツカやサハリンにある軍事施設の上を飛行、モネロン島の上空で撃墜されたとされている1983年も非常に危険の状況だった。

 ソ連はアメリカが先制核攻撃を狙っていると疑っていたのだが、そう推測する動きは1979年頃に始まっている。この年の7月にアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとがエルサレムに集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開いたのだが、実際はソ連を攻撃するプロパガンダについて話あっている。彼らはソ連を「テロリズムの黒幕」だと宣伝することにしていた。この年にはズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めていた。

 エルサレムでの会議を主催するために「ジョナサン研究所」が設立されたが、この名前は、イスラエル軍がウガンダのエンテベを攻撃した際に戦死したヨナタン(ジョナサン)・ネタニヤフの名前から採られている。この人物はイスラエルの現首相、ベンヤミン・ネタニヤフの兄だ。

 1979年にはアメリカやイスラエルの傀儡だったイランの王制が倒れている。1月に国王が脱出、4月に「イスラム共和国」の建国が宣言された。7月にニカラグアでアメリカの傀儡でイスラエルと緊密な関係にあったソモサ一族の独裁体制がサンディニスタによって倒されている。

 同じ年の12月、NATOは戦術弾道ミサイル、パーシングIIを1983年からの西ヨーロッパに配備すると決め、西側では反対運動が起こる。そうした中、反戦運動の活動家でもあったジョン・レノンがカムバック、1980年10月には5年ぶりのシングル「スターティング・オーバー」を、また11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」をリリースした。

 11月にはアメリカで大統領選挙があり、その投票でFBIの手先として生きていたロナルド・レーガンが勝利、副大統領にはCIAのジョージ・H・W・ブッシュが選ばれた。そして12月8日にレノンは射殺される。1981年10月に西ドイツで開かれた反核集会には約30万人が集まったが、レノンが生きていたなら、その規模は格段に大きなものになっていたと見られている。

 アメリカの動きを警戒、ソ連のKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)は1981年5月に合同でRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させた。一触即発だ。

 そうした中、1982年11月に中曽根康弘が内閣総理大臣に就任、翌年の1月にはアメリカを訪問する。その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受け、日本を「巨大空母」と表現して問題になった。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。

 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。核戦争の危険性が高まっていた時、中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にするという宣言したのだ。ソ連がアメリカからの攻撃に神経をとがらせていたことを知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら核戦争を始めるつもりだったということになる。

 中曽根の挑発的な発言から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。3空母の集結は尋常でない。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。

 この艦隊演習の4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。

 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。

 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。

 レーガン政権は1983年11月にパーシングIIを西ドイツに配備しているが、その月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。

 これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかとソ連政府は警戒、報復攻撃の準備を始めている。演習は5日間で終わるが、展開によっては核戦争になっていただろう。中曽根はそうした状況を作る手助けをしたわけだ。

 核戦争が回避された後、CIAはソ連を内部崩壊する工作を始める。その結果、1991年夏の段階でジョージ・H・W・ブッシュ大統領をはじめとするCIA人脈はイスラエルの情報機関を介してソ連の情報機関KGBの中枢と話をつけることに成功、ソ連を乗っ取ることで合意していた。ハンマー作戦だ。

 1991年の後半にはゴルバチョフを排除することに成功、欧米支配層の傀儡でこの年の7月にロシア大統領となったボリス・エリツィンが実権を握る。

 このエリツィンは同年12月にウクライナやベラルーシの首脳をベラルーシにあるベロベーシの森に集め、秘密裏に、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めてソ連を消滅させた。それ以降、約10年にわたってロシアを含む旧ソ連圏は西側の私的権力に支配されることになる。

 ソ連が消滅する直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)には2000トンから3000トンの金塊が保管されていたが、後にそれが400トンに減っていることが判明した。CIAとKGBの腐敗グループが盗んだと見られている

 結局、アメリカはソ連を内部崩壊させることに成功したが、21世紀に入ってウラジミル・プーチンやその周辺がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功、シオニストの一派であるネオコンはジョー・バイデン政権を使い、ロシアを再び従属国にし、中国を制圧しようと目論んでいる。

 中国はケ小平の下でアメリカへ接近するが、そうした流れはリチャード・ニクソン大統領が1972年に中国を訪問した時から始まる。その後「四人組」の抵抗はあったが、そのグループは1976年に失脚した。その当時、アメリカでは新自由主義によるカジノ経済化が始まっていたが、その教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問、新自由主義が中国に広まっていく。

 ところが、1980年代の後半になると新自由主義による社会の歪みが深刻化。1988年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化する。胡耀邦や趙紫陽を後ろだととするエリート学生は「改革」の継続を求めたが、労働者などから不満の声が高まりから軌道修正を図ることになった。胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれた。

 この辺の事情は繰り返し書いてきたので今回は割愛するが、1989年1月からアメリカ大統領はCIA出身(エール大学でリクルートされた可能性が高い)のジョージ・H・W・ブッシュ、そのブッシュが大使として中国へ送り込んだ人物がブッシュと昵懇の間柄にあるCIA高官のジェームズ・リリーだということは指摘しておきたい。

 なお、リリーの前任大使であるウィンストン・ロードは大使を辞めた後、CIAの資金を流すNEDの会長に就任しているが、この3名はいずれもエール大学の出身で、学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだ。中国の学生はリリーだけでなく投機家のジョージ・ソロスともつながっていた。

 このロシアと中国をバラク・オバマ政権のネオコンは2014年に潰そうとする。ウクライナではネオ・ナチを使ったクーデター、香港ではイギリスの情報機関MI6と手を組んで反中国運動を展開したのだが、これによって中露はアメリカを警戒する気持ちが強まり、両国の接近を招いた。

 アメリカやイギリスの私的権力は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」しようとしている。その環境作りに利用されているのがCOVID-19(そのために軍事的な緊張を高めているが(2019年-コロナウイルス感染症)騒動だ。あくまでも彼らの目的は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」して自分たちの支配システムを維持していくことにある。そうした目論見は全面核戦争を引き起こしかねない。

(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/494.html#c14

[番外地9] 畿内の被差別部落民は日本先住の縄文人の子孫
畿内の被差別部落民は日本先住の縄文人の子孫

2013年12月17日 形質人類学のデータ
第1章で説明したように、エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、


大陸chousen型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非chousen的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。


と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである

▲△▽▼

天皇はソウル出身の漢民族
民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツはxx半島の38°線付近の
小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である
ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、
そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。

▲△▽▼

天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨

従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江人、後期は漢民族系 c house n 人で、完全に別民族です。

天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り c house n との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論漢民族系 c house n 人です。

漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口

天皇一族は c house n を追われて日本に移民して以降

中国華北 → 韓国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土

の順に支配地域を広げて行った様です。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して c house n から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に日本人(縄文人・弥生人)は少数民族となってしまいました。


http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/146.html

[近代史4] 寺島英弥 引き裂かれた時を越えて――「二・二六事件」に殉じた兄よ 中川隆
13. 中川隆[-6892] koaQ7Jey 2021年3月06日 15:39:20 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[9]

戦前の”経済格差”エリート会社員は高収入でモテモテだった
http://www.thutmosev.com/archives/73769851.html


戦前のサラリーマンはこんな恰好で銀座を闊歩していたが、10年後に防空壕で逃げ回る破目になった

引用:http://nakaco.sakura.ne.jp/sblo_files/nakaco/image/kankan5_04.jpg

戦前のサラリーマン社会

戦前というと何もかも暗く陰気で、閉鎖的で人々は困窮していた、と「知識人」たちは言いたがります。

そうしておいた方が自分たちが立派に見えるからそう言うのだが、事実ではないし戦前の人を貶めている。

昭和6年(1931年)頃までの日本では、消費経済や自由主義や平和主義が盛んで、大正デモクラシーと呼ばれています。


昭和5年ごろの世帯平均収入は年800円程で、日本郵船や一流企業の課長クラスは1万円を超えていました。

現在の世帯平均所得は540万円なので、当時の大企業の課長は現在の価値で6,750万円の高所得者でした。

一流企業の中でも三井や三菱はさらに別格で、ある重役の年収は100万円以上、現在の価値で70億円以上だったと記録されています。


するとこうした財閥企業の創業者一族ともなると、一族の収入は年間数百億円にも達していたと推測されます。

当時のアンケートでは女性にもっとも人気がある職業は一流企業のサラリーマンで、次が公務員、医師や弁護士はそれより下でした。

戦前には「サラリーマン」はホワイトカラーの事務職、手が汚れない仕事をしている人を指し、工場作業員は正社員でもサラリーマンではなかった。


油まみれ、泥まみれの作業員に対して、事務職のサラリーマンは女性から見てカッコ良く、おしゃれに映っていたようです。

労働者が日の丸弁当を食べていた時代に、東京のサラリーマンはランチは外で、女子社員を誘って洋食を食べていました。

丸の内のビル街には寿司屋、洋食屋、和食に定食など外食店が所狭しと並び、大変賑わっていたそうです。

儚かった戦前の自由経済

当時のメニューは寿司、カレーライス、丼物、パスタ、パンとコーヒーなどが、現在の価値で1,000円以下でした。

コーヒーと軽食のモーニングのようなのも既に有り、食事の半額の、現在の500円以下程度の値段でした。

都会ではこうした欧米風の暮らしをしていた一方で、9割以上の農村では江戸時代とあまり変わらず、人力と牛馬が日の出から日没後まで重労働していました。


この格差が戦前の日本経済を破綻させた原因であり、東京のおしゃれなサラリーマンはバブルの浮き草のような存在でした。

戦前は凄まじい格差社会で、人件費は安かったがそれ故に経済は脆弱で、米大恐慌が起きると一たまりもありませんでした。

1929年(昭和4年)にNYで大恐慌が起き、1931年(昭和6年)に満州事変が起きてから、日本人の生活は急速に悪化した。


兵士の家族が借金のカタに売られたりしたため動揺し、1936年(昭和11年)には軍部がクーデターを起こし(226事件)日本は軍事独裁に移行しました。

おおまかに言って昭和10年(1935年)から軍事態勢に移行したが、昭和一桁は戦争と無縁の、平和な時代でした。

大正時代から昭和1桁までは自由競争や自由経済、平和主義や共産主義がブームで、現代と似た時代でした。


父親がサラリーマンの家庭は裕福で、子女らもおしゃれな恰好をしていた
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引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20140715/18/biz-suitstyle/d1/67/j/o0500050013004042213.jpg

軍事経済はなぜ失敗したか

好景気の時には自由主義はうまく行っていたのだが、米大恐慌で不況になると、軍人の姉妹が人買いに売られる状況になりました。

行き過ぎた自由主義経済の負の部分が表面化し、日本陸軍の若手将校らが決起してクーデターを起こし、民主主義時代は終了しました。

昭和の軍国主義の原点は、大正時代の行き過ぎた自由主義にあり、破綻した経済を軍部が主導して再建しようとしました。


軍部主導の経済は最初はうまく行っていたのだが、大陸への領土拡大と入植によって成長するプランは、上手く行きませんでした。

例えば朝鮮では急速に人口が増えたため、食料や予算が不足して日本から送る有様で、利益どころか日本の負担になりました。

満州国も同様で開発に膨大な投資をしたが、終戦まで何の利益も上げませんでした。


日本軍は「領土さえ増やせば経済は発展する」と考えていたが、現実には増えた領土の人を養うために、国力を浪費しました。

満州を開拓すれば日本の食糧危機は解決すると言っていましたが、逆に満州を開拓し維持するために、日本の資産が使われました。

これが軍人が考えた経済の限界で、最初は上手く行っていたとしても、早期に軍事体制を終わらせるべきでした。

http://www.thutmosev.com/archives/73769851.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1128.html#c13

[近代史5] 関東大震災とJPモルガン 中川隆
6. 中川隆[-6891] koaQ7Jey 2021年3月06日 15:39:56 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[10]

戦前の”経済格差”エリート会社員は高収入でモテモテだった
http://www.thutmosev.com/archives/73769851.html


戦前のサラリーマンはこんな恰好で銀座を闊歩していたが、10年後に防空壕で逃げ回る破目になった

引用:http://nakaco.sakura.ne.jp/sblo_files/nakaco/image/kankan5_04.jpg

戦前のサラリーマン社会

戦前というと何もかも暗く陰気で、閉鎖的で人々は困窮していた、と「知識人」たちは言いたがります。

そうしておいた方が自分たちが立派に見えるからそう言うのだが、事実ではないし戦前の人を貶めている。

昭和6年(1931年)頃までの日本では、消費経済や自由主義や平和主義が盛んで、大正デモクラシーと呼ばれています。


昭和5年ごろの世帯平均収入は年800円程で、日本郵船や一流企業の課長クラスは1万円を超えていました。

現在の世帯平均所得は540万円なので、当時の大企業の課長は現在の価値で6,750万円の高所得者でした。

一流企業の中でも三井や三菱はさらに別格で、ある重役の年収は100万円以上、現在の価値で70億円以上だったと記録されています。


するとこうした財閥企業の創業者一族ともなると、一族の収入は年間数百億円にも達していたと推測されます。

当時のアンケートでは女性にもっとも人気がある職業は一流企業のサラリーマンで、次が公務員、医師や弁護士はそれより下でした。

戦前には「サラリーマン」はホワイトカラーの事務職、手が汚れない仕事をしている人を指し、工場作業員は正社員でもサラリーマンではなかった。


油まみれ、泥まみれの作業員に対して、事務職のサラリーマンは女性から見てカッコ良く、おしゃれに映っていたようです。

労働者が日の丸弁当を食べていた時代に、東京のサラリーマンはランチは外で、女子社員を誘って洋食を食べていました。

丸の内のビル街には寿司屋、洋食屋、和食に定食など外食店が所狭しと並び、大変賑わっていたそうです。

儚かった戦前の自由経済

当時のメニューは寿司、カレーライス、丼物、パスタ、パンとコーヒーなどが、現在の価値で1,000円以下でした。

コーヒーと軽食のモーニングのようなのも既に有り、食事の半額の、現在の500円以下程度の値段でした。

都会ではこうした欧米風の暮らしをしていた一方で、9割以上の農村では江戸時代とあまり変わらず、人力と牛馬が日の出から日没後まで重労働していました。


この格差が戦前の日本経済を破綻させた原因であり、東京のおしゃれなサラリーマンはバブルの浮き草のような存在でした。

戦前は凄まじい格差社会で、人件費は安かったがそれ故に経済は脆弱で、米大恐慌が起きると一たまりもありませんでした。

1929年(昭和4年)にNYで大恐慌が起き、1931年(昭和6年)に満州事変が起きてから、日本人の生活は急速に悪化した。


兵士の家族が借金のカタに売られたりしたため動揺し、1936年(昭和11年)には軍部がクーデターを起こし(226事件)日本は軍事独裁に移行しました。

おおまかに言って昭和10年(1935年)から軍事態勢に移行したが、昭和一桁は戦争と無縁の、平和な時代でした。

大正時代から昭和1桁までは自由競争や自由経済、平和主義や共産主義がブームで、現代と似た時代でした。


父親がサラリーマンの家庭は裕福で、子女らもおしゃれな恰好をしていた
o0500050013004042213
引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20140715/18/biz-suitstyle/d1/67/j/o0500050013004042213.jpg

軍事経済はなぜ失敗したか

好景気の時には自由主義はうまく行っていたのだが、米大恐慌で不況になると、軍人の姉妹が人買いに売られる状況になりました。

行き過ぎた自由主義経済の負の部分が表面化し、日本陸軍の若手将校らが決起してクーデターを起こし、民主主義時代は終了しました。

昭和の軍国主義の原点は、大正時代の行き過ぎた自由主義にあり、破綻した経済を軍部が主導して再建しようとしました。


軍部主導の経済は最初はうまく行っていたのだが、大陸への領土拡大と入植によって成長するプランは、上手く行きませんでした。

例えば朝鮮では急速に人口が増えたため、食料や予算が不足して日本から送る有様で、利益どころか日本の負担になりました。

満州国も同様で開発に膨大な投資をしたが、終戦まで何の利益も上げませんでした。


日本軍は「領土さえ増やせば経済は発展する」と考えていたが、現実には増えた領土の人を養うために、国力を浪費しました。

満州を開拓すれば日本の食糧危機は解決すると言っていましたが、逆に満州を開拓し維持するために、日本の資産が使われました。

これが軍人が考えた経済の限界で、最初は上手く行っていたとしても、早期に軍事体制を終わらせるべきでした。

http://www.thutmosev.com/archives/73769851.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html#c6

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
6. 中川隆[-6890] koaQ7Jey 2021年3月06日 15:40:21 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[11]

戦前の”経済格差”エリート会社員は高収入でモテモテだった
http://www.thutmosev.com/archives/73769851.html


戦前のサラリーマンはこんな恰好で銀座を闊歩していたが、10年後に防空壕で逃げ回る破目になった

引用:http://nakaco.sakura.ne.jp/sblo_files/nakaco/image/kankan5_04.jpg

戦前のサラリーマン社会

戦前というと何もかも暗く陰気で、閉鎖的で人々は困窮していた、と「知識人」たちは言いたがります。

そうしておいた方が自分たちが立派に見えるからそう言うのだが、事実ではないし戦前の人を貶めている。

昭和6年(1931年)頃までの日本では、消費経済や自由主義や平和主義が盛んで、大正デモクラシーと呼ばれています。


昭和5年ごろの世帯平均収入は年800円程で、日本郵船や一流企業の課長クラスは1万円を超えていました。

現在の世帯平均所得は540万円なので、当時の大企業の課長は現在の価値で6,750万円の高所得者でした。

一流企業の中でも三井や三菱はさらに別格で、ある重役の年収は100万円以上、現在の価値で70億円以上だったと記録されています。


するとこうした財閥企業の創業者一族ともなると、一族の収入は年間数百億円にも達していたと推測されます。

当時のアンケートでは女性にもっとも人気がある職業は一流企業のサラリーマンで、次が公務員、医師や弁護士はそれより下でした。

戦前には「サラリーマン」はホワイトカラーの事務職、手が汚れない仕事をしている人を指し、工場作業員は正社員でもサラリーマンではなかった。


油まみれ、泥まみれの作業員に対して、事務職のサラリーマンは女性から見てカッコ良く、おしゃれに映っていたようです。

労働者が日の丸弁当を食べていた時代に、東京のサラリーマンはランチは外で、女子社員を誘って洋食を食べていました。

丸の内のビル街には寿司屋、洋食屋、和食に定食など外食店が所狭しと並び、大変賑わっていたそうです。

儚かった戦前の自由経済

当時のメニューは寿司、カレーライス、丼物、パスタ、パンとコーヒーなどが、現在の価値で1,000円以下でした。

コーヒーと軽食のモーニングのようなのも既に有り、食事の半額の、現在の500円以下程度の値段でした。

都会ではこうした欧米風の暮らしをしていた一方で、9割以上の農村では江戸時代とあまり変わらず、人力と牛馬が日の出から日没後まで重労働していました。


この格差が戦前の日本経済を破綻させた原因であり、東京のおしゃれなサラリーマンはバブルの浮き草のような存在でした。

戦前は凄まじい格差社会で、人件費は安かったがそれ故に経済は脆弱で、米大恐慌が起きると一たまりもありませんでした。

1929年(昭和4年)にNYで大恐慌が起き、1931年(昭和6年)に満州事変が起きてから、日本人の生活は急速に悪化した。


兵士の家族が借金のカタに売られたりしたため動揺し、1936年(昭和11年)には軍部がクーデターを起こし(226事件)日本は軍事独裁に移行しました。

おおまかに言って昭和10年(1935年)から軍事態勢に移行したが、昭和一桁は戦争と無縁の、平和な時代でした。

大正時代から昭和1桁までは自由競争や自由経済、平和主義や共産主義がブームで、現代と似た時代でした。


父親がサラリーマンの家庭は裕福で、子女らもおしゃれな恰好をしていた
o0500050013004042213
引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20140715/18/biz-suitstyle/d1/67/j/o0500050013004042213.jpg

軍事経済はなぜ失敗したか

好景気の時には自由主義はうまく行っていたのだが、米大恐慌で不況になると、軍人の姉妹が人買いに売られる状況になりました。

行き過ぎた自由主義経済の負の部分が表面化し、日本陸軍の若手将校らが決起してクーデターを起こし、民主主義時代は終了しました。

昭和の軍国主義の原点は、大正時代の行き過ぎた自由主義にあり、破綻した経済を軍部が主導して再建しようとしました。


軍部主導の経済は最初はうまく行っていたのだが、大陸への領土拡大と入植によって成長するプランは、上手く行きませんでした。

例えば朝鮮では急速に人口が増えたため、食料や予算が不足して日本から送る有様で、利益どころか日本の負担になりました。

満州国も同様で開発に膨大な投資をしたが、終戦まで何の利益も上げませんでした。


日本軍は「領土さえ増やせば経済は発展する」と考えていたが、現実には増えた領土の人を養うために、国力を浪費しました。

満州を開拓すれば日本の食糧危機は解決すると言っていましたが、逆に満州を開拓し維持するために、日本の資産が使われました。

これが軍人が考えた経済の限界で、最初は上手く行っていたとしても、早期に軍事体制を終わらせるべきでした。

http://www.thutmosev.com/archives/73769851.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c6

[リバイバル3] カルトの世界 中川隆
34. 中川隆[-6889] koaQ7Jey 2021年3月06日 15:56:58 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[14]
フランス国営テレビによる創価学会批判特集 「フランスでは最も危険なカルト教団」
http://www.asyura2.com/21/senkyo279/msg/480.html


2000年6月8日に、フランスの国営テレビ局(チャンネル2)が、『創価学会―21世紀のセクト』と題するドキュメンタリー番組を、約1時間にわたって放映した。

フランスといえば、学会員が10,000人ほどいるとされる(公称数)、ヨーロッパにおける創価学会の中心地。
その地の国営放送が創価学会批判の番組を流したのであるから、ただごとではない。
もっとも、フランスではすでに、国会が創価学会を「危険なカルト教団」と認定している。

そんなこととはご存知ない日本の学会員は、池田大作を称して「世界の指導者」「世界中が先生を求めている」などと言うが、海外における実態は、うさん臭いカルト教団の支配者としか見られていない、ということだ。
日本の取材も含め、関係者の証言を中心にして、学会の金集めや権力志向等の異常性に迫った当該番組……創価学会に神経質なまでに気を使う日本のマスコミでは、とても考えられないことだ。今回、読者からの要望に応え、以下に、その番組の大まかな内容を、順を追って紹介したい。

冒頭でナレーションが、創価学会を、
「政治権力 + 金融帝国 + 思考方法の画一化 + 秘密厳守 + 21世紀のカルト 」
と定義付けて、番組はスタートする。

映像は進み、担当記者が新入会員を装い、隠しカメラを持って、学会員宅で行なわれる座談会に出席する場面になる。
ここで語られた婦人部員の功徳の体験談が、じつに面白い。彼女は、昨年の暮れ頃に入会したばかりのようであるが、大晦日の夜、「真剣に信仰していこう」と決心し、真夜中に勤行したそうだ。「初めて心の底からした勤行だった」という。
そうしたところ、その早朝(つまり、今年の元日の朝)六時半に、娘さんが事故に遭ったのだとか。普通に考えれば、
「これのどこが功徳なのか。むしろ、ニセ本尊を拝んだ罰ではないのか」
と思ってしまう。ところが、彼女は、
「朝起きた時に、事故だ、何かが起こったと、すぐわかったわ。でも、全然、怖くなかったのよ」
と言うのだ。つまり、娘さんが事故に遭った時間に「虫の知らせ」があったことが、「すごい、功徳だ」ということらしいのだが、どう考えても変だ。
次に、1年前に学会を離れたという女性、カトリーヌ・ヌトシェイさんのインタビュー。
彼女は、「より良い人生になる」と言われて、それを信じ、5年間、一生懸命に信心したという。唱題表を塗りつぶしながら、1日2時間の唱題もした。
ところが、願いは一向に叶わず、5年間で何の成果も出なかったばかりか、ひどい歩行困難になって、ついに学会を離れたという。
逆算すれば、彼女の入会は6年前……彼女もまた、邪教となり果てた学会からニセ本尊をつかまされ、それを拝んでいた、ということだ。そして、その結果はやはり、良くなるどころか、手ひどい罰を受けることになったのだから、気の毒としか言いようがない。
彼女は、学会をさして、
「仏教からかけ離れた、精神性を盾(たて)にしたペテンよ。一種の軍隊のようなもので、信者は兵士のようなものよ」
と吐き捨てる。なるほど、会員は「功徳」という言葉をエサに金を運ばされ、権勢の背景としての頭数増やしをさせられる兵士、ということか。内部にいて、その実態を冷静に振り返った人の実感であろう。

■学会の【指導】で家庭崩壊 バカげた命令に盲従する会員

次に登場した男性、マジット氏は、8年前に奥さんが学会に入会したことで、家族がバラバラにされた、と沈痛な面持ちで語る。
彼は、離婚して、母方についた子供にも会えなくなったという、つらい心情を吐露して、
「これは、2人の正常な人間が別れたというようなものではない。彼ら(学会)と私の戦争だ。(学会は)間違いを助長している」
と言い、幼い子供が学会に毒されていく過程を見てきた上から、
「ある意味で、子供はカルトの心理に犯されている。本人が、父親に会わないことにしたのだが、むろん、その背後には堅固な働きかけがある」
と、学会への強い怒りを語る。
ナレーションは、
「最近、同様の事件に対し、2件の判決が下りた。その2件とも、創価学会をカルトだと認定した。裁判で信者(学会員)は負けた。裁判官は、子供に学会の呪文を唱えさせることは精神錯乱を引き起こすので危険だ、と認め、子供を学会の修行から遠ざける判決を下した」
と説明を加えた。
次に登場した元学会員のモニークさんは、前のマジッド氏の話が、決して被害妄想ではないことを裏付ける。
モニークさんは、精神状態が不安定な時に入会し、その精神不安定ゆえに御主人とうまくいっていないことを学会幹部に相談したという。幹部の指導は、「別れたほうがよいと思う。そのほうが、人間として成熟できる」というものだった。
彼女は、その言葉に従って、御主人と別れた(その後、復縁)。
ナレーションでは、こうした学会の【指導】を「バカげた命令」と言い、「それは【指導】と呼ばれている」
と、学会の指導なるものの短慮さ、お粗末さを揶揄(やゆ)し、当然のことながら、それらの【指導】に盲目的に服従していく学会員の心理を、異常と捉(とら)えている。
そういえば、日本でも、夫が学会を脱会して宗門についたところ、まだ躊躇(ちゅうちょ)していた妻に対して、学会幹部が日毎夜毎訪れ、「離婚しなさい」とか「子供には、『お父さんは悪い人だ』と教えなさい」等と【指導】した、という話がたくさんある。
要するに、それらの幹部のように、独善的で偏狭(へんきょう)な、およそ人格者からは程遠い考え方が形成されていくのが池田創価学会の信仰成果であり、それは、日本だけでなく、世界中の学会員に共通している、ということだ。
こんな恐ろしい洗脳教団は、早く、世の中から消えてもらいたいものである。世界の平和のために。

■学会の金儲け体質を抉る「どんな機会も無駄にせず金儲け」

「これは、儲かるゲームだ」というナレーションで始まる次のテーマは、学会の、組織を使った金儲け体質。画面は、フランスのプロヴァンス地方にある、広大な敷地を有する「SGIヨーロッパ研修所」……受付横で販売する仏具類を映し、研修費や土産物、ロウソク立て・香炉等の仏具の値段を挙げて、
「どんな機会も、無駄にしない(で金儲けしている)」と皮肉る。
そして、カメラは、東京・信濃町へ。次々と映し出される学会の建物群と、行き交う学会員達。ナレーションは、
「この地域の建物の約3分の2を創価学会が所有している。本部が買収して拡張した村である」
と説明し、池田大作の著作物が所狭しと並んだ学会系書店「博文堂」では 、
「学会は、張り巡らしたさまざまな部門を利用して、売上を上げる」
と、会員から金を搾り取ろうとする「商魂」を紹介する。
さて、学会の金儲けといえば、その中心は、言わずと知れた「財務」である。
それについては、「お金を出せば出すほど、福運がつく」といって、幹部が金集めに狂奔する学会財務の実態を、創価学会を脱会した後呂雅巳氏(『創価学会による被害者の会』代表)が証言している。

■池田の権威付け工作の裏側 取材陣も驚いた公明党議員の発言

さて、番組の後半は、池田大作その人にスポットをあてている。
まず、場面は、日蓮正宗総本山大石寺。
六壷(むつぼ)で夕の勤行をする御所化さんとお小僧さん達――カメラは、その清廉かつ真摯(しんし)な姿を追い、ナレーションで、
「宗門とは、日蓮大聖人の真の権威だ」
と紹介する。ちなみに、フランスの取材班を案内した宗門関係者によれば、
「彼らは、約30分の勤行の間、その場を離れようともしないで撮影を続け、『これが、本当の宗教だ』と感想を漏らしていた」
という。第三者ですら、御僧侶方の修行の姿を見ただけで、俗悪な学会との歴然たる違いを感じ取ったのである。
そしてナレーションは、学会が日蓮正宗から破門されたことを述べた後、
「学会は、この宗派(日蓮正宗)を、ただ一人の男の野心の権威として利用した」
と直言する。
ここで、「一人の男」……池田大作が画面に登場。
それは、かつて本紙でも紹介したが、数年前の「SGI総会」で見せた、机ドンドン叩きや、醜悪な形相で「ベェーン」と弓矢を射る真似をしてみせる、例の姿であった。やはり、フランス人の目にも、この池田の挙動はかなり異常なものとして映った、ということらしい。
勲章や要人との対話で自らの権威付けを図っていることも、見逃がさない。学会による「共産党・宮本委員長宅の盗聴事件」にも触れる。
また、取材班は、政権与党の一角に潜り込んだ公明党に刮目(かつもく)し、公明党議員の遠藤乙彦(6月の衆院選では落選)にインタビューしている。
まず、ナレーションが、
「我々が興味があるのは、ただ一つ……彼にとって、池田大作とは何か?ということだ。その答えには、驚いた」
と前置きする。フランスのジャーナリストも驚いた遠藤の回答とは、
「私にとって、人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生です。今日、日本にも世界にも、たくさん問題がありますが、21世紀には、池田大作の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと問題が解決していくでしょう」
というものだったのである。
遠藤乙彦といえば、つい数年前まで、日本の外交官をしていた人物である。その男にして、この感覚……創価学会の洗脳による、思考の狭窄(きょうさく)を証明して余りある発言、といえよう。
番組は、創価思想の教育機関としての創価大学を紹介し、学会の世界戦略の危険性を示唆(しさ)する。そして、かつて池田の権威付け対話の一人として利用された、元フランス大統領・ミッテラン氏の夫人から、対話実現に至った裏話を引き出し、
「もう一生、池田氏とは会わない」
との言葉を紹介している。
最後の結びとして、
「創価学会は、フランスでは、カルトの中で最も危険なものの一つとされている」
「学会は、国際的な構造をもった、新たなるカルトの原型」
「現在、フランスの創価学会内部は分裂しはじめている。それは、池田大作の支配により、方向がおかしくなっていることに気づいたからだ」
として、21世紀への警鐘をならして、番組を終了している。
以上、順追って述べてきたが、これが日本のテレビ番組でないことが残念でならない。もし、日本のテレビ局が、学会への遠慮を破って、ここまでストレートに学会の実態を報道できるようになれば、その時、確実に日本の社会は好転していくであろう。その時が、一日も早からんことを祈るのみ。


異常な指導、金儲け体質、池田の権力志向等を直撃
カルト(池田創価学会)の実態に迫る特集番組
「学会は最も危険なカルトの一つ」
https://www.ryoulan.com/html/souka_hu2.html

フランス国営放送の『創価学会――21世紀のカルト』の概要
https://21cult.web.fc2.com/21cultov.htm

フランス国営放送の『創価学会―21世紀のカルト』の翻訳
https://21cult.web.fc2.com/culttrans.htm

創価学会が世界各国でセクト(反社会的カルト)認定されていた
https://21cult.web.fc2.com/cult.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html#c34

[リバイバル3] 闇の組織とは? _ 創価学会は鳥人コンテストが好き? 中川隆
12. 中川隆[-6888] koaQ7Jey 2021年3月06日 15:57:24 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[15]
フランス国営テレビによる創価学会批判特集 「フランスでは最も危険なカルト教団」
http://www.asyura2.com/21/senkyo279/msg/480.html


2000年6月8日に、フランスの国営テレビ局(チャンネル2)が、『創価学会―21世紀のセクト』と題するドキュメンタリー番組を、約1時間にわたって放映した。

フランスといえば、学会員が10,000人ほどいるとされる(公称数)、ヨーロッパにおける創価学会の中心地。
その地の国営放送が創価学会批判の番組を流したのであるから、ただごとではない。
もっとも、フランスではすでに、国会が創価学会を「危険なカルト教団」と認定している。

そんなこととはご存知ない日本の学会員は、池田大作を称して「世界の指導者」「世界中が先生を求めている」などと言うが、海外における実態は、うさん臭いカルト教団の支配者としか見られていない、ということだ。
日本の取材も含め、関係者の証言を中心にして、学会の金集めや権力志向等の異常性に迫った当該番組……創価学会に神経質なまでに気を使う日本のマスコミでは、とても考えられないことだ。今回、読者からの要望に応え、以下に、その番組の大まかな内容を、順を追って紹介したい。

冒頭でナレーションが、創価学会を、
「政治権力 + 金融帝国 + 思考方法の画一化 + 秘密厳守 + 21世紀のカルト 」
と定義付けて、番組はスタートする。

映像は進み、担当記者が新入会員を装い、隠しカメラを持って、学会員宅で行なわれる座談会に出席する場面になる。
ここで語られた婦人部員の功徳の体験談が、じつに面白い。彼女は、昨年の暮れ頃に入会したばかりのようであるが、大晦日の夜、「真剣に信仰していこう」と決心し、真夜中に勤行したそうだ。「初めて心の底からした勤行だった」という。
そうしたところ、その早朝(つまり、今年の元日の朝)六時半に、娘さんが事故に遭ったのだとか。普通に考えれば、
「これのどこが功徳なのか。むしろ、ニセ本尊を拝んだ罰ではないのか」
と思ってしまう。ところが、彼女は、
「朝起きた時に、事故だ、何かが起こったと、すぐわかったわ。でも、全然、怖くなかったのよ」
と言うのだ。つまり、娘さんが事故に遭った時間に「虫の知らせ」があったことが、「すごい、功徳だ」ということらしいのだが、どう考えても変だ。
次に、1年前に学会を離れたという女性、カトリーヌ・ヌトシェイさんのインタビュー。
彼女は、「より良い人生になる」と言われて、それを信じ、5年間、一生懸命に信心したという。唱題表を塗りつぶしながら、1日2時間の唱題もした。
ところが、願いは一向に叶わず、5年間で何の成果も出なかったばかりか、ひどい歩行困難になって、ついに学会を離れたという。
逆算すれば、彼女の入会は6年前……彼女もまた、邪教となり果てた学会からニセ本尊をつかまされ、それを拝んでいた、ということだ。そして、その結果はやはり、良くなるどころか、手ひどい罰を受けることになったのだから、気の毒としか言いようがない。
彼女は、学会をさして、
「仏教からかけ離れた、精神性を盾(たて)にしたペテンよ。一種の軍隊のようなもので、信者は兵士のようなものよ」
と吐き捨てる。なるほど、会員は「功徳」という言葉をエサに金を運ばされ、権勢の背景としての頭数増やしをさせられる兵士、ということか。内部にいて、その実態を冷静に振り返った人の実感であろう。

■学会の【指導】で家庭崩壊 バカげた命令に盲従する会員

次に登場した男性、マジット氏は、8年前に奥さんが学会に入会したことで、家族がバラバラにされた、と沈痛な面持ちで語る。
彼は、離婚して、母方についた子供にも会えなくなったという、つらい心情を吐露して、
「これは、2人の正常な人間が別れたというようなものではない。彼ら(学会)と私の戦争だ。(学会は)間違いを助長している」
と言い、幼い子供が学会に毒されていく過程を見てきた上から、
「ある意味で、子供はカルトの心理に犯されている。本人が、父親に会わないことにしたのだが、むろん、その背後には堅固な働きかけがある」
と、学会への強い怒りを語る。
ナレーションは、
「最近、同様の事件に対し、2件の判決が下りた。その2件とも、創価学会をカルトだと認定した。裁判で信者(学会員)は負けた。裁判官は、子供に学会の呪文を唱えさせることは精神錯乱を引き起こすので危険だ、と認め、子供を学会の修行から遠ざける判決を下した」
と説明を加えた。
次に登場した元学会員のモニークさんは、前のマジッド氏の話が、決して被害妄想ではないことを裏付ける。
モニークさんは、精神状態が不安定な時に入会し、その精神不安定ゆえに御主人とうまくいっていないことを学会幹部に相談したという。幹部の指導は、「別れたほうがよいと思う。そのほうが、人間として成熟できる」というものだった。
彼女は、その言葉に従って、御主人と別れた(その後、復縁)。
ナレーションでは、こうした学会の【指導】を「バカげた命令」と言い、「それは【指導】と呼ばれている」
と、学会の指導なるものの短慮さ、お粗末さを揶揄(やゆ)し、当然のことながら、それらの【指導】に盲目的に服従していく学会員の心理を、異常と捉(とら)えている。
そういえば、日本でも、夫が学会を脱会して宗門についたところ、まだ躊躇(ちゅうちょ)していた妻に対して、学会幹部が日毎夜毎訪れ、「離婚しなさい」とか「子供には、『お父さんは悪い人だ』と教えなさい」等と【指導】した、という話がたくさんある。
要するに、それらの幹部のように、独善的で偏狭(へんきょう)な、およそ人格者からは程遠い考え方が形成されていくのが池田創価学会の信仰成果であり、それは、日本だけでなく、世界中の学会員に共通している、ということだ。
こんな恐ろしい洗脳教団は、早く、世の中から消えてもらいたいものである。世界の平和のために。

■学会の金儲け体質を抉る「どんな機会も無駄にせず金儲け」

「これは、儲かるゲームだ」というナレーションで始まる次のテーマは、学会の、組織を使った金儲け体質。画面は、フランスのプロヴァンス地方にある、広大な敷地を有する「SGIヨーロッパ研修所」……受付横で販売する仏具類を映し、研修費や土産物、ロウソク立て・香炉等の仏具の値段を挙げて、
「どんな機会も、無駄にしない(で金儲けしている)」と皮肉る。
そして、カメラは、東京・信濃町へ。次々と映し出される学会の建物群と、行き交う学会員達。ナレーションは、
「この地域の建物の約3分の2を創価学会が所有している。本部が買収して拡張した村である」
と説明し、池田大作の著作物が所狭しと並んだ学会系書店「博文堂」では 、
「学会は、張り巡らしたさまざまな部門を利用して、売上を上げる」
と、会員から金を搾り取ろうとする「商魂」を紹介する。
さて、学会の金儲けといえば、その中心は、言わずと知れた「財務」である。
それについては、「お金を出せば出すほど、福運がつく」といって、幹部が金集めに狂奔する学会財務の実態を、創価学会を脱会した後呂雅巳氏(『創価学会による被害者の会』代表)が証言している。

■池田の権威付け工作の裏側 取材陣も驚いた公明党議員の発言

さて、番組の後半は、池田大作その人にスポットをあてている。
まず、場面は、日蓮正宗総本山大石寺。
六壷(むつぼ)で夕の勤行をする御所化さんとお小僧さん達――カメラは、その清廉かつ真摯(しんし)な姿を追い、ナレーションで、
「宗門とは、日蓮大聖人の真の権威だ」
と紹介する。ちなみに、フランスの取材班を案内した宗門関係者によれば、
「彼らは、約30分の勤行の間、その場を離れようともしないで撮影を続け、『これが、本当の宗教だ』と感想を漏らしていた」
という。第三者ですら、御僧侶方の修行の姿を見ただけで、俗悪な学会との歴然たる違いを感じ取ったのである。
そしてナレーションは、学会が日蓮正宗から破門されたことを述べた後、
「学会は、この宗派(日蓮正宗)を、ただ一人の男の野心の権威として利用した」
と直言する。
ここで、「一人の男」……池田大作が画面に登場。
それは、かつて本紙でも紹介したが、数年前の「SGI総会」で見せた、机ドンドン叩きや、醜悪な形相で「ベェーン」と弓矢を射る真似をしてみせる、例の姿であった。やはり、フランス人の目にも、この池田の挙動はかなり異常なものとして映った、ということらしい。
勲章や要人との対話で自らの権威付けを図っていることも、見逃がさない。学会による「共産党・宮本委員長宅の盗聴事件」にも触れる。
また、取材班は、政権与党の一角に潜り込んだ公明党に刮目(かつもく)し、公明党議員の遠藤乙彦(6月の衆院選では落選)にインタビューしている。
まず、ナレーションが、
「我々が興味があるのは、ただ一つ……彼にとって、池田大作とは何か?ということだ。その答えには、驚いた」
と前置きする。フランスのジャーナリストも驚いた遠藤の回答とは、
「私にとって、人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生です。今日、日本にも世界にも、たくさん問題がありますが、21世紀には、池田大作の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと問題が解決していくでしょう」
というものだったのである。
遠藤乙彦といえば、つい数年前まで、日本の外交官をしていた人物である。その男にして、この感覚……創価学会の洗脳による、思考の狭窄(きょうさく)を証明して余りある発言、といえよう。
番組は、創価思想の教育機関としての創価大学を紹介し、学会の世界戦略の危険性を示唆(しさ)する。そして、かつて池田の権威付け対話の一人として利用された、元フランス大統領・ミッテラン氏の夫人から、対話実現に至った裏話を引き出し、
「もう一生、池田氏とは会わない」
との言葉を紹介している。
最後の結びとして、
「創価学会は、フランスでは、カルトの中で最も危険なものの一つとされている」
「学会は、国際的な構造をもった、新たなるカルトの原型」
「現在、フランスの創価学会内部は分裂しはじめている。それは、池田大作の支配により、方向がおかしくなっていることに気づいたからだ」
として、21世紀への警鐘をならして、番組を終了している。
以上、順追って述べてきたが、これが日本のテレビ番組でないことが残念でならない。もし、日本のテレビ局が、学会への遠慮を破って、ここまでストレートに学会の実態を報道できるようになれば、その時、確実に日本の社会は好転していくであろう。その時が、一日も早からんことを祈るのみ。


異常な指導、金儲け体質、池田の権力志向等を直撃
カルト(池田創価学会)の実態に迫る特集番組
「学会は最も危険なカルトの一つ」
https://www.ryoulan.com/html/souka_hu2.html

フランス国営放送の『創価学会――21世紀のカルト』の概要
https://21cult.web.fc2.com/21cultov.htm

フランス国営放送の『創価学会―21世紀のカルト』の翻訳
https://21cult.web.fc2.com/culttrans.htm

創価学会が世界各国でセクト(反社会的カルト)認定されていた
https://21cult.web.fc2.com/cult.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/270.html#c12

[近代史4] ペトロダラーシステム 中川隆
18. 中川隆[-6887] koaQ7Jey 2021年3月06日 16:05:23 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[16]
2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/

 OECD(経済協力開発機構)の発表した加盟国の平均賃金が話題だ。日本は平均以下で、韓国を下回っているからだ。しかも、OECDはアメリカを中心とする西側諸国の集まりだが、落ち目である。


 アメリカの支配力を支えてきたのは基軸通貨であるドルを発行する特権。その特権がなければ各国のエリートを買収し、脅し、排除し、軍隊を世界に展開するといったようなことは不可能。その特権は世界の人びとがドルを交換の基本単位として認めているので成り立つ。貨幣を呪物として崇拝しているとも言える。カール・マルクスが言うところの「貨幣物神」だ。

 そのドル信仰を維持するために「ペトロダラー」の仕組みを作り、金融規制を大幅に緩和して投機市場を肥大化させた。「カジノ化」とも呼ばれたが、一種の金融マジックだ。

 しかし、ドル体制を支える金融システムが揺らいでいる。2008年9月にアメリカの大手投資会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングズは連邦倒産法の適用を申請したが、この出来事は金融システムが危機的な状況にあることを世に知らしめた。このときはツケを庶民に回して乗り切ったが、その後も状況は改善されていない。

 そもそもカジノ化は行き詰まった資本主義システムを生きながらえさせるために導入された。生産を放棄し、投機でカネを回転させようとしたのだが、社会を実際に支えているのは生産活動であり、生産活動がなければ人間は生きていけない。

 しかし、経済のカジノ化を推進した人びとにとって商品やサービスはカネ儲けの手段にしかすぎない。生産活動に支えられている社会が見えていないとも言える。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/


2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/


 これまで資本主義の信奉者はシステムの行き詰まりを侵略と略奪で打開してきた。「帝国主義」、最近の用語を使うならば「グローバル化」だが、それも限界に近づいている。しかもドル信仰を放棄する国も出てきている。そうした流れの中心に存在しているのがロシアと中国。ドルを信仰している人びとにとってロシアや中国は「異教徒」であり、破壊の対象である。

 ロシアはソ連の中心国だったが、そのソ連とアメリカが核戦争の寸前になったことが何度かある。大韓航空007便がソ連領空を深々と侵犯、カムチャツカやサハリンにある軍事施設の上を飛行、モネロン島の上空で撃墜されたとされている1983年も非常に危険の状況だった。

 ソ連はアメリカが先制核攻撃を狙っていると疑っていたのだが、そう推測する動きは1979年頃に始まっている。この年の7月にアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとがエルサレムに集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開いたのだが、実際はソ連を攻撃するプロパガンダについて話あっている。彼らはソ連を「テロリズムの黒幕」だと宣伝することにしていた。この年にはズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めていた。

 エルサレムでの会議を主催するために「ジョナサン研究所」が設立されたが、この名前は、イスラエル軍がウガンダのエンテベを攻撃した際に戦死したヨナタン(ジョナサン)・ネタニヤフの名前から採られている。この人物はイスラエルの現首相、ベンヤミン・ネタニヤフの兄だ。

 1979年にはアメリカやイスラエルの傀儡だったイランの王制が倒れている。1月に国王が脱出、4月に「イスラム共和国」の建国が宣言された。7月にニカラグアでアメリカの傀儡でイスラエルと緊密な関係にあったソモサ一族の独裁体制がサンディニスタによって倒されている。

 同じ年の12月、NATOは戦術弾道ミサイル、パーシングIIを1983年からの西ヨーロッパに配備すると決め、西側では反対運動が起こる。そうした中、反戦運動の活動家でもあったジョン・レノンがカムバック、1980年10月には5年ぶりのシングル「スターティング・オーバー」を、また11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」をリリースした。

 11月にはアメリカで大統領選挙があり、その投票でFBIの手先として生きていたロナルド・レーガンが勝利、副大統領にはCIAのジョージ・H・W・ブッシュが選ばれた。そして12月8日にレノンは射殺される。1981年10月に西ドイツで開かれた反核集会には約30万人が集まったが、レノンが生きていたなら、その規模は格段に大きなものになっていたと見られている。

 アメリカの動きを警戒、ソ連のKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)は1981年5月に合同でRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させた。一触即発だ。

 そうした中、1982年11月に中曽根康弘が内閣総理大臣に就任、翌年の1月にはアメリカを訪問する。その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受け、日本を「巨大空母」と表現して問題になった。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。

 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。核戦争の危険性が高まっていた時、中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にするという宣言したのだ。ソ連がアメリカからの攻撃に神経をとがらせていたことを知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら核戦争を始めるつもりだったということになる。

 中曽根の挑発的な発言から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。3空母の集結は尋常でない。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。

 この艦隊演習の4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。

 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。

 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。

 レーガン政権は1983年11月にパーシングIIを西ドイツに配備しているが、その月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。

 これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかとソ連政府は警戒、報復攻撃の準備を始めている。演習は5日間で終わるが、展開によっては核戦争になっていただろう。中曽根はそうした状況を作る手助けをしたわけだ。

 核戦争が回避された後、CIAはソ連を内部崩壊する工作を始める。その結果、1991年夏の段階でジョージ・H・W・ブッシュ大統領をはじめとするCIA人脈はイスラエルの情報機関を介してソ連の情報機関KGBの中枢と話をつけることに成功、ソ連を乗っ取ることで合意していた。ハンマー作戦だ。

 1991年の後半にはゴルバチョフを排除することに成功、欧米支配層の傀儡でこの年の7月にロシア大統領となったボリス・エリツィンが実権を握る。

 このエリツィンは同年12月にウクライナやベラルーシの首脳をベラルーシにあるベロベーシの森に集め、秘密裏に、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めてソ連を消滅させた。それ以降、約10年にわたってロシアを含む旧ソ連圏は西側の私的権力に支配されることになる。

 ソ連が消滅する直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)には2000トンから3000トンの金塊が保管されていたが、後にそれが400トンに減っていることが判明した。CIAとKGBの腐敗グループが盗んだと見られている

 結局、アメリカはソ連を内部崩壊させることに成功したが、21世紀に入ってウラジミル・プーチンやその周辺がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功、シオニストの一派であるネオコンはジョー・バイデン政権を使い、ロシアを再び従属国にし、中国を制圧しようと目論んでいる。

 中国はケ小平の下でアメリカへ接近するが、そうした流れはリチャード・ニクソン大統領が1972年に中国を訪問した時から始まる。その後「四人組」の抵抗はあったが、そのグループは1976年に失脚した。その当時、アメリカでは新自由主義によるカジノ経済化が始まっていたが、その教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問、新自由主義が中国に広まっていく。

 ところが、1980年代の後半になると新自由主義による社会の歪みが深刻化。1988年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化する。胡耀邦や趙紫陽を後ろだととするエリート学生は「改革」の継続を求めたが、労働者などから不満の声が高まりから軌道修正を図ることになった。胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれた。

 この辺の事情は繰り返し書いてきたので今回は割愛するが、1989年1月からアメリカ大統領はCIA出身(エール大学でリクルートされた可能性が高い)のジョージ・H・W・ブッシュ、そのブッシュが大使として中国へ送り込んだ人物がブッシュと昵懇の間柄にあるCIA高官のジェームズ・リリーだということは指摘しておきたい。

 なお、リリーの前任大使であるウィンストン・ロードは大使を辞めた後、CIAの資金を流すNEDの会長に就任しているが、この3名はいずれもエール大学の出身で、学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだ。中国の学生はリリーだけでなく投機家のジョージ・ソロスともつながっていた。

 このロシアと中国をバラク・オバマ政権のネオコンは2014年に潰そうとする。ウクライナではネオ・ナチを使ったクーデター、香港ではイギリスの情報機関MI6と手を組んで反中国運動を展開したのだが、これによって中露はアメリカを警戒する気持ちが強まり、両国の接近を招いた。

 アメリカやイギリスの私的権力は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」しようとしている。その環境作りに利用されているのがCOVID-19(そのために軍事的な緊張を高めているが(2019年-コロナウイルス感染症)騒動だ。あくまでも彼らの目的は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」して自分たちの支配システムを維持していくことにある。そうした目論見は全面核戦争を引き起こしかねない。

(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/822.html#c18

[近代史4] ドルが下落したらアメリカは終わり 中川隆
4. 中川隆[-6886] koaQ7Jey 2021年3月06日 16:06:02 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[17]
2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/

 OECD(経済協力開発機構)の発表した加盟国の平均賃金が話題だ。日本は平均以下で、韓国を下回っているからだ。しかも、OECDはアメリカを中心とする西側諸国の集まりだが、落ち目である。


 アメリカの支配力を支えてきたのは基軸通貨であるドルを発行する特権。その特権がなければ各国のエリートを買収し、脅し、排除し、軍隊を世界に展開するといったようなことは不可能。その特権は世界の人びとがドルを交換の基本単位として認めているので成り立つ。貨幣を呪物として崇拝しているとも言える。カール・マルクスが言うところの「貨幣物神」だ。

 そのドル信仰を維持するために「ペトロダラー」の仕組みを作り、金融規制を大幅に緩和して投機市場を肥大化させた。「カジノ化」とも呼ばれたが、一種の金融マジックだ。

 しかし、ドル体制を支える金融システムが揺らいでいる。2008年9月にアメリカの大手投資会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングズは連邦倒産法の適用を申請したが、この出来事は金融システムが危機的な状況にあることを世に知らしめた。このときはツケを庶民に回して乗り切ったが、その後も状況は改善されていない。

 そもそもカジノ化は行き詰まった資本主義システムを生きながらえさせるために導入された。生産を放棄し、投機でカネを回転させようとしたのだが、社会を実際に支えているのは生産活動であり、生産活動がなければ人間は生きていけない。

 しかし、経済のカジノ化を推進した人びとにとって商品やサービスはカネ儲けの手段にしかすぎない。生産活動に支えられている社会が見えていないとも言える。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060000/


2021.03.06
ドルを崇拝する人びとの末路(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/


 これまで資本主義の信奉者はシステムの行き詰まりを侵略と略奪で打開してきた。「帝国主義」、最近の用語を使うならば「グローバル化」だが、それも限界に近づいている。しかもドル信仰を放棄する国も出てきている。そうした流れの中心に存在しているのがロシアと中国。ドルを信仰している人びとにとってロシアや中国は「異教徒」であり、破壊の対象である。

 ロシアはソ連の中心国だったが、そのソ連とアメリカが核戦争の寸前になったことが何度かある。大韓航空007便がソ連領空を深々と侵犯、カムチャツカやサハリンにある軍事施設の上を飛行、モネロン島の上空で撃墜されたとされている1983年も非常に危険の状況だった。

 ソ連はアメリカが先制核攻撃を狙っていると疑っていたのだが、そう推測する動きは1979年頃に始まっている。この年の7月にアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとがエルサレムに集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開いたのだが、実際はソ連を攻撃するプロパガンダについて話あっている。彼らはソ連を「テロリズムの黒幕」だと宣伝することにしていた。この年にはズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めていた。

 エルサレムでの会議を主催するために「ジョナサン研究所」が設立されたが、この名前は、イスラエル軍がウガンダのエンテベを攻撃した際に戦死したヨナタン(ジョナサン)・ネタニヤフの名前から採られている。この人物はイスラエルの現首相、ベンヤミン・ネタニヤフの兄だ。

 1979年にはアメリカやイスラエルの傀儡だったイランの王制が倒れている。1月に国王が脱出、4月に「イスラム共和国」の建国が宣言された。7月にニカラグアでアメリカの傀儡でイスラエルと緊密な関係にあったソモサ一族の独裁体制がサンディニスタによって倒されている。

 同じ年の12月、NATOは戦術弾道ミサイル、パーシングIIを1983年からの西ヨーロッパに配備すると決め、西側では反対運動が起こる。そうした中、反戦運動の活動家でもあったジョン・レノンがカムバック、1980年10月には5年ぶりのシングル「スターティング・オーバー」を、また11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」をリリースした。

 11月にはアメリカで大統領選挙があり、その投票でFBIの手先として生きていたロナルド・レーガンが勝利、副大統領にはCIAのジョージ・H・W・ブッシュが選ばれた。そして12月8日にレノンは射殺される。1981年10月に西ドイツで開かれた反核集会には約30万人が集まったが、レノンが生きていたなら、その規模は格段に大きなものになっていたと見られている。

 アメリカの動きを警戒、ソ連のKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)は1981年5月に合同でRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させた。一触即発だ。

 そうした中、1982年11月に中曽根康弘が内閣総理大臣に就任、翌年の1月にはアメリカを訪問する。その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受け、日本を「巨大空母」と表現して問題になった。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。

 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。核戦争の危険性が高まっていた時、中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にするという宣言したのだ。ソ連がアメリカからの攻撃に神経をとがらせていたことを知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら核戦争を始めるつもりだったということになる。

 中曽根の挑発的な発言から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。3空母の集結は尋常でない。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。

 この艦隊演習の4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。

 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。

 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。

 レーガン政権は1983年11月にパーシングIIを西ドイツに配備しているが、その月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。

 これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかとソ連政府は警戒、報復攻撃の準備を始めている。演習は5日間で終わるが、展開によっては核戦争になっていただろう。中曽根はそうした状況を作る手助けをしたわけだ。

 核戦争が回避された後、CIAはソ連を内部崩壊する工作を始める。その結果、1991年夏の段階でジョージ・H・W・ブッシュ大統領をはじめとするCIA人脈はイスラエルの情報機関を介してソ連の情報機関KGBの中枢と話をつけることに成功、ソ連を乗っ取ることで合意していた。ハンマー作戦だ。

 1991年の後半にはゴルバチョフを排除することに成功、欧米支配層の傀儡でこの年の7月にロシア大統領となったボリス・エリツィンが実権を握る。

 このエリツィンは同年12月にウクライナやベラルーシの首脳をベラルーシにあるベロベーシの森に集め、秘密裏に、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めてソ連を消滅させた。それ以降、約10年にわたってロシアを含む旧ソ連圏は西側の私的権力に支配されることになる。

 ソ連が消滅する直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)には2000トンから3000トンの金塊が保管されていたが、後にそれが400トンに減っていることが判明した。CIAとKGBの腐敗グループが盗んだと見られている

 結局、アメリカはソ連を内部崩壊させることに成功したが、21世紀に入ってウラジミル・プーチンやその周辺がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功、シオニストの一派であるネオコンはジョー・バイデン政権を使い、ロシアを再び従属国にし、中国を制圧しようと目論んでいる。

 中国はケ小平の下でアメリカへ接近するが、そうした流れはリチャード・ニクソン大統領が1972年に中国を訪問した時から始まる。その後「四人組」の抵抗はあったが、そのグループは1976年に失脚した。その当時、アメリカでは新自由主義によるカジノ経済化が始まっていたが、その教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問、新自由主義が中国に広まっていく。

 ところが、1980年代の後半になると新自由主義による社会の歪みが深刻化。1988年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化する。胡耀邦や趙紫陽を後ろだととするエリート学生は「改革」の継続を求めたが、労働者などから不満の声が高まりから軌道修正を図ることになった。胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれた。

 この辺の事情は繰り返し書いてきたので今回は割愛するが、1989年1月からアメリカ大統領はCIA出身(エール大学でリクルートされた可能性が高い)のジョージ・H・W・ブッシュ、そのブッシュが大使として中国へ送り込んだ人物がブッシュと昵懇の間柄にあるCIA高官のジェームズ・リリーだということは指摘しておきたい。

 なお、リリーの前任大使であるウィンストン・ロードは大使を辞めた後、CIAの資金を流すNEDの会長に就任しているが、この3名はいずれもエール大学の出身で、学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだ。中国の学生はリリーだけでなく投機家のジョージ・ソロスともつながっていた。

 このロシアと中国をバラク・オバマ政権のネオコンは2014年に潰そうとする。ウクライナではネオ・ナチを使ったクーデター、香港ではイギリスの情報機関MI6と手を組んで反中国運動を展開したのだが、これによって中露はアメリカを警戒する気持ちが強まり、両国の接近を招いた。

 アメリカやイギリスの私的権力は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」しようとしている。その環境作りに利用されているのがCOVID-19(そのために軍事的な緊張を高めているが(2019年-コロナウイルス感染症)騒動だ。あくまでも彼らの目的は中露を潰し、「資本主義の大々的なリセット」して自分たちの支配システムを維持していくことにある。そうした目論見は全面核戦争を引き起こしかねない。

(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103060002/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1074.html#c4

[近代史5] 食べてはいけない 中川隆
90. 中川隆[-6885] koaQ7Jey 2021年3月06日 18:14:56 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[20]
コンビニの激安の酒は危険!原材料は廃棄物、大量の添加物…路上販売のパンも要注意!
http://biz-journal.jp/2016/02/post_13778.html
2016.02.13 文=郡司和夫/食品ジャーナリスト Business Journal


 カレーチェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」(ココイチ)のプラスチック破片が混入した可能性がある廃棄物の冷凍ビーフカツを横流しした産業廃棄物処理業者ダイコー、スーパーマーケットなどに卸した仲卸業者みのりフーズの本社がそれぞれ愛知県、岐阜県であるとのニュースを見て「またか」と思った。

 三十数年前、愛知県を中心に廃棄されなければいけないはずの病死した牛の肉が、県内の学校給食に出回ったことがある。事が明るみに出たきっかけは、病死肉を運搬するトラックが交通事故を起こし、道路に病死肉が散乱したことによる。「なんだ、この肉は!」と大騒ぎになり、警察が調べたら学校給食用だとわかったのだ。

 それから10年ほど前、狂牛病(BSE)が世界的に猛威を振るい、脳や眼、脊髄など牛の特定危険部位はすべて廃棄されることになった。ところが食肉処理場と取引のある岐阜県の廃棄物処理業者が、焼き肉店へ横流ししていたことが明るみに出たのだ。

 いずれも黒幕に食品廃棄物を扱うあるブローカーの存在が取沙汰されたが、うやむやになった。

 今回発覚した廃棄物横流しは、ココイチのカツだけでなく、コンビニエンスストアチェーン店や大手味噌メーカーの商品など、200点近くに及んでいる。かなり力のあるブローカーが動いていなければ、このようなことにはならないはずだ。

 ともかく、とんでもない規模で“フードロンダリング”がまかり通っているのが食品業界の実態である。

■廃棄物から激安食品が“リサイクル”されている

 筆者が実際に目撃したのは、こんなケースである。

 筆者が住んでいる市に人気のパン屋がある。朝早くから多くの従業員が調理場でさまざまなパンを焼いている。その調理場の裏口に、前日売れ残ったパンやハム、コロッケ、レタス、トマトなどを複数の透明のポリ袋に入れて、廃棄物として出しておく。毎朝9時前には産業廃棄物処理業者が引き取りにくるわけだが、偶然、その場面に遭遇した。

 ちょうどダイコーの件が明るみに出たときだったので、注意深く、その廃棄物処理業者の動きを見ていた。そうすると、その場でポリ袋を開け、手早くまだ形が残っているものは、別の袋に詰めかえているのだ。コロッケパン、焼きそばパンなど、見た目にもまだ食べられそうである。思わず「これらをどうするんですか」と廃棄物処理業者に聞くと、「いいよ、少し持っていきな」とパンを渡された。どうやら筆者はホームレスなどと間違えられたようだ。

 リサイクル業を行っている知り合いにこのことを話すと、こともなげに「ブローカーが引き取りに来て、路上販売業者に流すことは珍しくない」と言った。場外馬券場周辺の路上などで販売されている安いコロッケパンやサンドイッチは、このような廃棄物から流れてきたものが多いという。

「ゴミは宝の山」という言葉があるが、文字通り産業廃棄物を利用して大儲けしている業者があるのだ。

 一昨年、農業機器などの産業機械メーカー・九州クボタの社員が廃棄物処理法違反に問われた事件があった。この社員は、精米機から出る産業廃棄物の玄米を集め売却していた。玄米には米が少し残っているので、それらを集めて再度精米して酒造メーカーに売る廃棄物処理業者がある。九州クボタの社員は、九州各地に配置されている自社の自動精米機器から出る玄米を集め、小遣い稼ぎに数年間にわたって売却していたという。精米後の玄米は産業廃棄物扱いされるため、認可を受けている業者でなければ処理することはできない。

 では、このような産業廃棄物から出た米から、何がつくられているのか。それはコンビニやスーパーで販売されている、1パック100円の日本酒や安い焼酎だ。このような酒は、成分表示にも単に「米」としか記載されていないので、消費者にはその素性まで知る術はない。安い日本酒や焼酎が急に増えたのは、ゴミに出された米など、安く原材料を仕入れられるようになったからだ。ちなみに、米だけでなく、麦でも同様の流通が行われている。

 そんなことは少しも知らずに、消費者は安いことを歓迎している。しかし、そんなゴミのような原料から良い酒ができるはずはなく、製造工程で醸造用添加物が必ず使用されている。このようにして製造された酒が体に良いわけはない。体に悪く、ただ同然で手に入れた原材料でつくった酒は100円でも高すぎる。

(文=郡司和夫/食品ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/425.html#c90

[リバイバル3] 酒を飲むとバカになる 中川隆
51. 中川隆[-6887] koaQ7Jey 2021年3月06日 18:17:27 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[21]
コンビニの激安の酒は危険!原材料は廃棄物、大量の添加物…路上販売のパンも要注意!
http://biz-journal.jp/2016/02/post_13778.html
2016.02.13 文=郡司和夫/食品ジャーナリスト Business Journal

 カレーチェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」(ココイチ)のプラスチック破片が混入した可能性がある廃棄物の冷凍ビーフカツを横流しした産業廃棄物処理業者ダイコー、スーパーマーケットなどに卸した仲卸業者みのりフーズの本社がそれぞれ愛知県、岐阜県であるとのニュースを見て「またか」と思った。

 三十数年前、愛知県を中心に廃棄されなければいけないはずの病死した牛の肉が、県内の学校給食に出回ったことがある。事が明るみに出たきっかけは、病死肉を運搬するトラックが交通事故を起こし、道路に病死肉が散乱したことによる。「なんだ、この肉は!」と大騒ぎになり、警察が調べたら学校給食用だとわかったのだ。

 それから10年ほど前、狂牛病(BSE)が世界的に猛威を振るい、脳や眼、脊髄など牛の特定危険部位はすべて廃棄されることになった。ところが食肉処理場と取引のある岐阜県の廃棄物処理業者が、焼き肉店へ横流ししていたことが明るみに出たのだ。

 いずれも黒幕に食品廃棄物を扱うあるブローカーの存在が取沙汰されたが、うやむやになった。

 今回発覚した廃棄物横流しは、ココイチのカツだけでなく、コンビニエンスストアチェーン店や大手味噌メーカーの商品など、200点近くに及んでいる。かなり力のあるブローカーが動いていなければ、このようなことにはならないはずだ。

 ともかく、とんでもない規模で“フードロンダリング”がまかり通っているのが食品業界の実態である。

■廃棄物から激安食品が“リサイクル”されている

 筆者が実際に目撃したのは、こんなケースである。

 筆者が住んでいる市に人気のパン屋がある。朝早くから多くの従業員が調理場でさまざまなパンを焼いている。その調理場の裏口に、前日売れ残ったパンやハム、コロッケ、レタス、トマトなどを複数の透明のポリ袋に入れて、廃棄物として出しておく。毎朝9時前には産業廃棄物処理業者が引き取りにくるわけだが、偶然、その場面に遭遇した。

 ちょうどダイコーの件が明るみに出たときだったので、注意深く、その廃棄物処理業者の動きを見ていた。そうすると、その場でポリ袋を開け、手早くまだ形が残っているものは、別の袋に詰めかえているのだ。コロッケパン、焼きそばパンなど、見た目にもまだ食べられそうである。思わず「これらをどうするんですか」と廃棄物処理業者に聞くと、「いいよ、少し持っていきな」とパンを渡された。どうやら筆者はホームレスなどと間違えられたようだ。

 リサイクル業を行っている知り合いにこのことを話すと、こともなげに「ブローカーが引き取りに来て、路上販売業者に流すことは珍しくない」と言った。場外馬券場周辺の路上などで販売されている安いコロッケパンやサンドイッチは、このような廃棄物から流れてきたものが多いという。

「ゴミは宝の山」という言葉があるが、文字通り産業廃棄物を利用して大儲けしている業者があるのだ。

 一昨年、農業機器などの産業機械メーカー・九州クボタの社員が廃棄物処理法違反に問われた事件があった。この社員は、精米機から出る産業廃棄物の玄米を集め売却していた。玄米には米が少し残っているので、それらを集めて再度精米して酒造メーカーに売る廃棄物処理業者がある。九州クボタの社員は、九州各地に配置されている自社の自動精米機器から出る玄米を集め、小遣い稼ぎに数年間にわたって売却していたという。精米後の玄米は産業廃棄物扱いされるため、認可を受けている業者でなければ処理することはできない。

 では、このような産業廃棄物から出た米から、何がつくられているのか。それはコンビニやスーパーで販売されている、1パック100円の日本酒や安い焼酎だ。このような酒は、成分表示にも単に「米」としか記載されていないので、消費者にはその素性まで知る術はない。安い日本酒や焼酎が急に増えたのは、ゴミに出された米など、安く原材料を仕入れられるようになったからだ。ちなみに、米だけでなく、麦でも同様の流通が行われている。

 そんなことは少しも知らずに、消費者は安いことを歓迎している。しかし、そんなゴミのような原料から良い酒ができるはずはなく、製造工程で醸造用添加物が必ず使用されている。このようにして製造された酒が体に良いわけはない。体に悪く、ただ同然で手に入れた原材料でつくった酒は100円でも高すぎる。

(文=郡司和夫/食品ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html#c51

[近代史4] 酒は飲んではいけない 中川隆
7. 中川隆[-6886] koaQ7Jey 2021年3月06日 18:18:16 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[22]
コンビニの激安の酒は危険!原材料は廃棄物、大量の添加物…路上販売のパンも要注意!
http://biz-journal.jp/2016/02/post_13778.html
2016.02.13 文=郡司和夫/食品ジャーナリスト Business Journal

 カレーチェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」(ココイチ)のプラスチック破片が混入した可能性がある廃棄物の冷凍ビーフカツを横流しした産業廃棄物処理業者ダイコー、スーパーマーケットなどに卸した仲卸業者みのりフーズの本社がそれぞれ愛知県、岐阜県であるとのニュースを見て「またか」と思った。

 三十数年前、愛知県を中心に廃棄されなければいけないはずの病死した牛の肉が、県内の学校給食に出回ったことがある。事が明るみに出たきっかけは、病死肉を運搬するトラックが交通事故を起こし、道路に病死肉が散乱したことによる。「なんだ、この肉は!」と大騒ぎになり、警察が調べたら学校給食用だとわかったのだ。

 それから10年ほど前、狂牛病(BSE)が世界的に猛威を振るい、脳や眼、脊髄など牛の特定危険部位はすべて廃棄されることになった。ところが食肉処理場と取引のある岐阜県の廃棄物処理業者が、焼き肉店へ横流ししていたことが明るみに出たのだ。

 いずれも黒幕に食品廃棄物を扱うあるブローカーの存在が取沙汰されたが、うやむやになった。

 今回発覚した廃棄物横流しは、ココイチのカツだけでなく、コンビニエンスストアチェーン店や大手味噌メーカーの商品など、200点近くに及んでいる。かなり力のあるブローカーが動いていなければ、このようなことにはならないはずだ。

 ともかく、とんでもない規模で“フードロンダリング”がまかり通っているのが食品業界の実態である。

■廃棄物から激安食品が“リサイクル”されている

 筆者が実際に目撃したのは、こんなケースである。

 筆者が住んでいる市に人気のパン屋がある。朝早くから多くの従業員が調理場でさまざまなパンを焼いている。その調理場の裏口に、前日売れ残ったパンやハム、コロッケ、レタス、トマトなどを複数の透明のポリ袋に入れて、廃棄物として出しておく。毎朝9時前には産業廃棄物処理業者が引き取りにくるわけだが、偶然、その場面に遭遇した。

 ちょうどダイコーの件が明るみに出たときだったので、注意深く、その廃棄物処理業者の動きを見ていた。そうすると、その場でポリ袋を開け、手早くまだ形が残っているものは、別の袋に詰めかえているのだ。コロッケパン、焼きそばパンなど、見た目にもまだ食べられそうである。思わず「これらをどうするんですか」と廃棄物処理業者に聞くと、「いいよ、少し持っていきな」とパンを渡された。どうやら筆者はホームレスなどと間違えられたようだ。

 リサイクル業を行っている知り合いにこのことを話すと、こともなげに「ブローカーが引き取りに来て、路上販売業者に流すことは珍しくない」と言った。場外馬券場周辺の路上などで販売されている安いコロッケパンやサンドイッチは、このような廃棄物から流れてきたものが多いという。

「ゴミは宝の山」という言葉があるが、文字通り産業廃棄物を利用して大儲けしている業者があるのだ。

 一昨年、農業機器などの産業機械メーカー・九州クボタの社員が廃棄物処理法違反に問われた事件があった。この社員は、精米機から出る産業廃棄物の玄米を集め売却していた。玄米には米が少し残っているので、それらを集めて再度精米して酒造メーカーに売る廃棄物処理業者がある。九州クボタの社員は、九州各地に配置されている自社の自動精米機器から出る玄米を集め、小遣い稼ぎに数年間にわたって売却していたという。精米後の玄米は産業廃棄物扱いされるため、認可を受けている業者でなければ処理することはできない。

 では、このような産業廃棄物から出た米から、何がつくられているのか。それはコンビニやスーパーで販売されている、1パック100円の日本酒や安い焼酎だ。このような酒は、成分表示にも単に「米」としか記載されていないので、消費者にはその素性まで知る術はない。安い日本酒や焼酎が急に増えたのは、ゴミに出された米など、安く原材料を仕入れられるようになったからだ。ちなみに、米だけでなく、麦でも同様の流通が行われている。

 そんなことは少しも知らずに、消費者は安いことを歓迎している。しかし、そんなゴミのような原料から良い酒ができるはずはなく、製造工程で醸造用添加物が必ず使用されている。このようにして製造された酒が体に良いわけはない。体に悪く、ただ同然で手に入れた原材料でつくった酒は100円でも高すぎる。

(文=郡司和夫/食品ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/330.html#c7

[近代史4] 生まれつき恐怖を感じたことがない人間が世の中にいる 中川隆
1. 中川隆[-6885] koaQ7Jey 2021年3月06日 18:28:10 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[24]

◆レイプして性器をナイフでズタズタに。女性を憎悪する男たち
2016.02.03

イギリスのロンドン東部で2002年から次々と女性に暴力を振るったりレイプしたり殺害したりしていたレヴィ・ベルフィールドという白人の男がいる。

すでに2008年2月25日に、2つの殺人事件と、1つの殺人未遂事件で無期懲役の判決を受けているのだが、実はこの男は子供の頃から暴力的性向が強く、女性に対して激しい憎悪を持っていたと言われている。

この男が最初に殺したと思われるのは13歳の少女で、レイプのために誘拐して殺して捨てた。これが2002年の事件だ。翌年、この男は19歳の女性をハンマーで殴って殺している。

2004年には18歳の女性を車で轢き殺そうとした。彼女は重体だったが、かろうじて生き残ったが重篤な後遺症が残った。その3ヶ月後、フランスからイギリスに留学に来ていた22歳の女性をやはり頭部を激しく殴打して殺した。

こうした事件の合間に100以上もの暴力事件を起こしていることが確認されており、イギリスで起きて犯人が捕まっていないいくつかのレイプ事件、女性殺人は、この男がやったのではないかとも言われている。

この男は何者だったのか。この男は生まれながらにして暴力を好み、女性を痛めつけるのを好む男だった。典型的なミソジニスト(女性嫌悪者)である。
https://blackasia.net/?p=1401


◆女性をレイプ殺害して、死んだ女性の膣を灰皿代わりに使う男も世の中にいる
2020.11.24

私は人間の「性善説」などまるっきり信じていないし、生まれながらにして残虐な人間がいるということも把握しているし、どんなに教育を施しても意図的に善を「選び取らない」人もいるということを知っている。

同性愛者は「生まれつき」であるというのは、脳科学者が指摘しているところだが、サイコパスもまた脳の作りが生まれつき「他人に共感を持ちにくい脳」となっているわけで、「残虐で極悪非道な犯罪に向かいやすい」人間は間違いなくいる。

もちろん、人の脳は個人個人みんな違っている。驚くほど違っている。犯罪に向かいやすい傾向があったとしても、そのレベルは驚くほど細かいグラデーションとなっている。

だから、道徳教育やしつけで犯罪者にならない人もいれば、手厚い教育を受けても犯罪者になってしまう人もいる。

それは知能も同じで、もともと「地頭が良い」人は親が何の教育もしなくても天才的な知能を発揮するし、逆に「地頭が悪い」人はどれだけ熱心に教育しても並み以下の成績で終わる。

天才の脳は、努力ではどうにもならないほど高い水準にあって、「凡人では最初から追いつけない」というのは、私たちは自分の身を振り返ったら理解できるはずだ。脳の作りは最初から人それぞれ違うのである。

気質も、知能も、性志向も、生まれながらの「脳」によってある程度決まることもあるのだとしたら、「生まれながらの犯罪者」「生まれながらの残虐者」がいたとしても不思議ではない。

つまり、いつも自分優先で、他人に対してまったく共感能力がなく、恐怖を感じることもなく、相手の恐怖にゆがむ顔を見ても「なぜそんな顔をしているのか分からない」と感じる人間がいるということだ。

女性をレイプ殺害して、死んだ女性の膣を灰皿代わりに使う男もいる。

死んだ女性の膣を灰皿代わりに……というのは、別に私が考えた極悪な「たとえ話」ではない。実際に、そういう極悪な事件が起きているのだ。「いったいなぜ、そんなことをしなければならないのか」と絶句するような事件はいくらでもある。
https://blackasia.net/?p=21431


◆女性の存在が許せないので、逆に女性に関わって「破壊」する男がいる
2018.11.12

夜の女たちは最初にどんな純真な心を持っていたとしても、その仕事が長くなればなるほど男を信用しなくなっていく。最初に知り合った時には初々しかった女性が、1年後に再会したらひどく猜疑心の強い性格に変わっていたことはザラにある。

なぜ、そうなるのか。

それは、出会う男たちが危険で信用できない人間が多いからだ。男たちは女性をモノのように扱い、騙し、利用し、脅し、罵倒し、軽蔑し、殴り、レイプし、下手すれば命すらも奪われかねないような目に遭う。

優しい男であっても、密室では豹変するかもしれない。売春というのは危険なビジネスであり、一歩間違えれば地獄に突き落とされる世界なのである。

アンダーグラウンドは暴力が蔓延しているのだが、その最前線で殺され続けているのが売春する女たちであると言っても過言ではない。

そんな状況の中で、女たちが男を信用しなくなったからと言って、不思議でも何でもない。女たちの心の荒廃は、アンダーグラウンドの光景がそのまま映し出されていると私は理解している。

アンダーグラウンドには、不信と憎悪が渦巻いている。
https://blackasia.net/?p=10085
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1136.html#c1

[近代史3] 「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 中川隆
20. 中川隆[-6884] koaQ7Jey 2021年3月06日 18:28:30 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[25]

◆レイプして性器をナイフでズタズタに。女性を憎悪する男たち
2016.02.03

イギリスのロンドン東部で2002年から次々と女性に暴力を振るったりレイプしたり殺害したりしていたレヴィ・ベルフィールドという白人の男がいる。

すでに2008年2月25日に、2つの殺人事件と、1つの殺人未遂事件で無期懲役の判決を受けているのだが、実はこの男は子供の頃から暴力的性向が強く、女性に対して激しい憎悪を持っていたと言われている。

この男が最初に殺したと思われるのは13歳の少女で、レイプのために誘拐して殺して捨てた。これが2002年の事件だ。翌年、この男は19歳の女性をハンマーで殴って殺している。

2004年には18歳の女性を車で轢き殺そうとした。彼女は重体だったが、かろうじて生き残ったが重篤な後遺症が残った。その3ヶ月後、フランスからイギリスに留学に来ていた22歳の女性をやはり頭部を激しく殴打して殺した。

こうした事件の合間に100以上もの暴力事件を起こしていることが確認されており、イギリスで起きて犯人が捕まっていないいくつかのレイプ事件、女性殺人は、この男がやったのではないかとも言われている。

この男は何者だったのか。この男は生まれながらにして暴力を好み、女性を痛めつけるのを好む男だった。典型的なミソジニスト(女性嫌悪者)である。
https://blackasia.net/?p=1401


◆女性をレイプ殺害して、死んだ女性の膣を灰皿代わりに使う男も世の中にいる
2020.11.24

私は人間の「性善説」などまるっきり信じていないし、生まれながらにして残虐な人間がいるということも把握しているし、どんなに教育を施しても意図的に善を「選び取らない」人もいるということを知っている。

同性愛者は「生まれつき」であるというのは、脳科学者が指摘しているところだが、サイコパスもまた脳の作りが生まれつき「他人に共感を持ちにくい脳」となっているわけで、「残虐で極悪非道な犯罪に向かいやすい」人間は間違いなくいる。

もちろん、人の脳は個人個人みんな違っている。驚くほど違っている。犯罪に向かいやすい傾向があったとしても、そのレベルは驚くほど細かいグラデーションとなっている。

だから、道徳教育やしつけで犯罪者にならない人もいれば、手厚い教育を受けても犯罪者になってしまう人もいる。

それは知能も同じで、もともと「地頭が良い」人は親が何の教育もしなくても天才的な知能を発揮するし、逆に「地頭が悪い」人はどれだけ熱心に教育しても並み以下の成績で終わる。

天才の脳は、努力ではどうにもならないほど高い水準にあって、「凡人では最初から追いつけない」というのは、私たちは自分の身を振り返ったら理解できるはずだ。脳の作りは最初から人それぞれ違うのである。

気質も、知能も、性志向も、生まれながらの「脳」によってある程度決まることもあるのだとしたら、「生まれながらの犯罪者」「生まれながらの残虐者」がいたとしても不思議ではない。

つまり、いつも自分優先で、他人に対してまったく共感能力がなく、恐怖を感じることもなく、相手の恐怖にゆがむ顔を見ても「なぜそんな顔をしているのか分からない」と感じる人間がいるということだ。

女性をレイプ殺害して、死んだ女性の膣を灰皿代わりに使う男もいる。

死んだ女性の膣を灰皿代わりに……というのは、別に私が考えた極悪な「たとえ話」ではない。実際に、そういう極悪な事件が起きているのだ。「いったいなぜ、そんなことをしなければならないのか」と絶句するような事件はいくらでもある。
https://blackasia.net/?p=21431


◆女性の存在が許せないので、逆に女性に関わって「破壊」する男がいる
2018.11.12

夜の女たちは最初にどんな純真な心を持っていたとしても、その仕事が長くなればなるほど男を信用しなくなっていく。最初に知り合った時には初々しかった女性が、1年後に再会したらひどく猜疑心の強い性格に変わっていたことはザラにある。

なぜ、そうなるのか。

それは、出会う男たちが危険で信用できない人間が多いからだ。男たちは女性をモノのように扱い、騙し、利用し、脅し、罵倒し、軽蔑し、殴り、レイプし、下手すれば命すらも奪われかねないような目に遭う。

優しい男であっても、密室では豹変するかもしれない。売春というのは危険なビジネスであり、一歩間違えれば地獄に突き落とされる世界なのである。

アンダーグラウンドは暴力が蔓延しているのだが、その最前線で殺され続けているのが売春する女たちであると言っても過言ではない。

そんな状況の中で、女たちが男を信用しなくなったからと言って、不思議でも何でもない。女たちの心の荒廃は、アンダーグラウンドの光景がそのまま映し出されていると私は理解している。

アンダーグラウンドには、不信と憎悪が渦巻いている。
https://blackasia.net/?p=10085
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html#c20

[番外地9] 財政危機の意味を全く理解できていないね。
財政危機の意味を全く理解できていないね。
財務省や経済学者が騒いでいる財政危機というのは、民間が新規事業を増やせないのに、国債の利払い額だけが毎年毎年増え続けて、その増加分もすべて新規国債で賄わないといけない、という現状の事だよ。政府財政はネズミ講と同じになってしまったんだ。

利子付き国債の発行は貧富の差を拡大しマルクスの預言した階級社会を作ってしまう
最も「勝ち組」の投資は日本国債だった
http://www.thutmosev.com/archives/68138564.html

1970年代まで西欧各国で採用されたケインズ政策は大失敗に終わり、財政均衡が必要だというのが経済政策の常識になった:

ハイエク vs ケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション 動画
https://www.youtube.com/watch?v=lEe7KCshrec

ケインズ政策を採用した英国の IMF危機〜しくじり財政破綻〜【福祉国家の末路】動画
https://www.youtube.com/watch?v=QE83IQM2SfY

公共投資による内需拡大策が失敗した例 _ ニューディール政策は失敗だった
https://www.youtube.com/watch?v=rz9-7V-c9H4

公共投資による内需拡大策が失敗した例 _ ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 
三橋貴明の 積極財政論の論拠の何処がおかしいかを超簡単に解説しました:

経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title


デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません:

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。
国民の半数は働く必要は有りません。民間銀行が企業に事業資金を貸す必要もありません。
政府が貧困者に金さえ出せば企業活動を半分にしても需要供給のバランスが取れる様になるのです。

アメリカ中央銀行はアメリカ政府から利子付きアメリカ国債を買ってドルを発行しているので、利子の分だけドルの発行量が毎年毎年増えていく、従ってドルの貨幣価値も毎年毎年減ってインフレが進行していく。
ドルの増加分はすべて資本家の所に行き、労働者の賃金は大して上がらず、実質賃金は毎年毎年下がっていく。従って、内需は毎年毎年減っていき、失業が増え、貧富の差が開いていってマルクスが預言した階級社会が完成する。国債金利がゼロに近づいているというのは、企業が民間銀行から借金して投資する額がこれ以上は増やせない上限に到達してしまい、投資して利子と配当で儲ける資本主義システムが破綻したという事です。 資本主義システムが破綻してできた階級社会の混乱と暴動に対処する方法としては今まで次の3案が考えられています:

・マルクス主義革命:階級闘争で階級を無くし、総中流社会に変える
・エンデの地域通貨発行論:民間銀行の信用創造による企業への融資を止めて、公的機関が利子ゼロで融資する。
・グレートリセット: 階級を永遠に固定化して、労働者を スマホ情報の監視、マイクロチップ体内埋め込みや監視カメラを使って徹底管理して反体制活動ができない様にする

現在のドルを基軸通貨とするアメリカ中心の経済システムは破綻が間近に迫っている。金融マジックで生きながらえてきたが、それも限界が近づき、何も手を打たなければ2030年までに崩壊すると考える人が少なくなかった。そこで資本主義システムを大々的に「リセット」しようというわけだ。


TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)に含まれているISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制は賠償の対象になることになっていた。


 つまり、生産活動やサービスのルールを決め、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限を持つのは巨大資本になる。


 私的権力が国を凌駕する力を持ち、政府を所有している状態をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと定義した。1938年のこと。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした体制を「近代農奴制」と呼ぶ人もいる。

グレートリセットはジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」から多くのアイデアをもらっている。「1984」は米国アマゾンでベストセラーになっている。米国だけでなく日本でもベストセラー1位だ。この現象自体が1984的だ。

グレートリセットは「私有財産の没収」まで到達するという説すらある。UBIは「国民総生活保護」であり、その裏側に私有財産禁止がある。もちろん私有を禁じられるのは平民だけで、政治力を持つ大金持ちは例外だ。今のコモディティの値上がりが超インフレになり、ドル崩壊に至るが、その過程で農産物の価格が高騰し、それを統制するために農地が公有化される。それを先取りして、MSのビル・ゲイツが米国各地で広大な農地を買い集め、全米最大の農地保有者になっているという。公有地の「公」は政府でなくネット大企業の経営者というわけだ。

温暖化対策はグレートリセットの柱の一つだ。
温暖化対策・2酸化炭素排出削減のため、人々(平民)は肉を食べず(家畜が2酸化炭素を出すから)代わりに昆虫や植物由来の擬似肉を食べるべきだとか、穀物でなく雑草を食べよとか、下水を飲めといった提案がグレートリセットの一環として欧米で出されている(金持ちはおいしい肉や水を飲食できる)。

こういった資本主義の信用貨幣制度の限界は大西つねきが昔から警告していた事です:

大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

世界が変わる26分スピーチ「今こそ知るべきお金の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=ePNfqu12S6A
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/147.html

[リバイバル3] 世界中の飢餓に苦しむ貧困者を救ったインスタントラーメンだけど… 中川隆
7. 中川隆[-6883] koaQ7Jey 2021年3月06日 19:45:24 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[27]
【ゆっくり解説】カップラーメンを食べ続けるとどうなるか...?



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/999.html#c7
[近代史3] カップヌードルの人体への影響 中川隆
1. 中川隆[-6882] koaQ7Jey 2021年3月06日 19:45:46 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[28]
【ゆっくり解説】カップラーメンを食べ続けるとどうなるか...?



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/557.html#c1
[近代史3] カップ麺や袋めんが年間6000億円 麺市場は1兆円に拡大 中川隆
9. 中川隆[-6881] koaQ7Jey 2021年3月06日 19:46:06 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[29]
【ゆっくり解説】カップラーメンを食べ続けるとどうなるか...?



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/326.html#c9
[番外地9] 慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた
慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた
従って、13才、14才の子供に売春をやらせた責任はすべて日本軍にある。
関係者は全員死刑相当の重罪だ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/148.html
[番外地9] 慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた 中川隆
1. 中川隆[-6880] koaQ7Jey 2021年3月06日 20:55:01 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[30]
慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた
従って、国際法で禁じられていた13才、14才の子供に売春をやらせた責任はすべて日本軍にある。
関係者は全員死刑相当の重罪だ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/148.html#c1
[番外地9] 慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた 中川隆
2. 中川隆[-6879] koaQ7Jey 2021年3月06日 20:56:32 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[31]
慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた
従って、国際法で禁じられていた13才、14才の子供に売春をやらせた責任はすべて日本軍にある。
関係者は全員死刑相当の重罪だ。それで慰安婦関係の書類は証拠隠滅の為に終戦時にすべて焼却処分されたんだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/148.html#c2
[番外地9] 慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた 中川隆
3. 中川隆[-6878] koaQ7Jey 2021年3月06日 20:58:28 : aEPWmwZz6g : ZGV2Z1VubE9GcFE=[32]
慰安所は日本軍の建物、慰安婦を輸送したのも日本軍、慰安婦の性病検診も軍医がやっていた
従って、国際法で禁じられていた13才、14才の子供に売春をやらせた責任はすべて日本軍にある。
関係者は全員死刑相当の重罪だ。それで慰安婦関係の書類は証拠隠滅の為に終戦時にすべて焼却処分されたんだ。

それから実際に給料を受け取った慰安婦は存在しない。 送金したのはチップだけだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/148.html#c3

[番外地9] 『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める 2018年9月26日
『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める 2018年9月26日
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/09/26/antena-332/
「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏――。彼の論考や発言は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ。
東京地裁では、元「慰安婦」記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元『朝日新聞』記者の植村隆・韓国カトリック大学客員教授が西岡氏らを相手取り、損害賠償などを求めた訴訟が2015年1月から続いている。
植村氏は1991年8月、xxでの「慰安婦」問題に取り組む市民団体への取材やその聞き取り調査に応じた女性(のちに記者会見で名乗り出た金学順さん)の録音テープを聞いてスクープし、同年12月にも証言を記事化した。

西岡氏は、植村氏の記事に対し、『週刊文春』2014年2月6日号で「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、xx紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントした。

しかし、尋問で「そう訴状に書いてあるのか」と問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。金さんの記者会見を報じたxx『ハンギョレ』新聞の記事を著作で引用した際、「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた。

西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられたxx人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/149.html

[近代史5] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
2. 中川隆[-6877] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:20:22 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[2]

2021年02月16日
日本の持続的発展には貿易赤字が必要
http://www.thutmosev.com/archives/85129032.html

奇妙なことに貿易黒字が増えれば増えるほど日本は不況になっている。
これは輸出のために低賃金長時間労働を強いられているから

画像引用:http://3rdworldman.jugem.jp/?eid=46 超長期貿易収支推移 _ 経済社会を知りたい:経済ニュースの背景をグラフで易しく解説します

”日本が輸出で成長した”は作り話

日本経済はコロナで打撃を受けている一方で株価は急上昇し、30年に及ぶデフレ不況からの脱出が期待されています。

2020年の日本は3年ぶりの貿易黒字で、コロナを除くと2017年を最後に日本は貿易赤字国になった。

そしてこの貿易赤字が日本再生の切り札で、貿易黒字こそデフレ不況の根本原因だったという話です。

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日本の貿易収支が黒字で定着したのは1970年のオイルショック以降で、燃費が良く壊れず安い日本車が世界で飛ぶように売れました。

こう書くと輸出が日本の経済成長の原動力だったようだが、高度経済成長は1955年から1973年までの期間で貿易は必ずしも黒字ではなかった。

1970年から1985年まで日本は輸出で大儲けしたが、80年代に入ると対日貿易赤字が表面化し日米対立がおきました。


日本の輸出が順調だったのはわずか10年間で、80年代は輸出が原因で世界でジャパンバッシングが巻き起こりました。

1985年のプラザ合意は日本経済への死刑判決と呼べるもので、G7で円高誘導が合意(実際にはアメリカによる命令)しました。

プラザ合意の結果1ドル260円が3年後に120円になり、現在でいうと1ドル120円が3年で40円になったような感じでした。


この難局を乗り切りる為中曽根総理は内需拡大を始めバブル経済を引き起こし、黄金の80年代とバブル崩壊も引き起こした。

1990年にバブル崩壊し30年後の現在までずっと不況、これから運が良ければ立ち直るという話です。


この一連の失敗の原因は貿易黒字であり「輸出国家」という妄想が招いたものでした。

輸出国家なんか幻想にすぎない

第二次大戦の原因は1929年のNYバブル崩壊で、経済崩壊した列強は貿易を封鎖してブロック経済に移行しました。

今考えると世界は逆に貿易を増やしたほうが経済回復するのに、当時はまったく逆に考えられていました。

貿易が増えると外国製品の輸入が多くなり、自国の製品が売れなくなって経済的打撃を受けると考えられていました。


今もこういう古典的経済論を唱える人が居ますが、「輸入は損」だから市場を閉鎖したのです。

一方で「輸出は利益」なので列強は植民地獲得に走り、日本は満州を開発して日本製品を買わせようとしました。

第二次大戦は各国が輸入を減らすため市場を閉鎖し、一方で輸出を増やすために領土を増やそうとした結果起きました。


それから70年以上が経ち、現在は世界のGDP上位国のほとんどが貿易赤字、黒字は日独中だけです。

輸出国のほとんどはアジアの新興国で、新興国と言えば聞こえは良いが貧しい工場労働者の国が多い。

一方で輸入国は貿易赤字なのに日本人より遥かに良い暮らしをしていて、労働時間は短く給料が高い。


輸出が利益で輸入が損という考え方が間違っている証拠で、貿易とは「お金と労働力を交換する行為」と言い換えることが出来る。

トヨタがアメリカに300万円の車を輸出すると、時給2000円だったら日本人は1台の車に延べ1500時間働いている筈です。

アメリカ人は300万円払って車を買い、ドライブを楽しんだり仕事に使ったりして平均10年以上使います。


もしアメリカ人が車の輸入をやめると、日本人労働者のように低賃金長時間労働をしなくてはならずアメリカのGDPは低下します。

スマホではもっとそうで、アメリカがスマホの輸入を辞めたらシリコンバレーの年収1000万円労働者は、時給300円でスマホを造らなくてはならなくなる。

このように貿易赤字国は割りに合わない製品を低賃金国に作らせて、自分は割りの良い仕事に専念できるので生活水準が高い。


輸出立国には構造的な問題があり、それは貿易黒字そのものによって為替レートが変動し、国際的な対立を引き起こすという点です。

中国は今全世界から憎まれていて、遠からず輸出も貿易も経済成長も不可能になります。

日本は輸出によって円高になり、輸出企業によって日本人全員が苦しめられてきました。


むしろ日本は貿易赤字のほうが外国と対立せず円高にもならないので、他の先進国のように持続的な成長が可能になります。
http://www.thutmosev.com/archives/85129032.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/144.html#c2

[近代史4] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
9. 中川隆[-6876] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:20:57 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[3]

2021年02月16日
日本の持続的発展には貿易赤字が必要
http://www.thutmosev.com/archives/85129032.html

奇妙なことに貿易黒字が増えれば増えるほど日本は不況になっている。
これは輸出のために低賃金長時間労働を強いられているから

画像引用:http://3rdworldman.jugem.jp/?eid=46 超長期貿易収支推移 _ 経済社会を知りたい:経済ニュースの背景をグラフで易しく解説します

”日本が輸出で成長した”は作り話

日本経済はコロナで打撃を受けている一方で株価は急上昇し、30年に及ぶデフレ不況からの脱出が期待されています。

2020年の日本は3年ぶりの貿易黒字で、コロナを除くと2017年を最後に日本は貿易赤字国になった。

そしてこの貿易赤字が日本再生の切り札で、貿易黒字こそデフレ不況の根本原因だったという話です。

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日本の貿易収支が黒字で定着したのは1970年のオイルショック以降で、燃費が良く壊れず安い日本車が世界で飛ぶように売れました。

こう書くと輸出が日本の経済成長の原動力だったようだが、高度経済成長は1955年から1973年までの期間で貿易は必ずしも黒字ではなかった。

1970年から1985年まで日本は輸出で大儲けしたが、80年代に入ると対日貿易赤字が表面化し日米対立がおきました。


日本の輸出が順調だったのはわずか10年間で、80年代は輸出が原因で世界でジャパンバッシングが巻き起こりました。

1985年のプラザ合意は日本経済への死刑判決と呼べるもので、G7で円高誘導が合意(実際にはアメリカによる命令)しました。

プラザ合意の結果1ドル260円が3年後に120円になり、現在でいうと1ドル120円が3年で40円になったような感じでした。


この難局を乗り切りる為中曽根総理は内需拡大を始めバブル経済を引き起こし、黄金の80年代とバブル崩壊も引き起こした。

1990年にバブル崩壊し30年後の現在までずっと不況、これから運が良ければ立ち直るという話です。


この一連の失敗の原因は貿易黒字であり「輸出国家」という妄想が招いたものでした。

輸出国家なんか幻想にすぎない

第二次大戦の原因は1929年のNYバブル崩壊で、経済崩壊した列強は貿易を封鎖してブロック経済に移行しました。

今考えると世界は逆に貿易を増やしたほうが経済回復するのに、当時はまったく逆に考えられていました。

貿易が増えると外国製品の輸入が多くなり、自国の製品が売れなくなって経済的打撃を受けると考えられていました。


今もこういう古典的経済論を唱える人が居ますが、「輸入は損」だから市場を閉鎖したのです。

一方で「輸出は利益」なので列強は植民地獲得に走り、日本は満州を開発して日本製品を買わせようとしました。

第二次大戦は各国が輸入を減らすため市場を閉鎖し、一方で輸出を増やすために領土を増やそうとした結果起きました。


それから70年以上が経ち、現在は世界のGDP上位国のほとんどが貿易赤字、黒字は日独中だけです。

輸出国のほとんどはアジアの新興国で、新興国と言えば聞こえは良いが貧しい工場労働者の国が多い。

一方で輸入国は貿易赤字なのに日本人より遥かに良い暮らしをしていて、労働時間は短く給料が高い。


輸出が利益で輸入が損という考え方が間違っている証拠で、貿易とは「お金と労働力を交換する行為」と言い換えることが出来る。

トヨタがアメリカに300万円の車を輸出すると、時給2000円だったら日本人は1台の車に延べ1500時間働いている筈です。

アメリカ人は300万円払って車を買い、ドライブを楽しんだり仕事に使ったりして平均10年以上使います。


もしアメリカ人が車の輸入をやめると、日本人労働者のように低賃金長時間労働をしなくてはならずアメリカのGDPは低下します。

スマホではもっとそうで、アメリカがスマホの輸入を辞めたらシリコンバレーの年収1000万円労働者は、時給300円でスマホを造らなくてはならなくなる。

このように貿易赤字国は割りに合わない製品を低賃金国に作らせて、自分は割りの良い仕事に専念できるので生活水準が高い。


輸出立国には構造的な問題があり、それは貿易黒字そのものによって為替レートが変動し、国際的な対立を引き起こすという点です。

中国は今全世界から憎まれていて、遠からず輸出も貿易も経済成長も不可能になります。

日本は輸出によって円高になり、輸出企業によって日本人全員が苦しめられてきました。


むしろ日本は貿易赤字のほうが外国と対立せず円高にもならないので、他の先進国のように持続的な成長が可能になります。
http://www.thutmosev.com/archives/85129032.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/749.html#c9

[近代史4] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
10. 中川隆[-6875] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:29:02 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[4]

重商主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

重商主義(英: mercantilism)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

重商主義とは、国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家的経済政策であり、考えうる経常赤字を減らすか、経常黒字に到達することを目指している。

重商主義(の具体的な政策)には、特に完成品の正の貿易収支を通じて、貨幣準備を蓄積することを目的とした国家的経済政策がある。

歴史的に、このような政策はしばしば戦争を引き起こし、植民地の拡大を動機付けた。重商主義理論は、作家によって洗練度が異なり、時間とともに進化してきた。


重商主義は衰退する以前、16世紀から18世紀までの原始工業化の時代のヨーロッパの近代化された部分で支配的であったが、一部の論評者は、経済的介入主義の形で、工業化国の経済でまだ実践されていると主張している。

重商主義は、ライバル国家の国力を犠牲にして自国の国家権力を増強する為に、国家経済の政府規制を促進する。特に工業製品に対する高関税は、重商主義政策のほぼ普遍的な特徴であった。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルド、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

世界貿易機関などの超国家的機関の世界的に関税を引き下げる努力により、貿易に対する非関税障壁は新重商主義において大きな重要性を帯びてきている。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができるが、いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。

理論

1500年から1750年の期間に存在したヨーロッパの経済学者のほとんどは今日、一般に重商主義者―この用語は当初、ミラボーやスミスなどの批評家によってのみ使用されていたが、歴史家によってすぐに採用された―とみなされている。もともと、標準的な英語の用語は「商業システム"mercantile system"」であり、「重商主義"mercantilism"」という言葉は、19世紀初頭にドイツ語から英語に輸入された。

一般に「重商主義文献"mercantilist literature"」と呼ばれるものの大部分は、イギリスにおいて1620年代に登場した。スミスはイギリスの商人トーマス・マン(1571–1641)を、特に彼の死後に出版された"Treasure by Foreign Trade" (1664)において商業システム(the mercantile system)の主要な創造者と見なし、重商主義運動の原型またはマニフェストと考えた。おそらく最後の主要な重商主義者の著作は1767年1月出版のジェームス・スチュアートの"Principles of Political Economy"であろう。

重商主義の文献はイギリスを超えてさらに広がった。イタリアとフランスはそれぞれ、ジョバンニ・ボテロ(1544〜1617年)やアントニオ・セラ(1580〜?)、ジャン・ボダンやコルベール等の重商主義をテーマとした著名な著述家を輩出した。同様のテーマは、リストにはじまるドイツ歴史学派の作家や、アメリカ・システムとイギリスの自由貿易帝国主義の支持者の間にも存在しており、19世紀まで重商主義の主張は存在したが、マンやミッセルデンを含む多くのイギリスの作家は商人であり、他の国の作家の多くは公務員であった。 国家の富と力を理解する方法としての重商主義を超えて、マンやミッセルデンは、より幅広い経済問題に対する視点で注目されている。

オーストリアの弁護士であり学者で、官房学の先駆者の一人であるフィリップ・ヴィルヘルム・フォン・ホーニックは、その1684年の著作 "Austria Over All, If She Only Will" において彼が効果的な国民経済とみなしたものの9点式綱領を詳述したが、これは重商主義の見解を包括的に要約している。


1.国の土壌のあらゆる部分を農業、鉱業または工業に利用すること。

2.完成品は原材料よりも価値が高いため、国で見つかったすべての原材料を国内製造に使用すること。

3.大規模な労働人口を奨励すること。

4.金と銀のあらゆる輸出を禁止し、国内の貨幣をすべて流通した状態に保つこと。

5.すべての外国製品の輸入を可能な限り制限すること。

6.特定の輸入品が不可欠である場合、金や銀ではなく他の国内製品と引き換えに、それらを直接入手すること。

7.輸入は可能な限り自国で完成できる原材料に限定すること。

8.国の余剰製造物を、金と銀との交換のために必要な限りで外国人に売る機会を常に求めること。

9.そのような財が自国で十分かつ適切に供給されている場合、輸入を許可しないこと。

フォン・ホーニック以外に、後にアダム・スミスが古典経済学のためにしたように理想的な経済のための包括的なスキームを提示する重商主義者はおらず、むしろ、各重商主義者は、経済の単一の領域に集中する傾向があった。後になってやっと非重商主義学者はこれらの「種々の」着想を彼らが重商主義と呼ぶものに統合した。従って、一部の学者は「まったく異なる種々の事象に対する誤った統一"a false unity to disparate events"」であると主張し、重商主義という考え方を完全に拒否している。スミスは重商主義を、製造業者と商人による消費者に対しての巨大な陰謀と見なし、この見解はいくつかの著述家、特にロバート・E・エケランドとロバート・D・トリソンをして重商主義を「レントシーキング社会"a rent-seeking society"」と呼ばしめた。

ある程度まで、重商主義の見解それ自体が経済学の一般理論を不可能にした。重商主義者たちは経済システムを、ある当事者による利益は別の当事者による損失を必要とする「ゼロサムゲーム」と見なした。したがって、1つのグループに利益をもたらした政策システムは、定義上、他のグループに害を及ぼし、民富または公益を最大化するために経済学が使用される可能性はない。重商主義者の著作は一般に、最良の政策の研究としてではなく、特定の慣行を合理化するために作成された。

重商主義の国内政策は、その貿易政策よりも断片的だった。アダム・スミスは経済に対する厳格な統制を支持するものとして重商主義を描写したが、多くの重商主義者は反対した。近世は専売特許証と政府によって課された独占の時代であり、一部の重商主義者はそれを支持したが、他の者はそのようなシステムの腐敗と非効率性を認めた。多くの重商主義者はまた、輸入制限と価格上限の避けられない結果が闇市場であることに気づいた。重商主義者が広く同意した概念の1つは、労働人口の経済的抑圧の必要性であり、労働者と農民は「生計の限界"margins of subsistence"」に住んでいた。 目的は、消費を気にせずに生産を最大化することであった。「下層階級」のための余分なお金、自由時間、教育は、必然的に悪と怠惰につながり、経済に害をもたらすと見なされた。

重商主義者たちは多数の人口を、より大きな市場と軍隊の発展を可能にする富の一種の形態とみなした。重農主義の見解は重商主義とは反対であり、(逆に)資源の供給が人類の増加に追いつかなくなると予測した。重商主義の考えは、市場を保護し、農業とそれに依存する人々を維持することであった。

起源

「商人システム"mercantile system"」という用語は、その最も重要な評論家であるアダム・スミスによって使用されたが、ミラボー(1715–1789)はそれより以前に「商人主義"mercantilism"」を使用していた。

重商主義は政治権力のより古い説明―神に授けられた王権と絶対君主制―に対する、経済においてのカウンターパートとして機能した。

学者たちは、なぜ250年にわたって重商主義が経済的イデオロギーを支配していたのかについて議論している。ジェイコブ・バイナーに代表される第一のグループは、重商主義を単純明快で常識的なシステムと見なし、単に必要な解析手段の欠陥によって、その論理的誤謬が当時の人々には不明瞭のままであっただけであるとする。

ロバート・B・エケランドなどの学者に支持された第二のグループは、商業主義を誤謬としてではなく、それを発展させた人々にとって最良の(最も利益が大きい)システムとして描いている。この学派は、超過利潤を追求する(レントシーキング)商人と政府が重商主義政策を発展させ、実施したと主張する。商人は、強制された独占、外国競争の禁止、労働者の貧困から大きな利益を得、政府は、高い関税と商人からの支払いによる恩恵を受けた。そのことを裏付けるかのように、後世の経済的な思想が主に学者や哲学者によって展開されたのに対し、ほぼすべての重商主義者は商人または政府の役人であった。

マネタリズムは、重商主義の第三の説明を提供する。ヨーロッパの貿易は、アジアからの商品の代金を支払うために地金を輸出することによって、マネーサプライを低下させ、物価と経済活動に下降圧力(売り圧力)をかけていた。この仮説は、ちょうど紙幣が流通し始めたアメリカ独立戦争とナポレオン戦争までのイギリス経済のインフレの欠如が裏付けている。

第四の説明は、その時代の戦争における専門性と技術の向上が、(戦争を見越した)十分な準備金の維持をますます高額でやがては競争的なビジネスにしたことにある。

重商主義は、ヨーロッパ経済の移行時に発展した。孤立した封建国家は、権力の焦点としての中央集権的な民族国家に取って代わられていった。海運の技術的変化と都市中心部の成長により、国際貿易は急速に増加した。重商主義は、どのようにすればこの貿易が国家にとって最大限の助け(利益)になるかに焦点を置いた。もう1つの重要な変革は、複式簿記と近代的な会計の導入である。この会計(方法)により貿易の流入と流出が極めて明確になったことは、貿易収支の綿密な調査に貢献した。もちろん、アメリカ大陸の発見の影響は無視できない。新しい市場と新しい鉱山は、外国貿易をそれまで考えられなかった規模に押し上げ、「物価の大幅な上昇"the great upward movement in prices"」と「商業活動自体の規模"the volume of merchant activity itself"」の増加につながった。

重商主義より以前にヨーロッパで書かれた最も重要な経済についての著作は中世のスコラ学の理論家によるものである。これらの思想家の目標は、キリスト教の敬虔と正義の教義に適合する経済システムを見つけることであり、彼らは主にミクロ経済学と個人間の市内交換(市内交換)に焦点を置いた。重商主義は、中世の世界観に取って代わり始めた他の理論や発想と密接に連携していた。この時期には、まさに(目的のために手段を選ばない)マキアベリ流の(策謀政治の、権謀術数的な)現実政策(実益政策)が採用され、国際関係における国益の(重要度における)優位性が見られた。すべての商業をゼロサム・ゲームとみなす重商主義的な発想においては、それぞれの側が冷酷な競争において他の側に優位たろうとするが、このような発想はトマス・ホッブズの作品群に集約された。この人間の自然性についての暗い見方は、ピューリタンの世界観にもよく適合し、実際1651年の「航海条例」など最も押し付けがましく重商主義的な法律のいくつかは、オリバー・クロムウェルの政権によって制定された。

歴史的展開

大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。

オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を遺し、19世紀の産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーやデイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスが登場する素地となった。

重商主義政策の実施によって国境管理が厳しくなり、海を越えて移動する物品に関税がかけられるようになったが、海の国境管理は社会通念的に定着しておらず、密輸に対する犯罪意識も低かった[1]。税関組織が未発達なために海岸線の管理能力が限られており、アメリカ植民地の愛国派商人や、自由な国境移動を当然の権利と考える人々によって大規模な密貿易が横行した[1]。

重商主義の終焉

アダム・スミスとデビッド・ヒュームは反重商主義思想の創始者であった。スミスが重商主義を完全に置き換えることができるイデオロギーを開発するずっと前に、多くの学者が重商主義の重要な欠陥を発見した。ヒューム、ダドリー・ノース、ジョン・ロックなどの批評家は重商主義の大部分を徐々に弱体化し、18世紀に重商主義は確実に支持を失った。

1690年、ロックは、物価はお金の量に比例して変化すると主張した。ロックのSecond Treatiseはまた、世界の富は固定されているのではなく、人間の労働によって生み出されているとする反重商主義的批判の核心(ロックの「労働価値論」によって萌芽的に示されている)をも指し示している。

重商主義者は「絶対的優位」と「比較優位」(ただし、この考えは1817年にデヴィッド・リカードによって初めて完全に具体化された)そして「貿易の利益」の概念を理解できなかった。

たとえば、ポルトガルはイングランドよりも効率的にワインを生産しているが、イングランドではポルトガルよりも効率的に布を生産できると想像する。そうであれば、ポルトガルがワインを専門とし、イギリスが布を専門とするなら、両国が取引したときより良い結果になるであろう。これは貿易の相互利益の例である(「比較優位」によるにしろ「絶対優位」によるにしろ)。現代の経済理論では、貿易は激烈な競争の「ゼロサムゲーム」ではない。双方がそれから利益を得ることができるからである。

ヒュームが、貿易収支の恒常的な黒字という重商主義者の目標が不可能であることを指摘したことは有名である。地金が一国に流れ込んだとき、(地金の)供給は増加し、その国の地金の価値は他の商品と比較して着実に減少する。逆に、地金を輸出している国では、その価値は徐々に上昇する。最終的に、(地金の)高価格国から低価格国に商品を輸出することはもはや対費用効果が低くなり(というのも高価格国から地金を輸入するのにはますます多くの価値を持つ物品が必要となるであろうから)、貿易収支は逆転する(つまり一国が金銀を集めているうちにその国における金銀の(単位量的な)価値が減じてゆく一方で、輸入先における金銀の(単位量的な)価値が増してゆくので)。重商主義者はこれを根本的に誤解し、マネーサプライの増加は単に誰もが金持ちになることを意味するのだと長い間主張していたのである。

多くの重商主義者が彼ら自身金と銀の重要性を低く評価し始めたにせよ、地金に置かれた重要性はいずれ(半重商主義者の攻撃の?)中心的な標的でもあった。アダム・スミスは、重商主義の中核には「富とお金を混同する通俗的な愚かさ」があり、地金は他の商品とまったく同じであり、特別な扱いをする理由はまったくないと指摘した。最近になって、学者はこの批判の正確さを軽視するようになった。彼らは、マンとミッセルデンが1620年代にこの種の間違いを犯していないと考えており、1699年に「なるほど金と銀は確かに貿易の尺度であるが、その源泉と原型は、あらゆる国においてその国の自然または人工の産物―つまり、この土地やこの労働と産業が生み出すものである。」と書いた彼らの学徒のジョサイア・チャイルドとチャールズ・ダヴェナンを指摘している。1930年代のヤコブ・ヴィナーなどの学者が、マンなどの商人の重商主義者は海外の英国製品の価格を上げても(自分たちは)利益が得られないと理解していた、と指摘したように、重商主義はレントシーキングの一形態であるという批判もそれ自体批判にさらされている。

重商主義を完全に拒否した最初の学派は、フランスで理論を発展させた重農主義者であった。彼らの理論にもいくつかの重大な問題があり、1776年にアダム・スミスが「国富論"The Wealth of Nations"」を出版するまで重商主義の置き換えは待たねばならなかった。この本は、今日「古典派経済学」として知られているものの基本を概説している。スミスはこの本のかなりの部分を重商主義者の議論への反論に費やしたが、多くの場合、これらは重商主義思想の単純化または誇張された解釈であった。

学者の間ではまた、重商主義の終焉の原因についても意見が分かれている。その理論が単なる誤りであると思う者は、スミスのより正確なアイデアが明らかになった時点で、その置き換えは避けられなかったと考えている。重商主義はレントシーキングに相当すると感じている者は、大きな権力の変化が起こったときそれが終わっただけだと考えている。(実際)英国では議会が、独占を可能にする君主の権力を獲得したため、重商主義は衰退した。下院を支配した裕福な資本家はこれらの独占から恩恵を受けたが、議会は、グループの意思決定のコストが高いため、それら(独占)を実行するのが難しいとわかった。

イギリスでは、18世紀を通じて重商主義的規制が着実に撤廃され、19世紀には、英国政府は自由貿易とスミスの自由主義経済学を完全に受け入れた。大陸においては、そのプロセスは多少異なっていた。フランスでは、経済統制(権)は王室の手中にあり、重商主義政策はフランス革命まで続いた。ドイツでは、歴史学派の経済学が最重要であった19世紀から20世紀初頭にかけて、重商主義は重要なイデオロギーとして残った。


思想・体系

貿易と国家の繁栄を結びつける思想は、イタリアの諸都市において15世紀には存在していた。フィレンツェ共和国の外交官でもあったニッコロ・マキャヴェッリの『リウィウス論』や『君主論』、イエズス会の司祭であるジョヴァンニ・ボッテーロ(英語版)が書いた『国家理性論』において、そうした思想が展開されている。16世紀以降になると、ヨーロッパ各国で、貿易での優位が国内の利益につながると考えられるようになった[2]。

17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された[3]。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである[4]。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心、ナショナリズムである[5]。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった[5]。

重商主義は、アメリカ合衆国の初期の経済学派であるアメリカ学派や、アメリカ・システムをはじめとする19世紀の経済政策にも影響を与えた[6]。


重金主義

重金主義(じゅうきんしゅぎ、英: Bullionism、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。重工主義、取引差額主義ともいう。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。

国家は、税制優遇・補助金などで輸出を奨励し、関税によって輸入を抑制することで貿易黒字を増やし貴金属の流入を促進させた[7]。

東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった[8][9]。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。


貿易差額主義

貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。

イギリス東インド会社の係官トーマス・マン(19世紀のドイツの作家パウル・トーマス・マンとは無関係)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。

主要な財政家・理論家

W.ペティ / 彼の「政治算術」は重商主義経済学から古典派経済学への過渡期に位置づけられる


イギリス

重金主義者
トーマス・グレシャム(1519年 - 1579年) - 銀行家。グレシャムの法則で有名。
ジェラール・ド・マリーンズ(1586年 - 1641年)

貿易差額論者
トーマス・マン(1571年 - 1641年) - 東インド会社役員。主著『外国貿易によるイングランドの財宝』(1664年、死後出版)で貿易差額論を体系化。
オリバー・クロムウェル(1599年 - 1658年) - コモンウェルス時代の護国卿。航海条例で知られる。
エドワード・ミッセルデン(1608年 - 1654年)

「トーリー党自由貿易論者」
ジョサイア・チャイルド(1630年 - 1699年) - 主著『新交易論』(1693年)。
ニコラス・バーボン(1640年 - 1698年) - 主著『交易論』(1690年)。
ダドリー・ノース(1641年 - 1698年) - 主著『交易論』(1691年)。
チャールズ・ダヴナント(1656年 - 1714年) - 主著『東インド貿易論』(1696年|1696)。

キャラコ論争・対仏通商論争の参加者
J.ケアリ(? - 1720年頃) - 「キャラコ論争」(1670年代)で保護主義を主張。主著『イングランド交易論』(1695年)。
C.キング(18世紀前半) - コルベルティズムをめぐる「対仏通商論争」(18世紀前半)でウィッグ党の立場で保護主義を主張。主著『イギリス商人』(1721年)。
ダニエル・デフォー(1661年頃 - 1731年) - 対仏通商論争でトーリー党の立場で自由貿易を主張。主著『イギリス経済の構図』(1728年)。

古典派経済学の先駆者
ウィリアム・ペティ(1623年 - 1687年) - 国力を経済的に分析する「政治算術」を提唱。国力の基礎として貿易のみならず農業生産を重視、著書『租税貢納論』(1662年)で労働価値説の原型を作り「古典派経済学の祖」とされる。
バーナード・デ・マンデヴィル(1670年 - 1733年) - 主著『蜂の寓話』(1714年)。
ジョン・ロック(1632年 - 1704年) - 主著『統治二論』において労働価値説を主張。
リチャード・カンティロン(1680年頃 - 1734年) - ペティの理論を継承し価値の源泉を土地に求める重農主義的立場をとった。主著『商業試論』(1755年)。
デイヴィッド・ヒューム(1711年 - 1776年)
ジェームズ・ステュアート(1712年 - 1780年) - 「最初の経済学者」「最後の重商主義者」として『経済学原理』(1767年)を著し重商主義の理論体系を総括[10]。
ジョサイア・タッカー(1713年 - 1799年)
ジェームズ・ミル(1773年 - 1836年)


フランス
J.ボダン(1530年 - 1596年)
B.ラフマ(1545年 - 1612年)
リシュリュー(1585年 - 1642年)
J.B.コルベール(1619年 - 1683年)


アジア
日本においては江戸時代中期の政治家・田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明・佐藤信淵・帆足万里の経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。また、五代十国時代の中国では、十国といわれる地方政権はいずれも鉄銭・鉛銭の発行や輸出の促進などにより銀・銅を政府のもとに蓄積する政策を行った[11]。

議論

アダム・スミスによる批判

重商主義は、18世紀にはアダム・スミスの『国富論』で繰り返し批判されている。『国富論』によると、人々が豊かになるのはあくまで輸入品を消費することによってであり、輸出によってではない。輸出は欲しいものを輸入するために必要な外貨の獲得のためのものであって、輸出それ自体が貿易の目的ではない。輸入業者が支払い請求に応じるのに必要な負担をまかなうために、輸出が必要となるにすぎない[12]。またこのことから、交易条件の改善によって、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになることは国民を豊かにするが、自国通貨高は輸入価格と輸出価格の両方を変化させるので、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになるわけではなく、そのためより多くの輸入品の購買や消費が可能になって国民が豊かになるわけでもないことがわかる。

またスミスは、重商主義の背景にある愛国心について「愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄・拡大を、悪意に満ちた妬み・羨望をもって眺めようとする気分にさせることが多い」と述べており、自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり必要でもあるが、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を警戒していた[5]。『国富論』については、重商主義が言う貿易差額(黒字)で金銀を稼ぐことが富の源泉ではなく、労働こそが富の源泉であるという視点を示していると指摘されている[13]。

その他
ジョン・メイナード・ケインズが、著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したという指摘がある[14]。この点から、重商主義政策をケインズ政策、つまり有効需要確保の政策とする解釈も存在する[15]。

ある国にとって「貿易の黒字は利益で赤字は損失である」といった見方は重商主義的な誤解の典型である[16]。重商主義のわかりやすさには、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与しているとする指摘もある[5]。

現代の重商主義

「日米貿易摩擦」、「米中貿易戦争」、および「国際収支統計#識者の見解」も参照
重商主義は絶対王政の存在と植民地主義の下での経済思想であるため、現代ではこの二つの条件を満たしている国はほとんど存在しない[17]。しかし貿易によって利益を得る、輸出を増大させる重工主義などは重商主義以降も生き続けた[18]。

20世紀に入っても、輸出主導で経済成長を図ろうという政策は、さまざまな形で見られる。このような貿易政策は、新重商主義あるいは単に重商主義と呼ばれている[19][20][21][22]。新重商主義についてはジョーン・ロビンソンの定義が知られている。各国政府が自国民の利益のために、国際経済活動における自国のシェア拡大に価値や称賛さるべき目的を設定することが、新しい重商主義とされる[20][23]。ダニ・ロドリックは、現在における自由主義と重商主義の対立を語っているが[22]、ロビンソンは、自由主義の教義は重商主義の巧妙な形態にすぎないとして、新重商主義は発展途上国にとっての障害としている[20][24]。

日本でも、より強い国際競争力を求めて、政府に対する政策要望が出され[25]、また政府の政策に取り入れられることが多い[26]。国際競争主義については、重商主義がその元祖であるとする指摘がある[27]。また、輸出に頼って経済成長を計る政策思想は、重商主義と差異がないとする説もある[28]。

重商主義は、国内の過剰生産の解消と、貿易による資本蓄積で経済を成長させるには有効な政策であるとする評価もある。こうした評価は開発独裁の諸国、特に米国に次ぐ経済力を得た改革開放後の中華人民共和国や高度経済成長期の日本による輸出主導型成長と結びつけられている[29][30][31]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9  



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/749.html#c10

[近代史3] 自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論 中川隆
3. 中川隆[-6874] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:31:02 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[5]

重商主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

重商主義(英: mercantilism)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

重商主義とは、国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家的経済政策であり、考えうる経常赤字を減らすか、経常黒字に到達することを目指している。

重商主義(の具体的な政策)には、特に完成品の正の貿易収支を通じて、貨幣準備を蓄積することを目的とした国家的経済政策がある。

歴史的に、このような政策はしばしば戦争を引き起こし、植民地の拡大を動機付けた。重商主義理論は、作家によって洗練度が異なり、時間とともに進化してきた。


重商主義は衰退する以前、16世紀から18世紀までの原始工業化の時代のヨーロッパの近代化された部分で支配的であったが、一部の論評者は、経済的介入主義の形で、工業化国の経済でまだ実践されていると主張している。

重商主義は、ライバル国家の国力を犠牲にして自国の国家権力を増強する為に、国家経済の政府規制を促進する。特に工業製品に対する高関税は、重商主義政策のほぼ普遍的な特徴であった。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルド、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

世界貿易機関などの超国家的機関の世界的に関税を引き下げる努力により、貿易に対する非関税障壁は新重商主義において大きな重要性を帯びてきている。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができるが、いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。

理論

1500年から1750年の期間に存在したヨーロッパの経済学者のほとんどは今日、一般に重商主義者―この用語は当初、ミラボーやスミスなどの批評家によってのみ使用されていたが、歴史家によってすぐに採用された―とみなされている。もともと、標準的な英語の用語は「商業システム"mercantile system"」であり、「重商主義"mercantilism"」という言葉は、19世紀初頭にドイツ語から英語に輸入された。

一般に「重商主義文献"mercantilist literature"」と呼ばれるものの大部分は、イギリスにおいて1620年代に登場した。スミスはイギリスの商人トーマス・マン(1571–1641)を、特に彼の死後に出版された"Treasure by Foreign Trade" (1664)において商業システム(the mercantile system)の主要な創造者と見なし、重商主義運動の原型またはマニフェストと考えた。おそらく最後の主要な重商主義者の著作は1767年1月出版のジェームス・スチュアートの"Principles of Political Economy"であろう。

重商主義の文献はイギリスを超えてさらに広がった。イタリアとフランスはそれぞれ、ジョバンニ・ボテロ(1544〜1617年)やアントニオ・セラ(1580〜?)、ジャン・ボダンやコルベール等の重商主義をテーマとした著名な著述家を輩出した。同様のテーマは、リストにはじまるドイツ歴史学派の作家や、アメリカ・システムとイギリスの自由貿易帝国主義の支持者の間にも存在しており、19世紀まで重商主義の主張は存在したが、マンやミッセルデンを含む多くのイギリスの作家は商人であり、他の国の作家の多くは公務員であった。 国家の富と力を理解する方法としての重商主義を超えて、マンやミッセルデンは、より幅広い経済問題に対する視点で注目されている。

オーストリアの弁護士であり学者で、官房学の先駆者の一人であるフィリップ・ヴィルヘルム・フォン・ホーニックは、その1684年の著作 "Austria Over All, If She Only Will" において彼が効果的な国民経済とみなしたものの9点式綱領を詳述したが、これは重商主義の見解を包括的に要約している。


1.国の土壌のあらゆる部分を農業、鉱業または工業に利用すること。

2.完成品は原材料よりも価値が高いため、国で見つかったすべての原材料を国内製造に使用すること。

3.大規模な労働人口を奨励すること。

4.金と銀のあらゆる輸出を禁止し、国内の貨幣をすべて流通した状態に保つこと。

5.すべての外国製品の輸入を可能な限り制限すること。

6.特定の輸入品が不可欠である場合、金や銀ではなく他の国内製品と引き換えに、それらを直接入手すること。

7.輸入は可能な限り自国で完成できる原材料に限定すること。

8.国の余剰製造物を、金と銀との交換のために必要な限りで外国人に売る機会を常に求めること。

9.そのような財が自国で十分かつ適切に供給されている場合、輸入を許可しないこと。

フォン・ホーニック以外に、後にアダム・スミスが古典経済学のためにしたように理想的な経済のための包括的なスキームを提示する重商主義者はおらず、むしろ、各重商主義者は、経済の単一の領域に集中する傾向があった。後になってやっと非重商主義学者はこれらの「種々の」着想を彼らが重商主義と呼ぶものに統合した。従って、一部の学者は「まったく異なる種々の事象に対する誤った統一"a false unity to disparate events"」であると主張し、重商主義という考え方を完全に拒否している。スミスは重商主義を、製造業者と商人による消費者に対しての巨大な陰謀と見なし、この見解はいくつかの著述家、特にロバート・E・エケランドとロバート・D・トリソンをして重商主義を「レントシーキング社会"a rent-seeking society"」と呼ばしめた。

ある程度まで、重商主義の見解それ自体が経済学の一般理論を不可能にした。重商主義者たちは経済システムを、ある当事者による利益は別の当事者による損失を必要とする「ゼロサムゲーム」と見なした。したがって、1つのグループに利益をもたらした政策システムは、定義上、他のグループに害を及ぼし、民富または公益を最大化するために経済学が使用される可能性はない。重商主義者の著作は一般に、最良の政策の研究としてではなく、特定の慣行を合理化するために作成された。

重商主義の国内政策は、その貿易政策よりも断片的だった。アダム・スミスは経済に対する厳格な統制を支持するものとして重商主義を描写したが、多くの重商主義者は反対した。近世は専売特許証と政府によって課された独占の時代であり、一部の重商主義者はそれを支持したが、他の者はそのようなシステムの腐敗と非効率性を認めた。多くの重商主義者はまた、輸入制限と価格上限の避けられない結果が闇市場であることに気づいた。重商主義者が広く同意した概念の1つは、労働人口の経済的抑圧の必要性であり、労働者と農民は「生計の限界"margins of subsistence"」に住んでいた。 目的は、消費を気にせずに生産を最大化することであった。「下層階級」のための余分なお金、自由時間、教育は、必然的に悪と怠惰につながり、経済に害をもたらすと見なされた。

重商主義者たちは多数の人口を、より大きな市場と軍隊の発展を可能にする富の一種の形態とみなした。重農主義の見解は重商主義とは反対であり、(逆に)資源の供給が人類の増加に追いつかなくなると予測した。重商主義の考えは、市場を保護し、農業とそれに依存する人々を維持することであった。

起源

「商人システム"mercantile system"」という用語は、その最も重要な評論家であるアダム・スミスによって使用されたが、ミラボー(1715–1789)はそれより以前に「商人主義"mercantilism"」を使用していた。

重商主義は政治権力のより古い説明―神に授けられた王権と絶対君主制―に対する、経済においてのカウンターパートとして機能した。

学者たちは、なぜ250年にわたって重商主義が経済的イデオロギーを支配していたのかについて議論している。ジェイコブ・バイナーに代表される第一のグループは、重商主義を単純明快で常識的なシステムと見なし、単に必要な解析手段の欠陥によって、その論理的誤謬が当時の人々には不明瞭のままであっただけであるとする。

ロバート・B・エケランドなどの学者に支持された第二のグループは、商業主義を誤謬としてではなく、それを発展させた人々にとって最良の(最も利益が大きい)システムとして描いている。この学派は、超過利潤を追求する(レントシーキング)商人と政府が重商主義政策を発展させ、実施したと主張する。商人は、強制された独占、外国競争の禁止、労働者の貧困から大きな利益を得、政府は、高い関税と商人からの支払いによる恩恵を受けた。そのことを裏付けるかのように、後世の経済的な思想が主に学者や哲学者によって展開されたのに対し、ほぼすべての重商主義者は商人または政府の役人であった。

マネタリズムは、重商主義の第三の説明を提供する。ヨーロッパの貿易は、アジアからの商品の代金を支払うために地金を輸出することによって、マネーサプライを低下させ、物価と経済活動に下降圧力(売り圧力)をかけていた。この仮説は、ちょうど紙幣が流通し始めたアメリカ独立戦争とナポレオン戦争までのイギリス経済のインフレの欠如が裏付けている。

第四の説明は、その時代の戦争における専門性と技術の向上が、(戦争を見越した)十分な準備金の維持をますます高額でやがては競争的なビジネスにしたことにある。

重商主義は、ヨーロッパ経済の移行時に発展した。孤立した封建国家は、権力の焦点としての中央集権的な民族国家に取って代わられていった。海運の技術的変化と都市中心部の成長により、国際貿易は急速に増加した。重商主義は、どのようにすればこの貿易が国家にとって最大限の助け(利益)になるかに焦点を置いた。もう1つの重要な変革は、複式簿記と近代的な会計の導入である。この会計(方法)により貿易の流入と流出が極めて明確になったことは、貿易収支の綿密な調査に貢献した。もちろん、アメリカ大陸の発見の影響は無視できない。新しい市場と新しい鉱山は、外国貿易をそれまで考えられなかった規模に押し上げ、「物価の大幅な上昇"the great upward movement in prices"」と「商業活動自体の規模"the volume of merchant activity itself"」の増加につながった。

重商主義より以前にヨーロッパで書かれた最も重要な経済についての著作は中世のスコラ学の理論家によるものである。これらの思想家の目標は、キリスト教の敬虔と正義の教義に適合する経済システムを見つけることであり、彼らは主にミクロ経済学と個人間の市内交換(市内交換)に焦点を置いた。重商主義は、中世の世界観に取って代わり始めた他の理論や発想と密接に連携していた。この時期には、まさに(目的のために手段を選ばない)マキアベリ流の(策謀政治の、権謀術数的な)現実政策(実益政策)が採用され、国際関係における国益の(重要度における)優位性が見られた。すべての商業をゼロサム・ゲームとみなす重商主義的な発想においては、それぞれの側が冷酷な競争において他の側に優位たろうとするが、このような発想はトマス・ホッブズの作品群に集約された。この人間の自然性についての暗い見方は、ピューリタンの世界観にもよく適合し、実際1651年の「航海条例」など最も押し付けがましく重商主義的な法律のいくつかは、オリバー・クロムウェルの政権によって制定された。

歴史的展開

大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。

オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を遺し、19世紀の産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーやデイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスが登場する素地となった。

重商主義政策の実施によって国境管理が厳しくなり、海を越えて移動する物品に関税がかけられるようになったが、海の国境管理は社会通念的に定着しておらず、密輸に対する犯罪意識も低かった[1]。税関組織が未発達なために海岸線の管理能力が限られており、アメリカ植民地の愛国派商人や、自由な国境移動を当然の権利と考える人々によって大規模な密貿易が横行した[1]。

重商主義の終焉

アダム・スミスとデビッド・ヒュームは反重商主義思想の創始者であった。スミスが重商主義を完全に置き換えることができるイデオロギーを開発するずっと前に、多くの学者が重商主義の重要な欠陥を発見した。ヒューム、ダドリー・ノース、ジョン・ロックなどの批評家は重商主義の大部分を徐々に弱体化し、18世紀に重商主義は確実に支持を失った。

1690年、ロックは、物価はお金の量に比例して変化すると主張した。ロックのSecond Treatiseはまた、世界の富は固定されているのではなく、人間の労働によって生み出されているとする反重商主義的批判の核心(ロックの「労働価値論」によって萌芽的に示されている)をも指し示している。

重商主義者は「絶対的優位」と「比較優位」(ただし、この考えは1817年にデヴィッド・リカードによって初めて完全に具体化された)そして「貿易の利益」の概念を理解できなかった。

たとえば、ポルトガルはイングランドよりも効率的にワインを生産しているが、イングランドではポルトガルよりも効率的に布を生産できると想像する。そうであれば、ポルトガルがワインを専門とし、イギリスが布を専門とするなら、両国が取引したときより良い結果になるであろう。これは貿易の相互利益の例である(「比較優位」によるにしろ「絶対優位」によるにしろ)。現代の経済理論では、貿易は激烈な競争の「ゼロサムゲーム」ではない。双方がそれから利益を得ることができるからである。

ヒュームが、貿易収支の恒常的な黒字という重商主義者の目標が不可能であることを指摘したことは有名である。地金が一国に流れ込んだとき、(地金の)供給は増加し、その国の地金の価値は他の商品と比較して着実に減少する。逆に、地金を輸出している国では、その価値は徐々に上昇する。最終的に、(地金の)高価格国から低価格国に商品を輸出することはもはや対費用効果が低くなり(というのも高価格国から地金を輸入するのにはますます多くの価値を持つ物品が必要となるであろうから)、貿易収支は逆転する(つまり一国が金銀を集めているうちにその国における金銀の(単位量的な)価値が減じてゆく一方で、輸入先における金銀の(単位量的な)価値が増してゆくので)。重商主義者はこれを根本的に誤解し、マネーサプライの増加は単に誰もが金持ちになることを意味するのだと長い間主張していたのである。

多くの重商主義者が彼ら自身金と銀の重要性を低く評価し始めたにせよ、地金に置かれた重要性はいずれ(半重商主義者の攻撃の?)中心的な標的でもあった。アダム・スミスは、重商主義の中核には「富とお金を混同する通俗的な愚かさ」があり、地金は他の商品とまったく同じであり、特別な扱いをする理由はまったくないと指摘した。最近になって、学者はこの批判の正確さを軽視するようになった。彼らは、マンとミッセルデンが1620年代にこの種の間違いを犯していないと考えており、1699年に「なるほど金と銀は確かに貿易の尺度であるが、その源泉と原型は、あらゆる国においてその国の自然または人工の産物―つまり、この土地やこの労働と産業が生み出すものである。」と書いた彼らの学徒のジョサイア・チャイルドとチャールズ・ダヴェナンを指摘している。1930年代のヤコブ・ヴィナーなどの学者が、マンなどの商人の重商主義者は海外の英国製品の価格を上げても(自分たちは)利益が得られないと理解していた、と指摘したように、重商主義はレントシーキングの一形態であるという批判もそれ自体批判にさらされている。

重商主義を完全に拒否した最初の学派は、フランスで理論を発展させた重農主義者であった。彼らの理論にもいくつかの重大な問題があり、1776年にアダム・スミスが「国富論"The Wealth of Nations"」を出版するまで重商主義の置き換えは待たねばならなかった。この本は、今日「古典派経済学」として知られているものの基本を概説している。スミスはこの本のかなりの部分を重商主義者の議論への反論に費やしたが、多くの場合、これらは重商主義思想の単純化または誇張された解釈であった。

学者の間ではまた、重商主義の終焉の原因についても意見が分かれている。その理論が単なる誤りであると思う者は、スミスのより正確なアイデアが明らかになった時点で、その置き換えは避けられなかったと考えている。重商主義はレントシーキングに相当すると感じている者は、大きな権力の変化が起こったときそれが終わっただけだと考えている。(実際)英国では議会が、独占を可能にする君主の権力を獲得したため、重商主義は衰退した。下院を支配した裕福な資本家はこれらの独占から恩恵を受けたが、議会は、グループの意思決定のコストが高いため、それら(独占)を実行するのが難しいとわかった。

イギリスでは、18世紀を通じて重商主義的規制が着実に撤廃され、19世紀には、英国政府は自由貿易とスミスの自由主義経済学を完全に受け入れた。大陸においては、そのプロセスは多少異なっていた。フランスでは、経済統制(権)は王室の手中にあり、重商主義政策はフランス革命まで続いた。ドイツでは、歴史学派の経済学が最重要であった19世紀から20世紀初頭にかけて、重商主義は重要なイデオロギーとして残った。


思想・体系

貿易と国家の繁栄を結びつける思想は、イタリアの諸都市において15世紀には存在していた。フィレンツェ共和国の外交官でもあったニッコロ・マキャヴェッリの『リウィウス論』や『君主論』、イエズス会の司祭であるジョヴァンニ・ボッテーロ(英語版)が書いた『国家理性論』において、そうした思想が展開されている。16世紀以降になると、ヨーロッパ各国で、貿易での優位が国内の利益につながると考えられるようになった[2]。

17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された[3]。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである[4]。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心、ナショナリズムである[5]。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった[5]。

重商主義は、アメリカ合衆国の初期の経済学派であるアメリカ学派や、アメリカ・システムをはじめとする19世紀の経済政策にも影響を与えた[6]。


重金主義

重金主義(じゅうきんしゅぎ、英: Bullionism、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。重工主義、取引差額主義ともいう。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。

国家は、税制優遇・補助金などで輸出を奨励し、関税によって輸入を抑制することで貿易黒字を増やし貴金属の流入を促進させた[7]。

東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった[8][9]。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。


貿易差額主義

貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。

イギリス東インド会社の係官トーマス・マン(19世紀のドイツの作家パウル・トーマス・マンとは無関係)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。

主要な財政家・理論家

W.ペティ / 彼の「政治算術」は重商主義経済学から古典派経済学への過渡期に位置づけられる


イギリス

重金主義者
トーマス・グレシャム(1519年 - 1579年) - 銀行家。グレシャムの法則で有名。
ジェラール・ド・マリーンズ(1586年 - 1641年)

貿易差額論者
トーマス・マン(1571年 - 1641年) - 東インド会社役員。主著『外国貿易によるイングランドの財宝』(1664年、死後出版)で貿易差額論を体系化。
オリバー・クロムウェル(1599年 - 1658年) - コモンウェルス時代の護国卿。航海条例で知られる。
エドワード・ミッセルデン(1608年 - 1654年)

「トーリー党自由貿易論者」
ジョサイア・チャイルド(1630年 - 1699年) - 主著『新交易論』(1693年)。
ニコラス・バーボン(1640年 - 1698年) - 主著『交易論』(1690年)。
ダドリー・ノース(1641年 - 1698年) - 主著『交易論』(1691年)。
チャールズ・ダヴナント(1656年 - 1714年) - 主著『東インド貿易論』(1696年|1696)。

キャラコ論争・対仏通商論争の参加者
J.ケアリ(? - 1720年頃) - 「キャラコ論争」(1670年代)で保護主義を主張。主著『イングランド交易論』(1695年)。
C.キング(18世紀前半) - コルベルティズムをめぐる「対仏通商論争」(18世紀前半)でウィッグ党の立場で保護主義を主張。主著『イギリス商人』(1721年)。
ダニエル・デフォー(1661年頃 - 1731年) - 対仏通商論争でトーリー党の立場で自由貿易を主張。主著『イギリス経済の構図』(1728年)。

古典派経済学の先駆者
ウィリアム・ペティ(1623年 - 1687年) - 国力を経済的に分析する「政治算術」を提唱。国力の基礎として貿易のみならず農業生産を重視、著書『租税貢納論』(1662年)で労働価値説の原型を作り「古典派経済学の祖」とされる。
バーナード・デ・マンデヴィル(1670年 - 1733年) - 主著『蜂の寓話』(1714年)。
ジョン・ロック(1632年 - 1704年) - 主著『統治二論』において労働価値説を主張。
リチャード・カンティロン(1680年頃 - 1734年) - ペティの理論を継承し価値の源泉を土地に求める重農主義的立場をとった。主著『商業試論』(1755年)。
デイヴィッド・ヒューム(1711年 - 1776年)
ジェームズ・ステュアート(1712年 - 1780年) - 「最初の経済学者」「最後の重商主義者」として『経済学原理』(1767年)を著し重商主義の理論体系を総括[10]。
ジョサイア・タッカー(1713年 - 1799年)
ジェームズ・ミル(1773年 - 1836年)


フランス
J.ボダン(1530年 - 1596年)
B.ラフマ(1545年 - 1612年)
リシュリュー(1585年 - 1642年)
J.B.コルベール(1619年 - 1683年)


アジア
日本においては江戸時代中期の政治家・田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明・佐藤信淵・帆足万里の経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。また、五代十国時代の中国では、十国といわれる地方政権はいずれも鉄銭・鉛銭の発行や輸出の促進などにより銀・銅を政府のもとに蓄積する政策を行った[11]。

議論

アダム・スミスによる批判

重商主義は、18世紀にはアダム・スミスの『国富論』で繰り返し批判されている。『国富論』によると、人々が豊かになるのはあくまで輸入品を消費することによってであり、輸出によってではない。輸出は欲しいものを輸入するために必要な外貨の獲得のためのものであって、輸出それ自体が貿易の目的ではない。輸入業者が支払い請求に応じるのに必要な負担をまかなうために、輸出が必要となるにすぎない[12]。またこのことから、交易条件の改善によって、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになることは国民を豊かにするが、自国通貨高は輸入価格と輸出価格の両方を変化させるので、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになるわけではなく、そのためより多くの輸入品の購買や消費が可能になって国民が豊かになるわけでもないことがわかる。

またスミスは、重商主義の背景にある愛国心について「愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄・拡大を、悪意に満ちた妬み・羨望をもって眺めようとする気分にさせることが多い」と述べており、自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり必要でもあるが、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を警戒していた[5]。『国富論』については、重商主義が言う貿易差額(黒字)で金銀を稼ぐことが富の源泉ではなく、労働こそが富の源泉であるという視点を示していると指摘されている[13]。

その他
ジョン・メイナード・ケインズが、著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したという指摘がある[14]。この点から、重商主義政策をケインズ政策、つまり有効需要確保の政策とする解釈も存在する[15]。

ある国にとって「貿易の黒字は利益で赤字は損失である」といった見方は重商主義的な誤解の典型である[16]。重商主義のわかりやすさには、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与しているとする指摘もある[5]。

現代の重商主義

「日米貿易摩擦」、「米中貿易戦争」、および「国際収支統計#識者の見解」も参照
重商主義は絶対王政の存在と植民地主義の下での経済思想であるため、現代ではこの二つの条件を満たしている国はほとんど存在しない[17]。しかし貿易によって利益を得る、輸出を増大させる重工主義などは重商主義以降も生き続けた[18]。

20世紀に入っても、輸出主導で経済成長を図ろうという政策は、さまざまな形で見られる。このような貿易政策は、新重商主義あるいは単に重商主義と呼ばれている[19][20][21][22]。新重商主義についてはジョーン・ロビンソンの定義が知られている。各国政府が自国民の利益のために、国際経済活動における自国のシェア拡大に価値や称賛さるべき目的を設定することが、新しい重商主義とされる[20][23]。ダニ・ロドリックは、現在における自由主義と重商主義の対立を語っているが[22]、ロビンソンは、自由主義の教義は重商主義の巧妙な形態にすぎないとして、新重商主義は発展途上国にとっての障害としている[20][24]。

日本でも、より強い国際競争力を求めて、政府に対する政策要望が出され[25]、また政府の政策に取り入れられることが多い[26]。国際競争主義については、重商主義がその元祖であるとする指摘がある[27]。また、輸出に頼って経済成長を計る政策思想は、重商主義と差異がないとする説もある[28]。

重商主義は、国内の過剰生産の解消と、貿易による資本蓄積で経済を成長させるには有効な政策であるとする評価もある。こうした評価は開発独裁の諸国、特に米国に次ぐ経済力を得た改革開放後の中華人民共和国や高度経済成長期の日本による輸出主導型成長と結びつけられている[29][30][31]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9  



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/192.html#c3

[近代史5] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
3. 中川隆[-6873] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:31:20 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[6]

重商主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

重商主義(英: mercantilism)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

重商主義とは、国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家的経済政策であり、考えうる経常赤字を減らすか、経常黒字に到達することを目指している。

重商主義(の具体的な政策)には、特に完成品の正の貿易収支を通じて、貨幣準備を蓄積することを目的とした国家的経済政策がある。

歴史的に、このような政策はしばしば戦争を引き起こし、植民地の拡大を動機付けた。重商主義理論は、作家によって洗練度が異なり、時間とともに進化してきた。


重商主義は衰退する以前、16世紀から18世紀までの原始工業化の時代のヨーロッパの近代化された部分で支配的であったが、一部の論評者は、経済的介入主義の形で、工業化国の経済でまだ実践されていると主張している。

重商主義は、ライバル国家の国力を犠牲にして自国の国家権力を増強する為に、国家経済の政府規制を促進する。特に工業製品に対する高関税は、重商主義政策のほぼ普遍的な特徴であった。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルド、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

世界貿易機関などの超国家的機関の世界的に関税を引き下げる努力により、貿易に対する非関税障壁は新重商主義において大きな重要性を帯びてきている。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができるが、いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。

理論

1500年から1750年の期間に存在したヨーロッパの経済学者のほとんどは今日、一般に重商主義者―この用語は当初、ミラボーやスミスなどの批評家によってのみ使用されていたが、歴史家によってすぐに採用された―とみなされている。もともと、標準的な英語の用語は「商業システム"mercantile system"」であり、「重商主義"mercantilism"」という言葉は、19世紀初頭にドイツ語から英語に輸入された。

一般に「重商主義文献"mercantilist literature"」と呼ばれるものの大部分は、イギリスにおいて1620年代に登場した。スミスはイギリスの商人トーマス・マン(1571–1641)を、特に彼の死後に出版された"Treasure by Foreign Trade" (1664)において商業システム(the mercantile system)の主要な創造者と見なし、重商主義運動の原型またはマニフェストと考えた。おそらく最後の主要な重商主義者の著作は1767年1月出版のジェームス・スチュアートの"Principles of Political Economy"であろう。

重商主義の文献はイギリスを超えてさらに広がった。イタリアとフランスはそれぞれ、ジョバンニ・ボテロ(1544〜1617年)やアントニオ・セラ(1580〜?)、ジャン・ボダンやコルベール等の重商主義をテーマとした著名な著述家を輩出した。同様のテーマは、リストにはじまるドイツ歴史学派の作家や、アメリカ・システムとイギリスの自由貿易帝国主義の支持者の間にも存在しており、19世紀まで重商主義の主張は存在したが、マンやミッセルデンを含む多くのイギリスの作家は商人であり、他の国の作家の多くは公務員であった。 国家の富と力を理解する方法としての重商主義を超えて、マンやミッセルデンは、より幅広い経済問題に対する視点で注目されている。

オーストリアの弁護士であり学者で、官房学の先駆者の一人であるフィリップ・ヴィルヘルム・フォン・ホーニックは、その1684年の著作 "Austria Over All, If She Only Will" において彼が効果的な国民経済とみなしたものの9点式綱領を詳述したが、これは重商主義の見解を包括的に要約している。


1.国の土壌のあらゆる部分を農業、鉱業または工業に利用すること。

2.完成品は原材料よりも価値が高いため、国で見つかったすべての原材料を国内製造に使用すること。

3.大規模な労働人口を奨励すること。

4.金と銀のあらゆる輸出を禁止し、国内の貨幣をすべて流通した状態に保つこと。

5.すべての外国製品の輸入を可能な限り制限すること。

6.特定の輸入品が不可欠である場合、金や銀ではなく他の国内製品と引き換えに、それらを直接入手すること。

7.輸入は可能な限り自国で完成できる原材料に限定すること。

8.国の余剰製造物を、金と銀との交換のために必要な限りで外国人に売る機会を常に求めること。

9.そのような財が自国で十分かつ適切に供給されている場合、輸入を許可しないこと。

フォン・ホーニック以外に、後にアダム・スミスが古典経済学のためにしたように理想的な経済のための包括的なスキームを提示する重商主義者はおらず、むしろ、各重商主義者は、経済の単一の領域に集中する傾向があった。後になってやっと非重商主義学者はこれらの「種々の」着想を彼らが重商主義と呼ぶものに統合した。従って、一部の学者は「まったく異なる種々の事象に対する誤った統一"a false unity to disparate events"」であると主張し、重商主義という考え方を完全に拒否している。スミスは重商主義を、製造業者と商人による消費者に対しての巨大な陰謀と見なし、この見解はいくつかの著述家、特にロバート・E・エケランドとロバート・D・トリソンをして重商主義を「レントシーキング社会"a rent-seeking society"」と呼ばしめた。

ある程度まで、重商主義の見解それ自体が経済学の一般理論を不可能にした。重商主義者たちは経済システムを、ある当事者による利益は別の当事者による損失を必要とする「ゼロサムゲーム」と見なした。したがって、1つのグループに利益をもたらした政策システムは、定義上、他のグループに害を及ぼし、民富または公益を最大化するために経済学が使用される可能性はない。重商主義者の著作は一般に、最良の政策の研究としてではなく、特定の慣行を合理化するために作成された。

重商主義の国内政策は、その貿易政策よりも断片的だった。アダム・スミスは経済に対する厳格な統制を支持するものとして重商主義を描写したが、多くの重商主義者は反対した。近世は専売特許証と政府によって課された独占の時代であり、一部の重商主義者はそれを支持したが、他の者はそのようなシステムの腐敗と非効率性を認めた。多くの重商主義者はまた、輸入制限と価格上限の避けられない結果が闇市場であることに気づいた。重商主義者が広く同意した概念の1つは、労働人口の経済的抑圧の必要性であり、労働者と農民は「生計の限界"margins of subsistence"」に住んでいた。 目的は、消費を気にせずに生産を最大化することであった。「下層階級」のための余分なお金、自由時間、教育は、必然的に悪と怠惰につながり、経済に害をもたらすと見なされた。

重商主義者たちは多数の人口を、より大きな市場と軍隊の発展を可能にする富の一種の形態とみなした。重農主義の見解は重商主義とは反対であり、(逆に)資源の供給が人類の増加に追いつかなくなると予測した。重商主義の考えは、市場を保護し、農業とそれに依存する人々を維持することであった。

起源

「商人システム"mercantile system"」という用語は、その最も重要な評論家であるアダム・スミスによって使用されたが、ミラボー(1715–1789)はそれより以前に「商人主義"mercantilism"」を使用していた。

重商主義は政治権力のより古い説明―神に授けられた王権と絶対君主制―に対する、経済においてのカウンターパートとして機能した。

学者たちは、なぜ250年にわたって重商主義が経済的イデオロギーを支配していたのかについて議論している。ジェイコブ・バイナーに代表される第一のグループは、重商主義を単純明快で常識的なシステムと見なし、単に必要な解析手段の欠陥によって、その論理的誤謬が当時の人々には不明瞭のままであっただけであるとする。

ロバート・B・エケランドなどの学者に支持された第二のグループは、商業主義を誤謬としてではなく、それを発展させた人々にとって最良の(最も利益が大きい)システムとして描いている。この学派は、超過利潤を追求する(レントシーキング)商人と政府が重商主義政策を発展させ、実施したと主張する。商人は、強制された独占、外国競争の禁止、労働者の貧困から大きな利益を得、政府は、高い関税と商人からの支払いによる恩恵を受けた。そのことを裏付けるかのように、後世の経済的な思想が主に学者や哲学者によって展開されたのに対し、ほぼすべての重商主義者は商人または政府の役人であった。

マネタリズムは、重商主義の第三の説明を提供する。ヨーロッパの貿易は、アジアからの商品の代金を支払うために地金を輸出することによって、マネーサプライを低下させ、物価と経済活動に下降圧力(売り圧力)をかけていた。この仮説は、ちょうど紙幣が流通し始めたアメリカ独立戦争とナポレオン戦争までのイギリス経済のインフレの欠如が裏付けている。

第四の説明は、その時代の戦争における専門性と技術の向上が、(戦争を見越した)十分な準備金の維持をますます高額でやがては競争的なビジネスにしたことにある。

重商主義は、ヨーロッパ経済の移行時に発展した。孤立した封建国家は、権力の焦点としての中央集権的な民族国家に取って代わられていった。海運の技術的変化と都市中心部の成長により、国際貿易は急速に増加した。重商主義は、どのようにすればこの貿易が国家にとって最大限の助け(利益)になるかに焦点を置いた。もう1つの重要な変革は、複式簿記と近代的な会計の導入である。この会計(方法)により貿易の流入と流出が極めて明確になったことは、貿易収支の綿密な調査に貢献した。もちろん、アメリカ大陸の発見の影響は無視できない。新しい市場と新しい鉱山は、外国貿易をそれまで考えられなかった規模に押し上げ、「物価の大幅な上昇"the great upward movement in prices"」と「商業活動自体の規模"the volume of merchant activity itself"」の増加につながった。

重商主義より以前にヨーロッパで書かれた最も重要な経済についての著作は中世のスコラ学の理論家によるものである。これらの思想家の目標は、キリスト教の敬虔と正義の教義に適合する経済システムを見つけることであり、彼らは主にミクロ経済学と個人間の市内交換(市内交換)に焦点を置いた。重商主義は、中世の世界観に取って代わり始めた他の理論や発想と密接に連携していた。この時期には、まさに(目的のために手段を選ばない)マキアベリ流の(策謀政治の、権謀術数的な)現実政策(実益政策)が採用され、国際関係における国益の(重要度における)優位性が見られた。すべての商業をゼロサム・ゲームとみなす重商主義的な発想においては、それぞれの側が冷酷な競争において他の側に優位たろうとするが、このような発想はトマス・ホッブズの作品群に集約された。この人間の自然性についての暗い見方は、ピューリタンの世界観にもよく適合し、実際1651年の「航海条例」など最も押し付けがましく重商主義的な法律のいくつかは、オリバー・クロムウェルの政権によって制定された。

歴史的展開

大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。

オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を遺し、19世紀の産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーやデイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスが登場する素地となった。

重商主義政策の実施によって国境管理が厳しくなり、海を越えて移動する物品に関税がかけられるようになったが、海の国境管理は社会通念的に定着しておらず、密輸に対する犯罪意識も低かった[1]。税関組織が未発達なために海岸線の管理能力が限られており、アメリカ植民地の愛国派商人や、自由な国境移動を当然の権利と考える人々によって大規模な密貿易が横行した[1]。

重商主義の終焉

アダム・スミスとデビッド・ヒュームは反重商主義思想の創始者であった。スミスが重商主義を完全に置き換えることができるイデオロギーを開発するずっと前に、多くの学者が重商主義の重要な欠陥を発見した。ヒューム、ダドリー・ノース、ジョン・ロックなどの批評家は重商主義の大部分を徐々に弱体化し、18世紀に重商主義は確実に支持を失った。

1690年、ロックは、物価はお金の量に比例して変化すると主張した。ロックのSecond Treatiseはまた、世界の富は固定されているのではなく、人間の労働によって生み出されているとする反重商主義的批判の核心(ロックの「労働価値論」によって萌芽的に示されている)をも指し示している。

重商主義者は「絶対的優位」と「比較優位」(ただし、この考えは1817年にデヴィッド・リカードによって初めて完全に具体化された)そして「貿易の利益」の概念を理解できなかった。

たとえば、ポルトガルはイングランドよりも効率的にワインを生産しているが、イングランドではポルトガルよりも効率的に布を生産できると想像する。そうであれば、ポルトガルがワインを専門とし、イギリスが布を専門とするなら、両国が取引したときより良い結果になるであろう。これは貿易の相互利益の例である(「比較優位」によるにしろ「絶対優位」によるにしろ)。現代の経済理論では、貿易は激烈な競争の「ゼロサムゲーム」ではない。双方がそれから利益を得ることができるからである。

ヒュームが、貿易収支の恒常的な黒字という重商主義者の目標が不可能であることを指摘したことは有名である。地金が一国に流れ込んだとき、(地金の)供給は増加し、その国の地金の価値は他の商品と比較して着実に減少する。逆に、地金を輸出している国では、その価値は徐々に上昇する。最終的に、(地金の)高価格国から低価格国に商品を輸出することはもはや対費用効果が低くなり(というのも高価格国から地金を輸入するのにはますます多くの価値を持つ物品が必要となるであろうから)、貿易収支は逆転する(つまり一国が金銀を集めているうちにその国における金銀の(単位量的な)価値が減じてゆく一方で、輸入先における金銀の(単位量的な)価値が増してゆくので)。重商主義者はこれを根本的に誤解し、マネーサプライの増加は単に誰もが金持ちになることを意味するのだと長い間主張していたのである。

多くの重商主義者が彼ら自身金と銀の重要性を低く評価し始めたにせよ、地金に置かれた重要性はいずれ(半重商主義者の攻撃の?)中心的な標的でもあった。アダム・スミスは、重商主義の中核には「富とお金を混同する通俗的な愚かさ」があり、地金は他の商品とまったく同じであり、特別な扱いをする理由はまったくないと指摘した。最近になって、学者はこの批判の正確さを軽視するようになった。彼らは、マンとミッセルデンが1620年代にこの種の間違いを犯していないと考えており、1699年に「なるほど金と銀は確かに貿易の尺度であるが、その源泉と原型は、あらゆる国においてその国の自然または人工の産物―つまり、この土地やこの労働と産業が生み出すものである。」と書いた彼らの学徒のジョサイア・チャイルドとチャールズ・ダヴェナンを指摘している。1930年代のヤコブ・ヴィナーなどの学者が、マンなどの商人の重商主義者は海外の英国製品の価格を上げても(自分たちは)利益が得られないと理解していた、と指摘したように、重商主義はレントシーキングの一形態であるという批判もそれ自体批判にさらされている。

重商主義を完全に拒否した最初の学派は、フランスで理論を発展させた重農主義者であった。彼らの理論にもいくつかの重大な問題があり、1776年にアダム・スミスが「国富論"The Wealth of Nations"」を出版するまで重商主義の置き換えは待たねばならなかった。この本は、今日「古典派経済学」として知られているものの基本を概説している。スミスはこの本のかなりの部分を重商主義者の議論への反論に費やしたが、多くの場合、これらは重商主義思想の単純化または誇張された解釈であった。

学者の間ではまた、重商主義の終焉の原因についても意見が分かれている。その理論が単なる誤りであると思う者は、スミスのより正確なアイデアが明らかになった時点で、その置き換えは避けられなかったと考えている。重商主義はレントシーキングに相当すると感じている者は、大きな権力の変化が起こったときそれが終わっただけだと考えている。(実際)英国では議会が、独占を可能にする君主の権力を獲得したため、重商主義は衰退した。下院を支配した裕福な資本家はこれらの独占から恩恵を受けたが、議会は、グループの意思決定のコストが高いため、それら(独占)を実行するのが難しいとわかった。

イギリスでは、18世紀を通じて重商主義的規制が着実に撤廃され、19世紀には、英国政府は自由貿易とスミスの自由主義経済学を完全に受け入れた。大陸においては、そのプロセスは多少異なっていた。フランスでは、経済統制(権)は王室の手中にあり、重商主義政策はフランス革命まで続いた。ドイツでは、歴史学派の経済学が最重要であった19世紀から20世紀初頭にかけて、重商主義は重要なイデオロギーとして残った。


思想・体系

貿易と国家の繁栄を結びつける思想は、イタリアの諸都市において15世紀には存在していた。フィレンツェ共和国の外交官でもあったニッコロ・マキャヴェッリの『リウィウス論』や『君主論』、イエズス会の司祭であるジョヴァンニ・ボッテーロ(英語版)が書いた『国家理性論』において、そうした思想が展開されている。16世紀以降になると、ヨーロッパ各国で、貿易での優位が国内の利益につながると考えられるようになった[2]。

17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された[3]。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである[4]。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心、ナショナリズムである[5]。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった[5]。

重商主義は、アメリカ合衆国の初期の経済学派であるアメリカ学派や、アメリカ・システムをはじめとする19世紀の経済政策にも影響を与えた[6]。


重金主義

重金主義(じゅうきんしゅぎ、英: Bullionism、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。重工主義、取引差額主義ともいう。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。

国家は、税制優遇・補助金などで輸出を奨励し、関税によって輸入を抑制することで貿易黒字を増やし貴金属の流入を促進させた[7]。

東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった[8][9]。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。


貿易差額主義

貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。

イギリス東インド会社の係官トーマス・マン(19世紀のドイツの作家パウル・トーマス・マンとは無関係)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。

主要な財政家・理論家

W.ペティ / 彼の「政治算術」は重商主義経済学から古典派経済学への過渡期に位置づけられる


イギリス

重金主義者
トーマス・グレシャム(1519年 - 1579年) - 銀行家。グレシャムの法則で有名。
ジェラール・ド・マリーンズ(1586年 - 1641年)

貿易差額論者
トーマス・マン(1571年 - 1641年) - 東インド会社役員。主著『外国貿易によるイングランドの財宝』(1664年、死後出版)で貿易差額論を体系化。
オリバー・クロムウェル(1599年 - 1658年) - コモンウェルス時代の護国卿。航海条例で知られる。
エドワード・ミッセルデン(1608年 - 1654年)

「トーリー党自由貿易論者」
ジョサイア・チャイルド(1630年 - 1699年) - 主著『新交易論』(1693年)。
ニコラス・バーボン(1640年 - 1698年) - 主著『交易論』(1690年)。
ダドリー・ノース(1641年 - 1698年) - 主著『交易論』(1691年)。
チャールズ・ダヴナント(1656年 - 1714年) - 主著『東インド貿易論』(1696年|1696)。

キャラコ論争・対仏通商論争の参加者
J.ケアリ(? - 1720年頃) - 「キャラコ論争」(1670年代)で保護主義を主張。主著『イングランド交易論』(1695年)。
C.キング(18世紀前半) - コルベルティズムをめぐる「対仏通商論争」(18世紀前半)でウィッグ党の立場で保護主義を主張。主著『イギリス商人』(1721年)。
ダニエル・デフォー(1661年頃 - 1731年) - 対仏通商論争でトーリー党の立場で自由貿易を主張。主著『イギリス経済の構図』(1728年)。

古典派経済学の先駆者
ウィリアム・ペティ(1623年 - 1687年) - 国力を経済的に分析する「政治算術」を提唱。国力の基礎として貿易のみならず農業生産を重視、著書『租税貢納論』(1662年)で労働価値説の原型を作り「古典派経済学の祖」とされる。
バーナード・デ・マンデヴィル(1670年 - 1733年) - 主著『蜂の寓話』(1714年)。
ジョン・ロック(1632年 - 1704年) - 主著『統治二論』において労働価値説を主張。
リチャード・カンティロン(1680年頃 - 1734年) - ペティの理論を継承し価値の源泉を土地に求める重農主義的立場をとった。主著『商業試論』(1755年)。
デイヴィッド・ヒューム(1711年 - 1776年)
ジェームズ・ステュアート(1712年 - 1780年) - 「最初の経済学者」「最後の重商主義者」として『経済学原理』(1767年)を著し重商主義の理論体系を総括[10]。
ジョサイア・タッカー(1713年 - 1799年)
ジェームズ・ミル(1773年 - 1836年)


フランス
J.ボダン(1530年 - 1596年)
B.ラフマ(1545年 - 1612年)
リシュリュー(1585年 - 1642年)
J.B.コルベール(1619年 - 1683年)


アジア
日本においては江戸時代中期の政治家・田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明・佐藤信淵・帆足万里の経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。また、五代十国時代の中国では、十国といわれる地方政権はいずれも鉄銭・鉛銭の発行や輸出の促進などにより銀・銅を政府のもとに蓄積する政策を行った[11]。

議論

アダム・スミスによる批判

重商主義は、18世紀にはアダム・スミスの『国富論』で繰り返し批判されている。『国富論』によると、人々が豊かになるのはあくまで輸入品を消費することによってであり、輸出によってではない。輸出は欲しいものを輸入するために必要な外貨の獲得のためのものであって、輸出それ自体が貿易の目的ではない。輸入業者が支払い請求に応じるのに必要な負担をまかなうために、輸出が必要となるにすぎない[12]。またこのことから、交易条件の改善によって、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになることは国民を豊かにするが、自国通貨高は輸入価格と輸出価格の両方を変化させるので、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになるわけではなく、そのためより多くの輸入品の購買や消費が可能になって国民が豊かになるわけでもないことがわかる。

またスミスは、重商主義の背景にある愛国心について「愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄・拡大を、悪意に満ちた妬み・羨望をもって眺めようとする気分にさせることが多い」と述べており、自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり必要でもあるが、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を警戒していた[5]。『国富論』については、重商主義が言う貿易差額(黒字)で金銀を稼ぐことが富の源泉ではなく、労働こそが富の源泉であるという視点を示していると指摘されている[13]。

その他
ジョン・メイナード・ケインズが、著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したという指摘がある[14]。この点から、重商主義政策をケインズ政策、つまり有効需要確保の政策とする解釈も存在する[15]。

ある国にとって「貿易の黒字は利益で赤字は損失である」といった見方は重商主義的な誤解の典型である[16]。重商主義のわかりやすさには、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与しているとする指摘もある[5]。

現代の重商主義

「日米貿易摩擦」、「米中貿易戦争」、および「国際収支統計#識者の見解」も参照
重商主義は絶対王政の存在と植民地主義の下での経済思想であるため、現代ではこの二つの条件を満たしている国はほとんど存在しない[17]。しかし貿易によって利益を得る、輸出を増大させる重工主義などは重商主義以降も生き続けた[18]。

20世紀に入っても、輸出主導で経済成長を図ろうという政策は、さまざまな形で見られる。このような貿易政策は、新重商主義あるいは単に重商主義と呼ばれている[19][20][21][22]。新重商主義についてはジョーン・ロビンソンの定義が知られている。各国政府が自国民の利益のために、国際経済活動における自国のシェア拡大に価値や称賛さるべき目的を設定することが、新しい重商主義とされる[20][23]。ダニ・ロドリックは、現在における自由主義と重商主義の対立を語っているが[22]、ロビンソンは、自由主義の教義は重商主義の巧妙な形態にすぎないとして、新重商主義は発展途上国にとっての障害としている[20][24]。

日本でも、より強い国際競争力を求めて、政府に対する政策要望が出され[25]、また政府の政策に取り入れられることが多い[26]。国際競争主義については、重商主義がその元祖であるとする指摘がある[27]。また、輸出に頼って経済成長を計る政策思想は、重商主義と差異がないとする説もある[28]。

重商主義は、国内の過剰生産の解消と、貿易による資本蓄積で経済を成長させるには有効な政策であるとする評価もある。こうした評価は開発独裁の諸国、特に米国に次ぐ経済力を得た改革開放後の中華人民共和国や高度経済成長期の日本による輸出主導型成長と結びつけられている[29][30][31]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9  



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/144.html#c3

[近代史5] 自由貿易と輸出・インバウンドが日本経済を滅ぼす 中川隆
3. 中川隆[-6872] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:33:01 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[7]
重商主義の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1530.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/392.html#c3
[近代史02] 知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる 中川隆
34. 中川隆[-6871] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:42:11 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[8]

2021年02月15日
高金利投資は必ず損をする? ハイリスクと同義語
http://www.thutmosev.com/archives/85113288.html


高金利通貨国はサラ金から借りまくってる人と同じ

画像引用:投資で銀の人生格差脱出研究所 https://bizinfiniticiyiz.com/wp-content/uploads/2018/01/mxn-kakuduke-a-660x355.jpg

投資サイトの「利回り」に用心

2020年後半から世界の株式市場が好調で、新たに投資を始めたり拡大する人が増えているようです。

投資紹介サイトには様々な金融商品が紹介されていて、予想利回りが書いてある場合があります。

投資不動産紹介サイトでは利回り8%以上の優良物件がゴロゴロしていますが、実際は良くて半分というところです。

投資マンションなどの類は儲かるならオーナーが手放したい筈が無いので、何かの落とし穴があります。

マンションのような建物は経年劣化するので最初5000万円の価値でも毎年査定価格が下がります。

仮に賃貸経営で年100万円の利益を出していたとしても、毎年100万円価値が目減りしたら利益ゼロのただ働きです。


投資の世界ではこうした落とし穴が至る所に用意されていて、儲かった筈なのに損をしている事があるのです。

以前原油価格が下落していた頃、「もうすぐ上がりそうだな」と思って原油ETFを購入しました。

予想通り原油価格は上昇したが同時にそれ以上に円高が進んだうえ、ETF手数料もあって一向に利益は出ませんでした。


原油価格がかなり上昇した時にやっと収支がプラスになったので、もううんざりして原油投資は辞めにしました。

外国投資や原油のような世界商品では為替差損の影響が非常に大きく、円高進行時にはほぼどんな投資をしてもマイナスになります。

1ドル120円が100円になったら、2割の利益が出ていたとしても手数料込みでマイナスです。

高金利の外国通貨は絶対買ってはいけない

知られている中でもっともダメな外国投資は「高金利通貨投資」で、外貨建て預金なども含まれます。

高金利通貨国への新興国投資も同じ事で、個人的には100%負けが約束された投資だと思います。

高金利通貨国はメキシコ、アルゼンチン、トルコ、南アフリカなどで6%から8%以上の金利になっています。


日本はゼロ金利なのでこれらの通貨を持っているだけで毎年6%から8%もお金が増えていくと謳われています。

ただし貰えるのは現地通貨なので、為替変動で円高になると「損失を被る場合もあります」と書かれています。

為替変動はなんだか運しだいのようですがさに非ず、為替と金利の間には明確な連動が存在します。


それは「高金利通貨は低金利通貨に対して下落する」という事で、円は今マイナス金利なのであらゆる国の通貨に対して円高になる筈です。

メキシコやトルコやアルゼンチンの通貨は高金利なので「世界でもっとも下落しやすい通貨」で円に対しては下落が約束されています。

なぜ高金利通貨が下落するかですが、一言で言って信用がない人は高金利でお金を借りるからです。


年収1000万円以上で資産が1億円ある人は銀行から1%以下の低金利で借りれるが、信用がない人は金利16%のサラ金から借ります。

国単位でも同じ事で、トルコは信用が無い不良債務者なので8%の金利を払って外国からお金を借りています。

日本は逆にゼロ金利なので、いくらでもお金を借りれる高信用国、だからあらゆる通貨に対して円高になります。


トルコやメキシコ通貨に投資するのはサラ金から300万円借りている人にお金を貸すようなもので、まず帰ってこないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/85113288.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html#c34

[近代史02] FX ・ 先物取引 ・ 空売り は『ネットパチンコ』、 絶対に手を出してはいけない 中川隆
21. 中川隆[-6870] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:42:32 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[9]

2021年02月15日
高金利投資は必ず損をする? ハイリスクと同義語
http://www.thutmosev.com/archives/85113288.html


高金利通貨国はサラ金から借りまくってる人と同じ

画像引用:投資で銀の人生格差脱出研究所 https://bizinfiniticiyiz.com/wp-content/uploads/2018/01/mxn-kakuduke-a-660x355.jpg

投資サイトの「利回り」に用心

2020年後半から世界の株式市場が好調で、新たに投資を始めたり拡大する人が増えているようです。

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予想通り原油価格は上昇したが同時にそれ以上に円高が進んだうえ、ETF手数料もあって一向に利益は出ませんでした。


原油価格がかなり上昇した時にやっと収支がプラスになったので、もううんざりして原油投資は辞めにしました。

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高金利の外国通貨は絶対買ってはいけない

知られている中でもっともダメな外国投資は「高金利通貨投資」で、外貨建て預金なども含まれます。

高金利通貨国への新興国投資も同じ事で、個人的には100%負けが約束された投資だと思います。

高金利通貨国はメキシコ、アルゼンチン、トルコ、南アフリカなどで6%から8%以上の金利になっています。


日本はゼロ金利なのでこれらの通貨を持っているだけで毎年6%から8%もお金が増えていくと謳われています。

ただし貰えるのは現地通貨なので、為替変動で円高になると「損失を被る場合もあります」と書かれています。

為替変動はなんだか運しだいのようですがさに非ず、為替と金利の間には明確な連動が存在します。


それは「高金利通貨は低金利通貨に対して下落する」という事で、円は今マイナス金利なのであらゆる国の通貨に対して円高になる筈です。

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なぜ高金利通貨が下落するかですが、一言で言って信用がない人は高金利でお金を借りるからです。


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国単位でも同じ事で、トルコは信用が無い不良債務者なので8%の金利を払って外国からお金を借りています。

日本は逆にゼロ金利なので、いくらでもお金を借りれる高信用国、だからあらゆる通貨に対して円高になります。


トルコやメキシコ通貨に投資するのはサラ金から300万円借りている人にお金を貸すようなもので、まず帰ってこないでしょう。
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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/894.html#c21

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
94. 中川隆[-6869] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:43:03 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[10]

2021年02月15日
高金利投資は必ず損をする? ハイリスクと同義語
http://www.thutmosev.com/archives/85113288.html


高金利通貨国はサラ金から借りまくってる人と同じ

画像引用:投資で銀の人生格差脱出研究所 https://bizinfiniticiyiz.com/wp-content/uploads/2018/01/mxn-kakuduke-a-660x355.jpg

投資サイトの「利回り」に用心

2020年後半から世界の株式市場が好調で、新たに投資を始めたり拡大する人が増えているようです。

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投資不動産紹介サイトでは利回り8%以上の優良物件がゴロゴロしていますが、実際は良くて半分というところです。

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投資の世界ではこうした落とし穴が至る所に用意されていて、儲かった筈なのに損をしている事があるのです。

以前原油価格が下落していた頃、「もうすぐ上がりそうだな」と思って原油ETFを購入しました。

予想通り原油価格は上昇したが同時にそれ以上に円高が進んだうえ、ETF手数料もあって一向に利益は出ませんでした。


原油価格がかなり上昇した時にやっと収支がプラスになったので、もううんざりして原油投資は辞めにしました。

外国投資や原油のような世界商品では為替差損の影響が非常に大きく、円高進行時にはほぼどんな投資をしてもマイナスになります。

1ドル120円が100円になったら、2割の利益が出ていたとしても手数料込みでマイナスです。

高金利の外国通貨は絶対買ってはいけない

知られている中でもっともダメな外国投資は「高金利通貨投資」で、外貨建て預金なども含まれます。

高金利通貨国への新興国投資も同じ事で、個人的には100%負けが約束された投資だと思います。

高金利通貨国はメキシコ、アルゼンチン、トルコ、南アフリカなどで6%から8%以上の金利になっています。


日本はゼロ金利なのでこれらの通貨を持っているだけで毎年6%から8%もお金が増えていくと謳われています。

ただし貰えるのは現地通貨なので、為替変動で円高になると「損失を被る場合もあります」と書かれています。

為替変動はなんだか運しだいのようですがさに非ず、為替と金利の間には明確な連動が存在します。


それは「高金利通貨は低金利通貨に対して下落する」という事で、円は今マイナス金利なのであらゆる国の通貨に対して円高になる筈です。

メキシコやトルコやアルゼンチンの通貨は高金利なので「世界でもっとも下落しやすい通貨」で円に対しては下落が約束されています。

なぜ高金利通貨が下落するかですが、一言で言って信用がない人は高金利でお金を借りるからです。


年収1000万円以上で資産が1億円ある人は銀行から1%以下の低金利で借りれるが、信用がない人は金利16%のサラ金から借ります。

国単位でも同じ事で、トルコは信用が無い不良債務者なので8%の金利を払って外国からお金を借りています。

日本は逆にゼロ金利なので、いくらでもお金を借りれる高信用国、だからあらゆる通貨に対して円高になります。


トルコやメキシコ通貨に投資するのはサラ金から300万円借りている人にお金を貸すようなもので、まず帰ってこないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/85113288.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c94

[近代史3] 「現在の在日韓国人」の大半は日韓基本条約の永住権がない 中川隆
10. 中川隆[-6868] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:46:39 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[11]

2021年02月14日
在日の実像、密航者が全体の過半数か
http://www.thutmosev.com/archives/73116331.html#more


朝鮮戦争で密航してきた韓国人は10万人以上に達し、在日韓国人になった。
現在の在日韓国人の多くが、戦前からの密航者の子孫と考えられている

引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20170319/06/the-snark/27/59/j/o0600040813893261993.jpg

在日韓国人の半数は戦後の密航者?

在日韓国人いわゆる在日は1965年締結の日韓基本条約によって、1945年終戦までに日本に渡来した韓国人と定義されています。

日本政府は北朝鮮を承認していないので、北朝鮮国籍でも国内法的には韓国人になっています。

永住権があるのは1945年8月までに日本に居住していた人だけで、後日その子供(2世)が追加されました。

3世以降は永住権がないのだが、今日はその話ではなく、1945年8月16日以降に、日本に密航した人が相当数存在したという話です。

パチンコマXハンの創業者など、終戦後の数ヶ月にドサクサに紛れて日本に来た人が戦後第一弾の渡航者でした。

戦後初の国勢調査は昭和22年(1947年)なので、その頃まで政府は国内に何人の半島出身者が居るのか、把握していなかったと考えられます。


1948年までに帰国の勧告を受けて約150万人が韓国に帰国し、1955年警視庁調べでは約65万人の韓国人が国内に居住していました。

さらに警視庁によると戦前から居住していたのは55万人だけで、10万人は終戦後に密航してきたと書かれています。

ここからがおかしいのだが、戦前から居住していた韓国人は「北朝鮮帰国運動」などで10万人近く帰国しました。


韓国に帰国した人も居たので、戦前からの韓国人はどんどん減っていった筈でしたが、現在も約48万5000人の在日韓国人が存在しています。

別の資料では1974年法務省調査で、在日韓国人の85%が渡航年度不明であり、そう書いては居ないが密航者の疑いが強い。

密航者だから戦後とは限らず、戦前に密航してそのまま住み着いた韓国人は、相当数居たと考えられます。

韓国の大混乱期

なぜなら日本に渡航希望する半島人は現在の韓国南部と済州島が多かったが、半島で最も遅れた貧困地帯でした。

比較すると日本はソウル以上に発展した国だったので、貧しい農村や漁村から、密航船で日本に来る人が大勢居ました。

戦後密航者の一つのピークが1948年と1950年-1953年で、韓国では暴動や粛清、内乱で大混乱していました。


日本帝国から離脱し日本軍や日本の警察が引揚げた半島は無法地帯になり、独裁者の李承晩と金日成は戦争を始めました。

最初の混乱は日本軍引き上げと、入れ替わりにやってきた米軍占領で起こり、韓国各地で暴動や疫病が発生し、日本企業引き上げで経済破綻しハイパーインフレも起きました。

アメリカ軍が任命した李承晩大統領は不人気で、権力強化のために大粛清を始めます。


1948年に済州島四・三事件が発生し、1953年まで8年間の間に島民の人数が1割程度まで減少しました。

島民約30万人のうち6万人が犠牲になり、残りは半島や日本に逃げ出したと見られています。

その後に始まったのが朝鮮戦争で、李承晩の韓国軍と憲兵は、北朝鮮軍から逃走しながら「北のスパイ」として数十万から100万人を粛清したと推測されています。

混乱する韓国から逃げてきた人達

李承晩の韓国軍は釜山まで後退し、米軍と日本に支援されて38度戦まで押し返すのだが、負けたほうが韓国人には良かったかも知れない。

朝鮮戦争のどさくさで大半が闇に葬られているが、李承晩によって数百万人が犠牲になったという推測もある。

木村光彦や森田芳夫といった朝鮮研究者によると、朝鮮戦争前後に最大25万人が日本に密航した可能性がある。(送還された人数を除く)

済州島や半島南部の住民は我先にと日本への密航船に乗り込み、日本政府は人道的配慮から追放しなかったようです。


こうして1955年には10万人以上の密航者が居住し、1977人には85%も渡航年度不明の韓国人が居住していました。

そして人数は少ないものの、北朝鮮や韓国に帰国した元在日が、再び日本に舞い戻る「出戻り在日」も居住しています。

このように考えると現在日本に居住している在日韓国人で、日韓基本条約に定義された「戦前に正規の手続きで渡来した韓国人」など半分も居ないのではないかと考えられます。


むしろ過半数は戦前から朝鮮戦争前後に密入国してそのまま住み着き、戦後も親戚などのつてによって移住してきたと考えられます。

在日韓国人の著名人の中には、自分あるいは先祖は、密航者だからとても苦労したと苦労自慢している人を見かけます。

「俺は密航してきた」と堂々と自慢しても、一度特別永住者に認められると、日本政府は追い返したりはしていません。


ここで再度指摘すると、日韓基本条約で保護されているのは、戦前に正規の手続きで渡航した人だけです。
http://www.thutmosev.com/archives/73116331.html#more
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/566.html#c10

[外国人参政権・外国人住民基本法01] 猿人間のジャップには毒入り牛肉でも食わせておけ 中川隆
15. 中川隆[-6867] koaQ7Jey 2021年3月07日 04:02:33 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[13]

2021年02月14日
2039年に農業人口はゼロになる
http://www.thutmosev.com/archives/85106602.html


100m四方の田んぼを1年間世話した収入が60万円以下、これが農業の実態


コメ消費と農家減少の関係

景気のバロメーターとされるものは数多くありますが、個人的に牛丼屋、回転ずし、レトルト的な食品を参考にしています。

農水省の発表によると近年継続して増えているのはパックご飯で、10年間で消費量が2倍に増えました。

2020年のパックご飯生産量は22万4430トン、米の生産量は714万トンなのでコメ消費の3.1%を占めています。

冷凍チャーハンや冷凍おにぎりなど冷凍米飯は約18万トン、合計では加工米飯約40万トンでコメ消費の5.6%を占めています。

無洗米はシェア6%以上を占めているので、今や食用米の約12%は食べやすく加工された米という事になります。

また米消費の30%以上は外食や中食(弁当など)なので、自分でご飯を炊いて食べるのは消費量の約2/3になっています。


コメ消費は毎年8万トンから10万トン減少していて、その分は小麦粉食品などが増えています。

パン、パスタ、うどんなど麺類を主食にする人が増えていて、外食でも米以外が増えています。

日本の農家は稲作中心でしたが、一反(約1000平方m)を一年間耕して利益は4万円から6万円とされています。


1万平方m耕しても年収60万円以下という事で、日本にはもう米専業農家は存在していません。

1万平方mというと100mx100mなので、グラウンドほどの面積を耕しても年収たった60万円なのです。

それでも多くの農家がまだ米を生産しているのは、経済的な理由からではなく伝統を守るとか意地のようなものだと思います。


2039年に農業人口はゼロになる

もう一世代経つと子供たちは利益の出ない米生産をやめるので、米の生産量は劇的に減少します。

週1日だけバイトしても1年間米を生産するのと同じ収入になるなら、誰も米を生産しないでしょう。

すると米は需要に対して供給が不足する状態になり、価格が上昇して再び利益が出るようになるかも知れません。


日本の農業人口は2019年調査で168万人、2015年は209万人、2010年は260万人と年間10万人ほど減少しています。

農業従事者の平均年齢は60代前後で、ベテランは引退し若い人は農業をつがないからです。

このペースだと2024年は120万人、2029年は70万人になり2039年に農業人口ゼロになる計算です。


だがある程度農業人口が減ると食糧不足が顕在化し価格上昇し、農業は再び「儲かる職業」になるでしょう。

その頃には米20キロが2万円、キャベツは1玉千円になるのかも知れないが、市場原理にまかせたらそうなります。

アメリカの農業は生産性が高いと言われるが、農家収入の50%の補助金を政府が支出しています。


カリフォルニアとかの農家が成功例として紹介されるが、彼らの年収が600万円だとしたら300万円を政府が出しています。

欧州はもっとひどくてフランスのワイン農家の収入の9割は補助金、イギリスやドイツやイタリアも農家収入の半分を政府が出しています。

一方日本は政府による農家への直接補助金はゼロ、これが農業衰退を生み出し10年以内に日本の農業は滅びようとしています。


小泉進次郎と言うバカが自民党農林部会長になった時「日本の農家は甘やかされているから競争原理を導入する」と言っていました

このままでは本当に20年後に日本から農業はなくなっているかも知れません

http://www.thutmosev.com/archives/85106602.html
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/516.html#c15

[近代史3] 補助金なしの価格では日本の農作物はアメリカや欧州より安く、日本の農業は欧米より効率的 中川隆
2. 中川隆[-6866] koaQ7Jey 2021年3月07日 04:03:12 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[14]

2021年02月14日
2039年に農業人口はゼロになる
http://www.thutmosev.com/archives/85106602.html


100m四方の田んぼを1年間世話した収入が60万円以下、これが農業の実態


コメ消費と農家減少の関係

景気のバロメーターとされるものは数多くありますが、個人的に牛丼屋、回転ずし、レトルト的な食品を参考にしています。

農水省の発表によると近年継続して増えているのはパックご飯で、10年間で消費量が2倍に増えました。

2020年のパックご飯生産量は22万4430トン、米の生産量は714万トンなのでコメ消費の3.1%を占めています。

冷凍チャーハンや冷凍おにぎりなど冷凍米飯は約18万トン、合計では加工米飯約40万トンでコメ消費の5.6%を占めています。

無洗米はシェア6%以上を占めているので、今や食用米の約12%は食べやすく加工された米という事になります。

また米消費の30%以上は外食や中食(弁当など)なので、自分でご飯を炊いて食べるのは消費量の約2/3になっています。


コメ消費は毎年8万トンから10万トン減少していて、その分は小麦粉食品などが増えています。

パン、パスタ、うどんなど麺類を主食にする人が増えていて、外食でも米以外が増えています。

日本の農家は稲作中心でしたが、一反(約1000平方m)を一年間耕して利益は4万円から6万円とされています。


1万平方m耕しても年収60万円以下という事で、日本にはもう米専業農家は存在していません。

1万平方mというと100mx100mなので、グラウンドほどの面積を耕しても年収たった60万円なのです。

それでも多くの農家がまだ米を生産しているのは、経済的な理由からではなく伝統を守るとか意地のようなものだと思います。


2039年に農業人口はゼロになる

もう一世代経つと子供たちは利益の出ない米生産をやめるので、米の生産量は劇的に減少します。

週1日だけバイトしても1年間米を生産するのと同じ収入になるなら、誰も米を生産しないでしょう。

すると米は需要に対して供給が不足する状態になり、価格が上昇して再び利益が出るようになるかも知れません。


日本の農業人口は2019年調査で168万人、2015年は209万人、2010年は260万人と年間10万人ほど減少しています。

農業従事者の平均年齢は60代前後で、ベテランは引退し若い人は農業をつがないからです。

このペースだと2024年は120万人、2029年は70万人になり2039年に農業人口ゼロになる計算です。


だがある程度農業人口が減ると食糧不足が顕在化し価格上昇し、農業は再び「儲かる職業」になるでしょう。

その頃には米20キロが2万円、キャベツは1玉千円になるのかも知れないが、市場原理にまかせたらそうなります。

アメリカの農業は生産性が高いと言われるが、農家収入の50%の補助金を政府が支出しています。


カリフォルニアとかの農家が成功例として紹介されるが、彼らの年収が600万円だとしたら300万円を政府が出しています。

欧州はもっとひどくてフランスのワイン農家の収入の9割は補助金、イギリスやドイツやイタリアも農家収入の半分を政府が出しています。

一方日本は政府による農家への直接補助金はゼロ、これが農業衰退を生み出し10年以内に日本の農業は滅びようとしています。


小泉進次郎と言うバカが自民党農林部会長になった時「日本の農家は甘やかされているから競争原理を導入する」と言っていました

このままでは本当に20年後に日本から農業はなくなっているかも知れません

http://www.thutmosev.com/archives/85106602.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/528.html#c2

[近代史3] 農業補助金が収入の5割 アメリカ農業は競争社会ではない 中川隆
13. 中川隆[-6865] koaQ7Jey 2021年3月07日 04:03:46 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[15]

2021年02月14日
2039年に農業人口はゼロになる
http://www.thutmosev.com/archives/85106602.html


100m四方の田んぼを1年間世話した収入が60万円以下、これが農業の実態


コメ消費と農家減少の関係

景気のバロメーターとされるものは数多くありますが、個人的に牛丼屋、回転ずし、レトルト的な食品を参考にしています。

農水省の発表によると近年継続して増えているのはパックご飯で、10年間で消費量が2倍に増えました。

2020年のパックご飯生産量は22万4430トン、米の生産量は714万トンなのでコメ消費の3.1%を占めています。

冷凍チャーハンや冷凍おにぎりなど冷凍米飯は約18万トン、合計では加工米飯約40万トンでコメ消費の5.6%を占めています。

無洗米はシェア6%以上を占めているので、今や食用米の約12%は食べやすく加工された米という事になります。

また米消費の30%以上は外食や中食(弁当など)なので、自分でご飯を炊いて食べるのは消費量の約2/3になっています。


コメ消費は毎年8万トンから10万トン減少していて、その分は小麦粉食品などが増えています。

パン、パスタ、うどんなど麺類を主食にする人が増えていて、外食でも米以外が増えています。

日本の農家は稲作中心でしたが、一反(約1000平方m)を一年間耕して利益は4万円から6万円とされています。


1万平方m耕しても年収60万円以下という事で、日本にはもう米専業農家は存在していません。

1万平方mというと100mx100mなので、グラウンドほどの面積を耕しても年収たった60万円なのです。

それでも多くの農家がまだ米を生産しているのは、経済的な理由からではなく伝統を守るとか意地のようなものだと思います。


2039年に農業人口はゼロになる

もう一世代経つと子供たちは利益の出ない米生産をやめるので、米の生産量は劇的に減少します。

週1日だけバイトしても1年間米を生産するのと同じ収入になるなら、誰も米を生産しないでしょう。

すると米は需要に対して供給が不足する状態になり、価格が上昇して再び利益が出るようになるかも知れません。


日本の農業人口は2019年調査で168万人、2015年は209万人、2010年は260万人と年間10万人ほど減少しています。

農業従事者の平均年齢は60代前後で、ベテランは引退し若い人は農業をつがないからです。

このペースだと2024年は120万人、2029年は70万人になり2039年に農業人口ゼロになる計算です。


だがある程度農業人口が減ると食糧不足が顕在化し価格上昇し、農業は再び「儲かる職業」になるでしょう。

その頃には米20キロが2万円、キャベツは1玉千円になるのかも知れないが、市場原理にまかせたらそうなります。

アメリカの農業は生産性が高いと言われるが、農家収入の50%の補助金を政府が支出しています。


カリフォルニアとかの農家が成功例として紹介されるが、彼らの年収が600万円だとしたら300万円を政府が出しています。

欧州はもっとひどくてフランスのワイン農家の収入の9割は補助金、イギリスやドイツやイタリアも農家収入の半分を政府が出しています。

一方日本は政府による農家への直接補助金はゼロ、これが農業衰退を生み出し10年以内に日本の農業は滅びようとしています。


小泉進次郎と言うバカが自民党農林部会長になった時「日本の農家は甘やかされているから競争原理を導入する」と言っていました

このままでは本当に20年後に日本から農業はなくなっているかも知れません

http://www.thutmosev.com/archives/85106602.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/793.html#c13

[番外地9] 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した

そもそも慰安婦強制連行の証拠は沢山有りますから、その一部が疑わしいとしても大した問題ではありません:
日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。


 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、

「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」

と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、

「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」

と認定している。

 一連の資料について林教授は

「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」

と話している。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/150.html

[番外地9] アイヌが先住民でないと言ってる専門家は一人もいないだろ。
知恵遅れの相手しても仕方無いけど
遺伝学や考古学でアイヌ人の文化も遺伝子も縄文人と殆ど変わらないと証明されているんだよ。
wiki は現在の定説を書いているだけだよ。
そもそもアイヌが先住民でないと言ってる専門家は一人もいないだろ。
田中英道みたいな遺伝学や考古学を何も知らないド素人のキ印は歴史学会では誰にも相手にされてないよ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/151.html
[近代史4] 政府の借金は返さなくて良い 日銀国債購入で分かった事 中川隆
10. 中川隆[-6870] koaQ7Jey 2021年3月07日 09:38:28 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[2]
2021.03.07 米雇用統計の結果が週前半の下値を支えるか。

 3日(水)に公表された地区連銀経済報告(ベージュブック)でも、国内経済の回復が1月から2月中旬にかけて控えめになったという認識が示され、労働市場の改善ペースは鈍いと指摘されていましたのでなお更でした。

 ベージュブックが発表された日、ドイツ連邦銀行(中央銀行)は、今年の利益の政府納付を見送ると発表しました。万一の事態に備え引当金を積み増す為です。

同行が納付を見送るのは1979年以来、およそ40年ぶりの事だそうです。株で儲けている日銀はどれくらいの納付額になるのでしょうか。GPIFの年金ファンドも株が溢れたので(保有基準を超えたので)、仕方なく売っているようです。
http://kasset.blog.fc2.com/blog-entry-2441.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/819.html#c10

[近代史3] 馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形 中川隆
14. 中川隆[-6869] koaQ7Jey 2021年3月07日 09:40:00 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[3]
2021.03.07 米雇用統計の結果が週前半の下値を支えるか。

 3日(水)に公表された地区連銀経済報告(ベージュブック)でも、国内経済の回復が1月から2月中旬にかけて控えめになったという認識が示され、労働市場の改善ペースは鈍いと指摘されていましたのでなお更でした。

 ベージュブックが発表された日、ドイツ連邦銀行(中央銀行)は、今年の利益の政府納付を見送ると発表しました。万一の事態に備え引当金を積み増す為です。

同行が納付を見送るのは1979年以来、およそ40年ぶりの事だそうです。株で儲けている日銀はどれくらいの納付額になるのでしょうか。GPIFの年金ファンドも株が溢れたので(保有基準を超えたので)、仕方なく売っているようです。
http://kasset.blog.fc2.com/blog-entry-2441.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html#c14

[近代史3] 馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形 中川隆
15. 中川隆[-6868] koaQ7Jey 2021年3月07日 09:43:20 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[4]
FRBのお金の流れ

米国でのシニョリッジ、国庫納付金についての話です。

シニョリッジ(通貨発行益)とは、政府・中央銀行が発行する通貨・紙幣から、その製造コストを控除した分の発行利益のことである。

中央銀行のシニョリッジについては、銀行券の独占的発行という特権から得られる性格のものであることから、その利益を公共に還元すべきという考えがある。多くの国において、中央銀行が利益の一部、または全部を国庫に納付する制度が採用されている。

実際、次のような記事があります。

FRB、18年国庫納付は653億ドル 銀行への金利支払い385億ドル(2019.3.22ロイター)


米FRB、2017年の国庫納付額806億ドル 前年から減少
(2018.3.24ロイター)

FRB、17年の国庫納付802億ドルに減少
米連邦準備理事会(FRB)が10日発表した2017年決算の速報値によると、純利益は807億ドル(約8兆9900億円)で、経費などを除いた802億ドルを米財務省に国庫納付した。(2018.1.11日本経済新聞)


FRBなど中央銀行が通貨を発行し、資産(国債などの債券)を買入れることで、無から元利金を受けとることができるようになり、毎年、大きな収益が生まれている。
FRB は、収益から諸経費を差引いたものを、米連邦政府に国庫納付金として納めている。

13年796億ドル、14年987億ドル、15年977億ドル、16年920億ドル、17年807億ドル、18年653億ドルである。

毎年、シニョリッジ政策によって、多額の収入が米政府に入っている。
米国の金利は日本より高く、このFRB の国庫納付金は日銀の国庫納付金よりずっと大きい。
https://stockmirai.hatenablog.com/entry/2019/09/23/151329
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html#c15

[番外地6] 日銀が買い入れた国債は、再び売却しない限り、存在しないのと同じ 中川隆
20. 中川隆[-6867] koaQ7Jey 2021年3月07日 09:44:12 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[5]
FRBのお金の流れ

米国でのシニョリッジ、国庫納付金についての話です。

シニョリッジ(通貨発行益)とは、政府・中央銀行が発行する通貨・紙幣から、その製造コストを控除した分の発行利益のことである。

中央銀行のシニョリッジについては、銀行券の独占的発行という特権から得られる性格のものであることから、その利益を公共に還元すべきという考えがある。多くの国において、中央銀行が利益の一部、または全部を国庫に納付する制度が採用されている。

実際、次のような記事があります。

FRB、18年国庫納付は653億ドル 銀行への金利支払い385億ドル(2019.3.22ロイター)


米FRB、2017年の国庫納付額806億ドル 前年から減少
(2018.3.24ロイター)

FRB、17年の国庫納付802億ドルに減少
米連邦準備理事会(FRB)が10日発表した2017年決算の速報値によると、純利益は807億ドル(約8兆9900億円)で、経費などを除いた802億ドルを米財務省に国庫納付した。(2018.1.11日本経済新聞)


FRBなど中央銀行が通貨を発行し、資産(国債などの債券)を買入れることで、無から元利金を受けとることができるようになり、毎年、大きな収益が生まれている。
FRB は、収益から諸経費を差引いたものを、米連邦政府に国庫納付金として納めている。

13年796億ドル、14年987億ドル、15年977億ドル、16年920億ドル、17年807億ドル、18年653億ドルである。

毎年、シニョリッジ政策によって、多額の収入が米政府に入っている。
米国の金利は日本より高く、このFRB の国庫納付金は日銀の国庫納付金よりずっと大きい。
https://stockmirai.hatenablog.com/entry/2019/09/23/151329
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/755.html#c20

[近代史4] 政府の借金は返さなくて良い 日銀国債購入で分かった事 中川隆
11. 中川隆[-6866] koaQ7Jey 2021年3月07日 09:44:42 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[6]
FRBのお金の流れ

米国でのシニョリッジ、国庫納付金についての話です。

シニョリッジ(通貨発行益)とは、政府・中央銀行が発行する通貨・紙幣から、その製造コストを控除した分の発行利益のことである。

中央銀行のシニョリッジについては、銀行券の独占的発行という特権から得られる性格のものであることから、その利益を公共に還元すべきという考えがある。多くの国において、中央銀行が利益の一部、または全部を国庫に納付する制度が採用されている。

実際、次のような記事があります。

FRB、18年国庫納付は653億ドル 銀行への金利支払い385億ドル(2019.3.22ロイター)


米FRB、2017年の国庫納付額806億ドル 前年から減少
(2018.3.24ロイター)

FRB、17年の国庫納付802億ドルに減少
米連邦準備理事会(FRB)が10日発表した2017年決算の速報値によると、純利益は807億ドル(約8兆9900億円)で、経費などを除いた802億ドルを米財務省に国庫納付した。(2018.1.11日本経済新聞)


FRBなど中央銀行が通貨を発行し、資産(国債などの債券)を買入れることで、無から元利金を受けとることができるようになり、毎年、大きな収益が生まれている。
FRB は、収益から諸経費を差引いたものを、米連邦政府に国庫納付金として納めている。

13年796億ドル、14年987億ドル、15年977億ドル、16年920億ドル、17年807億ドル、18年653億ドルである。

毎年、シニョリッジ政策によって、多額の収入が米政府に入っている。
米国の金利は日本より高く、このFRB の国庫納付金は日銀の国庫納付金よりずっと大きい。
https://stockmirai.hatenablog.com/entry/2019/09/23/151329
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/819.html#c11

[番外地9] 三橋さんは反共ネトウヨ出身で無知蒙昧なので、経済学としては古典派経済学とマルクス経済学を意図的に排除して、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。
三橋さんは反共ネトウヨ出身で無知蒙昧なので、経済学としては古典派経済学とマルクス経済学を意図的に排除して、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。
マルクスはリカードの古典派経済学の分派で、貨幣数量説や貨幣の中立説をそのまま受け入れています:
ヒルファディングは『金融資本論』の序文でマルクスにおいて古典派経済学は「その最高の表現をみいだす」と書いた。
また、シュムペーターの『経済学史』はマルクスをリカード派として扱っている。

貨幣数量説・貨幣の中立説
貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。
重金主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

一方、古典派経済学の貨幣中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。 中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

ルーズベルトやニューディーラーは古典派経済学・マルクス経済学の系統で、ソ連の5か年計画を真似してニューディール政策を行っています。ルーズベルトやニューディーラーは勿論 緊縮財政派です。

一方、ケインズやMMT学派は古典派経済学・マルクス経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説を否定して、金融緩和や財政出動が経済を変えると思っているのですね。 1970年代までは欧米政府はすべてケインズ政策に基づいた経済政策を行っていましたが、悉く失敗したので。経済政策をハイエクの自由主義経済と財政均衡主義に変えたのです。

しかし、三橋さんはそういう経済の流れを全く知らず、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。この現代に既に大失敗したケインズ政策をもう一度繰り返す事に意味は無いのですけどね。

マルクス経済学は重商(重金)主義ではなく古典派経済学:

1500年から1750年の期間に存在したヨーロッパの経済学者のほとんどは今日、重商主義者とみなされている。

重商主義(英: mercantilism)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

重商主義とは、国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家的経済政策であり、考えうる経常赤字を減らすか、経常黒字に到達することを目指している。

重商主義(の具体的な政策)には、特に完成品の正の貿易収支を通じて、貨幣準備を蓄積することを目的とした国家的経済政策がある。

歴史的に、このような政策はしばしば戦争を引き起こし、植民地の拡大を動機付けた。重商主義理論は、作家によって洗練度が異なり、時間とともに進化してきた。


重商主義は衰退する以前、16世紀から18世紀までの原始工業化の時代のヨーロッパの近代化された部分で支配的であったが、一部の論評者は、経済的介入主義の形で、工業化国の経済でまだ実践されていると主張している。

重商主義は、ライバル国家の国力を犠牲にして自国の国家権力を増強する為に、国家経済の政府規制を促進する。特に工業製品に対する高関税は、重商主義政策のほぼ普遍的な特徴であった。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルド、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

世界貿易機関などの超国家的機関の世界的に関税を引き下げる努力により、貿易に対する非関税障壁は新重商主義において大きな重要性を帯びてきている。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができるが、いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/152.html

[番外地9] 三橋さんは反共ネトウヨ出身で無知蒙昧なので、経済学としては古典派経済学とマルクス経済学を意図的に排除して、重商主義とケ… 中川隆
1. 中川隆[-6868] koaQ7Jey 2021年3月07日 10:06:44 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[7]
商品貨幣論というのは大昔の重商主義の考え方だよ、古典派経済学は信用貨幣論だ。
三橋さんは反共ネトウヨ出身で無知蒙昧なので、経済学としては古典派経済学とマルクス経済学を意図的に排除して、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。
マルクスはリカードの古典派経済学の分派で、貨幣数量説や貨幣の中立説をそのまま受け入れています:
ヒルファディングは『金融資本論』の序文でマルクスにおいて古典派経済学は「その最高の表現をみいだす」と書いた。
また、シュムペーターの『経済学史』はマルクスをリカード派として扱っている。

貨幣数量説・貨幣の中立説
貨幣中立説は、歴史的には大航海時代以後にスペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。
重金主義とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

一方、古典派経済学の貨幣中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。 中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。

貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。管理通貨制度が定着する以前は、社会に存在する貨幣の総量は誰にも計測できず、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属が喪失するといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。

ルーズベルトやニューディーラーは古典派経済学・マルクス経済学の系統で、ソ連の5か年計画を真似してニューディール政策を行っています。ルーズベルトやニューディーラーは勿論 緊縮財政派です。

一方、ケインズやMMT学派は古典派経済学・マルクス経済学の貨幣数量説・貨幣の中立説を否定して、金融緩和や財政出動が経済を変えると思っているのですね。 1970年代までは欧米政府はすべてケインズ政策に基づいた経済政策を行っていましたが、悉く失敗したので。経済政策をハイエクの自由主義経済と財政均衡主義に変えたのです。

しかし、三橋さんはそういう経済の流れを全く知らず、重商主義とケインズ・MMT学派と新自由主義の三つしか考えていないのです。この現代に既に大失敗したケインズ政策をもう一度繰り返す事に意味は無いのですけどね。

マルクス経済学は重商(重金)主義ではなく古典派経済学:

1500年から1750年の期間に存在したヨーロッパの経済学者のほとんどは今日、重商主義者とみなされている。

重商主義(英: mercantilism)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

重商主義とは、国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家的経済政策であり、考えうる経常赤字を減らすか、経常黒字に到達することを目指している。

重商主義(の具体的な政策)には、特に完成品の正の貿易収支を通じて、貨幣準備を蓄積することを目的とした国家的経済政策がある。

歴史的に、このような政策はしばしば戦争を引き起こし、植民地の拡大を動機付けた。重商主義理論は、作家によって洗練度が異なり、時間とともに進化してきた。


重商主義は衰退する以前、16世紀から18世紀までの原始工業化の時代のヨーロッパの近代化された部分で支配的であったが、一部の論評者は、経済的介入主義の形で、工業化国の経済でまだ実践されていると主張している。

重商主義は、ライバル国家の国力を犠牲にして自国の国家権力を増強する為に、国家経済の政府規制を促進する。特に工業製品に対する高関税は、重商主義政策のほぼ普遍的な特徴であった。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルド、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

世界貿易機関などの超国家的機関の世界的に関税を引き下げる努力により、貿易に対する非関税障壁は新重商主義において大きな重要性を帯びてきている。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができるが、いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/152.html#c1

[リバイバル3] 「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件 中川隆
3. 中川隆[-6867] koaQ7Jey 2021年3月07日 10:22:38 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[8]
ボスと呼ばれた女性「利用され、許せない」 5歳餓死事件
3/7(日) 6:09配信


事件の構図
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4e19ae292940098c0dccaa6fa22f82f4a83fa60/images/000

 福岡県篠栗町で昨年4月、5歳の男児を餓死させたとして保護責任者遺棄致死容疑で母親と知人の女の赤堀恵美子容疑者が逮捕された事件。赤堀容疑者は、事件と無関係の女性を暴力団との関係がある「ボス」と呼び、ボスの指示だと偽って、碇利恵容疑者に金銭要求したり食事制限をしたりしていた。ボスに仕立てられた女性が西日本新聞の取材に応じ「全く関係がないのに事件に利用された。許せない」と憤った。

【画像】5歳児が亡くなった事件の経過
https://www.nishinippon.co.jp/image/282512/

 女性は、両容疑者と同じ小学校の保護者だった。赤堀容疑者とはたまに連絡を取る間柄だったが、碇容疑者とは、ほとんど話したことがないという。

 女性は事件前、小さな容器を持って碇容疑者宅に向かう赤堀容疑者に会った。赤堀容疑者は「(碇容疑者宅は)電気が止まっているから、食べ物を持っていきよる」と話した。女性は「暗い中はかわいそうだから、子どもたちはうちで預かろうか」と心配したが、赤堀容疑者は「迷惑を掛けられない」と断ったという。

 女性は「碇容疑者が育児放棄をして、赤堀容疑者が面倒を見ている」と考えていた。一方で、路上で赤堀容疑者が碇容疑者を怒鳴りつける場面を見かけ、「対等な関係じゃないのかもしれない」とも思った。その後、赤堀容疑者から「栄養失調で子どもが亡くなった」と聞かされた。

 「ボスと呼ばれる心当たりはありますか」。事件を捜査する福岡県警から連絡があり、事情聴取を受けた。

 担当刑事は、赤堀容疑者が女性をボスと呼び、「ボスが怒るから食べすぎたらいけない」「12台の監視カメラでボスが見張っている」などと碇容疑者を怖がらせていたと説明した。全く身に覚えがなく、驚愕(きょうがく)した。赤堀容疑者が他のママ友たちにも名乗っていた「赤堀ユウナ」は偽名で、年齢を10歳以上若く偽っていたことも知った。

 怒りが収まらず、逮捕前に赤堀容疑者と会った際に問い詰めた。赤堀容疑者は「ボスと呼んだのはあの女(碇容疑者)。私は弁護士を雇ってる」などと言い、悪びれる様子はなかったという。

 「あの日、もっと強く言って、電気の止まった部屋から翔士郎ちゃんたちを連れ出していれば」−。女性は後悔し続けている。

 県警は携帯電話の通話履歴や口座の記録なども調べ、女性が事件に関与していないと断定している。捜査関係者によると、赤堀容疑者は碇容疑者に「ボスが怒るから話し掛けない方がいい」と指示し、女性と接触させないようにしていた。

 碇容疑者は関係者にこう話している。「ボスが怖かった。絶対的な存在でした」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1132.html#c3

[リバイバル3] 「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件 中川隆
4. 中川隆[-6866] koaQ7Jey 2021年3月07日 10:26:57 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[9]
「お前の夫の浮気調査費を“ボス”が立て替えている」福岡5歳児餓死 “虚言大女”が洗脳に使った女の名前
「文春オンライン」特集班
https://bunshun.jp/articles/-/43898


 福岡県篠栗(ささぐり)町で5歳児が餓死した事件。3月2日に福岡県警が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕したのは、ママ友同士だった2人の容疑者だった。

5歳児の母親である碇と、ママ友の赤堀。両容疑者は仲が良かった

 2020年4月18日に亡くなったのは、当時5歳だった碇翔士郎(しょうじろう)ちゃん。逮捕されたのは母親の碇利恵容疑者(39)と、ママ友の赤堀恵美子容疑者(48)だった。両容疑者は2019年8月頃から共謀して、翔士郎ちゃんの食事を減らすなど低栄養状態にして餓死させた疑いがある。

「ママ友らが悪口を言っている」「私は味方だ」
 警察の取り調べでは、赤堀容疑者が碇容疑者を精神的に支配し、多額の金銭を巻き上げていたことがわかっている。


 捜査関係者の証言。

「2人が知り合ったのは、2016年4月頃。同じ幼稚園のママ友同士としてだ。『ママ友らが悪口を言っている』『私は味方だ』などと赤堀が碇を疑心暗鬼にさせ、言葉巧みに洗脳し、周囲から孤立させていったと見られている。

「お前の夫が浮気している」で離婚にまで追い込んだ
 そして、2018年5月頃に赤堀が『他の保護者から碇の子供のトラブルのことで訴えられている。解決のためにはカネが必要。暴力団とつながりのある“ボス”がトラブルを解決する』などと架空のトラブルをでっちあげ、約50万円を碇から詐取した。

 その次は『碇の夫が浮気をしている』と嘘をつき、『浮気相手のキャバ嬢が妊娠した。キャバ嬢のバックにいる暴力団と交渉しているので慰謝料が必要』『お前の夫の浮気調査費用を“ボス”が立て替えている』『夫との離婚裁判で書面代が必要』などとありもしない話を次々に碇に信じ込ませ、カネを引っ張った揚げ句、ついには2019年5月に離婚に追い込んだ」

事件をめぐる人間関係の構図 ©共同通信社
https://bunshun.jp/articles/photo/43898?pn=3


 そして赤堀は碇を精神的に追い詰め、食費を切り詰めさせた。


「『(裁判で)離婚の慰謝料を多く取るために生活が困窮していると見られた方が有利だ』などとして、2019年8月頃から3人の子供に対する食事制限を指示していました。死亡時の翔士郎ちゃんの体重は10キロ前後しかなく、体はやせ細り、あばら骨が浮き上がった状態でした。同年齢の平均体重の半分ほどだった」(社会部記者)


「監視カメラで“ボス”が見張っている」

 赤堀が“ボス”と呼んで恐れさせていたのは、実在するママ友。実際には無関係のママ友を、まるで暴力団に近い人物であるかのように説明していたという。

「食事制限中、赤堀は碇に対し、『監視カメラで“ボス”が見張っている』などとも言っていた。騙し取った金額は起訴されているだけで約200万円だが、そのカネというのも元々は碇が受け取っていた生活保護費や児童扶養手当などの毎月約20万円の収入。

 立件には至っていないが、県警は赤堀がそのほかにも碇の車を売却させたり、複数の消費者金融から借金させて、合計で1200万円ほど引っ張ったとみている。赤堀は碇から詐取したカネをパチンコなどの遊興費や家具や洋服の購入費にあてていたようだ」(前出・捜査関係者)


 食事制限を強要するようになってから約9カ月、痩せ細っていく翔士郎ちゃんに周囲も気付いていた。不審に思った幼稚園の関係者がたびたび碇の自宅を家庭訪問している。

「対人恐怖症だ」と訪問を拒絶

「碇の自宅に家庭訪問すると、なぜか赤堀が家にいて抗議して追い返した。2019年11月、翔士郎ちゃんが通う幼稚園や兄2人が通う学校からも、行政サイドへ問い合わせがあった。『子供たちの体重減少が気になるが、母親と連絡が取りにくくなっている』との情報を受け、町や児相などが碇の家庭を“見守り対象”にした。それでも(関係機関の)担当者が碇宅を訪ねると、赤堀が碇の代わりに対応し、『母親(碇)は対人恐怖症だ』などと言って、面会を拒否することもあった。

 週に数回パンなど食事を与えていたが、翔士郎ちゃんが亡くなる直前には碇本人も『食べるものがなく醤油を薄めて飲んだり味噌をなめていた』と供述している」(同前)

 こうした行政の動きに対し、2020年1月、赤堀は碇に指示し、翔士郎ちゃんを幼稚園から退園させた。

「その頃、地域住民から『虐待の疑いがある』との情報を得た福岡県警粕屋署が碇宅を訪問したが、子供らに虐待の形跡は認められなかった。一方で、2020年3月5日には児童相談所に『子供を残して外出するなど心理的虐待や育児放棄の疑いがある』と通告していた」(同前)

 20年3月には碇容疑者の親族が2度、児童相談所を訪れ、「子供と会えておらず、心配だ」として、安否確認を求めていた。だが、危険度が高いとは判断せず、家庭訪問をするなどの対応は取らなかったという。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1132.html#c4

[リバイバル3] 森鴎外は医者失格、科学者失格の無能人間だった 中川隆
1. 中川隆[-6865] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:28:30 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[12]
「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
新 晴正 2021/03/07


白米ばかり食べる日本人を襲った「ある病気」の正体とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

米を主食にする国々の中でも、日本人ほど品種や炊き方にこだわる人々も少ないと言われている。わたしたちが普段食べるうるち米だけでも、のべ440品種以上が登録(平成29年度)されているというから驚く。

 最近は健康面を考えて白米に玄米や雑穀を混ぜて炊く家庭も増えているが、やはり食べておいしいのは白米だけで炊いたご飯、すなわち白ご飯だ。炊きたての白ご飯に味噌汁とぬか漬けの一品でもあればあとは何もいらない、という人も少なくない。

かつては「ごちそう」だった白ご飯
 そんな日本人になじみ深い白ご飯だが、一体いつごろから食べられているのか調べてみると、意外なことがわかった。実は一部の大都市圏を除き、常食するようになったのは明治時代に入ってからなのだ。

 たとえば江戸時代、江戸に住む人たちに限っては長屋暮らしの八っつあん熊さんたちでも日に3度、白ご飯を食べていたが、一歩江戸の郊外に出ると、米農家であっても作った米の大半が年貢として取られてしまうため、白ご飯を食べることができたのは祭礼の日などに限られた。まさに「ハレ」の日のご馳走だったのである。

 したがって大方の日本人は白米を常食するようになってまだ百数十年しかたっていないのだ。本稿ではそんな白米食の歴史と、なぜ江戸っ子だけが白ご飯を食べることができたのか、そしてそれによって生まれた「江戸患い」と呼ばれた白米食の弊害についても語ってみたい。

 玄米を精米して食べるようになったのは奈良時代のことらしい。精米によってビタミンという栄養を含んだ胚芽部分やぬか層を捨ててしまうことになるのだが、もちろんそんな知識は当時の人たちにはない。胚芽やぬか層が残っていると、たんに食べたときに味や食感、消化も悪くなるからそうしただけのことである。

 しかし、この精米作業はなにぶん重労働なので、庶民は玄米を軽く精米したものを蒸して食べる「強飯(こわいい)」を長く常食してきた。白米は貴族など一部の特権階級に限られていたらしい。

 室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

 中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

 その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?
 江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

 これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

 もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

 ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

 その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

 日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。

 なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。

脚気は「贅沢病」だった?
 近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。

 この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。

 脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。

 したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。

 こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。

 この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

 脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

 明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

 特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

 この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

 日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づかたよいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

 一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗
 その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

 この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

 ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

 その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

 日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%99%BD%E7%B1%B3%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7-%E7%B4%843%E4%B8%87%E4%BA%BA-%E3%82%82%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F/ar-BB1ejC8c?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/680.html#c1

[リバイバル3] 糖質制限を何年も続けると廃人になる 中川隆
27. 中川隆[-6864] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:29:22 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[13]
「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
新 晴正 2021/03/07


白米ばかり食べる日本人を襲った「ある病気」の正体とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

米を主食にする国々の中でも、日本人ほど品種や炊き方にこだわる人々も少ないと言われている。わたしたちが普段食べるうるち米だけでも、のべ440品種以上が登録(平成29年度)されているというから驚く。

 最近は健康面を考えて白米に玄米や雑穀を混ぜて炊く家庭も増えているが、やはり食べておいしいのは白米だけで炊いたご飯、すなわち白ご飯だ。炊きたての白ご飯に味噌汁とぬか漬けの一品でもあればあとは何もいらない、という人も少なくない。

かつては「ごちそう」だった白ご飯
 そんな日本人になじみ深い白ご飯だが、一体いつごろから食べられているのか調べてみると、意外なことがわかった。実は一部の大都市圏を除き、常食するようになったのは明治時代に入ってからなのだ。

 たとえば江戸時代、江戸に住む人たちに限っては長屋暮らしの八っつあん熊さんたちでも日に3度、白ご飯を食べていたが、一歩江戸の郊外に出ると、米農家であっても作った米の大半が年貢として取られてしまうため、白ご飯を食べることができたのは祭礼の日などに限られた。まさに「ハレ」の日のご馳走だったのである。

 したがって大方の日本人は白米を常食するようになってまだ百数十年しかたっていないのだ。本稿ではそんな白米食の歴史と、なぜ江戸っ子だけが白ご飯を食べることができたのか、そしてそれによって生まれた「江戸患い」と呼ばれた白米食の弊害についても語ってみたい。

 玄米を精米して食べるようになったのは奈良時代のことらしい。精米によってビタミンという栄養を含んだ胚芽部分やぬか層を捨ててしまうことになるのだが、もちろんそんな知識は当時の人たちにはない。胚芽やぬか層が残っていると、たんに食べたときに味や食感、消化も悪くなるからそうしただけのことである。

 しかし、この精米作業はなにぶん重労働なので、庶民は玄米を軽く精米したものを蒸して食べる「強飯(こわいい)」を長く常食してきた。白米は貴族など一部の特権階級に限られていたらしい。

 室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

 中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

 その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?
 江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

 これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

 もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

 ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

 その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

 日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。

 なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。

脚気は「贅沢病」だった?
 近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。

 この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。

 脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。

 したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。

 こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。

 この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

 脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

 明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

 特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

 この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

 日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づかたよいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

 一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗
 その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

 この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

 ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

 その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

 日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%99%BD%E7%B1%B3%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7-%E7%B4%843%E4%B8%87%E4%BA%BA-%E3%82%82%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F/ar-BB1ejC8c?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/734.html#c27

[リバイバル3] 糖質制限食がダメな理由・・・・・古代人のミイラが語る・・・・ 中川隆
56. 中川隆[-6863] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:29:41 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[14]
「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
新 晴正 2021/03/07


白米ばかり食べる日本人を襲った「ある病気」の正体とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

米を主食にする国々の中でも、日本人ほど品種や炊き方にこだわる人々も少ないと言われている。わたしたちが普段食べるうるち米だけでも、のべ440品種以上が登録(平成29年度)されているというから驚く。

 最近は健康面を考えて白米に玄米や雑穀を混ぜて炊く家庭も増えているが、やはり食べておいしいのは白米だけで炊いたご飯、すなわち白ご飯だ。炊きたての白ご飯に味噌汁とぬか漬けの一品でもあればあとは何もいらない、という人も少なくない。

かつては「ごちそう」だった白ご飯
 そんな日本人になじみ深い白ご飯だが、一体いつごろから食べられているのか調べてみると、意外なことがわかった。実は一部の大都市圏を除き、常食するようになったのは明治時代に入ってからなのだ。

 たとえば江戸時代、江戸に住む人たちに限っては長屋暮らしの八っつあん熊さんたちでも日に3度、白ご飯を食べていたが、一歩江戸の郊外に出ると、米農家であっても作った米の大半が年貢として取られてしまうため、白ご飯を食べることができたのは祭礼の日などに限られた。まさに「ハレ」の日のご馳走だったのである。

 したがって大方の日本人は白米を常食するようになってまだ百数十年しかたっていないのだ。本稿ではそんな白米食の歴史と、なぜ江戸っ子だけが白ご飯を食べることができたのか、そしてそれによって生まれた「江戸患い」と呼ばれた白米食の弊害についても語ってみたい。

 玄米を精米して食べるようになったのは奈良時代のことらしい。精米によってビタミンという栄養を含んだ胚芽部分やぬか層を捨ててしまうことになるのだが、もちろんそんな知識は当時の人たちにはない。胚芽やぬか層が残っていると、たんに食べたときに味や食感、消化も悪くなるからそうしただけのことである。

 しかし、この精米作業はなにぶん重労働なので、庶民は玄米を軽く精米したものを蒸して食べる「強飯(こわいい)」を長く常食してきた。白米は貴族など一部の特権階級に限られていたらしい。

 室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

 中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

 その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?
 江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

 これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

 もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

 ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

 その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

 日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。

 なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。

脚気は「贅沢病」だった?
 近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。

 この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。

 脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。

 したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。

 こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。

 この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

 脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

 明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

 特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

 この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

 日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づかたよいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

 一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗
 その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

 この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

 ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

 その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

 日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%99%BD%E7%B1%B3%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7-%E7%B4%843%E4%B8%87%E4%BA%BA-%E3%82%82%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F/ar-BB1ejC8c?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/585.html#c56

[不安と不健康15] 食物によし悪しなし! 柴田流健康長寿の14か条  健康リスクを回避する、食肉生活のススメ (PRESIDENT )  赤かぶ
84. 中川隆[-6862] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:30:52 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[15]
「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
新 晴正 2021/03/07


白米ばかり食べる日本人を襲った「ある病気」の正体とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

米を主食にする国々の中でも、日本人ほど品種や炊き方にこだわる人々も少ないと言われている。わたしたちが普段食べるうるち米だけでも、のべ440品種以上が登録(平成29年度)されているというから驚く。

 最近は健康面を考えて白米に玄米や雑穀を混ぜて炊く家庭も増えているが、やはり食べておいしいのは白米だけで炊いたご飯、すなわち白ご飯だ。炊きたての白ご飯に味噌汁とぬか漬けの一品でもあればあとは何もいらない、という人も少なくない。

かつては「ごちそう」だった白ご飯
 そんな日本人になじみ深い白ご飯だが、一体いつごろから食べられているのか調べてみると、意外なことがわかった。実は一部の大都市圏を除き、常食するようになったのは明治時代に入ってからなのだ。

 たとえば江戸時代、江戸に住む人たちに限っては長屋暮らしの八っつあん熊さんたちでも日に3度、白ご飯を食べていたが、一歩江戸の郊外に出ると、米農家であっても作った米の大半が年貢として取られてしまうため、白ご飯を食べることができたのは祭礼の日などに限られた。まさに「ハレ」の日のご馳走だったのである。

 したがって大方の日本人は白米を常食するようになってまだ百数十年しかたっていないのだ。本稿ではそんな白米食の歴史と、なぜ江戸っ子だけが白ご飯を食べることができたのか、そしてそれによって生まれた「江戸患い」と呼ばれた白米食の弊害についても語ってみたい。

 玄米を精米して食べるようになったのは奈良時代のことらしい。精米によってビタミンという栄養を含んだ胚芽部分やぬか層を捨ててしまうことになるのだが、もちろんそんな知識は当時の人たちにはない。胚芽やぬか層が残っていると、たんに食べたときに味や食感、消化も悪くなるからそうしただけのことである。

 しかし、この精米作業はなにぶん重労働なので、庶民は玄米を軽く精米したものを蒸して食べる「強飯(こわいい)」を長く常食してきた。白米は貴族など一部の特権階級に限られていたらしい。

 室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

 中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

 その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?
 江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

 これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

 もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

 ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

 その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

 日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。

 なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。

脚気は「贅沢病」だった?
 近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。

 この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。

 脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。

 したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。

 こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。

 この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

 脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

 明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

 特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

 この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

 日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づかたよいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

 一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗
 その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

 この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

 ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

 その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

 日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%99%BD%E7%B1%B3%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7-%E7%B4%843%E4%B8%87%E4%BA%BA-%E3%82%82%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F/ar-BB1ejC8c?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/550.html#c84

[近代史5] 日本の料理 中川隆
75. 中川隆[-6861] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:31:43 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[16]
「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
新 晴正 2021/03/07


白米ばかり食べる日本人を襲った「ある病気」の正体とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

米を主食にする国々の中でも、日本人ほど品種や炊き方にこだわる人々も少ないと言われている。わたしたちが普段食べるうるち米だけでも、のべ440品種以上が登録(平成29年度)されているというから驚く。

 最近は健康面を考えて白米に玄米や雑穀を混ぜて炊く家庭も増えているが、やはり食べておいしいのは白米だけで炊いたご飯、すなわち白ご飯だ。炊きたての白ご飯に味噌汁とぬか漬けの一品でもあればあとは何もいらない、という人も少なくない。

かつては「ごちそう」だった白ご飯
 そんな日本人になじみ深い白ご飯だが、一体いつごろから食べられているのか調べてみると、意外なことがわかった。実は一部の大都市圏を除き、常食するようになったのは明治時代に入ってからなのだ。

 たとえば江戸時代、江戸に住む人たちに限っては長屋暮らしの八っつあん熊さんたちでも日に3度、白ご飯を食べていたが、一歩江戸の郊外に出ると、米農家であっても作った米の大半が年貢として取られてしまうため、白ご飯を食べることができたのは祭礼の日などに限られた。まさに「ハレ」の日のご馳走だったのである。

 したがって大方の日本人は白米を常食するようになってまだ百数十年しかたっていないのだ。本稿ではそんな白米食の歴史と、なぜ江戸っ子だけが白ご飯を食べることができたのか、そしてそれによって生まれた「江戸患い」と呼ばれた白米食の弊害についても語ってみたい。

 玄米を精米して食べるようになったのは奈良時代のことらしい。精米によってビタミンという栄養を含んだ胚芽部分やぬか層を捨ててしまうことになるのだが、もちろんそんな知識は当時の人たちにはない。胚芽やぬか層が残っていると、たんに食べたときに味や食感、消化も悪くなるからそうしただけのことである。

 しかし、この精米作業はなにぶん重労働なので、庶民は玄米を軽く精米したものを蒸して食べる「強飯(こわいい)」を長く常食してきた。白米は貴族など一部の特権階級に限られていたらしい。

 室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

 中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

 その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?
 江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

 これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

 もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

 ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

 その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

 日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。

 なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。

脚気は「贅沢病」だった?
 近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。

 この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。

 脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。

 したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。

 こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。

 この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

 脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

 明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

 特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

 この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

 日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づかたよいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

 一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗
 その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

 この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

 ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

 その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

 日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%99%BD%E7%B1%B3%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7-%E7%B4%843%E4%B8%87%E4%BA%BA-%E3%82%82%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F/ar-BB1ejC8c?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html#c75

[番外地9] アイヌが先住民でないと言ってる専門家は一人もいないだろ。 中川隆
1. 中川隆[-6866] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:55:48 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[17]
知恵遅れの相手しても仕方無いけど
考古学やDNA解析の専門家が嘘書く訳ないだろ

>逆にアイヌ民族期より前から様々な民族があるのは史料や遺跡でバレてる(´・ω・`)

アイヌ以前は、絶滅した旧石器時代人、北海道縄文人、北海道縄文人の子孫の続縄文人・擦文人、オホーツク人
しかいないよ。
日本人は日本海沿岸にニシン漁民が住んでいただけだ。日本人の生活様式では北海道内陸の冬は越せなかったからね。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/151.html#c1

[近代史4] 日本の借金は欧米の計算ではGDP比90% 中川隆
4. 中川隆[-6868] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:32:01 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[18]

2021年02月13日
国営事業すべて赤字の中国が存在できる仕組み
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html


高速鉄道4万キロはすべて赤字、利用者はほとんど居ないのが実態

画像引用:https://www.cyber-dreams.net/doyablog/ichiran/kotetu/ 中国の新幹線、「高鉄」の乗り方

財政とはファンタジーである

日本の財務省や政治家や評論家は、日本の財政赤字を追及するのが好きだが、中国の財政赤字には決して触れない。

もし「あなたはなぜ中国の財政赤字には触れようとしないのですか?」と聞いたら、言葉を濁すか大声で騒いでごまかすだろう。

中国の財政赤字、日本の財政赤字、アメリカの財政赤字は財政ではなく政治問題で、もっと言えば理念の問題だからです。

世界各国の財政基準はすべて異なり、日本では地方自治体や民間の高速道路、民間福祉団体、将来生じる保険年金の赤字もすべて政府の赤字にしている。

隣の韓国はこれらすべてを民間債務で計算しているので、GDP比率50%の健全財政です。

健全財政で有名なドイツも「含めない派」だし米中も同様、もし日本基準で計算するとこれらの国はすべてGDP比200%を超えます。


この中で最も不透明なのは中国で、国営事業すべては赤字なのに政府債務GDP比は20%の超優良財政となっている。

家計と企業を含めた日本の対GDP比率は382.7%、中国の総債務は303%、韓国250%、米国250%、欧州256%などとなっている(ジェトロ資料)

仮に政府の借金ゼロで民間が多くてもそれはそれで問題になり、政府債務はいくらでも民間債務に付け替える事が可能です。


例えばVW排ガス相当の時もドイツ政府は支援しなかったが、政府が銀行に圧力をかけて10兆円ほど融資させました。

日本政府が政府の借金を増やさないために、三菱銀行や三井銀行の借金にしてしまうような事で、ドイツは自分で言うほど健全ではない。

政府債務も民間債務も、あっちをつけたりこっちを消したり操作可能で、結局つきつめると「認めるか認めないか」の理念の話に行きつく


中国や韓国は認めなければ債務は存在しないと考えているので、民間債務も政府債務も公称よりずっと多い

アメリカもベトナム戦争から湾岸戦争まで兵士にはらう年金を計上しておらず、膨大な政府債務を隠している

中国鉄道路線の9割以上が赤字路線

中国は数字自体が意味不明で、鉄道建設費だけで毎年50兆円以上使い、最近10年で建設した路線はすべて赤字です。

中国高速鉄道は2007年に運営開始され2020年に約4万キロ、年間約3000キロのペースで建設しています。

中国は旧日本軍のおかげで在来線が広軌つまり新幹線と同じ幅なので、在来線に高速鉄道が走る区間も含まれている。


在来線に高速鉄道が走る区間は1万キロ程度と考えられ、高速鉄道専用区間としては20年現在で3万キロ程度でしょう。

中国は2035年に高速鉄道7万キロを目標に掲げていて、今までの開業ペースからは楽に達成可能です。

年間3000キロだったのを年間2000キロ建設にしても、2035年には総延長7万キロになります。


中国鉄道の赤字は公式には2018年に約60兆円だが、驚くことにこれには鉄道建設費が含まれていません。

中国国家鉄路集団は政府が保有する線路に電車を走らせるだけの組織なので、鉄道建設を行っていないからです。

中国の高速鉄道で黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。


無人都市に人が住んでいる事にし高速鉄道や空港を建設、すべてGDPに計上している
68c42c95195272de9aec728996fe64cc
画像引用:https://blog.goo.ne.jp/ss007_2007/e/971be6604d4bad27d81b4a897d7ffb06 中国、国民に数か月分の食糧備蓄をすることを要請 - 社会科学上の不満

架空の住人でGDPを水増ししている

日本の新幹線建設費はミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。

中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、年間2000キロ建設としても年間10兆円かかっています。

いままで専用線路だけで150兆円かかり、今後の3万キロ建設は物価上昇でもっとかかるでしょう。


中国高速鉄道は運営するだけで赤字なので建設費は丸ごと赤字、全額を政府が負担し政府債務になっている筈だがどこにも計上されていない。

中国は毎年2万キロの在来線を建設し、毎年1000キロもの地下鉄建設を行っていて、最近建設したものはすべて赤字です。

しかもやはり建設費を除いて赤字なので建設費は丸ごと政府債務、空港でも高速道路でもすべてこうなっています。


数年前話題になった南シナ海の岩礁埋め立てと要塞化は、島ひとつで10兆円もかけたと推測されているが当然赤字です。

中国は軍事費だけで10兆円以上、公安費用も10兆円の合計20兆円軍事費をつかっているが、軍事費に売り上げは発生しません。

宇宙開発ではアメリカと張り合っていて、ここにも年間5兆円以上はつぎ込んでいると考えられるが売り上げはゼロです。(外国や民間からのわずかな委託は有る)


中国は不動産市場がGDPで大きな割合を占めていて、国家事業として土地開発とマンション販売をしている。

その結果1万人以上の無人団地がゴロゴロあり、架空の住民が住んでいることにして架空のGDPを計上しています。

高速鉄道も架空の利用者、空港も架空の旅行者がいることにし、どんどんGDPを水増ししています。


結局GDPというのも「認めるか認めないか」の理念の話にたどり着き、いくらでも増やしたり減らしたり可能です。
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/904.html#c4

[近代史4] 日本の財政赤字は先進国最小 中川隆
2. 中川隆[-6867] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:32:30 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[19]

2021年02月13日
国営事業すべて赤字の中国が存在できる仕組み
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html


高速鉄道4万キロはすべて赤字、利用者はほとんど居ないのが実態

画像引用:https://www.cyber-dreams.net/doyablog/ichiran/kotetu/ 中国の新幹線、「高鉄」の乗り方

財政とはファンタジーである

日本の財務省や政治家や評論家は、日本の財政赤字を追及するのが好きだが、中国の財政赤字には決して触れない。

もし「あなたはなぜ中国の財政赤字には触れようとしないのですか?」と聞いたら、言葉を濁すか大声で騒いでごまかすだろう。

中国の財政赤字、日本の財政赤字、アメリカの財政赤字は財政ではなく政治問題で、もっと言えば理念の問題だからです。

世界各国の財政基準はすべて異なり、日本では地方自治体や民間の高速道路、民間福祉団体、将来生じる保険年金の赤字もすべて政府の赤字にしている。

隣の韓国はこれらすべてを民間債務で計算しているので、GDP比率50%の健全財政です。

健全財政で有名なドイツも「含めない派」だし米中も同様、もし日本基準で計算するとこれらの国はすべてGDP比200%を超えます。


この中で最も不透明なのは中国で、国営事業すべては赤字なのに政府債務GDP比は20%の超優良財政となっている。

家計と企業を含めた日本の対GDP比率は382.7%、中国の総債務は303%、韓国250%、米国250%、欧州256%などとなっている(ジェトロ資料)

仮に政府の借金ゼロで民間が多くてもそれはそれで問題になり、政府債務はいくらでも民間債務に付け替える事が可能です。


例えばVW排ガス相当の時もドイツ政府は支援しなかったが、政府が銀行に圧力をかけて10兆円ほど融資させました。

日本政府が政府の借金を増やさないために、三菱銀行や三井銀行の借金にしてしまうような事で、ドイツは自分で言うほど健全ではない。

政府債務も民間債務も、あっちをつけたりこっちを消したり操作可能で、結局つきつめると「認めるか認めないか」の理念の話に行きつく


中国や韓国は認めなければ債務は存在しないと考えているので、民間債務も政府債務も公称よりずっと多い

アメリカもベトナム戦争から湾岸戦争まで兵士にはらう年金を計上しておらず、膨大な政府債務を隠している

中国鉄道路線の9割以上が赤字路線

中国は数字自体が意味不明で、鉄道建設費だけで毎年50兆円以上使い、最近10年で建設した路線はすべて赤字です。

中国高速鉄道は2007年に運営開始され2020年に約4万キロ、年間約3000キロのペースで建設しています。

中国は旧日本軍のおかげで在来線が広軌つまり新幹線と同じ幅なので、在来線に高速鉄道が走る区間も含まれている。


在来線に高速鉄道が走る区間は1万キロ程度と考えられ、高速鉄道専用区間としては20年現在で3万キロ程度でしょう。

中国は2035年に高速鉄道7万キロを目標に掲げていて、今までの開業ペースからは楽に達成可能です。

年間3000キロだったのを年間2000キロ建設にしても、2035年には総延長7万キロになります。


中国鉄道の赤字は公式には2018年に約60兆円だが、驚くことにこれには鉄道建設費が含まれていません。

中国国家鉄路集団は政府が保有する線路に電車を走らせるだけの組織なので、鉄道建設を行っていないからです。

中国の高速鉄道で黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。


無人都市に人が住んでいる事にし高速鉄道や空港を建設、すべてGDPに計上している
68c42c95195272de9aec728996fe64cc
画像引用:https://blog.goo.ne.jp/ss007_2007/e/971be6604d4bad27d81b4a897d7ffb06 中国、国民に数か月分の食糧備蓄をすることを要請 - 社会科学上の不満

架空の住人でGDPを水増ししている

日本の新幹線建設費はミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。

中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、年間2000キロ建設としても年間10兆円かかっています。

いままで専用線路だけで150兆円かかり、今後の3万キロ建設は物価上昇でもっとかかるでしょう。


中国高速鉄道は運営するだけで赤字なので建設費は丸ごと赤字、全額を政府が負担し政府債務になっている筈だがどこにも計上されていない。

中国は毎年2万キロの在来線を建設し、毎年1000キロもの地下鉄建設を行っていて、最近建設したものはすべて赤字です。

しかもやはり建設費を除いて赤字なので建設費は丸ごと政府債務、空港でも高速道路でもすべてこうなっています。


数年前話題になった南シナ海の岩礁埋め立てと要塞化は、島ひとつで10兆円もかけたと推測されているが当然赤字です。

中国は軍事費だけで10兆円以上、公安費用も10兆円の合計20兆円軍事費をつかっているが、軍事費に売り上げは発生しません。

宇宙開発ではアメリカと張り合っていて、ここにも年間5兆円以上はつぎ込んでいると考えられるが売り上げはゼロです。(外国や民間からのわずかな委託は有る)


中国は不動産市場がGDPで大きな割合を占めていて、国家事業として土地開発とマンション販売をしている。

その結果1万人以上の無人団地がゴロゴロあり、架空の住民が住んでいることにして架空のGDPを計上しています。

高速鉄道も架空の利用者、空港も架空の旅行者がいることにし、どんどんGDPを水増ししています。


結局GDPというのも「認めるか認めないか」の理念の話にたどり着き、いくらでも増やしたり減らしたり可能です。
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1117.html#c2

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
47. 中川隆[-6866] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:33:15 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[20]

2021年02月13日
国営事業すべて赤字の中国が存在できる仕組み
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html


高速鉄道4万キロはすべて赤字、利用者はほとんど居ないのが実態

画像引用:https://www.cyber-dreams.net/doyablog/ichiran/kotetu/ 中国の新幹線、「高鉄」の乗り方

財政とはファンタジーである

日本の財務省や政治家や評論家は、日本の財政赤字を追及するのが好きだが、中国の財政赤字には決して触れない。

もし「あなたはなぜ中国の財政赤字には触れようとしないのですか?」と聞いたら、言葉を濁すか大声で騒いでごまかすだろう。

中国の財政赤字、日本の財政赤字、アメリカの財政赤字は財政ではなく政治問題で、もっと言えば理念の問題だからです。

世界各国の財政基準はすべて異なり、日本では地方自治体や民間の高速道路、民間福祉団体、将来生じる保険年金の赤字もすべて政府の赤字にしている。

隣の韓国はこれらすべてを民間債務で計算しているので、GDP比率50%の健全財政です。

健全財政で有名なドイツも「含めない派」だし米中も同様、もし日本基準で計算するとこれらの国はすべてGDP比200%を超えます。


この中で最も不透明なのは中国で、国営事業すべては赤字なのに政府債務GDP比は20%の超優良財政となっている。

家計と企業を含めた日本の対GDP比率は382.7%、中国の総債務は303%、韓国250%、米国250%、欧州256%などとなっている(ジェトロ資料)

仮に政府の借金ゼロで民間が多くてもそれはそれで問題になり、政府債務はいくらでも民間債務に付け替える事が可能です。


例えばVW排ガス相当の時もドイツ政府は支援しなかったが、政府が銀行に圧力をかけて10兆円ほど融資させました。

日本政府が政府の借金を増やさないために、三菱銀行や三井銀行の借金にしてしまうような事で、ドイツは自分で言うほど健全ではない。

政府債務も民間債務も、あっちをつけたりこっちを消したり操作可能で、結局つきつめると「認めるか認めないか」の理念の話に行きつく


中国や韓国は認めなければ債務は存在しないと考えているので、民間債務も政府債務も公称よりずっと多い

アメリカもベトナム戦争から湾岸戦争まで兵士にはらう年金を計上しておらず、膨大な政府債務を隠している

中国鉄道路線の9割以上が赤字路線

中国は数字自体が意味不明で、鉄道建設費だけで毎年50兆円以上使い、最近10年で建設した路線はすべて赤字です。

中国高速鉄道は2007年に運営開始され2020年に約4万キロ、年間約3000キロのペースで建設しています。

中国は旧日本軍のおかげで在来線が広軌つまり新幹線と同じ幅なので、在来線に高速鉄道が走る区間も含まれている。


在来線に高速鉄道が走る区間は1万キロ程度と考えられ、高速鉄道専用区間としては20年現在で3万キロ程度でしょう。

中国は2035年に高速鉄道7万キロを目標に掲げていて、今までの開業ペースからは楽に達成可能です。

年間3000キロだったのを年間2000キロ建設にしても、2035年には総延長7万キロになります。


中国鉄道の赤字は公式には2018年に約60兆円だが、驚くことにこれには鉄道建設費が含まれていません。

中国国家鉄路集団は政府が保有する線路に電車を走らせるだけの組織なので、鉄道建設を行っていないからです。

中国の高速鉄道で黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。


無人都市に人が住んでいる事にし高速鉄道や空港を建設、すべてGDPに計上している
68c42c95195272de9aec728996fe64cc
画像引用:https://blog.goo.ne.jp/ss007_2007/e/971be6604d4bad27d81b4a897d7ffb06 中国、国民に数か月分の食糧備蓄をすることを要請 - 社会科学上の不満

架空の住人でGDPを水増ししている

日本の新幹線建設費はミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。

中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、年間2000キロ建設としても年間10兆円かかっています。

いままで専用線路だけで150兆円かかり、今後の3万キロ建設は物価上昇でもっとかかるでしょう。


中国高速鉄道は運営するだけで赤字なので建設費は丸ごと赤字、全額を政府が負担し政府債務になっている筈だがどこにも計上されていない。

中国は毎年2万キロの在来線を建設し、毎年1000キロもの地下鉄建設を行っていて、最近建設したものはすべて赤字です。

しかもやはり建設費を除いて赤字なので建設費は丸ごと政府債務、空港でも高速道路でもすべてこうなっています。


数年前話題になった南シナ海の岩礁埋め立てと要塞化は、島ひとつで10兆円もかけたと推測されているが当然赤字です。

中国は軍事費だけで10兆円以上、公安費用も10兆円の合計20兆円軍事費をつかっているが、軍事費に売り上げは発生しません。

宇宙開発ではアメリカと張り合っていて、ここにも年間5兆円以上はつぎ込んでいると考えられるが売り上げはゼロです。(外国や民間からのわずかな委託は有る)


中国は不動産市場がGDPで大きな割合を占めていて、国家事業として土地開発とマンション販売をしている。

その結果1万人以上の無人団地がゴロゴロあり、架空の住民が住んでいることにして架空のGDPを計上しています。

高速鉄道も架空の利用者、空港も架空の旅行者がいることにし、どんどんGDPを水増ししています。


結局GDPというのも「認めるか認めないか」の理念の話にたどり着き、いくらでも増やしたり減らしたり可能です。
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c47

[近代史4] 日中のGDPのいい加減さ 中川隆
16. 中川隆[-6865] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:33:38 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[21]

2021年02月13日
国営事業すべて赤字の中国が存在できる仕組み
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html


高速鉄道4万キロはすべて赤字、利用者はほとんど居ないのが実態

画像引用:https://www.cyber-dreams.net/doyablog/ichiran/kotetu/ 中国の新幹線、「高鉄」の乗り方

財政とはファンタジーである

日本の財務省や政治家や評論家は、日本の財政赤字を追及するのが好きだが、中国の財政赤字には決して触れない。

もし「あなたはなぜ中国の財政赤字には触れようとしないのですか?」と聞いたら、言葉を濁すか大声で騒いでごまかすだろう。

中国の財政赤字、日本の財政赤字、アメリカの財政赤字は財政ではなく政治問題で、もっと言えば理念の問題だからです。

世界各国の財政基準はすべて異なり、日本では地方自治体や民間の高速道路、民間福祉団体、将来生じる保険年金の赤字もすべて政府の赤字にしている。

隣の韓国はこれらすべてを民間債務で計算しているので、GDP比率50%の健全財政です。

健全財政で有名なドイツも「含めない派」だし米中も同様、もし日本基準で計算するとこれらの国はすべてGDP比200%を超えます。


この中で最も不透明なのは中国で、国営事業すべては赤字なのに政府債務GDP比は20%の超優良財政となっている。

家計と企業を含めた日本の対GDP比率は382.7%、中国の総債務は303%、韓国250%、米国250%、欧州256%などとなっている(ジェトロ資料)

仮に政府の借金ゼロで民間が多くてもそれはそれで問題になり、政府債務はいくらでも民間債務に付け替える事が可能です。


例えばVW排ガス相当の時もドイツ政府は支援しなかったが、政府が銀行に圧力をかけて10兆円ほど融資させました。

日本政府が政府の借金を増やさないために、三菱銀行や三井銀行の借金にしてしまうような事で、ドイツは自分で言うほど健全ではない。

政府債務も民間債務も、あっちをつけたりこっちを消したり操作可能で、結局つきつめると「認めるか認めないか」の理念の話に行きつく


中国や韓国は認めなければ債務は存在しないと考えているので、民間債務も政府債務も公称よりずっと多い

アメリカもベトナム戦争から湾岸戦争まで兵士にはらう年金を計上しておらず、膨大な政府債務を隠している

中国鉄道路線の9割以上が赤字路線

中国は数字自体が意味不明で、鉄道建設費だけで毎年50兆円以上使い、最近10年で建設した路線はすべて赤字です。

中国高速鉄道は2007年に運営開始され2020年に約4万キロ、年間約3000キロのペースで建設しています。

中国は旧日本軍のおかげで在来線が広軌つまり新幹線と同じ幅なので、在来線に高速鉄道が走る区間も含まれている。


在来線に高速鉄道が走る区間は1万キロ程度と考えられ、高速鉄道専用区間としては20年現在で3万キロ程度でしょう。

中国は2035年に高速鉄道7万キロを目標に掲げていて、今までの開業ペースからは楽に達成可能です。

年間3000キロだったのを年間2000キロ建設にしても、2035年には総延長7万キロになります。


中国鉄道の赤字は公式には2018年に約60兆円だが、驚くことにこれには鉄道建設費が含まれていません。

中国国家鉄路集団は政府が保有する線路に電車を走らせるだけの組織なので、鉄道建設を行っていないからです。

中国の高速鉄道で黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。


無人都市に人が住んでいる事にし高速鉄道や空港を建設、すべてGDPに計上している
68c42c95195272de9aec728996fe64cc
画像引用:https://blog.goo.ne.jp/ss007_2007/e/971be6604d4bad27d81b4a897d7ffb06 中国、国民に数か月分の食糧備蓄をすることを要請 - 社会科学上の不満

架空の住人でGDPを水増ししている

日本の新幹線建設費はミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。

中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、年間2000キロ建設としても年間10兆円かかっています。

いままで専用線路だけで150兆円かかり、今後の3万キロ建設は物価上昇でもっとかかるでしょう。


中国高速鉄道は運営するだけで赤字なので建設費は丸ごと赤字、全額を政府が負担し政府債務になっている筈だがどこにも計上されていない。

中国は毎年2万キロの在来線を建設し、毎年1000キロもの地下鉄建設を行っていて、最近建設したものはすべて赤字です。

しかもやはり建設費を除いて赤字なので建設費は丸ごと政府債務、空港でも高速道路でもすべてこうなっています。


数年前話題になった南シナ海の岩礁埋め立てと要塞化は、島ひとつで10兆円もかけたと推測されているが当然赤字です。

中国は軍事費だけで10兆円以上、公安費用も10兆円の合計20兆円軍事費をつかっているが、軍事費に売り上げは発生しません。

宇宙開発ではアメリカと張り合っていて、ここにも年間5兆円以上はつぎ込んでいると考えられるが売り上げはゼロです。(外国や民間からのわずかな委託は有る)


中国は不動産市場がGDPで大きな割合を占めていて、国家事業として土地開発とマンション販売をしている。

その結果1万人以上の無人団地がゴロゴロあり、架空の住民が住んでいることにして架空のGDPを計上しています。

高速鉄道も架空の利用者、空港も架空の旅行者がいることにし、どんどんGDPを水増ししています。


結局GDPというのも「認めるか認めないか」の理念の話にたどり着き、いくらでも増やしたり減らしたり可能です。
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/714.html#c16

[近代史5] 中国の GDP の嘘を暴く 中川隆
3. 中川隆[-6864] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:34:30 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[22]

2021年02月13日
国営事業すべて赤字の中国が存在できる仕組み
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html


高速鉄道4万キロはすべて赤字、利用者はほとんど居ないのが実態

画像引用:https://www.cyber-dreams.net/doyablog/ichiran/kotetu/ 中国の新幹線、「高鉄」の乗り方

財政とはファンタジーである

日本の財務省や政治家や評論家は、日本の財政赤字を追及するのが好きだが、中国の財政赤字には決して触れない。

もし「あなたはなぜ中国の財政赤字には触れようとしないのですか?」と聞いたら、言葉を濁すか大声で騒いでごまかすだろう。

中国の財政赤字、日本の財政赤字、アメリカの財政赤字は財政ではなく政治問題で、もっと言えば理念の問題だからです。

世界各国の財政基準はすべて異なり、日本では地方自治体や民間の高速道路、民間福祉団体、将来生じる保険年金の赤字もすべて政府の赤字にしている。

隣の韓国はこれらすべてを民間債務で計算しているので、GDP比率50%の健全財政です。

健全財政で有名なドイツも「含めない派」だし米中も同様、もし日本基準で計算するとこれらの国はすべてGDP比200%を超えます。


この中で最も不透明なのは中国で、国営事業すべては赤字なのに政府債務GDP比は20%の超優良財政となっている。

家計と企業を含めた日本の対GDP比率は382.7%、中国の総債務は303%、韓国250%、米国250%、欧州256%などとなっている(ジェトロ資料)

仮に政府の借金ゼロで民間が多くてもそれはそれで問題になり、政府債務はいくらでも民間債務に付け替える事が可能です。


例えばVW排ガス相当の時もドイツ政府は支援しなかったが、政府が銀行に圧力をかけて10兆円ほど融資させました。

日本政府が政府の借金を増やさないために、三菱銀行や三井銀行の借金にしてしまうような事で、ドイツは自分で言うほど健全ではない。

政府債務も民間債務も、あっちをつけたりこっちを消したり操作可能で、結局つきつめると「認めるか認めないか」の理念の話に行きつく


中国や韓国は認めなければ債務は存在しないと考えているので、民間債務も政府債務も公称よりずっと多い

アメリカもベトナム戦争から湾岸戦争まで兵士にはらう年金を計上しておらず、膨大な政府債務を隠している

中国鉄道路線の9割以上が赤字路線

中国は数字自体が意味不明で、鉄道建設費だけで毎年50兆円以上使い、最近10年で建設した路線はすべて赤字です。

中国高速鉄道は2007年に運営開始され2020年に約4万キロ、年間約3000キロのペースで建設しています。

中国は旧日本軍のおかげで在来線が広軌つまり新幹線と同じ幅なので、在来線に高速鉄道が走る区間も含まれている。


在来線に高速鉄道が走る区間は1万キロ程度と考えられ、高速鉄道専用区間としては20年現在で3万キロ程度でしょう。

中国は2035年に高速鉄道7万キロを目標に掲げていて、今までの開業ペースからは楽に達成可能です。

年間3000キロだったのを年間2000キロ建設にしても、2035年には総延長7万キロになります。


中国鉄道の赤字は公式には2018年に約60兆円だが、驚くことにこれには鉄道建設費が含まれていません。

中国国家鉄路集団は政府が保有する線路に電車を走らせるだけの組織なので、鉄道建設を行っていないからです。

中国の高速鉄道で黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。


無人都市に人が住んでいる事にし高速鉄道や空港を建設、すべてGDPに計上している
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画像引用:https://blog.goo.ne.jp/ss007_2007/e/971be6604d4bad27d81b4a897d7ffb06 中国、国民に数か月分の食糧備蓄をすることを要請 - 社会科学上の不満

架空の住人でGDPを水増ししている

日本の新幹線建設費はミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。

中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、年間2000キロ建設としても年間10兆円かかっています。

いままで専用線路だけで150兆円かかり、今後の3万キロ建設は物価上昇でもっとかかるでしょう。


中国高速鉄道は運営するだけで赤字なので建設費は丸ごと赤字、全額を政府が負担し政府債務になっている筈だがどこにも計上されていない。

中国は毎年2万キロの在来線を建設し、毎年1000キロもの地下鉄建設を行っていて、最近建設したものはすべて赤字です。

しかもやはり建設費を除いて赤字なので建設費は丸ごと政府債務、空港でも高速道路でもすべてこうなっています。


数年前話題になった南シナ海の岩礁埋め立てと要塞化は、島ひとつで10兆円もかけたと推測されているが当然赤字です。

中国は軍事費だけで10兆円以上、公安費用も10兆円の合計20兆円軍事費をつかっているが、軍事費に売り上げは発生しません。

宇宙開発ではアメリカと張り合っていて、ここにも年間5兆円以上はつぎ込んでいると考えられるが売り上げはゼロです。(外国や民間からのわずかな委託は有る)


中国は不動産市場がGDPで大きな割合を占めていて、国家事業として土地開発とマンション販売をしている。

その結果1万人以上の無人団地がゴロゴロあり、架空の住民が住んでいることにして架空のGDPを計上しています。

高速鉄道も架空の利用者、空港も架空の旅行者がいることにし、どんどんGDPを水増ししています。


結局GDPというのも「認めるか認めないか」の理念の話にたどり着き、いくらでも増やしたり減らしたり可能です。
http://www.thutmosev.com/archives/85105866.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/340.html#c3

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
306. 中川隆[-6863] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:40:01 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[23]

2021年02月13日
タワマンローン破綻が増加、年収1000万円夫婦が破綻しやすい
http://www.thutmosev.com/archives/85100907.html


年収1000万円タワマン夫婦は上流階級に加わろうとして、無理を重ねていることが多い


タワマンローン破綻が増加

2000年代から最近まで売れ続けていたタワーマンション、今も売れ続けているが一方でローン破綻する人が増えている。

タワーマンションは日本で成功の象徴とされたので、無理をして購入した人が多いのが原因です。

住宅購入価格は年収5倍が理想で多くても7倍以内とされるが、年収の10倍もかける人が多い。

一般的なタワーマンションは5000万円以下から7000万円で、10億円以上の物件も存在している。

年収500万から1000万円でタワマンを購入すると年収の7倍から10倍となり、ギリギリのローンを組むことになる。

年収1000万円で5000万円のマンションなら5倍なのだが、そこで働くのは「見栄を張りたい」という心理です。


人は誰しも家を買う時は気持ちが高揚していて、見境がなくなり判断力が低下するものです。

高年収世帯の妻には理想の家が頭の中にあり、「夢の家」プランを追いかけようとします。

夫にとって大事なのは妻の機嫌と世間体なので、かなり無理があるプランでも出世すればなんとかなると考えます。


ところがバブル崩壊以来の日本は有名企業でも昇給どころかリストラの嵐、残っても中年以降は毎年給料が減る始末でした。

マンションを購入するのは30代夫婦が多いがそこが年収のピークで、思ったように収入は増えません。

4000万円の35年住宅ローンでも返済は年約120万円、7000万円なら年約250万円近くの返済額になります。

年収1000万円夫婦が破綻しやすい

年収1000万円ならかなり余裕がありそうに見えるが、マンション購入は子供が生まれたのがきっかけの場合が多い。

子供1人を大学まで入れると約2000万円なので1人あたり年100万円かかります。

タワマン入居者は裕福な人が多いので、周囲に合わせて高級服を着て良い暮らしをするとギリギリです。


車も安い中古の軽というわけにはいかず、車を買うなら「最低でもVWゴルフ」などと考えます。

30代で年収1000万円を達成したような人は、これからもっと年収が増えると考えるが、そうならないケースが多い。

マンション購入時は気分がハイになっているのでリスクは目に入らず、年収700万円から1000万円で審査が通る上限のマンションを買います。


銀行から見てギリギリ融資できる限度額は、少しでも収入が減ったらもう返済が困難になる金額です。

住宅ローンを始めとする様々な固定費で毎月30万円から50万円、年400万から600万円という所です。

年収500万から1000万の人には軽い金額に思えるが、収入が減少したらすぐ家計が破綻します。


年収1000万円の一部上場企業社員でもリストラされたら”ただの人”で、せいぜい派遣で年収200万円まで落ちます。

しかも年収1000万円前後の人は、かなり無理をして富裕層のような支出をしている人が多い。

年収1000万円でタワーマンションに住み妻と子供はブランド服を着て車はBMWだったら、内情は借金で火だるまの筈です


同じタワマンでも賃貸の場合はある意味気楽で、収入が減ったら安アパートに戻ればいいだけです

http://www.thutmosev.com/archives/85100907.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c306

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
65. 中川隆[-6862] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:40:26 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[24]

2021年02月13日
タワマンローン破綻が増加、年収1000万円夫婦が破綻しやすい
http://www.thutmosev.com/archives/85100907.html


年収1000万円タワマン夫婦は上流階級に加わろうとして、無理を重ねていることが多い


タワマンローン破綻が増加

2000年代から最近まで売れ続けていたタワーマンション、今も売れ続けているが一方でローン破綻する人が増えている。

タワーマンションは日本で成功の象徴とされたので、無理をして購入した人が多いのが原因です。

住宅購入価格は年収5倍が理想で多くても7倍以内とされるが、年収の10倍もかける人が多い。

一般的なタワーマンションは5000万円以下から7000万円で、10億円以上の物件も存在している。

年収500万から1000万円でタワマンを購入すると年収の7倍から10倍となり、ギリギリのローンを組むことになる。

年収1000万円で5000万円のマンションなら5倍なのだが、そこで働くのは「見栄を張りたい」という心理です。


人は誰しも家を買う時は気持ちが高揚していて、見境がなくなり判断力が低下するものです。

高年収世帯の妻には理想の家が頭の中にあり、「夢の家」プランを追いかけようとします。

夫にとって大事なのは妻の機嫌と世間体なので、かなり無理があるプランでも出世すればなんとかなると考えます。


ところがバブル崩壊以来の日本は有名企業でも昇給どころかリストラの嵐、残っても中年以降は毎年給料が減る始末でした。

マンションを購入するのは30代夫婦が多いがそこが年収のピークで、思ったように収入は増えません。

4000万円の35年住宅ローンでも返済は年約120万円、7000万円なら年約250万円近くの返済額になります。

年収1000万円夫婦が破綻しやすい

年収1000万円ならかなり余裕がありそうに見えるが、マンション購入は子供が生まれたのがきっかけの場合が多い。

子供1人を大学まで入れると約2000万円なので1人あたり年100万円かかります。

タワマン入居者は裕福な人が多いので、周囲に合わせて高級服を着て良い暮らしをするとギリギリです。


車も安い中古の軽というわけにはいかず、車を買うなら「最低でもVWゴルフ」などと考えます。

30代で年収1000万円を達成したような人は、これからもっと年収が増えると考えるが、そうならないケースが多い。

マンション購入時は気分がハイになっているのでリスクは目に入らず、年収700万円から1000万円で審査が通る上限のマンションを買います。


銀行から見てギリギリ融資できる限度額は、少しでも収入が減ったらもう返済が困難になる金額です。

住宅ローンを始めとする様々な固定費で毎月30万円から50万円、年400万から600万円という所です。

年収500万から1000万の人には軽い金額に思えるが、収入が減少したらすぐ家計が破綻します。


年収1000万円の一部上場企業社員でもリストラされたら”ただの人”で、せいぜい派遣で年収200万円まで落ちます。

しかも年収1000万円前後の人は、かなり無理をして富裕層のような支出をしている人が多い。

年収1000万円でタワーマンションに住み妻と子供はブランド服を着て車はBMWだったら、内情は借金で火だるまの筈です


同じタワマンでも賃貸の場合はある意味気楽で、収入が減ったら安アパートに戻ればいいだけです

http://www.thutmosev.com/archives/85100907.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c65

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 住宅は資産にならない 中川隆
2. 中川隆[-6861] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:40:49 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[25]

2021年02月13日
タワマンローン破綻が増加、年収1000万円夫婦が破綻しやすい
http://www.thutmosev.com/archives/85100907.html


年収1000万円タワマン夫婦は上流階級に加わろうとして、無理を重ねていることが多い


タワマンローン破綻が増加

2000年代から最近まで売れ続けていたタワーマンション、今も売れ続けているが一方でローン破綻する人が増えている。

タワーマンションは日本で成功の象徴とされたので、無理をして購入した人が多いのが原因です。

住宅購入価格は年収5倍が理想で多くても7倍以内とされるが、年収の10倍もかける人が多い。

一般的なタワーマンションは5000万円以下から7000万円で、10億円以上の物件も存在している。

年収500万から1000万円でタワマンを購入すると年収の7倍から10倍となり、ギリギリのローンを組むことになる。

年収1000万円で5000万円のマンションなら5倍なのだが、そこで働くのは「見栄を張りたい」という心理です。


人は誰しも家を買う時は気持ちが高揚していて、見境がなくなり判断力が低下するものです。

高年収世帯の妻には理想の家が頭の中にあり、「夢の家」プランを追いかけようとします。

夫にとって大事なのは妻の機嫌と世間体なので、かなり無理があるプランでも出世すればなんとかなると考えます。


ところがバブル崩壊以来の日本は有名企業でも昇給どころかリストラの嵐、残っても中年以降は毎年給料が減る始末でした。

マンションを購入するのは30代夫婦が多いがそこが年収のピークで、思ったように収入は増えません。

4000万円の35年住宅ローンでも返済は年約120万円、7000万円なら年約250万円近くの返済額になります。

年収1000万円夫婦が破綻しやすい

年収1000万円ならかなり余裕がありそうに見えるが、マンション購入は子供が生まれたのがきっかけの場合が多い。

子供1人を大学まで入れると約2000万円なので1人あたり年100万円かかります。

タワマン入居者は裕福な人が多いので、周囲に合わせて高級服を着て良い暮らしをするとギリギリです。


車も安い中古の軽というわけにはいかず、車を買うなら「最低でもVWゴルフ」などと考えます。

30代で年収1000万円を達成したような人は、これからもっと年収が増えると考えるが、そうならないケースが多い。

マンション購入時は気分がハイになっているのでリスクは目に入らず、年収700万円から1000万円で審査が通る上限のマンションを買います。


銀行から見てギリギリ融資できる限度額は、少しでも収入が減ったらもう返済が困難になる金額です。

住宅ローンを始めとする様々な固定費で毎月30万円から50万円、年400万から600万円という所です。

年収500万から1000万の人には軽い金額に思えるが、収入が減少したらすぐ家計が破綻します。


年収1000万円の一部上場企業社員でもリストラされたら”ただの人”で、せいぜい派遣で年収200万円まで落ちます。

しかも年収1000万円前後の人は、かなり無理をして富裕層のような支出をしている人が多い。

年収1000万円でタワーマンションに住み妻と子供はブランド服を着て車はBMWだったら、内情は借金で火だるまの筈です


同じタワマンでも賃貸の場合はある意味気楽で、収入が減ったら安アパートに戻ればいいだけです

http://www.thutmosev.com/archives/85100907.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/142.html#c2

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
307. 中川隆[-6860] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:41:47 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[26]
2021年02月17日
高所得者が転職や引退後に破産するケースが多い
http://www.thutmosev.com/archives/85136790.html

高収入な人ほど収入が減った時のダメージが大きい

日本人の平均年収は200万円以下

世の中は2極化が進んでいてもう平均的日本人なんてのは存在せず、貧困者と富裕層だけの国になろうとしています。

アメリカはとっくにそうなっていて大統領選の資金の半分はたった5人の大富豪が出しているそうです。

候補者が2人だとしてどちらが勝つかはこの5人が決めていて、あらゆるメディア全ては大富豪が選んだ方を推薦します。


2020年の大統領選ではネットからテレビまで全てのメディアが反トランプで団結したが、その原因はおそらく数人の大富豪がトランプを嫌ったからです。

アメリカは日本と入れ替わるように1990年頃から成長期が続いているが、”平均的アメリカ人”は30年前より貧しくなった。

中間層が無くなってしまい残ったのは平均以下の人と平均以上の人だけ、もちろん平均以下国民がずっと多い。

日本人の”平均年収”は政府の統計では436万円だが、自分で調べてみたところ実際には250万円以下でした。


政府の調査は「新入社員を除く優良企業正社員の平均」なので、日本の労働者の1割程度しか該当しません。

日本の全労働者の平均は250万円程度で、国民の約半数しか労働していないので全国民の平均収入は200万円以下になります。

労働していなくても年金などの収入があるにしても、日本人1人当たりの平均年収は200万円以下が現実です。

数年前に金融庁が「老後資金2000万円不足」の報告書を書いて袋叩きにされていましたが、あれも富裕層か成功者について書かれていました。

老後2000万円問題は「国家公務員か一部上場企業で40年働いて年金を満額受け取る人が、贅沢三昧したら老後2000万円不足する」という話でした。

実は現役時代に貧困だった人と同じくらい、高額所得者だった人に老後破綻リスクが多い

高所得の罠、低所得のメリット

最近よく聞く話として高収入な若い夫婦がタワーマンション(高額物件)を購入したが、収入減少でローンが払えなくなり破綻したような話です。

住宅ローンはコロナで一時返済が猶予されているが、本来は1回でも返済が遅れると破綻するようにできています。

毎月ギリギリの返済プランなので1回でも遅れた人が翌月2回分まとめて返済するのは困難で、高確率でショートします。


昔は一流企業に入社さえすれば40年間高収入が保証されていて、多額の退職金がもらえた時代がありました。

今では一部上場企業すら若い人をリストラしたり希望退職を募集していて、人生の長期設計を立てられません。

転職サイトなどの統計では転職で正社員に成れるのは前の会社で正社員だった人、非正規は転職しても非正規が多い。


優良企業の正社員は椅子取りゲームになっていて、一度椅子から降りると再び正社員になるのは難しいのです。

正社員の時に年収500万円や1000万円だったとしても、非正規では特殊技能が無い限り年収200万円程度になります。

高収入な人ほどリストラや転職のダメージが大きく、家や家族など失うものが多い。


住宅ローンが破綻した世帯の多くは離婚し家族がバラバラになるので、家を失うのは「家族を失う」のと同義語になります。

住宅を購入する本当の怖さがここにあり、賃貸住宅なら家賃が安い物件に引っ越すだけで家族は離散しません

高所得者は引退しても贅沢な暮らしをやめられず、現役時代と同じ支出をする人が多い。


高価なマイホームに住んで高級車に乗り、高収入の友人とゴルフに行って高級レストランで食事をするから2000万円不足するのです。

いっそ最初から贅沢な暮らしをせず低収入で倹約している人の方が、収入が減った時の落差は小さいかも知れません。

http://www.thutmosev.com/archives/85136790.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c307

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
15. 中川隆[-6859] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:49:14 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[28]

2021年02月12日
日経5万円を超えれば日本は復活する
http://www.thutmosev.com/archives/85097835.html


日本経済が成長したのはバブル期だけでした(青線が日本)
現在の日本は「バブルの遺産」で食いつないでいます

画像引用:https://bangking-yeah.com/2020/06/14/world-economy/ 世界経済の長期推移からわかる事 _ 日本の経済統計と転換点 中小企業の付加価値経営 株式会社小川製作所

「株価10万円は通過点」が常識だった時代

バブルが崩壊する直前の1990年頃には有名経済誌が「日経10万円は通過点だ。来年は5万円を超える」などの記事を掲載していました。

今では夢のようですが当時の日本はこれが常識で、株価は年平均4割も上昇していました。

日経平均3万円が毎年4割増えたらたった4年で11万円になる計算で、多くの人はそう信じていました。


実際には1991年にバブルが崩壊し2009年3月に7054円の最安値をつけています。

それが2021年2月は3万円目前で(2月10日現在)、いよいよバブル最高値の38,915円を超えるという期待が膨らんでいます。

バブル崩壊後の日本ではバブルは悪いものとされ、バブル経済が無いほうが良かったと考えられています。


ところでもし日本で1980年代のバブルがなかったら、一体バブル以前の日本とはどんな国だったのでしょうか。

グラフを見れば分かる通り、日経平均が1万円を超えたのは1984年、5千円を超えたのも1978年頃でした。

1990年をピークに日経平均は低迷を続けたが、もしバブルの数年間がなかったら、今も日本はフィリピン以上韓国未満の国に留まっていたはずです。


GDPの長期グラフでもこれは明らかで、日本のGDPは1985年を境に急上昇し1995年には対米7割に達しました。

もし1985年から1995年までのGDP上昇を消してしまうと、日本のGDPは上位10か国にも入らないでしょう。

バブル経済は正しかったのであり、最後に崩壊したとしてもバブルがない場合よりかなり良い。


1949年から2016年までの日経平均株価
nikkeilong

画像引用:https://www.kabutore.biz/nikkeilong.html 日経平均株価の推移/長期


経済にはバブルと不況しかない

名前は忘れたがアメリカの有名な経済学者が「経済にはバブルと不況しかない」好景気というのは無いと喝破していました。

1990年からアメリカは日本と入れ替わるように好景気になったが、よく見ると「好景気」というよりバブルの連続でした。

ドットコムバブル、湾岸戦争バブル、ITバブル、GAFAバブルのように一つのバブルが終わる前に次のバブルを仕掛けています。


これが好景気の中身であり、バブル経済を長期間続けることが好景気だと言えます。

GDPはその国の実体経済を表すものですが、その象徴となるのが株式指数、日本では日経アメリカではダウ平均とされています。

株価が上昇すると企業の資金力が豊富になり、株主は金持ちになり消費が増え、結果として好景気になります。


ただし株高から好景気までは時間がかかり、レーガンやクリントン時代も最初は「景気なき株高」とか言われていました。

今の日本がそんな状態で景気は最悪なのに株価だけが上がっているので、非常に不思議な状況に見えます。

レーガン政権で株価だけが上がっていた時、今思えばマイクロソフトを始めとしたシリコンバレー企業が世界を変えようとしていました。


クリントン時代の初期も株価だけ高く中身は空っぽにみえたが、すぐにインターネット時代が始まろうとしていました。

2021年初頭の日本は株価だけが上昇し中身はすっからかんですが、10年後に振り替えると「あの頃が転換点だった」と分かるのかも知れません。

気がかりは日本政府や「良識者」たちが分かったような顔をしてバブルを潰す事で、また消費増税などをやりかねません。

http://www.thutmosev.com/archives/85097835.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c15

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
95. 中川隆[-6858] koaQ7Jey 2021年3月07日 13:50:29 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[29]

2021年02月12日
日経5万円を超えれば日本は復活する
http://www.thutmosev.com/archives/85097835.html


日本経済が成長したのはバブル期だけでした(青線が日本)
現在の日本は「バブルの遺産」で食いつないでいます

画像引用:https://bangking-yeah.com/2020/06/14/world-economy/ 世界経済の長期推移からわかる事 _ 日本の経済統計と転換点 中小企業の付加価値経営 株式会社小川製作所

「株価10万円は通過点」が常識だった時代

バブルが崩壊する直前の1990年頃には有名経済誌が「日経10万円は通過点だ。来年は5万円を超える」などの記事を掲載していました。

今では夢のようですが当時の日本はこれが常識で、株価は年平均4割も上昇していました。

日経平均3万円が毎年4割増えたらたった4年で11万円になる計算で、多くの人はそう信じていました。


実際には1991年にバブルが崩壊し2009年3月に7054円の最安値をつけています。

それが2021年2月は3万円目前で(2月10日現在)、いよいよバブル最高値の38,915円を超えるという期待が膨らんでいます。

バブル崩壊後の日本ではバブルは悪いものとされ、バブル経済が無いほうが良かったと考えられています。


ところでもし日本で1980年代のバブルがなかったら、一体バブル以前の日本とはどんな国だったのでしょうか。

グラフを見れば分かる通り、日経平均が1万円を超えたのは1984年、5千円を超えたのも1978年頃でした。

1990年をピークに日経平均は低迷を続けたが、もしバブルの数年間がなかったら、今も日本はフィリピン以上韓国未満の国に留まっていたはずです。


GDPの長期グラフでもこれは明らかで、日本のGDPは1985年を境に急上昇し1995年には対米7割に達しました。

もし1985年から1995年までのGDP上昇を消してしまうと、日本のGDPは上位10か国にも入らないでしょう。

バブル経済は正しかったのであり、最後に崩壊したとしてもバブルがない場合よりかなり良い。


1949年から2016年までの日経平均株価
nikkeilong

画像引用:https://www.kabutore.biz/nikkeilong.html 日経平均株価の推移/長期


経済にはバブルと不況しかない

名前は忘れたがアメリカの有名な経済学者が「経済にはバブルと不況しかない」好景気というのは無いと喝破していました。

1990年からアメリカは日本と入れ替わるように好景気になったが、よく見ると「好景気」というよりバブルの連続でした。

ドットコムバブル、湾岸戦争バブル、ITバブル、GAFAバブルのように一つのバブルが終わる前に次のバブルを仕掛けています。


これが好景気の中身であり、バブル経済を長期間続けることが好景気だと言えます。

GDPはその国の実体経済を表すものですが、その象徴となるのが株式指数、日本では日経アメリカではダウ平均とされています。

株価が上昇すると企業の資金力が豊富になり、株主は金持ちになり消費が増え、結果として好景気になります。


ただし株高から好景気までは時間がかかり、レーガンやクリントン時代も最初は「景気なき株高」とか言われていました。

今の日本がそんな状態で景気は最悪なのに株価だけが上がっているので、非常に不思議な状況に見えます。

レーガン政権で株価だけが上がっていた時、今思えばマイクロソフトを始めとしたシリコンバレー企業が世界を変えようとしていました。


クリントン時代の初期も株価だけ高く中身は空っぽにみえたが、すぐにインターネット時代が始まろうとしていました。

2021年初頭の日本は株価だけが上昇し中身はすっからかんですが、10年後に振り替えると「あの頃が転換点だった」と分かるのかも知れません。

気がかりは日本政府や「良識者」たちが分かったような顔をしてバブルを潰す事で、また消費増税などをやりかねません。

http://www.thutmosev.com/archives/85097835.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c95

[近代史4] 韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ 中川隆
3. 中川隆[-6860] koaQ7Jey 2021年3月07日 17:43:37 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[29]

2021年02月09日
韓国の本当の失業率は25%、ニートやフリーターが増加
http://www.thutmosev.com/archives/85074257.html


就職をあきらめると失業者ではなくなり、政府統計では就職している事になる


韓国の雇用悪化

韓国の雇用情勢悪化を物語る数字として、ソウル交通公社の食堂調理員が大卒ばかりだったというニュースがありました。

韓国メディアによるとソウル交通公社が食堂で調理や配膳調理員53人を公開採用した。

韓国政府の「公共部門非正規職の正規職化」方針に基づいて、それまで非正規だったのを正職員に格上げしたようです。

応募は競争率11倍の狭き門となり、合格者53人のうち修士号をもつ大学院修了者が3人、44人が大卒だった。

高卒は6人で、合格した53人全員が調理師資格を持つというエリート選抜になった。

日本でのイメージとは違い男性(42人)で女性(11人)、20代35人で30代10人と若い人が多かった。


ソウル交通公社の以前の調理職員募集では、50代以上女性で調理師資格なしが多く、これはイメージ通りかも知れません。

ソウル交通公社調理職員の初年度年収は3300万ウォン(約310万円)、同社の他の職種よりかなり低い。

TOEIC 700点、GPA 3.5点、栄養士・衛生士・調理技能士を持つ大学調理学科卒業生などが実際に応募し合格した。


韓国の男性には兵役があり大卒後に2年間徴兵され、兵役後に就職予備校で資格を取得するのが普通です。

大卒男性が就職できるのは実質25歳以上で、これに応募した人は予備校で調理師資格を取得したと見られる。

韓国には新卒採用という制度がなく、ソウル大学のような超エリート校でも卒業時の内定率は8%以下に過ぎません。

韓国の実際の失業率は25%

韓国の失業率は公式発表では4%程度だが、様々な小細工で失業率を低く見せかけていると言われている。

韓国の失業者は「調査期間の数週間で1秒たりとも労働せず、1ウォンも収入がなく、面接が終わっていて今すぐ働ける人」だけを対象にしている。

1つでも当てはまらない人は失業者から除外されるので、実際には4%の数倍に達していると考えられます。


一方で雇用率は全世代平均66.7%(日本77.1%)、25ー54歳の雇用率は74.6%で、OECD加盟国30位だった。

同調査で日本の雇用率は5位以内に入っていて、韓国の失業率は日本より2倍は高い筈だと推測できます。

韓国では就職があまりも困難になったので、就職をあきらめる人が増加している。


就職をあきらめた人は「面接が終わっていて今すぐ働ける人」に該当しないので、失業者にカウントされません。

韓国の民間では体感失業率や拡張失業率25%という数字を出していて、これは実際の失業率に近い。

拡張失業率には就職をあきらめた人や、非常に低賃金で非正規労働をしているニートやフリーター等も含まれている。
http://www.thutmosev.com/archives/85074257.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/678.html#c3

[近代史3] 韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ 中川隆
9. 中川隆[-6859] koaQ7Jey 2021年3月07日 17:43:59 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[30]

2021年02月09日
韓国の本当の失業率は25%、ニートやフリーターが増加
http://www.thutmosev.com/archives/85074257.html


就職をあきらめると失業者ではなくなり、政府統計では就職している事になる


韓国の雇用悪化

韓国の雇用情勢悪化を物語る数字として、ソウル交通公社の食堂調理員が大卒ばかりだったというニュースがありました。

韓国メディアによるとソウル交通公社が食堂で調理や配膳調理員53人を公開採用した。

韓国政府の「公共部門非正規職の正規職化」方針に基づいて、それまで非正規だったのを正職員に格上げしたようです。

応募は競争率11倍の狭き門となり、合格者53人のうち修士号をもつ大学院修了者が3人、44人が大卒だった。

高卒は6人で、合格した53人全員が調理師資格を持つというエリート選抜になった。

日本でのイメージとは違い男性(42人)で女性(11人)、20代35人で30代10人と若い人が多かった。


ソウル交通公社の以前の調理職員募集では、50代以上女性で調理師資格なしが多く、これはイメージ通りかも知れません。

ソウル交通公社調理職員の初年度年収は3300万ウォン(約310万円)、同社の他の職種よりかなり低い。

TOEIC 700点、GPA 3.5点、栄養士・衛生士・調理技能士を持つ大学調理学科卒業生などが実際に応募し合格した。


韓国の男性には兵役があり大卒後に2年間徴兵され、兵役後に就職予備校で資格を取得するのが普通です。

大卒男性が就職できるのは実質25歳以上で、これに応募した人は予備校で調理師資格を取得したと見られる。

韓国には新卒採用という制度がなく、ソウル大学のような超エリート校でも卒業時の内定率は8%以下に過ぎません。

韓国の実際の失業率は25%

韓国の失業率は公式発表では4%程度だが、様々な小細工で失業率を低く見せかけていると言われている。

韓国の失業者は「調査期間の数週間で1秒たりとも労働せず、1ウォンも収入がなく、面接が終わっていて今すぐ働ける人」だけを対象にしている。

1つでも当てはまらない人は失業者から除外されるので、実際には4%の数倍に達していると考えられます。


一方で雇用率は全世代平均66.7%(日本77.1%)、25ー54歳の雇用率は74.6%で、OECD加盟国30位だった。

同調査で日本の雇用率は5位以内に入っていて、韓国の失業率は日本より2倍は高い筈だと推測できます。

韓国では就職があまりも困難になったので、就職をあきらめる人が増加している。


就職をあきらめた人は「面接が終わっていて今すぐ働ける人」に該当しないので、失業者にカウントされません。

韓国の民間では体感失業率や拡張失業率25%という数字を出していて、これは実際の失業率に近い。

拡張失業率には就職をあきらめた人や、非常に低賃金で非正規労働をしているニートやフリーター等も含まれている。
http://www.thutmosev.com/archives/85074257.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/491.html#c9

[近代史3] 長生きしたけりゃパンは食べるな 中川隆
35. 中川隆[-6858] koaQ7Jey 2021年3月07日 17:59:25 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[31]
ライ麦100%パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1534.html

バター・牛乳不使用 簡単パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1529.html

あなたはもうパンを買わないでしょう!オーブンなし!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1543.html

ナンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1546.html

パン作り用「りんご酵母」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1527.html

スポンジケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1538.html

カステラの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1537.html

ミルクレープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1312.html

ホットケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html

ナポリピザの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1244.html

フレンチトーストの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1245.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html#c35

[近代史4] 輸入小麦は食べてはいけない 中川隆
4. 中川隆[-6857] koaQ7Jey 2021年3月07日 18:01:00 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[32]
炊飯器で失敗しない生米パンの作り方! グルテンフリーレシピ/ヴィーガン対応/米粉パン
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/491.html

ライ麦100%パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1534.html

バター・牛乳不使用 簡単パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1529.html

あなたはもうパンを買わないでしょう!オーブンなし!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1543.html

ナンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1546.html

パン作り用「りんご酵母」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1527.html

スポンジケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1538.html

カステラの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1537.html

ミルクレープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1312.html

ホットケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html

ナポリピザの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1244.html

フレンチトーストの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1245.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/318.html#c4

[近代史4] パンは食べてはいけない 中川隆
3. 中川隆[-6856] koaQ7Jey 2021年3月07日 18:01:43 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[33]

ライ麦100%パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1534.html

バター・牛乳不使用 簡単パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1529.html

あなたはもうパンを買わないでしょう!オーブンなし!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1543.html

ナンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1546.html

パン作り用「りんご酵母」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1527.html

スポンジケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1538.html

カステラの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1537.html

ミルクレープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1312.html

ホットケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html

ナポリピザの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1244.html

フレンチトーストの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1245.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/524.html#c3

[リバイバル3] 「ママ友」に心を支配され、息子を死なせてしまった5歳児餓死事件 中川隆
5. 中川隆[-6855] koaQ7Jey 2021年3月07日 19:39:05 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[35]
「お前の夫の浮気調査費を“ボス”が立て替えている」福岡5歳児餓死 “虚言大女”が洗脳に使った女の名前
「文春オンライン」特集班
https://bunshun.jp/articles/-/43898?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink


 福岡県篠栗(ささぐり)町で5歳児が餓死した事件。3月2日に福岡県警が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕したのは、ママ友同士だった2人の容疑者だった。

5歳児の母親である碇と、ママ友の赤堀。両容疑者は仲が良かった

この記事の画像(8枚)
https://bunshun.jp/articles/photo/43898


 2020年4月18日に亡くなったのは、当時5歳だった碇翔士郎(しょうじろう)ちゃん。逮捕されたのは母親の碇利恵容疑者(39)と、ママ友の赤堀恵美子容疑者(48)だった。両容疑者は2019年8月頃から共謀して、翔士郎ちゃんの食事を減らすなど低栄養状態にして餓死させた疑いがある。

「ママ友らが悪口を言っている」「私は味方だ」
 警察の取り調べでは、赤堀容疑者が碇容疑者を精神的に支配し、多額の金銭を巻き上げていたことがわかっている。


 捜査関係者の証言。

「2人が知り合ったのは、2016年4月頃。同じ幼稚園のママ友同士としてだ。『ママ友らが悪口を言っている』『私は味方だ』などと赤堀が碇を疑心暗鬼にさせ、言葉巧みに洗脳し、周囲から孤立させていったと見られている。


「お前の夫が浮気している」で離婚にまで追い込んだ
 そして、2018年5月頃に赤堀が『他の保護者から碇の子供のトラブルのことで訴えられている。解決のためにはカネが必要。暴力団とつながりのある“ボス”がトラブルを解決する』などと架空のトラブルをでっちあげ、約50万円を碇から詐取した。

 その次は『碇の夫が浮気をしている』と嘘をつき、『浮気相手のキャバ嬢が妊娠した。キャバ嬢のバックにいる暴力団と交渉しているので慰謝料が必要』『お前の夫の浮気調査費用を“ボス”が立て替えている』『夫との離婚裁判で書面代が必要』などとありもしない話を次々に碇に信じ込ませ、カネを引っ張った揚げ句、ついには2019年5月に離婚に追い込んだ」


https://bunshun.jp/articles/photo/43898?pn=3

 そして赤堀は碇を精神的に追い詰め、食費を切り詰めさせた。


「『(裁判で)離婚の慰謝料を多く取るために生活が困窮していると見られた方が有利だ』などとして、2019年8月頃から3人の子供に対する食事制限を指示していました。死亡時の翔士郎ちゃんの体重は10キロ前後しかなく、体はやせ細り、あばら骨が浮き上がった状態でした。同年齢の平均体重の半分ほどだった」(社会部記者)


「監視カメラで“ボス”が見張っている」
 赤堀が“ボス”と呼んで恐れさせていたのは、実在するママ友。実際には無関係のママ友を、まるで暴力団に近い人物であるかのように説明していたという。

「食事制限中、赤堀は碇に対し、『監視カメラで“ボス”が見張っている』などとも言っていた。騙し取った金額は起訴されているだけで約200万円だが、そのカネというのも元々は碇が受け取っていた生活保護費や児童扶養手当などの毎月約20万円の収入。

 立件には至っていないが、県警は赤堀がそのほかにも碇の車を売却させたり、複数の消費者金融から借金させて、合計で1200万円ほど引っ張ったとみている。赤堀は碇から詐取したカネをパチンコなどの遊興費や家具や洋服の購入費にあてていたようだ」(前出・捜査関係者)

 食事制限を強要するようになってから約9カ月、痩せ細っていく翔士郎ちゃんに周囲も気付いていた。不審に思った幼稚園の関係者がたびたび碇の自宅を家庭訪問している。

「対人恐怖症だ」と訪問を拒絶
「碇の自宅に家庭訪問すると、なぜか赤堀が家にいて抗議して追い返した。2019年11月、翔士郎ちゃんが通う幼稚園や兄2人が通う学校からも、行政サイドへ問い合わせがあった。『子供たちの体重減少が気になるが、母親と連絡が取りにくくなっている』との情報を受け、町や児相などが碇の家庭を“見守り対象”にした。それでも(関係機関の)担当者が碇宅を訪ねると、赤堀が碇の代わりに対応し、『母親(碇)は対人恐怖症だ』などと言って、面会を拒否することもあった。

 週に数回パンなど食事を与えていたが、翔士郎ちゃんが亡くなる直前には碇本人も『食べるものがなく醤油を薄めて飲んだり味噌をなめていた』と供述している」(同前)

 こうした行政の動きに対し、2020年1月、赤堀は碇に指示し、翔士郎ちゃんを幼稚園から退園させた。


福岡県篠栗町と福岡児童相談所が開いた記者会見(3月3日)©共同通信社
福岡県篠栗町と福岡児童相談所が開いた記者会見(3月3日)©共同通信社
「その頃、地域住民から『虐待の疑いがある』との情報を得た福岡県警粕屋署が碇宅を訪問したが、子供らに虐待の形跡は認められなかった。一方で、2020年3月5日には児童相談所に『子供を残して外出するなど心理的虐待や育児放棄の疑いがある』と通告していた」(同前)

 20年3月には碇容疑者の親族が2度、児童相談所を訪れ、「子供と会えておらず、心配だ」として、安否確認を求めていた。だが、危険度が高いとは判断せず、家庭訪問をするなどの対応は取らなかったという。


《20代はスナックの名物ママ》福岡5歳児餓死 赤堀恵美子容疑者の夜逃げ人生「えーしゃんは“盛り上げ隊長”だった」
3/7(日) 13:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/af55eeb375608d1661fd57eaeb0031e9feb62e1f

「お前の夫の浮気調査費を“ボス”が立て替えている」福岡5歳児餓死 “虚言大女”が洗脳に使った女の名前 から続く

【画像】「えーしゃん」と呼ばれていた小学生時代の赤堀容疑者
https://bunshun.jp/articles/photo/43899?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=partnerLink&pn=4

《私の将来の夢は、保母さんになることです。なられたらいいなーっと思っています。私は小さい子供と遊んだり、何かを教えたりするのが好きなので、保母さんになりたいと思いました》

 小学校の卒業文集でこう綴っていたのは、赤堀恵美子容疑者(48)だ。福岡県篠栗(ささぐり)町で当時5歳だった碇翔士郎(しょうじろう)ちゃんを餓死させたとして、保護責任者遺棄致死容疑で福岡県警に逮捕された。翔士郎ちゃんの母親で、同じく逮捕された碇利恵容疑者(39)とはママ友同士だった。

 両容疑者は2019年8月頃から共謀して、翔士郎ちゃんの食事を減らすなど低栄養状態にして餓死させた疑いがある。取り調べで赤堀が碇を精神的に支配し、多額の金銭を巻き上げていたことがわかっている。

地元・大川でも「数百万円の借金」
 赤堀は、佐賀県との県境で、事件のあった篠栗町から約50キロ離れた福岡県大川市内で生まれ育った。

 恵美子は兄と姉がいる3人きょうだいの5人家族。「あの一家をよく思っている人は少ないですよ」と顔を曇らせるのは恵美子の生家の近隣住民。近所で知らない人はいないというほど、有名な家族だったという。

「20年ほど前に、恵美子の両親が近隣住民と金銭トラブルを起こした。両親が近所の人たちに『お金を貸してくれないか?』と電話で頼み、何人もの近隣住民から全部で数百万円ほどを借りていた。

 ですが、ほとんどの人に返済することなく、恵美子の母方の祖父母だけ残して、一家で夜逃げしてしまったんです。泣き寝入りしている人はたくさんいますよ。小さい頃からそんな環境で育ってきた恵美子が今回事件を起こしたと聞いても、正直驚きはありませんでした」(近隣住民)

 地元の小中学校に通っていた恵美子は当時からかなり目立った存在だったという。篠栗のママ友らには「赤堀ユウナです」と偽名を名乗っていたが、当時は別のニックネームがあった。小中の同級生がこう明かす。


「コマネチ」を披露するひょうきんな女の子だった
「小学校の時から大柄な女の子でした。明るい性格で、人気者で“お笑い担当”という印象です。あだ名は『えーしゃん』。誰が呼び始めたか分からないですが、たぶん『恵美子ちゃん』から『えーしゃん』になったのだと思います。みんなから慕われていました。

 えーしゃんの好きなテレビ番組は『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系、1981〜89年)。放送があった次の日には学校でその話題を持ち出してクラスで笑いを取っているムードメーカーでした。女の子だけど、当時、流行っていたビートたけしさんの『コマネチ』のギャグも照れることなく披露していた。

 えーしゃんとは外で遊ぶというよりもそういったテレビを見て、そのモノマネをしたりして、家で一緒に遊ぶことが多かったですね。自分でボケて自分で『ひゃひゃひゃ』という特徴的な笑い方をしていたのを覚えています」

 中学ではソフトテニス部に所属し、部活と勉強に真面目に取り組んでいた。一方で今回の事件につながるような“虚言癖”も垣間見えたという。

「『○○を買ってもらうんだー』と高価な物を買ってもらうということをしきりに周囲に自慢していましたね。本当に買ってもらっていたかどうかは確かじゃない。とにかく、そうやって注目を浴びて、クラスの中で上位になる、マウントを取るのが好きだったんだと思います。

 えーしゃんの中で、自分の価値を高めることは、ある種の“自己防衛”だったのかもしれません。“長いものには巻かれる”性格で、相手をみて態度を変えていた。イケイケな子たちには媚びている感じがありましたし、一方で、自分より立場が低いと思っている子を『パンを買ってこい』とパシリにしていたこともあった。

突然、地元スナックのママに
『高校は私立に行きたい』と言って、中学の同級生があまり進学しない(大川)市外の高校へ進学しました。高校入学とともに連絡も一切なくなってしまった。ですが、“悪い噂”は頻繁に入ってきました。

 たとえば、えーしゃんの高校はバイト禁止だったのにもかかわらず、飲食店でバイトをしていた。それが高校の友人にバレてしまい学校にチクられてしまったとか。それを逆恨みしてその生徒をいじめていたということもあったそうです」(同前)

 高校進学と同時に地元とは疎遠になった恵美子だが、20代で突然地元でスナックのママを始め、同級生のあいだで話題になったこともあったという。

店の名前は「AシャンAシャン」
「24歳くらいの時に、えーしゃんは地元でスナックで雇われママをやっていました。『AシャンAシャン』という自身のあだ名を入れた店名でした。えーしゃんの“盛り上げ隊長”のような明るいキャラクターが好評で、『名物ママ』として盛況だったそうです。

 ですが、2、3年すると急にスナックを辞めて音信不通になったんです。後々聞いた話だと、どうやら祖父母を残して夜逃げしたそうです。15年前くらいにえーしゃんがふと(地元に)帰ってきたことがあった。大分で結婚して子供も産んでいたんですが、借金を作って逃げてすぐに離婚してしまったそうです」(同前)

 取材班は現在も赤堀の生家に住んでいる母方の祖母に声をかけたが、「15年くらい会ってないから私は何も分からない。何も話せません」と言葉少なに去っていった。

「どんなママに……?」
《やさしいお母さんで子供になんでも相談にのってやりたい。えみこ》

 小学校の卒業アルバムの「将来どんなママに……?」というコーナーでは、こう綴っていた赤堀容疑者。どこで人の道を踏み外してしまったのか。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1132.html#c5

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