★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100409
 
g検索 koaQ7Jey   g検索 3bF/xW6Ehzs4I
 前へ
中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100409
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100409.html
[近代史4] ネアンデルタール人の世界

ネアンデルタール人の世界

2020年04月16日
竹花和晴「ネアンデルタール人と彼等の死、特に埋葬と墓」
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_23.html

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)に所収されています。

公式サイト パレオアジア文化史学
http://paleoasia.jp/


にて本論文をPDFファイルで読めます(P99-113)。
http://paleoasia.jp/wp-content/uploads/2020/03/A01_2019-report-1.pdf


この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文が対象とするネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、125000〜37000年前頃までで、後期ネアンデルタール人と言えそうです。本論文は、ネアンデルタール人の死に関わる埋葬と、そのイメージの変遷を検証しています。ネアンデルタール人の埋葬例は、スペインからウズベキスタンまでの広範囲で確認されています。本論文は、16〜19遺跡という数を提示しています。しかし本論文は、じっさいには39基の初期埋葬墓が確認されているだけと指摘します。そのうちの18基は、代表的な2遺跡に由来します。一方は、フランス西部ドルドーニュ(Dordogne)県のラフェラシー(La Ferrassie)遺跡(8基)で、もう一方はイラク北東部クルディスタン地域のシャニダール洞窟(Shanidar Cave)遺跡(10基)です。

 人類の埋葬かもしれない事例としては、後期ネアンデルタール人よりもずっとさかのぼる、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡( 以下、SHと省略)が知られています。SHは、入口からまったく光の届かない全暗黒の中、屈曲した洞内の最奥の一角となり、一度はまれば人類も多くの他の動物も脱出できません。SHでは少なくとも28個体分となる6700個以上の人骨が発見されており、その年代は43万年前頃と推定されています。非人類動物化石も発見されていますが、草食動物の骨はなく、肉食動物の骨には解体痕のような人類による消費の痕跡が確認されていません。石器は両面加工石器(biface)が1個発見されているだけです。この石器を副葬品と解釈する研究者もいます。SH集団はハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と分類されてきましたが、形態学的にも遺伝学的にも広義の早期ネアンデルタール人と考えるのが妥当と思われます(関連記事)。

 ネアンデルタール人の埋葬に関する研究は、最初に確認されたフランスではとくに進んでいます。ラシャペルオーサン( La Chapelle-aux-Saints)遺跡のネアンデルタール人男性は脊椎骨に障害を抱えており、主要な歯も失っていたことから、介護を受けながら死に、丁寧に埋葬された、と考えられています。ラフェラシー遺跡では合計7個体のネアンデルタール人遺骸が発見されており、「集団墓地」とさえ言えそうな様相を示します。ラキーナ(La Quina)遺跡では27個体が発見されていますが、20世紀前半に発掘され、ネアンデルタール人の埋葬はなかったとの固定観念のもと、埋葬に関する研究は進まなかったそうです。

 ネアンデルタール人の人肉食は複数の遺跡で指摘されていますが(関連記事)、本論文は、民族学的な猟奇的共食い風習(cannibalisme)と単に人肉嗜食(anthropophage)を区別しなければならず、ネアンデルタール人においては後者が考えられる、と指摘します。本論文は基本的に、ネアンデルタール人における食養生上(diététique)の消費のみを対象としていますが、フランスのシャラント(Charente)県にあるマリヤック(Marillac)遺跡では、儀式などそれ以外の目的での食人の可能性が指摘されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人による埋葬を認めない研究者も、アメリカ合衆国を中心にいますが、本論文は、ネアンデルタール人に対する伝統的固定観念に囚われた、あまり生産的ではない批判と、冷ややかに評価しています。本論文は、家族的細胞構成員がその「死」を明らかに認識し、死肉漁りの肉食獣等の蹂躙から保護して、その生前の存在を、彼らの活動領域の特定の場所において象徴化もしくはモニュメント化する行為は、現生人類(Homo sapiens)のみではなくネアンデルタール人においても明確に認められる、と指摘します。19世紀以来の蔑視と先入観が学術上の弊害をもたらす要因として存在するものの、より詳細なデータ収集と正しい比較検討を継続せねばならない、と本論文は提言しています。


参考文献:
竹花和晴(2020)「ネアンデルタール人と彼等の死、特に埋葬と墓」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)』P99-113

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_23.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/796.html

[近代史4] ネアンデルタール人の世界 中川隆
1. 中川隆[-13264] koaQ7Jey 2020年4月16日 11:02:45 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[3]

日本人はネアンデルタール人の生き残り?
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html

4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/620.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/796.html#c1

[近代史4] 左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方

左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方

2018年3月31日
 あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
https://johosokuhou.com/2018/03/30/2831/

▲△▽▼

山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/495.html

よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが

重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか

不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする
http://maru101.blog55.fc2.com/blog-date-201408.html

▲△▽▼


ang********さん 2009/6/22 07:16:49
重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。

父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427486559


P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月7日
@mayshigenobu @cinematoday
重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?


P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月9日
@cinematoday @mayshigenobu
ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。
https://twitter.com/mayshigenobu/status/486330664204001280

▲△▽▼


重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
https://johosokuhou.com/2018/03/30/2831/


▲△▽▼

2019年10月16日
左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方
http://www.thutmosev.com/archives/81231879.html

他人の金にタカル人は自動的に左翼になります

学生や主婦や老人に左翼が多いのは偶然ではない


画像引用:「キリスト教」と「お金」と「左翼(パヨク)」 〜 すべては、「お金が欲しいから」(笑) - 親子チョコ💗(300冊以上の良質な書籍のご紹介)https://oyakochoco.jp/blog-entry-2089.html

左翼運動とはすべて金目当ての運動

日本では様々な場面で左翼団体や左派の人が登場し、反対運動やなにかの妨害をします。

特徴としては最初に日本政府などが何かをやろうとして、それに反対する運動を始める。

古くは成田闘争とか新幹線反対、国鉄民営化反対などの運動もあった。

最近では台風や災害の時に被災地に出かけて自衛隊の活動を妨害したり、政府を批判している。

沖縄の辺野古基地建設では沖縄県が給料を出している職員が、給料を貰って反対運動したり反対派の送迎をしている。

共通しているのは左翼運動は必ず政府などに金を要求していて、金を要求しない左翼運動はまず無い。


一見すると無償でやっている運動であっても、突き詰めていくと最後に「国は金を払え」と言い出します。

石原環境相は中間貯蔵施設の建設反対運動について「最後は金目でしょ」と本当の事を言ってしまいクビになった。

人間本当の事を言われると一番怒るもので、金目当てで運動していて善意を偽装している人間に「金目なんでしょ」と言うと猛烈に怒り出します。


例えば辺野古基地前でテントを設置して何年も暮らしている連中がいますが、その金はどこから出てるんでしょうか。

共産党や公明党のような政党は何かというと政治腐敗で騒ぐが、多額の寄付金を集めているのは周知の事実です。


この連中もやっぱり「最後は金目」で金目当てなんです。

安保闘争は毛沢東の「日本を共産化して乗っ取れ」という指示によるものだったが、本人たちは自分の意思でやっていると思っていた


1960_Protests_against_the_United_States-Japan_Security_Treaty_02
画像引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/1960_Protests_against_the_United_States-Japan_Security_Treaty_02.jpg


「タカリ」という生き方をすると左翼になる

金目当てではなく純粋に社会に革命を起こす目的でやっている人も存在したが、組織の上層部は必ず金の亡者です。

60年代から70年代に安保闘争があり、日本中の大学生が共産主義革命を起こすんだと言って暴動を起こしました。

この学生運動を扇動したのは中国共産党で、始まりは毛沢東の文化大革命でした。


毛沢東が権力を握ってから大躍進政策によって飢餓や粛清で3000万人以上がなくなり失脚しました。

1960年代に復権を期して無知な学生を煽って暴動を起こさせたのが、紅衛兵と文化大革命でした。

文化大革命は成功し毛沢東は再び権力を握り、次に敗戦国日本を共産化する目的で日本の学生を扇動しました。


まず大学教授を共産主義者にし教授が学生を教育し、先輩が後輩を教育してわずか数年で日本中の大学生を洗脳しました。

こうして東大闘争や連合赤軍事件が起きたのだが、やっていた本人は洗脳されたのに気づかず、自分の意思だったと信じ込んでいます。

オウム真理教にも通じるが、本物の洗脳とは洗脳されたのに気づかないほど巧妙で完全なものです。


金目当てでないのはこうして洗脳された兵隊だけで、毛沢東自身は完全な権力亡者で金と権力だけの為に生きたような人物でした。

左翼とは日本政府や大企業のようにまず金を払ってくれそうな大組織があり、その組織を食い物にしてタカル事で左翼になります。

千葉の水害で自衛隊が助けに来ると左翼の人達は「なにやってんだよ遅いんだよ」「謝罪して金払え」と言い出します。


たとえば韓国人は1997年の国家破産は「日本が助けるのが遅かったから」だと言って今も謝罪を要求しています。

日本はお金を出して韓国を助けたのですが、それが遅かったから謝罪して金払えというのが、典型的な左翼の発想です。

災害があれば政府に謝罪と賠償を求め、同じく被災者である電力会社などにも謝罪や賠償を要求してきます。


左翼の本質は思想や信条ではなく「タカリ」であり、タカリをする人が自然に左翼になるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/81231879.html

▲△▽▼


大東亜戦争を画策した左翼は、敗戦の勢いでも日本を共産化できず、本当に悔しい思いでいっぱいだった。
女郎好きの徳田球一みたいな悪党は、女性皇族を強姦するチャンスを望んでいたし、ボルシェビキのように皇族皆殺しを夢見ていた。

共産主義者というのは、人間が持つ最も醜い側面を満載した下郎で、高貴な精神を本能的に嫌う意地汚い連中である。

  共産主義者というのは、丁度、美女を拉致して惨殺する精神異常者と似ている。こうした変態は攫ってきた女性を地下室に閉じ込め、強姦を繰り返し、陵辱皇位に飽きると、じっくりと時間をかけて皮膚や筋肉をそぎ落とす。

彼は女性の怯えた表情に興奮し、彼女が泣き叫ぶと更に興奮する。

このケダモノは手足を縛られ、抵抗できない女性をいたぶることに快感を覚え、首を絞めたり、爪を剥がしたり、あるいは眼球を剔ったりして狂喜する。

犯罪者にとって、獲物が高貴になればなるほど幸福感が増加するのだ。触れてはならない神聖な者に手を伸ばすと、最高のスリルを得られる。ブスよりも美人、平民よりも貴族、伯爵よりも王様の方がよい。天皇陛下と比べたら、ロシア皇帝のニコライ2世なんて蛮族の酋長くらい。

昭和天皇は極上の獲物で、もし捕虜となったら、誰が最初に斧で首を切断するかの口論になったはずだ。日本の庶民なら身震いするほどの悪夢だが、現在の左翼も本質的には同じ野心を抱いている。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68787280.html

▲△▽▼

日本の左翼の歴史

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

終戦後、自称”労働者の代表”達の活動を背後で操り、支援していたのはGHQだった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/116.html

日本の1946年預金封鎖
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/740.html

日本が軍隊を持てなくなった理由
革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

朝鮮総連と日本共産党は最初は一体だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/577.html

日本は共産党にとって天国だった 意外と知られていない世界の共産党事情
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/565.html

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html

売国政治家列伝 _ 不破哲三
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/790.html

中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html

重信房子、北朝鮮、オウム真理教の深い関係
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html

日本の左翼は今でも地道な政治活動を続けている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/744.html


▲△▽▼


第一次大戦がヨーロッパを変えた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/629.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html


 
▲△▽▼


社会主義は形を変えて何度でも現れる


れいわ新選組 大西つねき : 資本主義がダメな理由
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/766.html

れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/658.html

れいわ新選組 大西つねき : MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/711.html

れいわ新選組 大西つねき :日本一まともな年金の話
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/712.html

大西つねき :正しいベーシックインカム
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/765.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/797.html

[近代史4] 左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方 中川隆
1. 中川隆[-13263] koaQ7Jey 2020年4月16日 12:00:39 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[4]

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由

ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。

戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。

昔の学生やインテリは随分 IQ が低かったみたいですね。1970年代は科学的社会主義とかいうのが流行っていて、唯物弁証法とかマルクスやレーニンの理論が既に科学的に証明されたと思っていたアホ左翼が沢山いたのです。
赤軍派議長の塩見孝也なんか 2017年11月に死ぬまでずっと 世界同時革命とか叫んでましたからね。

当時の日本は一億総中流で、マルクス主義の前提になる階級自体が存在しなかったので、いくら社会不安を起こしても階級闘争や革命なんか起きる筈がなかったのですけどね。

まあ、今の学生やインテリが賢くなったというのでなく今だけ、金だけ、自分だけという価値観に変わっただけなのですが。
世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです
そしてそれは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

日本共産党や労働組合を創設させたのも GHQ なのですね。平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのはすべて GHQ の共産化政策の結果なのです。20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。

因みに、現在の日本共産党は親米保守で反動極右勢力に変わっていますね。昔から民青の学生は事大主義で大学では左翼教官に おべっかを使って興味も無いのにマルクスとか読むふりするけど会社に入るとマルクス主義はもう古いと言って否定するので有名でした。

民青や共産党員にまともな人間は一人もいませんでした。つまり、20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのは
GHQ の教育方針が反映していただけで、自律的で自然な現象ではなかったのですね。 戦前に極右で米英鬼畜とか言ってた極右は終戦後に殆ど日本共産党員に転向しています。

反対に、全学連の闘士は年取ってから大半が極右になっています。つまり、極右=極左で、環境によって極右になったり、極左になったりするだけなのですね。  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/797.html#c1

[近代史4] 左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方 中川隆
2. 中川隆[-13262] koaQ7Jey 2020年4月16日 12:10:47 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[5]

最近、グローバリズムは「共産主義」だって言ってるアホがいるんですね
でも、右翼・左翼とか資本主義・共産主義 って考える時点で、既に「昭和のお花畑」です(笑)

グローバリズムって「企業家」の論理なんですよ
自分たちが儲かれば、国家や国民なんてどうなろうが、知ったこっちゃないわけです

つまり、「資本主義」(A)、「共産主義」(B)も、金儲けの道具でしかない
AとBが対立したら、AにもBにも武器(核兵器含)が売れて儲かるよな〜これが、企業の戦略なんです

グローバリズムは、共産主義も、資本主義も一切関係なし「生産効率性の向上と、最低限の統治コストを実現した新奴隷制度」つまり、グローバリズムは「奴隷制度」なんです

世界の歴史ってものは、国家戦略をベースに国家管理視点で書かれているんですね

なので、グローバリズムを理解するには、それを「企業戦略」の視点から、読み直す必要があるのです

_____

因みに、アメリカのネオコンが元トロツキストだったというのは有名な話ですが、
これは ネオコン=隠れ共産主義者 というのではなく、単に

状況や周りの環境が変われば、

極左は簡単に変節して極右になる
極右は簡単に変節して極左になる

というだけの事です。

日本でも終戦後共産党が合法化された後、戦争中に反共で米英鬼畜と叫んでいた愛国右翼が沢山日本共産党に入党したのです。
(ルーズベルトや GHQの幹部は親ソ連の共産主義者で、戦後の日本を共産国家に変えようとして資産家所有の農地や金融財産をプロレタリアートに再分配したのです)

今の日本共産党は既に保守 反動 極右政党に変節しています。

もともと、昔からずっと民青の学生は事大主義で
大学では左翼教官に おべっかを使って興味も無いのにマルクスとか読むふりをするけれど、会社に入ると

マルクスはもう古い

と言って否定するので有名でした


日本の新左翼・日本共産党員の知能はマルクスを齧った18歳の大学生程度
水島総先生やチャンネル桜出演者の知能・思考力はマッカーサーが言った様に 13歳児程度
(社会主義者だったルーズベルトや 終戦後の日本を無階級社会に変えた共産主義者の GHQ幹部の知能を30歳とした場合ですが)
__

あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。 学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。

よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/797.html#c2

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
28. 中川隆[-13261] koaQ7Jey 2020年4月16日 12:28:42 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[6]
2020年04月16日
日本の感染者ピークを過ぎた可能性、政府対策は遅すぎ小さすぎる


総理と副総理がコロナ対策を悉く妨害している

画像引用:https://news.livedoor.com/article/detail/18105021/

感染は4月11日がピークだったか?

日本国内の新型コロナ感染者数は4月11日に719人になった後減少し、4月15日は549人だった(翌朝集計)

再び増加する可能性もあるが4月7日に安倍首相が宣言した緊急事態宣言の効果が表れていると見ていいでしょう。

実際には数日前から繁華街から人の姿が消えていたので、1週間ほどで減り始めたことになる。


欧州各国や中韓の例では行動制限から2週間以上後に減り始めたので、それよりかなり早かった。

行動制限する前から日本の感染者は外国より少なく、行動制限の効果が表れるのも外国より早かった。

という事は安倍首相がもっと早く緊急事態宣言していれば、日本の感染者数は100人や1000人で済んでいた可能性が高い。


新型ウイルスに関して安倍首相は寝ているのかと思うほど行動が遅く、本来なら中国が感染爆発を認めた1月20日に中国からの入国を禁止するべきだった。

安倍首相が入国を制限したのは1か月も後で、これは習近平訪日を実現するためだったと言われている。

厚生省は3月初めまで(今も)ウイルス検査するなという指示を出していて、これは東京五輪のためと言われていた。


東京五輪を開催するために感染者数を実際より少なく見せかけていたとしたら安倍首相は国家反逆罪に相当する。

欧米や中韓では都市封鎖や罰則付き外出制限をしているが、日本で最も反対したのが安倍首相本人だった。

誰も反対していないのに「憲法上できない」を連呼し、まるで共産党の党首のような発言を繰り返した。

安倍・麻生が日本の対応を邪魔している

危機の時に人間の本性が表れると言うが、結局憲法改正を妨害していたのは安倍首相自身だったかも知れない。

憲法改正しないと都市封鎖や外出禁止にできないかと言えば、現行憲法には一言もそんな記述はない。

せいぜい「防衛費1%枠」や「集団的自衛権禁止」と同じ後付け解釈にすぎず、国会決議一回で修正できる。


1か月から3か月の時限立法として罰則付き外出制限や移動制限の法案を可決すればいいだけの話です。

国会はコロナ中も毎日開催されて森友や花見の議論をしていたのだから、いくらでも時間はあったが安倍首相がやらなかった。

コロナ対策で安倍首相は総額108兆円の緊急経済対策を実施すると発表したが、中身は空っぽだった。


政府は4月15日に緊急経済対108兆円がGDPを3.8%押し上げると発表しました。

ここで気付いてほしいのだが日本のGDPの3.8%は約20兆円に過ぎない。

公共事業の場合政府の支出と同額程度を民間も支出するので、だいたい政府支出の2倍はGDPを押し上げます。


108兆円のうち実際に政府が支出するのはたった10兆円とい事で、これでは経済危機を食い止められない。

アメリカや欧州の試算では今年最もよくてGDPマイナス10%、最悪マイナス40%になると予想されている。

日本でもマイナス10%や20%は覚悟するべきで、金額にするとマイナス55兆円からマイナス110兆円になる。


こんな時に安倍首相と政府は「給付金10万円出すべきか」「30万円支給の範囲をどう減らすか」を議論している。

前回のリーマンショックは麻生総理が何も経済対策せず「麻生ショック」を引き起こしたが、今回は「安倍ショック」を引き起こすでしょう。

奇跡でも起きない限り日本はバブル崩壊以上のダメージを負う可能性があります。
http://www.thutmosev.com/archives/82709400.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c28

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
18. 中川隆[-13260] koaQ7Jey 2020年4月16日 12:29:07 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[7]

2020年04月16日
日本の感染者ピークを過ぎた可能性、政府対策は遅すぎ小さすぎる


総理と副総理がコロナ対策を悉く妨害している

画像引用:https://news.livedoor.com/article/detail/18105021/

感染は4月11日がピークだったか?

日本国内の新型コロナ感染者数は4月11日に719人になった後減少し、4月15日は549人だった(翌朝集計)

再び増加する可能性もあるが4月7日に安倍首相が宣言した緊急事態宣言の効果が表れていると見ていいでしょう。

実際には数日前から繁華街から人の姿が消えていたので、1週間ほどで減り始めたことになる。


欧州各国や中韓の例では行動制限から2週間以上後に減り始めたので、それよりかなり早かった。

行動制限する前から日本の感染者は外国より少なく、行動制限の効果が表れるのも外国より早かった。

という事は安倍首相がもっと早く緊急事態宣言していれば、日本の感染者数は100人や1000人で済んでいた可能性が高い。


新型ウイルスに関して安倍首相は寝ているのかと思うほど行動が遅く、本来なら中国が感染爆発を認めた1月20日に中国からの入国を禁止するべきだった。

安倍首相が入国を制限したのは1か月も後で、これは習近平訪日を実現するためだったと言われている。

厚生省は3月初めまで(今も)ウイルス検査するなという指示を出していて、これは東京五輪のためと言われていた。


東京五輪を開催するために感染者数を実際より少なく見せかけていたとしたら安倍首相は国家反逆罪に相当する。

欧米や中韓では都市封鎖や罰則付き外出制限をしているが、日本で最も反対したのが安倍首相本人だった。

誰も反対していないのに「憲法上できない」を連呼し、まるで共産党の党首のような発言を繰り返した。

安倍・麻生が日本の対応を邪魔している

危機の時に人間の本性が表れると言うが、結局憲法改正を妨害していたのは安倍首相自身だったかも知れない。

憲法改正しないと都市封鎖や外出禁止にできないかと言えば、現行憲法には一言もそんな記述はない。

せいぜい「防衛費1%枠」や「集団的自衛権禁止」と同じ後付け解釈にすぎず、国会決議一回で修正できる。


1か月から3か月の時限立法として罰則付き外出制限や移動制限の法案を可決すればいいだけの話です。

国会はコロナ中も毎日開催されて森友や花見の議論をしていたのだから、いくらでも時間はあったが安倍首相がやらなかった。

コロナ対策で安倍首相は総額108兆円の緊急経済対策を実施すると発表したが、中身は空っぽだった。


政府は4月15日に緊急経済対108兆円がGDPを3.8%押し上げると発表しました。

ここで気付いてほしいのだが日本のGDPの3.8%は約20兆円に過ぎない。

公共事業の場合政府の支出と同額程度を民間も支出するので、だいたい政府支出の2倍はGDPを押し上げます。


108兆円のうち実際に政府が支出するのはたった10兆円とい事で、これでは経済危機を食い止められない。

アメリカや欧州の試算では今年最もよくてGDPマイナス10%、最悪マイナス40%になると予想されている。

日本でもマイナス10%や20%は覚悟するべきで、金額にするとマイナス55兆円からマイナス110兆円になる。


こんな時に安倍首相と政府は「給付金10万円出すべきか」「30万円支給の範囲をどう減らすか」を議論している。

前回のリーマンショックは麻生総理が何も経済対策せず「麻生ショック」を引き起こしたが、今回は「安倍ショック」を引き起こすでしょう。

奇跡でも起きない限り日本はバブル崩壊以上のダメージを負う可能性があります。
http://www.thutmosev.com/archives/82709400.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c18

[リバイバル3] 古いアンプやスピーカーにはリスクが有る 中川隆
70. 中川隆[-13259] koaQ7Jey 2020年4月16日 12:42:08 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[8]

壊れたSPユニットを取り出した 2020年04月16日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/df7bbdff910b6cdf0e911f9bfeb69989


サンスイSP-2005から音が出なくなったツイーターを取り出す為に、フロント側から取り出そうとしたが取り出せない。

リア側のSP端子類が並んでいる「金属板」を外してみたが、それでも取り出せない。最後は、リアバッフル全体を外してやっとツイーターの取付ネジを外せた。取り出したユニットの「導通」を確認したが、「OL」(オーバーレンジ=オープン)である。完全にヴォイスコイルが断線している。

D208システムのD208(20cmフルレンジ)も取り外して見た。同じ様にテスターでチェックしたが「OL」(オープン)である。修理の見積もりを取ったが、「¥12000円/個」との事なので、SP-2005のツイーターの修理は諦めた。D208のみ修理をしようと思う。

あーあ・・・安物アンプのおかげでSPが壊れてえらい目にあった。


当該のアンプ(SONY TA-3140F)とTA-N86×2台(こちらはパイロットランプのみLED化)の修理をお願いし、ブツを昨日「ゴッドハンド」に手渡して来た。(往復4時間の運転)

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/df7bbdff910b6cdf0e911f9bfeb69989

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/832.html#c70

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
3. 中川隆[-13258] koaQ7Jey 2020年4月16日 13:58:04 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[9]
新型コロナ、回復者に免疫あるか不明 WHOが警告 2020/4/14

【ジュネーブ=細川倫太郎】世界保健機関(WHO)は13日、新型コロナウイルスの感染者で回復後に再び陽性になる患者が出ていることについて、回復者に免疫がついているかは不明だとの見解を示した。

次に同じウイルスが侵入した際に、病原体を攻撃する抗体が体内で十分に作られていない可能性があるためだ。

免疫を持つ人が限られれば、外出制限などの解除が遅れる可能性もある。

WHOの感染症専門家、マリア・ファンケルクホーフェ氏は記者会見で、中国上海市で行われた最近の研究から、

「(回復後に)検出できるほどの抗体反応を示さなかった人もいれば、非常に高い反応を示した人もいたことが分かった」

と説明した。抗体の量が少なければ、再び陽性になる恐れがある。韓国でもいったん回復してから陽性と診断された人が111人に達した。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58013600U0A410C2000000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c3

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
4. 中川隆[-13257] koaQ7Jey 2020年4月16日 14:04:41 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[10]

【新型コロナ】回復者に免疫あるか不明 WHOが警告
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586991649/


14名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:03:03.23ID:

免疫なんてできねーよ
空気感染するエイズウィルスなんだから
体が弱った時にまた再発する。今後は風邪程度でも重症化だ


31名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:05:07.26ID:7zi0z6Ud0

退院した人から感染
退院した人も再入院

もう無理


34名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:05:36.58ID:MQS+t3aa0>>699>>739

コロナはただの風邪
まさにその通りで
風邪は何度でもかかる

その何度でもかかる風邪が
インフルより致死率が
高いってこと

41名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:06:53.18ID:vcTjM8a10>>632

神経細胞に持続感染するヘルペスか、
免疫細胞(T細胞)に持続感染するエイズか白血病ウィルスみたいなもんだと思う

64名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:08:54.56ID:jJayY6by0

絶対、免疫ないわ

免疫細胞ごと殻すのが、

この新型コロナの最大の特徴だからな

免疫細胞を殻すウイルスは、新型コロナとエイズウイルスだけ

エイズウイルスは発見されて27年たったいまもワクチンが完成してない

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c4

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
7. 中川隆[-13256] koaQ7Jey 2020年4月16日 14:09:56 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[12]
中国「流行終息段階」の信用度と「人工的ウイルス」の可能性 BCG接種と新型コロナ死亡率には相関関係も

夕刊フジ 4/14(火) 16:56配信

goo*****

武漢の研究所で熱心な女性研究員がコウモリから人感染を弾きおこすキメラウイルスを作成したことは公式論文に提出されており、これが非常に怪しく人工説の基盤になっている。

彼女は否定したが中国の学者からもその点をひどく糾弾された。

コウモリからコロナウイルスが直接人間に直接感染することはめったになく、中間宿主の介在が必ず必要だから。それを人為的に作り出し実験していた。

もしこれが違うと言うなら何故武漢の研究所を軍により爆破して跡形もなくなくならす必要があるのか?世界的に大混乱を引き起こした中国は激しく賠償責任を問われることになろう。

(A SARS-like cluster of circulating bat coronaviruses shows potential for human emergence)でググると論文が出てくる。

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200414-00000013-ykf-int&s=lost_points&o=desc&t=t&p=2
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c7

[近代史4] 日本はまだコロナを侮っている、欧州では完全に戦争 中川隆
3. 中川隆[-13255] koaQ7Jey 2020年4月16日 14:10:23 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[13]

中国「流行終息段階」の信用度と「人工的ウイルス」の可能性 BCG接種と新型コロナ死亡率には相関関係も

夕刊フジ 4/14(火) 16:56配信

goo*****

武漢の研究所で熱心な女性研究員がコウモリから人感染を弾きおこすキメラウイルスを作成したことは公式論文に提出されており、これが非常に怪しく人工説の基盤になっている。

彼女は否定したが中国の学者からもその点をひどく糾弾された。

コウモリからコロナウイルスが直接人間に直接感染することはめったになく、中間宿主の介在が必ず必要だから。それを人為的に作り出し実験していた。

もしこれが違うと言うなら何故武漢の研究所を軍により爆破して跡形もなくなくならす必要があるのか?世界的に大混乱を引き起こした中国は激しく賠償責任を問われることになろう。

(A SARS-like cluster of circulating bat coronaviruses shows potential for human emergence)でググると論文が出てくる。

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200414-00000013-ykf-int&s=lost_points&o=desc&t=t&p=2
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/759.html#c3

[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
5. 中川隆[-13254] koaQ7Jey 2020年4月16日 14:11:03 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[14]

中国「流行終息段階」の信用度と「人工的ウイルス」の可能性 BCG接種と新型コロナ死亡率には相関関係も

夕刊フジ 4/14(火) 16:56配信

goo*****

武漢の研究所で熱心な女性研究員がコウモリから人感染を弾きおこすキメラウイルスを作成したことは公式論文に提出されており、これが非常に怪しく人工説の基盤になっている。

彼女は否定したが中国の学者からもその点をひどく糾弾された。

コウモリからコロナウイルスが直接人間に直接感染することはめったになく、中間宿主の介在が必ず必要だから。それを人為的に作り出し実験していた。

もしこれが違うと言うなら何故武漢の研究所を軍により爆破して跡形もなくなくならす必要があるのか?世界的に大混乱を引き起こした中国は激しく賠償責任を問われることになろう。

(A SARS-like cluster of circulating bat coronaviruses shows potential for human emergence)でググると論文が出てくる。

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200414-00000013-ykf-int&s=lost_points&o=desc&t=t&p=2
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c5

[近代史4] 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」で致死率100% ? 中川隆
30. 中川隆[-13253] koaQ7Jey 2020年4月16日 14:19:05 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[15]
新型コロナ、回復者に免疫あるか不明 WHOが警告 2020/4/14

【ジュネーブ=細川倫太郎】世界保健機関(WHO)は13日、新型コロナウイルスの感染者で回復後に再び陽性になる患者が出ていることについて、回復者に免疫がついているかは不明だとの見解を示した。

次に同じウイルスが侵入した際に、病原体を攻撃する抗体が体内で十分に作られていない可能性があるためだ。

免疫を持つ人が限られれば、外出制限などの解除が遅れる可能性もある。

WHOの感染症専門家、マリア・ファンケルクホーフェ氏は記者会見で、中国上海市で行われた最近の研究から、

「(回復後に)検出できるほどの抗体反応を示さなかった人もいれば、非常に高い反応を示した人もいたことが分かった」

と説明した。抗体の量が少なければ、再び陽性になる恐れがある。韓国でもいったん回復してから陽性と診断された人が111人に達した。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58013600U0A410C2000000/

▲△▽▼

【新型コロナ】回復者に免疫あるか不明 WHOが警告
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586991649/

14名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:03:03.23ID:

免疫なんてできねーよ
空気感染するエイズウィルスなんだから
体が弱った時にまた再発する。今後は風邪程度でも重症化だ


31名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:05:07.26ID:7zi0z6Ud0

退院した人から感染
退院した人も再入院

もう無理


34名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:05:36.58ID:MQS+t3aa0>>699>>739

コロナはただの風邪
まさにその通りで
風邪は何度でもかかる

その何度でもかかる風邪が
インフルより致死率が
高いってこと


41名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:06:53.18ID:vcTjM8a10>>632

神経細胞に持続感染するヘルペスか、
免疫細胞(T細胞)に持続感染するエイズか白血病ウィルスみたいなもんだと思う


64名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:08:54.56ID:jJayY6by0

絶対、免疫ないわ

免疫細胞ごと殻すのが、

この新型コロナの最大の特徴だからな

免疫細胞を殻すウイルスは、新型コロナとエイズウイルスだけ

エイズウイルスは発見されて27年たったいまもワクチンが完成してない

83名無しさん@1周年2020/04/16(木) 08:10:57.37ID:sb8KZ+eJ0

T細胞破壊して回るウイルスなんでしょ?
年齢関係無しに深刻な後遺症残る可能性あるからかかったら負け組って理解でおk


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c30

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
1. 中川隆[-13252] koaQ7Jey 2020年4月16日 15:26:02 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[16]
政府紙幣発行政策の誤解 経済コラムマガジン 03/5/5(第295号)
http://www.adpweb.com/eco/eco295.html

政府紙幣の意味

4月27日、日曜の日経新聞に「政府紙幣」に関するコラムが掲載されていた。執筆者は編集委員の滝田洋一氏である。タイトルは「太政官札の轍踏むな」である。この2週間ほど前にコロンビア大学のスティグリッツ教授が日経の招きで来日し、シンポジウムで意見を述べたり、講演を行った。

教授は、デフレに陥っている日本経済に処方箋をいくつか提案している。「円安誘導」「銀行システムの立直し」と言ったありきたりの政策に加え、なんと「プリンティングマネー(政府紙幣)の発行」をスティグリッツ教授は提案した。これは各方面に衝撃を与えており、今日波紋がひろがりつつある。これはまさに筆者達が以前から主張していた政策である。

ところが日本には、政府貨幣(紙幣)に関する文献は極めて少ない。一緒に政策を主張している小野盛司氏のところにも、あるテレビ局から、氏の著書である「政府貨幣発行で日本経済が蘇る」を至急送ってくれるよう依頼がきているほどである。やはりスティグリッツ発言の影響は大きかったのである。「政府紙幣とは一体何だ」というのが世間の印象である。お札といえば日銀券と思っている人がほとんどである。経済学者やエコノミストも日銀券と政府貨幣(紙幣)の区別がつかないようである。

この政府紙幣発行に対して色々の反論や解説がなされている。しかしそれらのほとんどが間違っているか、的外れである。このような反論を行っている人物達が、日銀の理事だったり、リチャード・クー氏なのだから、こちらも驚く。それほど日本においては政府貨幣(紙幣)に対する知識や情報が乏しいのである。


まず政府紙幣と日銀券の違いを簡単に説明しておく。日銀が発行する日銀券は日銀の債務勘定に計上される。つまり日銀の借金である。もちろん今日の日銀券は兌換紙幣ではないので、これを日銀に持っていっても金に換えてくれない。このような不換紙幣である日銀券が流通しているのも、日銀の信用があるからである。しかし日銀の信用と言っても、実際はバックにいる国家の信用である。

一方、政府貨幣(紙幣)も国家の信用で発行するお札である。政府貨幣の材質は政令で定めることになっており、金属でも紙でも良い。紙の場合が政府紙幣ということになる。また今日流通している10円玉や100円玉といったコインも政府貨幣である。つまり日本においては政府貨幣(紙幣)は、既に立派に流通しているのである。ただ日銀券より政府貨幣の方が、流通している金額がずっと小さいだけである。もちろん今日の法律でも高額の政府紙幣を発行することは可能である。要は政府の決断一つにかかっている。


日銀券と政府紙幣の違いは、日銀券が日銀の債務に計上されるのに対して、政府紙幣は国の借金にならないことである。今日のコインにもいえることであるが、額面からコインの製造経費を差引いた額が国の収入になる。たとえば500円硬貨を製造するのに50円かかった場合には、差額の450円が貨幣鋳造益として政府の収入に計上される。要するに500円硬貨が世の中で「500円玉」として認められれば良いのである。

スティグリッツ教授の主張は「この政府貨幣(紙幣)の発行をもっと大規模に行え」ということである。さらに重要なことはこの貨幣鋳造益や紙幣造幣益を『財政政策』に使えと提案しているのである。今日、国債の発行が巨額になり、政府は「30兆円枠」に見られるように、財政支出を削ろうと四苦八苦している。しかしこれによってさらに日本のデフレは深刻になっている。そこで教授は、国の借金を増やさなくとも良い政府紙幣を発行し、その紙幣造幣益を使って、減税や公共投資を行えば良いと提案しているのである。

幼稚な反論

しかしこれらの政府貨幣(紙幣)発行への反対論があまりにも幼稚過ぎる。一つはお札が、日銀券と政府紙幣ということになれば、世の中が混乱するというものである。しかし政府が政府紙幣(貨幣)を作成し、それを日銀に持ってゆき、日銀にある国庫(政府預金口座)に入金してもらえば、政府貨幣発行となる(「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年法律第42条)第4条3項)。財政支出を行う時には日銀券を使うのである。この方法を用いれば、世間に流通するお札は日銀券だけで済む。また日銀には政府紙幣(貨幣)という資産が計上されることになる。

しかしこれに対して、これは結果的に日銀券の増発に繋がるという批難が考えられる(ところが不思議なことに、心配されて当り前と思われるこのようなことが全く指摘されていないのである)。まず日銀券の増発、つまり通貨の増発はインフレの原因になる。しかしそこがまさにスティグリッツ教授が主張したいところである。今日の日本経済のようにデフレに陥った場合には、通貨増発といったインフレ政策が必要なのである。

スティグリッツ教授も、無闇やたらに政府紙幣を発行しろとは言っていないはずである。大きなデフレ・ギャップが存在する日本では、相当の額の政府紙幣を発行できると言っているだけだ。またこの政策によって、もし物価上昇率が限度額を越えるようならば、政府紙幣の発行をセーブすれば良いのである。もっとも経済がそのような状態になったことこそが、日本経済が相当上向いているを示す。つまり問題となっているデフレが克服されることを意味するのである。

もちろんこの場合には、過度の物価上昇を抑制するためインフレターゲット政策を行うことも一案である。インフレ目標政策は、英国などでうまく行っているのであるから、日本ではうまく行かないと考えることはない。むしろ物価が上昇するような経済活性策がないのに、インフレ目標政策と言っている今日の政府の方がおかしい。彼等は念力で物価を上げるというのか。また物価だけが上がれば良いという考えも根本的に間違っている。物価上昇は、遊休設備が稼動し、失業が解決し、設備投資が生まれる結果として起るべきである。むしろ小泉政権に見られるように、単に物価が上がれば良いという感覚が異常である。


もう一つの大きな誤解は、政府紙幣が発行されても、日銀券が政府紙幣に置き換わるだけであり、経済に何の影響を与えないという意見である。たしかに公務員の給料支払いを日銀券ではなく政府紙幣で行ったり、国債の買いオペを政府紙幣で行えば、そのようなことになる。もっともその分だけ国の借金は増えないが。しかしそのようなばかげたことを主張するため、わざわざスティグリッツ教授が来日し、政府紙幣に関した発言を行うはずがない。

当然、今日行われている経済政策にプラスして、政府紙幣を発行による財政政策を行えと言っているのである。今日、日本には巨額のマネーサプライ残高が存在している。しかしその大半は凍り付いている。金が動かないのである。巨額のマネーサプライが存在するのに、人によっては金不足になっている。経済がこのような状態になれば、政府が財政政策を行う他はない。財政政策によって、所得の発生を伴うマネーサプライを増やすことが肝腎である。これこそが教授の言いたいことである。

ところで政府紙幣を造幣し、それを日銀に入金し、それを財政政策に使うとなれば、先ほど述べたように、当然日銀券を増発することになる。場合によっては、日銀券の大増発である。たしかに以前ならこれは問題になった。しかし平成10年4月から施行されている改正日銀法では、旧法で課されていた日銀券発行に対する保証条件がすべて撤廃された。つまり日銀は、自由かつ無制限に日銀券を発行できるようになっているのである。まるで今日の状況を予見していたような法改正がなされていたのである。


しかし筆者は、スティグリッツ教授の提案に対して、経済の専門家からこのような初歩的で的外れの疑念や批難が続くこと自体を危惧する。このような状況では、いきなり政府紙幣発行はちょっと無理かもしれない。このように混乱している議論に対して、黒田東彦内閣官房参与(前財務省財務官)が「日銀がもっと大量に国債を購入することが現実的」と発言している。これは穏当な意見であり、筆者もこれに同感せざるを得ない。ちなみに黒田前財務省財務官は、以前からリフレ(穏やかなインフレ)政策を主張している。

政府紙幣の発行も、日銀による国債購入も実質的に国の借金にならない。そこで政府紙幣への理解が進まないようなら、まず日銀の国債購入によって積極財政政策のための資金を賄う他はない。ただ日銀による国債購入には難点がある。日銀は国債購入の限度を日銀券の発行額と一応定めているのである。これがネックとなる可能性がある。したがって日銀がどうしても限度額にたいして柔軟な姿勢を示せないなら、最後の手段として政府貨幣(紙幣)のオプションは取って置くべきである。


前段が長過ぎ、本題に入れなかった。来週号は滝田洋一氏の「太政官札の轍踏むな」へ徹底的な反論を行う。

岩田一正日銀副総裁の「日銀の独立性うんぬん」の意見は論外にして、それにしても政府紙幣に対して、経済の専門家と言われている人々の認識が低すぎる。おそらくスティグリッツ教授もあきれはてて米国に帰ったと思われる。今日の日本の経済がどのような状況にあり、このままだとどこまで落込むのか、スティグリッツ教授に食って掛かっていた人々には全く認識がないと言える。教授は真摯に日本のことを考えて、アイディアを提供しているのである。

教授も「政府紙幣発行」なんてとてもオーソドックスな政策とは考えていない(実際、教授も博士号を剥奪されるかもしれないと冗談を言っているくらい)。しかしあえてそのような政策が必要な段階まで、日本経済は窮地に追込まれている。教授に反論していた人々は、政府紙幣に関してほとんど知識がないなら、もっと謙虚になるべきである。教授は日本人に対して「単に物づくりに異常に長けているだけであり、こと経済理論や経済政策に関しては小学生」という印象を持ったはずである。経済の混迷が10年以上続いているのに、いまだ経済政策が迷走しているのを見ていると、日本はどうしようもない。

14日のシンポジウムの様子が30日の日経に掲載されていた。しかし議論は錯綜しており、日本のエコノミストはほとんどスティグリッツ教授の言っていることを理解していない。せっかくフィッシャー理論を持出して、資産デフレの悪影響に言及しているのに、これに対する反応が全くない。日本のエコノミストはあいかわらず「規制緩和」「生産性の向上」「金融政策の浸透」と言った、実現性がないだけでなく、効果もはっきりしない(効果の測定さえ困難)な政策を訴えている。教授が指摘しているように、まず必要な政策は大胆な需要政策である。これによって経済が活性化し、うまく資産デフレが止められるかがポイントである。

5月4日のサンデープロジェクトは、日本のデフレがメインテーマであった。それにしても経済学者・エコノミストそして政治家達の意見は実に悲惨であった。それにしても「徹底した規制緩和」「予算の組替えで経済が回復する」「銀行の経営者をくびにしろ」はいい加減に止めてもらいたい。何もアイディアがないのなら、テレビ出演を断わるべきだ。特に「銀行の経営者をくびにしろ」は出来の悪い若手の銀行員がよく言っていることである。彼等は上がくびになれば、自分達の出世が早くなると考えているだけである。
http://www.adpweb.com/eco/eco295.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c1

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
8. 中川隆[-13251] koaQ7Jey 2020年4月16日 15:58:41 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[17]
Fox:新型コロナの「初期段階の患者」は、武漢の研究所の職員だった
© REUTERS / NIAID-IRF 2020年04月16日


Foxニュースは15日、新型コロナウイルスの感染拡大を引き起こした「初期段階の患者」は、中国湖北省武漢市のウイルス研究所で働いていたとする記事をサイトに掲載した。


Foxニュースは、感染拡大の初期段階における中国当局の行動に詳しいとされる「多数の消息筋」の話として、ウイルスはコウモリから研究所の職員の1人に感染したと報じている。その後、この研究者から、近くにある武漢の市場を含め、武漢市の住民に広がったという。

情報筋は、武漢の市場が感染源だったという非難は、研究室の責任をそらす中国の試みだったと伝えている。
なお、研究所は生物兵器の開発はしておらず、中国の研究者によるウイルス研究の卓越した結果を示そうとしていたという。


トランプ大統領はコメントせず

トランプ米大統領は15日夜のホワイトハウスでの記者会見で、新型コロナウイルスは安全技術規則の違反によって自然発生したとするFoxニュースの情報についてコメントを求められた。

だがトランプ氏はこの情報を確認することも否定することもせず、「それは話したくない。だが我々はこの話をますます耳にするようになっていると言っておく。様子を見てみよう(中略)我々はこの恐ろしい状況を徹底的に調査している」と述べた。
https://jp.sputniknews.com/covid-19/202004167368444/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c8

[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
11. 中川隆[-13250] koaQ7Jey 2020年4月16日 15:59:06 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[18]

Fox:新型コロナの「初期段階の患者」は、武漢の研究所の職員だった
© REUTERS / NIAID-IRF 2020年04月16日


Foxニュースは15日、新型コロナウイルスの感染拡大を引き起こした「初期段階の患者」は、中国湖北省武漢市のウイルス研究所で働いていたとする記事をサイトに掲載した。


Foxニュースは、感染拡大の初期段階における中国当局の行動に詳しいとされる「多数の消息筋」の話として、ウイルスはコウモリから研究所の職員の1人に感染したと報じている。その後、この研究者から、近くにある武漢の市場を含め、武漢市の住民に広がったという。

情報筋は、武漢の市場が感染源だったという非難は、研究室の責任をそらす中国の試みだったと伝えている。
なお、研究所は生物兵器の開発はしておらず、中国の研究者によるウイルス研究の卓越した結果を示そうとしていたという。


トランプ大統領はコメントせず

トランプ米大統領は15日夜のホワイトハウスでの記者会見で、新型コロナウイルスは安全技術規則の違反によって自然発生したとするFoxニュースの情報についてコメントを求められた。

だがトランプ氏はこの情報を確認することも否定することもせず、「それは話したくない。だが我々はこの話をますます耳にするようになっていると言っておく。様子を見てみよう(中略)我々はこの恐ろしい状況を徹底的に調査している」と述べた。
https://jp.sputniknews.com/covid-19/202004167368444/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c11

[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
6. 中川隆[-13249] koaQ7Jey 2020年4月16日 15:59:44 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[19]

Fox:新型コロナの「初期段階の患者」は、武漢の研究所の職員だった
© REUTERS / NIAID-IRF 2020年04月16日


Foxニュースは15日、新型コロナウイルスの感染拡大を引き起こした「初期段階の患者」は、中国湖北省武漢市のウイルス研究所で働いていたとする記事をサイトに掲載した。


Foxニュースは、感染拡大の初期段階における中国当局の行動に詳しいとされる「多数の消息筋」の話として、ウイルスはコウモリから研究所の職員の1人に感染したと報じている。その後、この研究者から、近くにある武漢の市場を含め、武漢市の住民に広がったという。

情報筋は、武漢の市場が感染源だったという非難は、研究室の責任をそらす中国の試みだったと伝えている。
なお、研究所は生物兵器の開発はしておらず、中国の研究者によるウイルス研究の卓越した結果を示そうとしていたという。


トランプ大統領はコメントせず

トランプ米大統領は15日夜のホワイトハウスでの記者会見で、新型コロナウイルスは安全技術規則の違反によって自然発生したとするFoxニュースの情報についてコメントを求められた。

だがトランプ氏はこの情報を確認することも否定することもせず、「それは話したくない。だが我々はこの話をますます耳にするようになっていると言っておく。様子を見てみよう(中略)我々はこの恐ろしい状況を徹底的に調査している」と述べた。
https://jp.sputniknews.com/covid-19/202004167368444/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c6

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
2. 中川隆[-13248] koaQ7Jey 2020年4月16日 16:23:11 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[20]
経済コラムマガジン 03/5/12(第296号)
http://www.adpweb.com/eco/eco296.html

滝田洋一氏への反論


•明治の政府紙幣

先週号に続き、4月27日日経新聞の滝田洋一編集委員のコラム「太政官札の轍を踏むな」を取り上げる。ところで不思議なことにどういう訳か、経済が不調になると、むしろデフレを加速させるような「おろか者」の主張が支持を受けるのである。たとえば戦前の昭和恐慌時、浜口・井上コンビのデフレ政策は、当初、大衆の大歓迎を受けたのである。最近では、橋本政権、小泉政権の「改革」という名のデフレ政策である。どうしても滝田氏の論調には、これらに通じるものがある。


最初に滝田氏のコラムで問題になるいくつかの箇所を指摘する。同時にこれらが滝田氏のコラムのポイントでもある。このコラムを読んでいない読者もいると想われるので、これらを列記する。「明治元年(1868年)から12年(1879年)まで明治政府が発行した太政官札」「お札といえど庶民からそっぽを向かれると紙切れになる」「政府と離れた中央銀行(日銀)をつくってお札の発行を任せることになったのもそうした苦労の産物」などである。つまり滝田氏のコラムの狙いは、先週号で触れたスティグリッツ教授の「政府紙幣発行政策」の提案を否定することと思われる。

まず太政官札(金札・きんさつ)が発行されたのは、明治元年と明治2年だけである。発行額の合計は4,800万両(明治4年より両という呼称は円に変更。つまり4,800万円)であった。さらに民部省札が69年から70年に750万両発行されている。これは太政官札が高額紙幣だったので、小額紙幣として発行された。当初、民部省札は太政官札との交換を予定していたが、財政難から結果的に政府紙幣の追加発行となった。

さらに明治新政府は、71,72年に大蔵省兌換証券680万両、72年開拓使兌換証券250万両を発行した。これらは二分金との兌換を約束された兌換証券であった。しかしこれは建前だけであり、事実上不換紙幣であり、現実には政府紙幣であった。

明治5年(1872年)から明治10年(1877年)の間に「新紙幣」と呼ばれる政府紙幣が1億4,679万円も発行されている。それまでの太政官札(金札)以下の政府紙幣の造作が急ごしらえで粗雑だったので、もう少し本格的な紙幣らしいものを発行したのである。これは当初、太政官札以下の政府紙幣や、当時まだ流通していた藩札との交換を目指して発行された。たしかに「新紙幣」の6割くらいは、これらに使われた。しかし残り4割は為替会社への貸付や西南の役の戦費に流用された。さらに明治14年(1881年)から明治18年(1885年)にかけて、改造紙幣と言う政府紙幣が6,440万円発行されている。これは紙幣贋造を防ぐため、印刷技術が進んでいたドイツのドンドルフ・ナウマン社に発注したものである。そして明治18年(1885年)に、初めて日銀から兌換紙幣が発行されたのである。


しかし明治初期の頃の各藩の藩札を別にして、紙幣を発行したのは政府だけではない。名前は国立銀行であるが、実体は民間銀行であったナンバー銀行も紙幣を発行した。渋沢栄一の第一銀行などである。当初、国立銀行には厳しい制限があり、発行できる紙幣も兌換紙幣だけであった。このため国立銀行は4行のみと、設立は足踏み状態であった。しかし明治9年(1876年)国立銀行条例が改正され、資本金の10分の8まで銀行券が発行できるようになった。当初、兌換紙幣発行を目的としたはずの国立銀行までが、不換紙幣を発行できるようになっていたのである。ちなみに明治15年(1882年)には143行もの国立銀行が存在していた。

このように当時は、政府だけでなく国立銀行までが不換紙幣を発行していた。しかし明治10(1877年)までは物価上昇は限定的であった。ちなみに次の表は明治初期の物価指数の推移である。


東京と大阪の物価指数((明治2年を100))
http://www.adpweb.com/eco/eco296.html


東 京 大 阪


明治1年
82 71

明治2年
100 100

明治3年
104 89

明治4年
103 66

明治5年
113 55

明治6年
114 59

明治7年
117 69

明治8年
120 66

明治9年
125 57

明治10年
112 60


これは明治の初期に大きなデフレ・ギャップが存在しており、不換紙幣の発行によって通貨が大量に発行されても、物価が上昇しなかったのである。むしろ通貨の大量流通によって明治初期の経済は活性化したと言えるのである。

•兌換紙幣と不換紙幣

局面が変わったのは、明治10年の西南の役の頃からである。一説では、この戦争の戦費は4,156万円かかっている。明治5年から発行された政府紙幣の「新紙幣」の発行額は合計で1億4,679万円であり、この約20%の2,900万円が西南の役に使われている。つまり戦費の約70%を政府紙幣で賄ったことになる。たしかにこの戦費支出がインフレの一因となっている。ちなみに物価上昇率を表す金貨や銀貨に対する紙幣平均相場は、当時、次の表の通り推移している。なお数字は、金貨・銀貨それぞれ1円に対する紙幣の価格である。

紙幣年平均価格の推移
http://www.adpweb.com/eco/eco296.html

対金貨 対銀貨


明治9年
1.01 0.99

明治10年
1.04 1.03

明治11年
1.16 1.10

明治12年
1.34 1.21

明治13年
1.57 1.48

明治14年
1.84 1.70

明治15年
1.69 1.57

明治16年
1.39 1.26

明治17年
1.20 1.09

明治18年
1.21 1.06

この表を見ても明らかなように、明治10年の西南の役以降、物価が上昇し、段々紙幣の価値が下落している。ところでこれまで筆者は、この頃のインフレの原因を西南の役の戦費と説明して来た。しかしもっと調べてみると、どうもインフレの原因はこれだけではなさそうなのである。当時、明治政府は、旧体制の解体費用の捻出(旧武士階級への秩禄処分など)や殖産興業政策を行っており、どれだけでも資金が必要だったのである。特に大隈重信大蔵大臣などが、インフレ容認政策によって日本の資本主義化を急いだため、このような物価の騰貴を生んだ可能性が強い。

たしかにここまで急激に物価が上昇すると、金利も上昇し、むしろ産業の発展の障害となって来た。この頃には、デフレ・ギャップが消滅し、反対にインフレ・ギャップが発生していたのである。そこで大隈重信は一転、増税による公債・政府紙幣の償却によるインフレの抑制や、官営工場の払下による政府財政負担の軽減などを行った。しかし大隈重信は明治14年(1881年)の政変で失脚した。表の数値のようにインフレのピークも1881年であり、インフレ対策が効果を示し始めた矢先に大隈重信は失脚したのである。

大隈重信の次の大蔵大臣が松方政義である。松方は大隈重信の政策をさらに押進め、緊縮財政と紙幣整理を強引に行った。しかし世の中は、インフレから一転し、デフレとなった。これが有名な松方デフレである。しかし大隈重信時代に既にインフレ終息のメドはたっており、松方のデフレ政策は余計であったという意見がある。表を見る限り、筆者もおそらくその意見が正しいと考える。松方が何もしなくとも、なだらかにインフレは終息していたと思われるのである。インフレ・ギャップの方もそれほど大きくなかったのである。


滝田洋一氏のコラムの話に戻る。これまでの説明のように「明治元年(1868年)から12年(1879年)まで明治政府が発行した太政官札」は話にならないくらいデタラメである。太政官札が発行されたのは、明治元年と明治2年だけである。また少なくとも明治10年までは、物価は極めて安定的に推移している。

また「お札といえど庶民からそっぽを向かれると紙切れになる」も事実無根である。たしかに当初、明治維新政府に信頼はなく、太政官札も大量に発行したため、うまく流通せず、価値は正貨の40%くらいまでに一時的に暴落した。そこで新政府は、発行額を限定し、将来政府発行の新紙幣と交換することを宣言した。これは太政官札(金札・きんさつ)の造りがあまりにもちゃち過ぎたことが、ある程度影響していると思われる。

筆者も写真で現物を見たが、これは酷い。紙幣というより、何かの証文か札(ふだ)のように見える。おそらく日本で紙幣のことをお札(さつ)と呼ぶのも、このような前時代的な紙幣の影響と思われる。まん中に「金五両」「金十両」と書いてあり、判子が押してあるだけである。しかし明治政府の一連の措置によって、明治3年の中頃には、太政官札はちゃんと時価を回復している。つまり兌換紙幣でなく、極めてちゃちな太政官札でさえ、明治3年以降は立派に額面で流通していたのである。

たしかに明治5年(1872年)以降、太政官札などは「新紙幣」に少しずつ交換されていった。明治5年(1872年)から明治10年(1877年)の間に発行された「新紙幣」は体裁をある程度整えた紙幣であった。しかしこれも金と交換できる兌換紙幣ではなく、太政官札と同様に政府紙幣であり、不換紙幣であった。しかし当時はこの「新紙幣」だけでなく、太政官札も信頼され立派に流通していたのである。このこのことは上の表の数値を見ても一目瞭然である(ちなみに明治6年の数字は、それぞれ1.00と1.04と極めて紙幣価格は安定していた)。滝田氏の「庶民からそっぽを向かれ」とは一体何の話であろう。つまり滝田氏の話は全くの「大嘘」である。

さらに「政府と離れた中央銀行(日銀)をつくってお札の発行を任せることになったのもそうした苦労の産物」と言っているが、日銀が初めて兌換紙幣を発行したのは明治18年(1885年)と随分遅い。さらに日銀の兌換紙幣発行によって、政府紙幣や銀行券が過剰に償却され(兌換紙幣ということになれば金や銀の保有量の関係で、当然通貨の発行額は制限される)、逆に一段と松方デフレが進んだ。このため農産物価格は大幅に下落し、多くの自作農家が没落し、土地を手放すはめに陥ったのである。


滝田氏のコラムは、どうも完全に読者に誤解を与えることを意図しているようである。彼は、太政官札などの政府紙幣の発行が多過ぎてインフレが起ったが、日銀が兌換紙幣を発行し、これで政府紙幣を償却したからインフレは収まったというストーリを描きたかったのであろう(全く事実無根の)。しかしインフレの方は、日銀の兌換紙幣発行の4年も前に終息に向かっていたのである(上の紙幣年 平均価格の推移を見ても歴然としている)。このように表題の「太政官札の轍を踏むな」とは一体何のことであろうか。

どうも滝田氏のコラムを読む限り、兌換紙幣が正しく、不換紙幣は邪道という印象を受ける。政府紙幣は不換紙幣である。したがってスティグリッツ教授のアイディアのような不換紙幣である政府紙幣を発行したなら、インフレになるという印象を読者に与えることが目的で、このコラムを書いたと思われる。それにしても日経新聞は「日本は管理通貨制度をやめて金本位制に復帰すべき」と本気に主張するつもりなのだろうか。

スティグリッツ教授が来日し、政府紙幣の発言が行った。このため本誌も予定を変更し、先週・今週と政府貨幣(紙幣)を取り上げた。来週号は、そのまとめとして言い残したことを述べたい。さらに世間の最近の政府貨幣に対する動きについて取り上げたい。筆者も政府貨幣発行政策がすんなりと実行されるとは考えない。しかし急速に政府貨幣に対する関心が大きくなっていることは事実である。

http://www.adpweb.com/eco/eco296.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c2

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
3. 中川隆[-13247] koaQ7Jey 2020年4月16日 16:25:25 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[21]

経済コラムマガジン 03/5/19(第297号)
政府紙幣発行の認知度
http://www.adpweb.com/eco/eco297.html


•明治の経済

先週号で、4月27日日経新聞の滝田洋一編集委員のコラム「太政官札の轍を踏むな」に反論を行った。氏の意見にどうしても反論する必要を感じたのは、このコラムが管理通貨制度の根幹に関わるからである。税制が整わず、支配地域からの年貢の徴収にも限界があり、財源に窮した明治維新政府は苦し紛れに太政官札を発行した。これは政府紙幣であり不換紙幣であった。しかし他に方法がなかったと言え、まだ兌換紙幣が主流であった世界で、一国の政府が不換紙幣を発行したことはある意味では画期的なことである。

つまり今日の世界では常識になっている不換紙幣を発行したのである。たしかに当初は、明治維新政府のこの太政官札も額面では流通しなかった。当初、打歩が打たれ交換比率は額面を下回っていた。先週号で述べたように、一時は額面の4割まで交換比率が下落したのである。しかし政府の打歩の禁止令や発行量を制限すると言った施策を行うことによって、太政官札は額面を回復する。

まさに管理通貨制度の元における通貨政策を、明治維新政府は実行していたのである。しかし太政官札が価値を回復したのは、一連の政策の効果だけではない。国民の明治維新政府への信頼感が増していたことが影響したと考える。つまり政府に信頼さえあれば、金との交換を保証しなくとも、発行する貨幣や紙幣が価値を持って流通するのである。このように明治維新政府は先進的な通貨制度を実行していたのである。

むしろ明治18年に日銀の兌換紙幣が正しいと主張する滝田洋一氏の方がおかしい。日本が金本位制に復帰した主な理由は、世界の諸国はまだ金本位制(日本は、銀本位制とのアジア諸国との関係で、この時代は銀本位制であった)が主流で、貿易の決済の際の為替変動が問題だったからである。特に明治14年までのインフレによる為替変動が貿易の障害になったことが影響していると思われる。国内の経済に関しては、全く金本位制にする必要がなかったのである。

しかしいつの世にも「裏付けのない通貨を発行してはいけない」と言った観念論者がいるものである。彼等は金や生産物の裏付けのない通貨を発行してはいけないと主張するのである。松方デフレの松方大蔵大臣もその典型的な一人であろう。つまりこのような人々は、個人の道徳と国の通貨制度と同一と見なしている。しかし物価の上昇や経済の活動レベルを勘案しながら、適正な通貨発行量を調整するのが国の本来の務めである。


明治10年以降、日本経済はインフレになった。たしかに西南の役や殖産振興のための財政支出が増え、通貨発行量が増えたことが影響している。しかしこの時代のインフレを過度に問題にすることはフェアーではない。まず当時の金融政策に関する調整技術の未熟さを考える必要がある。これを考慮せず、兌換紙幣ではなかったからインフレになったと決めつけることは、あまりにも短絡過ぎる。日銀が兌換紙幣を発行するようになって、日本は一層デフレが深刻になったことをむしろ問題にすべきである。

もう一つはこの時代の産業構造を考慮すべきである。今日と大きく違い、当時の日本は一次産品を中心にした経済である。GDPの大半が農産物などの一次産品、そして一次加工品である。ちなみに輸入品の第一位は綿製品であり、輸出品の第一位が生糸、第二位が茶であった。今日の産業構造とは全く違うのである。

一次産品の特徴は供給量の価格弾力性が極めて小さいことである。一次産品は供給量に融通性がないため(米は年に一回しか収穫できない)、需要がちょっと上回れば価格が高騰し、反対に需要が少し下回ると価格が大幅に下落する性質が強い。つまり価格の乱高下しやすいのが一次産品の特徴である。今日でもこの種の生産物の取引はあるが、GDPに占める比率は極めて小さくなっている。

たしかに過去には、日本の物価も原油価格の動向にいくらか影響を受けた時代もあった。今日では、原油代のGDPに占める比率は小さくなっており、原油代の物価に及ぼす影響は極めて小さくなっている。今日の消費物資は、電機製品や自動車に代表される組み立て加工品であり、これらは需給によって価格が乱高下することはない。さらにむしろこれらの製品は需要が増えるほど、中長期的には、逆に価格が低下する傾向が強い。またサービス消費のうち比重が大きくなっている通信費も同じ傾向にある。

滝田洋一氏は、スティグリッツ教授の提案である「政府紙幣」に対して、今日の経済には何の参考にならない初期の明治の頃のインフレをことさら引き合いに出し、根拠のない批判を行っているのである。しかも先週で説明したように、明治の政府紙幣についてもほとんど事実と違うことを言っている。反対に太政官札が明治初期の経済を活性化させたといった成果は、ほとんど無視しているのである。むしろデフレを加速させた日銀の兌換紙幣発行を評価しているのであるから驚く。


ところで滝田氏のコラムとは別に、最近、松方大蔵大臣のデフレ政策を評価する声があることに驚く。松方デフレによって食い詰めた人々が農村から都会に出たたため、これによって近代産業が発展したというのである。つまり松方デフレは構造改革だったと主張するのである。話は逆であろう。近代産業が発展し、都会に就業機会が増え、人々が都会に集まったと考えるべきである。また先週号で述べたように殖産振興したのは、松方ではなく、前の大蔵大臣の大隈重信たちであった。

このようないびつな見方をするのは、今日の改革派と呼ばれる人々である。小泉改革で建設・土木業が壊滅すれば、新しい産業が興ると言っているのと同じ発想である。そして経済政策の失敗を構造改革と呼んでいるのである(なんと浜口・井上コンビによって引き起された昭和恐慌も、彼等は構造改革と呼んでいる)。今日、小泉政権の経済政策は大失敗ということは、誰でも承知している。つまりこのようないびつな意見の持主は、小泉政権の発足時、経済改革とやらに手放しで賛成していた人々である。彼等の負け惜しみのセリフが「構造改革」である。

松方自身も、デフレ政策を構造改革なんて少しも考えていなかったはずである。たしかに明治10年以降、農産物が高くなり、自作農民は潤った。反対に都市の俸給者や旧武士階級は、米などの農産物が高くなり、生活に窮していた。そして松方は、日頃から「農民は贅沢をしており、けしからん」と言っていた。どうも松方には、農民に対して差別意識があったと思われるのである。それを松方の構造改革と呼ぶのはまさに詭弁である。

•政府紙幣と政治家

5月15日、東京・六本木で第4回の「日本経済復活の会」が開催された。4名の与野党の政治家がゲストとして出席され、スピーチをしてもらった。特に民主党の副代表の岩國哲人氏には、政府紙幣発行による財政政策に関する講演を行ってもらった。岩國議員は元々「政府紙幣」発行に前向きな政治家である。先日も、岩國議員は塩川財務大臣に「政府紙幣」の発行を検討するように話しに行かれたと聞く。

自由党の西村真悟衆議院議員が予算委員会の分科会で、塩川財務大臣に政府貨幣(紙幣)の発行を迫ったことは、前に本誌でも取り上げた。しかしこれらの方々以外にもかなりの政府紙幣発行論者が日本の政治家の中にいる。もちろん自民党にも政府紙幣発行を主張している人々がいる。今回の「日本経済復活の会」に出席してもらった、静岡県選出の衆議院議員の斉藤斗志二(としつぐ)元防衛庁長官もその一人である。

政府紙幣発行政策は、これまで奇策の一つと見なされ、あまり人前で主張しにくい政策であった。しかしこれに賛成しておられる政治家は意外と多くいて、この方々はよく勉強をされている。今日のように経済政策がどんづまり状態では、このような政策が現実味を帯びるのはたしかである。


今日の「日本経済復活の会」は、政府貨幣に関する勉強会から発足した。しかし日本経済復活の会としては、政府貨幣(紙幣)に必ずしもこだわっていない。まず政府の政策が積極財政に転換する必要があることを主張し、なるべく広く賛同者を増やすことが第一と考えている。

たしかに世の中には、積極財政を唱えるエコノミストがいるが、彼等はその財源を明らかにしない。したがって彼等の主張する財政政策の規模は5兆円とか、せいぜい10兆円といった小規模なものである。しかし筆者達は、この程度の政策では効果が限られていることを承知している。我々はもっと大きな財政政策を、しかも何年も続けることが必要と訴えているのである。

我々が考えるこのための財源はまず国債の発行である。しかし国債の発行額が増えれば、金利が上昇する。したがってこの金利の上昇を一定の範囲に収めるには、日銀の国債の買増しが必要になる。都合の良いことに、日銀による国債の購入分は、実質的に国の借金にならない。

しかしこれには、日銀の協力が必要になり日銀の対応がどうしても問題になる。ところが日銀は国債の買入れに限度額を設けている。一応、日銀券の発行残高が国債の買入れ限度という内規が存在するのである。しかしこのことはあまり知られていない。日銀がこの限度額を柔軟に考えているのなら問題はない。しかしどうしても日銀が、国債の買入れの限度にこだわるというのなら話は別である。この場合には、最後の手段として政府貨幣(紙幣)という手段を留保しておく必要があると筆者は考える。

多くの人々が政府貨幣(紙幣)に賛同してくれることが理想であるが、どうしても政府貨幣(紙幣)に抵抗を示す人がいる。このような人々の多くは、国債の発行で賄えると考え、わざわざて政府貨幣(紙幣)を発行することもないと考えている。しかしこのような人々の中には、日銀の国債の買入れ限度という内規を知らない人がいる。いずれにしても、経済政策が転換するということになれば、財源の問題は避けて通れない。筆者は、その中で良い知恵が必ず生まれてくるものと考えている。まず政策転換が第一である。

りそな銀行への公的資金投入や為替の変動など経済を巡る環境がちょっと大きく変化している。来週号は、これらを取上げるつもりである。

りそな銀行への国費投入は波紋を呼んでいる。正直いって筆者も驚いた。先週の15日、霞ヶ関の4号合同庁舎の10Fに訪ねる人があり、筆者は、日本経済復活の会の会長の小野盛司氏と一緒にエレベータに乗った。ところが間違えて、9Fまでしか行かないエレベータに乗ってしまった。そして到着した9Fがまさに話題になっている金融庁である。エレベータホールにこの時沢山の人々がいたことが印象に残っている。

この前日、同様に小野さんと二人で、自民党の経済政策のキーパーソンと言われている国会議員を訪問し、我々の主張している政策を説明した。我々の政策を大変喜んでいただき、「別の議員を集めるから、そこでまた説明してくれ」と言ってもらった。

この数日の間、これらの政治家以外にも、何人かの政治家やマスコミ人に接触する機会を持った。しかしりそな銀行の件はまったく話題にならなかった。筆者は、どうも「りそな銀行」の件に、政治はほとんど関与していないという印象を持っている。たしかに一民間銀行の問題に政治家が立入ることは問題かもしれない。しかし大丈夫と言われていた銀行に多額の公的資金が投入され、経営陣が交代するのである。

りそな銀行の件は、他のメガバンクに波及することは必至である。そしてこのよう重大なことに政治が全く関与しなくて本当に良いのか疑問である。小泉首相も事後に報告だけを受けたようである。思い出すのは拓銀や山一の破綻である。この時も政治はほとんど関与していなかった。もっとも「構造改革なくして成長なし」の政治家に、何を相談しても意味がないのはたしかである。

http://www.adpweb.com/eco/eco297.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c3

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
4. 中川隆[-13246] koaQ7Jey 2020年4月16日 16:36:59 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[22]

経済コラムマガジン 03/4/21(第294号)
http://www.adpweb.com/eco/eco294.html


ノーベル経済学賞受賞のスティグリッツ教授が、日経新聞の招きで来日し、シンポジウムで意見を述べている。デフレからの脱出には、円安や消費税減税に加え、政府紙幣(貨幣)発行による積極財政を主張している。ほとんど筆者達と同じ主張である。一気に政府紙幣(貨幣)発行が注目を集めている。本誌ではかなり以前から取上げていたが、日本では政府紙幣(貨幣)発行はほとんど知られていない政策である。世の中も変わったものである。

まだ政府紙幣(貨幣)については理解が十分になされていない。日銀のある理事は「日銀券が政府紙幣に置き換わるだけであり、問題を解決する方策とは思えない」と反論していた。これは全くの誤解である。政府紙幣を発行するとは、これを使って財政政策を行うことを意味する。つまり所得を発生させるようなマネーサプライを増やすことを意味しているのである。政府紙幣を使って銀行が持っている国債を政府が買上げるような政策は想定していない。

政府紙幣に対して、岩田一正日銀副総裁は「国債の日銀引受け同様に、日銀の独立性を脅かす」と反論している。これに対してスティグリッツ教授は「世界的に中央銀行の独立性があれば経済が回復するとの証拠はない」と反論している。さらに政府紙幣の発行量に制限を設ければ、問題はないといっている。全くその通りである。

だいたい内閣府出身の岩田一正日銀副総裁は「インフレ目標実現のため、日銀にETFやREITを買わせろ」と言っていた人物である。そのような人物が急に「日銀の独立性」といっているのであるから驚く。また中央銀行による国債買入れの方も、今週号で説明したように米国などが大々的にやって来たように、経済状況によって行われるむしろオーソドックスな政策である。日銀がETFやREITを買う方が、よほど異常な政策である(既に誰か関係者がETFを高値で買っているのであろうか)。筆者の印象では、この岩田副総裁自身が日銀でも浮いている存在のような気がする。

財務省もスティグリッツ教授を招いて講演会を行っている。これがどういう意味を持つのか、ゴールデンウィーク中考えてみるのも良いかもしれない。「感」の鈍いエコノミスト、政治家、官僚は世の中の流れがひょっとしたら大きく変わろうとしていることに、全く気がついていないのかもしれない。

政府紙幣(貨幣)に関して、本誌は以前、政府貨幣発行権を日銀に売却し、日銀振出しの小切手を受取る方法を説明した。これに関して知人が財務省と日銀に照会していた。財務省からの回答は「政府が政府紙幣(貨幣)を作成し、それを日銀に持ってゆき、日銀の口座である国庫(政府預金口座)に入金してもらえば、政府貨幣発行となる。」『「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年法律第42条)第4条3項』であった。どうもやはり政府紙幣(貨幣)の現物をまず作成(金額の制限はない)する必要があるみたいである。

スティグリッツ教授の主張通り、政府貨幣を発行し、これを財源に積極財政を行えば、日本もデフレ経済から脱却できる。銀行の不良債権も処理が簡単になり、失業も減る。政府紙幣は借金ではなく、もちろん財政は急速に良くなる。困るのはこれまで「規制緩和」や「構造改革」で日本経済が良くなると大嘘をついてきた連中である。これらの主張が虚言・妄言ということが証明されるのである。したがってその代表格である内閣府出身の岩田一正日銀副総裁などは、スティグリッツ教授の主張を否定するのに必死である。
http://www.adpweb.com/eco/eco294.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c4

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
5. 中川隆[-13245] koaQ7Jey 2020年4月16日 16:39:04 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[23]

経済コラムマガジン 03/3/10(第288号)
http://www.adpweb.com/eco/eco288.html

政府貨幣の理解


•由利公正と政府貨幣
先週号で述べた通り、明治の維新政府には、政権樹立当時、財源がなかった。そこで新政府の財政を担当していた由利公正(五箇条の御誓文の起草者)が中心となって、「太政官札」と言うお札を発行した。これは戌辰戦争の戦費にもなった。新政府は、この「太政官札」や「民部省札」を印刷し、これを歳出に充てていた。特に慶応3年12月から明治2年9月までの2年弱の間、なんと歳出の93.6%がこの政府紙幣の発行収入によるものであった。

この政府紙幣は、不兌換紙幣で、金との交換の保証はなかった。明治政府の信用で流通したのである。つまり今日の通貨と同じである。しかしこのような政府紙幣がどんどん発行されても、インフレは起らなかった。維新当時、社会の混乱もあり、経済は低迷していた。つまりデフレ・ギャップが存在していたのである。ちなみに次の表は明治初期の物価指数の推移である。

東京と大阪の物価指数(明治2年を100)

東 京

大 阪


明治1年
82 71

明治2年
100 100

明治3年
104 89

明治4年
103 66

明治5年
113 55

明治6年
114 59

むしろ政府貨幣が発行されたため、明治の初期には経済は活発化した。これも当時、世の中にデフレ・ギャップ、つまり生産余力が存在していたからである。

今日、明治維新の立て役者は西郷隆盛や木戸孝允達ということになっている。しかし筆者は、一番の功労者は由利公正だと思う。もし明治新政府が、財源を政府紙幣でなく、初めから徴税に求めていたなら、人々から反感を買い、政治の運営も難しかったと思われる。さらに当時のデフレ状態を考えれば、もし新政府の運営費を無理矢理税金で賄っておれば、デフレが一層悪化していたと考えられる。

明治政府は、世の中が落着くにつれ、税制を整備して行った。その後、西南の役の戦費が嵩んだため、政府紙幣の発行量が増え、一時インフレになった。そこで増税などによって政府紙幣を回収し、このインフレを抑えた。つまり生産力に余力がある場合には、政府紙幣の発行は優れた政策である。しかし需要大きくなり過ぎて、これが生産力をオーバーする時には、政府紙幣の発行を控えめにするか、もしくは回収する必要がある。常識と言えば常識である。

世の中には「裏付けのない通貨は発行してはならない」といった意見の人が結構いる。これは金本位制、あるいは兌換紙幣の発行の概念である。しかし筆者の知る限りでは、世界で今日兌換紙幣を発行している国は思い当たらない。金本位制では経済がうまく行かないから、管理通貨制度を採用しているのである。また「生産物があって始めて通貨は発行できる」と考える人もいる。これはマルクス経済学の労働価値説のまがいもののような考えである。このような考えでは、明治新政府は潰れていたであろう。

このように個人の道徳と、国の通貨制度を混同している人が多い。おそらく国の通貨発行を犯罪者が行うニセ札造りと同等と考えているのである。企業倒産が多発し、失業が大きいデフレ経済においては、通貨の流通量を増やすことが常識であり、反対にインフレギャップが発生するようなら、通貨を回収すれば良いのである。「裏付けのない通貨は発行してはならない」という人は、自分が今日の管理通貨制度を否定していることに気が付いていないだけである。つまりこのようなことを言って満足している人々は、自分の言っていることの意味がまるで分っていないのである。

•惜しかった話

セイニア−リッジ(seigniorage)権限(政府の貨幣発行特権)についてもう少し説明する。発音は「シーニィョアーリッジ」という方が近いようだ。これは封建時代の領主の権利を意味する。つまり昔の領主はやりたい放題で、お金も自分で造り、これを流通させていたのである。たしかに貨幣を自由に造ることができるなんて、こんなに良いことはない。しかし領主の儲を別にすれば、人々がこれの価値を認め、日々の生活や取引にこの貨幣を使うなら、金の裏付けがなくとも問題はない。さらに領主が、領民を他国からの侵略から守ってやったり、領内の治安を維持したりしているなら、儲はこのコストに見合うという考えもある。

日本でも昔から藩札が発行されており、これもセイニア−リッジの一つである。明治以降の近代社会になって「太政官札」などの政府紙幣が発行されている。ちなみに日銀が創立したのは、明治15年であり、日銀が兌換紙幣を発行したのが明治18年である。また民間銀行である渋沢栄一の第一銀行が兌換紙幣を発行したのは、日銀より早く、明治6年であった。つまり明治時代は、兌換紙幣より政府紙幣の発行の方が早かったのである。

もちろん今日の政府も政府貨幣を発行することができる。「政府貨幣」の発行は、独立国家固有の権限である。日本現行法では「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年6月1日、法律第四二号)で定められている。同法の第四条には「貨幣の製造および発行の権能は、政府に属する」と明記されている。また同法によれば「貨幣」の素材や形式などは政令で定めることになっているのである。

今日使用されている、一円玉、100円玉などの補助貨幣もこの法律に基づいて発行されている。記念コインの発行も同様である。また「貨幣」の素材や形式などは政令で定めることになっているから、コインの形ではなく、紙幣でも一向にかまわないわけである。

さらに同法には、政府貨幣発行に関しては、発行額の制限や担保の規定はない。発行は政府の自由である。ちなみに政府貨幣の額面から製造コストを差引いた額が、貨幣鋳造益となり、政府の収入になっている。


筆者達は、政府貨幣の発行政策、あるいはそれに類する政策を実現させるため、一年以上、勉強会や色々な活動を行って来た。半年前までは、もしこのような政策が実現されるとしても、相当先の話と覚悟していた。しかし最近になって、世間も徐々にこれに注目するようになった。亀井前政調会長も「政府紙幣」に言及したりしている(本人は政府紙幣ではなく金利ゼロの国債を発行し、これの日銀引受と言っている)。

しかし最近、政府貨幣の発行について財務大臣に質問を行った国会議員が現れた。自由党の西村真悟議員である。予算委員会の分科会で塩川大臣に政府貨幣を発行することを迫っている。さらに日本経済復活の会の小野さんのシミュレーション結果を紹介し、積極的な財政政策に転換した方が財政再建に良いことを主張している。そして今日のような緊縮財政を続けることが、却って財政赤字を増やすことになることを指摘している。

この西村議員と塩川財務大臣のやり取りがインターネットで聞くことができる。URLは

http://www.shugiintv.go.jp/meta/19749-537-b-j.wvx

である。

これが大変面白く聞いてみる価値がある。ただちょっと長いので、ちょうど半分くらいの所から聞くことをお薦めする。

しかしパソコン環境によっては、このファイルを読めない人もいる。そこで簡単にやり取りの山場だけを紹介しておくことにする。西村議員の質問に対して、財務大臣は自らの戦前の経験から「何種類もの通貨を使うことが面倒で混乱した。この経験から政府紙幣を新たに発行するのは混乱の元と思われるので、発行は考えていない」と答えていた。そこで西村議員は「政府貨幣を発行し、これを日銀に売却するといった方法がある」とさらに追求したが、話はそこまでであった。

もしもう少し時間に余裕が有り、議員が、「政府貨幣の発行権を日銀に売却し、日銀振出しの小切手を受取れば、何も新紙幣を発行する必要がないこと」を説明し、財務大臣がこのことを理解してくれたなら局面が変わっていたかもしれない。戦前のような種類の違った紙幣が流通させる必要はなく、日常生活には全く影響はないことを解ってもらうのである。またこの方法なら自動販売機や券売機の読取り装置の修正は必要ない。もし塩川大臣がこのことを理解したなら、答弁の様子から案外「それなら良いかもしれない」と答えていたかもしれないのである。質議時間が限られていたといえ、実に「惜しい話」である。

たしかに予算委員会の分科会にはめったにマスコミが取材にこないので、この質議は世間にほとんど知られていない。しかし分科会と言え、政府貨幣(紙幣)について国会で質議が行われたことは画期的なことである。ちゃんと議事録もある。

ところで小野さんのシミュレーションは各方面から注目を集めており、小野さんはかなりの与野党の国会議員にも説明を行っている。筆者も何回かこれらに同席して、たまには議員さんの質問に答えることがある。特に自由党の西村真悟議員は熱心で、2回は説明会に出席しておられるはずである。ただ西村議員のシミュレーションの引用が、最近の小野さんの説明とちょっと異なる。最初の頃は、小野さんは、議員が引用したように減税だけのケースを中心にしたシミュレーション結果で説明していたが、今は主に財政支出と減税を組合わせたケースを用いている。

来週号はさらに時代を遡って、江戸時代のデフレと貨幣発行をテーマにするつもりであったが、諸般の事情でこれはもう少し延期する。来週号のテーマは今のところ未定である。今週号は丹羽春喜大阪学院大学教授の著書を参考にさせてもらった部分が多かった。教授からは、さらに別の論文を送ってもらう予定なので、この時代の経済はもう一度取上げるつもりである。


最近の株価、為替さらに国債利回りの動きが奇妙である。筆者がそう感じたのは、2月24日頃からである。ちょうど日銀の総裁・副総裁の人事が発表されてからである。国債利回りを別にして、それまでは株価・為替にはかなり力強い介入があって値を保っていた。しかし24日を境に、介入は行われているようであるが、値を維持しようと言う意志が感じられない。特に株のPKOは目立たなくなっている。日銀人事も決まり、小泉政権にはもう用はないようにも感じられる。

銀行決算における持株の評価は、三菱が月末日で、他は月中の日々の終値の平均を使っている。つまりほとんどの銀行の持株の評価は既に始まっているのである。ここで各銀行が3月の株価の推移をどれくらいに想定して、決算対策を行っているのかがポイントとなる。増資額もそれを前提にしていると思われる。

竹中大臣も「ETFを買え」と言っていたくらいだから、誰もが3月の株価はかなり戻すと思っていたはずである。しかしこの竹中発言が問題になり、さらに日興ソロモンの不祥事で、これも怪しくなった。したがって今後の株価動向によっては、株価自身や国債利回りにも影響が考えられる。もちろん銀行貸出しの回収にも影響が発生すると考えるべきである。

銀行の増資や外貨建て債権・債務の減少、さらに昨年末比で為替は円高になっており(外貨建て債権・債務がさらに圧縮される)、バランスシート上では、自己資本比率を十分維持できるものと当初考えていた。しかしどうも事情が変わって来たかもしれない。いずれにしても10日からの株価動向は注目される。
http://www.adpweb.com/eco/eco288.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c5

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
6. 中川隆[-13244] koaQ7Jey 2020年4月16日 16:44:28 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[24]

経済コラムマガジン 03/3/3(第287号)
http://www.adpweb.com/eco/eco287.html


軽視される高橋是清の偉業


•歓迎されるデフレ主義

今日、日本経済の状態を誰でもデフレと思っている。明治以来、一般にはっきりとデフレと認識されているのは「松方デフレ」と「昭和恐慌」である。ところでIMFの基準では、2年連続して物価が下落した場合をデフレと称している。前者の「松方デフレ」はこの定義にはまらない。むしろ筆者が日頃主張しているような「大きなデフレギャップが存在している状態がデフレである」の方が当て嵌まるようである。

明治の維新政府は、税制など歳入システムが未整備のままスタートした。政府支出の大部分は、太政官札などの政府紙幣の発行によって賄われていた。当初は、デフレギャップが存在していたので、物価も上昇せず、経済も順調に拡大した。しかし明治10年の西南の役の戦費がかさんだ。このための政府紙幣が大量に発行されたことが原因でインフレが起った。流通通貨の増大でインフレギャツプが生じたのである。農産物が高騰し、農村は潤ったが、都会生活者、特に恩給暮しの者達は困窮した。

そこで政府は、増税などによって政府紙幣の回収を始めた。この結果、物価動向も落着いた。しかし新たに登場した松方政権はさらに多くの政府紙幣の回収を行った。この結果、大幅に需要が減り、逆にデフレになった。農民も農産物を売り急ぐようになり、農産物価格は大幅に下落した。物価の下落は農産物にとどまらず、全ての商品に及んだ。これが有名な「松方デフレ」である。原因は過剰に政府紙幣の回収を行ったことである。どうも松方は日頃から「農産物の値上がりで、農民は贅沢をしている」と考えていたらしい。


昭和恐慌は、第一次世界大戦時の好況の反動が発端である。1914年第一次世界大戦は起ったが、日本は戦場にならず、輸出の増大で日本経済は大いに潤った。しかし大戦が終わり、列強が生産力を取戻すにつれ、日本経済は落込んだ。1920年以降、日本経済はずっと不調が続いた。特に27年には金融恐慌が起り、取り付け騒ぎや銀行の休業が到るところで見られた。

ところがこのような経済が苦境の最中の29年に発足したのが、浜口幸雄内閣であり、蔵相が元日銀総裁の井上であった。なんとこの浜口・井上コンビはデフレ下で緊縮財政を始めたのである。ところが浜口首相は「ライオン宰相」として国民から熱狂的な支持を受けていた。前の田中義一首相が、腐敗などによって国民から反感をくっていた反動と思われる。

浜口首相は「痛みを伴う改革」を訴え、「全国民に訴う」というビラを全国1,300万戸に配布した。内容は「・・・我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのいで、後日の大いなる発展をとげなければなりません」と言うものであった。実にこの首相は小泉首相と酷似している。そして国民から熱狂的に迎えられたと言う点でも両者は共通している。昔から日本ではバンバン金を使う者より「緊縮・節約」を訴え、「清貧」なイメージの指導者の方が、少なくとも当初は支持を集めるのである。最近、公共事業に反対する候補者がどんどん選挙に勝った。これもこのような日本人の心情を理解すれば納得できる。


しかし不況下でこのような逆噴射的な経済運営を行ったため、経済はさらに落込み、恐慌状態になった。当り前の話である。浜口・井上コンビは財政政策だけでなく、為替政策でも大きな間違いを犯した。「金輸出の解禁」である。

ここで為替制度をちょっと説明する。為替を変動させておけば、総合収支尻は、為替の変動によって自動的に調整される。ところが為替を固定させておくと、総合収支の決済尻をなにかで埋め合わせる必要がある。輸出が好調で総合収支が黒字の場合には問題がないが、反対に赤字の場合には国際的に価値が認められている「金」などで決済することになる。つまり「金輸出の解禁」は、変動相場制から固定相場制、そして金本位制への移行を意味する。

さらに浜口・井上コンビは固定相場に復帰する際のレートを日本の実力以上に設定した。実勢より一割も円高の水準で固定相場に復帰したのである。これは単純に以前の固定相場の時のレートを採用したからである。この二人は、蔵相や日銀総裁を経験した経済のプロと思われていた人物である。しかし頭が固い(悪い)のである。

浜口・井上コンビの狙いは、構造改革で競争力を高め、輸出を増やして、不況から脱することである。しかし設定した固定為替レートは高すぎ、逆に輸入が増えた。また貿易業者は、輸入代金を市場から外貨を調達して払うのではなく、高い円で金を買い、これを送って決済した。金はどんどん輸出され、日銀の金の保有量が減った。金本位制のもとで金の保有が減ったため、政府は財政支出を減らす必要に迫られた。これによって経済はさらに落込んだ。この結果、財政支出を削っているにもかかわらず、財政はさらに悪化したのである。

さらに29年のニュヨーク株式相場の崩壊から始まった世界恐慌の影響も日本に及んで来た。日本では街に失業者が溢れ、大幅な賃金カットが行われ、労働争議が頻発した。特に農村は、農産物の大幅な下落によって大打撃を受け、「おしん」のような娘の身売り話も増えた。

このため農村から離れる者が増えた。しかし一方、逆に街で働いていた人々が失業して、どんどん農村に帰って来た。彼等は元々農家の次男・三男達であり、帰農者と呼ばれた。帰農者は明らかに失業者である。しかし井上蔵相は「帰農者は失業者ではない」と主張している。元々彼は「失業はたいした問題ではない」と言う認識の持主である。そして失脚後の32年2月に彼は暗殺された。今日の日本政府も、失業者のほとんどは「ミスマッチ」と言っている。本当によく似ているのである。

•歴史学者のマルクス主義史観
30年の5月、浜口首相は、ロンドン軍縮会議・五カ国条約の批准に不満を持った分子に襲撃された。次の首相の若槻礼次郎首相も構造改革派であった。したがって日本経済はどん底状態になった。そしてついに31年12月に政友会に政権交代が行われ、犬養毅内閣が発足した。犬養は、以前首相も経験したことのある高橋是清に大蔵大臣就任を懇請した。

高橋は矢継ぎ早に、デフレ対策を行った。まず「金輸出の解禁」を止め、さらに平価の切下げを行った。最終的には約4割の円安になった。そして積極財政に転換し、その財源を国債で賄った。さらにこの国債を日銀に引受けさせることによって金利の上昇を抑えた。実に巧みな経済運営である。

そこでまず当時の経済成長率の推移を示す。


昭和恐慌時の実質経済成長率(%)

経済成長率


1927
3.4

1928
6.5

1929
0.5

1930
1.1

1931
0.4

1932
4.4

1933
11.4

1934
8.7


32年からの経済成長は実にすばらしい。実際、列強各国はこの時分まだ恐慌のまっただ中であり、日本だけが恐慌からの脱出に成功したのである。

1932年に国債の日銀を引受けを始めたが、物価の上昇は、年率3〜4%にとどまっている。1936年までに日銀券の発行量は40%増えたが、工業生産高は2.3倍に拡大した。そしてこの間不良債権の処理も進んだのである。

今日の日本政府の経済運営はミスの連続であるが、昔は賢明な政治家もいたものである。高橋是清は日本人の誇りである。なにしろケインズの一般理論が世の中に出たのが36年の12月であり、実にその5年前に既にケインズ理論を実践したのが高橋是清である。今日でこそカルトまがいの経済学者がよくノーベル経済学賞を受賞しているが、もっと昔からノーベル経済学賞があったら、高橋是清こそこの賞にふさわしい人物である。筆者は、昔から、くだらない経済学者より、実際に経済界で活躍し、人々に貢献した政治家や実業家にこそノーベル経済学賞は与えられるべきと考えている。


しかし高橋是清の業績は、今日あまり人々に知られていないだけでなく、時には全く違う解釈がなされている。今週号を作成するに当り何冊かの本を参考にした。特に歴史学者の評価が問題である。

学者の中には高橋是清の政策を軍需インフレ政策と指摘している者もいる。たしかに軍事費は増大したが、これも当時の国際的な緊張の高まりを考えると、簡単には否定できない。また世界恐慌の脱出のために軍事費を増やしたことは列強各国に共通している。しかし本格的に軍需支出が増えだしたのは37年以降である。むしろ経済があまりにも順調に回復したので、インフレの徴候が現れ、是清は引締め政策に転換し、軍事予算を削ろうとした。このため軍部の反発をかい36年の2.26事件で殺されたのである。つまり軍事費が本当に増えだしたのは、高橋是清の死後である。

高橋是清は、軍事予算を増やすと同時に地方での公共事業費を増やしている。学者は、これは土木業者だけが潤ったと、いつも通りのパターンの批難をする。しかしこれによって失業が減ったのは事実である。少なくとも高橋財政政策によって、有効需要が増え、設備投資も増え、都市部の勤労者は潤った。年に10%の実質成長率を達成できれば、かなりの経済問題が解決の方向に向かうのは当然である。

歴史学者は、高橋是清の政策は、インフレの目を残す政策と言っている。たしかに急速に景気が回復したため、イフンレの徴候が現れた。そこで高橋是清は一転、金融引締めに動いた。日銀が引受けた国債の90%を市中に売却し、余剰資金の回収を行ったのである。実に柔軟な経済運営である。たしかに日銀の国債引受けによる資金調達と言う手段は、軍備拡張を可能にし、インフレの種なったのは事実である。しかし先ほど申したように、軍需予算が急増したのは、高橋是清が暗殺された以降の話である。

歴史学者の中には、農村の経済が上向かなかったことを指摘する者もいる。しかし当時、農村では凶作が続いていたのであり、これを高橋是清の責任にすることはできない。どうも歴史学者は、高橋是清の政策を過少評価したり、間違った印象を与えるような記述を行いたがる。これには何か変な意図を感じるのである。

昔から歴史学者にはマルクス主義者や、これに強い影響を受けた者が多い。つまり彼等は、資本主義経済は必然的に恐慌に陥ると言う確固たる歴史観を持っている。したがってこれに対する是清が行った有効な政策に対しては、「将来にインフレの元になった」、「ダンピング輸出」そして「軍事国家への道をつけた」と言った具合にケチをつけるのである。日本の教科書も彼等の影響を受けており、高橋是清の奇跡的な偉業に対する記述がほとんどない。

とにかく日本教科書では、デフレ時にインフレ的手法を用いて経済を立直した為政者の評価が低い。逆に「わいろ」が横行したといった記述がなされたり、流通貨幣増大策を「悪貨は良貨を駆逐する」といった表現で否定する。逆にデフレ政策を押進めるような「清貧の思想」を持った政治家を持上げる傾向が強い。歴史学者は、経済がデフレに陥り、最後に民衆が立上がり、革命が起ることを期待しているのであろう。これも長い間、日本の歴史学者がマルクス主義の影響下にあったからと筆者は見ている。

来週号は、さらに時代を遡り、今週号でもちょっと触れた明治政府の政府紙幣発行を取上げる。

日本経済復活の会の活動では、小野さんが「財政政策を行ったほうが、財政再建に貢献し、失業が減る」というシミレーション結果を各方面で説明している。筆者も時々同席している。聞いている人の反応はとても良い。これまで財政再建には緊縮財政を行うのが当り前という空気が強かったが、これが間違いだということを証明したのである。

大きなデフレギャップが存在するデフレ下では、流通貨幣増大を伴う財政政策が常識の政策である。理論だけでなく、シミレーションでも確認できたのである。さらに今週号で取り上げたように、歴史的にもデフレ克服には、円安・財政政策、そして低金利政策が有効であることが証明されている。

http://www.adpweb.com/eco/eco287.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c6

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
7. 中川隆[-13243] koaQ7Jey 2020年4月16日 17:19:05 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[26]

経済コラムマガジン 02/9/9(第265号)
http://www.adpweb.com/eco/eco265.html

セイニア−リッジ政策の推進(その1)

•セイニア−リッジ政策の勉強会

さる8月29日、霞ヶ関の霞山会館で、恒例の丹羽春喜大阪学院大学教授を中心にした勉強会が開かれた。この勉強会は、単にセイニア−リッジについて勉強することに止まらず、セイニア−リッジ権限(政府の貨幣発行特権)政策を具体的に推進することが目的である。今回は、当経済コラムマガジンの読者の方にこの会合への参加を募った。これには12名と、当方の予想を大きく上回る参加希望者があり、最終的には10名の方々(学生や公務員を始め、不動産業の方や医師、そして大学の客員教授と様々)が出席された。中には鹿児島、和歌山、京都と言った遠隔地からの参加もあった。これも今日の経済が難しい状況にあることを、それだけ多くの人々が実感されているからと考えている。

新しい出席者の紹介と経過報告の後、会合は丹羽教授の話から始まった。しかし今回は、コラムマガジンの読者の参加を含め、新しいメンバーが10名以上もいたためか、ちょっと教授が張りきり、話が長くなった。このため次に発表を予定していた筆者の持ち時間が15分間になってしまった。したがって筆者の話の大半は次回への持越しとなった。実を申せば、筆者以外にさらにもう一人話をする予定であったが、これも持越しである。中には筆者の話を期待して参加された方もいたかもしれない。そのような方には、今回は大変申し訳がないと感じている。


たしかにセイニア−リッジ政策はここに来て、世間の注目を集めるようになっている。我々の働きかけもあってか、国会議員などの政治家の中にも、政策広報に「政府の貨幣発行特権」政策を訴える人がちらほら現れている。また丹羽教授も、文芸春秋社のオピニオン雑誌「諸君」の最新号(10月号)で対談を行っている。対談は丹羽教授を含め4名の経済学者の間で行われた。そのうちの一人は、最近中央公論で「政府の貨幣発行特権」による銀行の不良債権処理を主張した、榊原英資慶大教授である。4名の対談ではあったが、どうも丹羽教授VS榊原教授と言う図式が濃かったようである。これについては、是非「諸君」の10月号を読んでいただきたいが、本誌でも来週号で取上げることにしたい。

他にも丹羽教授には、セイニア−リッジ政策に関して経済雑誌からの執筆依頼が来ているようである。このようにこれまで話題にも上らなかったこの種の政策に、少しずつではあるが、確実に人々が関心を持ちはじめた兆しが見られる。もし来年の今頃に「セイニア−リッジ、あるいは政府の貨幣発行特権」と言う言葉が、人々の間で一般的になっているようなら、日本の経済政策も大きく方向が変わって行く可能性があると言うものである。

今回の会合には出席された経済コラムマガジンの読者の方の中に、銀行系のシンクタンクの方がいた。この方の話では、このシンクタンクでも最近「セイニア−リッジ」が注目されていると言うことである。そしてどうも「セイニア−リッジ」に関して入手できる文献の大半は欧米の学者のものであり、日本の学者のものはほとんどないと言う話である。そのような事情で、「セイニア−リッジ」に関して日本で唯一の専門家と言える丹羽教授の話を聴きたかったとのことである。


次回9月のこの会合は、26日(木)午後6時開催の予定である。もし読者の方で、これに出席されたい方は、aqua@adpweb.comにご連絡いただきたい。なお出席名簿作成の関係で、メールには、お名前、お住いの都道府県名、簡単なご職業名を記入していただきたい。会費は6,000円で、これは会場費と弁当代(ビール1本つき)、プラス諸経費(資料コピー代など)である。

•内部疾患の「徴候」

筆者は、このコラムを作成するにあたって、時々当コラムのバックナンバーを読むことがある。たまたま読んだ3年前の00/10/9(第180号)「財政赤字とマスコミの扇動」では、日経ビジネスの特集「日本はまた沈む」を取上げていた。驚くことにこの特集の副題はなんと「2002年、国債暴落のシナリオ」であった。2002年とはまさに今年ではないか。しかし現実は、それ以降も国債は買われ、国債価格は上昇を続けている。実際、今回の勉強会に参加者の中には短資会社系列の債券のブローカの方(この人も経済コラムマガジンの読者)がいて、「とても国債の暴落と言う状況は考えられない」と言っていた。一体、日経ビジネスは今日の国債価格の上昇をどのように弁明するのであろうか。

日経ビジネスの論調は、これだけではなく、ずっとおかしな状態が続いている。もちろん論調がおかしいのは日経ビジネスだけではない。内閣府(前の経済企画庁)の経済白書も相当おかしい。日本中がこのようなことになったのも、米国に留学し変な経済学を学んできた者や、同様の考えを持ったエリートと称される人々(新古典派の中でもニユークラシカルと言われている人々)が、あらゆる分野で主導権を握るようになったからと考える。彼等は、「痛みを堪えて構造改革を行えば、立派に日本経済は蘇る」と言った「虚言」を盲信している。そしてこれに近い政策が進められているのが、今日の日本である。しかし実態は、構造改革の名の元に「構造の破壊」が行われているだけである。

ポール・グルーグマン教授は「需要政策を伴わず、設備廃棄を進めれば(銀行の不良債権の処理も進め方によっては、設備廃棄と同じことになる)、経済はスパイラルに陥る」と警告している。筆者もこの意見に賛成である。ちなみにアルゼンチンでは観念論者の前大統領が盲目的に構造改革を進め、多くの人々が職を失った。そして失業者の多くがタクシーのドライバーになったと言う話である。しかしそのタクシードライバーのほとんどは今はどこに行ったのか分らない状態と言うことである。おもしろいのはこの観念論者の大統領は、国民総背番号制実施には異常にこだわったと言う話である。まさにどこかの国の話のようである。ところでこのアルゼンチンの経済の破綻については、そのうち取上げることにする。


以前から筆者は、今の経済政策が続く限り、絶対起らないものとして「ハイパーインフレーション」と「国債価格の暴落」であると断言してきた。まさに今日、物価は下落を続け、前述の通り国債の価格は上昇している(つまり国債利回りは低下を続け、とうとう1.2%を切る水準に来ている)。ところで日本では、物価が下がり、国債が買われていることはむしろ良いことと認識されている。これらを問題視する人はほとんどいない。しかしこのことは大きな間違いと筆者は考える。これらは経済が重症の内部疾患に冒されている「徴候」と言うのが筆者の見解である。


先進国の中でインフレターゲット政策を行っている国の一つが英国である。インフレターゲット政策と言うと、一般には金融の調整によって物価の上昇を一定に抑える政策と理解されている。しかし英国の場合には、物価上昇率の上限を設定するだけでなく、下限も決めている。過度の物価上昇だけが、悪い現象として捉えられているのではなく、物価があまり上昇しないか、あるいは下落することに警戒感を持っているのである。英国のインフレターゲットは、年率1.5%から2.5%に設定されている。つまり物価上昇率が2.5%を越えないことはもちろんのこととして、逆に1.5%を下回らないこととされている。

英国では、物価が上昇しないことをデフレのシグナルと捉えている。英国のように長い間デフレで苦しんだ国は、デフレに対して警戒心があるのであろう。このような背景もあってか、物価上昇率が1.5%を下回った場合には、金融政策の責任者である中央銀行の総裁は、政府に始末書を提出することになっている。「物価上昇率がゼロになるまで金融の緩和を続ける」と「のんきな」ことを言っている日銀とは大違いである。やはり根本的に、日銀は、いまだに物価上昇を阻止することにしか関心がないのである。


また日本では国債の利回り(長期金利)が低下を続けていることに警戒感がない。このようなことが起るのは、それだけ民間に資金需要がないからである。さらに最近では、銀行は貸付金の回収を活発化させており(かなり強引な金利の引上げ交渉が行われていると聞く)、この回収した資金の一部で国債を購入している構図ができている。そして銀行の国債保有額は今日ピークに達している。

本来なら、これまで国債利回りが3%程度で推移するくらいまで国債を発行し、その資金を財政支出に回して来れば良かったのである。しかし「財政再建派」の力が強くなり、これに「構造改革派」「供給サイド重視派」(いわゆる小さな政府論者であり、観念論者)がこれに便乗し、国債をなるべく発行しない政策を押し進めてきた。この結果、民間に資金需要がなくなり、今日のように国債価格が上昇し、利回りが異常に低下したのである。しかしこの結果、マクロ経済では、慢性的に内需が不足し、経済成長はマイナスになり、倒産や失業を増やすことになった。

おそらく国債利回りが3%程度で推移するくらいに国債を増発し、財政支出を行って来たならば、逆に国・地方の借金も今日より小さかったと思われる。日本の税体系は、所得税の累進課税に見られるように、所得が増える以上の率で税収が増えるようになっているからである。また財政支出を増やして有効需要が増えれば、国民所得も増え、経済成長も維持できたはずである。そうなれば、企業倒産ももっと少なく、新規の不良債権の発生も抑えられた。さらに株価も今日のように下落することがなく、銀行の不良債権問題も半分は解決が済んでいたはずである。「痛みを堪えて構造改革を行えば、立派に日本経済は蘇る」と言った「虚言」を発する人々によって、今日、日本経済はボロボロにされているのである。「痛み」の後には「もっと大きな痛み」しか待っていないことに、世間もそろそろ気がつくべきである。


しかし今日「国債利回りが3%程度で推移するくらいに国債を増発」する政策は採ることはもはや困難になっている。そのような国債の大量発行を行えば、国債の消化不良を起こし、国債価格は下落し、長期金利は急上昇するリスクがある。金利が上昇すれば、あらゆる分野に悪影響が及ぶ。特に銀行は大量に国債を保有しており(全てが長期国債ではないが)、国債価格が下落した場合、銀行の信用不安が一遍に増大する(もっともその場合にも日銀がどんどん国債を買上げると言う手段はあるーーこれも実質的にセイニア−リッジ政策と言えるが)。

そこで残された手段がセイニア−リッジ権限(政府の貨幣発行特権)政策である。長期金利に影響を与えることなく、資金を確保し、これを財政支出に充てるのである。これができるのも、日本には巨大なデフレギャップが存在し、このような政策を行っても、物価が簡単には上昇しないと言う確信があるからである。

来週号では、本文で述べたように丹羽教授が参加した10月号の「諸君」の対談を取上げる。

アルゼンチン経済を破綻に導いた前大統領は、「構造改革」を唱えていたせいか、経済の状態が相当悪くなっても、不思議とかなり高い支持率を維持していた。経済の調子が悪いのも「構造改革が進んでいないからだ」と必ず言い訳をする。「悪いのは改革を邪魔する抵抗勢力」と言っておれば大衆は簡単にだまされるのである。

「改革」唱えながらの経済運営では、経済は低迷する。すると必ず「改革」派の人々は、犯人捜しを始める。悪いのは「銀行の経営者」「建設・土木業者やこれらに支援を受けている政治家」「道路公団」「金融庁」「大企業の経営者」等、きりがない。しかし彼等が悪いかどうか知らないが、たとえ彼等を懲らしめたからと言って、日本経済が上向くと言うものではなかろう。

おそらく次には彼等は「精神」の問題と言い始める気がする。日本人の「精神」が悪くなり、何でも人に頼るようになったから、経済が上向かないと言うのである。日経新聞には、既にその徴候が現れている。「科学性」が否定され、「精神主義」が花盛りになる。まさに戦前と同じ構図を辿っている。

このような意味で、田中県知事が再選された長野県政は注目される。田中県知事は「長野は公共事業に頼っていたから、新しい産業が起らず、経済は低迷した」と主張しているが、これは本当のことであろうか。たしかに日本はこのような論調で溢れている。つまり公共投資などの財政支出を削れば、新しい産業が次々と生まれて来ると言うのである。

しかし筆者の聞いている範囲では、長野の経済もどんどん悪くなっている。本当に「改革」派の人々が言っていることが、正しいのかどうか、はっきり証明させるのが今後の長野経済の行方である。その意味で長野県は一つの実験台みたいなものである。したがって今後、問題を、田中県知事の性格や仕事の進め方に矮小化してもらいたくないものである。そして「改革」派の主張が、完全に間違っていることを証明される必要がある。
http://www.adpweb.com/eco/eco265.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c7

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
8. 中川隆[-13242] koaQ7Jey 2020年4月16日 17:20:57 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[27]

経済コラムマガジン 02/11/11(第273号)
http://www.adpweb.com/eco/eco273.html


セイニア−リッジ政策の推進(その2)

•基本的な考え

本誌は、ずっとセイニア−リッジ政策、つまり政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動による、財政出動を主張している。しかし最近でも、「このようなことを行えば、ハイパーインフレーションが起ったり、円の信認が損なわれて、円の暴落が起るのではないか」と言ったご意見を読者の方からいただく。結論から申せば、今日の日本の経済状況を前提にすれば、ご心配のようなことは、よほどの通貨の大量発行を行わない限り起こり得ないと考える。

数年前のロシア危機などとは全く事情が異なるのである。ロシアの場合には、生産力が不足している状況で、通貨の大量発行(エリツェンが公務員の給料を払うために紙幣をどんどん刷った)を行った。その結果、ルーブルが暴落し、物価が急騰したのである。もっともルーブルが暴落したため、外国製品がばか高くなり、ロシア国民が「それならば自分達で農産物や工業製品を作ろう」と生産に励みだし、今日でもロシア経済は順調に成長していることは前から述べている。

歴史的にも経済成長の始まる前に、インフレを経験する場合が多い。物の値段が高騰すれば、生産意欲が上昇したり、過去の不良債権の清算が進むことが多いからであろう。日本も戦後の高度成長の前には、インフレを経験している。しかし筆者達は、むちゃな物価上昇が起っても良いとは決して考えていない。物価の上昇が起っても、数パーセント、つまり今日先進各国が経験している程度の物価の上昇率を念頭に置いている。英国を始め、各国でインフレターゲット政策が行われており、物価の上昇率を目標に収めることが実際に行われている。これが日本ではできないと言う理由はない。

むしろ今日のようなデフレ下(資金需要がなく銀行から先に資金が回らず、銀行は国債ばかり買っている状況)でインフレターゲット政策を行おうとする方が無茶である。財政出動によって銀行の先に資金が供給されて、始めて需要が喚起され、経済活動が活発化し、物価が上昇する可能性が生まれる。そして経済がこのような状況になって始めて、インフレターゲット政策と言うものが、意味を持つのである。


まず基本的な政府の貨幣(紙幣)発行特権について述べる。どの国にも政府の貨幣(紙幣)発行する特権がある。これはどの国も持っている固有の権利であり、ちょうど他国からの侵略に備える自衛権のようなものである。例えばある国が独立した場合、この国には、自動的にこの国独自の貨幣(紙幣)を発行する権利が発生する。問題はどれだけの額の貨幣(紙幣)を発行するかである。金本位制の元なら、金の保有量で自ずと発行限度額と言うものが決まってくる。しかし今日世界の中で金本位制の国は皆無である。

現在、どの国も管理通貨制度を採用している。管理通貨制度と言うことは、政府の信用で通貨を発行すると言うことである。通貨の発行量は、その国の政府が自由に決められる。政府が経済の国の規模などを基準に決めれば良いのである。少なければ、物価が下落したり、経済取引が停滞する。逆に通貨の発行量が多ければ、物価が上昇し、まさにインフレになる。また、通貨の発行量は、金利や為替に影響にも影響する。要するに、管理通貨制度の元では、政府が、経済政策の一環として適切な通貨の発行量を決めることになる。


日本でも、昔は政府が通貨(貨幣、紙幣)を発行していた。五箇条の御誓文の由利公正が中心になって発行した太政官札である。これは明治新政府が発行したお札である。ちなみに中央銀行としての日銀が設立されたのは、ずっと後のことである。明治新政府はこれを財政支出に使っていた。西南戦争の戦費もこれで賄ったのである。ところで明治新政府は太政官札を発行していたが、物価は極めて安定して推移していた。つまり政府の紙幣発行量が適切であったと言うことである。

法律上、政府の通貨(貨幣、紙幣)はもちろん現在でも発行が許されている。しかも発行量は無制限であり、担保も不要で償還する義務もない。さらにこれを発行すれば、これに伴い政府に利益が入る。実際、今日政府紙幣は発行されていないが、政府貨幣の方は発行されている(戦後まで政府紙幣が一部流通していたと言う話を最近聞いた)。10円玉や100円玉、そして記念コインなどである。厳密に言えば、政府の貨幣発行に伴う利益は、額面額から製造コストを差引いたものである(1円玉と5円玉は赤字かもしれない)。そして紙幣を発行しても一向にかまわない。もし10万円札を政府紙幣として発行し、製造コストを20円とすると、9万9,980円の利益が政府に計上されることになる。

また紙幣を実際に印刷しなくとも、政府の紙幣発行権と言うものを日銀に売却することができる。500兆円の政府の紙幣発行権を日銀に売れば、この時点で政府の累積債務問題は形式的に解決するのである。もちろんこの500兆円を、公共投資や社会保障と言った財政支出に充てることもできる。このような仕組みを一部の政治家や官僚は知っているはずであるが、どう言う訳か口に出さないのである。

したがって「2,003年に財政破綻で日本が潰れる、サバイバルグッズを買え」と騒いでいる財政学者や浅井隆氏などは、まさに大ばか者である。また国債発行の30兆円枠がなんとか言っていること自体が「ナンセンス」そのものである。しかし恐いのは、財政破綻と叫んでいる人々が、倒産や失業を引き起す政策を進めることである。つまり彼等が実際に「ハルマゲドン」を起こすことである。その時、彼等は「今日の倒産や失業は財政の赤字を放っておいたからだ」と言う真っ赤な嘘をつくのである。

•日銀の国債引受け

政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動に似た、財源確保の方法として、国債の日銀の直接引受けがある。法律上(財政法第5条)、日銀の直接引受けは禁止されている。しかしこれには但書きがあり、国会の決議の範囲内で日銀引受けはできることになっている。本誌が主張していた政府・地方の累積債務の解決方法はこれであった。600兆円、あるいは700兆円の国債を日銀引受けにして、累積債務問題を解決したり、財政支出に充てると言うアイディアである。ちょうど政府の貨幣(紙幣)発行特権を日銀に売却するのと似ている。国は日銀に対して、国債の利息を払うが、この利息は最終的に国庫に納付されるので、実質的に国債発行の金利負担はない。

政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動と日銀の国債の引受けの違いは、前者が政府に債務が発生しないことである。後者の場合は、政府は日銀に債務を負い、日銀は国に対して債権を持つことになる。ただし日本政府は、日銀のほとんどの株式を所有しており、日銀は政府の子会社にあたる。そして両者を連結決算で見れば、債権・債務が相殺されることになる。つまり国債のうち日銀の引受け分は実質的に、政府の借金にならないと解釈される。

戦前には、高橋是清がこの国債の日銀引受けで得た資金を財政支出に使い(この他に為替を大幅に切下げた)、日本をデフレ経済からみごとに脱却させた。世界的なデフレ経済から、高橋是清のおかげで日本は一番早く脱却することができた。これは他の先進国から「やっかみ」を買うほどの成功であった。

しかし当時の日本のデフレギャップが、他の先進諸国に比べ小さかったことも幸いしている。つまり当時の日本の生産力は小さかったのである。このため、景気回復が順調過ぎ、逆に物価上昇の兆しが見え、高橋是清は、日銀引受けにした国債を市中で売却し、通貨の回収を図った。さらに軍事予算まで削ろうとしたため、2.26事件のテロによって殺されたのである。しかし今日の日本のデフレギャップは莫大なものになっている。ちょっとやそっとの財政支出の増大ぐらいでは、物価は上昇しない。また中国などの生産力も大きくなっており、少なくとも「物」の値段は簡単には上がらない。


日銀が国債を引受ける方法として、もう一つ市中から国債を買上げる方法がある。通常、日銀は国債を買ったり売ったりして、金融の調節を行っている。所謂「買いオペ、売りオペ」である。しかしこれとは別に、毎月「買い切りオペ」と言うものを実施している。国債の発行残高が年々増えており、金利が上昇してしまうからである。日本の国債の利回りが低位に推移しているのも、銀行の国債の買増しに加え、日銀の「買い切りオペ」があるからと筆者は考えている。日銀の国債の買い切り額は、今年3月に8,000億円から、1兆円に増額され、さらに最近2,000億円程度増やされている。この結果、日銀国債の保有残高は、75兆円前後になっていると筆者は推定している。

日本ではセイニア−リッジ政策は行われていないことになっているが、この日銀の75兆円の国債保有高のうち、底溜りになっている部分については、広義のセイニア−リッジ政策に該当するものと考えられる。そしてこれは既に実施されていることであり、もちろん合法である。日銀は、一応「国債の保有額は発行通貨の範囲内と言う歯止めがある」と言っているが、「発行通貨の範囲内」と言うことが、それほど根拠のあるものではない。

筆者は、国債の利回りが一定水準に収まるよう、日銀が市中から国債を買うシステムを考えている。もちろんこれは通常の政策ではない。しかし今日の日本経済は、普通の状態ではないのであるから、政策も通常ではないものを採用せざるを得ないのである。


このようにセイニア−リッジ政策、つまり政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動は、「通常」ではないが、決して「異常」な政策ではない。特に政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動と国債の日銀の直接引受けは、日本で過去に実施され、良い成果が得られたものである。また日銀の国債の買い切りは、現在実際に行われていることである。さらにこれについては、政府と日銀が政策協定(アコード)を結ぶことが考えられる。実際、米国では、戦後、米国債の買入れに関して、政府と連銀の間で政策協定(アコード)を結んでいた。これについては、来週号で述べることにする。

セイニア−リッジ政策に対しては、今週号でご紹介した「ハイパーインフレ」や「円の信認」以外に危惧する声色々とある。この中で最もやっかいなのは「モラルハザードを招くと言う声」である。来週号はこれを中心に取上げることにする。

先週号で、為替は円高に動く確率が大きいと述べたが、ほぼ予想通り、円高傾向で推移している。次の注目は、先週号で述べた通り、当局の介入ポイントである。

http://www.adpweb.com/eco/eco273.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c8

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
9. 中川隆[-13241] koaQ7Jey 2020年4月16日 17:22:25 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[28]

経済コラムマガジン 02/11/18(第274号)
http://www.adpweb.com/eco/eco274.html


セイニア−リッジ政策の推進(その3)

•政策協定(アコード)

先週号でセイニア−リッジ政策の三つのパターンを提示した。一つが本来のセイニア−リッジの形である政府(貨幣、紙幣)発行権の発動であり、残り二つが広義のセイニア−リッジ政策としての日銀の国債の引受けである。そして日銀の国債の引受けには、直接引受けと市中から買上げる方法がある。まず後者についてもう少し述べることがある。

米国は、第二次大戦後、政府と連銀が政策協定(アコード)を結び、政府が発行する国債を連銀がどんどん買上げることにした。これは政府の支出が大きくなったことが大きな要因である。ライバルである共産国家ソ連の台頭は、西側先進国にも福祉社会の建設を強いた。また米国は大戦後も戦争を続け、このため軍事費が増え続けた。米国は、目立った戦争だけでも朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてソ連との冷戦を戦って来たのである。福祉予算に加え、この軍事予算で、米国政府は金がどれだけあっても足らない状況であった。そしてこれを税金で賄うにも限界があり、国債の連銀引受けで凌いできたのである。そのため連銀は、一時、発行されている米国国債の半分を所有していた時期もあった。つまり米国はほんの10年前まで、危機管理的な経済運営を行ってきたのである。

このような状況は、レーガン政権まで続き、冷戦終了後、急速に「小さな政府論」が現実化して来たのである。ここで注意すべき点は、米国は福祉や軍事による過剰消費の状態だっからこそ、「小さな政府論」が叫ばれたのである。ところが日本では、逆に過少消費の状態で「小さな政府論」が主張されていることである。しかしこれは貧血の人間に100mダッシュを強いるようなものだ。これは全く現実を踏まえない主張であり、極めて危険である。むしろ日本は米国が戦後行ったように、財政支出を増大させる方向に転換することが必須である。


昨年、2,001年3月現在、米国の国債の15.5%は連銀が保有しており、同時期に日銀は日本国債の10.7%を保有している。今日日銀国債の買切り額が大きくなっているので、直近のこの比率は多少大きくなっていると思われる。しかしまだ米国の数値や、ましてや米国のピーク時にはとうてい達していない。つまり米国の例からも、日銀の国債買切りを増やす余地は十分に残っていると考える。また米国政府や米国のエコノミストがよく「日本にさらなる金融緩和」を要請してくるが、彼等は「過去に米国で行われた連銀による国債買い支え」を念頭に置いている可能性がある。

筆者は、米国の政府と連銀とが実行したこの「政策協定(アコード)」方式は参考になると考えている。ところで日本でこれを行う場合には、一つ工夫を加えることも考えられる。たとえば、政府は日銀と一定の金利水準まで、日銀が国債を買支えると言う具合である。また「政策協定(アコード)」によって、逆に日銀から政府に対して要求を出すことも考えられる。たとえば政府が国債を発行して財政支出を行う時には、物価の上昇率が一定以上にならないことを要求するのである。つまり本来、日銀が行う政策を政府に委託する形になる。そして互いの要求は、経済の状況を見ながら修正して行けば良いと考える。


以上、広義のセイニア−リッジ政策を含め、3つのパターンを提示したが、どれが良いかと言う話になる。もちろん政府(貨幣、紙幣)発行権の発動が一番オーソドックスであり、最もインパクトはあると思われる。我々の主張もこれである。しかしともすれば「財政緊縮」に傾きやすい(外国と違い、緊縮財政の方が日本では人気が高い)日本で、これが本当に実行できるか注目されるところである。これが実行できる政治家が現われるとしたなら、これは大したものである。このような政治家は、向こう百年は尊敬を集めるであろう。

しかしこの政府(貨幣、紙幣)発行権の発動には有力な反対意見がある。通貨政策の二元論である。つまり流通する通貨が政府と日銀から夫々発行されることによる金融政策の混乱である。現在でも政府貨幣は発行されているが、これはあくまでも補助貨幣である。政府の貨幣発行で金融政策に影響を与えることはない。またたしかに明治新政府は、政府紙幣を発行したが、これは日銀がなかった時代の話である。

しかし今日の日本の経済の情勢は異常な状態が続いている。政府の(貨幣、紙幣)発行権の発動が通常行わない政策としても、これが大きな効果を持っていることははっきりしている。つまり通常行わない政策でも、有効ならば今日のような危機的状況においては、実施を検討するのが当然である。さらに日銀が、独立性を盾に、政府の政策に非協力的な場合には、この政策を実行することがあり得る。

また世の中には、潔癖性的に「借金」を嫌う人々がいる。「子々孫々に借金を残してはいけない」と盲目的に訴えるのである。このような人々は、周りから「責任感がある人だ」「潔癖な人だ」と言われて自己満足している。そしてこのような人々は、国債の増発に真っ向から反対する。ところが、このような人々こそが国を滅ぼすのである。

しかし経済と言うものはそのようなものではない。貯蓄と投資のバランスが崩れた場合、需要不足が発生し、政府が余分な貯蓄を国債を発行して回収し、財政支出の形で、この資金を経済の循環に戻してやる必要がある。これを行わないと、失業や倒産が増えるのである。しかしこう言う人々は、深く物事を考えている訳ではないが、意外と世の中で影響力があるケースが多い。そしてこのような人々を説得するのはなかなか困難である。このような場合には「国債がだめなら、政府紙幣発行がありますよ。これは国の借金になりませんよ。」と説得できる可能性があると思われるのである。

•カマトトの議論

セイニア−リッジ政策に反対する意見には、誤解も多い。ハイパーインフレが起るとか、円が暴落する(この政策を実行した時にはむしろ円高になることが心配)と言った類である。しかし先週号から述べて来ているように、これらはコントロールできるものと思われる。その中にあって「通貨の発行が二元的になる」と言った反論などは高等な部類である。

そして反論に困るのが「モラルハザート」が起ると言った意見である。まず何を持って「モラル」と言っているのか、不明なのである。はっきりと「財政規律」と言ってくれれば良いのである。しかし中には意識的に再反論を避けるためか、わざと曖昧な表現をとっていると思われる。

たしかに財政規律と言うものは、考慮に入れておく必要がある。税収の範囲と言ったしばりがなくなった場合、財政支出が節度を失うと言う危惧である。中には真面目にこれを心配している人もいる。我々もこのような意見には真面目に答える必要がある。実際、国や地方の財政支出が増えれば、「金」にまつわる不祥事が増えると言う指摘に対して反論することが難しい。汚職が発生しなくとも、財政支出が増大することによって、文字通り、無駄と思われる買物が増えることは考えられる。もっとも何が無駄かと言う議論になれば、人によって基準が違い、意見が別れる。また無駄かどうかと言うことは、経済効果の大きさにはほとんど関係がない。

しかしこのようなことが、セイニア−リッジ政策を葬り去るような決定的な理由にはならないと考える。また緊縮財政を行ったからと言って、汚職が減るとは考えにくい。むしろ緊縮財政によって、景気が停滞し、民間の需要が減れば、官需の奪い合いになり、政治家や役人に頼る人々が増えることも考えられる。しかしセイニア−リッジ政策が実現するとしても、こう言った不祥事が続発するようなら、政策自体への反感が強まることも考えられる。これに対しては、何らかの対策と言ったものを考えておく必要がある。これについては、筆者も腹案があり、別の機会に取上げたい。


しかし今日の財政に対する考え自体が整理されていない。矛盾に満ちたまま、皆が納得しているのだから、不思議である。国債発行の「30兆円枠」も実に奇妙な議論である。30兆円までなら健全で、31兆円なら財政の危機と騒いでいる。このような人々の主張に沿うなら、30兆円もの国債を新規発行していること自体が、立派な「モラルハザード」である。つまり国債の発行を1円でも増やすことを問題にすべきである。もっと言えば、累積債務自体が問題と主張すべきである。「30兆円枠」とかで騒いでいる人々は、まさに「カマトト」である。また最近では、「プライマリーバランス」とか適当なことを言ってごまかしている。まるでバブル期の証券会社の営業マンの営業トークである。

「モラルハザード」が起ると言う意見で一番反論に困るのは「非論理的な意見」である。前に紹介したように「今のダメな政治家に多額の自由に使える金を与えるなんてとんでもない話である」と言った議論である。まさに「酔っぱらいの論理」であるが、世間では結構受ける。しかしこのようなめちゃくちゃな事を、大新聞の論説委員が言っているから問題である。これはセイニア−リッジ政策の問題よりも、政治の問題である。しかしこのような人々は、「セイニア−リッジ政策」に暗黙のうちに反対したいため、解決不能ないちゃもんをつけていると解釈できる。それと言うのも「セイニア−リッジ政策」が実行され、経済が立ち直れば、彼等がこれまで主張していたいい加減なことが完全に「嘘」だと証明されるからである。


逆に今日のデフレ経済の進行と、緊縮財政によって様々な「モラルハザード」が起っているのである。経済の低迷と犯罪の増加には相関がある。経済苦や経営不振により、自殺者が急増している。また自己破産者がいやに増えている。暗い将来を予想しているのか、「今を面白おかしく過ごす」と言う風潮が少年の間に蔓延し、少年犯罪は急増している。教育予算も大幅にカットである。実際に今日の日本社会における「モラルハザード」は酷いものである。将来、取返しがきかないほどのモラルハザードが、この長期のデフレ経済によって生まれているのである。このデフレ経済の克服の切り札である「セイニア−リッジ政策」に対して、曖昧な「モラルハザード」を伴うと言った根拠不明な反論を主張している場合ではない。

テレビ局の発表する小泉内閣の支持率が、いつも68%とか69%と、とんでもない数字である。このような数字を見て、小泉首相はまだ国民の間では人気があると言った解説がなされている。筆者は、この数字は実態を全く反映していないと見ている。しかしこれは色々な方面に重大な誤解を与えている。実際の支持率はこの半分くらいであろう。来週号はこの支持率調査を中心に取上げる。

11月14日の日経新聞の経済教室に岩田規久男学習院大学教授が文章を寄稿している。その中でシュンペーターの「創造的破壊」についてコメントしている。世間では「自分はインテリ」と誤解している人々の多くは、解ったようなふりをして、このシュンペーターの「創造的破壊」をあたかも真実のように引用している。日本にはシュンペーターの信者が実に多いのである。つまり「不況は「創造的破壊」を誘発し、不況に伴う痛みは我慢すべき」と言う仮説である。ところが岩田教授は、米国での実証で、これが全く根拠がないことが証明されいると紹介している。

これは重大なことである。本誌でも昔から景気の回復は、全て政府の景気対策(朝鮮戦争の特需と言う例外があるが)によることを指摘してきた。「経済には自律的に回復する機能があるから、この機能の働きを阻害するケインズ的政策はむしろマイナス」と言う理論(典型的な観念論)が完全に間違っているのである。むしろ経済は一旦落ち始めると、外的な刺激がない限り、どんどん沈んで行くと考えた方が良い。このシュンペーターの理論については、近々取上げることにする。

「経済の回復には、まず不良債権の処理が必要」と言う小泉・竹中コンビの考えがおかしいと言う声が大きくなって来た。むしろその前にデフレ経済の解決が必要と言う意見が強くなった。一応、まともな方向である。しかし「経済特区」とか「先行減税」でデフレ経済が解決するとは絶対に考えない。あまりにも下らな過ぎる。デフレ経済への理解が全くないのである。そして今度は、自民党の税調の幹部や官僚がヤリ玉に上がっている。ちょっと前までは金融庁が悪役であった。このように次々に悪玉を作って行っても、何の解決にもならない。

まだ需給ギャップやデフレギャップが5%や6%と言っているが、その程度ならまさに景気は過熱状態のはずである。おそらくそのような数字なら、日本は世界の中で一番景気が良く、設備投資もバンバン行われているはずである。現実は、設備の稼働率が70%を大きく下回り、潜在的な失業者を含めれば、百万人単位ではすまない失業者が存在している。どうして需給ギャップがたった5%や6%しかないのだ。需給ギャップの計測が決定的に間違っているのである。政府の需給ギャップの計測がむちゃくちゃと言うことに気が付かなければ、正しいデフレ経済の解決方法は分らないはずである。
http://www.adpweb.com/eco/eco274.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c9

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
10. 中川隆[-13240] koaQ7Jey 2020年4月16日 17:24:45 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[29]

経済コラムマガジン 02/3/4(第243号)
http://www.adpweb.com/eco/eco243.html

セイニア−リッジ政策への準備

•セイニア−リッジ政策

本誌が主張している「国債の日銀引受け政策」を端的に説明すれば、いわゆるセイニア−リッジ権限(政府の貨幣発行特権)によって財源を確保し、それを内需拡大に使うことである。たしかにこのような経済政策は決してオーソドックスなものではない。

最近の例で、セイニア−リッジ政策が採られたのは、エリツェン大統領時代のロシアである。この時は、ロシア政府が海外からの資金調達が事実上できなくなり、公務員の給料さえ払えなかったのである。仕方が無いので、ロシア政府は多額の国債を発行し、これを中央銀行に引受けさせ、急場をしのいだのである。おそらくこの政策を行わなかったら、ロシアは大混乱に陥り、エリツェン政権は崩壊していたと思われる。しかし本誌で何度も取上げているように、このセイニア−リッジ政策のお陰で、ルーブルは暴落し、輸入品(例えば食料品)の価格が高騰した。この結果、ロシアの人々は、そんなに高い外国製品は買えないと言って、自分達で生産し始めたのである。これ以降、ロシア経済は予想外に順調に成長しているのである。

ロシアの例でも分るように、セイニア−リッジ政策を計画的に行ったような国はない。切羽詰まった形で行われるのが普通である。しかし本誌は、これを今日の日本の経済政策に取入れようと主張しているのである。日本のデフレギャツプは、異常に大きくなっており、これを解決するには、尋常の手段では無理な段階である。オーソドックスな政策は、赤字国債を発行し、これを財源に財政支出を増大させることである。しかし銀行が保有する国債が75兆円(昨年9月末)になっていることを考慮する必要がある。とりあえずこの問題については別の機会にまた取上げることにするが、これが国債の増発を困難にしていることも事実である。

したがって財源を確保すると言っても、単純に国債を発行するとはいかなくなっている。本誌が主張しているような「国債の日銀引受け」とか、先週号でご紹介した「政府紙幣の発行」と言った広義のセイニア−リッジ政策をどうしても取入れざるを得ない状況になっていると判断される。実際、最近日銀は、国債の買い切りを月額8千億円から1兆円に増額することを決めた。これは実質的に「国債の日銀引受け」である。つまりセイニア−リッジ政策を小出しに実行しているのである。


今週の本題である。本格的にセイニア−リッジ政策を行うとしたなら、前もって準備しておくことがいくつかある。今週号では、そのうちの二点だけを取上げることにする。一つ目はインフレに対する備えである。セイニア−リッジ政策に対して拒否する人々がまず指摘することは、この政策によって引き起される物価の上昇であろう。かならず「ハイパーインフレーション」が起ると騒ぐのである。しかしこれだけデフレギャップが大きい日本で、簡単に「ハイパーインフレーション」が起るとは思えない。日本はロシアや中南米と事情が全く異なるのである。さらに筆者の考えでは、ある程度(年率2〜3%)の物価上昇を容認されていることが前提である。さらに万が一これを越える場合には、需要政策をセーブし、物価上昇率を目標内に収めようと言うのである。

このような政策に反対する人々は必ず「一旦インフレが起ったら押さえようがなくなる危険な政策」と判を押したようなことを言う。しかし先進国ならこのような政策(インフレターゲット政策)はどの国も行っていることである。他の先進各国でうまくいっているこの政策が、どうして日本では無理だと決めつけるのであろうか。まさに「反対のための反対」である。

ただしどうしても日本においては考慮しておく必要な事項が一つある。それは地価の動向である。国民の間には大きな誤解がある。バブル期には全ての物価が高騰したと思っている。しかし一般の物価は不思議なくらい安定していたのである。消費者物価が一番上昇したのは90年度であるが、わずか3.3%であった。またどうしても日本の物価上昇率は大きくなる傾向があることを考慮すれば、実際のこの年度の物価の上昇率はおそらく2%台と思われる。つまりバブル期の物価の上昇率は、ピーク時でも先進国では問題にならない水準であった。バブル期に問題になったのは、一般の物価ではなく、地価の上昇である。また株価の高騰も地価の高騰に連動していた。

バブル経済の全てを悪く言う人がいるが、これは正しくはない。バブル発生は、プラザ合意以降の円高不況に対する対策であった内需拡大策の結果である。もしこの内需拡大策を行わなかったなら、今日のような失業問題が当時起っていたはずである。たしかに地価対策が後手に回ったことは事実である。また一旦上昇を始めた地価の上昇を抑え込むことが難しかったのも事実である。だいたい当局が地価の上昇を問題にし始めたのが遅すぎたのである。バブル発生は資本主義経済につきものである。しかし経済規模が大きくなり、動く資金が膨大になれば、バブルが崩壊した後始末も大変になるのである。

筆者の主張であるセイニア−リッジ政策は、もう一度内需拡大政策を行おうとするものである。ただし今回は、前もって準備を行うことによって、前回のような野方図なバブルが発生することがないようにすることが肝腎がある。

•バブルの制御

前回のバブルでは、金融を引締め、金利を高くして地価の上昇を押さえようとした。しかし年率何十%も地価が上昇しているのに、多少の金利の上昇では地価の動向には影響は及ぼさない。さらに金利は、一般の経済活動や為替にも影響を与えるのであり、このような金利政策には限度がある。次に銀行の土地融資を規制したが、住専などのノンバンクや農林系金融機関(大蔵省の管轄以外の金融機関)から、どんどん資金が土地に流れ続けた。また税制で押え込もうとして地価税を創設したが、地価税が実施された頃には、バブルは既に崩壊に向かっていたのである。

「一旦インフレが起ったら押さえようがなくなる危険な政策」と言うのは、一般の物価の話ではない。これは国民に誤解を与える表現である。しかし土地については、この危険性があると認識すべきである。土地は極めて特殊な「財」であり、一般の「財」とは違い、再生産が困難であり、在庫と言うものがない。したがって価格を決定する市場も不安定になりがちである。普通の「財」は、価格が上昇すれば、需要が減り、供給が増えることによって価格も安定に向かう。しかし土地の場合は、いつもこのような価格メカニズムが働くとは限らない。日本において土地はどうしても「投機」の対象になりやすい。こうなれば通常の価格調整メカニズムが働かないのである。むしろ一旦地価が上昇すると、人々はさらに高くなるのではないかと期待し、土地に対する需要が一段と増え、これによってさらに地価が上昇するのである。

たしかに今日では日本の「土地神話」は崩壊したと言われている。筆者も、地価の動向にそれほど神経質になる必要はないと考える。しかし今日の状態は、まさに超金融緩和である。見方によっては、列島改造論時代や前のバブル期より大きな過剰流動性が存在していると思われる。したがって条件が揃えば、また土地投機と言うものが発生する可能性を全面的に否定することはできない。

セイニア−リッジ政策と言う特別の政策を行うには、今度こそ失敗は許されないのである。どうしても地価の監視体制を整備しておき、次のバブルの発生を一定レベル内に抑え込む仕組を用意しておく必要がある(もちろん場所によっては地価が相当下がっており、銀行の不良債権処理のためにも、一定レベルまでの上昇は容認される)。これを金融政策や税制でコントロールしようとして前回は失敗したのである。前述したように、土地は特殊な「財」であるから、この価格をコントロールするにはやはり特殊な方法が必要と考える。

地価の高騰を抑えるにはもっと直接的な方法が必要である。筆者は、国土利用計画法の監視区域制度をもっと有効に使えるように改正するのが良いと考える。これは一定以上の面積の土地取引を許可制にして、適正な価格での土地取引を守らせるものである。この面積規定をより小さくしたり、あるいは特定の地域は全ての土地取引を許可制にすることが考えられる。このような政策のためにも、土地投機がおこりそうな地域の公示ポイントを大幅に増やすことが必要である。


セイニア−リッジ政策をどんどん進めれば、ある程度の一般の物価が上昇することは避けられない。そこで一般国民から不満が出ることが予想される。これに対処することが、第二番目の準備である。デフレ経済の特徴は、全ての人が同時には不幸にならないことである。企業倒産などで失業した人々や就職ができない人々に、不幸が集中する。一般の人々にデフレ経済が影響が及ぶには相当時間がかかる。ましてや日本のように、なんとなくなし崩し的な景気対策を行っている場合には、デフレ経済を問題にする「空気」はなかなか醸成されない。日本においては慢性病のようにデフレ経済が進行しているのである。むしろ逆に物価が安くなって喜んでいる人も多くいるのが現実である。

今日の状況を見ていても、デフレ経済についてマスコミが取上げていても、一般の国民がそれほど強い危機感を持っている訳ではない。今日の一般の関心はむしろ「宗男問題」なのである。企業の倒産も増えているが、人々はこれに馴れっ子になっており、以前のようには騒がなくなっている。このような状況では、逆に物価が上昇する政策に人々が抵抗を感じるはずである。

デフレギャップを埋める政策は必要である。しかしこの政策で恩恵を受ける人にも順番がある。政府の需要政策によって、職を得る人や企業倒産から免れる従業員などは真先に恩恵を受ける。しかし年金暮らしの人や当分職が見つかる可能性がない失業者にとっては、単に物価上昇(わずかであっても)に直面するだけである。このような人々から不満が出ることは容易に予想される。

そこでこのような政策を行うには、まず全ての人々に恩恵が渡る政策も同時に行う必要があると考える。例えば少なくとも最初の2年くらいは物価の上昇をゼロに近いレベルに抑えるようにするのである。これには公共料金を引下げる方法などが考えられる。電気料金の基本料金の一部をプロジェクトから支出したり、高速道路の料金を引下げることを行うのである。

このように筆者が主張するような政策には、この二点以外でも色々な準備が必要である。たとえば需要政策を大胆に進めれば、また汚職のような不愉快な事件が増える可能性が強い。実際、このような事柄が公共事業に対して人々の反感を買っているのは事実である。したがってこのような出来事の防止策も必要になる。これについて筆者も考えはあるが、それは別の機会に取上げることにする。

来週は、国債の日銀引受け政策の締め括りとして、財政の累積債務問題を取上げることにする。

2,002年度、つまり来年度の経済見通しを行ってみる。来年度は経済がかなり落込むと言う見方がある。筆者もそれに近い考えであった。しかしどうもそれほど落込むとは思えないのである。成長率は今年度と同じくらいと思われる。

一つは米国の景気動向が予想ほどには落込まないからである。同時テロ後、米国の貯蓄率が急上昇したが、アフガン問題が予想以上のスピードで解決に向かったせいか、消費は持直している。さらに円安が続いており、外需が増える可能性が強い。

小泉政権は「国債の30兆円枠」の緊縮財政言っているが、事実は違う。今年度もとても30兆円に収まらないし、来年度は絶対に無理である。原因は事実上の減税が行われているからである。

増減税は、税率の変動だけで行われるのではない。経済上の実効性では、実際に税金がどれだけ納められるかである。今年度の税収は、前年企業業績が比較的良かったせいで増収になっているはずである。一方、今年度の企業業績は大幅な減益であり、税収は相当減る。つまり今年度の増税に対して、来年度は大幅な減税である。つまり経済上は大きな減税が行われることと変わりがない(経済学で言うところの財政のスタビライザー機能の働き)。もちろん国債の発行は相当増えるはずである。おそらく日銀による国債買い切りは、またそのうち増額されると見ている。とても30兆円枠に収まるはずがないのである(本当に30兆円枠に収めるつもりならもっと予算を削る必要があったのである)。このようになし崩しの財政政策が日本では行われているのである。

あと不確定な要因が二つある。一つは「補正予算」である。本予算が成立したなら、直ぐに「補正予算」が話題になると思われる。つまり小泉構造改革と、財政政策と言う矛盾した政策がまた平行して行われる可能性が強い。ブレーキとアクセルを同時に踏みながらの、訳の分らない蛇行運転が今後も続くのである。

もう一つ分らないのが消費の動向である。本来消費性向、貯蓄性向と言うものは短期的に変動しないものである。しかし人々の不安が急激に増した時には消費性向が小さくなる可能性がある。企業倒産が劇的に増える状況では、このような事が起る可能性がある。以前、半分冗談であったが、筆者も上場100社くらい倒産したら、人々の消費マインドに影響すると述べたことがある。

ところが株式を公開している企業で破綻した数が既に現在11社(雪印食品を含め)である。これは年間60社と言うものすごいペースである。つまり身近に企業倒産を感じる人々がそれだけ多くなっているのである。今後さらに大きな倒産が続けば、消費動向にも影響が出る可能性があると考える。

たしかに消費動向の先行きが不透明と言う面があるが、筆者は、このままの経済政策なら景気の落込みはそれほど大きくならないと見ている。ただし地方と東京の経済格差は一段と拡大することは確実である(東京だけは経済の落込みは小さい)。要するに、本格的な経済危機は一年先送りされたのである。それだけに次の年に日本経済は正念場を迎えると言うことになる。
http://www.adpweb.com/eco/eco243.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c10

[近代史4] 大西つねき : 政府通貨の疑問に答える 中川隆
11. 中川隆[-13239] koaQ7Jey 2020年4月16日 17:27:09 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[30]

経済コラムマガジン 02/7/15(第260号)
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html

セイニアリッジ政策への反対意見

•ハイパーインフレーションの起る可能性

先週に引続き、中央公論に掲載された榊原慶大教授の文章(論文)を取上げる(内容は先週号の筆者の要約を参照していただきたい)。まずインフレの話である。教授は、過度の金融緩和を行うことに伴う、「ハイパーインフレーション」の懸念を示している。これは金融緩和によってインフレを起こすことができると言う、一部のエコノミスト(インフレターゲット論者)の主張に対する反論である。筆者も、今日行われている金融緩和政策の延長線で、インフレが起り、デフレ経済の問題が解決するとは考えていない。この点では教授と同意見である。しかし反対に、教授の懸念しているような過去に諸外国で起ったような「ハイパーインフレ」みたいなものが、日本で起る確率も極めて小さいと考える。

金融緩和政策だけで物価が上昇しないことは、今日の超金融緩和状態と物価の関係を見れば一目瞭然である。おそらく今日の金融緩和を一歩進めても、物価への影響は限定的であろう。資金が実需に回らないからである。問題は、筆者達が主張するように、政府の貨幣発行特権(セイニアリッジ)による財政支出を行った場合の物価動向である。この場合には資金の流れに実需が伴うのである。


ところで物価上昇と言った場合には、三つ事柄を考える必要がある。「物」「サービス」そして「土地」の価格である。まず「物」の価格であるが、この急騰はほとんどないものと考える。伝統的な経済理論では、需要が増えれば、価格が上昇することが当り前になっている。たしかに消費の多くが「ダイコン」や「イワシ」と言った市場の需給関係で決まるものだった時代には、これは正しかったかもしれない。

しかし今日のように「物」の消費の大半を占める工業製品は、需要が増えても、簡単には価格が上昇しない。むしろ中長期的には、需要が増えることによって、単位当りの製造コストが減少し、価格が下落するケースが圧倒的に多い。自動車、携帯電話そして最近ではDVDなどが典型例で、需要が増えるほどこれらの価格は下落している。反対に思ったように需要が伸びず、価格が高止まりしているものもある。典型的なのはETC(高速道路用の自動料金収受システム)の車載器である。これは普及が遅れ、価格も高止まりしており、また価格が高いことで普及がまた進まないと言った悪循環に陥っている。

たしかに農産物や石油など、主に一次産品は、供給に弾力性が乏しく、短期的な需要の増加によって価格が上昇しやすい傾向にある。しかしこれも冷凍技術の進歩や石油備蓄によって、短期的な価格上昇には限度がある。特に物価全般に影響の大きい石油は、OPECの勢いも一頃に比べ減退しており、石油製品価格はかなり安定して推移している。

さらに中国などの発展途上国の製品の品質も向上しており、安易な価格の値上げは困難である。以前から本誌では、中国で失業者がいなくなるまで、物の価格は上昇と半分冗談で言ってきたが、これは実際の話になりつつある。このようにこと「物」については、どれだけ需要が増大しても、価格がどんどん上昇すると言った状況はとても考えられない。


少し複雑なのはサービスの価格である。サービスの場合、範囲は広く、あまり限定的なことは言えない。しかしまずサービスには、公共料金が含まれており、これは政府のコントロールが効くことから問題はないと考える。医療費もここに含めて良いであろう。また最近、サービスの中で比重が大きくなっているのが通信費であり、この通信費は「物」とよく似ている。需要が増えると、単位当りのコストが減り、価格が下落する傾向にある。特に通信業界は、世界的に過剰設備を抱えており、とても値上げできる環境にない。

よくわからないのは一般のサービスである。飲食店や美容・理容など実に多様なサービス業がある。そしてこれらのサービスのコストの大半を占めるのが人件費である。しかし今日の失業の状態を見れば、簡単に人件費が上昇することは考えられない。おそらく今日の失業者の数が半分にでもならない限り、サービス価格に影響を与えるような人件費の目立った上昇はないと考える。

このように「物」「サービス」については、需要が増大しても、価格の上昇は限定的であり、日本でハイパーインフレなんてとても起る状況ではない。万が一このような徴候が現れた場合には、この時こそ政府は、金融政策を駆使し、さらにそれでも価格が上昇するようなら、競争政策、具体的には「規制緩和」を強化すれば良いのである。実際、景気が過熱したと言われたバブル期において、一番物価が上昇したのは90年であったが、わずか3.3%の上昇である。


誰も気にしていないが、問題は「土地」である。「物」「サービス」の価格上昇がなくても、地価は上昇する可能性が高いと筆者は考えている。たしかに日本では一頃の「土地神話」がなくなったといわれているが、余剰資金が土地に向かうことは十分考えられる。ただしもし次にバブルが起るとしたなら、東京の一等地に限られると考える。なにしろ日本は、過去にないほどの大きな過剰流動性が存在している。おそらくGDP比で、列島改造ブームや先のバブル期よりも大きな過剰流動性があると思われる。

つまり世間で思われているようなハイパーインフレは日本では起らないが、バブル期のような一部の地価の高騰はあり得るのである。もし地価の高騰が起り、これが破裂すれば、第二のバブル崩壊と言うことになる。したがって今回は、金融政策に頼らない地価の暴騰を阻止する手段を講じておく必要がある。筆者は、02/3/4(第243号)「セイニア−リッジ政策への準備」で述べた国土利用計画法の監視区域制度の改正が有効と考える。つまりこのような地価上昇への対処を行っておけば、榊原慶大教授が想定するようなハイパーインフレは杞憂に終わると考える。


榊原教授は別にして、異常にハイパーインフレが起る懸念をやたら強調する人々がいる。「ニュークラシカル」の人々であり、日本の経済学者やエコノミストの大半はこれである。先週号で彼等は、失業者は「ミスマッチ」と言っていることを紹介したが、製造設備にも遊休と言うものがないと言うのがかれらの主張である。今稼動していない生産設備は陳腐化しており、使い物にならないから休止していると言って譲らない。したがって彼等によれば、現在の本当の設備稼働率は95%くらいと想定しているようである。筆者達にしてみれば、95%の稼働率なら日本経済はまさに好況のまっただ中いると言うことになる。我々の認識である「100兆円以上のデフレギャップの存在」と大きな開きがある。

どうしてこのような非現実的なことを考えるかと言えば、彼等は、ケインズ政策、つまり財政政策を中心とした需要政策を行っても、設備は限界にきており、物価上昇だけが起って、実質所得は増えないと言いたいのである。したがって企業には余剰の人員や余剰の設備はなく、街にも失業者はいないと想定している。彼等は口には出さないが本心で、余剰の設備や人員は使い物にならないものばかりで、社会に存在する意義もないと考えている。彼等の経済的な見方は別にして、彼等の精神はまことに屈折しているのである。

日経新聞の論調も「ニュークラシカル」の影響を受けている。特に日経のコラムの大機小機の大半の執筆者は、実にひどい。ところでその日経の7月8日の一面トップに大手製造業に対するアンケート結果が掲載されていた。その中で需要が増えた場合の増産方法を問うものがあった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。76%の企業の回答がこれであり、新工場の建設はわずか16%であった。ほとんどの企業は過剰設備を持っているので、需要が増えても、ちょっと工場の稼働率を上げれば良いと答えているのである。つまりこのアンケート結果は、まさに需要が増えても、価格が上昇する可能性が薄いことを意味している。当り前と言えば当り前である。そして「ニュークラシカル」派の人々は、一体これをどのように言い訳するのであろうか。

もっとも「ニュークラシカル」の人々は、自分達が言っていることが、経済の上でどのようなことなのか理解していない可能性がある。したがって我々は、「あなた達の言っていることはこう言うことですよ」と一々解説してあげる必要がある。そして「ニュークラシカル」派が主流のはずの日経が、このような数値を公表すること自体が注目される。日頃、日経は、需要政策ではなく、経済再建には徹底した「規制緩和」と「競争政策」と言っているのである。

とにかく「ニュークラシカル」派の人々の特徴は、現実の経済を見ないことである。むしろ現実の経済を知らないことを誇りにしているようである。そして「言い訳」だけは、異常に巧みなのである。

•政府支出に関する「デマ」

今日、財政出動による景気対策は効果がなくなったと言う声が大きくなっている。これも「ニュークラシカル」派の人々である。中には「財政支出の乗数効果がなくなった」ととんでもないことを言出す者まで現れるしまつである。榊原教授は、「効果はない」とは言っていないが、効果が短期的で効果が続かないと主張している。

筆者も、財政支出の乗数効果はいくぶん小さくなっているのではないかと言う話を本誌でも述べてきた。しかしこのような考えが間違っていたのではないかと思わす、次のような表に出会った。


GDPと自生的有効需要の伸び率比較
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html

年度 GDP 総額 民間投資+純輸出 政府支出 (うち公共投資)


70→00
2.56 2.49 2.57 2.38 (2.34)

80→00
1.66 1.66 1.83 1.51 (1.41)

80→95
1.60 1.60 1.67 1.53 (1.63)

95→00
1.04 1.04 1.10 0.96 (0.87)

この表は、丹羽春喜大阪学院大学教授が、ジャパンポストと言う雑誌の6月1日号に掲載したものである。民間投資と純輸出に政府支出と言った自生的(独立的)な需要の総額の伸び率と、GDPの伸び率の関係を示したものである。基礎データの出所は、経済企画庁の「国民経済計算年報」と内閣府のホームページである。

しかしGDPの伸び率と、自生的(独立的)な需要の総額の伸び率があまりにも一致し過ぎるため、このコラムで取上げるのも憚られるほどであった。まずこの表から解ることは、民間投資、純輸出、政府支出などの自生的(独立的)な需要の乗数効果はかなり安定していると推定されることである。つまり筆者が考えていたように、乗数効果の値がどんどん小さくなっていると言うことはなさそうである(数値の推移を見る限り、たしかに80年以降は、70年代より若干小さくなっているが、かなり安定していると推定される)。

また注意が必要なことは、表の政府支出は国と地方の財政支出の合計である。世間では、度重なる景気対策で政府支出が増大していると言った話になっているが、それらは全くの「デマ」と言うことをこの表は如実に示している。たしかに国の支出が増えていても、地方の財政支出がかなり減っていると思われる。たしかに例えば99年度の地方単独事業は、予算では19.3兆円であったが、決算ベースでは13.5兆円と6兆円もショートしていた。このように、国と地方を合計し、さらに決算ベースで見ると、政府支出の伸び率はかなりGDPの伸び率をかなり下回っているのである。

このように世間に流布している「財政による景気回復は限界にきている」と言う話は、実際の数字を確認しない人々の「たわごと」である。むしろこれ以上輸出に頼ることができず、大きな新規の設備投資の増加が期待できない今日においては、政府支出の増大しか道がないことをこの表は雄弁に物語っている。「規制緩和や投資減税で設備投資が増える」と言った「雲を掴む」ような話に賭けるわけにはいかないのである。なお、この表についてはもっと述べたいことがあり、それは後日行うことにしたい。


さらに榊原慶大教授は、政府紙幣発行によって、日本の産業構造の改革を訴えている。生産性の低い産業が、銀行の大量の不良債権の元となっている。この日本の産業の二重構造を解消するには、銀行にそのような産業の整理を迫り、その費用を政府紙幣発行によって賄おうと言う考えである。生産性の低い産業の整理は教授の持論である。しかし生産性に関しては、01/9/10(第221号)「「生産性」と「セイサンセイ」の話」で述べた通りであり、ここでは詳しくは述べないが、榊原教授の考えにはとても賛同できない。

榊原教授は、生産性の低い産業として建築・土木業を念頭を置いておられると思われる。しかし生産性、つまりこの業界の労働生産性が低いのは、単に仕事量が減ってきたからと考える。企業間の競争が激しく、受注価格が下がっているからである。反対に仕事量が増えれば、生産性は上がるはずである。さらにこの業界がコンスタントに利益を上げられるようになれば、これらの企業への貸付金も、不良資産から銀行の優良資産に変わるのである。

実際、上の表にあるように、公共投資は確実に減っている(一般の理解と全く逆である)。特に最近の減少は目立つ。ところで公共投資は減少し、この業界の整理も進んでいるのである。つまりもし榊原教授の説が正しいのなら、もう経済は上向いていても良いはずである。ところが現実は反対なのである。さらに一部の輸出企業の業績が良いのは、市場の環境に恵まれていると言うこともあることを指摘しておきたい。また産業の二重構造や三重構造と言ったものはどの国にもあるものと考えられる。これを解決しなければ、デフレ経済から脱却できないと言う考えは、筆者にはとても奇異に感じられる。


このように榊原慶大教授の考えには、賛同できる部分とそうでない部分がある。最後に、この榊原教授の文章に対する評論を一つ紹介しておく。これは6月23日の産経新聞に掲載された論説副委員長の岩崎慶市氏のものである。岩崎氏は、概ね榊原教授の考えを肯定的に評価していた(もっとも榊原教授が主張しているこの政策は、実質的に既に行われていると筆者は認識しているが)。むしろ我々が主張しているような、資金を需要サイドへ使うことには否定的である。そして通貨の信認問題は残ることを指摘している。しかし評論の最後の言葉が問題である。岩崎氏は「通貨の信認問題を質の低い政治にゆだねる危険性も大きい」と言っている。

しかし政治の質が問題で、有効な政策が遂行できないと言うのなら、世の中の大部分の問題は政治が解決することできないと言う意味になる。またどのような状態になれば、「質の高い政治」と言えるのかさっぱり分らない。特に、筆者達のように、セイニアリッジによる資金で財政支出を行おうと言う場合、これは由々しき問題となる。まず岩崎氏は、何を持って政治の質を計ろうと言うのであろうか明らかにすべきである。このように検証が困難な課題を出されては困るのである。

へたをすれば、岩崎氏の意見は、居酒屋の酔っぱらい達のセリフと同じになる。「とんでもない政治家達に巨額の金を自由にさせてなるものか」と誰か言出すと、「そうだ」「そうだ」と周りの者が賛同するのである。実際、セイニアリッジ政策を広めたり、実行する場合には、このような反論のしようのないような、非論理的な反対意見にぶつかることを覚悟しておく必要がある。これは結構手強いのである。

来週号は「為替」と中国との通商問題を取上げる。

景気低迷によって、税収は、国税で2.8兆円、地方税で0.8兆円ほど対前年度で減少する(筆者が本誌で予想した額より、減収額は1兆円ほど小さい)。税収減と言うことは、実質的に減税である。税体系には、景気が悪くなると税金が減って、景気がさらに落込まないメカニズムが組み込まれている。反対に景気が持直した場合には、税金が増え、逆に景気を冷やすことになる。これを税のスタビィライザー機能と呼ぶ。全く話題にならないが、今回もこれからこの機能が働くのである。

しかし今日議論されている「外形標準課税」の想定は8,500億円くらいである。一方、検討されている投資減税などは、数千億円の規模である。このような小規模の増税や減税が「景気にマイナス」とか「デフレ経済対策だ」とか言って、今日カンカンガクガク議論されているのである。元々減税にしても、増税にしても乗数効果は小さい。さらにたかだか数千億円規模の話である。とてもいい大人達の議論とは思えない。どうもこのような議論を行っている人々は、デフレ経済の深刻さを気にしたくないようである。
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html#c11

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー


アドルフ・ヒトラーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html

ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった! 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html

『ヒトラー思想』とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html

独裁者の登場と行く末
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/409.html

アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html

天才ヒトラーは薬物中毒で破滅した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/361.html

「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく何の変哲もない一般的な「オーストリア人」
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/634.html  

ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

狂気の戦時医学 ナチスの人体実験
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/348.html


▲△▽▼


『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
1. 中川隆[-13238] koaQ7Jey 2020年4月16日 18:51:18 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[31]

アフター・ヒトラー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/772.html

犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

世紀の捏造? ”ガス室はなかった” は本当か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/346.html


▲△▽▼

ドイツにもまともな軍人はいたけど _ カナリス提督 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/360.html

パウルス元帥
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/404.html

マンシュタイン元帥 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/403.html

ロンメル将軍
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/402.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c1

[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇
独裁者列伝 _ 昭和天皇


御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ
それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけですだから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです
東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中もそういうシステムで戦争が進んでいく訳です


鬼塚英昭 _ 日本のいちばん醜い日



戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)


殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り. 偽装騒乱事件だったことを見事に検証した本である。(00:00:27)


彼ら実行部隊を率いたのが昭和天皇の弟にあたる三笠宮(当時、陸軍中佐)であった.


すべての戦争は八百長である。 昭和天皇が日本軍の被爆に加担した。恐ろしい.


昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。完全に天皇が指揮していた。おまけに米国、スターリンそして西洋銀行家とも天皇が内通.

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇 中川隆
1. 中川隆[-13237] koaQ7Jey 2020年4月16日 19:17:59 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[32]

東京裁判で東条英機は作戦はすべて昭和天皇一人で決めたと証言しています。
そして昭和天皇の戦争責任を証言しようとした近衛文麿の運命は

牛場友彦と松本重治が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。

占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。

前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。


山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html#c1

[近代史4] 独裁者列伝 _ 昭和天皇 中川隆
2. 中川隆[-13236] koaQ7Jey 2020年4月16日 19:29:08 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[33]

東條英機が語る天皇陛下





1947年の12月、戦時中の首相、東条英機は自らを弁護して証言台に立った。

彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は
限度を越えていた。

中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、
あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。

ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、
よく理解できるはずである。


 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。 だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で
天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。

彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。

木戸はまた、 刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。 二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_13_3_4.htm




東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/799.html#c2
[近代史3] アメリカの医療費は何故常識では考えられない程高額なのか? 中川隆
10. 中川隆[-13235] koaQ7Jey 2020年4月16日 20:19:19 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[34]
 トランプはオバマケアを廃止すると表明してきた 2020年04月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1093.html


オバマケア全面廃止を訴え、トランプ政権が姿勢硬化ー民主党に朗報か 2019年3月27日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-26/POZA426TTDS001

 米NY市の死者、一気に3700人増え1万人超に なにが起きた? 2020年4月16日
 https://www.bbc.com/japanese/52305121

 米国全土では2万人を超える死者、NY州では、1万人を超える死者によって、棺桶も火葬能力も不足し、遺体が病院の倉庫に山積みになっている。
 https://www.youtube.com/watch?v=RYGHOYTKtXc

 こうした、世界一の医療先進国アメリカの惨状は、何が原因なのか?
 その最大の理由は、世界一高額な医療体制によって、庶民の生活が医療の恩恵から切り離されてきた長い歴史があるからだ。

 アメリカの、凄まじい医療マフィアの実態 2020年01月08日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-990.html

 上のリンクに、アメリカで骨折して治療を受けたら2000万円請求されたとの記事をリンクしてあるが、アメリカの自由診療医療費は、「法外」なんて言葉をはるかに超えて、日本中のぼったくりバーが束になって逆立ちしても敵わない。

 2月段階で、風邪を引いた人が、コロナを疑って病院で検査を受けたら数百万円請求されて、結局、交渉で35万円まで値引きしてもらったとの記事もあった。

 「救急車を呼ぶと訴訟」、「ケガを自分で縫う」アメリカの医療保険ってどうなってるの? オバマケア廃案と次の標的「日本の医療」  2017年4月4日
 https://manetatsu.com/2017/04/90418/

 アメリカの一般的な労働者は、まず風邪を引いたとか、調子が悪い程度では病院に行かない。例え、任意健康保険に入っていても、支払額は莫大になる可能性があるからだ。事情は上のリンクに詳細に書かれている。

 労働者が、もし熱を出して咳が止まらなくとも(新型コロナの初期症状が出ても)仕事を休まない。

 アメリカでは、タフでガッツを見せることが、労働者としての評価の基本なのだ。

 アメリカの労働者階級にとって、医療体制はないに等しい。どんなに苦しくとも、我慢して仕事をすることが米国流の正義であり美徳である。
 このことが、アメリカの新型コロナウイルス肺炎を世界最悪に押し上げた基本的な理由である。
 症状が出たくらいで仕事を休む労働者はいないから、もの凄い感染スプレッダーになるわけだ。

  多くのアメリカ下層大衆は、怪我をしても病気にかかっても、保険がないため医療を利用できないか、保険があっても自己負担額が驚くほど高額なため、医療サービスを利用できない状態で、治療を受けないまま死んでゆく人が非常に多い。

 このため、世界最高度の医療設備と体制の整備されたアメリカ社会における平均寿命は、日本に比べて5歳以上低い。

 1人当たりGDP世界最高水準の国であるにもかかわらず米国の平均寿命は日本よりも5歳も短いが、特に黒人男性の平均寿命は21世紀に入っても60歳代である。
 これは、1990年に国家崩壊を来したソ連邦の最悪の平均寿命に匹敵する。日本では1950年代の寿命であった。

 アメリカの共和党支持者、リバタリアンは、黒人やメキシコ人など低所得者層の医療体制や生活水準を上げる福祉政策に強く反対してきた。

 日本のネトウヨと同じく、新自由主義による「自己責任思想」がリバタリアンの思想的骨格になっているからだ。つまり「貧乏人は死ね!」だ。

 これに対して、オバマが大統領に就任すると、最初に改革しようとしたのが、中産階級以下の米国国民の生活福祉水準に寄与するためのオバマケアであった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E9%99%BA%E5%88%B6%E5%BA%A6%E6%94%B9%E9%9D%A9_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)

 トランプは、選挙公約として、「メキシコの壁建設」と並んで「オバマケア廃止」を掲げてきた。

 アメリカでは何もかも自己責任であり、オバマケアを実現すれば、大金持ちが自分の財産を貧乏人に分け与えることになるから、絶対に許さない……というのが、アメリカンリバタリアンのホンネである。

 共和党リバタリアンの思想は、シオニズム=グレーターイスラエル計画を信奉するという意味で、キリスト教福音派と重なっていて、さらにユダヤ教戒律派(長老派)とも重なっている。

 エホバやモルモン教なども同じ旧約聖書を重視する分派だ。
 つまり、新自由主義思想が、ユダヤ人フリードマンによって作られたように、この徹底した自己責任主義はユダヤ教タルムードの思想と考えるべきだ。

 つまり、ユダヤ人だけが神に選ばれた特権的民族であり、他のすべての民族は、ユダヤ人に奉仕するためだけに存在しているとする思想である。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-75.html

 トランプは、まさにユダヤ人である。彼は大統領就任前に正式なユダヤ教徒に改宗し、娘婿のクシュナーは、ネタニヤフと家族同様の戒律派(長老派)幹部である。

 つまり、トランプがオバマケア廃止を叫ぶのは、リバタリアンでありユダヤタルムード思想から来ていることを理解していないと、いろいろな誤解が生じる。

 この意味で、トランプが新型コロナウイルスの蔓延拡大に懸念を示すのは、大統領選を控えた人気取りのポーズにすぎない。本心では「貧乏人は、どんどん死ね!」と叫んでいることだろう。

 だから、私は、新型コロナウイルスパンデミックが、そうしたタルムードを信奉する勢力が、意図的に蔓延させたような気がしてならない。
 これは、明らかな人工ウイルス生物兵器である。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1060.html

 こんな恐ろしいことができる組織は、911テロを実行したモサド以外に存在しないと私は確信している。最大の理由は、イスラエルが3年かかるワクチン開発を数ヶ月で実現すると豪語したことである。
 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/03/post-92692.php

 あと数ヶ月で完成するなら、少なくとも3年以上前から開発していた証拠である。
 ワクチン開発には、一定の手順と時間が必要で、短期間に開発できるような能力は、いかにイスラエルとて存在しない。

 モサドなら、やりかねない。動機がある。それは、グレーターイスラエル計画にとって、最大の難敵であるイランを潰すこと。イラン最大の支援国である中国を潰すことである。

 世界は、旧約聖書を信奉する勢力によって動いている。
 私は45年前に、岡村昭彦から、それを教えられた。旧約聖書の預言を実現する義務を負っていると信じているのが、ユダヤ教徒なのだ。

 それは、人類最大、最悪、最長のカルト集団である。

 冒頭のトランプのオバマケア潰しの発想は、まさに反キリストを地で行くものだ。

 ユダヤ教徒は、キリスト教信者を敵対視している。キリスト教国家を破壊しようとしている。同時に、イスラム教とその信者もだ。人類で生き残る資格があるのは、神に選ばれたユダヤ教徒だけと信じいているのである。

 ユダヤ人が契約した神は、ルシファー(サタンともいう)であった。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1093.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/254.html#c10

[番外地7] 伏見宮の系統は間男の子孫
伏見宮の系統は間男の子孫だと言われているんだよ
それで民間降下させられたんだ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/589.html
[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
37. 中川隆[-13234] koaQ7Jey 2020年4月16日 21:56:58 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[36]
2020年04月16日
加入者に損をさせる高額保険 保険は最低保証で良い


保険に長期間加入すると想像以上にお金を使っている

貯蓄型保険は必ず損をする

銀行や郵便局にいくと周囲の壁を取り囲むように「一生涯の安心」などの保険ポスターが貼られています。

これが意味するのは保険で安心を得られる事ではなく、保険商品は凄く儲かり、買った人が損をするものです。

保険は加入者から保険料を取り、利益と経費を差し引いた金額を投資(国債やETFなど)して残りを加入者に支払う制度です。


リーマンショックやバブル崩壊では預かった保険積立金を運用して運用損を出したが、そうでなければ保険会社が損をする事は絶対にありません。

言い方を替えると、加入者が払った以上のお金を支払うことは絶対になく、理論上9割以下しか受け取ることは出来ない。

貯蓄性の高い保険というのがあり、満期になるとお金を受け取れるが、そのどれも払ったお金が増えることはありません。


一例として 「一時払い終身保険」は最初に保険料を一括で支払うと一生涯保証を受け、自分がなくなったら妻や子供に保険金が支払われます。

この商品は契約後9年以内に解約すると元本割れだが、10年目以降は少しずつ払い戻す金額がプラスになる。

年利0.5%だが元本より増えるので、保険であると同時にお金が増えていきます。


こうした保険に加入するのは、中高年以上の家族がいる男性であり、長生きして余命は30年と言うところです。

加入後平均20年でなくなるとしたら最初の9年はマイナスなので20年目の時点でも、わずかにプラスになっている程度の筈です。

保険会社はこんな風に集めたお金で国債を買ったり、国内や海外で運用し儲けています。

保険で得をする事はない

日本はデフレですが僅かとはいえ物価は上昇しているので、0.5%の金利を払ったとしても、物価と比べて少ない金額しか払い戻してはいません。

肝心の保証内容ですが、「掛け捨て」ならかなりの保証が得られるとしても、「元本保証」の貯蓄保険ではほとんど保証は期待できません。

保険会社は受け取ったお金をそのまま払い戻すのだから、保険にはコストを掛けることが出来ないので当たり前です。


しかも貯蓄型は保険料自体が高額なので収入の多くを拘束されて、しかも最終的にはお金が減って戻ってくるのです。

貯蓄は貯蓄、保険は保険と別々に考えたほうが良いですが、掛け捨て保険だから加入者が得をする訳ではありません。

保険料を集めて経費を差し引いて、運用した残りを払い戻すのは同じなので、高額で保証が手厚い保険ほど損をする事になっています。


保険は損をするのを承知で、滅多に起こらない不幸に備えるもので、火災、病気、事故などが代表的なものでしょう。

このうち医療保険は日本には国保、社保という皆保険制度が存在するので、民間保険は「皆保険から漏れた部分」しか保証してくれません。

皆保険に加入していると医療費の3割負担ですが、さらに「高額医療費制度」によって医療費は所得に応じて月2万から30万以下しか負担しなくて良い。


仮に平均値を5万円として、たとえガンで3ヶ月入院しても合計15万円、その後通院しても自己負担は年間30万円というところです。

医療保険で支払ってくれるのはせいぜい年30万円程度であって、交通費とか通院の費用、休業補償を受けるにはさらに高額な保険料を支払わねばなりません。

この程度の保証を受ける為に毎月何万円も支払っている人が大勢居ますが、それより積み立て貯蓄でもしたほうが良いのではないでしょうか。

月1万円でも生涯で1000万以上払う

火災保険でも地震保険でも自動車保険でも同様に、保証が手厚くなるにつれて、支払いは高額になり、より加入者の損失が大きくなるように設定されています。

とはいえ保険に加入しないで自動車に乗るのは避けたいし、医療保険や生命保険には自転車保険など便利な特約がついていたりします。

自分が無理なく支払える最小金額の保険に加入し、お金に余裕があったら貯蓄や貯金に回したほうが有利です。


なお収入が多くて税金を節税したい人には生命保険の控除で税金の支払いを少なく出来るというメリットも存在します。

自営業者とか高額所得者には在り難いでしょうが、多くのサラリーマンなどにはあまり関係が無い。

よほどお金が余っていて何かに使って所得控除を受けたい人を除くと、保険に月1万円以上を掛けるのは「掛けすぎ」かも知れません。


月1万円を一生涯40年間支払うと480万円で、これだけ長期間国債などに投資したら軽く数倍になるので実質1000万以上を払ったのと同じ計算になります。

例えば1980年に日本国債を買っていたら2010年に7倍になっていたそうなのですが、医療費で1000万円以上を使った人が何人居たか疑問です。

保険を掛ける人はその後一生涯掛け続けるでしょうから、このように毎月1万円は数十年後に「1000万円」払ったのと同じになります。


保険は最小限で、月千円から多くても数千円のプランに留めて、その分毎月1万円でも積み立てたほうが良いです。

夫がなくなった後で保険金を受け取れたら妻は嬉しいでしょうが、自分は受け取れないし、それもトータルでは払った金額より少ない可能性が高いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/68278212.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c37

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
122. 中川隆[-13233] koaQ7Jey 2020年4月16日 23:53:03 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[37]
ゴールドムンドが詐欺ったパイオニアの610AV
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1265952055/l50

1: Mm.Gg :2010/02/12(金) 14:20:55 HOST:p5183-ipbffx02aobadori.miyagi.ocn.ne.jp  

パイオニアの610AVは、CDのデータをいったんメモリーに
読み込み、そのメモリーから出力しているらしい。

 回転系からの直接出力よりも、メモリーに落としてからの方
が音が良いとの話がある。

 皆さんはどう思われますか。



2: 神々のたそがれ :2010/02/12(金) 15:48:07 HOST:FLA1Aaw136.myg.mesh.ad.jp

先読みでエラーレート改善されれば結果、音が良いとなるかも知れませんが
PCのドライブのようにうるさい高速回転では困ります。

3: ジークフリート :2010/02/12(金) 15:57:02 HOST:wb56proxy16.ezweb.ne.jp

DA変換前に一旦メモリに溜め込むのは、エソテリックがD−70でやりました。
実質的にジッターレスだと言いますが、結果(音)はトータルでの問題ですから、それだけで良いか悪いかはよく判りませんね。

4: くろねき :2010/02/12(金) 20:32:29 HOST:KD113159118125.ppp-bb.dion.ne.jp

「メモリーに読み込み、そのメモリーから(クロック信号を付け直して)出力」
する回路はタイムベースコレクター、略してTBCと呼びます。

主に'90年代のCDプレーヤーやCDレコーダーなどに多くの事例があったと思います。

またTBCとは別に、CDプレーヤーには動作を安定させるための
ごく小さなメモリーがあるようです。


別スレに書いた話ですが、最近はパソコンのリッピングのように、
CDから取り出した信号をビットデータとして取り扱うものもあります。

 PS Audio 「PerfectWave Transport 〈NEW〉」(完実電気)
 www.kanjitsu.com/ps_audio/perfectwave_transport.php

これはメモリーに読み込むのが重要なのではなくて、ドライブの動作そのものがまったく違い
(ちなみにこの製品はDVDドライブを使っているそうです)、

線速度一定で読み出してゆき、読み取りエラーがあったらCIRCで訂正するのではなく、 CD-ROM と同様に、読み取りエラーがあった場合はその部分に戻って
再読み込みを試みるものです。


「メモリーに落としてからの方が音が良いとの話がある」のは、

リッピングしてソリッドステートメモリーに落としてから音声ファイルを再生する方式であれば、 回転系の振動の影響キャンセルできる、ということもありますが、
CDの信号にはタイムコード(同期信号)が付いていない、 ということも関係するようです。

パソコンでCDをリッピングすると音声ファイルができますが、

音声ファイルに起こした時点でタイムコードが付くので、
これにより読み出しに起因するジッターが生じにくくなり、
ジッター特性が安定するという利点があるようです。


5: YoNagisa判らん :2010/02/17(水) 03:10:58 HOST:38.89.231.222.megaegg.ne.jp

DACで シリアル パラレル変換するときなんか
絶対メモリが必要じゃないかな?

ジッターというのも怪しいよな

そんなのがあるなら RAMにCDのデーター全部コピーして
再生するのが 一番最高のハズだよねえ。

光学ドライブメカを撤廃すれば一番理にかなっているような。
まあ そうなると、3000円の5インチベイDVD−Rドライブで
読み込むことになるわけだが・・・。

6: 猫本 :2020/04/12(日) 14:46:55 HOST:softbank126083078190.bbtec.net

CDというのは初期の技術だから欠陥がありますよ。
あの時代はメモリの容量が1.44MBとかで速度も遅いくせに高いですから
オーディオ機器には使えません。

そういうことでエラー訂正なしに伝送中しますので欠損したデータをそのまんまアナログに変換しますので30%くらいはどっか行くそうです。

実際にヤマハのPRO-BITなんか約2万パターンをLSIに記憶し、CDから読み取った16bitデータと比較して20bitレベルへの補正値を求めるってありますから。足りない部分は作ってるわけです。

デジタルってのは劣化なく保管できたってだけのことです。

メモリに読み込むのは、エラー訂正をやってCD内の全てのデータを欠損なくそろえる為でしょう。

この辺はDVDあたりから来た技術じゃないかな。

でないと画像データが欠損したまま映すと電波状態の悪い時の地デジみたいにモザイク状に映るはずです。


7: くろねき :2020/04/12(日) 19:56:41 HOST:fpoym3-vezC1pro22.ezweb.ne.jp
>>6
> エラー訂正なしに伝送中しますので


CDはCIRC(クロスインターリーブ・ソロモンコード)が最初から規格化されてまつが…エラー訂正無しは俗説。

CD以前に登場しているPCMレコーダーでもエラー訂正は規格化されてまつからね
(ソニーがPCMプロセッサーを開発していたときにノイズが問題になって
エラー訂正の必要性が認識され、後に当時のEIAJが規格化)。

ついでに言うとバッファーメモリーも初期のものからありますた。
容量こそ2桁KBではありまつが。


> 1.44MBとかで

これも間違いで、ドライブの読み出し速度は4.3218MB/秒が規格となっておりまつ。

CDには、実は1GBほどのデータが入るそうでつが、実質650(後に700)MBなのは、
CIRC化するとチェックディジットの符合等で容量が増えるから。

デジタル音声の変換精度は、時間軸方向はクロックジッター、
音量レベル方向の誤差はDACそのものの問題で、

前者はマスタークロックの精度や配置(電源の問題もある模様)、

後者はラダー抵抗の精度管理やΔΣモジュレーター化、
正負独立DAC化などで解決が図られておりまつ。

また、これとは別に電気的ノイズの問題があり、
独立電源化のほかオーバーサンプリング・デジタルフィルターによるノイズシェーピング、 光学ドライブのサーボ電流の極小化、フォトカプラーによる静電結合の遮断などが試みられているのはご存知の通りかと。


9: とりあたま :2020/04/16(木) 13:48:45 HOST:KD182251115083.au-net.ne.jp

カーステやCDウォークマンは一旦メモリに読み込んでから、なんだが音がいいかというと・・・

そういや乾電池で動くCDウォークマンは百万のプレーヤーにも匹敵する
と言っていた評論家がいたけど・・・

ウソつき?詐欺師?クソ耳?

まあ昔はパチンコで取れたので携帯プレーヤーとして重宝しましたけどw


10: ワッチ :2020/04/16(木) 19:42:55 HOST:softbank126140128099.bbtec.net
>>9

カーステやCDウォークマンは一旦メモリに読み込んでから、なんだが音がいいかというと


80年代後半でしたか、テクニクスが初めて個体メモリーにデータを蓄えてから
DACに送るというCDプレーヤーを出したことがありました。

ジッター対策だったと思います。

ジッターがどれほど音質に関与するのか私はわかりませんが、今のCDプレーヤーのジッターはヒトの検知限界以下という実験結果を見たことがあります。

 まぁ音質を左右する要素はたくさんあるわけで、メモリに蓄えりゃ音質が
向上するってものでもないでしょう。


11: くろねき :2020/04/16(木) 21:02:43 HOST:fpoym3-vezC1pro04.ezweb.ne.jp
>>9
ポータブル機の音飛びメモリーは非可逆圧縮みたいでつね。
テスト信号入りレンズクリーニングCDなどでスイープ信号を聴くとわかりまつ。

一方、最近は据え置き機で大容量メモリーにCD一枚丸ごと
読み込んじゃうのも一部にあるみたいでつ。
こちらはもちろんデータ圧縮無し。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1265952055/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c122

[近代史4] コロナ感染者の悔恨「唯一気を抜いたのがコンタクトレンズ店」

コロナ感染者の悔恨「唯一気を抜いたのがコンタクトレンズ店」 2020/04/16 16:05

 感染拡大が止まらない新型コロナウイルス。目に見えないということもあり、感染経路がわからないケースも多い。それならば、実際に新型コロナウイルス感染者の行動を振り返ってみれば、感染リスクが高い場所が分かるのではないだろうか? そこで、感染者たちの声を聞いた。


 都内在住の男性会社員Aさん(40才)は騒動以来、会社のエレベーターのボタンはビニール手袋をして押し、スーパーで買った商品のパッケージを消毒液で拭くなど対策を徹底していた。

 それでも感染を避けられなかったAさんが「唯一、気を抜いた」と振り返るのは「コンタクトレンズ店」だ。

「新しいコンタクトレンズを買いに行ったとき、視力を測るために片目を隠す遮眼子を利用し、テスターレンズも装着しました。いまにして思えば、そのときに素手で目を触ってしまったんです。そのほかの生活では細心の注意を払っていたので、あのコンタクトレンズ店で目から感染したとしか考えられません」(Aさん)

 神奈川県に住む男性会社員Bさん(35才)は、県内の総合病院に入院中。4月になってから発熱が続き、その後、容体が急変して吐き気、頭痛、倦怠感、寒気、大量の発汗などの症状に襲われた。慌てて救急車を呼び、搬送先の病院の検査で陽性と判定された。

 Bさんは3月下旬に30〜40人が集ったクラブの音楽イベントに参加しており、そこで感染した可能性が高い。

 その一方でBさんが「ひょっとすると」と疑いを持つのは、「副業」の影響だ。

「実は感染がわかるひと月ほど前から、空いた時間を利用して『ウーバーイーツ』の配達員をしていました。新宿、渋谷、港区といった賑わったエリアへの配達が多く、途中で公衆トイレを使うこともありました。もちろんお客さんとの接触もありました。配達員を始めてわりとすぐに感染したので、もしかしたら副業中に…との思いも捨てきれません」(Bさん)

 日常生活のなかでリスクが高くなるのは「外食」だ。
 都心のクラブで働く30代女性のCさんは3月上旬に陽性反応が出た。すでに日常生活に戻っている。

「仕事柄、発症する直前まで毎日外食を続けていました。私も含めて周囲に感染者が4人いますが、みんな夜の街で働いていました。全員どこで感染したかわかっていません。私は営業終了後に、お客さんと一緒にカレーを食べ回したのがいけなかったのかなって思っています」(Cさん)

「夜の街」でクラスターが発生しやすいことは知られるようになったが、地方ではいまだに営業を続ける店舗もある。

※女性セブン2020年4月30日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/コロナ感染者の悔恨「唯一気を抜いたのがコンタクトレンズ店」/ar-BB12HQtV?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/800.html

[近代史4] 新型ウイルスで非正規の10%超が失業、このままでは平成デフレの再現
2020年04月17日
新型ウイルスで非正規の10%超が失業、このままでは平成デフレの再現


CAの半数が実質休業で、今後おそらく解雇される


派遣切りとバイト切りに走る企業

新型コロナウイルスであらゆる生産と消費活動が停止し、非正規の10%超がすでに失業しているのが分かった。

ディップ総合研究所が派遣社員を対象に3月に実施した調査で、16%が新型ウイルスが影響して失業したと回答した。

失業のうち会社から解雇されたのは10%で自分から退職したのは6%、収入減少はもっと多い。


8.6%が休業状態にあり約28%はシフトが減った、合計すると約37%の人が仕事量が減ったと答えている。

シフトが減った人の約78%は給料が減少したと答えていて、失業と合わせると50%以上の人に影響が出ていた。

しかもこの調査は緊急事態宣言や閉店要請、外出自粛要請が出される前なので、現在はさらに悪化している。


おそらく100%近い派遣の人に何らかの悪影響が出ている筈で、多くは派遣切りや仕事量の減少になっている。

政府はテレワークを推奨しているが、実施しているのは正社員で約18%だが派遣社員は9%にとどまっている。

アルバイトも同様で影響が出ている割合は約63%、41%はシフトが減少し8.4%は休業状態にある。


業種別でイベント業は9割以上が影響を受け、娯楽施設や宿泊、飲食業でも6割以上が影響を受けている。

これも緊急事態宣言前の調査であり、現在はさらに厳しくなり100%近い人が悪影響を受けている筈です。

企業は正社員と非正規に露骨な差をつけ、正社員だけにマスクを支給し非正規はマスク禁止という会社も存在するという。」

このままでは平成デフレの再現ドラマ

社員に出社を禁ずる一方で非正規は狭い部屋ですし詰めで仕事をさせ、「使い捨て要員」にしている会社もある。

最近話題になっているのがCAつまり昔のスチュワーデスで、現在ではほとんどが非正規採用となっている。

訪日観光客が90%以上減少海外旅行に行く人もいないので、大半のCAは自宅待機や契約解除されている。


非正規CAの報酬はただでさえOL程度と言われていたが、仕事がないので給料は支給されない。

法律では50席に1人の客室乗務員が義務付けられているが、便数そのものが減少した。

1か月から3か月程度は雇用を維持し最低限の給与を支給するが、長期化すれば解雇になる。


雇用が維持されてもCAの収入は月10万円程度になり、これではとても生活できなくなる。

今後1か月ほどで日本中の非正規やバイトが同じような経済状態に陥る筈です。

その先は企業は正社員リストラに手を付けるので、90年代から2000年代のデフレ不況の再現ドラマになる。


これを防げるのは1930年代に大恐慌を終わらせたような政府による無限の投資しかない。

だが安倍首相と日本政府にはまるでやる気がなく、大不況の到来を他人事のように言っている。
http://www.thutmosev.com/archives/82713526.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/801.html

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
29. 中川隆[-13232] koaQ7Jey 2020年4月17日 07:23:06 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[1]

この「緊急事態」に安倍政権はいったい何をしているのか
国民に広がる困惑、現金給付巡ってドタバタも
2020/4/17 ©株式会社全国新聞ネット
https://www.47news.jp/47reporters/4726067.html


 政府は、いったい何をしているのか。

 こうした声が、憤りや不安を表現するものとして、日々発せられている。また同時に、このフレーズが文字通りの疑問として口にされることも少なくない。政府がいったい何をしているのか理解ができず、そのことに対する不満や困惑が広がっているのである。(上智大学教授=中野晃一)

 ▽だらだら感

 7都府県を対象に緊急事態宣言が4月7日に発令されて1週間余りがたとうとしているが、こうした疑問と不安が払拭されていないどころか深まっている。「緊急事態」と言いながら、政府の対応があまりにスピード感を欠いていることから、肝心の緊急性がまったく感じられない。危機感を募らせた自治体が独自に宣言を発令する動きも相次ぎ、政府が対象地域を全国に拡大する方針を決めたのは16日になってからだった。

 そもそも第1段階となった7日の緊急事態宣言では、発令に先だって臆測や前触れがだらだらと1週間以上も続いた。さらに発令後も、医療崩壊が目前に迫る東京都での具体的な休業要請の対象が発表されるまで3日間、安倍政権と小池百合子都知事との間で、居酒屋や理髪店など諸外国の事例で見てもおよそ「不要不急の外出」と見なされることがない業種をどうするかの駆け引きが行われたのだ。

 その間、新型コロナウイルス対策を担う西村康稔経済再生担当相は、まずは外出自粛要請の効果を見るために休業要請を2週間程度先送りしてはどうかと対象7都府県の知事に打診したとさえ報じられた。

 不可解なのは、西村氏の打診のタイミングだ。安倍晋三首相は、緊急事態宣言発令に際して行った記者会見で「2週間後に感染者の増加をピークアウトさせる」と述べた。西村氏の発言はその翌日に出た。緊急事態と言いながら2週間まずは様子を見て、しかし2週間後のピークアウトを目指しているというのは何事なのか。

小池東京都知事(左)と西村経済再生相=4月9日夜、東京都千代田区

 実はこうしたエピソードが、安倍政権の新型コロナウイルス対策の根本的な問題を表しており、政府はいったい何をしているのか、と多くの人が感じる理由でもある。それは、政府の決める対策の根拠とその決定過程の双方がともに透明性を欠いていて、その結果、政府の打ち出した対策の合理性や効果を含めた方向性が見えてこないのである。つまり何を根拠に何をどうすればどうなると誰がどこで決めているのかが分からないのだ。

 しかも安倍首相は、記者会見の質疑応答で、「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と述べている。

 ここに来て、野党がかねてから主張していた国民への10万円一律給付だ。首相は4月16日、公明党に押し切られる形で、審議入り目前の補正予算案を組み替えて対応する方針へと転換した。こうした混乱ぶりを見せられては、リーダーシップどころか、為政者としての当事者意識すら欠如しているのではないかと疑ってしまう。

 ▽危機でも平時と変わらぬ業界団体への配慮

 安倍首相以下、政府が市民の安全を守る責任主体としての当事者性と説得力を示せずにいる一方で、首相や政府与党関係者、そしてマスコミが盛んに喧伝するのは、日本の特措法が定める緊急事態では政府が外出や営業を禁止する強制力を持たないので、欧米など諸外国で行われているような「ロックダウンはできない」という言説である。

 ことさらにこの点を言い立てて、だから緊急事態条項を憲法に盛り込む改正が必要だという、それこそ何の緊急性も必要性もない教条主義的な主張も散見される。

 しかし、いわゆるロックダウンのような徹底的な休業・外出禁止措置に積極的な姿勢を見せた小池都知事とのさやあての中で明らかになったのは、安倍政権は「ロックダウンしたくない」という事実であった。そしてそれは、これまで再三、立憲主義や法の支配の原則をないがしろにしてきた政権が、ここにきて急に一般市民の私権の制限に慎重になったからではない。

東京・新宿の歌舞伎町で通行人に声掛けをする警察官=4月10日夜

 その証拠に、7都府県の夜の繁華街などで外出自粛強化を要請する、つまり外出自粛をお願いするためなのに、さっそく警察がものものしくパトロールし始めていることを武田良太国家公安委員長が明らかにしている。

 それではなぜ、政府は実効性をともなう徹底した外出制限策を取ろうとしないのか。その理由は、実は単純である。一般に、新型コロナウイルス対策というと「感染拡大阻止対策」のことを指すが、安倍政権はそのように捉えていないからである。

 この政府にとって、新型コロナウイルス対策は第一義的に、新型コロナウイルスと感染防止策によって引き起こされている経済損失を軽減するための、とりわけアベノミクスや自民党を支えてきた業界や業種に目配りした施策や予算措置、つまり平時と変わらぬお得意の「経済・景気対策」なのである。

 そもそも、新型コロナウイルス対策の担当者として、安倍首相が任命したのは、通産官僚出身の西村経済再生担当相である。

 世界各国が必死になって感染封じ込めに取り組んでいるのを意に介せず、日本の政府与党が「お肉券」だ、「Go To Travel」「Go To Eat」クーポンだとはしゃぎ、あるいは、航空便の大幅減少にあえぐ航空会社を救済する意味もあるのだろうか、客室乗務員に不足している防護服の縫製支援を依頼したいなどと言うさまざまに問題のある珍妙な案が出てくる。

 陳情や批判に小出しで応じて、民意に応えているかのような演出も毎度のことである。

自民党の岸田政調会長(左)と二階幹事長=4月16日、首相官邸

 ▽国民に押しつける負担

 ならばなぜ、首相はここまで感染拡大阻止に楽観的もしくは無関心でいられるのだろうか。これは難問であり、また解は一つではないだろう。初動の遅れの際に対策本部をおろそかにして、連日会食を重ねて批判を浴びたことが記憶に新しいが、国民の健康や安全に心底関心がないことは、過去の災害対応でも明らかだった。

 東京五輪の開催やアベノミクスの破綻を防ぐこと、そして憲法改正へと少しでも近づくことなどのほうが、首相の中では優先順位が高いこともありそうだ。また五輪を1年延期するだけで開催できると判断した際にも伝えられたことだが、どうやら首相は、ワクチンや治療薬を日本の科学や技術の力で早期に開発できると思い込んでいる節も見られる。

 しかし決定的なのは、首相が感染拡大阻止対策を専門家会議や厚生労働省にほぼ丸投げしておけばいいと考え、時折、相談も脈絡もなしに全国学校一斉休校や各戸への布マスク2枚郵送などを打ち上げることで「やってる感」を演出できるものと勘違いしていることである。突如受け入れた10万円一律給付も、この延長線にあるのだろう。

 首相が感染防止対策でのリーダーシップを放棄する一方で、厚生行政や専門家会議が、検査や医療体制の限界を首相官邸や財務当局などに強く訴え、医療資源の緊急拡充を求める努力を怠ってきたのもまた事実である。

世田谷郵便局に搬入された布マスク=4月16日、東京都世田谷区

 検査数を抑え、いわゆる「自粛」によって感染拡大を遅らせることを主としたことは、結果として、市民の側に負担ばかりを求め、国の側が視野の狭い「経済・景気対策」にいそしむ慢心を許してしまった。

 専門家会議の主導してきたクラスター感染対策の限界が明らかになった「緊急事態」の今、最も恐ろしいのは、安倍政権が感染拡大阻止対策とそのコストをいよいよ市民に丸投げしてきていることである。十分な補償もインセンティブも、それどころか客観的で信頼できる情報やデータさえ満足に得られぬままで、一方政府は熱心に「自粛」要請を繰り返す。

 感染が阻止できなかった場合は、その責任を市民の「自粛」が足りなかったことに押し付ける流れがすでに垣間見える。星野源に便乗して投稿した動画に見られた安倍首相の「人ごと」ムードである。到底、人々が外に出ないで済むように万策講じる責任を負っていることを自覚しているようには見えず、強い反発を招いた。

星野源さんの動画に、愛犬とじゃれあいくつろぐ様子を投稿した安倍首相のツイート

 しかしこのまま感染が広がってしまい、医療崩壊によって多くの方が亡くなった、というような事態になれば、強制力のある外出禁止が日本ではできず、国民の「自粛」すなわち努力が足りなかったことがいけないのであって、憲法改正を含めた法整備によって政府がより自由に強権を発動できるような体制を整えなくてはならないというキャンペーンが展開されるだろう。

 無責任な政府に今よりもいっそうノーチェックとなるような権力を与えても市民の健康と安全は保障されない。誰もが安全な場所にいられるよう休業補償などを行い、国としての責任を果たさせることが、今こそ欠かせない。
https://www.47news.jp/47reporters/4726067.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c29

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
19. 中川隆[-13231] koaQ7Jey 2020年4月17日 07:23:33 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[2]

この「緊急事態」に安倍政権はいったい何をしているのか
国民に広がる困惑、現金給付巡ってドタバタも
2020/4/17 ©株式会社全国新聞ネット
https://www.47news.jp/47reporters/4726067.html


 政府は、いったい何をしているのか。

 こうした声が、憤りや不安を表現するものとして、日々発せられている。また同時に、このフレーズが文字通りの疑問として口にされることも少なくない。政府がいったい何をしているのか理解ができず、そのことに対する不満や困惑が広がっているのである。(上智大学教授=中野晃一)

 ▽だらだら感

 7都府県を対象に緊急事態宣言が4月7日に発令されて1週間余りがたとうとしているが、こうした疑問と不安が払拭されていないどころか深まっている。「緊急事態」と言いながら、政府の対応があまりにスピード感を欠いていることから、肝心の緊急性がまったく感じられない。危機感を募らせた自治体が独自に宣言を発令する動きも相次ぎ、政府が対象地域を全国に拡大する方針を決めたのは16日になってからだった。

 そもそも第1段階となった7日の緊急事態宣言では、発令に先だって臆測や前触れがだらだらと1週間以上も続いた。さらに発令後も、医療崩壊が目前に迫る東京都での具体的な休業要請の対象が発表されるまで3日間、安倍政権と小池百合子都知事との間で、居酒屋や理髪店など諸外国の事例で見てもおよそ「不要不急の外出」と見なされることがない業種をどうするかの駆け引きが行われたのだ。

 その間、新型コロナウイルス対策を担う西村康稔経済再生担当相は、まずは外出自粛要請の効果を見るために休業要請を2週間程度先送りしてはどうかと対象7都府県の知事に打診したとさえ報じられた。

 不可解なのは、西村氏の打診のタイミングだ。安倍晋三首相は、緊急事態宣言発令に際して行った記者会見で「2週間後に感染者の増加をピークアウトさせる」と述べた。西村氏の発言はその翌日に出た。緊急事態と言いながら2週間まずは様子を見て、しかし2週間後のピークアウトを目指しているというのは何事なのか。

小池東京都知事(左)と西村経済再生相=4月9日夜、東京都千代田区

 実はこうしたエピソードが、安倍政権の新型コロナウイルス対策の根本的な問題を表しており、政府はいったい何をしているのか、と多くの人が感じる理由でもある。それは、政府の決める対策の根拠とその決定過程の双方がともに透明性を欠いていて、その結果、政府の打ち出した対策の合理性や効果を含めた方向性が見えてこないのである。つまり何を根拠に何をどうすればどうなると誰がどこで決めているのかが分からないのだ。

 しかも安倍首相は、記者会見の質疑応答で、「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と述べている。

 ここに来て、野党がかねてから主張していた国民への10万円一律給付だ。首相は4月16日、公明党に押し切られる形で、審議入り目前の補正予算案を組み替えて対応する方針へと転換した。こうした混乱ぶりを見せられては、リーダーシップどころか、為政者としての当事者意識すら欠如しているのではないかと疑ってしまう。

 ▽危機でも平時と変わらぬ業界団体への配慮

 安倍首相以下、政府が市民の安全を守る責任主体としての当事者性と説得力を示せずにいる一方で、首相や政府与党関係者、そしてマスコミが盛んに喧伝するのは、日本の特措法が定める緊急事態では政府が外出や営業を禁止する強制力を持たないので、欧米など諸外国で行われているような「ロックダウンはできない」という言説である。

 ことさらにこの点を言い立てて、だから緊急事態条項を憲法に盛り込む改正が必要だという、それこそ何の緊急性も必要性もない教条主義的な主張も散見される。

 しかし、いわゆるロックダウンのような徹底的な休業・外出禁止措置に積極的な姿勢を見せた小池都知事とのさやあての中で明らかになったのは、安倍政権は「ロックダウンしたくない」という事実であった。そしてそれは、これまで再三、立憲主義や法の支配の原則をないがしろにしてきた政権が、ここにきて急に一般市民の私権の制限に慎重になったからではない。

東京・新宿の歌舞伎町で通行人に声掛けをする警察官=4月10日夜

 その証拠に、7都府県の夜の繁華街などで外出自粛強化を要請する、つまり外出自粛をお願いするためなのに、さっそく警察がものものしくパトロールし始めていることを武田良太国家公安委員長が明らかにしている。

 それではなぜ、政府は実効性をともなう徹底した外出制限策を取ろうとしないのか。その理由は、実は単純である。一般に、新型コロナウイルス対策というと「感染拡大阻止対策」のことを指すが、安倍政権はそのように捉えていないからである。

 この政府にとって、新型コロナウイルス対策は第一義的に、新型コロナウイルスと感染防止策によって引き起こされている経済損失を軽減するための、とりわけアベノミクスや自民党を支えてきた業界や業種に目配りした施策や予算措置、つまり平時と変わらぬお得意の「経済・景気対策」なのである。

 そもそも、新型コロナウイルス対策の担当者として、安倍首相が任命したのは、通産官僚出身の西村経済再生担当相である。

 世界各国が必死になって感染封じ込めに取り組んでいるのを意に介せず、日本の政府与党が「お肉券」だ、「Go To Travel」「Go To Eat」クーポンだとはしゃぎ、あるいは、航空便の大幅減少にあえぐ航空会社を救済する意味もあるのだろうか、客室乗務員に不足している防護服の縫製支援を依頼したいなどと言うさまざまに問題のある珍妙な案が出てくる。

 陳情や批判に小出しで応じて、民意に応えているかのような演出も毎度のことである。

自民党の岸田政調会長(左)と二階幹事長=4月16日、首相官邸

 ▽国民に押しつける負担

 ならばなぜ、首相はここまで感染拡大阻止に楽観的もしくは無関心でいられるのだろうか。これは難問であり、また解は一つではないだろう。初動の遅れの際に対策本部をおろそかにして、連日会食を重ねて批判を浴びたことが記憶に新しいが、国民の健康や安全に心底関心がないことは、過去の災害対応でも明らかだった。

 東京五輪の開催やアベノミクスの破綻を防ぐこと、そして憲法改正へと少しでも近づくことなどのほうが、首相の中では優先順位が高いこともありそうだ。また五輪を1年延期するだけで開催できると判断した際にも伝えられたことだが、どうやら首相は、ワクチンや治療薬を日本の科学や技術の力で早期に開発できると思い込んでいる節も見られる。

 しかし決定的なのは、首相が感染拡大阻止対策を専門家会議や厚生労働省にほぼ丸投げしておけばいいと考え、時折、相談も脈絡もなしに全国学校一斉休校や各戸への布マスク2枚郵送などを打ち上げることで「やってる感」を演出できるものと勘違いしていることである。突如受け入れた10万円一律給付も、この延長線にあるのだろう。

 首相が感染防止対策でのリーダーシップを放棄する一方で、厚生行政や専門家会議が、検査や医療体制の限界を首相官邸や財務当局などに強く訴え、医療資源の緊急拡充を求める努力を怠ってきたのもまた事実である。

世田谷郵便局に搬入された布マスク=4月16日、東京都世田谷区

 検査数を抑え、いわゆる「自粛」によって感染拡大を遅らせることを主としたことは、結果として、市民の側に負担ばかりを求め、国の側が視野の狭い「経済・景気対策」にいそしむ慢心を許してしまった。

 専門家会議の主導してきたクラスター感染対策の限界が明らかになった「緊急事態」の今、最も恐ろしいのは、安倍政権が感染拡大阻止対策とそのコストをいよいよ市民に丸投げしてきていることである。十分な補償もインセンティブも、それどころか客観的で信頼できる情報やデータさえ満足に得られぬままで、一方政府は熱心に「自粛」要請を繰り返す。

 感染が阻止できなかった場合は、その責任を市民の「自粛」が足りなかったことに押し付ける流れがすでに垣間見える。星野源に便乗して投稿した動画に見られた安倍首相の「人ごと」ムードである。到底、人々が外に出ないで済むように万策講じる責任を負っていることを自覚しているようには見えず、強い反発を招いた。

星野源さんの動画に、愛犬とじゃれあいくつろぐ様子を投稿した安倍首相のツイート

 しかしこのまま感染が広がってしまい、医療崩壊によって多くの方が亡くなった、というような事態になれば、強制力のある外出禁止が日本ではできず、国民の「自粛」すなわち努力が足りなかったことがいけないのであって、憲法改正を含めた法整備によって政府がより自由に強権を発動できるような体制を整えなくてはならないというキャンペーンが展開されるだろう。

 無責任な政府に今よりもいっそうノーチェックとなるような権力を与えても市民の健康と安全は保障されない。誰もが安全な場所にいられるよう休業補償などを行い、国としての責任を果たさせることが、今こそ欠かせない。
https://www.47news.jp/47reporters/4726067.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c19

[近代史4] 水島総 _ 山本太郎はチュチェ思想に洗脳されている極左ファシスト 中川隆
22. 中川隆[-13230] koaQ7Jey 2020年4月17日 07:31:40 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[3]
住居失った人を貧困ビジネスの大部屋送り コロナ感染者作り出す厚労省(田中龍作ジャーナル)
http://www.asyura2.com/20/senkyo271/msg/602.html

2020年4月16日 22:19 田中龍作ジャーナル


厚労省通達の見直しを求めて加藤厚労相に直談判する山本太郎。加藤大臣はひたすら逃げた。=16日、厚労省玄関 撮影:田中龍作=

 これでは厚労省がコロナ感染のクラスターを作り出しているようなものだ。

 緊急事態宣言とコロナ不況で住居を失ったり、ネカフェを締め出されたりした人々が、自治体の窓口に生活保護申請に行ったところ、無料低額宿泊施設の大部屋に送り込まれるケースが相次いだ。

 政府はコロナ感染の拡大を防ぐため、国民に対して集まらないように要請している。それと逆行する施策を、厚労省が進めているのである。

 体力のない弱者ほどウイルスに感染しやすい。恐ろしい話だ。

 無料低額宿泊所は生活保護費の大部分をピンハネする貧困ビジネスの温床でもある。


山本太郎の追及に谷内局長はロレツが回っていなかった。ヤバさを自覚しているのだろう。=16日、厚労省 撮影:小杉碧海=

 問題になっているのは厚労省社会・援護局が緊急事態宣言の対象となった自治体に発出した通達(7日付)だ—

 「現状の宿泊場所だけでは不足が見込まれる場合・・・(中略)ホテルや旅館を開拓し」とある。

 これを上手に利用したのが東京都だった。

 東京都は市区の社会福祉事務所に「第一義的には無料低額宿泊所・保護施設を利用すること。それでも不足する場合には緊急一時宿泊所(ビジネスホテル)を活用」とする通達を出したのである。(通達の内容はのちに変更したようだ)

 他の自治体も厚労省の方針を遵守しているようだ。
 
 各自治体のスタンスは—

 「本省(厚労省)からの事務連絡をもとにルール(方針)を守っているので、これ以上のことはできない。相部屋や大部屋がダメだとかいう通知はもらっていないので、私たち(自治体)は間違ったことをしていない」。


加藤大臣は山本太郎の申し入れを頑なに拒否した。しぐさには可笑しみさえ漂っていた。=16日、厚労省 撮影:田中龍作=

 事態の改善を求めて山本太郎がきょう、単騎、厚労省に乗り込んだ。一刻の猶予もならないからだ。厚労省は社会援護局の谷内繁局長が対応した。

 山本太郎は谷内局長を追及し通達の見直しを求めた―

 「無料低額宿泊所において(コロナ)感染が発見されたら厚労省の責任になりますね」

 「緊急事態下において相部屋に新規に人を受け入れることなんてやってはいけないのでは?」と。
 
 谷内局長はタジタジだった。「あの、あの、我々としては新型コロナウイルスの感染防止が非常に大事ですから、必要なことを早急にやっていきたいと思っています」と原則論でかわした。

 山本が畳みかけた。「感染防止という観点に立った場合、相部屋というのは感染防止になりますか?」

 谷内局長の答えは実に悠長だった。「今後、個室化を求めてますんで」。

 厚労省の危機感のなさには呆れるばかりだった。

 この瞬間にもウイルスは宿泊者の体内に宿り、宿泊者は市中にそれを撒き散らしている。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/625.html#c22

[リバイバル3] 下落相場でも上昇する銘柄

下落相場でも上昇する銘柄


米国株全体の下落をよそに20%以上高騰するハイテク株2020年4月16日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10195

新型コロナウィルスの世界的流行で株式市場は全体的には下落相場となっているが、中には高騰している銘柄もある。その典型的な例はハイテク株だろう。

下落相場でも上昇する銘柄

新型コロナウィルスによる世界的な都市ロックダウンで店舗も閉鎖を余儀なくされるなかほとんどのビジネスが停滞しているが、中にはむしろ売上が上がっていると思われる企業もある。

典型的なのがAmazon.comだろう。この下落相場で年始から20%以上高騰している。

アメリカやヨーロッパの多くの都市では買い物に行くことも難しくなる中インターネットで商品を注文する人が増えており、Amazon.comは注文が殺到していることから従業員を増やしたり、食品の新規注文を一時停止して順番待ちリストを作成するなど需要増加の対応に追われている。

また、自宅で暇な時間が増えたため、インターネット上で映画などを見られるNetflixも利用者が増えているようだ。

こちらは年始から30%ほどの急騰となっている。

株価の水準としてはここから買えるかどうかは微妙である。しかしこうした銘柄の高騰はアメリカの量的緩和と2兆ドルの経済対策で資金が行き場を失っていることが読み取れる。それは金価格の上昇も同じことである。以下は金価格のチャートである。

面白いことに金相場とハイテク株がほとんど全く同じような動きをしている。これは資金流入によるバブル相場なのである。

下落する銘柄も

一方で、全体が下がっている分下落している銘柄の方が多い。典型的なのは航空株だろう。何度か紹介しているアメリカの格安航空会社JetBlue Airwaysのチャートを再掲したい。

下がってはいるが、JetBlueは国内線を運行しているため、国際線を運行するAmerican AirlinesやDelta Air Linesなどよりも回復が早いはずである。国内線は国内のロックダウンが終了すれば飛ばせるが、国際線は国境が開かなければ再開できない。

JetBlueの株価水準については2月の高値の2分の1では買えないが、3分の1ならば買えると以前に申し上げたことを繰り返しておこう。

また、銀行株も調子が悪い。数日前に決算を発表したJPMorgan Chaseなどの大手銀行は今後予想される不良債権を事前に計上したことによって大幅減益となった。

中央銀行の利下げと量的緩和によって低金利となっていることも銀行株には長期的なマイナスである。顧客から預かった資金を長期の債券などに投資して金利収入を得ることが銀行のビジネスだからである。

また、航空株は飛行機が飛べば売上回復、飛ばなければ低迷と今後の業績がはっきりしている一方で、銀行株は新型コロナの隠れた影響を一身に受けることになる完全なブラックボックスであると言える。

新型コロナによるロックダウンで多くの事業者が売上の立たない状況に陥っており、今後債務不履行となるケースがどんどん出てくるだろう。

•原油暴落でついに米国シェール企業が経営破綻

その悪影響を一身に受けるのが銀行株ということになる。しかも中央銀行の政策を考えれば金利は当分上がらないだろう。銀行にとってはかなり難しい環境となる。

結論

このように、同じ米国株でも業界によって状況が大きく異なっているのが現在の相場の特徴である。無制限の量的緩和と2兆ドルの経済政策で一部の相場がバブルになる一方で業績が急激に悪化している業界は多い。米国株全体のチャートは次のようになっている。

しかし実際には株式市場はこの1枚のチャートでは言い表せないいびつな状況になっていると言うべきだろう。多くの企業が売上減少で困る一方でまだ投資できる投資先にだぶついた資金が集中しているのである。

そしてその明暗は既に始まっている決算発表シーズンを通してよりはっきりするはずである。以下の記事には決算スケジュールを掲載しているので投資家には要確認である。

•株式市場は決算シーズン突入、新型コロナの悪影響の実態が明らかに

よって1週間ほど何度も言っているように、ここからは銘柄選択が非常に重要な相場となるだろう。

そして恐らく、比較的パフォーマンスが良くなるのはハイテク株のように新型コロナの悪影響を比較的受けない銘柄、そして逆説的だが航空株のように悪影響が既にはっきりしていて株価に織り込まれている銘柄だろう。両方ともどの水準の株価で買うかが非常に大切になってくるので、その計算は各自怠らないことをお勧めする。

ハイテク株について言えば、恐らくAmazon.comやNetflixよりもまだ割安と言えるのは、3月末に買い推奨をしたAlphabet(Googleの親会社)だろう。

3月末の株価で魅力的だと言った以上今の株価でも同じように魅力的だとは言わないが、世界的なロックダウンでインターネット利用時間は増えているはずであり、オンライン広告を主戦場とするAlphabetにはAmazon.comやNetflixに劣らずプラスになっているはずである。

一方で銀行株など新型コロナの悪影響がまだはっきりと分かっていない業界はお勧めできないということになる。繰り返しになるが、ここからは銘柄選択が非常に重要な局面となるだろう。同じ航空株でも国際線より国内線といったように、ロックダウン解除で早期に恩恵を受けるのがどの銘柄かをかなり細かく考えていかなければならない。

•アメリカ、イギリスで新型コロナ流行ピーク宣言 欧米の先進国はほぼピークへ

前の記事で書いた通り、筆者は個別株を保有しながらも同額の株価指数の空売りを行なっているので、株式市場全体に対する相場観はイーブンである。

•短信: 株式のロング分を株価指数空売りでカバー、差し引きイーブンへ

筆者の主戦場はやはり原油相場である。しかし株式市場についても今後ともフォローしてゆく。

•原油価格の推移予想: 欧米のロックダウン解除で需要は急回復へ

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10195
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1051.html

[近代史4] 下落相場でも上昇する銘柄

下落相場でも上昇する銘柄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1051.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/802.html
[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト
独裁者列伝 _ ポル・ポト


【日本語字幕】ポル・ポト 最後のインタビューと死 - The last interview with Pol Pot




【大日本帝国敗戦後の亜細亜】 Hc カンボジア ポル・ポト



ポル・ポトは政府との和解交渉を試みた腹心のソン・センとその一族を殺害した。


しかしその後クメール・ルージュの軍司令官タ・モクによって「裏切り者」として逮捕され、終身禁錮刑(自宅監禁)を宣告された。1998年4月にタ・モクは新政府軍の攻撃から逃れて密林地帯にポル・ポトを連れて行った。


伝えられるところによれば、1998年4月15日にポル・ポトは心臓発作で死去した。


遺体は兵士によって古タイヤと一緒に焼かれた後、埋められた。
火葬にはポル・ポトの後妻と後妻との間に生まれた1人娘が立ち会った。


後妻と娘は「世間が何と言おうと、私達にとっては優しい夫であり、父でした」と語った。
埋葬直後には墓は立てられなかったが、のちに墓所が建てられた。
https://www.youtube.com/watch?v=BACFUwE19SU

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト 中川隆
1. 中川隆[-13229] koaQ7Jey 2020年4月17日 09:29:57 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[4]

原理主義。純度が高まれば高まるほど劣性が極大化していく


2016年7月1日にバングラデシュのダッカで起きたテロ事件の実行犯のひとりは資産家の息子でダッカ有数の私立学校に通っていたエリートだった。

エリートが過激な「原理主義」に取り込まれてテロの実行犯になったというのは、日本でも例がある。

オウム真理教という薄気味悪いカルトに取り込まれて地下鉄サリン事件のような凶悪テロ事件を引き起こしたのも、エリートたちだった。

「原理主義」はその思想を100%の純度まで培養し、先鋭化し、「それ以外は存続を認めない」という「純粋」な思想である。

「純粋」と言えば、何かとてもクリーンな感じがして良い印象を抱くはずだ。混じりっけなし。完全無欠。そういったものは、清潔で素晴らしいというイメージがある。

「純度100%」に、悪い印象を持つのは難しいかもしれない。しかし、実のところ、非常に危険なのだと気がつかないと、取り返しの付かないことになる。

純粋であろうとすればするほど、それは非常に強い「毒」となって自分や社会を傷つけることになる。「純粋」が危険であることの理由は分かるだろうか……。


純度が高まれば高まるほど劣性が高まる事実

純粋であるというのは、単純に言うと、緩衝物(クッション)になるものがすべて省かれて、まったく融通が利かないものである。

あまりにも純化されていると、妥協ができないので少しでも間違うと、目的を達成するよりも破壊する方が強くなる。これは、あらゆる分野ですべて共通することである。

たとえば、人間の「血」に関してはどうか。人間の「血」で純度を高めるというのは、近親相姦をずっと繰り返して「余計な血を入れない」ということである。

意図的にそれをやった一族がいる。ハプスブルグ一族だ。この名門一族は、あまりにも名門だったので、自分たちの血を身分の低い他人の血と混ぜるわけにはいかないと考えた。

そこで、純血主義を徹底して、一族間の近親相姦を繰り返したのだが、その結果、どんどん心身に問題を抱えた子供たちが生まれたのである。

純血は、良い遺伝子と良い遺伝子が組み合わされればさらに良くなるが、劣性の遺伝子が組み合わされると問題が大きくなって場合によっては命に関わってしまう。

ハプスブルグ一族も、劣性遺伝子と精神疾患に悩まされるようになり、とうとうその血は断絶した。

これは人間だけでなく、一般的にすべての動物で言えることである。たとえばペットの犬や猫でも、「純血種」は身体が弱かったり病気にかかりやすかったりする例が多いのはよく知られている。

そもそも、極端に足が短い、極端に鼻が低い、極端に小さいというのは「劣性遺伝子」による奇形がどんどん突き進んだ結果なのだ。

純度を高めることによって、劣性の部分を極大化させていき差別化している。それが純血種という存在である。純度が高まれば高まるほど、純度が高まるがゆえに劣性が高まる。


共産主義思想をとことん純化させた国があった

政治に関してはどうか。共産主義はマルクス主義が主流となって1900年代から爆発的に浸透していった思想だ。この思想は、単純に言えばこうだ。

「財産をすべて国のものとして、国が国民に平等に分配し、平等な社会を作る」

これはレーニンやトロツキーや毛沢東によって支持されて、ソビエト社会主義連邦や中華人民共和国として結実した。

結局、国の分配はうまくいかず、1980年で事実上、共産主義の思想は破綻していくことになるのだが、1970年代に、この思想をとことん純化させた国があった。

カンボジアだ。

1974年、カンボジアのポル・ポト政権はアメリカの傀儡政権を崩壊させて権力を奪取したが、その翌日から異様な共産主義を実行し始めた。

国の通貨をすべて廃止し、インテリ層を皆殺しにし、プノンペンを無人にし、国民をすべて農村に送り出して共同生活を強いたのである。

つまり、カンボジアはポル・ポト政権が政権を取った1974年から国民の職業は1つになった。農民である。「医者も、学者も、いらない」とポル・ポトは豪語した。

共産主義を極度に純化させたそれを「原始共産主義」と彼らは呼んだ。

しかし、その純度を高めた原始共産主義で国民が100万人も死んでいき、カンボジアはたった5年でアジア最貧国となって国家崩壊していった。

朝日新聞は、このポル・ポト政権の共産主義国家が誕生した時に「アジア的優しさ」などと能天気に評して「新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待にこたえるかもしれない」と馬鹿な記事を載せていたので有名だ。

ところで、このポル・ポトとは何者だったのか。

この男は、実は国費でフランス留学した「エリート」教師だったことを知っている人は少ない。エリート教師が外国で極端な共産主義にかぶれて同じエリート仲間たちと祖国で革命を起こし、最後に祖国を破壊した。


100%でないと駄目だと考えた瞬間に、自滅する

世の中は何もかもが「純粋ではない」のだ。それにも関わらず、そこに純粋を持ち込むとどのようなことになるのか。

たとえば、自分が純粋であろうと努力することや、自分の純粋な理想を相手に押し付けて理想から外れることを許さないと、どのようなことになるのか。

純粋でないものを強制的に排除したいという動機が働くようになり、それが「自分たち以外の人間の皆殺し」の正当化に突き進んでいく。それがテロなのである。

理想を持つことや、純粋であることは、ほどほどであれば問題はないし、必要でもある。しかし、その純度を極限的なまでに高めようとして世界が歪む。

100%理想の哲学はない。100%理想の人はいない。100%理想の恋人や配偶者もいない。100%理想の友人もいない。また100%正しい物事もない。100%信じられる人もいない。

100%を目指すことの愚かさは、もっと多くの人が気がついてもいい。

リンカーンは奴隷解放宣言をした政治家だが、ある理想主義者を部屋に呼んでこのように諭したという。

「コンパスはあなたに真北を指し示す。しかし、あなたと目的地の間にある障害物については警告しない」

原理主義とは、まさに純度をとことんまで高めて妥協を知らない主義だが、真っ直ぐに突き進むと目的が達成できないので結果的に挫折してしまう。

なぜ挫折してしまうのか。融通性が利かず、一方向しか進むことができないからだ。

世の中には今でもあちこちで原理主義の組織や、社会が存在する。しかし、純度を高めれば高めるほど、急速な自壊に向けて突き進むことになってしまう。

危険なのは、多くの人は「純粋」であることに対して良いイメージしか持たず、「純粋」「純度100%」が理想であると考えている人もいることだ。危険だ。危険なだけでなく、そんな姿勢は人生を破滅させる。

ところで、この純度100%の原理主義に心酔しやすいエリートだが、このエリートという存在も学歴社会に純度100%で純粋培養された存在でもあるとも言える。


ポル・ポト。
純度100%の共産主義を目指したが、結果的に国民大虐殺につながり、カンボジアを根底から破滅させてしまった。ポル・ポトは、実は国費でフランス留学したエリート教師だったことを知っている人は少ない。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160705T1658130900

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html#c1

[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト 中川隆
2. 中川隆[-13228] koaQ7Jey 2020年4月17日 09:30:45 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[5]

共産主義の独裁者はインテリを憎んで無学な子供たちを好む


カンボジアで狂気のポル・ポト政権が成立したのは1975年4月17日のことだった。狂気の指導者であるポル・ポトが当初から敵視していたのは「インテリ層」だった。

ポル・ポト自身は教師出身のインテリなのだが、極端な共産主義に染まっていたポル・ポトは、新しい国「民主カンプチア」を設立するにあたって知識人は不要だと考えた。

ポル・ポトは自分が支配するカンボジアを「原始共産主義」の国にしようと考えていて、「国には指導者と農民がいれば、あとは必要ない」と割り切っていた。

そのため、まだ西洋思想や民主主義や資本主義のような「堕落した思想」を知らない子供たちを親から引き離し、原始共産主義の思想を洗脳し、邪悪な思想に染まった人間を殺すように命令した。

子供たちは忠実にそれを実行した。インテリを敵視し、医師や教師や経営などの職に就いていた人間はことごとく殺害していった。

国からインテリが一掃できればできるほど「民主カンプチア」は理想に近づくとポル・ポトは本気で考えていた。それほど、ポル・ポトは「物を知った人間」を嫌ったのだ。


混じりっけのない純度100%の共産主義国家の樹立

ポル・ポトのこのインテリ嫌いにはお手本があった。

それは、中国の毛沢東である。毛沢東もまた独裁者となってからはインテリを激しく嫌っていた。

文化大革命では「知識人は反動(反革命勢力)だ。知識が多ければ多いほど反動だ」と言い放って、インテリを徹底的に自己批判させて迫害した。

自己批判というのは、インテリを公衆の面前に立たせて三角帽子をかぶらせ、自分がいかにブルジョア文化に染まっているのかを述べさせ、皆で吊し上げ、罵り、引き回すものだった。

そうやって、毛沢東はインテリを次々と吊し上げて殺害したり追放したりしていたのだった。

そして、人民には「教育は不要だ」「勉強するな」と呼びかけた。それは「叩き潰すべき古い文化」であると言われたのである。ただ、唯一読むことが勧められたのは「毛沢東語録」だけである。もちろん、それは洗脳の書でしかない。

(1)インテリはブルジョア(資本家階級)になる。
(2)資本家階級は人民を搾取する。
(3)資本家階級は共産主義の敵だ。
(4)インテリを吊し上げろ、追放しろ、殺せ。

これが文化大革命の嵐として吹き荒れていったのが毛沢東時代の中国だった。

クメール・ルージュ率いるポル・ポトは、この毛沢東に心酔しており、それを自分の国で徹底的に行うことを決意していた。そしてカンボジアに混じりっけのない純度100%の共産主義国家を樹立しようと目論んだ。

そのためには、共産主義思想とは相容れない「民主主義や資本主義に染まったインテリ、ブルジョアども」を根絶やしにしなければならない。

また、ブルジョア的な生活に染まった都市住民を全員「再教育」しなければならない。

それが都市住民の農村への強制移住となり、インテリやブルジョアの皆殺し政策となって結実したのである。

文化大革命。インテリを公衆の面前に立たせて三角帽子をかぶらせ、自分がいかにブルジョア文化に染まっているのかを述べさせ、皆で吊し上げ、罵り、引き回す。


自分の政策を批判する人間を排除する政治システム

毛沢東とポル・ポトはインテリを嫌悪したが、自分たちはインテリであるというところも似ている。ふたりとも共産主義の活動家になる前は教師だった。

毛沢東は自ら進んで勉学に励み、北京大学の図書館で司書補として働き、アダム・スミスの国富論を読み耽り、さらに思想を中心とした出版社すらも立ち上げている。

毛沢東はそれほどまで書物を愛する生粋のインテリだったのである。

しかし、やがて日中戦争や蒋介石との戦争を経て、中華人民共和国建国の指導者となった毛沢東は自分の政策に批判的なインテリたちを疎ましく思うようになり、やがては資本主義者やインテリを迫害し、弾圧し、粛清していくような独裁化への道を歩むようになっていった。

ポル・ポトはこの毛沢東を手本にしていたので、政権を樹立してから一気呵成に過激な粛清に入って超独裁政権に入った。

独裁というのは、自分の政策を批判する人間を排除する政治システムである。

自分の政策を批判する人間というのは、その政策を多角的に見ることができて、分析ができて、欠点を見つけて、それを言葉にすることができる人間だ。

それこそがインテリである。

だから、独裁者がインテリを嫌って排除するようになるのは、独裁主義を取る以上は必然的な流れとなる。

インテリは自分の政策や思想に反対してくる強敵であり邪魔者だ。だから、物理的に彼らを抹消するのが良いと独裁者は考える。それを共産主義の世界では粛清と呼んでいる。

逆に、独裁者は無垢な子供たちを好む。そして無学な者を好む。なぜなら自分の言いなりに洗脳できるし、狂気の命令であってもその善悪を考えずに粛々と従うからだ。

独裁者は無垢な子供たちを好む。そして無学な者を好む。なぜなら自分の言いなりに洗脳できるし、狂気の命令であってもその善悪を考えずに粛々と従うからだ。


そこでは凄まじいキリング・フィールドが出現していた

独裁を志向する政治家は、教育をないがしろにする。なぜなら、無駄に教育を与えて人民に知識が付いたら、自分を崇拝させることができなくなってしまうからである。

教育を与えたら、自分の政策の矛盾や思想の欠陥を指摘して独裁の世界を破壊する可能性が高い。

だから、共産主義系の指導者は絶対に人民に教育を与えず、単なる労働だけをする人間を賛美し、インテリや資本主義者に対して敵意を植え付ける。

人民が無知であればあるほど指導者は安泰でいられる。だから、独裁者は異様なまでに無学の労働者、農民、学生、子供が好きなのである。

共産主義の指導者は毛沢東のやり方を研究しているので、今でも「無学な人間、無学な子供たち」が好きだ。

たとえば、偏差値28くらいの頭の悪い子供たちなんかは、共産主義の指導者が最も好む子供だ。よく言うことを聞くし、簡単に洗脳できるし、操りやすい。

子供たちに何らかの思想を植え付け、自分たちの望む方に運動させ、活動させる。そして、それを賛美する。今どき共産主義の活動をする時点で頭がおかしいのだが、洗脳された子供たちはそれに気付かない。

子供たちは基本的に無学である上に強固な洗脳状態にあるので、自分たちが操られているということに気付かない。それを指摘されても聞く耳はない。

かくして、指導者に洗脳された子供たちは、指導者の手先となって共産主義を支えていくようになっていく。

共産主義者が無学な若者たちを使って、勉強させずに活動をさせるようになったら注意した方がいい。それは、結果的に極端な暴力活動に結びついていくからである。

そしてどうなるのかは、毛沢東の文化大革命が何を生み出したのか、そしてポル・ポト政権の原始共産主義が何を生み出したのかを見れば分かる。

そこでは凄まじいキリング・フィールドが出現していた。

誰がキリング(殺戮)を行っていたのか。それは、無学な子供たちである。共産主義者の指導者が子供を使って何をしていたのか、私たちは改めて知っておかなければならない。

ポル・ポト派兵士。子供たちは基本的に無学である上に強固な洗脳状態にあるので、自分たちが操られているということに気付かない。それを指摘されても聞く耳はない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160914T0616450900.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html#c2

[近代史4] 独裁者列伝 _ ポル・ポト 中川隆
3. 中川隆[-13227] koaQ7Jey 2020年4月17日 09:33:55 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[6]

妄想はすぐに伝染する

フォリ・ア・ドゥ folie à deux
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html


@ 精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。
 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。

A 宇宙語で会話する夫婦

 まずは精神医学1995年3月号に掲載されている堀端廣直らによる「Folie a deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」というものすごいタイトルの論文から紹介してみよう。

 鍼治療の仕事を営む夫婦の話である。

 夫婦は「温和で物静かな夫婦」とみられていたが、1986年8月中旬から、妻の方が「宇宙からの通信」を受け始めた。その内容は「病気はこうしたら治る」「宇宙から素晴らしい人がやってくる」といったものだった。また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。

そして約1ヶ月後には夫も同様の被害妄想をもつようになり、宇宙からの通信を受け始めたのだという。妄想が感染したのだ。二人は治療を求める客に対して「あなたは価値のない人間だから」などといって断るようになる。昼間から戸を締め切り夜は部屋の電灯を一晩中ともして「宇宙からの使者を待つ」生活をして周囲から孤立していった。

 そして約二年後のこと。今度は夫の方から「宇宙語」と称する言葉をしゃべりはじめ、半年後には妻も同調して二人は「宇宙語」で会話するようになったのだという。近所に抗議に行ったり通行人を怒鳴り追いかけるときにも「宇宙語」を発して近所の人々を驚かすこともあった。

宇宙語は中国語やスペイン語に似た言葉のように聞こえたとのこと。子供が3人いたが、感化されることもなく宇宙語も理解できなかった。

1991年、妻が通行人に暴力をふるう行為があったので妻のみが入院。妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、同席した夫と宇宙語で会話。しかし入院翌日からは落ち着きが見られ話も通じるようになった。

入院3週間後より夫との面会を許可したが、笑顔で落ち着いた様子で宇宙語は話さなかったという。退院してからは「あのときは自分は一生懸命だったのです。今となっては過去のことです。通らねばならない過程だったと思います」と冷静に振り返ることができたという。

 これは春日武彦『屋根裏に誰かいるんですよ。』にも紹介されている症例だが、おそらくこれは「愛」の物語だ。フォリアドゥの成立条件に「2人の親密な結びつき」がある以上、フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。

 この症例で興味深いのは、もともとの妄想の発端は妻だったのにも関わらず、「宇宙語」を話し始めたのは夫の方からだというところ。最初妻が妄想を語り出したとき、当然夫はとまどったことだろう。その時点で病院に連れて行ったり誰かに相談したりすることもできたに違いない。しかし、結局夫はそれをせず、妻の妄想世界を受け入れる。それはつまり、二人の間にはそれほどまでに深い結びつきがあったということだ。それから二年後、夫は、世界を与えてくれた妻に対し「宇宙語」を伝え、さらに二人の世界を広げるのである。

 「宇宙語」はつまり、夫から妻へのプレゼントだったのかもしれない。


B 行者と女工

 もうひとつ、篠原大典「二人での精神病について」(1959)という古い文献に載っている事例も紹介してみよう。72歳の女行者と25歳の女工の話だ。

 まずは行者の方である。老婆は若い頃から信心に凝り、夫や子を捨てて住みこみ奉公をし、金がたまると神社仏閣を遍路するという生活を繰り返していた。いつのころからか病人をまじないし、狸がついているなどというので、昭和31年夏、I病院に入院させられた。病室の隅にお札やお守りで祭壇をつくり大声で祈り、ときどき気合いをかけたりしていた。

医師には「お稲荷さんもこの病院は嫌だといっておりますわ。いろんなことがありますが、いうと気狂いだといわれますさかい」と言っていた。

 一方、女工は18歳で母を亡くし、継母とはうまくいかず、郷里を出て工場を転々とし、苦労を重ねていた。入院1ヶ月前、3年間つきあっていた男性から別れ話を持ち出された。

その後、ほかの人が彼女には無断で男から手切れ金を取ったり、すぐあとで別の男から結婚を申し込まれるなどの事件が重なり、発病。「不動さんの滝に打たれていると自然に首が振れだし、止まらなくなりました。不動さんが私に乗り移り問答できるようになりました。故郷に帰れとお告げがあったので荷物をまとめていると、手切れ金の噂をする声が聞こえてきました」。彼女は昭和31年秋に入院した。

 1年後にこのふたりは同じ病棟で移る。すると2人はすぐさま一日中話し込み、ともに祭壇を拝み、女工は行者のお経を写すようになる。

このころ、女工は「私の病気の原因を知っていて治してくれたのです」「不思議な風が私をおさえつけもがいているときに○○さん(行者の名前)のお守りで楽になりました」と話している。

女工は、男に裏切られて以来始めて、信頼できる人に出会ったのである。このころの2人はまさに教祖と信者の関係であった。

しかしその関係は長くは続かなかった。いったんは救われたものの、行者の方が「腹の中にいる生き物がはらわたを全部食ったらおまえは死ぬ」「人を犯す霊がお前についている」などと女工を脅すようなことをいうようになり、女工は行者に不信を抱くようになる。

彼女は行者とは別に祈るようになったが、するとますます行者は怒る。結局3週間で2人は争い分かれてしまった。女工は言う。「○○さんは私を計略にかけたのです。○○さんは身寄りがないから私を治して退院させ、退院した私に引き取ってもらおうとしたのです」

 その後1ヶ月して面会させたが、語り合わずまた争うこともなかった。行者はその後も変化はなく、女工は症状が消え3ヶ月して退院、故郷に帰っていった。

 孤独な2人の、出会いと別れの物語である。


Cフォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。

もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。

「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。

万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。2人は同じ妄想を共有していたのだった。

 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。

私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。
1.
今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


D古いタイプの感応精神病 ← 幸福の科学信者はこのケース

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。

悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。
 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。

青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。

 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。
 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。

どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。

その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。

すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。
これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。

集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。


E 家庭内幻魔大戦

 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。
Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。

この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。

 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。

昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。
昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。

「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。

長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」
「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。

「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」

「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには

「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。

体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。
きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。

入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」

などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。

 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」

と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。

主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、
「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。

 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。
入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、
「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。

しかし飛べずに興奮し始め、

「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。


F フォリアドゥと家族


 さて最後にちょっと違った視点からフォリアドゥを見てみよう。共同生活をしている家族などの中で狂気が伝染していくというのは、確かに気味の悪い現象ではあるのだけれど、ある意味、感染して同じ狂気を共有するようになった人は幸せといえよう。

抵抗をやめて吸血鬼(or屍鬼orボディスナッチャーorボーグ)になってしまえば楽になるのと同じようなものだ。

 それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
 家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 

映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 

家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。

 これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。しかし、どういうわけか、これまでの文献は、感染した家族には興味を示すのに、狂気に陥らなかった家族についてはほとんど触れていない。「宇宙語」の論文でも、感染しなかった子どものことはほとんど書かれていないし、「家庭内幻魔大戦」の論文でもそうだ。無視しているといってもいいくらいである。

 このへん、精神医学という学問の偏りがよく現れていますね。派手な精神病症状には興味を示すくせに、狂気を耐え忍んできた人の心にはまったく無関心。今でこそPTSDなどが話題になってきているけれど、つい最近までの精神医学はこんな具合だったのだ。
フォリアドゥそのものではなく「狂えなかった家族」に焦点をあてた文献はあまりないのだが、それでも皆無というわけではない。酒井充らによる『いわゆる被虐待児症候群の事例化』(社会精神医学1987年12月)という論文から事例を引いてみる。

発端者は母親であったらしく、結婚前の18歳ごろから

「近所の人たちが自分のことをバカにして笑っている」

とくってかかるなどの行動があったという。21歳で結婚するが、しだいに夫も妄想を共有するようになり、次男Kが生まれた頃には、夫婦そろって近隣といざこざを起こし転居を繰り返していた。

 次男のKは4歳のときに幼稚園に入園したが、両親はKが保母に不当にいじめられているという被害妄想を抱き、中途退園させてしまう。またその頃父から「家族は家族だけでやっていくから、もう二度と外の人とは遊ぶな」と言われ、子どもたちは外出を禁じられるようになる。

 6歳でKは小学校に入学するが、やはり父は担任の家に電話してどなりつけたり、教育委員会に抗議に行ったりしていた。まもなく両親はKの登校を禁止。Kが登校しようとすると、両親、ときには兄も加わってベルトで鞭打つ、金槌で殴りつける、煙草の火を押しつける、鉄パイプで眼を突くなどの身体的虐待が加えられた。そのため、小学3年生以降はほとんど学校に出席できなくなった。

 他の兄弟は親に従ったがKだけは抵抗したため、Kは親の言うことを聞かない子として、兄に行動を監視され、他の家族員から仲間はずれにされていた。Kは自宅内で一人で教科書や本を読みながら過ごすようになる。

12歳、中学校に進学したが一日も出席できず、学校から自宅に届けられた教科書で勉強し、父に命じられて自宅の敷地内の草取りをしたり、自宅内で飼っている豚の世話をしたりしていた。

この頃から、両親の近隣に対する被害妄想はますます強くなり、両親は自宅周囲をトタン板で囲い、月に一、二度のリアカーでの買い出し以外外出をしなくなる。

外出のときには両親はカメラやテープレコーダーを持ち歩き、「いやがらせの証拠」を探していたという。その際にもKは外出を許されず、父から訪問者の声の録音を命じられていた。

 15歳ごろより、Kはマンガ家になりたいと思うようになり、マンガの添削教育を受け始める。しかし両親は「マンガなど描くのはやめろ。豚の世話をしろ」と反対し、Kの描いたマンガを破き、届いた郵便物を焼き捨てる。反抗すると、両親はKに暴力を加えた。

Kは両親の妨害を避けるため、自宅の隅に家具やガラクタを積み上げて「バリケード」を築き、その中に閉じこもってマンガを描くようになった。Kの態度に父は逆上、バリケードに灯油をぶちまけて火をつけ、自宅は全焼、Kは右半身に火傷を負い、翌日外科病院に入院した。

 入院したKは病院で植皮術を受ける。しかし、手術痕の回復に従い、問題行動が始まった。看護婦の体に触る、夜間徘徊して眠らない、注射・服薬を拒否するなどの行動を繰り返し、病院側から治療半ばにして退院させられてしまう。

病院は通院治療を勧めたが、父は「一旦家から離れた者は家族ではない」といって、Kを父の信奉する宗教施設に預けた。

しかしKはそこでも問題行動を起こし、自宅に帰された。両親はやむなくKを家に置くことを許したが、やはり自宅外への外出を禁じたため、Kは再びバリケード内にこもった生活を続けることになった。

痛ましい話である。Kにとってはまさに地獄のような家だったに違いない。15歳で入院し、家から離れたときになぜきちんと助けを求めなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、それは無理な話だろう。

それまで家族以外との接触がほとんどなかったKには、他者とうまくコミュニケーションをとることができなかったのだろう。

 さてこのあと、Kは意外な方法で地獄からの脱出を図る。

17歳頃になると、Kは両親が話しかけても「あなたは誰でしゅか」などと幼児語しか話さなくなり、昼夜かまわず奇声を発するようになった。

また布団の上や鍋の中に大小便をしたり、糞尿を身体をなすりつけて転げまわるなどの異常行動が徐々に激しくなり、両親も対応に困り、翌年11月、救急車で精神病院に入院することになった。

 入院したKは、主治医の質問も待たず一方的に喋りだし、

「親から離れて入院できたのは本当にラッキーでした。でも僕は本当のことは言いません。狂気を装っているんです。催眠療法してもだめでしょう」

とうれしそうな表情で話した。入院前の異常行動については

「親が鉄パイプで殴ったり、僕のものを燃やしたりするのが鬱積して、精神病の方へ出ちゃったんです」

「虐待ばかりで学校へも行かせてくれず、訴訟ばかりしている親に反抗して、家から脱出したいと思って、親の方から僕を嫌いにさせようとして狂うふりをしたんです」という。

また「これは父にやられた、ここは母にやられた」と体中の傷痕や火傷痕についてしきりに説明した。
病棟では他の患者や看護婦に一方的に話しかけ、苦情が出るほどだった。また自分の要求が通らないと大声でわめきちらし、逆に強く注意されるとその場で土下座して謝ったりと、周囲の人たちとどのように接したらよいのかわからない様子だった。

 両親への憎悪は強く、「もう自宅には戻りたくない。親戚に連絡して引き取ってもらいたい」と要求。入院が長引くにつれ、

「自分の親は被害妄想狂です。だから僕ではなく親のほうを入院させて下さい」と攻撃的な口調で退院を要求した。

 一方両親は、入院時「一生退院させない」と言って面会にも現れなかったが、月に2、3回の手紙は必ず送って来た。

Kは両親が「被害妄想狂」である証拠として、主治医に手紙の一部を見せた。手紙は、警察や近隣、福祉事務所などへの被害的内容が主で、当初は病院に対して好意的だったが、徐々に

「病院も警察とグルになって一家をバラバラにしようとしている」

と被害妄想の対象になっていった。そして、それとともにしだいにKの退院を認めてもいいとも書くようになっていった。

 翌年7月、突然父が病院を訪れ、Kを自宅に引き取りたいと申し入れ、即日退院となった。その後もKは以前のように自宅に閉じこもった生活を続けているようだが詳細は不明だという。
こうして、Kは結局地獄の家に帰ってしまうのである。おいおい、そりゃないだろ、と思うのは私だけではないはずだ。

 Kが本当に狂気に陥っていたのか、それとも本人の言う通り狂気を演じていたのか、この論文でははっきりとした結論は出していない。

それでも、Kは、両親の狂気に対して、それを上回る狂気という奇策によって脱出を図り、必死に助けを求めてきたわけだ。そんなKを、父親に言われるままにあっけなく自宅に引き取らせてしまっていいんだろうか。いくらなんでもこの結末はないだろう。

 確かにこの患者は未成年でもあることだし、普通は親が退院させたいと言えば、法的には退院させるほかはない。たとえ親の方がおかしいと思おうが、この両親を無理矢理入院させるわけにはいかない。でも、このような場合には何かほかの方法があったんじゃないかなあ(例えば親戚に介入してもらうとか)。

 この論文は、「今後はさらに、本事例児のみならず、他の兄弟の発育についても、慎重に経過を追う必要があると思われる」と結ばれているのだが、本当にそれだけでいいのか?
 その後この家族がどうなったのか、気になって仕方がないのだが、残念ながら続報は発表されていない。
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/803.html#c3

[番外地7] 日本の内需は永遠に低迷を続け、何百兆円国債を増発しても絶対にインフレにはならない
日銀の金融緩和で既に超円安になっているのにインフレにはならなかったですからね。

日本は内需が壊滅しているから絶対にインフレにはならないのですね。

安倍政権の発足直前(2012年10月〜11月)、政府は、80円台から105円(2013年12月)への円安を生むため、30兆円のドル買いを、秘密裏に、郵貯・かんぽ生命等の政府系金融機関に、行わせています。

25円(30%)の円安目的の、「円売り/ドル買い」マネーが、米国系投資銀行に入って、ヘッジファンドから、2012年末から日本株の買い越し(5兆円規模)になり、日経平均が8,500円台だった株価が、1万4,000円に上がっています(2013年末)。

これが、「アベノミクスの成果」とされたのですから、内実は白々しいことでした。

通貨と株価の大きな変化には、いつも、資金量をもっとも大きくできる政府と中央銀行、および政府系金融機関が関与する原因があります。

日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格

 経営者は設備投資をせず、資本装備率はだだ下がり。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「ヒトの根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至ります。

経営者は「ヒトを安く買い叩く」ことのみを求め、資本主義に必須の「リスクを伴う生産性向上のための投資」に乗り出そうとしません。

従って、日本の内需は永遠に低迷を続け、何百兆円国債を増発しても絶対にインフレにはならないのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/590.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ 金正恩

独裁者列伝 _ 金正恩


金正恩 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%81%A9

"新喜び組"は23歳以下の美女たち!
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/906.html

日本の闇。日本社会に浸透していたチュチェ思想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/648.html

チュチェ思想は朝鮮古来の儒教思想であって、共産主義とは何の関係も無い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/566.html

北朝鮮の階級制は李氏朝鮮以前からの身分制度そのもの
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/708.html


▲△▽▼


朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

朝鮮総連と日本共産党は最初は一体だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/577.html

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html

重信房子、北朝鮮、オウム真理教の深い関係
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html

「よど号事件」犯人たちの洗脳と日本人拉致
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/651.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/804.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ 毛沢東
独裁者列伝 _ 毛沢東


毛沢東、公の席での最後の演説




毛沢東伝【东方红】



東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也


東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。


▲△▽▼


【cn】毛沢東の中国:大いなる実験



▲△▽▼


「番外編:皇帝たちの中国 その後の皇帝たち「毛沢東が書き換えた中国の歴史〜第九代咸豊帝」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】



特別番組「日本人は毛沢東が書き換えたウソの歴史に騙されてきた〜真実の中国史」
宮脇淳子 海上知明 倉山満【チャンネルくらら・4月10日配信】




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/805.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ 毛沢東 中川隆
1. 中川隆[-13226] koaQ7Jey 2020年4月17日 12:28:56 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[7]

中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html

毛沢東はセッ○ス狂
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

宮脇淳子 皇帝たちの中国 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html

中国人のウイグルでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/280.html

中国人のチベットでの民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/282.html

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html

中国人が反日になった理由 _ 満州開拓で日本人移住者は中国人農民の農地をただ同然で取り上げた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/748.html

中国人が日本人を大好きになった理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/319.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/805.html#c1

[番外地7] 症状が消えた後もコロナ・ウイルスは残る 中川隆
3. 中川隆[-13225] koaQ7Jey 2020年4月17日 13:01:29 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[9]
確かに若い人はすぐには死なないけど、肺が線維化してエイズ様になって、5年かけてじんわり死んでいく。 最後は水に溺れた様な表情で窒息死する 。 年寄りだけ罹患を防げばいい訳じゃない。

新型コロナウイルス罹患した患者の多くが肺が繊維化。生存率は肺癌よりも低い
1度でも罹患したら人生変わってしまう後遺症(殺人)ウイルス。

COVID-19 に罹患して重症化した場合の後遺症が肺癌より深刻と言う台湾のテレビ報道!
人工呼吸器をつけるまで重篤化すると肺が繊維化してしまうと言う症例は中国でも報告されています。繊維化してしまうと在宅人工呼吸器必須となり、仕事など通常の日常生活にかなり制限がかかります。
致死率ばかりに目が行きがちですが後遺症もかなり怖いものです新型コロナウイルス患者が実際にこのような後遺症の報告が中国にて多数挙げられてるのが現状です。恐らく日本人でももうこの後遺症出てる方は結構いると思われます(人工呼吸器付けてた20代女性等々)

無症状で繊維化の症例もあり、そのままバタッと倒れる人は繊維化していたそうですね
繊維化した肺は戻らないそうです予後が悪いってこれか…13%も重症化するのに
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/578.html#c3

[近代史4] 独裁者列伝 _ 習近平

独裁者列伝 _ 習近平


毛沢東気取りの習近平の近況
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

河添恵子 中国共産党の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/425.html

石平 中国共産党政権の脅威
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/435.html

▲△▽▼

社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html

中国企業が欧米や日本の最先端技術を手に入れる手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/283.html

中国企業の強さの秘密
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/182.html

中国品質
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/753.html


▲△▽▼

中国のハニートラップ戦略
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/153.html

中国は何時から日本でマスコミ工作・ネット工作をしているのか? _ 赤かぶ氏は中国の工作員グループ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/122.html

CIAは丸裸、中国が全てを把握してる 2018年7月 2日
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/407.html


▲△▽▼


有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html

ウイグル弾圧で54か国が中国支持の衝撃 国連総会で日米欧と対決
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/708.html

日本人ジャーナリストがウイグル問題を報じると こういう目に遭う
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/482.html

高利貸 中国が低開発国の資産を乗っ取る手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/281.html

台湾は中国では有り得ない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/215.html

台湾は中国ではないんだけど
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html

香港デモが終わらない理由 & 香港デモの正体を見極めよ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/576.html

香港デモに対抗、大阪で国歌を歌う中国人集団の異様
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/600.html

香港で15歳少女が全裸の水死体で発見される デモ開始から不審死が増加
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/676.html

イタリア・ファッションを作っているのは中国人移民
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/599.html

日本はもうすぐ中国小日本省になる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/186.html

中国政府は意図的に中国女性の日本人との偽装結婚を支援している
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/675.html

“爆買い”から“爆滑り”へ 中国人観光客がスキー場に殺到
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/234.html

沖縄が中国に「復帰」するとこうなる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/784.html


▲△▽▼

自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

中国の特権階級の貴公子ぶり 寝ていてもお金が増える仕組み
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/742.html

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/348.html

中国のエリートは何故アホなのか _ 中国の過激な学歴競争 科挙合格目指して勉強だけの生活
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/543.html

監視国家 中国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/888.html

中国 _ 悪夢の監視社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html

中国では「父親がローン滞納したら娘が入学拒否」、「ネットで政府批判したら運転免許没収」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/657.html

北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html

中国人の命は安い
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/914.html

孔子を捨てた国――現代中国残酷物語
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/499.html

中国には飲める水がない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/582.html

中国に未来が無い理由 _ 田代秀敏 混沌の大国 中国と中国人を知る
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/291.html

ビットコイン高騰は人民元からお金が逃げ出している
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/453.html


▲△▽▼

中国の法輪功弾圧者に対する国際的懲罰が始まった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/469.html

法輪功と大紀元新聞【AC通信】
http://www.asyura2.com/07/revival2/msg/109.html

中国が仏教を禁止し無数の仏像を取り壊している
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/517.html

中国のキリスト教徒の民族浄化の手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/351.html

河添恵子 中国臓器狩りの真実 人道を超えた臓器売買&移植手術の実態
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/199.html

ドローンが臓器移植の未来を変える _ 乗り越えなければならない課題
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/328.html




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/806.html

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
315. 中川隆[-13224] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:07:48 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[10]
2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c315

[リバイバル3] 資産を増やすには ほったらかし投資法が断然優れている 中川隆
36. 中川隆[-13223] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:08:25 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[11]

2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/975.html#c36

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
152. 中川隆[-13222] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:09:27 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[12]
2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c152

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
20. 中川隆[-13221] koaQ7Jey 2020年4月17日 16:13:30 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[13]

2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない


危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます


大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。

日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。

大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c20

[近代史4] <新型コロナ>「軽症でも高熱。風邪と違うだるさ」 関東・回復の50代女性

<新型コロナ>「軽症でも高熱。風邪と違うだるさ」 関東・回復の50代女性
2020年4月17日 夕刊
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202004/CK2020041702000284.html


 新型コロナウイルスの感染者の増加が続く中、感染した関東地方の五十代の女性が、本紙の取材に電話で応じ「風邪とは違う体のだるさがあり、突然高熱が出るようなインフルエンザに似た症状だった」と語った。女性は軽症のまま回復したが「誰でもなり得る。自分が発症した時に職場や家庭の対応はどうするのか。自分事として考えてほしい」と訴える。


 仕事で滞在した欧州から帰国し、一週間ほどたった三月中旬。腰が痛く、だるさを感じていたところ、三八度の高熱が出た。「寒けがして熱が徐々に上がる風邪とは違い、いきなりだるさを感じ、熱が出た」


 いつもとは違う体の不調。「もしかしたら」と感染を疑い、発熱の翌日に「帰国者・接触者相談センター」に電話したが、つながらない。地元の保健所に電話すると、担当者からPCR検査の基準に該当しないと説明された。それでも不安に思い、近所の内科医院に電話した。他の患者と接触しないように受診すると、コンピューター断層撮影(CT)で肺に影がみつかり、大学病院を紹介された。


 この時期には、夜に三八度台に熱が上がることもあったが、日中はそこまで高熱ではなく、自力で歩けた。せきはなく、息苦しいなどの症状もなかった。ただ、味やにおいは全く感じなくなっていた。


 大学病院では一度断られ検査できたのは三日後。翌日「陽性」と判明した。家族の運転する車で保健所の指定する病院に入院。発熱から一週間たっていた。


 女性は要請に応じて濃厚接触者を保健所に伝えたが、症状が出ていないという理由で、誰も検査されなかった。「濃厚接触者の人たちには精神的な負担をかけ、二週間待機してもらうことになり、心苦しかった」


 入院は隔離病棟。毎日、体温と血圧を測るだけ。治療はなく、薬も飲まなかった。入院初期こそ熱はあったが、その後は下がった。十日間の入院中は、読書をしたり仕事をしたりしていたが、部屋からは出られず、面会も禁止だった。


 PCR検査は入院期間に何度かあり、厚生労働省の基準に沿って二回連続で「陰性」が確認された日に退院した。病院からは、四週間は健康状態を確認するよう書いた紙を渡された。


 女性は今回の経験で疑問に感じた点がいくつもあった。検査で大学病院を訪れた時、一般の患者や見舞いの人が行き来する外来の正面玄関を使うよう言われた。入院の際は、保健所の担当者に公共交通機関は使わないよう言われた。「自家用車や手助けしてくれる人がない場合はどうするのか」


 増え続ける感染者。女性は「一人暮らしの人が感染したら、どんなサポートができるのか。幼い子ども、介護が必要な家族がいる人は、誰にケアを代わってもらうのか。個人も社会も、今でき得る最善の対応をシミュレーションして備えておくべきだ」。 (奥野斐)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202004/CK2020041702000284.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/807.html

[近代史3] 社会主義の20世紀 カストロの選択 中川隆
1. 中川隆[-13220] koaQ7Jey 2020年4月17日 17:17:37 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[14]
『世界がキューバ医療を手本にするわけ』吉田太郎氏の著書から学ぶ
2020年4月17日
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/16516


 新型コロナウイルス感染対策で、キューバの医療が注目されている。キューバ保健省によれば、国内での感染者は10日現在で457人(死亡者16人)となっている。そうしたなかで先月、深刻な医療崩壊に陥ったイタリアに50人以上で構成する医師団を派遣したことが驚きをもって受け止められた。また、キューバが開発した抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2Bが、新型ウイルス感染者の治癒に有効であることが確認され、WHOも製剤の一つにあげていることがある。

イタリア入りしたキューバの医師団(3月、ミラノ)

 イタリアへの医療チームの派遣は、北部ロンバルディア州の要請を受けたもので、医師36人、看護師15人、統計の専門家らで構成している。キューバは、国民一人当りの医師数が世界で最も多い国の一つで、医療従事者の養成プログラムが優れていることでも知られる。3万人のキューバ人医師が世界61カ国で、国境をこえて働いている。

 新型コロナウイルスの感染に立ち向かう各国の要請を受けた医療チームはイタリアのほか、ベネズエラ、グレナダ、ジャマイカ、ニカラグア、スリナム、ベリーズなどに合わせて400人を送っている。キューバの「国境なき医師団」は、ハイチのコレラや西アフリカのエボラ出血熱などの感染症の最前線に立ってきたことでも知られている。

 抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2Bは、キューバの技術を導入した中国との合弁会社(長春)で製造・販売しており、中国の新型コロナウイルス治療でもその有効性が確認された。スペインもこの薬剤を新型肺炎患者に投与することを明らかにしている。キューバ当局は、この薬を試したいという打診がすでに15カ国からあったことを明らかにしている。

 キューバの事情にくわしい吉田太郎氏は、

『世界がキューバ医療を手本にするわけ』(築地書館、2007年)
https://www.amazon.co.jp/世界がキューバ医療を手本にするわけ-吉田-太郎/dp/4806713511

で、キューバ革命(1959年)以後、「教育と科学にこそ未来がある」(カストロ)という理念を掲げてきたキューバの福祉医療と先端医療の先進性を、市場原理の導入によって医療崩壊の危機に瀕する日本や欧米先進国と対比させて具体的に紹介している。

米国が仕掛けたデング熱 6週間で治療薬

 キューバの医療については乳幼児死亡率はアメリカ以下、平均寿命は先進国並み、医療費はすべて無料、全国を網羅する予防医療などで知られる。それとともに今注目されるのは、吉田氏がキューバの先端医療の水準の高さを紹介するなかで、その飛躍をとげるきっかけとなったのが、アメリカがしかけたバイオテロで34万人がデング熱に感染したという不幸なできごとであったことを強調していることである。

 1981年の5月から10月にかけてキューバでは、突然デング熱が大流行し、ピーク時には毎日1万件もの患者が出る事態となった。政府はまず、防除薬剤マラチオン液を緊急輸入し、媒介蚊の駆除作戦を開始した。だが病床が足りなくなり、寄宿舎のある多くの学校を隔離病棟にあてて感染防止に努めた。しかし、それにもかかわらず1万312人が重症の出血性デング熱に冒され158人が犠牲になった。そのうち101人が子どもだった。

 カストロは1981年の革命記念日で「この病気がCIAによって国内に持ち込まれた疑いがあり、殺虫剤の輸出を米国に求めたが拒否された」と演説した。アメリカの関与を疑わせたのは、デング熱の病原体が東南アジア由来のウイルスタイプで、しかも蚊が媒介するから発生源があるはずなのにハバナ、シエンフエゴス、カマグエイの3カ所で、約300`も離れて同時多発的に発生したことであった。感染症専門家のグスタポ・クリ博士は、デング熱を遺伝学的に調べ、ニューギニア産であることを突き止めた。

 3年後の1984年にニューヨークでキューバ外交官を殺害したテロリストグループ「オメガ7」のリーダー(アメリカ亡命のキューバ人)が逮捕された。その公判過程で、バイオテロをしかけるつもりで「数種の細菌を持ち込む任務を持ってキューバを訪れたことがある」「ソ連軍に使われるはずだったが、キューバに使われてしまった」と口を滑らせたことから、デング熱を持ち込んだことが発覚した。

 また、2000年代に入りアメリカの機密文書の解禁によって、米陸軍が1956年と58年にジョージア州、フロリダ州で特別に飼育した蚊の群れを放ち、生物兵器になるかどうかの研究をしていたことが暴露された。この実験で使われたのはデング熱を媒介するネッタイシマカだった。

 キューバはデング熱以外にも次のようなバイオテロをアメリカから受けてきたと主張している。

 1962年 ニューカッスル病(鶏の病気)
 1971年 アフリカブタコレラ
 1979年 さとうきび錆病、タバコ青黴病
 1980年 タバコ青黴病
 1981年 急性出血性結膜炎
 1996年 ミナミキイロアザミウマ(農業害虫)

 キューバのバイオテクノロジー産業は、こうしたアメリカのバイオテロによる要人暗殺や、疫病の流布、農産物被害に対抗するためのやむなき自衛手段から始まったといえる。

 デング熱発生でインターフェロン緊急増産の必要性に迫られたキューバでは、全国科学研究センターが中心となり、バイテク推進の特別機関として、12の研究所長で構成するバイオロジカル・フロントを組織した。これによって、デング熱や急性出血性結膜炎の治療薬としてのインターフェロン生産設備の増築計画が進められた。

 科学者たちはデング熱が流行するさなか、わずか6週間で治療薬インターフェロンを作り出し、デング熱治療に活用し効果を収めた。さらにその後、旧ソ連やフィンランド、東ドイツ、日本、アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、スイスなどに留学生を送り込み、遺伝子組み換え技術、分子ウイルス学、モノクローナル抗体生産、免疫化学、組織培養等の専門知識を学んできた。

 ソ連の崩壊とそれを好機とみたアメリカの経済制裁がキューバをいっそうの困難に追いやった。キューバはバイテク産業を輸出の柱に据えて、ヨーロッパ、アジア、アフリカに販売しようとオーストラリア企業と協定を結んだが、アメリカの横やりで、その2年後に一方的に破棄されることも経験している。

インターフェロン・アルファー2B
世界最大のバイテク研究所 各国の育成を支援

 だがキューバは今や、世界最大のバイテク研究所を持ち、ワクチン開発でも独創的な成果を上げHIV、子宮頸ガン、ヒトパピローマウイルス(HPV)、B型肝炎とC型肝炎のウイルスを抑えるなどの成果を上げている。バイテク分野では500もの特許を持つが、うち26はアメリカにおけるものだ。

 吉田太郎氏は、キューバでは「バイテク産業はサトウキビにかわって、国家の基幹産業になった」と指摘している。ラテンアメリカ最大の医薬品輸出大国としてその顧客リストには先進国を含め50カ国以上がひしめいている。そのうえ、イラン、中国、インド、アルジェリア、ブラジル、ベネズエラ、マレーシアなどの途上国と技術提携を結び、それぞれの国のバイテク産業の育成を支援する位置にある。中国におけるインターフェロン・アルファ2Bの製造もその産物だといえる。

 吉田氏は遺伝子工学・バイテクセンターの中心的な研究者の次のような発言も紹介している。

 「私たちは多国籍企業とは本質的に異なります。なぜなら、……金銭的な目標よりも、むしろ社会的で人間的な目標をわかちあっているからです。ワクチン開発の目的はお金を稼ぐのではなく、命を落とす子どもたちを減らすことにあります。もちろん、ただでワクチンを差し上げることはできませんし、売らなければなりませんが、お金はバイテク産業の目的ではなく、あくまでも手段なのです」

https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/16516
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/791.html#c1

[近代史4] カミュの世界 中川隆
1. 中川隆[-13219] koaQ7Jey 2020年4月17日 17:20:14 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[15]

カミュの『ペスト』が問うているもの 極限のなかで生まれる立ち向かう力
書評・テレビ評2020年4月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/16521


 新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に広がるなか、フランスの作家、アルベール・カミュが一九四七年に発表した『ペスト』が読まれているという。『ペスト』新潮文庫版は、例年5000部程度の増刷だったが、今年は2月以降だけで15万部をこえる増刷となっている。また、フランス、イタリア、イギリスでもベストセラーになっている。文学者などの意見をふまえつつ、どんな内容が共感を呼び、それによってどんな思想的営みが広がっているか考えてみた。

 下関市の大手書店に聞くと、『ペスト』は「今年初めに数冊注文したが、その後もお客様からの問い合わせが続き、売れ続けている。コロナの感染が広がる今と重なるところがあるからのようだ」という。

 下関市で教鞭をとるフランス文学の教員は、「今の社会状況とリンクするからだろう。授業でもとりあげたい」とし、「人間の力ではコントロールできない自然の脅威に囲まれ、それでも少しでも犠牲者を減らそうと懸命に努力して次の世代につないでいく。今回だけでなく、そのようにして歴史が積み重ねられてきた。今の危機的な状況のなかで、この本を読み、逆に落ち着いてそういうことを考えるようになっているのかなと思う」と話した。

 作家の平野啓一郎は、「コロナとのたたかいは長期戦になる。だからこそ、目先のことでなく、これからの世の中どう生きていくかを考える時間にあてるべきだ。大きな時間の流れのなかで人間が疫病とどうたたかってきたかについて、本を読むこと。『ペスト』では、非常に大きな困難に直面するなかで、根性論ではなく、現状を克服するクリエイティブな知恵を出し合うことの大事さを学ぶことができる。日本を良い方向に変えるきっかけになればと思う」とのべている。

 同じく作家の高橋源一郎は、「『ペスト』は2年前に終わった戦争やナチスをペストにたとえ、人間の力をこえた大きな力に襲われたとき、人々はどのように混乱し、どう立ち向かうかを徹底して
考えた小説だ。多くの人が亡くなったけれども、そのとき患者の命を救うために立ち向かった人たちがおり、その記憶は決して忘れてはならないし、それを次世代が引き継いでほしいということがいいたかったのではないか」とのべている。

 『ペスト』は194*年、フランス領アルジェリアの要港、オラン市を舞台にしている。春先にネズミの死骸が次々と、数え切れないぐらい発見されるところから物語は始まる。続いて原因不明の熱病による死者が急増し、感染拡大を防ぐためにオラン市は封鎖される。外部とまったく遮断され、いつ終息するかもわからぬ閉塞感のなかで、オラン市の市民たちの10カ月にわたるたたかいの記録という体裁をとって書かれている。

 6月末には真夏の気温上昇と1日の死者のうなぎ登りの上昇が一致するなか、町から出ることを重ねて禁止し、違反者には投獄の刑をもって臨む旨の布告が新聞に発表された。海は禁止されて夏の楽しみは奪われ、観光旅行は禁止されてホテルは空き室だらけとなった。電車の乗客はできるだけ背を向け合って互いに伝染を避けようとし、頻繁にただの不機嫌だけに起因する喧嘩が起こった。時とともに食料補給の困難が増大し、そこに投機が介入してきて、貧しい家庭ほど苦しい事情に陥った。棺桶も墓地も足りないなか、まさに戦場を思わせる埋葬の様子も描かれる。

 極限の場は、それぞれの人間の本性を浮き彫りにする。医師リウーが「病気は48時間以内に死をもたらすペストであり、放置すれば2カ月以内に全市民の半数が死ぬ」としきりに主張した結果、ようやく県庁で保健委員会が招集された。だが県知事は、ペストと認めれば予算を伴う仮借ない措置をとらねばならないため責任逃れから尻込みし、県知事を忖度する医師がヨイショする。こうして初動に失敗し後手後手に回る様子は、日本の今を見るようだ。

 事態打開のきっかけは、他県から来た医師タルーとリウーとの出会いだった。タルーは「県の保険部門の組織がまるでダメだ。あなた方には人手も時間も不足している」「当局に任せておいたら、みんなやられてしまう。しかも彼らと一緒にわれわれまでも」といい、当局抜きで志願の保健隊を組織することを提案する。「私の友だちが最初の中核になってくれるだろう。当然、私も参加する」というと、リウーも「この仕事は命にかかわる。でも大勢の病人がおり、目の前で苦しんでいるのだから、もっとも急を要するのは彼らを治してやることだ。その後で当局も反省するだろう」と一致する。経験のある老医師カステルは、外来の物でなく、この町を荒らしている菌自体の培養によって血清を製造する努力を始めた。

 そしてカミュは、けっしてこの二人の医師だけを英雄にせず、事態の進行のなかで人間的な新しいモラルに目覚めた裏方の人たちにも光を当てている。最初はペストに神の懲罰を見、人々に悔い改めることを説いていたパヌルー神父は、罪なき幼児の死に直面したときそれを反省し、みずから保健隊に身を投じて病に倒れた。若い新聞記者ランベールは、最初個人の幸福が第一だと主張し、ペストの町を脱してパリの愛人の下に帰ろうと努力するが、「すべてを見た今、僕はもうこの町の人間だ。この町を捨てて彼女と再会しても、きっと恥ずかしい思いがするだろう」といって、縁の下の力持ちになる決意を打ち明けた。

 この作品はフィクションではあるが、著者の戦争体験が深刻に投影しているというのは、多くの評者の一致した見方のようだ。カミュはドイツがフランスを占領したとき、仏領アルジェリア・オラン市の私立学校で教鞭をとりつつ、反ナチのレジスタンスに参加した。その真情は、カミュの分身でもあろうタルーの「僕は今の社会に蔓延する虐殺に、たった一つの根拠でも与えることは絶対に阻止しようと誓ったんだ」という言葉にもあらわれている。タルーは、市民がペストから解放され歓喜に浸っているときに、ペストによってリウーに見守られつつ帰らぬ人となるが、そのようにして亡くなった人を決して忘れず、次の世代にその遺志を受け継いでほしいという願いが込められていると思う。

 それにしても、「もう政府に任せておけない。われわれみんなで人の命を救おうじゃないか」という力は、カミュの生きた時代よりも今の方が格段に強まっているのではないか。

https://www.chosyu-journal.jp/review/16521
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/427.html#c1

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
77. 中川隆[-13218] koaQ7Jey 2020年4月17日 18:14:19 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[16]
2020年04月17日
大投資家は経済危機が収まるまで投資をしない

危機の最中に毎日忙しく取引する人は、だいたい負けます

大投資家は混乱が収まるまで何もしない

新型ウイルスで世界の株価や金融相場が混乱し、投資をしている人は気が気でないかも知れません。

アメリカでは多くのビリオネア(資産10億ドル以上)が大損失によってミリオネア(100万ドル以上)に転落しました。

100万ドルは1億円以上なのでまで少しは残っているが、1000億円以上の資産が100分の1に減ったのを意味する。


日本でもコロナ投資で大儲けしたという投資家が居る一方で、大損失を受けた人がかなり存在します。

そしていつの時代も儲かる人は10人に1人しかおらず、損をする人が9割なのが投資というものです。

世界的な経済混乱の時にどうするべきか過去の大投資家の意見はだいたい一致していて、休むべきだというものです。


Jソロスは1990年代に空売りでイングランド銀行を破産させましたが、インタビューで「空売りでは通算で負けている」と話しています。

ソロスの一生涯の利益はすべて買い注文によるもので「空売りはするな」とまで話しています。

大投資家が大儲けするパターンは決まっていて、相場の下落が収まり底を打ってから買い始めます。


大投資家の投資の秘訣は結局「安く買って高く売る」だけで種も仕掛けもありません。

Wバフェットはリーマンショックの最中、おろおろして間違った予想を繰り返し嘲笑の種になった。

大損失を出しては株を手放し、バフェットはもう衰えたと言われました。


大投資家は危機が終わってから目覚める

だがバフェットは暴落の最中は新たな投資をせず、2010年ごろ暴落が収まると目覚めたかのように巨額投資を再開した。

今もバフェットは世界一の富豪投資家だが、もしリーマンショックの最中に投資していたら資産を失っていたかも知れません。

新型ウイルスはおそらく今年で収まるが経済混乱は来年まで続き、正常化するのは2022年以降でしょう。


過去の経済危機はすべて数年間続いたからで、皆がうろたえている間は何もしないのが賢明です。

賢明な投資家はコロナが流行する前の10年間多額の利益を得たはずで、かなりの損切をしても資産の大半は残っています。

経済危機で下落する株や土地と、危機で守られる国債などに資産を分散させていれば株価がゼロになっても資産の半分は守られている筈です。


最悪の投資家はレバレッジをかけて短期勝負するが、こうした取引のほとんどは負けて終わります。

投資は必ず長期的に正しい取引をする長期投資家が勝ち、短期投資家は右往左往した挙句負けるものです。

少なくとも1年間はじっと様子を見て、2年目も下落が続くものと考えて様子を見て、3年目に新たな投資を検討すればいい。


危機の最中には決して大儲けしようなどと考えず、今あるお金を失わないように守るべき時期です。
http://www.thutmosev.com/archives/82717556.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c77

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
6. 中川隆[-13217] koaQ7Jey 2020年4月17日 18:32:41 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[17]
すべての人に抗体ができるわけではない…中国でCOVID-19から回復した患者を研究した結果
Holly Secon Apr. 15, 2020
https://www.businessinsider.jp/post-211087

回復したコロナウイルス感染症患者についての新たな研究によると、それぞれの患者がウイルスに対して異なるレベルの抗体を作ることがわかった。

調査した175人のうち10人の患者(6%)は、コロナウイルスへの抗体が検出されなかった。

この研究では、高齢者と中年者がより高いレベルの抗体を作ったことがわかった。
中国の科学者による130人の回復したCOVID-19患者に関する新しい研究は、ウイルスに対する免疫について問題を提起している。

論文はまだ査読されていないが、患者は異なるレベルの抗体を産生することがわかった。血液中にコロナウイルスの抗体が確認できるということは、おそらく免疫ができているということだ。しかし、調査した患者の約8%では、検出可能な抗体がまったく存在しなかった。

サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、この報告書を作成した調査チームのリーダーであるファン・ジンホ(Huang Jinghe)氏は、「この結果が集団免疫にどんな意味をもつかは、世界の他の地域からより多くのデータが必要だ」と述べたという。

興味深いことに、患者が産生した抗体レベルは年齢と相関するようだ。中年および高齢の回復患者はより高い抗体レベルを有していた。そして、検出可能なレベルのコロナウイルス抗体が存在しなかった患者10人のうち、9人は40歳以下だった。
ウイルスに対する抗体がどのように作用するかを解明することは、ワクチン開発と集団免疫の可能性の両方に大きな意味を持つ。


回復した患者の抗体を測定すると…

2020年3月11日、検査技師がニューヨーク州レイクサクセスのノースウェル健康研究所で検査サンプルを準備している。アメリカ食品医薬品局は、ウイルスの発生が世界中に広がっているため、より迅速な検査手順を承認した。


上海の復旦大学の研究者らは、上海の病院で回復した軽症のコロナウイルス患者175人から血液サンプルを採取した(重症患者の多くは、治療のために輸血を受けていたため除外された)。

参加者の年齢は16歳から68歳で、高齢(60歳以上)、中年(40歳から59歳)、若年(15歳から39歳)の3つのカテゴリーに分けた。患者は発症から10日から15日後に抗体ができ、その後の状態は安定していた。

研究者が各患者の血液中の中和抗体のレベルを測定したところ、高齢患者は若年患者よりも有意に高い抗体レベルを示すことを発見した。ただし、入院期間に差はなかった。

「これらの結果は、高レベルの抗体がウイルスを除去するのに有用であり、高齢および中年の患者に特に有用であることを示した」と著者らは記している。
このウイルスは高齢者に対する致死性が高いと見られている。アメリカ疾病管理予防センター(CDC)によると、アメリカでは65歳以上の患者における死亡率と重篤な疾患の発生率が最も高い。

COVID-19の年齢と死亡率の関係。
Shayanne Gal/Business Insider


すべての人に抗体ができるわけではない

研究で検出可能な抗体が見られなかった患者10人では、「T細胞やサイトカインなどの他の免疫反応が回復に寄与しているのかもしれない」と研究者らは記している。
T細胞は免疫反応を助ける白血球の一種であり、サイトカインは細胞が感染と戦うために放出するタンパク質である。ただし、あまりに多くのサイトカインが放出されると炎症を引き起こし、一部の患者では致命的な結果をもたらしたと報告されている。

コロナウイルスに対する抗体ができた患者でさえ、それがどれくらいの期間持続するのか、研究者にはまだわかっていない。まだ、このウイルスが発生してから、長期的な影響を研究するのに十分な期間が経っていないからだ。

一般的に、ある特定の病気を撃退する抗体が体内にできると、その病気に再びかかることはないが、ある種の抗体は時間の経過とともに弱くなる。加えて、普通の風邪や季節性インフルエンザのように変異するウイルスの場合、ある特定の株に対して蓄積された抗体は、他の株には効果がない。


再感染の可能性とワクチンへの影響

ウイルスに対する免疫ができているかどうかを確認する抗体検査を開始しようとしているアメリカにとって、上海での研究結果は憂慮すべきものになるかもしれない。

しかし、アメリカ国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ(Anthony Fauci)所長は、短期間に再びコロナウイルスに感染する可能性は低いと述べている。

ファウチ氏は「2月と3月に感染して回復していれば、9月と10月には免疫に守られるだろう」と、ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーションの編集者、ハワード・ボーチナー(Howard Bauchner)氏に述べた。

世界中で37万5000人以上がコロナウイルス(軽度で無症候性の症例の多くが公式な集計で報告されていないことを考えると、より多くの可能性がある)から回復した。現在、世界の3分の1が何らかの形で閉鎖されているが、回復した人々が最初に職場に復帰する可能性がある。

「これらの人々を特に重要なインフラの仕事に従事させた場合、抗体陰性で一度も感染したことがない人々よりも感染拡大を引き起こす心配が少ない」とファウチ氏は述べている。

https://www.businessinsider.jp/post-211087
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c6

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
7. 中川隆[-13216] koaQ7Jey 2020年4月17日 19:13:25 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[18]
韓国で「再陽性」163人 隔離解除から平均13.5日
朝日新聞社 2020/04/17


 韓国の中央防疫対策本部は17日、新型コロナウイルスの感染者のうち、ウイルスが体内からなくなる陰性と判定されてから、再び陽性となる「再陽性」が163人で確認されたと発表した。感染者が隔離を解除されてから再陽性と判定されるまでは平均13・5日かかっているという。

 同本部は原因として、

(1)免疫力が弱まって抗体が完全に体内でつくられず、ウイルスが再活性化
(2)検査そのもののミス
(3)体内にウイルスはなくなったが、その断片を検知、

などの可能性を調べている。完治後の「再感染」ではないとし、再陽性と判断された人からの感染拡大も確認されていないという。(ソウル=神谷毅)

https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/韓国で「再陽性」163人-隔離解除から平均135日/ar-BB12LWNj?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c7

[近代史4] 独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ
独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ


【日本語字幕】ムッソリーニ演説 - 対英仏宣戦布告




知ってるつもり?!ムッソリーニ(独裁者)




ムッソリーニ【Benito Mussolini】
イタリアの政治家。初め社会党員、1919年「イタリア戦士のファッシ」を組織、21年全国ファシスト党を結成、22年政権を掌握してファシスト独裁体制を樹立。


36年エチオピアを併合、40年連合国に対して宣戦、43年連合軍のシチリア上陸後、失脚。北イタリアのドイツ軍占領地域で再起をはかったが、パルチザンに銃殺された。


ベニート・ムッソリーニは、アドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者として知られたイタリアの政治家です。


しかし実はヒトラーよりも前から政権を担い、むしろヒトラーがその手法を参考にした人物でした。


若い頃は勉強もスポーツも極めて優秀な万能タイプで、4ヶ国語を操り女性にも大変モテるスーパーマンのような存在でしたが、反面誰にも心を許さず友人も作らない孤独な一面もあったようです。


ムッソリーニの政権掌握は1922年、方やヒトラーは1933年と、ムッソリーニの方が10年以上前であり、ファシズムと呼ばれた独裁政治の形態の元祖でもありました。


ヒトラーもムッソリーニも演説に非常に長けていましたが、ヒトラーが感情的にまくしたてるタイプならムッソリーニは優雅に分かりやすく話すタイプでした。


ベニート・アミールカレ・アンドレーア・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini、1883年7月29日 - 1945年4月28日)は、イタリアの政治家、教師、軍人。
イタリア社会党で活躍した後に新たな政治思想ファシズムを独自に構築し、国家ファシスト党による一党独裁制を確立した。


イタリア王国
・首席宰相及び国務大臣(国家指導者)任期 1925年12月24日〜 1943年7月25日
・初代イタリア社会共和国統領 任期 1943年9月23日〜1945年4月25日
・国家ファシスト党統領 任期 1921年11月9日〜1943年7月27日
・共和ファシスト党統領 任期 1943年9月18日〜1945年4月25日
https://www.youtube.com/watch?v=0-PHAszxmlY

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html

[近代史4] 独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ 中川隆
1. 中川隆[-13215] koaQ7Jey 2020年4月17日 19:38:53 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[19]

『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html#c1

[近代史4] 独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ 中川隆
2. 中川隆[-13214] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:07:09 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[20]

《櫻井ジャーナル》 2016.06.22
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。

 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。

 ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。

 こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。

 ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。

 モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。

 1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。

 本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。

 ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。

 相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。

 そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。

 当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。

 ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。

 バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。

彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。

現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。

バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。

 このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。

その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。


 何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。


 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


▲△▽▼

《櫻井ジャーナル》 2016.06.30

戦前日本は米巨大資本に従属、その巨大資本と対立していたルーズベルト政権と日本の対立は必然

 安倍晋三政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これは矛盾していないどころか、コインの裏と表の関係にある。幕末から日本の支配層は基本的にイギリスやアメリカの巨大資本を後ろ盾としてきた、つまり強い影響を受けてきたのだ。この関係が機能しなかったのは、ニューディール派政権だった1933年3月から45年4月、あるいはジョン・F・ケネディが大統領だった1961年1月から63年11月くらいだろう。

 現在、この従属関係を「日米同盟」と呼ぶが、かつては「対米協調」と表現されていた。そうした政策を打ち出した代表的な政権は1929年7月から始まる浜口雄幸内閣。アメリカ巨大資本の要求に従った政策、フランクリン・ルーズベルトやベニト・ムッソリーニが言うところのファシズム(注)を導入、例えば、緊縮財政と金本位制への復帰を実行した。最近の表現を使うならば、新自由主義的な政策を導入したのだが、これによって貧富の差が拡大、東北地方で娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になる。

 こうした経済政策の中心にいた人物がJPモルガンと緊密な関係にあった井上準之助であり、こうした背景を抜きにして、1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、また1936年の二・二六事件を理解することはできない。二・二六事件では、昭和天皇も井上たちと同じ立場だということが明らかになった。

 ウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領をルーズベルトは1932年の大統領選で破ったのだが、その3年前にニューヨークで株式相場が暴落、経済破綻が顕在化していた。

 第1次世界大戦(1914年から18年)でライバルのヨーロッパ諸国は疲弊したが、アメリカは戦場とならずに物資の販売や金融で大儲け、自動車の大衆化が進み、映画やラジオの登場など技術的な進歩で豊かになっているように見えた。

 しかし、富が一部に集まる政策が推進され、社会は衰退する。大戦後に兵士が帰国すると街には失業者が溢れ、ストライキやデモが続発していた。そうした中、1919年にボストン近郊で起こった現金輸送車襲撃未遂事件が起こり、ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティが逮捕された。1920年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件でも有罪とされた。

 いずれの事件もふたりを有罪とするような証拠、証言はなく、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡している。ふたりが「アナーキスト」だったということが理由だと見られている。ふたりは1927年の8月に処刑された。

 勿論、1950年代から60年代にかけて公民権運動が高まるまでアメリカでは人種差別が公然と行われ、決して「自由で民主的な国」とは言えない。そうした国の内部で庶民の不満は強まり、1932年の大統領選でニューディール派を勝たせることになる。

 当時、日本の支配層が従属していた相手は「自由で民主的な」アメリカ人でなく、富を独占し、人種差別を行う人びと。フランクリン・ルーズベルト政権の誕生は、日本の支配層がウォール街に従属するという関係を崩した。この関係が復活するのは、1945年4月にルーズベルトが執務中に急死してからだ。

 このアメリカと日本が戦争を始める切っ掛けは、言うまでもなく「真珠湾攻撃」。この攻撃がいかに無謀だったかを語る人は多いが、日本はすでに戦争をはじめていた。1927年5月に山東出兵、31年9月に柳条湖事件と呼ばれる偽旗作戦を実行して侵略を開始、中国東北部に「満州国」と称する傀儡国家を樹立させた。1937年7月の盧溝橋事件後、宣戦を中国の全域に拡大、そして41年12月の真珠湾攻撃だ。

 しかし、日本が東アジア侵略を始めたのはその遥か前、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置したところから始まる。本ブログでは何度か指摘したが、1871年7月に廃藩置県を実施済みなわけで、この琉球藩設置は台湾へ派兵する口実作りの可能性が高い。実際、そのころ来日していた厦門の領事のチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めていた。そこから江華島への軍艦派遣(朝鮮に対する挑発)、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦へとまっしぐらだ。この背後にはイギリスとアメリカが存在していた。

 東アジアを侵略している間に盗んだ財宝も曖昧なまま、アメリカ支配層と山分けした可能性が高い。その過程で吸った甘い汁を日本の支配層は忘れていないはず。アメリカ支配層の最近の動きを見ていると、過去の「成功体験」を再現しようとして失敗しているようで、日本がアメリカの真似をして再び中国を侵略しようとしたなら、取り返しのつかないことになりそうだ。

 こうした道へと日本を導いているのが安倍政権。危険な流れを察知した人びとが小沢一郎の率いる民主党を選挙で勝たせたのだが、それをマスコミと検察が潰し、菅直人や野田佳彦は国民の期待を裏切って現在がある。ここで諦めたなら、支配層の思う壺だ。


【注】

(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。

(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606300000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html#c2

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
2. 中川隆[-13213] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:07:52 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[21]

《櫻井ジャーナル》 2016.06.22
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。

 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。

 ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。

 こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。

 ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。

 モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。

 1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。

 本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。

 ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。

 相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。

 そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。

 当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。

 ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。

 バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。

彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。

現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。

バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。

 このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。

その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。


 何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。


 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


▲△▽▼

《櫻井ジャーナル》 2016.06.30

戦前日本は米巨大資本に従属、その巨大資本と対立していたルーズベルト政権と日本の対立は必然

 安倍晋三政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これは矛盾していないどころか、コインの裏と表の関係にある。幕末から日本の支配層は基本的にイギリスやアメリカの巨大資本を後ろ盾としてきた、つまり強い影響を受けてきたのだ。この関係が機能しなかったのは、ニューディール派政権だった1933年3月から45年4月、あるいはジョン・F・ケネディが大統領だった1961年1月から63年11月くらいだろう。

 現在、この従属関係を「日米同盟」と呼ぶが、かつては「対米協調」と表現されていた。そうした政策を打ち出した代表的な政権は1929年7月から始まる浜口雄幸内閣。アメリカ巨大資本の要求に従った政策、フランクリン・ルーズベルトやベニト・ムッソリーニが言うところのファシズム(注)を導入、例えば、緊縮財政と金本位制への復帰を実行した。最近の表現を使うならば、新自由主義的な政策を導入したのだが、これによって貧富の差が拡大、東北地方で娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になる。

 こうした経済政策の中心にいた人物がJPモルガンと緊密な関係にあった井上準之助であり、こうした背景を抜きにして、1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、また1936年の二・二六事件を理解することはできない。二・二六事件では、昭和天皇も井上たちと同じ立場だということが明らかになった。

 ウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領をルーズベルトは1932年の大統領選で破ったのだが、その3年前にニューヨークで株式相場が暴落、経済破綻が顕在化していた。

 第1次世界大戦(1914年から18年)でライバルのヨーロッパ諸国は疲弊したが、アメリカは戦場とならずに物資の販売や金融で大儲け、自動車の大衆化が進み、映画やラジオの登場など技術的な進歩で豊かになっているように見えた。

 しかし、富が一部に集まる政策が推進され、社会は衰退する。大戦後に兵士が帰国すると街には失業者が溢れ、ストライキやデモが続発していた。そうした中、1919年にボストン近郊で起こった現金輸送車襲撃未遂事件が起こり、ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティが逮捕された。1920年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件でも有罪とされた。

 いずれの事件もふたりを有罪とするような証拠、証言はなく、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡している。ふたりが「アナーキスト」だったということが理由だと見られている。ふたりは1927年の8月に処刑された。

 勿論、1950年代から60年代にかけて公民権運動が高まるまでアメリカでは人種差別が公然と行われ、決して「自由で民主的な国」とは言えない。そうした国の内部で庶民の不満は強まり、1932年の大統領選でニューディール派を勝たせることになる。

 当時、日本の支配層が従属していた相手は「自由で民主的な」アメリカ人でなく、富を独占し、人種差別を行う人びと。フランクリン・ルーズベルト政権の誕生は、日本の支配層がウォール街に従属するという関係を崩した。この関係が復活するのは、1945年4月にルーズベルトが執務中に急死してからだ。

 このアメリカと日本が戦争を始める切っ掛けは、言うまでもなく「真珠湾攻撃」。この攻撃がいかに無謀だったかを語る人は多いが、日本はすでに戦争をはじめていた。1927年5月に山東出兵、31年9月に柳条湖事件と呼ばれる偽旗作戦を実行して侵略を開始、中国東北部に「満州国」と称する傀儡国家を樹立させた。1937年7月の盧溝橋事件後、宣戦を中国の全域に拡大、そして41年12月の真珠湾攻撃だ。

 しかし、日本が東アジア侵略を始めたのはその遥か前、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置したところから始まる。本ブログでは何度か指摘したが、1871年7月に廃藩置県を実施済みなわけで、この琉球藩設置は台湾へ派兵する口実作りの可能性が高い。実際、そのころ来日していた厦門の領事のチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めていた。そこから江華島への軍艦派遣(朝鮮に対する挑発)、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦へとまっしぐらだ。この背後にはイギリスとアメリカが存在していた。

 東アジアを侵略している間に盗んだ財宝も曖昧なまま、アメリカ支配層と山分けした可能性が高い。その過程で吸った甘い汁を日本の支配層は忘れていないはず。アメリカ支配層の最近の動きを見ていると、過去の「成功体験」を再現しようとして失敗しているようで、日本がアメリカの真似をして再び中国を侵略しようとしたなら、取り返しのつかないことになりそうだ。

 こうした道へと日本を導いているのが安倍政権。危険な流れを察知した人びとが小沢一郎の率いる民主党を選挙で勝たせたのだが、それをマスコミと検察が潰し、菅直人や野田佳彦は国民の期待を裏切って現在がある。ここで諦めたなら、支配層の思う壺だ。


【注】

(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。

(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606300000/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c2

[近代史4] 独裁者列伝 _ 金正恩 中川隆
1. 中川隆[-13212] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:27:47 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[22]

朝鮮は儒教国家、儒教を知らないと朝鮮人の行動様式は理解できない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/564.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/804.html#c1
[近代史4] プーチン大統領


2020年度 プーチン大統領の新年の挨拶



【和訳付き】プーチン大統領の新年の挨拶 2019年版



【和訳付き】プーチン大統領の新年の挨拶 2018年版(完全版)ロシアの年明け



ロシア 聖なる我等が国
ロシア 愛する我等が国
固き意志 偉大な栄光や
永久に汝が富ならん
   讃えよ我等が 自由なる祖国
   いざ集え 兄弟よ
   先人が知恵 我等がもとに
   讃えよ 汝が誇りを



新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。


ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。


アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。


ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。
エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。


後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。
しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。


もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!
ロシアの人々は沸き立ちます。
http://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/russian_anthem.html



アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。
この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。


 心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。


 しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。
これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。


 アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した
 まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。


 次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした 92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。


 さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/218.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html

[近代史4] プーチン大統領 中川隆
1. 中川隆[-13211] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:51:53 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[23]

プーチン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

カネも通信も丸裸、ロシア「監視社会化」の恐怖
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/599.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html

日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/497.html

ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c1

[近代史4] プーチン大統領 中川隆
2. 中川隆[-13210] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:53:46 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[24]

『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html


山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c2

[近代史3] 犯罪件数・少年犯罪が史上最少なのに「犯罪激増」と言うマスコミ 中川隆
1. 中川隆[-13209] koaQ7Jey 2020年4月17日 21:40:28 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[25]
2020年04月17日
少年の凶悪犯罪が激増? 実際は戦後最低 報道が増えただけ
http://www.thutmosev.com/archives/23618355.html


グラフは2006年で途切れているが、その後も減っている

http://p.twpl.jp/show/large/SGzuo

少年犯罪が激増した?

少年による凶悪犯罪が報道され犯罪の低年齢化や少年犯罪の凶悪化などが言われている。

しかし警察庁や警視庁の統計では少年の凶悪犯罪は戦後最低を更新し続けている。

カラクリはテレビが低視聴率にあえぎ、穴埋めとして少年犯罪を報道し、人々が見る機会が増えたというものだった。


警察庁は毎年少年犯罪に関する傾向を発表し法務省から犯罪白書、警察庁から警察白書がだされていて、少年犯罪についても書かれている。

少年の検挙件数は昭和58年の31万7,438人をピークとして平成29年は戦後最少の5万209人(前年比11.5%減)だった。

凶悪犯罪の件数は出されなかったが、戦後最低の発生件数だった数年前より増えたとは書かれていないので戦後最低水準と考えられる。


少年による凶悪犯罪は戦後最低で、テレビや新聞で報道されている事とは大きく矛盾している。

マスコミの言い分では「日本の治安は崩壊」していて、「少年犯罪は凶悪化の一途」を辿っていて、少年犯罪は戦後最悪の筈です。

警察とマスコミのどちらかが嘘をついている。


東京都内の昭和56年から平成25年の少年犯罪、全国的にも同じ傾向


「少年非行の傾向(平成25年) - 警視庁」 より

報道が増えただけ、というオチ

最近『少女が誘拐された』とか『少年が加害者の事件』が連日報道されている。

しかも一回で終わりではなく、一つの事件を何時間も特集し、それを何日も繰り返している。

こうした報道を見て視聴者は「少年犯罪が激増した」と思うわけですが、実際の犯罪は減少している。


少年犯罪の中でも特に凶悪な事件だけを見ても、やはり減少している。

思えば昭和の時代は暴走族や不良の全盛期で、カバンに鉄パイプや凶器を入れて登校する生徒が現実に居ました。

校内暴力や喧嘩が絶えず、対立する不良グループ同士数百人が河川敷で決闘なんてのも頻繁に起きていた。


小学生による暴行が増えているが、昔なら小学生が暴れても警察に届けなかったのであって実際に増えたのかは大変疑問です。

昭和の時代の教師は「警察に届けるのは学校の恥」と思っていた。

テレビ業界は近年視聴率が低下していて、お笑いやドラマは1桁視聴率が珍しくない。


それよりは少年の凶悪事件で特番を組んだほうが「稼げる」と考えている。

加えてネットで事件を報道するメディアやブログが多いので、人々が目にする機会が増えただけです。

さらに悪い事にはアメリカの報道研究によると報道を見て模倣して同じような事件が起きる。


テレビやネットで事件を知り「自分もやってみよう」と思う事で連鎖的に同じ事件が各地で起きている。
http://www.thutmosev.com/archives/23618355.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/767.html#c1

[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
12. 中川隆[-13208] koaQ7Jey 2020年4月18日 00:12:17 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[26]

【Front Japan 桜】驚愕!なんと武漢から『あれ』が無くなった?? / 緊急事態に決断できる自治体の重要さ[桜R2/4/17]



キャスター:河添恵子・佐波優子

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c12
[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
9. 中川隆[-13207] koaQ7Jey 2020年4月18日 00:27:37 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[27]

驚愕!なんと武漢から『あれ』が無くなった??[桜R2/4/17]



キャスター:河添恵子・佐波優子

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c9
[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
7. 中川隆[-13206] koaQ7Jey 2020年4月18日 00:28:25 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[28]


驚愕!なんと武漢から『あれ』が無くなった??[桜R2/4/17]



キャスター:河添恵子・佐波優子

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c7
[近代史4] 創価学会 中川隆
1. 中川隆[-13205] koaQ7Jey 2020年4月18日 01:04:45 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[29]

2020年04月17日
朝鮮人にも公金を渡せ ! / 日本国籍を取っても異邦人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html

「国籍」条項が無い給付金


(左 : 武漢ウイルスに怯える朝鮮人 / 右 : 反日を掲げる朝鮮人 )

  武漢ウイルスの拡散で日本経済は恐ろしいほど停滞し、多くの日本人が経済的に困っている。そこで、政府からの公的支援が必要になってくる訳だが、安倍政権は財務省の反対もあるのか、迅速な給付金配布ができない。米国のトランプ大統領は、既に多額の支援金を国民に渡しているのに、我が国の首相は官僚の御機嫌を伺って時間を無駄にするんだから情けない。

  ところが、様々な条件を設けた30万円の給付金案が立ち消え、国民一律10万円の支給に変わったからびっくり仰天。これは連立を組む公明党による「ゴリ押し」らしい。もっと言えば、創価学会を始めとする支持基盤への配慮なんだろう。だが、こうした給付金は在日外国人、つまり朝鮮人や支那人といった非日本国民にまで渡される危険性があるので注意を要する。(まさか、無いと思うけど、チンピラとか暴力団員にも支給されたらスキャンダルだ。) 既に、首相官邸で権力を振るう菅義偉が述べたように、政府は「国籍」で差別する気は無いらしい。しかも、公明党の背後には在日南鮮人が控えているから恐ろしい。彼らを率いる民団は、武漢ウイルスの支援策から在日外国人の住民が除外されないよう、公明党の山口那津男代表宛てに要望書を提出したそうだ。民団からは呂団長、徐元侮末ア総長、孫成吉生活局長と在日韓国商工会議所の金淳次副会長らが、衆議院第2議員会館を訪れた。そして、公明党からは党新型コロナウイルス感染症対策本部・事務局長の高木美智代政調会長代理(衆院議員)と、同本部員の石川博崇参議院国会対策委員長(参院議員)らが対応したという。(「支援策で外国人除外せぬよう・・・民団が公明党に要望書」、2020年4月10日附「民団新聞」)

  在日南鮮人を束ねる呂団長によれば、武漢ウイルスの影響は日本国民と同様、在日同胞の暮らしや事業経営者にも甚大な被害が出ているという。なので、「朝鮮人を外すな ! ウリ(俺)にもゼニよこせ !」、と叫んでる訳だ。この陳情を受けた高木議員は、「皆様をはじめとする日本に居住している外国人も対象となることを確認した」と述べた。一般の日本国民が聞けば憤慨する内容だが、在日鮮人の信者獲得に熱心な創価学会だから、朝鮮人を“のけ者”にしたくないんだろう。この宗教団体にとって最も大切なのは、生き神様のような池田大作で、次に選挙で奮闘する婦人部とか資金源となる所属信者であるから、日本の「国境」とか「国籍」、「国益」なんか二の次、三の次、地獄の肥溜め程度だ。何しろ、日本人の信者数が年々減ってきているから、創価学会は「新規の信者」獲得に必死だ。とりわけ、政治権力を目指す学会にとって、蔑まされる在日鮮人や帰化鮮人は格好の漁場である。おそらく、幹部連中は朝鮮人の権利拡大や地位向上を餌にして、公明党の支持者を増やそうと目論んでいるんだろう。日本で頼りになる団体を持たない移民や、根無し草のアジア人研修生が増えれば、創価学会の魔の手が伸びてくるから、非常に危険である。

  一連の不吉な予感を強くするのは、NHKニュースが4月16日に流した共産党の意見である。NHKは次のように伝えていた。

  共産党の志位委員長は記者会見で、「最初の30万円の案は不公平で、とてもじゃないが使い物にならず、破綻したということだ。10万円を急いで配るほうが合理的で、所得が多い人には後で税金で返してもらえばよい。外国人も含め、日本に住むすべての人を対象に支給するべきで、今の補正予算案に組み入れて即、執行することを強く求めたい」と述べました。

  志位委員長は“サラリ”と口にしたが、「外国人を含め」ということは、在日支那人や在日朝鮮人、色々な商売で定住するフィリピン人やベトナム人にも支給したい、というこだ。本来なら、経済的に苦しくなった日本人家庭を優先すべきで、外国人に渡す公金があるなら、小さな子供を抱える家庭に配るべきだろう。在日外国人は出身国に支援金を求めるべきで、日本政府は日本人だけを考慮すればよい。常識を備えた日本人は、「世界市民」を「仲間」にしようなんて考えていないはずだ。安倍総理は「国民へ」と述べていたが、もしかしたら「日本に住む人々」といった曖昧な言葉に変わるかも知れないぞ。特に「市民」という言葉は危険だ。「大阪市に住む人々」と言えば、「在日朝鮮人を含む」といった可能性が出てくる。

日本で恥辱を覚える朝鮮人
  
  今回のウイルス騒動で経済的に困っている在日鮮人がいることは確かだが、北鮮人は別にして、南鮮人は彼らの祖国に支援を求めるのが筋である。彼らは南鮮の選挙権を持っているんだから、文大統領に向かって「銭をくれ !」と要求すればいいじゃないか。反日国家に住み着く鮮人が、日本政府に給付金を“せがむ”なんてお門違いだ。戦後直ぐに帰るはずの朝鮮人は、いつまで経っても帰国せず、親子代々日本にしがみつき、我々に迷惑を掛けてきた。「日本国民」と同じ扱いを受けない在日鮮人は、「民族差別だ ! 日本人は植民地支配を謝れ!」と発狂し、鼻水垂らして泣き叫ぶ。もし、我々が反論とすると、今度は「日本で税金を払っているから、年金と選挙権をよこせ ! 国籍に関係なく平等に補助金を渡せ !」と言いたい放題。日本政府は銃口を向けて鮮人の日本脱出を阻んでいる訳じゃないのに、彼らは差別的な日本に住み続けている。日本人は朝鮮人に「どうか、いつまでも居て下さい !」と頼んだことはないぞ。むしろ、「早く出て行け!」と毛嫌いする意見の方が多い。だいたい、そんなに「差別」が厭なら、さっさと半島に戻ればいいじゃないか。

  日本人は基本的に朝鮮人が大嫌い。これは生理的拒絶反応だ。理屈で治るものじゃないから仕方ないだろう。我々は朝鮮人と苦楽を共にしたくないし、朝鮮人が困っていても助けたいとは思わない。彼らはタカリ先の日本を自分の「故郷」のように考えているが、日本は朝鮮人の植民地じゃないぞ。だいたい、朝鮮人と“共存”、“同化”、“混血”したいと思っている日本人は何割いるんだ? もちろん、朝鮮人と結婚する日本人もいるけど、大半の鮮人配偶者は素性を隠し、「日本人」みたいに振る舞っている。なぜなら、「朝鮮人」という民族の中に、何かドロドロした汚点や恥ずかしい特徴があるからだろう。在日鮮人や帰化鮮人は仲間と群れれば、「朝鮮人としての誇りを持っている !」と豪語するが、それは偽りなき本心なのか? 最近では、テレビや雑誌が仕組んだ「朝鮮ブーム」のお陰で朝鮮人のイメージが修繕され、自分の出自を暴露する朝鮮系住民も増えたけど、昔は正直に恥ずかしいと思う朝鮮人が多かった。

  1970年代から80年代にかけて、朝日新聞の川崎支局には前川恵司という社員がいたけど、彼は後に朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判した元ソウル特派員。たぶん、嘘つきの吉田清治を初めて紹介した朝日社員だから覚えている人もいるはずだし、雑誌『正論』に掲載した記事やチャンネル桜での出演を思い出し、「あっ、あの時の人か !」と頷く人もいるんじゃないか。この前川氏は昔から在日朝鮮人が気になるようで、朝鮮人が抱える問題をしきりに述べていた。彼が紹介した鮮人の中に面白い例があるので紹介したい。

  土木業者のB氏は、鮮人の母親Cを抱えて川崎で暮らす53歳の在日2世。B氏は民族学校に通っていたせいか、「朝鮮人」としての自覚が強かった。ただし、子供の頃は辛いことが多かったようで、民族学校から帰ってくると、近所に住む日本人の子供から侮辱され、イジメに遭っていたそうだ。(前川恵司 「『在日』の今日・明日」、『季刊 三千里』 1981年 第28号、 p.37.) 彼は悪ガキどもから殴られても殴り返すことができなかった、というから相当悔しかったに違いない。B氏は嘆いていたが、彼の両親は働くのが精一杯で、日本人のいじめっ子を叱ってくれなかったそうだ。しかし、本当は日本人とのトラブルを避けたかったんじゃないか。もし、大人が子供の喧嘩に口を出せば、日本人の親も出てくるから、話が余計ややこしくなる。

  朝鮮人に生まれるというのは色々な面で哀しい。例えば、彼は食卓に出されるキムチに手をつけなかったそうだ。もし、うっかり口にしたら、ニンニクの臭いが一日中、口の中に残るから嫌われる原因となる。だから、彼はキムチだけの朝食の時はそれを食べなかった。こうしてキムチ朝食を避け続けたところ、何時の間にか朝食を取らない習慣になってしまったという。確かに、戦前、日本人は朝鮮人の吐く息に卒倒した。朝鮮人はニンニクを好むので、只でさえ不潔な朝鮮人からは、ムカつくような体臭と口臭が漂ってくる。これだから、「朝鮮人」イコール「汚い」、「臭い」、「下劣」、「気持ち悪い」というイメージが附いたのも当然だ。昔ながらの朝鮮は本当に“みすぼらしい”国で、道端を通れば糞尿がそこら中にあったし、家屋は南京虫やダニの巣窟と言っていい。1970年代になっても南鮮は悲惨で、朝鮮の路地裏や飲食街を目にした日本人は目を剝いて驚くことばかり。(以前、当ブログでは「ディープなコリア」について述べた。)

 話を戻す。七年前に両親と帰郷したB氏は、父親から墓参りの義務を告げられ、民族意識を持って生きるよう諭されたそうだ。彼の父親は二年後に亡くなってしまうが、息子は父の言葉を胸に刻んでいた。そこで、B氏は小学生の長女と次女を“本名”で公立学校に通わせることにしたという。何しろ、日本で生まれ育った在日3世は、日本の影響を強く受けてしまい、日本人の意識に近づいてしまうから、朝鮮人としての自覚が薄くなる。だから、本名を貫くことで「朝鮮人」の自覚を持たせたい、という訳だ。B氏は「真理子」のような日本的名前は朝鮮人らしくないから、娘にはちゃんと朝鮮人らしい伝統的な名前を附けて、それをしっかりと主張できる子供に育てたい、と述べていた。でもさぁ〜、日本の学校で「金」とか「朴」「崔」といった名前じゃ恥ずかしいよねぇ〜。男の子で「太郎」だと「金太郎」になってしまうし、「玉」という名前の少女だと「金玉」になってしまうから、日本人の子供は大爆笑だ。嘘みたいだが、以前雑誌の『テーミス』を読んでいたら、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名を目にしてビックリしたことがある。北鮮では普通なんだろうけど、日本だと性転換していないオカマみたいだ。


(左 : 頭に籠を載せて歩く乳房丸出しの朝鮮人女性 / 右 : 貧乏な時代の朝鮮人 )

  娘に対する民族教育に熱心なB氏であったが、彼には相克があった。というのも、彼は職場で日本名を使っていたのだ。しかも、日々の生活で使う言葉も日本語なんだから言行不一致。これじゃあ、どこが“誇り高き朝鮮人”なのか分からない。彼は開き直って、「俺はどこへ行ってもニンニク臭い民族だ」と腹を括るが、その一方で、朝鮮語を上手く喋ることができないし、祖国の歴史も知らないから、「本当に民族の一人と言えるのか」と悩んでいたそうだ。娘に対しては朝鮮文化の大切さを説くが、祖先を弔(とむら)う祭祀(チェサ)にお金を掛けるとなれば渋い顔になったという。彼の母親は、牛肉や魚肉、菓子、果物などを膳に並べて豪華にしたかったが、その費用だけでも軽く4、5万円を超えてしまうから、B氏は不機嫌になったそうだ。母親のCは、「息子達2世が1世の言うことを半分しか聴かない」と愚痴をこぼしていたが、B氏は「生活に余裕があるなら・・・俺だってやってるさ !」と呟く。確かに、1970年代の鮮人家庭だと、下働きの低所得者が多かったから、「余計な出費をしたくない」という気持ちも分かる。朝鮮人って、死体崇拝なんじゃないか、と思えるほど儀式が大好き。日本人の嫁さんはドロドロした朝鮮の祭祀にウンザリするらしい。

  在日2世の息子や娘に「朝鮮の文化を忘れるな !」と釘を刺す在日1世はいたけど、やはり“現実社会の壁”を身に沁みて分かっていたから、簡単に理想を追求するアホは少なかった。例えば、B氏が娘達を「本名で通わせる」と決めた時、母親のCさん(祖母)は猛烈に反対したそうだ。「本名で通わせるなんて・・・・孫に辛い思いをさせたいのか。日本名でなぜ行かせない」と息子に詰め寄り、B氏の決定に異を唱えた。B氏は家族の中で一番民族意識が強い母が真っ先に賛成してくれるものと思っていたから、母親の反対にショックを受けたらしい。B氏が「民族意識を持たせるには、本名で通わせなくては」と力説するや、母親のCは、「民族意識は家庭の中で教えれば良い」と撥ねつけたそうだ。(上掲文、 p.39.)

  さぁ〜すが、苦労を重ねた1世は違う。彼らは朝鮮の過去を肌で知っているし、日本人がその惨めな歴史を知っているのを解っているから、日本人の前では朝鮮文化を誇ることはない。そもそも、在日1世は、貧乏で不潔な朝鮮の中で育ってきたのだ。大半の移民(逃亡者)は「祖国に未来が無い」と悟ったから、日本に渡ってきたのだ。自分が「絶望の国」と判断し、馬鹿にされても仕方ない賤民、と分かっているから、日本社会で朝鮮を自慢できるとは思わない。朝鮮文化を称讃するのは、同胞が集まった宴会の時だけ。日本人がいる職場や学校で「朝鮮自慢」なんて自殺行為に等しい。朝鮮文化に馴染みが無い在日3世や4世の娘達は、日本の友人を自宅に招くことができなかった。なぜなら、もし、日本人のクラスメートが家の中にある“奇妙”な置物とか衣装を目にしたら、「あっ、朝鮮人だ !」とバレてしまうからだ。したがって、羞恥心の強い鮮人少女は、絶対に連れてきたくないし、両親や兄弟を見せることも避けていた。特に、朝鮮訛りが抜けない両親や親戚は、奇妙な日本語を喋るからリスクが大きい。日本の不良と喧嘩する朝鮮高校の不良ならともかく、血統の暴露を懼れる温厚な鮮人少女には同情したくなる。

  公立学校に通ったB氏の弟も、兄の考えには反対したそうだ。曰わく、「日本人の意識が変わらないのに、本名で通学させるなんて・・・・孫最初から子供を谷底に突き落とすと同じだ」、と。(p.39) こうした家族からの反対を受けて、B氏もどれだけの冒険であるのかを痛感したらしい。

  必ず、娘は学校で本名をからかわれ、泣いて帰宅する日が来る。その時、親である自分はどう納得させ、再び学校に通うようにさせるか。どこまで子どもを支えられるか。(上掲文、p.40)

  B氏はこのように悩んだが、それでも意見を変えず、本名で娘を学校に通わせたそうだ。いやぁぁ〜、民族意識に目覚めた朝鮮人には附ける薬が無い。朝鮮人というのは、どんなに馬鹿げた考えでも、一旦思い込むと、状況を考えず邁進する癖がある。以前、エレベーターの扉に腹を立てた朝鮮人の障碍者がいた。彼は電動車椅子をフルスピードにしてエレベーターに突っ込んだところ、偶然開いた扉を突き抜け、シャフト(昇降路)の底へ転落してしまった。筆者はこの事故の映像を見た時、不謹慎ながら笑ってしまった。あまりにも滑稽すぎるからだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、激怒した朝鮮人には「理性」というものが無い。たぶん、B氏は「苦難を乗り越えて、強い朝鮮人に育って欲しい」と願ったんだろうが、本名を強いられた娘にすれば、針の筵(むしろ)にくるまれたような境遇だ。こういう家庭に育った朝鮮人だと、グレてしまう可能性が高い。

(左 : 餅つきをする朝鮮人 / 右 : アフリカ人のように頭に籠を載せる朝鮮人)

  これは致し方ないが、高度文明の日本で育った朝鮮人だと、肉体は鮮人のままでも精神的には「日本人」となってしまう。したがって、野暮ったい両親や祖父母が儒教混じりの訓諭を垂れると、単なる“説教”とか“押しつけ”と感じてしまうのだ。いくら「朝鮮文化は素晴らしい」と教えられても、実際の朝鮮があまりにも悲惨なので、朝鮮に親近感を覚えても、直ぐに「幻想」や「失望」に変わってしまうことがよくある。しかも、日本には言論の自由があるから、朝鮮人にとって不都合な歴史や恥ずかしい風習が簡単に暴かれてしまう。なるほど、テレビ局や学校は朝鮮人に配慮した「朝鮮史」を述べるが、日本の民間人はお構いなしに事実を伝えてしまうから、朝鮮人は悔しがる。例えば、昔定説だった「強制連行」は嘘とバレてしまったし、「従軍慰安婦」も捏造で、朝鮮の女衒が連れた来た「鮮ピー」というのが一般的な呼称だった。在日鮮人にとって、「不逞鮮人」とか「第三国人」という言葉は一刻も早く忘れたい蔑称だが、「ヨボ」という言葉を蒸し返されるとムっとくる。戦前の内地人(日本人)は、外地の半島人(朝鮮人)を「ヨボ」と呼んでいたけど、現在では死語となっている。これは「ヨボヨボな老人」という言葉にも通じているので、侮蔑と感じる朝鮮人もいたらしい。朝鮮に赴任した警察官の今村鞆(いまむら・とも)は、朝鮮の研究にも打ち込んだせいか、朝鮮人に対する思いやりが深かった。彼は日鮮の相互的礼儀を強調し、鮮人の感情を害さないよう訴えかけていた。

  自分は警察処罰令に「内地人にして朝鮮人に対しヨボと呼ぶべららず、但朝鮮語に熟達した内地人にして言語の中にヨボと呼ぶはこの限りに非ず」という一項を挿入したい・・・・。(今村鞆  『歴史民俗 朝鮮漫談』 南山吟社、昭和3年、p.391.)

  まぁ、今村氏は研究者として朝鮮贔屓になったのだろうが、一般の日本人は鮮人に対する卑屈な態度は無かった。例えば、中流家庭の知識人に雇われた女中も素っ気なく、気軽に「先生、何とか云うヨボが尋ねてきて玄関にいますが、どうしましょうか?」と訊くことがあったらしい。今なら放送禁止用語が伏せ字になってしまうが、昔の日本人は言論の自由があったから、遠慮なく使っていた。今村氏は同書で朝鮮人の「処女献上」を述べているが、今の在日朝鮮人だと李朝時代の悪習を知らない場合がある。支那の権力に屈した朝鮮人は、村の生娘を支那人や蒙古人に貢いでいたのだ。慰安婦像で騒ぐ朝鮮人は、支那人が奪い去った少女も一緒に述べるべきなんじゃないか? 日本兵にサービスした鮮人娼婦は大金を稼いだけど、支那人に献上された朝鮮処女は、一体「いくら」もらったんだ? 是非、明らかにしてもらいたい。

  在日鮮人への給付金から随分逸れてしまったが、我々は朝鮮人と運命を共にしたくないのは事実だ。日本人は日本人だけで恐慌を乗り越えたいのであって、朝鮮人を救うのは南鮮にある政府の義務である。日本国民は安倍総理を厳しく非難するが、他の政治家が何をしているのか、もっと注目すべきだろう。でも、女を膝に乗せながら「犬になりたい!」と豪語する「ワンワン高井」は論外。立憲民主党には碌でなしが集まっているのか、高井崇志(たかい・たかし)みたいなクズが本当に多い。しかし、精液で下半身を濡らしている高井よりも酷いのは、同党の鮮系議員である白眞勲(参議院議員)の方だ。今は武漢ウイルスの拡大で大変な時期なのに、この日鮮混血議員は、ヘイトスピーチを更に取り締まるべく、新たな法案作りに邁進しているそうだ。彼は昨年「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の会長に就任し、ヘイトスピーチをなくしてグローバルな共生社会を目指している。(「ヘイトスピーチ対策、新法案づくりへ意欲」、2020年3月27日附「民団新聞」) 日本国民がウイルス対策と失業の問題で困っているのに、白議員は「同胞」の心配をしているんだから、「どこの議員なんだ?」と尋ねたくなる。白議員曰わく、「自分の人生は日韓関係そのもの」なんだって。だから、日本で暮らす外国人(朝鮮同胞)のために努力しているのか ! でもさぁ、こんな奴に議員報酬を払っているんだから、比例名簿による当選は無くすべきだ。

とにかく、日本には北京政府に買収された議員とか、ハニートラップに掛かった議員や官僚、国家転覆を謀る左翼知識人、経済不況を利用して権力を握ろうとする売国奴など、有害分子が実に多い。給付金の金額を云々するテレビ番組は多いけど、在日鮮人や支那人について取り上げるテレビ局はほとんど無いから異常だ。マスコミは意図的に「報道しない自由」を行使して、わざと朝鮮人や支那人に触れないよう努めている。もし、在日アジア人にも給付金が渡されるとなれば、輿論が「何だ、それ !!」と激昂するから、これを避けたいんだろう。「報道しなければ存在しない」というのがマスコミの考えである。我々は表面の騒動に惑わされず、報道されない裏側に目を光らせるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/228.html#c1

[近代史3] 在日韓国人が急速に減少 9割が日本人と結婚し子供は日本人になる 中川隆
4. 中川隆[-13204] koaQ7Jey 2020年4月18日 01:06:23 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[30]

2020年04月17日
朝鮮人にも公金を渡せ ! / 日本国籍を取っても異邦人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html

「国籍」条項が無い給付金


(左 : 武漢ウイルスに怯える朝鮮人 / 右 : 反日を掲げる朝鮮人 )

  武漢ウイルスの拡散で日本経済は恐ろしいほど停滞し、多くの日本人が経済的に困っている。そこで、政府からの公的支援が必要になってくる訳だが、安倍政権は財務省の反対もあるのか、迅速な給付金配布ができない。米国のトランプ大統領は、既に多額の支援金を国民に渡しているのに、我が国の首相は官僚の御機嫌を伺って時間を無駄にするんだから情けない。

  ところが、様々な条件を設けた30万円の給付金案が立ち消え、国民一律10万円の支給に変わったからびっくり仰天。これは連立を組む公明党による「ゴリ押し」らしい。もっと言えば、創価学会を始めとする支持基盤への配慮なんだろう。だが、こうした給付金は在日外国人、つまり朝鮮人や支那人といった非日本国民にまで渡される危険性があるので注意を要する。(まさか、無いと思うけど、チンピラとか暴力団員にも支給されたらスキャンダルだ。) 既に、首相官邸で権力を振るう菅義偉が述べたように、政府は「国籍」で差別する気は無いらしい。しかも、公明党の背後には在日南鮮人が控えているから恐ろしい。彼らを率いる民団は、武漢ウイルスの支援策から在日外国人の住民が除外されないよう、公明党の山口那津男代表宛てに要望書を提出したそうだ。民団からは呂団長、徐元侮末ア総長、孫成吉生活局長と在日韓国商工会議所の金淳次副会長らが、衆議院第2議員会館を訪れた。そして、公明党からは党新型コロナウイルス感染症対策本部・事務局長の高木美智代政調会長代理(衆院議員)と、同本部員の石川博崇参議院国会対策委員長(参院議員)らが対応したという。(「支援策で外国人除外せぬよう・・・民団が公明党に要望書」、2020年4月10日附「民団新聞」)

  在日南鮮人を束ねる呂団長によれば、武漢ウイルスの影響は日本国民と同様、在日同胞の暮らしや事業経営者にも甚大な被害が出ているという。なので、「朝鮮人を外すな ! ウリ(俺)にもゼニよこせ !」、と叫んでる訳だ。この陳情を受けた高木議員は、「皆様をはじめとする日本に居住している外国人も対象となることを確認した」と述べた。一般の日本国民が聞けば憤慨する内容だが、在日鮮人の信者獲得に熱心な創価学会だから、朝鮮人を“のけ者”にしたくないんだろう。この宗教団体にとって最も大切なのは、生き神様のような池田大作で、次に選挙で奮闘する婦人部とか資金源となる所属信者であるから、日本の「国境」とか「国籍」、「国益」なんか二の次、三の次、地獄の肥溜め程度だ。何しろ、日本人の信者数が年々減ってきているから、創価学会は「新規の信者」獲得に必死だ。とりわけ、政治権力を目指す学会にとって、蔑まされる在日鮮人や帰化鮮人は格好の漁場である。おそらく、幹部連中は朝鮮人の権利拡大や地位向上を餌にして、公明党の支持者を増やそうと目論んでいるんだろう。日本で頼りになる団体を持たない移民や、根無し草のアジア人研修生が増えれば、創価学会の魔の手が伸びてくるから、非常に危険である。

  一連の不吉な予感を強くするのは、NHKニュースが4月16日に流した共産党の意見である。NHKは次のように伝えていた。

  共産党の志位委員長は記者会見で、「最初の30万円の案は不公平で、とてもじゃないが使い物にならず、破綻したということだ。10万円を急いで配るほうが合理的で、所得が多い人には後で税金で返してもらえばよい。外国人も含め、日本に住むすべての人を対象に支給するべきで、今の補正予算案に組み入れて即、執行することを強く求めたい」と述べました。

  志位委員長は“サラリ”と口にしたが、「外国人を含め」ということは、在日支那人や在日朝鮮人、色々な商売で定住するフィリピン人やベトナム人にも支給したい、というこだ。本来なら、経済的に苦しくなった日本人家庭を優先すべきで、外国人に渡す公金があるなら、小さな子供を抱える家庭に配るべきだろう。在日外国人は出身国に支援金を求めるべきで、日本政府は日本人だけを考慮すればよい。常識を備えた日本人は、「世界市民」を「仲間」にしようなんて考えていないはずだ。安倍総理は「国民へ」と述べていたが、もしかしたら「日本に住む人々」といった曖昧な言葉に変わるかも知れないぞ。特に「市民」という言葉は危険だ。「大阪市に住む人々」と言えば、「在日朝鮮人を含む」といった可能性が出てくる。

日本で恥辱を覚える朝鮮人
  
  今回のウイルス騒動で経済的に困っている在日鮮人がいることは確かだが、北鮮人は別にして、南鮮人は彼らの祖国に支援を求めるのが筋である。彼らは南鮮の選挙権を持っているんだから、文大統領に向かって「銭をくれ !」と要求すればいいじゃないか。反日国家に住み着く鮮人が、日本政府に給付金を“せがむ”なんてお門違いだ。戦後直ぐに帰るはずの朝鮮人は、いつまで経っても帰国せず、親子代々日本にしがみつき、我々に迷惑を掛けてきた。「日本国民」と同じ扱いを受けない在日鮮人は、「民族差別だ ! 日本人は植民地支配を謝れ!」と発狂し、鼻水垂らして泣き叫ぶ。もし、我々が反論とすると、今度は「日本で税金を払っているから、年金と選挙権をよこせ ! 国籍に関係なく平等に補助金を渡せ !」と言いたい放題。日本政府は銃口を向けて鮮人の日本脱出を阻んでいる訳じゃないのに、彼らは差別的な日本に住み続けている。日本人は朝鮮人に「どうか、いつまでも居て下さい !」と頼んだことはないぞ。むしろ、「早く出て行け!」と毛嫌いする意見の方が多い。だいたい、そんなに「差別」が厭なら、さっさと半島に戻ればいいじゃないか。

  日本人は基本的に朝鮮人が大嫌い。これは生理的拒絶反応だ。理屈で治るものじゃないから仕方ないだろう。我々は朝鮮人と苦楽を共にしたくないし、朝鮮人が困っていても助けたいとは思わない。彼らはタカリ先の日本を自分の「故郷」のように考えているが、日本は朝鮮人の植民地じゃないぞ。だいたい、朝鮮人と“共存”、“同化”、“混血”したいと思っている日本人は何割いるんだ? もちろん、朝鮮人と結婚する日本人もいるけど、大半の鮮人配偶者は素性を隠し、「日本人」みたいに振る舞っている。なぜなら、「朝鮮人」という民族の中に、何かドロドロした汚点や恥ずかしい特徴があるからだろう。在日鮮人や帰化鮮人は仲間と群れれば、「朝鮮人としての誇りを持っている !」と豪語するが、それは偽りなき本心なのか? 最近では、テレビや雑誌が仕組んだ「朝鮮ブーム」のお陰で朝鮮人のイメージが修繕され、自分の出自を暴露する朝鮮系住民も増えたけど、昔は正直に恥ずかしいと思う朝鮮人が多かった。

  1970年代から80年代にかけて、朝日新聞の川崎支局には前川恵司という社員がいたけど、彼は後に朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判した元ソウル特派員。たぶん、嘘つきの吉田清治を初めて紹介した朝日社員だから覚えている人もいるはずだし、雑誌『正論』に掲載した記事やチャンネル桜での出演を思い出し、「あっ、あの時の人か !」と頷く人もいるんじゃないか。この前川氏は昔から在日朝鮮人が気になるようで、朝鮮人が抱える問題をしきりに述べていた。彼が紹介した鮮人の中に面白い例があるので紹介したい。

  土木業者のB氏は、鮮人の母親Cを抱えて川崎で暮らす53歳の在日2世。B氏は民族学校に通っていたせいか、「朝鮮人」としての自覚が強かった。ただし、子供の頃は辛いことが多かったようで、民族学校から帰ってくると、近所に住む日本人の子供から侮辱され、イジメに遭っていたそうだ。(前川恵司 「『在日』の今日・明日」、『季刊 三千里』 1981年 第28号、 p.37.) 彼は悪ガキどもから殴られても殴り返すことができなかった、というから相当悔しかったに違いない。B氏は嘆いていたが、彼の両親は働くのが精一杯で、日本人のいじめっ子を叱ってくれなかったそうだ。しかし、本当は日本人とのトラブルを避けたかったんじゃないか。もし、大人が子供の喧嘩に口を出せば、日本人の親も出てくるから、話が余計ややこしくなる。

  朝鮮人に生まれるというのは色々な面で哀しい。例えば、彼は食卓に出されるキムチに手をつけなかったそうだ。もし、うっかり口にしたら、ニンニクの臭いが一日中、口の中に残るから嫌われる原因となる。だから、彼はキムチだけの朝食の時はそれを食べなかった。こうしてキムチ朝食を避け続けたところ、何時の間にか朝食を取らない習慣になってしまったという。確かに、戦前、日本人は朝鮮人の吐く息に卒倒した。朝鮮人はニンニクを好むので、只でさえ不潔な朝鮮人からは、ムカつくような体臭と口臭が漂ってくる。これだから、「朝鮮人」イコール「汚い」、「臭い」、「下劣」、「気持ち悪い」というイメージが附いたのも当然だ。昔ながらの朝鮮は本当に“みすぼらしい”国で、道端を通れば糞尿がそこら中にあったし、家屋は南京虫やダニの巣窟と言っていい。1970年代になっても南鮮は悲惨で、朝鮮の路地裏や飲食街を目にした日本人は目を剝いて驚くことばかり。(以前、当ブログでは「ディープなコリア」について述べた。)

 話を戻す。七年前に両親と帰郷したB氏は、父親から墓参りの義務を告げられ、民族意識を持って生きるよう諭されたそうだ。彼の父親は二年後に亡くなってしまうが、息子は父の言葉を胸に刻んでいた。そこで、B氏は小学生の長女と次女を“本名”で公立学校に通わせることにしたという。何しろ、日本で生まれ育った在日3世は、日本の影響を強く受けてしまい、日本人の意識に近づいてしまうから、朝鮮人としての自覚が薄くなる。だから、本名を貫くことで「朝鮮人」の自覚を持たせたい、という訳だ。B氏は「真理子」のような日本的名前は朝鮮人らしくないから、娘にはちゃんと朝鮮人らしい伝統的な名前を附けて、それをしっかりと主張できる子供に育てたい、と述べていた。でもさぁ〜、日本の学校で「金」とか「朴」「崔」といった名前じゃ恥ずかしいよねぇ〜。男の子で「太郎」だと「金太郎」になってしまうし、「玉」という名前の少女だと「金玉」になってしまうから、日本人の子供は大爆笑だ。嘘みたいだが、以前雑誌の『テーミス』を読んでいたら、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名を目にしてビックリしたことがある。北鮮では普通なんだろうけど、日本だと性転換していないオカマみたいだ。


(左 : 頭に籠を載せて歩く乳房丸出しの朝鮮人女性 / 右 : 貧乏な時代の朝鮮人 )

  娘に対する民族教育に熱心なB氏であったが、彼には相克があった。というのも、彼は職場で日本名を使っていたのだ。しかも、日々の生活で使う言葉も日本語なんだから言行不一致。これじゃあ、どこが“誇り高き朝鮮人”なのか分からない。彼は開き直って、「俺はどこへ行ってもニンニク臭い民族だ」と腹を括るが、その一方で、朝鮮語を上手く喋ることができないし、祖国の歴史も知らないから、「本当に民族の一人と言えるのか」と悩んでいたそうだ。娘に対しては朝鮮文化の大切さを説くが、祖先を弔(とむら)う祭祀(チェサ)にお金を掛けるとなれば渋い顔になったという。彼の母親は、牛肉や魚肉、菓子、果物などを膳に並べて豪華にしたかったが、その費用だけでも軽く4、5万円を超えてしまうから、B氏は不機嫌になったそうだ。母親のCは、「息子達2世が1世の言うことを半分しか聴かない」と愚痴をこぼしていたが、B氏は「生活に余裕があるなら・・・俺だってやってるさ !」と呟く。確かに、1970年代の鮮人家庭だと、下働きの低所得者が多かったから、「余計な出費をしたくない」という気持ちも分かる。朝鮮人って、死体崇拝なんじゃないか、と思えるほど儀式が大好き。日本人の嫁さんはドロドロした朝鮮の祭祀にウンザリするらしい。

  在日2世の息子や娘に「朝鮮の文化を忘れるな !」と釘を刺す在日1世はいたけど、やはり“現実社会の壁”を身に沁みて分かっていたから、簡単に理想を追求するアホは少なかった。例えば、B氏が娘達を「本名で通わせる」と決めた時、母親のCさん(祖母)は猛烈に反対したそうだ。「本名で通わせるなんて・・・・孫に辛い思いをさせたいのか。日本名でなぜ行かせない」と息子に詰め寄り、B氏の決定に異を唱えた。B氏は家族の中で一番民族意識が強い母が真っ先に賛成してくれるものと思っていたから、母親の反対にショックを受けたらしい。B氏が「民族意識を持たせるには、本名で通わせなくては」と力説するや、母親のCは、「民族意識は家庭の中で教えれば良い」と撥ねつけたそうだ。(上掲文、 p.39.)

  さぁ〜すが、苦労を重ねた1世は違う。彼らは朝鮮の過去を肌で知っているし、日本人がその惨めな歴史を知っているのを解っているから、日本人の前では朝鮮文化を誇ることはない。そもそも、在日1世は、貧乏で不潔な朝鮮の中で育ってきたのだ。大半の移民(逃亡者)は「祖国に未来が無い」と悟ったから、日本に渡ってきたのだ。自分が「絶望の国」と判断し、馬鹿にされても仕方ない賤民、と分かっているから、日本社会で朝鮮を自慢できるとは思わない。朝鮮文化を称讃するのは、同胞が集まった宴会の時だけ。日本人がいる職場や学校で「朝鮮自慢」なんて自殺行為に等しい。朝鮮文化に馴染みが無い在日3世や4世の娘達は、日本の友人を自宅に招くことができなかった。なぜなら、もし、日本人のクラスメートが家の中にある“奇妙”な置物とか衣装を目にしたら、「あっ、朝鮮人だ !」とバレてしまうからだ。したがって、羞恥心の強い鮮人少女は、絶対に連れてきたくないし、両親や兄弟を見せることも避けていた。特に、朝鮮訛りが抜けない両親や親戚は、奇妙な日本語を喋るからリスクが大きい。日本の不良と喧嘩する朝鮮高校の不良ならともかく、血統の暴露を懼れる温厚な鮮人少女には同情したくなる。

  公立学校に通ったB氏の弟も、兄の考えには反対したそうだ。曰わく、「日本人の意識が変わらないのに、本名で通学させるなんて・・・・孫最初から子供を谷底に突き落とすと同じだ」、と。(p.39) こうした家族からの反対を受けて、B氏もどれだけの冒険であるのかを痛感したらしい。

  必ず、娘は学校で本名をからかわれ、泣いて帰宅する日が来る。その時、親である自分はどう納得させ、再び学校に通うようにさせるか。どこまで子どもを支えられるか。(上掲文、p.40)

  B氏はこのように悩んだが、それでも意見を変えず、本名で娘を学校に通わせたそうだ。いやぁぁ〜、民族意識に目覚めた朝鮮人には附ける薬が無い。朝鮮人というのは、どんなに馬鹿げた考えでも、一旦思い込むと、状況を考えず邁進する癖がある。以前、エレベーターの扉に腹を立てた朝鮮人の障碍者がいた。彼は電動車椅子をフルスピードにしてエレベーターに突っ込んだところ、偶然開いた扉を突き抜け、シャフト(昇降路)の底へ転落してしまった。筆者はこの事故の映像を見た時、不謹慎ながら笑ってしまった。あまりにも滑稽すぎるからだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、激怒した朝鮮人には「理性」というものが無い。たぶん、B氏は「苦難を乗り越えて、強い朝鮮人に育って欲しい」と願ったんだろうが、本名を強いられた娘にすれば、針の筵(むしろ)にくるまれたような境遇だ。こういう家庭に育った朝鮮人だと、グレてしまう可能性が高い。

(左 : 餅つきをする朝鮮人 / 右 : アフリカ人のように頭に籠を載せる朝鮮人)

  これは致し方ないが、高度文明の日本で育った朝鮮人だと、肉体は鮮人のままでも精神的には「日本人」となってしまう。したがって、野暮ったい両親や祖父母が儒教混じりの訓諭を垂れると、単なる“説教”とか“押しつけ”と感じてしまうのだ。いくら「朝鮮文化は素晴らしい」と教えられても、実際の朝鮮があまりにも悲惨なので、朝鮮に親近感を覚えても、直ぐに「幻想」や「失望」に変わってしまうことがよくある。しかも、日本には言論の自由があるから、朝鮮人にとって不都合な歴史や恥ずかしい風習が簡単に暴かれてしまう。なるほど、テレビ局や学校は朝鮮人に配慮した「朝鮮史」を述べるが、日本の民間人はお構いなしに事実を伝えてしまうから、朝鮮人は悔しがる。例えば、昔定説だった「強制連行」は嘘とバレてしまったし、「従軍慰安婦」も捏造で、朝鮮の女衒が連れた来た「鮮ピー」というのが一般的な呼称だった。在日鮮人にとって、「不逞鮮人」とか「第三国人」という言葉は一刻も早く忘れたい蔑称だが、「ヨボ」という言葉を蒸し返されるとムっとくる。戦前の内地人(日本人)は、外地の半島人(朝鮮人)を「ヨボ」と呼んでいたけど、現在では死語となっている。これは「ヨボヨボな老人」という言葉にも通じているので、侮蔑と感じる朝鮮人もいたらしい。朝鮮に赴任した警察官の今村鞆(いまむら・とも)は、朝鮮の研究にも打ち込んだせいか、朝鮮人に対する思いやりが深かった。彼は日鮮の相互的礼儀を強調し、鮮人の感情を害さないよう訴えかけていた。

  自分は警察処罰令に「内地人にして朝鮮人に対しヨボと呼ぶべららず、但朝鮮語に熟達した内地人にして言語の中にヨボと呼ぶはこの限りに非ず」という一項を挿入したい・・・・。(今村鞆  『歴史民俗 朝鮮漫談』 南山吟社、昭和3年、p.391.)

  まぁ、今村氏は研究者として朝鮮贔屓になったのだろうが、一般の日本人は鮮人に対する卑屈な態度は無かった。例えば、中流家庭の知識人に雇われた女中も素っ気なく、気軽に「先生、何とか云うヨボが尋ねてきて玄関にいますが、どうしましょうか?」と訊くことがあったらしい。今なら放送禁止用語が伏せ字になってしまうが、昔の日本人は言論の自由があったから、遠慮なく使っていた。今村氏は同書で朝鮮人の「処女献上」を述べているが、今の在日朝鮮人だと李朝時代の悪習を知らない場合がある。支那の権力に屈した朝鮮人は、村の生娘を支那人や蒙古人に貢いでいたのだ。慰安婦像で騒ぐ朝鮮人は、支那人が奪い去った少女も一緒に述べるべきなんじゃないか? 日本兵にサービスした鮮人娼婦は大金を稼いだけど、支那人に献上された朝鮮処女は、一体「いくら」もらったんだ? 是非、明らかにしてもらいたい。

  在日鮮人への給付金から随分逸れてしまったが、我々は朝鮮人と運命を共にしたくないのは事実だ。日本人は日本人だけで恐慌を乗り越えたいのであって、朝鮮人を救うのは南鮮にある政府の義務である。日本国民は安倍総理を厳しく非難するが、他の政治家が何をしているのか、もっと注目すべきだろう。でも、女を膝に乗せながら「犬になりたい!」と豪語する「ワンワン高井」は論外。立憲民主党には碌でなしが集まっているのか、高井崇志(たかい・たかし)みたいなクズが本当に多い。しかし、精液で下半身を濡らしている高井よりも酷いのは、同党の鮮系議員である白眞勲(参議院議員)の方だ。今は武漢ウイルスの拡大で大変な時期なのに、この日鮮混血議員は、ヘイトスピーチを更に取り締まるべく、新たな法案作りに邁進しているそうだ。彼は昨年「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の会長に就任し、ヘイトスピーチをなくしてグローバルな共生社会を目指している。(「ヘイトスピーチ対策、新法案づくりへ意欲」、2020年3月27日附「民団新聞」) 日本国民がウイルス対策と失業の問題で困っているのに、白議員は「同胞」の心配をしているんだから、「どこの議員なんだ?」と尋ねたくなる。白議員曰わく、「自分の人生は日韓関係そのもの」なんだって。だから、日本で暮らす外国人(朝鮮同胞)のために努力しているのか ! でもさぁ、こんな奴に議員報酬を払っているんだから、比例名簿による当選は無くすべきだ。

とにかく、日本には北京政府に買収された議員とか、ハニートラップに掛かった議員や官僚、国家転覆を謀る左翼知識人、経済不況を利用して権力を握ろうとする売国奴など、有害分子が実に多い。給付金の金額を云々するテレビ番組は多いけど、在日鮮人や支那人について取り上げるテレビ局はほとんど無いから異常だ。マスコミは意図的に「報道しない自由」を行使して、わざと朝鮮人や支那人に触れないよう努めている。もし、在日アジア人にも給付金が渡されるとなれば、輿論が「何だ、それ !!」と激昂するから、これを避けたいんだろう。「報道しなければ存在しない」というのがマスコミの考えである。我々は表面の騒動に惑わされず、報道されない裏側に目を光らせるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/787.html#c4

[近代史3] 「現在の在日韓国人」の大半は日韓基本条約の永住権がない 中川隆
8. 中川隆[-13203] koaQ7Jey 2020年4月18日 01:06:44 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[31]

2020年04月17日
朝鮮人にも公金を渡せ ! / 日本国籍を取っても異邦人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html

「国籍」条項が無い給付金


(左 : 武漢ウイルスに怯える朝鮮人 / 右 : 反日を掲げる朝鮮人 )

  武漢ウイルスの拡散で日本経済は恐ろしいほど停滞し、多くの日本人が経済的に困っている。そこで、政府からの公的支援が必要になってくる訳だが、安倍政権は財務省の反対もあるのか、迅速な給付金配布ができない。米国のトランプ大統領は、既に多額の支援金を国民に渡しているのに、我が国の首相は官僚の御機嫌を伺って時間を無駄にするんだから情けない。

  ところが、様々な条件を設けた30万円の給付金案が立ち消え、国民一律10万円の支給に変わったからびっくり仰天。これは連立を組む公明党による「ゴリ押し」らしい。もっと言えば、創価学会を始めとする支持基盤への配慮なんだろう。だが、こうした給付金は在日外国人、つまり朝鮮人や支那人といった非日本国民にまで渡される危険性があるので注意を要する。(まさか、無いと思うけど、チンピラとか暴力団員にも支給されたらスキャンダルだ。) 既に、首相官邸で権力を振るう菅義偉が述べたように、政府は「国籍」で差別する気は無いらしい。しかも、公明党の背後には在日南鮮人が控えているから恐ろしい。彼らを率いる民団は、武漢ウイルスの支援策から在日外国人の住民が除外されないよう、公明党の山口那津男代表宛てに要望書を提出したそうだ。民団からは呂団長、徐元侮末ア総長、孫成吉生活局長と在日韓国商工会議所の金淳次副会長らが、衆議院第2議員会館を訪れた。そして、公明党からは党新型コロナウイルス感染症対策本部・事務局長の高木美智代政調会長代理(衆院議員)と、同本部員の石川博崇参議院国会対策委員長(参院議員)らが対応したという。(「支援策で外国人除外せぬよう・・・民団が公明党に要望書」、2020年4月10日附「民団新聞」)

  在日南鮮人を束ねる呂団長によれば、武漢ウイルスの影響は日本国民と同様、在日同胞の暮らしや事業経営者にも甚大な被害が出ているという。なので、「朝鮮人を外すな ! ウリ(俺)にもゼニよこせ !」、と叫んでる訳だ。この陳情を受けた高木議員は、「皆様をはじめとする日本に居住している外国人も対象となることを確認した」と述べた。一般の日本国民が聞けば憤慨する内容だが、在日鮮人の信者獲得に熱心な創価学会だから、朝鮮人を“のけ者”にしたくないんだろう。この宗教団体にとって最も大切なのは、生き神様のような池田大作で、次に選挙で奮闘する婦人部とか資金源となる所属信者であるから、日本の「国境」とか「国籍」、「国益」なんか二の次、三の次、地獄の肥溜め程度だ。何しろ、日本人の信者数が年々減ってきているから、創価学会は「新規の信者」獲得に必死だ。とりわけ、政治権力を目指す学会にとって、蔑まされる在日鮮人や帰化鮮人は格好の漁場である。おそらく、幹部連中は朝鮮人の権利拡大や地位向上を餌にして、公明党の支持者を増やそうと目論んでいるんだろう。日本で頼りになる団体を持たない移民や、根無し草のアジア人研修生が増えれば、創価学会の魔の手が伸びてくるから、非常に危険である。

  一連の不吉な予感を強くするのは、NHKニュースが4月16日に流した共産党の意見である。NHKは次のように伝えていた。

  共産党の志位委員長は記者会見で、「最初の30万円の案は不公平で、とてもじゃないが使い物にならず、破綻したということだ。10万円を急いで配るほうが合理的で、所得が多い人には後で税金で返してもらえばよい。外国人も含め、日本に住むすべての人を対象に支給するべきで、今の補正予算案に組み入れて即、執行することを強く求めたい」と述べました。

  志位委員長は“サラリ”と口にしたが、「外国人を含め」ということは、在日支那人や在日朝鮮人、色々な商売で定住するフィリピン人やベトナム人にも支給したい、というこだ。本来なら、経済的に苦しくなった日本人家庭を優先すべきで、外国人に渡す公金があるなら、小さな子供を抱える家庭に配るべきだろう。在日外国人は出身国に支援金を求めるべきで、日本政府は日本人だけを考慮すればよい。常識を備えた日本人は、「世界市民」を「仲間」にしようなんて考えていないはずだ。安倍総理は「国民へ」と述べていたが、もしかしたら「日本に住む人々」といった曖昧な言葉に変わるかも知れないぞ。特に「市民」という言葉は危険だ。「大阪市に住む人々」と言えば、「在日朝鮮人を含む」といった可能性が出てくる。

日本で恥辱を覚える朝鮮人
  
  今回のウイルス騒動で経済的に困っている在日鮮人がいることは確かだが、北鮮人は別にして、南鮮人は彼らの祖国に支援を求めるのが筋である。彼らは南鮮の選挙権を持っているんだから、文大統領に向かって「銭をくれ !」と要求すればいいじゃないか。反日国家に住み着く鮮人が、日本政府に給付金を“せがむ”なんてお門違いだ。戦後直ぐに帰るはずの朝鮮人は、いつまで経っても帰国せず、親子代々日本にしがみつき、我々に迷惑を掛けてきた。「日本国民」と同じ扱いを受けない在日鮮人は、「民族差別だ ! 日本人は植民地支配を謝れ!」と発狂し、鼻水垂らして泣き叫ぶ。もし、我々が反論とすると、今度は「日本で税金を払っているから、年金と選挙権をよこせ ! 国籍に関係なく平等に補助金を渡せ !」と言いたい放題。日本政府は銃口を向けて鮮人の日本脱出を阻んでいる訳じゃないのに、彼らは差別的な日本に住み続けている。日本人は朝鮮人に「どうか、いつまでも居て下さい !」と頼んだことはないぞ。むしろ、「早く出て行け!」と毛嫌いする意見の方が多い。だいたい、そんなに「差別」が厭なら、さっさと半島に戻ればいいじゃないか。

  日本人は基本的に朝鮮人が大嫌い。これは生理的拒絶反応だ。理屈で治るものじゃないから仕方ないだろう。我々は朝鮮人と苦楽を共にしたくないし、朝鮮人が困っていても助けたいとは思わない。彼らはタカリ先の日本を自分の「故郷」のように考えているが、日本は朝鮮人の植民地じゃないぞ。だいたい、朝鮮人と“共存”、“同化”、“混血”したいと思っている日本人は何割いるんだ? もちろん、朝鮮人と結婚する日本人もいるけど、大半の鮮人配偶者は素性を隠し、「日本人」みたいに振る舞っている。なぜなら、「朝鮮人」という民族の中に、何かドロドロした汚点や恥ずかしい特徴があるからだろう。在日鮮人や帰化鮮人は仲間と群れれば、「朝鮮人としての誇りを持っている !」と豪語するが、それは偽りなき本心なのか? 最近では、テレビや雑誌が仕組んだ「朝鮮ブーム」のお陰で朝鮮人のイメージが修繕され、自分の出自を暴露する朝鮮系住民も増えたけど、昔は正直に恥ずかしいと思う朝鮮人が多かった。

  1970年代から80年代にかけて、朝日新聞の川崎支局には前川恵司という社員がいたけど、彼は後に朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判した元ソウル特派員。たぶん、嘘つきの吉田清治を初めて紹介した朝日社員だから覚えている人もいるはずだし、雑誌『正論』に掲載した記事やチャンネル桜での出演を思い出し、「あっ、あの時の人か !」と頷く人もいるんじゃないか。この前川氏は昔から在日朝鮮人が気になるようで、朝鮮人が抱える問題をしきりに述べていた。彼が紹介した鮮人の中に面白い例があるので紹介したい。

  土木業者のB氏は、鮮人の母親Cを抱えて川崎で暮らす53歳の在日2世。B氏は民族学校に通っていたせいか、「朝鮮人」としての自覚が強かった。ただし、子供の頃は辛いことが多かったようで、民族学校から帰ってくると、近所に住む日本人の子供から侮辱され、イジメに遭っていたそうだ。(前川恵司 「『在日』の今日・明日」、『季刊 三千里』 1981年 第28号、 p.37.) 彼は悪ガキどもから殴られても殴り返すことができなかった、というから相当悔しかったに違いない。B氏は嘆いていたが、彼の両親は働くのが精一杯で、日本人のいじめっ子を叱ってくれなかったそうだ。しかし、本当は日本人とのトラブルを避けたかったんじゃないか。もし、大人が子供の喧嘩に口を出せば、日本人の親も出てくるから、話が余計ややこしくなる。

  朝鮮人に生まれるというのは色々な面で哀しい。例えば、彼は食卓に出されるキムチに手をつけなかったそうだ。もし、うっかり口にしたら、ニンニクの臭いが一日中、口の中に残るから嫌われる原因となる。だから、彼はキムチだけの朝食の時はそれを食べなかった。こうしてキムチ朝食を避け続けたところ、何時の間にか朝食を取らない習慣になってしまったという。確かに、戦前、日本人は朝鮮人の吐く息に卒倒した。朝鮮人はニンニクを好むので、只でさえ不潔な朝鮮人からは、ムカつくような体臭と口臭が漂ってくる。これだから、「朝鮮人」イコール「汚い」、「臭い」、「下劣」、「気持ち悪い」というイメージが附いたのも当然だ。昔ながらの朝鮮は本当に“みすぼらしい”国で、道端を通れば糞尿がそこら中にあったし、家屋は南京虫やダニの巣窟と言っていい。1970年代になっても南鮮は悲惨で、朝鮮の路地裏や飲食街を目にした日本人は目を剝いて驚くことばかり。(以前、当ブログでは「ディープなコリア」について述べた。)

 話を戻す。七年前に両親と帰郷したB氏は、父親から墓参りの義務を告げられ、民族意識を持って生きるよう諭されたそうだ。彼の父親は二年後に亡くなってしまうが、息子は父の言葉を胸に刻んでいた。そこで、B氏は小学生の長女と次女を“本名”で公立学校に通わせることにしたという。何しろ、日本で生まれ育った在日3世は、日本の影響を強く受けてしまい、日本人の意識に近づいてしまうから、朝鮮人としての自覚が薄くなる。だから、本名を貫くことで「朝鮮人」の自覚を持たせたい、という訳だ。B氏は「真理子」のような日本的名前は朝鮮人らしくないから、娘にはちゃんと朝鮮人らしい伝統的な名前を附けて、それをしっかりと主張できる子供に育てたい、と述べていた。でもさぁ〜、日本の学校で「金」とか「朴」「崔」といった名前じゃ恥ずかしいよねぇ〜。男の子で「太郎」だと「金太郎」になってしまうし、「玉」という名前の少女だと「金玉」になってしまうから、日本人の子供は大爆笑だ。嘘みたいだが、以前雑誌の『テーミス』を読んでいたら、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名を目にしてビックリしたことがある。北鮮では普通なんだろうけど、日本だと性転換していないオカマみたいだ。


(左 : 頭に籠を載せて歩く乳房丸出しの朝鮮人女性 / 右 : 貧乏な時代の朝鮮人 )

  娘に対する民族教育に熱心なB氏であったが、彼には相克があった。というのも、彼は職場で日本名を使っていたのだ。しかも、日々の生活で使う言葉も日本語なんだから言行不一致。これじゃあ、どこが“誇り高き朝鮮人”なのか分からない。彼は開き直って、「俺はどこへ行ってもニンニク臭い民族だ」と腹を括るが、その一方で、朝鮮語を上手く喋ることができないし、祖国の歴史も知らないから、「本当に民族の一人と言えるのか」と悩んでいたそうだ。娘に対しては朝鮮文化の大切さを説くが、祖先を弔(とむら)う祭祀(チェサ)にお金を掛けるとなれば渋い顔になったという。彼の母親は、牛肉や魚肉、菓子、果物などを膳に並べて豪華にしたかったが、その費用だけでも軽く4、5万円を超えてしまうから、B氏は不機嫌になったそうだ。母親のCは、「息子達2世が1世の言うことを半分しか聴かない」と愚痴をこぼしていたが、B氏は「生活に余裕があるなら・・・俺だってやってるさ !」と呟く。確かに、1970年代の鮮人家庭だと、下働きの低所得者が多かったから、「余計な出費をしたくない」という気持ちも分かる。朝鮮人って、死体崇拝なんじゃないか、と思えるほど儀式が大好き。日本人の嫁さんはドロドロした朝鮮の祭祀にウンザリするらしい。

  在日2世の息子や娘に「朝鮮の文化を忘れるな !」と釘を刺す在日1世はいたけど、やはり“現実社会の壁”を身に沁みて分かっていたから、簡単に理想を追求するアホは少なかった。例えば、B氏が娘達を「本名で通わせる」と決めた時、母親のCさん(祖母)は猛烈に反対したそうだ。「本名で通わせるなんて・・・・孫に辛い思いをさせたいのか。日本名でなぜ行かせない」と息子に詰め寄り、B氏の決定に異を唱えた。B氏は家族の中で一番民族意識が強い母が真っ先に賛成してくれるものと思っていたから、母親の反対にショックを受けたらしい。B氏が「民族意識を持たせるには、本名で通わせなくては」と力説するや、母親のCは、「民族意識は家庭の中で教えれば良い」と撥ねつけたそうだ。(上掲文、 p.39.)

  さぁ〜すが、苦労を重ねた1世は違う。彼らは朝鮮の過去を肌で知っているし、日本人がその惨めな歴史を知っているのを解っているから、日本人の前では朝鮮文化を誇ることはない。そもそも、在日1世は、貧乏で不潔な朝鮮の中で育ってきたのだ。大半の移民(逃亡者)は「祖国に未来が無い」と悟ったから、日本に渡ってきたのだ。自分が「絶望の国」と判断し、馬鹿にされても仕方ない賤民、と分かっているから、日本社会で朝鮮を自慢できるとは思わない。朝鮮文化を称讃するのは、同胞が集まった宴会の時だけ。日本人がいる職場や学校で「朝鮮自慢」なんて自殺行為に等しい。朝鮮文化に馴染みが無い在日3世や4世の娘達は、日本の友人を自宅に招くことができなかった。なぜなら、もし、日本人のクラスメートが家の中にある“奇妙”な置物とか衣装を目にしたら、「あっ、朝鮮人だ !」とバレてしまうからだ。したがって、羞恥心の強い鮮人少女は、絶対に連れてきたくないし、両親や兄弟を見せることも避けていた。特に、朝鮮訛りが抜けない両親や親戚は、奇妙な日本語を喋るからリスクが大きい。日本の不良と喧嘩する朝鮮高校の不良ならともかく、血統の暴露を懼れる温厚な鮮人少女には同情したくなる。

  公立学校に通ったB氏の弟も、兄の考えには反対したそうだ。曰わく、「日本人の意識が変わらないのに、本名で通学させるなんて・・・・孫最初から子供を谷底に突き落とすと同じだ」、と。(p.39) こうした家族からの反対を受けて、B氏もどれだけの冒険であるのかを痛感したらしい。

  必ず、娘は学校で本名をからかわれ、泣いて帰宅する日が来る。その時、親である自分はどう納得させ、再び学校に通うようにさせるか。どこまで子どもを支えられるか。(上掲文、p.40)

  B氏はこのように悩んだが、それでも意見を変えず、本名で娘を学校に通わせたそうだ。いやぁぁ〜、民族意識に目覚めた朝鮮人には附ける薬が無い。朝鮮人というのは、どんなに馬鹿げた考えでも、一旦思い込むと、状況を考えず邁進する癖がある。以前、エレベーターの扉に腹を立てた朝鮮人の障碍者がいた。彼は電動車椅子をフルスピードにしてエレベーターに突っ込んだところ、偶然開いた扉を突き抜け、シャフト(昇降路)の底へ転落してしまった。筆者はこの事故の映像を見た時、不謹慎ながら笑ってしまった。あまりにも滑稽すぎるからだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、激怒した朝鮮人には「理性」というものが無い。たぶん、B氏は「苦難を乗り越えて、強い朝鮮人に育って欲しい」と願ったんだろうが、本名を強いられた娘にすれば、針の筵(むしろ)にくるまれたような境遇だ。こういう家庭に育った朝鮮人だと、グレてしまう可能性が高い。

(左 : 餅つきをする朝鮮人 / 右 : アフリカ人のように頭に籠を載せる朝鮮人)

  これは致し方ないが、高度文明の日本で育った朝鮮人だと、肉体は鮮人のままでも精神的には「日本人」となってしまう。したがって、野暮ったい両親や祖父母が儒教混じりの訓諭を垂れると、単なる“説教”とか“押しつけ”と感じてしまうのだ。いくら「朝鮮文化は素晴らしい」と教えられても、実際の朝鮮があまりにも悲惨なので、朝鮮に親近感を覚えても、直ぐに「幻想」や「失望」に変わってしまうことがよくある。しかも、日本には言論の自由があるから、朝鮮人にとって不都合な歴史や恥ずかしい風習が簡単に暴かれてしまう。なるほど、テレビ局や学校は朝鮮人に配慮した「朝鮮史」を述べるが、日本の民間人はお構いなしに事実を伝えてしまうから、朝鮮人は悔しがる。例えば、昔定説だった「強制連行」は嘘とバレてしまったし、「従軍慰安婦」も捏造で、朝鮮の女衒が連れた来た「鮮ピー」というのが一般的な呼称だった。在日鮮人にとって、「不逞鮮人」とか「第三国人」という言葉は一刻も早く忘れたい蔑称だが、「ヨボ」という言葉を蒸し返されるとムっとくる。戦前の内地人(日本人)は、外地の半島人(朝鮮人)を「ヨボ」と呼んでいたけど、現在では死語となっている。これは「ヨボヨボな老人」という言葉にも通じているので、侮蔑と感じる朝鮮人もいたらしい。朝鮮に赴任した警察官の今村鞆(いまむら・とも)は、朝鮮の研究にも打ち込んだせいか、朝鮮人に対する思いやりが深かった。彼は日鮮の相互的礼儀を強調し、鮮人の感情を害さないよう訴えかけていた。

  自分は警察処罰令に「内地人にして朝鮮人に対しヨボと呼ぶべららず、但朝鮮語に熟達した内地人にして言語の中にヨボと呼ぶはこの限りに非ず」という一項を挿入したい・・・・。(今村鞆  『歴史民俗 朝鮮漫談』 南山吟社、昭和3年、p.391.)

  まぁ、今村氏は研究者として朝鮮贔屓になったのだろうが、一般の日本人は鮮人に対する卑屈な態度は無かった。例えば、中流家庭の知識人に雇われた女中も素っ気なく、気軽に「先生、何とか云うヨボが尋ねてきて玄関にいますが、どうしましょうか?」と訊くことがあったらしい。今なら放送禁止用語が伏せ字になってしまうが、昔の日本人は言論の自由があったから、遠慮なく使っていた。今村氏は同書で朝鮮人の「処女献上」を述べているが、今の在日朝鮮人だと李朝時代の悪習を知らない場合がある。支那の権力に屈した朝鮮人は、村の生娘を支那人や蒙古人に貢いでいたのだ。慰安婦像で騒ぐ朝鮮人は、支那人が奪い去った少女も一緒に述べるべきなんじゃないか? 日本兵にサービスした鮮人娼婦は大金を稼いだけど、支那人に献上された朝鮮処女は、一体「いくら」もらったんだ? 是非、明らかにしてもらいたい。

  在日鮮人への給付金から随分逸れてしまったが、我々は朝鮮人と運命を共にしたくないのは事実だ。日本人は日本人だけで恐慌を乗り越えたいのであって、朝鮮人を救うのは南鮮にある政府の義務である。日本国民は安倍総理を厳しく非難するが、他の政治家が何をしているのか、もっと注目すべきだろう。でも、女を膝に乗せながら「犬になりたい!」と豪語する「ワンワン高井」は論外。立憲民主党には碌でなしが集まっているのか、高井崇志(たかい・たかし)みたいなクズが本当に多い。しかし、精液で下半身を濡らしている高井よりも酷いのは、同党の鮮系議員である白眞勲(参議院議員)の方だ。今は武漢ウイルスの拡大で大変な時期なのに、この日鮮混血議員は、ヘイトスピーチを更に取り締まるべく、新たな法案作りに邁進しているそうだ。彼は昨年「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」の会長に就任し、ヘイトスピーチをなくしてグローバルな共生社会を目指している。(「ヘイトスピーチ対策、新法案づくりへ意欲」、2020年3月27日附「民団新聞」) 日本国民がウイルス対策と失業の問題で困っているのに、白議員は「同胞」の心配をしているんだから、「どこの議員なんだ?」と尋ねたくなる。白議員曰わく、「自分の人生は日韓関係そのもの」なんだって。だから、日本で暮らす外国人(朝鮮同胞)のために努力しているのか ! でもさぁ、こんな奴に議員報酬を払っているんだから、比例名簿による当選は無くすべきだ。

とにかく、日本には北京政府に買収された議員とか、ハニートラップに掛かった議員や官僚、国家転覆を謀る左翼知識人、経済不況を利用して権力を握ろうとする売国奴など、有害分子が実に多い。給付金の金額を云々するテレビ番組は多いけど、在日鮮人や支那人について取り上げるテレビ局はほとんど無いから異常だ。マスコミは意図的に「報道しない自由」を行使して、わざと朝鮮人や支那人に触れないよう努めている。もし、在日アジア人にも給付金が渡されるとなれば、輿論が「何だ、それ !!」と激昂するから、これを避けたいんだろう。「報道しなければ存在しない」というのがマスコミの考えである。我々は表面の騒動に惑わされず、報道されない裏側に目を光らせるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68809304.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/566.html#c8

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ


フォリ・ア・ドゥ folie à deux
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html


@ 精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。
 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。


A 宇宙語で会話する夫婦

 まずは精神医学1995年3月号に掲載されている堀端廣直らによる「Folie a deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」というものすごいタイトルの論文から紹介してみよう。

 鍼治療の仕事を営む夫婦の話である。

 夫婦は「温和で物静かな夫婦」とみられていたが、1986年8月中旬から、妻の方が「宇宙からの通信」を受け始めた。その内容は「病気はこうしたら治る」「宇宙から素晴らしい人がやってくる」といったものだった。また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。

そして約1ヶ月後には夫も同様の被害妄想をもつようになり、宇宙からの通信を受け始めたのだという。妄想が感染したのだ。二人は治療を求める客に対して「あなたは価値のない人間だから」などといって断るようになる。昼間から戸を締め切り夜は部屋の電灯を一晩中ともして「宇宙からの使者を待つ」生活をして周囲から孤立していった。

 そして約二年後のこと。今度は夫の方から「宇宙語」と称する言葉をしゃべりはじめ、半年後には妻も同調して二人は「宇宙語」で会話するようになったのだという。近所に抗議に行ったり通行人を怒鳴り追いかけるときにも「宇宙語」を発して近所の人々を驚かすこともあった。

宇宙語は中国語やスペイン語に似た言葉のように聞こえたとのこと。子供が3人いたが、感化されることもなく宇宙語も理解できなかった。

1991年、妻が通行人に暴力をふるう行為があったので妻のみが入院。妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、同席した夫と宇宙語で会話。しかし入院翌日からは落ち着きが見られ話も通じるようになった。

入院3週間後より夫との面会を許可したが、笑顔で落ち着いた様子で宇宙語は話さなかったという。退院してからは「あのときは自分は一生懸命だったのです。今となっては過去のことです。通らねばならない過程だったと思います」と冷静に振り返ることができたという。

 これは春日武彦『屋根裏に誰かいるんですよ。』にも紹介されている症例だが、おそらくこれは「愛」の物語だ。フォリアドゥの成立条件に「2人の親密な結びつき」がある以上、フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。

 この症例で興味深いのは、もともとの妄想の発端は妻だったのにも関わらず、「宇宙語」を話し始めたのは夫の方からだというところ。最初妻が妄想を語り出したとき、当然夫はとまどったことだろう。その時点で病院に連れて行ったり誰かに相談したりすることもできたに違いない。しかし、結局夫はそれをせず、妻の妄想世界を受け入れる。それはつまり、二人の間にはそれほどまでに深い結びつきがあったということだ。それから二年後、夫は、世界を与えてくれた妻に対し「宇宙語」を伝え、さらに二人の世界を広げるのである。

 「宇宙語」はつまり、夫から妻へのプレゼントだったのかもしれない。


B 行者と女工

 もうひとつ、篠原大典「二人での精神病について」(1959)という古い文献に載っている事例も紹介してみよう。72歳の女行者と25歳の女工の話だ。

 まずは行者の方である。老婆は若い頃から信心に凝り、夫や子を捨てて住みこみ奉公をし、金がたまると神社仏閣を遍路するという生活を繰り返していた。いつのころからか病人をまじないし、狸がついているなどというので、昭和31年夏、I病院に入院させられた。病室の隅にお札やお守りで祭壇をつくり大声で祈り、ときどき気合いをかけたりしていた。

医師には「お稲荷さんもこの病院は嫌だといっておりますわ。いろんなことがありますが、いうと気狂いだといわれますさかい」と言っていた。

 一方、女工は18歳で母を亡くし、継母とはうまくいかず、郷里を出て工場を転々とし、苦労を重ねていた。入院1ヶ月前、3年間つきあっていた男性から別れ話を持ち出された。

その後、ほかの人が彼女には無断で男から手切れ金を取ったり、すぐあとで別の男から結婚を申し込まれるなどの事件が重なり、発病。「不動さんの滝に打たれていると自然に首が振れだし、止まらなくなりました。不動さんが私に乗り移り問答できるようになりました。故郷に帰れとお告げがあったので荷物をまとめていると、手切れ金の噂をする声が聞こえてきました」。彼女は昭和31年秋に入院した。

 1年後にこのふたりは同じ病棟で移る。すると2人はすぐさま一日中話し込み、ともに祭壇を拝み、女工は行者のお経を写すようになる。

このころ、女工は「私の病気の原因を知っていて治してくれたのです」「不思議な風が私をおさえつけもがいているときに○○さん(行者の名前)のお守りで楽になりました」と話している。

女工は、男に裏切られて以来始めて、信頼できる人に出会ったのである。このころの2人はまさに教祖と信者の関係であった。

しかしその関係は長くは続かなかった。いったんは救われたものの、行者の方が「腹の中にいる生き物がはらわたを全部食ったらおまえは死ぬ」「人を犯す霊がお前についている」などと女工を脅すようなことをいうようになり、女工は行者に不信を抱くようになる。

彼女は行者とは別に祈るようになったが、するとますます行者は怒る。結局3週間で2人は争い分かれてしまった。女工は言う。「○○さんは私を計略にかけたのです。○○さんは身寄りがないから私を治して退院させ、退院した私に引き取ってもらおうとしたのです」

 その後1ヶ月して面会させたが、語り合わずまた争うこともなかった。行者はその後も変化はなく、女工は症状が消え3ヶ月して退院、故郷に帰っていった。

 孤独な2人の、出会いと別れの物語である。


Cフォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。

もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。

「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。

万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。2人は同じ妄想を共有していたのだった。

 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。

私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。
1.
今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


D古いタイプの感応精神病 ← 幸福の科学信者はこのケース

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。

悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。
 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。

青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。

 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。
 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。

どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。

その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。

すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。
これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。

集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。


E 家庭内幻魔大戦

 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。
Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。

この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。

 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。

昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。
昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。

「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。

長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」
「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。

「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」

「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには

「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。

体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。
きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。

入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」

などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。

 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」

と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。

主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、
「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。

 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。
入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、
「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。

しかし飛べずに興奮し始め、

「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。


F フォリアドゥと家族


 さて最後にちょっと違った視点からフォリアドゥを見てみよう。共同生活をしている家族などの中で狂気が伝染していくというのは、確かに気味の悪い現象ではあるのだけれど、ある意味、感染して同じ狂気を共有するようになった人は幸せといえよう。

抵抗をやめて吸血鬼(or屍鬼orボディスナッチャーorボーグ)になってしまえば楽になるのと同じようなものだ。

 それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
 家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 

映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 

家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。

 これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。しかし、どういうわけか、これまでの文献は、感染した家族には興味を示すのに、狂気に陥らなかった家族についてはほとんど触れていない。「宇宙語」の論文でも、感染しなかった子どものことはほとんど書かれていないし、「家庭内幻魔大戦」の論文でもそうだ。無視しているといってもいいくらいである。

 このへん、精神医学という学問の偏りがよく現れていますね。派手な精神病症状には興味を示すくせに、狂気を耐え忍んできた人の心にはまったく無関心。今でこそPTSDなどが話題になってきているけれど、つい最近までの精神医学はこんな具合だったのだ。
フォリアドゥそのものではなく「狂えなかった家族」に焦点をあてた文献はあまりないのだが、それでも皆無というわけではない。酒井充らによる『いわゆる被虐待児症候群の事例化』(社会精神医学1987年12月)という論文から事例を引いてみる。

発端者は母親であったらしく、結婚前の18歳ごろから

「近所の人たちが自分のことをバカにして笑っている」

とくってかかるなどの行動があったという。21歳で結婚するが、しだいに夫も妄想を共有するようになり、次男Kが生まれた頃には、夫婦そろって近隣といざこざを起こし転居を繰り返していた。

 次男のKは4歳のときに幼稚園に入園したが、両親はKが保母に不当にいじめられているという被害妄想を抱き、中途退園させてしまう。またその頃父から「家族は家族だけでやっていくから、もう二度と外の人とは遊ぶな」と言われ、子どもたちは外出を禁じられるようになる。

 6歳でKは小学校に入学するが、やはり父は担任の家に電話してどなりつけたり、教育委員会に抗議に行ったりしていた。まもなく両親はKの登校を禁止。Kが登校しようとすると、両親、ときには兄も加わってベルトで鞭打つ、金槌で殴りつける、煙草の火を押しつける、鉄パイプで眼を突くなどの身体的虐待が加えられた。そのため、小学3年生以降はほとんど学校に出席できなくなった。

 他の兄弟は親に従ったがKだけは抵抗したため、Kは親の言うことを聞かない子として、兄に行動を監視され、他の家族員から仲間はずれにされていた。Kは自宅内で一人で教科書や本を読みながら過ごすようになる。

12歳、中学校に進学したが一日も出席できず、学校から自宅に届けられた教科書で勉強し、父に命じられて自宅の敷地内の草取りをしたり、自宅内で飼っている豚の世話をしたりしていた。

この頃から、両親の近隣に対する被害妄想はますます強くなり、両親は自宅周囲をトタン板で囲い、月に一、二度のリアカーでの買い出し以外外出をしなくなる。

外出のときには両親はカメラやテープレコーダーを持ち歩き、「いやがらせの証拠」を探していたという。その際にもKは外出を許されず、父から訪問者の声の録音を命じられていた。

 15歳ごろより、Kはマンガ家になりたいと思うようになり、マンガの添削教育を受け始める。しかし両親は「マンガなど描くのはやめろ。豚の世話をしろ」と反対し、Kの描いたマンガを破き、届いた郵便物を焼き捨てる。反抗すると、両親はKに暴力を加えた。

Kは両親の妨害を避けるため、自宅の隅に家具やガラクタを積み上げて「バリケード」を築き、その中に閉じこもってマンガを描くようになった。Kの態度に父は逆上、バリケードに灯油をぶちまけて火をつけ、自宅は全焼、Kは右半身に火傷を負い、翌日外科病院に入院した。

 入院したKは病院で植皮術を受ける。しかし、手術痕の回復に従い、問題行動が始まった。看護婦の体に触る、夜間徘徊して眠らない、注射・服薬を拒否するなどの行動を繰り返し、病院側から治療半ばにして退院させられてしまう。

病院は通院治療を勧めたが、父は「一旦家から離れた者は家族ではない」といって、Kを父の信奉する宗教施設に預けた。

しかしKはそこでも問題行動を起こし、自宅に帰された。両親はやむなくKを家に置くことを許したが、やはり自宅外への外出を禁じたため、Kは再びバリケード内にこもった生活を続けることになった。

痛ましい話である。Kにとってはまさに地獄のような家だったに違いない。15歳で入院し、家から離れたときになぜきちんと助けを求めなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、それは無理な話だろう。

それまで家族以外との接触がほとんどなかったKには、他者とうまくコミュニケーションをとることができなかったのだろう。

 さてこのあと、Kは意外な方法で地獄からの脱出を図る。

17歳頃になると、Kは両親が話しかけても「あなたは誰でしゅか」などと幼児語しか話さなくなり、昼夜かまわず奇声を発するようになった。

また布団の上や鍋の中に大小便をしたり、糞尿を身体をなすりつけて転げまわるなどの異常行動が徐々に激しくなり、両親も対応に困り、翌年11月、救急車で精神病院に入院することになった。

 入院したKは、主治医の質問も待たず一方的に喋りだし、

「親から離れて入院できたのは本当にラッキーでした。でも僕は本当のことは言いません。狂気を装っているんです。催眠療法してもだめでしょう」

とうれしそうな表情で話した。入院前の異常行動については

「親が鉄パイプで殴ったり、僕のものを燃やしたりするのが鬱積して、精神病の方へ出ちゃったんです」

「虐待ばかりで学校へも行かせてくれず、訴訟ばかりしている親に反抗して、家から脱出したいと思って、親の方から僕を嫌いにさせようとして狂うふりをしたんです」という。

また「これは父にやられた、ここは母にやられた」と体中の傷痕や火傷痕についてしきりに説明した。
病棟では他の患者や看護婦に一方的に話しかけ、苦情が出るほどだった。また自分の要求が通らないと大声でわめきちらし、逆に強く注意されるとその場で土下座して謝ったりと、周囲の人たちとどのように接したらよいのかわからない様子だった。

 両親への憎悪は強く、「もう自宅には戻りたくない。親戚に連絡して引き取ってもらいたい」と要求。入院が長引くにつれ、

「自分の親は被害妄想狂です。だから僕ではなく親のほうを入院させて下さい」と攻撃的な口調で退院を要求した。

 一方両親は、入院時「一生退院させない」と言って面会にも現れなかったが、月に2、3回の手紙は必ず送って来た。

Kは両親が「被害妄想狂」である証拠として、主治医に手紙の一部を見せた。手紙は、警察や近隣、福祉事務所などへの被害的内容が主で、当初は病院に対して好意的だったが、徐々に

「病院も警察とグルになって一家をバラバラにしようとしている」

と被害妄想の対象になっていった。そして、それとともにしだいにKの退院を認めてもいいとも書くようになっていった。

 翌年7月、突然父が病院を訪れ、Kを自宅に引き取りたいと申し入れ、即日退院となった。その後もKは以前のように自宅に閉じこもった生活を続けているようだが詳細は不明だという。
こうして、Kは結局地獄の家に帰ってしまうのである。おいおい、そりゃないだろ、と思うのは私だけではないはずだ。

 Kが本当に狂気に陥っていたのか、それとも本人の言う通り狂気を演じていたのか、この論文でははっきりとした結論は出していない。

それでも、Kは、両親の狂気に対して、それを上回る狂気という奇策によって脱出を図り、必死に助けを求めてきたわけだ。そんなKを、父親に言われるままにあっけなく自宅に引き取らせてしまっていいんだろうか。いくらなんでもこの結末はないだろう。

 確かにこの患者は未成年でもあることだし、普通は親が退院させたいと言えば、法的には退院させるほかはない。たとえ親の方がおかしいと思おうが、この両親を無理矢理入院させるわけにはいかない。でも、このような場合には何かほかの方法があったんじゃないかなあ(例えば親戚に介入してもらうとか)。

 この論文は、「今後はさらに、本事例児のみならず、他の兄弟の発育についても、慎重に経過を追う必要があると思われる」と結ばれているのだが、本当にそれだけでいいのか?
 その後この家族がどうなったのか、気になって仕方がないのだが、残念ながら続報は発表されていない。
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」


宗教とセックスにまみれながら子どもたちが育つ、新興宗教「神の子どもたち」

2012.04.25
オカルト事件簿 「神の子どもたち」
 
 2005年1月9日、カリフォルニア州のブライスで、車の中で拳銃自殺をした男性の遺体が発見された。男性の身元はすぐに判明。リッキー・ロドリゲスという、アリゾナ州のツーソンで電気技師をする男だった。そして、リッキーのツーソンの自宅アパートには、のどをナイフでかき切られた初老の女性の残虐遺体があり、血だまりの中、息絶えていたという。

 リッキーは殺人を犯す24時間前、自殺する48時間前、元妻、友人、そして自分が育ったカルト教団「神の子どもたち」で育った元信者に向けて、告白ビデオを遺していた。これを見た警察は驚いた。「神の子どもたち」が、子どもにまで性行為を強要していたということ、教団の中で幼児性虐待を受けてきた子どもたちが大勢いること、自分たちは精神的に傷つき、死んだも同然の状態であることを、リッキーはビールをあおりながら、淡々と語り続けていたからである。

 リッキーは「復讐する必要性がある。正義の必要性があるんだ。やりたい(殺したい)からじゃない。もう、このままでは、やっていけない」と、虚ろな目で語りかけていた。ごくごく普通に見える青年、リッキーは、なぜ、老女を殺し、自殺をしたのか。そして、彼を追い詰めた「神の子どもたち」とは、一体、どのような教団なのだろうか。

 「神の子どもたち」は、1968年、バプテスト教会のカリスマ的牧師、デビッド・バーグにより、南カリフォルニアで設立された新興宗教である。父親も牧師であったデビッドは、「イエス・キリストの愛の言葉を広める」ことを目的に、「神の子どもたち」を立ち上げた。最初はシンプルなゴスペルなどで信者に「イエスの愛を」と説いていたが、ヒッピーが集まるようになると「フリー・ラブ」が大事だと説教するようになり、セックスにより信仰を深め、広めようと、スワッピングや乱交を推奨するようになった。スワッピングは子どもたちの目の前でも行われた。「イエス・キリストがお望みのこと」「喜ばしいこと」だと信者の子どもたちは教えられ、異様な環境の中、育てられたのだった。

 グルであるデビッドには、カレン・ゼルビーというお気に入りの女性信者がいた。彼女は、セックスをしてイエスの愛を伝えることにより信者を増やす「浮気釣り(FF)」という新しい福音伝道を開発。カレン自身も積極的にFFを行い、アメリカだけでなく、メキシコやフィリピン、日本でもFF伝道活動が行われるようになり、信者数は一気に増えた。そして、信者の1人だったウェイターの男性の赤ん坊を身ごもったカレンに、デビッドは自分の養子として迎えてあげようと伝えた。彼は、家庭的なイメージを欲しがっていたため、赤ん坊の誕生はグルとしての株を上げるチャンスだったのである。

 1975年1月25日、カレンは男の赤ん坊を出産。名前をリチャード・ピーター・ロドリゲスと名付けた。デビッドは、リッキーのことを自分の次に偉大な存在だとし、跡取りだと公言。デビッド、リッキー、カレンはまるで皇族みたいな崇高な存在だと見られるようになった。しかし、リッキーの幸せな幼少時代は、そう長くは続かなかった。デビッドとカレンは、リッキーを利用して、フリーセックス対象年齢を下げようと企み、幼児・子どもたちにも性行為を強要するようになったのだ。

 教団は、3歳のリッキーが1歳や2歳の女児たちとペッティングをしたり、大人の女性と性行為をする様子を撮影。762ページにもわたる子育て本としてまとめ、信者に配布した。

 1996年に教団を去り、現在ニューヨークでストリッパーとして働きながら薬物中毒と戦っているデヴィータは、ドキュメンタリー番組のインタビューで、

「リッキーと私は、次世代のデビッドとカレンになるように育てられた。私は5歳の頃からベッドでデビッド相手に、手淫やオーラルセックスをさせられたわ」

「12歳になった時、リッキーは自分の母親であるカレンとセックスするようになった。一つのベッドの右側で私とデビッドがオーラルセックスをし、左側でリッキーがカレンとインターコース(性交)をしている。これがイエスの望むハッピーファミリーだと教えられてね。教団の子どもたちは、宗教とセックスにまみれながら育ったのよ。1歳の赤ん坊にオナニーを教えたりもして、狂っているわ」

とぶちまけている。

 子どもと大人が交わるフリーセックス推進により、さらに信者が増えた「神の子どもたち」。しかし、多くの小児性愛者を引き寄せることにもなり、デビッドはインターポールから目をつけられるようになる。教団は、1986年、これ以上探られては困ると考え、子どもの性行為を一切禁じた。そして、その8年後には「FF」「乱交」を禁止。教団名も「ファミリー・インターナショナル」に落ち着き、1994年にデビッドが死去した後は、ポルトガルに拠点を置いていたカレンがリーダーの座に納まった。

 リッキーは19歳の時にハンガリーの教団コミュニティで出会った女性と一緒になっていたが、カレンとの同居生活を続けていた。信者たちは、デビッドの後継人だと教えられていたリッキーがカレンの言いなりになっていることに疑問を抱くようになり、1人、また1人と脱退していった。カレンの家では、教団では禁じられいてたスワッピングが行われており、リッキーは次第に母親に反発するようになる。そして、2000年。妻と共に教団を出て、元信者たちが多く住むアメリカの某地区へと移り住んだのだった。

 しかし、しばらくするとリッキーは元信者たちから次々と連絡を受けるようになる。教団の大人たちに仕返しをしてほしい、壊された精神をどうにかしてほしい、と訴えられるようになったのだ。幼児性虐待を受けながら育った子どもたちは、誰もが心に深い傷を負う。リッキーはそのリーダーとして立ち上がる義務があるのだ、という元信者まで現れた。この声を無視できなかったリッキーは、復讐を企て、妻と離婚。2004年の29歳の夏、アリゾナ州へと向かったのだった。

 リッキーが殺害しようとしていたのは、母親のカレンだった。しかし、教団ナンバーワンである彼女の居場所はトップシークレットであり、リッキーは手がかりさえつかめなかった。しかし、しばらくして、老人ホームに入居している祖父母を訪問したという情報を得て、ホームのある町へと移住。電気技師の職を得て、マーシャルアーツや射撃の練習をしながら、母親を待ち続けた。そして、その4カ月後、あの告白ビデオを撮影したのだった。

 リッキーが首を切り殺害したアンジェラ・スミスという女性は、母親の側近であった。彼女は、教団が制作した子育て本で、リッキーに性の手ほどきをする役としても登場している。しかし、リッキーが母親の居場所を知ることができたのかは、今となっては知る由もない。

 セックスにまみれた幼児期のおぞましい記憶を消そうと、薬物に逃げる教団で育った子どもたちはとても多く、23歳の若さでヘロインとコカインの過剰摂取で死亡した、リヴァー・フェニックスもそうだったのではないかと、元信者らの間では囁かれている。そして、今もなお、多くの者たちが、「神の子どもたち」でのおぞましい性的虐待の記憶に苦しみ、薬物・アルコール漬けになっていると報告されている。
http://happism.cyzowoman.com/2012/04/post_713.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/811.html

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」 中川隆
1. 中川隆[-13202] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:11:14 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[1]

近親相姦を受け入れる姉妹に喜ぶ父、罪の意識なき残虐殺人事件


2012.01.05
今回のオカルト事件簿 【ハラルド&フランク・アレクサンダー事件】

 1970年12月22日、人気リゾート地であるスペイン領カナリア諸島テネリフェ島のヘスス・ナサレン通り37番のアパートメントで、身の毛もよだつような残虐殺人事件が起きた。殺害されたのは、39歳になる一家の母親と15歳と18歳の娘たち。3人は滅多打ちにされ、血しぶきは壁や天井にまで飛び散っていた。全裸になった遺体からは、乳房と女性器が切り取られ、壁に釘で打ちつけられていた。

 ベテラン鑑識医も息を飲むほどの殺害事件を起こしたのは、一家の16歳になる息子。妻と娘たちを殺害された父親は現場に居合わせており、「殺人のバックグランド・ミュージックに」とオルガンを弾いていた。乳房と性器を切り取る作業は、息子と父親が共同で行ったことも明らかになった。

 逮捕された息子と父親は恍惚とした表情を浮かべ、嬉しそうに殺害の詳細を明かし、世界中を震撼させた。だが、一家を知る者たちは「やっぱり」と思ったそうだ。なぜなら、この一家はマイナーな新興宗教「ローバー・ソサエティ」の熱狂的な信者であり、息子を「預言者」として崇め、宗教を理由に近親相姦まで行っていたからである。

 この一家は、どのようにして狂気的なカルトに染まり、また、なぜ猟奇殺人を犯したのだろうか。

■預言者の言うことは絶対である

 一家の父親、ハラルド・アレクサンダーは、ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都ドレスデンに生まれ、後にハンブルグに移り住み、同い年のダグマルと結婚。このハンブルグでハラルドは、ジョージ・リールという病床の老人の世話をするようになった。ジョージは、ドイツ神秘主義者ヤコブ・ロルバー(1800〜1864年)の崇拝者であり、新興宗教ローバー・ソサエティのリーダーであった。ローバー・ソサエティは19世紀初めに設立された厳格なスピリチュアル組織であり、信者以外は悪だという教えを説いていた。全盛期でも信者数は数百人ほどで、小さなカルト集団であったが、大変危険だとして認知されていたという。そして、30年代に入信したジョージは、「神の言葉を聞く預言者」だと信者たちから崇められていたのだ。

 ジョージの最期をみとったハラルドは、妻のダグマルに、自分がローバー・ソサエティのマントルを継承したと伝えた。宗教集会で奏でられる持ち運び可能なオルガンも受け継いだ彼は、意気揚々としており、ダグマルは夫のひたむきな信仰心を大切に育もうと決意。息子・フランクが誕生した時、ハラルドが「この子こそが神の預言者だ!」と宣言した際も夫の言葉を信じ、何の疑問も持たずに受け入れたのである。

 フランクを「神の預言者」だと宣言したハラルドは、「彼の言うこと、望むことは、どんなことでもすべて従わねばならない」というルールを家族に強いた。2歳年上の長女マリア、1歳年下の双子の次女と三女ペトラとサビーネも、両親同様、フランクに仕えた。フランクは王のように彼らを支配し、年を重ねるごとに独裁者のように振舞うようになった。10代になると、「信者以外の女の身体に触れると汚れる」と言い出し、父親に「母と性交を行う」と宣言。間もなくして姉とも交わるようになった。父親はこの状況を歓迎し、家中、ところかまわずセックスをするようになった。「預言者のため」だと教えられていた双子の妹たちは、この状況を喜ばしいことだと思い学校で自慢。近親相姦のうわさはたちまち街中に広がった。警察の訪問も受けるようになった一家は、ドイツを離れることを決断。スペイン領カナリア諸島テネリフェ島に移住したのである。

■殺人ではなく聖なる儀式

 テネリフェ島での一家は人との接触を避けていたが、音程の外れた大音量のオルガンと、その音楽に合わせて賛美歌を歌う家族の大きな歌声が、次第に付近住民の注目を集めるようになった。10カ月間、一家は問題を起こさず静かにしていたが、この頃には双子の妹たちもフランクと性行為をするようになっていた。なお、生計は娘たちが女中をして得た金で立てていたという。

 事件があった日、ハラルドとフランクはサビーネが働くウォルター・トレンクラー医師の自宅を訪問し、サビーネに伝えたいことがあると言った。快くサビーネを呼んだウォルターは、ハラルドの「サビーネよ。我々はフランクがお前の母親と姉たちを殺さねばならなくなってしまったことを伝えるために、ここに来たのだよ」という言葉に仰天。しかし、サビーネはまったく驚くことなく、父親の手を取り頬に当てて「必要なことをなさったのだと信じています」と言った。衝撃を受けるウォルターにハラルドは「あぁ、お聞きになりましたか。我々はわが妻と娘たちを殺しました。殺害の時が来たのです」と落ち着いた口調で伝えた。ウォルターはハラルドとフランクの顔や手、服に血糊がべっとりとついていることに気がつき、あわてて警察に連絡。警察は近隣住民から「地獄のような叫び声が聞こえる」との通報を受け、すでに現場に到着し、畜殺場のようなアパート内の様子を目の当たりにしていた。

 嬉々とした様子で警察の調書を受けたフランクは、殺害の経緯をこう述べた。

「部屋に入ってきた母が、私のことを淫らな眼差しで見たと感じたんです。許されないことだったので、クローゼットから(木製の)ハンガーを取り出し、母の頭を繰り返し殴ったら意識を失い倒れました。父はリビングに行きオルガンを弾き始めたので、私もリビングへ行き、マリア、ペトラの順に殺しました。そして汚れた部分を切り離す儀式に入った時、父はオルガンを弾く手を止め手伝ってくれたのです」

 ハラルドも同じ証言をした上で、「うちの女たちは、いつかこの時が来ることを知っていた」「聖なる時のことを、我々はよく話し合っていた。女たちは生贄になることを喜んで受け入れていた」と発言。3人とも抵抗したあとがまったくなかった理由が明らかになった。

 フランクもハラルドも罪の意識はまったくなく、汚れた3人を清めたことにより天国に行くことができたと喜んでいた。オルガンを弾いたのも祝うためであり、2人は残虐殺人を終えた後、交互にオルガンを弾き賛美歌を歌ったという。精神科医は彼らを診察し「裁判を受ける精神状態ではない」「能力なし」と診断。犯罪的に精神異常である者たちが収容される施設に入れられた。しかし、どんな治療も2人には効かず、次第に「我々は、宗教から迫害された殉教者である」と思い込むようになった。また、ハラルドはフランクのことを「預言者」だと呼び続けているのだという。

 最後に、唯一難を逃れたサビーネだが、父や兄と同じ施設に入ることを熱望したが許されず、厳重な修道院に収容された。彼女は「不純」で「悪魔の手下」である他人と話すことを嫌い、殻に閉じこもり続けていたそうだ。その後、修道院を出ることを許されたサビーネだが、頼れる者は誰もおらず、いまなお修道院に留まっていると伝えられている。
http://happism.cyzowoman.com/2012/01/post_382.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/811.html#c1

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」 中川隆
2. 中川隆[-13201] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:16:32 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[2]

【閲覧注意】神の名の下に殺害、近親相姦の館【世界残酷殺人事件】2014/07/29
http://okarutotougijou.com/cruel/734/

「信者以外は全員悪魔」

カルト宗教にはまり近親相姦を繰り返した家族の末路を紹介しよう。

ハラルド&フランク・アレクサンダー事件

1970年12月22日

スペイン領の島の、あるアパートの一室で遺体が発見された。

遺体は三体で全て女性だった。遺体の心臓と性器、乳房は全てくり抜かれ壁に釘で打ち付けられていた。ベテラン鑑識員はあまりの陰惨さに吐いた。 この事件の犯人は父親のハラルド(画像右)と息子のフランク(画像左)16歳。

http://i2.wp.com/okarutotougijou.com/wp-content/uploads/2014/07/alexander.jpg


被害者はダグラル(母)39歳、マリア(姉)18歳、ぺトラ(妹)15歳。 聖なる儀式のために女たちは生贄にされたのだ。

おかしな家族

ハラルドは新興宗教「ローバソサエティ」の信者だった。この宗教、信者の最大数は100人と言われる、全く流行っていないスピリチュアル系宗教だった。信者以外は全員悪という教えがあり、大変危険と世間から認知されていた。

この宗教の教祖様が亡くなり、教祖様の大事にしていた移動式オルガンをハラルドが受け継いだ。ハラルドは歓喜した。ハラルドにとってそれは免許皆伝的なものであったのだろう。

「教祖様の意思を俺が受け継ぐぞ!」ハラルドの目は希望に満ちていた。それを見ていたダグラルは「なんて素敵な男性なの!私が彼を支えていきたい!」と結婚した。

ハラルドとダグラルの間に息子が生まれた。ここから狂気の歯車が動き出す。

息子はフランクと名づけられた。ハラルドは「この子こそが神の預言者だ!!おおお!あなたの意思に全て従います」と生まれたばかりの赤ん坊に忠誠を誓った。ダグラルも勿論従う。

こうしてフランクは我儘三昧の暴君として育てられた。

フランクには二つ年上の姉マリアと一つ下の双子の妹たちぺトラとサビーネと女姉妹に挟まれて育った。姉妹もフランクを兄弟としてではなく、神の預言者として仕えた。

フランクが思春期になると「信者以外の女に触れると身体が穢れる」という理由から「母親と性交する」とハラルドに告げた。ハラルドは「全くそのとおりだ!」と受け入れ息子と妻の性交を見守る。

フランクは母だけでは飽き足らず姉のマリアも含めて、いつでもどこでもやりまくった。

姉マリアは「私は神の預言者とファックしたわー!!」と学校で自慢しまくった。クラスメイトからは奇異な目で見られ、先生にも知れ児童相談所にも通報された。ここで、隔離していれば陰惨な事件は起きなかったであろう。度々やってくる警察官の訪問にうんざりし、一家は引越しを決意する。

スペインのある島で彼らは他人と接触を絶ち暮らしていた。しかし、父親の引く音程外しまくりのオルガンの音にあわせて賛美歌を歌う家族は近所の人間から気味悪がられていた。

家族の収入源は妹が女中をして稼いでいた。この頃になると、妹たちともフランクはやりまくっていた。父親はその光景を見て歓喜していた。

聖なる儀式

1970年12月22日

そのとき、フランクは部屋にいた。母親が部屋に入ってきた。母親は淫らな目でフランクを見たという。フランクは「そのような目で俺を見ることは許されない!許されないんだー!!」と言い木製のハンガーで頭を何度も殴りつけた。母親は失神する。

父親は相変わらずでたらめなオルガンを弾いていた。

フランクはリビングに行き、姉マリア、妹ぺトラを何度も殴打した。

「ギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

このとき、アパートの隣人は「地獄のような叫び声がする」と通報している。

ハラルドは息子の殺人を横目で見ながら、オルガンをかき鳴らした。

「ついに時が来たのだ!フランクよ!神の声を聞いたんだな!!あぁ、神様!」

ハラルドは金槌を持ってきて女たちの頭を打ち続けた。

フランクとハラルドは殺人作業が終わると、不浄なものを解体する作業にうつった。心臓と性器、乳房を取り除く作業だ。ハラルドはフランクが作業中ずっとオルガンを弾き、フランクが休憩するとハラルドはオルガンを弾く手を止め、作業に入った。

三人の遺体から不浄な心臓と性器と乳房を抜きとり、釘で壁に打ちつけた。釘が足りなくなると木製の串を持ってきて心臓をそれに刺した。

「自分たちのもっとも愛する者を殺して、初めて自由が手に入る!!」

聖なる儀式は終わったのだ。

妹サビーネは仕事中だったため、フランクとハラルドは職場まで報告しに行く。

「サビーネ、聞いてくれ。フランクがお前の母と姉たちを殺害することを決めたのだよ」

「まぁ、それはとても必要なことだったのですね。」と、ハラルドの手を取り自分の頬に当てた。これを聞いていたサビーネの職場の人たちびっくり仰天。

「…どういうことなのですか?」

「ああ、聞いていましたか。私たちは妻と娘を殺害したことを娘に報告しにやってきたのです」

よく見ると彼らの服は茶色い染みだらけだった。最初は泥がついてると思ったのだが「…これは血なのか…!」と職場の人は確信した。急いで警察に通報する。

フランクとハラルドは逮捕される。

裁判

裁判では二人とも「聖なる儀式のため、仕方がなかった」と証言した。ハラルドは「うちの女たちはいつかこの日が来るとわかっていました。彼らの不浄なものを切り取ったため彼らは天国に行くことができました」と、のたまった。

彼らに精神鑑定がされ、裁判を受ける状態ではない、ということが判明したため収容施設に送られることになった。

彼らは収容施設で「我らは迫害を受ける殉教者だ」と思い込んでしまった。

一人、難を逃れたサビーネは「自分もハラルドやフランクのいる収容施設に入りたい」と望んだが、それは認められず修道院に送りこまれた。彼女は他人を「悪魔」「不純」と思い、誰とも喋ろうとしなかった。

サビーネは修道院を出ることを許可されたが、彼女に頼れる者は誰もおらず、未だ修道院に留まっているという。
http://okarutotougijou.com/cruel/734/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/811.html#c2

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」 中川隆
3. 中川隆[-13200] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:17:23 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[3]

2018-01-31
 薬の効果が切れるまでセックスに浸り続ける女性を作る?

2013年2月に禁固11年の実刑判決を受けたロシア人コンスタンチン・ルードネフという45歳の男は、20年間に渡って自分のことを「シリウス星からやって来たエイリアン」だとか「神」と名乗っていた。

この男は「アシュラム・シャンバラ」というカルト教団を作っていたのだが、約3万人もの人々がこの男を神であると信じて全財産を捧げ、少女や女性たちは嬉々として身体を提供していた。

コンスタンチン・ルードネフは、ここでセックス・レイプ・乱交をやりたい放題していたのだが、やがてカルト教団摘発の警察当局によって逮捕された。

この男は信者を隔離し、食事や睡眠を与えず、徹底服従させた上に、ドラッグで正常な意識を保てないようにしていた。使っていたドラッグは「ヘロイン」である。

多くのカルト教団は教祖が信者の自由を奪って極限状態に持っていき、そこで自分が神であると強烈に言い続けて洗脳し、さらに理性を奪うためにヘロインやマリファナや睡眠剤などを与えて「心」を奪っている。

洗脳についての手法はすでに確立されている。(17年経っても消えないマインド・コントロールの恐ろしい手口)

すべてのカルト教団はそれをやっている。極限状態の中で、人間性を奪い、そしてドラッグによって永遠に正気に戻らないようにするのだ。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180131T0135090900.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/811.html#c3

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」 中川隆
4. 中川隆[-13199] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:18:08 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[4]

教祖が7人の女性信者を次々に妻にし、寺の中でAVを制作し、女性信者を野外で全裸で踊らせ、霊感商法を行うカルト宗教団体
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/213.html


投稿者 たそがれ竹べえ 日時 2012 年 3 月 06 日 11:47:36: EzRc1UvJydDio


以下、「情報・コメントの掲示板(カルト被害を考える会)(http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form.htm)」より。
--------------------------------------------
NO.8338
2012年3月2日金曜日 14:49 りゅう

初めてメールいたします。新興宗教の教祖に騙されている、私の家族のことで大変困っております。

私の家族(妻と子供たち)がかかわってしまった新興宗教団体の教祖は宗教者・僧侶を装いながら、人生相談や占い祈祷を行い、言葉巧みに自分は神だといって、若者を信用させ、中学生を含む七人もの若い女性信者を次々に妻にして同居させ、11人もの子どもを産ませ、一夫多妻の共同生活を送っています。また、私の娘も教祖の妻の一人になっています。

挙げ句に寺の中でアダルトビデオの制作販売を行い、神の仕事のためだといっては、その自分の妻たちや子どもたちを出演させています。

また、この団体の集まりでは、神が喜ぶといっては、女性信者が全裸で踊ったり、昼間に女性信者が全裸で禊と称して湖に入ったり、昼間に女性信者が全裸で神社に参拝しています。

また、教祖は自称元暴力団員という人物を使い、パワーストーンショップを経営し、霊的な人生相談、因縁解法を行うとして、高額な水晶代、解法代を要求して暴利を得ています。因縁解法をしなければ、病気やうつ病になったり、悪いことが起こると恐怖心を煽り、一因縁あたり5万円もの解法代を取り、一人当たり最低600万円支払うと解脱して死後に天界へ行けるといい、退職金や家の売却金までも要求します。

私は今は病気を契機にマインドコントロールから逃れることができましたが、私の家族(妻と4人の子供たち)はまだ、この教祖の熱心な信者のままでいます。また、教祖の教えに従い間違った治療をしたために、持病の腎炎が悪化し、今は人工透析を受ける体になってしまいました。したがって、現在、私は退院後に自分の家に帰れず、身内の家に居候しています。

このことを警察に相談しましたが、対応した刑事さんが「特に違法性はありませんから警察は動けません。」「離婚も方法ですよ。」と言っていました。私は何とか家族と以前のように仲良く暮らしたいのです。離婚なんて考えられません。マインドコントロールで今の状態になっているのであれば、何とかしてマインドコントロールを解いて、家族を取り戻したいのです。

インターネットや本などで勉強しています。私一人ではどうしてよいか暗中模索の状態です。問題の団体は30人ほどの小規模で、有名な団体ではありません。

何かアドバイスを頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。
--------------------------------------------  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/811.html#c4

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育


ヤクザと風俗が被差別部落民の生業の定番ですが


風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、

「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。

http://www.h-ken.net/txt/2478/
http://www.h-ken.net/txt/2478/page_1/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
1. 中川隆[-13198] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:22:12 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[5]

近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo1.html


1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo99.html


僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
http://www.kazunoie.com/memo/memosm.html


父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」

そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」

精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
http://www.kazunoie.com/memo/memodeai.html

朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo3pka.html


母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2gokkun.html


昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
http://www.kazunoie.com/memo/memonakan.html


妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。
両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。
ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
http://www.kazunoie.com/memo/memotanesai.html

ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
http://www.kazunoie.com/memo/memomagusaku.html

失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
http://www.kazunoie.com/memo/memoasahaha.html

午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo2ndtane.html

近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。
「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。
ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。
「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」
僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。
「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。
「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」
チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。
「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」
チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。
「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」
僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。
精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。
「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c1

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
2. 中川隆[-13197] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:23:33 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[6]

《パパだ〜い好き!!》の心理とは

《パパだ〜い好き!!》という動画が世の中に存在する.

 実はこの動画,高円宮憲仁親王殿下と秋篠宮文仁親王殿下が映っている.
秋篠宮眞子内親王(眞子さま)か高円宮承子女王(承子さま)と,高円宮憲仁親王殿下と秋篠宮文仁親王殿下の3人での行為が映っているのです.
お嬢さんは,5年生くらいでしょうか.

 赤い絨毯がひかれ,奥にキングサイズのベッドがある,パッと見で40〜50畳の部屋で,
高円宮憲仁親王殿下と秋篠宮文仁親王殿下自身がビデオカメラにて撮影しているものです.
この時,高円宮憲仁親王殿下が秋篠宮眞子内親王(眞子さま)か高円宮承子女王(承子さま)に『パパのこと好き!?』と訊き,
それに対して『パパだ〜いすき!!』と言っている姿が映っております.

この一言が動画のタイトルとして使用され,流出しているという事になります.

 よって,この動画の流出をうけ,児童ポルノ単純所持が違法となった経緯があります.(拡散防止策)
この動画が流出した際に,スケープゴートとして起こされた事件が, かの有名な『プチエンジェル事件』です.

 一時期,世間を賑わせた『ファイル共有ソフト』ですが,
実は先述した流出動画を保有している人物を探す為に作られた物だったわけです.
したがって,現状,動画の保有者が特定されている為,単純所持での捜査という形での証拠隠滅に動いている経緯が有るわけです.
この様な事があり,流出元となった高円宮憲仁親王殿下が亡くなった可能性が高いのです.


※高円宮憲仁親王殿下は,『伯家神道‐立川流』に心酔していた可能性も無いとは言えないだろう.
後白河天皇と後醍醐天皇は伯家神道立川流に熱心であったとの話もある.
(後述する後白河天皇・後醍醐天皇の項も参照の事)

※皇族の許婚と彼氏と結婚と男遊び(歴史の捏造を利用した誤魔化し工作)
https://sites.google.com/site/kimitujyouhou/akishinonomiyamako41

https://sites.google.com/site/kimitujyouhou/13

▲△▽▼


“家族レイプ”の狂気…「娘は幸せだったと思う」母親はカメラで撮影
東スポWeb 2019年5月14日
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1391703/

“家族レイプ”の狂気…「娘は幸せだったと思う」母親はカメラで撮影
さいたま地裁


【“普通”の家 父・母・娘…家族レイプの衝撃:短期連載1】今年3月、全国の地方裁判所で4件の性犯罪事件で無罪判決が出された。うち2件は父親から娘に対するものだった。無罪判決を疑問視、危険視した各メディアが背景を検証し、被害者支援団体がデモを行っている。本紙では、7人家族の間で起きた“強姦事件”の裁判をリポートする。長女が4歳ごろから中学生になるまで父親から性的虐待を受けていた。母親も加害者として加担。父母は有罪判決となった。信じられない家族関係を生み出した背景は? 無罪判決との分かれ目は? 4回にわたって検証する。

 さいたま地裁(入江猛裁判長)は4月3日、強姦罪(刑法改正前の事件のため=現・強制性交等罪)、強制わいせつ罪、児童ポルノ禁止法違反の罪に問われた被告人の男Aに懲役18年(求刑23年)を言い渡した。

 2012年1月〜14年8月の約2年7か月の間、血のつながった実の娘である長女(当時10〜12歳)に対して、主に自宅で強姦17件、手淫や口淫など強制わいせつ4件を遂げたほか、性交の様子をビデオカメラで撮影し、動画データをハードディスクに保存・所持していた。

 起訴・追起訴は6度。昨年10月から6回の審理によって起訴内容はすべて認定された。性的行為の様子や裸体及び陰部の撮影は長女が7歳から、性行為は9歳のころから始まった。罪として認められたものは極めて一部にすぎない。

 長女が4〜5歳のときに風呂場で手淫と口淫を教え込み、中学生になるまで性的及び性行為は約10年続いていた。


この事件をさらに特異なものにさせ、長女を不幸にさせているのが、長女の母でありAの妻B(事件発覚後に離婚)も加担していたことに尽きる。4月23日、さいたま地裁(河村俊哉裁判長)はBを強姦ほう助と強制わいせつほう助の罪で懲役7年(求刑10年)の判決を言い渡した。

 BはAの指示に従い、2階寝室に長女を連れて行き、他の子供たちが2階に来ないように見張った。ときには自分も性的行為に参加して、手で勃起させたAの陰茎をそのまま長女の陰部に導くこともあれば、娘と2人でAを口淫することもあった。そして、ビデオカメラを持ってAと娘の行為を撮影したのだ。Bも起訴内容(強姦ほう助10件・強制わいせつほう助3件)を認めた。

 狂った親だが、他の4人の子供からすれば普通の親でもあった。事件化されるまで、彼らは同じ家の中で起きていたことを知らなかった。性行為の意味も分からない4〜5歳から口淫を教えられ、嫌悪感や抵抗感を麻痺させられていた長女にとっても、ある意味で“普通の親”だったかもしれない。Aによる性交は長女が中学生になって終わった。それから約4年後、長女は高校生になってようやく初めて被害を被害と認識して、他者に相談できた。

 Aにも罪の意識がほぼないように見える。「悪いことというか、親子なので背徳的行為をしている認識はあった」と法廷で言っていた。逮捕された当初も取り調べでこう供述。

「娘は自分から上に乗ってきたので、私と性交していると、きっと幸せだったと思う。娘との性交には彼氏彼女のような愛があり、和姦だったので逮捕されるなんて考えたこともない。なんでこんなことになったか不思議でしょうがない」


Aが父娘関係と夫婦関係を言い表すところによると、長女を「最愛の女性」「運命の人」、Bを「マスター(ご主人さま)とスレイブ(奴隷)」。ゆがんだ醜い愛情を娘に注ぎ、妻は何でも言うことをきく奴隷として扱った。

 13歳未満の児童に対する強姦事件で暴行・脅迫要件は必要とされない。性交の事実さえ認定されれば、罪と認定される。Bが撮影し、Aが保存していた動画データが有罪判決に導いた。

「娘を犯す父親は無条件でおかしい」と普通の人なら思うところだが、Aはイメージしやすい「娘に手を出すような粗暴な父親像」とも異なる。それは、他の子供たちが「自分たちにも長女にも良い父親だった」と証言し、出所後はAとBを支えると約束していることでも明らかだ。(続く)


一度も避妊具を付けなかった鬼畜父「そういうことは考えたことがなかったです」
東スポWeb 2019年5月15日
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1393173/

一度も避妊具を付けなかった鬼畜父「そういうことは考えたことがなかったです」
両親に実刑判決を下したさいたま地裁


【“普通”の家 父・母・娘…家族レイプの衝撃:短期連載2】現在高校生の長女が幼少期から中学生になるまで性的虐待を続けた父親Aと、その行為を止めなかった母親B。ある家族の中で起きた強姦事件の主犯の父親は、いったいどんな思考の持ち主だったのか。性犯罪に無罪判決が続いた今年3月のショックが冷めやらぬ中、4月に判決の出たこの事件は「圧倒的に有罪」だ。短期連載2回目は鬼畜の父親にフォーカスを当てる。

 Aの性的虐待は“普通の家族の日常”の延長線上にあった。起訴された強姦・強制わいせつ事件は主に寝室で起きたが、Aと長女の性的な結びつきは「風呂場」にあった。すべての犯行の始まりは4歳だった娘と2人で入浴したことから始まり、父娘の入浴を卒業したときに犯行も終わった。

 Aいわく「溺愛のあまり芽生えた娘という認識を超えた感情」から、風呂場で性行為をすることもあれば「悩み相談や学校のことを話した」ことも。その両方もあった。日常と虐待を一緒くたにされて、まだ未熟だった長女には、正常な判断ができなかったはずだ。

 今でこそ「無知だった」と反省の態度を示すAだが、当時は悪いとも思っていなかった。取り調べで指摘され、初めて違法性を認識したという。「暴力、脅し、だます」行為を伴う性行為だけが強姦などの罪になり、親子間・低年齢児童を相手にした性行為が犯罪になる「認識はなかった」とした。だからか、法廷では自信たっぷりに「暴力、脅迫、口止め」などを用いていないと主張した。


その自信の根拠には「娘の嫌がることはしない」という「ポリシー」があるようだ。中学生になった娘が一緒の入浴を避けるようになると、Aは受け入れた。同時に、約10年続いた近親相姦もスッパリと終了した。

 Aは「いずれ私との入浴を拒絶する。とうとう来たのか」「娘は父親と一緒の入浴から卒業する時期だった」とあたかも普通の父親然に分析しつつ、一方では「そういう関係でなく、普通の親子関係に戻りたいのだと思った」と“異常性”を客観視もしていた。

 性行為をやめたのは先のポリシーゆえだろうか。ところが、ある動画には「痛い思いしたことないでしょ」(A)、「痛かったよ」(長女)というやりとりが残っていた。行動をエスカレートさせたAが大人のおもちゃを使用したり、肛門に指を入れる陵辱行為もあった。長女が嫌がった記憶がAの頭からすっぽり抜け落ちている。どこまで「溺愛」と言っても、自身の性欲のはけ口にしていただけだとわかる。

 日常と性的虐待が地続きになっている象徴的な出来事がある。Aの趣味はカメラ撮影だった。家族旅行やお祝いごとなどの家族写真を撮るのと同じ感覚で娘との性行為も撮影していたのだ。

 2012年9月、長女が小学5年のころに「家族パーティー」の写真を撮影したのもA。「これは初潮のお祝いだ」と警察に説明した。鬼畜の父親が言うとゾッとするが、一般的な家族でも子供の体の成長を祝うこと自体は普通である。

 問題は、その後にも先にもAが一度も避妊具を付けなかったことだ。妊娠の危険性に「そういうことは考えたことがなかったです」と、どこ吹く風。たまらず検察官の口から出た「父親なら考えるでしょ!」という詰問に「父親なら、娘としないと思います」と笑って答えたのは、Aなりのジョークか、それとも本心か。「私の性的嗜好は親子、妻、関係ない。若いころからそうだった」と続けた。


避妊をしないのは筋金入り。そのために5人の子供を産んだBの話は次回に続く。Bが犯行に加担した動機がいくつかある中で、そのうち1つは「子供たちの生活を守るため」だった。(続く)

【事件・判決概要】2012〜14年の約2年7か月、実娘である長女(当時10〜12歳)に、17件の強姦と4件の強制わいせつを行い、その性交の様子を撮影したハードディスクを所持した罪で、さいたま地裁は父親Aに懲役18年(求刑23年)の判決。長女の母親Bもその犯行をカメラで撮影したほか、長女と父親の性行為をサポートするなどして、同地裁は強姦ほう助罪と強制わいせつほう助罪で懲役7年(求刑10年)判決。
 A、B、長女のほかに、3男1女の7人家族。被害は長女が4〜5歳のころから中学生まで約10年続いたが、他の子供たちは気付かず。昨年、高校生になった長女が被害届を出して事件化した。


鬼畜父の蛮行を積極的に支えた鬼母の正体
東スポWeb 2019年5月16日
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1394748/

【“普通”の家 父・母・娘…家族レイプの衝撃:短期連載3】長女に性的虐待を続けた父親Aに酌量の余地は全くない。その犯行を止めずに、むしろ積極的に支えた母親Bは? 世間から責められるべき鬼母なのか。自分も幼いころに実父からDVを受け、大人になってからもAに支配されたというが“被害者”なのか。連載3回目は母親に注目してみる。

 Aによる長女への性的虐待で、Bは「長女を寝室に連れて行く」「他の子供が寝室に近づかないように見張る」「夫と娘の性行為を撮影する」「Aの性的興奮を高めるため、自らも娘と性行為に参加する」という主に4つの役割を果たした。

 加担した理由は――。Bの実姉の証言では、幼いころに実父から頻繁に殴られたという。そんな環境で支配されやすい下地が形成された。Aと結婚後、家事を失敗するとAから「バカ」「能なし」とののしられ、テレビのリモコンを投げつけられたり、性行為の最中も言葉や性的な暴力を受けた。家族は2度夜逃げしたほど貧困な上、家計はAが管理。Bは歯科医にも行けず、前歯を失い滑舌が悪い。コンドーム代がなく、娘にさえ避妊しないAとの間に、Bは5人の子供を産んだ。

 子供を引き取る離婚を求めたが、Aから許されず。夫と娘がセックスしていることを知られるのが恥ずかしくて、周囲にも助けを求めなかった。判決では支配されるまでの暴力は否定された。

 息子らの「父は母より上の立場だけど、暴力を振るったのは見たことがない」との証言から「暴力や暴言の内容は服従せざるを得ないほど陰湿とは認められない」とした。


性犯罪への加担はAの指示に従ったものだが「自らカメラアングルを考えて撮影を工夫していた」「長女に卑猥な言葉を言わせようとしたAに同調し、Bも笑いながら長女に発言を繰り返させようとした」と認められた。何より「本件に関与することで自身の性欲を満たしたいという思いもあったと供述している」とされ、罪深い。

 Bの弁護人は取り調べでの誘導や、子供の生活を守るためにAの命令に背けなかったと主張したが、地裁は「同調できない」と退けた。「母親も被害者」と言うつもりは毛頭ない。被害者は長女だ。診察した精神科医によれば、長女はノートに「一生会いたくない」と父親への拒絶感を示した。似ている大人を見かけたりすると、悪夢や頭痛など不調が出るため、治療を受けている。

 長女はBに対して「どうかと思うが言えなかった。母親は被害申告した私を責めていると思う」と揺れている。被害を明かした際「両親を許せません」としながら「相談したら家族の関係が崩れる」と苦悩していた。

 長女は警察へ訴えた後、Bにだけ伝えた。BがAに黙っていたのは、母としての最後の意地、妻としての抵抗だったのかもしれない。Aが知れば、家宅捜索までに証拠の動画データを消すこともできたからだ。

 長女と小学生の次女と三男は事件が表面化した後にAと離婚したBの戸籍に入った。裁判の最後、Bは娘に謝罪し「一生をかけて罪を償っていきたい」と述べた。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c2

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ イスラム教徒の場合

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ イスラム教徒の場合


これ、イスラム国じゃないですからね。サウジアラビアですよ。現代ですよ。

なにしろハディースには

「聖戦で死ぬと天国では72人の処女と毎晩エッチ出来る(翌日にはまた処女に戻るらしい)byムハンマド」

って書いてあり、これが少年兵をリクルートする時の決め台詞らしいですから。


イスラムの天国はエロ過ぎ

1993年3月、エルサレムで路線バス内で自爆したハマスの犯人に関するロサンゼルスタイムスの記事。


生涯で最も幸せな、そして最後の日に備えるため、マジュディ・アブワルデ(19)は両親、九人の兄弟姉妹と暮らしていたコンクリート・ブロックの家を出た。

彼は知っていた。(殉教すれば)想像を超えた精神的、肉体的な喜び、神に次ぐ高い地位が自分を待っていることを。

なかでもうれしいのは、一度見たら忘れられない美しい目をした72人の処女との神聖な結婚だ。


だが、その前に彼にはやるべき仕事があった。

最後の訓練のためにラマラまで北上し、その二日後の2月25日の日曜日の朝、エルサレムの繁華街で込み合うバスに乗り込んだ。殉教者がそうするように、一張羅の服に身を包み、その下にダイナマイトを詰めた丈夫なベストを着こんでいたのだろう。

数分後、彼は自爆し、自分自身と他の25人の生命を奪った。


25人殺してますが、マジュディさんを憎む気には今一つなれないです。
被害者と同じようにこの人もまたイスラム原理主義の犠牲者に感じます。

ジハードが教義だとしても、教義上自殺禁止は明らかなんですけどねぇ。
もし仮に天国があったとしても自爆じゃ行けないんじゃないですかね。

しかしこのエロファンタジーで釣って童貞少年を自爆させるという手段は感心できないです。イスラム教の言う天国は酒池肉林ですからねぇ。


こんな感じです。

コーラン第56章10節

「金糸まばゆいベッドの上にむかいあわせでゆったりと足を伸ばせば、永遠の若さを受けた少年たちがお酌に回る。

手に手に高杯、水差し、汲みたての杯をささげて。この(酒は)いくら飲んでも頭が痛んだり、酔って記憶をなくしたりしない。
そのうえ果物は好みに任せ、鳥の肉も望み放題。

眼すずしい処女妻はそっと隠れた真珠のよう。


刺なしの灌木と下から上までぎっしり実のなったタルフの木の間に案がながと伸びた木陰に、流れてやまない水の間に、豊富な果物が絶えることなく取り放題。

一段高いベッドがあって我らが特に新しく作っておいたもの、この女たちは特に新しく作った処女ばかり、愛情もこまやかに、年齢も頃合い、右組みの連中の相方となる。」
http://gettoblaster.hatenablog.com/entry/2015/11/30/171256


「死んだら靖国に祀られる」よりはまだ魅力的ですが72人もいなくていいから。

フェミニズムとかまず敵はあっちなんじゃないですかね。

キリスト教や仏教国とは男女差別のレベルが違いますよ。

そう考えると、男女差別をなくすことと、宗教差別をなくすことは排他的で両立できないってことにもなりますね。

このように、クルアーンに書いてあるように暮らそうと思うと現代社会とはどうにも折り合えないので、世俗派の国などではこれを魔解釈してなんとか折り合いをつけているようです。

原理主義運動はこれを堕落と捉え聖典に立ち戻る運動でしょうから、ある意味マルチンルターに似たところがありますが、聖書と違い聖典がこんな感じなので立ち戻っちゃうとこうなっちゃうのが困ったところ。

そんなわけで」、西欧的価値観とイスラム的価値観は全く折り合えないような気がするので共存不能。

もう最後は世界大戦なんですかね?

クルアーンの解釈には、世界中をイスラム化するまで聖戦しなければいけないというものもあるようで、ISISはその解釈を採用しているため、彼らの目標は世界制覇ですよ。制覇したら当然虐殺とレイプです。

これから人口が増えるのは、避妊も堕胎も教義上ダメなイスラム圏のようですし、天国で72人の処女とヤレるという士気向上のためのメッセージが聖典に書かれているあちらのほうが将来戦力的に強くなりそうですから、我々もそのうち占領されて男は虐殺、女は奴隷、幼女も売られるということになりかねない。

湾岸戦争でアメリカ地上軍に一瞬で壊滅させられたバアス党の残党がやっている軍隊と考えるとそんなに強くもなさそうですが、その後アメリカ占領時にアメリカから軍事教練を受けていますし、天国で72人の処女効果もあるでしょうし、何トンもの爆薬を積んでくるトラック自爆攻撃は結構効果的なようなので、決して侮れない強さみたいですし。

彼らは異教徒に核兵器使うのを全く躊躇しなそうなところが強そうで恐ろしい。

日本はとりあえず中東から遠いという安心材料もありますが、マレーシアやインドネシアはそう遠くないし、フィリピンのイスラムテロ組織も良くテロ起こしてるし、日本にもムスリムは増えてきている気もしますし、我々が虐殺され、奴隷として売られていくのもそんなに先のことではないかもしれませんね。
http://gettoblaster.hatenablog.com/entry/2014/09/14/212303



▲△▽▼

バッカじゃないの、おまえらカーフィル(不信心者)はどうしてイスラームの偉大さを理解しないのか?
いいか、猿以下の頭脳しかないカーフィルにもわかるように真実の宗教イスラームの美徳を教えてやる

まずイスラームに入信すれば、慈悲深く慈愛遍きアッラーフのお定めになった聖法に従い、4人まで妻が持て、また女奴隷をいくらでも所有することができる。

夫が浮気しても何の罰もないが、妻が姦淫すれば石打ちで処刑だ。

妻が文句を言ったらなぐり倒せばいいし、離婚したければおまえと別れると3回言えばいい。

さらにだ、イスラームでは9歳の女の子(小学校3年生)との結婚・セックスも合法だ。

預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)も、9歳の少女アーイシャと結婚し、性行為を遂行された。

またイスラームの天国はすばらしいぞ。緑の木々に囲まれ清らかな水が流れる楽園で、悪酔いしないうまい酒や食い物が飲み放題食い放題、

1人につき72人の専属美少女がつき セックスし放題。彼女たちは永遠の処女で処女膜が再生する、貞淑でやさしい最高の女の子たちだ。

イスラームのために戦って殉教すればどんな馬鹿でも悪党でも天国へいけるのだぞ。

どうだ?馬鹿なカーフィルにも、イスラームの偉大さがよく理解出来たろ?


_________


色情狂の精神異常者 ムハンマドの妻・妾一覧


正妻

1.ハディージャ
2.サウダ・ビント・ザムア:en
3.アーイシャ(アブー=バクルの娘)
4.ハフサ(ウマルの娘):en
5.ウンム・サラマ・ヒンド(アブー・スフヤーンの娘):en
6.ザイナブ・ビント・フザイマ:en
7.ウンム・ハリーマ・ザイナブ・ビント・ジュフシュ:en
8.ジャワイリーヤ・ビント・ハーリス:en
9.ウンム・ハビーバ・ラムラ・ビント・アビー=スフヤーン(アブー・スフヤーンの娘で上記のウンム・サラマの姉妹):en
10.サフィーヤ・ビント・フヤイイ(ハイバル出身):en
11.マイムーナ・ビント・アル=ハーリス:en

コプトのマリア(マーリーヤ・アル=キブティーヤ・ビント・シャムウーン):en(ムハンマドの末子イブラーヒームの母。エジプト出身のコプト教徒の娘。[11])

シャラーフ・ビント・ハリーファ・アル=カルビー(ベドウィンの出身でムハンマド在世中に死去)

アーリーヤ・ビント・ズブヤーン(ムハンマド在世中に離婚。)

ファーティマ・ビント・ダハーク・アル=ハズィーリー(ムハンマド在世中に離婚。)

アスマ-ウ? (ソバ出身)

ハブラ アスマーウ? (ノーマン出身)


側室

ライハーナ?
ウンム・シャンク?
クハウラ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95


ムハンマド(محمد Muḥammad 570年頃 - 632年、彼の上に平安あれ)は、イスラーム教の開祖であり、自称最高にして最終の預言者であり、イエス・キリストの誤謬を正したと勝手に信じ込んでいる自己中な輩である。

また、56歳のとき、9歳の可愛らしい女の子アーイシャのおまんこ におちんちんをねじ込んだ猛者としても知られている。


^ 無論、彼女は処女であり、無毛だった

^ 無論この時代避妊具はなく、必然的にムハンマド56歳の黒ずんだ亀頭は、アーイシャ9歳の穢れない膣と直接に粘膜接触し、そのまま精液を注ぎ込んだことになる


キリスト教などを貿易商人の時代に見聞きしたが、あるとき洞窟の中で天使の声が聞こえ(たと述べている)、数日間眠れないほどうなされた。かれはその後、自分の症状を神による預言であると考え、この天使ジブリール(ガブリエル)が述べたという預言を、人々に伝える預言者となった。

この宗教で唯一最高神とされるアラーは、大変恥ずかしがりやの神で、自分の似顔絵を書かれるのを好まない。ムハンマドも視線恐怖症であったようで、回教徒の手によって描かれた、ムハンマドの顔の絵はほとんど存在しない。しかし、異教の者によってこのアラーやムハンマドの顔はいくらか描かれた。

だが、その姿かたちが余りにも醜いものであったため、回教の者から神や預言者を冒涜していると反発の声が上がった。2006年にもヨーロッパでそのような愚行を犯したものがいるため、回教徒による猛烈な反対集会が開かれている。


ムハンマドの偉業

ムハンマドはその偉業により世界に名を残した。
以下では彼の偉大なる業績の一部を紹介する。


彼は25歳ごろから、20人以上の女性とアーン♥♥して暮らす日々を送っていた。

そのため1日に2 - 10回は射精していたという。

彼は53歳のとき、6歳の少女アーイシャと結婚し、即ペニスを挿入しようとしたがどうしても入らなかったのでアッラーの啓示により9歳になるまで待つことにした。

ムハンマド56歳のときアーイシャは9歳になったので彼はアーイシャと結婚を完成させ、初夜の床でおびえるアーイシャの制止を振りぬいて、彼女の純潔その他を自慢のマグナムで打ち砕き欲望をぶちまけた。

もうズッコンバッコンボロボロズタズタにである。
その後ムハンマドは死ぬまでアーイシャと仲睦まじく暮らした。

またムハンマドはある日美しい女性を見掛け、おちんちんの切ない疼きを感じ、すぐさま家に戻って息子から奪ったばかりの美女ザイナブを貫いた。

ムハンマドは演説で

『もしどうしてもレイプしたくなったら早く家に戻って妻とヤりなさい。』

と述べたと記録されている。


またこのような話も伝えられている。

ある日信者らの一人がムハンマドに

『天国ではおまんこし放題というのは本当ですか?』

と聞くと、ムハンマドは、

『もちろんだとも、ただおまんこし放題なだけではなく、彼女たちは最高の美幼女・美少女・美女で、巨乳でも貧乳でもロリでも熟女でもヤンデレでもツンデレでもデレデレでも思いのままだ。しかも1人当たり100人だぞ。』

、と熱弁した。信者たちは預言者の伝えた言葉に涙したとされている。

なお、邪教徒によってアーイシャとの結婚ばかりが取りざたされムハンマドがロリコンであるかのように攻撃されることがあるが、彼の最初の妻は裕福な15歳上の×2女性であり、10人を超える妻・妾の多くは結婚経験者である。

ストライクゾーンは現代的に考えても相当広い方であって、処女にこだわるロリコン扱いは偏り過ぎであろう。

なお、金持ち熟女である最初の妻との結婚より余裕ができた彼は禁則事項ですに耽るようになった。この時期のムハンマドは清く正しいヒモとも言うことができる。

預言者の偉大なるスンナ(言行録)は今でもムスリムの男たちの理想とされているばかりでなく、全世界の男たちからも尊敬の対象とされている。


天国でのムハンマド

死後ムハンマドは、アラーの身元において最高の美幼女、美少女、美女とのセックスを愉しんだ。

彼女たちは永遠の処女で、セックスを行ってもすぐさま処女膜が再生した。

とりわけムハンマドは、かつてのアーイシャのような幼女の処女を繰り返し奪えることを喜びに思っていた。

その後、妻たちも若い姿のまま天国に挙げられ、ムハンマドは幼い姿に戻ったアーイシャと激しいセックスに耽ったとされる。


預言者ムハンマドはそれにも飽き足らず、下界に降り、高町なのはたん9歳や、フェイト・テスタロッサたん9歳、古手梨花たん10歳等々の可愛らしい少女たちに、真実の宗教イスラームへの導きを与え、彼女たちの美しさを増すため、日夜腰を振り、ジハードに勤しまれている。



▲△▽▼

イスラム教があっという間に増えた秘密

dharma3korondaさん 2009/12/16
秘密を知ったわたしは『イスラム教徒の男性とは絶対結婚しない』と堅く決心しました。


女性のみなさん。イスラム教があっという間に増えた秘密は何でしょうか?

独身の貴女も知っておかないと後悔するかもしれません。結婚の大切な質問です。

日本人はとかく宗教音痴のようです。最近は中東から来日するムスリム男性の姿を良く目にします。結婚してムスリムに改宗する女性も見かけるようになりました。

でも、チョット立ち止まって良く考えませんか?後悔先に立たずですから。

ベストアンサーに選ばれた回答 king_of_charityさん 2009/12/23


【ムスリム黒人奴隷−ブラック・アフリカ・イスラム奴隷史】
ビデオを見て自分の頭で熟考してください。


Muslim Black slavery - Islam slave history of Black Africa - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=pJhSejBDTPI


アラブ人イスラム教徒が征服したアフリカ黒人に対して一体何をしているか?

大人は皆殺し、
子供は拉致し、
男の子は睾丸を削除し洗脳してイスラム侵略の先兵とし、
女の子は「セックス奴隷」

とした1400年の隠された歴史を確認してください。


@大人が全員殺されて、そうやって両親の文化や信仰を子供に継承できますか。

A男の子が全員玉なしにされても子孫が残せますか?

B生まれた子は自動的にイスラム教徒というイスラム法を定め、正妻1人の他、3人まで「セックス奴隷」を持てますという結婚制度を超国家的に作ったら、どうなりますか?

Cその上、死んだ両親もムスリムだったと親なし子たちが騙されてきたとしたら。

D毎日5回祈りを強制されたら疑問を抱く間もないでしょう。


数世代しない内に、全員がイスラム信仰継承者になるじゃないですか!

こんな効率的な伝道方法が他に考えられますか?「クルアーンか剣か」です。

イスラムはこれでアフリカからインドネシアに至る今日の勢力圏を得た。

宗教音痴は身を滅ぼし、子々孫々末代まで祟るという最悪の実例です。


ちょっとクルアーンをかじった程度の耳学問で、熱心にイスラムを布教する日本人男性、ムスリム男性との結婚を美化する日本人女性は、1400年のムスリム奴隷史を知った上で、尚も自分の無学を人様に晒し続けるのも自由、また止めるのも自由です。日本では自由です。

しかし私は、あなた達は日本人の敵であり、日本人同胞の為になることは何もしていないとだけ申し上げます。


◎終戦の日迄に流された幾百万の尊い同胞の血の犠牲の上に勝ち取った「憲法」です。その信教の「自由」を賢く用いられますように、私は神の国と日本の国とを愛する一キリスト者としてお祈りしています。

---------

答え:イスラムの秘密は、イスラム法の結婚制度を悪用しあなたの子供を強制的にイスラム教徒にする「強盗宗教」だという事です。


■イスラムの結婚制度

@異教徒(ユダヤ教徒・キリスト教徒他)の男性を社会的に差別し結婚させない。

Aイスラム教徒の男性ならば無条件で結婚を許可する。

B非イスラム教徒の女性はイスラムに改宗せずに結婚できる。但し正妻にはなれない。
すると非イスラムの女性が余りますね^^

C女性だけでは経済的自律を不可能な程度に女性の地位を貶めておく。

D宗教的に寛容なイスラムの男性は合計4人まで妻として異教徒の女性でも娶ってあげることにする。

Eでも。生まれた子供は自動的に漏れなくイスラム教徒とする。


■キリスト教徒・ユダヤ教徒の国々を征服し、上記結婚制度を実行したら「アッラー」不思議、あっと言う間に全員イスラムになっちゃった^^

■イスラムの素晴らしい結婚制度を日本にも導入したら草食系の日本男も誰でも結婚できますか・・・・。

「あいのり」でラブワゴンが回った先の中東の国でイスラム男性と結婚した日本人女性が、盛んにイスラムは平和の宗教だと力説したのを覚えてますか?しかし、彼女たちはイスラムの秘密を教えるべきだったのでは?

あなたが好き好んでイスラム男性と結婚してあなたの子供をイスラムにしても良いのでしょうか?結婚は人生の墓場と言いますが、イスラム男性との結婚は、子々孫々のイスラム化を意味します。


■全く悪魔が作った結婚制度ではないかと私は憤慨したのであります。
イスラム教のどこが平和の宗教?どこが平等?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1034178310


▲△▽▼

 12才少女の命を奪ったイエメンの幼女売買結婚 2009.10.15

中東のほぼ最貧国イエメンで12才のファウジヤ・アブドラ・ユーセフさん、
という名の少女が出産の際の合併症で赤ん坊とともに死亡した。

これは未だかつて無い無い猛烈に危険極まりないブログである。

3日間にわたる陣痛と多量の出血に苦しんだ末の死は結婚制度を含む法律の不整備、
相次ぐ紛争で疲弊し貧困にあえぐ地方根強く残る部族社会、
そしてそれらを統制できず有効な手だてが打てない中央政府。
マレーシア王室の鎮静剤を注射して死姦的性的陵辱を加える皇子もイスラムだ。

少女の死の背景にはイスラムの預言者が抱える極悪非道なコーランの教えが横たわっている。

同国西部ホデイダ州の貧しい家庭に生まれ、

2008年11歳の時に小学校を4年生でやめさせられ、

父親から24歳の男性との結婚を強要され間もなく妊娠。

イエメンでは経済的に困窮した家庭が、新郎側から支払われる幼女買取り資金目当てに幼い娘を結婚させるケースが多く、ファウジヤさんも同様の事情で結婚を強要され、こうした幼女性奴隷化同然の強制結婚は地方を中心に広がっており、 既婚女性の約半数が15歳以下で結婚しているとのデータもある。


もっとヒドイのは2008年に当時8歳の小学2年生の女児が、28歳の男性との幼女性奴隷化契約書に署名させられたが、

この女児は署名後も18歳までは自宅で両親と暮らす約束だったが、

じきに父親から男性と同居するよう強制され数週間後、

夫からから性的陵辱を受けるようになった女児は、 家を飛び出しタクシーに乗り込んで裁判所まで来ると、 助けを求めるためにベンチに座って裁判官が通るのを待った悲惨な話は、まだ文字も満足に読めない女児が必死に絞った知恵だった。


8才の幼女はその後知り合った弁護士の助言を受けて正式に離婚を申し立て、 同年4月主張が裁判で認められて離婚が成立した。

強制結婚問題の背景には絶対的預言者の教えであるコーランと、イエメンの法律に結婚の最低年齢に関する明確な規定がないことがある。

女性は「性交渉が可能になるまで結婚できない」などとされているだけで、 基準があいまいな上、夫婦間の暴力を罰する刑法上の規定もない。

バリ島ウブドでも同じでヒンドゥーとイスラムの女性差別は地獄だ。

イエメン女性の人権問題に関する政府機関が、 女性が結婚できる最低年齢を18歳とすることや、 違反者には禁固や罰金などの刑罰を課すよう法律の改正を求めているものの、 信じられない事に議会側の抵抗で実現の見通しは立っていない。

「結婚の年齢制限はイスラム教の教えに反する」と主張する部族指導者も多く、
イエメンでは部族の独立性が高く、中央政府による押さえが効いていないとの指摘もある。

相次ぐ紛争と貧困も強制結婚が後を絶たない原因の一つであり、イエメンでは1994年政府軍と南部の分離独立派との間で内戦が発生し、 2004年からは北部で、 政府軍とイスラム教シーア派の一派であるザイド派の反政府勢力が、 断続的に衝突を繰り返しているこの気違いムハンマドの宗教とはなんなんだ。

紛争が起きるたびに国内難民が大量発生し、経済が疲弊してますます社会情勢が不安定化するという悪循環に陥いり、

貧困にあえぐ家庭にとって人身御供として幼女までをも性奴隷として売り飛ばす事は、 家計への負担を減らすとともに幼女であろうと少女であろうと、人身売買による性奴隷化資金として収入を得られる手段となっている。

気違いのような唯一至高の預言者の妄言に縛られた女性差別的人権意識の欠如が、
適切な保健教育の充実を阻害しているのは全て気違いムハンマドの教えだ。

強さや男らしさを重んじる男性中心の部族文化が根強いイエメンいう精神的未開発国。

このマークは悪魔か女性黙示録の預言者か?

経済格差と宗教は不幸な女性差別と戦争の最大の原因である。

手塚さんの告発しなさいとの声が頭の中ではっきり聞こえている。

殺すなら殺すがよい。

スカタン預言者を信じて男性社会に都合の良い悪習を拝する怒阿呆どもたちメ。

地獄へ堕ちろ!
http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/diary/200910150001/


▲△▽▼

イスラム「セックスジハード」の実態!
 
14歳をレイプ、152人と性交...一体なぜ!? 2014年1月29日
中東の国、イランの「セックスジハード」について紹介します。


地下室で鎖につながれた女性たち、外国人女性も!?


女の奴隷市
https://seesaawiki.jp/onnanawa/d/%bd%f7%a4%ce%c5%db%ce%ec%bb%d4


 2006年に、イスラムテログループのアジトが襲撃されたというニュースがありました。テレビ局がその様子を撮影したのですが、その中で、「地下室に鎖でつながれた女性たち」が発見されたのです。

 彼女たちは「セックスジハード」の名目で誘拐され、そのまま、テロ組織のアジトに連れて行かれ、性の道具として長年地下室の中でレイプを受け続けていたのです。

その中には、イスラム教徒ではない外国人の女性もいて、その女性は、強制的にイスラム教に改宗させられていました。

 服は着ていましたが、女性たちは、何かにおびえ、そして、銃を持った警察官を見て、自ら服を脱ぎ、股を開いたりする女性もいたことに、見ている誰もが衝撃を受けました。

 戦場などに興味本位で出かけたり、テロの発生する紛争地域に観光で行く女性などがいます。日本人はあまりにも平和に慣れてしまって、そのような所もまったく恐れず警戒心も持たないのです。何か観光地で映画のセットに行っているような感覚でそのような危険な国に行ってしまう場合があります。

ですが、その先でテロ集団に誘拐され「セックスジハード」の道具に使われてしまう可能性もあるのです。

運が悪ければ、一生テロ組織のアジトの地下室から出られなくなるかもしれません。

しかし、そうなった時に、助けの声は全く届かないのです。なぜならば、それが宗教であり、そしてそれが神の命令であると、そこにいる人は、皆、そう思っているからなのです。


■14歳の少女を誘拐してセックスさせる過激な「セックスジハード」

 また、この「セックスジハード」は、女性が集まらなかった場合などは、「女性を誘拐してセックス」させることもあるといいます。

 戦場において14歳(イスラムの戒律では14歳で成人)前後の未婚の女性が誘拐されるというのは、まさにこの「セックスジハード」が原因だと言われているのです。

 しかもイスラムの戒律では、「結婚しない男女の交際は認められない」はずにもかかわらず、「イスラムの戦士は戦争中は戒律を守らなくてもよい」という都合の良い戒律があるために、誘拐された少女たちも「聖戦」であることを理由に、性行為をさせられてしまうのです。


■「セックスジハード」が行われる理由

イスラムの戒律では、「公のために自分が死ぬ」ことを禁じていません。そのため、テロやジハードが絶えず、そのジハードが敵側のジハードを呼び、戦争に発展するのです。


このジハードに関する戒律は、2つのポイントがあります

1つは、「公のため」または「宗教のため」行われているということ。

これは、日本にも特攻隊があったように、戦争という非常事態においてはある意味で「当然」のことなのかもしれません。

 しかし、この「公」の中には、「社会(街)」や「未来(子ども、子どもを産む女性)」という意味が含まれます。これがもう1つのポイントです。

ジハードの対象は敵だけでなく「敵の社会」と「敵の未来」、そしてジハードによって守るものは自分たちの「宗教と社会と未来」、つまり、「宗教と、街と、子ども、そして女性」なのです。

 このような発想の循環で内戦や紛争になるのですから、当然、イスラムの軍隊は「女性」を守ります。女性のいる市街地を破壊されること、女性が被害に遭うことを最も恐れます。もちろん軍隊に女性はいません。

そこで、守られている女性たちが「戦争から守ってもらっている」ということへの奉仕として、自ら体を捧げに戦場へ行くこと、これが「セックスジハード」なのです。


■セックスジハードとは?

 普段は顔を隠し、慎ましく生活をしているイスラムの女性が、唯一戦場に赴く時があります。これが「セックスジハード」です。湾岸戦争の時も、また、その前のイラン・イラク戦争の時も、そして、テロや内戦でも、必ず「セックスジハード」現象は起きていました。

「セックスジハード」とは、イスラムの女性がこれから戦争に赴く男性や、テロで死を覚悟した男性のところに現れ、組織的にその男性とセックスをすることによって、性的な快楽を用いてイスラム戦士たちの士気を上げることを目的とした行為です。

 彼女たちにとっては、自分たちを守ってくれるイスラムの男性たちに体を使って奉仕することで、「宗教的な聖戦を一緒に戦っている」ことを意味しています。

 女性は、さまざまな集団によって推薦され、自分の意思で戦士を勇気づけるために来ているというのです。

 戦場に来た女性たちは、戦場の駐屯地にとどまり、一晩で3〜5人の男性の相手を行い、だいたい、20〜100名くらいの男性と関係を持つといわれています。


■「セックス軍」にいた女性のインタビュー

アラブの雑誌「Al Mijhar」に、「セックス軍」にいた女性戦士の衝撃的なインタビューが掲載されました。それは、「152人の男性と関係を持ち、私には天国が約束されている」というもの。シリア内戦において、シリア軍のために、近隣の諸国から女性が集められ、集団で「セックスジハード」を行うべく、シリアに出かけて行ったというのです。

 ナイジェリア人の彼女の発言によると、自分も聖戦に参加し、役目を十分に果たしたことによって、アラーの神に認められて、天国に行けるというのです。これは、自分の夫も十分に承知していることであるし、村や集落、モスクも承認しているといいます。

 そして、自分の友人の女性たちはアルジェリアやリビアの内戦でも「セックスジハード」で体を捧げ、帰国して祝福され、ヒロインになっていたのこと。そして、その姿を羨ましく思ったため、自分も行ったと言うのです。まさに、「セックスジハード」は宗教的な儀式であり、女性の間の「聖戦」になっているのです。
http://news.infoseek.co.jp/article/tocana_32798/
http://news.infoseek.co.jp/article/tocana_32798/?p=2
http://news.infoseek.co.jp/article/tocana_32798/?p=3

▲△▽▼

イスラム教に関わったら、もうそこから抜け出せない 2015-11-30


2014年4月、オーストリアで2人の白人少女がISIS(イスラム国)に参加するために、シリアに渡航したことで話題になった。ひとりは17歳、ひとりは15歳、ともにオーストリアの首都ウィーン育ちの少女たちである。

17歳の少女はサムーラ・カシノビック。
15歳の少女はサビーナ・サイモビック。

彼女たちは2013年までごく普通の少女だったが、イスラム移民たちの文化に関心を持ち、地元にあるモスクに通うようになり、そこでイスラムに深く傾斜するようになっていった。

そして1年後、ふたりはイスラムのスカーフをまとうようになり、イスラム過激派を擁護する過激な少女へと変身していた。たった1年で彼女たちは過激派に強い崇拝を感じるようになっていったのである。

そして、彼女たちはついにブルカをかぶり、このように宣言してシリアに渡っていった。

「私たちはイスラムに命を捧げる」

彼女たちは、本当にそんなつもりでシリアに渡って、世界最悪の暴力組織ISISの中に身を投じていった。


逃れようとした人間には、ただ「死」を与えるだけ

この2人の少女はISISの恰好の広告塔となった。ふたりはISISのポスターに使われ、世界中の多くの少女が彼女たちに続いて暴力が渦巻くシリアに送られていった。

この少女たちがチヤホヤされるのは最初のうちだけだ。

時期が経つとISISはこの少女たちに「性のジハード」を要求するようになる。


「性のジハード」とは何か。

それは聖戦(ジハード)を戦うISISの戦士たちに、セックスで支援することを言う。

ISISの戦士たちは、世界中から集まった支持者の女性をそうやって「慰安婦」に仕立て上げていたのである。

「性のジハードを行った女性は、聖戦を戦い抜いた女性であり、死後は天国に行ける」

ISISたちの都合の良い解釈を実際に信じて、それに邁進する女性も多いと言われている。

しかし、このオーストリアから来た2人の少女にはかろうじて理性が残っており、そんな都合の良い狂信に疑問を持つようになったようだ。

そうであっても、組織の中に身を投じて疑問を感じて、そこから抜け出すのは死を意味する。暴力組織は、一度入った人間を逃さない。逃れようとした人間には、ただ「死」を与えるだけだ。

15歳の少女サビーナは、ある日、遊び半分で爆弾を巻き付けられたという。爆殺されてしまう恐怖に怯えた彼女が警察に逃げ込んだとこを、ISISは起爆装置を押して彼女を爆殺してしまった。

17歳のサムーラの方は、「性のジハード」の強要から逃れようとしたところ、ISISの男たちに捕まり、反逆者として撲殺されたと言われている。

ちなみに、ふたりも死ぬ間際は妊娠していた。


左がサビーナ。右がサムーラ。ふたりとも死んだ。死ぬ間際は妊娠していた。誰の子供を妊娠していたのかは分からない。


「ジハード」と言いながら、セックスの奴隷

このふたりの少女たちのように、ISISの洗脳ビデオやモスクの狂信説教に感化されてシリアに渡った少女がどれくらいいるのかは分かっていない。

数十人とも言われているが、北アフリカから渡った女性たちも多いので、こうした女性たちを含めると数百人の規模になっているのではないかとも言われている。

こうした女性たちはISISの戦士と結婚させられるか、さもなくば「性のジハード」にされる。なぜなら、彼女たちの存在意義はそこにしかないからである。

少女たちは「聖戦のために身体を捧げよ」と言われ、それに強制的に参加させられることになる。

もちろん、これを拒絶する女性たちもいる。こうした女性たちは、オーストリアのふたりの少女のように「死」を持って制裁されることになっている。

ロシア・リアノーボスチ通信が2014年12月16日に伝えた報道では、ISISは「性の聖戦の参加を拒否する150人の女性を処刑した」と伝えている。

この女性たちの中には妊娠した女性たちもいたようだが、お構いなしに処刑された。そして、殺された女性はアンバール県の二つの大墓地に埋葬されたという。

これを見て分かる通り、女性たちには「拒否権」などない。ISISが女性たちに「性のジハード」を命令したら、それは絶対に従わなければならないのである。

ところで「性のジハード」を命令されると、女性たちは避妊具もなしに20人から30人の兵士と関係を持たなければならなくなると言われている。

もちろん、人数が決められているわけではない。多い女性では100人近くの男とのセックスを強要される女性もいるようだ。

それを強要され、拒絶すれば殺されるのだから、「ジハード」と言いながら、セックスの奴隷と大差がない。天国を約束されて、地獄を強要される。


ありし日のサビーナとサムーラ。シリアに渡った女性たちはISISの戦士と結婚させられるか、さもなくば「性のジハード」にされる。なぜなら、彼女たちの存在意義はそこにしかないからである。


「テロリスト」として認識され、帰国を拒まれていた

暴力組織に心酔し、自らその暴力組織の中に身を投じた人間は、もう後戻りが許されない。それはISISだけの掟(おきて)ではない。

世界中には多くのギャング・マフィア・武装集団・テロ組織・カルト・反社会組織が存在するが、そのすべての組織は、一度でも組織に関わると、絶対に抜けられない仕組みを作っている。

たとえば、多くのギャング組織では「血の結束」を誓わせて、少しでもルールを破った人間は容赦ない暴力で制裁する。指を切り落とす組織もあれば、その男の血のつながった姉妹や母親をレイプすることもある。

組織から抜け出さないために、組織特有のシンボルをタトゥーで彫らせて表社会に戻れないようにする組織もある。グアテマラやコロンビアの「マラ・サルバトルチャ」のように顔面にもタトゥーを入れてしまうような組織もある。

あるいは、組織のために前科を背負わせて、表社会に戻れなくする組織もある。

そのように見ていくと、ISISというシリア・イラク一帯を暴力支配する組織もまたアンダーグラウンドの組織と同じものであることが分かるはずだ。

いったん暴力組織に入り込むと、表社会に戻る糸がプツリと切られ、死ぬまでそこにいるしかなくなるのである。

殺されたふたりのオーストリア人少女は、必死でオーストリアの家族や政府に連絡を取って帰国したいという意志を示していたと言われている。

しかし、彼女たちは母国オーストラリアではすでに「テロリスト」として認識され、帰国を拒まれていた。

自覚がなかったのかもしれないが、彼女たちはシリア入りした時点で、国際テロリストだったのである。

もし仮にオーストリア政府が特別許可したとしても、彼女たちがISISを脱出するのはほぼ不可能だっただろう。その暴力組織の中に身を投じて疑問を感じた時点で、彼女たちの人生は終わっていた。


暴力組織に入り込んだら、もう二度とそこから抜け出すことはできない。彼女たちは自覚がなかったのかもしれないが、彼女たちはシリア入りした時点で、国際テロリストだった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151201T0034160900.html


▲△▽▼


中東No.1ロリ巨乳ミア·ハリファちゃん!
こんなSEXジハードはイスラム的にOKなの!? 2015/2/25 2015/2/25

この美少女の名前は、ミア·ハリファちゃん21歳。

出身は中東のレバノンなんだそうです。

イスラム教圏にAV女優がいることにも衝撃ですが、このロリ巨乳っぷりはもはやテロですよ。爆乳テロリスト。もし、こんな子がシリアにいたら、秒速で

「イスラム国」の人たちにレイプされちゃうよ!早く逃げて〜!

そもそも、イスラム教徒って婚前交渉OKなのかな?おそらく死刑だったはず。

しかも、ひどいのがレイプされたとしても、教義に反するとかで死刑にされても文句が言えないんだとか。ガクブルですね。

ちなみに、イスラム教徒は結婚初夜に初SEXをするんですが、その翌日、本当に処女だったかを親に証明しなくちゃいけなくて、その方法が、「血がついたシーツを見せる」というものらしいんですよ。

なかには血が出ない人もいますよね。そんな時は、非処女と疑われて、離婚はもちろん、最悪の場合、死刑になってしまうんだとか。

だから、あそこに鶏かなんかの血のりを仕込んでおく子もいるんだそうです。

そして、そんな感じに性に厳格な国なのに、なぜか女性の下着ビジネスは発展してて、イスラム教徒の女性はあの布の下にものすごいセクシーな勝負下着を着ているらしいんです。

でも、結婚初夜で処女だと思ってたら、ものすごいド派手な下着を着ていたら、童貞夫は面食らっちゃいますよね。


そんな、このアダルト動画のみどころは・・・

★ざっくりいうと

【1】メガネをかけた高校生風のミア·ハリファちゃん
【2】爆乳をゆらしてのディープスロート
【3】美しすぎる寝乳正常位


SEXジハード2!中東No.1ロリ巨乳がイスラム男根の自爆テロで狂乱祭り! 2015/2/28


大人気ミア·ハリファちゃん第二弾。

前回の

「中東No.1ロリ巨乳ミア·ハリファちゃん! こんなSEXジハードはイスラム的にOKなの!?」

が大好評だったので、もう一発お届けします。

ちなみに、「SEXジハード」という言葉を知ってますか?

「ジハード」は日本語で「聖戦」と訳され、イスラム教が他教から脅かされる際に使われたりします。

一方、「SEXジハード」は女たちの聖戦なのです。

男達がアラーのために命をかけるのであれば、女たちはその男達のために身をささげようという発想のもと、村を代表してうら若き女子数名が戦地を訪れ、文字通り、身をささげるんだそうです。

つまり、生死をかけて戦う男達に精子をかけてもらおうということです。

夜な夜な男達のキャンプを回って、殺気立った男達の股間を鎮めてまわるんだとか。

そのため、一回のSEXジハードを行うと、行く前は処女だったのに帰ってきたら経験人数数百人だったということもままあるんだそうです。

なかには、子どもを身ごもって帰ってくる女性もいるんだとか。

父親は誰かわからないけど、ジハードに参加した勇者の子ということで、村をあげて歓迎するそうです。

ちなみに、SEXジハードに参加した女性は、村では勇敢な女傑として権力を持つことができ、その後の生活も安泰なんだとか。

これもう間接的な出稼ぎですよね。僻地に売春に行ってたんまり稼いで、その後の余生をすごすあたりとか。

いわゆるイスラム教的な考えからいけば、結婚前のSEXは死罪に値するんですが、なぜかSEXジハードに関しては特に問われないという、まさに男尊女卑の極み。

そんな世界が嫌でミアちゃんは脱走してきたのかな。

そんな、このアダルト動画のみどころは・・・

★ざっくりいうと
【1】天然レバノン乳があばれるバック
【2】悶絶のミアちゃん
【3】とにかくチンコがでかい

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/813.html

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ イスラム教徒の場合 中川隆
1. 中川隆[-13196] koaQ7Jey 2020年4月18日 10:00:08 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[7]

詳細は

イスラム教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/220.html

ムスリムとは関わらない方がいい理由
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/561.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/813.html#c1

[近代史02] 中国人も日本人が大好き 中川隆
19. 中川隆[-13195] koaQ7Jey 2020年4月18日 10:34:02 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[8]
2020年04月18日
渡辺信一郎『シリーズ中国の歴史1 中華の成立 唐代まで』第2刷
https://www.amazon.co.jp/中華の成立-唐代まで-岩波新書-渡辺-信一郎/dp/4004318041

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_26.html


 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2019年11月に刊行されました。第1刷の刊行は2019年11月です。『シリーズ中国の歴史』の特色は、単純な時代区分による通史になっていないことです。本書は新石器時代から安史の乱までを扱っていますが、主要な対象は中原で、江南への言及は少なくなっています。江南は第2巻で扱われるそうですが、こちらも新石器時代からが対象となっています。『シリーズ中国の歴史』は、中国を地理的に草原・中原・興南・海域に区分し、各巻で時代を重複させつつ、現代中国へと至る歴史を総合的に浮き彫りする、という意図で編纂されているようです。今後の中国通史の一つの在り様を示すことになるかもしれません。

 本書は、社会の基層構造の変容と、それに対応していった政治・国家制度の変遷、さらには両者の相互関係を叙述しており、通俗的な中国史本のような英雄物語はほぼ皆無です。新石器時代には、仰韶文化期の単独聚落構造が、龍山文化期には2層〜3層の階層構造へと変わります。この社会構造は長く続き、これを前提として、まず殷(商)王朝までの貢献制と、それよりも複合化した西周王朝期の封建制が成立します。春秋時代を経て戦国時代になると、郡県制へと移行していき、秦・漢の大帝国が出現します。長期にわたった漢帝国のもとで階層分化が進んでいき、華北では魏晋南北朝期に大農法が成立するに至ります。本書は、漢王朝、とくに後漢期に成立した国制が後世には模範とされたという意味で、これを古典国制と呼んでいますが、その成立にさいしては、単なる時代錯誤の短命政権と通俗的に言われてきた王莽の役割が大きかったことも指摘します。

 本書は情報量が多く、近いうちに再読しなければなりませんが、問題点もあります。すでにTwitterで以前から情報を得ていましたが、本書はミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく臨淄住民の遺伝的近縁性について、2500年前頃にはヨーロッパ集団に近く、2000年前頃にはアジア中央部集団に近い、という(本書刊行時点で)20年近く前(2000年)の研究を肯定的に引用しています。私も以前この情報を肯定的に引用してしまったのですが、その後の研究により、2500年前頃の臨淄住民が遺伝的にはヨーロッパ集団に近い、という研究は否定されています(関連記事)。古代臨淄住民は、mtDNAではヨーロッパ集団よりも現代中国南部集団に近い、と明らかになっています。

 また本書は、このすでに否定された研究に基づく、2500年前頃にユーラシア大陸全域に広がる人類集団(パン・ユーラシアン)が存在した、との見解を肯定的に引用していますが、もちろん間違いです。ユーラシアにおいて東西系統が分岐したのは43100年前頃で(関連記事)、その後もユーラシア東部やオセアニアとの遺伝的類似性を示す個体はヨーロッパに存在していましたが、最終氷期極大期(LGM)後の末期更新世には消滅していました(関連記事)。古代DNA研究の進展は目覚ましく、今後は歴史学においても古代DNA研究を活用することが多くなり、その成果は新書など一般向けの本でも引用されるでしょうが、その信憑性については、執筆者である研究者以上に、編集者がしっかり調べないとならないだろう、と思います。


参考文献:
渡辺信一郎(2019)『シリーズ中国の歴史1 中華の成立 唐代まで』(岩波書店)

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_26.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/291.html#c19

[近代史3] コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族 中川隆
20. 中川隆[-13194] koaQ7Jey 2020年4月18日 10:34:34 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[9]

2020年04月18日
渡辺信一郎『シリーズ中国の歴史1 中華の成立 唐代まで』第2刷
https://www.amazon.co.jp/中華の成立-唐代まで-岩波新書-渡辺-信一郎/dp/4004318041

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_26.html


 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2019年11月に刊行されました。第1刷の刊行は2019年11月です。『シリーズ中国の歴史』の特色は、単純な時代区分による通史になっていないことです。本書は新石器時代から安史の乱までを扱っていますが、主要な対象は中原で、江南への言及は少なくなっています。江南は第2巻で扱われるそうですが、こちらも新石器時代からが対象となっています。『シリーズ中国の歴史』は、中国を地理的に草原・中原・興南・海域に区分し、各巻で時代を重複させつつ、現代中国へと至る歴史を総合的に浮き彫りする、という意図で編纂されているようです。今後の中国通史の一つの在り様を示すことになるかもしれません。

 本書は、社会の基層構造の変容と、それに対応していった政治・国家制度の変遷、さらには両者の相互関係を叙述しており、通俗的な中国史本のような英雄物語はほぼ皆無です。新石器時代には、仰韶文化期の単独聚落構造が、龍山文化期には2層〜3層の階層構造へと変わります。この社会構造は長く続き、これを前提として、まず殷(商)王朝までの貢献制と、それよりも複合化した西周王朝期の封建制が成立します。春秋時代を経て戦国時代になると、郡県制へと移行していき、秦・漢の大帝国が出現します。長期にわたった漢帝国のもとで階層分化が進んでいき、華北では魏晋南北朝期に大農法が成立するに至ります。本書は、漢王朝、とくに後漢期に成立した国制が後世には模範とされたという意味で、これを古典国制と呼んでいますが、その成立にさいしては、単なる時代錯誤の短命政権と通俗的に言われてきた王莽の役割が大きかったことも指摘します。

 本書は情報量が多く、近いうちに再読しなければなりませんが、問題点もあります。すでにTwitterで以前から情報を得ていましたが、本書はミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づく臨淄住民の遺伝的近縁性について、2500年前頃にはヨーロッパ集団に近く、2000年前頃にはアジア中央部集団に近い、という(本書刊行時点で)20年近く前(2000年)の研究を肯定的に引用しています。私も以前この情報を肯定的に引用してしまったのですが、その後の研究により、2500年前頃の臨淄住民が遺伝的にはヨーロッパ集団に近い、という研究は否定されています(関連記事)。古代臨淄住民は、mtDNAではヨーロッパ集団よりも現代中国南部集団に近い、と明らかになっています。

 また本書は、このすでに否定された研究に基づく、2500年前頃にユーラシア大陸全域に広がる人類集団(パン・ユーラシアン)が存在した、との見解を肯定的に引用していますが、もちろん間違いです。ユーラシアにおいて東西系統が分岐したのは43100年前頃で(関連記事)、その後もユーラシア東部やオセアニアとの遺伝的類似性を示す個体はヨーロッパに存在していましたが、最終氷期極大期(LGM)後の末期更新世には消滅していました(関連記事)。古代DNA研究の進展は目覚ましく、今後は歴史学においても古代DNA研究を活用することが多くなり、その成果は新書など一般向けの本でも引用されるでしょうが、その信憑性については、執筆者である研究者以上に、編集者がしっかり調べないとならないだろう、と思います。


参考文献:
渡辺信一郎(2019)『シリーズ中国の歴史1 中華の成立 唐代まで』(岩波書店)

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_26.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/306.html#c20

[近代史3] コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族 中川隆
21. 中川隆[-13193] koaQ7Jey 2020年4月18日 10:40:17 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[10]
2008年04月17日
中国大陸における人類の遺伝的構成の変化(追記有)
追記(2010年9月12日)
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_19.html


 この研究(Wang et al.,2000)を否定する研究があることは、確か昨年知ったのですが、それほど関心の高い問題ではなかったので、とくに調べずにきました。今日になって、ヤフー掲示板の“unadon_applepie”さんの投稿により、Wang et al.,2000を否定する研究(Yao et al.,2003)を具体的に知りました。古代臨淄の住民のミトコンドリアDNAは、ヨーロッパよりも現代の中国南部の住民のほうに近い、とのことです。以下の記事は、元ネタとなった研究に大いに問題があるので、基本的には間違ったものとしてお考えくださるよう、お読みになった方にお願い申し上げます。

ここは過疎ブログなのですが、この記事は、このブログにしては閲覧数の多い記事なので、念のために申し上げておきます。Wang et al.,2000のHTML版には、引用された論文としてYao et al.,2003が掲載されているのですが(どの論文に引用されたか容易に知ることができるという点では、紙媒体よりもオンライン版の論文のほうがずっと優れている、と言えるでしょう)、あまり関心が高くないということもあり、見過ごしてしまいました。なんとも恥ずかしい限りで、今後は注意を怠らないようにしなければいけない、と反省しております。

 ちくま新書の『DNAから見た日本人』を(斎藤.,2005)を読み直していて思い出したのが、中国の臨淄における人類の遺伝的構成の変化を調べた研究(Wang et al.,2000)です。この研究では、2500年前・2000年前・現代という三つの異なる時代の臨淄住民(現代については漢民族が分析対象とされました)のミトコンドリアDNAが検査され、東アジア・中央アジア・欧州の現代人のそれと比較されています。

 現代の東アジア・中央アジア・欧州集団の遺伝的関係は、東アジア集団と欧州集団がもっとも疎遠で、中央アジア集団はその中間に位置するという、おおむね地理的分布と一致するものになりました。しかし、2500年にわたる臨淄住民の遺伝的構成は、そうした地理的分布と矛盾するものになりました。

 現代の臨淄住民は東アジア集団との遺伝的類似性を示しており、これは予想通りでした。しかし、2000年前の臨淄住民は現代の中央アジア集団と、2500年前の臨淄住民にいたっては、現代の東アジア・中央アジア集団よりも現代の欧州集団に類似している、との結果が得られました。これには、研究者たちも率直に驚きを表明しています。もっとも、これはあくまでも集団の遺伝的構成であり、2500年前の臨淄住民のなかに、現代の臨淄住民と似たミトコンドリアDNAを有する人もいます。

 この研究では、こうした遺伝子構成の変化は移住によるものだろうと示唆されています。春秋戦国・魏晋南北朝・五代十国などといった中国大陸での争乱により、とくに華北に、外部からの移住が多くあっただろうと推測することは、妥当な判断と言ってよいと思います。

 現代の欧州集団と2500年前の臨淄住民との遺伝的類似性については、欧州の現生人類の故地の一つとして、中央アジアが想定されていることが参考になりそうです(Oppenheimer.,2007,3章)。現代欧州人の源流の一つ(もしくは幾つか)だった集団が中央アジアにいて、その一部が欧州方向とは逆にユーラシア大陸を東へ進み、中国大陸にまで到達したと考えることもできるでしょう。


参考文献:
Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事

Yao YG. et al.(2003): Reconstructing the Evolutionary History of China: A Caveat About Inferences Drawn from Ancient DNA. Molecular Biology and Evolution, 20, 2, 214-219.
http://dx.doi.org/10.1093/molbev/msg026

Wang L. et al.(2000): Genetic Structure of a 2,500-Year-Old Human Population in China and Its Spatiotemporal Changes. Molecular Biology and Evolution, 17, 9, 1396-1400.
http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/content/full/17/9/1396

斎藤成也(2005) 『DNAから見た日本人』(筑摩書房)

https://sicambre.at.webry.info/200804/article_19.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/306.html#c21

[近代史02] 中国人も日本人が大好き 中川隆
20. 中川隆[-13192] koaQ7Jey 2020年4月18日 10:40:44 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[11]

2008年04月17日
中国大陸における人類の遺伝的構成の変化(追記有)
追記(2010年9月12日)
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_19.html


 この研究(Wang et al.,2000)を否定する研究があることは、確か昨年知ったのですが、それほど関心の高い問題ではなかったので、とくに調べずにきました。今日になって、ヤフー掲示板の“unadon_applepie”さんの投稿により、Wang et al.,2000を否定する研究(Yao et al.,2003)を具体的に知りました。古代臨淄の住民のミトコンドリアDNAは、ヨーロッパよりも現代の中国南部の住民のほうに近い、とのことです。以下の記事は、元ネタとなった研究に大いに問題があるので、基本的には間違ったものとしてお考えくださるよう、お読みになった方にお願い申し上げます。

ここは過疎ブログなのですが、この記事は、このブログにしては閲覧数の多い記事なので、念のために申し上げておきます。Wang et al.,2000のHTML版には、引用された論文としてYao et al.,2003が掲載されているのですが(どの論文に引用されたか容易に知ることができるという点では、紙媒体よりもオンライン版の論文のほうがずっと優れている、と言えるでしょう)、あまり関心が高くないということもあり、見過ごしてしまいました。なんとも恥ずかしい限りで、今後は注意を怠らないようにしなければいけない、と反省しております。

 ちくま新書の『DNAから見た日本人』を(斎藤.,2005)を読み直していて思い出したのが、中国の臨淄における人類の遺伝的構成の変化を調べた研究(Wang et al.,2000)です。この研究では、2500年前・2000年前・現代という三つの異なる時代の臨淄住民(現代については漢民族が分析対象とされました)のミトコンドリアDNAが検査され、東アジア・中央アジア・欧州の現代人のそれと比較されています。

 現代の東アジア・中央アジア・欧州集団の遺伝的関係は、東アジア集団と欧州集団がもっとも疎遠で、中央アジア集団はその中間に位置するという、おおむね地理的分布と一致するものになりました。しかし、2500年にわたる臨淄住民の遺伝的構成は、そうした地理的分布と矛盾するものになりました。

 現代の臨淄住民は東アジア集団との遺伝的類似性を示しており、これは予想通りでした。しかし、2000年前の臨淄住民は現代の中央アジア集団と、2500年前の臨淄住民にいたっては、現代の東アジア・中央アジア集団よりも現代の欧州集団に類似している、との結果が得られました。これには、研究者たちも率直に驚きを表明しています。もっとも、これはあくまでも集団の遺伝的構成であり、2500年前の臨淄住民のなかに、現代の臨淄住民と似たミトコンドリアDNAを有する人もいます。

 この研究では、こうした遺伝子構成の変化は移住によるものだろうと示唆されています。春秋戦国・魏晋南北朝・五代十国などといった中国大陸での争乱により、とくに華北に、外部からの移住が多くあっただろうと推測することは、妥当な判断と言ってよいと思います。

 現代の欧州集団と2500年前の臨淄住民との遺伝的類似性については、欧州の現生人類の故地の一つとして、中央アジアが想定されていることが参考になりそうです(Oppenheimer.,2007,3章)。現代欧州人の源流の一つ(もしくは幾つか)だった集団が中央アジアにいて、その一部が欧州方向とは逆にユーラシア大陸を東へ進み、中国大陸にまで到達したと考えることもできるでしょう。


参考文献:
Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事

Yao YG. et al.(2003): Reconstructing the Evolutionary History of China: A Caveat About Inferences Drawn from Ancient DNA. Molecular Biology and Evolution, 20, 2, 214-219.
http://dx.doi.org/10.1093/molbev/msg026

Wang L. et al.(2000): Genetic Structure of a 2,500-Year-Old Human Population in China and Its Spatiotemporal Changes. Molecular Biology and Evolution, 17, 9, 1396-1400.
http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/content/full/17/9/1396

斎藤成也(2005) 『DNAから見た日本人』(筑摩書房)

https://sicambre.at.webry.info/200804/article_19.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/291.html#c20

[近代史4] <新型コロナ>「軽症でも高熱。風邪と違うだるさ」 関東・回復の50代女性 中川隆
1. 中川隆[-13191] koaQ7Jey 2020年4月18日 10:50:16 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[12]

「コロナ陽性のアイドルが症状告白 アビガン治療も開始『劇的な変化ではないけど…』」
(スポニチ 2020/4/14)
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/14/kiji/20200414s00041000136000c.html

グラビアアイドルでタレントのソラ豆琴美(27)が14日、自身のツイッターで新型コロナウイルスへの感染を公表。病状や治療についてなどを詳細に報告し、反響を呼んでいる。

 ソラ豆は「昨日までしばらくTwitterの更新ができずご心配をおかけしてすみませんでした。体調を崩していて、何人かお気づきの方もいると思いますが病院で検査を受けてコロナ陽性でした」と陽性の診断を受けたことを報告し、文書を公開した。

 公開された文書では「今は運良く受け入れてもらえた病院で入院をしているので心配いりません」と告白。「保健所で確認したところ私が感染した期間は誰とも接触がなく、濃厚接触対象の方は居ないそうです」と明かしたが「私もどこで感染したのか分からないので皆さんもどうか気をつけて下さい」と呼びかけた。

 また、「みんなに心配をかけてしまったり不安を煽ってしまうかもと思い、発表を控えようかと思っていたのですがこうしてお伝えしたのには理由がいくつかあります」とし、コロナの症状、アイドル仲間へ、アビガン治療のことを記した。

 症状については、自身は「軽度の感染者」であると明記しつつ、それでも「とにかく苦しいです。悪化するとまともに食事もできず、起き上がることもやっと、息を吸うのもやっとでずっと微熱だったのが最終的に39度までなりました。咳も止まらず痰(たん)がひたすら出てきて息が止まって飛び起きます。ずっと胸が苦しい状態。味も匂いもずっとしません」と告白。さらに「隔離されていて、本当に誰とも会うことができません。もちろん、面会なんかできません。最終的に動けなくなってどんなにしんどくても身の回りの事を自分でやらなければなりません。動けないっていうのは【トイレにも行けない】【ご飯を食べれない】【水も飲めない】【お風呂にも入れない】【寝返りもうてない】【しゃべれない】【着替えもできない】【歯も磨けないんです。そんなんアイドルとして死ぬかと思った!ずっと汗だくでパジャマとシーツを濡らしながら暑い、寒いを繰り返しました。これが“軽度のコロナ感染者”の症状です。だからこそみんなに伝えたいです」と訴えた。

 タレント活動についても「私自身もコロナ陽性になるまでは生活どうしよう、なんとしてでもできる仕事をしないと、家賃どうしよう…なんて思ってました」と心情を吐露。「でもこうなった今、そんなの二の次で生きてればなんとでもなると思います。今無観客ライブをするアイドルさんがいたり、外出をしないといけないアイドルさんがいたりします。レッスンをしようとしてるところまであるみたい。みんな本当にいろいろ理由があって仕方ないの、すごくわかります。でも、電車に乗って行くんだよね…?一つの場所に何人か集まるんだよね…?すごくすごく心配です」と同業者たちに思いを寄せた。さらに「私はコロナになってできるはずの仕事も、配信も収録も行くことができません。やむを得ず外出する子はまだ沢山いると思う。みんな生き.るのに必死なの、本当によくわかります。私もみんなと一緒です。でももっと仕事ができなくなくなるだけです。沢山の方に迷惑をかけます。どうかみんあが今一度、しっかりお家で過ごせますように。大丈夫!私は今月家賃滞納確定です!」と記した。

 話題となっているアビガン治療を始めたことも告白。「入院初日に適応外治療をするか聞かれましたが断りました。症状は軽いしすぐ治って出られるだろうと思っていたし、いくらかかるかも怖かったので…」と回顧。「(その後)症状が悪化してしまい、いよいよ死ぬかも!?と思いアビガン治療を決意しました」と報告。それでも「アビガンの副作用は奇形児が産まれる可能性があるとのことで、女性には特にとても安全とは言えません」とも。それでも、治療を開始し、「昨晩から飲み始めて早速効果があるように感じました。高熱が微熱になって、全くわからなかった味がほんの少し、味の雰囲気がわかるようになり、匂いも全くなかったのがほんのりわかりかけた気がします。咳の量も減って、痰(たん)もかなり減りました。まだ1日目なので劇的な変化ではないけど明らかにいい感じ!」と早くも改善していることを明かした。

 そして、「もし、今苦しんでいる方がいたら知ってほしい。可能性を実感してもらえたら、と思いました。私の場合ですが、体調不良の過程をa→b→c→dって悪くなっていったとすると、アビガンを飲んでからd→c→b→aと順を追って通ってきた症状をもう一度体験しながら治って行ってるのを実感します。とはいっても完治したわけではないですが…今『これはしょっぱいかも?』とわかるとこまで戻ってきました」と記した。

 ソラ豆の告白に、投稿から1時間でコメントは100を超え、リツイートも600超。いいね!も800を超えている。

------(引用ここまで)--------------------------

この件ですが、売名行為、ステマだという批判もあります。

アビガンを売り込みたい政府が某大手広告代理店に依頼した案件かも
知れません。

臨床実験もされていない強い催奇性のある劇薬を、これから子供を産む若い女性に
安易に投与するのは問題です。


(関連情報)

「ソラ豆琴美」 (ツイッター)
https://twitter.com/skysoy0520

「『最強の新型コロナ対策』は味噌! 報じられない『アビガン』の危険な側面も…
元理研研究員が顔出しで怒りの暴露(インタビュー) (TOCANA)」 (拙稿 2020/4/10)
http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/858.html  

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/807.html#c1

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
3. 中川隆[-13190] koaQ7Jey 2020年4月18日 11:24:22 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[13]

被差別部落出身の有名人は?
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html

血族結婚部落の優生学的調査概報
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/418.html

ドッグヴィルの世界 _ 奈良県 月ヶ瀬村
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/269.html

被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/113.html

浄土真宗と創価学会は被差別同和部落民の宗教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/371.html

部落解放同盟は悪い
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/152.html

森友学園は部落利権問題
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/661.html

関西電力の不正金品授受問題 _ 関電が助役に逆らえなかったのは、背後に部落解放同盟の存在が在ったから
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/660.html


▲△▽▼


日本人を憎む被差別同和部落出身者 1 _ 橋下徹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/114.html

被差別部落出身の「最も危険な政治家」橋下徹研究_ 橋下先生は上下同時責め3Pハーレムコースが好き
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/452.html

日本人を憎む被差別同和部落出身者 2 _ 竹中平蔵
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/115.html

被差別部落出身の竹中平蔵物語
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html

日本人を憎む被差別同和部落出身者 3 _ ユニクロ柳井正
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/678.html

阿部定の世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/248.html

尼崎ドラム缶事件 現在までに判明した事実
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/454.html

女子高生コンクリート詰め殺人事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html

北九州一家監禁殺人事件
http://amezor-iv.net/shisou/150920200912.html

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c3

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 新興宗教「神の子どもたち」 中川隆
5. 中川隆[-13189] koaQ7Jey 2020年4月18日 11:39:45 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[14]

統一教会
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/229.html

創価学会
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/228.html

カルトの世界 _ 創価学会とオウム真理教を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html

闇の組織とは? _ 創価学会は鳥人コンテストが好き?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/270.html

幸福の科学
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/231.html

何故大川先生はハーレムに居ても満たされなかったのか? _ 『会員NO3』の女性とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/220.html

高橋佳子のGLA会員が隠す「佳子と幹部の正体編」
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/447.html

真光教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/234.html

小沢一郎先生を襲った恐怖とは
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/296.html

安倍政権下で自殺・不審死した人物
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/542.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/811.html#c5

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ 中川隆
1. 中川隆[-13188] koaQ7Jey 2020年4月18日 11:51:38 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[15]

「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html

発達障害者の体験する世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/422.html

ユダヤ陰謀論者は殆どがパラノイアか統合失調症患者だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/740.html

パラノイアの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/420.html

統合失調症患者が体験する世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html

覚醒剤中毒者が体験する世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/423.html

マリファナ愛好者が体験する世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/425.html

パーキンソン病患者の体験する世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/421.html

子供の神経発達障害の発症に父親の高齢化が関わると判明
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/771.html

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html


 



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html#c1

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
4. 中川隆[-13187] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:04:39 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[16]

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c4

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
5. 中川隆[-13186] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:05:51 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[17]

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/13f7cdcd736285b2acfdb818a1be2ff2

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c5

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
6. 中川隆[-13185] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:08:19 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[18]

北九州監禁事件では

大便排泄を1日1回に限定し

全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです


かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/96a6656d746c7425de9a2d31c0b09e19

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c6

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
42. 中川隆[-13184] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:19:10 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[19]

2020年04月18日
中国GDPが年率マイナス50%、文化大革命以来の経済崩壊


これほどのマイナス成長は毛沢東の文化大革命以来

画像引用:https://2ch.hk/fg/src/711825/15860795410142.png


中国GDP年率マイナス50%の減少

中国国家統計局は2020年4月17日、1月から3月のGDPが前年同時期と比較してマイナス6.8%だったと発表しました。

これにはいくつか解説が必要でGDPは国によって発表する期間や範囲が違うため直接比較できない。

例えば日本は実質GDPでいう事が多く年率換算で発表していて、2019年10から12月期は7.1%減だった。



3か月間のGDPは前期比つまり7から9月期と比較して1.8%減、それを4倍した数字がほぼ年率になる。

アメリカの2019年10から12月期は年率2.1%減だったので、割る4だと約0.5%前期よりGDPが増えたという意味になる。

中国国家統計局が発表した-6.8%は前期比でも年率でもなく「前年同月比」という不思議なものでした。


中国は2019年に約6%成長したので四半期(3か月間)ではそれぞれ1.5%づつ成長したと考えられる。

すると前年同月-6.8%には9か月分の成長率約4.5%が加算されているので、これを差し引く必要があります。

すると中国の2020年1月から3月の3か月間のGDPは前の3か月と比べて11.3%減少したという意味になります。

(その後の発表で前期比12.8%減少だった)

調べてみると今までも中国は前年同月比で発表していたので、今回だけマイナスを隠すために発表方法を変えた訳ではなかった。

今後の中国発表の成長率に注目

これが何を意味するかですが中国は経済統計をチェックする機関がないので、実態としてマイナス12.8%でもプラスと発表できた筈でした。

あるいはプラスマイナスゼロくらいにしても良かったが、あえて12.8%と発表した。

実際には-12.8%よりずっと悪かったのを胡麻化して-12.8%にしたか、実際に-12.8%だったのかは誰にも分かりません。


いずれにせよ1970年代の改革開放以来初めてのマイナス成長、しかも大幅なマイナス成長になった。

おそらく日米欧の主要国も10%以上のマイナスになるので、比較すると「中国はマシだった」となるのかも知れません。

例えばアメリカの専門家は最悪の場合今年通年でマイナス30%以上GDPが縮小すると予想しています。


もし中国が次の9か月も同じ成長率だとマイナス51.2%とGDPが半減します

さすがに1年間続かないとしてももう1期はマイナスが続き、年後半も低成長率というのはあり得る。

1月から3月は自動車販売台数が去年より40%減少、小売売上高はマイナス15.8%だった。


中国はリーマンショックの2008年にもGDPマイナス成長だったが、北京五輪の年でもあったのでメンツを賭けてプラスに捏造した。

その後も中国は低成長が続いたが8%や7%成長したと嘘をつき続け、2019年は6.1%成長と言っていた。

中国寄りのIMFすら成長目標廃止を求めていて、これは暗に「GDP捏造をやめろ」という意味でした。


実際には3%の成長率を6%と発表して、金持ちのふりをして浪費しているのが中国で、続けられる筈がありません。

今後中国は再び高度成長の嘘をつくようになるのか、それとも1%程度の本当のGDPを発表するようになるのかは見ものです。
http://www.thutmosev.com/archives/82725486.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c42

[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
13. 中川隆[-13183] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:20:06 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[20]

2020年04月18日
中国GDPが年率マイナス50%、文化大革命以来の経済崩壊


これほどのマイナス成長は毛沢東の文化大革命以来

画像引用:https://2ch.hk/fg/src/711825/15860795410142.png


中国GDP年率マイナス50%の減少

中国国家統計局は2020年4月17日、1月から3月のGDPが前年同時期と比較してマイナス6.8%だったと発表しました。

これにはいくつか解説が必要でGDPは国によって発表する期間や範囲が違うため直接比較できない。

例えば日本は実質GDPでいう事が多く年率換算で発表していて、2019年10から12月期は7.1%減だった。



3か月間のGDPは前期比つまり7から9月期と比較して1.8%減、それを4倍した数字がほぼ年率になる。

アメリカの2019年10から12月期は年率2.1%減だったので、割る4だと約0.5%前期よりGDPが増えたという意味になる。

中国国家統計局が発表した-6.8%は前期比でも年率でもなく「前年同月比」という不思議なものでした。


中国は2019年に約6%成長したので四半期(3か月間)ではそれぞれ1.5%づつ成長したと考えられる。

すると前年同月-6.8%には9か月分の成長率約4.5%が加算されているので、これを差し引く必要があります。

すると中国の2020年1月から3月の3か月間のGDPは前の3か月と比べて11.3%減少したという意味になります。

(その後の発表で前期比12.8%減少だった)

調べてみると今までも中国は前年同月比で発表していたので、今回だけマイナスを隠すために発表方法を変えた訳ではなかった。

今後の中国発表の成長率に注目

これが何を意味するかですが中国は経済統計をチェックする機関がないので、実態としてマイナス12.8%でもプラスと発表できた筈でした。

あるいはプラスマイナスゼロくらいにしても良かったが、あえて12.8%と発表した。

実際には-12.8%よりずっと悪かったのを胡麻化して-12.8%にしたか、実際に-12.8%だったのかは誰にも分かりません。


いずれにせよ1970年代の改革開放以来初めてのマイナス成長、しかも大幅なマイナス成長になった。

おそらく日米欧の主要国も10%以上のマイナスになるので、比較すると「中国はマシだった」となるのかも知れません。

例えばアメリカの専門家は最悪の場合今年通年でマイナス30%以上GDPが縮小すると予想しています。


もし中国が次の9か月も同じ成長率だとマイナス51.2%とGDPが半減します

さすがに1年間続かないとしてももう1期はマイナスが続き、年後半も低成長率というのはあり得る。

1月から3月は自動車販売台数が去年より40%減少、小売売上高はマイナス15.8%だった。


中国はリーマンショックの2008年にもGDPマイナス成長だったが、北京五輪の年でもあったのでメンツを賭けてプラスに捏造した。

その後も中国は低成長が続いたが8%や7%成長したと嘘をつき続け、2019年は6.1%成長と言っていた。

中国寄りのIMFすら成長目標廃止を求めていて、これは暗に「GDP捏造をやめろ」という意味でした。


実際には3%の成長率を6%と発表して、金持ちのふりをして浪費しているのが中国で、続けられる筈がありません。

今後中国は再び高度成長の嘘をつくようになるのか、それとも1%程度の本当のGDPを発表するようになるのかは見ものです。
http://www.thutmosev.com/archives/82725486.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c13

[近代史4] 1929年と現在の株価がそっくりな件 IMFが重大声明 世界恐慌以来の経済危機 新型ウイルスで170カ国に打撃 中川隆
2. 中川隆[-13182] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:20:41 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[21]

2020年04月18日
中国GDPが年率マイナス50%、文化大革命以来の経済崩壊


これほどのマイナス成長は毛沢東の文化大革命以来

画像引用:https://2ch.hk/fg/src/711825/15860795410142.png


中国GDP年率マイナス50%の減少

中国国家統計局は2020年4月17日、1月から3月のGDPが前年同時期と比較してマイナス6.8%だったと発表しました。

これにはいくつか解説が必要でGDPは国によって発表する期間や範囲が違うため直接比較できない。

例えば日本は実質GDPでいう事が多く年率換算で発表していて、2019年10から12月期は7.1%減だった。



3か月間のGDPは前期比つまり7から9月期と比較して1.8%減、それを4倍した数字がほぼ年率になる。

アメリカの2019年10から12月期は年率2.1%減だったので、割る4だと約0.5%前期よりGDPが増えたという意味になる。

中国国家統計局が発表した-6.8%は前期比でも年率でもなく「前年同月比」という不思議なものでした。


中国は2019年に約6%成長したので四半期(3か月間)ではそれぞれ1.5%づつ成長したと考えられる。

すると前年同月-6.8%には9か月分の成長率約4.5%が加算されているので、これを差し引く必要があります。

すると中国の2020年1月から3月の3か月間のGDPは前の3か月と比べて11.3%減少したという意味になります。

(その後の発表で前期比12.8%減少だった)

調べてみると今までも中国は前年同月比で発表していたので、今回だけマイナスを隠すために発表方法を変えた訳ではなかった。

今後の中国発表の成長率に注目

これが何を意味するかですが中国は経済統計をチェックする機関がないので、実態としてマイナス12.8%でもプラスと発表できた筈でした。

あるいはプラスマイナスゼロくらいにしても良かったが、あえて12.8%と発表した。

実際には-12.8%よりずっと悪かったのを胡麻化して-12.8%にしたか、実際に-12.8%だったのかは誰にも分かりません。


いずれにせよ1970年代の改革開放以来初めてのマイナス成長、しかも大幅なマイナス成長になった。

おそらく日米欧の主要国も10%以上のマイナスになるので、比較すると「中国はマシだった」となるのかも知れません。

例えばアメリカの専門家は最悪の場合今年通年でマイナス30%以上GDPが縮小すると予想しています。


もし中国が次の9か月も同じ成長率だとマイナス51.2%とGDPが半減します

さすがに1年間続かないとしてももう1期はマイナスが続き、年後半も低成長率というのはあり得る。

1月から3月は自動車販売台数が去年より40%減少、小売売上高はマイナス15.8%だった。


中国はリーマンショックの2008年にもGDPマイナス成長だったが、北京五輪の年でもあったのでメンツを賭けてプラスに捏造した。

その後も中国は低成長が続いたが8%や7%成長したと嘘をつき続け、2019年は6.1%成長と言っていた。

中国寄りのIMFすら成長目標廃止を求めていて、これは暗に「GDP捏造をやめろ」という意味でした。


実際には3%の成長率を6%と発表して、金持ちのふりをして浪費しているのが中国で、続けられる筈がありません。

今後中国は再び高度成長の嘘をつくようになるのか、それとも1%程度の本当のGDPを発表するようになるのかは見ものです。
http://www.thutmosev.com/archives/82725486.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/761.html#c2

[近代史4] 若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 被差別部落支配層の性教育 中川隆
7. 中川隆[-13181] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:44:04 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[22]

ヤクザの 6割は同和、4割は在日
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/195.html

ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html

ヤクザの女はピアス大好き
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/304.html

アンダーグラウンド世界で生きていくには
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/739.html

貧困に堕ちた移民が最も効率良く稼げる非合法ビジネスが「ドラッグ売買」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/621.html

何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんはこういう運命が待っている _ シャブ漬けにすればセックスマシーンの出来上がり
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html

沢尻エリカ薬物騒動の目的は沢尻エリカの弱みを握り、脱がせてカネにすることだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/726.html

牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html

女性受刑者の40%は「覚醒剤」で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/307.html

女子刑務所の実態
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/647.html

 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/812.html#c7

[近代史4] プーチン大統領 中川隆
3. 中川隆[-13180] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:54:46 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[23]
2020.04.17
COVID-19恐慌の先に富豪たち私的権力は略奪と支配という幻影を見ている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004170000/


 日本でもCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大を防ぐという名目で経済活動を破壊する政策が推進されている。安倍晋三政権だけでなく野党もカネのばらまきで騙そうとしているが、これまで以上に深刻な不況へ突入する可能性は高い。

 すでに生産活動を放棄し、金融マジックで生き延びてきたアメリカも深刻。事実上、公的な健康保険が存在しないことが庶民に追い打ちをかける。経済破綻したギリシャと似た状況だとする人もいるが、国が消滅したソ連に近いとも言えるだろう。

 ソ連が消滅、その構成国はバラバラになるが、そこに現れたのが西側の巨大金融資本やその手先になった地元のゴロツキ。KGBの一部がCIAの人脈と手を組んでいたとする情報もある。ソ連を消滅させる最終的な作業はボリス・エリツィンが行ったが、そうした道へと国を導いたのはミハイル・ゴルバチョフ。エリツィンは勿論、ゴルバチョフの周辺は西側巨大資本とつながっている人びとで固められていた。

 ソ連消滅から国民資産が略奪されるが、そうした略奪を象徴する人物のひとりがミハイル・ホドルコフスキー。1963年生まれなので1991年には28歳。後ろ盾がいたので公的な資産を盗み、オリガルヒと呼ばれる富豪になれたわけだ。

 ホドルコフスキーはユダヤ教徒の父親とキリスト教徒の母親の子どもとしてモスクワで誕生、メンデレーエフ・モスクワ化学技術大学でロケット燃料を専攻、大学では、コムソモール(共産主義青年同盟)副委員長を務めた。

 1985年に書記長となったゴルバチョフが「ペレストロイカ(建て直し)」を始めると、ホドルコフスキーはコムソモールの人脈を使ってビジネスの基盤を築く。その人脈の中にはソ連国立銀行の幹部を両親に持つアレクセイ・ゴルボビッチも含まれていた。

 1989年にホドルコフスキーはそうした人脈を使い、ロシアの若い女性を西側の金持ちへモデルとして売り飛ばしていたと言われている。そうしたビジネスを始めていたリチャード・ヒューズなる人物は出国ビザを入手するため、KGBにコネがあるホドルコフスキーと手を組んだというのだ。(Michael Gross “From Russia with Sex”, New York, August 10, 1998)

 この年にホドルコフスキーは銀行設立のライセンスを取得、メナテプ銀行を設立した。日本でも金融機関を設立したり乗っ取るすることは少なくないが、違法送金やマネーロンダリングを行うためには自分の金融機関を持っていると好都合だからだ。

 ホドルコフスキーは1995年にユーコスを買収、その後、中小の石油会社を呑み込んでいく。1996年にはモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっている。メディアはライバルを攻撃したり人びとを操るために重要な道具だ。

 会社を呑み込むと言っても、通常は簡単でない。安く手に入れるためには経営を破綻させる必要がある。ソ連の消滅で資産が叩き売られていたロシアでは大儲けできた。その国自体を乗っ取ることに成功したなら「再生」に乗り出すが、それは自分たちのカネ儲け、支配に都合の良いシステムを作るということだ。大多数の庶民にとってはディストピア。そうした略奪集団は1990年代から日本も食い物にしたが、ロシアはその比でなかった。

 しかし、ロシアでは国が完全に乗っ取られる寸前、曲がりなりにも再独立することに成功した。再独立を実現したグループの中心にいたウラジミル・プーチンを西側の政府や有力メディアが罵倒するのは必然だと言える。再独立したロシアは2015年頃から中国に接近、両国は戦略的な同盟関係に入る。

 こうした展開を受け入れられなかったのはネオコンをはじめとする世界制覇を目指す西側勢力だけでなく、ソ連嫌いの「左翼」も含まれる。ネオコンには「元トロツキスト」が多いようで、ネオコンと「左翼」はもともと近い存在なのかもしれない。そうした人びとはロシアを再び西側巨大資本の属国にしようと必死になり、その努力は今も続いている。

 ホドルコフスキーはジョージ・ソロスの「オープン・ソサエティ基金」をモデルにした「オープン・ロシア基金」を2002年にアメリカで創設、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルド卿を雇い入れている。この事実だけでもホドルコフスキー人脈が推測できるだろう。

 ユーコスは西側の銀行から数億ドルの融資を受け、投資会社のカーライル・グループからも資金を得ていた。そのユーコスの発行済み株式のうち25%から40%をホドルコフスキーはエクソン・モービルとシェブロンへ売り渡そうとするが、それはプーチンによって阻止されている。

 COVID-19によって金融や経済が破壊された世界では、エリツィン時代のロシアに近いことが世界規模で展開される可能性がある。少なくともアメリカの支配層はそれを目論んでいるだろう。その先に彼らは巨大な私的権力が世界を直接統治する「新世界」を見ているはず。それは強者が生殺与奪の件を握った「自由な世界」だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004170000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c3

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
171. 中川隆[-13179] koaQ7Jey 2020年4月18日 12:55:25 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[24]

2020.04.17
COVID-19恐慌の先に富豪たち私的権力は略奪と支配という幻影を見ている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004170000/


 日本でもCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大を防ぐという名目で経済活動を破壊する政策が推進されている。安倍晋三政権だけでなく野党もカネのばらまきで騙そうとしているが、これまで以上に深刻な不況へ突入する可能性は高い。

 すでに生産活動を放棄し、金融マジックで生き延びてきたアメリカも深刻。事実上、公的な健康保険が存在しないことが庶民に追い打ちをかける。経済破綻したギリシャと似た状況だとする人もいるが、国が消滅したソ連に近いとも言えるだろう。

 ソ連が消滅、その構成国はバラバラになるが、そこに現れたのが西側の巨大金融資本やその手先になった地元のゴロツキ。KGBの一部がCIAの人脈と手を組んでいたとする情報もある。ソ連を消滅させる最終的な作業はボリス・エリツィンが行ったが、そうした道へと国を導いたのはミハイル・ゴルバチョフ。エリツィンは勿論、ゴルバチョフの周辺は西側巨大資本とつながっている人びとで固められていた。

 ソ連消滅から国民資産が略奪されるが、そうした略奪を象徴する人物のひとりがミハイル・ホドルコフスキー。1963年生まれなので1991年には28歳。後ろ盾がいたので公的な資産を盗み、オリガルヒと呼ばれる富豪になれたわけだ。

 ホドルコフスキーはユダヤ教徒の父親とキリスト教徒の母親の子どもとしてモスクワで誕生、メンデレーエフ・モスクワ化学技術大学でロケット燃料を専攻、大学では、コムソモール(共産主義青年同盟)副委員長を務めた。

 1985年に書記長となったゴルバチョフが「ペレストロイカ(建て直し)」を始めると、ホドルコフスキーはコムソモールの人脈を使ってビジネスの基盤を築く。その人脈の中にはソ連国立銀行の幹部を両親に持つアレクセイ・ゴルボビッチも含まれていた。

 1989年にホドルコフスキーはそうした人脈を使い、ロシアの若い女性を西側の金持ちへモデルとして売り飛ばしていたと言われている。そうしたビジネスを始めていたリチャード・ヒューズなる人物は出国ビザを入手するため、KGBにコネがあるホドルコフスキーと手を組んだというのだ。(Michael Gross “From Russia with Sex”, New York, August 10, 1998)

 この年にホドルコフスキーは銀行設立のライセンスを取得、メナテプ銀行を設立した。日本でも金融機関を設立したり乗っ取るすることは少なくないが、違法送金やマネーロンダリングを行うためには自分の金融機関を持っていると好都合だからだ。

 ホドルコフスキーは1995年にユーコスを買収、その後、中小の石油会社を呑み込んでいく。1996年にはモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっている。メディアはライバルを攻撃したり人びとを操るために重要な道具だ。

 会社を呑み込むと言っても、通常は簡単でない。安く手に入れるためには経営を破綻させる必要がある。ソ連の消滅で資産が叩き売られていたロシアでは大儲けできた。その国自体を乗っ取ることに成功したなら「再生」に乗り出すが、それは自分たちのカネ儲け、支配に都合の良いシステムを作るということだ。大多数の庶民にとってはディストピア。そうした略奪集団は1990年代から日本も食い物にしたが、ロシアはその比でなかった。

 しかし、ロシアでは国が完全に乗っ取られる寸前、曲がりなりにも再独立することに成功した。再独立を実現したグループの中心にいたウラジミル・プーチンを西側の政府や有力メディアが罵倒するのは必然だと言える。再独立したロシアは2015年頃から中国に接近、両国は戦略的な同盟関係に入る。

 こうした展開を受け入れられなかったのはネオコンをはじめとする世界制覇を目指す西側勢力だけでなく、ソ連嫌いの「左翼」も含まれる。ネオコンには「元トロツキスト」が多いようで、ネオコンと「左翼」はもともと近い存在なのかもしれない。そうした人びとはロシアを再び西側巨大資本の属国にしようと必死になり、その努力は今も続いている。

 ホドルコフスキーはジョージ・ソロスの「オープン・ソサエティ基金」をモデルにした「オープン・ロシア基金」を2002年にアメリカで創設、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルド卿を雇い入れている。この事実だけでもホドルコフスキー人脈が推測できるだろう。

 ユーコスは西側の銀行から数億ドルの融資を受け、投資会社のカーライル・グループからも資金を得ていた。そのユーコスの発行済み株式のうち25%から40%をホドルコフスキーはエクソン・モービルとシェブロンへ売り渡そうとするが、それはプーチンによって阻止されている。

 COVID-19によって金融や経済が破壊された世界では、エリツィン時代のロシアに近いことが世界規模で展開される可能性がある。少なくともアメリカの支配層はそれを目論んでいるだろう。その先に彼らは巨大な私的権力が世界を直接統治する「新世界」を見ているはず。それは強者が生殺与奪の件を握った「自由な世界」だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004170000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c171

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
261. 中川隆[-13178] koaQ7Jey 2020年4月18日 14:22:53 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[25]
新型コロナで景気後退が続く仕組みと経済対策の影響を分かりやすく説明する
2020年4月17日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10224#more-10224


新型コロナウィルスの世界的流行によって景気後退が避けられないと言われている。一部のヘッジファンドマネージャーらは1929年の世界恐慌のようになるとも主張している。

しかし一方でアメリカも日本も莫大な金額を景気対策に費やすと発表しており、こうした政策が景気をどれだけ下支えることが出来るのかが興味を集めている。
そこでこの記事では非常に単純化した例えを用いることで、景気後退がどのように進んでゆくのか、そして経済対策はどれくらい効くのかを分かりやすく考えてゆきたい。


農家と映画館の経済

ここで考えるのは農家と映画館しか存在しない世界である。食料は農家が供給し、娯楽は映画しかない。新型コロナウィルスで映画館が一時的に閉まった場合、この経済はどうなるのだろうか?

まずはそれぞれ現金2万ドルを持っているところから始めよう。

0年目
農家: 現金2万ドル
映画館: 現金2万ドル

次に、通常1年あたり映画館は2万ドル食料を農家から買って消費し、農家は現金2万ドル分映画館に映画を見に行くとすると、1年目のそれぞれの資産と消費は次のようになる。農家は映画を見過ぎではないかという意見もあるだろうが、この世界には映画しか娯楽がないのである。

1年目 (GDP: 4万ドル)
農家: 現金2万ドル (消費: 映画2万ドル)
映画館: 現金2万ドル (消費: 食料2万ドル)

これが全世界の消費のすべてなので、GDPはそれぞれの消費を足し合わせた4万ドルとなる。お互いがお互いに2万ドルずつ払っているので、両方の資産は2万ドルで変わっていない。

しかし2年目にコロナショックで映画館が封鎖となり、農家は一切映画館に行けなかったとしよう。映画館には収入がないが、それでも食料は同じように2万ドル消費しなければならない。すると2年目の状況はこうなる。

2年目 (GDP: 2万ドル)
農家: 現金4万ドル (消費: なし)
映画館: 現金なし (消費: 食料2万ドル)

GDPは映画館の消費だけとなり2万ドルとなる。映画館は農家に2万ドル支払うが農家は映画館に何も支払わないので、資産総額に差が生じている。

3年目にはコロナショックも去り農家も映画館に行けるようになったが、困ったのは映画館である。何故ならば2年目に収入が無かったので手元には資金が残っていない。3年目の食料が買えないために、映画館は農家から何も買わずに台所に余っていた僅かな食料で3年目を食い繋いだとすると、3年目の経済は次のようになる。

3年目 (GDP: 2万ドル)
農家: 現金2万ドル (消費: 映画2万ドル)
映画館: 現金2万ドル (消費: なし)

コロナショックは2年目に終わったにもかかわらず、GDPが戻っていない。映画館が生活を切り詰めなければならなかったからである。しかしお陰で映画館の資産は2万ドルまで戻ったので、4年目にはいつもと同じように食料を2万ドル分買うことができた。

4年目 (GDP: 4万ドル)
農家: 現金2万ドル (消費: 映画2万ドル)
映画館: 現金2万ドル (消費: 食料2万ドル)

重要なのはコロナショックが2年目に終わったにもかかわらず、3年目のGDPも下がったままだったということである。


資産総額と消費

ここでは3年目に農家の資産が増えても消費は変わらないと仮定した。実際には農家は資産が増えればある程度消費を増やすだろう。

しかし基本的に富裕層は貧困層よりもお金を使わない。このことは政府が国民にお金を配るヘリコプターマネー政策の是非にも影響してくる。上記の例で2年目に農家と映画館の両方に現金が配られるとどうなるかを考えてみたい。まず1年目はこうなる。

1年目 (GDP: 4万ドル)
農家: 現金2万ドル (消費: 映画2万ドル)
映画館: 現金2万ドル (消費: 食料2万ドル)

そして2年目にコロナショックが起こり、農家が映画館に行けなくなったためにGDPが2万ドル落ち込んだが、その2万ドルを補うために農家と映画館にそれぞれ1万ドル、合計2万ドルが配られるとしよう。

2年目 (GDP: 2万ドル)
農家: 現金5万ドル (消費: なし)
映画館: 現金1万ドル (消費: 食料2万ドル)

上と違うのは資産がそれぞれ1万ドル増えていることである。映画館は幸いにも素寒貧にならずに済んだので、3年目に食料を少なくとも1万ドル分農家から買うことができた。

3年目 (GDP: 3万ドル)
農家: 現金4万ドル (消費: 映画2万ドル)
映画館: 現金2万ドル (消費: 食料1万ドル)

これでようやく映画館の資産が2万ドルに戻ったため、4年目には消費はもとに戻ることになる。

4年目 (GDP: 4万ドル)
農家: 現金4万ドル (消費: 映画2万ドル)
映画館: 現金2万ドル (消費: 食料2万ドル)


経済対策の問題点

ここまで読んで読者はこの経済対策の問題点がお分かりだろうか? 2万ドル分のヘリコプターマネーを行なったにもかかわらず、GDPは2年目と3年目で合計3万ドル減っているということである。前のケースではGDPの減少は合計で4万ドルだったので、2万ドルのヘリコプターマネーで1万ドルのGDP増加になったということになる。
勿論このモデルは非常に単純化されているが、重要なのは農家が渡された1万ドルを使わなかったように、同じ金額のお金を渡してもその内どれだけを消費に回すかはその人の資産総額によって違うということである。富裕層はお金を使わない。お金を使わずにどうするかと言えば、株式や債券に投資をするのである。

それでGDPが対して伸びないにもかかわらず株式市場は上昇しているのである。これだけ経済が傷んでいるにもかかわらず、世界市場でハイテク株や金相場がバブルになっていることは前回の記事で書いた通りである。金融緩和によってばら撒かれたお金はGDPを大して上げることなく金融市場に流れてゆき、資産を持っている人が更に得をする仕組みになっているのである。

米国株全体の下落をよそに20%以上高騰するハイテク株

そしてGDPは大して上がらない。そろそろ日本国民は自分がどういう政策を支持したのか分かってきただろうか。こうして金融市場に流れ込んだ資金は一部の層に利益をもたらし、そして経済をどんどん停滞に追い込んでゆくだろう。一部のファンドマネージャーらは大分前から警告していたのだが、誰も聞かなかったのである。

ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10224#more-10224
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c261

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
10. 中川隆[-13177] koaQ7Jey 2020年4月18日 14:48:35 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[26]

@OdNezu
コロナの真の死因発見?

「私の病院では心臓超音波検査も行っているが、これまで推測されてきたことがデータとして出てきている。

集中治療が必要なのは肺の静脈血栓が原因なのだ。
つまり血栓の解消が先決、人工呼吸器は不用である。」
(イタリア、サンドロ・ジョヴァンニ医師)
https://buongiornonews.it/coronavirus-una-speranza-dalla-scoperta-del-prof-giannini/

午後7:41 · 2020年4月13日·Twitter Web App


@OdNezu 4月13日

「血液の流れが阻害されている肺に酸素を送っても意味がない。十人に九人が亡くなる。呼吸困難の真の原因は呼吸器系ではなく心血管系なものだからだ。死因は肺炎ではなく超微細な静脈血栓にある。血栓の生成は、炎症によって引き起こされる複雑だがよく知られた病態生理学的現象である。」

@OdNezu 4月13日

「三月中旬まで特に中国の公表してきた医療報告が抗炎症薬を使用しないように勧告してきたのとは逆に、現在イタリアでは抗炎症薬と抗生物質を使用しており、入院を必要とする患者数は減少してきている。」

※アジスロマイシンも抗生物質


@OdNezu 4月13日

「多くの死者は10〜15日間の高熱を発したが正しい治療が施されなかったため炎症が悪化し、血栓の形成される条件が整ったのだ。これはウィルスの作用ではなく、免疫機能がウィルスの侵入した細胞を破壊した結果だ。関節リウマチ患者が重篤化したことがないのはコーチゾンに抗炎症効果があるからだ。」

ムカムカ大王
@mukamukadaio 4月14日

初期の炎症治療が重要ということになりますか?
そうすると、免疫だけに頼る今の検査体制は見直されなければならないのでは?


@OdNezu 4月14日

現在最も成果を挙げているフランス、マルセイユの地中海感染症研究所病院のラウル医師は初期に即座にヒドロキシクロロキン+アジスロマイシンで治療することを強く推奨しています。同病院ではそれで既に1060名を数日で完治させています。

https://twitter.com/OdNezu/status/1249648976938311680
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c10

[近代史4] 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」で致死率100% ? 中川隆
31. 中川隆[-13176] koaQ7Jey 2020年4月18日 14:49:15 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[27]

@OdNezu
コロナの真の死因発見?

「私の病院では心臓超音波検査も行っているが、これまで推測されてきたことがデータとして出てきている。

集中治療が必要なのは肺の静脈血栓が原因なのだ。
つまり血栓の解消が先決、人工呼吸器は不用である。」
(イタリア、サンドロ・ジョヴァンニ医師)
https://buongiornonews.it/coronavirus-una-speranza-dalla-scoperta-del-prof-giannini/

午後7:41 · 2020年4月13日·Twitter Web App


@OdNezu 4月13日

「血液の流れが阻害されている肺に酸素を送っても意味がない。十人に九人が亡くなる。呼吸困難の真の原因は呼吸器系ではなく心血管系なものだからだ。死因は肺炎ではなく超微細な静脈血栓にある。血栓の生成は、炎症によって引き起こされる複雑だがよく知られた病態生理学的現象である。」

@OdNezu 4月13日

「三月中旬まで特に中国の公表してきた医療報告が抗炎症薬を使用しないように勧告してきたのとは逆に、現在イタリアでは抗炎症薬と抗生物質を使用しており、入院を必要とする患者数は減少してきている。」

※アジスロマイシンも抗生物質


@OdNezu 4月13日

「多くの死者は10〜15日間の高熱を発したが正しい治療が施されなかったため炎症が悪化し、血栓の形成される条件が整ったのだ。これはウィルスの作用ではなく、免疫機能がウィルスの侵入した細胞を破壊した結果だ。関節リウマチ患者が重篤化したことがないのはコーチゾンに抗炎症効果があるからだ。」

ムカムカ大王
@mukamukadaio 4月14日

初期の炎症治療が重要ということになりますか?
そうすると、免疫だけに頼る今の検査体制は見直されなければならないのでは?


@OdNezu 4月14日

現在最も成果を挙げているフランス、マルセイユの地中海感染症研究所病院のラウル医師は初期に即座にヒドロキシクロロキン+アジスロマイシンで治療することを強く推奨しています。同病院ではそれで既に1060名を数日で完治させています。

https://twitter.com/OdNezu/status/1249648976938311680
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c31

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
3. 中川隆[-13175] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:07:34 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[28]

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c3

[近代史4] 独裁者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ 中川隆
3. 中川隆[-13174] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:08:03 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[29]

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html#c3

[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
24. 中川隆[-13173] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:09:05 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[30]

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c24

[近代史4] 大恐慌の時代 中川隆
13. 中川隆[-13172] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:09:35 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[31]

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/630.html#c13

[近代史4] 昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした 中川隆
7. 中川隆[-13171] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:10:10 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[32]

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html#c7

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
7. 中川隆[-13170] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:10:39 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[33]

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c7

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
11. 中川隆[-13169] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:25:26 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[34]
【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/


1ライスシャワー ★2020/04/14(火) 21:55:45.60ID:d54dLFnL9

研究が進むにつれて、研究者たちは新型コロナウイルスの破壊的な能力を新たに発見しました。
上海の復旦大学ル・ル氏とニューヨーク血液センターのチャン・シボ氏の研究者チームによって、新型コロナウイルスが人の免疫細胞を殺すことを発見したのです。

この免疫破壊作用は、コロナウイルスの感染症である重症急性呼吸器症候群(SARS)にはなく、新型コロナウイルス特有のものであるとのこと。
研究の詳細は4月7日、「Cellular and Molecular Immunology」誌に掲載されました。

■ ウイルス撃退にはT細胞の免疫機能が大切

通常、体内にウイルスが侵入すると、身体の免疫機能が働きウイルスを殺そうとします。
それら免疫機能の中に、T細胞(Tリンパ球)と呼ばれるものがあります。
この細胞は免疫機能において重要な役割を担っており、体内の異質な細胞を見つけて破壊します。

T細胞は、ウイルスに感染した細胞を補足し、穴をあけ、その膜に化学物質を注入してウイルスと細胞の両方を破壊します。
このT細胞の働きのおかげで、私たちは体内からウイルスを除去することができます。
しかし、新しい研究では、新型コロナウイルスがこのT細胞の「免疫機能」を無効にする可能性が浮上したのです。

■ 新型コロナウイルスはT細胞を無効化する。原因は「スパイク」

研究者たちが、新型コロナウイルスを実験室で増殖させたT細胞に付着させたところ、T細胞はウイルスに感染し無効化されました。
同様の実験は、重度の急性呼吸器症候群や、別のコロナウイルスであるSARSでも行われました。

しかし、それらのウイルスたちはT細胞の働きを無効にすることはありませんでした。
つまり、この「免疫破壊」は新型コロナウイルス特有のものです。

では、新型コロナウイルスにみられる「特殊な免疫破壊機能」はどこから来ているのでしょうか?
研究者たちは、その秘密が新型コロナウイルスのユニークな「スパイク」にあることも発見しました。

「スパイク」とは、ウイルスが持つ吸盤のような「突起」です。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/04/influenza-kozo.png

そして、新型コロナウイルスのスパイクはT細胞に接触したとき、ウイルスの表層膜(エンベロープ)とT細胞の細胞膜を融合させます。
互いの表層膜が融合することにより、新型コロナウイルスの遺伝子はT細胞内に入り込み、その働きを無効にするのです。

(A)表層膜(エンベロープ)を持たないウイルス (B)表層膜を持つウイルス/Credit:Y_tambe
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/04/Virion.png

以前に流行したコロナウイルス「サーズ」には、この「膜融合」の能力がほとんどありがせんでした。
しかし、新型コロナウイルスはその能力を発現させています。
この研究結果の証明となる事例も確認されています。

「South China Morning Post」誌の報道によると、新型コロナウイルスで死亡した20人以上の患者検査記録は、彼らの免疫システムがほぼ完全に破壊されていたことを示していました。
また、PLA免疫学研究所のChen Yongwen氏らは2月に、高齢者や集中治療室での治療が必要な患者では、T細胞数が著しく低下する可能性があると報告しました。
これは、T細胞数が少ないほど死亡リスクが跳ね上がることを示唆しています。

このような「T細胞無効による免疫破壊」はHIVにも見られるものです。
ですから、医師の中にはHIVと新型コロナウイルスを比較する人もいます。

ただし、それらには大きな違いがあります。
HIVがT細胞に侵入して、それらを複製工場に変えて多くのコピーを作り出すのに対し、新型コロナウイルスは、複製することなくT細胞と一緒に死ぬのです。

これは、新型コロナウイルスが、HIVに比べて体内で繁殖し続けないことを示しています。
研究が進むにつれて、新型コロナウイルスのユニークな特徴が明らかになってきています。
この特徴を理解することが正しい対処に繋がっていくことでしょう。

https://nazology.net/archives/56567
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c11

[近代史4] 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」で致死率100% ? 中川隆
32. 中川隆[-13168] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:30:01 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[35]
【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

1ライスシャワー ★2020/04/14(火) 21:55:45.60ID:d54dLFnL9

研究が進むにつれて、研究者たちは新型コロナウイルスの破壊的な能力を新たに発見しました。
上海の復旦大学ル・ル氏とニューヨーク血液センターのチャン・シボ氏の研究者チームによって、新型コロナウイルスが人の免疫細胞を殺すことを発見したのです。

この免疫破壊作用は、コロナウイルスの感染症である重症急性呼吸器症候群(SARS)にはなく、新型コロナウイルス特有のものであるとのこと。
研究の詳細は4月7日、「Cellular and Molecular Immunology」誌に掲載されました。

■ ウイルス撃退にはT細胞の免疫機能が大切

通常、体内にウイルスが侵入すると、身体の免疫機能が働きウイルスを殺そうとします。
それら免疫機能の中に、T細胞(Tリンパ球)と呼ばれるものがあります。
この細胞は免疫機能において重要な役割を担っており、体内の異質な細胞を見つけて破壊します。

T細胞は、ウイルスに感染した細胞を補足し、穴をあけ、その膜に化学物質を注入してウイルスと細胞の両方を破壊します。
このT細胞の働きのおかげで、私たちは体内からウイルスを除去することができます。
しかし、新しい研究では、新型コロナウイルスがこのT細胞の「免疫機能」を無効にする可能性が浮上したのです。

■ 新型コロナウイルスはT細胞を無効化する。原因は「スパイク」

研究者たちが、新型コロナウイルスを実験室で増殖させたT細胞に付着させたところ、T細胞はウイルスに感染し無効化されました。
同様の実験は、重度の急性呼吸器症候群や、別のコロナウイルスであるSARSでも行われました。

しかし、それらのウイルスたちはT細胞の働きを無効にすることはありませんでした。
つまり、この「免疫破壊」は新型コロナウイルス特有のものです。

では、新型コロナウイルスにみられる「特殊な免疫破壊機能」はどこから来ているのでしょうか?
研究者たちは、その秘密が新型コロナウイルスのユニークな「スパイク」にあることも発見しました。

「スパイク」とは、ウイルスが持つ吸盤のような「突起」です。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/04/influenza-kozo.png


そして、新型コロナウイルスのスパイクはT細胞に接触したとき、ウイルスの表層膜(エンベロープ)とT細胞の細胞膜を融合させます。
互いの表層膜が融合することにより、新型コロナウイルスの遺伝子はT細胞内に入り込み、その働きを無効にするのです。

(A)表層膜(エンベロープ)を持たないウイルス (B)表層膜を持つウイルス/Credit:Y_tambe
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/04/Virion.png


以前に流行したコロナウイルス「サーズ」には、この「膜融合」の能力がほとんどありがせんでした。
しかし、新型コロナウイルスはその能力を発現させています。
この研究結果の証明となる事例も確認されています。

「South China Morning Post」誌の報道によると、新型コロナウイルスで死亡した20人以上の患者検査記録は、彼らの免疫システムがほぼ完全に破壊されていたことを示していました。
また、PLA免疫学研究所のChen Yongwen氏らは2月に、高齢者や集中治療室での治療が必要な患者では、T細胞数が著しく低下する可能性があると報告しました。
これは、T細胞数が少ないほど死亡リスクが跳ね上がることを示唆しています。

このような「T細胞無効による免疫破壊」はHIVにも見られるものです。
ですから、医師の中にはHIVと新型コロナウイルスを比較する人もいます。

ただし、それらには大きな違いがあります。
HIVがT細胞に侵入して、それらを複製工場に変えて多くのコピーを作り出すのに対し、新型コロナウイルスは、複製することなくT細胞と一緒に死ぬのです。

これは、新型コロナウイルスが、HIVに比べて体内で繁殖し続けないことを示しています。
研究が進むにつれて、新型コロナウイルスのユニークな特徴が明らかになってきています。
この特徴を理解することが正しい対処に繋がっていくことでしょう。

https://nazology.net/archives/56567

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c32

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
12. 中川隆[-13167] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:41:08 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[36]
石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性
武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年
石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。
「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬
中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に 
 
「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」

という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された。 

 

1/24日のワシントンポスト紙でも、間違いなく武漢のP4研究所で作成流出したものと断言できると専門家が語っている。

他にもハーバード大学の教授が間違いなく細菌兵器だと語っている。

中国の細菌研究員の給料はあまり高くなく、末端の研究員が使用済み実験動物を横流しすることは頻繁にあるとの証言も複数の研究者から寄せられている。
実際に買い取りを打診された研究者も証言をしている。
買い手が付かない場合は最終的に市場などに売ることも多い。

武漢疾病コントロールセンターのラボと、国家生物安全実験室の両方で、菊頭蝙蝠(きくがしらこうもり)から分離したコロナウイルスを使ったさまざまな変異の実験を行っていた。

それは必ずしも遺伝子組み換えのような人為的変異だけではなく、蝙蝠から鼠、鼠同士といった「自然変異が起きやすい環境」をつくって行うものもあったという。
そして、この新型コロナウイルスの起源が菊頭蝙蝠(生息地は雲南・浙江省などで、湖北省=武漢には生息していない)であることは、中国華南理工大学生物化学工程学院教授の蕭波涛と蕭磊が初期に指摘している。

武漢でのコロナウイルスの実験は、最も危険な病原体を扱えるBSL(バイオセーフティレベル)4ではなく、BSL2の基準で行われていたという証言もある。

米国の医療研究機関、スクリプス研究所の進化生物学者、クリスチャン・アンデルセンは感染者27人分の新型コロナウイルスのゲノム解析によって、この27人の感染したウイルスの同一の起源が2019年10月1日にさかのぼることを突き止めた。
つまりウイルスの流出は10月1日前後であった可能性が高い。

そこから遡ること約2週間前、2019年9月18日に武漢の天河国際空港で「新型コロナウイルス感染対策演習」

という解放軍による軍事演習が行われている。

軍は、湖北省(武漢)に生息していない動物のウイルスに対する軍事演習を大々的に行なっていたのである。

具体的には、「空港内で新型コロナウイルスに汚染された荷物が発見された」という設定で軍の衛生・防疫部隊が出動し、瞬時に疫学調査、医学調査、臨時検疫区、隔離区設置、感染例確認、病院搬送、衛生処理などのマニュアルを実施するという訓練である。

まさか本物のコロナウイルスを使って訓練したわけではないと思われるが、コロナウイルスの潜伏期間であるその2週間後に武漢で最初の感染が発生していることは気になる。

少なくとも「新型コロナウイルス」に関する研究が軍内ではそれだけ重視され、中国人民解放軍にとって訓練対象にするくらい危険なウイルスだという認識は昨年9月以前からあったということは間違いない。

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c12

[近代史4] 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」で致死率100% ? 中川隆
33. 中川隆[-13166] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:41:40 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[37]

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性
武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年
石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。
「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬
中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に 
 
「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」

という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された。 

 

1/24日のワシントンポスト紙でも、間違いなく武漢のP4研究所で作成流出したものと断言できると専門家が語っている。

他にもハーバード大学の教授が間違いなく細菌兵器だと語っている。

中国の細菌研究員の給料はあまり高くなく、末端の研究員が使用済み実験動物を横流しすることは頻繁にあるとの証言も複数の研究者から寄せられている。
実際に買い取りを打診された研究者も証言をしている。
買い手が付かない場合は最終的に市場などに売ることも多い。

武漢疾病コントロールセンターのラボと、国家生物安全実験室の両方で、菊頭蝙蝠(きくがしらこうもり)から分離したコロナウイルスを使ったさまざまな変異の実験を行っていた。

それは必ずしも遺伝子組み換えのような人為的変異だけではなく、蝙蝠から鼠、鼠同士といった「自然変異が起きやすい環境」をつくって行うものもあったという。
そして、この新型コロナウイルスの起源が菊頭蝙蝠(生息地は雲南・浙江省などで、湖北省=武漢には生息していない)であることは、中国華南理工大学生物化学工程学院教授の蕭波涛と蕭磊が初期に指摘している。

武漢でのコロナウイルスの実験は、最も危険な病原体を扱えるBSL(バイオセーフティレベル)4ではなく、BSL2の基準で行われていたという証言もある。

米国の医療研究機関、スクリプス研究所の進化生物学者、クリスチャン・アンデルセンは感染者27人分の新型コロナウイルスのゲノム解析によって、この27人の感染したウイルスの同一の起源が2019年10月1日にさかのぼることを突き止めた。
つまりウイルスの流出は10月1日前後であった可能性が高い。

そこから遡ること約2週間前、2019年9月18日に武漢の天河国際空港で「新型コロナウイルス感染対策演習」

という解放軍による軍事演習が行われている。

軍は、湖北省(武漢)に生息していない動物のウイルスに対する軍事演習を大々的に行なっていたのである。

具体的には、「空港内で新型コロナウイルスに汚染された荷物が発見された」という設定で軍の衛生・防疫部隊が出動し、瞬時に疫学調査、医学調査、臨時検疫区、隔離区設置、感染例確認、病院搬送、衛生処理などのマニュアルを実施するという訓練である。

まさか本物のコロナウイルスを使って訓練したわけではないと思われるが、コロナウイルスの潜伏期間であるその2週間後に武漢で最初の感染が発生していることは気になる。

少なくとも「新型コロナウイルス」に関する研究が軍内ではそれだけ重視され、中国人民解放軍にとって訓練対象にするくらい危険なウイルスだという認識は昨年9月以前からあったということは間違いない。

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c33

[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
14. 中川隆[-13165] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:42:23 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[38]

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性
武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年
石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。
「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬
中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に 
 
「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」

という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された。 

 

1/24日のワシントンポスト紙でも、間違いなく武漢のP4研究所で作成流出したものと断言できると専門家が語っている。

他にもハーバード大学の教授が間違いなく細菌兵器だと語っている。

中国の細菌研究員の給料はあまり高くなく、末端の研究員が使用済み実験動物を横流しすることは頻繁にあるとの証言も複数の研究者から寄せられている。
実際に買い取りを打診された研究者も証言をしている。
買い手が付かない場合は最終的に市場などに売ることも多い。

武漢疾病コントロールセンターのラボと、国家生物安全実験室の両方で、菊頭蝙蝠(きくがしらこうもり)から分離したコロナウイルスを使ったさまざまな変異の実験を行っていた。

それは必ずしも遺伝子組み換えのような人為的変異だけではなく、蝙蝠から鼠、鼠同士といった「自然変異が起きやすい環境」をつくって行うものもあったという。
そして、この新型コロナウイルスの起源が菊頭蝙蝠(生息地は雲南・浙江省などで、湖北省=武漢には生息していない)であることは、中国華南理工大学生物化学工程学院教授の蕭波涛と蕭磊が初期に指摘している。

武漢でのコロナウイルスの実験は、最も危険な病原体を扱えるBSL(バイオセーフティレベル)4ではなく、BSL2の基準で行われていたという証言もある。

米国の医療研究機関、スクリプス研究所の進化生物学者、クリスチャン・アンデルセンは感染者27人分の新型コロナウイルスのゲノム解析によって、この27人の感染したウイルスの同一の起源が2019年10月1日にさかのぼることを突き止めた。
つまりウイルスの流出は10月1日前後であった可能性が高い。

そこから遡ること約2週間前、2019年9月18日に武漢の天河国際空港で「新型コロナウイルス感染対策演習」

という解放軍による軍事演習が行われている。

軍は、湖北省(武漢)に生息していない動物のウイルスに対する軍事演習を大々的に行なっていたのである。

具体的には、「空港内で新型コロナウイルスに汚染された荷物が発見された」という設定で軍の衛生・防疫部隊が出動し、瞬時に疫学調査、医学調査、臨時検疫区、隔離区設置、感染例確認、病院搬送、衛生処理などのマニュアルを実施するという訓練である。

まさか本物のコロナウイルスを使って訓練したわけではないと思われるが、コロナウイルスの潜伏期間であるその2週間後に武漢で最初の感染が発生していることは気になる。

少なくとも「新型コロナウイルス」に関する研究が軍内ではそれだけ重視され、中国人民解放軍にとって訓練対象にするくらい危険なウイルスだという認識は昨年9月以前からあったということは間違いない。

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c14

[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
8. 中川隆[-13164] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:43:12 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[39]

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性
武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年
石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。
「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬
中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に 
 
「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」

という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された。 

 

1/24日のワシントンポスト紙でも、間違いなく武漢のP4研究所で作成流出したものと断言できると専門家が語っている。

他にもハーバード大学の教授が間違いなく細菌兵器だと語っている。

中国の細菌研究員の給料はあまり高くなく、末端の研究員が使用済み実験動物を横流しすることは頻繁にあるとの証言も複数の研究者から寄せられている。
実際に買い取りを打診された研究者も証言をしている。
買い手が付かない場合は最終的に市場などに売ることも多い。

武漢疾病コントロールセンターのラボと、国家生物安全実験室の両方で、菊頭蝙蝠(きくがしらこうもり)から分離したコロナウイルスを使ったさまざまな変異の実験を行っていた。

それは必ずしも遺伝子組み換えのような人為的変異だけではなく、蝙蝠から鼠、鼠同士といった「自然変異が起きやすい環境」をつくって行うものもあったという。
そして、この新型コロナウイルスの起源が菊頭蝙蝠(生息地は雲南・浙江省などで、湖北省=武漢には生息していない)であることは、中国華南理工大学生物化学工程学院教授の蕭波涛と蕭磊が初期に指摘している。

武漢でのコロナウイルスの実験は、最も危険な病原体を扱えるBSL(バイオセーフティレベル)4ではなく、BSL2の基準で行われていたという証言もある。

米国の医療研究機関、スクリプス研究所の進化生物学者、クリスチャン・アンデルセンは感染者27人分の新型コロナウイルスのゲノム解析によって、この27人の感染したウイルスの同一の起源が2019年10月1日にさかのぼることを突き止めた。
つまりウイルスの流出は10月1日前後であった可能性が高い。

そこから遡ること約2週間前、2019年9月18日に武漢の天河国際空港で「新型コロナウイルス感染対策演習」

という解放軍による軍事演習が行われている。

軍は、湖北省(武漢)に生息していない動物のウイルスに対する軍事演習を大々的に行なっていたのである。

具体的には、「空港内で新型コロナウイルスに汚染された荷物が発見された」という設定で軍の衛生・防疫部隊が出動し、瞬時に疫学調査、医学調査、臨時検疫区、隔離区設置、感染例確認、病院搬送、衛生処理などのマニュアルを実施するという訓練である。

まさか本物のコロナウイルスを使って訓練したわけではないと思われるが、コロナウイルスの潜伏期間であるその2週間後に武漢で最初の感染が発生していることは気になる。

少なくとも「新型コロナウイルス」に関する研究が軍内ではそれだけ重視され、中国人民解放軍にとって訓練対象にするくらい危険なウイルスだという認識は昨年9月以前からあったということは間違いない。

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c8

[近代史3] 日本人を憎む被差別同和部落出身者 1 _ 橋下徹 中川隆
4. 中川隆[-13163] koaQ7Jey 2020年4月18日 16:20:04 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[40]

維新についてのアンケート - 内田樹の研究室 2020-04-18
http://blog.tatsuru.com/2020/04/18_1350.html


ある全国紙から大阪の維新の人気についてアンケートを受けた。説明が要るので長い回答を書いたが、紙面に載るのはこの10分の1くらいなので、オリジナルを掲載しておく。

Q1:大阪維新の会は立ち上げから10年を迎えました。当初は橋下徹氏の人気頼みの面が否めませんでしたが、15年に橋下氏が去った後も、高い支持を誇っています。平松市長時代に大阪市の特別顧問も務めた内田様からご覧になって、橋下氏が不在でも維新がこれだけの支持を得続けているのはなぜだと思われますか。


 大阪の人に訊くと、とにかく維新の議員たちは「どぶ板選挙」に徹して、地域住民の声を汲み上げる点で他党に優れているそうです。でも、「どぶ板」は自民党はじめ他党もやってきていることですから、そこに決定的な差があるとは思いません。やはり維新のイデオロギーが大阪の人たちに広く好感されているのだと思います。

 僕はそれは一種の「リバタリアニズム」ではないかと思います。

 大阪人は他の地域に比べると、「リバタリアン」気質が濃厚のように見えます。「親方日の丸」的な発想をしない。「お上に何かしてもらう」という考え方が希薄です。

 大阪は発生的にも、武士の街ではなく、町人の街でしたし、船場の経済力で大都市になった。懐徳堂も適塾も町人たちが自力で立ち上げたし、文楽も上方舞も民衆芸能です。「自分のことは自分で始末するから、お上は口を出さないで欲しい。自分の欲しいものは自分で手に入れるから、公共の支援など要らない」という考え方が伝統的に根づいている。

 だから当然「小さい政府」主義になります。「公務員削減」には無条件に賛成します。大学や病院や図書館や美術館のような、市民自身が受益者である公共的なサービスについてさえ「税金の無駄遣いだ」と言われると、すぐに賛成する。

 維新が熱心にやってきたのは、この大阪人のリバタリアン的気質に乗じた「公共財の取り崩し」「公共財の民間への付け替え」だったと思います。

 共同体が存続するために必要な公共財を「社会的共通資本」と呼びます。上下水道、交通網、通信網、ライフライン、教育、医療、司法などがそれにあたりますが、これは本来公共的なもので、専門家が、専門的知見に基づいて、政治イデオロギーとも市場ともかかわりなく、管理すべきものです。でも、維新はこの社会的共通資本を民間に移管することにきわめて熱心でした。

 もちろん、資本主義がそれを要請するからです。

 公共財というのは人々を共同的に益するものですから、営利には役立ちません。人間が生きるために必要なもの(例えば水とか医療とか教育とか)はできるだけ質の良いものを、できるだけ安価で(できれば無償で)提供するというのが社会的共通資本の考え方です。専門家が管理するわけですからコスト意識なんかほとんどない。ですから、公共的なセクターを見ると、その機構や提供されるサービスにはあきらかな無駄やオーバースペックやコスト意識の欠如があちこちでみられる。「収益の最大化」とか「コストの削減」とかいうことを優先的に配慮する人たちはそれにすごく腹が立つ。だから、「そういう公共的な事業は民間に移管した方が無駄がなく、効率的に運用されて、コストも下がる」と思う。

 そして、この推論自体は間違っていないのです。

 別に今に始まった話ではなく、16〜19世紀のイングランドの「囲い込み(enclosure)」から「公共財の私財化」は資本主義の基本です。

 それまで住民たちが共同的に利用して、のんびり牛や羊に草を食わせたり、食材を栽培したりしていた「入会地(common)」を資本家が買い上げて、私有化したのです。買った方は土地に投資したわけですから、その土地からどう利益を上げるか考えます。当然、生産技術も向上するし、生産性も上がる。そうして農業革命が起きた(そのせいで自営農たちは没落して、都市の低賃金労働者になり、産業革命の労働力を提供したわけですから、資本主義的には「狙い通り」です)。つまり、資本主義のロジックに従えば、「公共財は公共的に管理しないで、私有化する方が生産性が上がり、利益が出る」というのは永遠の真理なのです。

維新がやっているのは、そう言ってよければ、「現代の"囲い込み"」です。

これまで住民たちが共同的に所有し、管理していた公共財を私有化することで「利益を出す」仕組にする。ただ、そこで言う「利益」というのは、公共財を手に入れた資本家の利益であって、「入会地」のもともとの共同所有者たちは財を奪われたわけです。けれども、多くの人はそれに抗わなかった。世の中、そういうものだろうとおとなしく受け入れた。「誰の所有であれ財が利益を生み出すのは端的によいことである」という資本主義のイデオロギーをすでに人々は内面化していたのでした。自分が貧乏になっても、収奪されても、資本主義が繁栄するなら、それは歴史的必然であろうと思うようになった。

「囲い込み」を指をくわえて眺めているうちにプロレタリアに没落したイングランドの自営農のマインドと、大阪の人たちのマインドには共通するものがあるように見えます。

 大阪の有権者たちも資本主義イデオロギーを深く内面化している。だから、公共的なものが私有化されることに反対するロジックを持たない。それが自分自身にとってどういう利益や被害があるかどうかはとりあえず脇に措いて、生産性の低い使われ方をしていた財が生産性の高い使われ方をすることは「端的によいこと」だと信じている。

 でも、「生産性が上がる」というのは、例えば、それまで10人でやっていた仕事を1人でやるようになるということです。たしかに人件費コストは削減できる。でも、それまで働いていた9人は失業するわけです。その9人の中に自分が含まれていたら・・・ということを「生産性向上主義者」たちは想像しない。

 もともとの「お上が嫌い」という大阪のリバタリアン的エートスは「公共財は私物化すべきだ」という新自由主義イデオロギーと妙に相性がよかった。そのせいで維新的なものが好感されている・・・そういうことじゃないかと思います。長い説明になってすみません。

Q2:私たちの仮説は、維新とは自民党から派生した存在であり、自民党的な選挙手法(中選挙区で党内の候補者同士が競い合う)という足腰の強さがあったのではないかということです。とくに、橋下氏が去ったことで自民党的なものへの回帰が進んだ面もあるのではないかと考えています。このような仮説は成り立つでしょうか。


 僕はそうは考えません。もともと自民党の中には福田派的な流れと田中派的な流れの二大潮流がありました。1970年から87年まで続いた「角福戦争」と呼ばれた自民党の派閥抗争はこの二派閥の戦いですが、日本近代政治史において「戦争」とまで呼ばれたような党内闘争は後にも先にもこれしかありません。この二つの政治潮流がいかに「氷炭相容れざるもの」であったかはその一事から知れると思います。おおざっぱに言うと、福田派が都市型・新自由主義的・リバタリアン的で、越山会が田園型・農本主義的・コミュニタリアン的です。この二つのまったく肌合いの違う派閥のきびしい拮抗関係からエネルギーを備給されていたのが高度成長期からバブル期にかけての自民党でした。

 しかし、田中派はのちに「分党」して、最終的に民主党に流れ込むことになりました。乱暴な言い方をすれば、民主党は「自民党田中派」が独立した作った政党です。「竹下派七奉行」のうち4人(羽田孜、奥田敬和、渡部恒三、小沢一郎)は民主党の結党に参加しましたし、鳩山由紀夫も岡田克也も自民党田中派から初出馬したのでした。

 つまり、今の自民党はかつての自民党から「田中派的なもの」を抜き去った政党だということです。国民生活を底上げしてゆく、弱者に配慮する、中産階級を厚みのあるものにして階層格差をなくすという志向が乏しいのはそのせいです。だからもし、いま「自民党的なもの」と言われたのが、55年体制の自民党のような「国民政党的性格」のことを指すのであれば、維新がこれからかつての「自民党的なもの」へ回帰することがあるという見通しに僕は与しません。維新は清和会をさらに社会ダーウィニズム的に純化した政党ですから。

Q3:もう一つの私たちの仮説は、東京の政権党とは異なる「大阪の政党」を、大阪の有権者が求めていたのではないか、そこに維新という存在がうまくマッチしたのではないかということです。東京への対抗心と言ってもいいかもしれません。維新が大阪で非常に高い支持を誇る一方、他の地域では支持の広がりを欠くこともそう考える一因です。大阪の有権者にそのような気質はあるでしょうか。


 それはQ1で答えた通りです。大阪的リバタリアニズムには「反公共」「反東京」「反権力」「反良識」など、いろいろな「反」がくっつきやすいんです。

Q4:ただ、先の質問とやや矛盾しますが、今の大阪の行政運営、政治のありようが、現政権と非常に近い印象を抱かせるのも確かです。それは、トップダウン型の政策決定の重視であり、維新出身の知事・市長による「政治判断」の強調です。事実、安倍政権中枢と維新のトップは非常に良好な関係を築いています。安倍政権との近似をどうご覧になりますか。

Q2で答えたように、両者の体質は非常に近いと思います。自民党の下野時代に維新は安倍晋三を「党首に」とラブコールを送ったことがありました。ケミストリーはほとんど同じだと思います。

Q5:この10年で、大阪の経済状況が好転し、街に活気が生まれたことも確かだと思います。維新はそれを「自分たちの改革の成果」としてアピールしています。この主張をどう思われますか。

「大阪の経済状況が好転している」ということについては、僕には特に実感はありません。このグローバル化された時代に、一自治体における経済政策の良否で、近隣自治体と違うような経済環境が出現するというようなことはありません。景況は無数のファクターの関数です。大阪に中国人観光客が増えたせいで、ずいぶん大阪は潤いましたけれど、あれは「中国政府の経済政策が成功して、中国人がリッチになった」ことの成果であって、大阪の行政とは関係ありません。今度はコロナ禍で来日するドツーリストが激減して、観光業や飲食店はたいへんなダメージを受けますが、それは大阪の行政の失敗ではありません。関係ないものを結びつけて成否を言ってもあまり意味がないと思います。

Q6:万博やIR、「大阪都構想」実現の場合の大阪市から特別区への移行などは、すべて2025年ごろをターゲットとしています。その先、維新が何を掲げるのかは見えてきません。この10年、急成長し、大阪政界を席巻してきた維新ですが、果たしてこの先も生き残ることができるのかは見通せません。次の10年の維新はどうなるでしょうか。当然、それを左右するのは大阪の民意ということになりますが、民意はこの先どう移っていくでしょうか。


 どれも「あの作戦がうまくいって、あの作戦もうまくいった場合には皇軍大勝利」という典型的な「日本流」楽観論ですので、ネガティヴなファクターが一つでも入ると、すべて水泡に帰すと思います。

 このパンデミックで世界経済は数年では立ち直れないくらいのダメージを受けます。かなりの国が定常経済ないしマイナス成長のフェーズに入る。そういう世界的な停滞が予測される時期に、万博やIRのような「祝祭的イベント」で集客して経済浮揚効果をねらうのはまったく不適切だと思います。

 お祭り騒ぎをするだけの経済的余力があるなら、まずコロナ禍で痛めつけられた大阪の住民たちのための医療、福祉、教育などの公共的なセクターに優先的に予算を分配すべきだと思います。しかし、維新は「公共的なセクターへの割り当てを削り取って、民間に移管する」ことだけで支持を集めてきた政党ですから、方向を180度転換しなければならない。果たして、頭の中身を入れ替えることができるかどうか。僕は難しいだろうと思います。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/18_1350.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/114.html#c4

[昼休み52] 「最も危険な政治家」橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点 中川隆
57. 中川隆[-13162] koaQ7Jey 2020年4月18日 16:20:33 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[41]

維新についてのアンケート - 内田樹の研究室 2020-04-18
http://blog.tatsuru.com/2020/04/18_1350.html


ある全国紙から大阪の維新の人気についてアンケートを受けた。説明が要るので長い回答を書いたが、紙面に載るのはこの10分の1くらいなので、オリジナルを掲載しておく。

Q1:大阪維新の会は立ち上げから10年を迎えました。当初は橋下徹氏の人気頼みの面が否めませんでしたが、15年に橋下氏が去った後も、高い支持を誇っています。平松市長時代に大阪市の特別顧問も務めた内田様からご覧になって、橋下氏が不在でも維新がこれだけの支持を得続けているのはなぜだと思われますか。


 大阪の人に訊くと、とにかく維新の議員たちは「どぶ板選挙」に徹して、地域住民の声を汲み上げる点で他党に優れているそうです。でも、「どぶ板」は自民党はじめ他党もやってきていることですから、そこに決定的な差があるとは思いません。やはり維新のイデオロギーが大阪の人たちに広く好感されているのだと思います。

 僕はそれは一種の「リバタリアニズム」ではないかと思います。

 大阪人は他の地域に比べると、「リバタリアン」気質が濃厚のように見えます。「親方日の丸」的な発想をしない。「お上に何かしてもらう」という考え方が希薄です。

 大阪は発生的にも、武士の街ではなく、町人の街でしたし、船場の経済力で大都市になった。懐徳堂も適塾も町人たちが自力で立ち上げたし、文楽も上方舞も民衆芸能です。「自分のことは自分で始末するから、お上は口を出さないで欲しい。自分の欲しいものは自分で手に入れるから、公共の支援など要らない」という考え方が伝統的に根づいている。

 だから当然「小さい政府」主義になります。「公務員削減」には無条件に賛成します。大学や病院や図書館や美術館のような、市民自身が受益者である公共的なサービスについてさえ「税金の無駄遣いだ」と言われると、すぐに賛成する。

 維新が熱心にやってきたのは、この大阪人のリバタリアン的気質に乗じた「公共財の取り崩し」「公共財の民間への付け替え」だったと思います。

 共同体が存続するために必要な公共財を「社会的共通資本」と呼びます。上下水道、交通網、通信網、ライフライン、教育、医療、司法などがそれにあたりますが、これは本来公共的なもので、専門家が、専門的知見に基づいて、政治イデオロギーとも市場ともかかわりなく、管理すべきものです。でも、維新はこの社会的共通資本を民間に移管することにきわめて熱心でした。

 もちろん、資本主義がそれを要請するからです。

 公共財というのは人々を共同的に益するものですから、営利には役立ちません。人間が生きるために必要なもの(例えば水とか医療とか教育とか)はできるだけ質の良いものを、できるだけ安価で(できれば無償で)提供するというのが社会的共通資本の考え方です。専門家が管理するわけですからコスト意識なんかほとんどない。ですから、公共的なセクターを見ると、その機構や提供されるサービスにはあきらかな無駄やオーバースペックやコスト意識の欠如があちこちでみられる。「収益の最大化」とか「コストの削減」とかいうことを優先的に配慮する人たちはそれにすごく腹が立つ。だから、「そういう公共的な事業は民間に移管した方が無駄がなく、効率的に運用されて、コストも下がる」と思う。

 そして、この推論自体は間違っていないのです。

 別に今に始まった話ではなく、16〜19世紀のイングランドの「囲い込み(enclosure)」から「公共財の私財化」は資本主義の基本です。

 それまで住民たちが共同的に利用して、のんびり牛や羊に草を食わせたり、食材を栽培したりしていた「入会地(common)」を資本家が買い上げて、私有化したのです。買った方は土地に投資したわけですから、その土地からどう利益を上げるか考えます。当然、生産技術も向上するし、生産性も上がる。そうして農業革命が起きた(そのせいで自営農たちは没落して、都市の低賃金労働者になり、産業革命の労働力を提供したわけですから、資本主義的には「狙い通り」です)。つまり、資本主義のロジックに従えば、「公共財は公共的に管理しないで、私有化する方が生産性が上がり、利益が出る」というのは永遠の真理なのです。

維新がやっているのは、そう言ってよければ、「現代の"囲い込み"」です。

これまで住民たちが共同的に所有し、管理していた公共財を私有化することで「利益を出す」仕組にする。ただ、そこで言う「利益」というのは、公共財を手に入れた資本家の利益であって、「入会地」のもともとの共同所有者たちは財を奪われたわけです。けれども、多くの人はそれに抗わなかった。世の中、そういうものだろうとおとなしく受け入れた。「誰の所有であれ財が利益を生み出すのは端的によいことである」という資本主義のイデオロギーをすでに人々は内面化していたのでした。自分が貧乏になっても、収奪されても、資本主義が繁栄するなら、それは歴史的必然であろうと思うようになった。

「囲い込み」を指をくわえて眺めているうちにプロレタリアに没落したイングランドの自営農のマインドと、大阪の人たちのマインドには共通するものがあるように見えます。

 大阪の有権者たちも資本主義イデオロギーを深く内面化している。だから、公共的なものが私有化されることに反対するロジックを持たない。それが自分自身にとってどういう利益や被害があるかどうかはとりあえず脇に措いて、生産性の低い使われ方をしていた財が生産性の高い使われ方をすることは「端的によいこと」だと信じている。

 でも、「生産性が上がる」というのは、例えば、それまで10人でやっていた仕事を1人でやるようになるということです。たしかに人件費コストは削減できる。でも、それまで働いていた9人は失業するわけです。その9人の中に自分が含まれていたら・・・ということを「生産性向上主義者」たちは想像しない。

 もともとの「お上が嫌い」という大阪のリバタリアン的エートスは「公共財は私物化すべきだ」という新自由主義イデオロギーと妙に相性がよかった。そのせいで維新的なものが好感されている・・・そういうことじゃないかと思います。長い説明になってすみません。

Q2:私たちの仮説は、維新とは自民党から派生した存在であり、自民党的な選挙手法(中選挙区で党内の候補者同士が競い合う)という足腰の強さがあったのではないかということです。とくに、橋下氏が去ったことで自民党的なものへの回帰が進んだ面もあるのではないかと考えています。このような仮説は成り立つでしょうか。


 僕はそうは考えません。もともと自民党の中には福田派的な流れと田中派的な流れの二大潮流がありました。1970年から87年まで続いた「角福戦争」と呼ばれた自民党の派閥抗争はこの二派閥の戦いですが、日本近代政治史において「戦争」とまで呼ばれたような党内闘争は後にも先にもこれしかありません。この二つの政治潮流がいかに「氷炭相容れざるもの」であったかはその一事から知れると思います。おおざっぱに言うと、福田派が都市型・新自由主義的・リバタリアン的で、越山会が田園型・農本主義的・コミュニタリアン的です。この二つのまったく肌合いの違う派閥のきびしい拮抗関係からエネルギーを備給されていたのが高度成長期からバブル期にかけての自民党でした。

 しかし、田中派はのちに「分党」して、最終的に民主党に流れ込むことになりました。乱暴な言い方をすれば、民主党は「自民党田中派」が独立した作った政党です。「竹下派七奉行」のうち4人(羽田孜、奥田敬和、渡部恒三、小沢一郎)は民主党の結党に参加しましたし、鳩山由紀夫も岡田克也も自民党田中派から初出馬したのでした。

 つまり、今の自民党はかつての自民党から「田中派的なもの」を抜き去った政党だということです。国民生活を底上げしてゆく、弱者に配慮する、中産階級を厚みのあるものにして階層格差をなくすという志向が乏しいのはそのせいです。だからもし、いま「自民党的なもの」と言われたのが、55年体制の自民党のような「国民政党的性格」のことを指すのであれば、維新がこれからかつての「自民党的なもの」へ回帰することがあるという見通しに僕は与しません。維新は清和会をさらに社会ダーウィニズム的に純化した政党ですから。

Q3:もう一つの私たちの仮説は、東京の政権党とは異なる「大阪の政党」を、大阪の有権者が求めていたのではないか、そこに維新という存在がうまくマッチしたのではないかということです。東京への対抗心と言ってもいいかもしれません。維新が大阪で非常に高い支持を誇る一方、他の地域では支持の広がりを欠くこともそう考える一因です。大阪の有権者にそのような気質はあるでしょうか。


 それはQ1で答えた通りです。大阪的リバタリアニズムには「反公共」「反東京」「反権力」「反良識」など、いろいろな「反」がくっつきやすいんです。

Q4:ただ、先の質問とやや矛盾しますが、今の大阪の行政運営、政治のありようが、現政権と非常に近い印象を抱かせるのも確かです。それは、トップダウン型の政策決定の重視であり、維新出身の知事・市長による「政治判断」の強調です。事実、安倍政権中枢と維新のトップは非常に良好な関係を築いています。安倍政権との近似をどうご覧になりますか。

Q2で答えたように、両者の体質は非常に近いと思います。自民党の下野時代に維新は安倍晋三を「党首に」とラブコールを送ったことがありました。ケミストリーはほとんど同じだと思います。

Q5:この10年で、大阪の経済状況が好転し、街に活気が生まれたことも確かだと思います。維新はそれを「自分たちの改革の成果」としてアピールしています。この主張をどう思われますか。

「大阪の経済状況が好転している」ということについては、僕には特に実感はありません。このグローバル化された時代に、一自治体における経済政策の良否で、近隣自治体と違うような経済環境が出現するというようなことはありません。景況は無数のファクターの関数です。大阪に中国人観光客が増えたせいで、ずいぶん大阪は潤いましたけれど、あれは「中国政府の経済政策が成功して、中国人がリッチになった」ことの成果であって、大阪の行政とは関係ありません。今度はコロナ禍で来日するドツーリストが激減して、観光業や飲食店はたいへんなダメージを受けますが、それは大阪の行政の失敗ではありません。関係ないものを結びつけて成否を言ってもあまり意味がないと思います。

Q6:万博やIR、「大阪都構想」実現の場合の大阪市から特別区への移行などは、すべて2025年ごろをターゲットとしています。その先、維新が何を掲げるのかは見えてきません。この10年、急成長し、大阪政界を席巻してきた維新ですが、果たしてこの先も生き残ることができるのかは見通せません。次の10年の維新はどうなるでしょうか。当然、それを左右するのは大阪の民意ということになりますが、民意はこの先どう移っていくでしょうか。


 どれも「あの作戦がうまくいって、あの作戦もうまくいった場合には皇軍大勝利」という典型的な「日本流」楽観論ですので、ネガティヴなファクターが一つでも入ると、すべて水泡に帰すと思います。

 このパンデミックで世界経済は数年では立ち直れないくらいのダメージを受けます。かなりの国が定常経済ないしマイナス成長のフェーズに入る。そういう世界的な停滞が予測される時期に、万博やIRのような「祝祭的イベント」で集客して経済浮揚効果をねらうのはまったく不適切だと思います。

 お祭り騒ぎをするだけの経済的余力があるなら、まずコロナ禍で痛めつけられた大阪の住民たちのための医療、福祉、教育などの公共的なセクターに優先的に予算を分配すべきだと思います。しかし、維新は「公共的なセクターへの割り当てを削り取って、民間に移管する」ことだけで支持を集めてきた政党ですから、方向を180度転換しなければならない。果たして、頭の中身を入れ替えることができるかどうか。僕は難しいだろうと思います。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/18_1350.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/452.html#c57

[近代史4] コロナ感染者の悔恨「唯一気を抜いたのがコンタクトレンズ店」 中川隆
1. 中川隆[-13161] koaQ7Jey 2020年4月18日 17:34:52 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[42]
2020年04月18日
新型コロナウイルスの流行が収まるまでコンタクトレンズは使うべきではない、その理由とは?
https://gigazine.net/news/20200418-contact-lenses-spreading-covid-19/


アメリカ眼科学会と日本眼科学会が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対策には目の保護も重要として、「パンデミック中はコンタクトレンズよりもメガネを使うべき」と主張しました。

Coronavirus Eye Safety - American Academy of Ophthalmology
https://www.aao.org/eye-health/tips-prevention/coronavirus-covid19-eye-infection-pinkeye

Do you wear contact lenses? You should switch to glasses to stop spreading the virus - CNN
https://edition.cnn.com/2020/03/27/health/contact-lens-glasses-coronavirus-wellness/index.html

2020年3月10日、アメリカ眼科学会は「新型コロナウイルスは目から感染する可能性がある」と発表。感染者のせき・くしゃみで噴霧された液滴が目に入ったり、新型コロナウイルスが付着したドアノブなどを触った手で目をこすったりすると目から感染しうると述べました。日本眼科学会も2020年4月1日に発表した「新型コロナウイルス感染症の目に関する情報」の中で、「新型コロナウイルスは、目の粘膜組織である『結膜』からも感染する可能性があります」と述べ、国民に対して「洗っていない手で目を触らない」「感染を広げないように、目を触った後にあちらこちらを触らない」の2点を守るように促しました。

新型コロナウイルス感染症の目に関する情報について(国民の皆様へ)
(PDFファイル)https://www.gankaikai.or.jp/info/20200402_COVID-19.pdf



以上のように、2つの眼科学会が「目からの直接的感染」の可能性を示唆していますが、アメリカ眼科学会の広報担当も務めている眼科医のトーマス・ステインマン氏によると、「目から直接的に感染する証拠は見つかっておらず、あり得たとしても可能性はごくわずか」とのこと。ステインマン氏は「目をこすった後で、その指を経由して口・鼻にウイルスが入ることで感染することを防ぐ」というのが目を保護する主な理由だと説明しました。

感染を拡大しうる「目をこする」という動作について、アメリカ眼科学会は、コンタクトレンズの使用者はコンタクトレンズの着脱時以外にも目と顔に触る回数が多いという傾向が存在することを指摘して、「コンタクトレンズを着用している場合はメガネに切り替えることを検討してください」と明言。さらに「メガネにはせき・くしゃみからの飛沫を防ぐ効果も存在します」とも言及しました。日本眼科学会は「コンタクトレンズの着脱時に十分に手を洗うならば大丈夫」としながらも、「心配ならばメガネに代えても良いでしょう」と記しています。



新型コロナウイルスが目から直接感染するかどうかはいまだハッキリとはわかりませんが、「新型コロナウイルスが眼病を生み出す」というのは確認された事実です。世界中からの報告によって、COVID-19患者のおよそ1〜3%が結膜炎になることがわかっています。結膜炎は目に違和感を生じさせたり、涙が増えたりといった症状を呈すため、COVID-19の感染者の目から出た涙や目を触った手から感染が拡大する可能性が指摘されていました。

これについて、アメリカ眼科学会は国内の医療機関に対して「不要不急の眼科治療を直ちに中止する」ことを推奨。目を経由して感染が広がるリスクを減らすだけではなく、眼科診療に必要な使い捨て医療用品を削減することでCOVID-19治療の最前線に立つ病院に使い捨て医療用品が行き渡るようになると訴え、各医療機関に配慮を求めました。

2020年3月25日には「感染者の涙からは新型コロナウイルスが検出されなかった」という研究結果がアメリカで発表されましたが、アメリカ眼科学会は「本研究はサンプル数が少なく、中国で実施された同様の研究では涙から新型コロナウイルスが検出されたと報告されている」「いずれにせよ医療用品の節約が必要」と述べ、いずれにせよ不要不急の治療を控えるように求め続けています。一方、日本眼科学会は受診を控えすぎて眼病が悪化することが問題として、処方された目薬がなくなりそうな場合だけでなく、「急激な視力低下が数時間〜半日続いた」「視野欠損などの視野異常が生じた」「目に激痛が生じた」「頭痛や吐き気を伴う目の痛みが続いた」場合には近くの眼科で治療を受けるように推奨しています。

なお、結膜炎の問題に関して、アメリカ眼科学会や日本眼科学会、そしてこのニュースを報じたCNNは、「結膜炎の症状として一般的な『白目が充血して赤くなる』という症状がみられたとしても、COVID-19に感染しているとは限らない」とそれぞれ言及。結膜炎を生じさせるウイルスは多数存在しており、新型コロナウイルスはあくまでその一種であることや、目の充血は結膜炎に限らずアレルギーや細菌などによっても生じることを指摘して、「自分の目が充血しているという理由でCOVID-19に感染していると騒いだり、他人の目が充血しているからといって攻撃しないようにしてください」と報じています。

https://gigazine.net/news/20200418-contact-lenses-spreading-covid-19/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/800.html#c1

[近代史4] 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」で致死率100% ? 中川隆
34. 中川隆[-13160] koaQ7Jey 2020年4月18日 17:59:50 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[43]

新型コロナウイルス、治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る! ( No.11 )
日時: 2020/04/18 17:58
名前: 777 ID:Uib1co8c

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq

一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる

【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」
日本人医師が断言!
治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。
「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。
・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。
(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。
一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。
そして、いま基礎疾患がない人でも、
糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c34

[近代史4] 新型コロナウイルス感染症は再感染しなくても再活性化する 中川隆
8. 中川隆[-13159] koaQ7Jey 2020年4月18日 18:00:33 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[44]

新型コロナウイルス、治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る! ( No.11 )
日時: 2020/04/18 17:58
名前: 777 ID:Uib1co8c

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq

一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる

【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」
日本人医師が断言!
治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。
「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。
・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。
(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。
一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。
そして、いま基礎疾患がない人でも、
糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/770.html#c8

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
13. 中川隆[-13158] koaQ7Jey 2020年4月18日 18:01:37 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[45]

新型コロナウイルス、治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!


487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq

一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる

【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」
日本人医師が断言!
治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。
「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。
・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。
(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。
一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。
そして、いま基礎疾患がない人でも、
糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c13

[近代史3] アイヌは何故文字を持たなかったのか? 中川隆
1. 中川隆[-13157] koaQ7Jey 2020年4月18日 18:25:38 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[46]

第87話 日本語とアイヌ語
http://ocra.sakura.ne.jp/087.html

  アイヌ語はかつて日本列島で東北から北海道にかけて、かなり広い範囲で話されていた。しかし、現在では日常生活には使われておらず、数少ない古老の記憶の なかだけに残された言語になっている。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味する。「イヌイット」がエスキモーのことばで「人間」を意味するのと同じで ある。

われわれが知っているアイヌ語といえば、カムイ(神)、シャケ(鮭)、コタン(村)、イタコ(云う)くらいである。恐山の「イタコ」はアイヌ語の「云う」か らきているという。金田一京助、知里真志保の『アイヌ語法概説』(岩波書店)によると、アイヌ語は、つぎのような言語である。

poro  chise ta horari.
   大なる 家  に彼住めり

poro pet kotan un arpa.
   幌別  村  へ 彼行く

meko seta orowa a-nospha.
   猫が 犬 に追われる

tampe huchi ku-kore na.
   これ  祖母さんに 私上げる わ

管見しただけで、日本語とはかなり違う言語であることがわかる。アイヌ語は抱合語といわれ動詞のなかに代名詞を包み込んでいる。Horari(彼住めり)、arpa(彼行く)、ku-kore(私―上げる)のように動詞にはその主語や目的語が接頭辞などとして明示されている。語彙もかなり隔たりがある。

目shik、鼻etu、耳kisar、頭sapa、顔nan、手tek、犬seta、猫meko、山 nupuri、ことばitak、

神の国kamui-kotan、人間の国ainu-moshir

神kamui、手tek、猫meko、など日本語と似た語彙もあるが、借用語である可能性がある。引用は断片的にならざるを得ないが、もう一つだけ引用すると、つぎのよう例もある。

 ekashi   nina kusu ekimun oman.
  爺さんは 柴刈り に  山へ  行き

huchi ihuraye kusu pet otta san.
  婆さんはせんたくに  川  へ  行った

東京帝国大学教授だったチェンバレン(Basil Hall Chamberlain)は、明治20年(1887)に「アイヌ研究からみた日本の言語・神話・地名の研究」を発表して、アイヌ語は日本語とは系統の異なる言語であると論じた。その後、金田一京助は昭和12年(1937)に、「国語とアイヌ語との関係――チェンバリン説の再検討――」という論文を発表して、つぎのように述べている。

国語とアイヌ語とは、系統上、如何なる関係に立つ言語であろうか。チェンバリン教授は、半世紀の昔に、これを無関係の言語であると断じて、はっきりとその 証拠を提示されたのであるが、爾来幾多の学者が、幾度もこの問題を取扱いながら、曾てチェンバリン説を支持したものを聞かず、さりとてまたこれを論破した 学説のあることを聞かないのである。然しながら、いつまでも、そのままに放置して居るべきものではなく、そろそろ始末を附けてよかるべき時代に達している のであろうかと思うので、聊か所見を開陳しておくべき次第である。(『アイヌ語研究』p.363)

アイヌの叙事詩ユーカラを研究した金田一京助の結論は、つぎのようなものであった。

  してみればお互い、相隣りながら、太古以来かかる別々の構造の言語を以て生きていたのであ る。有史以前からの接触であるから、この正反対に、沢山の類似 が相互の間に生じても不思議が 無いことであるに係わらず、截然として全くちがう色彩をして相臨んでいるということは、必 竟、両国語は本源のちがう言 語だということに帰着せざるを得ないのである。この点、チェンバリン教授が半世紀前の断案は、今日に及んで、終に微塵も憾ぐところが無いのである。
実をいえば、アイヌ語は日本語と関係があってくれたら好いのである。若し同じ元から分かれた姉妹語ででもあってくれたら、この間に比較言語学が有望になって 来、それに由って、分岐以前の日本語、即ち文献も金石文も遺らぬ悠久な太古日本の言語へ溯って行くことが出来て、アイヌ語の研究も、今あるより、より遥か に興味多いものとなって来る筈である。だが遺憾ながらその関係は、終に無いということに結着するのである。欲すると欲せざるとに係わらず、それが事実であ るから、真理の前、また如何ともしがないのである。(『アイヌ語研究』p.376)

アイヌ語は人称名詞が発達していて、一人称複数に我々(あなたを含む)、と我々(あなとを含まない)の区別がある。これはイヌイットやアメリカ・インディアンの言語と共通の特色である。

 例:我々(あなたを含む)aokai、    我々(あなたを含まない)chiokai

アイヌ語は抱合語と呼ばれる言語である。抱合語はベーリング海峡から、北アメリカ、メキシコにかけて広がっている言語の特色である。イヌイット(エスキ モー)の言語は典型的な抱合語である。ヨーロッパではスペインの一部で話されているバスク語がこのような特色をもっているという。抱合語では「誰が」、 「誰を」あるいは「誰に」という関係を接辞によって明確に示す。

 例: 我が・君に・与える a-e-kore
  我が・彼に・与える a-kore
    君が・私に・与える e-i-kore
  君が・彼に・与える e-kore
  彼が・私に・与える i-kore
  彼が・君に・与える e-kore

 このような違いにもかかわらず、最近では哲学者の梅原猛は日本語アイヌ語同系論を展開している。また、現代におけるアイヌ語研究の第一人者である田村すず子も、アイヌ 語は日本語にむしろ似ている点も多い、としている。アイヌ語にはまた、朝鮮語の要素をもつものが「群をなして」みいだされるという。たしかに、アイヌ語は 語順は日本語とほとんど同じである。修飾語は被修飾語の前に置かれる。日本語と違った点は、否定の表わし方で、「〜しない」という否定形が動詞・動詞句の 前に置かれる。数詞は20進法である。古代日本語や朝鮮語と違ってr音が語頭にたつ、などの点である。

アイヌ語は南島のオーストロネシア語と関係があるのではないか、という興味深い説が村山七郎によって提起されている。(村山七郎『日本語の比較研究』三一書 房ほか)また、それを裏づけるかのような見解も発表されている。人類学者の埴原和郎は「骨から古墳人を推理する」のなかで、つぎのように述べている。

第一に、アイヌはいまも一部で信じられるようなコーカソイド(白色人種系統)ではなく、モンゴロイドに属する人たちである。第二に、アイヌはシベリア方面に 住んでいるような寒冷地民族ではなく、むしろ南方系の原モンゴロイドに近い。そして第三に、アイヌは縄文人にもともよく似ていることから、弥生時代以後の 渡来者の影響を受けることなく、縄文人がそのまま小進化した集団と考えられる。(中公文庫『日本の古代5』p.170)

さらに、埴原和郎は頭骨の形態の比較などから、「アイヌ・沖縄同系論」を支持している。

幕末から明治初年にかけて来日したシーボルト父子は、アイヌ・琉球同系論を主張したが、思えばこれは卓見であった。この説は、その後長い間埋れたかたちに なっていたが、シーボルト説を、あらためて“発掘”すべきだと思う。私自身のデータを含めて、やはりアイヌと琉球人には共通する特徴が多いのである。
例えば歯の形態や頭骨の形態について、多変量解析を行うと、この両者は必ずといってよいほど高い類似性を示し、しかも縄文的伝統を残していることが 分かる。(中略)もちろん、アイヌと琉球人とは、それぞれ異なる歴史を歩んできた。そのため、文化の面では、両者は大きく違っている。共通することは、水 田稲作の弥生時代がなかったこと、その後も古墳文化が及ばず、律令体制の外に置かれ続けたというネガチブな点だけであろう。(『日本人の起源(増補)』p.212)

 アイヌ人は縄文土器をもたない縄文時代人であり、沖縄人は弥生文化をもたない弥生時代人であった。縄文時代に北海道、東北にアイヌ人が暮らしていたことは明らかだが、 アイヌ人が縄文土器を製作した痕跡は残されていない。アイヌ人は12世紀に入ってはじめて独自の文化を形成するにいたった。

琉球列島には縄文時代に早くから人が住み着いていたことは疑いない。しかし、本土が弥生時代の波に洗われていたとき、琉球は縄文晩期を迎えていた。

 縄文時代の日 本列島で南島系(オーストロネシア系)の言語が話されていたとすれば、アイヌ人も沖縄人も、後に弥生文化を受け入れた縄文人も、みな縄文時代には南島系言 語を話していたことになり、アイヌ語と日本語は同系だということになる。しかし、縄文時代のことばが弥生時代以降も受け継がれたという証拠はない。

一方、日本列島には縄文時代からアルタイ系言語Aを話す人と南島系言語Bを話す人が住んでいて、そこに弥生時代になってアルタイ系言語Cを話す人々が渡来したとすれば、縄文時代の日本列島には、アルタイ 系言語Aを話す人と南島系言語Cを話す人の二群が同居していたことになる。日本語はアルタイ系言語Aのうえにアルタイ系言語Cがかぶさった言語だと考えることもできるし、南島系言語Bのうえにアルタイ系言語Cがかぶさった言語だと考え ることもできる。

アイヌ語は南島系言語Cの末裔であり、南島系言語はアリューシャン列島からアメリカ大陸に広がりアメリカ・インディアンの言語ともつながりをもつ、環太平洋 に広がる言語の一環であるということになる。アイヌ語と日本語が似ているところがあるとすれば、日本列島にアルタイ系言語Bを話す人々が入ってくる前に南 島系言語Cを話す人たちが住んでいて、その痕跡が現代の日本語にも残されているからだ、ということになる。

縄文時代は1万2千年前から約1万年の長きにわたる時代である。縄文時代の日本語を探求することは、弥生時代の日本語を復元することよりも一段と困難であ る。「やまとことば」のなかには、狩猟採集生活の痕跡を残す語彙が驚くほど少ない。動物の内臓などに関する語彙も希少であり、弥生語と縄文語の間に断絶が あるのではないかという問題は解決されていない。

世界の言語で系統論の立証に成功しているのは、いずれも古い言語資料が残っている言語である。インド・ヨーロッパ語族の解明が19世紀に進んだのも、サンス クリットの古い文献が残っていたからである。インド・ヨーロッパ語族についで解明が進んでいるのはセム語族である。セム語族に属するアッカド語は紀元前2300年代のタブレットがたくさん残っている。それ以降も古代バビロン、シリア、メソポタミアと続く。

日 本語や周辺の言語は中国語を除いて残念ながら古い時代の文字記録を残していない。縄文時代は文字の記録を残していない。アイヌ語も文字をもたなかった。そ こで、考古学資料や形質人類学の成果を援用して日本語の源流を探り当てようということになるのだが、言語の歴史は言語史料によってしか解明できない。言語 の歴史を現在に残されたわずかな資料だけから解明することは、そう簡単ではない。
http://ocra.sakura.ne.jp/087.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/294.html#c1

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
316. 中川隆[-13156] koaQ7Jey 2020年4月18日 18:58:51 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[47]

バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c316

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
153. 中川隆[-13155] koaQ7Jey 2020年4月18日 18:59:46 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[48]

バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c153

[近代史02] 株式投資の神様「ウォーレン・バフェット」の言葉を真に受けると悲惨な結果になる 中川隆
21. 中川隆[-13154] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:00:32 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[49]

バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/886.html#c21

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
78. 中川隆[-13153] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:01:06 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[50]

バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c78

[近代史4] バブル崩壊の歴史 中川隆
5. 中川隆[-13152] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:02:30 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[51]


バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/128.html#c5

[リバイバル3] 資産を増やすには ほったらかし投資法が断然優れている 中川隆
37. 中川隆[-13151] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:11:21 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[52]

バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/975.html#c37

[リバイバル3] 優良株の長期投資以外はすべてギャンブル 中川隆
22. 中川隆[-13150] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:11:53 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[53]

バフェット理論で世界の崩壊は決まっていた? 日米株バブル崩壊


株式時価総額がGDPを大きく超えた時にバブル崩壊している(アメリカ)

引用:(投資の科学的思考)http://investortrader.info/wp-content/uploads/2016/09/419bb581eeba14ec33a6a866d1a49d43.png


危うい日本株

2010年にリーマンショックが終息し、2019年まで日本を含めてバブル経済を謳歌していました。

だが客観的数字のいくつかは世界バブルが人為的に吊り上げたもので、やがて落ちてくるのを示唆していました。

日本について良くないことの一つが日銀と年金資金による大量の日本株購入で、株価上昇の多くをもたらしていました。


例えば日銀は2016年にETFを4兆3千億円購入、GPIFなど信託銀行も3兆5千億円を買い越し、政府系だけで約8兆円の買いがあった。

外国人投資家は、現物と先物で2兆8000億円を売り越し、国内個人投資家も2兆5000億円を売り越し、個人投資家は5兆円以上を売りこした。

政府系資金で個人投資家の売りをそっくり吸収して、民間機関投資家の買いを呼び込んで株価が上昇した。


成長を続けるには今後永遠に日銀とGPIFがは8兆円から10兆円も買わなくてはならないが続けられるか疑問がある。

政府の資金で株価を上げるのは一時的には効果があるが、資金が有限である以上、いつかは止めなくてはならない。

世界にとって良くない事は2010年以降の世界バブルはアメリカの金融緩和によってもたらされた事でした。


日銀がFRBに置き換わっただけで、FRBがNY株価を吊り上げて増えた資産が世界に投資され世界バブルを起こした。

世界バブルには実態がないので、いつか崩壊すると予言していた人が居ました。

約束されていたバブル崩壊

Wバフェットは日米や世界の株価は既に上昇しすぎていて「バブル」になっている疑いがあると言っていた。

この手の崩壊論は当たらないことが多いが、それが世界一の金持ち投資家のWバフェットなら、気に掛けるべきだったかも知れない。

有名なバフェット指数では「その国の株式総額は、長期的にはGDPと一致する」のを基本原理としている。


つまり株価とは実体経済の裏づけがあるもので、トヨタが生み出す価値が10兆円ならば、トヨタの時価総額も10兆円であるべきだという事です。

これがもし10兆円の価値しか生み出していないのに、時価総額だけ100兆円だったら、ホリエモンのネット企業みたいに崩壊する可能性が高いです。

日本のGDPは約550兆円だが、東証1部の時価総額は一時600兆円以上もあった。


アメリカのGDPは約20兆ドルで、時価総額は25兆ドル超だったので、日米の株価はいずれもGDPを上回っている。

過去にはこのように時価総額がGDPを大幅に上回ったときに、2000年のITバブル崩壊や、20007年サブプライム危機が起きていました。

日本でも株価が上がりきった時にバブル崩壊、小泉景気の反動などが起きたが、いずれもGDPが増えていないのに株価だけが上がっていた。


こうして見ると確かに日米の株価はGDPという実体経済に対して高すぎバブル経済になっていた。

これらの数字からは世界のバブル崩壊は約束されていて、コロナウイルスは背中を押したのに過ぎない
http://www.thutmosev.com/archives/68367158.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/907.html#c22

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
14. 中川隆[-13149] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:29:35 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[54]

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c14
[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
15. 中川隆[-13148] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:31:11 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[55]


武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c15
[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
9. 中川隆[-13147] koaQ7Jey 2020年4月18日 19:32:14 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[56]


武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c9
[国際28] 武漢研究所ウイルス流出疑惑、米情報機関が調査結果提出へ パイプライン
3. 中川隆[-13146] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:23:16 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[57]

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】
https://www.youtube.com/watch?v=0-DxaTcBiCE&feature=emb_title

【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

▲△▽▼

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性

武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年

石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。

「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬 中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に  

「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」
という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された

____

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq
一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる


【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」

日本人医師が断言!

治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。

「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。

・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。

(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。

一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。

そして、いま基礎疾患がない人でも、

糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/596.html#c3

[国際28] 米、武漢研究所起源説を検証か 新型コロナ巡り、中国は反論 パイプライン
4. 中川隆[-13145] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:24:52 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[58]

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】
https://www.youtube.com/watch?v=0-DxaTcBiCE&feature=emb_title

【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

▲△▽▼

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性

武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年

石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。

「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬 中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に  

「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」
という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された

____

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq
一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる


【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」

日本人医師が断言!

治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。

「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。

・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。

(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。

一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。

そして、いま基礎疾患がない人でも、

糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/592.html#c4

[マスコミ・電通批評15] ブーメラン効果 アメリカは自分の仕掛けた戦争で苦しんでいる? 国際教育総合文化研究所・寺島隆吉(長周新聞) こーるてん
8. 中川隆[-13144] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:26:32 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[59]

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】
https://www.youtube.com/watch?v=0-DxaTcBiCE&feature=emb_title

【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

▲△▽▼

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性

武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年

石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。

「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬 中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に  

「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」
という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された

____

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq
一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる


【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」

日本人医師が断言!

治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。

「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。

・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。

(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。

一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。

そして、いま基礎疾患がない人でも、

糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/568.html#c8

[国際28] ブーメラン効果 アメリカは自分の仕掛けた戦争で苦しんでいる? 国際教育総合文化研究所・寺島隆吉(長周新聞)( マスコミ・電… こーるてん
1. 中川隆[-13143] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:26:50 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[60]

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】
https://www.youtube.com/watch?v=0-DxaTcBiCE&feature=emb_title

【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

▲△▽▼

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性

武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年

石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。

「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬 中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に  

「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」
という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された

____

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq
一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる


【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」

日本人医師が断言!

治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。

「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。

・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。

(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。

一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。

そして、いま基礎疾患がない人でも、

糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/594.html#c1

[国際28] コロナ危機はまだ序の口(田中宇)「言われているほど重篤性がない」論は厳禁、戦前より騙されやすい間抜け てんさい(い)
13. 中川隆[-13142] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:30:41 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[61]
ワクチンは出来ない

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】
https://www.youtube.com/watch?v=0-DxaTcBiCE&feature=emb_title

【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

▲△▽▼

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性

武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年

石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。

「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬 中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に  

「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」
という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された

____

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq
一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる


【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」

日本人医師が断言!

治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。

「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。

・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。

(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。

一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。

そして、いま基礎疾患がない人でも、

糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/593.html#c13

[国際28] 米、新型コロナウイルス死者3.5万人突破 感染68.4万人(ニューズウィーク) 赤かぶ
11. 中川隆[-13141] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:31:56 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[62]

武漢P4施設を人民解放軍が爆破!その後6機のヘリコプターが・・・【最後に爆破映像あり】
https://www.youtube.com/watch?v=0-DxaTcBiCE&feature=emb_title

【研究】新型コロナウイルスは免疫細胞を無効化することが判明 ★8
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1586868945/

▲△▽▼

石正麗(Shi Zhengli) 55歳 女性

武漢ウイルス研究所 研究主任

2015年

石正麗はNature Medicine誌において、

「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。

「SARSウイルスとコウモリウイルスを組み合わせることによって、ヒトの気道に感染する新しいタイプのコロナウイルスを作成した」という内容である。

米国立衛生研究所(NIH)はこれら倫理及び必要性の疑問により石正麗への研究資金提供を停止している。

コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。

しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。

その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。

インドとイスラエルの遺伝子配列を研究する専門家はそれぞれ

「新型コロナウイルスの表面にある4つのタンパク質は、自然界には存在しえない配列を持っており、SARSにHIVウイルスが合成されているものだ」

と指摘している。  

2020年1月下旬 中国共産党の公式軍事ページである「西陸網」に  

「新型コロナウイルスは人工的に作成したもので、武漢ウイルス研究所の石正麗研究員とそのチームがコロナウイルスを生成し、流出させた」
という記事が掲載された。

新型コロナウイルスが人工的に作られてたものであることを当初は中国共産党及び軍も公式に認めていたのである。

※この記事は後日削除された

____

487名無しの笛の踊り2020/04/18(土) 17:12:33.06ID:WnBuZPLq
一度でも感染した奴は【コロナ一家】と呼ばれ生きていけなくなる


【人類滅亡】新型コロナウイルス
1度感染したら体内に残り続ける説
免疫低下でウイルス再活性

「新型コロナは全人類抹殺のため中国が作った生物兵器」

日本人医師が断言!

治療法無し!ウイルスは体内に永遠に残る!

・新型コロナは感染力が強い。

「感染しないよう頑張る」のは無駄な努力。必ず感染する。

・一度体内にウィルスが入ると、半永久的にウィルスが残るということである。

(中略)運悪く余病が併発している時にこれ(症状発現)がおきると重症化のパターンに陥り、その人間は死に至る。

菅生医師の指摘によると、集団免疫の獲得は決して喜ばしい出来事ではない。

一度体内にウィルスが入ると再発を繰り返していくというのだ。

そして、いま基礎疾患がない人でも、

糖尿病や呼吸器疾患を発病したタイミングで新型コロナウィルスが活性化すれば致命的な状態になる。

菅生医師は「人類を滅亡させるために設計したウィルスだから、ここまでの毒が詰め込まれていてもおかしくはない」と記している。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/597.html#c11

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
15. 中川隆[-13155] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:40:05 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[48]
中国、新型ウイルス最初の感染者は、武漢病毒研究所の黄燕珍さん。2020年2月17日


虎ノ門ニュースから石平氏(せきへい)の情報です。

石平氏は、中華人民共和国四川省成都市出身で現在は日本国籍を取得し拓殖大学客員教授です。中国内部の事に非常に詳しい方です。

中国のネットで騒がれている話題で、中国武漢市発の「新型コロナウイルス」の最初の感染者は、武漢病毒研究所の黄燕珍さん(女性)ではないかと騒がれている。
2019/11月末の話で、武漢病毒研究所に在籍してたのはネット民が突き止めており、中国当局は生存していると説明しているが、所在も、顔写真も公表しておらず安否は不明である。

2/16日に中国のメディアで

「确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理」

というタイトルの報道が全土で出ました。

直訳すると「生物の安全を確保!科学技術省は実験室、特にウィルスの管理を強化することを要求した」となり、簡単に言うと、中国政府がウイルス等の実験施設を管理すると中国全土に報道したという内容です。

このタイミングで、この対応を取るという事は、武漢病毒研究所からウイルスが漏れたことを認めたとも、取ることができ、いずれバレルなら、今発表して、政府が対応していると世界にアピールする意味があるのではと石平氏は語っていた。
中国武漢の軍は2020/1/2付で新型肺炎の対策を取っていた軍の資料があり、この時点で軍は動いていたことがうかがえる。

※ちなみに、習近平が指示を出したのは1/7日。
确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理

确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理_医疗_产经频道首页_财经网
确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理
http://industry.caijing.com.cn/20200215/4643410.shtml


生物の安全を確保!科学技術省は実験室、特にウィルスの管理を強化することを要求した

中央テレビのニュース・クライアント
科技部社会発展科技司の呉遠彬司長は今日(15日)の国務院連防連控の記者発表会で、規範管理とサービスを強化し、効率、順序に全国応急科技難関を推進するため、科技部は《新冠ウイルス高悪性度ウイルス微生物研究所の生物学的安全管理の強化に関するガイドライン》を発表した。

呉遠彬氏によると、《意見》は実験室がプラットフォームの役割を果たし、科学技術の需要を解決することが求められる。同時に、各主管部門も実験室、特にウィルスに対する管理を強化し、生物の安全を確保することを強調した。
呉遠彬氏は、科学技術の難関突破において、特事の特別処理を強調すると同時に、法律遵守を強調し、関連研究の論題審査とインフォームドコンセントを強化し、疫病発生期間に外国の専門家の保障をしっかり行い、各企業に良いサービスを提供する。

【注意】石平氏の個人的な見解から、引用しています。
ただ、アメリカの専門家の武漢入りを認めないなど腑に落ちない事は間違いなくありました。また、石平氏はあくまで自分の見解として、研究所で爆発が起こったとネットで騒がれて、証拠隠滅の可能性も…と、語っていました。
https://www.bookservice.jp/2020/02/17/post-41335/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c15

[近代史4] 焼け太る中国!対策が打てない日本!コロナ恐慌に打ち勝つには! 中川隆
16. 中川隆[-13154] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:40:44 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[49]

中国、新型ウイルス最初の感染者は、武漢病毒研究所の黄燕珍さん。2020年2月17日


虎ノ門ニュースから石平氏(せきへい)の情報です。

石平氏は、中華人民共和国四川省成都市出身で現在は日本国籍を取得し拓殖大学客員教授です。中国内部の事に非常に詳しい方です。

中国のネットで騒がれている話題で、中国武漢市発の「新型コロナウイルス」の最初の感染者は、武漢病毒研究所の黄燕珍さん(女性)ではないかと騒がれている。
2019/11月末の話で、武漢病毒研究所に在籍してたのはネット民が突き止めており、中国当局は生存していると説明しているが、所在も、顔写真も公表しておらず安否は不明である。

2/16日に中国のメディアで

「确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理」

というタイトルの報道が全土で出ました。

直訳すると「生物の安全を確保!科学技術省は実験室、特にウィルスの管理を強化することを要求した」となり、簡単に言うと、中国政府がウイルス等の実験施設を管理すると中国全土に報道したという内容です。

このタイミングで、この対応を取るという事は、武漢病毒研究所からウイルスが漏れたことを認めたとも、取ることができ、いずれバレルなら、今発表して、政府が対応していると世界にアピールする意味があるのではと石平氏は語っていた。
中国武漢の軍は2020/1/2付で新型肺炎の対策を取っていた軍の資料があり、この時点で軍は動いていたことがうかがえる。

※ちなみに、習近平が指示を出したのは1/7日。
确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理

确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理_医疗_产经频道首页_财经网
确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理
http://industry.caijing.com.cn/20200215/4643410.shtml


生物の安全を確保!科学技術省は実験室、特にウィルスの管理を強化することを要求した

中央テレビのニュース・クライアント
科技部社会発展科技司の呉遠彬司長は今日(15日)の国務院連防連控の記者発表会で、規範管理とサービスを強化し、効率、順序に全国応急科技難関を推進するため、科技部は《新冠ウイルス高悪性度ウイルス微生物研究所の生物学的安全管理の強化に関するガイドライン》を発表した。

呉遠彬氏によると、《意見》は実験室がプラットフォームの役割を果たし、科学技術の需要を解決することが求められる。同時に、各主管部門も実験室、特にウィルスに対する管理を強化し、生物の安全を確保することを強調した。
呉遠彬氏は、科学技術の難関突破において、特事の特別処理を強調すると同時に、法律遵守を強調し、関連研究の論題審査とインフォームドコンセントを強化し、疫病発生期間に外国の専門家の保障をしっかり行い、各企業に良いサービスを提供する。

【注意】石平氏の個人的な見解から、引用しています。
ただ、アメリカの専門家の武漢入りを認めないなど腑に落ちない事は間違いなくありました。また、石平氏はあくまで自分の見解として、研究所で爆発が起こったとネットで騒がれて、証拠隠滅の可能性も…と、語っていました。
https://www.bookservice.jp/2020/02/17/post-41335/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/762.html#c16

[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
10. 中川隆[-13153] koaQ7Jey 2020年4月18日 21:41:34 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[50]

中国、新型ウイルス最初の感染者は、武漢病毒研究所の黄燕珍さん。2020年2月17日


虎ノ門ニュースから石平氏(せきへい)の情報です。

石平氏は、中華人民共和国四川省成都市出身で現在は日本国籍を取得し拓殖大学客員教授です。中国内部の事に非常に詳しい方です。

中国のネットで騒がれている話題で、中国武漢市発の「新型コロナウイルス」の最初の感染者は、武漢病毒研究所の黄燕珍さん(女性)ではないかと騒がれている。
2019/11月末の話で、武漢病毒研究所に在籍してたのはネット民が突き止めており、中国当局は生存していると説明しているが、所在も、顔写真も公表しておらず安否は不明である。

2/16日に中国のメディアで

「确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理」

というタイトルの報道が全土で出ました。

直訳すると「生物の安全を確保!科学技術省は実験室、特にウィルスの管理を強化することを要求した」となり、簡単に言うと、中国政府がウイルス等の実験施設を管理すると中国全土に報道したという内容です。

このタイミングで、この対応を取るという事は、武漢病毒研究所からウイルスが漏れたことを認めたとも、取ることができ、いずれバレルなら、今発表して、政府が対応していると世界にアピールする意味があるのではと石平氏は語っていた。
中国武漢の軍は2020/1/2付で新型肺炎の対策を取っていた軍の資料があり、この時点で軍は動いていたことがうかがえる。

※ちなみに、習近平が指示を出したのは1/7日。
确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理

确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理_医疗_产经频道首页_财经网
确保生物安全!科技部要求加强对实验室特别是对病毒的管理
http://industry.caijing.com.cn/20200215/4643410.shtml


生物の安全を確保!科学技術省は実験室、特にウィルスの管理を強化することを要求した

中央テレビのニュース・クライアント
科技部社会発展科技司の呉遠彬司長は今日(15日)の国務院連防連控の記者発表会で、規範管理とサービスを強化し、効率、順序に全国応急科技難関を推進するため、科技部は《新冠ウイルス高悪性度ウイルス微生物研究所の生物学的安全管理の強化に関するガイドライン》を発表した。

呉遠彬氏によると、《意見》は実験室がプラットフォームの役割を果たし、科学技術の需要を解決することが求められる。同時に、各主管部門も実験室、特にウィルスに対する管理を強化し、生物の安全を確保することを強調した。
呉遠彬氏は、科学技術の難関突破において、特事の特別処理を強調すると同時に、法律遵守を強調し、関連研究の論題審査とインフォームドコンセントを強化し、疫病発生期間に外国の専門家の保障をしっかり行い、各企業に良いサービスを提供する。

【注意】石平氏の個人的な見解から、引用しています。
ただ、アメリカの専門家の武漢入りを認めないなど腑に落ちない事は間違いなくありました。また、石平氏はあくまで自分の見解として、研究所で爆発が起こったとネットで騒がれて、証拠隠滅の可能性も…と、語っていました。
https://www.bookservice.jp/2020/02/17/post-41335/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c10

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
16. 中川隆[-13152] koaQ7Jey 2020年4月18日 22:19:16 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[51]
【解説】新型コロナの流出源? 武漢研究所を取り巻く疑惑
AFPBB News 2020/04/18
https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/【解説】新型コロナの流出源%EF%BC%9F-武漢研究所を取り巻く疑惑/ar-BB12NIu6



© Hector RETAMAL / AFP 中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(2020年4月17日撮影)。


【AFP=時事】新型コロナウイルス流行の中心地となった中国・武漢(Wuhan)のはずれの山沿いに位置する「武漢ウイルス研究所(Wuhan Institute of Virology)」──。厳重な警備下に置かれたこの施設が新型ウイルスのパンデミック(世界的な大流行)の発生源だった可能性があるとの疑惑が今、米国で取り沙汰されている。

© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。
 以下に、同研究所をめぐる主な疑問をまとめた。

© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室を視察した当時の仏首相、ベルナール・カズヌーブ氏(中央、2017年2月23日撮影)。


■どのような施設なのか?

 同研究所は中国典型培養物保蔵センター(CCTCC)の所在地。公式ウェブサイトによると、同センターはアジア最大のウイルス保管施設で、1500株以上を保管している。

 同研究所では2015年、病原体レベル4(P4)を扱える最高水準の安全性を確保した実験室が完成し、2018年に稼働を開始。P4は人から人への感染の危険性が高いウイルスを指し、エボラウイルスなどが含まれる。

 P4実験室の建設に当たっては、仏バイオ企業の創業者アラン・メリュー(Alain Merieux)氏が顧問を務めた。同研究所では病原体レベル3(P3)実験室も2012年に稼働を開始している。

 AFP記者が最近、同研究所を訪れたところ、内部に人の動きはみられなかった。


■新型ウイルスはここで発生したのか?

 米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)とFOXニュース(Fox News)は匿名の情報筋の話として、新型ウイルスがこの研究所から誤って流出した可能性があると報じた。


 ワシントン・ポスト紙が入手した外交公電からは、当局者らが特に重症急性呼吸器症候群(SARS)に類似したコウモリコロナウイルスの取り扱いをめぐる安全対策の不備に懸念を示していたことが明らかになった。

 FOXニュースは、同施設で研究対象となっていたコウモリ由来のウイルス株に感染した人物が「0号患者」となり、そこからウイルスが武漢の住民に広まった可能性があると伝えた。

 中国の科学者らは、新型コロナウイルスは武漢の野生動物市場で動物から人へと感染した可能性が高いとしているが、インターネット上では武漢ウイルス研究所が起源だとの疑惑をめぐるさまざまな陰謀説が拡散。ついには米政府もこの疑惑に言及し、当局がウイルスの出所をめぐり「徹底的な調査」を行っていることをマイク・ポンペオ(Mike Pompeo)国務長官が表明するに至った。

 同研究所は17日、コメントを拒否したものの、今年2月にはうわさを否定する声明を出していた。また中国外務省の趙立堅(Zhao Lijian)報道官は17日、同研究所から新型コロナウイルスが流出したとの説を否定した。


■新型ウイルスについて分かっていることは?

 科学者らは、新型ウイルスの起源はコウモリだと考えており、そこからセンザンコウを媒介して人へと感染した可能性があるとみている。センザンコウは絶滅が危惧されているが、中国国内ではそのうろこが伝統薬の材料として違法に取引されている。

 だが今年1月、英医学誌ランセット(Lancet)に発表された中国科学者チームの論文では、最初の感染者と、初期に感染が確認された41人のうちの13人が、ウイルス発生源とされる武漢の野生動物市場とはつながりがなかったことが明らかにされた。

 中国を代表するコウモリコロナウイルス研究者の一人で、武漢ウイルス研究所P4実験室の副所長でもある石正麗(Shi Zhengli)氏は、新型コロナウイルスがコウモリ由来であることを初めて示した論文を出した研究チームの一員だ。

 米科学雑誌サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)のインタビューに応じた石氏は、新型コロナウイルスのゲノム配列は自身の研究所がこれまでに収集・研究したコウモリコロナウイルスのいずれとも一致しなかったと述べた。

 英ロンドン大学キングスカレッジ(King's College London)のバイオセキュリティー研究者、フィリッパ・レンツォス(Filippa Lentzos)氏はAFPに対し、新型ウイルスが武漢の研究所から流出したとする説には今のところ証拠がないとする一方、野生動物市場が発生源だとする説にも「確固たる証拠はない」と指摘。「私にとって、パンデミックの起源は依然として未解決の疑問だ」と語った。

https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/【解説】新型コロナの流出源%EF%BC%9F-武漢研究所を取り巻く疑惑/ar-BB12NIu6
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c16

[近代史4] 河添恵子 : 習政権が必死に隠している武漢コロナ・ウイルスの発生源 中川隆
11. 中川隆[-13151] koaQ7Jey 2020年4月18日 22:19:56 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[52]

【解説】新型コロナの流出源? 武漢研究所を取り巻く疑惑
AFPBB News 2020/04/18
https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/【解説】新型コロナの流出源%EF%BC%9F-武漢研究所を取り巻く疑惑/ar-BB12NIu6



© Hector RETAMAL / AFP 中国・武漢で、武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室が入る建物(2020年4月17日撮影)。


【AFP=時事】新型コロナウイルス流行の中心地となった中国・武漢(Wuhan)のはずれの山沿いに位置する「武漢ウイルス研究所(Wuhan Institute of Virology)」──。厳重な警備下に置かれたこの施設が新型ウイルスのパンデミック(世界的な大流行)の発生源だった可能性があるとの疑惑が今、米国で取り沙汰されている。

© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室で作業を行う職員(2017年2月23日撮影)。
 以下に、同研究所をめぐる主な疑問をまとめた。

© JOHANNES EISELE / AFP 中国・武漢にある武漢ウイルス研究所の病原体レベル4(P4)実験室を視察した当時の仏首相、ベルナール・カズヌーブ氏(中央、2017年2月23日撮影)。


■どのような施設なのか?

 同研究所は中国典型培養物保蔵センター(CCTCC)の所在地。公式ウェブサイトによると、同センターはアジア最大のウイルス保管施設で、1500株以上を保管している。

 同研究所では2015年、病原体レベル4(P4)を扱える最高水準の安全性を確保した実験室が完成し、2018年に稼働を開始。P4は人から人への感染の危険性が高いウイルスを指し、エボラウイルスなどが含まれる。

 P4実験室の建設に当たっては、仏バイオ企業の創業者アラン・メリュー(Alain Merieux)氏が顧問を務めた。同研究所では病原体レベル3(P3)実験室も2012年に稼働を開始している。

 AFP記者が最近、同研究所を訪れたところ、内部に人の動きはみられなかった。


■新型ウイルスはここで発生したのか?

 米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)とFOXニュース(Fox News)は匿名の情報筋の話として、新型ウイルスがこの研究所から誤って流出した可能性があると報じた。


 ワシントン・ポスト紙が入手した外交公電からは、当局者らが特に重症急性呼吸器症候群(SARS)に類似したコウモリコロナウイルスの取り扱いをめぐる安全対策の不備に懸念を示していたことが明らかになった。

 FOXニュースは、同施設で研究対象となっていたコウモリ由来のウイルス株に感染した人物が「0号患者」となり、そこからウイルスが武漢の住民に広まった可能性があると伝えた。

 中国の科学者らは、新型コロナウイルスは武漢の野生動物市場で動物から人へと感染した可能性が高いとしているが、インターネット上では武漢ウイルス研究所が起源だとの疑惑をめぐるさまざまな陰謀説が拡散。ついには米政府もこの疑惑に言及し、当局がウイルスの出所をめぐり「徹底的な調査」を行っていることをマイク・ポンペオ(Mike Pompeo)国務長官が表明するに至った。

 同研究所は17日、コメントを拒否したものの、今年2月にはうわさを否定する声明を出していた。また中国外務省の趙立堅(Zhao Lijian)報道官は17日、同研究所から新型コロナウイルスが流出したとの説を否定した。


■新型ウイルスについて分かっていることは?

 科学者らは、新型ウイルスの起源はコウモリだと考えており、そこからセンザンコウを媒介して人へと感染した可能性があるとみている。センザンコウは絶滅が危惧されているが、中国国内ではそのうろこが伝統薬の材料として違法に取引されている。

 だが今年1月、英医学誌ランセット(Lancet)に発表された中国科学者チームの論文では、最初の感染者と、初期に感染が確認された41人のうちの13人が、ウイルス発生源とされる武漢の野生動物市場とはつながりがなかったことが明らかにされた。

 中国を代表するコウモリコロナウイルス研究者の一人で、武漢ウイルス研究所P4実験室の副所長でもある石正麗(Shi Zhengli)氏は、新型コロナウイルスがコウモリ由来であることを初めて示した論文を出した研究チームの一員だ。

 米科学雑誌サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)のインタビューに応じた石氏は、新型コロナウイルスのゲノム配列は自身の研究所がこれまでに収集・研究したコウモリコロナウイルスのいずれとも一致しなかったと述べた。

 英ロンドン大学キングスカレッジ(King's College London)のバイオセキュリティー研究者、フィリッパ・レンツォス(Filippa Lentzos)氏はAFPに対し、新型ウイルスが武漢の研究所から流出したとする説には今のところ証拠がないとする一方、野生動物市場が発生源だとする説にも「確固たる証拠はない」と指摘。「私にとって、パンデミックの起源は依然として未解決の疑問だ」と語った。

https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/【解説】新型コロナの流出源%EF%BC%9F-武漢研究所を取り巻く疑惑/ar-BB12NIu6
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/602.html#c11

[近代史4] 新型コロナウイルスはデザイナーズウィルス、免疫細胞を無効化することが判明 中川隆
17. 中川隆[-13150] koaQ7Jey 2020年4月18日 22:32:20 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[53]

【武漢P4研究施設】最高レベルの危険ウィルスを研究する  (日本語字幕設定)



武漢P4研究所は国が投資する大科学プロジェクトで、中国科学院と武漢市人民政府が共同設立した。武漢ウィルス研究所の代表的設備は、2017年に開設された最高の安全性を持つバイオセーフティー・レベル4(P4)の施設だ。2003年、中国政府はSARSが蔓延してからP4研究所の建設を始めた。P4とは、人間にとって最も致死性の高い類いの病原体に対する最高レベルの封じ込めが可能であることを示す基準だ。P4の施設で管理される病原体に関するCDCの解説によれば、こうした微生物によって引き起こされる感染は、治療方法やワクチンが存在せず、死につながる可能性が高いという。 

同研究所には、中国の突発的急性伝染病防止・制御科学研究拠点、病原体保管センター、世界保健機関感染症参考実験室、中国生物安全実験室プラットフォームの重要地域センターという3つの機能がある。P4研究所は危険度の一番高く、また最も致死率の高い病原体を扱っている。現在、このような研究施設は米国、フランス、ドイツなど数か国にしかない。そこで働く科学者らに対して厳格な手順が定められている。彼らは出入する際にハリウッド映画でしか目にしたことがないような、陽圧式防護服を着て作業する。

これら施設の中には、国防的機能を持ち、中国人民軍と協力関係にあるものも多い。中国は、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)を経験した後に、生物化学に関心を寄せるようになった。中国政府は当初、SARSのときと同様、新型コロナウィルスの感染拡大を軽視していた。新型コロナウィルスの発生源に関しては解明されていない問題が存在し、研究所での事故の可能性は否定てきないとの見解もある。
https://www.youtube.com/watch?v=KTeFgWMKGJM&feature=emb_title

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c17

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100409  g検索 koaQ7Jey

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。