14. 中川隆[-15064] koaQ7Jey 2019年12月21日 23:31:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2105]
明治天皇すりかえ説 _ 明治天皇は大室寅之祐なのか?
大室寅之祐と明治天皇は私生活での言葉も食生活も異なっていた! 2018-08-23
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12373927025.html
明治天皇は伊藤博文の陰謀で、現在の山口県の田布施町に生まれ育った大室寅之祐が入れ替わったと言うトンデモ説がある。大室寅之祐が生まれてから明治天皇になる前の活躍の物語が明治維新史と矛盾していることを既に指摘している。
ここでは言葉と食生活について矛盾を指摘したい。
この大室寅之助は南朝の後醍醐天皇の末裔で、山口県の田布施町に先祖代々居住し、本人もここで生まれ育ったとの設定になっている。ここでは、明治天皇の東京の皇居での私生活と比較する。
明治天皇は私生活では、京都の言葉を母語として話し、食の好みも京都で流通する食材であり、刺し身は絶対に食べられなかった。これに対し大室寅之祐は田布施町に生まれ育って、明治天皇に入れ替わるまで京都での生活は無いと設定されているようだ。
すなわち、話し言葉に関し、山口弁は東京式アクセントであるのに対し、宮中の言葉を含め京都弁は京阪式アクセントであり、切り替えることは容易では無い。食生活についても、瀬戸内海沿岸の田布施では刺身も含めて海の魚が中心であったはずだが、京都の食材の場合は鮎や鯉など淡水魚が大きな割合を占め、明治維新前後の京都では刺身も含め海産物は容易には食べられなかったと考えられる。
やはり、大室寅之祐が明治天皇になったと言うトンデモ説には無理がある。
参考
@ 泥酔確実? 明治150年記念 明治天皇の晩酌を再現する
文春オンライン(2018.5.6、参考)
辻田 真佐憲
明治天皇はたいへんな酒好きだった。しかも、けっこう面倒くさい酔い方をするタイプだった。
【写真】明治天皇が好んだ「鶏酒」を作ってみた!
そばに控える侍従に「お前は幼名を勇麿と云つた。其名に対しても酒位飲めぬことはない。是非飲め」と絡み、夜更けまでシャンパンを2本空けて酩酊し転倒することもあった。
これはたしかに泥酔不可避
明治天皇は、酔っ払うと口元が歪み、話がもつれ、足元がおぼつかなくなった。こうなると侍従たちは、「今日は大変だ」「一寸始末に困る」と頭を抱えなければならなかった。
明治150年の今年、まことに味わうべきエピソードの数々である。
明治神宮の清酒菰樽
いったい明治天皇はどんな飲み方をしていたのだろうか。今回さまざまな証言をもとに明治天皇の晩酌を再現してみた。すると、これはたしかに泥酔不可避の代物だった――。
明治天皇はシャンパンが大好き
明治天皇の晩酌については、長らく侍従を務めた日野西資博の証言が役に立つ。
彼によれば、明治天皇は、日本酒、ワイン、シャンパン、ベルモット、保命酒、霰(あられ)酒を好んだ。そのいっぽうで、ウィスキーやブランデーはほとんど飲まなかった。どうやら10〜20度ぐらいの酒が好きだったらしい。
ベルモットは白ワインに薬草類を浸して作ったリキュール、保命酒と霰酒はそれぞれ広島と奈良の名産品である。
なかでも天皇はシャンパンが大好きだった。すでに紹介したように、一晩で2本飲むことさえあった。
天皇はどんな酒でも「注いで差上げれば、それこそ何杯でも召上る」上戸だったが、シャンパンの場合とくによく飲むので、侍従はあまりシャンパンを出したくなかったという。
今回はせっかくなので、1本はシャンパンを用意した。そしてもう1本は、「外国におとらぬものを造るまでたくみの業にはげめもろ人」の御製を踏まえ、国産のスパークリングワインを用意した。
天皇はコップで酒を飲んでいたとされる。酒器や食器はありあわせなので、その点はご容赦いただきたい。
毎晩食べていた「鶏酒」とはなにか?
酒には肴がなければならない。これは千古不易の真理である。日野西によれば、天皇の夕食にはかならず鶏酒が出された。
耳慣れないが、鶏酒は、塩を振って軽くあぶった鶏肉を茶碗に入れて、上から熱燗の日本酒を注ぎ入れ、お吸い物のようにした料理であるらしい。
季節によっては、鶏肉の代わりに鴨肉や雉肉が使われた。その場合は、鴨酒や雉酒といった。
どんな味がするのだろう。鶏肉は鶏肉、日本酒は日本酒で別々に飲み食いしたほうがよいようにも思うが……。さほど難しくなさそうなので作ってみた。
天皇はたいてい抱身(胸肉)の部分を食べたというから、鶏の胸肉を購入し、一口大に切り、塩を揉み込んで火を通した。そして茶碗に入れて、熱燗の日本酒を注ぎ入れた。
見た目は地味。これをシャンパンとともに食べる。まったく味の予想がつかない。
天皇はもともと日本酒が好きだったが、侍医の薦めで、ワインに切り替えた。そのため、鶏酒は日本酒を飲める数少ない料理だった。
もっとも、周囲は天皇の健康を考え、段々と鶏肉の量を増やして、日本酒の使用量を減らしたという。今回作ったものも鶏肉が多いため、健康志向といえるかもしれない。
刺し身は絶対に食べなかった
明治天皇は、生まれ故郷の京都を愛した。いまでは想像しにくいが、話し言葉も京都弁で、「何を着て居ても暑い時は暑いのや。これでえゝ」「新聞はよしあしや」「一ぺん見ると、又あとが見たうなつていかん」といった調子であった(大正天皇の生母・柳原愛子の証言)。
食べ物でも、やはり京都方面から取り寄せたものを好んだ。野菜では、嫁菜、蒲公英(たんぽぽ)、独活(うど)など。魚類では、鮎、鯉、鱧、若狭湾で取れた小鯛や鰈を非常に好み、鳥類では、鶉をよく食べた。
鮎、鱒、鮭の「魚の子」は茶碗一杯分をいっぺんに食べたともあるが、これは稚魚か魚卵のたぐいだろうか。
そのいっぽうで、刺し身は絶対に食べず、酢の物、漬物、果物の大部分はほとんど食べなかったらしい。
今回は、鰈の煮付けとイクラを用意した。
形が崩れたので、鰈の写真は割愛する。「魚の子」は詳細がわからなかったため、手に入りやすかったイクラで代用した。入れ物は冷酒用のコップである。
アスパラガスを投げ捨てて遊ぶ?
西洋物では、明治天皇はアスパラガスを取り寄せてよく食べた。これについては、興味深いエピソードがある。
天皇はアスパラガスを1本食べて、あとは床に捨てた。すると、侍従の米田虎雄が「是は是は」と拾って貰い受けた。埃がついて汚いのだが、そんなことはお構いなしだったらしい。
天皇はこの様子が面白かったようで、米田が当番のときはよくアスパラガスを絨毯の上に投げた。酔っ払いが意味不明な行動を取る感じだろうか。天子の遊び方は謎である。
ちなみにこの米田は、天皇の前でベロベロになり、別の侍従を指して「こんなものはまだ青二才でございます」などと管を巻いたことがあった。天皇もこれには困り、「早うあつちへ連れて行け」といって追い出してしまったという。
このように臣下が先に酔っ払った場合、天皇は警戒して酒を控えめにする傾向があった。御前で泥酔していいのかとも思うが、自身が大酒飲みなので、その点は寛容だったのかもしれない。
それはともかく、ここでは野菜としてアスパラガスを用意した。
入れ物がなかったので、靖国神社で購入した湯呑みを用いた。
牡丹餅で酒を飲むべし?
最後にもう一品、明治天皇らしいものを付け加えよう。酒飲みには珍しく、天皇は甘党でもあった。甘い菓子をよく食べ、コーヒーにも砂糖をたくさん入れて飲んだ。
日野西によれば、「牡丹餅で酒を飲むやうな者でなければ、本当の酒飲みではない」というようなことをよくいっていたらしい。
「〜でなければ、本当の酒飲みではない」。いかにも酒飲みがいいそうなことだ。だが、それがほかならぬ天皇。教育勅語ならぬ飲酒勅語である。
日野西は「まさか御自身さう云ふことを遊ばしたことはございませぬが……」ともいっているが、せっかくの優諚なのでこれも一品として加えてみたい。
黒に黒でわかりにくいが、マッコリ用の器しか残っていなかったので、これを用いた。以上で完成である。
シャンパン+鶏酒=危険な和洋折衷
ついに明治天皇の晩酌が完成した。本当は品数が20種類ぐらいあったらしいが、「華を去り実に就き」(『戊申詔書』)ということで、これに留める。アスパラガスの緑に、イクラの赤、牡丹餅の黒に、鶏酒と鰈の白。彩りとしてはまずまず。
やはりここは謎の料理・鶏酒を真っ先に試さなければならない。お椀を覗き込むと、日本酒に鶏肉の油が浮かんでいる。どれどれと思い食べてみると――これがなんとおいしい。
鶏の胸肉は淡白だが、日本酒のおかげで噛むたびに旨味が染み出してくる。そしてそれ以上に絶品なのは汁の部分だ。いい出汁がでていて、日本酒独特の匂いが感じられず、なんとも飲みやすいのである。
調子に乗ってぐいぐい飲んでいると、口のなかが油っぽくなってくる。そこで、シャンパンの出番となる。爽やかな発泡が口のなかに広がり、油っぽさは洗い流される。すると、ふたたび鶏酒が食べたくなってくる。
これは恐るべき永久機関だ。しかも、酒(日本酒)で酒(シャンパン)を飲むという、危険な和洋折衷。これで酒が回らないわけがない。
永久機関はこれだけではない。魚卵にせよ、煮付けにせよ、塩ゆでしたアスパラガスにせよ、どうしても塩辛い。そこで、牡丹餅をつまむと、よい塩梅になる。そして甘いものを食べると、今度は辛いものが食べたくなってくる……というわけだ。
箸はめぐり、盃は動く。たちまち2本目のスパークリングワインも開栓され、意識は遠のくのだった――。
なるほど、皇后(昭憲皇太后)がこう詠んだのもわかる気がする。
「花の春紅葉の秋の盃もほどほどにこそ汲ままほしけれ」
毎晩はお薦めできないが……
調味料などの情報が乏しかったので、今回の晩酌がどれくらい正確に再現できていたのかはわからない。ただ、全体的に味付けは濃かった。酒は進むが、毎晩これでは体調を崩しかねない。体が丈夫だった明治天皇も、糖尿病にかかるなどし、59歳で亡くなってしまった。
とはいえ、鶏酒とシャンパンの組み合わせは悪くない。鶏酒は安く作れるし、シャンパンもスパークリングワインに代えればさほど懐も痛まない。明治150年の今年。退屈な式典よりもこれあるべしだ。飲める向きは、ぜひいちどお試しあれ。
参考文献:
堀口修(監修・編集・解説) 『「明治天皇紀」談話記録集成 臨時帝室編修局史料』全9巻、ゆまに書房、2003年。
A 明治天皇は現在の山口県の田布施町に生まれた大室寅之祐が入れ替わったと言うトンデモ説
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12373927025.html
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