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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100357
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[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
262. 中川隆[-11355] koaQ7Jey 2019年11月06日 11:10:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1540]

2019年11月06日
老後破産しないため家、車、保険などの生涯支出を下げる 

厚生省の試算だが支出は人によって違い、スーパーボランティア尾畠さんは5万円以下で暮らしている

画像引用:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRGGseIumR-C8cN8oCE1ON-uhXyZHtKwmv8QjIy7Dvfk2wcmq8T


住宅ローンと自動車コスト

老後破産しないためには2000万円の貯蓄が必要と言ったのは厚生省の報告書でしたが、実際は個人差があります。

支出額が大きければ同じ年金、同じ貯蓄でも老後破産するが、支出が少ない人はお金が余るでしょう。

老後になってからの支出を抑えるには、そうなる前から準備しておく必要があります。




人生最大の支出は住宅ローンや家賃、子供の教育費、自動車支出、各種保険で、ほとんどこれらを支払うために生きている。

子供を一人大学まで出すには2000万円必要だそうで、住宅は平均4000万円程度がかかっています。

自動車はクラウンやベンツだと年100万円、中古の軽自動車でも年30万円以上、駐車場を借りると50万円かかっています。


すると40年間軽自動車でも1500万円から2000万円、ずっと高級車なら4000万円の支出です。

生命保険支払額の全世帯平均は月3万2000円なので年38万4000円、40年間では1536万円も支払っています。

生命保険は長生きすると受取額が減り、平均寿命より長生きするほど損をする仕組みになっています。


これらを合計すると多く払う人と少ない人では一生涯に5000万円から1億円も違ってきます。

たとえば一生軽自動車の人と一生ベンツの人では40年で2000万円以上の差がつき、生命保険は長生きすると1000万円以上の無駄です。

子供の教育費は住宅ローンとセットの事が多く、子供部屋が必要になるのがきっかけの事が多い。

老後に住宅ローンが残るのは最悪

住宅を購入するのは男性が30代の場合が多いですが、30歳で30年ローンを組んでも完済は60歳です。

多くの人は65歳まで住宅ローンを払いますが、払い終わった時には子供は家を出ています。

子供部屋が必要なのは20年間くらいで、ずっと同居するなら良いですがいつか不要になります。


40年間で4000万円を住宅建設に払い、住宅には毎年維持費がかかるので合計5000万円は掛るでしょう。

40年間毎月10万円を払った事になり、家賃10万円の賃貸に40年間住んだのと同じになります。

賃貸と持ち家の決定的な違いは「やっぱり持ち家はいいなあ」ではなく、住宅ローンを背負う事です。


住宅ローンを返済中の40年間に一度でも収入が下がったら返済不能になり、自己破産しても保証人に請求が行き保証人も自己破産します。

賃貸なら月10万円が払えなくなったら月5万円の部屋に移るだけで、ちょっと寂しい気分になるだけで害はありません。

住宅ローンは返済期間を長期化して毎月の支払額を減らせるが、そうすると老後に住宅ローンが残ってしまう。


教育費については公立か私立かなどで大きく違い、1000万円で済ますこともできるでしょう。

また高い教育費を掛けて子供が高収入になると、老後に親を支援してくれたりするかも知れません。

老後に世話になるかも知れないのを考えると、子供にかける教育費は一概に無駄とは言えない。
http://www.thutmosev.com/archives/81405360.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c262

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
555. 中川隆[-11354] koaQ7Jey 2019年11月06日 11:10:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1541]

2019年11月06日
老後破産しないため家、車、保険などの生涯支出を下げる 

厚生省の試算だが支出は人によって違い、スーパーボランティア尾畠さんは5万円以下で暮らしている

画像引用:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRGGseIumR-C8cN8oCE1ON-uhXyZHtKwmv8QjIy7Dvfk2wcmq8T


住宅ローンと自動車コスト

老後破産しないためには2000万円の貯蓄が必要と言ったのは厚生省の報告書でしたが、実際は個人差があります。

支出額が大きければ同じ年金、同じ貯蓄でも老後破産するが、支出が少ない人はお金が余るでしょう。

老後になってからの支出を抑えるには、そうなる前から準備しておく必要があります。




人生最大の支出は住宅ローンや家賃、子供の教育費、自動車支出、各種保険で、ほとんどこれらを支払うために生きている。

子供を一人大学まで出すには2000万円必要だそうで、住宅は平均4000万円程度がかかっています。

自動車はクラウンやベンツだと年100万円、中古の軽自動車でも年30万円以上、駐車場を借りると50万円かかっています。


すると40年間軽自動車でも1500万円から2000万円、ずっと高級車なら4000万円の支出です。

生命保険支払額の全世帯平均は月3万2000円なので年38万4000円、40年間では1536万円も支払っています。

生命保険は長生きすると受取額が減り、平均寿命より長生きするほど損をする仕組みになっています。


これらを合計すると多く払う人と少ない人では一生涯に5000万円から1億円も違ってきます。

たとえば一生軽自動車の人と一生ベンツの人では40年で2000万円以上の差がつき、生命保険は長生きすると1000万円以上の無駄です。

子供の教育費は住宅ローンとセットの事が多く、子供部屋が必要になるのがきっかけの事が多い。

老後に住宅ローンが残るのは最悪

住宅を購入するのは男性が30代の場合が多いですが、30歳で30年ローンを組んでも完済は60歳です。

多くの人は65歳まで住宅ローンを払いますが、払い終わった時には子供は家を出ています。

子供部屋が必要なのは20年間くらいで、ずっと同居するなら良いですがいつか不要になります。


40年間で4000万円を住宅建設に払い、住宅には毎年維持費がかかるので合計5000万円は掛るでしょう。

40年間毎月10万円を払った事になり、家賃10万円の賃貸に40年間住んだのと同じになります。

賃貸と持ち家の決定的な違いは「やっぱり持ち家はいいなあ」ではなく、住宅ローンを背負う事です。


住宅ローンを返済中の40年間に一度でも収入が下がったら返済不能になり、自己破産しても保証人に請求が行き保証人も自己破産します。

賃貸なら月10万円が払えなくなったら月5万円の部屋に移るだけで、ちょっと寂しい気分になるだけで害はありません。

住宅ローンは返済期間を長期化して毎月の支払額を減らせるが、そうすると老後に住宅ローンが残ってしまう。


教育費については公立か私立かなどで大きく違い、1000万円で済ますこともできるでしょう。

また高い教育費を掛けて子供が高収入になると、老後に親を支援してくれたりするかも知れません。

老後に世話になるかも知れないのを考えると、子供にかける教育費は一概に無駄とは言えない。
http://www.thutmosev.com/archives/81405360.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c555

[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
33. 中川隆[-11353] koaQ7Jey 2019年11月06日 11:12:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1542]

2019年11月06日
老後破産しないため家、車、保険などの生涯支出を下げる 
http://www.thutmosev.com/archives/81405360.html

生命保険支払額の全世帯平均は月3万2000円なので年38万4000円、40年間では1536万円も支払っています。

生命保険は長生きすると受取額が減り、平均寿命より長生きするほど損をする仕組みになっています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c33

[テスト31] テスト
一度は行ってみたい元有名女優 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』


キャンピングロッジ 虹の豆
907-0451 沖縄県 石垣市 桴海大田232-4
TEL 0980-88-2622




地図
https://www.bing.com/maps/default.aspx?v=2&pc=FACEBK&mid=8100&rtp=%7Epos.24.452312358805_124.21147623062_%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B8+%E8%99%B9%E3%81%AE%E8%B1%86&cp=24.452312358805%7E124.21147623062&lvl=16&sty=r&rtop=0%7E0%7E0%7E&mode=D&FORM=FBKPL6&mkt=ja-JP
https://www.google.com/maps?ll=24.451936,124.212181&z=11&t=m&hl=ja-JP&gl=JP&mapclient=embed&q=%E3%80%92907-0451+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B8%82%E6%A1%B4%E6%B5%B7%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%92
https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A5%E6%9C%AC,+%E3%80%92907-0451+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B8%82%E6%A1%B4%E6%B5%B7%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%92/@24.451936,124.212181,181m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x345fe6f106744475:0xccf6b72eb4150951!8m2!3d24.4519363!4d124.2121814?hl=ja-JP




石垣島までのアクセス・行き方徹底比較|トリッパー
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とにかく安く、石垣島へ行くには?! 格安航空券の探し方、教えます
https://okinawa-labo.com/discount-air-ticket-to-ishigaki-island-5892


石垣島への格安航空券
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虹の豆 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%99%B9%E3%81%AE%E8%B1%86


高樹沙耶 虹の豆日記
https://ameblo.jp/ikuenijinomame/


キャンピングロッジ 虹の豆 - ホーム Facebook
https://www.facebook.com/nijinomame/


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益戸 育江 高樹 沙耶(@ikuemiroku)さん Twitter
https://twitter.com/ikuemiroku?lang=ja


益戸 育江 Facebook
https://www.facebook.com/ikue.masudo


高樹沙耶 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A8%B9%E6%B2%99%E8%80%B6


高樹沙耶 画像
http://ero-gazoum.net/380.html
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『キャンピングロッジ 浮世離れ』Airbnb 予約


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高樹沙耶、事件後初ビキニ! “衝撃の美プロポーション”を披露
…石垣島での生活と日本社会へのメッセージも!石丸元章が突撃取材!!


2018.07.08.
第1回 「石垣島 高樹沙耶さん訪問記」
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry.html


 沖縄県石垣島で執行猶予中の生活を過ごす、女優・高樹沙耶さんがオーナーを務める宿泊施設“虹の豆”を2泊3日で訪ねた。取材をしたいとお願いしたら「1回会いましょう」と招待してくれたからだ。


 自分と高樹さんが知り合ったきっかけは約1年前、判決直後のツイッターがきっかけだ。人気女優の大麻逮捕という衝撃をうけて、当時の世論はもう、テレビメディアを中心に高樹さんへの罵詈雑言があふれていた。覚えているでしょう、連日の糾弾と罵声! 逮捕前の参議院選挙に出馬し、医療用大麻の解禁を訴えたことも、国民世論の神経を逆なでしたのだと思う。


 まあまあ、しかし…だ。誰もが知るように、大麻には、賛否両論いろいろな意見が世界中にある。6月21日には、カナダの首相が娯楽用の大麻の自由使用を全国で許可すると宣言したし、アメリカのいくつかの州でも医療用ほかいろいろと合法的に流通している。しかし一方で、シンガポールなら数百グラム持っていただけで死刑だ。どの国にも、その国の事情があって法律がある。それぞれの国の事情は尊重されるべきだ。日本においては、大麻の所持は違法だから、われわれはそれを尊重しなければならないのだが、しかし一方で、グローバルな視点で大麻にまつわる現実を俯瞰すれば、大麻所持で逮捕された高樹さんを、「大悪人だ」と決めつけられない、そういう考え方もできる。


 というわけで自分は…… 『もしかしたら30年後には日本で大麻が解禁され、その頃には高樹さんは大麻解禁に人生をかけた“カリスマばあちゃん”として、未来の若者たちの称賛を得ているかもしれない』とツイートして、それがきっかけで高樹さんとつながり、で、ご招待をいただいた次第。


■会ってすぐ日本社会をディスるカッコいい高樹沙耶さん!


 羽田からエアーで約3時間、昼前くらいに石垣空港へ到着。残念ながら雨だったが、湿度の高さが南国情緒を高めてくれる。


 レンタカーで高樹沙耶さん待つ“虹の豆”を訪ねると、なんと! そこには! 高樹さん本人がいた――当たり前か。しかし、その姿は、逮捕時のニュースで流されていたつらい表情の疲れてしまった中年女性ではなく、「ええッ?」というくらい明るい、晴れやかな表情の、トレンディ女優全盛期をほうふつとさせるチャーミングな女性なのだった。


RE-TAKAGI_MG_1198.jpg高樹沙耶さん.


「こんにちは、ようこそ石垣島へ……」と出迎えられ、まずは自己紹介をしようと思ったのだが、しかし、挨拶もそこそこに、第一声目から豪快に日本社会をディスり始める高樹さん。いわく、「原発も環境破壊もよくないですよ!」と。「日本社会の終わりの始まりが、始まっていますよ!」と。


 おお〜、まったくもってその通りである。……その通りなのだけど、着いてすぐというのはさすがに若干とまどった。普通われわれは、もうちょっと、相手の出方とか気持ちとかを探りながら会話を始めると思うのだが、しかし高樹さんは、気持ちよいくらいに単刀直入。大麻についても、世界の動きが解禁へ向けて活発化していることを、明るい声で話してくれた。うんうん、まさにその通りです――当然、自分は同意した。今から考えると、俗世にまみれたつまらない社交辞令とか当たり障りのない世間話なんかより、いきなりズバリと! 核心を突く話を聞けて、とてもうれしいのであった。
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry.html


■“虹の豆”は沖縄の伝説の理想郷ニライカナイ。
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry_2.html


RE-TAKAGI_MG_1208.jpg.


 高樹沙耶さんがオーナーとして所有・運営する宿泊施設“虹の豆”は、逮捕を報じるテレビ番組で紹介されてけれど、実際は報道よりもはるかに美しいところなのだった。


 緩やかな傾斜地に、青々とした芝がこんもりと旺盛に広がっている。敷地には、バリ島から船便で輸入したという、雰囲気の良い木造のコテージが2棟とトイレが1棟。ほかに野外に入浴施設が一つと、石を組んで造られたおしゃれな焚火施設が一つ。広い敷地は全体が高級コテージのような雰囲気で、ジャングルから流れてくるせせらぎを引いた手作りの池には、一年中枯れることがないというハスの花。水辺にはミントなどの天然ハーブが良い香りで花を咲かせている。小さな畑にはバナナやレモンが豊かに実り、なんと素敵なところだろう。沖縄には、“ニライカナイ”と呼ばれる理想郷伝説があると聞くが、まさにそれを連想させる風景だ。本当はもう1棟あったのだが、台風でぶっ飛んでしまったのだという。


「素敵だなあ、と思ってバリ島の建物を分解して船で運んで、組み立ててたんだけど、後から考えてみたらバリって、台風に襲われない地域なんですよね。石垣の台風の直撃を受けたら、屋根の高いバリの建物だから吹っ飛んでしまって! それからは、補強するのにチェーンを張ったり、屋根にネットをかけたり……もうたいへん! 台風が近づくと心配で心配で」


 高樹さんは笑うのだが、本当は笑ってる場合じゃないんだと思う。そういえば、虹の豆に来る街道の途中で見た石垣の家や店舗は、等しくコンクリート造りで、ほとんどが平屋。理想と現実のギャップは、なかなかに厳しい。敷地の中央には、家屋がふっとんだ建物の基礎だけが残されていて、台風の強さを思い知らされた。


■石鹸もシャンプーも使えない自然派施設


 虹の豆の大きな特徴は、水道が通っていないところだ。水道の代わりに、敷地に流れ込むせせらぎの水を沸かして飲む。ええ!と驚いたが、高樹さんが淹れてくれた、せせらぎ水の天然ミントティーは素晴らしかった。
RE-TAKAGIHEBI.jpg.


 さらに言うなら、水道だけでなく下水道も通っていない。したがって、洗剤やシャンプーや石鹸を使うと、そのまませせらぎへ流れ込んでしまうため、環境を考えて敷地内では洗剤、シャンプー、石鹸の使用は禁止である。ええ?と驚いたが、入浴は、近くの滝の水浴びで代用することができるので、現実的には、敷地内のせせらぎ水を集めて沸かす入浴施設は使う必要がないそうだ。ちなみに、各宿泊棟にはキッチンや水回りはない。トイレは、庭に洋式水洗式の清潔なのが二つ設備されているので何の苦労もない。が……夜になると、敷地内にはハブが出るので、懐中電灯でよく足元を見ながらトイレに向かう必要があるとのこと。ハブは夜行性なのだ。あと注意としては、トイレの蓋を閉めておかないと、便器の中にハブがトグロを巻いてしまい、うっかり座ると尻を噛まれるような事態も想定される――と。


 実際、宿泊した夜に自分も、ハスの花が咲く池のほとりに1匹のハブを見つけた。ということで、恐怖のあまり夜中にトイレで目がさめた時は、高樹さんに内緒で窓から済ませた。しかし沙耶さんは、「石垣島のハブは毒が弱いから死ぬことはないですよ」と明るく笑う。さすがだ。


RE-TAKAGI_MG_1330.jpg
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RE-TAKAGI_MG_1362.jpg
RE-TAKAGI_MG_1288.jpg.


 ああ素晴らしきは石垣島! ビキニ姿の高樹さんと一緒に飛び込んだ、ジャングルの滝の水飛沫の透明さは、格別だった……。


 ――というわけで! 次回から、女優であると同時に表現者として南の島で暮らしている高樹沙耶さんと、都会生活に隷属者として東京で暮らすゴンゾーライターのわたくし石丸元章が、石垣島の精霊やスピリチュアル、UFO、日本社会の政治や事件についてのいろいろや、大麻のことや、芸能界のこと……。などをテーマに、時にゲストを迎えてチャット対談の連載を始めます。題して、『石垣島⇔東京 南国の精霊と沙耶のいる未来図』—— 沙耶さんの執行猶予明けまであと2年! さあみなさん、気持ちよく楽しく過ごしましょう。


●高樹沙耶さんからのメッセージ


RE-TAKAGI_MG_1275.jpg


「こんにちは。お騒がせしてます、高樹沙耶です。これから「TOCANA」の連載で月に2回、みなさんにお目にかからせてください。この連載を決めたのは、真面目で真剣なこと、ホントと嘘のなかにあるようなユーモアの両方を、読者の人に伝えられるメディアだから……。いろいろ考えましたが、わたしの言いたいことが伝わるメディアとして、お引き受けしたいと考えました。人間の暮らしって、真面目なだけでも成り立たないし……。ふざけてるだけでもうまくいかないですよね。誰でもその両方を持っている。わたしもです。一方で、ときにまた「コラ!」と世間のお叱りを受けるようなことでも、それが真実だと信じることならば、ユーモアを交えて、みなさんに伝えていきたいと思います。


 あの事件から1年。最後のテレビ出演以降、仕事の依頼が来たのは、都市伝説やUFOネタなどが中心の「TOCANA」でした。はじめは「こんなトンデモネタ満載のサイトなんてなんだかなー」と思い、お断りしようと思ってました。しかし、考えてみればこの国でタブーと言われるものを真面目に伝えたとしてもキ●ガイ扱いされてきたわけで、嘘のような話ばかりをしている怪しいサイトの方が真実を語りやすく、炎上するほどの批判を受ける心配もない! そう思い、引き受けることにしました。


 最初のキッカケはまったく面識の無い石丸さんからの突然の私への応援メール。誰だろうと思い、Wikipediaを見たら覚せい剤の逮捕歴があるうえ、そのことを本にまでしている人!? さらに画像検索で本人を見ると……。「こんな怖そうな人と仕事なんて、ありえないぃい!! しかも覚せい剤を使用した過去!!」と思ったのです。石丸元章さんとはこの連載がキッカケで今回、初対面だったのですが、実際にお会いする前に一冊くらいはと、石丸さんの著書である『アフタースピード』を取り寄せてみたんです。読み始めると、逮捕、取調べ、拘留と狂ったように書かれる文章から、当時の自分を思い出し、途中から気分が悪くなり、半分も読まずに投げ出してしまいました。


 ただ、本人に会わずにイメージで決めつけるのも……。と思っていたのも事実で、それを伝えると石丸さんは実際に石垣島に足を運んでくださり、直接、会いに来てくれました。お会いしてみると、ネットで見た外見以上に実物は怖そうな人で、私もその怪しすぎる見た目に驚き、初対面からあらぬ事を口走ってたようですが、最初の事はよく憶えていません。これも石丸さんのパワーなのでしょうか……!? ただ、話が慣れてくるとその外見とは違い、とても気を遣ってくださる優しい方で、言葉を選んで私を励まし、そのうち、私も罪状は違えど逮捕、拘留と同じ経験をした2人だからこそ話せることがあるように思えてきました。今では、どんな事になるかと不安半分、楽しみ半分ですが、一度道を外れた2人ならではの対談、皆様楽しみにしてください。石垣島のわたしと東京の元章さんをネットでリアルタイムで結んで、自分の生活や、生活を通じて考えていることを、楽しく語れたらよいなと思います。執行猶予中ということで、いろんなご意見もあると思います。ご意見のある方は、ぜひその声を寄せてください。
 
 あの……罵声も、受け付けてます。応援よろしくお願いします!」
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry_2.html


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【まさに秘境】元女優の高樹沙耶さんが経営しているジャングル宿『虹の豆』に泊まってみたら異空間過ぎて震えた
耕平 2018年9月27日
https://rocketnews24.com/2018/09/27/1119545/


先日、沖縄県の石垣島に旅行に訪れた際に、元女優の高樹沙耶さんが経営している宿があるという情報を聞きつけ、ぜひ一度泊まってみたいと思い、訪問してみた。


私(耕平)もこれまで いろんなホテルや民宿などの宿泊施設を利用したが、その中でもトップクラスに入るくらい衝撃的な内容だったので、一連の体験を書いてみたいと思う。


・入り口が怪しさ満載


高樹沙耶さんが経営する『エコリゾート キャンピングロッジ 虹の豆』は、新石垣空港から北の方に車で30分ほどの距離の場所にある、通称 “裏石垣” と呼ばれる場所に存在する。


私(耕平)は今回バスを使って訪問したが、1日に3本ほどしかないため、事前に時刻表を調べていかないと、途方に暮れてしまうので注意が必要だ。


そんな感じで新石垣空港からバスを乗り継ぐこと、約2時間かけて目的の宿の最寄りのバス停に着き、その後、電話をしたら、なんと高樹さんが対応してくれたぞ! そしてバス停までスタッフの方に車で迎えに来てもらい、ようやく宿に到着。


……と思いきや、ここが宿?


おいおい、これ……


思いっきり立入禁止区域やないかい!


と思わず心の中で叫んでしまったが、宿の宿泊者以外は立ち居入り禁止という意味であった。ふぅ〜。そんなこんなでチェックインしてみたら、そこには驚愕の風景が広がっていた……。


・まさに秘境!


まず目の前に広がったのは、山をバックにした広大な大自然の中に築かれた、まさに「エコリゾート」と呼ぶにふさわしい風景。


敷地内は宿泊用のコテージが2つ、共有スペースのロッジ、シャワースペース、トイレが完備され、その全てが手作りというから驚きだ。


「エコ」が売りの宿泊施設なので、宿泊用のコテージはテレビもエアコンも完備されていない。しかし、その分ゆっくり時が流れるのが堪能でき、都会の垢を落とすには もってこいの環境だ。


・トイレにハブが出る


ジャングルを切り開いた敷地なので、当然、人間以外の生き物が共存する。そのあたりの話は、チェックインした時にスタッフさんと各施設を回りながら説明を受けるのだが、その中でも私(耕平)が驚愕したのが「ハブ」の存在だ。


敷地内は水周りがよいのだが、ハブは特に夜に活動することが多く、湿気がある場所に集まる習性がある。となると、気をつけるべきはシャワースペースとトイレだ。


特にトイレは要注意。使用した後に、必ずフタを閉めないと、次に使用した時、トイレの中に……一見、流し忘れのウ○コだと思ったら、ハブがトグロを巻いていた……なんてことがザラにあるらしい。


・エコツアーに感動!


宿泊した翌日、チェックアウト前にスタッフさんが、近郊の隠れスポットに案内してくれた。


私(耕平)が連れて行ってもらった場所は、広大な敷地に超巨大なシーサーが立ち並ぶ「米子焼シーサー農園」。開店30分でほぼ全ての品が売り切れてしまうというパン屋「トミーのパン」。そして、観光客にあまり知られていないことで隠れスポット「荒川の滝」だ。


特に「荒川の滝」ではスタッフさんが、いきなり滝に飛び込み「YOUも入っちゃいなよ!」的にガンガン煽ってくる。初めは躊躇(ちゅうちょ)したが、意を決して飛び込むと、最高に気持ちイイ!


実際入ってみると、透き通るくらい透明度の高い川の水が演出する勢いの強い滝は、私(耕平)を頭から容赦なく打ち付け、自然が織りなす極上の頭皮マッサージを体験できた。


というわけで、1泊2日で大自然を「これでもか!」っていうくらい満喫することができた。また石垣島に来た時は是非泊まってみたいと思うが、一つ注意すべきことは、この宿では食事が一切提供されない。


近くに売店やコンビニも無いので、もし、この宿に泊まってみたいと思った読者の方は、事前に飲食物を購入していくことをオススメする。


参考リンク:キャンピングロッジ 虹の豆Facebook
Report:耕平
Photo:RocketNews24.


▼一見、立入禁止区域かと思いきや……


▼敷地内は、まさに「ジャングルのオアシス」だ!


▼日が落ちると敷地内はライトアップされる


▼敷地内の広場では夜にキャンプファイヤーが行われる場合もあるらしい


▼「エコツアー」で案内された超巨大なシーサーが立ち並ぶ「米子焼シーサー農園」


▼大自然に触れて、私の頭皮も大満足だ!


▼高樹沙耶さん(本名:益戸 育江さん)からも直々に御礼のメッセージをいただいたぞ!
https://rocketnews24.com/2018/09/27/1119545/



▲△▽▼


石垣島『虹の豆 浮世離れ』ってどこ?高樹沙耶のキャンプ場はオープンした? 2019年10月29日更新
https://kurashi-no.jp/I0017842


石垣島に『虹の豆 浮世離れ』というキャンプ場があることはご存知ですか?元女優の高樹沙耶さんが、石垣島の土地を切り開き作ったコテージが特徴のキャンプ場です。今回はこの『虹の豆 浮世離れ』の場所、料金、口コミ、現在の状況を紹介します。


高樹沙耶さんのプロフィール


女優としての高樹沙耶さん


出典: https://www.pakutaso.com


『虹の豆 浮世離れ』を設立した高樹沙耶(本名・益戸育江)さんは、静岡県浜松市出身の元女優です。高校時代に原田真二のコンサートを見たことが芸能界を目指したきっかけ。モデルとして活動し『活動語沙耶のいる透視図』で映画デビューしました。その後「スィート・ホーム」などのドラマ出演や作詞家など幅広い分野で活躍、有名な刑事ドラマ「相棒」では花の里の女将役として10年以上出演されました。


医療用大麻解禁運動家としての高樹沙耶さん


出典: https://www.pakutaso.com


一方で、麻薬である大麻が難病の治療やアンチエイジングに効果があるとして医療用大麻解禁運動を行っていた高樹沙耶さん。芸能界を引退して活動家に転身し、2016年には「医療大麻で医療費削減を」というスローガンを掲げ参議院選挙に立候補するもあえなく落選し、その後沖縄県で大麻を隠し持っていたとして逮捕され、有罪判決を受けました。


現在の高樹沙耶さん
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裁判で有罪を宣告され、2017年4月に懲役1年、執行猶予3年の判決を受けた高樹沙耶さん。その後表舞台から姿を消しましたが、2017年12月にテレビの前に姿を現しインタビューに応じました。そこでは大麻を使用し法律を破ったことに対する反省の念を述べ、医療用大麻解禁運動家はやめたと宣言。現在は石垣島に移り住み、人目を避けるようにひっそりと暮らしています。


高樹沙耶さんが石垣島に作った「虹の豆 浮世離れ」とは


yukun3305さんの投稿


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そんな高樹沙耶さんが事件前の2013年、知人男性4人と協力してオープンしたのがキャンプ場『虹の豆 浮世離れ』です。石垣島のジャングル1500坪の土地を購入して開拓し、エコツーリズム(自然・文化などの資源を保護しながら観光を行う事)を体感できるコテージ付きの施設としてオープン。高樹沙耶さんは、現在は環境保護の志を持つ方々とこの宿泊施設の運営に専念しています。今回はこの謎多きキャンプ場の場所、料金、口コミなどを紹介していきますので、興味のある方はぜひご覧ください。


石垣島の自然を味わえる『虹の豆 浮世離れ』の特徴


出典: https://www.airbnb.jp


シンプルなコテージ風の家、沢の自然水を利用したシャワーなどエコツーリズムを意識した場所になっているのがこのキャンプ場の大きな特徴です。コテージはあのバリ島から移築した古民家で、大自然に囲まれたキャンプ場にピッタリ。食事は併設されたカフェで行われ、その他の施設として露店風呂やマッサージ場があります。豪華な施設などはありませんが、自然に囲まれた中でのびのびと過ごしたい宿泊場所がほしい方にはおすすめです。


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石垣島の『虹の豆 浮世離れ』を楽しむ方法


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石垣島のありのままの自然を楽しめる『虹の豆 浮世離れ』。ただのキャンプ場ではなく、特技のフリーダイビング(日本記録を獲得するほどの腕前)について「イルカのように泳いでみたい、少しでもかれらに近づきたい」とコメントした高樹沙耶さんの思いがつまった場所です。そんな『虹の豆 浮世離れ』を楽しむ方法は2通りあります。予定や体力と相談してどちらかのプランを選びましょう。


キャンプ場内で内でゆっくり過ごす


キャンプ場に到着したら、まず宿泊場所であるコテージに向かいましょう。騒音や排ガスとは無縁の場所で、さわやかな風にあてられながら我が家のようにゆったりとした時を過ごすことが出来ます。TV、冷暖房、ネットなど近代設備はありませんが、蚊帳が用意されるので蚊などの虫は防ぐことが出来ます。朝に来られた方は空気の清々しさを、夜に来られた方は夜の静寂を楽しみましょう。自然水のシャワーは基本石鹸とシャンプーが使用禁止ですが、指定の場所なら使えます。


コテージでリラックスした後は、外に出てキャンプ場周辺を散策してみましょう。文字通り手つかずのジャングルが残っており、亜熱帯の森の中で森林浴を思う存分楽しむことが出来ます。周辺には沢もあり、口コミによると中に入って川遊びをした方や滝行をした方もいます。『虹の豆 浮世離れ』周辺を一つのアトラクションと考え、思う存分大自然を満喫しましょう。当然のことですが、虫刺され対策だけは忘れずにしっかりと行いましょう。


エコツアーを楽しむ


もっと本格的に石垣島を楽しみたい!という方は別料金を支払う事でエコツアーに参加が可能です。施設の方が一人ガイドに付き周辺の穴場スポットや美しいビーチを案内してくれます。また、シュノーケリングや山歩き、キャンプファイヤーなど道具が必要なレジャーをサポートの元行えば気分は探検家。時間も半日や1日など指定が出来るので希望があれば気軽にガイドに相談しましょう。


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周囲の探検が終わった後は、真っ暗闇になった森の中でキャンプファイヤーを囲みながら、様々な事を語るのもよいです。宿泊しているほかのゲストとの交流も希望すれば可能ですので、施設の方に一度相談してみましょう。初めて出会った人間と語り合うのも旅の醍醐味です。


石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の利用料金


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コテージで自然との一体感を楽しめる『虹の豆 浮世離れ』。その分、料金の方も高くつき、宿泊料金は一人当たり一泊1万5千円〜2万円前後とかなり高額です。エコツアーに申し込むとさらに1万前後追加料金がかかります。ですので、単に石垣島で宿泊したいだけの方にはおすすめできません。施設の概要や理念を理解し、それでもここで泊まり自然を肌で体感したいという方は数万円の出費を覚悟して申しこんでください。全施設の貸し切りも可能なので、お金に糸目は付けないというかたは一度相談してみましょう。


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石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の口コミ


出典: https://www.airbnb.jp


宿泊予約サイト、フェイスブックに宿泊された方の口コミがいくつか掲載されておりますが、基本的に好意的な評価が寄せられています。通常の生活では実感できない、自然を五感で感じる体験が評価の理由になっています。高樹沙耶さんの昔からのファンからも多くの書き込みが寄せられており、様々な困難を乗り越えて自分の生き方を貫くスタンスを応援する方も多いです。口コミの一部を抜粋して紹介します。

居心地よいお部屋、夢のようなお庭、心のこもったおもてなし。 桃源郷に迷い込んだような 不思議な2日間でした!! ありがとうございました。


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石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の現在と将来


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いまでこそ一定のファン層を得た『虹の豆 浮世離れ』ですが、高樹沙耶さんの逮捕時には閉鎖され、一時は存続も危ぶまれました。しかし、2017年に『キャンピングロッジ 虹の豆』として再オープンを果たし、徹底したエコリゾートとして少しずつ口コミなどで評判を広げていき今日に至ります。様々な困難を乗り越えられたのは、自然に寄り添う宿泊施設を作りたいという高樹沙耶さんの理想と新年のたまものにちがいありません。


出典: https://www.airbnb.jp


よく言えば個性のある、悪く言えばとがっている宿泊施設なので万人にはおすすめできませんが、その強烈な魅力は施設の不便さを十分に補うものです。今後は口コミで知名度を増やして石垣島全体、ひいては日本の観光名所として発展していく事を願わずにはいられません。都会では体験できないことをしたい方、大自然の美しさに直接触れたい方、石垣島に観光することを考えている方は『キャンピングロッジ 虹の豆』の利用を一度検討してみてください。


石垣島の『虹の豆 浮世離れ』に行く方法


出典: https://www.airbnb.jp

http://www.asyura2.com/14/test31/msg/916.html

[テスト31] テスト
一度は行ってみたい元有名女優 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』


キャンピングロッジ 虹の豆


907-0451 沖縄県 石垣市 桴海大田232-4


TEL 0980-88-2622






http://www.asyura2.com/14/test31/msg/917.html
[近代史3] 一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』
一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』


キャンピングロッジ 虹の豆
907-0451 沖縄県 石垣市 桴海大田232-4
TEL 0980-88-2622







http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html
[近代史3] 一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
1. 中川隆[-11355] koaQ7Jey 2019年11月06日 12:39:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1542]

『キャンピングロッジ 虹の豆』 地図
https://www.bing.com/maps/default.aspx?v=2&pc=FACEBK&mid=8100&rtp=%7Epos.24.452312358805_124.21147623062_%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B8+%E8%99%B9%E3%81%AE%E8%B1%86&cp=24.452312358805%7E124.21147623062&lvl=16&sty=r&rtop=0%7E0%7E0%7E&mode=D&FORM=FBKPL6&mkt=ja-JP
https://www.google.com/maps?ll=24.451936,124.212181&z=11&t=m&hl=ja-JP&gl=JP&mapclient=embed&q=%E3%80%92907-0451+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B8%82%E6%A1%B4%E6%B5%B7%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%92
https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A5%E6%9C%AC,+%E3%80%92907-0451+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B8%82%E6%A1%B4%E6%B5%B7%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%92/@24.451936,124.212181,181m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x345fe6f106744475:0xccf6b72eb4150951!8m2!3d24.4519363!4d124.2121814?hl=ja-JP


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石垣島までのアクセス・行き方徹底比較|トリッパー
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とにかく安く、石垣島へ行くには?! 格安航空券の探し方、教えます
https://okinawa-labo.com/discount-air-ticket-to-ishigaki-island-5892

石垣島への格安航空券
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虹の豆 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%99%B9%E3%81%AE%E8%B1%86

高樹沙耶 虹の豆日記
https://ameblo.jp/ikuenijinomame/

キャンピングロッジ 虹の豆 - ホーム Facebook
https://www.facebook.com/nijinomame/


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益戸 育江 高樹 沙耶(@ikuemiroku)さん Twitter
https://twitter.com/ikuemiroku?lang=ja

益戸 育江 Facebook
https://www.facebook.com/ikue.masudo


高樹沙耶 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A8%B9%E6%B2%99%E8%80%B6


高樹沙耶 画像
http://ero-gazoum.net/380.html
https://yamachan01.com/blog-entry-8878.html


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『キャンピングロッジ 浮世離れ』Airbnb 予約

エコリゾート キャンピングロッジ 虹の豆 ロッジA nijinomame rodge A
\ 16,000 /1泊
https://www.airbnb.jp/rooms/16950888?source_impression_id=p3_1572787749_9ORLFwE0syVTuJ1Y


エコリゾート キャンピングロッジ 虹の豆 ロッジB nijinomame rodge. B
価格:\ 11,000 /1泊
https://www.airbnb.jp/rooms/20138262?source_impression_id=p3_1572787933_0o4OT6S0kSiycVts

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高樹沙耶、事件後初ビキニ! “衝撃の美プロポーション”を披露
…石垣島での生活と日本社会へのメッセージも!石丸元章が突撃取材!!

2018.07.08.
第1回 「石垣島 高樹沙耶さん訪問記」
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry.html


 沖縄県石垣島で執行猶予中の生活を過ごす、女優・高樹沙耶さんがオーナーを務める宿泊施設“虹の豆”を2泊3日で訪ねた。取材をしたいとお願いしたら「1回会いましょう」と招待してくれたからだ。

 自分と高樹さんが知り合ったきっかけは約1年前、判決直後のツイッターがきっかけだ。人気女優の大麻逮捕という衝撃をうけて、当時の世論はもう、テレビメディアを中心に高樹さんへの罵詈雑言があふれていた。覚えているでしょう、連日の糾弾と罵声! 逮捕前の参議院選挙に出馬し、医療用大麻の解禁を訴えたことも、国民世論の神経を逆なでしたのだと思う。

 まあまあ、しかし…だ。誰もが知るように、大麻には、賛否両論いろいろな意見が世界中にある。6月21日には、カナダの首相が娯楽用の大麻の自由使用を全国で許可すると宣言したし、アメリカのいくつかの州でも医療用ほかいろいろと合法的に流通している。しかし一方で、シンガポールなら数百グラム持っていただけで死刑だ。どの国にも、その国の事情があって法律がある。それぞれの国の事情は尊重されるべきだ。日本においては、大麻の所持は違法だから、われわれはそれを尊重しなければならないのだが、しかし一方で、グローバルな視点で大麻にまつわる現実を俯瞰すれば、大麻所持で逮捕された高樹さんを、「大悪人だ」と決めつけられない、そういう考え方もできる。

 というわけで自分は…… 『もしかしたら30年後には日本で大麻が解禁され、その頃には高樹さんは大麻解禁に人生をかけた“カリスマばあちゃん”として、未来の若者たちの称賛を得ているかもしれない』とツイートして、それがきっかけで高樹さんとつながり、で、ご招待をいただいた次第。


■会ってすぐ日本社会をディスるカッコいい高樹沙耶さん!

 羽田からエアーで約3時間、昼前くらいに石垣空港へ到着。残念ながら雨だったが、湿度の高さが南国情緒を高めてくれる。

 レンタカーで高樹沙耶さん待つ“虹の豆”を訪ねると、なんと! そこには! 高樹さん本人がいた――当たり前か。しかし、その姿は、逮捕時のニュースで流されていたつらい表情の疲れてしまった中年女性ではなく、「ええッ?」というくらい明るい、晴れやかな表情の、トレンディ女優全盛期をほうふつとさせるチャーミングな女性なのだった。

RE-TAKAGI_MG_1198.jpg高樹沙耶さん.

「こんにちは、ようこそ石垣島へ……」と出迎えられ、まずは自己紹介をしようと思ったのだが、しかし、挨拶もそこそこに、第一声目から豪快に日本社会をディスり始める高樹さん。いわく、「原発も環境破壊もよくないですよ!」と。「日本社会の終わりの始まりが、始まっていますよ!」と。

 おお〜、まったくもってその通りである。……その通りなのだけど、着いてすぐというのはさすがに若干とまどった。普通われわれは、もうちょっと、相手の出方とか気持ちとかを探りながら会話を始めると思うのだが、しかし高樹さんは、気持ちよいくらいに単刀直入。大麻についても、世界の動きが解禁へ向けて活発化していることを、明るい声で話してくれた。うんうん、まさにその通りです――当然、自分は同意した。今から考えると、俗世にまみれたつまらない社交辞令とか当たり障りのない世間話なんかより、いきなりズバリと! 核心を突く話を聞けて、とてもうれしいのであった。
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry.html


■“虹の豆”は沖縄の伝説の理想郷ニライカナイ。
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry_2.html

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 高樹沙耶さんがオーナーとして所有・運営する宿泊施設“虹の豆”は、逮捕を報じるテレビ番組で紹介されてけれど、実際は報道よりもはるかに美しいところなのだった。

 緩やかな傾斜地に、青々とした芝がこんもりと旺盛に広がっている。敷地には、バリ島から船便で輸入したという、雰囲気の良い木造のコテージが2棟とトイレが1棟。ほかに野外に入浴施設が一つと、石を組んで造られたおしゃれな焚火施設が一つ。広い敷地は全体が高級コテージのような雰囲気で、ジャングルから流れてくるせせらぎを引いた手作りの池には、一年中枯れることがないというハスの花。水辺にはミントなどの天然ハーブが良い香りで花を咲かせている。小さな畑にはバナナやレモンが豊かに実り、なんと素敵なところだろう。沖縄には、“ニライカナイ”と呼ばれる理想郷伝説があると聞くが、まさにそれを連想させる風景だ。本当はもう1棟あったのだが、台風でぶっ飛んでしまったのだという。

「素敵だなあ、と思ってバリ島の建物を分解して船で運んで、組み立ててたんだけど、後から考えてみたらバリって、台風に襲われない地域なんですよね。石垣の台風の直撃を受けたら、屋根の高いバリの建物だから吹っ飛んでしまって! それからは、補強するのにチェーンを張ったり、屋根にネットをかけたり……もうたいへん! 台風が近づくと心配で心配で」

 高樹さんは笑うのだが、本当は笑ってる場合じゃないんだと思う。そういえば、虹の豆に来る街道の途中で見た石垣の家や店舗は、等しくコンクリート造りで、ほとんどが平屋。理想と現実のギャップは、なかなかに厳しい。敷地の中央には、家屋がふっとんだ建物の基礎だけが残されていて、台風の強さを思い知らされた。


■石鹸もシャンプーも使えない自然派施設

 虹の豆の大きな特徴は、水道が通っていないところだ。水道の代わりに、敷地に流れ込むせせらぎの水を沸かして飲む。ええ!と驚いたが、高樹さんが淹れてくれた、せせらぎ水の天然ミントティーは素晴らしかった。
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 さらに言うなら、水道だけでなく下水道も通っていない。したがって、洗剤やシャンプーや石鹸を使うと、そのまませせらぎへ流れ込んでしまうため、環境を考えて敷地内では洗剤、シャンプー、石鹸の使用は禁止である。ええ?と驚いたが、入浴は、近くの滝の水浴びで代用することができるので、現実的には、敷地内のせせらぎ水を集めて沸かす入浴施設は使う必要がないそうだ。ちなみに、各宿泊棟にはキッチンや水回りはない。トイレは、庭に洋式水洗式の清潔なのが二つ設備されているので何の苦労もない。が……夜になると、敷地内にはハブが出るので、懐中電灯でよく足元を見ながらトイレに向かう必要があるとのこと。ハブは夜行性なのだ。あと注意としては、トイレの蓋を閉めておかないと、便器の中にハブがトグロを巻いてしまい、うっかり座ると尻を噛まれるような事態も想定される――と。

 実際、宿泊した夜に自分も、ハスの花が咲く池のほとりに1匹のハブを見つけた。ということで、恐怖のあまり夜中にトイレで目がさめた時は、高樹さんに内緒で窓から済ませた。しかし沙耶さんは、「石垣島のハブは毒が弱いから死ぬことはないですよ」と明るく笑う。さすがだ。

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 ああ素晴らしきは石垣島! ビキニ姿の高樹さんと一緒に飛び込んだ、ジャングルの滝の水飛沫の透明さは、格別だった……。

 ――というわけで! 次回から、女優であると同時に表現者として南の島で暮らしている高樹沙耶さんと、都会生活に隷属者として東京で暮らすゴンゾーライターのわたくし石丸元章が、石垣島の精霊やスピリチュアル、UFO、日本社会の政治や事件についてのいろいろや、大麻のことや、芸能界のこと……。などをテーマに、時にゲストを迎えてチャット対談の連載を始めます。題して、『石垣島⇔東京 南国の精霊と沙耶のいる未来図』—— 沙耶さんの執行猶予明けまであと2年! さあみなさん、気持ちよく楽しく過ごしましょう。


●高樹沙耶さんからのメッセージ

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「こんにちは。お騒がせしてます、高樹沙耶です。これから「TOCANA」の連載で月に2回、みなさんにお目にかからせてください。この連載を決めたのは、真面目で真剣なこと、ホントと嘘のなかにあるようなユーモアの両方を、読者の人に伝えられるメディアだから……。いろいろ考えましたが、わたしの言いたいことが伝わるメディアとして、お引き受けしたいと考えました。人間の暮らしって、真面目なだけでも成り立たないし……。ふざけてるだけでもうまくいかないですよね。誰でもその両方を持っている。わたしもです。一方で、ときにまた「コラ!」と世間のお叱りを受けるようなことでも、それが真実だと信じることならば、ユーモアを交えて、みなさんに伝えていきたいと思います。

 あの事件から1年。最後のテレビ出演以降、仕事の依頼が来たのは、都市伝説やUFOネタなどが中心の「TOCANA」でした。はじめは「こんなトンデモネタ満載のサイトなんてなんだかなー」と思い、お断りしようと思ってました。しかし、考えてみればこの国でタブーと言われるものを真面目に伝えたとしてもキ●ガイ扱いされてきたわけで、嘘のような話ばかりをしている怪しいサイトの方が真実を語りやすく、炎上するほどの批判を受ける心配もない! そう思い、引き受けることにしました。

 最初のキッカケはまったく面識の無い石丸さんからの突然の私への応援メール。誰だろうと思い、Wikipediaを見たら覚せい剤の逮捕歴があるうえ、そのことを本にまでしている人!? さらに画像検索で本人を見ると……。「こんな怖そうな人と仕事なんて、ありえないぃい!! しかも覚せい剤を使用した過去!!」と思ったのです。石丸元章さんとはこの連載がキッカケで今回、初対面だったのですが、実際にお会いする前に一冊くらいはと、石丸さんの著書である『アフタースピード』を取り寄せてみたんです。読み始めると、逮捕、取調べ、拘留と狂ったように書かれる文章から、当時の自分を思い出し、途中から気分が悪くなり、半分も読まずに投げ出してしまいました。

 ただ、本人に会わずにイメージで決めつけるのも……。と思っていたのも事実で、それを伝えると石丸さんは実際に石垣島に足を運んでくださり、直接、会いに来てくれました。お会いしてみると、ネットで見た外見以上に実物は怖そうな人で、私もその怪しすぎる見た目に驚き、初対面からあらぬ事を口走ってたようですが、最初の事はよく憶えていません。これも石丸さんのパワーなのでしょうか……!? ただ、話が慣れてくるとその外見とは違い、とても気を遣ってくださる優しい方で、言葉を選んで私を励まし、そのうち、私も罪状は違えど逮捕、拘留と同じ経験をした2人だからこそ話せることがあるように思えてきました。今では、どんな事になるかと不安半分、楽しみ半分ですが、一度道を外れた2人ならではの対談、皆様楽しみにしてください。石垣島のわたしと東京の元章さんをネットでリアルタイムで結んで、自分の生活や、生活を通じて考えていることを、楽しく語れたらよいなと思います。執行猶予中ということで、いろんなご意見もあると思います。ご意見のある方は、ぜひその声を寄せてください。
 
 あの……罵声も、受け付けてます。応援よろしくお願いします!」
https://tocana.jp/2018/07/post_17430_entry_2.html


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【まさに秘境】元女優の高樹沙耶さんが経営しているジャングル宿『虹の豆』に泊まってみたら異空間過ぎて震えた
耕平 2018年9月27日
https://rocketnews24.com/2018/09/27/1119545/


先日、沖縄県の石垣島に旅行に訪れた際に、元女優の高樹沙耶さんが経営している宿があるという情報を聞きつけ、ぜひ一度泊まってみたいと思い、訪問してみた。

私(耕平)もこれまで いろんなホテルや民宿などの宿泊施設を利用したが、その中でもトップクラスに入るくらい衝撃的な内容だったので、一連の体験を書いてみたいと思う。

・入り口が怪しさ満載

高樹沙耶さんが経営する『エコリゾート キャンピングロッジ 虹の豆』は、新石垣空港から北の方に車で30分ほどの距離の場所にある、通称 “裏石垣” と呼ばれる場所に存在する。

私(耕平)は今回バスを使って訪問したが、1日に3本ほどしかないため、事前に時刻表を調べていかないと、途方に暮れてしまうので注意が必要だ。

そんな感じで新石垣空港からバスを乗り継ぐこと、約2時間かけて目的の宿の最寄りのバス停に着き、その後、電話をしたら、なんと高樹さんが対応してくれたぞ! そしてバス停までスタッフの方に車で迎えに来てもらい、ようやく宿に到着。


……と思いきや、ここが宿?


おいおい、これ……


思いっきり立入禁止区域やないかい!

と思わず心の中で叫んでしまったが、宿の宿泊者以外は立ち居入り禁止という意味であった。ふぅ〜。そんなこんなでチェックインしてみたら、そこには驚愕の風景が広がっていた……。


・まさに秘境!

まず目の前に広がったのは、山をバックにした広大な大自然の中に築かれた、まさに「エコリゾート」と呼ぶにふさわしい風景。


敷地内は宿泊用のコテージが2つ、共有スペースのロッジ、シャワースペース、トイレが完備され、その全てが手作りというから驚きだ。

「エコ」が売りの宿泊施設なので、宿泊用のコテージはテレビもエアコンも完備されていない。しかし、その分ゆっくり時が流れるのが堪能でき、都会の垢を落とすには もってこいの環境だ。


・トイレにハブが出る

ジャングルを切り開いた敷地なので、当然、人間以外の生き物が共存する。そのあたりの話は、チェックインした時にスタッフさんと各施設を回りながら説明を受けるのだが、その中でも私(耕平)が驚愕したのが「ハブ」の存在だ。

敷地内は水周りがよいのだが、ハブは特に夜に活動することが多く、湿気がある場所に集まる習性がある。となると、気をつけるべきはシャワースペースとトイレだ。


特にトイレは要注意。使用した後に、必ずフタを閉めないと、次に使用した時、トイレの中に……一見、流し忘れのウ○コだと思ったら、ハブがトグロを巻いていた……なんてことがザラにあるらしい。

・エコツアーに感動!

宿泊した翌日、チェックアウト前にスタッフさんが、近郊の隠れスポットに案内してくれた。

私(耕平)が連れて行ってもらった場所は、広大な敷地に超巨大なシーサーが立ち並ぶ「米子焼シーサー農園」。開店30分でほぼ全ての品が売り切れてしまうというパン屋「トミーのパン」。そして、観光客にあまり知られていないことで隠れスポット「荒川の滝」だ。


特に「荒川の滝」ではスタッフさんが、いきなり滝に飛び込み「YOUも入っちゃいなよ!」的にガンガン煽ってくる。初めは躊躇(ちゅうちょ)したが、意を決して飛び込むと、最高に気持ちイイ!

実際入ってみると、透き通るくらい透明度の高い川の水が演出する勢いの強い滝は、私(耕平)を頭から容赦なく打ち付け、自然が織りなす極上の頭皮マッサージを体験できた。

というわけで、1泊2日で大自然を「これでもか!」っていうくらい満喫することができた。また石垣島に来た時は是非泊まってみたいと思うが、一つ注意すべきことは、この宿では食事が一切提供されない。

近くに売店やコンビニも無いので、もし、この宿に泊まってみたいと思った読者の方は、事前に飲食物を購入していくことをオススメする。

参考リンク:キャンピングロッジ 虹の豆Facebook
Report:耕平
Photo:RocketNews24.


▼一見、立入禁止区域かと思いきや……


▼敷地内は、まさに「ジャングルのオアシス」だ!


▼日が落ちると敷地内はライトアップされる


▼敷地内の広場では夜にキャンプファイヤーが行われる場合もあるらしい


▼「エコツアー」で案内された超巨大なシーサーが立ち並ぶ「米子焼シーサー農園」


▼大自然に触れて、私の頭皮も大満足だ!


▼高樹沙耶さん(本名:益戸 育江さん)からも直々に御礼のメッセージをいただいたぞ!
https://rocketnews24.com/2018/09/27/1119545/


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石垣島『虹の豆 浮世離れ』ってどこ?高樹沙耶のキャンプ場はオープンした? 2019年10月29日更新
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石垣島に『虹の豆 浮世離れ』というキャンプ場があることはご存知ですか?元女優の高樹沙耶さんが、石垣島の土地を切り開き作ったコテージが特徴のキャンプ場です。今回はこの『虹の豆 浮世離れ』の場所、料金、口コミ、現在の状況を紹介します。

高樹沙耶さんのプロフィール

女優としての高樹沙耶さん

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『虹の豆 浮世離れ』を設立した高樹沙耶(本名・益戸育江)さんは、静岡県浜松市出身の元女優です。高校時代に原田真二のコンサートを見たことが芸能界を目指したきっかけ。モデルとして活動し『活動語沙耶のいる透視図』で映画デビューしました。その後「スィート・ホーム」などのドラマ出演や作詞家など幅広い分野で活躍、有名な刑事ドラマ「相棒」では花の里の女将役として10年以上出演されました。

医療用大麻解禁運動家としての高樹沙耶さん

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一方で、麻薬である大麻が難病の治療やアンチエイジングに効果があるとして医療用大麻解禁運動を行っていた高樹沙耶さん。芸能界を引退して活動家に転身し、2016年には「医療大麻で医療費削減を」というスローガンを掲げ参議院選挙に立候補するもあえなく落選し、その後沖縄県で大麻を隠し持っていたとして逮捕され、有罪判決を受けました。

現在の高樹沙耶さん
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裁判で有罪を宣告され、2017年4月に懲役1年、執行猶予3年の判決を受けた高樹沙耶さん。その後表舞台から姿を消しましたが、2017年12月にテレビの前に姿を現しインタビューに応じました。そこでは大麻を使用し法律を破ったことに対する反省の念を述べ、医療用大麻解禁運動家はやめたと宣言。現在は石垣島に移り住み、人目を避けるようにひっそりと暮らしています。


高樹沙耶さんが石垣島に作った「虹の豆 浮世離れ」とは

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そんな高樹沙耶さんが事件前の2013年、知人男性4人と協力してオープンしたのがキャンプ場『虹の豆 浮世離れ』です。石垣島のジャングル1500坪の土地を購入して開拓し、エコツーリズム(自然・文化などの資源を保護しながら観光を行う事)を体感できるコテージ付きの施設としてオープン。高樹沙耶さんは、現在は環境保護の志を持つ方々とこの宿泊施設の運営に専念しています。今回はこの謎多きキャンプ場の場所、料金、口コミなどを紹介していきますので、興味のある方はぜひご覧ください。

石垣島の自然を味わえる『虹の豆 浮世離れ』の特徴

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シンプルなコテージ風の家、沢の自然水を利用したシャワーなどエコツーリズムを意識した場所になっているのがこのキャンプ場の大きな特徴です。コテージはあのバリ島から移築した古民家で、大自然に囲まれたキャンプ場にピッタリ。食事は併設されたカフェで行われ、その他の施設として露店風呂やマッサージ場があります。豪華な施設などはありませんが、自然に囲まれた中でのびのびと過ごしたい宿泊場所がほしい方にはおすすめです。

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石垣島の『虹の豆 浮世離れ』を楽しむ方法

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石垣島のありのままの自然を楽しめる『虹の豆 浮世離れ』。ただのキャンプ場ではなく、特技のフリーダイビング(日本記録を獲得するほどの腕前)について「イルカのように泳いでみたい、少しでもかれらに近づきたい」とコメントした高樹沙耶さんの思いがつまった場所です。そんな『虹の豆 浮世離れ』を楽しむ方法は2通りあります。予定や体力と相談してどちらかのプランを選びましょう。

キャンプ場内で内でゆっくり過ごす

キャンプ場に到着したら、まず宿泊場所であるコテージに向かいましょう。騒音や排ガスとは無縁の場所で、さわやかな風にあてられながら我が家のようにゆったりとした時を過ごすことが出来ます。TV、冷暖房、ネットなど近代設備はありませんが、蚊帳が用意されるので蚊などの虫は防ぐことが出来ます。朝に来られた方は空気の清々しさを、夜に来られた方は夜の静寂を楽しみましょう。自然水のシャワーは基本石鹸とシャンプーが使用禁止ですが、指定の場所なら使えます。

コテージでリラックスした後は、外に出てキャンプ場周辺を散策してみましょう。文字通り手つかずのジャングルが残っており、亜熱帯の森の中で森林浴を思う存分楽しむことが出来ます。周辺には沢もあり、口コミによると中に入って川遊びをした方や滝行をした方もいます。『虹の豆 浮世離れ』周辺を一つのアトラクションと考え、思う存分大自然を満喫しましょう。当然のことですが、虫刺され対策だけは忘れずにしっかりと行いましょう。

エコツアーを楽しむ

もっと本格的に石垣島を楽しみたい!という方は別料金を支払う事でエコツアーに参加が可能です。施設の方が一人ガイドに付き周辺の穴場スポットや美しいビーチを案内してくれます。また、シュノーケリングや山歩き、キャンプファイヤーなど道具が必要なレジャーをサポートの元行えば気分は探検家。時間も半日や1日など指定が出来るので希望があれば気軽にガイドに相談しましょう。

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周囲の探検が終わった後は、真っ暗闇になった森の中でキャンプファイヤーを囲みながら、様々な事を語るのもよいです。宿泊しているほかのゲストとの交流も希望すれば可能ですので、施設の方に一度相談してみましょう。初めて出会った人間と語り合うのも旅の醍醐味です。

石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の利用料金

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コテージで自然との一体感を楽しめる『虹の豆 浮世離れ』。その分、料金の方も高くつき、宿泊料金は一人当たり一泊1万5千円〜2万円前後とかなり高額です。エコツアーに申し込むとさらに1万前後追加料金がかかります。ですので、単に石垣島で宿泊したいだけの方にはおすすめできません。施設の概要や理念を理解し、それでもここで泊まり自然を肌で体感したいという方は数万円の出費を覚悟して申しこんでください。全施設の貸し切りも可能なので、お金に糸目は付けないというかたは一度相談してみましょう。

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石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の口コミ

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宿泊予約サイト、フェイスブックに宿泊された方の口コミがいくつか掲載されておりますが、基本的に好意的な評価が寄せられています。通常の生活では実感できない、自然を五感で感じる体験が評価の理由になっています。高樹沙耶さんの昔からのファンからも多くの書き込みが寄せられており、様々な困難を乗り越えて自分の生き方を貫くスタンスを応援する方も多いです。口コミの一部を抜粋して紹介します。

居心地よいお部屋、夢のようなお庭、心のこもったおもてなし。 桃源郷に迷い込んだような 不思議な2日間でした!! ありがとうございました。

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石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の現在と将来

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いまでこそ一定のファン層を得た『虹の豆 浮世離れ』ですが、高樹沙耶さんの逮捕時には閉鎖され、一時は存続も危ぶまれました。しかし、2017年に『キャンピングロッジ 虹の豆』として再オープンを果たし、徹底したエコリゾートとして少しずつ口コミなどで評判を広げていき今日に至ります。様々な困難を乗り越えられたのは、自然に寄り添う宿泊施設を作りたいという高樹沙耶さんの理想と新年のたまものにちがいありません。

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よく言えば個性のある、悪く言えばとがっている宿泊施設なので万人にはおすすめできませんが、その強烈な魅力は施設の不便さを十分に補うものです。今後は口コミで知名度を増やして石垣島全体、ひいては日本の観光名所として発展していく事を願わずにはいられません。都会では体験できないことをしたい方、大自然の美しさに直接触れたい方、石垣島に観光することを考えている方は『キャンピングロッジ 虹の豆』の利用を一度検討してみてください。

石垣島の『虹の豆 浮世離れ』に行く方法

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このような魅力のある『虹の豆 浮世離れ』ですが、石垣島のジャングルの内部に位置するので、利用するにはある程度の準備が必要です。周辺に公共交通機関はなく、ネットにも場所に関する情報が少ないので迷わないように注意してください。 〒:907-0451 住所:沖縄県石垣市桴海大田232−4 電話番号: 0980-88-2622 こちらが場所の住所となります。徒歩では行くのが難しいので現地でレンタカーを借りるのがベストです。 空港から約19分の距離にあります。

石垣島の『虹の豆 浮世離れ』の最新情報を得るには

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改名した『キャンピングロッジ 浮世離れ』の情報が記載されているインターネットサイトを紹介いたします。サイトはフェイスブックとairbnbの2種類があり、どちらも周辺の写真や天候の情報、ニュースなどが掲載されています。興味のある方は、一度これらのサイトで施設の情報を確認するのが良いでしょう。ただし、予約や料金確認が出来るのはairbnbだけなので注意が必要です。まずはじめにフェイスブックを見て、その後airbnbで予約をするのが無駄がありません。

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自然を愛する人たちへ

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『虹の豆 浮世離れ』のようにエコロジーを重要視した施設は日本にはまだ多くはありません。しかし、海外では東南アジアなどを中心に流行を見せており、これからの地球環境保護の時代に重要性を増していきます。興味を持った方は、一度石垣島のジャングルの奥深くにあるコテージが立ち並ぶ桃源郷を訪れてみませんか。
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高樹沙耶が石垣島に『キャンピングロッジ 虹の豆』を開くに至った経緯は

沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c25
 


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html#c1

[近代史3] 一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
2. 中川隆[-11354] koaQ7Jey 2019年11月06日 12:48:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1543]

高樹沙耶のマリファナ礼賛の背景

アメリカの多国籍企業が大麻ビジネスを推進する為に、マリファナはタバコや酒より安全だというインチキ研究を拡散しているのですね:

Thu.2016.10.27
マインドコントロールされた高樹沙耶と「安倍」大麻夫人


大麻 マリファナ カンナビス - Cannabis in Japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=49pWTyj7ZI4&feature=youtu.be&t=5m14s


「伊勢神宮に、神宮大麻って書いてあるんですよ」(彼女) 
・・・しかし、伊勢神宮の「大麻」とは、「オオヌサ」のことであって、一般に想像される大麻(=マリファナの主原料)のことではない。
私は実際に伊勢神宮に行って確かめたが、これが正しいのである。

「オオヌサ」の生産は、確かにその昔、基幹産業だった。
その後、米国のハザール・シオニストが麻薬産業を独占するために日本では禁止された。


「堕ちたグランブルーの女王」と書けば週刊誌が売れる日本の民度の低さ

「高樹沙耶、大麻逮捕」・・・四国から帰ってきたとたん、このニュースが飛び込んできた。

彼女の人となりを知る芸能界の人々は、「いつかは、こんなことになるのでは、と心配していた」と、判で押したようなコメントをスポーツ紙やタブロイド紙に投げかけている。

一方、ネット住民は、「自民党のTPP強行採決から国民の目をそらすためにスケープゴートにされたに違いない、そう清原逮捕劇のときのように」と、こちらのほうは陰謀論花盛り。

また、お小遣い稼ぎを目的としたユーチューバーたちといえば、さっそく、youtubeにデタラメ動画を作成して次々とアップしている。

この中で、まったく信用ならないのが、ユーチューバーのインチキyoutube動画である。こんなものは、すぐに唾棄すべきものである。

さて、真相は・・・

実は、彼女が新しい伴侶とともにハワイに移住して、フリーダイビング競技の日本大会で、水深45mの日本新記録を打ち立てる前の年、彼女の所属事務所でお会いしたことがある。

東京のFM放送局でディレクターを務めている友人の紹介によって、当時、原宿にあったオスカープロモーションで打ち合わせをしたのである。

その打ち合わせとは、あらゆるスポーツの中で、もっともリスキーなスポーツに彼女がチャレンジするかどうか、その打診を行うためのものであった。

傍らに彼女のマネージャーが付き添っていたが、そのとき、彼女は私にこう言った。
「私は事務所のいうとおりにはなりません。自分が正しいと思ったことをやりますから・・・」。
そして、彼女は、二つ返事で、そのチャレンジを引き受けた。

彼女が、大の冒険好きであることは、アウトドア仲間のそのFMディレクターの友人から、よく聞かされていたので、たぶん、興味を持っていただけるとは思っていたものの、こうまで、あっさりと首を縦に振られてしまうと、「おいおい、本当のリスクを理解してくれたのだろうか」と逆に、こちらのほうが心配になってしまったことを記憶している。

実際にお会いしてみると、女優さんであれば、みなそうであるが、特に彼女は、背もどちらかというと低いほうで、今にもポキッと折れてしまうくらい体格がきゃしゃなので、びっくりしたのだ。

しかし、人を正々堂々と真正面から見据え、嘘を吐くことが大の苦手。まさに、(何を信じているのか分からないが)信念の女性という印象を受けた。

大麻所持の容疑をかけられて逮捕されるも、「私の物ではない」ときっぱり否認するところは、相変わらずだ。

「非合法薬物の常習使用者は、たいてい、このように言うだろうさ」・・・そのとおり。

しかし、彼女に限っては、ひょっとしたら、嘘をついていないのかも知れない、と思っている。それくらい、まっすぐな人柄なのである。
ただし、「吸っていたのは自分の大麻ではない」というのは正しいのだろうと・・・。

もともとケレン味のない人柄なので、芸能界の友人より、一般社会の友人の方が多いようである。

その人々の中から、彼女の過去のパートナーたちが現れたであろうし、今回の逮捕で「奇妙な共同生活の仲間」である男性二人も、そうした人々であった。

端的に言うと「騙されやすい」のである。

彼女が大麻解禁を主張し出したのは、ジョージ・ソロスのスポンサードによって、米国のいくつかの州で、次々とマリファナが合法化されたときである。

米国では、2014年1月1日から、コロラド州で娯楽(嗜好品)としてのマリファナ(乾燥大麻)が解禁され、同年内にはワシントン州でも解禁された。

マリファナ吸引にはライセンスも何も必要ない。21歳以上の成人であれば、ショップで一回につき28グラムまで(コロラド州外の人間は7グラムまでに制限)購入することができるようになったのである。彼らは、それを娯楽用に日常的に使用している。

もっとも、彼女自身は、もっと前から大麻解禁論者であったのかも知れない。
少なくとも、彼女が大麻解禁論者であることを私が知ったのは、この時点である。

このとき、カナダのニュースサイトが彼女にインタビューしたときの動画がタイムリーにアップされていた。
彼女の主張は、「医療大麻は、すぐに解禁すべきだ」である。

しかし、不運なことに、この動画に出てくる訳知り顔の男どもは白痴ばかりである。
「大麻は万能だ。放射線(?)を吸い取る」とまで言っている。この男たちはバカなのか。そう、バカなんだろう。

カナダのネットメディアの編集員が、それを意図したのかどうかを知ることができないが。

この種の連中が、南の島で「レイブ」と呼ばれる薬物吸引パーティーをやっていることは、よく知られている。

この動画の彼女の見識があまりにもヨタヨタしているだけでなく、その表情から、どうもマインド・コントロールにかかっているように見受けられた。

高樹沙耶氏は、こうした種類の麻薬インテリゲンチャ(別な言い方をすると「ステークホルダー」)のイカサマ師たちと頻繁に接触することによって洗脳されたのだ。
(※メルマガ55号 パート2)

だから、ブログでの紹介を差し控え、分別のあるメルマガ読者向けだけに、一部のみ公開した。

理由は、米国ですでに麻薬ビジネスが産業化しているように、日本でも、愚か者たちが、その後に続け!と言い出しかねないからである。

高樹沙耶の次は安倍昭恵なのか・・・捜査当局が関心示す

専門医が警告しているように、「医療大麻は、世界各国で緩和ケアなど使用されている」。

しかし、緩和ケアとは、ほとんどが「末期」の段階で使用される。
「世界中で推奨されているから」という理由だけで、日本における解禁を急ぐ理由にはならない。

医師と製薬企業との癒着! それは起こるだろう。

一般に、「大麻を乾燥させたものをマリファナ」と言っているが、ジョージ・ソロスが、一般市民(それは、社会に不満を持っている99%の人々を顧客としている)普及させるために、各団体に資金援助を行い、あらたなマーケットを開拓しようとしているのは、過去のマリファナ(乾燥大麻)市場ではない、ということを肝に銘じておく必要がある。

大麻は、乾燥・加工の後、製品化される過程で、得体の知れない化学合成物が添加される。それは、紙巻きたばこの紙に火薬が使用され、数百種もの非公開の化学薬品が使われているのと似ている。

その非公開の化学薬品の何種類かには発がん物質さえ使われている。
さらに、葉っぱの産地によっては、もっとも恐ろしい内部被曝を及ぼす放射性物質ポロニウムが含まれている。

工業製品としてのマリファナも同じである。

マリファナ・タバコ(ジョイントといって、タバコの葉っぱにマリファナを混ぜて紙巻にして吸っている連中が多い)に火をつけて出る煙には、複数の発ガン性物質が一般の市販タバコより50%から70%も多く含まれている。

巨大タバコ産業のほとんどがユダヤ資本によって成り立っているように、大麻生産者が外国資本によってインテグレートされ、産業化された場合、同じことになって、成分が秘密にされたまま市場に出て来ることになるのである。

日本がTPPに入ってしまったら、それを防げるのか! ということだな。
大麻の生産能力がある、なしの問題ではないのだ。

だから、「大麻で町おこし」なんぞ、できない。

よく、何とか理由をつけて乾燥大麻を吸引したい狂った人々は、タバコの害とマリファナの害を比較する。
それ自体がナンセンスなのだ。製品化されれば、タバコと同じように、成分表示はされなくなるからである。

米国の後を追え!と息巻いているバカたちには、そうした知識が欠如している。

大麻合法化によって、これから出て来る「大麻」は、その解禁を叫んでいる高樹沙耶、三宅洋平らが言っているようなものとは、まったく別物なのである。

ましてや、「大麻で町おこし」などと言っている、憲政史上、「ド」がつくほどの阿呆なファーストレディー、安倍昭恵が主張しているようなものでもない。


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「なぜこの2人が急接近したのか??答えは大麻にある。」 (ソース)
まったく不気味なファーストレディーである。いったい、何を企んでいるのか得体の知れない女性である。

なんと麻薬捜査当局は、昭恵の(おかしな)言動も把握しているという・・・。

昭恵が大々的に応援していた大麻加工を行う会社の代表が、大麻を所持し、大麻取締法違反の疑いで厚生労働省の麻薬取締部に逮捕されていた、というのだから、「昭恵も」と勘繰るのは当然だろう。

広告マン、商社マン、テレビマンの間で広がっている乾燥大麻吸引

「大麻で死んだ人間はいない」と言っている無責任な大麻崇拝者たちに聞かせたい実話がある。

これは、私の学友の体験談だ。
今、彼は広告代理店の二代目社長をやっている。大分、苦労したせいか、人の痛みの分かる多少は「なんとかなりそうな」男になった。

彼は大学を卒業して他の学生と同じように大手メーカーに就職が決った。そこで1年まじめに研修を受けたものの、何を思ったのか、「今やらないと後悔する」と言い放って、突然退社して世界放浪の旅に出てしまった。

バックパッカーでの貧乏旅行だから、発展途上国では食事もまともに取れない。安いレストランでさえ、週に2、3回しか入ることができないので、食事の大半は屋台で売っている焼き物で済ませることが多くなる。
日本人の衛生観念に照らしてみれば、決して安全とは言えない食べ物を買って路上で食べるのである。

彼は、インドが気に入って、しばらく滞在することにした。

夕暮れ時のインドのガンジス川の川辺で、目の前を悠然と流れていく腐敗した人間や動物の亡骸を何体も眺めていると急に腹が減ってきて、とある屋台でパンを買ったという。

なぜ、パンパンに膨らんだ人間の死体を眺めていると急に腹が減るのか、今でも私には理解できない。

とにかく、彼は、そのパンを少しちぎって食べた。
「んっ? 変な味だ」。今まで体験したことのない味だったという。

まずいので食べるのを止めたものの、貧乏旅行ゆえ、ムダは許されない。捨てるのももったいないのでバックパッカー専門の安宿に持ち帰って残りを食べた。

果たして彼が予感したとおり、牢屋のような安宿の部屋で昏倒した。

「これは死ぬ」と悟った彼は、なんとか人目に付くように外に出ようとして階段まで出たところで(部屋は2階だった)意識を失ったのである。

彼は、翌日、病院のベッドの上で目を覚ました。同じ宿に泊まっていたバックパッカーに発見されて、病院に担ぎ込まれて一命をとりとめた。

彼が記憶しているのは、天井がものすごい速さで回転する光景だけだった。。

病院の医師の話では、「あれは、マリファナパンといって、一度に全部食べるものではない。そんなことをすれば、身体の弱い人なら死んでもおかしくない」ということであった。ドラッグ安全神話のマリファナにも死亡リスクはあるのである。
体に異変が……!! 脳卒中かと思ったら「娘が作った大麻入りブラウニー」を食べただけだったパパ / 娘は薬物不法所持で服役の可能性も!

現地のインド人は心得ているので、その半径20cmくらいの餅のようなパンをちぎって少しずつ食べるのだが、事情を知らない彼は、それで腹の足しにしようと全部食べてしまった。
だから、そのインドの屋台で売っていたパンの成分がどうであれ、「マリファナは(大量に)摂取しても死なない」というのは間違いである。

問題は、大麻の中のTHCという成分濃度である。これが多く含まれていると「上物」と言われる。彼が食べたのは、その成分濃度が高かったマリファナ・パンだった。

「大麻を解禁しろ!」と主張している人たちの問題点は、「なぜ、世界中で大麻解禁のトレンドが起こっているのか」という謎に迫らないことだ。

日本人の思考は、常にこうなのである。
「世界中で解禁の流れがあるのだから、なぜ日本だけが解禁されないのか。それはおかしいだろう」…。

生まれながらの奴隷的思考の日本人は、最初から論理的に破綻しているにもかかわらず、何の疑問も持たずに「現象」をそのまま「理由」にすり替えてしまう天才なのである。

米国で最初に大麻が解禁されたコロラド州では、早くから地元新聞が、「マリファナを使ったパンの焼き方」などを伝授している。
解禁されるには、それなりの素地がある。

もちろん、米国人は、乾燥大麻を常習したり、過剰に経口摂取した場合、命にかかわることを、みっちり教育されている。
その上で、「自己責任」というかりそめの自由を謳歌しているのである。

日本人に、それができるのだろうか? 

放射能で脳神経をやられた上、さらに大麻で致命的な結果を引き寄せようというのだろうか。おバカなニューエイジャーの「大麻カルト」には、くれぐれも騙されないように。

ニューエイジ・ムーブメントとは、そう、ロックフェラーが資金提供して人為的に起こされた「若者廃人化運動」のことである。

もっとも、ずいぶん前から、エリート商社マン、テレビ局の社員、大手広告マンなどの間では、大麻パーティーが定期的に開かれていると聞く。
中でも、あの電通マンのマリファナ・パ−ティーは、ギョーカイ内ではつとに知られている。

とっくに知れ渡っていることだろうに。なぜ、逮捕しないのか。
「省庁でもっともダメな厚生労働省」というレッテルは、当面の間、剥がれ落ちることはなさそうだ。

カナビス(医療大麻)の解禁を押し出して、乾燥大麻を嗜好品にしようとしている“ゲス野郎”たち

多くのディスインフォメーションが混在している「Before It's News」に、奇妙なことが書かれている。


「大麻は、安全で効果的な向精神薬であり睡眠薬です。
多くの人々は大麻に含まれるカナビノイドやテトラヒドロカンナビノールなどの天然化合物は、上述の薬よりも、ストレスや不安の解消や不眠症の改善に遥かに効果的であることを知っています。

調合薬とは違い、大麻は危険ではありませんし、身体に有害ではありません。

1986年に発表された研究結果では、通常マリファナと呼ばれる大麻には抗不安効果と睡眠導入効果があります」。

これは、大麻を合法化することによって、なんらかの利得を得る人々の言説である。
つまり、大麻の栽培で一儲けしようとしている、くっだらない“ゲス野郎”である。

世界中どこを探してもコカイン合法化デモ、覚せい剤合法化デモ、ヘロイン合法化デモは一度たりとも起こったことがない。

なぜなのか?

コカイン、覚せい剤、ヘロイン、LSD…常習していると廃人になってしまう、こうした強い精神作用のある薬物は、取り締まっても取り締まってもなくならないことを麻薬取締当局は知っている。
人間が退廃に憧れを持っている限りは。

米国は「ドラッグ・ウォー」を高らかに宣言し、「麻薬カルテルを壊滅させる」と何度も繰り返してきたものの、何の成果も挙げられないどころか、麻薬カルテルの勢力は拡大し、彼らの市場はますます広がっていることが、その証左である。

つまり、米国は麻薬を取りまる気など、最初からない。 それどころか、CIAが麻薬カルテルに加担しているような国である。

これは、「ISISを殲滅する!」と、米国民に向けて勇ましい誓いを立てるワシントンが、実は、数千回にも及ぶ空爆を行いながらも、巧妙にISISのいる場所だけは狙いを外し、それどころか、背後でこうした首切りテロリストたちに、せっせと餌を運んでいるのと、まったく同じ構図である。

また、バチカンの銀行をはじめとして、パナマ文書が暴露されたときに取り沙汰された、いつくかのメガバングは、数十年の間、こうしたマフィアの資金洗浄を引き受けている。

麻薬を必要としている人々がいる限り、儲かる人たちがいる。だから「なくならない」。

そして、ワシントン自身が、麻薬とテロリストを必要としている限り、「なくならない」のである。

米国の多くのカナビス(cannabis:医療大麻)専門サイトに書かれているのは、「コカイン、覚せい剤、ヘロイン、LSDは危険だ。だから、どうせなら危険の少ないマリファナにしよう!」・・・・。そうしたブロガーたちは、いったい何者なのか? 少しだけ考えてみれば、すぐに分かるはず。

大麻の主成分は、テトラヒドロカンナビノール(THC)や、カンナビジオール(CBO)で、これがトリップ状態を引き起こす。

それゆえ、THCを含まない種を使ったり、加熱処理して成分を無害化した大麻料理(大麻パイや大麻チョコ、七味唐辛子や大麻オイルドレッシングなど)に限っては合法とされている。

トリップ状態を引き起こす乾燥大麻(それは、マリファナという化学的な化合物である)の原料を一般化して「大麻で町おこしを!」と叫んでいる無知の極大値・安倍昭恵に対する「奥方様、今こそ、国政は重要な局面に差し掛かっておりまする。どうか大麻解禁活動を自粛なさいませ」という、お上の心配が、高樹沙耶をスケープゴートにすることによって、和らげようとする狙いがあるとすれば、まさに犯罪行為と言うべきは、そちらの方だろう。

日本でも大麻を解禁したければ、米国やヨーロッパ各国のように、義務教育の段階から生徒たちに「大麻がもたらす害」と「乾燥大麻が、実は大麻とはかけ離れた有害で非常に危険な工業製品である」ことを、みっちり教育してからでなければダメだろう。

それをやらなければ、今でも向精神薬の入手情報をSNSで交換している若者が大勢いるように、大麻などの非合法薬物に免疫のない若者たちの間で、瞬く間に広がっていくだろう。

最後に・・・ジョージ・ソロスが、なぜ乾燥大麻を普及させたいのか、その理由について。

狙いは金儲けだけではない。人間の松果体(第三の目)を破壊して、従順なロボットに変えてしまうためである。
といっても、かなり専門的で難しい話になるので、別の機会にしよう。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4614.html


▲△▽▼


因みに、マリファナは沖縄の米軍基地の近くに行けば簡単に入手できます:

  = インフォメーション =

 マリファナの購入(入手)は容易である。

(マリファナ観光)

今までは、ハワイ=ワイキキ=マリファナで、ハワイに行く事は、マリファナを吸いに行く事である。

最近の注目は、沖縄=国際通り=マリファナで、沖縄に行くことは、マリファナを吸いに行く事である。

でも、最強のガンジャスポットは、東洋一の軍事空港嘉手納飛行場のある沖縄市である。

まずは、パークアベニュー、つづいては、空港通り、さらには、一番街!
この三か所をまわれば、確実に手に入る。

 通りを歩いていると5分おきに「マリファナ買いませんか?」と声をかけられる。
米兵は、軍用郵便で米国より自由に持ち込めるからだ。
これを民間米国人が、売りさばいている。
基地の中は、マリファナ天国なのだ。


マリファナを買うときに注意したいのが、「ハーブ買いませんか?」という売人が中にはいる、

しかして、その物は、本当に薬草類のハーブなのだ。

私もこれには、5,6回だまされて、中にはヨモギだったこともあります。
http://marihuana.blog.fc2.com/blog-entry-3.html


詳細は


野菜=大麻? 1グラム6500円 拡大するネットの闇世界、犯罪の温床「ダークウェブ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/705.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html#c2

[環境・自然・天文板6] 「地球温暖化」の虚構 (その二) お天道様はお見通し
6. 中川隆[-11353] koaQ7Jey 2019年11月06日 13:26:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1544]
>>5
産業革命以前は二酸化炭素濃度が減って氷河期に向かっていたんだよ

人間が石炭・石油を燃やさなければ、それまで気温が下がっていたんだから二酸化炭素濃度も減っていたんだ


http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/787.html#c6

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
65. 中川隆[-11352] koaQ7Jey 2019年11月06日 14:32:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1545]

山本太郎(れいわ新選組代おしゃべり会 沖縄県石垣市 2019年11月3日‬ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Pp4NrGTpG_k
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c65
[近代史3] 一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
3. 中川隆[-11351] koaQ7Jey 2019年11月06日 14:49:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1546]





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html#c3
[近代史3] 一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』 中川隆
4. 中川隆[-11350] koaQ7Jey 2019年11月06日 14:58:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1547]


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/707.html#c4
[お知らせ・管理21] 気色悪いし、人も居ないので撤退します。 エロ百景
19. 中川隆[-11349] koaQ7Jey 2019年11月06日 17:04:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1548]
阿修羅は風説の流布が多いからまともなサイトだと思われていない


パーキンソン病患者の幻覚体験 _ 伝説の遭難者 yucon氏の体験について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/700.html

「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


▲△▽▼


阿修羅掲示板ではパーキンソン病患者、精神分裂病患者や「認知の歪み」が酷い投稿者が頑張って風説の流布に励んでいますからね:


阿修羅掲示板でデマを撒き散らしている頭がおかしい投稿者のリスト


・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO
・櫻井ジャーナル 櫻井春彦
・てんさい(い)= 東海アマ
・小野寺光一
・仁王像
・西岡昌紀
・木村愛二
・こーるてん
・ポスト米英時代=小沢内閣待望論
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・taked4700
・HAL


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/518.html#c19

[議論31] 途上国より不幸な日本人。なぜ清潔で治安が良くモノが溢れる日本が世界幸福度18位なのか=鈴木傾城 てんさい(い)
3. 中川隆[-11348] koaQ7Jey 2019年11月06日 17:10:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1549]
阿修羅掲示板が典型だけど、日本人は「正義マン」ばかりだからさ:

軽減税率、食料品の場合、お店で買って自宅で食べるといった場合には適用されますが、お店にイートインコーナーが併設されている場合にそこで食べていくといった場合には適用されず、10%の税率が課されることになっています。どちらになるのかは、支払い時に店員が確認し、それに対するお客さんの自己申告によるわけですが、持ち帰りと言っておいてやっぱりイートインコーナーで食べていくというお客さんも、当然中にはいるわけです。

こうしたお客さんを、ネット上では「イートイン脱税」と呼んで揶揄し、そうしたお客さんの行為を店員に知らせる「良心的」な人のことを「正義マン」と呼ぶようになっているようです。

 本来非難されるべき対象は、「イートイン脱税」をした人ではなく、2度もの増税を強行した現政権であり、財政健全化を金科玉条に、そうせざるを得ない状況に追い込んでいった財務省であり、先の参院選で増税反対を掲げられなかたどころか、緊縮脳、増税やむなし脳にいつまでも縛られている多くの野党のはずです。ところが重箱の隅をつつくかのように一般庶民を別の庶民が揶揄する。新たな分断が生じていると言ってもいいかと思いますが、そんな状況を創り出した財務省の増税推進プロパガンダは、皮肉をたっぷり込めて、お見事としか言いようがありませんね。それに「正義マン」って、その正義いずくにありや。単なる自己満足のための密告者ではありませんか。冷戦下の旧東側の密告者か、はたまたナチスドイツ占領下のフランスにおけるナチスへの密告者、「正義マン」なる連中はそれと同じだ、というレッテルを、剥がれないようにしっかりと貼ってあげましょう。

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/705.html#c3

[議論31] 途上国より不幸な日本人。なぜ清潔で治安が良くモノが溢れる日本が世界幸福度18位なのか=鈴木傾城 てんさい(い)
4. 中川隆[-11350] koaQ7Jey 2019年11月06日 17:16:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1547]
これが阿修羅掲示板の「正義マン」

6. 2019年11月02日 19:39:22 : weQ2z2VSFs : ajJyMHhjTURhSWs=[9]

http://www.asyura2.com/acat/m/mw/mwd/MWd4Q3NhSXJENE0=/100000.html

この人の投稿、どうにかできませんか。

毎度トピの主旨から逸れたことを大量に投稿しまくっている様に思うんですが。





7. 日高見連邦共和国[17022] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月04日 00:56:15: dXlHgO6o5A : WDl1WVEzbFdVcmM=[6]

『管理人さん』へ。
>>06氏に同意です。

今まで『人畜無害』と容認してきましたが、ドーにもその認識は甘かったみたいです。(苦笑)

火災と同じで『初期消火』が大事でしょう。いや、もう、既に延焼しちゃってるかも、です。






9. 2019年11月05日 01:42:43 : 6NmveLLOWc : QjllZXVDL3hnSkk=[27]

管理人さん
コメンター「ゆめほんさんさん」についてですが。
この人は投稿の目的がトピの順位を下げることと、掲示板を好きなように潰す
ことだと白状しちゃってますね。
そろそろ、ルール違反、アラシ・工作員と認定してもらえませんか。

http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c90




10. 日高見連邦共和国[17039] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月05日 08:05:07: G1h3dZgK86 : U2FjRU5jWFZkWmM=[16]

『管理人さん』
>>09氏の訴えの通り、『ゆめほんさんさん』氏、通称『ゆめちゃん』の勘違いコメントはかなり悪質です。

>それより、この板の順位、見事に下がりましたね
 もしかして、夢ちゃんの目的がこれだとしたら、
 大成功かも
 前にも言ったことがありますが、夢ちゃん、
 掲示板好きなように潰せることに気づきました
 ネットの世界って個人が自由に操れる、なんか
 変なメディアですね 
(引用終わり)
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c90

既にスレ主による非表示化(アラシ認定)されておりますが、もう1段上の強い措置が必要でしょう。

それにしても・・・。

投稿されたスレッドは、時間と共にアクセス数が減るという、この当然の事態を
(よっぽど、当該投稿のコメント欄で有意義な議論の応酬でもされていない限り)
自分の工作の効果だと勘違いする当り、アホとしか言いようがありませんが。(苦笑)



11. 日高見連邦共和国[17040] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月05日 08:19:05: IrG9conJkk : QTFKSDBBbFlUM3c=[1]

『管理人さん』
『ゆめほんさんさん』氏、通称『ゆめちゃん』による、アホ★コメントを羅列しておきます。

>あんなに派遣さんたちのひどい労働条件を問題視していた
 野盗が、突如として、口を揃えてお城の再建じゃ〜〜
 と騒ぎ立てるのは奇々怪々です
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c15

>たとえば、選挙のウグイス嬢の相場は
 人で不足のため、どんどんどんどん
 上がっていると聞く
 そもそも、そこを改良しないで議論は全く意味ない
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c36

>それはそれとして、人手不足でウグイス嬢のなり手がなくて
 相場があがっちゃってるという現実に
 法が追いつかないのはまずいね
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c68


>夢ちゃんの悪口
 レベル低すぎ
 もうちょっと中身のある批判まってま〜〜す
 これが野盗の実力か ある意味で問題
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c87

>60代に言います あなた方は馬鹿です
 若いときにバブルで決死の覚悟の勉強とか
 してこなかった そのつけは一生をだめにした
 馬鹿を噛み締めましょう 人生長くなりました
 おりこうさんのいうことを聞いて
 決死の覚悟で再勉強してください まだ間に合います
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c88

*****

このスレッドだけでも、これだけの問題発言の数々。(笑)

野党による『派遣制度の問題』と『歴史的遺産復旧』の話しを同一で論じてみたり、
スレッドにはまったく関係ない『ウグイス嬢への報酬問題』を繰り返し囀ってみたり
『現状のルール』を守れない事ではなく『現状のルールがおかしい』と論点スリ替えたり
野党を『夜盗』と繰り返し言い換えたり、このコメンターの如何わしい属性は明らかです。

さらに付け加えると、『スポンのポン』氏と同様、話しがまったく通じない。(笑)

ご一考をよろしくお願いいたします。




12. 日高見連邦共和国[17045] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月05日 08:41:10: IrG9conJkk : QTFKSDBBbFlUM3c=[6]

『管理人さん』
件の『ゆめほんさんさん』氏が、最新のスレッドでも“猛威”を振るっています。

もはや、コメントを始めた初期の“ボカシ”すらすっかり取り外した権力・政権擁護ぶり!

早目の処置を強く希望します。

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c26
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c30
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c31
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c33
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c34
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c35
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c36
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c37
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c38
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c41
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c42
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c43
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c44
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c45
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c49
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c50

*****

深夜から早朝にかっけて、まさに安倍政権擁護の“偏執狂”と呼ぶに相応しい狂乱ぶり、です。

↓↓↓
自民三原じゅん子氏が仰天発言!「私たちは政権握っていませんよ」「 政権を握っているのは総理大臣だけですよ」→ネットは騒然!「こんなのが国会議員だなんて」(ゆるねとにゅーす)
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 11 月 04 日 23:05:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU




13. 管理人さん[2606] iseXnZBsgrOC8Q 2019年11月05日 10:47:30: ZFZHYmRTRUo3YS4=[225]

ゆめほんさんの件、アラシ認定しました。
これから担当がせっせと初期非表示をします。日中ならおおよそ1時間以内にはそうなっているはずです。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/573.html

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/705.html#c4

[議論31] 途上国より不幸な日本人。なぜ清潔で治安が良くモノが溢れる日本が世界幸福度18位なのか=鈴木傾城 てんさい(い)
5. 中川隆[-11352] koaQ7Jey 2019年11月06日 17:20:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1545]

阿修羅掲示板は知恵遅れの「正義マン」と中国の工作員とクルクルパーばかりだから 世間から まともなサイトだと思われていない

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/669.html

パーキンソン病患者の幻覚体験 _ 伝説の遭難者 yucon氏の体験について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/700.html

「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


▲△▽▼


阿修羅掲示板ではパーキンソン病患者、精神分裂病患者や「認知の歪み」が酷い投稿者が頑張って風説の流布に励んでいますからね:


阿修羅掲示板でデマを撒き散らしている頭がおかしい投稿者のリスト


・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO
・櫻井ジャーナル 櫻井春彦
・てんさい(い)= 東海アマ
・小野寺光一
・仁王像
・西岡昌紀
・木村愛二
・こーるてん
・ポスト米英時代=小沢内閣待望論
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・taked4700
・HAL


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/705.html#c5

[近代史3] ウイグル弾圧で54か国が中国支持の衝撃 国連総会で日米欧と対決

2019年11月06日
ウイグル弾圧で54か国が中国支持の衝撃 国連総会で日米欧と対決
http://www.thutmosev.com/archives/81410325.html

ウイグル弾圧を非難する先進23か国に対抗し、54か国が中国支持を表明した


画像引用:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcR6MbSDG6IeldClhJQiTat88NL6hQjl4ByYhniOfUL7hYmMiAL3

国連総会で東西対立

2019年10月29日、国連総会で日米英独など23カ国は中国によるウイグル弾圧を非難する共同声明を発表した。

声明はウイグル族に対し中国政府が国内法や国際法を遵守し、自由や人権を尊重するよう求める内容だった。

ピアース英国連大使が国連総会第3委員会で代表発言し、中国を批判したがこれに反対する国が続出した。




ピアース英国連大使によると、国連総会で中国への避難決議などこれ以上の措置は計画していない。

クラフト米国連大使も、新疆自治区では100万人のウイグル人が不当に拘束されていると中国を非難した。

中国の張大使は即座に反応し記者団を集めて、声明は根拠がなく中国への内政干渉だと発言した。


さらに「中国への批判は通商協議での問題解決の助けにならない」と脅した。

中国はこれまで50年以上、このようにして外国を恫喝し中国への批判をさせないようにしてきた。

チベット弾圧と経済問題など、無関係な事柄をリンクさせて「中国を批判すると酷い目にあわせるぞ」と言っているのです。


新疆ウイグル自治区でウイグル人弾圧が行われているのは紛れもない事実で、100万人以上が拘束され収容所に入れられている。

ところが中国に同調して日米欧に反発した国は54か国も出て、西側陣営はやや驚いている。

国連加盟国は196か国だが、ウイグル弾圧に反対したのは23か国、賛成した国が54か国だったのを意味している。

独裁国と貧困国が有利な国連の仕組み

中国に賛同したのはロシア、パキスタン、エジプト、ボリビア、コンゴ、ベラルーシ、ミャンマーなど旧共産圏や中東、アフリカ諸国でした。

戦後国際連合で米ソ冷戦が激しくなり、ソ連は小国でも1票を得られるのに目を付けて弱小国家を次々に独立させ共産陣営に加えた。

その連中は今も独裁国家として存続し、国連で日本やアメリカと同じ1票を持ち、多くは中ロなど反米勢力に属している。


アセアン加盟国ではミャンマー、カンボジア、ラオス、南アジアではパキスタン、バングラディシュ、ネパール、ブータンなどほとんどが反米勢力です。

中東ではサウジとイスラエル以外ほとんど反米国家で、そのサウジですらアメリカに対抗して核武装を試みてアメリカは同盟破棄を検討した事がある。

経済力では日米欧の西側陣営が60%以上を占めているが、国連で重要な「国の数」では拮抗するか負けている。


西側陣営は富裕国が多く、その性格上「貧困国家」や「独裁国家」を仲間に加えたくない。

変な国を仲間に加えると、韓国に強請られている日本のように酷い目に遭うからです。

一方中ロの東側陣営、昔の共産主義陣営は富裕国に対抗する貧困国の集まりであり、貧困国や独裁国家を歓迎しています。


こうした仕組みがあるのでどんな国でも同じ1票を持つ国連では、貧困国を集めた中ロ陣営の方が有利なのです。

ウイグルだけではなく環境問題などでも同じであり、中ロなど東側の国は温暖化会議でも削減義務がありません。

日米欧など先進国だけがCO2削減義務があり、WTOの貿易ルールでも東側の国だけが保護され西側の国は罰せられるだけです。


ついにトランプは我慢できなくなり地球温暖化協定から離脱を表明したが、遠からず日米欧は国連そのものから離脱するかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/81410325.html


▲△▽▼


「ひとりがたり馬渕睦夫」#32
国連の正体とトランプ国連演説「国民は宝」(大御宝) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=WFcRgDmUzd4


国際連盟と国際連合の誕生の経緯を知れば、この世界の正体がもっとよくわかってくることでしょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/708.html

[お知らせ・管理21] 気色悪いし、人も居ないので撤退します。 エロ百景
20. 中川隆[-11354] koaQ7Jey 2019年11月06日 17:57:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1544]

阿修羅掲示板は知恵遅れの「正義マン」と中国の工作員とクルクルパーばかりだから 世間から まともなサイトだと思われていない


「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/669.html

「正義マン」とは


軽減税率、食料品の場合、お店で買って自宅で食べるといった場合には適用されますが、お店にイートインコーナーが併設されている場合にそこで食べていくといった場合には適用されず、10%の税率が課されることになっています。どちらになるのかは、支払い時に店員が確認し、それに対するお客さんの自己申告によるわけですが、持ち帰りと言っておいてやっぱりイートインコーナーで食べていくというお客さんも、当然中にはいるわけです。

こうしたお客さんを、ネット上では「イートイン脱税」と呼んで揶揄し、そうしたお客さんの行為を店員に知らせる「良心的」な人のことを「正義マン」と呼ぶようになっているようです。

 本来非難されるべき対象は、「イートイン脱税」をした人ではなく、2度もの増税を強行した現政権であり、財政健全化を金科玉条に、そうせざるを得ない状況に追い込んでいった財務省であり、先の参院選で増税反対を掲げられなかたどころか、緊縮脳、増税やむなし脳にいつまでも縛られている多くの野党のはずです。ところが重箱の隅をつつくかのように一般庶民を別の庶民が揶揄する。新たな分断が生じていると言ってもいいかと思いますが、そんな状況を創り出した財務省の増税推進プロパガンダは、皮肉をたっぷり込めて、お見事としか言いようがありませんね。それに「正義マン」って、その正義いずくにありや。単なる自己満足のための密告者ではありませんか。冷戦下の旧東側の密告者か、はたまたナチスドイツ占領下のフランスにおけるナチスへの密告者、「正義マン」なる連中はそれと同じだ、というレッテルを、剥がれないようにしっかりと貼ってあげましょう。


▲△▽▼

これが阿修羅掲示板の「正義マン」

6. 2019年11月02日 19:39:22 : weQ2z2VSFs : ajJyMHhjTURhSWs=[9]

http://www.asyura2.com/acat/m/mw/mwd/MWd4Q3NhSXJENE0=/100000.html

この人の投稿、どうにかできませんか。

毎度トピの主旨から逸れたことを大量に投稿しまくっている様に思うんですが。

7. 日高見連邦共和国[17022] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月04日 00:56:15: dXlHgO6o5A : WDl1WVEzbFdVcmM=[6]

『管理人さん』へ。
>>06氏に同意です。

今まで『人畜無害』と容認してきましたが、ドーにもその認識は甘かったみたいです。(苦笑)

火災と同じで『初期消火』が大事でしょう。いや、もう、既に延焼しちゃってるかも、です。


9. 2019年11月05日 01:42:43 : 6NmveLLOWc : QjllZXVDL3hnSkk=[27]

管理人さん
コメンター「ゆめほんさんさん」についてですが。
この人は投稿の目的がトピの順位を下げることと、掲示板を好きなように潰す
ことだと白状しちゃってますね。
そろそろ、ルール違反、アラシ・工作員と認定してもらえませんか。

http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c90


10. 日高見連邦共和国[17039] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月05日 08:05:07: G1h3dZgK86 : U2FjRU5jWFZkWmM=[16]

『管理人さん』
>>09氏の訴えの通り、『ゆめほんさんさん』氏、通称『ゆめちゃん』の勘違いコメントはかなり悪質です。

>それより、この板の順位、見事に下がりましたね
 もしかして、夢ちゃんの目的がこれだとしたら、
 大成功かも
 前にも言ったことがありますが、夢ちゃん、
 掲示板好きなように潰せることに気づきました
 ネットの世界って個人が自由に操れる、なんか
 変なメディアですね 
(引用終わり)
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c90

既にスレ主による非表示化(アラシ認定)されておりますが、もう1段上の強い措置が必要でしょう。

それにしても・・・。

投稿されたスレッドは、時間と共にアクセス数が減るという、この当然の事態を
(よっぽど、当該投稿のコメント欄で有意義な議論の応酬でもされていない限り)
自分の工作の効果だと勘違いする当り、アホとしか言いようがありませんが。(苦笑)

11. 日高見連邦共和国[17040] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月05日 08:19:05: IrG9conJkk : QTFKSDBBbFlUM3c=[1]

『管理人さん』
『ゆめほんさんさん』氏、通称『ゆめちゃん』による、アホ★コメントを羅列しておきます。

>あんなに派遣さんたちのひどい労働条件を問題視していた
 野盗が、突如として、口を揃えてお城の再建じゃ〜〜
 と騒ぎ立てるのは奇々怪々です
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c15

>たとえば、選挙のウグイス嬢の相場は
 人で不足のため、どんどんどんどん
 上がっていると聞く
 そもそも、そこを改良しないで議論は全く意味ない
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c36

>それはそれとして、人手不足でウグイス嬢のなり手がなくて
 相場があがっちゃってるという現実に
 法が追いつかないのはまずいね
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c68


>夢ちゃんの悪口
 レベル低すぎ
 もうちょっと中身のある批判まってま〜〜す
 これが野盗の実力か ある意味で問題
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c87

>60代に言います あなた方は馬鹿です
 若いときにバブルで決死の覚悟の勉強とか
 してこなかった そのつけは一生をだめにした
 馬鹿を噛み締めましょう 人生長くなりました
 おりこうさんのいうことを聞いて
 決死の覚悟で再勉強してください まだ間に合います
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/912.html#c88

*****

このスレッドだけでも、これだけの問題発言の数々。(笑)

野党による『派遣制度の問題』と『歴史的遺産復旧』の話しを同一で論じてみたり、
スレッドにはまったく関係ない『ウグイス嬢への報酬問題』を繰り返し囀ってみたり
『現状のルール』を守れない事ではなく『現状のルールがおかしい』と論点スリ替えたり
野党を『夜盗』と繰り返し言い換えたり、このコメンターの如何わしい属性は明らかです。

さらに付け加えると、『スポンのポン』氏と同様、話しがまったく通じない。(笑)

ご一考をよろしくお願いいたします。


12. 日高見連邦共和国[17045] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年11月05日 08:41:10: IrG9conJkk : QTFKSDBBbFlUM3c=[6]

『管理人さん』
件の『ゆめほんさんさん』氏が、最新のスレッドでも“猛威”を振るっています。

もはや、コメントを始めた初期の“ボカシ”すらすっかり取り外した権力・政権擁護ぶり!

早目の処置を強く希望します。

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c26
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c30
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c31
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c33
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c34
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c35
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c36
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c37
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c38
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c41
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c42
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c43
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c44
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c45
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c49
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html?c59#c50

*****

深夜から早朝にかっけて、まさに安倍政権擁護の“偏執狂”と呼ぶに相応しい狂乱ぶり、です。

↓↓↓
自民三原じゅん子氏が仰天発言!「私たちは政権握っていませんよ」「 政権を握っているのは総理大臣だけですよ」→ネットは騒然!「こんなのが国会議員だなんて」(ゆるねとにゅーす)
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/169.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 11 月 04 日 23:05:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU


13. 管理人さん[2606] iseXnZBsgrOC8Q 2019年11月05日 10:47:30: ZFZHYmRTRUo3YS4=[225]

ゆめほんさんの件、アラシ認定しました。
これから担当がせっせと初期非表示をします。日中ならおおよそ1時間以内にはそうなっているはずです。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/573.html


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/518.html#c20

[議論31] 途上国より不幸な日本人。なぜ清潔で治安が良くモノが溢れる日本が世界幸福度18位なのか=鈴木傾城 てんさい(い)
6. 中川隆[-11353] koaQ7Jey 2019年11月06日 19:19:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1545]

因みに、東海アマ さんの健康の話、歴史の話、経済の話、放射能の話は殆どが間違いです

しかし、自分では何処が間違っているか全然わからないというのが何かな-
ネットで調べればすぐに正解がわかるんですけどね
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/705.html#c6

[リバイバル3] ベールにつつまれた奈女沢温泉 _ 医者に見放された患者が最後に縋る奇跡の水とは 中川隆
16. 中川隆[-11355] koaQ7Jey 2019年11月06日 19:34:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1543]

ワンダースポット訪問
釈迦の霊泉 群馬県利根郡みなかみ町上牧3768 2018年5月17日 ルルドの泉の効果とは。。
2018-06-15 godsamhill organization
http://godsamhill.com/wonderspots/3103/

この温泉を何となく最初に知ったのは、2003年に宝島社から発売された(不思議スポット105)において、どんな病気も治す某温泉として、確かな情報を公開しないように紹介していた事から始まりますね。。

なんでも桁外れの効能が有って、パーキンソン病や脳溢血、更には癌まで治すと言う事で。。

肝臓癌を患いリンパ腺まで転移してしまったとある男性が、こちらの霊泉にすがって入浴したり飲んだりを毎日していたら、なんと再発の兆候が無いレベルまで治ったとか。。

放射能に被爆した患者の症状にも効果が有っただとか。。

こちらの本には、これほど幅広く強力な効果の有る温泉は無いと書いて有りました。。

正に霊泉中の霊泉で、どこかの宗教法人が管理していると言う事でした。。

それから永い日々が経って何となくウェブで情報を漁っていたら、どうもこの温泉の事が方々で明確に記載されているのを知ったのでした。。

しかしそれからも群馬県の最奥方面となる辺りの(釈迦の霊泉)にはなかなか行けず仕舞いでしたが、2018年5月17日の新潟方面からの旅行帰りの際にやっと訪れる事が出来ましたね。。

この時は燕市の(ホテル公楽園)からの道程となりましたが。。

雨だし今日はインドアとなる(釈迦の霊泉)にゆっくり浸かって帰れれば良いと言う感じで、相変わらず下道を使い三国街道となる国道17号線をダラダラと関東方面に進んだのでした。。

それで途中の南魚沼市辺りで昼も過ぎてお腹が減ったなと言う事で、連れの友人と何となく(ハンバーグとステーキのお店 くう海)と言う処が在ったので、一休みがてら昼食にしましたね。。

そしたらけっこう廉価で美味しい肉を食べられて良かったですね。。

なんかケチってドリンクバーを頼まなかったけれど、コーヒーとスープが飲み放題だったしライスもお代わり自由だったしで、ガッツリと食べたり飲んだりしちゃいました。。

そしたら店員さんも気さくで。。

(この辺の方じゃないですよね?)

とか言って話し掛けて来てくれたりして話込んだりしちゃって、想いのほか長く滞在しちゃいましたね。。

そして車にまた乗って、そう言えばこの辺の六日町八海山スキー場ってなかなかハードで硬派なスキー場で好きだったなあと想いながら進んで行きましたね。。

そうしたらガーラ湯沢スキー場なんかが観えて、さっきから観えてた線路は上越新幹線だったんだなあと想いましたよ。。

それで三国峠を下道で越えるのは面倒だから、関越トンネルの部分となる湯沢IC〜水上ICくらい高速に乗れば良いものですが。。

久し振りに観る苗場スキー場なんかは、どれだけ寂れて来ているのかを知りたくて、けっきょく下道の国道17号線を進みましたね。。

そして苗場スキー場のホテル群なんかを観て、本当に誰もいなそうだなあとか一瞬想いましたけれど、スキー場閉まったGW明けのこの時期は、人が居なくて当然でしたね。。

そんな事をしながらダラダラ進んで行ったら3時過ぎになっちゃって。。

苗場スキー場辺りから(釈迦の霊泉)までは40kmくらいなんですが、(釈迦の霊泉)の入浴受付は17時までだったので、急がなくちゃいけないとか想い始めましたね。。

それでヤフーのナビを頼り県道61号線を進んで行ったら、JR上越線の上牧駅の前辺りの(御神水 釈迦の霊泉)と書いた看板が掲げられた事務所なんだかよく分からない場所に着いてしまい、一瞬焦りましたね。。

後で温泉にいた年配のおばちゃんに聞いても知らないって言われたし、この物件はなんだったのか未だによく分からないでいますね。。

この霊泉の正式な名称はみなかみ18湯の1湯である奈女沢温泉と言う事らしいですね。。

それで県道からの3kmの道は、利根川支流の奈女沢川沿いを登って行く感じとなりますが。。

処々に設置された看板を見ると、こちらは仏神道教会と言う組織が管理運営している温泉施設であり、ここら辺はその私有地で、道は私道になると言う事らしいですね。。

それで何処なのか分からないから焦りながら少し県道を進んで行ったら、よくウェブで観ていた(釈迦の霊泉)の看板が掲げられていたので、ホッとして道を右折して行く事になりましたね。。

ここから3kmだって事で、林道みたいな感じですが、それくらいの距離なら短いもので余裕だと想いましたね。。

そして奈女沢川沿いを進むと、簡素で小ぶりなゲートを潜って道を進んで行く事になりますね。。

相変わらずに(奇跡の霊泉 仏神道教会)と書かれていますが、まず事前情報とかがなければ、普通の感覚の人ならば入っては行かれないような雰囲気かと想いましたね。。

またゲートの先が鬱蒼とした森になっているみたいで怪しい感じですよね。。

僕も事前情報がなければ躊躇するところかも知れませんね。。

温泉施設までの道には(綱子の滝)、(一世の滝)、(二世の滝)、(夫婦岩)、(苔谷)やら色々在ったのか知れませんが、この時は自然観光は全く意識してなかったので知るよしもないですね。。

春は芝桜とかが綺麗に咲くとか言う事も書いてあったので、キリスト看板みたいなのを散りばめたりしないで、普通に温泉としてやっていけば秘湯としてアクセスもそんな悪くないし良いんじゃないかと想いましたが。。

まあ色々と事情が有るんでしょうね。。

それで県道から2kmくらい進んで行くと、右手に赤い欄干の橋みたいなのが観える事になりますね。。

なんだかこう言った得体の知れない場所に進んで行く感覚は、またちょっと違いますが、近場で言えば八王子市の(真の道)辺りを連想させてくれましたね。。

それで覗いてみると仰々しい門が在って多くの神々が集まっていて中には入れないと書いてあると。。

この先には仏舎利塔と仏神道教会の関連施設が在ると言う事ですが。。

門の真ん中には教団を創設させた教祖様の無意識の中から浮かんできた画像を形にした教紋が輝き。。

そのエリアを囲んでる柵には、ユダヤ教を表すとかのダビデの星こと六芒星がデザインされていると。。

要はここは仏神道教会と言う宗教団体が運営管理をしている温泉施設だと言う事ですね。。

普段は一般の人は入れませんが、後で施設の方に聞いた話ですと、いまは旧暦でお釈迦様のお誕生日となる5月22日の10時から15時までの解放日に向けての準備やらをしていると言ってましたね。。

解放日は不定期に行われてるらしいですが、開祖のお孫さんによるお祓いを誰でも無料で受けられたり、甘茶なんかも飲めるらしいですね。。

なんだかこちらは奈女沢温泉として昔から知られていた処で、約500年前辺りからの歴史があり、猟師たちによって発見されたものだとか、上杉謙信の隠し湯だったとからしいですが。。

明治初期には、地元の僧侶の神職者であり教育者の上杉正氏が、源泉付近に小屋を建てて浴槽に泉水を汲んで沸かして入浴したりしてたらしいと。。

その後には湯治場として知られるようになり、大正時代末期に本格的な旅館へと改装し、戦後になるとさらに客室数が増やされて、温泉宿の名も(奈女沢館)から(月光館)へと変遷したりしていったらしいと。。

そして昭和26年となる1951年に今井健吉さんだかが不思議な効果の有る温泉として注目し、それで県の職員なんかが訪れて許可を取るように進めて整備されたと。。

それでそれを知った重い病気を患っている人なんかが回復したりして、万病に効果が有る温泉として、更にだかは分かりませんが知られるようになっていったと言う事ですかね。。

後の施設に入った時には昔の写真やらが飾られていたりして、とりあえず僕は自分で調べる限りじゃそう認識しましたね。。

それで昭和32年となる1957年に、群馬県利根郡月夜野町の宗教法人(仏神会)の開祖の故人となる今井貴美子教祖が、お釈迦様だかの導きによってこちらの付近の山ごと買い取って始めたのが(釈迦の霊泉)であると言う事らしいですかね。。

その由来からこちらの温泉は(釈迦の霊泉)と命名されたらしいですが。。

この教祖の今井貴美子さんは、 4歳の頃に大病を患い死線をさ迷ってから霊能力が有る事を伺わせていたらく、霊の声が聞けたり人の死期を予言できたりしたそうですね。。

しかしその能力を親が喜ばなかった為に、その霊能力を閉ざして大人になったらしいですが。。

第2次世界大戦後に。。

(おまえがしっかりしないと日本は滅亡するぞ、よいか )

とか神から啓示を受けたらしいですね。。

それからは東京で毛髪研究所を営んでいたりして、神仏から聞いたことを参考に開発販売した(ケミコローション)なんて言う育毛剤やら禿頭治療で有名になり、一時期は政財界で爆発的な人気を博して首相官邸にも出入りしていたらしいと。。

しかしある時に神だか釈迦だかからまた。。

(頭髪が抜けて死ぬものはおらぬ。奈女沢に行き医者で助からぬ者を助けてやれ。ここから人類を救うていくのじゃ )

とか言われて今井貴美子さんは(仏心会)を興し、奈女沢温泉の源泉を復興し、(釈迦の霊泉)を創っていかれたと。。

そして同時に仏舎利塔を建てられたらしいですが、仏舎利塔の中には今井貴美子さんが創ったお釈迦様の像が安置されているらしいと言う事で。。

これも後で施設に入った時にみた1990年の記事のコピーですが、教祖さんの写真だけ見ると、近年だとパナウェーブ研究所辺りを連想してしまいましたね。。

しかし何とも言いようがない凄い話だとは想いましたね。。

その後こちらの(釈迦の霊泉)は、昭和30年代に湯をかぶると頭に毛が生えるという発毛効果の話題が、一時マスコミを賑わせたりしたりしたらしいですが。。

その後も温泉の効用に対しては、種々の病に効くと言う噂が口コミで全国に広まり、 1980年代頃には、週刊誌やテレビなど様々なメディアに取り上げられて、末期癌や難病に効く温泉だと話題になり、今日まで多くの湯治客が絶えないと言う事らしいですね。。

しかし2015年7月30日の土砂災害やらで、(釈迦の霊泉)の現役施設の食堂やら風呂やらが半壊してしまい、長い事施設は休業状態だったらしいですね。。

それで2017年12月27日からプレオープンしていると言う事らしかったですが。。

それを知らずに訪れたので、災害に遭われたのは残念でしたが、タイミングは良かったですね。。

(釈迦の霊泉)の辺りの地形は、山崩れ砂礫の堆積物である為か、災害の心配も有るかと想ったりしましたが、道には工事資材とかがゴロゴロしてる場所も有りましたかね。。

道はアスファルトと未舗装が入り雑じった感じでしたね。。

進むと道が二又に分かれていて、どっちへ行けばと想いましたが、すぐさきでまた1つになりまして、何だと想ったりしましたが。。

そう言えば美術家の横尾忠則さんもこちらの霊泉を使っているみたいなので、彼の作品のY字路がシンクロしましたね。。

まあ3kmって以外と長いと想いましたよ。。

教祖曰く神の御告げで。。

(病人が3kmの道を歩けるか。。)

と言われて創った道だと書いて有ったので、その重さが道に長さを感じさせたのかも知れませんね。。

それで右折する感じで寂れてるけれど重厚な門を抜けて以前に月光館として使われていたとかの閉鎖した旧館や、それに付随する建物が使われずに残っている急坂を登って行きましたね。。

進んだ手前側にはそれっぽい昔ながらの湯治宿の跡が残ってる感じでしたが、その先には今の施設より大きそうな鉄筋コンクリートっぽい建物も在りましたね。。

最も施設が活発だった頃の名残なんですかね?

それで午後1時52分使われている施設の前の大きな駐車場に着きましたが。。

武尊山の南西斜面周辺となる板沢山と高檜山に挟まれた山間部に位置する標高約600〜700m辺りにある温泉施設と言う事で。。

JR上越線の上牧駅からは約4km弱になる感じですから、歩こうと想えば歩ける距離ですかね。。

しかしやっぱり山間部の突き当たりに在る温泉って、秘湯感を煽って好みですね。。

それで施設の方は、モルタル造り2階建ての約20室の物件で、トイレ付きは2室だけとなっている宿らしいですね。。

連泊客が多いので、食事の献立は日替わりにしていて、山菜や川魚などの自然食が中心らしくて、何もかも質素にと言う事なんですね。。

その温泉宿泊施設の駐車場を挟んだ向かいに在る建物は、全国各地に郵送したりする霊泉容器を製造する工場だったと言う事ですね。。

なんかこちらがゼロ磁場となる場所だと言う話も聞きますが、ゼロ磁場はストレス減少や免疫を高める良エネルギーを放出すると言う事らしいですね。。

そうなると(ゼロ磁場水)やどら焼きの(気どら)なんかを販売した長野県伊那市近くの分杭峠周辺の温泉施設や、僕の住まいの近郊となる宇宙エネルギーパワーボックなどを体験できる厚木市の(七沢荘)辺りを想い浮かべるところですかね。。

僕はこう言った類いも全く詳しくもないんで、少し中央構造線と場所がずれているんじゃないかと想たりしましたが、こちらは柏崎千葉構造線の東端だと言う事なんですね。。

なんか地理風水で考えても、渓流に囲まれて急峻の地形に包囲されたこの地は自然治癒力に優れているとか耳にしましたが、そう言った事も分からないけれど、爽やかな感じはしましたね。。

現役施設の端には奈女沢温泉と書いた軽トラが駐車してありまして、過去を偲ばせましたね。。

この辺りは黒色の泥岩互層から膨大なマイナスイオンが放射されているパワーストーン的な地質で、岩盤浴に使われたりするブラックシリカやら、隕石衝突によるイリジウム放射線の存在が温泉の効きに作用しているだとかも耳にしましたが。。

全く分からないところですね。。

入口横の施設に掲げた看板は凄いものですよね。。

なんだか総ての病が治るような印象でしたね。。

花粉症に効くと言うなら回りに沢山いるので連れて来てあげたいと想いましたよ。。

施設の入口に近付くと確かに宿の方が現れて穏やかに親切に中へと案内してくれましたね。。

これは予想通りでした。。

受付で日帰り入浴代を1000円払いましたね。。

着いたのは16時半過ぎでしたが、全然大丈夫そうでした。。

日帰り入浴代は2500円とかから2000円になって、最近は1000円に下がって安定してそうですね。。

宿泊料金も以前は1泊2食付12000円みたいでしたが、最近は9600円辺りで安定してそうですね。。

平日3泊以上となる7500円の湯治プランとかも有りますが、まあでもこれは少し高めには感じますかね。。

しかしなんだか最近は素泊まりプラン5000円だったかも出来たからよかったら来て下さいと宿の方に言われましたし、色々とプランやら料金は変換を繰り返すものでしょうね。。

事前の調べで気になった話としては、以前には宿泊料金12000円の他にお布施5万円を奉納しないと入れず温泉はただの水だったとか言うのも見ましたが、そんな感じでは無かったですね。。

まあ(みなかみ町の湯めぐり手形)を利用すると700円で入浴出来るとかですし、昭和54年となる1979年3月27日には国民保養温泉地に指定されたりもしているので、世間では確りと認知されている感じなんでしょうね。。

そうしましたら、温泉に入りに行くまでおばちゃん達が付きっきりで案内やら説明をしてくれましたね。。

噂通りに好い人達でしたし、何か勧誘されるような話は一切無かったですね。。

しかしおばちゃん達は3人いらっしゃいましたが、どうも現在は今井経子さんと言う方が2代目を継いで泉主となっているらしいと。。

となると教祖様の今井貴美子さんは2人お子さんがいたとか何かで見ましたから、2代目の方は名前から言って肉親の方かと想われますよね。。

そうなると、この時にお世話になった3人のどなたかがそれに当たるかも知れないので、ここはおば様達と呼ばせて貰うしかないですね。。

でも色々話してくれたけど、あまり何を話したか覚えてないんですよね。。

それで浴室の入口前の休憩所やら食堂が有る部屋へ案内されましたね。。

そうしたらおば様が何か説明しながら長テーブルの上の容器に入った奇跡の霊泉を紙コップに注いでくれましたね。。

それで僕は普段あんまりミネラルウォーターとか気にして飲んで無いのでよく分からなかったんですが、友人と一緒にゴクゴク飲みましたね。。

無色無臭でそんなに普通の水と変わらない感じだったんですが、テーブルの上に置いてあったやつだから、あんまり冷えてなかったですね。。

でも水に詳しくないので、とりあえず美味しいと言って飲ませて貰いましたよ。。

おば様たちは終始和やかでしたね。。

そしてテーブルを見ると事前の調べ通りに、こちらで治療された方たちの体験だか感謝の気持ちを綴った沢山の書物やらが置いて有るなと想いました。。

他にも報道のコピーとかパンフレットみたいなのも沢山置いて有りましたね。。

その後友人はさっさと先に親切な宿の方の案内によって温泉の脱衣所の方に向かって行きましたね。。

この部屋とかは新しい感じでしたが、前述したように2015年の土砂崩れ災害の時に食堂やら風呂やらが半壊し、改装したと言う事ですね。。

以前の浴室とかを調べますと、入口は白いカーテンに霊泉場と書かれた雰囲気が有るものだったらしいですがね。。

それと比べますとこの新しい浴室は入口とかは普通っぽくなった感じに見受けられました。。

まあ時代と共に万人向け方向に変えた感じだったんですかね。。

それで僕はと言えばもう少しこちらの部屋を見学させて貰いましたが。。

通販用とかの御神水10Lの段ボールで囲まれたような容器は、受付やらこちらのテーブルやら何処かしこにもありましたね。。

最近は税込3500円とか辺りで販売していると想いましたが、今はプレオープンによる特別価格で、税込だったかは分かりませんが2700円で販売していましたね。。

こちらも以前は入会金5,000円で3年有効だったり永年会員制での限定販売とかの制度だったらしいですが、今は入会金とかは無くなって少しは買い易くなってるんでしょうね。。

そして10箱買えば1箱サービスだったり、以前から宿泊者には1箱付いてくるらしいですが。。

注ぎ口の専用蛇口が別売りで200円だとか1ヶ増す事に100円だとかが微妙に感じましたね。。

この御神水は7年間保存できるようですが 、まあ僕は買わなかったんでなんとも言えませんがね。。

そしてテーブルには御神水の効能を示す水分子クラスターによる結晶を瓶詰めにしたものが置いてあると言う事でしたが、確かに有りました。。

この辺もよく分かりませんが。。

クラスター値が小さいほど水分子が細分化され体内に良く吸収されて、人の細胞が活性化する為に体に良いと言う事らしいですね。。

そしてこちらの霊泉は、水分子の大きさを示すクラスター値が世界最少レベルの59.5 Hzだそうで、それはそれは凄いんでしょうね。。

しかし学研の月刊誌ムーとかが置いてあると、どうしてもオカルトを印象づけるところも有るかとは想いましたね。。

それで回復した方達の感謝の書物も少しは読もうとしたのですが、沢山有るしけっこう紙一面にビッチリと書いてあるしで、読む気を無くしましたね。。

まだ再開したばかりだからか、こちらに在った以前の部屋よりはすっきりして見えますけれどね。。

医療の事も無頓着で全く詳しくないところですが。。

全国津々浦々から、こちらの表の看板に有るような様々な病気に苦しんでいる方が書いたものが置かれていて、手書きのものが多くて筆跡もそれぞれ違い、本当っぽさが増しましたね。。

末期がん、糖尿病、白血病、心臓病、肝臓病、結石、胆かん、アトピー皮膚炎、気管支炎・喘息、高血圧などなど様々な手記が有ったんでしょうが。。

その中でもやはり、医者も見放したような末期癌の方が、何日かで排便と共に痛みが消えたりしてけっきょく全快したとか。。

身体中に癌が転移して余命1週間だとか3日だとか言う方々が、こちらの霊泉だけで完治したとか。。

もう駄目だと悟った方が、死地への旅のように一縷の望みを託してここを訪れたら全快したとか。。

抗癌剤の副作用がすっかり無くなっただとか。。

なんだか僕が見る限りだと、がんが目立った感じだったので。。

もし僕ががんに犯されたなら、抗がん剤治療やら投薬は一切止めて、こちらの霊泉を浴びていたくなるような気持ちになりましたね。。

どうも調べますと、こうして色々とこちらの霊泉で治療した方の冊子やら書物を置いているのは。。

この水は薬ではないので自分たちでははっきりとした事は言えないので、読んで判断して下さいって事だと僕は理解しましたね。。

そしてこちらは観光温泉ではなくて、心身共に治療する為の真の湯治場であると言う事なんでしょうね。。

そしてこちらの休憩室を伴う食堂は、病を患われている方々が、お互いに身体の不調などを語り合い励まし合ったりして、コミュニケーションを楽しまれる向上の場であると言う事だとも理解しましたね。。

この御神水により回復の兆しをみせた方々たちから寄せられた手紙の病名の抜粋表を拝見しますと、御神水は正にあらゆる病が改善する万能薬なんでしょうね。。

そして学術的にも注目されているのか研究されてるのか、そう言った方面のコピーも幾つか有ったような感じですから、僕なりに調べますと。。

どうも(釈迦の霊泉)はラジウム石膏泉(せっこうせん)温泉だとか言うので、それがどう言ったものかと言うと。。

とりあえずラジウムと言うのは、 地球の地殻や海水中に微量ながら広く分布している不安定な元素であるウランが、安定した形になろうとして壊変してできる金属物質であるらしいと。。

そして地下にある温泉水が地表に到達するまでにラジウムを溶かして混入しながらウランなどの放射性物質を含んだ岩石を通過し、 ラジウムが壊変した気体のラドンなんかを含めて地表に湧き出て来るらしいと。。

そしてある一定量以上のラジウムやラドンや他にもトロンやポロニウムなどの放射性物質を含む温泉を法律で放射能泉と定義していて、ラドンを多く含んだ放射能泉を一般的にラジウム温泉と呼んでいるらしいと言う事かと想いましたが。。

放射能泉はラジウムの含有量に関係なくラジウム温泉と総称される事もあるだとか、日本の場合はラドン含有量の多いものが殆んどであり、そのような温泉は一般的にラドン温泉と呼ばれているだとかで、定義が曖昧に見えていまいちその辺は分かりませんでしたね。。

そして石膏泉とは、硫酸カルシウムを主成分とする鉱泉の一種であり、陰イオンとして硫酸を含む硫酸塩泉のなかで,陽イオンとしてカルシウムイオンを含有するものだと言う事ですから。。

たぶん(釈迦の霊泉)は、これらが合わさった温泉だと言う事なんでしょうね。。

それで放射能と言うと素人めに怪しく感じるところも有ったりしますが。。

ラジウム温泉に含まれるラジウムは、温泉水に溶けている量はごく僅かであり、 放射能の中でも体内に蓄積されにくい物質で、入っても尿として体外に排出されるので安心だと言われているらしいですね。。

そしてラジウム温泉に入ると動脈硬化や慢性婦人病などに効き、飲むと慢性消化器病の症状改善が見込めたり他の温泉よりも薬効の幅が広いことから万病の湯とも呼ばれていたりするらしいと。。

それでラドンの方はと言うと、自然界に存在する最大の電離作用やイオン化作用のある物質であり、 その気体となるガスを浴槽内へ安全な一定の濃度に保って送った温泉がラドン温泉であるらしいと。。

ラドンは浴槽では殆ど壊変して無くなってしまい、吸入するには相当な時間を要するらしいですが、身体に浸透し易く近くで呼吸するだけで温泉に浸かったときと同様の効果が期待できるらしいですね。。

ラドンは生体活性作用が強い物質であり、血液の流れを良くして溜まった老廃物の排出を促し、身体を内側から温めて細胞を活性化させたりするらしく、 体内に入るのは極僅かであり蓄積され難く、ほぼ全てが排出され体内には蓄積されないと言う事で、こちらも安全だと言う事ですかね。。

そしてその効能としては、痛風、糖尿病、リュウマチ、神経痛、婦人病、高血圧、冷え性などに効果が有り、 アンチエイジングといった美容効果も有ったりするらしいと。。

しかしどうも放射能泉が本当に身体に良いのか実証されていないらしいし、この辺も分からないところですかね。。

でも(釈迦の霊泉)については、温泉内にラドン濃度証明書も表示されていて、高いラドン濃度が証明されているらしいですね。。

そしてラジウム含有量は日本一とも世界一とも言われていると言う事だと。。

だけどこれにしても、鳥取県の三朝温泉やら山梨県の増冨温泉やら他にも在って、分からないって感じなんですかね。。

そんなんで少しフラフラと見学してから風呂場の中に入ると、新しいって事でスーパー銭湯のように綺麗でしたね。。

バリアフリー化されていると言う事でしたが、昔ながらの木造の湯治場みたいなのが好きな僕の好みではないんですけれどね。。

しかしこちらはそう言った主旨で運営されているのではないでしょうし、なんの文句もないところでした。。

それで確かに事前に調べた通りに、こちらの施設は合宿所や医療施設と言った雰囲気の、質素な造りの場所だとは想いましたね。。

訪れた時からずっとそうでしたが、けっきょくこちらの浴室も僕たちの貸切状態で、好きなように気楽に入れました。。

病気の方々が治療で入浴されたりするので、入浴中の私語は控えるようにと言う話ですから、僕たちみたいな気軽に訪れた輩が入るにはこれで良かったんでしょうね。。

浴室はそんなに広いって程では無いけれど、スッキリとシンプルで広さを感じましたね。。

昨年末からプレオープンしていると言う事ですから、まだ新品と言う感じでした。。

浴室の構成としては。。

入口の右手前にミストサウナルームと22.2度だかの源泉のかけ湯を溜めた小さめの容器が有って、左側がL字型の6席くらいの洗い場、その奥に正方形に近い深めの浴槽、右側にはメインとなりそうな長方形の適度な深さの浴槽が有るって感じで、湯船は2つと言う事になりますかね。。

以前の浴室を見ると、L字に大中中の浴槽が泉度別に3区分けされていて、ジェットバスみたいなのも有って、 その間に飲泉用の蛇口とコップやらが有って、壁には蓮の花の絵やらが描かれていてと言う感じに見えましたが。。

一部循環ろ過式だったらしいく、冷鉱泉のままの冷たい湯も有ったと言う事らしいですかね。。

まあとりあえず新しいこの浴室は、シンプルに2湯と言う感じでした。。

これから色々と時が経てば変わっていくかも知れませんけれどね。。

しかしかけ流すなら湧出量は毎分3.7Lと言う事で少なそうで、通常3500円くらいで霊泉を売ってるんだから勿体ないとか想ったりしたが、どうなんですかね?

そんなに大々的に営業している温泉と言う訳ではないから十分だとか、他にも別に湧出しているとか、僕にはよく分かりませんがね。。

それでこちらは地下2000m掘削自噴だと言う事で、温泉は好きだけれど詳しくないから調べたら、掘削自噴ってのは掘ったら出たって事でそれを使ってるって事がなんですね。。

まあ僕は温泉でも霊泉でも気持ちよく入れれば何でも構わないってスタンスで、あまりそう言う事は訪れた時は気にしませんでしたけれどね。。

それで床は大きめのタイル張りみたいで、全体的に石造りと言った感じでしたかね。。

もう片方の湯はバリアフリーと言う事でスロープが造られていましたが、からでした。。

外を覗いても露天風呂は無かったので、今も以前も内湯のみと言う事ですね。。

そしてせっかくだから自分なりに少しは温泉の事について調べましたが。。

こちら(釈迦の霊泉)はpH9.4 メタけい酸含有のアルカリ性低張性冷鉱泉だかアルカリ性単純温泉であると言う事らしいですかね。。

メタけい酸と言うのは天然の保湿成分のひとつで、肌の新陳代謝を促進してツルツルにしてくれる美肌成分だと言う事らしいと。。

それに胃腸にも良くて、爪や髪を強くしてコラーゲンの生成やら皮膚の老化の抑制やら肌の新陳代謝を促進やら細胞修復に役立つ抗酸化作用も有るらしいですね。。

それで他にもpH8.5以上はアルカリ性の温泉となるらしく、こちらはpH9.4のアルカリ性温泉となるらしいですが。。

なんだか泉温は22.2度のアルカリ性低張性冷鉱泉と、25度のアルカリ性単純温泉の2つに表記が割れていると想いました。。

この違いはなんだと調べましたら。。

アルカリ性で源泉温度が25℃未満で成分が薄いものをアルカリ性低張性冷鉱泉と言うらしいですかね 。。

そしてアルカリ性単純温泉とは、アルカリ性で源泉温度が25℃以上でガス性のものを除く温泉水1kg中の溶存物質が総量1000mgに満たない温泉であると言う事で。。

そうなると何だかこの25度ぴったりで温泉としたりする表記の方は、色々と都合を考えてそうしているのかと想ったりしてしまいましたが、どうなんですかね?

それでまた他に単純な温泉の事を調べましたが。。

pH3未満が酸性、pH3〜6が弱酸性、pH6〜7.5が中性、pH7.5〜8.5が弱アルカリ性、pH8.5以上がアルカリ性、の温泉になると言う事らしいと。。

そしてアルカリ性温泉の特徴は、強すぎると肌がカサカサになり良くないみたいですが。。

皮脂を溶かし角質を軟化させる為に不要な角質をとりツルツルな肌を創る効果や、毛穴の汚れを取ったりメラニンを分解したりする事による美肌効果が得られ 、美肌の湯だとか美人の湯と呼ばれているらしいと。。

それに対して酸性温泉は、殺菌力があるため皮膚病等に良く、 古い肌を剥がし新しい肌に刺激を与えて自然治癒力を高める効果もあり、水虫、湿疹、慢性皮膚病、アトピー性皮膚炎なんかには良いらしいと。。

しかし胃を壊す恐れがあるから飲用には適さないらしく。。

だから飲めるのはアルカリ性温泉と言う事で、こちら(釈迦の霊泉)は飲めるんだなと想いましたね。。

しかし肌はツルツルになるけれど、アトピー性皮膚炎とか敏感肌には負担が多く、酸性温泉の方が適しているだとからしいですね。。

しかし(釈迦の霊泉)はそれにも効くと言うか何にでも効くので、他の成分も沢山絡んでくるし何処の温泉もケースバイケースで複雑なんでしょうね。。

まあしかしこうした温泉効果って確りとその原理や有効性が解明されていないような印象も受けましたし。。

だからやはり効く場合は効くと言う事で、現時点では何処の温泉にしても多かれ少なかれ何からの人智を越えた効果が有るんじゃないかと想ったりしましたね。。

そんなんで湯船にゆっくり浸かりましたよ。。

とりあえず僕は今のところ幸せな事に特別どこも悪くないのですが。。

どこか本当は悪いかも知れないし、疲れはたまってるような気がするので、ゆっくりじっくりと入ったつもりでしたね。。

それで他にもこちらで言われている事を調べてみたのですが。。

(釈迦の霊泉)の中には放射性物質のゲルマニウムなるものが微量となる1kg中に0.0257mgほど含有されているらしいと。。

それでどうもゲルマニウムと言うのは皮膚表面から体内に入ることでマイナスイオンに変化する特徴をもつ自然界に存在する無害な半導体らしいと。。

ネックレスやブレスレットにも無機ゲルマニウムが使用されたりしているらしいですが、半導体が含まれた湯に身体を浸す事で、老廃物を除去したりしてデトックス効果やダイエット効果も有ったりするらしいですね。。

そしてどうも様々な体調不良の根本原因でもある冷え性を改善するらしく、新陳代謝のアップに繋がり、便秘改善、むくみ解消、安眠効果、肩こりや腰痛の改善、などなど様々な体質改善効果があるらしいと。。

他にもゲルマニウムは皮膚から体内に入り込み、体内を弱アルカリ性に保つ働きがあるため、皮膚の保湿を行い美肌を保つとも言われているらしいとか書いてありましたね。。

それでこちら(釈迦の霊泉)に置かれたコピーなんかを見ると、ゲルマニウムの働きにより、人によってはガンも治ってしまう可能性があるんだとか書いてあったりもしました。。

どうもそれはゲルマニウムの働きで血中酸濃度を高めて、インターフェロンを誘発して抗がん作用を促すからだとかでしたね。。

しかしこちらゲルマニウムってのも健康効果をもたらすという科学的根拠は確認されていないとかで有害性も指摘されてるらしいですね。。

化学的根拠ってのも人間の分かる範囲だって事で、微妙なところは有りますけれどね。。

そして前述しましたが、こちらはクラスター値が59.5hzと極めて小さい世界でもトップクラスの極小クラスターの水となり。。

その極めて細かい水が細胞に浸透し易い為に、細胞内酸素活性を高めて乳化力増強からコレステロールを下げる事が指摘されているとか。。

どうも水分子は1ピコ秒(1兆分の1秒)の間隔で結合と離散をくり返していて、その集団の繋がりがブドウの房(クラスター)に似ている事からそう言った値が付けられたらしいですが。。

これもどうもインチキ商売が蔓延ったり、意味がないような指摘も有るのでよく分からなかったところでしたね。。

それでまあ繰り返しますが、何にしても解明されて無い人智を越えたようなもんなんですかね。。

しかしまあここまで話を総合しますと、どれも肌とかには良いって話だから、肌には凄い変化が有りそうな気がしましたね。。

それで他にも。。

温泉により毛細血管への血の流れを改善し、ガンや病原菌を攻撃するナチュラルボーン細胞が活性化するとか。。

原生化石水が深い断層線を伝わり地表に湧き出たパワーウォーターではないかとか。。

大分県の日田天領水が有名らしいですが、原子である活性水素が含入されていて病気の原因となる活性酸素と結合し無害な水になるとか。。

(釈迦の霊泉)の地下には未開発の金鉱脈が眠っててナノ粒子の温泉だとか。。

しかしどうも鮮度の高い温泉水であれば、何であっても癌やアトピーや糖尿病に多かれ少なかれ効くというのは既に確認されているだとか言うのも見ましたし。。

そもそも温泉の効能なんてどこまで正確に立証されているのか分からないし、放射能泉なんて特に分かってないと言う事だから分かる訳がないしで。。

そんな事で、色々と有りましたが全く分かりませんでしたね。。

まあとりあえず居心地が良いので小1時間くらい入ったのでしたね。。

霊泉の温度の方は適度に加熱されている感じで、熱いと長湯なんて出来ない僕が30分以上は浸かったんだから、熱すぎる事はなかったかとは想いましたね。。

そう言えば途中でミストサウナみたいなのにも折角だからスイッチを入れて入りました。。

スイッチには45分のコースみたいなのがあったからそれを押して入りましたが、長時間入るのは苦手なので1回出て合計20分くらいで出てしまいましたね。。

なんでも肺から吸引するのは高い効果がえられるらしいとか耳にしたので、もっと繰り返せば良かったですかね。。

まあでも事前の調べで18時まで営業と書かれていたので、それに合わせて17字半過ぎに霊泉を出るのに合わせていて、そこまで長居は無理でしたけれど。。

まあ元々2時間で1000円だったかと想いましたしね。。

それでけっきょく僕としましては、霊泉の方は言われているように無色透明で、普通のお湯に近い感じがしましたかね。。

湯に身体を入れたら刺激が走るだとか、浮力が強いだとか、ダルくなるだとか、そう言う話も見ましたが、僕は別に何も感じたところは無く、のんびりと普通に入れましたね。。

とりあえずこちらの温泉の泉質やらも表記がまちまちだったりして分かりませんが、僕なりにまとめますと。。

湧出量 3.7L/分 地下2000m掘削自噴

メタけい酸含有 51mg/L

無色透明 pH値 9.7 源泉温度 22.2度 低張性アルカリ性冷鉱泉

微量のゲルマニウムを含む 水のクラスター値59.5HZ

蒸発残留物 0.11g/kg 成分総計 0.13g/kg 陽イオン 30.4mg/L 陰イオン 48.4mg/L

カルシウム 5.0mgくらい マグネシウム 0.3mg以下くらい
カリウム 0.5mg 以下くらい ナトリウム 25.0mgくらい
水硬度14くらいの軟水 加水なし 加温あり
循環ろ過とかはよく分からない

と言うところでしたかね。。

そして温泉風呂から出た後は、脱衣所にも飲泉所なるものが有るので、喉も渇いてたので手ですくって、またガボガボと御神水を飲ませて貰いましたね。。

そんなに冷えては無かったですが、販売機なんかは故障しているようなビールのが1機有るだけで、車だし他に飲みようもありませんからね。。

食堂の流し台みたいな所にも御神水と書いて飲めるところが有りましたが、こちらは食事とかも御神水を使って作られているみたいですね。。

まあ普通の水に近い飲み応えだから普段飲むのには問題ないし、御神水でご飯炊くとかなり美味しいだとか言うし、酒で割るといいだとか何にでも合わせられそうですからね。。

それで分かりませんが、こちらで使ってる水は下水以外は殆んど全部御神水なのかも知れないとは想いましたよ。。

でも考えれば最終的に僕が飲んだ御神水は、こことさっきの食堂とかの有る部屋の紙コップのやつだけになりましたね。。

それで浴室の外に出たらさっきのおば様たちがフラフラしてる感じでしたね。。

しかし以前の話を見ると、北は北海道から南は沖縄まで常時100人以上の人たちが湯治のために滞在していただとか、 湯治客同士が泣いて効能を感激しあっていただとか聞きましたが、お客さんは全く誰もいない感じでした。。

どうも質素だけれど沢山のおかずが出てお腹いっぱいに食べられそうな夕食の時間は5時だか5時半だかで、朝食は8時半らしいですから、宿泊客さんだとかが居たら出会しそうなものですけれどね。。

まあでもプレオープン期間らしいし、過去の話だと湯治場として病に苦しむ人を優先にする宿の方針から、当然観光客の足は遠のき、湯治滞在する人ばかりだど言う話でしたからね。。

いやでも調べたら訪れた日は木曜で、木曜の21時〜翌朝6時までは浴室の清掃だとか書いてあったから、木曜はお客さんが少ないのかも知れないとかも想いました。。

まあでも確かに何かの勧誘やらも受けないし、そんな派手なプロモーションしている訳では無さそうですし、商売っけが有るような施設には見えませんでしたね。。

それで霊泉を上がってからも廊下を歩いたりして、3人の内のさっきと違うおば様が、付きっきりで飾って有る写真なんかの説明をしてくれましたね。。

入口のすぐ向かい左奥辺りのスペースにも賞状やら色々飾られていて、中曽根康弘さんの写真なんかも飾られていまして。。

向かって右におられるのが、こちらを創った(宗教法人 仏神会)の教祖となる今井貴美子さんであり、左が旦那様だと言う事でしたかねね。。

そう言えば群馬県は戦後では4人と最多の総理大臣を輩出していて、彼もその1人だったなとは想いましたね。。

中曽根さんはただ今満100歳を迎えて長寿となるのは、こちら(釈迦の霊泉)と関係していたからかも知れませんね。。

しかし頭髪には効果が薄かったのかも知れないとか想ったりして、こちらで必死に頭に御神水を擦り込む中曽根さんの姿が浮かびましたね。。

まあ何にしても効く人には効くし、効かない人には効かないって事でしょうね。。

そんな事なんですが、友人はやたら長湯していて、僕は先に外に出て待っている事になりましたね。。

それでよくよく霊泉に入浴してどうだったかを考えましたが。。

前述通り見た目は確かに無色透明に近くてイオン臭とかもしなかったですが。。

入り心地は良かったし、確かに肌はツルツルになった感じですし、この湯に毎日浸かっていれば何だか身体に良さそうな気がしたのは事実でしたね。。

だから温泉自体は確かに書いてある通りに良いんじゃないかと想いましたよ。。

僕は何が効いてるなんて分かりようがないし、この感触で十分だとは想いました。。

説によっては全く効き目がないのに心理効果によって治るプラシーボ効果を指摘する声も聞かれるみたいですが、そう言った感触なのかは分かりませんがね。。

しかし短期間の放射線による細胞への刺激で体が防衛反応や修復を起こし、新陳代謝や免疫力を上げる効果が得られると言うホルミシス効果もえられるとか、前述したような様々な事実や説に基ずく何かが効いているのかも知れないとも想いましたね。。

それで友人を待っている間は、入口の車寄せのベンチで待っていたんですが、花が咲いていたりして普通に爽やかな感じがしましたかね。。

この辺はヒーリングスポットだと言う事ですが。。

まあそれは山に囲まれた緑の中なら何処もそうかとは想いましたが、いい感じだった事は確かでしたよ。。

それで友人は温泉がそうとう好きらしく、やっと出て来た時は営業時間は少し過ぎてたような気がしましたね。。

友人もこちらの泉質は良いような事を言っていました。。

それで僕は友人が昨夜からの旅行中に、ある部分が痒くて仕方ないと言うのを聞いていたので、入浴後にどうなったか聞いてみました。。

僕は事前の調べでこちらの霊泉は、蚊に刺された後や痒みやあせもや打ちみと言った軽いものなら、浸すとすぐに治るだとかの話も目にしていましたのでね。。

そうしましたら友人は痒くなくなったと言ったので、やっぱり効きは有るのかとは想いましたね。。

まあ後日にはまた痒くなってきたらしいので、1回入ったくらいじゃ一時的な効果までだったんでしょうが、持続させれば良いんだろうなとは想ったところでしたよ。。

そんなんで友人も出たので、おば様たちのお見送りのもとに車に向かいましたね。。

お別れの時におば様たちに(釈迦の霊泉)のマッチをプレゼントして貰いました。。

これが紆余曲折を経て出来上がった接客スタイルなのか、或いは天然なのかは分かりませんが、確かに事前の話通りに印象の良い接し方をしてくれたと想いましたね。。

それで車に乗る前に、来る時に登ってきた急坂の横となる谷の方を眺めようと駐車場の端に立ちましたね。。

そうしていると、先ずは来る時に気になった大きなコンクリートの建物がよく観えましたね。。

しかし廃墟ぜんとしたその姿は、もう使う気は無さそうには観えました。。

この建物はやはり教祖さんが活動されて隆盛を極めていた時期に使われていた物なんですかね?

それで僕はこの凍てついた景色を観ながら(仏神会)の事を考えました。。

どうも今井貴美子教祖様が、幼少期に閉ざした霊能力を復活させて力を発揮され始めたのは、やはり前述した戦災やご長男の病気がきっかけだったらしいですね。。

昭和20年となる1945年のとある日に、軍人として出征しているご主人さんをよそにB29が東京の空に来襲したおりに時に子を抱き逃げ惑いながら啓示をうけた教祖様の頭上には、 観世音菩薩や白衣の天照大神と言った八百万の神々がずらりと並んでいたらしいと。。

或いはその後に子が原因不明の病を患らい初めて自ら祈りを捧げた時には、毎夜神が現れて教えを説かれたと言われます。。

そして日蓮上人までもが現れたその時に、教祖さんは人類救済と宇宙浄化と言う自らに課せられた使命を悟ったと言います。。

そのお導きに従い、教祖様は都内で発毛研究を行い大成功を納めていかれたらしいと。。

考えればその発毛研究による成果によって効果を得た沢山の人々の活力が、戦後の日本の復興の礎の1つだったのかも知れません。。

しかしそれでも神々は納得せずに、頭髪では無く人の命と向き合えと教祖さんはお叱りを受けられたと。。

その偉大なる神の中の一人はお釈迦様であったのでしょう。。

その導きによって昭和32年となる1957年にこの地に霊泉を創られたと言う事ですね。。

命の為に道を創り、霊泉を掘り、ランプ生活に電気を灯し、仏舎利塔を建て、参道を創られ、その後は命の泉に尽力する為か、子供の時のように霊能力は封印されたのかも知れません。

総ては自らでは無く、神に従い殉じた事であったと。。

この少しばかり暗くなって黄昏を増す景色は、その歴史の欠片であるのかと。。

そうして神の導きによって辿り着いた隕石が落下したとも言われるパワースポットの霊泉の地で。。

教祖様は救済に尽力する中、こちらの湯も偶然か必然か頭髪には効果が有った訳ですね。。

そうして(釈迦の霊泉)を創業した黎明期には、湯をかぶると頭に毛が生えると一時期マスコミを賑わせて。。

それをきっかけにかは分かりませんが、様々な病気に御神水の効能が有ると、その名を全国に広げていかれた訳ですと。。

またその後の1980年代頃には、週刊誌やテレビなど様々なメディアに取り上げられ、末期癌や難病に効くと話題になり、沢山の人々を救う結果になられたと。。

そうして自らの霊能力を再び閉じ、30年余の時間を人々の身体の病を治す御神水の為に捧げられ、自らの命が尽きるかと想うその時に。。

自らが創り上げた神々が集う仏舎利塔の地に、ご家族を集めた時が終わりを告げる刻に、再び神からの啓示を受ける時が訪れたと。。

そして神は言われたと。。

そなたの宿命は終わってはいないと。。

その言葉で再び自らを戒め、断眠の修行を行った末に、神に与えられた力を使う為、平成に入って再び人々の前に立たれたと。。

僕がそんな事を想い浮かべながら谷の右に目を向けると。。

何やら月光館となる旧館と、先程までお世話になった新館との間が、歪な渡り廊下で結ばれていた事に気付きましたね。。

どうやら2つの館は同時に営業されていた時期もあったのでしょうか。。

その歪な渡り廊下は、まるで教祖様が人類救済と宇宙浄化の為に歩まれた人生そのもののように観えました。。

僕はなんだかあの渡り廊下を歩いてみたいと想いましたね。。

そして世紀末が近づく時代の毎週2日間、この(釈迦の霊泉)の地では、教祖様の話に救われる沢山の人々で溢れたと言われています。。

人は現世に霊界から命の永さを定められ、修行の為に生まれてくる。。

そしてこの現世の行いが評価された上で、霊界での永い刻がまた待っている。。

だから悩む事はない。。

この教祖様の話にどれだけ沢山の人々が救われたのでしょうか。。

御神水によってどれだけ沢山の人々が命を繋げられた事でしょうか。。

教祖様は言われました。。

生かされている命がやむまで終わることはないでしょう。。

そして教祖様はこうも言われました。。

(釈迦の霊泉)を科学的に調査されたら薬水の成分が科学的に解明されて、いずれ人工的に開発され市場化されてしまう。。

そうしたらこの山奥まで来る必要性もなくなり、やがて霊泉は衰退してしまうと想うと心配ですと。。

そう言われた教祖様のそれからを僕は知ろうとは想いません。。

しかしこうして(仏神会)はいつからか(仏神道教会)と成り、今もこうして慎ましく、この地に沸々と奇跡の御神水を溢れさせながら人々を救っているのですね。。

もう僕にはその事実だけで十分と想い、薄暗い道を引き返して行きましたね。。

最後に一目でも仏舎利塔を眺めようとした時は、もう闇に包まれたようで観る事は叶いませんでした。。

またいつの日か、そう想いながら御神水で暖まった身体で車を走らせて行きましたよ。。

そして神奈川県の自宅までの約180kmを帰って行ったのですが。。

そう言えば1人2Lまで各自持参した容器に汲んで御神水を持ち帰る事が出来ますと言う事でしたが。。

帰る時にはすっかり忘れて一滴も持ち帰れませんでしたね。。

もちろん事前に用意なんてしてなかったんですけれど、たまたま来る時に車で飲みほした1Lのコーラのペットボトルが有ったので、残念だと想いましたね。。

それと放射能は利尿作用が働くから直ぐにトイレに行きたくなる人が多いみたいですが。。

ガボガボ飲んだと言ってもそこまで沢山飲まなかったせいか、自宅に着くまで1度しかトイレに寄らなかったから、その様な現象も無かったかと想いました。。

まあ何れにしても良い泉質に感じた温泉だったので、最後に個人的にインパクトの有った(釈迦の霊泉)のゲートで記念写真を撮って、満足して帰りましたね。。

最後に。。

先ずなんだかこう言ったワンダー/珍スポット扱いされるような場所と言うのは、一般的にマイノリティな方々が関係する場所なので、宗教が絡んだりする場所が多いと言う事は確かでしょうね。。

そして確りと解明されていない治癒力を伴う温泉は、聖地とみなされるところが大きく、宗教との結び付きも強かったりするのではと想いました。。

それこそルルドの泉だってカトリックの聖地になってるみたいですしね。。

しかしそれについて僕が言っておくとしますと。。

宗教に関しては本気になって否定も肯定もする気はなく、総て中立的な立場でありたいと想っていると言う事ですね。。

それでとりあえずこちらの温泉に関しましては、確かに噂通りに良質な温泉であったんじゃないかと感じたと言う事ですね。。

色々ウェブを閲覧しましても、入浴された方からの評判は大概良い感じがしまし、その通りかと想いました。。

それでもしこの(釈迦の霊泉)が一般的な考えの人にとってマイナスになる要因が有るとするならば。。

温泉宿に辿り着く迄の過程において、怪しい宗教色が強く感じられるからだと想いましたけれどね。。

それは、名称であり、大言壮語に想える言葉や効能が書かれた看板であり、仏舎利塔であり、と言ったものに顕著かと想いましたが。。

宿に辿り着けば、山に囲まれた質素で静かな環境、まろやかで何だか効きそうな温泉、穏やかで親切な宿の方、と言ったマイナス要因とは逆の、ある種の湯治には良い環境が待っているのかと想いました。。

まあそれでよくよく考えましたら、だいたいそう言った施設の方たちって親切だったりするもんだなと想ったりもしましたがね。。

しかしこちらはそうした施設の中でも極めて勧誘や押し売りみたいな事は一切ない穏やかな接客をされていて、本当に温泉の泉質だけでやっていけると言う自負が有るのかも知れないとか想いましたね。。

実際に僕も入浴させて貰って良いなと想いましたからね。。

宿に置かれていたこちらの温泉による病状回復の手紙などは本物だったと想いますし、重病の方が奇跡的に回復したって言う話は本当だとしても、恐らく極一部のレアケースくらいの確率ではないかとは想いますがね。。

しかしそれでも十分な成果であり、効く人には効くといった何処の温泉にも言える解明しきれない問題と言った事であるんだと想いました。。

なら看板とか普通にして温泉の経営を地道にやっていけば良いのではとか想ったりしましたが。。

これはやはり仏舎利塔を大切にしているように、カリスマ性を持った初代教祖様の教えを慎ましく護っていこうと言う矜持が有るのかも知れないし。。

命に関わる温泉治療を行っているから故の体制なのかも知れませんけれどね。。

まあただの勝手な憶測なんで、実際は全く分かりませんけれどね。。

でも僕としては近所にこの温泉が在れば、スーパー銭湯とか通うよりはこっちに通った方が、効きそうだから良いかなとは想いました。。

ですから静かで素朴で効く湯治湯としてお勧めですから、そう言ったものを求めている方ならどうぞと言う事です。。

そんなんで今回は、温泉は気持ちよく入れたらそれでいいと想っていた僕に、僅かながら温泉の勉強する機会を与えてくれたと想えて良かったですね。。

そしてもしも自分がもう助からないと想える病を患い、その時僕がまだ生きていたいと想っていたとしたら、こちらの御神水に必ず浸かりに来させて頂きたいと言う事で。。

終わらせて貰いたいと想います。。

群馬県利根郡みなかみ町上牧3768

駐車場 普通車約20台分 無料

TEL 0278-72-3173

宿は携帯電話は圏外 無線LAN (Wi-Fi) によるインターネットへの接続は可能

釈迦の霊泉 公式サイト
https://www.shakanoreisen.com/


http://godsamhill.com/wonderspots/3103/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/568.html#c16

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
212. 中川隆[-11354] koaQ7Jey 2019年11月06日 20:13:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1544]

日本経済はアベノミクスで停滞…アメリカに唆されて進んだ、円安がもたらす銀行の危機=吉田繁治 2019年11月6日
https://www.mag2.com/p/money/807292


カナダも巻き込んで世界中が、通貨の増発による低金利の金融バブルです。法律家には、デリバティブ化している銀行間金融の実情は、理解できていないでしょう

デフォルト予備軍の社債は19兆ドル、先送りするほど経済は壊滅

通貨増発による低金利の世界の金融バブルの真っ最中

カナダも巻き込んで世界中が、通貨の増発による低金利の金融バブルです。リーマン危機のあとの、米国、欧州、中国、日本の通貨の増発額は20兆ドル(2,100兆円)です。

欧州のECBは19年3月から金利をマイナスに下げ(ユーロの増刷)、米国のFRBは銀行システムの突然のドル不足からレポ金利が10%に急騰したことに狼狽し、0.25%の利下げをした9月18日から、再びドル増刷を開始しています。

19年9月から、毎月6兆3,000億円のドルの増発を2020年の4月または6月まで続けるという(パウェル議長)。

19年10月末にも0.25%の利下げをします(10月30日、31日のFOMC)。法律家のおじさんには、デリバティブ化している銀行間金融の実情は、理解できていないでしょう。


1990年代、2000年代と25年も株を上げてきたので、金融のマエストロと称賛された元議長のグリーンスパンも同じでした。そのあとの、恐慌学者バーナンキの知識も怪しかった。リーマン危機の直前には、「大したことではない」と声明していたからです。

日米の民間銀行のトップも、十分に理解しているとは言えません。

お金だけをもつ赤子のような農林中金(農家の預金100兆円)

農林省の天下りが多く、金融の素人だった農林中金(農協の上部団体)は、2008年のリーマン危機のときの保証保険CDSでの保証債務5兆円からの損に懲りず、今度は、社債の保証保険CLOで8兆円の米国社債の償還を保証してます。まったく…困ったものです。

金融では、原理的に、低い金利のなかでの利回りの高さは、リスクの高さと同じことです。社債の利回りが2%のとき、社債の償還を保証するCLOの利回り(保険料)が4%なら、その社債のデフォルトの確率は、4ポイントは高い(ブラックショールズ方程式)。

ところがこのデフォルトのリスクを無視して、一見では高い利回りのCLOの保証を高く見える保険料を受けとって、喜々として引き受けるのが世界の金融界で「お金をもった馬鹿と奇妙に尊敬されている日本の銀行」です。

安倍政権の政府も「ドル買い/円売り」を促しています。ユダヤ人の数学の天才が多いゴールドマンなどが介在している国際金融は、「相手(取引相手のカウンターパーティ)をごまかすことが利益になる世界」です。生き馬の目を抜くのではない。

国際的な運用を知らないお金持ち(日本の銀行)にデリバティブというめくらましを与え、マネーを奪う。

政府・FRBと結託した金融の政商であるゴールドマンは、ギリシアの国債危機のときと同じように、特に悪辣です。古来、金貸しの金融の世界は「汚い」。このため西欧の貴族は、金融と肉の扱いはユダヤ人に行わせました。

世帯と企業の預金が1,000兆円と多い日本の銀行をおだて、リスク率より高いお金を最終的に払わせます。


CDOの保険料は、ゴールドマンのクォンツ(数千万円の報酬の数理統計学者:保険のアクチュアリと同じ)が、でっち上げ(鉛筆舐め)で計算しています。

FRBの子会社になった日銀

2013年4月からの異次元緩和の黒田日銀は、米国FRBの子会社同様の振舞いをしてきました。

(注)白川総裁の日銀は違っていたので、安倍首相が2期目に首を切ったのです。2期目の更迭は異常なことでした。行政改革のためとした法の改正で、首相が握った官僚高官の人事権の威力で、財務省官僚にも自主的な忖度(そんたく)をさせています。白川総裁の首切りが、その最初でした。

米国の経済学者のクルーグマンは、「日本が陥った流動性の罠(ゼロ金利で債券買いが減って現金化されること)」からの脱却に、インフレ政策を取るべきだと進言しました(2001年『日本が陥った流動性の罠』)。

安倍政権になって、米国金融の奥の院に属しているクルーグマンの政策提言が、
・日銀が国債を買ってインフレを起こすといっていた異次元緩和と、
・輸出物価を下げて、輸入物価を上げる、円安策になったのです。

この構図を描いて政策を提言したのが、現代米国経済学につながりがあると自称する浜田宏一氏でした。(この人の本を読むと、浜田氏は**は知人だということだけを書いています(普通の神経なら恥ずかしいことでしょう)。

ノーベル経済学賞を浜田氏にというのは、トランプのノーベル平和賞とおなじ筋です。白川総裁は、私の教え子だとも恥じることなく自慢しています。


ゼロ金利、マイナス金利の深層

政府と日銀は、FRBと米国政府の「円金利を下げ(マイナスにもして)、イールド(2.5%の金利差の利益)のある米国債を買って、円安にしてはどうか」という外圧に従属し続けています。

実は…安倍首相は、黒田総裁を任命するとき(2013年4月からの異次元緩和の前)、「アジア開発銀行の総裁のときから国際金融マフィアに人脈がある黒田さんが適当」と述べています(国会での公式の発言)。

国際金融マフィアとは、米国と英国そしてBIS(国際決済銀行)に巣くった「金融の奥の院」を指す言葉です。それらの銀行(大口株主は、金商人のロスチャイルドと、石油閥のロックフェラー)が、米国FRBの株主です。

つまりFRBの金融政策と同調できる人、あるいは協力できる人。本当はFRBの要求に応じて米国債を買って、ドルを上げて円安にする人が黒田さんというのが、任命理由だったでしょう。


事実、2012年10月から、民主党政権のときは1ドル80円付近だった円は、異次元緩和がピークだった2015年(日銀による1年80兆円の円国債買い)には、1ドル120円へと、50%の円安になっています。
※参考:米ドル/円(USD/JPY):外国為替レート(楽天証)
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/market/data/usd.html


円安とは、ドル買い/円売りの超過であり、米国にマネーは行く

円安は、「ドル買い/円売り」の超過によって起こります。

この間、日銀が国債を買って増発した円(日銀当座預金約400兆円:当時)のうち、60兆円くらい(1年の純額で20兆円から30兆円)が、国債を売った銀行とGPIF、生保、郵貯、かんぽ生命のドル債投資になったのです。

米国債を日本に売ってお金を得た米国ヘッジファンドは、そのお金の一部(15兆円)で、日本株を買って日経平均を8,500円から2万円に上げる引き金を引きました(2012年末から2015年)

これが、アベノミクス円安と株価上昇の正体でした。
(注)安倍首相が退陣したあとの金融史に残るでしょう。

ドル債(国債、証券、株、デリバティブ)への投資とは、ドル債を世界に売っている米国の銀行とファンドにマネーを供給することです。

米国の債券を買うには、その前に「ドル買い/円売り」が必要です。日本からの「ドル買い/円売り」が「世界からの円買い/ドル売り」より超過すると、「円安/ドル高」になります。


構図を描いた首謀者は、自ら名乗っています…

2012年12月から安倍政権の内閣官房参与を務め、異次元緩和の構図を描いた浜田宏一氏(東大教授、エール大学教授)は露骨でした。「日銀が円国債を(銀行が金利のつく国債を売り渋って)買いにくいのなら、ドル国債を買って米国にドルを供給すれば円安になる」とすら公式の席で述べていました。

この人物は、国際金融マフィアのエージェントと言っても過言ではない人です。コロンビア大学、ハーバード、MIT、エール大学は、経済学では国際マフィアの学問の牙城です。

米国の大学は、金融機関とファンドの寄付(基金)で成り立っています。ロスチャイルド家は、将来、政府と関係をもち得る優秀な海外留学生に奨学金を出して、国際金融マフィアの利益を高める学説(または論文)を作らせ、学説の発表として、ソフトに見返りを要求します。

東大の経済学部の教授が財務省の顧問等を経て、コロンビア大学の教授になるのが報酬です。財務省顧問の円安(ドル買い)を演出した伊藤隆敏氏が、もっとも露骨でした。ノーベル経済学賞も、学者としては世界で最高の権威を得ることができるアメリカの大学のポストに類似しています。

世界が貿易に使う基軸通貨である、ドル買いが有利とする学説を世界に流布させる根底の目的は、米英金融マフィアの利益になる、FRBが増刷するドル基軸通貨体制の維持のためです。

もっとも多く預金マネーをもつ日本と、オイルダラーの産油国、輸出でもっとも多くドルを受け取る中国がターゲットになります。
(注)ユーロを作ってドル圏から逃れたドイツは、ドル国債を買いません。持ち高は860億ドル(9兆円)、ほんのお付き合い…。
※参考:MAJOR FOREIGN HOLDERS OF TREASURY SECURITIES

エール大学のときの浜田宏一氏、小泉内閣の経済財政担当大臣の竹中平蔵氏(ハーバード大学の准教授:国際経済研究所フェロー:この人物は童顔に似合わず悪人の政治家です)。


竹中平蔵氏は小泉内内閣のとき、米国のイラク戦争への協力金として、30兆円の米国債を買うときの指揮をしています。


ドルの罠にかかってしまった日本

積年のドル債券の買いで、日本の対外資産は1,062兆円に増えています(2019年6月末:日銀資金循環表)。

政府は、ドル建ての債権を明らかにしませんが、推計ではドル建て70%、ユーロ建て20%、他の通貨(人民元等)が10%でしょう。
※参考:2019年第2四半期の資金循環(速報)‐日本銀行調査統計局(2019年9月20日公開)
https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf

ドル買いによる円安政策を指揮した安倍政権は、自ら進んで「ドルの罠」にかかっています。罠に近づいて自分でかかったのが、米国ご忠臣のひとたちです(日本のリーダー)。

中国を超える世界一の経常収支(貿易黒字+所得収支の黒字)の大国ドイツが、決してドル国債を買わないことと好対照。
(注)2018年8月以降、中国はドルの罠から逃れようとしています。そのための金買いです。中国の金の買い増しで、金価格は上がっています。

このため中国全体の「ドル買い/元売り」の超過(=民間のドル買い─政府のドル売り)が減って、米国の銀行システムがドル不足になったのです(19年9月)。

米国債の発行は1兆ドルに増えて、これからもますます増える

米国債の発行は、(1)トランプ減税、(2)軍事費の増加、(3)公的医療費と年金の増加のため1兆ドルを超えました(2019年)。これは、米国債(産高20兆ドル:2,100兆円)の発行が、毎年1兆ドル以上に増えるトレンドになったということです。


2017年に米国の株価を上げたトランプ減税は、2017年から向こう10年間続きます。
(注)減税をすると株が上がるのは、企業の利益が同じでも、投資家の株の買いを決めている1株当たりの税引き後純益(Earning Per Share)が増えるからです。税引き前の経常利益で見る日本とは違い、米国では、企業利益は純益で見ます。企業の税金は国に納める経費だからです。P/Lの中に、法人税の費用が計上されています。

一方で、財政支出を増やす、ベビーブーマー世代8,000万人(日本の8倍)が次々に65歳を超えているため、公的医療と年金の増加は止まらない。

米国債の流通

1兆ドルの米国新規債は、いったんは米国の銀行が買って(銀行のドルは減少)、日本、中国、産油国に5,000億ドル分くらいを売ってドルの現金を回復してきたのです。

2018年8月からは、トランプから突然、関税をかけられた中国が、逆に「ドル国債の売り」に回っています。買い手は、米国の銀行です。米銀が、中国が売る米国債を買わないと、国債の価格は下がって、米国の金利は上がるからです。

米銀が中国が売る米国債を買えば、米銀システムのドルは減ります。

ドル不足になった米銀は買った米国債を「すぐあとで買い戻しますからという特約つき」で他の銀行に売って、今週の決済に不足していたドルを調達したのです。

これがレポ金融です。レポ金融の借り手(米国債の一時的な売り手)が多かったので、現金を借りるレポ金利が、突然10%に上がった(19年9月18日)。

米銀システムは、今週の決済用のドル不足からパニックになったので、当日、FRBは、銀行が持ってる国債を1,000億ドル(10.5兆円)を急遽買いあげ、当座に足りないドル10.5兆円を供給しました。1日での10.5兆円のドルの増刷は、巨額なものです。

その後、狼狽を続けた法律家パウェルのFRBは、毎600億ドル(6.3兆円)の短期国債を銀行から買い上げ、銀行にドルの現金を増加供給すると公表しています。

期間は、2020年4月から6月までの約10か月という。
(注)FRBは隠れて、ドル国債買いを増枠するつもりでしょう。このために、わざわざ1か月600億ドルという金額を言ったのです。そうでなければ、金額は言いません。FRBは、ドル増刷の金額は言わなくていいのです。


FRBは日銀にも、「このままだと、円高/ドル安になるよ。日本は困るでしょう?」とソフトにいって、裏では強力にドル国債買いを要求してるはずです。

日銀の株ETFのリースという証拠

日銀は、当座のドル国債買いの資金(推計20兆円)を得るため、買ってきた株ETF(26兆円)を日本の証券会社にリース(レポ金融と同じ構造の取引)をする決定をしたのでしょう(19年10月29日:記者発表)。

日銀金融の裏を知らないノー天気な証券会社は、ETFの利回りがはいると無邪気に喜んでいます。日銀が証券会社から得る円の現金はどこへいくのか。もちろん、米銀がドル不足になっている米国です。

「円の価値を守ることが日銀のミッション」としているはずの日銀の、円安に向かわせる「円売り/ドル買い」の行動を国民から見て、どう思いますか?

「ドルトラップ」にかかってしまった日本は、ドル売りができない

ところが事態は、若干複雑です。

円安とは逆の20%の「円高/ドル安」に戻ると、「1,062兆円×20%=212兆円」の為替差損が、
(1)ドルの債券(国債、株、社債)をもつ銀行、生保、GPIF、郵貯、かんぽ生命と、
(2)国内投資を減らして、米国への直接投資(工場建設)を増やした輸出企業、
(3)外貨準備をもつ政府に、一瞬で、生じます。
(注)トヨタは海外生産が70%であることはご存知でしょうか。

瞬間の円高・ドル安(1ドル=85円)でも生じる212兆円の損は、日本に1998年のような金融危機をもたらしたスケールです。1998年の金融危機は、銀行が抱えた100兆円の不良債権から起こったものでした。


「1,062兆円のドル」の罠にかかってしまって、日本には「円安・ドル高」という選択肢しか、なくなってしまいました。

GDPが550兆円の国が、世帯と企業の総預金(1,000兆円)に匹敵するドル建ての債権をもってしまったのです。

経常収支の黒字で、1位のドイツと2位の中国

中国の外貨準備は、3.1兆ドル(330兆円)でしかない。日本の1/3です。ドイツの政府と銀行は、米国債を決して買いません。

◎長期的には、経常収支の赤字(年1兆ドルに増加)から、米国はドル安とドル切り下げに向かうからです。(注)対外負債の累積は36兆ドル(3,780兆円:2018年)

「日本経済にとっては円安がいい」といって、円マネーの流れを指揮したのが、政府と日銀です。

三菱UFJも…

円国債の入札から降り、円国債を買い増すことはしないと宣言した三菱UFJフィナンシャルグループは、円国債を日銀に売って得た円の現金で、もっとも多くドル国債・ドル株・ドル社債・CLOを買って、円マネーをドルに変換して「利益が出た」と誇っています。


円安・ドル高は、ドルの罠にかかった三菱UFJの利益になるからです。
(注)円安政策は、円の世帯所得を切り下げる政策です。


日本人の年収順位は18位に落ちた

日本人の平均年収は403万円であり、世界で18位に下がっています。1位スイス1,073万円、2位ノルウェー921万円、3位ルクセンブルグ899万円、4位デンマーク835万円、5位オーストリア791万円、6位アイルランド767万円、7位オランダ685万円、8位米国645万円、9位ベルギー641万円、10位カナダ638万円。ここまでが世界の10位。

いつの間にか、10位にカナダがはいっています。5位オーストリアの791万円(日本の1.8倍)、6位アイルランド767万円(日本の1.8倍)は、年収429万円の日本から見れば、驚きでしょう。

11位スウェーデン624万円、12位英国614万円、13位フィンランド608万円、14位オーストラリア599万円、15位ドイツ547万円、16位フランス541万円、17位イタリア431万円、18位日本429万円、19位イスラエル408万円、20位スペイン403万円…(2018年7月:当時の1ドル=113円)
※参考:外国人が求めている給料と一緒に見たい!『よく働く国ランキング』‐IZANAU BETA(2018年7月14日公開)
https://izanau.com/ja/article/view/kunigbetsu-kyuuryou-ranking

先進国で最低ランクに落ちたのが、日本人の現役世代の平均年収です。円安政策つまりドル買い政策の日本政府は、この事実は隠して言いません。このため、日本人の所得は世界最高ランク(1ドルが79円だった1995年でしたが…)と思っている国民が大多数でしょう。

1990年からの30年、世界は成長経済、日本は停滞経済でした。

根本の原因は、国内投資が減少したことです。海外に、1,000兆円も貸しつければ(ドル債務証券の買い=貸し付け)、国内で投資するお金はなくなります。Aさんのお家から、となりのBさんの家に、1,000兆円貸したからです


しばらくすれば、失業率が13.8%(19年8月)のスペインにも追い抜かれると知れば、国民は、どう反応するでしょう。主因は、円マネーでドルを買って、国内での投資をして円高にしなかったことです。

以上が、2012年からの安倍政権での国民にとっての円安政策の結果です(=1年に20兆円〜40兆円のドル買い/円売りの政策)。

米国企業の社債の、償還を保証するCLOまでを買った日本の銀行

日銀は、
・日本の金利をマイナスに下げ、
・金融機関の円国債を額面より高く買って、
・銀行に現金を供給する(日銀当座預金の増加:400兆円)。

国債を売って、現金を得た銀行や生保は、現金の0%の運用では困るので、金利2%台のドル国債や米国の債券、そしてデリバティブを買うか、保険料を受け取って、資産担保証券のCDS、混合証券の利払いと償還を保証するCLOという保証保険を引きうける。

農林中金だけではない。三菱UFJも2兆円分の米コカ社債の保証を引きうけて、保険料を貰って利益にしています。

米国の企業は、低い金利で社債を発行した

米国の企業は、CLOでの保証を日本の銀行が引き受けるので、
・低い金利で社債の発行ができ(4兆ドル)、
・その社債で得た現金(4兆ドル)で、
・自社株買いをして、株価を12兆ドルも上げて来たのです。


もともとは、日本の銀行が日銀に国債を売って米国株を買ったことと同じ、マネー移転でした(2011年から2018年)。


実質金利はマイナスの米国

米国は、物価の上昇が2%くらいはあるので、マクロ経済的な金利である実質金利(名目金利−物価上昇率)はマイナスになります。

日本はすでに名目金利でマイナスであり、利下げの余地がない。

このため日本政府は、米国にマネーを供給する「ドル買い/円売り」を、再び促しています。厚労省と財務省の役人が天下りしている年金基金GPIF(資金量160兆円)の「ドル株買い、ドル国債買い」もその一環です。他に、財務省の天下り先である郵貯・かんぽ生命のドル国債買いもあります。

日本よりひどいマイナス金利(-0.5%)のユーロと、FRBの利下げと米国債買いの世界は、再び通貨の増発に向かっています。理由は、2018年夏からの米国の中国関税に起因した世界経済の成長率の低下です。

80ドルだった原油の60ドルへの下落

中東でもGDPの成長が1%台に下がっています(サウジは0.2%:2019年)。これは、受け取りが減ったオイルダラーによる米国債の買いが減ることを意味します。

中東の経済成長は、
(1)中国経済の減速による原油需要の減少と、
(2)米国の50ドルの採算ラインが多いシェールオイルの増産で、原油は80ドル(18年10月)から、55ドル台に下がっているため、不況といえるくらい低下しています。


中国の経済成長の偽装

中国は、今も6%の実質経済成長と政府が発表してはいますが、これは疑問です。

中国人民大学国際通貨研究所理事兼副所長の向松祚(コウ ショウソ)氏は、2018年は1.67%の成長だった、計算方法を変えるとマイナスとも言っています(2018年12月の報道)。

中国政府は香港問題でも、強い情報統制を敷いています。政府機関の中心に属する向松祚氏が、なぜ、こうした、一見では反政府に見える発表ができるのか。普通なら、拘束されます。

おそらく中国政府の黙認、または、積極的な関与があります。高すぎる公式成長率の矛盾を順次、縮小していくことが目的でしょう。


李克強首相ですら、2018年には「中国の経済成長は公式発表より低い」と発言していたからです。


成長の減速とは言っても、不況とは言わない政府とメディア

2019年末から2020年の経済を、各国政府と主流のメディアは「不況」とは決して言わなくなっています。

「期待で動く経済(合理的形成学派の仮説)」に、不況という言葉がタブーだからでしょう。

「半年後は不況」と市場が予想すれば、投資が減り、雇用も減って、本当の不況になっていくからです。マクロ経済学が問題にするものは投資、雇用、物価、金利の4つです。

現代は、期待の経済学

現代経済学は、「不況の時期は、国債の発行による公共事業の増加」としたケインズ経済学を、期待(=市場の集合知である予想)という、投資と雇用を増加または減少させる人間の予想を加えて修正したルーカスの亜流です(ルーカスの批判という)。

合理的期待形成学派(1980年代〜)は、ルーカスによるケインズ経済学の論理的な批判から誕生しています。

ルーカス経済学の落ち度は、「金融資産=誰かの金融負債」であることの無視と、期待で上がる金融資産のバブルは、その裏では、返済と利払いができない負債のバブル的な過剰になっていることです。金融学が欠けていたのです。


金融資産バブルの崩壊

年月の確定を別にすれば(数年のスパンでは)、100%の確率で現在の金融資産バブルと負債のバブルは崩壊します。期待の高さで膨らんだ負債が、返せなくなる臨界(デフォルト)に達する時が来るからです。

そのときは、世界中でリーマン危機(推計1,000兆円)の数倍の不良債権になり、次回の回復はリーマン危機より長引くでしょう。

リーマン危機では、株価上昇というプラス効果を生んだ「中央銀行の通貨増発の効果」が、次回はないと、金融市場が見ているからです。理由は、米国の株価時価総額が3,000兆円とバブルの水準だからです。4,000兆円にあがることはないからです。

政府の対策があるが…

時期が確定できないのは、政府・中央銀行が必ずマネー増発の対策をとるからです。しかしマネー増発は、供給を受ける側にとっては「不足する現金の借り入れ」です。

すでに過剰である負債の一層の増加になるので、危機は先送りされるだけです。つぎの本格的な危機になったときの、不良債権額(返済と利払いできない負債)は大きくなっていて破壊的になります。


現在は、「中央銀行による通貨の増刷が、金融危機(=膨らんだ負債の危機)を防ぐのにいくらの金額まで有効か」という、世界史上はじめての実験を世界中がしている時期です。


ソ連経済の崩壊

1989年に人工国家のソ連は、崩壊しています。1970年代までは、共産主義が資本主義より優れているとされ、GDPの「実は中身がなかった計画された数字」での成長率は、資本主義国より高かったのです。

ソ連の経済成長は、2008年以降、GDPの政府成長率が数ポイントは高い中国と似ています。元の増発と返済のない貸付で、超富裕層を生んだ点も似ています。香港の民主化運動は、中国の共産党富裕者が、香港の不動産を買って上げたことが主因です。

ソ連の国有企業への貸付は、返済と利払いの要らないものでした。それが共産党の仲間内金融(クローニー資本主義)でした。
(注)現代の中国では、国有銀行から国有企業への貸付金は、多くが、利払いがなく返済もない。返済と利払い額と同じ貸付を、国有銀行が増やし続ければ、不良債権になりません。

長年の通貨の増発は、ロシアになって1,000倍のインフレとなって露呈しました(1998年)。

途中でのインフレがなかったのは、ソ連の物価は政府が決める統制価格だったからです。市場の闇価格は、高騰していたのです。1998年には、ロシアは、旧1,000ルーブルを1新ルーブルに切り下げて、通貨量を1/1,000に減らしてインフレをおさめています。
(注)これは通貨単位の全部を切り下げるデノミではありません。旧通貨の切り下げです。日本も、戦後に、戦前の100円を新1円にして、通貨を1/100に切り下げ、100倍から300倍(消費財の違いで異なる)のインフレを起こし、GDPの2倍もあった戦時国債を帳消しにしています。

過去はなかった、スタグフレーションの発生(1970年代)

ところが、二度の石油危機の波及から物価が上がった1970年代からの政府財政の赤字は、経済を成長させなかったのです(=国民の実質所得は増えなかった)。不況の中で、物価が上がる経済になり、「スタグフレーション(不況下の物価上昇)」と呼ばれたのです。


原因は、高くなった石油の購入のため、先進国のマネーが産油国に流出したことでした。そのマネーの中心がドバイの金融摩天楼です。(注)来月はドバイです。

このときケインズ経済学の批判として登場したのが、ルーカスの合理的期待形成の経済学です。合理的期待(プロスペクト)とは、国語では集合知による予想のことです。

人々は、未来を示す情報から将来への予測をもち、その予測(期待)で貯蓄または投資を行うとしました。(注)これはその通りです。株価での織り込みがこの期待の現象です。


政府財政が赤字になると、将来の増税を期待(予想)して、企業と家計は支出と投資を抑制する。このため、財政赤字は経済成長をもたらすとはいえないとして、ケインズ経済学を批判したのです。ここから、期待の経済学が誕生しています。


世界の社債19兆ドルが不良債権の予備軍

企業が借り入れを減らし、国内への投資を減らした日本を除く世界では、リーマン危機のあとの8年で、企業の社債発行(負債証券)が、世界のGDP80兆ドル(8,400兆円)と同額に増えています。低金利が、社債を増やしたのです。

IMFはつい最近、80兆ドルの社債のうち、19兆ドル(24%:1,995兆円)が、不良債権予備群になっていると発表しています。農林中金が8兆円、三菱UFJが2兆円買って保証しているCLOがかかった社債です。

2020年の企業利益が増加し、社債の不良債権は減るでしょうか?2020年の世界のGDPは不況化します(メディアは経済成長の減速と表現)。

さて、この1,995兆円の社債はどうなるか。社債は、償還期に一括返済しなければならないという恐いものです。1,000億円借りていれば、1,000億円の返済を一度に行う必要があります。

借入金は、金利が1ポイントから3ポイントは高くなるので、信用の高い企業は、社債で投資資金を調達します。日本の最大手はソフトバンクです。

世界のGDPの増加が大きく減る中では、特に、大手企業の利益は相当に減少します(30%程度)。すでに利益が少なく、返済のマネーがない企業の社債が19兆ドルの不良債権の予備軍です。2020年はどうなるか。GDPが増える方向に戻らない限り、不良債権化は深刻になります。


社債が返済されない不良債権になって損失を蒙るのは、社債を買っている金融機関です。

銀行の危機の勃発が、2020年中に起こる気配になってきました。株価の下落が伴うかどうか。社債の不良化とともに、株価が30%下がると、世界的な金融危機になり、リーマン危機よりも大きくなります。

中央銀行はリーマン危機のときのように、銀行に緊急に大量のマネーを投入するでしょう(リーマン危機のときは、8年で20兆ドル:2,100兆円)。通貨を大増発するということです。

今度は、一度に1,000兆円の規模で大増発される通貨の価値を人々がどう評価するかが問題になります。現代貨幣論の説くことの実証実験が2020年。どうなるでしょうか…。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c212

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
77. 中川隆[-11353] koaQ7Jey 2019年11月06日 20:15:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1545]
2019.11.06
ロシアで開催された「ロシア-アフリカ首脳会議」の衝撃度

 ポール・ウォルフォウィッツが国防次官時代の1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていたことは、元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官のウェズリー・クラークが2007年に証言している。(​3月​、​10月​)

 ネオコンは同じことを1980年代には考えていた。まずイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断した上でシリア、そしてイランを破壊しようとしていたのだ。

 それに対し、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領やジェームズ・ベイカー首席補佐官はフセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤だと考え、ネオコンと対立。両勢力の対立は暴露合戦になり、イラン・コントラ事件やイラクゲート疑惑が表面化する原因になった。

 ブッシュは1989年に大統領となるが、90年8月にイラク軍がクウェートへ侵攻して戦争になる。1991年1月にはアメリカ主導軍がイラクを攻撃、2月に集結するのだが、その際にフセイン政権は倒されなかった。

 そこで激怒したのがネオコンだが、その中心グループに所属するウォルフォウィッツはその時の経験から、中東でアメリカが軍事力を行使してもソ連軍は出てこないと考えるようになった。そして1991年5月、クラークは国防総省で3カ国を殲滅するという話を聞いたのだという。この思い込みは2015年9月30日に打ち砕かれ、アメリカは窮地に陥ることになった。

 イラク、シリア、イランを殲滅したいネオコンにとって好都合な出来事が2001年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。ネオコンに操られていたジョージ・W・ブッシュ大統領は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」の反抗だと断定、2003年3月には統合参謀本部の反対を押し切ってイラクを先制攻撃した。

 そして2011年春、バラク・オバマ政権はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とするジハード傭兵の部隊をリビアやシリアへ侵攻させて体制転覆を図る。西側の有力メディアはこの戦争に「内戦」というタグをつけている。

 シリアは1980年代からネオコンが狙っていた獲物だが、リビアは違う。リビアが攻撃された理由はムハンマド・アル・カダフィが2010年にディナールという金貨を基軸通貨として導入すると発表したことにあると見る人は少なくない。オバマ大統領がイスラム同胞団を体制転覆工作に使うことを決め、PSD-11を出したのはこの年の8月だ。

 西側の「先進国」はアフリカ、アジア、ラテン・アメリカなどでの略奪なしに現在の体制を維持できない。つまり、こうした国々が真に独立することは許さない。通貨の問題は独立の核心であり、通貨の自立を主張する国はあらゆる手段を使って攻撃される。アフリカの場合、ドルを発行するアメリカだけでなく、CFAフランを発行するフランスにとっても深刻だ。

 イラクへの軍事侵攻で親イスラエル体制を樹立することに失敗したネオコンは新たな戦術へ切り替える。調査ジャーナリストの​シーモア・ハーシュが2007年にニューヨーカー誌に書いた記事によると、ブッシュ・ジュニア政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボ​ラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派、つまりムスリム同胞団やサラフィ主義者と手を組むことにしたという。

 そして2008年にアメリカはAFRICOM(アフリカ軍)を創設する。その名の通り、担当する地域はアフリカなのだが、司令部はドイツに置かれた。アフリカには置けなかったということだ。

 カダフィが進めていた新しい通貨制度の創設計画ではチュニジアのベン・アリやエジプトのホスニ・ムバラクも重要な役割を果たし、スーダン、南スーダン、赤道ギニア、コンゴ、コンゴ民主共和国、ガボン、南アフリカ、ウガンダ、チャド、スリナム、カメルーン、モーリタニア、ザンビア、ソマリア、ガーナ、エチオピア、ケニア、タンザニア、モザンビーク、コートジボワール、イエメン、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアの参加が予定されていた。

 しかし、アリとムバラクはムスリム同胞団が主導する「アラブの春」で倒され、カダフィはアル・カイダ系武装集団とNATOの連合軍に惨殺された。

 現在、リビアはアル・カイダ系武装集団とNATO軍による破壊と殺戮で破綻国家と化し、暴力が支配する無法地帯。アメリカが何をもたらすかを理解した人はアフリカにも少なくないだろう。

 そのアフリカの国々と中国は経済的な関係を強め、BRI(帯路構想、以前は一帯一路と言われていた)へ参加する国を増やしてきたが、ここにきて中国の戦略的な同盟国であるロシアも存在感を強めている。ロシアのソチでは10月23日から24日にかけて「​ロシア-アフリカ首脳会議​」が開かれ、ロシアのウラジミル・プーチン大統領とエジプトのアブドル・ファッターフ・ア-シーシ大統領が議長を務めた。

 会議のテーマは経済発展や安全保障などが中心で、鉄道やエネルギーなどインフラの整備についても話し合われたようだ。アメリカはジハード傭兵を投入しつつあるが、それへの対処法を教えることになるかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911060000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c77

[近代史3] 沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」 中川隆
68. 中川隆[-11352] koaQ7Jey 2019年11月06日 21:21:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1546]

沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減で無責任 _ 2

悲報:琉球新報、首里城防火の責任を国になすりつける

首里城焼失 国が防火設備撤去 安全管理の見通しの甘さ浮き彫り
2019年11月2日 09:49
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1018912.html


 那覇市首里当蔵町の首里城の正殿や北殿、南殿など計7棟が焼失した火災で、正殿の外に設置されていた「放水銃」と呼ばれる消火設備5基のうち1基を、2013年12月までに国が撤去していたことが1日、分かった。沖縄総合事務局の担当者は本紙の取材に「火災発生時にも放水銃4基で対応できると判断し、代わりの防水設備を設置しなかった」と回答した。今回の火災は、スプリンクラーなどの消火設備の不足が大規模な延焼につながったと専門家らは指摘しており、安全管理の見通しの甘さが改めて浮き彫りになった。

 首里城公園を管理する沖縄美ら島財団によると、放水銃は正殿外部の初期消火や延焼防止のために設置され、火災発生時に手動で正殿の屋根上部まで放水できるようになっている。

 当初は正殿の北側、東側、南側にそれぞれ1基と正面の御庭に2基の計5基があったが、13年12月に完了した黄金御殿の復元工事に伴って南側の1基が撤去された。

 同財団の広報担当者は「復元工事は11年から13年にかけて行われ、この間のいずれかの時期に撤去された」と説明。放水銃の撤去について、首里城公園を今年2月まで管理していた国と、管理を受け継いだ県、指定管理者の財団いずれもホームページや公開資料で周知していなかった。

 同財団が1日に行った会見では火災発生時、正殿の軒下に設置されていた「ドレンチャー」という外からの火を防ぐ消火設備のみが作動し、放水銃4基は火災による熱で近づけなかったため、使用できなかったことも明らかになった。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1018912.html


首里城火災「消防隊の数も十分。警備員もセオリー通り」と専門家 対応不足は「屋内出火」
沖縄タイムス社 2019/11/06 18:00
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%a6%96%e9%87%8c%e5%9f%8e%e7%81%ab%e7%81%bd%e3%80%8c%e6%b6%88%e9%98%b2%e9%9a%8a%e3%81%ae%e6%95%b0%e3%82%82%e5%8d%81%e5%88%86%e3%80%82%e8%ad%a6%e5%82%99%e5%93%a1%e3%82%82%e3%82%bb%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%83%bc%e9%80%9a%e3%82%8a%e3%80%8d%e3%81%a8%e5%b0%82%e9%96%80%e5%ae%b6-%e5%af%be%e5%bf%9c%e4%b8%8d%e8%b6%b3%e3%81%af%e3%80%8c%e5%b1%8b%e5%86%85%e5%87%ba%e7%81%ab%e3%80%8d/ar-AAJWjDa?ocid=ientp#page=2

首里城の消火に当たる消防隊=10月31日午前6時11分、那覇市・首里城公園(撮影・新垣玲央)© Okinawa Times


[失われた象徴 首里城炎上](5)前代未聞の9消防出動

 「こんなに大規模な消防応援は初めてだ」。那覇市消防局の担当者は強調した。首里城火災で同局は県消防相互応援協定に基づき沖縄市や糸満市など県内8消防本部に応援を要請。車両53台、消防団を含め171人が出動した。協定を結んだ1988年以降、一度に9消防にもまたがった出動は前代未聞だった。

 しかし火の手は大規模な消防体制をも上回った。高台に作られた「山城(やまじろ)」で、二重に張り巡らされた城壁が消火の壁になった。消火水槽から消火用ホースを引っ張る際、城壁を迂回(うかい)させてホースをつながざるを得なかった。

 その間にも木造の正殿内から上がった火は南殿、北殿に燃え広がった。「ロの字型」の建物に囲まれた御庭(うなー)は輻射熱(ふくしゃねつ)が充満し隊員は退避せざるを得なかった。「延焼が広がった要因の一つ」。火災発生直後の会見で、同局の島袋弘樹局長は報道陣から延焼の要因を問われ、唇をかんだ。

 センサーの発動から警備会社が消防通報するまで7分間。発生翌日の会見で、首里城を管理運営する沖縄美ら島財団の花城良廣理事長は初動について「決して遅くないと思っている」と強調した。

 当時、首里城にいたのは警備員2人と設備の監視員1人。センサー発動後に警備員は正殿北側で充満する煙を確認し、消火器2本で初期消火を試みたが消火はできなかった。消防到着は同発動から16分後だった。

 この対応について防火研究専門の関澤愛東京理科大教授は「消防隊の数も十分。警備員もセオリー通りに動いている」と対応に遅れはなかったと見る。消火器、水の幕を作って延焼を防ぐドレンチャー、放水銃、屋内・屋外消火栓など消火設備も「付けるべきものは付けていた」と評する。

 一方、これらの設備は城の外の市街地火災から城を守るもの。城内である「屋内出火」への対策は乏しかったと指摘する。関澤教授は今後の対策として「人が屋内に入らなくてもいい自動消火設備のスプリンクラーの設置は選択肢に入れるべきだ。加えて、地下通路など消防隊がホースを持って活動できるアクセスを確保する必要がある」と提案した。(社会部・下地由実子、比嘉太一)
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%a6%96%e9%87%8c%e5%9f%8e%e7%81%ab%e7%81%bd%e3%80%8c%e6%b6%88%e9%98%b2%e9%9a%8a%e3%81%ae%e6%95%b0%e3%82%82%e5%8d%81%e5%88%86%e3%80%82%e8%ad%a6%e5%82%99%e5%93%a1%e3%82%82%e3%82%bb%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%83%bc%e9%80%9a%e3%82%8a%e3%80%8d%e3%81%a8%e5%b0%82%e9%96%80%e5%ae%b6-%e5%af%be%e5%bf%9c%e4%b8%8d%e8%b6%b3%e3%81%af%e3%80%8c%e5%b1%8b%e5%86%85%e5%87%ba%e7%81%ab%e3%80%8d/ar-AAJWjDa?ocid=ientp#page=2


▲△▽▼


悲報:琉球新報、首里城防火の責任を国になすりつける
2019年11月02日 14:01 新田 哲史
http://agora-web.jp/archives/2042459.html


首里城全焼の出火原因をめぐり、地元紙の報道姿勢が玉城県政に忖度するようなことがなければいいが、と今朝の記事で書いたばかりだが、どうやら杞憂が現実になってしまうかもしれない。

琉球新報は2日朝、「首里城焼失 国が防火設備撤去 安全管理の見通しの甘さ浮き彫り」と題した記事を掲載し、午前9時すぎに電子版でも配信した。リードの文章にもあるように、今年2月に管理が県に移管される前の段階で、「正殿の外に設置されていた「放水銃」と呼ばれる消火設備5基のうち1基を、2013年12月までに国が撤去していたことが1日、分かった」などと、国に責任があったと指摘している。

琉球新報は図面を掲げて、残った4基の放水銃について「火災による熱で近づけなかったため、使用できなかった」(記事より)などとして、もし国側が撤去した1基があればなんとかなったかのように言わんばかりだ。


琉球新報より引用

ここでよくよく考えて欲しい。消防隊が近づくのも容易でなかった、あれだけの火災である。仮にその撤去された1基があったところで、初期消火ができたかと言えば現実は難しいだろう。撤去された消火器が、御殿が焼失した有料エリアの外側に近いところにあったのであればいざ知らず、昨日のNHKの報道によれば、正殿北側で最初に出火を発見した警備員のコメントは警察の調べに対し、こう述べている(太字は筆者)。


「通路内にある正殿に入る階段を数段上がったところで、息ができなくなるほど煙が充満しているのを確認した」

正殿に発見段階でかなり煙が充満しているのだから、この警備員の証言が事実だとすれば、放水銃1器があっても初期消火を遂げることができたのかどうか。筆者は防災の専門家ではないが、常識的にみて疑問だ。

琉球新報の記事は、首里城公園を管理する沖縄美ら島財団の記者会見と広報担当者(県側)、内閣府の沖縄総合事務局(国側)らの取材に基づいているようだが、財団および県の担当者を含めた県側のバイアス、もしくはそもそもの記者たちが日頃の報道から感じさせる「国が悪者、県が正義」というバイアスで書き立てているのではないか。

しかも記事がセコく見えるのは、リードの文章で放水銃の撤去が判明したと書いておいて、


今回の火災は、スプリンクラーなどの消火設備の不足が大規模な延焼につながったと専門家らは指摘しており、安全管理の見通しの甘さが改めて浮き彫りになった。

などと付け足している。結局、論点がスプリンクラーなどの設置不足になりつつあることは記者も認識しているのだ。

それでも、放水銃の撤去が事実であったとしても、見出しで「国が防火設備撤去」を強調するということはどういうことか。不備があるのであれば、国から管理が移管されたこの8か月間、県は何をやっていたというのだろうか。


NHKニュースより

新聞業界の常識からすれば、これだけの大事件の記事の紙面構成や見出し付けは、上層部の意向を抜きに進めることは考えにくい。けさの記事でも懸念したように、玉城県政に忖度して、県側の管理責任に対する追及を甘くし、県民感情の矛先を国に向けるという「角度」を付けようとしているのではないか。

問題解決よりも目先の揚げ足取り、足の引っ張り合いに終始する。(県政としては与党側だが)こういう万年野党体質のジャーナリズムが県民世論を歪んだ形で煽りたて、国と沖縄の分断を作り出しているのだ。首里城火災をめぐる現地発の報道にはこれからも注意が必要だ。国政と県政の対立を背景に、首里城火災という誰もが悲しむ事態ですら、メディアによる不毛な情報戦が起きようとしている。
http://agora-web.jp/archives/2042459.html


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首里城、スプリンクラーなし 推奨も管理者把握せず
11/1(金) 5:04配信 琉球新報

(写真:琉球新報社)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000001-ryu-oki.view-000



 31日火災で焼失した首里城。防災設備は消火器や屋内消火栓、屋内消火栓ポンプユニット、放水銃、ドレンチャー設備などがあったが、スプリンクラーなどの消火設備は設置されていなかった。

那覇市消防局によると、消防法によるスプリンクラーの設置義務はないが、文部科学省は今年9月に文化財にスプリンクラーの設置を推奨する文書を配布した。指定管理者の美ら島財団首里城公園管理部首里城事業課の町田宗紀課長は文書について「把握していない」と述べた。沖縄総合事務局がスプリンクラーなどの消火設備が設置されなかった経緯などについて確認を急いでいる。


 ドレンチャー設備は文化財構造物の屋根下などから水を流して膜を作り、火災を遮断する延焼防止設備。首里城には74個設置されているが、今回稼働したかは分かっていない。放水銃は正殿の正面(西側)に2組、北側、東側、南側に各1組の計5組が設置されているが、今回の警備員による初動対応では使用されなかった。

 那覇市消防局や那覇署によると、火災発生時の敷地内には警備員3人がいた。午前2時34分に正殿の防犯センサーが作動し、警備員が駆け付けると、正殿内で煙が上がっていたという。火災訓練は2018年12月に行われており、今年の訓練も12月を予定していた。消火設備などの点検は19年3月に実施した。その際、設備に不具合や異常などは確認されなかった。

 国宝や重要文化財に指定されている建物は、消防法や文化財保護法に基づく防火対策が義務付けられている。首里城は2000年に世界遺産に登録されたが、復元された正殿などは対象ではなく、防火対策の対象外となっている。首里城正殿などの有料区域は19年2月、国から県に管理が移行された。県は19年2月1日から23年1月31日までの間、沖縄美ら島財団を指定管理者に指定している。施設の所有権者は国で、県は国有財産使用料として年間約2億円を国に支払っている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000001-ryu-oki
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c68

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
12. 中川隆[-11351] koaQ7Jey 2019年11月06日 22:33:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1547]

104名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 15:24:06.51ID:UUWHQC/n

>>24

> クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上
>
> レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上
>
> ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね


モーツァルト判らん奴の音楽批評する自信てどこからくるのですか?

105名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 15:26:58.86ID:UUWHQC/n

ベートーベン信者にしても、
アインシュタインの相対性理論が理解出来ない様に、
自分ごときにはモーツァルトの良さ判らん。って風にはならんのだろか?

客観的にオノレを見て阿呆な批評してるって事にはならんのだろか?

106名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 18:42:50.68ID:XwhnSAK3

音楽は誰でもわかるから優劣が自己判断できるんだよ

量子コンピューターとか MMT とか自分では判断できないから専門家の言葉を信じるけど
音楽の良し悪しは聴けばすぐにわかるからね

録音を聴くのでも昔はレコードが高かったから宇野功芳みたいな批評家の評価を信じるしかなかったけど
今は youtube で只で聴けるから演奏の良し悪しの判断も宇野功芳に頼る必要はなくなった

宇野功芳が今出て来ても相手にされないだろうね。

107名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 18:50:31.67ID:XwhnSAK3

楽譜が読めたり楽器を弾けない人間には音楽はわからないと思ってるアホも多いけど

そもそも原始民族は楽譜なしで音楽を愉しんでいるからね

専門家でも礒山 雅みたいにメンゲルベルクのマタイ受難曲の演奏の価値が全然わからなかったアホがいるし
吉田秀和の演奏評はすべて見当外れだったし

音楽家が音楽を理解できているというものでもないんだ

108名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:05:58.74ID:XwhnSAK3

因みに、クラシックの大作曲家は全員アル中

ジャズやロックのミュージシャンはアル中ではなく麻薬中毒でした。

ジャズやロックは元々、マリファナや覚醒剤とセットになっているんです。
ジョン・レノンやポール・マッカートニーも重度の麻薬中毒者でした:

マリファナが無いと作曲できなかったポール・マッカートニー

ビートルズと薬 ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3011883

109名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:07:52.83ID:XwhnSAK3

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。
多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、
実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。

そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、
「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。

110名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:09:56.12ID:XwhnSAK3

聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。
ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、
ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。
ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。

「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。

111名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:15:04.96ID:UUWHQC/n

>
> > クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上
> >
> > レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上
> >
> > ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね
>
> ↑
むしろ、こいつはブラームスのツラ汚しだろ?
こんな奴に評価されても、
ブラームスは地獄で困った顔してる事だろう。

112名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 19:52:17.00ID:XwhnSAK3

ブラームスは風俗狂いのアル中だろ

他人がどう思うかなんか一切考えていない

フランクがヴァイオリン・ソナタを見てくれと楽譜を渡したのに相手にしなかったし
余程性格が悪かったんだな

大芸術家は人格者じゃないという証明だ

113名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:36:11.75ID:UUWHQC/n

> >
> > > クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上
> > >
> > > レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上
> > >
> > > ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね
> >
> > ↑
とりあえずモーツァルト判らん時点で、音楽判らん奴なんだよ。
ブラームスの良し悪しなんて関係無くな。
モーツァルト判らんって時点でな!

114名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:45:15.21ID:XwhnSAK3

モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ

モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな

115名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:49:01.36ID:XwhnSAK3

モーツアルトの子供の音楽でも演奏で補えば何とか聴けるよな

Mozart: Adagio And Fugue In C Minor, K.546 - Orchestral Version - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JSVFM5cbNHI


Berliner Philharmoniker · Herbert von Karajan

116名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:57:27.31ID:XwhnSAK3

これもこういう名演で聴くと第一楽章だけは子供の音楽ではなくなっているね:

Mozart: String Quartet No. 16 in E-Flat Major, K. 428 I. Allegro ma non troppo - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SxyVR6v9iPY

The Vienna String Quartet

117名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 21:59:04.03ID:UUWHQC/n

> モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ
>
> モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな



モーツァルト判らんコンプレックス炸裂!!
その通り!!
モーツァルト判らんってホンモノの音楽判らんって意味だからな!
ムキなるのは当然だな!
ブラームスかつぎ上げてモーツァルトに対抗して、
モーツァルト判らんゴミ脳の自分を慰めてろ!

118名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:01:04.45ID:UUWHQC/n

ブラームスはモーツァルトを神の様に崇めていた。

ブラームスをかつぎ上げてモーツァルトを貶すって!
自分は音楽判らんゴミ脳自覚してる様なもんだろ?
音楽批評辞めた方が善いぞ?
恥さらしめ!

119名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:02:27.13ID:XwhnSAK3

これも演奏がいいから子供の音楽ではなくなっている:


String Quartet No. 18 in A Major, K. 464: IV. Allegro non troppo
Budapest String Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=pObFoi6ecpc

Capet Quartet - Mozart String Quartet #19 K.465 Dissonanzen 1st & 2nd Mvt (1928) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aNZHcLE5t3A

120名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:04:44.74ID:UUWHQC/n

モーツァルト判らコンプレックスで
そのホンモノの音楽判らん悔しさでブラームスかつぎ上げてモーツァルトに対抗、抗議するホンモノの音楽判らんゴミ屑のスレッド!!

121名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:05:42.38ID:XwhnSAK3

>ブラームスはモーツァルトを神の様に崇めていた。


ブラームスはユダヤ人の息子で母親が47歳の時の子供
子供の時からキャバレーや売春宿でピアノを弾いていたから名の有る大作曲家が眩しく見えただけだろ

122名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:08:09.96ID:XwhnSAK3>>124

バッハもビバルディやテレマンを神の様に崇めていたけど、バッハの方が上だろ


123名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:09:20.77ID:UUWHQC/n

> モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ
>
> モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな


これをくちにしてしまった奴は、
2度と音楽愉しめないよな?
ホンモノの音楽が未来永劫判らんと言ったも同然だよな?

124名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:17:21.72ID:UUWHQC/n
>>122

> バッハもビバルディやテレマンを神の様に崇めていたけど、バッハの方が上だろ


思い込み激しい女レベルの発言。

ブラームスとモーツァルトなら圧倒的にモーツァルトのが格上。
それは、ブラームス自身も知ってる事。

総合的に見れない阿呆自覚無い奴。

まぁモーツァルト判らんってホンモノの音楽判らん事を意味してるから認めたくないって事もあるんだろな?

125名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:26:47.15ID:XwhnSAK3

モーツァルトを聴く気になるのはこういう凄い演奏がある場合に限られるよ
ドン・ジョバンニでも他の演奏では聴く気が全く起きないからね:

Don Giovanni - 1954 Salzburg Festival - Wilhelm Furtwangler HD - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=i7Teu60nNYc

DON GIOVANNI - Ezio Pinza, dir Bruno Walter, Met 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XS3z2yeNpqg

126名無しの笛の踊り2019/11/06(水) 22:29:19.62ID:XwhnSAK3

>ブラームスとモーツァルトなら圧倒的にモーツァルトのが格上。

35歳で死んだ人間はどんな天才でも大人の音楽は書けないんだよ

ブルックナーの音楽は70歳を過ぎないと書けないんだ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c12

[リバイバル3] モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く 中川隆
7. 中川隆[-11350] koaQ7Jey 2019年11月06日 22:37:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1548]
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ の二大名演


Don Giovanni - 1954 Salzburg Festival - Wilhelm Furtwangler HD - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=i7Teu60nNYc

Don Giovanni - Cesare Siepi
Leporello - Otto Edelmann
Donna Anna - Elisabeth Grümmer
Donna Elvira - Lisa Della Casa
Don Ottavio - Anton Dermota
Zerlina - Erna Berger
Masetto - Walter Berry
Commendatore - Deszö Ernster
Wiener Staatsopernchor; Wiener Philharmoniker
cond. Wilhelm Furtwängler
dir. Herbert Graf; film dir. Paul Czinner

____

DON GIOVANNI - Ezio Pinza, dir Bruno Walter, Met 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XS3z2yeNpqg


Metropolitan Opera
Matinée Broadcast
7th March, 1942

Don Giovanni - Ezio Pinza
Donna Anna - Rose Bampton
Don Ottavio - Charles Kullman
Donna Elvira - Jarmila Novotna
Leporello - Alexander Kipnis
Zerlina - Bidú Sayão
Masetto - Mack Harrell
Commendatore - Norman Cordon

Conductor - Bruno Walter

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html#c7

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
13. 中川隆[-11349] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:06:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1549]

127名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 05:22:49.50ID:Dq2eYksv

> >ブラームスとモーツァルトなら圧倒的にモーツァルトのが格上。
>
> 35歳で死んだ人間はどんな天才でも大人の音楽は書けないんだよ
>
> ブラームスやブルックナーの音楽は70歳を過ぎないと書けないんだ



モーツァルト判らんって事は伝わってくるわ。
思い込み激しい新興宗教狂い女レベルの発言だな。
まぁ、ニセモンの音楽を悦ぶフリしてたら良いわ。
未来永劫ホンモノの音楽判るまい。

128名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 05:29:27.89ID:Dq2eYksv
>>123

> > モーツァルトが子供の音楽だというのは良くわかってるよ
> >
> > モーツァルトでいいのはドン・ジョバンニだけだな
>
> ↑
これをくちにするモーツァルト判らんコンプレックスが、悔しくてブラームスかつぎ上げてモーツァルトに対抗、抗議するスレッドだな。
モーツァルト判らん奴の音楽批評なんて誰も聞かないのにな。
空気読まずに、モーツァルト判らんコンプレックス由来のブラームス引き合いに出してくちにする音楽ではなく音憎になってしまった。愚か者。

アインシュタイン、ショパン、
ドボルザーク、マーラー、俺、などモーツァルト判る人間の境地に未来永劫到達しない。音楽判らんコンプレックスを攻撃に変えた哀しい奴!!

129名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 08:04:37.58ID:XTHFK800

モーツァルトの書いたオペラは、メロディーは確かに綺麗だけど、品が無く騒々しくてガキの恋愛ごっこという感じ

LE NOZZE DI FIGARO 29-01-1944 Directore Bruno Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jwJtrqkHB8k

Die Zauberflöte 3-3-1956 English MetOpera (Sullivan, Uppman, Amara, Peters, Hines - Walter) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ

一方、モンテヴェルディが75歳で書いた『ポッペーアの戴冠』(1642年)は奇跡的な美しさと気品の高さ:

L'Incoronazione di Poppea. Claudio Monteverdi (1567 - 1643) - YouTube
René Jacobs Concerto Vocale
https://www.youtube.com/watch?v=5uPCSwdlp80


35歳で死んだ人間はどんな天才でも大人の音楽は書けないんだよ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c13

[リバイバル3] モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く 中川隆
8. 中川隆[-11348] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:11:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1550]
LE NOZZE DI FIGARO 29-01-1944 Directore Bruno Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jwJtrqkHB8k


LE NOZZE DI FIGARO 29-01-1944 Directore Bruno Walter

Il Conte d’Almaviva John Brownlee
La Contessa d’Almaviva Eleanor Steber
Suzanna Bidu Sayao
Figaro Ezio Pinza
Cherubino Jarmila Novotna
Marcellina Ira Petina
Bartolo Salvatore Baccaloni
Directore Bruno Walter


____

Die Zauberflöte 3-3-1956 English MetOpera (Sullivan, Uppman, Amara, Peters, Hines - Walter) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ


Die Zauberflöte - Mozart
(In English)

Metropolitan Opera
Matinée Broadcast
3rd March, 1956

Tamino......................Brian Sullivan
Pamina......................Lucine Amara
Königin der Nacht.....Roberta Peters
Sarastro....................Jerome Hines
Papageno..................Theodor Uppman
Papagena..................Laurel Hurley
Monostatos...............Paul Franke
Speaker.....................George London
Erste Dame...............Heidi Krall
Zweite Dame ............Madelaine Chambers
Dritte Dame...............Sandra Warfield
Genie.........................Emilia Cundari
Genie.........................Rosalind Elias
Genie.........................Margaret Roggero
Priest........................James McCracken
Priest.........................Osie Hawkins
Guard........................Albert Da Costa
Guard.........................Louis Sgarro
Slave..........................Henry Arthur
Slave..........................John Frydel
Slave..........................Hal Roberts

Conductor.................Bruno Walter



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html#c8

[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
28. 中川隆[-11347] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:22:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1551]

2019年11月07日
財務省発表「過去最大の借金1103兆円」の大嘘

これでもかと借金を多く見せて増税させようとする財務省

引用:http://www.marketnewsline.com/news/images/201505081803.jpg


財務省発表の借金

財務省は19年3月末時点の日本の借金が合計1103兆円となり、去年より15兆円増加し過去最大になったと発表しました。

また国民1人当たりの借金は885万円に増え、去年より7万円増加しました。


内訳は政府発行の日本国債が1000兆円程度、銀行借り入れ数十兆円、政府短期証券が約75兆円などとなっている。



2019年度政府予算の32.2%は借金に頼っており、新規国債発行額は32兆6598億円だった。

返済できる見込みは全く無く、消費税を20%にしても増加する借金に追いつかないという試算が出ている。

これでもかと危機を強調し、財務省の言葉を信じれば、日本は滅亡するしかない。

ところがこれらの財務省発表は、全てが嘘なのです。


政府短期証券75兆円

政府短期証券とは一時的な資金不足を補うために発行する短期の国債で60日から90日満期となっている。

ほぼ100%為替介入で使われた資金の支払いに当てられ、為替介入以外使い道は無い。


政府短期証券は為替介入の資金として使われる事になっているが、2012年の野田政権以降1円も為替介入してはいません。


にも関わらず短期証券が急増している理由は「米国債から金利収入が発生すると、同じ金額の短期証券を発行しなければならない」という規則があるからです。

この規則がある理由は専門的すぎるが、要は借りる必要が無い金を借りて、3ヵ月後に返済する行為を続けている。

借金には違いないのだが、規則上借りているだけなので、これを『国民の借金』というのは筋違いです。


財投と建設国債424兆円

財政投融資残高は約142兆円とされていて、いわゆる特殊法人などの財源に使われた。

特殊法人が使った金は『国民の借金』ではなく、特殊法人が払うべきものです。

もちろん国の機関ではない組織の借金を『国民の借金』に含めているのは日本だけです。

建設国債残高は復興債を含めて約282兆円台だが、建設国債を『国民の借金』に含めているのも日本だけです。


高速道路や新幹線、橋やダムなど、何かを建設すると日本の資産になり経済効果があり税収が増えます。


高速道路料金や揮発油税など建設した後で徴収できるものも多く、建設国債は原理上絶対に増えないのです。


例えば東京オリンピックの建設費を建設国債で支払うと、20年後には投資した以上の税収になって戻ってきます。

バブル崩壊後に「財政悪化は公共事業が原因」と叩かれたが大規模事業を連発していた時代は借金が少なく、公共事業を辞めてしまってから日本の借金が急増しました。


赤字国債は614兆円だが

残りの614兆円ほどは赤字国債(特例公債)で、10年前の356兆円から258兆円増加しています。

原因は予算の浪費ではなく、1990年以降の低成長で税収が減少して赤字国債で賄ったからでした。

しかし安倍政権が発足し金融緩和を行い、日本銀行が国債を買い取っています。


黒田総裁の追加緩和(バズーカ砲)によって年50兆円から80兆円まで国債買い入れ額を増やした。

日銀の長期国債保有残高は2019年3月末時点で459兆5862億円で、日本政府が発行した長期国債は財務省によれば建設国債を除いて約580兆円でした。


政府が発行した580兆円の国債の480兆円を日銀が買い取ったが、日銀と言うのも日本政府の一部門です。

日本の通貨を発行しているのは日銀(財務省)なので、自分で発行したお金を自分に支払うだけです。


日本政府が金利を払うのは日銀が保有していない110兆円分の金利だけで、日銀は償還されてもまた国債を買うので政府は払わなくて良い。


それなら日銀が全額国債を買い取れば、日本政府は借金を返さなくて良いと言うのがMMT理論です。

これは極端な仮定であって黒田総裁はそこまでしないだろうし、いつかは金融緩和を止めるかも知れません。


だが政府がゼロ金利の50年国債などを発行し日銀が買い取ると、政府は事実上借金返済から解放される。


『国民の本当の借金』は多く見ても400兆円台、日銀の買い入れ金額を除けば110兆円でしかない。


アメリカや欧米式の計算方法では、日本の借金はGDP比80%未満というところです。

財務省発表の1000兆円超という金額は、増税をして官僚の権力を強めたいという理由で言っているように見える。
http://www.thutmosev.com/archives/29738041.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c28

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
213. 中川隆[-11346] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:32:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1552]

ついに来たバブル相場。逃げる準備をしながら「株を買うしかない」投資家たち=斎藤満 2019年11月6日
https://www.mag2.com/p/money/814652


80年代後半に日本でバブルが弾け、その10年後には米国でITバブルが弾け、それから10年もしないうちにリーマン危機が起きました。あれから10年、今静かにまたバブルの様相が広がりつつあります。

【関連】近づく令和大恐慌と「預金封鎖」なぜアメリカのために日本国民が血を流すのか?
https://www.mag2.com/p/money/792280


※本記事は有料メルマガ『マンさんの経済あらかると』2019年11月6日の抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。

何が「蜂の一刺し」になる?静かにバブルの様相が広がっている…

バブルは繰り返す

80年代後半の日本で盛り上がったバブルが弾けた後も、その10年後には米国でITバブルが膨れ、そして弾け、それから10年もしないうちに米国では不動産バブルが膨らみ、これが弾けてリーマン危機、世界的金融危機が生じました。

あれから10年、今静かにまたバブルの様相が広がりつつあります。


先月27日、フランスの家庭の台所で見つかった中世絵画が、パリのオークションでなんと29億円で落札されました。これはイタリア・ルネッサンス期にフィレンツェ派のチマブーエが描いた「嘲笑われるキリスト」で、これまで中世絵画にはあまり高い値は付きませんでした。この29億円という価格は中世絵画では最高の値と言います。

株式市場でもバブル的な様相が見えるようになりました。

米国では景気の先行き不安が出ても「パウエル・プット」で、つまり金融緩和期待で株が買い上げられ、FRBが利下げ終了を打ち出しても、先週末には強い雇用統計もあってダウもS&Pも最高値を更新しました。

恐怖指数と言われるVIX指数も12台まで低下しています。4日には3指数ともに最高値を更新したので、市場では一段高の期待が高まっています。

東京市場でも5日には一時日経平均が2万3千円を回復、年初来高値を更新しました。決算発表を控え、一部に業績悪化の懸念も伺えますが、業績悪化でも「底入れ」として買い上げる動きも見られます。日本の低成長下でも株価は堅調で、業績悪化でも買う理屈付けに熱心です。

VIXからはまだ楽観論が広がる余地はありますが、景気や企業業績悪化の割には、株式市場の強気が目立つのも事実です。

金利が焼き尽くされた

こうした背景には、世界の金融市場から「金利」が消滅しつつあることも大きな要素になっています。

一時はマイナス金利の国債が世界に17兆ドルもありました。日本ではプラスの金利を得ようと思えば、国債なら超長期しかありません。これとて0.3%台まで低下すると、1%以上の直利が欲しい生保には足りません。

日銀の黒田総裁も、さすがに超長期金利の下がりすぎは好ましくないとの考えを示しました。これで市場も長期、超長期の金利低下を多少修正したのですが、先週の「決定会合」ではフォワード・ガイダンスに長短金利の一段低下の可能性を書きこみ、このためにまた長期金利が低下してしまいました。生保や年金など金融機関の運用は一段と厳しくなりました。


世界的な低成長、低インフレが大きな要因ではありますが、世界の中央銀行が非伝統的な資産の買い入れやマイナス金利政策を打ち出したことも、世界の金利を焼き払う役割を果たしてしまいました。


銀行はリスク融資傾斜

市場金利が世界的に消滅してしまった世界では、少しでも金利の付く商品を求めて「イールド・ハンティング」が進みます。

銀行は貸出金利が低下しているため、市場で資金調達できる大企業向けの貸し出しが困難になります。そこで、市場で資金がとれない信用力の低い企業か、個人向けの融資に傾斜します。

日本では地銀が住宅ローン、アパート・ローンに集中しすぎたため、不動産市場で過熱気味となり、不動産供給が増えすぎて家賃の低下を招き、借り手が家賃収入でローンの返済ができなくなる事態も発生しています。

また、メガバンクなどは米国市場で投資不適格企業向けの「レバレッジド・ローン」を急速に拡大し、リスクが高まっています。

米国市場の「レバレッジド・ローン」残高はすでに6,000億ドルを超えてきましたが、邦銀の伸びが欧米銀行を上回っています。少しでも金利の付く融資に飢えている姿が見て取れます。

ジャンク、CLOに投資せざるを得ない?

有価証券運用でも、日本や欧州では国債の多くがマイナス金利となり、金利収入が得られません。金利を得るには、期間のリスクをとって超長期の債券を購入するか、クレジットの低い債券、例えばジャンク・ボンドなどに投資するしかなくなります。


その点、日本の超長期国債でも十分な金利が得られなくなりました。

このため、投資家はいやでもリスクを取らざるを得なくなりました。かつてサブプライム・ローンを核にした資産担保証券で多くの投資家がやけどを負いましたが、今またこれに似たCLO(ローン担保証券)への投資が増えています。

このCLO、格付けがトリプルAのシニア債もあり、日本の機関投資家はこの高格付け債を購入しているようですが、原債権が低格付け企業向けの貸し出しで、もともと大きなリスクがあります。

日本の機関投資家は積極的にこのCLOを購入し、農林中金、三菱UFJ、ゆうちょ銀行で都合10兆円以上のCLOを保有しています。

金利収入を得ようと思えば、これまで以上に大きなリスクを取らざるを得なくなっています。


日銀は10月の「金融システムレポート」で、こうしたリスクが大きくなっていること、そのリスクに見合ったリターンが得られるのか、不確定との見方を示し、行き過ぎたリスクに警鐘を発しています。


株式投資がやっぱり有利?

こうしたリスクの大きな債券への投資に向かわざるを得ない環境の中で、やはりリスク商品でもある株式投資が、相対的に有利と見なされるようになりました。

ジャンク・ボンド、CLOはいざという時の価格下落リスクが大きいのに対し、株が相対的に安全で有利と映るようになっています。

安全な債券の利回りと株の益回りと比較すれば、株がまだ優位にあり、株の配当利回りも3%を超えるものがざらにあります。このため、本来、株式市場に逆風となる材料、例えば円高になったり、景気指標が悪化したり、決算が下振れしたりしても、株価が打たれ強くなっています。

半導体や中国関連銘柄では、業績が悪化しても「底入れ」期待を材料にむしろ株が買われるケースも散見されます。

80年代後半のように、借金をして株や不動産投資に走ったバブル期とは様相が異なりますが、他に投資対象がなくなり、「株を買うしかない」という静かなバブルが醸成されつつあります。

逃げる準備をしながらバブルに乗るしかない

従来、バブルを弾けさせる原因となった利上げ、引き締め、規制強化は当面考えにくく、その分バブルがさらに膨らむ余地はあります。


しかし投資家は、景気や収益の裏付けと株との乖離が大きくなれば、「バブル」の意識を頭の隅に置いておく必要があります。

つまり、逃げる準備をしつつ、バブルに乗るしかなさそうです。

何が「蜂の一刺し」になるかわかりません。トランプ大統領の攻撃、日本の政局にも目配りが必要です。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c213

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
214. 中川隆[-11345] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:36:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1553]

近づく令和大恐慌と「預金封鎖」なぜアメリカのために日本国民が血を流すのか? 2019年10月20日
https://www.mag2.com/p/money/792280



戦後の日本を金融植民地にしている国際金融資本が、「そろそろですな」と日本側のカウンターパートである財務省、財界、金融財閥に目くばせしたとき、預金封鎖のトリガーは引かれます。「デフォルトは起こるものである」との前提で考え方を改め、何が起こっても動じることのないよう、生活を組み立て直す必要があるのです。

預金封鎖の兆候を見逃すな。日本政府はあなたの資産を守らない

国内での海外送金チェック、より厳重に

先週、銀行の国際部・外為センターから一通の確認書が郵送で送られてきました。米国のメガバンクから私宛の海外送金が完了したことを示す送金計算書です。

「たいした額でもないのに、なんとも仰々しい」……いったい日本の金融機関で何が起ころうとしているのだろうか?

ある確信を持って、この記事を書くことにします。


海外の法人向けの仕事の対価としてドル→円で振り込まれるのですが、そのときに銀行は本人確認のために受取人に対して電話をします。

米国の銀行の場合、小切手を例外として、比較的少額の海外送金(振り込み)については直接銀行が振り込むのではなく、振り込み専門を業務とするペイメント・プロバイダーを通じて行われます。

あらかじめ、そのプロバイダーから海外送金を実行する旨を通知するメールが来ていたのですが、受け取り手の日本の銀行で「待った」がかかったのです。

日本の銀行までは届いているのですが、その銀行がペイメント・プロバイダーが指定する口座に振り込む前に、日本側で口座名義人に対して、今まで以上のチェックを行うよう金融庁から通達を受けているのです。

以前、海外送金を受けたときも、日本の銀行から本人確認の電話を受け取ったのですが、わずか20秒程度の会話で「確認が取れた」と言ってきました。

しかし、今回は、銀行の担当者も微に入り細にわたり訊いてきて、かなり厳重なチェックを受けることとなりました。

長電話になることを覚悟して、相手にじっくり説明すれば事足りるのですが、逆に「これはいい機会だ」ということで、直接、銀行に出向いて担当者に会うことにしました。

大義名分は「マネーロンダリング対策」だが…

銀行の担当者の話によれば、「海外から送金を受けるすべての口座保有者に対して、マネーロンダリングの疑いがないかどうか確認するための聴き取り調査をするよう金融庁から求められている」とのこと。

担当者との会話の内容は公開できませんが、「こんな少額なのにマネロンとか、なんと大げさな」と内心では呆れ果てながら、銀行の担当者の疲弊し切った表情をがうかがうと気の毒にも思えてきます。

もちろん、金融庁の狙いは、受取人個人に対してというより、海外からの不正送金の手伝いをしている金融機関のあぶり出しです。

つい最近まで、関東の地銀が北朝鮮への送金を引き受けていたことが分かりましたが、こうした案件ひとつひとつを把握しておきたいという当局の狙いは、「朝鮮半島有事に備える」ことであるはずです。

北朝鮮への送金などに使用されている口座を全凍結した場合、どれほどの経済的ダメージを与えることができるのか……円の兵器化の可能性を模索しているものと推察されます。

預金封鎖は「ある晴れた朝、突然、起こる」

さて、もうひとつ重要なことがあります。

日本でドル建ての小切手(外国小切手)の取り立て(円に両替した後の現金化)サービスは、すでSMBC信託銀行などの外為投資を取り扱っている金融機関以外では事実上廃止されました。

メガバンクでは今年の春頃から1行、また1行というように徐々にサービスの停止が発表され、地銀でも6月28日をもって完全に終了しました。

金融庁のこうした措置は、キュッシュの国際間の流れ(トランザクション)を追跡したいとする金融当局のDNAから出てきたものですが、ここまで厳密に行うというのは少し異常です。

意外にも、その銀行の担当者は「政府のデフォルトの可能性」について私に水を向けてきましたが、私の方としては、それで十分です。

政府の債務不履行の可能性について、各々の金融機関内部でも話題になっているということが確認できたからです。

しかし、私の不安は別にあります。

「最近の金融庁の動きから察するものがありながら、日本の銀行はデフォルトのプロセスについて理解していない」ということが明確に分かったことです。

したがって、金融機関は、それが民間であろうと公的機関であろうと、「あなたの預貯金、資産を守らない」ということです。

政府が日本中の銀行に「明日、数日後に預金封鎖を行うように」と指示すれば、彼らは黙ってそれに従うでしょうから。

銀行は、あなたが億万長者でもない限り、事前に通知するなどしません。それは、村上春樹の小説のように、「ある晴れた朝、突然、起こる」のです。


ですから、「かもしれない」ではなく、「デフォルトは起こるものである」との前提で考え方を改め、何が起こっても動じることのないよう、生活を組み立て直す必要があるのです。

「100年債」の発行を計画するアメリカ

米・連邦準備制度理事会(FRB)の利下げ決定によって、世界中の中央銀行がいっせいに量的金融緩和に逆戻りしています。<中略>

9月12日、欧州中央銀行(ECB)がFRBに続いて利下げを行いました。ただし、現行のマイナス0.4%からマイナス0.5%へのマイナス金利の深堀り(拡大)です。

米国は、まだ1.8〜2.0%のプラスの金利ですから、利下げの余地はあります。

それでも、米財務長官のムニューシンは、100年債の発行に踏み切る計画があることを明かしました。

すでに50年債の発行が具体的な工程に入っていますが、その上で、米国が存在しているかどうかも分からない100年後に満期を迎える超長期債券の発行を真剣、かつ具体的に検討しているというのです。

22兆ドルもの返済不可能な巨大な債務を抱え、実質的には、すでに破綻している米国の財政リスクを軽減するためだとか……。


元本が返済されない(償還されない)国債など、いったい誰が買うのでしょう?10年、あるいは20年後には「永久国債」と名前を替えたうえ、無利子国債に転換されてしまうでしょう。

つまり、米国民の富がFRBによって「凍結」されるのです!

“踏み倒し国債”を買わされるのは日本

いや、50年債だの100年債だの、おだを上げるのは勝手ですが、日本の現政権の売国イエスマンぶりからわかるように、米国の植民地、いや、国際銀行家の忠実な奴隷である日本に強引に買わせようとしていることは明らかです。

米国債の国別保有残高を見れば、それが、すでに始まっていることが分かるでしょう。

トランプ政権になってから、日本政府は米国債を少しずつ売って米国債の保有残高を減らし、その保有残高では第一位だった日本と第二位だった中国が逆転して、しばらくの間、中国が第一位でした。

しかし、日本の米国債の保有残高は、2018年10月の最低残高1兆185億ドルを境に再び増え続け、直近の7月のデータでは1兆1308億ドルと、111%も増えているのです。10月には、さらに増えているでしょう。

反対に、中国は米中貿易戦争への対抗措置を口実にしながら、米国債を少しずつ売り崩して米国政府に脅しをかけ続けています。

しかし、中国はドルが安いときに、膨大な額のドル建ての借金をしているので、それを返済する意思を世界に示すためにも、これ以上、米国債を売ることは難しいでしょう。

この間、円は対ドルで113円台から107円台と、円高ドル安が進んだので、日本の米国債の保有残高が111%に増えても、実質的な価値はほぼ同じです。


つまり、その価値は日本から米国に流れたということなのです。

米国債は実質的に紙クズ

トランプ政権によるいいかがりによって、この調子で、さらに日本が実質的な紙クズである米国債を買わされることは明らかです。

しかも、今度は「50年債を買え、100年債を買え」です。

断定しますが、50年どころか30年もしないうちに、米国は影も形もなく消滅しています!

行数が足りないため、詳しく書くことができないのは大変口惜しいのですが、ビルダーバーグ会議と米国を実質的に運営している陰の政府、外交問題評議会(CFR)グループは、「米国という国家の廃止に向けて」加速度を上げてスケジュールを前倒しにしています!

「米国の終焉」は、それが建国された時点で決まっていたということです。これは、世界の運営方針を勝手に決めているビルダーバーグ会議で10年以上前に再確認され、合意がとれていることです。

さらに日本でも「永久債」を発行か

満期償還期限の定めがなく、保有者からの償還の要求を受け付けず、場合によっては無利子扱いされる可能性がある債権のことを「永久債」と言います。


永久債の歴史は古く、280年前のフランスに遡ります。

やや遅れて、1751年に、英国でも国債の一種であり、永久公債の典型として挙げられているコンソル公債が発行されています。

比較的最近では、アルゼンチン、メキシコなどが金融危機を回避するために発行しましたが、今年1月に、中国の中国農業銀行などの金融機関も、こぞって永久債を発行を決めました。

中国の場合、永久債の90%は国や地方の資本が入っている公的企業によって発行されているので、「永久国債」と呼ぶべきなのですが、投資家たちに説明が不十分のまま見切り発車してしまったためか、さっそく早期償還に応じない企業が出てきたようです。

これは、CDSやレバレッジド・ローン、CLO、ハイ・イールド債と並んで、今後は債券暴落に誘導するほどの大きな問題になるでしょう。

政府が発行する永久国債は、実質的にFRB元議長のバーナンキが日本を実験台にしようとして果敢に推奨しているヘリコプター・マネーと同じような性質を持っています。

永久債とは、国や企業などが資金調達を行うために発行する、あらかじめ元本の満期償還の規定が定められていない債権の総称です。

発行主体(政府や企業)が、満期、あるいは一部の償還を言い出さない限り、永久債の保有者の側からは償還を要求することができない、という、ほとんど事業体への出資金と同じ株式の性格を帯びていますが、本質は借金なので、あくまでも債券です。


もっとも「永久債」を発行する計画は、日本でも動き出そうとしています。


「もはや飽和点に達しつつある」元日銀審議委員の見解

日経新聞(2017年8月17日付)のオンラインは、元日銀審議委員の中原伸之氏にインタビューしたときの記事をアップしています。記事の要点は以下のとおり。


日銀の国債保有残高は、すぐに500兆円を突破する。もはや飽和点に達しつつあり、将来、バブル崩壊などが起きた場合、対処できなくなる。

そこで日銀は、財政出動と金融政策の融合を考えなければならない。

つまり、日銀が保有する国債の一部を無利子の永久国債に転換して、利払いの負担から自由にしておかなければならない。

そうすれば、償還の必要がなくなるので、政府には新たな建設国債を発行する余地が生まれる。

それを、たとえば地震に備えて国土強靭化計画を進めるための財政出動に使うのである。

そのために償還期限が60年の建設国債を発行して、これを民間銀行に引き受けてもらってから、日銀は市中から、これを購入すればいいのである――

一見して理屈が通っているように見えますが、大きな間違いが含まれています。「無利子の永久国債など存在しない」ということです。

国債の償還を無期限(本質的には「借りたものは俺のもの。永久に返えせん!」ということ)にすることはできますが、市場原理における金融秩序を守ろうとするなら、政府は実質的な利払いから逃れられないはずなのです。

政府が国債を発行しておきながら、利払いを拒否できるのは、日本が資本主義を終わらせて共産主義の国になった場合だけです。

それは、私が数年前から言ってきたように、「中央銀行と政府が統合された世界政府を頂点とする独裁政治」。世界政府なので、各国の政府と主権は奪われます。つまり、国単位の政府がなくなるのです。

「元本を返さないようにすればいい」東大大学院教授の開き直り

同じように、元財務官僚(旧大蔵省に入省)で東京大学大学院客員教授の松田学氏は、「赤字国債発行残高のうち300兆円分を今後10年かけて消し去る。具体的には日銀保有国債が満期を迎えるたびに、これを永久国債に転換すればいい」と主張しています。


つまり、すでに「発行済みの国債の満期が来ても、元本を返さないようにすればいい」と言っているのです。

彼は、2009年に、藤井厳喜(国際問題アナリスト)氏とともに『永久国債の研究』を共著で出版しています。

共著とはいえ、全体の6割以上、永久債の理論編のすべてを書いているので、実質的には松田氏の著書と言ってもいいでしょう。

この『永久国債の研究』の四六判(絶版)は、一時、10万円の値がつくほど人気化しました。


本人の弁によると、きっかけは「バーナンキ元FRB議長が、非公式に首相官邸と日銀を訪れてヘリコプター・マネーの導入を薦めたとき、永久国債にも言及した」とかで、気を良くしているようです。

麻生財務大臣の「心変わり」

バーナンキのヘリマネにアレルギー反応を示したのは、麻生財務大臣です。

平成28年6月14日「麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要」の中で、「バーナンキのヘリマネについて、どう思うか」との記者の質問に対して以下のように答えています。


ヘリコプターマネーというのが一時期、いつ頃でしたか、中川秀直先生や竹中平蔵先生を含めていろいろ言っておられましたし、あの頃も日本銀行が30兆円のお金を出しましたが、市中銀行までお金は行くのですけれども、そこから先、市中からお金が広がらないということは既に証明済みですし、今現在でも問題なのは、お金があるないという話ではなく、実体経済における需要の絶対量が不足しているところが問題なのですから、そういった意味で金利を安くしたからといって特に需要がなければ、そのお金は生きてこないというのは、これまでで既に証明は終わっていると思いますけれども――

つまり、ヘリマネをやっても経済は浮揚しないと結論付けているわけです。

しかし、最近になって、松田学氏の熱意ある説得に心を動かされたのか、超・長期国債もやむなし、と考え方を変えたようです。

なにしろ、「満期が来ても償還しない」というのですから、やがて日本の債券市場は流動性を失って、完全にブラックボックス化することは明らかです。

その上、場合によっては無利子にして利払いまで拒否すればいい、というのですから、いったい誰が買うのでしょう。


ですから、必然的に、すでに議論沸騰の貯蓄税や法人税100%などが適用され、相続税対策のために無理やり買わされる、というようなことが起こるはずです。

つまり、絞っても一滴も出なくなるまで、国民の富を搾り取るのが永久国債です。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c214

[お知らせ・管理21] 2019年10月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
263. 中川隆[-11344] koaQ7Jey 2019年11月07日 08:43:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1554]
阿修羅掲示板でアラシ、アラシと騒いでるのは所謂「正義マン」


「正義マン」とは


軽減税率、食料品の場合、お店で買って自宅で食べるといった場合には適用されますが、お店にイートインコーナーが併設されている場合にそこで食べていくといった場合には適用されず、10%の税率が課されることになっています。どちらになるのかは、支払い時に店員が確認し、それに対するお客さんの自己申告によるわけですが、持ち帰りと言っておいてやっぱりイートインコーナーで食べていくというお客さんも、当然中にはいるわけです。

こうしたお客さんを、ネット上では「イートイン脱税」と呼んで揶揄し、そうしたお客さんの行為を店員に知らせる「良心的」な人のことを「正義マン」と呼ぶようになっているようです。

 本来非難されるべき対象は、「イートイン脱税」をした人ではなく、2度もの増税を強行した現政権であり、財政健全化を金科玉条に、そうせざるを得ない状況に追い込んでいった財務省であり、先の参院選で増税反対を掲げられなかたどころか、緊縮脳、増税やむなし脳にいつまでも縛られている多くの野党のはずです。ところが重箱の隅をつつくかのように一般庶民を別の庶民が揶揄する。新たな分断が生じていると言ってもいいかと思いますが、そんな状況を創り出した財務省の増税推進プロパガンダは、皮肉をたっぷり込めて、お見事としか言いようがありませんね。それに「正義マン」って、その正義いずくにありや。単なる自己満足のための密告者ではありませんか。冷戦下の旧東側の密告者か、はたまたナチスドイツ占領下のフランスにおけるナチスへの密告者、「正義マン」なる連中はそれと同じだ、というレッテルを、剥がれないようにしっかりと貼ってあげましょう。

詳細は

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/669.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/570.html#c263

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
14. 中川隆[-11343] koaQ7Jey 2019年11月07日 09:05:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1555]

130名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:03:08.60ID:NIC+VnVV
>>129
モーツァルトは今でいうメンヘラか下品なギャルが好む音楽だろうな

131名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:04:48.94ID:XTHFK800

因みに、モーツァルトは子供向けの音楽だから小学生でも、赤ちゃんでも、犬や猫でも理解できる。

一方、ブラームスやブルックナーみたいな大人の音楽は大人にしかわからない

それから、バルトークを犬に聴かせると不安な様子になってワンワンと吠え始める

犬や猫でも理解できるのはモーツァルトみたいな子供向けの音楽だけなのさ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c14

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
15. 中川隆[-11342] koaQ7Jey 2019年11月07日 09:38:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1556]
132名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:37:06.98ID:XTHFK800

オペラでもオーケストラ曲でもピアノ協奏曲でもモーツァルトよりはバルトークの方が上だね


Bartok - Bluebeard's Castle - Boulez - Norman - Fried - Paris 2006 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CxbhDLGOMPg

Bartok Der wunderbare Mandarin - Boulez Wiener Philharmoniker (1992 Movie Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PpYMNBGWjaM

Bartok Concerto for Piano no. 2, Sz. 95 (Anda, Fricsay, RSO) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=40Ewxm9dFJM


モーツァルトは音楽がわからない人でもBGM的に愉しめるというのが人気の秘密なんだ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c15

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
16. 中川隆[-11341] koaQ7Jey 2019年11月07日 09:49:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1557]

133名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 09:47:57.07ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を同じピアニスト・指揮者で比較してみれば誰でも


ブラームス >> ベートーヴェン >>>モーツァルト

という評価になるよ:


Wilhelm Backhaus- Brahms Piano Concerto No. 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D3k2a4Gi0Fc

Wiener Philharmoniker
Conductor: Karl Böhm

____

Mozart - Wilhelm Backhaus, August 2, 1960 (Live) Piano Concerto No. 27 in B-flat major, K. 595 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MAwoOdmQ8T0

Wiener Philharmoniker
Conductor: Karl Böhm

____


Wilhelm Backhaus plays Beethoven, Piano Concerto No.4 - Karl Bohm, Wiener Symphoniker (1967) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=WP3OfvqpgCw

WILHELM BACKHAUS, piano
Wiener Symphoniker
KARL BOHM, conductor
Recorded at Studio Rosenhugel, Vienna, 3-9 April 1967
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c16

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
17. 中川隆[-11340] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:02:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1558]

134名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:01:59.83ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノ曲を同じピアニストで比較してみれば誰でも


ベートーヴェン >> ブラームス >>>>>モーツァルト

という評価になるよ:


Brahms, Six Pieces, Op 118, Backhaus - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Q8VvNPqXikM


W. A. Mozart : Piano Sonata in A Major, K331
Wilhelm Backhaus - The Last Recital - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=F1jjB7TrS1E


ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111 バックハウス 1961 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uyk6g0wnJQE
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c17

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
18. 中川隆[-11339] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:29:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1559]
138名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:27:07.35ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのヴァイオリ・ソナタを同じヴァイオリニストで比較してみれば誰でも

ブラームス >> ベートーヴェン >>>>>モーツァルト

という評価になるよ:

Brahms - Violin sonata n°1 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0La39ga0v-c

Brahms - Violin sonata n°2 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDoYFyI0EVE

Brahms - Violin sonata n°3 - Busch - Serkin 1939 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3EetVzuubko

Adolf Busch & Rudolf Serkin - Beethoven Violin sonata No.5 in F op.24 Spring (1933) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JrNQrxMxZpk

Adolf Busch plays Beethoven Violin Sonata No 9 (Kreutzer) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jzkBf-aC3Fo

Mozart - Violin sonata K.379 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XHRJ1AsUsm8

Mozart - Violin sonata K.380 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=T8U72iZMSmk

Mozart - Violin sonata K.481 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=M7JTCnEJ3hM
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c18

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
19. 中川隆[-11338] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:35:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1560]

139名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:34:04.71ID:XTHFK800

ブラームス、モーツァルト、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を同じヴァイオリニストで比較してみれば誰でも


ブラームス >>> ベートーヴェン >>>>>>>> モーツァルト

という評価になるよ:


Brahms Violin Concerto Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2-xD-u2JAjY

Beethoven Violin Concerto Adolf Busch Fritz Busch 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7NCKU5R8g0c

Mozart Violin Concerto No. 5 (Adolf Busch, 1945) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C8VWXCL413o
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c19

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
20. 中川隆[-11337] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:46:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1561]

141名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:45:36.93ID:XTHFK800

音楽家にランクをつけると


バッハ、ヘンデル、モンティヴェルディ、ベートーヴェン
>> ブルックナー、ワーグナー、ブラームス
>>モーツァルト、シューベルト、ドビュッシー、バルトーク、メンデルスゾーン、シベリウス
>>シューマン、ショパン、ベルク、シェ-ンベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコービッチ


かな

モーツァルトは女の子に人気が有るから誰も悪口は言えないだけさ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c20

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
21. 中川隆[-11336] koaQ7Jey 2019年11月07日 10:49:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1562]
因みに、ベートーヴェンはモーツァルトよりヘンデルの方が上だと言っていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c21
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
22. 中川隆[-11335] koaQ7Jey 2019年11月07日 11:31:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1563]

143名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:51:42.15ID:Dq2eYksv

モーツァルトがダントツでナンバーワンなんだけどなぁ、

モーツァルト判らん=ホンモノの音楽判らんって事確定だからな!
認めたくないってところが本音だろな。

自分の知性が足りないのでモーツァルト判りません!これで全て筋が通る。

認めないから、話の筋が全然通らなくなるんだよなぁ!
新興宗教狂いのおばさんと同じかんたんな理屈が通らん知性レベル。

ブラームス聞く様な奴の知性レベルって事だな!
ミスチル、米酢、とか聴く奴より知性レベル低いんだろなぁ、

144名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 10:54:57.66ID:Dq2eYksv

アインシュタイン、ハイドン、ショパン、マーラー、ドボルザーク、ビゼー、
ブラームス、ベートーベンより、
自分の音楽批評のが正しい!


まずはこれを宣言してくれや!
でないと筋通らんからな。
阿呆相手するとここまでお膳立てしなきゃ話進まんからな、阿呆相手するのシンドイわ!

145名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:17:47.37ID:XTHFK800

音楽家や政治家は しがらみが多いから本当の事が言えないんだよ

本音を言ったら食っていけなくなるからね

146名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:30:16.95ID:XTHFK800

モーツァルトの時代は作曲するのが簡単だったんだよ

現代ではいくら才能が有っても過去の作品と同じ様な曲は作れないから何か異常な事を考えないといけない

シェーンベルクも最初期の清夜はモーツァルトを超える名曲だったけど、それ以上は同じスタイルで作曲できなくなって
無調音楽や、十二音技法の方向に進んで破滅した


シェーンベルク: 浄夜 作品4 (1899) [弦楽合奏版1943] カラヤン 1973 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bJoBGTPdtrY

モーツァルトと同じ位の天才は沢山居たんだよ
モーツァルトは早く生まれたから得しただけさ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c22

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
23. 中川隆[-11334] koaQ7Jey 2019年11月07日 11:45:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1564]

147名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:36:19.72ID:XTHFK800

ベートーヴェンは、ヘンデルを、J. S. バッハ、ハイドン、モーツァルトらと並んで賞賛していたのであるが、この時期になってそうした作曲家たちのなかでヘンデルを第1位に置くようになったのである。さらに、この内容を裏付ける証言をいくつか挙げておこう。

エドワード・シュルツが「ハーモニコン」誌(1824 年1 月)に寄稿した話は以下のようなものであった。

食卓での座談すべてを通じて、ベートーヴェンがヘンデルにつき語ったこれほど興味深い話は、ほかにありませんでした。私は彼のすぐそばに腰かけ、彼がドイツ語で

「ヘンデルは古今最大の作曲家だ」

と明確に語るのを聞きました。この不朽な天才の《メサイア》につき、ベートーヴェンがどんな感動をもって、というより私が言いたいのは、言葉の極をつくして話したかは、あなたにお伝えしかねるほどです。

「自分は脱帽し、ヘンデルの墓前にぬかずきたい」

と彼が口にしたとき、われわれのだれもが心を打たれました。ハスリンガーと私が会話をモーツァルトのほうに向けようと何度も試みたのですが、効果がありませんでした。(フォーブス1971-74,下:997)


また、ヨハン・アンドレアス・シュトゥンプフは次のように証言している。

そこで私は鉛筆を手にし、きわめてはっきりした文字でこう書いた。

「これまで出た作曲家のうち、だれが一番偉大とお考えですか」。

「ヘンデル」、というのが即答であった。

「ヘンデルに自分はひざまずく」といって、彼は方膝を床に曲げた。

「モーツァルトは」、と私は書いた。

彼はそれを受けて、

「モーツァルトはすぐれているし、すばらしい」。

「そうですね、モーツァルトは《メサイア》に伴奏の補いを加えたことによって、ヘンデルをさえも輝かしくすることができました」

と私は書いた。

「そうしなくても、あの作は生き長らえただろう」

、というのが彼の答えであった。(中略)

私はあえて、こう書いてみた。

「音楽では無双の芸術家だるあなた御自身が、ヘンデルの価値を、あらゆるものにもまして高く称揚しておいでとすれば、ヘンデルの主要作品の総譜ぐらいお持ちなんでしょうね」と。

「私がだって。この貧乏なやつが、どんな逆立ちをしてああいうものを手に入れたとでもおっしゃるのかな。そう、《メサイア》と《アレクサンダーの饗宴》の総譜は、ひととおり手がけはしたがね」。(フォーブス1971-74,下:1054)
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/matsumura02.pdf


149名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:38:44.78ID:Dq2eYksv

アインシュタイン、ショパン、
チャイコフスキー、マーラー、
ドボルザーク、ハイドン、
ブラームスもベートーベンも、
モーツァルトがナンバーワンと答えていた。

つまり、モーツァルト判らん=ホンモノの音楽判らんと言える。

こいつらはモーツァルト判らんコンプレックスでスネてる、これが客観的判断なんだよなぁ!

まぁ、モーツァルトの事想い出す都度、自分がホンモノの音楽が未来永劫判らんと自覚して腸でも煮えくり返らせて、
音楽ではなく音憎を愉しんでくれや!

150名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:40:52.98ID:XTHFK800

ベートーヴェンがバッハのマタイ受難曲やモンティヴェルディの『ポッペーアの戴冠』を聴いたら
ヘンデルより高く評価するだろうから

ベートーヴェンの自分より前の作曲家の評価は

バッハ >> モンティヴェルディ >> ヘンデル >> モーツァルト >> ハイドン >> グルック

になるよ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c23

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
24. 中川隆[-11333] koaQ7Jey 2019年11月07日 11:50:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1565]

作曲家論
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%AB%96

•はじめに
•ベートーヴェン論
•モーツァルト論
•ハイドン論
•ショパン論
•ブラームス論
◦ベートーヴェンとの比較
◦ブラームスの協奏曲について
•バッハ論
◦他のバロック作曲家より人気がある理由
•ブルックナー論
•マーラー論
•メンデルスゾーン論
•ラフマニノフ論
•ショスタコーヴィチ論


はじめに

一口メモばかり書いていたら、もう少し長い文章で語りたくなってきたため、このページを作成しました。


ベートーヴェン論

ベートーヴェンはクラシック音楽の金字塔となる大傑作を数多く作曲した。

彼によって生み出されたクラシック史上の最高峰となる作品群は、後年の多くの作曲家の目標になり、道しるべとなった。

作曲者の生涯の全作品を総合的に比較すると、後の作曲家は誰一人として太刀打ちできていないと思う。

他の作曲家と比較して、ベートーヴェンは何が違ったのだろうか?


まずは、彼にはずば抜けた才能に加えて、厳しい英才教育を施されたおかげで強固に固められた基礎があったことが挙げられる。

若いときの作品は地味で面白くないと感じるところがあるが、よく聞けば既に同時代のトップレベルであると思う。


そして、音楽と芸術に対する徹底的な妥協のない真摯さがあったからこそ、成熟してからさらに異次元の飛躍を遂げることができたのである。

飽くなき高い理想の追求をし続けることができたのは、彼の真摯さと空気を読まない性格の強さゆえだろう。


とはいえ、理想の高さの魅力以上に、ベートーヴェンの音楽は根底的な音の響きや使い方それ自体に尽きない魅力があり、それこそが重要であると私は考えている。

彼の音楽は、シンプルでいくら聴いても飽きない魅力的な要素を多くもっていて、それが強固な骨格と筋肉になっている。

だからこそ、何か画期的な世界を目指したて冒険をしたときにも土台が崩れず、聴いていて楽しめるような音楽としての魅力を保ち続けることができたのである。

•音楽の魅力

彼の音楽の魅力を簡潔に書くというのは無理難題だと思うが、あえて挙げてみよう。


まず、音楽的な品格の高さが重要な要素として挙げられる。

ベートーヴェンの音楽は高貴な精神を宿しており、純度の高い高潔さがある。


伸びやかに音を鳴らして音それ自体の生の魅力が活かされていることも特長である。

特に若い時の音楽は伸びがあり、聞いていて気持ちよくなる。

ベートーヴェンはシンプルな音形を使って、音そのものを高らかに響かせて存分に歌わせ、それにより素敵さを演出することに長けていた。


たとえば、「皇帝」協奏曲の1楽章の伸びの良さと品のよさはどうだろう。

ロマン派の音楽は、何かしらの気分を音楽に含ませており、「感情の支配下」にある。

それが音楽の表現の幅と、聞き手にとっての気分の幅を狭めている。

それと比較して、ベートーヴェンの音楽の音自体のシンプルさの中に魅力をこめて、聞く人を楽器が奏でる音それ自体に魅了させる。

とにかく、聞いている人の気分をよくさせることが得意である。


他にも手もちの芸風は多く持っており、例えば長調の曲でよく見せる竹を割ったようなすっきりとした割り切りの明快さの魅力もある。

胸が膨らむような広がりを持った壮大さもある。


一方で激情性もまた、ベートーヴェンの一面としてやはり重要である。

ベートーヴェンは冷静さを保ったまま、様々な種類の激情を表現し、それをコントロールしながら楽曲の構築を行うことが出来た。

後世のクラシック作曲家はベートーヴェンとしう先例を知っていながら激情を完全にコントロールして表現する音楽を作れなかった。

対抗馬となるのはショパンくらいだろうか。


晩年に至って、ずっしりと精神的な重みや手ごたえのある音楽を書けるように成長したことは、さらに驚異的なことである。

これは、ベートーヴェンの音楽がもともと持っていた親密性の魅力を発展的に肥大化させたものと考える。

中期の傑作の森では外面的な巨大な構築性を見せているが、もともとかなりパーソナルな精神をも表現できる人だった。


また、彼はエンターテイナーでもある。

音楽において、観客を楽しませて気持ちよくさせることに配慮が行き届いている。

盛り上がってほしい時にはちゃんと盛り上げる。聞き手の気持ちをちゃんと汲んで、演奏会というショーが成り立つように曲を書いている。

だから、非常に激情的だったと言われるベートーヴェンだが、決して独りよがりの人ではなかったのだろうなと想像させられる。

激情性すらも、彼の中ではエンターテイメントとしてうまくコントロールされている。


晩年の作品はその色が薄くなった。そのおかげで作り物っぽさが希薄になり、人間精神の中で一人一人の個人が心の奥の方で本当に大事に持っているパーソナル領域を生々しく表現できた。

その代償としてとっつきにくく、曲を理解できるまでに時間がかかるようになってしまったのだが。

•形式性


ベートーヴェンの音楽は古典派の形式性を保っていることも重要である。

ロマン派に入り、時代が下るほど崩れて迷走していった形式性は、ベートーヴェンにおいてはまだ十分に機能していた。

精神的な内面性の表現に音楽の比重が逆転してしまった時代においては存在しえない、音楽の構造性それ自体の価値が楽しさを持っている時代であった。

個別の曲が、自立した個別的に精神的内面とそれに適合する形式の両方を創造しなければならない時代になると、相対的に形式の力が弱まった。


創造性はえてして、まず形式に束縛されて表現の範囲に制約があり、その中での自由を追求する時代にもっとも発揮される。

表現の幅の制約は、創作性の妨げにはならないのである。

テレビゲームにおいてゲーム製作者は、ファミコン時代はまったく貧弱な表現力しか持たなかった。

しかし、その枠内でもプレーヤーを熱狂させる自由さがあり、充実感があった。

時代が下って表現力が高くなると、むしろ無茶な設定が出来なくなり、表現が目的になり、束縛物となってしまった。


また、現代の日本のポピュラー音楽は、Aメロ、Bメロ、サビというワンパターンの形式に枠内にすっぽり収まった曲が多い。

しかし、その制約の中で生み出されたメロディーや楽曲の表現力は、90年代にすばらしい黄金時代を築いた。

それと同じようなことが発生していたのが、ハイドンやモーツァルトからベートーヴェンの時代であると思う。


彼はいろいろな事が出来る器用さがあったが、それを実現する音楽のフォーマットとしての応用性の高さも才能の発揮を後押しした。

その自由度におぼれすぎず、一つひとつの曲を作りこんで、形式的にも技法的にも内面的にも完成度の高い際立った個性のある作品を作成した。

晩年は、やや自由度におぼれてしまい破綻しかけているが、その分の精神性の高みが魅力を高めている。


総合力は、さまざまな事を高いレベルで実施できることから生まれる。

出来ることの幅広さは、天才性の大きな要素である。

ベートーヴェンと比較してしまうと、後世の作曲家は全員、狭い範囲のことしか表現できなかった。

一部の能力では上回っていても、それ以上に多くの点で劣っていた。

だから総合的にはベートーヴェンに勝てなかったのである。


なお、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさは、フルトヴェングラーの「音と言葉」に素晴らしい文章で詳細に語られている。

さすがベートーヴェンを振らせたらナンバーワンなだけある。きわめて説得力があり、深いレベルで納得感の高い説明である。

モーツァルト論

神がかり的なバランス感覚、天真爛漫さ、悪魔的な魅力、メロディーメーカーとしての才能、ロマンチックさなど、天才的な愛される要素を多くもっていた、古今のクラック音楽家の中でもっとも素晴らしい作曲家の一人。

オペラのように自由に楽器を活躍させて、歌わせる事にも長けていた。


現代楽器との相性がよいのも、現代における人気の源泉のひとつだと思う。


モーツァルトの得意分野はオペラと協奏曲とよく言われる。

18世紀後半のオペラと協奏曲で現代でもメジャーなレパートリーになっているのはモーツァルトの作品だけである。

ハイドンとの差がもっとも大きな分野といってもよい。

結局、ベートーヴェンが1800年以降に主要な曲を書き、一方でバロックの大作曲家達は1750年ごろまでに主要な曲を書いている。

ある意味で1750年〜1800年は谷間の世代である。

ただし、モーツァルトとハイドンという大巨匠がいるために、音楽的遺産は決してものたりないものではないのだが。


モーツァルトは多くの音楽をよく勉強し、自分の音楽の中に取り込んでいた。


モーツァルトは形式的な厳格さ、単純な和声という古典派時代における制約の厳しさをむしろ逆用し、シンプルな中であるからこその豊かさを実現した。


形式的な整備の完璧さ、バランスの良さと外面的な手持ちの表現手段の豊富さ故に、モーツァルトは最も芸術的に純度の高い結晶として、深い段階に到達した作品を書いた作曲家といえる。

音楽に限らず、相対的な評価は、同じような高いレベル同士で比較するからこそ可能である。モーツァルトは基礎的なレベルが高く、その中でさらに厳選されたさらに高いレベルに到達する音楽を作り上げることが出来た。


モーツァルトの軽やかさと気軽さは、モーツァルトの人気の高さの大きなウェイトを占めている。

モーツァルトの音楽は、本当に聴きやすい。

次の世紀に入ると気軽さが薄れて芸術音楽としての側面が強くなっていく。

バランスにおける絶妙な天才性があるため、軽さだけで終わっていない。これてあわせて軽さが成り立っているところはある。


モーツァルトの音楽におけるフットワークの軽さと、人間の生理的感覚との一体感は、非常に優れた面のひとつである。

息継ぎするように一瞬の休憩を入れたり、気分転換したり。ちょっと急いでみたり、立ち止まってみたりというような当意即妙な身体感覚と適合する音楽は、楽しさの大きな理由となっている。

一方で、ロマンチックさや芸術性ももっている。彼の音楽は同時代の多くの音楽と比較して複雑であり、次の時代に近いものがある。

ハイドン論

ハイドンの曲は非常に沢山ある。

いくら現役が長かったからとはいえ、この曲数を書いたのであるから、サクサクと新曲を量産していたわけである。

それにも関わらず、明白な駄作や手抜きが少ないのはすごい。


簡単には聞き終わることが出来ない大量の作品はさながら宝の山のようである。順番に聴いていくと、次の曲を聴くたびに新しい魅力に出会えること、曲に仕込まれた機知に富んだ仕掛けを楽しめること、これがハイドンを聞く楽しみの中の最大の点だと思っている。


単独の曲を、腰を据えて何度何度も繰り返し聞き込むための曲としては、同時代においてもモーツァルトに劣る。

ハイドンは、歌うような忘れがたいメロディーを曲の中心にもってきておらず、機知とか雰囲気的な温かみが主な魅力であるため、中毒のように同じ曲を聞き込み口ずさむようなことにはあまりならない。


しかし、沢山の曲を順番に聴くような聴き方をする場合においてハイドンはモーツァルトに負けない。

CDというフォーマットによりマーラーやブルックナーのよう長い曲を中断なしで聴けるようにしてくれた点で時代にマッチした。

ハイドンは現代のMP3プレーヤーのように超大量の音楽を好きなだけ聴けるデバイスに向いており、まさに今の時代に新しい真価を見せるようになった作曲家と思っている。


ハイドンの作品の中では、やはり交響曲が入門として最適である。管弦楽であるから華やかであり、分かりやすく聴きやすい。

聴き手を意識した華やかな曲が多い。特にザロモン交響曲はエンターテイメント性が高い。爽快で心地よくて、気持ちよく聞ける。


しかし、心の宝物になりそうな感動的な名品が数多くあるという点で、弦楽四重奏曲こそがもっとも驚異的な作品群であるだろう。

交響曲作曲家としてのハイドンと弦楽四重奏曲作家としてのハイドンは全く別の作曲家であると言っても過言ではないと思う。

私は弦楽器のみの室内楽は何重が最適であるかが作曲家によって異なると考えているが、ハイドンの場合は四重奏にピッタリはまっている。

簡潔でキレが良いハイドンの音楽は、音が厚すぎない方が良いのである。

バランスが完璧であるし、さばさばとして、はっきり言い切る音楽性も相性が抜群である。特に晩年は、練達の驚異的な作曲技術の高さをじかに感じることが出来る。

弦楽四重奏曲は一つ一つの作品のクオリティーの高さが抜群に高く、心の宝物になりうるような素敵さを備えているうえに、そのような作品が大量に書かれていている。

1曲書けただけでも凄いと思えるレベルの曲が数10曲もあるのだから、畏敬の念を感じる。

(このWikiでは、あまり高い点ばかり付けるのもいかがなものか、と考えて点数を控え目にし過ぎてしまったと反省している。いつか時間が出来たら一通り聴きなおして点数を上げるつもりである)

そして、作品を追うごとに品質が少しずつ確実に上がっていくのである。数十年かけて書いた作品群がだんだん品質が上がって最後のあたりが一番すばらしい作品になるとは、なんともすばらしい話である。


ショパン論

ショパンのピアノ作品における質と量の掛け算としての成果の巨大さは、他の作曲家を完全に圧倒している。

他の作曲家は傑作から駄作までいろいろだが、ショパンは初期の曲を除いてほぼすべてが素晴らしい傑作である。 


過大評価もしれないが、クラシックの全ピアノ曲の現代の音楽鑑賞のにおける価値の観点での質と量の掛け算をした場合に、ショパン一人の作品が、その中の1割以上を占めているのではと思われるほどである。

それだけの価値のある音楽を書いたということは、ピアノという楽器自体を演奏すること自体の魅力に対しても、何%かの影響を与えているかもしれない。


そのような圧倒的な成果を出せたのは、他の作曲家と比較してそもそもピアノ音楽作曲家としての才能があるうえに、その才能を浮気せずにほぼピアノのみに注ぎ込んだ結果であろう。

フルトヴェングラーがピアニストにはショパンが居るからうらやましい、というような意味のことを書いていた記憶があるが、まったくそのとおりである。


ショパンのピアノ作品は、一般的な楽曲としての素晴らしさと、ピアノ書法の素晴らしさの両方を兼ね備えている。

それらは、お互いに関連しており、一体となって高い価値のある結晶体としての作品に結実している。

ピアノの楽器の機構が出す音自体と、精神的な表現芸術である音楽の内容が一致しており、無駄がない。鳴らすべき音がそのまま表現と一体になっている。それが他の作曲家には欠けており、表現したいこととピアノという楽器が出す音に乖離があるのである。この点において、ショパンの音楽は完璧な理想系のひとつである。


天才的な書法の素晴らしさとともに、丹念な作り込みを音楽的にも、ピアノの響きをつくり上げる点でも実によく磨きをかけているのが素晴らしい。

細かなニュアンスを繊細に織り交ぜており、一つ一つの音に高い価値が与えられている。


ただし、ショパンの音楽は病的な陰鬱さの深い影を常に帯びている音楽である。

それが、曲にはずれがない理由のひとつになっている。

生々しいマズルカは、大変根暗な音楽となっている。これがショパンの本質なのであろう。

外面的な聴き手を重視した曲や、形式的な作りこみをした曲ではある程度隠されているが。

このため、健康的な精神に基づく古典派の巨匠の音楽には、総合的に見て芸術的な普遍的な文化遺産としての価値がどうしても一歩及ばなかった感はある。

これはショパンの音楽の構造的な限界になっている。


ブラームス論

ジャンルとしてはオペラを除く多くの分野で傑作を残しているのは確かである。

ロマン派を代表する大作曲家であることも異論はない。

しかしながら、ドイツ3Bの一人に挙げられていること、演奏頻度が非常に高いことのせいで、どうしても過大評価の作曲家という印象を持ってしまっている。


ドイツ3Bの一人というのは、ブラームスに対する誉め言葉であるという以上に真剣にとらえない方がよいと思っている。

バッハやベートーヴェンと比較してしまうと、さすがにブラームスがワンランク落ちるのは否めないだろう。

しかし、生涯の創作活動において何度か到達した頂点の頂の高さにおいては、ブラームスも2人とかなり近いレベルにある。

その点では、ドイツ3Bというのも伊達ではない。


チャイコフスキー、ドヴォルザークとともに、後期ロマン派の中では音楽的なバランスを保って総合性を発揮し、ほとんどのジャンルで傑作を残した代表的な作曲家の一人ではある。


過大と感じる最大の理由は、彼の創造した音楽の、芸としての範囲の狭さである。

厚ぼったい音空間がずっと継続する中で、ターーラララのような手癖フレーズを連発するつなぎ部分を織り交ぜながら、強奏の爆発と沈静を繰り返すような基本的枠組みをベースに、ひとつの作品をまとめられたような作品が多い。

はっきり言いたいことを言えずに、自分の感情を十分に表現しないまま、ふさぎこんでしまっているような印象をも持ってしまう。


そのような多くの作品は、そこそこの長さの多楽章の曲であるにも関わらず、期待値を上回ることなく、予想範囲をはみ出すことなく、終わってしまう。

テクニックを駆使して細かい部分の複雑度を上げているので、どの作品もある程度の水準には達しているが、それだけである。


格別の思い入れをもってロマンチックな感情や多くのアイデア注ぎ込んでを完成度を高めた曲に関しては、大変素晴らしい出来である。


ベートーヴェンとの比較

ブラームスと、彼が尊敬し模範としたベートーヴェンを器楽曲で比較してみる。


交響曲  ベートーヴェン>ブラームス

協奏曲  ベートーヴェン<ブラームス

室内楽  ベートーヴェン>ブラームス

ピアノ曲 ベートーヴェン>>ブラームス

•交響曲

交響曲に関しては、ベートーヴェンの5番、6番、9番はあまりにも究極的に優れていて、ブラームスは太刀打ちできていないと個人的には考えている。

その3曲を除いたベートーヴェンの3番、7番とブラームスの1番、4番を比較するなら、これはブラームス優位。

さらに、ベートーヴェンの4番、8番とブラームスの2番、3番の比較なら、いい勝負だと思う。

しかしベートーヴェンは2番も魅力的だ。

•協奏曲

協奏曲に関しては、ブラームスのピアノ協奏曲1番、2番、ヴァイオリン協奏曲の方が、ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番〜5番曲、ヴァイオリン協奏曲よりも優れていると思う。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番とブラームスのヴァインリン協奏曲の魅力はそれぞれの構成で古今の協奏曲でも屈指のすばらしさ。

それ以外で比較した場合にブラームスは2曲はどちらも力の入った力作揃いで素晴らしい。ベートーヴェンはそのレベルではない。

ブラームスのダブルコンチェルトとベートーヴェンのトリプルコンチェルトの比較も、ブラームスが上だろう。

こうして比較しても分かるが、ブラームスはロマン派でもおそらく最大の協奏曲作曲家である。

一方でベートーヴェンは他の分野と比較して協奏曲は弱いと思う。

•室内楽

室内楽に関しては、ヴァイオリンソナタやチェロソナタは両者いい勝負だと思うが、ベートーヴェンのほうがやはり魅力がやや上か。3重奏曲以上で見るとブラームスもクラリネット五重奏曲は大変優れているし、弦楽六重奏曲などいい曲はいくつかあるが、ベートーヴェンの大公トリオと弦楽四重奏の傑作の量や孤高の世界と比較すると、やはり分が悪い。

•ピアノ曲

ピアノ曲に関して、ブラームスも決して悪い作曲家ではないが、創作活動の中の大きな割合はないので、名作を多く残しているベートーヴェンとは比較にならないだろう。


ブラームスの協奏曲について

ブラームスの協奏曲は、形式的な自由さ、楽曲の外面的な華やかさ、ロマンチックな感情表現の容易さと気兼ねなくたっぷりと感情表現できる気楽さ、オーケストレーションの問題点の隠蔽など、ブラームスの不得意な範囲を補うことが出来ていた。

それでありながらどの作品も、交響的な充実感と重厚さを持ち、個人的な強い思い入れを感じされた大作となっている。

このため、交響曲以上に充実しているといっても過言ではないロマン派を代表する作品群となっている。


バッハ論

バッハは非常に人気がある作曲家である。

多くの作曲家の曲が発掘された現在は、昔ほどバロック時代の中で人気の差はなくなってきていると思うが、それでも今でもずば抜けて人気がある。


その理由は挙げてみると多くある。

音楽に父性と豊饒さと複雑さと温かみがあること、音感が優れていること、メロディーに分かりやすく耳を捉えるキャッチーさがあること、雰囲気がバラエティーに富んでいること、器楽曲が多いこと、古今のさまざまな音楽を取り込んでおりバラエティ豊かであること、出来が良い曲においてみせる完成度の高さと凄み、このあたりであろう。


一方でルネッサンスからバロックの大きな流れがバッハのにおいて集大成として最高峰の音楽として結実した、バッハを聞けば全てが分かる、のような評価は過大評価であろう。

バッハがバロック作曲家の中でも非常な芸術的高みに長い時間と努力の末に到達したのは確かである。

しかし、バッハが集大成だというような評価に基づく音楽の聴き方は、バロック時代の多様性をスポイルしてしまう。


例えば、今後ロック、ソウル、ポップス、ヒップホップ、ヘヴィーメタルの要素を持つ素晴らしいアーチストが仮に現れたとする。それが20世紀半ばからのロック・ポップスの流れ全てを総合したような偉大な音楽家であり、その音楽家を聞けばすべてが分かるなどということがあり得るだろうか。20世紀の音楽は、たとえどんなに偉大な音楽家であっても、一人ですべてを代表できるようなことはあり得ないというのは誰もが納得だろう。


ごく普通の仕事のためにさらっと書いたような大量の曲もある。

まあ、全曲が最高という作曲家はいないのはバッハも同様であり、それらの曲は同じバッハであるだけにとっつきやすいのだが、魅力はそれほどたいしたことがないと思う。

出来れば、それらを聴く時間を省略して、他の多くの多彩なバロック作曲家の曲を聴いたほうがよいと思う。


他のバロック作曲家より人気がある理由

バッハが他のバロック時代の作曲家と比較して人気がある理由は複合的である。もう少し詳しく書いてみる。

•音楽が複雑である


バロック時代の通奏低音による音楽は、現代からみて単純すぎるものが多く、飽きたり物足りなかったりする。しかしバッハは当時としては極めて複雑な音楽であり、また現在でも有効な複雑さであるために、飽きずに聴ける。

•音楽性自体に分かりやすい特徴がある。(例えば、豊饒さ、温かみ、父性など)


音楽自体の明確な個性の魅力があり、一般的な鑑賞者に訴求するものがある。

例えばヴィヴァルディの活力やヘンデルのようなキラキラとした輝かしさのように、個性は人それぞれであるが、バッハの魅力は単純に「いいなあ」と大抵の人に思わせるものがある。

•曲に明確な個性を持たせている


個別の曲に対して、それぞれに明確な個性を意図的に与えており、順番に聴く場合に刺激が多い。バロックの作曲家にありがちな、同工異曲で似たような曲ばかりの、曲に強い個性を与える意思を感じない作曲家よりも、鑑賞していて楽しい。

•メロディーに分かりやすく耳を捉えるキャッチーさがある


曲の個性と同様であるが、バッハの音楽は、分かりやすく印象に残りやすいメロディーを配置した曲が多い。

美メロディーを量産するようなタイプではないのだが、他のバロックの音楽家と比較して、聴き手の印象に残るようなインパクトのあるメロディーを選択する傾向がある。まるで現代のヒットメーカーのようだ。

•雰囲気がバラエティーに富んでいること


これも、現代のヒットメーカーのようだ。

他のバロックの音楽家と比較して、様々な雰囲気を作り出す。そのため、いろいろ聴いた時に飽きないのである。

いい曲ではあるが同じような曲ばかりという多くの作曲家よりも、現代においては価値が高いのである。

•器楽曲が多いこと


バロック音楽は声楽が重要であるが、声楽は歌詞が分からないことと、現代のポピュラー音楽がライバルになるために一般性を持ちにくいところがある。

ヘンデルはバロックを代表する素晴らしい作曲家だが、声楽が中心であるために人気の点で不利になっている。

その点、声楽の教会音楽が一番重要であるものの、器楽曲でも重要作を多く書いたバッハは有利である。

•古今のさまざまな音楽を取り込んでおりバラエティ豊かであること


同じような形式の音楽ばかり聴いていては、同じ作曲家ばかり聞いているとしまいには飽きてしまう。

バッハは古今の音楽を取り込んだので、形式的に豊富で刺激が多い。

•出来が良い曲においてみせる完成度の高さと凄み


例えば無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌなどが挙げられる。

通常作品とは隔絶した世界遺産級の文化遺産となる完成度の高さをもった作品だと思うのだが、バッハの時代は、まだ完成度の極めて高い作品を作ろうという発想自体がほとんど無かったと思う。

明らかに本人が意識して特別に高いレベルの作品を作成しようとしたのは、文献が残っていなくても作品自体を見れば明らかだ。

そして、そのような作品を本当に作ることが出来たことが、多くの音楽家から特別な尊敬を受けることとなった。

•音感が優れていること


優れた作曲家はそれなりに音感が優れているものだが、最も優れた人が必ずしも最も優れた作曲家になるわけではない。

バッハは、そこに音が欲しいという箇所に確実に音を配置したり、単純な中にちょうどよい複雑さや刺激を配置できるような、優れた音感を持っていた。

それが、普通の鑑賞者にも音楽的に優れているとなんとなく感じさせるものになっている。


ブルックナー論

ブルックナーの音楽は、精神的に禁欲的でありながら、一方で楽しみ方としては快楽主義的な音楽であり、その点で矛盾を内包している音楽である考えている。


ブルックナーの音楽は直接的な肌感覚や華やかさや直接的な感動に欠ける音楽である。まったく女性に受けそうにない。


しかしながら、若い時に書かれた曲を聴くと、晩年の作品ほど地味で超然とした世界ではなく、もっとずっと人間的である。

確かに考えみれば、あまりに特殊な音楽感覚しか持っていなかったら、オルガニストとして高名になることは出来なかったであろう。

直接的な感覚的刺激にあふれたワーグナーの楽劇の熱烈な信者であったわけだから、音楽鑑賞者としては超然としたものを極端に好むわけではなかったと推測できる。


やはり、長年の積み重ねの中で特異な方向性をガラパゴス的に伸ばしていき、個別的な特殊進化をしたことでたどり着いた音楽世界なのだろう。


ブルックナーの音楽は、豊富で繊細な色とりどりのニュアンスを聞かせる音楽ではないため、一見するとシンプルで素朴な音楽に聞こえる場合が多い。

しかし、実は内部的にはかなり複雑な和声の動きを見せている。


後期ロマン派らしい、落ち着かない複雑な転調が、漂う霧のようなあいまいな雰囲気を作っているともいえる。

逆に霧の深さが転調の複雑さを見えにくくしている面もあると思う。

ブルックナーの音楽は、細かいことを気にしないおおらかさで聴くものであるため、内部構造の複雑さに着目する必要はないのである。


ブルックナーの音楽は、超越的で宇宙的な感覚によるものである。

なにより、ゆったりとして、人間的な肌感覚に訴えるものが希薄なフレーズを積み重ねて構成されている。

その最たる例が、ブルックナー・リズムによる5つの音の繰り返しである。

たいていの場合、繰り返される5つの音に精神に訴える明確な意味が感じられない。

次のメロディー演奏に向かうためのつなぎである場合が多い。


しかし、同じ音形を執拗に積み重ねながら、次にどの方向に音楽が向かおうとしているかが重要なのである。

エネルギーを溜め込んで爆発に向かっているのか、エネルギーを吐き出して力を緩めているのかといったことである。


変容と積み重ねにより、通常の音楽の数倍に引き伸ばされて希薄化された時間間隔の中で音楽は書かれている。

大曲であることはその必然的帰結となっている。

ラフマニノフの音楽が感情の力学に基づいているとするなら、ブルックナーの音楽はエネルギーの蓄積や放出といった力学に基づいてかかれている。

その結果生み出される巨大エネルギーのダイナミクスこそが最大の魅力だ。

特に、圧倒的な大管弦楽のユニゾンや、ブルックナー休止は、かっこいい。

音形が優れたセンスであるとは限らないが、聞き手を激しく翻弄するには効果的なものである場合がほとんどだ。

長い時間をかけてエネルギーを溜め込み、圧倒的な迫力でもって爆発的に放出することである。


普通の作曲家がサッカーボールがポンポン動くような音楽とするなら、ブルックナーはボーリング玉のようである。

質量が大きいゆえに慣性が働くため、動き出すのに時間がかかるが、動き始めると強いエネルギーを保持し、何かにぶつかれば激しい衝突を起こすのである。


マーラー論

マーラーは確かに後期ロマン派屈指の交響曲作曲家である。そして、クラシック史上の大作曲家の一人である。

しかし、世の中の多くのマーラーファンが、マーラーのどこに強烈な魅力を感じて熱心なファンになっているのか、自分には掴みきれていないところがある。

ファンの書いている評論を読んでも、自分の心に十分に響いてこないのである。

それどころか、ファンが本当に心の奥深いところで共感しているようにすら、文章から感じ取れないのである。

そもそも、深い共感を得ることを求めること自体が、マーラーの聴き方として的外れなのかもしれない。


マーラーの交響曲には、お下品なところがある。

ヒステリックな高音の多用、金管の多用、激しさと静けさの強烈すぎでかつ突発的すぎる対比などである。

構築性の脱却によるカオスのような統制の無さも、その印象を強くしている。

ベートーヴェンやシューマンに感じられる音楽的品格には、マーラーはほとんど興味が無かったのだろうと思われる。


とはいえ、一方で特に緩徐楽章では、純化し昇華した精神の独特の高貴さが感じられる瞬間も多い。

したがってお下品なだけではないし、そのような多様性が魅力なのであろう。


どんちゃん騒ぎで騒々しく、底の浅さや無駄さが散見される。

統一感がなく、構成において突発的なものや、癇癪をおこしたかのような不安定さがある。

聞く側には、多様性を清濁併せ呑むような寛容さが必要であり、すべてを受け入れるのは相当な精神的な強靭さを要求されると思う。

マーラーファンは、どうやら強靭な精神を発揮しているわけではなく、多様性や多面性をそのまま楽しんでいるようだ。


マーラーの作品は、ほぼ交響曲と管弦楽伴奏の歌曲であるが、歌曲作曲家として、ロマン派を代表する作曲家である。

自分以外も多くの人が認めるところと思うが、トップレベルの作曲家ということに文句はない。

これは、旋律美の才能、独特の節回しが管弦楽伴奏にマッチしていること、管弦楽の表現の巧みさや表現の幅広さとの融合が理由である。

それに加えて、交響曲に見られるお下品さが、歌曲ではあまり発揮されないことがかなり重要である。

また冗長さもかなり少ない。

余計なものがなく、否定的要素が少ないからこそ、素直に才能あふれる音楽として楽しめる。


マーラーの音楽で面白いなといつも思うのは、時間感覚がそれまでの他の作曲家と違う点である。

音楽には永遠の世界に近いようなゆったりとした時間が流れている。

ときとして時間は止まりそうになることすらある。


音楽表現におけるマーラーの開拓精神は素晴らしい。

新しい音楽表現を追及し、それまでには存在していなかった新しい音楽を作り上げた功績自体は否定できない。

20世紀にも、その遺産はある程度受け継がれている。


交響曲のバラエティーの豊かさは、素晴らしい。新しいことにチャレンジし続けたマーラーは、初期と中期と後期ではそれぞれかなり違う作風となっている。また、個別の作品に与える個性も非常に強いものとなっている。

このため、初期の2番から4番には若干似た雰囲気はあるももの、基本的にすべての交響曲が別世界であることで、全曲聴くことのモチベーションや、語ることの多さにつながっている。


マーラーのメロディーメーカーとしての才能はかなりのものだ。特に、夢の中の世界のような童話的な世界においては他に類をみないような個性をもっている。


メンデルスゾーン論

天才的な神童としては歴代最高というのは自分も同感である。

モーツァルトも凄いのだが、10代前半にして既に一流作曲家といえる完成度に達していたのは、メンデルスゾーンだけである。


ロマン派の一理由作曲家としてはやや地味で軽く見られている感がある。

しかし、よく聞くとロマン派の作曲家の中でも正統派感は実は一番かもしれない。

少なくとも室内楽においてはブラームスよりも正統的と感じる。

音の絡ませ方、音感とセンスの良さと構成の品の良さやバランスの良さが、実に良い。

ブラームスは手癖をすぐに繰り出す。音の重厚さに逃げる。そういう欠点がない。

そして大半の分野で成功作を作った作曲家の一人でもある。


ただし、残念ながら交響曲が軽い内容であるのが痛い。ベートーヴェンのような渾身の交響曲を残さなかったのだから。

その辺りは、指揮者としての活動が中心だったためなのだろう。もったいないことだと思う。

協奏曲も、ヴァイオリン協奏曲の完成度はものすごいが、どっしりとした大作というよりも端正ながらも線の細い感じである。

彼の細身の体型を思い出してしまうような音楽である。


ラフマニノフ論

自分が生まれて初めて強く心を揺さぶられるような感動を体験したクラシック音楽は、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番である。

したがって、今でも彼の音楽には自分の音楽鑑賞の原点という想いを持っている。


メランコリックなメロディーの魅力と、感情の力学という他に類を見ない独特の音楽構成において、彼の音楽は高い価値がある。

大衆迎合的ということで生前は高く評価されなかったラフマニノフであるが、完成度が傑出して高い作品もあるし、表現力の高さはやはり特筆するべきものがある。

同時代には古くさいとされたロマンティシズムを保ち続けて、時代を超えた本質的品質の高い音楽を作ったことは、特筆するべきことであろう。


しかし一方で、いかにも感覚が鈍く野暮であり、なんとなく作ったようなぼんやりとした雰囲気をだらだらと続けたりするなど、芸術を鑑賞する際に刺激してほしい感性を刺激しない、つまらない音楽である作品が多いことは、認めざるをえない事実だと思う。

したがって、生前に大衆的人気はあったが専門家からはあまり高く評価されなかったのは、当然であるといえよう。

自分はラフマニノフの音楽は基本的に好きだが、そのような欠点は目をつむって聴いているのは認める。その欠点がほとんど無いと言っていいのは、ピアノ協奏曲2番くらいのものだ。


とはいえ、ラフマニノフ独特の感情力学やメランコリーが、ラフマニノフにより発見され前人未踏で後継者もいないほどの孤高のレベルに到達したことの価値が、その欠点よりもはるかに重要である故に、現在においても高い人気と評価を得られていると考えられる。


もうひとつの重要点は、ピアノに楽器としてのスケールの大きさを最大限に生かす音楽を書いたことだ。

ピアノ協奏曲3番における、オーケストラと対峙し、極端な音数による圧倒的なピアノの潜在的な器の大きさ開拓したことは、特別な成果である。

ピアノはさまざまな面がある楽器である。作曲家によって使い方が大きく異なってくる楽器であり、多くの作曲家が新しい楽器の可能性を開拓してきた。

ラフマニノフの場合は、たとえば重音による鐘のような効果や、音数によるテクニカルな圧倒性による巨大さを開拓した。


この2点を追求しなければ、ラフマニノフの評論にはならないだろう。


ショスタコーヴィチ論

自分は、この人はやはり交響曲を高く評価できる人だと思う。

室内楽は、いい曲が少しあるが、メインとなる弦楽四重奏が交響曲と比較すると高く評価していない。


交響曲において、ショスタコーヴィチは社会性、大河性という新しいものを音楽に持ち込んだ。

20世紀の歴史書としての音楽という点では非常に高く評価したい。

20世紀の交響曲作曲家はいろいろいるが、テーマの分かりやすさ、深刻さと壮大さ、投入された精神力の強靭さの総体において、やはり最大の交響曲作曲家であろう。

歴史書的な音楽としての素晴らしさは見事だ。

ロシアが実践した共産主義社会という人類史的な実験の時代に生きたことや、狂気の独裁者スターリンによる悲劇と恐怖の時代に生きたことが、ものの見事に音楽化されている。

狂騒、錯乱や根暗さ、闇黒、悲劇、国家、群像を、これほどまでに表象している音楽というのは、ショスタコーヴィチ以前には思い当たらない。


ショスタコーヴィチの音楽は諧謔、皮肉、深刻さとユーモアなど、音楽の中に強烈な対比を内包している。構成上もそうだし、内容的に幅広い強烈さを対比させて、お互いを強調している。

その振幅の広さや、幅広さを表現できること自体が人気の秘密であろう。


しかし一方で、自分はショスタコーヴィチの音楽は機械的な書法が気になる。わざとらしく、印象を残そうとして作ったように聞こえてしまうオスティナートや、不自然なほどの鋭い対比などはその例である。

楽譜上の音の列を組み合わせただけであり、音楽におけるちょっとしたフレージングや、楽器が出す音以外のノイズや倍音、演奏しにくいことによるゆがみなどの、楽譜には現れない音楽演奏の生々しい音への配慮が感じられない時があるのも気になる。


最終更新:2017-02-23 01:17:09
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%AB%96
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c24

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
25. 中川隆[-11332] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:08:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1566]

2006年12月 5日
モーツアルトへの挑戦 ブラームスの辞書


現在に伝わる資料を読む限り、ブラームスのモーツアルトに対する姿勢には一貫性がある。交響曲第40番の自筆譜を所有していたり、ピアノ協奏曲のカデンツァを複数作曲していたりという作品への積極的なアプローチが見られる。モーツアルトのあるアンダンテ楽章を評して「あれが自分に書けたら、自作のガラクタを全部くれてやる」と言ったとも伝えられている。有名なところでは、「モーツアルトのように美しく書けないならば、確かに書くことを目指すべきだ」という趣旨の発言もあった。

尊敬と言うよりも畏怖に近い感情を持っていたのではないかと思われる。

半ば畏れていたモーツアルトに対してブラームスは、創作人生の最後で真っ向から対峙する道を選ぶ。クラリネットの名手リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いによって一連のクラリネット入り室内楽を生み出すことになった。その最初のものは作品114イ短調の三重奏曲だ。ブラームスがそう欲しさえすればこの次にクラリネットソナタを作曲してお茶を濁すことも出来たはずなのだが、ブラームスはクラリネット五重奏曲を世に問うのだ。

クラリネットに弦楽四重奏を加えた編成のクラリネット五重奏曲には、まばゆいばかりの先例がある。モーツアルトその人の作曲によるイ長調ケッヘル581だ。もちろんブラームスはその先例の存在を認識していたに決まっている。そして自分がクラリネット五重奏曲を発表すれば、人々はいやでもモーツアルトのクラリネット五重奏曲と比較することを知ってたはずだ。

それでも敢えて作曲に踏み切ったブラームスの決意が爽やかだ。

今までにかすかにモーツアルトへの思いを感じさせる瞬間はあった。交響曲の調性がジュピター主題になっていることがその代表だ。ピアノ四重奏曲第1番がト短調なのは、モーツアルトの同種曲を意識していたかもしれない。けれどもこれらはあくまでも推測だ。今度は違う。ブラームスの脳裏にモーツアルトがあったことは否定出来まい。

そしてそのことは、ブラームスがフィナーレにモーツアルト同様変奏曲を持ってきたことで確信が深まる。あくまでもモーツアルトと同じ土俵に上がるという意思表示だとも思える。イ短調に転ずる変奏はモーツアルトがヴィオラに与えた最高の出番だが、ブラームスではチェロにすり替えられて33小節目に投影されている。

どちらかの五重奏曲に軍配を上げるのは本稿の目的ではない。生涯を通じて畏怖尊敬してきたモーツアルトに最後の最後で挑戦して見せたブラームスの心意気を思いやってモーツアルトの命日に花を添えたい。モーツアルト本人が預かり知らぬ記念イヤーの喧噪もまもなく終わる。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/12/post_b4ee.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c25

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
26. 中川隆[-11331] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:18:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1567]

153名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 11:58:31.61ID:XTHFK800>>154

結論
モーツァルトは音楽がわからない子供が聴いてればいいんだよ

154名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:05:10.20ID:Dq2eYksv
>>153

> 結論
>
> モーツァルトは音楽がわからない子供が聴いてればいいんだよ


これから、匿名掲示板以外でも、
最初にモーツァルト否定してから音楽批評してみろよ!
だーれも!
モーツァルト判らん奴の音楽の話!批評!演奏!歌唱に興味無からな!

モーツァルト判らんって哀し過ぎだな!
お前をモーツァルト判らん様に産んだ母
を怨め!

155名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:16:27.99ID:XTHFK800

クラリネット五重奏曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ:

brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5rKJCFg3yn4


mozart Clarinet Quintet, Wlach & Vienna KonzerthausQ (1951) モーツァルト クラリネット五重奏曲 ウラッハ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cy7iN6qUFwQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c26

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
27. 中川隆[-11330] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:26:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1568]

156名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:22:56.04ID:XTHFK800

レクイエムは誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ:


brahms A German Requiem, Walter & NYP (1954) ブラームス ドイツ・レクイエム ワルター - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3FT_d4_XFGA


Mozart-Sussmayr Requiem, Walter & NYP (1956) モーツァルト レクイエム ワルター - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y_VaT3Ox0-Y
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c27

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
28. 中川隆[-11329] koaQ7Jey 2019年11月07日 12:43:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1569]
158名無しの笛の踊り2019/11/07(木) 12:42:02.11ID:XTHFK800

交響曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ

Brahms - Symphony n°2 - New York - Walter - YouTubee
https://www.youtube.com/watch?v=rwrDbIpb4QU

Brahms - Symphony n°3 - New York - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AmHNq8pwWC8


Mozart - Symphony n°39 - NYP - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K5iU1GE2p8U

Mozart - Symphony n°41 - NYP - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sYrPP1TNe-Q
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c28

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
29. 中川隆[-11328] koaQ7Jey 2019年11月07日 13:23:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1570]

弦楽五重奏曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ


Brahms Quintet No. 2 In G Major Budapest String Quartet (1958) LP - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KfwEjPcmutA

mozart String Quintet in G Minor, K.516 - 1. Allegro - YouTube
Takács Quartet · Gyorgy Pauk
https://www.youtube.com/watch?v=aB_L9NS5G3o



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c29

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
30. 中川隆[-11327] koaQ7Jey 2019年11月07日 13:24:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1571]

交響曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。

ブラームスも自分の方が上だと思っていたから わざわざ同じ土俵で勝負したんだよ

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 作品98 ワルター-コロンビア響 Brahms Symphony No. 4 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MW-YqiKcnfo

Mozart - Symphony n°40 - Vienna - Walter 1956 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YQ5tphtHAW8
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c30

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
78. 中川隆[-11326] koaQ7Jey 2019年11月07日 16:12:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1572]
2019.11.07
新自由主義を信奉する勢力と反対する勢力の対立が再び激化してきた

 新自由主義、つまり権力を巨大資本へ集中させようとする政策を巡る対立が世界規模で広がっている。中でも戦いの激しい地域がラテン・アメリカ。ブラジルやエクアドルで新自由主義派が実権を握る一方、アルゼンチンでは反自由主義勢力が大統領のポストを奪還、チリやハイチでは新自由主義的な政策に反対する活動が激しくなっている。そうした中、反新自由主義のボリビア大統領、エボ・モラレスを排除する動きが明るみに出た。

 モラレスは10月20日の選挙で勝利し、大統領を続けることになった。それを嫌うアメリカ政府を後ろ盾とする勢力がモラレス政権の転覆を目論んでいる。ボリビアのラジオ局エルボルが公開した音声にはアメリカ大使館と連携して政治行動を訴える反政府派のリーダーのものがあり、マルコ・ルビオ、ボブ・メネンデス、テッド・クルーズといったアメリカ上院議員の名前も出てくるという。

 新自由主義は1970年代の後半から世界的に広がっていくが、その始まりは1973年9月11日にチリで実行された軍事クーデター。選挙で選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒したのだが、その中心人物はオーグスト・ピノチェト。その背後にはCIAの破壊工作部門が存在、ヘンリー・キッシンジャーがその部門を動かしていた。

 このクーデターではアジェンデ政権を揺さぶるため、アメリカの金融機関やIBRD(世界銀行)がチリへの融資を停止している。1972年9月には労働組合がストライキを敢行、社会を不安定化させていった。

 軍事クーデターで実験を握ったピノチェトはアメリカ巨大資本のカネ儲けに邪魔な人びとを誘拐し、相当数が殺害された。サンチアゴの国立競技場は「拷問キャンプ」と化したと言われている。

 このクーデターで巨大資本に盾突く勢力は潰滅、ピノチェト体制は新自由主義を導入する。シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。この政策を日本へ持ち込もうとしたのが中曽根康弘であり、小泉純一郎、安倍晋三、菅直人、野田佳彦らが引き継いだ。

 新自由主義は「私有化」や「規制緩和」という形で資金や情報を巨大な私的権力へ集中させ、必然的に貧富の差は拡大していく。1%に満たない富豪と大多数の貧困層への分離だ。

 こうした政策は1991年12月にソ連が消滅してから露骨になり、その歪みは急速に深刻化する。そうした政策への怒りは、1999年11月末から12月の初めにかけてのシアトルにおける激しい抗議活動という形で現れた。そこではWTOの会議が開かれていた。そうした運動は2001年9月11日の出来事もあって見えなくなるが、新自由主義に対する怒りが消えたわけではない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911070000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c78

[近代史3] 左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方 中川隆
2. 中川隆[-11325] koaQ7Jey 2019年11月07日 17:45:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1573]
大東亜戦争を画策した左翼は、敗戦の勢いでも日本を共産化できず、本当に悔しい思いでいっぱいだった。

女郎好きの徳田球一みたいな悪党は、女性皇族を強姦するチャンスを望んでいたし、ボルシェビキのように皇族皆殺しを夢見ていた。

共産主義者というのは、人間が持つ最も醜い側面を満載した下郎で、高貴な精神を本能的に嫌う意地汚い連中である。

  共産主義者というのは、丁度、美女を拉致して惨殺する精神異常者と似ている。こうした変態は攫ってきた女性を地下室に閉じ込め、強姦を繰り返し、陵辱皇位に飽きると、じっくりと時間をかけて皮膚や筋肉をそぎ落とす。

彼は女性の怯えた表情に興奮し、彼女が泣き叫ぶと更に興奮する。

このケダモノは手足を縛られ、抵抗できない女性をいたぶることに快感を覚え、首を絞めたり、爪を剥がしたり、あるいは眼球を剔ったりして狂喜する。

犯罪者にとって、獲物が高貴になればなるほど幸福感が増加するのだ。触れてはならない神聖な者に手を伸ばすと、最高のスリルを得られる。ブスよりも美人、平民よりも貴族、伯爵よりも王様の方がよい。天皇陛下と比べたら、ロシア皇帝のニコライ2世なんて蛮族の酋長くらい。

昭和天皇は極上の獲物で、もし捕虜となったら、誰が最初に斧で首を切断するかの口論になったはずだ。日本の庶民なら身震いするほどの悪夢だが、現在の左翼も本質的には同じ野心を抱いている。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68787280.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/671.html#c2

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
155. 中川隆[-11324] koaQ7Jey 2019年11月07日 18:15:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1574]

ウーハーでそのスピーカーのサウンドが決まる - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年11月07日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3d7506d368a4b3279e1aac571efdec33

色々とオーディオの実験をして来ています。スピーカーのサウンドはだいたいウーハーユニットのサウンドで決まります。上述写真 RCA箱フロントロードシステムには最初JBL#2205×2発で使っていました。#2205のユニットでも過不足なく鳴っていたのですが、オリンパスシステムの方で使っていたシリアルNo#7000番台のLE15Aを下側だけ交換して見ましたら、聴き慣れた「オリンパスシステム」のサウンドになってしまいました。LE15Aの重低音がそのまま出てきて、オリンパスシステムと聴き間違うほどでした。(中・高域はほぼ同じユニットを使っている)


オリンパスシステムと同じサウンド傾向では面白くありませんので、後日、D130×2発(16Ω仕様)にしました。やはりD130の「吹っ飛んでくる低音」がこの箱には合います。D130×2発のサウンドを聴いて、身体に浴びせかけるサウンドを聴いたら#2205には戻れませんでした。#2205は#2215と#2220の中間にいて、「中途半端」なサウンドに感じました。D130からは音の波で肌が耳かきの羽毛でくすぐられる様な感触。(1発の場合)、2発の場合、身体に音がぶつかった衝撃を浴びます。


またJBLの1973年以降の「PROユニット」はそれ以前の「コンシュマーユニット」に対し、「コストダウン」されたサウンドになったのを感じました。「雰囲気音」がごっそり無くなっています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3d7506d368a4b3279e1aac571efdec33
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c155

[近代史3] 日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…| 中川隆
3. 中川隆[-11323] koaQ7Jey 2019年11月07日 18:17:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1575]
#2019-11-07 オレの話し。日本共産党の党大会決議案を考える - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=W699bucu8Jg
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html#c3
[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
156. 中川隆[-11322] koaQ7Jey 2019年11月07日 18:27:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1576]
コメント

低音・・・ (kiyasume)2019-11-07 10:17:26

凄いスピーカーシステムですね・・・・


毎回、トレイルさんのオーディオシステムには、
ぶっ飛んで居ますです・・・・

ウーハーが肝、成程、そうですよね。
私は中学の頃、ステレオが買えないので、
近所のスーパーで、ベニヤ板の厚みのある
物を買って来て、

スピーカーは秋葉原で16センチの物を、
一個買って、自作のスピーカーを作った事があります。

ラジカセのイヤフォン端子にそれを繋げて、
聞いて居ました。確かに、音はだいぶ良くは成りました。

何でも、音の良し悪しはスピーカーの大きさで
決まると聞いたのですが、本当でしょうか?

最近は電気的な処理、例えばパワーブースト機能
などで小型のスピーカーでも低音が増幅されますが、
どんな物なのでしょうか?

私は6畳間と5畳半のお勝手の2間の生活なので、
大きなスピーカーは導入出来ません・・・・

今はDENONのミニコンポなので、、
スピーカーも13センチのウーファーと
5センチのツイーターです。

でもアンプに低音の増幅装置がある様なので、
低音は可也出ます・・・

しかし出過ぎで調節が出来ない為、重い音になって居ます。
値段的には2万7千円ぐらいのCDレシーバなので
まあ、ある程度は妥協しなければ成らないかと思って居ます。

一度でいいから30センチ位のウーハーがある
スピーカーシステムを聴きたいと思いますよ・・・

ウーハー (しき(トレイル))2019-11-07 12:21:23

kiyasumeさん コメントありがとうございます。

大きなスピーカー(低域のサイズと性能)程低域が豊かです。
私の装置では500Hz以下(ウーハー受け持ち帯域)で全体の音の70%を出して来ます。

ただ大きければ良いかと云うとそうでもありません。
やはり「部屋の大きさ」にバランスしたサイズが良いでしょう。
20pウーハーもしくは20pフルレンジシステムをサブシステムに作っているのは、一般的なオーディオのサイズで「音質」を追及しているからです。
20pサイズのフルレンジで10畳の部屋を音で満たせます。

電気的な処理(ブーストやイコライザー等)でも音のバランスを変えることが出来ますが、所詮小手先の対策です。基本がしっかりしていればそんなものは要りません。

サウンドは低域・中域・高域の音のバランスの取り方で表情がかなり変わります。自然な音のバランスにすべきです。この自然な音のバランスが判らないと堂々巡りします。

私の経験では機器も大きな音質やグレードを決めますが、ケーブル類の方が「激変」レベルで変わります。(従来のオーディオの盲点)

30pクラスのサウンドを聴きたければオーディオショップに出向いて試聴すればできるでしょう。田舎ではオーディオショップは全滅状態ですが、東京圏ではまだ残っています。他にはJAZZ喫茶等の音楽喫茶で確認できるでしょう。他にはオーディオマニア宅です。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/3d7506d368a4b3279e1aac571efdec33
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c156

[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 3 _ 鴨ネギにされる日本人 中川隆
67. 中川隆[-11321] koaQ7Jey 2019年11月07日 18:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1577]

タイにプチ移住してみた 生活費はいくら必要かリアル検証 2019/11/07
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%81%ab%e3%83%97%e3%83%81%e7%a7%bb%e4%bd%8f%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%bf%e3%81%9f-%e7%94%9f%e6%b4%bb%e8%b2%bb%e3%81%af%e3%81%84%e3%81%8f%e3%82%89%e5%bf%85%e8%a6%81%e3%81%8b%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%ab%e6%a4%9c%e8%a8%bc/ar-AAJZ2zN?ocid=ientp#page=2

実際にタイに移住してわかった日本とのコスパの違いとは?(バンコクの街並み)© SHOGAKUKAN Inc. 提供


 日本人の海外旅行先として人気のタイは、移住先としても注目を集めている

一般財団法人ロングステイ財団が発表した「ロングステイ希望国・地域2018」によれば、8年連続でタイが2位(1位はマレーシア)。

実際にタイにプチ移住したマネーポスト記者が、注目される理由をリサーチする。

 移住先はタイの首都・バンコク。航空券は格安航空会社(LCC)を利用すれば、往復3万円前後。国内でいえば、新幹線で東京駅から新大阪駅間の往復料金くらいだ。セールともなれば、往復2万円を切る安さとなる。

 まず、気になるのは物価事情。タイの物価は日本の約3分の1という話をよく聞くが、実際に現地に住む日本人男性に聞くと、現在では「日本の2分の1から3分の1の間」というのが実情のようだ。

「10年前と比べて物価も上がり、3分の1というのは昔の話です。以前は日本円で月7万円くらいあれば、それなりにいい暮らしができたと思います。でも今は、月に13万円、欲を言えば15万円以上ないと、タイでの“いい暮らし”は難しいと思いますね」(現地在住の日本人男性)

 では、実際に住んでみるとどのくらいかかるのか。

 とにもかくにもまずは、住まいの確保だ。日本語ができる知り合いのタイ人に言わせると、主に駐在員が住む日本人街である、プロンポンなどの高級エリアが広がるスクンビット西側は家賃も相当なものだという。駐在員が住むエリアは、日本の地名で言えば表参道に匹敵するらしい。

 おすすめは東側のエマカイやオンヌット。主にタイ人が住むエリアであるが、日本人もかなり住んでいるという。もしくはバスターミナルがあるアヌサワリー以北が、タイ人にとって人気のエリアで住みやすいと教えてくれた。日本の地名に例えると、世田谷区や品川区あたりの、ファミリー層が住むようなエリアだという。ローカル色はやや強いが、ドンムアン空港に近いこともあり、おすすめ度は高いとのこと。

夏服だけで済むので冬服をそろえる必要はない

 そのアドバイスに従って、家賃がそれほど高くないエリアで、コンドミニアムを借りることにした。1年契約で日本円にして月額3万2000円、ジム・プール付きの分譲マンションだ。日本では、東京都内で単身者向け・約8万円のワンルームに住んでいたので、その“コスパ”に驚いた。契約でオーナーと直接契約なので、仲介手数料はかからないが、前払い金はデポジットとして2か月分必要。ちなみに暑いタイで気になるのは電気代だが、1か月エアコンをつけっぱなしでも3500円ほどだった。日本では真夏に9000円を超えた経験を考えると、電気代も破格だ。

 次に注目したいのは、食費。タイのコンビニ事情はセブン-イレブンがメジャーで、ファミリーマートやローソンは、ちらほら見かけるといったイメージ。セブン-イレブンでは、いわゆるお弁当が日本円で150円程度。屋台も同程度かやや安いといった具合。フードコートでも同様だ。ちょっとおしゃれなタイ料理店であれば、500〜900円も出せばお腹いっぱいになることができる感じだ。

 とはいえ、タイ料理がどんなにも好きでも、日本食が恋しくなるもの。例えば、ファミレス形式のリーズナブルな日本食レストランである「フジレストラン」では、定食で1000円ほど。しゃぶしゃぶやすき焼きのお店では、2000円以上は覚悟した方がいいだろう。日本食は意外と高いということは覚えておいた方がよさそうだ。

 そして衣服。タイの衣服はジーパン800円、Tシャツは300円といったところ。基本的には夏服だけですむので、冬服をそろえる必要がないのは便利。ただし、日本でお馴染みのユニクロは、意外にも日本より1.5倍ほど高かった印象。極端な話、ユニクロが好きなら日本で買ってからタイに渡航した方が安上がりになるかもしれない。

 物価が上がったとはいえ、記者は観光など娯楽費などを含めても、1か月 10万円ほどでタイ生活を送ることができた。少し余裕ある贅沢をしたいなら、月15万円ほどあれば十分といえそうだ。もし、日本の生活に不満を抱いているならタイ移住を検討してみてはいかがだろうか。
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%81%ab%e3%83%97%e3%83%81%e7%a7%bb%e4%bd%8f%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%bf%e3%81%9f-%e7%94%9f%e6%b4%bb%e8%b2%bb%e3%81%af%e3%81%84%e3%81%8f%e3%82%89%e5%bf%85%e8%a6%81%e3%81%8b%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%ab%e6%a4%9c%e8%a8%bc/ar-AAJZ2zN?ocid=ientp#page=2
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html#c67

[環境・自然・天文板6] 《温暖化しないといけない地球》まず間違いなく殆どの人がこの珍現象を認識しておらず、誰も科学的に説明できないであろう事!… お天道様はお見通し
1. 中川隆[-11320] koaQ7Jey 2019年11月07日 21:43:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1578]
>この地球モデルだと、地球は46億年の時間を掛けても、熱的平衡には至らなかったということになります。

太陽から電磁エネルギーを得ているから熱的平衡になる訳ないだろ
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/789.html#c1

[環境・自然・天文板6] 《温暖化しないといけない地球》まず間違いなく殆どの人がこの珍現象を認識しておらず、誰も科学的に説明できないであろう事!… お天道様はお見通し
2. 中川隆[-11319] koaQ7Jey 2019年11月07日 21:46:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1579]
大雑把に言うと


V(→)は流速の三次元ベクトル


・連続の式 : ∂jV(→)j = 0

・運動方程式 (Navier–Stokes 方程式)

ρ・DV(→)i/Dt = ∂(ρ・V(→)i)/∂t + ∂j(ρ・V(→)j・V(→)i ) = B(→)i -∂iP - μL・ V(→)i

・エネルギー方程式

ρ・DHtot/Dt = ∂(ρ・Htot)/∂t + ∂j(ρ・ V(→)j・ Htot)
= ∂i(λL・∂iT) + ∂P/∂t + V(→)i・B(→)i - Q + ∂j[μL・V(→)i (∂i V(→)j + ∂j V(→)i)]


地球の平均比熱 C、 温度 T、 時間 t


C・dT/dt = 1sec に太陽から地球に入射する電磁エネルギー - 1sec に地球から宇宙空間に放射する電磁エネルギー


という熱バランス方程式を元に計算すると、地球温度が250℃で熱平衡に達する
(地球から宇宙空間に放射する電磁エネルギーは大気中の二酸化炭素濃度が増えると激減する)


もう少し正確な話は

地球の温度と温室効果
http://www.s-yamaga.jp/kankyo/kankyo-kankyo-3-1.htm


_____

地球が多数の微惑星や惑星胚が衝突・集合してできた46億年前には、衝突エネルギーによる高温で地球表面の岩石が溶解してマグマオーシャンを形成していたと考えられる[14]。

月ができた原因を原始地球と他の惑星との衝突にあるとするジャイアント・インパクト説では、衝突の直後は地球全体が高温となって地球全体を覆うマグマオーシャンが形成されたとされる。 地球は誕生時の温度が最も高く現在も徐々に冷えているため、20億年以上前には現在のどのマグマよりも高温(1600℃)でマグネシウムを多く含むコマチアイトマグマが形成された[15]。

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/789.html#c2

[環境・自然・天文板6] 「地球温暖化」の虚構 (その二) お天道様はお見通し
10. 中川隆[-11324] koaQ7Jey 2019年11月07日 22:17:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1574]
>>9 はデマ

NASAの見解『地球温暖化が進んでいる事実は覆らない』

最後に、NASAの見解が明らかになった、ある出来事について紹介したいと思います。


↑Facebook上で、アメリカのある人気科学教育者のBill Nye(ビル・ナイ)氏が


「映画『Climate Hustle』のマーク・マラノは気温が上昇するかという賭け(2万ドル)を拒否したのは、地球温暖化が事実であることを知っていたからだ」

という投稿をしたからです。

それに、噛み付いたのが世界中の地球温暖化懐疑者たちです。

さらにはNASAの公式アカウントも出現し、地球温暖化が事実であるという見解を示しました。
https://22nd-century.jp/environment-issues/global-warming-fake/
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/787.html#c10

[環境・自然・天文板6] 《温暖化しないといけない地球》まず間違いなく殆どの人がこの珍現象を認識しておらず、誰も科学的に説明できないであろう事!… お天道様はお見通し
3. 中川隆[-11323] koaQ7Jey 2019年11月07日 22:18:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1575]
NASAの見解『地球温暖化が進んでいる事実は覆らない』

最後に、NASAの見解が明らかになった、ある出来事について紹介したいと思います。

↑Facebook上で、アメリカのある人気科学教育者のBill Nye(ビル・ナイ)氏が


「映画『Climate Hustle』のマーク・マラノは気温が上昇するかという賭け(2万ドル)を拒否したのは、地球温暖化が事実であることを知っていたからだ」

という投稿をしたからです。

それに、噛み付いたのが世界中の地球温暖化懐疑者たちです。

さらにはNASAの公式アカウントも出現し、地球温暖化が事実であるという見解を示しました。
https://22nd-century.jp/environment-issues/global-warming-fake/

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/789.html#c3

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
31. 中川隆[-11328] koaQ7Jey 2019年11月08日 03:52:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1570]

オーケストラ曲は誰が聴いても

ブラームス >> モーツァルト だよ。


Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=otpoMv9tgS4

brahms Alto Rhapsody, Miller & Walter (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=179or2CG91M

Brahms='Tragic' Overture=Bruno Walter '53 in 'New Estereo' - YouTube
Walter, The New York Philharmonic
https://www.youtube.com/watch?v=HZo4__WUjtI

Brahms - Haydn Variations (Walter - Columbia SO) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UNw4hni9vNw

EINE KLEINE NACHTMUSIK (MOZART)
B.WALTER,VIENNA PHILHARMONIC - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3IaBdcsg5Q0


モーツァルト フリーメイソンのための葬送音楽 K.477
ブルーノ・ワルター コロンビア交響楽団 1961年3月8日
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19301520?ref=search_tag_video&playlist=eyJpZCI6InZpZGVvX3dhdGNoX3BsYXlsaXN0X3NlYXJjaCIsInNlYXJjaFF1ZXJ5Ijp7InR5cGUiOiJ0YWciLCJxdWVyeSI6IuODluODq-ODvOODjuODu-ODr-ODq-OCv-ODvCIsInBhZ2UiOjEsInBlclBhZ2UiOjMyLCJzb3J0IjoiK2gifX0&ss_pos=4&ss_id=e1e2a9c3-d000-4425-8062-b778d7c35698

ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィル
モーツアルト「3つのドイツ舞曲」「皇帝ティトゥスの慈悲序曲」
https://www.youtube.com/watch?v=0XOQoOAA7Zo

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c31

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
32. 中川隆[-11327] koaQ7Jey 2019年11月08日 04:26:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1571]

162名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 00:06:39.57ID:nGjAuck/>>166

女性が聴いて性的に興奮するブラームスの名曲と言えば?


166名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 01:22:05.35ID:ChJpgzW2
>>162
ピアノ協奏曲1番の二楽章かな

ともかくフロイト的な見方をすると
室内楽やらピアノ小品なんかあちこちで見え隠れするけど、
例によって晦渋さで塗り込められてるとこが多いので
宇野コーホー氏は、そういう女々しさを嫌ったのでしょう

グリモーのやつなんか最高にエロチックだわな
ちょっとキモい


Hélène Grimaud Plays Brahms Piano Concerto No.1 Maestoso - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jctfNq9rKI8

Staatskapelle Berlin Orchestra
Kurt Sanderling(Conductor)


Hélène Grimaud – Brahms Piano Concerto No.1 & 2 - Wiener Philharmoniker (Trailer) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0sfG_l5Npcg
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c32

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
33. 中川隆[-11326] koaQ7Jey 2019年11月08日 04:56:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1572]

グリモーは美人ですね


Hélène Grimaud Plays Brahms Three Intermezzo Op. 117 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oyFYDwxUmIA

1.Andante Moderato (00:00)
2.Andante non Troppo (04:33)
3.Andante con Moto (08:58)


6 Klavierstucke, Op. 118 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DuUj1u5wjfY
https://www.youtube.com/watch?v=H8aCBuGt9Ug
https://www.youtube.com/watch?v=ASG0A7KAS4M
https://www.youtube.com/watch?v=4OnCP9jjI6Y
https://www.youtube.com/watch?v=6fKdrC6Tw1Y
https://www.youtube.com/watch?v=H4rwU0Vmy4g


Hélène Grimaud Plays Brahms Four Pieces Op. 119 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gT496p0C7NM

1. Intermezzo-Adagio (00:00)
2. Intermezzo- Anadantino un poco agitato (02:44)
3. Intermezzo- Grazioso e giocoso (07:31)
4. Rhapsodie- Allegretto risoluto (09:21)


Helene Grimaud Brahms Piano Sonata No 3 Op 5 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=n4GnS9cjulg



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c33

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
34. 中川隆[-11325] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:00:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1573]

フランス女性もブラームスが大好きなんですね


Brahms Piano Sonata No.2 op.2 - YouTube
Hélène Grimaud, piano
https://www.youtube.com/watch?v=gcZ3pzGdm7A


brahms 16 Waltzes, Op.39 - 15. In A-Flat Major (Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UP6oS-9qLp4

Brahms: 16 Waltzes, Op.39 - 15. In A-Flat Major (Live) · Hélène Grimaud
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c34

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
35. 中川隆[-11324] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:27:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1574]

美人は得なんだ


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c35

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
36. 中川隆[-11323] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:33:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1575]

美人は得なんだ



















http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c36
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
37. 中川隆[-11322] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:36:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1576]

美人は得なんだ


















http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c37
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
38. 中川隆[-11321] koaQ7Jey 2019年11月08日 05:42:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1577]

美人は得なんだ















http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c38
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
235. 中川隆[-11320] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:14:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1578]
平野憲一の株のお話 2019.11.08 「何でものみ込む株式市場」どこまで。

 7日のNY株。

 ダウは182.24ドル高の2万7674.80ドルと再び史上最高値を更新、ナスダックも23.89ポイント高の8434.52ポイントと小反発。

中国商務省が「アメリカ側と段階的な関税引き下げで同意している」と明らかにしたことで、ダウは一時280ドル高となりました。


 日本株。
 どんなリスク材料でも飲み込んで、下げない市場はこの日もソフトバンクGの決算ショックをトヨタの力(好決算と自社株買い)を借りて簡単に消化しました。

一寸スピードが速すぎますが、以下の理由で下げません。


@ カネ>株

A パッシブ化で売らない買い方の増大(自社株買いと日銀ETF買いを含む)

B 債券から株へのグレートローテーション

C 日本企業の業績は厳しいが来年回復する

D 買っていない(世界経済のスローダウンで強気になれない投資家)

E 中国のGDP倍増計画では6%以下の成長は許されない(なんでもやる)、米国大統領選挙で下げさせられない

F 東証一部売買代金3兆円は1日だけ(まだ過熱していない)

G 日本株は下げ過ぎていた


 今日も高そう。何とか下げて出遅れ投資家に買わせてほしいと願うばかりです。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c235

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
39. 中川隆[-11319] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:26:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1579]

エレーヌ・グリモーは共感覚者

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。

例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。


音に色が見える共感覚

色聴と呼ばれ、日本にも専門の研究者が存在する。


共感覚者であると確証される現在の海外の人物

共感覚者であることを第三者が確証できるほどの極めて具体的な自らの共感覚の例を掲げた著作・芸術作品などの活動が確認できるほか、大学などの研究機関において被験者として検証実験を受けたり、研究者の著作・学術論文中にて引用・言及されており、共感覚者であると確証するに足る人物を挙げる。


エレーヌ・グリモー (ピアニスト)

アメリカ公共放送PBSとのインタビューで本人が語っている。


Helene Grimaud interviewed by Alexis Bloom for Quick Hits







いつもCは黒、Bは青、Fは赤、リストの曲は金色がかった色調に感じる。


また、11歳の時にバッハの平均律クラヴィーア曲集Fシャープメイジャー(嬰ヘ長調)のプレリュードを弾いている時に明るい暖かな赤とオレンジの間の色調を感じた。

数字にも色を感じる。2は黄色、4は赤、5は緑。

曲によってはいつも特殊な色の世界を感じる。時によって調性に影響される。

Cマイナー(ハ短調)は黒、Dマイナー(ニ短調)は青。

ベートーヴェンのテンペストソナタは黒、合唱幻想曲は黒、緑、赤、黄色のらせんを感じる。

___


マイケル・トーキー(作曲家)

音階や母音などに色を感じ、その色を主題として題名に取り入れたバレエ音楽『グリーン』『エクスタティック・オレンジ』などを作曲した。インタビューの中で、ひとつの実験として始めたが、特定の趣を押し付け「観客が音楽を楽しめる幅を狭めてしまったのではないか」と心配もしたと述べている。


___


イツァーク・パールマン(ヴァイオリニスト)

パールマンは、G線でBフラットを弾くときは深緑色、E線でAを弾くときは赤を感じる。

____


フランツ・リスト(作曲家・ピアニスト・指揮者)

オーケストラを指揮したとき、「ここは紫に」など、音を色として表現した指示ばかり出し、団員たちが困惑したエピソードが有名[要出典]。


____


女性の高い声を「黄色い声」などと言うように、人類、あるいは特定の環境・文化において複数の種類の感覚を結びつける比喩的習慣が広く存在するが、共感覚はそのようなものと直接は関係しておらず、共感覚を持たない人には感じられない上述の数字に色を見るなどの感覚を、主観的な知覚現象 (クオリア) として生々しく感じている。

共感覚は五感のような基本的な感覚の種別に関してだけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある。 共感覚者の間での複合した知覚の関係に相関は認められていない。 例えば、ある人がある文字を青く感じたとしても、他の共感覚者が同様に感じる傾向があるとは限らない。

共感覚を手がかりに主観的な心の世界と客観的な脳との関係を深く探る手がかりとしようとする研究が継続的に行われている。

赤ちゃんにおいては視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚等の異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出しており、通常その後の成長による感覚の発達にともなう脳の結合の変化によってこうした共感覚は失われていくとされる。この場合、成人して共感覚を保持している人は発達の過程で何らかの理由で脳の異なる部位への結合が保たれ、これらの複合した知覚もそのまま保たれているとする説もある。

共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる知覚は「色聴」といわれる。

絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。

また、色聴は共感覚の中で一番発生率が高いと報告されている。

色を感じる音にも様々なものがあり、音程、和音、単語、または音楽自体が聴こえることもある。 似たような感覚として「音視」というものもある。これは色に形や音が聴こえるという色聴とは反対の感覚である。


かつては共感覚で感じる知覚というのは共感覚者によって異なるとされてきたが、最近の研究では、多くの被験者を対象にした実験の場合、知覚にいくつかの共通点が見られることが分かった。

例えば、聞こえた音に色が付いて聞こえるサウンド・カラー共感覚(sound-color synesthesia:色聴)保有者の集団実験では、高い音ほど明るい色に見えるという傾向が見られたという。

また黒字の文字を見ても別の色に見えることがあるというグラフィーム・カラー共感覚(grapheme-color synesthesia:書記素色覚)保有者の集団実験では、やはりある文字には似たような色を感じる傾向があるということがわかった。

ところが、ある傾向が見られることは確かだが、あらゆる種類の共感覚があり、いずれの共感覚にしても個人によって誘因や症状の度合いは異なることも分かっている。この多様性のせいで、個人のもつ共感覚を定義するのは容易なことではないし、彼ら自身、自分の持っている感覚に名前が付いていないことに気付いていないことが多い。



色の付いていない文字なのに色が付いて見える人がいる。これを共感覚という。また、音声に色がついて見える人や、円周率の数列に美しさを感じる人もいる。
神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。


1.共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。 [訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。

2.共感覚は無意識的に起こる。

3.共感覚の知覚表象は一貫性がある。

4.共感覚はきわめて印象的である。

5.共感覚は感情と関係がある。


シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。


共感覚者の多くは子供のころに他人とは異なる隠れた感覚に気づく。

そして彼らは自然とその感覚を日常生活に適用させていく。

また、共感覚で人の名前を覚えたり、電話番号を覚えたりすることに使うこともあれば、暗算に利用することもできる。しかし同時に、絵画・映画などの視覚的な作品や音楽を創造する上での困難になることさえある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c39
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
40. 中川隆[-11318] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:30:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1580]

野生のしらべ – 2004/5/11 エレーヌ グリモー (著)
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


2007年06月28日 狼女=エレーヌ・グリモー


・性別: 女性。
・姓名: エレーヌ・グリモー Helene Grimaud。
・何人?: フランス人。
・何者?: クラシックのピアニスト。
・生年月日: 1969年11月7日生。
・備考: 美人ドキドキ


対称性の強迫


・子供の頃は奇行と奇癖の目立つ問題児。集団生活に馴染めず、いじめられっ子で友達もできなかった。


・幼少時からの対称性の強迫行為。勉強机の上で本の両側に同数の鉛筆が配され、本はノートから等距離に並べられなければならない。靴紐は両足とも同じようになるまで結んでは解いてを何時間も繰り返した(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』p.59)。


・コンサート・ピアニストになってからも強迫行為は暫く続いた。演奏旅行中に投宿したホテルの家具や備品を左右対称に並べ替えないと気が済まない。コンサート後は疲れているにもかかわらず、気を利かせたメイドが凝りに凝った強迫的ディスプレイを元に戻してしまったと確信して、恐れつつ電気も点けずに、ベッドルーム、バスルーム、洗面台と巡り、全てを並べ直して回った(同上。p.59-60)。


・しかし日本を演奏旅行中のある日、ホテルに帰り疲労の極致にあって猶、イルカのプリントされたセーターをその柄が上下左右対称になるよう物差し(!)を使って折り畳んでいた時に、発作的にセーターを窓から投げ捨て、以後強迫症状は止んだ(同上。p.60)。


・楽器の演奏やスポーツ等、完璧の追及が要求される営みには生得的な強迫的性格が必要、とエレーヌ・グリモーは主張する(同上。p.65)。


就眠の儀式


・眠る前にベッドの中で、教理問答で習った祈りを一定の規則で繰り返し声に出して唱える。そうして漸く眠りに就くことができた。言い間違えたり、発音やイントネーションが気に入らないと最初から唱え直し、満足するまで何時間でも続け、時には明け方に疲れ切って眠り込む、ということもあった(同上。p.51-52)。


・後、この儀式は音楽で役立つことになる。音楽学校の試験前夜、課題のシャルパンティエがどうにも退屈で憶える気が起こらず、諦めて床に就いたが、突然祈りの習慣が甦り、無意識的にスキャンされていたシャルパンティエの譜面を全て、かつて祈りを反復したようにリズムとアクセントに満足が行くまで飽くことなく繰り返してイメージ・トレーニングし、翌日試験ではその曲を完璧に弾きこなした(同上。p.52-53)。


自傷行為或いはエンドルフィン嗜癖(?)


・自傷行為が対称強迫の対象となる。6歳の時、母の故郷コルシカの海岸でかかとに傷を負い、麻酔無しで縫合の手術を受けたのだが、その最中に思わず笑みがこぼれるほどの至福感を体験する。たぶんエンドルフィン(*)が大量に分泌されたんだと思う。しかし心配する両親を尻目にめくるめく快感に浸っている自分に対して後ろめたさを感じてしまい、苦痛と涙を装ってことがこじれる。数分後に全ては忘却されたが、これを契機に全ての障害が始まった、とグリモー自身は記している(それが隠蔽記憶でなければね)(同上。p.40-44)。

(*)エンドルフィンについては ↓

「報酬系・ドーパミン・渇望:コルトレーン、ヘロインを断つ その16」
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10017910374.html

「練習による依存の適正な代替:コルトレーン、ヘロインを断つ その28」 参照。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10025913975.html


・数年後、砂利道で偶然転んで膝に傷を負い、生を強く実感、エンドルフィン体験が甦る。自傷行為が勃発し、しまいには対称強迫と連動して右手に傷をつけると左手にも傷をつけないではいられなくなる。両手・両膝・両肘に絆創膏を貼った以前にも増して奇妙な子供とグリモーはなってしまう。(同上。p.57-59)。


[覚書: エンドルフィンは自傷行為が習慣化する理由の一つであるかもしれないが、事後的に(或いは発端として)生ずる自罰衝動はエンドルフィンでは説明できない? やはりエンドルフィンだけではタナトスを説明できない? そりゃそうか。]


・7歳の時、情操教育のため(まあ、問題児だったから)両親に音楽教室へ連れて行かれ、女性ピアノ教師が弾くシューマンを聴き、深く魅惑される。

自身の内奥から生ずる魔力、とグリモーは表現するが、それってやっぱエンドルフィンじゃないだろうか(音楽に感動するとエンドルフィンが出ます)。明らかに音楽はグリモーの性に合っていた。以後ピアノにのめり込み、自ら進んで練習する。両親はさらに偏った性格になるのではないかと心配するがもう遅い(*)。音楽という全く別種の刺激に触れて報酬系は新たに賦活され、グリモーを猛烈に駆り立てる。それかあらぬかパリ音楽院に入学した13歳の頃に自傷行為は自然に消えた(**)(強迫性プラス報酬系駆動、というのはコルトレーンの生涯を理解する上でもかなり参考になる)。


(*)この辺はグレン・グールドとちょっと似ている。手袋おやじも子供の頃はむちゃくちゃ練習大好きで、変人になることを危惧した両親から練習時間を日に4時間と制限されていた。そしてグールドもまたグリモー同様友達のできないいじめられっ子だった。しかし性格はちょっと(いやかなり)違う。グールドの場合は強迫じゃなくって分裂病質だとかアスペルガー症候群だとか言われたりしている。ミシェル・シュネデール『孤独のアリア』、宮澤淳一「グールドと精神医学」(KAWADE夢ムック文藝別冊『グレン・グールド』)参照。
(**)『野生のしらべ』p.64, p.59


・エンドルフィン仮説(ドーパミンでもいいけど)をさらに裏付けるのは、くたくたになるまで運動することを好んだ、というエピソード。延々と続く歩行や階段の駆け上り、バーベルや鉄アレイ、ランニング・マシーンを通じての肉体の酷使。この女、疲労を超越した快楽の味を占めているのが見え見えですぜ、ニセ医者の旦那(ちなみに歩行やジョギングといった反復運動はセロトニン神経を活性化する。セロトニンについては後で触れるかも)(同上。p.256-257)。


狼大好き


狼マニア。「狼女」たる由縁の症状。

アメリカ移住後、狼と運命的な出会いを経験、強く嵌り込む。

狼について大学で勉強し、果ては土地を買い込み放し飼いにして狼保護センターを設立するに至る。狼についての生物学的・博物学的な知識は『野生のしらべ』にも惜しみなく投入され、自伝的エピソードのカウンター・メロディを成す。気に入るととことん強迫的(いちず、とルビを振りたい)になるタイプみたいです。狼のために恋人も捨ててしまいました。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10038082588.html

▲△▽▼

アンニュイな魅力のエレーヌ・グリモー 
http://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2016-02-04

エレーヌ・グリモーというピアニストは、昔からCDをずっと聴いていて馴染みのあるピアニストではあった。

今年2月に久しぶりの新作を発表し、「ウォーター」というタイトルでDGから発売される。それに伴い、じつに5年振りの日本でのリサイタルも開いてくれるようで、楽しみ。

彼女の容貌や、その全体像から香りでるような、なんともいえないアンニュイなフンイキ......
(以下掲載する写真は、FBでの彼女の公式ページからお借りしております。)

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彼女の生い立ち、そして彼女の人となり、人生観・価値観みたいなものが、いわゆる普通の可愛い女性とは少し違うというか、一線を画した、少し表現が悪いけれど、「ちょっと変わった女性」的な摩訶不思議なところに妙に惹かれるものがある。

そういう意味も含めて、彼女の生い立ち、人となりを本で読んでみたいと、ずっと捜していた。

去年、フィルハーモニー・ド・パリでのCDショップで購入したグリモーの本。


もちろんフランス語で書かれているので読めないので、記念として買った意味合いが多かった。

でも彼女のことをもっと知りたい.....そんなことから日本での書籍がないか調べた。


野生のしらべ
エレーヌ・グリモー
北代美代子 訳
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


内容はグリモーが自分の人生を振り返るもので2003年に書き上げた自叙伝、それを北代美代子さんが和訳されてランダムハウス社から和書として発売されている。彼女の生い立ち、人生観が書かれていて、とても自分にはタイムリーな本に思えた。

これを読了して、彼女の人生を知ったとき、なぜあのような独特のフンイキがあるのかが、理解できたように思えた。偶然ではないのだ。やはり、それ相応の試練の人生を歩んできているからこそ醸し出されるオーラなのだ、ということがわかった。

だが、和訳本にありがちなのだが、1冊丸々読んでみたところ、正直大変読みづらく、わかりにくい。日本語の文章がスムーズでなくて頭に入ってこないのだ。何回も読み返さないと全体が掴めなかった。

彼女のことをもっと、もっと知ってほしい、という一念から、この本の所々の抜粋をして、自分のコメントを少々入れて、パブリックドメインにするにはギリギリいいかな、というレベルの自己判断の元、日記にしてみることにした。


目的は、全体の流れがわかりやすいように、彼女の人生がキャプチャーできるようにまとめること。
そして、この本に興味を持ってもらって一人でも多くの方に読んでもらいたいように誘うこと。

(読んでみて問題あるようでしたらコメント示唆ください。)

彼女のCDも昔から、いろいろ持っていたが、今回のこの日記を書く上でさらに買い増して、このような布陣で臨む。

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グリモーは、フランスのエクス=アン=プロヴァンスの生まれ。

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小さいころから、言うことを聞かない、「ひとりの友達もつくらず」「人と違って」いた。左右対称性に異常にこだわる、という病気でもあって、自傷行為まで見せるようになって、心配した母親がその有り余るエネルギーをピアノに向かわせたところから、彼女とピアノとの出会いが始まる。

左右対称性の異常は、体の一部に傷がついた場合は、必ずその反対側にも傷をつけたいという欲望を感じるようになるし、自分の領土も同じように左右対称に整理されている必要があった。

勉強机の上では本の両側に同じ数の鉛筆がなければならず、本はノートの周りに同じ距離をとって並べなければならなかった。片方の靴ひもが反対側ときっちり同じになるまで結んでは、ほどきを繰り返したり.....

この対称性への強迫観念は自傷行為にまで到り、両親を悲しませ、音楽学校、ピアノに向かわせようとする。

もうこの頃からふつうではない、彼女独自の「人と違った」世界が広がっていた。

「人と違う」ことを生きることは、たとえばグリモーにとって小学校に通うこと自体、耐えがたい苦痛であって、それを救ったのが彼女が音楽的才能に恵まれていたということ。

ピアノを通じて、自己実現の手段、自分のありうる場所を見つけるようになれた、ということだった。

1982年13歳でパリ国立高等音楽院に入学して、その才能を開花させるものの、必ずしも順調ではなかったようだ。

入学試験はショパンのピアノソナタ第2番&第3番の第1楽章。この頃からグリモーは、ショパンに対して自然と通じ合うものを感じていたようだ。大いなるエレガンスと究極の洗練を持つ、そしてなによりも自分の感性に溶け込んでくる、と言っている。

そうして、もう一人尊敬している音楽家、ピアニストとして彼女が挙げているのがコルトー。その創意と音楽性、そしてある意味での完璧さの欠如。〜ダンディの襟元でほどけたネクタイのように〜とつねに称賛していた。コルトー版での指使いとペダルがきわめて錯誤的とも......

15歳になったときに録音、つまりCDを出すチャンスに恵まれる。彼女自身が望み選んだ作曲家がラフマニノフ。


グリモーは、もともとラフマニノフの音楽が、そしてそのピアノ協奏曲のなかではとりわけ一番身近に感じた「第二番」が好きだったようだ。たとえば、初めのフレーズですべてが語られてしまう「第三番」とは正反対に、「第二番」には冗長さという欠点がまったくない、と言い切っている。

自分は「第二番」より圧倒的に「第三番」派なので(笑)、そういう嗜好、考え方もあるんだな、と考えさせられた。自分は、第三番のあの初めのフレーズが全体を貫く共通主題になっていて、全体の統一感・様式美を決めている......そういう部分が特に好きなので、グリモーの考え方とは全く逆なのである。


ラフマニノフの音楽は当時の音楽語法に逆行していて、さまざまな分野で「革命」そのものが時代の流れであったとき、同時代のラヴェルやバルトークが組み込まれることになる動きが誕生していた、まさに、そういうご時世に、ラフマニノフは変わることなくロシア・ロマン主義に執着し、チャイコフスキーがその名を高らしめた音楽形式に忠実だった。

彼女は、このピアノ協奏曲「第二番」について、もう巷では有名なラフマニノフが交響曲第1番で大失敗してノイローゼになって、この曲で復活するまでの経緯を事細かく説明して、その感動をこの本で我々に伝えようとしていた。彼女のこの曲に対する情熱と言うのがひしひしと伝わってくる。

彼女の最初のCDはアムステルダムで録音された。

16歳以降になってから、ブラームスに傾倒。周囲からはイメージに似合わないと随分反対されたみたいだが、彼女のブラームス愛は相当のもので、どうしてもレパートリーとして加えたいと願うようになる。


ブラームスのどのような作品を聴いても、彼女にとって「知っている」という感覚を持つらしく、なにか自分のために書かれているように感じる....自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚.....そういう信じられないような親近感を持つらしい。

この本に書いてあるグリモーの「ブラームス讃」は、もう本当にとりとめもないくらい、何ページも費やして、そして限りなく熱く語れているのだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番もすばらしい作品としてCDとして完成させている。こうしてみると彼女は、15歳にしてはじめてCD録音をしてからおよそ20作品ほどの録音を世に送ってきているのだが、自分の想いのたけの作品を着実に録音という形で世に送ってきているのだということが実感できる。(このあたりの作品の解析は、次回の日記で試みます。)

このように自分の存在感、自己表現として音楽、ピアノの道を歩むものの、「自分の音を見つけ出す」ために悩み、フランスの伝統的な音楽界が自分に課してくるステレオタイプのイメージに随分苦しめられたようで、このままここにいても、という閉塞感から、パリ音楽院を離脱して、アメリカ移住を決心する。

でもその前に、1980年代の終わりごろに、マネージャーとの出会いも含め、国外でリサイタルを開けるようになったころの話を書かないといけない。ドイツ、スイス、日本、ロンドンなどなど。グリモーは空港が持つあの独特の雰囲気が大好きのようだった。

これは私もそう。毎年、海外音楽鑑賞旅行に出かけるときの、出発するときの羽田や成田のあの雰囲気、とてつもなくワクワクして、これから始まるちょっとした冒険に心踊るような子供のような感覚....とりとめもなく大好きである。

グリモーは、この時期に人生を決定する大事な出会いをする。

マルタ・アルゲリッチ。

マルタは、その通り道ですべてを押しつぶして進む力であり、絶対的に君臨する生の躍動である。
内面のできごとを全的に感じ取る。風のような女性だ。

彼女とのパートナーでもあったギドン・クレーメルとも大きなパートナーになってもらい、彼女がパリを離れるときにマンションを貸してくれたりしている。

マルタは、まわりに集まる若い音楽家の群れを、考えられないような寛大さで養っていたという。(笑)

そういう中間の過渡期を経て、グリモーはアメリカでのコンサート・ツアーの話を持ちかけられる。
このときは彼女は英語はまだ話せなかったようだ。

このアメリカツアーのときに、もう自分は帰らない、という決心をする。

パリで扉に鍵をかけ、ジーンズを二本ばかりと洗面用具入れ、旅費の代わりに数冊の本をスーツケースに投げ込み、そうしたあと、すぐにフロリダ州の州都タラハシーの住民になっていた。

森林におおわれた平らな田園地帯にある恐ろしく退屈な町。

そこでグリモーが引っ越してきたことに町の人は気づき、自然の外でホームパーティを開いてくれた。

そのとき、「気をつけたほうがいい。あそこには男が住んでいる。ベトナムの帰還兵だ。頭がちょっとおかしい。危険なやつだと思われている。」と言われる。

そして数日後に深夜に眠れなくて譜読みとかするとますます目が冴える、そして深夜の闇の中に散歩に出かける。

その瞬間、グリモーは、初めてそれを見た。

犬の姿をしている。でも瞬間的に犬ではないとわかる。
闇の中でその動物は鋭い眼光で、グリモーを見た。彼女の全身に震えが走った。

その後方に男が立っていた。町の人に教えてもらっていた危険な男、ベトナムの帰還兵だった。

2人は立ち話をして、その男はおもむろに自己紹介をする。グリモーがクラシックの音楽家であることを告白すると、自分もクラシック音楽が大好きで、レコードをたくさん持っている。好きな時に聴きにこればいい。

グリモーは、この誘いをちょっと荒っぽいと思ったらしいが(笑)、その動物は?と聞き返す。

これは狼だ。これがグリモーの狼とのはじめての対面。

狼は、柔らかな足取りで、彼女に近づいてきて、左手の臭いを嗅ぐ。
すると狼は、自分のほうからグリモーの手のひらに頭を、そのあと、肩をこすりつけた。
その瞬間は彼女は全身に電流が走る、電光のような火花を感じる。

そうすると狼は、仰向けになって横たわると、グリモーにお腹を見せた。

男は、「こんなのははじめて見た。自分に対してもこんな姿を見せることは滅多にない。」

最初の初対面で、グリモーは狼との運命の結びつきを感じ取る。

狼の社会〜群れ〜は人間社会と奇妙に似ている。それは体育会系の民主主義で、他の個体からリーダーと認められたものは、力、速さ、狩りの腕前だけで支配するのでなく、大きな部分を心理的影響力に依存している、と言われている。

この男との出会いから、グリモーはこの狼と恋に落ちてしまった。
この狼と会いたいがために、何回も訪れて、何時間もいっしょに過ごした。
狼からの愛情の交換は強烈で豊かだった。

不意に襲い掛かってくることもある。

狼のほうから愛情表現をされ通じるものを、狼は彼女の中に見出したのだ、と思う。双方にとって運命の出会いですね。

狼といっしょに過ごすことで、お互いどんどん相通じるものを感じ合う。
それからというもののグリモーは、狼に会いたいがためにしょっちゅうその男の家を訪ねる。

愛情という点について、狼はグリモーの人生の中でもっとも重要な存在になる。

これをきっかけにグリモーは動物行動学の勉強を始める。
さまざまな講演に出席する。アメリカ国内を歩き回り、専門家が狼の生態と行動を研究している保護区を訪ねたりした。

音楽、ピアノの割く時間は当然減らすことになる。レパートリーの幅を広げず、同じ曲の追及。注意を室内楽に集中した。

グリモーは、狼の行動学、研究そして自然復帰とだけを目的とする財団と公園を創設したかった。
狼の群れを住まわせる土地を買うために、コンサート出演料のすべてを貯金した。

そこでまず目的を達するために、いったんこの男と狼と分かれ、ひとりニューヨークに出る。ひとりゼロからの出発。五番街にバッグを下ろす。

目的の資本金に手をつけないがために、厳しい食生活、貧困の生活の一途。
電話帳を片手に政府機関を訪ね、コンサート用のステージ衣装のほかは、たった一枚しかなかった着替えを洗濯をするためのコインランドリーを探したりした。

3年。ようやく落ち着いてきたのが1997年。

自ら望んだ不安定な生活を両親に知らせることもなく、極秘に暮らした。
まさにバヴァロッティとヨーヨーマくらいしかクラシックの音楽家は知られていないクラシック不毛の土地。

ピアノの練習の条件がこれほど厳しいことはなかった。
まず、自分のピアノがなかった。


練習したいときは、五十七番街のスタンウェイ社にいくか、お金を払って2,3時間ピアノを借りた。

ようやく2001年にはじめてコンサート・ピアノ、スタインウェイDの所有者となった。

でもグリモーには狼たちがいて、音楽があった。

来る日も来る日も狼の囲い用の土地を探すために懸命になった。そんなある日、不動産屋から連絡があって、ついにグリモーにとっての天国の土地を見つけてくれた。

地元当局との果てしない交渉の結果、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。

30名ほどの従業員を雇用。(現在はわかりませんが。)最初の狼数匹を収容した。
センター設立後は、1999年に750名の子供が、2002年には8500人が訪れるようになった。

グリモーの最大の楽しみにしていることのひとつは、夜、囲いの狼たちのそばで音楽の研究をすること。

そして、コンサートの出演料はすべて、この施設の運営費、狼の養育費に充てられ、それが尽きてくると、またコンサート遠征に出かける、という毎日。

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なんと野性的なんだろう!彼女の野性的で摩訶不思議なオーラがいっぱいなのは、このような人生を歩んできているからなのだ。

表面的な生き方をするだけでは絶対得られない、修羅場の人生を歩んできたからこそ得られる”本物”の凄み。

この彼女の人生を書き綴った(彼女自身の独白本)、この「野生のしらべ」という本は、もっともっと詳しく内省的に彼女の心情描写を綿密に描いています。


自分は、それを何回も読んで全体のシナリオが見えるレベルで掻い摘んでいるに過ぎなくて(パブリックにできるギリギリのレベルという自己判断ですが.....)、5月の彼女のリサイタルの前に、ぜひ読んでもらいたい本と思ってこの日記にしました。この本を読み終わったとき、ほんとうに感動してしまい、ぜひこの感動を伝えたいとただそれだけを思っただけ。

またこういう人生の変遷の歴史を知りつつ、一連の彼女のCDを聴き込むと、よりエレーヌ・グリモーというピアニストの真髄がわかるような気がしました。

自分もグリモーのことは、プロフィール欄に書かれている表向きのことくらいしか見識がなかったので、この本を読んで、彼女の数奇な人生に本当に感動した次第なのです。

海外への音楽鑑賞旅行も、なにもヨーロッパだけに限ったことではなくて、アメリカもぜひ訪問したい夢があります。(ヨーロッパには、数えきれないくらい、何回も行っているのだが、アメリカには、なぜか縁がなく、生涯にかけて1回も訪れたことがないのです。)

そのときコンサートホールやオペラハウスだけでなく、番外編として、このグリモーの「ニューヨーク・ウルフ・センター」をぜひ訪問してみたい!

次回の日記では、彼女のディスコグラフィーを聴きこんでの試聴記を予定しています。ここで説明してきた彼女の作曲家の嗜好をそのまま録音として作品化してきた、その変遷の歴史、彼女の音楽観を理解しつつ聴き込む訳です。

つくづく思うのは、クラシック録音の王道のDGレーベルのピアノの録音がじつに美しいと感じることです!!!


コメント

ま〜さん
グリモーの稿、じっくりと読みたいと思います。話は変わりますが、児玉麻里さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をこのところ聴きこんでいますが、まあ素晴らしい演奏であり高品位な録音ですね。いつも聴き終わって感じるのは、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさです。壮大な交響曲の世界もいいですが、もっと身近に置いておきたい世界、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにはそんな魅力が満ちています。このディスクを紹介していただいたノンノンさんに改めて感謝!

by ま〜さん (2016-02-07 08:53)

ノンノン
ま〜さん、

まさにおっしゃる通りですね。自分も大編成ものも好きなのですが、室内楽も音楽的、そしてオーディオ的の両方において好きです。室内楽というと隙間の美学というか、演奏者の息遣いやフレージングの生々しい表現が、目の前で展開される感覚が、とてつもなく好きだったりします。生演奏だけでなく、オーディオ的にも。またお恥ずかしい限りですが、オーディオの再生環境からすると深夜の時間帯や騒音を考えると、大音量のオケよりも室内楽のほうが、より接しやすいメリットもありますね。

児玉麻里さんのSACD、気に入っていただいて光栄です。今年の11月には、児玉麻里・児玉桃姉妹によるPENTATONEからの新譜もあるようで、期待しています。もちろん日記で取り上げますよ!(笑)
by ノンノン (2016-02-07 18:58)

Judy
野生の調べは確かに読みにくくて、私も何度か読み返しました。訳が悪いというよりHeleneの思考がとても深くてしかも超スピードで動くので、平均的な人にとっては一度読みでは理解し難いのでしょう。私はカリフォルニアに住んでいる上、彼女の弾いたBeethovenのTempestによって救われたことがご縁で、もう狼センターには3回、Helene自身との晩餐会というのにも2回行く機会に恵まれました。実物はさらに優雅で美しく、どんな人の話もあの目でじーっと相手を見ながら熱心に聞くので誰もが惹かれてしまいます。もしものんのんさんが狼センター並びにHeleneとのFound Raising Dinnerに興味がお有りなら、3回目が2017年の4月から6月にはあると思いますのでお知らせすることが出来ます。

Heleneがきっかけでしたが、のんのんさんのBlogは「親切」に満ち満ちていてとても読み甲斐があります。人のためにこれだけの時間を割いて写真も満載してBlogを書いてくださってありがとう。
by Judy (2016-10-28 15:33)

ノンノン
Judyさん、コメントありがとうございました。そして、とても暖かいメッセージありがとうございました。いたく感動いたしました。(笑)この自叙伝の複雑さというのが、グリモーさんの思考回路にある、というコメントは鋭いと思いました。確かにその通りですね。なんか俗的なものとは距離感があって、すごいピュアで、生き物の本能と通じ合うような、そんな才能の持ち主ですよね、彼女は。Judyさんが人生経験において、グリモーさんと深い関わりを持っていらっしゃたことに驚き、うらやましいのと、グリモーさんに関する私の拙文を読んでいただき、光栄だと思いました。ありがとうございます。

じつは、来年の海外旅行は、どこに行くのか決まっているので、グリモーさんのウルフセンターの創立祝賀ディナー(?)、ぜひぜひ参加してみたいのですが、なかなか日程が取れそうにありません。

その反面、その翌年の2018年に、生まれてはじめてアメリカに渡航する予定で、そのときの他人と違う旅行という位置づけで、最大のイヴェントとして捉えているのが、グリモーさんのウルフセンターへの訪問なのです。

旅行前になりましたら、自分のネットワークでウルフセンターへの住所、行き方など調査しようと思っていたのですが、もしよろしければ、ご教示願えると大変光栄なのですが、いかがでしょうか?
自分でも思ってもいない展開でした。(笑)

このコメント欄で公開など不都合がありましたら考慮します。

まだまだ先だなぁと思いながらも、早く行きたい、という気持ちも交差して、複雑だったんですが、Judyさんのコメントで、一気の気持ちがそちらに加速してしまいました。(笑)

私の拙ブログも読んでいただき、ありがとうございます。もともと海外旅行の現地情報を、お世話になっている旅行会社スタッフと共有したいと思い、始めたブログでしたが、どんどんテーマの枝葉が広がっていきました。今後とも、よろしくお付き合いいただけると光栄です。ありがとうございました。
by ノンノン (2016-10-29 01:49)

Judy
http://nywolf.org/
忘れない内にこのページを載せておきます。ここに行けばWolf Conservation Centerのことはほとんどわかりますし、Heleneがピアノと同等のPassionを持ってこのNYWCCを維持しているのがわかります。晩餐会もその寄付を募るためのものでした。私は犬は飼っていても、野生の動物とそれほど通じるものを持ち合わせていないので、HeleneやBartokのように特殊な感覚を持っている人は凄いな〜と感心するのみです。去年の4月に一度目のFund raising dinnerのお知らせを受けて一晩考えて決めたのですが、行って良かったです。
14人のゲストのうち私だけが帰る宿が別方向ということでなんとHeleneとボーイフレンドのMatが送ってくれるという幸運にも恵まれました。その日のお昼はBrhams Piano Concerto #1を弾いて、夜からの晩餐は知らないゲストたちと3時間もおしゃべりして、Heleneは相当疲れていたはずです。でも、私を完全にゲスト扱いで自分は車の後ろの席に座って私にどうしても助手席に座るようにいって譲らなかったのです。お陰様で宿につくまでの20分位3人で話が弾んで、「またね〜。」という感じでお別れしました。遅かったので宿の玄関の電気がついていなかったらHeleneは心配して車から降りて私が無事に中に入れるまで見ていてくれたのですよ。今年の6月の二度目の晩餐会で会った折にMatもHeleneもこちらのことを実によく記憶していてくれたので驚きました。だって、ゴマンといるファンの中のひとりですよ。それほど誠心誠意の人たちなので、あんなに世界中を回ってコンサートして、体は大丈夫かな、長生きしてほしいな、と祈るのみです。コンサートの後のリラックスの秘訣はなんとかなり緊張を強いられるTVドラマを観ることなんだそうです。そのことでは一年目に隣の席に座ったMatと意気投合して、お互いに好きなドラマ名を交換し合ったのでした:The Americans, Hannibal Lechter, The Fall, Happy Valley,
スパイ物、残酷な殺人、人間の奥底に隠された秘密が暴かれた時、、、などというトピックばかりです。日本でも見る機会があったら是非見てみて下さい。Heleneの音楽鑑賞にまた深みを与えてくれることでしょう。

長い間生きてきて、誰かのファンとしてこういうことに参加したのは初めてだったので、偉大なアーティストと生で触れ合う価値の凄さがわかりました。

のんのんさんもきめが細かく愛情深い人であることはBlogから疑う余地もありません。どうか忙しいときには休むことも考えて長生きしてくださいね。
by Judy (2016-10-30 12:27)

ノンノン
Judyさん、ありがとうございました!

なんと素敵なグリモーさんとの想い出なんでしょう!
詳細な描写まで教えていただき、なんかその場が頭の中に浮かんできそうです。

教えていただいたHPの中に、Donationがありましたので、自分の出来る範囲で、ぜひ寄付させていただこうと思います。自分の個人情報も送れるようなので、なにかグリモーさんと繋がるような感じで嬉しいですね。

NYWCCは、偶然なのかFBのほうで、登録していたりしました。(笑)じつはそこだったというのを知って驚きです。
FBのほうからの寄付できるようになっているんですね。

ぜひ2018年の旅では、NYWCC訪問を実現して、自分のブログにその報告をしたいと思っておりますので、そのときはぜひご覧になってください。

どうもありがとうございました。
by ノンノン (2016-11-01 22:41)

Haru maro goro
ノンノン様、初めまして。

グリモーがデビューした時は、演奏より長髪の美少女だった印象ばかりが強くて、でもどこか気になるピアニストでした。それからかなりの年月が経ち、テレビ放送で髪型が変わって大人になったグリモーの演奏会を聴きました。少女期のイメージが変わってびっくりしたのを覚えています。それから、彼女の演奏を聴いています。
先日、彼女の弾くバルトークのコンチェルトのCDを聴いて、グリモーの検索をしてこちらのブログに辿り着いたのです。
ノンノン様の素晴らしい文章のおかげでグリモーの歩んできた道を知りることができて嬉しく思いました。彼女の演奏に惹きこまれた理由の一部はこの事に関係していたかもしれません。ご紹介くださりどうもありがとうございました。
私はコンサートからかなり足が遠のいています。東京文化会館のバックヤードの記事、とても興味深く拝読しました。20年位前に行ったのが最後です。


by Haru maro goro (2016-11-24 19:23)

ノンノン
Haru maro goroさん

コメントありがとうございました。
グリモーさんは、ピアノ作品はさることながら、その容貌もなんか吸い込まれるような純粋なものを感じるので、とても魅力的で人を惹きつけるなにかをもったピアニストだと思います。

ボクもこの野生の調べを読んで、ずいぶんと、そのピュアな瞳に隠されている本能みたいなものの原因がわかり感動しました。

生演奏からずいぶん離れているとのことですが、ぜひ足を運んでみてください。生演奏独特のよさは、その感動、演奏家の息遣いが直に感じられることだと思っています。

ボクもオーディオで聴く良さもわかりつつ、生演奏のよさも認めるという両刀派だったりします。(笑)
by ノンノン (2016-11-27 08:39)
http://akira-nonaka.blog.so-net.ne.jp/2016-02-04


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c40

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
41. 中川隆[-11317] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:34:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1581]

グリモー、成熟のブラームス 2013年10月24日
http://www.japanarts.co.jp/news/news.php?id=635


 フランス出身のピアニスト、エレーヌ・グリモーのブラームスの偏愛ぶりはよく知られている。インタビューなどでも、早い時期からブラームスの音楽は心の琴線に触れるものがあったと語っており、とりわけブラームスのピアノ協奏曲については「ピアノの全レパートリーの中でも最高峰の作品」、なかでも第一番の協奏曲は「ダイアモンドの原石のようで、魂の純粋な表現である」と話す。

 グリモーはそのブラームスのピアノ協奏曲第1番を1997年、26歳のときにザンデルリンク指揮ベルリン・シュターツカペレ管と録音し、話題を呼んだ。またその後もピアノ・ソナタなどの独奏曲やチェロ・ソナタなどの室内楽などにも取り組んできた。そしてここにきて再びピアノ協奏曲の世界にのめりこんでおり、俊英アンドリス・ネルソンスと新たにレコーディング――しかも今回は第2番も一緒に――を行なった。第1番はバイエルン放送交響楽団との演奏会でのライヴ録音(第1番はライヴでないと若きブラームスのエネルギーが伝わらないという)、第2番はオーケストラを変え、ウィーン・フィルとの楽友協会での収録である。

 指揮者のネルソンスについてグリモーは最近のラジオのインタビューにおいて次のように語っている。「ここ数年ネルソンスと共演を重ねることができて幸せです。彼は本当に純粋な音楽家で、奇をてらったところはなく、あらがえない魅力を持っています。ダイナミックかつエネルギーに満ち、その表現の幅の広さは驚くほどです」と絶賛している。二人の音楽的な共感ぶりはレコーディングからも十分に聴き取れるだろう。

 そのネルソンスとグリモーのコンビが10月にロンドンでフィルハーモニア管とブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏するということで、前々から楽しみにしていたのだが、残念ながらネルソンスがインフルエンザで直前に降板、代わりにフィンランドの指揮者ハンヌ・リントゥが登場した。リントゥはおそらくソリストともオーケストラとも初顔合わせで、最初はお互いやや手探りの感もあったが、そうした中でグリモーは自分のペースを崩さず、時には音楽的な主導権を取り、曲を深く掘り下げていった。テンポはけっして速くなく、また重厚さには欠けるものの、彼女の特色である硬質でクリアな響きで若きブラームスの詩情をくっきりと歌い上げた。第二楽章では静謐な祈りのような世界が繰り広げられ、グリモーはソロをきわめて美しく立体的に奏した。そして終楽章は気迫に満ち、ソロとオーケストラのバランスもよく、堂々とした演奏であった。そこには若き激しいグリモーではなく、成熟したグリモーの思索するブラームスがあった。

 11月のバーミンガム市交響楽団の日本ツアーでは、信頼するネルソンスのタクトのもとで、ピアノとオーケストラが一体となった、パッションに満ちたブラームスが期待できるであろう。

後藤菜穂子(音楽ジャーナリスト、在ロンドン)
http://www.japanarts.co.jp/news/news.php?id=635
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c41

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
42. 中川隆[-11316] koaQ7Jey 2019年11月08日 09:57:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1582]

美人ドキドキ


Hélène Grimaud Plays Brahms Piano Concerto No.1 Maestoso - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jctfNq9rKI8

Rec 1997
Staatskapelle Berlin Orchestra
Kurt Sanderling(Conductor)

____


Brahms - Piano Concerto No. 1 Hélène Grimaud, Piano [HD] - YouTube

Hélène Grimaud, piano,
Southwest German Radio Symphony Orchestra | SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg, Michael Gielen, 17.IV.2005.




_____


Brahms - Piano Concerto No. 1 (Hélène Grimaud) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2ji8cTeL6OY

Live At Herkules Saal, Munich / 2012
Piano: Hélène Grimaud
Conductor: Andris Nelsons
Vienna Philharmonic Orchestra

_____


Brahms - Piano Concerto No. 2 (Hélène Grimaud) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TouKF4-vHFY

Live At Musikverein, Vienna / 2012
Piano: Hélène Grimaud
Conductor: Andris Nelsons
Vienna Philharmonic Orchestra

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c42
[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
43. 中川隆[-11315] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:08:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1583]

命がけの冬山登山のごとくブラームスを弾く美女ピアニスト 2013.10.8
https://crea.bunshun.jp/articles/-/3813

エレーヌ・グリモーが迎えた円熟の季節


エレーヌ・グリモー『ブラームス:ピアノ協奏曲第1番&第2番』 ¥3600 発売中(ユニバーサル ミュージック)

 さて、行楽の秋ですが、ハイキングや登山などアウトドアが趣味の皆さんは、紅葉シーズンたけなわで楽しい気分を満喫されているかも知れません。

 同じ山登りでも、今回ご紹介するフランス人ピアニスト、エレーヌ・グリモーの新作は、険しいアルプスの岩山をたったひとりで登るようなストイックな音楽。もともと、ドイツロマン派への取り組みに定評のあるグリモーだけど、その王道であるブラームスのピアノ協奏曲第1番と第2番をレコーディングした本作(2枚組)は、魂のすべてを注いで作曲家と格闘した「本気」っぷりが半端ではありません。

 第1番のコンチェルトはブラームス25歳のときの作曲で、この世の「第1番」とナンバリングされたコンチェルトすべてが放っている、青臭く理想主義的な美意識に溢れています。そしてまた、リーフレットに載っている当時のブラームスの写真を見たら、女なら誰でもよろけてしまうはず……あまりにも完璧な美青年なのだから!

 金髪&ブルーアイズのヨハネス青年の姿は当時の画家によっても描かれ、可憐な横顔は女性と見紛う美しさ。この頃には既に先輩シューマンと知り合い、その妻クララへの片思いが始まっていたはずなんです(そのわずか20年後には、かの有名なサンタクロースのようなルックスに変貌するのですが……)。

 20代の青年ブラームスによる第1番のコンチェルトは、内圧されたパッションとプライドがふんだんに詰め込まれ、既に厭世感のようなものも漂っていて、巨大な才能ゆえに自分を持て余していた若き音楽家のエゴがぷんぷんしている。聴くたびに心が震えます。

 グリモーはこの曲が大好きで20代の頃から何度か録音をしているけど、43歳の美魔女となった今、かつてないほど若々しく純粋な演奏に立ち返っているのが凄いです。天才少女として10代の頃から注目されてきたグリモー、演奏家として円熟の季節を迎え、いよいよ激しくブラームスに恋をしている感じなのです。


頭突きをするようなワイルドで激しい演奏

エレーヌ・グリモーは、1969年南仏エクサン・プロヴァンス生まれ。現在は、ニューヨーク郊外に居を構え、野性オオカミの保護活動にも取り組んでいる。 (C) Mat Hennek

 尊大で険しい旋律と真正面から向き合い、頭突きをするようなワイルドな激しさで弾きこなす様子は、急傾斜の氷の山を、たったひとりで登っているよう……というのは、私の勝手なイメージですが、芸術的でもありスポ根的でもあるグリモーのピアニズムは、よくあるフランス系の瀟洒なタイプとは異なり、何やら孤高の美学のようなものを感じさせます。若手指揮者アンドリス・ネルソンスの指揮がまた、岩をけずる荒波のようなブラームスの「ロマン主義」を鼓舞し、完璧なコンビネーションなのが凄い。ピアニストとの真剣勝負の共演はまさに「試合」といった緊迫感です。

 登山家の山に対する想いと、ピアニストのブラームスに対する想いはどこか似ているのかも。その昔、難解でダイナミックなこのコンチェルトを女性ピアニストが弾こうとすると「女のくせに、ブラームスなど」と言われたこともあったと聞きます。しかし、山があるから登らずにはいられぬように、女とて、ブラームスを弾かずにいりゃりょうか。

 激しいパッションとインディペンデント精神で演奏するグリモーが感動的なのは、彼女こそがブラームスの「孤高」を理解しているからでしょう。大学で動物学を学び、野生のオオカミとともに暮らしているというグリモーは、その特殊なライフスタイルを『野性のしらべ』という著作で詳らかにしていますが、どこか生涯独身を貫いたブラームスのエキセントリックと共通するものを感じてしまうのです。

 第1番のコンチェルトがハードな冬山だとすると、第2番は穏やかなルートで登る紅葉の山といった雰囲気だけど、そこに染み込んでいる孤独感はいっそう根深く、ブラームスの生きた「狭き道」を感じずにはいられない。全身全霊でおすすめしたい「登山クラシック」です。


小田島久恵(おだしま ひさえ)
音楽ライター。クラシックを中心にオペラ、演劇、ダンス、映画に関する評論を執筆。歌手、ピアニスト、指揮者、オペラ演出家へのインタビュー多数。オペラの中のアンチ・フェミニズムを読み解いた著作『オペラティック! 女子的オペラ鑑賞のススメ』(フィルムアート社)を2012年に発表。趣味はピアノ演奏とパワーストーン蒐集。
https://crea.bunshun.jp/articles/-/3813
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c43

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
44. 中川隆[-11314] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:23:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1584]
エレーヌ・グリモー 2011.3.24
http://w2322.nsk.ne.jp/~kiyoto/p-grimaud.html


グリモーさんの最新CD、ココリアーノの「ファンタジア・オン・オスティナート」。張り詰めたクリアな緊張、心地よい饒舌。一昨年暮の演奏会の印象が甦る。
「ココリアーノ。初めての作曲家だが。聴きなれたメロディーがリフレイン、初聴の取っ付きにくさはうまく回避。鍵盤を凝視する演奏家、何が起きるのか息を詰め見守る。コンセントレーション、耳を欹てる。澄み切ったキレイな弱音の連打音が快い。クリアな創造空間、心地よい緊張感、明晰さ。進行が停止する音楽、今日の演奏では予想される瞬間。よりよきものを求めるどん欲さ、ソレを得るプラスとストップするマイナス、前者をチョイスする。演奏家の本能、特徴、特質。ノープロブレムでなく弛まなく続く葛藤。作曲家の要求、ピアニスト自身の美意識を満足させるため。考え抜いて考え抜いての創造の苦しみ。最良のモノを求め総てにキモチを込めた跡、柔らかさとカッシリさが交叉する14分間。」

同じCDの中、ペルトの「クレド」。一聴するととてつもなく騒がしく賑やかな曲。平均律クラヴィーアの冒頭のメロディーや荘厳なコーラスありで、あたかも宗教曲の様相。でも中間部、作曲家の頭の中が映し出されギョッとする。「ここまで音楽?!」。飛び跳ねハジける雑然ウヤムヤ、何でもござれの収拾ナシ。音楽を識別・選び出すフィルターの許容量の大きさに亜然。されどクライマックス、神の下での整然さ、その中に包括され収まる。どちらが「クレド(信条)」。ダイナミックさの幅に家人の白い目、ボリウムのツマミをさわりながらオタオタ。2、3度聴くと病み付きに。グリモーさんの真摯な表情が浮かぶ様、一方満足げの嬉しそうなニコニコ顔も。共感なのか、自分自身のメッセージの発信なのか。

表紙がオオカミの大きな雑誌を眺めているグリモーさんの写真をよく見かけていた。ペットとして飼うなんて、お嬢さんの気まぐれ。美人のピアニストだから常識の枠を超えても許されるのかという好奇な目で見ていたのかも知れない。ところが、昨年の秋、「オオカミと暮らす」というイギリスのRMアソシエィツ社製作の番組をBSで観て、認識を新たにした。グリモーさんは、現在ニューヨーク北部の「オオカミ保護センター」で暮らしている。オオカミを自然界における捕食者の最高の存在と捉えることによって、生態系のバランスを本来のスガタに戻し、野生の素晴らしさを認識するとともに、環境保護の意識を高める。しいては、人間が生物の頂点であることを考え直すキッカケにもつながる。そんなプロジェクトを行うNPOを自ら立ち上げ率先実行しているということである。漫然と流れの中に生きているのではなく、自分の存在に問題意識を持ち続けている真摯なひたむきさに、ピアニストの音楽に通ずるものを感ずる。

こうあらねばという自分がイメージするモノに駆り立てられる音楽。ピアニストが感じるキレイなものを追い求める。思い入れタップリ、人間臭さプンプン。過度の装飾はなし。表現できない時、醒めて途切れてしまいそうな緊張、ソレを恐れて突っ走る。感情過多、何かに憑かれた様な情熱。表現できる喜び、嬉しそうにその快感に浸る。次をどう表現しようか、との悩みを確かめながらの試行錯誤はない。掛け声、鼻歌、ウナリ声が聞こえる。目を細め集中力を高め音楽にコンセントレーション。自分が意図する音楽へ。行儀のよいステージマナーでない。美女だから許されるパフォーマンス。素適な音楽を提供してくれるから許されるコト。顔をクシャクシャにして自分の世界に没頭。

TVの中でグリモーさんはインタヴューに答えている。「曲を頭の中で練習している。思い浮かべてイメージを変化させる。指を動かすことはさほど大切と思わぬ。イメージをハッキリさせることが大事。演奏の大部分は頭の中でつくる。」「音の色が見える。曲全体が一つの色に見えることも、一音一音が色付けされることも。誰にでも見えるものと思っていた、気付くには集中が必要だが。」人が飛び付き特別視しそうなエピソードである。でも山師的ハッタリはなく穏やかに当たり前のことと話す様子に、とてつもない音楽性を感じて恐れ入る。

「普段の練習をステージで再現すれば、聴衆はある程度満足するだろうが、そうはありたくない。毎回毎回その時点でしか音楽を求め表現したい。そうすることで、聴衆の心に迫りドキッとさせたい。」常に、よりよいもの、よりパーフェクトなもの、別な美しさがある筈という上質な人間性を感じる。不完全がゆえの劣等感とは無縁、高次元のプラス志向の資質である。

身近な存在の写真家はグリモーさんを評している。「彼女は音楽だけに生きていない。関心の広さと行動力が演奏をより興味あるものにしている。彼女は音楽だけに専念し続けることは出来ないので、ある瞬間は全く別なものに集中している。音楽以外に情熱を燃やすことが彼女の音楽に人間味を増している。オオカミもこともそうである。」未だに理想とするものを掴みきれず模索し続けるが、達成しそうな明るい未来を予感させる、得体の知れぬスケールの大きさを感じてしまう。

グリモーさんに興味を持ったのは、木下健一さんの感想を読んだからである。木下さんは、グリモーさんに「暗さ、一種の癒しがたい孤独感」を感じ「漆黒に塗り込められた音楽、自閉症的孤独の裏に沈んでいく、孤独の狂気の相」と表現され、一時期のエッシェンバッハさんに相通ずる世界にいる様に書かれている。私自身もその頃のエッシンバッハさんが好きで、ベートーベンの後期のソナタ(29番から32番)のレコードを何度も何度も聴いている。当時の私の精神状態に似通ったものがあったためかも知れない。あえぎあえぎと言ったらよいのか、音楽的につながっていなく途絶えがちでインインメツメツ悩んでいる暗い音楽、きれいに美しく演奏することも余裕もなく、感情をストレートに叩きつける悲惨なモノであった。この後期ソナタはこのたびCD化された。ふくらませるだけふくらませた「ハンマークラヴィア」の3楽章。細かいところにこだわり、22分もかけて演奏している32番の2楽章を懐かしく聴いている。

グリモーさんには最悪の暗さを感じない。エッシェンバッハさんの轍は踏んでいない。一人で作曲家に相対することの限界、無力さを感じているから、絶望は感じていない。ピアノという楽器の表現の可能性に絶望するか希望を持つかの差なのか。作曲家の音楽を自分なりの感覚的でどう表現するか、自分の意図する音楽まで塗り込めるかの差なのか。TVには、この2人がベートーベンの4番のコンチェルトを共演している2楽章のサワリが入っている。エッシェンバッハさんがエグル様に思いを込めたバックに、グリモーさんが感情を込め美しさを表現している。2人の特徴が現われているゾクゾクするシーンである。

ショパンの「バラード1番」、ピアニスト18才の録音。有名な曲だからという余分な思い入れ、ドラマチックな脚色はない。力むことなくごく自然、清楚で透明感にあふれたもの。ピュアでさわやか、みずみずしいストレートな感情表現。弾ける様な躍動感、踊り続ける快活さ。軽やかにスピン、そしてターン。クライマックスに向けて、一途なひたむきさ。初々しい音楽の喜び、颯爽と明るい青春譜。私の心に音楽を聴き始めた頃の素直な感動が甦る。曲にまつわる沢山のエピソードは今不要。素直な演奏である。ちょっと以前の私には理解し得なかった気がする。

「クライスレリアーナ」、19才の録音。シャープな感覚の広がり、断片があざやかに交錯。細やかな工夫に彩られアイデア盛りだくさん。コレデモカコレデモカ、意外性のある音の絡み合い。不意打ちされ、新しい曲を聴いている様でワクワク。よくあるメランコリックな厚ぼったさが支配することはない。重苦しさを引き摺るコトもない。豊かで多様な感情表現。脆弱でブルーな気持ちも肯定、自己のその資質にオーバーラップ。ハッとする美しさ。既存なモノに満足していないスガタ、オリジナルな自己表現。反抗なんて大それたことはしていない筈。今、気になる存在だから、昔の録音を関心を持って聴いている。少なくとも、その頃気を入れ聴いた記憶はない。一般受けしてチヤホヤされている美人ピアニストとして敬遠していた。「あの頃からそうだったのヨ」、そんな声が聞こえそうでウラメシイ。

ブラームスの「幻想曲集Op.116」、今から8年前の演奏。若い頃の演奏、その時点におけるピアニストの美意識の集成。純化された感情のエッセンス。自分の感覚を信じてのクリアランス、鋭敏さ。総てを鮮明にとの強がり、繊細さも誇らしげ。しかし、このブラームスでは、未整理の厚ぼったさ、クスミとカゲの不透明さを表出。スベテをピュアにすることの大変さを知ったから。そうする必要がないと感じたから。割り切れない心情も当然あってよいものと判ったから。全面バラ色の青春ジェットコースターから降りて、物静かな公園のブランコ遊びに興ずる様。

暗いツブヤキ、危うい脆さ。現実味を帯びたファージーさ、憤りのない未解決。ネガのキャラ、傷つき易いナイーブさを垣間見る。もろい華奢な音楽に存在を賭ける。消え入りそうなものとシャープさ、音楽家のクリアな感覚と美意識。厚ぼったさ、雑に聴こえるほど無造作。どう表現したらいいのかとの戸惑いより、こうするしかないといった開き直り。ゆったりすると大事なものが消失、この瞬間にこれだけを盛り込まなくてはという強迫意識。すべての音符を十分に個性付けする余裕なし。飾れず自分自身の総てをさらす。遣り切れなさを音の配列で懸命に模索・表現、苦悩のオーラは感じない。演奏家にピアノの可能性を信じている何かを感じる。深刻な絶望でないことが救い。

一昨年、ミョンフンさんとのベートーベンの協奏曲4番を聴いた。その時、アンコールに演奏されたブラームスの「間奏曲Op.117-1」。私がそれまでこの曲に持っていた印象、秋の公園、枯れた木々、寂寥感は感じなかった。このピアニストの場合は、冬の室内、暖房が利いた暖かい部屋のイメージ。切れ味シャープな冷たさはなく、ホクホクゴコロで作曲家と対話。追い詰めての精神的ダイエットによる痩身でなく、フックラした暖かみのある自画像。ギスギスでなくクリア、音楽に広がり。ステキなアプローチ、魅力的で説得力あるもの。考えられた意外性にハッとした。

ブラームスの「ピアノソナタ2番」の2楽章、19才の録音。聴いたことのない展開に衝撃を受ける。複雑な迷路、単純化の作業ナシ。音の重ね合わせ、上乗せ、並列、意外性の連続。難解な数学、入り組んだ幾何学模様、謎解きのプロセス。理論からかけ離れたアプローチ、根拠なし。既存の経験則の外、ピアニストのカンと感覚のヒラメキだけが頼り。信じられない音のつながり、素晴らしい帰結。想像を超えた高次元の収拾、歓喜な音の強調。同じ曲でのウゴルスキーさんが単調でオトナシク思える。桁違いの音楽性を秘めたピアニストであることに間違いはない。
(2004.2.11、2.14、2.21)

グリモーさんの「野生のしらべ」を読む。オールマイティのスーパーウーマン。逞しいイマジネーション、きらめきと輝きの飛び級的思考過程、オトギの国から哲学まで広い範囲で、抜群の記憶力、理解力、論理力、明晰さ。とびっきり鋭敏なアタマと感情を併せ持つ。傷つきやすさ、自分を最高と思う自負、自尊心、豊か過ぎる感受性を御することの難しさ。幼き時、安堵を得るための儀式、寝る前のお祈り、コレとコレをしたら大丈夫。次には、音楽の中に能力と感情の捌け口を見出し、自分の可能性の表現に没頭する、存在価値の再確認、満足感・心の平安。更に、音楽について苦悩、何を表現できるか、自己表現の最良手段なのか、もっとウマク表わせないか。チッチャナわだかまりが心に重く圧し掛かる、見え過ぎるからやれるべきことが出来なくなる。しかし、狼保護というもう一つの自己表現ツールを見出したことで精神のバランスが整う。その結果、音楽に過度にのめり込むコトなく楽な気持ちで立ち向い新鮮な喜びを見つける。やりたいコトが呪縛から放たれ見えてくる。レパートリーは広くない、沢山の知識の大きさを誇ることはせず、いろんな気持ちのヴァリエーションを盛り込むことができるから。金太郎飴の演奏でなく常に発展途上のイキモノである。素適な女性だがそばにいるだけで疲れてしまいそうな気がする。

今年、東京でミョン・フンさんと共演したのラベルの「ピアノ協奏曲」をBSで観る。グリモーさんにとって自国の作曲家、共通土壌の音楽性、自信作のイマジネージョン。1楽章と3楽章、キラキラとした薄っぺらさ、軽やかで洒脱、楽しそうに面白がっている。指の回りの速さ、駆け巡る音符、イタズラッコの茶目っ気。真面目はドン臭い、力を抜いたくずし。均整を狙わず、逸脱寸前のハラハラドキドキ。それが粋、私の偏見なのか。ユニークな低音の響き、素適なこだわりの工夫。2楽章は一転して、心の安らぎ・穏やかさ。私の好きなジャン・フィリップ・コラールさんのバロック風の荘厳で敬虔な有り難味ではない。女性らしい優しい繊細な感覚、柔らかさ。それでもって脆くはかない美しさ、キレイさを勢イッパイ表現する。メンタルでなくセンシティヴィティ。ピアニストが楽譜からイメージした音楽、オリジナルでウットリ聴き入るだけ。思い通りの表現、嬉しそうな顔、充実感。
(2004.7.19)

アシュケーナージさん指揮、N響によるシューマンのコンチェルトをBSで見る。細部にわたりジックリと聴くことができ、改めて曲の面白さを教えられた気がする。3楽章、白熱したピアノ、オケとのヤリトリというか一方的。何かに憑かれた様なせっぱつまったヒタムキサ。玉砕覚悟の大立ち回り、ハラハラドキドキのツッパリ・パフォーマンス。真正面からのストレート勝負。この瞬間に是非伝えたい思いが凝縮、せき立てられかり立てられ、なりふり構わずさらけ出す。シツケの行き届かぬ音の乱れ、拘っている場合でなく仕方なし。自分自身の感情の追い込み、必死の格闘。無理が通って道理も通る、「一丁アガリ」威勢のよい掛け声の雰囲気。でも、達成の爽快な充実感でなく、痛々しいほどツンツンした神経の尖がり、パンパンに膨れた緊張が、重く心にのしかかる。
(2004.11.11)

バルトークの「ピアノ協奏曲3番」、ピエール・ブーレーズ指揮、ロンドン交響楽団。ブーレーズさんに負けじ劣らじの音楽性、バルトークとはかくありきと物申す自負。積極的に前向きに主導権、枝葉でなく根幹を把握。ツヤツヤとした音の表情、無機質の野蛮の権化とならじ。オーケストラとのコントラスト、音のブロックの衝突。臆することなく自己主張、個性発揮。巨大微小、伸縮自在、一歩も引けを取らず。常にプリマドンナ、女王陛下のノーブルさ。耳を澄ますと聞こえる夜の音楽でなく、湧き上がって伝わり来る静謐さ。脆弱なピアノの音、皆が眠りに落ち静まり返ったしじまに優しく響く。息を呑む幽けさと鋭敏さ。森の夜明けに転じ、音の寝起き、ザワメキと喜び。作曲家特有のトバリの切り口、微妙な和音のズレをドンビシャ。絡み合う糸をほぐす、イヤ、複雑に纏まっていただけとの如き滑らかさ。予測し得ぬ進行も当然の帰結。充実感にゾクゾク。変幻自在、乗りに乗った演奏。イキイキワクワク楽しがり、快活な笑い躍動感。ハムレット的深刻さの苦悩や、音楽上の急き立てられる衝動はない。音楽を母国語の様に思いのまま操る。表現なし得ぬ持ち札のギャップ、違和感はない。作曲家特有のギクシャク感、ダイナミックスのアンバランスにも難なく対応、後手々々すること心配全くナシ。クライマックスの快進撃、シャットアウト。音感や美意識のみならずバルトーク音楽にも絶対感覚を持っている。個性的。
(2005.2.4)

ショパンの「ピアノソナタ2番」。大見得を切っての流暢さ、屈託のなさ。悩みなき無重力、音の空中浮遊。彫りの深い切れ味クッキリ。再現は硬質ガラスの音色が加味。ノープロブレムから問題提起フェイズ。拉がれたキモチの発露、率直な感情の表われ。慌しく荒々しい身辺事情、無理して音を整えることはナシ。内面は穏やか、平穏無事、キレイという美意識を確保。周りは激しさを募るばかり。葬送の行進、厳かに敬虔にメリハリを付け、仰々しくキメルことでセレモニーに重みと格調が増す。失った者への思い、装飾、ヒネリを加えない素朴さ。心からの淋しさ、ポッカリとあいた空虚感。ナミダナミダの女々しさや称えるという賞賛的発想はないが、力のない澄み切った音に、失ったものの大きさを知る。再び聞こえる行進の音、儀式でなく悲しみのココロ、亡くなった者への心からの追悼。巻き戻したテープの早送り再生、エポックメイキングな音が見え聴こえする。果かなく空しい集約作業。

「子守歌」、穏やかな物腰、噛んで含める口調、ソフトタッチ。何度もの繰り返し、キラキラ光る万華鏡の中。クリアランンスの倍加、まどろみでなく目が冴えてきそう。突然のオシマイ。グリモーさん、眠る直前まで、沢山のコトが賑やかに目の前に現われており、眠りに落ちる瞬間、画像が突如消えるのか。「舟歌」、小船ではなく大型船。秘密なくセキララ、堂々朗々。ロマンチックというよりドラマチック。グリモーさんのショパン、18才録音のバラードと同様、ショパンらしくという脚色は全くない。自分で感じるがままの率直な表現、私の心に真っ直ぐ訴えてくる。真っ正直過ぎてハラハラドキドキする気恥ずかしさも何のソノ。
(2005.2.7)

 ラフマニノフの「ピアノソナタ2番」。シットリとした潤い、カラフルな色合い、メタリックな響きナシ。シャープなメスで前近代的な重厚さに立ち向い、シェイプアップしスリム化。フットワークの軽さ、精神の内面構造が明らか、モンスターのヨロイ・カブトというブラックボックスは存在せず。ロシア風というエィンシェントな田舎臭さは消失、都会センス充満、粋でシャレた香りが漂う。鋭い切っ先、ハッとする剣捌き、新鮮な切り口の断面。生々しい感情との遭遇、ハラハラドギマギ。スローライフ、ストップモーション。コンセントレーション、一つ一つの音の重みと深みが増長。ロマンの羽が生え、フンワリムード。でも、砂糖タップリのベタベタ甘さではなく、独立した絶対的なモノ。一人よがりの面白がりでなく、同意と支持を得たナィーブさ、大きなウネリで大きく開花。人の心を阻害耳障り音々は強く作用せず、葛藤は解凍モード、味方に取り入れての融合のカタチ。ピアニスト、作曲家の土俵の上で音楽観を展開、きれいさに陶酔感。ダイナミックさ、心地よいシリアスでメンタルな揺れの寄木細工。1985年、16才でのCDを聴く。1楽章、2楽章、いずれも2分ずつゆっくりとした演奏。前のはロシア風を意識。今回は、ショパン風ラフマニノフ。
(2005.2.11)

2年半ぶりにグリモーさんを聴く。2月に発売されたCDの曲が主体、それが一つの完成品と感じていたから、再現かなと思いきや、さらに進化した音楽。プライベートな独白に、ドラマチックと公共性と加味したもの。2年半前のココリアーノは神経ピリピリの感性の現われ、初聴と重なり取っ付きにくく五里霧中の手探りの記憶。今回は市民権を得たストレートな感情の表現、音楽の表情を窺い知る切り口多し。しかし、ピアニストの意図するコンセプト、高邁でハイレベルなフェイズもあり、理解及ばぬ瞬間も。でも、少なくとも今、精神の均衡が保たれ、明るい美しさを感じ嬉しく思っている。

グリモーさんの新聞評をみる。音楽に託されたコンセプトを評価したいという筆者の意図に反し、演奏テクニック云々だけの否定的な感想に終っている。書いた人のプロフィルを検索すると、ウチの父親とよく似たキャリアで、四角四面の似通った見方をみて苦笑する。彼にはグリモーさんにサガンさんの小悪魔を認めることができなかったのかな。(2005.7.17、7.20)

ベートーヴェンの「皇帝」。ジックリ語りかけるピアノ、効果よく浮き上がり、シリアスに心に響く、重みある存在感。作曲家のメッセージが、ビンビン手に取る様に。今までの印象、大きなスケール賑やかに、楽しげなザワザワ感、ブリリアントな競い合い、何か遠いところでの輝き、イマイチ好きではなかったのだが。こんなに含みの多い曲だったのだ、好さを再確認、好きなピアニストだからかも知れない。ベートーヴェンの「ピアノソナタ28番」、作りのない自然のフクラミ、キレイさを際立たせ、そして、いつもながら、音の重なり濁りも何のソノ、コウあるしかないとの思いの急きたて、説得力。ヒラメキに感受性をプラスの直観力。インスピレーションを着実に描写、演奏家の恣意でなく、作曲家の意図。フーガの絡み合いの素敵さ、グリモーさんの天才性。 先頃、内田さんも「ピアノソナタ28番」を録音、隅々までのダイナミックな抉り、コントロールの下、陰陽のコントラスト、手に取る様。自分のイメージの寄木細工、スッキリとクリアがモットー、判らないものを解きほぐす、ピアニストの試み、理知的な追い込み、時には窮屈。ノーミス狙いのパーフェクト処理、堅牢たる創造。
(2007.9.3)

6年ぶりにライブを聴く、同じ構成のCDを昨年発売、胃を手術したとのウワサも。モーツアルトの「ピアノソナタ8番」。1楽章、不協和音の連打、引っ掛り吃音気味の装飾音。何かに憑かれた様に疾風奔走、重苦しいアトモスフェア、落ち着く静寂スペースなし。やり場のない沈痛心の苛立ち、居ても立っても居られなさ。2楽章、コンセントレーション、キレイサのこだわり、ドラスティックな仕掛け。内省的突っ込み、ヒーリングに程遠い、ナーヴァス・アプローチ。切羽詰まった窮屈さ、演奏家のモーツアルト、このソナタしかないのかも。

ベルクさんの「ピアノソナタ」。止めどなく溢れ出る音の粒、湧き上がる奔流。中心から外へ外へと大きな広がり、眩い光り輝き、フルカラー総天然色のパレット。ばら撒かれた満天の星、一転輝きの消失、浮かび上がるロマンのオーロラ。アイデア工夫、手際良い表現、美しいクリアランス。

リストの「ピアノソナタ」、強烈な打鍵、その激しさに目を見張る。モチーフの目まぐるしい変化、進化して別断面を覗かす。大スペクタクルでの圧倒、反面美しい囁きにも注視。傷付き易い感性を赤裸々に、剛柔共に、途轍もないセンシティブ・クオリティ。表出する痛々しさ、ハラハラドキドキ気分。シッカリとした拠り所が共存、精神バランスを保持、ツァラトゥストラに成り変っての説教か。 以前受けた印象を再確認。作品群に真摯な問い掛け、初々しくフレッシュに、新鮮な解釈を施す。ホットな気持ちをありのまま、イメージに向ってストレート。多少音が濁っても、必然の成り行き、ノープロブレム。最初聴いた9年前に比べ、沢山の方々がグリモーさんに関心を寄せている。最大の理解者との自負(不遜)、看板を下そうか。後にCDを購入、ライブでの充実した成熟を再確認。
(2011.1.24)

木下健一さんが亡くなられたとの報を聞く、以前「レコード芸術」の海外楽信のフランス担当をされていた、すごいショックである。私が書く演奏会の感想に応援を下さった恩人である。2000年の金沢、チョン・ミョンフンさん指揮のフランス国立管弦楽団の感想を、仏訳して、楽員、楽団関係者への日本ツアーの配布資料しますとの連絡がキッカケ。エルバシャさん、グリモーさんをはじめ、沢山の演奏家の生の情報を教えていただいた。兄貴分の様な存在と思って連絡していたが同じ年齢とのこと、ここ何年間は連絡取り合うことがなかった、久しぶりの情報が訃報とは、非常に寂しい。
http://w2322.nsk.ne.jp/~kiyoto/p-grimaud.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c44

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
45. 中川隆[-11313] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:27:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1585]
2016年 05月 17日
エレーヌ・グリモー ピアノ・リサイタル GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/25235393/


今日は楽しみにしていた、エレーヌ・グリモーの演奏会に行ってきました。会場は、新宿のオペラシティです。この会場には、近くのバス停から渋谷行きに乗り、のんびりと行っても30分で着きます。とても便利な演奏会場なのですが、新宿にもどこにも寄りません。帰ってくるとそこは、家から200mの最寄りのバス停。地下鉄にも乗らず、喧騒の中に行かないので、演奏会の余韻をそのまま持って帰ることが出来ます。帰りは20分ぐらいで戻って来ますから、専用の送り迎え付き見たいです。

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下りる停留所は、国立劇場前で、オペラシティには、少しだけ歩きます。そのアプローチもいい感じです。もう、六時半になろうとしているのですが、陽が長くなっています。

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特徴ある入り口を入っていくと、ゆったりとしたアプローチが、目の前の甲州街道の喧騒から、音楽ホールへの気分転換を図ってくれます。この会場には、何時もオーケストラを聴きに来ます。だからといって、良くオーケストラのコンサートが開かれているわけではありません。山形交響楽団や東京交響楽団、東京フィルハーモニー、それに外国の一流だけど、超一流ではないオーケストラが演奏をしに来ます。

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今日の席は、なるべく前の方で聴こうと思い、前から4列目でした。ピアノはいつも右側で聴いています。指使いは見えませんが、演奏しているときの表情はが見えます。音も右側の方が良いですね。ピアノがピカピカで凄く大きく見えました。彼女の持ち込みのピアノなのでしょうか?(翌日ホールに確かめたら、ホールのピアノから選んだそうです)

彼女のCDは良く聴いています。入魂の演奏が多く、安易に聞き流すわけにはいきません。真摯な演奏には、こちらも真剣な姿勢を要求されます。会場の入りは、七〜八割ぐらいでしょうか?大分空席も見えました。この演奏を聴きに来ないのはもったいないと思いました。普通のピアノ演奏会から比べれば、すこし高い入場料ですが、それでもCD二枚分です。あれだけCDが出ていても、CDを購入する層と演奏会を聴きに来る層は違うのでしょうか。

私の中では、CDで聴くような音が、実際にするのだろうか?という興味が大きかった事も事実です。
演奏曲目は、

前半

・ラヴェル:水の戯れ op.30
・リスト:エステ荘の噴水
・ドビュッシー:沈める寺
・フォーレ:舟歌第5番
・ヤナーチェク:アンダンテ (霧の中より)
・アルベニス:「イベリア組曲」よりアルメリーア
・べリオ:水のクラヴィア
・武満 徹:雨の樹・素描 II

後半

・ブラームス:ピアノソナタ第2番嬰へ短調

というプラグラムです。このプログラムは、彼女の最新のアルバム「Water」に収録されている曲目だそうです。前半は全曲通して演奏されると言う事でした。順番にもこだわりがあるのでしょう。しかし、よく見るとCDのアルバムとは異なる順番で構成されていました。


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黒の上着に、パンタロンという実用的な姿で出て来たグリモーは、とても46歳には見えません。すっとピアノに座ると、第一曲が流れてきました。ん?これはラヴェルではありませんね。しかし、極めて美しいピアノの音です。いままで聴いたピアノリサイタルは、数え切れないほどですが、もっともはっきりとした音を出しています。調律もあっているし、音が澄んで、そして遠くまで響いていく音です。最後のペダリングも長く余韻が響いてきます。一番近い音は、メジューエワですが、演奏スタイルが違います。

二曲目もパンフレットの順番のリストではありません。どうやら順を変えて演奏されているようです。終わってから、曲順変更の案内を見ました。この順番が、CDでの順番ですから、元に戻したのでしょうね。リストも素晴らしく、最後の沈める寺の、音が沈んでいく最後まで余韻を響きかせておりました。終わった途端盛大な拍手が来ました。大満足です。

・べリオ:水のクラヴィア
・武満 徹:雨の樹・素描 II
・フォーレ:舟歌第5番
・ラヴェル:水の戯れ op.30
・アルベニス:「イベリア組曲」よりアルメリーア
・リスト:エステ荘の噴水
・ヤナーチェク:アンダンテ (霧の中より)
・ドビュッシー:沈める寺


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休み時間は、15分です。知った顔を探しましたが、常連はお見受けしませんでした。ただ、先日紀尾井のレーゼルでもお会いした旧知の方と再会しました。78歳になられるそうですが、ヴァイオリンとピアノの演奏会を中心に聴きに来ているそうです。去年の上野のワルキューレでもお見受けしましたが、とてもお元気です。私も、あと10年頑張らなければとネジ巻かれました。

後半は、ブラームスの作品2番のピアノソナタ第二番です。19歳のブラームスが、師匠のシューマンの奥さん、クララに献呈した曲です。嬰ヘ短調は、シューマンのピアノソナと1番と同じですね。青春の情熱に満ちています。その複雑な曲を、一切混濁せず、引き抜けていくグリモーの力量に驚きました。切れ味の違いは有りますが、パワーは、アルゲリッチにも負けません。全くミス無く、オクターブの難しい奏法を楽々とこなしていくのです。

第二楽章と第三楽章は、ロ短調、最後は嬰ヘ短調から、嬰ヘ長調へと昇華されていきます。前半のリストも、そういえば嬰ヘ長調の曲です。演奏会全体の色合いが、水のような調正に統一されていたのかも知れません。ピアノのおとはDGの定評あるピアノ録音と全く同じでした。録音の様に演奏会場では聞こえませんから、逆な意味で驚きました。  

アンコールは、お得意のラフマニノフでした。情緒たっぷりで、まったく違う響きを見せてくれました。私の中では、二十年前のロンドンでのポリーニ、昨年の名古屋でのメジュエーワ、そして、今回のグリモーが忘れられない演奏会になった様です。7月には、ロシア派の巨匠、プレトニョフがあります。私も最近は、ピアノとヴァイオリンばかりですね。

ホールを後にして、初台の食堂に入った途端、食堂の上を高架が通っている様な振動がし始めました。同時に、お客の携帯が一斉に振動し始め、緊急地震速報のけたたましい音が鳴り響きました。食堂の係りの人が、すぐに自動扉をあけていつでも逃げ出せるようにしましたが、それだけで収まったようです。

急いで、食事は終わらせて、バスに乗っていたら、あっという間です。高円寺の車庫を過ぎると、もう誰も乗っていません。家の近くの停留場下りて、夜道を歩いたら、これは、便利だと実感しました。次のオペラシティはヒラリー・ハンになるとおもいますが、その前に、お隣の新国立での、ローエングリーンがあります。また、バスに揺られて行きましょう。


Commentedby リウー at 2016-05-17 18:20 x

 行きたかったのですが、都合がつきませんでした。2010年のコンサートはアルバムresonanceの曲順そのままでした。
グリモーの音は、実際に聴くとかなり力強い感じがしました。

Commentedby TANNOY-GRF at 2016-05-17 18:25

リウーさん 残念でしたね。前回は6年前だったのですね。音は言われるように、力強い奏法です。ペダルを使って、あれだけ切れの良い音を出すのは、打鍵のスピードが速いからでしょうね。スタインウェイのピアノのサンプルみたいな音でした。

Commentedby Bellwoodat 2016-05-19 11:32 x

これは行ってみたかったですね。今はちょっとヨーロッパ旅行直後の虚脱状態なので。もっと小さいホールだったら無理して行っていたかもしれません。CDを買ってみます。

Commentedby TANNOY-GRF at 2016-05-19 15:53

Bellwoodさん あれだけの強行軍ですから、無理ないですね。私が聴いたピアニストのなかでも一二を争うほど、音が澄んできれいでした。空席があったのが信じられません。オペラシティは、次の晩はアルゲリッチだったのです。大分の震災のチャリティですね。とんでもないホールです。

Commentedby TANNOY-GRF at 2016-05-19 16:03

オペラシティのホールは、大きさはムジークフェラインザールとほぼ同じですね。違うのは、天井の形状です。前の方の10席ぐらいは、反射板の下で、音が抜けすぎません。今回は4列目でとても細かなニュアンスを聞き取ることが出来ました。SACDで聴くDGの音でした。ご夫婦で来られているかとさがしていました。
https://tannoy.exblog.jp/25235393/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c45

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
46. 中川隆[-11312] koaQ7Jey 2019年11月08日 10:41:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1586]

グリモーが机の上で指を動かしている。→何を弾いているのか。2017年3月7日
https://www.nemo2sha.com/grimaud-air-bach/


エアー指さばき。テーブルの上で指を動かしているエレーヌ・グリモーの動画がありました。さてエレーヌが何の曲を弾いているのかわかるかな?という質問と共にFacebookに公開されていたのが以下の動画。なんと13万回以上再生されている!



みなさん思い思いの答えをコメント欄に書いています。はい、正解が多いですね。以下に正解を書きますがその答えを読む前に何の曲か上の動画を見て、考えて下さい。

答え:「J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集第1巻の第2番ハ短調のプレリュード」です。正解した方、おめでとうございあす。

この動画を見て思ったことを2つ3つ書いてみましょう・・・。

●グリモーというピアニストは、評価が分かれるピアニストでもあります。ものすごく熱狂的に彼女を持ち上げる人も居れば、冷ややかに酷評する人もいる。そして彼女の事を悪く言う人たちが、ほぼ決まったようにいう事があります、「彼女は利用出来るものはすべて利用して有名になった」「狼さえも彼女は自分の名声のため利用した」と言います。おお厳しい。・・・でもね、口さがないみたいですけれど、有名になるには利用出来るものは利用しないといけませんよね。自分自身が有名になったことないからわからないですけど。

腕が良ければ有名になれるというのは、ナイーヴな幻想です。才能のある人がチャンスを掴み、それを複数回ものにして初めて、有名になれるんですよ。才能だけじゃ駄目です。「面白いから売れるんじゃない、売れた物が面白いんだ」という誰かの名言がありますが、その感覚に少し通じますね。

「グリモーは有名になったら狼も捨てた」という話もよく聞くので、そうなのかなと昨日まで思っていたのですが、上の動画をよくご覧下さい。狼・・かどうかは100%の自信がありませんが、少なくとも大型の犬っぽい(ハスキー?シェパード・・?)動物が、彼女の右側に座っているようなのが見える。そして彼女が着ているTシャツにはWolfの文字が読める(正確にはfはみえないが多分fかvesです)。つまり、彼女は今も狼に愛着を持っていて、狼もしくは大型の犬を連れて歩いている、ということになりはしますまいか。疑ってごめん。

●また机の上のカップにはスターバックスの文字が。そして中に少し残っているドリンクはピンク色をしている・・・。これはネットでも話題になったスタバの裏メニュー「ピンクドリンク」なのではないか・・・??つまり、グリモーは熱心なスタバのファンでもあるのではないか・・・??

http://toyokeizai.net/articles/-/123451

●彼女のお腹のあたりにはウェストバッグのようなものが見えるので、もしかしてウェストバッグを愛用しているのか・・とぞっとしかけましたが、あれは肩からかけるタイプのバッグが脚の上で横になっているからそう見えただけで、たぶんウェストバッグじゃあ・・・ないよね。
https://www.nemo2sha.com/grimaud-air-bach/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c46
[近代史3] 音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も 中川隆
5. 中川隆[-11311] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:04:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1587]
2017.02.26
なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか
中川 右介
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51050

昨年秋から、クラシック音楽に関係するベストセラーが二点出ている。

ひとつは、直木賞を受賞した

恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4344030036/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=1a62c47df6c6c9dab9f7bad165124a60

もうひとつは東京藝術大学の現役の学生に取材したノンフィクション

二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103502916/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=def841b0ff1e34820ed6f007005db4b2


この二冊は、まったく関係ないが、続けて読むと、何かが見えてくる気がする。

まず『蜜蜂と遠雷』だ。

架空の日本国内で開催される国際ピアノコンクール(モデルは浜松国際ピアノコンクール)の予選から本選までを、三人称多元視点で映画的に描く。コンクールに応募した、4人(モデルはいないと思う)が主人公だ。

その4人は、Amazonにある内容紹介を引用すると、

「養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳」
「かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳」
「音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳」
「完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳」

この4人とその関係者、審査員の数名が登場人物で、コンクールの一次、二次、三次、本選までの2週間が描かれる。それぞれの過去も説明されるが、それほど詳しくはない。

恩田陸はミステリ作家のイメージなので、これもミステリかと思ったらそうではなかった。

現実のコンクールは、殺人事件のひとつや二つが起きてもおかしくないくらい、欲望と名誉と金が渦巻く世界だ。しかし、この小説では、性格や人格に問題のある音楽家は出てくるが、彼らも音楽を愛し、音楽にはみな真面目な態度で対峙する。

審査員を色仕掛けや金で買収することも含めて、犯罪めいた出来事は起きない。主人公のひとりが不法侵入めいたことをするが、その程度だ。

「誰が犯人か」ではなく、「誰が優勝するのか」を知りたくで頁をめくっていくことになる。2段組で500頁近い大作で、読むのに5時間かかったが、一気に読んだ。それくらい面白い小説である。

だが、ストーリーを要約するのは難しい。

ひたすら演奏シーンが続く小説で、ストーリーは「あるピアノコンクールの予選から本選までが描かれる」でしかない。

主人公の4人が本選まで残るのだろうなということは、まあ、最初から察しはつく(実際にどうなるかはここでは書かない)。しかし、読み終わる頃、つまり本選が終わったところでは、もう誰が優勝するかはどうでもよくなっていた。

といって、「参加することに意義がある」とか、「音楽に優劣はつけられない」というキレイゴトに落ち着くのではない。結果は、一応出るが、あくまで、一応、なのだ。

そのラストは、漫画『タッチ』(あだち充)のラストに雰囲気が似ている。知りあいの元漫画雑誌編集者と話した時も、それが話題になった。

恩田が『タッチ』を意識しているのかどうかは分からないが、うまい終わり方だった。ただ、これを物足りないと感じる人もいるだろう。それはもう、好みの問題だ。

東京藝大を頂点とする秩序の実態

さて、『蜜蜂と遠雷』は天才の物語だ。

天才と天才は互いに理解でき、切磋琢磨していく。

天才ではない人は、どんなに努力しても、その頂点世界へは入れない。自分も天才と思っていたけどそうでなかった人は、いくら努力しても天才にはなれない。

そういう、どうしようもない「差」が描かれる。

天才に属する主人公たちの側に立って描かれるので、そういう現実は「すばらしい」こととなっている。

だが、読者のほとんどは天才ではない。

ピアノ音楽業界に関係のない人や楽器を演奏しない者は、他人事として楽しんで読めるが、ピアノを習っていていま努力している人、あるいはかつて努力した人が読むと、絶望感がわいてきて、それが作品への怒りに変わるのではないかと心配になるくらい、天才ではない人に対して冷淡だ。

この割り切りを、ピアニストやピアニスト志願者やピアノ教育関係者が容認できるかどうか。「こんなのは絵空事だ」と一蹴するか、粗探しをして批判する人のほうが多いような気がする。


ここで思い出すのは、10年ほど前、ドラマ化、アニメ化もされてブームになったコミックの二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』(講談社)だ。

ブームになると、クラシック音楽業界は商機ととらえて飛びついて、一緒に盛り上げた。

あのとき、クラシック音楽業界は『のだめカンタービレ』を喜んで受け入れた。それは、あのコミックの主人公たちが、かなりの「変人」ではあるが、音大というシステムの内側にいる者だったからだ。

東京藝大を頂点とする日本のクラシック音楽業界の秩序を脅かすものではなかったのだ。

だが『蜜蜂と遠雷』は危険な小説である。東京藝大というシステムの無意味さを、著者が意識していないとしても、告発してしまっている。

だから、面白い。

このように『蜜蜂と遠雷』は音楽教育業界にとって危険な小説だから、拒絶反応もあるだろう。

といって、正面からは批判しにくいので、「こんな漫画みたいな主人公はいない」とか「演奏の描写が素人っぽい」という、そういうテクニカルな面での批判になる。

天才を排除してしまうシステム

『蜜蜂と遠雷』の危険性を逆説的に証明しているのが、二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)だ。

こちらはタイトルがまがまがしいが、ノンフィクション。

著者の二宮敦人は小説家。妻が現役の藝大の美術学部生で、彼女から聞く藝大生の話が信じられないようなエピソードが多いので興味を抱いて、取材して書かれたもの。現役の学生にインタビューした内容が中心の本だ。

東京藝術大学は唯一の国立の藝術大学で、美術学部と音楽学部とがある。この二つはもとは別の大学だったが、戦後、ひとつになった。この本では美術の学生と、音楽の学生の双方が、均等に描かれている。

帯には〈謎に満ちた「芸術界の東大」に潜入した前人未到、抱腹絶倒の体験記〉〈やはり彼らは只者ではなかった。〉とあり、奇人変人ものの装いをしている。

その奇人変人ぶりは、美術学部の学生のほうに多く、音楽学部学生は、口笛の専門家という変わった学生も出てくるが、親に言われて子供の頃からピアノを習っていて、頂点である最難関の東京藝大に入りました、という従来のイメージの学生が多い。

そういう子供の頃からピアノを習っている人たちは、「一般庶民とは別世界に住んでいる」という点では変わっているが、残念ながら、『蜜蜂と遠雷』の主人公のような天才性も奇抜さもない。

奇人変人度では、美術学部の学生に圧倒的に負けてしまう。

この本は、「東京藝大」全体をテーマにしているので、量的に美術と音楽が均等になっているが、読んで印象に残るのは美術学部生の話のほうだ。

美術学部生は誰もが、どこかしら「奇人変人」なのに、音楽学部生は、根本的なところでは一般社会からズレているものの、性格や人格には破綻はなく、あまり面白くない。

東京藝大の音楽学部からは秀才しか生まれないんだなあ、いやその逆で、天才は排除されて秀才しか入れない藝術大学なんだなという、音楽業界で言われていることの再確認をした。

現実の音楽の天才とは?

ここで改めて『蜜蜂と遠雷』を思い出す。

『蜜蜂と遠雷』の主人公たちは、この日本音楽界の頂点である東京藝大とは無縁だ。

つまり、この小説からこんな世界観が読み取れる。

〈破天荒な天才は、ピアノ教室を底辺とし東京藝大を頂点とするシステムからは排除される。しかし、真の天才は、分かる人には分かるので、何らかの方法で世に出て、秀才たちを打ち負かす。〉

一生懸命にピアノを習い、頂点である東京藝大に入れた人も、東京藝大には入れなかったけど他の音大に入った人も、藝大・音大を目指している人も、みんな天才の引き立て役でしかないのだ。

では、現実の音楽の世界での天才たちとは、どういう人なのか。


1月に、クラシック音楽の最高峰で活躍している人々のエピソードをまとめた

『現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/434498451X/ref=as_li_ss_tl?s=books&ie=UTF8&qid=1487832793&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=2202032c84a69e5eb0c50815caf7b348


を上梓した。

音楽教育論の本ではないのだが、「音楽を誰かから学ぶ」とはどういうことなのかを考える手がかりを散りばめたつもりだ。

指揮者やヴァイオリニストやオペラ歌手も出てくる本だが、ピアニストのエピソードをいくつか紹介しよう。

当代一のピアニストといえば、マウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチであろう。ポリーニは1960年に、アルゲリッチは65年に、ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。

そしてこの二人の「師」とされるのが、やはり20世紀のピアニストのなかでトップ10に入るクラスの、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ。

ところが、この三人の演奏はまるで違う。

師と弟子も違えば、弟子同士も違うのだ。師弟といっても、「こう弾け」とか「こう解釈するのが正しい」とか、そういうものを伝授する関係ではない。

アルゲリッチはイタリアのミケランジェリのもとに一年半ほどいた。それなのに彼がレッスンをしたのはわずか4回。

このことについてミケランジェリは「静寂の音楽」を教えたかったからだと、禅問答のようなことを言っている。

これ以上ここにいてもしょうがないと思ったのか、アルゲリッチはその後、アメリカへ行く。彼女が憧れているピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツに弟子入りしようと考えたのだ。

アルゲリッチがホロヴィッツのもとへ行ったのは、彼女が最初にレコードを出した時、何の面識もないのにホロヴィッツから賞賛の手紙が届いたからだった。それでアルゲリッチとしては、この人のもとへ行って教えてもらおうと思ったわけだ。

しかし、ホロヴィッツという世界最高のピアニストは、弟子をとらないことでも知られていた。アルゲリッチも、結局、会うこともできなかった。

だが、それで恨みに思うことはない。

ホロヴィッツはめったに演奏しなくなっていたが、アルゲリッチはスケジュールの都合がつく限り、ホロヴィッツのコンサートへ行く。そして楽屋を訪ねることもあったが、それ以上の関係にはならない。

一度もレッスンをしなくても、この二人も師弟関係にあると言ってもいい。

アルゲリッチは何かをホロヴィッツからも学び取っているのだから。

そのアルゲリッチが師となることもある。

フランス出身のエレーヌ・グリモー(1969〜)は、この年代のピアニストとしては珍しく有名コンクール出身ではない。パリ音楽院に入学したが、そのシステムに馴染めず、指導教授とも対立して音楽院をやめてしまった。チャイコフスキー・コンクールでは入賞もできなかった。

それでも17歳でプロとしてデビューするのだからスゴイが、その後も協奏曲のコンサートに出演した際、巨匠指揮者バレンボイムと対立する。

壁にぶつかった彼女を迎え入れたのが、アルゲリッチだった。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが主宰する音楽祭にグリモーが呼ばれ、そこでアルゲリッチと出逢い、「直感の生命力」を学んだという。そしてクレーメルからは「譜面上での知的な練習」を学んだ。

おもしろいのは同じピアニストのアルゲリッチからは精神的なことを、ヴァイオリニストのクレーメルからは具体的な練習法というかアプローチの仕方を学んでいることだ。

このように、世界のトップクラスの音楽家たちのエピソードには、専業の教師から学ぶことよりも、音楽家同士の交流から学び取ったことのほうが多く出てくる。

単純に、そういう話のほうが面白いからでもある。

だが、「音楽を学ぶ」ことには、日常的な練習とか教育とは違う次元のものがあり、そこに到達した者だけが、世界最高峰の演奏家になれる。

音楽院や教師不要論を展開するつもりはないが、結局、天才同士にしかわからない世界があり、そうやって認め合う者たちによって、クラシック音楽の最高峰という世界は作られているのだ。

『蜜蜂と遠雷』が描く「若い天才たちが知り合うことで刺激を受けて成長していく物語」は、いかにも作り物めいているように思うかもしれないが、かなりリアリティを感じるのだ。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html#c5

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
47. 中川隆[-11310] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:05:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1588]

2017.02.26
なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか
中川 右介
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51050

昨年秋から、クラシック音楽に関係するベストセラーが二点出ている。

ひとつは、直木賞を受賞した

恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4344030036/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=1a62c47df6c6c9dab9f7bad165124a60

もうひとつは東京藝術大学の現役の学生に取材したノンフィクション

二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103502916/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=def841b0ff1e34820ed6f007005db4b2


この二冊は、まったく関係ないが、続けて読むと、何かが見えてくる気がする。

まず『蜜蜂と遠雷』だ。

架空の日本国内で開催される国際ピアノコンクール(モデルは浜松国際ピアノコンクール)の予選から本選までを、三人称多元視点で映画的に描く。コンクールに応募した、4人(モデルはいないと思う)が主人公だ。

その4人は、Amazonにある内容紹介を引用すると、

「養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳」
「かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳」
「音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳」
「完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳」

この4人とその関係者、審査員の数名が登場人物で、コンクールの一次、二次、三次、本選までの2週間が描かれる。それぞれの過去も説明されるが、それほど詳しくはない。

恩田陸はミステリ作家のイメージなので、これもミステリかと思ったらそうではなかった。

現実のコンクールは、殺人事件のひとつや二つが起きてもおかしくないくらい、欲望と名誉と金が渦巻く世界だ。しかし、この小説では、性格や人格に問題のある音楽家は出てくるが、彼らも音楽を愛し、音楽にはみな真面目な態度で対峙する。

審査員を色仕掛けや金で買収することも含めて、犯罪めいた出来事は起きない。主人公のひとりが不法侵入めいたことをするが、その程度だ。

「誰が犯人か」ではなく、「誰が優勝するのか」を知りたくで頁をめくっていくことになる。2段組で500頁近い大作で、読むのに5時間かかったが、一気に読んだ。それくらい面白い小説である。

だが、ストーリーを要約するのは難しい。

ひたすら演奏シーンが続く小説で、ストーリーは「あるピアノコンクールの予選から本選までが描かれる」でしかない。

主人公の4人が本選まで残るのだろうなということは、まあ、最初から察しはつく(実際にどうなるかはここでは書かない)。しかし、読み終わる頃、つまり本選が終わったところでは、もう誰が優勝するかはどうでもよくなっていた。

といって、「参加することに意義がある」とか、「音楽に優劣はつけられない」というキレイゴトに落ち着くのではない。結果は、一応出るが、あくまで、一応、なのだ。

そのラストは、漫画『タッチ』(あだち充)のラストに雰囲気が似ている。知りあいの元漫画雑誌編集者と話した時も、それが話題になった。

恩田が『タッチ』を意識しているのかどうかは分からないが、うまい終わり方だった。ただ、これを物足りないと感じる人もいるだろう。それはもう、好みの問題だ。


東京藝大を頂点とする秩序の実態

さて、『蜜蜂と遠雷』は天才の物語だ。

天才と天才は互いに理解でき、切磋琢磨していく。

天才ではない人は、どんなに努力しても、その頂点世界へは入れない。自分も天才と思っていたけどそうでなかった人は、いくら努力しても天才にはなれない。

そういう、どうしようもない「差」が描かれる。

天才に属する主人公たちの側に立って描かれるので、そういう現実は「すばらしい」こととなっている。

だが、読者のほとんどは天才ではない。

ピアノ音楽業界に関係のない人や楽器を演奏しない者は、他人事として楽しんで読めるが、ピアノを習っていていま努力している人、あるいはかつて努力した人が読むと、絶望感がわいてきて、それが作品への怒りに変わるのではないかと心配になるくらい、天才ではない人に対して冷淡だ。

この割り切りを、ピアニストやピアニスト志願者やピアノ教育関係者が容認できるかどうか。「こんなのは絵空事だ」と一蹴するか、粗探しをして批判する人のほうが多いような気がする。


ここで思い出すのは、10年ほど前、ドラマ化、アニメ化もされてブームになったコミックの二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』(講談社)だ。

ブームになると、クラシック音楽業界は商機ととらえて飛びついて、一緒に盛り上げた。

あのとき、クラシック音楽業界は『のだめカンタービレ』を喜んで受け入れた。それは、あのコミックの主人公たちが、かなりの「変人」ではあるが、音大というシステムの内側にいる者だったからだ。

東京藝大を頂点とする日本のクラシック音楽業界の秩序を脅かすものではなかったのだ。

だが『蜜蜂と遠雷』は危険な小説である。東京藝大というシステムの無意味さを、著者が意識していないとしても、告発してしまっている。

だから、面白い。

このように『蜜蜂と遠雷』は音楽教育業界にとって危険な小説だから、拒絶反応もあるだろう。

といって、正面からは批判しにくいので、「こんな漫画みたいな主人公はいない」とか「演奏の描写が素人っぽい」という、そういうテクニカルな面での批判になる。

天才を排除してしまうシステム

『蜜蜂と遠雷』の危険性を逆説的に証明しているのが、二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)だ。

こちらはタイトルがまがまがしいが、ノンフィクション。

著者の二宮敦人は小説家。妻が現役の藝大の美術学部生で、彼女から聞く藝大生の話が信じられないようなエピソードが多いので興味を抱いて、取材して書かれたもの。現役の学生にインタビューした内容が中心の本だ。

東京藝術大学は唯一の国立の藝術大学で、美術学部と音楽学部とがある。この二つはもとは別の大学だったが、戦後、ひとつになった。この本では美術の学生と、音楽の学生の双方が、均等に描かれている。

帯には〈謎に満ちた「芸術界の東大」に潜入した前人未到、抱腹絶倒の体験記〉〈やはり彼らは只者ではなかった。〉とあり、奇人変人ものの装いをしている。

その奇人変人ぶりは、美術学部の学生のほうに多く、音楽学部学生は、口笛の専門家という変わった学生も出てくるが、親に言われて子供の頃からピアノを習っていて、頂点である最難関の東京藝大に入りました、という従来のイメージの学生が多い。

そういう子供の頃からピアノを習っている人たちは、「一般庶民とは別世界に住んでいる」という点では変わっているが、残念ながら、『蜜蜂と遠雷』の主人公のような天才性も奇抜さもない。

奇人変人度では、美術学部の学生に圧倒的に負けてしまう。


この本は、「東京藝大」全体をテーマにしているので、量的に美術と音楽が均等になっているが、読んで印象に残るのは美術学部生の話のほうだ。

美術学部生は誰もが、どこかしら「奇人変人」なのに、音楽学部生は、根本的なところでは一般社会からズレているものの、性格や人格には破綻はなく、あまり面白くない。

東京藝大の音楽学部からは秀才しか生まれないんだなあ、いやその逆で、天才は排除されて秀才しか入れない藝術大学なんだなという、音楽業界で言われていることの再確認をした。

現実の音楽の天才とは?

ここで改めて『蜜蜂と遠雷』を思い出す。

『蜜蜂と遠雷』の主人公たちは、この日本音楽界の頂点である東京藝大とは無縁だ。

つまり、この小説からこんな世界観が読み取れる。

〈破天荒な天才は、ピアノ教室を底辺とし東京藝大を頂点とするシステムからは排除される。しかし、真の天才は、分かる人には分かるので、何らかの方法で世に出て、秀才たちを打ち負かす。〉

一生懸命にピアノを習い、頂点である東京藝大に入れた人も、東京藝大には入れなかったけど他の音大に入った人も、藝大・音大を目指している人も、みんな天才の引き立て役でしかないのだ。

では、現実の音楽の世界での天才たちとは、どういう人なのか。


1月に、クラシック音楽の最高峰で活躍している人々のエピソードをまとめた

『現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/434498451X/ref=as_li_ss_tl?s=books&ie=UTF8&qid=1487832793&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=2202032c84a69e5eb0c50815caf7b348


を上梓した。

音楽教育論の本ではないのだが、「音楽を誰かから学ぶ」とはどういうことなのかを考える手がかりを散りばめたつもりだ。

指揮者やヴァイオリニストやオペラ歌手も出てくる本だが、ピアニストのエピソードをいくつか紹介しよう。

当代一のピアニストといえば、マウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチであろう。ポリーニは1960年に、アルゲリッチは65年に、ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。

そしてこの二人の「師」とされるのが、やはり20世紀のピアニストのなかでトップ10に入るクラスの、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ。

ところが、この三人の演奏はまるで違う。

師と弟子も違えば、弟子同士も違うのだ。師弟といっても、「こう弾け」とか「こう解釈するのが正しい」とか、そういうものを伝授する関係ではない。

アルゲリッチはイタリアのミケランジェリのもとに一年半ほどいた。それなのに彼がレッスンをしたのはわずか4回。

このことについてミケランジェリは「静寂の音楽」を教えたかったからだと、禅問答のようなことを言っている。

これ以上ここにいてもしょうがないと思ったのか、アルゲリッチはその後、アメリカへ行く。彼女が憧れているピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツに弟子入りしようと考えたのだ。

アルゲリッチがホロヴィッツのもとへ行ったのは、彼女が最初にレコードを出した時、何の面識もないのにホロヴィッツから賞賛の手紙が届いたからだった。それでアルゲリッチとしては、この人のもとへ行って教えてもらおうと思ったわけだ。

しかし、ホロヴィッツという世界最高のピアニストは、弟子をとらないことでも知られていた。アルゲリッチも、結局、会うこともできなかった。

だが、それで恨みに思うことはない。

ホロヴィッツはめったに演奏しなくなっていたが、アルゲリッチはスケジュールの都合がつく限り、ホロヴィッツのコンサートへ行く。そして楽屋を訪ねることもあったが、それ以上の関係にはならない。

一度もレッスンをしなくても、この二人も師弟関係にあると言ってもいい。

アルゲリッチは何かをホロヴィッツからも学び取っているのだから。


そのアルゲリッチが師となることもある。

フランス出身のエレーヌ・グリモー(1969〜)は、この年代のピアニストとしては珍しく有名コンクール出身ではない。パリ音楽院に入学したが、そのシステムに馴染めず、指導教授とも対立して音楽院をやめてしまった。チャイコフスキー・コンクールでは入賞もできなかった。

それでも17歳でプロとしてデビューするのだからスゴイが、その後も協奏曲のコンサートに出演した際、巨匠指揮者バレンボイムと対立する。

壁にぶつかった彼女を迎え入れたのが、アルゲリッチだった。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが主宰する音楽祭にグリモーが呼ばれ、そこでアルゲリッチと出逢い、「直感の生命力」を学んだという。そしてクレーメルからは「譜面上での知的な練習」を学んだ。

おもしろいのは同じピアニストのアルゲリッチからは精神的なことを、ヴァイオリニストのクレーメルからは具体的な練習法というかアプローチの仕方を学んでいることだ。

このように、世界のトップクラスの音楽家たちのエピソードには、専業の教師から学ぶことよりも、音楽家同士の交流から学び取ったことのほうが多く出てくる。

単純に、そういう話のほうが面白いからでもある。

だが、「音楽を学ぶ」ことには、日常的な練習とか教育とは違う次元のものがあり、そこに到達した者だけが、世界最高峰の演奏家になれる。

音楽院や教師不要論を展開するつもりはないが、結局、天才同士にしかわからない世界があり、そうやって認め合う者たちによって、クラシック音楽の最高峰という世界は作られているのだ。

『蜜蜂と遠雷』が描く「若い天才たちが知り合うことで刺激を受けて成長していく物語」は、いかにも作り物めいているように思うかもしれないが、かなりリアリティを感じるのだ。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c47

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
147. 中川隆[-11309] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:27:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1589]
パンやラーメンを食べるとこの鹿さんみたいになるよ:



http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c147
[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
329. 中川隆[-11308] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:28:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1590]
パンやラーメンを食べるとこの鹿さんみたいになるよ:



http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c329
[不安と不健康15] 山崎製パン ためらわずに添加物をガンガン使う会社 ココで働け取材班 てんさい(い)
99. 中川隆[-11307] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:29:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1591]
ヤマザキでなくてもパンやラーメンを食べるとこの鹿さんみたいになるよ:

米国ではモンサントのラウンドアップで癌になった患者に2200億円の賠償命令。同様の裁判が1万1000件申し立てされており現在審議中。⇒モンサントを巡る動き〜日本では報道されないが 、米国、EUでは今大変なことが起きているhttps://t.co/ksarVnFimN pic.twitter.com/PlxLgR6omg— 卓男 (@yamahiro39310) 2019年8月20日
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/423.html#c99

[不安と不健康15] 山崎製パン ためらわずに添加物をガンガン使う会社 ココで働け取材班 てんさい(い)
100. 中川隆[-11306] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:30:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1592]




http://www.asyura2.com/09/health15/msg/423.html#c100
[近代史3] 米国から購入する兵器は国債を発行して日銀が国債を買い取り、無料で購入する事になる 中川隆
4. 中川隆[-11353] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:59:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1545]

2019年11月08日
防衛費は負担? 軍事費が多い国ほど健全財政で成長した事実


軍事費のGDP比と経済成長・財政には、マイナスの影響は見られない

引用:http://ecodb.net/article/news/128.html


日本には「防衛費が少ないほど経済に良い」という神話がある。

しかしこの神話には根拠がなく、日本より軍事費が多い国のほうが、遥かに健全財政で成長してきました。


防衛費の神話は真実か?

軍事費(防衛費)は少ないほど国民の負担が軽く、多いほど国民の負担が重くなる。


したがって軍事費が少ないほど経済が成長し、多いほど経済が停滞する。



また軍事費が多いほど財政が悪化し、少ないほど財政が健全になる。

日本では当たり前の事として70年以上信じられてきた『宗教』ですが、日本以外の国の人は誰も信じていない。

世界で最も軍事費が少ないのは日本ですが(GDP比)、世界で最も財政が悪化しているのは日本です。


(各国の隠し債務を含めると、日本より財政悪化している国がいくつか存在しているが、本題ではないので触れない。)

これでは「軍事費が少ないほど財政が健全」どころか「軍事費が少ないと財政が悪化する」としか考えられない。

そして実際に、軍事費が少ない国は財政が悪化するし、経済も停滞するのです。


そのメカニズムは軍隊とは経済的に見て、その国で最も巨大な公共事業です。

国が公共事業で高速道路や橋や新幹線を建設するのと、護衛艦や戦闘機を作るのは、同じ生産活動であり、GDPが上昇します。

1000億円で道路を作っても護衛艦を作っても、同じように経済効果が発生します。


道路を作れば作った道路には資産価値が生まれ、国の資産になります。

また道路を車が通って利用するので、新たな経済活動によって経済効果が発生します。

護衛艦や戦闘機も日本国の資産になり、活動すれば何らかの経済効果を産みます。


そして軍隊は人数が多く、活動すれば経済効果が大きい。

軍隊が数十万人の若者を雇うことで、失業率は確実に下がります。

もしアメリカからアメリカ軍がなくなったら、アメリカの失業率は酷い事になり、節約した以上に打撃を受けるでしょう。

だが反対する意見の人には「道路や鉄道は利用するが、軍隊は無駄だから経済効果が無い」という言い分があるでしょう。

軍事費は経済にプラス効果

日本がなぜアメリカの『命令』で不利な貿易交渉を飲まされたり、欲しくもない米国債を買わされているのでしょうか?

在日米軍には思いやり予算も払い、辺野古の移設費用は全額日本が負担します。

それでいてアメリカから感謝された事は無く、通貨政策や貿易交渉では不利な条件ばかり飲まされています。


これらはアメリカの強大な軍隊を日本が恐れているからで、アメリカ軍が産んだ経済効果です。

中東の石油利権をアメリカが独占しているのもアメリカ軍が在るからだし、日本がアメリカの米を買わされるのも、米軍に守って欲しいからです。

このように軍隊が産む経済効果は、目に見えないが確実に存在する。


軍隊が強い国の方が、有利な条件で経済交渉をするのが事実です。

日本の自衛隊も、目には見えないが確実に経済効果を産んでいます。

この事は各国の統計上の数字にも現れています。


その国の軍事費の割合が、GDPに対して低かろうが高かろうが、財政や経済成長との関係は見られない。

しいて言えば軍事費をケチった日本が最も財政悪化して、経済はもっとも停滞しました。

反対にGDPに対して軍事費を増やした国は、中国を筆頭に急速な経済成長を遂げました。


中国が成長した原因が軍事力増大かどうかは分かりませんが、マイナス要因にならなかったのは確かです。

他の国々を見ても、軍事費の対GDP比率が4%台までは、経済とのマイナスの関係は現れていません。


こうした『事実』を日本で、政治家や解説者が話すことはタブーな訳ですが、現実は認めたうえで防衛費の議論をしたほうが良い。


現在1%の防衛費を、仮に3%にしたところで、経済活動によって税収が増えるので、財政はむしろ好転すると考えられる。
http://www.thutmosev.com/archives/30476574.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/593.html#c4

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
54. 中川隆[-11370] koaQ7Jey 2019年11月08日 12:03:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1528]
2019年11月08日
防衛費は負担? 軍事費が多い国ほど健全財政で成長した事実

軍事費のGDP比と経済成長・財政には、マイナスの影響は見られない

引用:http://ecodb.net/article/news/128.html


日本には「防衛費が少ないほど経済に良い」という神話がある。

しかしこの神話には根拠がなく、日本より軍事費が多い国のほうが、遥かに健全財政で成長してきました。


防衛費の神話は真実か?

軍事費(防衛費)は少ないほど国民の負担が軽く、多いほど国民の負担が重くなる。


したがって軍事費が少ないほど経済が成長し、多いほど経済が停滞する。

また軍事費が多いほど財政が悪化し、少ないほど財政が健全になる。

日本では当たり前の事として70年以上信じられてきた『宗教』ですが、日本以外の国の人は誰も信じていない。

世界で最も軍事費が少ないのは日本ですが(GDP比)、世界で最も財政が悪化しているのは日本です。


(各国の隠し債務を含めると、日本より財政悪化している国がいくつか存在しているが、本題ではないので触れない。)

これでは「軍事費が少ないほど財政が健全」どころか「軍事費が少ないと財政が悪化する」としか考えられない。

そして実際に、軍事費が少ない国は財政が悪化するし、経済も停滞するのです。


そのメカニズムは軍隊とは経済的に見て、その国で最も巨大な公共事業です。

国が公共事業で高速道路や橋や新幹線を建設するのと、護衛艦や戦闘機を作るのは、同じ生産活動であり、GDPが上昇します。

1000億円で道路を作っても護衛艦を作っても、同じように経済効果が発生します。


道路を作れば作った道路には資産価値が生まれ、国の資産になります。

また道路を車が通って利用するので、新たな経済活動によって経済効果が発生します。

護衛艦や戦闘機も日本国の資産になり、活動すれば何らかの経済効果を産みます。


そして軍隊は人数が多く、活動すれば経済効果が大きい。

軍隊が数十万人の若者を雇うことで、失業率は確実に下がります。

もしアメリカからアメリカ軍がなくなったら、アメリカの失業率は酷い事になり、節約した以上に打撃を受けるでしょう。

だが反対する意見の人には「道路や鉄道は利用するが、軍隊は無駄だから経済効果が無い」という言い分があるでしょう。


軍事費は経済にプラス効果

日本がなぜアメリカの『命令』で不利な貿易交渉を飲まされたり、欲しくもない米国債を買わされているのでしょうか?

在日米軍には思いやり予算も払い、辺野古の移設費用は全額日本が負担します。

それでいてアメリカから感謝された事は無く、通貨政策や貿易交渉では不利な条件ばかり飲まされています。


これらはアメリカの強大な軍隊を日本が恐れているからで、アメリカ軍が産んだ経済効果です。

中東の石油利権をアメリカが独占しているのもアメリカ軍が在るからだし、日本がアメリカの米を買わされるのも、米軍に守って欲しいからです。

このように軍隊が産む経済効果は、目に見えないが確実に存在する。


軍隊が強い国の方が、有利な条件で経済交渉をするのが事実です。

日本の自衛隊も、目には見えないが確実に経済効果を産んでいます。

この事は各国の統計上の数字にも現れています。


その国の軍事費の割合が、GDPに対して低かろうが高かろうが、財政や経済成長との関係は見られない。

しいて言えば軍事費をケチった日本が最も財政悪化して、経済はもっとも停滞しました。

反対にGDPに対して軍事費を増やした国は、中国を筆頭に急速な経済成長を遂げました。


中国が成長した原因が軍事力増大かどうかは分かりませんが、マイナス要因にならなかったのは確かです。

他の国々を見ても、軍事費の対GDP比率が4%台までは、経済とのマイナスの関係は現れていません。


こうした『事実』を日本で、政治家や解説者が話すことはタブーな訳ですが、現実は認めたうえで防衛費の議論をしたほうが良い。


現在1%の防衛費を、仮に3%にしたところで、経済活動によって税収が増えるので、財政はむしろ好転すると考えられる。
http://www.thutmosev.com/archives/30476574.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c54

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
54. 中川隆[-11369] koaQ7Jey 2019年11月08日 12:03:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1529]
2019年11月08日
防衛費は負担? 軍事費が多い国ほど健全財政で成長した事実

軍事費のGDP比と経済成長・財政には、マイナスの影響は見られない

引用:http://ecodb.net/article/news/128.html


日本には「防衛費が少ないほど経済に良い」という神話がある。

しかしこの神話には根拠がなく、日本より軍事費が多い国のほうが、遥かに健全財政で成長してきました。


防衛費の神話は真実か?

軍事費(防衛費)は少ないほど国民の負担が軽く、多いほど国民の負担が重くなる。


したがって軍事費が少ないほど経済が成長し、多いほど経済が停滞する。

また軍事費が多いほど財政が悪化し、少ないほど財政が健全になる。

日本では当たり前の事として70年以上信じられてきた『宗教』ですが、日本以外の国の人は誰も信じていない。

世界で最も軍事費が少ないのは日本ですが(GDP比)、世界で最も財政が悪化しているのは日本です。


(各国の隠し債務を含めると、日本より財政悪化している国がいくつか存在しているが、本題ではないので触れない。)

これでは「軍事費が少ないほど財政が健全」どころか「軍事費が少ないと財政が悪化する」としか考えられない。

そして実際に、軍事費が少ない国は財政が悪化するし、経済も停滞するのです。


そのメカニズムは軍隊とは経済的に見て、その国で最も巨大な公共事業です。

国が公共事業で高速道路や橋や新幹線を建設するのと、護衛艦や戦闘機を作るのは、同じ生産活動であり、GDPが上昇します。

1000億円で道路を作っても護衛艦を作っても、同じように経済効果が発生します。


道路を作れば作った道路には資産価値が生まれ、国の資産になります。

また道路を車が通って利用するので、新たな経済活動によって経済効果が発生します。

護衛艦や戦闘機も日本国の資産になり、活動すれば何らかの経済効果を産みます。


そして軍隊は人数が多く、活動すれば経済効果が大きい。

軍隊が数十万人の若者を雇うことで、失業率は確実に下がります。

もしアメリカからアメリカ軍がなくなったら、アメリカの失業率は酷い事になり、節約した以上に打撃を受けるでしょう。

だが反対する意見の人には「道路や鉄道は利用するが、軍隊は無駄だから経済効果が無い」という言い分があるでしょう。


軍事費は経済にプラス効果

日本がなぜアメリカの『命令』で不利な貿易交渉を飲まされたり、欲しくもない米国債を買わされているのでしょうか?

在日米軍には思いやり予算も払い、辺野古の移設費用は全額日本が負担します。

それでいてアメリカから感謝された事は無く、通貨政策や貿易交渉では不利な条件ばかり飲まされています。


これらはアメリカの強大な軍隊を日本が恐れているからで、アメリカ軍が産んだ経済効果です。

中東の石油利権をアメリカが独占しているのもアメリカ軍が在るからだし、日本がアメリカの米を買わされるのも、米軍に守って欲しいからです。

このように軍隊が産む経済効果は、目に見えないが確実に存在する。


軍隊が強い国の方が、有利な条件で経済交渉をするのが事実です。

日本の自衛隊も、目には見えないが確実に経済効果を産んでいます。

この事は各国の統計上の数字にも現れています。


その国の軍事費の割合が、GDPに対して低かろうが高かろうが、財政や経済成長との関係は見られない。

しいて言えば軍事費をケチった日本が最も財政悪化して、経済はもっとも停滞しました。

反対にGDPに対して軍事費を増やした国は、中国を筆頭に急速な経済成長を遂げました。


中国が成長した原因が軍事力増大かどうかは分かりませんが、マイナス要因にならなかったのは確かです。

他の国々を見ても、軍事費の対GDP比率が4%台までは、経済とのマイナスの関係は現れていません。


こうした『事実』を日本で、政治家や解説者が話すことはタブーな訳ですが、現実は認めたうえで防衛費の議論をしたほうが良い。


現在1%の防衛費を、仮に3%にしたところで、経済活動によって税収が増えるので、財政はむしろ好転すると考えられる。
http://www.thutmosev.com/archives/30476574.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c54

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
48. 中川隆[-11404] koaQ7Jey 2019年11月08日 12:22:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1494]


気になるピアニスト: エレーヌ・グリモー 2005/05/15
https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-1076.html


現在活躍しているフランス人ピアニストの中で、私が一番気になるのはエレーヌ・グリモー(Hélène Grimaud)という女性ピアニストです。

と言っても、彼女はアメリカに住んでいて、英語の方が流暢ではないかと思ってしまうほどなのですが。

フランスでは余りコンサートをしていません。それでも彼女はフランスでもかなり人気があります。

というのも、彼女は大変な美人なのです。

フランスの男性好みの美女ではないかと思います。ただ顔立ちが良いというのではなくて、個性があって、こういう人をガールフレンドにしたら大変そう... という感じ。





彼女はオオカミ好きとして知られています。アメリカではオオカミ保護センター(Wolf Conservation Center)までつくってしまったくらいなのです。それで、よけいに神秘的な魅力があるのかも知れません。

初めのうち、私は彼女が美人だからもてはやされているのだと抵抗を感じていたのですが、コンサートに行ってからは印象が変わりました。この人の演奏には何か惹き付けられる魅力があるのです。

シンプルなパンタロン姿で、子どもがはにかむような表情を見せて舞台に登場したエレーヌ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。ピアノの惹き方にはかなり男性的な力強さがあります。

指使いを見て驚きました。

指が恐ろしく長い! というのをまず感じたのですが、その指が、まるでオオカミが爪で引っ掻くような動きをしたのです。手前から鍵盤の奥に動く。野生的な情熱を感じました。

優れたピアニストは、ピアノの先生が教えるような手の形では弾いてはいないとは思っていました。でも、こんな動きを見たのは初めてです。

それが、なぜかテレビで見る彼女の演奏では見えないのが不思議...。下に彼女が演奏しているところをビデオで見れるリンクを張りますが、それを見ても、コンサートで見たオオカミの指の動きは見えません。

追記(2019年):

エレーヌ・グリモーと、彼女がニューヨークに開いたWolf Consevation Centerの狼たちが映っている動画がありました:


Hélène Grimaud joue avec les loups - HQ (TV5 Le Point)






◆一風変わったピアニストの自叙伝



5月9日の日記(夢と現実のギャップから「パリ症候群」は生まれる?
https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-1083.html


で、私が住んだエクス・アン・プロヴァンスは何か孤独を感じさせる町だったと書いたのですが、エレーヌ・グリモーはこの町で生まれています。

彼女は半生を語る自叙伝も出版していて、日本語版の紹介では次のようになっています。

 野生のしらべ

「15歳でCDデビューを果たし、天才少女とうたわれたピアニスト、エレーヌ・グレモー。苦悩と迷い、あこがれと確信にみちた半生をみずみずしく綴った自伝的エッセイ。学校に溶け込めない、友だちができない、勉強も習い事も、うまくいかない。自分の気持ちを表現できない。私の居場所はここではない「どこかべつの場所」…。度重なる自傷行為やひきこもりと闘う彼女を救い、癒したのは、本と自然とピアノ、そしてオオカミだった。今、エレーヌは、世界中の子どもたちのすこやかな精神のために、惜しみなく手をさしのべる」

この本の中で彼女は、「私は子ども時代には何のノスタルジーを持っていない(Je n'ai aucune nostalgie de l'enfance.)」などと語っています。

あのエクス・アン・プロヴァンスという町は、やはり冷たさのある町なのかな、と思ってしまいました。でも、それを推進力にしたエレーヌと、そこから何も見出さなかった私との差を感じてしまいます...。天才と凡人の差...。

エレーヌは15歳で初めてのCDを出してしまうほどの天才でした。私はもっと長い年月ピアノを弾いたのですが、全く上達しませんでした...。


◆母国より日本の方が頻繁に来ている!

フランスで彼女のコンサートに行くのは容易ではありません。

かなりのエレーヌ・ファンが私の友達の中にいるのですが、はるばるコンサートに行ったら彼女の都合でキャンセル。その後に、ようやくディジョンでコンサートがあったときに演奏を聞けて感激していました。

ところが、彼女が初めて日本でコンサートを開いたのは17年前で、頻繁に来日しているようです。

今年も6月末から各地でコンサートをするようです。2月に来日したばかりのようなのに!

そうなのですよね...。

日本では、世界の名だたる演奏者のコンサートが開かれるのですから。

私も日本でコンサート通いした頃には、主だったピアニストはすべて生で聞くことができたように思います。

それでも気難しいエレーヌ。フランスだけではなくて、日本でもコンサート・キャンセルをやっているようです。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - --

エレーヌ・グリモーに関するリンク:


☆ドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)のエレーヌ・グリモー情報(英語、仏語): ビデオ、CDの視聴、プロフィール、写真などが豊富に入っています。


・CD紹介: Hélène Grimaud: Rachmaninov, Chopin
https://www.deutschegrammophon.com/jp/cat/4775325

・CD紹介: Hélène Grimaud: Credo
https://www.deutschegrammophon.com/jp/cat/4717692


☆エレーヌ・グリモーのオフィシャルサイト(Hélène Grimaud’s Official Website)
http://www.helenegrimaud.com/

☆Universal Classicsのサイトのエレーヌ・グリモー情報
https://www.universal-music.co.jp/helene-grimaud/


https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-1076.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c48
[近代史3] 日本人が西洋音楽をやっても物真似しかできない理由 中川隆
8. 中川隆[-11421] koaQ7Jey 2019年11月08日 12:30:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1477]
2017.02.26
なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか
中川 右介
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51050
昨年秋から、クラシック音楽に関係するベストセラーが二点出ている。

ひとつは、直木賞を受賞した

恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4344030036/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=1a62c47df6c6c9dab9f7bad165124a60

もうひとつは東京藝術大学の現役の学生に取材したノンフィクション

二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103502916/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=def841b0ff1e34820ed6f007005db4b2


この二冊は、まったく関係ないが、続けて読むと、何かが見えてくる気がする。

まず『蜜蜂と遠雷』だ。

架空の日本国内で開催される国際ピアノコンクール(モデルは浜松国際ピアノコンクール)の予選から本選までを、三人称多元視点で映画的に描く。コンクールに応募した、4人(モデルはいないと思う)が主人公だ。

その4人は、Amazonにある内容紹介を引用すると、

「養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳」
「かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳」
「音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳」
「完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳」

この4人とその関係者、審査員の数名が登場人物で、コンクールの一次、二次、三次、本選までの2週間が描かれる。それぞれの過去も説明されるが、それほど詳しくはない。

恩田陸はミステリ作家のイメージなので、これもミステリかと思ったらそうではなかった。

現実のコンクールは、殺人事件のひとつや二つが起きてもおかしくないくらい、欲望と名誉と金が渦巻く世界だ。しかし、この小説では、性格や人格に問題のある音楽家は出てくるが、彼らも音楽を愛し、音楽にはみな真面目な態度で対峙する。

審査員を色仕掛けや金で買収することも含めて、犯罪めいた出来事は起きない。主人公のひとりが不法侵入めいたことをするが、その程度だ。

「誰が犯人か」ではなく、「誰が優勝するのか」を知りたくで頁をめくっていくことになる。2段組で500頁近い大作で、読むのに5時間かかったが、一気に読んだ。それくらい面白い小説である。


だが、ストーリーを要約するのは難しい。

ひたすら演奏シーンが続く小説で、ストーリーは「あるピアノコンクールの予選から本選までが描かれる」でしかない。

主人公の4人が本選まで残るのだろうなということは、まあ、最初から察しはつく(実際にどうなるかはここでは書かない)。しかし、読み終わる頃、つまり本選が終わったところでは、もう誰が優勝するかはどうでもよくなっていた。

といって、「参加することに意義がある」とか、「音楽に優劣はつけられない」というキレイゴトに落ち着くのではない。結果は、一応出るが、あくまで、一応、なのだ。

そのラストは、漫画『タッチ』(あだち充)のラストに雰囲気が似ている。知りあいの元漫画雑誌編集者と話した時も、それが話題になった。

恩田が『タッチ』を意識しているのかどうかは分からないが、うまい終わり方だった。ただ、これを物足りないと感じる人もいるだろう。それはもう、好みの問題だ。


東京藝大を頂点とする秩序の実態

さて、『蜜蜂と遠雷』は天才の物語だ。

天才と天才は互いに理解でき、切磋琢磨していく。

天才ではない人は、どんなに努力しても、その頂点世界へは入れない。自分も天才と思っていたけどそうでなかった人は、いくら努力しても天才にはなれない。

そういう、どうしようもない「差」が描かれる。

天才に属する主人公たちの側に立って描かれるので、そういう現実は「すばらしい」こととなっている。

だが、読者のほとんどは天才ではない。

ピアノ音楽業界に関係のない人や楽器を演奏しない者は、他人事として楽しんで読めるが、ピアノを習っていていま努力している人、あるいはかつて努力した人が読むと、絶望感がわいてきて、それが作品への怒りに変わるのではないかと心配になるくらい、天才ではない人に対して冷淡だ。

この割り切りを、ピアニストやピアニスト志願者やピアノ教育関係者が容認できるかどうか。「こんなのは絵空事だ」と一蹴するか、粗探しをして批判する人のほうが多いような気がする。


ここで思い出すのは、10年ほど前、ドラマ化、アニメ化もされてブームになったコミックの二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』(講談社)だ。


ブームになると、クラシック音楽業界は商機ととらえて飛びついて、一緒に盛り上げた。

あのとき、クラシック音楽業界は『のだめカンタービレ』を喜んで受け入れた。それは、あのコミックの主人公たちが、かなりの「変人」ではあるが、音大というシステムの内側にいる者だったからだ。

東京藝大を頂点とする日本のクラシック音楽業界の秩序を脅かすものではなかったのだ。

だが『蜜蜂と遠雷』は危険な小説である。東京藝大というシステムの無意味さを、著者が意識していないとしても、告発してしまっている。

だから、面白い。

このように『蜜蜂と遠雷』は音楽教育業界にとって危険な小説だから、拒絶反応もあるだろう。

といって、正面からは批判しにくいので、「こんな漫画みたいな主人公はいない」とか「演奏の描写が素人っぽい」という、そういうテクニカルな面での批判になる。

天才を排除してしまうシステム

『蜜蜂と遠雷』の危険性を逆説的に証明しているのが、二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)だ。

こちらはタイトルがまがまがしいが、ノンフィクション。

著者の二宮敦人は小説家。妻が現役の藝大の美術学部生で、彼女から聞く藝大生の話が信じられないようなエピソードが多いので興味を抱いて、取材して書かれたもの。現役の学生にインタビューした内容が中心の本だ。

東京藝術大学は唯一の国立の藝術大学で、美術学部と音楽学部とがある。この二つはもとは別の大学だったが、戦後、ひとつになった。この本では美術の学生と、音楽の学生の双方が、均等に描かれている。

帯には〈謎に満ちた「芸術界の東大」に潜入した前人未到、抱腹絶倒の体験記〉〈やはり彼らは只者ではなかった。〉とあり、奇人変人ものの装いをしている。

その奇人変人ぶりは、美術学部の学生のほうに多く、音楽学部学生は、口笛の専門家という変わった学生も出てくるが、親に言われて子供の頃からピアノを習っていて、頂点である最難関の東京藝大に入りました、という従来のイメージの学生が多い。

そういう子供の頃からピアノを習っている人たちは、「一般庶民とは別世界に住んでいる」という点では変わっているが、残念ながら、『蜜蜂と遠雷』の主人公のような天才性も奇抜さもない。

奇人変人度では、美術学部の学生に圧倒的に負けてしまう。


この本は、「東京藝大」全体をテーマにしているので、量的に美術と音楽が均等になっているが、読んで印象に残るのは美術学部生の話のほうだ。

美術学部生は誰もが、どこかしら「奇人変人」なのに、音楽学部生は、根本的なところでは一般社会からズレているものの、性格や人格には破綻はなく、あまり面白くない。


東京藝大の音楽学部からは秀才しか生まれないんだなあ、いやその逆で、天才は排除されて秀才しか入れない藝術大学なんだなという、音楽業界で言われていることの再確認をした。

現実の音楽の天才とは?

ここで改めて『蜜蜂と遠雷』を思い出す。

『蜜蜂と遠雷』の主人公たちは、この日本音楽界の頂点である東京藝大とは無縁だ。

つまり、この小説からこんな世界観が読み取れる。

〈破天荒な天才は、ピアノ教室を底辺とし東京藝大を頂点とするシステムからは排除される。しかし、真の天才は、分かる人には分かるので、何らかの方法で世に出て、秀才たちを打ち負かす。〉

一生懸命にピアノを習い、頂点である東京藝大に入れた人も、東京藝大には入れなかったけど他の音大に入った人も、藝大・音大を目指している人も、みんな天才の引き立て役でしかないのだ。

では、現実の音楽の世界での天才たちとは、どういう人なのか。


1月に、クラシック音楽の最高峰で活躍している人々のエピソードをまとめた

『現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/434498451X/ref=as_li_ss_tl?s=books&ie=UTF8&qid=1487832793&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=2202032c84a69e5eb0c50815caf7b348


を上梓した。

音楽教育論の本ではないのだが、「音楽を誰かから学ぶ」とはどういうことなのかを考える手がかりを散りばめたつもりだ。


指揮者やヴァイオリニストやオペラ歌手も出てくる本だが、ピアニストのエピソードをいくつか紹介しよう。

当代一のピアニストといえば、マウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチであろう。ポリーニは1960年に、アルゲリッチは65年に、ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。

そしてこの二人の「師」とされるのが、やはり20世紀のピアニストのなかでトップ10に入るクラスの、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ。

ところが、この三人の演奏はまるで違う。

師と弟子も違えば、弟子同士も違うのだ。師弟といっても、「こう弾け」とか「こう解釈するのが正しい」とか、そういうものを伝授する関係ではない。

アルゲリッチはイタリアのミケランジェリのもとに一年半ほどいた。それなのに彼がレッスンをしたのはわずか4回。

このことについてミケランジェリは「静寂の音楽」を教えたかったからだと、禅問答のようなことを言っている。

これ以上ここにいてもしょうがないと思ったのか、アルゲリッチはその後、アメリカへ行く。彼女が憧れているピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツに弟子入りしようと考えたのだ。

アルゲリッチがホロヴィッツのもとへ行ったのは、彼女が最初にレコードを出した時、何の面識もないのにホロヴィッツから賞賛の手紙が届いたからだった。それでアルゲリッチとしては、この人のもとへ行って教えてもらおうと思ったわけだ。

しかし、ホロヴィッツという世界最高のピアニストは、弟子をとらないことでも知られていた。アルゲリッチも、結局、会うこともできなかった。

だが、それで恨みに思うことはない。

ホロヴィッツはめったに演奏しなくなっていたが、アルゲリッチはスケジュールの都合がつく限り、ホロヴィッツのコンサートへ行く。そして楽屋を訪ねることもあったが、それ以上の関係にはならない。

一度もレッスンをしなくても、この二人も師弟関係にあると言ってもいい。

アルゲリッチは何かをホロヴィッツからも学び取っているのだから。


そのアルゲリッチが師となることもある。

フランス出身のエレーヌ・グリモー(1969〜)は、この年代のピアニストとしては珍しく有名コンクール出身ではない。パリ音楽院に入学したが、そのシステムに馴染めず、指導教授とも対立して音楽院をやめてしまった。チャイコフスキー・コンクールでは入賞もできなかった。

それでも17歳でプロとしてデビューするのだからスゴイが、その後も協奏曲のコンサートに出演した際、巨匠指揮者バレンボイムと対立する。

壁にぶつかった彼女を迎え入れたのが、アルゲリッチだった。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが主宰する音楽祭にグリモーが呼ばれ、そこでアルゲリッチと出逢い、「直感の生命力」を学んだという。そしてクレーメルからは「譜面上での知的な練習」を学んだ。

おもしろいのは同じピアニストのアルゲリッチからは精神的なことを、ヴァイオリニストのクレーメルからは具体的な練習法というかアプローチの仕方を学んでいることだ。

このように、世界のトップクラスの音楽家たちのエピソードには、専業の教師から学ぶことよりも、音楽家同士の交流から学び取ったことのほうが多く出てくる。

単純に、そういう話のほうが面白いからでもある。

だが、「音楽を学ぶ」ことには、日常的な練習とか教育とは違う次元のものがあり、そこに到達した者だけが、世界最高峰の演奏家になれる。

音楽院や教師不要論を展開するつもりはないが、結局、天才同士にしかわからない世界があり、そうやって認め合う者たちによって、クラシック音楽の最高峰という世界は作られているのだ。

『蜜蜂と遠雷』が描く「若い天才たちが知り合うことで刺激を受けて成長していく物語」は、いかにも作り物めいているように思うかもしれないが、かなりリアリティを感じるのだ。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/682.html#c8

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
157. 中川隆[-11438] koaQ7Jey 2019年11月08日 12:39:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1460]


SP-707Jシステムの最終型は・・・ - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年11月08日


自宅システムはサンスイSP-707Jに#375やデッカリボンツィーター・ハイルドライバー等を追加してシステムを完成している。

元気なうちはこの状態で行くと思う。「音楽」を楽しむならこれくらいのシステムにしないと私には物足りなくなる。

しかし、歳を取ってこのSPやシステムのお守りが出き無くなってきたら、D130のフルレンジスピーカーのシンプルなシステムにすると予測している。オーディオ道場でも同じ様にD130 1発のサウンドを確認している。十分なサウンドが出ていた。ユニットも選別し、ユニットへの音質対策も完了している。内部配線も最高峰のケーブルに交換し、単独で使えるようにしている。準備は出来ている。現状ではとにかく掃除が大変なのです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ef3eb933317afef9d336c0e9d452b48a
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c157

[近代史3] 沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」 中川隆
70. 中川隆[-11617] koaQ7Jey 2019年11月08日 14:39:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1281]

NHKプロジェクトX|第078回
「炎を見ろ 赤き城の伝説」〜首里城・執念の親子瓦〜 - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x5jyfc9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c70
[近代史3] 沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」 中川隆
71. 中川隆[-11616] koaQ7Jey 2019年11月08日 14:45:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1282]
首里城の瓦制作 奥原崇典さん死去
2014年3月13日 08:01
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/37633

 県内で唯一、「桶巻き」と呼ばれる製法で瓦を手作りする職人で、水墨画家の沖展会員、奥原崇典(おくはら・そうてん、本名=おくはら・たかのり)さんが12日午前9時57分、肝臓がんのため西原町内の病院で死去した。63歳。与那原町出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長女・與那嶺華代(かよ)さん。20日午後6時から、しのぶ会が南風原文化センターで開かれる予定。

 奥原さんは復元された首里城や、国指定重要文化財の新垣家住宅の屋根瓦などを制作。沖縄の貴重な文化財の修復に大きく貢献した。

 台湾師範大学美術系で水墨画を学び、水墨画家としても活躍。沖展絵画部会員。2005年には沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞した。


▲△▽▼

首里城について > 首里城公園 御城物語 > 首里城の赤瓦
http://oki-park.jp/shurijo/about/3798/3828

青空に映える首里城の赤瓦は、沖縄のイメージの一つと言えるのではないでしょうか。

今から400〜500年前の首里城は、板葺き屋根でした。

1660年に火事になり、再建した首里城は、瓦葺きになりました。しかし瓦の色は、発掘調査によると、赤ではなく灰色の瓦が出たそうです。

赤瓦になったのは、また火事で首里城が焼けた後、1715年に再建した首里城からです。なぜ灰色から赤瓦に変わったかと言うと、その頃の琉球で起こった人口増加問題にあったようです。

400年前の琉球の人口は約10万人。それから100年後、人口は20万人近くになったようです。今も昔も、生活に欠かせない火は、薪を燃料にしていたので、人が増えると薪が無くなります。灰色の瓦だと高い温度で焼かないといけませんが、赤瓦だと低い温度でも焼けるので、薪を使う量を節約できるのです。

首里城の瓦を赤くして資材を節約した後、琉球王国では、山原(やんばる)に植林して、各村の山を管理し、守ろうとしました。当時の琉球の人々は、すでに自然の大切さに気付いていたのです。その証拠の一つが、首里城の赤瓦とも言えるのではないでしょうか。

瓦屋根は士族の家の他、陶器を焼く窯(かま)元、酒屋等の火を使う職業の家屋などに制限されていました。赤瓦は、省エネ対策のひとつだったと考えられます。(久場まゆみ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c71

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
49. 中川隆[-11669] koaQ7Jey 2019年11月08日 15:19:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1229]

173名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 14:52:59.86ID:bBOUIBJs

モーツァルト判らんコンプレックス炸裂!!

それにしてもブラームスは偉人受け悪い過ぎで、
凡人受け担当だな!!


174名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 15:05:06.86ID:KEXXni1S

フルトヴェングラーもクナッパーツブッシュもモーツァルトの交響曲は殆ど演奏しなかった

大指揮者の交響曲の評価は

ブルックナー >> ベートーヴェン >> ブラームス >> シューベルト >> メンデルスゾーン
>> モーツァルト >> シューマン >> チャイコフスキー >> フランク >> ベルリオーズ >> シベリウス

175名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 15:15:09.47ID:KEXXni1S


クナッパーツブッシュが一番高く評価していた交響曲は

brahms Symphony No. 3, Knappertsbusch (1963) ブラームス 交響曲第3番 クナッパーツブッシュ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=th82p_KdqWo

指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
シュトゥットガルト放送交響楽団
録音:1963年11月15日 (実況録音)

_____


Bruckner Symphony No.8 in C minor - Hans Knappertsbusch - Munchner Philharmoniker - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y98VWelVzOM

ハンス・クナッパーツブッシュ
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1963年ライブ音源

____


Bruckner - Symphony No 9 - Knappertsbusch, BPO, 30-01-1950 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RoSBvB0_s2E

Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Hans Knappertsbusch
Live recording 30/01/1950 Titania-Palast, Berlin


Bruckner, Sinfonie Nr.5, Knappertsbusch 1959(pseudo-stereo) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=k-R9xxLCC2c

Munchner Philharmoniker
Hans Knappertsbusch 1959(pseudo-stereo)

______


Bruckner Symphony No.7 Hans Knappertsbusch 1963 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tGMhTdHjRmY

Koln Radio Symphony Orchestra 10 may 1963
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c49

[お知らせ・管理21] 2019年11月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
26. 中川隆[-11722] koaQ7Jey 2019年11月08日 16:10:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1176]


阿修羅掲示板でアラシ、アラシと騒いでるのは所謂「正義マン」

「正義マン」とは


軽減税率、食料品の場合、お店で買って自宅で食べるといった場合には適用されますが、お店にイートインコーナーが併設されている場合にそこで食べていくといった場合には適用されず、10%の税率が課されることになっています。どちらになるのかは、支払い時に店員が確認し、それに対するお客さんの自己申告によるわけですが、持ち帰りと言っておいてやっぱりイートインコーナーで食べていくというお客さんも、当然中にはいるわけです。

こうしたお客さんを、ネット上では「イートイン脱税」と呼んで揶揄し、そうしたお客さんの行為を店員に知らせる「良心的」な人のことを「正義マン」と呼ぶようになっているようです。

 本来非難されるべき対象は、「イートイン脱税」をした人ではなく、2度もの増税を強行した現政権であり、財政健全化を金科玉条に、そうせざるを得ない状況に追い込んでいった財務省であり、先の参院選で増税反対を掲げられなかたどころか、緊縮脳、増税やむなし脳にいつまでも縛られている多くの野党のはずです。ところが重箱の隅をつつくかのように一般庶民を別の庶民が揶揄する。新たな分断が生じていると言ってもいいかと思いますが、そんな状況を創り出した財務省の増税推進プロパガンダは、皮肉をたっぷり込めて、お見事としか言いようがありませんね。それに「正義マン」って、その正義いずくにありや。単なる自己満足のための密告者ではありませんか。冷戦下の旧東側の密告者か、はたまたナチスドイツ占領下のフランスにおけるナチスへの密告者、「正義マン」なる連中はそれと同じだ、というレッテルを、剥がれないようにしっかりと貼ってあげましょう。


詳細は

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/669.html


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/573.html#c26

[近代史3] 日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇 中川隆
27. 中川隆[-11847] koaQ7Jey 2019年11月08日 17:49:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1051]

2019年11月08日
中韓ロの行動原理 敵には敬意を払うがしっぽを振る相手を見下す


中国は敵に敬意を払うが近づいてくる相手は見下す。

天皇訪中で中国は日本を見下すようになり、反日が始まった


画像引用:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRsvwXjdPCZRZcVEjAC7ejVhg8yWYR4PUGlCqeTBORmMx26DKfI

ユーラシア大陸では敵に敬意を払う

「韓中軍事同盟で日本を倒そう」と言ったのは北京で習近平と会った朴前大統領だったが、朴時代の方がましと言われるほど韓国外交は行き詰まっている。

当時反日外交が国民に受けてノリノリだった朴槿恵に対し、習近平は無言でニヤニヤしているだけだった。

中国もまた尖閣や歴史で日本と対立していたが、結局韓国と「軍事同盟」を組んで日本と対抗することはなかった。




秦の始皇帝以来の中国指導者は、敵には(少し)敬意を払うが家来には酷い扱いをしてきた。

現在の中国も、中国に歯向かうアメリカや日本には少し敬意を払っているようです。

ところが中国にすり寄ってくるミャンマーや韓国や周辺国に対しては、家来以下の扱いしかしません。


中国が韓国をチヤホヤしたのは「韓国が中国に歯向かっていたから」なのだが、韓国人はこれを理解していませんでした。

日本も冷戦期に中ソと対抗し、その頃中国は反日運動などあまりしていませんでした。

だが冷戦が終わり橋本首相や村山総理が謝罪外交、天皇までのこのこ訪中して謝罪したら日本を見下し反日外交に転換した。


それはともかく中国人やロシア人に対しては、対立したほうが敬意を払ってくれるし、こちらから仲良くしようとすると見下して侮辱します。

韓国も同じで中国やロシアからどんなに酷い事をされても黙って従うのに、日本にだけは反発します。

これも中ロと同様、敵対する相手には敬意を払うが近寄ってくる相手は見下して叩くという文化のためです。

日韓対立は日本の「仲良し外交」が原因

日本は50年以上韓国に謝罪しGDPの数倍の援助をし、技術を無償で与えて国連での地位を与えたりオリンピックやW杯を開催させた。

そうした行為全てがユーラシア大陸の文化では見下される原因を作り、反日韓国を作り出した。

日本の方から中国やロシアや韓国に謝罪したりお金を払ったので、彼らの文化では家来以下に落ちてしまったのです。


中ロ韓や北朝鮮はアメリカに最低限の敬意を払い、欧州各国にはかなりの敬意を払って対応しています。

アメリカに対しては軍事力を警戒しているとも見えるが、欧州の小国をチヤホヤするのは何故でしょうか。

理由は欧州諸国は中ロ韓や北に謝罪せず、簡単に経済援助や技術援助などもせず公然と中ロを批判してきたからです。


ユーラシア大陸では敵には敬意を払うが自分から媚びを売ってくる相手は犬以下だから、日本は中韓から見て犬以下なのです。

イギリスは中国を植民地支配したり酷い事をしてきたが、謝罪せず中国と敵対したから今でも敬意を払って貰えます。

日本は会うたびに謝罪し媚びを売ったので犬か猿同然で、中国人としては犬や猿に敬意を払う必要はないと考えます。


敵に敬意を払うのは脅威だからで、見くびれない相手だと思うから対立していても本当の喧嘩にはならないようにします。

ところが自分からしっぽを振って媚びを売るような奴は、敬意どころかエサも貰えません。

日本の政治家や天皇はこれを理解せず、「もう一度謝罪すれば仲良くなれる」などと考えて、とうとう反日を極限まで悪化させました。


ロシアや韓国や中国とは「対立するほど相手が敬意を払ってくれる」、「しっぽを振ると見下される」のです。
http://www.thutmosev.com/archives/81425452.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/580.html#c27

[近代史3] 朝鮮人が嘘をつく理由 中川隆
18. 中川隆[-11846] koaQ7Jey 2019年11月08日 17:50:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1052]

2019年11月08日
中韓ロの行動原理 敵には敬意を払うがしっぽを振る相手を見下す


中国は敵に敬意を払うが近づいてくる相手は見下す。

天皇訪中で中国は日本を見下すようになり、反日が始まった


画像引用:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRsvwXjdPCZRZcVEjAC7ejVhg8yWYR4PUGlCqeTBORmMx26DKfI

ユーラシア大陸では敵に敬意を払う

「韓中軍事同盟で日本を倒そう」と言ったのは北京で習近平と会った朴前大統領だったが、朴時代の方がましと言われるほど韓国外交は行き詰まっている。

当時反日外交が国民に受けてノリノリだった朴槿恵に対し、習近平は無言でニヤニヤしているだけだった。

中国もまた尖閣や歴史で日本と対立していたが、結局韓国と「軍事同盟」を組んで日本と対抗することはなかった。




秦の始皇帝以来の中国指導者は、敵には(少し)敬意を払うが家来には酷い扱いをしてきた。

現在の中国も、中国に歯向かうアメリカや日本には少し敬意を払っているようです。

ところが中国にすり寄ってくるミャンマーや韓国や周辺国に対しては、家来以下の扱いしかしません。


中国が韓国をチヤホヤしたのは「韓国が中国に歯向かっていたから」なのだが、韓国人はこれを理解していませんでした。

日本も冷戦期に中ソと対抗し、その頃中国は反日運動などあまりしていませんでした。

だが冷戦が終わり橋本首相や村山総理が謝罪外交、天皇までのこのこ訪中して謝罪したら日本を見下し反日外交に転換した。


それはともかく中国人やロシア人に対しては、対立したほうが敬意を払ってくれるし、こちらから仲良くしようとすると見下して侮辱します。

韓国も同じで中国やロシアからどんなに酷い事をされても黙って従うのに、日本にだけは反発します。

これも中ロと同様、敵対する相手には敬意を払うが近寄ってくる相手は見下して叩くという文化のためです。

日韓対立は日本の「仲良し外交」が原因

日本は50年以上韓国に謝罪しGDPの数倍の援助をし、技術を無償で与えて国連での地位を与えたりオリンピックやW杯を開催させた。

そうした行為全てがユーラシア大陸の文化では見下される原因を作り、反日韓国を作り出した。

日本の方から中国やロシアや韓国に謝罪したりお金を払ったので、彼らの文化では家来以下に落ちてしまったのです。


中ロ韓や北朝鮮はアメリカに最低限の敬意を払い、欧州各国にはかなりの敬意を払って対応しています。

アメリカに対しては軍事力を警戒しているとも見えるが、欧州の小国をチヤホヤするのは何故でしょうか。

理由は欧州諸国は中ロ韓や北に謝罪せず、簡単に経済援助や技術援助などもせず公然と中ロを批判してきたからです。


ユーラシア大陸では敵には敬意を払うが自分から媚びを売ってくる相手は犬以下だから、日本は中韓から見て犬以下なのです。

イギリスは中国を植民地支配したり酷い事をしてきたが、謝罪せず中国と敵対したから今でも敬意を払って貰えます。

日本は会うたびに謝罪し媚びを売ったので犬か猿同然で、中国人としては犬や猿に敬意を払う必要はないと考えます。


敵に敬意を払うのは脅威だからで、見くびれない相手だと思うから対立していても本当の喧嘩にはならないようにします。

ところが自分からしっぽを振って媚びを売るような奴は、敬意どころかエサも貰えません。

日本の政治家や天皇はこれを理解せず、「もう一度謝罪すれば仲良くなれる」などと考えて、とうとう反日を極限まで悪化させました。


ロシアや韓国や中国とは「対立するほど相手が敬意を払ってくれる」、「しっぽを振ると見下される」のです。
http://www.thutmosev.com/archives/81425452.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/512.html#c18

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
50. 中川隆[-12007] koaQ7Jey 2019年11月08日 20:00:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[891]

180名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 19:19:24.21ID:VRMcv5T4

この流れ糞うぜえ

181名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 19:28:39.16ID:KEXXni1S

常識的な作曲家のランキング


バッハ、ヘンデル、モンテヴェルディ、ベートーヴェン

>> ブルックナー、ワーグナー、ブラームス

>>モーツァルト、シューベルト、ドビュッシー、バルトーク、メンデルスゾーン、シベリウス

>>ハイドン、シューマン、ショパン、ベルク、シェ-ンベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコービッチ

>>チャイコフスキー、ラフマニノフ、ドボルザーク、フォーレ、ラベル、グリーク、ヴィヴァルディ


を認めないアホがいるからブラームスの音楽史上でのポジションがわからなくなるんだな

182名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 19:57:50.18ID:KEXXni1S

常識的なオペラのランキング


ポッペアの戴冠 >> ウリッセの帰還 、オルフェオ

>> トリスタンとイゾルデ、 神々の黄昏、ワルキューレ、パルジファル

>> ヘンデルのオラトリオ >> ドン・ジョヴァンニ

>> 魔笛、フィガロの結婚、コジ・ファン・トゥッテ

>> 魔弾の射手 、 ペレアスとメリザンド、 ヴォツェック、青ひげ公の城

>> ヴェルディ、プッチーニ、ビゼーのアホ・オペラ


を認めないアホがいるからモーツァルトの音楽史上でのポジションがわからなくなるんだな
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c50

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
51. 中川隆[-12105] koaQ7Jey 2019年11月08日 20:48:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[793]

183名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 20:42:41.57ID:KEXXni1S

モーツァルトの魔笛がオペラの最高傑作だと思っているアホは
魔笛をヘンデルと比べてみれば自分の視野の狭さがわかるよ:


Die Zauberflote Bruno Walter Metropolitan Opera 3rd March, 1956 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ
____

Handel - Opera Agrippina, HWV6 Rene Jacobs Akademie fur Alte Musik Berlin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jJ6fP5MTXgU

René Jacobs, conductor
Akademie für Alte Musik Berlin


_____

handel Hercules - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UtY3kwWA_mY

English Baroque Soloists · John Eliot Gardiner

____


Handel - Samson - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4rkISEQyW88

Münchener Bach-Orchester
Karl Richter

____

Handel 1724 Giulio Cesare HWV 17 Emmanuelle Haïm - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EYrhRv59l78
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c51

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
52. 中川隆[-12635] koaQ7Jey 2019年11月09日 05:47:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[263]

184名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:04:59.19ID:IVBRKiGF

2004-2019年で世界で最も演奏された作品
Verdi La traviata 9449 1907
Mozart Die Zauberflöte 8924 1434
Bizet Carmen 8404 1629
Puccini La bohème 7794 1518
Puccini Tosca 6844 1425
Mozart Le nozze di Figaro 6699 1304
Mozart Don Giovanni 6293 1204
Puccini Madama Butterfly 6259 1345
Rossini Il barbiere di Siviglia 6030 1299
Verdi Rigoletto 5831 1251
Strauss,J Die Fledermaus 5172 838
Mozart Così fan tutte 4306 855
Verdi Aida 4166 880
Humperdinck Hänsel und Gretel 4032 716
Donizetti L'elisir d'amore 3822 851
Lehár Die lustige Witwe 3515 539
Puccini Turandot 3354 718
Tchaikovsky,P Yevgeny Onegin 3310 700
Verdi Nabucco 3070 747
Donizetti Lucia di Lammermoor 2702 590

185名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:05:56.63ID:IVBRKiGF

2004-2108のオペラの最も演奏された作曲家
Verdi 39655 8481
Mozart 32493 6218
Puccini 29558 6237
Rossini 12835 2821
Donizetti 11326 2580
Wagner,Richard 11294 2934
Bizet 9369 1872
Strauss,J 7530 1192
Strauss,R 6635 1393
Offenbach 6137 1067
Tchaikovsky,P 5820 1324
Lehár 5613 800
Handel 4602 1136
Humperdinck 4110 736
Britten 3947 850
Kálmán,E 3928 643
Janáček 3122 635
Bellini 3050 731
Gounod 2929 634
Leoncavallo 2600 619

186名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:06:34.19ID:IVBRKiGF

これがオペラの世界の現実だよ

187名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:10:53.84ID:4DOcYLoD

モーツァルトは聴きやすい

188名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:12:45.12ID:4DOcYLoD

ワーグナーのオペラは通して聴くのはちょっときつい


190名無しの笛の踊り2019/11/08(金) 21:35:16.72ID:IVBRKiGF

>>184, >>185 の数字の左はperformances(上演回数)でみぎはproductions(演目とでもいうのか?)だよ
これは世界でならした数字
国によって作品の偏りがあるのは否定できない

191名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 05:44:39.00ID:glD+LRwS

2台の独奏楽器の為の協奏曲は誰が聴いても

バッハ >> ブラームス >> モーツァルト

だよ。 作曲家のランキングはすべてのジャンルで大体同じになるんだ:


Bach Double Violin Concerto-Fritz Keisler and Efrem Zimbalist - YouTube
NYC, 1915
https://www.youtube.com/watch?v=J3l9i5LZRA0

Bach - Heifetz - Friedman, 1960 Concerto for Two Violins in D Minor, BWV 1043 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UdIq_0FonZE

Brahms Double Concerto, Francescatti & Fournier & Walter (1959) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tcyCY4q5Isw

Brahms, Double Concerto (Oistrakh, Rostropovich) - YouTube
David Oistrakh, Mstislav Rostropovich
Cleveland Orchestra, George Szell, 1970
https://www.youtube.com/watch?v=Et1zSwsXubE

Mozart Concerto for Flute, Harp, and Orchestra in C Major, K. 299 - YouTube
Hubert Jellinek · Wiener Philharmoniker · Karl Münchinger
https://www.youtube.com/watch?v=btuJ3zsrz_M

Marcel Moyse - Concerto for Flute and Harp in C Major - Mozart KV 299 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8m3-d05JAF4
https://www.youtube.com/watch?v=h-WuhAdF1ds

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c52

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
53. 中川隆[-12652] koaQ7Jey 2019年11月09日 06:34:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[246]
192名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 06:32:36.77ID:glD+LRwS

ピアノ独奏の変奏曲は誰が聴いても

バッハ >> ベートーヴェン >> ブラームス >> モーツァルト

だよ。 作曲家のランキングはすべてのジャンルで大体同じになるんだ:

Glenn Gould plays Bach - The Goldberg Variations, BMV 998 (Zenph re-performance) - YouTube
recorded in June 1955
https://www.youtube.com/watch?v=Ah392lnFHxM

Bach The Goldberg Variations BWV 988 (Recorded1981) - Glenn Gould 432Hz - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ktwqfgeOOsg

Mozart - Variations K.353 - Kraus - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_U3D9zO8QiA

Lili Kraus plays Mozart Variations K455 (1938 recording) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7-r_xWY0fN0

beethoven 32 Variations in C minor on an Original Theme, WoO 80 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZJHtr9x-OFI

Diabelli variations- W. Backhaus.. - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=m0ud7EwbPaY

Brahms - Händel Variations, Op. 24 (Murray Perahia) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=c7oZFVs_Ixw

Richter plays Brahms Handel Variations opus 24 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=m8uVBxy-c1M

Wilhelm Backhaus plays Brahms Variations on a Theme of Paganini Op.35 (1925) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t7eWKu1LQPU

Backhaus plays Brahms Variations on an Original Theme opus 21 (1936 rec.) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_V3yjBQfSpE
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c53

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
54. 中川隆[-12741] koaQ7Jey 2019年11月09日 08:15:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[157]
194名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 08:11:02.31ID:glD+LRwS

弦楽四重奏曲は誰が聴いても

ベートーヴェン>> ショスタコービッチ >> バルトーク >> ブラームス >> シューベルト >> モーツァルト

だよ。 作曲家のランキングはすべてのジャンルで大体同じになるんだ:
僕はショスタコービッチは生理的に受け付けないけど

Mozart - String Quartet No. 14 in G major K. 387 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9H26VD_QYx0

Mozart - String Quartet No. 15 in D minor K. 421 (417b) Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D4yG5dh5uuE

Beethoven - String quartet n°11 op.95 - Busch SQ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QqA1cM4OQMs

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12番 バリリ四重奏団 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HUBbt8bWjMs

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番 バリリ四重奏団 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RHUk2kBi53g

Beethoven String Quartet No.14 op.131 Capet Quartet 1928 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dulV8wxCFRM

Beethoven String Quartet No15 A Minor Op132 Capet Quartet 1928 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IOeh9DaYVo0

Beethoven String Quartet No 16 Op 135 in F major.! Alban Berg Quartett - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=38DA-F1V0t8

シューベルト 弦楽四重奏曲第13番 Vienna Konzerthaus Quartet (1951) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=U8uB-zBAKME

String quartet n°14 D.810 "Der Tod und das Mädchen" Busch String Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=Rt9zBed3oW4

シューベルト 弦楽四重奏曲第15番 Vienna Konzerthaus Quartet (1950) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AMDi5rZHEoc


Busch String Quartet - Brahms Quartet #1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1E7pUkIh6Hk

The Busch quartet play Brahms String Quartet No. 2 in A minor - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZISBEHevtO0

String Quartet No. 3 in B Flat Major, Op.67 Alban Berg Quartett - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-1ZBEsj1cKc


Bartók String Quartet No.3, Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QhPv_2-VG1Y

Bartók String Quartet No.4 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5xPhenUxi0c

Bartók String Quartet No.5 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7f29-B2XVDA

Bartók String Quartet No.6 Takács Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Vtz7S5FTDaE


Shostakovich - String quartet n°8 - Borodin SQ Edinburgh 1962 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gwostsHeRdw


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c54

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
47. 中川隆[-12776] koaQ7Jey 2019年11月09日 08:44:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[122]

【Front Japan 桜】MMT名付け親のビル・ミッチェル教授記者会見!
- 第2回 京都大学MMT国際シンポジウムを振り返る - ブレグジットから見る民主制の本質[桜R1-11-8] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2Xn3FAOqRPE


キャスター:藤井聡・三橋貴明

■ 第2回 京都大学MMT国際シンポジウムを振り返る
VTR:第2回 MMT国際シンポジウム閉会後 ビル・ミッチェル教授記者会見(令和元年11月5日:衆議院第一議員会館)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c47

[近代史3] 内閣官房参与をクビにされた藤井聡先生、遂に本音を語る 中川隆
48. 中川隆[-12775] koaQ7Jey 2019年11月09日 08:47:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[123]
>>47 で触れられているミンスキー・モーメントの解説

政府負債はいくら増やしてもいいが、民間負債を増やすとバブル経済になる

「バブルかどうかの判断基準は「ミンスキーモーメント」=「民間債務」の対GDP比

2019年5月29日
「バブル」の実態は「民間負債」
From 藤井聡(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/13731

そもそも「リーマンショック」とはいわゆる「バブル崩壊」。

そして、その「バブル」の実態は「民間負債」です。

皆がカネを借りまくって投機しまくって、
地価や株価が急騰していく現象です。

で、そんな「民間負債」が超絶に拡大していった時、
何かのきっかけで「借金の焦げ付き」が
(つまり、「貸した金が返ってこなくなる」と言う現象が)
急速に連鎖し、皆が一気に“破産”していく現象が
「バブル崩壊」です。

こういった「バブル崩壊」は、
(MMTの主唱者の一人であるレイの師匠である)
経済学者のハイマン・ミンスキーがそのプロセスを理論化しており、
しばしば「ミンスキーモーメント」とも呼ばれています。

バブル崩壊=ミンスキーモーメントの
過去の代表例として挙げられるのが、

・1990年 日本のバブル崩壊
・1997年 タイや韓国等のアジア通貨危機
・2007〜9年 アメリカのリーマンショック(サブプライム住宅ローン危機)

です。

「この時、一体、何が起こったのか」
を見てみたのが、こちらのグラフ。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826739577426977&set=a.236228089811475&type=3&theater

これらのグラフは、
「民間債務」の対GDP比の推移を示しています。

まず、日本は、80年代のバブル景気の時、
民間債務が年率でGDPの9.2%ずつ拡大していき、
(つまり、年間40兆円〜50兆円程度ずつ!)
GDPの210%にまで膨らみきった1990年、
(金融引き締めや、土地取引の総量規制をきっかけとして)
その「バブル」が崩壊しました。

タイや韓国も、
民間債務がGDP比で
年率8〜10%ずつ拡大していき、
GDPの140〜160%程度にまで膨らんだ時に
(ヘッジファンドの通貨の空売り攻勢がきっかけで)
そのバブルが崩壊しました。

アメリカも、民間債務が、
GDPに対して年率4.3%ずつ拡大していき、
170%に達した時に、バブルが崩壊しました。

こう見てみますと、
バブル崩壊には次のような共通のパターンがある
ことが見えてきます。

すなわち、民間の借金が、
GDPに対して年率で5〜10%ずつ拡大していき、
GDPの150〜200%程度に至った時に、
何かのきっかけで、バブル崩壊が起こるわけです。

(※ なお、新興国は、概して、債務の拡大率が大きく、
破裂水準は低いようですね。)

こう考えると、
「民間債務の膨らみ」
は、地震の岩盤の破壊エネルギーの様なもので、
ある程度溜まると岩盤が破壊して地震が起こるように、
その内「バブル崩壊」してしまうのです。

・・・では、今の世界を見回したところ、
一番ヤバそうなのが、中国!


こちらのグラフに、今、バブル崩壊が、
ヤバそうな国を並べてみました。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1826741800760088&set=a.236228089811475&type=3&theater

ご覧の様に中国は、かつての日本と同様、
対GDP比で年率10.2%もの割合で、
民間債務が拡大していき、
もはやGDPの207%にまで達しています。

もうこうなれば、何かのきっかけがあれば、
スグにでも、この中国バブルは崩壊することになるでしょう。

実際、こんな報道もなされるようになってきています。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1410636/

そんな中国の中でも特にヤバイのは、香港。

債務が年率12.1%という未曾有のスピードで拡大し、
何とGDP比で300%を超えてしまっているのです!

こんな債務拡大が、いつまでも続く筈がありません。

実際、UBS証券は香港の不動産バブルが「世界最悪」だ、
という分析結果を公表しています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-01/PFWA786K50XX01

中国・香港のバブル崩壊は、
もはや秒読み段階にあると見ていいでしょう。

これから始まる米中経済戦争が、
その引き金を引くことになるかもしれません。

あるいは、「日本の消費増税」に伴う日本の大不況が、
中国のバブルをはじけさせるきっかけになるかもしれません。

何と言っても、日本経済はまだまだ巨大な存在であり、
それが不況になってしまうのは、
世界に大迷惑をかけるのです。

なお、民間債務対GDP比が200%を超えたカナダや、
新興国の危険水域である140〜150%に
近づきつつあるベトナムも要注意です。

人類は、リーマンショックで
過剰なグローバル化や過剰投機が
どれだけヤバいモノなのかを学んだ筈なのですが―――
何度も何度も、過ちを繰り返すようです。
https://38news.jp/economy/13731


▲△▽▼


世界の民間債務残高対GDP比 国別ランキング・推移 – Global Note
https://www.globalnote.jp/post-15129.html

・世界の民間債務残高対GDP比 国際比較統計・ランキング。
・各国の民間部門債務残高の対GDP比率と国別順位を掲載。
・単位は%。

・当該国の民間部門総債務残高のGDP対する比率。

・民間部門は企業部門(除く金融機関)と家計部門(個人及び対家計民間非営利団体)の合計値。

・金融機関の債務残高は含まない。

・債務には金融機関、企業、政府、個人及び海外からの債務を含む。

・債務残高は各年末時点ベース。

・家計部門・企業部門別の債務残高対GDP比率は内訳データリンクより。


【内訳データ解説】
・民間債務残高対GDP比(家計部門)
 - 家計部門の総債務残高のGDPに対する比率
 - 家計部門には個人のほか対家計民間非営利団体(NPISH)を含む。
・民間債務残高対GDP比(企業部門)
 - 金融機関を除く一般企業の総債務残高のGDPに対する比率
https://www.globalnote.jp/post-15129.html


▲△▽▼


「民間債務」の対GDP比
https://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh18-01/pdf/s1-18-1-2.pdf

https://www.google.co.jp/search?lr=lang_ja&hl=ja&rlz=1I7AWNC_jaJP826&tbs=lr%3Alang_1ja&ei=4FyyXY6gGIy4mAXaq72wDw&q=%E6%B0%91%E9%96%93%E5%82%B5%E5%8B%99+%E5%AF%BE+%EF%BC%A7%EF%BC%A4%EF%BC%B0&oq=%E6%B0%91%E9%96%93%E5%82%B5%E5%8B%99+%E5%AF%BE+%EF%BC%A7%EF%BC%A4%EF%BC%B0&gs_l=psy-ab.3...2098.10126..10319...0.0..0.106.387.2j2......0....1..gws-wiz.......0.ebvDflokUeQ&ved=0ahUKEwiOkLzNrbblAhUMHKYKHdpVD_YQ4dUDCAo&uact=5#spf=1571971849631


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/140.html#c48

[近代史02] 小沢一郎先生を襲った恐怖とは 中川隆
101. 中川隆[-12900] koaQ7Jey 2019年11月09日 10:25:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2]
2019.11.08
キッシンジャーが駐米ロシア対しと会談、米ロの関係改善で合意


 ​ヘンリー・キッシンジャーがロシアのアナトリー・アントノフ駐米大使と11月7日に会談​、その中でキッシンジャーはアメリカとロシアの関係が改善されることを願うと語り、アントノフもその意見に同意したという。

 来年はアメリカで大統領選挙が実施されるが、前回の選挙ではキッシンジャーの動きが注目された。2015年6月にオーストリアで開かれた​ビルダーバーグ・グループの会合​へジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから次期大統領はクリントンに内定したと言われていたのだが、16年2月10日にキッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談したことから流れは変わる。

 クリントンは上院議員の時代からロッキード・マーチンという軍需企業を後ろ盾とし、巨大金融資本との関係も深かった。ネオコンとも緊密な関係にあり、外交や軍事は彼らの戦略に基づくもの。つまり親イスラエルで、ロシアや中国を制圧して世界制覇を実現しようとしていた。

 親イスラエル派でソ連/ロシアを制圧する活動を続けてきた世界的な投機家のジョージ・ソロスは2016年の大統領選挙で民主党(事実上、ヒラリー陣営)を資金面で支援、明らかにされているだけで2500万ドル以上になる。

 選挙キャンペーンの最中に民主党だけでなくソロスのオープン・ソサエティ基金もハッキングされ、電子メールが明らかにされた。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスする2011年1月24日付けのメールもある。当時、クリントンは国務長官だ。

 クリントンはバラク・オバマ政権の政策を引き継ごうとしていたが、ドナルド・トランプに選挙で敗れた。そのトランプが大統領に就任する直前の2016年12月、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、外交官35名を含むロシア人96名を追放して軍事的な緊張を高めようとしていた。

 オバマやクリントンに限らないが、アメリカの支配層はターゲット国のエリート層を買収と恫喝でコントロールしてきた。それでも駄目な場合は暗殺、経済戦争、クーデター、軍事侵攻だ。

 ネオコンが脅しを有効な手段だと考えた出来事がある。アメリカ軍は1991年1月にイラクへ軍事侵攻したが、その際にソ連軍は出てこなかったのだが、彼らは当時の状況を考慮せず、アメリカが何をしてもソ連やロシアは手を出せないと思い込む。その思い込みに基づき、国防次官だったネオコンの中心的な存在、ポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたのである。(​3月​、​10月​)

 クリントンを支援するためにCIA副長官を辞めた​マイク・モレルの場合、2016年8月にはテレビの番組でチャーリー・ローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる​。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。

 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡したが、さらにロシア政府の幹部が変死している。

 例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。

 こうした外交官はモレル発言の後の死者だが、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。この人物の死にも疑惑を持つ人もいる。

 脅せば屈するという発想に毒された日本人もいる。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の​2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事​が掲載された。

 それによると、日本は1年以内に核兵器を開発できるとしたうえで、外交の交渉力は核兵器だと石原は語っている。日本が核兵器を持っていたなら、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうというわけだ。

 ネオコンは2014年2月にネオナチを使ったクーデターでウクライナを奪い、ロシアと中国に対して核戦争で脅し始めるが、両国はそのような脅しに屈していない。当たり前のことだが、ネオコンは見誤った。石原は自分のボスと同じことを言っていたと言えるだろう。

 石原も触れているが、佐藤栄作政権は核兵器を持とうとしている。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。

 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。

 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。

 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。

 核兵器を持てば、恫喝で自分のやりたいことが自由にできると考えるのは、肩を怒らして街を歩くチンピラの発想だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911080000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/296.html#c101

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
79. 中川隆[-12899] koaQ7Jey 2019年11月09日 10:25:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1]
2019.11.08
キッシンジャーが駐米ロシア対しと会談、米ロの関係改善で合意


 ​ヘンリー・キッシンジャーがロシアのアナトリー・アントノフ駐米大使と11月7日に会談​、その中でキッシンジャーはアメリカとロシアの関係が改善されることを願うと語り、アントノフもその意見に同意したという。

 来年はアメリカで大統領選挙が実施されるが、前回の選挙ではキッシンジャーの動きが注目された。2015年6月にオーストリアで開かれた​ビルダーバーグ・グループの会合​へジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから次期大統領はクリントンに内定したと言われていたのだが、16年2月10日にキッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談したことから流れは変わる。

 クリントンは上院議員の時代からロッキード・マーチンという軍需企業を後ろ盾とし、巨大金融資本との関係も深かった。ネオコンとも緊密な関係にあり、外交や軍事は彼らの戦略に基づくもの。つまり親イスラエルで、ロシアや中国を制圧して世界制覇を実現しようとしていた。

 親イスラエル派でソ連/ロシアを制圧する活動を続けてきた世界的な投機家のジョージ・ソロスは2016年の大統領選挙で民主党(事実上、ヒラリー陣営)を資金面で支援、明らかにされているだけで2500万ドル以上になる。

 選挙キャンペーンの最中に民主党だけでなくソロスのオープン・ソサエティ基金もハッキングされ、電子メールが明らかにされた。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスする2011年1月24日付けのメールもある。当時、クリントンは国務長官だ。

 クリントンはバラク・オバマ政権の政策を引き継ごうとしていたが、ドナルド・トランプに選挙で敗れた。そのトランプが大統領に就任する直前の2016年12月、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、外交官35名を含むロシア人96名を追放して軍事的な緊張を高めようとしていた。

 オバマやクリントンに限らないが、アメリカの支配層はターゲット国のエリート層を買収と恫喝でコントロールしてきた。それでも駄目な場合は暗殺、経済戦争、クーデター、軍事侵攻だ。

 ネオコンが脅しを有効な手段だと考えた出来事がある。アメリカ軍は1991年1月にイラクへ軍事侵攻したが、その際にソ連軍は出てこなかったのだが、彼らは当時の状況を考慮せず、アメリカが何をしてもソ連やロシアは手を出せないと思い込む。その思い込みに基づき、国防次官だったネオコンの中心的な存在、ポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたのである。(​3月​、​10月​)

 クリントンを支援するためにCIA副長官を辞めた​マイク・モレルの場合、2016年8月にはテレビの番組でチャーリー・ローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる​。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。

 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡したが、さらにロシア政府の幹部が変死している。

 例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。

 こうした外交官はモレル発言の後の死者だが、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。この人物の死にも疑惑を持つ人もいる。

 脅せば屈するという発想に毒された日本人もいる。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の​2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事​が掲載された。

 それによると、日本は1年以内に核兵器を開発できるとしたうえで、外交の交渉力は核兵器だと石原は語っている。日本が核兵器を持っていたなら、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうというわけだ。

 ネオコンは2014年2月にネオナチを使ったクーデターでウクライナを奪い、ロシアと中国に対して核戦争で脅し始めるが、両国はそのような脅しに屈していない。当たり前のことだが、ネオコンは見誤った。石原は自分のボスと同じことを言っていたと言えるだろう。

 石原も触れているが、佐藤栄作政権は核兵器を持とうとしている。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。

 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。

 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。

 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。

 核兵器を持てば、恫喝で自分のやりたいことが自由にできると考えるのは、肩を怒らして街を歩くチンピラの発想だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911080000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c79

[近代史3] Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した 中川隆
8. 中川隆[-12898] koaQ7Jey 2019年11月09日 10:26:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[0]
2019.11.08
キッシンジャーが駐米ロシア対しと会談、米ロの関係改善で合意


 ​ヘンリー・キッシンジャーがロシアのアナトリー・アントノフ駐米大使と11月7日に会談​、その中でキッシンジャーはアメリカとロシアの関係が改善されることを願うと語り、アントノフもその意見に同意したという。

 来年はアメリカで大統領選挙が実施されるが、前回の選挙ではキッシンジャーの動きが注目された。2015年6月にオーストリアで開かれた​ビルダーバーグ・グループの会合​へジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから次期大統領はクリントンに内定したと言われていたのだが、16年2月10日にキッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談したことから流れは変わる。

 クリントンは上院議員の時代からロッキード・マーチンという軍需企業を後ろ盾とし、巨大金融資本との関係も深かった。ネオコンとも緊密な関係にあり、外交や軍事は彼らの戦略に基づくもの。つまり親イスラエルで、ロシアや中国を制圧して世界制覇を実現しようとしていた。

 親イスラエル派でソ連/ロシアを制圧する活動を続けてきた世界的な投機家のジョージ・ソロスは2016年の大統領選挙で民主党(事実上、ヒラリー陣営)を資金面で支援、明らかにされているだけで2500万ドル以上になる。

 選挙キャンペーンの最中に民主党だけでなくソロスのオープン・ソサエティ基金もハッキングされ、電子メールが明らかにされた。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスする2011年1月24日付けのメールもある。当時、クリントンは国務長官だ。

 クリントンはバラク・オバマ政権の政策を引き継ごうとしていたが、ドナルド・トランプに選挙で敗れた。そのトランプが大統領に就任する直前の2016年12月、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、外交官35名を含むロシア人96名を追放して軍事的な緊張を高めようとしていた。

 オバマやクリントンに限らないが、アメリカの支配層はターゲット国のエリート層を買収と恫喝でコントロールしてきた。それでも駄目な場合は暗殺、経済戦争、クーデター、軍事侵攻だ。

 ネオコンが脅しを有効な手段だと考えた出来事がある。アメリカ軍は1991年1月にイラクへ軍事侵攻したが、その際にソ連軍は出てこなかったのだが、彼らは当時の状況を考慮せず、アメリカが何をしてもソ連やロシアは手を出せないと思い込む。その思い込みに基づき、国防次官だったネオコンの中心的な存在、ポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたのである。(​3月​、​10月​)

 クリントンを支援するためにCIA副長官を辞めた​マイク・モレルの場合、2016年8月にはテレビの番組でチャーリー・ローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる​。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。

 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡したが、さらにロシア政府の幹部が変死している。

 例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。

 こうした外交官はモレル発言の後の死者だが、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。この人物の死にも疑惑を持つ人もいる。

 脅せば屈するという発想に毒された日本人もいる。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の​2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事​が掲載された。

 それによると、日本は1年以内に核兵器を開発できるとしたうえで、外交の交渉力は核兵器だと石原は語っている。日本が核兵器を持っていたなら、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうというわけだ。

 ネオコンは2014年2月にネオナチを使ったクーデターでウクライナを奪い、ロシアと中国に対して核戦争で脅し始めるが、両国はそのような脅しに屈していない。当たり前のことだが、ネオコンは見誤った。石原は自分のボスと同じことを言っていたと言えるだろう。

 石原も触れているが、佐藤栄作政権は核兵器を持とうとしている。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。

 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。

 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。

 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。

 核兵器を持てば、恫喝で自分のやりたいことが自由にできると考えるのは、肩を怒らして街を歩くチンピラの発想だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911080000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/696.html#c8

[近代史3] ロスチャイルドの番頭で殺人鬼だったジョージ・ソロスがやった事 中川隆
3. 中川隆[-12897] koaQ7Jey 2019年11月09日 10:26:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1]
2019.11.08
キッシンジャーが駐米ロシア対しと会談、米ロの関係改善で合意


 ​ヘンリー・キッシンジャーがロシアのアナトリー・アントノフ駐米大使と11月7日に会談​、その中でキッシンジャーはアメリカとロシアの関係が改善されることを願うと語り、アントノフもその意見に同意したという。

 来年はアメリカで大統領選挙が実施されるが、前回の選挙ではキッシンジャーの動きが注目された。2015年6月にオーストリアで開かれた​ビルダーバーグ・グループの会合​へジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたことから次期大統領はクリントンに内定したと言われていたのだが、16年2月10日にキッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談したことから流れは変わる。

 クリントンは上院議員の時代からロッキード・マーチンという軍需企業を後ろ盾とし、巨大金融資本との関係も深かった。ネオコンとも緊密な関係にあり、外交や軍事は彼らの戦略に基づくもの。つまり親イスラエルで、ロシアや中国を制圧して世界制覇を実現しようとしていた。

 親イスラエル派でソ連/ロシアを制圧する活動を続けてきた世界的な投機家のジョージ・ソロスは2016年の大統領選挙で民主党(事実上、ヒラリー陣営)を資金面で支援、明らかにされているだけで2500万ドル以上になる。

 選挙キャンペーンの最中に民主党だけでなくソロスのオープン・ソサエティ基金もハッキングされ、電子メールが明らかにされた。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスする2011年1月24日付けのメールもある。当時、クリントンは国務長官だ。

 クリントンはバラク・オバマ政権の政策を引き継ごうとしていたが、ドナルド・トランプに選挙で敗れた。そのトランプが大統領に就任する直前の2016年12月、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、外交官35名を含むロシア人96名を追放して軍事的な緊張を高めようとしていた。

 オバマやクリントンに限らないが、アメリカの支配層はターゲット国のエリート層を買収と恫喝でコントロールしてきた。それでも駄目な場合は暗殺、経済戦争、クーデター、軍事侵攻だ。

 ネオコンが脅しを有効な手段だと考えた出来事がある。アメリカ軍は1991年1月にイラクへ軍事侵攻したが、その際にソ連軍は出てこなかったのだが、彼らは当時の状況を考慮せず、アメリカが何をしてもソ連やロシアは手を出せないと思い込む。その思い込みに基づき、国防次官だったネオコンの中心的な存在、ポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたのである。(​3月​、​10月​)

 クリントンを支援するためにCIA副長官を辞めた​マイク・モレルの場合、2016年8月にはテレビの番組でチャーリー・ローズに対し、ロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語ってる​。ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたうえ、わからないようにと付け加えているのだ。

 その発言の直後、2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン露大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡したが、さらにロシア政府の幹部が変死している。

 例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺されている。その翌日、12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。2017年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。

 こうした外交官はモレル発言の後の死者だが、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTの創設者がワシントンDCのホテルで死亡している。この人物の死にも疑惑を持つ人もいる。

 脅せば屈するという発想に毒された日本人もいる。そのひとりが石原慎太郎。福島県沖で巨大地震が発生する3日前の​2011年3月8日、イギリスのインディペンデンス紙に石原へのインタビューに基づき記事​が掲載された。

 それによると、日本は1年以内に核兵器を開発できるとしたうえで、外交の交渉力は核兵器だと石原は語っている。日本が核兵器を持っていたなら、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうというわけだ。

 ネオコンは2014年2月にネオナチを使ったクーデターでウクライナを奪い、ロシアと中国に対して核戦争で脅し始めるが、両国はそのような脅しに屈していない。当たり前のことだが、ネオコンは見誤った。石原は自分のボスと同じことを言っていたと言えるだろう。

 石原も触れているが、佐藤栄作政権は核兵器を持とうとしている。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。

 1977年に東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。

 しかし、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。

 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、東電福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントだけでなく、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信しているようだ。

 核兵器を持てば、恫喝で自分のやりたいことが自由にできると考えるのは、肩を怒らして街を歩くチンピラの発想だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911080000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/148.html#c3

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
272. 中川隆[-12914] koaQ7Jey 2019年11月09日 10:38:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-16]

2019年11月09日
北條芳隆編『考古学講義』第2刷
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2019年6月に刊行されました。第1刷の刊行は2019年5月です。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。なお、以下の西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。


https://www.amazon.co.jp/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A9-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8C%97%E6%A2%9D-%E8%8A%B3%E9%9A%86/dp/4480072276

I 旧石器・縄文時代


第1講●杉原敏之「列島旧石器文化からみた現生人類の交流」P15〜35
 現生人類(Homo sapiens)の日本列島への拡散が解説されています。日本列島への現生人類の拡散経路としては、サハリンから北海道と津軽海峡を経由する北回り、朝鮮半島を経由する西回り、台湾と南西諸島を経由する南回りが想定されています。本論考は、比較的情報量の多い九州を中心とする西回りと南回りを取り上げています。日本列島では4万年前頃よりもさかのぼる人類の確実な痕跡はきわめて限定的で、後期旧石器時代以降に人類が定着したと考えられます。関東では38000年前頃に、九州でも38000〜36000年前頃には後期旧石器時代が始まります。朝鮮半島と日本列島の旧石器の類似性も指摘されていますが、その担い手となる人類集団の関係については不明なところがあります。ユーラシア東部における現生人類出現の考古学的指標とされる石刃技法については、九州において段階的変遷が想定されていますが、まだ充分には解明されていないようです。南回りに関しては、九州南部と琉球列島との直接的関連はまだ確認されていないようですが、本論考は、石器技術に限らない接触も想定しています。最終氷期極大期(LGM)には、九州で朝鮮半島南部との接触を窺わせる剥片尖頭器が発見されており、海面が低下したことにより交流が活発化していったのかもしれません。本論考は、九州の在来集団が朝鮮半島南部との接触により新たな技術を導入した、という可能性を想定しています。


第2講●中山誠二「縄文時代に農耕はあったのか」P37〜58
 縄文農耕論には長い歴史がありますが、近年では、レプリカ法を用いた土器の圧痕分析など、新たな手法による進展が見られます。本論考は、縄文時代においてクリが人為的選択を受け、ダイズやアズキが栽培化へと向かっていた可能性を指摘します。ダイズの栽培起源地候補はアジア各地に複数あり、日本列島もその起源地の一つだった可能性がある、というわけです。本論考は、こうした植物管理・栽培を、農耕の初源的な一形態である園耕・園芸と評価しています。このように、縄文時代において植物栽培と言えそうな事例が確認されつつあるものの、それが直ちに農耕社会を出現させたのではなく、狩猟・採集・漁撈との柔軟な組み合わせによる生業が確立していたところに縄文時代の独自性がある、と本論考は指摘しています。


第3講●瀬口眞司「土偶とは何か」P59〜84
 土偶については、女神説・地母神説・故意破損説などさまざまな仮説が提示されてきましたが、近年では議論は行き詰っているそうです。本論考は、これまであまり注目されていなかった土偶装飾付土器の分析から、土偶の社会的意味を検証しています。本論考は、土偶とは本来何らかの形で「うつろ」を身体に伴うもので、幾重にも取りつき、取りつかれることで一体の完成した像へと近づくものだ、と指摘します。それを踏まえて本論考は、土偶が時代により変容していった、と指摘します。初期には不完全な胴部だけが可視化され、不完全な東部は観念上存在しても基本的には可視化されない霊的存在でしたが、定住生活への移行に伴いそれが可視化されていき、それには人口拡大も背景にあるかもしれない、と本論考は推測しています。


第4講●瀬川拓郎「アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか」P85〜102
 北海道は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。アイヌ文化は考古学的にそれ以前の文化とは大きく異なるのですが、研究の進展に伴い、連続的な変化が確認されつつあります。なお本論考は、考古学的文化に民族名を冠することは問題だとして、アイヌ文化ではなくニブタニ文化と呼ぶよう、提唱しています。本論考は、アイヌ文化に見られる縄文文化の要素として、イレズミ・モガリ・動物祭儀などを挙げています。北海道の動物祭儀に関しては、すでに縄文時代において、自然には生息しないイノシシを本州から連れてきて屠殺し、共食していた可能性が指摘されています。これは、縄文時代の本州にも見られる祭儀でした。本論考は、日本列島において縄文文化が色濃く残るのは、本州・四国・九州を中心とする「本土」ではなく、アイヌ側だと指摘しています。

II 弥生時代


第5講●宮地聡一郎「弥生文化はいつ始まったのか」P105〜122
 弥生時代を食糧生産もしくは稲作に基づく生活が始まってから前方後円墳が出現する前までと定義すると、弥生時代の始まりは刻目突文帯土器の時代に始まる、と本論考は指摘します。なお本論考は、縄文時代における稲作の確実な証拠は今では否定されている、と指摘します。ただ、稲作が始まったのは刻目突文帯土器の時代でもある段階以降とのことです。刻目突文帯土器は系譜的には縄文土器の深鉢そのもので、土器では縄文時代と弥生時代の境界が曖昧となります。しかし、土器の器種構成では大きな変化が見られ、稲作開始の頃より、朝鮮半島の無文土器に由来する壺などが出現するそうです。この時期には墓制も変化し、石剣や玉類や壺などの副葬品が見られます。弥生時代は、朝鮮半島の無文土器文化の影響を強く受けて始まったようです。弥生時代の開始年代をめぐっては議論が続いていますが(関連記事)、以前の定説である紀元前5世紀よりは古いものの、21世紀になって提示された紀元前10世紀までさかのぼる可能性は低い、と本論考は指摘します。また本論考は、弥生時代が日本列島で一斉に始まったわけではない、と注意を喚起しています。さらに、弥生時代とはいっても、西日本と東日本では様相が異なり、東日本の弥生時代には縄文文化の要素が強いことも指摘されています。弥生文化を均一なものとして把握することには問題があるようで、おそらく集団の遺伝的構成もかなり多様だった、と推測されます(関連記事)。


第6講●設楽博己「弥生時代の世界観」P123〜145
 弥生時代の世界観が、生物界・現世の空間世界・観念世界に区分されています。縄文時代の土偶には女性が多いのに対して、弥生時代には男女の偶像であることに関しては、性別分業の狩猟採集社会から男女協業を基本とする農耕社会への転換が背景にある、と指摘されています。また、弥生時代には埋葬からい男性優位の傾向も窺えるようになります。これは、弥生時代にはイレズミが男性だけになったことと関連しており、男性が主体となる戦争の活発化が背景にある、と推測されています。一方で、卑弥呼や壱与の事例から、男性だけが権力を掌握したわけではない、とも指摘されています。土製品や絵画などにおける主要な対象動物は、弥生時代には縄文時代のイノシシからシカへと変わり、これは、シカの角の生え替わりとイネの成長が同一視されたからではないか、と推測されています。また弥生時代には、鳥が重要な動物になったようです。銅鐸については、朝鮮半島の銅鈴に起源があるものの、銅鈴には文様がほとんどなく、銅鐸の文様は縄文土器が手本にされている、と指摘されています。銅鐸には辟邪としての機能も推測されています。空間観念に関しては、地的宗儀から高天原信仰の導入に伴う天的宗儀への転換が指摘されています。弥生時代の墓制から祖先祭祀の存在が推測されており、弥生時代の再葬墓については、縄文時代晩期の延長線上にある、と指摘されています。弥生時代に九州北部で始まる大型建物での祖先祭祀については、「中国」の影響が推測されています。


第7講●北島大輔「青銅器の祭りとはなにか」P147〜164
 弥生時代の青銅器の原材料である鉛の入手に関しては、時期による変遷が指摘されています。一方、北部九州と本州とでこの変遷に関して大きな時期差はなかったようです。鉛の同位体分析による原材料地は、弥生時代の6期区分では、3期までが朝鮮半島産、4期が前漢の華北産、5期は華北産でもさらに限定された領域、6期後半が後漢の華南産と共通しています。この推定に関しては疑問も呈されていますが、まだ解決していないようです。こうした弥生時代の青銅器の原材料入手のさいの対価としては、奴隷(生口)や翡翠・碧玉が推測されています。弥生時代の青銅器に見られる世界観として、銅鐸には身近な自然が多く、九州北部を中心に流入の始まった中国鏡では想像上のものが見られる、と指摘されています。


第8講●谷澤亜里「玉から弥生・古墳時代を考える」P165〜192
 弥生時代には新たな管玉が出現し、その起源地は現在の朝鮮北部〜中国東北部と推測されています。これは、農耕文化とともに導入された、と考えられています。こうした管玉は日本列島において受け入れられ、生産されるようになり、地域社会を横断した原石素材の流通ネットワークが形成されます。弥生時代にはガラス製玉類も出現しますが、日本列島でのガラスの生産は紀元後7世紀後半以降で、弥生時代と古墳時代には日本列島外で製造されたガラスが素材として用いられていました。なお、ガラス製品を伴う埋葬には多くの場合漢系遺物も見られることから、漢王朝からの下賜品と考えられてきましたが、中原地域や楽浪郡ではガラス製玉類が少ないことから、長江中流域との直接的な交渉によりもたらされた、との見解も提示されているそうです。ただ本論考は、ガラス製品以外には長江中流域との交渉を示すような遺物がないことから、楽浪郡経由での入手の可能性が高い、と指摘しています。

 こうした副葬品の状況から、「王」を頂点とする序列が想定されています。漢系遺物の流入は弥生時代後期初頭には一旦途絶えるようですが、その要因として新王朝を樹立した王莽の華夷思想に偏った対外政策が推測されています。またこの時期、日本列島規模で、既存集落の廃絶や特定集落への集住など大きな変化が見られるそうです。墓制でも、この時期に多くの地域で集団墓地の解体傾向が見られるそうです。これ以降、出自集団を単位とした墓地が顕著に見られるようになります。古墳時代前期になると、弥生時代後期には多様だった舶載ガラス製玉類が、銅着色のインド・パシフィックビーズにほぼ限定されるとともに、ガラス製玉類の出土数が減少するなか、近畿中部だけは出土数が増加します。ただ、古墳時代中期になると、種類は朝鮮半島南部と同じく多様になっていきます。弥生時代後期の段階では舶載品の流通を近畿中部が掌握していたとは言えませんが、古墳時代にはその流通経路が近畿に集約されていった、と窺えます。こうした動向に関しては、強大な近畿が他地域を支配したというよりは、他地域が近畿を介して安定的に威信材を入手しようとしたことが背景にあったのではないか、と推測されています。


第9講●村上恭通「鉄から弥生・古墳時代を考える」P193〜218
 日本列島における鉄器の使用は、弥生時代前期末〜中期初頭の九州北部において始まります。骨角器研究により、近畿以東では弥生時代中期後葉までには鉄器を用いての骨角器製作が確認されているものの、当時近畿以東では鉄が希少だったためか、石器と併用され、鉄の利用は限定的だった、と推測されています。これは斧に関しても同様で、石器と希少な鉄器が併用されていました。しかし、木器の研究からは、河内湾沿岸地域における斧の鉄器化は弥生時代中期後葉に完了した、とも指摘されています。日本列島における鉄器の生産はまず九州北部で始まり、日本海側では丹後地方まで、瀬戸内海では徳島県域まで直ちに拡大したそうです。さらに、弥生時代後期後葉から終末にかけては、日本海側では能登半島、太平洋側では三河地方まで拡大しています。また、鍛冶技術は九州北部のものがそのまま拡散したのではなく、多様化していき、そうした中で技術格差も見られるようになりました。

III 古墳時代


第10講●辻田淳一郎「鏡から古墳時代社会を考える」P221〜245
 弥生時代〜古墳時代にかけての日本列島の鏡の特徴は、鉄鏡がわずかで青銅鏡がほとんどであることです。この青銅鏡は、中国(舶載)鏡・三角縁神獣鏡・倭製(仿製)鏡に分類されます。中国鏡は漢代〜魏晋南北朝期にかけて「中国」で製作され、古墳時代の遺跡から出土するのは、おもに後漢鏡・三国(おもに魏と呉)鏡・西晋鏡です。後漢鏡の出土は弥生時代後期以降ですが、九州北部に偏っています。鏡の流通・副葬は3世紀〜4世紀前半にピークがあり、5世紀前半には生産・流通が一旦低調となりますが、5世紀後半に再度活発化するそうです。

 本論考は、銅鏡流通の核となった政治権力を「近畿中央政権」と呼んでいます。古墳時代には、近畿中央政権が独占的に中国鏡の輸入・流通を管理していたようです。古くから議論になっている三角縁神獣鏡の製作地については、全て日本産・全て中国産・日本産と中国産の混在という3説が提示されています。こうした鏡は政治的序列を可視化していた、と考えられています。本論考は、古墳時代前期を通じて、大型の中国鏡と倭製鏡が上位、三角縁神獣鏡や小型の倭製鏡が下位とされていた、と推測しています。また、近畿中央政権から各地に鏡が多数配布された理由として、当時は双系社会で上位層の世代間継承が不安定だったので、代替わりに伴い新たな鏡の入手が必要になった、と推測されて近畿中央政権と各地の権力との政治的相互作用の結果、古墳により可視化されるような広域的な政治秩序が形成・維持・再生産されたのではないか、というわけです。こうした社会状況において、鏡は威信材として機能した、と本論考は指摘します。

 こうした銅鏡の役割は、古墳時代中期に鉄製の武器に取って代わられたようです。しかし、5世紀のいわゆる倭の五王の遣使により、南朝から「同型鏡」が導入され、5世紀中頃以降に再び倭製鏡生産が活発化します。本論考は、同型鏡が南朝で製作され倭国に贈与された「特鋳鏡」と推測しています。この同型鏡群は、古墳時代前期の銅鏡とは異なり、大型前方後円墳だけではなく、中小規模の古墳からも出土しており、近畿中央政権が各地の中間層を取り込もうとした、と本論考は推測しています。古墳時代の倭製鏡は、6世紀前半よりも後には生産が終了したか、大幅に縮小したと考えられます。本論考は、古墳時代の鏡は本格的な国家形成の前段階に属する器物で、前方後円墳の出現とともに始まり、その終焉とともに意義が失われた、と指摘しています。


第11講●石村智「海をめぐる世界/船と港」P247〜269
 本論考はまず、日本人は海洋民だと指摘します。日本列島に現生人類が到来した後期更新世において、対馬海峡も津軽海峡も完全に陸続きにはならなかったため、渡海してきたはずだ、というわけです。日本列島の船は、まず1本の木で造られる丸木舟から始まります。これは縄文時代のものが発見されていますが、木の大きさに制約されるため、大型化できないという欠陥があります。弥生時代には、複数の材を継ぎ合わせて大型化した準構造船が出現し、丸木舟の要素が継承されています。日本の伝統的な和船は、この準構造船から発展して中世に成立します。遣唐使船は朝鮮半島の技術を用いて造られた、と推測されていますが、当時の朝鮮半島には船釘が用いられておらず(日本でも船釘の確実な使用は鎌倉時代以降のようです)、構造的に脆かったようです。

 日本列島において古代に港として利用されたのは、ラグーン(内海)を形成する潟湖地形でした。潟湖地形の周囲には前方後円墳が多く、目印として機能した可能性が指摘されています。飛鳥時代以降、遣唐使船のような喫水の深い大型の構造船が導入されると、入江地形の「深い港」が必要とされます。しかし、当時すべての船がそうした遣唐使船のような構造ではなかったため、潟湖地形のような「浅い港」も引き続き用いられただろう、と推測されています。

 前近代の日本において、日本海は冬場こそ荒れるものの、夏場には穏やかなため、日本列島のハイウェイとして機能してきた、と本論考は指摘します。日本海は、アジア東部大陸部との交通の場ともなりました。一方瀬戸内海は、潮流が速く複雑なため、航海の難しい海域だった、と指摘されています。しかし、瀬戸内海沿岸に目印としての前方後円墳が築かれてきたように、日本海と同じく古代からハイウェイとして機能してきました。太平洋は黒潮のため航海は困難ですが、弥生時代から古墳時代には、紀伊半島沿いの海路が存在した可能性は高い、と指摘されています。本論考は、海洋民が古代において海外の文物に触れられる先進的な集団だった、指摘しています。古代の海洋民として、宗像氏や安曇氏や高橋氏が挙げられています。


第12講●池淵俊一「出雲と日本海交流」P271〜290
 日本海を通じての交流は、すでに縄文時代から存在しました。出雲が日本海交流において特殊な地位を占めるようになるのは、紀元前1世紀となる弥生時代中期後半からしでした。この時代、朝鮮半島に漢の楽浪郡が設置され、九州北部では多数の漢鏡を副葬品とする王墓が出現します。この時期以降、出雲でも朝鮮半島系の土器が出土するようになります。これらの土器の大半は交易用の容器で、移住目的ではなかった、と考えられます。鉄器の出土状況からは、紀元後1〜3世紀には、日本列島における物流の主動脈は日本海だった、と推測されます。本論考は、出雲の九州系土器の出土状況から、出雲は直接的にではなく、伊都国や奴国といった九州北部集団を介して朝鮮半島と交易した、と推測しています。また、弥生時代後期には、吉備が出雲との関係を深めていったことも窺えます。一方、同じ日本海沿岸でも鳥取市青谷上寺遺跡は、九州北部系土器の出土がないことから、直接的に朝鮮半島と交易したのだろう、と推測されています。古墳時代前期前半になると、九州北部の交易拠点が伊都国から博多湾へと移動し、出雲を主体とする山陰系土器が多いことから、古墳時代初期の朝鮮半島交易では出雲が重要な役割を担っていた、と考えられます。この交易において主要な輸入品は鉄素材で、その対価として奴隷(生口)などが輸出されていた、と想定されています。古墳時代の出雲では四隅突出墓というひじょうに特徴的な墓が築かれ、瀬戸内海西部や九州北部の海人集団もしくはそれに連なる人々を配下として、朝鮮半島と交易していた、と推測されています。4世紀前半になると、博多湾で交易の中心だった西新町遺跡が突如として廃絶し、山陰の代表的な津も一斉に衰退します。本論考はこれを、倭王権が九州北部の交易機構を介さずに直接的に朝鮮半島南部との交易路を確立し、出雲のそれまでの対朝鮮半島交易の役割が終了したことを反映している、と解釈しています。


第13講●諫早直人「騎馬民族論のゆくえ」P291〜314
 騎馬民族日本列島征服王朝説(騎馬民族説)は、一般層にも広く知られている仮説で、現在でも支持者は一定以上いるようです。しかし本論考は、騎馬民族説は当初から一貫して、研究者の多くの反応は拒否あるいは冷淡だった、と指摘します。これは一般層、とくに騎馬民族説支持者にはあまり知られていないことでしょうから、新書など一般向け書籍で何度も繰り返し指摘する必要があると思います。ただ本論考は、日本列島において古墳時代中期に、それまで見られなかったウマや騎馬の風習が出現して短期間に定着していった、という事実が騎馬民族説の提唱とそれに対する学界の反応で生まれたことは、騎馬民族説の功績と言えるのではないか、と指摘します。この問題に関しては、韓国における経済発展に伴う発掘調査の進展と中国東北部における新資料の公開により研究が大きく進展した、と本論考は指摘します。これにより、馬具を副葬しない中原地域と、盛んに副葬するアジア東北部(中国東北部・朝鮮半島・日本列島)の対比が明らかになりました。

 日本列島におけるウマは、馬具とともに古墳時代中期にもたらされた、との見解が今では有力です。ただ、それ以前にわずかながらウマと馬具が導入された痕跡も確認されていますが、本論考は、日本列島におけるウマの導入は、どんなに早くても準構造船の出現した弥生時代以降で、古墳時代中期よりも前のウマや馬具の導入は散発的で、それ以降とは規模も質も大きく異なっていただろう、と指摘します。日本列島における初期の馬匹生産地としては、大阪府にある生駒山山麓の蔀屋北遺跡周辺が候補とされています。古墳時代中期の馬具生産については、渡来人の指導下に在来倭人が協業していたのではないか、と推測されています。古墳時代中期に始まった馬匹生産は、100年ほどで東北北部・北海道・南西諸島以外の琉球弧を除く広範な地域に拡大し、定着します。これは、単に交通手段としての利便性だけではなく、ウマの安定的供給源を求めた倭王権と、馬匹生産という新産業に活路を見出した地域首長という双方の思惑を考慮すると理解しやすい、と本論考は指摘します。

 古墳時代の騎馬文化の範囲は、おおむね前方後円墳の範囲と重なります。本論考は、日本列島における初期の馬具の直接的系譜は朝鮮半島南部の各地にあり、特定の地域に収斂しないことから、日本列島の騎馬文化が征服活動によりもたらされたという説明は成立せず、あくまでも日本列島の社会における需要の高まりを前提として、倭がさまざまな地域と主体的に交渉した結果だろう、と指摘します。倭がこの時期にウマを必要とした背景として、高句麗との軍事的衝突が想定されています。


第14講●北條芳隆「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」P315〜346
 本論考は前方後円墳の巨大性について、国家形成過程の一環として考えると矛盾する、と指摘します。まず、墳丘規模の拡大は先代墓とに競合を招来し、祖先の神格化を阻みます。次に、支配力から見ると過剰な労働力が投下されていることです。治水などの公共事業に傾注すべきところを、一代限りの墳墓に富を浪費しては、社会の不満が高まっただろうし、国家形成過程の一環として、古代「中国」諸王朝は墳墓よりも祭礼空間としての宮都の造営を優先した、と本論考は指摘します。さらに、前方後円墳おいて規模の格差は明確であるものの、基本構造や副葬品の組成には共通点が多く、中央集権化を志向する王権とは異質な政体の集合体もしくは同盟で、部族同盟だっただろう、と本論考は指摘します。本論考が最も重視するのは、浪費は権力者側に蓄積されるはずの富の放出なので、次世代の親族に資産を残せず、成層化や身分序列の固定化とは正反対の平準化や均等化に向かう、ということです。

 本論考が重視するのは高句麗です。高句麗は漢から冊封され、朝鮮半島を南下し、百済と新羅の形成を促しました。その高句麗が最も敵視したのが倭で、倭も高句麗への対応に負われたことが、前方後円墳巨大化の鍵になる、と本論考は指摘します。さらに本論考が重視しているのは、当時の高句麗と倭がともに首長制社会だった、ということです。高句麗も厚葬で、こうした首長制社会では階層化があまり進展しません。倭も、上層の「大人」、一般層の「下戸」、奴隷の「奴婢」や「生口」といった程度の階層分化でした。こうした社会では、王位が特定の一族に世襲されないことがあり、首長は民衆に対して常に再分配を強いられた、と本論考は指摘します。倭ではそれが古墳の造営であり、おそらくは貨幣としての機能も有していた稲束と稲籾が対価として支払われたのだろう、と本論考は推測します。

 本論考は、当時の推定人口と生産力から、最大級の前方後円墳でも十数年程度で造営可能と推算しています。前方後円墳の巨大化の背景として、首長間の競合と人口および生産力の増加が指摘されています。また、寒冷化と高句麗の南下による朝鮮半島の不安定化による朝鮮半島から日本列島への渡来人の増加が、古墳時代における文化要素の朝鮮半島化を促したことも指摘されています。また本論考は、寒冷化のなか、日本列島の穀物生産量が前代までより相対的に高句麗に対して優位になり、鉄などをめぐる交易で競合関係が強くなったことこそ、倭と高句麗の対立激化の背景にあるのではないか、と指摘しています。本論考の見解は壮大たいへん興味深く、今後も調べていきたいものです。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c272

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
34. 中川隆[-12913] koaQ7Jey 2019年11月09日 10:39:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-15]

2019年11月09日
北條芳隆編『考古学講義』第2刷
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2019年6月に刊行されました。第1刷の刊行は2019年5月です。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。なお、以下の西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。


https://www.amazon.co.jp/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A9-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8C%97%E6%A2%9D-%E8%8A%B3%E9%9A%86/dp/4480072276

I 旧石器・縄文時代


第1講●杉原敏之「列島旧石器文化からみた現生人類の交流」P15〜35
 現生人類(Homo sapiens)の日本列島への拡散が解説されています。日本列島への現生人類の拡散経路としては、サハリンから北海道と津軽海峡を経由する北回り、朝鮮半島を経由する西回り、台湾と南西諸島を経由する南回りが想定されています。本論考は、比較的情報量の多い九州を中心とする西回りと南回りを取り上げています。日本列島では4万年前頃よりもさかのぼる人類の確実な痕跡はきわめて限定的で、後期旧石器時代以降に人類が定着したと考えられます。関東では38000年前頃に、九州でも38000〜36000年前頃には後期旧石器時代が始まります。朝鮮半島と日本列島の旧石器の類似性も指摘されていますが、その担い手となる人類集団の関係については不明なところがあります。ユーラシア東部における現生人類出現の考古学的指標とされる石刃技法については、九州において段階的変遷が想定されていますが、まだ充分には解明されていないようです。南回りに関しては、九州南部と琉球列島との直接的関連はまだ確認されていないようですが、本論考は、石器技術に限らない接触も想定しています。最終氷期極大期(LGM)には、九州で朝鮮半島南部との接触を窺わせる剥片尖頭器が発見されており、海面が低下したことにより交流が活発化していったのかもしれません。本論考は、九州の在来集団が朝鮮半島南部との接触により新たな技術を導入した、という可能性を想定しています。


第2講●中山誠二「縄文時代に農耕はあったのか」P37〜58
 縄文農耕論には長い歴史がありますが、近年では、レプリカ法を用いた土器の圧痕分析など、新たな手法による進展が見られます。本論考は、縄文時代においてクリが人為的選択を受け、ダイズやアズキが栽培化へと向かっていた可能性を指摘します。ダイズの栽培起源地候補はアジア各地に複数あり、日本列島もその起源地の一つだった可能性がある、というわけです。本論考は、こうした植物管理・栽培を、農耕の初源的な一形態である園耕・園芸と評価しています。このように、縄文時代において植物栽培と言えそうな事例が確認されつつあるものの、それが直ちに農耕社会を出現させたのではなく、狩猟・採集・漁撈との柔軟な組み合わせによる生業が確立していたところに縄文時代の独自性がある、と本論考は指摘しています。


第3講●瀬口眞司「土偶とは何か」P59〜84
 土偶については、女神説・地母神説・故意破損説などさまざまな仮説が提示されてきましたが、近年では議論は行き詰っているそうです。本論考は、これまであまり注目されていなかった土偶装飾付土器の分析から、土偶の社会的意味を検証しています。本論考は、土偶とは本来何らかの形で「うつろ」を身体に伴うもので、幾重にも取りつき、取りつかれることで一体の完成した像へと近づくものだ、と指摘します。それを踏まえて本論考は、土偶が時代により変容していった、と指摘します。初期には不完全な胴部だけが可視化され、不完全な東部は観念上存在しても基本的には可視化されない霊的存在でしたが、定住生活への移行に伴いそれが可視化されていき、それには人口拡大も背景にあるかもしれない、と本論考は推測しています。


第4講●瀬川拓郎「アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか」P85〜102
 北海道は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。アイヌ文化は考古学的にそれ以前の文化とは大きく異なるのですが、研究の進展に伴い、連続的な変化が確認されつつあります。なお本論考は、考古学的文化に民族名を冠することは問題だとして、アイヌ文化ではなくニブタニ文化と呼ぶよう、提唱しています。本論考は、アイヌ文化に見られる縄文文化の要素として、イレズミ・モガリ・動物祭儀などを挙げています。北海道の動物祭儀に関しては、すでに縄文時代において、自然には生息しないイノシシを本州から連れてきて屠殺し、共食していた可能性が指摘されています。これは、縄文時代の本州にも見られる祭儀でした。本論考は、日本列島において縄文文化が色濃く残るのは、本州・四国・九州を中心とする「本土」ではなく、アイヌ側だと指摘しています。

II 弥生時代


第5講●宮地聡一郎「弥生文化はいつ始まったのか」P105〜122
 弥生時代を食糧生産もしくは稲作に基づく生活が始まってから前方後円墳が出現する前までと定義すると、弥生時代の始まりは刻目突文帯土器の時代に始まる、と本論考は指摘します。なお本論考は、縄文時代における稲作の確実な証拠は今では否定されている、と指摘します。ただ、稲作が始まったのは刻目突文帯土器の時代でもある段階以降とのことです。刻目突文帯土器は系譜的には縄文土器の深鉢そのもので、土器では縄文時代と弥生時代の境界が曖昧となります。しかし、土器の器種構成では大きな変化が見られ、稲作開始の頃より、朝鮮半島の無文土器に由来する壺などが出現するそうです。この時期には墓制も変化し、石剣や玉類や壺などの副葬品が見られます。弥生時代は、朝鮮半島の無文土器文化の影響を強く受けて始まったようです。弥生時代の開始年代をめぐっては議論が続いていますが(関連記事)、以前の定説である紀元前5世紀よりは古いものの、21世紀になって提示された紀元前10世紀までさかのぼる可能性は低い、と本論考は指摘します。また本論考は、弥生時代が日本列島で一斉に始まったわけではない、と注意を喚起しています。さらに、弥生時代とはいっても、西日本と東日本では様相が異なり、東日本の弥生時代には縄文文化の要素が強いことも指摘されています。弥生文化を均一なものとして把握することには問題があるようで、おそらく集団の遺伝的構成もかなり多様だった、と推測されます(関連記事)。


第6講●設楽博己「弥生時代の世界観」P123〜145
 弥生時代の世界観が、生物界・現世の空間世界・観念世界に区分されています。縄文時代の土偶には女性が多いのに対して、弥生時代には男女の偶像であることに関しては、性別分業の狩猟採集社会から男女協業を基本とする農耕社会への転換が背景にある、と指摘されています。また、弥生時代には埋葬からい男性優位の傾向も窺えるようになります。これは、弥生時代にはイレズミが男性だけになったことと関連しており、男性が主体となる戦争の活発化が背景にある、と推測されています。一方で、卑弥呼や壱与の事例から、男性だけが権力を掌握したわけではない、とも指摘されています。土製品や絵画などにおける主要な対象動物は、弥生時代には縄文時代のイノシシからシカへと変わり、これは、シカの角の生え替わりとイネの成長が同一視されたからではないか、と推測されています。また弥生時代には、鳥が重要な動物になったようです。銅鐸については、朝鮮半島の銅鈴に起源があるものの、銅鈴には文様がほとんどなく、銅鐸の文様は縄文土器が手本にされている、と指摘されています。銅鐸には辟邪としての機能も推測されています。空間観念に関しては、地的宗儀から高天原信仰の導入に伴う天的宗儀への転換が指摘されています。弥生時代の墓制から祖先祭祀の存在が推測されており、弥生時代の再葬墓については、縄文時代晩期の延長線上にある、と指摘されています。弥生時代に九州北部で始まる大型建物での祖先祭祀については、「中国」の影響が推測されています。


第7講●北島大輔「青銅器の祭りとはなにか」P147〜164
 弥生時代の青銅器の原材料である鉛の入手に関しては、時期による変遷が指摘されています。一方、北部九州と本州とでこの変遷に関して大きな時期差はなかったようです。鉛の同位体分析による原材料地は、弥生時代の6期区分では、3期までが朝鮮半島産、4期が前漢の華北産、5期は華北産でもさらに限定された領域、6期後半が後漢の華南産と共通しています。この推定に関しては疑問も呈されていますが、まだ解決していないようです。こうした弥生時代の青銅器の原材料入手のさいの対価としては、奴隷(生口)や翡翠・碧玉が推測されています。弥生時代の青銅器に見られる世界観として、銅鐸には身近な自然が多く、九州北部を中心に流入の始まった中国鏡では想像上のものが見られる、と指摘されています。


第8講●谷澤亜里「玉から弥生・古墳時代を考える」P165〜192
 弥生時代には新たな管玉が出現し、その起源地は現在の朝鮮北部〜中国東北部と推測されています。これは、農耕文化とともに導入された、と考えられています。こうした管玉は日本列島において受け入れられ、生産されるようになり、地域社会を横断した原石素材の流通ネットワークが形成されます。弥生時代にはガラス製玉類も出現しますが、日本列島でのガラスの生産は紀元後7世紀後半以降で、弥生時代と古墳時代には日本列島外で製造されたガラスが素材として用いられていました。なお、ガラス製品を伴う埋葬には多くの場合漢系遺物も見られることから、漢王朝からの下賜品と考えられてきましたが、中原地域や楽浪郡ではガラス製玉類が少ないことから、長江中流域との直接的な交渉によりもたらされた、との見解も提示されているそうです。ただ本論考は、ガラス製品以外には長江中流域との交渉を示すような遺物がないことから、楽浪郡経由での入手の可能性が高い、と指摘しています。

 こうした副葬品の状況から、「王」を頂点とする序列が想定されています。漢系遺物の流入は弥生時代後期初頭には一旦途絶えるようですが、その要因として新王朝を樹立した王莽の華夷思想に偏った対外政策が推測されています。またこの時期、日本列島規模で、既存集落の廃絶や特定集落への集住など大きな変化が見られるそうです。墓制でも、この時期に多くの地域で集団墓地の解体傾向が見られるそうです。これ以降、出自集団を単位とした墓地が顕著に見られるようになります。古墳時代前期になると、弥生時代後期には多様だった舶載ガラス製玉類が、銅着色のインド・パシフィックビーズにほぼ限定されるとともに、ガラス製玉類の出土数が減少するなか、近畿中部だけは出土数が増加します。ただ、古墳時代中期になると、種類は朝鮮半島南部と同じく多様になっていきます。弥生時代後期の段階では舶載品の流通を近畿中部が掌握していたとは言えませんが、古墳時代にはその流通経路が近畿に集約されていった、と窺えます。こうした動向に関しては、強大な近畿が他地域を支配したというよりは、他地域が近畿を介して安定的に威信材を入手しようとしたことが背景にあったのではないか、と推測されています。


第9講●村上恭通「鉄から弥生・古墳時代を考える」P193〜218
 日本列島における鉄器の使用は、弥生時代前期末〜中期初頭の九州北部において始まります。骨角器研究により、近畿以東では弥生時代中期後葉までには鉄器を用いての骨角器製作が確認されているものの、当時近畿以東では鉄が希少だったためか、石器と併用され、鉄の利用は限定的だった、と推測されています。これは斧に関しても同様で、石器と希少な鉄器が併用されていました。しかし、木器の研究からは、河内湾沿岸地域における斧の鉄器化は弥生時代中期後葉に完了した、とも指摘されています。日本列島における鉄器の生産はまず九州北部で始まり、日本海側では丹後地方まで、瀬戸内海では徳島県域まで直ちに拡大したそうです。さらに、弥生時代後期後葉から終末にかけては、日本海側では能登半島、太平洋側では三河地方まで拡大しています。また、鍛冶技術は九州北部のものがそのまま拡散したのではなく、多様化していき、そうした中で技術格差も見られるようになりました。

III 古墳時代


第10講●辻田淳一郎「鏡から古墳時代社会を考える」P221〜245
 弥生時代〜古墳時代にかけての日本列島の鏡の特徴は、鉄鏡がわずかで青銅鏡がほとんどであることです。この青銅鏡は、中国(舶載)鏡・三角縁神獣鏡・倭製(仿製)鏡に分類されます。中国鏡は漢代〜魏晋南北朝期にかけて「中国」で製作され、古墳時代の遺跡から出土するのは、おもに後漢鏡・三国(おもに魏と呉)鏡・西晋鏡です。後漢鏡の出土は弥生時代後期以降ですが、九州北部に偏っています。鏡の流通・副葬は3世紀〜4世紀前半にピークがあり、5世紀前半には生産・流通が一旦低調となりますが、5世紀後半に再度活発化するそうです。

 本論考は、銅鏡流通の核となった政治権力を「近畿中央政権」と呼んでいます。古墳時代には、近畿中央政権が独占的に中国鏡の輸入・流通を管理していたようです。古くから議論になっている三角縁神獣鏡の製作地については、全て日本産・全て中国産・日本産と中国産の混在という3説が提示されています。こうした鏡は政治的序列を可視化していた、と考えられています。本論考は、古墳時代前期を通じて、大型の中国鏡と倭製鏡が上位、三角縁神獣鏡や小型の倭製鏡が下位とされていた、と推測しています。また、近畿中央政権から各地に鏡が多数配布された理由として、当時は双系社会で上位層の世代間継承が不安定だったので、代替わりに伴い新たな鏡の入手が必要になった、と推測されて近畿中央政権と各地の権力との政治的相互作用の結果、古墳により可視化されるような広域的な政治秩序が形成・維持・再生産されたのではないか、というわけです。こうした社会状況において、鏡は威信材として機能した、と本論考は指摘します。

 こうした銅鏡の役割は、古墳時代中期に鉄製の武器に取って代わられたようです。しかし、5世紀のいわゆる倭の五王の遣使により、南朝から「同型鏡」が導入され、5世紀中頃以降に再び倭製鏡生産が活発化します。本論考は、同型鏡が南朝で製作され倭国に贈与された「特鋳鏡」と推測しています。この同型鏡群は、古墳時代前期の銅鏡とは異なり、大型前方後円墳だけではなく、中小規模の古墳からも出土しており、近畿中央政権が各地の中間層を取り込もうとした、と本論考は推測しています。古墳時代の倭製鏡は、6世紀前半よりも後には生産が終了したか、大幅に縮小したと考えられます。本論考は、古墳時代の鏡は本格的な国家形成の前段階に属する器物で、前方後円墳の出現とともに始まり、その終焉とともに意義が失われた、と指摘しています。


第11講●石村智「海をめぐる世界/船と港」P247〜269
 本論考はまず、日本人は海洋民だと指摘します。日本列島に現生人類が到来した後期更新世において、対馬海峡も津軽海峡も完全に陸続きにはならなかったため、渡海してきたはずだ、というわけです。日本列島の船は、まず1本の木で造られる丸木舟から始まります。これは縄文時代のものが発見されていますが、木の大きさに制約されるため、大型化できないという欠陥があります。弥生時代には、複数の材を継ぎ合わせて大型化した準構造船が出現し、丸木舟の要素が継承されています。日本の伝統的な和船は、この準構造船から発展して中世に成立します。遣唐使船は朝鮮半島の技術を用いて造られた、と推測されていますが、当時の朝鮮半島には船釘が用いられておらず(日本でも船釘の確実な使用は鎌倉時代以降のようです)、構造的に脆かったようです。

 日本列島において古代に港として利用されたのは、ラグーン(内海)を形成する潟湖地形でした。潟湖地形の周囲には前方後円墳が多く、目印として機能した可能性が指摘されています。飛鳥時代以降、遣唐使船のような喫水の深い大型の構造船が導入されると、入江地形の「深い港」が必要とされます。しかし、当時すべての船がそうした遣唐使船のような構造ではなかったため、潟湖地形のような「浅い港」も引き続き用いられただろう、と推測されています。

 前近代の日本において、日本海は冬場こそ荒れるものの、夏場には穏やかなため、日本列島のハイウェイとして機能してきた、と本論考は指摘します。日本海は、アジア東部大陸部との交通の場ともなりました。一方瀬戸内海は、潮流が速く複雑なため、航海の難しい海域だった、と指摘されています。しかし、瀬戸内海沿岸に目印としての前方後円墳が築かれてきたように、日本海と同じく古代からハイウェイとして機能してきました。太平洋は黒潮のため航海は困難ですが、弥生時代から古墳時代には、紀伊半島沿いの海路が存在した可能性は高い、と指摘されています。本論考は、海洋民が古代において海外の文物に触れられる先進的な集団だった、指摘しています。古代の海洋民として、宗像氏や安曇氏や高橋氏が挙げられています。


第12講●池淵俊一「出雲と日本海交流」P271〜290
 日本海を通じての交流は、すでに縄文時代から存在しました。出雲が日本海交流において特殊な地位を占めるようになるのは、紀元前1世紀となる弥生時代中期後半からしでした。この時代、朝鮮半島に漢の楽浪郡が設置され、九州北部では多数の漢鏡を副葬品とする王墓が出現します。この時期以降、出雲でも朝鮮半島系の土器が出土するようになります。これらの土器の大半は交易用の容器で、移住目的ではなかった、と考えられます。鉄器の出土状況からは、紀元後1〜3世紀には、日本列島における物流の主動脈は日本海だった、と推測されます。本論考は、出雲の九州系土器の出土状況から、出雲は直接的にではなく、伊都国や奴国といった九州北部集団を介して朝鮮半島と交易した、と推測しています。また、弥生時代後期には、吉備が出雲との関係を深めていったことも窺えます。一方、同じ日本海沿岸でも鳥取市青谷上寺遺跡は、九州北部系土器の出土がないことから、直接的に朝鮮半島と交易したのだろう、と推測されています。古墳時代前期前半になると、九州北部の交易拠点が伊都国から博多湾へと移動し、出雲を主体とする山陰系土器が多いことから、古墳時代初期の朝鮮半島交易では出雲が重要な役割を担っていた、と考えられます。この交易において主要な輸入品は鉄素材で、その対価として奴隷(生口)などが輸出されていた、と想定されています。古墳時代の出雲では四隅突出墓というひじょうに特徴的な墓が築かれ、瀬戸内海西部や九州北部の海人集団もしくはそれに連なる人々を配下として、朝鮮半島と交易していた、と推測されています。4世紀前半になると、博多湾で交易の中心だった西新町遺跡が突如として廃絶し、山陰の代表的な津も一斉に衰退します。本論考はこれを、倭王権が九州北部の交易機構を介さずに直接的に朝鮮半島南部との交易路を確立し、出雲のそれまでの対朝鮮半島交易の役割が終了したことを反映している、と解釈しています。


第13講●諫早直人「騎馬民族論のゆくえ」P291〜314
 騎馬民族日本列島征服王朝説(騎馬民族説)は、一般層にも広く知られている仮説で、現在でも支持者は一定以上いるようです。しかし本論考は、騎馬民族説は当初から一貫して、研究者の多くの反応は拒否あるいは冷淡だった、と指摘します。これは一般層、とくに騎馬民族説支持者にはあまり知られていないことでしょうから、新書など一般向け書籍で何度も繰り返し指摘する必要があると思います。ただ本論考は、日本列島において古墳時代中期に、それまで見られなかったウマや騎馬の風習が出現して短期間に定着していった、という事実が騎馬民族説の提唱とそれに対する学界の反応で生まれたことは、騎馬民族説の功績と言えるのではないか、と指摘します。この問題に関しては、韓国における経済発展に伴う発掘調査の進展と中国東北部における新資料の公開により研究が大きく進展した、と本論考は指摘します。これにより、馬具を副葬しない中原地域と、盛んに副葬するアジア東北部(中国東北部・朝鮮半島・日本列島)の対比が明らかになりました。

 日本列島におけるウマは、馬具とともに古墳時代中期にもたらされた、との見解が今では有力です。ただ、それ以前にわずかながらウマと馬具が導入された痕跡も確認されていますが、本論考は、日本列島におけるウマの導入は、どんなに早くても準構造船の出現した弥生時代以降で、古墳時代中期よりも前のウマや馬具の導入は散発的で、それ以降とは規模も質も大きく異なっていただろう、と指摘します。日本列島における初期の馬匹生産地としては、大阪府にある生駒山山麓の蔀屋北遺跡周辺が候補とされています。古墳時代中期の馬具生産については、渡来人の指導下に在来倭人が協業していたのではないか、と推測されています。古墳時代中期に始まった馬匹生産は、100年ほどで東北北部・北海道・南西諸島以外の琉球弧を除く広範な地域に拡大し、定着します。これは、単に交通手段としての利便性だけではなく、ウマの安定的供給源を求めた倭王権と、馬匹生産という新産業に活路を見出した地域首長という双方の思惑を考慮すると理解しやすい、と本論考は指摘します。

 古墳時代の騎馬文化の範囲は、おおむね前方後円墳の範囲と重なります。本論考は、日本列島における初期の馬具の直接的系譜は朝鮮半島南部の各地にあり、特定の地域に収斂しないことから、日本列島の騎馬文化が征服活動によりもたらされたという説明は成立せず、あくまでも日本列島の社会における需要の高まりを前提として、倭がさまざまな地域と主体的に交渉した結果だろう、と指摘します。倭がこの時期にウマを必要とした背景として、高句麗との軍事的衝突が想定されています。


第14講●北條芳隆「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」P315〜346
 本論考は前方後円墳の巨大性について、国家形成過程の一環として考えると矛盾する、と指摘します。まず、墳丘規模の拡大は先代墓とに競合を招来し、祖先の神格化を阻みます。次に、支配力から見ると過剰な労働力が投下されていることです。治水などの公共事業に傾注すべきところを、一代限りの墳墓に富を浪費しては、社会の不満が高まっただろうし、国家形成過程の一環として、古代「中国」諸王朝は墳墓よりも祭礼空間としての宮都の造営を優先した、と本論考は指摘します。さらに、前方後円墳おいて規模の格差は明確であるものの、基本構造や副葬品の組成には共通点が多く、中央集権化を志向する王権とは異質な政体の集合体もしくは同盟で、部族同盟だっただろう、と本論考は指摘します。本論考が最も重視するのは、浪費は権力者側に蓄積されるはずの富の放出なので、次世代の親族に資産を残せず、成層化や身分序列の固定化とは正反対の平準化や均等化に向かう、ということです。

 本論考が重視するのは高句麗です。高句麗は漢から冊封され、朝鮮半島を南下し、百済と新羅の形成を促しました。その高句麗が最も敵視したのが倭で、倭も高句麗への対応に負われたことが、前方後円墳巨大化の鍵になる、と本論考は指摘します。さらに本論考が重視しているのは、当時の高句麗と倭がともに首長制社会だった、ということです。高句麗も厚葬で、こうした首長制社会では階層化があまり進展しません。倭も、上層の「大人」、一般層の「下戸」、奴隷の「奴婢」や「生口」といった程度の階層分化でした。こうした社会では、王位が特定の一族に世襲されないことがあり、首長は民衆に対して常に再分配を強いられた、と本論考は指摘します。倭ではそれが古墳の造営であり、おそらくは貨幣としての機能も有していた稲束と稲籾が対価として支払われたのだろう、と本論考は推測します。

 本論考は、当時の推定人口と生産力から、最大級の前方後円墳でも十数年程度で造営可能と推算しています。前方後円墳の巨大化の背景として、首長間の競合と人口および生産力の増加が指摘されています。また、寒冷化と高句麗の南下による朝鮮半島の不安定化による朝鮮半島から日本列島への渡来人の増加が、古墳時代における文化要素の朝鮮半島化を促したことも指摘されています。また本論考は、寒冷化のなか、日本列島の穀物生産量が前代までより相対的に高句麗に対して優位になり、鉄などをめぐる交易で競合関係が強くなったことこそ、倭と高句麗の対立激化の背景にあるのではないか、と指摘しています。本論考の見解は壮大たいへん興味深く、今後も調べていきたいものです。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c34

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
55. 中川隆[-13073] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:27:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-175]

198名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 12:07:23.06ID:glD+LRwS

序曲のランキングは


ベートーヴェン >> ヘンデル >> ワーグナー >> グルック >> ドビュッシー
>> ウェーバー >> シューマン >> メンデルスゾーン >> モーツァルト
>> シューベルト >> リスト


かな。 モーツァルトのオペラは名作でも序曲は大した事ない:

Georg Frideric Handel - Agrippina - Sinfonia (John Elliot Gardiner with English Baroque Soloists) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OHDC5OVuquM

Handel - Overture to the oratorio Solomon - YouTube
John Eliot Gardiner conducts the English Baroque Soloists
https://www.youtube.com/watch?v=EJCXxS3GRv8

Handel Israel in Egypt - 1. Overture - Gardiner - YouTube
John Eliot Gardiner conducts the English Baroque Soloists
https://www.youtube.com/watch?v=H67RY06mNPY

handel Alcina - Overture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-rHbnP2_K0o

handel Belshazzar - Overture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=m3Vuf8jr7TM

handel Jephtha - Overture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=L_jtWiXDFOQ

G. F. Haendel - Giulio Cesare - Ouverture - Karl Richter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_mUYAWmjVP4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c55

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
56. 中川隆[-13072] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-174]

Gluck - Alceste Overture - Berlin - Furtwangler 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dbvs8n1f-Cc

WILHELM FURTWaNGLER 'IPHIGENIE EN AULIDE' Gluck, Overture - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bDbLJ3sWgRI

____

Furtwängler conducting Mozart's Don Giovanni Overture Salzburg 1954 (In Colour) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4s1OFwAlMMw


Bruno Walter - Mozart Le nozze di Figaro フィガロの結婚ーOverture(1932) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-Y0Wm68wYp0

Bruno Walter - Mozart Le nozze di Figaro Overture NBCso 1951.2.24 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IccckVE7_fg

_____

Beethoven - Egmont Overture - Wilhelm Furtwangler, 1953 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ONDQHSy7aEs

Beethoven - Egmont - Berlin - Furtwangler 1947 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TnlADE2CUGs

Leonore Overture No. 2, Op. 72a - YouTube
(1954 Live) Berliner Philharmoniker Wilhelm Furtwangler
https://www.youtube.com/watch?v=VTTqcKI98-8

Wilhelm Furtwangler Coriolan, overture - YouTube
Live recording; Berlin, on 27 July 1943
https://www.youtube.com/watch?v=QoultibNlus


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c56

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
57. 中川隆[-13071] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:30:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-173]

序曲

Weber - Oberon - Leningrad - Mravinsky 1978 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0w8KI7sVx2k

Weber, Ouvertüre zu 'Der Freischütz', Furtwangler 1954(pseudo-stereo) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bs0WfMA5sto

Weber, Ouverture zu 'Euryanthe', Furtwangler 1954(pseudo-stereo) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=E1TPPCNFr9Y

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schubert Rosamunde Overture (Furtwangler) - YouTube
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler Live Recording, September 15, 1953
https://www.youtube.com/watch?v=GlbPgRDoSkc&list=RDGlbPgRDoSkc&start_radio=1

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Mendelssohn - A Midsummer Night's Dream Overture - Berlin - Furtwangler studio - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C38_LZp2n6E

Furtwangler - Mendelssohn Fingal's Cave - Overture Op.26 (1930) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=j1OV5Omci9k

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liszt Les Preludes, Furtwangler & VPO (1954) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ozNlrE-1KBs

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Schumann - Manfred Overture Op. 115 (1852) - Furtwangler, BPO, 1949 (Remastered 2012) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B9JW6lL4iMo

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c57

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
58. 中川隆[-13070] koaQ7Jey 2019年11月09日 12:31:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-172]

wagner Tannhauser - Overture - NBC Symphony Orchestra-Toscanini (1948) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D8Yq1CibSeI

Wagner - Overture to The Mastersingers of Nuremberg - Furtwangler BPO 1942 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FoU-iCT21fc

wagner Die Meistersinger von Nürnberg, Prelude, Schuricht (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=c4T9IeV0xJM

Wagner - Tristan und Isolde - Prelude and Liebestod (Furtwangler - Berlin Philharmonic,1942) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LQbORNavtbk

Wagner Parsifal Prelude Wilhelm Furtwangler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K5Fp8d2jZ8E

______


Brahms - Tragic Overture - Vienna - Knappertsbusch live - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3F55iz4WhkM

Academic Festival Overture, Op. 80 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vyiaLll7_D8

_____


Debussy - Prelude à l'après-midi d'un faune - Leningrad - Mravinsky - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9LpkGXLgPBo


という事で、序曲に関してはモーツァルトもブラームスも期待外れでしたね

ウェーバーやリストやシューマンの方が遥かに名曲でした

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c58

[近代史3] 沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」 中川隆
72. 中川隆[-13159] koaQ7Jey 2019年11月09日 13:14:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-261]
>>1 に追記




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c72
[議論31] 途上国より不幸な日本人。なぜ清潔で治安が良くモノが溢れる日本が世界幸福度18位なのか=鈴木傾城 てんさい(い)
9. 中川隆[-13194] koaQ7Jey 2019年11月09日 13:42:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-296]
>>8
嘘はよくないよ

真実は

イザベラ・バードの日本紀行 _ 不潔で苦難に満ちた動物以下の日本人の生活


2019-06-08
津田梅子の朝鮮人差別を「事実を指摘しただけだから差別じゃない」と言う人々
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/08/113701


■ 津田梅子の父親が語った「事実」

こちらの記事で、新五千円札の顔になる予定の津田梅子(津田塾大学創設者)が、父親から聞いた話を鵜呑みにして朝鮮人への差別意識にまみれた手紙を書いていたことを指摘した。

1883年に書かれた問題の手紙の内容は以下のようなものだ。[1]


 父が帰ってきました。二、三日前に、思ったより早く着いたのです。朝鮮についてとても興味深くおもしろい話をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。彼らの衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。(略)彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。……父が私に朝鮮について多くのことを話してくれました。あなたの記事のために、聞いたことを書いてまとめたいと思います。きっと、とても関心をもたれると思いますので、書いたら送ります。ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。(略)

この記事を公開すると、津田梅子が書いていることは「事実だから問題ない、差別じゃない」という趣旨のコメントが続々とやってきた。


差別ではなく事実を述べているだけ。
当時の欧米列強による白人至上主義や植民地が当たり前の時代に書かれた手紙の一部を現代人が差別だと騒ぎ立てるのは筋違い。李氏朝鮮時代の歴史をみれば、こういった表現になるのは仕方ない。


津田梅子の生年は元治元年1864年です!

明治中頃の朝鮮半島がどれだけ未開で不潔な、、、文化状態であったかご存知ですか?
彼女の言説は、単なる風聞のコピーではありません。

その後1910年統治を開始した頃に書かれた調査書にも、また外国人によって半島について書かれた書物にも、そのことは明記されています。不潔なこと、極端な女性差別など、当然の事実です。

津田女史の差別でもなんでもありません。
国会図書館にある書物、いま書名が出ないですが、ネットアクセスしていただきたいです。


この記事は逆差別的な考え方をしていると思う 津田梅子は差別しようと思って言ってるわけじゃなく、単にそういう国があるって聞いたと書いてるだけに思える 父から聞いたことが本当なら、朝鮮は酷い国って誰でも書くと思うしね

この頃は今みたいに、朝鮮に対する悪い先入観自体がなかったんでは? あれば今みたいに差別だとか言われるんだと思う


父親は自分の見た事実をただ書いてるだけじゃね?実際に当時の朝鮮は酷かったみたいだし
おなじように批判のコメントがたくさん来てるけどそれに対しての意見を書いた内容の記事待ってるネ(笑)

彼らの考えによれば、ある人々の暮らしが現実に不潔であったり悲惨なものであれば、それらの人々の属する国や民族をまるごと「動物の方がまし」「下劣」「野蛮人」「世界で最悪の国」などと罵倒しても問題はないし、それは差別ではないらしい。

「外国人によって半島について書かれた書物」といえば、代表作はイギリス人女性の旅行家イザベラ・バードによる『朝鮮紀行』だと思うが、ではその同じイザベラ・バードがちょうど同じ頃(1878年)に日本を旅したとき、日本の貧しい農村をどのように描写していたか[2]、見てみることにしよう。


■ 粗末な宿と粗野な現地人


 六時に大きな城下町である栃木に着きました。(略)栃木は粕壁よりさらにひどい町でした。わたしは日本国内の旅行をいっさいやめてしまおうかと思いました。(略)

宿屋はとても大きく、先に六〇人の客が到着していて部屋の選びようがなく、わたしは四方が襖ではなく障子で仕切られた部屋で満足しなければなりませんでした。緑色のかび臭い蚊帳は格好の蚤の巣で、その下にはベッドと浴槽と椅子をかろうじて置けるだけの広さしかありません。(略)

障子は穴だらけで、その穴のひとつずつからしょっちゅう人間の目がのぞきます。プライバシーは思い出すことすらご法度の贅沢品でした。障子の穴からたえず目がのぞいているうえ、宿の使用人はとても騒々しくて粗野で、なんの口実もなくしきりに部屋のなかを見にきます。(略)

わたしはキャンベル氏の言ったとおりだ、女ひとりで日本を旅行などすべきではないと思いはじめました。(P.133-134)

もうひとつ、これよりずっと重要でないとはいえよく話に出たのが、現地人の使用人には道中で金銭のやりとりがあるたびに「中間搾取」する習慣があり、使用人の腕と能力次第で旅行費用が二倍、ときには三倍になることが多いという問題です。あちこち旅行した経験のある三人の紳士がわたしの払うべき値段表をくれましたが、地方によってものの値段も異なり、旅行客の多い地域では大幅に高くなっています。(P.83-84)

■ 不潔で苦難に満ちた山村生活


 六月二五日、五十里いかりにて ―― 藤原には四六戸の農家と宿屋が一軒ありますが、どれも暗くてじめじめして汚くて隙間風の入る住居で、母屋と作業小屋と厩うまやがいっしょになっています。(略)わたしは座って手紙を書きはじめましたが、すぐさま縁側に逃げ出さざるをえなくなりました。浜飛び虫が砂浜から現れるように、蚤の大群が畳から飛び出してきたのです。しかも縁側でも手紙の上に飛び上がってきます。二面あるけばだった土壁の隙間にはなにやら虫が這っているし、むきだしの垂木からは蜘蛛の巣がぶらさがっています。畳は汚れと年代で茶色くなっており、米はかび臭くて洗い方が足りず、卵は古くて、お茶もかびの臭いがします。
(略)幼い子供たちはひもに下げたお守り以外なにも身につけていません。人も衣服も家も害虫でいっぱいで、不潔ということばが自立して勤勉な人々に対しても遣われるなら、ここの人々は不潔です。夜になるとわたしの部屋では甲虫、蜘蛛、わらじ虫が、宴会を繰り広げます。それに同じ家屋に馬がいるので、馬が馬蝿を持ち込みます。わたしの携帯用寝台には防虫剤をまきましたが、毛布が少しでも床につくと、もう蚤にやられて眠れなくなります。とても長い夜でした。行灯が消えると、油の鼻をつく臭いがします。(略)(P.199-201)


(略)横川では茶屋に数えきれないほどいる蚤を避け、通りでほぼ住民全員に輪になって囲まれながらお昼を食べました。(略)人々はことばにならないほど汚くて不潔です。貧しいのにどうしてここまで「子だくさん」なの? ぞろぞろといる礼儀正しくておとなびた裸の子供たちを見ると、そう訊きたくなります。この子供たちも生まれながらにつらい労働を受け継ぎ、親と同じように害虫に食われ、税の重みに苦しむのです。(略)
(略)
 宿屋はとにかくひどいものでした。台所には大きな薪の燃えている溝があり、目と鼻のちくちくする煙が充満しています。わたしの部屋は傷んだ障子でこの台所と仕切ってあるだけで、煙から逃れられません。垂木は煤と湿気で黒く光っています。(略)
 食べられるものは黒い豆とゆでたきゅうりしかありませんでした。部屋は案の定、暗くて汚く、みすぼらしくて騒々しく、下水の臭いがします。田植えが終わると二日間の休みがあり、稲作農家の守り神である稲荷に多くの捧げ物がなされます。そして休みとなった人々は夜を徹して浮かれ騒ぎ、大太鼓や小太鼓をたえず打ち鳴らすので、とても眠れるものではありません。
 (略)押し合いへし合いしている人々のうち、父親や母親は皮膚病にかかったり、頭にやけどをしたり、白癬を持っていたりする裸の子供を抱いており、娘たちはほとんど目の見えない母親の手を引いています。ひどい傷を見せている男性もいれば、眼炎でふさがりかけた目に蝿をたからせている子供もいます。具合の悪い者も健康な者も、全員が実に「劣悪な衣服」を身につけており、嘆かわしいほど汚なく、害虫だらけで、病人は薬を求め、健康な者は病人を連れているか、無感動な好奇心を満足させようとしています。(略)
(略)
 ここの人々は下着をつけず、めったに洗わない服はぼろぼろになるまで昼も夜も着通しです。(略)畳はまずまずきれいな表面の下に害虫が群れになって棲んでおり、またほこり、有機物などなどの受け皿となっています。髪は整髪油がついており、週に一度結い直しますが、このあたりではそれより回数が少なく、その結果がどれほど嘆かわしいものであるか、細かく記す必要はないでしょう。(略)人々、とくに子供の体は害虫がたかっており、皮膚病の原因のひとつがこの害虫による炎症です。(略)飲み水を汲む井戸は家々の密集したまんなかにあり、汚染されているのは確実でしょう。屋内の非衛生的な構造がじかに影響しているとも考えられますし、あるいは腐敗進行中の有機物が詰まっている外の溝から土に浸透しているとも考えられます。(略)
(略)既婚婦人は若いころなどなかったように見え、肌はまさになめし革のようです。川島でカラシマ氏が五〇歳くらいに見える宿のあるじの妻においくつですかと(日本では礼儀にかなった質問)尋ねると、二二歳だという答えが返ってきました。このように驚かされたことはほかにいくつもあります。(略)(P.210-216)


 この地方の村々はホザワ[宝坂?]と栄山で不潔さの極みに達したにちがいないとわたしには思えます。鶏、犬、馬、人間が薪をたいた煙で黒くなった粗末な平屋にいっしょくたに暮らしており、山になった家畜の糞尿が井戸に流れ込んでいます。幼い男の子で着物を着ているのはひとりもいません。ふんどし以外になにか身につけている男性はわずかで、女性は上半身裸のうえ、着ているものはとても汚く、ただただ習慣で着ているにすぎません。おとなたちは体じゅう虫にかまれた跡が炎症を起こしており、子供たちは皮膚病にかかっています。家屋は汚く、正座したりうつ伏せに寝ているときの人々は未開人とたいして変わらなく見えます。風体と慎みに欠ける習慣にはぞっとするばかりですが、後者に関しては、これまでわたしが交わった何カ国かの未開の人々と大いに不利な対比を成しています。(略)彼らは丁重で、親切で、勤勉で、大悪事とは無縁です。とはいえわたしが日本人と交わした会話や見たことから判断すると、基本的な道徳観念はとても低く、暮らしぶりは誠実でも純粋でもないのです。 (P.236-237)

■ 奴隷同然の「嫁」


(略)家によっては租父母、父母、長男夫婦とその子供、それにひとりふたりの姉妹とその夫に子供と四家族住んでいることもあります。長男は家屋と土地を受け継ぎ、ほぼ必ず妻を自分の父親の家に連れてきます。妻は多くの場合義理の母親にとって奴隷同然の存在となります。厳格なしきたりにより、嫁は自分の血縁を文字どおり捨て、「子としての義務」は夫の母親に対するものへと移行します。夫の母親は往々にして嫁を嫌い、息子夫婦に子供ができないと、息子に妻を離縁するようそそのかします。わたしの泊まった宿の妻女も嫁と離婚するよう息子を説き伏せました。そしてその理由は嫁が怠け者だからという程度のものなのです。(P.305-306)

■ 「ぞっとするほどひどい」日本食


 「食料問題」はどの旅行者にとってもいちばん肝心な問題だということで、わたしの旅行のみならず、なにかにつけ驚くほどの熱意をこめて意見がかわされます。(略)外国の公使も教授も宣教師も商人も、だれもが死活問題であるかのように真剣に論じます。そして多くの人にとっては本当に生死にかかわる問題であるようです。(略)また米、お茶、卵を常食とし、ときおり新鮮ではあっても味のない野菜をそれに加えることができないかぎり、食料を携行しなければなりません。魚と野菜を使った「日本食」はぞっとするほどひどいもので、食べられる人は少なく、それも長いあいだ練習を積んだすえのことなのです。(P.83)


 野菜の種類は無限にあるが、大きな例外ひとつをのぞき、あとはきわめて無味である。(略)最後まで残しておいたのはすぐれた野菜、かの名高い大根であるが、これには旅行者も居留者も外国人はみんな悩まされる。(略)大根は下層階級によってどこででも栽培されて使われており、味のしない食べ物にこれで風味をあたえる。(略)これを軽く干してから米ぬかとともに塩水に漬ける。大根は多孔質で、寝かせてある三カ月のあいだに大量の漬け汁を吸収し、その結果、それを食べているときは同じ家のなかにいるのも困難なほどの悪臭を放つようになる。わたしの知る悪臭のなかで、これよりひどいのはスカンクくらいのものである!
(略)
 スープのうち中流階級の飲む主なものは味噌汁、卵汁、澄まし汁である。澄まし汁には水に塩を加えたものと醤油を加えたものの二種類ある。下層階級ではいろいろな種類があるが、その多くは汚れた水に塩をひとつまみ加えたような味がして、さいころに切った豆腐、干魚、生いかなどが入っている。あるスープは黒い液体のなかに革のような舌触りの干した巻き貝が入っており、大半のスープは聖書に話される「忌まわしいものの煮出し汁」という文句がぴったりである。卵汁はふつう外国人の口にもどうにか合う。(略)
(略)
 すべてを網羅したとはとうてい言えないこの拙文から、「裕福な」日本人の料理がみすぼらしいどころかその反対であることがおわかりになろうが、それでも日本人のごちそうには外国人には合わないところがあり、どのイギリス人も長い体験を経てはじめて、情けない顔をせずに日本食を飲み込めるようになる。貧しい階層の食事は粗末で栄養に乏しく、味も見かけもひどい。また食事をおいしくするためにとるソースや漬物の量は消化器官にとても有害である。(略)(P.289-298)

■「事実」の記載と差別の違い

以上、世界中を旅した高名な旅行家による客観的な記述を読めば、津田梅子記事に前記のようなコメントを寄せた人々は、当然当時の日本と日本人も「動物の方がまし」「下劣」「野蛮人」「世界で最悪の国」などと罵倒されて当然だし、それは事実を述べただけで差別ではないと認めるはずだ。いや、認めないなどとは言わせない。

一応種明かしをしておくと、朝鮮にせよ日本にせよ、不潔で粗野な生活は何より貧困と教育の欠如によるものだし、大根(沢庵漬け)の話などを見れば、食に対する評価には文化の違いによるバイアスが大きく影響していることが分かるだろう。

そうした表面的な「事実」を、相手の人種や民族といった生来の属性に結びつけて蔑視することを差別と言うのだ。

こんな当たり前のことが、ウヨい人たちには分からないのである。

[1] 高橋裕子 『津田梅子の社会史』 玉川大学出版部 2002年 P.188-189
[2] 『イザベラ・バードの日本紀行(上)』 講談社学術文庫 2008年

http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/08/113701  

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/705.html#c9

[近代史3] 沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」 中川隆
73. 中川隆[-13304] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:07:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-406]

2019年11月09日
首里城出火原因はタコ足配線? 延長コードや配線からショート


延長コードのショートがきっかけだった可能性が高まっている


画像引用:首里城正殿の“延長コード”30以上の細切れ・・・溶けた痕(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュースhttps://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20191107-00000061-jnn-soci

分電盤がショートし出火

10月31日に焼失した首里城の出火場所は分電盤と特定されたが、出火原因はタコ足配線である可能性が高まった。

最初に火災報知器が作動し警備員が煙を目撃した正殿1階北側の内側では、焼け焦げた分電盤が回収されている。

3日に分電盤にはショートした痕跡があると説明され、防犯カメラには出火時刻に配電盤付近から火花が飛ぶ様子が映っていた。



最初の説明で管理を県から委託されていた沖縄美ら島財団は、夜間は電源を停止しているので電源からの出火は考えられないと言っていた。

実際には正殿内の防犯カメラは夜中でも稼働していたし、照明LEDへの電源も焼けた分電盤から供給されていた。

分電盤から伸びていた延長コードには、溶けた跡が30か所以上見つかっている。


那覇市消防局は電気設備以外に火災原因になるものが見当たらず、そういう証言もないと記者会見で説明した。

つまり出火元はこの分電盤自身であり、外部からの侵入者がなにかをした可能性もほぼ排除されている。

マスコミは分電盤にショートの痕があったと報道したが、消防局は「焼けた痕」としか説明していない。


ショートのような焼け痕は分電盤に繋がる床下や壁の中の配線と、分電盤のコンセントに差し込まれた延長コードから見つかった。

延長コードは30本に細切れとなっていたと言い、経年による劣化や動物か噛んだなどの可能性もある。

焼けた痕がショートによるものか火災の熱で溶けたのかは、これから鑑定するとしている。

分電盤にトラブルの疑い

いずれにしても出火元はこの分電盤の疑いが強いが、美ら島財団は夜間は通電していないと否定していました。

30日夜9時半に自動的にブレーカーが落ちたので電気は供給されていなかったと言っていたが、その後防犯カメラとLED照明に電気が供給されていたのが分かった。

さらにその後首里城関係者が退出した時に、LED照明を消さなかったかも知れないと言っているのが分かった。


消防局によると、出火時に延長コードは通電状態にあったので、照明はついていた可能性が高い。

首里城を巡っては管理責任がたらい回しにされたあげく、最後は現場の警備員に押し付けていたと批判されている。

首里城は国の予算で国が再建し国が所有しているが、返還運動などがあって管理権限が沖縄県に移された。


実際に管理権限が委譲されたのは2019年2月からで、県は沖縄美ら島財団に管理業務を委託した。

沖縄美ら島財団は公園や水族館の管理をしていた団体で、大型の城や寺社を管理した経験はない。


美ら島財団も首里城を管理できずに首里城職員まかせにし、出火した深夜は警備会社(セコム)の警備員数名しかいなかった。

分電盤の延長コードが最初の火元だった疑いがもたれている

画像引用:首里城火災調査「灰の中で発掘」 金属も溶ける高温「唯一の痕跡」は | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラスhttps://www.okinawatimes.co.jp/articles/gallery/495199?ph=2

沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減で無責任 _ 3


ズタズタの延長コードの疑惑

沖縄美ら島財団は現場の実態を把握しておらず、最初の発表では「午前1時20分に警備員が巡回しセキュリティ装置作動」となっていた。

実際には正殿から最後に関係者が退出したのは「午後9時35分」で出火の5時間前だった。

正殿前広場では首里城祭の準備で計69人が照明などの設置作業をしていたが、正殿から電源をとっておらず1時5分に城内から出ていた。

この時午前1時5分ごろ、警備員は正殿のブレーカーを手動で切っていたので、出火時には防犯カメラにしか電気は使われていなかった。


消防の説明ではLED照明は業者が持ち込むような移動式らしく、許容量を超えた電流が流れた可能性がある。

調査の焦点は分電盤そのものから配線や延長コードに移り、過大な電流が流れてショートした疑いが強まっている。


一般家庭の電気火災で多いケースは、コンセントの埃や水でショートし出火する例が多い。

また延長コードやタップの許容量を超えた電流が流れる事で、延長コードがショートし出火する例がある。


市販の家庭用コードで許容量を超える照明につないでいたとしたら、それだけでショートの原因になったかも知れません。

室内で使用されている延長コードは椅子の下敷きなったりして、ショートしやすい状態になっている場合が多い。


また延長コード自体も数年で劣化するが、耐用年数を大幅に超えて使用されるのが常となっている。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#cbtm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c73

[近代史3] イタリア半島の人口史 中川隆
1. 中川隆[-13303] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:10:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-405]

2019年11月09日
長期にわたるローマ住民の遺伝的構成の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_21.html

 長期にわたるローマ住民の遺伝的構成の変遷に関する研究(Antonio et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。紀元前8世紀、ローマはイタリア半島の多くの都市国家の一つでした。1000年も経たないうちに、ローマは地中海全域を中心とする古代世界最大の帝国の首都となる大都市に成長しました。イタリア半島の一部として、ローマは独特な地理的位置を占めています。北はアルプス山脈により部分的に隔てられ、言語・文化・人々の移動にとって自然の障壁となります。またローマは、とくに青銅器時代の航海の大きな発展後は、地中海市周辺地域と密接につながるようになりました。ローマの歴史は広く研究されてきましたが、古代ローマの遺伝学的研究は限られています。

 本論文は、ローマの住民の遺伝的構成とその変遷の解明のため、ローマおよびイタリア中央部の29ヶ所の考古学的遺跡から127人の全ゲノムデータを生成しました。年代の推定は、直接的な放射性炭素年代測定法(33人)と考古学的文脈(94人)により得られました。DNAは内耳錐体骨の蝸牛部から抽出されました。内耳錐体骨には大量のDNAが含まれています。ゲノム規模解析の網羅率は平均1.05倍(0.4〜4.0倍)です。この個体群は時系列的には、中石器時代の狩猟採集民、新石器時代〜銅器時代農耕民、鉄器時代〜現代の個体群という遺伝的に異なる3クラスタに分類されます。

 より詳細な時代区分では、紀元前10000〜紀元前6000年頃となる中石器時代が3人、紀元前6000〜紀元前3500年頃となる新石器時代が10人、紀元前3500〜紀元前2300年頃となる銅器時代が3人、紀元前900〜紀元前27年となる鉄器時代が11人、紀元前27年〜紀元後300年となる帝政期が48人、紀元後300〜紀元後700年頃となる古代末期が24人、紀元後700〜紀元後1800年頃となる中世〜近世が28人、現代が50人です。なお、紀元前2300〜紀元前900年頃となる青銅器時代の標本はありません。

 歴史時代の個体群は、地中海およびヨーロッパの現代人集団(人口)と近似します。129人のうち最古の個体は紀元前10000〜紀元前7000年頃となる、中石器時代のアペニン山脈のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)狩猟採集民3人です。この3人は、同時代のヨーロッパの他地域の狩猟採集民(ヨーロッパ西部狩猟採集民、WHG)と遺伝的に近接しています。この3人はヘテロ接合性が近世イタリア中央部集団より30%低く、以前のWHGに関する推定と一致します。人口が少なく、遺伝的多様性が低かったことを反映しているのでしょう。この後、新石器時代にヘテロ接合性は急増し、その後は小さく増加していき、2000年前頃には現代人の水準に達します。

 ローマおよびイタリア中央部住民の最初の主要な遺伝的構成の変化は紀元前7000〜紀元前6000年頃に起き、新石器時代の開始と一致します。ヨーロッパの他地域の初期農耕民と同様に、イタリア中央部の新石器時代集団はアナトリア半島農耕民と遺伝的に近接しています。しかし、イタリア中央部新石器時代集団には、アナトリア半島北西部農耕民系統だけではなく、新石器時代イラン農耕民系統とコーカサス狩猟採集民系統(CHG)も少ないながら見られ、前者はやや高い割合になっています。これは、おもにアナトリア半島北西部系統を有する同時代のヨーロッパ中央部およびイベリア半島集団とは対照的です。さらに、新石器時代イタリア農耕民集団は、5%程度の在来狩猟採集民と、追加のコーカサス狩猟採集民系統(CHG)もしくは新石器時代イラン農耕民系統を有する95%程度のアナトリア半島もしくはギリシア北部新石器時代農耕民系統との混合としてモデル化できます。これらの知見は、ヨーロッパ中央部および西部と比較して、イタリアの新石器時代移行に関する異なるもしくは追加の集団を指摘します。後期新石器時代および銅器時代には、低い割合ながらWHG系統が次第に増加していき、同時期のヨーロッパ他地域と同じ傾向が見られます(関連記事)。これは、新石器時代にもWHG系統を高水準で有し続けた集団との混合を反映しているかもしれません。

 ローマおよびイタリア中央部住民の第二の主要な遺伝的構成の変化は紀元前2900〜紀元前900年頃に起きましたが、青銅器時代の標本が得られておらず、空白期間があるため、その正確な年代は特定できません。この期間に、主要な技術的発展により集団の移動性が増加しました。近東およびポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の戦車(チャリオット)と馬車の発展により、陸上での移動が可能となりました。また青銅器時代には航海技術が発展し、地中海全域の航海がより容易になって航海を促進し、後期青銅器時代と鉄器時代には、地中海を越えてギリシア・フェニキア(カルタゴ)植民地が拡大していきました。

 紀元前900〜紀元前200年となる共和政期を含む鉄器時代では11人のゲノムデータが得られました。鉄器時代の個体群の遺伝的構成は銅器時代と明らかに異なっており、草原地帯系統の追加と、新石器時代イラン農耕民系統の増加として解釈されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけて、イタリア中央部集団は、ポントス-カスピ海草原起源の遊牧民集団より30〜40%程度の遺伝的影響を受けたとモデル化でき、これはヨーロッパの多くの青銅器時代集団と類似しています。鉄器時代のイタリアの草原地帯関連系統の存在は、直接的な草原地帯起源集団の遺伝的影響ではなく、中間的集団との遺伝的交換を通じて起きた可能性があります。さらに、複数の起源集団が、鉄器時代以前の遺伝的構成の変化に、同時にまたはその後に影響を及ぼしたかもしれません。遅くとも紀元前900年までに、イタリア中央部集団は現代の地中海集団と遺伝的に近接し始めました。

 国家としてのローマの起源に関する直接的な歴史学的もしくは遺伝学的情報はありませんが、考古学的証拠からは、ローマは前期鉄器時代には近隣のエトルリア人やラテン人の諸勢力の間に位置する小規模な都市国家だった、と示唆されます。ローマとギリシアやフェニキア(カルタゴ)の植民地との接触は、象牙・琥珀・ダチョウの卵殻など地元では入手できない物質や、ライオンなど地元には存在しない動物のデザインからも明らかです。鉄器時代の11人はひじょうに多様な系統を示し、鉄器時代にイタリア中央部へ移住してきた複数の起源集団を示唆します。この11人のうち8人は銅器時代イタリア中央部集団と草原地帯関連集団(24〜38%)の混合としてモデル化できますが、他の3人には当てはまりません。この3人のうちラテン人の遺跡の2人は、在来集団と古代近東集団(最良のモデルは青銅器時代アルメニア集団もしくは鉄器時代アナトリア半島集団)との混合としてモデル化されます。エトルリア遺跡の1人は、顕著なアフリカ系統を有し、それは後期新石器時代モロッコ集団から53%程度の影響を受けている、とモデル化できます。

 これは、エトルリア人(3人)とラテン人(6人)の間のかなりの遺伝的異質性を示唆します。ただ、F統計(単一の多型を対象に、複数集団で検証する解析手法)では、以前もしくは同時代のあらゆる集団と共有するエトルリア人とラテン人のアレル(対立遺伝子)の間の顕著な遺伝的違いは見られませんでした。しかし、小規模な標本では微妙な遺伝的違いの検出には限界があります。先史時代の個体群とは対照的に、鉄器時代個体群は現代のヨーロッパおよび地中海の個体群と遺伝的に類似しており、イタリア中央部が交易・植民地・紛争の新たなネットワークを通じて遠距離共同体とますます接続するようになるにつれて、多様な系統を示します。

 紀元前509〜紀元前27年の共和政の後、ローマは帝政に移行します。本論文は、紀元前27年〜紀元後300年までを帝政期とし、その後は700年までを古代末期(関連記事)としています。ローマの海外拡大は、紀元前264〜紀元前146年のポエニ戦争に始まります。この拡大はその後300年の大半にわたって続き、ブリタニア・モロッコ・エジプト・アッシリアにまで及びました。ローマ市の人口は100万人を超え、ローマ帝国全体の人口は5000万〜9000万人と推定されています。ローマ帝国は、交易ネットワーク・新たな道路・軍事作戦・奴隷を通じて、人々の移動と相互作用を促進しました。ローマ帝国は、領域外のヨーロッパ北部・サハラ砂漠以南のアフリカ・インド・アジア全域との長距離交易も行ないました。これらの史料はよく残っていますが、その遺伝的影響についてはほとんど知られていません。

 帝政期48人の最も顕著な傾向は、地中海東部系統への移行と、ヨーロッパ西部系統の少ない個体群が存在することです。帝政期48人は遺伝的に、ギリシア・マルタ・キプロス・シリアなど現代の地中海および近東集団とほぼ重なります。この移行には新石器時代イラン農耕民系統の割合のさらなる増加が伴います。鉄器時代個体群と比較して、帝政期個体群は青銅器時代ヨルダン人とより多くのアレルを共有しており、青銅器時代レバノン人や鉄器時代イラン人と同様に、帝政期個体群では混合の顕著な遺伝子移入兆候が示されます。帝政期の個体群は、前代の集団と他集団との単純な混合としてモデル化されるよりも、まだ特定もしくは研究されていない起源集団を含む複雑な混合事象だった、と示唆されます。

 帝政期の48人に関しては多様な系統が明らかになり、おもに異なる5クラスタに分類されます。鉄器時代の11人のうち8人が分類されるヨーロッパクラスタには、帝政期の48人のうち2人しか分類されません。一方、約2/3となる31人は、地中海東部および中部クラスタに分類されます。約1/4となる13人は、帝政期よりも前には存在しない近東クラスタに分類されます。主成分分析では、このクラスタ内の一部はレバノンの同時代(紀元後240〜630年)の4人と重なります。さらに48人のうち2人は、アフリカ北部クラスタに分類され、アフリカ北部系統を30〜50%有するとモデル化できます。

 平均的な系統の移行と遺伝的構成における複雑さの増大は、ローマ帝国の地中海全体への領域拡大に続いています。これにより、ローマは地中海全体とつながりましたが、本論文のデータは、帝国内でも他地域より地中海東部からの遺伝的影響がかなり大きい、と示します。これは、考古学的記録とも一致します。ローマの碑文の言語は、ラテン語に次いでギリシア語が多く、アラム語やヘブライ語といったローマ帝国東部の言語も使われました。また、碑文に見える出生地も、移民が一般的に帝国東部出身と示しています。帝国東部となるギリシアやフリギアやシリアやエジプトの宗教施設もローマでは一般的でしたし、ヨーロッパ最古となる既知のシナゴーグはローマの港町であるオスティア(Ostia)にあります。

 一方、ローマと帝国西部との関係についての証拠も豊富に報告されています。たとえば、帝国拡大に続いて、新たな征服地からローマへと奴隷が連れて来られました。ローマはガリアとイベリア半島からワインやオリーブオイル、アフリカ北部西方から穀物や塩など大量の物資を輸入しました。しかし、地中海西部集団と強い遺伝的類似性を有する帝政期の個体は48人のうち2人だけで、帝国西部からの移民は比較的限定的だった、と示唆されます。この理由として、地中海西部よりも東部の方が人口密度は高い、ということが考えられます。アテナイ・アンティオキア・アレクサンドリアなど、帝国東部には大都市が存在しました。また、直接的な移民に加えて、東方系統は、ギリシア・フェニキア(およびカルタゴ)のローマ帝国拡大前の地中海全域への拡散により間接的にもたらされた、とも考えられます。

 ローマに到来する人や物資の大半は海上経由で、ローマの主要港の居住者はイソラサクラ(Isola Sacra)墓地に埋葬されました。本論文で分析対象となったイソラサクラ遺跡の9人は、近東系の遺伝的影響と個人間の多様性の両方を表しています。この9人のうち、4人は近東クラスタ、4人は地中海東部クラスタ、1人はヨーロッパクラスタに分類されます。酸素同位体分析では、この9人全員が地元育ちだと示され、ローマにおける多様な系統を有する人々の長期的居住が示唆されます。ただ本論文は、類似した同位体比の他地域出身の可能性も除外できない、とも指摘しています。

 本論文では紀元後300年頃からとされている古代末期に、ローマ帝国西方は衰退・崩壊していき、帝国の比重はローマからビザンティウム(コンスタンティノープル、イスタンブール)へと移っていきます。古代末期の24人の平均的な系統は近東系から現代のヨーロッパ中央部集団へと移行していきます。具体的には、帝政期の住民とバイエルンもしくは現代バスクの個体群からの後期帝政期個体群(38〜41%)との混合としてモデル化できます。ただ、ほとんどの同時代の古代集団のデータが欠如しているため、起源集団と混合の正確な識別は断定的に述べられません。

 こうした系統の変化は、近東クラスタの大幅な減少、地中海東部および中央部クラスタの維持、ヨーロッパクラスタの顕著な拡大に反映されています。この移行は、紛争や伝染病によるローマの人口の劇的な減少(100万人以上から10万人未満)により促進された、地中海東部との接触の減少と、ヨーロッパからの遺伝子流動により起きたかもしれません。以前にはローマへと集約されていた交易や統治のネットワークはコンスタンティノープルにおいて再編され、人々の移動に影響を及ぼしました。さらに、いわゆる大移動の時代には、ヨーロッパ北部からイタリア半島へと集団が到来し、イタリア半島を征服しました。こうした人口減少や人々の移動経路の変化が、古代末期におけるローマの遺伝的構成の変容をもたらした、と考えられます。

 帝政期におけるローマの高度な個人間の異質性は古代末期でも続きます。古代末期の個体群は、地中海東部および中央部とヨーロッパのクラスタにほぼ三等分されます。一方で、遺伝的にサルデーニャ人に類似している1個体と、現代ヨーロッパ人と重なる2個体も確認されました。古代末期にも続くローマの遺伝的多様性は、継続する地中海西部との交易や大移動とともに、帝国期の交易・移住・奴隷・征服を含むいくつかの起源の結果かもしれません。この時期のイタリア北部のランゴバルド人のゲノムはすでに解析されていますが(関連記事)、本論文は、ランゴバルド人の影響がローマに及んだ可能性を指摘しています。本論文で調査対象とされた、ランゴバルド人関連の装飾品の発見された墓地では、7人のうち5人がヨーロッパクラスタに分類され、先行する帝政期の集団と、イタリア北部のランゴバルド人関連墓地の個体群との混合としてモデル化できます。

 中世と近世のローマおよびイタリア中央部住民においては、主主成分分析ではヨーロッパ中央部および北部系統への移行が観察され、近東および地中海東部クラスタが消滅します。中世の集団はほぼ現代のイタリア中央部集団に重なります。中世と近世のおよびイタリア中央部住民は、ローマの古代末期集団とヨーロッパの追加集団の双方向の組み合わせとしてモデル化でき、ヨーロッパ中央部および北部の多くの集団を含む潜在的な起源が推定されます。その候補として、ハンガリーのランゴバルド人、イングランドのサクソン人、スウェーデンのヴァイキングなどが挙げられます。

 この移行は、中世のローマとヨーロッパ本土との間の関係の進展と一致します。ローマはヨーロッパ中央部および西部の大半にまたがる神聖ローマ帝国に組み込まれました。ノルマン人はフランス北部から多くの地域へと拡大し、その中にはシチリア島やイタリア半島南部も含まれ、1084年にローマは略奪されました。さらに、ローマは神聖ローマ帝国と時には敵対しつつ密接な関係を維持し、カトリック教会の中心的位置としてのローマの役割は、ヨーロッパ全体、さらにはヨーロッパを越えた地域からイタリアへの人々の流入をもたらしました。ローマおよびイタリア中央部住民の遺伝的構成の変化は

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/366/6466/708/F2.large.jpg


 イタリア中央部集団は、農耕を導入した新石器時代と、鉄器時代以前(銅器時代〜鉄器時代の間)の2回、遺伝的構成が大きく変化し、その後に現代の地中海集団と近似し始めました。過去3000年、帝政期における近東からの遺伝子流動や、古代末期以降のヨーロッパからの遺伝子流動は、ローマの政治的立場の変化を反映しています。さらに、各期間内で、個体群は近東・ヨーロッパ・アフリカ北部など多様な系統を示しました。これら高水準の系統多様性はローマ建国前に始まり、帝国の興亡を通じて続き、ヨーロッパと地中海の人々の遺伝的十字路としてのローマの地位を示しています。


参考文献:
Antonio ML. et al.(2019): Ancient Rome: A genetic crossroads of Europe and the Mediterranean. Science, 366, 6466, 708–714.
https://doi.org/10.1126/science.aay6826

https://sicambre.at.webry.info/201911/article_21.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/624.html#c1

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
59. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:39:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-440]

206名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:27:36.47ID:glD+LRwS

20年ほど前アメリカで、モーツァルトを聴くと「IQが上がる」「頭が良くなる」と話題になりました。

大学生を対象にしたテストで、モーツァルトを聴くと空間認知のスコアが上がるという研究結果が出たのです。

そのため、子どもにはモーツァルトを聴かせるべきだという説が大流行し、「モーツァルト効果(The Mozart Effect )」と呼ばれるようになりました。

しかしその後、他の研究者が再現しようとしたところ同じ結果は出ませんでした。
そして、この「噂」に終止符を打ったのは、モーツァルトの故郷であるオーストリアのウィーン大学が出した研究結果です。

2010年に発表された論文で、モーツァルトの音楽に特別な効果はないことがわかりました。


オーストリアのウィーンの研究者は、単にモーツァルトの音楽を聞くだけで、特定の認知機能強化があるという、
いわゆる「モーツァルト効果」にはエビデンスがない、という明確な結果を示した。〜ScienceDaily

というわけで、モーツァルト効果は単なる「言い伝え」となったのです。
ではなぜ、日本では今でもこのテーマが話題になるのでしょうか? 
簡単に言えば、本やCDの宣伝効果があるからでしょう。

210名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:31:30.97ID:Qcd/gKbL

> >
> > > > 序曲のランキングは
> > > >
> > > > ベートーヴェン >> ヘンデル >> ワーグナー >> グルック >> ドビュッシー >> ウェーバー >> シューマン >> メンデルスゾーン >> モーツァルト >> シューベルト >> リスト
> > > >
> > > > かな。 モーツァルトのオペラは名作でも序曲は大した事ない:
> > > >
> > > >
> > > ↑
これが、ブラームスとかベートーベンみたいな偽物かつぎ上げるゴミ脳の言葉!

211名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:32:04.27ID:glD+LRwS

モーツァルトは子供の音楽で、モーツァルト・ファンはIQ低いんだ

それで「モーツァルトは史上最高の天才」だとか、「モーツァルトを聴くと IQ が上がる」だとかすぐに信じてしまうんだな。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c59

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
60. 中川隆[-13355] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:57:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-457]
212名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:55:01.48ID:glD+LRwS

同じイタリアの作曲家でもモンテヴェルディの音楽とヴェルディやプッチーニの音楽が天と地ほで違う理由


ミラノとは北イタリアの厳しく寒い、霧の土地です。
ナポリやローマの地中海に面した温暖明媚な都会でもなければ海辺の町でもない。
そこにある空気はイタリア的というよりゲルマニアに近い。
https://womanlife.co.jp/topics/k-2734

イタリアでは一般的にミラノ、フィレンツェ、ヴェネチアがあるゾーンを北イタリア、
ローマの辺りを中央、ローマから下、ナポリ、シチリアのゾーンを南イタリアと言います。
イタリアは、南北に長い国なので場所によって気候や風習が大きく違います。
建物の雰囲気も南北では大きく違います。
イタリア人の中でも、「彼は南の人だから」とか「北の人だから」と会話に出てくるほど性格に違いがあり、
その違いは日本でいう東京と大阪の違い以上に顕著です。

南イタリア人は、まさに日本人がイメージするイタリア人像です。笑うのが大好き、ふざけるのが大好きです。
 
イタリア人は、家族や友達のつながりが強いのですが、南の人は特に強いつながりを持ちます。
また、近隣住民とのつながりも強く、家族のように振る舞います。
初めて会った人でもまるで旧友のように話し始めます。
それは、観光客であっても話し始めたら抱きしめてくれて旧友のように接してくれます。

北イタリアの人は、イタリア人のイメージと違い神経質で心配性な人が多いです。
友達や家族のつながりを大切にしながらも、自分の時間や空間を大切にします。働き者でもあります。

旅行で人とのふれあいを期待するなら南イタリア、建築物や芸術を楽しむ旅行には北イタリアが良いかもしれませんね。
個人的に仕事・住居・ショッピングは、北イタリア、食・バカンスは南イタリア
ただし、南イタリアの女性だけの旅はいろいろ注意も必要。女性のご旅行の際は2人以上での旅行にしてみては?

文:Maki.C(イタリア在住音楽家/翻訳家)
http://www.ryugakupress.com/2016/02/26/italian-4/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c60

[リバイバル3] イタリア人が「世界で最も健康な国ランキング」1位!! その理由はオリーブ油? 中川隆
2. 中川隆[-13354] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:58:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-456]

同じイタリアの作曲家でもモンテヴェルディの音楽とヴェルディやプッチーニの音楽が天と地ほで違う理由


ミラノとは北イタリアの厳しく寒い、霧の土地です。
ナポリやローマの地中海に面した温暖明媚な都会でもなければ海辺の町でもない。
そこにある空気はイタリア的というよりゲルマニアに近い。
https://womanlife.co.jp/topics/k-2734

イタリアでは一般的にミラノ、フィレンツェ、ヴェネチアがあるゾーンを北イタリア、
ローマの辺りを中央、ローマから下、ナポリ、シチリアのゾーンを南イタリアと言います。
イタリアは、南北に長い国なので場所によって気候や風習が大きく違います。
建物の雰囲気も南北では大きく違います。
イタリア人の中でも、「彼は南の人だから」とか「北の人だから」と会話に出てくるほど性格に違いがあり、
その違いは日本でいう東京と大阪の違い以上に顕著です。

南イタリア人は、まさに日本人がイメージするイタリア人像です。笑うのが大好き、ふざけるのが大好きです。
 
イタリア人は、家族や友達のつながりが強いのですが、南の人は特に強いつながりを持ちます。
また、近隣住民とのつながりも強く、家族のように振る舞います。
初めて会った人でもまるで旧友のように話し始めます。
それは、観光客であっても話し始めたら抱きしめてくれて旧友のように接してくれます。

北イタリアの人は、イタリア人のイメージと違い神経質で心配性な人が多いです。
友達や家族のつながりを大切にしながらも、自分の時間や空間を大切にします。働き者でもあります。

旅行で人とのふれあいを期待するなら南イタリア、建築物や芸術を楽しむ旅行には北イタリアが良いかもしれませんね。
個人的に仕事・住居・ショッピングは、北イタリア、食・バカンスは南イタリア
ただし、南イタリアの女性だけの旅はいろいろ注意も必要。女性のご旅行の際は2人以上での旅行にしてみては?

文:Maki.C(イタリア在住音楽家/翻訳家)
http://www.ryugakupress.com/2016/02/26/italian-4/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/972.html#c2

[リバイバル3] 幽玄の世界 _ モナリザは何故書き換えられたのか? 中川隆
13. 中川隆[-13353] koaQ7Jey 2019年11月09日 15:59:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-455]


同じイタリアの作曲家でもモンテヴェルディの音楽とヴェルディやプッチーニの音楽が天と地ほで違う理由


ミラノとは北イタリアの厳しく寒い、霧の土地です。
ナポリやローマの地中海に面した温暖明媚な都会でもなければ海辺の町でもない。
そこにある空気はイタリア的というよりゲルマニアに近い。
https://womanlife.co.jp/topics/k-2734

イタリアでは一般的にミラノ、フィレンツェ、ヴェネチアがあるゾーンを北イタリア、
ローマの辺りを中央、ローマから下、ナポリ、シチリアのゾーンを南イタリアと言います。
イタリアは、南北に長い国なので場所によって気候や風習が大きく違います。
建物の雰囲気も南北では大きく違います。
イタリア人の中でも、「彼は南の人だから」とか「北の人だから」と会話に出てくるほど性格に違いがあり、
その違いは日本でいう東京と大阪の違い以上に顕著です。

南イタリア人は、まさに日本人がイメージするイタリア人像です。笑うのが大好き、ふざけるのが大好きです。
 
イタリア人は、家族や友達のつながりが強いのですが、南の人は特に強いつながりを持ちます。
また、近隣住民とのつながりも強く、家族のように振る舞います。
初めて会った人でもまるで旧友のように話し始めます。
それは、観光客であっても話し始めたら抱きしめてくれて旧友のように接してくれます。

北イタリアの人は、イタリア人のイメージと違い神経質で心配性な人が多いです。
友達や家族のつながりを大切にしながらも、自分の時間や空間を大切にします。働き者でもあります。

旅行で人とのふれあいを期待するなら南イタリア、建築物や芸術を楽しむ旅行には北イタリアが良いかもしれませんね。
個人的に仕事・住居・ショッピングは、北イタリア、食・バカンスは南イタリア
ただし、南イタリアの女性だけの旅はいろいろ注意も必要。女性のご旅行の際は2人以上での旅行にしてみては?

文:Maki.C(イタリア在住音楽家/翻訳家)
http://www.ryugakupress.com/2016/02/26/italian-4/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/199.html#c13

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
61. 中川隆[-13370] koaQ7Jey 2019年11月09日 16:06:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-472]
イタリアの南北で分裂する!? 「イタリアの深刻な南北問題」
2018年2月メールマガジン
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/

Buon Giorno!
ボンジョルノ!
おはようございます!

フィレンツェ観光ガイドサービス&ブライダルフローレンス(海外挙式プランナー)
代表 片庭未芽(カタニワミメ)です。

2月後半に入りましたが、
イタリアはまだまだ寒い北風が吹く
寒い日が続いております。

なんと今週末は、
シベリアから寒波が入ってくるそうで、
フィレンツェでは滅多に降らない、雪の予報も。。。。!

さて、今日のメールマガジンのテーマは・・・・・

イタリアの南北で分裂する!? 
「イタリアの深刻な南北問題」

を取り上げてみました!

イタリアは日本と同じく、
南北に長い国土をしています。

日本と似ていて、周囲を地中海に囲まれています。
(日本は島国ですが、イタリアは半島です)

よくイタリア事情で耳にする
「南北問題」って聞いたことありますでしょうか?

簡単にいうと、

イタリアの北と南でかなりの
生活水準の格差があり
それが、分裂問題、または、人種差別

(地方差別というのが相応しいかもしれません)

にまで繋がっているのです。

特に、イタリアの本当の首都は
ローマですが・・・・

イタリアの経済の首都は
ミラノという、
北にあるイタリア経済を
支える大都市です。

ミラノに行くと、
イタリアンスーツをビシッと着て
ネクタイをしたビジネスマンが多く、
街も、とても綺麗。

特にファッション、モードの発祥地
と言われ、
ショッピング通りを歩いているだけで、
オシャレな「ミラノマダム」=セレブ
が闊歩しています。

(なんと釣れている犬まで
ヴィトンのリードをしていたり。。。。!!)

ミラノ、その近郊のトリノ、
自動車産業で有名なエミリアロマーニャ州などには、
イタリア全体を支えて行く
経済の街が集中しているのです。

ところが。。。。。

南イタリアを見てみましょう。

ローマは首都ではありますが、
経済としては

観光都市以外としては
特に際立ったものもなく、

街は、汚いし、盗難は多いし。。。。

さらにローマから南に行くと。。。

ナポリ、カラブリア、プーリア、シチリア。。。

ますます、「危険地区」とも言われる
ヤクザのアジトが多く存在する場所でもあります。

でも、外国人が考える

「陽気なイタリア人」
というイメージはまさに
南イタリアの人たちなのでは
ないでしょうか?

実は南イタリアでは
失業率が高く、
(働いていても、正式な契約ではなく、
全て、nero=黒い労働と言われて、
税金を払わない、日雇い労働)

物価は北イタリアよりも
安いのですが、
給料が安く、
(というか稼ぎがないので、生活もなかなか大変)

そのために、
若者は、南を拠点とする「ヤクザ」に
傾倒して行くので、
犯罪や薬物に染まって行く。。。

というのが南イタリアの状況なのです。。。。

結果、イタリアという国全体に何が起こるのかというと。。。

南イタリアの人は税金を払わないので、

(職が無いか、
Nero =税金無払いの職についているから)

結局、北イタリアの人が払っている高額な
税金は南にほとんどまわされる・・・・

= 北イタリアの労働者が重税に悩まされるが
それは、ほとんど、自分たちの街(北イタリア)には
反映されていない。

という悪循環が生まれるのです。。。。

実際、イタリアには、
LEGA NORD=北結束政党
というのが古くから存在し、
現在、かなり選挙では
有力だとも言われているのですが、
彼らのモットーは
「南北分裂」

「イタリアの北と南を分けよう!!」

そうすれば、

南イタリアに税金を回さずに、
北イタリア経済に恩恵をもたらすことができる
という目的を掲げているのです。。。

実際、北イタリア(特にミラノ)には、
南イタリアから移住した
住民が多いと言われます。

(南では、仕事がないので、
北に行って出稼ぎしているか、
そのまま、移住して、ミラノ生まれの子供達の世代が
今のミラノ人の中心となっている場合が多いのですが)

中でも、ミラノ言葉で
「sei proprio un mandarino」
「お前は、ミカンだね!」
という人を馬鹿にする言葉があります。

ミカン=南イタリアからくる果物:
南イタリア人のように、馬鹿だという意味

という、ひどい「人種差別と言っていい」
言葉があるくらいなのです。。。

やはり、ナポリ弁や、カラブリア弁を話していると
かなり学校でも馬鹿にされると言いますし。。。

ただ、イタリアは最近はもう、学校の中でも、
地方の差別というよりは、
外国人の生徒がかなり増えてきているので
そちらの差別の方がどうしても濃くはなっているようですが。。。

何年か前に、イタリア映画で
「benvenuto ai sud」=南へようこそ!

というお笑い系映画が流行りました。

北イタリアのエリートを目指していたサラリーマンが
突然、南イタリアに飛ばされるというストーリーで。。。

最初は、家族や周囲に、「死に別れ」当然のように見送られ、
防弾チョッキを着て、南に単身した主人公。

最初は、生活に慣れず、
南イタリアの方言も全く理解できず、
恐怖と不信感に悩まされ
1日も早くミラノへ帰りたいと
嘆きます。。。

ところが、徐々に、南イタリアの人々の
心の暖かさ、陽気さ、懐の深さ、
生活リズムのリラックス感

何よりも素晴らしい自然と美しい海、そして美味しい食事。。。など

に主人公は気がついていき、

結局は彼は南の素晴らしさを発見することになるという
ストーリーなのです。。。

イタリアというのは、
地方色がとても強い国だと思いますが、
それ全てを合わせて、
多種多様の民族が
昔から、混じり合い(古代ローマ帝国時代から)
お互いに共有し、影響しあい、発展してきた国です。

人って違うからこそ、「素晴らしい」と思いませんか?

イタリアという国の素晴らしさはそこにあると思います。

北から、南から「本当にイタリアという国は、行く街、
会う人、全然特徴が違う!」

だから何度訪れても興味深い国

:それがイタリアの良いところだと思っています。

来月の3月の選挙では、
このleganord レーガノルド :南北分裂を掲げている政党が
勝たないことを祈るばかりです。。。。
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c61

[リバイバル3] 幽玄の世界 _ モナリザは何故書き換えられたのか? 中川隆
14. 中川隆[-13369] koaQ7Jey 2019年11月09日 16:06:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-471]
イタリアの南北で分裂する!? 「イタリアの深刻な南北問題」
2018年2月メールマガジン
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/

Buon Giorno!
ボンジョルノ!
おはようございます!

フィレンツェ観光ガイドサービス&ブライダルフローレンス(海外挙式プランナー)
代表 片庭未芽(カタニワミメ)です。

2月後半に入りましたが、
イタリアはまだまだ寒い北風が吹く
寒い日が続いております。

なんと今週末は、
シベリアから寒波が入ってくるそうで、
フィレンツェでは滅多に降らない、雪の予報も。。。。!

さて、今日のメールマガジンのテーマは・・・・・

イタリアの南北で分裂する!? 
「イタリアの深刻な南北問題」

を取り上げてみました!

イタリアは日本と同じく、
南北に長い国土をしています。

日本と似ていて、周囲を地中海に囲まれています。
(日本は島国ですが、イタリアは半島です)

よくイタリア事情で耳にする
「南北問題」って聞いたことありますでしょうか?

簡単にいうと、

イタリアの北と南でかなりの
生活水準の格差があり
それが、分裂問題、または、人種差別

(地方差別というのが相応しいかもしれません)

にまで繋がっているのです。

特に、イタリアの本当の首都は
ローマですが・・・・

イタリアの経済の首都は
ミラノという、
北にあるイタリア経済を
支える大都市です。

ミラノに行くと、
イタリアンスーツをビシッと着て
ネクタイをしたビジネスマンが多く、
街も、とても綺麗。

特にファッション、モードの発祥地
と言われ、
ショッピング通りを歩いているだけで、
オシャレな「ミラノマダム」=セレブ
が闊歩しています。

(なんと釣れている犬まで
ヴィトンのリードをしていたり。。。。!!)

ミラノ、その近郊のトリノ、
自動車産業で有名なエミリアロマーニャ州などには、
イタリア全体を支えて行く
経済の街が集中しているのです。

ところが。。。。。

南イタリアを見てみましょう。

ローマは首都ではありますが、
経済としては

観光都市以外としては
特に際立ったものもなく、

街は、汚いし、盗難は多いし。。。。

さらにローマから南に行くと。。。

ナポリ、カラブリア、プーリア、シチリア。。。

ますます、「危険地区」とも言われる
ヤクザのアジトが多く存在する場所でもあります。

でも、外国人が考える

「陽気なイタリア人」
というイメージはまさに
南イタリアの人たちなのでは
ないでしょうか?

実は南イタリアでは
失業率が高く、
(働いていても、正式な契約ではなく、
全て、nero=黒い労働と言われて、
税金を払わない、日雇い労働)

物価は北イタリアよりも
安いのですが、
給料が安く、
(というか稼ぎがないので、生活もなかなか大変)

そのために、
若者は、南を拠点とする「ヤクザ」に
傾倒して行くので、
犯罪や薬物に染まって行く。。。

というのが南イタリアの状況なのです。。。。

結果、イタリアという国全体に何が起こるのかというと。。。

南イタリアの人は税金を払わないので、

(職が無いか、
Nero =税金無払いの職についているから)

結局、北イタリアの人が払っている高額な
税金は南にほとんどまわされる・・・・

= 北イタリアの労働者が重税に悩まされるが
それは、ほとんど、自分たちの街(北イタリア)には
反映されていない。

という悪循環が生まれるのです。。。。

実際、イタリアには、
LEGA NORD=北結束政党
というのが古くから存在し、
現在、かなり選挙では
有力だとも言われているのですが、
彼らのモットーは
「南北分裂」

「イタリアの北と南を分けよう!!」

そうすれば、

南イタリアに税金を回さずに、
北イタリア経済に恩恵をもたらすことができる
という目的を掲げているのです。。。

実際、北イタリア(特にミラノ)には、
南イタリアから移住した
住民が多いと言われます。

(南では、仕事がないので、
北に行って出稼ぎしているか、
そのまま、移住して、ミラノ生まれの子供達の世代が
今のミラノ人の中心となっている場合が多いのですが)

中でも、ミラノ言葉で
「sei proprio un mandarino」
「お前は、ミカンだね!」
という人を馬鹿にする言葉があります。

ミカン=南イタリアからくる果物:
南イタリア人のように、馬鹿だという意味

という、ひどい「人種差別と言っていい」
言葉があるくらいなのです。。。

やはり、ナポリ弁や、カラブリア弁を話していると
かなり学校でも馬鹿にされると言いますし。。。

ただ、イタリアは最近はもう、学校の中でも、
地方の差別というよりは、
外国人の生徒がかなり増えてきているので
そちらの差別の方がどうしても濃くはなっているようですが。。。

何年か前に、イタリア映画で
「benvenuto ai sud」=南へようこそ!

というお笑い系映画が流行りました。

北イタリアのエリートを目指していたサラリーマンが
突然、南イタリアに飛ばされるというストーリーで。。。

最初は、家族や周囲に、「死に別れ」当然のように見送られ、
防弾チョッキを着て、南に単身した主人公。

最初は、生活に慣れず、
南イタリアの方言も全く理解できず、
恐怖と不信感に悩まされ
1日も早くミラノへ帰りたいと
嘆きます。。。

ところが、徐々に、南イタリアの人々の
心の暖かさ、陽気さ、懐の深さ、
生活リズムのリラックス感

何よりも素晴らしい自然と美しい海、そして美味しい食事。。。など

に主人公は気がついていき、

結局は彼は南の素晴らしさを発見することになるという
ストーリーなのです。。。

イタリアというのは、
地方色がとても強い国だと思いますが、
それ全てを合わせて、
多種多様の民族が
昔から、混じり合い(古代ローマ帝国時代から)
お互いに共有し、影響しあい、発展してきた国です。

人って違うからこそ、「素晴らしい」と思いませんか?

イタリアという国の素晴らしさはそこにあると思います。

北から、南から「本当にイタリアという国は、行く街、
会う人、全然特徴が違う!」

だから何度訪れても興味深い国

:それがイタリアの良いところだと思っています。

来月の3月の選挙では、
このleganord レーガノルド :南北分裂を掲げている政党が
勝たないことを祈るばかりです。。。。
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/199.html#c14

[リバイバル3] イタリア人が「世界で最も健康な国ランキング」1位!! その理由はオリーブ油? 中川隆
3. 中川隆[-13368] koaQ7Jey 2019年11月09日 16:07:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-470]
イタリアの南北で分裂する!? 「イタリアの深刻な南北問題」
2018年2月メールマガジン
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/

Buon Giorno!
ボンジョルノ!
おはようございます!

フィレンツェ観光ガイドサービス&ブライダルフローレンス(海外挙式プランナー)
代表 片庭未芽(カタニワミメ)です。

2月後半に入りましたが、
イタリアはまだまだ寒い北風が吹く
寒い日が続いております。

なんと今週末は、
シベリアから寒波が入ってくるそうで、
フィレンツェでは滅多に降らない、雪の予報も。。。。!

さて、今日のメールマガジンのテーマは・・・・・

イタリアの南北で分裂する!? 
「イタリアの深刻な南北問題」

を取り上げてみました!

イタリアは日本と同じく、
南北に長い国土をしています。

日本と似ていて、周囲を地中海に囲まれています。
(日本は島国ですが、イタリアは半島です)

よくイタリア事情で耳にする
「南北問題」って聞いたことありますでしょうか?

簡単にいうと、

イタリアの北と南でかなりの
生活水準の格差があり
それが、分裂問題、または、人種差別

(地方差別というのが相応しいかもしれません)

にまで繋がっているのです。

特に、イタリアの本当の首都は
ローマですが・・・・

イタリアの経済の首都は
ミラノという、
北にあるイタリア経済を
支える大都市です。

ミラノに行くと、
イタリアンスーツをビシッと着て
ネクタイをしたビジネスマンが多く、
街も、とても綺麗。

特にファッション、モードの発祥地
と言われ、
ショッピング通りを歩いているだけで、
オシャレな「ミラノマダム」=セレブ
が闊歩しています。

(なんと釣れている犬まで
ヴィトンのリードをしていたり。。。。!!)

ミラノ、その近郊のトリノ、
自動車産業で有名なエミリアロマーニャ州などには、
イタリア全体を支えて行く
経済の街が集中しているのです。

ところが。。。。。

南イタリアを見てみましょう。

ローマは首都ではありますが、
経済としては

観光都市以外としては
特に際立ったものもなく、

街は、汚いし、盗難は多いし。。。。

さらにローマから南に行くと。。。

ナポリ、カラブリア、プーリア、シチリア。。。

ますます、「危険地区」とも言われる
ヤクザのアジトが多く存在する場所でもあります。

でも、外国人が考える

「陽気なイタリア人」
というイメージはまさに
南イタリアの人たちなのでは
ないでしょうか?

実は南イタリアでは
失業率が高く、
(働いていても、正式な契約ではなく、
全て、nero=黒い労働と言われて、
税金を払わない、日雇い労働)

物価は北イタリアよりも
安いのですが、
給料が安く、
(というか稼ぎがないので、生活もなかなか大変)

そのために、
若者は、南を拠点とする「ヤクザ」に
傾倒して行くので、
犯罪や薬物に染まって行く。。。

というのが南イタリアの状況なのです。。。。

結果、イタリアという国全体に何が起こるのかというと。。。

南イタリアの人は税金を払わないので、

(職が無いか、
Nero =税金無払いの職についているから)

結局、北イタリアの人が払っている高額な
税金は南にほとんどまわされる・・・・

= 北イタリアの労働者が重税に悩まされるが
それは、ほとんど、自分たちの街(北イタリア)には
反映されていない。

という悪循環が生まれるのです。。。。

実際、イタリアには、
LEGA NORD=北結束政党
というのが古くから存在し、
現在、かなり選挙では
有力だとも言われているのですが、
彼らのモットーは
「南北分裂」

「イタリアの北と南を分けよう!!」

そうすれば、

南イタリアに税金を回さずに、
北イタリア経済に恩恵をもたらすことができる
という目的を掲げているのです。。。

実際、北イタリア(特にミラノ)には、
南イタリアから移住した
住民が多いと言われます。

(南では、仕事がないので、
北に行って出稼ぎしているか、
そのまま、移住して、ミラノ生まれの子供達の世代が
今のミラノ人の中心となっている場合が多いのですが)

中でも、ミラノ言葉で
「sei proprio un mandarino」
「お前は、ミカンだね!」
という人を馬鹿にする言葉があります。

ミカン=南イタリアからくる果物:
南イタリア人のように、馬鹿だという意味

という、ひどい「人種差別と言っていい」
言葉があるくらいなのです。。。

やはり、ナポリ弁や、カラブリア弁を話していると
かなり学校でも馬鹿にされると言いますし。。。

ただ、イタリアは最近はもう、学校の中でも、
地方の差別というよりは、
外国人の生徒がかなり増えてきているので
そちらの差別の方がどうしても濃くはなっているようですが。。。

何年か前に、イタリア映画で
「benvenuto ai sud」=南へようこそ!

というお笑い系映画が流行りました。

北イタリアのエリートを目指していたサラリーマンが
突然、南イタリアに飛ばされるというストーリーで。。。

最初は、家族や周囲に、「死に別れ」当然のように見送られ、
防弾チョッキを着て、南に単身した主人公。

最初は、生活に慣れず、
南イタリアの方言も全く理解できず、
恐怖と不信感に悩まされ
1日も早くミラノへ帰りたいと
嘆きます。。。

ところが、徐々に、南イタリアの人々の
心の暖かさ、陽気さ、懐の深さ、
生活リズムのリラックス感

何よりも素晴らしい自然と美しい海、そして美味しい食事。。。など

に主人公は気がついていき、

結局は彼は南の素晴らしさを発見することになるという
ストーリーなのです。。。

イタリアというのは、
地方色がとても強い国だと思いますが、
それ全てを合わせて、
多種多様の民族が
昔から、混じり合い(古代ローマ帝国時代から)
お互いに共有し、影響しあい、発展してきた国です。

人って違うからこそ、「素晴らしい」と思いませんか?

イタリアという国の素晴らしさはそこにあると思います。

北から、南から「本当にイタリアという国は、行く街、
会う人、全然特徴が違う!」

だから何度訪れても興味深い国

:それがイタリアの良いところだと思っています。

来月の3月の選挙では、
このleganord レーガノルド :南北分裂を掲げている政党が
勝たないことを祈るばかりです。。。。
https://guideassociation.com/mailmagazine/post-4028/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/972.html#c3

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
62. 中川隆[-13457] koaQ7Jey 2019年11月09日 17:20:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-559]

215名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 15:59:48.23ID:Qcd/gKbL

>>214

> > > モーツァルトは子供の音楽で、モーツァルト・ファンはIQ低いんだ
> > >
> > > それで「モーツァルトは史上最高の天才」だとか、「モーツァルト効果」のデマをすぐに信じてしまうんだな。
> >
> > ↑
ブラームスやベートーベン聞く奴の知性レベルが解るコメントですな!

217名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 16:35:47.00ID:glD+LRwS

お子様には未成年のアイドルの歌う流行歌とモーツァルトが合ってるんだよな

218名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 16:48:27.62ID:Qcd/gKbL

> お子様には未成年のアイドルの歌う流行歌とモーツァルトが合ってるんだよな


だよな!だよな!
このモーツァルト判らんスレッド最高!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c62

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
63. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2019年11月09日 19:58:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-738]

231名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 19:42:51.99ID:glD+LRwS

Brahms orch. Schoenberg Piano Quartet No. 1 in G minor Op. 25 (1861 orch. 1937) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZAhrIt6Rd0I

Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.

____

Brahms orch. Edmund Rubbra Variations & Fugue on a theme by Handel Op. 24 (1861 orch. 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OXHjZI6tWZw

Originally composed for solo piano.
Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.

232名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 19:45:05.44ID:glD+LRwS

ブラームス/シェーンベルク ピアノ四重奏曲第1番 - YouTube
サイモン・ラトル指揮BPO
https://www.youtube.com/watch?v=xANZT4GdyMg
https://www.youtube.com/watch?v=Yppkz1DQFsw
https://www.youtube.com/watch?v=wLOpvIiu09g
https://www.youtube.com/watch?v=225xKAM9McM

233名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 19:49:48.94ID:glD+LRwS

シェーンベルグ編曲より原曲の方が遥かにいいというのが何かなー


Piano Quartet No. 1 in G Minor, Op. 25 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H47HIgpeNfE
https://www.youtube.com/watch?v=6zort-YrOqM
https://www.youtube.com/watch?v=C-ZhWhF-itc
https://www.youtube.com/watch?v=wqORoyQ3mgA

Artist: Adolf Busch
Artist: Hugo Gottesmann
Artist: Herman Busch
Artist: Rudolf Serkin



▲△▽▼


ブラームスの「交響曲第5番」?

ナチス政権の成立によってドイツを追われることとなったシェーンベルクは、パリを経てアメリカに亡命する。その地でシェーンベルクはオーケストラ作品への編曲を幾つか手がけるが、その一曲にブラームスが若かりし頃に書いたピアノ四重奏曲もあった。

シェーンベルクは出来上がったこの編曲に大変満足し、聴衆からも高い評価も獲得する。中には「ブラームスの交響曲第5番」というものまであった。しかし、実際のこの曲はブラームスが決して自らの交響曲に使わなかった楽器や特殊奏法のオンパレードであり、そして何より、ジプシー音楽的な情熱をそのまま表現した音楽それ自体、ブラームスが決して交響曲の題材に選ばなかったものである。

そのことを考えると、この編曲をブラームスの交響曲第5番と呼ぶことは、やはりあまり適当なこととは言えない。しかし、一つ視点を変えてみると、また違った様相が見えてくる時がある。

シェーンベルクはウィーンで正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれた。しかし宗教的には自由な環境で育つ。1898年、24歳の時にプロテスタントに改宗する。同化ユダヤ人となってウィーンでの社会的地位を改善するためであったが、ウィーンで勢力の強いカトリックは選択しなかった。その後、シェーンベルクはウィーンやドイツ・ベルリンで活動を続ける。しかしユダヤ的なものへのこだわりはシェーンベルクの中でくすぶり続け、「ドイツ人」を追われた1933年、亡命の経由地パリでユダヤ教に改宗する。

しかし、ドイツ時代のシェーンベルクは、自分を偉大なドイツ音楽の継承者だと信じて疑わなかった。このことは次の言葉からも推し量る事ができよう。「ドイツ民族の魂から生まれた、外国の影響を全く受けていない私の音楽は、ラテンやスラヴ民族の覇権の期待に最も効果的に対抗し得る芸術の実例である。」(1931年、エッセイ「国民音楽」より。)偉大なドイツ音楽の伝統を受け継いだその自分を放り出したナチスに対して、シェーンベルクは憤懣やるかたないことだったろう。アメリカの地で、シェーンベルクは快適な環境を容易には見つける事ができずにいた。ましてや、ヨーロッパで苦労の末獲得した作曲家としての名声や尊敬など、ここ新世界アメリカでは御伽噺でしかなかい。

そんな中での「ブラームスの交響曲第5番」という言葉は、例えそれが編曲に対しての言葉であっとしても(アメリカの聴衆にはこの作品のメロディがブラームスのものだと気付かない者もいたが)、シェーンベルクは決して悪い気はしなかったであろう。

その昔、ブラームスの交響曲第1番は初演された当時「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれた。偉大なベートーヴェンの伝統を受け継ぐもの、という意味を込めてである。これを踏まえると、シェーンベルクはここにおいて、ベートーヴェン−ブラームスと続くドイツ音楽の系譜の中に位置付けられる存在となったのである。そしてこの編曲以降、シェーンベルクの作品には《コル・ニドレ》や《ワルシャワの生き残り》《現代詩編》など、ユダヤ的な作品がより目立った位置を占めるようになる。このブラームスのピアノ四重奏曲の編曲は、シェーンベルクのドイツ的なものからユダヤ的なものへの転回点の時期に位置する作品であるといえるかもしれない。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-sinphonie-5

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ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 シェーンベルク編曲版
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet

〈未完成〉との間を繋ぐ鍵としての『ハンガリー・ジプシーの音楽』

1828年に31歳で早世したシューベルトと、5年後の1833年に生れたブラームス。その接点が、1880年代にブライトコプフ社が刊行したシューベルト全集で、ブラームスが交響曲の巻の編纂を担当したことにあるのは拙著『交響曲の名曲・1』で述べたとおりだ。しかし1822年前後に作曲されたまま眠り続け1865年に初演された〈未完成〉と、それより前の1861年に完成・初演されたブラームスの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉との関係をひもとくのは一筋縄ではいかない。鍵は『ハンガリー・ジプシーの音楽』にある。

以前ハンガリーの指揮者I.フィッシャーがN響に客演して『ハンガリー音楽特集』を指揮した際に〈未完成〉が入っていたので、その理由について質問を受けたことがある。しかし、これは音楽映画『未完成交響楽』をご存じの世代には説明を要しないことであろう。そこではハンガリーの貴族エスタルハージ家の令嬢との恋の破局が、第3楽章以下を破棄させた原因として描かれていたからだ。史実を自由に取捨選択してロマンティックなフィクションを創作した古典的音楽映画にクレームをつけるなら、例えば、最晩年に作曲されることになる〈菩提樹〉が既に歌われている等、幾らでもできるが、シューベルトが高名な貴族の音楽教師として雇われてハンガリーのツェレスに赴いたのは事実(但し令嬢は、まだ12歳だったのだけれども)。そして〈未完成〉にハンガリー・ジプシーの音楽を思わせる主題が登場するのも明らかなのだ。

第1楽章が始まって直ぐオーボエとクラリネットがユニゾンで吹く主題@がそれ(以下ジプシー関係の譜例は、比較し易いようにイ短調に移調してある)。ついでに言うと、こうした単旋律を木管で呈示する場合、普通は一つの楽器のソロの方が推奨される。違う楽器2本のユニゾンだと音程が合いにくいからだが、シューベルトが敢えてリスクを犯したのはハンガリー・ジプシーの使う木管楽器の土臭い音色を、ダブル・リードのオーボエとシングル・リードのクラという異種の混合色で真似しようという意図があったからだという説もある。

brahms pq fig01

Aがハンガリー・ジプシーの短音階とされるものだが、@の↓のミ♭あたりが、クラシック音楽の一般的な短音階とは違って『こぶしを効かせた』感じとなる。これを半音高いミ・ナチュラルで演奏してみれば、この音が〈未完成〉の哀調を帯びた雰囲気の鍵を握っていることがお分かり頂けることだろう。

brahms pq fig02 03

ジプシー音楽はウィーンでも聴けたはずであり、シューベルトがツェレスで初めて接したということにはならないと思われるので、シューベルトの場合、時系列的な前後関係まで深追いしても意味はないが、ブラームスの場合は直接の伝授者がはっきりしている。17歳の時に知り合ったハンガリーからの亡命ヴァイオリニスト、レメーニだ。その成果が35歳の1868年に〈ハンガリー舞曲集〉として発表されたのはご存じのとおりだが、それより前に初演されて大成功を収めたハンガリー・ジプシー系の作品がある。それが他ならぬ、この〈ピアノ四重奏曲・第1番〉なのだ。

1861年にクララ・シューマンのピアノ他で行なわれた初演は、特に第4楽章が聴衆から最も喝采され、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムもこのフィナーレ楽章を絶賛したという。Bがその主題。この場合音程そのものは普通の旋律的短音階なのだが、6小節目(↓)で高く跳ね上がるあたりが民俗的だ(普通ならオクターヴ下になるはず)。

パソコンがフリーズしてしまったおかげで、この原稿は03年のニューイャー・コンサートを観ながら打っているのだが、アーノンクールが〈ハンガリー舞曲第5番〉をブラームスが一番気に入っていたというライヒェルトの編曲で演奏している。その中で最も目立った特徴は、主部の終わりで、旋律線が通常よりオクターヴ高く跳躍すること。この『裏返った』強調こそは、Bの6小節目と同じで、ブラームスがジプシー風と感じていたポイントの一つに他ならないのではあるまいかと、改めて実感した次第。フィナーレ楽章中間部のチェロに出てくる短調の主題Cなどは、ジプシーの嘆きそのものと言っても過言ではなく、理屈っぽい説明は不要だろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet

交響曲をどう終わらせるか。ベートーヴェンの重圧。

ハイドンが100曲以上も交響曲を書き、モーツァルトも40曲を超えたのに、ベートーヴェンが9曲しか残さなかったのは後の交響曲作曲家にとって大きなプレッシャーとなった。数の少なさではなく、作曲家が芸術家としての全能力を注ぎ、思想的な主張まで折り込んだ選りすぐりの傑作として交響曲を位置づけなければならなくなったからだ。そのためブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルジャーク等は、古典派の時代だったら交響曲としてもおかしくない内容の曲を、〈セレナード〉や〈組曲〉として発表することになる。シューベルトがロ短調交響曲を未完成のまま残した理由を、そうしたあたりに求める学者も少なくない。

シューベルトは6曲の未完成交響曲を残しているが、そのうちの5曲は〈6番〉を作曲した19歳より後に集中している。楽想は幾らでも湧いてくるのから、素材は直ぐに出来てしまうのだが、それを纏めあげてベートーヴェンに較べて見劣りしないような4楽章仕立ての大交響曲として仕上げるのが至難の業だったからだ。ロ短調の〈未完成〉の場合は、第1楽章からトロンボーンを使うのに加え、最初から大衆音楽としてのジプシーの要素を導入するなど、ベートーヴェンを越えようとする新機軸を採用して意欲満々で前半2楽章を書き終えたものの、その着地の仕方に手こずり、仕切り直し的に再挑戦したハ長調の〈グレイト〉で、一応、一つの解答を見出したところで神に召されたのである。

ブラームスの場合も2曲のピアノ協奏曲を、その内容の重厚さから『ピアノ独奏付きの交響曲』と呼ぶこともあるし、例えば〈交響曲第5番〉になるはずがヴァイオリンとチェロの〈二重協奏曲〉になったように、交響曲として着想した素材を、結局は違う形の曲に仕上げたケースも多い。

ブラームスは43歳の1876年に完成・初演した〈1番〉を含めて4曲しか交響曲を残していないのだが、シェーンベルクの堂々たる編曲でお聴きになれば、それより15年前に初演されたこの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉こそは、2曲の〈セレナード〉よりも『幻の交響曲』に相応しいことを実感されるに違いない。シェーンベルクは、冗談めかして「ブラームスの〈5番〉」と呼んでいたそうだが、原曲の成立年代を考慮するなら、ブルックナー風に〈0番〉とする方が似合いではあるまいか。しかしその場合に引っ掛かる可能性があるのが、ジプシー音楽風のフィナーレなのだ。

フィナーレを締め括る『ジプシーの音楽』による熱狂

シェーンベルクは長さや構成は原曲を尊重して、オーケストレーションだけに仕事を限っているので比較し易い。もし仮にブラームス自身が同様の試みを行なったとしたら、色彩は比べ物にならないくらい地味になったに違いないにしろ、シェーンベルクの編曲版と同じく原寸大の交響曲的な大作が出来上がったのは間違いないのだ。もし、それを〈交響曲第1番〉として発表したなら、当時の批評は、前半3楽章の北ドイツ的な重厚さを認めつつも、新進気鋭の若手が力及ばず、第4楽章で「大衆音楽へ擦り寄った」として批判した可能性が強い。

我々が、こうしたフィナーレにそれほど違和感を感じないのは、既に後の〈ハンガリー舞曲集〉の編曲者としてのブラームスを知っていることも大きい。更には、チャイコフスキーの交響曲〈第4番〉やドヴォルジャークの〈8番〉等、民俗音楽的・民衆音楽的な要素を打ち出したフィナーレを結論とする交響曲が歴史的に承認されてしまってから後の耳で聴いているという事実も忘れてはなるまい。

結局ブラームスは、交響曲の終楽章としては4曲とも構成的に凝った『芸術音楽』として誰からも後ろ指を差されないフィナーレを書いたわけだが、このシェーンベルク編曲版を体験すると、血気盛んだった20代に、こうした舞曲的な乗りで最後にエネルギーを開放するタイプの交響曲 -- ベートーヴェンの〈7番〉やメンデルスゾーンの〈イタリア〉を継承してバッカス的な熱狂で終わるタイプのシンフォニーを発表しても良かったのではと思えるのだ。少なくとも筆者は、シェーンベルクの優れた編曲に感謝しつつ、後の4曲に比すべき本格的な交響曲として演奏するつもりである。

話を〈未完成〉に戻そう。一頃〈未完成〉を完成させようという試みが真剣になされ、作曲を公募するコンクールさえ行なわれたこともある。それをブラームス=シェーンベルクによる〈0番〉的な解答から遡って考えてみると、シューベルトの場合も、ハンガリー・ジプシー的なフィナーレ楽章という選択肢もあり得たのではないかという気がしてくる。今回この2曲が並んだのは偶然の賜物だが、〈未完成〉の『幻のフィナーレ楽章』という観点から、想像を巡らすのも一興であろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-2


シェーンベルクの編曲と楽章の解説
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3


この編曲はナチスを逃れてロサンジェルスに定住することになったシェーンベルクに、同様の境遇で同地にいた指揮者クレンペラーが提案することで実現した。チェロやヴィオラを弾いて原曲を知り尽くしていたシェーンベルクは、ブラームスの構造をいじることなく、オーケストレーションのみに徹して編曲を行なったが、ピッコロ&バス・クラリネット、コールアングレといったブラームスの使わなかった管楽器を含む3管編成で打楽器をマーラーの交響曲ばりに総動員したために、極めて色彩的なスコアとなっている。編曲は1937年、初演は翌38年5月7日にクレンペラーの指揮によってロスで行なわれた。その時のエピソードとして、この編曲を無調・12音技法の雄シェーンベルク自身の新作と勘違いしたロスのマネージャーが「なぜ人が『シェーンベルクにはメロディが無い』と言うのか私には分からんね。あの曲は、とてもメロディックなのに」と評したことが知られている。

第1楽章 アレグロ、ト短調、4/4拍子、ソナタ形式。

第1主題はDとEからなる。ブラームスは〈4番〉の第3楽章で、こうした双頭主題を上下に重ねて同時に出すといった芸当を見せるが、ここではDが終わったらEをという普通の形。しかし再現部ではE→Dと逆にして古典派的・図式的なシンメトリーを避けるように工夫し、全体がストーリー風に発展してゆくロマン派的な展開を選択。第2主題はFとその変容Gで、苦悩を内に秘めた第1主題群に対して、若者らしく積極的に進む意志が感じられる。

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20代のブラームスはシューマンによってヨーロッパ楽壇に華々しく『天才出現』と紹介されたものの、翌年そのシューマンが入水自殺を図り、やがて精神病院で没するという悲劇を目の当たりにした。これが23歳の1856年のこと。子供達を育てながらピアニスト・作曲家として活躍する未亡人クララ・シューマンに対する想いは生涯に亙って続くが、当時は極めて熱いものがあった。この楽章には、そうした『シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)』時代の青年作曲家の心の嵐と諦念が刻印されている。

第2楽章 "インテルメッツォ(間奏曲)" アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ハ短調、9/8、三部形式。

インテルメッツォと題されてはいるがシューマン風な短いエピソードではなく、実質的にはかなり規模の大きなスケルツォ楽章。但しベートーヴェン的な哄笑や諧謔とは無縁で、主部はむしろ歌謡的。ブラームスは〈交響曲第2番〉の第3楽章で、牧歌的な主部に軽快なトリオを挟む『逆スケルツォ』を実践しているが、この楽章はその原型か。第1楽章の嘆きを継承したような暗い主部Hに、突然、光が差し込んだかのような軽快なトリオ(アニマート、変イ長調)Iが挟まれている。

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このIは5小節の変則的なメートリクを採用しているだけでなく、その中にシューマン→ブラームス楽派のDNAとも言うべきヘミオラのリズム・パターン(タイを使った2小節単位の3拍子)を含んでいるのが重要。メンデルスゾーン風のスケルツォの飛翔感にペンタゴン的な5角形の車輪を与えたようなこのトリオは、一見、ごく普通の走馬灯のように見えるが、実は、全曲中で最も過激な実験精神を秘めた箇所なのだ。後の〈ハイドンの主題による変奏曲〉の最後で5小節周期のパッサカリアを採用しているが、このトリオはテンポが速いぶん、リズム的な要素がマジカルに浮き上がってくる。

主部に戻った後のコーダは、トリオの陽光を回想しハ長調で結ばれる。

第3楽章 アンダンテ・コン・モート、変ホ長調、3/4、三部形式。

前楽章のコーダで予感されたように、ここで楽章としては初めて長調に転ずる。この楽章はオーケストラ化によってシンフォニックなスケールを獲得し、本格的な緩徐楽章としての訴えかけが一段と強まった。この主部J全体は〈交響曲第2番〉を走行試験的に先取りしているのだが、コーダでその原主題が、正に〈2番〉そのままの姿で現示されるあたりは、ブラームス・ファンにとって聞き逃せないポイントの一つであろう。

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付点リズムを特徴とする経過的エピソードを経て飛び込む中問部(アニマート、ハ長調)Kは、シェーンベルクがギャロップ風のリズムを打楽器群によって強調したために、騎馬軍団が走り抜けてゆくようなイメージが一段と鮮明になっている。

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第4楽章 "ロンド・アラ・ツインガレーゼ(ジプシー風のロンド)" プレスト、ト短調、2/4、ロンド形式。

シェーンベルクがこの楽章のジプシー風の性格を強調しているのは、冒頭のBの伴奏音型の弦に弓の木部で叩く奏法を要求して、ハンガリー・ジプシーの楽器チンバロン(棒状の撥で弦を叩くピアノの原型となる楽器)を模していることでも明らかだ。更に重要なのは、この楽章の舞曲的なエネルギーを謝肉祭的な熱狂へと開放するために、木琴、鉄琴、タンバリンといったブラームスが使わなかった打楽器群を総動員して、原色的なオーケストレーションを施していることだ。

シェーンベルクは第1楽章ではブラームスの渋い響きを尊重しているのだが、楽章を追うごとに色調を自らの時代の方に引き寄せ、このフィナーレで近代兵器としてのオーケストラのパレットを全開するのである。

3小節周期の乗りの良いメートリクを特徴とするBに対して、無窮動的なLは、祭のざわめきを感じさせるが、シェーンベルクがそこに原曲にはない不協和音によるハロウィン的なギャグを仕込んでいるあたりも聞き物だ。

brahms pq fig13

中間部でテンポが緩んで、Cを交えた新たなクープレに入るあたりは〈ハンガリー舞曲・第1番〉や〈5番〉と似たパターン。コーダ直前のカデンツァは、ストコフスキーを思わせるオルガン風な響きと、ソロ群の対比が鮮烈な効果を上げる。コーダのストレッタ(追い込み)もオーケストラ化による筋肉強化、特に金管群の音色旋律的な格闘が興奮を一段と煽り、舞曲的な熱狂が臨界に達したところで締め括られる。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c63

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
64. 中川隆[-13653] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:07:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-755]

234名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 20:06:30.19ID:glD+LRwS

Johannes Brahms - Luciano Berio Sonata for Clarinet and Orchestra (1986) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Fp96PLO9ugg

Johannes Brahms (1833-1897): Sonata for Clarinet and Orchestra in F Minor Op. 120 n.1,
trascrizione per clarinetto e orchestra di Luciano Berio (1925-2003) (1986)
--- Fausto Ghiazza, clarinetto --- Orchestra Sinfonica di Milano "Giuseppe Verdi" diretta da Riccardo Chailly ---

I. Allegro appassionato
II. Andante un poco adagio
III. Allegretto grazioso
IV. Vivace
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c64

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
65. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:09:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-772]

235名無しの笛の踊り2019/11/09(土) 20:09:21.41ID:glD+LRwS

Brahms Clarinet Sonata, Opus 120 No. 2 in Eb (orchestrated) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0YEUjECXhUM


Margaret Donaghue-Flavin performs with the Frost Symphony Orchestra - April 22, 2016.
Thomas Sleeper, conductor and orchestrator.
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c65

[近代史3] 訪日外国人による観光公害 地元住民の被害は限界 中川隆
10. 中川隆[-13687] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:17:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-789]

「もう観光客が来なくなればいい」……「私道での撮影禁止」は花街・祇園のSOS
中井 治郎 2019/11/09
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%86%e8%a6%b3%e5%85%89%e5%ae%a2%e3%81%8c%e6%9d%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%81%84%e3%81%84%e3%80%8d%e2%80%a6%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%a7%81%e9%81%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%80%8d%e3%81%af%e8%8a%b1%e8%a1%97%e3%83%bb%e7%a5%87%e5%9c%92%e3%81%aesos/ar-BBWu9gH?ocid=ientp#page=2

 空前のインバウンド・ブームに沸く観光立国・日本。東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には、日本を訪れるインバウンドは過去最高の4000万人にのぼるとも見込まれている。 それは東京という街が、そしてこの国が、これまで経験したことがないほど多くの人々に「観光される」ということを意味する。

 しかし、あなたは考えてみたことがあるだろうか。

「観光される」とはどういうことか、を。


©iStock.com© 文春オンライン ©iStock.com
「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に

 観光産業にかかわっているわけではない多くの人にとって、観光とは非日常である。観光と聞けば、ふだんの自分の役割や生活から離れて羽を伸ばし、住み慣れたいつもの場所とはちがう土地を楽しむ……そんな、特別な時間と空間を思い起こすだろう。しかし、それはあくまでも「観光をする」側の視点である。

 そもそもインバウンド誘致の旗印として掲げられた「観光立国・日本」というキャッチフレーズにおける「観光立国」とは「観光をする国」という意味ではない。その主眼は、この国を「観光される国」へと変えてしまうことである。

 そして2015年、45年ぶりにインバウンド(訪日外国人旅客数)がアウトバウンド(出国日本人旅客数)を上回って、すでに4年。われわれは「観光」という言葉に、「観光をする」自分たちではなく「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に生きている。

「もう観光客が来なくなればいい」という祇園の本音

 そんな「観光立国」で、いまもっとも注目される観光都市が京都である。とくにここ数年は世界の人気観光都市ランキングでも第1位を獲得するなど、世界的な京都ブームを巻き起こしてきた。

 その街に関して、先日とあるニュースが話題になった。芸妓・舞妓が行き交う花街として有名な祇園で、地元自治組織が「私道での撮影を禁止」という看板を設置することになったのだ。むろん観光客に向けた警告である(写真1:祇園町南側地区協議会 提供)。

 あまり知られていないことだが、祇園の界隈というのはほとんど私有地でありメインストリート以外の細い路地も多くは私道だ。公道では写真禁止などとはいえないが私有地ならば、ということで今回の「私道での撮影禁止」が掲げられることになったのである。

 このような報道だけを見ると地元の人々が「マナーを守って」と観光客に呼びかけているように見える。しかし、この看板を立てた地元の本音はどうやら少しちがうようだ。

 祇園の本音は、「これをきっかけに観光客が来なくなればいい」である。

「よそは観光客に来てほしいけどマナーは守って欲しいと思っているのでしょうけど、うちはちがいます。そもそも観光客に来て欲しくないんです」

 このように話す地元自治組織の幹部は「祇園は観光地ではないのです」と、何度も強調した。いまや祇園ではカメラを携えて世界中から集まる観光客が絶えることがない。そのため、とくに地元以外の人間からは祇園という街は観光地だと思われていることも多い。しかし、これは大きな間違いで、もっと言えば、完全なる「事故」なのだ。

安全とプライバシーを守る「一見(いちげん)さんお断り」文化

 花街・祇園は、同じジャパネスクな景観といえど、たとえば古風な町並みを再現したおかげ横丁のような観光地とはまったく性格のことなる街である。

 すべての店がそうではないとはいえ、そもそもは格式の高さと紹介制によって安全とプライバシーを守り、こっそり「お忍び」でやってくる「お偉いさん」にも安心して遊んでもらえるという「一見(いちげん)さんお断り」文化を特色とした街である。そんな場所に観光客が押し寄せると何が起こるのか。考えてみればすぐに分かることだが、なじみの客足は遠のくばかりである。

 通りすがりの観光客はある意味で「一見さん」の最たる存在であり、花街としての祇園にとって客に成り得ない。逆にもし観光客でも気軽に利用できるようなカフェや土産物店に祇園が埋め尽くされるようなことになれば、それはもはや花街ではなくなってしまう。もちろん、舞妓・芸妓がそこにいる意味もなくなってしまうのである。

外国人観光客の「狼藉」

 そのような不本意な観光化に晒されている花街・祇園で問題になっているのは「一見さん」問題だけではない。マナー違反というにはあまりに乱暴な、観光客による舞妓・芸妓への「狼藉」である。

 祇園のメインストリートである花見小路にはこのような高札が設置されている(写真2:筆者撮影)。とくに外国人観光客にマナーを遵守するように告げる「お触書」である。

 とくに目を引くのは舞妓にのびる怪しげな手のイラスト。これはもちろん芸妓・舞妓に触れてはいけないという意味である。いくら観光地といえど、「ここで暮らす人々に手を触れてはいけない」と警告する看板がわざわざ設置されるようなことは、普通はない。しかし、ここではそうやって警告しなくてはいけないほど、観光客は彼女たちに手を触れようとするのである。

 昨今、通りを行く芸妓・舞妓の写真を撮るためにしつこくつきまとったりする迷惑行為は「舞妓パパラッチ」として全国のメディアでも話題になることが増えた。しかし、彼女たちが被る迷惑はそれだけでは済まない。つきまといや腕や着物を引っ張られる被害だけでなく、着物の襟元へ煙草を投げ入れる、着物を破る等、刑事事件として被害届が出されたものもある。
 
 しかも、これらは店の中に入れて接待をしていた酔客の乱暴ではないのだ。通りですれちがうだけの、単なる通りすがりの観光客から受ける被害なのである。このような現状からも、なぜこの街には「一見さんお断り」の文化が必要だったのかがよく分かるだろう。

オーバーツーリズムが世界的な課題へ

 これまでは「いかに観光客を呼び込むか」ばかりが人々の関心事となってきたが、本意であろうが不本意であろうが、いちど「目をつけられてしまった」場所から観光客を遠ざけるのは、実はそう簡単なことではないのだ。

 ちょうど、観光客に悲鳴を上げた祇園が「私道での撮影禁止」を実施した10月25日、26日にかけて、北海道で開催されていたG20の観光相会合では、地域のキャパシティを超えた観光客の増加、つまりオーバーツーリズムへの対策について議論が交わされていた。いま世界各国の観光政策における主たる課題は、誘致や促進よりもむしろ、この「観光客が増えすぎる」というオーバーツーリズムをいかに制御するかにシフトしつつある。

「なんでこんなところに観光客が!?」日本の「リアル」を求める人々

 我々の社会がいま直面しつつあるのは観光を制御することの難しさである。たとえば2019年のラグビーW杯。東京新宿のゴールデン街では、押し寄せた外国人観光客で小さな店がいっぱいになり、常連客が「いつもの店」に入れないという「緊急事態」が多発したという。ゴールデン街の飲兵衛たちも「なんでこんなところに観光客が?」と戸惑ったことだろう。

 それまで外国人観光客の姿などほとんど見かけなかったゴールデン街の狭い飲み屋に外国人観光客が求めているもの。それはもちろん「飾らない」日本社会の「リアル」だろう。

 現在、観光客の興味関心はそれまで観光の対象とならなかったような、現地の生活者の暮らしそのものを観光対象として消費することへと向けられつつある。単に名の知れた観光名所を見物して満足するのではなく、現地の人々の「リアル」な暮らしに深く入り込んで、それに触れることを楽しむ観光客が増えているのだ。

観光客と観光整備はある意味イタチごっこ

 外国人観光客に対する受け入れ態勢を整えるべきといっても、そもそも受け入れ態勢が整っている場所、つまり「観光ずれ」した場所を避けて、もっと受け入れ態勢が整っていない「観光ずれ」していない場所に「リアル」さを見出して楽しもうとする観光客の嗜好の変化を考えると、観光客と観光整備はある意味でイタチごっこの関係という側面があることも事実だ。

 オーバーツーリズムと聞くと、つい観光客の「数」の問題を考えてしまうが、これまで紹介してきたような事例では、その嗜好や行動の変化という「質」の問題も重要ということがわかる。実際に京都においては観光客の総数は近年では逆に減少傾向にある。観光客は減っているのに、なぜ問題が起きるのか? それは観光客の嗜好や行動という「質」の変化と地域社会の間にミスマッチが起こっているということでもある。

観光されるあなたの「リアル」

 それまでその地域の人々からは価値や魅力を認識されていなかったものを、外からの視点で観光資源として「発掘」することは観光振興の重要な鍵である。しかし、地域の埋もれた観光資源を発掘するのは何も住民や関係者だけではない。

 ちかごろ、酔っ払って路上で寝込んでしまったサラリーマンなどが写りこむように記念撮影した外国人観光客の自撮りがインターネットにアップされているのを見かけるようになった。我々には当たり前の風景でも、外国人観光客からすると、飲酒に「寛容」な日本社会を象徴する新しい名物になりつつあるようだ。皮肉だが、これは彼らが発掘した観光資源といえる。きっと「リアル」なのだろう。

 オーバーツーリズム対策を含め、観光をいかにコントロールするかは数の問題だけではない。外から訪れた人々は、我々の社会や暮らしを見て、何を読み取り、喜び、面白がっているのか。もはや「観光される国」に暮らす我々にとって、これら外からのまなざしとの葛藤はある意味で死活問題ともいえる切実さをはらんでいくと思われる。

 たとえば「インスタ映え」で、突然あなたの家が世界中の観光客にとっての憧れの聖地になることだってあるかもしれないのだ。よそものに厳しく「一見さんお断り」だった花街が、いつの間にか世界中から観光客が押し寄せる観光地にされてしまったように。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%86%e8%a6%b3%e5%85%89%e5%ae%a2%e3%81%8c%e6%9d%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%81%84%e3%81%84%e3%80%8d%e2%80%a6%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%a7%81%e9%81%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%80%8d%e3%81%af%e8%8a%b1%e8%a1%97%e3%83%bb%e7%a5%87%e5%9c%92%e3%81%aesos/ar-BBWu9gH?ocid=ientp#page=2
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/527.html#c10

[近代史3] 外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている 中川隆
15. 中川隆[-13686] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:18:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-788]

「もう観光客が来なくなればいい」……「私道での撮影禁止」は花街・祇園のSOS
中井 治郎 2019/11/09
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%86%e8%a6%b3%e5%85%89%e5%ae%a2%e3%81%8c%e6%9d%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%81%84%e3%81%84%e3%80%8d%e2%80%a6%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%a7%81%e9%81%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%80%8d%e3%81%af%e8%8a%b1%e8%a1%97%e3%83%bb%e7%a5%87%e5%9c%92%e3%81%aesos/ar-BBWu9gH?ocid=ientp#page=2

 空前のインバウンド・ブームに沸く観光立国・日本。東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には、日本を訪れるインバウンドは過去最高の4000万人にのぼるとも見込まれている。 それは東京という街が、そしてこの国が、これまで経験したことがないほど多くの人々に「観光される」ということを意味する。

 しかし、あなたは考えてみたことがあるだろうか。

「観光される」とはどういうことか、を。


©iStock.com© 文春オンライン ©iStock.com
「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に

 観光産業にかかわっているわけではない多くの人にとって、観光とは非日常である。観光と聞けば、ふだんの自分の役割や生活から離れて羽を伸ばし、住み慣れたいつもの場所とはちがう土地を楽しむ……そんな、特別な時間と空間を思い起こすだろう。しかし、それはあくまでも「観光をする」側の視点である。

 そもそもインバウンド誘致の旗印として掲げられた「観光立国・日本」というキャッチフレーズにおける「観光立国」とは「観光をする国」という意味ではない。その主眼は、この国を「観光される国」へと変えてしまうことである。

 そして2015年、45年ぶりにインバウンド(訪日外国人旅客数)がアウトバウンド(出国日本人旅客数)を上回って、すでに4年。われわれは「観光」という言葉に、「観光をする」自分たちではなく「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に生きている。

「もう観光客が来なくなればいい」という祇園の本音

 そんな「観光立国」で、いまもっとも注目される観光都市が京都である。とくにここ数年は世界の人気観光都市ランキングでも第1位を獲得するなど、世界的な京都ブームを巻き起こしてきた。

 その街に関して、先日とあるニュースが話題になった。芸妓・舞妓が行き交う花街として有名な祇園で、地元自治組織が「私道での撮影を禁止」という看板を設置することになったのだ。むろん観光客に向けた警告である(写真1:祇園町南側地区協議会 提供)。

 あまり知られていないことだが、祇園の界隈というのはほとんど私有地でありメインストリート以外の細い路地も多くは私道だ。公道では写真禁止などとはいえないが私有地ならば、ということで今回の「私道での撮影禁止」が掲げられることになったのである。

 このような報道だけを見ると地元の人々が「マナーを守って」と観光客に呼びかけているように見える。しかし、この看板を立てた地元の本音はどうやら少しちがうようだ。

 祇園の本音は、「これをきっかけに観光客が来なくなればいい」である。

「よそは観光客に来てほしいけどマナーは守って欲しいと思っているのでしょうけど、うちはちがいます。そもそも観光客に来て欲しくないんです」

 このように話す地元自治組織の幹部は「祇園は観光地ではないのです」と、何度も強調した。いまや祇園ではカメラを携えて世界中から集まる観光客が絶えることがない。そのため、とくに地元以外の人間からは祇園という街は観光地だと思われていることも多い。しかし、これは大きな間違いで、もっと言えば、完全なる「事故」なのだ。

安全とプライバシーを守る「一見(いちげん)さんお断り」文化

 花街・祇園は、同じジャパネスクな景観といえど、たとえば古風な町並みを再現したおかげ横丁のような観光地とはまったく性格のことなる街である。

 すべての店がそうではないとはいえ、そもそもは格式の高さと紹介制によって安全とプライバシーを守り、こっそり「お忍び」でやってくる「お偉いさん」にも安心して遊んでもらえるという「一見(いちげん)さんお断り」文化を特色とした街である。そんな場所に観光客が押し寄せると何が起こるのか。考えてみればすぐに分かることだが、なじみの客足は遠のくばかりである。

 通りすがりの観光客はある意味で「一見さん」の最たる存在であり、花街としての祇園にとって客に成り得ない。逆にもし観光客でも気軽に利用できるようなカフェや土産物店に祇園が埋め尽くされるようなことになれば、それはもはや花街ではなくなってしまう。もちろん、舞妓・芸妓がそこにいる意味もなくなってしまうのである。

外国人観光客の「狼藉」

 そのような不本意な観光化に晒されている花街・祇園で問題になっているのは「一見さん」問題だけではない。マナー違反というにはあまりに乱暴な、観光客による舞妓・芸妓への「狼藉」である。

 祇園のメインストリートである花見小路にはこのような高札が設置されている(写真2:筆者撮影)。とくに外国人観光客にマナーを遵守するように告げる「お触書」である。

 とくに目を引くのは舞妓にのびる怪しげな手のイラスト。これはもちろん芸妓・舞妓に触れてはいけないという意味である。いくら観光地といえど、「ここで暮らす人々に手を触れてはいけない」と警告する看板がわざわざ設置されるようなことは、普通はない。しかし、ここではそうやって警告しなくてはいけないほど、観光客は彼女たちに手を触れようとするのである。

 昨今、通りを行く芸妓・舞妓の写真を撮るためにしつこくつきまとったりする迷惑行為は「舞妓パパラッチ」として全国のメディアでも話題になることが増えた。しかし、彼女たちが被る迷惑はそれだけでは済まない。つきまといや腕や着物を引っ張られる被害だけでなく、着物の襟元へ煙草を投げ入れる、着物を破る等、刑事事件として被害届が出されたものもある。
 
 しかも、これらは店の中に入れて接待をしていた酔客の乱暴ではないのだ。通りですれちがうだけの、単なる通りすがりの観光客から受ける被害なのである。このような現状からも、なぜこの街には「一見さんお断り」の文化が必要だったのかがよく分かるだろう。

オーバーツーリズムが世界的な課題へ

 これまでは「いかに観光客を呼び込むか」ばかりが人々の関心事となってきたが、本意であろうが不本意であろうが、いちど「目をつけられてしまった」場所から観光客を遠ざけるのは、実はそう簡単なことではないのだ。

 ちょうど、観光客に悲鳴を上げた祇園が「私道での撮影禁止」を実施した10月25日、26日にかけて、北海道で開催されていたG20の観光相会合では、地域のキャパシティを超えた観光客の増加、つまりオーバーツーリズムへの対策について議論が交わされていた。いま世界各国の観光政策における主たる課題は、誘致や促進よりもむしろ、この「観光客が増えすぎる」というオーバーツーリズムをいかに制御するかにシフトしつつある。

「なんでこんなところに観光客が!?」日本の「リアル」を求める人々

 我々の社会がいま直面しつつあるのは観光を制御することの難しさである。たとえば2019年のラグビーW杯。東京新宿のゴールデン街では、押し寄せた外国人観光客で小さな店がいっぱいになり、常連客が「いつもの店」に入れないという「緊急事態」が多発したという。ゴールデン街の飲兵衛たちも「なんでこんなところに観光客が?」と戸惑ったことだろう。

 それまで外国人観光客の姿などほとんど見かけなかったゴールデン街の狭い飲み屋に外国人観光客が求めているもの。それはもちろん「飾らない」日本社会の「リアル」だろう。

 現在、観光客の興味関心はそれまで観光の対象とならなかったような、現地の生活者の暮らしそのものを観光対象として消費することへと向けられつつある。単に名の知れた観光名所を見物して満足するのではなく、現地の人々の「リアル」な暮らしに深く入り込んで、それに触れることを楽しむ観光客が増えているのだ。

観光客と観光整備はある意味イタチごっこ

 外国人観光客に対する受け入れ態勢を整えるべきといっても、そもそも受け入れ態勢が整っている場所、つまり「観光ずれ」した場所を避けて、もっと受け入れ態勢が整っていない「観光ずれ」していない場所に「リアル」さを見出して楽しもうとする観光客の嗜好の変化を考えると、観光客と観光整備はある意味でイタチごっこの関係という側面があることも事実だ。

 オーバーツーリズムと聞くと、つい観光客の「数」の問題を考えてしまうが、これまで紹介してきたような事例では、その嗜好や行動の変化という「質」の問題も重要ということがわかる。実際に京都においては観光客の総数は近年では逆に減少傾向にある。観光客は減っているのに、なぜ問題が起きるのか? それは観光客の嗜好や行動という「質」の変化と地域社会の間にミスマッチが起こっているということでもある。

観光されるあなたの「リアル」

 それまでその地域の人々からは価値や魅力を認識されていなかったものを、外からの視点で観光資源として「発掘」することは観光振興の重要な鍵である。しかし、地域の埋もれた観光資源を発掘するのは何も住民や関係者だけではない。

 ちかごろ、酔っ払って路上で寝込んでしまったサラリーマンなどが写りこむように記念撮影した外国人観光客の自撮りがインターネットにアップされているのを見かけるようになった。我々には当たり前の風景でも、外国人観光客からすると、飲酒に「寛容」な日本社会を象徴する新しい名物になりつつあるようだ。皮肉だが、これは彼らが発掘した観光資源といえる。きっと「リアル」なのだろう。

 オーバーツーリズム対策を含め、観光をいかにコントロールするかは数の問題だけではない。外から訪れた人々は、我々の社会や暮らしを見て、何を読み取り、喜び、面白がっているのか。もはや「観光される国」に暮らす我々にとって、これら外からのまなざしとの葛藤はある意味で死活問題ともいえる切実さをはらんでいくと思われる。

 たとえば「インスタ映え」で、突然あなたの家が世界中の観光客にとっての憧れの聖地になることだってあるかもしれないのだ。よそものに厳しく「一見さんお断り」だった花街が、いつの間にか世界中から観光客が押し寄せる観光地にされてしまったように。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%86%e8%a6%b3%e5%85%89%e5%ae%a2%e3%81%8c%e6%9d%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%81%84%e3%81%84%e3%80%8d%e2%80%a6%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%a7%81%e9%81%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%80%8d%e3%81%af%e8%8a%b1%e8%a1%97%e3%83%bb%e7%a5%87%e5%9c%92%e3%81%aesos/ar-BBWu9gH?ocid=ientp#page=2
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html#c15

[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
143. 中川隆[-13685] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:18:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-787]

「もう観光客が来なくなればいい」……「私道での撮影禁止」は花街・祇園のSOS
中井 治郎 2019/11/09
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%86%e8%a6%b3%e5%85%89%e5%ae%a2%e3%81%8c%e6%9d%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%81%84%e3%81%84%e3%80%8d%e2%80%a6%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%a7%81%e9%81%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%80%8d%e3%81%af%e8%8a%b1%e8%a1%97%e3%83%bb%e7%a5%87%e5%9c%92%e3%81%aesos/ar-BBWu9gH?ocid=ientp#page=2

 空前のインバウンド・ブームに沸く観光立国・日本。東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には、日本を訪れるインバウンドは過去最高の4000万人にのぼるとも見込まれている。 それは東京という街が、そしてこの国が、これまで経験したことがないほど多くの人々に「観光される」ということを意味する。

 しかし、あなたは考えてみたことがあるだろうか。

「観光される」とはどういうことか、を。


©iStock.com© 文春オンライン ©iStock.com
「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に

 観光産業にかかわっているわけではない多くの人にとって、観光とは非日常である。観光と聞けば、ふだんの自分の役割や生活から離れて羽を伸ばし、住み慣れたいつもの場所とはちがう土地を楽しむ……そんな、特別な時間と空間を思い起こすだろう。しかし、それはあくまでも「観光をする」側の視点である。

 そもそもインバウンド誘致の旗印として掲げられた「観光立国・日本」というキャッチフレーズにおける「観光立国」とは「観光をする国」という意味ではない。その主眼は、この国を「観光される国」へと変えてしまうことである。

 そして2015年、45年ぶりにインバウンド(訪日外国人旅客数)がアウトバウンド(出国日本人旅客数)を上回って、すでに4年。われわれは「観光」という言葉に、「観光をする」自分たちではなく「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に生きている。

「もう観光客が来なくなればいい」という祇園の本音

 そんな「観光立国」で、いまもっとも注目される観光都市が京都である。とくにここ数年は世界の人気観光都市ランキングでも第1位を獲得するなど、世界的な京都ブームを巻き起こしてきた。

 その街に関して、先日とあるニュースが話題になった。芸妓・舞妓が行き交う花街として有名な祇園で、地元自治組織が「私道での撮影を禁止」という看板を設置することになったのだ。むろん観光客に向けた警告である(写真1:祇園町南側地区協議会 提供)。

 あまり知られていないことだが、祇園の界隈というのはほとんど私有地でありメインストリート以外の細い路地も多くは私道だ。公道では写真禁止などとはいえないが私有地ならば、ということで今回の「私道での撮影禁止」が掲げられることになったのである。

 このような報道だけを見ると地元の人々が「マナーを守って」と観光客に呼びかけているように見える。しかし、この看板を立てた地元の本音はどうやら少しちがうようだ。

 祇園の本音は、「これをきっかけに観光客が来なくなればいい」である。

「よそは観光客に来てほしいけどマナーは守って欲しいと思っているのでしょうけど、うちはちがいます。そもそも観光客に来て欲しくないんです」

 このように話す地元自治組織の幹部は「祇園は観光地ではないのです」と、何度も強調した。いまや祇園ではカメラを携えて世界中から集まる観光客が絶えることがない。そのため、とくに地元以外の人間からは祇園という街は観光地だと思われていることも多い。しかし、これは大きな間違いで、もっと言えば、完全なる「事故」なのだ。

安全とプライバシーを守る「一見(いちげん)さんお断り」文化

 花街・祇園は、同じジャパネスクな景観といえど、たとえば古風な町並みを再現したおかげ横丁のような観光地とはまったく性格のことなる街である。

 すべての店がそうではないとはいえ、そもそもは格式の高さと紹介制によって安全とプライバシーを守り、こっそり「お忍び」でやってくる「お偉いさん」にも安心して遊んでもらえるという「一見(いちげん)さんお断り」文化を特色とした街である。そんな場所に観光客が押し寄せると何が起こるのか。考えてみればすぐに分かることだが、なじみの客足は遠のくばかりである。

 通りすがりの観光客はある意味で「一見さん」の最たる存在であり、花街としての祇園にとって客に成り得ない。逆にもし観光客でも気軽に利用できるようなカフェや土産物店に祇園が埋め尽くされるようなことになれば、それはもはや花街ではなくなってしまう。もちろん、舞妓・芸妓がそこにいる意味もなくなってしまうのである。

外国人観光客の「狼藉」

 そのような不本意な観光化に晒されている花街・祇園で問題になっているのは「一見さん」問題だけではない。マナー違反というにはあまりに乱暴な、観光客による舞妓・芸妓への「狼藉」である。

 祇園のメインストリートである花見小路にはこのような高札が設置されている(写真2:筆者撮影)。とくに外国人観光客にマナーを遵守するように告げる「お触書」である。

 とくに目を引くのは舞妓にのびる怪しげな手のイラスト。これはもちろん芸妓・舞妓に触れてはいけないという意味である。いくら観光地といえど、「ここで暮らす人々に手を触れてはいけない」と警告する看板がわざわざ設置されるようなことは、普通はない。しかし、ここではそうやって警告しなくてはいけないほど、観光客は彼女たちに手を触れようとするのである。

 昨今、通りを行く芸妓・舞妓の写真を撮るためにしつこくつきまとったりする迷惑行為は「舞妓パパラッチ」として全国のメディアでも話題になることが増えた。しかし、彼女たちが被る迷惑はそれだけでは済まない。つきまといや腕や着物を引っ張られる被害だけでなく、着物の襟元へ煙草を投げ入れる、着物を破る等、刑事事件として被害届が出されたものもある。
 
 しかも、これらは店の中に入れて接待をしていた酔客の乱暴ではないのだ。通りですれちがうだけの、単なる通りすがりの観光客から受ける被害なのである。このような現状からも、なぜこの街には「一見さんお断り」の文化が必要だったのかがよく分かるだろう。

オーバーツーリズムが世界的な課題へ

 これまでは「いかに観光客を呼び込むか」ばかりが人々の関心事となってきたが、本意であろうが不本意であろうが、いちど「目をつけられてしまった」場所から観光客を遠ざけるのは、実はそう簡単なことではないのだ。

 ちょうど、観光客に悲鳴を上げた祇園が「私道での撮影禁止」を実施した10月25日、26日にかけて、北海道で開催されていたG20の観光相会合では、地域のキャパシティを超えた観光客の増加、つまりオーバーツーリズムへの対策について議論が交わされていた。いま世界各国の観光政策における主たる課題は、誘致や促進よりもむしろ、この「観光客が増えすぎる」というオーバーツーリズムをいかに制御するかにシフトしつつある。

「なんでこんなところに観光客が!?」日本の「リアル」を求める人々

 我々の社会がいま直面しつつあるのは観光を制御することの難しさである。たとえば2019年のラグビーW杯。東京新宿のゴールデン街では、押し寄せた外国人観光客で小さな店がいっぱいになり、常連客が「いつもの店」に入れないという「緊急事態」が多発したという。ゴールデン街の飲兵衛たちも「なんでこんなところに観光客が?」と戸惑ったことだろう。

 それまで外国人観光客の姿などほとんど見かけなかったゴールデン街の狭い飲み屋に外国人観光客が求めているもの。それはもちろん「飾らない」日本社会の「リアル」だろう。

 現在、観光客の興味関心はそれまで観光の対象とならなかったような、現地の生活者の暮らしそのものを観光対象として消費することへと向けられつつある。単に名の知れた観光名所を見物して満足するのではなく、現地の人々の「リアル」な暮らしに深く入り込んで、それに触れることを楽しむ観光客が増えているのだ。

観光客と観光整備はある意味イタチごっこ

 外国人観光客に対する受け入れ態勢を整えるべきといっても、そもそも受け入れ態勢が整っている場所、つまり「観光ずれ」した場所を避けて、もっと受け入れ態勢が整っていない「観光ずれ」していない場所に「リアル」さを見出して楽しもうとする観光客の嗜好の変化を考えると、観光客と観光整備はある意味でイタチごっこの関係という側面があることも事実だ。

 オーバーツーリズムと聞くと、つい観光客の「数」の問題を考えてしまうが、これまで紹介してきたような事例では、その嗜好や行動の変化という「質」の問題も重要ということがわかる。実際に京都においては観光客の総数は近年では逆に減少傾向にある。観光客は減っているのに、なぜ問題が起きるのか? それは観光客の嗜好や行動という「質」の変化と地域社会の間にミスマッチが起こっているということでもある。

観光されるあなたの「リアル」

 それまでその地域の人々からは価値や魅力を認識されていなかったものを、外からの視点で観光資源として「発掘」することは観光振興の重要な鍵である。しかし、地域の埋もれた観光資源を発掘するのは何も住民や関係者だけではない。

 ちかごろ、酔っ払って路上で寝込んでしまったサラリーマンなどが写りこむように記念撮影した外国人観光客の自撮りがインターネットにアップされているのを見かけるようになった。我々には当たり前の風景でも、外国人観光客からすると、飲酒に「寛容」な日本社会を象徴する新しい名物になりつつあるようだ。皮肉だが、これは彼らが発掘した観光資源といえる。きっと「リアル」なのだろう。

 オーバーツーリズム対策を含め、観光をいかにコントロールするかは数の問題だけではない。外から訪れた人々は、我々の社会や暮らしを見て、何を読み取り、喜び、面白がっているのか。もはや「観光される国」に暮らす我々にとって、これら外からのまなざしとの葛藤はある意味で死活問題ともいえる切実さをはらんでいくと思われる。

 たとえば「インスタ映え」で、突然あなたの家が世界中の観光客にとっての憧れの聖地になることだってあるかもしれないのだ。よそものに厳しく「一見さんお断り」だった花街が、いつの間にか世界中から観光客が押し寄せる観光地にされてしまったように。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%86%e8%a6%b3%e5%85%89%e5%ae%a2%e3%81%8c%e6%9d%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%81%84%e3%81%84%e3%80%8d%e2%80%a6%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%a7%81%e9%81%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e6%92%ae%e5%bd%b1%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%80%8d%e3%81%af%e8%8a%b1%e8%a1%97%e3%83%bb%e7%a5%87%e5%9c%92%e3%81%aesos/ar-BBWu9gH?ocid=ientp#page=2
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c143

[リバイバル3] ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは 富山誠
110. 中川隆[-13702] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:27:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-804]

Brahms orch. Schoenberg Piano Quartet No. 1 in G minor Op. 25 (1861 orch. 1937) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZAhrIt6Rd0I

Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.

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Brahms orch. Edmund Rubbra Variations & Fugue on a theme by Handel Op. 24 (1861 orch. 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OXHjZI6tWZw

Originally composed for solo piano.
Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.


ブラームス/シェーンベルク ピアノ四重奏曲第1番 - YouTube
サイモン・ラトル指揮BPO
https://www.youtube.com/watch?v=xANZT4GdyMg
https://www.youtube.com/watch?v=Yppkz1DQFsw
https://www.youtube.com/watch?v=wLOpvIiu09g
https://www.youtube.com/watch?v=225xKAM9McM

シェーンベルグ編曲より原曲の方が遥かにいいというのが何かなー


Piano Quartet No. 1 in G Minor, Op. 25 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H47HIgpeNfE
https://www.youtube.com/watch?v=6zort-YrOqM
https://www.youtube.com/watch?v=C-ZhWhF-itc
https://www.youtube.com/watch?v=wqORoyQ3mgA

Artist: Adolf Busch
Artist: Hugo Gottesmann
Artist: Herman Busch
Artist: Rudolf Serkin

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ブラームスの「交響曲第5番」?

ナチス政権の成立によってドイツを追われることとなったシェーンベルクは、パリを経てアメリカに亡命する。その地でシェーンベルクはオーケストラ作品への編曲を幾つか手がけるが、その一曲にブラームスが若かりし頃に書いたピアノ四重奏曲もあった。

シェーンベルクは出来上がったこの編曲に大変満足し、聴衆からも高い評価も獲得する。中には「ブラームスの交響曲第5番」というものまであった。しかし、実際のこの曲はブラームスが決して自らの交響曲に使わなかった楽器や特殊奏法のオンパレードであり、そして何より、ジプシー音楽的な情熱をそのまま表現した音楽それ自体、ブラームスが決して交響曲の題材に選ばなかったものである。

そのことを考えると、この編曲をブラームスの交響曲第5番と呼ぶことは、やはりあまり適当なこととは言えない。しかし、一つ視点を変えてみると、また違った様相が見えてくる時がある。

シェーンベルクはウィーンで正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれた。しかし宗教的には自由な環境で育つ。1898年、24歳の時にプロテスタントに改宗する。同化ユダヤ人となってウィーンでの社会的地位を改善するためであったが、ウィーンで勢力の強いカトリックは選択しなかった。その後、シェーンベルクはウィーンやドイツ・ベルリンで活動を続ける。しかしユダヤ的なものへのこだわりはシェーンベルクの中でくすぶり続け、「ドイツ人」を追われた1933年、亡命の経由地パリでユダヤ教に改宗する。

しかし、ドイツ時代のシェーンベルクは、自分を偉大なドイツ音楽の継承者だと信じて疑わなかった。このことは次の言葉からも推し量る事ができよう。「ドイツ民族の魂から生まれた、外国の影響を全く受けていない私の音楽は、ラテンやスラヴ民族の覇権の期待に最も効果的に対抗し得る芸術の実例である。」(1931年、エッセイ「国民音楽」より。)偉大なドイツ音楽の伝統を受け継いだその自分を放り出したナチスに対して、シェーンベルクは憤懣やるかたないことだったろう。アメリカの地で、シェーンベルクは快適な環境を容易には見つける事ができずにいた。ましてや、ヨーロッパで苦労の末獲得した作曲家としての名声や尊敬など、ここ新世界アメリカでは御伽噺でしかなかい。

そんな中での「ブラームスの交響曲第5番」という言葉は、例えそれが編曲に対しての言葉であっとしても(アメリカの聴衆にはこの作品のメロディがブラームスのものだと気付かない者もいたが)、シェーンベルクは決して悪い気はしなかったであろう。

その昔、ブラームスの交響曲第1番は初演された当時「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれた。偉大なベートーヴェンの伝統を受け継ぐもの、という意味を込めてである。これを踏まえると、シェーンベルクはここにおいて、ベートーヴェン−ブラームスと続くドイツ音楽の系譜の中に位置付けられる存在となったのである。そしてこの編曲以降、シェーンベルクの作品には《コル・ニドレ》や《ワルシャワの生き残り》《現代詩編》など、ユダヤ的な作品がより目立った位置を占めるようになる。このブラームスのピアノ四重奏曲の編曲は、シェーンベルクのドイツ的なものからユダヤ的なものへの転回点の時期に位置する作品であるといえるかもしれない。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-sinphonie-5


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ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 シェーンベルク編曲版
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet

〈未完成〉との間を繋ぐ鍵としての『ハンガリー・ジプシーの音楽』

1828年に31歳で早世したシューベルトと、5年後の1833年に生れたブラームス。その接点が、1880年代にブライトコプフ社が刊行したシューベルト全集で、ブラームスが交響曲の巻の編纂を担当したことにあるのは拙著『交響曲の名曲・1』で述べたとおりだ。しかし1822年前後に作曲されたまま眠り続け1865年に初演された〈未完成〉と、それより前の1861年に完成・初演されたブラームスの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉との関係をひもとくのは一筋縄ではいかない。鍵は『ハンガリー・ジプシーの音楽』にある。


以前ハンガリーの指揮者I.フィッシャーがN響に客演して『ハンガリー音楽特集』を指揮した際に〈未完成〉が入っていたので、その理由について質問を受けたことがある。しかし、これは音楽映画『未完成交響楽』をご存じの世代には説明を要しないことであろう。そこではハンガリーの貴族エスタルハージ家の令嬢との恋の破局が、第3楽章以下を破棄させた原因として描かれていたからだ。史実を自由に取捨選択してロマンティックなフィクションを創作した古典的音楽映画にクレームをつけるなら、例えば、最晩年に作曲されることになる〈菩提樹〉が既に歌われている等、幾らでもできるが、シューベルトが高名な貴族の音楽教師として雇われてハンガリーのツェレスに赴いたのは事実(但し令嬢は、まだ12歳だったのだけれども)。そして〈未完成〉にハンガリー・ジプシーの音楽を思わせる主題が登場するのも明らかなのだ。

第1楽章が始まって直ぐオーボエとクラリネットがユニゾンで吹く主題@がそれ(以下ジプシー関係の譜例は、比較し易いようにイ短調に移調してある)。ついでに言うと、こうした単旋律を木管で呈示する場合、普通は一つの楽器のソロの方が推奨される。違う楽器2本のユニゾンだと音程が合いにくいからだが、シューベルトが敢えてリスクを犯したのはハンガリー・ジプシーの使う木管楽器の土臭い音色を、ダブル・リードのオーボエとシングル・リードのクラという異種の混合色で真似しようという意図があったからだという説もある。

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Aがハンガリー・ジプシーの短音階とされるものだが、@の↓のミ♭あたりが、クラシック音楽の一般的な短音階とは違って『こぶしを効かせた』感じとなる。これを半音高いミ・ナチュラルで演奏してみれば、この音が〈未完成〉の哀調を帯びた雰囲気の鍵を握っていることがお分かり頂けることだろう。

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ジプシー音楽はウィーンでも聴けたはずであり、シューベルトがツェレスで初めて接したということにはならないと思われるので、シューベルトの場合、時系列的な前後関係まで深追いしても意味はないが、ブラームスの場合は直接の伝授者がはっきりしている。17歳の時に知り合ったハンガリーからの亡命ヴァイオリニスト、レメーニだ。その成果が35歳の1868年に〈ハンガリー舞曲集〉として発表されたのはご存じのとおりだが、それより前に初演されて大成功を収めたハンガリー・ジプシー系の作品がある。それが他ならぬ、この〈ピアノ四重奏曲・第1番〉なのだ。

1861年にクララ・シューマンのピアノ他で行なわれた初演は、特に第4楽章が聴衆から最も喝采され、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムもこのフィナーレ楽章を絶賛したという。Bがその主題。この場合音程そのものは普通の旋律的短音階なのだが、6小節目(↓)で高く跳ね上がるあたりが民俗的だ(普通ならオクターヴ下になるはず)。

パソコンがフリーズしてしまったおかげで、この原稿は03年のニューイャー・コンサートを観ながら打っているのだが、アーノンクールが〈ハンガリー舞曲第5番〉をブラームスが一番気に入っていたというライヒェルトの編曲で演奏している。その中で最も目立った特徴は、主部の終わりで、旋律線が通常よりオクターヴ高く跳躍すること。この『裏返った』強調こそは、Bの6小節目と同じで、ブラームスがジプシー風と感じていたポイントの一つに他ならないのではあるまいかと、改めて実感した次第。フィナーレ楽章中間部のチェロに出てくる短調の主題Cなどは、ジプシーの嘆きそのものと言っても過言ではなく、理屈っぽい説明は不要だろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet


交響曲をどう終わらせるか。ベートーヴェンの重圧。

ハイドンが100曲以上も交響曲を書き、モーツァルトも40曲を超えたのに、ベートーヴェンが9曲しか残さなかったのは後の交響曲作曲家にとって大きなプレッシャーとなった。数の少なさではなく、作曲家が芸術家としての全能力を注ぎ、思想的な主張まで折り込んだ選りすぐりの傑作として交響曲を位置づけなければならなくなったからだ。そのためブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルジャーク等は、古典派の時代だったら交響曲としてもおかしくない内容の曲を、〈セレナード〉や〈組曲〉として発表することになる。シューベルトがロ短調交響曲を未完成のまま残した理由を、そうしたあたりに求める学者も少なくない。

シューベルトは6曲の未完成交響曲を残しているが、そのうちの5曲は〈6番〉を作曲した19歳より後に集中している。楽想は幾らでも湧いてくるのから、素材は直ぐに出来てしまうのだが、それを纏めあげてベートーヴェンに較べて見劣りしないような4楽章仕立ての大交響曲として仕上げるのが至難の業だったからだ。ロ短調の〈未完成〉の場合は、第1楽章からトロンボーンを使うのに加え、最初から大衆音楽としてのジプシーの要素を導入するなど、ベートーヴェンを越えようとする新機軸を採用して意欲満々で前半2楽章を書き終えたものの、その着地の仕方に手こずり、仕切り直し的に再挑戦したハ長調の〈グレイト〉で、一応、一つの解答を見出したところで神に召されたのである。

ブラームスの場合も2曲のピアノ協奏曲を、その内容の重厚さから『ピアノ独奏付きの交響曲』と呼ぶこともあるし、例えば〈交響曲第5番〉になるはずがヴァイオリンとチェロの〈二重協奏曲〉になったように、交響曲として着想した素材を、結局は違う形の曲に仕上げたケースも多い。

ブラームスは43歳の1876年に完成・初演した〈1番〉を含めて4曲しか交響曲を残していないのだが、シェーンベルクの堂々たる編曲でお聴きになれば、それより15年前に初演されたこの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉こそは、2曲の〈セレナード〉よりも『幻の交響曲』に相応しいことを実感されるに違いない。シェーンベルクは、冗談めかして「ブラームスの〈5番〉」と呼んでいたそうだが、原曲の成立年代を考慮するなら、ブルックナー風に〈0番〉とする方が似合いではあるまいか。しかしその場合に引っ掛かる可能性があるのが、ジプシー音楽風のフィナーレなのだ。

フィナーレを締め括る『ジプシーの音楽』による熱狂

シェーンベルクは長さや構成は原曲を尊重して、オーケストレーションだけに仕事を限っているので比較し易い。もし仮にブラームス自身が同様の試みを行なったとしたら、色彩は比べ物にならないくらい地味になったに違いないにしろ、シェーンベルクの編曲版と同じく原寸大の交響曲的な大作が出来上がったのは間違いないのだ。もし、それを〈交響曲第1番〉として発表したなら、当時の批評は、前半3楽章の北ドイツ的な重厚さを認めつつも、新進気鋭の若手が力及ばず、第4楽章で「大衆音楽へ擦り寄った」として批判した可能性が強い。

我々が、こうしたフィナーレにそれほど違和感を感じないのは、既に後の〈ハンガリー舞曲集〉の編曲者としてのブラームスを知っていることも大きい。更には、チャイコフスキーの交響曲〈第4番〉やドヴォルジャークの〈8番〉等、民俗音楽的・民衆音楽的な要素を打ち出したフィナーレを結論とする交響曲が歴史的に承認されてしまってから後の耳で聴いているという事実も忘れてはなるまい。

結局ブラームスは、交響曲の終楽章としては4曲とも構成的に凝った『芸術音楽』として誰からも後ろ指を差されないフィナーレを書いたわけだが、このシェーンベルク編曲版を体験すると、血気盛んだった20代に、こうした舞曲的な乗りで最後にエネルギーを開放するタイプの交響曲 -- ベートーヴェンの〈7番〉やメンデルスゾーンの〈イタリア〉を継承してバッカス的な熱狂で終わるタイプのシンフォニーを発表しても良かったのではと思えるのだ。少なくとも筆者は、シェーンベルクの優れた編曲に感謝しつつ、後の4曲に比すべき本格的な交響曲として演奏するつもりである。

話を〈未完成〉に戻そう。一頃〈未完成〉を完成させようという試みが真剣になされ、作曲を公募するコンクールさえ行なわれたこともある。それをブラームス=シェーンベルクによる〈0番〉的な解答から遡って考えてみると、シューベルトの場合も、ハンガリー・ジプシー的なフィナーレ楽章という選択肢もあり得たのではないかという気がしてくる。今回この2曲が並んだのは偶然の賜物だが、〈未完成〉の『幻のフィナーレ楽章』という観点から、想像を巡らすのも一興であろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-2


シェーンベルクの編曲と楽章の解説
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3


この編曲はナチスを逃れてロサンジェルスに定住することになったシェーンベルクに、同様の境遇で同地にいた指揮者クレンペラーが提案することで実現した。チェロやヴィオラを弾いて原曲を知り尽くしていたシェーンベルクは、ブラームスの構造をいじることなく、オーケストレーションのみに徹して編曲を行なったが、ピッコロ&バス・クラリネット、コールアングレといったブラームスの使わなかった管楽器を含む3管編成で打楽器をマーラーの交響曲ばりに総動員したために、極めて色彩的なスコアとなっている。編曲は1937年、初演は翌38年5月7日にクレンペラーの指揮によってロスで行なわれた。その時のエピソードとして、この編曲を無調・12音技法の雄シェーンベルク自身の新作と勘違いしたロスのマネージャーが「なぜ人が『シェーンベルクにはメロディが無い』と言うのか私には分からんね。あの曲は、とてもメロディックなのに」と評したことが知られている。

第1楽章 アレグロ、ト短調、4/4拍子、ソナタ形式。

第1主題はDとEからなる。ブラームスは〈4番〉の第3楽章で、こうした双頭主題を上下に重ねて同時に出すといった芸当を見せるが、ここではDが終わったらEをという普通の形。しかし再現部ではE→Dと逆にして古典派的・図式的なシンメトリーを避けるように工夫し、全体がストーリー風に発展してゆくロマン派的な展開を選択。第2主題はFとその変容Gで、苦悩を内に秘めた第1主題群に対して、若者らしく積極的に進む意志が感じられる。

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20代のブラームスはシューマンによってヨーロッパ楽壇に華々しく『天才出現』と紹介されたものの、翌年そのシューマンが入水自殺を図り、やがて精神病院で没するという悲劇を目の当たりにした。これが23歳の1856年のこと。子供達を育てながらピアニスト・作曲家として活躍する未亡人クララ・シューマンに対する想いは生涯に亙って続くが、当時は極めて熱いものがあった。この楽章には、そうした『シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)』時代の青年作曲家の心の嵐と諦念が刻印されている。

第2楽章 "インテルメッツォ(間奏曲)" アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ハ短調、9/8、三部形式。

インテルメッツォと題されてはいるがシューマン風な短いエピソードではなく、実質的にはかなり規模の大きなスケルツォ楽章。但しベートーヴェン的な哄笑や諧謔とは無縁で、主部はむしろ歌謡的。ブラームスは〈交響曲第2番〉の第3楽章で、牧歌的な主部に軽快なトリオを挟む『逆スケルツォ』を実践しているが、この楽章はその原型か。第1楽章の嘆きを継承したような暗い主部Hに、突然、光が差し込んだかのような軽快なトリオ(アニマート、変イ長調)Iが挟まれている。

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このIは5小節の変則的なメートリクを採用しているだけでなく、その中にシューマン→ブラームス楽派のDNAとも言うべきヘミオラのリズム・パターン(タイを使った2小節単位の3拍子)を含んでいるのが重要。メンデルスゾーン風のスケルツォの飛翔感にペンタゴン的な5角形の車輪を与えたようなこのトリオは、一見、ごく普通の走馬灯のように見えるが、実は、全曲中で最も過激な実験精神を秘めた箇所なのだ。後の〈ハイドンの主題による変奏曲〉の最後で5小節周期のパッサカリアを採用しているが、このトリオはテンポが速いぶん、リズム的な要素がマジカルに浮き上がってくる。

主部に戻った後のコーダは、トリオの陽光を回想しハ長調で結ばれる。

第3楽章 アンダンテ・コン・モート、変ホ長調、3/4、三部形式。

前楽章のコーダで予感されたように、ここで楽章としては初めて長調に転ずる。この楽章はオーケストラ化によってシンフォニックなスケールを獲得し、本格的な緩徐楽章としての訴えかけが一段と強まった。この主部J全体は〈交響曲第2番〉を走行試験的に先取りしているのだが、コーダでその原主題が、正に〈2番〉そのままの姿で現示されるあたりは、ブラームス・ファンにとって聞き逃せないポイントの一つであろう。

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付点リズムを特徴とする経過的エピソードを経て飛び込む中問部(アニマート、ハ長調)Kは、シェーンベルクがギャロップ風のリズムを打楽器群によって強調したために、騎馬軍団が走り抜けてゆくようなイメージが一段と鮮明になっている。

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第4楽章 "ロンド・アラ・ツインガレーゼ(ジプシー風のロンド)" プレスト、ト短調、2/4、ロンド形式。

シェーンベルクがこの楽章のジプシー風の性格を強調しているのは、冒頭のBの伴奏音型の弦に弓の木部で叩く奏法を要求して、ハンガリー・ジプシーの楽器チンバロン(棒状の撥で弦を叩くピアノの原型となる楽器)を模していることでも明らかだ。更に重要なのは、この楽章の舞曲的なエネルギーを謝肉祭的な熱狂へと開放するために、木琴、鉄琴、タンバリンといったブラームスが使わなかった打楽器群を総動員して、原色的なオーケストレーションを施していることだ。

シェーンベルクは第1楽章ではブラームスの渋い響きを尊重しているのだが、楽章を追うごとに色調を自らの時代の方に引き寄せ、このフィナーレで近代兵器としてのオーケストラのパレットを全開するのである。

3小節周期の乗りの良いメートリクを特徴とするBに対して、無窮動的なLは、祭のざわめきを感じさせるが、シェーンベルクがそこに原曲にはない不協和音によるハロウィン的なギャグを仕込んでいるあたりも聞き物だ。

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中間部でテンポが緩んで、Cを交えた新たなクープレに入るあたりは〈ハンガリー舞曲・第1番〉や〈5番〉と似たパターン。コーダ直前のカデンツァは、ストコフスキーを思わせるオルガン風な響きと、ソロ群の対比が鮮烈な効果を上げる。コーダのストレッタ(追い込み)もオーケストラ化による筋肉強化、特に金管群の音色旋律的な格闘が興奮を一段と煽り、舞曲的な熱狂が臨界に達したところで締め括られる。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3



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Johannes Brahms - Luciano Berio Sonata for Clarinet and Orchestra (1986) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Fp96PLO9ugg

Johannes Brahms (1833-1897): Sonata for Clarinet and Orchestra in F Minor Op. 120 n.1,
trascrizione per clarinetto e orchestra di Luciano Berio (1925-2003) (1986)
--- Fausto Ghiazza, clarinetto --- Orchestra Sinfonica di Milano "Giuseppe Verdi" diretta da Riccardo Chailly ---

I. Allegro appassionato
II. Andante un poco adagio
III. Allegretto grazioso
IV. Vivace

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Brahms Clarinet Sonata, Opus 120 No. 2 in Eb (orchestrated) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0YEUjECXhUM


Margaret Donaghue-Flavin performs with the Frost Symphony Orchestra - April 22, 2016.
Thomas Sleeper, conductor and orchestrator.


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html#c110

[近代史3] 林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か? 中川隆
27. 中川隆[-13863] koaQ7Jey 2019年11月09日 21:33:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-965]

MI6を支配するロスチャイルド、
ヴィクター・ロスチャイルド(1910年10月31日 - 1990年3月20日)が 007 ジェームス・ボンドのモデルだった


【討論】スパイ天国日本[桜R1-11-9] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UtMdRp-FsWw

パネリスト:
 加藤健(アジア調査機構代表)
 篠原常一郎(ジャーナリスト・元日本共産党国会議員秘書)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 林千勝(戦史研究家)
 坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
 山岡鉄秀(情報戦略アナリスト)
司会:水島総
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c27

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
110. 中川隆[-14096] koaQ7Jey 2019年11月09日 23:51:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1198]
STUDER A730 & EMT#981 CDプレーヤーのサウンド - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年11月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5ae53f7e2fa7d2cb9c090f365bd85b4c


STUDER A730を入手した当時は、ノーマルな使い方をしていました。このCDPを購入する前にルボックス/B226やSTUDER A727も使っていました。総じて「音の本質」を良く再現するCDPだと思います。サウンドは中域に厚みが有って、「生演奏」の雰囲気を持っています。現在ではDAC部が古くてCELLOのDACを使ってカバーしています。読み取り性能は非常に良いです。この後の機種のD730も使ったことが有りますが、こちらはDACの性能もいいですね。勧めるならD730ですね。

スチューダーと共にスタジオユースのCDPのEMT#981。こちらも中域の厚みが有り、高域には艶やかさも兼ね備えています。A730も#981も発売当時¥90万円以上していた代物です。使い勝手はA730の方が良いです。クラシックを楽しむのであれば#981も良いと思います。#981の後継機#982は聴いた事が有りませんが、使った事のある方は#981を勧められます。・・・と云う訳で#981を購入した訳です。


ただどちらの機器も1980年代の代物ですので、「予備のピックアップ」を持っていないとこの先は難しくなると思います。今年1月にA730はピックアップ交換をしましたので当分は持つと思っています。(15年ほど)・・・そしたら自分の年を考えると十分ですね。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5ae53f7e2fa7d2cb9c090f365bd85b4c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c110

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
66. 中川隆[-14320] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:32:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1422]

251名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 07:32:40.43ID:lK3Y379i

お子様は未成年のアイドル歌手の歌う流行歌とモーツァルトを聴いてればいいんだよ

そもそも、谷村新司の曲とモーツァルトの名曲とレベル全然変わらないだろ:


いい日旅立ち (山口百恵) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QMhX_pF0NkA

鬼束ちひろ - いい日旅立ち・西へ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xPZXIQdHaZ0

252名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 07:39:27.31ID:lK3Y379i

誰も本当の事言わないけど、モーツァルトの歌曲より中島みゆきの方が上じゃね

春なのに/柏原芳恵 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MCEy3SLfPoI

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

ホームにて / 中島みゆき
http://www.youtaker.com/video/sven-5d2afe3e36af48e69101f457543280c7110.html.%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%A6-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D.html

中島みゆき − エレーン
https://www.nicovideo.jp/watch/sm32317926

中島みゆき まつりばやし
https://vocu.net/song/56448532/Nakajima_Miyuki_-/


中島みゆき (Miyuki Nakajima) Music Best 200 (MP3-PC-SP) HTML5
http://lemonlemon.dip.jp/mp3/index-08.html


歌曲だとモーツァルトもブラームスも谷村新司も中島みゆきも全然差が出ないんだな

257名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 07:57:48.81ID:lK3Y379i

お子様には未成年アイドルの歌う流行歌とモーツァルトが一番合ってるんだよな
お子様にはブラームスはもったいない

Kathleen Ferrier; Vier ernste Gesänge; op. 121; Johannes Brahms - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI

Kathleen Ferrier ~ Sapphische Ode (Brahms) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=l_c2misp2PE

brahms Fünf Lieder op.94 - 4. Sapphische Ode - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CJmLhqyzetM

Kathleen Ferrier - Brahms for contralto, viola and piano - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DP0M1omMFQg


雨の歌

brahms Nachklang, op.59, No.4 - YouTube
Mischa Maisky · Pavel Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=4JvoVQ-6pbQ

Edith Wiens Regenlied Brahms Op. 59 .wav - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JO5elthLWxA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c66

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
67. 中川隆[-14319] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:35:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1421]

266名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 09:59:34.19ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No. 1 聴き比べ

J.Brahms Symphony#1 [ C.Munch O-de-Paris ] (1968) - YouTube
Charles Orchestre de Paris
https://www.youtube.com/watch?v=NU13001P7cA

brahms Symphony no. 1 (Furtwangler) - YouTube
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, Feb. 10, 1952
https://www.youtube.com/watch?v=uGexRHe2iBk

Brahms - Symphony No.1 (recording of the Century Wilhelm Furtwängler 1951) - YouTube
Sinfonieorchester des Norddeutschen Rundfunks
Wilhelm Furtwangler Live performance in 1951 (Hamburg)
https://www.youtube.com/watch?v=Bw266Ox-N8k

Brahms - Symphony n°1 - Vienna - Furtwangler 1947 - YouTube
Wiener Philharmoniker
https://www.youtube.com/watch?v=JB-pscrSHig

267名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:05:28.66ID:lK3Y379i

toscanini 1941 Brahms Symphony No 1 in Restored Sound - YouTube
Recorded in Carnegie Hall, New York City, on March 10, May 14, and December 11, 1941.
https://www.youtube.com/watch?v=iWYzyOLTfDQ

brahms Symphony No. 1, Toscanini & NBCso (1951) - YouTube
Rec. 6 November 1951, at Carnegie Hall, in New York
https://www.youtube.com/watch?v=gYQcsjiMa_8


brahms Symphony No. 1, Toscanini & The Phil (1952) - YouTube
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ フィルハーモニア管弦楽団
録音:1952年9月29日 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール (ロンドン)(実況録音)
https://www.youtube.com/watch?v=DqYC4MQMWPY

268名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:13:07.29ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No. 1, Walter & ColumbiaSO (1959) - YouTube
Bruno Walter (1876-1962), Conductor Columbia Symphony Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=_M9I-3cRVaI


Brahms “Symphony No 1” Willem Mengelberg, 1940 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qpmKkVyxrsE


brahms Symphony No.1 In C Minor, Op.68 - YouTube
Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker; Released on: 1987-01-01
https://www.youtube.com/watch?v=MIvEyGm7AKc

269名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:16:16.93ID:lK3Y379i

結局、Brahms Symphony No. 1 の最高の名演は

FURTWANGLER & Brahms-Finale from Symphony #1.wmv - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NUWMrC96sVY


The recording was made at the Berlin "Admiralspalast" by the RRG on Jan. 23, 1945.
This was Furtwänglers last Berlin wartime concert.


Brahms 1st Symphony Finale Furtwangler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SpITA8yxt3M
https://www.youtube.com/watch?v=zwbJ4F2Ug1g


Allegro non troppo ma con brio - Piu allegro

Wartime recording from January 1945. First three movements were either not recorded, or are missing,
I am not sure which. One can imagine how they must have been played as this movement is surely the culmination of what came before it.
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c67

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
68. 中川隆[-14318] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:37:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1420]

273名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:53:01.73ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No. 4 聴き比べ


♪ブラームス:交響曲第4番へ長調 Op.98 - クルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団 1990年 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ck8o-fR4jNE

brahms Symphony No.4 - C.Kleiber Bayerische Staatsorchester【Full HD】(1996 Movie Live) - YouTube
1996.10.21 Live
https://www.youtube.com/watch?v=t_L8BajLmtE

Brahms Symphony No.4 - Carlos Kleiber - Berliner Philharmoniker (live) - YouTube
28 June 1994, Berliner Philharmonie
https://www.youtube.com/watch?v=pGiXx-TcY3Y

Brahms - Symphony No. 4 (Carlos Kleiber - Wiener Philharmoniker) - YouTube
The award-winning 1980 recording Carlos Kleiber / Wiener Philharmoniker
https://www.youtube.com/watch?v=keXPClVJGrc

Brahms - Symphony No.4 - Kleiber, VPO (Live 1979) (remastered by Fafner) - YouTube
Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Carlos Kleiber, Vienna, live 16 December 1979.
https://www.youtube.com/watch?v=2YassHUkDYc

274名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 10:59:28.22ID:lK3Y379i

Brahms - Symphony n°4 - Berlin - Furtwängler 1943 - YouTube
Berliner Philharmoniker Wilhelm Furtwangler Recorded in Berlin, 27 & 30.VI.1943
https://www.youtube.com/watch?v=9I-Ovumi9mA

Wilhelm Furtwangler-Berlin Phil Brahms' Symphony No. 4 Live, 1948 [Remastered - 2016] MUST LISTEN - YouTube
Berlin Philharmonic Orchestra Live 1948 in Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=ho-VIo7pLzc

Brahms - Symphony n°4 - Berlin - Furtwangler Wiesbaden 1949 - YouTube
Berliner Philharmoniker Live recording, Wiesbaden, 10.VI.1949
https://www.youtube.com/watch?v=zlaTYaQP8IM

Brahms - Symphony n°4 - Vienna - Furtwangler Salzburg 1950 - YouTube
Wiener Philharmoniker Live recording, Salzburg, 15.VIII.1950
https://www.youtube.com/watch?v=fZj9Ge60u54

275名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:04:11.13ID:lK3Y379i

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 作品98 ワルター-コロンビア響 - YouTube
Columbia Symphony Orchestra 1959年2月 REC
https://www.youtube.com/watch?v=yDSJ5nYkUnM
https://www.youtube.com/watch?v=MW-YqiKcnfo


Brahms - Symphony n°4 - New York - Walter - YouTube
New York Philharmonic Studio recording, New York, 21.II.1951
https://www.youtube.com/watch?v=vw4EqGejunA


Willem Mengelberg (1871-1951) Brahms Symphony No. 4 (R.1938) - YouTube
Mengelberg and his Concertgebouw Orchestra
recorded on November 29, 1938, at Concertgebouw, Amsterdam
https://www.youtube.com/watch?v=MY63tc8xPDE
https://www.youtube.com/watch?v=My1tqHaEBH0

276名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:13:03.43ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No.4 in Em op.98 - Knappertsbusch - Bremen (1952) - YouTube
Orchestra: Bremen Philharmonic 12 December 1952
https://www.youtube.com/watch?v=dKHYE86SW_Y

Symphony No. 4 in E Minor, Op. 98 I. Allegro non troppo - YouTube
Hans Knappertsbusch Orchestra: SWR Symphonieorchester
https://www.youtube.com/watch?v=-6x2eEqBfcg
https://www.youtube.com/watch?v=sEKTcrls_Xg
https://www.youtube.com/watch?v=oXaC2HM--Bs
https://www.youtube.com/watch?v=y_vzcwVOndk

Symphony No. 4 in E Minor, Op. 98(Live) - YouTube
Hans Knappertsbusch Orchestra: WDR Sinfonieorchester Köln
https://www.youtube.com/watch?v=jbXflC2Uk58
https://www.youtube.com/watch?v=O95grlbkRGs
https://www.youtube.com/watch?v=vSrQGQHEsuE
https://www.youtube.com/watch?v=tacKLNy8fi0

277名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:17:06.42ID:lK3Y379i

brahms Symphony No. 4, Schuricht & BavarianRSO (1961) - YouTube
Bavarian Radio Symphony Orchestra (Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)
Rec. September 1961, in Munich(München)
https://www.youtube.com/watch?v=L2bZ-ITFgbI


brahms Symphony No. 4 - Schuricht · Wiener Philharmoniker - YouTube
Carl Schuricht, conductor · Wiener Philharmoniker / Recorded Live: 24.4,1965, Wien, Musikverein, Grosser Saal
https://www.youtube.com/watch?v=0KBAy7M2w74

280名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:25:32.01ID:lK3Y379i

Brahms Symphony No 4 Yevgeny Mravinsky - YouTube
Leningrad Philharmonic Orchestra Yevgeny Mravinsky, Conductor 28.IV. 1973
https://www.youtube.com/watch?v=pqLEhNuAh7M
https://www.youtube.com/watch?v=PJwQb1lY2R8


(Mravinsky)Brahms Symphony No. 4 Mvt IV - YouTube
Evgeny Mravinsky and his Leningrad Philharmonic Orchestra. The year is 1973.
https://www.youtube.com/watch?v=DwNZXJlTMww


Brahms - Symphony n°4 - Mravinsky Budapest 1962 - YouTube
Leningrad Philharmonic Orchestra Live recording, Budapest, 10.II.1962
https://www.youtube.com/watch?v=wDkAAl5xL1s



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c68

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
69. 中川隆[-14326] koaQ7Jey 2019年11月10日 11:59:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1428]

285名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 11:52:45.62ID:lK3Y379i

ブラームスは『ルサンチマン人間』を嫌う人が愛する音楽

Johannes Brahms - Liebestreu (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DPdX2Za1Z4I

Johannes Brahms - Immer leiser wird mein Schlummer (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CI32m4RqxJQ

Johannes Brahms - Lerchengesang (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BGv71ulK0lw

Mischa Maisky & Pavel Gililov Brahms - Sommerabend from songs... without words, Op. 85-1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oauGCZHd1No


Brahms: Wiegenlied, Op.49, No.4 · Mischa Maisky · Pavel Gililov - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EqVOx5P9w3E

Johannes Brahms - Immer leiser wird mein Schlummer (Mischa Maisky & Pavel Gililov) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CI32m4RqxJQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c69

[近代史3] 中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか? 中川隆
63. 中川隆[-14352] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:19:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1454]

上に貼った中島みゆきの歌曲リンクは歌詞だけに変わってしまいました。

ネットで見つけた中島みゆきの歌曲リンクは

中島みゆき (Miyuki Nakajima) Music Best 200 (MP3-PC-SP) HTML5
http://lemonlemon.dip.jp/mp3/index-08.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#c63

[リバイバル3] 中島みゆき歌曲集 中川隆
3. 中川隆[-14351] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:20:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1453]

上に貼った中島みゆきの歌曲リンクは歌詞だけに変わってしまいました。

ネットで見つけた中島みゆきの歌曲リンクは

中島みゆき (Miyuki Nakajima) Music Best 200 (MP3-PC-SP) HTML5
http://lemonlemon.dip.jp/mp3/index-08.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/740.html#c3

[番外地7] 中島みゆき 名曲集 中川隆
8. 中川隆[-14350] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:20:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1452]

上に貼った中島みゆきの歌曲リンクは歌詞だけに変わってしまいました。

ネットで見つけた中島みゆきの歌曲リンクは

中島みゆき (Miyuki Nakajima) Music Best 200 (MP3-PC-SP) HTML5
http://lemonlemon.dip.jp/mp3/index-08.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/253.html#c8

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
70. 中川隆[-14367] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:33:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1469]

289名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 12:03:48.53ID:lK3Y379i

Mozart、Mozart と騒いでるお子様にはブラームスはもったいない

お子様は10代のアイドル歌手の歌う流行歌とモーツァルトを聴いてればいいんだよ

290名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 12:31:51.27ID:lK3Y379i

モーツァルトの歌曲より10代のアイドル歌手の歌う流行歌の方が名曲じゃん


八神純子 みずいろの雨 1978 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=x5wCEIR1UEQ

高田みづえ 私はピアノ 19801231 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=61OyycYfnY4

石川ひとみ まちぶせ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ycbUJFRcTEc
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c70

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
71. 中川隆[-14366] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:39:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1468]

83名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 12:38:10.43ID:lK3Y379i

お子様は未成年のアイドル歌手の歌う流行歌とモーツァルトを聴いてればいいんだよ

そもそも、谷村新司の曲とモーツァルトの名曲とレベル全然変わらないだろ:


いい日旅立ち (山口百恵) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QMhX_pF0NkA

鬼束ちひろ - いい日旅立ち・西へ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xPZXIQdHaZ0
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c71

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
72. 中川隆[-14374] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:47:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1476]
モーツァルト(1756−1791)
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html

 モーツァルトは、かつては「神童」と呼ばれ、どちらかと言えば神に祝福された、幸福な幼児のイメージで語られていた。「モーツァルトはそんな幼稚な音楽じゃない」と反論しても、かえって「何をこいつは。そういうお前自身が幼稚なんだ」という目で見られてしまう傾向があった。ベートーヴェン風の苦悩と闘争、それを経て達する歓喜の歌、あるいはブラームス流の諦観、そうしたものが「高度な音楽」であり、すばらしいものだ。ベートーヴェン以前には、真に偉大な作曲家はいない。そう思っている人が少なくなかった。

 だが苦悩と闘争というのは、いわば文学的イメージである。ホッブスは原始状態を「万人の万人に対する闘争」と考えた。その闘争を緩和するのが法による秩序であり、国家という存在なのだ。

 しかし、原始人も群れて暮らしていた。群れから離れると、生存していく上での脅威は高いものになった。誰かが大きな獲物を仕留めると、それを巡って殺し合い奪い合うのではなく、群れで分かち合うのがむしろ普通だったらしい。群れの安定性を保つために、分かち合いが義務とされ、人に分けない者は群れの成員としての資格がないとされる。また殺し合いは、群れを不安定にし、成員の生存を脅かすものとして、排除された。またその頃にはリーダーという存在も現れた。多分リーダーがまず現れ、そのリーダーが群れを統率する上で「殺すな」「分かち合え」といったことを説いたのだと思う。もちろん、そうした群れでは、獲物を最初に食べるのはリーダーだっただろう。しかし比較的に公平な分配が行われていたようだ。

 闘争がわれわれの日常の現実になるのは、「競争社会」といったものが成立したからである。闘い勝つことが美徳であり、だめなヤツは敗れ去る。そのだめなヤツの悲哀を歌うのもいい。だが単にだめで終わらず、あくまで積極的に挑戦する。それが正しい道だと誰もが思っている。「夢を追う」という言い方もある。「夢」とは、要するに他人に勝つことである。

 もちろん、勝つことだけが目的で、他人の失敗を願うといったことは卑怯だとされるが、戦争や格闘競技で相手のミスを誘うことは、正当な戦術である。相手を実力が出し切れない状況に追い込む、あるいは相手のミスに乗じて勝ちを取る、といったことが賞賛されるのだ。

 皆さんも「宋襄の仁」という言葉を聞いたことがおありだろう。宋の国の襄公は、敵軍が川を渡るのを見て、自軍の参謀が「今こそ攻撃のチャンスです」と言うのを聞かず、「今攻撃するのは卑怯である」と、そのまま見ていた。また川を渡り終えた敵軍がへとへとに疲れて、陣形を立て直すこともできないのを見て、また参謀が「今が最後のチャンスです」と言ったのに、やはり「今攻撃するのは卑怯である」と見逃し、敵軍が十分に戦闘準備するまで待っていた。

 それからやっと攻撃しかけたのだが、宋はあっけなく敗れてしまった。そこでこのように「敵に無用の情けをかける」ことを「宋襄の仁」と呼んで、中国では笑いものにする(ただし宋の国では「襄公は正々堂々としていた」というので、賞賛されたそうだ)。

 他にも井戸に落ちて「助けてくれ」と叫んでいる敵兵を憐れんで助けた兵士が、その敵兵にいきなり殺されてしまった、という話もある。このように、戦争は情け無用であって、卑怯と言われようと何と言われようと、勝つことが最大の目的だとされている。多くのスポーツは、そういう考え方で行われているだろう。

 しかし、たとえばフィギュアスケートの場合を考えてもらいたい。ある時、トップ争いをしていた女子選手がジャンプの失敗で転倒した。次に荒川静香が完璧な演技を披露して優勝した。彼女が前の選手の演技の時に「転んでくれますように」と思っていたり、転倒の瞬間に「やった、これで私のもの」と喜んでいたとすると、その後完璧な演技ができただろうか。そういうマイナスの演技イメージを思い浮かべたのでは、自分の演技にも乱れが出たことだろう。やはり「相手は完璧だった」と仮定して、全力を尽くしたのだと思う。

 芸術で「競争する」というのは、フィギュアスケート・タイプの競争である。モーツァルトは自分が完璧な作品を書けると確信していた。他人のまずい作品を嘲笑したが、それによって勝とうとしたわけではない。他の選手の転倒という事実を許せなかったのだ。相手も完璧な演技をしてもらいたい、それでこそ競技全体のレベルが高くなる。

 モーツァルトは、今日で言うADHDだったと思われる。ヒルデスハイマーの皮肉に満ちた評伝で、モーツァルトの落ち着きのない性格について、ある人が「いつもピアノに向かったときのように落ち着いていてくれればいいのに」とぼやいたという話が出てくる。音楽についてだけ、驚くべき集中力を発揮したということである。

 しかしまた、彼はバッハと並ぶ完璧な耳を持っていた。よくモーツァルトの天才を証明する逸話として、システィナ礼拝堂で歌われていた門外不出の秘曲、アレグリの『ミゼレーレ』を一度聴いただけで、その夜、宿で完全な楽譜に書いたという話が取り上げられる。だが絶対音感を持つ人は、聴いた音に対する記憶力が優れているのが普通らしい。『ミゼレーレ』は、主要声部がいささか単調な繰り返しであり、高音部に即興的なメロディを付け加えて演奏された。モーツァルトには容易に聞き取れただろうし、繰り返しも多いので、記憶することも簡単だったのだろう。


<モーツァルトの耳>

 モーツァルトの耳には軽微な奇形があった。耳殻に襞が全くなく、皿のように平板だったのだ。このページにはWikipediaからもらった肖像を掲げたが、それは生前の画像であると伝えられること、耳を髪で覆ってその現在では「モーツァルト耳」と呼ばれる奇形を隠していることに、信憑性を感じたからである。

 この『ミゼレーレ』は、タリス・スコラーズの非常に美しい演奏のCDが出ている。2005年の再録音盤は、まだ日本語解説付きで手に入るだろう。ト短調で始まり、ハ短調の装飾旋律がからむ。ここで聴くノン・ビブラートのハイCは、実に美しい。装飾音型を変えた二種類の演奏が入っていて興味深いし、解説も大いに参考になる。

 モーツァルトの天才性は、そうした『曲技団的』能力にあるのではない。そういう能力では、グラズノフの方が優っている。彼は、一度聴いた曲なら、どんな駄作でも憶えていたそうだ。だがその中で、人類史上最高の作品を書いたかというと、そうでもない。私には、むしろ絶対音感がなかったといわれるチャイコフスキーの方が、はるかに面白いと感じる。

 ロビンズ・ランドンの「モーツァルト」に次のような話が紹介されている。まだモーツァルトがさほど有名でなかった頃、ある人がアマチュアの弦楽四重奏団を作っていたが、知人からモーツァルトの楽譜を見せられ、「一度これを演奏して見給え」と言われた。しかし、彼らの技量では難しくて弾けなかった。そこで、知り合いの老作曲家にその楽譜を見せに行った。どの程度の作品か、判断してもらおうというわけである。老作曲家は、ぱらぱらとページをめくって、「かなり熟達した作曲家だな、40歳代だろう」と言った(実は20歳代の作品)。それから譜面を読み始めた。ところがそのまま黙ってしまったので、「先生、どうなんですか?」と尋ねたところ、老先生は顔を上げたが、その目はうっとりと夢見るような眼差しだった。「なんてすばらしい音楽なんだ!」と老大家は叫んだ。

 天才とは、ナニカの技術において人より優れているだけのものではない。楽譜を読むだけで頭の中に音として響くとか、逆に音を聴いただけで楽譜になるという人は多いのである。ベートーヴェンも、聴覚を失ってからでも作曲していたし、シューベルトの歌曲の楽譜を読んで感心したという。

 要するに、モーツァルトの天才性とは「なんてすばらしい音楽なんだ!」という一言に尽きる。彼はこの世で最美の音楽を書いた。ある時、イタリアの大作曲家が死んだ。人から「後継者は誰がいいでしょう?」と尋ねられたパイジェルロは、言下に「それはモーツァルトだ」と答えたそうである。「彼の音楽には少し難しいところがあるが、非常に優れている」(ランドン「モーツァルト」より)。

 モーツァルトが難しいと思う人は、今日では一人もいないだろう。だが実際、当時の人には難しく聞こえた。テンポが速く、次から次へと新しい楽想が湧いて出るので(多動性)、当時はすべてを味わい尽くすことができなかったらしい。


<モーツァルトのテンポ>

 ヒルデスハイマーの著書に、次のようなエピソードが出ている。ある裕福な市民(ブルジョア)が、娘を連れて評判の歌劇「フィガロの結婚」を見に行った。ところが、第一幕が終わっても、一つもアリアが出て来ない。「どういうことだろうね」と娘に言うと、彼女は「何を言ってるの、お父さん、もういくつもきれいなアリアが出て来たじゃないの!」と返事した。父親は、どれもレシタティーヴォだと思い込んでいたのである。なぜか。テンポが速過ぎたのだ。当時の音楽愛好家の心に染みついていたのは、グルックのオペラであった。そのテンポは、現代では当時よりやや速く演奏されているが、実はかなり遅く、変化も少ない。要するにメロディは聴き取りやすい。

 話し相手より少し遅いテンポで話せば、相手をリラックスさせ、説得力が増すという実験結果があるそうだ。最近は、私には聞き取れないほど早口にしゃべる人がいて、就職面接で「頭の回転が速い、雄弁だ」と思わせることがあるらしい。ところが、そういう人に営業を担当させたらさっぱりだったということが多い。顧客から見ると、相手の思惑に関係なく、言いたいことをぺらぺらとしゃべりまくっただけで、営業になっていない。組織のリーダーや営業マンは、しゃべる能力より聴く能力の方が重要なものらしい。

 アメリカン・ジョークの一つに、こういう話がある。鉄鋼王カーネギーのところに、一人の客が尋ねてきた。秘書が部屋の外で聴いていると、その客はのべつ幕なしに何かをしゃべり続けている。カーネギーは時折「ふむふむ」、「ほう」と相槌を打つだけである。やがて用件が終わって部屋から出て来た客は、感嘆して叫んだ。「なんて話し上手な人なんだ!」

 よく「話し上手は聞き上手」と言うが、上記のエピソードは、本当にあった話かも知れない。「王者」たるものは、聞き上手でなければならないのである。たとえば戦国を制した徳川家康は、家臣の意見をよく聞いたそうだ。時には疑問があっても家臣の言う通りに動く。結局彼が覇者になった一番の理由が、そこにあると言う人もある。

 モーツァルトの音楽は、当時の人々にとっては早口で一方的にしゃべりまくる営業マンのようだっただろう。だが、すでに次の世代(娘の世代)は、モーツァルトのテンポを聞き取ることができるようになっていた。モーツァルトが死んでから、ウィーンは空前のモーツァルト・ブームに沸いたが、それは偶然ではないのだ。

 音楽のテンポは、ある程度社会性を帯びている。江戸時代の日本は、すべてのテンポが緩やかだった。オランダ人が江戸の町を歩いていたら、向こうから誰かが歩いて来る。「いずれは道を譲り合うことになる」と思いながら歩いて行くと、薄ら笑いを浮かべながら、どこまでもまっすぐ進んでくる。ぶつかる寸前になって「あぶない」と、とっさに身をかわしたが、見ていると日本人は何事もなかったかのように、なおもそのまままっすぐ歩いて行く。

 実際、町人同士がぶつかり合うまでまっすぐ歩き、ぶつかった後に初めて「これはどうも失礼しました」と互いにペコペコお辞儀する場面がよく見られたという。かといって歩くのが速いわけではない。むしろオランダ人が世界のどこで見たよりも遅い。そのため、彼らは「日本人はおそろしく動作の鈍い人種である」と報告した。だが逆に日本人は、オランダ人の素早い動きが信じられなかったそうだ。普通ならぶつかり合うところなのに、突然目の前から消えてしまったのである。「オランダ人はおそろしく素早いぞ」「バテレンの妖術か?」というのが当時の印象だったらしい。

 昭和30年代の日本は、新しい建築が相次ぎ、都市の景観はめまぐるしく変化した。日本人は忙しく動くようになった。後年、日本人(特に大阪人)は、世界一速く歩いているという測定結果が出た。だからぶつかることが多くなったわけではない。通行量が多く、しかも非常に速く歩いているなら、ぶつかり合いは江戸時代より多くても不思議はないのだが、事実は逆だった。みんながすばしこく、ちょこまか動いているのであって、おそらく江戸時代人から見ると、全員忍者のように見えるだろう。

 江戸時代は変化の少ない社会だった。あまり歴史を知ることのない庶民は、宇宙が始まって以来、江戸は徳川が治めていたと思いこんでいることも少なくなかった。「変化が激しい」「人口密度が高い」というのは、動作を敏捷にさせる要因なのである。絶えず周囲の状況に注意を払い、危険には機敏に反応する必要があるからだ。

 その意味で、モーツァルトのテンポを見直すのも悪くない。現在はせかせかした演奏が多いが、本当に昔はそうだったろうか。ある時テレビを見ていると、戦後復興期に登場した美空ひばりの「りんご追分(52年)」が出て来たのだが、桂三枝がそのオリジナル録音に付いて歌おうとすると、あまりにも遅いテンポなので、全く間が持たない。私もこの歌は記憶にあり、美空ひばりの声で流れてくると。「ああ、この歌はこうこうで、次の音符はこう」と、すぐ分かるのだが、それは桂三枝の憶えているテンポと同じだった。2割ないし3割も速いタイミングだ。

 52年(昭和27年)と言えば、朝鮮戦争の特需でやっと一息ついた日本が独立を果たした年だ。敗戦後の日本は、アメリカ領土になっていた。その間、日本という国家は、名目上、世界地図から消滅していたことになる。もちろん49年には国旗(日の丸)の掲揚が許されるなど、徐々に国家としての体面が回復しつつあったらしいが、戦争の傷跡は随所に見られた。たとえば私の生まれた家の近くには、空襲で破壊された大阪砲兵工廠の焼け跡が57年頃まで存在していた。

 記憶の中のテンポと、実際のテンポの違い。それは社会状況の違いである。昭和27年はまだほとんどの日本人がやせ細っていて、物産も貧しく、夏にはラジオの高校野球中継でも聴きながら昼寝をし、夕涼みに屋外の縁台に腰をかけることができれば最高だった時代だ。すだれが風にそよぎ、風鈴がチリンと鳴って、時には「さおーだけー」という声が聞こえてくる。当時はみんなが貧しかったというのは大げさだが、敢えて言えばみんながホームレスだった。欲を持つと言っても、せいぜい毎日白米のご飯を食べたい、という程度のことだった。ちなみに、私は白米1:麦2のご飯を食べて育った。冷えると臭いニオイがあるが、それに醤油をかけ、お湯で薄めて食べた。おかずなど何もない時代である。味噌汁をかけて食べることができれば、贅沢な方であった。卵かけご飯など、夢のようなごちそうだったが、それさえも冷えた麦ご飯の臭いニオイを覆い隠すものではなかった。


<モーツァルト晩年の困窮>

 モーツァルトは、死んだときほとんど破産状態だった。未亡人(コンスタンツェ)が皇帝に謁見すると、皇帝は破産報道を知っていて、彼女に厳しい目を向けた。当時は、破産というのは犯罪のようなものだったからだ。その時、コンスタンツェは夫の遺作演奏会、楽譜出版など、2,3の試みを提示して、破産を免れることが可能だと弁術した。事実、彼女はすべての負債を完済したばかりか、亡夫の遺した作品で大もうけしたという。

 だが晩年の収入が少なかったわけではないらしい。それどころか、当時としては相当な高収入だったようだ。彼はハイドンやサリエリのような高い地位にはなれなかったが、一応宮廷作曲家の称号を得て、給与ももらっていたし、ピアノ教師と楽譜出版、オペラでの収入もあった。夫婦共に浪費癖があったことが、困窮の理由かも知れないが、それだけでは説明できない。人気にかげりが見えた死の年だけでも、現在の日本円にして5000万円以上の収入があったのである。

 浪費癖は、「神童」時代に王侯貴族の生活を垣間見たこと、ザルツブルグに戻ってからは召使い同然に扱われて、憤懣のあまり大司教の下を飛び出したことを考え合わせれば、つまりは貴族のように暮らしたかったということだ。ある意味では父親にも責任があったと言える。

 またある人によると、フリーメーソンの支部を作ろうとしていたのではないかという。そのための費用が必要だったというのである。

 そういう可能性もあるだろうが、秘密結社だというので、フリーメーソンの影響を過度に考えるのも正しくないそうだ。当時の知識階級には、フリーメーソンの会員だった人物が多い。ハイドン、サリエリもフリーメーソンの会員だったと言われ、皇帝ヨーゼフ2世も寛容であり、実際はかなりオープンなものだったらしいのである。

 結局、モーツァルト晩年の経済的困窮の理由は分からない。ただ死の年には、収入が全盛期の半分ぐらいに減ってしまっており、実際以上に困窮した感じがあっただろう。現代でも莫大な収入のあった人気アーティストが、人気にかげりが見えて収入が減ると詐欺を働いたり、かつては高額の年棒をもらっていたプロ野球選手が、退団後に落ちぶれて強盗になった例がある。「あの金はどこに消えたの?」と聞いても、本人にも分からない。


<モーツァルトが愛した女性>

 モーツァルトが生涯愛したのはコンスタンツェの姉、アロイージアであった。美人だというだけでなく、音楽的才能がすばらしかったらしい。彼が結局コンスタンツェと結婚したのも、そうすればアロイージアの側にいられると思ったからだろう。だが、コンスタンツェを愛していなかったとは思えない。

 しかし彼がADHDだったとすると、コンスタンツェにとってもかなり扱いにくい夫だった可能性がある。

 彼が死んだとき、コンスタンツェにしてみれば、「バカな男と結婚して、まだ芽が出ないうちに死なれてしまった」と、嘆かわしいことおびただしい。ところが、ある弔問客が「あなたの夫は天才だった」と言ったので、「あのバカが天才?」と、彼女は心底驚いたという。それまで、夫の作品などただのクズだと思っていたのだ。しかしその後、散逸していた夫の作品をかき集めて演奏や出版を行い、事業家としての能力を発揮している。

 コンスタンツェは、しかし、やはりモーツァルトを愛していたのだろう。彼らの結婚生活はひどいものだったが、それなりに楽しい一面もあった。われわれは現在、モーツァルトのほぼすべての作品を耳にすることができる。それはコンスタンツェが、散逸していた楽譜を精力的に集めたことが大きく寄与している。それは、作品によほどの愛情を注いでいなければできないことだ。

 彼女自身はヘンデルなどの古い音楽を好み、夫が在世中は、全く彼の音楽を理解しなかった。しかしニッセンと再婚して共同で伝記を執筆したりするうち、やはり音楽への理解や、前夫への愛が甦る瞬間はあったに違いないと思う。「私より姉を愛していた」と思い知ることもあっただろうが、姉に劣らず彼女自身を愛していたことも分かったと思う。


<モーツァルトの死>

 あまりにも急な死だったので、モーツァルトの死は、音楽史上のミステリーとされることが多い。死後に訪れたモーツァルト・ブームの中で、サリエリが突然「私がモーツァルトを殺した」と叫んで自殺を図ったという史実もある(映画『アマデウス』の冒頭場面である)。オーストリア官憲が彼を精神病院に閉じ込めたので、真相は分からなくなってしまったが、モーツァルト自身も「誰かに毒を盛られた」と思い込んでいたらしい。

 「サリエリがモーツァルトに一服盛った」という噂は、モーツァルトが死んだ直後からあった。サリエリ自身は、モーツァルトが死んだと聞くと「死んだって?それは助かった。あんな天才にいつまでも生きていられたんじゃ、われわれ凡才は仕事を失ってしまうからね」と語ったそうだ。後にサリエリが「私が殺した」と言って自殺しかけたとき、ベートーヴェンは「やっぱりあいつか。初めからそうだと思っていたよ」と言った。実はベートーヴェンもシューベルトもサリエリに学び、そのタチの悪い妨害や陰謀に悩まされた経験があるそうである。

 ただし、サリエリが築いていた宮廷作曲家という地位は、有力な競争相手が出現したら突然失ってしまうような不安定なものではなかったらしい。たとえ解任されても、年金を受け取ることができたのではないだろうか。モーツァルトも晩年には宮廷作曲家に任命されたが、特に妨害は受けていないようだ。サリエリが地位を守るためにモーツァルトを殺すという可能性は小さい。

 単純な病死だったという説がある。モーツァルトは幼い頃から病弱で、その病歴からリューマチ熱だったのではないかというのである。モーツァルトの遺骨が出れば検証できるかも知れないが、現在のところ、モーツァルトの墓は見つかっていない。当時の医師の診断は「粟粒熱(ぞくりゅうねつ)」という訳の分からない病名で、現代の医学では「そのような病気は存在しない」とされる。

 食中毒説もある。ディスカバリー・チャンネルで紹介された、豚肉の寄生虫による中毒で、1860年頃、彼とよく似た症状で死んだ農家の娘は、遺体の検証で、食中毒だったことが確認されたそうだ。

 一番有力なのが毒殺説で、当時は毒と言えばヒ素と決まっていた。モーツァルト最後の病状は、ヒ素中毒によく似ているという。トファナ水というのはヒ素の溶液で、濃度を注意深く調整すれば、飲ませてから何日後に死ぬかを正確に決定できるという話まであった。ただこれは、人によって致死量が違うことも分かっているので、かなり誇張されたおとぎ話である。

『元素の百科事典』に出ているエムズレー博士の説は、アンチモン中毒である。モーツァルトの頃はアンチモンが発見されて間もない時代で、あまり正体がよく分からないまま、胃腸薬などとして処方されていたそうだ。だがアンチモンは毒性があり、飲み過ぎるとヒ素中毒に似通った症状が出る(周期表でもヒ素と同族である)。モーツァルトにもアンチモン製剤が処方されていたので、誤って飲み過ぎたのではないかという。なお現在では、医薬として用いられることはない。


<モーツァルトの姉>

 もう一つ、モーツァルトの生涯で特徴的なのは、姉ナンネルとの関係である。それはメンデルスゾーンの姉ファニーとの関係にも似ている。この姉たちは、弟たちの先生でもあった。たとえばモーツァルトは当時ヨーロッパ一のピアノの名手と言われたが、クレメンティとの競争演奏では、客観的に見ると引き分けだった。そのクレメンティを、モーツァルトは「達者な腕前だが機械的で情感に欠ける」として否定している。また、何人かいた弟子について、「それにしても女の子の方が音楽的に弾くのはどうしたことでしょう」と言っている。彼の感想では、女性のピアノの方が情感があり、音楽的なのだった。男が弾くと、無機的になりがちだ。それは音楽ではない。

 この話は、彼の幼児期のピアノの先生が、実はナンネルだったということを明かしているのだろう。ナンネルの作品は残っていないが、作曲を行っていたことは分かっている。だがヴォルフガングが「お姉ちゃん」の真似をして作曲し始めると、父レオポルトは、もうそれ以上姉には教えず、弟を神童として売り出すことに熱中した。

 ナンネルも神童だったらしいことは、当時の人たちの記録に残っている。あるとき、宿に足止めを食らった客の中に、まだ幼かったモーツァルト姉弟がいた。彼らは退屈しのぎに連弾だったか二重奏だったかを披露したそうだ。「この二人の神童のピアノは、われわれを大いに愉しませた」という。

 父親レオポルトが、弟の方を特に熱心に育てたのは、当時の男女差別的な社会情勢が原因であっただろう。女性はピアノの名手であっても、それは身持ちのいいお嬢様の趣味の芸事を時たま披露するだけであって、職業的音楽家の道などはどこにもなかった。貴族の奥様になる、といった目標の方が、はるかに重視された。ましてや作曲家などとんでもない。

 実際のナンネルの才能は、現在知られているよりはるかに優れていたと思われる。彼女はしばしば弟の協奏曲のソロを努めた。彼女のピアノこそモーツァルトの音楽の原点にあったのではないだろうか。

 それはさておき、私の好きな作品について述べたい。


『グラン・パルティータ』〜第3楽章「アダージョ」

 モーツァルトには傑作が多いが、「グラン・パルティータ(大組曲)」は、その中でも最高の一つである。正式な名称は「13管楽器のためのセレナード」といい、木管のアンサンブル曲だ。セレナードとしては第10番(変ロ長調)とされる。

 モーツァルトの時代、まだ現在のように「交響曲が最高のジャンル」といった考え方はなかった。交響曲、セレナード、ディヴェルティメントの区別は「演奏機会」の区別なのだろう。内容で分けられているわけではない。もちろん演奏機会は内容に結びついている。たとえばベートーヴェンの七重奏曲などは同じ性格を持ち、やはりリラックスした気分の曲である。ここに「苦悩と闘争」のベートーヴェン像を見出すのは、深読みに過ぎる。こういった作品は、リラックスした気分を作り出すためのものであり、食事時のBGMとして演奏されたりしていたのだ。

 本題の「グラン・パルティータ」について言うと、私は80年頃、エド・デ・ワールト指揮のオランダ管楽合奏団(?)のLPをオーディオ的な興味で買って聴いた。最初は「まあ、いい音はするがモーツァルトらしい能天気な曲だなあ」と思っただけだった。

 グラン・パルティータの本当の良さが分かったのは、父の死の直後だった。長い間、寝たきりの父の存在は重荷だったし、愛情の薄い人だったので、「早く死んでくれればいい」とさえ思っていた。だが、死んだとき、重荷だろうと厄介だろうと、父と母と私しかいなかったその年月、良くも悪くも、父が家族の中心にいた。いささか子供っぽいが、「ボクたちは明日からどう生きていけばいいの」というのが、当時の心境だった。

 それは暑い8月のことで、当時は父の家の屋根裏部屋に住んでいたのだが、夏には50度以上にもなり、30分もいれば半狂乱になるような部屋だった。そこに私のオーディオ・システムを置いていた。葬儀まではレコードを聴くこともなく、屋根裏部屋には立ち入らずにいたのである。だが葬儀の後、世間が「盆休み」に入り、親戚一同も去って、静かになった。母と仲が良かった伯母だけがしばらく家に留まっていたが、その日は二人でどこかに出かけ、私は一人で家にいた。

 久しぶりに音楽を聴こうと屋根裏部屋にこもったが、哀しかった。なぜもっと父に優しくできなかったのだろう。父がまた歩けるようになり、一緒に笑うことができるようになる。それが父と私の共通の夢だったではないか。なのに何もできないまま死なせてしまう。後追い自殺したいほど、非常な罪悪感があった。自殺の動機の中には、肉親が死んで、遺族が後追い自殺したケースが多いそうだ。当時の私もそういう状態だったのだ。

 だが私は、音楽を聴けば多少は慰めになるかも知れないと思った。

 最初にかけたレコードは、ハイティンク指揮のブラームス『ドイツ・レクィエム』である。名曲・名演で、録音もいいのだが、その時の私には、むしろブラームスの傲慢さが耳障りだった。「どうせお前らの悲しみというのは、この程度だろう」と下品に口を歪めて笑っているようだった。要するに嫌みな訳知り顔をした、人生などてんで分かってないオッサンがでっち上げた曲なのだ。

 レコードを代えて、ベーム指揮のベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」にした。ブラームスほど嫌な感じはないが、「お前らの個人的な悲しみは関係ないよ」というような音楽だった。

 次はリヒターの「マタイ受難曲」。史上最高の名曲と思う「憐れみたまえ、わが神」のくだりを聴いたが、やはりどこか客観的な音楽だった。ベートーヴェンほど突き放した感じではなく、戸口に立っている友人のようである。「分かる。分かるよ。大丈夫か。しっかりしたまえ」と言っているようだが、それ以上気持ちの側にやってくることはない。

 他にもいくつか聴いたと思うが、あまり記憶にない。とにかく最後に聴いたのは、『グラン・パルティータ』である。なぜそんなものを取り出して聴いたのかも分からないが、私にとっては最高の救いの音楽だった。年若い友人が耳元で一生懸命慰めてくれているような、「世界は美しいし、人生はもっともっと生きる価値があるんだよ」と話してくれているような音楽なのだ。

 よく晴れた日で、陽がやや夕暮れの色彩を帯び、青空の下に黄金の光が満ちた。隣家の壁や屋根が、すべて美しい光に照らされた。第3楽章のアダージョに差し掛かったときのことだ。いつもは貧しく汚らしく感じていた風景なのだが、柔らかい木管の響きの中で、突然この上なく美しい風景に変容した。それはまるで魔法の眼鏡を通して見ているようだった。

 モーツァルトは魔法の眼鏡である。その眼鏡をかければ、この世のことはすべてが美しく見える。

 その日から、モーツァルトの大ファンになった。実を言うと、その時までモーツァルトと言えば、交響曲第40番やピアノ協奏曲第20番といった短調作品以外は、退屈な曲が多いと思っていた。一部の曲はいろいろな機会に耳にタコができるほど聴いていたし、知らない曲でも、どれも同じようなワンパターンの節回しで、聞き慣れた響きがする。だから「ああ、またあのパターンか」と最初から飽きてしまい、しっかり聴くことがほとんどなかった。

 しかしそれ以後、彼の作品を注意して聴くようになった。楽器の音色を活かした音響の美しさ、ありきたりなようだが情感あふれるメロディ。「フルートとハープのための協奏曲」などは、依頼があったので、やむを得ずこの取り合わせで作曲した(彼はフルートが好きではなかった)のだが、後の作曲家にはもうこの他の組み合わせを考えられなくなったほどの調和がある。もっとも、ドビュッシー晩年の美しい「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」やラヴェルの「序奏とアレグロ」では、それぞれヴィオラ、クラリネットを加えることで、新たな音響美を模索している。

 なお「十三管楽器」という編成をユニークだと思う人は多いだろうが、当時は木管アンサンブルが流行していたので、そんなに珍しいわけではないようだ。セレナード第11番変ホ長調、同第12番ハ短調も管楽アンサンブルである。ちなみに、木管をウィンド(Wind=風?)と呼び、金管はブラス(Brass=真鍮)と呼ぶ。他にリード楽器(Reed=舌、簧)という分類もある。

 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィル管楽アンサンブルの演奏が一番納得できる。やや古い録音なので、音響面では最上とは言い難い。少し艶が不足しているようである。だが、第3楽章はやはり美しい。私の耳には、北に大きな窓がある部屋で、その窓から見える緑が室内に照り映えている中で演奏しているように聞こえる。

 小学館版のモーツァルト全集に採られたマリナー=アカデミーの演奏はディジタル録音でもあり、音質は万全である。第1楽章の開始部分は、ばら色の光が差すような美しい音である。第3楽章はトリラーがやや耳障りに聞こえるのが残念だ。他の楽章は優れたアンサンブルが展開されている。

 コレギウム・アウレウムの2回目の録音(ディジタル)は、音も表情も美しく、楽しめる。全体に青白い音が立ち並ぶ。アンサンブルに清潔感があり、他の演奏に比べるとこぢんまりして、いかにも室内楽風である。この曲の交響楽的壮麗さを愛する人には、物足りないかも知れない。


『ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノーム」』

 モーツァルトが21才で書いた大傑作で、当時ウィーンに滞在したジュノームという未婚の女性ピアニストのために書いたと伝えられる。第1楽章の開始はあまりスケール感がなく、むしろ「可愛い」と言いたいようなシンプルな始まりだが、音楽が進行するにつれて実は壮大な曲であることが分かってくる。第2楽章はハ短調の透明な悲しみに満ちた音楽。ロマンティックな味わいと、バラード風の展開が魅力である。第3楽章もユニークだ。ロンドなのだが、中間部で大きくテンポを落とし、突然別の楽章が始まったかのような変化を見せる。

 なおジュノームというピアニストは記録に残っていないので、どんな女性だったかはよく分かっていない。最近の研究では、モーツァルトの知人の娘でジュナミという女性が(既婚婦人?)がその正体だと言われる。だが「ジュノーム」というニックネームがいかにも若きモーツァルトの憧れを表したロマンティックな響きを持っているので、今後もそう呼ばれ続けるだろう。

 この曲を初めて知ったのは、ルドルフ・ゼルキンのピアノ、アバド=ロンドン響のCDである。第2楽章で、ゼルキンは心の打ち震えるようなみずみずしい表情を聴かせていて、すばらしい演奏だ。オーケストラも透明感と色彩感があり、万全と言える。

 シフのピアノ、ヴェーグ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム。ゼルキン盤よりさっそうとした切れ味の良さがあり、なかなかの名演である。ただ私の耳には、音が全体に青みがかって単色に近いように聞こえる。

 内田のピアノ、テイト=イギリス室内管のオケ。2006年に発売されたポリドール版『モーツァルト全集』の中の1枚で、内田光子のピアノには濃やかな表情があり、オケの響きも悪くない。日本では、実力の割に内田の人気が低いような気がするのは、私だけだろうか。

 ピリス/グシュルバウアー盤は、録音のせいか、オケが少し透明感を欠く。ハスキル盤もモノラルなので、ここでは番外とする。

 なお、ゼルキン盤など、多くのCDでなぜか『ピアノ協奏曲第17番』ト長調と組み合わされていることが多い。これもしっとりした味わいのある傑作で、モーツァルト自身、大いに気に入っていたそうだ。未聴の人にはお奨めする。


『交響曲第36番ハ長調「リンツ」』

 私の偏愛する曲だが、実は第1楽章の短い序奏が気に入っていて、その遅いテンポに引きずられたかのように、主部も遅く演奏されるのが面白いのである。雨は止んだが、まだすっかり晴れ上がったわけでなく、道端の木々には薄暗い蔭が残っている。しかし、息を潜めていた虫たちがやっと鳴き始めた、という雨上がりの気分である。もし序奏がなく、いきなり主部が始まっていたとすれば、現代の演奏家なら、もっと速く演奏するだろう。

 このことが、モーツァルト演奏の正しいテンポを疑わせるのである。この主部は、現代の常識的なテンポから見れば、半分近くも遅く演奏されているのが普通なのだ。だからといってモーツァルトの味がしないわけではなく、むしろかえって面白い。彼の在世当時は、こういうテンポだったのかなと思わせるのである。

 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィルが一番いい。いかにも壮大な曲のように響き、序奏部分も単なる序奏に終わっていない。

 レヴァイン=ウィーン・フィル盤やバーンスタイン=ウィーン・フィル盤も、序奏は単に主部を導入する経過句のように演奏していて、やや不満である。

 昔コンサートホール・ソサエティで出ていたシューリヒトのLPは、すばらしかったように記憶する(現在手元にはない)が、CDへの復刻は、発売が予告されながら実現しなかった。


『フィガロの結婚』

 モーツァルトの典型ともいうべき美しいメロディが続々と現れる、すばらしいオペラである。私はバッハの『マタイ』とこの『フィガロ』を西洋音楽が到達した二大高峰と思う。もちろん彼はこの後にも『ドン・ジョヴァンニ』、『コシ・ファン・トゥッテ』、『魔笛』といった名作を書き、人によっては『フィガロ』より上だと言う。たとえばキエルケゴールは、『ドン・ジョヴァンニ』こそ最高傑作だと思っていた。なるほど音楽は美しいが、私には、『フィガロ』ほどの緊密なドラマにならず、少し弛緩が見られるような気がする。モーツァルトは、やや落ち目に差し掛かっていたのではなかろうか。上り調子だった時期の『イドメネオ』、『後宮からの誘拐』などの張り詰めた清冽感に比べて、少し物足りないものを感じるのである。

『フィガロ』を頂点と考えるなら、彼が落ち目になったのは、やはりこの作品が思うほどの成功を収めなかったことにあるだろう。初演は大成功で、「アンコール、アンコール」が続き、上演は深夜に及んだ。あまり極端なので、政府は過度のアンコールを禁止する政令まで出したという。ところが、それほどの大成功なのに、劇場では早々と演目からおろしてしまった。当時は、まだモーツァルトは前座扱いで、興業主はソレールというスペインの作曲家のオペラで大もうけを企んでいた。そのため、「駆け出し作曲家」、モーツァルトのスペインを舞台とした『フィガロ』がアペリティフとして用いられたというのである。事実ソレールのオペラ『椿事(珍事)』は、『フィガロ』以上の大当たりだったそうだ。

 当時はフランス革命騒ぎの最中であり、ヨーロッパではいわゆる「革命の輸出」に神経を尖らせていた。ところが台本の原作となったボーマルシェの戯曲は革命思想に親近感のあるものだったので、ウィーンでは上演が禁止されていた。こうした事情があるので、政治的な理由から葬り去られたという説もある。

 今となっては真相は分からないが、その頃からモーツァルトの予約演奏会のチケットが売れなくなり、かつて彼をもてはやした知人たちが、何となく距離を置くようになったのは事実らしい。彼の収入は少ないものではなかった(事実は相当な高収入だった)が、しきりに困窮を訴えるようになったのもこの頃からだ。

 それはそうと、私が一番いいと思うのは、やはりベーム指揮、プライ他のDVD(ポネル演出のオペラ映画)である。F=ディースカウ演ずる伯爵が、夫人の部屋にやって来る。ちょうどケルビーノを匿おうとしていたところなので、夫人とスザンナは大慌て。この場面が手に汗握る緊迫感で描かれる。このDVDでは、伯爵夫人をキリ・テ・カナワが演じているが、同じベームのCDでは、伯爵夫人をヤノヴィッツが歌っており、彼女の透き通るような美声を好む人には、CDの方がいいかも知れない。あの美しい『手紙の二重唱』では、ヤノヴィッツの声がうっとりするようなハーモニーを形作る。

 世界文化社から出ている「オペラ名作鑑賞」の第四巻にはバレンボイム=ベルリン国立歌劇場の上演と、コンピエーニュ帝国劇場の上演が収められ、かなり興味深い。コンピエーニュ版は歌劇のエロス的な側面を強調したというが、ケルビーノはテノールが演じており、普通の演出の性倒錯的な魅力はかなり減じている。第四幕の女たちの演技は、なるほどやや官能性を表に出しているが、驚くほどでもない。ここでスザンナは不倫の予感に身を震わせ、イケナイ感覚に酔っているように見える。台本にはそういう要素が内在しており、変わった演出というには当たらない。

 バレンボイムは、日本ではジャクリーヌ・デュ・プレとの不幸ないきさつがあってあまり人気が出ないが、実力はやはり大したものである。欲を言うと、このDVDではケルビーノの『恋とはどんなものかしら』が、大人の女性が歌っているように聞こえてしまう。

 メータ指揮=フィレンツェ歌劇場の公演。伯爵夫人のグヴァザーヴァがとても美人で愛らしく、魅力的だ。『恋とはどんなものかしら』は少年っぽくストレートに歌われている。スザンナは実力の高い歌手らしく、悪くはないが、いささか魔女風の顔立ちであり、色気では伯爵夫人に負けている。

 このように見ると、歌手という存在は生まれついての容貌や体つき、声質に多くを負っているのであって、努力だけではどうにもならない部分があると思う。バレエやフィギュアスケートもそうだろう。浅田真央のビールマン・スピンは世界一美しいと思うが、もっと短足に生まれついた人が同じことをやっても、感銘を与えることは難しい。かなり難易度の高い(つまり難しい)技らしいが、彼女はあまりにも楽々とやってのけるので、素人目には普通の技のように見える。結局、ああきれいだなと思うのは、彼女の肉体を賞賛しているのだ。

 そう言えば、私は映画が好きだが、特定の俳優のファンではなく、どちらかと言えば映画を監督で選ぶ方である。一番好きな映画監督はフェデリコ・フェリーニであり、中でも『魂のジュリエッタ』は最高に美しい映画だと思っている。私小説的な『8・1/2』や『アマルコルド』はイマイチである。もちろん他にもいる。詩的イメージに満ちたウッディ・アレンは、映画というジャンルに限定されない天才だと思う。少々古いが、巧妙な映画造りのヒチコック、ゲーム的映画というべき一つの典型を作り上げた黒澤明、フェリーニの衣鉢を継いだような寺山修司(ただし「田園に死す」以外はそれほどでもない)、一時期熱心に見ていたタルコフスキーなど数多い。

 しかし、絶対的に好きな俳優もいる。それはオードリー・ヘプバーンで、「マイ・フェア・レディ」や「シャレード」など、物語そっちのけで彼女の映像に見入ってしまう。ちょっと見ただけでは大して美人にも見えないし、特別私好みのタイプとも思わないのだが、なぜあれほど魅力を感じるのか、自分でも分からない。彼女が出演した映画なら、すべて見たいと思うのは、「着せ替え人形」のイメージだろう。いろいろな衣装を着せて、そのあらゆる美質を味わいたい。それは好きな曲をいろいろな演奏で聴いてみたいのに少し似ている。いわば彼女自身が芸術品で、彼女を見ることが喜びだというわけだ。彼女自身は容姿に劣等感を持っていたそうだが、「ローマの休日」を見たマリア・カラスは彼女のようになろうと、猛烈な減量をした。その結果、歌手生命を縮めることになったようだが、少なくとも当時のカラスは美人だった。

 話は逸れるが、カラスはもちろん天才的なプリマ・ドンナで、オペラの歴史を変えたと言われるほどのすばらしい歌手である。そのカラスのエピソードには、興味深い話がいくつもある。

 カラスがまだある教室でレッスンを受けていた頃、普通の生徒は、自分のレッスンが済むとさっさと帰ってしまうのに、カラスはいつまでも残っていて、全然関係ないはずのバス歌手のレッスンなどを興味津々で聴いていたというのである。後年、彼女が配役に加わるとなぜかアンサンブルが引き締まり、「みんなが上手になった」という。彼女が何か指示したわけではない。他の配役の分まで知っていて、みんなが上手に歌えるような演技、そういう刺激を与える演技をしたということである。

 また彼女が端役しかもらえなっかた駆け出しの頃、フィデリオ役を歌うことになっていたある歌手が、急な病気で出られなくなった。「誰か代役のできる者はいるか?」と聞くと、カラスが手を挙げた。「フィデリオなら以前からスコアを研究していたし、デビューするなら最高の役で、と決めていたの」というのだ。この志の高さと研究心は、やはり最高の芸術家にのみ見出されるものであろう。

 もちろん歌手には恵まれた天分が必要なわけだが、それだけでは間に合わないものがある。「志が高い」と言うと「野心的だ」と思う人もいるだろうが、それは違うと思うのである。目の前に願ってもない大役のチャンスがあるのに、首をすくめてやり過ごすのでは、プリマ・ドンナになれるはずがないし、「彼女がメンバーに加わると、全体のレベルが上がった」というのは、音楽全体を見通す力があったからだ。

 われわれの日常の仕事でもそういう面がある。向上心を出世欲と見なして嫌う人はいるが、少しでも会社を伸ばそうと思うなら、同僚に遠慮して力を発揮しないのは、間違っている。私はいつももう一歩上をと考えてきた。同僚には上昇志向に見えただろうが、私には反対に、同僚が適当なところで手を打って、力を出し尽くさないのがもどかしく思えた。出世などは関係ない。全体のレベルが上がれば、自然に自分の収入も増えるはずだと思っていたからである。現に会社は成長した。私の功績だけとは言わないが、少しずつ周囲の人たちの考え方もそういう方向に変わってきたと思う。

 とにかく、モーツァルトにはそうした意味での「天才」もあった。時には突飛な言動に見えても、音楽に関する限り、彼は正しかっただろうと思うのである。

http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c72

[リバイバル3] モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く 中川隆
9. 中川隆[-14382] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:48:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1484]
モーツァルト(1756−1791)
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html

 モーツァルトは、かつては「神童」と呼ばれ、どちらかと言えば神に祝福された、幸福な幼児のイメージで語られていた。「モーツァルトはそんな幼稚な音楽じゃない」と反論しても、かえって「何をこいつは。そういうお前自身が幼稚なんだ」という目で見られてしまう傾向があった。ベートーヴェン風の苦悩と闘争、それを経て達する歓喜の歌、あるいはブラームス流の諦観、そうしたものが「高度な音楽」であり、すばらしいものだ。ベートーヴェン以前には、真に偉大な作曲家はいない。そう思っている人が少なくなかった。

 だが苦悩と闘争というのは、いわば文学的イメージである。ホッブスは原始状態を「万人の万人に対する闘争」と考えた。その闘争を緩和するのが法による秩序であり、国家という存在なのだ。

 しかし、原始人も群れて暮らしていた。群れから離れると、生存していく上での脅威は高いものになった。誰かが大きな獲物を仕留めると、それを巡って殺し合い奪い合うのではなく、群れで分かち合うのがむしろ普通だったらしい。群れの安定性を保つために、分かち合いが義務とされ、人に分けない者は群れの成員としての資格がないとされる。また殺し合いは、群れを不安定にし、成員の生存を脅かすものとして、排除された。またその頃にはリーダーという存在も現れた。多分リーダーがまず現れ、そのリーダーが群れを統率する上で「殺すな」「分かち合え」といったことを説いたのだと思う。もちろん、そうした群れでは、獲物を最初に食べるのはリーダーだっただろう。しかし比較的に公平な分配が行われていたようだ。

 闘争がわれわれの日常の現実になるのは、「競争社会」といったものが成立したからである。闘い勝つことが美徳であり、だめなヤツは敗れ去る。そのだめなヤツの悲哀を歌うのもいい。だが単にだめで終わらず、あくまで積極的に挑戦する。それが正しい道だと誰もが思っている。「夢を追う」という言い方もある。「夢」とは、要するに他人に勝つことである。

 もちろん、勝つことだけが目的で、他人の失敗を願うといったことは卑怯だとされるが、戦争や格闘競技で相手のミスを誘うことは、正当な戦術である。相手を実力が出し切れない状況に追い込む、あるいは相手のミスに乗じて勝ちを取る、といったことが賞賛されるのだ。

 皆さんも「宋襄の仁」という言葉を聞いたことがおありだろう。宋の国の襄公は、敵軍が川を渡るのを見て、自軍の参謀が「今こそ攻撃のチャンスです」と言うのを聞かず、「今攻撃するのは卑怯である」と、そのまま見ていた。また川を渡り終えた敵軍がへとへとに疲れて、陣形を立て直すこともできないのを見て、また参謀が「今が最後のチャンスです」と言ったのに、やはり「今攻撃するのは卑怯である」と見逃し、敵軍が十分に戦闘準備するまで待っていた。

 それからやっと攻撃しかけたのだが、宋はあっけなく敗れてしまった。そこでこのように「敵に無用の情けをかける」ことを「宋襄の仁」と呼んで、中国では笑いものにする(ただし宋の国では「襄公は正々堂々としていた」というので、賞賛されたそうだ)。

 他にも井戸に落ちて「助けてくれ」と叫んでいる敵兵を憐れんで助けた兵士が、その敵兵にいきなり殺されてしまった、という話もある。このように、戦争は情け無用であって、卑怯と言われようと何と言われようと、勝つことが最大の目的だとされている。多くのスポーツは、そういう考え方で行われているだろう。

 しかし、たとえばフィギュアスケートの場合を考えてもらいたい。ある時、トップ争いをしていた女子選手がジャンプの失敗で転倒した。次に荒川静香が完璧な演技を披露して優勝した。彼女が前の選手の演技の時に「転んでくれますように」と思っていたり、転倒の瞬間に「やった、これで私のもの」と喜んでいたとすると、その後完璧な演技ができただろうか。そういうマイナスの演技イメージを思い浮かべたのでは、自分の演技にも乱れが出たことだろう。やはり「相手は完璧だった」と仮定して、全力を尽くしたのだと思う。

 芸術で「競争する」というのは、フィギュアスケート・タイプの競争である。モーツァルトは自分が完璧な作品を書けると確信していた。他人のまずい作品を嘲笑したが、それによって勝とうとしたわけではない。他の選手の転倒という事実を許せなかったのだ。相手も完璧な演技をしてもらいたい、それでこそ競技全体のレベルが高くなる。

 モーツァルトは、今日で言うADHDだったと思われる。ヒルデスハイマーの皮肉に満ちた評伝で、モーツァルトの落ち着きのない性格について、ある人が「いつもピアノに向かったときのように落ち着いていてくれればいいのに」とぼやいたという話が出てくる。音楽についてだけ、驚くべき集中力を発揮したということである。

 しかしまた、彼はバッハと並ぶ完璧な耳を持っていた。よくモーツァルトの天才を証明する逸話として、システィナ礼拝堂で歌われていた門外不出の秘曲、アレグリの『ミゼレーレ』を一度聴いただけで、その夜、宿で完全な楽譜に書いたという話が取り上げられる。だが絶対音感を持つ人は、聴いた音に対する記憶力が優れているのが普通らしい。『ミゼレーレ』は、主要声部がいささか単調な繰り返しであり、高音部に即興的なメロディを付け加えて演奏された。モーツァルトには容易に聞き取れただろうし、繰り返しも多いので、記憶することも簡単だったのだろう。


<モーツァルトの耳>

 モーツァルトの耳には軽微な奇形があった。耳殻に襞が全くなく、皿のように平板だったのだ。このページにはWikipediaからもらった肖像を掲げたが、それは生前の画像であると伝えられること、耳を髪で覆ってその現在では「モーツァルト耳」と呼ばれる奇形を隠していることに、信憑性を感じたからである。

 この『ミゼレーレ』は、タリス・スコラーズの非常に美しい演奏のCDが出ている。2005年の再録音盤は、まだ日本語解説付きで手に入るだろう。ト短調で始まり、ハ短調の装飾旋律がからむ。ここで聴くノン・ビブラートのハイCは、実に美しい。装飾音型を変えた二種類の演奏が入っていて興味深いし、解説も大いに参考になる。

 モーツァルトの天才性は、そうした『曲技団的』能力にあるのではない。そういう能力では、グラズノフの方が優っている。彼は、一度聴いた曲なら、どんな駄作でも憶えていたそうだ。だがその中で、人類史上最高の作品を書いたかというと、そうでもない。私には、むしろ絶対音感がなかったといわれるチャイコフスキーの方が、はるかに面白いと感じる。

 ロビンズ・ランドンの「モーツァルト」に次のような話が紹介されている。まだモーツァルトがさほど有名でなかった頃、ある人がアマチュアの弦楽四重奏団を作っていたが、知人からモーツァルトの楽譜を見せられ、「一度これを演奏して見給え」と言われた。しかし、彼らの技量では難しくて弾けなかった。そこで、知り合いの老作曲家にその楽譜を見せに行った。どの程度の作品か、判断してもらおうというわけである。老作曲家は、ぱらぱらとページをめくって、「かなり熟達した作曲家だな、40歳代だろう」と言った(実は20歳代の作品)。それから譜面を読み始めた。ところがそのまま黙ってしまったので、「先生、どうなんですか?」と尋ねたところ、老先生は顔を上げたが、その目はうっとりと夢見るような眼差しだった。「なんてすばらしい音楽なんだ!」と老大家は叫んだ。

 天才とは、ナニカの技術において人より優れているだけのものではない。楽譜を読むだけで頭の中に音として響くとか、逆に音を聴いただけで楽譜になるという人は多いのである。ベートーヴェンも、聴覚を失ってからでも作曲していたし、シューベルトの歌曲の楽譜を読んで感心したという。

 要するに、モーツァルトの天才性とは「なんてすばらしい音楽なんだ!」という一言に尽きる。彼はこの世で最美の音楽を書いた。ある時、イタリアの大作曲家が死んだ。人から「後継者は誰がいいでしょう?」と尋ねられたパイジェルロは、言下に「それはモーツァルトだ」と答えたそうである。「彼の音楽には少し難しいところがあるが、非常に優れている」(ランドン「モーツァルト」より)。

 モーツァルトが難しいと思う人は、今日では一人もいないだろう。だが実際、当時の人には難しく聞こえた。テンポが速く、次から次へと新しい楽想が湧いて出るので(多動性)、当時はすべてを味わい尽くすことができなかったらしい。


<モーツァルトのテンポ>

 ヒルデスハイマーの著書に、次のようなエピソードが出ている。ある裕福な市民(ブルジョア)が、娘を連れて評判の歌劇「フィガロの結婚」を見に行った。ところが、第一幕が終わっても、一つもアリアが出て来ない。「どういうことだろうね」と娘に言うと、彼女は「何を言ってるの、お父さん、もういくつもきれいなアリアが出て来たじゃないの!」と返事した。父親は、どれもレシタティーヴォだと思い込んでいたのである。なぜか。テンポが速過ぎたのだ。当時の音楽愛好家の心に染みついていたのは、グルックのオペラであった。そのテンポは、現代では当時よりやや速く演奏されているが、実はかなり遅く、変化も少ない。要するにメロディは聴き取りやすい。

 話し相手より少し遅いテンポで話せば、相手をリラックスさせ、説得力が増すという実験結果があるそうだ。最近は、私には聞き取れないほど早口にしゃべる人がいて、就職面接で「頭の回転が速い、雄弁だ」と思わせることがあるらしい。ところが、そういう人に営業を担当させたらさっぱりだったということが多い。顧客から見ると、相手の思惑に関係なく、言いたいことをぺらぺらとしゃべりまくっただけで、営業になっていない。組織のリーダーや営業マンは、しゃべる能力より聴く能力の方が重要なものらしい。

 アメリカン・ジョークの一つに、こういう話がある。鉄鋼王カーネギーのところに、一人の客が尋ねてきた。秘書が部屋の外で聴いていると、その客はのべつ幕なしに何かをしゃべり続けている。カーネギーは時折「ふむふむ」、「ほう」と相槌を打つだけである。やがて用件が終わって部屋から出て来た客は、感嘆して叫んだ。「なんて話し上手な人なんだ!」

 よく「話し上手は聞き上手」と言うが、上記のエピソードは、本当にあった話かも知れない。「王者」たるものは、聞き上手でなければならないのである。たとえば戦国を制した徳川家康は、家臣の意見をよく聞いたそうだ。時には疑問があっても家臣の言う通りに動く。結局彼が覇者になった一番の理由が、そこにあると言う人もある。

 モーツァルトの音楽は、当時の人々にとっては早口で一方的にしゃべりまくる営業マンのようだっただろう。だが、すでに次の世代(娘の世代)は、モーツァルトのテンポを聞き取ることができるようになっていた。モーツァルトが死んでから、ウィーンは空前のモーツァルト・ブームに沸いたが、それは偶然ではないのだ。

 音楽のテンポは、ある程度社会性を帯びている。江戸時代の日本は、すべてのテンポが緩やかだった。オランダ人が江戸の町を歩いていたら、向こうから誰かが歩いて来る。「いずれは道を譲り合うことになる」と思いながら歩いて行くと、薄ら笑いを浮かべながら、どこまでもまっすぐ進んでくる。ぶつかる寸前になって「あぶない」と、とっさに身をかわしたが、見ていると日本人は何事もなかったかのように、なおもそのまままっすぐ歩いて行く。

 実際、町人同士がぶつかり合うまでまっすぐ歩き、ぶつかった後に初めて「これはどうも失礼しました」と互いにペコペコお辞儀する場面がよく見られたという。かといって歩くのが速いわけではない。むしろオランダ人が世界のどこで見たよりも遅い。そのため、彼らは「日本人はおそろしく動作の鈍い人種である」と報告した。だが逆に日本人は、オランダ人の素早い動きが信じられなかったそうだ。普通ならぶつかり合うところなのに、突然目の前から消えてしまったのである。「オランダ人はおそろしく素早いぞ」「バテレンの妖術か?」というのが当時の印象だったらしい。

 昭和30年代の日本は、新しい建築が相次ぎ、都市の景観はめまぐるしく変化した。日本人は忙しく動くようになった。後年、日本人(特に大阪人)は、世界一速く歩いているという測定結果が出た。だからぶつかることが多くなったわけではない。通行量が多く、しかも非常に速く歩いているなら、ぶつかり合いは江戸時代より多くても不思議はないのだが、事実は逆だった。みんながすばしこく、ちょこまか動いているのであって、おそらく江戸時代人から見ると、全員忍者のように見えるだろう。

 江戸時代は変化の少ない社会だった。あまり歴史を知ることのない庶民は、宇宙が始まって以来、江戸は徳川が治めていたと思いこんでいることも少なくなかった。「変化が激しい」「人口密度が高い」というのは、動作を敏捷にさせる要因なのである。絶えず周囲の状況に注意を払い、危険には機敏に反応する必要があるからだ。

 その意味で、モーツァルトのテンポを見直すのも悪くない。現在はせかせかした演奏が多いが、本当に昔はそうだったろうか。ある時テレビを見ていると、戦後復興期に登場した美空ひばりの「りんご追分(52年)」が出て来たのだが、桂三枝がそのオリジナル録音に付いて歌おうとすると、あまりにも遅いテンポなので、全く間が持たない。私もこの歌は記憶にあり、美空ひばりの声で流れてくると。「ああ、この歌はこうこうで、次の音符はこう」と、すぐ分かるのだが、それは桂三枝の憶えているテンポと同じだった。2割ないし3割も速いタイミングだ。

 52年(昭和27年)と言えば、朝鮮戦争の特需でやっと一息ついた日本が独立を果たした年だ。敗戦後の日本は、アメリカ領土になっていた。その間、日本という国家は、名目上、世界地図から消滅していたことになる。もちろん49年には国旗(日の丸)の掲揚が許されるなど、徐々に国家としての体面が回復しつつあったらしいが、戦争の傷跡は随所に見られた。たとえば私の生まれた家の近くには、空襲で破壊された大阪砲兵工廠の焼け跡が57年頃まで存在していた。

 記憶の中のテンポと、実際のテンポの違い。それは社会状況の違いである。昭和27年はまだほとんどの日本人がやせ細っていて、物産も貧しく、夏にはラジオの高校野球中継でも聴きながら昼寝をし、夕涼みに屋外の縁台に腰をかけることができれば最高だった時代だ。すだれが風にそよぎ、風鈴がチリンと鳴って、時には「さおーだけー」という声が聞こえてくる。当時はみんなが貧しかったというのは大げさだが、敢えて言えばみんながホームレスだった。欲を持つと言っても、せいぜい毎日白米のご飯を食べたい、という程度のことだった。ちなみに、私は白米1:麦2のご飯を食べて育った。冷えると臭いニオイがあるが、それに醤油をかけ、お湯で薄めて食べた。おかずなど何もない時代である。味噌汁をかけて食べることができれば、贅沢な方であった。卵かけご飯など、夢のようなごちそうだったが、それさえも冷えた麦ご飯の臭いニオイを覆い隠すものではなかった。


<モーツァルト晩年の困窮>

 モーツァルトは、死んだときほとんど破産状態だった。未亡人(コンスタンツェ)が皇帝に謁見すると、皇帝は破産報道を知っていて、彼女に厳しい目を向けた。当時は、破産というのは犯罪のようなものだったからだ。その時、コンスタンツェは夫の遺作演奏会、楽譜出版など、2,3の試みを提示して、破産を免れることが可能だと弁術した。事実、彼女はすべての負債を完済したばかりか、亡夫の遺した作品で大もうけしたという。

 だが晩年の収入が少なかったわけではないらしい。それどころか、当時としては相当な高収入だったようだ。彼はハイドンやサリエリのような高い地位にはなれなかったが、一応宮廷作曲家の称号を得て、給与ももらっていたし、ピアノ教師と楽譜出版、オペラでの収入もあった。夫婦共に浪費癖があったことが、困窮の理由かも知れないが、それだけでは説明できない。人気にかげりが見えた死の年だけでも、現在の日本円にして5000万円以上の収入があったのである。

 浪費癖は、「神童」時代に王侯貴族の生活を垣間見たこと、ザルツブルグに戻ってからは召使い同然に扱われて、憤懣のあまり大司教の下を飛び出したことを考え合わせれば、つまりは貴族のように暮らしたかったということだ。ある意味では父親にも責任があったと言える。

 またある人によると、フリーメーソンの支部を作ろうとしていたのではないかという。そのための費用が必要だったというのである。

 そういう可能性もあるだろうが、秘密結社だというので、フリーメーソンの影響を過度に考えるのも正しくないそうだ。当時の知識階級には、フリーメーソンの会員だった人物が多い。ハイドン、サリエリもフリーメーソンの会員だったと言われ、皇帝ヨーゼフ2世も寛容であり、実際はかなりオープンなものだったらしいのである。

 結局、モーツァルト晩年の経済的困窮の理由は分からない。ただ死の年には、収入が全盛期の半分ぐらいに減ってしまっており、実際以上に困窮した感じがあっただろう。現代でも莫大な収入のあった人気アーティストが、人気にかげりが見えて収入が減ると詐欺を働いたり、かつては高額の年棒をもらっていたプロ野球選手が、退団後に落ちぶれて強盗になった例がある。「あの金はどこに消えたの?」と聞いても、本人にも分からない。


<モーツァルトが愛した女性>

 モーツァルトが生涯愛したのはコンスタンツェの姉、アロイージアであった。美人だというだけでなく、音楽的才能がすばらしかったらしい。彼が結局コンスタンツェと結婚したのも、そうすればアロイージアの側にいられると思ったからだろう。だが、コンスタンツェを愛していなかったとは思えない。

 しかし彼がADHDだったとすると、コンスタンツェにとってもかなり扱いにくい夫だった可能性がある。

 彼が死んだとき、コンスタンツェにしてみれば、「バカな男と結婚して、まだ芽が出ないうちに死なれてしまった」と、嘆かわしいことおびただしい。ところが、ある弔問客が「あなたの夫は天才だった」と言ったので、「あのバカが天才?」と、彼女は心底驚いたという。それまで、夫の作品などただのクズだと思っていたのだ。しかしその後、散逸していた夫の作品をかき集めて演奏や出版を行い、事業家としての能力を発揮している。

 コンスタンツェは、しかし、やはりモーツァルトを愛していたのだろう。彼らの結婚生活はひどいものだったが、それなりに楽しい一面もあった。われわれは現在、モーツァルトのほぼすべての作品を耳にすることができる。それはコンスタンツェが、散逸していた楽譜を精力的に集めたことが大きく寄与している。それは、作品によほどの愛情を注いでいなければできないことだ。

 彼女自身はヘンデルなどの古い音楽を好み、夫が在世中は、全く彼の音楽を理解しなかった。しかしニッセンと再婚して共同で伝記を執筆したりするうち、やはり音楽への理解や、前夫への愛が甦る瞬間はあったに違いないと思う。「私より姉を愛していた」と思い知ることもあっただろうが、姉に劣らず彼女自身を愛していたことも分かったと思う。


<モーツァルトの死>

 あまりにも急な死だったので、モーツァルトの死は、音楽史上のミステリーとされることが多い。死後に訪れたモーツァルト・ブームの中で、サリエリが突然「私がモーツァルトを殺した」と叫んで自殺を図ったという史実もある(映画『アマデウス』の冒頭場面である)。オーストリア官憲が彼を精神病院に閉じ込めたので、真相は分からなくなってしまったが、モーツァルト自身も「誰かに毒を盛られた」と思い込んでいたらしい。

 「サリエリがモーツァルトに一服盛った」という噂は、モーツァルトが死んだ直後からあった。サリエリ自身は、モーツァルトが死んだと聞くと「死んだって?それは助かった。あんな天才にいつまでも生きていられたんじゃ、われわれ凡才は仕事を失ってしまうからね」と語ったそうだ。後にサリエリが「私が殺した」と言って自殺しかけたとき、ベートーヴェンは「やっぱりあいつか。初めからそうだと思っていたよ」と言った。実はベートーヴェンもシューベルトもサリエリに学び、そのタチの悪い妨害や陰謀に悩まされた経験があるそうである。

 ただし、サリエリが築いていた宮廷作曲家という地位は、有力な競争相手が出現したら突然失ってしまうような不安定なものではなかったらしい。たとえ解任されても、年金を受け取ることができたのではないだろうか。モーツァルトも晩年には宮廷作曲家に任命されたが、特に妨害は受けていないようだ。サリエリが地位を守るためにモーツァルトを殺すという可能性は小さい。

 単純な病死だったという説がある。モーツァルトは幼い頃から病弱で、その病歴からリューマチ熱だったのではないかというのである。モーツァルトの遺骨が出れば検証できるかも知れないが、現在のところ、モーツァルトの墓は見つかっていない。当時の医師の診断は「粟粒熱(ぞくりゅうねつ)」という訳の分からない病名で、現代の医学では「そのような病気は存在しない」とされる。

 食中毒説もある。ディスカバリー・チャンネルで紹介された、豚肉の寄生虫による中毒で、1860年頃、彼とよく似た症状で死んだ農家の娘は、遺体の検証で、食中毒だったことが確認されたそうだ。

 一番有力なのが毒殺説で、当時は毒と言えばヒ素と決まっていた。モーツァルト最後の病状は、ヒ素中毒によく似ているという。トファナ水というのはヒ素の溶液で、濃度を注意深く調整すれば、飲ませてから何日後に死ぬかを正確に決定できるという話まであった。ただこれは、人によって致死量が違うことも分かっているので、かなり誇張されたおとぎ話である。

『元素の百科事典』に出ているエムズレー博士の説は、アンチモン中毒である。モーツァルトの頃はアンチモンが発見されて間もない時代で、あまり正体がよく分からないまま、胃腸薬などとして処方されていたそうだ。だがアンチモンは毒性があり、飲み過ぎるとヒ素中毒に似通った症状が出る(周期表でもヒ素と同族である)。モーツァルトにもアンチモン製剤が処方されていたので、誤って飲み過ぎたのではないかという。なお現在では、医薬として用いられることはない。


<モーツァルトの姉>

 もう一つ、モーツァルトの生涯で特徴的なのは、姉ナンネルとの関係である。それはメンデルスゾーンの姉ファニーとの関係にも似ている。この姉たちは、弟たちの先生でもあった。たとえばモーツァルトは当時ヨーロッパ一のピアノの名手と言われたが、クレメンティとの競争演奏では、客観的に見ると引き分けだった。そのクレメンティを、モーツァルトは「達者な腕前だが機械的で情感に欠ける」として否定している。また、何人かいた弟子について、「それにしても女の子の方が音楽的に弾くのはどうしたことでしょう」と言っている。彼の感想では、女性のピアノの方が情感があり、音楽的なのだった。男が弾くと、無機的になりがちだ。それは音楽ではない。

 この話は、彼の幼児期のピアノの先生が、実はナンネルだったということを明かしているのだろう。ナンネルの作品は残っていないが、作曲を行っていたことは分かっている。だがヴォルフガングが「お姉ちゃん」の真似をして作曲し始めると、父レオポルトは、もうそれ以上姉には教えず、弟を神童として売り出すことに熱中した。

 ナンネルも神童だったらしいことは、当時の人たちの記録に残っている。あるとき、宿に足止めを食らった客の中に、まだ幼かったモーツァルト姉弟がいた。彼らは退屈しのぎに連弾だったか二重奏だったかを披露したそうだ。「この二人の神童のピアノは、われわれを大いに愉しませた」という。

 父親レオポルトが、弟の方を特に熱心に育てたのは、当時の男女差別的な社会情勢が原因であっただろう。女性はピアノの名手であっても、それは身持ちのいいお嬢様の趣味の芸事を時たま披露するだけであって、職業的音楽家の道などはどこにもなかった。貴族の奥様になる、といった目標の方が、はるかに重視された。ましてや作曲家などとんでもない。

 実際のナンネルの才能は、現在知られているよりはるかに優れていたと思われる。彼女はしばしば弟の協奏曲のソロを努めた。彼女のピアノこそモーツァルトの音楽の原点にあったのではないだろうか。

 それはさておき、私の好きな作品について述べたい。


『グラン・パルティータ』〜第3楽章「アダージョ」

 モーツァルトには傑作が多いが、「グラン・パルティータ(大組曲)」は、その中でも最高の一つである。正式な名称は「13管楽器のためのセレナード」といい、木管のアンサンブル曲だ。セレナードとしては第10番(変ロ長調)とされる。

 モーツァルトの時代、まだ現在のように「交響曲が最高のジャンル」といった考え方はなかった。交響曲、セレナード、ディヴェルティメントの区別は「演奏機会」の区別なのだろう。内容で分けられているわけではない。もちろん演奏機会は内容に結びついている。たとえばベートーヴェンの七重奏曲などは同じ性格を持ち、やはりリラックスした気分の曲である。ここに「苦悩と闘争」のベートーヴェン像を見出すのは、深読みに過ぎる。こういった作品は、リラックスした気分を作り出すためのものであり、食事時のBGMとして演奏されたりしていたのだ。

 本題の「グラン・パルティータ」について言うと、私は80年頃、エド・デ・ワールト指揮のオランダ管楽合奏団(?)のLPをオーディオ的な興味で買って聴いた。最初は「まあ、いい音はするがモーツァルトらしい能天気な曲だなあ」と思っただけだった。

 グラン・パルティータの本当の良さが分かったのは、父の死の直後だった。長い間、寝たきりの父の存在は重荷だったし、愛情の薄い人だったので、「早く死んでくれればいい」とさえ思っていた。だが、死んだとき、重荷だろうと厄介だろうと、父と母と私しかいなかったその年月、良くも悪くも、父が家族の中心にいた。いささか子供っぽいが、「ボクたちは明日からどう生きていけばいいの」というのが、当時の心境だった。

 それは暑い8月のことで、当時は父の家の屋根裏部屋に住んでいたのだが、夏には50度以上にもなり、30分もいれば半狂乱になるような部屋だった。そこに私のオーディオ・システムを置いていた。葬儀まではレコードを聴くこともなく、屋根裏部屋には立ち入らずにいたのである。だが葬儀の後、世間が「盆休み」に入り、親戚一同も去って、静かになった。母と仲が良かった伯母だけがしばらく家に留まっていたが、その日は二人でどこかに出かけ、私は一人で家にいた。

 久しぶりに音楽を聴こうと屋根裏部屋にこもったが、哀しかった。なぜもっと父に優しくできなかったのだろう。父がまた歩けるようになり、一緒に笑うことができるようになる。それが父と私の共通の夢だったではないか。なのに何もできないまま死なせてしまう。後追い自殺したいほど、非常な罪悪感があった。自殺の動機の中には、肉親が死んで、遺族が後追い自殺したケースが多いそうだ。当時の私もそういう状態だったのだ。

 だが私は、音楽を聴けば多少は慰めになるかも知れないと思った。

 最初にかけたレコードは、ハイティンク指揮のブラームス『ドイツ・レクィエム』である。名曲・名演で、録音もいいのだが、その時の私には、むしろブラームスの傲慢さが耳障りだった。「どうせお前らの悲しみというのは、この程度だろう」と下品に口を歪めて笑っているようだった。要するに嫌みな訳知り顔をした、人生などてんで分かってないオッサンがでっち上げた曲なのだ。

 レコードを代えて、ベーム指揮のベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」にした。ブラームスほど嫌な感じはないが、「お前らの個人的な悲しみは関係ないよ」というような音楽だった。

 次はリヒターの「マタイ受難曲」。史上最高の名曲と思う「憐れみたまえ、わが神」のくだりを聴いたが、やはりどこか客観的な音楽だった。ベートーヴェンほど突き放した感じではなく、戸口に立っている友人のようである。「分かる。分かるよ。大丈夫か。しっかりしたまえ」と言っているようだが、それ以上気持ちの側にやってくることはない。

 他にもいくつか聴いたと思うが、あまり記憶にない。とにかく最後に聴いたのは、『グラン・パルティータ』である。なぜそんなものを取り出して聴いたのかも分からないが、私にとっては最高の救いの音楽だった。年若い友人が耳元で一生懸命慰めてくれているような、「世界は美しいし、人生はもっともっと生きる価値があるんだよ」と話してくれているような音楽なのだ。

 よく晴れた日で、陽がやや夕暮れの色彩を帯び、青空の下に黄金の光が満ちた。隣家の壁や屋根が、すべて美しい光に照らされた。第3楽章のアダージョに差し掛かったときのことだ。いつもは貧しく汚らしく感じていた風景なのだが、柔らかい木管の響きの中で、突然この上なく美しい風景に変容した。それはまるで魔法の眼鏡を通して見ているようだった。

 モーツァルトは魔法の眼鏡である。その眼鏡をかければ、この世のことはすべてが美しく見える。

 その日から、モーツァルトの大ファンになった。実を言うと、その時までモーツァルトと言えば、交響曲第40番やピアノ協奏曲第20番といった短調作品以外は、退屈な曲が多いと思っていた。一部の曲はいろいろな機会に耳にタコができるほど聴いていたし、知らない曲でも、どれも同じようなワンパターンの節回しで、聞き慣れた響きがする。だから「ああ、またあのパターンか」と最初から飽きてしまい、しっかり聴くことがほとんどなかった。

 しかしそれ以後、彼の作品を注意して聴くようになった。楽器の音色を活かした音響の美しさ、ありきたりなようだが情感あふれるメロディ。「フルートとハープのための協奏曲」などは、依頼があったので、やむを得ずこの取り合わせで作曲した(彼はフルートが好きではなかった)のだが、後の作曲家にはもうこの他の組み合わせを考えられなくなったほどの調和がある。もっとも、ドビュッシー晩年の美しい「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」やラヴェルの「序奏とアレグロ」では、それぞれヴィオラ、クラリネットを加えることで、新たな音響美を模索している。

 なお「十三管楽器」という編成をユニークだと思う人は多いだろうが、当時は木管アンサンブルが流行していたので、そんなに珍しいわけではないようだ。セレナード第11番変ホ長調、同第12番ハ短調も管楽アンサンブルである。ちなみに、木管をウィンド(Wind=風?)と呼び、金管はブラス(Brass=真鍮)と呼ぶ。他にリード楽器(Reed=舌、簧)という分類もある。

 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィル管楽アンサンブルの演奏が一番納得できる。やや古い録音なので、音響面では最上とは言い難い。少し艶が不足しているようである。だが、第3楽章はやはり美しい。私の耳には、北に大きな窓がある部屋で、その窓から見える緑が室内に照り映えている中で演奏しているように聞こえる。

 小学館版のモーツァルト全集に採られたマリナー=アカデミーの演奏はディジタル録音でもあり、音質は万全である。第1楽章の開始部分は、ばら色の光が差すような美しい音である。第3楽章はトリラーがやや耳障りに聞こえるのが残念だ。他の楽章は優れたアンサンブルが展開されている。

 コレギウム・アウレウムの2回目の録音(ディジタル)は、音も表情も美しく、楽しめる。全体に青白い音が立ち並ぶ。アンサンブルに清潔感があり、他の演奏に比べるとこぢんまりして、いかにも室内楽風である。この曲の交響楽的壮麗さを愛する人には、物足りないかも知れない。


『ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノーム」』

 モーツァルトが21才で書いた大傑作で、当時ウィーンに滞在したジュノームという未婚の女性ピアニストのために書いたと伝えられる。第1楽章の開始はあまりスケール感がなく、むしろ「可愛い」と言いたいようなシンプルな始まりだが、音楽が進行するにつれて実は壮大な曲であることが分かってくる。第2楽章はハ短調の透明な悲しみに満ちた音楽。ロマンティックな味わいと、バラード風の展開が魅力である。第3楽章もユニークだ。ロンドなのだが、中間部で大きくテンポを落とし、突然別の楽章が始まったかのような変化を見せる。

 なおジュノームというピアニストは記録に残っていないので、どんな女性だったかはよく分かっていない。最近の研究では、モーツァルトの知人の娘でジュナミという女性が(既婚婦人?)がその正体だと言われる。だが「ジュノーム」というニックネームがいかにも若きモーツァルトの憧れを表したロマンティックな響きを持っているので、今後もそう呼ばれ続けるだろう。

 この曲を初めて知ったのは、ルドルフ・ゼルキンのピアノ、アバド=ロンドン響のCDである。第2楽章で、ゼルキンは心の打ち震えるようなみずみずしい表情を聴かせていて、すばらしい演奏だ。オーケストラも透明感と色彩感があり、万全と言える。

 シフのピアノ、ヴェーグ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム。ゼルキン盤よりさっそうとした切れ味の良さがあり、なかなかの名演である。ただ私の耳には、音が全体に青みがかって単色に近いように聞こえる。

 内田のピアノ、テイト=イギリス室内管のオケ。2006年に発売されたポリドール版『モーツァルト全集』の中の1枚で、内田光子のピアノには濃やかな表情があり、オケの響きも悪くない。日本では、実力の割に内田の人気が低いような気がするのは、私だけだろうか。

 ピリス/グシュルバウアー盤は、録音のせいか、オケが少し透明感を欠く。ハスキル盤もモノラルなので、ここでは番外とする。

 なお、ゼルキン盤など、多くのCDでなぜか『ピアノ協奏曲第17番』ト長調と組み合わされていることが多い。これもしっとりした味わいのある傑作で、モーツァルト自身、大いに気に入っていたそうだ。未聴の人にはお奨めする。


『交響曲第36番ハ長調「リンツ」』

 私の偏愛する曲だが、実は第1楽章の短い序奏が気に入っていて、その遅いテンポに引きずられたかのように、主部も遅く演奏されるのが面白いのである。雨は止んだが、まだすっかり晴れ上がったわけでなく、道端の木々には薄暗い蔭が残っている。しかし、息を潜めていた虫たちがやっと鳴き始めた、という雨上がりの気分である。もし序奏がなく、いきなり主部が始まっていたとすれば、現代の演奏家なら、もっと速く演奏するだろう。

 このことが、モーツァルト演奏の正しいテンポを疑わせるのである。この主部は、現代の常識的なテンポから見れば、半分近くも遅く演奏されているのが普通なのだ。だからといってモーツァルトの味がしないわけではなく、むしろかえって面白い。彼の在世当時は、こういうテンポだったのかなと思わせるのである。

 CDでは、ベーム指揮ベルリン・フィルが一番いい。いかにも壮大な曲のように響き、序奏部分も単なる序奏に終わっていない。

 レヴァイン=ウィーン・フィル盤やバーンスタイン=ウィーン・フィル盤も、序奏は単に主部を導入する経過句のように演奏していて、やや不満である。

 昔コンサートホール・ソサエティで出ていたシューリヒトのLPは、すばらしかったように記憶する(現在手元にはない)が、CDへの復刻は、発売が予告されながら実現しなかった。


『フィガロの結婚』

 モーツァルトの典型ともいうべき美しいメロディが続々と現れる、すばらしいオペラである。私はバッハの『マタイ』とこの『フィガロ』を西洋音楽が到達した二大高峰と思う。もちろん彼はこの後にも『ドン・ジョヴァンニ』、『コシ・ファン・トゥッテ』、『魔笛』といった名作を書き、人によっては『フィガロ』より上だと言う。たとえばキエルケゴールは、『ドン・ジョヴァンニ』こそ最高傑作だと思っていた。なるほど音楽は美しいが、私には、『フィガロ』ほどの緊密なドラマにならず、少し弛緩が見られるような気がする。モーツァルトは、やや落ち目に差し掛かっていたのではなかろうか。上り調子だった時期の『イドメネオ』、『後宮からの誘拐』などの張り詰めた清冽感に比べて、少し物足りないものを感じるのである。

『フィガロ』を頂点と考えるなら、彼が落ち目になったのは、やはりこの作品が思うほどの成功を収めなかったことにあるだろう。初演は大成功で、「アンコール、アンコール」が続き、上演は深夜に及んだ。あまり極端なので、政府は過度のアンコールを禁止する政令まで出したという。ところが、それほどの大成功なのに、劇場では早々と演目からおろしてしまった。当時は、まだモーツァルトは前座扱いで、興業主はソレールというスペインの作曲家のオペラで大もうけを企んでいた。そのため、「駆け出し作曲家」、モーツァルトのスペインを舞台とした『フィガロ』がアペリティフとして用いられたというのである。事実ソレールのオペラ『椿事(珍事)』は、『フィガロ』以上の大当たりだったそうだ。

 当時はフランス革命騒ぎの最中であり、ヨーロッパではいわゆる「革命の輸出」に神経を尖らせていた。ところが台本の原作となったボーマルシェの戯曲は革命思想に親近感のあるものだったので、ウィーンでは上演が禁止されていた。こうした事情があるので、政治的な理由から葬り去られたという説もある。

 今となっては真相は分からないが、その頃からモーツァルトの予約演奏会のチケットが売れなくなり、かつて彼をもてはやした知人たちが、何となく距離を置くようになったのは事実らしい。彼の収入は少ないものではなかった(事実は相当な高収入だった)が、しきりに困窮を訴えるようになったのもこの頃からだ。

 それはそうと、私が一番いいと思うのは、やはりベーム指揮、プライ他のDVD(ポネル演出のオペラ映画)である。F=ディースカウ演ずる伯爵が、夫人の部屋にやって来る。ちょうどケルビーノを匿おうとしていたところなので、夫人とスザンナは大慌て。この場面が手に汗握る緊迫感で描かれる。このDVDでは、伯爵夫人をキリ・テ・カナワが演じているが、同じベームのCDでは、伯爵夫人をヤノヴィッツが歌っており、彼女の透き通るような美声を好む人には、CDの方がいいかも知れない。あの美しい『手紙の二重唱』では、ヤノヴィッツの声がうっとりするようなハーモニーを形作る。

 世界文化社から出ている「オペラ名作鑑賞」の第四巻にはバレンボイム=ベルリン国立歌劇場の上演と、コンピエーニュ帝国劇場の上演が収められ、かなり興味深い。コンピエーニュ版は歌劇のエロス的な側面を強調したというが、ケルビーノはテノールが演じており、普通の演出の性倒錯的な魅力はかなり減じている。第四幕の女たちの演技は、なるほどやや官能性を表に出しているが、驚くほどでもない。ここでスザンナは不倫の予感に身を震わせ、イケナイ感覚に酔っているように見える。台本にはそういう要素が内在しており、変わった演出というには当たらない。

 バレンボイムは、日本ではジャクリーヌ・デュ・プレとの不幸ないきさつがあってあまり人気が出ないが、実力はやはり大したものである。欲を言うと、このDVDではケルビーノの『恋とはどんなものかしら』が、大人の女性が歌っているように聞こえてしまう。

 メータ指揮=フィレンツェ歌劇場の公演。伯爵夫人のグヴァザーヴァがとても美人で愛らしく、魅力的だ。『恋とはどんなものかしら』は少年っぽくストレートに歌われている。スザンナは実力の高い歌手らしく、悪くはないが、いささか魔女風の顔立ちであり、色気では伯爵夫人に負けている。

 このように見ると、歌手という存在は生まれついての容貌や体つき、声質に多くを負っているのであって、努力だけではどうにもならない部分があると思う。バレエやフィギュアスケートもそうだろう。浅田真央のビールマン・スピンは世界一美しいと思うが、もっと短足に生まれついた人が同じことをやっても、感銘を与えることは難しい。かなり難易度の高い(つまり難しい)技らしいが、彼女はあまりにも楽々とやってのけるので、素人目には普通の技のように見える。結局、ああきれいだなと思うのは、彼女の肉体を賞賛しているのだ。

 そう言えば、私は映画が好きだが、特定の俳優のファンではなく、どちらかと言えば映画を監督で選ぶ方である。一番好きな映画監督はフェデリコ・フェリーニであり、中でも『魂のジュリエッタ』は最高に美しい映画だと思っている。私小説的な『8・1/2』や『アマルコルド』はイマイチである。もちろん他にもいる。詩的イメージに満ちたウッディ・アレンは、映画というジャンルに限定されない天才だと思う。少々古いが、巧妙な映画造りのヒチコック、ゲーム的映画というべき一つの典型を作り上げた黒澤明、フェリーニの衣鉢を継いだような寺山修司(ただし「田園に死す」以外はそれほどでもない)、一時期熱心に見ていたタルコフスキーなど数多い。

 しかし、絶対的に好きな俳優もいる。それはオードリー・ヘプバーンで、「マイ・フェア・レディ」や「シャレード」など、物語そっちのけで彼女の映像に見入ってしまう。ちょっと見ただけでは大して美人にも見えないし、特別私好みのタイプとも思わないのだが、なぜあれほど魅力を感じるのか、自分でも分からない。彼女が出演した映画なら、すべて見たいと思うのは、「着せ替え人形」のイメージだろう。いろいろな衣装を着せて、そのあらゆる美質を味わいたい。それは好きな曲をいろいろな演奏で聴いてみたいのに少し似ている。いわば彼女自身が芸術品で、彼女を見ることが喜びだというわけだ。彼女自身は容姿に劣等感を持っていたそうだが、「ローマの休日」を見たマリア・カラスは彼女のようになろうと、猛烈な減量をした。その結果、歌手生命を縮めることになったようだが、少なくとも当時のカラスは美人だった。

 話は逸れるが、カラスはもちろん天才的なプリマ・ドンナで、オペラの歴史を変えたと言われるほどのすばらしい歌手である。そのカラスのエピソードには、興味深い話がいくつもある。

 カラスがまだある教室でレッスンを受けていた頃、普通の生徒は、自分のレッスンが済むとさっさと帰ってしまうのに、カラスはいつまでも残っていて、全然関係ないはずのバス歌手のレッスンなどを興味津々で聴いていたというのである。後年、彼女が配役に加わるとなぜかアンサンブルが引き締まり、「みんなが上手になった」という。彼女が何か指示したわけではない。他の配役の分まで知っていて、みんなが上手に歌えるような演技、そういう刺激を与える演技をしたということである。

 また彼女が端役しかもらえなっかた駆け出しの頃、フィデリオ役を歌うことになっていたある歌手が、急な病気で出られなくなった。「誰か代役のできる者はいるか?」と聞くと、カラスが手を挙げた。「フィデリオなら以前からスコアを研究していたし、デビューするなら最高の役で、と決めていたの」というのだ。この志の高さと研究心は、やはり最高の芸術家にのみ見出されるものであろう。

 もちろん歌手には恵まれた天分が必要なわけだが、それだけでは間に合わないものがある。「志が高い」と言うと「野心的だ」と思う人もいるだろうが、それは違うと思うのである。目の前に願ってもない大役のチャンスがあるのに、首をすくめてやり過ごすのでは、プリマ・ドンナになれるはずがないし、「彼女がメンバーに加わると、全体のレベルが上がった」というのは、音楽全体を見通す力があったからだ。

 われわれの日常の仕事でもそういう面がある。向上心を出世欲と見なして嫌う人はいるが、少しでも会社を伸ばそうと思うなら、同僚に遠慮して力を発揮しないのは、間違っている。私はいつももう一歩上をと考えてきた。同僚には上昇志向に見えただろうが、私には反対に、同僚が適当なところで手を打って、力を出し尽くさないのがもどかしく思えた。出世などは関係ない。全体のレベルが上がれば、自然に自分の収入も増えるはずだと思っていたからである。現に会社は成長した。私の功績だけとは言わないが、少しずつ周囲の人たちの考え方もそういう方向に変わってきたと思う。

 とにかく、モーツァルトにはそうした意味での「天才」もあった。時には突飛な言動に見えても、音楽に関する限り、彼は正しかっただろうと思うのである。

http://kumoi1.web.fc2.com/CCP017.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html#c9

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
236. 中川隆[-14399] koaQ7Jey 2019年11月10日 13:11:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1501]

損切りが必要な投資法は絶対にやってはいけない


天才投資家バフェットが警鐘。なぜ日本人は収入が途絶えた老後から投資をするのか?=俣野成敏 2019年11月10日
https://www.mag2.com/p/money/815558


日本証券業協会の調査によると、日本の投資家の過半数を60歳以上が占め、年収は300万円未満が45.4%で最多となっています。多くの人が収入が途絶えたり、先細りする状態になってから、労働収入の代替え手段として、投資を検討しているということです。

日本人投資家は危険すぎる?バフェットの名言から学ぶ投資の鉄則

1. 投資とは、収入を増やす手段ではない?!

今回は、「名言に学ぶシリーズ」の続編として、天才投資家バフェット氏の名言を取り上げます。本特集は、名言の中に秘められた先人の知恵を借りつつも、彼らと私たちの間に横たわるギャップに目を向けることで、名言を鵜呑みにすることなく、そのエッセンスを取り入れられるようになることを目的としています。これ以前の名言につきましては、バックナンバーをご覧いただければと思います。

誰しも、自らお金を失おうとする人はいないでしょう。なのにお金を失ってしまうのは、失う危険性に目を向けないことが一因です。

ところが、失う危険性に目を向けると、今度は逆に投資をすることが怖くなってしまいます。

このような状況の中でも投資を行い、勝てる方法というのはあるのでしょうか?

【正しいリスクの取り方を知らなければ、投資で成功することはできない】

それでは、今回も引き続き、世界3大投資家の1人であるウォーレン・バフェット氏の名言を紐いていくことにしましょう。解説する名言はこちらです。


《名言ピックアップ その1》

ルール1:お金を失わない
ルール2:ルール1を忘れない
ルール3:借金をしない

出典:『カリスマ投資家の教え』(著:川上穣/刊:日経ビジネス人文庫)

上記は、インターネットなどでしばしば目にする名言ですが、「ルール3があったことを知らなかった」という人は意外に多いのではないでしょうか。

これは憶測に過ぎませんが、今は証券会社やFX会社などでも、普通に信用取引(借金)を使って金融商品を購入できるため、ルール3の存在を知られてしまうと、都合の悪い人がいるのかもしれません。

前回Vol.144でも、バフェット氏がレバレッジ(信用取引)の危険性について述べた箇所を、名言として取り上げました。

氏がこれだけ借金について言及しているということは、それだけ誤解している人が多く、釘を刺しておきたい想いがあるのだと思います。

<個人投資家の半数が60歳以上、労働収入が途絶えてから始めている>

2018年7月、日本証券業協会調査部が全国の20歳以上の投資家に対して行い、5,000人から有効回答を得たインターネット調査「平成30年度個人投資家の証券投資に関する意識調査報告書」というのがあります。

それによると、回答者の約6割が男性であり、かつ60歳以上が過半数を占め、中でも70歳以上が3割を占めています。

回答者の年収は300万円未満が45.4%と多く、500万円未満(23.8%)を含めると7割近くになります。職業も「無職・年金のみ(24.9%)」「役職なしの会社員(19.5%)」「専業主婦・主夫(18.9%)」と続いています。

彼らが証券投資に興味を持ったキッカケとは、「今の収入を増やしたいと思った(38.4%)」「株主優待があるから(35.6%)」「将来の生活に不安があり、必要性を感じた(23.6%)」といったものでした。

ここから見えてくるのは、多くの人が収入が途絶えたり、先細りする状態になってから、労働収入の代替え手段として、投資を検討しているということです。

労働収入がなくなり、年金も思ったように出ないとなると、もう後がなくなります。だから余計に、少ない元手を何とかして増やそうとして、信用取引などに走ってしまうのでしょう。

<投資は余剰資金でやるのが鉄則>

ご存じの通り、投資にはリスクがあります。つまりお金を失う可能性があるため、基本はお金を失っても大丈夫な状態にしてから、投資をすることが鉄則となります。

要は、投資を行う際には「労働 or 事業収入か、お金を失っても問題ないだけの資産があること」という前提条件が付くわけです。

ですから、リスクを取るような投資は、基本的には何らかの収入がある時にしかできません。収入がなくなった後は、通常は保守的な運用に切り替えるのが普通で、そもそもリスクの高い投資をすべきではありません。

バフェット氏が、わざわざ「ルール2:ルール1(お金を失わない)を忘れない」と念押ししているのも、人々が簡単にお金の増えそうな話に乗ってしまい、結果、お金を失うことが多いからなのでしょう。「ルール3:借金をしない」の借金に至っては、お金を失う行為に等しい、ということです。

<兼業投資家が大きな利回りを狙っていくべきは、投資ではなく本業>

おそらくバフェット氏自身は、お金を増やすことと失うことを、イコールで見ているでしょう。リスクを取らなければ、投資でお金は増えません。

投資を行えば、お金は増える可能性も減る可能性もあります。さらに「投資をしない」という選択肢もある中で、「投資をする」という決断を下し、かつ成功を収めたければ、正しいリスクの取り方を知っていることが不可欠です。


仮に、これから投資をしようとしている人が、商品のリターンしか目に入っておらず、リスクを理解していないとしたら、「リターンとリスクのどちらがより可能性が高いのか?」を比べることもできないでしょう。

比較ができない以上、本当の意味でのリスクを取ることなどできません。

私たちビジネスパーソンは、普段は仕事(本業)をしている、という意味で、いわば兼業投資家です。

お伝えしたいのは、「私たちのような兼業投資家が、一番大きな利回りを狙っていくべきは、投資ではなく本業」だということです。

プロとしての勘や経験を培ってきた本業においてであれば、ある程度未来の予測ができ、勝負時がいつなのかも熟知しているでしょう。


しかし、それをそのまま投資に持ち込んでしまうと、思わぬ火傷を負いがちなのです。

【バフェット氏は「自分の身近にあるもの」に投資する】

次は、バフェット氏が「投資をする際、どこに着目すべきか?」ということを語った一文です。


《名言ピックアップ その2》

「鉄道は素晴らしい事業です。米国で永久に存在するからです。テレビの製造などは日本に移りましたが、鉄道はどこにも行ったりはしません」

出典:『カリスマ投資家の教え』(著:川上穣/刊:日経ビジネス人文庫)

通常、多くの投資家は「将来性のある分野に投資をして、資産を一気に増やしたい」と考え、自分がよく知らない分野に投資をしようとします。

一方、バフェット氏は、そうしたベンチャー投資とは一線を画しています。

氏が率いる投資会社、バークシャー・ハサウェイは2010年、米鉄道大手のバーリントン・ノーザン・サンタフェを約265億ドルで買収しました。

名言を引用した書籍『カリスマ投資家の教え』によると、当時、買収金額が莫大であったことや、鉄道が規制の対象であったことなどから、この買収に難色を示す声が大きかった、と言います。

それはちょうど、2008年に発生したリーマン・ショックによって、金融危機が世界に波及していた時期と重なります。アメリカはこの危機から脱するために、大規模な金融緩和を行っている最中でした。


しかしバフェット氏には、経済が回復すれば、物資の輸送に鉄道が必要になる、という確信がありました。社会全体が将来への不安に囚われていた時に、氏はすでにその先を見ていたのです。

<投資に必ずしもワクワク感は必要ない>

鉄道というのは、社会のインフラです。インフラは、社会に不可欠なものである反面、利益を出しにくい、という一面があります。

たとえば日本でも2010年、航空大手のJALが経営破綻したように、インフラ事業は高コスト体質になりやすい反面、ユーザーは常に安さを求めてきます。

一般に、成長を続けている国でなければ、採算割れしやすいのがインフラ事業ですが、アメリカには潜在能力がありました。

そもそも、投資とは未来に対して行われる以上、「自分がよく理解している分野」や、「毎日の日常と密接に関係している商品」などを投資対象としたほうが、予測をしやすいのは確かでしょう。

今回の名言は、「必ずしも投資にワクワク感は必要ない」という、氏からのメッセージなのではないかと考えます。

【関連】なぜバフェットは成長したアップルを買った? 投資家が参考にすべき「身の丈予測」の極意=俣野成敏
https://www.mag2.com/p/money/769279


バフェット氏が投資先として選んだのは、将来も存在しているかどうかわからないベンチャー企業ではなく、まさに自分の身近にあるものでした。

一にも二にも、 “実需”が投資のキーワード

ベンチャー企業への投資は、当たれば大金が転がり込んでくるイメージがあり、ワクワクするかもしれません。

しかし、それは「期待半分、不安半分」ということですから、投資においては、よい兆候だとは言えません。「確信が持てない投資は、すべきではない」というのは、私も氏と同意見です。

投資を検討する際は、自分の好き嫌いとは切り離して、「世の中の人が必要とするかどうか?」という目線を持つことが大切です。

一にも二にも、 “実需”が投資のキーワードなのです。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c236

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
125. 中川隆[-14398] koaQ7Jey 2019年11月10日 13:12:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1500]

柴田罫線の様な損切りが必要な投資法は絶対にやってはいけない


天才投資家バフェットが警鐘。なぜ日本人は収入が途絶えた老後から投資をするのか?=俣野成敏 2019年11月10日
https://www.mag2.com/p/money/815558


日本証券業協会の調査によると、日本の投資家の過半数を60歳以上が占め、年収は300万円未満が45.4%で最多となっています。多くの人が収入が途絶えたり、先細りする状態になってから、労働収入の代替え手段として、投資を検討しているということです。

日本人投資家は危険すぎる?バフェットの名言から学ぶ投資の鉄則

1. 投資とは、収入を増やす手段ではない?!

今回は、「名言に学ぶシリーズ」の続編として、天才投資家バフェット氏の名言を取り上げます。本特集は、名言の中に秘められた先人の知恵を借りつつも、彼らと私たちの間に横たわるギャップに目を向けることで、名言を鵜呑みにすることなく、そのエッセンスを取り入れられるようになることを目的としています。これ以前の名言につきましては、バックナンバーをご覧いただければと思います。

誰しも、自らお金を失おうとする人はいないでしょう。なのにお金を失ってしまうのは、失う危険性に目を向けないことが一因です。

ところが、失う危険性に目を向けると、今度は逆に投資をすることが怖くなってしまいます。

このような状況の中でも投資を行い、勝てる方法というのはあるのでしょうか?

【正しいリスクの取り方を知らなければ、投資で成功することはできない】

それでは、今回も引き続き、世界3大投資家の1人であるウォーレン・バフェット氏の名言を紐いていくことにしましょう。解説する名言はこちらです。


《名言ピックアップ その1》

ルール1:お金を失わない
ルール2:ルール1を忘れない
ルール3:借金をしない

出典:『カリスマ投資家の教え』(著:川上穣/刊:日経ビジネス人文庫)

上記は、インターネットなどでしばしば目にする名言ですが、「ルール3があったことを知らなかった」という人は意外に多いのではないでしょうか。

これは憶測に過ぎませんが、今は証券会社やFX会社などでも、普通に信用取引(借金)を使って金融商品を購入できるため、ルール3の存在を知られてしまうと、都合の悪い人がいるのかもしれません。

前回Vol.144でも、バフェット氏がレバレッジ(信用取引)の危険性について述べた箇所を、名言として取り上げました。

氏がこれだけ借金について言及しているということは、それだけ誤解している人が多く、釘を刺しておきたい想いがあるのだと思います。

<個人投資家の半数が60歳以上、労働収入が途絶えてから始めている>

2018年7月、日本証券業協会調査部が全国の20歳以上の投資家に対して行い、5,000人から有効回答を得たインターネット調査「平成30年度個人投資家の証券投資に関する意識調査報告書」というのがあります。

それによると、回答者の約6割が男性であり、かつ60歳以上が過半数を占め、中でも70歳以上が3割を占めています。

回答者の年収は300万円未満が45.4%と多く、500万円未満(23.8%)を含めると7割近くになります。職業も「無職・年金のみ(24.9%)」「役職なしの会社員(19.5%)」「専業主婦・主夫(18.9%)」と続いています。

彼らが証券投資に興味を持ったキッカケとは、「今の収入を増やしたいと思った(38.4%)」「株主優待があるから(35.6%)」「将来の生活に不安があり、必要性を感じた(23.6%)」といったものでした。

ここから見えてくるのは、多くの人が収入が途絶えたり、先細りする状態になってから、労働収入の代替え手段として、投資を検討しているということです。

労働収入がなくなり、年金も思ったように出ないとなると、もう後がなくなります。だから余計に、少ない元手を何とかして増やそうとして、信用取引などに走ってしまうのでしょう。

<投資は余剰資金でやるのが鉄則>

ご存じの通り、投資にはリスクがあります。つまりお金を失う可能性があるため、基本はお金を失っても大丈夫な状態にしてから、投資をすることが鉄則となります。

要は、投資を行う際には「労働 or 事業収入か、お金を失っても問題ないだけの資産があること」という前提条件が付くわけです。

ですから、リスクを取るような投資は、基本的には何らかの収入がある時にしかできません。収入がなくなった後は、通常は保守的な運用に切り替えるのが普通で、そもそもリスクの高い投資をすべきではありません。

バフェット氏が、わざわざ「ルール2:ルール1(お金を失わない)を忘れない」と念押ししているのも、人々が簡単にお金の増えそうな話に乗ってしまい、結果、お金を失うことが多いからなのでしょう。「ルール3:借金をしない」の借金に至っては、お金を失う行為に等しい、ということです。

<兼業投資家が大きな利回りを狙っていくべきは、投資ではなく本業>

おそらくバフェット氏自身は、お金を増やすことと失うことを、イコールで見ているでしょう。リスクを取らなければ、投資でお金は増えません。

投資を行えば、お金は増える可能性も減る可能性もあります。さらに「投資をしない」という選択肢もある中で、「投資をする」という決断を下し、かつ成功を収めたければ、正しいリスクの取り方を知っていることが不可欠です。


仮に、これから投資をしようとしている人が、商品のリターンしか目に入っておらず、リスクを理解していないとしたら、「リターンとリスクのどちらがより可能性が高いのか?」を比べることもできないでしょう。

比較ができない以上、本当の意味でのリスクを取ることなどできません。

私たちビジネスパーソンは、普段は仕事(本業)をしている、という意味で、いわば兼業投資家です。

お伝えしたいのは、「私たちのような兼業投資家が、一番大きな利回りを狙っていくべきは、投資ではなく本業」だということです。

プロとしての勘や経験を培ってきた本業においてであれば、ある程度未来の予測ができ、勝負時がいつなのかも熟知しているでしょう。


しかし、それをそのまま投資に持ち込んでしまうと、思わぬ火傷を負いがちなのです。

【バフェット氏は「自分の身近にあるもの」に投資する】

次は、バフェット氏が「投資をする際、どこに着目すべきか?」ということを語った一文です。


《名言ピックアップ その2》

「鉄道は素晴らしい事業です。米国で永久に存在するからです。テレビの製造などは日本に移りましたが、鉄道はどこにも行ったりはしません」

出典:『カリスマ投資家の教え』(著:川上穣/刊:日経ビジネス人文庫)

通常、多くの投資家は「将来性のある分野に投資をして、資産を一気に増やしたい」と考え、自分がよく知らない分野に投資をしようとします。

一方、バフェット氏は、そうしたベンチャー投資とは一線を画しています。

氏が率いる投資会社、バークシャー・ハサウェイは2010年、米鉄道大手のバーリントン・ノーザン・サンタフェを約265億ドルで買収しました。

名言を引用した書籍『カリスマ投資家の教え』によると、当時、買収金額が莫大であったことや、鉄道が規制の対象であったことなどから、この買収に難色を示す声が大きかった、と言います。

それはちょうど、2008年に発生したリーマン・ショックによって、金融危機が世界に波及していた時期と重なります。アメリカはこの危機から脱するために、大規模な金融緩和を行っている最中でした。


しかしバフェット氏には、経済が回復すれば、物資の輸送に鉄道が必要になる、という確信がありました。社会全体が将来への不安に囚われていた時に、氏はすでにその先を見ていたのです。

<投資に必ずしもワクワク感は必要ない>

鉄道というのは、社会のインフラです。インフラは、社会に不可欠なものである反面、利益を出しにくい、という一面があります。

たとえば日本でも2010年、航空大手のJALが経営破綻したように、インフラ事業は高コスト体質になりやすい反面、ユーザーは常に安さを求めてきます。

一般に、成長を続けている国でなければ、採算割れしやすいのがインフラ事業ですが、アメリカには潜在能力がありました。

そもそも、投資とは未来に対して行われる以上、「自分がよく理解している分野」や、「毎日の日常と密接に関係している商品」などを投資対象としたほうが、予測をしやすいのは確かでしょう。

今回の名言は、「必ずしも投資にワクワク感は必要ない」という、氏からのメッセージなのではないかと考えます。

【関連】なぜバフェットは成長したアップルを買った? 投資家が参考にすべき「身の丈予測」の極意=俣野成敏
https://www.mag2.com/p/money/769279


バフェット氏が投資先として選んだのは、将来も存在しているかどうかわからないベンチャー企業ではなく、まさに自分の身近にあるものでした。

一にも二にも、 “実需”が投資のキーワード

ベンチャー企業への投資は、当たれば大金が転がり込んでくるイメージがあり、ワクワクするかもしれません。

しかし、それは「期待半分、不安半分」ということですから、投資においては、よい兆候だとは言えません。「確信が持てない投資は、すべきではない」というのは、私も氏と同意見です。

投資を検討する際は、自分の好き嫌いとは切り離して、「世の中の人が必要とするかどうか?」という目線を持つことが大切です。

一にも二にも、 “実需”が投資のキーワードなのです。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c125

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
73. 中川隆[-14415] koaQ7Jey 2019年11月10日 13:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1517]
クールな音楽家モーツァルト
---モーツァルト:ピアノ協奏曲 Nos. 11&14 坂崎 紀
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html

 ヒットする曲の条件は何だろう。必ずしも音楽の質だけで決まるとはいえないが、誰でもわかりやすく、多くの人が共感できる曲はヒットするといえるだろう。逆に一部の専門家しかわからないような凝った音楽、聴き手に一定水準の音楽的能力や音楽経験を要求するような曲はヒットしにくいといえる。

 この問題について、モーツァルトが1782年12月28日付の手紙の中で興味深いことを書いている。


 「予約演奏会用の協奏曲が2曲必要です。これらの協奏曲は、非常に易しいものと非常に難しいものとの中間を正確に狙ったもので、とても華やかで聴いて楽しく、シンプルで自然ですが無内容に響くことはありません。専門家のみが真に楽しめる個所もここかしこにありますが、素人でも満足を感じるはずです、たとえその理由がわからなくても。」

 ここには作曲家の職業上の秘密、あるいはモーツァルトのプロ作曲家としてのドライな面が感じられる。予約演奏会というのは前売り券を売り、演奏会を行う方式。およそ18世紀頃から公開演奏会が一般化するにつれて採用されるようになった。不特定多数の人が安価にチケットを入手できるようにするかわりに聴衆の数が多くなるように演奏会を企画して利益を上げようというものだ。いわば薄利多売。これは現在の各種演奏会の方式と本質的には同じだ。

 チケットが売れなければ話にならないから、幅広い層にアピールしなければならない。しかしモーツァルトは決して「わかりやすければいい」とか「素人にはわかりやすいものを」といってはいないし、もちろん「理解できる人だけが聴けばいい」ともいっていない。その中間を正確に狙う、というところがミソ。

 「華やかで楽しく、シンプルで自然」というはこの時代の古典主義の理念で、技巧を凝らしたり複雑さを追求した難解な音楽は好まれなかった。これはひとつには啓蒙思想による人間の自然な感覚を尊重する風潮に由来し、社会的には音楽を享受する階層がそれまでの王侯貴族から中産市民階級に拡大したためだ。

 晩年のバッハは、当時の音楽評論家から「技巧が過度、もっと自然であるべきだ」と批判されているが、これは古典主義的な音楽観からなされたものと解釈できる。「一部の音楽通の貴族にしかわからないような音楽はこれからは時代遅れ」ということなのだ。だからハイドンやモーツァルトの音楽は、ある意味ではバッハよりも単純素朴といえるが、これは音楽がより広い層に受け入れられることにつながる。

 さてウィーンといえども、音楽通の数は限られるだろう。チケット金額が同じなら、演奏会に音楽通がひとり来てくれるよりも、平均的一般人(素人)が3人来てくれた方が営業面では有利なのだ。しかしモーツァルトはもっと計算して「音楽通も満足するし、一般人も楽しめる」と書いている。つまり4人来ることを狙っているのだ。これは作るテクニックとしてはむずかしい。凝った和声や繊細な表現といったものは音楽通には受けるが、一般人にはわからない。逆に派手で明快な音楽は一般人にはわかりやすいが、そればかりだと、音楽通には内容空疎な印象を与える。

 ただ音楽というのは時間経過の中で変化していくものなので、わかりやすい部分と、やや凝った部分をうまく混ぜ合わせれば、音楽通も一般人もある程度まで満足させることは可能だろう。モーツァルトはそういう曲を書こうとしていたのだ。

 ではモーツァルトはこの手紙を書いた後、どんな協奏曲を書いたのだろうか。この手紙の直後に書かれたのはピアノ協奏曲第11番ヘ長調 K.413(387a)と第14番ハ長調 K. 415(387b)だったと考えられている。インマゼールがフォルテピアノで演奏したCDを聴いてみよう*。

 これらの曲は大局的にはウィーン古典派の音楽で、現在の基準からすると明快でわかりやすい音楽。しかし作曲された18世紀末の時点では斬新で新しい面もあったと思われる。特に第1楽章ではさまざまな音楽的要素が出てきて、感傷的なフレーズもあれば、大げさな身振りでハデなところもあるが、これらの要素のうちのいくつかは当時としては新しくユニークで音楽通向けであり、いくつかはより一般的で大衆的だったのだろう。

 モーツァルトはしばしば「神童」、「天才」といわれるから、人によってはインスピレーションに駆られて神がかり状態で一気に曲を書き上げる「ゲイジュツカ」というイメージを抱くかもしれない。しかしそれはいささかロマン主義的な幻想というべきだ。

 前掲の手紙からすると、彼は自分の音楽に対してかなりメタ認識ができており、ある意味では冷静かつ客観的に「どうすればウケるか」を考えながら作曲し、演奏していた。そう、モーツァルトは「冷静」、「カッコいい」、という2つの意味でクール cool なミュージシャンだったのだ。

-----
*W. A. Mozart: Clavier-Concerte 11, 13 & 14.
Orchestra Anima Erterna/ J. v. Immerseel
(Channel Classics CCS 0990)
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c73

[リバイバル3] モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く 中川隆
10. 中川隆[-14414] koaQ7Jey 2019年11月10日 13:36:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1516]
クールな音楽家モーツァルト
---モーツァルト:ピアノ協奏曲 Nos. 11&14 坂崎 紀
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html

 ヒットする曲の条件は何だろう。必ずしも音楽の質だけで決まるとはいえないが、誰でもわかりやすく、多くの人が共感できる曲はヒットするといえるだろう。逆に一部の専門家しかわからないような凝った音楽、聴き手に一定水準の音楽的能力や音楽経験を要求するような曲はヒットしにくいといえる。

 この問題について、モーツァルトが1782年12月28日付の手紙の中で興味深いことを書いている。


 「予約演奏会用の協奏曲が2曲必要です。これらの協奏曲は、非常に易しいものと非常に難しいものとの中間を正確に狙ったもので、とても華やかで聴いて楽しく、シンプルで自然ですが無内容に響くことはありません。専門家のみが真に楽しめる個所もここかしこにありますが、素人でも満足を感じるはずです、たとえその理由がわからなくても。」

 ここには作曲家の職業上の秘密、あるいはモーツァルトのプロ作曲家としてのドライな面が感じられる。予約演奏会というのは前売り券を売り、演奏会を行う方式。およそ18世紀頃から公開演奏会が一般化するにつれて採用されるようになった。不特定多数の人が安価にチケットを入手できるようにするかわりに聴衆の数が多くなるように演奏会を企画して利益を上げようというものだ。いわば薄利多売。これは現在の各種演奏会の方式と本質的には同じだ。

 チケットが売れなければ話にならないから、幅広い層にアピールしなければならない。しかしモーツァルトは決して「わかりやすければいい」とか「素人にはわかりやすいものを」といってはいないし、もちろん「理解できる人だけが聴けばいい」ともいっていない。その中間を正確に狙う、というところがミソ。

 「華やかで楽しく、シンプルで自然」というはこの時代の古典主義の理念で、技巧を凝らしたり複雑さを追求した難解な音楽は好まれなかった。これはひとつには啓蒙思想による人間の自然な感覚を尊重する風潮に由来し、社会的には音楽を享受する階層がそれまでの王侯貴族から中産市民階級に拡大したためだ。

 晩年のバッハは、当時の音楽評論家から「技巧が過度、もっと自然であるべきだ」と批判されているが、これは古典主義的な音楽観からなされたものと解釈できる。「一部の音楽通の貴族にしかわからないような音楽はこれからは時代遅れ」ということなのだ。だからハイドンやモーツァルトの音楽は、ある意味ではバッハよりも単純素朴といえるが、これは音楽がより広い層に受け入れられることにつながる。

 さてウィーンといえども、音楽通の数は限られるだろう。チケット金額が同じなら、演奏会に音楽通がひとり来てくれるよりも、平均的一般人(素人)が3人来てくれた方が営業面では有利なのだ。しかしモーツァルトはもっと計算して「音楽通も満足するし、一般人も楽しめる」と書いている。つまり4人来ることを狙っているのだ。これは作るテクニックとしてはむずかしい。凝った和声や繊細な表現といったものは音楽通には受けるが、一般人にはわからない。逆に派手で明快な音楽は一般人にはわかりやすいが、そればかりだと、音楽通には内容空疎な印象を与える。

 ただ音楽というのは時間経過の中で変化していくものなので、わかりやすい部分と、やや凝った部分をうまく混ぜ合わせれば、音楽通も一般人もある程度まで満足させることは可能だろう。モーツァルトはそういう曲を書こうとしていたのだ。

 ではモーツァルトはこの手紙を書いた後、どんな協奏曲を書いたのだろうか。この手紙の直後に書かれたのはピアノ協奏曲第11番ヘ長調 K.413(387a)と第14番ハ長調 K. 415(387b)だったと考えられている。インマゼールがフォルテピアノで演奏したCDを聴いてみよう*。

 これらの曲は大局的にはウィーン古典派の音楽で、現在の基準からすると明快でわかりやすい音楽。しかし作曲された18世紀末の時点では斬新で新しい面もあったと思われる。特に第1楽章ではさまざまな音楽的要素が出てきて、感傷的なフレーズもあれば、大げさな身振りでハデなところもあるが、これらの要素のうちのいくつかは当時としては新しくユニークで音楽通向けであり、いくつかはより一般的で大衆的だったのだろう。

 モーツァルトはしばしば「神童」、「天才」といわれるから、人によってはインスピレーションに駆られて神がかり状態で一気に曲を書き上げる「ゲイジュツカ」というイメージを抱くかもしれない。しかしそれはいささかロマン主義的な幻想というべきだ。

 前掲の手紙からすると、彼は自分の音楽に対してかなりメタ認識ができており、ある意味では冷静かつ客観的に「どうすればウケるか」を考えながら作曲し、演奏していた。そう、モーツァルトは「冷静」、「カッコいい」、という2つの意味でクール cool なミュージシャンだったのだ。

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*W. A. Mozart: Clavier-Concerte 11, 13 & 14.
Orchestra Anima Erterna/ J. v. Immerseel
(Channel Classics CCS 0990)
https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/sakazaki.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html#c10

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
74. 中川隆[-14530] koaQ7Jey 2019年11月10日 16:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1632]

294名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 15:29:39.45ID:lK3Y379i

Brahms ヴァイオリン協奏曲 聴き比べ


brahms Violin Concerto, Kreisler & Blech (1927) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hCbmN6bn3Yw

Fritz Kreisler (1875-1962), Violin
Leo Blech (1871-1958), Conductor
Berlin State Opera Orchestra (Staatskapelle Berlin)

Rec. 21, 23, 25 November 1927, Berliner Singakademie
_____

Fritz Kreisler - Brahms-Violinkonzert - Sir John Barbirolli - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2wcLM7verXg

Recorded in London, on the 18th and 22nd June, 1936
by Fritz Kreisler and the London Philharmonic Orchestra
Orchestra conducted by Sir John Barbirolli.
______

brahms Violin Concerto - Thibaud (1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G8jkd_LWP0k

Jacques Thibaud (Vn)
Concerts Pasdeloup
Jean Fournet (Cond)
18 I 1953 (LIVE)


296名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 15:37:25.61ID:lK3Y379i

Szigeti - Harty Brahms Violin concerto - Hallé Orchestra (R.1928) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1B4-2NgqfIo

______

BRAHMS VIOLIN CONCERTO IN D MAJOR Op. 77; SZIGETI, ORMANDY, PO (1945) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mdmPvBB8faM

Philadelphia Orch. cond. by Eugine Ormandy
transfer from Jpn Columbia 78s / SW-8/10(XCO-34296/300)
recorded in 1945

______

Brahms Violin Concerto Joseph Szigeti Dimitri Mitropoulos 1948 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=i01KRWW54wE

Joseph Szigeti, New York Philharmonic Orchestra, Dmitri Mitropoulos

_____

ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 シゲティ-メンゲス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7TOD6kiU4VA


Vn:ヨーゼフ・シゲティ Josef Suk
Cond:ヘルベルト・メンゲス Herbert Menges 
ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
1959 REC



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c74

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
75. 中川隆[-14529] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:00:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1631]

298名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 15:44:37.51ID:lK3Y379i

brahms Violin Concerto, Neveu & Dobrowen (1946) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ATg9Qz-F3GU

Ginette Neveu (1919-1949), Violin
Issay Dobrowen (1891-1953), Conductor
Philharmonia Orchestra

Rec. 16-18 August 1946
______

brahms Violin Concerto, Neveu & Schmidt-Isserstedt (1948) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9FM2_krep7U
https://www.youtube.com/watch?v=729L0ke5Lxs

Ginette Neveu (1919-1949), Violin
Hans Schmidt-Isserstedt (1900-1973), Conductor
North German Radio Symphony Orchestra (NDR Symphony Orchestra)

Rec. 3 May 1948, in Hamburg (Live Recording)
______

Ginette Neveu - Brahms Violin Concerto, 1rst mvt (1949) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5YIP897fMus
https://www.youtube.com/watch?v=EkODm9aHyns
https://www.youtube.com/watch?v=S3tiacSii6c

conductor: Antal Dorati
orchestra: The Hague Residentie Orchestra
Rec. 10 June 1949 (5 months before she died)

299名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:08:05.71ID:lK3Y379i

Gioconda de Vito - Brahms Violin Concerto Op.77I - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lN3kicvRsLs
https://www.youtube.com/watch?v=YgjRHXulUjc
https://www.youtube.com/watch?v=87dSNG2YX2Y

1949 Artist: Gioconda De Vito Paul van Kempen Orchestra: Berlin Deutsche Opera Orchestra
_____

Violin Concerto in D Major, Op. 77 (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=F2bXD9RefN4
https://www.youtube.com/watch?v=7rccRhz6s1Y
https://www.youtube.com/watch?v=Er9BPFV6Qds

Gioconda de Vito, Wilhelm Furtwangler, Orchestra sinfonica nazionale della RAI di Torino
_____

brahms Violin Concerto, de Vito & Schwarz (1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eoTFpWGBjtc

Gioconda de Vito (1907-1994), Violin Rudolf Schwarz, (1905-1994), Philharmonia Orchestra
Rec. 25, 27 February & 2, 5 March 1953, at Kingsway Hall, in London
_____

Brahms Violin Concerto Gioconda De Vito - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rDdeKQk59kw

Gioconda De Vito, violin Orchester des Bayerischen Rundfunks
Eugen Jochum, conductor Munchen, 1956



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c75

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
76. 中川隆[-14537] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:02:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1639]

300名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:23:32.45ID:lK3Y379i

Brahms Violin Concerto op.77 - Heifetz - Toscanini - NYP - 1935 - YouTube
Heifetz - Toscanini - New York Phil. 1935
https://www.youtube.com/watch?v=nH4orwL6XZs
____

Jascha Heifetz plays Brahms Violin Concerto Op.77 (Koussevitzky 1939) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=soQY-PUOpxw

Serge Koussevitzky Boston Symphony Orchestra Recorded in 1939. 4. 11
____

brahms Violin Concerto, Heifetz & Szell (1951) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Mocfd5QXzfY

Jascha Heifetz (1901-1987), George Szell New York Philharmonic Orchestra
Rec. 9 December 1951 (Live Recording)

_____

[HQ] Jascha Heifetz - Brahms' Violin Concerto in D major, Op. 77 - YouTube
Jascha Heifetz ; Fritz Reiner ; Chicago Symphony Orchestra 1955/01/21, 22 Stereo, Orchestra Hall, Chicago
https://www.youtube.com/watch?v=7iG9tUJ7Am4

301名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:31:34.96ID:lK3Y379i

Brahms Violin Concerto Bronislaw Huberman - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nbww8l79mKA

Bronislaw Huberman, violin
Philharmonic Symphony orchestra of New York
Artur Rodzinski, Conductor
Carnegie Hall, New York, 23.I.1944
_____

Violin Concerto in D Major, Op. 77 (1943) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MEXPYAO0H-c
https://www.youtube.com/watch?v=fCfhzvnoXGI&list=OLAK5uy_nG4SFR_y8X66wqQ_P0kiEWGidNIq301x0&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=KLeUBOx3wwQ

_______

Adolf Busch William Steinberg New York Philharmonic Symphony Orchestra
Brahms Violin Concerto Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2-xD-u2JAjY

Adolf Busch, violin Orchester Der Stadt Basel
Hans Munch, Conductor 1951

302名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:34:45.38ID:lK3Y379i

Brahms - Violin concerto - Oistrakh - Klemperer - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KkfgFuCUe8w

David Oistrakh
Orchestre National de la Radiodiffusion Française
Otto Klemperer
Studio recording, Paris, 17-19.VI.1960

_____

Brahms Violin Concerto - David Oistrakh, The Cleveland Orchestra, Szell (1970, JapanSACD 2010) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9rzJPkwwCL0

Recorded at Severance Hall, Creveland, Ohio, on May 13 & 16, 1969



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c76

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
77. 中川隆[-14536] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:04:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1638]

304名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:45:04.84ID:lK3Y379i

brahms Violin Concerto (Anne-Sophie Mutter – Karajan 1981) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NTaNqM1HCeU

Anne-Sophie Mutter – Solo Violin
Herbert Von Karajan: Berlin Philharmonic Orchestra

______

Brahms - Concerto fo Violin and Orchestra in D - Anne-Sophie Mutter - Kurt Masur - NYPO - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=v3zq756odHA

Conductor: Kurt Masur
Violin: Anne-Sophie Mutter
Orchestra: New York Philharmonic Orchestra
Year: 1997


306名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:28.70ID:lK3Y379i

Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (1985) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pKVuQQkvqWA

Myung-Whun Chung and KBS Symphony Orchestra.
This concert took place in Seoul, Korea on August 12th, 1985.
______

Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (1996) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UtnaJ2ZkN60

Andre Previn and Kölner Rundfunksinfonie Orchester. December 1996.
_____

(ReUp) Kyung Wha Chung plays Brahms Violin Concerto (2001) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sjEzqaoKth8

Myung-Whun and Orchestra dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia.
The concert took place in Yokohama, Japan on May 18th, 2001.

_____

brahms Violin Concerto - Kyung-Wha Chung Haitink Super World Orchestra (2003 Live) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FGsKFJbq6KE

Bernard Haitink Super World Orchestra 2003.7.14 Suntory Hall Live. Japan
https://www.youtube.com/watch?v=FGsKFJbq6KE
____

Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (2016) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=roE4l6v3vGg

concert of Verbier Festival 2016, with the Festival orchestra under Charles Dutoit.
Performed on 22nd July, 2016.

_____

Kyung wha chung plays Brahms violin concerto (Tong-yeong International Music Festival 2018) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

Kyung-Wha Chung, violin
Bochum Symphony Orchestra Steven Solane, Conductor
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c77

[リバイバル3] youtube で聴く世界の名曲 中川隆
7. 中川隆[-14553] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:42:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1655]

305名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:46:19.66ID:IG8874dG

youtubeをダウウンロードして、
wav(44.1k/16bit, foobar2000)で聴くと、音質が良くなるよ。

モーツァルトの場合、歌と伴奏が明確なので、歌謡曲と比較できるかもしれないが、
そのことと楽曲クオリティとは関係ない。


308名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:49.33ID:zHRQVo1t>>309

一度、圧縮した音源って元に戻せるのか?

309名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:04:06.98ID:0E/7c/DY
>>308
音源は元に戻せない
でもブラウザで再生するよりwasapi対応のfooberの方が音質は良くなる

310名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:22:41.32ID:IG8874dG

foobar2000で、wav(44.1k, 16bit=CD)にconvert
mp4muxerで、demux->映像を削除

非可逆圧縮(mp3, m4a, mp4)でも、wavにすることで明確に異なる音質となる。
HDDにもやさしい。

311名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:27:45.93ID:IG8874dG

どがらじ URLで映像ダウンロード
https://dogaradi.123net.jp/

https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

312名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:38:40.09ID:0E/7c/DY
>>310
音質がかわるのはfooberで再生するからだろ


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/742.html#c7

[リバイバル3] YouTube で聴くシャコンヌの名盤 中川隆
7. 中川隆[-14552] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:42:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1654]

305名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:46:19.66ID:IG8874dG

youtubeをダウウンロードして、
wav(44.1k/16bit, foobar2000)で聴くと、音質が良くなるよ。

モーツァルトの場合、歌と伴奏が明確なので、歌謡曲と比較できるかもしれないが、
そのことと楽曲クオリティとは関係ない。


308名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:49.33ID:zHRQVo1t>>309

一度、圧縮した音源って元に戻せるのか?

309名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:04:06.98ID:0E/7c/DY
>>308
音源は元に戻せない
でもブラウザで再生するよりwasapi対応のfooberの方が音質は良くなる

310名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:22:41.32ID:IG8874dG

foobar2000で、wav(44.1k, 16bit=CD)にconvert
mp4muxerで、demux->映像を削除

非可逆圧縮(mp3, m4a, mp4)でも、wavにすることで明確に異なる音質となる。
HDDにもやさしい。

311名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:27:45.93ID:IG8874dG

どがらじ URLで映像ダウンロード
https://dogaradi.123net.jp/

https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

312名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:38:40.09ID:0E/7c/DY
>>310
音質がかわるのはfooberで再生するからだろ


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/439.html#c7

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
49. 中川隆[-14551] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:43:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1653]

305名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:46:19.66ID:IG8874dG

youtubeをダウウンロードして、
wav(44.1k/16bit, foobar2000)で聴くと、音質が良くなるよ。

モーツァルトの場合、歌と伴奏が明確なので、歌謡曲と比較できるかもしれないが、
そのことと楽曲クオリティとは関係ない。


308名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:49.33ID:zHRQVo1t>>309

一度、圧縮した音源って元に戻せるのか?

309名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:04:06.98ID:0E/7c/DY
>>308
音源は元に戻せない
でもブラウザで再生するよりwasapi対応のfooberの方が音質は良くなる

310名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:22:41.32ID:IG8874dG

foobar2000で、wav(44.1k, 16bit=CD)にconvert
mp4muxerで、demux->映像を削除

非可逆圧縮(mp3, m4a, mp4)でも、wavにすることで明確に異なる音質となる。
HDDにもやさしい。

311名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:27:45.93ID:IG8874dG

どがらじ URLで映像ダウンロード
https://dogaradi.123net.jp/

https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

312名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:38:40.09ID:0E/7c/DY
>>310
音質がかわるのはfooberで再生するからだろ


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c49

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
78. 中川隆[-14550] koaQ7Jey 2019年11月10日 17:44:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1652]

305名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:46:19.66ID:IG8874dG

youtubeをダウウンロードして、
wav(44.1k/16bit, foobar2000)で聴くと、音質が良くなるよ。

モーツァルトの場合、歌と伴奏が明確なので、歌謡曲と比較できるかもしれないが、
そのことと楽曲クオリティとは関係ない。


308名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 16:55:49.33ID:zHRQVo1t>>309

一度、圧縮した音源って元に戻せるのか?

309名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:04:06.98ID:0E/7c/DY
>>308
音源は元に戻せない
でもブラウザで再生するよりwasapi対応のfooberの方が音質は良くなる

310名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:22:41.32ID:IG8874dG

foobar2000で、wav(44.1k, 16bit=CD)にconvert
mp4muxerで、demux->映像を削除

非可逆圧縮(mp3, m4a, mp4)でも、wavにすることで明確に異なる音質となる。
HDDにもやさしい。

311名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:27:45.93ID:IG8874dG

どがらじ URLで映像ダウンロード
https://dogaradi.123net.jp/

https://www.youtube.com/watch?v=oelcmJ13HDU

312名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 17:38:40.09ID:0E/7c/DY
>>310
音質がかわるのはfooberで再生するからだろ


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/l50
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c78

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
79. 中川隆[-14612] koaQ7Jey 2019年11月10日 19:27:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1714]

316名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:17:53.34ID:lK3Y379i

brahms 21 Hungarian Dances, WoO 1 No. 1 In G Minor - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y-V4A-BNAZU


brahms Hungarian Dance No.2 In B Minor - YouTube
Anne-Sophie Mutter · Lambert Orkis
https://www.youtube.com/watch?v=Yr8rTy8-CBg


brahms Hungarian Dance No.5 In G Minor - YouTube
Anne-Sophie Mutter · Lambert Orkis
https://www.youtube.com/watch?v=SVTuFLIUNH4


Anne-Sophie Mutter Brahms Hungarian Dance No.6 in D flat - transc. - YouTube
November 30, 2005.
https://www.youtube.com/watch?v=kjGP4MHxdTA


brahms 21 Hungarian Dances, WoO 1 - Transcription Joseph Joachim - No. 7 In A Major - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hC-yX-ZGAkA

317名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:23:45.69ID:lK3Y379i

Kyung Wha Chung - Brahms Hungarian Dance No.1 - YouTube
Kyung Wha Chung, violin Philip Moll, piano
https://www.youtube.com/watch?v=OBaIydQM_No

Kyung Wha Chung plays Brahms Hungarian Dance No.1 - YouTube
at the recital held at Lord Harewood's estate in 1980. Accompanied by young Pascal Roge.
https://www.youtube.com/watch?v=YSAMVa_wHpE
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c79

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
80. 中川隆[-14620] koaQ7Jey 2019年11月10日 19:34:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1722]

319名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:30:02.57ID:lK3Y379i

Brahms - Ballades, Sonatas, Scherzo & Variations (Century’s recording Claudio Arrau) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YGBdftavZuQ


Ballades, Op.10

Piano Sonata in F Sharp minor, Op.2

Piano Sonata in F minor, Op.5

Scherzo in E Flat minor, Op.4 (1:33:05)
Variations & Fugue On A Theme By Handel, Op.24 (1:42:29)

Piano : Claudio Arrau
Stereo recordings in 1971-73-74-77-78, at Germany, Great Britain & Netherlands
Label : Philips

320名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:31:59.80ID:lK3Y379i

Brahms - Piano Sonata No.3 in F minor, Op.5 - Claudio Arrau - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3KDAe2GtYmw

Claudio Arrau, piano
Recorded live at the Teatro Municipal, Santiago, Chile, 15 May 1984
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c80

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
81. 中川隆[-14637] koaQ7Jey 2019年11月10日 20:01:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1739]

Lucia Popp Brahms Lieder Geoffrey Parsons - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hUW2BirkICQ


Lucia Popp Brahms Lieder for Marina Zoege von Manteuffel.

1. Die Trauernde op.7 no. 5
2. Sehnsucht op.14 no.8
3. Madchenfluch op.14 no.9
4. Wie komm' ich denn zur Tür herein
5. In stiller Nacht
6. Es steht ein Lind'
7. Madchenlied op.85 no.3
8. Vorshneller Schwur op.95 no.5
9. Madchenlied op.95 no.6
10. Das Madchenlied op.107 no.6
11. Regenlied

322名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:42:48.73ID:lK3Y379i

Anne Sofie von Otter. Brahms - Lieder (1991) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xrXQ2tLHfUs

:00:02 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. He, Zigeuner
0:00:57 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Hochgeturmte Rimaflut
0:02:19 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Wi?t ihr, wann mein Kindchen am allerschonsten ist
0:03:49 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Zigeunerlieder. Lieber Gott, du weit
0:05:12 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Brauner Bursche fuhrt zum Tanze
0:06:45 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Roslein dreie in der Reihe
0:08:09 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Kommt dir manchmal in den Sinn
0:10:27 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zigeunerlieder. Rote Abendwolken
0:11:55 Anne Sofie von Otter - Brahms. Dort in den Weiden steht ein Haus
0:13:27 Anne Sofie von Otter - Brahms. Vergebliches Standchen
0:15:06 Anne Sofie von Otter - Brahms. Die Mainacht
0:18:57 Anne Sofie von Otter - Brahms. Ach, wende diesen Blick
0:20:55 Anne Sofie von Otter - Brahms. O kuhler Wald
0:23:22 Anne Sofie von Otter - Brahms. Von ewiger Liebe
0:27:56 Anne Sofie von Otter - Brahms. Junge Liebe
0:29:29 Anne Sofie von Otter - Brahms. Wie rafft' ich mich auf in der Nacht
0:34:10 Anne Sofie von Otter - Brahms. Unbewegte laue Luft
0:38:19 Anne Sofie von Otter - Brahms. Heimweh
0:41:39 Anne Sofie von Otter - Brahms. Madchenlied
0:43:13 Anne Sofie von Otter - Brahms. Standchen
0:44:53 Anne Sofie von Otter - Brahms. Sonntag
0:46:38 Anne Sofie von Otter - Brahms. Wiegenlied
0:48:27 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zwei Gesange. Gestillte Sehnsucht
0:54:24 Anne Sofie von Otter - Brahms. Zwei Gesange. Geistliches Wiegenlied

Nils-Erik Sparf - viola, Bengt Forsberg - piano

323名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:45:17.68ID:lK3Y379i

Elisabeth Schwarzkopf Lieder by Brahms (Von ewiger Liebe, Liebestreu...) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MVmlgR0fd-4


Johannes Brahms (1833 - 1897)

00:00 I. Von ewiger Liebe, Op. 43/1 (Wenzig)
04:50 II. Liebestreu, Op.3/1 (Reinick)
07:04 III. Feldeinsamkeit, Op. 86/2 (Allmers)
10:43 IV. Therese, Op. 86/1 (Keller)
12:33 V. Der Tod, das ist die kühle Nacht, Op.96/1 (Heine)
15:33 VI. Wiegenlied, Op. 49/4 (populaire)
17:18 VII. Wie Melodien zieht es mir, Op. 105/1 (Groth)
19:49 VIII. In stille Nacht, WoO 33 n° 42 (Spee vonLangenfeld-Brahms)
22:52 IX. Da unten inm Tale, WoO 33 n° 6 (popualire)
24:57 X. Meine Liebe ist Grün, Op. 63/2 (Schumann)
26:31 XI. Verglebliches Stänchen, Op. 84/4 (Zuccalmaglio)

Elisabeth Schwarzkopf (1915-†2006), soprano
Edwin Fischer, piano
RAI Torino, 11 Feb. 1954

324名無しの笛の踊り2019/11/10(日) 19:51:38.71ID:lK3Y379i

Brahms - Vier ernste Gesange - Hotter - Moore - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VUioxhzXEZ0

Hans Hotter
Gerald Moore
Studio recording, London, 11-12.XI.1951
_____

Brahms - Todessehnen - Hotter - Raucheisen - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VrF0OPv6j6M
Sechs Lieder op.86 - n°6 Todessehnen (Max Gottfried von Schenkendorf)

Hans Hotter
Michael Raucheisen
Radio recording, Berlin, 1944
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c81

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