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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100351
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[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
8. 中川隆[-10749] koaQ7Jey 2019年10月17日 16:58:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2098]

遊牧民だったゲルマン人=アングロサクソンはヨーロッパの先住民族を殺し尽くして土地を乗っ取った


2015年06月12日
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html


 新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000〜3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続いてきました。この問題は、インド-ヨーロッパ語族の拡散とも関係して論じられてきました。

 5000〜1300年前頃のユーラシアの住民101人のゲノムを解析した研究(Allentoft et al., 2015)では、青銅器時代のヨーロッパにおける大きな文化的変容は人間集団の移動に伴うものであり、インド-ヨーロッパ語族が青銅器時代にヨーロッパに拡散したとする仮説が支持される、との見解が提示されています。5000年前頃には、ヨーロッパ中央・北部のゲノムは中東からの初期農耕民やそれ以前のヨーロッパの狩猟採集民のゲノムに似ていました。しかし、ヨーロッパ中央・北部集団のゲノムは4000年前頃までには、カスピ海〜黒海の北側の草原地帯に存在したヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のゲノムにもっと類似していました。

 この研究は、薄い肌の色は青銅器時代のヨーロッパにおいてすでに高頻度で存在したものの、乳糖耐性はそうではなかったことも明らかにしています。以前には、ヨーロッパの初期農耕民において畜乳はカロリー摂取の重要な手段であり、新石器時代から乳糖耐性には正の淘汰が働いていたのではないか、と考えられていたのですが、乳糖耐性に関しては、正の淘汰が働いたのは青銅器時代以降のことではないか、と指摘されています。この乳糖耐性は、ヤムナヤ文化集団によりヨーロッパにもたらされた、と推測されています。

 もう一方の研究(Haak et al., 2015)では、8000〜3000年前の69人のヨーロッパ人の全ゲノムデータが作成され、解析・比較されました。その結果、やはり青銅器時代における東方草原地帯(現在の国境線ではウクライナを中心とします)からヨーロッパへの大規模な人間集団の移動が示唆されました。ヨーロッパにおいて新石器時代の始まりとなる8000〜7000年前頃に、遺伝的にはヨーロッパの先住狩猟採集民とは異なり、初期農耕民と密接に関連した集団がドイツ・ハンガリー・スペインに現れました。一方でその頃のロシアには、24000年前頃のシベリア人と高い遺伝的類似性を有する狩猟採集民集団が存在していました。

 6000〜5000年前までには、ヨーロッパの大半の農耕民はその祖先集団よりも多くの狩猟採集民集団のDNAを有していました。一方でこの時期の東方草原地帯の牧畜民であるヤムナヤ集団は、ヨーロッパ東部の狩猟採集民だけではなく、中東の農耕民集団のDNAも継承していました。ドイツの後期新石器時代縄目文土器(the Late Neolithic Corded Ware)文化集団はそのゲノムのうち75%をヤムナヤ集団から継承しており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 この東方草原地帯由来のDNAは、遅くとも3000年前までには中央ヨーロッパ人の全標本に存在し、現在のヨーロッパ人には広く確認されます。この研究は、ヨーロッパのインド-ヨーロッパ語族の少なくともいくつかは、東方の草原地帯に起源があるだろう、と指摘しています。また、中央ロシアのアルタイ山脈近くの4900〜4500年前頃の集団にもヤムナヤ集団の遺伝的痕跡が確認され、インド-ヨーロッパ語族のアジアへの拡散との関連が想定されます。最近では、青銅器時代のヨーロッパにおいて男性人口の拡大があったのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、青銅器時代のヨーロッパにおける文化変容は、大規模な人間の移動に伴っていた可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(Allentoft et al., 2015の引用と、Haak et al., 2015の引用)です。


集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団ゲノミクス

集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団変化

 青銅器時代は大きな文化的変化の時代であったが、その要因は知識の伝達と大規模な人の移動のどちらにあったのだろうか。今回、ユーラシア各地の古代人101人の標本から低カバー率のゲノム塩基配列を得て解析した研究で、この時代に起こった大規模な集団の移動や入れ替わりが明らかになった。得られた解析結果は、青銅器時代のヨーロッパ人では、淡色の皮膚はすでに普通になっていたが乳糖耐性はあまり広まっていなかったことを示しており、乳糖耐性に対する正の選択が働き始めたのは従来考えられていたよりも新しい年代だったことが示唆された。この研究で得られた知見は、インド・ヨーロッパ語族が前期青銅器時代に広がったとする別の報告(Letter p.207)とも一致する。


集団遺伝学:ステップからの大移動がヨーロッパでのインド・ヨーロッパ語族の成因の1つとなった

集団遺伝学:ヨーロッパの言語を変えたステップからの大きな一歩

 今回D Reichたちは、8000〜3000年前に生存していたヨーロッパ人69人の全ゲノムデータを作成した。その解析から、8000〜7000年ほど前に現在のドイツ、ハンガリーおよびスペインに当たる地域で、先住の狩猟採集民とは異なる初期農耕民の血縁集団が出現したことが明らかになった。同時代のロシアには、2万4000年前のシベリア人との類似性が高い独特な狩猟採集民集団が生活していた。6000〜5000年前までに、ロシアを除くヨーロッパの広い地域で狩猟採集民系統が再び現れた。西ヨーロッパ集団と東ヨーロッパ集団は約4500年前に接触し、現代のヨーロッパ人にステップ系統の痕跡が残された。これらの解析から、新石器時代の人口動態に関する新たな手掛かりに加えて、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の少なくとも一部がステップ起源だとする説の裏付けが得られる。この研究で得られた知見は、青銅器時代の古代人101人のゲノムについて調べた別の研究結果(Article p.167)とも一致する。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14507

Callaway E.(2015): DNA data explosion lights up the Bronze Age. Nature, 522, 7555, 140–141.
http://dx.doi.org/10.1038/522140a

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14317

https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html

http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c8

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
9. 中川隆[-10748] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:00:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2099]

遊牧民だったゲルマン人=アングロサクソンはヨーロッパの先住民族を殺し尽くして土地を乗っ取った _ 2


2018年06月17日
人類史における移住・配偶の性的非対称
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html


 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万〜170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5〜14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html

http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c9

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
10. 中川隆[-10747] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:16:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2100]


日本人は「狂ったアングロサクソンの正体」を知らなすぎる

「ディズニー、トランプ、GAFA」に熱狂するDNA 2019/01/18
塩野 誠 : 経営共創基盤 取締役マネージングディレクター
https://toyokeizai.net/articles/-/260849


歴史をひもとくと「トランプ支持」が広がってしまう理由がわかるといいます(写真:AFP/アフロ)

全米話題のベストセラー

『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』(上・下)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444521/toyokeizaia-22?p=TK


がついに日本でも刊行された。

「世界でいちばん偉大な国」だったアメリカはなぜ、トランプ政権やフェイクニュースに象徴されるような「不可解な国」に変貌してしまったのか。現代アメリカを覆う社会病理の起源を語った本書を、経営共創基盤の塩野誠氏にいち早く読み解いてもらった。

現代アメリカを語る必読書

「アメリカ人の3分の2は『天使や悪魔がこの世界で活躍している』と信じている」

冒頭から、こんないぶかしい言葉が本書には並ぶ。


『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』


本書は、これまでにない視点で歴史をひもとき、現在のアメリカを語る試みである。アメリカを語る者や研究者の必読書となる可能性のある大作だ。

日本人はアメリカが好きである。正確に言えば、日本人がアメリカについて語る機会は、他国について語るよりも圧倒的に多い。

日本とアメリカがかつては戦争で対峙し、現在は同盟関係にあるという歴史的経緯に加え、高度成長期の政治・経済においてもかの国から多大な影響を受けたことは言うに及ばない。

加えて日本人は彼らのライフスタイルやポップカルチャーからも多大な影響を受け、それを語る。

その昔、日本の若者がアメリカにあると信じていたファッションやライフスタイルは、「UCLAの学生の着ている服は」「古きよきアメリカは」といった断片的な記号で語られた。

ディズニーランドは、聖地のような扱いを受けている。


少し前のビジネスシーンでは、「ニューヨークの投資銀行では」「ウォールストリートでは」「シリコンバレーでは」と、日本人は「アメリカでは」という想像によるイメージを繰り返し語ってきた。

むろん日本人は、「アメリカ」という言葉がさまざまなものを包含した雑な入れ物であることに気づいている。サンフランシスコとデトロイトは異なり、中西部の名も知れぬ街とニューヨークでは国さえも違うかのようである。

2018年に出演俳優らがアカデミー賞を受賞した問題作『スリー・ビルボード』を見た私たちは、同作の舞台となった閉塞感ある片田舎とニューヨークが異なることを知っている。

不可解なアメリカの起源とは

アメリカを語る日本人は、トランプ大統領の登場以降、説明のつかない不可解なアメリカに対してもやもやとした感情を抱いているのではないか。

特に「アメリカは」の後に「合理的」とか「ロジカル」と続ける人々にすればそうだろう。メディアの報道を「フェイクニュース」と切って捨てる大統領の登場と、それに熱狂する支持者たちは、彼らにとって理解しがたい存在に映っている。

そしてニューヨークやボストン以外にもたくさんの「アメリカ人」が住んでいることに気づき、ラストベルト(中西部などのさびれた旧工業地帯)のトランプ支持層について納得しようとする。

しかし本当のところ、現在のアメリカを形づくっているものはいったい何なのか? 本書はそこを掘り下げる。『狂気と幻想のアメリカ500年史』とタイトルにあるように、幻想によって創られた「ファンタジーランド」としてのアメリカを膨大な資料を基にひもといていく。

アメリカは1776年に独立宣言を採択した国であり、500年の歴史を持つとはもちろん言えない。

本書では、イングランドで初めてのプロテスタントの君主だったエリザベス女王、その後を継ぎ聖書の公式英語訳を命じたジェームス1世(1566年生)が与えたアメリカでの植民地建設の勅許の中に、その起源を見る。

この勅許の中に福音伝道の使命が含まれており、著者が「常軌を逸したカルト教団」と表現しているピューリタン急進派が、アメリカ建国の「ピルグリム・ファーザーズ」になったとするのだ。

著者はこう主張する。

16世紀に誕生したプロテスタントは、自分たちの妄想が嘲笑されない場所(=アメリカ)を探し、そのプロテスタントからアメリカのもととなる考え方が生まれ、情熱的で空想的な信念こそ最も重要とされる「ファンタジーランド」の足場が完成したと。


一般的にプロテスタントは資本主義を醸成する土壌をつくったとされるが、これについての著者の見方はこうだ。

アメリカはたった1世紀のうちに普通の人が荒野から国を造り出した初めての国であり、そもそも、ゴールドラッシュのような一攫千金やユートピアなどの幻想を受け入れる空っぽの容器として始まった。

著者は読者を圧倒する膨大な事例を用いて、「アメリカ人は、自分が望むことならどんなにばかばかしいことでも信じられる。自分の信念には、ほかの人の信念と同等かそれ以上の価値があり、専門家にとやかく言われる筋合いはないと思っている」という思想の源泉を解き明かしていこうとする。その思想は、現在のフェイクニュースにもつながる。

そこは事実を目前にしてもなお「現実は相対的なものだ」と考え、公正であれ不正であれ、自分の野心を追求するチャンスを楽しみ、良ければ起業家、悪ければ詐欺師、最悪の場合は「狂信的な反知性主義」が覆う世界である。

日本人にとって興味深いのは、漠然とキリスト教の国と捉えているアメリカが、実際には「誰でも説教師になれる、好きなように説教ができる」というキリスト教のプロテスタントをベースにした数限りない新興宗教の勃興と争いの歴史を持っていることだろう。

アメリカを覆う宗教観は、夢や幻覚、超自然的印象と強固に結びついた、自分が信じれば何でもありの個人主義的な宗教(的なるもの)の寄せ集めとも言える。

アメリカの南北戦争を、両軍とも聖戦と捉え、神の計画の中でどちらを神が罰するのかと考えたのは、当時の人々の自然な考え方であろう。

「幻想・産業複合体」としてのアメリカ

宗教(的なるもの)と幻想、個人主義から生まれたアメリカは、メディアなどのテクノロジーの発達とともに、幻想を産業化する「幻想・産業複合体」となっていく。

中世では教会こそが舞台装置を備えたメディアであったといえるので、これもまた興味深い進化である。

1835年にはすでに金儲けのためのフェイクニュースが登場していた。新聞のニューヨーク・サン紙が、知的な文体で書かれた1万6000字の文章によって、月面上に生物(菜食のコウモリ人間)を発見したことを報じたのだ。

人々はその報道を信じ、名門大学のイェールでも疑いを抱いたものは誰もいなかったという。こうした「稼げるフェイク産業」が勃興し、サルと魚の剥製を組み合わせた「人魚」は、存在を信じさえすればそれは実在すると考える人々に好評を博したのだった。

時とともにアメリカ人の中で、「正しいと信じる権利がある」と考える気質は強化されていった。

そしてアメリカ人が信じたいものを見せる舞台装置は、ここ100年の間にテクノロジーによって加速されていった。VR(仮想現実)もない時代の仮想現実は映画だった。映画は当時の人々にとっては魔法であり「真実」だったのだ。まさに幻想・産業複合体の誕生である。


だが真実と幻想の区別がつかなくなったとき、日常に起こるさまざまな事象は陰謀説が絡みやすい。賢明な読者ならすぐに想像がつくように、アメリカはハリウッドでの「赤狩り」の時代に入り、共産主義者という隠れたスパイが民衆の知らないうちに映画やテレビでプロパガンダを行っているという幻想が爆発し、罪のない人々を追い詰めていった。

また近年に至っても、ケネディ暗殺に関する新しい真実や陰謀論を報じる映画やドキュメンタリーが創られ続けていることを私たちは知っている。

「中二病」の先駆者としてのアメリカ

本書で詳述される「幻想・産業複合体」はいつまでも子どもでいたいベビーブーマー世代以降に完全に定着した。

真実とうその優雅な混合であるプロレスWWEに登場し、WWEのオーナーだったマクマホンに平手打ちした(フリをした)、後の大統領トランプ氏から、スラム街の悪党を名乗るギャングスタ・ラップまで、ある意味で日本の「中二病」の先駆者たちが、ずっと子どもでいたい消費者たちと一緒になって、「ごっこ」の産業を拡大していったのだ。

存在しなかった過去への郷愁の具現化ともいえるディズニーランドに人々は熱狂した。もしかしたら「古きよきアメリカ」を語る日本人は「ごっこ」の「ごっこ」をしている可能性がある。

先述した、寄せ集めでつくられたアメリカの宗教観は、日本の『エヴァンゲリオン』を思い起こすかもしれない。ずっと子どもでいたかったポップカルチャーの帝王マイケル・ジャクソンが、自らつくったネバーランドに子どもたちを招きスキャンダルを起こしたことを記憶する人もいるだろう。

一般的に、国家が先進国となっていく過程で宗教性は薄れるものだが、アメリカは例外的にそうはならなかった。アメリカを事実に基づいた思考をする合理的な国だと考えるなら、再考の必要がある。

アメリカは『Xファイル』化しており、それが日常となったとき、子どもたちが次々に誘拐されるという事件や多重人格障害を妄想から根拠なくつくり出していったと本書は言う。

なぜ学校であれほど銃の乱射事件が起きても、アメリカ人は銃を手放さないのか。

銃のない世界に住む日本人にとって非常に不可解なことも、いつの日か「高圧的な政府の悪党」が市民を攻撃する際に武器をとって立ち向かうためだとすれば、納得がいくだろうか。

本書はアメリカという国を500年という歴史で捉え、現代における「自分が信じればそれが真実」という世界観を理解するための貴重な資料となるだろう。

英『エコノミスト』誌はトランプ大統領の言動は「むしろ権力に立ち向かう意思を証明するものと受け取られている」と指摘する。本書に登場する哲学教授の言葉に問題の深さが現れている。

「繰り返し矛盾に接すると、事実そのものを重視する感覚が鈍ってくる」

今のアメリカを語るのなら、本書は必読だろう。

 



▲△▽▼

今こそ合州国の正体直視を  本多勝一 週間金曜日 2003年 3月14日号「風速計」

この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。

 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。

 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。

 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。

米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。


合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。

戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。

これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451


ウンデッドニー以来…… (本多勝一)

 アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。

 合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである(注1)。合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。

 ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する(注2)。

 息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。

 その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。

 朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。

 ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。

 ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」


<注1>たとえばラス=カサスの『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(石原保徳訳・現代企画室)などに詳しい。

<注2>詳細は拙著『アメリカ合州国』(著作集12巻=朝日新聞社)収録の「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」参照。

<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386



http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c10

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
11. 中川隆[-10746] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:18:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2101]
日本人は「狂ったアングロサクソンの正体」を知らなすぎる _ 2


John Anderson - Freedom Isn't Free (Houston 02.08.14) HD - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZMTD9IVcYMc


「自由はただではない」という言葉の裏には何があるのか?
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180128T0257490900.html


ドナルド・トランプが大統領になって、アメリカの言動は荒々しさと暴力傾向を増している。しかし、アメリカはもともと「暴力的な国家」でもある。ドナルド・トランプが大統領になって、アメリカの言動は荒々しさと暴力傾向を増している。しかし、アメリカはもともと「暴力的な国家」でもある。

アメリカ大陸に白人が上陸した時、この大陸はもちろん無人の大地ではなかった。そこにはネイティブ・インディアンたちが営々と長い文化と伝統を紡いで生きてきたのだ。アメリカ大陸に白人が上陸した時、この大陸はもちろん無人の大地ではなかった。そこにはネイティブ・インディアンたちが営々と長い文化と伝統を紡いで生きてきたのだ。

それを白人たちは苛烈な暴力で奪ってアメリカを「建国」した。暴力こそがアメリカの建国史なのだ。だから、アメリカは暴力で世界に君臨する傾向が今もある。それを白人たちは苛烈な暴力で奪ってアメリカを「建国」した。暴力こそがアメリカの建国史なのだ。だから、アメリカは暴力で世界に君臨する傾向が今もある。

暴力と成功体験がリンクしている。暴力と成功体験がリンクしている。

そのため、根本的なところで暴力的であることが悪いとは思っていない。アメリカは特に建国史から暴力にまみれており、暴力的な色彩が際立っている。そのため、根本的なところで暴力的であることが悪いとは思っていない。アメリカは特に建国史から暴力にまみれており、暴力的な色彩が際立っている。

もちろん、暴力的であることが世界に支持されるとは今のアメリカは誰も思っていない。もちろん、暴力的であることが世界に支持されるとは今のアメリカは誰も思っていない。

そこで、アメリカが振る錦の御旗が「自由と正義」である。どこかの国を「悪」に仕立て上げて「悪を倒す」という名目で暴力を振るう。そして何を得るのか。「自由」である。そこで、アメリカが振る錦の御旗が「自由と正義」である。どこかの国を「悪」に仕立て上げて「悪を倒す」という名目で暴力を振るう。そして何を得るのか。「自由」である。


歴史を見ていくと、アメリカの正体が浮かび上がる

アメリカが関与した歴史の一覧がある。

(アメリカ合衆国が関与した戦争一覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%8C%E9%96%A2%E4%B8%8E%E3%81%97%E3%81%9F%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7


アメリカ独立戦争から始まって、チカマウガ戦争、北西インディアン戦争、シェイズの反乱、ウィスキー税反乱、擬似戦争、第一次バーバリ戦争、テカムセの戦争、テカムセの戦争、米英戦争、クリーク戦争、第二次バーバリ戦争……。アメリカ独立戦争から始まって、チカマウガ戦争、北西インディアン戦争、シェイズの反乱、ウィスキー税反乱、擬似戦争、第一次バーバリ戦争、テカムセの戦争、テカムセの戦争、米英戦争、クリーク戦争、第二次バーバリ戦争……。

そして、第1次セミノール戦争、テキサスのインディアン戦争、アリカラ戦争、エーゲ海の海賊掃討作戦、ウィネベーゴ戦争、第一次スマトラ遠征、ブラック・ホーク戦争、第2次セミノール戦争、第二次スマトラ遠征、米墨戦争、カイユース戦争、アパッチ戦争……と挙げても挙げても挙げきれない戦争が続く。そして、第1次セミノール戦争、テキサスのインディアン戦争、アリカラ戦争、エーゲ海の海賊掃討作戦、ウィネベーゴ戦争、第一次スマトラ遠征、ブラック・ホーク戦争、第2次セミノール戦争、第二次スマトラ遠征、米墨戦争、カイユース戦争、アパッチ戦争……と挙げても挙げても挙げきれない戦争が続く。

さらに第一次世界大戦以後も、ロシア内戦、Posey戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、レバノン危機、ピッグス湾事件、シンバの反乱、ドミニカ内戦、ベトナム戦争、第二次シャバ紛争、レバノン多国籍軍、グレナダ侵攻、リビア爆撃、パナマ侵攻、湾岸戦争、ソマリア内戦、ハイチ介入、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争、リビア内戦……と続いていく。さらに第一次世界大戦以後も、ロシア内戦、Posey戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、レバノン危機、ピッグス湾事件、シンバの反乱、ドミニカ内戦、ベトナム戦争、第二次シャバ紛争、レバノン多国籍軍、グレナダ侵攻、リビア爆撃、パナマ侵攻、湾岸戦争、ソマリア内戦、ハイチ介入、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争、リビア内戦……と続いていく。

ここで挙げた戦争・紛争・内乱の介入は、一瞬で勝負がついたものもあれば、何年もかかって泥沼の戦争を繰り広げたものもある。ここで挙げた戦争・紛争・内乱の介入は、一瞬で勝負がついたものもあれば、何年もかかって泥沼の戦争を繰り広げたものもある。

アメリカが建国されたのは1776年だが、それから今日までの242年で、アメリカは90%以上もの年月を戦争しながら過ごしてきたのである。アメリカが建国されたのは1776年だが、それから今日までの242年で、アメリカは90%以上もの年月を戦争しながら過ごしてきたのである。

このように歴史を見ていくと、アメリカという国の「正体」が鮮明に浮かび上がってくるはずだ。アメリカがもともと「暴力的な国家」であるというのは、そういう意味だ。このように歴史を見ていくと、アメリカという国の「正体」が鮮明に浮かび上がってくるはずだ。アメリカがもともと「暴力的な国家」であるというのは、そういう意味だ。

しかし、この暴力性をアメリカ人は正当化できている。これらの戦争はすべて「正義と自由のために必要だった」というものである。しかし、この暴力性をアメリカ人は正当化できている。これらの戦争はすべて「正義と自由のために必要だった」というものである。

「悪い指導者が強圧的に国民を弾圧している。だからアメリカは悪い指導者を倒して民衆に自由を与える。それは正義だ。だから、暴力で悪い指導者を倒すアメリカは正義の味方なのだ」「悪い指導者が強圧的に国民を弾圧している。だからアメリカは悪い指導者を倒して民衆に自由を与える。それは正義だ。だから、暴力で悪い指導者を倒すアメリカは正義の味方なのだ」

これが戦争に邁進するアメリカ人の論理だ。これが戦争に邁進するアメリカ人の論理だ。


リビアに君臨していたカダフィ大佐。「悪い指導者が強圧的に国民を弾圧している。だからアメリカは悪い指導者を倒して民衆に自由を与える。それは正義だ」という論理で、葬り去られた。


「自由はただではない。これまでも、これからも」

「自由は尊い。しかし、自由はただではない。それは血と暴力で勝ち取らなければならない」とアメリカ人は考える。尊い自由は、暴力で勝ち取らなければならないのだ。「自由は尊い。しかし、自由はただではない。それは血と暴力で勝ち取らなければならない」とアメリカ人は考える。尊い自由は、暴力で勝ち取らなければならないのだ。

アメリカは国家戦略の中に暴力を埋め込んでいる。アメリカは国家戦略の中に暴力を埋め込んでいる。

米軍も、CIAも、アメリカ政府も、みんな暴力を否定しない。「言うことを聞かない国は叩きつぶせ」と米軍が言うと、「相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪になれ」とCIAは説く。米軍も、CIAも、アメリカ政府も、みんな暴力を否定しない。「言うことを聞かない国は叩きつぶせ」と米軍が言うと、「相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪になれ」とCIAは説く。

アメリカの暴力哲学は歴史上、ほぼ一貫して行われていることは誰でも知っている。そもそも世界最大の軍需産業はすべてアメリカに集中している。アメリカの暴力哲学は歴史上、ほぼ一貫して行われていることは誰でも知っている。そもそも世界最大の軍需産業はすべてアメリカに集中している。

ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオンを筆頭として、そこにぶら下がる無数の企業がアメリカを支えている。ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオンを筆頭として、そこにぶら下がる無数の企業がアメリカを支えている。

ノースロップ・グラマン、ユナイテッド・テクノロジー、ゼネラル・ダイナミックス、ハネウェル、アライアント、ロックウェル・コリンズ、L3コミュニケーションズ。ノースロップ・グラマン、ユナイテッド・テクノロジー、ゼネラル・ダイナミックス、ハネウェル、アライアント、ロックウェル・コリンズ、L3コミュニケーションズ。

これらの企業はアメリカの雇用を支えると同時に、多くの政治家を輩出して、アメリカの国防を支えている。だから、アメリカの政治が暴力と縁が切れないのは当然のことである。これらの企業はアメリカの雇用を支えると同時に、多くの政治家を輩出して、アメリカの国防を支えている。だから、アメリカの政治が暴力と縁が切れないのは当然のことである。

雇用を支える必要があるから、そういった意味でも暴力は正当化される。暴力の正当化の歴史が長かったので、それがアメリカのDNAになっている。雇用を支える必要があるから、そういった意味でも暴力は正当化される。暴力の正当化の歴史が長かったので、それがアメリカのDNAになっている。

フロリダ州出身のアメリカのカントリー歌手ジョン・D・アンダーソンは、このように歌う。フロリダ州出身のアメリカのカントリー歌手ジョン・D・アンダーソンは、このように歌う。


俺は祖国アメリカに誇りを持っている。自由の大地と勇者の家だ。それは完璧じゃないさ。だけど俺はいつもそれを取る。しかし、いつまでホーク(軍用ヘリ)は飛ぶんだ。それに、どれだけの母が泣くのか。たくさんの息子や娘が死んでしまった。それが、俺たちの辿ってきた道だった。自由はただではない。これまでも、そしてこれからも。しかし、それは払い続ける価値がある。自由はただではない。そのようにあんたや俺に伝えられてきた。ずっとそうなんだ。自由はただではない。自由はただではない。俺は祖国アメリカに誇りを持っている。自由の大地と勇者の家だ。それは完璧じゃないさ。だけど俺はいつもそれを取る。しかし、いつまでホーク(軍用ヘリ)は飛ぶんだ。それに、どれだけの母が泣くのか。たくさんの息子や娘が死んでしまった。それが、俺たちの辿ってきた道だった。自由はただではない。これまでも、そしてこれからも。しかし、それは払い続ける価値がある。自由はただではない。そのようにあんたや俺に伝えられてきた。ずっとそうなんだ。自由はただではない。自由はただではない。

「暴力の時代」は、まだまだこれからも続いていく

アメリカは自分たちの暴力を「正義と自由のためである」と正当化する。そして、国民に「相手を倒すのが正義と自由のためである」というコンセンサスが立った時、容赦ない軍事作戦に踏み出していく。アメリカは自分たちの暴力を「正義と自由のためである」と正当化する。そして、国民に「相手を倒すのが正義と自由のためである」というコンセンサスが立った時、容赦ない軍事作戦に踏み出していく。

ベトナムではナパーム弾、絨毯爆撃、枯葉剤と、おおよそ考えられる非人道的な皆殺し作戦を実行していたが、これもアメリカ国内では正当化されている。ベトナムではナパーム弾、絨毯爆撃、枯葉剤と、おおよそ考えられる非人道的な皆殺し作戦を実行していたが、これもアメリカ国内では正当化されている。

湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用して現地を放射能まみれにした。アフガニスタンでの激しい空爆、パキスタンでの無人機攻撃もすべて「正当化」された。湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用して現地を放射能まみれにした。アフガニスタンでの激しい空爆、パキスタンでの無人機攻撃もすべて「正当化」された。

カダフィ大佐の死も、アメリカの正義戦略の中で行われて目的が達成され、正当化された。カダフィが死んだ時、時の国務長官だったヒラリー・クリントンは、満面の笑顔を浮かべて喜んでこのように言った。カダフィ大佐の死も、アメリカの正義戦略の中で行われて目的が達成され、正当化された。カダフィが死んだ時、時の国務長官だったヒラリー・クリントンは、満面の笑顔を浮かべて喜んでこのように言った。

「アメリカは来た、見た、カダフィは死んだ」「アメリカは来た、見た、カダフィは死んだ」

このヒラリー・クリントンの満面の笑みは、実はアメリカ人の多くが共有したものであった。このヒラリー・クリントンの満面の笑みは、実はアメリカ人の多くが共有したものであった。

どういうことか。それは「カダフィ大佐という国民に暴政を振るう独裁者が殺されることによって、リビア国民は自由になった」という暗黙知がアメリカ人にあったのである。どういうことか。それは「カダフィ大佐という国民に暴政を振るう独裁者が殺されることによって、リビア国民は自由になった」という暗黙知がアメリカ人にあったのである。

カダフィ大佐の死は、アメリカ式の「正義と自由が達成された」ことの象徴であり、だからカダフィ大佐の死にヒラリー・クリントンは満面の笑みを浮かべたのである。カダフィ大佐の死は、アメリカ式の「正義と自由が達成された」ことの象徴であり、だからカダフィ大佐の死にヒラリー・クリントンは満面の笑みを浮かべたのである。

自由はただではない。自由を手に入れるには戦って勝ち取らなければならず、そのためには多くの血が流れる。しかし、その血と暴力は「払う価値がある」とアメリカ人は考えている。自由はただではない。自由を手に入れるには戦って勝ち取らなければならず、そのためには多くの血が流れる。しかし、その血と暴力は「払う価値がある」とアメリカ人は考えている。

「自由はただではない。これまでも、そしてこれからも」とジョン・D・アンダーソンはメッセージを歌っている。「自由はこれからもただではない」と言っているのだ。「自由はただではない。これまでも、そしてこれからも」とジョン・D・アンダーソンはメッセージを歌っている。「自由はこれからもただではない」と言っているのだ。

つまり、アメリカはいつでも自分たちが考える「正義と自由」のために戦って血を流す覚悟をしているということだ。つまり、アメリカはいつでも自分たちが考える「正義と自由」のために戦って血を流す覚悟をしているということだ。

こういった状況を見ると、「暴力の時代」はまだまだこれからも続いていくというのが分かる。アメリカの歴史が暴力の歴史であることは、昔も今もこれからも変わることがない。どういうことなのか。端的に言えばこうだ。こういった状況を見ると、「暴力の時代」はまだまだこれからも続いていくというのが分かる。アメリカの歴史が暴力の歴史であることは、昔も今もこれからも変わることがない。どういうことなのか。端的に言えばこうだ。

「アメリカは、再び戦争をする」「アメリカは、再び戦争をする」


アメリカはいつでも自分たちが考える「正義と自由」のために戦って血を流す覚悟をしている。こういった状況を見ると、「暴力の時代」はまだまだこれからも続いていくというのが分かる。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180128T0257490900.html

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2018.01.15
戦争で金儲けしようと考える企業は多そうだが、それを可能にする仕組みを守ることも戦争の目的


兵器産業や傭兵会社にとって戦争はビジネスチャンスにほかならず、そうした企業に融資したり投資している金融機関にとっても同じことが言えるだろう。国の機関では軍、情報機関、治安機関の権益が拡大する。アメリカが戦争を続ける理由をここに求める人がいても不思議ではない。

しかし、戦場になった国では破壊と殺戮が繰り広げられて悲惨なことになる。軍需産業が「死の商人」と呼ばれるのはそのためだ。それに対し、そうした企業を儲けさせる、つまり戦費を負担する庶民は困窮、国は疲弊して衰退する。

アメリカが戦争を続けられるのは、世界が不換紙幣であるドルを基軸通貨として受け入れてきたからだ。アメリカ支配層は必要なだけドルを発行できる。が、勿論、発行されたドルを放置しておけばハイパーインフレになってしまう。

本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカ経済は1970年頃までに破綻している。そこで1971年にリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表した。ドルを兌換紙幣から不換紙幣に切り替えたわけだ。1973年から世界の主要国は変動相場制へ移行する。

そうした状況でドルの貨幣価値を維持するための仕組みが考えられている。そのひとつがペトロダラー。つまり産油国に対して石油取引の決済をドルで行うように求め、世界がドルを集める環境を作った。集まったドルはアメリカの財務省証券を買ったり、1970年代にロンドンのシティを中心に整備されたオフショア市場へ沈めたり、金融規制の大幅な緩和で準備された投機市場へ流れ込んでいく。投機市場はバブルになり、相場は暴騰、評価益で巨大資本や富豪たちの資産は飛躍的に膨らむ。その資産力は支配力につながった。

日本にもペトロダラーと同じ仕組みが存在しているように見える。企業がアメリカで売った商品の代価として受け取ったドルを日本はアメリカへ還流させなければならないが、企業は利益を確保したい。そこで日本政府は庶民のカネでドルを買い、アメリカへ還流させてきた。もし日本政府が保有するアメリカの財務省証券を売却したなら、その責任者は社会的な地位、資産、収入を失うことになるだろう。いや、そうなる前に処分されるに違いない。

この仕組みは世界がドルを基軸通貨として認め、投機市場へ資金が流入し続けることが前提になっている。ドルが基軸通貨の地位から陥落、相場が天井を打つと加速度的にアメリカの支配体制は崩壊していく。

アメリカの傀儡である安倍晋三首相は黒田東彦日銀総裁と組んで「量的・質的金融緩和」を実施してきたが、それによって流れ出た資金も投機市場へ向かう。そうした道筋ができあがっているわけで、安倍や黒田もその程度のことは認識しているだろう。投機市場の縮小を防ぐため、ETF(上場投資信託)やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も利用されている。こうした政策で彼らが日本経済を回復させようとしているわけではない。アメリカの支配システムを支えようとしているのだ。

資金の流れ以上に深刻な問題がドルの立場。すでにロシアや中国を中心としてドル決済を放棄する動きが広がっているのだ。つまり、ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうになっている。中国が創設したAIIB(アジアインフラ投資銀行)やNDB(新開発銀行)、あるいは推進中のプロジェクト「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」は不気味だろう。

アメリカやイギリスは遅くとも20世紀の初頭から世界制覇、つまり世界帝国の建設を目指すプロジェクトが存在する。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、その三日月帯でロシアを締め上げ、最終的には制圧しようとしている。その三日月帯の東端部に中国、朝鮮半島、そして日本がある。ジョージ・ケナンにしろ、ズビグネフ・ブレジンスキーにしろ、そのベースにはこの戦略があった。

アメリカが戦争をカネ儲けのために使っていることは事実だろうが、それは短期的な目的にすぎない。米英支配層には中期的、そして長期的なプランがある。その中長期的なプランを支えている仕組みが今、揺らいでいるのだ。その原因である中国やロシアを制圧、あるいは破壊しない限り、米英中心の支配システムは崩壊するだろう。世界規模で軍事的な緊張が高まり、ロシアとの関係改善を訴えたドナルド・トランプが有力メディアから激しく攻撃された理由はそこにある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801150001/


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2018.01.17
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(前)

ドナルド・トランプ大統領が批判されているひとつの理由に彼の差別的な言動がある。そのトランプは2016年の大統領選挙、あるいはその選挙で当選した直後はロシアとの関係を修復しようとしていた。その政策は彼を当選させた一因だが、有力メディアはそれが許せずに「ロシアゲート」なる話を作り上げ、特別検察官を任命させることに成功した。大統領選挙でライバルだった民主党のヒラリー・クリントンは戦争ビジネスや巨大金融資本を後ろ盾にする人物だ。

1929年1月15日に生まれたマーチン・ルーサー・キング牧師は人種差別と戦い、ベトナム戦争に反対、そして50年間の1968年4月4日に暗殺された。キングと親しくしていたロバート・ケネディは同じ年の6月6日に殺されている。ロバートの兄で大統領だったジョン・F・ケネディと同じように公式見解は単独の個人的な犯行だが、「政府機関」が暗殺に関与したと疑う人は少なくない。

1968年2月、アメリカがベトナム戦争で負けていると印象づける出来事があった。解放戦線が南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)や古都のユエなどで攻勢、北爆の停止とパリ和平会談の開催へとつながったのだ。アメリカ支配層は大きく揺れていた。

アメリカはドワイト・アイゼンハワー政権の時代にベトナムへ軍事介入を始めていたが、ケネディ政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラの回顧録によると、大統領は1963年10月にアメリカ軍をベトナムから撤退させる決断をしていた。(Robert McNamara, “In Restrospect”, Random House, 2005)そのために出されたのがNSAM(国家安全保障行動覚書)263だが、これは副大統領から昇格したリンドン・ジョンソン大統領が取り消し、本格的な軍事介入へと進んだ。

軍事介入を正当化するために使われたのが1964年8月の「トンキン湾事件」。アメリカの駆逐艦マドックスが8月2日に、また4日にマドックスと僚艦のC・ターナー・ジョイが北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたとジョンソン大統領は宣伝、7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したのだ。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)そして1965年2月には報復と称し、北ベトナムに対する本格的な空爆「ローリング・サンダー作戦」を始めた。

このトンキン湾事件はOPLAN34Aと名づけられた計画が関係していた。この計画をジョンソン大統領は1964年1月に承認、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOG(特別作戦グループ、後に研究監視グループに名称変更)が編成された。そのメンバーは陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊から集められ、司令官は陸軍大佐が務めている。(John L. Plaster, "SOG," Simon & Schuster, 1997)

この作戦の一環として1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃、北ベトナムは高速艇を派遣して対抗した。攻撃した哨戒艇は姿を消してしまうが、そこではアメリカの駆逐艦、マドックスが情報収集活動をしていたのだ。31日にはSEALsのふたりが20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くのレーダー施設を襲撃している。この襲撃に対する報復として北ベトナムは8月2日にマドックスを攻撃したと言われている。なお、マドックスを攻撃した北ベトナムの艦船はアメリカ軍機などの攻撃で撃沈された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801160000/

2018.01.17
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(中)

こうして始められたベトナム戦争は泥沼化、1965年10月にはアメリカ国内で組織的な反戦運動が始まり、67年にはマクナマラ国防長官の指示で「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」が作成されている。この報告書の要旨、つまり好戦派にとって都合の悪い部分を削除したものをニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月に公表する。これがいわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」だ。

この報告書を有力メディアへ渡したダニエル・エルズバーグはその後、宣誓供述書の中でキング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたことを明らかにしている。

エルズバーグは1964年からマクナマラ国防長官の下で特別次官補を務め、2年間を南ベトナムで過ごしている。その時の上司はCIAの破壊工作部門に所属し、旧日本軍の略奪物資を回収するプロジェクトに参加していたエドワード・ランズデール少佐(後に少将)。その後、ランズデールはCIAのキューバに対する秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる。

ベトナム戦争でCIAは軍の特殊部隊と手を組み、反米色が強いと見られる地域の住民を皆殺しにする秘密作戦、フェニックス・プログラムが1967年から始められた。「解放戦線と関わりを持つと殺される」という恐怖心をベトナム人に植えつけるための一種の心理戦だったと見る人もいる。似た戦略をCIAはその後も繰り返す。例えばラテン・アメリカにおける「死の部隊」、そして中東におけるアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。

フェニックス・プログラムを提案したNSC(国家安全保障会議)のロバート・コマーは1967年5月にDEPCORDS(民間工作と革命的開発支援担当のMACV副官)としてサイゴン入りし、MACVとCIAは共同でICEXを6月に始動させている。本ブログで何度か言及しているジェドバラにその人脈はつながる。ICEXはすぐ、フェニックス・プログラムと呼ばれるようになるが、それを現地で指揮したひとりが後のCIA長官、ウイリアム・コルビーだ。このコルビーがエルズバーグにペンタゴン・ペーパーズを明らかにするよう命令したとも言われている。CIA長官時代、コルビーは議会で情報機関の秘密工作の一端を明らかにし、支配層の逆鱗に触れることになった。

1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民がウィリアム・カリー大尉の率いる部隊に虐殺されている。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。この虐殺もフェニックス・プログラムの一環だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801170001/


2018.01.18
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(後)

ソンミ村での虐殺が広く知られるようになったのは1969年11月のこと。この事件に関するシーモア・ハーシュの記事が報道されたのだが、虐殺の直後に従軍していた記者やカメラマンはその事実を知っていたにもかかわらず報道していない。後の国務長官、コリン・パウエルは少佐としてベトナムへ派遣されているが、彼もこの事件について知ったいたことを明らかにしている。(長くなるのでこの話はこれ以上深入りしない。)

ところで、エルズバーグにキング牧師を暗殺したのはFBIのチームだと話したのはブラディ・タイソンなる人物。アンドリュー・ヤング国連大使の側近で、エルズバーグは1978年に開かれた国連の軍縮特別総会で親しくなったという。タイソンは下院暗殺特別委員会に所属していたウォルター・ファウントロイ下院議員から説明を受けたとしているが、ファウントロイ議員はその話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)

キング牧師が人種差別と戦う切っ掛けになる出来事が引き起こされたのは1955年12月。アラバマ州モンゴメリーで公営バスで白人に席を譲ることを拒み、ジム・クロウ法(人種分離法)違反の容疑でローザ・パークスが逮捕された事件を切っ掛けだ。その後、キング牧師は公民権運動の指導者として知られるようになり、FBIの監視対象になる。

しかし、この段階では要注意人物にすぎない。危険人物と見なされるようになるのは1967年4月4日だと考える人もいる。この日、キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言したのだ。

ロン・ポール元下院議員によると、当時、​キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していた​という。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視した。その結果、支配層の中でリベラル派とされる人々と対立することになる。差別反対は許されても戦争反対は許されないとポール元議員は考えている。

FBIは1950年代に国民監視プロジェクトのCOINTELPROを開始、CIAは1967年8月にMHケイアスという監視するプログラムを始めている。当初、COINTELPROはコミュニストをターゲットにしていたが、途中でその矛先を平和運動に向ける。CIAも監視対象は戦争に反対する人々だ。デタント(緊張緩和)に政策を切り替えようとしたリチャード・ニクソンがスキャンダルで排除され、ロシアとの関係修復を訴えたトランプが激しく攻撃されたことも偶然とは言えないだろう。

キング牧師暗殺から2カ月後、次の大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員はカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで殺された。上院議員を暗殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死をしたトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2.5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致する。サーハン・サーハンが犯人だとするならば、議員の前にいた人物の発射した銃弾が議員の後ろから命中したことになる。

(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801180000/


http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c11

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
12. 中川隆[-10745] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:20:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2102]

日本人は「狂ったアングロサクソンの正体」を知らなすぎる _ 3


終戦後、アメリカはわざと日本人を飢えさせた


醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達
引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg


アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。

          
こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。


経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
enjo
引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg


美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。
http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html


▲△▽▼


2017年05月04日
安倍首相、2020年まで憲法改正表明 日本国憲法の暗黒面

マッカーサーは尿漏れしながらタラップを降り、独裁者になった
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


憲法改正の日程

安倍首相は憲法記念日の5月3日、憲法改正推進のフォーラムにビデオメッセージを寄せて改憲を訴えました。

首相はメッセージで、新憲法が2020年に施行されるようにしたいと具体的な年限を示した。

また憲法9条について、自衛隊の存在が明記されるように追加し、位置づけを明確にしたいと語った。


自民党総裁の任期は3年で2回まで続けて就任できるので2018年までだったが、3回に延長されたので2021年9月まで可能になった。

日本国総理大臣には期限がないので、理論上は自民党の総裁でなくなっても、総理を続けることは出来る。

改正には衆議院参議院が別々に3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。


国民投票の過半数は憲法の日本語で定義されておらず、護憲派は有権者の過半数だと主張していたが、これだと絶対に憲法改正はできない。

日本国憲法は英語で書いた文章を日本語に翻訳したので英語の原文が存在し、一応「日本語から翻訳した」事にしている。

GHQの原文では「投票者の過半数」と書かれているので、日本人の半分しか投票に行かなくても改正可能だという解釈になった。


2020年に改正憲法施行とすると1年前には国民投票が必要で、その1年前には衆参両院の法案審議を始める必要がある。

その前に改正憲法の条文を明確に決定して国民に示す必要があり、2017年か遅くとも2018年には示されなくてはならない。

2012年に自民党から示された憲法改正案は、はっきり言えば稚拙の印象があり、架空戦記小説に似ている。


日本国憲法の根本的矛盾

2012年自民党案は改正内容が多岐に渡っていて、個別の議論だけで数年を要し、その間に政権が交代したら白紙になってしまう。

緊急に必要なのは「戦争の権利」あるいはもっと穏やかに「自衛権の明記」、それと憲法改正手続きの簡素化の2点だけです。

衆参両院でそれぞれ3分の2が必要なのは、当時のアメリカ軍が日本を敵国と見なしていたため、憲法を改正できないようにしたのです。


世界のどの国でも多数決の原則に基づいて議会の過半数で改正できるのが当たり前で、両院それぞれの3分の2としているのは全世界で日本だけです。

この制度では衆議院で100%の議員が改正賛成でも、参議院の3分の1の議員が反対したら憲法改正はできません。

少数意見が通り多数意見が排除される仕組みで、こういう制度を「独裁政治」と言います。


なぜ独裁を奨励するのかといえば、日本国憲法が成立した1946年の日本は、1人の軍人が全ての権限を握る「独裁国家」だったからです。

この軍人とは東条英機ではなく米軍人のダグラス・マッカーサーで、公式な資格がないのに勝手に憲法を作って議会に承認させました。

誰もこれを指摘しないので自分で書くが、マッカーサーは連合軍総司令官で、トルーマン大統領から日本占領を命じられた。


だが一体何故、「ただのアメリカ軍人」が日本を占領して議会や政府に命令し、憲法を勝手に作り変える権限を。アメリカ大統領が与えるのだろうか?

連合国(=国連)が任命したというが、日本は国連加盟国ではないので、そいつらに指図される筋合いがない。

1945年8月に日本が受け入れたのはポツダム宣言だけであって、米軍の日本占領に合意しても居ない。

トルーマン大統領は「天皇の処遇」「憲法を自由に作る」「戦争裁判を開く」などの権限を与えたが、なぜアメリカ大統領にこうした権利があると考えるのかも謎です。


独裁者になった尿漏れ男

1945年8月28日、帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーがパイプを咥えて降り立った。

マッカーサーは写真にはこだわりがあり、硫黄島の有名な写真や、厚木に降り立った写真など、すべて演出させた「やらせ写真」でした。

厚木の輸送機から降りるマッカーサーは、日本軍人から襲撃される恐怖から、尿を漏らしながらタラップを降りました。


マッカーサーは開戦時にフィリピンにいたが、部下を置き去りに逃げ出し、沖縄や本土では民間人への空襲を命令した、そんな人間でした。

マッカーサーは軍事法廷や天皇の処罰などをチラつかせながら憲法(帝国憲法)改正を命じ、帝国議会は現行憲法(帝国憲法)の改正案を示した。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、日本側はマッカーサーの命令を拒否し、時間を掛けて改正すると回答しました。


1946年1月、日本政府はGHQに憲法改正案を提出したが、GHQは却下し独自の憲法を作成する事にした。

特にマッカーサーを激怒させたのが天皇の身分を存続させる点で、彼は天皇を「犯罪者」として定義させたがった。

イラクやアルカイダの首謀者をアメリカは犯罪者と定義したが、あれと同じ事を日本でもやりたかったようです。


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html



▲△▽▼

アメリカ人の原爆観
 
 フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間戻らなかった。
もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映された「ヒロシマ」という題の映画で、被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/428.html


トルーマンは自分の行動を正当化するために、「原爆投下により100万のアメリカ兵の生命が救われた」とする「原爆神話」を積極的に広めた張本人でもある。

トルーマン大統領は原爆の惨状についての報道を一切禁止し、被爆治療を徹底的に妨害した。

そして、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように観察する組織「ABCC」(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog099.html

広島・長崎への原爆 米で「実験」と記載

【ラスベガス(米ネバダ州)4日=杉本宏】ネバダ核実験場を管轄している米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中に、太平洋戦争末期に実施された広島、長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されていることが4日、明らかになった。

この刊行物は同事務所が毎年、編集・発行しており、昨年5月に出された第12版が最新のもの。米国が1945年7月から91年12月までの間、同実験場などで実施した843回の核実験(英国との共同実験も含む)について、103ページにわたり実施時期、場所、爆弾の威力などを記載している。

この中で、米国の手による核爆発はすべて「公表された米核実験」としてくくられている。広島、長崎のケースは「第2次世界大戦、実戦使用──広島」などと表記され、その目的も「実戦」と書かれているが、時期別、実験名別のいずれの区分でも「公表された米核実験」の欄の中に分類・記載されている。


原爆の対日使用は「人体実験」だった。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の 橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。

「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。私たちは焼け跡の草を
むしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありません
でした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


ビキニ核実験も広島・長崎の人体実験の続きだった:


 @米側は、気象変化について気象学者らの警告を事前に受けながら無視し、実験を強行した。

 A死の灰が出ることが予測されていたうえ、過去の実験から居住地域に向かうことがわかっていた。

 Bロンゲラツプなど風下の4環礁の住民に対し、意図的に事前警告をせず、避難措置もとらなかった。

 C米兵は34時間以内に救出されたのに、住民の救出には最大4日かかった。同程度被ばくしたアイルツク環礁には避難措置はなく汚染した水や食料でさらに被ばくした。

 D汚染の残るロンゲラツプ環礁に対する安全宣言を出して避難した住民を帰還させ、人体への放射能の長期的影響を調べた。

 E全島が被ばくしたにもかかわらず、人体研究の対象となった環礁以外では、医療援助や総合的な検診がない―などだ。

マーシャル住民らに実施した人体研究「プロジェクト4・1」は、これまで 「医療ケア」プログラムとして知られていた。同研究の存在が明るみに出たことで、「ケア」の裏側で「放射能が人体に長期的に及ぼす影響」についての徹底的なデータ収集を進めていたことが判明した。現在も研究はエネルギー省の手で続けられており、特定の被ばく者集団を対象に40年以上にわたって追跡調査されたデータは、原爆傷害調査委員会(ABCC、放射線影響研究所の前身)が集めた広島、長崎の被爆者データとともに同省健康研究室で一括して管理されている。

 セリグマン同省次官補代理(同室長)は、一連の資料を「完全なデータセツト」と呼び、放射能の人体への影響を調べるうえでの基本資料であることを隠さない。マーシャル側が「モルモット扱いだ」と批判してきたのも調査目的の「二面性」とかかわる。

 これまでの調査から、「医療ケア」では説明できない事例も判明している。赤血球の追跡調査目的で、放射性クロムを注射した事例と、主として被ばく直後に放射性物質の除去のために使われるエチレンジアミン四酢酸(EDTA)という物質を被ばくから七週間たってから投与した例だ。

 米軍による一連の「放射能人体実験」について調査した米大統領諮問委員会は95年、「全体が人体実験だったとはいえない」としながらも、二例は患者の治療目的を逸脱した研究だったと結論づけた。
 こうした事例について、米政府は当時、マーシャル住民への説明や同意を得ずに実施したうえ、現在も「担当医師のプライバシー」などを理由に、対象にした住民らの氏名公表に応じていない。

マーシャル側は、独自調査で少なくとも20人以上が放射性物質を注射されたことを突き止め、うち生存者5人も特定した。ロンゲラツプ環礁の議員ナビ・クンさんの母アトミネさん(58)もその一人で、乳がんや脳しゅように苦しんでいる。クン議員は、「本人への情報開示がないため、『実験』との因果関係を調べることが難しい」と話す。

これに対し、研究にかかわった医師らは現在でも「ケアのために必要な措置だった」と強弁する。エネルギー省当局者はマーシャル側に「注射は、X線検査のようなもので害はない」と説明したという。

放射能実験にかかわる人権問題に詳しい米国人弁護士クーパー・ブラウン氏によると、米側が実施した被ばく者の甲状せん摘出手術についても、「摘出する必要がないのに、放射能以外の原因のがんや肥大との比較研究のために摘出された疑いがある」という。

ブラウン氏は同時に、当時の米原子力委について、

「(マーシャル住民は)文明化されていないがネズミよりは我々に近いと公言する幹部もいた」

と述べ、人体実験の対象になったアラスカ先住民らと同様、「人種差別的」な要素が合まれていた疑いを提起する。
http://www.ask.ne.jp/~hankaku/html/bikininews.html


米国防総省 広島、長崎の原爆被爆者データ 核戦争研究に利用
ABCC収集解禁文書で「モルモット説」裏付け

【ワシントン30日共同】米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島、長崎の被爆者から収集した医学データを、国防総省が将来の核戦争を想定した軍事目的の研究にも利用していた事実がこのほど、同省や全米科学アカデミーなどの解禁文書で確認された。

国防総省は、核使用の際の医療対策に収集データが役立つと期待。広島、長崎のデータとビキニ環礁での原水爆実験の資料を比較し、爆心周辺で放射線から身を守るには服装をどうするか、などといった分野も研究していた。
ABCC設立当初から被爆者が抱いていた「モルモット扱いしているのでは」という疑いを裏付けるものだ。

また日本で「ABCCの研究は非人道的」との非難が強まることを恐れた米側が、病理標本やデータを重要機密資料として、その保護に極度に配慮していたことを示す文書も見つかった。

1946年11月26日、トルーマン大統領は「原爆が人間に与える長期的影響の研究を継続すべきだ」との陸、海両軍医務総監の勧告を承認。これを受けて全米科学アカデミー研究評議会に原爆傷害委員会(CAC)が設置され、現場機関として広島、長崎にABCCが発足した。

CAC議事録によると、47年3月のCAC第1回会議で海軍の代表が「防御的措置」と「攻撃的措置」の両面で被爆者データを利用することを提案した。またパターソン陸軍長官は同月、ジュエット科学アカデミー総裁に送った書簡で被爆者研究の「軍事的重要性」を強調し、極東司令部による協力を約束した。

翌48年6月に「特殊兵器プロジェクト」(国防総省国防核兵器局の前身)のハズブルック参謀長がまとめたメモは、被爆者データは「放射能戦争研究に非常に重要」だとして、核攻撃の際の死傷者数や負傷者の治療などに関する情報への利用に期待を表明した。

ABCCで収集されたデータや生検、解剖標本はこうして同プロジェクトや陸軍病理研究所で保管され、47−49年にまとめられた核戦争防護の各種研究に生かされた。
同プロジェクトのワイナント放射線防衛局長の論文は広島、長崎より良い防護施設がなければ「米国の大都市では10万人以上の死傷者が出る」と核シェルターの重要性を強調。ホートン同局医療部長の論文は、広島の被爆者の生殖能力や遺伝的影響などのデータを引用した。

さらにクーニー原子力委員会軍事応用局放射部長の論文は、広島、長崎でのデータとビキニ実験との比較から身体器官への影響を分析。「爆心から1.5キロ離れた地点なら軍服、シャツの着用でも防護になる」などと指摘した。
今さら驚かないが…

近藤幸四郎・広島県被団協事務局次長の話 中学生の時、先生に(調査のためABCCへ)行ってくれんか、と言われた。アメリカにはとても協力する気になれず断った。モルモット扱いは、我々は前々から言っていて今さら驚かない。50年たって、ようやく証明されたかという感慨が強い。

<ABCC> 原爆放射線の長期的な医学影響調査を主な任務として1946年11月、トルーマン大統領が設立を指示した。47年から広島、長崎で調査を開始、予算は米国原子力委員会などから出された。日本からは国立予防衛生研究所が参加。約12万人を対象に寿命(死亡)調査、成人健康調査、病理学的(解剖)調査、遺伝的調査などを実施した。(共同)(毎日新聞 1995/07/30)

核戦略用に設置? 米の研究所、治療はせず

米国は47年、原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立。広島、長崎に研究所をつくり、原爆が人体に与えた影響を調べ始めた。75年からは、米国エネルギー省と日本の厚生省が費用を折半する財団法人の放影研が調査を引き継いでいる。
87年から全米に散らばるABCC関連の文書を探し集め、ABCCの元所員らにインタビューして被爆者研究の歴史を調べているペンシルベニア大のスーザン・リンディー教授に尋ねた。

──ABCCの研究は軍事目的だったのですか。

「研究は、核兵器が人類にとってどんな意味を持つかを決めるためのもので、冷戦戦略の一部だった。米国の将来の核戦争に備えるためだったことは疑いの余地がない。ニューヨークに原爆が落とされたら社会的にどうなるか、人問がどうなるか、というモデルでもあった」

──ABCCは調査だけで治療はしないといわれてきました。なぜでしょう。

「治療すれば、原爆投下の謝罪につながると考えていたようだ」
ABCCは、多い時は1000人を超える職員を抱えていた。16万の被爆者を選び、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて1人ひとりにインタビューし、亡くなった7500人を解剖した。

現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し、2万人を2年に1度健康診断する。8万人の被爆2世、そして2800人の胎内被爆者の調査も継続中だ。放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれる。

被爆者をモルモット扱いしたと言われるABCCの姿勢は、放影研にも引き継がれてはいないだろうか。

占領史研究者、笹本征男さん(54)は、今年末に発行される「通史日本の科学技術〈国際期〉I・II」(学陽書房)の中で、ABCCの研究を引き継ぐ放影研の設立目的にも不明確さが残る、と指摘している。

財団法人の目的には「被爆者の健康保持及び福祉に貢献する」ことをうたっている。一方、両国政府が74年に交わした公式の外交文書では、目的は「放射線が人に及ぼす影響の調査研究活動」とされ、「被爆者のため」という文言はどこにもないのだ。


■年20億円の投入

6月末に訪れたワシントン郊外のエネルギー省で、「シーダ」という名前のデータベースを見た。

ハンフォード、ロスアラモス、オークリッジといった核兵器製造現場で働いた人たちの健康状況を1人ひとり追跡するデータベースだ。その中に「JALSSA01」というファイルがあった。

ABCC、放影研が集めた被爆者7万5991人の被ばく線量、性別、死因などの関連がオンラインで分析できる。利用するにはエネルギー省の許可が必要だという。

被爆者のデータは、実は原爆をつくり、落とした国の、核兵器をつくる省に管理されていた。

同省のセリグマン次官補代代理は「放射線の人体への影響を知るには、日本の被爆者の研究が最も基本となる」と話す。被爆者のデータは、核兵器、原子力関係の労働者から得られたデータと違い、一挙に放射線を浴びせられた子供から老人までの男女多数が、長期にわたって追跡されているからだ。

米国が今も年間約20億円を広島・長崎の研究に投じ、威力の見直しなども進めているのは、データの重要性が極めて大きいからと思えば納得できる。原子力発電、X線などの医療分野、そして核兵器工場でも、放射線をどれだけ浴びると有害かという基準づくりに、被爆者を追跡したデータは必要不可欠となっている。


被爆者治療せず 50年代の米公文書

原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。

原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に位置づけられていた」とみている。

朝日新聞が米国立公文書館に対し、ABCCに関する複数の公文書の閲覧を請求した。いずれも50年代に作成された当時は機密扱いで、機密期間が過ぎた80年代以降に開示対象になった。

ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。

50年代になって日本の報道機関も取り上げるようになっていた。
今回閲覧したうち、パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(54年2月)には、治療しない理由について「ABCCには日本での医療資格がない」ことなどを列挙。さらに重要なこととして「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持することになる」と説明した。「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」とも指摘した。

また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(同年1月)の中で、北東アジア部の担当者は米政府の公式見解として「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別することはできない」と述べている。

こうした考え方の背景について、核問題を研究する米ジョージタウン大歴史学部博士課程の樋口敏広さん(28)は「旧ソ連とにらみ合った冷戦下で、米国は原爆を使用可能な兵器と位置付ける必要があった。ABCCが被爆者を治療しなかった理由は核戦略と結びついていた」とみている。(朝日新聞 2007/08/06)

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html


●「マンハッタン計画」の舞台裏については、まだまだいろいろな情報がある。

「原爆の製造には、原料のウランが必要だった。ロスアラモス研究所では原爆製造のために、アフリカのコンゴ(現ザイール)からウランを調達していた。コンゴは当時最大のウランの産地であり、この鉱山利権を握っていたのがロスチャイルド財閥であった。そのためウラン原料を調達する監督官として国際的な役割を果たしたのがチャールズ・ハンブローであり、彼は戦時中にスパイ組織OSS(CIAの前身組織)を設立した大物でもあった。のちに『ハンブローズ銀行』の会長となり、イングランド銀行と南アフリカの大鉱山利権を支配した男である。」

「第二次世界大戦はユダヤ人にとってホロコーストの悪夢の時代であった。そのユダヤ人であるヴィクター・ロスチャイルド男爵、チャールズ・ハンブロー、ロバート・オッペンハイマーは、〈系図〉をみてお分かりのように、血のつながりを持つ一族だったのである。イギリスのロスチャイルド・ファミリーは金融王ネイサン・ロスチャイルドに源を発する一族だが、ちょうどその5世代ファミリーに、彼らが同じ血族として記録されているのである。オッペンハイマーは突然にニューメキシコ州の砂漠に現れた科学者ではなかった。

そしてここに、世界史の大きな謎がある。1989年にベルリンの壁が崩壊するまで続いた米ソの東西対立が、事実危険な対立であったか、それとも半ば両者が示し合わせた人為的な対立だったかという謎である。」

「ヴィクター・ロスチャイルド男爵の再従妹にナオミ・ロスチャイルドがいるが、その夫はベルトラン・ゴールドシュミットというフランス人だった。後に国際原子力機関IAEAの議長となるのだが、この男は『マンハッタン計画』の指導的立場にいた。その『マンハッタン計画』に物理学者として参加していたユダヤ人、クラウス・フックスは、原爆に関する極秘資料をせっせと旧ソ連政府に流し、旧ソ連の原爆第1号が製造される。(フックスはスパイ容疑で逮捕され、1950年に懲役14年の判決を受けたが、1959年に釈放された)。

このクラウス・フックスを操っていたのがイギリス内部に深く根差した『ケンブリッジ・サークル』という組織だった。共にケンブリッジ大学出身のイギリス諜報機関MI5、MI6の最高幹部4人が、この組織を通じてソ連に核ミサイルに関する極秘情報を流していたのだった。そしてその中にMI5のソ連担当官アンソニー・ブラントという人物がいた。ブラントは女王陛下の美術鑑定家としても名高くナイトの称号を与えられていたが、実はソ連の二重スパイとして女王陛下を裏切っていたのだった。そしてこのブラントはアーサー・ブラントという父を持ち、その血縁者エディス・ボンソワを通じてハンブロー・ファミリーと結ばれている。」

「先にオッペンハイマーの一族として示した〈系図〉のヴィクター・ロスチャイルド男爵は、1990年にこの世を去るまで、このソ連の原爆スパイとして有名なイギリスの『ケンブリッジ・サークル』の最大の黒幕とみなされてきたのである。」

「このように東西を密かに流通する大きなパイプが走っていたのだ。しかも、パイプの東側ではシベリアの原爆開発が進められ、西側では彼らが全世界のウラン鉱山を支配して、今日まで人類史上最大のカルテルを形成してきた。南アフリカから生まれた利権は、想像できないほど天文学的なものだったのだ。」

「核実験は、2つの目的を持っていた。1つは、高度で破壊力のある兵器を作るための軍事的開発である。しかしもう1つは、核爆弾を1発爆発させるごとに大量の札束を吹き飛ばす利権であった。東西の緊張が高まれば高まるほど、核兵器の開発は容易になったのである。」

「そして次に彼らに必要となったのは、原子力の平和利用へ移っていくなかでの“放射能の安全論”であった。ここで数々の生体実験を行なってきた科学者たちが所有しているデータに目がつけられたのだ。『マンハッタン計画』の命令系統には、大きく分けて2つの部門があった。第1が広島・長崎への原爆投下を実行した『原爆開発班』である。世界有数の科学者が集められ、核分裂を実用化した著名なグループだ。しかしそこに第2の部門として『医学班』が存在していたのである。放射能の危険性を研究した最高責任者がスタッフォード・ウォーレンであり、彼自身が生体実験を認可した当人であった。 〈後略〉」

「1947年にアメリカで『原子力委員会(AEC)』という国家機関が創設され、『マンハッタン計画』が受け継がれた。引き継ぎの際、明らかになったことは、過去7年間に原爆生産に投下された経費が22億ドルの巨額に達していたということである。その後、冷戦が展開されるに及んで、原子力予算は、まず年額10億ドル台になり、ついで20億ドルを超えた。

『1つの新しい産業が突如出現した。それは、初めてベールを脱いだその時からすでに巨体であったが、やがて体全体が成長し、単一の産業としては現代最大の産業になっている』と、1948年末、当時のAECの委員W・W・ウェイマックは原子力産業の巨大なスケールについて述べている。

原子力産業は、『死の商人』にとっては、もっともすばらしい活動分野であった。何しろ、その規模がどえらく大きい。年額20億ドルもの巨費が建設や運営のためにばらまかれる。その設備はといえば、『USスティール』『GM』 『フォード社』 『クライスラー社』の4つの巨大会社を合わせたよりも大きく、数十万の技術者、労働者を擁している。

この土地、建物、機械などの固定設備はむろん、AEC、つまり国家がまかなうが、その建設、運営は『デュポン社』だとか、『ユニオン・カーバイド社』(ロックフェラー財閥系)や、『GE』(モルガン財閥系)のような巨大企業にまかせられる。建設、運営をひきうける会社は自社製品を優先的に売りこみ、すえつける特権があり、また、運営の代償として『生産費プラス手数料』の原則でAECに請求して支払いをうけるが、この『手数料』は純然たる利潤だとAEC担当官さえ認めている。このほか、運営に当たっていれば、科学技術上の機密が自然入手できるが、これらの機密は、将来原子力産業が民間に解放される場合には、ごっそりいただくことができる。

『死の商人』にとって、こんなボロもうけの分野がかつてあったであろうか。
ジェイムズ・アレンが『原爆崇拝のかげで景気のいい一つの商売がおこなわれている。それは、国家の権威をまとい、えせ愛国主義の霊気に包まれているが、いうなれば“ボロもうけの商売”である。しかも、この事業の目的たるや、大量殺人でしかない』と慨歎しているのも当然である。」


■■冷戦で肥大化していった「軍産複合体(MIC)」

●陸・海・空・海兵隊・予備を含めて350万人以上の人間を擁し、あらゆる近代兵器を持ったアメリカ軍部は、そのメカニズムと力において他に類を見ない組織である。しかもその軍は、2万以上の企業と組んで、巨大な「軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)」を形成している。

●軍産複合体の根幹を成しているのが「ウォー・エコノミー(戦争経済)」である。そもそも軍産複合体は第二次世界大戦と、それに勝つために必要であった複雑な兵器とともに起こったものであった。「軍事省」や「戦時生産局」は、航空機・大砲・戦車などを作り出すためには産業に頼らざるをえなかった。電子工学や原子力が兵器となるとともに、頭脳力を供給するために大学が選ばれた。大学は、戦争に勝ち、民主主義を救うための必要な協力者であった。

●そしてこの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産複合体制)を生み出す大きなきっかけとなったのは、軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」である。冒頭でも触れたように、「マンハッタン計画」では、5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。

ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。
  
●そして第二次世界大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発を求めてきた。

そこで得た研究成果は、「ダウケミカル社」「デュポン社」「ロッキード社」「ダグラス社」などに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産。大学の研究室と産業と政府ががっちり手を結び、冷戦という獲物を手にして巨大な怪物へと成長した。

●この「軍産複合体」の中核に位置するのが、ペンタゴンとCIAである。1947年に「国家安全法」に基づいて、それまで独立機関であったアメリカ4軍を一元的にコントロールするために設けられたのが「国防総省(ペンタゴン)」で、更に同じ「国家安全法」に基づいて作られたのが「中央情報局(CIA)」であった。

このペンタゴンとCIAの誕生により、軍産複合体は一つのガッチリした“中央集権的組織”となって、アメリカに根を下ろしたと言えよう。 
 
●軍産複合体は年々肥大化し、ペンタゴンから発せられる莫大な「軍需注文」は、2万2000社もある「プライム・コントラクター(ペンタゴンと直接契約する会社)」と呼ばれる巨大な航空機メーカーやエレクトロニクス企業に一括して流されている。

更に、その周辺に彼らの下請け・孫請け会社1万2000社、彼らの金融面を司る多国籍銀行団、スタンフォードやハーバードなどの大学研究室が70以上、ランド研究所、フーバー研究所などペンタゴンと契約している「シンク・タンク」が16……などといったように、何百何千万人もの労働者や科学者、研究家、政治家、退役軍人、ロビイストたちが張り付いているのである。

●ちなみに、ペンタゴンと直接契約している企業は、まだ兵器を製造している段階で、多額の「推奨金(無利子の貸金)」を受け取ることができる。

例えば「ロッキード社」は、1968年12月の12億7800万ドルという支払い済み経費に対して、12億700万ドルの「推奨金」を与えられた。15億ドル近くの経費や設備を含む取引に対して、同社が調達しなければならなかったのは、7100万ドルの自己資金だけであった。

●ペンタゴンからの退役軍人の天下りの多さも無視できないものがある。

プロクスマイア上院議員のいうところによると、1968年財政年度には、主要軍需業の3分の2以上をやっていた100社は、その給与名簿に「2072人の大佐もしくは艦長以上の階級の退役軍人」を抱えていたという。トップは「ロッキード社」の210人で、その次に「ボーイング社」の169人、「マクダネル・ダグラス社」の141人、「ジェネラル・エレクトリック社」の89人と続くという。ペンタゴンの制服を着ていた時に、民間企業との多額の取引の交渉をやっていたその同じ人間の多くの者が、退役後は、その影響力や内部の知識を国防会社の利益のために行使していたわけだ。


●「軍産複合体」がアメリカ経済に対し、依然として強い影響力を持っていることに関し、国防産業協会の会長J・M・ライル元提督は以下のように言っている。

「もしも我々が軍産複合体を持っていなかったとするならば、我々はそれを考え出さねばならなかったであろう。というのは、今日の複雑な兵器を考案し、生産し、そして維持することは、必然的に、それを要求する軍部とそれを供給する産業との間の、最も緊密な協力と連携を伴うからである。」

●「ディロン・リード社」のジェイムス・フォレスタルや「ジェネラル・エレクトリック社」のチャールス・ウィルソンなどは、以下のような率直な見解を示している。

「アメリカが必要としているのは、永久的な“戦争経済”である。」

●ベトナムのある高官は以下のような告発をしている。

「……結局、一番もうかるのは、より性能のいい兵器により高い値札をつけてどんどん売りさばくことのできる“ビッグ5(国連常任理事国)”の兵器産業である。」
「ベトナム戦争ひとつを振り返ってみても、本当の“死の商人”が誰であったか一目瞭然だろう。まず、フランスが膨大な兵器を流し込み、その後をアメリカが引き継いだ。もちろん、そうなるとソ連も放っておけないから、北ベトナムやベトコンにどんどん新兵器を与え、やがては中国も介入していった。そうやって戦争がエスカレートして行きさえすれば、それぞれの国の兵器産業を中心とした軍産複合体もまたどんどん肥え太っていくわけだ。」


http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c12

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
13. 中川隆[-10744] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:22:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2103]

アメリカが中南米を支配する方法

CIAがリリースした1950年代から1970年代にかけての機密文書「家族の宝石」の中には、1970年代にヘンリー・キッシンジャーが関与したキプロスとチリのクーデターについても書かれている。

1974年、キッシンジャーは、ギリシアのキプロスへの介入を推進したこと、また1970年、チリの総選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選しそうになっていた時、キッシンジャーが中心となって「反アジェンデ」のプロパガンダを開始し、チリにおける左翼政権の誕生を妨害。

クーデターでアジェンデは射殺され、ピノチェトの軍事政権が成立したが、このことを促進し、ピノチェトを強くサポートしたのも彼であったこと、なども今回公開された文書には書かれている。
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/591.html

2019.01.06
ブラジル新大統領が米軍基地の建設を目論む(1/2)


 ブラジルの新大統領、ジャイール・ボルソナーロは同国にアメリカ軍の基地を建設する意向を示している。


 ​この人物はチリの独裁者だったオーグスト・ピノチェトを信奉​、つまり表面的な手法はともかく、巨大資本に奉仕するという政治経済的な立場はドナルド・トランプよりヒラリー・クリントンに近い。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領とは正反対の立場だ。軍事政権時代に拷問を行ったことで悪名高いカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラも彼は褒め称えている。軍事政権時代に政治犯だったルセフも拷問されているが、その責任者でもあった。


 ピノチェトは1973年9月11日、軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒した。アメリカの巨大資本がクーデターの資金を提供していたが、政権転覆に命令は大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー。その命令でCIAの秘密工作(テロ)部門が動いたのである。


 アジェンデは国民の大多数である庶民の立場から政策を推進しようとしたが、これはラテン・アメリカに利権を持つアメリカの巨大資本やその代理人である現地の支配層にとって許しがたいことだった。


 選挙期間中、CIAは新聞、ラジオ、映画、パンフレット、リーフレット、ポスター、郵便物、壁へのペインティングなどを総動員してプロパガンダを展開したが、アジェンデが勝利する。


 それに対してチリの支配層は生産活動を妨害、アメリカの巨大金融機関はチリへの融資をストップ、世界銀行も同国への新たな融資を止め、1972年になるとトラックの運転手がストライキを実施、商店主、工場経営者、銀行なども同調して全国的なロックアウトに発展した。


 こうした揺さぶりはNSC(国家安全保障会議)の「オペレーション40」が指揮していたが、キッシンジャーは軍事クーデターを計画する。CIA長官だったリチャード・ヘルムズの下、秘密工作(テロ)部門が動いた。


 この計画はCIAの内部でも秘密にされていたが、それでも計画の一端は外部に漏れてしまう。例えば、ワシントン・ポスト紙のコラムニストだったジャック・アンダーソンが1972年3月にコラムで多国籍企業のITTがチリで秘密工作を実行していると暴露したのである。フランク・チャーチ上院議員を委員長とする「多国籍企業小委員会」はこの件に関する聴聞会を実施した。


 それでも工作は続き、キッシンジャーたちはチリ軍を支配するために護憲派だった陸軍総司令官を暗殺、その後任も憲法を遵守する立場だったために排除した。


 アジェンデは1973年8月にオーグスト・ピノチェトを陸軍総司令官に任命する。ピノチェトも護憲派だと判断したのだが、これが致命傷になった。


 クーデター後、ピノチェトはシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授の政策、つまり新自由主義を世界に先駆けて導入する。その政策を実際に実行したのがフリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授の弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060001/


ブラジル新大統領が米軍基地の建設を目論む(2/2)


 軍事クーデターで実権を握ったオーグスト・ピノチェトは1979年に健康管理から年金、教育まで全てを私有化しようと試み、関税を撤廃、資本や売買の規制を緩和、交換レートを固定した。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)


 一連の規制緩和でチリの民間部門は外国の金融機関から多額の資金を調達、1980年代に入ると債務額は倍増。債務危機が起こると外国の金融機関は銀行の国有化を求め。国有化された彼らの債権は私有化された国有企業の株券と交換することが許された。その結果、チリの年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになる。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)


 当然のことながら、こうした政策で庶民は貧困化、その子供は教育を受けるチャンスを奪われ、さまざまな不平等を再生産することになった。これが「チリの奇跡」だ。


 新自由主義が庶民に塗炭の苦しみを強いることは事前に予測されていたことで、そのためには反対勢力を殲滅する必要があった。そうした意味でもピノチェトの軍事クーデターは重要な意味を持っている。


 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は「少なくとも2025名」だというが、実際の犠牲者はそれを上回り、一説によると約2万人が虐殺されている。ブラジルの新大統領、​ボルソナーロに言わせると、「ピノチェトはもっと多くの人間を殺すべきだった」​。

 21世紀に入った直後、ブラジルはアメリカから自立する動きを見せていた。その当時の指導者、ルイス・シルバやジルマ・ルセフをアメリカは議会を使って排除する。


 議会でシルバやルセフの政治的な抹殺を先導していたのはブルーノ・アラウージョやエドアルド・クーニャだが、前者は巨大建設会社から違法な資金を受け取った容疑をかけられ、後者はスイスの秘密口座に数百万ドルを隠し持っていることが発覚した。


 ブラジルを再び植民地化するためにアメリカ支配層が使った組織としてMBL(自由ブラジル運動)やEPL(自由を求める学生)が知られている。両団体を創設したキム・カタグイリはミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉する「活動家」。MBLを率いているジュリアーノ・トレスとファビオ・オステルマンが学んだアトラス・リーダーシップ・アカデミーはアメリカの富豪、チャールズとデイビッドのコーク兄弟から資金が出ている。EPLのスポンサーもコーク兄弟だ。


 シルバやルセフを支えていた人々はアメリカ巨大資本の支配システムを壊さなかった。資金力、情報力、軍事力で圧倒しているアメリカ支配層が反撃してくるのは必然だったと言える。


 そのアメリカ支配層は邪魔な存在を皆殺しにしてきた。チリもそうだが、1965年のインドネシアは悪名高い。現在のインドネシアをカルト国家と呼ぶ人もいるが、確かに欧米権力層はカルトを支配の道具として使っている。その一例がワッハーブ派だ。


 アメリカ支配層は支配の仕組みとしてNATOや日米安保のような軍事同盟も利用している。ボルソナーロがブラジルにアメリカ軍の基地を建設すると言っている意味もそこにあるはずだが、そうした事態になるとブラジル軍はアメリカ軍の支配下に入ることになる。それをブラジル軍が受け入れるかどうかが問題になってくるだろう。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060001/

http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c13

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
14. 中川隆[-10743] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:23:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2104]

2017年01月17日 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html

ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。

ヘンリー・キッシンジャー、サイラス・バンス、ジェームズ・ベイカーが国務長官だったときに副次官補を務めたスティーブ・パチェニクはWikiLeaksについて、クーデターを阻止しようとしている情報機関内のグループが作り上げたのではないかと推測している。

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非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。

この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。

日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。
激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。


http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/

(一部のみ)

1月14日付け


EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters


世界を支配しているCIAの3派


By the Anonymous Patriots

The Millennium Report Exclusive


(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)

CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。

大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。
現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。
このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。


CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。
大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。

現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。


オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。

更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。


CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。
CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する


組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。


DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。


1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。


国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。


クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。
クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。


クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。
つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。
一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。

法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。


クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。

彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。


オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。
CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。

ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。
クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。


オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。


スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。


CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。

CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。
NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。


CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。
クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。

CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。

現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。

CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。


オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。

CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。
アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。
CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。


CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex−CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。


GB-CIA:Gold backed CIA

元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。

GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。

GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。
GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。


GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。
ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。


また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。
彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。


Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):


パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。


パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。

パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。
ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。
パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。


ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。
オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。


ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。
ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。


パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。

ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。


ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。
当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。
当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。


パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。

最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。


パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の
金(ゴールド)を盗んだ。
そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。


Ex-CIA:


既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。
政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。

Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。


Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。
弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。
CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。


コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。


ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。


これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。

アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。
それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。

クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。


トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。


トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。


CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。


トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。
トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。

トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。
愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。


CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。


ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。

以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html

http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c14

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
15. 中川隆[-10742] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:24:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2105]

2016.08.20
ハッキングされたメールからヒラリー・クリントンがジョージ・ソロスの助言に従っていることが判明、侵略やTPPに執着か

電子メールのハッキングが続いている。今回は投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスだ。彼がターゲット国の体制を転覆させるために使っているオープン・ソサエティ基金もハッキングされたという。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスするものがある。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。

 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、マデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いているが、その背後にソロスがいたということだろう。国務長官に就任したオルブライトが主導する形で1999年3月にNATO軍は偽情報で環境作りをしながらユーゴスラビアを先制攻撃、ひとつの国を破壊した。

 2003年11月にはジョージア(グルジア)で「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、新自由主義体制になった。当然、一部のグループが不正な手段で国民の財産を奪って莫大な富を築き、その後ろ盾になっていた西側の巨大資本も利益や利権を手にした。こうした「革命」でもソロスはスポンサーとしての役割を果たしていた。

 言うまでもなく両国の庶民は貧困化、そうした状況への怒りからソロスたち西側の富豪や巨大資本にとって好ましくない方向へ動いた。そこで仕掛けられたのがキエフのクーデター。2014年2月22日、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とするグループがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除している。そのクーデターを現場で指揮していたのがヌランド国務次官補だった。クリントンは2013年2月に国務長官を辞めているが、ヌランドは彼女の同志だ。

 クリントンが長官に就任したのはバラク・オバマが大統領に就任した2009年1月のことだが、その年の6月にホンジュラスで実行されたクーデターでクリントンは黒幕的な役割を果たしたと言われている。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、マヌエル・セラヤ大統領を拉致され、コスタ・リカへ連れ去られている。

 現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言した。このクーデター政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したとも報告されている。そのクーデターの背後にクリントン長官がいたということだ。

 2011年にアメリカはサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国やイスラエルと新たな侵略戦争を始める。2月からはリビア、3月からはシリアだ。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、その時にカダフィが惨殺されている。その事実をCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンは「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいる。

 カダフィ体制が倒された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされた。その事実をイギリスのデイリー・メイル紙でさえ、伝えている。リビアを侵略した軍隊は空がNATO軍、地上はアル・カイダ系のLIFGだった。

 リビアを破壊した後、侵略軍はリビア軍の倉庫から武器/兵器を持ち出してトルコへ運んでいる。勿論、戦闘員も同じように移動した。

 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、シリアへ軍事介入する口実にしようとしたと言われている。

 そうした武器や戦闘員の輸送をアメリカ国務省は黙認した。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたヒラリー・クリントンもこの工作を知っていたはず。しかも、クリントンの部下にあたるクリストファー・スティーブンス大使は2012年9月10日、CIAの武器輸送担当者と会談、その翌日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。勿論、武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。

 その9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてスティーブンス大使が殺されている。議会が首相を指名する前日だ。その2カ月後にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。

 クリントンは戦争犯罪人と言われても仕方のないようなことをしてきたわけだが、欧米の支配層はクリントンを支持してきた。ソロスも支援者のひとり。この支配層は軍事的に世界制覇を進めるだけでなく、巨大資本が国や国際機関を支配する仕組みを作り上げようとしている。それがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、そしてTiSA(新サービス貿易協定)の3点セットだ。

 世界的に見ると、その実態を多くの人が知るようになり、抵抗が強まっている。アメリカ大統領選では共和党の候補者であるドナルド・トランプや民主党の候補者選びに参加していたバーニー・サンダースもこうした協定に反対している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、これらはファシズム化を目指すものだ。

 そうした中、クリントンは若干の手直しをするだけで協定を実現しようと目論んできたのだが、サンダース支持者の民主党幹部やクリントンに対する反発が強く、自分も反対だと言わざるをえなくなっている。

 しかし、クリントンは弁護士である。契約や法律に違反することなく約束を破る方法を考えることを商売にしている人物だ。先送りと言うことはありえるだろうが、ファシズム化という方針をアメリカの支配層が放棄するとは思えない。ソロスもクリントンに何らかの悪知恵を授けているのだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608200000/  


▲△▽▼


ヒラリーの戦争犯罪 Paul Craig Roberts 2016年10月20日

2016年10月20日の今日は、アメリカのオバマ大統領と、ヒラリー・クリントン国務長官が組織し、解き放った勢力によるムアマル・カダフィ虐殺五周年だ。 CBS“ニュース”での大喜びで笑いながらの殺人女の振る舞いを思い出して頂きたい。“来た、見た、彼は死んだ。”
https://www.youtube.com/watch?v=Fgcd1ghag5Y


ムアマル・カダフィは、世界で最も進歩的な指導者だった。カダフィは、リビアの石油の富を、リビア国民のために使っていた。彼は、宮殿ではなく、立派なテントではあるが、テントで暮らしており、アメリカ政府の中東同盟国である、サウジアラビアや、産油首長国支配者一族につきもののヨーロッパ高級車や他のあらゆる身の回り品のコレクションを持っていなかった。

リビアでは、教育、医療と、電力は無料だった。ガソリンは事実上無料で、一リットル、14セントで売られていた。子どもを産んだ女性は、現金の助成金を貰い、カップルが結婚すると現金の助成金が貰えた。リビアの国営銀行は、無利子で融資し、農民には無償で開業資金を供与した。http://www.globalresearch.ca/libya-ten-things-about-gaddafi-they-dont-want-you-to-know/5414289 連中が、人々に知って欲しくないカダフィに関する10のことがら(英文)

カダフィがアメリカ政府から自立していたことが彼の没落をもたらしたのだ。若い頃のカダフィの目標は、アラブを、欧米の略奪に抵抗できる一つの圏に組織することだった。いらだった彼は、汎アフリカ主義に向かい、アメリカのアフリカ軍に参加するのを拒否した。彼は、アフリカ人をアメリカの金融覇権から解放するはずの、金本位のアフリカ通貨を導入したがっていた。

カダフィは、中国のエネルギー企業に、リビアのエネルギー資源を開発させており。、地中海でのロシアの存在で、既に腹を立てているアメリカ政府は、今や中国の存在にまで直面することになったのだ。アメリカ政府は、カダフィは、まずい連中と付き合っているので、退陣させるべきだと結論を出した。

アメリカ政府は、傭兵を編成し、連中を、シリアでと同様“反政府派”と名付け、リビア政府にけしかけた。カダフィ軍が勝っていることが明らかになると、アメリカ政府は、うぶでだまされやすいロシアと中国の政府を騙し、国連で、NATOによって、リビア領空に飛行禁止空域を設定することを認めさせた。飛行禁止空域の建前の目的は、やってもいなかった、カダフィによる民間人攻撃を防ぐためということだった。本当の理由は、主権国家のリビア空軍が、地上の軍隊を支援するため、自分の領空を使えなくするためだった。Onceだまされやすいロシアと中国が、安全保障理事会の議決で拒否権を行使そこねると、アメリカとNATO自身が決議に違反して、カダフィの軍隊を攻撃するために欧米の空軍力を用いて、紛争を、CIAが組織した傭兵に有利にした。カダフィは捕らわれ、残虐に殺害された。かつて繁栄し、成功していた社会だったリビアが、それ以来、混乱状態にあるが、それは、オバマ政権が望んでいたものだ。

サダム・フセインについて語られ、現在、シリアとロシアについて語られているウソと同様に、カダフィとリビアについては、あらゆるウソが語られた。イギリス議会報告は、欧米の人々は、リビア破壊に対する支持を得るためのウソを各国政府から吹き込まれ、リビアは、カダフィが欧米の覇権にとっての障害と見なされていたがゆえに破壊されたと、明白に結論付けている。
http://www.globalresearch.ca/libya-war-was-based-on-lies-bogus-intelligence-nato-supported-and-armed-the-rebels-british-parliamentary-report/5547356?utm_campaign=magnet&utm_source=article_page&utm_medium=related_articles

彼女の監督下で準備されたこの戦争犯罪のかどで、ニュルンベルク裁判時の法律において、彼女が有罪であることについて、殺人女に質問した売女マスコミは皆無だ。殺人女を支配している巨大な政治力を持ったひと握りの集団と、連中の手先の売女マスコミは、この戦犯を次期アメリカ大統領にするつもりなのだ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-5564.html


▲△▽▼


一枚の写真から分かる悪魔の手先ヒラリーの本性 自身は脳血栓で自滅 溺愛のリビア米大使も報復で死亡 アベノミクスにも陰り 
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/167.html


上の写真は、アメリカ軍の兵隊と一緒にピースサインを出す、最高の笑顔を浮かべたヒラリーという印象である。
しかし、事実を知るヒラリーの本性が分かる。


実は、写真は、カダフィが惨殺される2日前の2011年10月18日に撮影された。
彼女の周りの男たちは、アメリカ軍の兵隊はひとりもいない。マフィアのような男たちは、リビア人やアラブ人ではない。彼らは、アフガニスタン人であり、アメリカの特殊部隊に雇われている傭兵(マーシナリー)である。この男たちが首にかけている認識カードは、背後の米軍輸送機に乗れる資格証である。


当日ヒラリーは、カダフィー暗殺部隊最高司令官として着任した。まるでマッカサーのように、思いのままに、防諜作戦を遂行し、その成果如何で次期大統領の椅子が約束されていることを確信しての満願の笑顔だったのだ。


しかし、ヒラリーと一緒に映っている彼らは、カダフィを殺した後、処分された。
彼らは、故郷のアフガニスタンに凱旋(がいせん)しようとして、首都カブールの空港に着陸しようとしたとき、タリバーンの反政府ゲリラ(笑)のロケット弾で撃墜され、全員、死亡。アメリカによる実行犯たちのáÄ口封じ”である。


その“巨大なワル女”のヒラリー・クリントンが、ついに脳血栓(のうけっせん)で倒れた。
失神してゲロを吐いて倒れて(始めはウイルス性腹痛と発表。安倍晋三も近いかな?)、緊急入院後に、脳血栓が見つかった。それは、日本では総選挙の当日の12月16日(アメリカでは15日)のことだった。 これでヒラリーはおしまいだ。 彼女が、次の米大統領になる可能性は突然、消えたのだった。


その前に、ヒラリー(の脳)を死ぬほど苦しめる大事件が、リビアで起きていた。


事件はアメリカ政界を揺さぶる巨大な事件になる可能性があった。その後、10月22日の第3回のオバマと、ロムニー共和党候補者のディベートの確か、前日に、ヒラリーが、 “ I am responsible for Libya .” 「私にリビアで起きた事件について(大きな)責任がある」 記者会見で発言した。


このことで、リビア米大使館襲撃(された)事件の責任が、オバマにはない、ということになって、外交問題を巡る共和党系国民からの、オバマへの激しい非難を、オバマは回避することができた。出来た、ということにアメリカ国内の国論として決まったのである。


(転載貼り付け始め)


●「駐リビア米大使死亡か 領事館襲撃事件」
2012年9月12日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120912/mds12091219240002-n1.htm

ロイター通信などは9月12日、リビア当局者の話として、同国北東部ベンガジの米領事館が11日に群衆に襲撃された事件で、米国のクリストファー・ スティーブンズ駐リビア大使を含む計4人が死亡したと伝えた。

米国務省は襲撃で職員1人が死亡したとしているが、詳細は明らかにしていない。中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、大使は出張でベンガ ジを訪れていたという。ほかの3人も大使館職員としている。

群衆はロケット砲も使用、領事館は放火され、略奪もあったという。リビアでは、昨年8月にカダフィ政権が崩壊したが、内戦時に大量に出回った武 器の回収が進まず、貧弱な治安体制が浮き彫りとなった。(共同通信)

(転載貼り付け終わり)


一体、どういう大事件がこの時、起きていたのか。今に至るも、日本国民は、指導者層を含めて、この「9月11日、リビア米領事館襲撃、そして、米大使以下4人の死亡」という事件の真実と大きな波紋のことを誰も知らない。この私でさえ、11月に入ってからようよくその全体像を知った。


それは、ヒラリーが、その前年の2011年10月20日に、リビアの最高指導者のカダフィを、ヒラリーが送り込んだ殺し屋部隊に惨殺させたからである。 その報復、仕返し、復讐の事件が、だから、その翌年の9月11日に、リビア第二都市であるベンガジ(首都トリポリに次ぐ)で起きたからだ。


相手を殺してやる、というほどの、復讐の気持ちほど、恐ろしいものはない。自分の身はどうなってもいいから、自分の体に爆弾を巻きつけて、敵の陣地にまで、自殺攻撃(スーサイダル・ボミング)を仕掛けるほどの 深い憎しみ、憎悪、怨念こそは、 私たち人間(人類)を突き動かす本当の、時代の変化のモーメンタム(動因)である。決心して人を殺しにゆくほどの深い憎しみを双方が持つことが日常的にならなければ戦争にはならない。


ここに、殺されて、その死体を地面に引き釣り回される、リビア駐在米大使であった、アメリカの国務省キャリア外交官で、人殺し部隊の司令官であった クリストファー・スティーブンスの 画像写真を貼り付ける。 謀略国家 アメリカ の手先を今もやり続ける者たちは、人にあまりにもひどいことをしたら、自分もこういう目に遭うのだ、という戒めの為にまざまざと見つめるがいい。

↑ 駐リビア米大使クリストファー・ スティーブンス の死体。民衆にひきづり回されている。

この アメリカの人殺し部隊の司令官であった クリス・スティーブンスに哀悼の気持ちなど抱かない。リビアや中東の人々にあまりにも残虐なことばかりしてきた人間の末路だと、自業自得なのだ。


今でも、虐殺されて血だらけで横たわっているカダフィの死体の写真を、自分の家の通路の壁に飾って、時々、拝んでいる人間だ。リビア国民はカダフィ政権が、無理やり、フランス・ユーロファイターの爆撃隊とアメリカのグローバル・ホーク(無人偵察殺人機。プレデター)と 「アルカイーダ」や反政府勢力と称するイスラエルとアメリカの特殊軍が育てた人殺し専門のならず者たちによって計画的に打ち倒されたことを知っている。


1994年のソマリアのモガデシオで起きた米海兵隊のブラック・ホーク撃墜と、ソマリア民衆による米兵士の死体引き釣り回し(裸にして縄にかけて地面をひきづる)の事件とは少し違うのだ。なぜなら襲撃されて殺されて死体を引き釣り回されたのは、今回は軍人ではないアメリカのキャリア外交官で大使(アンバサダー)だったからだ。大使はその国家を対外的に代表する。


大使というのは、元々は王様(国王)のお友達のような人間で、白い手袋を脱いで相手国に投げつけたら、それは宣戦布告を意味する。日本でも大使は今は認証官(にんしょうかん)というが、昔は、天皇の勅任官(ちょくにんかん)である。


そして、このクリストファー・スティーブンス J. Christopher Stevens は、ヒラリー国務長官の信頼の厚い、直属の家来だった。スティーブンスは、自分たちのカダフィ殺しの一周年記念のパーティをベンガジの米領事館で開こうと有頂天になって準備していたのだ。


そして、ヒラリーが大統領になるだろうから、その時は、自分もホワイトハウスの別室をもらって、ネオコン派としての凶暴な世界軍事制圧計画のプランナー、戦略家になれる、と本当に信じ込んでいたようだ。


このクリストファー・スティーブンスの横にいて、「日本食い尽くし極悪人」のアーミテージとそっくりのタコ入道の男が、情報管理担当官のショーン・スミスSean Smithである。死んだあとのふたりは、米海軍の特殊部隊のアザラシ部隊 Seals の隊員だった者たちだ。自分たちが人殺し、暗殺部隊だから、自分たちも同じように殺されたのだ。


このことが、ヒラリーにとっての痛恨の事態となった。 この 死体ひきづり回しの画像がネット上に公開された9月11日から、アメリカ政界は大騒ぎになった。そして、それが今も「リビア米領事館襲撃(された)事件の責任問題」として、日本の新聞記事にもチラチラ、前後の真実の説明もなく 書かれているのである。 


以下は、このアメリカ大使殺しのことを記したものある。


(転載貼り付け始め)


ここでひとつ重要な事件が起きた。 オバマが11 月4日の大統領選挙で再選される、その2週間前の対論(ディベート)で、オバマが共和党のロムニーの追撃をかわして逃げきったとされるシーンがあった。


日本人にはほんの瞬間のことだったのでよくわからなかった。外交問題を巡る議論の最中でのことだ。アメリカ政治分析の専門家であるこの私にも、この瞬間の重要性がはっきりと理解できるのにその後1ヵ月かかった。どうやらアメリカ国民の間で、大統領選挙戦の最中のこの9月、10 月にひとつの大きな山場があったのだ。


それはアメリカの金融・経済や雇用や景気回復の話ではなかった。
問題は、リビアのベンガジ(首都トリポリに次ぐ都市)で、2012年9月11日に起きていてた駐リビア・アメリカ大使が殺された事件である。この時に殺されたアメリカ国務省の外交官は駐リビア大使だったクリス・スティーブンスである。・・・・


2012年9月11日に、リビアのベンガジで、アメリカ領事のクリス・スティーブンスが、リビアの民衆に殺され、遺体が引きずり回された。この事件は、前年2011年2月からの「アラブの春」で、カダフィ大佐が、アメリカ主導の「仕組まれた民主化運動」によって、悲惨な殺され方をしたことへの、リビア民衆の報復であった。
スティーブンスは、エリート外交官である。アメリカ領事館が民衆に襲撃されて殺されて、なんとその死体は路上で引きずり回されたのである。そのときの写真がインターネット上に流れてしまった。これでアメリカ国民の多くの顔がひきつったのである。
 何故なら、リビアで米外交官が殺されたのは、一年前の2011年10 月20 日にリビア中部の町で殺された指導者カダフィの惨殺に対する報復、復讐劇だったからだ。


多くのアメリカ国民がこのことをすぐに悟った。「ヒラリーに忠実なテロ対策特殊部隊を指揮している外交官を、リビア人のカダフィ派の残党たちが、命がけで襲撃して殺したのだ。このクリス・スティーブンスはカダフィ惨殺の現地の責任者だ」と。
アメリカ国内の新聞記事には、どこにもあからさまにこの真実は書かれていない。しかしアメリカ国民ならこのことが空気 でわかる。だから、この直後からこの事件の責任問題が議会で騒がれた。


前述したスーザン・ライス(米国連大使)が早々と、「リビアの米領事館襲撃は、突発的な民衆の暴動によるものだ」とウソの発表をしてしまった。これで更に大騒ぎとなり、議会で、スーザン・ライスとヒラリー・クリントン国務長官を非難する声が大きくなった。
だから12 月中旬の今の今でもまだ、「次の国務長官はスーザン・ライスにする」とオバマ大統領が言っている。しかしオバマがいくら言っても、議会の共和党(筆頭 ジョン・マケイン議員)が「ウソつきの就任を認めない」と強固に反対している。


だからこの事件についてヒラリーが、ついに「私に責任がある。私は国務長官を辞める」と10月21日に 発言した。これで、オバマ自身に事件の責任が及ぶことがなくなった。これで、オバマはロムニーとの大統領戦のディベイト論戦で、この苦境から逃げきったのだ。
ヒラリーにしてみれば、「アラブの春」という凶悪で「安上がり」のテロ攻撃路線( アメリカとアラブ過激派の、一体どっちがテロリストなのか分からない)で、正規の米軍を使わないで、中小国の政権転覆をやってきたことへのしっぺ返しが起きたのだ。人にひどいことをした者は必ず自分もひどい目に合うのだ。

(転載貼り付け終わり)


以上の経緯である。3年前から、オバマの次は、オバマが病気で倒れて次は、狂暴なヒラリーが大統領になる、と予測(予言)してきた。しかし、ゲロを吐いて脳震盪を起こして先に倒れたのはヒラリーの方であった。これで“ワル女“(中国人は皆、ヒラリーが嫌いである。中国に戦争を、アメリカの属国群を使って仕掛けてくるからだ)は終わった。 だから、あとはオバマが倒れて、副大統領のバイデン(CFR派)が後をやる、ということだ。


その時、凶暴なネオコン派が誰を副大統領に送り込むか、である。 それでも、 アメリカの 軍人たちと 教員たち、公務員たちすべての給料を払う原資ががないので、日本の安倍晋三に、「50兆円分の 米国債を買います。それで日本を更に円安と 株高にしてください」 この2月はじめの訪米で言わせるのだ。


それでも この秋から、スペインで再び金融危機が起きる。ユーロは暴落する(今は、1ユーロ=114円まで上がった。今のうちに、ユーロ建てのファンドなどは解約するように) 。 ヨーロッパの国家債務危機が再発して、それはアメリカの財政危機と連動する。その時に、日本国債の暴落の危機が、この秋から生まれる。


この年末12月23日に放映されたNHKの 「日本国債がやがて暴落する」(利回り1%から3・8%への金利暴騰を、米ヘッジファンドどもが仕組んでいる、とする。投資家のジム・ロジャーズを最期の場面で利用していた) の 日本国民を恐怖に陥(おとしい)れ、脅迫している番組は、あれは日本財務省が仕組んで、NHKに作らせた“やらせ番組“である。
 
このことを私たちは鋭い警戒心と共に見抜かなければならない。あの番組に出てきた 幸田真音(こうだまいん)という性悪女(しょうわるおんな)は、日本の国税庁のキャリア上がりの謀略評論家である。私たち日本国民を脅して、財務省に屈服させようとするのだ。
 
軍産複合体企業の取り巻きたちは、こんな瀕死のヒラリーを、2016年の大統領選に担ぎ出そうと躍起だ。日本でのボケ老人「石原」をヨイショする輩と似ている気がする。
●Rested-looking Hillary Clinton dodges 2016 talk and says she just wants to relax at first paid speech since leaving office

http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c15

[リバイバル1] 【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン どん兵衛
16. 中川隆[-10741] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:27:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2106]

という事で

ユダヤ陰謀論者がユダヤの陰謀だ、ディープステートの指示だと言っていた事は実際にはすべて

アングロサクソンが部下の有能なユダヤ人に命じてやらせていただけなのですね。



http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html#c16

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
112. 中川隆[-10740] koaQ7Jey 2019年10月17日 17:34:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2107]
【重要】ローゼンタール文書 和訳(タグ付き)−読みにくかったらゴメン
へのコメント
http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/246.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c112
[近代史3] 松本清張 中央流沙 (NHK 1975)

松本清張『中央流沙』

制作:NHK
脚本:石松愛弘
音楽:真鍋理一郎
演出:和田勉
放送期間 1975年10月25日

動画
https://www.youtube.com/watch?v=RDAU2JuSnu4


『中央流沙』(ちゅうおうりゅうさ)は、松本清張の長編小説。『社会新報』に連載され(1965年10月号 - 1966年11月号)、1968年9月に河出書房新社から単行本が刊行された。

「松本清張シリーズ・中央流沙」
1975年10月25日、NHKの「土曜ドラマ」枠(20:00-21:10)にて放映。視聴率16.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。プラハ国際テレビ祭金賞受賞作品。原作の松本清張が出演した。DVD化されている。


キャスト

山田事務官:川崎敬三
山田の妻:中原ひとみ
倉橋課長補佐:内藤武敏
岡村局長:佐藤慶
倉橋の妻:中村玉緒
西秀太郎:加藤嘉
藤村事務官:日下武史
倉橋の息子:吉村景史
山田の娘:前村真由美
相良課長:森塚敏
染香:石井富子
川辺記者:角野卓造
的場警部:長谷川弘
長谷川刑事:浦信太郎
ビルの若い女:今井美佐子
:黒田あゆみ(クレジットは無し)
病院の雑役夫:松本清張(クレジットは無し)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/674.html

[近代史3] 関西電力の不正金品授受問題 _ 関電が助役に逆らえなかったのは、背後に部落解放同盟の存在が在ったから 中川隆
6. 中川隆[-10739] koaQ7Jey 2019年10月18日 06:54:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2109]

童話利権の構造とは?得してるのは誰?日本にもまだある「闇」。|山岡鉄秀(@jcn92977110) & 篠原常一郎(@polyanochika) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=faVovbPHC4M

2019/10/17 に公開
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/660.html#c6

[近代史3] 中国政府は意図的に中国女性の日本人との偽装結婚を支援している

中国政府は意図的に中国女性の日本人との偽装結婚を支援している

偽装結婚。中国人が簡単に日本の永住資格を手に入れる方法が闇で広がっている 2019.10.18
https://blackasia.net/?p=15272



2019年10月15日、ひとりの中国人女性が逮捕されている。徐玲という名前の33歳の中国人女性だ。

この日本語がペラペラの中国人女性は、夏宗明という中国人の男と、谷中信恵という日本人の女性を引き合わせて偽装結婚させて、中国人の男から現金120万円を受け取っていた。

そして、2019年10月17日。

今度は東京都大田区のスナックで、店の経営者である中国籍の林愛明という女が夫の伊東由起夫と共に、中国人の女性と日本人の男性客を偽装結婚させるビジネスをしていたということで、やはり逮捕されている。

このスナックには中国人女性が従業員として働いていたのだが、そのうちの3人も偽装結婚で長期の在留資格を手に入れていた。

日本で水商売で入ってきた中国人女性が、長期の在留資格を手に入れるために日本人の男と結婚するというのは、これまでも繰り返し使われてきた手口である。

そう言えば、2019年も平松仁という51歳の日本人が倪敏という22歳の中国人女性と偽装結婚して警察に摘発されているのだが、この倪敏という女性も「中国人パブ」で働いていた。

こういった偽装結婚の話は山ほどある

今、日本の歓楽街には、中国人・韓国人のホステスが山ほど潜り込んでいるのだが、彼女たちが虎視眈々と日本人との結婚を画策している。

いや、中国人・韓国人だけではない。フィリピン女性も、タイ女性も、ホステスとして日本にやってきて、日本でずっと暮らすことが出来る在留資格(永久ビザ)の取得を狙っている。

国籍目当ての「偽装結婚」と言えば、何か自分とは縁遠い犯罪事件のように感じるだろうか。それとも、あなたにも身に覚えがあるだろうか?

かく言う私は、偽装結婚を何度持ちかけられたか分からないほどだ。そのたびに結婚していたら、今ごろ「結婚歴20回」どころではなかった。

愛もないのに、なぜか結婚したいと言い出す女性で、ひとり強烈な印象を持った女性がいた。タイの郊外都市コラートで知り合ったプーという女性だった。

彼女は私のことを何も知らないのに、私に結婚しようと申し入れていた。(ブラックアジア:名前も国籍も知らないのに、あなたと結婚したいという女)

信じられないかもしれないが、売春地帯ではこういった結婚話が山ほどある。実際、女性の熱意にほだされて結婚してしまった男も多い。

タイ・パタヤでは、主にファラン(欧米の男)たちがターゲットになっていて、次々と裏のある結婚をしている。

売春地帯では、場合は出会ってから1時間もしないうちに「結婚しましょう」という話になることさえもある。今まで私に話を持ちかけてきたのは圧倒的にタイ人が多かったが、振り返ると、フィリピン人に、パナマ人に、コロンビア人に、それこそ枚挙に暇がない。

日本で起きている偽装結婚の事件は、かつてはフィリピン女性が多かったが、彼女たちが2004年頃から締め出された後、そのほとんどは中国人・韓国人の女性に変わった。今では中国人が日本の永住資格を取るために躍起になっている。

男を踏み台にして世の中を渡っていく

日本人と結婚して永住資格を手に入れる。その目的は何か。もちろん、カネだ。彼女たちは「日本」で、大きく稼いで国に戻ることを望んでいる。その手段としての結婚であって、別に日本や日本の男が気に入っているわけではない。

自分の結婚相手が、気に入っているわけではない。結婚する男の容姿や年齢や性格など、まったく関係ない。言ってみれば、正真正銘の日本人でありさえすれば、相手など誰でもいいのである。

「偽装結婚」は、外国人を合法的にその国の人間にしてしまう手口のひとつだ。

偽装結婚はいくつかの種類がある。同性愛者がそれを世間に隠すために行うものもある。あるいは、犯罪者が自分の名称を変えてしまうために意図的に行うものもある。犯罪のための背乗り(はいのり)で行うものもある。

しかし、もっとも多い偽装結婚は、言うまでもなく、外国人が異国の滞在資格を得るためのものである。

どこの国でも、その国の人間と結婚した外国人には長期滞在許可や永住権を与える。それは結婚生活を送る上で、その国に長期滞在が許されていなかったら都合が悪いからだ。

それが悪用される。

よく「偽装結婚」と言うと、何か甘酸っぱい恋愛が絡むビジネスのような錯覚をする人もいるが、現実はそのようなものではない。

偽装結婚を決断し、実行する女性は、男を踏み台にして厳しい世の中を渡っていく。カネのためならば何でもする。危ない橋でも渡る。それくらいの性根の座った精神力を持っている。

愛や恋など、そこに入る隙間もない。カネの亡者になっているような女性も多い。

偽装結婚が最も「手っ取り早く確実」

彼女たちは愛ではなく、カネで動いている。結婚もカネのために割り切るものであり、そこに一片の情緒も見出していない。場合によっては、結婚生活をしていると「見せかける」ためにセックスが介在するかもしれないが、しない場合も多い。

カネに対する渇望と利己的な欲望が渦巻いていて、実にしたたかであり、カネに対してのみ忠実である。

これだけ知られ渡った手口なのだから、今さら日本に在留したい外国人に偽装結婚を斡旋したところで、見破られるのは分かりきっている。古典的な手口というのはすでに研究し尽くされているのだから勝負は最初からついているのだ。

日本でも当然、偽装結婚をする人間がいて、捜査されると見破られることが多い。にも関わらず、この偽装結婚の手口が「通る」ことが珍しくない。

不思議に思わないだろうか。調べられれば見破られるのに、それが通用することも多いとはいったいどういうことか。なぜ、あからさまな偽装結婚が日本で通るのか。その理由は簡単だ。

偽装結婚をひとつひとつ調べるには、行政の調査員があまりにも不足しているからだ。すべての国際結婚を、ひとつひとつ丹念に「本物か、偽装か」を調べる手間と人員がないのである。

状況はさらに悪化する。

なぜなら、安倍政権はインバウンド政策で毎年3000万人も4000万人も外国人を観光で入国させるからだ。

さらに「移民政策を採らない」と言いながらも、大量の外国人を単純労働者として受け入れる方策を決めているからだ。(マネーボイス:使い捨て人材は安いほうがいい。「誰でもできる仕事」に関わる日本人の末路=鈴木傾城)

こうした政策の中で大量の外国人が日本に流入し、在留資格が得られなかった外国人も大量に出てくる。そうすると、在留カードを偽装するような犯罪も出てくるのだが、こうした偽造カードはバレやすい。

確実に日本にいられるためには、偽装結婚が最も「手っ取り早く確実」なのである。


周辺国を「中国」に同化させる戦略

現在、日本のアンダーグラウンドに大量に進出しているのは中国女性である。これからも、偽装結婚に関しては、中国人女性が上位の座を譲らないはずだ。

その理由は、単純に中国人の数が多いのと、彼女たちが偽装結婚という手段にもためらいがないのと、中国の拡張・同化政策に合うからである。

中国は意図的に周辺国に大量の中国人を送り込んで、その国を中国に同化させようとする長期政策を実践する。また、そのために自国民が他国に潜り込むことに対して、黙認しつつ奨励しているフシがある。

全世界、欧米から東南アジアからアフリカまで多くの国で中国人の大量移住が確認されている。タイもカンボジアもインドネシアもミャンマーもラオスも、すでに同化政策が進みすぎて中国系の人間が政治経済を牛耳っている。

そして日本にも今、大量の中国人が進出している。目立たないように底辺から、じわじわと時間をかけて、しかし確実に増えていっているのだ。(ブラックアジア:日本も飲み込まれるのか? 異国を覆い尽くす中国人と、中国人が支配する街)

中国人は、在日韓国人のように変な主張をしたり目立ったりしないので、普通の人はまったく気がつかない。しかも、中国女性の場合は、偽装をバレないようにするために、本当に「夫婦関係のある国際結婚」をする気合いの入った偽装結婚をも目論む。

そうなれば、もう摘発などできない。

中国人の偽装結婚は、他の外国人との偽装結婚よりもさらに恐ろしい。子供は母親になつく。当然、現在の中国共産党政権の思想が母親を通して子供に伝わっていくことになる。

そして、この子供たちが日本よりも中国共産党政権の思想を優先して活動していくようになる。莫大な人口を抱える中国政府は、そうやって周辺国を「中国」に同化させる戦略を推し進めているのである。

このあたりの中国人の恐ろしさは、東南アジアの現状をよく知らない普通の日本人には、どんなに声を大にしても伝わることはないだろう。
https://blackasia.net/?p=15272

▲△▽▼

在日中国人のブログ「1万組が結婚し半分近くが離婚」する日中国際結婚の特徴とは?(ライブドア)あきらかに永住資格目的が第一

・2010年12月12日、NPO法人・日中韓経貿促進協会の専務で在日中国人の
 チュー・ジュエンさんは、中国のブログサイトに「1万組結婚して半分近くが離婚、
 日中国際結婚の特徴」と題した記事を掲載した。以下はその内容。

 「1万組が結婚し、半分近くが離婚する」―。これは近年の日中国際結婚の
 大きな特徴だ。厚生労働省が発表した統計によると、2008年の日中国際結婚
 カップルは1万3223組だったが、昨年離婚した日中カップルも5946組に上り、
 離婚率は44.96%に達した。

 日中国際カップルの大半は「妻が中国人、夫が日本人」で、結婚相談所を介して
 結婚するケースがほとんどだ。中国人女性と結婚したがる日本人男性の特徴は、
 地方に住んでいる漁師や農民であるということ。こうした地方では若い女性の
 大半は都会に出て行ってしまい、40歳を過ぎても独身の男性が大勢いる。

 一方の中国人女性は大半が農村出身者。外国に対する憧れが強く、
 日本人男性と結婚すれば今より格段に豊かな生活が送れると夢見ている。
 その先にあるのは素敵な一軒家にトヨタの高級車、綺麗な服を着て
 たまには刺激的な夜の街にも繰り出す生活…。
 また、中には1度結婚に失敗しており、結婚を利用して来日し、
 人生をやり直したいと考えている人もいる。

 中国人女性は相談所の仲人役が話す「バラ色の結婚生活」を信じ、来日する。
 だが、彼女たちが連れて行かれるのは寂れた山奥や港町。言葉が通じないばかりか、
 傲慢で礼儀知らず、ケチで自己中心的、ひどい男尊女卑の日本人夫との暮らしは
 苦痛そのもの。だが、それでも我慢して夜の相手もしなければならないという
 屈辱にも耐える。

 そんな彼女たちも日本語を覚え、生活に慣れてくると徐々に都会に働きに出るようになる。
 生活の基盤が安定してくる頃に逃げ出す人もいれば、離婚を申し出る人も出てくるように
 なるというわけだ。日本人男性との離婚歴がある黒龍江省出身の女性は、
 「資本主義の先進国に来れば苦労しなくて済むと思ったが、想像と全く違った。
 それに加え、日本人夫の『文化暴力』と『性暴力』に耐えられなかった」と話していた。
 (抜粋)
 
 http://news.livedoor.com/article/detail/5207352/


http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1292310837/l50


3 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:15:07 ID:m+Y+qLH00 [1/2]
うそつけ
国籍がほしかっただけだろ


5 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:15:12 ID:/JO9P9HJ0
中国人夫の方が酷いと思うんだけど


8 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:15:35 ID:8p+Om+C00
慰謝料オイシイですっ

おまえらさー、中国人のがめつさ理解しろよ?


16 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:16:31 ID:+FOSHLn60
どの国も女は同じってことじゃないか
旦那に寄生して贅沢三昧させてもらえるのが当然って思ってる


20 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:17:01 ID:kKhseKFj0
日本人も避けるような漁村農村の長男独身で40歳以上の男と結婚して
幸せになれる訳が無いw

でも中国の田舎の電器も通ってないような極貧農村部よりはそれでも
マシな生活だと思うけどね

57 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:20:13 ID:XyE7z9hA0
文化暴力ってなんぞw

二月じゃなく一月一日にお正月とかか?


70 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:21:26 ID:evvLf1R/0
元々偽装結婚が多いからなぁ・・・


72 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:21:33 ID:k/zFJY2/0
全部が全部とは言わないけど、国籍というか永住権目当ての結婚が多いんだろうな
夫のDVが原因といえば上手くすれば慰謝料取れるわけだし

90 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:23:46 ID:W5h6Pc7Y0
逃げ出すときまで夜の相手を我慢することが「性暴力」なんだろうな
中国人の理屈なんてそんなモン。

101 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:25:33 ID:2HOvBSG90
っていうか日本の風俗産業で働く手段として結婚してる
中国人女性の現状が気に入らないからって日本のせいにするなよ。
韓国人かお前らは。


104 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:25:47 ID:XFnorCRV0
離婚率45%

これは異常 裏があるな

173 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:32:06 ID:NCXS/dgl0
>>104
離婚が成立するのが45%って事だよね。
離婚届けすら出さず、行方をくらますのは含まれてないんだろうなー。


187 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:33:29 ID:9Gw8ginP0
>>104
日本の永住権をゲットしたら、即離婚だろw
むしろ、残りの 55% が気になるよw

114 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:26:09 ID:oJz+QoepO
離婚後は本国へ強制送還するようにすれば結婚そのものが1/10くらいになりそうだな

つか離婚したら国籍剥奪しろよ
寄生虫だらけじゃねーか


(衝撃事実)

135 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:28:27 ID:BANHNGx30
在留資格が「日本人の配偶者等」だと、在留期間は1年か3年。

でも、3年以上日本で婚姻生活をするなどの要件を満たすと、
「永住者」という在留資格になり、離婚しても日本に住み続けることができる。
もちろん、国籍は出身国のままでいられる。

163 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:31:01 ID:BANHNGx30
>>135
>3年以上日本で婚姻生活をするなどの要件を満たすと、「永住者」という在留資格になり、

語弊があった。
「永住者」の在留資格をゲットするには申請が必要。
でも、とれちゃえば万々歳。


164 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:31:03 ID:3sdPxugBP
>>135
え、マジ?
そんなヤツがいたら在日増やしてるのと同義じゃん


204 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:34:42 ID:NCXS/dgl0
>>135
結婚には離婚がつき物なんだから、
「永住権目当ての結婚→離婚」ができないよう、
離婚したら(or別居したら)永住権を一定期間後に取り消しでいいと思う。

もちろん生活力が無ければ帰国。
本来は、生活保護って国民しかもらえないんだよね。
地方自治体が勝手に判断して支給しちゃってるけど…


214 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:36:12 ID:ReO2mhA20
田舎だとちょっと出かけてる間に近所の人が勝手に上がって
冷蔵庫開けて飲み物飲んでたり、電話に出てたりするのなんて当たり前だし
中国人の嫁が来た、なんて言ったら上野動物園にパンダが来た、みたいなノリで
近所の人が連れ合って見物に来るのも当たり前だから
そういう環境で言葉による意思表示が出来ないってのは結構ストレスなんだろうなとは思う。


220 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:36:32 ID:TeEwPSCp0
お姫さんになりたくて日本に来たのかなw
シンデレラ願望だね
国際結婚は高離婚率
どちらもバカ

文化暴力と性暴力??


228 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:37:20 ID:e9PqrX4V0
俺の友人の知人が、中国女と結婚した。まあ、普通に結婚生活してたらしいが、
その知人が病気になって入院した。最初の一週間ほどはかいがいしく
見舞いにも来てたが、パタリとこなくなった。電話しても通じない。
まもなく退院して家に戻ったら1500万ほどあった預金通帳と、印鑑が消えてた。
彼らは、普通に「いい人」でも、目の前の大金を目にすると簡単に手にするし、
簡単に人でも殺す。日本人と同じ人類と見ない方がいい。日本人も世界的にみると
特殊だが、中国人は逆の方向に特殊だから。


239 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:38:37 ID:XXQBNk0HP
俺の知ってる中での若中国妻、おっさん日本人夫5組のうち嫁逃亡率4人
その中で財産持ち逃げ3人(知らぬ間に送金含む)、さらにその中で子供連れ去り2人
残りの一人は結婚後1年以内におっさん死亡(不審死ではない)

もてないおっさん達、急に若い中国人にもてたからって調子に乗るのはやめておけ。
独身の方が幸せってこともあるぞ。


246 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:40:22 ID:BANHNGx30
そのうち、狂信的フェミニストおばちゃんたちが「婚姻目的強制連行」とか銘打って、
「アジアの女性たちに謝罪と賠償を!」ってやりはじめそうだ。


281 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:44:41 ID:K2TDjcmL0
日本女と中韓男の離婚率の方が高いだろ
より高い離婚率の組み合わせがあんのに
低い方をニュースにしてる意味がわかりません

あと農村よりも都会の方が多いし中国嫁


324 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 16:51:36 ID:C1QnvKP30
日本国籍はそう簡単にはもらえないよ

永住権がゲットできるだけ

中国では貧乏人相手の斡旋業者がやまほどあるが、どこも
偽装結婚仲介とは言わず、結婚相手紹介と言ってるだけ


329 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:52:07 ID:QSvPoCdt0
どちらが悪いとかそういう問題じゃないだろ?
先ず冷静に見てこの国の惨状を憂う状況だろ。

農家の生活が全て悲惨だってのは問題を履き違えてる。
農家の生活を悲惨にしてしまったのがこの国の無能政治家だろ?

無い物を他の国から頼って安定を計るんじゃなくて、
有る物だけで工夫してこの国の基礎と安定を計ってから、
無い物を他国から買い物する感覚にならなければダメだ。
日本の農業を見直す時期にあるだろ。


366 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 16:57:44 ID:ia2rN7+J0
離婚率が高いのは、
日本人男性が中国人女性を嫌いになるからじゃ?

あと一部の日本人が、
たくさんの中国人と結婚/離婚を繰り返してる(国籍取得の為)ってのも
離婚率が高い原因だろうね

普通の日本人なら、中国人女性なんか絶対に選ばないはずだし。


385 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 17:02:10 ID:K2TDjcmL0
2chてより酷い方を無視して日本や日本人男性叩く記事ばかり立ててるけど
どっかから金貰ってんの?

夫:中国、妻:日本  離婚率60%

平成19年 1016
平成20年 1005
平成21年 986

夫:日本、妻:中国  離婚率45%

平成19年 11926
平成20年 12218
平成21年 12733

481 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 17:18:58 ID:wZnRaQLV0
中国人の女性と結婚した男性が結婚後段々弱ってきて
入院してたけど一時退院した時に亡くなった。
葬式済んで挨拶に来たときは「中国へ帰る」って言ってたけど
風の便りによると、大阪で暮らしてるらしい。
なんかゾッとした。


482 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 17:19:02 ID:M0Vo6vwk0
国籍目当て、もっとはっきり言えばより豊かな生活を手に入れるために
国際結婚と言う形で移住する女性は多い。愛も何も無い。
最後の仕上げは、相手が悪い、私は被害者という形で別れる事。
これで晴れて独り立ちした日本人になれる。
ころんだら坂のせいにしろ、坂がなかったら石のせいに、石もなかったら
靴のせいにしろと言うお国柄だから、被害者になる芝居をするなんて簡単。


505 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 17:24:22 ID:iMd1336cO
勝手に水商売のバイトはじめたり
中国から隠し子を呼び寄せるのが
夫の暴力か?

マジで狂ってるわな


506 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 17:24:25 ID:PjL51fbS0
夫妻の国籍別にみた婚姻件数の年次推移
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii06/marr2.html
夫妻の国籍別にみた離婚件数の年次推移
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii06/divo2.html


日本人男性と日本人女性の離婚率 35.02%

日本人男性と外国人女性の離婚率 38.09%
日本人女性と外国人男性の離婚率 38.91%

日本人男性と韓国・朝鮮人女性の離婚率 44.99%
日本人女性と韓国・朝鮮人男性の離婚率 39.70%

日本人男性と中国人(台湾含む?)女性の離婚率 38.97%
日本人女性と中国人(台湾含む?)男性の離婚率 46.03%

日本人男性とフィリピン人女性の離婚率 33.45%
日本人男性とタイ人女性の離婚率 51.73%
日本人女性とアメリカ人男性の離婚率 26.66%


530 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 17:30:05 ID:hJZ2qMWe0
離婚した奴はまだいいほうかな
「行方不明」とか「自殺」した夫よりは


546 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 17:35:05 ID:IMvFO3jZ0
途上国の連中との結婚で問題になること。
・文化の違いというか、教育レベルの違い。
 論理が通じません。感情で動きます。
 日本人男性が日本で培ってきた数十年の常識も通じません。
 結婚には相当の覚悟、柔軟性が必要です。
 「家族のため」という大義でかなり非常識なことをします。
 
・歳の差
 歳の差なんてといいますが、十分関係あります。
 歳の差は収入によってフォローされた事だと認識すべき必要があります。


556 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/12/14(火) 17:37:39 ID:RlJd079v0
前にテレビで見た一度もやらせてもらえないうちに金を毟られ
音信不通になって離婚できないと嘆いてた人はどうなったんだろ


587 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 17:44:13 ID:Z28sIblRP
これ「相談所」が悪いだけじゃ?


706 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 18:27:30 ID:6pik0NkSP
中国人は、満州事変で満州の女の子とつきあっていた大日本帝国軍人が、
その女の兄を政治犯で射殺するようなプロパガンダ連続反日ドラマを普通に見ている。

ソースは、俺。チベット近くの中国人しか泊まれない宿舎で
中国人旅行者と一緒にそのドラマを見ていた。

これ、豆知識な。
 



  拍手はせず、拍手一覧を見る



コメント


01. 2011年7月14日 09:05:07: 9tRdiVk12E
 酷い!中国人犯罪者の実態
中国人犯罪者は、最後まで嘘をつく
http://www.youtube.com/watch?v=5IyEcEGftaY&feature=fvwrel
画面中央クリックしてください。


02. 2011年7月16日 17:37:53: hKxZcLb6xc

「中国人は、道教の僧(道士どうし)は、好きだが、
仏教の坊主は、嫌いだ。
この道理がわかれば、中国人というものがわかるであろう。」
    近代中国の文豪 魯迅の言葉


03. 2011年7月17日 10:32:17: 5FLv2V00K2
中国人は、徹底した現実主義のリアリスト。
現世至上主義者である。
道教は、いかに本性のままに長生きして現世を楽しむかということを説く。

これに反して仏教は、現世の禁欲が来世の幸福につながることを説く。
だから仏教は、中国人に好かれないのである。

つまり、現世否定の上に立つ仏教だから、
現世利益追求型の中国人の好みに合わないわけである。


04. 2011年7月17日 15:48:37: CRer5rROIE

ま、日本政府は、この実態を広く国民に知らせて、
出来れば中国人女性との結婚を避けるように日本の独身男性に忠告することだな。

05. 2011年7月24日 09:00:59: PUEWzEu4eU
中国人と日本人とは、中身は、ずいぶん違うのです。
中国人は、自己主張が強いということ。
自分が、不利益をこうむっているとなると 猛然とくってかかり、
まくしたてたりします。
江青女史を見ればわかります。
並大抵の迫力では、ありませんね。


06. 2011年7月25日 10:17:34: euLe30HOjE
中国人は、水面下での足の引っ張り合いが激しい。
また、中国人は、権謀術数にたけた人が多い。


07. 2011年7月26日 09:57:40: FZgGiDbYMh
広大な大地に
長い龍のような
万里の長城と
世界でも有名な

長江と黄河の二つの河

5千年もの歴史を持つ

私はこの地で生まれ育った

「はじめに」    

 9年間の中国での生活、突然日本への来日。新たな夢への出発・・・。
19年間、自分自身の二つの国で実体験を通し、私は今新たな成長の為に向かって、一歩踏み出そうとしている。今まで心の中でずっと考え続けてきたことを勇気を持って書いてみたい。
 ”何故今私は中国ではなく、日本で生きているのだろ?”と ふと思う時がある。祖母が日本人だからだろうか?
日本に来たこと、日本で生活していることを後悔しているわけではないが、
”私は日本に来たくて来たのではない” 
”自分の意志とは無関係に日本に連れて来られた”ということになるだろうか。
「何で日本に来たん?」
と私たち家族が日本にきた理由を聞かれたことがある。
実は自分でもよく分からなかった。でも、両親から日本に行くと聞いた時、
9歳の私はいやではなかった。日本への期待と好奇心が大きくあったからだ。
その時祖母が日本にいる理由やその背景となる歴史を理解していなかった

 日本にきて8年半、中国で生活してきた歳月に近づきつつある。
日本で生きてきた8年半は私の大きな自信となっている。
 母国である中国、育った日本。どちらも私にとって大切な国である。
だからこそ、今回私は調べて見たい。祖母が中国の満州へ渡ることになる、
やがて、自分が日本に来ることになるきっかけとなった満州事変、日中戦争のこと。
そして残留孤児とはいったいどのような背景で生まれざるえなかったのかを。
それはまさに自分と向き合うために・・・。

 もう一つ、二つの国の文化を背景に育った私だが、日本と中国の習慣や文化は長い歴史の中でたいへん変化してしまているが、漢字や箸を使うなど・・・よく似た所は今でもたくさんある。しかし、どういうわけか日本の「正月」だけは8年半たった今でも”何かが違う”という違和感を毎年感じている。と同時に、中国の「春節」がとても懐かしく思う。中国の春節は日本の正月にあたり、メインは晩からである。花火の光で包まれる中、提灯を持って友達の家を回ったりする。大人たちは料理作りに追われる。料理といえば、やはり「餃子」なしでは語れない。火薬を発見した中国は夜中の零時になると、外に出て、爆竹をならすのが春節の習慣になっている。そのあとに餃子を食べる。騒ぎながら、食べて、遊んで、寝るのは2時か3時くらいになる。そこで私は、自分の経験をもとに二つの文化の違いをいろいろ調べたが、一番みんなに伝えたいのはやっぱり「春節」だ。そういうわけで、中国の「春節」についても掘り下げていきたいと思っている。
 
「戦争」という悲しい歴史もあった過去をしっかり見つめつつ、
現在の日本と中国のつながりについて、
課題研究をきっかけに調べていきたいと心から思う。




08. 2011年7月27日 08:36:11: FZgGiDbYMh
地球の歴史上、単一民族国家は、ない。
すべて、混ぜ合わせの民族なのだ。

一方が多いか、少ないかだけ。

 そもそも、日本人自体が、雑種やないか。

これは、DNA系統の統計で出ている。

蒙古ハンを、あなた方も、赤ちゃんの時、あった。

アジア人の赤ちゃんには、必ずある。つまり、混ぜ合わせのDNAなのだ。



09. 2011年7月27日 10:25:11: xH0zpgPXUI

国際結婚の半数が
中国人と日本の中高年とのカネ目当て結婚【坂東忠信】
http://www.youtube.com/watch?v=0ZMN8y8NZm0


10. 2011年8月01日 11:45:16: dCDO4IT8wc

 日本vs支那
http://www.youtube.com/watch?v=-RXHbYkvkW0&feature=related




11. 2011年8月08日 09:16:51: jHEWKBk5jo

在日中国人を知ろう 芸能人似顔絵B
http://www.youtube.com/watch?v=kAl29V9fLIY&feature=related


12. 2015年12月01日 23:33:13 : FxUcssE0UQ : nX8oVt_tv8A
日本人の中学生を誘拐し数千万円を要求「警察に言えば孫は遺体で見つかることになる」 在日中国人の李容疑者ら2人を逮捕 …中学生の祖父は李容疑者の飲食店の客

【社会】誘拐準備容疑で再逮捕へ 中国籍の男2人 茨城県警

beチェック
1 :powder snow ★:2015/11/30(月) 14:40:32.89 ID:CAP_USER*.net

http://www.kahoku.co.jp/naigainews/201511/2015113001001389.html

子どもを誘拐し数千万円を要求しようとしていたとして、茨城県警は近く、身代金目的拐取予備の疑いで、中国籍の男2人
=別の逮捕監禁致傷容疑で逮捕=を再逮捕する方針を固めたことが30日、捜査関係者への取材で分かった。

 県警によると、2人はいずれも無職、水戸市の李強容疑者(25)と、同県鉾田市の王斌容疑者(24)。県警は、
計画が具体的で連れ去りに着手する可能性が高いと判断、身代金目的拐取予備容疑での逮捕は珍しいとしている。
 捜査関係者によると、狙われていた子どもは鉾田市内の農家男性の孫で、中学生ぐらい。


53:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 16:20:39.40 ID:EeucFfjp0.net
シナ人の犯罪がじわじわと増えてますな


73:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 18:13:31.26 ID:D5PSZjtr0.net
で、当然こいつら強制送還するんだろうな。
二度と日本の地を踏めないように、
再入国は禁止にしろよ。


74:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 18:38:56.37 ID:+KLJGtfY0.net
無職で資産のない外国人は追放しろよ


15 :名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 14:48:04.19 ID:6my8QzmAO.net[1/4]
>>1
詳細記事

中学生連れ去り身代金の計画か - NHK 首都圏 NEWS WEB
http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20151130/3893891.html
11月30日 12時09分
茨城県鉾田市で、別の監禁事件で逮捕された中国人の男2人が、中学生を連れ去って
数千万円の身代金を奪おうと計画していた疑いが強まったとして、警察は2人を
近く再逮捕する方針を固めました。
いずれも中国籍で鉾田市の王斌容疑者(24)と、水戸市の李強容疑者(25)は、
鉾田市に住む知人の中国人男性の手足を縛り、車に監禁しようとした際、けがを
させたとして、11月11日逮捕監禁傷害の疑いで逮捕されました。
警察が2人の自宅などを捜索したところ、王容疑者の自宅や李容疑者の車から、
鉾田市で農業を営む60代の男性の孫の男子中学生を連れ去って、数千万円の
身代金を要求する計画が書かれたメモなどが見つかったということです。
メモには「警察に言えば孫は遺体で見つかることになる」などと書かれていたほか、
2人の携帯電話から男性の自宅の写真も見つかったということです。
このため警察は、2人が男子中学生を連れ去って、身代金を奪おうと計画して
いた疑いが強まったとして、2人を近く再逮捕する方針を固めました。
中学生の祖父の男性は、李容疑者の飲食店の客だったということで、動機や
詳しいいきさつを調べています。

28:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 15:00:25.17 ID:kUDDlzdQ0.net
>>15
羽振りがよさそうな客の孫をねらったか
やっぱこういうのに身の回りの情報わたしたらだめだな


37:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 15:16:15.20 ID:c+Of5ZVe0.net
>>15
中国人のやってる中華料理屋は味が良い店が多いから好んで言ってたけど、もうやめよう。


44:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 15:24:44.78 ID:k+toDzhJ0.net
>>37
最近ぽこぽこ立ってる店は、就労ビザ取る目的で、大陸の人材ブローカーが
中国人を送り込む橋頭堡になってるって聞いた
もちろん真面目な美味しい店もあるけど、居抜きで最近出来た店はちょっと注意かも


19:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 14:49:56.58 ID:Q1GG9sgZ0.net
不良外国人は殺処分でいいよ
いいかげん中国人朝鮮人ベトナム人の犯罪率が高い外国人の入国規制しろよ
やりたい放題やられてほんっと日本政府は無能だな


55:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 16:51:09.44 ID:kX5gz2hj0.net
関東圏だけならまだしもド田舎のスーパーですら中国語が飛び交いすぎてなぁ
治安悪化が不安だわ


56:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 16:56:26.92 ID:WVhYQ20v0.net
祖国でやれば死刑事案なのにな


59:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 17:05:48.45 ID:PO4pKYLu0.net
シナチョンも悪い奴ばかりじゃない、と嘯くのいるけど
多分それはファンタジー


22:名無しさん@1周年:2015/11/30(月) 14:53:26.77 ID:TokxacOb0.net
自分の店に客として来ていた爺の孫を誘拐しようとしてたんだから,
中国人の店ってだけで警戒しないといけないな


http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1448862032/



13. 2018年8月02日 02:02:06 : 1Ut0BAvAIA : 45wRCXOFwOg[9]

▲△▽▼

ライブドアニュース
文化の差大きい…中国人女性と結婚した外国人男性による涙の訴え

2015年8月27日 13時2分
http://news.livedoor.com/article/detail/10518009/


ざっくり言うと

✔中国人女性との結婚を選んだ外国人男性が文化の差は大きいと涙の訴えをした

✔中国人妻の家族に家を乗っ取られ、プライベートを完全に失う

✔夫婦ゲンカは恐怖の時間で、妻はすべてを支配下に置こうとするとのこと


(略)


\\\\\\\\\\\\\\\


ひっきー政治

政治関連の意見や批評


2018-04-17

中国 国防動員法の正体-有事の際に日本が占領される
http://hikkikki.hatenablog.com/entry/2018/04/17/211357

(略)


 そもそも国防動員法とは?


国防動員法

1.中国国内で有事が発生した時に動員令が発表される

1.対象者は18歳〜60歳の男性、18歳〜55歳の女性

1.個人や企業が所有する物資と生産設備を徴用する

1.交通・金融・報道機関・医療機関は国が管理

1.義務を果たさない人は罰金or刑罰

ソース:国防動員法 - Wikipedia


 一方的に徴用される

●中国政府が有事と認めた時、一方的に国内と人民の所有する物を徴用することが合法になります

●つまりこの法律が適用されれば中国に存在する海外企業ですら財産を徴用されるでしょう


●ここで最近報道されていた『中国人による土地の買収』を思い出してください


(中国人に買収された北海道の土地分布図)


●勿論この土地を所有しているのは中国人だから、もし国防動員法が発令されたら日本固有の土地が侵されてしまう

 適用される可能性

f:id:megmin_com:20180417204041j:plain

●ちなみに有事というのは『国にとって非常事態である事』で、主に武力衝突や食料不足の時を表します

●そうすると、偶発的な武力衝突が起こると予想されるのはやはりシナ海辺りですね


●日本にとって1番身近なのは尖閣諸島と領海侵犯です
その程度で適用はされる確率は低いと思いますが、戦争を意識している事はハッキリと伝わってきます

 海外にいる中国人にも適用される

●日本に住んでいる中国人が何人いるか知っていますか?


●答えは65万6403人


●全員が法に煽動されるかどうかは分かりませんが、中国国籍を所持していたり、中国に家族を抱えている人は法に従うと思います

 中国人がスパイ活動と破壊活動をする


 スパイ活動

●日本の重用な職に就いている人が情報を流出させたり、技術を盗んだりするでしょう

●特に、日本の国会議員には蓮舫を筆頭とする怪しい帰化人がいるので注意が必要です


●外国人を重用なポストへ就かせないようにしていくことが大事です


 破壊活動

日本人で拉致される被害者の発生や近隣の警察署が被害を被る可能性があります

日本の体制は切り崩されているので、銃器などの武器が裏で出回っていることも十分あり得るでしょう


http://hikkikki.hatenablog.com/entry/2018/04/01/192839


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/675.html

[リバイバル3] 音がわからないアホ・オーディオマニアが良く引用する「オーディオの科学」の何処がおかしいか 中川隆
40. 中川隆[-10738] koaQ7Jey 2019年10月18日 08:54:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2111]

「音質」は・・・ - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年10月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7853140d2ed0e32cc5a2352430a9b697


オーディオマニアなら機器のグレードアップやケーブル類のフレードアップを体験しているはずだ。目指すのは「音質アップ」。


「音質」を突き付めて行くと「音数の多さ」と「質感」、「周波数の再現帯域」・「エネルギー感」・「音場再現」に絞られてくる。


これらの特性を満たす為に「機器のグレードアップ」をなされて来たと思う。それは間違いではないが、もっと大きく寄与するアイテムが有る。それは「ケーブル」(配線)である。機器のグレードアップは「微妙」の域を出ない。ケーブル類のグレードアップは「激変」をもたらす。コンデンサーの交換など「重箱の隅をつつく」ぐらいにしか感じない。


問題は「激変」させるケーブルがどんなものか?を知る事である。個人的に8NやOFC等の国産のケーブルは「ドングルの背比べ」と喝破している。ここはやはり「MILスペック」のケーブルになるだろう。


そう云う意味にで自分は「ヒューベルスーナー社」のケーブルに拘っている。「質感」がまるで違うのだ。音の鮮度やエネルギー感もケーブル材で決まってくる。昔、カラヤンの演奏では高域がうまく再生できず、悪評が立っていた事が有る。(一部ミキシングで音つくりしすぎている部分もあった) 高域が伸びているのにその高域を再生できないのが「銅線」である。一般の銅線では20000Hz再生は難しいと判断している。


ケーブルに必要なのは「CD」に入っている情報を全て「伝送」する事である。その為には今までこれで良いとされていたケーブルの「断面積」の常識を変える必要がある。銅線ならば「直径2cm」ぐらいの断面積がないと「音数」や「エネルギー感」の面でCDからすべて情報を引き出せる状況にはない。それ以下で使っているなら試して見るが良い。ここで言って居る事の真実が聴こえるはずだ。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7853140d2ed0e32cc5a2352430a9b697



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/881.html#c40

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
105. 中川隆[-10737] koaQ7Jey 2019年10月18日 08:54:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2112]

「音質」は・・・ - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年10月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7853140d2ed0e32cc5a2352430a9b697


オーディオマニアなら機器のグレードアップやケーブル類のフレードアップを体験しているはずだ。目指すのは「音質アップ」。


「音質」を突き付めて行くと「音数の多さ」と「質感」、「周波数の再現帯域」・「エネルギー感」・「音場再現」に絞られてくる。


これらの特性を満たす為に「機器のグレードアップ」をなされて来たと思う。それは間違いではないが、もっと大きく寄与するアイテムが有る。それは「ケーブル」(配線)である。機器のグレードアップは「微妙」の域を出ない。ケーブル類のグレードアップは「激変」をもたらす。コンデンサーの交換など「重箱の隅をつつく」ぐらいにしか感じない。


問題は「激変」させるケーブルがどんなものか?を知る事である。個人的に8NやOFC等の国産のケーブルは「ドングルの背比べ」と喝破している。ここはやはり「MILスペック」のケーブルになるだろう。


そう云う意味にで自分は「ヒューベルスーナー社」のケーブルに拘っている。「質感」がまるで違うのだ。音の鮮度やエネルギー感もケーブル材で決まってくる。昔、カラヤンの演奏では高域がうまく再生できず、悪評が立っていた事が有る。(一部ミキシングで音つくりしすぎている部分もあった) 高域が伸びているのにその高域を再生できないのが「銅線」である。一般の銅線では20000Hz再生は難しいと判断している。


ケーブルに必要なのは「CD」に入っている情報を全て「伝送」する事である。その為には今までこれで良いとされていたケーブルの「断面積」の常識を変える必要がある。銅線ならば「直径2cm」ぐらいの断面積がないと「音数」や「エネルギー感」の面でCDからすべて情報を引き出せる状況にはない。それ以下で使っているなら試して見るが良い。ここで言って居る事の真実が聴こえるはずだ。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7853140d2ed0e32cc5a2352430a9b697



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c105

[近代史3] 香港で15歳少女が全裸の水死体で発見される デモ開始から不審死が増加

香港で15歳少女が全裸の水死体で発見される デモ開始から不審死が増加 2019年10月12日
https://news.livedoor.com/article/detail/17222615/

ざっくり言うと

「逃亡犯条例」改正を巡るデモが始まってから香港では不審死が増加している
9月に発見された全裸の水死体は15歳の女子学生だったと、11日の報道で判明
警察は自殺と断定しているが、抗議者の間では抗議活動で殺されたとの疑念も


15歳少女が全裸の水死体で発見 香港でデモ開始後不審死相次ぐ


2019年10月12日 14時0分
大紀元

9月29日、抗議者と対峙した香港治安部隊の警官ら(余鋼/大紀元)


香港メディアは11日、先月、発見された全裸の女性の水死体が15歳の女子学生だと報じ、波紋を広げている。6月「逃亡犯条例」改正案反対デモが始まって以来、香港で不審死の件数が急増している。警察はいずれも自殺と断定、事件化していないが、抗議者の間では「抗議活動で殺された」との疑念が強まっている。

女子学生は飛び込みの選手で、地区大会の自由形リレーで優勝したこともある。香港における政府抗議活動には複数回にわたり参加していた。警察は死因を調査中としている。

相次ぐ不審死

香港紙・蘋果日報10月11日の独占報道によると、9月19日に専門学校生の陳彦霖さんが失踪した。同日午後2時15分、友人と地下鉄駅で別れて10分後、「帰宅途中」と友人にメッセージを送った後、行方が分からなくなった。警察は22日、南部の油塘デビルズピークの沿岸で、女性の遺体を発見したと報じた。

10月9日、蘋果日報の問い合わせに、警察は「身長や髪の毛の色などの身体特徴から、遺体は陳さんである可能性が高い」とコメントしたが、陳さんを拘束したかどうかについては、回答していない。

同紙の報道によると、陳さんは飛び込みの選手で、地区大会の自由形リレーでチーム優勝した経験を持つ。「全裸」「水泳選手」などの点から自殺の可能性は低いという。

陳さんは生前、複数回にわたり「逃亡犯条例」改正案反対デモに参加していた。

8日にも住宅街「海怡半島」付近の海岸で、黒いTシャツを着用した30歳前後の女性の遺体が発見された。黒い衣装は抗議者を示す「ユニフォーム」。警察は現場周辺の監視カメラを検証した結果、女性は入水自殺を図ったと発表した。

また9月24日、住宅団地の「海濱花園」近くの海で全身黒い服を着用した男性の遺体が発見された。水死により引き起こる身体の膨張はなく、口と鼻から血を流していたという。警察は男性が遺書を残しているとして、事件性は低いとした。

男性の水死体の発見前、警察官が度々、現場に姿を見せていたことが目撃されており、ネット上では不自然と指摘する声が上がった。

香港メディアは6月、市民が抗議活動を開始以降、不可解な「自殺」事件が増えている。とくに8月31日、地下鉄「太子駅」で警官隊が市民を無差別に襲撃する事件が起きてから、水死や飛び降り自殺の件数が急増している。

立法会(議会)の毛孟静議員は襲撃で少なくとも重傷と発表された3人の行方が分からなくなっていると主張。当局は当時の監視カメラの映像公開を拒否している。

香港メディアによると、200万人デモが行われた6月12日以後の10日間で、自殺者は平均10人前後で推移していたが、9月1日からの十数日間に、自殺者は49人まで急増、「831襲撃事件」と関係しているとの見方が根強く存在する。

また、中国本土との境界線に近い新屋嶺拘留センターに送られた抗議者が行方不明となったと伝えられた。9月27日の集会で、同拘留センターの警官から暴行、拷問などを受けたという証言が多数、寄せられた。ある代読された証言の文章は「目隠しされ、そして裸にされたうえ、手足をテーブルに固定されて、非人道的な待遇を受けた」と訴えた。

香港のキャリー・ラム長官は前日、同センターの使用中止を発表した。

拘束中に性被害の証言も

10月10日、香港中文大学で学長と在校生による対話集会が開かれた。参加者の女子大学生はマスクを外し、身元を明かした上、警官から性的暴行を受けたと訴えた。同学生は、8月31日、太子駅で警察に拘束された後、新屋嶺拘留センターに連行された。拘置所で、学生は他の拘束者も警官から性的虐待を受けたと話した。

この女子学生の訴えを受け、同日、九龍区の高校に通っている2年生の男子生徒は同拘留センターで「レイプと集団レイプ」されたと声明を発表した。9月27日の集会で代読された証言は「自身が書いたもの」とも明かした。生徒は近く記者会見を開く意向を示した。

(翻訳編集・張哲)
https://news.livedoor.com/article/detail/17222615/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/676.html

[リバイバル3] 上田諒太郎のコブレッスン

上田諒太郎のコブレッスン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E8%AB%92%E5%A4%AA%E9%83%8E++%E3%82%B3%E3%83%96


上田諒太郎のコブレッスン〜コブの極意〜
http://kobulesson.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1010.html

[近代史3] 日本の食料自給率は本当に世界最低なのか

日本の食料自給率は本当に世界最低なのか?


2019年10月18日
食料自給率の嘘 国産和牛は自給率ゼロ?


農水省が示す典型的なグラフ、自給率世界最低と煽っている。
引用:http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/img/hikaku.jpg


農水省は以前50%としていた食料自給率の目標を「実現困難」として現在45%に引き下げています。

農水省の示す食料自給率は37%ですが、これは現実の数字ではなく、意図的に低く見せかけていると以前から指摘されている。

典型的な例が牛肉で、エサがアメリカ産なら100%アメリカ産牛肉と計算していて、農家の労働力や日本で育てた価値が計算されていません。


これらの「労働力」やコストを計算すると、本当の自給率は欧州の多くの国よりも高いのです。



「国産和牛はアメリカ産」と言い張る役人

農水省は家畜のエサの原産地で生産国を決めていて、牛の主な飼料は米国産トウモロコシなどだから、和牛は米国産だとしている。

同様の理屈で牛乳も輸入だし、100%国産のチーズやバターも輸入品と計算しています。

豚肉も鶏肉も卵も全て、国産であっても飼料が輸入だから90%輸入になっています。


この不自然さを是正するべきだとずっと以前から有識者が指摘しているが、農水省は直そうとしない。

食料自給率をカロリーベースから金額ベースに変えるべきだという意見があり、もっともなのだが、どちらにしても日本生まれの牛が「輸入」だとしているのは嘘なのです。

牛が食べているエサがアメリカ産だったとしても、エサの値段と牛肉の値段は何十倍も違う。


例えばトウモロコシ10万円分を牛に食べさせて、牛は200万円で売れたとしましょう。

農水省の理屈ではこの牛はカロリーベースで『100%米国産牛肉』になります。

飼料が米国産であっても輸入して輸送する手間や、農家の世話が牛になるのだという事実は否定している。


金額ベースだと自給率70%に変わり、農水省による産地擬装を是正するともう5%は増える。
20140613170853394
引用:http://blog-imgs-67-origin.fc2.com/i/c/c/icchou20/20140613170853394.png

危機を煽ると予算が増える仕組み

農水省発表の平成30年度の数字ではカロリーベースで37%、金額で66%の自給率になっています。

この大きな落差は国産で賄っている野菜などが低カロリーなのに対し、チーズなどの輸入品は高カロリーなためです。


野菜類は値段が高く保存が利かないため国産が好まれるが、チーズなど保存が効く加工食品は輸入が多い。


農水省の出す数字では世界各国は、全て日本より高い自給率を持っており日本が世界最低になっています。

しかしこの見慣れたグラフも詳細に検証すると、数字を操作して低く見せかけています。


まずカロリーベースにしている上、例の国産和牛を輸入にする手口で日本の自給率を大きく下げている。


その上で日本より数字が高くなった国だけを並べて、「日本は世界最低でした」とやっている。

これには農水省の目的があり危機を訴えれば予算が増え、予算が増えれば役人が出世し天下りし易いのです。


日本の食料自給率は金額ベースでは70%なのだが、意図的に低く見せかける手口を訂正すれば75%以上が現実の日本の本当の姿です。

さらに日本の農家が得意とする野菜などは、産地によって特別な価値が上乗せされる場合が多く、「生産者価格」より「消費者価格」がかなり高くなる傾向がある。

すると消費者価格ベースではさらに自給率が上がります。

要は食料自給率は、39%から80%まで、役人の都合によってどうにでも言い換えられる数字なのです。
http://www.thutmosev.com/archives/24521039.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/677.html

[近代史3] ファーストリテイリング会長の柳井正は完全なアホだった 中川隆
1. 中川隆[-10736] koaQ7Jey 2019年10月18日 17:52:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2116]

2019年10月18日
ユニクロ柳井正の日本人への憎悪はどこから来るのか?


「日本は最悪」「韓国人が反日なのは分かる」と日本人への憎悪を語る柳井正

画像引用:ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か? – アゴラhttp://agora-web.jp/archives/2042055.html

柳井正の日本人への憎悪

ユニクロの柳井正はまた日本人を侮蔑する発言をして話題になっています。

今回は日経ビジネスのインタビューで「日本人は異常で全部ヒステリー」などとこき下ろした。

さらに「ああいう国民性だから、韓国の人が反日なのは分かる」「日本人が劣化した証拠」「日本は最悪」と畳みかけた。



日本全否定とも言える内容で、柳井正は今までも日本侮蔑を繰り返してきたが、さらに過激になっている。

「泳げない人間は沈める」「年収100万円以下が当然」など数々の名言を残してきた。

柳井正の言葉の端々から感じられるのは日本への強い憎悪だが、その理由は柳井一族の出自にあった。

(『ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動』http://www.thutmosev.com/archives/48935161.html


ユニクロの起源は柳井正の叔父である柳井政雄の「小郡商事」が始まりで、政雄は要するにやくざでした。

柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は、部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。

なぜ柳井傳一が最初期の解放運動メンバーだったかは、柳井一族が住んでいた山口県の村と関係がある。


「部落」というものを東日本の日本人はほとんど知らない筈で、首都圏周辺に少しある他は東日本にはあまりない。

ない理由は「渡来人」が西から上陸したからで、当時日本の中心だった九州から奈良周辺に多く居住した。

部落の起源は渡来人集落とされていて、新たな渡来者が来るたびに部落に加わり、今も大阪などでは拡大が続いている。

渡来人と部落民の関係

柳井傳一の出身地は山口県陶(すえ)で柳井政雄の出身地は同県小郡町、現在はどちらも山口市小郡郵便局の管区内にある。

全國部落調査(1935年)によると山口県陶には200戸、1000人以上の部落民が確認されていた。

また調査時に山口県には「柳井」という地名の部落が多数確認されていました。(山口県 - 同和地区Wiki)


部落は江戸時代に身分制度の底辺とされ、出身地で身分が固定されていて暮らしは過酷だったと思われる。

明治、大正、昭和期になっても格差は存在し、部落出身者とは結婚させなかったり就職できないなどの問題があった。

これには実際に部落出身者は低学歴で低収入だったり、部落出身者の犯罪率が他の10倍以上高いなどの事実もあった。


このように他の地域と隔離された理由は、渡来人と他の日本人の間に対立があったため、渡来人は渡来人だけの集落を作らせたと想像できる。

渡来集落は弥生時代から始まったが、江戸時代になっても新たな渡来が続き、現在でも大阪の鶴橋などは流入が続いている。

ヤマト王権や徳川幕府や明治政府は、新たな渡来人を渡来人集落に居住させて他と区別した。

上は弥生時代の渡来人集落、下は部落所在地で完全に一致する。

部落とは渡来人集落が元になっていると推測できる


画像
https://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/c/cc729254.jpg

柳井一族の日本人への怨念

渡来人集落が存在する場所と部落が存在した地域は完全一致していて、2つは事実上同じであるのが分かる。

さて江戸時代まで部落で産まれた者は永遠に部落民だったのが、明治維新によってどこにでも自由に引っ越したり起業できるようになった。

柳井傳一がいち早く解放運動に参加した理由はここにあり、彼は水平社の初期メンバーとして一目置かれる存在になった。


柳井傳一の甥の柳井政雄は職を転々とした後やくざになり、足を洗って傳一から資金を出してもらい簡易宿舎を始めた。

これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)で始めた事業は木賃宿、材木商、運送業と拡大した。

柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選し、佐藤栄作から請われて自民党に活動を移した。


柳井政雄の弟が柳井正の父、柳井等(ひとし)で最初兄の会社の呉服部門だったのを1949年に独立して「メンズショップ小郡商事」を開業した。

柳井等も兄と同じでやくざ関係の交友が多く、小郡商事もその手の会社として始まりました。

柳井正は早稲田を卒業したが就職に失敗しぶらぶらしているのを見かねて、父が小郡商事に入社させた。


柳井正は「努力しろ」「苦労しろ」が口癖なのだが、学生時代はパチンコとマージャンにハマり、就職に失敗し親の会社にコネ入社して社長になった。


親から受け継いだのは会社だけではなく、日本人への憎悪と復讐心でもあるようです。


(この記事は公表されている客観的事実のみによって構成されており、個人を中傷するものではない)
http://www.thutmosev.com/archives/81267487.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/673.html#c1

[] 在日朝鮮人タレント
102. 中川隆[-10735] koaQ7Jey 2019年10月18日 17:58:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2117]
2019年10月18日
ユニクロ柳井正の日本人への憎悪はどこから来るのか?

「日本は最悪」「韓国人が反日なのは分かる」と日本人への憎悪を語る柳井正


画像引用:ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か? – アゴラhttp://agora-web.jp/archives/2042055.html

柳井正の日本人への憎悪

ユニクロの柳井正はまた日本人を侮蔑する発言をして話題になっています。

今回は日経ビジネスのインタビューで「日本人は異常で全部ヒステリー」などとこき下ろした。

さらに「ああいう国民性だから、韓国の人が反日なのは分かる」「日本人が劣化した証拠」「日本は最悪」と畳みかけた。


日本全否定とも言える内容で、柳井正は今までも日本侮蔑を繰り返してきたが、さらに過激になっている。

「泳げない人間は沈める」「年収100万円以下が当然」など数々の名言を残してきた。

柳井正の言葉の端々から感じられるのは日本への強い憎悪だが、その理由は柳井一族の出自にあった。

(『ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動』http://www.thutmosev.com/archives/48935161.html


ユニクロの起源は柳井正の叔父である柳井政雄の「小郡商事」が始まりで、政雄は要するにやくざでした。

柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は、部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。

なぜ柳井傳一が最初期の解放運動メンバーだったかは、柳井一族が住んでいた山口県の村と関係がある。


「部落」というものを東日本の日本人はほとんど知らない筈で、首都圏周辺に少しある他は東日本にはあまりない。

ない理由は「渡来人」が西から上陸したからで、当時日本の中心だった九州から奈良周辺に多く居住した。

部落の起源は渡来人集落とされていて、新たな渡来者が来るたびに部落に加わり、今も大阪などでは拡大が続いている。


渡来人と部落民の関係

柳井傳一の出身地は山口県陶(すえ)で柳井政雄の出身地は同県小郡町、現在はどちらも山口市小郡郵便局の管区内にある。

全國部落調査(1935年)によると山口県陶には200戸、1000人以上の部落民が確認されていた。

また調査時に山口県には「柳井」という地名の部落が多数確認されていました。(山口県 - 同和地区Wiki)


部落は江戸時代に身分制度の底辺とされ、出身地で身分が固定されていて暮らしは過酷だったと思われる。

明治、大正、昭和期になっても格差は存在し、部落出身者とは結婚させなかったり就職できないなどの問題があった。

これには実際に部落出身者は低学歴で低収入だったり、部落出身者の犯罪率が他の10倍以上高いなどの事実もあった。


このように他の地域と隔離された理由は、渡来人と他の日本人の間に対立があったため、渡来人は渡来人だけの集落を作らせたと想像できる。

渡来集落は弥生時代から始まったが、江戸時代になっても新たな渡来が続き、現在でも大阪の鶴橋などは流入が続いている。

ヤマト王権や徳川幕府や明治政府は、新たな渡来人を渡来人集落に居住させて他と区別した。


上は弥生時代の渡来人集落、下は部落所在地で完全に一致する。

部落とは渡来人集落が元になっていると推測できる


画像
https://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/c/cc729254.jpg


柳井一族の日本人への怨念

渡来人集落が存在する場所と部落が存在した地域は完全一致していて、2つは事実上同じであるのが分かる。

さて江戸時代まで部落で産まれた者は永遠に部落民だったのが、明治維新によってどこにでも自由に引っ越したり起業できるようになった。

柳井傳一がいち早く解放運動に参加した理由はここにあり、彼は水平社の初期メンバーとして一目置かれる存在になった。


柳井傳一の甥の柳井政雄は職を転々とした後やくざになり、足を洗って傳一から資金を出してもらい簡易宿舎を始めた。

これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)で始めた事業は木賃宿、材木商、運送業と拡大した。

柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選し、佐藤栄作から請われて自民党に活動を移した。


柳井政雄の弟が柳井正の父、柳井等(ひとし)で最初兄の会社の呉服部門だったのを1949年に独立して「メンズショップ小郡商事」を開業した。

柳井等も兄と同じでやくざ関係の交友が多く、小郡商事もその手の会社として始まりました。

柳井正は早稲田を卒業したが就職に失敗しぶらぶらしているのを見かねて、父が小郡商事に入社させた。


柳井正は「努力しろ」「苦労しろ」が口癖なのだが、学生時代はパチンコとマージャンにハマり、就職に失敗し親の会社にコネ入社して社長になった。


親から受け継いだのは会社だけではなく、日本人への憎悪と復讐心でもあるようです。


(この記事は公表されている客観的事実のみによって構成されており、個人を中傷するものではない)
http://www.thutmosev.com/archives/81267487.html


部落は元々縄文系先住民を隔離した所で、戦後在日に乗っ取られたんですけどね。
http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c102

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
453. 中川隆[-10734] koaQ7Jey 2019年10月18日 17:59:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2118]
2019年10月18日
ユニクロ柳井正の日本人への憎悪はどこから来るのか?

「日本は最悪」「韓国人が反日なのは分かる」と日本人への憎悪を語る柳井正


画像引用:ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か? – アゴラhttp://agora-web.jp/archives/2042055.html

柳井正の日本人への憎悪

ユニクロの柳井正はまた日本人を侮蔑する発言をして話題になっています。

今回は日経ビジネスのインタビューで「日本人は異常で全部ヒステリー」などとこき下ろした。

さらに「ああいう国民性だから、韓国の人が反日なのは分かる」「日本人が劣化した証拠」「日本は最悪」と畳みかけた。


日本全否定とも言える内容で、柳井正は今までも日本侮蔑を繰り返してきたが、さらに過激になっている。

「泳げない人間は沈める」「年収100万円以下が当然」など数々の名言を残してきた。

柳井正の言葉の端々から感じられるのは日本への強い憎悪だが、その理由は柳井一族の出自にあった。

(『ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動』http://www.thutmosev.com/archives/48935161.html


ユニクロの起源は柳井正の叔父である柳井政雄の「小郡商事」が始まりで、政雄は要するにやくざでした。

柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は、部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。

なぜ柳井傳一が最初期の解放運動メンバーだったかは、柳井一族が住んでいた山口県の村と関係がある。


「部落」というものを東日本の日本人はほとんど知らない筈で、首都圏周辺に少しある他は東日本にはあまりない。

ない理由は「渡来人」が西から上陸したからで、当時日本の中心だった九州から奈良周辺に多く居住した。

部落の起源は渡来人集落とされていて、新たな渡来者が来るたびに部落に加わり、今も大阪などでは拡大が続いている。


渡来人と部落民の関係

柳井傳一の出身地は山口県陶(すえ)で柳井政雄の出身地は同県小郡町、現在はどちらも山口市小郡郵便局の管区内にある。

全國部落調査(1935年)によると山口県陶には200戸、1000人以上の部落民が確認されていた。

また調査時に山口県には「柳井」という地名の部落が多数確認されていました。(山口県 - 同和地区Wiki)


部落は江戸時代に身分制度の底辺とされ、出身地で身分が固定されていて暮らしは過酷だったと思われる。

明治、大正、昭和期になっても格差は存在し、部落出身者とは結婚させなかったり就職できないなどの問題があった。

これには実際に部落出身者は低学歴で低収入だったり、部落出身者の犯罪率が他の10倍以上高いなどの事実もあった。


このように他の地域と隔離された理由は、渡来人と他の日本人の間に対立があったため、渡来人は渡来人だけの集落を作らせたと想像できる。

渡来集落は弥生時代から始まったが、江戸時代になっても新たな渡来が続き、現在でも大阪の鶴橋などは流入が続いている。

ヤマト王権や徳川幕府や明治政府は、新たな渡来人を渡来人集落に居住させて他と区別した。


上は弥生時代の渡来人集落、下は部落所在地で完全に一致する。

部落とは渡来人集落が元になっていると推測できる


画像
https://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/c/cc729254.jpg


柳井一族の日本人への怨念

渡来人集落が存在する場所と部落が存在した地域は完全一致していて、2つは事実上同じであるのが分かる。

さて江戸時代まで部落で産まれた者は永遠に部落民だったのが、明治維新によってどこにでも自由に引っ越したり起業できるようになった。

柳井傳一がいち早く解放運動に参加した理由はここにあり、彼は水平社の初期メンバーとして一目置かれる存在になった。


柳井傳一の甥の柳井政雄は職を転々とした後やくざになり、足を洗って傳一から資金を出してもらい簡易宿舎を始めた。

これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)で始めた事業は木賃宿、材木商、運送業と拡大した。

柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選し、佐藤栄作から請われて自民党に活動を移した。


柳井政雄の弟が柳井正の父、柳井等(ひとし)で最初兄の会社の呉服部門だったのを1949年に独立して「メンズショップ小郡商事」を開業した。

柳井等も兄と同じでやくざ関係の交友が多く、小郡商事もその手の会社として始まりました。

柳井正は早稲田を卒業したが就職に失敗しぶらぶらしているのを見かねて、父が小郡商事に入社させた。


柳井正は「努力しろ」「苦労しろ」が口癖なのだが、学生時代はパチンコとマージャンにハマり、就職に失敗し親の会社にコネ入社して社長になった。


親から受け継いだのは会社だけではなく、日本人への憎悪と復讐心でもあるようです。


(この記事は公表されている客観的事実のみによって構成されており、個人を中傷するものではない)
http://www.thutmosev.com/archives/81267487.html


部落は元々縄文系先住民を隔離した所で、戦後在日に乗っ取られたんですけどね。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c453

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
43. 中川隆[-10733] koaQ7Jey 2019年10月18日 18:00:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2119]
2019年10月18日
ユニクロ柳井正の日本人への憎悪はどこから来るのか?

「日本は最悪」「韓国人が反日なのは分かる」と日本人への憎悪を語る柳井正


画像引用:ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か? – アゴラhttp://agora-web.jp/archives/2042055.html

柳井正の日本人への憎悪

ユニクロの柳井正はまた日本人を侮蔑する発言をして話題になっています。

今回は日経ビジネスのインタビューで「日本人は異常で全部ヒステリー」などとこき下ろした。

さらに「ああいう国民性だから、韓国の人が反日なのは分かる」「日本人が劣化した証拠」「日本は最悪」と畳みかけた。


日本全否定とも言える内容で、柳井正は今までも日本侮蔑を繰り返してきたが、さらに過激になっている。

「泳げない人間は沈める」「年収100万円以下が当然」など数々の名言を残してきた。

柳井正の言葉の端々から感じられるのは日本への強い憎悪だが、その理由は柳井一族の出自にあった。

(『ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動』http://www.thutmosev.com/archives/48935161.html


ユニクロの起源は柳井正の叔父である柳井政雄の「小郡商事」が始まりで、政雄は要するにやくざでした。

柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は、部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。

なぜ柳井傳一が最初期の解放運動メンバーだったかは、柳井一族が住んでいた山口県の村と関係がある。


「部落」というものを東日本の日本人はほとんど知らない筈で、首都圏周辺に少しある他は東日本にはあまりない。

ない理由は「渡来人」が西から上陸したからで、当時日本の中心だった九州から奈良周辺に多く居住した。

部落の起源は渡来人集落とされていて、新たな渡来者が来るたびに部落に加わり、今も大阪などでは拡大が続いている。


渡来人と部落民の関係

柳井傳一の出身地は山口県陶(すえ)で柳井政雄の出身地は同県小郡町、現在はどちらも山口市小郡郵便局の管区内にある。

全國部落調査(1935年)によると山口県陶には200戸、1000人以上の部落民が確認されていた。

また調査時に山口県には「柳井」という地名の部落が多数確認されていました。(山口県 - 同和地区Wiki)


部落は江戸時代に身分制度の底辺とされ、出身地で身分が固定されていて暮らしは過酷だったと思われる。

明治、大正、昭和期になっても格差は存在し、部落出身者とは結婚させなかったり就職できないなどの問題があった。

これには実際に部落出身者は低学歴で低収入だったり、部落出身者の犯罪率が他の10倍以上高いなどの事実もあった。


このように他の地域と隔離された理由は、渡来人と他の日本人の間に対立があったため、渡来人は渡来人だけの集落を作らせたと想像できる。

渡来集落は弥生時代から始まったが、江戸時代になっても新たな渡来が続き、現在でも大阪の鶴橋などは流入が続いている。

ヤマト王権や徳川幕府や明治政府は、新たな渡来人を渡来人集落に居住させて他と区別した。


上は弥生時代の渡来人集落、下は部落所在地で完全に一致する。

部落とは渡来人集落が元になっていると推測できる


画像
https://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/c/cc729254.jpg


柳井一族の日本人への怨念

渡来人集落が存在する場所と部落が存在した地域は完全一致していて、2つは事実上同じであるのが分かる。

さて江戸時代まで部落で産まれた者は永遠に部落民だったのが、明治維新によってどこにでも自由に引っ越したり起業できるようになった。

柳井傳一がいち早く解放運動に参加した理由はここにあり、彼は水平社の初期メンバーとして一目置かれる存在になった。


柳井傳一の甥の柳井政雄は職を転々とした後やくざになり、足を洗って傳一から資金を出してもらい簡易宿舎を始めた。

これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)で始めた事業は木賃宿、材木商、運送業と拡大した。

柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選し、佐藤栄作から請われて自民党に活動を移した。


柳井政雄の弟が柳井正の父、柳井等(ひとし)で最初兄の会社の呉服部門だったのを1949年に独立して「メンズショップ小郡商事」を開業した。

柳井等も兄と同じでやくざ関係の交友が多く、小郡商事もその手の会社として始まりました。

柳井正は早稲田を卒業したが就職に失敗しぶらぶらしているのを見かねて、父が小郡商事に入社させた。


柳井正は「努力しろ」「苦労しろ」が口癖なのだが、学生時代はパチンコとマージャンにハマり、就職に失敗し親の会社にコネ入社して社長になった。


親から受け継いだのは会社だけではなく、日本人への憎悪と復讐心でもあるようです。


(この記事は公表されている客観的事実のみによって構成されており、個人を中傷するものではない)
http://www.thutmosev.com/archives/81267487.html


部落は元々縄文系先住民を隔離した所で、戦後在日に乗っ取られたんですけどね。
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c43

[近代史3] 日本人を憎む被差別同和部落出身者 3 _ ユニクロ柳井正

日本人を憎む被差別同和部落出身者 3 _ ユニクロ柳井正


2019年10月18日
ユニクロ柳井正の日本人への憎悪はどこから来るのか?

「日本は最悪」「韓国人が反日なのは分かる」と日本人への憎悪を語る柳井正


画像引用:ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か? – アゴラhttp://agora-web.jp/archives/2042055.html

柳井正の日本人への憎悪

ユニクロの柳井正はまた日本人を侮蔑する発言をして話題になっています。

今回は日経ビジネスのインタビューで「日本人は異常で全部ヒステリー」などとこき下ろした。

さらに「ああいう国民性だから、韓国の人が反日なのは分かる」「日本人が劣化した証拠」「日本は最悪」と畳みかけた。


日本全否定とも言える内容で、柳井正は今までも日本侮蔑を繰り返してきたが、さらに過激になっている。

「泳げない人間は沈める」「年収100万円以下が当然」など数々の名言を残してきた。

柳井正の言葉の端々から感じられるのは日本への強い憎悪だが、その理由は柳井一族の出自にあった。

(『ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動』http://www.thutmosev.com/archives/48935161.html


ユニクロの起源は柳井正の叔父である柳井政雄の「小郡商事」が始まりで、政雄は要するにやくざでした。

柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は、部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。

なぜ柳井傳一が最初期の解放運動メンバーだったかは、柳井一族が住んでいた山口県の村と関係がある。


「部落」というものを東日本の日本人はほとんど知らない筈で、首都圏周辺に少しある他は東日本にはあまりない。

ない理由は「渡来人」が西から上陸したからで、当時日本の中心だった九州から奈良周辺に多く居住した。

部落の起源は渡来人集落とされていて、新たな渡来者が来るたびに部落に加わり、今も大阪などでは拡大が続いている。


渡来人と部落民の関係

柳井傳一の出身地は山口県陶(すえ)で柳井政雄の出身地は同県小郡町、現在はどちらも山口市小郡郵便局の管区内にある。

全國部落調査(1935年)によると山口県陶には200戸、1000人以上の部落民が確認されていた。

また調査時に山口県には「柳井」という地名の部落が多数確認されていました。(山口県 - 同和地区Wiki)


部落は江戸時代に身分制度の底辺とされ、出身地で身分が固定されていて暮らしは過酷だったと思われる。

明治、大正、昭和期になっても格差は存在し、部落出身者とは結婚させなかったり就職できないなどの問題があった。

これには実際に部落出身者は低学歴で低収入だったり、部落出身者の犯罪率が他の10倍以上高いなどの事実もあった。


このように他の地域と隔離された理由は、渡来人と他の日本人の間に対立があったため、渡来人は渡来人だけの集落を作らせたと想像できる。

渡来集落は弥生時代から始まったが、江戸時代になっても新たな渡来が続き、現在でも大阪の鶴橋などは流入が続いている。

ヤマト王権や徳川幕府や明治政府は、新たな渡来人を渡来人集落に居住させて他と区別した。


上は弥生時代の渡来人集落、下は部落所在地で完全に一致する。

部落とは渡来人集落が元になっていると推測できる


画像
https://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/c/cc729254.jpg


柳井一族の日本人への怨念

渡来人集落が存在する場所と部落が存在した地域は完全一致していて、2つは事実上同じであるのが分かる。

さて江戸時代まで部落で産まれた者は永遠に部落民だったのが、明治維新によってどこにでも自由に引っ越したり起業できるようになった。

柳井傳一がいち早く解放運動に参加した理由はここにあり、彼は水平社の初期メンバーとして一目置かれる存在になった。


柳井傳一の甥の柳井政雄は職を転々とした後やくざになり、足を洗って傳一から資金を出してもらい簡易宿舎を始めた。

これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)で始めた事業は木賃宿、材木商、運送業と拡大した。

柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選し、佐藤栄作から請われて自民党に活動を移した。


柳井政雄の弟が柳井正の父、柳井等(ひとし)で最初兄の会社の呉服部門だったのを1949年に独立して「メンズショップ小郡商事」を開業した。

柳井等も兄と同じでやくざ関係の交友が多く、小郡商事もその手の会社として始まりました。

柳井正は早稲田を卒業したが就職に失敗しぶらぶらしているのを見かねて、父が小郡商事に入社させた。


柳井正は「努力しろ」「苦労しろ」が口癖なのだが、学生時代はパチンコとマージャンにハマり、就職に失敗し親の会社にコネ入社して社長になった。


親から受け継いだのは会社だけではなく、日本人への憎悪と復讐心でもあるようです。


(この記事は公表されている客観的事実のみによって構成されており、個人を中傷するものではない)
http://www.thutmosev.com/archives/81267487.html


▲△▽▼

2019年10月17日
ファーストリテイリング会長の柳井正の思考停止
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授


10月9日、ファーストリテイリング会長の柳井正氏が日経ビジネスのインタビューに答えています。
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00357/?fbclid=IwAR0q2FElDohYtgGKOwaZE4OykqTNXOKN70joIMZ7zM0ypMj-U4AftKtixUk


このインタビューで、柳井氏は、日本はこのままでは滅びるから、大改革が必要だというのです。

ではその大改革とは何かといえば、次のようなトンデモ政策です。

《まずは国の歳出を半分にして、公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと。今の延長線上では、この国は滅びます。

参議院も衆議院も機能していないので、一院制にした方がいい。もっと言えば、国会議員もあんなに必要ないでしょう。町会議員とか村会議員もそう。選挙制度から何から全部改革しないと、とんでもない国になります。》

これは、維新が掲げている政策と酷似していますね。
アメリカで盛んな(盛んだった)「小さな政府」論への盲従です。

柳井氏は、日本の公務員が人口比で世界一少ないということも知らないらしい。
これ以上公務員を減らしたら、公共サービスの劣化はますます進むでしょう。
災害時などの繁忙期に、公務員がいかに心身をすり減らして死にたくなるまで働いているか、氏は想像したことがあるのか。

公務員は少なくとも、いまの2割は増やさなくてはならないのです。

また、歳出を半分にして、デフレ脱却、社会福祉の充実、インフラ整備、教育、医療、防災、国防その他、いま日本にとってぜひ必要とされる案件をどうやって解決しようというのか。

何よりも、こういう「大改革」をすれば、どうして「滅びゆく日本」を少しでも食い止めることができるのか、その理路がまったく立っていません。

いまの日本の衰退のおおきな原因が、柳井氏のアイデアとは真逆の、緊縮財政路線にあるということも、彼はまるで分っていないようです。

要するに、ふだんから、「小さな政府」を実現して、自分たちのビジネス領域を拡大しようとしか考えていないので、何の根拠もない思い付きをフカしているだけなのです。

儲けることに専念して(それはそれで結構なことですが)経営に成功してきた者が、ちょいと偉くなって政治に口出しなど始めると、バカなことしか言えない、その無残な例がここに現れています。

日本の衰退を政治的に問題にするなら、もう少し政治について勉強してはどうでしょうか。

あなたのような人がいるから、日本は滅ぶのだと言いたい。

御用学者のたぐいにも無知をさらしている人はたくさんいますが、それはこのメルマガでも何度か取り上げてきましたので、今日は控えておきましょう。
いずれにしても、これら著名人の発言が、じつは私的利害や主観的信念や自己保身のためだけなのに、公共的な体裁のもとになされている例が氾濫しています。
こういう無責任な言論状況が積み重なることもまた、「滅びゆく日本」をいっそう前に進めるでしょう。

一国が滅んでゆく最大の原因は、その国の国民が、自国の滅亡過程を自覚しないことです。
https://38news.jp/economy/14775  

部落は元々縄文系先住民を隔離した所で、戦後在日に乗っ取られたんですけどね。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/678.html

[近代史3] 朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり

朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり– 2017/7/31
石 純姫 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8A-%E7%9F%B3-%E7%B4%94%E5%A7%AB/dp/4902269996


アイヌ民族と朝鮮人のつながり 石純姫
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170925011190001.html


●石純姫 苫小牧駒沢大学教授

■協力と抵抗の間で生まれた奇跡

 来年は、アイヌモシリが「北海道」と命名されて150年目だという。行政や企業の様々な記念イベントが展開されるだろう。「開拓」や「近代化」の物語の中で、先住民であるアイヌや植民地の被支配民族であった朝鮮人の北海道での存在や歴史は、どのように表象されていくのだろうか。

 国境や様々な境界線を越えて、人々は移動を繰り返してきた。近代期の大日本帝国では、植民地の包含と領土拡大の中で、民族の多様性や血統の混合の歴史も体制の言説として強調されてもいた。近代という時代はそのような移住が、自らの意思であっても、それを余儀なくされた場合であることも多く、意思に反した強制的な移動も大規模に行われた時代だった。日本の植民地支配も、アジアにおいて過酷な状況下の人間の移動と移住を進行させた。しかし、大日本帝国の崩壊と共に、血統や文化の混合や交流の記憶は一掃された。

   ◇  ◇  ◇

 このほど出版した「朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり」(寿郎社刊)では、北海道において、強制連行による過酷な労働現場から脱出する朝鮮人をアイヌの人々が支援し、血縁を結ぶなど、定住化につながる深い関係性の歴史について明らかにした。その定住化も、通常考えられてきた植民地統治期をはるかにさかのぼるものであった。また、そのつながりは、アイヌ文化を伝承する朝鮮の人々を創出した。

 権力機構が決定した大きな暴力の枠組みから末端の直接的な暴力組織に至るまで、教条的な体制に抵抗する思考力を持つことは、極めて困難なことである。そして、このような思考停止と対極にあるのが、アイヌの人々の行為だった。朝鮮人労務者の脱出は、厳しく罰せられ、死に至る暴行も少なくなかったと言われる。その脱出者をかくまい、血縁関係を結び、定住化させるまでの行為は、まさに命懸けのものだったと言える。

   ◇  ◇  ◇

 北海道における先住民アイヌと植民地被支配者である朝鮮人のつながりは、従来のアイヌ像を覆すものであると同時に、「協力」と「抵抗」のはざまで生まれた一瞬の奇跡的な希望の行為として記録・記憶されるべきものであろう。その局面を大きな視点から再考した時に見えるものは、人間として、思考力を失わず、生命の大切さや他者との共存を目指したアイヌの人々の行為ではないだろうか。

 このような行為を、ことさら、アイヌ民族の崇高さや朝鮮人の悲惨さだけで語る意図はない。したたかに過酷な状況を乗り越える手段として、双方が協力したこともあるだろう。しかし、そこには、美談やしたたかなつながりを越えて、人間を分断し、思考停止に陥らせる帝国主義の戦時下の状況があったことを忘れてはならない。

 国家や国民というものが身体化されず、居心地の悪さを保ち続けることによって見えてくる様々な歴史の諸相がある。故郷を失った者たちが夢見続ける安住の地は、グローバル化が進行する現在、どこにもないことがわかる。そして、それはディアスポラ(離散)だけの結末ではない。多様性に満ちた重層的なアイデンティティーは、常に揺らぎと葛藤のはざまでさまよい続けながら、グローバル化やそのなかで進行する排外的なナショナリズムにあらがう新たな可能性を探り続けるだろう。

       ◇

 ソク・スニ 苫小牧駒沢大学教授 1960年、東京生まれ。苫小牧駒沢大国際文化学部教授。専門は植民地研究、近代日本言語思想。近代期北海道における朝鮮人の移動と定住化の形成過程を研究する。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170925011190001.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/679.html

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
14. 中川隆[-10732] koaQ7Jey 2019年10月18日 22:09:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2122]



2016年2月18日
的場光昭『アイヌ民族って本当にいるの?』を批判的に読む
引用文とその解釈に注意して読んでみましょう。



的場光昭著『アイヌ民族って本当にいるの?』とは?

著者は「アイヌ民族否定論」の理論的な柱の一人である。この本は『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』の続編であり,金子やすゆき札幌市議(当時)が市議会での差別的な発言によって議員辞職を勧告されたことに対する緊急出版であるとのこと。

以下のツイートは,「アイヌ民族は北海道の縄文人の子孫ではない」とするために的場氏が著書のなかでDNAによる分子人類学の結果を用いて議論している箇所に対する批判である。


忽然朔風 @kotnei 的場著『アイヌ民族って本当にいるの?』のトリックを図で示した。pp.60-61に篠田著『日本人になった祖先たち』を引用したあとで、その内容に含まれない独自の解釈を、そうとはわからないように付け足しているのだ。 pic.twitter.com/yyOG1wLmYF


2016-02-17 21:30:51
忽然朔風 @kotnei @kotnei 分子人類学のバックグラウンドがない人がこれを読むと、DNA解析によって「アイヌはオホーツク文化人を滅ぼしました」ということが判明したように誘導されてしまう。こんなことは原典(篠田説)には全く書かれていない。


2016-02-17 21:37:02
ふにくり @hunikura1 分子人類学の下地がなくても論理的飛躍があるのがわかる・_・ twitter.com/kotnei/status/…


2016-02-17 21:45:11
忽然朔風 @kotnei @kotnei 原典をよく読むと「オホーツク文化人は忽然と姿を消しましたが」とだけしか書いていないのに、これが的場の解釈で「アイヌはオホーツク文化人を滅ぼし」たことに捻じ曲げられてしまっているのに気づくだろう。北海道からを姿を消した理由まではDNAには書かれていない。


2016-02-17 21:47:46
忽然朔風 @kotnei @kotnei 次のページも同様のトリック。篠田説を紹介したすぐ後に自説で上書きしている。本来の主張、アイヌに縄文人の祖先ではない(人がいる)というカッコの中を意図的に言及していない。 pic.twitter.com/buyG2vBEEr


2016-02-17 22:06:05
忽然朔風 @kotnei @kotnei DNAの研究は近年とても進んでいるので、できるだけ新しい書物を読んだ方が良い。篠田先生の『DNAで語る日本人起源論』(岩波現代全書)をぜひ参照してほしい。p.167の図8-6に現在考えられるシナリオが図示されている。 pic.twitter.com/33t1ly7WI8


2016-02-17 22:09:53
j_ou no @repunkuratuy そしていちばん的場の言説がイタいのは、異民族に支配されると、男は皆殺しにされて子孫が残せず、女だけが子孫を残す、という、アホみたいな妄想をなんの根拠もなく繰り返してるところ。異民族支配への何か肥大した妄想があるんだよね。 twitter.com/kotnei/status/…


2016-02-17 22:11:49
忽然朔風 @kotnei @kotnei これを見ると、ハプログループN9bを持つ人は、縄文時代から近世アイヌ、現代アイヌに至るまで連続して存在することがわかるだろう。的場説は全く成立する余地がない。


2016-02-17 22:22:19
忽然朔風 @kotnei @kotnei この本『アイヌ民族って本当にいるの?』の他のページの記述については、別の人が批判してくれるだろう。少なくとも、DNAに関する話にはこれだけの意図的な歪曲を混ぜ込んたものを「科学的証拠」と称している。医師が偽科学に加担するのは倫理的にいかがなものか。


2016-02-17 22:28:39
KotanX @AinuIpetam2 文脈より、的場は故意にアイヌ其のもの、歴史、考古学をも捻じ曲げ、アイヌ差別の正当化、歴史修正を図る為に此の様な悪意に満ちた、嘘と妄想の著書をリリースしたのが伺える
#日本会議と在特会 twitter.com/kotnei/status/…


2016-02-17 22:32:09
丹菊逸治 @itangiku こういうデマ本などを研究者が放置すればアイヌ民族は遺伝子研究、自然人類学に一切協力しなくなるだろう。これまでもそういう傾向はあったが今後は完全に不可能になるだろう。>連続RT


2016-02-17 23:16:43
matu @matu6809 この話題については何も知らないのだけど、画像で示されている部分を見て、どこが引用か判りづらい書き方だと思った。普通は何文字か下げるだろう。気の効いた本なら線で囲ってあったりする。あと、引用元のページ数を括弧内に示したり、注にしたり。 twitter.com/kotnei/status/…


2016-02-18 00:14:01
忽然朔風 @kotnei この図は,T. Jinam et al. J. Human. Gen. 57, 787 (2012)という論文で提案されているアイヌ,本土日本人,琉球人の成立過程を表したものです。横軸が時間,縦軸が集団間の影響を表します。 pic.twitter.com/K5sE4SyIB2


2016-02-18 09:00:12
忽然朔風 @kotnei @kotnei しかし的場は学術的な結果を曲解して,アイヌが和人の一種である(つまり(先住民族はない)という結論に結び付けようとしています。そのトリックを赤字で示しました。 pic.twitter.com/NJ2ZYmjkGl


2016-02-18 09:02:08
忽然朔風 @kotnei @kotnei 学問上の論争であれば,それが所定の手順に従っている限りどのような意見を言おうとも自由です。しかし,このように,政治的な主張(アイヌは先住民族ではない)という結論に誘導するために学術的な成果の一部だけを恣意的に利用するのは許されません。


2016-02-18 09:08:54
追記1
岡和田晃_新刊「ナイトランド・クォータリー」Vol.18 @orionaveugle @kotnei お疲れ様でした。『アイヌ民族否定論に抗する』内でのほかに、市民講座でも東條慎生さんが的場光昭本の批判をやってくださっておりますので、こちらもまとめに加えていただけましたらありがたいです。d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall…




追記2
忽然朔風 @kotnei 引用に注目する。「当たり前ですが現代アイヌとよく似ています。…一つの遺跡で分析しているので少し問題がありますが、N9bというタイプが非常に多くあり、…おそらく本土日本人の影響を受けているのだと思いますが、そういう形になっています。」 pic.twitter.com/7bmqdIv1Bu


2016-02-28 16:32:36
忽然朔風 @kotnei @kotnei この文章をいくら「要約」しても、「アイヌは北海道の縄文人の子孫ではない。」という結論はでてきません。そのことを、引用元の『縄文人はどこからきたか』の該当部分を見て考えていきます。 pic.twitter.com/VkicoQCDhh


2016-02-28 16:40:19
忽然朔風 @kotnei @kotnei 引用された部分のすぐあとに「縄文人にはN9bが非常にたくさんありますが」と書かれていて、N9bを縄文人の特徴としてとらえていることがわかります。一方、的場説では「和人に一般的なN9bというDNAが江戸時代のアイヌに入っていた」と、これを和人の特徴としています。


2016-02-28 16:48:25
忽然朔風 @kotnei @kotnei 的場本の引用のしかたをよくみると、「…」として省略している部分があることがわかるでしょう。原文には「M7aは3〜4%です。Gタイプも当然両方に出ていて、現在になるとDが少し多くなります。」という説明が入っていました。もう、的場が使ったトリックが分かったと思います。


2016-02-28 16:51:39
忽然朔風 @kotnei @kotnei 原文では、N9b,M7a,G,Dの分布の特徴について「おそらく本土日本人の影響を受け」たと分析していたのに対して、的場は意図的にその一部を引用せず、N9bを「和人に一般的」であることに文意を曲げ、それを根拠に縄文人とアイヌの間の連続性を否定したのです。


コメント


自由アイヌ協会 @aynuitak_jiji 2016年2月25日
もう今日から君も騙されない!痛い病院の的場君のペテンの手口を懇切丁寧に解説。


自由アイヌ協会 @aynuitak_jiji 2016年2月28日
的場の名はもはや捏造の代名詞。ネトウヨの聖典を暴く第三弾。



喜喜快快 @dragoon_3 2016年3月13日
僕大学生時代に卒論書きましたが、引用するときはページまできちんと書けと言われてました。的場ってどういう教育を受けてたんですか。授業さぼってばかりいたんでしょうか。
https://togetter.com/li/939720


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c14
[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
15. 中川隆[-10731] koaQ7Jey 2019年10月18日 22:12:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2123]
的場 光昭(まとば みつあき、1954年(昭和29年)6月19日 - )は、日本の医師。医療法人健光会理事長。


1954年(昭和29年)6月19日 北海道上川郡愛別町字中央に、父 孝(たかし)・母 文子(ふみこ)の三男として生まれる。

地元の愛別町立中里小学校 - 愛別町立愛別中学校 - 北海道旭川東高等学校を経て、北海道大学経済学部3年[要出典]中退、旭川医科大学卒業。

日本麻酔学会指導医[要出典](後に専門医、60歳で返上)。
日本ペインクリニック学会専門医。

西部邁事務所『発言者』・月刊誌『正論』などに主として保守的立場から原稿を寄せている。

2008年(平成20年)6月、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択されると、歴史を全く無視した暴挙であるとしてこれに反発し月刊誌『正論』に投稿を寄せている。

また北海道各地に自治体を巻き込んで建設が予定された朝鮮人強制連行碑≠ノついて、その推進母体が朝鮮総聯・韓国政府・アイヌ団体・共産党・革マルなどの過激派集団であることを暴き次々に建設中止や撤去に追い込んだと主張している[要出典]。

美瑛町で行われた慰霊祭については、法医学的見地から発掘された墓穴が偽物で人骨までもが捏造だったことを暴いたとしている。その結果この慰霊祭を大々的に報じた北海道新聞旭川支社長は指定席であったにもかかわらず取締役になることができなかったと述べている。

また猿払村に建てられた慰霊碑を撤去させたことに対するニューヨークタイムズ記事『Pressure in Japan to Forget Sins of War 2014.10.29(戦争の罪を忘れさせようとする日本国内の圧力)』に対しても、記事が安倍政権を貶めるために事実と全く逆のことが書かれて世界に配信されたとして抗議し、その抗議文は日本女性の会「そよ風」≠ノよって英訳され本社に届けられて、結局マーチン・ファクラーは東京支局長を辞めざるを得なくなったとしている。北海道新聞やニューヨークタイムズとのやり取りは著書『反日石碑テロとの闘い』(展転社、2015年)に詳しく収録されている。

投稿

規制撤廃が侵す日本国民の健康と農業 - 『発言者』Vol.108(2003年4月)
アイヌ先住民族決議の背後にある日本悪しかれ史観の嘘(西村慎吾との共著) - 『正論』(2008年8月)
ムネオ氏にモノ申す 北海道開拓民の魂を売るなかれ - 『正論』(2008年10月)
「単一民族」否定論の押しつけに異議あり - 『正論』(2008年12月)
天皇謝罪を求めたアイヌ先住権運動の暴走 - 『正論』(2009年9月)[2]
法治を歪める国家賠償の暴走 - 『正論』(2012年1月)[3]
奇々怪々 北の大地に建つ売国の碑 - 『正論』(2013年4月)[4]
朝鮮人「人骨」騒動の呆れた顛末- 『正論』(2013年11月)[5]
反日勢力がガン首揃える北海道「石碑テロ」を許すな - 『正論』(2014年3月)

他、地元紙『北の発言』、『北海道経済』などに多数寄稿。

著書

「アイヌ先住民族」その真実(展転社、2009年)ISBN 978-4886563392
自殺するのがアホらしくなる本(展転社、2011年)ISBN 978-4886563606
アイヌ先住民族、その不都合な真実20(展転社、2012年)ISBN 978-4886563729
アイヌ民族って本当にいるの?―金子札幌市議、「アイヌ、いない」発言の真実(展転社、2014年)ISBN 978-4886564108
改訂増補版 アイヌ先住民族、その不都合な真実20(展転社、2014年)
反日石碑テロとの闘い(展転社、2015年)ISBN 978-4886564139
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%A0%B4%E5%85%89%E6%98%AD
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c15

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
54. 中川隆[-10729] koaQ7Jey 2019年10月19日 06:36:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2125]
専門家に聞いた 首都圏・大阪のタワマン“水没危険”エリア
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/263469
2019/10/18 日刊ゲンダイ


停電と断水が続く武蔵小杉のタワマン(17日)/(C)日刊ゲンダイ

 台風19号で浸水した川崎市の武蔵小杉の47階建てタワーマンション(タワマン)は今も停電、断水が続いている。富裕層人気に支えられてきたタワマンは近年、自治体の都市開発計画などを利用しながら首都圏や大阪などで乱立してきたが、今回の武蔵小杉のケースによって、水害に対する脆弱さが露呈した面は否めない。武蔵小杉と同じように水没危機が高いタワマンエリアはどこか――。専門家に聞いた。

■低地のタワマンに要注意

 武蔵小杉の場合、近くを流れる多摩川の水位が大雨で上昇し、タワマンの排水管に川の水が逆流。地下3階にある電気設備が浸水の影響を受けたために停電したという。

 つまり、大量の雨が降った場合、たとえ堤防の決壊を逃れたとしても、河川の水が逆流してくるような低地が危ういということだ。そこで住宅ジャーナリストの榊淳司氏に、水害が懸念されるタワマンエリアを聞くと、首都圏では武蔵小杉に近い下丸子のほか、川口、南・北千住、浅草だという。

 近くに荒川が流れる埼玉県川口市。かつては浸水しにくい自然堤防上に住宅が立ち並ぶ一方、低い湿地帯は水田が広がっていた。ところが、東京圏のベッドタウンとして人口が増加し、湿地帯の宅地開発化が加速。タワマン建設も進んだという。荒川は国の浸水被害想定でも約126万人に影響が及ぶとされる地域で、低地のタワマンは要注意だ。

 荒川と隅田川に挟まれた北千住や、隅田川に近い南千住、浅草は、地形がフラットで水がたまりやすいため、水害の危険性があるという。

■大阪は中津、北浜

 大阪では、淀川に近い中津、大川沿いの北浜にタワマンが並ぶ。海からは離れているものの、やはり低地という点で要警戒だ。

「人気先行で拡大を続けてきたタワマンですが、今後、洪水対応が重要なポイントになるのは間違いない。ディベロッパーは止水対策や、万一の浸水に備えた対応を消費者に示すことが求められる。既存のタワマンも、補修するなどして対策を講じていくことになると思います」(榊淳司氏)

 不動産経済研究所が17日発表した今年度上半期(4〜9月)の首都圏(1都3県)マンション発売戸数は、前年同期比21・7%減の1万1996戸。上半期としてはバブル崩壊後の1992年度以来、27年ぶりの低水準で、タワマン人気の陰りがマンション不況に拍車を掛けることになるかもしれない。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c54

[近代史3] 実は「暴走老人による死亡事故」は激減していた 中川隆
1. 中川隆[-10728] koaQ7Jey 2019年10月19日 06:40:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2126]

パーキンソン症候群罹患か 東京・池袋母子死亡事故
共同通信社 2019/10/19 01:08
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%83%91%e3%83%bc%e3%82%ad%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3%e7%97%87%e5%80%99%e7%be%a4%e7%bd%b9%e6%82%a3%e3%81%8b-%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%bb%e6%b1%a0%e8%a2%8b%e6%af%8d%e5%ad%90%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e4%ba%8b%e6%95%85/ar-AAIYUid?ocid=ientp#page=2


交通事故の現場を調べる警察官=4月、東京都豊島区© KYODONEWS


 東京・池袋で乗用車が暴走し母子2人が死亡した事故で、運転していた旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(88)が手足の震えや筋肉のこわばりが起きる「パーキンソン症候群」に罹患していた疑いがあることが18日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は加齢による身体機能の衰えや認知症など別の病気の有無も調べ、運転操作への影響について詰めの捜査を進めている。

 19日で事故から半年。警視庁は早ければ年内にも自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で書類送検する方針。

 捜査関係者によると、飯塚元院長は片脚の具合が悪く通院していた。パーキンソン症候群と似た症状もあり、医師は「運転は許可できない」と伝えていた。事故後には別の医師が、パーキンソン症候群の疑いがあると判断した。

 飯塚元院長はこれまでの聴取に「ブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性も考えられる」などと説明している。警視庁は運転操作ミスが原因とみて、医師の意見を詳しく聴くなど慎重に調べている。事故当日は昼食のため妻を乗せレストランに向かっていたという。

 事故は4月19日昼に発生。横断歩道に突っ込んで通行人をはねるなどし、松永真菜さん(31)と長女莉子ちゃん(3)が死亡、8人が重軽傷を負った。飯塚元院長と妻も負傷した。松永さんの遺族は厳罰を求める署名を約39万人分集め東京地検に提出している。

 道交法では「パーキンソン症候群」を免許取り消しなどになる病名に定めておらず、患者でも法律上、運転は可能。専門家は「病状の進行具合の確認などを含め医師への相談が重要だ」と話している。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/667.html#c1

[政治・選挙・NHK266] 明治・国家神道復活か<本澤二郎の「日本の風景」(3469)<誰もが「おかしい」と考えている血税166億円の皇位継承祭祀> 笑坊
2. 中川隆[-10727] koaQ7Jey 2019年10月19日 07:00:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2127]
賛成

ついでに伊勢神宮の遷宮建て替えも廃止

三輪神社、石上神社、法隆寺、東大寺、興福寺、東寺等の皇室に関係する寺もすべて取り壊して日本を宗教の無い国にして欲しい



http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/554.html#c2

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか?
ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか?


これは本来 女性が弾く曲なんでしょうね


Maria Grinberg - Beethoven - Piano Sonata No 18 in E flat major, Op 31, The Hunt - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=dolbE98BhgE
https://www.youtube.com/watch?v=UfwKinLAfas


Ludwig van Beethoven
Piano sonata n°18 op.31 n°3

I. Allegro 0:00
II. Scherzo. Allegretto vivace
III. Menuetto, moderato e grazioso
IV. Presto con fuoco

Maria Grinberg
Studio recording, Moscow, 1966

▲△▽▼


Clara Haskil plays Beethoven Sonata No. 18 in E flat Op. 31 No. 3 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9pc29IeStnw

I. Allegro 0:00
II. Scherzo. Allegretto vivace 8:25
III. Menuetto, moderato e grazioso 13:15
IV. Presto con fuoco 17:28

rec. 1955


▲△▽▼
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しかし何故かマエストロはみんなこの曲がベートーヴェンで一番好きなんですね:


ヴィルヘルム・バックハウスは1969年のリサイタルでこのピアノソナタの第3楽章を演奏中に心臓発作を起こし、それが彼の最後の演奏会となった。


Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 18 in E flat Op. 31 No. 3 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=EuU8eRbcICU

1. Allegro
2. Scherzo - Allegretto vivace (8:08)
3. Menuetto - Moderato e grazioso (13:08)
4. Presto con fuoco (16:57)

live, 1969

___


Wilhelm Backhaus - The Last Recital - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=F1jjB7TrS1E&list=PLHnKbipAC6Q06WxBT4eONnTr9KxaF_cC5&index=2

Wilhelm Backhaus - The Last Recital (Live Recording) (Complete)

Stiftskirche - Ossiach (Carinthia, Austria) - June 28, 1969

Mozart, Beethoven, Schumann, Schubert

W. A. Mozart : Piano Sonata in A Major, K331
- 01. Tema. Andante Grazioso con Variazioni
- 02. Menuetto
- 03. Rondo alla Turca : Allegretto

Ludwig van Beethoven : Piano Sonata No. 21 in C major, Op. 53 “Waldstein”
- 04. Allegro con brio
- 05. Introduzione : Adagio molto
- 06. Rondo : Allegretto moderato - Prestissimo

Franz Schubert
- 07. Impromptu in A-flat major, Op. 142 No. 2 (Allegretto - Trio)

Ludwig van Beethoven : Piano Sonata No. 18 in E-flat, Op. 31 No. 3
- 08. Allegro
- 09. Scherzo (Allegretto vivace)
- 10. Menuetto : Trio (Moderato e Grazioso)

Robert Schumann
- 11. Fantasiestucke Op. 12 No. 1 (Des Abends sehr innig zu spielen …
- 12. Fantasiestucke Op. 12 No. 3 (Warum? Langsam und zart)

Franz Schubert
- 13. Impromptu in A-flat major, Op. 142 No. 2 (Allegretto - Trio)

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Beethoven Piano Sonata No. 18 in E-flat major, Op. 31 No.3 - Artur Schnabel - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ryGsfqUIDtI

0:00 Allegro
8:24 Scherzo. Allegretto Vivace
13:11 Menuetto. Moderato e grazioso
17:23 Presto con fuoco

Played by Artur Schnabel


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Arthur Rubinstein Beethoven Piano Sonata No.18 op.31 No.3 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Vei50dsvlDA

Ludwig van Beethoven 1770-1827
Piano Sonata No.18 in E flat major op.31 No.3 "The Hunt"
00:00 I. Allegro
09:36 II. Scherzo. Allegretto vivace
14:45 III. Menuetto. Moderato e grazioso
19:50 IV. Presto con fuoco
Arthur Rubinstein


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beethoven Piano Sonata No. 18, Nat (1955) ベートーヴェン ピアノソナタ第18番 ナット - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ImSo5YSQuIQ


Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Piano Sonata No. 18 in E-flat major, Op. 31, No. 3 (The Hunt)

(00:05) 1. Allegro
(08:03) 2. Scherzo: Allegretto vivace
(13:00) 3. Menuetto: Moderato e grazioso
(16:25) 4. Presto con fuoco

Yves Nat (1890-1956), Piano
Rec. October 1955, at Salle Adyar, in Paris


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Beethoven - Piano sonata n°18 op.31 n°3 - Richter Prague 1965 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=kQTqGSYqQLQ

Ludwig van Beethoven
Piano sonata n°18 op.31 n°3

I. Allegro 0:00
II. Scherzo. Allegretto vivace 9:00
III. Menuetto, moderato e grazioso 13:28
IV. Presto con fuoco 17:56

Sviatoslav Richter
Live recording, Prague, 6.II.1965

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Beethoven - Piano sonata n°18 op 31 n°3 - Richter Moscow 1965 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=bx8qYijU_X4

Ludwig van Beethoven
Piano sonata n°18 op.31 n°3

I. Allegro 0:00
II. Scherzo. Allegretto vivace 9:11
III. Menuetto, moderato e grazioso 13:48
IV. Presto con fuoco 18:22

Sviatoslav Richter
Live recording, Moscow, 10.X.1965

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Beethoven - Piano sonata n°17 op.31 n°2 - Richter studio - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=qeL3tAb7yV4

Ludwig van Beethoven

Piano sonata n°17 op.31 n°2
I. Largo - Allegro 0:00
II. Adagio 9:27
III. Allegretto 16:45

Sviatoslav Richter
Studio recording, London VIII.1961


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ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3
2014 AUG 24 22:22:14 pm by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/08/24/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%98%E7%95%AA%E5%A4%89%E3%83%9B%E9%95%B7%E8%AA%BF-%E4%BD%9C/


バッハの平均律をピアノの旧約聖書、ベートーベンの32曲を新約聖書という人がいます。ベートーベンが「キリストは単に磔(はりつけ)にされたユダヤ人」と言い放ったからではありませんが、僕は彼の音楽に宗教的な辛気臭さを感じません。第九の歌詞からも彼は天上の神を信じていたと思いますが、自分の生の声を天上ではなく地上の民へ向けて書きました。聖書に関係のない我々にも、なん百年たっても色褪せることなく開かれた音楽と思います。

この変ホ長調ソナタが大好きな僕は9曲の交響曲の第8番に当たるものという感じで聴いています。ビールのCMではないですが「深刻度ゼロ%」。ベートーベンの書いた音楽でこんなに明るい、全曲にわたってノリまくってはしゃいでいるものはひとつもありません。いったい彼に何起きたんだと心配になるほど。どうしてといって、陽性の交響曲第7番の後に書かれた8番と違い、この18番はハイリゲンシュタットの遺書を書いたころに出来ているのです。謎めいています。

18番は04年に完成しました。エロイカの初演が1804年12月、ワルトシュタインも1803−4年に書かれており、18番もそのグループである可能性があると思います。第1楽章でF3、F2、F1と2オクターヴをフォルテでの下降。これはまるで低くてよく響くF1を書きたかったかのようです。速い音型を軽々と弾きまくる第2楽章、第4楽章の左手。冒頭の精妙な和音。まったくの私見ですが、これはワルトシュタインと同じくフランスのエラール社のピアノを得た嬉しさで作った曲ではないでしょうか?

だとすると18番はワルトシュタインに献呈されなかったワルトシュタイン・ソナタだったかもしれません。16番と17番(通称テンペスト)と一緒に作品31、1−3とくくられたのは何か出版等に関わる事情があったのではないでしょうか。また、あの遺書が本当に遺書なのかどうかは議論がありますが、躁状態で書いたということは少なくともなかったでしょう。うつ状態から苦難の道を経てエロイカが生まれた。これなら納得がいくのです。ところが同じあたりでポツンと躁状態の極みみたいな18番ソナタが出てきた。

これは交響曲でいうと第4番がワルトシュタイン・ソナタと近親性があってということをここに書きました( ベートーベン交響曲第4番の名演)。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/07/21/%e3%83%99%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%99%e3%83%b3%e4%ba%a4%e9%9f%bf%e6%9b%b2%e7%ac%ac%ef%bc%94%e7%95%aa%e3%81%ae%e5%90%8d%e6%bc%94/


遺書を書くまでの重たいことは全部エロイカにぶちこんで、その「重たいこと」は純化して第5番運命に結晶化していく。そうじゃない脇道の部分、もっと人間的なものは別な入れ物に盛っていく。空想ですが、彼を聴覚を失うという恐怖のどん底から救ったのは女性かもしれませんね。それは上記のブログに書いた。そうでもなく彼がひとり部屋に閉じこもってこんなソナタを書くに至ったとは僕にはどうしても思えないのです。

17番(テンペスト)第3楽章が一貫して「運命リズム」(タタタターン)で出来ているのは有名ですが、18番第1楽章にもそれが出てきます。第3−6小節です。最初の2小節、同じ音型を2度繰り返して幕を開けるのは運命と同じ、しかしリズムは第9交響曲の第2楽章のはじめを思い出しませんか?このソナタ、猫と思ったらライオンの子だったという存在と思います。

beeth18いきなり遭遇するサブドミナントの五六の和音。これが序奏ならともかく、第1主題なのに肝心のトニックは第6小節まで現れません。それも開始のバスはド(a♭)なのにこっちのバスはド(e♭)でなくソ(b♭)。どうも煮え切らない主役の登場です。交響曲でいきなりトニック(あるいはその根音)が鳴らないのは1番だけです。剛球を封じてまず初球は変化球。18番は1800年ごろ書いた1番の実験精神も継いでいる、いろいろな側面で初期と中期のブリッジとなった興味深い曲です。

ターンタターン、ターンタターン、この5度下がる頭出し、僕にはルートヴィッヒ、ルートヴィッヒと聞こえてなりません。彼はまだベッドでまどろんでいて、誰かが起こしてくれる(交響曲第4番の稿に書いたあの人か)?第3小節、うーん、まだ眠い、彼は不機嫌。第6小節のトニックでやっと目が開くとまぶしい朝日が。いい天気だ!起きろ!変ホ音の連打に乗った軽快なアレグロは朝の浮き浮きです。

変ホ・変ロ・二の長7度のワサビの効いた和音を作る左手の動き。これは17番までのソナタからこの曲が突然変異的にエロイカよりの存在になった印。よし今日もやるぞという活力がこんこんと湧き出ている音楽ですが、そういうひそやかな和音の色合いが誰かの深い愛情にも包まれているという感じも添えています。これが大好きなんです。こんなに幸福なベートーベンが他のどこにいるでしょう?

この曲、全編にわたって会話が聞こえてきます。居間のおしゃべりの声があちこちから飛び交い、笑い、皮肉、冗談のオンパレード。第2楽章のおどけたスケルツォ。タターンタターンタターン、単音が中断してシーンとする、それが意味深に半音上がるとまた同じどたばたが始まる。爆笑。どこに聖書が出てきます?3拍子でなく2拍子のスケルツォ、それもソナタ形式でトリオを持つ三部形式でないというのも珍しいです。

一転してたおやかに始まる第3楽章は Menuetto, Moderato e grazioso と記されています。スケルツォというのは彼がメヌエットをやめて置き換えたものですから、第2楽章がスケルツォ、第3楽章にメヌエットというのは実は変なんです。その変なことを後でもう1回やっている。それこそが交響曲第8番です。8番もメトロノームをからかってみたり、歌って踊って笑ってに満ちあふれた突然変異的なシンフォニーでした。

beeth18.2

そして、どちらのメヌエットも名品です。18番の方、これはやがて第九のアダージョに繋がっていく高貴さです。ここを弾いてみてあれっと思ったのは8小節目です。ここの真ん中の音のc、d♭、dの半音階上昇は交響曲第8番のメヌエット(下)の青枠のf、f#、gを想起させます。ちょっとしたことですが何か血のつながりを感じます。ピアノ・ソナタでさえメヌエットはこれを最後にもう書いていません。それがどうして最後から2番目の交響曲に出てくるのか不思議じゃありませんか?

beeth8

この楽章はモデラートですが、アダージョ楽章がないせいか遅めに弾くピアニストが多いようです。「中ぐらいの速さで」とはアンダンテ(歩くような速さで)より速く、アレグレット(やや快速に)より遅いということですが後者により近い。フリードリヒ・グルダのテンポが適当だと思います。

第4楽章のPresto con fuoco 非常に珍しい。火のように情熱的に急速に弾けということです。ベートーベンではこんな表示は他にないんじゃないでしょうか。

バックハウスは自身最後となった1969年6月28日の演奏会で18番を弾きましたが、心臓発作を起こしました。そのため第3楽章まで弾いたのですがこの第4楽章はシューマンの幻想小曲集より2曲に変更してコンサートを終えました。その7日後に彼は亡くなったのです。彼は26日の第1回目演奏会ではワルトシュタインを弾いていますが、第2回目には18番を選んだということは興味深いものです。

演奏ですが、youtubeで初めて聴いたべラ・ダヴィドヴィッチをお借りしましょう。これをUPしていただいた方には感謝です。


DAVIDOVICH plays BEETHOVEN Piano Sonata No 18 Op.31-3 COMPLETE (1978) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SxYr0AblgnE

第1楽章の出だしの呼吸がいいですね。全体に構えの大きなベートーベンではないですが、とにかくピアノが素晴らしくうまいです。ショパンコンクール優勝者ですからうまいのは当たり前なのですが、それが売り物に感じないところがよろしいです。京料理の名店の懐石という風情で、何もとがったものはないですが良いものをいただいたという手ごたえがじんわり残る。こういう演奏が好きです。彼女の録音が全部欲しくなって探してみましたがほとんど廃盤のようです。もったいない話です。

もうひとつ、リチャード・グードの見事な演奏を。これもうまいです。


Beethoven - Sonata No. 18 in E-flat major, Op. 31, No. 3, 'The Hunt' (Richard Goode) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EHOGuR-qKYU

僕はフランクフルトで彼のベートーベンを聴きましたがこれは興奮ものでした。一緒に行かれた娘のピアノの先生に「いかがでした?」ときかれて「これはマーラーが弾いたベートーベンです」とわけのわからないことを口走ったのをなぜか覚えています。

全曲バックハウスばかり聴いていましたが、今いちばんよく聴く全集はグードです。特にベートーベンが嫌いな人こそぜひ。好きにしてくれる可能性のある全集と思います。

そのバックハウスの晩年のスタジオ録音はこの18番も立派な造形のものですが、ちょっと重たく指もまわっていない感じの部分があります。

クラウディオ・アラウは僕の好きなピアニストですが18番は曲の持ち味とやや合っていない感じがします。

素晴らしいのはアルトゥル・シュナーベルでしょう。テンポもニュアンスも最高ですが、録音がやや古いのが気になる方は同じ路線の名演を聴かせてくれる上記のグードが良いと思います。

ブルーノ・レオナルド・ゲルバーもお薦めです。彼のショパンをスイスで聴きましたが美しいレガートと強い打鍵が印象的でした。この曲ではそれが活きています。

マレイ・ぺライアもいいです。この曲を覚えたのはロンドンで買ったこのCDで、これのおかげですぐ曲が好きになりました。彼のモーツァルトは大変な美演で一世を風靡しましたが、その路線にあるベートーベンであり18番ではプラスに出ています。

リヒテルはこれが簡単な曲に聞こえるほど。腕前でいうならこれが一番でしょうが、曲のニュアンス(特に第1楽章)は今一つ。終楽章は凄い、降参です。

マリア・グリンベルグは大変に素晴らしい。これはお薦め。女性ながら実に豪腕でもありますがちょっとしたトリルなどソプラノ声部のニュアンスなど血が通っています。

アニー・フィッシャーは男勝りでややごつごつしますがその分造形がしっかりしていて僕は嫌いではありません。

ウィルヘルム・ケンプは技術が弱いですね。この曲は満足できません。

ペーター・レーゼルは何一つ不足のない正統派の演奏ですが、もう一味のニュアンスが欲しいという贅沢をいいたくなります。

アルフレート・ブレンデルの冒頭はニュアンスがいっぱいでおっこれはいいぞと名演を期待しましたが、どうも品を作りすぎで後半は飽きました。

ラザール・ベルマンは80年ごろ剛腕で鳴らしたロシア人でここでも技術は冴えていますが、味わいには欠けます。

フリードリッヒ・グルダは時々聴く演奏で興がのった快演ですがAmadeoの録音のせいかタッチが冴えません。惜しいです。

ウラーディーミル・アシュケナージの磨かれた美音は千疋屋の1万円メロンのよう。技術も文句なし。モーツァルトの協奏曲録音の路線にあり、それはそれで魅力的ですが買ってでも聴きたいかというとどうもという困ったもの。曲の破天荒なところが常識化した観があるのが理由かもしれません。

エミール・ギレリスはメヌエットの中間部の強奏や終楽章の低音の強打などこの曲の精神とやや離れている感じがします。

エリー・ナイは第1楽章が遅い、これじゃあ朝の浮き浮きにならない。主張の強い面白い演奏ですが技術の衰えが気になり僕はダメです。

アンドラーシュ・シフは巷の評価の高かったモーツァルト・ソナタ全集を買ったらちっとも面白くなくちょっとイメージが・・・。18番も綺麗ですが、美演なんですが・・・So what?。

ダニエル・バレンボイム(EMI)は若い割にまとまった演奏。第2楽章の左手のスタッカートが甘いなどエッジがないのが不満。

ハンス・リヒター・ハーザーはカラヤンとのブラームスPC2番の打鍵の強さに驚きましたがその路線の18番というレア物です。そういう曲じゃないですがもしもベートーベンがスタインウエイを与えられたらこう弾くかもしれないと思わないでもないです。

クン=ウー・パイクのベートーベン・ソナタ集は非常に素晴らしいです。自信を持ってお薦めします。18番は特筆するほどではなくワルトシュタインがベスト3級の名演です。

ゲルハルト・オピッツはドイツ時代にラインガウでベートーベンを聴きました。残響が多くて遠目の録音ですが現代のドイツ人による演奏としてトップレベルでしょう。

ポール・ルイスは全般にテンポが遅く趣味でありませんがその速度でやるだけの個性は感じます。

ジャン・ベルナール・ポミエは曲想によく感じていていいですね。メヌエットのテンポ、右手のトリルのセンスなど最高です。

H.J.リムは第1楽章が気まぐれでまとまりがないと思ったら第2楽章はもの凄く速くてうまい。よくわからない演奏ですがひょっとして天才的かも。ラヴェルも聴きました。青臭くて荒削りですが、小さくまとまる感じでないのはいいですね。ソナチネの第2楽章などそれが即興的で良い方に出ています。


(こちらをどうぞ)

Beethoven - Jean-Bernard Pommier (1984) Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31 No.3 (The Hunt) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=pd8CXrPgExE


http://シューベルト ピアノ・ソナタ第18番ト長調 「幻想ソナタ」D.894

ポミエのベートーベン ピアノ・ソナタ全集
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/01/13/%e3%83%9d%e3%83%9f%e3%82%a8%e3%81%ae%e3%83%99%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%99%e3%83%b3%e3%80%80%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e3%83%bb%e3%82%bd%e3%83%8a%e3%82%bf%e5%85%a8%e9%9b%86/

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/08/24/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%98%E7%95%AA%E5%A4%89%E3%83%9B%E9%95%B7%E8%AA%BF-%E4%BD%9C/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?

ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?

ブラームスの名曲といえばもちろん
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/


1名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 07:33:17.49ID:cMdhEX7k

交響曲第三番
op.117間奏曲集

5名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 20:57:40.94ID:4qo9wefL

ブラSym4&1&2

6名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 21:16:54.74ID:7RqUVxXQ

交響曲4だな

7名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 21:20:41.57ID:QcxS9D2x>>11

世の中の評価ほど才能がある作曲家に思えない。


8名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 21:21:02.89ID:ctKkRqgR

ブラームスの子守唄より五木の子守唄のほうが数倍名曲

11名無しの笛の踊り2019/10/16(水) 22:11:02.72ID:cMdhEX7k
>>7
そりゃ才能ない作曲家の代表だし
能力でねじ伏せてる

12名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 01:41:08.14ID:9Nb7jkIZ

ブラ2好き

14名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 16:59:03.45ID:jMBXcTgj

は?ハンガリッシュダンスじゃね?


15名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 17:07:18.65ID:BCVhP2fR
>>14
ジプシーの伝承音楽の採譜です。

16名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 17:25:21.91ID:dQxrH7KZ

室内楽に名曲が多い気がする

17名無しの笛の踊り2019/10/17(木) 20:31:20.68ID:tZTojrVC

雨の歌

18名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 01:00:49.67ID:qwbcrAPh

ア・カペッラのモテット ”なぜ、苦しむ人に光があたられるのか”
Warum ist das Licht gegeben dem Mühseligen 0p.74-1

ブラームスの合唱曲は宗教的、世俗的問わず、実にしぶい

19名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 01:41:36.63ID:V30Bgffa

ホルントリオも好き

21名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 07:35:01.16ID:5ftpFWxM

クラリネット三重奏が最高の名曲だね

クラリネット五重奏よりも良いよね

22名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 07:38:32.93ID:5ftpFWxM

20代の作品を聴く限り、才能では

バッハ>>ブラームス>モーツアルト>シューベルト>ベートーヴェン>ワーグナー>>ブルックナー

の順だね

ブラームスは30歳以降伸びなかった

23名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 07:44:59.78ID:5ftpFWxM

ブラームスとモーツアルトを比較すると

交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲すべてでブラームスの方が上だね

24名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 09:59:29.50ID:5ftpFWxM

クラリネット五重奏はブラームスの方がモーツアルトより上

レクイエムもブラームスの方がモーツアルトより上

ブラームスが作曲しなかったオペラだけモーツアルトの価値が有るね

25名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:18:22.78ID:dMOqF0eV

おれは室内楽だけだと思う。

26名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:40:17.56ID:5ftpFWxM

Knappertsbusch はモーツアルトやシューベルトの交響曲は全然相手にしなかったけど、
Brahms Symphony No. 3 だけは極めて高く評価していたよね:

Johannes Brahms (1833-1897)
Symphony No. 3 in F major, Op. 90

Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Stuttgart Radio Symphony Orchestra (Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR)

Rec. 15 November 1963 (Live Recording)
https://www.youtube.com/watch?v=th82p_KdqWo

27名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:48:03.52ID:5ftpFWxM

ブルックナーはブラームスのピアノ協奏曲第一番を協奏曲史上最高の名曲だと思っていたし


Brahms - Backhaus - Bohm, 1953 Piano Concerto No. 1 in D minor, Op. 15 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FLeA3linKSA

28名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:49:26.88ID:5ftpFWxM

ブラームスはモーツアルトやシューベルト程度では敵う相手じゃないよ

29名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 10:56:03.65ID:dMOqF0eV

ブラームスは、はっとするメロディーが全然浮かばなかった人。

30名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 11:01:11.41ID:5ftpFWxM

雨の歌は名曲だよ

クラリネット五重奏のメロディーは大人気だし

31名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 11:04:52.94ID:5ftpFWxM

brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K570sk82hNc

32名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 11:15:03.37ID:5ftpFWxM

Brahms Regenlied - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Brahms++Regenlied+

33名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 12:57:45.72ID:5ftpFWxM

これもメロディーが綺麗なので有名な名曲


String Quartet No. 3 in B Flat Major, Op.67 III. Agitato (Allegretto non troppo) - Trio - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bOYyXwB51sU

34名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:03:03.25ID:5ftpFWxM

歌曲はみんな名曲だね

Kathleen Ferrier; Vier ernste Gesange; op. 121; Johannes Brahms - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9IFYlbn65dI

35名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:09:35.43ID:5ftpFWxM

出来が悪い交響曲もモーツアルトやシューベルトよりは上


FURTWANGLER & Brahms-Finale from Symphony #1.wmv - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NUWMrC96sVY
1945年1月23日

36名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:15:27.33ID:5ftpFWxM

ブラームスはホルンを生かすのが天才的に上手いよね:


brahms Trio in E flat major for Piano, Violin and Horn, Op. 40 - Busch - Brain - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LjgxHRsLTPU

37名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:23:52.35ID:5ftpFWxM

ポピュラー曲を書いても才能が全然違うよね:

Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York - Walter - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=otpoMv9tgS4

38名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:29:14.38ID:5ftpFWxM

パガニーニもブラームスのお蔭で有名になったんだよね:


Wilhelm Backhaus plays Brahms Paganini Variations Op. 35 (1-2) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7slMrXTcUZk

39名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:30:45.13ID:5ftpFWxM

Wilhelm Backhaus plays Brahms Variations on a Theme of Paganini Op.35 (1925) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t7eWKu1LQPU

40名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 13:51:38.03ID:5ftpFWxM

これも二重協奏曲の最高傑作

Brahms Double Concerto Adolf & Hermann Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vxIo9-CTaCk


Double Concerto in A minor op 102
by Johannes Brahms

Adolf Busch, violin
Hermann Busch, Cello
Orchestre National de la Radiodiffusion Francaise
Paul Kletzki, Conductor
1949

41名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 14:32:57.39ID:hkAFIp0Y>>70

ピアノ協奏曲第2番だろ!!


70名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 01:51:59.18ID:FYqrGdN/
>>41
甘い旋律と爽やかさと重厚さを兼ね備えた超名曲でありクラシックで私の一番好きな曲

71名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 02:11:13.80ID:FYqrGdN/
>>70
ガーシュイン「パリのアメリカ人」風に言うなら「ブレンナー峠のドイツ人」

55名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:14:01.13ID:5ftpFWxM

バックハウスも晩年はこの曲が一番好きだったんだよね:

Wilhelm Backhaus- Brahms Piano Concerto No. 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=D3k2a4Gi0Fc

Wilhelm Backhaus plays Johannes Brahms Piano Concerto, in 1967.
This is one of the last of his recording.

Wiener Philharmoniker
Conductor: Karl Bohm

43名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:34:08.99ID:5ftpFWxM

ブラームスは音色がブラームスの音色でないと全然面白くないから正当な評価が難しいんだよね。
こういうブラームスの音を出せる演奏家が居なくなったからブラームスの評価が下がったんだ:


Brahms - Violin sonata n°2 - Busch - Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDoYFyI0EVE

Brahms Violin Concerto Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2-xD-u2JAjY

44名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:43:50.79ID:5ftpFWxM

クラシックの核心 片山 杜秀 (著)

「フルトヴェングラー」の章では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、
フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、
いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、
いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」

オーディオ的にみて興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが得意の我が家のJBLシステムで
フルトヴェングラーをまったく聴く気にならないのもそういうところに原因があるのかもしれない。

通常「いい音」とされているのは、端的に言えば「分解能があって奥行き感のある音」が通り相場だが、
指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、
そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼやけた音」が不満で遠ざけたタンノイさんだが、逆に捨てがたい味があるのかもしれないと思った。

「いい音とは」について、改めて考えさせられた。

45名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:46:09.07ID:5ftpFWxM

Brahms, Symphony No. 3 Op, 90 - Furtwangler, live 1949 (complete) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fRQTYE1dyQc


Johannes Brahms - Symphony No.3 in F, Op 90

0:00 - I. Allegro con brio
13:16 - II. Andante
22:59 - III. Allegretto
29:22 - IV. Allegro

Wilhelm Furtwangler, Berliner Philharmoniker
recorded live at RIAS Berlin, december 18, 1949

46名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:47:59.96ID:5ftpFWxM

Wilhelm Furtwangler-Berlin Phil Brahms' Symphony No. 4 Live, 1948 [Remastered - 2016] MUST LISTEN - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ho-VIo7pLzc


Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
Live 1948 in Berlin

47名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 16:51:13.06ID:5ftpFWxM

Furtwangler - the Melodiya records - Brahms Variations on a theme by Haydn - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BQGclsYNHNQ

Variations on a theme by F.J.Haydn, op.56a
12~15th Dec. 1943, Philharmonie, Berlin
Wilhelm Furtwängler and the Berlin Philharmonic
____

Brahms - Haydn Variations - NDR - Furtwangler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RZUFmoTYl6g

Johannes Brahms

Variations on a theme by Joseph Haydn op.56a

Sinfonieorchester des NDR
Wilhelm Furtwangler
Live recording, Hamburg, 27.X.1951  

48名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 17:02:36.94ID:5ftpFWxM

Brahms - German Requiem - Furtwangler, SPO (1948) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IUr2nBtGVuc


Ein deutsches Requiem (Johannes Brahms)
0:00 1. Selig sind, die da Leid tragen
12:46 2. Denn alles Fleisch, es ist wie Gras
29:15 3. Herr, lehre doch mich
40:14 4. Wie lieblich sind deine Wohlungen
45:59 5. Ihr habt nun Traurigkeit
55:01 6. Denn wir haben hie keine bleibende Statt
1:06:56 7. Selig sind die Toten

Stockholm Philharmonic Orchestra
Stockholm Philharmonic Chorus
Wilhelm Furtwangler, Conductor
Stockholm 1948

49名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 17:08:22.22ID:hiAAA3/w

ヴァイオリンソナタ第2番はフランクのヴァイオリンソナタと似ていてより優れていると思う

50名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 18:35:55.29ID:aJvEYDbd

いやぁレクイエムに関しては、モツの方が、、、

51名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 18:51:00.31ID:5ftpFWxM

音楽は好き嫌いだから優劣付けても仕方ないよね


Mozart Requiem Karl Bohm - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B-4ItWlPo48


モーツアルトは曲自体は大したこと無くても好きな人が多いから得してるね

52名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 19:17:27.03ID:fVO09eY2

どう考えても、それはないだろう
一般的にも

53名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 19:47:17.10ID:5ftpFWxM>>56

ヨーロッパでは20世紀初めまでモーツアルトは子供の音楽だとされていてインテリは相手にしていなかった

ベートーヴェン >> ワーグナー、ブラームス >> モーツアルト、ショパン、シューベルト、メンデルスゾーン

というのが当時の評価

54名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:01:17.68ID:nIzibNO2

すげぇ
ブラームスって人気だね


56名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:14:52.97ID:c9jBEvPW

そりゃ、3Bといえば、、、ブラームス!

>>53
その構図だと、ブラの評価は、たいしたことない。


レクイエムでは、やはりカトリックの様式美が大切。よって、モーツァルトが最高。
フォーレが次にくる。

ブラームスは、やや雑多な印象となる。
個人的には、最高だが、プロテスタントだしね。

57名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:19:29.29ID:5ftpFWxM

武満徹さんはこんなことを言っていました。
このインタビューは’92年9月に行われていますから、武満さんが亡くなる’96年の約3年半くらい前ということになります。

 「最近、ブラームスに夢中になっちゃってて、皆に笑われてますけれども。
今頃、ブラームスがいい、って言うのか、って言われて。」

 「なんていうんだろう、あれだけの音楽としての骨格というか、構築力っていうの、作り上げる力、論理っていうのかな、
とてもわれわれにはないもんだし。
それは、もしかしたらなくてもしょうがないことなんだけど。

でも今頃になって、僕はベートーヴェンとかバッハとかブラームスとか、そういう人たちの音楽の力っていうか、
芸術としての力、決して古くなくって・・・それこそ、ブラームスは同時代人だ(笑)、とつくづくとそう思っていますね。」

58名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:20:37.90ID:5ftpFWxM

ついこの前出たポリフォーン「総特集・武満 徹」の中に、このクラリネット・ソナタの譜面を見てピアノで弾いてみた武満が

「こんないい音楽があったら、もう他に音楽はいらないんじゃないかというような、譜面を全部見終わったときに、自分が感じた印象というのは、
完璧だ、ということでした」

と講演でしゃべった速記が載っていました。さらにシンポジウムで秋山邦晴がその「ブラームス発言」に現代作曲家としては安易な発言だという疑義が発せられて
それに答える形で、詳しくは原文を当たって頂くとしていくつかの弁明をされたあと、

 ・・あの人が書いた旋律などを見ていると、今までなんとなく聴き流してしまっていたけれど、
その音をよく確かめてみると、そんなに単純な甘ったるい旋律というようなもんじゃないんですね。
そこには確固たる、知的な構造がある。僕なんかがいちばん持ってないものを持っている。

と述べ、ソナタ1番アンダンテ冒頭のE♭とD♭が曲全体の構造に深く密接に関わってる点とリズムのセルがわずか4小節のなかで
2小節ずつ生と死とも言える極端な対比を作っていることでその構造の卓抜さの説明をしました。

こんなブラームス解説はいままで読んだことはなく、もっと第1線の作曲家の方々に名曲解説をして頂き
愛好家の蒙を啓いてもらいたいと思わせるとともに、1番の当方の印象もまんざらまちがっていなかったのがわかり、腑におちた、
という気分になりました。

 しかしあのアンダンテの冒頭に生と死の対比を嗅ぎつけるこの武満の感性の鋭さにはとてもついて行けないものがあります。
ブラームスの深い知性、芸の細かさにあらためて目を開かされました。

59名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:28:25.14ID:5ftpFWxM

武光徹はこの曲が一番好きだったんだ:

Reginald Kell, Louis Kentner, Anthony Pini play Brahms Trio (R.1941) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1G79z6SGaFc

Brahms: Clarinet Sonata in F minor, op 120
cl: Reginald Kell pf: Mieczyslaw Horszowski
http://www.youtube.com/watch?v=c-wYtDLhvkE

60名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:36:07.31ID:5ftpFWxM

brahms Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952) ブラームス クラリネット三重奏曲 ウラッハ&クヴァルダ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uY1KOvnNicI

brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953) ブラームス クラリネットソナタ第1番 ウラッハ&デムス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=84vFArQzQHM

brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953) ブラームス クラリネットソナタ第2番 ウラッハ&デムス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JrhqxXdjI6w

61名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:37:20.97ID:5ftpFWxM

brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5rKJCFg3yn4

62名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:41:17.97ID:Ep5n++YN

玄人むきだよね。ネーメ・ヤルヴィも大のお気に入りだと言っていたし。

63名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 20:44:46.19ID:5ftpFWxM

これは映画音楽になったね:

恋人たち Les Amants (1958)

監督:ルイ・マル
出演:ジャンヌ・モロー アラン・キュニー

音楽:Johannes Brahms: String sextet in B flat Major, Op. 18, II. Andante, ma moderato
http://www.youtube.com/watch?v=o0B8LqiReuQ

Brahms-Sextet for Strings No. 1 in B flat Major Op. 18
Isaac Stern, Alexander Schneider: violin-Milton Katims, Milton Thomas: viola-Pablo Casals, Madeline Foley: cello-Prades-1952
http://www.youtube.com/watch?v=u_e86keYgfc

64名無しの笛の踊り2019/10/18(金) 23:49:26.76ID:GyuOUkgb

ピアノ四重奏曲第1番の4楽章にハッとする瞬間がある
ムッシュ・イールという映画に使われていた

66名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 00:26:15.25ID:8vCWpJi2

Bra SQ, Sextなんかは、最初に聴いた。初心者向け

67名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 00:47:06.29ID:tXOFdf+Q

運命の歌
ヘルダーリンの歌詞による管弦楽伴奏の合唱曲
こういうの他の作曲家でなかなかない気がするんだな
アバドはこの曲を好きだったのか生涯にわたって時々演奏してたようだ

68名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 00:47:12.30ID:uvqqpZ8e

今の初心者が聴くなら、ステレオ盤がいいのでは?

69名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 01:08:44.21ID:8vCWpJi2

SQ集などは、DGからのOriginalsで、十分堪能できる

アマデウスSQとかだ。

初心者向け

72名無しの笛の踊り2019/10/19(土) 02:31:48.04ID:UHTWi7A1

福田さんだったが
音階が昔に比べてEだかが高くなっていて
ブラームスのトーンが消滅したとか
書いていたのを見てなるほどと思った
ことがある
室内楽の昔のモノラル録音なんか聴くと、確かにそんな気がする
けど、管楽器なんかその頃と規格が違ってるんだろうか
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1571178797/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
1. 中川隆[-10729] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:33:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2127]

ベートーヴェンの真実 _ ベートーヴェンは何故お金に困る様になったのか?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/569.html

まともな人間は音楽家になれない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c1

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
1. 中川隆[-10728] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:36:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2128]

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html

ドイツの音とは何か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/447.html

ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html

作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?_宇野功芳 樂に寄す
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html

天才ピアニスト ヴァン・クライバーンとは何だったのか? _ アメリカ人には音楽は理解できない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/430.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c1

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
2. 中川隆[-10727] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:42:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2129]

ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html

ドイツの真空管 1 _ RV258
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/463.html

ドイツ OCTAVE社の真空管アンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/946.html

粋音舎 _ ドイツ古典フルレンジシステム販売
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html

ドイツ製ヴィンテージ・オーディオ販売 クラング・クンスト KLANG-KUNST
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/479.html

クラング・クンスト _ DSDフォーマットの歴史的名盤の音楽ファイルをダウンロード販売
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/962.html

シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
207. 中川隆[-10726] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:42:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2130]

ドイツの真空管 1 _ RV258
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/463.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c207
[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
2. 中川隆[-10725] koaQ7Jey 2019年10月19日 09:58:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2131]

因みに、ベートーヴェンのピアノ曲の最高の名作は不滅の恋人と言われているブレンターノ夫人に献呈されたこの曲だというのが定説です:


Beethoven Piano Sonata No.30 op.109 - Backhaus - (Firenze 1969) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1jROtkvOwDM

beethoven Piano Sonata No. 31, Backhaus (1963) ベートーヴェン ピアノソナタ第31番 バックハウス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FV9B2yk8AxM

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111 バックハウス 1961 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uyk6g0wnJQE


この三曲は三つ合わせて一つの曲なんですね。


詳細は


ヨウラ・ギュラーを発見 _ 運命の出会い? それとも… _ Youra Guller plays Beethoven Sonata No. 32 in C minor Op. 111
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/433.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c2

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
63. 中川隆[-10724] koaQ7Jey 2019年10月19日 12:06:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2132]
2019.10.19
ベネズエラの国営石油会社をロシアのエネルギー会社が経営する可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201910190000/


 アメリカはベネズエラにも経済戦争を仕掛けている。その最大のターゲットは国営石油会社のPDVSA。同社がアメリカに保有していた資産70億ドルは凍結され、石油の販売も妨害されている。

 イランでイスラム革命があったときにも資産が凍結された。アメリカにある資産は絵に描いた餅、幻影にすぎないと思った方が良いだろう。日本がアメリカに対して持っている債権も同じことだ。

 苦境にあるPDVSAをロシアのエネルギー会社ロスネフトが支援してきたが、ベネズエラのロシアに対する負債を軽減するため、私有化せずに​PDVSAの経営権をロスネフトへ渡す合法的な手段を検討​しているようだ。

 アメリカがベネズエラの体制転覆を計画するようになった理由は1999年にウーゴ・チャベスが大統領に就任したことにある。チャベスは自国をアメリカから独立させた。

 そこで、​2002年にジョージ・W・ブッシュ政権はクーデターを試みた​が、その中心人物はイラン・コントラ事件に登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして国連大使だったジョン・ネグロポンテの3人。ネグロポンテは1981年から85年にかけてホンジュラス駐在大使を務めていたが、そのときにニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、死の部隊にも関係している。

 このクーデター計画を事前に知らされていたチャベス政権は潰されずにすんだ。情報を伝えたのはOPECの事務局長を務めていたアリ・ロドリゲスだ。

 また、​ウィキリークスが公表したアメリカの外交文書​によると、2006年にもベネズエラではクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに操られている機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、それによってアメリカの重要なビジネスを保護してチャベスを国際的に孤立させるとされている。

 チャベスは2013年3月に癌のため、58歳の若さで死亡。その際にアメリカは体制転覆を目論むが、それも失敗した。チャベスを引き継いだニコラス・マドゥロもアメリカの支配層から嫌われている。

 アメリカがマドゥロを倒す手先に選んだ人物がフアン・グアイドで、アメリカ政府は「暫定大統領」というタグをつけた。この人物を支援しているひとりがマルコ・ルビオ上院議員。この議員は自身の​ツイッターにムアンマル・アル・カダフィの元気な時の姿と惨殺される寸前の様子を撮影した写真を並べて載せていた​。

 ルビオはキューバ系だが、ほかの議員と同様、イスラエルのためにも活動している。ルビオはイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)を法的に禁止しようとしているグループのひとりであり、2017年5月には反中国運動の中心メンバーである黄之鋒(ジョシュア・ウォン)と会談している。

 グアイドは「何か」が2月23日に起こると「予言」していたが、その日にはバージン・グループを率いるイギリスの富豪、リチャード・ブランソンが主催するコンサートが予定されていた。

 コンサートに20万人以上が集まったとワシントン・ポスト紙は伝えていたが、その様子を撮影した写真から実際は1万5000人くらいと推測されている。

 コンサートの開催日に「人道的援助物資」を積んだUSAID、つまりCIAのトラックがコロンビア領内に出現し、現在は使われていない橋を渡ってベネズエラ領へ侵入しようと試み、混乱を引き起こそうとしたが、失敗している。

 3月7日にベネズエラでは大規模な停電があったが、その数分後にルビオ議員はその状況を詳しく述べ、空港ではバックアップの発電機も起動しなかったことが指摘している。これは事実だが、その時点ではベネズエラ政府もその事実を把握できていなかった。

 4月30日にグアイドは軍事蜂起を呼びかけたのだが、「笛吹けど踊らず」で無様なことになる。グアイドと同様、反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペス(2014年のクーデター未遂で自宅軟禁中だったが、クーデター派によって解放されていた)はスペイン大使館へ逃れ、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んでいる。

 マドゥロ政権の転覆に失敗したアメリカ政府は経済戦争、一種の兵糧攻めを続けてきたが、ロシアや中国が立ちはだかっている。登場人物を見てもわかるように、中東、ウクライナ、香港、ベネズエラなどにおける混乱はアメリカの世界制覇プランが原因だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201910190000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c63

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
64. 中川隆[-10723] koaQ7Jey 2019年10月19日 12:08:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2133]
2019.10.15
IMFの命令で新自由主義的な政策を進めるエクアドルで大規模な抗議活動
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201910150000/

 エクアドルでは10月3日からレニン・モレノ政権に対する大規模な抗議活動が続いている。すでに7名が死亡、1300名以上が負傷、1100名を上回る人が逮捕されたと伝えられている。

 抗議活動の切っ掛けは10月1日に政府が宣言した燃料補助の打ち切り。40年の歴史があるこの政策が打ち切られたことでディーゼル燃料の価格は倍増、ガソリンは約30%値上がりし、庶民の生活は苦しくなる。今後、新自由主義的な政策が打ち出されてくるため、庶民の貧困化が進むことは間違いない。こうした政策を命令しているのはIMFだ。

 モレノが大統領に就任したのは2017年のことだった。今年3月11日にIMFはエクアドルに対して42億ドルの融資を実施すると発表、その条件として緊縮財政を強要してきたわけだ。言うまでもなく、この緊縮財政は庶民に負担を強いるもので、富を欧米の金融機関やその手先になっている一部の地元有力者へ集中させることが目的。必然的に庶民は貧困化する。

 エクアドルに対する融資の場合、ほかに重要な交換条件がつけられていたと見られている。2007年1月から17年5月まで大統領を務めたラファエル・コレアが亡命を認めたウィキリークスのジュリアン・アッサンジをアメリカへ引き渡すということだ。

 融資を受けてエクアドル政府は亡命を取り消し、4月11日にイギリス警察はエクアドル大使館へ乗り込んでアッサンジを逮捕した。アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されている。

 アッサンジは友人や親戚の面会が禁止され、弁護チームも監視下で会うことが要求されているほか、食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されている。彼の弁護士によると、アッサンジの健康状態は悪化しているという。

 アッサンジを尋問しているアメリカ人は国防総省、FBI、CIAに所属している人びとで、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されていると言われている。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすと言われている。

 モレノは汚職で受け取ったカネのロンダリングを行うためにINA投資という名前のペーパーカンパニーを2012年にベリーズで作ったという話がリークされた。その責任はウィキリークスにあるという理由でアッサンジの亡命を取り消したとモレノは主張している。

 IMFは米英を中心とする西側の巨大メディアとタッグを組んでラテン・アメリカ、アジア、アフリカといった国々で略奪してきた。その仕組みの中心には金融がある。

 ギリシャもIMFと巨大金融資本の餌食になっている。まず財政破綻させるところから略奪は始めるのだが、その始まりは通貨の切り替え。2001年に自国通貨のドラクマを捨て、ユーロにしたのである。この切り替えでギリシャは経済的な主権を失った。

 実は、EUのルールに従うとこの通貨切り替えはできないはずだったが、財政状況の悪さを隠して実行している。その作業で中心的な役割を果たしたのが巨大金融機関のゴールドマン・サックス。財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませたのである。

 その手法とは、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを使って国民に事態を隠しながら借金を急増させ、投機集団からカネを受け取る代償として公共部門の収入を差し出すということが行われていたという。

 その結果、ギリシャは借金漬けになり、「格付け会社」がタイミングを見計らってギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱させる。

 財政危機が表面化した際、ECB(欧州中央銀行)、IMF(国際通貨基金)、そして欧州委員会で編成される「トロイカ」は欧米の巨大金融機関を救済するため、緊縮財政を強要、尻拭いを庶民に押しつけようとする。

 ちなみに、ギリシャを破綻させる作業が続いていたであろう2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは06年にイタリア銀行総裁、そして11年にはECB総裁に就任している。

 ギリシャの財政危機を招いたのは年金制度や公務員の問題だと西側のメディアは宣伝していたが、それでは危機が急に深刻化した理由が説明できない。そもそもギリシャの財政を悪化させた最大の要因は第2次世界世界大戦や軍事クーデターによる国の破壊だ。

 新自由主義が初めて政策として導入されたのは軍事クーデター後のチリ。このクーデターでアメリカの巨大資本に盾突く勢力を消滅させ、シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づく大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。

 その政策とは労働組合を弱体化し、健康管理から年金、教育まで全てを私有化しようというもの。一連の規制緩和でチリの民間部門は外国の金融機関から多額の資金を調達、1980年から82年の間に債務額は倍増、対外債務は200億ドルに達する。その3分の2は民間部門だった。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)

 債務危機が起こると、外国の金融機関は銀行の国有化を要求し、国有化された彼らの債権は私有化された国有企業の株券と交換することが許されていた。その結果、年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになる。

 庶民の貧困化が進み、貧困層の子供は教育を受けるチャンスを奪われ、さまざまな不平等を再生産することになる。そして麻薬ビジネスが経済を支えることになった。これが「チリの奇跡」だ。

 モレノのような人物が大統領になり、西側の巨大資本やその手先を儲けさせる情況を生み出した原因は、この略奪の仕組みを破壊しなかったことにある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201910150000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c64

[お知らせ・管理21] 赤かぶさんの投稿スタイルに疑義あり AN
11. 中川隆[-10722] koaQ7Jey 2019年10月19日 12:28:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2134]
4. 2019年10月19日 07:35:55 : syoID3ywmo : ei90ZldySjdXbi4=[178]

阿修羅掲示板の投稿みてみなさい。
ほとんどまともなものありません、キチガイの集まりになりつある。

ストレスの発散場所、便所みたいなもんですげんじょうは、どうしようもない。

イカれポンチのあつまりですよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo266/msg/554.html#c4


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「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html


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阿修羅掲示板でも「認知の歪み」が酷い投稿者が頑張っていますね:


阿修羅掲示板でデマを撒き散らしている頭がおかしい投稿者のリスト

・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
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・櫻井ジャーナル 櫻井春彦
・てんさい(い)= 東海アマ
・小野寺光一
・仁王像
・西岡昌紀
・木村愛二
・こーるてん
・taked4700
・HAL
・ポスト米英時代=小沢内閣待望論
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/571.html#c11

[お知らせ・管理21] 阿修羅サイトがGoogleからとても嫌われた話 管理人さん
40. 中川隆[-10721] koaQ7Jey 2019年10月19日 12:29:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2135]
4. 2019年10月19日 07:35:55 : syoID3ywmo : ei90ZldySjdXbi4=[178]

阿修羅掲示板の投稿みてみなさい。
ほとんどまともなものありません、キチガイの集まりになりつある。

ストレスの発散場所、便所みたいなもんですげんじょうは、どうしようもない。

イカれポンチのあつまりですよ。
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[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
3. 中川隆[-10720] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:25:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2136]

ブラームスの母は熱心なプロテスタントで、父はユダヤ人であったといわれている。ブラームスは家族構成からしても、特定の宗教に固執していたわけではなかった。信仰はプロテスタントであった。

1850年、ワーグナーは「音楽におけるユダヤ教」の中で、「メンデルスゾーンの作品は、深く心に訴えかけるものでもなければ、高い精神性も感じられない」と、メンデルスゾーンに対しての中傷を述べた。

この一言は、次第に広まり、メンデルスゾーンの作品は不評を買うようになり、無視されるようになった。

ブラームスなど、彼を高く評価をする音楽家も多く存在したが、1933年以降、ナチズムの台頭により、ドイツ国全体に反ユダヤ主義が高まったため、再びワーグナーの言葉が注目を浴びることとなった。というのも、ナチスがワーグナーの反ユダヤ主義論を積極的に採用したからだ。その結果、12年もの間、メンデルスゾーンの作品の演奏禁止、業績の封じ込め、記念碑の打ちこわしが行われた。序曲「真夏の夜の夢」の書き直しを要求することもあった。


___

ドイツにおけるプロテスタンティズム音楽とその周辺の調査
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/letters/fees_schol/scholarship/report2014/rep06/

 私は2014年9月6日から15日まで、ドイツのライプチヒ、アイゼナハ、ベルリン、ポツダム、ハンブルクを訪れ、プロテスタンティズム音楽の調査を行った。私は長年クラシック音楽が好きで、自分の専攻でドイツの文化史を学んでいる際に、音楽と文化史の繋がりに興味を持ったことがきっかけとなった。特に日本ではあまり触れることのできない、教会音楽を肌で感じたいと思ったし、音楽の原点とも言われる教会音楽について調査をすることで、私を魅了するこれらの音楽の本質に迫りたいという思いにより、今回の調査に至った。

   調査方法としては、日本にて参考文献を熟読し疑問点を取り上げ、プロテスタンティズム音楽の構築に重要な人物や建築物にまつわる場所、博物館を訪れ、質問をするというものである。

ドイツのプロテスタンティズム音楽

 初めに、ドイツのプロテスタンティズム音楽について述べる。1517年、マルティン・ルターが「九十五か条の意見書」を発表し、信仰のよりどころを聖書のみに求め、ローマ教皇の免罪符販売と教会の腐敗を批判したことから、宗教改革が行われた。これによって、教会はカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)に二分された。プロテスタントは、礼拝にはより多くの人が参加することを望み、音楽もオルガンや聖歌隊のみではなく皆が声を合わせて歌うべきだとした。(これに対し、カトリックでは、オルガンや聖歌隊が目立って活躍した。)そしてプロテスタントの中でも更に、ルター派とカルヴァン派に分けられた。これらには音楽に関する相違点がある。ルターはあらゆる手段を用いて神を賛美すべきだと主張し、コラールを採用し、聖歌隊もオルガンも残した。一方、よりプロテスタントに厳格であったカルヴァンは、伴奏なしで斉唱をする詩篇歌を採用したために、こちらの党派では聖歌隊もオルガンも用いられなくなった。なお、今回私が焦点を置いたのは、ルター派のプロテスタンティズム音楽である。ちょうどこのころから、ルター派のバッハが教会音楽で活躍し、その土台を築いた。(金澤2007 p15-30参照)


ヨハン・セバスティアン・バッハ

 ドイツプロテスタント音楽はバッハにより築かれた。彼が最も多くの教会音楽を残したライプチヒのトーマス教会、そして彼にまつわる資料を探すためにバッハミュージアム、アイゼナハのバッハハウス、ポツダムのサンスーシ宮殿を訪れた。

1)アイゼナハ

 バッハは父のアンブロジウス、父の従兄のクリストフをはじめとする、音楽一家に生まれた。生誕の地は、アンブロジウスが音楽監督を務めた、アイゼナハである。アイゼナハはライプチヒからICE(特急電車)で約2時間のところにあり、バッハの生誕地のほか、ルターの活躍の地としても名高い、小さな町である。町の中心部のマルクト広場では、300年以上前に、ここで少年のバッハが遊んでいたのだろうか、と想像を膨らませながら歩いた。


写真:街の中心部、マルクト

 バッハ一家は、パン焼き職人であったファイトを初めとし、一家のほぼ全員が聖歌隊や楽器職人を含む音楽家であった。ファイトの故郷ヴェヒマールを中心に、アイゼナハ、エアフルト、アルンシュタット、マイニンゲンの各地にバッハ一族が栄えていった。
 父アンブロジウスは、アイゼナハの音楽監督であった。彼は熱心なキリスト教徒で、ルターを敬愛していた。ルターは、ヴァルトブルク城にて聖書のドイツ語訳をし、15歳から17歳には、この町の聖ゲオルク教会の付属学校に通っていたため、ルター派プロテスタント教徒にとって、この町は非常に重要な都市なのである。ヴァルトブルク城には、ルターの部屋が残されている。城の中心部から離れた、小さな部屋で、壁に向かっている木製の机と椅子からは、当時のルターの勤勉さと、長時間にわたる作業の厳しさが感じられた。


写真:ヴァルトブルク城と街並み


写真:ルターが聖書をドイツ語訳した部屋。

アンブロジウスは教会にて徒弟たちに聖歌を教えるという仕事をしており、またその教会の一つである、聖ゲオルク教会での礼拝では、兄のクリストフがオルガンを演奏した。こうしてバッハはこの町で、幼少期から自然と、プロテスタント音楽に触れていたのだ。七歳になると、ルターが通った学校と同じ、聖ゲオルク教会の付属学校に進学し、週末にはクレンデと呼ばれる小編成の合唱隊として、この町を歌い歩いたという。  10歳になると、父が他界したため、この町を去り、兄がオルガニストを務めていたオールスドルフへと移住することとなった。

 短い期間ではあったが、バッハがプロテスタント音楽家となったのに、間違いなく大きな影響を与えたのは、このアイゼナハであろう。

・バッハハウス

 アイゼナハには、バッハの博物館である、バッハハウスがあり、世界中から観光客が集まっている。


写真:バッハハウスの前にあるバッハ像

(バッハの死から100年後に、この町が、像を作ることを決めた。作成にはリストやクララ・シューマンらも協力した。彫刻家は、アイゼナハのルター像やドレスデンのフラウエン教会の製作者と同じである。当時からバッハが人々にどれだけ愛されていたのかがみてとれる。)

 この家は、1674年にアンブロジウスが購入した家で、1905年に新バッハ協会が購入し、博物館として利用できるように整備したものである。アイゼナハは第二次世界大戦での被害を受けて大火事に見舞われたため、この家も焼失しかけたが、1946年に博物館として再び蘇らせるために改修工事をすることが決定された。なお、新バッハ協会購入当時はこの家でバッハが誕生したと思われていたが、実際に誕生したのはここから少し離れたところにあるため、生家自体は残っていない。


写真:バッハハウス 外観

 この博物館は、二階建ての木造建築で、一階には古楽器のミニコンサートが開催されている、小さなホールがある。展示品は、バッハの生涯についての記事や楽譜、バッハファンが夢中な数学的視点から見たバッハの解説など、多岐にわたっている。館内にいるスタッフは、英語が流暢だったので、質問にも親切に答えてくれた。

・バッハ時代のチェンバーオルガン

 バッハ時代の古楽器のミニコンサートでは、スタッフが説明しながら音色を聞かせてくれた。


写真:バッハ時代のチェンバーオルガン ミニコンサートにて


写真:チェンバーオルガンのふいご

 ルター派の礼拝に、オルガンは必需品である。オルガンは紀元前3世紀にギリシア領アレクサンドリアで発明され、当初は「音の出る珍しい仕掛け」として、キリスト教の弾圧などの道具として使われていた。313年のミラノ勅令によりキリスト教が公認され、392年には国教として認められ、その後徐々にオルガンに対する反感も忘れ去られていった。教会の記録にオルガンが見られるようになったのは、9世紀以降のことであったが、礼拝としてではなく、鐘として使われていて、未だ道具として用いられていた。その後、修道院や教会学校での教育が盛んになるにつれ、聖歌隊の補助のために、ようやくオルガンを楽器として扱うようになった。楽器としてのオルガンは、大きく分けて、ポジティフとポルタティフという二つのタイプがある。ポジティフは、一段鍵盤でペダル付きで、主に普通の町や村の教会で使用された。ポルタティフはふいごがついており、このふいごは演奏者が右手で演奏しながら左手でふいごを引くタイプや、他の者がペダルを足で踏んでふいごを引くタイプがあり、大きな教会で使われた。

 この写真は、他者がペダルを踏むタイプのポルタティフである。観客のうちの一人が、実際にペダルを踏む体験をしていたのだが、演奏中はずっとペダルを踏み続けなければならないため、体力が必要であると思われた。

 展示コーナーでは、書籍を読んでいただけでは分からなかった、バッハのこの時期の私生活について質問することができた。

・幼少期の生活

 バッハ一家の当時の生活は、貧しくはないが贅沢な生活を送れたわけでもなかった。教会で音楽の仕事をしながら、家庭で農業を営む、という二本の軸があった。というのも、poor taxを支払うという義務が課せられていたからだ。この税は、町の貧困層のために、一定以上の収入がある土地の保有者に課せられるものであった。この税のおかげで、音楽家としての仕事のみでは厳しく、農業も営んでいたということだ。

 また、この時代のバッハの学生生活は、聖ゲオルク教会の付属学校にて、宗教、文法、算数の基本的な科目に加え、聖書の勉強が重点に置かれていた。時間は、午前が、6:00~9:00または7:00~10:00で、午後は13:00~15:00であった。また、choir of the Latin schoolのメンバーでもあったため、ラテン語の聖歌に幼少期から親しみがあったという。

 父の死によって、バッハはアイゼナハをあとにし、兄のヨハン・クリストフがオルガにストとして活躍していたオールドルフへと移る。ここから、バッハはオルガンに興味を持ち始め、その才能を開花させていくこととなる。その後、ヴァイマール、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ヴァイマール、ケーテンを経て、ライプチヒへと至る。

2)ライプチヒ


写真:ライプチヒ 聖トーマス教会前


写真:聖トーマス教会


写真:聖トーマス教会の床にあるバッハの墓

 聖トーマス教会は、現在も礼拝堂として使用されており、礼拝の時間以外は、一般客向けに開放されていた。左の写真奥には、パイプオルガンがあるが、残念ながらこれはバッハ時代のものではない。教会内では人々が椅子に座り、ゆったりと物思いにふけっている姿が印象的だった。私もここに腰かけ、激務をこなしていたバッハの姿を思いうかべ、時間があっという間にたっていた。教会の一番前には、バッハの墓がある。遺骸は1894年にヨハネス教会の墓地から発見され、その後1900年からヨハネス教会にて埋葬されていた。第二次世界大戦によりヨハネス教会が破壊されたため、1949年にトーマス教会に移された。

・激務の時代

 ライプチヒは、バッハが人生で最も多くの作品を残した地であり、バッハが人生の最期を迎えた地でもある。彼はライプチヒにて、トマス・カントルとライプチヒ市音楽監督を兼任した。一教会歴年中約59日の祝祭日に、市内の主要四教会にて教会音楽を提供し、聖トマス教会に付属する寄宿制のラテン語学校であるトマス学校の生徒を教育することが、彼の職務であった。(トマス学校は音楽専門の学校ではなく、ギムナジウムの前身のルター派プロテスタントのラテン語学校で、基礎科目のほかは、古典語と宗教教育、音楽が三位一体となるべきであるとしていたため、学業もぬかりなく指導する必要があった。)主要教会とは、聖トマス教会、聖ニコライ教会、聖マタイ教会、聖ペテロ教会の四つの教会である。これらの教会で行われる毎週日曜日と祝日の礼拝の奉仕のために、トマス学校の生徒の聖歌隊が各教会に派遣され、その歌声を披露していた。バッハは、これらの聖歌を毎週一曲のペースで作曲し、週末の礼拝のために聖歌隊を指導した。聖歌隊を四つの教会に割り振る作業もあり、演奏に人数が足りないこともしばしばあったため、その都度エキストラを調達することも仕事であった。

・「マタイ受難曲」

 ライプチヒにおける激務の時代に、バッハの声楽曲の最高峰とされる「マタイ受難曲」がうまれた。受難曲とは、聖週間のミサにおいて、福音書に書かれた救世主キリストの受難の箇所を朗読するにあたって、それを劇的に行うことから発展したものである。17世紀にはいると、受難曲はルター派のドイツの教会のために作曲されることが多くなり、ルター派特有のコラールを挿入するようになった。  この曲は全二部から構成されていて、第一部ではイエスの捕縛までが歌われ、第二部では捕縛、ピラトによる裁判、十字架への磔、刑死後、墓の封印 が歌われるといった、イエスの受難の物語となっている。これらの歌詞は、聖書から引用されている。

 当時は今日ほどの評価を得ていなかったが、この曲を復活させたのは、1989年にメンデルスゾーンが行った復活上演であった。この上演は成功をおさめ、これ以降、バッハのほかの多くの器楽曲もが注目されるきっかけとなった。

3)ポツダム

 ライプチヒ時代に、フリードリヒ大王に謁見し、大きな評価を得たのが、ポツダムにあるサンスーシ宮殿である。

・「音楽の捧げ物」

 マタイ受難曲と同様、音楽史上重要である、「音楽の捧げ物」も、この時代にうまれた。このきっかけとなったのが、1745年にポツダムのサンスーシ宮殿にてフリードリヒ大王を来訪したことである。フリードリヒ大王は父親の軍隊王と呼ばれたフリードリヒヴィルヘルムとは異なり、音楽や文学をこよなく愛した人物であった。長年、バッハの来訪を心待ちにしていたが、オーストリア継承戦争の勃発によりかなわず、ようやく機会を得たのである。バッハの死のわずか五年前のことだ。サンスーシ宮殿は、夏の避暑地として利用された宮殿であり、多くの来客が訪れた。大王はこの宮殿に滞在中は、毎晩19:00〜21:00に演奏会を開き、自身もフルートを演奏した。


写真:サンスーシ宮殿 外観


写真:音楽の間…ピアノフォルテとフルート

 バッハは部屋にある七台のピアノフォルテすべてで、それぞれ異なった即興演奏を披露し、その出来に大王も聴衆も大変感動したのだという。そして、大王がバッハにあるお題を提示し、バッハはそれを三声のフーガにしてみせ、これも大変好評であったので、さらに六声のフーガにした。この一連の即興演奏は、高く評価されたため、バッハはライプチヒに戻った後、この即興をもとにして、「音楽の捧げ物」とし、後日フリードリヒ大王に贈った。

音楽の間は、イラストや解説から想像していたものより、はるかに小さな部屋で、客室と同じくらいの大きさであった。壁には絵画やろうそく、シャンデリアなどがかけられていて、かなりきらびやかであった。教会に缶詰の生活を送っていたバッハにとって、緊張する場だったのではないかと思われた。

-プロテスタントとユダヤの狭間で-
フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディー

 メンデルスゾーンは、ユダヤ教から改宗して活躍をし、死後反ユダヤ主義の影響を大きく受けた作曲家である。ライプチヒはメンデルスゾーンが就任した、ゲヴァントハウスがあるため、ゆかりの地だ。反ユダヤ主義との関係性を調べるため、メンデルスゾーンハウスを訪れた。(なお、これはドイツに到着して初めて訪れる場所であったので、とても緊張していた。)


写真:メンデルスゾーンハウス 入口

 メンデルスゾーンは、幼少期にユダヤ教からプロテスタントに改宗し、以降、プロテスタントとして、19世紀のドイツ音楽界をリードした人物である。その活躍は、多くの作品を残しただけでなく、ゲーテと親交のあったこと、またドイツ初の音楽学校の創立や、ゲヴァントハウス就任、そしてバッハの「マタイ受難曲」の復活演奏を成し遂げたことなど、華々しいものであった。


写真:作業部屋の複製(左奥の棚の上にある胸像は、彼が敬愛したゲーテとベートーヴェンである。)

 1809年、ハンブルクにて誕生したメンデルスゾーンは、ユダヤ人の祖父モーゼスのもと、宗教的に寛容な教育を施されて育った。当時のプロイセンではユダヤ人も国民として平等の権利を有する布告がなされていた。1815年のウィーン会議によって安定していたヨーロッパでは、政権を王政に奪われたブルジョワ階級の人々が盛んに文化活動や学問に力を注ぐようになっていた。このような時代において、さらなる平等の権利獲得に励むユダヤ人は、幅広い教養を身に着けることが将来成功するのに必要であると考えており、メンデルスゾーンはヒューマニズムに基づく理想的な教育を受けた。そして、モーゼフは将来余計な障害に煩わされないために、1816年にメンデルスゾーンに洗礼を受けさせ、ベルリンにて、プロテスタントに改宗させた。

 こうして、プロテスタントとして、前述のとおりドイツを代表する音楽家として活躍をして一生を終えたが、死後、ユダヤ教であったことが問題視された。

ワーグナーによる反ユダヤ主義

 死後、音楽界においても、ワーグナーによって反ユダヤ主義が盛んになっていた。1850年、ワーグナーは「音楽におけるユダヤ教」の中で、「メンデルスゾーンの作品は、深く心に訴えかけるものでもなければ、高い精神性も感じられない」と、メンデルスゾーンに対しての中傷を述べた。この一言は、次第に広まり、メンデルスゾーンの作品は不評を買うようになり、無視されるようになった。ブラームスなど、彼を高く評価をする音楽家も多く存在したが、1933年以降、ナチズムの台頭により、ドイツ国全体に反ユダヤ主義が高まったため、再びワーグナーの言葉が注目を浴びることとなった。というのも、ナチスがワーグナーの反ユダヤ主義論を積極的に採用したからだ。その結果、12年もの間、メンデルスゾーンの作品の演奏禁止、業績の封じ込め、記念碑の打ちこわしが行われた。序曲「真夏の夜の夢」の書き直しを要求することもあった。

 戦後、メンデルスゾーンの演奏や研究は徐々に復活していった。わかりやすい例が、打ち壊された記念碑の再建の取り組みだ。この取り組みは1947年、没後100周年記念の音楽祭にて、胸像の除幕式が行われたことに始まり、1993年には、第三帝国時代に取り壊されたものを取り戻そうとする市民の動きが発端となり全身像の再建の取り組みが始まった。これには市民からの資金援助や、ゲヴァントハウスの支援もあった。2005年にようやく記念碑が完成した。

 生涯、メンデルスゾーンはユダヤ教に対し、どう考えていたのか、自分を真のプロテスタントとしてみなしていたのかは、定かになっていない。

-ドイツ語版レクイエムの製作とその意図- ヨハネス・ブラームス

 ドイツのキリスト教音楽で、マタイ受難曲に次いで重要なのが、ブラームス作の「ドイツ・レクイエム」である。なぜ、ブラームスはプロテスタント教徒であるにもかかわらず、本来カトリック教徒にむけられた作品である、ラテン語で書かれたレクイエムをドイツ語版で作ったのか、という問いを探求すべく、ブラームスの生誕地、ハンブルクにてブラームス博物館を訪れた。


・ハンブルク

 まず、ハンブルクの魅力について述べたい。というのも、私にとって、とても魅力的な都市であったからである。ハンブルクはドイツ最大の港湾都市で、ICEを降り駅のホームに降りた瞬間から、地面から湧き出るような活気を感じた。市内の電車からは、港を一望できる線もあり、移動時間も心を躍らせて過ごした。音楽に関しては、ブラームスのみでなく、メンデルスゾーンが生まれた都市でもあり、また、ビートルズが下積時代に活躍した地としても有名である。活気と音楽に満ち溢れており、いたるところでビールを片手に、ジャズ演奏やアコーディオン演奏が行われて、多くの人が一緒に演奏を楽しんでいる姿が印象的だった。


写真:港の様子


写真:滞在先の最寄り駅で行われていた、JAZZ TRAIN というイベント。この日は各車両でジャズコンサートが行われながら電車が走っていた。地元の人々に絶大な人気があるようで、この電車に乗るために長蛇の列であった。

ハンブルクの肌で感じた魅力について述べたところで本題に戻る。

・レクイエムとは

 レクイエムは「死者のための典礼式文」を用いているために、「死者のためのミサ」として知られている。これは、カトリック教会が採用している祝日、「諸聖人の休日(万聖節)」(11/1)に次いで行われる「諸死者の休日」(11/2)におけるミサ向けて書かれた曲である。諸聖人の休日では、亡くなった聖人全員を記念し、諸死者の休日では亡くなったキリスト教徒全員を記念し、ミサを行う。これは日本のお盆と性格が似ているといえるだろう。なお、レクイエムという名前は、このミサでは導入の聖歌の歌いだしが「永遠の安息を(Requiem aeternum)」という言葉で始まることに由来している。そして、この祝日のみではなく、あらゆる葬儀におけるミサ曲としても次第に普及していった。(金澤2007 p.32-42,156-159参照)

・ブラームスの時代

 このようなレクイエムをドイツ語で書いた理由を探求するには、まず当時の音楽史の動きが重要となってくる。

 1860年代のドイツは、ビスマルクの政策により不安定で、人々は"ドイツらしさ"を重要視し、求めていた。ここでいうドイツとは、言語と文化、領土を指す。こうした時代背景に応えるべく活躍したのが、ブラームスとワーグナーで、それぞれ、「ドイツ・レクイエム」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を同年1868年に初演した。

 二人の音楽は対をなしていて、当時の音楽界はブラームス派とワーグナー派に分かれていた。ただし、ブラームスはワーグナーのことを尊敬していて嫌っていたわけではなかったし、ワーグナーも同様であったという。一般的に、ブラームスは古典伝統を重視する保守的な音楽家で、ワーグナーはモダンで革新的な音楽家であり、反形式主義であったといわれる。  ワーグナーは、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にて、バッハ風の対位法を用いることによって、ドイツらしさを取り込んだ。このオペラの主人公である、ハンス・ザックスは民主主義の象徴として登場する。そして、プロテスタントのコラールを用いて、反ユダヤ主義を徹底している。

 ブラームスは、「ドイツ・レクイエム」にて、カトリックのコラールとネオ・バロックの対位法を用い、古典的なドイツらしさを取り込んだ。タイトルにわざわざ付けた「ドイツ」からは、本来書かれているラテン語を意図的に避けたことを意味していることが見て取れる。

・ブラームスの宗教観

 ブラームスの母は熱心なプロテスタントで、父はおそらくユダヤ人であったといわれている。ブラームスは家族構成からしても、特定の宗教に固執していたわけではなかった。信仰はプロテスタントであった。  フォイエルバッハは『キリスト教の本質』にて、「聖書には"人間のことば"が述べられている。」と主張しているが、これに対しブラームスは「魂の不滅など信じない」と主張している。彼は神的な絶対的な何かを信じなければ生きられない、人間という弱い生物を信じているとし、人間を愛に飢えた悲しい生き物であるとする。(須藤 p.46 参照)


・ドイツ・レクイエムに込めた想い

 1856年の、敬愛なるシューマンの死と、1865年の母の死に大きなショックを受けた影響で、この二人を祈んで構想された。このことは第二曲「人は皆、草のようで」というフレーズからみてとれる。  キリスト教音楽の最高峰とされる『マタイ受難曲』は、人類の罪をあがなうためになされたイエス・キリストの受難が内容となっている。これに対して、『ドイツ・レクイエム』では、個々の魂におけるキリスト(=光)といかにして出会うか、を内容としている。苦悩に満ち、「生きることの意味」を必死に求めている魂が、ついに光と出会って「永遠の生命」を自覚し、その尽きることのない喜びを知るまでのプロセスが描かれている。

・解釈

 歌詞はルターがドイツ語訳した、旧約聖書と新約聖書からとられている。これは、ブラームスが自国で書かれた最も神聖な書物は聖書であると考えていたからであり、また、聖書を詩的な芸術の源泉であると捉えていたからである。

 しかし、曲中にはイエス・キリストの名前は一切登場せず、その内容は無神的である。キリストを崇める宗教的な曲ではなく、生きている者への慰めを与えるための賛歌としてこの曲を構想したからであり、自分は宗教家ではなく、音楽家である、という信念を貫いた。

 これに対し、批判的な意見もみられる。初演時の指揮者、ラインターラーは、この曲は宗教的でなさすぎる、と批判して、ヘンデルの『メサイア』から"I know that my redeemer liveth"という一節を挿入している。音楽評論家、アーネスト・ニューマンは、この曲は「神学上の物語ではなく、人間の証を音楽の最終目的にしていた」と指摘している。

 このような風潮に反して、ブラームスはタイトルの"ドイツ"のかわりに"人間の"を入れ替えようと提案している。それほどにブラームスは、最愛なる二人の女性の死を尊んでこの曲を書いたのであろう。

・ブラームス博物館

 小さめの一戸建てに、ブラームスの展示が所狭しと並んでおり、図書館も併設されていた。ブラームスは日本人に人気なので、来場者は日本人観光客が最も多いのだという。私が訪れた際も、四人中三人が日本人であった。係の女性はとても親切で、私の質問にも丁寧に答えてくれた。ドイツ・レクイエムについては、詳しい展示がなかったので、ほとんどが直接説明してもらった内容である。それでも足りなかった部分は、併設されている図書館の文献を一緒に探してもらった。

 私がつっこんだ質問をするので、その女性も嬉しかったようでとても仲良くなることができた。そのおかげで一生忘れられない経験をさせてもらった。展示されていたピアノフォルテを弾かせてくれたのである。これはブラームスが下積時代に実際に使用していたものなのである。楽譜は図書館の棚にあるから、好きな曲を弾いてよいよ、と許可してくれたのだ。


写真:この時の感動は鳥肌ものであった。

調査を終えて

 まず、無事にドイツでの計画を遂行することができ、心からほっとしている。海外に一人で行くのは二度目であったが、英語圏以外の国は初めてで、自信がなく、とても不安であった。担当の縄田雄二教授に調査内容から移動の仕方まで、直前までアドバイスをしていただいて、大変お世話になった。

 今回の調査で最も肌で感じたことは、ドイツの音楽に対する親密さだ。町のどこを訪れても音楽であふれていて、そこに人が自然と集まる。これはクラシック音楽に限ったことではなく、ジャズやテクノも同様であった。

 教会や博物館に赴いて、日本で文字からしか学べなかった沢山のことを実際に知識とすることができた。バッハに関する研究は日本でも盛んにおこなわれているので、さらに深めるために関連した文献を読みたいと思う。メンデルスゾーンは子供のころから好きな作曲家で、反ユダヤ主義との関係を知った今聴き演奏してみると、新たな発見があってとても面白い。また今回は、プロテスタンティズムをテーマにしたが、新たに、ワーグナーの反ユダヤ主義音楽に興味を抱いた。それに付随して、ワーグナーとブラームスの比較にもとても興味を抱いている。

 8泊10日の現地滞在の中で、音楽を通じた素敵な出会いがあった。ライプチヒのバッハ像の前で、互いにバッハが好きであるという共通点によりお会いした日本人、その話に共鳴して会話に入ってきてくれたスペイン人。バッハハウスの受付で隣に並んでいて、互いの好きな音楽について会話をした南アフリカの男性、ベルリンフィルハーモニー鑑賞の際、隣の席に座っていたイスラエル人。そしてブラームス博物館で出会った日本人の医師。このうち日本人の二人には特に良くしていただいて、その日の調査を一緒に回ってもらったり、語学を助けてもらったりもした。ベルリンフィルで会ったイスラエル人とは音楽の話からお互いの国の話まで至り、日本がいかに平和であるか、そして音楽はどんな状況下の国でも人々に感動を与えていることを思い知らされた。これらの人々との出会いは全て音楽が好きという共通点によるものである。  自分の関心分野を深めることができたとともに、かけがえのない経験となった。自分の探求心を掘り下げて、一から計画を立て、それを遂行することができたのは、自分の糧として、大きな自信につながった。今後に生かしていきたい。


参考文献


• 井上太郎『レクイエムの歴史 死と音楽との対話』平凡社(1999)
• 岡田暁生『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』中公新書(2005)
• 金澤正嗣『キリスト教と音楽 ヨーロッパ音楽の源流をたずねて』音楽之友社(2007)
• 関根裕子「ドイツレクイエム」『赤いはりねずみ No.30』日本ブラームス協会(2001)
• 樋口隆一『カラー版作曲家の生涯 バッハ』新潮文庫(1985)
• 三宅幸夫『カラー版作曲家の生涯 ブラームス』新潮文庫(1986)
• カール・ガイリンガー『ブラームス 生涯と芸術』芸術現代選書(1997)
• W.フリッシュ「リベラルなモダニスト・ブラームスと反動的保守主義者ワーグナー」『赤いはりねずみ No.25』日本ブラームス協会(1995)
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/letters/fees_schol/scholarship/report2014/rep06/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c3

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
4. 中川隆[-10719] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:38:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2137]

音楽史 ロマン派以降
http://syunju.web.fc2.com/historia2.html

§11 「ロマン派の音楽 〜やっぱり俺には無理みたいです」

 「古典派の次はロマン派」と考えて問題ない。ただし、考えようによってはここから延々ロマン派とも言える。それに、これは正直「器楽曲」よりも「歌曲」での考え方に始まっている、と頭の片隅に置いておくと良い。と言うのは、歌曲を書くには「詩の選択」から始まるからである。例えばこの時代は、生活が産業革命により便利になっていく時代であった。芸術分野では反動からか「不安定な中世の生活」に憧れ作品にすることが流行した。この流れをロマン主義といい、音楽分野でも「ロマン派」との名前が定着した。その代表が「シューベルト」である。ここからの§に登場する作曲家達はそれぞれが強烈な個性を持っている場合が多い。今回のシューベルトのように§が1人の説明で終わる可能性がある。うーん、長くなりそうだ。

 まず、シューベルトについて「暗い」と一言言っておきたい。そして、「何故この人の作品はこんなに暗いのか」、を分析することでシューベルトの本質、ロマン派の本質に迫っていきたい。それというのも「古典派」に「気分」を加えた物がロマン派と言えるのだ。つまり、その「気分」を表す手法を分析することによりロマン派とはこんな音楽、と言えると思うのだ。

シューベルトの音楽 「異常な単純さ」と「脱ソナタ形式」


 シューベルトの初期の交響曲はモーツァルトサイズの小規模な作品である。つくりも非常にシンプルである。これらを「出来損ないのモーツァルトの物まね」と見ているようではもう危ない。ここに十分シューベルトらしさが出ているのだ。 まず、「あまりに単純」な点。既にベートーヴェンが主題を次々に発展させていく手法を見せているのでシューベルトも知っているはずである。これに対しシューベルトは全く別のアプローチをかける。そのキーワードが「民謡風」である。「敢えて『無邪気さ、子供っぽさ』を出す」のだ。その為、ベートーヴェンよりも分かりやすいメロディーである事が多い。しかし、主題をなかなか発展させないので「ベートーヴェン的満足感」がない。要は煮え切らないのだ。しかし、その分聴き手は「少しの変化だけでギョっと驚く」ことができる。

 その上で、ソナタ形式の「再現部」に細工を施す。それまでのソナタ形式では「再現部です!」と主題が帰ってきたことをしっかり分かるようにしていた。しかしシューベルトは「偽の再現部」を考えだし「再現部を分かりにくくする事」にしたのだ。真面目に聞いているお客さんの反応は次のようになるだろう。
 

 「あ、再現部だ!・・・・と思ったら、あれ何か違うな?なんだこれ・・・・あれ、いつの間にか再現部に入ってる・・・・・・」


と煮え切らないこと甚だしい。その上やたら繰り返しが多い。だから注意して聴かないと「メリハリ」が無いように聞こえる。ベートーヴェンのような颯爽とした感じは無い。では、何故そんなことをしたのだろう。これは ベートーヴェンと同じく「ソナタ形式」を意識した結果であった。ただし、意識はしても結論は逆。§9で「アウフヘーベン」と「ソナタ形式」の説明をしたが、それをもう一度しよう。


「アウフヘーベン」の説明。


   Aさん「カレーが食べたい」  Bさん「嫌だ!うどんが良いよ」  →  大げんか   →  A,Bさん「カレーうどんだワショーイ」


ベートーヴェンはこれに疑問を抱きはしなかった。だが、シューベルトは疑問に思ったのではなかったか。つまり、


   Aさん「カレーが食べたい」  Bさん「嫌だ!うどんが良いよ」  →  大げんか   →  A,Bさん「もうお前となんかご飯食べないよーだ」


この様な散々な結果に終わる方が多いのじゃないか、とネガティヴに考えてそれを音楽にしようと思ったのではなかったか。「アウフヘーベンできない人間だっているんだ」、との考えである。その結果アウフヘーベンを体現するソナタ形式にも疑問を感じ、偽の再現部等使い「形式感を薄く」した、とすれば説明が付く。やはり暗い。しかし、ロマン派以降の音楽の特徴として「ソナタ形式からの脱却」は重要な特徴である。この点でもシューベルトはロマン派の典型的な作曲者と言える。では、もう少し細かくシューベルトの使った技を見てみよう。彼は「未完成交響曲」「大ハ調交響曲(グレート)」という現在でも人気の高い交響曲を書き残した。皮肉にも「古典派的ソナタ形式」を諦めた時、彼は彼にしかできない高みに登ったと言える。この2曲を見ていきたい。

未完成とグレート


「未完成交響曲」より1楽章 

 この交響曲の1楽章は勿論ソナタ形式であるが、細部の形式が随分とベートーヴェンとは違う。まず「序奏」が極端に短い。しかも低音楽器のユニゾンである。これにより「和声感」が乏しくなる。「和声感」は「安定感」と言い方を変えても良い。つまり、この交響曲は「いきなり不安」から始まる。そんな交響曲はこれまでに無かった。その後不安を引きずりながらも「第1主題」が始まる。普通ここで第1主題を担当するのは「ヴァイオリン」である筈だ。しかし、この曲では「オーボエ」が担当する。だが、変なのはそれだけではない。この主題は「9小節」一区切りから始まる。しかも、この後もあまり8小節単位は出てこない。今までの古典派の音楽は殆どが「8小節単位」の音楽であった。「字余り」これにより安定感はますます減る。だが、この「不安感」をシューベルトは出したかったのだろうし、この曲の魅力にもなっている。
 なお、この曲は2楽章で終了。本来は4楽章まで書くつもりだったらしいが2楽章で十分な長さだし、何より「完成品」ととらえている人が多い。私もこれで完成していると思っている。ちなみに、2楽章は天国的な音楽。不安感に包まれた1楽章に天国的響きの2楽章。教育的にはよろしくないかも知れない。


「大ハ調交響曲(グレート)」より

 この交響曲も冒頭から変わっている。いきなり「ホルンのユニゾンのみ」から始まる。これも初めてのパターンだ。また、このメロディは一応「8小節単位」ではあるが「4+4=8」の切れ目ではなくて「3+5=8」である。だから演奏する側も相当に吹きにくい。聴いている側も「あれ?」と思わざるを得ないのだ。しかし、シューベルトの憎いところはこのメロディーを複雑なメロディーではなく「素朴な民謡風」に留めたところである。だから普通は「素朴さ」に耳が行き「3+5」なんて誰も気付かない。ただし、「あれ?」とは思うのだ。こういう小さな仕掛けがこの交響曲全体を覆っていると考えればよい。2楽章のオーボエのテーマも全く同じ。ただし、工夫された主題であってもやはりベートーヴェンの様なジェットコースター的曲の展開の上に「ソナタ形式で『結論』を出す」という「快感」は無い。だから「大興奮」も無い。毎日同じルートの散歩コースの中で、季節によって花が咲いたり鳥が鳴いたりを楽しみにする様な平凡な感覚と言っても良いだろう。当然散歩に「結論」など無いのだから。そういう点でもこの曲は「ソナタ形式」に疑問を呈している。そういう訳で、この大交響曲は好き嫌いがハッキリ分かれる。「絶対に結論が出ないと嫌だ」とか「白黒つけろ」という熱血漢には向かないかもしれない。

 この様に「古典派」の音楽、特にベートーヴェンの交響曲とは違い「暗さ」「緩さ」があると言えるシューベルトの交響曲。ロマン派の音楽とは「古典派」に「気分」を加えたものだ、と説明したが、「気分」は「性格」という言い方がなされる。「性格」は「キャラクター」の直訳であるが、ロマン派の作曲家達は「キャラクターピース(性格小品)」と呼ばれる短い曲をたくさん残している。「キャラクター」とは「詩」や「出来事」、「物」、「人物」等の事で、「音楽以外の情報」と考えて良い。これは、ピアノを習うことが流行りだした「裕福な家庭の婦女子」に受けた。「ソナタ第5番」よりも「追憶」等と題名が付いていた方が練習に身が入ったり、聴く方もイメージを作りやすいのだろう。楽譜も出版されるようになりパトロンを探す以外にも職業として「作曲家」が成り立つことになった。さて、話が飛んでしまったが結論として「性格」「詩的要素」が「古典派」に比べてずっと多くなった音楽こそが「ロマン派」と言える。

一口メモ

シューベルトは生前残念ながら「未完成」も「グレート」も演奏して貰えなかったらしい。貧乏であったし交響曲作曲家としては無名であったのだ。彼を発見し再評価したのは「シューマン」。シューマンは作曲家としてよりも音楽評論家としての地位ならば当時既に相当確かな物にしていた。その彼がシューベルトを発見し驚き「彼の作品こそ我々の指針である」とロマン派交響曲の一つの理想型として世に問い、初めて彼の交響曲は演奏されるようになったのであった。ただし、シューベルト自身は歌曲作曲家として生前からそこそこ有名であったらしい。交響曲も素晴らしいが彼が早くからその才能を認められていたジャンルである「歌曲」も併せて聴くのが良いだろう。ただし、半端に聴くと暗い気分になってしまう。是非必死で聴いて欲しい。そうすれば仮に「死にたい気分」になっても「歌曲集:冬の旅」を聴けば、その異常な暗さにかえって「ああ、まだまだだ」と生きる希望がわいてくる(と思う)。ただし、これは「分析」しながら聴けば、という前提があり、つまり分析の方法知らなければならないのだ。「ああ、音楽習っていて良かったなあ」と思うが、「って事は美術系の人達は絵画や彫刻をメチャクチャ楽しんでんだろうなあ」とも予想できるわけで何とも歯がゆい。


§12 「シューマンとメンデルスゾーン 〜目指せロマンの星!明日のスターは君だ」

 シューマンもメンデルスゾーンも現在のコンサートには欠かせないクオリティ、そして人気の交響曲を残している。シューマンの「交響曲第3番ライン」、メンデルスゾーンの「交響曲第4番イタリア」等は現代のオーケストラの花形レパートリーである。「ロマン派」という言葉は彼らのためにあるような物だ、というようなロマンティックな作品が多い。特にシューマンはその傾向が強い。しかも抜群の趣味の良さを誇っている。ここは勝手な趣味であるがシューマンを聴いたことのない初心者は交響曲を聴く前に是非「ピアノ協奏曲」を聴いていただきたい。シューマンのロマンティックな感情、古典音楽への造詣等が見事に集約されている。メンデルスゾーンに関しては「古典的ロマン派」と言われるようにモーツァルトの響きに近いどちらかと言えば理性的な音楽に仕上がっている。しかし、もっと言えば「古典」よりもさらに遡り「バロック音楽」に近い華やかさが湧き出る瞬間がある。また、出生がユダヤ人であったために「ユダヤ人の音楽」が時折顔を見せる。緩徐楽章などにマーラーの先取りとも言える響きが見られる。

 随分な副題を付けたものだが、これには勿論意味がある。このシューマンとメンデルスゾーンはそれぞれ作曲家としても偉大であるが、どちらかというと「評論家」「プロデューサー」としての有能さが音楽史的には大きいのだ。先の§で紹介したように、にシューベルトを発見し紹介したのもその代表的功績である。実は彼ら二人は友人であり、シューベルトの曲を発見したのはシューマンであったがその楽譜を受け取り初演したのはメンデルスゾーンであった。彼らは自分の作品を発表しながらも才能のある若き作曲家や埋もれてしまった作品の発掘に力を入れた。

 メンデルスゾーンの最高の功績は「バッハ『マタイ受難曲』復活上演」である。これはクラシック界の一大事件であった。まず、「バロックの巨匠バッハ」の存在を思い出させたこと。バッハが亡くなって70年以上が経ち、その間すっかり彼は忘れられた存在になっていたのであった。これにより「卓越した作曲上の技巧のすばらしさ」が再び認知された。そして、もう一つは、「過去の作品もコンサートに取り上げられるようになった」こと。それまでは現在のポップスの歌番組ように最新の曲しかコンサートで取り上げなかった。つまり、「懐メロ歌謡ショー」の類は一切無かったのだ。

 この様に彼らはクラシック音楽会に次々と新風を巻き起こしていった。しかも、「温故知新」のスタンスも忘れない知識人として。だが、彼ら自身の作品はポストベートーヴェンの決定打とはならなかった。しかも、5作目の交響曲を書いたところでメンデルスゾーンは若くして亡くなってしまう。シューマンもガックリときたろう。だが、それでもシューマンはクラシック音楽の発展に奔走し続けた。そして、遂に彼は「明日のスター」を見つけたのである。「ブラームス」である。


一口メモ

シューマンもこのブラームスを見いだした後死んでしまう。しかも、発狂した末の死であった。残されたのは美しく音楽の造詣も深くピアノの腕前も確かな妻クララ。ここで、こんな話が度々面白おかしく語られる。

有能な敏腕プロデューサー、シューマン。彼の前に現れたのは新進気鋭の作曲家ブラームス。この若き天才の才能をいち早く認めたシューマンは美しく聡明な妻の待つ家に招待する。その後、シューマンは次第に精神を病んでいく。シューマンの晩年、彼が絞り出したのは「俺は知っている」であった。果たしてシューマンは何を知り、何を考えたのか。ブラームスは、そして妻クララは。  まるでスポーツ新聞の真ん中あたりに載りそうな話だ。クララとブラームスにどこまでの関係があったのか、はクラシック界の謎の一つ。ただし、私としては肉体関係になくとも大した問題ではなかった、とおもうのだが・・・。

というのも、シューマンが亡くなった後もクララは周囲の尊敬を集めることでは変わりなく、ブラームスを精神的に助けること大であったからである。後にワーグナーは「女性の愛による救済」をテーマに掲げることになるが、図らずもその女性の愛に救われていたのはブラームスであった、と言える。このブラームスとワーグナーの音楽については次の項で述べることになる。


§13 「ワーグナーとブラームス 〜2大陣営大激突」

 ようやくシューマンが見つけた若き才能ブラームスの登場。だが、この時代を「ブラームスの時代」と言うことはできない。何故ならば、「ワーグナーとブラームスの時代」であったからである。そして音楽史においてもワーグナーはブラームスと同等、いや、考えようによってはより重要な作曲家とも言える。

 ワーグナーも勿論これまで登場したロマン派の作曲家の様にベートーヴェンを尊敬した男である。だが、この男はその尊敬の仕方がちょっと違っていた。ベートーヴェンの交響曲を素晴らしいと思ったところは同じなのだが、特に「第9」に影響を受けたのだ。今年末に第九天国の日本では考えられないことであるが、かつて「第九」は「変な曲筆頭」であった。何せ、合唱の入った交響曲なんてこの曲しかなかったのだ。だが、ワーグナーは「ベートーヴェン最後の交響曲」を完全に受け入れたて「自分の目指す音楽は第九の延長上にある」と考えた。行き着いた先が、「第九のさらなるパワーアップ」。つまり、「交響曲+歌」の第九に「ストーリー」「演技」「舞台装置」等を盛り込んだのだ。もはや交響曲ではなく「オペラ」であったがワーグナーは「交響曲(特に第九)の延長」と考えていたようだ。
 ワーグナーの音楽の特長はそれだけで論文がいくつも書かれているのでここでは「触れる」程度に留めておく。
 第1に「トリスタン和音」に代表される複雑な和音の使用(トリスタン和音は代表作「トリスタンとイゾルデ」の冒頭に登場し、当時の音楽界にセンセーショナルを与えた)。これは後の後期ロマン派の作曲家達に強い影響を与えた。特に「減7」と呼ばれる和音を変形し使うことによりこれまでに無いアクロバティックな転調を可能にした。また、クロマティック(半音階的)な音の進行も多く、非常に複雑な響きも多くみられる。
 第2に現代的なオーケストレーション(管弦楽法)を考案。オーケストラを機能だけで分業化して使うことを考案。具体例は「ワルキューレの騎行」。難しいパッセージを分業化して演奏させることによりクオリティをあげ、さらにステレオ効果まで生み出す。これも後の作曲家達に影響を与えた。また、ワーグナーチューバ等、新たな音色を求めて楽器を開発した。
 第3に「ライトモチーフ」の完成。ベルリオーズ「幻想交響曲」の項でも紹介したが、「事物、人物、思想、概念」等のテーマ曲、パッセージを予め、それが物語に登場したときに登場させることにより劇的な効果を生む手法を確立した。後に映画スターウォーズでも「フォース」「ジェダイ」「ダースベイダー」等「概念、地位、人物」と用途も広く使用されるように効果も高く応用も利く。

 以上ここでは3つだけの紹介に留めるが、こういう新技をワーグナーはいくつも考え出した。そしてこれらを使う事によって「事物、哲学、政治に至るまで全てを表現することが可能である」と主張した。つまり「音楽でどんな概念でも全てを表すことができる」としたのだ。これに真っ向から反対したのが音楽評論家の「ハンスリック」である。ハンスリックは著作「音楽美論」において「音楽が直接表現できるのは感情などの漠然とした概念までであり、特定の概念は表現できない」と主張してワーグナーの意見に反論した。例えば音楽で「喜び」は表現できても具体的に「ビルを完成させる」という出来事を表すのは不可能である。ただし「ビルのように緻密に音楽を作ること自体は素晴らしい」という主張をしたのだ。つまり、「音楽自体が素晴らしい」のであって「音楽で何かを表現しようと企てるのは余計なことだ」、と言いたかったのである。「標題音楽のワーグナー」VS「絶対音楽のハンスリック」という構図である。しかし、ハンスリックは法学者であり作曲はできなかった。彼は自分の芸術観を体現してくれる作曲者を求めた。それがシューマンが才能を見いだした作曲家ブラームスであった。

 ブラームスもベートーヴェンを徹底的に研究したことでは同じであった。しかし、「第九」に強い関心を示したワーグナーとは違い、ブラームスは「第五番(運命)」の様に一つのモチーフ(主題、部分)をどんどんとパズルのように組み合わせ重ね合わせて作曲する技法に関心を持った。つまり、ブラームスは表現よりも技法に関心が強く、技法を駆使していかに音楽を組み立てるかに心を砕く、まさに本来の意味での「composer(構成する人)であった。ワーグナーならば「この楽劇は哲学的に・・・・」と長々と論文を書いてから作品を発表し、自分の作品が自分の思うように社会に受け入れられるようにするのだが、ブラームスは自分の交響曲はこの様な作曲技法を用いている、と近しい友人に話すのみであった。まるで違う。この為ワーグナー派とブラームス派は真っ二つに分かれて音楽界を二分した。

ここで、ブラームスがどのような技法を使っていったのかを交響曲4番の例で簡単に見ていきたい。


ブラームス作曲 交響曲第4番ホ短調 1楽章提示部

1楽章の冒頭のヴァイオリンパートを見てみよう


 この枯れ葉がハラハラと落ちるような切ない主題は何も予備知識がない人でも素敵に思ってしまう美しい物であるが、勿論ブラームスはただ感覚でこれを作ったのではない。この「第1主題」の音を見てみよう。初めの4小節間の音は「シソミドラファ♯レ」。並び替えれば「ミ♯ファソラシド♯レ」。初めの四小節でどの音もダブることなく「ホ短調の構成音」全てを使い切ってしまった。もちろん偶然ではなく計算しての結果。さらにここにはもう一つ意味がある。音の飛び方を見てみよう。全部が「3度」の跳躍(とその応用)である。下降の3度の連続で4小節間が成り立っている。なお、次の4小節は「上昇の3度」。 つまり、ブラームスは「3度を使う」を提示している。そしてブラームスはしつこい。この3度がどのように使われるか、を見ることがこの楽章を楽しむ方法の一つなのである。

 第1主題はその後も隙あらば密かに3度を使っているがこれはどうぞ自分でご確認を。その後、「橋渡し」である「第2主題直前のファンファーレ」も3度尽くしだ。


 1小節目から16分音符を使いながらもしっかり3度跳躍の積み重ねである。2小節目も、そして3〜4小節目の「締め」までもが3度だ。

 ここで、第2主題に突入。第2主題は第1主題と調性も変えて、かつ性質の違う主題であるはずだ。実際ロ長調へと転調して第2主題は始まる。ちなみに、第1主題がホ短調であるからロ調は属調であり、伝統的なソナタ形式の第2主題の調選択と言える。


 チェロとホルンによる情熱的な第2主題も人気のメロディーだ。ここで「3度」は登場しているだろうか?6-5節の間に1度あるだけだがそれだけではこのテーマが「3度に支配されてい」るとは言いにくい。ようやくここで「3度の呪縛」から解放されたのだ。だが、ブラームスは甘くない。第2主題の伴奏を見てみよう。


 流れるような第2主題に対して伴奏はカッチリとしたタンゴ風のリズム。この伴奏を良くみて欲しい。何から何まで「3度」でできている。ブラームスの音楽は伴奏であっても聴き逃せないのだ。この後提示部の結尾はさらに不安定な和音が使われ、さらに「展開部」「再現部」「コーダ」が待ちかまえている。そこまで登場するモチーフをどのように使っているか、を聴きながら曲を楽しむことがブラームスの交響曲を聴く醍醐味の一つである。

 さて、楽曲分析から話を音楽史に戻そう。彼の交響曲第1番が「管弦楽だけの交響曲」としてベートーヴェン以来初めて熱狂的成功を収めたことによりブラームスは「ベートーヴェンの後継者」という地位を確実にした。管弦楽の復権とすら言われ、ワーグナー派に対するブラームス派の旗揚げとなったのである。そして、益々ワーグナー派VSハンスリックの罵り合いは激しくなっていった。
 
 だが、この罵り合いは両作曲者の意にかなったものであったのか、は疑問である。先に挙げたブラームスの「交響曲第4番」は彼の作品の中でも傑作とされている。特に「終楽章」は人気の高い楽曲であるが、「交響曲」の楽曲としてはかつて無い異例の形態をとっている。それは「シャコンヌ」という形式の導入であった。シャコンヌとは低音による8小節ほどの短い主題が提示され、その後もこれを他声部などに何度も登場させながら展開していく楽曲形式。だが、この形式は交響曲が誕生した古典派の時代には既に廃れていた。シャコンヌはそれよりも前の「バロック時代」の形式で、勿論J.Sバッハも得意にした。勿論これにはワーグナー派は「そんな前時代的な物を」「ブラームスは古くさい」「保守主義」だの言って糾弾することになった。
 だが、そのワーグナー自身もJ.S.バッハを尊敬しており楽曲に取り入れているのである。ワーグナーはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」を愛しており自分でもよく弾き、病床にあっても弟子に弾かせる等して毎日その対位法の粋である音楽を耳にしていたのである。複雑な半音階的進行が使われる楽劇「トリスタンとイゾルデ」の次に発表された楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は一般的に複雑な響きからの反動で分かりやすい古典的響きに戻ったと考えられている。しかし、彼自身「『平均律』の対位法技術を『トリスタン』よりも『マイスタージンガー』により応用した」と語っている。つまり、対位法の使い方は「トリスタン」よりも「マイスタージンガー」の方がより一層複雑である、と作曲者自身が言っているのである。しかも、その対位法はバッハに学んだのである。バッハ、ベートーヴェンに影響を受けた点ではワーグナーもブラームスも一緒なのであった。

 結果としてワーグナーの生んだ複雑な和音、ブラームスが徹底した楽曲構成の双方がロマン派後期の作曲者達に影響を与えることとなる。


§14 「ワーグナー・ブラームスの系譜 〜ブルックナー、R.シュトラウスと国民楽派」

 ワーグナー・ブラームスの後には多くの作曲家が続いたが、「2代陣営」ではなく、さらに「分業化」が進んでしまったので併記して書きたい。


正統派クラシック音楽の後継者

 まず、正統派とは何かの定義であるが、「西洋音楽の語法を中心とした作曲家」と定義付けたい。「西洋音楽」の最初は「グレゴリア聖歌」であった。それは「各地でバラバラな聖歌を歌われないために」という目的があって作られた。即ち、西洋音楽は「地域性=民族音楽」を排除した物である、という事が出発点であったのだ。そこで、言い方は変であるが、「正統派クラシック」と「+地域主義のクラシック」と別けて考えることができる。では、正統派クラシックの旗頭は誰になったのか、を見ていこう。


 まず、ワーグナーの熱烈なファンであり弟子でもあった「ブルックナー」が挙げられる。ワーグナーは楽劇を作ったが、ブルックナーはひたすら交響曲を作る。交響曲は練習で作った「0番」「00番」を含めれば11曲。ワーグナーの「ラインの黄金」や「神々の黄昏」の様な「階段を一歩一歩上るような高揚感」や「神に祈りを捧げるコラール」という宗教的な響きが特徴。また、リズム等の繰り返しも多く「ミニマルミュージック」の先取りとも言えるアイディアも見られる。なお、ブルックナーは「ソナタ形式」において通常は「第1主題」「第2主題」を登場させるところをさらに「第3主題」まで登場させさらに規模の拡大を図っている。また、「民族的音楽を取り入れない交響曲」を創作の中心に置いた作曲家はブルックナーが最後と言える。

 交響曲部門がブルックナーならば「楽劇分野」は「R.シュトラウス」に受け継がれる。ワーグナーは楽劇、つまりオペラ分野で才能を発揮したが、R.シュトラウスも同じく傑作オペラをたくさん残した。管弦楽法の集大成とも言って良い変幻自在な音響効果であり人気も高い。R.シュトラウスの父はワーグナーの楽劇初演に立ち会ってきた偉大なホルン奏者「フランツ・シュトラウス」。フランツ無くしてはワーグナーも新曲の発表は無理、とまで言われた優秀なホルン奏者であった。しかし、フランツ自身はモーツァルトの音楽を愛好しておりワーグナーの音楽は大嫌いであった。そこで、息子のR.シュトラウスには「モーツァルトの音楽を勉強しなさい。ワーグナーは聴いちゃダメ」と教育した。しかし、ダメと言われてもR.シュトラウスは密かにワーグナーの楽劇を研究。特に和音の使い方と管弦楽法を勉強した。結果としてモーツァルトの洗練されたスッキリとした響きから複雑なワーグナーの手法まで身につけた天才作曲家が誕生。交響詩「ドン・ファン」「英雄の生涯」や楽劇「サロメ」「バラの騎士」等の人気のレパートリーを生み出した。
 だが、古典派から続いてきた「機能和声」を使ってクラシックの曲を残したのは彼が最後。つまり、クラシックのコンサートのメインになる曲を作った最後の作曲家がR.シュトラウスと言える。また、彼の生存中に起こった歴史的事件は「第2次世界大戦」。戦後は特に一層古典離れが進むのである。


「国民楽派」= クラシック+地域主義

 ここで言う「地域主義」とは「自分の生まれた土地」「人種」「民族」を意識して作曲する事である。具体的な方法は「民族特有の音階」「民族特有のリズム」を西洋音楽の理論で分析し、場合によっては「デフォルメ化」し作曲に取り入れるという事が中心となる。「デフォルメ化」と言うのは、正確に民族音楽を西洋音楽の技法で表現するのは不可能であるからである。例えば、日本音楽の「間(ま)」や「独特のリズム」を楽譜で正確に表すのは難しい。ただし、大ざっぱに「こういう雰囲気」と表すくらいは簡単にできる。それを利用して新しい音楽を作ろう、という事。この音楽の流れを「国民楽派」と呼ぶ。主にお「チェコ」「ハンガリー」「ロシア」「北欧」「スペイン」などで巻き起こった。要はヨーロッパの中でも地方と呼ばれる地域である。このヨーロッパの周辺地域は音楽的に豊かな土壌があり、前述のブルックナーやR.シュトラウスを凌ぐ人気の作曲家をたくさん生み出した。その点でロマン派の主役達は地方に移った、という見方すらできる。では、実際に見ていこう。

前国民楽派(この言い方は私が考えた)の2人
 次の2人はロマン派シューマンやメンデルスゾーン等と同時代の人であるし、国民楽派とはされていないが、地域の音楽、母国の音楽を大胆に取り入れた初めの2人であるので特記した。また、2人とも偉大なピアニストであり、ピアノ分野においては非常に大きな功績を残した。


「リスト」 
 イケメン天才ピアニストとして登場。ピアノ曲のみならず管弦楽曲も書く。メンデルスゾーンの時代に活躍。彼は自らに流れる「ハンガリー人の血」を意識し、ハンガリーの音楽を取り入れる事を思いつく。「ハンガリー狂詩曲」がその代表。ただ、彼がハンガリー音楽と思った音楽はハンガリーの土着音楽ではなく、ルーマニア的な、古い言い方ではジプシー的な音楽であり、学術的に裏付けのあるハンガリー音楽ではなく、印象だけで書いた他国人によるハンガリー風音楽だ、と断じる見方もある。実際リストは殆どハンガリー語は話せなかったという。しかし、リストは故国に音楽教育機関を設立するために尽力する等ハンガリーの音楽の発展を心から願っていたのは疑う余地がない。


「ショパン」 
 彼も偉大なピアニスト。ポーランドに生まれる。やはりポーランド人だからポロネーズを書く。ただし、業績はリストと一緒でピアノ超人。だが、その一方「バッハ平均律」を意識した「24の前奏曲」を書く。これは実は「バッハを意識」どころか「サラバンド」等過去の音楽様式が百鬼夜行の様に現れは消える、というアカデミックな意欲作であり、ピアノ奏法やバッハのみに着眼していると足下をすくわれる。「ショパンを侮るな作品」の恒例。


「国民楽派」に分類される作曲家達
 正真正銘国民楽派に分類される人達

「ドヴォルザーク(チェコ)」
 ブラームス以後の最も重要な作曲家の1人。ブラームスに才能を認められる。ブラームスは「ドヴォルザークがゴミ箱に捨てたメロディからも交響曲が書けるほどだ」と美しいメロディを次々に生み出すドヴォルザークの才能に感嘆したと伝えられている。しかし、ドヴォルザークの本質はメロディメーカーだけではなくブラームス的な構成力にもある。チェコ等スラヴ圏の音楽を取り入れるが、その美しいメロディの見かけとは裏腹に「第3主題を取り入れた交響曲」等実は技巧的かつ複雑な構造の交響曲を作曲している。交響曲第9番「新世界より」が人気。なお、アメリカに招聘され教壇に立つ。そこで「君たちには君たちの音楽がある」とアメリカ独自の音楽の確立を示唆。以後「アメリカ音楽の模索」が始まる、という風にアメリカでも大きな功績を残した。(なお、アメリカ音楽は混迷を極め、結局その後登場する「アイヴス」という変な作曲家から本格的に始まるとされている。なお、「アイヴス」は後々現代音楽の項で扱いたい。個人的にはもっと演奏されてもよい作曲家だと思う。)


「グリーグ(ノルウェー)」
 北欧の伝説的人物「ペール・ギュント」の物語を題材に劇音楽を作曲。また、ピアノ協奏曲も人気がある。


「チャイコフスキー(ロシア)」
 パリで作曲技法を学びロシア民謡等を主題に取り入れ作曲。交響曲、バレエ音楽等に傑作を残す。「元祖ロシア音楽」の位置付けにある。寒々しい旋律に熱い金管の咆吼、という「ロシア物」のアイデンティティを作ったと言って良い。また、大序曲「1812年」等国威発揚系の音楽も作った。自分はしっかりと外国で作曲の勉強を積んだプロの作曲家だ、という自尊からか「ロシア5人組」というアマチュア音楽家集団が嫌いだったが、その内の1人リムスキーコルサコフの才能だけは認めたらしい、という話もある。


「シベリウス(フィンランド)」
 自国や北欧の伝説を基にした交響詩を数多く作曲。しかし、それ以上に現代的な語法を使い交響曲等純粋音楽を作曲した事が特筆されるべき作曲家である。その点国民楽派のレッテルを貼られる事で損をしている作曲家と言える。


「ニールセン(ノルウェー)」
 響きは「流氷漂う北海」を思わせる透明感がありファンも多い。寒さはシベリウス以上、と思う。「広がりの交響曲」では「歌」を楽器と見なし使っている(歌詞を使わずAh〜だけ=ジャングル大帝のオープニングみたいな感じ)。


「リムスキーコルサコフ(ロシア)」
 「ロシア5人組」と呼ばれるロシアのアマチュア音楽家集団の1人。しかし、彼は後に本気で作曲理論に取り組み、最終的に現代的な管弦楽法の大家として認められた。勿論ロシア風の哀愁漂うメロディも取り入れるが、何よりその色彩豊かな音色が魅力。交響曲「シェヘラザード」は人気曲。プロのオケ奏者でもこの曲が好きな人は密かに多い。チャイコフスキーの奥さんと何かあったらしい、という話もある。

 この他、「国民楽派」と言える作曲家はたくさんいるが、「ドイツ語圏」「フランス」以外の国出身のこの時代の作曲家は大体が国民楽派と言って良い。ただし、「シベリウス」でも書いたように、「国民楽派としての存在感」が大きすぎるために作品の実態が正当に評価されていない可能性がある為、そのうちに「国民楽派」という分類自体が無くなるかも知れない。とは言え、現状音楽の教科書に載っているので何となく載せては見た。

 また、この時代で注目すべき作曲家である「マーラー」はウィーンを中心に活躍しているため一般的に「後期ロマン派」とのみ分類されている。しかし、「ユダヤ人」である事を意識しているためかユダヤ的な音楽を使用している。当時「イスラエル」は存在しないため「国民」とは言えないが「民族意識」は持っていたし、アイデンティティとして曲に盛り込んでいることからマーラーは国民楽派と分類することも可能であるが、そう書いてある本は見たことがない。

 さて、ここで話をフランスに向けてみたい。フランスと言えばだいぶ前に「ベルリオーズ」を取り上げた以来作曲家を紹介していなかった。実際現在コンサートに取り上げる曲は殆ど無いから仕方ないのだが、ブラームスのちょっと年下の作曲家である「サン=サーンス」という作曲家の登場によりフランスの音楽が再び注目されるようになってくる。

§15 「フランスの作曲家達 近代音楽の幕開け」

 フランスには「パリ音楽院」という音楽の大学がある。つまり、教育機関にして研究機関である。また、中世ノートルダム楽派の牙城ノートルダム大聖堂があるのもフランス。伝統的に理論の研究がなされる土地柄である。「国民楽派」が「音楽理論」が「自国の音楽や文学と結びついていった」のに対し、フランスでは「音楽理論」自体を推し進めていった。その様な中で「サン=サーンス」が登場する。


古典・ロマン派の技法の大家サン=サーンス

 フランスはこれから「近代音楽」に突入するが、その前に「古典・ロマン派の総決算」をしたのがサン=サーンスと言える。これまでドイツ語圏に有名作曲家が登場しっぱなしであったがフランス人でもそれくらいはできる、という感じであろうか。フランス人はあまり書かない「交響曲」で成功したのはその一つの例と言える。「フランス=ラテン人=感覚的」という我々日本人が抱く誤解を払拭するにはベストの作曲家と言える理論に裏打ちされた、アカデミックな作風。


印象主義の登場=近代音楽の確立 ドビュッシー、ラヴェル

 サン=サーンスに代表される理論的音楽に若い世代が反発しドビュッシー、ラヴェル等が新しい音楽を確立していった。「印象派絵画」のモネ等と時代を同じくした事等から彼らの音楽を「印象派」と呼ぶ。しかし、アイディアの根底は「印象派」という語感の「曖昧さ」とは全く逆。あくまでも「理論的」に展開されたのがフランスらしい。


機能和声の崩壊 「全音音階」=ドビュッシー

 古典派以来「機能和声」はずっとあり続けてきたが、ドビュッシーが提唱した「全音音階」で遂に理論的に崩壊した。機能和声は「長調、短調、又は旋法」の上に成り立つものであった。例えば「長調ならば「ド=レ=ミ、ソ=ラ=シ」間は全音の幅があり、「ミ=ファ、シ=ド」は半音の幅しか無い。この幅の差があるから音にそれぞれ固有の特徴、機能が生まれる。しかし全音音階はオクターブを全て全音で割り切ってしまう為にどの音にも固有の特徴、機能は生まれない。つまり、機能和声が死んで新たな音楽理論、響きが誕生したのである。「フランス近代音楽」の幕開けである。この全音音階を使って書かれた管弦楽曲が「牧神の午後への前奏曲」である。
 また、通常の「短調」「長調」だけではなく、古典派以降使われなくなった「教会旋法」を楽曲に取り入れるようになる。これによりバロック時代の前期に登場した作曲家が作曲したテーマを楽曲に引用したり、不安定な「無調に近い響き」を作ったりとこれまでの機能和声を崩壊させるのをより推し進めた。

音楽形式の崩壊=ラヴェル

 これまで音楽は「2部形式」「3部形式」「ソナタ」「ロンド」「フーガ」等多くの形式に支えられてきた。これは音楽を作る上での「枠組み」の様なもので、形式がなければ「変化も秩序もない」「つまらない」音楽に成り下がってしまうのを防いでいた。だが、ラヴェルはそれらの音楽形式を使わずにたったの2フレーズが延々繰り返す曲を作った。「ボレロ」である。この曲はリズムの変化が無く(最後の2小節でようやく崩れる)、転調も最後の場面で1度現れるだけ。つまり「転調」「主題労作」といったこれまでの楽曲に必ずあった変化はほとんど無い。この曲に「○○形式」という名前を冠すのは無理で、強いて言うならば「ボレロ風変奏曲」とするしかない。変奏曲とは1つのテーマを次々に変奏していく曲であるが、ボレロは一切変奏はされない。ただし、演奏する楽器が変わっていく。つまり、音色だけは変わっていくのだ。ラヴェルは「音色」も「形式に匹敵する音楽上重要な要因」としたのである。ただし、ボレロは殆ど離れ業に近い傑作でありこの様な曲は当然音楽の主流にはなり得ない。ラヴェルが「管弦楽の魔術師」と讃えられる所以である。

 印象派はこのように既存の「機能和声」「形式」を理論的に壊してしまった。しかし、ドビュッシーやラヴェルの音楽は美しさもあり「聴衆」、そして時に全く異なる評価を下す「評論家」の双方からの支持を得た。現在に至るまでこの2人の曲はコンサートレパートリーに積極的に取り上げられ続けている。ドビュッシー「交響詩 海」、ラヴェル「スペイン狂詩曲」「ダフニスとクロエ」等はこの時代を代表する名作でありこれからも演奏され続けるだろう。


 そして、印象派には加えられないがストラヴィンスキーが加わる。まず、ドビュッシー、ラヴェルが出てきて、最後に彼がトドメを刺した感がある。


何もかも破壊=ストラヴィンスキー

 この頃にフランスで活躍した作曲家として外せないのが「ストラヴィンスキー」である。彼はロシア出身で管弦楽法の巨匠リムスキー=コルサコフに師事し研鑽を積んだ後パリに進出。3大バレエ作品を初めとして名曲を次々に送り出す。その中の1つ「春の祭典」は音楽史の上でも重要な1曲。この曲は「アミニズム」つまり原始宗教を題材としており、明らかにセックスを意識して書かれている。「連続し、解決されない不協和音」「復調」「変拍子」など、これまでにない暴力的な描写が特徴。ドビュッシー、ラヴェルが「美しく壊してくれた」のに対し、この曲は「徹底的破壊」と言えるだろう。当時の聴衆も敏感に反応し、初演では「容認派」「拒否派」入り乱れて殴り合いのケンカにまで発展したという。

 ストラヴィンスキーの登場で古典的音楽は破壊し尽くされてしまった。何も知らない人が聴けば「モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク」と「ストラヴィンスキーの春の祭典」が「同じ西洋音楽」と思うことはないだろう。「春の祭典」の響きはあまりに古典音楽とかけ離れている。

 そう考え、やはり古典にかえって作曲してみよう、と考えた作曲家達も現れた。それが「フランス6人組」という6人の作曲家達。プーランク、ミヨー、オネゲルの3人が中でも有名。6人組の他にもイベールなどもこの考え方を持ったようだ。また、春の祭典を書いた後のストラヴィンスキーも古典的な形式で曲を書いている。「一見古典派」なのだが、どこか壊れた響きを持つ作風、と言える。最近特にプーランクは人気があるようだ。

 では、フランスに対してドイツ語圏ではどうだったのかを見ていきたい。ドイツでは先に「R.シュトラウス」を紹介した。シュトラウスはドビュッシー等と活躍の年代を同じくしているが先に説明したようにロマン派の語法で作曲している。ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーに並ぶ「新語法」を作ったドイツ語圏作曲家は、シュトラウスと同時進行で活躍しつつあった。


「ドイツの近代音楽 〜12音技法の3人」

 フランスのドビュッシー、ラヴェルに先行されはしたが、「現代音楽」の扉を叩いたのはドイツ語圏の3人だった。彼らはウィーンで活躍したために「新ウィーン楽派」等と呼ばれるが、私は勝手に「12音技法3人組」と認識している。

「12音技法」とは何か?

 これまでは「ドレミファソラシ」の7つの音「音階」を基本に音楽を作っていた。しかし、12音技法ではその名の通り「半音階全ての音=12音」を全て均等に扱うことにした。これによって「全音音階」よりも「完全な無調音楽」が実現した。ただし、この12音技法は完全な「新語法」である。それだけにこの効果的な使用法も生み出さねば全く意味がない。では、この12音技法を生み出し、そして作曲法を確立した3人を見てみよう。


シェーンベルク

 最初に12音技法を作り出した人。元々は無調ではないけれど無調に近い響きの曲を作っていた。「浄められた夜」「月に憑かれたピエロなどはその傑作として人気が高い。だが、それをさらに進めて遂に12音技法、無調の世界に行き着く。ベルク、ヴェーベルンの師匠。12音技法の創設者ではあるが、現在度々コンサートで扱われる曲目が12音技法前の前述の2曲である事を考えるとシェーンベルクは過渡的役割を果たしたと言って良く12音技法自体はむしろこの2人の弟子が推し進めてくれた、と言えなくもない。


ベルク

 シェーンベルクの弟子。無調の語法「12音技法」を使い情緒的な作品を残す。特に晩年の作品「ヴァイオリン協奏曲」は傑作中の傑作。12音技法がさかのぼりバッハののコラール「今や足れり」に行き着く。このバッハのコラールには「この世の苦しみはもうたくさんです」という「死への憧れ」を意味する歌詞が出てくる。キリスト教では自殺を禁止している。それだけにギョッとする歌詞であるが、それに対してバッハはコラールでは禁止されている「増4度」という音程を使うことでショックを倍増させた。機能和声を崩壊させた「後」の語法と機能和声が登場する「前」の語法が結びついたのである。


ヴェーベルン

 シェーンベルクの弟子。3人の中では一番機械的な隙の無い作曲を目指した。12音技法の講義をした際に「偶然、恣意ではなく確固とした熟慮によって配列されるべきものが12音技法の音列」と言っている。彼はその講義の中で「ラテン語の魔法陣」を紹介した。「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」というラテン語の文章で、


S A T O R
A R E P O
T E N E T
O P E R A
R O T A S


このように単語1つずつ並べて書くと、何と上、下、左、右どちらから読んでもsator arepo tenet opera rotasと読めてしまう。これこそがヴェーベルンの音楽に対するときの聴き方になる。そんな訳で、ヴェーベルンの音楽はシェーンベルク、ベルクよりも機械的な音楽に聞こえる。そして、ここまで来ると、もはや「近代」ではなく「現代音楽的アプローチ」と言える。ついに、「現代音楽の時代」がやってきた。
http://syunju.web.fc2.com/historia2.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c4

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
5. 中川隆[-10718] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:53:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2138]

ハンブルクとブラームス さすらい人、ヨハネス

ハンブルク生まれの有名作曲家には、メンデルスゾーン(1809−1847)とブラームス(1833−1897)がいる。今年生誕200年を迎えるメンデルスゾーンが、裕福なユダヤ人銀行家の子息だったのに対し、24歳年下のブラームスは、ハンブルク市内の貧民街に住む下層市民の家庭に生まれた。このことが後々までハンブルクとブラームスの関係に微妙な影を落とすことになる。

ブラームスの生家。2階左がブラームス家

ブラームスの父ヤーコプ・ブラームスは、ハンブルクの北西100Kmに位置するハイデという田舎町の貧しい商人の家に生まれたのだが、音楽家になろうと思い立って様々な楽器の演奏技術を習得し、単身ハンブルクに上京した。まさにグリム童話に出てくる「ブレーメンの音楽隊」の動物達のように、大都会ハンブルクで一旗上げようと考えたに違いない。

船員相手の酒場や娯楽施設が多いエルベ川沿いの港町ハンブルクの楽団で、ビューグルやホルンやコントラバスなどを演奏して生計を立てていたヤーコプは、24歳のある日、没落していたとはいえ中産階級の出身で、17歳も年上のクリスティアーネに、知り合って一週間だというのに唐突に求婚して3人の子供をもうけた。その第2子、長男として生まれたのがヨハネス・ブラームス。ヨハネスと母クリスティアーネは終生強い愛情の絆で結ばれた。

ブラームスが生まれた家は第2次世界大戦の空襲で焼失したが、戦前に撮られた写真によると、やや傾き加減の大きな木造7階建て集合住宅は、よく崩壊しないものだと感心するくらいぼっこい。


シューマンがローレンスという画家に書かせ所持していた20歳のブラームス


父ヤーコプは、ヨハネスに自らヴァイオリンやホルンなどを教えるとともに、貧しいながらも精一杯の教育を与えた。勿論当初家にはピアノなどなかったが、ヨハネスがピアノに興味を示すと、コッセルというピアノ教師の下でピアノと音楽の基礎を学ばせた。たちまち音楽的な才能を発揮したヨハネスを、コッセルは自分の恩師でもあるマルクスゼンという、当時ハンブルクでも指折りの音楽教師のもとに連れて行った。マルクスゼンもブラームスの熱意や勤勉さに感銘を受けるとともに直ちに彼の天賦の才を見抜き、ブラームスを一流のピアニスト兼作曲家にすべく全知全霊を傾けた。1847年、メンデルスゾーンが他界した時、マルクスゼンは友人に、

「芸術の巨匠が一人神に召されたが、より大きな才能がブラームスの中に開花するだろう」

と語ったという。その預言は的中した。


*だが、ちょうどこの頃、13歳のブラームスは、苦しい家計を助けるために歓楽街の酒場やダンス・ホールでピアノを弾くようになる。 日本で言えばまだ中学生だ。荒くれた船員や売春婦がたむろし、紫煙と嬌声が渦巻く酒場での演奏が、ブラームスの健康や人格形成に影響を及ぼさないはずがない。

事実、衰弱したヨハネスを心配した両親は、14歳と15歳の夏をハンブルク郊外のヴィンゼンというのどかな村で静養させた。酒場でのピアノ演奏は、即興演奏や変奏の技法を身につけさせたが、多感な少年期を苦学に費やし、嫌というほど人間社会の裏側を見たであろう。*


*この部分には異論がある。ブラームスは決して酒場などでは演奏しなかった。それは父親の事で、ブラームスがピアノを弾いたのは、ハンブルクの西に位置していた(今はない)綺麗なカフェ・レストランだったという説である。これに就いては今後検証したい。*


ブラームスは、誰に対してもハンブルク時代の出来事を話したがらなかった。だが最晩年になって幼少時代を振り返りこう言ったという。

「私は実によく耐えた。だが、今ではその惨めな体験が私の成長に必要なものだったと確信している」。

ブラームスの理解者シューマンとクララ

ブラームスは、成人するまでにハンブルクで幾度かの演奏会を催し、一人前のピアニストとしての名声を確立していた。また、何曲ものピアノソナタや合唱曲などの作曲活動にも勤しんだ。そして1853年4月二十歳の時、ハンガリーの若手亡命ヴァイオリニスト、レメーニのピアノ伴奏者として演奏旅行に出かけ、初めてハンブルクを後にする。

結局、レメーニとは仲違いをして伴奏者をお払い箱となったものの、この旅先でブラームスは、当代随一のヴァイオリニスト、ヨアヒムや、ブラームスの才能を、自身が発行する芸術評論誌で広く世に知らしめたロベルト・シューマン、そして終生尊敬し合い、深い愛情を持って親交を結んだシューマン夫人のクララなど、掛け替えのない音楽家達と知り合うことができたのである。これらを足掛かりとして、ブラームスはその後、優れたピアニストとして、またベートーヴェンの系譜を継ぐドイツの正統的作曲家としての名声をゆるぎないものにしていった。

1892年(59歳)ウィーン、カールスガッセ4番地の書斎にて


しかし、この生来内気でお世辞にも人付き合いが上手いとは言えない天才作曲家を温かく迎え入れたのは、生まれ故郷のハンブルクではなく、遠く離れたオーストリアのウィーンだった。ウィーン市民はブラームスの人柄と音楽を心から愛し、音楽上の要職を次々と彼に与えて活躍の場を提供したのに対し、ハンブルク市は2度までも、フィルハーモニー協会音楽監督という最高ポストをブラームス以外の音楽家に与えてしまったのだ。ブラームスが生涯ハンブルクに愛着を持ち、そこでの安定した生活を強く願っていたにもかかわらずである。

その理由は明らかではないが、ブラームスが下層階級の出身であることが大きく影響したものと推測されている。ブラームスの失意と傷心は如何ばかりだったろう。ブラームスはやむなくウィーンを定住の地と定め、市内を転々とした後、38歳から63歳で亡くなるまでの25年間、カールス・ガッセにあるアパートを終の棲家としたのだった。

そんな因縁もあってか、ブラームス壮年期の作品群、「ドイツレクイエム」(35歳、ブレーメン)、「ハイドンの主題による変奏曲」(40歳、ウィーン)、「交響曲第1番」(43歳、カールスルーエ)、「交響曲第2番」(44歳、ウィーン)、「ヴァイオリン協奏曲」(45歳、ライプツィヒ)、「ピアノ協奏曲第2番」(48歳、ブダペスト)などは、あたかもハンブルクを避けるかのように初演されている。

ハンブルク市は1889年になって、ようやくブラームスに名誉市民という称号を授けたが、その時ブラームスは既に全4曲の交響曲を完成させ、56歳の押しも押されぬ巨匠に達していたのだ。それでもブラームスは大感激し、ハンブルク名誉市民証書を誇らしげに知人に見せたという。

現在、ハンブルク市内の一角にこじんまりとしたブラームス博物館があるが、開館時間は1週間の内たったの3日間らしい。経緯上、大した展示物が無いからにしても、故郷ハンブルクがドイツの国民的大作曲家ブラームスに示し続けるこの頑なまでの冷淡さは一体どこから来るのだろう。
http://www.geocities.jp/oehler_spieler/HamburgBrahms1.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c5

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
6. 中川隆[-10717] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:54:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2139]

ブラームスと女性達 By migunosuke

12月11日のブログで、映画「愛の調べ」の感想として、

「実際にロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ブラームスの間に三角関係はあったのか?その根拠は何なのか?」

と書きました。手許にある本にいくつかその根拠が載っていたので順次紹介していきます。

まず最初、「ブラームス (門馬直美著、春秋社)」には次のように書かれています。


第4章 転機

このようにブラームスはもはや、クラーラなしでは生き甲斐を感じないほどになる。そして二人が親密になるにつれて、ブラームスのクラーラに対する気持ちは、敬愛から別の形の愛へと変わっていった。クラーラが十四歳も年長だということは問題ではなく、この三十五歳の女性の美点に惹かれ、多くの経験をもつという魅力にとりつかれたという形だった。

こうして、音楽史上に希有な数多くの手紙の交換が始まった。クラーラに対するブラームスの感情の移りかわりがそれらの手紙ではっきりと知られる。たとえば五四年十一月には、クラーラからの提案もあり、それまでの敬称的な Sie (あなた) から非常に親しい呼びかけである Du (お前、君) に変わった。

また、五五年六月二十日のブラームスの手紙では、それまでの「敬愛する夫人」とか「親愛なる人」が「私のクラーラ」というような表現に変わっている。そしてまた、ブラームスは「私はもう君なしには生きていられない・・・私がいつも、そしてずっと愛しつづけるように、どうか私を愛して下さい」とまで書くようになる。

しかし、クラーラは、このころまでのブラームスからの手紙のほとんどを破棄してしまっている。彼女の心境を語るのはその日記だけである。それにはつぎのように書かれている。

私たちの間にはこのうえない完璧な調和があります。私を惹きつけるのは、彼の若さではない。おそらく私自身のつまらぬうぬぼれでもないでしょう。いや、私が彼のなかで愛しているものは、その新鮮な情感、輝かしいばかりの才能に恵まれたその人柄、高貴なその心なのです。

ブラームスは間違いなく自分の気持ちを伝えていましたし、クララもまんざらではなかったようですね。

次に、「恋する大作曲家たち (フリッツ・スピーグル著、山田久美子訳、音楽之友社)」にはブラームスの女性遍歴について更に詳しく書かれています。


・ブラームスが女性と長続きする関係を築けなかったのは、若いころ家族を養う足しにハンブルクの売春宿でピアノを弾いていたせいだというのが、伝統的な見方である。

・(売春について) 彼は生涯に何度となくその愛にもどっていった。単純で、束縛されない−そして金で買う愛。

・ブラームスはおそらく過度なまでに女性を愛していたが、長期の関係は恐れていた。そしてどんな離婚裁判の判事にも負けないほど結婚については皮肉な見解を持っていた。「ぼくは運悪く結婚しなかった−だからずっと独身だった、ありがたい!」というのが、お気に入りの言いぐさだった。

・ブラームスは女性を信頼せず、たとえ将来愛情に発展しそうな友情が生まれても、突然感情を爆発させ、演奏や歌唱やらについて深く傷つける発言をして、相手を拒絶してしまうのだった。

・ローベルト・シューマンが二度と出てくることのなかったエンデニヒの精神病院に移されたあと、ブラームスはクラーラと子供たちと一緒に暮らしはじめた。(略)二月二七日以降、家計簿はブラームスの筆跡になっている。

・ブラームスとアガーテは婚約し、指輪を交換した。だが、一八五九年、クラーラがハノーヴァーで彼の≪ピアノ協奏曲第一番ニ短調≫を演奏したとき、彼は落ち込んだ。(略)不意に、アガーテと結婚すればクラーラを失うかもしれないと気づき、(略)奇妙な愛の手紙を書いた。(略)アガーテは怒って婚約を解消した

・一八六四年から翌年にかけて書いた二作目の弦楽六重奏のなかで、ブラームスはくりかえし彼女(※アガーテ)の名前を呼んでいる−音楽の棋譜法で可能な限り”文字の綴り”に近づけて。第一と第二ヴァイオリンがA-G-A-D-Eと演奏するパッセージの意味を、ブラームスは友人のヨーゼフ・ゲンズヴァッヒャーにはっきりと説明している。「この時点でぼくは最後の恋愛から自由になったのだ」

・よくブラームスと会っていたウルマンは、この作曲家との情事を告白した知り合いの若い女性について語った。彼女によれば、ブラームスは「情熱的だけど不器用な恋人」だったという。

・ヴィーンで、ブラームスは女声聖歌隊を結成し(ハンブルクでやったように)、そのメンバーのひとりにすぐさま結婚を申し込んだ。が、彼女がある医師と婚約したばかりなのを密かに知り、承諾の返事はもらえないだろうと悟った。またしても空振りに終わったのである。

ブラームスはクララ一筋という訳ではなく、それなりに女遊びもしていたようです。この辺は、貴族の娘に恋しながら、売春婦と遊んでいたシューベルトを思い起こさせます。しかし、ブラームスが一途に愛した女性はクララだけだったように思います。愛が芽生えかけたアガーテも、クララには敵わなかったことが、アガーテとの婚約解消のエピソードでよくわかりますね。一般に、男性は過去の女性を引きずるといいますが、ブラームスはその典型のようです。

最後に、「大作曲家たちの履歴書 (三枝成彰著、中央公論社)」には次のようにあります。


クララ・シューマン/理性と尊敬の念で結婚を踏みとどまる

二人は互いに恋愛感情を持ちながらも、理性と強い意志によって自制し合い、ついに結婚に至ることはなかった。彼らの交友は、時には喧嘩も交えながら四十三年間に及び、その間に交わされた手紙は数千通(破棄から免れたのは約八百通)にのぼったという。そこにはいたわりと尊敬、、そして紛れもない愛情がうかがえる。クララは死のまぎわに数行の文章を残したが、それはブラームスに宛てられたものであった。

ブラームスがクララに一方的に片思いをしていたのではなく、クララもブラームスを愛していたことが伝わってくる話です。ブラームスの片思いならクララからの返信もなかった筈でしょうし、ブラームスの気持ちはクララからの返信で更に燃え上がったのではないかと推測します。

こうした事情を踏まえると、複雑な愛の物語があり、クララ・シューマンを愛したロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスを扱った映画が複数作られる理由が、十分理解できます。
http://www.miguchi.net/archives/2615

ここでは彼の作品群のうち、とくに魅力的な一角を成す室内楽の、そ れもメロディアスにして甘い郷愁のような音を聞かせるものを挙げてみます。そのため息が誰へのものなのかはたい して重要ではありません。しかしなんだかんだいっても、そういう色調の曲こそが名曲として人気があるのではない でしょうか。これ以上のロマンティストはいないほどでありながら立派な紳士たろうとする努力は、はにかみ屋のブ ラームスの最も愛すべき点に違いありません。


ピアノ三重奏曲第1番

 改訂版を出しはしたものの、二十歳のブラームスが初めてクララに会った直後に書いた曲です。事実は知りませんが、最初から熱き思いに舞い上がってるように聞こえませんか? 

ピアノが冒頭から印象的な低い音を叩き、大きな波のように押し寄せてきたかと思うとチェロが引き継いで熱っぽく胸の内を語ります。揺れ動く感情を野放しにして振り切れるままにし、どうしようもなく高まってきたところで、そうだ、と自らに断定的に言い切ってまた突き進む。そういう感じです。

地に足が着いていないと言えるほど幸せと息苦しさが合体しています。
「好き好き好き好きどうしよう」と小躍りしているようにしか聞こえません!

ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」

 君が好きだと言ってくれた曲 を、君のためにソナタに編曲してみたよ、という曲です。ブラームスのメロディのなかでも最も美しいものの一つではないでしょうか。

ブラームスの同名の歌曲をクララ・シューマンが好んでおり、ピアニストであるクララも弾けるように、かどうかは知りませんが、作曲家自らヴァイオリン・ソナタに 編曲し、それが歴史に残る名曲になりました。

その歌曲が使われているのは第三楽章ですが、色々なところでよ くとりあげられるのは第一楽章の方でしょうか。ヴァイオリンの鼻声で甘え訴えかけるような響きがなんともロ マンティックです。途中から感情が激してきて、思わず叫んでしまうところがあります。フィジカルな自動運動 のようでもありますが、まるでわかってもらおうとして「ぼくだよ、ここだよ」と必死に訴えているみたいでも あり、その後脱力してまた上目遣いに独り言を装って囁き続けます。

「ブラームス・フォー・トゥー」(恋人たちのブラームス)という感じでしょうか。

幻想曲・間奏曲集Op.116〜119

 死の5年前、1892年で59 歳。事実上ブラームス最後の作品群です。作品116の幻想曲が7つ、117 の間奏曲が3つ、ピアノの小品118が6つ、119が2つで、たいていは一枚にまとめて録音されます。

肝臓ガンでクララの後を追って一年後に亡くなったブラームス。享年64歳でした。果して晩年は満ち足りていたのでしょうか。

静けさという意味では確かに最後の作品たるに相応しい雰囲気を持っています。
大変美しい追憶の曲です。しかし「旅立ちの準備が整った者の穏やかなひととき」とは言えません。

幻想曲の2曲目と4曲目など、なんという悲しい音でしょう。
ブラームスは泣いているのでしょうか。

そして上に 掲げた写真も見てほしいと思います。
晩年のブラームスはどうし てこんな目をしているのでしょうか。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/brahmschamber.html

ブラームスと女性のこと

 ゴシップ・クラシック界最大の謎とされるのがヨハネスとクララの関係です。他にもモーツァルトとアロイジ ア・ウェーバー、ラヴェルとエレーヌ・ジョルダン・モランジュなど、なかったようであったかもしれない式の 噂話は他項でとりあげました。年譜まで作って調べる人もいるようです。

 クララ・シューマンは、ご存知のとおり、作曲家ロベルト・シューマンの奥さんです。ブラームスからすると 十四歳年上ですが、当時有名なピアニストであり、ドイツの紙幣に描かれたこともある美貌の女性でもありま す。

ブラームスは二十歳のときにこの夫妻に初めて会っています。クララを見てどう思ったかはわかりません が、音楽の中に心境が表れるのなら、この頃に作曲されたのはピアノ三重奏曲第1番です(別項)。そして夫妻 に会ったそのとき、夫のシューマンには才能を見いだされ、後年ブラームスがドヴォルザークにしてやったのと 同じように世に出るきっかけを作ってもらいました。したがってロベルトは彼の恩人なのです。

しかしその恩人 は翌年ライン川に身を投げて自殺を図ります。幸い通りかかった船に助けられて一命はとりとめましたが、以後 は精神病院暮らしとなり、それから一年後に死亡します。人によってはこの自殺の際にシューマンが結婚指輪を 外していたことから、妻とブラームスの関係を知って絶望していたのではないかなどというのですが、一般に受 け入れられている理由は病気を苦にしてのことだとされています。

シューマンは結婚前に娼婦から梅毒をうつさ れており、梅毒は当時致命的な病気であったためどんどん進行していました。それと原因が同じか別か、精神も 病んでいました。梅毒が脳を侵したわけではないという医者の所見もあるようですが、考えられてきたのはまず 梅毒による影響、そして躁鬱病、統合失調症です。

病跡学的には躁鬱が有力らしいですが、被支配の妄想は統合 失調系にも感じられます。奥さんのクララに梅毒がうつらなかったのは結婚時にすでに潜伏期に入っていたため のようですが、そういう知識が当時なかったとすると、シューマンは自らの病気を知りつつクララと結婚したの でしょうか。彼が売春婦と関係を持ったのはブラームスとクララの関係を知った後だという説を唱える人すらい ます。

また、シューマン最後の言葉はクララに抱かれて発した I know の意味のイッヒ・ヴァイスで、幻覚にもてあそばれてきたけれども

「君だとわかるよ」

と言い、最後の力をふりしぼって挨拶したのだとクララは言っているわけですが、一方で

「ブラームスと関係してたこと、 ぼくは知ってるよ」

という意味だと解釈したがる人もいま す。

8人も子供のあったクララは、8番目がブラームスの子だったなどという憶測は横へ置いておくにしても、夫シューマンの療養所入りとその後の死によって経済的に苦しくなり、コンサートをたくさん開くなど苦労したようです。

この頃ブラームスがクララの面倒を見、急接近していたことは知られています。彼のクララへの手紙には大変熱烈なものが何通も残っており、どうみても、それです。その上一番親密だった頃の手紙は二人とも処分している(らしい)というのですから、男女関係 にあったとする見方が出てくるのは当然かもしれません。

クララがブラームスに宛てた「あなたは最高の友人 よ」という見限りメール風のものも残っているようですが、真実が何であったかは知りたい人が前後関係を読んで想像することでしょう。いずれにしても二人がその後一緒になることはなく、表向きは親しい友人関係を貫き ました。

 そしてその急接近の3年後、25歳のブラームスはアガーテ・フォン・ジーボルトという、長崎のシーボルト の従兄弟の子に当たる女性と婚約しますが、いざ結婚の段になると

「今は大変忙しい、結婚によって束縛されたくない。
結婚するかどうかは君が決めてくれ」

という内容の手紙をアガーテに送り、それを受け取ってショック を受けたアガーテにふられるという結果に至ります。なんという気のない言いぐさでしょうか。まるで他の誰か を思っていたかのようです。それとも、成就してしまうことを怖がる心理でも働いていたのでしょうか。

結婚をはじめ、何かが成立してしまうことを恐れて逃亡するケースはよく聞かれます。完成してしまったらその先はな いわけですし、あるものに関して自信がなく、それが露呈してしまうことを恐れる場合もあります。重大な決定 について迷いが出るのは当たり前だとしても、恋愛においては親との幼少期の関係が影を落としているように見 える場合もあります。

キェルケゴールのように自ら婚約を破棄してしまい、後々自責と後悔に苛まれる人もいる ようです。いずれにしても冷淡な態度をとればそれで現実の関係が終わってしまっても仕方はありません。

 この頃に作曲されたのが弦楽六重奏曲第1番です。以後ブラームスは独身を貫き、仲の良かった夫婦によく見られるパタ−ンですが、クララの死の一年後に肝臓ガンで後を追うように亡くなっています。西洋医学では否定 されますが、伝統医学のいくつかでは臓器と感情の結びつきが言われます。そういう意味でいうと肝臓は怒りの 臓器だという話ですが、クララの死後、ブラームスには何か自分への隠された怒りでもあったのでしょうか。

 では、音楽の上では、プライヴェートな出来事はどう表れるのでしょうか。芸術作品は作者の意図やそのとき の感情に関わらず、作品単体で見るべきだという哲学者がいます。こうだったああだったと言ったところで他人 の主観に過ぎないからでしょう。しかし裏を返せばどんな評価も恣意投影なのですから、逆に心情を感じてみるのもありでしょう。

ブラームスの叙情性、それは若いときから一貫して切々と訴えてくる種類のものです。静か に甘く夢見るような歌をうたっていたのが突如感情が高まり、希望やら切なさやらがないまぜになった抑えきれ ないフォルテへと上り詰めた後、フレーズの区切りまで燃焼し切ることなく途中でふっと力が抜け、また独り言というか、内にこもって物思いにふけって行きます。

このホルモンをともなったやるせない波立ちの形には誰しも覚えがあるのではないでしょうか。しかもブラームスの場合、感情が高まるときはチェロなどの肉声に似た擦 弦楽器の持続音をともなって、しかも輝かしくない厚めの音で訴えてくることが多いように思います。

後に手直しをしてはいますが、クララと出会った頃のピアノ三重奏(第1番)の出だしから聞こえる音はどうでしょうか。その経緯からピアニストのクララが耳にし、弾くことになるのは明らかでした。ブラームスはヴァイオリン が弾けましたし。

それはともかく、同じく甘美な旋律で有名なヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」は、クラ ラが好きだった歌曲から編曲されたためにそのタイトルで呼ばれます。アガーテと謎の破綻をした直後に作曲さ れた弦楽六重奏曲ですら同種の響きを持っているように聞こえるのは私の耳がおかしいのでしょうか。どれもこ れも内に秘めた想いを感じさせ、それがときに暗い情念に結びついているのが分厚い和声を通り抜けて聞こえて きます。

 婚外であれ何であれ、あからさまな男女関係に入り込むという意味ではブラームスとは反対にも思える奔放さを見せたのはガブリエル・フォーレです。しかしブラームスの音には、そのフォーレに若干似たところを感じる 瞬間があります。

それは重厚な内声部に支えられた溜め息のようであり、何度も改良を重ねた手の込んだ技法によって半ば隠されていますが、人の眼の光が魂に固有だと言われるように、いつも、ある同じ色なのです。そしてフォーレの方は現実につき合える相手への思いに満ちてお り、手に入れては情熱を失うという繰り返しのプロ セスにおける期待を表しているとするなら、ブラームスはある種、手に入らないものに憧れ続けるような種類に 聞こえます。

 もちろんブラームスにも、あまりそのような切ない気分ではなかっただろう期間もあります。ドイツ・レクイ エム、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲などを生み出していた頃、年齢で言えば35歳から50歳ぐらいまでの 間がそうではないでしょうか。この時期の作品は概ね穏やかな満足に満ちているような気がします。しかしそれ も長くは続きませんでした。

 五十代を超えてくると、想いが枯れてくるのではなく、そこに過去への回想が加わってくるようです。それは ときに怒りを伴い、悲痛さを感じさせることもありますが、美化した幸福に酔う瞬間も現れます。名曲として名 高いクラリネット五重奏曲とピアノの間奏曲集が、よく演奏されるものとしては事実上彼の最後の作品にあたるわけですが、これらですら若者の自己陶酔的な嘆きにすら聞こえ、モーツァルトやベートーヴェンが晩年に見せ た、どこかふっきれたあの感覚とは質的に異なっているようです。

人の晩年といってもそれぞれで、青年期に特 徴的な問題を晩年に解く人もいれば、無条件の愛のようなテーマに早くから取り組む夭折の天才もいます。それ らに優劣は関係ないですし、老年期の心理などというものがはたしてどこまで普遍性を持ち得るのかも謎です。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/brahms4.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c6

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
7. 中川隆[-10716] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:56:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2140]

ブラームスとクララって


292 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/03/12 22:04:00ID:5Thzv7ne [1/1回]

「結婚すればよかったと思うこともあるんだよ
 もう十歳くらいの男の子がいてもおかしくないんだから。そりゃ楽しいだろうよ。
 でもなあ、適齢期のころには地位がなくてね。今じゃもう遅すぎるし。」

by ジョージ・ヘンシェルの日記 1876年7月17日記述。

ガクガクブルブル・・・


ブラームス回想録集 ジョージ・ヘンシェル
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86%E3%80%881%E3%80%89%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86-1-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92/dp/4276201772/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1365322677&sr=1-2&keywords=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86


827 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/06/13 11:43:46ID:PDdjjwSf [1/1回]

ブラームスは早熟の天才肌(ピアノ四重奏曲、バラードその他)


839 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 11:25:28ID:lPRgnMHf [1/1回]

ブラームスが美青年でなければ全ては平穏だっただろうに


840 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 16:01:01ID:YXG0GM4F [1/1回]

若い頃のブラームスは運動神経も抜群で、興に乗ったら皆の前で宙返りを披露してたそうだ。まあ、ピアノが鬼のように上手い人は大抵運動神経もいいから、さもありなんな話だ。

さぞモテたんだろうな。
クララの毒牙にひっかかりさえしなければ・・・

841 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 18:29:59ID:AZTmGu9Y [1/1回]

そしたら天才のままで作曲できたかも知れないのにね。

985 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/11/03 12:13:42ID:iqhimP4Z [1/1回]

ブラームスが美青年でなければ

5 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/08 14:48:00ID:FwrjoHKK [1/1回]

二人の間には子供がひとりいた。
少なくともシューマンはそう疑っていた。
シューマンはクララとセックスした日を手帳に正確に記録するようになりクララをストーキングするようになった。

90 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 11:56:00ID:dOf5SUQw [1/2回]

ブラームスっていうと内向的で、優柔不断で、ぐずぐすした印象があるんだが、クララとやっちゃうほどの甲斐性あったのかな。


92 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 14:43:00ID:1hrX1kTj [1/2回]
>>90
 逆ナンだよ−ン。
 熟女のテクにかかったらイチコロだヨ−ン。
 愛してることと、エッチした〜いことの見境がつきまへんねん、若い頃は。
 これ体験的結論。


93 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 14:50:00ID:1hrX1kTj [2/2回]

     食パンもジョルジュ・サンドいっち
     にされたっけ。

203 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/20 23:24:00ID:a8cjojec [1/2回]

結局末っ子の父親って誰なの?


204 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/20 23:28:00ID:Hgfs9Fb4 [1/2回]
>>203
ロベルト


205 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/20 23:32:00ID:a8cjojec [2/2回]

ホントに?


206 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/20 23:41:00ID:Hgfs9Fb4 [2/2回]

ほら、ロベルトは克明に記録つけてたから、
それと合致するという。


207 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/21 00:04:00ID:QuffiUg/ [1/1回]
でも末っ子がデキちゃった頃って病気(梅毒?)がカナリひどくなってきてたのでは?
そんな時にちゃんと勃起したのかが問題だ。


209 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/22 00:13:00ID:3QmKKclJ [1/1回]

 ネタ・・・・・・
要するに、クララは誰と「ネタ」のかが問題だ。


210 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/22 15:42:00ID:m5iUxdNE [1/1回]
>>209
ヨハネスでしょー。
夫がいる身で年下の若い男とはめまくり。
邪魔な発狂夫があぼーんした後は二人で(子連れだけど)堂々と温泉旅行。
再婚しなかったってだけでものすごい良妻賢母として後世に語り継がれる。
イイ人生だね、クララの人生って。


708 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/10 05:54:18ID:K7422RwR [1/1回]

とにかく、クララって好きもん女で子供ばっか、やりまくって作ってた。
その上ブラームスの相手もして、すごいもんだと尊敬。


716 : 栗舐めキン愚▼69XES&4[] : 投稿日:2005/12/17 00:32:11ID:LB4yP++i [1/1回]

ブラームスってババ専???
あんなイイ男が好き好んでバァバァにハメハメしたとは思えんのだが


717 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/17 02:31:31ID:JyUseF4c [1/1回]

壮年期のブラームスって、成功してエライ高収入だった。
それでも本人は質素を好んだものだから、カネは有り余っていたはずだ。
女だっていくらでもハメまくれただろうに・・・


718 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/18 21:02:11ID:yQlMerDi [1/1回]

問題は成功しただけでなく当代の著名人になってしまったことだな
それより何よりクララがいてはどうにもならん


719 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/20 01:07:15ID:yql2W2oz [1/1回]

ブラームスは成功してからは気前も良く、親戚や若手音楽家を援助しまくったそうだ。
(新潮社「カラー版作曲家の生涯」より)
人付き合いは苦手でもイイ人だったみたいだね。
ウィーンや故郷ハンブルクでも、風俗のおねぇさんや女学生にお金をばらまいたのかなぁ・・・


720 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/22 20:32:50ID:AUqz07Zw [1/1回]

援助が違う意味に見えたw


722 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/23 21:49:16ID:MSSBr4tL [1/1回]

子ども好きだったブラームスw

732 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/01/07 19:21:21ID:hitNDBzq [2/2回]

ヨハネスたんの童貞喪失だが・・・
1847年、14歳のとき、地元ハンブルグのバイト先の酒場で、娼婦のお姉さんに、そそのかされて食われてしまったとの説がある。
14歳の天才ピアニスト美少年が、娼婦やマフィアだらけの酒場でピアノ弾きのバイトなんかやってたら、ショタコン女に食われて当然!!


728 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/31 14:55:08ID:W0w4DMdP [1/1回]

ヨハネス君ってヤリチンコじゃねぇか。
もうヤツの音楽は聴かない。

禁欲生活を貫き、41歳で結婚するまで性的経験がなかったマーラーを見習えってんだ。
(妻・アルマ談。いやこれほんとかな〜w)


729 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/01/06 14:21:25ID:brZo7jc+ [1/1回]

マーラーの夜の生活は、相手のことも考えず勝手にベッドに押し入って自分だけ満足すれば後はさっさと出て行って自分の所で寝ちゃうと言う、かなり自己中心なものだったらしい。
そりゃアルマも寝取られる訳だよ。


730 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/01/06 17:36:36ID:ddUtS55G [1/1回]

アルマ自体もヤリマンだしねえ。
あのベース顔好きじゃないけど。

953 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/24 06:16:14ID:RNs4YpxY [1/2回]

クララはどっかのア○マとは違って、ヨハネスとは結婚しなかったのね
しかもその後男をとっかえひっかえしてたわけじゃないし


954 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/10/24 12:59:18ID:9eZcad46 [1/1回]

そりゃクララと違ってアルマは自活の術がなかったわけですから。

955 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/24 15:54:21ID:RNs4YpxY [2/2回]

それもマーラーのせいなんだよな
マーラーが何でも支配したがるサドだったばかりに…

325 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/05/01 23:36:00ID:nsiG+gWb [1/1回]

 だけど、50才過ぎたおばさんっていいんですかネ。
私の母親と同年代のおばさんと・・・・
なんか、キモい世界ですね。ひいてしまいます。
ブラームスってすげー趣味だと言うべきか。


477 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/21 01:19:21ID:LziTxb/q [1/1回]

ブラームスってロベルトとクララの娘ユーリエと結婚をたくらんだこともあったそうだが。


480 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/22 23:15:17ID:4KIw7wVu [1/1回]

カツ丼も旨いが、親子丼も旨いからな。


326 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/05/01 23:56:00ID:DuF3rHKa [1/1回]
>>325
相手は最初っからオバサンだったわけではないし、
そもそもブラームスは生涯クララ一筋だったわけでもない。

ブラームスは1833年5月7日生まれ。シューマン夫妻と初めて会ったのは 1853年9月末だから、当時20歳。
クララは1819年9月13日生まれで、この時34歳になったばかり。ちなみにローベルトは1810年6月8日生まれで43歳。

1869年にブラームス(当時36歳)はシューマン夫妻の三女ユーリエ(当時23歳)に恋愛感情を抱くが、クララ(当時49〜50歳)はそれを知ってか知らずか、さる伯爵のもとへ嫁にやる。(ユーリエ本人は知りもしなかったことだろう)
「アルト・ラプソディー」はこの失恋がきっかけで作曲されたという。
そして、この年9月にクララのもとを訪れたブラームスは、この曲の完成したスコアを無言で手渡したと伝えられる。


132 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/22 08:47:00ID:XAF0X5yI [1/1回]

ショパンのイメージはドラクロワの肖像画の様に神経質そうな美男子だと思っていたが、あるショパンのサイトに掲示してあった晩年頃の本人と思われる写真を見て今迄のショパンのイメージが崩壊しますた。
やぱーりブラームスはイイ男。
クララが手を出すのも無理なし。

144 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/24 19:34:00ID:EN7AvpQQ [1/1回]

ショパンの肖像画と写真まったくちがうよね。
あの写真スキだけど。

135 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/23 00:13:00ID:pGGaBvcU [1/1回]

じゃあバッハやヘンデルって実際はもっと・・・プププwww


136 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/23 00:40:00ID:/d/d9Dam [2/2回]

モーツァルトやベートーヴェンも、かなーり・・・・・・


137 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/23 14:17:00ID:Ye0IiBkd [1/1回]

ブラームスって、ハンサムだったけど、背が低いことをすごく気にしてたんですよねー。


138 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/23 17:03:00ID:VwaljHro [1/1回]

まあ肖像画はググってみれ、それなりのものもけっこうある。

理想化がひどいのは19世紀に音楽家を文化英雄としてえがいた画の類。
知れヶ版画になるともっと非道くなる。
モトネタはどっちかというとあまりいい男ではない古い絵だが、少々タッチアップするぐらいならともかく、ひどいのだと類型的な「あるべき姿」に顔を書き換えてんだよね・・・・

イメージグーグルでbachと検索すると、
一見同じでも実は模写で顔が少し違う、なんてのは山ほど出てくる。。。。。

57 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 22:15:00ID:YW/6Uqsk [1/1回]

若いときのブラームスっていつ見てもええ男やな
これでピアノも作曲もロベルトより上だったんだから
クララがなびかないはずがない。

46 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 11:43:00ID:tyPcVwx1 [2/3回]

ちなみにクララは、後にブラームスが若い娘たちに恋しだすと、
結構嫉妬していたそうです。うーむやはり・・・。


877 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/12 09:39:25ID:l3OOcUFV [1/1回]

ヨハネスはアガーテ嬢に酷いことをしたよね(´・ω・`)
やはりクララが一枚噛んで(ry

若き日のヨハネスは、ゲッティンゲンの大学教授の娘でソプラノ歌手でもあったアガーテ・フォン・ジーボルトと恋愛関係にあり、婚約を交わすに至った。
ところがある日ヨハネスはアガーテにこんな内容の手紙を出す。
「貴女を愛してはいるが、束縛されたくない。貴女の元へ行くべきかどうか返事をおくれ」
アガーテはプライドを傷つけられ、婚約は破棄。二人とも心に傷を残した。

この事件に関してクララがどのように関わったかは資料に残されていないけれど、婚約者をつれなく捨てる位なので、恐らくアガーテに嫉妬したクララがヨハネスに何か吹き込んだものと思われ…

ちなみに後年のアガーテの述懐。

「どんな犠牲を払ってでも、彼と一緒になりたかった」

885 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/17 19:34:06ID:1nnrPh3S [1/1回]

まあ、ブラームスと結婚したって幸せにはなれなかったと思うけど。

理由

クララ:カミラ夫人
ヨハネス:チャールズ皇太子
アガーテ:ダイアナ妃

887 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/19 20:15:36ID:M3yQUiQF [1/1回]

「愛してはいるけど、束縛はされたくない」て書いておきながら
すでにクララに束縛されていたブラームス・・・


569 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 01:01:46ID:iGUXrPEP [1/1回]

ピアノ協奏曲第1番の初演で失敗した1859年、ブラームスは結婚にも失敗する。
相手はソプラノ歌手アガーテ・フォン・ジーボルト嬢。前年に婚約に至っていたが、
「愛しているが、束縛されるのは好まない。どうしたらいいだろう」
というような煮え切らない手紙を彼女に送って、結局婚約を破棄されてしまったのだった。


570 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 01:22:27ID:bwgFJFBH [1/1回]
>>569
その手紙の一部

「僕は貴女を愛しています。もう一度お目にかからなければなりません。
しかし僕は束縛されるわけにはいかないのです。貴女を僕の腕に抱き、口づけし、貴女を愛していますと言うために、戻っていくべきかどうか、すぐ返事をください。」


571 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 20:53:10ID:qufZ9hFb [1/1回]
>>570
ジャンボヴァカだな
親切な人に紹介されて、マジ惚れて、しかも大学教授の娘だ
「おれについてこい、必ず幸せにしてやる!」ってなんで言えなかったかねぇ

やっぱり、怒ったクララが黙って帰っちゃったのがアレだったんだな、うんうん。


573 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/04 01:27:21ID:rCpfOAoC [1/1回]

「束縛されるわけにはいかないのです」ってどう見ても結婚する気全くないじゃん。
体のいい断り文句に決まってるじゃんよ。


575 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/06/04 12:47:12ID:9mzB/brW [1/1回]

よーするに、結婚はでけへんけど一回やらせろ、ということ。


59 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 23:51:00ID:ektrfxMi [1/1回]

で、結局ブラームスはクララのまんこに中田氏したの?


60 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 00:12:00ID:CmWs2uqn [1/1回]

そりゃシューマンほどの漢が発狂するほどのセクースというのだから
恐らくゴルゴの如くクララを抱くブラームスを目撃した物と思われ。


61 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2003/12/13 00:38:00ID:UIJm1hap [1/2回]

ドアの隙間から喘いでる愛妻を目撃→ライン川くだり。ってトコか・・・

233 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 02:32:00ID:SL3NGaVg [1/1回]

クララの万個は、強烈に締まったそうだね。シューマンの話によれば。
ヨハネスも、その三段締めの虜となった。

クララの万個を称えよう。


236 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 18:39:00ID:oJmPJ62S [1/1回]
>>233
その三段締めで男をたらし込んだんだね、クララ。
・・・ったく・・とんでもねー女だな。
なのに後世の評価はロベルトより高い。
みんな騙されてるんじゃないのか?


237 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/30 19:36:00ID:NHfIsLep [1/1回]

子供を8人産んだ女性がそんなんなんですか?

238 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 19:55:00ID:lEtrRG6H [1/1回]
>>237
稀にいるんだよなあ。子供産んでも、ユルマン@太平洋にならない女が。

240 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/01 01:48:00ID:qInV8sFi [1/1回]

やっぱ女はマンコなんだ・・。
頑張ってマンコ鍛えて年下男喰ってやる!!
そして発狂した夫を捨てて後の世に名を残すんだーーー!!!

252 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/07 19:12:00ID:XOCfwTJd [1/1回]

いや、本当にマン○は大事だ。
俺は昨日超美人の彼女と別れたが、その向こうの理由は「最近優しくない」だった。
相手のゆるゆるぶりになんか落ち込んでセクースもしたくなかった、とは言えなかった。


256 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/09 18:35:00ID:Cqcs6ZqT [1/1回]
>>252
へぇ〜、そうなんだ。やっぱ美人でもゆるいと別れたくなるんだ・・
じゃ、私なんか美人じゃないからゆるかったら速攻でゴミ箱逝きだね(泣
これから毎日マンコ鍛えなきゃ!!
おしっこするときはいちいち途中で止めて、 お尻の穴を引き締めて・・・、
他に何すればいいですか?
マンコのゆるい美人ときつく締まるマンコを持ったブサイコはどちらがお好きですか?
美人なうえにキツマンのクララは最強ですね。


257 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/09 23:59:00ID:2pHYdEwY [1/1回]

クララ最強伝説が生まれた。


258 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/10 02:16:00ID:mjbEvdMX [1/1回]
>>256
その二人だったら絶対後者が良いよ。
緩い美人は緩くても美人だからプライドが高い。
だから喧嘩したらちょっとした事でもなかなか仲直りが出来ない。
恋人同士の仲直りなんか抱き合うのが一番いいのだけど、緩いからそれもうまく行かない。
キツイブサイコは喧嘩しても折れてくれることが多いので
お互い普通にしていても仲直りしやすいし、抱き合えばもうすっかり気分を直せるし、大げんかしても結構なんとかなる。


264 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/12 21:13:00ID:qz2iEppq [1/1回]
>>258
いや、ブスには立たないだろう、普通。


266 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/13 23:55:00ID:WCM+C1AT [1/2回]

目をつむって,エエ女をイメージしてヤル。
ブス相手のエッチのコツ。
 ちなみに、マンコそのものが問題ではない。
要するに「床上手」かどうかということ。
 クレオパトラのような、カエサルを骨抜きにする当意即妙の話術ができればベスト。
(プルターク英勇伝)


267 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/13 23:57:00ID:WCM+C1AT [2/2回]

 クララは、床上手


925 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/03 00:19:36ID:qALE/l13 [1/1回]

クララってオノヨーコみたい

926 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/10/04 10:06:49ID:HmapD8TH [1/2回]
>>925
だったら、フェラーリが絶妙に上手いんだ。
 ロベルトやヨハネスがメロメロになるのは当然だ。
 おばちゃんのテクは凄いもんなあ。


928 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/04 17:55:04ID:K/RMf5Ic [1/1回]
>>926
ロベルトから見ればクララはロリかもしれない
どんな世代からも受けるクララの魔力は絶大だな・・・

492 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/07 00:31:04ID:lfQEK6lZ [1/7回]

「ヨハネス!」
暑い夏の夜。 郊外の路地に甲高い声が漏れた。

「あの人はとてもいい方なんです、クララ」

ヨハネスは神妙な顔つきでクララを見上げた。
狭いヨハネスの居間は夏の湿度で蒸せかえり、余計、クララが上気しているように見える。

「あなたは、たくさんの子供を育てる強い母親です。
だからといって僕のお母さんじゃありませんよ」

「ヨハネス、あの女の魔法に騙されているのよ!」
「静かにしてくださいよ、これ以上近所での私の評判を落とさないでください」

赤みがかった顔をしたクララの呼吸が乱れているを見て、ヨハネスは自信ありげに続けた。

「彼女は歌手としての素晴らしい才能だけではなく、気品溢れる振る舞い、そして何よりも清楚な心、僕という冬の大地に吹雪いた、一つのつぼみなのです」

このヨハネスの挑戦はクララにはあまりも重大なものだった。
「へぇー」
クララは喋りの声調を変え、挑戦的な目つきでヨハネスを見つめた。

クララの目は、人妻のものでも、母親のものでも、音楽家のものでもない、野生で生き残る1人の女のものだった。ヨハネスは、時々かいま見られるクララの支配欲と独占欲には常に圧倒されていた。

「つぼみねぇ・・・そう・・・若いのがいいの?」

クララは勃起したなま暖かい乳房をヨハネスの胸に押しつけた。
汗ばんだ服越しから、クララの硬くなった乳首は彼女の胸の鼓動をヨハネスに生々しく伝える。

「もう、こんなに垂れ下がったオバサンのオッパイはいやなのかな?」

とクララは胸をさらに押しつけた。

「ああ!」と思わず叫ぶヨハネス。

すかさずクララはヨハネスの口の中に舌を押し込んだ。
男性的なクララの舌はか弱げなヨハネスの舌は締め上げ、もてあそび、彼の舌に一切の主体性を与えなかった。

「大声をだしたらダメでしょ。ご近所迷惑なんだから」

ヨハネスにもはや反抗する力はないように見える。

クララは胸をはだけた。
挑戦的に突出する真っ赤な乳首をヨハネスに突き出した。
その挑戦はヨハネスだけでなく、その背後にいる若い女性の声楽家にも向けられたものだった。

ヨハネスの顔が一瞬歪んだ。
彼の脳裏に、若く無垢で、恐れと汚れを知らない彼女の笑顔がよみがえったのだ。
クララはそれを見逃さなかった。
突発的にクララの頭の中に最大限と嫉妬と暴力性が発生した。
クララはヨハネスに飛びかかった。

強姦的なディープキスでヨハネスの声を封じると、おもむろにヨハネスのシャツを開けた。
丈夫なボタンも鍵盤楽器を駆使をする逞しい女性の腕の前には無力だった。

クララの激しい呼吸と制御のきかない彼女の舌が打ち出す、ねちねちとした音が部屋を包む。
クララはヨハネスのズホンを引きずり降ろす。
もうヨハネスには抵抗する力はなく、アマゾネスに捕獲された性奴隷となった。

「ふん!」といってクララは口を離した。
濃密な唾液が2人の口の間に垂れ下がる。
ヨハネスの顔がまた歪んだ。

クララの怒りに震えた手が、ヨハネスの男性の象徴をつかんでいた。
クララの手にしたものは、安宿の朝食にもでないような、小さく張りのない腸詰め肉そのままだった。

一糸まとわぬクララは彼女の深淵を情けないヨハネスの男性部分に押しつけた。
彼女の深淵は力に満ち、愛液が溢れ、ヨハネスの部分にも流れはじめた。
しかし抑圧されたヨハネスは盛り上がらない。
支配者として冷静になったクララは体をヨハネスから離した。
クララが冷たくヨハネスの体を押すと、強力な粘りを持った愛液は糸を引き、
ヨハネスは床にへばり込んだ。

「私の体のどの部分も使っていい、3分間以内に勃起しなさい」

クララは支配者として冷厳にヨハネスに命令した。
ヨハネスには為す術がなかった。
熱いむせかえる部屋に、新しい空気を入れるため クララをヨハネスから離れ、窓を全開にした。

ひ弱な奴隷のヨハネスを遠くからより客観的に見ることになったクララに違った感情がわき起こった。
母親としての女性の性だった。
彼女の顔に慈悲の深みが加わった。

優しく、窓を半開きに戻すと、クララはヨハネスに歩み寄った。
ヨハネスは虐げられた子犬のように怯えた。
クララはあくまでも支配者としては君臨しつつも、救援者としてヨハネスに援助の手を差し伸べた。

細く、そして強靱なクララの手がヨハネスの男性部分を優しくつつみ、規則正しく動き始めた。

「そうよ、こうすればいいの」

クララは優しくつぶやいた。
徐々にであるが、ヨハネスの山にはマグマが吹き込まれ徐々に膨張をはじめた。

ヨハネスはどんどん自律性を取り戻していった。
そして絶対的な支配者であり庇護者であるクララを忘れはじめようとした。
ヨハネスの頭に広がったのは、ヨハネスが品のない冗談をいうと困ったように恥ずかしそうに笑い、ヨハネスがいつもの調子で他人を罵倒しはじめるとムキになってたしなめ、 ヨハネスの不幸を前にすると人一倍泣き、 そして彼の成功を前にして誰よりも大きい大輪の笑顔を見せる若い乙女だった。

「○○○○!」ヨハネスは思わず叫んだ。
そしてその直後、彼が支払わなくてはならない大きな代償に気付いた。
ヨハネスはじっとクララの家を見つめた。

499 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/07 01:46:26ID:zyw1g8QQ [1/2回]

とりもなおさず、酸いも甘いも知った包容力をもった熟女に魅せられる感情と、無垢にして純粋なうら若い女に惹き付けられる感情との、この対立は、若い男にとって永遠の矛盾であるということか。

275 : クララ[] : 投稿日:2004/02/25 21:19:00ID:Hag3Psqm [1/1回]

ブラームスもクララもロベルトもそんな人じゃないわよ!!
プンプン!
死ぬまでクララはロベルトのこと好きだったんだから!

4 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/08 11:47:00ID:mCerRgWt [1/1回]

ブラームスって性欲処理の対象は売春婦に限られていたんだよね?
ブラームスの死因は肝臓癌ということがわかっているけど
肝臓癌ということは、セックスでもらったウィルス性肝炎の帰結ということも充分に考えられるぞ。
クララの死因は何だったの?同じく肝臓障害か??

24 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/10 23:02:00ID:i5Ysi+Kq [1/1回]

シューマンって、ブラームスの肖像画を描かせて、ずっと持ってたんですよねー。その絵を見たとき(美少年!)シューマンのブラームスに対する「愛情」の深さを感じました。
例えば、現代だって男の人が、少年の写真を肌身離さず持っていたとしたら、かなり・・ですよね。
シューマンの側に「同性愛」的な感情はなかったのでしょうか?


27 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/11 01:59:00ID:OgxGO813 [1/1回]

クララに対する入れ込み方も尋常じゃないものがあった人だから、
一旦「好き」だと思うと、かなり熱いものがあったんでしょうね、
ロベルトは。


47 : クララvsロベルト[] : 投稿日:2003/12/12 15:11:00ID:KfJBVEqV [1/2回]

 ・1853年10月1日 三者が初対面

 ・1854年2月27日 ロベルトのライン川投身自殺未遂事件
          精神病院入院 医師から、クララとロベルト
          の面会そのものを禁止される(面会許可が出た
          のは2年後ロベルトの死の2日前
          「私は知っている・・・」

    ・初対面〜自殺未遂事件の間に3者間に何があったのか
    ・面会禁止となったのは、ロベルトの精神病の大きな原
     因がクララ(とその周辺関係)にあると精神科の医師
     が判断したため。

 むむむ〜嫉妬・劣等感・自信喪失・(間男)・・・どろどろ〜
 

55 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 21:28:00ID:kAvSSOmH [1/1回]

ローベルト・シューマンは脳梅だから、ブラームスとクララが精神的影響与えたことによって発狂したというわけではない。

ちなみに同時代人であるニーチェも脳梅で発狂した。
「この人を見よ」の中でシューマンに噛み付いている。


66 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 09:38:00ID:4enFp36s [1/1回]
 >>55
 だったら精神科の医者が最愛の妻クララとの面会そのものを拒絶してしまった理由は?


67 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 11:16:00ID:vJEQAFyQ [1/3回]
>>66
当時は脳が梅毒に侵された結果の発狂だとはわからず、精神病の一種と思われていたのよ。
こういうのって一般常識だと思ってたよ。
シューベルトも梅毒だったらしいし、ベートーベンも梅毒という説があるね。


68 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 12:35:00ID:x/Qsgsnx [1/1回]

シューマンも梅毒!!
長〜い結婚お預け状態で悶々としていたのでしょうか?!


69 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 14:44:00ID:qxcwwgw5 [1/1回]
>>67 
本当に脳にまで達する程の長期間梅毒だったなら、 梅毒ロベルト(潜伏期間を含め)とハメハメしてたクララや子供も梅毒に罹っていたとおもわれるが・・・
 ヨハネスよ、クララとやってたらあんたも脳梅か?


70 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 15:48:00ID:vJEQAFyQ [2/3回]
>>69
脳を侵されて発狂する以外は目立ちにくい症状だったんでしょう。
検索で調べると末期症状ということで、なかなか想像しにくいけど。
江戸時代の日本でも梅毒は大流行していたらしいし、世界的な現象なのでは?
梅毒が大流行しても皆が罹るわけでもないし。

遊郭とかで感染した男の所帯全員が罹ってたら、日本の人口は激減したんじゃ?
クララや子供に感染しなかった(とほんとうに言えるかどうかわからないが。
早死にした子供もいるし)のは不幸中の幸いじゃないかな。

シューベルトについては詳細なレポート読んだことがある。
症状が重かった時期に創作活動も不振だったとか色々・・・

ま、喪れは専門家じゃないし、そういう説もあるってことでいいでしょ。。


71 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 15:51:00ID:vJEQAFyQ [3/3回]

高橋悠治さんも脳梅説支持してるんだ・・・。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/hondana/schumann02.html


72 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 18:39:00ID:OwqgzgSN [1/1回]

問題の所在は、ロベルトが梅毒か否かではなく、医者が面会を謝絶せざるを得ないほどロベルトとクララの間にあった葛藤とは何なのか、にある。

  ・いけめんブラームスはどう関係してるのか
  ・才女クララの求めるスタイル、コンセプトと自らのものとの乖離、精神的な弱さ・・


73 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/13 19:00:00ID:wMnIi62v [1/1回]

やっぱり音楽の才能は
ブラームス>>シューマン
になってしまうんでしょうか。


75 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 22:02:00ID:JT6QmFxN [1/2回]
 >73
 というより

  クララ=ヨハネス>>クララ=ロベルト

  ヲンナハコワイ
 な〜んかオトコはコントロールされてるよな〜
 身につまされる  


94 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/15 22:12:00ID:RhA0HIZj [1/1回]

モーツアルトの奥方も世評通りの悪妻なんですか?
映画のアマデウスの女優の乳には目をうばわれましたが・・・
クララはドイツでは良妻賢母の鏡らしいですが
ここでの話を見てると、それも眉ツバか?という気もする。


95 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/15 22:44:00ID:ZdaEcOEA [2/2回]

両者とも「非の打ち所のない良妻賢母ではなかった」というレベルであろう。
良妻賢母でなければ悪妻、という決めつけもどうかと思うが。

97 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/15 22:50:00ID:Jr9zDeam [1/1回]

アルマのように夫に勝るとも劣らぬほどの美貌と才覚を持ってる妻というのもカッコイイ。
夫にとっちゃたまったもんじゃないだろうが。


98 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 23:41:00ID:dOf5SUQw [2/2回]

賢い男は、美人を妻にしたらあかんね。

101 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/16 06:22:00ID:kqwz0KQl [1/1回]

リストのピアノの才能に嫉妬して援助を受けていたのに悪口を言いまくったクララ


103 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 05:12:00ID:RCSicRO0 [1/1回]

もしヨハネスがクララと結ばれていたらあれほど屈折した人格にはならなかっただろうな


104 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 08:16:00ID:zajFhVe8 [1/1回]

でも音楽史に残るほどの作曲家にはなれなかったかも知れない。
結ばれないことのもどかしさが芸術に昇華したわけでしょ。


105 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 08:57:00ID:ywrCHnMe [1/1回]

リストってすごくイイ人ですよね、女好きだけど。
彼ほどの男が何故クララをものにしなかったのか・・・
それとも関係があったとか言う話はあったんですか?


106 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 09:11:00ID:mkF8vE56 [1/1回]

リストがイイ人?とてもそうは思えませんが・・・。


107 : 105[sage] : 投稿日:2003/12/17 10:59:00ID:VVn+i3EY [1/1回]

訂正 ×イイ人
   ○イイ香具師
それでも私はリスト好き!    
 


108 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 12:54:00ID:ErvMruz8 [1/1回]

リストのどこがいいヤシ何だか…
ヤリチンの生臭坊主のくせに。


110 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2003/12/17 21:49:00ID:D3GEEExS [1/1回]

リストってイイ香具師と言うより単純なヤツって感じがする。

リストはショパンの事を褒めちぎってたけどショパンの反応は冷たいし。
でもあんまり気にしてないようだったり・・・。
なんとなく空気読めない人って感じかな?


113 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/18 13:21:00ID:SQWdLJ5s [1/1回]
 >105
 リストが自分のリストのなかにクララを加えなかったのは,クララの芸術的体質が自分にとってヤバいことを見抜いたからだ
とオモワレ。ナイーブヨハネスとちご−ておとなですわ。


114 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/18 19:39:00ID:PsN5QSNk [1/1回]
>クララの芸術的体質が自分にとってヤバいことを見抜いたからだ

ヤバいってどのように?


119 : 113[] : 投稿日:2003/12/19 16:15:00ID:LTGjJqci [1/1回]
 >114 
 リストの基本コンセプトは「ピアノのパガニーニ」として世に出ること。
マーケットの時流がバッハ・ベートーベンから派手で華麗な宮廷音楽などに移っていることをキチンと見抜いています。クララの父(ヴィーク)やその影響下のクララの古典保守本流主義に縛られるのはヤバい。

マーケットイン=リストVSプロダクトアウト=クララの図式。

 リストにクララやロベルトのような思想性は少なく,受け狙いのマーケッターが本質。
ちなみにロベルトは知性での古典主義と感情での浪漫主義の自己分裂のうちに破滅します。

125 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/20 20:33:00ID:oHLeYtPv [1/1回]

パガニーニはそんなに凄いお方だったんでつか?


131 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/21 11:27:00ID:DOi6EHll [1/1回]
>>125
まあ今残っている楽譜も本人が弾いたのより音を減らしたものらしいので凄かったんでしょうなー


126 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/20 22:34:00ID:3SpEU0Sm [1/1回]

「僕はピアノのパガニーニになる!」
と言ったのは若きロベルト君だったんだが・・・
猛練習の末、結局なったのはパガニーニでなく腱鞘炎
ああ、ロベルト!


130 : 113[] : 投稿日:2003/12/21 04:22:00ID:56S640nv [1/1回]
 >>126
 リストが「ピアノのパガニーニになる」と決意したのは、自分の基本コンセプトにつき青春の疾風怒涛時代のさなか
1831年、パリでパガニーニの驚異的な演奏を聴いたときからです。
もちろん、彼なりの批判的な視点も持っています。

143 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/24 19:16:00ID:/XRAAs/e [1/1回]

しかし誰も触れないけど
ロベルトとクララの結婚生活って本当にセックスも含めてうまくいってたのかなー。
ロベルトはエッチの記録をとってたというし、医者は治療の妨げになるからクララとの面会を謝絶してしまうし(うまくいってたら普通しないだろう?)、
ロベルトのロマンティカー気質は、クララやその父のヴィークさんとは違うようだし・・・・・・


147 : 錯乱棒[age] : 投稿日:2003/12/25 21:25:00ID:MYbgewmG [1/1回]

シューマン、エッチの何を記録してたですか?
十二月二十五日、夜ベッドイン ピストン1013回にてクララ到達 以上

とか何とか記してたですか?


244 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/01 21:38:00ID:uSTCtn13 [1/1回]
>>147
1846年より記録帳に、2人がセックスした日は「F」という記号を書き記していたそうだ。

245 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/03 00:20:00ID:UYcvtYL7 [1/1回]

Fは英語ならファックを指すんだろうが・・・。
「今日はクララとファックした」って意味か?


247 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/02/03 05:16:00ID:7HRY2Ymg [1/1回]
>>245
ドイツ語の「フェーゲルン」の頭文字とも言える。

165 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/03 01:11:00ID:TskFn2bJ [1/1回]

ヨハネスではなく、ワーグナーということも・・・・・・


166 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/03 10:09:00ID:GcQefoMV [1/1回]

ヴァーグナーやリストだと子供仕込まれちゃうから更に大変。

349 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/06/17 19:10:00ID:RGcE88sq [1/1回]

ワーグナーが次々と人妻かっさらって行ったのは
いかにも芸術家的な威勢のいい話になるのに・・・・・
ブラームスとクララになると何でこんなにドロドロなの?


350 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/17 19:37:00ID:Jab9THOd [1/1回]

それはブラームスが優柔不断だからでしょ。
欲しいものはさっさと手に入れるワーグナーとうじうじしているばっかりのブラームス。


351 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/20 01:29:00ID:q0mxOCkJ [1/1回]
ブラームスは子供まで作っちゃったらしいが、ワーグナーはどうなの?
やっぱり遊び慣れてたのかな?
不倫はするけど相手を妊娠させてたという話は無いね。


352 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/20 01:35:00ID:SCv4BrJi [1/1回]
>>351
あるよ!! リストの娘で、弟子のハンス・フォン・ビューローの妻だったコージマと!!
コージマはビューローと別れてワーグナーと再婚するけど、まだ別れる前にワーグナーの子を産んでいる。公式にはビューローとの娘とされたイゾルデを。


353 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/06/20 12:39:00ID:O339dTMu [1/1回]

クララの末の方の子供はブラームスが実の父親、というのは
疑惑に過ぎなかったはずだが・・・・・・

401 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/09/03 01:28:00ID:ISTujA/9 [1/1回]
>>351-352
ハンス・フォン・ビューローはクララの父フリードリヒ・ヴィークのピアノの弟子だった。


424 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/10/17 12:37:01ID:KyLWfSp3 [1/1回]

このスレ、今日見つけてざっと読んだけど、この話が出てこないな。

シューマンの長男が、両親の没後に、
「自分たち兄弟の中で、末っ子だけは半分しか兄弟ではない」
というようなことを言った、と。

450 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/11/27 18:38:45ID:657aDlRZ [1/2回]

シューマン発狂の原因は、脳梅毒説もあるが
わが子が実はY・Bの種であったと確信してしまったことが原因か?
 シューマン自殺未遂の治療を担当した精神科の医者が、クララとの面会を拒絶させた理由もこれで辻褄が合う。


464 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/05 19:21:07ID:qqo/1cmP [1/1回]

ボンへいった時、シューマンハウスを見てきた。ベートーヴェンハウスが有名だが、シューマン晩年の精神病院跡がそのままシューマン博物館になっているのはあまり知られていない。
で、もちろんクララ関係の資料もたくさん飾ってあるのだが、中にはブラームスがイタリア旅行した時 「香りのよいオリーヴを見つけたので」と枝を同封した手紙もあった。(その枝が100年以上残っているのもすごい)
クララお手製のピアノカバーというのもあり、ロベルトの死後の年代なのでこれはブラームスへ贈ったのだろうと思ったら、ヨーゼフ・ヨアヒムだったか別人への贈り物だったのでビクーリした。
墓地も行ってきますた。ロベルトとクララが一緒に葬られている。


128 :名無しの笛の踊り :2006/01/14(土) 22:34:06 ID:Pvk3wR6l

今朝の朝日新聞土曜版beに、シューマン没後クララが愛人関係になったのがキルヒナーで、シューマン愛用の遺品の金のペンをプレゼントしたことが紹介してあった。しかしキルヒナーは金遣いが荒いから、クララの熱は冷めたのだそうだ。


129 :名無しの笛の踊り :2006/01/14(土) 23:45:07 ID:c8/vxjYA

クララって、思いの外尻軽女だったのね。


130 :名無しの笛の踊り :2006/01/15(日) 16:04:35 ID:Atpg57NK

そういえばキルヒナーって伊達男風情のいけすかない顔してやがったなあ


787 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/06 19:44:44ID:39FXtluE [1/1回]

要はクララは美少年のほうが良かったわけか


801 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/31 20:59:21ID:q+nnPYF0 [1/1回]

アルゲリッチと同じ下半身がだらしない遊女。


802 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/31 21:37:20ID:ldrQABrn [1/1回]
>>801
いやー丸太のほうが上だろ。


803 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/04/06 00:22:46ID:6gVRumnL [1/1回]
マルタとマーラーの奥さんならどっちが遊び女?


810 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/04/23 06:27:42ID:5MUlvdHt [1/1回]

クララ・シューマンは、すごくけじめがある方だと考えてる。
ブラームスとは恋愛関係にはあったと思うが、世間の目を気にして夫の死後も独身で通してる。ここに貞操観念が見受けられる。
常識のある女性だと考えてる。

800 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/03/30 19:35:18ID:tuQMmg2K [1/1回]

末子フェリックスはヨハネスの子あげ


517 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/02/20 11:49:05ID:hMRM706x [1/1回]

クララのことに戻るけど、末っ子が種違いってネタは
身内がコワイ婆さんに反発して流したって話があるらしい。


519 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/02/23 00:49:35ID:zzS8Dgvh [1/2回]
>>517
シュ−マン博物館で末っ子の写真見たが、ローベルトにもクララにも似ていなかった。
ヨハネスの若いころにソックリなんだよな。これが。


764 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/19 15:01:37ID:0AHM6bLJ [1/1回]

シューマン家の末っ子フェーリクスがヨハネスの子であるというデマはとっくに否定されています。
ローベルトの日記には妻との交渉があった日に「F」の字を書いており、フェーリクスの誕生からさかのぼっても計算が合うので。

もしその裏でクララがヨハネスと密通していたとかいう香具師がいたら、自分のゲスさ加減を晒しているだけ。

 

767 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/19 20:11:49ID:TaW8dLtd [1/1回]
>>764
当時クララとブラームスの肉体関係を誤魔化す為にシューマンの死後いろいろと工作が行われたのは事実だと思うし、普通日記にそんな印つけてる人がいるわけないさ。
当時の人たちはブラームスと夫婦同然の仲と熟知してたのだから、どんな工作も誰にも信用されてない。


768 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/20 00:51:35ID:5Ajh00mT [1/1回]

日記にわざわざ妻をFuckしたなんて書くかふつう
書いたとして何の必要があるのだwww

178 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/08 13:56:00ID:bqsyoAVd [1/1回]

音楽家って、大変に変態の人が多くてたいへん 


182 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/09 11:33:00ID:RgWStMX+ [1/1回]
>>178
 当然。品行方正の秀才優等生音楽なんか聴きとうないやろ。
彼らは,底知れぬ深い闇や感覚が麻痺するような極美の世界とは無縁の衆生や。
 しかし単なる無能な変態が圧倒的。
 ファウスト的変態は誰だ?
 ロベルト,クララ,ヨハネスは、充分に変態か?


527 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/03/11 17:26:18ID:Ss3MtB/W [1/1回]

名を残した作曲家が高確率で倒錯した性癖を披露してるのは やはり関係があるのだろうか。


532 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/03/14 21:30:32ID:lbAdUr4U [1/1回]

超有名どころだと
 ブルックナー(ロリ)
 バーンスタイン(ホモ)
あたりから?


536 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/03 02:39:44ID:YLzc/fgm [1/1回]

ブルックナーにはレイープの犯歴がある。

537 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/03 10:07:45ID:OeIkLlFJ [1/1回]
>>536
皇帝に謁見したのと同じ頃のことだとも、相手は12歳だったともいう。
余談だが、ブルックナーはハンスリックが好意で勧めた縁談を断ったことがあるらしい。
相手はハンスリックの従姉妹だとか。


543 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/11 00:38:06ID:kwd0P3DE [1/1回]
>>537
大嘘こくなヴォケ

>相手は12歳
相手は大人のメイドだ


544 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/11 00:48:35ID:9Mdw7G83 [1/1回]
大人ってことは、もう3つ4つ上か。

546 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/11 01:20:21ID:OyY3J0So [1/1回]
>>544
おいおい・・・20歳にはなってたようだぞ。それに未遂だったとも。
あと、事件の後で責任を感じて求婚したとかいう話も。


549 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/23 14:24:37ID:/gSplWTg [1/1回]
>>546
ホテルの客室係をしていたベルリンの娘のことなら、レイプ(未遂)だかはともかく、本人もブルックナーとの結婚を承諾するつもりはあったらしい。破談になったのは宗派の違い。
娘はプロテスタント、ブルックナーはカトリックで、相手にもカトリックへの改宗を求めた。


550 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/23 20:43:21ID:alj33IVF [1/1回]

相手は18歳だったと何処かで読んだ覚えがある。


551 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/24 01:23:55ID:8guAju6I [1/1回]
>>550
通常の好みはそのあたりの年齢の女性だったらしい。
一応結婚可能な年齢のはずなので、ロリコン呼ばわりは気の毒な気もする。
しかし、件の女性はもう少し年齢が上だったという。


552 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/24 01:38:27ID:JT79qTxo [1/1回]

ようは行きずりの婚外交渉ってことだろ
レイプ犯と被害者が「結婚を前提とした文通」などするわきゃない


555 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/05/01 17:04:08ID:WXEOyYV+ [1/1回]

ロリに加えてメイドさんか。ブルックナーもあなどれんな。

184 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 00:01:00ID:AgyybBif [1/2回]

一番の変態は、コジマという説もあるぞ。


185 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/10 00:37:00ID:ri+OB+Vp [1/1回]
>>184
ケン・ラッセルの映画「マーラー」を連想した。


186 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 03:28:00ID:AgyybBif [2/2回]

アルマ・マーラーも。


187 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 11:16:00ID:MxfDSk/w [1/3回]

指揮者やったらクレンペラーやろな。


188 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 11:21:00ID:MxfDSk/w [2/3回]

美的世界を獲得するために悪魔に魂を売った音楽家


211 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 16:10:00ID:1eVxARmP [1/2回]

ヨハネスも結婚はしなかった、と言うだけでヴァーグナーやリスト、バルトークのような色魔扱いされず普通の人には実直に思われて居るんだからボロ儲けっすね。


212 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 17:20:00ID:a3OVOCZn [1/1回]
>>211
ヲヤ? バルトークは一説にマザコンと書かれていたような。


213 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 18:28:00ID:1eVxARmP [2/2回]
>>212
でも実際にはロリコン。糟糠の妻捨てて走りました。


214 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 22:47:00ID:248RbQzb [1/1回]
>>212-213
マザコンとロリコンなら両立すると思われ(w


217 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/01/24 22:38:00ID:Sz6433vU [1/1回]

バルトークは友人にしたくない嫌な奴みたいですけど、ブラームスを始めとする他の連中もほとんどそのような人格の持ち主なのでしょうか?


218 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/25 05:57:00ID:R90h6XXA [1/1回]

確かに彼は屈折した性格でかなりの友人を失ってることが多い。
永年の友ビルロート博士とも晩年に別れているし、ヨアヒムともしっくりいかなかった時期もあるね。


219 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/26 14:25:00ID:rwK5S8tf [1/1回]

ブラームスは嫌な奴と言うより、誤解を与えやすいタイプだったみたい。
好意のつもりで遠慮気味に言ったことが、相手にはとんでもない無礼と取られてしまったり。

222 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/27 01:06:00ID:zmG5/93x [1/1回]

他の作曲家にもイヤミっぽいこと言ったりしたらしいけどね。


223 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/27 01:12:00ID:YL5rhz/i [2/2回]

あとリストにもイヤミ言っちゃったんだよね。(ナンテコッタィ・・・

221 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/27 01:01:00ID:YL5rhz/i [1/2回]

クララともローベルトの作品の再校訂の際、一時期絶交状態にまで逝っちゃったらしいし・・・。
そういえば、ハンス・フォン・ビューローともケンカ別れしたらしいね。
もしかして、ヨハネスって嫌なヤツなのか?


439 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/11/07 11:01:26ID:okclb+A+ [1/1回]

ローベルトの交響曲第4番は、ブラームスが初稿をいたく気に入っていて
ローベルト没後に出版までしたのだが、クララはそれが気に入らなくて
一時は絶交寸前までいったという。


224 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/27 01:19:00ID:LVVJJ3On [1/1回]

大のイギリス嫌いで、オックスフォード大学から名誉博士号の授与式の招待状が届いた時も、クシャクシャの葉書に不参と書いてよこしたし、
熱烈なブラームス党のスタンフォードがハンス・リヒターに頼み込んで会いに行った時も、あからさまに無礼な扱いをしている。

226 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/28 21:36:00ID:g8rR9WI+ [1/2回]

リストがソナタを自演してくれたのに目の前で眠ってしまったというのが信じられん。


227 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/28 21:38:00ID:Ykx017xp [1/1回]

気持ちは分からなくもないです。
なんというか、ヘビメタを聞いてると眠くなるような感じ。


228 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/28 21:44:00ID:JnssQws1 [1/1回]

いくらなんでも失礼すぎるすぎるよなw


229 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/01/28 23:07:00ID:g8rR9WI+ [2/2回]

いや、結構いい曲だと思うんだけど、リストのソナタ。
それをまったく理解しなかったというのが信じられないの。
失礼なのは勿論だけど。


230 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/28 23:11:00ID:JF+VyV9O [1/1回]

ソナタと思って聴いてたらやたら巨大な幻想曲みたいなのだったんで
途中でついていけなくなったんじゃないの?


483 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/28 00:10:08ID:0de8AXQ9 [1/1回]

 クララ自身の保守的な音楽性からいえば、 ロベルト・シューマンのもつ革新性より、ヨハネス・ブラームスの方が波長が合うし癒し系だったのかもしれないね。


484 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/12/29 06:50:51ID:U7hEvDB1 [1/1回]

ブラームスの革新性を理解してなかったんじゃあ
結局わかりあっていなかったことになるわけだが。


618 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/08 02:09:53ID:2Bdqnc3w [1/1回]

クララって完全に古典派じゃね?
リスト曲を猛烈に批判してたし
ロベルトとは合わない事も多そう


619 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/08 02:19:21ID:6ttRYsyx [1/1回]
>>618
だからブラームスとはめはめしてたんだよw


620 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/08 08:44:31ID:AJF3Lgn1 [1/1回]

ただちょぴんと比べて、シューマソは女性には恵まれたなと思う。
エルネスティネたんもわりあいにいい奥さんになったのではと言われてたし


621 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/13 13:25:41ID:Z+UYMddq [1/1回]

ブラームスが古典派よりも古典的形式に拘ったのはそのためだったのか・・・
クララに管理されてた哀れなヤツ。


851 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/07/25 16:09:04ID:9FRVmfi+ [1/1回]

 ブラームスの音楽趣味は、結局クララの超保守主義趣味の呪縛との切ない格闘、というより妥協なんだろうな。
 第4交響曲終楽章で超古いパッサカリアなんか持ち出してアリバイ証明やっているが、ホントは俺ってもっとロマンティック趣味なんだけどなあ、っていう切ないあきらめの感情が聴き取れる。
 第一楽章最初の『はあ〜』っていうため息はブラームスの全てだよ。


622 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/17 23:02:21ID:w8yRrZ2l [1/1回]

ブラームスはMなんだよ。
きっとクララに亀甲縛りをされていたに違いない。


623 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/17 23:14:09ID:B+XVdABG [1/1回]

俺、不器用だからあの縛り方出来るやつは
尊敬するな。


626 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/18 23:48:10ID:opNzNDer [1/1回]

可哀想なロベルト!
弱いロベルト!
自己分裂に苦しんだロベルト!
誠実だったロベルト!
嫉妬と猜疑心に狂ったロベルト!

ジェイムス・ディーンと同じく永遠の青春だ。
君をわが息子として抱きしめてやりたい。


628 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/21 07:24:19ID:54ZUMU9F [1/1回]

クララが淫乱なのは確か。


629 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/21 16:45:47ID:2440898c [1/1回]

 くららだけじゃなくて、女はみんな淫乱だぜ。
頭が拒否しても、カラダが受け入れるのさ。

632 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/23 14:16:10ID:aG3iBl1N [1/1回]
膣壁守るために濡れてくるのを
すべて感じてると思うヤツだよ。>>629

486 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/01 15:04:33ID:x5DVArHP [1/1回]

「丸山真男/音楽の対話」(中野雄)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E7%94%B7-%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E9%9B%84/dp/4166600249/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1365325254&sr=1-1&keywords=%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E7%94%B7%2F%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%80%8D

を楽しんで読む。  あの知の巨人がこんな強烈なワグネリアンでありフルトヴェングラーに入れ込んでいたとは・・
ブラームスなんか無視されてまっせ。
好きな曲のなかにシューマン「交響練習曲」「ピアノ4重奏曲変ホ長調」が入っていてよかった。

ブラームスへの言及あり。

 「ブラームスは既存の『形式』の枠のなかでしか作品がかけなかった人です」

 「なんせ話す言葉が古すぎた。」

 「若い頃は『現代音楽』の作曲家として通用していたけれど、五十歳近くになったら『生ける古典』になってしまった。」
 
 ブラームスの革新性は「若い頃」の話で、クララに入れあげてからは、クララの古典趣味に染め上げられた生けるミイラに成り果てた・・と私は感じますた。


487 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/02 10:51:08ID:eB0JYFNo [1/1回]
>>486
それではなにゆえ、シェーンベルクがブラームスを「未来を先取りした進歩主義者」と評価したのでしょうか?
とくに、シンフォニーの4番。


488 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/02 11:25:27ID:SwW8sF0E [1/1回]

第1楽章第1主題のように、3度進行だけで旋律を作ったりしたところとか、じゃない?
俺はあれはただ単に旋律を書く才能の乏しかったブラームスの苦肉の策なだけではないかと思ってるが。
4楽章もバッハの旋律のパクリだし。


489 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/03 09:41:17ID:FokBzw6c [1/2回]

第4交響曲で、生けるミイラとなったこの小心者の心情を聴いてやってくれ。

第1楽章は、この孤独な男のため息と嘆き節だ。第1VnでHア〜・・
しかし、この小心者にも反骨心はあるようだ。諦めを通り越すと第4楽章で完全に居直ってしまう。毒(クララ)を食らわば皿(バッハ)まで・・。
 ハ単調でため息をつき、ホ短調で居直りやがった。
音楽家の感情言語とは、こういうものなのか。


501 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/12 18:47:26ID:othP7rZk [1/1回]

ピアノ協奏曲第1番て、なんか荒々しくてエロいよな。
これを作っていた時代は、クララへの想いを必死に胸の内に隠して一人悶々としていたに違いない。
毎晩、性欲を必死に押さえようと枕に猛烈なパンチを浴びせてたりしてw

502 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/14 23:29:07ID:uARB4osc [1/1回]

うーん、そうなのかなあ? 作曲期間中に、そんなの通り越したみたいだけど。

1856年 ローベルト没
1858年 ヨハネス、ピアノ協奏曲第1番を5年がかりで完成
1859年 ヨハネス、自身の独奏でピアノ協奏曲第1番を初演、大きな不評を買う

504 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/19 12:12:35ID:coas6Bik [1/1回]

ピアノ協奏曲1番作ったときにはいい歳だったのか。
それより前なら弦楽四重奏曲やピアノ四重奏曲あたりだな。
これはもうすごい曲だ。
面白みもなんにもない、ただ悶々としてるだけw


505 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/19 13:50:45ID:qSzKkKe3 [1/1回]

PC1は暗い性欲をようやく解放できたという曲なんだな、納得できる


941 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/09 19:03:50ID:hZO83RVy BE:361897676-2BP(0) [1/1回]

ブラームスって弾くの一番すきな作曲家。
昼どら顔負けの愛憎劇・・いい!

577 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/08 13:39:29ID:zHWJDdT4 [1/1回]

ブラームスの2つのラプソディ(No.2)を練習中なんですが、
ラシララシララシララシラと出てくる三連符は、
「彼自身の心がチクチクと病んでる事を表してるかもしれないし〜」
跳躍終わった後のラシラソ〜の所は
「彼の心に潜む悪魔を表現してるかも知れないし〜」
と先生に言われて、このスレ読んだら、この曲がいやらすぃ〜曲に聞こえるようになってしまった…


578 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/10 13:28:51ID:TeWPSHtD [1/1回]
>>577
エロチックな表現目指してガンガレ!


579 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/10 18:09:38ID:M6VMmaFW [1/1回]

序盤は熱情的にしかし、甚だしくないくらいの勢いで押し倒す。
途中で「不倫は良くない」と思うがそのまま徐々に服を脱がす。
3連符でねちっこく愛撫。左手交差の箇所は喘ぎ声。
を想像して、エロい演奏のうp宜しくw

582 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/20 02:16:33ID:RRmmibJy [1/1回]

2つの狂詩曲でエロい表現で弾いてるのは聞いたことがない!
演奏家関係無しに、これは良い曲だなぁ〜
ブラームスのピアノ曲ってしっとり系でも上手くペダルを使って低音残しながら弾くのは難しいですね。

610 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/08/27 23:45:05ID:vF6qAaEO [1/1回]

あたしヴァイオリン弾きなんだけどさ、ブラームスのヴァイオリンソナタの1番のことをクララがさ、

「繊細でうっとりさせるような最初の楽章、そして第2楽章のあと、第3楽章で大好きなわたしの旋律と再び出会ったときの喜びをわかっていただけると思います。
(中略)
たぶんそれをよりよく理解しうまく表現できる人はたくさんいるでしょうが誰もそれをわたしのように感じることはできません。」


これ読んだとき、ほんとすごいなーと思った。
あたしもこの曲大好きなんだけど、クララはあたしよりもっとこの曲が好きで、ブラームスを愛してたんだろうな、
そしてブラームスもクララを愛してたんだと思う。
この曲を聴くと無性に泣けてくるんだよね。


689 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/11/15 00:13:58ID:RXYn1aPB [1/1回]

ヨハネス好きは好き者。最近やっとヨハネスの良さがわかるようにw


690 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/19 10:12:45ID:6x9pw+Jv [1/1回]

今、ピアノ四重奏曲を聴いてるんだけど、これは凄いね。
行き場の無い悶々とした欲求がぶつかってくる感じ。

693 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/19 14:45:29ID:tY2xhKIn [1/1回]

もまいら、1ヶ月禁欲してクラリネット五重奏聴いてみれ。


704 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/28 19:57:02ID:S1kD/Woz [1/1回]

ブラームスは昼ドラ向きじゃないかと思う。
ピアノ協奏曲2番の第2楽章とか、ドロドロとした男女関係のドラマにピッタリじゃないの?


695 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 16:43:37ID:2QCZt/2o [1/2回]

当時のヨーロッパでは婚前交渉というか、特に独身女性の恋愛は厳しく禁じられていた。 でも一度結婚してしまえば、恋愛はある程度大目に見てくれたらしい。
だからフランスの貴婦人なんて、男をとっかえひっかえして恋愛を楽しんでたし、フランス文学でも、独身の男が上流夫人と恋愛するのが当たり前のように描かれている。

一方ではオナニーなんてのは男女関わらず蛇蝎のごとく忌み嫌われていた。
だから当時の独身男は相当ムンムンとしてたんだろうな。
ウェルテルみたいに、一日中相手のことを思いつめて自殺までしちゃうなんて禁欲でもしてなかったら出来ないよ、そんな事。

そんな歴史的背景からブラームスとクララの関係を考えると・・・
うーむ、隠微な世界だ。


696 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 17:33:26ID:CEB5j77F [1/1回]

日本人は逆だっけ。 当時日本にいた外国人が
「日本人は処女性をまったく大事に思っていない」
って


697 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 21:06:50ID:H8qWxxDk [1/1回]

そのころ日本はムラで誰かまわずはめはめしまくりだったんでしょ。


699 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 21:46:22ID:2QCZt/2o [2/2回]

祭りの夜は夜這い三昧だったらしい。
そんな風紀は領主も黙認。
日頃の鬱憤を晴らさせて庶民の反発を予防したんだってさ!

825 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/06/04 18:01:08ID:ng/0RzRZ [1/1回]

俺最近つくづく思うに、
女は40すぎてからがええな。
おんなは40過ぎて十全なおんなに生まれる。


826 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/06/07 18:28:00ID:qHFe1xOA [1/1回]

40過ぎて良くなるのは女だけじゃないね
ブラたんだってクラリネットトリオあたりまでずっと進歩したね
ドイツレクイエムとかsym1とかPC1とかもいいけどさ

熟して後がやっぱり芸に幅が出ているよ
年取っても腐ること無く、巧い具合に干物になって行ったね
http://www.logsoku.com/r/classical/1070849395/

46 :名無しの笛の踊り:2006/12/12(火) 08:57:15 ID:Xp8sdqFl

クララがブラームスの子を産んだということはぶらーむすにを愛していたからだという証だね。


42 :名無しの笛の踊り:2006/12/01(金) 16:39:35 ID:ll9IWUsW

ブラームスは両親も母親のほうがかなり年上だったし、年上の女性に特別な感情はあったんじゃない?


44 :名無しの笛の踊り:2006/12/02(土) 22:16:39 ID:8jA+PeTr

クララたんは40代後半でもキレイだし起つだろ!!


47 :名無しの笛の踊り:2006/12/15(金) 23:44:40 ID:P857knod

キモイとかいってるやつは年増の良い女を知らないからだろ。
3年前ぐらいに図書館の司書やってる42の女性を口説いたことがあった。
見た目は30中頃ぐらいだったけど。

浮気はしたくないと言ってなかなかガードが固かったけど、2、3ヵ月の間だけ付き合って、会うたびにラブホに行った。

肌を合わせたときの感触とか、低いうめき声とか、フェラとか、経験したことないぐらい快感を味わった。

結局、浮気の罪悪感で堪えられないと、ふられてしまった。
今でも時々図書館で見かけては挨拶するけど、まだ全然綺麗だ。
もう一回だけやらせてくれないかと思う。


45 :名無しの笛の踊り:2006/12/11(月) 10:27:57 ID:1w81IqOK

塾女(40代前半)はマジええわあ。
なんでも受け入れてくれる濃密さ。
はまりまっせ
http://mimizun.com/log/2ch/classical/1162301264/


ブラームスとクララの関係

ロベルト没後150年を経た現在でも不倫説が絶えないが、それを裏付けるものは全くない。事実として存在するのは、ブラームスとクララは生涯にわたって親交が深い友人であったということだけである。「フェリックスはブラームスの子供」という噂まで飛び交うほど、親密な付き合いであったといわれている。

なお、ブラームスはクララが没した翌年、後を追うように病没している。ブラームスはクララの危篤の報を受け取り汽車に飛び乗ったが、間違えて各駅停車の列車に乗ったために遠回りとなり葬儀に立ち会えず、ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い、閉じられた棺を垣間見ただけであったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3#.E3.83.96.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.82.B9.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c7

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
8. 中川隆[-10715] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2141]

「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その一 私のブラームス回想録(1905年) フローレンス・メイ」


フローレンス・メイは、ロンドンでクララ・シューマンのレッスンを受けた後、ドイツのバーデンバーデン近郊にあるリヒテンタールの別荘で、クララのレッスンを受けるようになった。クララが演奏活動でスイスへ行っている間、メイはブラームスのレッスンを受けることになる。

 ブラームスのひととなり

当時、ブラームスは38歳。身長はやや低めで体格はがっしり。後年の肥満の傾向は全くなし。

理知的な額を有する堂々たる頭部と頭脳の明晰さを表わす青い瞳。挙動には気取りがなく、社交性と慎み深さが同居する、親しみのもてる人という印象だった。

ブラームスは自分について話すのを極端に嫌っており、自分の作品について話すことはめったになく、集まりではどんなに頼んでも、絶対に演奏しなかった。

ブラームスは極端な気分屋で、演奏しろといわれるのが嫌いなうえに、演奏する彼自身のムードと演奏される側、つまり作品の雰囲気がぴったり合わないと、全くだめだった。

ご機嫌なのは先生(クララ・シューマン)たちと一緒の時で、彼女にはいつも下僕のように使え、態度には尊敬の念が表れていた。それは息子が母に持つ愛情と、芸術家同士の共感とがないまぜになったような感覚−弟子のメイにはそう思えた。

ブラームスは大の散歩好きで、自然への愛着もひとしお。夏の間は4時か5時には起き、自分でコーヒーをいれ、それから朝のおいしい空気と鳥の歌を満喫しに、森へ出かけるのが日課だったという。

ブラームスのピアノ指導法

クララは「ブラームスは最高のピアノ教師」だと言っていた。実際、メイがブラームスのレッスンを受けると、「何一つ欠点のない、全ての資質を備えた理想的なピアノ教師」だった。

ブラームスの頭の中には、技術的な修練方法が、細かなことまで全て入っており、しかもそれをきわめて短時間で教えることができた。

メイがテクニックの弱点を説明して、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》を弾き始めると、その指をほぐして均等にする作業に取り掛かった。
レッスン初日から、目的に達するにはどうするのが一番なのかの解説付きで、音階、分散和音、トリル、重音奏法、オクターヴといった技術訓練を次々と与えていった。

レッスン中ブラームスは椅子に腰かけ、弟子の指を見ながら、誤った動きを指摘し、自分の手の動きで正しい形を見せながら、夢中で指導していたという。

ブラームスは、通常行われる五本指のエクセサイズがメイに有効だとは思わず、もっぱら一般の作品や練習曲を使い、自ら習得した、困難なパッセージを克服するための練習法をメイにも教えた。

メイの手首も、聞いたこともないブラームス独自の方法で、ほとんど苦労しないまま二週間ですっかりほぐれ、指の付け根の固い出っぱりが、大方消え失せた。

ブラームスは、指づかいには特にうるさかった。特定の指に頼らず、全ての指をできるかぎり均等に働かせるよう注意した。

バッハの楽譜はメイがイギリスから持ち込んだもの。指使いが書かれていなかったので、ブラームスはツェルニー版の運指を使うように(それ以外の書き込みには従わないように)指導した。

当初、レッスンの大半はバッハの《平均律》か《イギリス組曲》。メイの技術が向上すると、レパートリーも音楽の本質を学ぶ時間も少しづつ増えていった。

ブラームスは、曲の細部に至るまで厳しく気を配れと注意する一方、「フレージング」はできるだけゆったりととるように言った。繊細な詩集の外側を縫い進み、飾り付けていくように、フレーズのアウトラインを大きく一筆書きするのである。音楽の陰影を使って、フレーズをつなげたりもした。

音色、フレーズ、感覚など、ブラームスのイメージが音になるまで、バッハの一部分を十回でも二十回でも演奏させた。

ブラームスは些細なことまで信じられないほど誠実で、生徒に向かって物知りぶったり、イライラしたり貶したりしなかった。趣味はほめることで、どんな曲でもまず好みどおりに演奏すると「いいねえ、言うことなし」で、「そこはこう変えて」とはならなかった。


 ブラームスのピアノ演奏法

レッスンの終わりに、メイに頼まれてブラームスが自らピアノを弾くようになったが、一番多く取り上げたのはバッハ。

《48の前奏曲とフーガ》(平均律)を解説付きで、1曲か2曲、暗譜で弾き、その後は気分によって楽譜集から曲を選んで弾き続けた。

ブラームスは、著名なバッハ信奉者達のように、「バッハはただ流れるように演奏すべし」などとは思っておらず、彼のバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論に捉われていない。

ブラームスが弾く《前奏曲》は躍動感溢れる力強い演奏で、濃淡と明確なコントラストがついて、まるで詩のようだったという。

バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作ってゆく。たとえば深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれぬ優美さ。しかし、情緒は欠けておらず、決して無味乾燥ではない。情緒(センチメント)と感傷(センチメンタリズム)は別物なのだ。組曲では、音色とタッチを様々に変え、テンポも伸縮自在だった。

彼はバッハの掛留音をこよなく愛していた。「絶対にきこえなければならんのはここだ」と言いながら、タイのかかった音符を指し、「その後ろの音符で最高の不協和音効果が得られるように[前の音符を]打鍵すべし、でも、準備音が強くならないように」と強調した。

激しさも要求する一方、「もっとやさしく、もっと柔らかく」が、レッスン中のブラームスの口癖だった。

ブラームスは、バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなどの「小奇麗な演奏」を認めなかった。巧みで均一で、正確かつ完全な指づかいは求めたが、多様で繊細な表現が絶対条件、いうならば呼吸のようなものだった。

作曲家が何世紀の人間であろうが、聴く人に作品を伝えるために、ブラームスはモダン・ピアノの力をためらうことなく利用した。

ブラームスは「安手の表情」をつけるのを好まず、特に嫌がったのは、作曲家の指示がないのに和音を分散させること。

メイがそんなことをすると必ず「アルペッジョじゃない。」と注意した。

ブラームスは音の強弱に関係なく、スラーのかかった二つの音符の醸しだす効果に重きを置き、それを強調したため、メイは、「こういった記譜部分は、彼自身の作品でこそ特別な意味を持つことが飲み込めた」と書いている。[※これは、ブラームスが多用していたヘミオラのこと?]

メイが聴いたブラームスの演奏は、「刺激的かつ独特で、到底忘れることはできない。名人芸を自由に操るといっても、それはいわゆるヴィルトゥオーゾ的演奏ではなかった。どんな作品でも、うわべの効果は決して狙わず、細部を明らかにし、深い部分を表現しながら、音楽の内部に入り込んでいるようだった。」

メイが、ブラームスの作品を練習させてほしいと頼むと、「僕の曲は、強い筋力と手の強い掴みが必要なので、今の君には向かないだろう」。自分が書いたピアノ曲は、女性には向いていないと思っていたらしい。

「どうしてピアノ用に、とんでもなく難しい曲ばかり作曲なさるのですか」とメイが詰め寄ると、ブラームスが言うには「(そういう音楽が)勝手にこちらにやってくるんだ。さもなきゃ、作曲なんかできないよ(I kann nicht anders)。」

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 そのニ 私のブラームス回想録(1905年) アデリーナ・デ・ララ」

クララ・シューマンのレッスンで、ブラームスの《スケルツォOp.4》の一部分を弾き終えたとき、ブラームスが突然部屋に入ってきて、「今弾いた所をもう一度」。

最初のフレーズを弾き終わると、「違う違う、はやすぎる。ここはがっちり提示するんだ。ゆっくりと、このように」。

ブラームスが自ら演奏。鍵盤の上でゆったりとくつろいでいるようにしか見えないのに、それが豊かで深みのある音を、そして雲の上にいるようなデリケートなppを紡ぎだす。あのスケルツォのオクターブを一つも外さず、ものすごいリズム感で演奏するのだ。

ブラームスは生徒が自分の作品の低音(ベース・ライン)を弱く弾こうものなら、烈火のごとく怒った。その作品はきわめて深い音で、そして左手は決然と弾かなくてはならない。ブラームスは先生[クララ・シューマン]と同じで感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティック(精神的)でなくてはならない。」

日常生活では全く飾らず、ユーモアの感覚にあふれ、冗談を飛ばす。こんな人が真に偉大な巨匠だなんて、思い出すのも難しいほど。最初に会ったとき、ブラームスは40歳だったと思う。

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その三 ブラームスはこう弾いた ファニー・デイヴィス」

ブラームスの演奏を文字で書き表すことは、非常に難しい。それは孤高の天才が、作品を作ってゆく過程を論じるようなものだからだ。

巨匠の演奏に向かう姿勢は自由かつしなやかで、余裕があり、しかもつねにバランスがとれていた。たとえば耳に聞こえてくるリズムの下には、いつでも基本となるリズムがあった。特筆すべきは、彼が叙情的なパッセージで見せるフレージングだ。そこでブラームスがメトロノームどおりに演奏することはありえず、反対に堅牢なリズムで表現すべきパッセージで、焦ったり走ったりすることも考えられなかった。下書きのようなザッとした演奏をするときも、その背後には楽派的奏法がはっきり見てとれた。推進力、力強く幻想的な浮遊感、堂々たる静けさ、感傷を拝した深みのある優しさ、デリカシー、気まぐれなユーモア、誠実さ、気高い情熱、ブラームスが演奏すれば、作曲家が何を伝えたいのか、聴き手は正確に知ることになったのだ。

タッチは温かく深く豊かだった。フォルテは雄大で、フォルティシモでも棘々しくならない。ピアノにもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった。

"良いフレーズに始まり良いフレーズに終る"−ドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そして、もちろん、低音部をがっちり強調していることがよくわかった。

ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う <> は、音だけでなくリズムにも応用された。ブラームスは音楽の美しさから去りがたいかのごとく、楽想全体にたたずむ。しかし一個の音符でのんびりすることはなかった。また、彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるために、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。

若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c8

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
9. 中川隆[-10714] koaQ7Jey 2019年10月19日 15:59:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2142]

信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。

A surprising number of great composers were fond of the bottle – but can you hear it?
http://www.spectator.co.uk/2016/12/a-surprising-number-of-great-composers-were-fond-of-the-bottle-but-can-you-hear-it/

「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。


by Joseph Morris

上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。

酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。

このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。

作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。


by Brandon Giesbrecht

しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c9

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
10. 中川隆[-10713] koaQ7Jey 2019年10月19日 16:02:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2143]
ブラームス:4つのクラリネット作品におけるマタイ動機

 モーツアルトのクラリネット5重奏曲は、モーツアルトが亡くなる2〜3年ぐらい前の作品。モーツアルトは1791年、35才で亡くなった。本人は知らず、晩年の作品となった。

 ブラームスのクラリネット5重奏曲は、ブラームス58才の時の作品。

 ブラームスは63才で亡くなった。5重奏曲は亡くなる6年前の作品になる。やはり晩年の作品だ。

 晩年どころか、ブラームスはこの5重奏曲を作曲する前の年に、自分の創作意欲は枯渇してしまい、もう作曲はできないと感じて遺書まで書いている。身辺整理をして余生を静かに過ごしたいと思ったようだ。57才のときである(私は来年です!)。ちなみに、遺書を書く直前の作品は、弦楽5重奏曲作品111になる。

 遺書まで書いたのに、なぜ翌年になってこんな名曲が生まれてしまったのか? クラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いがあったことは有名だ。

 5重奏曲だけでなく、クラリネット3重奏曲もほぼ同時に完成させ、3年後には2曲のクラリネットソナタまで作り上げた。全部で4曲。どれも素晴らしい名曲である。 

 で、ここから先の話は、NHK交響楽団首席クラリネット磯部周平さんの研究による。ご本人の話と、雑誌パイパーズの記事をもとにまとめてみた。

 磯部さんは、ブラームスが一度はあきらめていたのに、再びこのような名曲となる曲を作ろうと思った背景には、ミュールフェルトに出会ったことと、もう一つは、クララ・シューマンへの思いを、もう一度彼女にきちんと伝えたい、という思いがあったと推測している。

 というのは、ちょうどこのころ、ブラームスとクララの関係はあまり良好ではなく、絶縁に近い状態にあった。ブラームスはそんな状態のまま人生を終えたくなかった。作曲だけでなく人間としても師と仰いだシューマンと夫人クララへの愛情は、ずっと変わらずに持っていたので、クララとの関係を戻して余生を過ごしたいと思ったのではないか、という。

 そのためにブラームスは、これらクラリネット作品にクララへのメッセージを盛り込んだ。

 クラリネットソナタのスコアをクララに送ったとき、ブラームスは手紙にこう書いている。

 「この曲に私の作品1が出てくるのにお気づきですか? 蛇がしっぽを飲み込んで、輪は閉じられたのです」

 ブラームスの作品1は、ピアノソナタである。20歳のときにこの作品を持ってシューマンを訪ね、シューマンに「天才が登場した」と言わせた曲。そのときクララも一緒に聞いていた。

 「作品1が出て来る」というのは、ピアノソナタの第2楽章の次の部分だ。

 4度上がって、順次下降する音形……これがクラリネットソナタ第1番の最初に本当に出て来る。

 上記ピアノソナタの譜例の少し先には、ドファミ♭レ♭と音までそっくり同じフレーズが出て来る。

 じつはこのモチーフは、シューマンが自分の曲に隠しこんだクララのモチーフとよく似ているといわれる。このモチーフは、シューマン、クララ、ブラームスの3人にはピンと来る秘密のモチーフだという。

 では、シューマン夫妻とは初対面だったはずのブラームスの作品1に、クララのモチーフがなぜすでに使われているのかという疑問が起きるが、実は現在の作品1のソナタは後で改訂されたもので、シューマン夫妻と知り合ってすぐに家族のように迎えられたブラームスが、シューマンにならってクララのモチーフを後で入れたとも考えられているようだ。それほど3人の絆は深いものだった。

 で、このモチーフはクラリネットソナタ1番だけじゃなく、ほかの3つのクラリネット曲すべてに出て来る。最初に出来たのがクラリネットトリオで、その出だしは次のようになっている。

 最初の3度のあと、ミ−ラ−ソ−ファ−ミがこのモチーフである。同じトリオの第3楽章は、もろそのままの形で出て来る。

 次に作曲されたのが5重奏だが、5重奏にも第2楽章のクライマックスにこのモチーフが出て来る。

  さらに第4楽章の冒頭にも、弦とクラのメロディを繋げるとこのモチーフが姿を現す。上はクラリネットパートで実音は短3度下げて読む。

 面白いのはクラリネットソナタ第2番の冒頭だ。次のようなメロディだが、1小節目はクラリネットソナタ第1番冒頭1−2小節目のモチーフの前半と後半を入れ替えた形になっている。

 ほかにも探すと、4曲の様々な箇所にこのモチーフが顔を出す。

 さて、ここまで来てなお疑問に思うのは、このモチーフはブラームスにとって何だったのか、である。クララへの秘密のメッセージであることは分かった。でも、それで本当に何を伝えたかったのかということだ。

 じつは、このモチーフはブラームスが作ったものではなく、バッハのある曲からとられたものだった。それは、不滅の名曲、マタイ受難曲に出て来る次のコラールである。

 大変に有名なコラールで、歌詞の意味は、「私は心から幸せな最後を望んでいます」という意味だそうだ。

 で、結論だが、ブラームスはこのモチーフを辞世のことばとしてクララに贈ったのではないか、ということ。クララもこれがマタイのコラールからとったものであることは知っていたはずだ。ブラームスは単にクララとの関係を取り戻したいと考えたのではなく、シューマンとクララへの感謝と愛情を人生の最後にどうしても伝えたかった。それで、もう一度筆をとった4つのクラリネット曲にこのモチーフを込めたのだろうと磯部さんは言う。

 そのクララは1896年、ブラームスが63歳の時に亡くなった。同じ年ブラームスは肝臓癌をわずらいながら、彼の最後の曲、コラール前奏曲を作曲し、翌年の4月に息を引き取った。

 その最後の作品、コラール前奏曲にも、やはりマタイのモチーフがそのままの形で使われている。しかもそこには辞世の言葉が楽譜の下にはっきりと記されている。


Commented by hornpipe at 2008-11-21 21:43
ア○○○ク様 この場合は、NHK交響楽団の磯部周平さんの説だということを明記して頂くようお願いします。


Commented by hornpipe at 2010-06-28 22:32
掲載誌名と磯部周平さんのお名前を明記して頂ければOKです。そっくり引用せずに、要旨を適当にまとめて下さい(だとしたら、私に断る必要もないのですが)。
と申し上げておいて何ですが、私の記事も含め、ブログの記事は信用度において本来そうした引用には適さないと思います。

この記事の場合、ブラームスがピアノソナタを書き直したという部分が、磯部さんの言葉かどうか私の記憶が不確かです。
http://hornpipe.exblog.jp/6487896/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c10

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
11. 中川隆[-10712] koaQ7Jey 2019年10月19日 16:04:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2144]

ブラームス 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Clara+Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=BwBhUYb4Lc3trQfL7IDABA&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892#hl=ja&tbm=isch&q=Johannes+Brahms&revid=779985211&sa=X&ei=OwBhUcPWAa68iAfdrIHQAQ&ved=0CEwQ1QIoAQ&fp=1&biw=998&bih=892&bav=on.2,or.r_qf.&cad=b

クララ・シューマン 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Clara+Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=BwBhUYb4Lc3trQfL7IDABA&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892

ロベルト・シューマン 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mABhUYuoA8PVrQfwr4GoDw&ved=0CIEBEIke&biw=998&bih=892


クララ・シューマン 愛の協奏曲 GELIEBTE CLARA(2008)

監督:ヘルマ・サンダース=ブラームス

出演:
マルティナ・ゲデック
パスカル・グレゴリー
マリック・ジディ


『クララ・シューマン 愛の協奏曲』 予告編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16580390


Clara (V.O.S.E.)
http://www.youtube.com/watch?v=Vh7EUw1Ncyg
http://www.youtube.com/watch?v=0DV_v8htKo4
http://www.youtube.com/watch?v=LlU4h5pLLAg
http://www.youtube.com/watch?v=DplCbxK6NfM
http://www.youtube.com/watch?v=A1y1rCjGAm4
http://www.youtube.com/watch?v=yltaMpw30Ts
http://www.youtube.com/watch?v=-Kd6zpxryjs

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c11

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
209. 中川隆[-10711] koaQ7Jey 2019年10月19日 18:29:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2145]


アメリカ「量的緩和」再開の相場への影響は?
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2019年10月18日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8447

9月12日にECB(欧州中央銀行)が量的緩和を再開したことに引き続いて、10月11日にアメリカの中央銀行であるFed(連邦準備制度)もバランスシートの拡大再開を決定した。

•米国、実質的に量的緩和の再開を宣言

タイトルに「量的緩和」と括弧を付けているのは、Fedのパウエル議長がこの措置を「量的緩和と混同してはならない」と主張しているからである。しかし量的緩和の定義とは資産買い入れによるバランスシートの拡大ではなかっただろうか。

「量的緩和」の効果

どういう名前を付けるにしても、市場に対する効果は同じである。あるいはパウエル議長が量的緩和ではないと主張したおかげで市場はこの措置にほとんど反応していないのかもしれない。

Fedがバランスシートを逆に縮小させる量的引き締めを開始した時も同じであり、市場はほとんど反応を示さなかった。しかしここでは当時、量的引き締めを行なって市場に影響が及ばないということは有り得ないということを何度も主張してきた。筆者の予想は当たり、それが結局2018年の世界同時株安の原因となったのである。

•世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因

さて、では今回の措置はどうなるだろうか? 中央銀行のバランスシート拡大とは市場から莫大な量の債券を買い入れ続ける行為なので、市場がそれを瞬時に織り込まない場合、それは毎月膨大な量の資金として裏で市場に影響を与え続けることになる。

以下の記事で説明したが、今回の債券買い入れの目的は主に短期金融市場の混乱を抑えるために短期国債を買うことである。

•パウエル議長、バランスシートの拡大再開を示唆、レポ市場の混乱で

Fedが短期国債を買う場合と長期国債を買う場合で違いはあるのだろうか? 短期国債を買う場合、短期金利だけが下がることになり、株価や為替相場に影響を与える長期金利には影響を及ぼさないのだろうか?

今回の措置は長期金利には影響を及ぼさないというのがFed自身の自己申告である。しかしわたしはそうはならないと予想している。それは短期金利の性質から導かれる結論である。

短期国債を買うとどうなるのだろうか? 短期金利が下がるのだろうか? しかし短期金利は主に政策金利の見通しによって決まるのでほとんど上下動の余地がないのである。

短期金利の動向

例えば1年物国債があり、その金利が2%で、今後1年の政策金利(中銀が操作するもっとも短期の金利)が2%で推移し続けると予想されているとする。この状態で中銀の短期国債買い入れにより1年物国債の金利が1.5%に下がったとすれば、投資家は直ちに1年物国債を買うことを止め、1年間2%の政策金利に投資をし続けるだろう。その方が0.5%得だからである。

よって実際には、短期金利が下がったとしてもすぐに政策金利の見通しの方に引っ張られて元に戻るだろう。したがってFedの債券買い入れでは短期国債の金利はほとんど変わらないはずである。

では、債券買い入れは市場に影響を及ぼさないのだろうか? そうではない。Fedは実際に毎月600億ドルの債券を買い入れるのであり、短期金利が変わらないとしても投資家の持っていた600億ドルの短期国債が現金に置き換えられることになる。

問題は、この短期市場からいわば強制的に閉め出された600億ドルの現金がどうなるかということである。わたしの予想では、この600億ドルの多くは中期や長期の国債に投資されるだろう。つまり、やはり長期金利が下がるのである。

現在、アメリカの長期金利は1.75%近辺で推移している。チャートは以下の通りである。

下がり続けているが、これが今後どうなるかである。政策金利の方は2020年末までに1.5%まで下げられることが予想されているので、長期金利には0.25%ほどの下げ余地があることになる。

株価上昇に繋がるか?

長期金利が更に下がるところまでは良いとしよう。多くの投資家にとっての問題は、「量的緩和」による長期金利の低下が株価上昇に繋がるかどうかである。記事が長くなってしまったのでここで一旦筆を置くが、その答えを知るためには先に量的緩和を始めたユーロ圏の株式市場がどうなっているかを見れば良いだろう。

株式市場は世界的に短期的には上昇している。イギリスとEUとの間でBrexit合意がなされたことが材料となっているようだが、世界市場から見ればローカルな市場に過ぎないイギリス経済の、しかも貿易だけに関わるような話が世界経済全体にとって重要であるはずがない。

よって現在の株価上昇はフェイクである。ここからあまりに上がるようであれば、短期的な売りに入っても良いかもしれない。あるいはVIX(ボラティリティ指数)の買いも良い選択肢かもしれない。VIXはあまりに下がっているのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8447
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c209

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
3. 中川隆[-10710] koaQ7Jey 2019年10月19日 19:33:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2146]

2017-03-05
40代、あるいは1810年代のベートーヴェンが失ったもの@「ベートーヴェン 音楽の恋文〜遙かなる恋人へ」月瀬ホール(2017.2.12)
http://kage-mushi.hatenablog.com/entry/2017/03/05/105736

趣向を凝らしたプログラミングでおなじみのピアニスト・内藤晃さんがこのたびセレクトしたテーマは、ベートーヴェンの「不滅の恋人」。

宛先のわからない全3信の恋文が、ベートーヴェンの部屋から発見されてはや190年。彼の秘書アントン・シンドラーが半ばやけっぱちで公開に踏み切ってしまったばかりに、セイヤーからソロモンに至るまで、名だたる研究者たちが、その宛先の女性をめぐって泥沼の大論争を繰り広げ、もはやベートーヴェン研究の世界において一大ジャンルといっても差し支えないほどに巨大化。10人を超す「恋人候補」が出現したものの、未だ「真の恋人」の発見には至っていない、……

そんな(ある種の)業に満ち満ちた「不滅の恋人」論争。

ベートーヴェンの周辺人物たちを愛でてやまない私ですが、実をいうと、「不滅の恋人」は、できれば避けて通りたい苦手なテーマでした。

あまりに論争が白熱化しすぎていて、触れるのも恐れ多いような、正直ちょっと引いてしまうような、そんな気持ちもありました。また、私自身にとっては、ベートーヴェンまわりの重要な人物といえば、彼の耳の代わりに音を奏でたアーティストたち、ビジネスを共にした出版人やピアノ製作者たち、死後の楽聖像の形成に大きな影響を与えることになる側近たちといった「音楽業界の面々」であり、追求するなら恋人なんかよりそちらの方がずっと面白いのに(もっとリソース割いてくれよ)と思っていた…ということもありました。

何より、そもそもシンドラーが1840年に手紙の公開に踏み切ったのは、明らかにその2年前にフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーとフェルディナント・リースが発表した「覚書」へのマウンティング行為だし、もっとツッコミを入れてしまえば、ベートーヴェンはたぶんこのラブレターをうっかり捨て忘れたわけではなく「わざと」発見されるように残しておいたわけで(←これはまた別の機会に書きます)、もうね、後世のみんな、ベートーヴェンの自意識の手のひらでコロコロ転がされてるだけなんですよ。そんな皮相的な戯れに愚直に付き合ってどーするんですか。かようなゲームはさっさとドロップして、ベートーヴェン本人すらも自覚していないような深層の真実を暴こう。

そのほうが楽しいじゃないですか!!!

と、まあ、あけすけに言ってしまうと、そんな風に思ってました。
このコンサートのお話をいただくまでは。

でも、そういうひねくれた見方は、必ずしも妥当ではなかったかもしれない。
そんな風に意識が変わりました。

2月12日。お客さまの表情を見渡せる贅沢な席に座らせていただき、内藤さんの知的かつ瑞々しいピアノと、鏡貴之さんの情感豊かなテノールに耳を傾けながら。

    *

「不滅の恋人」候補は、現在のところ、アントーニア・ブレンターノとヨゼフィーネ・ダイムの2人にほぼ絞られています。

このたびのプログラムは、前者のアントーニア・ブレンターノ説をベースとし、

•歌曲「恋人へ」 WoO 140
•連作歌曲集「遥かなる恋人へ」Op.98
•交響曲第8番 ヘ長調 Op.93より第3楽章(リスト編曲)
•ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109
•アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO 57

……など、ベートーヴェンと彼女(あるいはブレンターノ家)との交流を示唆させる曲を中心とした構成。

「楽譜を見ると、意味ありげな音楽的指示がとても多い」とは、内藤さんの談。

とりわけ1816年に書かれた「遥かなる恋人へ」は、“愛するひとの喪失”というテーマを、歌詞の上でも音型の上でも、直情的といってもよいくらいにストレートに綴った作品です。

第1曲と第6曲の最後の部分、つまり

 Denn vor Liedesklang entweichet
 jeder Raum und jede Zeit,
 und ein liebend Herz erreichet
 was ein liebend Herz geweiht!

 なぜなら 歌のしらべは
 私たちを隔てる時空を消し去る
 そして愛する心は届けてくれる
 愛する心が捧げたものに

と、

 Dann vor diesen Liedern weichet
 was geschieden uns so weit,
 und ein liebend Herz erreichet
 was ein liebend Herz geweiht.

 そして これらの歌は
 私たちを引き離すものを消し去る
 そして愛する心は届けてくれる
 愛する心が捧げたものに

は、なんと、ベートーヴェン自身の作詞であるという説もあります。

また、青木やよひ氏の解釈によれば、第6曲のこの箇所のメロディは、4年後に書かれた「ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109」の第3楽章にも類似した形で現れますが、このソナタは、他ならぬアントーニアの娘に献呈されているのです。

    *

「不滅の恋人」論争に学術的な意味での決着がついていない限り、この作品を、アントーニアへの恋情の産物と断言することはできないでしょう。
けれど、だからといって、この作品から、ベートーヴェンの生の軌跡をそっくり取り去ってしまうこともできません。

なぜなら、「不滅の恋人への手紙」(1812年)から「遥かなる恋人へ」(1816年)に至る、40代の、あるいは1810年代の数年間。

彼が失ったのは、必ずしも「恋人」だけではなかったからです。

    *

たとえば、「不滅の恋人への手紙」が書かれた1812年。

それはナポレオンのロシア遠征の年。彼はこの遠征に失敗し、それは、2年後に迫る彼の敗北と退位の大きな前兆となりました。
ベートーヴェンのナポレオンに対する感情は、非常に複雑なものがありました。当初は熱烈な支持者だったものの、彼が皇帝になったというニュースを聞いて激昂し、交響曲第3番の表紙から献辞を消し去ったというエピソードはあまりに有名です。

それでも、フランス革命の混沌とした渦の中から姿を現し、世界を変革し掌中におさめようとひた走った同世代の政治家の夢が無残に破れたことは、ベートーヴェンにとっても少なからずショックだったのではないでしょうか。

キンスキー(1812年没)、カール・リヒノフスキー(1814年没)、ロプコヴィッツ(1816年没)など、彼を長年にわたって支えてきたパトロンたちが亡くなったのもちょうどこの頃です。彼は収入と活動の場を失い、困窮に陥ってしまいます。
ベートーヴェンの室内楽作品を多数演奏してきた友人のヴァイオリニスト、イグナーツ・シュパンツィヒも、新たな収入源を求めて、ウィーンを離れてしまいます。

弟のカスパル・カールを亡くしたのもこの時期(1815年没)です。

それから、耳疾が勢いを伴って悪化したのもこの頃です。1812年の時点では、まだ道具に頼らずともコミュニケーションを取ることができていましたが、1816年には、すでにメルツェルのラッパ型補聴器を使っています。その2年後には、ほとんど聴覚を失い、筆談に頼らざるを得なくなりました。

ベートーヴェンの人生の根幹を成してきた、ほんとうにたくさんの、かけがえのないものたちが、彼の手を離れ、遥か彼方に永遠に去っていってしまった。

その痛みと哀しみ、そして自らそれを慰めて希望を促そうとする心が、「遙かなる恋人へ」という作品のなかに現れている。

それは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、40代、あるいは1810年代に失った数々の大切なものたちへの追悼の歌であり、1824年の「交響曲第9番」へと至る、細くあえかな光の道の出発点だった。

「なぜなら 歌のしらべは 私たちを隔てる時空を消し去る」という、その言葉どおりに。

    *

自由が丘の私邸の、白く明るいホールに響く、ピアノとテノールの調べに耳を傾けながら。

あらためて、そのことに気付かされた、そんな忘れがたい1日でした。

補足:「不滅の恋人=アントーニア説」に基づく諸論はこちら。


ベートーヴェン〈上〉
作者: メイナードソロモン,Maynard Solomon,徳丸吉彦,勝村仁子
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 1992/12/07
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000020471/hatena-blog-22/

アントーニア説の(事実上の)提唱者、ソロモン大先生の大著。


ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の探究―決定版 (平凡社ライブラリー あ 21-1)
作者: 青木やよひ
出版社/メーカー: 平凡社
発売日: 2007/01
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582765998/hatena-blog-22/


.
「不滅の恋人への手紙」と彼の1810年代の作品群の関係性についても触れられています。


秘密諜報員ベートーヴェン (新潮新書)
作者: 古山和男
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 2010/05
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106103664/hatena-blog-22/


.
「不滅の恋人への手紙」を政治的な密書であるとみなした斬新な解釈。「1810年代のベートーヴェンのが失ったもの」に対して驚くべき視点を与えてくれます。
http://kage-mushi.hatenablog.com/entry/2017/03/05/105736
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c3

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
4. 中川隆[-10709] koaQ7Jey 2019年10月19日 19:39:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2147]
ベートーヴェン《不滅の恋人》研究の現在
青 木 や よ ひ
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/aoki01.pdf


T《恋人》書簡の文献資料としての特長

ベートーヴェンの死後発見されたいくつかの自筆文書の中で特に注目され、後世の研究者によってい
く世代にもわたって検討され議論されてきたのは、一通の恋文であった。
これは、ベートーヴェンの死の翌日、彼の遺言書に記されていた有価証券を探していたシュテファ
ン・フォン・ブロイニングが、カール・ホルツ、アントン・シントラーと共に発見したものだった。そ
れは有価証券の入っていた人目につきにくい秘密の場所に、女性のミニアチュアの肖像画二点と共に、
しまわれていたのである。当初この手紙はブロイニングにより保管されたが、ほどなく彼も死去したた
めシントラーの手に移り、彼によって1840 年にはじめて公表された。
この手紙が関心を集めたのは、内容が他の書簡には見られない愛の昂揚を表白しているにもかかわら
ず、書簡の三原則ともいうべき、いつ・どこで・誰に書かれたかが特定できなかったことにある。更に
言えば、ベートーヴェン自身がそれらを特定しにくいように、あらかじめ配慮していたかのように思わ
れる節さえある。
また、この手紙が差出人の住居から見つかっていることは、実際には投函されなかったのか、あるい
はいったん相手に渡ったのち返却されたのか、二通りの可能性が考えられる。前者では、書き終わった
あとでベートーヴェンが思い直して投函しなかった、あるいはもっと無難な別の手紙を書いて送った、
とされる。もちろんそれも完全に否定はできないが、筆者としては投函説に立っている。その理由は、
この手紙のモチーフが何か切迫した状況にある相手を慰め励ますことであり、そのために自分の気持ち
を一刻も早く伝えたいという切望が全編にみちているからである。
いずれにしても、この手紙をベートーヴェンが、紛失してはならない彼の唯一の財産である有価証券
と共に、秘密の場所に長年保管していたという事実が、彼にとって相手の女性との思い出がいかに大切
なものであったかを物語っている。その女性は文字通り「不滅の恋人」であったのであり、彼にとって
最後の、そして唯一の相思相愛の相手だったと考えてよいだろう。


U 《恋人》研究の前史

この手紙を目にした人々が最初に考えたのが、誰に宛てられたものかということだったのは当然であ
る。そして、生前ベートーヴェンが親しく交際していたと見られる女性の中に、該当者を探した。その
結果、まずシントラーがジュリエッタ・グイッチャルディを、ついでA・W・セイヤーは1879 年にテレ
ーゼ・ブルンスヴィックを選び出したのである。この二人の女性は共に、ハンガリーのコロンパ(現在
スロヴァキア領)出身のブルンスヴィック伯爵家の一族である。ベートーヴェンと親しかったフラン
ツ・ブルンスヴィックにとって、一方は従妹であり他方は姉だった。1806 年には、ベートーヴェンが彼
らの館を訪れた事実があることから、発表当時はそれぞれの説が信じられていた。
20 世紀になって、ヴォルフガング・トーマス=サン=ガリが、伝記作家の立場からこの問題の徹底究
明にのり出し、ジュリエッタにもテレーゼにも《恋人》たる裏づけ資料がなく、むしろ否定的な事実が
多いことを明らかにした。彼の功績は、ベートーヴェンが《手紙》に記した「7月6日、月曜日、夜」
を手がかりにして、書かれた年代を1812 年、滞在地をボヘミアの温泉地テプリッツと割り出したこと
である。彼はまた、ベートーヴェンの『日記』をはじめ多くの関連資料を駆使して、この問題について
2 冊の本を残している。《恋人》の特定には成功しなかったが、当時の「湯治客名簿」や「警察記録」を
用いて調査したベートーヴェンのボヘミア旅行の行程の解明は、後世の研究者にとって貴重な遺産とな
っている。
つづいて現われた少壮の研究者マックス・ウンガーは、トーマス=サン=ガリの1812 年・テプリッ
ツ説を独特の方法で裏づけると共に、文中の“K”をカールスバートと確定した人物として名を残して
いる。また1812 年だけでなく1811 年のベートーヴェンの旅程を調査し、それぞれの「湯治客名簿」か
ら関係者をリスト・アップして後続の研究に貢献している。とくに、プラハからテプリッツに至る行程
の細部までを明らかにし、《恋人》特定のための大きな手がかりを残した。


その後、ルートヴィヒ・ノール、ロマン・ロラン、ラ・マラ、O・G・ソンネックその他多くの研究者
がこの問題にとり組み、それぞれ成果を発表している。その間《恋人》の候補者として検討された女性
は、以下のように10 人近くにのぼっている。

マグダレーネ・ヴィルマン
ジュリエッタ・グイッチャルディ
テレーゼ・ブルンスヴィック
アマーリエ・ゼーバルト
テレーゼ・マルファッティ
ベッティーナ・ブレンターノ
マリー・エルデーディ
ヨゼフィーネ・ダイム(シュタッケルベルク)
ドロテア・エルトマン

しかしこのいずれの女性にも決め手がなく、20 世紀半ばには、《恋人》の特定はもはや不可能ではな
いかと考えられるまでになった。それは、研究の深化にともなって、《恋人》の条件が細かに規定され
るようになり、それまで漠然と恋人らしく見えた女性が失格していったからである。その主な条件とは
以下のようなものである。


(1)《手紙》の受取人として、7月5日以後の週にカールスバートに滞在している。

(2)7月1日から4日のあいだに、プラハでベートーヴェンに会う可能性があった。

(3)7月4日に共にプラハを出発して、途中まで彼と同道する可能性があった。

(4)旅の途中で別れて、まもなく再会する可能性があった。

(5)当時ウィーンに在住していた。

(6)1812 年の時点で、互いに情熱的に愛しあっていた。

(7)しかし「いっしょに暮らす」には大きすぎる困難があった女性。
(以上《手紙》の分析から)

(8)イニシアルがA の名前を持つ女性。
(ベートーヴェンの『日記』の記述から)

(9)1816 年から逆算して「5年前から」知りあっており、その時点でも彼が当時の夢を捨てきれず
にいた女性。
(ファンニー・ジャンナタジオ・デル・リオの『日記』から)

(10)《手紙》と共に発見された二枚のミニアチュアの一枚に該当する女性:象牙版に描かれたこの
肖像のうち一点は、その後ジュリエッタ・ガルレンベルク伯爵夫人の息子によって、その母親
のものと認定された。しかし残る一枚は、長いあいだ根拠も問われずにエルデーディ伯爵夫人
のものとして紹介されてきた。


以上が、20 世紀前半までの、この研究についての概略である。


V 《恋人》研究の深化によるベートーヴェン像の変化

偉大な人物は死後神話化されることが多いが、ベートーヴェンはその最たる存在だったといえよう。
超人的で悲壮感をただよわせた英雄のイメージを与えられたのだった。それは、19 世紀後半の時代風潮
を反映したものでもあった。しかし、ベートーヴェンの伝記的生涯を追っていた人々、特に《恋人》研
究にとり組んだ人々は、その過程で別のベートーヴェン像に出会わざるをなかったと思われる。
その一つの典型と見られるのが、フランスの作家でベートーヴェン研究に大きな業績を残しているロ
マン・ロランの場合である。彼が1902 年にはじめて発表した『ベートーヴェンの生涯』からは、異性
の愛に恵まれず、孤独で悲惨な生涯を終えた「楽聖」イメージが立ちのぼってくる。だが、1927 年に出
版した『ベートーヴェン研究』連作の第一作『エロイカからアパッショナータまで』に描かれたベート
ーヴェン像は、大きく異なっている。この音楽家がウィーンのサロンで常に美しい女性たちに取りまか
れ、彼自身「彼女たちを魅惑する特別の力を持っていた」のだと表現されている。もちろん女性との関
係だけではない。ここには、かつての「悩みそのもののような」暗い人間像から、自分こそ自分の主人
公であるという、フランス革命後の自負にみちた芸術家像への変貌が見られるのである。
25 年後のこの大転換は、その間にロランが多くの文献資料に目を通したことと共に、《不滅の恋人》
研究にとり組んだ結果と見てよいだろう。ロランはこの問題について二つの論文を、同時期に「ラ・ル
ヴュー・ミュジカル」などの雑誌に発表している。このとき彼はまだマックス・ウンガーの研究を知ら
ず独自の仕方で探求していたが、のちにウンガーのそれを知って全面的に同意している。
20 世紀の最初の10〜20 年の間に、このように1812 年・テプリッツ説が確定したことは、ベートーヴ
ェン研究者にとってけっして小さな出来事ではなかったはずである。なぜならそれは、《手紙》の名宛
人解明に大きく貢献する以上に、それまで個別に検討されてきた《恋人》書簡と、いわゆる『日記』と
の関連づけが可能になったからである。このことは結果的に、中期から後期へのベートーヴェンの作品
の様式的変化を、彼の内面的変貌によって跡づけることをも可能にしたと言えよう。とくにロマン・ロ
ランの場合、それが顕著である。
周知のようにロランは著名なフランスの作家だが、音楽史家として出発し、プロをめざそうとしたほ
どピアノ演奏にもすぐれていた。「ベートーヴェン研究」中の楽曲分析は、すべて自筆の楽譜で行って
いる。しかも後年インド思想に傾倒しており、ベートーヴェンの『日記』を理解するには打ってつけの
人物だった。彼は、12 年の《恋人》が誰か、また彼女との挫折原因が何であるのかは判らないながら、
その後数年間ベートーヴェンが陥っていた内面的危機と、そこから立ち直ってゆく過程を丹念にたどっ
ている。そうして生まれたのが、1937 年の『復活の歌』だった。前作からちょうど10 年経っている。
この本の中でロランは、「ベートーヴェンはこの数年〔1812 年〜16 年〕の間に人柄が変わった」と指
摘しているが、彼自身のベートーヴェン観も当然大きく変化している。「われわれには、もう人間ベー
トーヴェンは、不撓の性格をもった空想的な英雄、不壊の金属で鍛えあげられた英雄といった風」には
思われなくなった、と記している。しかし、ベートーヴェンの人間的弱さや猜疑心の強さを指摘しなが
らも、「彼が自分を偽らなかったこと、みずから自己を裁いていたこと」を認め、その本質的誠実さが、
インド思想やカントの自然観などを経て晩年の作品群の世界へと彼を導いていった経緯を追っている。
そこには、ベートーヴェンの心象風景が共感をもって、より深いレヴェルで読み解かれているのが感じ
られる。

ほかにも、後期への「復活」の先がけともいえる作品101 の『ピアノ・ソナタ』、歌曲『遥かなる恋
人に』、更には作品109、110、111 の『ピアノ・ソナタ』の中にも、ロランはベートーヴェンの音楽的
な内面告白を鋭く指摘している。

特に最後の三つのピアノ作品については、「ブレンターノという主題
の下においてもよいだろう」とまで言っていながら、不思議なことにアントーニアを12 年の《恋人》
と結びつけて考えることはけっしてなかった。

ロランはその後、『第9 交響曲』『後期の四重奏曲』『フ
ィニタ・コメディア』と、亡くなる前年の1943 年まで『ベートーヴェン研究』連作の執筆を続けた。
W 20 世紀後半から現在まで
《手紙》の受信人が特定されぬまま迎えた20 世紀後半になって、この分野の研究に大きな転機が訪
れた。まず1954 年にジークムント・カツネルソンによる『ベートーヴェンの遥かな、そして不滅の恋
人』なる大著が出版されたことだった。ここで著者は、「遥かな恋人」をラーエル・レーヴィン、「不滅
の恋人」をヨゼフィーネ・ダイム(当時シュタッケルベルク)としたのである。
ラーエルについては、1811 年にはじめてテプリッツで彼女に会ったベートーヴェンが、その面立ちが
彼の「大切な人」に似ていると洩らしたことを根拠に、1816 年の連作歌曲『遥かなる恋人に』(作品98)
がラーエルへの追憶であると判断されたものだった。しかしこの説は裏づけ証拠にとぼしく、やがて忘
れられた。(むしろ、ラーエルに面立ちが似ていた彼の「大切な人」は誰か?の方が問題となった。)
恋人《ヨゼフィーネ説》は、かつてラ・マラによっても提示されていたが、カツネルソンの主張が衝
撃的であったのは、1813 年4 月に生れたヨゼフィーネの末子ミノナをベートーヴェンの子どもだ、とし
たことだった。そこでは、再婚後のヨゼフィーネの当時の窮状が述べられているだけでなく、ブルンス
ヴィック家の資料、とくにテレーゼの日記などを自在に用いた論証によって、この説が説得力をもって
展開されていた。
その後ほどなく、ヨゼフィーネ・ダイム宛てのベートーヴェンの恋文13 通がまとまって出現し、1957
年にファクシミリとして公表されたのである。だがこれは、問題の年より数年前に当る、ヨゼフィーネ
がダイム伯爵に死別した未亡人時代の1804 年から07 年頃までのものと判定された。その間ベートーヴ
ェンが、優雅と無垢を合わせ持つ美女といわれたこの女性に対して、真摯な愛情を抱きつづけていたこ
とをうかがわせるものだった。だが、ヨゼフィーネは結局、当時の身分制度や4 人の子どもの母親とし
ての義務に縛られて彼を受け入れられず、ベートーヴェンの方で身を退いたことを示していた。その翌
年ヨゼフィーネは長い旅に出発し、1810 年には、旅先で知り合ったシュタッケルベルク男爵と再婚して
いる。したがってこの恋文と問題の《手紙》を、直接結びつけることはできなかった。
だがヨゼフィーネはこの結婚によって、さらに二人の子どもと借金を負うことになり、1812 年夏には
夫の家出により、貧窮の極にいたという。ここから、ミノナ=ベートーヴェンの子ども説が導き出され
るのだが、当のヨゼフィーネを《恋人》の条件に照らしてみると、該当するのはウィーン在住者である
ことのみとなる。彼女を《不滅の恋人》とするには、客観的証拠があまりにもなさすぎるのだった。
こうした中で、1970 年代に《恋人》をアントーニア・ブレンターノとするメイナード・ソロモンの新
説が登場したのだった。ソロモンはまず1972 年の第一論文で、従来の研究者の業績をフルに活用して、
この女性が1812 年夏に行ったボヘミア旅行の日程が《恋人》の条件をほとんどすべてみたしているこ
とを証明した。ついで五年後の第二論文で、アントーニアのライフ・ヒストリーを詳しく紹介した。
それによれば、オーストリア宮廷の重臣だったビルケンシュトック伯爵家出身のアントーニアは、イ
タリア系の富豪フランツ・ブレンターノにのぞまれて18 歳で結婚した。だが、嫁ぎ先のフランクフル
トになじめず、望郷の念にかられて、やがて重度の心身症を患うまでになる。1809 年に父の看病に事よ
せて実家にもどり、父の死後も遺産の整理を口実に、家族共々3年間ウィーンに止まることに成功した。
この間にベートーヴェンと知りあい、1811 年末に作曲された『恋人に』が翌年にはアントーニアに贈ら
れていることから、この時期には二人の間に恋愛関係が成立していたと、ソロモンは推定している。そ
して、遺産の整理がほぼ終った12 年6 月に、もはやウィーンに止まる口実を失ったアントーニアが、
夫と共にフランクフルトに帰るよりも、ベートーヴェンのいるウィーンに止りたいとして彼に救いを求
めたのが、あの《手紙》の背景だと説明している。
こうしたソロモンの論述は広く支持され、『グローヴ音楽事典』(1980 年版)でも、もっとも有力視さ
れていた。しかし70 年代のハリー・ゴールトシュミットにはじまり、80 年代のマリー=エリザベート・
テレンバッハを経て、90 年代のエルンスト・ピッヒラーにいたるまで、この説に疑問あるいは反論を呈
する研究者がその後も跡を絶たなかった。そのもっとも主要なポイントは、不遇なヨゼフィーネと異な
り、恵まれた主婦だったアントーニアが有能な夫と四人の子どもを捨ててまで、なぜベートーヴェンに
走ったのか、という疑問だった。
こうして20 世紀後半には、この問題の争点は、ヨゼフィーネかアントーニアか、に絞られ、それぞ
れを支持する研究者の間で論争が交わされていた。前出の「グローヴ音楽事典」では、アントーニアが
「時間的・地理的条件をすべてみたしている」とした上で、「彼女の人間的魅力や手紙の内容をどう解
釈するか」の心理的側面の解明が今後の課題だとしていた。
ちなみに筆者は、1950 年代末から《恋人》をアントーニア・ブレンターノと推定し、そのテーマで文
章を発表していたが、当初のものはいずれも一般向きのエッセイであり、その後の著書も日本語であっ
たため、認知されていない。
また2000 年に、新しい《恋人》候補の出現として話題になったチェコの研究者・故ヤロスラフ・チ
ェレダによる《アルメリア・エステルハージ説》は、60 年代までの研究成果であって裏づけ資料がきわ
めて乏しい。アルメリアの場合、「時間的・地理的条件」として適合するものがほとんどなく、一致す
るのは唯一イニシアルだけである。
X アントーニアはなぜ見過されたのか
20 世紀末の時点でアントーニア・ブレンターノは、《恋人》の条件である前記10 項目のすべてを完全
にクリアーしている。このような女性は、他に一人もいない。しかも、そのうちの少なくとも半分の5
項目((1)(4)(5)(7)(8))については、20 世紀初頭から知られていたはずなのである。トーマ
ス=サン=ガリもマックス・ウンガーも、1812 年の「湯治客名簿」その他の資料にブレンターノの名を
認め、それを記録していた。しかし彼らはそれを、単に妻子を連れたブレンターノ氏の動向としか見て
いなかったのだ。その妻の頭文字がA であるということなど、思いうかべさえしなかったのである。し
かもこうした錯覚が、その後も20 世紀の半ばを過ぎるまで、研究者たちに受けつがれていったのであ
る。その原因は何だったのだろうか?
第一にそれは、ブレンターノといえばベートーヴェンにとって最大の恩義ある友人だ、という先入観
にあったと思われる。したがって、そのような友人の妻と倫理感の強い彼が恋愛関係を持つはずがない
という考えが、第二の理由となろう。そこにはまた、恋愛においては男性がつねに積極的にイニシアテ
ィヴをとる、という思いこみが第三の理由として含まれる。
しかしブレンターノ夫妻が彼の「恩義ある友人」となったのはずっと後年のことであって、1811〜12
年の時点で見れば、それは明らかに彼らの関係の読み誤りである。知りあってまだ1〜2 年しか経って
おらず、フランツ・ブレンターノは後述するように不在がちで、ベートーヴェンと顔を合わせることも
稀れといった状態だった。一方ベートーヴェンには当時、経済的支援を受ける必要などなかったのであ
る。また彼は、当時は、病身のアントーニアに同情をよせ、妻を省みない夫という批判の目をフランツ
に向けていた可能性もある。むしろこの場合、相手が人妻であったからこそ、自分の感情を友情の域に
止めておく自信を、ベートーヴェンの方では持っていたものと考えられる。
一般にベートーヴェンは、身分ちがいの若い女性や人妻に思いをよせ、一方的に拒否されてきたとい
うイメージが強かった。しかし同時代人の証言や彼自身のことばを信じれば、彼は多くの女性たちに愛
され、支持されてきたといえる。もちろんそこには、彼の卓越した才能とそれに見合った人間的魅力と
いうものが存在したのはまちがいない。
しかし、その背景をなす当時のヨーロッパ社会における女性の状況をも、視野に入れておく必要があ
る。17 世紀後半に始まり、フランス革命で頂点に達した啓蒙主義は、これに共感する多くの啓蒙貴族を
生み出していた。ベートーヴェンの周りにいた貴族たちのほとんどが、この系列に属していた。彼らは
自由の気風を尊重し、学問や芸術の振興に力をつくした。当然、自家の子弟にもそれらを奨励し、女性
たちもその恩恵に浴していた。ベートーヴェンの人生に登場する女性たちが、高い教養と音楽的才能と、
そして多かれ少なかれ独立自尊の精神を身につけているのはそのせいであった。
もしテレーゼやアントーニアやベッティーナが現代に生きていたら、それほど苦労せずに、それぞれ
の分野でひとかどの業績を残したにちがいない。だが当時は女性にとって、社会的自立の道は遠かった。
結婚に際しては、家柄や家産の有無などが条件となり、女性の適齢期は16〜17 歳と見られていた。結
婚すれば、家父長制の下で夫や子どもへの気配りが第一とされ、独立した人格としての基本的人権を与
えられていなかった。
とくに女性の人生を重くしていたのは、生殖という負荷だった。厳格なカトリックのモラルの下にあ
った上流社会では、避妊も中絶も許されず、多産は家門の繁栄の象徴だった。子ども数は平均6〜7人、
10 人以上もざらであった。また統計によれば、当時の女性の12 人に一人が出産で死亡していた。たと
えば、アントーニアが嫁いだブレンターノ家の先代アントンの場合、最初の妻は6回目の出産時に死亡
し、2度目の妻も12回目の出産時に死亡している。3度目の妻が2回目の出産後生きのびたのは、夫
がその年に死去したためだった。
こうした現実を見ぬいていた女性たちが、自分の才能と力で階級の桎梏を打ち破り、また彼女たちに
対しても打算ぬきの対等な存在として接してくるベートーヴェンに、人間的魅力を感じたということは
考えられる。しかも、女性には先入観が少なく新しい芸術を受け入れやすい上、競争意識がない。ウィ
ーンでデビューした当初、ベートーヴェンにいち早く共感し、彼をサポートしたのはこうした女性たち
だったにちがいない。リヒノフスキー侯爵夫人やエルデーディ伯爵夫人などが、その例ではないだろう
か。またその場合、いささかの恋愛感情が混じっていたとしても、それを友情の枠内に収めておく分別
が、双方に働いていたと見ることができる。これは、ベートーヴェンにとっては好ましい関係だったと
思われるが、しかしこうした微妙な均衡は、状況次第では一挙にくずれる危険もはらんでいるものだ。
ベートーヴェンとアントーニアの関係を考える場合、当然こうした洞察が必要とされたのだが、これ
までは、このような視点からの研究がなかったように思われる。それもアントーニアが見過ごされた要
因の一つと考えられる。
Y アントーニア《恋人》説の決め手
こうして《アントーニア説》に残された課題は、先述したように「彼女の人間的魅力」と彼女がベー
トーヴェンと恋に陥る「心理的必然性」の有無だけとなった。とくにソロモン説では、「幸福な主婦」
というアントーニア像を崩すにいたらなかったことが、大きな問題点として残っていた。1989 年来数回
の現地調査をも試みた筆者の視点で、この課題をここで再検討してみることにしたい。
まず、ソロモン説では、アントーニアがフランクフルトで心身症に陥ったのも、また問題の夏に「ベ
ートーヴェンに走った」のも、故郷ウィーンへの強い愛着が原因だとされていたが、筆者は、もっと現
実的で絶えがたい抑圧感によるものと考えている。
教養豊かで感受性にとんだ伯爵家の一人娘が嫁ぎ先で直面したのは、20 人にものぼる夫の異母弟妹を
含む商家の大家族だった。そこで18 歳の花嫁は好奇の目にさらされながら、家長の妻としての役割を
求められたのだった。15 歳年長でイタリア系の夫とはなじみにくかった上、近くには頼れる人も相談す
る人もいなかった。そんな中でアントーニアは健気に振るまいながら、8 年間に5 人の子どもを産み、
その一人を亡くしている。こうして彼女は、25 歳になる頃から重度の心身症に陥ったのだった。現代の
目で見れば、アントーニアが背負っていたのはまさに女性問題であり、どれほど経済的に豊かであって
も、こうした環境に置かれた女性を「幸福な」あるいは「恵まれた」主婦などとはとうてい呼びがたい。
もう一つ注目すべき事実は、26 歳から33 歳までの7 年間、アントーニアが一度も出産していないこ
とだ。それ以前の出産頻度に照らして、これは夫婦関係の断絶を示すものと、筆者には考えられる。従
って彼女が1809 年に実家にもどったのは、父の看病をきっかけに、その死後は夫と別れてウィーンで
暮す目的だったと思われる。
こうした筆者の推論を裏づける決定的証拠ともいうべきものが、最近出現したのである。それは主に、
1809 年から11 年当時、フランツとアントーニアがそれぞれベッティーナやクレメンス・ブレンターノ
に宛てた未発表の書簡である。「ウィーンにおけるアントーニア・ブレンターノ――《不滅の恋人》問
題に対する新たな資料」と題して、ベルリンの研究者クラウス・マルティン・コピッツによって「ボン
ナー・ベートーヴェン・シュトゥーディエン」誌(2001 年)に公表されたものである。それによると、
夫妻の関係はすでにフランクフルト在住時から危機に瀕しており、ウィーン在住の3 年間にも、夫のフ
ランツはほとんど家にはいなかったことが明らかになった。問題の1812 年になると、彼は2 月と5 月
にウィーンに滞在しながら、2 度とも妻の家ではなく市内のホテルに宿泊していた、という事実まで判
明したのである。
また、アントーニアの手紙や日記の断片からは、彼女がすぐれた芸術的センスと明晰な自己省察力を
併せ持った卓越した女性であることがわかる。そして新しい人生へと踏み出しはじめていた彼女が、こ
の音楽家を、単に作品の魅力からだけではなく、人間の理想像とまで感じて愛していたことがうかがえ
る。一方、1811 年3 月のアントーニアの手紙には、セイヤーなどによって後世に伝えられてきた「慰め
の音楽」の演奏場面が、まさにこの年の1 月から3 月までの出来事であったことがリアルタイムでしる
されている。ベートーヴェンは、フランツ不在のビルケンシュトック邸を毎日のように訪れていたのだ
った。この時点で彼が、恋愛感情とまではいえないにしても、献身的な情愛を彼女に抱いていたことは
疑いない。
このようにこれらの新資料は、従来不分明だったアントーニアの家庭状況と心理的側面を詳細に照ら
し出すと共に、ベートーヴェンとの親交が筆者の予想をはるかに上まわる早い時期から進んでいたこと
を裏づけることになった。つまり、このコピッツ論文の出現によって、《アントーニア説》は決定的証
拠をえた、と言ってよいのではないだろうか。
まとめ
この間の事情を要約すれば、ヨゼフィーネと別れたあと、1810 年にテレーゼへの求婚をマルファッテ
ィ家から拒否されたベートーヴェンが、ベッティーナ・ブレンターとの出会いで立ち直り、それが機縁
でアントーニアと親しくなり、1812 年7 月の《手紙》によって二人の相思相愛の頂点が出現するにいた
る、ということになる。多彩な女性遍歴ののちベートーヴェンは、40 歳にしてはじめて理想の女性とめ
ぐりあったと言ってよいだろう。それは、1816 年5 月のリース宛の手紙で言及されている「たった一人
見つけましたが」という彼自身の言葉でも証明される。
またこの恋愛が、ベートーヴェンの死後、関係者を危惧させた「不倫事件」ではなかったことも、新
資料が証明している。ウィーン時代のアントーニアは、すでに実質的離婚状態にあって自由を行使して
おり、ベートーヴェンとの親交を早くからベッティーナに告げているだけでなく、夫フランツにもかく
していない。フランツもまた、表面的にはこだわりもなく、その事実を受け入れている。その上筆者の
見解では、この大恋愛はけっきょくプラトニックのまま終ったものと思われる。(従って1813 年3 月に
出生したアントーニアの末子の父親は、フランツとするのが現在の筆者の立場である。)
なお、1812 年秋に二人の関係が破綻した経緯と、のちに1816〜17 年に復活しかけて再び諦めにいた
る事情については、はっきり証明できるだけの具体的根拠にとぼしい。筆者は『ベートーヴェン《不滅
の恋人》の謎を解く』(講談社現代新書、2001 年)の中で、ヨゼフィーネ問題も織りこみながら、それ
なりの仮説を立てて考察しているので、関心がおありの向きはそれを参照されたい。
いずれにせよ、ベートーヴェンが最後の病床で、将来自分の伝記が書かれる際には、「躊躇(ちゅう
ちょ)することなく、あらゆる点で事実に忠実であってほしい」と望み、また別の個所で「自分には道
徳的にやましいところはない」と言っているのは、みずからの良心に照らした信実のことばだったこと
は疑いない。
それにしても、こうした体験を経た上で、ベートーヴェンとブレンターノ夫妻の間に、「世界でもっ
ともすばらしい友人」と言いうる関係が成立したとは、なんと感動的なことだろう。三人三様に深く苦
しみながら、それぞれに人間として大きく成長したことがうかがえる。とくにベートーヴェンの場合、
その間の『日記』が残されている。《恋人》問題が解明されたいま、われわれはそこに、苦難にきたえ
られて、中期から後期の巨匠へと変容してゆくこの芸術家の生の軌跡を、逐一たどることができる。
《恋人》研究の意味とは、けっして名宛人を特定することにあるのではなく、絶えず深化しつつ発展
してゆくこの芸術家の内面世界に、別の道から近づくのに役立つことにあるのではないだろうか。

本稿は、2001 年10 月16 日に本校で行われたシンポジウムとコンサート「ベートーヴェン最後の恋」において、
基調講演とシンポジウムに参加するために筆者が用意した覚えがきをもとに、新たに書き下ろしたものである。
なお、インターネット上で公開するにあたり(2002年6月)、若干の手直しを行っていることをおことわりして
おきたい。


【主要参考文献】

・Ludwig van Beethoven, Der Brief an die Unsterbliche Geliebte. Beethoven-Haus, Bonn, 1986.
(邦訳付)
・Beethoven. Dreizehn unbekannte Briefe an Josephine Grafin Deym. Geb. v. Brunsvik, Faksimile,
Einfuhrung und Ubertragung von Schmidt-Gorg. Beethoven-Haus, Bonn, 1957.
(『ベートーヴェンの恋文』属啓成訳 音楽之友社、1962 年)
・Beethoven. Briefwechsel Gesamtausgabe Bd. 1〜7. hrsg.von S. Brandenburg, Henle Verlag, M unchen,
1996〜98.
・The Letters of Beethoven 1 -3. collected, translated and edited,with an introduction, appendixes,
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(『ベートーヴェン書簡選集』小松雄一郎訳(抄訳)上下、音楽之友社、1978〜79 年、『ベートーヴェ
ンの手紙』(抄訳)上下、岩波文庫、1982 年)
・Goldschmidt, Harry: Um die unsterbliche Geliebte. Ein Beethoven-Buch, Deutscher Verlag fur Musik,
Leipzig, 1977.
・Kaznelson, Siegmund: Beethovens ferne und unsterbliche Geliebte, Standard-Buch, Zurich, 1954.
・La Mara: Beethovens Unsterbliche Geliebte. Das Geheimnis der Grafin Brunswik und ihre Memoiren.
Breitkopf & Hartel, Leipzig, 1909.
・Ley, Stephan: Wahrheit, Zweifel und Irrtum in der Kunde von Beethovens Leben. Breitkopf & Hartel,
Wiesbaden,1955.
・Pichler, Ernst: Mythos und Wirklichkeit. Amalthea Verlag, 1994.
・Rolland, Romain: Beethoven―les grandes epoques creatrices. Albin Michel, Paris, 1966.
(吉田秀和他訳『ベートーヴェン、偉大な創造の時期』TU、みすず書房、1970 年)
・Schindler, Anton: Ludwig van Beethoven (5.Auflage), Verlag der Eschendorffschen
Verlagsbuchhandlung, Munster in Westfalen, 1927.
・Solomon, Maynard: Beethoven. Schirmer Books, A Division of Macmillan Publishing Co., New York,
1977.
(徳丸吉彦・勝村仁子訳『ベートーヴェン』上下、岩波書店、1992 年)
・Solomon, Maynard: Beethoven. Second revised edition, Simon & Shuster Macmillann, New York, 1998.
・Solomon, Maynard: Beethoven Essays. Harvard University Press, 1988.
・Solomon, Maynard: Beethovens Tagebuch, hrsg.von S.Braundenburg,Hase & Koehler Verlag, Meinz, 1990.
(青木やよひ・久松重光訳『ベートーヴェンの日記』岩波書店、2001 年)
・Sonneck, Oscar Georg: The Riddle of the Immortal Beloved, G. Schirmer Inc., New York, 1927.
・Tellenbach, Marie-Elisabeth: Beethoven und Seine”Uusterbliche Geliebte”Josephine Brunswick,
Atlantis Musikbuch-Verlag-AG,Zurich, 1983.
・Thayer's Life of Beethoven (Revised and Edited by Elliot Forbes)I,II, Princeton University
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/aoki01.pdf

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c4

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
5. 中川隆[-10708] koaQ7Jey 2019年10月19日 19:46:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2148]

要するに、

ベートーベンの子供を産んだ女性はアントーニア・ブレンターノとヨゼフィーネ・ダイムの二人いて


ヨゼフィーネ・ダイムを思い描いて書いたのが

・ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3
・交響曲第四番
・ピアノ協奏曲第四番
・ヴァイオリン協奏曲

アントーニア・ブレンターノを思い描いて書いたのが

•歌曲「恋人へ」 WoO 140
•連作歌曲集「遥かなる恋人へ」Op.98
•交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
•ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109
•ディアベリ変奏曲


という事みたいですね。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c5

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
6. 中川隆[-10707] koaQ7Jey 2019年10月19日 19:52:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2149]
未練を断ち切るように ― 2010/05/19 23:33:00


ベートーベンのピアノソナタ 作品109、110、111

1820年から22年にかけてつくられたこの曲はロマン・ロランに<ブレンターノのソナタ>と呼ばれている。

とくに110番は、献呈者なしで記録されている。ベートーベンの作品中、献呈者なしというのはほかに第8交響曲しかないのだそうだ。

作品109は1820年11月にマクシミリアーネ・ブレンターノに献呈され、110と111はともにアントーニア・ブレンターノに献呈されるはずだった。

が、110が献呈者なし、111だけがアントーニアとルドルフ大公に献呈されたのだと、ベートーベン研究家の故青木やよひさんは書いておられる
(『ベートーヴェン・不滅の恋人』1995、河出文庫。底本は『遥かなる恋人に――ベートーヴェン・愛の軌跡』1991、筑摩書房)。

青木さんによれば、作品110の第3楽章について

「この哀切きわまりない≪歎きのアダージョ≫ほど魂をゆさぶられるものを、私はほかに知らない。どのような形容詞をもってしても、その美しさを表現することは不可能だ」

「それは、追憶と悲しみと悔悟が入りまじる思いで、力なくうなだれた芸術家の魂からしたたりおちる涙のようだ。だがまもなく思い直し、未練を断ち切ろうとでもするように弔鐘にも似た打鍵を9回くりかえして、この場面を終わらせる」

とある。

朗読でわたしはいろいろな思いを込めて演じる。――昨日もちょっとあった。
ベートーベンほどではないにしても、涙を流しつつ、だがまもなく思い直し、未練を断ち切るように立ち上がり、できるなら魂をゆさぶられるものをつくりたいと思う。
http://todaywesonghands.asablo.jp/blog/2010/05/19/5098132
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c6

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
7. 中川隆[-10706] koaQ7Jey 2019年10月19日 20:11:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2150]

エリーゼのために

Für Elise - Wilhelm Kempff 1964, Deutsche Grammophon (SLPM 138 934) - Beethoven - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O2iOdo72vR4
https://www.youtube.com/watch?v=R9DSjoHm56Y

Ludwig van Beethoven "Für Elise", Bagatelle for piano in A minor, nº 25 WoO 59 (Molto Grazioso), 1810.
Wilhelm Kempff, Deutsche Grammophon Gesellschaft, 1964.

____


KEMPFF, Beethoven Bagatelle Fur Elise in A minor, WoO59 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CaTUt8MeLSU

Wilhelm Kempff, piano May 1955 London
 


▲△▽▼


エリーゼの正体


ベートーベンの『エリーゼのために』のタイトルは実は『テレーゼのために』か / 楽譜の字が汚すぎて間違って広まった
2013年7月28日



.


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みんな知ってるあたりまえ知識。でも100人いたら1人くらいは知らない人がいるかもしれません。今回は「ベートーベンの『エリーゼのために』のタイトルは実は『テレーゼのために』だったらしい 」という知識です。

そうです、あの名曲のタイトルは『テレーゼのために』だったのに、ベートーベンの字が汚すぎたために『エリーゼ』と伝わったというのです。

・“エリーゼさん” は誰?
『エリーゼのために』が作曲されたのは1810年、ベートーベンが39歳のことです。曲名のとおり、エリーゼさんという女性のために捧げらた曲であると考えられます。しかし、ベートーベンの交友関係を調べても“エリーゼさん”という人は見つからず、長い間謎とされていました。

・ベートーベンの字は汚く “エリーゼ” と “テレーゼ” の区別がつかないことが判明
しかし、1923年、ドイツの音楽学者マックス・ウンガー教授の論文がひとつの可能性を提示しました。ウンガー教授によると、ベートーベンはとても字が汚く、筆跡を鑑定したところ、彼の書く「エリーゼ(Elise)」と読める字は、「テレーゼ(Therese)」の場合もあるというのです

・楽譜をプレゼントされたのは “テレーゼさん”
実は、『エリーゼのために』の楽譜は、1810年にベートーベンにピアノを教わっていたテレーゼ・マルファッティという女性だったそうです。楽譜はベートーベンからプレゼントされたものだと言われています。

当時、39歳のベートーベンは18歳のテレーゼに恋をしていました。ラブレターを送り、プロポーズまでしたといいます。しかし、結果はふられてしまい、テレーゼは別の男性と結婚しました。

・『エリーゼのために』は『テレーゼのために』だった!?
つまり、

1810年に『エリーゼのために』が作曲される

同年、教え子のテレーゼに『エリーゼのために』の楽譜が贈られる

のちに同曲は『エリーゼのために』として世界に広まる

曲完成から100年以上経って、ベートーベンの字は汚すぎて“エリーゼ”と“テレーゼ”の区別がつかないことが判明

『テレーゼのために』だったのでは!?

ということになります。字が汚かったばかりに間違って伝わるとは……しかもこれだけ有名になった曲です、もう訂正はできないでしょう。

・近年、新しい説も浮上

長らく、『エリーゼのために』は『テレーゼのために』の読み間違いであるとされてきました。しかし、近年になり『エリーゼのために』は、エリザベート・レッケルという歌手に捧げられたものではないかという説も浮上したそうです。

しかし、ベートーベン直筆の楽譜はすでに失われており、その真偽を確認することは難しいのかもしれません。
https://rocketnews24.com/2013/07/28/354145/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c7

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
17. 中川隆[-10705] koaQ7Jey 2019年10月19日 21:01:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2151]

アイヌ新法の何が画期的なのか?〜「アイヌ否定」歴史修正主義の終えん。平成の最後にアイヌ復権への第一歩
古谷経衡 4/29
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190429-00124238/



アイヌの民族文様(ペイレスイメージズ/アフロ)


1】法律に初めてアイヌの先住性を明記

アイヌの伝統的狩猟対象である鮭(photAC)


 4月19日、「アイヌ新法」が参議院で可決、成立した。この新法のもっとも画期的な部分は、我が国の法律史上、はじめてアイヌを「先住民族」と規定したことにある。ではこれまでの国のアイヌ民族の先住性に対する考え方はどのようなものであったのか。

 1997年(平成9年)、「北海道旧土人保護法」が廃止され、代わりに同年施行された「アイヌ文化の振興並びにアイヌ民族の伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(旧アイヌ法)では、アイヌを初めて「民族」と認めたことが画期的であったが、アイヌの先住性までは言及されなかった。

 これに先立つこと1995年、村山富市内閣は内閣官房長官の私的諮問機関として「ウタリ(アイヌ語で”同胞”の意)対策のあり方に関する有識者懇談会」を設置し、1996年には同懇親会から「中世末期以降の歴史の中で見ると、アイヌの人びとは当時の”和人”との関係において北海道に先住していたことは否定できない」等の報告書が提出された。

 また旧アイヌ法の制定を受け、衆議院と参議院内閣委員会では、「アイヌの人びとの『先住性』は、歴史的事実であり、この事実も含め、アイヌの伝統等に関する知識の普及並びに啓発の推進につとめること」とする付帯決議が盛り込まれている。また2008年には衆参両院本会議は、アイヌ民族を先住民族と認定することを求める決議を全会一致で採択した。

 しかしながら、このような国のアイヌ文化振興への取り組みのなかでも、アイヌ民族の先住性が法律に書き込まれたことは一度もなかった。

 日本は単一民族国家ではなく、アイヌがかつて現在の東北からサハリン、千島などにかけて広範に先住していたことは自明であったが、法律に「先住民族」を明記したことは、上記のような経緯からアイヌにとっても悲願であり、また先住民族の権利擁護や文化復権を求める国際的な潮流にようやく日本が追いついたことの証左であり、重ねて画期的といえる。

2】歴史修正主義者たちから沸き上がったアイヌ否定論

”デマ”のイメージ(pfotoAC)
”デマ”のイメージ(pfotoAC)

 しかし、このようなアイヌに対する「先住性」「民族性」を真っ向から否定する歴史修正主義の動きが、2008年ごろから沸き起こる。これがいわゆる「アイヌ否定論」であり、この論の骨子は、1)「アイヌ民族は存在しない」、2)「アイヌ民族は先住民族ではない」という何ら歴史学的根拠に基づかないトンデモな主張であった。

 この「アイヌ否定論」の最前衛に立ったのは、漫画家の小林よしのり氏である。小林氏は漫画という媒体を用いて、「アイヌ否定論」をぶちあげた。小林氏は取材の中でアイヌ文化研究家の河野本道氏なる人物と知己となり、河野氏の「アイヌ否定」説に全面的に依拠して、「アイヌなどいない」「アイヌは先住民族ではない」という、歴史学会では歯牙にもかけられていない「珍説」を紙面上で訴え続けた。

 この小林氏の珍説に明らかに影響されたとみられるのが、北海道札幌市議会議員(当時)であった金子快之(やすゆき)氏である。金子氏は2014年8月11日、自身のツイッター上で「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいがアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不条理。納税者に説明できません」とつぶやき、一斉に非難を浴びた。

 金子氏は2014年9月、このツイッター上での差別発言を理由に、所属していた自民党札幌支部連合会を除名され、市議会が辞職勧告決議を出したが辞職しないまま、2015年4月12日投開票の札幌市議会議員選挙(15年統一地方選挙)で落選した。

 ところが金子氏は、つい先般行われた2019年4月24日投開票の渋谷区議会議員選挙(19年統一地方選挙)で政治団体「NHKから国民を守る党」から出馬し、当選して議員に返り咲いている。

3】アイヌ否定から沖縄ヘイトへ

 もう一例は北海道議会議員(当時)であった小野寺秀(まさる)氏である。小野寺氏は、アイヌの先住性に疑問を投げかける見解を2014年に道議会で提起した。当時の紙面から抜粋する。

北海道議会の最大会派「自民党・道民会議」の小野寺秀(まさる)議員(51)=帯広市選出=が11日の道議会決算特別委員会で、「アイヌが先住民族かどうかには非常に疑念がある。グレーのまま政策が進んでいることに危機感を持っている」と発言した。(中略)毎日新聞の取材に小野寺氏は「アイヌ民族の存在は否定しないが、北海道と本州の間は昔から多くの人が往来している。北海道がアイヌだけの島だったことは誰も証明できない」と主張。決算委では「我々の祖先は無謀なことをアイヌの人たちにやってきてはいない。そういう自虐的な歴史を北海道で植え付けるのはいかがなものか」とも述べた。

出典:毎日新聞(2014.11.12)、強調筆者

 小野寺氏は、自民党の議員でありながら、すでに述べた通り、2008年に衆参両院本会議で、アイヌ民族を先住民族と認定することを求める決議を全会一致で採択したことを無視する意見を公に表明したことで大きな問題とされた。この小野寺氏は2015年の北海道議会選挙において改選を迎えたが出馬せず、政界を引退した。現在では主に右派系ネット番組等に精力的に出演を続けている。

 この両氏は、前後の文脈から総合的に考察しても、明らかに歴史学の「いろは」にすら接触しておらず、体系的な日本史知識というものが全く欠落していると推量される。両氏の主張は既出の小林よしのり氏による「アイヌ否定」というトンデモ論のコピーであることは自明で、この他にも北海道在住の自称アイヌ研究家などが小林氏の影響を受けて盛んな「アイヌ否定論」「アイヌ利権の危険性」等を繰り返した。

 しかし、にわかに2014年〜15年にかけて最盛を迎えるかにみえた「アイヌ否定論」は、その後、ネット右翼や中央の保守論壇の間では爆発的には浸透せず、代わりに彼らのデマ・トンデモ・憎悪の矛先は南方に転じて、沖縄における反基地活動家・普天間基地辺野古移設反対派への呪詛、翁長雄志前沖縄県知事らへの周到で執拗なデマ攻撃へと転換していった。

 ではなぜ「アイヌ否定論」は、ネット右翼や中央の保守論壇に於いて決定的な盛り上がりに欠けたのだろうか。

4】歴史修正主義「アイヌ否定論」の終わり

 その理由は、簡単に述べると以下のようになる。

1)アイヌの存在と先住性があまりにも明白で揺るぎようのない事実であること

2)ネット右翼や中央の保守論壇の中で、北海道(北方問題)への興味・関心が薄いこと

3)小林よしのり氏らが最前衛となった「アイヌ否定論」が、歴史学的な検証に耐えられるものではないトンデモ論であったために、南京大虐殺否定や従軍慰安婦への日本軍関与の否定など、同様の歴史的問題(…こぞって保守系言論人がそれを追検証するような事態)と違って「アイヌ否定論」に追従する中央の保守系言論人や研究者がいなかったこと

4)「アイヌ否定論」と対にして語られた「アイヌ利権」なるものが、まったく確認されていないこと

5)そもそも日本政府が「アイヌ民族」の存在を認めていること

 などである。そして最大の理由は、

6)「アイヌ否定論」の最前衛となった小林よしのり氏が、従前から「反米保守」「アンチ・ネット右翼」の立場を採っていたことで、ネット右翼や中央の保守論壇に対する影響力をこの段階(2014年〜15年時点)で著しく喪失していたこと。またそれと同様に、小林よしのり氏の漫画の商業的停滞が続いていたため、全般的な影響力が限局したものにとどまったこと

 である。

 こうして一時期盛り上がった「アイヌ否定論」はすぐに鳴りを潜めたが、漠然とした「アイヌ否定」「アイヌ利権」という、ネガティブなイメージがネット空間に広がったことは確かだった。しかし今回の「アイヌ新法」の成立によって、国が初めてアイヌを「先住民族」と認めたことで、こういった歴史修正主義者たちのトンデモ論は最終的かつ不可逆に葬り去られたことになった。

 だが、小林よしのり氏が盛んに唱えた「アイヌ否定論」が、北海道の地方議員やその支持者たちに広がり、「なんとなくアイヌってその存在自体が怪しいし、弱者利権のにおいがする」というイメージを植え付け続けたという時点で、小林氏の責任は重いものと言わざるを得ない。「アイヌ新法」の成立によって、ネット空間に漠然と伝播されたアイヌに対するネガティブイメージが、徐々にであっても希薄化していくことを願うものである。

5】アイヌ民族史概説〜中世から幕末まで〜

筆者作成
筆者作成

 さて本稿後半では、駆け足ではあるが「アイヌ民族はいない」「アイヌは先住民族ではない」という「アイヌ否定論」がいかにトンデモであるかを歴史的に振り返りたい。

 アイヌ民族が日本(和人)の記録に初めて登場したのは14世紀の室町時代である。『アイヌ民族の軌跡』(浪川健治、山川出版社)によると、

 アイヌ民族を記した本州の最初の資料は室町初期の1356(延文元)年に、諏訪(小坂)円忠を発願者として成立した「諏訪大明神絵詞(すわだいみょうじんえことば)」である。(中略)東北の大海の中央に「蝦夷カ千島」があり「日ノ本(ひのもと)」「唐子(からこ)」「渡党(わたりとう)」の三類の蝦夷が群居する。「日ノ本」と「唐子」は外国に連なり、風貌は夜叉(やしゃ)のようであり、禽獣(きんじゅう)・魚肉を食として農耕を行わない。そして、言葉はまったく通じない。

 一方「渡党」は和国の人に似て、言葉も大半は通じるが、髭面多毛な人という。また霧を起こす術を心得ていたり、山野を獣のように走ることができ、毒矢を用いて武器にしたり、木を削って幣帛(へいはく=神に奉献する供物)のようなものをつくる。「宇曽利鶴子洲」(現在の函館、または下北半島)、「万当宇満伊犬」(現在の松前)という小島があり、「渡党」は多く「津軽外が浜」に往来し交易していると記されている。

出典:『アイヌ民族の軌跡』P26-27、浪川健治、山川出版社、強調筆者

 という。この事から、室町時代の日本人には、蝦夷=アイヌが少なくとも三分類あり、また地理的な事実誤認はあるものの下北半島より北(要するに北海道やサハリン、千島)に居住する「異国人」として認識されていたことがわかる。

 応仁の乱に端を発した戦国期になると、北海道南部にも和人が進出し、紆余曲折の末、松前氏(蠣崎氏から改名)が現在の函館を中心とした渡島半島南部に和人のコロニーを建設する。戦国期が終わり、徳川幕藩体制が確立されると、松前藩が成立して18世紀に大名(石高のない1万石扱い。参勤交代は遠隔地特例で6年に1回)となり、アイヌとの交易で富を蓄えた。

 しかし、松前藩とアイヌとの間には交易をめぐるトラブルが多発した。その多くの原因が松前(和人)側の強権的な交易比率の改悪等であった。これが原因で17世紀中葉には最大の反和人蜂起といわれる「シャクシャインの戦い」(寛文蝦夷蜂起)、18世紀後半には「クナシリ・メナシの戦い」が現在の道東・国後島を中心として起こった。

 基本的に江戸幕府は、海禁政策(鎖国)を維持しつつも、外国との接触点、つまり国境をあいまいな形にしておき、交易や通信を直接行うのではなく、特定の大名に一任し、日本周辺の異民族を服属させているという図式をとることによって、間接的に幕府の「御武威・御威光」を内外に誇示した。幕府は特定の大名に交易を独占させる特権を与える一方、そこから得られた外国情報を江戸に集約させ対外情勢の分析にあたった。

 この体制を「日本型華夷秩序(にほんがたかいちつじょ)」と呼ぶ。この「日本型華夷秩序」の中で、事実上ロシアと国境を接する蝦夷=アイヌとの交易・通信を任されたのが松前藩であった。

 しかし19世紀初頭になると外国船の来航が頻繁となり、幕藩体制は動揺する。特にロシア船が根室に来航し通商を要求。これを幕府側が拒否した報復として樺太や国後島等がロシア軍船の砲撃を受ける文化露寇(1806年、1807年)が起こると、応戦した松前藩、津軽藩、南部藩らの諸兵がロシア軍の圧倒的な火力の前に敗北を喫した。

 このような情勢の中、幕府は1799年、蝦夷地を直轄地として蝦夷地奉行を置き(のち箱館奉行と改名)、ロシアの南下に対抗するべく軍備拡充とアイヌの同化政策を強化する。具体的にはアイヌに対し農業耕作を推奨し、日本語使用を推奨、日本服着用の許可、儒教徳目による教化、日本風の名前への改名などであった。

 結局、江戸幕府の蝦夷地直轄は、一時期の松前藩への返還(1821年〜1854年)を挟んで幕末まで続いた。しかしこういったアイヌへの同化政策は、幕府が滅び明治へと世が変わる時代と比べれば、まだしも穏やかな部類であった。

5】アイヌ民族史概説〜アイヌへの完全な日本同化政策〜


 明治政府は、1869年(明治2年)、開拓使を設置し「蝦夷」の呼称を「北海道」に改名した。北海道の誕生である。また四民平等の原則に基づき、1871年(明治4年)、アイヌは「平民」に編入することが布告された。

 しかし日本人平民と区別するために1878年(明治11年)、アイヌは「旧土人」と呼称することが正式に決定され、公の呼称ではアイヌは「旧土人」と位置付けられ、なんとこの露骨な差別的呼称が、本稿冒頭における1997年(平成9年)の「北海道旧土人保護法」の廃止まで使用され続けたのである。

 明治政府によるアイヌへの日本同化政策は、それ以前の幕府時代と比べて極めて苛烈で、そして近代的国民国家の形成に即した急激なものであった。明治政府が実行したアイヌへの苛烈な同化政策は以下の通り。

(明治)維新政府は、アイヌの人びとを「開明の民」とするためにアイヌ民族古来の風俗や風習を一方的に禁止する。(中略)女子の入墨、男子の耳輪を禁止し、違反者は「厳重ノ処分」を行うとした。(中略)さらに、経済的基盤としての生業についても、1871(明治4)年には根室地方の鮭の種川とされていた西別川での流し網を禁止し、1874(明治7)年には豊平川とその支流での引き網・ウライ猟(アイヌの伝統的な漁業方法)を制限した。

 1876年以降になると、西別川では一漁場、猟一統に制限し、乱獲防止を名目に禁漁に等しい厳しい制限を強いた。また同年、アイヌの伝統的狩猟法の一つである仕掛弓や毒矢の使用を「獣類生息ノ妨害」を理由として禁止し、「新業(主に農業)ニ移シ、又ハ猟銃ヲ貸与」することをはかっただけでなく、「免許鑑札」を受けた者以外の鹿猟を禁止するにいたる。近代国家によって、アイヌ文化とその継承はすべての面において否定され、「臣民」化が生活の窮迫とあいまって進行した。

出典:『アイヌ民族の軌跡』P.87〜88、浪川健治、山川出版社、カッコ内一部筆者、一部言いかえをした箇所あり、強調筆者

 このように明治政府が推進したアイヌへの日本同化政策は、蝦夷を北海道と改名し、開拓使を設置しただけではなかった。アイヌ民族の精神的アイデンティティを奪いつくし、経済的にも圧迫(慣れない農業への強制転換など)し、アイヌを完全に日本帝国の内側に取り込もうとした究極の同化政策を行ったのである。

 前述した小野寺道議の「我々の祖先は無謀なことをアイヌの人たちにやってきてはいない」という発言は、このような歴史的経緯に照らし合わせてみても、まったくのデタラメであり歴史修正主義であることが分かる。

 そしてこの同化政策は、あろうことか平成の時代まで「北海道旧土人保護法」という名の下で事実上、続いていたのである。

 平成が終わり令和の時代が到来するいま、「アイヌは我が国における先住民族である」と法律で明記されたことは、明治以来進められた近代国家の負の遺産の清算、およびアイヌ民族の誇りを取り戻す積極的動きが、ようやく平成の最後にその第一歩を記したという意味においても画期的なものなのだ。(了)

*参考図書:『アイヌ民族の軌跡』(浪川健治、山川出版社)、『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田晃、マーク・ウィンチェスター 編、河出書房新社)
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190429-00124238/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c17

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
8. 中川隆[-10704] koaQ7Jey 2019年10月19日 21:07:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2152]

レクチャーコンサート
ベートーヴェンと《不滅の恋人》
−講演−


演奏曲目:
ピアノ・トリオ断章 変ロ長調 WoO39
ピアノ・トリオ《大公》
歌曲《アデライーデ》 Opus 46
歌曲《恋人に寄す》 WoO 140
連作歌曲集《遙かなる恋人に寄す》 Opus 98
スコットランド・アイルランド民謡(ピアノ・トリオの伴奏付き)


みなさん、本日はようこそおいで下さいました。本日のコンサートは3部に分かれております。第1部は「お話」で、30〜40分ぐらいお耳を拝借したいと思います。それから、第2部が演奏の前半、第3部が演奏の後半、という構成になっております。


 「不滅の恋人」という本題にはいる前に、先ず、ベートーヴェンとはどういう人間か、また彼の音楽はどのような音楽か、ということについてお話をしたいと思います。モーツァルトとベートーヴェンは、年齢で言えば、たった14歳しか違わないのに、彼らの音楽作品からは、14年どころではない、もっと大きな違いを感じます。それは、彼らの個性の違いと彼らの生きた時代の違いが、相互に作用し合っているからです。多分、みなさんは、モーツァルトやベートーヴェンの肖像画をご覧になったことがあるでしょうから、ちょっとそれを思い出してみて下さい。何処が一番違うと思いますか? 

もちろん、2人は全く別の人間ですから顔が違うのは当たり前ですけれど、それ以外でまず気が付くことは、着ている洋服の色の違いです。モーツァルトは、ブルーがかったグレー、あるいは黄色、あるいは赤、あるいはワインレッドの洋服を着ていますが、ベートーヴェンの着ている服は、ほとんどが黒っぽい色です。これは、彼らが着ていた洋服の実際の色の違い以上に、肖像画を描いた画家の美意識あるいは美的価値観の違い、また、彼らの生きた時代の趣味の違いを端的に表していると思います。モーツァルトがカラフルで飾りの付いた洋服を着ているのは、彼の活躍したのが、女性のリードする宮廷や貴族のサロンであるからです。モーツァルトはフランス革命の真っ最中に若くして死んでしまいますが、ベートーヴェンが活躍した時代――つまりフランス革命の直後からナポレオン時代にかけて、ヨーロッパ全土は、市民社会――すなわち、男がリーダーシップを握る新しい社会へと急速に傾斜して行きます。

 ベートーヴェンは、音楽史上まれに見る「男性的」なフィギュアで、フランス革命の理念――すなわち、「自由・平等・博愛」を信奉し、それを何とか音楽で表現しようとしました。特に彼が音楽で実現したのは「博愛」の理念です。「博愛」というのはどういうことかと言うと、「人々が兄弟のような繋がりを持つ」ということで、自分の喜びや悲しみを他人の喜びや悲しみとし、他人の苦しみを自分の苦しみとして感じる、ということです。ですから、ベートーヴェンの音楽は、まず彼自身の主観から出発しますが、それが次第に普遍的なものに押し広げられて行く、平たく言えば、時間が進むに連れて、共感や感動の度合いが高まっていくことを最大の特徴としています。

 特に「中期」と呼ばれる、1800年代のベートーヴェンの音楽は、そうした「感情の普遍化」がヒロイックな――つまり、英雄主義的な形式で表現されている。この時代の代表作――すなわち、交響曲の「英雄」とか「運命」、ピアノ・ソナタの「熱情」などはこうした特徴を持っています。彼の「男性的な性格」というのは、たとえば、一昔前の映画のヒーローを思い浮かべていただくとわかりやすいと思います。特に、ゲイリー・クーパーやジョン・ウェインが西部劇で演じた役柄です。彼らの演じた人間像に共通するのは、まず強い、しかし単に肉体的に強いだけではなく、彼らは自分の信ずるもののために命を賭けます。彼らは口下手で「お喋り」は苦手なので、言葉で自分自身を表現することは出来ない。だから、愛する人にも誤解されてしまう。しかし、彼らは「行動」の人だから、そうした誤解を解くのも、行動によってしか出来ない。彼らはとても優しくて寛容な心の持ち主ですが、それをストレートに表現できない。何故なら、彼らはそうした部分では、極端に「照れ屋」だからです。

これは「男社会」の作り出した典型的なヒーローのイメージです。だから、最近の映画でケヴィン・コスナーやトム・ハンクスの演じるヒーローとはだいぶイメージが違う。これが、またベートーヴェンの性格に「ドンピシャッ!」という位、うまくはまっている。こういう人物の創り出したヒロイックな音楽が、1800年代のウィーンで大いにうけて、彼は正に時代の寵児になります。


 ベートーヴェンは大変なロマンティストで、若い頃にはいつも恋をしていた、といいます。「憧れ」の対象になる女性を見つけては、情熱を燃やし、それを自分の創作活動のエネルギー源にしているのです。そうしたベートーヴェンの数少ない「本物の恋」の相手になったのは、ハンガリーの貴族ブルンスウィック家の令嬢で、ヨゼフィーネ・ダイム伯爵未亡人でした。この人との恋愛関係は、1804年から1807年まで続いていますが、恐らく身分の違いが原因で、この恋愛はつぶれてしまいます。ヨゼフィーネ・ダイムは、平民のベートーヴェンに対して、貴族の誇りを捨てることが出来なかったのでしょう。

 ベートーヴェンは1827年に56歳で死にますが、彼の葬式の数日後、遺品を整理していた友人たちは、彼の秘密の小箱を発見します。その中に大事にしまわれていたのは、彼の全財産とも言える有価証券と、2人の女性のミニチュアの肖像画と、そして3通の手紙でした。その手紙を読んだ友人たちは仰天します。何故なら、その手紙は明らかに続けて書かれた、紛れもない熱烈なラヴレターで、その中で彼は相手を「私の天使、私の全て、私の最も愛しい人、わが不滅の恋人」と呼んでいたからです。この手紙をよく読んでみると、まず、相手は貴族で、しかも既婚の家庭をもった女性であることがわかります。何故なら、ベートーヴェンはこの熱烈な手紙の中で、相手の宛名を書かず、イニシャルさえも書いていない、自分についてもフル・ネームでサインしていない、これがスキャンダルをおそれたための配慮であることは明らかで、何故なら、ヨゼフィーネ・ダイム伯爵夫人に宛てた手紙では、彼女が未亡人であったためにこのような配慮はされていないからです。



 次に起こる当然の疑問は、「この手紙は果たして投函されたのだろうか、もし、そうなら何故彼の手元にあったのか」ということです。しかし3通目を読むとその疑問もほとんど解けます。火曜日の朝に書かれたこの手紙を書いている時、途中までは、ベートーヴェンは手紙は木曜にならなければ郵便馬車が出ない、と信じ込んでいるのですが、突然「私の天使よ、いま私は郵便馬車が毎日出ていると知りました」という文章が現れ、とたんに文字が大きくなり、書き方が殴り書きになって、「愛している、愛している」と連呼し、「愛してくれ、愛してくれ」を連呼して、完全に平静さを失って、郵便馬車に手紙を預けに飛び出したに違いない様子が彷彿とする、「手紙は出さない方がよいかも知れない」などと考え直す心の余裕はみじんも感じられない・・・だとすると、これらの手紙は投函した後に返してもらった、多分発覚してスキャンダルになることをおそれたためでしょう、それをベートーヴェンは死ぬまで、自分の一番大事なものを入れる小さな筺にしまっておいた、その理由はたった1つ、彼が死ぬまで彼女のことを愛していたからです。

 しかも、この手紙からわかることは、相手の女性はダイム伯爵夫人のように、貴族の誇りを捨てられない、などということは全然ない。寧ろ、彼女はベートーヴェンに、私は駆け落ちも辞さない、というようなことを言ったに違いない。だから、ベートーヴェンは一生懸命「早まったことはしてくれるな」と、彼女に軽挙妄動を慎むよう説得に努めています。

 こうなると、この女性は誰か、この手紙はいつ書かれたか、この恋の顛末はどうなったのか、を知ることは、ベートーヴェンの人生を知り、それによって彼の音楽を理解するためにはどうしても不可欠、ということになって来ます。ところが、この謎は150年あまり、誰にも解けなかったのです。それを解き明かしたのは、アメリカの音楽学者メイナード・ソロモンでした。彼は、1972年に自説を発表し、77年に著書の中でそれをさらに詳しく論じ、根拠を明らかにしました。その著書が日本語に翻訳されたのは、1992年のことです。


■本日の演奏曲目と「不滅の恋人」との関係

ピアノ・トリオ断章 変ロ長調 WoO39

 この作品は、1812年7月26日、不滅の恋人への手紙が書かれるちょうど10日前に、彼女の娘で当時10歳になるマクシミリアーネ・ブレンターノに捧げられました。「ピアノの上達を願って」という献辞が付けられ、ピアノ・パートには懇切丁寧に指使いが細かく書き込まれています。重要なのは、そうした心遣いと共に、彼がふだんあまり見せたことのないストレートな優しさが、この曲を支配していることです。彼が子供――それも愛人の娘に注ぐ愛情の深さ、というだけではなく、終生独身を通した彼の「家庭」に対する憧れなども入り交じっているのではないでしょうか。

ピアノ・トリオ《大公》

 この作品は、時期的には中期の終わりに属していますが、内容的には明らかに「後期」の特徴を備えています。ベートーヴェンの後期の様式に於いて顕著なのは、「英雄主義的様式」の融解――平たく言えば、中期を特徴づけていたヒロイズムが影を潜めて、もっと穏やかな中に大きな広がりを持ってくる、ということが言えると思います。作品に「諦観」が現れるようになる。「諦観」と言っても、日常的な意味での「あきらめ」というようなネガティヴなものではなく、寧ろ「解脱」の境地といった方がよいかも知れません。

 この作品は、不滅の恋人との恋愛が、順調に軌道に乗ったと思われる1811年の春に作曲されました。「恋愛」がうまくいっているのに、何故音楽に「諦観」が現れるのか、不思議に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、それは、これまでもベートーヴェンは人生の諸々の辛酸をなめ尽くして来た――その最大のものが「耳の病気」であったわけですが、様々な人生経験を経たこの大作曲家が、恋愛によって内的に充実し、そのエネルギーによって、創作活動の中でも新たな地平を切り開いた、ということが出来ると思います。特にこのトリオの第3楽章は、穏やかな広がりを持った、まことに美しい緩徐楽章ですが、その美しさの奥に、何か計り知れない「悲しみ」のようなものを感じてしまいます。

 音楽における諦観の表現という点では、連作歌曲集《遙かなる恋人に寄す》では、こうした後期のベートーヴェンの作風が典型的な形で現れてきます。その話は、また後半の始まるときに致しましょう。




■後半の歌曲の説明:

アデライーデ Opus 46

 ベートーヴェンの最も初期の作品の1つ。若々しい情熱がほとばしり出ているような作品で、ベートーヴェンの歌曲の中では最も人気の高いものです。ベートーヴェンのラヴ・ソングの原型と言ってもよいでしょう。

恋人に寄す WoO 140

 これは、1811年の秋に、恐らく、不滅の恋人アントニエ・ブレンターノのために作曲された短い歌曲です。この歌曲の第1項は、ピアノまたはギターの伴奏によるものですが、このような伴奏楽器の指定は、ベートーヴェンの他の歌曲には例のないものです。そして、アントニエ・ブレンターノはギターが上手でした。また、この歌曲のベートーヴェンの自筆譜には、アントニエ・ブレンターノの筆跡による書き込みがあります。この歌曲は短いけれど、ベートーヴェンの優しさがよく現れたもので、そういう点では、前半で演奏したピアノ・トリオの断章と共通しています。

連作歌曲集《遙かなる恋人に寄す》 Opus 98

 この歌曲集は、6つの歌曲を中断なしにつないだもので、1816年春、不滅の恋人と別れてからほぼ3年半後に作曲されました。この時期になると、ベートーヴェンは、もう不滅の恋人と現世で結ばれると言う希望は、ほとんど持っていなかったと、思われます。作詞は、若い医学生アロイス・ヤイテレスという人物ですが、この詩人は、恐らくベートーヴェンの依頼でこの詩を書いたのでしょう。彼は、ベートーヴェンの本音とも思われる内容を若々しい言葉で語っています。

「ぼくたちの幸せも、苦悩も、山と谷が引き離していて、燃え立って貴女に注がれるこの眼差しを、貴女は見ることが出来ない」

という歌詞は、いかにも悲痛な想いを表しているのに、音楽は驚くほど穏やかで聴き手の共感を求めていません。

「何一つ貴女に届かず、何一つこの愛を伝えてくれないなら、ぼくは歌を歌おう」

――自分には音楽しかないんだ、というベートーヴェン自身の悲鳴とも決意とも取れる言葉で――「

お前にとっては、お前自身の中と、お前の芸術の中と以外には幸福はない」

という、1812年の彼の手記を思い出させますが――これも前と同じ穏やかなメロディで素っ気ないほど、淡々と語られてしまう。こんなに、レトリックが簡単に放棄されてしまっていると、かえって聴く側の心が動揺してしまう。作曲者が無作為であればあるほど、音楽が聴き手の心に染みわたってくる、とも言えるでしょう。第5曲の最後で、

「ぼくたちの恋にだけは春は訪れず、涙だけがぼくに送られる全てなのだ」

という言葉がゆっくり悲しく語られると、その沈潜の淵から、穏やかで澄み渡ったメロディが流れ出して、

「さあ、これらの歌を、恋人よ、貴女のために歌った歌を受け取って下さい」

という言葉が続くところ、この作品の最も感動的な瞬間だといえましょう。

 ベートーヴェンがアントニエ・ブレンターノに対して、正式に作品を献呈したのは、1823年、彼のピアノ音楽の最後の大作《ディアベッリ変奏曲》でした。このとき、2人が離ればなれになってから、実に11年の歳月が経過していました。

ピアノ・トリオの伴奏の付いたスコットランド・アイルランド民謡

 ベートーヴェンとアントニエ・ブレンターノは、もし駆け落ちするとしたら、何処で暮らそうと思っていたのでしょうか。その有力な候補地の1つは、多分ロンドンだったと思われます。ロンドンのフィルハーモニー協会は、ベートーヴェンの招聘に非常に熱心でした。

ロンドンで活躍していたベートーヴェンの弟子のフェルディナント・リースは、手紙で何度も、ベートーヴェンとフィルハーモニー協会の仲介をしています。しかし、結局ベートーヴェンの渡英は実現しませんでした。

 ベートーヴェンは、アントニエ・ブレンターノと知り合った頃から、スコットランドのエディンバラの楽譜商ジョージ・トムソンから依頼されて、スコットランドやアイルランド、ウェールズなどの民謡を編曲し、ピアノとヴァイオリン、チェロの伴奏を付けて出版する、という仕事をし始めていました。この民謡編曲の仕事は、ベートーヴェンの後期の作品にも影響を与えました。特に顕著なのは、「遙かなる恋人に寄す」に与えた影響です。

 本日演奏する5曲は、最初の4つがスコットランド民謡、最後の1曲がアイルランド民謡です。内容的には、最初と最後の曲が、乾杯と祭りの賑やかな歌です。

2曲目は、ちょうど、2年前に公開された映画『ブレーブハート』を思わせる内容を持っています。霧の中から亡霊のように、過去の血なまぐさい光景が出現する――インヴァネスの美しい乙女の父親は、叛乱に加わって領主に殺されてしまった――3人の兄も死んだ――谷は虐殺の血で真っ赤に染まった――やがて、そこにはまた草が生い茂り、谷は再び緑に覆われた――というものです。

3曲目は、軽い恋の歌、4曲目は農民の娘と若者の情愛あふれる愛の歌で、収穫が終わって出稼ぎに行かなければならないジョニーに、娘が「忠実なジョニー、あなたはいつ帰ってくるの?」と訊ねると、ジョニーが「とうもろこしの取り入れの終わる頃、冬の風が冷たく吹いて、ハロウィーンがみんなを驚かせる頃、君とまたここで会おう」と答えます。

http://www.cembalo.com/instruments/instruments_music02.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c8

[近代史3] 今、大人気の小泉進次郎は場の親密性を優先し、揉め事を嫌い、誰の意見に対してもにこやかに応接する非常にできた人物 中川隆
18. 中川隆[-10703] koaQ7Jey 2019年10月19日 21:21:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2153]

小泉環境相に水俣病被害者が落胆 具体策なく「歯切れだけ」
共同通信社 2019/10/19

水俣病の被害者団体との懇談会で、要望書を受け取る小泉環境相(中央右)=19日午後、熊本県水俣市© KYODONEWS


 小泉進次郎環境相は19日、水俣病犠牲者の慰霊式に出席した後、被害者団体と懇談した。「環境省は水俣病をきっかけに立ち上がった組織。心を砕いていく」と述べたが、具体的な施策に言及はなく、被害者側から「歯切れが良いだけ。何も言っていない」と落胆の声が相次いだ。

 懇談では、高齢化する被害者への福祉サービスの充実や、不知火海沿岸の住民の健康調査を求める意見が続出した。被害者の会の中山裕二事務局長(65)は「調査を求め続けたこの10年間に多くの人が亡くなった。環境省は被害者が死ぬのを待っているのか」と怒りをぶつけた。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/627.html#c18

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
9. 中川隆[-10702] koaQ7Jey 2019年10月19日 22:13:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2154]

ベートーヴェンは本当は年増オバサンのブレンターノ夫人より絶世の美女のヨゼフィーヌの方が好きだったんですね:


2010/09/17  No.1
        ベートーヴェン「不滅の恋人」の話


以前も何度かベートーヴェンの不滅の恋人の話には触れたが、最近「秘密諜報員ベートーヴェン」(古山和男著)という本が出たので読んでみた。なかなか面白かったし当時の政治状況が詳しくわかりその点では大変勉強になった。

ただ「不滅の恋人」への手紙が恋文ではないとする著者の意見は、最初はふむふむと読んでいたが途中からかなりの憶測とこじつけで説得力に欠けた。「不滅の恋人」への手紙だけでなく、有名なヨゼフィーヌとの恋文までなんの根拠もなく否定してるのには驚いた。この有名な13通の手紙は手にとるように二人の情感が伝わってくるものだがそれすら否定してしまうのは著者の固まった恋愛観によるものだと思う。

 恋におちた男女はどんなセリフだって言葉にするしどんな行動でもとってしまうものだ。周りの人間には全く予想がつかないから恋の病という。

またベートーヴェンが大好きだったという郵便馬車のホルンの響き(交響曲8番の中でも思い出として使われてる)を著者がベートーヴェンにとって「皮肉で不快な角笛」としてるのもおかしい。

「不滅の恋人」への手紙はベートーヴェンの死後に秘密の引き出しから発見されたもので、相手の女性から返されたその手紙の宛名は「不滅の恋人」とされ誰だかは謎とされている。

もしそれが諜報の暗号の手紙なら、相手がわざわざ保管してベートーヴェンあるいは弟子に返すだろうか?

 恋人同士がお互いにかわした恋文を時がたって相手に返すというのは当時ではよくあったことでブラームスとクララ・シューマンの話も有名だ。

 とはいえベートーヴェンが当時の政治に対してかなり積極的な活動や発言をしてたのは事実だし(お手伝いさんをひんぱんに解雇したのはスパイだと感じたからだといわれる)、最初に書いた通り当時の政治状況がすごくわかりやすく勉強になるし面白いので一読の価値はある。


「不滅の恋人」についてはアントーニア・ブレンターノが恋人とする青木やよひ女史の説が世界的にも有名で、また青木女史による「不滅の恋人」と関連して解析されたベートーヴェンの後期のピアノソナタの解説は説得力があって勉強になる。


ただ僕は以前も書いたが、ベートーヴェンの作品を勉強しながらヨゼフィーネ説を信じたくなるときもある。

結局僕にとっては音楽そのものが大切で本当の不滅の恋人はどちらでもいいのかもしれない。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201009.htm#fromsachio20100917-humetsuno

2015/5/22
   「ベートーヴェン〜不滅の恋人〜と楽譜の裏側」の話


よく楽譜の裏側という言葉が使われる。音楽家の中には作品の背景は研究家に任せて我々は目の前にある楽譜をしっかり勉強して演奏するのが仕事と思ってる人が結構多い。僕もデビューしたての頃はその一人だったし、ベートーヴェンの不滅の恋人なんて全然興味がなかった。

ただデビューして数年していくつかの事件が重なった。吉松隆さんのサックス協奏曲サイバーバードでサックスの須川展也さんと共演した時にリハーサルで須川さんと喧嘩したのだけど、須川さんはこの協奏曲を吉松さんがどんな想いで作曲していたか深く理解していて(吉松さんはすごく仲が良かった妹さんが病気で亡くなる悲しみの中で作曲していた)僕は目の前に見えてる音符だけで偉そうに意見していた。須川さんから吉松さんの話を聞かされ曲の聴こえ方が全くかわり僕は大いに反省した。

また同時期に当時僕は英国のBBCフィルの副指揮者をしていて毎月何曲も新作を放送用に録音したりコンサートで指揮していたので多くの作曲家と仕事をしていたが中でもシェフィールド音楽祭で1時間を越える大作のオラトリオを初演する事になった時の話。僕は曲の良さが全く分からず途方に暮れた。ところが作曲者からいろいろな話を聞かされ全く聴こえ方がかわり曲の良さを理解出来るようになったのだ。

以来僕はなるべく曲の背景や作曲家の想いを調べるようにしている。

実際は楽譜の裏側の背景なんて関係ない作品の方が多いかもしれない。例えばブラームスやラヴェルの殆どの作品は作曲当時の個人的感情は無関係だけど、それでもブラームスの交響曲1番(恋人だったシューマン未亡人に誕生日プレゼントに贈った旋律が出てくる)やドイツレクイエム、それにラヴェルのラヴァルスは当時の感情が深く作品に影響を与えている。

反対にシベリウスは全ての交響曲が作曲当時の感情が深く影響していてそれを知らないと作品を深く理解するのは難しいし、ヨハンシュトラウス二世のワルツの多くもその裏側に深い想いが込められてる。ベートーヴェンは自ら「自分の感情を音楽で表現する」と公言した作曲家で、勿論それが全てではないけれど特に後期の作品では不滅の恋人の存在が作品に大きく影響を与えている。

不滅の恋人の話は以前にしているので詳しくは書かないけど簡単に説明する。

ベートーヴェンの死後秘密の引き出しから、ベートーヴェン自身が書いた熱烈なラブレターが発見された。たった2日間の間に3通書かれた手紙に相手の名前はなく手紙に不滅の恋人へと書かれていた。

この不滅の恋人は今ではアントーニア・ブレンターノに間違いないとされていて、アントーニアは既婚していたので秘密が固く守られていた。また当時、お互いに出した手紙を何かのタイミングで相手に返す習慣があって、アントーニアもベートーヴェンと別れた後に手紙を返してベートーヴェンはそれを大切に保管していた。(ブラームスとシューマン未亡人もお互いの手紙を返してブラームスはそれをすべてライン川に放ったのは有名な話)。

ベートーヴェンとアントーニアが出会い恋に落ちたのは1811年で、この時にあの狂喜乱舞する交響曲7番が生まれている。

この有名な不滅の恋人への手紙が書かれたのは1812年の7月6日〜7日で、その内容はアントーニアがベートーヴェンに妊娠を伝えているといわれ(ベートーヴェンが返事した手紙しか残っていない)、それがベートーヴェンの子供なのか夫の子供なのか二つの説がある。

僕は世界的権威の青木やよひ女史の説が一番納得がいく。

この手紙の直後にベートーヴェンはアントーニアとボヘミアで幸せな時間を過ごすが、この手紙ではアントーニアが夫との子供の妊娠を伝え悲しむアントーニアをベートーヴェンがなだめ2人の愛が変わらない事を伝えていると考えられる。また当時ベートーヴェンはアントーニアとその子供達も連れてロンドン移住を真剣に考えていた(アントーニアは夫と別居していて夫婦間は冷めていた)。
この手紙の直後にベートーヴェンはアントーニアの家族と一夏を共にし人生で最も幸福な時間を過ごす。

その後ベートーヴェンはアントーニア達と行動を別にして弟のいるリンツを訪れるが、このリンツ滞在中に突然幸せ絶頂だったベートーヴェンとアントーニアの関係は崩壊してベートーヴェンは絶望のどん底に突き落とされる。当時の日記の幸福から絶望への豹変は生々しい。

実はベートーヴェンが以前愛していたヨゼフィーヌがベートーヴェンの子供を妊娠していた。かつての恋人ヨゼフィーヌがベートーヴェンに悩みを相談しに会いに来たときにできた子供とされ(あらゆる研究からこれは間違い無いとされている)、おそらくベートーヴェンとアントーニアが別れた原因はベートーヴェンがアントーニアにこのヨゼフィーヌが妊娠した事実を報告したからと言われている。

ベートーヴェンの予想に反して、アントーニアはこのヨゼフィーヌの妊娠を理由に2人は別れる運命と決心して、離婚するつもりでいた夫とよりを戻し一緒に暮らすようになる。

1812年の夏はベートーヴェンにとって人生で最も幸せな夏でこの時の想い出が交響曲8番に込められているのは以前も書いた。

喜び溢れる1楽章、まるで恋人と散歩したり馬車で楽しい時間を過ごしているような2楽章、3楽章はボヘミアの優しい風が吹いているようで、トリオでは2人にとって想い出の郵便馬車のポストホルンを想いださせる旋律が出てくる。4楽章はかつてベートーヴェンが夜中に周囲の反対を押し切って恋人のために大雨の後ぬかるみの中急いで馬車を飛ばした風景を連想させられるが、この楽章を作曲しているときにアントーニアとの別れが訪れ、音楽は後半は苛立ち最後はヤケクソのように僕には感じる。

3楽章の郵便馬車のポストホルンから生まれた旋律は以前も書いたが2人にとって想い出のメロディでベートーヴェンは後に歌曲「遥かなる恋人へ」やアントーニアに献呈したディアベッリのワルツ主題による変奏曲でもこの旋律を忍ばせている。不滅の恋人への想いやいかに!だ。

ベートーヴェンはこの交響曲だけは誰にも献呈せず、また驚くべきは全く初演しようとしなかった。また晩年に自分自身一番好きな交響曲はこの8番だと言った記録が残ってる。

この1812年夏に絶望のどん底に落とされ、それに加えてベートーヴェンはパトロンを失ったり体調を崩したり甥っ子カールの問題などで大スランプになるが7年後にベートーヴェンが苦しみの中で初めて神にすがりミサソレムニスを作曲しながら復活する。この頃にはアントーニア夫妻とは友人関係として復活している。

第9やピアノソナタ他後期の作品の多くに不滅の恋人への忘れられない想いが隠されている。
以前も書いた話だけど、第9の歌詞はシラーの言葉を並べかえてベートーヴェンの言いたい言葉に変貌させている個所があるが、それはアントーニアに書いた手紙の言葉と同じだったりしていて興味深い。

尚、ヨゼフィーヌはベートーヴェンがアントーニアと出会う前に愛した女性で、13通の情熱的な手紙が残されている。ヨゼフィーヌは後に精神の病で天国へ逝ってしまうが(この時ベートーヴェンの第9の3楽章がスケッチされている)ベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉に育てられ成人後は生涯独身で長寿を全うした。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201505.htm

2008/10/28
 ベートーヴェン 交響曲第8番 の話


 以前 「第九」 の話をしたときに ベートーヴェン の 「不滅の恋人」 について書いたけど、 それは 「第九」 にとってあくまでも一つの要因に過ぎない。
 ※以前のお手紙(2008/10/4)はこちら

しかしこの交響曲8番に関しては 「不滅の恋人」 との思い出が詰まった個人的な曲だ。


「不滅の恋人」 とは ベートーヴェン の死後に発見された熱烈なラブレターの中で ベートーヴェン が書いた相手に対する呼び名で、 今だに誰なのかは確定していないが最近の研究ではアントニーア・ブレンターノ夫人 であるというのが通説になってる (不滅の恋人は夫のいる夫人だったため ベートーヴェン の死後も秘密が徹底して守られたのだ)。


1812年の7月にその恋人と秘密でボヘミアに温泉旅行をするがその時の思い出が詰まってるのが "8番"だ。

その旅行の前後で、恋人が妊娠したことを知らされ、その喜びに溢れて書かれたのが1楽章と言われる。

イギリスに留学して ベートーヴェン に隠し子がいたという話を聞いたときは腰を抜かしそうになったが、ベートーヴェン は恋人とイギリスに移住することまで考えていたらしい。


喜びに溢れる生命力いっぱいの1楽章。ベートーヴェン の人生で最も幸せだったときの音楽だ。

続いて2楽章もまるで恋人と散歩してるようにうきうきしてる。
専門的な話になるが同じ8分音符や16分音符の音の長さを短くしたり長くしたりして、効果的にその気分を表現してる。

3楽章のトリオでは2人にとって思い出のメロディをホルンが奏でる。
そのメロディは ベートーヴェン のスケッチ帳には郵便馬車のぎょ者のポストホルンのメロディと但し書きがつけられている。


ベートーヴェン は彼女とボヘミアでおちあう前に毎日手紙でやりとりをしていたが、このポストホルンのメロディを聞くたびに彼女から手紙が来た! とわくわくしてたのかも知れないし(あたり前だけど、当時は電話もなく手紙が唯一の連絡手段だったのだ!)、 そして2人で散歩してるときに何度も耳にしたメロディかもしれない。


4楽章はまるで何か急いでるようだ。
ボヘミアで恋人とおちあうために急いで馬車を走らせてる様子かも知れない。


ベートーヴェンはこの温泉旅行の直後リンツで"8番"を完成させるが、その間に突然2人は破局する。ベートーヴェンは絶望的な言葉を日記に書き残している。


4楽章の後半で、音楽が不安気に進行した後、強烈な和声進行と苛立ちのように音楽が発展し最後は聞き方によってはやけくそのように終わるのは その破局が原因なのかもしれない。


この"8番"はもちろん純粋に音楽的な素晴らしい要素でいっぱいだが
ベートーヴェンの個人的な想いが最も詰まってる交響曲であるのもまた事実だろう。


「第九」 を書き上げた後も、ベートーヴェンは自分が一番好きなのは"8番"と言っていたし
この"8番"だけは誰にも献呈していない。


また交響曲完成後もベートーヴェンは珍しくまったく初演をしようとしなかった。
それはこの 8番 は人に聞かせるために作曲したのではないということだ。



 「不滅の恋人」? アントニーア・ブレンターノ (1780-1869)

ブレンターノ夫妻とベートーヴェン(39歳)が出会ったのは1810年。
夫フランツはフランクフルトの銀行家でベートーヴェンの経済的後援者となった。ベートーヴェンはブレンターノ家を度々訪れ家族と過ごし、 時には病気がちで伏せる事の多かったアントニーアを隣室からピアノを奏で慰めることも。オーストリア伯爵家の一人娘アントニーアが、 イタリア系豪商の家に嫁ぐも家に馴染めず、また夫は仕事に忙しく家を開けがちで心を病んでいたと言われている。
 ベートーヴェンの晩年の傑作と言われる、ピアノソナタ第30番〜32番はアントニーア献呈するために書かれたとも言われ、30番(1820)は娘マキシミリアーネに献呈されている。
 詳しくは、ベートーベン研究家の

青木やよひさん の論文
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/aoki01.pdf

を御参照下さい。  <管理人>
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio200810.htm#fromsachio20081028-Beethoven-symphonyNo8

「1812年」はベートーヴェンにとって天国から地獄へ突き落されたような年だった。前年に不滅の恋人と呼ばれる女性と恋におち狂喜乱舞するような交響曲7番が生まれ、そして1812年は恋人とチェコに温泉旅行をしておそらくそれはベートーヴェンの人生で最も幸せな夏だった。その想い出が込められたのが8番(冒頭の喜び溢れるメロディは恋人の妊娠を告げられた時にスケッチされたという)だ。

ベートーヴェンは恋人とロンドンに移住することまで真剣に考えてたが突然の破局を迎える。幸せいっぱいのはずの8番も最後やけくそのように終わってしまう・・。

またナポレオンがロシアに敗北することでベートーヴェンにも大きな経済的打撃を与えた。なぜなら当時べートーヴェンを支えていたパトロンの多くはナポレオンの政策で潤ったお金持ちだったからだ。ベートーヴェンはこの1812年に最愛の恋人を失いパトロンも失い、そして医者の誤診のせいで肺結核で命まで失うと信じて作曲する気力を失い長いスランプに入る。このときベートヴェン自身の言葉で死に対する恐怖の言葉が多く残されてる。それは有名なハイリゲンシュタットの遺書とは比較にならないほど深刻で苦しみの底にあることがよくわかる。

結局ベートヴェンは生まれて初めて神にすがりミサ・ソレムニスを作曲しながら復活するが、それまで7年もかかってる。そして第9が生まれるのは8番の12年後の1824年になってからだ。ベートーヴェンにとって最も重要といわれる1812年の事件が起きなかったらミサ・ソレムニスも第9も生まれなかったかもしれないし、不滅の恋人と深く関わる後期ピアノソナタも深淵な後期の弦楽四重奏曲も違った曲になってただろ
う・・・・。

1812年はとっても重要な年なのです・・・。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201106.htm#fromsachio20110605-Tschaikowski1812


2008/10/04
   ベートーヴェン 「第九交響曲」 の話・・・その1


 ベートーヴェンの 「第九」 と言えば日本では12月だけど今週の日曜日は山形県天童市の市制50周年で 「第九」 を振る。

昨日新幹線に乗るために上野駅の恐ろしく深くて長いエスカレーターに乗りながら20数年前のことを思い出した。


僕は当時は故渡邉暁雄先生の内弟子で、先生が上野から新幹線で大宮に 「第九」 の合唱団練習行くとき僕はカバン持ちで先生について行った。

発車時間ギリギリで僕は長いエスカレーターをかけ降りて車両を確認しようとすると先生が 「サッチーノ、そんなに慌てなくて大丈夫だよ」 と笑いながら僕に声をかけて下さった先生の笑顔がすごく懐かしい。


暁雄先生は初めて僕に第九のレッスンをしたときに、 「第九はシラーの詩にベートーヴェンが音楽をつけたのだけど、実はこれはシラーの言葉を並べ替えたベートーヴェンの詩なんだよ。」目から鱗だった ・・・ 


実際に勉強してみると、ベートーヴェンはシラーの詩を割愛したり並べ替えをして自分の言いたいことを主張してる。


暁雄先生は最初のレッスンに僕に宿題を残した。 「なんの言葉が一番多く使われてるか調べてごらん?」


「Bruder (兄弟) 」 と言う言葉が多くまた 「Tochter (娘) 」 という言葉が大切に使われていることに気づく。 

当時はそれほど話題になっていなかったが、今では第九はベートーヴェンの 「不滅の恋人」 (ベートーヴェンの死後に発見された熱烈なラブレターからその存在が明らかに。未だに誰なのかは特定されてないが、二人の有力候補がいる) の存在が大きく影響しているといわれてるが、僕も本当にそう思う。


ベートーヴェンは家族愛に恵まれなかったことから第九には 「兄弟よ!」 という言葉を多用することで、彼の家族への憧れを強く感じると同時に、 「不滅の恋人」 を 「娘」 や 「天使」 に置き換えて 「不滅の恋人」 への想いを強く現していると感じる。


第九が作曲されるより11年前、 「不滅の恋人」 との辛い別れをした年とされる1812年のメモの中に 「歓喜、神々の美しい火花、娘の序曲を仕上げること」 というメモが見つかっているが、このメモからもシラーの詩の中の 「娘」 と言う言葉がいかに重要だったかわかる。ちなみにシラーのオリジナルの詩は 「娘」 という言葉はそれほど重要とは言えない。


ベートーヴェンはシラーの言葉を使って 「楽土の娘が魔力でこの世が引き裂いた者を結んでくれる」 と何度も強調するが、 それはシラーのオリジナルの詩が意図するところとは違うのだ。

特に最終楽章の後半で (767小節) 、ソロが 「Freude tochter aus Elysium (歓喜よ、楽土から来た娘よ!) 」 と歌った後にもう一度(777小節) 今度は最初の 「Freude (歓喜) 」 を 「tochter (娘) 」 に置き換えて 「tochter tochter aus Elysium 」 と 「娘」 と言う言葉を2度強調する。 (従来の演奏の多くは、これはスコアの印刷間違いとされて 「娘」 に置き換えないで歌われることが多い)。

いずれにせよ、ここまでくるとシラーの詩はほとんど関係ない。ベートーヴェンがいかにこの 「娘」 という言葉を大切にしていたか分かる。


また最後のクライマックスでも合唱がテンポを落としてこの 「娘よ!」 という言葉を叫ぶ (915小節) 。 


実際この 「不滅の恋人」 が誰だったのかは我々にとってあまり重要ではないが ・・・
やっぱり気になる。


世界的な権威であるベートーヴェン研究者の 青木やよひ 女史の 「アントーニア」 説が最も説得力があるが ・・・

第九を指揮してると 「ヨゼフィーネ」 説を信じてしまう ・・・

何故ならば、第九を作曲していたときにヨゼフィーネは天国にいて、アントーニアは生きていた ・・・


「天上の楽土から来た娘」 という言葉や、 「天使」 と言う言葉が明らかに 「不滅の恋人」 に重ね合わせられてると僕には感じるので、 どうしても生きていた女性より天国にいる女性を想像してしまう・・・・・


またあの第3楽章の美しい旋律は 「ヨゼフィーネ」 が死んだ1821年にスケッチされたとも言われてる ・・・・・

第3楽章の後半はまるで恋人と夢の中で踊っているようだ ・・・・・

50歳頃(1820)
「第九」を作曲
していた頃。

ちなみにどちらの女性とも不倫関係にあり、 (だからベートーヴェンや周りの人たちが秘密を守り未だに恋人が特定できない) ヨゼフィーネとの間に子供がいたことは確証されている。


いずれにせよベートーヴェンの不滅の恋人に対する想いやいかに!! ・・・だ。これは第九だけに限らず、最後の3大ピアノソナタにも大きく影響している。


とにかく第九を語りはじめたらきりがない ・・・。
4楽章にたどりつくまでの1、2、3楽章が本当に大変。凄い曲だ ・・・。

そうそう、今月末(10/29)には 関西フィル と 8番 を演奏するが、ベートーヴェンが個人的に最も大切にしていたと言われる交響曲で 「不滅の恋人」 との幸せな想い出に満ち溢れてる。8番の話はまたします。


PS 今回はこんな文章を書いたけど 「不滅の恋人」 の話は第九にとって大きな要因の一つに過ぎないし、それが誰だろうとあまり我々には関係ない。第九交響曲は他にもたくさんのあらゆる意味の要素が詰まってるすごい作品で、指揮するのがすごく難しい。また指揮するたびに発見がある。 第九をこんなに演奏するのは日本だけだけど、おかげでこの大傑作を何度も指揮することができる。ありがたいことだと思っている。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio200810.htm#fromsachio20081004-Beethoven-symphonyNo9


2013/9/20
   ベートーヴェンの「第九交響曲」の話…その2


来週はベルリンフィルハーモニーホール50周年記念日独親善演奏会で第九を指揮する。皆さんと共演できるのを今から楽しみにしてます。

以前も書いたけど、第九の4楽章はベートーヴェンがシラーの詞をカットしたり並べかえたり、シラーにとって特別な意味を持たない言葉を強調してベートーヴェンの言いたい事が表現されている。(ミサ・ソレムニスも同じで、教典の言葉を自由に強調、省略して表現してる)。

初演当時のお客さん達は流行したシラーの詞を覚えていて、第九のアレンジされた歌詞に違和感を感じ戸惑ったという。

具体的な話は以前にその1で書いたので詳しくは省くけど、ベートーヴェンはシラーの原詩をカットしてアレンジしたセンテンス「楽土の娘が引き裂かれた人々を魔法で結ぶ」を何度も繰り返し、特に後半ではシラーにとって特別な意味を持たない「娘(Tochter)」という言葉を強調する。

この「娘」と、また他のセンテンスで使われる「天使」という言葉は不滅の恋人と重ねられてるといわれている。

ベートーヴェンが不滅の恋人と呼んだアントーニアに送った手紙で彼女を時に天使と呼び、また彼女と1812年に破局を迎えた後もベートーヴェンは彼女を愛し続け、彼女に「あなたの魂で引き裂かれた人々とまた結びつけてください」といった手紙を送っているからだ。

また以前も書いたが、ベートーヴェンには不滅の恋人と出会う前の恋人でベートーヴェンの子供まで産んだヨゼフィーヌという女性がいた。
ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816〜17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。
この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。

第九にはシラーの詩への共感だけでなくここでは書き切れないほどいろいろな想いがこめられてる。そして何より純音楽的に凄い作品なのは言うまでもない。

ここからは専門的な話になるが、楽譜の版についてベーレンライター版=古楽器のスタイルというイメージがあるとすればそれは出版社やCD会社の戦略で、決してそうではない。

因みに僕は昔からのブライトコプフ版を使ってるが、それは各ページが目に焼き付いてしまってるからで、他の版を参考に細かい修正はしてる。

ただ第九のベーレンライター版はブライトコプフとの相違点が比較的多い中で、いくつかの疑問が残る。

1楽章81小節めのフルートとオーボエのDは再現部と比較してもおかしいし、4楽章の330小節めの合唱の「Gott(神)」の響きを濁さないためのティンパニの大切なディミニュエンドがベーレンライターでは無くなってる。(新ブライトコプフ版は他のパートにまでディミニュエンドがついていてこれも疑問)。


上の写真が僕が使っている旧ブライト版、
Gottの神聖な響きを濁さないようティンパニだけがdim.


写真右がベーレンライターでdim無し、左は新ブライトで管弦楽全パートにdim. どちらも信じられない。スコア自筆譜は間違いが多く再演を経て修正されて出版されるが、再び自筆譜を参考に校訂されたという新たな版には疑問が多い。


またその後に続くテノールの速さが良く問題になるが(ベーレンライターはブライトコプフの二倍速いメトロノーム指定)、ここはメトロノーム表示より、個人的には行進曲風に(つまり2拍子)という指示と歌詞が大切だと思ってる。

ところで第九の初演時の編成は弦楽器は14 14 10 チェロとベースが合わせて12で、管楽器は2倍(倍管)!だった。ちなみに7番と8番の時の編成は更に大きく1818 14 12 7+コントラファゴット2! で倍管!だった。

今では倍管は良しとされないけれど当時のベートーヴェンは倍管が普通で、4番の初演時のパート譜にはどこで倍にするかの書き込みが残ってるという。

実はベートーヴェンは常に大編成を望んでいたし、管楽器パートは倍管で響くことを想定してスコアが書かれたことになる。とても興味深いし、関西フィルと大編成のベートーヴェンをいずれやりたいと思ってる。


という訳でベートーヴェンの話はきりが無いのでそろそろ終わります。

長い文章読んでくださりありがとうございました!

それでは行ってきます!


追記 不滅の恋人は現在ではアントーニア・ブレンターノ(夫とは別居してた)に間違いないとされる。出会いは1810年で翌年に喜びに狂喜乱舞する7番が生まれる。

有名な不滅の恋人への手紙(ベートーヴェンの死後に発見された)は、1812年の夏のチェコ旅行直前に交わされたもので、アントーニアが妊娠を告げた内容とされる(ベートーヴェンの子供か旦那の子供か2つの説がある)。

この手紙の後にチェコ旅行で2人は幸福な時間を過ごし(この時の想い出が8番に込められてる)、ベートーヴェンはアントーニアとその子供とのロンドン移住を真剣に考えていたが、旅行が終わった直後に破局を迎え、アントーニアは夫の元へ帰る。それ以後もベートーヴェンはアントーニアを愛し続け、最後の3つのピアノソナタにも不滅の恋人への想いがこめられている。

アントーニアにしても、ヨゼフィーヌにしても人妻だったことからベートーヴェン死後も周りの人間が秘密を厳守した。ヨゼフィーヌが亡くなった1921年当時のベートーヴェンの会話帳のページは、ヨゼフィーヌの親族の要望で破棄されてしまったらしく破られて無くなっているという。

またベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉によって育てられた後、生涯独身で長寿をまっとうした。

不滅の恋人の話に興味ある方には沢山の研究書がありますが、まずはベートーヴェン研究で世界的権威の青木やよひ女史の本をお薦めします。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201309.htm#fromsachio20130920-Beethoven-symphonyNo9-02


2010/10/26
   ベートーヴェン 「荘厳ミサ曲」 の話 ・・・ その1


 12月に大阪アカデミー合唱団&関西フィルとベートーヴェンのミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)を取り上げる。来月のはじめに初めての合唱のリハーサルをするので楽しみにしている。

 ところで若いころはこの曲の良さが全く分からなかった。スコアを片手にずいぶんといろいろな演奏を聴いたがいまいちピンとこなかった。
 例えば第九なんて何にも知らなくたって感動できる曲だが、このミサ・ソレムニスは作曲された背景を知ることでかなり違うと思うし、この曲の素晴らしさがわかり始めるといかに凄い作品か理解できる。


 1812年はベートーヴェンにとって私生活が絶頂の年であり、また奈落の底に落ちた年でもあった。不滅の恋人との幸せの絶頂であったはずが突然の破局(以前も書いたが、二人の想い出は交響曲8番にこめられてる)を迎える。 恋人と家庭をもって移住をすることすら夢見ていたベートーヴェンは精神的に大打撃をうける。これからベートーヴェンは5年以上の低迷期に入る。

 恋人の破局だけではなく、1812年はナポレオンがロシアに敗れた年で(チャイコフスキーの序曲が有名ですね)、ベートーヴェンを応援していたウィーンに進出してた貴族たち(ナポレオンの政策のおかげで大儲けをしていた)は大打撃をうけてその多くはウィーンを去ってしまう。

 ナポレオンの敗戦後に諸国の重鎮がウィーンに集まってウィーン会議が開かれる。ナポレオンは自由、平等、友愛を掲げたが(ベートーヴェンはナポレオンよりの思想だった)ウィーン会議は時代に逆行するものと知って絶望する。(ウィーンは以前にもまして芸術まで自由が規制され、言論の自由すら許されない密告の社会に逆戻りしてしまった)。

 ベートーヴェンが精神的な大打撃をうけて創作意欲はなくなりインスピレーションもわかなくなると、今度は難聴がひどくなるだけでなく病魔が彼を襲う。肺結核と診断され(これは当時は癌に等しく、弟は1815年に肺結核で亡くなる)、またベートーヴェンの周りの大切な友人やパトロンたちが他界する。ベートーヴェンは死の恐怖に襲われるようになる。(肺結核は後になって誤診とわかるのだが・・)。


 「死病にとりつかれ、これから逃れることができず、日に日に死に近づき・・・・・以下略」

 など死に対する恐怖の言葉を日記やノートに書き留めるようになる・・。


 またかつての恋人でベートーヴェンの子供まで生んだ女性ヨゼフィーヌが事業に失敗して精神の病におかされ始める。ベートーヴェンは1816年から1817年にかけてヨゼフィーヌの相談にいろいろとのっていた。この時期ベートーヴェンは出版社から印税を数年分前借してるがヨゼフィーヌを助けることがその理由の一つだったともいわれてる。それでもヨゼフィーヌの病状は悪くなるばかりで1819年には幻覚の中で生きてるだけで、1821年に41歳の若さで他界する(この時期にあの第九の3楽章の美しいテーマがスケッチされてる)。

(ヨゼフィーヌとベートーヴェンの間に生まれたといわれる子供はヨゼフィーヌの姉が育てていた。今でもヨゼフィーヌが不滅の恋人だったという説も残っている)。

 1812年から復活の年とされる1819年まで、あらゆる精神的打撃をうけたベートーヴェンは最後に神にすがった。
 ベートーヴェンは信仰深くなくキリスト教の熱心な信者でもなかったが、それでも神に救いを求めたのだ。

 ベートーヴェンは自分が興味があるのは宗教的な主題だけと公言するようになり、図書館に通って過去の作曲家のあらゆる宗教曲の研究をはじめるようになる。
 ベートーヴェンはミサ・ソレムニスを構想しスケッチをすることで復活を始め、そして1819年から本格的に始めたミサ・ソレムニスの作曲過程をとおしてベートーヴェン自身がついに生き返るのだ(並行してピアノソナタの作曲をはじめ、こちらが先に完成する)。

 ミサ・ソレムニスは一般の宗教曲とは違う。 ベートーヴェンが一番言いたかった言葉がキリスト教の理念に関係なく強調される。(これは以前も解説したが第九も同じ。シラーの言葉を並べ替えベートーヴェンが強調した言葉はシラーの詩の本来の持つ意味とは違っている)。


 例えば3曲めの「クレド」(全体の中心をなす)では最後の「来世の生命を待ち望む」という詩があらゆる手法で強調されるが、これはベートーヴェンの来世で生まれ変われる(=永遠の命)に対する強い思いがこめられ、本来のクレドの持つ意味と違う。また終曲の「アニュス・デイ」では最後の「われらに平和を与えたまえ」がもっとも強調される。それは人間の内側と外界の平和安らぎを深く求めたもので、途中何度も戦争が暗示されながら平和を願い続けるが、これはもう宗教曲の枠から大きく飛び出してる。最後にあっけなく終わってしまうのは、まだ平和は訪れず何も解決されてないからだ・・・!

 このミサ・ソレムニスの持つ生命力に圧倒され、またその神聖な美しさには思わず息を呑む。神にすがりそして復活するベートーヴェンの姿が楽譜の向こう側に見えてくるようだ。

 このミサ・ソレムニスの素晴らしさがわかってくるとそのスコアに感動するばかりで、後期のピアノソナタや弦楽四重奏と肩を並べるその崇高さに比べ、これは言い過ぎかもしれないが第九が通俗的にすら感じてしまう・・・。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201010.html#fromsachio20101026-missa solemnis-01


2010/12/05 (No.2)
    ベートーヴェン 「荘厳ミサ曲」 の話 ・・・ その2


 12月7日に大阪アカデミー合唱団と「荘厳ミサ曲」を取り上げる。(オーケストラはもちろん関西フィル)。この作品に関しては出来上がるまでの経緯を知っていたほうがはるかに理解し易いので以前に書いたその1も参考にしてほしい。


 以前も説明したが、ベートーヴェンは交響曲の8番を作曲した後、約7年にも及ぶどん底の期間が続く(その理由についてはその1を参照してください)。

 失望のどん底でベートーヴェンは初めて神にすがる。そしてこのミサ・ソレムニスの作曲を通してベートーヴェンは復活する。それはベートーヴェンの表現したい言葉がときに経典の理念とは離れて表現されていて、通常の宗教曲とは大きく違う。


簡単に内容を解説をすると・・・

 第1曲 「キリエ」(あわれみの賛歌)

 発想記号に「敬虔に」という指定がある。また総譜の手稿には「心より出ず、願わくば再び心に至らんことを」という書き込みがあるという。(ベートーヴェンは自分の作品について「感情を表現した」と口にしたというが、この書き込みもその表れだろう)

冒頭すぐに重要なモティーフが出てきたりするが話が専門的になりすぎるので省略する。

途中で3拍子になってテンポが少し上がり「Christe」が強調されるがそれは、神にすがっているようでもある。

 第2曲 「グロリア」(栄光の賛歌)

 冒頭から生命力があふれ、ギラギラしてる。合唱団にも強力なパワーが求められる。まさに「天のいと高き所に神の栄光」だ。

その一方で「世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ」では自分の罪をさらけだし、なんと「miserere nobis(われらをあわれみたまえ)」のmiserere(あわれみ)の前にベートーヴェンは Ah!(楽譜によってはO !) という感嘆詞をつけてAh ! miserere nobis と強調する!これはまさしく当時としては異例で、感情表現の表れだ。

 僕はここで休憩を入れる。「グロリア」と「クレド」を続けて歌うなんてほとんど不可能なほどこの2曲は合唱団には大変。また次の「クレド」はこの作品の中心になるので後半に歌われるのが好ましい。

 第3曲 「クレド」(信仰宣言)

 このミサ・ソレムニスの中心になる曲。ここではまず信仰が宣言された後に合唱のテノールが「精霊により乙女マリアより御身体を受け・・・」とキリストの誕生をリディア旋法でゆっくり静かに歌われるのが聴きどころ。そのあとキリストが十字架にはりつけられ苦しみを受け葬られる場面が、まるでオペラのように強烈にオーケストラとともに表現される。そして最弱音から突然テノールが「聖書にあるように、3日目によみがえり!」と絶唱するところはもう宗教曲の枠を破ってる。

またこの「クレド」で最も特筆すべきところは、次に出てくる「主なる精霊・生命の与え主・・・」から始まるキリスト教にとってとても大切な典礼文が早口であっという間に歌われて通り過ぎ、最後の「来世の生命を待ち望む」があらゆる手法で強調され最後にはGrave というベートーヴェンにしては珍しい壮大なクライマックスを迎えてこのベートーヴェンの「永遠の命」に対する想いが表現される。それはこの「クレド」の本来持つ理念とは大きく離れたベートーヴェン独自の世界だ。

実際この「クレド」ではベートーヴェンはこの「来世の・・・」の部分から作曲がはじめられ、手稿には「光輝かせる。理想化する」という書き込みがあるという。

ベートーヴェンがこのミサ・ソレムニスを作曲しながら死の恐怖から救われたのがよく理解できると思う。(作曲当時ベートーヴェンは結核と誤診されていて死の恐怖に襲われていた。彼の当時書き残したメモからは有名なハイリゲンシュタットの遺書よりも遥かに深刻で、いかに生きる力を失っていたかがわかる)。

 第4曲 「サンクトゥス」(感謝の賛歌)

 多くの作曲家はこの「サンクトゥス」を華やかで力強い音楽にするがベートーヴェンは正反対だ。神への感謝の言葉がゆったりと静かに美しく歌われる。それは単なる宗教曲ではなく生身の人間が心から神に感謝しているような音楽。途中美しい間奏曲を挟んで(ここでは低弦の和音にのって2声に分かれたヴィオラとフルートが活躍するのもすごく斬新)ヴァイオリンのソロが現れる。この美しいいヴァイオリンのソロも神への感謝と祝福だ。

 第5曲 「アニュス デイ」(神の子羊、平和への賛歌)

 ここでは「世の罪を除きたもう主よ、われらにあわれみを与えたまえ」がバスの独唱と合唱で悲劇的に歌われたあと(ここもすごくオペラ的)、静かに美しく転調されて「われらに平和を与えたまえ」と優しく歌われはじめる・・。

途中その優しい歌は、戦争を暗示する太鼓やラッパに邪魔され、オーケストラは世の中の不安を強調するが(ここはもう歌劇そのものです)、「われらに平和を与えたまえ」が歌われ続け、曲は終わる。この最後はあまりにあっけなくて聴き手を困惑させるが、当時本当に世の中は戦争の暗い影で不安だった。またベートーヴェンは自分の子供まで生んだかつての恋人は精神病で天国へ行ってしまうとわかっていた上にベートーヴェン自身も死の恐怖にさらされていた。

当時のベートーヴェンは社会の平和と心の平安をただ願うことしかなかったのだ。

そしてまだ何も解決してなかったのだ(だから第9が生まれたのです)。


 というわけで、このミサ・ソレムニスはおそらく合唱団にとって最も歌うのが大変な作品でもありベートーヴェンの至高の傑作です。

 
 そしてこのミサ・ソレムニスを理解すると第9の聴こえ方も違ってきます(以前通俗的に第9が思えるなんて書いちゃったけどとんでもない僕の誤り!第9の素晴らしさがより鮮明に感じられるようになった)。
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio201012.htm#fromsachio20101205-missa solemnis-02
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c9

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
10. 中川隆[-10701] koaQ7Jey 2019年10月19日 22:45:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2155]

1806年に書かれた優しさや美しさに満ちた交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、そしてこのピアノ協奏曲や『ラズモフスキー』にはヨゼフィーヌとの恋愛事情が関係している。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第4番 ト長調

Beethoven Piano Concert NO.4 G Majar - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=A6leBAPOyuc

ハンス・シュミット=イッセルシュテット 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年録音


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Beethoven - Piano Concerto No. 4 in G major Op. 58 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=iVaqfFxJG1c

Hans Knappertsbusch at the Wiener Festwochen, 1962
Wilhelm Backhaus, piano, Wiener Philharmoniker conducted by Hans Knappertsbusch

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A ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム(指揮)
RIAS(ベルリン放送)交響楽団
1950年10月9日、ベルリン
audite(キング・インターナショナル) audite 95.610

beethoven Piano Concerto No. 4, Backhaus & Böhm (1950) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=90hFHdPQySU

C ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1965年、ザルツブルク(?)
MADRIGAL MADR-202

Wilhelm Backhaus plays Beethoven, Piano Concerto No.4 -
Karl Böhm, Wiener Symphoniker (1967) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WP3OfvqpgCw

1806年は「傑作の森」の中にあっても、特に粒揃いの作品が生み出された年とされる。交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、歌劇『レオノーレ』(第二版、序曲は『レオノーレ3番』)、弦楽四重奏曲7〜9番『ラズモフスキー1〜3番』等正に錚々たる顔触れといったところだが、このピアノ協奏曲4番も決して忘れる事の出来ない傑作である。

ベートーヴェンというと、交響曲『英雄』や第五の様に、重厚さや激烈さを秘めた作品をイメージする者が少なくない。しかし、彼が尊敬するモーツァルトとはまた別の優しさや美しさに満ちた作品を数多く遺している事も確かである。

1806年に書かれた交響曲4番、ヴァイオリン協奏曲、そしてこのピアノ協奏曲や『ラズモフスキー』等にはそうしたベートーヴェンのもう一つの面が顕著である。これには楽聖の恋愛事情も関係あると見なされる。

ベートーヴェンは旧知の貴族、ブルンスビック家の娘で、未亡人となっていたヨゼフィーヌに当時入れ込んでいたという。嘗てはこの年にベートーヴェンはヨゼフィーヌの姉、テレーゼと婚約した事から作品にその影響が反映されていると言われていたが、今では楽聖がこの時期ヨゼフィーヌに思いを寄せていた事が判明し、婚約説は否定されている。

相手がテレーゼだったにせよ、ヨゼフィーヌだったにせよ、ベートーヴェンが女性美に通じる優しさや美しさを持つ作品を書いた事だけは確かな事である。勿論、ベートーヴェンはベートーヴェンだ。単に優美なだけの作品は書いていない。主題の提示方法、展開手法、表現手法何れも彼ならではの独創性を盛り込んでいる。正に創造力が爆発している。だからこそ、この時期の作品群が「傑作の森」と称されるのである。

ベートーヴェンが他のジャンルに先駆けてピアノ音楽において新たな側面を切り拓いていった事は既に書いた。実際、ソナタにおいては前年の1805年に23番『熱情』が書かれている。このソナタではダイナミックスの表現手法や主題の呈示方法以外にも展開面で注目すべき点が多々ある。2楽章と3楽章を切れ目なく演奏するスタイルもその一つであろう。そして、このアイディアはピアノ協奏曲4番にも生かされているし、『皇帝』やヴァイオリン協奏曲、そして第五や『田園』といった交響曲にも用いられている。

勿論、ピアノ協奏曲4番の魅力はそれだけではない。主題をピアノが軽やかに始め、弦がこれに呼応。この出だしもハイドンやモーツァルトが確立した序奏付きの協奏曲の様式から抜け出すものだし、従来の協奏曲に比べ、よりピアノと管弦楽のハーモニーの融合が図られている。

この発想をより壮麗な表現にしたものが『皇帝』であると見なす事も出来る。美しい緩徐楽章が置かれる事の多かった2楽章の扱いも特徴的だ。ベートーヴェンはこの楽章に1楽章と3楽章を連結する為の間奏曲的役割を持たせた。それ故、例えばモーツァルトの協奏曲の様に、聴き手を魅了する美しさとは別種の、一見渋い、それでいて印象的な音楽になっている。

1楽章や3楽章が軽快さや優美さだけではないベートーヴェンならではの逞しい生命力を感じさせる部分を有している事は言う間でもない。全体的な様式の均衡美も確り踏まえており、正に『皇帝』と共にピアノ協奏曲史上屈指の傑作であり、人気作となっている。

”鍵盤の獅子王”と謳われ、20世紀最大のベートーヴェン弾きと称されるヴィルヘルム・バックハウス。この不世出の巨匠がとりわけ繰り返し演奏し続けた協奏曲はベートーヴェンの4番、ブラームスの2番、そしてモーツァルトの27番であった。

何れも表面的で煌びやかな演奏効果とは縁を切った作品であるという事が出来るが、それが虚飾を嫌い、音楽的本質をひたすら追求せんとする孤高の巨匠の理想に合致しているからだと思われる。事実、バックハウスは演奏効果の大きい『皇帝』は高く評価していない。

この大ピアニストが親友カール・ベームと組んでザルツブルクやウィーンで繰り広げたこれらの協奏曲の演奏は当時の欧州音楽界最高の呼び物であり、伝説と化している。この”黄金コンビ”による4番は21世紀を迎えて漸くDVDが発売され、オールド・ファンに舌鼓を打たせたが、CDでは両巨匠の死後から歳月の経過した外盤によるAとCが存在する。

音質の面においても、巨匠同士の共演がカラー映像で拝めるという点においても、またより演奏が長年の共演で練り上げられているという点においてもDVDが個人的に最高の4番である事は確かだが、Aも流石に”黄金コンビ”というところは見せており、存在意義は充分にある。録音はDVDに比べて劣るとはいえ、録音年代を考えれば充分鑑賞度の高さがあり、バックハウスもベームも揺るぎない確信に満ちた演奏を繰り広げている。互いに虚飾を一切排した真摯な音作りだが、その手応えの充実感は半端ではなく、正に”本物の味”を堪能させてくれる。他にも書いたが、バックハウスとベームはその音楽性に共通点を多々抱えている為、互いに妥協を許さぬ厳しい姿勢を貫きながら、それが自然と一体となっているところが凄い。ライヴならではの情熱の高まりも素晴しい。

バックハウスはクレメンス・クラウスやイッセルシュテットとこの協奏曲の優れたスタジオ録音を遺しているし、DVDではクナッパーツブッシュとの個性的な演奏も遺されている。しかし、これも他にも書いたが、バックハウスとベームが組んだ時、水魚の交わりを思わせる比類なき結合が聴かれる。尚、このA、TAHRA盤とaudite盤が出ており、極端な違いはないが、微妙に音質が良いという事で、ジャケットや商品番号はこちらを掲載しておく。
http://mahdes.cafe.coocan.jp/myckb4b.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c10

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
11. 中川隆[-10700] koaQ7Jey 2019年10月19日 22:54:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2156]

という事で、ベートーヴェンの作品で音楽家に最も愛されている

ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3とピアノ協奏曲第四番

は両方共ヨゼフィーネ・ダイムへの思いを描いたものなのです。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c11

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
12. 中川隆[-10699] koaQ7Jey 2019年10月19日 23:01:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2157]

ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック(Josephine Brunsvik 1779年3月28日 - 1821年3月31日)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生涯でおそらく最も重要と考えられる女性。ベートーヴェンは15通の恋文の中で彼女を「唯一の恋人」と呼び、「永久の献身」と「永遠の忠誠」を伝えている。謎めいた「不滅の恋人書簡」の受取人であった可能性が最も高いのはヨゼフィーネであると考える音楽学者も複数名にのぼる。


生涯

幼少期から初婚まで

ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィックはハンガリー王国(現スロバキア)のポジョニに生まれた。父のアントンは1792年に他界、後には妻のアンナ(旧姓ゼーベルク)と4人の幼い子どもが残された。ヨゼフィーネのきょうだいは長女テレーゼ(1775年-1861年)、長男で唯一相続権のあるフランツ(1777年-1849年)、三女シャルロッテ(1782年-1843年)である。一家はブダペストにほど近いマルトンヴァーシャールに居住しており、コロンパ(スロバキア、ドルナー・クルパー(英語版))にも城を所有していた。

子どもたちは家庭教師の下、各国の言葉や古典文学を学んで育ち、4人全員が音楽の才能を示すようになった。フランツは優れたチェリストとなり、娘は皆ピアノに秀でていたが、中でもヨゼフィーネが優れていた。彼らは1790年代のウィーンで気鋭のピアニストとして頭角を現していたベートーヴェンの音楽を特に賞賛していた。

1799年5月、アンナはテレーゼとヨゼフィーネを連れてウィーンに赴き、娘にピアノのレッスンを授けてくれるようベートーヴェンに頼んだ。ベートーヴェンは後年ヨゼフィーネへの愛情を抑えねばならなかったこと認めており、ヨゼフィーネはベートーヴェンに「熱中」した。

しかしながら、母が同等の社会的地位にある裕福な婿を必要としており、ヨゼフィーネが結婚したのはずっと年長のヨーゼフ・デイム伯爵(1752年生)であった。主に経済面での苦労があったがその後デイム夫妻はほどほどに幸福な関係を築き、ヨゼフィーネのピアノ教師を続けていたベートーヴェンは日頃から2人の元を訪れていた。ヨゼフィーネは3人の子どもを次々と出産、4人目を妊娠中の1804年1月に肺炎を患ったデイム伯爵が急死する。


寡婦時代

ベートーヴェンは未亡人となったヨゼフィーネを頻繁に訪ねるが、それはほどなくシャルロッテが頻繁過ぎると感じるほどであった[5]。また、彼女により一層情熱的な手紙を送るようになった[注 2]。

ヨゼフィーネは丁寧に返信しているが恋愛を秘密にしようという意思が明らかである[注 3]。1805年3月/4月にベートーヴェンは長大な文章をしたため、ヨゼフィーネへの献辞を忍ばせた歌曲『希望に寄せて』作品32の草稿を机の上に置いておいたところパトロンのリヒノフスキー公に見つかってしまったが、心配には及ばないと書き送っている[注 4]。この曲のみならず、極めて抒情的なピアノ作品『アンダンテ・ファヴォリ』WoO 57も音楽による愛の告白、とりわけヨゼフィーネに向けられたものである[6][注 5]。

ブルンスヴィック家は関係を清算するよう強く迫るようになった[7]。貴族階級の子どもたちの保護を失ってしまうという単純な理由により、彼女は平民であるベートーヴェンとの結婚を考えることはできなかったのである[8]。

1807年の終わりごろになると、ヨゼフィーネは親族からの圧力に屈するようになりベートーヴェンの前から姿を消した。ベートーヴェンが訪れる際に留守にしたのである。これは後に愛の「冷却期間」であると解釈されたこともあった[9]。

再婚

1808年、テレーゼはヨゼフィーネと合流し、長い旅の末にたどり着いたスイスのイヴェルドン・レ・バンでは教育者として著名なヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチと面会、学童年齢にあるヨゼフィーネの2人の息子の教師を決めようとした。ペスタロッチはエストニアのクリストフ・フォン・シュタッケルベルク男爵(1777年-1841年)を紹介し、一行に加わったシュタッケルベルクはオーストリア、ジェノヴァ、南フランス、イタリアを経由してオーストリアへ至る帰路を共にした。1808年/1809年の冬にアルプス山脈を越える際、ヨゼフィーネは幾度も重い病に苦しんだ。後のテレーゼの日記と1815年のシュタッケルベルクの書簡からは[10][11]、ヨゼフィーネが身体の関係を求められながらの旅に耐える体力を持ち合わせていなかったことがわかる。1809年の夏、2人の姉妹がシュタッケルベルクと共にハンガリーに帰りついた時にはヨゼフィーネは子どもを宿していたのである。

社会的地位に敏感なブルンスヴィック家は階級が低く、カトリック教徒でなく、見知らぬシュタッケルベルクをすぐさま拒絶した。ヨゼフィーネとシュタッケルベルクとの間の最初の子どもであるマリア・ラウラの誕生(1809年12月)は秘密にされた[12]。母のアンナ・フォン・ブルンスヴィックは非常に不本意ながらも婚姻の同意書に署名を行ったが[13]、この裏には生まれた子どもに父親を与えるという目的があったのみならず、さもないとデイム伯の子どもへの教育を中止するというシュタッケルベルクの脅迫もあった。結婚式は1810年2月、ハンガリーのエステルゴムで来賓もなく執り行われた。

ヨゼフィーネの第2の結婚生活は初日から不幸なもので、その後さらに悪化していった。結婚からちょうど9か月目にあたる2人目の娘であるテオフィルの誕生後、再び病に倒れたヨゼフィーネは1811年にシュタッケルベルクとは2度と床を共にしないとの決意を固めた[14]。夫婦の間には教育方法を巡っても深い意見の対立があった[15]。修復不可能な不和に至る決定打となったのは、モラヴィアのWitschappにある高価な地所の購入であった。シュタッケルベルクが資金繰りを付けることができなかったため、一家は財政破綻に陥ったのである。


1812年

数々の法廷闘争に敗れ、精神をすり減らす紛争と諍いの末、ヨゼフィーネは自暴自棄となりシュタッケルベルクは彼女の元を去った。これはおそらく1812年のことと思われ、突然の宗教的衝動により祈りと信仰的思索に慰めを見出そうとしたらしい[16]。これは緊急に資金を必要としていたヨゼフィーネの助けにはならず、彼女は常にもがき苦しんでいた。

1812年6月の日記からは[17]、ヨゼフィーネが明確にプラハへ行こうとしていたことがわかる。ここで彼女とテレーゼの日記は不意に途絶えており、再開するのは2か月後からである。

一方、ベートーヴェンはプラハ経由でテプリツェへ向かっており、プラハでは1812年7月3日に間違いなく「不滅の恋人」と呼ばれる人物と会っている。「不滅の恋人」という呼称は、彼が7月6日、7日に書いたものの投函しなかった手紙の中で用いられている[18]。

ヨゼフィーネの主な心配事はデイム伯との間に生まれた4人の子どもの財産管理を継続する事であったが、1812年8月に疎遠となった夫との間に新たな協定を結ぶことに成功した[19]。この新たな結婚契約の要点はシュタッケルベルクがいつでも彼女を置いて出ていくことが出来ると書かせたことにある - その後、1813年4月8日に娘のミノーナが生まれると彼はそれを実行に移したのであった。ミノーナが自分の子でないと疑っていた可能性もある。

別離

1814年、シュタッケルベルクは「彼の」子どもたち(ミノーナも含まれていた)を連れ出すために再び姿を現した。ヨゼフィーネが拒否したため、彼は警察を呼び3人の幼児を腕ずくで奪い去った。しかし、シュタッケルベルクが子どもたちを故郷のエストニアに連れて行かなかったことが分かっている。彼はボヘミアの助祭の元に子どもを預けると、再び各国を巡る旅に出たのであった[20]。

独りとなったヨゼフィーネはますます苦悩を深め「胡散臭い数学教師のアンドリアン(カール・エドゥアルト・フォン・アンドレーアン=ウェルブルク)を雇い(中略)徐々に彼のカリスマ的な呪文に落ちていき、妊娠するとエミリーを産んで(1815年9月16日)小屋に隠した[21]。」一方、兄の死により相続を受けたシュタッケルベルクは1815年4月にウィーンを訪れ、ヨゼフィーネを呼び戻そうとしていた。妊娠していたこと、そして決定的に関係が破壊されて以来長い時間が経っていたことにより、彼女は興味を示さなかった。シュタッケルベルクはこれに対し長い手紙をしたため、自分がいかにヨゼフィーネを「軽蔑」しているかを書き連ね[22]、さらに警察に赴いて彼女を中傷する。1815年6月30日に警察がヨゼフィーネの「評判」に関する報告を行っているが、これは彼女の子どもたちに近親相姦の事案があると申し立てたシュタッケルベルクの報告に基づいている可能性がある[23]。

アンドリアンはヨゼフィーネに捨てられ、私生児を引き受けて独力で育てるも娘は2年後に麻疹で息を引き取る[24]。しかし、こうした心痛む出来事がまだ十分でないといわんばかりにさらなる苦悩が続く。1815年12月29日にトルトノフ(英語版)のデシャント・フランツ・レイアーがヨゼフィーネに手紙を送り[25]、親権を受けて3人の幼い娘を預かっているものの、シュタッケルベルクからの仕送りが長い間滞っていると伝えてきた。ヨゼフィーネとテレーゼはほぼ2年越しに子どもたちと再会できると大喜びし、あるだけの資金をかき集めてレイアーに送付すると、間もなく彼は父親が行方不明になってしまったのであれば子どもたちを母のいる家庭に連れて行くべきだと提案してきた。しかしヨゼフィーネが再会を果たす直前、シュタッケルベルクの兄弟であるオットーがトルトノフに現れて子どもたちを連れ去ってしまったのである[26]。

ヨゼフィーネとベートーヴェンの2人が1816年の夏にバーデン=バーデンにいたという証拠がある[27]。彼らは同地で会っていたと思われ、しかも示し合わせたものと考えられる。ヨゼフィーネはバート・ピルモントにある保養所へ行くために旅券の申請を行っているが、結局そこへ赴くことはなかった[28]。興味深いことに1816年8月のベートーヴェンの日記には次の記述がある。「Pへではなく - t、Pと。 - 最善策を取り決める[29]。」

最期

ヨゼフィーネの生活はますます苦悶と惨めさを増した。デイム伯の4人の子どもは10代となり、それぞれの道を進んでいた。寝たきりの母の恐れをよそに男子は入隊していった[30]。シュタッケルベルクとの3人の娘はこの世を去っており、テレーゼは隠居、フランツは母のアンナ同様に送金を停止していた。母はヨゼフィーネに対し、全ては自分の過ちだったと書簡で伝えている[31]。

ヨゼフィーネは1821年3月31日にウィーンで42年の生涯を閉じた。この年にベートーヴェンは最後のピアノソナタである第31番と第32番を作曲している。これらの作品には「ヨゼフィーネの主題」である『アンダンテ・ファヴォリ』の回想が認められ[32]、レクイエムのようであると考える音楽学者も多い[33]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c12

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
13. 中川隆[-10698] koaQ7Jey 2019年10月19日 23:10:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2158]
アントニー・ブレンターノ(Antonie Brentano 1780年5月28日 - 1869年5月12日)は、慈善家、美術品収集家、芸術家のパトロン。

生涯

幼少期

アントニーはヨハンナ・アントニー・ヨーゼファ・エドル・フォン・ビルケンシュトックとしてウィーンに生まれ、トニと呼ばれた。父はオーストリアの外交官、教育改革者、美術品収集家であるヨハン・メルヒャー・エドラー・フォン・ビルケンシュトック(1738年 - 1809年)、母はカロリーナ・ヨーゼファ・フォン・ハイ(1755年 フルネク(英語版)/ベーメン - 1788年5月18日 ウィーン)であった。きょうだいは3人いたが、うち2人は幼児期に死亡している。

父はマリア・テレジアやヨーゼフ2世の顧問を務めた人物であり、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがピアノソナタ第15番 作品28(1802年)を献呈したヨーゼフ・フォン・ゾンネンフェルスとは妻を通じた縁により義兄弟の関係であった。

母はフラデツ・クラーロヴェーの改革派司教(Reformbischofs)であったヤン・レオポルト・リッター・フォン・ハイ(1735年-1794年)の妹である。

1782年から1784年頃までビルケンシュトック一家はフランクフルトで暮らしており、ここでアントニーのきょうだいのコンスタンティン・フィクトルとヨハン・エドゥアルトが生まれるも間もなく命を落としている。ヨハン・メルヒャーがブレンターノ家と知り合ったのはこの時期であった可能性もある。ウィーンにおいて一家は40室を有するラントシュトラーセ郊外、エルトベルガッセ98(現在のエルドベルクシュトラーセ19)の邸宅に居住していた。邸宅は大規模な図書館を備え、ビルケンシュトックの多数の美術品コレクションも納められていた。

アントニーが8歳を迎える10日前に母が伝染病により他界し、彼女はプレスブルクのウルズリーネ女子修道院併設の学校に送られることになった。

結婚

1797年9月、作家のクレメンス・ブレンターノ(1778年)やベッティーナ・フォン・アルニム(1785年-1859年)の異母きょうだいにあたるフランクフルトの裕福な商人であったフランツ・ブレンターノ(1765年-1844年)が、腹違いの妹であるゾフィー・ブレンターノ(1776年-1800年)と彼の継母であるフリーデリケ・ブレンターノ(旧姓ロッテンホフ、1771年-1817年)をウィーンに送りアントニーと面会させた[1]。フランツは1796年末もしくは1797年のはじめに軽く顔を合わせていた。アントニーの父との長期の交渉の結果、フランツとアントニーは1798年7月23日にウィーンのシュテファン大聖堂で結婚することになった。結婚から8日経つと2人はウィーンを後にしてフランクフルトへと旅立った。

アントニーとフランツは6人の子を儲ける。


マチルデ (1799年7月3日 フランクフルト - 1800年4月5日)

ゲオルク・フランツ・メルヒャー (1801年1月13日 フランクフルト - 1853年3月1日)

マクシミリアーネ・オイフロジーヌ・クニグンデ(1802年11月8日 フランクフルト - 1861年9月1日ブルンネン/シュヴァイツ)

ヨーゼファ・ルドヴィカ (1804年6月29日 フランクフルト - 1875年2月2日)

フランツィスカ・エリザベート(1806年6月26日 フランクフルト - 1837年10月16日)

カール・ヨーゼフ (1813年3月8日 フランクフルト - 1850年5月18日)

ウィーン時代

1809年8月、アントニーは病に倒れた父の世話のためにウィーンへと戻るが、父は同年10月30日にこの世を去る。父の死後もその美術品コレクションを整理し、売却を管理するためウィーンに3年間留まった。フランツ・ブレンターノは自ら営む事業の拠点をウィーンに設立し、そこで妻と合流する。ベッティーナ・フォン・アルニムは書簡体で記した小説『ゲーテとある子供の往復書簡』においてビルケンシュトックのコレクションについて次のように記している。

「私はプラーターの全景を見渡す古い塔にすこぶる満足している。気持ちの良い緑の芝生の壮大な眺めに連なる木々。ここで私は亡くなったビルケンシュトックの屋敷に暮らしている。2千の彫刻、同じだけの絵画、2百の骨董の瓶、それにエトルリアのランプ、大理石の花瓶、骨董の残骸である手足、中国のドレス、硬貨、鉱物のコレクション、海洋生物、望遠鏡、数えきれない地図、古代の埋もれた王国や都市の設計図、巧みに彫られた杖、貴重な資料、そして最後にカール大帝の剣、私はそうしたもののまっただ中にいるのだ。我らを取り囲むこれらすべては無秩序に輝きを放ちながら目前に迫った仕分けを待っており、従って触れられるものや分かるものは何もない。満開の栗並木、そしてその背に我々を運び急ぐドナウ川よろしく、永久の美術ギャラリーというものは存在しないのである[5]。」

ブレンターノ一家はこの時期の1810年にベートーヴェン、1812年にゲーテとそれぞれ面識を得ている。

慈善事業

一家がウィーンから戻った後の1816年、フランツはフランクフルトの議員に選出される。アントニーは貧困者と公民権を失ったフランクフルト市民のための基金を立ち上げる事業により「貧困者の母」として知られており、複数の慈善団体の創設、運営にも携わった[6]。また、フランクフルト随一の文化人であった彼女は、同市にサロン文化を根付かせることに貢献した。ブレンターノ家はゲーテやグリム兄弟といった著名人をフランクフルトの自宅、またはラインガウ近傍のヴィンケル(Winkel)にあった夏の別荘でもてなしたのである[7]。

メイナード・ソロモンの「不滅の恋人」説

アメリカ合衆国のベートーヴェン学者であるメイナード・ソロモンは1972年発表の「New Light on Beethoven's Letter to an Unknown Woman(氏名未詳女性宛てベートーヴェン書簡への新たな光)」と題した論文上、および補遺となる1977年の評論「Antonie Brentano and Beethoven(アントニー・ブレンターノとベートーヴェン)」において、アントニーがベートーヴェンの「不滅の恋人」であると発表した[9]。

ソロモンの仮説は長く支持を集めたが、ゴルトシュミット、ベアーズ、トーマス=サン=ガリ、アルトマン、テレンバッハらにより広く疑念を突き付けられる。ソロモン自身も根拠がせいぜい状況証拠にとどまることを認識していた。ベートーヴェンはアントニーの夫と親密な友人関係を築いており、これをベートーヴェンの道徳規範に照らすと彼が友人の妻と恋愛関係にあったとは考えにくい。加えて、ブレンターノ夫妻の関係がソロモンの趣旨に合うような不仲ではなかったという確かな証拠がある[10][11]。

「不滅の恋人」として可能性がある他の候補にはテレーゼ・ブルンスヴィック(1775年-1861年)、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック(1779年-1821年)、マリー・フォン・エルデーディ(1779年-1837年)、歌手のアマーリエ・ゼーバルト [12]、ジュリエッタ・グイチャルディ(1782年-1856年)らがいる。

ようやく近年になってソロモンのアントニー仮説が最終的にして徹底的な反論を受けるに至った。この長年の疑問への答えはベートーヴェンの有名な手紙の第2の部分に既に見出すことが出来る。

1.「月曜日 - 木曜日 - これらの日にだけ郵便馬車がここからKに向かいます。」
2.「貴女が私からの最初のメッセージを手にするのはおそらく土曜日以降となるでしょう。」

ベートーヴェンがこれを記したのは7日火曜日のテプリツェであり、アントニー・ブレンターノが同時期に「K」(カルロヴィ・ヴァリ)にて数週間の逗留中であったことをよく知っていた。テプリツェからカルロヴィ・ヴァリの100kmの道のりであれば、郵便馬車はわずか1日しか要しない。従って、もし手紙がアントニーに宛てられたものであれば彼女は最低でも金曜日の午前にこれを受け取ることになる。

しかし、もし宛先の人物がその手紙を「おそらく」土曜日以前に受け取らないとベートーヴェンが考えたのであれば、その人物は西へテプリツェから2日、カルロヴィ・ヴァリからさらに1日の場所にいなくてはならない。

次の大きな都市はエゲルで、カルロヴィ・ヴァリから約50kmの位置にある。その次はさらに10km離れたフランチシュコヴィ・ラーズニェ(英語版)である。今やアントニーが除外されることは確実である。

オーストリアの皇帝が1812年7月5日に一時フランチシュコヴィ・ラーズニェにおり、ヨゼフィーネの最初の夫が皇帝と私的な友人であることを考え合わせると[注 2]、ベートーヴェンと7月3日、4日に会っていたヨゼフィーネが同地で夫に会おうとしていたと考えると辻褄が合う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8E
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c13

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
14. 中川隆[-10697] koaQ7Jey 2019年10月20日 06:55:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2159]
ベートーベン手書きの手紙公開へ、苦しい経済状況など訴え
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1873878&media_id=52

ベートーベン手書きの手紙公開へ、苦しい経済状況など訴え
(ロイター - 01月11日 16:10)


[ベルリン 10日 ロイター] ドイツ北部リューベックで、ベートーベン(1770─1827)が自身の病気や金欠を嘆いている手書きの手紙が出てきた。この手紙を遺産贈与の一部としてもらい受けたリューベック音楽大学ブラームス・インスティチュートによると、手紙は10万ユーロ(約980万円)以上の価値があるという。


6ページに及ぶ署名入りのこの手紙はベートーベンが53歳の時に書いたもので、ハープ奏者で作曲家のフランツ・アントン・シュトックハウゼンに対し、自身が1823年に完成させた有名なミサ曲「ミサ・ソレムニス」の買い手がいないかと尋ねている。


手紙の中でベートーベンは、患っていた目の病気のことや、おいの学費などで経済的に厳しい状況にあることなどを切々と訴えている。手紙は受取人の子孫である音楽教師が所有していた。


西部ボンにあるベートーベンの生家を利用した博物館「ベートーベンハウス」のミハエル・ラーデンブルガー氏はロイターに対し、手書きの手紙は非常に価値があると指摘。昨年、ベートーベンが書いた買い物メモはオークションで7万4000ユーロで落札された。同氏は「ベートーベンの手紙は珍しく、手紙の長さや私生活に関する記述を考えると、今回のものは非常に興味深い」と語った。


ブラームス・インスティチュートは来週、この手紙を一般公開する。


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この記事を読んだ皆さんの多くは、「そうか。ベートーヴェンはやっぱり貧しかったんだ」とお思ひに成るかも知れません。そして、ベートーヴェンの事を、「ベートーヴェンは、矢張り、難聴に加えて、貧困にみ苦しんだ苦悩の英雄だったんだ。」とお思ひに成るのではないでしょうか。


でも、ちょっと待って下さい。ベートーヴェンは、本当に貧しかったのでしょうか?


こう言ふ見方をする人も居るのです。


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(以下引用)


 よくよく考えますと「ベートーヴェンはなんと幸福な人だったのだろう!」と感嘆することさえできます。幸福とは何か、幸福な人生とは何か、これは人によって考え方が違いますから、だれにでも当てはまる答えはありません。ドイツの思想家ヒルティが「幸福論」という有名な大きな本を書いています。そのなかで、「自分の仕事に我を忘れて、完全に没頭できる人はもっとも幸福である。」といっています。ベートーヴェンはピアノ演奏と作曲に没頭して生涯を終えました。ブロイニング夫人が、
「またラプトウスがはじまった。」とよくいったように、ベートーヴェンは熱中型の人でした。他人がどう思おうと関係なく、自分の意志を貫いて「芸術」音楽に一生を捧げたのです。このことから、ヒルティの意味で、本当に幸福な人であったといえると思います。
 彼はさらに続けて、
「自然の休息による中断以外は、絶え間なく有益な活動をしている状態こそ、地上で許された最上の幸福な状態である。」ともいっています。ベートーヴェンはたくさんお恋愛事件や甥の養育問題、年金訴訟など、音楽以外の「雑事」に気を散らしていた間にも、決して音楽のことを忘れず、人々に感動を与える音楽を作り続けていたのですから、ベートーヴェンはヒルティの幸福を絵に描いたような人であったといえるのではないでしょうか。後世の多くの人々がベートーヴェンの伝記を読んで、結果的にそのような判断を下しているだけではありません。ベートーヴェンのピアノの弟子であったチェルニーがすでに、
「ベートーヴェンは、生きている間から幸福であった。」と証言しているのです。
「ベートーヴェンほど幸せな芸術家はいなかったし、今もいない。」
「ベートーヴェンは1800年にはすでに、モーツァルトの芸術的地位とハイドンの社会的地位を併せもったものを手に入れていたのです。」
「ベートーヴェンは青年時代からすでに、貴族や上流階級からあらゆる可能な援助と保護を与えられ、尊敬を受けていました。晩年になって、奇妙な振る舞いが目立った時期でも、物笑いの種にされる、などということはありませんでした。ベートーヴェンはいつでも特別な存在として、賞賛され尊敬され、その偉大さを理解できなかった人たちからでさえ認められていたのです。」

(滝本祐造『偉大なる普通人/ほんとうのベートーヴェン』(KB社・2002年)218〜219ページ)

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滝本祐造(たきもとゆうぞう)

1932年、京都市に生まれる。京都大学大学院美学美術史専攻。大谷大学教授を経て、京都市立芸術大学音楽学部教授。音楽美学、ピアノ教育。1998年定年退官後、京都ベートーヴェン研究所主宰。中国西安音楽学院栄誉教授。主要著書「ドイツ民謡選」(共著、三修社)、世界の名著「近代の芸術論」(共訳、中央公論社)、「西洋文化と音楽」(共訳、音楽之友社)、「ピアノの基礎」「モーツァルトの本質」「ベートーヴェンの本質」「日本音楽と中国音楽」(美学社)、「ベートーヴェンの独創性」(北京世界知識出版社)論文「源氏物語の音楽」「道教音楽」「ハンスリックの音楽美学について」「真宗大谷派の声明」「音楽という術語について」など


(滝本祐造『偉大なる普通人/ほんとうのベートーヴェン』(KB社・2002年)に書かれた著者略歴)

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私は、ベートーヴェンを深く尊敬する人間です。もちろん、この本を書いた滝本先生もそうでしょう。ですが、もし、この記事が、ベートーヴェンについて、皆さんにそう言ふ印象を与えるとしたら、私は、ちょっと待って頂きたいと、思ふのです。


滝本先生は、こう続けます。


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(以下引用)

 人はよく、ベートーヴェンは不幸な音楽家であった、といいます。そして、「生涯貧乏に苦しんだ音楽家だったではないか」。「難聴に苦しんだ音楽家であった」、「失恋ばかりして一生結婚できなかった」、このような人を本当に幸福といえるのか、と反論する人も多いと思います。しかし、この本を読んできた皆さんなら、きっとこのような反論を跳ね返すだけの用意ができたと思います。このような反論は、ベートーヴェンを不幸な人間に仕立て上げ、それでもなお「傑作」を作った音楽家だ、と「楽聖」ベートーヴェンを強調するための舞台装置であったのですね。

(滝本祐造『偉大なる普通人/ほんとうのベートーヴェン』(KB社・2002年)219〜220ページ)

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「そんな筈は無い!」とおっしゃる方の為に、滝本先生は、こう述べます。


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(以下引用)

 つまり、ベートーヴェンは決して、人が考えているほど貧乏ではなかったということを、本書から十分読み取って下さったことと思います。パトロンからたくさんの年金を生涯受け続けていたし、名曲や「パンのための仕事」を出版して、お金が次々と入ってきていたし、音楽会やピアノのレッスンからも臨時に高額の収入がありました。
 病気や引っ越し、甥の養育費や裁判費用など、たくさんの出費があったのに、人にお金を貸したり、甥に遺産を残すだけの余裕があったのです。モーツァルトは借金を残したまま死にました。ベートーヴェンもときには借金をしましたが、全部返してまだあまったのとは、はなはだ対照的です。ベートーヴェンは決して大金持ちではありませんでしたが、反対に、貧乏で生活が困ったというほどではなかったのです。作曲のためとはいえ、同時にいくつもの家を借り、夫婦の召使を雇ったり、気に入った客人にはごちそうしてもてなす人のうおいベートーヴェンだったのですから、本当に貧乏なら、とてもこんなことはできなかったでしょう。
 借金とはいえないかも知れませんが、ベートーヴェンは作曲の依頼と引き替えに高額の「前金」を受け取りながら、約束を果たさないまま死んでしまいました。いくつもありますが、ヴォルフマイヤーが頼んだ「ミサ」や、イギリスのフィルハーモニー協会からの「交響曲」もそのなかに含まれています。これは明らかに約束違反ですが、両者ともベートーヴェンを尊敬していたので抗議はなされず、うやむやにされたままです。逆にベートーヴェンの方は、ガリチン侯爵に約束違反だとして、使者をロシアにまで送り、執拗に作曲料の残額の取り立てを迫りました。その争いは死後にまで持ち越されました。結局、遺族がお金を受け取り、これまたベートーヴェン側の勝利でした。
 あるとき、良識ある友人のブロイニングが、ベートーヴェンに意見したことがありました。それは、ベートーヴェンが物乞いのように、
「自分は貧乏だ、お金がない、何とかして欲しい。」
と、知り合いに手紙を書いているのを見て、
「もし今、金がいるのなら、人に頼らないで、自分の預金を下ろして使えばいいではないか。」
というのです。このとき、ベートーヴェンはが、10,000フローロングもの大金を銀行に預けていることを、ブロイニングは知っていたからです。ベートーヴェンは、友人の忠告に耳を貸しませんでした。ベートーヴェンが貧乏だったと主張する人は、このベートーヴェン自身の手紙や日ごろの言動の忠実な記録を鵜呑みにして、その根拠にしているのです。ベートーヴェンはお金の不足や困っていることをよく友人に訴えていますが、ベートーヴェンは人の同情を得て、お金を手に入れることが上手だったのですね。だから、お金に関しては、ベートーヴェンは決して「聖人」ではありません。こざかしいくらいまったくの普通の人であったのです。

(滝本祐造『偉大なる普通人/ほんとうのベートーヴェン』(KB社・2002年)220〜222ページ)

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滝本先生は、更に、ベートーヴェンの難耳も、実は、後世の人々が思って居る程重度の難聴ではなかったのではないか、と論じておられます。それは、この記事とは直接は関係しないので割愛しますが、話をこのロイターの記事に戻せば、責める積もりは有りませんが、この記事の筆者は、ベートーヴェンの実像について、滝本先生が書いておられる様な研究が有る事を知らずにこの記事を書いて居る様に思はれます。


音楽史に限らず、科学史や数学史においても、或いは軍事史や政治史においても、歴史には、常にこうした落とし穴が存在します。史料へのアプローチにおいては、決して、史料を額面通りに受け取ってはいけないと言ふ事です。


ロイターのこの記事は、その事を、反面教師として教えて居ます。

(なーんて医者ごときが歴史の事柄に口をはさむと、又お叱りを受けるのでこの辺にしておきます。)

平成24年(西暦2012年)1月22日(月)
                   西岡昌紀(内科医)
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/569.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c14

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
15. 中川隆[-10696] koaQ7Jey 2019年10月20日 06:57:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2160]

ベートーヴェンが1813年以降 急にお金に困る様になった事情


>>14

>手紙の中でベートーベンは、患っていた目の病気のことや、おいの学費などで経済的に厳しい状況にあることなどを切々と訴えている。

>ベートーヴェンは決して大金持ちではありませんでしたが、反対に、貧乏で生活が困ったというほどではなかったのです。

>ベートーヴェンが貧乏だったと主張する人は、このベートーヴェン自身の手紙や日ごろの言動の忠実な記録を鵜呑みにして、その根拠にしているのです。

>史料へのアプローチにおいては、決して、史料を額面通りに受け取ってはいけないと言ふ事です。

この1813年というのは ベートーヴェンに初めての子供が生まれた年なのです。 もちろん不倫の子なので、周りの人が協力してスキャンダルにならない様に関係文書をすべて抹殺して、記録としては残っていないのですが。

ブルンスヴィック家やブレンターノ家の関係者の日記で、ベートーヴェンのスキャンダルに関係すると思われる箇所だけ全て切り取られて無くなっているのは有名な話ですよね:

1812年といえば、「不滅の恋人」への手紙が書かれた年であり、不滅の愛人とされるアントニーン・ブレンターノとの何かが、この2つの作品、特に第8交響曲の内容に投影されていることは間違いないであろう。

残された日記には、「1812年10月、私はB(ブレンターノだといわれている)のためにリンツにいた」と書かれており、この間に完成された第8交響曲がロマンチックな曲想であるのも納得できる。いかなる思いで、リンツでこの曲を完成したのだろうか。第3楽章のトリオで聞くことができる牧歌的な旋律は、ベートーヴェンが「不滅の恋人」との思い出の場所で得たもの、手紙が書かれたカールスバートで聞いた郵便馬車のポストホルンの旋律から作られたと言われている。

1813年の日記に書かれた、

「服従、おまえの運命への絶対服従、ただそれだけが、おまえに犠牲的行為をさせることができるのだ…奴隷になるまで」

ではじめられる日記から、「不滅の恋人」との関係が、悲劇的な展開に至ったと推測される。弟のカール・カスパールの病状が悪化したのもこの年である。ベートーヴェン自身の健康も優れなかったようだ。


この年、ベートーヴェンが大金を必要としていたことで、当時、金策をして大金を得ていたにもかかわらず、ベートーヴェンは生活に困窮していた。その理由は、青木さんの著書で推測されている。

かつて「あなたの心臓が私のために打つときはいつ来るのか…私の心臓は…死ぬまであなたのために打ち続けるでしょう」と書き送った相手、ヨゼフィーネの経済的な困窮を救うためだと言う。

彼女の子供ミノナの父親はベートーヴェンである可能性があり、ヨゼフィーネのために力を尽くしたとしても不思議ではないとのことである。

http://blogs.yahoo.co.jp/nypky810/folder/1515897.html


生涯独身だったベートーベンは、実は一度「婚約」をした(と、されて)います。その相手が、テレーゼ・ブルンスヴィックという人。この人はとても頭の良い人だったらしく、後に、当時まだ一般的ではなかった幼稚園を開設し、オーストリア・ハンガリーの幼児教育の基礎を作る教育者となりました。

その妹のヨゼフィーネ・ブルンスヴィックという人がいて、この人は姉ほどの知性派ではないにせよ、美人で儚げな人だったようです。……後に資産家のダイム伯爵と結婚しますが、実は! 婚約者の姉テレーゼよりも、こっちの妹ヨゼフィーネの方こそ、ベートーベンの真の恋人だった! とされています。


ここでまた謎が出てくる。ベートーベンは愛する妹ではなく、何故その姉と婚約したのか??

ヨゼフィーネはどうも、家同士の問題とかで「愛のない結婚」をさせられた節がある。本人はベートーベンを憎からず思っていたのでしょうが、耳が悪く強情で不細工、将来性もないベートーベンは、結婚相手とはふさわしくなかった。そのせいもあって別な資産家と結婚したようです。

ところがその結婚が不幸だった。夫ダイム伯爵は三十才も年上で話も合わない。おまけに資産家のはずなのに借金も多かった。

で、結婚五年後この夫が、旅先で急死してしまいます。四人の子供を抱えて当方に暮れるヨゼフィーネを、ベートーベンはなにくれと無く援助したらしい。二人が本格的に恋に落ちたのは、どうもここからのようです。


未亡人とはいえ独身だから、この恋は良いんじゃないか、というのは、現代の尺度ですね。当時はまだ、未亡人がおいそれと再婚すると不貞と言われた時代です。夫が亡くなったとはいえ、伯爵家の母として子供を育てる義務もある。平民のベートーベンとは、所詮「身分違い」なわけですし、好き合っていたとしても「道ならぬ恋」だったのです。

この一種のスキャンダルを隠すために、妹をかばうために、姉テレーゼは、ベートーベンと「偽装婚約」を、したのではないか。

普段から独身主義を公言し、それを周りに認めさせるほどの才女ぶりを発揮してきた姉なら、これも変わり者同士の婚約とは言われても、身分違いもある程度超えられる。スキャンダルではない。妹との一件をもみ消すにはちょうど良い。で、ヨゼフィーネを泣く泣くあきらめたベートーベンに対して、テレーゼの方から事情を言って持ちかけたのではないか。


天使ヨゼフィーネは、その後の再婚にも失敗し、だんだん精神をも犯されていったようです。

ベートーベンも、三たび登場し彼女に支援をします。

ヨゼフィーネは最期、姉テレーゼの見守る中、狂気のウチに死んでいった、とされています。1821年、まだ41歳でした……。

http://d.hatena.ne.jp/terryyokota/20100322

不倫をテーマにしたオペラ「コシ・ファン・テュッテ」を作曲したモーツアルトを「不道徳」と非難したベートーベンですが、二人の人妻との間にそれぞれ一人ずつ、しかもほとんど同時期に生まれた子供がいたと言う話は最近まで一般には知られていませんでした。

 その人妻のひとりはヨゼフィーネといって、1805〜1806年くらいにかけてベートーベンが親しくしていた女性で、末の子のミンナを産んだのが1813年。

女の子ですが成人になったミンナの写真を見ると確かにベートーベンそっくりで、多くの研究者も父親がベートーベンであることに異論がないようです。

ヨゼフィーヌとは1807年以降はしばらく交際はなかったようなのですが、彼女の2度目の夫の失踪(借金が原因で)を機に、1812年頃にはよりを戻したのかもしれません。

かなりの美女だったそうですが、彼女はこの頃には精神的にも、また経済的にも行き詰っていたようです。

 もう一人はアントニエ・ブレンターノといって1810年頃から交際があったようですが、こちらは正真正銘の人妻で裕福な家の夫人でしたが、夫婦関係は形だけだったとも言われています。

アントニエは気高く、教養ある貴婦人で、1812年の段階ではベートーベンの本命だったようで、最近の研究ではベートーベンが亡くなるまで人目に触れないように大事に保管していた宛先不明の熱烈なラブレター、「不滅の恋人へ」の宛先人だということです。

ヨゼフィーネが出産する約1ヶ月前に男の子を産んでいます。

ブレンターノ家とは家族ぐるみの付き合いで、夫のフランツはベートーベンの熱心な支援者の一人です。
特に経済的にはベートーベンに多大な援助していたことで知られ、夫人のアントニエとはあくまでプラトニックな関係とされといましたが、種々の状況からしてアントニエの末の子カールの父親がベートーベンであった可能性はかなり高いようです。

 アントニエとはその後、手紙や楽譜などのやりとりのみで、直接会うことはなく、結果的には確かに「プラトニック」なものになり、夫のフランツもその後も変わりなくベートーベンを支援していたようです。
もっとも前述の「不滅の恋人」の手紙の中で「他の女性が私の心を占めることなどけっしてありえません、けっして、けっして・・・・・」なんて書いておいて、別な女性に子供を産ませたことで疎遠になったのかも知れませんが。

一方、いろいろ困っていたヨゼフィーヌに対しては、ベートーベンのほうから経済的に援助していたようで、自らの責任を感じていたのかも知れません。

http://mitoguitar.blog85.fc2.com/?m&no=5


要するに、1813年以降 ベートーベンは、自分との不倫の子を産んでお金に困っていたヨゼフィーネを援助する為に、財産をすべて使ってしまい、自分の生活費にすら事欠いていたんですね。

>手紙の中でベートーベンは、患っていた目の病気のことや、おいの学費などで経済的に厳しい状況にあることなどを切々と訴えている。


他人には本当の事は言えないので、他の理由をでっち上げただけなんですね。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c15

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
16. 中川隆[-10695] koaQ7Jey 2019年10月20日 06:59:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2161]

楽聖ベートーヴェンの遺体鑑定
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven, 1770年12月17日洗礼-1827年3月26日没) は神聖ローマ帝国のボンで出生し、幼少の頃より父親から強制的に音楽教育を受けた。その後ハイドンらに師事し、22歳の時にウィーンでピアニストや作曲家として音楽活動を開始した。

20歳代後半から持病の難聴が悪化するが、30歳代で交響曲第3番変ホ長調「英雄」(1805)、交響曲第5番ハ短調 「運命」(1808)、交響曲第6番ヘ長調「田園」(1808) など、中期を代表する名作を次々と発表した。難聴、慢性的な腹痛や下痢などの持病は徐々に悪化しベートーヴェンを苦しめたが、晩年にも大宗教曲ミサ・ソレムニス (1823) や交響曲第9番ニ短調 (1824) などの大作を発表している。

しかし下痢と顕著なるいそう (痩せ) が4か月も続き、1827年に56歳で逝去した。


 死亡前にベートーヴェンは難聴の原因を調べるために自分の解剖を依頼している。そこでヨハン・ワグナー医師により1827年3月26日にベートーヴェンの家で解剖が行われた。ワグナーの記録は概略以下の通りである。

 ベートーヴェンの外耳道、特に鼓膜は厚いかさぶたで覆われ、開頭すると耳管開口部と扁桃腺の周囲には凹んだ瘢痕が見られ、耳管自体は腫れて狭窄していた。顔面の神経は異様に太く、周囲の動脈は拡張し、左の聴神経は細まって3本の細い溝のようになり、右の聴神経は鼓室から伸びる1条の白い溝になっていた。脳回は浮腫が強く白く変色していた。

胸部臓器は正常だったが、腹腔内には4クォート (約4.4リットル) の褐色混濁液が貯溜し、肝臓は緑青色調で半分の大きさに萎縮し、表面や断面は粗大結節状を呈していた (肝硬変の所見)。肝臓内の血管は細く狭窄し、乏血状だった。胆石があり、脾臓は腫れて膵臓のように硬くなっていた。胃腸は空気で大きく膨隆し、左右の腎臓は1インチ (約2.5センチ) の厚さの被膜で覆われ、褐色混濁液が浸潤していた。腎臓の組織は乏血状で、腎杯はエンドウマメ大の石灰質の結石で占められていた。体は極端に痩せていた。


 20世紀末になって科学的鑑定手法が進歩すると、ベートーヴェンの遺髪を用いて4回の鑑定が行われた。鑑定に用いられた遺髪はアメリカ・ベートーヴェン協会のメンバーが1994年12月にサザビーのオークションで3600ポンド (7300ドル) で落札した髪の毛の房 (頭髪582本) である。この房は、ドイツ人指揮者のフェルディナント・ヒラーがベートーヴェンの死亡日の翌日 (1827年3月27日) に遺体から切り取ったものである。その房はヒラー家の子孫に受け継がれたがその後所在不明となり、1943年にナチスから逃亡中のユダヤ人 (氏名不詳) がオランダ人医師ケイ・アレクサンダー・フレミングに治療費代わりに贈与し、オークションで売られるまでフレミング家が所有していた。

 髪の毛の房は灰色、白色、褐色の3色の髪の毛の束を含んでいた。長さは7〜15センチで、髪の毛が1月に0.5インチ伸びることからベートーヴェンの生涯の最後の6〜12か月の間に伸びた部分と考えられた。この房以外にも、国会図書館 (ワシントンD.C.)、ハートフォード大学 (コネティカット)、大英図書館 (ロンドン)、楽友協会 (ウィーン) とベートーヴェンの家 (ボン) に遺髪が保管されている。

 第1の遺髪鑑定 (1996年5月):サイケメディクス・コーポレーションのワーナー・バウムガートナー医師がラジオイムノアッセイ法を用いて20本の遺髪中の麻薬性鎮痛薬の有無を調べた。19世紀のヨーロッパでは鎮痛、鎮静、解熱、下痢止めの目的でモルヒネが頻用されていたが、腹痛の持病があるにもかかわらずベートーヴェンの遺髪からはモルヒネなどの麻薬は検出されなかった。主治医が過量の投薬を行ったため、その医師に対する不信感からベートーヴェンは治療を拒否していた疑いがある。

 第2の遺髪鑑定 (1999年6月):ノース・カロライナ州のラボラトリー・コーポレーション・オブ・アメリカでマーシャ・アイゼンブルグらにより3本の遺髪を用いてミトコンドリアDNA分析 (高度変異領域HV1とHV2を検査) が行われた。結果は下表の通りで、塩基位置263と315.1にアンダーソンらが報告したミトコンドリアDNAの塩基配列 (Nature 290: 457-465, 1981) との相違 (個人差) が確認された (他の試料との比較はされていない)。


試 料\塩基位置 73 263 315.1
アンダーソン配列 A A -
ベートーヴェンの遺髪 AまたはG G C


 第3の遺髪鑑定 (1999年秋):シカゴ・マックローン研究所のウォルター・マックローンが走査電子顕微鏡・エネルギー分散型X線分光分析装置を用いて2本の遺髪中の微量元素を調べた。その結果遺髪中の鉛の濃度が正常人の42倍 (25 ppm) あることが判明し、ベートーヴェンは生前から重症の鉛中毒で、それが持病や死の原因になった可能性が示唆された。一方、1820年当時に梅毒の治療に用いられていた水銀は遺髪からは検出されず、ベートーヴェンが梅毒に罹患していたという風説は否定された。

 第4の遺髪鑑定 (2000年9月):米国エネルギー省の国立アルゴンヌ研究所の研究者が非破壊シンクロトロンX線蛍光分析を行って6本の遺髪中の微量元素を調べた。マックローンの鑑定結果と同じく遺髪からは60 ppmの鉛 (正常人の約100倍) が検出され、鉛中毒であったことが確認された。水銀が遺髪からは検出されないことも確認された。砒素も検出されなかった。


 一方、1994年にカリフォルニア州ダンビルに在住するポール・カウフマンは、ベートーヴェンのものと伝えられてきた頭蓋骨の破片を相続した。この骨片は、カウフマンの先祖でウィーン大学の医史学教授だったロメオ・セリグマン医師が1863年に入手したものである。

 ベートーヴェンの解剖が1827年に行われた際に、側頭骨の一部が行方不明になっていた。死体置き場の掃除夫のアントン・ドッターが入手し、後日外国の医師に売り払い、ロンドン大空襲で粉々になったという噂があるが、いずれにしろその骨片は現存しない。

 ベートーヴェンの死の36年後の1863年10月12日には、ベートーヴェンとシューベルトの墓が学術的目的と遺体の損壊を防ぐ目的で発掘された (2人とも土葬)。骨片が墓から取り出され、汚れを除いて医学的な検査を受けた後に、きれいな棺に入れて再埋葬される予定だった。ところがどういう経緯か、ベートーヴェンの頭蓋骨の2個の大きな骨片 (側頭骨から頭頂骨に及ぶ骨片と後頭骨の一部) は棺に入れられず、頭蓋骨検査に協力していたセリグマン教授が秘かに所有していた。1888年6月21日にベートーヴェンの墓が再発掘されているが、その時に1863年には存在していた頭蓋骨の一部が欠失していることが確認されている。

 頭蓋骨片はセリグマン教授の子孫に受け継がれ、最終的に入手したポール・カウフマンは、サンノゼ大学のベートーヴェン研究センターに研究目的で骨片を長期貸与した。この頭蓋骨片についてもDNA鑑定と微量元素鑑定が行われている。

 頭蓋骨片のミトコンドリアDNA鑑定は、2005年10月にミュンスター大学法医学教室のブリンクマン教授の下で行われた。高度変異領域HV2の塩基配列が調べられ、下表のように毛髪とまったく同じ鑑定結果が出た (他の塩基位置は標準配列と同一)。この結果から頭蓋骨片がベートーヴェンのものであることが確認された。


試 料\塩基位置 73 263 315.1 備 考
アンダーソン配列 A A - 公表されているもの
CRS標準配列* A A -
ベートーヴェンの遺髪 AまたはG G C 1999年の解析結果
ベートーヴェンの頭蓋骨片 未検査 G C 今回の解析結果
*CRS (Cambridge Reference Sequence) はアンダーソン配列を修正した国際標準配列。

 微量元素解析は2005年12月に毛髪と同じ米国エネルギー省の国立アルゴンヌ研究所で行われ、第3世代大型放射光施設であるアドバンスト・フォトン・ソース (APS) を利用してX線蛍光分析を行った。その結果、毛髪を上回る高濃度の鉛が検出された (正確な定量はされていない)。鉛の人体内での半減期は約22年で、その95%は骨に蓄積することから、ベートーヴェンは少なくとも死亡前の20年間にわたり鉛中毒であったことが確認された。


 鉛中毒になると、性格の変化、腹部の疝痛、腎障害、脳症、運動神経麻痺、貧血などの症状が出る。急性中毒では肝障害がみられる。ベートーヴェンの持病の腹痛は鉛中毒の症状であった可能性がある。解剖所見では肝硬変と腎不全 (腎乳頭壊死) が見られ、腎不全が直接死因であると考えられているが、その原因が鉛中毒である可能性は高い。難聴は、鉛中毒の症状としてはまれだが、関連が示唆されている。

 鉛中毒の原因は不明だが、当時のワインに添加されていた酢酸鉛を含む甘味料が中毒源として候補にあがっている。ベートーヴェンはワイン好きで、しかも腹痛を緩和するために過剰飲酒していた。

 2007年にウィーン医科大学法医学教室のクリスチャン・ライター教授は髪の毛を裁断してレーザーアブレーション質量分析装置で毛髪各部位の鉛含有量を測定した。毛根からの距離がその部分の毛が作られてからの日数に相関し、裁断した部分ごとの鉛含有量から死亡前のいつ頃に毛の (=体内の) 鉛含有量が増減したかが推測できる。この研究により、死亡前の111日間にベートーヴェンの毛髪中の鉛含有量が増加していたことが分かった。ベートーヴェンは1827年初頭から肺炎と腹水を起こし、アンドレアス・バフルフ医師が鉛を含む薬を用いて治療していた。鉛の投与量は致死量ではないものの、もともと肝硬変になっていたベートーヴェンの肝機能をさらに悪化させて死を招いた、とライター教授は考察している。
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/DNA/beethoven.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c16

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
17. 中川隆[-10694] koaQ7Jey 2019年10月20日 07:00:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2162]

アル中の女狂いだったベートーヴェン


信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。

A surprising number of great composers were fond of the bottle – but can you hear it?
http://www.spectator.co.uk/2016/12/a-surprising-number-of-great-composers-were-fond-of-the-bottle-but-can-you-hear-it/

「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。


by Joseph Morris

上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。

酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。

このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。

作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。


by Brandon Giesbrecht

しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c17

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
55. 中川隆[-10693] koaQ7Jey 2019年10月20日 07:26:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2163]

2019年10月20日
武蔵小杉タワマン台風騒動 多摩川からの逆流水で地下施設が水没

多摩川の水位が配水管を上回ったため逆流し、駅地下や地下室に流れ込んだ

画像引用:【台風19号】武蔵小杉駅の横須賀線改札口冠水で使えず  | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞https://www.kanaloco.jp/article/entry-201821.html


武蔵小杉タワマン騒動

台風19号の大雨で関東各地に大きな被害が出て、浸水や水没した民家も多かった。

そして台風や大雨に強いと思われたマンションにも被害が出て機能停止している。

神奈川県川崎市の武蔵小杉では高級タワーマンションで電気と水道が止まり復旧まで時間がかかっている。



マンションの建物自体は微動だにしなかったのだが、設備が浸水や水没して止まってしまった。

47階建てのパークシティ武蔵小杉ステーションフォレストタワーは中古でも9000万円前後で売られていて、いわゆる億ションだった。

住民は地震や災害など何が起きても絶対大丈夫と確信していたが、期待は大きく裏切られた。


武蔵小杉駅周辺一帯が浸水し、電気設備があったタワーマンション地下が冠水して停電と断水が起きた。

マンションは排水ポンプで排水するのでトイレの水を流すことが出来ず、水があっても使用できなくなった。

各家庭には飲料水と共に簡易トイレが配られたが、エレベーターが使えないので水を汲んで階段を上り、水やゴミを捨てるにも階段を下りる。


武蔵小杉駅の近くには多摩川が流れているが堤防は持ちこたえ川の水は氾濫していませんでした。

当日の多摩川の水位は過去最高を記録し、堤防は超えなかったが多摩川に排水を流す配水管から逆流した。

武蔵小杉駅周辺の雨水は排水管に集められて多摩川に流される仕組みだったが、逆に多摩川から駅周辺に水が流れてきた。


排水管には止水ゲートがあったが川に排水するため開けた状態にしてあった。

低層マンションの方が災害には強い?

浸水したタワーマンションも川からではなく配水管から逆流した水で冠水し、電源設備などが水浸しになった。

結果論だが川の水位が配水管より高くなれば、もうどこにも排水できなくなる仕組みだった。

福島第一原発の非常用電源も地上や地下にあり津波の直撃ですべて使用不能になっていた。


せめて2階部分にあったら泥に埋まらず外部電源を接続できたかも知れないが、電源接続部も泥や残骸で破壊されていた。

タワーマンションの電源設備が地下にある理由はそこが最も安いからで、上の階にいくほど価値が高くなる。

地下に住みたい人はいないので、水道や電源や駐車場などは分譲できない地下に押し込められている。


1階や2階はテナントが入居したりしてお金を稼げるので、そこに電源設備を置くと分譲価格が値上がりしてしまう。

設備の故障はいずれ復旧し大雨の止水対策もされるでしょうが、その費用は結局住民に転嫁されるでしょう。

災害に弱かった事で資産価値も多少下落し、トータルではかなりのダメージになる筈です。


低層の安いマンションでは構造が単純な分、被害が小さく復旧も早く済んだかも知れません。

電気や水道や排水が止まっても数階なら階段を歩けるので、40階以上上り下りするよりずっと楽です。

今回の件は改めてタワーマンションの真価が問われ、必ずしも低層マンションより良いわけではないのが分かった。
http://www.thutmosev.com/archives/81277014.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c55

[リバイバル3] 錯聴 (auditory illusion) _ 音の錯覚 中川隆
36. 中川隆[-10692] koaQ7Jey 2019年10月20日 07:57:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2164]
2019年10月19日
「音楽は世界共通の言葉」という通説が間違っていた可能性
https://gigazine.net/news/20191019-musical-pitch-perception-cultures/


音楽は文化や言語の違いを超えて親しまれることからよく「音楽は世界共通の言葉」だといわれています。しかし、アマゾン奥地の先住民の音の聞こえ方を調べた研究により、音楽の聞こえ方にも文化の影響が確かに存在する可能性が示されました。

Universal and Non-universal Features of Musical Pitch Perception Revealed by Singing: Current Biology
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(19)31036-X

Perception of musical pitch varies across cultures | Cosmos
https://cosmosmagazine.com/biology/perception-of-musical-pitch-varies-across-cultures

南米に位置するボリビアの熱帯雨林に住むチマネ族は、西洋文化とは隔絶された自給自足の生活を貫いていることから、これまで生活習慣と健康の関係を調べる研究などにより注目を集めてきました。



そんな中、マサチューセッツ工科大学で認知科学について研究しているジョッシュ・マクダーモット氏は、チマネ族とアメリカ人を対象に「シンセサイザーで合成した音を声で再現してもらう実験」を実施。チマネ族とアメリカ人の音楽的な感性には、文化を背景にした違いと、生物学的な共通点に根差した普遍性の両方が存在することを突き止めました。

マクダーモット氏らはまず、アメリカ人を対象に異なる音域で発せられた2つの音を聞かせてから、それを声で再現してもらう実験を行いました。すると、アメリカ人の対象者は、2つの音がオクターブ単位で正確にずらした音ではなかったにもかかわらず、オクターブごとにずらした音を声で再現する傾向にあったとのこと。この傾向は、一般のアメリカ人よりも、音楽の訓練を経験したミュージシャンの場合でより顕著でした。



研究グループは、この結果にはオクターブの等価性が関係しているとみています。オクターブの等価性とは、「別の音であっても、オクターブの整数倍の音程だけ離れていれば同じ音として知覚される」という現象のこと。これは、裏を返せば「同じ音に聞こえる2つの音はオクターブの整数倍の音程だけ離れた音である」ということなので、経験豊かなミュージシャンほどオクターブの差を意識してしまうのだと推測されます。

チマネ族に同様の実験を行ったところ、特にオクターブにこだわることなく音の響きを重視した再現を行ったとのことです。この結果からマクダーモット氏は「オクターブの等価性は文化的背景によるものであり、オクターブを基本単位とした西洋音楽に触れていない人には無関係なようです」と述べています。



一方、マクダーモット氏は文化を超えた共通性も発見しています。大半の西洋人は音が約4000Hz以上になると音の違いがほとんど分からなくなることが知られており、これは「ピアノなど西洋音楽で使われる楽器のほとんどが約4000Hzを高音の上限としてきたからだ」とされてきました。



しかし、チマネ族が使う楽器の音の上限は4000Hzよりもかなり低いものが多いにもかかわらず、チマネ族も西洋人と同様に約4000Hzまでは正確に聞き取れた一方で、それ以上になると音の違いが分からなくなってしまったとのこと。



この結果についてマクダーモット氏は「音が4000Hzを超えると、脳のニューロンの反応性が低下し、音の違いを判別することが困難になるのではないでしょうか」との推論を述べて、人間の音感の限界は文化ではなく生物学的な制限に起因したものだとの見方を示しました。
https://gigazine.net/news/20191019-musical-pitch-perception-cultures/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/756.html#c36

[リバイバル3] 音楽家とオーディオマニアは音楽の聴き方が違うか? 中川隆
16. 中川隆[-10691] koaQ7Jey 2019年10月20日 07:58:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2165]

2019年10月19日
「音楽は世界共通の言葉」という通説が間違っていた可能性
https://gigazine.net/news/20191019-musical-pitch-perception-cultures/


音楽は文化や言語の違いを超えて親しまれることからよく「音楽は世界共通の言葉」だといわれています。しかし、アマゾン奥地の先住民の音の聞こえ方を調べた研究により、音楽の聞こえ方にも文化の影響が確かに存在する可能性が示されました。

Universal and Non-universal Features of Musical Pitch Perception Revealed by Singing: Current Biology
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(19)31036-X

Perception of musical pitch varies across cultures | Cosmos
https://cosmosmagazine.com/biology/perception-of-musical-pitch-varies-across-cultures

南米に位置するボリビアの熱帯雨林に住むチマネ族は、西洋文化とは隔絶された自給自足の生活を貫いていることから、これまで生活習慣と健康の関係を調べる研究などにより注目を集めてきました。



そんな中、マサチューセッツ工科大学で認知科学について研究しているジョッシュ・マクダーモット氏は、チマネ族とアメリカ人を対象に「シンセサイザーで合成した音を声で再現してもらう実験」を実施。チマネ族とアメリカ人の音楽的な感性には、文化を背景にした違いと、生物学的な共通点に根差した普遍性の両方が存在することを突き止めました。

マクダーモット氏らはまず、アメリカ人を対象に異なる音域で発せられた2つの音を聞かせてから、それを声で再現してもらう実験を行いました。すると、アメリカ人の対象者は、2つの音がオクターブ単位で正確にずらした音ではなかったにもかかわらず、オクターブごとにずらした音を声で再現する傾向にあったとのこと。この傾向は、一般のアメリカ人よりも、音楽の訓練を経験したミュージシャンの場合でより顕著でした。



研究グループは、この結果にはオクターブの等価性が関係しているとみています。オクターブの等価性とは、「別の音であっても、オクターブの整数倍の音程だけ離れていれば同じ音として知覚される」という現象のこと。これは、裏を返せば「同じ音に聞こえる2つの音はオクターブの整数倍の音程だけ離れた音である」ということなので、経験豊かなミュージシャンほどオクターブの差を意識してしまうのだと推測されます。

チマネ族に同様の実験を行ったところ、特にオクターブにこだわることなく音の響きを重視した再現を行ったとのことです。この結果からマクダーモット氏は「オクターブの等価性は文化的背景によるものであり、オクターブを基本単位とした西洋音楽に触れていない人には無関係なようです」と述べています。



一方、マクダーモット氏は文化を超えた共通性も発見しています。大半の西洋人は音が約4000Hz以上になると音の違いがほとんど分からなくなることが知られており、これは「ピアノなど西洋音楽で使われる楽器のほとんどが約4000Hzを高音の上限としてきたからだ」とされてきました。



しかし、チマネ族が使う楽器の音の上限は4000Hzよりもかなり低いものが多いにもかかわらず、チマネ族も西洋人と同様に約4000Hzまでは正確に聞き取れた一方で、それ以上になると音の違いが分からなくなってしまったとのこと。



この結果についてマクダーモット氏は「音が4000Hzを超えると、脳のニューロンの反応性が低下し、音の違いを判別することが困難になるのではないでしょうか」との推論を述べて、人間の音感の限界は文化ではなく生物学的な制限に起因したものだとの見方を示しました。
https://gigazine.net/news/20191019-musical-pitch-perception-cultures/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1009.html#c16

[近代史3] 日本人が西洋音楽をやっても物真似しかできない理由

日本人が西洋音楽をやっても物真似しかできない理由

2019年10月19日
「音楽は世界共通の言葉」という通説が間違っていた可能性
https://gigazine.net/news/20191019-musical-pitch-perception-cultures/


音楽は文化や言語の違いを超えて親しまれることからよく「音楽は世界共通の言葉」だといわれています。しかし、アマゾン奥地の先住民の音の聞こえ方を調べた研究により、音楽の聞こえ方にも文化の影響が確かに存在する可能性が示されました。

Universal and Non-universal Features of Musical Pitch Perception Revealed by Singing: Current Biology
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(19)31036-X

Perception of musical pitch varies across cultures | Cosmos
https://cosmosmagazine.com/biology/perception-of-musical-pitch-varies-across-cultures

南米に位置するボリビアの熱帯雨林に住むチマネ族は、西洋文化とは隔絶された自給自足の生活を貫いていることから、これまで生活習慣と健康の関係を調べる研究などにより注目を集めてきました。



そんな中、マサチューセッツ工科大学で認知科学について研究しているジョッシュ・マクダーモット氏は、チマネ族とアメリカ人を対象に「シンセサイザーで合成した音を声で再現してもらう実験」を実施。チマネ族とアメリカ人の音楽的な感性には、文化を背景にした違いと、生物学的な共通点に根差した普遍性の両方が存在することを突き止めました。

マクダーモット氏らはまず、アメリカ人を対象に異なる音域で発せられた2つの音を聞かせてから、それを声で再現してもらう実験を行いました。すると、アメリカ人の対象者は、2つの音がオクターブ単位で正確にずらした音ではなかったにもかかわらず、オクターブごとにずらした音を声で再現する傾向にあったとのこと。この傾向は、一般のアメリカ人よりも、音楽の訓練を経験したミュージシャンの場合でより顕著でした。



研究グループは、この結果にはオクターブの等価性が関係しているとみています。オクターブの等価性とは、「別の音であっても、オクターブの整数倍の音程だけ離れていれば同じ音として知覚される」という現象のこと。これは、裏を返せば「同じ音に聞こえる2つの音はオクターブの整数倍の音程だけ離れた音である」ということなので、経験豊かなミュージシャンほどオクターブの差を意識してしまうのだと推測されます。

チマネ族に同様の実験を行ったところ、特にオクターブにこだわることなく音の響きを重視した再現を行ったとのことです。この結果からマクダーモット氏は「オクターブの等価性は文化的背景によるものであり、オクターブを基本単位とした西洋音楽に触れていない人には無関係なようです」と述べています。



一方、マクダーモット氏は文化を超えた共通性も発見しています。大半の西洋人は音が約4000Hz以上になると音の違いがほとんど分からなくなることが知られており、これは「ピアノなど西洋音楽で使われる楽器のほとんどが約4000Hzを高音の上限としてきたからだ」とされてきました。



しかし、チマネ族が使う楽器の音の上限は4000Hzよりもかなり低いものが多いにもかかわらず、チマネ族も西洋人と同様に約4000Hzまでは正確に聞き取れた一方で、それ以上になると音の違いが分からなくなってしまったとのこと。



この結果についてマクダーモット氏は「音が4000Hzを超えると、脳のニューロンの反応性が低下し、音の違いを判別することが困難になるのではないでしょうか」との推論を述べて、人間の音感の限界は文化ではなく生物学的な制限に起因したものだとの見方を示しました。
https://gigazine.net/news/20191019-musical-pitch-perception-cultures/

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耳トレ!


耳トレ!-こちら難聴・耳鳴り外来です。 – 2011/10/3 中川雅文 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E8%80%B3%E3%83%88%E3%83%AC-%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%89%E9%9B%A3%E8%81%B4%E3%83%BB%E8%80%B3%E9%B3%B4%E3%82%8A%E5%A4%96%E6%9D%A5%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82-%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E9%9B%85%E6%96%87/dp/476781202X

                      

大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。


☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語

どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。

そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。

日本語で頻繁に使われる周波数帯は125〜1500ヘルツで、英語は200〜12000ヘルツと随分と違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。

※ これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある。また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がる。


☆ 聴力の限界とは

音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。

人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20〜2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回〜2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。

ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。

※ 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかる。

自分でいくら「いい音だ」と思ってみても、他人にとっては「それほどでもない」という日常茶飯事のように起こる悲劇(?)もこれで一応説明がつくが、音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだったのだ!


☆ 音が脳に伝わるまでの流れ

耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。

この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。

電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。

また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。

※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かる。

さらに、直感的なイメージとしてオーディオマニアが音楽を聴くときには主として「感覚系ルート」がはたらき、それ以外の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろうか・・・。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c85e3a32c3aca5331dd2fb7adaf73d2a


▲△▽▼


絶対音感のカラクリ〜「ド」は「ド」(其の三)
音感の正体

前回の

「絶対音感は1つ1つの音高を記憶している」

と言う説では実はもう1つ、
絶対音感保持者が音高を特定する際に
音名は正しいがオクターブを間違える、
いわゆる

「オクターブエラー」

と呼ばれる現象の説明がつきません。

もし絶対音感が1つ1つの音高を記憶しているのであれば、
明らかに高さの違う2つの音を間違えるはずがありません。


「ドレミファ〜」と徐々に音を高くしていくと、
「〜ソラシド」と再び「ド」の音に戻ってきた感覚になります。

このとき、最初の「ド」と最後の「ド」の音は
高さと言う概念で考えれば、

「周波数が異なる明らかに別の音」

であるにもかかわらず、
不思議なことに人間には音の高さが違っても
どちらも当たり前のように「ド」の音として認知されます。


これを

「オクターブ等価」

と言いますが、このとき2つの「ド」の音は
周波数比が1:2(周波数が2倍)の関係にあります。


なお、絶対音感保持者が原曲キーで唄えなくても
オクターブ違いなら唄える仕組みは、

「オクターブエラーと同じ原理」

だと私は考えています。
http://raykawamoto.hatenablog.com/entry/2014/11/18/204324


▲△▽▼


音がわかる=「オクターブエラー」する のが一流音楽家
音がわからない= 「オクターブエラー」しない のが三流音楽家


絶対音感保持者でないとこういう芸当はできない:


若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、
弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、
《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、
瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、
《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、
指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。
さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html?sp

▲△▽▼

カクテルパーティー効果 2016/08/25

音が身体に及ぼす影響というテーマの
中でカクテルパーティー効果について
述べました。

大勢の人が会話を楽しんでいる、大きな
騒音が満ちているパーティー会場の中でも、
例えばあなたの名前がどこかで囁かれた
とすると、その音はちゃんと聞こえて
きてしまうのです。それは名前だけでなく
いつも頭から離れない関心の強い何か、
かも知れません。

この効果(?)を最大限に活用している
のがフルオーケストラを指揮している
指揮者だと言えるかも知れません。

第二ヴァイオリンの奏者の一人が一音
フラットしてしまったことも聞き逃さない
のは、プロの指揮者としては当たり前の
技能かも知れませんが、オーケストラ
全体の音量と第二ヴァイオリンの
一奏者の音量を比べると、それは驚異的
な能力と言わざるを得ません。

絶対音感の持ち主でもある世界的な
指揮者、佐渡裕さんが若かりし頃、
そう小澤征爾さんがいきなり優勝してしまった
あの若手指揮者の登竜門と呼ばれている
ブザンソン音楽祭のファイナルで、
こんなテストを受けたそうです。
オーケストラの間違い探し!課題曲を
オーケストラが譜面通りに演奏しているか
否かを指揮しながら指摘していくという
ものです。いくつも仕掛けられた罠を
見事に指摘し、エンディングを迎えるとき
何か『違和感』を覚えたそうです。
音の違いではないし、何かがおかしい?
オーボエとクラリネットが入れ替わり
互いのパートを吹いていたそうです。
佐渡さんはその違和感に気づき、この
間違え探しのテストにも満点で合格。
結局、その年の優勝者に選ばれました。

意識を向けることによって、大音量の
中の小さな音を捉え分析することが
出来るのです。世界的な指揮者に与え
られた才能でもあるし、もっと身近な、
宴会の中の噂話が聞こえてきてしまう
という誰にでもある経験のように、
ヒトの聴覚がもっている特徴とも言える
能力です。

これほど繊細な聴覚にこれからどんな
音を与えていくか。
新しい選択が生まれました。エムズ
システムのスピーカーが奏でる音は
自然で、そこに音楽が生まれた瞬間の
空気感が生まれます。

ぜひ一度ご体感ください。
http://mssystem.co.jp/article/detail.php/722/314325


▲△▽▼


職人たちの超感覚。 科学の忘れもの
http://www.abiroh.com/jp/sensitive-human/1065.html


ミクロン単位の誤差を指先で感知するレンズ研磨職人、玉鋼の加熱状態を秒単位で制御する刀匠、数千数万の匂いを嗅ぎ分ける香水調合師……職人たちの繊細な感覚技術のそれぞれの要素はいま、科学技術によって置き換えることが可能になりつつあります。しかし職人たちが感じているのは、誤差や温度や匂いだけではありません。そのときどきの気候や、対象が発する光や音に応じて、彼らの技はコントロールされています。さらには想定外、つまりは不測の事態に即座に対応できることも、名工であるための必要条件です。按配し臨機応変する能力の裡にこそ、職人たちの真骨頂があるのです。

◉現代では職人といえば、主に手工業に携わる人々を指しますが、もともとは特殊な技能を持っている者のことでした。古代では鉄器鍛冶や庭師がその代表です。中世になると貨幣経済と物流が発展したことと相まって、多様な職人たちが登場します。そして近世までの「職人」は、単にモノを生産する人を意味したわけではありません。連歌師や白拍子、勧進聖や神主などコトにかかわる者、つまり芸能者や宗教者たちも、職人と呼ばれていました。市や街道は、そんな職人たちによるモノやコトが交換される場所だったのです。

◉才能という言葉があります。才と能は別の意味を持ちつつ、切り離すことができません。かつて才は「ざえ」と読み、人間の側ではなく素材の側に備わっているものとされていました。木や石、場合によっては風景や気象の才に感応し、これを引き出す人間の力が能であり、それはマジカルな力であるとも考えられていました。漢字の「職」が耳につけられた呪術的なしるしをあらわしているように、職人とは、常人には聞くことのできない自然や神仏の声を聞く能力を持つ人々だったのです。もちろんここで言う「聞く」は音響だけに対応するわけではありません。

◉中世には職人を題材とした「職人歌合」が流行しました。歌合は歌の優劣を競う遊びですが、職人歌合は、朝廷や貴族に従属する職人を描写することによって、怨霊や祟りを鎮めることが目的とされていたといいます。江戸時代には、三味線の名手の原武太夫が、弦の音色がいつもと違っているのを聞き、津波を予見して仲間の命を救ったというエピソードも残されています。

◉レンズや金属加工の領域でミクロン単位の対象の変化を触知するというような単純な物理量をめぐる感覚は、確かに超絶的ではありますが、テクノロジーによって置き換えることが可能となりつつあります。しかし琴の音色で、それがナイロン弦なのか絹糸製であるのかはもちろん、絹糸をつくった蚕の飼育方法や飼料の変化を聞き分けたり、墨の匂いで古文書の書写年代を嗅ぎ当てたりといったことは、コンピュータでは代替できそうにはありません。また、調香師になるためには最低600以上の匂いを正確に記憶しなくてはなりません。それ自体は物質分析の領域ですが、調香師の本領はそこから先、つまり未知の香料や香水をつくり出すことにあり、ときには好き嫌いのような感覚にも深くかかわる以上、テクノロジーでは単純には代替できません。そもそも人間の感覚は気分や体調によって大きく左右され、そのこと自体が例外的な感覚に結びついていたりもします。少なくともいまのところ、スーパーコンピュータを駆使した天気予報でさえ、経験豊富な漁師たちの感覚や勘には、まだまだ及びもつかないようです。


◉人間は成長にしたがって感覚が発達し、肉体の成熟とともに感覚の能力もピークに達するといいます。その後は経験とトレーニングによって感覚は磨かれますが、基本的な能力は減衰する一方です。確かに言語をめぐる感覚や、渋味や苦味などを味わう感覚は、成人の方が豊かであるようにも見えます。しかし絶対音感は生来のもの、あるいは幼児期に獲得できるものであり、外国語の習得もスタートが早い方が有利であるともされています。ちなみに絶対音感は、必ずしも「絶対的」な音感ではなく、また環境音まで西洋音楽の十二平均律に「翻訳」してしまう傾向があるなど、一概に音楽的に優れた能力であるとは言えないようです。また母語習得前に外国語を学ぶことへの弊害も指摘されています。

◉我々は、たとえば日本人ならば同じアジア人であっても、インドの人々の顔だちは皆、同じように見えてしまいます。逆にインド人にとっては、日本人の顔は似たり寄ったりに見えているはずです。最近では多くのメディアによって欧米人の顔に馴染んでいるため、欧米の俳優や政治家の顔の区別はできるようになっていますが、江戸時代の日本人にとっては、白人は一様に、赤ら顔の鼻の極端に尖った人たちに見えていました。また動物園の猿山のニホンザルをその顔で区別できる人は、当の飼育員でない限りほとんどいないと言っていいでしょう。かろうじて毛色や大きさや傷の有無などで判別できるくらいです。ところが多くの幼児は、この猿山の猿たちの顔を見分けることができます。この例では、成長にしたがって、すなわち人間社会に馴染み、言葉によるコミュニケーションに習熟するにしたがって、猿の個性が見分けられなくなっていくわけです。どうやら我々の一般的な感覚は、本来の能力にフィルターをかけることによって成立しているようです。いちばんのフィルターは、言葉です。職人たちの超絶的な感覚は、収斂によって研ぎすまされるのと同時に、このフィルターをあらためて剥ぎ取ることで獲得されているのかもしれません。

◉確かに言葉は、脳に保存されている膨大な感覚の記憶をプログラムし、オペレーションするための有効な道具でした。それによって人類は文明を獲得したと言うこともできます。しかし言葉の獲得に続いて文字が発明されると、我々の感覚にはさらに強力な拘束がかかり、同時に感覚の中で視覚が圧倒的な優位に立つことにもなりました。もしかすると絶対音階、あるいは平均律も聴覚への何らかの拘束になっているのかもしれません。犬や猫、鳥や魚などの動物たちがときに地震や天候の変化を予知することができるのに、人間がそれを苦手とするようになってしまったのは、言葉によって生来の感覚に蓋をされてしまったためなのでしょう。方向感覚や時間感覚も、文明や科学技術によって鈍化している可能性があります。
http://www.abiroh.com/jp/sensitive-human/1065.html

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音がわかる=「オクターブエラー」する のが一流音楽家
音がわからない= 「オクターブエラー」しない のが三流音楽家

絶対音感保持者でないとこういう芸当はできない:


若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、
弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、
《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、
瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、
《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、
指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。
さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html?sp


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「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その一 私のブラームス回想録(1905年) フローレンス・メイ」


フローレンス・メイは、ロンドンでクララ・シューマンのレッスンを受けた後、ドイツのバーデンバーデン近郊にあるリヒテンタールの別荘で、クララのレッスンを受けるようになった。クララが演奏活動でスイスへ行っている間、メイはブラームスのレッスンを受けることになる。


 ブラームスのひととなり

当時、ブラームスは38歳。身長はやや低めで体格はがっしり。後年の肥満の傾向は全くなし。

理知的な額を有する堂々たる頭部と頭脳の明晰さを表わす青い瞳。挙動には気取りがなく、社交性と慎み深さが同居する、親しみのもてる人という印象だった。

ブラームスは自分について話すのを極端に嫌っており、自分の作品について話すことはめったになく、集まりではどんなに頼んでも、絶対に演奏しなかった。

ブラームスは極端な気分屋で、演奏しろといわれるのが嫌いなうえに、演奏する彼自身のムードと演奏される側、つまり作品の雰囲気がぴったり合わないと、全くだめだった。

ご機嫌なのは先生(クララ・シューマン)たちと一緒の時で、彼女にはいつも下僕のように使え、態度には尊敬の念が表れていた。それは息子が母に持つ愛情と、芸術家同士の共感とがないまぜになったような感覚−弟子のメイにはそう思えた。

ブラームスは大の散歩好きで、自然への愛着もひとしお。夏の間は4時か5時には起き、自分でコーヒーをいれ、それから朝のおいしい空気と鳥の歌を満喫しに、森へ出かけるのが日課だったという。


ブラームスのピアノ指導法

クララは「ブラームスは最高のピアノ教師」だと言っていた。実際、メイがブラームスのレッスンを受けると、「何一つ欠点のない、全ての資質を備えた理想的なピアノ教師」だった。

ブラームスの頭の中には、技術的な修練方法が、細かなことまで全て入っており、しかもそれをきわめて短時間で教えることができた。

メイがテクニックの弱点を説明して、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》を弾き始めると、その指をほぐして均等にする作業に取り掛かった。
レッスン初日から、目的に達するにはどうするのが一番なのかの解説付きで、音階、分散和音、トリル、重音奏法、オクターヴといった技術訓練を次々と与えていった。

レッスン中ブラームスは椅子に腰かけ、弟子の指を見ながら、誤った動きを指摘し、自分の手の動きで正しい形を見せながら、夢中で指導していたという。

ブラームスは、通常行われる五本指のエクセサイズがメイに有効だとは思わず、もっぱら一般の作品や練習曲を使い、自ら習得した、困難なパッセージを克服するための練習法をメイにも教えた。

メイの手首も、聞いたこともないブラームス独自の方法で、ほとんど苦労しないまま二週間ですっかりほぐれ、指の付け根の固い出っぱりが、大方消え失せた。

ブラームスは、指づかいには特にうるさかった。特定の指に頼らず、全ての指をできるかぎり均等に働かせるよう注意した。

バッハの楽譜はメイがイギリスから持ち込んだもの。指使いが書かれていなかったので、ブラームスはツェルニー版の運指を使うように(それ以外の書き込みには従わないように)指導した。

当初、レッスンの大半はバッハの《平均律》か《イギリス組曲》。メイの技術が向上すると、レパートリーも音楽の本質を学ぶ時間も少しづつ増えていった。

ブラームスは、曲の細部に至るまで厳しく気を配れと注意する一方、「フレージング」はできるだけゆったりととるように言った。繊細な詩集の外側を縫い進み、飾り付けていくように、フレーズのアウトラインを大きく一筆書きするのである。音楽の陰影を使って、フレーズをつなげたりもした。

音色、フレーズ、感覚など、ブラームスのイメージが音になるまで、バッハの一部分を十回でも二十回でも演奏させた。

ブラームスは些細なことまで信じられないほど誠実で、生徒に向かって物知りぶったり、イライラしたり貶したりしなかった。趣味はほめることで、どんな曲でもまず好みどおりに演奏すると「いいねえ、言うことなし」で、「そこはこう変えて」とはならなかった。


 ブラームスのピアノ演奏法

レッスンの終わりに、メイに頼まれてブラームスが自らピアノを弾くようになったが、一番多く取り上げたのはバッハ。

《48の前奏曲とフーガ》(平均律)を解説付きで、1曲か2曲、暗譜で弾き、その後は気分によって楽譜集から曲を選んで弾き続けた。

ブラームスは、著名なバッハ信奉者達のように、「バッハはただ流れるように演奏すべし」などとは思っておらず、彼のバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論に捉われていない。

ブラームスが弾く《前奏曲》は躍動感溢れる力強い演奏で、濃淡と明確なコントラストがついて、まるで詩のようだったという。

バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作ってゆく。たとえば深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれぬ優美さ。しかし、情緒は欠けておらず、決して無味乾燥ではない。情緒(センチメント)と感傷(センチメンタリズム)は別物なのだ。組曲では、音色とタッチを様々に変え、テンポも伸縮自在だった。

彼はバッハの掛留音をこよなく愛していた。「絶対にきこえなければならんのはここだ」と言いながら、タイのかかった音符を指し、「その後ろの音符で最高の不協和音効果が得られるように[前の音符を]打鍵すべし、でも、準備音が強くならないように」と強調した。

激しさも要求する一方、「もっとやさしく、もっと柔らかく」が、レッスン中のブラームスの口癖だった。

ブラームスは、バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなどの「小奇麗な演奏」を認めなかった。巧みで均一で、正確かつ完全な指づかいは求めたが、多様で繊細な表現が絶対条件、いうならば呼吸のようなものだった。

作曲家が何世紀の人間であろうが、聴く人に作品を伝えるために、ブラームスはモダン・ピアノの力をためらうことなく利用した。

ブラームスは「安手の表情」をつけるのを好まず、特に嫌がったのは、作曲家の指示がないのに和音を分散させること。

メイがそんなことをすると必ず「アルペッジョじゃない。」と注意した。

ブラームスは音の強弱に関係なく、スラーのかかった二つの音符の醸しだす効果に重きを置き、それを強調したため、メイは、「こういった記譜部分は、彼自身の作品でこそ特別な意味を持つことが飲み込めた」と書いている。[※これは、ブラームスが多用していたヘミオラのこと?]

メイが聴いたブラームスの演奏は、「刺激的かつ独特で、到底忘れることはできない。名人芸を自由に操るといっても、それはいわゆるヴィルトゥオーゾ的演奏ではなかった。どんな作品でも、うわべの効果は決して狙わず、細部を明らかにし、深い部分を表現しながら、音楽の内部に入り込んでいるようだった。」

メイが、ブラームスの作品を練習させてほしいと頼むと、「僕の曲は、強い筋力と手の強い掴みが必要なので、今の君には向かないだろう」。自分が書いたピアノ曲は、女性には向いていないと思っていたらしい。

「どうしてピアノ用に、とんでもなく難しい曲ばかり作曲なさるのですか」とメイが詰め寄ると、ブラームスが言うには「(そういう音楽が)勝手にこちらにやってくるんだ。さもなきゃ、作曲なんかできないよ(I kann nicht anders)。」


 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 そのニ 私のブラームス回想録(1905年) アデリーナ・デ・ララ」

クララ・シューマンのレッスンで、ブラームスの《スケルツォOp.4》の一部分を弾き終えたとき、ブラームスが突然部屋に入ってきて、「今弾いた所をもう一度」。

最初のフレーズを弾き終わると、「違う違う、はやすぎる。ここはがっちり提示するんだ。ゆっくりと、このように」。

ブラームスが自ら演奏。鍵盤の上でゆったりとくつろいでいるようにしか見えないのに、それが豊かで深みのある音を、そして雲の上にいるようなデリケートなppを紡ぎだす。あのスケルツォのオクターブを一つも外さず、ものすごいリズム感で演奏するのだ。

ブラームスは生徒が自分の作品の低音(ベース・ライン)を弱く弾こうものなら、烈火のごとく怒った。その作品はきわめて深い音で、そして左手は決然と弾かなくてはならない。ブラームスは先生[クララ・シューマン]と同じで感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティック(精神的)でなくてはならない。」

日常生活では全く飾らず、ユーモアの感覚にあふれ、冗談を飛ばす。こんな人が真に偉大な巨匠だなんて、思い出すのも難しいほど。最初に会ったとき、ブラームスは40歳だったと思う。


 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その三 ブラームスはこう弾いた ファニー・デイヴィス」

ブラームスの演奏を文字で書き表すことは、非常に難しい。それは孤高の天才が、作品を作ってゆく過程を論じるようなものだからだ。

巨匠の演奏に向かう姿勢は自由かつしなやかで、余裕があり、しかもつねにバランスがとれていた。たとえば耳に聞こえてくるリズムの下には、いつでも基本となるリズムがあった。特筆すべきは、彼が叙情的なパッセージで見せるフレージングだ。そこでブラームスがメトロノームどおりに演奏することはありえず、反対に堅牢なリズムで表現すべきパッセージで、焦ったり走ったりすることも考えられなかった。下書きのようなザッとした演奏をするときも、その背後には楽派的奏法がはっきり見てとれた。推進力、力強く幻想的な浮遊感、堂々たる静けさ、感傷を拝した深みのある優しさ、デリカシー、気まぐれなユーモア、誠実さ、気高い情熱、ブラームスが演奏すれば、作曲家が何を伝えたいのか、聴き手は正確に知ることになったのだ。

タッチは温かく深く豊かだった。フォルテは雄大で、フォルティシモでも棘々しくならない。ピアノにもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった。

"良いフレーズに始まり良いフレーズに終る"−ドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そして、もちろん、低音部をがっちり強調していることがよくわかった。

ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う <> は、音だけでなくリズムにも応用された。ブラームスは音楽の美しさから去りがたいかのごとく、楽想全体にたたずむ。しかし一個の音符でのんびりすることはなかった。また、彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるために、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。


若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/682.html

[近代史3] 日本人が西洋音楽をやっても物真似しかできない理由 中川隆
1. 中川隆[-10690] koaQ7Jey 2019年10月20日 08:13:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2166]

>日本語で頻繁に使われる周波数帯は125〜1500ヘルツで、英語は200〜12000ヘルツと随分と違う。
>日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

>英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多い。

>その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がる。

>人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。


共感覚

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。

例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。


音に色が見える共感覚

色聴と呼ばれ、日本にも専門の研究者が存在する。


共感覚者であると確証される現在の海外の人物

共感覚者であることを第三者が確証できるほどの極めて具体的な自らの共感覚の例を掲げた著作・芸術作品などの活動が確認できるほか、大学などの研究機関において被験者として検証実験を受けたり、研究者の著作・学術論文中にて引用・言及されており、共感覚者であると確証するに足る人物を挙げる。


エレーヌ・グリモー (ピアニスト)

アメリカ公共放送PBSとのインタビューで本人が語っている。


Helene Grimaud interviewed by Alexis Bloom for Quick Hits
https://www.youtube.com/watch?v=N_dw9-Bt_sM


いつもCは黒、Bは青、Fは赤、リストの曲は金色がかった色調に感じる。


また、11歳の時にバッハの平均律クラヴィーア曲集Fシャープメイジャー(嬰ヘ長調)のプレリュードを弾いている時に明るい暖かな赤とオレンジの間の色調を感じた。

数字にも色を感じる。2は黄色、4は赤、5は緑。

曲によってはいつも特殊な色の世界を感じる。時によって調性に影響される。

Cマイナー(ハ短調)は黒、Dマイナー(ニ短調)は青。

ベートーヴェンのテンペストソナタは黒、合唱幻想曲は黒、緑、赤、黄色のらせんを感じる。

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マイケル・トーキー(作曲家)

音階や母音などに色を感じ、その色を主題として題名に取り入れたバレエ音楽『グリーン』『エクスタティック・オレンジ』などを作曲した。インタビューの中で、ひとつの実験として始めたが、特定の趣を押し付け「観客が音楽を楽しめる幅を狭めてしまったのではないか」と心配もしたと述べている。


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イツァーク・パールマン(ヴァイオリニスト)

パールマンは、G線でBフラットを弾くときは深緑色、E線でAを弾くときは赤を感じる。

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フランツ・リスト(作曲家・ピアニスト・指揮者)

オーケストラを指揮したとき、「ここは紫に」など、音を色として表現した指示ばかり出し、団員たちが困惑したエピソードが有名[要出典]。


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女性の高い声を「黄色い声」などと言うように、人類、あるいは特定の環境・文化において複数の種類の感覚を結びつける比喩的習慣が広く存在するが、共感覚はそのようなものと直接は関係しておらず、共感覚を持たない人には感じられない上述の数字に色を見るなどの感覚を、主観的な知覚現象 (クオリア) として生々しく感じている。

共感覚は五感のような基本的な感覚の種別に関してだけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある。 共感覚者の間での複合した知覚の関係に相関は認められていない。 例えば、ある人がある文字を青く感じたとしても、他の共感覚者が同様に感じる傾向があるとは限らない。

共感覚を手がかりに主観的な心の世界と客観的な脳との関係を深く探る手がかりとしようとする研究が継続的に行われている。

赤ちゃんにおいては視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚等の異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出しており、通常その後の成長による感覚の発達にともなう脳の結合の変化によってこうした共感覚は失われていくとされる。この場合、成人して共感覚を保持している人は発達の過程で何らかの理由で脳の異なる部位への結合が保たれ、これらの複合した知覚もそのまま保たれているとする説もある。

共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる知覚は「色聴」といわれる。

絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。

また、色聴は共感覚の中で一番発生率が高いと報告されている。

色を感じる音にも様々なものがあり、音程、和音、単語、または音楽自体が聴こえることもある。 似たような感覚として「音視」というものもある。これは色に形や音が聴こえるという色聴とは反対の感覚である。


かつては共感覚で感じる知覚というのは共感覚者によって異なるとされてきたが、最近の研究では、多くの被験者を対象にした実験の場合、知覚にいくつかの共通点が見られることが分かった。

例えば、聞こえた音に色が付いて聞こえるサウンド・カラー共感覚(sound-color synesthesia:色聴)保有者の集団実験では、高い音ほど明るい色に見えるという傾向が見られたという。

また黒字の文字を見ても別の色に見えることがあるというグラフィーム・カラー共感覚(grapheme-color synesthesia:書記素色覚)保有者の集団実験では、やはりある文字には似たような色を感じる傾向があるということがわかった。

ところが、ある傾向が見られることは確かだが、あらゆる種類の共感覚があり、いずれの共感覚にしても個人によって誘因や症状の度合いは異なることも分かっている。この多様性のせいで、個人のもつ共感覚を定義するのは容易なことではないし、彼ら自身、自分の持っている感覚に名前が付いていないことに気付いていないことが多い。

色の付いていない文字なのに色が付いて見える人がいる。これを共感覚という。また、音声に色がついて見える人や、円周率の数列に美しさを感じる人もいる。
神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。


1.共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。 [訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。

2.共感覚は無意識的に起こる。

3.共感覚の知覚表象は一貫性がある。

4.共感覚はきわめて印象的である。

5.共感覚は感情と関係がある。


シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。


共感覚者の多くは子供のころに他人とは異なる隠れた感覚に気づく。

そして彼らは自然とその感覚を日常生活に適用させていく。

また、共感覚で人の名前を覚えたり、電話番号を覚えたりすることに使うこともあれば、暗算に利用することもできる。しかし同時に、絵画・映画などの視覚的な作品や音楽を創造する上での困難になることさえある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A


音に色や温度を感じる 「共感覚」が不思議すぎる! 2016.01.12
http://eye-media.jp/entertainment/%e5%85%b1%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%81%ae%e4%b8%8d%e6%80%9d%e8%ad%b0/

音に色を感じる――。

なんだか詩的な表現のように感じますが、本当に音を色として感じることのできる人々が、世の中には存在しているのです。

こうした特殊な知覚現象を『共感覚』と呼びますが、共感覚を持つ人々にとって、音は単なる音ではなく、また形は単なる形ではありません。今回は、人が持つ特殊な感受性『共感覚』の不思議をご紹介します。


脳による五感の錯綜が「共感覚」を引き起こす?

共感覚は、英語では『シナスタジア』と呼ばれています。シナスタジアとは“感性間知覚”の意味を持つ言葉で、脳に存在する複数の感覚器官が同時に音や形を知覚する現象のことを指しています。


例えば、本来なら脳の一次聴覚野だけで処理される音情報を、視覚野でも処理することで、音から色を感じるなどの感性間知覚が引き起こされます。このように、ある現象に対して、五感の異なる感覚が作用することで起こる主観的なクオリア(感覚質)が、共感覚の原因だといわれています。

これにより、共感覚を持つ人にとっては、数字が特定の色を持つ絵として感じられたり、音を聞けば音階によって色が感じられたりします。こうした共感覚にはさまざまのパターンがありますが、「形に味がついて感じられる」、「人の容姿が色として感じられる」などの例が報告されています。


著名人にも共感覚の持ち主はいる!

中でも発生率がもっとも高い共感覚は“色聴”と呼ばれていますが、この現象は、文字通り「音に色を感じる」というものです。色聴は絶対音感を持つ人に一定の割合で存在するといわれており、ピアニストのエレーヌ・グリモーなど、自ら共感覚者であることを表明している著名人も数多く存在しています。

そして、色聴と逆の知覚現象が“音視”という共感覚です。音視を持つ人にとっては、色が特定の音階として感じられるのだそうです。


実は、私たち全員がかつて共感覚者だった!?


とても不思議な共感覚ですが、実は私たちも、新生児の頃には共感覚を持っていたといわれています。

というのも、生後間もない赤ちゃんは脳の受容器官が未分化なため、複数の器官で感覚を同時に処理していると考えられているのです。

音を色で感じ、形を音で感じる。こうした知覚の不思議を、私たちが考えるよりもずっと多くの人が経験し、記憶しているのかもしれませんね。
http://eye-media.jp/entertainment/%e5%85%b1%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%81%ae%e4%b8%8d%e6%80%9d%e8%ad%b0/


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2018年12月14日
文字を色で感じ、音を匂う〜共感覚の可能性。
http://web.kansya.jp.net/blog/2018/12/6603.html

文字が色つきで見えたり、言葉を匂いつきで感じたりする共感覚を持つ人がいます。1000人に一人とか100人に一人とか言われていますが、幼児の多くはこの共感覚を持っているそうで、大きくなにつれてこの感覚は無くなっていき、文字は文字、言葉は言葉としか認識できなくなるのだそうです。

今回はこの共感覚について考えてみます。


以下(http://www.abiroh.com/jp/sensitive-human/1065.html)より引用します。
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人間は成長にしたがって感覚が発達し、肉体の成熟とともに感覚の能力もピークに達するといいます。その後は経験とトレーニングによって感覚は磨かれますが、基本的な能力は減衰する一方です。確かに言語をめぐる感覚や、渋味や苦味などを味わう感覚は、成人の方が豊かであるようにも見えます。

しかし絶対音感は生来のもの、あるいは幼児期に獲得できるものであり、外国語の習得もスタートが早い方が有利であるともされています。ちなみに絶対音感は、必ずしも「絶対的」な音感ではなく、また環境音まで西洋音楽の十二平均律に「翻訳」してしまう傾向があるなど、一概に音楽的に優れた能力であるとは言えないようです。また母語習得前に外国語を学ぶことへの弊害も指摘されています。

?我々は、たとえば日本人ならば同じアジア人であっても、インドの人々の顔だちは皆、同じように見えてしまいます。逆にインド人にとっては、日本人の顔は似たり寄ったりに見えているはずです。最近では多くのメディアによって欧米人の顔に馴染んでいるため、欧米の俳優や政治家の顔の区別はできるようになっていますが、江戸時代の日本人にとっては、白人は一様に、赤ら顔の鼻の極端に尖った人たちに見えていました。

また動物園の猿山のニホンザルをその顔で区別できる人は、当の飼育員でない限りほとんどいないと言っていいでしょう。かろうじて毛色や大きさや傷の有無などで判別できるくらいです。ところが多くの幼児は、この猿山の猿たちの顔を見分けることができます。この例では、成長にしたがって、すなわち人間社会に馴染み、言葉によるコミュニケーションに習熟するにしたがって、猿の個性が見分けられなくなっていくわけです。

どうやら我々の一般的な感覚は、本来の能力にフィルターをかけることによって成立しているようです。いちばんのフィルターは、言葉です。職人たちの超絶的な感覚は、収斂によって研ぎすまされるのと同時に、このフィルターをあらためて剥ぎ取ることで獲得されているのかもしれません。

?確かに言葉は、脳に保存されている膨大な感覚の記憶をプログラムし、オペレーションするための有効な道具でした。それによって人類は文明を獲得したと言うこともできます。しかし言葉の獲得に続いて文字が発明されると、我々の感覚にはさらに強力な拘束がかかり、同時に感覚の中で視覚が圧倒的な優位に立つことにもなりました。もしかすると絶対音階、あるいは平均律も聴覚への何らかの拘束になっているのかもしれません。

犬や猫、鳥や魚などの動物たちがときに地震や天候の変化を予知することができるのに、人間がそれを苦手とするようになってしまったのは、言葉によって生来の感覚に蓋をされてしまったためなのでしょう。方向感覚や時間感覚も、文明や科学技術によって鈍化している可能性があります。
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こどもの成長は、人類の進化過程を辿っている。とすれば、人類が言葉を話すようになり、文字を発明したとき、それまでの先端感覚だった嗅覚や色覚を動員して新しい情報を認識しようとしていたのかも知れません。

共感覚についての研究はまだあまり進んでいないようですが、レオナルドダビンチも共感覚の持ち主だったと言われており、数学者のファインマンは数式を思い浮かべると色がついて見えると言っていたそうです。

感覚を研ぎ澄まして追求する過程で、この共感覚は創造性や思考の深さにプラスの影響を及ぼしている可能性が考えられます。

共感覚をもつ子供たち。言葉や文字で豊かな感覚機能に蓋をすることなく、その感性を伸ばしていくことができれば・・・色々な可能性が広がっていくような気がします。


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野生のしらべ – 2004/5/11 エレーヌ グリモー (著)
https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B9-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%BC/dp/4270000163


2007年06月28日 狼女=エレーヌ・グリモー


・性別: 女性。
・姓名: エレーヌ・グリモー Helene Grimaud。
・何人?: フランス人。
・何者?: クラシックのピアニスト。
・生年月日: 1969年11月7日生。
・備考: 美人ドキドキ


対称性の強迫


・子供の頃は奇行と奇癖の目立つ問題児。集団生活に馴染めず、いじめられっ子で友達もできなかった。


・幼少時からの対称性の強迫行為。勉強机の上で本の両側に同数の鉛筆が配され、本はノートから等距離に並べられなければならない。靴紐は両足とも同じようになるまで結んでは解いてを何時間も繰り返した(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』p.59)。


・コンサート・ピアニストになってからも強迫行為は暫く続いた。演奏旅行中に投宿したホテルの家具や備品を左右対称に並べ替えないと気が済まない。コンサート後は疲れているにもかかわらず、気を利かせたメイドが凝りに凝った強迫的ディスプレイを元に戻してしまったと確信して、恐れつつ電気も点けずに、ベッドルーム、バスルーム、洗面台と巡り、全てを並べ直して回った(同上。p.59-60)。


・しかし日本を演奏旅行中のある日、ホテルに帰り疲労の極致にあって猶、イルカのプリントされたセーターをその柄が上下左右対称になるよう物差し(!)を使って折り畳んでいた時に、発作的にセーターを窓から投げ捨て、以後強迫症状は止んだ(同上。p.60)。


・楽器の演奏やスポーツ等、完璧の追及が要求される営みには生得的な強迫的性格が必要、とエレーヌ・グリモーは主張する(同上。p.65)。


就眠の儀式


・眠る前にベッドの中で、教理問答で習った祈りを一定の規則で繰り返し声に出して唱える。そうして漸く眠りに就くことができた。言い間違えたり、発音やイントネーションが気に入らないと最初から唱え直し、満足するまで何時間でも続け、時には明け方に疲れ切って眠り込む、ということもあった(同上。p.51-52)。


・後、この儀式は音楽で役立つことになる。音楽学校の試験前夜、課題のシャルパンティエがどうにも退屈で憶える気が起こらず、諦めて床に就いたが、突然祈りの習慣が甦り、無意識的にスキャンされていたシャルパンティエの譜面を全て、かつて祈りを反復したようにリズムとアクセントに満足が行くまで飽くことなく繰り返してイメージ・トレーニングし、翌日試験ではその曲を完璧に弾きこなした(同上。p.52-53)。


自傷行為或いはエンドルフィン嗜癖(?)


・自傷行為が対称強迫の対象となる。6歳の時、母の故郷コルシカの海岸でかかとに傷を負い、麻酔無しで縫合の手術を受けたのだが、その最中に思わず笑みがこぼれるほどの至福感を体験する。たぶんエンドルフィン(*)が大量に分泌されたんだと思う。しかし心配する両親を尻目にめくるめく快感に浸っている自分に対して後ろめたさを感じてしまい、苦痛と涙を装ってことがこじれる。数分後に全ては忘却されたが、これを契機に全ての障害が始まった、とグリモー自身は記している(それが隠蔽記憶でなければね)(同上。p.40-44)。

(*)エンドルフィンについては ↓

「報酬系・ドーパミン・渇望:コルトレーン、ヘロインを断つ その16」
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10017910374.html

「練習による依存の適正な代替:コルトレーン、ヘロインを断つ その28」 参照。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10025913975.html


・数年後、砂利道で偶然転んで膝に傷を負い、生を強く実感、エンドルフィン体験が甦る。自傷行為が勃発し、しまいには対称強迫と連動して右手に傷をつけると左手にも傷をつけないではいられなくなる。両手・両膝・両肘に絆創膏を貼った以前にも増して奇妙な子供とグリモーはなってしまう。(同上。p.57-59)。


[覚書: エンドルフィンは自傷行為が習慣化する理由の一つであるかもしれないが、事後的に(或いは発端として)生ずる自罰衝動はエンドルフィンでは説明できない? やはりエンドルフィンだけではタナトスを説明できない? そりゃそうか。]


・7歳の時、情操教育のため(まあ、問題児だったから)両親に音楽教室へ連れて行かれ、女性ピアノ教師が弾くシューマンを聴き、深く魅惑される。

自身の内奥から生ずる魔力、とグリモーは表現するが、それってやっぱエンドルフィンじゃないだろうか(音楽に感動するとエンドルフィンが出ます)。明らかに音楽はグリモーの性に合っていた。以後ピアノにのめり込み、自ら進んで練習する。両親はさらに偏った性格になるのではないかと心配するがもう遅い(*)。音楽という全く別種の刺激に触れて報酬系は新たに賦活され、グリモーを猛烈に駆り立てる。それかあらぬかパリ音楽院に入学した13歳の頃に自傷行為は自然に消えた(**)(強迫性プラス報酬系駆動、というのはコルトレーンの生涯を理解する上でもかなり参考になる)。


(*)この辺はグレン・グールドとちょっと似ている。手袋おやじも子供の頃はむちゃくちゃ練習大好きで、変人になることを危惧した両親から練習時間を日に4時間と制限されていた。そしてグールドもまたグリモー同様友達のできないいじめられっ子だった。しかし性格はちょっと(いやかなり)違う。グールドの場合は強迫じゃなくって分裂病質だとかアスペルガー症候群だとか言われたりしている。ミシェル・シュネデール『孤独のアリア』、宮澤淳一「グールドと精神医学」(KAWADE夢ムック文藝別冊『グレン・グールド』)参照。
(**)『野生のしらべ』p.64, p.59


・エンドルフィン仮説(ドーパミンでもいいけど)をさらに裏付けるのは、くたくたになるまで運動することを好んだ、というエピソード。延々と続く歩行や階段の駆け上り、バーベルや鉄アレイ、ランニング・マシーンを通じての肉体の酷使。この女、疲労を超越した快楽の味を占めているのが見え見えですぜ、ニセ医者の旦那(ちなみに歩行やジョギングといった反復運動はセロトニン神経を活性化する。セロトニンについては後で触れるかも)(同上。p.256-257)。


狼大好き


狼マニア。「狼女」たる由縁の症状。

アメリカ移住後、狼と運命的な出会いを経験、強く嵌り込む。

狼について大学で勉強し、果ては土地を買い込み放し飼いにして狼保護センターを設立するに至る。狼についての生物学的・博物学的な知識は『野生のしらべ』にも惜しみなく投入され、自伝的エピソードのカウンター・メロディを成す。気に入るととことん強迫的(いちず、とルビを振りたい)になるタイプみたいです。狼のために恋人も捨ててしまいました。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10038082588.html


youtube エレーヌ・グリモー 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/150.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/682.html#c1

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由
音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由

菅野沖彦先生のリスニングルーム
http://ninzaburou.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/blog/images/sugano1.jpg
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2008/02/15.html


オーディオ評論家・菅野沖彦氏の文章を公開しています。
http://www.audiosharing.com/people/sugano/sugano.htm
http://www.audiosharing.com/people/sugano/rashinban/rashinban.htm
http://www.audiosharing.com/people/sugano/audiolife/audiolife_1.htm


菅野沖彦 ピュアオーディオへの誘い - Phile-web
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/index.php?p=2
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/index.php?p=1


オーディオ評論家評論
http://www2.famille.ne.jp/~itoh/hyoron.html


▲△▽▼


日本の音楽界の七不思議


@ 何故 二流指揮者のカラヤンにあれだけ人気が有るのか?

A 何故 死んだ音しか出せない B&W のプロ用モニター・スピーカーがあれだけ一般向けに売れるのか?

B 何故 音楽も音もわからない菅野沖彦さんがオーディオ評論の第一人者と思われているのか?

C 何故 演奏の良し悪しが全くわからなかった吉田秀和さんが音楽評論の第一人者と思われているのか?

D 何故 知性も教養もゼロの宇野功芳さんが音楽評論で前代未聞・空前絶後の成功を収めたのか?


▲△▽▼

40年前、オーディオの世界ではJBLが半ば神話の世界に入っていた。

そしてマランツとマッキントッシュ。

オーディオファンの間ではこれらでなければ世も日も明けない一時代があった。アルテックも、JBLと並ぶ大ブランドだった。

一度ブランド品として名が売れて仕舞うと後は楽チンで、一定期間は黙っていても売れてゆく。音楽などは二の次で「何を聴くか」よりも「何で聴いているか」が一義的な問題であったようだ。

VANジャケットが自分に似合うか否かは二の次であったように

「何で聴いてるんですか」

と聴かれて

「JBLです」

と小鼻を膨らませて答えなければ格好にならなった。加えて

「アンプはマッキンです」、

「私はマランツです」

と答える事が出来れば大得意の満点であったのである。そう、マークレビンソンという腐れアンプもあったが、今日では「LINNです」と答えねばならんのだろうか。
今、「JBLです」と答えるマニアは随分減ったのかもしれない。でも換わりに「LINNです」と答えなければならないのなら心理的レベルは進歩していない事になる。どうあれ、カリスマ的な目玉商品を人々に印象付ける事が出来れば流行を造る事が出来る。

2007年以来、LINNはネットオーディオを引っ張ってきたというから、ならば日本の業者や提灯持ちの評論家がカリスマに祭り上げたということかもしれない。そのこと自体ちっとも悪い事ではないし、ネットオーディオも面白いから寧ろ歓迎すべきだが、アンプ一個が数百万円、プレイヤーも数百万円。何から何までLINNで揃えたら軽く1000万円を超えるという事になると、ウェスタン並みのバカバカしさである。

35年前、僕はぷっつりオーディオ雑誌を読まなくなった。

参考にならないからであったが、余りに過激な人達が登場して、全員揃ってパイプを咥えている姿が気持ち悪くて見るのが嫌になったのである。
表現が違っていても云う事が全員同じであるところも気に食わなかった。一人が誉めると全員が誉め、貶すと全員が貶す。そいう事なら評論家など一人で充分だったと思うが、当時はこの仕事が金になったのかゴロゴロいた。

一人の評論家がJBLを誉めると数人の評論家が異口同音に誉めちぎり、其れを読んだ読者が揃って JBLを求める。僕も私もJBLという構図が簡単に出来上がる。斯く云う僕だって僅か半年の間だったとはいえ、一度はJBLを手にした事がある。

今年の7月になって、僕は35年ぶりにオーディオ雑誌を読んだ。評論家のメンバーはすっかり代って往年のパイプオジサン達は一人も登場して来ない。代って彼らの子供か孫くらいの年齢と思しき若者達が評論家として登場している。

それにしても、昔も今も評論と云うのは何故あんなに表現が難しいのだろう。まどろっこしいと云うか、解読には随分な苦労を強いられる。うっかりすると結局何を言っているのか解らない事もある。権威付けでもしたいのなら阿呆な話だ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27


▲△▽▼


音楽的教養 投稿者:影なびく星 投稿日:2012年 5月 9日

 
五味先生の名著に「オーディオ巡礼」があります。
それには、幾人かのオーディオマニアを五味先生が訪問した感想が書かれています。
皆、評判のいい感想ばかりですが、おそらくもっと多くのマニアを訪問していると
思うのです。しかし五味先生が気に入らなかったものは削除されているものと思われます。

私が興味を持ったのは、五味先生がオーディオセールスマン(評論家)の音をどう評価していたのかです。

これは、「五味オーディオ教室」という本に、菅野沖彦と上杉佳郎の音についての感想
が載っています。

菅野沖彦の音については、録音技師の聴く音であって音を響かせようとしておらず、
ステージがない、音の歪のない再生を追及するあまり無機的な音と評価しています。

ただ、だから菅野沖彦の音はだめだというつもりはありません。
音の好みは人それぞれ違いますから、菅野沖彦の音を好む人がいても当然のことと
思います。

しかし、ステサンなどで菅野沖彦の書いた文章を読むと、音に関することばかりで、
作曲家や指揮者、演奏家に対する感想などなく、音楽的教養が限りなくゼロに近い人間
だという事がわかります。

つまり菅野沖彦は音はわかるが、音楽は理解していないということですね。


上杉佳郎の音については、さらに厳しく評価しています。

上杉邸でマーラーの交響曲第4番(バーンスタイン指揮)を聴いたところ、第2楽章に
ヴァイオリンの独奏パートがあり、マーラーはこれを「死神の演奏」でと指示している、
つまりこの演奏は悪魔が演奏するように響いてくれなければならないが、上杉邸の弦の音はシャリつく音で「死の舞踊」が「アパッチの踊り」に聴こえたというのですね。

私はこの文章を読んで、早速マーラーの交響曲第4番(クレンペラー指揮)を購入しました。最近改めてこの第2楽章を再生してみたのですが・・・・
うーん、むずかしいですね。アパッチの踊りではないのですが、果たして悪魔的に響いて
いるのだろうか?

私は最近少しでも音を良くしようとスピーカーベースを購入し、スピーカーコードを変え
さらに昇圧トランスも変えました。確かに音は以前より好みの音になりました。
しかし、それは音を聴いているのであって、音楽を聴いていないようにも思えます。

オーディオで音楽を楽しむには、やはり音楽的教養が必要ですね。
https://6629.teacup.com/fuku25252/bbs/2657

▲△▽▼

五味康祐さん、菅野沖彦さんところを訪問してこんなことを言っています。
一言でいうと、其処で鳴っているのはモニターの鋭敏な感覚が絶えず検討しつづける音であって、音楽ではない。音楽の情緒をむしろ拒否した、楽器の明快な響き、バランス、調和と言ったものだけを微視的に聴きわける、そういった態度に適合する音である。

無論、各楽器が明快な音色でバランスよく、ハーモニーを醸すなら当然そこに音楽的情緒と呼ぶべきものは生まれるはずだと、人は言うだろう。

だが理屈はそうでも聴いている私の耳には、各楽器はそのエッセンスだけを鳴らして音楽を響かせようとしていない、そんなふうに聴こえる。

たとえて言えば、ステージがないのである。演奏会に行った時我々はステージに並ぶ各楽器の響かせる音を聴くので、その音は当然、会場のムードのなかできこえてくる。

いい演奏者ほど、音そのもののほかに独特のムードを聴かせる。

それが演奏である。

ところがモニターは、楽器が鳴れば当然演奏者のキャラクターはその音ににじんでいるというまことに理論的には正し立場で音を捉えるばかりだ。――結果、演奏者の肉体は消え、楽器そのものが勝手に音を出すような面妖な印象をぼくらに与えかねない。

つまりメロディは聴こえてくるのにステージがない。

レコード音楽を家庭で聴く時、音の歪みのない再生を追及するあまり、しばしば無機的な音しか聴えてこないのはこの肉体を忘れるからなので、少なくとも私は、そういうステージを持たぬ音をいいとは思わない。

そしておもしいことに、肉体が消えていくほど装置そのものはハイファイ的に、つまりいい装置のように思えてくる。

この危険な倒錯を、どこで食い止めるかで音楽愛好家と音キチの区別はつくと私は思ってきた。

さぞや菅野さん、堪えたでしょうね。

こういうことを言える、言ってくれる人がいなくなってオーディオ評論家も堕落したのでしょう。

オーディオ評論家が、お互い仲良し倶楽部のメンバーになって、他人の悪口は言わない、意見の合わない人は入れない、金を貰った製品は全部ほめる、こうなったのは五味康祐がいなくなってからではないですかね。

上杉さんもこてこてやられています。

山中さんも、「劇場用の音である。多勢に聴かせる音である。夜更けて独り、挫折感や悔いや生き難さへの憾み、愛に酬われぬ痛哭、そんなものを癒され明日への己れを鼓舞してくれる曲を聴くにふさわしい音ではないと私には思えた。人に聴かせられる音なのである。」と言われています。

瀬川さんは褒められています。

シャープになった、スピード感が出てきた、定位が良くなった、等と言って音の変化ばかりに耳が行っていますと、「鳴っているのは、音楽ではない」と菅野さんならずとも、言われそうですね。

心しなくては。

(6月19日)

面白い評論を有難うございます。

五味さんあたりは、文字通り命の糧として音楽を聴いていたので自分の感じと妥協するところがなかったのでしょうね。

菅野さんへの感想はいまで言うなら、やはり前に出てくる音でどこやらのよく聴く押し付けがましい音だったのではないでしょうか。

もう少し音場を考えたサウンドステージとホールトーンがあれば五味さんの感想も違ったものになったかもしれませんね。
http://www.aafc.jp/Essay/matumoto7.htm

▲△▽▼


高名なオーディオ評論家は全員嘘吐きの詐欺師だった _ 2

菅野沖彦 02/01/30 12:56


さあ僕とレコ−ド演奏について語ろう。ただし


装置総額1000万以上

レコ−ド枚数10万枚以上、

年収5000万以上、

愛人5人以上


でなければ 書き込んじゃいけないよ。では始めよう!!
http://music.2ch.net/test/read.cgi/pav/1012362989

菅野沖彦  

自動車評論家界の重鎮、徳大寺有恒との親交も厚いらしく、そのファッションセンスや時折紹介されるリスニングルームの様子から見ても他の評論家とは別次元にいる、名実共にハイエンドな方。ECMファンの間ではキース・ジャレット『サンベア・コンサート』の録音に携わったことでも知られている。

 独自の『レコード演奏家論』を発表以降、オーディオという趣味に一種の「ステイタス」を求める菅野の、評論家としての姿勢がより明確になったように感じられる。アンプ、スピーカーともにマッキントッシュを使用しているあたりも彼のステイタス指向の現れなのか。だから低価格機種の評価はほとんど行わないし、新興メーカーの機種を積極的の紹介したりもしない。あらゆる意味で長岡鉄男の対極にいる。(1997,10/23 記)


名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/01/03(木) 12:40:43 ID:BDsd3SLZ

評論家も人間ですので、そこんとこよろしくとの事です。(W
評論家も商売の1つです、そこんとこよろしくとの事です。(W
評論家は慈善事業ではありません、そこんとこよろしくとの事です。(W


http://2bangai.net/read/05ba12b399b8ea350fcbbec294a7977277fe6b10e0014ef46534d16d3dc2af87/701
http://unkar.org/r/pav/1199331643


http://audioidentity.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301451014-1
http://2chnull.info/r/pav/1285411699/

              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
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        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | 菅野先生は
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | 外向的感覚型なのよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /


マッキントッシュのアンプは老舗高級オーディオ雑誌の「ステレオサウンド」のボス的存在だった菅野沖彦が猛プッシュすることで、わが国での栄光を持続させてきた感がある。

菅野現役時は、この雑誌の「権威ある」とされるベストバイにおいてマッキンが常に上位にあった。しかし、菅野が一線を退き、ベストバイ選定委員から外れた途端にマッキンのアンプは上位から姿を消してしまった。

 菅野とマッキンの癒着構造に、どの程度の金銭が絡んでいたのかはわからないが、マッキンの実力が普遍的なものであれば、菅野引退後も上位ランキングを維持し続けたはずである。

 オーディオがオーディオジャーナリズムと不可分の関係にあり、たった一人の評論家がわが国におけるマッキンの「位置」を決定していたという事実。これはオーディオというもののあり方を知る上でも重要である。
http://yoshi-s.blog.so-net.ne.jp/2011-04-01-2


「百万円の音」  素敵なメカニズム


 レコーディング・ディレクターでオーディオ評論家の菅野沖彦は、オーディオには百万円以上のお金をかけないとダメだ、と何度も主張している。

「なぜならば百万円以下では音楽に対して失礼だから」

というのだが、どこから百万円という金額をはじき出したのか?については、説明がない。

誰か有名な作曲家が「わしの音楽は100万円以上のステレオで聴かなきゃダメ」と言ったのだろうか?


 そもそも芸術をお金に換算しようという性根が腐り果てているように思える。
 安物のトランジスターラジオから流れる音楽を聴いて感動している少年に「お前は失礼な奴だ!」と菅野は言うのだろうか?

 こんなことを言う人間がふんぞり返っているからオーディオという趣味が滅びてしまったのだと思う。

 わしの知り合いのオーディオ・マニアはバブルの頃は総額数千万円の機械を使っていたが、最近は生活もつつましいものになってしまったため、数万円のミニコンポで音楽を聴いている。しかし

「強がりではなく、こっちの方がいい音がしてるんだよね〜」

と本当に満足しているのである。

 わしは数千万円の音を何度か聞かせてもらっているのだが、確かに立派な音は出ているのだけれど、どうも札束で頬っぺたを叩かれているような不快感があったのだ。

 数万円のミニコンポの音は、全然堂々としてないんだけれど、着飾ったところがないためか、音楽の本質がストレートに伝わるようなそんな気にさせるわけだ。
やっぱり数千万の機械の圧倒的存在感を前にして音楽を聴くと、身構えてしまうんだよね。

 自然体で音楽に向き合えない。金に目が眩んだ、いや耳が眩んだ聞き方になってしまうんだなあ。

 もちろんオーディオの楽しみ方として、むやみに金をかけること自体を楽しむというのがあるのは認めるが、そんなことをしたからといって、音楽に対して礼儀を尽くしたなどとは考えない方がいいと思う。

追記:菅野沖彦は雑誌や講演会では「百万円」発言をしているが、プライベートでは「スピーカーなんて音が出ればいい」と言っているらしい。
凄い人だ。


________


投稿者:三一十四四二三2007/8/22 13:17


菅野沖彦の自宅でオールマッキントッシュのシステムを聞いたら、「聞き賃」として15万円を請求されるそうです。

(それでも予約待ちだそうです)

オーディオの秘訣も伝授してくれるそうで

「いい酒を飲み、いいものを食べ、いい車に乗り、健康に気をつけてよく寝る」
というのが一番大事だそうです。


投稿者:fziro2007/8/23 15:09はぁ、15万ですかぁ…。

昔は池田圭さんの音を聞かせてもらった後には、定収入のないあの方のために、黙っていくらか包んで置いてくるというのがシキタリだという伝説があって、それは一種の「美談」だと感じたんですが、菅野さんの場合は、なんかやっぱナマナマしくていや〜んですねぇ(w


投稿者:三一十四四二三2007/8/23 18:28


菅野沖彦の家で音を聞いた・・・というのが一部のオーディファイルの間ではステイタスになるらしいですね。

プラチナカードという「うちで聞きました証明書」が発行されるそうです。


 それから今もやっているかどうか知らないけれど、雑誌「ステレオ」に「菅野沖彦が自宅にやってくる」というコーナーがありましたね。

あれに出る人は皆「〜でございます」っていう喋り方をするんですよね。

菅野を崇め奉っている感じで気色が悪かった。

(あれに当たると税務署が来る!っていう噂が流れていて敬遠する人もいたらしい)

http://green.ap.teacup.com/31104423/450.html


967: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/30(土) 20:57:29 ID:opLpEqZA

昨年のSSベストバイでマッキンはほぼ0。

と思ったらこの方が選定者から外されてたんだ。
それまでは一人だけ☆☆☆で入ったのがあったような。


577 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/30(土) 03:01:55 ID:LLJjbw9W

菅野氏は、評論するオーディオ機器をすべて自腹で購入してるんでしょうか。
まあ、自分が役員を務める輸入商社の取り扱い製品はやすく購入できるんでしょうが、特定ブランドと利害関係のある人間の評論を信じろと言われてもねぇ


578: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/30(土) 03:50:59 ID:EtQT8TQ4
>>577
最近はマッキントッシュジャパンに移籍したみたいだよ。


579: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/30(土) 11:16:20 ID:LLJjbw9W
577 578

最近、日本法人を作ったんでしたっけ。

業界の内部事情はよく知りませんが、まあ、順当な移籍なのかな、

評論芸者に変わりはないし。なぁ〜んて言うと、本物の芸者さんに失礼かも。


521: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 13:50:58 ID:FD7OGLbO

マッキントッシュジャパンの役員に就任したのかな?


717: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/10(月) 18:47:15 ID:HDGH0Sns

広くアジアにマッキントッシュの製品を普及させたのは大きな功績。


718: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/10(月) 19:33:34 ID:zC4Qvp6l

報酬や給与をもらっている所属会社の製品を普及させるのは、どこの営業マンもやってるあたりまえの仕事でしょ。 社内的な功績としても、オーディオの世界への功績ではない。


584 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/02(火) 01:21:57 ID:FcunW65t

芸者じゃない気骨ある「評論家」の存在は不可能だね、

生活あるしお金欲しい

だから芸者でも読みごたえのある文章書くならいいんじゃない?

岡とか瀬川とか

菅野は芸者にしては文章が美しくない、反吐が出る
菅野に限らず今美しい「評論芸者」っているの?


585: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/02(火) 01:38:02 ID:+ZMglQE/
>>584
何を求めているの?
それに岡氏と瀬川氏を芸者菅野と比較する意味が判らないな。


586: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/02(火) 14:59:39 ID:pTw7LeqE
>>584

今のオーディオ評論は、全体的としては感性評論だけど、元祖の小林秀雄のような
文才はあるはずもなく、意味が不明なところだけをまねているから読んでられない
んだよね。

医者崩れのなんとかっていうアマチュア評論家が典型例だと思う。中身の貧弱さを、哲学書等の引用で権威づけようとするので、いっそう惨めになる。

できるだけ客観的な印象(この表現自体、矛盾しているが)を語ろうと試みている点ではあれこれとしがらみの多い専門誌よりむしろ、AV REVIEWのオーディオ評のほうがよく書けていると思うけど、専門誌ほどカバーしている範囲は広くないし、価格レンジもお金持ちのマニアには物足りないでしょう。


619: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/13(土) 00:33:53 ID:tAA+MBj4

菅野とか野球の星野とか見てると自己演出というか自分を大きく見せる術は必要かなと思う。しかし謙譲を美徳としてしまう普通の多くの日本人にはなかなか難しい

ただ「俺ポルシェとフェラーリに乗ってるんだぜ」

とか自慢げにいいふらす奴もどうかと思うのは国産車乗りのヒガミか?


620 : 最強スピーカ作る1 2008/09/13(土) 02:03:49 ID:ar/lHfCu

そういや、911と12気筒フェラーリ持ってんだよなあ。

しかも911なんか5年置きに買い替えてんでしょ。

ええのう、富裕層は。


621 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/13(土) 02:45:57 ID:IAR+x+st
>>620
馬鹿貧乏の僻みだな。

マッキントッシュの売り上げが、ジジイの車に変わっているんだよ。


622: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/13(土) 02:57:56 ID:J7uCh8iG

評論家としての収入などたかが知れていると思うし、いくらマッキントッシュ・ジャパンの幹部だろうと、オーディオ関係の日本法人で5年おきにポルシェ買い換えるほどの収入はないだろうし、録音技術者というのが、それほどの財を成すことができた職業とも思えない。

元々、お金持ちなんじゃないの?
実業家って感じじゃないから、農家->地主->都内でマンション経営とか。

でも、本当の金持ちなら特定ブランドの紐付きになんかならないだろうから、小金持ち程度なんでしょ。


624: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/13(土) 13:35:06 ID:f+QTD0Pq

実家は金持ち。プラス賄賂という名のいろいろ。


688 : ディナ使い 2008/10/23(木) 21:19:14 ID:KY3/Wz7x

スガーノ先生はトヨタのエンジン部品作ってる会社の御曹司だと聞いたことがあるぞ。

ポルシェのパトカー東名パトロールに寄付して自分はスピード出し放題だとか何とか。

目立ちたがり,自己顕示欲満載ってのは間違いないと思うけど。


705: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/04(火) 00:21:17 ID:Vb36hSWb
>>688
センセイの父親 菅野健介氏は、キンダーブックの発売元フレーベル館の元社長だよ。


832 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/02(火) 20:28:26 ID:uxMLwIXv

弟の奥さんが、今の奥方。 彼は長男なのに録音なんかにうつつを抜かしていたので、勘当されていたんだ。

彼らの父親はキンダーブックを米国から導入してぼろ儲け、その関係で家に米国人が居候していたので英語ができる。

勘当が赦されたのちに父親が死んだのだが、彼は莫大な遺産を独り占め。

ついでに、最初の奥方と死別していたんで義理の妹を強奪
米国マッキンの役員を務めていたのも事実

さすがに子供たちは家を出て行った、いままで叔母さんと呼んでいた人をお母さんとは呼べないよな


833: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/11(木) 22:15:13 ID:DuAP3a24
>>832
だめだよ、こんなところで真実を晒しちゃ!


834 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/12(金) 04:10:13 ID:asMrMieV
>>832
凄いね弟の嫁さんを妻にしてしまうとは、英雄色を好むをさらに上いってる。

菅野沖彦氏がマッキントッシュジャパンの役員って本当ですか?

それだと、マッキンが輸入代理店を務めるスネル社のスピーカーを誉めたのにも納得がいく。役員が工場に行けば、そりゃ歓待されるわな。誉めるわな。

ダンディズムを齢高貴高齢者でも、いまだ実践中なのがいいです。


836: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/13(土) 11:48:47 ID:nV85hKfO
>>834
彼が役員を務めていたのは、米国マッキンだと書いてあるでしょう。

いまのマッキントッシュジャパンではないよ。

クラリオンが投資ファンドに売却した後に追い出されたから、「投資ファンドがオーディオ文化を潰す。」とかさんざん批判していたでしょ。

それは、自分の懐に入ってこなくなったことが本当の原因なのさ。

その後、マッキントッシュジャパンが設立され、なにがしかの手打ちが行われたから、またマッキン礼賛に戻っているんだよ。


68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 15:05:30 ID:vBQWT5ug

2chて人生の敗者のたまり場だから、菅野先生のように人生を謳歌している成功者へのねたみはすごいね。


802: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/21(日) 21:24:12 ID:wbaRM8Yj

なにこのルサンチマンの坩堝はw


71 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 15:32:42 ID:phIbFVn6

スガーノは本当に成功者なのかな?

果たして人生を謳歌しているんだろうか?

一部の利権者に囲まれて言いたい事も言えず権威付けに奔走したがそれは情報化が進んだ今では砂上の楼閣でしかない

当然、墓場に持ちこんでいく言葉は相当あると思うが それは悔いのない人生といえるんだろうか

実は商業主義の先頭に立って踊らされた犠牲者の一人でしかないんじゃなかろうか


72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 15:38:09 ID:GoH7xbtY
>>71
圧倒的な美音を出せてるんだから成功者だろ


73 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 15:41:13 ID:phIbFVn6

美音って何?
加工された捏造音のことかな?
それはそれで氏の生き方に相応しいかもしれないけど


79 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 17:55:29 ID:gf0wRyBR

センス溢れる部屋って所か?


80: 舞の海 2008/01/19(土) 18:36:51 ID:0uc25avQ
>>79
あの部屋はひどいよね。
取り敢えず高価なもの買い足していったらこんなになりました…みたいな

裕福さは伝わるけど センスは???だね


81 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 18:42:00 ID:D2mYO8JL

ってかさ、あんなに物がごちゃごちゃした部屋でかつ、老朽化した機器を使って、
良い音なわけがないでしょ。 普通に考えて。

お世辞でしょ。単に。


84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 19:44:22 ID:7b8KnprP

昔の人は部屋にいろいろ物を置きたがるんだよ。


92 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/20(日) 17:41:52 ID:brucSUOE

金を出さなければ貶めて出せば讃える
所詮はヤクザとたいしてかわらない
そうやってポルシェやフェラーリを手にして違法運転を自慢する

むしろアングラを自覚してないだけヤクザより性質が悪い


100 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/21(月) 00:48:52 ID:z5fGUas6

菅野先生はオーディオ界に大変な影響力を持っている大御所なんだから、もし先生を粗末に扱うメーカーがあるとしたら、そのメーカーには見識がないと思うよ。


101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/21(月) 01:30:47 ID:05BXJpzQ

粗末にするって上納金を納めないってこと?
それで因縁付けて潰しにかかるなんかヤクザそのものだよね


103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/21(月) 04:19:32 ID:S0bF/fIt

ステサンのグランプリ記事でも翁が何をおっしゃるか、他の評論家も戦々恐々、お伺い立てるみたいに言葉選んでるよね

あのメンバーですら降ろされる恐怖にさらされてるんだから。

メーカー(代理店)バックに付けるってのは強いよね。


137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/13(水) 00:24:36 ID:jHco/u8S

長岡や江川は色々と考えたり作ったりして影響を与えたしそれなりに功績はあると思う

しかし菅野の場合は価格=価値という悪影響を与えてオーディオという趣味を逆に貶めただけとしか思えないのよね

入り口を狭くしたせいでオーディオが衰退した原因も作ったし

オーディオマニアという生き物が変な目で見られるようになったという点では菅野の功績は計り知れないものはあるのは間違いないところだけど


291: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/14(木) 15:36:29 ID:0LH+yVFE

スガーノが自動的に黙れば金銭面では多少は評論家が綺麗になるだろ
献金体制を作り上げた害も残るけどな

菅野は評論家じゃなくて政治家だから


821: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/02/13(金) 00:05:58 ID:TVQJDDXX

ステサンだけでなく、クラ誌のMOSTLY CLASSICでも、「ライドー」のスピーカーを褒めてたぞ。


その中から抜粋

「このところ、本欄での紹介が続いていた超弩級のシステムではないし、特別な変わり種でもない。どちらかと言えば一見、オーソドックスなブックシェルフ型とトールボーイ型システムである。」

Ayra C-1 1,638,000円(ペア/税込)
Ayra C-2 2,478,000円(ペア/税込)
Ayra C-3 3,570,000円(ペア/税込)

オーヲタ以外の人も読むんだから、頭イカレてると思われても仕方ないだろうな!


822: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/02/13(金) 19:54:24 ID:qKzwNDGd

ライドーより素晴らしいスピーカーを作る。外国に皆金持ちの金を持って行かれるのは悲しい。日本人の私がそれを見習う。


823: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/02/14(土) 00:06:15 ID:1XC7Euez
>>821
タイムロード取り扱いだからなぁ・・・
エレクトリ・マッキントッシュジャパン・アキュフェーズ…

ジジイの場合は判りやすいよね。


862: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/05(水) 09:31:24 ID:y9YvPESn

巻頭言に、乗ってきたフェラーリやポルシェのモデル名をすべて書き込んだ、
この意味を理解できない輩は大人じゃないのだ。


863: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/05(水) 12:27:15 ID:zWRL2EYl

所詮、ブランドと値段でしか評価が書けないのさ。それが飯のネタだからね。


868: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/06(木) 00:20:37 9jRzB11D

世の中、金だよ金。
老害は金さえ払えば何でもやってくれるんだよ。


889 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/26(水) 01:16:36 ID:z+3WM+jQ

世間に悪影響を与えた以外に、この人の一生に何の意味も持っていないことが面白いね。五味康祐、高城重躬、瀬川冬樹、長岡鉄男 皆、オーディオ誌に残る功績があったけれど、菅野の残した功績はと思って振り返ると、ステサンのまやかし記事の悪い記憶意外に何も無いね。


892: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/26(水) 11:06:08 ID:Y+qRbnPx
>>889

五味康祐、高城重躬、瀬川冬樹、長岡鉄男・・・
菅野と同じだろw


934 : 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/10/24(土) 12:09:48 ID:SInMNS7Y

しかし、菅野先生も平均余命を過ぎ、失礼ながらいつお迎えが来てもおかしくないお歳だ。それなのに、あの世へ持っていけないお布施を今欲しがるのも変な話しだ。

棺桶に札束を入れても仕方なかろう。もう菅野先生なら、死ぬまで優雅にくらすだけの十分な資産はあるはず。

PionnerのTAD-R1が批判されたのは、菅野先生に非礼をしたからではないだろうか?

日本メーカーが旗艦モデルを作ったのだ。オーディオ評論家の大御所菅野先生の所へお布施などせずとも、まず挨拶へ行き、製品の概念や設計思想を説明し、菅野先生の好きな老舗の菓子折り一つ持っていけば、大絶賛だったかも知れないと思う。


953: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/02(水) 01:29:27 ID:R906v4b0

最近エレクトリからの上納金が少なくてイラついているんだろうな。


881: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 10:37:54 ID:kjLGDxeQ

演奏家を訪問してワンパターンで褒めちぎる記事。
別の機会では「まともな演奏家に出会ったことがない」と本音。

関与する会社の製品はすべてよしと評価。

(友人の徳大寺さんは、どのメーカーでも車種ごとに「よくやった」とか「こんな車要らない」と判別)

収入源は大切にするまっとうな方です。


885: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 15:07:24 ID:gXFhpuhh

ステレオ誌のインタビューで、村井に菅野氏は訪問先でマトモに鳴っているところは2〜3割もないとか書いてた。 菅野氏はラ技やステレオ、レコ芸の方が面白い。


886: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 16:10:05 ID:NlHtaPNg
>>885
記事になるときは遠慮してるけど講演会だと 2、3%もないになりますよ。

SSだと全部合格です。


887: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 19:48:29 ID:13xIkpFt

演奏家訪問で部屋の広さとスピーカーでマトモに鳴ってるか想像つくよね。
まあ、お金持ちが多いんだろうけどステサンはインテリの宗教だね。


449: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 17:32:25 ID:Wla7JK6e

「この数十年で、数百人の熱心なオーディオファイルを、日本列島の北から南まで訪ねることができました。 その中で半分の方が、何とかその所有する機器に見合った音を出しておられました。そして、残りの半分は、まだまだその機器の持つ可能性を発揮し得ていなかった...。

もちろん訪ねる前には、雑誌で紹介するに値する人であるかどうかを調べてから出かけるわけですが...。それでさえこれが現実です。

そこで得られた現実は、世評の高級なブランドの製品が、その実力に見合った凄い音を出している例は数少なく、皮肉にもその逆が多いということでした。」


     ∧_∧ ミ ギャーッハッハッハッ! 猫に小判!ブタに真珠!へっぽこ☆料理人!
 o/⌒(. ;´∀`)つ 
  と_)__つノ  ☆ バンバン


450: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 17:37:43 ID:Wla7JK6e

高級ブランド品を自慢して見せびらかすオーヲタの50%は、装置一流、腕前三流という現実。大笑いの恥さらし者ですな。


792: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/16(火) 09:47:17 ID:Je7a/ZAZ

褒めるところがないと、まずは雑談から入るよな

「オーディオはいつ頃から始められましたか?」とかね

気に入ったところだと冒頭から「素晴らしい!」とか「いやぁ!」とか感嘆詞が出るからわかりやすいよな

http://2bangai.net/read/05ba12b399b8ea350fcbbec294a7977277fe6b10e0014ef46534d16d3dc2af87/all


              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
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        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
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        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
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         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | 外向的感覚型は
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | メッキ人間なのよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /


はじめにマッキンがあった。

マッキンはスガノと共にあった。

マッキンはスガノであった。

このマッキンは、初めはスガノと共にあった。

オーディオはマッキンによって成った。

成ったもので、マッキンによらないものは何一つなかった……。

http://d.hatena.ne.jp/mandana/20050119


音楽に感動する為に必要な“いい音”は知識さえ有れば大してお金を掛けなくても簡単に手に入ります。しかし、菅野先生好みの完璧な音響を達成するには莫大なお金と努力と才能が必要なのです。

菅野先生を見ていると、耳がいいというのと音が分かるというのは全然違う事だというのが良くわかります。

音感だけが人並み外れて優れていて、音楽や音は全くわからないというのが稼げるオーディオ評論家になる為の必須条件なんでしょうね。


それにしても、マッキントッシュのあのコレステロール過剰で翳が全く無い音を、平気で我慢して聴いていられるというのも凄い才能ですね。(感心)


______________


23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/29(月) 22:32:06 ID:EPLJ9S6+

皆さん、菅野システムの実音を聞かれた方いますか〜?
ハッキリ言って、あまたいるオーディオ評論家の中でもズバ抜けて音いいですよ。
ほかの連中はまったく歯が立たない状態です。

やはり技術と年季と生音経験で、オーディオにバケさせる能力と感性が成せる職人芸なのですよ。まさに巨匠で、脱帽です。


26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/29(月) 22:49:39 ID:wtjldv2X

俺は随分前になるが、仕事でオッキーの家に行き1時間位レコード(まだアナログの時代)を聞かせてもらった事ある。

感想は、う〜んん・・、俺は英国系の渋いオーディオが好きなので正直好みでは無かった。

例えばジュリア・ロバーツのような、誰でもわかりやすい綺麗さというか・・。


203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/10/08(土) 21:30:38 ID:rVbL/wcN

で、お千ちゃんは、スガーノ氏宅にいったことはないの?

感じのいい奥さんが、お茶とお菓子(ハイソな高級品)で迎えてくれるよ

http://hifi.denpark.net/1125064884.html


89 名前:”本格”派の菅野沖彦 :2001/06/07(木) 01:08

実は私は今日、アメリカから成田に着いたばかりです。無論エレクトリのはからいであることは言うまでもないと思います。

残念ながら、江川君は「レコード演奏家」とは呼べません。言うなれば彼は、CD再生ガラクタ装置発明家、もしくは、”本格”オーディオ文化破壊者とも呼べるでしょうか。みなさん、これだけは是非守っていただきたいと思うのですが、今後オーディオを語る時は必ず、頭に ”本格” の2文字をつけて下さい。

無論、総価格300万以下の装置の方々は、全くその必要には及びません。そのような、言うなればオモチャのような装置を、江川君のように、砂に埋めようが、青汁に漬けようが、私の感知するところではありません。ただし、今後オーディオを語ることは許されないであろうことは想像にかたくありません。

レコード演奏という限りなく崇高な趣味の追求に際し、たかだか300万の投資の努力も出来ない、というような方は、残念ながら、情熱を持って、真摯な態度で音楽と向き合う「レコード演奏家」とは決して呼べないからです。

  先日、ヤスケンこと安原犬(ケン)君が、B&W 801を購入し、ついては装置総額300万を超え、私ども「レコード演奏家」の仲間入りを果たしました。これは真に持って歓迎すべきことです。8畳間に、B&W 801を導入した彼の努力は賞賛して余りあるものです。

今後恐らく、寝るスペースも殆どなく、低音はどこまでもブーミーになることは必須でしょうが、それでも いい音を引き出すべく日々研鑚する、真摯に向き合う、これこそが正に、「レコード演奏家」と呼べるものであり、今後新たにオーディオを趣味とする方々が歩むべき道だと信じて止みません。


112 名前:安サラリ−マン :2001/06/16(土) 07:02

’本格’派の先生に御報告したいのですが私も300万を突破致しました。
レコ−ド演奏家を高々に名乗ることをお許し頂けますか?


115 名前:菅野 :2001/06/18(月) 08:39
>112
装置は、マッキンかJBLだろうね?
それと、車は、ポルシェかフェラーリが必須だよ


65 名前:菅野 沖彦 :2001/03/16(金) 15:47

 あ〜親愛なる童貞諸君、マッキン買いなさいマッキン

5万円以下の製品は、点数つけないからねヨロシク
あ〜なんか暇だな。そうだ朝沼と秋葉にいこう。


68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/23(金) 10:38

おめえ、マッキンより女だろ!

菅野の図式は

女>金>車>名誉

じゃねえかよ!老害撒き散らしやがって!

だから日本のオーディオ市場はメタメタになっちまったんだよ!


73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/20(日) 21:30

菅野さん、自著の中でセクースする時はいつもベートーヴェン第7の終楽章が頭を駆け巡ると書いてたな。リズムの権化なのか。


74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/21(月) 18:48

菅野先生はスイスウォッチにも凝っておられるようだね。

ステサンに出てくる「レコード演奏家訪問」の写真でも毎回ちがうね。パテックやバセロンあたり持ってそうね。知らない人はびっくりするだろうけど、1本2−3百万以上はするんだよ。


82 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/21(月) 20:10
>>74
最近はMen`s Exだったかなんかの時計特集(死ぬほど高いの)にも対談で顔出してたよ


76 名前:>74 :2001/05/21(月) 19:02

そうか。ボクのシステムの数倍の価値がある物がスガーノの左腕に何気なく巻かれているってことね。うーん、エレク鳥ってそんなに儲かるの?


77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/21(月) 19:07

下らんね。今さらパテックフィリップスなんて。
今なら安くても見栄えの良いワイアードもあるから。精度は勿論クォーツだから上。
http://w-wired.com/

あと住宅地にフェラーリなんて五月蝿いだけだ。

本当に俗物なんだな。嫌になる。


79 名前:>77 :2001/05/21(月) 19:19

フェラーリのオーナー例(現在は知らないけど)


河村隆一・新庄剛志

要はヤンキー系・成り上がり系

菅野→毛並みの良い成金

http://mimizun.com/2chlog/pav/ebi.2ch.net/pav/kako/954/954891753.html


菅野さんは、車にも相当造詣が深くいらっしゃって、その上運転自体も楽しまれます。フェラーリとポルシェをお持ちなのは、雑誌などで紹介されているのですでにご存じかも知れませんが、菅野さんが今でもサーキットに出向かれること、そして過去には国内A級ライセンスをお持ちだったことはあまり知られていないように思います。

そんな菅野さんの姿勢から趣味というのは、コレクションとは違う。道具を通じて、またそれらを使いこなすことによって、自分自身の知識と経験を深め、感性を育み、己を高められる。そんな、一人の趣味人として一本筋の通った主張が強く感じられたのです。

http://www.ippinkan.com/mail-magazine/page_033.htm


412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/19(土) 22:09:56 ID:YeVOrjah

嶋さんが書いてたように、耳のいい男ですな。ただ、それに尽きる。
日本のエンジニアとして、唯一、耳のいい男。


306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/13(日) 00:22:26 ID:1QCYBMah

菅野先生。

ほんとにマツキントツシュの好きですか?

どうなんですか?


307 名前:オッキッヒッコ・スガーノ :2005/11/13(日) 01:22:48 ID:J7ce0PUt

まつきんとつしゅはおかねになるからすきですo


230 名前:ハーツフィールド :2005/11/02(水) 18:58:45 ID:40sfBqiX

マッキンからいくらもらってんねやろ・・


277 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/11(金) 22:24:24 ID:AsAU1B+F

マッキンからもらっていません
エレクトリから少しもらっています。


937 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/01(日) 20:20:51 ID:JBPgDYxv

オーディファイルに背徳行為を続ける輸入商社の社外取締役を早く辞任しなさい。


939 名前:sugano :2006/01/01(日) 20:42:15 ID:p7gOxgdq

今年も エレクトリの社外取締役 務めさせて頂きます
さっそく ATCプッシュしときました。


932 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/01(日) 13:17:01 ID:JBPgDYxv

長岡もオーディオ評論家として評価が高い。
菅野の評価が低いのは金にまつわる黒い噂だ。


933 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/01(日) 13:22:54 ID:51rTzRWQ

もう何年も前の話だが、某大手メーカーでは、厳しい評価をする評論家を、雑誌社に脅しをかけることで潰そうとしていた。

現在、それを主導していたやつが、会社で偉くなったりしてる。
評論家も、それと同じ人種ばかりが残ってしまった。。。


233 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/04(金) 20:18:10 ID:KUjf/IIY

新しいものが出たら、金を貰って、賛辞を書くのが評論家じゃねえか。

要するに評論家=メーカー・代理店の手先の営業マンだ。

ポリシーがあるなどと、ふんぞり返っても、金の奴隷には違いない。


239 名前:通りすがり :2005/11/05(土) 20:32:33 ID:V+wFqdoR
>>233
それじゃあ世界の営業マン、広告代理店はすべて悪者でつか。


942 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/01(日) 21:21:21 ID:JBPgDYxv

ヒューザー=エレクトリ
検査機関=評論蚊(菅野)

取締役が儲からないことを言ったら背任行為だから、消費者に損をさせて企業に利益をもたらすのが当然。結託して、悪銭稼ぎをするのは資本主義社会の当然の理なのに、おまえは馬鹿すぎ。


403 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/19(土) 17:35:56 ID:ONPiJz0I

スガーノに騙されて大金を積んでゴミを買わされるからこそオーディオ業界が衰退した。

都合のいい理論のすり替えはやめておけ、
海外のオーディオ市場が日本より健全なのはスガーノ始めSS誌のような存在がないからだ。


414 名前:にぼし :2005/11/19(土) 22:17:22 ID:r0ireKIL

評論家の言うとおりにして、あとで騙されたと騒ぐなんて、恥知らずもいいところ。 どだい趣味の世界で、人の意見を鵜呑みにするなんて、嫁さん選びを人に任せるようなもの。


417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/20(日) 00:17:04 ID:rHI4vVs2

評価の高い高額機器買って騙されたのではない、それこそ言いがかりだよ。
音質はオデオルームや環境で大きく変わるのはご存知の通り・・・。


261 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/08(火) 17:08:26 ID:T4TBzMRo

勿論、オーディオ装置はいいものを使用するに越した事は無いけど、更に大切な事は「音を聴くリスニングルーム」

どんなにいい、高価なオーディオ装置を使ってもリスニングルームの音響が悪ければ、文字通り「宝の持ち腐れ」と言う事を忘れないように。

また、その逆もある、トータルバランスが大切。


419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/20(日) 02:16:17 ID:ScxpBDOq

>評価の高い高額機器買って騙されたのではない、それこそ言いがかりだよ。
>音質はオデオルームや環境で大きく変わるのはご存知の通り・・・。

その言葉も言い掛かりじゃないかな?

SS誌はルームアコースティックに関して触れようとはしない、

またその道のプロが機器を知り尽くしておいてセッティングしたインターナショナルオーディオショウの音質の酷さは有名だ。 つまり機器以外に金を掛けるべきではないという刷り込みをしたのもSS誌だ。


420 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/20(日) 02:18:55 ID:/AkVMODC
>>419
というか、機器以外は自明の前提だろ。
それなりの住まいを持ってる人間だけがSSを読むんだろ。
4畳半の下宿住まいで読むかよ。


422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/20(日) 02:33:44 ID:ScxpBDOq
>>420
実際販売店で聞いた話、SS誌片手に○百万の予算でどれくらいのシステムを組めるか聞いて来る人はかなりいるそうだ。

勿論広い部屋の持ち主の金持ちが多いそうだが出た音には一切無頓着、しかもそれを周囲に自慢しているとの事だ。

業界としては一時的に潤うからいいと言っているが長い目で見るとSS誌は業界を滅ぼすだろうと言っている。


423 名前:にぼし :2005/11/20(日) 03:22:43 ID:rOeTBY2B
>>422
それのどこにSS誌の責任が?ただ人間の品性が貧しいだけでは。

そういう人はどうせオーディオ続かないでしょ。
どうせ釣りだと思うが。


424 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/20(日) 03:40:35 ID:ScxpBDOq

別に釣りでも何でもない、数店舗親しい知人がいるだけだ。
趣味のオーディオとしては続かないだろうね、CD派が殆んどだそうだから。
ただ応接間に置いて酷い音を出して自慢しているから閉口しているそうだ、

「これが国内最高権威の評論家に選ばれた機器の出す最高の音だ」と。

そう言う意味で非常に憂う事態だし、業界の先行きを暗くしているのは事実だ。


490 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/30(水) 02:34:17 ID:wrlfszBu

名物のレコード演奏家に関しては、当の菅野翁が別の雑誌で、

「他誌でやっている連載でいろいろなシステムを聴く機会が多いが、本人は悦に入ってても実際には聴くに堪えないような装置も多い。」

ってことを語っており、 果たして今回は本当はどうなんだろうっていう目であの連載を読むと結構笑える。あそこに登場するのがステータスだと勘違いしてネットでも俺を取り上げろとばかり運動しているような人もいるが、登場即音の良さ、オーディオの腕のよさを示すとは、必ずしも言えないようだ。


502 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/01(木) 21:22:19 ID:c8yn/MDN

先日の大阪ハイエンドオーディオショウ2日目の特別イベントでした。
まだ、各社がイベント試聴用機器のセッティング中、マイクを持たれた先生が

「今まで数百人のレコード演奏家を訪問しましたが、いい音で鳴ってたのは一人も無かった・・・」

とおっしゃられたのには驚きました。 で、ステサンを見る限りけっこう先々号などではべた褒め? の方なんかおられたのに過大評価と言うか、どんぐりの背比べ的要素しかなかったのかと?・・・
意外な所で先生の本音? が聞けたような気がしました。

個人個人、性格がそれぞれ違う以上好みの音質も千差万別と言う事を思うとまぁ これも仕方ないでしょうね。 でも、確かな事は先生の音作りに関して言えば万人向き、多くの人がいい音と感じる音作りされてると言う事です。 装置も重要だけど、聴く環境は更に重要ですと最後におっしゃられてました。

音質と同じくらい重要なのが「音量」とも言ったおられました。
音楽再生の時のボリュームには特に神経を使っておられたようです。
ただ、ホテルの大広間と言う特殊な環境下での音量は難しく、なかないい音で聞いていただく分けには行きません、それを納得の上聴いてくださいとのことでした。

レコード演奏時、大切な事は「再生環境」「オーディオ装置」「音量」

ことに「再生環境」と「音量」は重要で高額な装置を導入しても宝の持ち腐れになる事が多々有ります、その間違った音質にならない為にも正しい音楽再生を聴いて耳を鍛えて慣らしてください、間違った音質で演奏されていた方が実に多い事に驚かれたそうです。

ライブ演奏や、他のオーディオでの再生音、いろいろな音を聴いてこそベストな音質でレコード演奏できると言っておられました。


507 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/01(木) 22:32:37 ID:0gbQMscP

例えば気配感が出たとしてもボリュームしぼれば、とたんにショボい音になるもんね。


523 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/02(金) 14:31:56 ID:uIinb7l/

まぁそういう意味では菅野センセは日常茶飯事で生の楽器の音を聴いているからなぁ
何せそれがお仕事なわけだから

昔自分もセンセの講演で 

「チェンバロやアコースティックギターを実演ではあり得ないほど大きな音で鳴らされる方もいるが、それはどうかと思う。」

的な発言を耳にしたことがある。


519 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/02(金) 13:28:30 ID:fOkozyFI

コンサートに頻繁に通い、その楽器毎に忠実な音を出すように調整を続けないと『普通の音』を出すのは不可能。

前のレスにある『レコード演奏家』とかの音が似ていないというのは「元の音」を知らないでいじくり倒しているからに他ならない。

そういう努力を最低でも5年以上は繰り返さないと『普通の音』は出せない、

“レコード演奏家=引き篭もり変態オーヲタ”

という証拠だろう。


425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/20(日) 03:57:21 ID:HuTlDQCb
>>424
まあ、スガーノはルームチューニングを推奨しても一銭も儲からないだろう
そういう代理店やメーカーとは関わりがないからな・・

むしろ、まず部屋ありきと主張する評論家を追い込んで潰そうとする噂まである。


427 名前:もぐもぐ ◆x9IoVFUeJ2 :2005/11/20(日) 21:11:03 ID:HWD3sBlg

ステイタスシンボル的扱いを受けるよう仕向けているのは否定できないでしょう。


450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/24(木) 02:13:50 ID:MnJ8AnHk

小柄で卑屈で、セコセコ情報を熱心に仕入れてはいるが、卑屈さが表面に見えるから、人に嫌われることも多いのがこのジジイ。万人受けする訳ではないから、大企業には嫌われる。

輸入商社とか、アキュフェーズみたいな、アングラオデオ族のおこぼれで、喰っているヤシだな。


452 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/24(木) 02:58:46 ID:MnJ8AnHk

信じるものが、輸入商社の手先商品だが、それで満足ならば良いであろう。


453 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/24(木) 03:15:58 ID:9OVf0/YI
>>452
何がそれで不満なわけ?


454 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/24(木) 03:32:36 ID:MnJ8AnHk

不当な利益を得ているという点が不満。


457 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/24(木) 03:41:08 ID:MnJ8AnHk

色々結託して、能力の無いものをあるようにいいふらして、おこぼれをもらうのが天命と思っている極悪評論家はあの世で、地獄針むしろ、餓鬼道に堕ちて苦しみもがくのが見えている。


459 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/24(木) 23:08:52 ID:uZS2z9Fc
>>454
スガーノ程度の不当な利益に嫉妬するより、世の巨悪はいっぱいあるだろう。


466 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/25(金) 00:47:42 ID:oVeF+RkT

スガーノには散々騙された、本当に散財もいいところだ。


469 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/11/25(金) 01:38:41 ID:NL1/80rA
>>466
つきあった女がひどかったからって、紹介してくれた奴のせいにするのかよ。


889 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/29(木) 10:22:20 ID:rYfKk6aH

五味康祐は、高城にさんざんな目にあったと、単行本を出して恨みを綴った。

菅野でさんざんな目に会ったヤツは、少ないのではないか?

散財させられた金持ちは沢山いると思うが、金持ちにとって大した額ではないし、高城に比べれば菅野のまやかしは、すぐに見破られるので、被害者も出にくいか?


890 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/30(金) 18:51:38 ID:Vk9zt6zX
>>889
>五味康祐は、高城にさんざんな目にあったと、単行本を出して恨みを綴った。

高城の方もことあるごとに「さる著述業者」とネチネチやってたね

五味はサウンドステージのような方向性に早くから向いていたし高城は「ホーンによる原音再生」というローカルな方向だったからはなっから正反対

それを分からず附いていって後から恨み言を言う五味の方が悪いっちゃあ悪いがただし当時は高城みたいな立場の方が絶対だったから仕方ないっちゃあない


891 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 01:36:12 ID:Bo+mMbS7

結局、高城はNHKのレギュラーから下ろされたし、名声も薄れてしまった。
五味のネイムバリューの方がモノを言ったんだろうね。

技術的に高城は優れたものを持っていたかも知れないが、音楽性では、ダメ

菅野は、技術的には低レベル、音楽性でも低レベルだから、誰にも悪影響も良い影響も与えられない凡人だ。


893 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 02:15:28 ID:+txa36Vu

ただね、五味康祐氏は選択制難聴だったんだよな。

難聴の人がオーディオを語ってもねえ。
健常者の参考にはならんな。


895 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 07:23:26 ID:lXn0UjS9

眼鏡をかけた絵画評論家も画家も映画監督も映画評論家もいくらでもいるがな


903 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 12:35:39 ID:+txa36Vu
>>895
五味は晩年は補聴器がないと会話が困難であったほどだと言われている。

眼鏡をかけた絵画評論家とは次元が違う。
色盲とか弱視の絵画評論家がいくらでもいるとも思えないが。


904 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 14:36:31 ID:FIn7J34u

生前の五味宅の音を聴いた人物が「ある帯域にイコライザーがかかってフラットでなかった」と本に書いている。

ということは逆に言えば彼の耳にはフラットに聞こえていたということで、つまりメガネによる補正と何ら変わりないと思うが…。


905 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 14:37:53 ID:xCKeQInq

すると、市販スピーカーを試聴、評価する時には、おかしな事になるわけですな。


908 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/31(土) 15:03:10 ID:Bo+mMbS7

自分なりに音を追求しただけで、技術的に高城氏のアドバイスを受けた結果が、自分の求めていたものとかけ離れたものになったということ。

高城氏は音楽家だから、まかせて大丈夫と思ったら、音楽的にとんでもない音になったということ。

菅野がレコーディング担当だから、音について任せたらとんでもない結果になるのと同じこと。

http://hifi.denpark.net/1125064884.html

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          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | 菅野先生は
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | メッキ人間なのよ
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
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        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
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            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

▲△▽▼


330名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/24(水) 15:49:29.71ID:QHwMbGxv
菅野さんが中退した成城大学は有名なお坊ちゃん大学だ


331名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/24(水) 15:52:08.17ID:tp3WNdp8

金持ちのバカ息子
自慢は父親が東大出だという事だけ

自分の学歴自慢なら許せるけど、父親の学歴を自慢するのが情けないね


332名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/24(水) 16:08:46.70ID:tp3WNdp8

身分制度は、頂点にいる人たちには「楽しい制度」であることに気づけ


数年前、「1%の金持ちと99%の貧乏人」の存在が強調されて、世界で経済格差が凄まじく広がっている実態が問題になったことがあった。
最近は、もう誰もこの「1%の金持ちと99%の貧乏人」の問題を口にしない。
この問題は解決したのか。
まさか。現在は世界で経済格差がどんどん広がっていて、
もう富裕層と低所得層の乖離は埋められないほど大きなものになってしまっている。
解決するどころか、問題はどんどん拡大しているのが現状なのである。

さらに、それは「金持ち」と「貧乏人」という身分制度として固定化されつつある。

こういった固定化された身分は是正されなければ社会に柔軟性が生まれない。
しかし、実は逆にいったん経済格差や身分制度が生まれると、
それを「解決したくない理由」が生まれるようになってくる。

「解決されたら困る」という人が出てくるのである。
いったい、それはどういうことなのか?
経済格差が全世界で深刻化していく中で、これは考えなければならない問題だ。
https://blackasia.net/?p=2062

金持ちのバカ息子はアルバイトする必要もないし、スポーツカーも高級オーディオもピアノも買って貰える
一般大衆とは最初から出発点が全然違うんだよね


333名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/24(水) 17:06:54.62ID:/kAMPAHK

それのどこが悪い?www


334名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/24(水) 17:14:40.71ID:tp3WNdp8

>それのどこが悪い?www


恵まれた環境とコネでバカ息子が高い地位や給料を得て、できもしない高級な仕事を独占する

一方、恵まれない環境で育った天才が自分にふさわしい仕事を得られなくなる社会だと

国が滅びるんだ

日本のオーディオ界が衰退したのは菅野さんとステレオサウンドのせいだからね
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/l50


872名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/02(金) 17:06:24.13ID:sL0SnKdh

菅野さんが選んだステレオサウンドの執筆者の正体はもうわかったろ :


広大な音場に■傅 信幸■ポッと浮かぶ

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/03(木) 13:19:18.37 ID:W2VEndmy

傅は朝鮮人じゃないよ
在日中国人の息子
高卒でオーディオショップ店員上がりで
電気や音響の知識もなければ音楽の知識や技術もないのに
平然と嘘八百並べた感想文書いてメーカーにこび売る
自称オーディオ評論家
オーディオ評論に
音楽やファッションなんかの浅〜い知識を織り交ぜて
でたらめな逸話を混ぜ込んで書くのが得意


287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/01(火) 00:39:36.87 ID:jU4K1GRt

オーディオ評論家を名乗るなら、たんに耳がよいだけじゃなく
ある程度電気回路の知識を持っていたり
音響工学の知識があって各種測定ぐらい出来る資質が必要だろ
そうでないと工業製品としての性能や耐久性などを評価できないからな
音楽に対する造詣が深く楽器演奏なども出来ればそれも音質評価の助けになるだろう
電気工学も音楽も無知で、機器に対してただ生半可なカタログ程度の知識しか持たずに
子供の読書感想文みたいなもの書いてオーディオ評論家なんて名乗って欲しくないな
日本のオーディオ雑誌は提灯記事とオカルトだらけになったのはこういう奴のせいだ


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 22:00:07.17 ID:+dHESYeX

高卒なので英語はてんでダメ、
でもメーカーの主宰者と直接意見交換してるような嘘を書く
高卒なので電気工学の知識ゼロ、
だから機器に関してオカルトじみた嘘でたらめを平気でまきちらす
高卒なので音楽の知識ゼロ、
だからギターやポピュラー音楽に関して平然と嘘デタラメを書く
全てが高卒だから仕方ないって許されることか?
そういう民族だから仕方がないってことか?
こんな奴に毎号記事書かせてるステサンの編集部にはなんとかしてほしい


188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/22(日) 16:31:09.70 ID:XKnS/stY

まじめな話、傅氏はオーディオ評論家としては最も悪質な部類だろう。
人柄とか人間性とかをとやかく言うつもりはないが、
胡散臭い海外高級メーカーや輸入業者、某出版社といった、
ある種、詐欺に近いこの業界のボロ儲けのために都合の良い評論を続けてきたからだ。
原価の極めて低いハイエンドオーディオに、法外な価格をつけ、
それを絶賛することで広告料のような見返りを得る。
評論ではなく、お抱えの広告マンとしてなら許せるが、
評論家と名乗る資格はないと思う。
もっとも、そういう輩は彼だけではないが。
https://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/pav/1352225418/


菅野先生は自分が微積分すらできないから、電気や音響の知識がゼロのオーディオ販売店店員
みたいな評論家しかステレオサウンドに書かせなかったんだ。
議論して自分の無知蒙昧さがわかると困るからね
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/l50

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
1. 中川隆[-10689] koaQ7Jey 2019年10月20日 09:02:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2168]

菅野沖彦を語ろう その3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/l50


142名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 10:28:10.34ID:DG1HD+8Q

傅さんツイッターから
https://twitter.com/NOBUFUU/status/1052914505607331846

人間的魅力がすごくある人だったんだな
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)


143名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 11:30:34.21ID:0boRxNHm

テレビCMにも出てたのか
うーーーん、見てみたい


144名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 13:34:31.68ID:HyDPmcL0>>145

学生時代にオーディオの雑誌を創刊してたのか凄い人なんだな
同人誌的な物だとしても当時個人が出版すること自体がハードルが高い


145名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 14:55:40.34ID:Ce3e+DzQ
>>144
菅野さんの父親はキンダーブック(昔の幼児向雑誌)の社長だったから環境も良かったんだな


148名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 15:32:37.28ID:iifMX39p
>>145
単なるボンボンじゃないことがわかるよ、オーディオ創世記からの歴史に大きく刻まれる
https://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2007/08/31.html


171名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 19:45:49.08ID:g2/9Kkyo

菅野さんはもうとうに忘れられていると思っていたけど
死後の美化が酷過ぎるから、誰かが真実を書いておかないといけないね

瀬川さんの場合は誰も本当の事を書かなかったから、死後美化されたままで現在まで来てしまった


172名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 19:51:48.39ID:g2/9Kkyo

野口英世も死後美化されてノーベル賞級の天才みたいに書かれて、偉人として道徳の本にも載っていたけど
実際は業績の殆どが間違いだったんだよね

死後はみんな美化されて、実際とは似ても似つかない偉人になってしまうんだ


226名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 14:07:02.39ID:TETNBwhK

ID:G8fPOm2o
お前病院に行った方がいいよ


227名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 14:28:52.70ID:G8fPOm2o

しかし、菅野さんもいい家のお坊ちゃんで、何一つ不自由無しに育ち、みんなに甘やかされて
大学にも殆ど行かず、何も勉強しないまま、何となく成金になって

羨ましいよね


228名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 14:39:48.53ID:G8fPOm2o>>231

ピアノ習っていたから絶対音感ができたし
家に外人が何時も来てたから英語話せる様になったし

恵まれていたよね


231名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 16:28:02.70ID:TETNBwhK
>>228
お前、劣等感の塊だなw


232名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 16:37:59.40ID:G8fPOm2o

微分積分もできない菅野さんがオーディオ界の大御所になれた理由

アマゾンAIと日本の医学部大の発想が同じ

鳴り物入りで始まったアマゾンのAI採用が、期待と違う結果になりあっけなく中止になった。
原因はAIが女性を採用しないようにしたというのだが、AIは客観的で公正な判断で採用したはずでした。
アマゾンは過去10年間に送られてきた技術職履歴書などのデータをAIに学習させ、2014年から2017年まで使用していた。

技術職の大半は男性だったので、AIは最初から女性をなるべく採用しない事を学習し、男性を優先するようになった。
応募者が女性だったり女子大出身だと自動的に減点し、男性より合格のハードルを高くした。
AIは男性の方が技術者に向いていると思い、女性を外すことで効率よく優秀な技術者を採用できると思い込んだ。
どこかで聞いたような話であり、最近日本で問題になっている医学部の女子への減点と同じでした。
医学部大の言い分では女性は結婚や出産でやめる人が多いので、男性医師を多くしておく必要があった。
アマゾンのAIと同じで「女性は向いていないから最初から減点しておこう」という発想でした。
アマゾンはデータを修正したが、AIが今後も自己学習によってバイアス(偏り)を持つ可能性は否定できないとしている。


233名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 16:38:38.03ID:G8fPOm2o

このようなことは男女だけでなく多くのグループ分けで起こりえるし、効率的にやろうとするほどバイアスも大きくなる。

例えばある調査では「親の収入が多いほど成績が良く名門大学に入学している」というデータがある。
それなら全員平等ではなく、最初から親が金持ちの受験者を優遇したほうが、効率よく優れた学生を獲得できる。

人種間でも年齢でも非行歴でも同じようなデータはあるだろうし、例えば交通違反についてもいえる。

交通違反を複数回する人は今後も何度となく繰り返すし、それならすぐ免許を没収しようとAIは考えるかもしれない。

MSは2015年にツイッター上で一般人と会話し自己学習するAI のテストを実施しました。

AIはわずか一日で悪い言葉や暴言を学習し、独裁政治は正しいなどと言い始めたので翌日には中止された。

これらのケースは人工知能がいかにデータを教える人間に影響されやすいかを示している。

教える人間が少しでも偏ったことを教えれば、AIはそれを増幅して自己学習し、どんどん偏りが大きくなる。


234名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 16:41:08.96ID:G8fPOm2o>>236>>256

つまり、父親が東大出の有名な人で

ピアノが弾けて、英会話ができて、録音技師として有名になっていたら

オーディオの事も電気工学も何一つ知らなくても評論家になれるんだ


175名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 20:41:14.47ID:KUtF1Uok

菅野は上杉と違って自分が役員の会社の取り扱い商品の提灯持ちしかしてなかったからな
上杉は自社製品の推薦記事はあからさま過ぎてやれなかっただけだろうが


176名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 20:42:42.70ID:g2/9Kkyo

菅野さんと瀬川さんだけでなく、日本のオーディオ評論家も全員メーカーのエージェントなんだから

菅野さんや瀬川さんの事を悪く言えないよね

機器の良し悪しを正直に書いたら、メーカーから干されて食っていけなくなるからね。


178名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 20:56:23.92ID:g2/9Kkyo>>229

オーディオ評論家はこういう常識も絶対に口に出してはいけないみたいだね:

量産品に関しては、ファーストロッドが物としては一番立派に造られていて
ロットが降るほど「予告なき改良」と言う名のコストダウンと手抜きが重ねられて行くのは周知の事実ですが
(なのに、最新製品や後継機種に買い換える人が居るのは全く有り難いことです)

ウチのような、その都度オーダーの個人製作ではいつも初号機しか造らないので常に「オーバークオリティ」です

儲かる筈がありません (再び涙)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-516.html


180名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 22:18:56.91ID:g2/9Kkyo

菅野さんと瀬川さんがJBLの広報活動を始めたのは JBL モニターが評判落として、プロが使わなくなったからだろ。


181名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 22:23:19.10ID:g2/9Kkyo

JBLが凋落して、代わりに B&W と平面型スピーカー全盛の時代になりかけたから

菅野さんと瀬川さんが必死になって JBL のダメ・スピーカーの宣伝を始めたんだろうね


183名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 22:31:59.05ID:g2/9Kkyo

JBLのウーハーの変遷と失ったもの 2010/01/08
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/c0933e4a0ff3c62390e3cebd8ea361cb


JBLのウーハーの音質について時系列的に考えて見たいと思います。

LE-15A → プロ用#2215A → プロ用#2231A

と変遷して来ていますがその音質の違いを述べて見たいと思います。

LE15Aは1950年代の後半、1960年にはオリンパスに使われています。

この頃は「プロ用」と云う認識はなく、10年間ほどはLE15Aと云う型番で作られていますが、この10年間に同じLE15Aでも音質は大きく様変わりしています。

初期型のLE15Aではほとんど固有の癖は感じられなく、D130の低域側のレンジを延ばした印象です。

それがSN#7000番以降では、若干固有の「粘る様な低音」がかすかに感じられます。

SN#10000番くらいまでが16Ω仕様で、以後は8Ω仕様になっていると推測されます。

#10000番台は入手した事がないのではっきりは云えませんが、

#20000番台を聴くと「粘る様な低音」の癖が大きくなって、一般に云われる「LE15Aの音」になった様に思います。


184名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 22:32:35.92ID:g2/9Kkyo

この時点で#7000番台以前とは大きな音質の差が出来ています。

#7000番台を聴いてからは#20000番台は「バタ臭い音」に聴こえてしまいます。
#70000番台になると更に「音質」は悪くなり、もっと「バタ臭さ」を感じますし、粘りも多く、分解能も音の品位も低下しています。

SN#70000番台辺りまでがウーハーフレームの塗装色が「灰色」です。
(初期型はブルー)後期型の「黒色」は#80000番台辺りから始まるのでしょうが更に音質低下しています。

この後JBLではプロ用ユニットに移行して行きます。

そのトップバッターが#2215Aです。モニタースピーカー#4320に採用されたウーハーです。

その後、#4343では2231Aに変わっていきます。
ここまではアルニコマグネットです。

姉妹ウーハーとして#2205Aや2220Aが出て来ます。

これら#2215A、2205A、2220AのウーハーをSN#7000番台のLE15Aと比較しますと「ザックリ」とおいしい所の「質感」(オフの音)がなくなっています。

LE15Aの後期型の「粘る様な質感」はなくなっていますが、「音数」が2/3以下になっているように感じます。低域のレンジを広げる為に「音数」や「質感」が大幅に低下していました。

その頃は、オーディオ雑誌やオーディオ評論家諸氏が「コンシュマー用よりプロ用が音質は良い」と云っておられた頃で、今実際に確認して見ると芳しくない内容でした。

過去に27年間JBL#4343(A)を使い続けて来ました。
この#4343に使われているウーハーは#2231Aと云うものでした。


185名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 22:33:14.75ID:g2/9Kkyo

#4343も使い続けて行くとコーン型とホーン型の2ウェイの様なもので、ミッドバスの質感とクロスオーバーポイントが不適切な為、「人の声」が上下に常に「ブレる」もので、コーン型の質感とホーン型の質感がうまく一体化しませんでした。

それらと決別出来たのはLE15Aの初期型やD130の初期型のウーハーと出会ってからです。

プロ用ユニットが出て来た時は、「重低音」に魅了されましたが、重低音を出す為に「大切なモノ」を欠落させたウーハーになった様に思います。30年以上もほとんど毎日聴いて来ますと「自然な」音とは違う事に気付いて来ました。

D130の音は「軽い低音」、「反応の良い低音」とかいう様に表現される事が多いですが、非常にバランスが良いのです。重低音は出ませんが「深みの有る低音」を出して来ます。

またこの事は「音数」の多さにも繋がります。使って見てその良さが判ります。「深みの有る低音」は「重低音」に匹敵するくらい素晴らしい特徴です。音楽を「迫力」で奏でるのではなく「深みや奥行き」で奏でてくれます。

JAZZでは「軽く弾む」サウンドになるし、クラシックでは「重厚な弦楽器の質感」を表情豊かに出して来ます。


187名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 22:36:29.59ID:g2/9Kkyo

オリンパスかなり追求されているのが分かります。LE−15Aについてここまで掘り下げておられるのは他にもみた事がありませんでした。

ブルーフレームのLE15Aは初期というだけでなくアルニコが強力なのか大きいなどの違いもあるのでしょうか?
投稿 ベルソン | 2010/07/04 18:09


企業は開発する時は「良い物を作る」と言う姿勢で進みます。

一度商品が出来上がると「コストダウン」をして利益を出そうとします。

この観点から推察しますと、アルニコマグネットの材質やコーン紙・ダンパー等あらゆる部分に「コストダウン」の影響が出ていると思います。

ブルーフレームのLE15Aと、後の灰色・黒色フレームのユニットとはカタログデータ(外形や重量)に変更は有りません。
音質の違いは「マグネットの材質」と「コーン紙」に有ると考えています。
投稿 トレイル | 2010/07/04 21:02

_________

JBL はコストダウンの為に酷い音になってプロに相手にされなくなった。
それで、今度は日本のアホ・オーディオマニアを騙して売りつける方針に変えたんだ

そこで宣伝マンとして白羽の矢が立ったのが菅野さんと瀬川さんだったんだろうね


193名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 07:07:53.09ID:G8fPOm2o

菅野沖彦さんが牛耳っていたステレオサウンドはメーカーの広報をやってくれる評論家にしか執筆させなかった

本当の事を書くまともな評論家は意識的に遠ざけられた

それが日本のオーディオ界が成金ハイエンド志向になって衰えた原因

すべて菅野さんが原因
まあ、そういう意味ではオーディオ史で一時代を画したんだけどね


194名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 07:14:37.05ID:G8fPOm2o

三極管シングルアンプとか、当時始まった真空管アンプ界の新しい動きを黙殺して
大出力トランジスターアンプ以外を排除しようとしたのも菅野さんの影響

リークやローサー、ウェスタンのアンプ等のトランジスターアンプより遥かに優れたアンティーク製品を
時代錯誤だと思わせようとしたのも菅野さんの影響


195名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 07:17:12.98ID:G8fPOm2o

結論

1970年代の日本人の凄まじいオーディオ熱は菅野さん一人がすべて潰した

そして誰も居なくなった

それが菅野さんの業績


197名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 07:27:17.40ID:2gE2iNA2

西武が負けたのも、トランプが世界を混乱させているのも
十月に桜が咲いたのも
全て菅野さんの責任なんだろう


198名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 07:35:46.45ID:G8fPOm2o>>200>>218

菅野さんの責任というより

日本のオーディオマニアはステレオサウンドを読んでなにを買うか判断していた

そして、そのステレオサウンドは菅野さんが牛耳っていて、自分の方針に従う評論家にしか執筆させなかった

その結果、日本のオーディオ界は菅野さんの成金ハイエンド志向の価値観になった

そして高額機器を買えない一般庶民はオーディオに興味を失った


200名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 08:03:17.78ID:2gE2iNA2
>>198
>そのステレオサウンドは菅野さんが牛耳っていて、自分の方針に従う評論家にしか執筆させなかった

はい、ダウト!www

ステサンは菅野さん一人が偉かったわけではなかったのは、読者ならご存じの通りだし
傅さんや三浦さんは菅野さんとは音の好みが全く違っていた
まあ二人とも後輩だから、菅野さんがカチカチの金属キャビのスピーカーで音の良かったスピーカーは一つも聞いたことがない
と目の前で言われても黙っていたけどねえ
その菅野さんもマシーナのピュアシステムは高評価だった
もちろんスコーカーとツイーターは国産フォス製だとは先刻承知
まああの風車型スコーカー見りゃ誰でも分るがw


202名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 08:15:45.59ID:G8fPOm2o>>209

>>200
>傅さんや三浦さんは菅野さんとは音の好みが全く違っていた


そういう話じゃなくて、
菅野さんは新タイプの製品や既成ブランドのもの以外は一切認めないという方針だったんだよ

傅さんや三浦さんも菅野さん同様

Axiom80 や WE755 を使った新スピーカーが出ても一切無視
三極管アンプの新製品が出ても一切無視
ウェスタンのレプリカが出ても一切無視

こういうのはすべて JBL, マッキントッシュ、タンノイ、マークレビンソン、アキュフェーズ
の新製品なんかより音が遥かにいいんだけど、

アンティーク製品を買われると新しいものが売れなくなるから、どんな事が有っても排除したかったんだ


203名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 08:36:36.25ID:G8fPOm2o

オーディオテクネの300Bアンプやライントランスなんかは、ヨーロッパでは大絶賛なんだけど、
ステレオサウンドで取り上げられないから、
日本人はそんな物凄いメーカーが日本に有るという事すら知らない


204名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 08:39:48.61ID:G8fPOm2o

サウンドパーツの 20万円のプリアンプは FMアコーステックスの400万円のよりいいと言われているけど

ステレオサウンドで取り上げられないから、
日本人はそんな物凄いメーカーが日本に有るという事すら知らない


そういうステレオサウンドの成金趣味が日本人のオーディオ熱を醒めさせたんだ


210名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 09:33:04.01ID:JDEOoqBN

球の三極管シングルアンプは、現代のハイエンドスピーカーを鳴らす様には出来てはいない
音量を上げられない時点であぼ〜ん
以前
ラックスの300Bアンプで802SDを朗々と鳴らせると言い張って聞かない人がいたが
ご自分が所有しているラックスのアンプのパワーメーターの読み方が分からなかったらしいw
ラックスはアキュの高級機やマッキンと違って、電力計ではなく電流計だからねえ╰(´Д` )╯


211名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 09:37:25.24ID:JDEOoqBN

我が家のマジコS1では、ポップスやアニソンではピークマージン入れても数Wで十分なんだが
Dレンジの広いソフトでは10Wを越える
寺悪のお茶行この大砲じゃあ150W入れても物足りない
ちな、150Wがオレの持っているマッキンの力の限界
カラータイマーが赤々と点灯してしまうw


212名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 09:39:37.10ID:JDEOoqBN

三極管シングルアンプ、特にNFかけてないようなアンプはビンテージスピーカーとは相性がいいのはたりめー
何故ならDFが低いから・・・

後は分かるな╰(゚∀゚)╯


213名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 10:00:24.75ID:G8fPOm2o

菅野さんは低能率スピーカーと高出力トランジスターアンプを普及させたかったんだろ

98dB のフルレンジスピーカーユニットを巨大バッフルにつけて 2Wの三極管シングルアンプで鳴らすのが
一番いい音で費用も20万円程度なんだけど、

それではメーカーが儲からないから、どうしても
100万円以上の86dBスピーカーを 100万円以上の100Wトランジスタ-アンプ
で鳴らす方向に持って行きたかったんだ

それが一世を風靡した菅野流 成金オーディオの価値観だ


214名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2018/10/22(月) 10:13:00.26ID:Uy5m6dsL>>225

>>207
昔は

音楽ファン≒オーディオマニア

ウォークマン登場後

音楽ファン>オーディオマニア

数が売れなくなった業界がオカルト路線
値段だけハイエンド路線に舵を切る

今では

音楽ファン≠オーディオマニア=単なるスノッブなお買い物病患者

ってことだろ


215名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 11:38:58.98ID:G8fPOm2o>>216>>217

本来、タンノイとかスペンドール、ハーベスを買っていたのは

純粋に、好きな音楽をいい音で聴きたい

という音楽ファンであって、所謂オーディオマニアではないからね。

そういう人は物理特性じゃなくて音色や雰囲気で買う機器を選ぶんだ

しかし、菅野流成金オーディオは

低音が出るとか、周波数分布がフラットだとか、分解能が高いとか

そういう物理特性だけしか判断基準にしていない。

いくら物理特性が良くても、JBL や B&W みたいな乾いた音で、値段が高かったら音楽ファンは絶対に買わないよ

そもそも、ムジークフェラインザールみたいな一流ホールでは音が完全に混じり合って、分解能ゼロだしね。
フルトヴェングラーの演奏は音が分離したらフルトヴェングラーでなくなるし。

菅野さんは録音技術者としての判断しかできない人だったんだ。

録音評を読んでも、音楽が全く理解できなかった人だとすぐにわかるしね。


216名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 11:52:32.40ID:Uy5m6dsL
>>215
音響技術と音楽
なかなか難しい問題ですな

ホールで聴く生音(≠原音)と録音とは別もの
録音は録音として楽しめば良いと思うのだが

原音再生とか
そもそも何をもっての原音なのか
誰も知りえない、客観的に共有出来ない原音、原音とか
言い出す輩がいるからもうグチャグチャになる


217名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 11:59:47.71ID:Uy5m6dsL
>>215
多分、オーディオの話が噛み合わないのは

音楽ファンでも
クラシック好き

それ以外の人たち
との嗜好の違いが大きいのだろう

ジャズや1970年-80年代フュージョン、シティポップ好きの
自分としては
タンノイとかスペンドール、ハーベスの選択肢は無いもんなぁ…


149名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 16:30:47.46ID:g2/9Kkyo

三流大中退で微積分もできないのに、良く評論家やる気になったよね

こういう無知蒙昧な成金評論家を放置したからオーディオ熱が衰えたんだよ


150名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 16:33:11.43ID:g2/9Kkyo

そもそも、菅野さんが引退してからマッキンが全然売れなくなったというのは
粗悪品なのに、素人を騙して買わせていたという事だろ
詐欺じゃん


151名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 16:52:19.40ID:g2/

そもそも、JBLのモニターシリーズを使っていたプロなんか殆ど居なかっただろ
日本のアホ・オーディオ マニア用に特化して開発して、瀬川さんや菅野さんに宣伝させて売ってたんだよ


155名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 18:42:51.21ID:g2/9Kkyo

小さい箱に大型ウーファー入れたら量は出るが質が劇的に悪くなるというのを証明したのが43系モニター。
だからプロは他に流れた。


156名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 18:51:37.09ID:g2/9Kkyo

1970年代に大ヒットした4343をきっかけに、日本では43系モニターのブームが訪れます。

アメリカ製品でありながら、今日その生産国であるアメリカでは、ほとんど4343を目にすることはありません。
4344にいたっては、ほぼ日本向けに出荷したスピーカーと言っても過言ではなく、
こちらアメリカではその存在すらあまり知られていないのが現実です。
http://blog.kenricksound.com/2008/10/jbl-43xxno1.html


157名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 18:55:06.67ID:g2/9Kkyo

大型スタジオモニターの43シリーズだが、1970〜80年代に流行った4343だけでも
日本で1万本以上が売れているという。

家電量販店が並行輸入を扱い、
新聞1ページの広告で売りまくっていたのを覚えておられる方も多いのではないだろうか?

当時はオーディオブームで並べていれば売れていた時代だから、
音楽ファンではなく音マニア達が挙って買っていた訳だが、そんな人達も子育てが始まると共に置き場所が無くなり、押し入れや倉庫で眠らせていた・・・
 
子育てが終わり、昔を思い出して引っ張り出してみたらエッジはボロボロに朽ち、
慌ててユニットだけを修理しても接触不良だらけでまともな音が出る訳もない。
http://www.soundden.com/column/jbl43-series.html

瀬川さんと菅野さんがプロ用高性能機だと大宣伝して買い煽ったのが、アメリカでは全然売れなかった
JBL43シリーズだよ


159名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 18:58:18.60ID:g2/9Kkyo

瀬川さんと菅野さんは評論家ではなく、JBLのエージェントで、広報活動しかやってないよ

いい物を薦めるのではなく、粗悪品だとわかっていながら、JBLからのリベートを期待して嘘八百の買い煽りをしていたんだろうね


160名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 18:59:45.33ID:G4FcdJMZ

僕のオーディオ人生、半分くらい読んだが、菅野さんが大枚はたいて買った
ジェンセンのスピーカーを江川さんが踏んづけてコーンを踏み抜いた話は傑作
同エピソードでは素人細工のスピーカーキャビネットを全否定的に書いている
菅野さんのオーディオの感性、哲学がうかがえる


161名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 19:05:49.53ID:g2/9Kkyo
>>160
>素人細工のスピーカーキャビネットを全否定的に書いている

菅野さんは音の良し悪しではなく、見栄えがするかどうかしか見ないんだよ

クラングフィルムみたいに、ユニットを巨大バッフルに取り付ければ一番いい音になるけど、
そういうのは絶対にやらない

どうすれば一番カッコ良く見えるか、という視点しか無かった人だね


165名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 19:33:24.75ID:xdHVgubP

瀬川さんは4343を部屋の長手面に設置してたよ


166名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/21(日) 19:36:32.30ID:g2/9Kkyo

JBLは左右に1m 空きを作ると側壁からの反射音と混ざっていい音になるんだ

30畳以下の部屋で使うのは無理だよ


93名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 09:34:35.58ID:814LuR5E

だいたい人間80にもなれば死んで行くのだな。
癌になればその限りではないが、80代まで生きられたのなら大往生だ。


94名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 09:53:37.48ID:+hA9mzIz

最近は95歳まで生きるのが普通になったよ

菅野さんはカッコ付けてパイプ吸ってたから寿命が10年短くなったんだね


95名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 10:00:32.45ID:RQRPDIZt>>98

ブログとか故人の回顧が菅野沖彦との交友自慢になってるねいやだね〜


111おっぱいゴルファ〜2018/10/20(土) 08:27:29.31ID:C7GsMyyV

HEY GUYS

いつもパイプを持っていた彼のような愛煙家は今の時代は生き難くかったことだろう。

COMING SOON。


112名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 09:04:32.77ID:gr0a9tzo>>114

>いつもパイプを持っていた彼のような愛煙家は

カッコ付けてただけだろ

別にタバコが好きだった訳じゃない

所謂、ヒステリー性格で自分を実際より上に見せようと必死だっただけ


113名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 09:09:44.48ID:gr0a9tzo

オーディオマニアはアホが多いから、ポルシェやジャガーに乗って、パイプ咥えてるだけで
高尚な文化人だと思ってしまうんだな

唯のメッキ人間だとは わからないんだ

15名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/17(水) 19:02:48.37ID:oRMvTAIP

菅野沖彦さんが推薦したのは全部ダメだったからなあ

評論家やったのが失敗だったね


16名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/17(水) 22:27:27.88ID:DkmqKEYV>>30>>100>>154
金満主義者だったからな
自作派、プアオーディオ推しだった江川三郎や長岡鉄男の爪の垢煎じて呑んでろって


19名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 09:19:20.17ID:r56XDudy

菅野沖彦さんはCD批評もやっていたけど、音の事しか言わない、音楽が全く理解できない人だった

29名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 10:50:31.67ID:bxDvKWY5
>>19
お前故菅野氏のことまるで知らないで、故人を貶してるだろ

菅野氏は成蹊大学通いながら音楽学校に通ってピアノや作曲を習い
レコーディングエンジニアとしての付き合いを超えて
世界的な著名指揮者や演奏家とも個人的に親交を持っていたのは有名な話

当時の人としては珍しく英語も相当堪能で欧米の音楽家やオーディオ設計者と直接コミュニケーションが取れ
弟はピアニストの菅野邦彦で、本人もピアノの腕前は相当なものなんだが
何が音楽が全く理解できない人だよ


24名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 09:53:57.87ID:r56XDudy>>31>>34

偉そうに、日本のオーディオマニアでまともな音を出していたのは 1%もいなかった
とか言ってたけど、

それは部屋の大きさによってスピーカーの大きさを変えなければいけないというのを隠して
なんでも高い物を買えば音が良くなるという悪質な嘘をステレオサウンドの評論家が撒き散らしていたからだ

6畳なら 20cm フルレンジで十分だ、30cm以上のユニットではまともな音がでなくなる
アンプも10W以下でないといい音にならないのに、マッキンの 250Wとか雑で大味な音の高額アンプばかり薦めていたからな

26名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 09:57:35.96ID:r56XDudy>>27>>28>>102

民生用スピーカーでも部屋によって口径を変えないと鳴らないというのを隠して
高額品ばかり推薦していた


31名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 11:11:49.56ID:abPamAOc>>33

>>24
JBLを買った、マッキントッシュを持っている、あるいはゴールドムンドを使っている
というだけで、その人は、優れたオーディオファイルである、凄い音を出す、と
思ったら大間違いです。フェラーリを買ったら誰でも早く走れるのか?ポルシェを
買ったら、誰でもレースで勝てるようになるのか?という例えがわかりやすいでしょう。
それでは、事故を起こして死ぬのが関の山でしょう。それどころか、エンジンをかけて
走り出したとたん、エンジンストールして、止まってしまうかもしれません。
技術のない人は、その辺の普通の自動車に乗っていた方がいい。

これは全くオーディオでも同じ事なのです。私は幸いなことに、この数十年で
数百人の熱心なオーディオファイルを、日本列島の北から南まで訪ねることができました。
一度も行っていない県はありません。その中で半分の方が、何とかその所有する機器に
見合った音を出しておられました。そして、残りの半分は、まだまだその機器の持つ
可能性を発揮し得ていなかった...。おおざっぱに言ってそんな感じです。

もちろん訪ねる前には、雑誌で紹介するに値する人であるかどうかを調べてから
出かけるわけですが...。それでさえこれが現実です。

そこで得られた現実は、世評の高級なブランドの製品が、その実力に見合った
凄い音を出している例は数少なく、皮肉にもその逆が多いということでした。
それよりごく普通の製品を使っているのほうが、熱心に鳴らし込み、素晴らしい
音を出しているケースが多かったですね。そういった実体験をするにつれ
つくづく、ブランドというものは難しいものだなと思います。
https://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2007/11/16.html


33名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 11:46:04.52ID:r56XDudy
>>31
何千万円のオーディオを買ってる人はすべて購入した業者に初期設定して貰ってるだけだよ
本人は何もわからないけど、いい音で聴いている

ヨーロッパの貴族は全員そういう感じだね

日本でも、例えばゴールドムント・システムとか QUAD システムを一式買えば
調整しなくても上手く鳴るよ

まともな音にならないというのは部屋の大きさとスピーカーがマッチしない場合だけさ


34名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 11:59:05.32ID:OrEvAqyw
>>24
まるで菅野氏の書いた物も読んでいないだろ

故菅野氏は、生前一般的な居間や書斎に大型スピーカー勧めていなかった
クラシック好きに勧めてたのはハーベスコンパクトだったし
猫も杓子も30センチ3ウェイを使うブームの時に最も批判的だったのは故菅野氏


38名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 14:03:48.79ID:r56XDudy
>>34
>クラシック好きに勧めてたのはハーベスコンパクトだったし
猫も杓子も30センチ3ウェイを使うブームの時に最も批判的だったのは故菅野氏


菅野さんが高級品を高評価にしたからみんなタンノイやJBLを買ったんだろ

westminster と stirling の違いは適合する部屋の大きさだけで、別に westminster の方が高級品という訳じゃないんだ

菅野さんの価値観は ハイエンド=音がいい
という単純なものだったからね


40名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 14:34:44.72ID:GeHLlvhZ
>>34
ありゃ30cm3wayを批判したのではなく、猫も杓子ものマネし漫才を批判したものだ
センチュリーゴールドは、50周年記念がこれかよ(´Д` )
とは言っていたが


41名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 14:57:27.75ID:r56XDudy

とにかく、ステレオサウンドを牛耳っていた菅野さんが

ハイエンド=いい音

という成金的価値観を広めて、安い装置を恥ずかしいと思うアホ・オーディオマニアばかりにしたんだ

本当は 20cm の高能率フルレンジを大きな板に付けて、3W 程度の3極管シングルアンプで鳴らすのが一番いい音だ


42名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 15:29:26.64ID:r56XDudy

本来はローサーやグッドマンのフルレンジスピーカーが最高の評価にならないといけないのに、

成金 菅野さんの影響で生産中止になってしまった。

菅野さんが一番高く評価していたマッキンや JBL のハイエンドスピーカーなんか音楽聴ける様な音じゃないのにね


43名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 15:35:57.77ID:r56XDudy

100万円、200万円のトランジスタアンプより20万円、30万円の三極管シングルアンプの方が遥かにいい音

菅野さんが一番高く評価していたマッキンや アキュフェーズのアンプなんか高いだけで
三極管シングルアンプには絶対に敵わないよ

菅野さんの成金的価値観が高い機器以外は悪い音だという誤解を生んだんだ


44名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 16:47:03.40ID:qnnbhp5+

実際に会ったことある訳でもないし、よく知ってるわけでもないけど
ハイエンド、成金オーディオ、ってイメージはちょっと違うんだよなぁ
たぶんオーディオの世間的な地位、価値の向上を意識しすぎていたんじゃないだろうか
レコード演奏家もそういう流れで出てきた感じがする
オーディオの衰退期にそれが空回りして悪い部分だけ目立ってしまった気がする


45名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 16:54:47.93ID:6BOoXPxs

確かにビンボー人を発狂させたかも知れんのうwww


49名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 18:43:17.84ID:r56XDudy

菅野氏に功績なんか何も無いよ

菅野録音のレコードには価値有るんだろうけど

でも、デッカやフィリップスには全然敵わないからローカルな評価だね


46名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 17:20:56.67ID:abPamAOc>>50

なんていうか幼稚な人だなあ
グライコなどを積極的に使って部屋との整合性とれって言ってたのも知らなそう


50名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 18:48:57.78ID:r56XDudy
>>46
>グライコなどを積極的に使って部屋との整合性とれって言ってたのも知らなそう


だから、そういう周波数特性とか物理特性だけみたらアキュフェーズやB&Wみたいなどうしようもないのが
トップに来てしまうんだ

いい音と物理特性がいい音とは全く違うからね

菅野さんがいい音だと思ってるのは分離が良くて周波数がフラットな音だろ
しかし、聴いていいと感じるのは手廻し蓄音機みたいな音の方なんだ

分離が良くて周波数がフラットな音 = ハイエンドの音

だから、金を掛ければ掛ける程、菅野さんの考えるいい音に近付くという事だな


51名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 18:54:47.41ID:r56XDudy>>53

ひとつだけ間違いないのは

ステレオサウンドが日本のオーディオ業界を滅茶苦茶にした


53名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 19:01:04.17ID:79nrPVCR
>>51
海外のオーディオ専門誌が
自前で色々と測定したり技術解説しているのに
ステサンは
ただのジジイどものポエムまみれの文芸カタログだからな


54名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 19:02:55.00ID:r56XDudy>>55

昔、ステレオサウンドを全部読んでた
菅野さんの本も2冊買って読んだ

今、考えると無知蒙昧なアホが書いたのが良くわかる

カントの本を読んでも居ないのにカントの言葉だとか言って引用してたり
菅野さんの教養はすべてメッキなんだよ


60名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 19:39:54.97ID:r56XDudy

昔、マランツ 7 + 8, マッキントッシュ C22+MC275 の復刻版が出た時、菅野さんが如何にもオリジナルそのまま
みたいな感じで最新のアンプとの違いを書いていたけど

実際はマランツもマッキントッシュも復刻版とオリジナルは音が全然違う

菅野さんの批評を読んだ人はオリジナルと同じだと思って買っただろうから、後でカンカンに怒った筈なんだ


61名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 20:21:09.15ID:jTb8Nv36

オリジナルなんかほとんど誰も知らないから
そんなことで怒りようもないと思うが
悪意のある想像力だけはほんとたくましいよな


63名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 20:44:47.92ID:r56XDudy

>オリジナルなんかほとんど誰も知らないから
そんなことで怒りようもないと思うが


菅野さんは マランツ7c を持って居たから、復刻版と全然違う音だと気付いた筈だ

本来、復刻版のレビューを書くなら、オリジナルからどう変わったかを書くのが義務なんだけど、
菅野さんはみんなが知りたい一番肝心な事は何も書かないで、マランツは現代のアンプを先取りしていたとか
どうでもいい見当外れの事だけ書いていた。

こういうのは評論家失格だろ


65名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 20:57:18.49ID:r56XDudy

QUAD ESL63 が出た時の座談会で、菅野さんはベタ褒めで、前のESL57 は大音量が出せなくて、とても自宅に入れる気は起きなかったが
ESL63 なら買ってもいいと言っていた。

それを隣で聴いていた柳沢さんが呆れて、ESL57 のあのこの世のものとも思えない音が
ESL63 から完全に消えてしまった、と反対意見を言っていた。

現代の評価も柳沢さんと全く同じで、菅野さんの様な判断はごく少数意見だ。

菅野さんは、大音量が出せるとか、低音が出るとかいうレベルの、物理特性が良いかどうかでしか判断できない人なんだ。
騙されて菅野さんを信じたら無駄な散財をする事になる


67名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 21:07:38.72ID:r56XDudy>>80

チェロのオーディオ・スイーツとパフォーマンスが出た時、菅野さんは

これはゲイの人間が作った様な変態的な音ですね

と言って問題外という評価をしていた

菅野さんには音がわからないんだ


80名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 22:34:51.82ID:I8yjuzmF

ところでこのパァも一つだけいいコト言った

>>67
>チェロのオーディオ・スイーツとパフォーマンスが出た時、菅野さんは

これはゲイの人間が作った様な変態的な音ですね

そう、その通り、チェロの設計者はおカマちゃん
マークとはホモ友だったのかねえ?
音を聞いただけでおカマと分るとは、流石りゅう石流れ石、南流石は振付師の菅野さんだ


68名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 21:10:59.55ID:r56XDudy

競馬で

馬が競技中に骨折して死ぬと、二流馬なのに天下の名馬みたいな評価をする人が沢山出て来るからね

菅野さんも同じだよ


72ステレオサウンドはこういう詐欺師ばかりだったよ2018/10/18(木) 21:29:45.17ID:r56XDudy

1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない
プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである
当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった
瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ


73ステレオサウンドはこういう詐欺師ばかりだったよ2018/10/18(木) 21:30:15.37ID:r56XDudy

AccuphaseのM100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである

この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである

では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は
気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ
いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ

例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである
単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである
出来のよくないスピーカーほど
微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない
『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』

一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う


75ステレオサウンドはこういう詐欺師ばかりだったよ2018/10/18(木) 21:35:05.56ID:r56XDudy>>77

昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった

今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない

これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で
べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった


48名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 18:40:34.45ID:r56XDudy

オーディオ評論家って・・・? 2018/10/11


今日も晩酌後のひと時。なんとなく昔を思い出していた。

そう言えば、4343って無茶売れたよね。
エーーーーー(ポリポリ)、僕は薦めた事の無いスピーカーです(キッパリ)。

当時付き合っていた山水の営業部長。僕の社長に『ピンキー店長、JBLが嫌いな様で・・・』
なんて直訴をされてしまいましたから・・(大汗)。

当時売られていたスピーカー。JBLよりもタンノイの方が遥かに優れていた。
でもね、雑誌のいい加減な評価で4343を求めて来るお客様・・・・・。

で、実際に鳴き比べる。自分の気持ちに正直な方はタンノイに軍配を・・・(大笑)。

基本、雑誌で覚えた(勉強した)知識は丸ッ切り無駄です。
自分の耳を信じましょう。
だって、自分が楽しみたいオーディオでしょ。


あ、序でに・・・。
ネットでの知識も無駄です。
頼りに成るのは自分の経験値。それだけです。

極論を言っちゃいますと、雑紙やネットでの知識は余計な(間違った)情報が多過ぎます。
自分の耳を信じてコツコツと、が一番の近道です。

そんな意味で、雑誌を利用して売名行為をしている人は軽蔑します。
http://hayashilab.blog.shinobi.jp/Entry/2233/


77名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 22:27:21.35ID:I8yjuzmF
>>75
ど〜でもいいがウレタンエッジはボロボロになるのはたりめー
おまいは車のタイヤが5万キロで丸坊主と言ってディスるのか?
タイヤは減るもの、減ったら替えるものだ
このタワケwww
ウレタンエッジも張り替えりゃいいんだ
では何故JBLはウレタンエッジにしたのかというと、その方が微小信号のリニアリティがいいから
ウーハーのストロークも取れるしな


82名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 05:44:37.00ID:+hA9mzIz

>>77
>では何故JBLはウレタンエッジにしたのかというと、その方が微小信号のリニアリティがいいから
>ウーハーのストロークも取れるしな


ウレタンエッジには? 2017年03月18日

コーン型SPのウレタンエッジには?です。10年ほど経てば「加水分解」してしまう様な
スピーカーエッジが何故40年以上続いているのか?
「軽いエッジで反応性が良い」と云うのが歌い文句らしいが、個人的にはそうは思わない。
40年以上前のコーン型のSPユニットはフィクスドエッジやギャザードエッジが使われていた。
例えばJBL#4311やL-100センチュリー等には「ギャザードエッジ」が使われていて、
今でも販売当時ののエッジが使えている。非常に耐久性が高いと思う。

何故メーカーは耐久性の高いエッジを使わず、10年で加水分解する様なエッジを使っているか?
GAUSSと云うメーカーが有った。そこのメーカーは「ギャザードエッジ」を採用していた。
今でも当時のユニットをノーメンテで友人が使っている。「壊れない」と云う事が購買意欲を削ぐ?・・・
売り上げが低迷する?会社そのものが成り立たなくなって来る? と云う風に、
SPメーカーでは「買い替え需要」が無くては存続できないと云う事ではないだろうか?
複雑な心境です。メーカーには生き残ってほしいし、長持ちもして欲しい。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d8ac60c6e0648074af8fb804f2d39db7


83名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 05:46:58.80ID:+hA9mzIz


JBLがウレタンエッジを採用し始めたのは1970年代からではなかったか、と思います。
良くも悪くもウレタンです。クラシックも聴けるようになった代わり、
あの弾むようなべースの音は影を潜めてしまいました、
と同時にJBL独特のジャズっぽさも消えて音が没個性化されたような気がします。

昔のランサー101に代表される不織布のエッジに変わってウレタンが採用されるようになって
クラシックも聴けるようになりました。

しかしこのウレタンは弱点もあります。10年近く経つとウレタンがボロボロに崩れてしまうことです。

JBLの音、と言えばL−101に代表される太く、逞しく、迫力満点の音、
そしてD−130の軽やかで、弾むようなリズミカルな音といずれもジャズに特化したような音が一番印象的です

スピーカーにも得意不得意があってよく、万能というのは反面独特の個性を失っているのかもしれません!            
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jacke842nov/html/jbl/koment.html


84名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 05:49:56.79ID:+hA9mzIz

個人的にはスピーカーは1960年代初期のフラッグシップモデルで、家庭用のSPは完成の域に達したと思っている。
その頃のフラッグシップSPにはどんなものが有るかと云うと、

JBL:ハーツフィールド・パラゴン・オリンパス・ソブリン他 ALTEC:A5・A7・612(604E)他 
タンノイ:オートグラフ他 ボザーク:B-410ムーリッシュ他 バイタボックス:CN191コーナーホーン 
EV(エレクトロボイス):パトリシアン他 マッキントッシュ等々・・・

今でもマニア懸垂の大型SPの名器たちである。中には「高級家具」を思わせるモノも有る。

1960年頃と云うと今から60年前の商品である。それらを現在も使い続けていらっしゃる方もいる。
その頃のフラッグシップモデルのSP達は、使い続けてさえ有れば「壊れない」モノが少なくない。

現在の様に「ウレタンエッジ」は使っていない。

SPシステムの理想はその頃のSPに有る様に思う。片や最近のSPはプラスチック製のトールボーイ型のシステムが多い。
金額はバカ高くても20p口径のユニットが使って有り、SPと云うより「調度品」と云った風情のモノが多い様に思う。
時代の流れの中でスタイルも変わり、性能も変わってきたように思う。
しかし、フラッグシップモデルのSPについては「退化」したと言わざるを得ないと自分は考える。

76名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/18(木) 21:38:26.57ID:r56XDudy

瀬川冬樹さんも菅野沖彦さんも死んでしまえば美化されて、悪い話は誰も書かなくなるからね

両名とも日本のオーディオ界を滅茶苦茶にした事実は忘れられてしまうんだ


85名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 05:54:26.98ID:+hA9mzIz

1960年代初期のフラッグシップSP達はそれぞれに強烈な音の特徴を持っていた。
それは部屋も選ぶし、使い手のスキルも要求するものであったと思う。
それらのSPは一度聴くと記憶に鮮明に残る印象が有る。
例えばボザークのB410ムーリッシュは部屋を突き抜けて奥に立体的に広がる音の広がり方と、
精緻な構築物を思わせる音の「建築物」を感じる。クラシックのオーケストラなど「演奏会」で聴いている様な感覚になる。

JBLハーツフィールドもオールドJBLの良いとこ取りをした様な爽快なサウンドを出してくれる。
タンノイ:オートグラフもオーケストラの弦楽器奏者が増えた様に奏でてくれる。
各SP共に「ある分野」をターゲットに開発されている様なので、
その分野の音楽とマッチすればそのままで素晴らしい「音楽」を聴く事が出来る。

ただ良い事ばかりでもない。「万能型」ではない。
どんなソースもSPの主張するサウンドで出してくる。聴く側がそのSPに寄り添う様な聴き方を求めて来る処が有る。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a36c7cd15b7ce4fe4f96d2db9647af18

本来は JBLで稼いだ居る瀬川冬樹さんと菅野沖彦さんがウレタンエッジの欠点を世に知らしめないといけないのに
逆の事をやって金儲けしていた。

自称専門家のオーディオ評論家がこういう事をやっていたから日本人のオーディオ熱が冷めてしまったんだ。


86名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 06:19:11.83ID:+hA9mzIz

JBL DD55000 EVEREST という不評ですぐに消えたハイエンドのダメスピーカーが出た時も

菅野さんは大絶賛して

その彫琢は深く鋭い
地獄の底を見た様な恐ろしさ

と書いたから、何もわからないアホの買いが殺到し、後で困って持て余す事になった

菅野さんの罪は重いよ


87名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 07:57:25.70ID:+hA9mzIz

菅野さんは最初、ワーフデールのユニットを組んでいたから、

JBLやマッキンよりワーフデールやグッドマンやローサーの方が遥かにいい音だと知ってるんだけど

金にならないからワーフデールやグッドマンやローサーは完全無視だったね


88名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 07:59:56.26ID:+hA9mzIz

ジャズなら JBL より パルメコの方がはるかにいいというのが定説だったんだけど

そういうのは絶対に言わないのが菅野さんの狡さだな


106名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 17:30:19.46ID:+hA9mzIz>>107>>110

4343 より LE8T の方が音がいいと誰かが教えてやれば良かったのにね

菅野さんは自分が損する事は絶対に教えないというのが何かな-


107名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/19(金) 23:47:59.02ID:8r2vhLSD
>>106
フルレンジにはフルレンジの良さがあるんだが、ローもハイも伸びは無い
フルレンジでは聞こえない音が聞こえる、良く出来たマルチウェイのスピーカーを聞いたコトがないんだねえ
残念な人生を送ってしまいましたね


108名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 05:05:22.69ID:gr0a9tzo
>>107
マンションで低音出したら刃傷沙汰になるだろ
高音は40万の法則で、低音が出ないのに高音だけ出ると変な音になる

ベイシーの菅原さんも、もうマルチは止めてフルレンジにしたいと言っているよ


109名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 05:10:01.31ID:gr0a9tzo

因みに、プロの演奏家は安物のオーディオしか持って居ない
音楽がわかる人は 38cm ウーファーなんか絶対に使わないんだ


110名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 07:10:06.17ID:o1EdIGBZ
>>106
聴く音楽による
フルオケはLE8Tはムリだが
ジャズ(ビッグバンド除く)やボーカル(アニソンは除く)
は最高

116名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 10:07:53.35ID:0hWXsL+V

55000エベは広いとこで聴いたことあるけど悪くはなかった
JBLの大型モデルってのは日本の広さに換算すると24畳以上で本領発揮するような設計なんだと中の人も言ってる
日本の住宅事情ではほとんど不可能な広さ
古民家の8畳3間ぶち抜きとかでないと無理だろう


117名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 11:23:30.61ID:PHz7XHEt>>122

エベレストは55000も66000も相当広い部屋でないと真価を発揮しないわなあ
ウサギ小屋ならLE-8T
しかし聞いていると不満が出てきてツイーター追加
今度は低音が日光の手前でそれならとウーハー追加
だったら初めから4311でええやんと
でもJBLならやっぱホーンだよねえ、それも本格的なコンプレッションドライバーの
といつのまにやら大型に
そしてある日、ふと思い立ってSP-LE8Tを引っ張り出して聞いてみると・・・

振り出しに戻る


118名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 11:34:14.40ID:0hWXsL+V

俺は自宅は4311を自作真空管アンプ、職場はD130 LE175 075の自作真空管マルチ

音は自宅の勝ち…


122名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 13:13:35.62ID:9NyIpDNl
>>117
それ、ありそうなパターンだなぁ
最初は小さなシステムでこじんまりとしたバランスは良いけど超低音とか出ないし、といつかはと思いながら3way、4wayとユニットを増やして高音の伸びがとか低音がとか
やがて若い頃に聞いてたLE8Tを聴いてバランス良いじゃんと元に戻る


123名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 13:51:00.84ID:gr0a9tzo

パラゴンなら四畳半でも聴けるんだよ
元々センター用スピーカーだから


124名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/20(土) 14:06:48.10ID:0hWXsL+V

YさんもAさんも部屋は狭いけどパラゴン使ってるね
パラゴンは湾曲板に額を押し付けて聴くのが通らしいよ

四畳半でも下駄を履かせればパラゴンの下で寝れるし
パラゴンの上はラックになるし音道の中は猫の良い遊び場になるし
パラゴンこそ日本向きのスピーカーかもしれない
下手なオーディオよりも場所をとらない
岩崎千明さんなんかはレコードプレーヤーもパラゴンの上だった


237名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 16:59:48.72ID:G8fPOm2o>>238>>256

菅野さんに限らず、日本のオーディオ評論家はレベル低過ぎなんだな

だからメーカーのエージェントやって広報活動で稼ぐしかないんだ


240名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 17:36:06.86ID:G8fPOm2o>>250

「レコード演奏家」とか演奏家訪問は情けない企画だったね

プロなら装置を見て、どこをどう直せばいいか指摘して、実際に自分で改善してみせなければ
無能だという事だ

スピーカーの配置、スピーカーケーブルの長さの調整等、すぐにできる事は沢山ある
スピーカーをもっと小型のに変えた方がいいとか、適切なアドヴァイスもしないといけない

しかし、菅野さんはその程度の指導も何一つできず、後から

日本のオーディオマニアの99%は機器を上手く使いこなせていなかった

とかいう無責任で偉そうな暴言を吐いただけだった


260名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 04:49:18.03ID:BHVq5wrX

菅野さんも金かけてマニア訪問してるんだから

少なくとも、視聴位置での周波数特性くらいはデータを取って、改善してやらなければ
金かけて行った意味が無いんだよ

スピーカーの配置でもGRFのある部屋みたいに平行法で壁からの距離やスピーカー間隔を mm 単位で調整したり、
プロケーブル社みたいにスピーカーケーブルの長さを焦点が合う様に調整するだけで
音は激変する

インターコネクトケーブルをプロ用のベルデンやノイマンに変えるだけで音は改善する

菅野さんも一応自称プロなんだから、せめてそれ位はやって欲しかった


261名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 05:29:59.58ID:BHVq5wrX>>262

電気工学も音響学も何一つ知らないド素人でも巨星になれた成金オーディオ時代は終わった


巨星墜つ

https://pansaku.exblog.jp/27598210/


ついに菅野沖彦氏が世を去った。
あの時代は終わり、新しいオーディオが始まるのか。
あの時代を通り過ぎた日本のオーディオファイルにとって、菅野氏は現代に生き残っていた
最後のオーディオのカリスマであった。
彼とその仲間たち、ファンたち、そして自分では彼のアンチを自認していながら、知らず知らずのうちに影響下にあった者たちが日本という国の中に作り出した雰囲気は、長い間、日本のオーディオのメインストリームであった。
かの人の他界、すなわち日本の古いハイエンドオーディオの象徴の退場とともに
日本のオーディオシーンの変化は決定的となるに違いない。
心せよ。
新しい時代の波が日本のハイエンドオーディオに
これから本格的に押し寄せるであろうから。
強い製品が生き残るのではなく、
変化に対応した製品が生き残る。
世界は絶えず変わってゆくが、人が実際にそれを痛感するのは
なんらかの大きな出来事、節目の事を目の当たりにしたときだけなのだ。

巨星、ついに墜つ。

(TeamLab ボーダレスの展示を見た帰りのタクシーの中で、この知らせを聞く。感慨に耐えず、橋を渡るクラウンの座席に埋もれ、暗い東京湾を眺めつつ、一文をしたためた次第。)


263名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 05:55:38.57ID:BHVq5wrX

1970年以降の菅野さんがカリスマであった成金オーディオ時代では

1950年代のワーフェデール、グッドマン、ローサー、QUAD に匹敵するスピーカ-は遂に一つも出なかった

戦前のウェスタン・エレクトリック、ローサー、リークに匹敵するアンプも遂に一つも出なかった

要するに何一つ進歩がなかった、買う価値ゼロなのに金かかるだけのアホ・オーディオの時代

菅野さんや瀬川さんがやっていたのは

アホ・オーディオ・メーカーのエージェントとして、何も知らない小金持ちマニアを騙して
買う価値の無いダメ・スピーカー、ダメ・アンプを買わせる事

その内、みんな菅野さんや瀬川さんの流す悪質な嘘に気付いて、アホらしくなって、オーディオ離れが進んだ
オーディオ・メーカは次々に倒産、そして誰も居なくなった

241名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 18:48:29.32ID:RMhDDbKo

オーディオ評論家は、少なくとも
電気工学とか、今ではデジタルとはどういうものなのか
最低限、理解する人であって欲しい

自分がどう聴こえた感じた
なんて誰も客観的に共有しようがない
ポエムなんて何の意味も無い


242名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 18:50:46.49ID:RMhDDbKo>>246>>259

という意味では
菅野さんは江川さんと同じく
オーディオを体験至上主義、精神論に堕したということで
罪深いと思う


230名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/22(月) 16:06:23.03ID:BfJp+QW+

実は今の時代、20万円もあれば
好きな音楽を良い音で聴きたいという目的を
十分以上に満たせる
結構なシステムが組めるんだよね

でもそれをなぜか許せない、認めたくない
っていう人がピュアオーディオには多い

菅野さんの逝去をもってもうこういった
偏狭な考えは棄てるべき


267名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 08:48:02.01ID:zZSZbfGb

危地害は飽きもせずに同じコトを繰り返し言うなあ
そして底辺は自分が買えないハイエンドを取り上げる雑誌や評論家をボロクソに言うねえw
まあ底辺がホントーに憎んでるのは、ハイエンドに手の届かない情けない自分自身なんだろうねえ( ̄▽ ̄)ウンウン
しかし力の限り手を伸ばせば、ハイエンドにも手が届くんだ
例えば毎月五千円をオーディオの為に積み立てるとかな
オレはこの方法で40年がかりでマジコもマクレビも手に入れマシタ( ̄▽ ̄)
しかし、それが出来ない
そう、それが底辺というものよのうwww(゚∀゚)アヒャ!

264名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 06:29:42.34ID:CtZWZe7k

これを機に
ステレオサウンド廃刊
音元倒産で
業界大掃除で良いと思う
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/


273名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 11:31:47.52ID:BHVq5wrX

株式評論家でもそうだけど

自分で株式売買して稼げるんなら評論家なんかやらない

オーディオ評論家も同様に無知蒙昧なアホしかやらない


274名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 11:36:45.72ID:BHVq5wrX

長島達夫さんが匿名で設計した SME のアンプは自分では マランツ7Cを超えると自画自賛していたけど
ダメアンプの烙印を押されて消えていった

オーディオ評論家の能力はこの程度だよ


275名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 11:39:50.66ID:BHVq5wrX

上杉佳郎さんも酷いアンプ沢山作って、ステサンでみんなに宣伝して貰って名前だけは売れたけど
既にダメアンプという評価が確立している:

マッキントッシュのボロいパワーアンプや、上杉のボロいプリアンプこそが、アルテックを鳴らせない原因であった!

この度は、t.amps.S-75mk2、アレン&ヒースのxone:62、重鉄タップ、ベルデンのspコード購入させていただきました三重の○です。


まずt.amp、S-75mk2を注文し、届いてすぐ聴いた所、クセのないフラットな音にビックリ。思わずイナバウアーしてしまいました。

A7からこんな音が出る今までの音はなんやったんやろ。

もうオーバーホールなんかしてる場合と違うと思い、今まで使っていた上杉のプリアンプ、マッキントッシュパワーを買取に出した金額の半値で xone62 を購入しました。

上杉のプリでは、まったく分からななかった奥行き感、ピアノのタッチ感、そしてヴォーカル盤を聴くと目の前で歌っているようです。
http://www.procable.jp/setting/pa_speaker.html


276名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 11:40:43.31ID:BHVq5wrX

上杉佳郎さんも酷いアンプ沢山作って、ステサンでみんなに宣伝して貰って名前だけは売れたけど
既にダメアンプという評価が確立している _ 2:

新藤ラボラトリー 300Bsingle が製作された当初は電源部への物量の贅沢さが半端では無く、

スピーカーターミナルは米クルカ製、配線材や電源コードは米ベルデンで、

何処かの評論家の名前だけ有名な真空管アンプのように針金だけのご粗末配線では無く、人間の血管のように、適材適所の太さのより線や単線を用いて、米シカゴ・キースター製のハンダで製作されております。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p635868031


▲△▽▼


もう故人となられた某管球アンプメーカーのアンプの内部配線を自分なりに考えて見ると、材料(ケーブル・半田材等)については全くのど素人だと感じました。

「何も疑問を持たない電気技術者」を地で行っている様に感じた。

具体的に、アンプ内部の「グランドライン」は綺麗に見せる為に、むき出しの単線を多用されている。

しかし、材料や方法の分野ではほとんどど素人状態である。

何も実験をしなかったのか?疑問に思わなかったのか?・・・技術者の基本が出来ていないと感じる。

そんな方の作ったアンプが雑誌でもてはやされ、高額な値段で取引されている。

名も無い方の非常に考えて作られたアンプの方がよっぽどましだと「管球アンプ」を触っていた時に思った。

一つの機械を作る時は、4M(マン・マシン・メソード・マテリアル)で考えるのが鉄則である。その鉄則を守らない技術者がいくら見かけの良いモノを作っても「本質」は良く成らない。

オーディオの本質は「音質」である。「音質」に目標グレードを置いて開発しなければ無意味な機器を生産する事になる。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8daa45309d2187061973c9c764ceb058


277名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 11:43:49.68ID:BHVq5wrX

菅野さんはステサンの執筆者に

上杉佳郎さんとか長島達夫さんみたいな無知蒙昧で無能だけど
メーカーのエージェントを喜んでやってくれる人間ばかりを選んだんだ


278名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 11:53:17.07ID:BHVq5wrX

菅野沖彦さんみたいな無能な人間のまわりには、無能な人間ばかりが集まるんだ

才能ある人間と一緒に議論したり書いたりしたら、自分のアホぶりが みんなにわかってしまうからね。


279名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 12:04:14.19ID:BHVq5wrX

長島達夫さんはグッドマン Axiom 80 の復刻版が出た時、極めて 出来がいいと絶賛して
それを読んだ人は みんな買ったんだけど

オリジナルの Axiom 80を使っている人は全員、オリジナルと復刻版で同じなのは外見だけで音が全然違う

Axiom80 復刻版は詐欺商品だと非難した

菅野さん同様、長島達夫さんも悪質な嘘吐きで、信用した人はみんな えらい目に遭っている

283名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 12:27:44.90ID:BHVq5wrX

日本のオーディオ関係者は菅野さんが高額なだけでどうしようもないダメアンプやダメスピーカーを推薦してくれたお蔭で食べて来れたからね

それでオーディオ関係者はみんな菅野さんの悪事を隠したがるんだ


284名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 13:53:13.36ID:FiNTDc4X

ID:BHVq5wrX


285名無しさん@お腹いっぱい。2018/10/23(火) 13:53:42.72ID:FiNTDc4X

ID:BHVq5wrX 頼むから書き込みやめてくれ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/l50

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c1

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
2. 中川隆[-10688] koaQ7Jey 2019年10月20日 09:03:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2169]

897名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/04(日) 09:11:39.20ID:0HkHNjhM

シャンソンのピアニストといえば、先日亡くなられた菅野沖彦さんが録音された「La Vie」という名アルバムがあります。

帝国ホテルのレストランで弾いていたピエール・ブゾンというフランスのピアニストと一緒作ったアルバムで、そのピアニストが気になった菅野さんが、ピアニストの宮沢明子さんを伴っていって、確認したというエピソードが語られています。

その時弾いていたピアノがスタインウェイといわれたのですが、
彼は、ベーゼンドルファーからその響きを出していたのです。

このアルバムもピアノはベーゼンドルファーで、陰りはあるけど、秋の日に輝く枯葉の陽の当たる部分も引き出しています。
評論家の菅野さんより、このような名アルバムを作る彼のセンスに想いをはせるべきでしょう。
東京では、本格的な秋になる11月に似合うアルバムです。

そういえば、このアルバムの裏側の写真は菅野さんが撮られたモンマルトルの道でした。
私も、それを思い出して撮ったのが、この写真でした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/


PIERRE BUZON - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PIERRE+BUZON+


菅野さんは金にはならないけど録音エンジニアを続けていた方が良かったね


898名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/04(日) 11:30:37.26ID:0HkHNjhM

「La Vie」PIERRE BUZON
レーベル: オーディオ・ラボ

ピエール・ブゾンの映画音楽集。
ハリウッドの銀幕から流れていたヒット曲の数々がピエール・ブゾンの手にかかると宝石をちりばめたような世界に変貌してしまう。
フランスのボルドー生まれの彼のエレガントな感性は日本の聴衆のそれとフィットする。(雑誌「CDジャーナル」データベースより)      

*トラックリスト:
01私の心はヴァイオリン,02ララのテーマ,03クロパン・クロパン,04バラ色の人生,
05セ・シ・ボン,06愛の讃歌,07聞かせてよ愛の言葉を,08ラ・メール,
09ムーラン・ルージュの歌,10さらば夏の日,11君の輝,12シラキュース,
13そして今は,14マリー・マリー,15マイ・ウエイ. 
     
*演奏:ピエール・ビュゾン(p).
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89VOl-2-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BE%E3%83%B3/dp/B00FO0601E


菅野沖彦さんが理解できる音楽は このレベルまでなんですね


914名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/05(月) 11:49:27.21ID:X/zLRQRO

菅野沖彦がエレクトリの役員というのはよくないよな。
虚業呼ばわりされても仕方がない。


915名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/05(月) 12:09:16.80ID:N6TD8M34

株式会社エレクトリ|音響機器・映像機器の輸入商社
取扱いブランド

AMPZILLA(アンプジラ):プリアンプ、パワーアンプ
Atacama(アタカマ):オーディオラック
ATC(エーティーシー):スピーカーシステム、プリアンプ、パワーアンプ
EMT(イーエムティー):カートリッジ、シェル、プリアンプ
FIRST WATT(ファーストワット):パワーアンプ
HEGEL(ヘーゲル):アンプ、CDプレーヤー、DAコンバーター
MAGICO(マジコ):スピーカーシステム
McIntosh(マッキントッシュ):プリアンプ、パワーアンプ、インテグレーテッドアンプ
MERGING(マージング):DAコンバーター
METRONOME(メトロノーム):CDプレーヤー、DAコンバーター、アンプ
NORDOST(ノードスト):AVケーブル
PASS(パス):プリアンプ、パワーアンプ、フォノEQ、スピーカーシステム
stst(エスティーエスティー):アナログプレーヤー
https://www.electori.co.jp/


916名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/05(月) 12:10:46.86ID:N6TD8M34

復活したウェスタン・エレクトリックもエレクトリが代理店なんだね

WesternElectric 復活!

Western Electric - Official Home Page
http://www.westernelectric.com/index.html


917名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/05(月) 12:15:33.17ID:N6TD8M34

日本でも

47研究所
AIT labo
イシノラボ
サウンドパーツ
真空管アンプ「カトレア」
Phasemation

とか安くていい製品を作っているガレージメーカーは沢山あるんだけど

ステレオサウンドの評論家は 性能は上記の日本メーカーと同程度なのに値段だけ10倍、20倍の
エレクトリが扱っている様なハイエンドメーカーしか推薦しないからね

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/l50

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c2

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
3. 中川隆[-10687] koaQ7Jey 2019年10月20日 09:04:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2170]

菅野沖彦を語ろう その4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1541787887/l50

1名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:24:47.43ID:z+eIRU87

菅野沖彦 02/01/30 12:56


さあ僕とレコ−ド演奏について語ろう。ただし


装置総額2000万円以上

年収2000万以上、

車はジャガー、ポルシェ、フェラーリ か最低でも BMW


でなければ 書き込んじゃいけないよ。では始めよう!!


2名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:28:49.43ID:z+eIRU87

菅野沖彦を語ろう その3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1539638621/

菅野沖彦を語ろう その2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1320752347/

菅野沖彦を語ろう その1
http://toki.5ch.net/test/read.cgi/pav/1285411699/


3名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:30:35.09ID:z+eIRU87

巨星墜つ

ついに菅野沖彦氏が世を去った。

あの時代は終わり、新しいオーディオが始まるのか。

あの時代を通り過ぎた日本のオーディオファイルにとって、
菅野氏は現代に生き残っていた
最後のオーディオのカリスマであった。

かの人の退場とともに
日本のオーディオシーンの変化は決定的となるに違いない。

心せよ。
新しい時代の波が日本のハイエンドオーディオに
これから本格的に押し寄せるであろうから。

巨星、ついに墜つ。
https://pansaku.exblog.jp/27598210/


4名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:34:54.87ID:z+eIRU87

オーディオ評論家・菅野沖彦氏の文章を公開しています。
http://www.audiosharing.com/people/sugano/sugano.htm
http://www.audiosharing.com/people/sugano/rashinban/rashinban.htm
http://www.audiosharing.com/people/sugano/audiolife/audiolife_1.htm

菅野沖彦 ピュアオーディオへの誘い - Phile-web
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/index.php?p=2
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/index.php?p=1


5名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:36:34.96ID:z+eIRU87

プロジック・アコリバの石黒社長は、全国のオーディオ店の機器を聞き、
またほとんどのオーディオ評論家の装置を聞いているとのことでした。

石黒さんが言うには、

「プロのオーディオ評論家でこの人だけはとてもかなわないと思う人が一人だけいる。

それは菅野沖彦氏です。」

とのこと。私はそれを聞いてステサンのオーディオ演奏家訪問で、
菅野氏が「私の音に似ている」などと書かれていらっしゃることもありますが、
それはハッキリ言って記事の上のお世辞なんじゃないかと。
菅野氏の音はとてつもなく素晴らしいとのことでした。

また「全国のオーディオ店で本当に良い音を出している店は3つある。」とのこと。
関西と中部日本と東京にそれぞれ一店舗だそうです。
社名を出すと問題になりそうなのであえて書きませんが、
石黒さんのお眼鏡にかなったお店は損得抜きで素晴らしい音を奏でてくれるようです。
http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=kavalier1956gt&dd=21&re=179


6名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:38:40.77ID:z+eIRU87

菅野沖彦 自宅用のスピーカーシステム(3系統)


@ JBL マルチアンプ・システム

JBL2205A(ウーファー)、JBL375+537‐500(ミッドレンジ)、GEM・TS208 P.S.C.Ver.2(トゥイーター)、
ミューオンTS001 P.S.C.Ver.2(スーパートゥイーター)、ヤマハYST‐SW1000L(サブウーファー)


A マッキントッシュ XRT20


B ジャーマンフィジックス 

トロバドール80(トゥイーター)、JBL2205A(ウーファー)、エラック4PI Plus.2(スーパートゥイーター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E6%B2%96%E5%BD%A6


7名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:39:19.08ID:z+eIRU87

この頃、自宅用のスピーカーシステムとして選んだのが、JBLのユニットの組み合わせです。

40年後の今でも使っている、375ドライバーに537-500ホーンと075トゥイーターです。
しかし、以前お話ししたように、ウーファーは非常に苦労したわけです。
今は同じJBLの2205を使っていますが、これに決まるまでには5年ぐらいかかっています。

このシステムは最初からマルチアンプシステムでした。
したがって、1967〜68年から今日まで、自宅のメインシステムはマルチアンプ駆動で通しています。
当時、マルチアンプシステム用のチャンネルデバイダーはコンポーネントとしての既製品がなく、
私の場合は、クロスオーバーポイントと遮断特性を決めて、NF回路設計ブロックさんに注文して作ってもらいました。

自宅のスピーカーをJBLのユニットを使ったシステムに決めたところまでお話ししましたね。
スピーカーに搭載するチャンネルデバイダーは、(株)NF回路設計ブロックに特注しました。
当時マルチアンプシステムを組む人はそう大勢おらず、チャンネルデバイダーもあまり市場で見ることのなかった時代です。

そのマルチシステムをドライブしたパワーアンプについてお話ししましょう。
最初はソニーのTA-1120(1965年発売)というプリメインアンプを使っていたのですが、
その後、パワーアンプ部を同社のTA-3120に変更し、
プリアンプは、TA-1120のプリ部とパワー部を分けて使った2チャンネル・マルチ・アンプ・システムで、
モノラル・パワーアンプとしてTA-3120を2台追加して使用したわけです。
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2008/05/23.html
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2008/04/25.html


8名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:46:01.48ID:z+eIRU87

はじめにマッキンがあった。

マッキンはスガノと共にあった。

マッキンはスガノであった。

このマッキンは、初めはスガノと共にあった。

オーディオはマッキンによって成った。

成ったもので、マッキンによらないものは何一つなかった……。


10名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:47:52.24ID:z+eIRU87

菅野沖彦  

自動車評論家界の重鎮、徳大寺有恒との親交も厚いらしく、
そのファッションセンスや時折紹介されるリスニングルームの様子から見ても
他の評論家とは別次元にいる、名実共にハイエンドな方。

ECMファンの間ではキース・ジャレット『サンベア・コンサート』の録音に携わったことでも知られている。

 独自の『レコード演奏家論』を発表以降、
オーディオという趣味に一種の「ステイタス」を求める菅野の、評論家としての姿勢がより明確になったように感じられる。

アンプ、スピーカーともにマッキントッシュを使用しているあたりも彼のステイタス指向の現れなのか。

だから低価格機種の評価はほとんど行わないし、新興メーカーの機種を積極的の紹介したりもしない。
あらゆる意味で長岡鉄男の対極にいる。(1997,10/23 記)


11名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:50:00.89ID:z+eIRU87

シャンソンのピアニストといえば、先日亡くなられた菅野沖彦さんが録音された「La Vie」という名アルバムがあります。

帝国ホテルのレストランで弾いていたピエール・ブゾンというフランスのピアニストと一緒作ったアルバムで、そのピアニストが気になった菅野さんが、ピアニストの宮沢明子さんを伴っていって、確認したというエピソードが語られています。

その時弾いていたピアノがスタインウェイといわれたのですが、
彼は、ベーゼンドルファーからその響きを出していたのです。

このアルバムもピアノはベーゼンドルファーで、陰りはあるけど、秋の日に輝く枯葉の陽の当たる部分も引き出しています。
評論家の菅野さんより、このような名アルバムを作る彼のセンスに想いをはせるべきでしょう。
東京では、本格的な秋になる11月に似合うアルバムです。

そういえば、このアルバムの裏側の写真は菅野さんが撮られたモンマルトルの道でした。
私も、それを思い出して撮ったのが、この写真でした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/


PIERRE BUZON - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PIERRE+BUZON+


12名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 03:53:27.16ID:z+eIRU87

ある音楽プロデューサーの軌跡 #46「録音プロデューサー菅野沖彦さんの思い出」 – JazzTokyo
http://jazztokyo.org/column/inaoka/post-32958/


13名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 04:02:26.48ID:z+eIRU87

昔は、アコースティック楽器を録音するだけですので、録音エンジニアとミキサーが音のほとんどを決めて、
それをレコードのカッティングエンジニアが忠実に再現できるように努力していました。
ですから、音楽家は、アルバムの音作りに無関係でした。
この時代は、音楽家でアルバムの音の質を気に留める人は皆無でした。
それでも、アルバムの質を大切にした人はいます。そうした場合には、録音エンジニアを指名していました。
そうした人で、忘れられないのは、宮沢明子と菅野沖彦の関係です。


若き日の宮沢明子
今では、アルバム数が100を超えます

菅野沖彦 1998年に撮影録音したアルバムは
今も販売されています

今では、それぞれ、音楽界の重鎮と、オーディオ界の重鎮ですが、今から30年ほど前は、どちらも新進気鋭でした。
当時の宮沢明子は、アルバムをちょっと出してはレコード会社を変えてしまうことで有名だったのですが、
菅野沖彦のオーディオ・ラボでアルバムを作ってからは、ずっとオーディオ・ラボでアルバムを作っていました。
宮沢明子は、納得できるアルバムを作れる人を探していたのです。

菅野沖彦はジャズのアルバムが多く、クラシックは宮沢明子が中心でした。
菅野沖彦も、納得できるアーティストのものしかアルバムを作る気はなかったのでした。
オーディオ・ラボは菅野沖彦が好きでやっていた会社で、やがて閉じてしまい、
また宮沢明子はさまざまなアルバムを各社から出すようになるのですが、
菅野沖彦との親交は続いていると思います。

だって、宮沢明子のコンサートに行くと、ちゃんといい席に菅野沖彦がいて、
舞台に握手に行ったりしますから・・・。
宮沢明子の繊細で大胆な演奏は、菅野沖彦の録音により残され、今も素晴らしいアルバムとして、再発売が続けられています。


14名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 04:06:10.47ID:z+eIRU87

当時の宮沢明子は。音に厳しい人でした。
日本に2台しかなかったboesendorfer Imperial/ベーゼンドルファー・インペリアル
(世界最大級のグランドピアノで雄大な低音とppppまで演奏できる繊細さで有名、
ベーゼンドルファーは創立以来180年弱でピアノを4万台しか製造していません)
のオーナーであり、自宅ではステレオにjblのスタジオモニターを使用しているという、
音に妥協が無い、当時としては信じがたい、時代を超えた音楽家でした。

その感性は、菅野沖彦を選ぶことで、アルバムのもつ「芸術性」という問題を解決したのでした。

宮沢明子の当時の演奏スタイルは正確さよりも音楽性を重視するもので、
そうした点では、今の浜崎あゆみに通じるものを感じますね。
菅野沖彦は演奏ミスを修正することはしませんでした。それは、アコースティック録音の基本でもあります。
でも、今では考えられないことでもあります。

当時の宮沢明子と菅野沖彦の収録風景
現代の収録ではピアノにマイクを突っ込む録音エンジニアが多いそうです(アルバムを多く出しているピアニストが言っていました)。
ピアノの音がどのように楽器から作られるかを、今はもう、理解していないからですね。
音楽も、楽器もわからない録音エンジニアも、今はいます。
音がわからない音楽家と好対照を成しているわけですね。
https://www.calvadoshof.com/Advocate/2004No07.html


15名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 04:12:45.52ID:z+eIRU87

502 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/12/01(木) 21:22:19 ID:c8yn/MDN

先日の大阪ハイエンドオーディオショウ2日目の特別イベントでした。
まだ、各社がイベント試聴用機器のセッティング中、マイクを持たれた先生が

「今まで数百人のレコード演奏家を訪問しましたが、いい音で鳴ってたのは一人も無かった・・・」

とおっしゃられたのには驚きました。
で、ステサンを見る限りけっこう先々号などではべた褒め? の方なんかおられたのに過大評価と言うか、
どんぐりの背比べ的要素しかなかったのかと?・・・
意外な所で先生の本音? が聞けたような気がしました。

個人個人、性格がそれぞれ違う以上好みの音質も千差万別と言う事を思うとまぁ これも仕方ないでしょうね。
でも、確かな事は先生の音作りに関して言えば万人向き、多くの人がいい音と感じる音作りされてると言う事です。
装置も重要だけど、聴く環境は更に重要ですと最後におっしゃられてました。

音質と同じくらい重要なのが「音量」とも言ったおられました。
音楽再生の時のボリュームには特に神経を使っておられたようです。
ただ、ホテルの大広間と言う特殊な環境下での音量は難しく、
なかないい音で聞いていただく分けには行きません、それを納得の上聴いてくださいとのことでした。

レコード演奏時、大切な事は「再生環境」「オーディオ装置」「音量」

ことに「再生環境」と「音量」は重要で高額な装置を導入しても宝の持ち腐れになる事が多々有ります、
その間違った音質にならない為にも正しい音楽再生を聴いて耳を鍛えて慣らしてください、
間違った音質で演奏されていた方が実に多い事に驚かれたそうです。

ライブ演奏や、他のオーディオでの再生音、いろいろな音を聴いてこそベストな音質でレコード演奏できると言っておられました。


16名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 04:19:08.81ID:z+eIRU87


885: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 15:07:24 ID:gXFhpuhh

ステレオ誌のインタビューで、村井に菅野氏は訪問先でマトモに鳴っているところは2〜3割もないとか書いてた。 菅野氏はラ技やステレオ、レコ芸の方が面白い。


886: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 16:10:05 ID:NlHtaPNg
>>885
記事になるときは遠慮してるけど講演会だと 2、3%もないになりますよ。

SSだと全部合格です。


887: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 19:48:29 ID:13xIkpFt

演奏家訪問で部屋の広さとスピーカーでマトモに鳴ってるか想像つくよね。
まあ、お金持ちが多いんだろうけどステサンはインテリの宗教だね。


449: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 17:32:25 ID:Wla7JK6e

「この数十年で、数百人の熱心なオーディオファイルを、日本列島の北から南まで訪ねることができました。 その中で半分の方が、何とかその所有する機器に見合った音を出しておられました。そして、残りの半分は、まだまだその機器の持つ可能性を発揮し得ていなかった...。

もちろん訪ねる前には、雑誌で紹介するに値する人であるかどうかを調べてから出かけるわけですが...。それでさえこれが現実です。

そこで得られた現実は、世評の高級なブランドの製品が、その実力に見合った凄い音を出している例は数少なく、皮肉にもその逆が多いということでした。」


     ∧_∧ ミ ギャーッハッハッハッ! 猫に小判!ブタに真珠!へっぽこ☆料理人!
 o/⌒(. ;´∀`)つ 
  と_)__つノ  ☆ バンバン


17名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 04:29:06.22ID:z+eIRU87

菅野沖彦・談

JBLを買った、マッキントッシュを持っている、あるいはゴールドムンドを使っているというだけで、その人は、
優れたオーディオファイルである、凄い音を出す、と思ったら大間違いです。
フェラーリを買ったら誰でも早く走れるのか?ポルシェを買ったら、誰でもレースで勝てるようになるのか?
という例えがわかりやすいでしょう。それでは、事故を起こして死ぬのが関の山でしょう。
それどころか、エンジンをかけて走り出したとたん、エンジンストールして、止まってしまうかもしれません。

技術のない人は、その辺の普通の自動車に乗っていた方がいい。
これは全くオーディオでも同じ事なのです。

私は幸いなことに、この数十年で、数百人の熱心なオーディオファイルを、日本列島の北から南まで訪ねることができました。
一度も行っていない県はありません。その中で半分の方が、何とかその所有する機器に見合った音を出しておられました。
そして、残りの半分は、まだまだその機器の持つ可能性を発揮し得ていなかった...。
おおざっぱに言ってそんな感じです。

もちろん訪ねる前には、雑誌で紹介するに値する人であるかどうかを調べてから出かけるわけですが...。
それでさえこれが現実です。

そこで得られた現実は、世評の高級なブランドの製品が、その実力に見合った凄い音を出している例は数少なく、
皮肉にもその逆が多いということでした。

それよりごく普通の製品を使っているのほうが、熱心に鳴らし込み、素晴らしい音を出しているケースが多かったですね。
そういった実体験をするにつれ、つくづく、ブランドというものは難しいものだなと思います。


18名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 04:29:55.96ID:z+eIRU87

音というものはそれに関わった人の姿を映し出します。
その保証として、ブランドというものに置き換えられたなら、確かにブランドは音なりといえます。
逆に言えば、そのブランドさえ買えば、その音が手に入るということと短絡してしまいます。
ここには大きな誤解と危険が潜んでいます。

スタインウェイは弾き手によって、いい音が出るピアノとして有名なブランドですが、
誰が弾いてもいい音で鳴るわけではありません。

かつて、私は、フランスのピエール・ブゾンという、素晴らしいピアニストを発見しました。
レストランで弾いているのを聴いて、これは凄いピアノだろうと思って、ピアノのそばへ行って見ますと、
銘機ではなく、ごく普通のブランドのピアノでした。
これはピエール・ブゾンというピアニストが素晴らしい音で音楽を奏でていた、ということなのです。
そこで私は、この人に素晴らしい音の名器を弾かせてみたいと考えました。
そうして作ったレコードは今も忘れられない作品となっています。

これはオーディオにも同じような事が言えるわけで、こと程左様に、ブランドというものは難しいものなのです。
https://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2007/11/16.html


19名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 08:21:39.38ID:z+eIRU87

菅野先生は亡くなられたけど、エレクトリも引き続き宜しくね:

株式会社エレクトリ|音響機器・映像機器の輸入商社
弊社取扱いブランド

AMPZILLA(アンプジラ):プリアンプ、パワーアンプ
Atacama(アタカマ):オーディオラック
ATC(エーティーシー):スピーカーシステム、プリアンプ、パワーアンプ
EMT(イーエムティー):カートリッジ、シェル、プリアンプ
FIRST WATT(ファーストワット):パワーアンプ
HEGEL(ヘーゲル):アンプ、CDプレーヤー、DAコンバーター
MAGICO(マジコ):スピーカーシステム
McIntosh(マッキントッシュ):プリアンプ、パワーアンプ、インテグレーテッドアンプ
MERGING(マージング):DAコンバーター
METRONOME(メトロノーム):CDプレーヤー、DAコンバーター、アンプ
NORDOST(ノードスト):AVケーブル
PASS(パス):プリアンプ、パワーアンプ、フォノEQ、スピーカーシステム
stst(エスティーエスティー):アナログプレーヤー
WesternElectric(ウェスタン・エレクトリック)):プリアンプ、パワーアンプ、CDプレーヤー、真空管
https://www.electori.co.jp/


20名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 08:27:07.11ID:z+eIRU87

菅野沖彦・談
前回述べたような経緯で私はオーディオアンプの製作に進みました。当時、できあがったアンプを学校に持ち込み、レコードコンサートを開いたりもしたものです。
その頃、いろいろな人と出会ったり、お世話になったりしました。

オーディオ輸入代理店(株)エレクトリの創業者、故、服部一郎さんもその一人でした。
高校の1年先輩で物理部におられた同好の士です。

服部さんからは、オーディオのパーツを調達して貰いました。その頃から商才があったのでしょうね。
神田で仕入れては、我々仲間に供給するわけです。
https://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2007/08/17.html


21名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 08:53:33.41ID:yxOnYfO6

>>19 を見てみると
MAGICO McIntosh PASS w

とりが使用してるメーカーじゃねーかw
どうりでB&Wやらラックスを批判すると鯖が発狂するがごとく
MAGICO McIntosh PASS その関係であるエレクトリやら菅野氏を批判するととりが発狂w

そのうち「スタジオのアンプは80% McIntoshかPASS」とか妄想発言するかもしれんw
「ビッグデータが根拠だw」とか言いながらよw
まさに鯖派のとりだわw


22名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 09:44:18.63ID:z+eIRU87

音楽好きな“タッタ叔父ちゃん”の最期。 [気になる音]
https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2013-09-22


菅野沖彦は、どちらかといえばレンジの広大な伸びのある明るいサウンド(JBLやMcIntosh)でJAZZやクラシックを聴き、
たまにまとまりのある同軸かワンホーンのスピーカーで、ヴォーカルや小編成ないしはソロのクラシックを楽しむのがお好きなようだ。

 そのパイプをくゆらすお馴染みの菅野沖彦が、三岸節子Click!と独立美術協会へともに参加し、戦後に「別居結婚」をしていた
洋画家・菅野圭介の甥であることを、三岸好太郎Click!・節子夫妻の孫にあたる山本愛子様からうかがって、わたしはわが耳を疑った。
しかも、鷺宮にある三岸アトリエClick!の螺旋階段で、三岸節子と菅野圭介の親族たちとともに、
いまだ白髪ではなく若々しい菅野沖彦が写っている写真にも、改めて気がついた。
この写真は、これまで何度も繰り返し別々の書籍や資料で見ていたのだが、おもに三岸節子と菅野圭介を注視していたため、
まったく気づかなかったのだ。人と人は、いったいどこでどうつながってくるかわからない。
 菅野沖彦は、叔父の菅野圭介から大きな影響を受けたとみられる。音楽の趣味はもちろん、絵画を通じての芸術観や、ブライヤーパイプの趣味までそっくりだ。その様子を、わたしの本棚から1980年代末の愛読書だった、菅野沖彦『音の素描』(音楽之友社)から引用してみよう。


23名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 09:47:06.24ID:z+eIRU87

菅野沖彦は、好きな叔父のもとへ遊びにいくと、何度か繰り返し聞かされている。

 「芸術の勉強はアカデミックなものではない。
音楽学校へ行くとか行かないとかいうことと、音楽家になるということは無関係だ。
この叔父ちゃんを見ろ、絵の勉強に学校などへ行ったことはない。なる奴はなる。なれる奴はなれる」

 「同じことだ、絵も音楽も。しっかりした技術の裏づけがない芸術は人を感動させることはできないぞ。
俺の絵だって、いきなり、あんなデフォルメされたものを描いているのではない。
俺にもデッサンを猛勉強した時代もある。似顔だって画けるぞ。学校へ行くよりも一人で勉強することは厳しい。
強制されずに自分を自分で訓練することはな。しかし、学校へ行ったって先生まかせで勉強できるものではないぞ。
結局は同じことだ。音楽学校卒業、美術学校卒業なんていうのは、あんまの免状じゃないんで、
音楽家や画家になることとは無関係のものなんだ」


24名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 13:52:57.54ID:xp9R4YIT

McIntoshスレのコピペです。
McIntoshもアキュフェーズ ラックスマンも適正価格の歴史的信頼度もある。
高額海外製品は外観ばかり金かけ 中身は二の次
製造工場も外部発注の部品の組み立てのみのガレージ工場
今日や昨日出来たような組織で 歴史も浅い。
いつ会社が解散してもいいようになってるところが主
しかも一台売ったら高額利益になる 常識を逸脱してるような超高額品が多い。
いつの間にかあまり聞かなくなったと思ったら 消えてなくなっていたりで
修理もままならない。
短期間て消えてなくったり 国内で売れなくなったら
商社が取り扱わなくなったりで 信用できない。


25名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 15:36:05.74ID:z+eIRU87>>26>>30

McIntosh もアキュフェーズ、ラックスマンも高いだけで音はどうって事無いよ。

日本のガレージメーカーには

47研究所
AIT labo
イシノラボ
サウンドパーツ
真空管アンプ「カトレア」
Phasemation

の様な McIntosh、アキュフェーズ、ラックスマンより安くて遥かにいいアンプを作っているガレージメーカーが沢山あるよ

ステレオサウンドの評論家は 性能は上記の日本メーカーと同程度なのに値段だけ10倍、20倍の
エレクトリが扱っている様なハイエンドメーカーしか推薦しないからね


26名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/11(日) 00:07:59.47ID:y7HumU/T
>>25
>McIntosh もアキュフェーズ、ラックスマンも

いずれも最初はガレージメーカーでしょ、多くのユーザーの支持を得て今があるんじゃないの? 
評論家の推薦だけで歴史を作れるわけないよね
47のようなお金をたかるマイナーメーカーばかり並べても自由民主党には遠く及ばないよな


30名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/11(日) 10:23:07.19ID:D81IcBuK
>>25
>McIntosh もアキュフェーズ、ラックスマンも
> いずれも最初はガレージメーカーでしょ、多くのユーザーの支持を得て今があるんじゃないの? 
評論家の推薦だけで歴史を作れるわけないよね


ガレージメーカーというのは天才技術者が一人で設計・製作をするものだからね
ソナスやハーベスみたいに最初はいい製品を出しても、会社の規模が大きくなると平凡になるんだよ

ガレージメーカーでは一番最初に出した製品が一番いい


33名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 12:59:51.29ID:vZgmhuAx

スガーノの代わりに藤岡がステサンの評論家になればいいのに


34名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/16(金) 00:17:01.16ID:B7Y4K6Sk

神崎一雄先生が最高の評論家だったと思う


35名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/17(土) 19:28:58.48ID:0YSz2qll

小野寺と石田が良い


36名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/24(土) 00:39:40.63ID:ycH86o8Y

2000年7月に大阪いずみホールで行われた、宇野功芳指揮サクラ管による
ベートーヴェンの交響曲第3番の演奏およびCDのこと。しかし、限定200本
のみ生産されたライヴビデオなるものが秘密裏に発売され、ファンの間では、い
まや米ウラニア・レーベルから出ていたフルトヴェングラーの『エロイカ』初期
盤をも超える価値があるとされている。ホームビデオ級の劣悪画像とモノラル音
声ながら、第1楽章中間部で同音が続くところなど、コーホー尊師が激しくケツ
を突き出しながらティンポニを煽る姿が鮮明に捉えられており、そのあまりに過
激な内容に、ビデオ倫理委員会から成人指定と、指揮者にモザイクをかけるよう
にとの指導を受けた。そのため、ファンの間ではこれを「ナニワのウラビデオ」
と呼ぶのが慣習となっている。


37名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/28(水) 18:46:22.61ID:XqLLy+yg

スガーノの家を突然訪問してもサントリーウイスキー山崎などの手土産持参なら音を聴かせてくれただろうか


38名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/28(水) 21:31:30.50ID:zi1LIYz9

国産じゃだめだろう


39名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/29(木) 00:25:50.78ID:rRQEUE60

ワイルド・ターキー


40名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/29(木) 17:44:34.33ID:D2tDAcMU>>43

海外物で味と質で山崎に勝てるウイスキーはどんなに高いものでもないんだけどね


41名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/30(金) 17:06:15.63ID:xeuHwSUL

スガーノのリスニングルームは今どうなってるの?


42名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/02(日) 04:03:59.22ID:apKU6Hv8

方舟の今はどうなってるの?


43名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/03(月) 20:57:05.55ID:PEI+g6R4
>>40
混ぜ物の偽物で金儲けしてきたのに、今さら何も足さない何も引かない、なんて言われても困ります……
混ぜ物した酒で美術館建てて、お前らは偽酒飲んでろ、俺は本物だってかwww


45名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/05(水) 21:31:43.05ID:y6aXayis

ウチは今でもマッキンのスピーカーがメインだよ


46名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/06(木) 21:16:38.29ID:mP0WLTEo

>方舟
壊すという噂だったけど、
ストリートビューを見る限りでは塗装し直してきれいになってる


47名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 11:31:02.72ID:+UvAoBb2

某オーディオショウの特別イベントでした。
まだ、各社がイベント試聴用機器のセッティング中、マイクを持たれた先生が

「今まで数百人のレコード演奏家を訪問しましたが、いい音で鳴ってたのは一人も無かった・・・」

とおっしゃられたのには驚きました。 で、ステサンを見る限りけっこう先々号などではべた褒め? の方なんかおられたのに過大評価と言うか、どんぐりの背比べ的要素しかなかったのかと?・・・
意外な所で先生の本音? が聞けたような気がしました。


48名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 18:22:50.75ID:ufmdW/++

マッキンのスピーカーはボザークの技術者が設計・製作していてボザークと音は変わらない

そのボザークの評価は:

オーディオ・マエストロ 素敵な装置1(2001年記載)是枝重治

20年以上前のこと、ボザークの大型スピーカの上にジョーダンワッツの安物スピーカー フラゴン
を載せて鳴らしていたところ、お客さまが異口同音に「今日のボザークはいい音がする」と仰ったのには参りました。
それはほんとうのことで私も同感でしたから。
http://www.audio-maestro.com/su_dina_zhuang_zhi1.html


49名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 18:25:09.86ID:ufmdW/++

ボザークやマッキントッシュ程度ではヨーロッパの小型スピーカーにも敵わない:


遠方からのお客さま - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2016年12月10日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9ad70ba2d18ae9056a40d09660571f58


「オランダ・フィリップスの凄さを痛感しました。
ボザークのスピーカーを売り払って、このフィリップスの廉価ユニットを買いたくなりました。型番を教えてください。」


50名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 18:48:17.49ID:ufmdW/++

マッキン、JBLのユーザー = 音がわからない、エレクトリ専属評論家の言葉を鵜呑みにする


51名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 21:12:21.90ID:VyURtATy

70年代以降仕事でアルテック、JBL、ガウス、ウェストレイクを使い倒してた者共は、エレクトリ専属評論家の言葉もステサンも読んどらんと思うよ


52名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/18(火) 08:55:44.22ID:vabhTHQz

アルテックやウェストレイクはプロ用だからステレオサウンドやエレクトリ専属評論家の言葉なんか参考にする訳ないよね


53名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/18(火) 12:19:26.73ID:2HrAcvXW

アルテックはエレクトリ扱いだったから
昔は菅野が推薦しまくってた件


54名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 16:37:52.10ID:bgsrE39b

まぁ どうでもいいけど
ここのスレは 買えない者の妬みひがみ。


55名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 19:30:42.87ID:XopqJF2P>>56>>57

一番いい音でも中古品で良ければ 50万円も有ればすぐに手に入るからね

何も知らないアホがステレオサウンドやエレクトリ専属成金評論家の言葉に騙されているだけ


56名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 19:58:11.59ID:o0DAp7rj

>>55
安い耳で裏山╰(´∀`*)╯♡

おまい、生きてて楽しいだろ?w


57名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 20:11:33.14ID:NwoIfO4B
>>55
その50万円のシステムは具体的にはどんな組み合わせですか?


58名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 20:23:44.93ID:XopqJF2P

1. グッドマンの昔のフルレンジユニット + 2W の三極管シングルアンプ

2. QUAD ESL57 + QUAD405 +QUAD44


59名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 20:34:40.17ID:XopqJF2P

こういう所に頼めば作ってくれるよ:

Vintage Audio(ヴィンテージ オーディオ) (株式会社サイバーメディア)

1950年代のHiFi Audio販売・修理・レコード販売
1950年代のオーディオ機材/レコード(初期盤)/修理・レストア

取締役 大塚健夫
〒706-0224岡山県玉野市八浜町大崎430-12
TEL : 0863-55-1133
http://vintage-audio.co.jp/


60名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 20:38:09.63ID:XopqJF2P

こういう所に頼めば作ってくれるよ 2:


チューブ オーディオ ラボ 6FD7 シングルステレオアンプ

出力 1.8W×2(真空管含む、税抜き120,000円)
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/index.html
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/k6fd7s.html


61名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/19(水) 20:40:57.54ID:XopqJF2P

こういう所に頼めば作ってくれるよ 3:

サウンドポイント55 真空管アンプ組み立て修理
QUAD ESLスピーカー格安修理出来ます 年中無休で受付いたします
http://www.geocities.jp/soundpoint55/index.html


62名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/20(木) 10:41:31.00ID:/RKpUH+y

業者の宣伝乙

ステサン以下の悪質な宣伝スレでした


63名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/20(木) 14:39:15.21ID:NpxullLC>>66

誰も宣伝しないから知られていないけど、国宝クラスの専門店が日本にも沢山有るんだよ

日本の評論家はアキュフェーズとかラックスみたいなどうしようもない所しか宣伝しないからね


64名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/20(木) 14:42:32.54ID:NpxullLC>>65

日本にも

47研究所
AIT labo
イシノラボ
サウンドパーツ
真空管アンプ「カトレア」

とか安くていい製品を作っているガレージメーカーが沢山あるよ

しかし、ステレオサウンドのアホ評論家は 性能は上記の日本メーカーと同程度なのに値段だけ10倍、20倍の
FMアコーステックとかゴールドムントみたいなボッタクリメーカーしか推薦しない


65名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/20(木) 14:54:29.99ID:jziixk+U
>>64
ある程度同意するところもあるけどあ、中には特定の信者が集まってるところもあるから、人の意見に流されずに求める音の機器を使うのが良いかと。


66名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/20(木) 15:30:39.29ID:bLXqxKfB
>>63
宣伝は只ではできない
宣伝料(含お布施)は製品に上乗せされる
その辺の事情が分からない人(または意図的に金を捨てなければならない人)がアキュだラックスだエソだと騒ぐ
ガレージメーカーってのもめんどくさい取り巻きが居ついてるからそういった輩を排除して自分の好きな音を出してるメーカーを選んで行けば良い


67名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/21(金) 16:35:32.64ID:Q4ANiStM

妬みもいいけど
乞食になったらお終いだわwww


68名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/21(金) 17:20:30.51ID:rjLkWFuU>>72

まともな仕事してるサラリーマンがマジコや YG アコーステックス を買える訳ないんだよ


69名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/21(金) 21:59:25.75ID:6hUkO222

和田サンみたいに飼い犬になれば貰えるのかね


70名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 09:43:32.62ID:gbX0NYbF

才能と能力が認められると支援する企業や個人が出てくる
どこの誰にでも支援したり融通したりする訳ではない、当たり前
運や縁もある、何もないのに自分には誰も何もくれないとか金をくれないとか
キチガイが喚き散らしてるだけとしか


71名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 10:45:27.85ID:rzAbSbzH>>72

>才能と能力が認められると支援する企業や個人が出てくる

リークやローサーのアンプは今でも匹敵するアンプは一つも無いけど日本では売れなかっただろ

グッドマンやワーフェデールのスピーカーも今でも匹敵するスピーカーは一つも無いけど日本では手に入らなくなっただろ

いくら優れていても売れないものが殆どだ


72名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 10:53:47.34ID:gWJ1Pja+
>>68
まともに働いていて、A3やS1も買えないとはどんだけ底辺なんだ?

>>71
ある面では優れていても、トータルでは劣っていたからすたれたんだろw
車で云えばハイドラサスやバンケルサイクルエンジンな
今でも愛好するマニアはいるが、一般的にはパストフューチャーテクノロジーな


73名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 10:57:36.19ID:R0pqXwbz

才能、能力はあるのに世間は認めてくれない、そんな不運な人間は沢山いるし
人に限らず機械も同様。認められた者を妬み、悪口を書き散らし、なんとかして貶めたい
卑しいとしか言いようが無いだろう
物をタダで、というが才能、あるいは地位や影響力に支援されてるわけで本当のただとは違うし
それが卑しいかどうかは、支援される者の言動にかかっているけど、多くの人は認めている
オレは認めない、というのは結構だが、そりゃどう見てもねたみでしかない訳で
卑しいと断罪されるのはどちらか、正常な判断力と常識があれば言うまでもないだろう


74名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 11:03:00.60ID:rzAbSbzH

カルロス・ゴーンみたいな人間にしか買えないオーディオを推薦するのが逝かれてるというだけさ


75名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 11:08:55.74ID:rzAbSbzH

ここの人間はどうせジャズとかアニメソング、女性ヴォーカルみたいなアホ音楽しか聴かないんだから
1万円のラジカセで十分だろ


76名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 11:34:51.63ID:r8L58hAS

クラッシックがなんぼのもんじゃ(笑)


77名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 11:52:36.42ID:gWJ1Pja+

>>75->>76
ジャズにもアニソンにもクラの技法は使われている
それ以外の各国の民族音楽が取り入れられている

そんな風に無教養で低知能だから底辺なんだろ?


78名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:33:48.53ID:rzAbSbzH>>81

>ジャズにもアニソンにもクラの技法は使われている


クラの技法なら音大の作曲家を出た学生ならみんな知ってるよ

しかし、クラの技法をマスターしていてもモンテヴェルディやヘンデルみたいなメロディーは書けない
それは、国語の成績が良くても川端康成や谷崎潤一郎みたいな文章を書けないのと同じだ


79名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:36:43.84ID:0hgp+Fba

自分では何も生み出せないくせに偉そうにマウントしあうスレはここですか?w


80名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:40:18.55ID:rzAbSbzH

俺は安くて音がいいメーカーを紹介してるだけだ

金が有ったらアホ音楽聴くより旅行に行った方がいい


81名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:50:01.94ID:gWJ1Pja+
>>78
モンテヴェルディもヘンデルもドラクエのメロディーは書けなかった
川端康成も谷崎潤一郎も村上春樹みたいな小説は書けなかった
つまりおまいの文章にはなんの意味もない
教養をひけらかしたいんだろうが、それを使いこなせる知能がなけりゃあなあ

ちな、日本の文豪ゴッド5は
日本文学本家本元家元元祖、稗田の鉄アレイ
元祖萌え萌え、江戸紫式部
ご存じ怒り新党、夏目三久
文壇の手品師、伊藤一葉
稼ぎに稼ぐ、村上ファンド
の5人な


82名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:52:40.29ID:rzAbSbzH>>85

村上春樹みたいな三流小説家が天才の川端康成や谷崎潤一郎と比較できる訳ないだろ

どの作品が優れているか判断できるのが芸術がわかるという事だ


83名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:57:21.85ID:ZlkrFzti

芸術がわかるwwww


84名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:59:28.35ID:IXECB7xH

ただのスノッブかw


85名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 12:59:57.84ID:gWJ1Pja+
>>82
m9(^Д^)プギャーーーーーーーッwww

何年生きて来たのか知らねえが、おまいが小説が分からないというコトだけは心底分かった( ̄▽ ̄)ウンウン
ちな、小説が分からいってコトは、自分の物語も分からねえってこったなカルロス・モンタナ

・・・
節子、それサンタナや


86名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:10:35.92ID:gWJ1Pja+

まあ>ID:rzAbSbzHみたいなパァにも良く分かるように説明してやると
ぬこさんもわんわんも、物語なんていらないんだ
物語を作ったり読んだりするのは人間だけ
それは知能の高低とは別に、人間のみが物語を魂の為に必要としているということだ
何故なら人間にとっての最初の物語とは「自分」についての物語(つまり自我)だからな
動物さんはリアルな自我だが、人間の自我は後天的に作られた自我、つまり心の表層に作られた顕在意識だからな
動物さんにも無意識はあるが、人間の様に極端に分離してはいないし
自我と超自我との無意識下での葛藤なんてのもあるわきゃない


87名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:14:59.99ID:rzAbSbzH

超自我だ(呆れ)

フロイト理論はすべて間違いだと文化人類学の研究で明らかになってるよ


88名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:16:40.65ID:rzAbSbzH>>92

人間の無意識は脳幹や爬虫類脳と呼ばれる部位の働きだから、他の動物と何も変わらないよ


89名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:20:47.28ID:gWJ1Pja+

と、ここまで書いてやってもパァには分らんかw
川端や谷崎のどこがどう凄くて天才なのかもかけねえボンクラだからな
こういうヤツに限って天才とか直ぐに言い出すんだよな
大体天才ってえのは
1 今まで誰も知らなかったことを発見したり、考えついたり出来る人のことだ
綾波例:リンゴが道に落ちててもったいないなあ、拾って食べられるかな? と思った人は数多いが
万有引力を考えついたのはニュートンだけ

2 その人には出来るんだが、誰にもマネできないことが出来る人
アムロ・例:二天一流宮本武蔵の二刀流
王選手の1本足打法
金田伊功のタメとバース

さあ川端や谷崎の天才ってなんだ?


90名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:26:23.55ID:gWJ1Pja+

m9(^Д^)プギャーーーーーーッwww

ホントーに受け売りばっかで、テメエのアタマで考えられないバカだなw
フロイトの偉大さは、無意識というものを西洋文明の文脈の中で、初めて言語化したってことだ
フロイト理論そのものはニュートン物理学同様正しくはないのだが
その功績までが否定されている訳ではない
現に精神分析学そのものは今でも研究されているだろうがw


91名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:28:02.58ID:rzAbSbzH>>94

川端や谷崎が天才だというのは文学がわかる人ならすぐにわかる

わからないのは文学がわからないという事だ

まあ、ドストエフスキーを推理小説だと思ってるアホもいるしな

アホには芸術は理解できない


92名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:30:00.39ID:gWJ1Pja+
>>88
ちな、人間の精神性がぬこさんたち動物さんと本質的に変わらないのなら
何故ぬこさんは、自分が生きて行くのに必要のない小判には目もくれないのに
人間は食えもしない小判を有り難がるんだろうねえ?
お札に至っちゃただの紙切れだぞ?www


93名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:31:08.63ID:rzAbSbzH>>96

フロイト理論の核心の性理論はすべてデタラメ

フロイト心理学で過誤記憶だとされていた近親相姦の話は実際はすべて事実だった


94名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:32:18.84ID:gWJ1Pja+
>>91
ホラ、おまいは何も分かってないから説明出来ないんだよwww

アホじゃないんなら、とっととおまいが分かってる「文学」ってのを説明してみな
♪出来るものならば〜byヒロミGo!


95名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:38:37.42ID:rzAbSbzH>>97

文学でも音楽でも絵画でもすべて人間の普遍的無意識を異なるアプローチで表現したものだ

芸術がわかるというのはその作品が表現している普遍的無意識がわかるという事だ

しかし、ジャズやアニメソングや女性ボーカルには普遍的無意識は関係しないから、アホ音楽に分類されてるんだ


96名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:38:40.00ID:gWJ1Pja+
>>93
ほら、またまた生半可な知識でwww

フロイトのなんでもかんでも性理論は、まぁ、先生もお好きで(゚∀゚)ニヤニヤ
なんだが、人を性行動に向かわせる心理的なエナジーを言語化した功績は色あせてはいないぞ
また動物さんは性本能だが、人間は性衝動なので1年中発情し続けているという発見もフロイトの功績だ


97名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:42:23.31ID:gWJ1Pja+
>>95
おまい、それなにも言ってないのと同じだぞ
オレは芸術が分かると言ってるのを
オレは芸術を普遍的無意識で分かると言い換えただけ(゚∀゚)ガチバカ?www


>芸術の分かる普遍的無意識
を説明しろと言うてんの( ̄▽ ̄)ムリムリw


98名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:46:27.14ID:rzAbSbzH>>100

普遍的無意識で分かるんじゃなくて、影の世界や普遍的無意識をイメージ化したのが芸術だ

バルトークのメロディーの無い音楽が影の世界そのものなんだ

それがわからないとバルトークの音楽は雑音にしか聞こえない

ジャズやロックはすべて雑音だけどな


99名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:50:46.30ID:gWJ1Pja+

オレは芸術が分かる!
技術の「わかるオレ様エライッ!
でもその分かってる芸術を説明するコトは出来ませんヽ(´Д`)ノ

川端は天才だ!
それが分かるオレもまたスゴイッ!
でもその天才を具体的にどこがどうスゴイのかは説明出来ませんヽ(´Д`)ノ

芸術とは人の集合無意識だ!
その単語を知ってるオレってば教養人!
でもその集合無意識を説明することは出来ません
別の言葉に置き換えるだけヽ(´Д`)ノ

さてこんなアフォほっといてお買いものに逝こうっと
OKストアでブルガリアヨーグルトが128円だったはずだなフェイ・ダナウェイ


100名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:52:33.98ID:gWJ1Pja+
>>98
な?
説明出来ないんだよ
今度は影の世界って言葉に置き換えただけ(゚∀゚)アヒャ!


101名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:56:00.28ID:rzAbSbzH

原型は直接説明不能だから、イメージ化してどういうものか何となくわかる様にしてるんだ

そのイメージ化に使うツールが音や言葉や絵の具という事さ


102名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/22(土) 13:58:22.26ID:rzAbSbzH

無意識というのは目に見える形に意識化できないから無意識と言うんだ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1541787887/l50

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c3

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
4. 中川隆[-10686] koaQ7Jey 2019年10月20日 09:06:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2171]

ピュアオーディオの将来 Part3 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1497707977/


1名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/17(土) 22:59:37.49ID:tkVCvS0S>>161

お先真っ暗なピュアオーディオの将来を語りましょう。


339名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 16:31:13.89ID:aDoVHgbZ

清進商会が3月で閉店かよ


社名 有限会社 清進商会
代表者 小川進
所在地 〒101-0021 東京都千代田区外神田1-15-16 
秋葉原ラジオ会館5F
創業 昭和26年7月
会社設立 昭和29年7月8日
資本金 300万円
事業内容 中古AV製品の買取販売事業

中古オーディオ機器、中古ビデオデッキ、
中古DVD、LDぞくぞく、ワクワク入ってます!! 思い出再生の店、あの時の音をお探しなら当店へ!

重要なお知らせ:2019年3月末日にて閉店いたします


■会社沿革

S26年7月 秋葉原駅前にて音響製品の販売事業開始
S29年7月 有限会社 清進商会として法人組織化
S38年 中古音響製品の買取販売事業開始
S47年 店舗をラジオ会館4Fへ移し中古AV製品の専門店として
事業開始
H18年3月 店舗フロアを5Fへ移し、中古ビンテージAV製品の専門店
として新規スタート
H24年8月 代表者を変更
H26年7月 世界のラジオ会館5Fにてリニューアルオープン

■経営理念
良い音を求められるお客様に良く整備した商品をお届けし、生活に潤いを与えること。
往年の名機を時代に埋もれさせることなく可能な限り発掘し、お客様に提供すること。
http://www.seishinshokai.com/


340名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 18:25:30.87ID:Zk8Q6FvR

この板も閉鎖だな


341名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 21:18:52.33ID:LVRpiM8F

すでに閉鎖してるようなもんだけどな
専門板はどこもそうよ


257名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:17:01.10ID:2adQKJVa

テレビ周辺は家電メーカー主導なので、サウンドバーとかHDMI2門付きフルデジタルアンプ、小型スピーカーまでもが家電売場に移動してしまい、ライトユーザーごと奪われそう。
本来ならオーディオメーカーの領域にすべきと思うが、そんな意欲はなさそう。
100万のアンプと2万のミニコンポが同じ狭いハイエンドコーナーに追いやられて相手にされない閑散としたコーナーとなる。
いい音は聴きたいが金掛けずに便利に使いたい人が、オーディオ売場に来なくなる。


265名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:42:20.82ID:2adQKJVa

10万くらい掛けて満足する一般人やライトユーザーが増えてしまい、オーディオの領域が家電メーカーに一部奪われるということ。そして、マニアは一般人とは異なる顧客として別室で扱われるということ。
今のハイエンドコーナーみたいな狭い売り場にミニコンポからハイエンドまで押し込まれ、マニア用の売り場としての面積しか割り当てられなくなる。
家電メーカー相手じゃ単価が勝負にならない。


267名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:49:23.96ID:v+SnmxfZ
>>265
挙げてあるやつ、単価を含めて悪いことばかりではないような
マニアと言われて喜ぶ人と嘆く人、両方居る


258名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:25:40.89ID:Sg61MRAX>>260>>261>>266

趣味に100万入れられない人がどんどんひがみ根性ぶっこんでピュアの足引っ張ってくるのはなんとかならんのか?
めちゃ有害だと思います!


260名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:31:24.32ID:2adQKJVa
>>258
そういう考えの人がいるから、この板にもオーディオ売り場にも一般人が寄り付かなくなる。


261名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:32:26.35ID:4/RqbnqI
>>258
インシュレーターとかスピーカーケーブルに数万から数十万円かけて、
したり顔で自慢するヤカラのほうがよほどピュアの将来の足を引っ張っていると思います。


263名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:34:18.55ID:Sg61MRAX

自慢できないよ、オーディオ好きな奴なんているか?周りに


273名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 13:39:09.18ID:2adQKJVa

なんちゃってオーディオマニアや一般人にとっては、いい音が安く手に入るからいいこと。
マニアの機材の1/50くらいの費用で、7割くらいの音が手に入れば誰でも買うよ。
若者のオーディオ離れではなく、保守的なオーディオメーカー離れ。クルマ離れと言いつつ免許は大抵は持ってるでしょ。


276名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 14:00:18.08ID:Sg61MRAX

3万以下の商品でオーディオメーカーは大手家電メーカーに音質機能で勝てないし、3万以上の商品で大手家電メーカーはオーディオメーカーには勝てないんだよ
それを無理栗オーディオメーカーが3万以下で提案して裾野広げようと勝負してる、実際売れたとしても3万程度の商品では利益なんてないの


277名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 14:35:54.42ID:2adQKJVa

家電メーカーが売るオーディオは、安物でもレベルアップしててソコソコの音は出せると思うよ。
サウンドバーで満足できないユーザーのためにパナソニックがPMA30みたいなデジタルアンプとスピーカーだけのセットを25000円くらいで売り出したら、DENON以下ミニコン市場にとっても非常に痛い。


278名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 14:42:47.89ID:2adQKJVa

CDPなど音源市場はPCスマホとブルーレイに占領されつつあるのに、何の抵抗もせずにアンプとスピーカーのライトユーザー市場まで黙って失うの?


264名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:42:12.25ID:XRt6HKuy>>279

マニアは何人かいるけど年金暮らしでもう何も買えずにいる
昔買ったCDやレコードを聴くのみの生活
普通の人は必ずこうなるから収入があるうちにシステムは組み上げて上がりの状態にしておく事だね
ソフトもくだらないのは捨てて本当に良いのだけを残した方が良い


266名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:46:46.49ID:1jhJPY3G
>>258
逆に注ぎ込める金額がとか聞く音楽ジャンル等でどうこう言う方が一般人
を寄り付かなくしてると思うけど。予算がいくらでもいいやん。
それを元にそうすれば更に良くなるかとかは数万のでも数百万の機器でも
そんなに手法自体が変わるとは思えぬ。そりゃ数万のが数百万のを超える事はないけどね。
他にここ近年の歌手とかはサッパリな世代だが全盛期の中森明菜をいい音で聞きたいとか
はじめるのがそんなきっかけでも俺は別にいいと思う。自分のきっかけはこれに近かったし。
そういう人達すら疎外してるように見えるのは自分だけかな?


280名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 14:48:28.65ID:Sg61MRAX>>282

25000円が安くて4万が高いと感じる人はライトユーザーでも何でもない、そも1万や2万のお金ケチる人は趣味なんかに興じてる場合ではなく、仕事しっかりこなして評価され収入増やす事考えるべき、人生自体が危うい趣味どころの話ではない


282名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 14:58:40.47ID:2adQKJVa
>>280
んなこたないよ
貧乏人は永久に不滅だよ
アナログケーブル対デジタルケーブルは
マニア対一般人の構図になる
フルデジタルアンプの機材の少なさは
一般人やライトユーザー向け
昔の607レベルより多少落ちる程度の音が
コンパクトで格安だからね


283名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 14:58:46.22ID:1jhJPY3G

だからさあ金無い奴は来るなとか言ってる時点でダメだよ。
100万は無理でも40万や50万ならみたいな人は意外にいると思うけどね。
それにミニコンポからステップアップするような人にとってエントリークラスは要るよ。
初心者の門戸まで閉めてどうするつもりだよ。


292名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 18:20:09.86ID:2adQKJVa

ラックスやDENONの社長なら貧乏人はピュア板から出て行け派だろうけど、ソニーやJBLは違うハズだよ。真面目に経営するほど危機感持つハズだよ。
オーディオ入門する人に安物が売れなきゃ、いつまでたっても高い物は売れない。


285名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 15:37:53.55ID:1jhJPY3G>>286

ただしオーディオに限って言うとそういう層をどうやって連れてくるかが重要でしょ。
マッチするものを売ればいいという話でもないと思う。
頑固な人は聞き入れないと思うけど音質は多少は別としてスポイルするとは思うが
何かしらの附帯機能をつけて引き込む釣り餌的な機器はあってもいいかと。
どこかにHDMI付プリメインと書いたのは自分だけどやってるうちに光経由でDACに入れた方
がいいとかはわかってくるでしょ。そういう過程まで拒絶しちゃあ今以上に廃れるだけだよ。
金が云々書いてる人もいるけどいきなりバカみたいなお金かける人なんてにわか成金だけだよ。
最初は皆それなりな予算ではじめるもの。自分だって新卒位じゃそんなに金はなかった。
今現在で年収1千万以上あっても新卒の段階からそんな収入の人は皆無だろ?
様々な世代の人がいる事をユーザーもメーカーも忘れてるよ。


286名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 15:56:21.28ID:2adQKJVa
>>285
んだよ
年下の医者の友人に私のオーディオを紹介したら興味を示してくれたものの、逆にBluetoothを紹介された。使ってみると、スマホに音源を集めてしまう画期的にシンプルな構造だった。機材が非常に少なくコンパクトで安価。
自分なりに使いこなせるようになってから、オーディオメーカーの怠慢ぶりに気がついた。


301名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 20:52:45.48ID:2adQKJVa>>303

ビクターAX 900っていうトンデモなプリメインアンプにDS2000HRを繋いでいるのだが、こいつにBluetoothレシーバーとスマホを繋いでも充分に楽しめる。
やっぱりオーディオはアンプとスピーカーが中心であり、音源は3番目だね。
量販店で普通に買える10万円級のサウンドバー相手なら、PMA60とLS K711のコンビでもハッキリ楽勝。LS K711をNS 1クラシックに替えたら比較にならない差。サウンドバーはサブウーハーが耳障りだし、肝心の本体は音痩せした貧弱な音。
サウンドバーは形が悪いので、5000円くらいで買える小型スピーカーにも負けそう。


290名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 18:01:38.93ID:AoEri8or>>291>>293

だって結局20万のスピーカーと10万のアンプと5万のプレーヤーで良い音がなるんだもん
一発で上がりだよ
魅力なんてない


291名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 18:02:06.20ID:z2NwvhJS
>>290
私はそれで満足しないです


293名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 18:24:42.07ID:Ify7ljU1
>>290
おれは 598スピーカー鳴らすのに新品アンプ買いに行って、
1本25万くらいの20pウーファーのスピーカーをならして・・・

「アンプは25万からスタートだな。」「それ以下は30年落ちジャンクのほうがマシ」って感じて買えなかったよ。


287名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 17:14:13.42ID:Ify7ljU1

チューナー 30年前の4万円(飾り):5000円
アンプ 30年前の79800円:5000円
CDプレーヤー 30年前の59800円:5000円
(BDプレーヤ USBやら BDやらDVDやらいろんなメディアつながる優れもの):新品1万円
アナログプレーヤー 30年前の69800円:32400円
カートリッジ 新品:10000円
スピーカー 30年前の59800円x2:15000円
BTオーディオレシーバー:2000円

このスペック新品で固めると100万かなぁ
30年前には このスペック中古でそろえても半額くらいかかっらだろうし
今は新品が高いだけで 安く良いものそろうよ。


298名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 20:11:07.49ID:2adQKJVa

ピュア的には高額なサウンドバーでもマトモな音とはとても言えないよ。なんだか音が痩せて聴こえる。XB41にも負けそう。リビング用のPMA70とかPMA40なら、サウンドバーなんか一撃だね。一度聴いたら素人でも分かる。
DDFAの利点は音よりもコンパクトなフルデジタルアンプであるということそのもの。デジタルで入力してそのままスピーカーってところ。安価で多用途に用いることが可能。
DENONより他のメーカーの方がDDFAのホントの利点を知ってる気がする。


299名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 20:22:53.71ID:2adQKJVa

家電メーカーに専門メーカーが作ったアンプの実力を見せてやれよ


300名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 20:44:42.63ID:6yTaUKtJ

家電メーカーより日本のガレージメーカーの方が遥かに音が上で、しかも安いよ


288名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 17:35:25.55ID:Sg61MRAX

メーカー批判に高額ユーザー批判、果ては販売店批判と被害妄想、ピュア版らしいな


294名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 18:58:55.24ID:2adQKJVa

オーディオのベテランは威張ってないで、入門する人の面倒をもっと見てやれよ。


305名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 21:30:51.12ID:v+SnmxfZ

テンプレですが
オーディオはどうなれば良いのかが人様々
すなわち
音源はLPになるのが理想的なオーディオの未来
増幅素子は真空管になるのが理想的な(ry
スピーカーは大口径で高能率に(ry
部屋は広く(ry
電源は発電所直結

メーカーは日本の会社
多数乱立して半年毎に新モデル
地方家電店にもれなく充実したコーナー
雑誌や書籍も多数

音源は新録
プロセスはAAA

全部を一度には無理なので、どれにプライオリティを置くか、というところが出発点でしょうか
なお、個人的には上のほとんどが
自分の理想ではないと表明しておきます


268名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 12:56:11.23ID:XRt6HKuy

誰に自慢するでもなく、さりとて見られてもバかにされず死ぬまで付き合えるシステムの一例(プア)

プレーヤー:テクニクスSL1200
カートリッジ:DL-103
スピーカー:P-610の平面バッフル
アンプ、イコライザー:真空管で自作


296名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 19:50:24.21ID:6yTaUKtJ

フルレンジユニットをバッフル板に付けて 2W の真空管アンプでならすのが一番いい音じゃないの


297名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 19:51:51.55ID:6yTaUKtJ>>302

FMアコーステックスやゴールドムント程度で 2W の真空管アンプの音に敵う訳ないよ


302名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 21:01:57.63ID:AsEu+Uy4
>>297
あなたにはそのようなシンプルなシステムが合うだけで、それが誰にでも当てはまる訳では無いんですけどね

勿論そのようなシンプルな構成に行き着く人も少なくはありませんし、それもひとつの方向でしょう。

私は今の時点では、広いF特とダイナミックレンジを併せ持ちつつ、精密な音像定位を実現するシステムに魅力を感じ、目標としています。

最終的にはあなたの言うようなシンプルなシステムになるかもしれませんが。


307名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/28(金) 22:11:52.15ID:2adQKJVa
>>302
一般人はシンプルで安価な方向に向かうと思います。私も聴き流す派なのでシンプル派です。
私の好みを主張したいのではなく、一般人やオーディオ入門したい人には何が相応しいのか、私の考えを主張したいだけです。
アンプとスピーカーの能力に頼って便利さと音をバランスさせるという、高級セットとスマホの組み合わせ。アナログアンプとスマホは基本的に相性が良くないです。
その点、フルデジタルアンプは非常に有利。


321名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/29(土) 12:59:08.28ID:KZOThCnx>>322

こんなに毎日中身のない長文連投して恥ずかしくないのか?ピュアおわた


323名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/29(土) 13:32:56.48ID:D4Ig43jp

ピュアオーディオをやるとキチガイになるという証明だよ


324名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/29(土) 18:29:39.26ID:fT20diuH

これから、音がわかるマニアは

バッフル板にフルレンジユニットを JBL, グッドマン、アルテック、ウェスタンとか
気分によって色々付け替える時代になる

毎日、マジコとか YG とか一つだけに固定して聴いていたら飽きるだろ


325名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/29(土) 18:32:39.16ID:fT20diuH

95dB 以下の低能率スピーカーは弱音が消えるから、音がわかる人は聴かなくなる

アンプは出力が小さければ小さい程音が良くなるから、
音がわかる人は 20W以上のパワーアンプは使わなくなる


326名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/29(土) 18:41:37.37ID:fT20diuH

周波数帯域はオーディオ史上最高のパワーアンプの帯域と同じで十分だね:

Western Electric Amplifier の周波数帯域

WE86 : 40〜10000 Hz
WE91 : 50〜 8000 Hz

なにせ入力トランスも出力トランスも100〜6000 Hz ですから。
http://n-nobo.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/1-eeb8.html


327名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/29(土) 18:50:50.89ID:fT20diuH

わかる人はわかるんだ:


フルレンジSPに戻った方 Part3 - 1417941619 - したらば掲示板
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1417941619/l50

名器は何? 2器目 - 1280755643 - したらば掲示板
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1280755643/l50


スピーカーは現在過去を通して、ローサーとグッドマンが飛び抜けていい音だったんだよ


328名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 09:48:32.91ID:sC8rv7xT

これからはジジイがどんどん増えて、超ナローレンジのスピーカーでも
耳の可聴レンジを越えているってことかね?
それとも高い音は全て刺激的なノイズとしてしか認識出来ない脳の認知障害かな?


330名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 10:00:27.12ID:hnsiWkcr

蓄音機が一番いい音だったんだよ:

蓄音機の周波数特性 2016年11月12日

蓄音機の周波数特性を見つけたのでご紹介します。
ヒズマスターズボイスというモデルだそうです。

https://blog-imgs-91-origin.fc2.com/c/h/e/cheapaudio/20161112090211c86.jpg


100Hzと4kHzがほぼ同じレベルですから、40万ヘルツの法則通りですね。
具合良く聞こえるよう、ホーンの形状を入念に作り込んだのだと思います。
帯域は狭いですが、高低のバランスが良いので十分に音楽を楽しめたのでしょうね。

装置の下部に大きなホーンが格納されています。一切電力を使わない超エコシステムですね。
これに比べると、現代の一般的な小型ブックシェル サイズのバスレフ型は明らかに高い方へ偏り過ぎでしょう。
しかも、最近は蝙蝠さん領域まで特性を一生懸命に伸ばしていますよね。
私としては、まず低い方向へ伸ばすよう努力するのが筋だと思うのですが。。。ドナンデショーカ?????

我々の感覚は非常に相対的です。

低音が十分と感じるかどうかは、高音の大きさによって左右されるという事です。
同様に、快適な再生音量も周囲の暗騒音レベルによって左右されます。
静まりかえったクラシックのコンサートであっても、何百人もびっしりと人が居るわけですから、
自分の部屋でヒトリ静かに聞く場合に比べて暗騒音は相当大きいはずです。
ロックコンサートなら、それはもう凄まじい暗騒音でしょう。
ですから、オウチでヒトリ静かに音楽を聴く際に、ライブと同じ音量にして聞く必要は全くアリマセン。相当な苦痛を強いられるはずですから。脂汗が出そう。。。耳にも良くないし。。


331名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 10:02:34.00ID:hnsiWkcr

40万の法則とスピーカー

シングルユニットスピーカー好きの戯言

戦後(昭和20年代中盤)NHKによる「快い音」の研究成果の一つで、
快く聞こえる音は、最低遮断周波数と最高遮断周波数の積がおよそ40万になっているというものです。

周波数帯域でいうと、

200Hz〜2kHz(電話レベル)
100Hz〜4kHz(構内放送、ボイスチャットレベル)
80Hz〜5kHz(AM放送レベル)
27Hz〜15kHz(FM放送レベル)
20Hz〜20kHz(人の可聴域、HiFiオーディオレベル)

というくくりになろうかと思います。
中心周波数は、40万の平方根であるおよそ630Hzで、これは人間の内耳、口腔の共振周波数とおおむね一致します。
内耳の自然共振周波数を中心とした確率分布(標準偏差)のエネルギーバランスをもつ音(つまり40万の法則にあう音)が、
人にとって最も受け入れやすい、快い音となる。

と言い換えると分かりやすいでしょうか。

また、楽器や声などの個別の音色は、基本となる周波数の音(基音)と、倍音と呼ばれる高調波成分の音の混ざり具合と、
それぞれの成分の時間変化が音色を決定するのですが、人の感覚は、特に耳の感度が落ちる低い音程域(主にベースパート)
では倍音成分がしっかり聞こえていれば基音が欠落していてもあたかも基音があるかのように聞こえる(補完して音程が取れる)という特性があります。
このため、再生帯域がより広くなるときは、40万より大きい数字になっても快さは低下しないとする説もあります。

ここから導き出されることは、再生周波数帯域を広げてもそれだけでは快い音は得られず、帯域の取り方とエネルギー分布(バランス)が重要だ。
ということです。


332名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 10:05:14.15ID:hnsiWkcr

因みに、マークレビンソンのアンプはワザと周波数レンジを狭くしている

レンジが広いと音が薄味になるからね。

味が濃い音にするには

80Hz〜5kHz(AM放送レベル)

でちょうどいいんだ


333名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 10:37:38.13ID:sC8rv7xT

普通の、というか正常な知能の持ち主なら
誰からも相手にされない時点で気が付くものなんだが。。。


334名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 12:36:12.47ID:hnsiWkcr

世の中アホばかりだから YG とか マジコが売れるんだろ

まあ、アホはアニメソングとか女性ボーカルみたいなアホ音楽しか聴かないから、音楽や音がわかる人と住み分けができてるんだけどね。


335名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 13:22:47.52ID:+EQgyPuU

>>330みたいな自分の価値観以外認められない老害がオーディオをダメにするんだろうなぁ。


336名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 13:31:26.92ID:ivzGNV6I

40代後半でクラシックやジャズは全く聞かないがアニメもさっぱりわからんよ。
女性ボーカルなら今も小林明子とか永井真理子とか聞くけどw
でも機材的にミニコンポとかで満足かというとそれもないなあ。
好みの問題だけどブックシェルフだと定位はいいけど音像が
小さくの多くてどうも好きになれない。ミニコンポ付属のSPだと尚更。
幼少期に父親が持ってたフロアスタンディングのSPで聞いてたとかも
影響としてあるだろうけど。
価格帯はエントリーでも全然いいけどそこを考えるとセットはまずあり得ない。
どうしても選択肢だけはそれぞれバラバラで考えてしまうね。


337名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 13:57:44.48ID:hnsiWkcr

そもそもオーディオに総額50万円以上かけるのがクルクルパー

成金向けのオーディオなんかすぐに滅びるよ


338名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/30(日) 14:06:58.97ID:hnsiWkcr

アンプはこの程度で十分なんだよ

チューブ オーディオ ラボ 6FD7 シングルステレオアンプ

出力 1.8W×2(真空管含む、税抜き120,000円)
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/index.html
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/k6fd7s.html


WestRiverの製品
パワーアンプ
安定化電源搭載高帰還パワーアンプΕHシリーズのラインナップは

Ε-5H:\54,000(税込み)(220WX170DX90H)
Ε-10H:\86,400(税込み)(250W×160D×150H)
Ε-30H:\135,000(税込み)(350WX230DX180H)
Ε-50H:\151,200(税込み)(350WX230DX180H)
https://west.wramp.jp/


342名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 21:31:09.57ID:fyZl/20Z

YG や マジコ使ってるアホ成金は

ゴッホやセザンヌの絵より、同じ場所から撮った写真の方が
分解度や色彩感が正確だから、優れていると思ってるんだな


そもそもプロの音楽家は安物のオーディオしか使っていない

YG や マジコ使ってる音楽家なんか一人もいない


343名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 22:07:21.53ID:LmxTNfLB

貧乏こじらせて気がふれたかw


344名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 22:08:59.88ID:C32ygVGL

家電品とさげすまれる音響装置と
ピュアオーディオの誇り高いステレオ装置は、求められるものがいろいろ違う

値段だけでも
家電品は安くするのが求められ
ピュアオーディオは高くするのが正義

現状はちゃんとその方向に向かっているので良い未来が訪れるはず


345名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 22:54:13.88ID:fyZl/20Z>>350

音楽ファンは高い装置は買わないよ

YGやマジコ使ってるのは歌謡曲やアホ音楽しか聴かないから主流にはならない


346名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 23:12:19.93ID:ui7M90It

高いは正義には個人的にはちょっと疑問かな。
勘違いして欲しくないが投資した分の効果を否定するわけではないよ。
自分の事を書くと若い時は安月給で金が無かった。
それでも金が無いなりにSPスタンドの代わりにすのこ使ったり工夫したもの。
10円挟んだりとかもやったな。いい悪いは別としても音に変化は出る。
そういうのをきっかけに新たな層をというのが今はまるで無い。
色々見てるととりあえず沢山お金はないけどみたいな人ですら拒絶する。
興味を持ってる人に対して入口すら閉じてる気がするね。
機材云々よりまずはここをどうにかした方がいいよ。
ユーザーにもメーカーにも言える。


347名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 23:27:19.13ID:fyZl/20Z

昔の音楽ファンはハーベスHLコンパクトとか Spendor BCU, ジョーダンワッツ フラゴン程度の安物でも
いい音だと感激してた

成金はステータスシンボルとして買うから音は悪くても高いのでないとダメなんだな

昔ウェストミンスターとかエヴェレストとか買ったアホ成金はいい音がどういうものか知らないで死んでいくんだな


348名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 23:37:41.86ID:fyZl/20Z

QUAD ESL なら今でもヤフオクで10万円前後で手に入る

何百万円もするYGやマジコより遥かにいい音なんだけど、音楽がわからないアホ成金にはその価値がわからないんだな


349名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 00:11:09.01ID:OSjY2pb/

コンデンサー型は音はいいんだが、古いものはトラブルの元
ましてやヤフオクなどwww

まあ基地害は無責任だからなあwww


350名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 01:51:03.96ID:F/4QrgTh
>>345
良く分からんがここはオーディオが趣味な人が集まってるんさ。音楽ファンは音楽スレに行けばいいのでは?
でも、本当の音楽ファンだったら、歌謡曲とかアホ音楽とか音楽を馬鹿にするようなことをしなくて、どんな音楽でも受け入れると思うけどね。
オーディオもまもとにできない、音楽もまともにできない、結局345みたいなやつはそういうつまらない人間さ。
どうせなら、なんでもいいか楽しめる人生を送れるといいね。


351名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 01:53:14.82ID:F/4QrgTh

なんでもいいから楽しめる人生を 。
結局、そういう考えだから貧乏になるし、オーディオもろくに買えないかわいそうな人生になっちゃうのな。


352名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 02:43:13.32ID:+OMq/nkM

別に聞くのは歌謡曲でも演歌でも個人の自由でしょ。
自分だって世代的にはバンドブームとか知ってる身だし
最初のきっかけだってそれらの音源を更にいい音で聴きたいとかだったよ。
今でも好きなジャンル自体はほぼ変わらん。
若い時と比べて機器の価格帯は上がったけど
だからと言って無理にクラシックやジャズとか聴くつもりもないね。
否定もダメだが変に固定概念作るのも良くないよ


353名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 04:23:33.24ID:a6t6IlHD

昔は、かなりオーディオにつぎ込んでいたが、
今は、PCオーディオで満足している。


354名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 07:30:11.20ID:3tn8OS5l
>>350
>本当の音楽ファンだったら、歌謡曲とかアホ音楽とか音楽を馬鹿にするようなことをしなくて、どんな音楽でも受け入れると思うけどね。


本当の文学ファンや本当の美術ファンが漫画を読むと思うか?


355名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 07:34:34.38ID:3tn8OS5l

僕もポールモーリアとかレイモンルフェーブルとか聴く事も有るけど
最初の2,3曲は結構いいなと思って聴けるけど、何曲聴いてもすべて同工異曲なのでアホらしくなってしまうんだ

アホ音楽というのはすべてそのパターンだからまともな音楽ファンからバカにされるんだ

クラシックでもヴィヴァルディはやはり最初の2,3曲は結構いいなと思って聴けるけど、何曲聴いてもすべて同工異曲なので
クラシックファンからバカにされている


356名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 07:41:24.19ID:3tn8OS5l

そもそもドストエフスキーやプルーストの愛読者がハーレクインロマンスとかミステリー小説なんか読む訳ないんだよ

同様にヘンデルやモンティヴェルディのファンが流行歌なんか聞く訳ないんだ


357名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 07:47:44.45ID:3tn8OS5l

ヘンデルやモンティヴェルディのファンがいいと思うスピーカーは

QUAD ESL57
ソナスファーベル ガルネリ・オマージュ
ハーベスHLコンパクト
スペンドール BCU
ジョーダンワッツ

程度のあまり高くないものばかりだよ。

逆にこんなのは只でくれると言われても要らないと思うのは

B&W
JBL
マジコ
YG


358名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 08:23:50.83ID:3tn8OS5l

因みに俺は毎日、昔のビクターの安物の小型手廻し蓄音機で
ブルーノワルターやワインガルトナーのSP盤を聴いてるけど
それよりいい音を聴いた事は今迄一度も無い

オーディオは70年前から全然進歩してないんだ


359名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 08:30:06.05ID:3tn8OS5l

手廻し蓄音機の音がどれほどいい音か知りたければ

曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。

音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。

SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。
驚きの音が、しました。感激しました。

復刻されたSP原音は、できるだけ忠実に再生したいと思いませんか。
さて、そのための道具ですが・・・
先ず第一に機械式蓄音機。
LPやCDになってもSPの音は蓄音機に回帰しましょう。
これをプレーヤーとしてではなく、ホーンスピーカーとして使います。
LPやCDの音をどうやってそこから出すかですが、蓄音機に付いているサウンドボックスに換え、ソガフォンという小型スピーカーを取り付けます。
あとはプレーヤーとアンプですが、種々試行して音の違いを自分の好みに合わせ完成です。
ちなみに現在は以下の組み合わせを楽しんでいます。

CDプレーヤー:SONY D-2
アンプ:VintageJoin
蓄音機:DECCA 型番不明
http://bud-jazz.dreamlog.jp/archives/2016-08.html


360名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 08:30:32.24ID:3tn8OS5l

Sogaphon の種明かし - yuihi310のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23571576.html


蓄音機のサウンドボックスのかわりに 5cm のフルレンジスピーカーをマウントするシステムです。友人の曽我氏発案制作によるもので、Sogaphon(ソガフォン)と名付けました。
リアルな音がします。

Sogaphonの解説はこちら
The magic of Sogaphon
http://www.youtube.com/watch?v=NNVliaIqy4s&feature=plcp

今日はSogaphonシステムの解説です
まずは完成形
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/GALLERY/show_image.html?id=23571576&no=0

YGやマジコよりは遥かにいい音になるのは間違いない


361名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 08:39:25.58ID:3tn8OS5l

曽我ホーンに使うアンプはこういうのね:

山本音響工芸 A-08S WE101D/WE104Dバージョン
価格:320,000円(税別・出力管別価格・受注生産)
出力管:WE-101DまたはWE104D
最大出力:WE101D:約0.6W/8Ω WE104D:約0.8W/8Ω
http://www2.117.ne.jp/~y-s/A-08S-101D-104D-amp-j.html

今回 WE101Dシングルアンプを入手してそのサウンドを聴いて確信しました。
音の厚みが決定的に分厚いです。
http://soundtrail.blogzine.jp/blog/2011/06/post_f205.html


WE101D アンプの良さは「低域の立ち上がり感」と「音の厚み」に有ると思います。
3ウェイマルチアンプをやっていて、低域だけはTr型アンプにしている理由は、「立ち上がり感」が一般の管球アンプでは得にくい事からです。
しかし、このWE101Dの球は違いますね。
低域の立ち上がり感(爆発感)が良く出ます。それが厚みを持って出て来ます。
http://soundtrail.blogzine.jp/blog/2011/06/we101dpp_2ae0.html


362名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 08:45:14.21ID:qMYbjGrF

基地外の簡単な見分け方

人と会話のキャッチボールが出来ない


363名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 09:21:15.85ID:3tn8OS5l

アホと会話しても話が噛み合わないからね

YG や マジコ使ってるアホ成金は

ゴッホやセザンヌの絵より、同じ場所から撮った写真の方が
分解度や色彩感が正確だから、優れていると思ってるんだな
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1497707977/

364名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 10:10:58.32ID:/jiufGej

異常者が暴れまわってるな
社会からつまはじきにあってるからといって5ちゃんで暴れまわるのはどうかと
せめて、ピュア版以外を的にして頂きたい


365名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 10:12:44.11ID:qMYbjGrF

自分が周りから基地外扱いされているという自覚はあるんだなw

でも間違ってるのは常に他人、あくまでも正しいのは自分
そう! それが基地外www


366名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 10:43:23.11ID:3tn8OS5l

ここは詐欺師が跋扈してるから誰かが真実を教えないといけないんだよ


367名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 10:46:13.17ID:3tn8OS5l

オーディオ店は月一人アホ成金を騙して YG やマジコを売りつければ食っていけるから必死なんだな


368名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 11:32:02.29ID:3tn8OS5l

オーディオ店は貧乏人にはハイエンド・ヘッドフォンを薦めているけど
ヘッドフォンを二、三年も使ってると必ず耳鳴り・難聴になって、しかも回復不可能だ

オーディオ店は金儲けしか眼中にないから平気でそういう犯罪行為を毎日やっている

絶対に信じてはいけない


370名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 14:41:25.20ID:F/4QrgTh

世界的にオーディオビジネスは富裕層向け特化型にシフトしてる。正直、マニアなんてめんどくさいだけで相手にもされてない。
そもそも、値段とかコストとかにごちゃごちゃいってるような人は特に相手にする必要がない。
成金というより、買っている富裕層は特に高いと思って買ってないからいいのだ。

そうなると、買えない層やマニア層がねたみにおぼれるが、そういう層はめんどくさいだけで、既に切り捨てられた。


371名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 14:51:02.00ID:/jiufGej

こんな所で憂さ晴らししてる時間があるなら真面目に働いて欲しいもの欲しいだけ買った方がいいよね
同じ1日なら1万よりも3万、3万より5万稼げる方法考えるべき、やることやらず文句ばかりじゃ見てるコッチが切ない


373名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 14:52:50.96ID:3tn8OS5l

金は稼げば稼ぐほど心が貧しくなるんだ

ゴーン見てればわかるだろ


374名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 14:55:46.51ID:/jiufGej

そうかもな、でも貧乏で心も貧しかったら救いようがないぞ


375名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:02:34.88ID:3tn8OS5l>>376>>377

YG と FM 買って女性ヴォーカルばかり聴いてるアホが一番空しい

女性ヴォーカル聴くより高級ソープ行った方がまだいいだろ


376名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:06:39.43ID:/jiufGej
>>375
なんでもいいけど、おまえはこのスレから出ちゃ絶対ダメだぞ


377名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:10:41.99ID:LI2L3NeY
>>375
あんたのくだらん価値観を押し付けられても困るだろうな
キチガイなので理解できないだろうが


378名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:13:42.51ID:3tn8OS5l

一人の男がイエスに近寄って来て言った。

「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」

イエスは言われた。

「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」

男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」

そこで、この青年は言った。

「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」

イエスは言われた。

「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

イエスは弟子たちに言われた。

「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。

新約聖書(マタイ19章16−26節)


379名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:16:27.76ID:3tn8OS5l

>金持ちが神の国に入るのは難しい


音楽は神の国に入る為に聴くもの

従って、金持ちには音楽は理解できないんだ


380名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:18:28.62ID:/jiufGej

お金稼ぐの皆が諦めたら北朝鮮以下の生活になるよ、それが幸せ?


381名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:22:04.03ID:3tn8OS5l

原始生活してる狩猟採集民は生きるのは幸せだと思ってるよ

毎晩、神に祈りを捧げて、みんなで音楽を奏するんだ


382名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:24:56.98ID:/jiufGej

難病の子供も救えない、自動運転が普及しなきゃ事故死も減らない、ガンだって治らない
そんなことまでして自分だけは天国行きたいの?


383名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:25:50.73ID:3tn8OS5l

弓矢で殺された米国人宣教師、先住民保護のため遺体収容は困難か 印
11/24(土) 22:20配信 AFP=時事

【AFP=時事】現代文明から隔絶されたインド・アンダマン・ニコバル(Andaman and Nicobar)諸島の島に上陸し、弓矢を浴びて殺害された米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)氏(27)について、専門家らは遺体が島から運び出されることはないかもしれないとの見通しを示している。

【図解】北センチネル島の位置
http://www.afpbb.com/articles/-/3198663?pid=20739165&tmpl_skin=gallery&utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=p1&cx_rss=afp&cx_id=3199018


 先住民の人権に関する専門家らは、同諸島にある北センチネル島(North Sentinel Island)の人々にとって、チャウさんが単独で島に侵入したことは非常に脅威であったため、殺人罪が島民らに問われることはなく、世界でも最後とみられる新石器時代以前の暮らしを送る彼らを保護する観点から、チャウさんの遺体は島にとどめ置かれることになるだろうと指摘する。

 北センチネル島に国内法を適用しようとしないインド当局は、外部者に対して長年にわたり敵対的な行動を取ってきたこの島の先住民に対し、警察を上陸させて事情聴取しようとすらしていない。

 一方で警察は23日、北センチネル島付近に、チャウさんが殺害されて以降2度目となる船舶の派遣を実施。「特に脆弱(ぜいじゃく)な民族集団である彼らの生活を混乱させたり、苦痛を与えたりすることがないよう、正当な予防策を講じた」と説明している。

 チャウさんは、島の5キロ以内に近付くことは違法と知りながら、キリスト教を布教するために何度か島への上陸を試み、島の先住民に複数の矢で射られて死亡した。

 風邪といった軽い現代の病気でも、感染すれば先住民は絶滅する恐れがあり、電力やインターネットを体験することで生活様式が徹底的に破壊されるかもしれないという懸念から、先住民は外界と隔離したままにされている。

 そうして守られた世界に、チャウさんは「イエス(Jesus)は皆さんを愛しています」というメッセージを携えて侵入した。

 先住民の人権に関する専門家で、同諸島に関する著作もあるパンカジ・セクサリア(Pankaj Sekhsaria)氏は、チャウさんの遺体を収容しようとするのは「無益な試み」だと指摘。AFPに対し「(北センチネル島の)近くに行くことが良いアイデアとは思わない。現地社会との対立を生むからだ」と語った。

 先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」の研究者であるソフィー・グリグ(Sophie Grig)氏も「作業者とセンチネルの人々双方を危険にさらすことなく、遺体を収容するための安全な方法があるとは考えていない」と話す。

 デリー大学(University of Delhi)で人類学を教えるアヌプ・カプール(Anup Kapoor)教授は、センチネルの人々と対話を持ちたい人は誰でも「同じ水準」であることを示す必要があったと指摘。「何も着るな、そうしたら何らかの関係が築くことが期待できるかもしれない」と話した。カプール教授はかつて同諸島の別の先住民であるオンゲ(Onge)の人々に対し、「下着以外、自分の服全部を脱いでから」接触した経験を持つという。

 その一方、同諸島の警察は、チャウさんの遺族の祈りにどう応えるか、また北センチネル周辺で先住民の生存にとって必須である隔離をどう維持するかというジレンマに頭を悩ませている。

 アンダマン警察トップのデペンドラ・パタック(Dependra Pathak)氏は、遺体発見に向けたスケジュールは出し得ないと述べている。

 またセクサリア氏も、当局はチャウさんをまねる行動を防ぐため、北センチネル周辺の監視を強化する必要があるかもしれないと指摘。同氏は詳細について明らかにしなかったものの、「行政側はこの問題を承知している。彼らは監視についてすでに検討している」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000032-jij_afp-int


384名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:28:26.22ID:/jiufGej

読むのめんどいからやめてくれ


385名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:32:00.23ID:3tn8OS5l

長生きするより神と共に生きる方が幸せなんだ

人間は天に帰ってまた生まれ変わってくるものだから、寿命は関係無い

音楽を聴く=神の声を聴く

だからね

女性ボーカルに神は舞い降りて来ないから、女性ボーカルなんか音楽じゃない
風俗行った方が効率いいよ


386名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:33:28.68ID:/jiufGej

キリストは風俗通いだったのかー


387名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:36:47.60ID:3tn8OS5l

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!

 自称キリストことナザレのイエス(34)の行っていたデタラメな「治療」については,エルサレム市警察の調べによって次第に明らかになりつつあるが,当誌はイエスの逮捕直前に教団を離脱,裏切り者と激しく教団から非難されていた実業家,イスカリオテのユダ氏 (48) の単独インタビューに成功した。教団幹部としてイエスの「治療」にも深く関わり,事件の鍵を握ると考えられていたユダ氏だが,このインタビューの後極度の鬱状態に陥り,自殺も数度にわたって図ったという。同氏はなおも証人としての尋問は不可能な容体であり,このインタビューは事件についての同氏の事実上唯一の証言となっている。


--------------------------------------------------------------------------------

―――ナザレのイエス氏は手のパワーによって病気を直すと公言していますが。

ユダ「それはデタラメです。すべてカラクリがあります。あれは人々を信用させてより多くの布施を集めるための一種のショーです。」

―――布施を集めたのですか?

ユダ「もちろんイエス自身が集めるわけではありません。布施を集めるのはマタイとレビの役目でした。彼らは以前収税人をしていましたからお手のものです。金の無い者からは着物や毛布まで取りたてて,顔の知られていない弟子が金に換えました。そのために寿命を縮めた患者も少なくありません。」

―――らい病を直したというのは本当ですか?

ユダ「仲間の一人でルカという医者がいるのです。その男にまず患者をらい病と診断させます。そこへイエスがやってきて,手で触れたりかざしたりして,治ったと宣言するわけです。その通り患者はぴんぴんしています。元々らいなどではなかったのですから。」

―――歩けなかった病人が歩けるようになったのは?

ユダ「エルサレムの街を歩いてごらんなさい。いざりの乞食は五万といます。しかし奴等は本当に歩けないのではなく,商売のために歩けないふりをしているだけです。ですから銀貨の1枚も渡せば偽の奇跡に協力させるのはたやすいことです。盲を見えるようにしたというのも,中風患者が治ったというのもこのやり方でした。」

―――しかし,本当に治ると信じてやって来た患者もいるのでは?

ユダ「もちろん,噂が広まれば治療を求めて多くの人々がやってきました。もちろんイエスに彼らを直す能力などありません。しかし,人間本気で治ると思えば治ってしまう病気もあるのです。また,単に貧しくて薬や食べ物がないために病気になった患者は,ルカや私が薬や食べ物を与えれば一時的にでも軽減します。そうやって自分の力で治ってしまった患者は,イエスの力で直してもらったと思い込み,また噂を広めます。治らなかった患者は信仰が足りないとか悪魔が憑いているとか言っておけば,民衆は他愛なく信じるものです。」

―――イエスの力ではないとは言え,治ったのなら結局良かったのでは?

ユダ「しかしその後でマタイとレビが法外な布施をふっかけるのですよ。イエスに脚気を直してもらったと思い込んでいる一人の漁師からは(実は単に食物のバランスが偏っていただけなのですが),商売道具の網や舟まで奪ってしまいました。これだけは置いていってくれと泣き叫ぶその漁師の妻と子を足蹴にするマタイと,右の頬を打たれたらほかの頬も差出せというようなことを冷たい笑みさえ浮かべながら話すイエスの姿は今でもこの眼に焼き付いています。漁師は現在もイエスの弟子のはずですが,漁師の妻はガリラヤで売春婦に,子供たちは物乞いになりました。」

―――あなたがイエスのもとを離れたきっかけは?

ユダ「裏切り者にされかけたからです。ある日イエスの悪辣なやり方に嫌気がさした私が,いくらなんでもそれはひどいのではないかと苦言をしたところ,その日の晩餐で私は名指しで裏切り者と呼ばれました。ちょうどマグダラのマリアの事件で教団の結束が緩みかけていたところでしたので,イエスは私をスケープゴートにしてたがを締め直そうとしたのです。私は身の危険を感じ,このままでは自分も熱心党のシモン(彼はイエスの命令ですでに数人の弟子を抹殺していました)に殺されると思ったので,逃げてきたのです。」

―――マグダラのマリアの事件とは?

ユダ「イエスの愛人でマグダラのマリアという女がいます。秘密ということになっていますが,位の高い弟子たちはたいてい知っています。ところがある日,彼女がイエスに香油を振り掛けているとき,たまたま居合わせた,真面目だが鈍い一人の弟子が彼女に,そんな香油を買う金があったら貧しい人に与えてはどうかと言ったのです。この男は彼女がイエスの愛人であることを知らなかったのです。マリアは馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていただけでしたが,イエスは烈火のごとく怒って(イエスは香油を振りかけてもらったあと,弟子たちを部屋の外に出してマグダラのマリアにマッサージをしてもらうのが日課でした。)その弟子を破門にしたのです。おそらく彼は今ごろゲネサレ湖の底に沈んでいるでしょう。」

―――銀貨30枚を受け取って裏切ったというのは本当ですか?

ユダ「祭司長の使いと名乗るものが銀貨30枚を持って来たというのは本当です。しかしそれはイエス一派の陰謀で,私が金のために教団を裏切ったと言う風説を広めるためだったのです。実は金を持ってきた男というのは弟子の一人マルコの遠縁に当たる者で,最近信者になった男でした。彼らは私がその男を知らないと思って使者にしたのですが,私はおかしいと気付いたので突き返しました。教団は私が金を受け取ったと機関紙やパンフレットで宣伝していますが,事実ではありません。」

―――イエスは逮捕されましたが,教団がイエスを奪還する可能性は?

ユダ「おそらくないでしょう。イエスのわがままには教団幹部も困り果てており,内紛の原因にもなっているほどです。おそらくそのまま死刑にして,何か奇跡が起こったという話(例えば殺されたイエスが復活したのを見たとか)を作り,教団の結束を固め,存続を目指す方向に進むでしょう。悪知恵の働くヨハネあたりを中心にもう動いているんではないでしょうか。古株のペテロあたりは反対するでしょうが,彼は気が弱いですから。」

―――教団はイエスが逮捕されたのはあなたのせいだと非難しています。死刑になったらいっそう攻撃は激しくなるのでは?

ユダ「構いません。その血の責任はわたしとわたしの子孫の上にかかってもよいです。」
http://www.geocities.jp/tsume291/christ.html  


391名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 15:41:27.91ID:3tn8OS5l

オーディオ店主と宗教の教祖は全員嘘吐きだから
信じたら酷い目に遭うという話さ

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c4

[近代史3] 音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由 中川隆
5. 中川隆[-10685] koaQ7Jey 2019年10月20日 09:07:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2172]

ピュアAU板終わりすぎだろ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1544687900/l50

124名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 00:08:08.65ID:JiuLvPRb>>127

馬鹿・未経験者・無知・基地外を論破することは不可能で
そいつらの声はでかくて キモチワルイから
どの板でもデタラメだらけになり 知識人・経験者ほど逃げていく。
そして 基地外と馬鹿と無知・デタラメだけが消えずに残る。
インターネットって怖いですねええええw

89名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 07:05:50.86ID:

この板は音楽がわからない成金の金持ち自慢ばかりになったからね。
そもそもオーディオに総額50万円以上かけるのはクルクルパー

しかも聴いているのは流行歌、演歌、女性ボーカルとかアニメソング、ロックみたいなアホ音楽だけ

そういう音楽聴くだけなら1万円のラジカセで十分だよ

成金向けのオーディオなんかすぐに滅びるよ

アンプはこの程度で十分なんだよ

チューブ オーディオ ラボ 6FD7 シングルステレオアンプ

出力 1.8W×2(真空管含む、税抜き120,000円)
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/index.html
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/k6fd7s.html


WestRiverの製品
パワーアンプ
安定化電源搭載高帰還パワーアンプΕHシリーズのラインナップは

Ε-5H:\54,000(税込み)(220WX170DX90H)
Ε-10H:\86,400(税込み)(250W×160D×150H)
Ε-30H:\135,000(税込み)(350WX230DX180H)
Ε-50H:\151,200(税込み)(350WX230DX180H)
https://west.wramp.jp/


90名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 07:09:09.93ID:xdusq0i5>>99

まあ、自称クラシックファンでもどうしようもない三流演奏家のCDしか聴いてないみたいだからどっこいだけどね


101名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 13:00:42.03ID:W5gcGnOM
>>89
団塊によく見られる行動だけど、自分の推したいものを上げる為に他のものを貶したらダメだよ
川西さんのお友達かな?


91名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 08:21:02.75ID:vxCMlAwe

マイナーな演奏や楽曲も音質で楽しめるようになるのが
巧くセットアップできたオーディオシステムなんだが

有名超一流演奏家のCDが鳴ればいいというなら
それこそ1万円のラジカセでも聴けるだけで有り難いだろ
オーディオに拘る必要ないわ


92名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 09:21:51.19ID:/QqkiEsN

オーディオが終わったのでキチガイが暴れてるんだな
悔しいか?


93名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 09:51:02.00ID:xdusq0i5

>有名超一流演奏家のCDが鳴ればいいというなら
>それこそ1万円のラジカセでも聴けるだけで有り難いだろ


SPの復刻版はやはり蓄音機で鳴らすのが断然いい音だからね、YG やマジコではまともな音にならない:

曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。

音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。

SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。
驚きの音が、しました。感激しました。

復刻されたSP原音は、できるだけ忠実に再生したいと思いませんか。
さて、そのための道具ですが・・・
先ず第一に機械式蓄音機。
LPやCDになってもSPの音は蓄音機に回帰しましょう。
これをプレーヤーとしてではなく、ホーンスピーカーとして使います。
LPやCDの音をどうやってそこから出すかですが、蓄音機に付いているサウンドボックスに換え、ソガフォンという小型スピーカーを取り付けます。
あとはプレーヤーとアンプですが、種々試行して音の違いを自分の好みに合わせ完成です。
ちなみに現在は以下の組み合わせを楽しんでいます。

CDプレーヤー:SONY D-2
アンプ:VintageJoin
蓄音機:DECCA 型番不明
http://bud-jazz.dreamlog.jp/archives/2016-08.html


94名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 09:51:30.14ID:xdusq0i5

Sogaphon の種明かし - yuihi310のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23571576.html

曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。
音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。
SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。
驚きの音が、しました。感激しました。
http://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/ece199cc3ee61d9a28f075d29d796277


Sogaphonの解説はこちら
The magic of Sogaphon
http://www.youtube.com/watch?v=NNVliaIqy4s&feature=plcp

YGやマジコよりは遥かにいい音になるのは間違いない


95名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 09:56:19.26ID:xdusq0i5

音楽は音色がすべて
名演奏というのは いい音色を出しているもの

音色は倍音成分の入り方で決まるから、いい装置というのは倍音成分を上手く追加するもの

蓄音機とか真空管アンプがいい音なのは、倍音成分を楽器並みに盛大に入れているからだよ
YGやマジコみたいな共振を排したスピーカーでは音楽にならない


96名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 10:19:19.85ID:Ayh7fb0/

>音楽は音色がすべて
名演奏というのは いい音色を出しているもの

半分正解、半分間違い
クラを始め大半の音楽はそうなのだが、世の中には現代音楽やらノイズなんてえのもあるからねえ

>音色は倍音成分の入り方で決まるから、いい装置というのは倍音成分を上手く追加するもの

こりゃまた半分正解、半分間違い

録音では元の音は完全には入らないし、再生装置もそうだ
なのである種の歪みの音は、測定器では歪みでも人の耳では失われた音楽情報を脳内補完されて
魅力的な音で再生されうる可能性がある

が、それらは本来の楽音ではないので、何を聞いてもアンプなりスピーカーの同じシステムの音に染め上げてしまう危険性もある
固有の音色を持たない楽器が無い様に、オーディオ機器もまた大なり小なり固有の音色表現をする

なのでトータルとしてどのようなサウンドで音楽を鳴らすのか?
はひとえにユーザーにかかっている
スガーノがオーディオ演奏家と言う所以である


97名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 10:37:16.77ID:xdusq0i5

>録音では元の音は完全には入らないし、再生装置もそうだ


原音と呼ばれているものは、コンサートホールの反響音と残響音まですべて含んだもので、
聴く座席の位置や観客の数によっても全然違って来る

一方、YGがマジコが共振を排して再生しているのはマイクで拾った音そのものだから
原音には似ても似つかない酷い音になる

蓄音機や真空管アンプで名器といわれているものは、コンサートホールの一番いい席で聴いた時の
残響音や反響音を再現する様に設計されているんだ

YGやマジコを設計したイスラエルの無知蒙昧なアホ技術者はそういう音楽のイロハがわかってないんだな


98名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 10:52:40.59ID:W5gcGnOM

スピーカーをただの電力→音波の変換器としてしか捉えていないんだろうね


99名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 12:48:07.84ID:1dtMwbYW
>>90
コンサートホールで聴く音は楽器の生音じゃなく殆どホールの残響音になる

コンサートホールでの録音では、録音する時は演舞台に複数のマイクを立てて録音するので、そのホールの残響音も録られない事になる。
中には50本ものマイク立てて録音してるのもある。
http://www.mu-s.com/Edu/classic_rec.html

クラシックでホールの客席に立てたワンポイントマイク録音でも実際の演奏を聴く様な音は再現不可能。

【レコーディングで時々、「客席にマイク立てれば、客と同じでイイ音録れるじゃん。」と言う演奏者に遭遇します。
自分が客席で聴いているような音にしてほしいという意味でおっしゃっているのだとは思いますが、マイクを観客の場所に置いても、自分が認識している音と同じにはならないのです。

人間の耳は カクテルパーティ効果という、便利で勝手な機能が備わっています。
周囲の音楽や大勢の人の話し声の中から、聞きたいものだけをフォーカスできるのです。
騒がしい音を遮断して、隣のひそひそ話を聞き分けるような経験をしたことがあるのではないでしょうか。

この性能のおかげで、演奏を生で聞く時も特定の楽器の音だけに集中したり、「自分の聞きたいようなイメージ」に合わせて無意識にバランスを取ったりもしています。
現実に鳴っている音と、脳が認知している音には乖離があるということです。

反対に、「キャッチできる範囲の音(空気の振動)をそっくりそのまま集めてくれる」のがマイクです。
それを耳に例えると、ただむやみに音を意識せず、ぼーっと耳に入れているのと同じような感じになる、といえば分かりやすいかもしれません。

だからこそ、レコーディングでは多くのマイクを使い、多チャンネルで音を集め、その楽曲の音楽性を合わせて「聞こえてほしいように作っていく」というエンジニアの作業が必要となるのです。
https://ninoya.co.jp/ninoya_log/nomos/9908 】

結局、スタジオで各楽器ごとにマイク録音する方が生楽器の音そのままを録音出来て音像も出るんだな。

→クラシックよりJ-POPとかの方が良い音のソフトを作れる。


100名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 12:52:30.65ID:1dtMwbYW>>103

原音=レコーディングスタジオのマスターテープの音

でありコンサートホールの音では無い。


102名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 13:07:25.95ID:yZ85PjW3

若い時バンド経験あるけどドラムみたいなのでも
ノーマイクで目前いて聞こえる音と卓に入って
出力される音はノーエフェクトだとしても全く別物だぞ。
あと定位がと言う人いるけどコンサートホールで
どこの座席位置でも定位現象は無い。PAを使うジャンルだと
ある程度強制的に作る事は可能だがクラシックなど基本ノーマイクなジャンルに
それは無いよ。感じとれるのはせいぜい指揮者の位置程度までだ。
少なくともオーディエンスの側でそれを感じる事は無理だね。


106名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/31(月) 15:22:40.06ID:vxCMlAwe
>>102
バイオリンとチェロのどっちが右か左かとか
ヴィヴラフォンが右にあるか左にあるかぐらいなら
ホールの2chワンポイント録音でも定位するよ


114名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/02(水) 17:13:01.24ID:EF4sL6/u

これからはトランジスタアンプは誰も欲しがらない時代になる

真空管アンプはとにかく安い:


チューブ オーディオ ラボ 6FD7 シングルステレオアンプ

出力 1.8W×2(真空管含む、税抜き120,000円)
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/index.html
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/k6fd7s.html


119名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/02(水) 21:34:52.24ID:Y0XSOyRV

真空管とか普通に要らなすぎてワロタ
耐久性低くて振動に弱い上に高調波吐きまくりのうんこやんけ


121名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/02(水) 22:18:54.04ID:4YTqtz2P

真空管は当たり外れあるからな
当たりを引けば10年でも使えるが、外れは1年持たない
しかし、半導体には出せない音色が出るのも事実なので
しぶとく使う奴もいる


122名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/02(水) 23:53:04.53ID:n+vYAy6J

でも製品の比率自体はデジアンが増えるような気はするなあ。


132名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 11:12:40.38ID:n4KA+I/i

100万円のトランジスタアンプと15万円の真空管アンプと同レベルの音

トランジスタアンプの時代はもう終わってるよ


マジコや YG の何百万円もする高級スピーカーとグッドマンのフルレンジユニットを木の板に自分で取り付けたのが同レベルの音

組み合わせスピーカーの時代ももう終わってるよ


133名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 11:27:16.70ID:n4KA+I/i

この板は音楽がわからないアホ成金の金持ち自慢だけだからね

紅白とかアホ音楽しか聴かないのにそんな高級な装置は必要ないだろ


134名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 12:17:06.24ID:55QEkn0I

失敗してる人生の憂さ晴らしをオーディオ批判に向けるのはお止めなさい


135名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 13:23:13.98ID:Luth/Iu+

f特一つとっても別物の性能なのだが、基地外には同じに聞こえるらしい
もう補聴器なので憂さ晴らしかなw


137名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 14:28:22.27ID:n4KA+I/i

>f特一つとっても別物の性能なのだが、基地外には同じに聞こえるらしい

そもそも原音再生が基本なんだから音楽自体が変わる訳ないだろ

蓄音機と現在のハイエンドとどっちがいいかすらわからないよ


138名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 14:36:25.70ID:n4KA+I/i

装置による音の違いより、演奏家による音の違いの方が遥かに大きいんだから
良い演奏を探した方が装置に金かけるより変化は大きい


139名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 15:35:45.63ID:n4KA+I/i

成金は

ゴッホやセザンヌの絵より、同じ場所から撮った写真の方が
分解度や色彩感が正確だから、優れていると思ってるんだな


147名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 20:09:52.56ID:t1tayd8J

高級品持ってるベテランユーザーが居座って、ライトユーザーが出入りしにくくなったね。そういう人はAV板行けだの貧乏人だの言われる。
昔の607クラスの入門ユーザーの居場所がなくなった。
ほどよく音へのこだわりを捨て、シンプルに安くオーディオをまとめようとすると、そんなのピュアじゃないなどケチョンケチョン。
ベテランユーザーの余裕のなさを感じます。


148名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 20:23:34.38ID:n4KA+I/i>>150

ベテランユーザー = 音楽がわからないアホ成金

そもそもプロの音楽家は安物のオーディオしか使っていない

YG や マジコ使ってる音楽家なんか一人もいない


149名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 20:26:10.81ID:n4KA+I/i

そもそもオーディオに総額50万円以上かけるのがクルクルパー

成金向けのオーディオなんかすぐに滅びるよ


アンプはこの程度で十分なんだよ

チューブ オーディオ ラボ 6FD7 シングルステレオアンプ

出力 1.8W×2(真空管含む、税抜き120,000円)
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/index.html
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/k6fd7s.html


WestRiverの製品
パワーアンプ
安定化電源搭載高帰還パワーアンプΕHシリーズのラインナップは

Ε-5H:\54,000(税込み)(220WX170DX90H)
Ε-10H:\86,400(税込み)(250W×160D×150H)
Ε-30H:\135,000(税込み)(350WX230DX180H)
Ε-50H:\151,200(税込み)(350WX230DX180H)
https://west.wramp.jp/


150名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 20:50:18.53ID:/7r2IPQw

>>148
カラヤンはアキュフェーズとTANNOY使ってたが?


151名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 21:12:58.14ID:n4KA+I/i

カラヤンはアキュフェーズと B&W 使ってた理由は

1. 成金だった

2. 声楽パートとオケを別に録音して、後で合成していたから正確な音程が必要だった

3. カラヤン・レガートを上手く再現するのは分解能が高くないとNGだった


152名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/03(木) 22:14:18.38ID:JiuLvPRb>>155

どんな屁理屈並べても、ウーファーのでかさ、アンプの出力のでかさが一番だからね。

後は妥協と、屁理屈で上を見えないフリするだけ。

まぁでか過ぎると 近所迷惑的に使いにくいって言う事実もあるんだけどね


155名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 06:34:02.04ID:fyZl/20Z
>>152
>どんな屁理屈並べても、ウーファーのでかさ、アンプの出力のでかさが一番だからね。


ウェスタンの映画館用システムのアンプの出力は 1W, 2Wだろ

アンプは出力が小さい程 音がいいんだ


156名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 06:41:06.52ID:fyZl/20Z

音が一番いいアンプはこれ

山本音響工芸 A-08S WE101D/WE104Dバージョン
価格:320,000円(税別・出力管別価格・受注生産)
出力管:WE-101DまたはWE104D
最大出力:WE101D:約0.6W/8Ω WE104D:約0.8W/8Ω


今回 WE101Dシングルアンプを入手してそのサウンドを聴いて確信しました。
音の厚みが決定的に分厚いです。
http://soundtrail.blogzine.jp/blog/2011/06/post_f205.html


WE101D アンプの良さは「低域の立ち上がり感」と「音の厚み」に有ると思います。

3ウェイマルチアンプをやっていて、低域だけはTr型アンプにしている理由は、「立ち上がり感」が一般の管球アンプでは得にくい事からです。
しかし、このWE101Dの球は違いますね。
低域の立ち上がり感(爆発感)が良く出ます。それが厚みを持って出て来ます。
http://soundtrail.blogzine.jp/blog/2011/06/we101dpp_2ae0.html


157名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/04(金) 18:41:38.87ID:tlOGo4mM

>>156みたいな○○が良いと決めつけるやつが1番の害悪だな


158名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/05(土) 16:10:30.16ID:gm0b48et

自分が好きなオーディオが最高のオーディオだからな

160名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 02:21:28.41ID:VxRO0LJA

目くじら立てて文章読むからダメなんだよ
ある程度フィルターかけて許容しろっての
友達にも女の事で盛ったりフカす奴いるだろ、あれと同じだ


161名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 08:55:23.35ID:2cNxfLBO

自分の女を盛るのはOKだが、人の彼女をゴミ扱いするから嫌われる


162名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:04:16.13ID:pIaX9J6A

只でやると言われても断るスピーカー

B&W
JBL
タンノイ
マジコ
YGアコーステックス


163名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:07:10.00ID:iNM1hPG3

器の小せぇ男だなぁ
据え膳食わぬは男の恥だろ


164名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:09:34.39ID:pIaX9J6A

オーディオ南海西田辺店の店員のなんとか大佐が必死で ぼったくりアンプ FMアコーステックスの宣伝してたり

オーディオ関係者はデマ流すだけだから出入り禁止にして欲しい


165名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:15:46.97ID:pIaX9J6A

今考えると、昔の QUAD とか NAIM とか C.R.Develppments は安い値段でいい音のアンプを出していたね

オーディオ関係者はそういう良心的な製品を目の敵にして嫌がらせしたから、輸入代理店の成り手がいなくなったんだ


166名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:16:30.57ID:2cNxfLBO

なんとか大佐?
パーマ大佐?

♪ある〜日 ネットの中〜
基地外に 出会った〜


167名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:19:01.53ID:pIaX9J6A

トラウトマン大佐だっけ?


169名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:21:47.94ID:pIaX9J6A>>170

何とかの KRELL とかいうのも ぼったくり製品ばかり宣伝してたね

日本人のオーディオ熱はこういう詐欺師が潰したんだ


170名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:24:00.33ID:98O1Fpwj
>>169
何がしたいのか分からんが、妬みまくるだけならオーディオ辞めてこの板から消えたら?

背伸びさえしなければ自分にできる範囲で色々楽しめる良い時代なんだけどなぁ


173名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:26:53.46ID:VxRO0LJA

オーディオ熱ってもふるい落とし」で大半が消えて厳選されただけだよ
デジタルを絡めた水準は明らかに上がっている
ただな
アンプは価格が1/5でもスピーカーと違って大差はないな、そこは悲しい
高級機材になって空気感出ればノリが減ってつまらなくなる場合もあるし


168名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:19:32.24ID:e1pfg2mI

ニュース速報+も完全終了っぽいw
「これのどこが速報ですか?」っていうツイッターソースとかひどかったのが
いまは速報記者のてきとーな疑問で>>1乱立できるらしいw
(韓国海軍レーダー問題火消し目的らしい


171名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:24:46.19ID:pIaX9J6A

【馬渕睦夫】メディアは「意図的」に洗脳している。マスコミの正体を暴露しよう - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1UVE71XxbHk
___


【馬渕睦夫 河添恵子】「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露! NHK内部にまで浸透済みだ! 2018年12月17日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=SGKFLrySAHs

2018/12/16 に公開
馬渕睦夫 河添恵子氏の解説から

「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露!
NHK内部にまで浸透済みだ!
朝日、毎日をはじめとする新聞、NHK、TBSといった地上波テレビなど、既存メディアは、真実を見せなくなっているのではないでしょうか?
___

馬渕睦夫★日本のテレビから外国人スパイを淘汰しろ!
なぜ天皇陛下が農業するのか?その意味と譲位日程の秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DPaPO66OWBk&app=desktop


 
日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:

河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


172名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:25:45.74ID:pIaX9J6A

馬渕睦夫さんが明らかにしていますが

体制側=リベラル・グローバリズム・左翼=親ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、FBI、マスコミ、ソ連共産党、中国共産党、天皇一族、日本の官僚
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、レーニン、スターリン、ボリス・エリツィン、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


反体制側=反リベラル・反グローバリズム・民族主義・右翼=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、ヒトラー、サダム・フセイン、カダフィ、アサド、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。

マスコミは国際金融資本が経営しているので、当然体制側(グローバリズム)に都合の悪いニュースは絶対に流しません。

というより、改竄・捏造してでっち上げたニュースをあたかも事実であるかの様に流布させています。 間違いを指摘されても絶対に訂正しません。


反ユダヤ、反グローバリズム、反共、反リベラルのヒトラーやサダム・フセイン、カダフィは今迄ずっと極悪人扱いされてきましたが、

ユダヤ資本が支配しているマスコミが現在でもシリア毒ガス兵器の様な悪質な捏造ニュースばかり流している事を考えると、ヒトラーやサダム・フセイン、カダフィについても、有る事無い事 根も葉も無い嘘とデマを撒き散らした可能性が高いです。

そうでなければ、ドイツ女性の熱狂的なヒトラー崇拝やサダム・フセイン、カダフィの自国民からの圧倒的支持を説明できないのです:

174名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:26:57.08ID:pIaX9J6A

第一次湾岸戦争時の「ナイラ証言」

アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために露骨な捏造と情報操作をおこなった。
世界が、みごとに嵌められてしまった。

「ナイラ証言」というのは、完璧な捏造であることがはっきりしている。
ナイラというクウェートの少女が、米公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器からだし、
次々と床に叩きつけて殺したのを見た」と涙ながらに証言した。

しかし、後にこの少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。
つまり、証言は真っ赤なウソだった。この証言は、アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものだった。リハーサルもきちんとしていた。もちろん、スポンサーはアメリカ政府以外にない。ただし、捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは、1年3ヶ月後のことだ。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は反戦が多数を占めていた。
しかし、この証言で世論は一気に会戦へと転じた。
周到に準備された、たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させてしまった。
しかも、素人の少女のウソ泣きによって。

クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。
そのクウェート人少女は、アメリカ議会の公聴会でこう証言した。

「サダム・フセインの軍隊が病院に乱入して、保育器から赤ん坊を取り出し、
床に叩きつけて殺した。私はこの目で目撃した」

 と、少女は涙を流しながら証言した。

 ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
 事前にアメリカの広告代理店が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサルをした上での証言だった。
当の少女が後に暴露した。


175名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:31:01.29ID:pIaX9J6A

マスコミでもオーディオでも専門家の言う事は殆どがデマで
金呉れる所を褒めて、金呉れないとこは貶す

しかし、そういう事実に気付く人は殆ど居ないし
俺みたいに真実を明らかにする人間は嫌われて排斥される


176名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/06(日) 09:39:22.78ID:pIaX9J6A

菅野沖彦先生は亡くなられたけど、エレクトリは引き続き宜しくね。
エレクトリ以外の輸入品はすべてゴミなので買わないようにね:

株式会社エレクトリ|音響機器・映像機器の輸入商社
弊社取扱いブランド

AMPZILLA(アンプジラ):プリアンプ、パワーアンプ
Atacama(アタカマ):オーディオラック
ATC(エーティーシー):スピーカーシステム、プリアンプ、パワーアンプ
EMT(イーエムティー):カートリッジ、シェル、プリアンプ
FIRST WATT(ファーストワット):パワーアンプ
HEGEL(ヘーゲル):アンプ、CDプレーヤー、DAコンバーター
MAGICO(マジコ):スピーカーシステム
McIntosh(マッキントッシュ):プリアンプ、パワーアンプ、インテグレーテッドアンプ
MERGING(マージング):DAコンバーター
METRONOME(メトロノーム):CDプレーヤー、DAコンバーター、アンプ
NORDOST(ノードスト):AVケーブル
PASS(パス):プリアンプ、パワーアンプ、フォノEQ、スピーカーシステム
stst(エスティーエスティー):アナログプレーヤー
WesternElectric(ウェスタン・エレクトリック)):プリアンプ、パワーアンプ、CDプレーヤー、真空管
https://www.electori.co.jp/


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1544687900/l50

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/683.html#c5

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