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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100324
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[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
3. 中川隆[-8871] koaQ7Jey 2019年7月24日 07:21:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3837]
韓国人が嘘をつく理由
https://nihonsinwa.com/page/860.html


●韓国は儒教国。儒教は徳治主義。

●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。

●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。

徳治主義について

韓国は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって韓国ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。

それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。

騙す人と騙される人はどちらが悪いか

さて。
ここで問題です。

Aさんがいます。

このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?


普通の国ならBさんが悪い

普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。

事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。

まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。


儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い

でも儒教ではそう簡単にはいきません。

「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」

という原則があるからです。

この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。

騙す人の論理

ではBさんの側で考えてみましょう。

Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。

儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。

もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。


無論、中韓以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。

参考:儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html


騙される方が悪い。そういう考えは多少なりとも、何処の国でもあることです。しかし、それは「余りに間抜け」という批判であって、「騙されないようにする努力も必要」という戒めの意味です。「騙した方の正当性」を保証するものではありません。この「騙した方の正当性」を「思想」が後押ししていることが、この儒教の珍妙さでもあります。

ただ、儒教は決して「騙した方が正しい」と言っているわけではありません。徳治主義という原則を厳密に採用すれば、こういった結論に成るというだけです。

騙した方が偉い…ならば嘘をつくべきという文化

結果的ではありますが…
騙した人の方が立派ということです。

日本のように騙すくらいなら騙される方がマシなどという価値観は存在しません。騙されるよりは騙した方がマシ、というレベルではなく、嘘をついても利益を得た方が「立派」「偉い」「徳がある」「正しい」となります。また嘘もバレなければ真実として横行します。だから嘘をつきます。真面目に正直にする意味がありません。正直にメリットが無いのです。

この思想を全員が完全に実践しているとは言いませんが、文化の土台としてこういった思想があるのは事実です。嘘のハードルが低いってことですね。

日本人には理屈では理解出来ても感覚としては理解できないことですが、この理屈を通して韓国のニュースを見ると非常に面白いです。
https://nihonsinwa.com/page/860.html  

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儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html

儒教と嘘


儒教は徳治主義です。

徳治主義とは徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想です。
この思想は統治者だけでなく、すべての社会にまで浸透しています。

では「徳」とか「正しい」とはどういうことか?というと、明確な答えはありません。時代によって状況によって正しいということは変化するものだからです。そこで、その人物の正しさは何によって証明されるのか?? それは「結果」です。

そのとき正しくても悪い結果が出れば、その行動とその行動を取った人物は「悪い」ことになります。その人物が徳の無い正しくない、悪い人間だから悪い結果となったわけだから、その人物は「悪」です。

となると、良い結果こそが正義です。

徳治主義とは実は、究極の成果主義と言えます。
しかし、それなら何の問題も無いような気がします。

日本のように「和」を重んじるあまり、誰も失敗の責任を取らないという社会によりはずっと現実的で、臨機応変に対応が出来るような気がします。優れている、ような気がします。

しかし、ここに落とし穴があります。

結果がその人物の「徳」を証明するのですが、ここに「因果関係」がありません。

例えば、AさんがBさんに騙されてお金を取られたとします。
儒教の徳治主義では、騙されたAさんが悪い、となります。

騙されたのはAさんに徳がないから、バカだからです。
徳がないから、お金を騙し取られるという結果になったのです。


でも、Aさんは「嘘」をつかれ、騙されたから判断ミスしたのです。
客観的な情報を得ることが出来れば判断ミスはしなかったでしょう。

それでも騙される人はいますが、客観的で正しい情報を得ることが出来ればAさんが騙された確率は格段に下がったのです。だから、嘘をつき、間違った情報で騙したBさんが、儒教の国以外では悪いのです。多少は「騙される方も悪い」という意見もあるでしょうが、Bさんに非が無い、もしくはほとんどの非がAさんにあるという考えにはなりません。そう判断するのは儒教国だけです。


その結果、嘘をつくことが正当化されます。
騙される方が悪いのだから、嘘は付いた方が得です。

騙し切って利益を得られれば、その利益が得られたのは「徳があるから」となるからです。

嘘はつき得なのです。
ばれたらケンチャナヨ(まぁいいや、気にすんな)です。


参考:韓国人が嘘をつく理由
https://nihonsinwa.com/page/860.html


儒教国以外の人が嘘を罪と考える理由


というわけで、
「徳治主義」であることから、嘘が正当性を得ていることになります。しかし、ここまで言ってもピンと来ない人も多いでしょう。

あなたは

「儒教国が嘘をつく『理屈』は理解できる。でも、だからといって、こんな理屈だけで嘘をつくだろうか? 人間には罪悪感があって、本能的に嘘をつきたくないものだ!」

と思っているのでしょう。

嘘は罪だ!!

儒教国以外の私たちの多くは「嘘は罪だ」と思っています。ではなぜ嘘は罪なのでしょうか?

嘘が蔓延すると混乱するから? 人間と人間が信頼するためには正直であるべきだから? 理屈はいくらでもつけられます。でも、嘘をついてはいけない理由はおそらくこれです。

「神」です。
神が嘘を裁いているから、嘘は罪なのです。

儒教には神が居ない、だから嘘をつく。

キリスト教やイスラム教といった一神教では絶対的存在の「神」が居ます。神には絶対的な力があり、人間では到底叶わない、底しれない能力があります。当然、嘘だって見抜くのです。そのくらいのことは簡単に出来ます。だって神ですもの。

だから、他人に嘘がばれなくっても、神に見張られていて、いつか因果応報でひどい目に逢うのです。そういうトンデモナイ能力を持っているのが神というやつなのです。だから嘘をついて一時的に利益を得たとしても、その「嘘」という罪に見合うだけの罰があると、多くの人は思っています。

日本人もそうです。日本人というと信仰心が無いと思われがちですが、日本ほど寺社仏閣・祠・地蔵といった宗教物がある国はありません。日本人が嘘をつかないのは「言霊信仰」もあるのでしょうが、やはり人では無い特別な存在(神・霊・仏・閻魔様など)が見張っているという感覚はあります。

儒教にはその神が居ない
儒教国にはその「神」がいません。
儒教はハッキリと神を否定しています。


神が居ないので罪悪感も抱かない

神がいないので、

「嘘をついたら、神様が見ていて罰を下す」

という感覚がありません。

誰も見張っていないわけです。
罰が下るという感覚が無い以上、「罪悪感」もありません。抑制するものが一般的な習俗の国よりも薄くなります。


参考

ローマ法王の発言の意味(韓国セウォル号沈没事故に対する)
https://nihonsinwa.com/page/752.html

韓国の偽造犯罪が多すぎるのは何故か
https://nihonsinwa.com/page/2778.html


これが嘘をつくもう一つの理由であり、
嘘をつくことに罪悪感を抱かない理由です。


中国と韓国の違い

ちなみに、韓国と中国では、中国の方がまだ信用できる、
という話がよくあります。

これは韓国が儒教ドップリなのに対して
中国が儒教を「表面的」にしか捉えていないところにあります。中国は儒教の国ですが、道教も浸透しています。

つまり中国には弱いですが「信仰心」があり「神」が存在するため、この違いが生まれたのです。
https://nihonsinwa.com/page/881.html

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韓国の偽造犯罪が多すぎるのは何故か 2017-05-10
https://nihonsinwa.com/page/2778.html

●韓国の大学生が偽造の診断書を提出して授業を休むが、そこに罪悪感を抱いていない。

●韓国では偽造の犯罪が非常に多く。日本の8倍。人口は半分以下であることを考えると発生率は日本の16倍。

●嘘のハードルが低い。

●社会全体で嘘を大きな問題とは捉えていない。


日本に比べ多すぎる韓国の偽造犯罪


引用
大学の授業をサボるために「偽造診断書」、日本に比べ多すぎる韓国の偽造犯罪

最高検察庁によると、2014年に韓国国内で偽造犯罪事件は2万1662件も発生した。
これは、日本(2665件)の実に8倍に上る件数だ。

日本の人口が韓国の2倍以上であることを思うと、韓国の偽造件数は多過ぎる。これについて、東国大学警察行政学科のクァク・テギョン教授は「社会進出を控えた大学生たちが何らの罪の思いなしに文書を偽造するというのは深刻な問題」とした上で

「偽造文書で授業を休むことを『大学時代のロマン』と捉えるゆがんだ道徳不感症をしっかりと正すべきだ」

と話した。

此処まで引用
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/05/2017050500690.html 


なぜ日本と比べるのかは分かりませんが、ともかく韓国の大学生が非常に気安く「不正」を行なっているよ、という記事です。


旭日旗問題と嘘

さて、このサイトではよく「韓国には神がいないから嘘に罪悪感はない」とか「騙される方がバカという感覚がある」よ、という話をするんですが、その現象の証拠が上の記事になります。


しかし、どこの国でも嘘をつく人はいますし、騙される方がバカだって感覚は多少はあります。問題は韓国ではそのハードルが激烈に低いってところにあります。


嘘が一人歩きする社会

ところで日韓の間には旭日旗問題というのがあります。この旭日旗の最初の始まりは2011年1月のサッカー日韓戦で日本人をバカにした猿真似のパフォーマンスをした奇 誠庸(キ・ソンヨン)選手です。それまでは旭日旗が政治問題になったことはありませんでした。

彼は、猿の真似をして日本人をバカにしたことを問題にされると

「観客席の旭日旗を見て涙が出ました。私も選手の前に大韓民国国民です…」

と発言した。つまり観客席にあった旭日旗に対する復讐なんだと言ったのです。ところが、当日の観客席には旭日旗は掲げられていませんでした。

ってことは、単なる奇 誠庸(キ・ソンヨン)選手の日本人への侮辱なんですね。とっさに自分の人種差別行動を正当化するためについた嘘が「旭日旗」なんです。

ところが、この旭日旗問題はそれから度々問題にあげられるようになります。嘘が一人歩きしているんです。一人の人間の嘘が、まるで真実かのように飛び火して韓国人の道徳に火をつけた。

そもそも嘘なんですよ。嘘でも燃え広がる。真実かどうかじゃないのです。

韓国の選手が責められていたら助ける。それが嘘でも構わない。
真実か嘘かということそのものが問題にされない。
慰安婦問題でもそうなんですよね。それが韓国の道徳(正義)です。


事実の価値の低さ、嘘の気安さ

その根本にあるのは「事実」の価値の低さ。
同時に「嘘をつくこと」のハードルの低さです。

普通ならば嘘をつくことは許されないでしょう。でも、嘘を社会全体がさほど問題にしないのであればどうなるでしょうか。

これなら嘘をついてでも、その場をしのいだ方が得だなと韓国人が考えても不思議じゃないですよね。

そういう感覚が根本にあるわけです。

でも、勘違いしてはいけないのは、アチラではそれが文化だってことです。
私たちとはちょっと違う。
ただそれだけのことです。

私としては嫌韓ではなくて「違う」ってことを理解して、その上で対処するようにして行くべきだ、って考えています。
https://nihonsinwa.com/page/2778.html

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ローマ法王の発言の意味(韓国セウォル号沈没事故に対する) 2014-04-26
https://nihonsinwa.com/page/752.html


●韓国は東アジア第二のキリスト教国。

●韓国はキリスト教国であるが故に信頼を勝ち得ていた。

●対して日本は無宗教の国と思われている。

●欧米の人は神を信仰することがモラルを育んでいると思っている。

●ローマ法王は韓国のモラルの低さに信仰を疑っている。

●この疑念が広がるとこれまでの韓国の反日活動が全て真反対に作用する可能性がある。


ローマ法王の発言

韓国のフェリー沈没事故に対するローマ法王の発言がネット話題になっています。

法王は「韓国民すべてに深い哀悼を表す。若者に会いに行く訪韓を控え、多くの若い生命の犠牲を非常に残念に思う」と述べた。また「韓国民がこの事件をきっかけに倫理的・霊的に生まれ変わることを望む」と強調した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140426-00000007-cnippou-kr


韓国の30%はキリスト教とされます。

この「30%」は団体に所属している数字で、実際に信仰しているのは、もっと多いとも言われます。韓国は東南アジアの中ではフィリピンの次にキリスト教国です。

欧米が今まで韓国人を信用して来たのは、この「キリスト教だから」というのが意外と大きいとわたしは思います。それに対して日本人は無宗教。日本人にとっては神を信じているか信じていないかで、欧米人からの信用に関わるなんて、あり得ないと思っていますが、そんなことはありません。

神が支える社会とモラル

欧米の人から見ると

異教であることよりも、神を信じていないことの方がずっとヤバイ。

それは何故かといいますと……


日本人は無宗教です。
自分でそう言います。

でも日本人が言う無宗教と言うのは
宗教団体に属していない程度のことで、
なんにも信仰心がないと言う意味では無いのですが、とにかく日本人は宗教を、神を信じていないと言います。


そんな日本に来た外国人は
日本人のモラルの高さを見て

「宗教も無いのにどうやって道徳を教えるのか??」

と言います。

信仰と道徳・モラルの因果関係があるのか?というのはひとまず置いておいて……

つまり、神が社会の秩序を守っていると欧米の人は考えているのです。
神は人を正しい道に導くものだからです。

バレなくても、嘘をつけば、その罪悪がわが身に帰ってくるもの。その罰を与えるのが人ではない特別な存在である「神」です。神を信じるということはモラルの形成に欠かせない…そうキリスト信者は考えています。

彼らにとって神を信じないのは罪悪です。
ただそれだけで、です。

ところが
日本人は平気で神を信じていないと言う。

彼らから見ると
こんなやつらは信用出来ない。

その点、韓国人は信用出来る。
だって神を、キリスト教を信じているから。

……と欧米の人は考えていました。
今までは。


慰安婦の問題がここまでこじれるのは韓国がキリスト教国であることも理由です。

日本人は信仰心がある、いや強い方かもしれない

欧米の人には日本人に対する大きな誤解があるのです。
それは「日本人は神仏を信じていない」ということ。

日本人は宗教団体に属していないだけで、
どう考えても信仰心がある。

嘘をつけば、閻魔様に舌を抜かれるし
悪い子は鬼が連れて行っていしまう。

まだまだ使えるものを捨てると、罰が当たる。
悪いことをすれば、回り回って、自分にかえってくると思っている。

あちこちに地蔵があり、仏像があり、大小様々な神社、祠がある。
これほど宗教施設のある国はありません。

これが信仰心で無くてなんだと。


事故で垣間見えた韓国の国民性

韓国人が今回のフェリー事故で大小様々な嘘を
とても気軽についているのを見て
欧米の人は、単純に嘘をついているとは思わない。

「信仰がない」と考えるでしょう。

これは致命的です。

神を信じていること、キリスト教国であること、キリストでなくとも仏でもいいので信仰があるからこそ、欧米からの信用があった部分があるのです。

いやいや、信仰はあるだろう!と言う人もいるかもしれませんが、あれだけ嘘をつくならば、信仰していても意味が無いのです。

だって神が人を正すのに、誰も正しいことをしないなら、信仰があったって、神は居ないに等しいでしょう。

それどころか、信仰なんて無かった。形だけだった。信仰があるというのが嘘だったということになります。


●嘘をつく、関係者が癒着する、その他の不正は強く残った儒教文化の影響と考えた方が納得できます。

●しつこいようですが信仰とモラル形成に因果関係があるかどうかは、分かりません。

この発言は兆候に過ぎない?かも。

その表れの一つが
ローマ法王の発言です。

日本人から見ても、「まさか」「そこまでとは」「予想以上」の新事実が毎日出てくるのです。欧米の人にとってはそれ以上の衝撃でしょう。日本人と韓国人なんて見た目が一緒なのです。漢字圏だし、当然文化も同じと考えていました。それがどうも違う。日本人と韓国人は違う。文化も構造も発想も違う。そういう認識になってしまう。


反日がすべて仇に

もしも信頼を失ったら、これまで行ってきた反日活動の全てが、「韓国のモラルの低さを証明するもの」に変換してしまいます。慰安婦像は韓国の不正の証拠と成ります。

その中で最たるものが「河野談話」です。

これから河野談話の検証が行われ、談話が事実と異なることが明らかになるとしても、日本は「談話を撤回しない」ことをハッキリと言っています。

つまり検証の結果によっては、韓国は事実と異なることを要求したという「事実」が残るということです。


参考:正義が事実を追い越す恐ろしさ
https://nihonsinwa.com/page/756.html


もちろん、日本が行き当たりばったりで要求を飲んだという問題(←こっちの方が問題だ!)もありますが、それも含めて「歴史の事実」が残ることになると思います。
https://nihonsinwa.com/page/752.html

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韓国人の行動原理
https://nihonsinwa.com/page/764.html

●徳治主義では正しい・徳のある人が上に立つと上手くいく。

●そこで正しさの証明が必要だが、正しいというのは非常に曖昧なもので、証明が難しい。

●正しさの証明の方法が三つある。

@地位が高いと正しい
A結果が出るのは正しいから
B他人を悪く言うことで、自分の正しさを証明しようとする

参考:性善説
https://nihonsinwa.com/page/943.html


●事実に基づかなくても、正しいことが優先される。よって悪口言い放題となる。


正しく、徳のある人とは???

韓国・北朝鮮・中国は儒教の国です。

儒教は徳治主義です。
徳治主義とは簡単に言うと「正しい・徳のある人が国を治めると発展する」という考え方です。

徳治主義は権力者だけでなく、国民全体に行き渡った考え方です。
誰もが「正しく」「立派な」「徳のある」人物であろうとします。

でも、正しいってなんでしょうか?

正しいってのは客観的な価値観じゃありません。

では何を持って正しいというのか?
徳があるとはどうやって証明するのか?

幾つかの方法があります。


まず二つの証明方法

地位が高いのは正しいから

一つは地位が高いってことは正しいということです。
正しいから地位が高い、だから地位が高い人は正しい。

上司は正しい。
教授は正しい。
そういう人たちの言うことは正しい。


また、「孝」の思想から目上の人は無条件で偉い人ですから、

目上の人は正しい。
目上の人が言うことは正しい。
親は正しい。親の言うことは正しい。

となります。

これは、理不尽な面もありますが、しかし社会を安定させるには悪い方法ではありません。


成果・結果が出るのは正しいから

次は、結果を出すこと。

徳治主義では正しい人が上に立つと良い結果が出ます。
誰でもハッキリと分かるような成果を出すと、それは正しいとなります。

売り上げを伸ばし、
テストの成績を伸ばし、
業績を挙げて、利益をふやす。

それは自分が正しいという証明になります。


最後の証明方法

他人を否定することで正しさを証明する

あと最後に、他人を否定する、というのがあります。
ここが問題です。

つまり、自分の正しさを証明するために他人を否定します。

他人が間違っているから、自分が正しいというわけじゃないのですが、それでも、その人よりは正しければその人よりは「上の人間」と証明出来ます。

だから他人を見下し、問題点を挙げ、否定します。
自分に同様の問題点があるかないかは、それこそ問題ではありません。

これが非常に厄介です。

誰かを否定し、誰かを見下すことが、行動の原理になるのです。
しかも一番手っ取り早く自分の正しさを証明できます。

自分は一流で先進、あなたは三流で後進、何をしても自分が上、と証明したがります。

しかもその証明には必ずしも事実にもとづく必要がありません。
正義が事実を追い越しているからです。

参考:正義が事実を追い越す恐ろしさ
https://nihonsinwa.com/page/756.html


だからなんだって言えます。
まぁ、嘘ですね。

しかし嘘をついている意識はありません。
それは事実より正義が大事だからです。

事実と異なることは、「嘘」ですが、
そもそも事実が重んじられないのだから、
嘘という感覚が希薄です。

そういうことで事実にもとづく必要もなく、その上で、(何度も言うようですが)他人を否定するわけですから、単なる悪口です。

悪口を言うことは、普通なら不徳です。
しかし、自分の優位を証明することは、自分が正しいことの証明になり、自分に徳がある証明になります。だから不徳ではないのです。日本人から見ると無茶苦茶ですが、そうなります。

事実を元にする必要が無いので悪口の言い放題となります。止める方法がありません。実際、韓国御の悪口の表現は日本語の表現に比べると非常に多いです。


文化の違いです

でも誤解してはいけないのが、これが文化だってことです。
それが当たり前だと思っているのです。

だから、許すべき、ということではありません。
そういう文化なんだという「事実」を踏まえて、そのフィルターを通して見れば、いいのです。
https://nihonsinwa.com/page/764.html

▲△▽▼

韓国が結果を捏造・改竄する理由
https://nihonsinwa.com/page/765.html

●儒教は徳治主義。徳治主義は正しい人が上に立つと良い結果が出るというもの。

●悪い結果が出るのは、その人物が悪いから。

●悪い人には何をしてもいい。

●韓国の歴代大統領は退任後に不遇。

●悪い結果が出ると、身の破滅。

●よって身を守るために結果を改ざんする。

●隠蔽・改ざん・ねつ造は身を守る唯一の方法。


徳治主義

儒教は徳治主義です。
徳治主義というのは正しい人が上に立つと上手くいくという考え方です。

さて「正しい」ってなんでしょうか??

韓国ほどの儒教の影響を受けていない日本人の「正しさ」とは、皆と仲良くすることです。これを日本人は「和」と言います。

輪(和)を乱す人は嫌われます。輪(和)に入れない人はダメな人です。
コミュニケーション能力が、仕事の能力よりも高く評価されることすらあります。


これはこれで会社の発展を妨げるので欠点ではある

そんな日本人にとって、「立派な人」というのは「周囲から立派と言われる人」のことです。つまり、その人物の「正しさ」は周囲の人間が決めることです。

どんなに仕事が出来ても、周囲の人に嫌われていると、立派な人とは思われません。
逆に地位が低くても、場合によっては仕事が全然ダメな人でも、周囲と上手くやってる人は、評価が高いものです。

だから日本人は金持ちよりも、皆と仲良く気持ち良く生きている人を理想としています。


悪い結果は破滅への道

それに対して、儒教の「正しさ」の評価は、周囲の評価ではありません。
一言で言うと「地位」であり、「結果」です。

しかし、人生はいいときもあれば、悪いときもあります。
いいときなんてのは、誰だって上手くやれます。
なにやったって上手くいくんです。

問題は悪い時。

日本人の場合、ここで「和」を求められます。
悪い時、苦しいときに助けてもらえる人は、日頃から皆と仲良くやっている人です。
そういう人は支えられながら、乗り越えて行きます。

ところが、儒教ではそうは行きません。
何か悪い状況になったとき、
売り上げが落ちた時、失敗したとき、
徳治主義では「正しい人」が上に立つことで発展するのですから、
悪い結果が出るのはその人が「悪人」だからです。

悪人だから、足を引っ張っても構いません。

悪人だから、いろんな悪いことをやっているに違いありません。
もともと正義が事実を追い越していますから、
事実にもとづく必要はありません。

つまり悪い結果の行き着く先は「破滅」です。
絶対的決定的な破滅です。

これは韓国の歴代大統領を見てもらえば分かります。
韓国の歴代大統領は暗殺・自殺・逮捕と退任後はろくなことはありません。


参考:パククネがいきなり反日全開の理由
https://nihonsinwa.com/page/705.html


●韓国大統領が断罪される直接の理由は、身内に利益供与をするからです。


隠蔽・改ざん・ねつ造は生き残る道

では、その悪い結果を呼ばないためにどうするか?

最初は適切な努力をします。
しかし、人生はいい時もわれば、悪い時もある。
どうにもならないこともあります。

だったら、どうするか。

結果を改竄します。
放置してれば、破滅するのです。

隠蔽・改竄・ねつ造は
唯一、生き残る道なんです。

だから仕方ない、って訳ではありません。
ただそういう文化が違うという目で見ておく良いということです。
https://nihonsinwa.com/page/765.html

▲△▽▼

上下関係
https://nihonsinwa.com/page/1331.html

●儒教では上下関係を維持するのは「安定」「平和」のため。


儒教の上下関係

儒教が成立したのは紀元前6世紀の中国でした。このとき中国は騒乱の時代で、国があり、王が居たのですが、その王の部下が王を蔑ろにしていました。王の言うことを聞かないのですから、混乱しますよね。ここに秩序の回復を訴えたのが孔子でした。孔子は「礼」が大事として「上下関係をしっかりとするべきだ」としました。だから儒教では上下関係が非常に厳しいのです。上下関係という秩序を保つことで社会を安定させているわけです。上下関係とは平和のための手段なんです。

日本と欧米の文化の違いと儒教の上下関係

ここに日本や欧米との「世界観」に違いがあります。

まず欧米では、これまで書いたようように「神の視点」が幅を利かせています。神から見れば人間というのは、多少の能力差や肌の色も目の色も、違いがあっても、神様という絶対的存在に比べれば、大差ないことですから、みんな「平等」です。

それに対して日本はどうかというと、「和」が大事です。和というのは「みんな仲良くしようよ」という考え方で、この和の原則は「全員一致」なんです。これは「平等」とは違います。言うなれば「同質」です。同じであることが「和」の条件なので、日本人はこの「同質」から外れることを嫌います。だから欧米人が言うところの「平等」と日本人の「平等」というのは似ているけどちょっと違うんです。日本人は「同質」と「平等」を取り違えていて、全く同じにすることに固執しますが、本来の平等はせいぜい「機会均等」という程度です。そういう意味では日本人の「和」には共産主義に近い感覚があるんですね。それはともかく日本人の和には、「平等」に近い、「立場が同じ」という性質があるわけです。

日本の和について

これは日本の神話にも反映されています。

例えば、古事記や日本書記のお話です。出雲という国、現在の島根県を奪おうと高天原の神が考え、その対応策を話し合うことになりました。高天原の天安川(アメノヤスカワ)で神様が集まって、会議をしました。そしてその結論を段取りして実行するのがアマテラスでした。アマテラスっていうと天皇陛下のご先祖さまで、今の日本人は「すごい偉い」「強権を持ってる」と考えがちですが、実は絶対的強権力を持っていた訳じゃないんです。アマテラスは部下に命令する「王」ではなく、みんなで話し合って決めたことを実行に移す「議長」+「実行機関」という感じです。日本人の本来の世界観には上下関係というのは無いんです。大事なのはみんなで話し合って決めること。それが「和」です。


●古事記・日本書紀では崇神天皇から儒教の影響が見られ、上下関係にこだわる記述が見られます。

●ただ、儒教の上下関係は支配者階級の一部にしか影響は見られない、しかも中途半端です。

●江戸時代には封建制度を維持するために朱子学(儒教)を取り入れましたが、本来の儒教は違う上に、これまた影響は武士階級だけした。

●明治以降、昭和の大戦までの「国家神道」は実質、一神教や儒教の考えを取り込んだエセ神道というものです。戦前の父権は儒教の影響です。

現在の日本人にはわかりづらい「儒教の上下関係」

だから日本人には儒教の上下関係というのは理屈では分かっても、本質は理解出来ません。日本人は韓国人のことを、同じ文化を持つ仲間、だと思っていました。ところが韓流ブームが起き、韓国の内情が知れてくると、「あれ、どーもおかしいぞ」と思い始めました。嫌韓ブームの根っこはこの「違和感」です。その違和感の一つがこの「上下関係」の違和感です。
https://nihonsinwa.com/page/1331.html

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韓国人にギブアンドテイクの感覚がない理由 2017-10-11
https://nihonsinwa.com/page/2946.html

●韓国は儒教国で、上下関係を重んじる。

●韓国にとって上か下しかない。対等という感覚はない。

●ギブする側はギブするだけ。テイクする側はテイクするだけ。譲歩はない。

●日本や欧米は(実際にそうするか、そう思っているかはともかくとして)、対等に接するのがマナーだと思っている。見下したりバカにするのはダメ。

●儒教国では譲歩とは不道徳と認めることであり、格下と認めることになり、つまり交渉は敗北ということ。

●儒教は上下関係を重んじて、下が上に絶対服従することで社会を安定させようとしている。嫌な言い方をすれば、差別を尊ぶ社会。

韓国人はギブアンドテイクの概念が分からない


【韓国の反応】韓国人「韓国人は『ギブ・アンド・テイク』の概念が分からない」
http://oboega-01.blog.jp/archives/1068182087.html#more 

みずきさんのサイトでは翻訳をしていて、そこで面白い記事がありましたので引用。私は韓国語は分かりませんので助かりますね。
この元記事では「韓国人はギブアンドテイクの概念が分からない」とある。面白い。確かにそうなんですよね。


上下関係と道徳

韓国は儒教の国で儒教では上下関係を重んじます。その上下関係を決めるのが「道徳」なんですね。そんな社会なので「上」は「道徳的に正しい」から、威張って命令できるんです。なぜなら「正しい」のだから。「下」はその命令に従わないといけない。なぜなら「道徳的に正しくない」から。下は上に絶対服従。絶対服従するのが社会の道徳なんです。

この上下関係はかなり厳しくて、事実より上下関係…つまり道徳が優先されます。厄介なのは、飛行機のパイロットです。パイロットの機長が判断ミスをして、それを副操縦士が指摘しても、「上」の意見が絶対の韓国社会では、そんな指摘なんて無意味、いや、そんな指摘をすると、上(=機長)が下(=副操縦士)をぶん殴るなんてことがあるのです。それだけ上下関係が厳しいのです。そりゃ事故が起きやすいですわな。

上か下か?

これは国家の関係にも反映されます。

韓国としては道徳的に正しい韓国は「上」で、道徳的に間違っていることをして来た日本は「下」です。これは揺らがないのです。この「韓国上・日本下」という構図が壊れるような事実は徹底的に批判します(それが歴史認識という問題になる)。

そんな韓国は当然のように、交渉の時に、この「上下関係」で交渉相手を見ています。日本が韓国の気に入らないことをすることは、韓国の道徳「上下関係」から批判します。そして韓国は日本が嫌がることをいくらしてもいいのです。なぜなら「韓国が上(つまり韓国は正しい)」だから。

歴史背景

対等に扱うのがマナー

日本は相手と対等の関係を結ぶことが「正しい」と思っています。これは日本が「和」の国だからです。そして欧米も同様に対等の関係が「正しい」と思っています。欧米の場合はキリスト教の世界観「人類は皆、神の子(=つまり皆んな平等)」という感覚からです。実際にそうするか、そう思っているかではなく、そう接することがマナーだと考えているんですよ。対外的にはそうしないと批判されても文句言えないよね、という感覚がみんなにあるんです。
上か下か

一方で、中国と韓国・北朝鮮は、「対等」という感覚はありません。上か下か。命令する方か、命令される方か。屈服するか、反抗するかです。譲歩は「下」がするもの。譲歩とは自分が「下」と認めて、道徳的に劣っていると認めること。つまり敗北です。

●だから通貨スワップ交渉など、あり得ないほどに上から目線になる。例えば「スワップは日本側が望んだ」など。もちろん嘘だが、嘘だろうが本当だろうが、こんな発言を政府関係者がする必要がない。我慢できないのは儒教国だから。

譲歩がない儒教国の感覚では「ギブアンドテイク」はありえない。「ギブ(下・屈服する側)」する側と、「テイク(上・命令する側)」する側しかない。
ギブ側はひたすらギブするだけ。
テイク側はひたすらテイクするのみ。

●慰安婦合意で、日本が慰安婦を認めるという譲歩に対して、韓国が10億円受け取りで譲歩する…というのは、韓国の文化では許されない。日本が譲歩したのであれば、韓国はもっと多額の慰謝料を得るべきだと考える。譲歩しあって、問題を解決するという感覚はない。

●朴槿恵は韓国では慰安婦合意を一つの理由として断罪されているんですが、彼女の決定は国際的には何ら問題のない真っ当なもの。譲歩に対して譲歩しただけ。


ま、ちょっと極端な書き方なんですがね。
そういう常識を持った…我々とは全く違う感覚の人たちを接しているんだという感覚を持って見るべきなんですよってお話です。
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誤解しちゃいけないこと

あ、誤解してはいけないのは、儒教は上下関係を徹底することによって社会を安定させようという思想だってことです。上の言うことを下が絶対服従すれば、社会から争いは無くなるよね、発展するよね、って考えているんです。
嫌な言い方をすれば差別を尊ぶ社会なのです。
https://nihonsinwa.com/page/2946.html


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儒教と民主主義が合わない理由
投稿日時:2017-05-27 11:20:05
https://nihonsinwa.com/page/2812.html
●資本主義と民主主義の組み合わせは戦争を抑止する。

●文化摩擦が起きて、負の感情が湧いても、お互いに経済の交流があれば、どこかで沈静化しようとする。揉めると損をするだけだから。

●ところが儒教では、何より道徳が優先されるために、この理屈は大手を振って通らない。


資本主義+民主主義は戦争を抑止する

民主主義+資本主義には素晴らしいメリットがあります。
もしもA国とB国が憎しみあっても、両国の間に経済のつながりがあれば、戦争してもメリットがありませんから、戦争は抑止されます。相手をコテンパンにしても、大損をする。もちろん国民も死ぬ。経済的に損をしたり、国民が死ねば政府は支持を失い、選挙に負ける。誰にとっても、何にもいいことがない。だから憎しみあっても、それ以上の事態にはならない。ならないようにする力が国内・国外で働く。

日本がクジラを捕るからと不満なオーストラリアも、じゃあ、日本との関係悪化を望んでいるのかというとそうじゃない。日本もそんなことはない。シーシェパードが日本の船舶に突っ込んできても、腹は立つものの、沈静化する方向で動く。日本の商品をオーストラリアで販売して生活している人もいるし、日本もオーストラリアの商品を購入している。お互いがお互いを必要とし、支え合っている。これらを失ってまで意地を張る必要はない。だから適当なところで問題を沈静化しようとする。業者が働きかけるし、国民も色々と考えると喧嘩したって良いことない。そんな風にどこかでブレーキがかかるのは民主主義+資本主義の良いところです。

儒教では沈静化できない

ところが儒教はそうはいかない。
儒教で大事なのは道徳です。

憎しみあって関係が悪化しても利益がない! だから沈静化する!というのは道徳に反します。利益を得て、正義を捨てる訳ですからね。これをやったらクソ野郎というのが儒教の考えです。だから、韓国は反日を捨てられない。「日本とは取引があるのだから、反日をして日本と関係が悪化しても利益なんてない…損するばかり。だから反日をやめよう」というのは出来ません。それを口にする人間は道徳のない人間であり、周囲から批判される。道徳が何より大事な社会でそんな不道徳で冷静で合理的なことを言える人はいません。


●その割に贈収賄が発生するじゃないか!と突っ込む人もいるでしょうが、韓国では「ウリとナム」という別の理屈もあります。詳細は別のページで。

民主主義+儒教ではこれが暴走を起こします。
韓国としては一旦もりあがった反日は押し通すしかないんです。民主主義ではこれを止めることが尚のこと出来ません。
https://nihonsinwa.com/page/2812.html

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ウリとナム
https://nihonsinwa.com/page/2495.html

●韓国には「ウリ」と「ナム」という感覚がある。

●ウリは「我々」という意味。ナムは「ウリ以外」。

●ウリの利益は嘘をついてでも守る。

●韓国人はウリには親切。

●ウリを守ることは法律より大事。

●政治家の汚職や、大統領の親族への利益供与などの根本はコレ。

●ウリの範囲は時と場合によって変化する。


ウリとナム

韓国文化の話で取り上げられるのが「ウリとナム」。

ウリってのは日本語で言うところの「我々」。
ナムはウリ以外に人のこと。

で、韓国ではこの「ウリ」の利益を守ろうとする感情が非常に強い。

例えば、韓国は偽証が多い。偽証は例えばアリバイ工作だったり、口裏合わせな訳です。「ウリ」である知人を守るために、嘘をつく。韓国は儒教国で道徳が大事な国ですから、ウリを守るためならば嘘をつくのは「正しいこと」という認識があるのです。

まぁ、それが恋人とか家族ならまだ分かる。それが正しいかどうかは別として心情は理解できるでしょう。しかし、その「ウリ」の範囲が、時と場合によって変化し、贈賄相手ということも多いのですね。コレがピンと来る日本人はいないでしょう。

贈賄を事例に

例えば、あなたが「役人」にお金を渡して仕事を受注したとします。するとその役人とあなたは「ウリ」の関係になります。ウリは嘘をついてでも守る。これが道徳ですから、贈賄関係になった時点で、お互いを守らなくちゃいけません。それが道徳ですからね。だから贈賄を送る事、受け取る事、そこには「俺たちはウリだよ」「だから守るんだぞ」という道徳による縛りというか、「絆」が生まれるんです。単なるビジネス目的の贈賄じゃないんですよ。道徳で結ばれた絆なんです。まぁ、犯罪なんですけど。

贈賄で出来た「ウリ」の絆も強いのですから、これが「親族」となればもっと強力になります。韓国大統領が親族に利益供与するのはこういう理由です。親族に「なぁ、いいだろ? うまい汁を吸わせてよ」と言われたら韓国人ならば相当に強い意思がないと断れません。親族という「ウリ」を優遇するのは韓国では絶対的「道徳」なんです。


法律は守らないのか?

しかし、日本人の感覚として「法律を守るという道徳はないのか?」と疑問に思うでしょう。ないわけじゃないんですが、儒教の国は法律より道徳というのが社会の常識です。よく韓国は「憲法より国民感情」というんですが、正確には「憲法より道徳」です。ただ道徳というのは立場と時と場合によっていくらでも変わるので、「道徳=感情」と大差ありません(少なくとも日本人から見れば)。だから法律はあまり守られません。守らないというよりは、守る必要がないだけなんですけどね。ともかく法律は二の次なんです。

●財閥の親族が犯罪を犯した場合、裁判にかけても非常に刑が軽いか、執行猶予になることが多いです。これは裁判官が財閥の援助を受けて大学に行っていることが多いからです。援助を受けているということは財閥の「ウリ」です。となれば、司法のルールを曲げてでも財閥に有利な判決を出さなくてはいけません。それが「道徳」だからです。


法律の縛りがなくて、時と場合によって変化する「道徳」が一番大事な社会で、「ウリ(我々)」の利益を守ることが正しいわけですから、日本人から見ればルール無用の社会になるのですが、ウリという感覚は韓国を理解する上で非常に大事なワードになるわけです。

ちなみに反日の時はウリの範囲が韓国・朝鮮全体に広がります。
https://nihonsinwa.com/page/2495.html

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世界が韓国から孤立する…法(神)と道徳(儒教)の戦い
投稿日時:2017-05-29 12:14:10
https://nihonsinwa.com/page/2817.html


●国連事務総長が日韓合意に賛意・歓迎の意思を表明した。

●韓国ではかなり大騒ぎで批判している。

●韓国では道徳が大事なので、不道徳な日韓合意は許されない。

●道徳は法よりも大事な社会なので、国家間の契約より道徳が大事。

●儒教では道徳によって社会秩序を保とうとしている。

●一方で国連は欧米の世界観で「法」を優先する社会。

●欧米は法による秩序により社会秩序を保とうとしている。

●今回の騒動は法(神)と道徳(儒教)の戦い。


国連事務総長が慰安婦の日韓合意に賛意・歓迎


産経新聞国連事務総長が慰安婦の日韓合意に「賛意」「歓迎」 テロ等準備罪法案批判「国連の総意ではない」 安倍晋三首相との会談で
http://www.sankei.com/politics/news/170527/plt1705270030-n1.html 

安倍首相とグテレス国連事務総長がイタリアのタオルミナで会談を行いましてゲテレスさんが

●日韓慰安婦合意に「賛意」と「歓迎」。

●テロ等準備罪の改正案を批判した国連特別報告者のケナタッチは国連の意思を反映したものではない。

●国連は北朝鮮への圧力に対して積極的に関わる。


と、発言。発言というか、ほとんど安倍首相と意見を同一にすると表明しただけですね。この発言によって韓国は揺れに揺れています。日韓合意を国連が支持したことが気に入らないのです。


韓国では道徳が大事。

彼らにとって日韓合意は不道徳で有り、履行する必要はないし、破棄するのが正義ですから、このゲテレス事務総長の発言は許せない。
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韓国の考え方

儒教では道徳によって社会を安定させようという考えがあります。王と臣下がいて、臣下が王をないがしろにすれば統治はできません。だから王は臣下に命令を聞かせないといけないし、臣下は王の命令を聞かないといけない。でないと国家は運営できない。この上意下逹のシステムを維持する根拠が道徳です。他の国は「法やルール」なんですが、儒教国では「道徳」なんです。臣下は忠誠心を持ち、王は臣下に礼を持って接する。そうして「道徳」によって国を運営する。法律はあくまで道徳を補佐するものであって、法律は絶対ではなく、法律と道徳を比べれば問答無用で道徳が勝ちます。

だから慰安婦合意という不道徳は許せない。韓国人にとって、不道徳を放置するってことは社会秩序が乱れ、国家は運営できません。韓国には韓国の都合があるのです。

国連の、というか現在の国際社会の考え

しかし、国連にとって大事なのは道徳ではなく「法」です。

欧米にとって法とは社会を運営するために絶対に必要なもので、法を破るものは「悪」です。彼らにとって法律とは単なる「ルール」ではなく、根本的には神との契約です。神という崇高で絶対的に正しいものとの約束です。例えば結婚も神との約束です。教会で結婚を神に報告したら、昔は離婚できませんでした。神に誓ったんだから、ひっくり返せない。離婚するってことは神との約束を破るということです。イギリスのヘンリー8世が離婚するためにイギリス国教会を設立しなくちゃいけないくらいに神との約束は厳しいものです。王様ですら蔑ろにできない。ですから法を破るということは神への冒涜です。法を守ることが道徳であり、法と道徳は切り離せません。いや、道徳の中には「法を守る」ということは当然入っている。ここが韓国とは決定的に違います。法が社会秩序をもたらしているというのが国際的常識であり「国連の立場」です。

ここで「法」と「道徳」のどちらが正しいのかは論じても無意味なのでしません。

法による社会秩序

国連にとって慰安婦合意は国家間の契約です。その契約を守ること…「法」を守ることが世界の秩序をもたらすと考えています。国連だけでなく、現在の国際的な常識は「法」優先です。契約を交わしたら、それは履行する。そういう秩序がないと、国家同士が疑心暗鬼になりますよね。疑心暗鬼になれば世情が不安定になる。戦争の火種も増える。そんなことは避けたい。だから契約(条約や合意)は当然履行される……そういう法による秩序・信用を構築したいと国連が考えるのは極々自然でしょう。韓国が一旦合意したものを韓国人が不満だからと履行しないことを国連が認めたら、他の国も国家間の約束を無視するようになるでしょう。国連が自ら社会秩序を壊すようなことは出来ない。

●韓国人は日本が国連を買収したように思っていますが。

国連としては慰安婦合意は履行されるべきだし、もしも韓国がどうしても不満ならば、日本と再交渉して「合意の上」で「無し」にしてもらうか、韓国から「破棄」するしかないのです。

この記事の向こうに見えるものは「神(法)と儒教(道徳)の戦い」です。よく、「世界が韓国から孤立する」なんて冗談をネットで言ってるんですが、コレ、的を得てた指摘なんです。韓国が道徳に固執して法をないがしろにするのは、国際的に見れば「異常」。孤立するのは当然です。
https://nihonsinwa.com/page/2817.html

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日韓合意問題の本質は約束と道徳の戦い
投稿日時:2017-05-24 09:53:29
https://nihonsinwa.com/page/2806.html

●日本は約束を重んじる。

●韓国は道徳を重んじる。

●日韓合意の現在の揉め事は、日本の約束と韓国の道徳の戦い。

●韓国では、約束・法・ルールよりも道徳が優先される。

●よって日韓合意は無効となる。

●だが、日本だけでなく現在の国際社会は、約束・法・ルールが優先される。これらを守らない国は信用されない。

●日本から見たとき、韓国の「日韓合意は無効だ!」という主張は「これからも未来永劫、謝罪と賠償を求め続けます」という意味。こんなものを認めるわけがない(大損だからね)。

約束の日本

日本人は約束を重んじる。

日本人は約束文化の国で、口約束を優先する不思議な社会です。これは「言霊信仰」が根本にあるからでしょう。まぁ、社会というのは口約束だけでは成立せず、文書による契約をしないといけないので、契約文書を交わすようになっていますが、それは口約束が文書に置き換わっただけで「言霊」を重んじていることに変わりはありません。

古事記や日本書紀には、言霊を利用した裁判「誓約」が何度も登場します。

言霊の現代版で最も分かりやすいのが憲法九条です。憲法9条があるから日本は平和だ。日本は戦争をしないで済んだ。と考える日本人はまだまだ多いのは言霊にあります。

●ちなみに欧米では法や契約は、根本的には「神との約束」ですから、法や契約を守るのが大前提です。もちろん守らない人もいますが、守るべきだという社会です。

道徳の韓国

一方、韓国で大事なのは道徳です。

韓国では道徳が何より大事です。道徳は法律より約束より何よりも優先します。大統領に求められる要素は道徳ってくらいに道徳が大事。この道徳至上主義の韓国と、約束を重んじる日本の文化的の戦いが「日韓合意」です。

「不可逆に解決」したよ、という文言の入った合意をした以上、蒸し返したら合意の意味なんて何もないってのもあります。よくアメリカがTPPをちゃぶ台返ししたことと「同じ」という人がいますが、あれとこれとは全然意味が違います。アメリカのTPPちゃぶ台返しは不信を買うものではあっても、TPP自体が参加国の合意のもとに運営される以上は参加不参加はルールのもとに各国が決めて当然です。EUを脱退するイギリスと同じです。少なくとも脱退をEU側が許可しないということはありえない。イギリスの自由な権限の範囲です(是非はともかく)。

大体、国際問題を「不可逆に解決」する合意でしたから国連も評価したのです。それを破棄する(もしくは一切履行しない)ということは、今後の国家間の合意・条約を履行するかどうか怪しいという意味でもあります。韓国は信頼を失う。韓国は経済的にも追い詰められるかもしれません。それでも韓国にとって大事なのは「慰安婦」という道徳です。道徳が優先されるということは、国際的な合意よりも偉いのです。国際的に信用を失ったとしても道徳が優先します。世論はそうなる。ここが大事です。

利益と道徳を天秤にかけた時、道徳を取らない奴は「クソ」なのです。道徳を取って破滅することがあっても道徳です。儒教的には正しいことなんです。

日韓それぞれから見た日韓合意

韓国から見た日韓合意

韓国は道徳が大事な社会ですので、「日韓合意は無効だ!」と日本に言えば、日本は折れると思っています。少なくとも「そうあるべき」と思っています。なぜなら道徳が優先されるのが当たり前だと考えているからです。道徳が約束(合意)より優先されるのですから、無効が当然。ちなみに韓国は日本も、というか世界中が韓国同様に道徳を優先する社会だと思っています。


日本から見た日韓合意

日本からすれば、韓国が「日韓合意は無効だ!」と主張されるってことは韓国から「今後も慰安婦問題を継続していきたい」と言っているだけで、そんなのは認められない。認めるということは、未来永劫、謝罪と賠償を求められるということだからです。日韓の歴史問題を解決して新たな日韓関係を築くための「日韓合意」が(韓国にとって不道徳であったとしても)反故にされる……そんな大損を認めるわけがない。

合意の意味がない。

今後について

民進党が政権を取れば別ですが、自民党が与党である限りは、この日韓合意は維持され、韓国は破棄するか、履行するか、破棄せず履行もしないという状態になるのではないかと思います。「破棄せず履行もしない」が鉄板でしょう。

大事なのは韓国が道徳を重んじて、「法・契約・条約・合意・ルール」を無視する社会であるということです。それは長い歴史の中で培われた文化であって、韓国が「おかしい」とか「悪い」とか「ばか」ってことではありません。ただ日本や欧米とは文化が違うってだけです。
https://nihonsinwa.com/page/2806.html

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韓国人が消防車に道を譲らない理由
投稿日時:2017-05-28 18:31:55
https://nihonsinwa.com/page/2815.html

●韓国では消防車に道を譲らない。

●消防車に道を譲らないのが社会問題になっている。

●韓国では「どっちが上でどっちが下か?」で喧嘩になる社会で、皆が「上」であると意地を張ることが多い。

●韓国はまずは「自分が上」だと考えがちで、道を譲るというのは下だと認めることになるので、嫌。


韓国は消防車に道を譲らない


朝鮮日報消防車を「追い越す」韓国の運転マナー、道譲る意識なし
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/25/2017052503658.html?ent_rank_news 


韓国では消防車に道を譲らない。

その証拠に、大統領選挙前に文在寅が消防車に道を譲ると話題になる。「さすが!文在寅だ!」となる。それは韓国では消防車に道を譲ることが稀だから。日本では議員が消防車に道を譲っても何にも話題にならない。そんなことは当たり前で、ちっとも立派ではないから。

それぞれの「感覚」

日本の場合

日本では和が重んじられる。

日本は和を乱すことは罪です。その根本にあるのは天岩戸ですが、それはあくまで日本人の価値観を物語にしたら「そうなる」ってことであって、天岩戸の物語があって、それに日本人が影響されているわけではありません。ともかく日本人は和を重んじる。和はルールを守ることを重んじる。

となると「消防車には道を譲る」というルールがある以上は道を譲らないといけない。しない人は「和」から排除される。実際にはルールを破ったからといって犯罪者として罰を受けることはほとんどないですが、和から排除される恐怖があり、消防車には道を譲る。日本人にはそういう動機になる。


韓国の場合

で、韓国では儒教の影響から、道徳が大事です。いやいや、消防車に道を譲るのは「道徳」じゃないのか?と思いますよね。文在寅は消防車に道を譲ったから賞賛された。ならば、道徳を優先する韓国人も皆、道を譲るはずですよね。ところがそうはならない。

上か下か?

韓国では道徳が大事であり、道徳が「上下関係」を決める。道徳的に上の人は下へと命令できるのですね。だから韓国人は傾向として「自分の方が道徳的に正しい」と思っていて、皆「上」であると思っている。いや、上だと思いたい。ここには「認知バイアス」も関わってきますね。そうして上だと思っているから、誰にも文句は言わせない。上なんだから行列に割り込めるし、消防車に道を譲らない。道を譲るってことは「下」であることを認めることになるので、心情的に認めにくい。

中国や韓国ではよくある話の中に、行列に割り込んだ人と割り込まれた人で殴り合いになるってのがありまして、その原因はここにあります。行列に割り込む、割り込まない、道を譲る、譲らないというのは、結局「どっちが上でどっちが下か?」の戦いなんです。下のやつは黙って言うことを聞かないといけないので。

全員が道を譲らないのではなく、日本よりも道を譲らない確率がグっと高いんですね。ただ、救急車に道を譲るってのは、「みんなが譲る」状態じゃない限りは意味がないのですよ。誰かが一人でも譲らなかったら、そこで消防車は前に進まない。
文化が違うって話です

大事なのは、日本人と韓国人では文化が違い、考え方も違えば捉え方も違う。日本で消防車に道を譲るからといって偉いということではなくて、文化が違うのだから、違うってだけです。
https://nihonsinwa.com/page/2815.html

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中国と韓国は道徳が政府の根拠
https://nihonsinwa.com/page/2600.html

●中韓は儒教国。

●儒教では道徳が重んじられる。

●政府の正当性は道徳によって証明される。

●政府は自身に「道徳がある」ことを証明しようとする。

●よって中韓政府は「反日」という分かりやすい道徳を使い、自己の正当性を証明しようとする。

●また、経済が好調ということは政府が正しいからという証明になる。

●経済の不調は知らせたくない。

●中国は経済指標を捏造する(都合のいい指標を好む)。

●政府が道徳を失うと、次の権力者によって断罪される。

●次の権力者の正当性を証明するために、前の権力者の罪が暴かれる。

●韓国は大統領が退任後に暗殺・自殺・逮捕されることが多い。

●中国はクーデターや民主化によって政府が転覆した場合、共産党幹部とその家族は殺される。


儒教国の政府の根拠は道徳

中韓は儒教国で道徳が大事です。
道徳が政府の根拠になっています。
これは別に現在に限らず、過去においても政府の根拠は道徳です。

政府は道徳があるから選ばれています。

中国の場合は、独裁国家で共産党が牛耳っていますから、道徳があるかどうかのチェックはないんですが、体裁としては「道徳があるから」です。道徳があるから、共産党は正しい。正しいから共産党は現在でも政権を握っているのです。実際のところは関係ありません。現在、権力を握っているってことは、形式上そういうことなんです。そういう設定なんです。

●日本やアメリカといった民主主義の国では、政府は「選挙で選ばれたこと」が政府の根拠です。道徳ではありません。選挙の時に「正義」を主張することはありますが、それは選挙で選ばれるためのものであって、現在の政府が権力を持っている根拠はあくまで民主的に選ばれたことにあります。似たようなものに見えますが、ちょっと違います。

中韓が道徳を証明する方法

反日によって道徳を証明する

だから政府は「道徳がある」ことを主張します。
その最たるものが「反日」です。

反日は中国人・韓国人の誰もが納得する道徳です。反日をすれば、政府を否定する国民はいなくなります。だから支持率が下がると反日をします。すると支持率が上昇します。便利ですよね。反日は魔法のステッキです。反日はドラえもんです。これは捨てられません。2016年の韓国では慰安婦問題がこの魔法のステッキでした。
経済の結果で道徳を証明する

道徳があることの証明方法は他にもあります。
それは「結果」です。


結果というのは分かりやすくと経済的「繁栄」です。
政府に道徳があり、正しいのならば、国は当然繁栄します。

なにせ正しいのだから、そうならないとおかしい。
なので繁栄していたら、政府は「道徳がある」ことの証明になります。
だから中国は経済指標を捏造してでも大きく見せます。
一方、経済が悪化し、国民の生活が切迫してくればそれは政府に「道徳がない」との証明になります。

●経済は政府が鍵を握っているとはいえ、好調不調の波があって当然のもので、経済が不調だとしても、それが政府の不手際だったかどうかは、要素が多すぎてどうにも判断がつかない…ってものです。

●民主国家ならば、政権交代させて新しい経済対策を試すことがありますよね。有権者は前の与党に票を入れないという行動が取れる。儒教国ですが韓国は民主選挙がありますからそれが出来る。だから、パっと見には一緒に見えます。ところが、ちょっと違うのは、儒教国では前の与党や権力者を断罪するのです。なぜなら、経済の不調の原因は「不道徳」であり、不道徳ということは「悪」だからです。一見すると似ているんですが、国民の捉え方が違うんです。

韓国で考える

朴槿恵は癒着を断罪されてるのではない

韓国では2016年に朴槿恵大統領が弾劾されることになりました。その理由はチェスンシル女史との癒着ではあったのですが、それは表向きの理由。本当のところは経済の悪化という「不道徳の証明」です。何せ、彼女との関係は今に始まったことではありませんし、そのことを韓国マスコミが知らないわけがないんです。朴槿恵は経済の行き詰まりという不道徳を問われているんです。

中国や韓国は政府や権力者が滑り落ちるときはボコボコに叩かれます。
韓国の歴代大統領はほとんどが暗殺・自殺・逮捕というとんでもない目に合っています。

それは権力を失うってことが「不道徳の証明」だからです。
不道徳だから権力を失った(実際は任期満了で終わっても、そう捉えます。理屈ではなく感覚です)。

権力を失った人間は、次の権力者によって不道徳を問われます。
次の権力者が、前の権力者を厳罰に処すことで自分の道徳を証明しようとするからです。

どうしてそんなことをするのかというと、権力の根拠が道徳だからです。
そして不道徳とは悪。
悪とは罰せられるべきものです。
それが暗殺・自殺・逮捕という結末につながります。

●韓国で、大統領の任期の最後の一年や半年は、事実上のレームダック状態(死に体)になるのは、そういうことです。

●韓国は法治国家とは言えませんが、法治国家の体裁は保っています。それでも大統領は暗殺・自殺・逮捕が多いのです。中国はそんなものでは済まない。


中国で考える

では中国ではどうでしょうか。

中国は首相が前の首相を断罪することはありません。
今のところは。

それは、民主国家ではないからです。
韓国のように道徳を国民に証明する必要がないからです。
今のところはね。

しかし、中国が民主化したら?

いや、民主化はまだいいのです。
軍部がクーデターを起こしたら?
間違いなく共産党の幹部は皆殺しになるでしょう。
共産党幹部の家族も皆殺しになるでしょう。

前の権力者を断罪し、悪を証明することが自己の正当性を証明することになるからです。つまり中国共産党は悪。悪は罰せられるもの。結果は皆殺しです。

だから中国は反日を利用し、経済指標を捏造する。
それは自己防衛でもあるのです。
見栄を張っているわけじゃない。

どうにか道徳があることを証明してガス抜きをして権力を維持しようとする。
でないと、どうなるのか分からないです。
https://nihonsinwa.com/page/2600.html

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韓国に開く「亡国の門」 遡及法が国を滅ぼす
7/11(木) 11:00配信 産経新聞

 4日から始まった日本政府による韓国への半導体の輸出規制強化により、韓国では洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相が「撤回しなければ相応の措置を必ず取る」と報復を示唆。国民の間にも日本製品のボイコットが広がるなど、日韓関係は悪化の一途をたどってるが、実はその数日前に日韓関係はもちろん、韓国の未来さえ破壊する「亡国の反日裁判」が行われていた。(岡田敏彦)

 ■親日は反民族行為

 裁判の被告となったのは李愚英(イ・ウヨン)氏。韓国の老舗一流ホテルのグランドヒルトンホテル会長だが、訴えられた背景には先祖の李海昇(イ・ヘスン)氏の存在がある。

 韓国紙の中央日報や左派紙ハンギョレ(いずれも電子版)によると、海昇氏は李氏朝鮮の25代国王哲宗に連なる名門の家柄で、1910年の日韓併合後に朝鮮貴族では最高の地位にあたる公爵の爵位を得たという。同時に公債16万8千ウォンも受け取った。

 この約1世紀後、韓国政府が親日行為で手に入れた財産(土地と現金)を国に返すよう、財産を相続した子孫の愚英氏を訴えたのだ。

 韓国では盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権当時の2005年に「親日反民族行為者財産還収特別法」(親日財産帰属法)が制定、施行された。日本への併合を民族の恥とし、日本の手先として働き財を為した者から、財産を取り上げる法律だ。それにともない、同法の対象となる「反民族行為者」を決める大統領直属の国家機関「親日反民族行為者財産調査委員会」が設置された。

 2007年に反民族行為者と決めつけられ財産の返還を求められた愚英氏は、祖先が韓国の貴族だから土地を得たのだと主張し、返還の義務なしとして行政訴訟を起こした。この法廷闘争は最高裁まで争われたが、2010年に愚英氏の勝訴が確定した。

 というのも同法では「親日反民族行為者」を「韓日併合の功績で爵位を受けた者」と規定しており、裁判では愚英氏の主張が認められた。つまり、もともと貴族だから爵位を得たのであって、日韓併合で何らかの働きをしたのではないと判断されたのだ。

 ■法治国家の禁じ手

 世界でも類をみない動きはここから始まる。世論の批判を受け韓国国会は翌11年に法律を改正。「韓日併合の功績で爵位を受けた者」との一文を削除し「日帝(大日本帝国の侮称)から爵位を受けたり、これを継承したりした者」に変えたのだ。明らかに愚英氏を標的にした法改正だった。

 この新たな法律を根拠に政府は15年、愚英氏を訴えた。さすがに判事もやりすぎと見たのか、1審は政府の敗訴。控訴審でも1審判決が支持された。

 ところが今年6月26日、最高裁は愚英氏に対し、土地一筆(4平方メートル)と別の土地売却で得た3億5千万ウォン(約3300万円)を返還するよう命じたのだ。愚英氏の敗訴である。

 中央日報やハンギョレは返還を求めた138筆の土地のうち返還は1筆だけとして「事実上の(政府の)敗訴」と批判した。

 だが法律をかじった人なら、誰もが頭を抱えるはずだ。「ありえない」と。

 この裁判には、決して見逃せない禁じ手が潜んでいる。第二次大戦前、つまり日韓併合時の法律では認められていた爵位や土地、現金の取得が、その後にできた法律で罪とされ返還を命じられている点だ。

 ■さかのぼる愚

 日本でも刑事事件について最高裁判決で有罪とされた後に、再審で無罪となるなど、過去の過った法的判断をただすことはある。だが、韓国のように法律を遡及させる、つまり法律の施行前にまでさかのぼって法を適用させるのは、法治国家ではタブーとされている。法の遡及は法と社会を破滅に導く行為だからだ。例をあげて説明しよう。

 仮に2020年の東京五輪にあわせ、日本で喫煙が全面禁止にされたとしよう。罰は一律に懲役5年と法改正され、法の施行(運用開始)は2020年1月1日に決定したとする。

 この場合、1月1日以降に喫煙した者は起訴と裁判を経て有罪となる。これが正しい、というか韓国を除くほぼ全ての国の法運用だ。だが、韓国のように法を遡及させた場合、法の施行日以前に喫煙した者も全員犯罪者として処罰できる。施行日の前日に30本吸っても、30年前に1本吸っただけでも、等しく有罪だ。

 韓国社会ではよくある思考として、この場合には(1)喫煙は悪いことだから、法で罪にあたると定められた(2)その悪いことを、過去にさんざんやってきた連中がいる(3)法の不備につけこんで悪いことをしてきた連中を罰しなければ正義にもとる−。こうして「遡及すべし」の世論ができあがる。だが、ここには法治国家を瓦解させるに十分な負の力が潜んでいる。

 ■狙い撃つ

 法の遡及が可能なら、立法の力を持つ人々、具体的には立法府である国会で過半数の議席を持つ与党の議員たちは、政敵を始め自分たちの気に入らない人物をことごとく刑務所送りにすることが可能だ。ターゲットの人物が焼酎好きなら、焼酎禁止法を成立させればいい。禁止法ができたから明日から飲むのをやめよう、では済まされないのが遡及法の恐ろしさだ。

 反政府デモを行う人物を刑務所送りにしたい場合は、その人物がデモに参加しているところを動画や写真で記録し、デモ参加の証拠を固めてから、デモ禁止法を作ればいい。「チョコレート禁止法」だろうが、「大統領批判禁止法」だろうが、どんなばかげた法律でも作ったもの勝ちだ。

 法を遡及させるということは、権力者が邪魔者をいつでも「狙い撃ち」で刑務所送りにできるということにほかならない。

 当然、一般の国民は一秒たりとも安心して暮らせなくなる。専門用語で言うところの罪刑法定主義が崩れ、どんな行為をすれば(あるいはしなければ)刑務所行きを免れるのか誰にもわからない。旧ソ連のスターリン政権やカンボジアのポルポト政権などと同様の恐怖政治につながる道だ。

 ■2人の弁護士

 今回の韓国の裁判では、まず「親日財産帰属法」で日韓併合時まで法律を遡及させ、それでも勝訴した愚英氏を敗訴させるため法を「改正」している。しかも遡及を前提にして。

 一度ならず二度までも法を遡及させ、国家が個人を「狙い撃ち」にする。そんな法律を作り施行させたのは元弁護士の盧武鉉元大統領であり、同じく人権派弁護士で盧氏の右腕であった文在寅(ムン・ジェイン)・現韓国大統領の政権だというところに、現代韓国の歪みがある。

 法の専門家である弁護士が遡及法の危険性を知らないはずはないのだが、2人の左派弁護士にとっては、間違った過去を正しているとの信念がある(あった)のだろう。

 背景には、専門家からは遡及法との指摘もある極東軍事裁判の「平和に対する罪」で日本の政府首脳らが裁かれたことを正しいと認識し、過去の併合時代の全てを遡及法式に処罰したいとの意向がうかがえる。慰安婦問題や徴用工問題はその典型だ。

 文氏は第二次大戦後に瓦解した韓国臨時政府やその軍隊「光復軍」を高く評価し、日本に対し独立戦争をしたかのような歴史観をアピールするなど、何かにつけて時間を遡る傾向がある。

 間違った過去は遡って正す。当時の法律も国際的な常識も無視してよい−。韓国政府のこの姿勢こそ、現代の日韓関係悪化を象徴するものだ。日韓請求権協定という国家間の約束を破ることも、慰安婦合意を反故にすることも、文政権にとっては間違った過去を正す行為なのだ。

 翻って日本を始め韓国以外の諸外国にとっては、合意という約束を破って開き直る相手と新たな約束を結ぶことに意味はない。「話しあって新たな合意を結ぶ? どうせその合意も破るんでしょ」。「今度の約束は守るって? それもウソですよね」。日本側がこうした認識に達するのも当然だろう。

 合意や約束が韓国で「過去の過ち」になるまで何カ月なのか、何年なのか。韓国との「合意」の有効期間は、もう誰にもわからなくなってしまった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00000527-san-kr


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韓国はなぜ約束守れない 遡及法がまかり通る国
2019.1.20 15:10
https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/190120/wor19012015100006-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link


【朝鮮半島を読む】

 「韓国は歴史を書き換えるので気をつけないといけない」。韓国の大学で歴史学を学んでいた日本人留学生から以前、聞いた話だ。

 小倉紀蔵(おぐら・きぞう)京都大教授によれば、日本と韓国とでは歴史観がだいぶ違うという。小倉氏は「なぜ日本人は過去の糾弾をしないのかということを韓国人はよくいう。過去の糾弾というのは、儒教的な意味でいえば毀誉褒貶(きよほうへん)の『春秋の筆法』によって、どれが悪くて、どれが善かったという、必ず善悪の価値を付けて歴史を描くことをいう。そういう歴史観こそが文明だと思っている」(「心で知る、韓国」)と指摘する。

歴史の「立て直し」

 春秋の筆法という言葉は、中国の孔子の編集による歴史書『春秋』に由来する。韓国でよく耳にする言葉に「ヨクサ パロ セウギ」というのがあるが、直訳すると「歴史の立て直し」だ。韓国版「春秋の筆法」といえるかもしれない。埋もれた真実を探り出すという側面もあるが、政権が代わると自分たちの都合のいいように歴史を書き換えるという面もある。

 「歴史の立て直し」は日本人にはなかなか理解しづらいが、それ以上に驚かされるのが、過去に日韓間で結ばれた合意や協定が事実上“反故”にされることだ。慰安婦問題をめぐる2015年12月の日韓合意に基づき設立された「和解・癒やし財団」の解散問題やいわゆる徴用工訴訟の最高裁判決がそれだ。


 「約束を守ることが正しい」とする日本人には到底許されない。だが、くだんの知人によれば、韓国人は約束を守ることよりも、その約束が韓国語でいう「オルバルダ(正しい)」かを重視する。韓国人は、この「オルバルダ」を基準に歴史もみているという。

 ソウル在住の通訳者に聞いたところ、「オルバルダ」は「道徳的に正しい」「人間として正しい」といったニュアンスがあるという。

 韓国人にとって、朝鮮半島の統治をはじめ元慰安婦や元徴用工の問題は「日本が人間として正しくないことをした」ために起きたということが大前提にある。

 そこに「歴史の立て直し」が加わり、韓国には1910年に締結された日韓併合条約も、65年に結ばれた日韓基本条約も「無効」という考え方がある。

知日派の嘆き「出番ない」

 さらに韓国では法そのものに対する考え方が、日本人の常識とはずれている。韓国の場合、法を遡及して適用されることがよくある。他の法治国家ではあまりみられないことだ。

 韓国では実際、新たに制定された法律により、2人の大統領経験者が過去の事件で投獄されている。80年5月に韓国南西部の光州で、軍が民主化を求める学生らを武力鎮圧した責任者を処罰するため、95年に「5・18民主化運動などに関する特例法」が制定された。同法により、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)両元大統領が逮捕された。これも当時の金泳三(キム・ヨンサム)政権下で行われた「歴史の立て直し」の一環だ。

 こうした韓国の持つ特殊性から、韓国ソウル市立大学の鄭在貞(チョン・ジェジョン)名誉教授は今後の日韓関係に悲観的だ。
「日韓関係はこれまで65年体制の中で対話によって解決が図られてきた。しかし、昨年10月に徴用工訴訟をめぐる最高裁判決が出て以降、法廷闘争の様相を呈している現在、われわれ(知日派)の出番はなく、ただ見守るしかない」(編集委員 水沼啓子)


 韓国、北朝鮮関連のニュースをみていると、「どうして?」「そんなことが許されるの?」といった突っ込みが思わず口からこぼれていることがある。日本人の常識や理解をはるかに越えているためだ。

 欧米諸国と比べると、韓国や北朝鮮の人々はその外見だけでなく、文化的にも近いせいか、日本と同じ価値観を共有していると錯覚してしまう。そのことが逆に日本人をいらだたせたり、あきれさせたりしているようだ。

 ただよくみると、日本とは異なる伝統や価値観、歴史観を持っており、彼らはそれに従っているだけ、ということがわかる。朝鮮半島で起きるさまざまな事象や現象を、過去の歴史や文化的背景などをひもときながら解読したい。
https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/190120/wor19012015100006-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html#c3

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
4. 中川隆[-8873] koaQ7Jey 2019年7月24日 07:35:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3835]

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
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【東京発信・Cool Eyes】第16回 歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube
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じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
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韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html#c4

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
5. 中川隆[-8872] koaQ7Jey 2019年7月24日 07:38:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3836]
儒教、朱子学というのは、あくまで事大主義ですから、強いものには巻かれろ、逆に弱いものは踏んでもかまわないということです。
大人の前では、いつもきちんとしているけれども、弱いものとか子供の前では威張る。

これは中国でも同じことです。ですから日本が強くなって、中国にそして韓国に対処するようになれば、そこからはじめて対等な付き合いが始まることになるのです。日本が弱気で下手になって対応するので、中国も韓国も逆に強く出てきて、嘘のことでもそれを理由に自分の要求を突き付けてくるわけです。


李朝時代の朝鮮に君臨した支配層は、王族とこの両班でした。一方、江戸時代まで日本を支配していたのは、武士たちです。
 支配層の考え方や思想は、国全体の国民性に深く影響します。

 日本の武士たちは、忠実、誠実、勤勉、正直、勇気、先取性、自主独立等を人間の徳と考える人々でした。また「滅私奉公」という言葉があるように、私利私欲は悪であり、公に奉仕することこそ人の道という考えを持っていました。

 一方、朝鮮の両班の人々は、労働を蔑視し、「箸と本以外に重いものを持たない」といわれるほどの労働蔑視論者でした。彼らは、額に汗して労する農民たちをさげすみながら、その農民たちから搾取して自分たちの生活を支えていました。

 両班は、儒教の一つである朱子学を奉ずる人々でした。朱子学では、人間を「君子」と「小人」に分けます。小人とは一般の働く人々で、君子は、働かずに身を動かさないことが原則なのです。聖人君子は働いてはいけないとされ、彼らは極端に労働をさげすみました。

 スポーツも、彼らは忌み嫌いました。すなわち、本を読み、労働せずに暮らすのが彼らにとって正しい生き方なのです。怠惰と、異常に高い気位が彼らの特徴でした。その最高の美徳は、働かずに得る不労所得でした。両班の実態について、グレゴリー・ヘンダーソンは『朝鮮の政治社会』のなかで、
 「国家と民衆を食い物にして私腹を肥やすことしか考えていなかった」
 と記しています。彼らは「公」に奉仕するのではなく、私利私欲に生きる人々だったのです。そして、国内では極度に頭を下げる事を嫌い、少しでもプライドが傷つけられるような事になれば、烈火のごとく怒りだす人々でした。

 しかしその一方、両班は、中国に対しては「事大主義」(じだいしゅぎ)を通しました。事大主義とは、大きな勢力に逆らわず、ペコペコして、追従して生きる態度をいいます。

 一〇〇〇年にわたって中国の「属国」であった朝鮮では、宗主国・中国の意向にいつもペコペコして、年貢を納め、中国の要求には何でもお従いしますという態度がしみついていました。両班はその代表的な人々だったのです。

 中国に対するその卑屈な態度は、そのうっぷんを晴らすかたちで、国内では逆に、彼らの異常に高い気位となって現われていました。


自己批判をした韓国人

 この事大主義は、ほかにも、その後の韓民族の民族性の多くの源泉となりました。朝鮮の作家であり、思想家でもある李光洙(一八九二年〜?)は、李朝の成立によってゆがめられた韓民族の民族性を、次のような言葉で表しています。

「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従復背、大勢従応、無知、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心…」
 属国根性はこれらを韓民族に植えつけた、というのです。

 大東亜戦争後にも、韓国の優れたリーダーであった朴正熙大統領(一九七九年に暗殺された)は、自著の中で韓国人の民族性の欠点をきっぱり指摘し、自己批判をしました。彼は、韓国民が克服すべきものとして次の事柄をあげています。

1 事大主義
2 怠惰と不労所得の観念
3 開拓精神の欠如
4 企業心の不足
5 悪性利己主張
6 健全な批判精神の欠如
7 党派意識
8 特権・エリート集団意識

 いずれも、一見してかつての両班たちの伝統から来たものであることが、わかります。どんな民族にも、もちろん欠点はあります。日本人にもあります。しかし、韓民族が今日も持つこれらの欠点は、両班の精神性を受け継いだものであることを知る必要があるでしょう。

 これらは、日本統治時代に形成されたものではありません。それ以前からあったものです。そして、日本統治時代が短かったために両班の特質が消し去られず、それが今も韓民族の中に生き続けていることが問題なのです。


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儒教の最大の欠点は「士太夫」は(肉体的に)働かない。むしろ働いてはいけないという価値観を造ってしまったところにある。

だから儒教の優等生である中国・朝鮮人は「働かなくても喰っていける」のが理想だと考えている。

かつては、ことさらに爪を伸ばして「食事(という労働)すら自分ではしない(出来ない)」という境遇を自慢したりもした。

今でもその傾向はある。
だから成功した老後は働かないのが当たり前で、はやく働かなくても良くなるように(今は我慢して)働いているだけなのだ。
http://www.asyura2.com/18/hasan127/msg/859.html#c5  


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ダメダメ家庭の目次録 05年4月22日
韓国の高校の歴史教科書
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm

歴史を眺めていると、ちょっとおもしろいことがあったりします。

ある国が滅んだ後で、別の体制となるわけですが、その滅んだ国の形式的後継者と、実質的というか心理的な後継者が違っていたりする事態が発生することもあります。

たとえば、最近の例では、ナチスドイツの形式的な後継者は、昔の西ドイツという国でした。正式な名称はドイツ連邦共和国・・・今の統一ドイツがこの国です。しかし、実質的にはナチスドイツの後継者は東ドイツの方でしたよね?

ナチスドイツと東ドイツは、権威主義だったり、秘密警察が暗躍する恐怖社会だったり、反米というスタイルにおいても同じと言えるかも?
ナチスドイツは共産主義に反対する立場の政府で、東ドイツは共産主義社会という意味では、本来は全く反対の統治システムになるはずですが、実質的には同じ社会。

同じようなことが、日本でも言えます。

現在の日本は、かつての大日本帝国の形式上の後継者であると言えますし、元首である天皇は共通していますが、その統治形態としては実質的にはかなり違っています。

かつての大日本帝国の実質的な後継者は、むしろ韓国だったり、北朝鮮だったりするわけ。

それこそ、言論弾圧の統制社会だし、権威主義だったり、妙な民族主義があったりするでしょ?それに反米だし、秘密警察が大活躍。

それにコンプレックスが強く、ムダに「大」の字を使いたがるところとか。

「日本が大嫌い!」の韓国や北朝鮮は、大日本帝国の統治システムを十分に受け継いでいるわけです。

さて、メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、一種の総集編として、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーで、種々な「作品」の中に描かれているダメダメ家庭の具体的事例をピックアップしたりしています。

今回はその「作品」として「韓国の高校の歴史教科書」を取り上げます。

「オイオイ!!教科書が『作品』かよ?」
と思われる方も多いでしょう?

しかし、これがまた目眩がするぐらいに、ダメダメなスタイルが詰まった「作品」なんですね。

よく韓国や中国が、日本の歴史教科書についてイチャモンをつけて来ますよね?
まあ、どうしてそこまで「人のすること」に関心を持ったりするのでしょうか?これって典型的なクレーマーの所業でしょ?クレーマーは「自分がやらなければいけないこと」には関心がなく、「人のやっていることに文句をつける。」そのような習性があるわけ。

では、日本の歴史教育に文句を付けてくる韓国の方は、どのように歴史を教えているのでしょうか?
何も「あら探し」と言うわけではないにせよ、韓国の歴史教科書を読んでみるのも悪くはないでしょう。

ちなみに、歴史的事件に限らず、事件を記述するのには、一種の定石があります。
よく言う「5W1H」というヤツです。「いつ(=WHEN)」、「どこで(=WHERE)」、「誰が(=WHO)」、「何故に(=WHY)」、「何を(=WHAT)」、「どのように(=HOW)」の6つを中心に記述していくものです。

たとえば、日本の有名な歴史的事件である戦国時代の長篠の合戦を例にしてみましょう。

「いつ」は1575年。「どこで」は今の愛知県の長篠の地で。「誰が」は織田信長と武田勝頼が。「何故に」は、織田家と武田家の領土争いで。「何を」は、合戦をした。「どのように」は武田家の側は、伝統的な騎馬軍で、織田軍は先進的な鉄砲部隊で・・・という記述になります。

また、歴史的事件だったら、上記の記述の他にも、「その影響」という事項も付け加える必要があります。長篠の合戦においては、織田家は最大のライバルを打ち破って、天下付武への強力な前進となりました。勿論のこと、軍事的戦法の革新という影響もあります。

と同時に、歴史的事件の記述に際しては、重要なことがあります。
資料名です。

たとえば、織田家では正式な記録として「信長公記」という記録があります。当然のこととして武田家にも正式な記録があり、その資料に、この長篠の合戦の公式の記録が収められているわけです。

そのような正式な記録だけでなく、部下たちによる非公式な日記のようなものもあるわけです。それらの資料をつきあわせることによって、歴史的事件の全貌がわかってくることになる。

だから、歴史的事件をまとめた、いわゆる歴史書では、上記の「5W1H」だけでなく、その結果と影響に関する記述や、資料名についての記述も必要なわけです。それは歴史教科書のような類の歴史書でも全く同じです。

何もこれは日本だけでなく、世界の文明国には共通の発想です。文章の言語自体は違っていても、歴史を記述する文章の記述の仕方、考え方には大きな違いはありません。

ところが韓国の国定歴史教科書では、そんな文明国の基本的スタイルとは無縁なんですね。

たとえば、例に挙げた長篠の合戦を記述する場合では、片や鉄砲部隊という最新鋭の戦法。片や騎馬戦という伝統的な戦法。その違いを記述することが不可欠でしょ?

ところが、韓国の歴史教科書では、そのような歴史的事件を記述する際に「どっちの側に愛国心があったか?」と言った記述だったり、「どっちが正義なのか?」と言った記述ばかりで、事件についての5W1Hのような具体的で客観的な記述が少ないわけ。

「どっちが正義だったか?」なんて、判断する人によりけりでしょ?人にはそれぞれの立場があるわけですからね。それこそ長篠合戦で、織田軍は武田軍を「敵」だと思っていたのは当然ですが、「悪」だとは思ってはいませんよね?
その点は、武田軍だって同じ。織田軍を「悪」だとは思ってはいないでしょ?
ただ、己の使命と野心に従って戦っただけでしょ?
それが「もののふ」の生き様であり、死に様でしょ?

韓国の国定歴史教科書の記述は、まるで「スポーツ根性モノのマンガの原作」のような趣なんですね。客観的な記述ではなく、ひたすら「ウヮー!」という叫び声が聞こえてくるよう。

客観的に事実を記述するというより、作者の「思い」を伝えることに主眼があるわけ。そんな「作品」なんですね。

まあ、そんな本で歴史を勉強させられていたら、バカになるのも当然ですよ。

では、そのような作者の「思い」に満ちた、韓国歴史教科書という「作品」を、具体的に、客観的に検証してみましょう。

検証に当たっては、「教科書の記述の問題点」というカテゴリーと、「教科書の記述から浮かび上がる韓国人のメンタリティー」そんな感じで分類して記述してみます。

【教科書の記述の問題点】

1.年号が出てこない・・・この韓国歴史教科書では年号の登場が実に少ない。何ページにもわたって、○○年と言う具体的な年号が出てこないわけ。事件の羅列があっても、その事件が西暦何年のことなのか?記述されていないわけです。チョット日本の方には信じられないことでしょうね。だって「なくよウグイス平安京」で794年・・・なんて年号をゴロで覚えるのに苦労しましたものね。年号が出てこない歴史教科書なんてこの世に存在すること自体、不思議でしょ?

韓国の歴史教科書でも、ほんの少しは年号が出てきたりしますが、後で年表の形でまとめられていて、今現在記述している歴史的事件が何年に起こったのか?分らないようにできているわけ。

年号というものは、覚えるのは面倒ですが、歴史的事件の客観的指標としては重要でしょ?年号を覚えていると事件の順番が明確になると同時に、外国の同時期の事件と比べることもできる。この時代に外国はこんなことをやっていたのに「我々の国は遅れているなぁ・・・」などと感想を持つこともあるでしょう。しかし、年号が記述されないと「我々は先進的だ!」と記述されていると、思慮の浅い人は盲目的に信じてしまうんですね。

2.資料名が出てこない・・・この韓国国定歴史教科書では、出典の資料名がほとんど出てきません。もしかしたら朝鮮半島では、資料を作るという習慣がないのかもしれません。データーを取るという習慣の欠落については、後で触れます。この韓国歴史教科書では出典の資料名もなく、「我々は正しい!」の一点張り。まるでカルト宗教のような趣になっている。資料名が無いので、疑問を持った読者が自分自身で調べ直すこともできないわけ。

3.差別用語の乱発・・・高校生が勉強するというこの教科書には、意図的な差別用語が乱発されています。日本を「倭」とか言うのはともかく、ヨーロッパ人を西洋蛮人と書いたり、清を建国した女真族をオランゲという差別用語で呼んだり・・・まあ、こんな差別意識丸出しの本は、日本だったら発禁処分でしょうし、当然のことに、他の一般の文明国でも発禁処分は確実でしょう。そんなアングラ本程度の本が教科書なんですね。そもそも、ヨーロッパ人を示したいのなら、西洋蛮人と書くのではなく、単に西洋人とでも表記すればいいだけですよ。しかし、わざわざ「蛮」を入れて勝手に喜んでいるんですね。

4.漠然とした記述・・・たとえば、上記で年号が出てこないと書きました。しかし、歴史書なんだから当然のこととして、時期に関する記述もあります。そのような場合では10世紀中葉とかの記述になっていて、漠然としてあいまいな記述になっています。しかし、10世紀中葉なんて書かなくても941年とか明確に年号を書けばいいじゃないの?しかし記述が漠然としているので、作者が意図的に読者を誘導することができているわけです。

年号の問題だけでなく、資料名も「ある民政文書」とかの表記になっている。そんな表記にするより、「△△が○○年にまとめた、☆☆という資料」と記述するのが文明国の歴史書のスタイルでしょ?
それこそ「1920年代のはじめ、全国の青年運動は100余りあり」・・・などと記述されています。しかし、文明国の歴史書だったら「政府による1922年の統計では、全国の青年運動は105団体あった。」と記述するものです。どうしてそんなにあいまいに記述するのかなぁ?

5.政治家がなかなか登場しない・・・歴史書だったら、当然のこととして多くの政治家が登場するだろう・・・と思われるでしょ?ところが韓国の歴史教科書では政治家の登場が実に少ない。その代わりに政治論者が実に多く登場するわけ。「国家はこうあるべきだ!」とワイワイ論じる人は多く登場しても、実際に政治を運営する人が出てこない。

6.やたら「べき」論・・・上記の実際の政治家より政治論者の数が多いことと関係していますが、この韓国歴史教科書はやたら「べき」論が多い。「こうすべき」「ああすべき」と、やたら説教くさい。

7.法律名が出てこない・・・具体的な人名は多く出てきますが、法律名は出てこない。上記のようにすべて「べき」論で片付けているので、具体的な法律を制定するという形で、実際的に国家を運営する気がないわけですね。

8.個人的感想がいっぱい・・・教科書と言うものは客観性が第一と考えてしまうのは、文明国の常識でしょう。しかし、さすがに韓国の教科書は作者の主観的な「思い」が詰まっている。

たとえば「高麗時代の石塔は安定感が不足し、造形感覚面では新羅時代の石塔に比して多少劣る気がする。」なる記述があったりする。しかし、執筆者が「気がする」のは勝手だけど、教科書の記述として書かれても、読んだ側は何を理解すればいいの?

あるいは後に中国で清王朝を作った女真族との戦争では「意外にも」負けた・・・との記述があります。アンタが「意外」に思うのは勝手だけど、そんなことは教科書に書く内容ではないでしょ?
それとも「気がする」とか「意外にも」とかが、試験に出たりするのかな?

9.ヴィジュアルが少ない・・・上記の石塔に関する記述だって、文章にするより、それぞれの写真を載せればいいじゃないの?ところが韓国の歴史教科書はヴィジュアルが実に少なく、文字ばかり。まあ、その文字による文章も、やたら説教くさいわけです。画家についてウダウダ説明するより、その画家の作品を載せればいいじゃないの?しかし、そのような客観的な記述を放棄して、ひたすら作者の「思い」を書き込んでいく・・・それが韓国の歴史教科書のスタイルなんですね。

10.やたら民族意識・・・この教科書には「民族意識」という言葉が実に多く出てきます。逆に日本だとそんな民族意識なんて出てこないでしょ?まあ、大日本帝国の教科書なら出てくるかもしれませんが・・・
韓国の歴史教科書では「民族意識」「民族文化」・・・そんな言葉ばかり。
しかし、ではその「民族意識」って具体的にどんな意識なの?

教科書を読んでいても、さっぱりわからないんですね。

どうやら、私がよく書いていますが「集団的被害者意識」と「オレたちはすごいんだ!」というエリート意識の混じったもののようです。しかし、「オレたちはすごいんだ!」と思うのはいいとして、具体的に見てどの辺りがスゴイのか全然書いていないわけです。まさにカルト宗教のような趣になっている。

「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」と連発するだけ。

そして、そんな「本来はスゴイはずの我々がうまくいかないのは、全部○○のせいだ!」と被害者意識になるわけでしょうね。

11.経済に関する記述が少ない・・・この教科書には経済的なマターに関する記述が実に少ない。やたら「べき」論をぶつ政治論者がワイワイ言うだけ。使用していた貨幣とか税制とか、生産技術など実際的な問題についてほとんど触れていないわけ。だから読んでいても当時の人の暮らしぶりなど全然わからないわけです。

12.都合の悪いことは書かない・・・「朝鮮半島の進んだ文物が日本に伝えられた。」この韓国の歴史教科書に頻発する文言です。しかし、先進的な文物って、具体的には何なの?それが書いていないんですね。しかし、ちょっと離れた箇所で貿易に関する文言があって、朝鮮から日本への輸出品は米、木綿、人参だったとか書いてある。米、木綿、人参かぁ・・・たしかに『先進的』だねぇ・・・。しかし、先進的という言葉と米、木綿、人参という具体例が離れて記載されているので、「素朴」な韓国の高校生だったらダマされてしまうんでしょうね。

あるいは豊臣の朝鮮半島の侵攻のあと、朝鮮がロシアと戦争して朝鮮の鉄砲部隊が大活躍したとの記述があります。その鉄砲はどこから来たの?そんなことも書いていないわけ。あるいは、その豊臣軍の侵攻の後の時期に、朝鮮の農業技術が飛躍的に向上したらしい・・・この韓国の教科書では、いつものように「農民の民族意識」云々で片付けられてしまっています。

しかし、現実的に考えると違うでしょ?豊臣軍の中で農民出身の足軽が、朝鮮半島の遅れた農業技術に見るに見かねて実地でレクチャーした、と考えるのが現実的な思考でしょ?違うのなら、データーとか資料を出さないとね。農民の民族意識がどのように農業技術の発展に貢献したのか?とかの資料があるとでも言うのかな?しかし、この韓国歴史教科書ではそんなマトモな疑問には答えてくれないわけ。

13.データーが載っていない・・・この教科書にはそれぞれの時代の人口とか、生産量とかのデーターがほとんど出て来ません。これは前記のように政治を運営する気がなく、政治を論じることにしか興味がないので、データーを取る習慣がないのでしょうね。

しかし、韓国の歴史で突然に豊富なデーターが出てくる時期があります。それは日本統治時代。この時代になると、韓国の人口とか生産量の詳細なデーターが出てくるばかりではなく、事件における年号や被害などの詳細なデーターも記録されている。この時代になって初めて「政治」が行われていたことがわかるわけ。

14.判断が先に来る・・・たとえば、韓国人による伊藤博文の暗殺事件がありました。日本だと「暗殺」という言葉で記述されますよね?ところが韓国の教科書では「処断」という言葉になっている。「悪をやっつけた!」というわけでしょう。この手の価値判断を伝えるのが教科書の役目と認識しているようです。しかし、それは文明国の歴史教科書ではないでしょ?読者が自由に考えることができなくなりますよね?

しかし、この手の判断が先に来る歴史教科書は、大日本帝国の歴史教科書がそうだったはずです。たとえば足利尊氏と後醍醐上皇が争った南北朝時代の記述において、足利尊氏は一方的に「悪」にされていたそう。
文明国の歴史書のスタイルだったら足利尊氏の政策と、後醍醐上皇の政策を記述することに重点が置かれることになります。まあ、こんな感じで判断が先に来るような教科書で歴史を学んでいたので、大日本帝国の人間はバカになってしまったのでしょうね。

15.具体例が乏しい・・・たとえば「ハングルは優秀だ!」そんな記述が多く出てきます。しかし、ハングルで書かれた「おもしろい文章」の作品名は中々出てこない。ひたすら「ハングルは優秀だ!」「ハングルは優秀だ!」それだけ。文明国の書物だったら、ハングルで書かれたおもしろい作品の写真でも載せるでしょ?ひたすら判断を押しつける形なんですね。美術でも文学でも具体的作品名がなかなか出てこないわけ。

16.感情的表現・・・教科書は作者の「思い」を伝えることが韓国での常識なので、作者の感情的な表現が頻発している。・・・日帝の悪辣な・・・とかの言葉が頻発。しかし、その日帝が何年にどんな法律を作ったのか?とは記述していない。ただ「悪辣」とか「冷酷」とかの扇情的で感情的な文言が並ぶだけ。


【教科書から浮かび上がる韓国人のメンタリティー】

1.内輪もめ・・・それこそ新羅、高句麗、百済以降も、半島の人はやたら内輪モメをしている。いつの時代もこの内輪もめの記述がいっぱい。それだけ、「小山の大将」になりたがるようです。以前にも書きましたが、会話のできない人間は「手下はいても、味方がいない。」もの。どうしても「自分が大将」になりたがるわけです。

2.情報軽視・・・当事者として政治を進める人よりも、傍観者として政治を論じる政治論者が威張っていられるのは、やっぱり当事者意識の欠如が社会に蔓延しているからですね。実際に政治を進めるとなると、情報を集めて、情報を分析して、政策を立案して、法律化して、周知させ、実行する・・・そんなプロセスが必要でしょ?単なる「べき」論では片付きませんよ。地道な作業が必要なんですね。

朝鮮の歴史では情報というかデーターを集めている様子がない。情報もないのに、どうやって政策を立案するの?この韓国歴史教科書では「儒教の教えに従って、『○○のような政策をすすめた』・・・」なる記述が多くあります。しかし、マトモな政府だったら儒教の教え以前に、国家の人口とか生産量とか周辺国に関する情報を集めるものでしょ?そんな情報軽視の姿勢だからこそ、歴史のデーター資料も少ないわけでしょうね。

3.原理主義・・・当事者意識がなく、傍観者然なので、現実無視で原理原則を押し通そうとする。そしてうまく行かなくなったら、「アイツが悪い!」と他者に原因を押しつけることになってしまう。しかし、現実を無視して自分の原理原則を押し通してしまっても、うまくいかないのは当たり前でしょ?

4.対抗心が強い・・・ダメダメ家庭ではやたら対応心が強く「アンチ○○」なんて発想をしがちであることは以前にも書いています。韓国人が「アンチ日本」の発想をするのは勝手ですが、韓国人同士でもやたら対抗心が強いわけ。儒教の流派同士で対抗したり、儒教と仏教で対抗したりと、そんな記述ばかり。対抗する以前に、民衆のことを考えてみるとかそんな発想が全然ないんですね。

政治対立、学問対立、宗教対立、地域対立、身分対立・・・そのような記述ばかりが多くなる。自分自身を主張する方法として、まず最初に「私はあの○○に対立している!」と一声あげるのが、韓国人の流儀のようです。スグに排除の論理が出てきて、「お互いが、得意分野で一緒に協力してやっていこう!」とは行かないわけ。

5.排他的な愛国心・・・民族意識という言葉がやたら頻発するのに、では「その民族意識って、具体的には何?」という質問には答えられない。しかし、そのように強圧的に民族意識を押しつけるので、どうしても排他的な発想になってしまうことになる。20世紀になってアメリカなどの海外に移住した韓国人もいたそう。それはそれで結構ですが、その移住した人は韓国に対する強い愛国心を持ち続けたそう。

韓国にシンパシーを持つのは当然として、そんなに強い愛国心を持つのならアメリカに移住しなければいいでしょ?海外でそんな、「オレたちはスゴイんだ!」というような排他的な愛国心を持っているから、関東大震災やアメリカのロス暴動で焼き討ちにあうわけでしょ?アメリカに移住したらアメリカに忠誠を誓えばいいじゃないの?ねっ?

6.身分秩序・・・・ダメダメ人間は人間を序列化することが大好きのようです。まあ、カルトではこの手の序列化が好きなのはオウム真理教でもありましたよね?韓国もオウム真理教と同じように、やたら細かく身分が別れている。それにその身分間の移動が不可能のようです。妾腹の子供は絶対に出世できないとかが、あったそう。あるいは男尊女卑なども・・・そのような秩序を「倫理的」措置などとも記述してある。そんな身分体系は制度かもしれないけど、倫理とは言えないでしょ?

7.理屈をこねくり回す・・・現実を無視して理屈をこねくりまわすことが大好き。そしてその理屈も、権威主義で、おまけにすべて善悪で片付けてしまうので、思考に広がりがないわけ。教科書におもしろい記述があります。李氏朝鮮時代の農民の離脱に関するものです。
「農民の離脱は名分上、民生を安定させなければならないという儒教の王道政治論にあわないだけでなく、現実的にも、国家の財政を危うくするものであった。」
・・・しかし、一般の文明国だったら、記述の順序が逆でしょ?儒教の名分などより、国家財政の方が重要でしょ?

8.知識欲が乏しい・・・理屈をこねくり回すことは好きでも、新たな知識を得ようとはしない。まあ、目新しい学説には興味を持つようですが、知識って学説だけではないでしょ?たとえば世界地図を韓国が入手したのは17世紀末。しかし、日本にはイエズス会の宣教師より16世紀には入手していますよね?だから豊臣軍による朝鮮侵攻は、最新鋭の軍事設備と、世界全体に対する豊富な知識を持つ日本軍と、軍事的にも知識的にも乏しく、ただ「オレたちはスゴイんだ!」と自画自賛しているだけの朝鮮軍の戦いだったわけ。20世紀での太平洋戦争では、日本の立場は全く逆になってしまいましたが・・・戦争の善悪はともかく、何事でも事前準備は重要でしょ?

9.何でも反対・・・今のイラクのように何でも悪く取り、反対するのが韓国人。日本統治時代に貨幣の共通化をやろうとしたら、それに反対し、ブチブチ文句を言っている。勿論デメリットもあるでしょうが、本来は韓国人自身で貨幣の共通化なんてやらないといけないでしょ?他人にやってもらって感謝するどころか、文句を言う始末。
それに、そんなに貨幣の共通化がイヤだったのなら、今からでも元のバラバラの状態に戻せばいいじゃないの?
反対することには熱心でも、「で、結局は、どうしたいのか?」という点は何も考えていないんですね。

10.危機意識が乏しい・・・自分自身を自分で守ろうという当事者意識がないので、危機意識もない。だから周辺国の情勢にも気を配らない。だから簡単に侵略されてしまう。中国とか日本にスパイくらい派遣して情報収集するのが、マトモな国でしょ?そんな当然のこともやっているそぶりもないんですね。それに危機感がないので、優秀な人間を抜擢する必要がない。だから社会も停滞する。

11.ダメダメの連鎖・・・根拠のない「オレたちはスゴイんだ!」という思いこみや被害者意識だけの人・・・それに人の話を聞き、相手に自分の意向をわかりやすく伝える意欲のない人間を相手にしてくれる人って、一体全体誰がいるの?結局は、相手をしてくれるのは自分の子供・・・というか子孫だけになってしまうわけ。だからこんな教科書を作って子供たちをダメにしたがるわけです。
もし韓国人の子孫がマトモな発想をしてしまったら、こんな教科書を疑問もなく読んでいるような祖先は相手にしませんよ。
ダメダメな人間は、そのダメダメな集団から脱却しようとする人間の行動を妨害するものなんですね。この教科書はそのような効果があるわけ。

12.クレーマー・・・具体的にモノを考える習慣がないし、他者に対して具体的な説明をする習慣が身に付かないので、他者と上手に会話することができないわけ。その上に被害者意識が加わるので、どうしてもクレーマーになってしまう。

「一体、どうして欲しいの?」
「一体、アナタたちはどうしたいの?」

そう聞いても答えられないものでしょ?

そもそもそのような具体的な思考をするようには訓練されていないわけ。
しかし、こんな教科書で勉強した人たちが、他者とどのようにコミュニケートするの?
まさにこの教科書のように、感情的なスタイルで文句を言うだけで終わってしまうわけ。だってクレームをつけることくらいしかネタもないでしょ?


【トホホな記述】

韓国の教科書には結構トホホな記述が多くあります。まあ、狙ったユーモアではないでしょうが、笑えますよ。

1.新羅の王様の記述・・・「王が自ら藩田を耕して農事の規範を示したりした。」・・・今でも将軍様が何かと模範をお示しになりますよね?

2.16世紀頃の農民の食料に関する記述・・・・「政府は雑穀、ドングリ、木の皮などを加工して食べる方法を提示した。」・・・今でもやっていますよね?

3.陽明学に関する記述・・・「理屈をこねくり回す」だけではダメだ!これからは知行合一(知識と行動が一体になること)の陽明学だ!と言うことで、李氏朝鮮時代に陽明学の研究が始まり、結果的に立派な陽明学の学問体系が完成したとのこと。しかし、そんな立派な学問体系に意味はないというのが知行合一の陽明学じゃあないの?日本の大塩平八郎のように実践してみたら?

4.文盲率・・・日本が統治を始めた頃の、韓国の文盲率は80%だったそう。日本統治前までそんな統計も無かったようです。しかし、80%が字を読めないのなら、日本語で教えるのも理にかなっていますよね?ちなみに日本が韓国人に行ったとされる創氏改名だって、それ以前はほとんどの韓国人は苗字がなかったのだから、当然といえば当然ですよね?それに強制ではないわけですし。だからこの教科書では、その法律名も年号も出てこないわけ。

5.税制・・・16世紀頃の韓国の税制は「租庸調」を基礎にしていたらしい。それって日本だと大化の改新で制定された制度でしょ?韓国人が経済的な面を全然考えていない人間であることが実によくわかります。1000年も進歩がないわけ。

6.満州開拓についての記述・・・韓国人は満州の開拓を行ったらしい。その記述が秀逸です。「現地土着民から圧迫を受けながらも、荒蕪地を開拓した・・・」とのこと。しかし、これって、まさに侵略じゃあないの?それこそ現地土着民に謝罪しないとね。


私は何も偏見を持って、この「韓国国定歴史教科書」を読んだわけではありませんよ。

この教科書は図書館などで借りることができると思いますので、読者の方々も一度、虚心坦懐にお読みになられると、興味深いと思います。

何でも韓国では教科書は、この国定教科書一種類しかないそうです。まさに大日本帝国そのものですよね?

こんな教科書で歴史を学んでいる韓国人が、「ああ」なってしまったのも当然と言えば当然。そんな「おバカ」な韓国人が選んだ大統領のノ・ムヒョン氏が「おバカ」なのも当然と言えば当然。

だいたい大統領になる前に一度もアメリカに行ったことがない、なんて文明国では考えられないことでしょ?

しかし、今まで検討してきた韓国の教科書から見て、そのような人間が大統領になってしまうことも理解できますよね?それに、私が提示したこの教科書の特徴を思い起こすとノ・ムヒョン氏の発言が実に理解しやすいでしょ?

この教科書を読んでいると、「作者」が頭から湯気を出して怒って書いているのはわかりますが、何が言いたいのかさっぱりわからない。それに・・・この本からどうやって試験問題を作るのかな?だってこの教科書には「客観」がなく「主観」だけなんですからネ。

他者に対して物事を伝えるのは、客観的な5W1Hを伝えることが先で、次に個人的見解でしょ?そのようなスタイルでないと、聞いている側の人間は、「この人・・・いったい何が言いたいの?」となってしまいますよね?
まさにこの教科書はダメダメの聖典と言えるくらいです。

この教科書は人にわかりやすく伝えようとする意欲そのものが無く、ただ自分の思いを勝手に言い放しているだけの本なんですね。

実際のダメダメ家庭に育った読者の方の中には、ご自分の両親の「語り口」を思い出す人もいらっしゃるでしょう。

この教科書の文章と、ダメダメ家庭でのおなじみのセリフ

「一体誰のためにこんな苦労をしたと思っているんだ?!」とか

「オマエのために人生を棒に振ってしまった・・・」

とは実に近い位置にあります。あるいは、「悪いのは全部○○のせいだ!」という犯人認定にも近い。まあ、そのグチや犯人認定を言う対象がどこになっているのか?

この点は、日本人には悲劇的なことですね。

日本の会話不全のダメダメ人間が往々にして、韓国にシンパシーを持っている例が多く見受けられるでしょ?会話のできない人は、会話ができなくてグチばかり言っている人間と一緒になって、自分自身もグチを言いたがるもの。

まあ、私がよく書いていますが、それってハエやゴキブリが腐臭に吸い寄せられるようなもの。

グチを言うことが、一時的な楽しみになっていることはわからないでもありませんが、自分自身の尊厳を大切にすることが、ダメダメからの脱却の第一歩でしょ?こんな「人の話を聞くつもりもない」人たちと一緒にいて何が楽しいのかな?

いずれにせよ、図書館で借りて、実際にお読みになってみることを是非お勧めいたします。

まあ、読んで不快になることは・・・請け合いますが・・・
韓国を考える際に参考になるだけでなく、日本のダメダメ家庭を考える際にも非常に参考になると思います。

(終了)
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発信後記

メルマガの文章作成には、結構準備時間がかかったりします。
今回の文章だって、そもそもこの教科書自体が、日本語で500ページもあって読むのも大変。
ということで、取りかかった頃には中国や韓国での反日デモもまだ起きてはいませんでした。

今回のお題は、良くも悪くもグットタイミングになってしまいました。

多分、中国の教科書も、韓国と同じように異常な教科書なんだろうと思います。
だって、卒業した生徒があのザマなんですからね。

何も日本の教科書に問題が無いというわけではありませんが、韓国の教科書は100%の異常と言えると思います。というか、日本だったらこの執筆者は変質者扱いですよ。変質的なクレーマーが執筆した教科書で勉強?させられている韓国の生徒は、ある意味お気の毒ですが、そのうっぷんを日本に向けてくるのは、はた迷惑ですね。

以下に管理者による追加文章 (10年12月21日 アップ)

さて、本文においては、韓国の歴史教科書に表れている、韓国人のメンタリティーについて考えております。

私としては、何も韓国人の問題そのものを指摘したいと思っているわけではありません。

韓国人というスクリーンに映っているダメダメのメンタリティーを考えているだけです。

韓国人なり韓国の歴史教科書そのものに意味があるわけではなく、ダメダメの問題を映すのにあたって出来がいいスクリーンというだけです。

だから、今回言及したメンタリティーに近い様相は、別のところでも見えたりするもの。

それこそ、インターネットの掲示板において湯気を出しながら書き込んでいるような人間のメンタリティーと共通しているわけですし、別の国との共通性もあったりする。

それこそ、別のところでまとめておりますが、ヨーロッパのポーランドのメンタリティーとも実に近い。

あるいは、日本だと、茨城県の歴史を調べてみたら、なんとも、同じようなことをやっている。

ここで、その共通性をピックアップしてみましょう。

ちなみに、このようなメンタリティーは、水戸藩に関わる幕末での大事件である「天狗党事件」では典型的に見出されたりします。この「天狗党事件」については、皆さんも、例のウィキペディアでも使ってチェックしてみてくださいな。

ということで、茨城県と韓国の歴史において共通してみられるダメダメの様相をピックアップしてみましょう。

1. 対抗心・・・何かと言うと、スグに「あの○○に対抗する!」と息巻く。そして、それこそ平安時代の平将門のように乱をおこしたり、論争を起こしたりする。

2. 身近なものを否定・・・それこそ、「尊皇攘夷」だって、長州や薩摩のような外様の大名が言うのなら分りますが、御三家が尊皇攘夷というのはヘンでしょ?

しかし、自分の父親が嫌いなことを自分で認めたくない人間が、「お祖父さんは立派な人だった・・・」と過剰に言ったりする例があることを考えれば、その尊皇攘夷の心理的な意味も理解できるようになるわけです。より遠くのものを肯定することで、目の前のものを否定しているわけです。

3. 政治家よりも、政治論者・・・水戸藩には色々な政治論者が出てきますが、実際の政治家はほとんどいない。実際に出てくる政治家も、「善政を行った。」とかの漠然とした記述になって、「どんなデーターをもとに、どのような施策を進め、どのような効果を得たのか?」という点が出てこない。「べき論」を用い、現実を否定しているだけの学者さんが多いんですね。そして、現実否定的な主張をすると改革派とか言われてしまう。そんな流れは、韓国の歴史教科書ではおなじみのもの。

4. 各派対立・・・それぞれの考え方について、データーを取って検証するという発想がないので、「議論のための議論」になるばかり。だから、政治論者の各派対立が深刻になってしまう。だって、主義主張の有効性を検証しようがないんだから、論争になったら収まりようがありませんよ。

5. 内輪もめ・・・ということで、内部対立が頻発することになる。水戸藩の前の時代から、やたら内輪もめが多い。

6. 報復・・・内部対立が深刻化するので、自分の側が被害者だと確認する儀式としての報復行為が頻発し、その規模も過激になってしまう。親類縁者を皆殺しするという凄惨な報復行為が習慣化してしまう。

7. 芸術の不在・・・自分の内面を見るよりも、対立している相手方を見てしまうので、自己逃避が進行してしまう。だから、自分の内面を厳しく見つめた成果といえる芸術作品が生まれない。まあ、茨城県出身で有名な芸術家となると画家の横山大観くらいとなるわけですが、その名前の大観の中の「大」の字は、当人のコンプレックスを示すことが多いもの。大きいことを肯定したのではなく、「小さい自分がイヤ。」という二重否定的な心理状態につながることも多いんですね。そもそも、その大観の作品も、芸術的に見ると「悪くはない」と言った二重否定的な価値でしょ?

目の前の現実を踏まえ、自分の意向を自覚して、異なった見解を持つもの同士でも、会話によって合意形成を進めていくという発想がない。

現実無視のご高説を「べき論」で連呼するだけ。

そして、気に入らない相手に対しては、スグに武力に訴えることになる。
そして、武力に訴える自分に酔ってしまう。

それこそ、「桜田門外の変」もその典型と言えます。
茨城の歴史は、犯人認定と報復行為ばかりの歴史なんですね。

それこそ、「尊皇攘夷」だって、「悪いのは全部、今の江戸幕府のやつらだ!」とか「外国のヤツらが諸悪の根源だ!」という発想でしょ?
それはいいとして、「では、結局は、アンタたちはどうしたいの?」となってしまうでしょ?

まあ、そんなことばかりしているから、水戸藩は尊皇が実現された明治政府に対して人材を提供できなかったわけでしょ?敵が共通となっている時点では一緒にやれていても、達成目標を共有することはできないわけです。

クレームを付けることには優秀であっても、自分たちの理想を実現させるという肯定方向には何も貢献できない。

まるで、革命家チェ・ゲバラのできそこないが集まったような人物ばかりが登場してくる歴史なんですね。

ちなみに、私としては、何も茨城県の方を蔑視しているわけではありませんよ。
幸か不幸か、ダメダメを映すにあたって、優秀なスクリーンというだけです。
そして、その点について自覚できれば、現在茨城県にお住いの方がコケないように注意することができるわけですし、芸術家も出てくることにもなるでしょう。
R.10/12/21
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm


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「約束は無効と覚悟せよ」 福沢諭吉が見抜いた韓国の本質 2018.4.16
https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/180416/wor18041616340011-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link

福沢諭吉は朝鮮を見限った 近現代PL/AFLO

 韓国の不実はいまに始まったことではない。明治の傑出した知識人、福澤諭吉は当時すでにそのことを看破していた。「脱亜論」で彼はなぜ朝鮮を見限ったのか。いまこそその背景にある思想に学ぶべきだ。文芸評論家の富岡幸一郎氏が解説する。

 * * *

 《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》(『時事新報』明治三十年十月七日)

 これは福澤諭吉の言葉であるが、まさに現在の日韓関係の本質を言い当てているではないか。ただし福澤は決して「嫌韓」論者なのではなかった。後で引く有名な「脱亜論」もそうである。彼は西洋列強のアジアへの帝国主義的な侵略にたいして、明治維新によって近代化の道を拓いた日本こそが、中国や朝鮮にたいして力を貸して共に連帯して抗すべきであると考えていた。

また亜細亜という言葉から中国(清朝)と朝鮮を同じく捉えていたのではなく、むしろ朝鮮をアジア同胞として清韓の宗属関係から脱却させ日本のように文明化させることの必要性を説き尽力したのである。李氏朝鮮の旧体制(血族や門閥による支配)のままでは早晩、清国やロシアの植民地となり、それはそのまま日本の国難になるからだ。

 李朝末期のこの腐敗した絶望的な国を変革しようとした開化派を福澤は積極的に支援し、そのリーダーであった金玉均らの青年を個人的にも受け入れ指導教育を惜しまなかった。また朝鮮に慶應義塾の門下生を派遣する行動を起こし、清朝の体制に取りこまれるのをよしとする朝鮮王朝の「事大主義」の変革をうながした。

 清仏戦争が勃発し、清国軍が京城から退却したのを機に開化派がクーデターを企てるが(甲申事件・明治十七年)、それが失敗に帰したことから、朝鮮における清国の影響力は決定的となった。福澤のなかにあった日本による朝鮮の文明化の期待も潰えた。


日本に十年余り亡命した金玉均も明治二十七年上海で朝鮮の刺客に暗殺され、その遺体は無残に切断され国中に晒された。福澤に「脱亜論」を書かしめたのも、朝鮮の開明派、独立派の人々への必死の支援がことごとくその固陋な中国従属の封建体制によって無に帰したことによるものだ。

 《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。

 この近隣にある「二国」は、《その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し》

 ◆挑戦への絶望と苛立ち

 

 福澤の文章の烈しさは、そのまま朝鮮の開化を祈念していた彼の思いの裏返しの憤怒であった。しかし福澤は「文明化」自体に絶対的な価値を置いていたのではない。「脱亜論」の冒頭でも「文明は猶麻疹の流行の如し」といい、「有害一偏の流行病にても尚且その勢いには激すべからず」として文明化は利害相伴うものであることも語っている。


むろん福澤はアジアのなかで唯一文明化に成功した日本を正しい選択であったとしている。大切なのは西洋文明の波がかくも急速に高く押し寄せているときに、旧態依然の「外見の虚飾」を捨てない朝鮮の政体と人民への絶望と苛立ちをはっきりと表明してみせた言論人としての姿勢である。

 《左れば今日の謀を為すに我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。》

 当時も今も国際社会のなかで外交を「謝絶」することはできない。問題は「心に於て」、すなわち日本はユーラシア・中華帝国の膨張の現実を前にして、この世界史に参与すべく如何なる「思想」を自ら打ち建てるかである。


韓国に関していえば日韓基本条約(一九六五年)で国交正常化をなし、日本から韓国への膨大な資金提供もあり「漢江の奇跡」と呼ばれた経済復興を成し遂げたにもかかわらず、日本のおかげというその現実を認めたくないがために慰安婦問題や戦時徴用工などの「歴史問題」を繰り出し続けてやまない。その国家としての態度に日本は毅然とした「処分」を示さねばならない。韓国がやっているのは、福澤のいうまさに「外見の虚飾のみを事として」の「背信違約」の狼藉三昧である。

 かかる「悪友」への処し方を、われわれは今こそ明治国家の多極的な外交戦略と、その背後にあった福澤諭吉のような近代日本の思想的先達によくよく学ぶべきであろう。

 【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。在学中に執筆した「意識の暗室−埴谷雄高と三島由紀夫」で「群像」新人賞評論優秀作を受賞、文芸評論活動に入る。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。近著に『虚妄の「戦後」』(論創社)がある。

 ※SAPIO2018年3・4月号


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html#c5

[] 在日朝鮮人タレント
80. 中川隆[-8871] koaQ7Jey 2019年7月24日 07:40:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3837]

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%81%95%E3%81%84%E5%9B%BD

【東京発信・Cool Eyes】第16回 歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%83%BB%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%A8%E6%BA%80%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8D

じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
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宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
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宮脇淳子 韓国を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E9%9F%93%E5%9B%BD

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8

http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c80

[近代史3] 朝鮮人は頭がおかしい _ あるのはウソだけのめんどくさい国 中川隆
8. 中川隆[-8870] koaQ7Jey 2019年7月24日 07:41:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3838]

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
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韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
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なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
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さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/193.html#c8

[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治

馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治


「ひとりがたり馬渕睦夫」#25
韓国が反日である理由〜DeepState支配からの自立〜
※輸出規制 制裁 3品目 ホワイト国 領空侵犯 警告射撃 反日無罪の品格なき国家 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=V1pXcXdDpeU


「ひとりがたり」馬渕睦夫 #25
収録:2019年7月17日 時間:32分


<馬渕睦夫 新刊のご案内>

★『米中新冷戦の正体 - 脱中国で日本再生』
馬渕睦夫×河添恵子 (ワニブックス 2019年7月8日発売)
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/484709820X/


★『グローバリズムを越えて自立する日本』
加瀬英明、馬渕睦夫(共著)(2019年4月30日 / 勉誠出版)
そもそも国連とはどういう組織なのか?というお話から始まる対談。
なぜ我々は自立しなければならないのか?
グローバリズムとは一体何か改めて問います。
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4585230696/


★『知ってはいけない現代史の正体』馬渕睦夫
 (2019年5月1日発売 / SB新書)
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4797399880/

==============================
<目次的な!>

・日本政府は 韓国への半導体やディスプレイ製造に必要な素材3品目を
 輸出管理強化することを発表 また手続き簡素化の対象国である
 「ホワイト国」から外すことにした(2019年7月4日〜実施)
 主要3品目のフッ化ポリイミドとレジストは世界の全生産量の90%を
 エッチングガスは約70%を日本が占めており その供給が止まると
 韓国の半導体とディスプレイ企業は製造ラインがストップする可能性

・韓国のサムソンが窮地に、文在寅氏も慌てふためき中

・問題は韓国の反応

・品格なき国家であることがいよいよ周知されてきた

・日韓問題で日本が注意すべきこと

・7〜9割以上の日本国民が今回の政府の措置を支持

・多くの日本国民はすでに目覚めているということ

・韓国を擁護しているのは日本の左翼メディアとコメンテーターだけ

・しかし問題はそこではなく、韓国への対応には注意しなくてはならない

・韓国は何故反日政策を取り続けてきたのか?それには意図がある

・戦後日本が再興してくるのを防ぐために、日本と韓国を対立させるため反日教育は行われた

・誰に?

・アメリカのディープステートにである

・『親日派のための弁明』金 完燮(草思社 / 2002年)
 金完燮(キム ワンソプ 1963年生)が記した 戦前の日本による
 朝鮮統治について肯定的な見解を述べた評論 親日発言で有罪となる
 →この韓国人もそれを暴露している

・反日の素地はあったと思われるが、増幅させたのは米国DSの対韓国政策

・まさに彼らが得意の分割統治である

・何故日本はこれまで一方的に、韓国に譲歩を強いられてきたのか?

・日韓両者が米国のDSに支配されてきたからに過ぎない

・日本と隣国とを対立させ統治する方法(ディバイド&ルール:植民地政策支配のやり方)

・あの慰安婦問題でさえDSの支援がなければ起こり得なかった問題

・しかしこのようなこれまでの伝統的&典型的な統治のやりかたが、今大きく変革しつつある

・韓国が米国に泣きつくような体制は戦後の東アジアレジームの名残り

・韓国の日本に対する無理難題の背後には米国DSの認可あり

・今我々はこれらを清算するときに来ている

・北朝鮮もDSのエージェント・代理人

・そのDSの力はトランプ大統領の出現で弱まっている

・日本の財界や政治家、官僚はいまだにDSの亡霊に怯えている

・いよいよ日本の目覚めの時、自立するチャンスを逃すな

・韓国も同じ状況、日本からの自立を

・日本製品をボイコットする韓国であるが、そんなことやるくらいならフッ化水素含む3品目もボイコットせよ

・日本も韓国も自立する時が来ている

・ディバイド&ルール(分割統治)
民族(隣国)間を分断し 民族間を争わせ 宗主国が統治
しやすいようにする植民地支配政策のひとつ 彼らの常套手段

・米軍があったおかげでもあるが戦後の日本人は東アジアレジームの中で安住して来た

・自立を促しているのはDSと対立する米トランプ大統領である

・韓国は日本から自立

・日本は米DSが敷いた東アジアレジームから自立

・それが実現できて初めて日韓は平等な立場から交流を始めることができる

・日本が韓国に一方的に譲歩してきた戦後の歴史(米DSの支配のもとで)

・日韓議員連盟がその先鋒を担って来た

・日韓議員連盟(1972年発足)
 アメリカの意向で発足 自民党議員が中心の超党派の議員連盟(共産党も所属)現在の会長は額賀福志郎氏(自民党衆議院議員)


======================


「ひとりがたり 馬渕睦夫」再生リスト
https://bit.ly/2NatIQL

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html

[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治 中川隆
1. 中川隆[-8869] koaQ7Jey 2019年7月24日 08:34:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3839]

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html

馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html

これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html

日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html#c1

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
6. 中川隆[-8868] koaQ7Jey 2019年7月24日 08:36:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3840]

馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治


「ひとりがたり馬渕睦夫」#25
韓国が反日である理由〜DeepState支配からの自立〜
※輸出規制 制裁 3品目 ホワイト国 領空侵犯 警告射撃 反日無罪の品格なき国家 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=V1pXcXdDpeU


「ひとりがたり」馬渕睦夫 #25
収録:2019年7月17日 時間:32分


<馬渕睦夫 新刊のご案内>

★『米中新冷戦の正体 - 脱中国で日本再生』
馬渕睦夫×河添恵子 (ワニブックス 2019年7月8日発売)
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★『グローバリズムを越えて自立する日本』
加瀬英明、馬渕睦夫(共著)(2019年4月30日 / 勉誠出版)
そもそも国連とはどういう組織なのか?というお話から始まる対談。
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★『知ってはいけない現代史の正体』馬渕睦夫
 (2019年5月1日発売 / SB新書)
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<目次的な!>

・日本政府は 韓国への半導体やディスプレイ製造に必要な素材3品目を
 輸出管理強化することを発表 また手続き簡素化の対象国である
 「ホワイト国」から外すことにした(2019年7月4日〜実施)
 主要3品目のフッ化ポリイミドとレジストは世界の全生産量の90%を
 エッチングガスは約70%を日本が占めており その供給が止まると
 韓国の半導体とディスプレイ企業は製造ラインがストップする可能性

・韓国のサムソンが窮地に、文在寅氏も慌てふためき中

・問題は韓国の反応

・品格なき国家であることがいよいよ周知されてきた

・日韓問題で日本が注意すべきこと

・7〜9割以上の日本国民が今回の政府の措置を支持

・多くの日本国民はすでに目覚めているということ

・韓国を擁護しているのは日本の左翼メディアとコメンテーターだけ

・しかし問題はそこではなく、韓国への対応には注意しなくてはならない

・韓国は何故反日政策を取り続けてきたのか?それには意図がある

・戦後日本が再興してくるのを防ぐために、日本と韓国を対立させるため反日教育は行われた

・誰に?

・アメリカのディープステートにである

・『親日派のための弁明』金 完燮(草思社 / 2002年)
 金完燮(キム ワンソプ 1963年生)が記した 戦前の日本による
 朝鮮統治について肯定的な見解を述べた評論 親日発言で有罪となる
 →この韓国人もそれを暴露している

・反日の素地はあったと思われるが、増幅させたのは米国DSの対韓国政策

・まさに彼らが得意の分割統治である

・何故日本はこれまで一方的に、韓国に譲歩を強いられてきたのか?

・日韓両者が米国のDSに支配されてきたからに過ぎない

・日本と隣国とを対立させ統治する方法(ディバイド&ルール:植民地政策支配のやり方)

・あの慰安婦問題でさえDSの支援がなければ起こり得なかった問題

・しかしこのようなこれまでの伝統的&典型的な統治のやりかたが、今大きく変革しつつある

・韓国が米国に泣きつくような体制は戦後の東アジアレジームの名残り

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・日本の財界や政治家、官僚はいまだにDSの亡霊に怯えている

・いよいよ日本の目覚めの時、自立するチャンスを逃すな

・韓国も同じ状況、日本からの自立を

・日本製品をボイコットする韓国であるが、そんなことやるくらいならフッ化水素含む3品目もボイコットせよ

・日本も韓国も自立する時が来ている

・ディバイド&ルール(分割統治)
民族(隣国)間を分断し 民族間を争わせ 宗主国が統治
しやすいようにする植民地支配政策のひとつ 彼らの常套手段

・米軍があったおかげでもあるが戦後の日本人は東アジアレジームの中で安住して来た

・自立を促しているのはDSと対立する米トランプ大統領である

・韓国は日本から自立

・日本は米DSが敷いた東アジアレジームから自立

・それが実現できて初めて日韓は平等な立場から交流を始めることができる

・日本が韓国に一方的に譲歩してきた戦後の歴史(米DSの支配のもとで)

・日韓議員連盟がその先鋒を担って来た

・日韓議員連盟(1972年発足)
 アメリカの意向で発足 自民党議員が中心の超党派の議員連盟(共産党も所属)現在の会長は額賀福志郎氏(自民党衆議院議員)


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「ひとりがたり 馬渕睦夫」再生リスト
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右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
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欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html

馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html

これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html

日本の右翼のバイブル _ モルデカイ・モーゼ 日本人に謝りたい
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/494.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html


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[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治 中川隆
2. 中川隆[-8867] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:43:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3841]

米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。

バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!

以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。

まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html#c2

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
7. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:44:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]

米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。

バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!

以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。

まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html#c7

[近代史3] ジャニー喜多川は、CIA工作員だった 中川隆
16. 中川隆[-8865] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:44:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3843]

米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。

バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!

以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。

まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/521.html#c16

[] 在日朝鮮人タレント
81. 中川隆[-8864] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:47:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3844]

米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。

バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!

以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。

まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html
http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c81

[] 在日朝鮮人タレント
82. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:50:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
ジャニー喜多川は、CIA工作員だった


東海アマブログ ジャニー喜多川の死 2019年07月10日 (水) 16:07
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-802.html


 7月10日朝のテレ朝モーニングショーは、87歳独身のまま亡くなったジャニー喜多川について、高く賛美する姿勢で長時間の報道を行った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000382-oric-ent

 だが、私はジャニー喜多川と聞けば、北公次の暴露本が頭をよぎる。

 内容は凄すぎて、ここで紹介するのは気が引けるので自分の目で読んでいただきたい。
 現在、これと同じことが刑事告発を受ければ、ジャニーは懲役5年程度の実刑判決を受ける可能性がある。
 https://himajin-ibunroku.com/2019/07/10/%E3%80%90%E5%85%89genji%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%80%91%E5%8C%97%E5%85%AC%E6%AC%A1%E3%81%8C%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%B7%9D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4/

https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201008_post_2297/?p=3

 北は2012年、62歳のとき肝臓癌で死亡したことになっている。しかし、私には、以前、ジャニー喜多川の本当の素性を調べたことがあり、素直に頷けないものがある。


 ジャニーは、CIA工作員だった。
 http://www.thutmosev.com/archives/52688814.html


 美空ひばり米国公演のマネジメントを行った縁で、日本芸能界に進出したジャニーは、1952年に再来日。

 米大使館に陸軍犯罪捜査局 (USACIDC, CID) の情報員として勤務。アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授するために、日本でわずか11ヶ月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供たちに英語を教授した。

 除隊後、再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事顧問団に勤務。その傍ら上智大学国際部に進学し、上智大学を卒業。大学在学中の1955年、バンドを結成し芸能界へ参入した。以降は日本に永住している。

 この間、本国CIAの指示によって、日本の芸能界における左傾化を阻止する指令を与えられ、左寄りと目された歌手や俳優などを排除する活動を行ったとの記録が、以前ネット上にあったのだが、今はどこを探しても出てこない。

 これは実に面白かったが、消されてしまった今、ダウンロードしなかったことが悔やまれる。

 不確かな記憶だが、岡林信康・高田亘などの反戦フォーク運動を先鋭化させないための工作が依頼され、ダイレクトに差別を批判したり、侵略戦争や軍備増強、アメリカ盲従を批判する歌詞の歌を排除し、代わりに、あたりさわりのないイルカや南こうせつらの恋愛歌にすり替えていったと書かれていた。

 これを読んで、当時の記憶を思い出すと「そうだったのか!」と合点がいった。

 アメリカでは、1950年代前半からはじまったマッカーシー旋風による赤狩り思想が、ハリウッドをはじめ、全米に生々しく残っていた時代なので、「世界の共産主義(ときに民主主義)を排除する」という思想がもてはやされ、米本土のみならず、世界中のアメリカ支配地域で、メディアや芸能活動に至るまで「レッドパージ」の嵐が吹き荒れ続けていた。

 ベトナム戦争も、ニクソンによる北爆は、こうした当時の強迫観念と無関係ではない。

 そんななかで、ジャニーはCIA工作員としての実力を評価され、日米の芸能界に大きな人脈と利権を築き上げ、芸能界の隠れた巨人としての地位を確立していった。

 日本で、1960年代後半から1970年代後半くらいまで、たくさんの優れた独立シンガーソングライターを輩出しながら、80年代に入ると、個人的な実力を前面に出した歌手は、メディア界から排除され、ジャニーやナベプロのような大手芸能プロダクションを背景にしなければ活動できないようになった事情は、CIAの赤狩り指令によるものと考えて間違いないだろう。

 ジョーンバエズ・岡林信康・高田亘・高石知也ら「社会派」と呼ばれたシンガーソングライターたちは、80年くらいには、メディアが一切取り上げない事情によって、人々から忘れ去られていった。

 中島みゆき・八神純子・井上陽水・フォークルらも、芸能プロに背を向けた姿勢から、日本での活動が制限され、結局、海外脱出を図ったり、独立プロの小さな興業にしか活路を見いだせなくなった。

 メディアの中心に位置するテレビ界が、組織に頼らない個人的能力のシンガーを嫌ったからである。逆に言えば、メディアが喜んで取り上げた歌手たちには、CIAから特別の使命が託されていたと考えるべきだろう。

 80年代に入ると、芸能界は、ナベプロやジャニー事務所など大手芸能事務所による寡占状態になり、独立系のシンガーソングライターや社会派は、まったく登場しなくなった。
 我々から見ていても、何もかも演出された商売であり、ホンモノの魅力は失われ、テレビ芸能そのものの魅力が薄れ、社会の思想的リーダーたちからも相手にされなくなった。テレビ芸能には、社会的メッセージ性などどこにもない。

 唯一、アリスだけが「遠くに汽笛を聴きながら」など、社会的なメッセージ性を備えた曲を公表し、かつ情緒的な魅力を示したが、松山千春も陽水も、テレビ界を拒絶し、ローカルコンサートだけに活路を求めるしかなくなった。

 「個性」という魅力が排除され「組織の力」ばかりが表に出てきて、男女ともジャニーズや、ナントカ46などのグループ活動が主体に変わっていった。

 「部品が壊れたら、いつでも取り替え可能」が売りになった組織である。

 今朝の、ジャニー喜多川の、長時間にわたる賛美報道を見ていて、かつてのテレ朝、安倍信者、極右といわれる早川CEOが実権を握る前のテレ朝だったなら、あんな報道姿勢だっただろうかと暗い気持ちになった。

 玉川徹も、ジャニー持ち上げに迎合し、影の歴史について一切触れなかった。

 北公次によるジャニー喜多川への告発は、これで終わってしまったのだろうか?
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-802.html  

http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c82

[近代史3] マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている 中川隆
24. 中川隆[-8868] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:05:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3840]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/330.html#c24

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
28. 中川隆[-8867] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:06:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3841]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c28

[近代史3] 朝鮮戦争は八百長戦争だったのか? 中川隆
1. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:07:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html#c1

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
34. 中川隆[-8865] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3843]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c34

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
122. 中川隆[-8864] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:01:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3844]

死に至る可能性もあるジュースの危険性が明らかに 2019年07月18日

仏医師グループが、ジュースと炭酸飲料は少量でさえ腫瘍の発症リスクを高める可能性があると発表した。研究結果は英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載された。


研究はフランスに住む10万人余りを対象に行われた。平均年齢は42歳。食生活に関して質問したほか、年齢、性別、教育、がんを発症した親戚の有無、運動量、悪癖の有無などの要因も考慮された。


研究の結果、100%フルーツジュースなどの砂糖を含む飲料100ミリリットルとがんの発症リスクの上昇に関連が確認された。がん発症リスクは18%、乳がんリスクは22%上昇した。だが研究では、砂糖を含む飲料とがん発症リスク上昇のあいだに明らかな規則性は見つからなかった。

全てのジュースがからだに悪い?

砂糖を含むジュースが危険な可能性はあるが、野菜ジュースは反対に、健康に良い可能性がある。東京医科歯科大学の研究チームは、無塩トマトジュースが心血管系疾患リスクを下げるとの結論に至った。そして研究者によると、ザクロジュースは、マグネシウム、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含んでいるため、パフォーマンスを向上させる。
https://jp.sputniknews.com/life/201907186479997/

http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c122

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
307. 中川隆[-8863] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:01:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3845]

死に至る可能性もあるジュースの危険性が明らかに 2019年07月18日

仏医師グループが、ジュースと炭酸飲料は少量でさえ腫瘍の発症リスクを高める可能性があると発表した。研究結果は英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載された。


研究はフランスに住む10万人余りを対象に行われた。平均年齢は42歳。食生活に関して質問したほか、年齢、性別、教育、がんを発症した親戚の有無、運動量、悪癖の有無などの要因も考慮された。


研究の結果、100%フルーツジュースなどの砂糖を含む飲料100ミリリットルとがんの発症リスクの上昇に関連が確認された。がん発症リスクは18%、乳がんリスクは22%上昇した。だが研究では、砂糖を含む飲料とがん発症リスク上昇のあいだに明らかな規則性は見つからなかった。

全てのジュースがからだに悪い?

砂糖を含むジュースが危険な可能性はあるが、野菜ジュースは反対に、健康に良い可能性がある。東京医科歯科大学の研究チームは、無塩トマトジュースが心血管系疾患リスクを下げるとの結論に至った。そして研究者によると、ザクロジュースは、マグネシウム、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含んでいるため、パフォーマンスを向上させる。
https://jp.sputniknews.com/life/201907186479997/

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c307

[リバイバル3] 果汁100%の濃縮還元ジュースは農薬入り砂糖水を飲むのと変わらない 中川隆
4. 中川隆[-8862] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:02:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3846]

死に至る可能性もあるジュースの危険性が明らかに 2019年07月18日

仏医師グループが、ジュースと炭酸飲料は少量でさえ腫瘍の発症リスクを高める可能性があると発表した。研究結果は英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載された。


研究はフランスに住む10万人余りを対象に行われた。平均年齢は42歳。食生活に関して質問したほか、年齢、性別、教育、がんを発症した親戚の有無、運動量、悪癖の有無などの要因も考慮された。


研究の結果、100%フルーツジュースなどの砂糖を含む飲料100ミリリットルとがんの発症リスクの上昇に関連が確認された。がん発症リスクは18%、乳がんリスクは22%上昇した。だが研究では、砂糖を含む飲料とがん発症リスク上昇のあいだに明らかな規則性は見つからなかった。

全てのジュースがからだに悪い?

砂糖を含むジュースが危険な可能性はあるが、野菜ジュースは反対に、健康に良い可能性がある。東京医科歯科大学の研究チームは、無塩トマトジュースが心血管系疾患リスクを下げるとの結論に至った。そして研究者によると、ザクロジュースは、マグネシウム、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含んでいるため、パフォーマンスを向上させる。
https://jp.sputniknews.com/life/201907186479997/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/909.html#c4

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
104. 中川隆[-8867] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:47:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3841]
>>103

画像入りで ここに解説書けば読む物好きも居るだろうけど、書かなければキチガイの妄想としてスルーされるだけですね。

まあ、書いても書かなくても誰も理解できないんだから同じ事だけど。


コメント時に動画・ツイッターの埋め込みや画像の表示ができるようになりました
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/535.html
投稿者 管理人さん 日時 2018 年 9 月 06 日 10:36:40: Master iseXnZBsgrOC8Q
 



↓この部分で、「動画・ツイッター等」を選んで動画やツイッターの埋め込みタグをコメントします。信頼できるペンネームでのみ使用可能です。

★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向) 

ツイッター埋め込みタグの取得方法
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/535.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c104

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
105. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:56:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
どうせ書くなら新スレ建てれば超有名になるよ、

キチガイとしてか、天才としてか
どっちかはわからないけど


★阿修羅♪掲示板へ初めて投稿する方法

★阿修羅♪掲示板への投稿には、【ペンネーム】と【パスワード】の登録、そして投稿規定の音読3回が必要です。
http://www.asyura2.com/bbsup/nametoroku.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c105

[近代史3] 朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」

朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/10/03/204724


先日、本ブログで、虐殺被害者の遺族が95年目にして初めて慰霊祭に参加した「藤岡事件」を取り上げた。

今の群馬県藤岡市で起きたこの事件は、現地に居住していた朝鮮人17名が、警察署内に保護されていたにもかかわらず、暴徒と化した周辺住民に引きずり出されて殺されたという悲惨な事件だ。

しかし、隣の埼玉県では、もっと凄惨な事件がいくつも起こっている。その一つが「本庄事件」である。

■ 「町送り」が引き起こした埼玉県内の朝鮮人虐殺事件

関東大震災時、埼玉県内で発生した朝鮮人虐殺事件には、他地域のそれとは異なる特徴があった。それは、現地に居住していた朝鮮人がその場で殺されたのではなく(一部そういう事例もあるが)、主に、他所から避難してきた人々も含む朝鮮人の集団が、「町送り」と呼ばれる移送の過程で周辺住民に襲撃され、殺されたことだ。[1]


 埼玉県警察部は、東京から避難してきた朝鮮人、県内で拘束した朝鮮人を県外に移送しようとする。移送する目的は朝鮮人を自警団の暴虐から守るためと言われているが、はたしてそうなのだろうか。そのように漫然と、自明のように言われているだけで、真実のところはまだ解明されてない。

 本当のところは案外、朝鮮人を隣の町、隣の県へ厄介払いしたかっただけなのかもしれない。真に保護を考えていたとするならば、対応に疑問が多すぎる。自警団から守るために移送するなら、自警団に警護させて移送すること自体がおかしいし、さらに徒歩による移送は朝鮮人を危険な自警団、民衆の前へ無防備に長時間に渡って晒すことになる。

 移送するとしても県外のどこへ移送しようとしていたのかはっきりしていない。長野県か新潟県とも言われているが、現在の資料からは確実にはわからない(略)県警は最終目的地はともかく、当面はおそらく群馬県の高崎の連隊への保護移送を考えたのではないか。

 そこで自警団による町送りは群馬への道、中山道を北へたどることとなった。だが、県や警察部が、政府、軍、群馬県や高崎連隊と緊密な連絡を取った上で、当面の群馬への移送をしていたとの資料は残っていない。(略)

警察に「保護」された朝鮮人たちは、9月3日、埼玉県南部の川口付近から出発して、旧中山道を北へ北へと町や村ごとに引き渡されながら、順送りに護送されていった。[2]


 九月三日、午後二時に川口警察署は消防組、在郷軍人の力を借り、保護していた朝鮮人百六十人(推定。人数についてははっきりしていない)を蕨町へ移送、集結させた。川口でいろいろなかたちで保護拘束された朝鮮人は、この、江戸時代の五街道の一つ、中山道の県内第一次の宿であった蕨で合流させられた(川口から直接自動車で移送されたり、個々的、小集団で蕨に送られた者がいた可能性もなくはない)。

(略)

 蕨においては、虐殺はなかったが、虐殺には至らない「自警団によるいわゆる『朝鮮人狩り』が行われた」(略)。これら「狩られた」朝鮮人は、やはり川口から送られてきた集団に合流させられたと考えられる。

 蕨に集められた朝鮮人たちは、その蕨から北に向かって駅伝、町送りにさせられる(略)。

武器を持った自警団が周りを固めて、次々に伝達、送致し県外に送り出そうとしたのである。送る人間、自警団員は担当(自分の居住する地域)する町、村、字あざごとに変わるが、送られる朝鮮人は変わらない。

 送る自警団は自分の担当する町、村、字を出るまで送るだけだから、伝達が終ればいくらでも休める。だが送られる朝鮮人には休みなし。送るほうは早く嫌な、危険な(と思われていた)役割から解放されたい、(略)いきおい休ませずに急がせるのが自然である。

 護衛の警官もついていた。しかしそれは装備と人数において自警団に圧倒的に劣っていた。それも熊谷などの民衆、自警団の暴走を止められなかった一つの理由である。

朝鮮人たちは、周囲を武装した自警団に取り囲まれ、しばしば彼らから暴行を受けながら、何十キロもの道をひたすら歩かされた。

残暑厳しい中を、食事や水も与えられず、目的地も分からないまま連行される不安と恐怖から、途中で何人かの朝鮮人が逃亡を図った。しかし、疲労困憊し、土地勘もない彼らが逃げ切れるはずもなく、たちまち捕えられて殺された。ほとんどが鳶口やツルハシを打ち込まれて惨殺されたという。

彼らが蕨から約50キロの熊谷にたどり着いたときには、出発から約30時間が経っていた。4日の夕方である。ここで最初の集団虐殺が行われた。[3](熊谷事件)


 熊谷町柳原地区の自警団に護送された朝鮮人が熊谷町の中心部へ、英泉の描いた八丁の地から中心部の筑波との境にさしかかろうとした時、熊谷町の中心部のほうから群集となった民衆が手に手に武器を持って押し寄せてきた。

 引き継ぐはずの熊谷町中心部の自警団がすでに暴徒化していた。自警団だけでなくやはり暴徒化した熊谷町の町民が多く加わっていた。群衆は一旦暴走し始めたら止まるところを知らない。そして熊谷町中心部入り口で熊谷町最初の殺戮が行われた。

 おとなしく送られてきた朝鮮人に民衆が集団で襲いかかり、牙をむけたところに熊谷の虐殺の特徴がある。

(略)

 中心部入り口における殺戮に加わった民衆は、その昂奮をそのまま市街地へ持ち込んだ。彼らは血がついた刀、竹槍、棍棒を持って逃げた朝鮮人を探し、みつけ出しては殺す。そこに自警のかけらは少しもない。狂気に支配されたとはいえ、血に飢えた者が獲物を捜し求め、狩りを楽しみ、みつけたら殺戮を楽しむ、というのが実相である。

 殺戮は逃げた朝鮮人に向けられるだけではすまなくなった。逃げた者を探して殺すだけでは満足できなくなった殺戮者たちは、おとなしく数珠繋ぎで連行されている、拘束されている朝鮮人へも攻撃の刃を向けるようになった。

 手を縛られたまま逃げる者、それを追いかける男。おとなしく縛られたままでいる朝鮮人、それを引っ立てて刀の試し斬りにする男。自分で殺したくて、「こっちへまわせ」と息巻いている男。熊谷の町の中心部は、薄暮そして暗闇の中で殺戮のし放題であった。

熊谷町内で殺された朝鮮人の数は、およそ70〜80人と推定されている。[4]

■ 「町送り」で生き残った人々が皆殺しにされた本庄事件

画像出典:『かくされていた歴史』

蕨から北に「町送り」された朝鮮人の一部は、途中からトラックに乗せられ、4日正午頃、埼玉県北部の本庄警察署に到着している。また、本庄町内に居住していた朝鮮人や、県南部から別のトラックで移送されてきた人々なども加わり、本庄警察署には相当数の朝鮮人が収容されていた。[5]

本庄からは、目的地?の群馬県はもう目の前である。本庄署は収容していた朝鮮人の一部をトラックに乗せて群馬県に向けて出発させたが、県境で群馬側に引き継ぎを拒否され、やむなく引き返したところ、県境近くの神保原村で暴徒化した群衆が襲撃してきた。群衆は4日の真夜中までの間に、取り残された朝鮮人のほとんどを殺してしまった。犠牲者は42人と伝えられている。[6](神保原事件)

神保原での襲撃を逃れたトラックが本庄警察署に戻ってくると、これを知った群衆は次第に本庄署に集まりはじめ、トラック上の朝鮮人たちを襲い、さらには警察署内の演武場に収容されていた朝鮮人たちをも殺し始めた。この時の様子を、現場を目撃した元本庄署巡査の新井賢二郎氏が次のように証言している。[7]


 本庄署では、前夜(三日夜)から保護していた朝鮮人が四十三名いたが、電話で、デマにおびえた人達から出動要請があって、警官は出はらっていた。私が、警察に残って外からの電話に出ている時、警察がからっぽであることを見ていった奴がいたのだ。

(略)

 本庄署へ引きかえしてきた三台のトラックは、朝鮮人を満載していた。私もそのトラックに乗っていたが、集まってきた群衆のなかに青木紋九郎というギュウタロウ(注:遊郭で客引き等を行う男子従業員)がいた。その紋九郎が、「あいつは、朝鮮人の偽巡査だ。あいつからやっちまえ」と煽動した。それがあいずとなって、一斉に群衆が襲いかかり、あの惨劇がはじまったのだ。

(略)

 惨殺の模様は、とうてい口では言いあらわせない。日本人の残虐さを思い知らされたような気がした。何百人という群衆が暴れまわっているのを、一人や二人の巡査では、とうてい手出しも出来なかった。こういうのを見せられるならいっそ死にたいと考えたほどだ。

 子供も沢山居たが、子供達は並べられて、親の見ているまえで首をはねられ、そのあと親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた。それも、途中までやっちやあ、今度は他の朝鮮人をやるという状態で、その残酷さは見るに耐えなかった。後でおばあさんと娘がきて、「自分の息子は東京でこのやつらのために殺された」といって、死体の目玉を出刃包刀でくりぬいているのも見た。

 当時演武場は、警察署の方からではなく、町役場の方から電灯をひいていたので、演武場の電気は警察の方からは、消すことができなかった。私は演武場の中の四十三人が見つかっては大変だからと、電気を消すように役場の方へ頼んだが、一向に通ぜず、そのうちに、演武場の中の朝鮮人も見つかってしまったのだ。「ここにいた」というわけで、群衆は演武場へおしかけ、四十三人ことごとく殺してしまった。朝、私が演武場へ行ったとき、立てかけてあった畳の陰にいて助かった二人の婦人から水をくれ、と頼まれ、小使にもたしてよこすから、といっている間に、朝早くからやってきた群衆に見つかり、昨夜の凶行場所につれていかれ、ベンチの上でさし殺されてしまった。私はどうすることもできなかった。

 警察署の構内は前夜の凶行で血がいっぱいだった。長靴でなければ歩けなかったほどだ。警察署の構内で殺されたのは八十六人だが、本庄市内で殺されたのもいた筈だ。死体も見たが十五、六人位……二十人まではいなかったと思う。

 署内の留置場の中にいて一人助かったが、これも群衆が「凶行を見られてしまったからには、朝鮮へでも帰って話されたら大変」というわけで、留置場の鉄棒の間から、竹槍で突こうとしたのだが、あっちへ逃げ、こっちへ逃げて、とうとう助かったのだ。これは後でどこかへ送られた。

 私は長い間、朝鮮人の「アイゴウーアイゴウ」という悲痛な叫びが耳からはなれなかった。

こうして、「町送り」で移送されてきた人々は、そのほとんどが県境を越えることなく殺されてしまった。

[1] 山岸秀 『関東大震災と朝鮮人虐殺』 早稲田出版 2002年 P.138-139
[2] 同 P.142-143
[3] 同 P.156-165
[4] 同 P.119
[5] 関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者調査・追悼事業実行委員会
 『かくされていた歴史 ― 関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件』 1974年 P.41
[6] 同 P.38-40
[7] 同 P.98-103
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/10/03/204724
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/552.html

[近代史3] 警察署に保護された朝鮮人を「普通の日本人」たちが引きずり出して叩き殺した「藤岡事件」

警察署に保護された朝鮮人を「普通の日本人」たちが引きずり出して叩き殺した「藤岡事件」
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/09/15/204546


■ 95年目にして初めて被害者遺族が慰霊祭に参加

先日、関東大震災時の「藤岡事件」で虐殺された被害者の遺族2名が来日し、事件から95年目にして初めて、現地での慰霊祭に参加したという報道があった。

毎日新聞(9/7)[1]:


 関東大震災(1923年9月1日)で虐殺された朝鮮人の遺族2人が来日し、東京都内で7日、記者会見した。韓国で昨年8月に遺族会が結成されてからメンバーの訪日は初めて。「埋もれている事実は多い。遺族にとっても過去について改めて知るのはつらいが、真実は明らかにされるべきだ」と訴えた。

 来日したのは、祖父を殺害された権在益(クォン・ジェイク)さん(61)と、祖父の兄が犠牲になった曹光煥(ソ・ガンファン)さん(57)。

 (略)

権さんは「日韓の市民の多くは虐殺事件について知らないのではないか。埋もれている真実がもっと明らかになれば、日韓関係は改善し、東アジアの平和につながると思う」と語った。

 曹さんは、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を小池百合子東京都知事が取りやめたことについて「だからといって虐殺の事実がなくなるわけではない。日韓双方が発展的な見地から協力して事実を明らかにし、追悼することが大事だ」と話した。

共同通信(9/9)[2]:


1923年の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺の犠牲者の慰霊碑がある成道寺(群馬県藤岡市)で9日、恒例の慰霊祭が営まれ、碑に名が刻まれた男性の孫権在益さん(61)が韓国から来日し、初めて参拝した。これまで男性の親族は誰も訪れていないといい、権さんは「弔いに来るのに95年かかった。慰霊に感謝している」と語った。

画像出典:毎日新聞

■ 千名以上の暴徒が警察署から朝鮮人を引きずり出して叩き殺した

この事件は、震災発生から4日後の9月5日と翌6日、群馬県多野郡藤岡町(現・藤岡市)で発生した。

「関東」大震災といっても、震源(相模湾付近)から遠い北関東のこのあたりは揺れも比較的小さく、地震そのものによる被害は軽微だった。また、地震と火災で壊滅状態になった東京や横浜では深刻な食糧難が発生したが、農村地帯のこちらはむしろ被災地に食糧を供給する側だった。つまり藤岡事件は、地震による混乱もない中、朝鮮人への差別意識を流言によって煽られた民衆が実行した、「純粋なヘイトクライム」だったと言える。

加害者たちを裁いた第一審の判決文によれば、事件1日めの9月5日の状況は以下のようなものだった[3]。


 以上の判決文の内容をみると、藤岡警察署は朝鮮人のいわゆる不逞行為を恐れて地域住民が騒動を起こすことを防止する目的で朝鮮人17人を「検束」したが、数百人の地域住民が駆け付け、藤岡警察署留置場に乱入し、17人の朝鮮人のうち、李在浩をのぞいた16人を留置場から引っ張りだして殺害したというものである。

 李在浩が除外された理由は次のようである。はじめ、狂奔した群衆が朝鮮人17人のうち3、4人を留置場の前に引っ張りだして殺害した後、再び朝鮮人2人を事務室につれていって、東京で爆弾を投げただろう、放火をしただろうと質問したが、朝鮮人が言葉の意味を理解できなかったので、外につれていって消防展望台の横で殺した。すると、それを見た留置場の朝鮮人たちは留置場の床下や天井に隠れ、李在浩は屋根をうち壊してどこかへと逃げた。李在浩が逃走したのは確実だが、その後の行方については定かではない。

(略)

 殺害に使われた道具には竹槍、棍棒、鳶口、日本刀、手槍、猟銃のほか、鍬、木材、木の棒、鎌、針金、石、木刀、心張棒、鉄棒などが使われたことが判決文から確認できる。狂奔して警察署まで襲撃した数百人の群衆による殺害がどのような形で行なわれたのか想像もできないが、9月5日の藤岡事件では、様々の種類の多くの棒が証拠として押収されたことをみると、打ち殺しが多かったと推定される。

 被告人荒井滋の場合は、「同署裏手六地蔵附近二於テ、所持ノ日本刀ヲ以テ一鮮人二斬付ケ、次テ右留置場附近二於テ、右日本刀ヲ以テ鮮人三名ノ背部其他ヲ突刺シタル上、更二同所二於テ他ノ日本刀ヲ以テ一鮮人ノ背部ヲ突刺シ、何レモ他ノ者卜協力シテ、順次之ヲ殺害シ」たとした。心張棒をもった大原袈裟吉の場合は、「同署留置場前二於テ所持ノ心張棒ヲ以テ鮮人二名ノ頸部其他ヲ乱打シ、他ノ者卜協力シテ、順次之ヲ殺害シ」たという。

(略)

 ここで恐ろしいのは、あらゆる被告人が、最初、警察署もしくはどこの場所で、朝鮮人何人を、どの部位を、どの順序で、どのように協力して殺害し、その後、どこに移動してどのようにしたかを、きわめて正確に覚えている事実と、途中、自警団員何人かは、朝鮮人をどのように処理するかを、計画した後実行に移した事実である。(略)当時被告人たちがこのように淡々と、そして明確に朝鮮人殺害の事実を語ったということは、尋問をうける当時も朝鮮人は殺してもかまわないという認識あるいは意識が強かったことを物語っているものではないだろうか。

しかも、事件はこれだけでは終わらなかった。翌日、自ら保護を求めて藤岡警察署にやってきたもう一人の朝鮮人も殺されている[4]。


 (略)9月6日正午ごろ、群馬県多野郡日野村の自警団員と同行して藤岡警察署にやってきた朝鮮人車鳳祚の名前が確認される。藤岡警察では、調査を通じて彼が不逞鮮人でないことを確認し、その事実を地域住民に知らせたにもかかわらず殺害された。

(略)

 結局、車鳳祚は自ら保護を求めて警察署に行ったところが、かえって狂奔した民衆「数千人」によって殺害されたのである。「判決文」には、(略)だれが車鳳祚を殺したのかについては明示されていない。ただ、「大勢カ一鮮人ヲ留置場ノ方ヨリ引出シテ盛二殴リ居タル」という鈴木常蔵の予審調書の内容からわかるように、9月5日夜に発生した事件と比較すると、車鳳祚は前夜より多い日本人「数千人」に袋だたきにされて死んだものと推定される。ここで「数千人」という数字は、藤岡周辺地域に居住する、老若や婦女を除いたほとんどの青壮年が参加したとみてよいだろう。9月6日の藤岡事件は先述のように、朝鮮人殺害より警察署襲撃と官舎および器物破壊などを重要犯罪として処理して判決を下した事件であっただけに、車鳳祚の殺害にたいしては、いっそうの惨憺さを禁じえない。

狂気に駆られた大群衆に引きずり出され、取り囲まれ、有無を言わさず袋叩きにされて殺されていった被害者たちの恐怖と苦痛はどれほどのものだったか。これは普通の人間が想像できる範囲をはるかに越えている。

■ 朝鮮人の虐殺より官憲への反抗を重く見た日本の司法

この藤岡事件も含め、朝鮮人を虐殺したとして自警団員が起訴された事件はわずか22件(被告人総数203名)しかない。(軍隊や警察が加害者となった事件は最初から無視。)これは、当時の日本政府の方針が、法治国家としての責任を果たしたかのような外観を作るために一応加害者(ただし一般人に限る)の処罰はするが、やりすぎるとデマを流した官憲自身の責任を追求されかねないのでそれは最小限にとどめる、というものだったからだ。[5]

藤岡事件の場合、37名が起訴されたものの、実刑判決を受けた加害者は裁判が進むにつれて

 第一審:25名 → 控訴審:9名 → 上告審:2名

と減少し、最高刑も懲役3年に過ぎなかった。日本人9名が虐殺された福田村事件では最終的に実刑7名、最高刑が懲役10年だったのに比べると、いかに朝鮮人の命が軽く見られていたかが分かる。[6]

しかも起訴した検察は、朝鮮人の虐殺そのものよりも、その過程で被告人らが警察署を襲撃し、署内の器物を損壊したことのほうを重大視していた。[7]


(略)

ところで、ここで見逃してはならないことがある。A(注:警察襲撃による朝鮮人虐殺事件)の実刑率が高いのは、藤岡事件の場合、事件を担当した樫田忠美検事が、初日の朝鮮人虐殺より、2日目の警察署襲撃や警察署の器物破壊を重視した結果であった。

 このような姿勢は、1923年11月5日、前橋地方裁判所で開かれた藤岡事件の審理法廷で、樫田検事が警察署を襲撃し、器物を破壊した加害者たちを責めたてる内容にも明確にあらわれている。


被告等が五日の夜騒いだ事は流言輩語を信じ、熱狂の余り為したとするも、幾分諒解したるが、六日の夜にも再び騒ぐと言う事は何の有様ぞ。警察を破壊、官舎や署内に闖入し、箪笥や机や椅子や諸帳簿を引摺り出して叩き壊し、放火するが如きは何故か。鮮人はまだしもとするも、警察に何の遺恨があるか。何を意味するものか。これ即ち平素警察に好意を持って居らぬのではないか。(中略)依って五日の騒擾より六日の騒擾が重いと見るのである。

検察から見れば、朝鮮人虐殺は官憲も民衆と共有していた(というより大日本帝国政府が長年民衆に植え付けてきた)差別意識の暴発に過ぎなかったのに対し、警察署襲撃は許されざる権力への反抗だったからである。


[1] 『関東大震災 虐殺朝鮮人遺族2人が来日「真実は明らかに」』 毎日新聞 2018/9/7
[2] 『虐殺朝鮮人、群馬で慰霊祭 95年後に初、韓国の孫が参拝』 共同通信 2018/9/9
[3] 姜徳相ほか 『関東大震災と朝鮮人虐殺』 論創社 2016年 P.95-96
[4] 同 P.97-98
[5] 山田昭次 『関東大震災時の朝鮮人虐殺―その国家責任と民衆責任』 創史社 2003年 P.97-99
[6] 同 P.102
[7] 『関東大震災と朝鮮人虐殺』 P.91

http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/09/15/204546
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/553.html

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺

関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺


87年前の今頃は
http://vergil.hateblo.jp/entry/20100905/1283693861

私の住んでいるこのあたりでも、朝鮮人狩りが行われていたはずだ。

関東大震災後の朝鮮人虐殺については、いまだに真相究明も謝罪も行われていない。
それどころか、この恥ずべき事実を否定しようとする歴史歪曲本が本屋に平積みになっているという、恥の上塗り的状態が今の日本の現実なのだ。

あのとき、いったい何が行われたのか。ほんの断片ではあるが、現場を体験した人々の証言でたどってみたい。

まずは、民衆(自警団)の手による虐殺。


■東京都葛飾区 旧四ツ木橋周辺(昨日、この近くで朝鮮人殉難者追悼式が行われた)


 二日目(九月二日〕に四ツ木橋を越え、本田村(現・葛飾区)の庭先をかりてみんなで野宿をしたわけです。ちょうど二日めの晩に「津波ダァー」という声がしたのでみんな線路にあがって枕木に帯で体をつないだりしたが、津波なんかいっこうこないので帯をほどきました。ところが八〜九時頃、「朝鮮人がせめてきたぁ」という声が流されて、みんな殺気だっちゃった。「竹をだせ!」「槍を出せ!」、棒きれもっている奴はナイフで先をとがらせて、集まった人たちだけで臨時自警団をつくり、周囲をかためた。その頃は芋が盛りで芋の葉っぱが人の顔にみえたりしてそれをつついたりしました。

 そしたら土手の方からバンバンバンと銃砲をうつような音がきこえてきました。あくる朝、放水路のところを歩いていったら、―当時荒川放水路は工事中で朝鮮人は安い労働力として使われた、日本人の賃金にくらべれば二分の一位でした。―そこに行ってみると無惨な屍臭がして、土手に、五人、六人と死んでいました。傷跡は明らかに刀で切られたり、竹でつかれたりした死骸でした。からだに日本刀で斬られた断面がありました。人相が朝鮮人でした。

〔中略〕

この荒川土手のところでは一軒の農家があったのですが、昼過ぎ七〜八人の朝鮮人が農家のまわりに逃げてきて自警団やそこいらにいた人につかまり、有無をいわず袋だたきにあい、五分もたたないうちにめった打ちにして殺されてしまったのをみました。当時あそこは工事をしていたので玉石はいっぱいあって、土手の上からみんな玉石を投げて加勢して殺したんですよ。(島川精証言)


 たしか三日の昼だったね。荒川の四ツ木橋の下手に、朝鮮人を何人もしばってつれて来て、自警団の人たちが殺したのは。なんとも残忍な殺し方だね。日本刀で切ったり、竹槍で突いたり、鉄の棒で突きさしたりして殺したんです。女の人、なかにはお腹の大きい人もいましたが、突き刺して殺しました。私が見たのでは、三○人ぐらい殺していたね。荒川駅の南の土手だったね。(青木某(仮名)証言)


■千葉県八千代市周辺


 九月の一○日か一五日頃、大和田新田に三人の朝鮮人を受け取りに来いという触れが回った。夕方に三人の朝鮮人が連れてこられ、道路のつきあたりに座らせられた。一本松にある五軒の家から一人ずつ出て、朝鮮人を殺し、死体を村の入会地に埋めた。五軒の家は盆や彼岸には線香や団子をあげて供養した。(阿部こう証言)


 軍隊から朝鮮人をくれるから受け取りに来いという連絡が村からあって、三人の朝鮮人を受け取ってきた。目隠しをし、竹の棒に縛って、後ろに穴を掘って落ちるようにして、従兄が撃ち殺した。死体は共同墓地であるもみよ墓地のはずれに埋めた。この墓地一帯が公団住宅地になるので、遺骨を掘り出して現在の墓地に移した。(君塚国治証言)


 地震から数日後の朝、半鐘が鳴るので行ってみると、半鐘に上る梯子に朝鮮人が繋がれて立っていた。彼は中台墓地に連れられて目隠しされて松の木に縛られ、銃で撃たれて穴に埋められた。(八木ケ谷妙子証言)


 九月七日に習志野収容所から朝鮮人をくれるから取りに来いといわれて、住民たちは一五人受け取り、これを各区に分け、高津区は三人引き受けた。翌八日また二人受け取り、都合五人の首を切ってその死体をなぎの原に穴を掘って埋めた。九日の深夜にまた一人もらい受けて直ちに殺害し前回の穴に埋めた。(高津の一農民の日記)


■神奈川県横浜市


 横浜の中村町周辺は、木賃宿が密集した町だった.木賃宿には朝鮮人労働者が多く住みつき、数百人からいたように思う。

 この近くの友人宅を訪ねていて地震にあった私は、だから、世に有名な朝鮮人虐殺の実態を、この目でつぶさに目撃することになった。二日朝から、朝鮮人が火を放って回っているという流言がとぶと、ただちに、朝鮮人狩りが始まった。

 根岸橋のたもとに、通称「根岸の別荘」と呼ばれる横浜刑務所があって、そこのコンクリート壁が全壊したため、囚人がいちじ解放されていたが、この囚人たち七、八百人も加わって、捜索隊ができた。彼らは町中をくまなく捜し回り、夜を徹して山狩りをつづけたのである。

 見つけてきた朝鮮人は、警察が年令、氏名、住所を確かめて保護する間もなく、町の捜索隊にとっ捕まってしまう。ウカウカしていると警察官自身殺されかねない殺気だった雰囲気だった。そうしてグルリと朝鮮人を取り囲むと、何ひとついいわけを聞くのでもなく、問答無用とばかり、手に手に握った竹ヤリやサーベルで朝鮮人のからだをこづきまわす。それも、ひと思いにバッサリというのでなく、皆がそれぞれおっかなびっくりやるので、よけいに残酷だ。頭をこづくもの、眼に竹ヤリを突き立てるもの、耳をそぎ落とすもの、背中をたたくもの、足の甲を切り裂くもの……朝鮮人のうめきと、口々にののしり声をあげる日本人の怒号が入りまじり、この世のものとは思われない、凄惨な場面が展開した。

 こうしてなぶり殺しにした朝鮮人の死体を、倉木橋の土手っぶちに並んで立っている桜並み木の、川のほうにつきだした小枝に、つりさげる。しかも、一本や二本じゃない。三好橋から中村橋にかけて、載天記念に植樹された二百以上の木のすべての幹に、血まみれの死体をつるす。それでもまだ息のあるものは、ぶらさげたまま、さらにリンチを加える……人間のすることとは思えない地獄の刑場だった。完全に死んだ人間は、つるされたツナを切られ、川の中に落とされる。川の中は何百という死体で埋まり、昨日までの清流は真っ赤な濁流となってしまった(田畑潔証言)


 なにしる天下晴れての人殺しですからね。私の家は横浜にあったんですが、横浜でもいちばん朝鮮人騒ぎがひどかった中村町に住んでいました。

 そのやり方は、いま思い出してもゾッとしますが、電柱に針金でしばりつけ、なぐるける、トビで頭へ穴をあける、竹ヤリで突く、とにかくメチャクチャでした。

 何人殺ったということが、公然と人々の口にのぼり、私などは肩身をせまくして、歩いたものだ。(美田賢二郎証言)

以上、山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺』(創史社)より引用。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20100905/1283693861

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関東大震災後の熊谷市での虐殺
http://vergil.hateblo.jp/entry/20100926/1285505416


前回に引き続き、民衆(自警団)の手による虐殺を取り上げる。

今回取り上げるのは埼玉県熊谷市で起きた事例だが、東京や神奈川での虐殺例とは少し状況が異なっている。

震災によって壊滅的打撃を受けた東京や神奈川では、被害に打ちのめされた民衆が流言飛語に煽られて虐殺に走ったが、北埼玉はさほどの被害を受けておらず、民衆は冷静だった。そのままであれば、東京方面から流れてきた朝鮮人被災者たちを、普通に被災者として受け入れることもできたはずである。
しかし実際には、ここで民衆による虐殺としては最大級と言ってもいい大虐殺が起こってしまった。

山岸秀著『関東大震災と朝鮮人虐殺』(早稲田出版、2002年)によれば、


 九月四日の夕刻、女・子どももいる、疲れ切っていた朝鮮人の一団が、周りを刀、つるはし、鳶口などで武装した民衆の「自警団」によって固められ、足を引きずるようにして、旧中山道を群馬に向けて歩かされていた。

 朝鮮人の周りを囲む民衆の自警団員はもちろん、少数ついていた警護の警察官も、中山道をどこまで歩いたらいいのか、目的地はどこなのか知らなかった。なぜ朝鮮人を送るのかさえわかっていなかった。重い足を引きずりながらの行き先の定まっていない、理由のはっきりしていない朝鮮人の駅伝・町送りの一行であった。

 送られてきた朝鮮人が、埼玉県北部の大里郡熊谷町(現・熊谷市)の市街中心部に入ろうとした時、街道筋を警備していた大勢の自警団員と民衆が鯨声をあげて襲撃してきた。手に手に、日本刀、竹やり、梶棒、鳶口などの凶器を持っていた。抵抗もせず必死で逃げ惑う朝鮮人を追いまわし、引きずりまわし、翌日の夜明けまでに数十人が、街中で、市民のみている前で殺戮された。

というような状況だったらしい。

以下、同書から、虐殺の目撃者や遺体の処理を行った人々の証言を引用する。


 翌朝(五日)、自転車で熊中(熊谷中学、今の熊谷高校)へ行く途中に、たくさんの死体を見ました。一番多かったのは、秩父線の踏切の手前(線路の南側)、今マンションの建っているあたりです(当時は砂利置き場になっていた)。のど笛が切られて血の塊が出ている人、肩からけさがけに切られている人、頭に穴をあけられている人などがいてそこに犬がたむろしていました。


 死んだ人達は、荒川の土手の脇にあった共同墓地に埋められました。暑い時だから死体が腐って、穴の中がぶつぶつ煮い立ちました。そのにおいは、まことに臭いものです。あまりに臭いので、誰もそばを通れなくなりました。……焼いたのは、埋めてから一週間くらい経ってからでした。


 「中家堂」〈熊谷の老舗の製菓販売店、現・本町二丁目〉のあたりで見ていました。朝鮮人を列からずり出して、殺すのです。警察はべつにとがめませんでした。……その時私は、眼の前で日本刀を持って来た人が、「よせ、よせ」というのをふりきって、日本刀で朝鮮人を斬ったのを見ました。……こんな時に斬ってみなければ切れ味がわからないといって、斬ったのだそうです。


 小此木園の所で〈熊谷老舗の茶店、現・本町一丁目、本町は宿場の頃から中心部〉、綱で縛られて護送されている朝鮮人に出会いました。……忘れられないことは……朝鮮人の背中にみんな竹槍がささっていることです。


 ……朝鮮人達が、中仙道から前の道に入って来ました。汗を流して、真黒な顔で、日本人にみんな結わえられていました。日本人は胴を結わえて一人の朝鮮人を持っている人、手と足をそれぞれ結わえて引っ張る人といました。


 熊谷寺では、生から死まで見ました。寺の庭では一人の朝鮮人を日本人がぐるって取りまいたグループが、五つほど出来ました。そして殺すたびに「わあ、わあー」「万才、万才」と喊声が上がるのです。


 翌朝〈五日〉、自転車で熊中〈現・熊谷高校〉へ行く途中に、たくさんの死体を見ました。一番多かったのは、秩父鉄道の踏切の手前〈線路の南側〉、今マンションの建っているあたりです〈当時は砂利置き場になっていた〉。……人数は二・三○人いたでしょうか、はっきりしません。その他多かったのは、皮肉なもので、熊谷警察のあたりです。本町三丁目から四丁目にかけてです。それから熊谷寺の前にもありました。


 この大原墓地へは、熊谷の警察署周辺と熊谷寺で殺された死体を運んできたのだと思います。翌日〈五日〉火葬場で働いていた竹さんが荷車に積んできました。当時は、佐渡で巡査だった鈴木さんという人が、上寺〈熊谷圭寸の別称〉の留守居をしていました。その人が焼くのがうまいので教えてもらい焼きました。まきを積み、石油をかけ、こもをかけて、焼いたのです。穴を掘ったり、焼く仕事は竹さんがやりました。……立ち会ったのは、竹さんと、鈴木さんと私だけです。……焼いてしまうまで憲兵が四、五人このまわりを、昼も夜も巡視していました。……

暑い時だから、死体は臭くなるし、ひどい殺し方でした。けさがけに斬ってあったり、傷だらけでした。死体はみんな、針金で手を縛られたままでした。だから人には見せられないですよ。当時、火葬場はあったのですが、あまり死体の数が多いので、穴を掘って焼いたのです。

なぜこんな事態になってしまったのか。
同書によれば、東京方面から伝わってきた流言によって民衆が不安を募らせる中、その真実性を裏付けるかのような埼玉県内務部長名による通牒が通達されたのが大きなきっかけとなったらしい。


    庶発第八号
    大正一二年九月二日
                          埼玉県内務部長
    郡町村宛
    不逞鮮人に関する件

 東京に於ける震災に乗じ暴行をなしたる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和し、以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其の毒手を揮(ふる)はんとする虞(おそれ)有之候。就ては之際(このさい)警察力微力であるから町村当局者は、在郷軍人分会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ、一朝有事の場合には速やかに適当の方策を講ずるよう至急相当手配相成度き旨其筋の来牒により此段移牒に及び候也

東京・横浜のケースも同様だが、民衆の不安を煽って虐殺に駆り立てた官憲の責任は極めて重い。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20100926/1285505416
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[近代史3] 横溝正史 悪魔の手毬唄(フジテレビ 2009年)
悪魔の手毬唄 2009年版

『金田一耕助シリーズ・悪魔の手毬唄』は、フジテレビ系列で2009年1月5日に放送された。


動画
https://www.youtube.com/watch?v=61kwahkrcCY&list=PL8lWV66p2sXGgGZci7cD6CyM1zgKN1WXS&index=4

原作 - 横溝正史
脚本 - 佐藤嗣麻子
音楽 - 佐橋俊彦
演出・監督 - 星護
制作 - フジテレビ


キャスト

金田一 - 稲垣吾郎
青池リカ - かたせ梨乃
青池歌名雄 - 平岡祐太
大空ゆかり - 山田優
青池里子 - 柴本幸
多々羅放庵 - 麿赤児
栗林りん - 森康子
お幹 - 藤本静
由良泰子 - 中丸シオン
仁礼文子 - 多岐川華子
別所辰蔵 - 有薗芳記
仁礼勝平 - 山崎裕太
仁礼咲枝 - 仁科亜季子
別所春江 - 田岡美也子
由良敦子 - 山口美也子
仁礼嘉平 - 石田太郎
由良五百子 - 佐々木すみ江
恩田幾三(青池源次郎) - 谷原章介
本多医師 - 犬塚弘
橘署長 - 塩見三省
横溝正史 - 小日向文世

概ね原作通りの展開であり、原作の科白を場面が多少違っていてもなるべく残そうとしている。しかし、ストーリー展開の簡略化が目的と思われる以下のような改変が見られる。

金田一は手紙で事前に紹介を受けて東京から鬼首村へ直接行っている。亀の湯到着早々に土蔵の窓際に居る里子を目撃しており、赤痣も認識している。

恩田が借りていたのは人食い沼に面した放庵の家の一部であり、放庵はその後転居していない。

金田一が探偵であることは当初から広く知られており、嘉平だけが知っていた設定は無い。

鬼首村への経由地である総社が関係する登場人物や場面が全て省略されている。金田一は村内散策で頻繁に村の入口(原作の仙人峠)に足を延ばし、その際に老婆と遭遇している。本物のおりんが既に死んでいることはリカから知らされた。

放庵が金田一の立ち寄り先に頻繁に顔を出し、種々の情報を提供する。その流れで、金田一が横溝正史に頼まれていた童謡収集への協力を依頼し、資料を見るために家を訪ねたところ行方不明になっていた。

橘署長(原作の磯川警部)は休暇ではなく放庵行方不明捜査のために入村しており、その際に金田一に23年前の事件を説明している。原作の立花警部補に相当する、金田一に対抗意識を抱く人物は登場しない。

23年前に検死した本多先生が現役であり世代交替していない。
日下部是哉は登場しない。神戸の関係者は登場せず氏名も明らかにならない。仁礼家・由良家・別所家は最小限の人物にしか科白等の出番が無い。
泰子を呼び出した手紙の前半が隠されていた設定は無い。
文子殺害時の竿秤とマユ玉の出所は明らかにならない。
里子を千恵子と誤認して殺害したことを隠蔽するために洋装から和装に着替えさせようとした設定は無い。

ゆかり御殿に放火して金田一に追跡されたリカは放庵の家で追い詰められ、追ってきた橘署長や歌名雄と共に金田一の謎解きを聞く。金田一はそれまでに青柳史郎の写真を関係者(敦子も含まれ、本多先生は居ない)に示して恩田幾三と同一人物であることを確認していた。金田一の結論を認めたリカは源治郎の亡霊に誘われるように人食い沼に入水した。

その他、以下のような原作からの改変がある。

里子は葬儀で泰子の霊前に座るまでは高祖頭巾を着用していた。
泰子葬儀での老婆のシルエットは参列者全員の目に入る形で映り大騒ぎになる。
文子は醸造樽の上に吊るされており、血が樽に入って味が変わったために辰蔵が変事に気付く。

ゆかり御殿が描かれる唯一の映像化作品である。また序盤で横溝正史が『そして誰もいなくなった』や『僧正殺人事件』を眺めながら童歌を口ずさむシーンが入れられている。

また、稲垣吾郎の金田一耕助シリーズは今までの金田一の映画およびドラマへのオマージュが多々あり、この作品でも市川崑監督の映画版において大空ゆかり役であった仁科亜季子が出演している。

なお、「青池」姓の読み方は原作では「あおいけ」であるが、このテレビドラマでは「あおち」と発音していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E6%89%8B%E6%AF%AC%E5%94%84


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/555.html

[近代史3] 東海アマ 山の歩き方

東海アマのブログ 山の歩き方
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

十数年前から痛風発作を繰り返すようになり、足の関節が変形して古い登山靴が履けなくなったりして、昔のように自由な山歩きができなくなったが、25〜40歳くらいまでは年間50回以上のペースで山歩きを続けていた。

 20歳頃から意識した日本百名山は前世紀の90年頃、とりあえず完全踏破することができた。(噴火立入規制などで山頂を踏んでいない山がいくつかあるが)
 今は友人などとともに二巡目の百名山ハイキングを楽しんでいる。

 通算では40年ほどの登山歴ということになり、まだ死んでいないところをみると、おそらく自分の山歩きが間違っていなかったように思っている。

 そこで今回は、おこがましいながら、私なりの山歩きの知恵をブログに書き残しておきたい。

 このところ冬山登山の遭難ニュースが非常に多いので、ハイキング気分で冬山に入るような甘い考えの人たちに警告を書かねばとも思っていた。

 私は若い頃から道に興味があり、登山道についても数千回の経験から、それが、どのように変遷するのか、ある程度理解することができたと思う。

 そこで、「登山道」の成り立ちについて私なりの考えを書いてみたい。

 山の主は基本的に人間ではない。それは獣たちである。人間は、獣たちの道を借りながら登山道を造り出すのである。だから、ほとんどの山で、登山道の原型は「獣道」であることを知っておかねばならない。

 山では、人道と獣道が無数に交差している。有名山岳では、しっかりした登山道が造られ、まず迷うことも少ないが、無名の藪山では、人道と獣道の区別はないと思う必要があり、その見分け方を叩き込んでおかねばならない。

 獣たちだって、通過の大変な藪漕ぎなんかしたくない。だから、山の中では一番歩きやすい場所を歩くことになり、そこに道ができる。

 ただし、人間ほど背の高い獣は希なので、おおむね狸や狐、イノシシや熊などの背丈に合わせた道ができあがることに注意が必要だ。

 すなわち、獣道と人間道を見分ける原則は、その高さにある。多くの場合、踏み跡だけでは見分けがつきにくいが、獣道は、すぐに人間が通るのが困難な腹より高い位置の枝葉や藪が出てくるから分かる。顔に枝葉が当たるような道は獣道である。

 それに人の道よりも歩幅が狭いし、多くの獣は人より軽いので人道ほど踏み固められていない。そこで、紛らわしい踏み跡があったとき、踏み込んでみれば獣道は柔らかく、人道は固いものだ。

 獣道は生活道路だ。餌場と水飲み場、寝場所を行き交うために踏みつけられる。
 獣たちがもっとも多く通う道は水飲みの道で、したがって沢筋に踏み跡が多く、これを利用するために人道も沢筋が第一になる。

 山の道は基本的に沢筋である。人が山菜採り、炭焼き、木材運搬などに利用するのも9割以上が沢筋である。しかし日本の沢には多くの滝があり、急峻危険なため、大滝やゴルジュ(水流に掘られた洞窟状水路)などで迂回路や他の安全な沢筋に移るトラバースルートが成立することになる。

 「沢筋に危険箇所が出てくると避難路がつけられる」これも覚えておく必要がある。

 次に、テリトリー拡大のため獣の峠越えルートもある。獣だって一番安全なルートを探すから、人様の峠道も獣道を利用することが多い。

 最後に、藪の多い道よりも歩きやすく、かつ外敵に遭遇したとき、いち早く逃げられる視界良好なルートということで尾根筋が利用される。もっとも、尾根筋に関してだけは、獣よりも人間の利用がはるかに多い。

 それは、一番高い場所で見晴らしが良いので、里などとの位置関係を確認できるからであり、尾根道というものは動物よりも人間が、より多く利用するものである。

 だから、尾根道は下界集落にまでつながっている場合が多く、山で迷ったときは、決していきなり沢筋に降りず、最初に尾根に登り、道を確認してから人間様ルートを利用して下界に向かうのが遭難しない大切なコツである。

 迷うと喉が渇くから沢に降りたくなり、そのまま人里につながっていると安易に想像してしまうが、決してそうではない。日本の沢は滝の連続であり、沢を下るのは危険に満ちている。

 冬山遭難以外の大半は、迷って沢に迷い込み、そのまま下って滝で滑って負傷・死亡するというケースである。

 ちなみに、獣たちは尾根道のてっぺんを歩くことは少なく、笹や藪の少ない北側の斜面の尾根より5〜20mほど下側に尾根に沿った獣道があることが多い。ベテラン猟師たちは、この道を使って猟を行う。

 歩きにくい笹藪が繁茂するのは南側の日当たりの良い場所で、北側の風雪に晒される場所は植生が悪く、逆に歩きやすいものだ。

 尾根のてっぺんにつけられた踏み跡は人間様のものであることが多い。日本中の尾根で、人道の皆無というルートは希で、そんなとき、その尾根は断崖絶壁に消えると覚悟すべきだ。

 山の道は、1・沢筋 2・尾根筋 3・峠道 4・滝・ゴルジュ迂回路 5・トラバース というように整理して覚えよう。今歩いている踏み跡は、獣道か人道か? 沢か尾根かトラバースか? などと、その属性を考え、記憶しながら歩けば、まず迷うことは少ない。

 最近は、わかりにくい場所に赤テープなどをつけても「クリーン作戦」などと余計なお節介の環境美化運動で剥がされてしまうことも多いが、迷いやすい藪山で、目印をつけるのは登山の大切な基本テクニックである。

 赤テープがダメなら、昔のようにナタで目印をつけよう。下山時の目標であるから、必ず上から降りてくるときに見えるよう人間の目の位置の皮を剥ぐ。これは自分の記号であるから、独特の分かりやすい形にする。

 マタギは目印に数十種類の共有暗号を含ませていた。形を見れば、この道が持つ情報が分かる仕組みになっていた。

 木を傷つけるのも良心が咎めるが、迷わないよう帰路を確認し、命を守る方が大事だ。必要もないのに、むやみに傷つけるのはもってのほかだが、安全のために、ためらってはいけない。

 最近は、警察検問で、車にナタやナイフが置いてあると逮捕されるらしい。必ず登山ザックに入れて、「理由なき所持」にならないように工夫する必要がある。

 私が山で目印をつけているとき、たまたま見ていた人から「自然破壊」と糾弾されたこともあった。山も難しくなったものだ。

 十分な標識が設置されているなら別だが、藪山でテープもアカン、目印もアカンじゃ困る。冬山では細い赤布をたくさん持参し、頭より高い位置の枝に縛りながら行く。一晩で2mも積もることもあり、低い位置では雪に埋もれてしまうことがある。木のない場所では、細い竹などを刺して結ぶことになる。

 結び目の作り方で、どちらが上下か分かるようにする。帰路、回収するのが常識なようだ。もちろん上から見る下山標識であることを忘れずに。

 次に、歩き方のコツを伝授する。

 歩き始めは、必ずゆっくり、最初の30分は持てる実力の三分の一しか使ってはいけない。これが準備運動だ。次の30分は二分の一の力でゆっくり歩き、十分に休んでお茶や菓子を飲食し、いよいよ本番だ。

 準備運動をしないで、いきなりハイペースで歩くと、必ずバテることになる。そんな人たちは結局、上の方で息が切れて苦しくなり、我々カメさんに追い抜かれてしまい、山歩きが楽しいものではなくなってしまう。

 1時間歩いてから、実力の8分目を出して山頂に向かう。休憩はおおむね1時間に5分程度。ほとんどの人が同じように休憩するので、有名山岳では、その位置に休憩所のような場所ができていることが多い。

 決して休みすぎてはいけない。軽く息を整える程度で、できるだけお菓子などを飲食しよう。糖尿病になりそうな甘いジュースも山ではOKだ。

 疲れてきたら、休むのではなく、「ゆっくり歩く」ことを心がける。休んでしまうと疲労が吹き出し、ますますバテることになる。

 飲食しながら、ゆっくり歩いていれば、疲れは消えてゆく。老人だって、若者のように早く歩けないが、ゆっくり山頂に着くことができる。体力のない人だって、ゆっくり歩けば、高体力の人と同じように楽しめる。

 最近、経験不足の中高年による遭難事故が多発しているが、最大の問題点は、「自分を知らないこと」である。

 自分を実力以上に過剰に評価するクセのある人は遭難しやすい。自分の実力に対して謙虚な姿勢が必要だ。

 山は大変なスポーツだ。準備があれば、困難を克服できる。装備を準備するだけではダメだ。体力・精神力を準備しなければならない。

 最初から苦しい大変な山など行ってはいけない。まずは高尾山や筑波山のような山を十数回も登り、基本的な歩き方の訓練を行い。普段から2時間程度歩く訓練を重ねる必要がある。

 そして、体力の必要な重い登山では、必ず「ゆっくり歩く」ようにすれば大丈夫、バテこそ遭難の第一歩であることを肝に銘ぜよ。

 バテない基本テクニックは、第一にゆっくり歩くこと。第二に、頻繁に軽い飲食を行うこと。第三に、こまめに衣類を脱着することだ。

 衣類を調節して、体温を一定に保つことは、非常に重要なテクニックで、山では非日常的な体験をしているので、普段の感覚が分かりにくくなる。

 体が寒がっているのに、本人は暑いと勘違いしている場合があり、着重ねしなければならない状況下で、強風に吹かれて体温が低下し、意識が朦朧としながら、そのまま死亡することも珍しくない。

 寒いと疲労度が加速する。体が熱を作るために余分なエネルギーを浪費するからだ。だから暖かく快適にすることが疲労を少なくするテクニックなのである。

 最近ではトムラウシ・ツアー登山の遭難が風に吹かれた低体温遭難だったようだ。

 強風で、少しでも寒さを感じたら、必ず、防風ヤッケ(雨具でもよい)を着ること。肌着は登山用か純毛薄手セーターを着ること。

 汗や雨に濡れて肌着の保温性が落ちたなら、純毛セーターを直接肌に着込むこと。純毛セーターは最後の命の綱である。どんなハイキングでも持参すること。

 雨中登山では、稜線に出ると凄まじい強風に遭って、とてもじゃないが、着替えなど不可能なことが多い。

 だから稜線に出る前に、藪の中で状況を予測して、先に着替えや着重ねを済ませること。

 冬山は、同じ山であっても、他のシーズンとは基本的に別世界だと思う必要がある。
 私は若い頃から鈴鹿の鈴北岳・御池岳をトレーニング場所にしていて鞍掛峠などから百回以上も登っているが、慣れきって地図も持参しないで、すべて知っているつもりでいた。

 ところが、ある冬、もの凄い暴風雪のときに登って、ホワイトアウトという現象に出くわした。これは降雪と薄い太陽光により、雪と空間の境目が認識できなくなる現象である。

 このとき、隅から隅まで知り抜いているはずの鈴北の地形が、今どこにいるのか、まったく分からなくなった。積雪で地形も変わり、自分が歩いている場所が尾根なのか、いつものルートなのかも完全に見失い、彷徨する羽目になった。

 このとき冬山が、どれほど恐ろしい魔物であるのか思い知らされることになった。
 ゲレンデとして百回も通っている地形でさえ、まったく理解できなくなる。

 1000m前後の低山でさえ、そんな現象が起きる。まして3000mの世界は凄い。
 正月に、吹雪の中で立派な登山道や標識のある間ノ岳から北岳に向かう尾根が、どうしても発見できなかったことがある。1時間も彷徨い、奇跡的に北岳への稜線が見えて助かった。

 冬山をなめてはいけない。数千回の登山経験があっても、見るも無惨に打ちのめされることがあるのだ。

 迷ったとき、行き先を確かめるのは、地図とコンパス、それに踏み跡や視界などだが、位置を確認するのに、一つや二つではダメで、高度計やGPS、無線機など、少なくとも五つくらいのアイテムを用意しておきたい。

 そして冷静に、自分を信じ、普段から訓練している自分は、必ず助かると確信して、自信をもって臨むのでなければ、冬山は地獄であり、命を奪いにくる魔物でしかない。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/556.html

[近代史3] 東海アマ 山の歩き方 中川隆
1. 中川隆[-8864] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:37:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3850]

東海アマのブログ 続 山の歩き方 2010年01月08日

 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。

 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」

 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。

 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。

 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。

 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。

 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」

 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。

 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。

 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。

 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?

 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。

 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。

 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。

 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。

 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。

 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。

 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。


 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。

 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。

 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。

 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。

 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。

 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。

 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。

 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。

 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。

 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。

 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。

 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。

 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。

 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。

 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。

 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。

 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/556.html#c1

[近代史3] 東海アマ 山の歩き方 中川隆
2. 中川隆[-8863] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:41:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3851]

東海アマブログ 山の歩き方 その32019年07月24日 (水) 16:16
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html


 
 数年前に「山の歩き方」を、続編とともに掲載した。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html

 それから病気で肺機能が衰えたせいで、大きな山には行けなくなったのだが、今でも、毎日1時間以上の山林歩行を欠かさないでいる。

 長い山歩きの経験をブログにしておけば、これから山歩きを始める人に、少しは役に立つかも知れないと考え、その3を書いておきたいと思った。

 若い頃から、ずいぶんたくさんの山を歩いてきたが、この時期(7月8月)は、なんといっても沢登りに夢中になった。

 かつては、鈴鹿や日本アルプスの沢を毎週、全身ずぶ濡れになって登り歩いていた。

 中央アルプスの沢に単独で入って、瀧で滑落して数カ所を骨折しながら這うように逃げ帰ってきたこともある。

 北海道の山、とりわけ日高山地では、登山道が沢道であることが多く、どこに行っても沢登りを強いられる。

 しかし、夏場の沢登りでは、さまざまな危険が待ち受けている。

 どんな危険があるのか? 最大の危険は、滑って岩場で転倒することである。

 沢にはコケがつきもので、足下の岩場がヌルヌルになっている沢も多い。

 このヌルで滑らないようにするには、私が一番一生懸命登ったのは、今から40年くらい前なのだが、1980年代までは、ワラジが主流だった。

 当時の価格は、一双で300円くらいだったと思う。今は700円くらいしてるようだ。
 
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 裸足に直にワラジをつけるのは、刺激が強いので、必ず地下足袋を履いてから装着した。農業用厚底足袋なら、そのまま山歩きをすることもできた。

 ワラジの滑り止め効果は非常に高いものだが、縦には強いが横滑りには弱かった。それは見てのとおり、繊維が横に走っているためだ。

 1980年代の半ばあたりから、釣り用のフェルト足袋が開発されて普及した。これはワラジほどの効果はないが、縦横ともに滑り止めになり、藁紐が切れる心配もなく、使いやすかった。

 ワラジが一回限りの使い捨てであるのに対し、フェルト足袋は数十回も使うことができた。だから3000円程度でも十分元はとれる。

 yamaaruki2.jpg
 

 そのうち、長靴フェルト底とか、短靴フェルト底とか、たくさんの種類が開発されて、今でも、滑りやすい沢道で多用されている。

 実は、このフェルト底、アイゼンが必要な凍結坂道でも滑り止めに使えるのだ。もちろんアイゼンほどの効果はないが、滑りにくくなるのは確かだ。

 私は、冬の低山で、アイゼンを持参しなかったときは、靴の上から純毛の靴下を履いて滑り止めに使った。

 これは山歩きの知恵として覚えても損はない。

 なお、長時間歩行を必要とする登山では、必ず複数の履き物を用意する必要がある。

 もちろんゴツイ登山靴を予備に持つのはアホらしいので軽量靴だが、地下足袋やフェルト足袋を予備靴として選択するのも悪くない。

 山では、予期しない靴擦れや、ゴム底の剥離なども珍しくなく、北海道のように沢ルートが多いと、予備靴がないと困ることも多い。

 沢登りの危険としては、滑り事故の次に、滝の直登における滑落事故だが、よくあるのは、いい加減に打ち込まれたハーケンを掴んですっぽ抜けで落下する事故である。

 滝のハーケンは絶対に信用してはいけない。岩場のハーケンのように丁寧には打ち込んでいないからだ。

 滝登りで事故を起こさないようにするためには、訓練によってフリークライミングの技量を上げるしかない。ハーケンが抜けたとき、掴んでる石が落下したとき、次にどうするという次善策を、いつでも考えながら 登らなければならない。

 フリークライミングの訓練をしないまま、危険な沢の直登をするのは自殺行為である。必ず、納得のゆくまで基礎的な岩登り訓練を行ってから沢に向かっていただきたい。

 私自身の滑落事故も、クライミングの技量が未熟なうちにアルプスの沢に入るという無謀行為を行ったせいだった。

 岩場の多い山歩きは非常に多い。有名なところでは、宝剣岳や槍穂高縦走、不帰険だが、日帰りでも秩父では普通だし、御在所や鎌ガ岳でもキレット状の危険地帯がたくさんある。

 ここで事故を起こさないために必要なことは、恐怖心を克服することである。

 高所恐怖症など、恐怖に硬直すると、実力の半分も出せなくなる。だから、自分の潜在力を出し切って岩場を乗り越えるには、まずは「怖くない、自分は絶対に落ちない」と自己暗示をかけ、全身の筋肉をリラックスさせることである。

 クライミングの上手な人は、そうした心のコントロールが上手な人である。「こうすれば絶対に安全」と確信を持てる行動パターンを持っていれば、その範囲から逸脱しない限り、安全は保証されると自分自身で信ずればよいのだ。

 力を抜きなさい、恐怖や緊張から解放されてリラックスしなさい、こういう行動をしていれば危険はないと、信じながら無理をせずに進みなさい。

 乾徳山などの長いハシゴを登るときも、「この手が、しっかりと桟棒を掴んでいれば、絶対に落ちない」と信じていれば、問題なく通過することができる。

 この、失敗すると命に関わるような行動で、恐怖心を克服しながら、自分を信じて前進するという登山の経験は、人生のあらゆる場所で、自分を守ってくれる大切な宝物になるだろう。

 なお、どうしても高所恐怖症を克服できない人が同行メンバーにいる場合、リーダーは安全確保しなければならない。

 通常は7ミリ20mのザイルを持参し、確保者には、テープスリングを八の字にして足を通して簡易ハーネスを作り、腰にもテープを巻き、ザイルに結んで確保する。これで懸垂下降も楽々こなせる。(以下は方法が異なるが簡単なので覚えておきたい) 
https://www.youtube.com/watch?v=WAbCqTInDAo

カラビナ一個あれば、懸垂下降が可能である。
 https://www.youtube.com/watch?v=VunyYaj_H7M


 実は、山でのトラブルで、もっとも多く、重要なのは、岩場事故や熊の襲撃ではなく、虫の襲撃である。

 わけても

@ブヨ Aアブ B蛭 Cマダニ Dドクガ 

に警戒が必要だ。

 ブヨは、ありふれた虫だが、刺されると被害が大きい点では、一番警戒が必要かもしれない。

 これは昨年、10月18日に、笠置山でブヨに刺されたときのもの。
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-514.html

以下は、7月20日に、高峰湖畔でブヨに刺され、4日後の本日、撮影したもの。

 buyo1.jpg


 ブヨの被害は、刺されたときには痛いだけだが、後から激しく現れる。指先を刺されると、筆記具が使えなくなるほど腫れるし、肩まで腫れ上がることもある。

 ムヒアルファのようなステロイド剤しか効果がないが、治癒まで十日以上もかかることがある。

 ブヨが刺しにくるのは、冷涼で湿度の極めて高い日が多い。晴れて28度以上もあるときに刺されることは少ない。気温が25°以下で、雨が降ったりやんだりのときが危ない。

 ブヨは極めて環境汚染に弱く、水質が非常に良い小沢にしか繁殖できない。
 もっぱら露出した肌が狙われるが、上の写真はTシャツの下を刺された。

 ブヨを忌避するには、ハッカ油が良いといわれる。ハッカ油をエタノールで50倍くらいに薄めたものをスプレーに移して、肌に散布しておくのだが、上の写真は、ジーグフリートの木の葉のように、塗り残した、わずかな場所が狙われた。

 ハッカ油は、アブにも高い効果があり、山歩きの前にスプレーしておくと多くの虫害を防除できる。

 ただし、ヤブ蚊にはあまり効果がない。マダニや蛭、ムカデには効果が高い。私の場合、6月から10月まで、山歩きの前には、携帯用スプレーに入れたハッカ油スプレーをたっぷり、全身にかけておく。一回かければ二時間程度は効くが、薄いと1時間もたないこともある。

 腐らないので、400CC瓶を購入しておけば、たっぷり長く使える。
 
yamaaruki3.jpg

 蛭は、奥駿河・遠州・鈴鹿のように極端に繁殖している場所では、行けば必ずやられるほどで、とりわけ雨の日、高湿度の日には警戒が必要だ。

 蛭を伝播するのは鹿なので、鹿が多い山、鹿の食害によりアセビが増えている山では、特にひどい。鹿がいれば蛭がいると思った方がいい。

 市販の蛭避け剤は高価なので、昔からの知恵として、山に入る前に、膝下に灯油をかけたり、塩やクエン酸をかける人もいるが、金属部品が錆びてしまう。

 やはりハッカ油スプレーに強い忌避効果がある。私は一度に100匹近くも貼り付かれたことがあるが、血を吸われた痕の治癒に一ヶ月以上を要した。

 なお、遠州・駿河の山では蛭が木の上から降ってくる。だから首や肩にも散布する必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html

  https://yamahack.com/220

 吸われた直後の対策としては、蛭の溶血酵素を洗い流しておくのが良い。

 以下の携帯洗浄機は、お尻用のものだが、私はザックの備品として、さまざまに使っている。
 https://item.rakuten.co.jp/apade/yew350/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868

 野糞(お花摘み)のとき、本当に清潔で便利だし、これで目を洗浄したり、虫刺されや、蛭害を洗浄するのに極めて有効。圧力が出るので、傷口に吹きかければ蛭毒を洗い流すこともできる。もう手放すことはできない。

 ただし、アブやブヨに刺された場合、ポイズンリムーバのような吸い取り器が必要になる。これも必需品といってよいだろう。
 https://sakidori.co/article/101872

 なお、女性用の密度の高いストッキングは、蛭の口器が入らないといわれる。私もハッカ油スプレーを、ビタビタにかけて愛用している。

 マダニは、わが東濃地方には、とても多く、私は恵那山で噛みつかれた。笠置山の山上休憩所にも出ている。
 https://www.hohto.co.jp/pmpnews/pmp370_2/

 私は家に帰ってから膝下に潜り込んでる黒い物体に気づいたのだが、マダニと知ってウイスキーをたっぷり流して、数分後にピンセットで除去できた。高濃度のアルコールに対して、マダニは食いつく力を失うようだ。

 放置するとライム病などの致死率の高い病気にかかることがあるので、早めにエタノールなどを使って自分で除去すべきだと思う。
 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/22-%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E4%B8%AD%E6%AF%92/%E5%88%BA%E5%92%AC%E7%97%87/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B%E5%92%AC%E5%82%B7

 ドクガの被害は、南アルプスの黒法師山の帰路で起きた。

 最初は、腕に強い痛みを感じたが、みるみるまだら状に赤く腫れて、治癒に一か月程度もかかった。
 http://www.city.kawasaki.jp/350/cmsfiles/contents/0000006/6005/dokuga.pdf

 これはツバキ科につく毒虫で、山の中では、ドクガが体に触れただけでひどい目に遭う。我が家でもチャドクガが出て、原因となるサザンカの木を見つけて、焼き払うまで被害が続いた。

 なお毒素は43度の湯に5分浸かれば解毒されるようだ。炎症を起こしてる部位だけでもいい。

 以上、自分が被害を受けた経験のあるものばかりを並べたが、襲われた経験のないことまで書いておく必要があるものがある。

 それは熊だ。

 中津川市は、中央アルプス恵那山が市街地に隣接していて、熊が頻繁に出没する地域だ。今年に入って、2回、近所の高山大橋の上の雑木林で見かけた。

 また笠置山山頂付近や、高峰山鎮之峠にも出没している痕跡を見つけた。去年は、我が家の裏山に出没していた。恵那神社では、最近、釣り人が襲われて大怪我をしている。

 襲われた経験がないのに申し訳ないが、これだけ熊が増えると、山登りに熊避けは必需品になったと思う。

 私の場合は、ザックにハンドベルを結びつけて、歩きながら自然に鳴るようにしている。
 
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 柄の部分に穴を開けてナイロン紐でザックに垂らしておくと、歩く刺激で自然に鳴っている。なお、ラジオやガラガラ鈴は、効果が乏しく、なるべく高音の鈴が良いそうだ。

 カーマでは山菜キノコ採取用に千円程度で販売されている。

 以前は、カウンターアソールトという熊専用スプレーを携帯していたが、1万円近い高価だし、自然に漏れて、ひどいことになるので使うのをやめた。

 代わりに爆竹をザックに忍ばせていて、糞を見つけると点火できるようにしている。

 また、危ないと感じるとき、ダブルストックを持参し、現れたら突いてやろうと思っている。

 熊は、年間を通じて定まった行動パターンがあり、好物であるタケノコや栗や柿などの果樹園近くに潜んでいることが多い。食物の縄張り意識があると、持ち主が採取したとき、自分の食物を横取りされたと思い込んで怒り狂って襲うことがあるようだ。

 以前、高山の展示民家を訪れたとき、果樹園の持ち主が、そのようにして殺害された話を詳しく聞いた。

 笠置山では、山頂付近のブナ林の実が落ちているときと、木イチゴなどの果物が出ているとき、よく徘徊していて、6月頃が危ない。真っ黒で、未消化物の含まれたベチャ糞が点々と落ちているときなど熊がいると思った方がいい。

 こちらが金属音を立てているときに襲ってくることは滅多にないようだ。
 糞が新しければ、必ず近くにいると思うべきで、すぐに爆竹を鳴らした方がいい。

 イノシシは、最近、あまりにも多すぎて、空気のように存在を忘れてしまうほどだ。

 我が家の周りや散歩先にも大量に生息している。今日も出会ったばかりだ。

 特徴は、ミミズを探すための掘り返しが登山道脇に広く見られることで、掘り返した土の新しさと気配の音で、近くにいることを知る。

 やは鈴が有効だと思う。近所にいれば爆竹を鳴らしておけばよい。

 また気づいたことがあれば、「山の歩き方 その4」を書きたいと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/556.html#c2

[リバイバル3] 急増する山岳遭難 中川隆
5. 中川隆[-8862] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:43:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3852]
東海アマのブログ 山の歩き方
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html


十数年前から痛風発作を繰り返すようになり、足の関節が変形して古い登山靴が履けなくなったりして、昔のように自由な山歩きができなくなったが、25〜40歳くらいまでは年間50回以上のペースで山歩きを続けていた。

 20歳頃から意識した日本百名山は前世紀の90年頃、とりあえず完全踏破することができた。(噴火立入規制などで山頂を踏んでいない山がいくつかあるが)
 今は友人などとともに二巡目の百名山ハイキングを楽しんでいる。

 通算では40年ほどの登山歴ということになり、まだ死んでいないところをみると、おそらく自分の山歩きが間違っていなかったように思っている。

 そこで今回は、おこがましいながら、私なりの山歩きの知恵をブログに書き残しておきたい。

 このところ冬山登山の遭難ニュースが非常に多いので、ハイキング気分で冬山に入るような甘い考えの人たちに警告を書かねばとも思っていた。

 私は若い頃から道に興味があり、登山道についても数千回の経験から、それが、どのように変遷するのか、ある程度理解することができたと思う。

 そこで、「登山道」の成り立ちについて私なりの考えを書いてみたい。

 山の主は基本的に人間ではない。それは獣たちである。人間は、獣たちの道を借りながら登山道を造り出すのである。だから、ほとんどの山で、登山道の原型は「獣道」であることを知っておかねばならない。

 山では、人道と獣道が無数に交差している。有名山岳では、しっかりした登山道が造られ、まず迷うことも少ないが、無名の藪山では、人道と獣道の区別はないと思う必要があり、その見分け方を叩き込んでおかねばならない。

 獣たちだって、通過の大変な藪漕ぎなんかしたくない。だから、山の中では一番歩きやすい場所を歩くことになり、そこに道ができる。

 ただし、人間ほど背の高い獣は希なので、おおむね狸や狐、イノシシや熊などの背丈に合わせた道ができあがることに注意が必要だ。

 すなわち、獣道と人間道を見分ける原則は、その高さにある。多くの場合、踏み跡だけでは見分けがつきにくいが、獣道は、すぐに人間が通るのが困難な腹より高い位置の枝葉や藪が出てくるから分かる。顔に枝葉が当たるような道は獣道である。

 それに人の道よりも歩幅が狭いし、多くの獣は人より軽いので人道ほど踏み固められていない。そこで、紛らわしい踏み跡があったとき、踏み込んでみれば獣道は柔らかく、人道は固いものだ。

 獣道は生活道路だ。餌場と水飲み場、寝場所を行き交うために踏みつけられる。
 獣たちがもっとも多く通う道は水飲みの道で、したがって沢筋に踏み跡が多く、これを利用するために人道も沢筋が第一になる。

 山の道は基本的に沢筋である。人が山菜採り、炭焼き、木材運搬などに利用するのも9割以上が沢筋である。しかし日本の沢には多くの滝があり、急峻危険なため、大滝やゴルジュ(水流に掘られた洞窟状水路)などで迂回路や他の安全な沢筋に移るトラバースルートが成立することになる。

 「沢筋に危険箇所が出てくると避難路がつけられる」これも覚えておく必要がある。

 次に、テリトリー拡大のため獣の峠越えルートもある。獣だって一番安全なルートを探すから、人様の峠道も獣道を利用することが多い。

 最後に、藪の多い道よりも歩きやすく、かつ外敵に遭遇したとき、いち早く逃げられる視界良好なルートということで尾根筋が利用される。もっとも、尾根筋に関してだけは、獣よりも人間の利用がはるかに多い。

 それは、一番高い場所で見晴らしが良いので、里などとの位置関係を確認できるからであり、尾根道というものは動物よりも人間が、より多く利用するものである。

 だから、尾根道は下界集落にまでつながっている場合が多く、山で迷ったときは、決していきなり沢筋に降りず、最初に尾根に登り、道を確認してから人間様ルートを利用して下界に向かうのが遭難しない大切なコツである。

 迷うと喉が渇くから沢に降りたくなり、そのまま人里につながっていると安易に想像してしまうが、決してそうではない。日本の沢は滝の連続であり、沢を下るのは危険に満ちている。

 冬山遭難以外の大半は、迷って沢に迷い込み、そのまま下って滝で滑って負傷・死亡するというケースである。

 ちなみに、獣たちは尾根道のてっぺんを歩くことは少なく、笹や藪の少ない北側の斜面の尾根より5〜20mほど下側に尾根に沿った獣道があることが多い。ベテラン猟師たちは、この道を使って猟を行う。

 歩きにくい笹藪が繁茂するのは南側の日当たりの良い場所で、北側の風雪に晒される場所は植生が悪く、逆に歩きやすいものだ。

 尾根のてっぺんにつけられた踏み跡は人間様のものであることが多い。日本中の尾根で、人道の皆無というルートは希で、そんなとき、その尾根は断崖絶壁に消えると覚悟すべきだ。

 山の道は、1・沢筋 2・尾根筋 3・峠道 4・滝・ゴルジュ迂回路 5・トラバース というように整理して覚えよう。今歩いている踏み跡は、獣道か人道か? 沢か尾根かトラバースか? などと、その属性を考え、記憶しながら歩けば、まず迷うことは少ない。

 最近は、わかりにくい場所に赤テープなどをつけても「クリーン作戦」などと余計なお節介の環境美化運動で剥がされてしまうことも多いが、迷いやすい藪山で、目印をつけるのは登山の大切な基本テクニックである。

 赤テープがダメなら、昔のようにナタで目印をつけよう。下山時の目標であるから、必ず上から降りてくるときに見えるよう人間の目の位置の皮を剥ぐ。これは自分の記号であるから、独特の分かりやすい形にする。

 マタギは目印に数十種類の共有暗号を含ませていた。形を見れば、この道が持つ情報が分かる仕組みになっていた。

 木を傷つけるのも良心が咎めるが、迷わないよう帰路を確認し、命を守る方が大事だ。必要もないのに、むやみに傷つけるのはもってのほかだが、安全のために、ためらってはいけない。

 最近は、警察検問で、車にナタやナイフが置いてあると逮捕されるらしい。必ず登山ザックに入れて、「理由なき所持」にならないように工夫する必要がある。

 私が山で目印をつけているとき、たまたま見ていた人から「自然破壊」と糾弾されたこともあった。山も難しくなったものだ。

 十分な標識が設置されているなら別だが、藪山でテープもアカン、目印もアカンじゃ困る。冬山では細い赤布をたくさん持参し、頭より高い位置の枝に縛りながら行く。一晩で2mも積もることもあり、低い位置では雪に埋もれてしまうことがある。木のない場所では、細い竹などを刺して結ぶことになる。

 結び目の作り方で、どちらが上下か分かるようにする。帰路、回収するのが常識なようだ。もちろん上から見る下山標識であることを忘れずに。

 次に、歩き方のコツを伝授する。

 歩き始めは、必ずゆっくり、最初の30分は持てる実力の三分の一しか使ってはいけない。これが準備運動だ。次の30分は二分の一の力でゆっくり歩き、十分に休んでお茶や菓子を飲食し、いよいよ本番だ。

 準備運動をしないで、いきなりハイペースで歩くと、必ずバテることになる。そんな人たちは結局、上の方で息が切れて苦しくなり、我々カメさんに追い抜かれてしまい、山歩きが楽しいものではなくなってしまう。

 1時間歩いてから、実力の8分目を出して山頂に向かう。休憩はおおむね1時間に5分程度。ほとんどの人が同じように休憩するので、有名山岳では、その位置に休憩所のような場所ができていることが多い。

 決して休みすぎてはいけない。軽く息を整える程度で、できるだけお菓子などを飲食しよう。糖尿病になりそうな甘いジュースも山ではOKだ。

 疲れてきたら、休むのではなく、「ゆっくり歩く」ことを心がける。休んでしまうと疲労が吹き出し、ますますバテることになる。

 飲食しながら、ゆっくり歩いていれば、疲れは消えてゆく。老人だって、若者のように早く歩けないが、ゆっくり山頂に着くことができる。体力のない人だって、ゆっくり歩けば、高体力の人と同じように楽しめる。

 最近、経験不足の中高年による遭難事故が多発しているが、最大の問題点は、「自分を知らないこと」である。

 自分を実力以上に過剰に評価するクセのある人は遭難しやすい。自分の実力に対して謙虚な姿勢が必要だ。

 山は大変なスポーツだ。準備があれば、困難を克服できる。装備を準備するだけではダメだ。体力・精神力を準備しなければならない。

 最初から苦しい大変な山など行ってはいけない。まずは高尾山や筑波山のような山を十数回も登り、基本的な歩き方の訓練を行い。普段から2時間程度歩く訓練を重ねる必要がある。

 そして、体力の必要な重い登山では、必ず「ゆっくり歩く」ようにすれば大丈夫、バテこそ遭難の第一歩であることを肝に銘ぜよ。

 バテない基本テクニックは、第一にゆっくり歩くこと。第二に、頻繁に軽い飲食を行うこと。第三に、こまめに衣類を脱着することだ。

 衣類を調節して、体温を一定に保つことは、非常に重要なテクニックで、山では非日常的な体験をしているので、普段の感覚が分かりにくくなる。

 体が寒がっているのに、本人は暑いと勘違いしている場合があり、着重ねしなければならない状況下で、強風に吹かれて体温が低下し、意識が朦朧としながら、そのまま死亡することも珍しくない。

 寒いと疲労度が加速する。体が熱を作るために余分なエネルギーを浪費するからだ。だから暖かく快適にすることが疲労を少なくするテクニックなのである。

 最近ではトムラウシ・ツアー登山の遭難が風に吹かれた低体温遭難だったようだ。

 強風で、少しでも寒さを感じたら、必ず、防風ヤッケ(雨具でもよい)を着ること。肌着は登山用か純毛薄手セーターを着ること。

 汗や雨に濡れて肌着の保温性が落ちたなら、純毛セーターを直接肌に着込むこと。純毛セーターは最後の命の綱である。どんなハイキングでも持参すること。

 雨中登山では、稜線に出ると凄まじい強風に遭って、とてもじゃないが、着替えなど不可能なことが多い。

 だから稜線に出る前に、藪の中で状況を予測して、先に着替えや着重ねを済ませること。

 冬山は、同じ山であっても、他のシーズンとは基本的に別世界だと思う必要がある。
 私は若い頃から鈴鹿の鈴北岳・御池岳をトレーニング場所にしていて鞍掛峠などから百回以上も登っているが、慣れきって地図も持参しないで、すべて知っているつもりでいた。

 ところが、ある冬、もの凄い暴風雪のときに登って、ホワイトアウトという現象に出くわした。これは降雪と薄い太陽光により、雪と空間の境目が認識できなくなる現象である。

 このとき、隅から隅まで知り抜いているはずの鈴北の地形が、今どこにいるのか、まったく分からなくなった。積雪で地形も変わり、自分が歩いている場所が尾根なのか、いつものルートなのかも完全に見失い、彷徨する羽目になった。

 このとき冬山が、どれほど恐ろしい魔物であるのか思い知らされることになった。
 ゲレンデとして百回も通っている地形でさえ、まったく理解できなくなる。

 1000m前後の低山でさえ、そんな現象が起きる。まして3000mの世界は凄い。
 正月に、吹雪の中で立派な登山道や標識のある間ノ岳から北岳に向かう尾根が、どうしても発見できなかったことがある。1時間も彷徨い、奇跡的に北岳への稜線が見えて助かった。

 冬山をなめてはいけない。数千回の登山経験があっても、見るも無惨に打ちのめされることがあるのだ。

 迷ったとき、行き先を確かめるのは、地図とコンパス、それに踏み跡や視界などだが、位置を確認するのに、一つや二つではダメで、高度計やGPS、無線機など、少なくとも五つくらいのアイテムを用意しておきたい。

 そして冷静に、自分を信じ、普段から訓練している自分は、必ず助かると確信して、自信をもって臨むのでなければ、冬山は地獄であり、命を奪いにくる魔物でしかない。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html  


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東海アマのブログ 続 山の歩き方 2010年01月08日


 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。

 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」

 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。

 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。

 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。

 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。

 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」

 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。

 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。

 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。

 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?

 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。

 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。

 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。

 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。

 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。

 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。


 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。


 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。

 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。

 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。


 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。

 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。

 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。

 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。

 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。

 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。

 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。

 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。

 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。

 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。

 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。

 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。

 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。

 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html



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東海アマブログ 山の歩き方 その3 2019年07月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html

 
 数年前に「山の歩き方」を、続編とともに掲載した。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html

 それから病気で肺機能が衰えたせいで、大きな山には行けなくなったのだが、今でも、毎日1時間以上の山林歩行を欠かさないでいる。

 長い山歩きの経験をブログにしておけば、これから山歩きを始める人に、少しは役に立つかも知れないと考え、その3を書いておきたいと思った。

 若い頃から、ずいぶんたくさんの山を歩いてきたが、この時期(7月8月)は、なんといっても沢登りに夢中になった。

 かつては、鈴鹿や日本アルプスの沢を毎週、全身ずぶ濡れになって登り歩いていた。

 中央アルプスの沢に単独で入って、瀧で滑落して数カ所を骨折しながら這うように逃げ帰ってきたこともある。

 北海道の山、とりわけ日高山地では、登山道が沢道であることが多く、どこに行っても沢登りを強いられる。

 しかし、夏場の沢登りでは、さまざまな危険が待ち受けている。

 どんな危険があるのか? 最大の危険は、滑って岩場で転倒することである。

 沢にはコケがつきもので、足下の岩場がヌルヌルになっている沢も多い。

 このヌルで滑らないようにするには、私が一番一生懸命登ったのは、今から40年くらい前なのだが、1980年代までは、ワラジが主流だった。

 当時の価格は、一双で300円くらいだったと思う。今は700円くらいしてるようだ。
 
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 裸足に直にワラジをつけるのは、刺激が強いので、必ず地下足袋を履いてから装着した。農業用厚底足袋なら、そのまま山歩きをすることもできた。

 ワラジの滑り止め効果は非常に高いものだが、縦には強いが横滑りには弱かった。それは見てのとおり、繊維が横に走っているためだ。

 1980年代の半ばあたりから、釣り用のフェルト足袋が開発されて普及した。これはワラジほどの効果はないが、縦横ともに滑り止めになり、藁紐が切れる心配もなく、使いやすかった。

 ワラジが一回限りの使い捨てであるのに対し、フェルト足袋は数十回も使うことができた。だから3000円程度でも十分元はとれる。

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 そのうち、長靴フェルト底とか、短靴フェルト底とか、たくさんの種類が開発されて、今でも、滑りやすい沢道で多用されている。

 実は、このフェルト底、アイゼンが必要な凍結坂道でも滑り止めに使えるのだ。もちろんアイゼンほどの効果はないが、滑りにくくなるのは確かだ。

 私は、冬の低山で、アイゼンを持参しなかったときは、靴の上から純毛の靴下を履いて滑り止めに使った。

 これは山歩きの知恵として覚えても損はない。

 なお、長時間歩行を必要とする登山では、必ず複数の履き物を用意する必要がある。

 もちろんゴツイ登山靴を予備に持つのはアホらしいので軽量靴だが、地下足袋やフェルト足袋を予備靴として選択するのも悪くない。

 山では、予期しない靴擦れや、ゴム底の剥離なども珍しくなく、北海道のように沢ルートが多いと、予備靴がないと困ることも多い。

 沢登りの危険としては、滑り事故の次に、滝の直登における滑落事故だが、よくあるのは、いい加減に打ち込まれたハーケンを掴んですっぽ抜けで落下する事故である。

 滝のハーケンは絶対に信用してはいけない。岩場のハーケンのように丁寧には打ち込んでいないからだ。

 滝登りで事故を起こさないようにするためには、訓練によってフリークライミングの技量を上げるしかない。ハーケンが抜けたとき、掴んでる石が落下したとき、次にどうするという次善策を、いつでも考えながら 登らなければならない。

 フリークライミングの訓練をしないまま、危険な沢の直登をするのは自殺行為である。必ず、納得のゆくまで基礎的な岩登り訓練を行ってから沢に向かっていただきたい。

 私自身の滑落事故も、クライミングの技量が未熟なうちにアルプスの沢に入るという無謀行為を行ったせいだった。

 岩場の多い山歩きは非常に多い。有名なところでは、宝剣岳や槍穂高縦走、不帰険だが、日帰りでも秩父では普通だし、御在所や鎌ガ岳でもキレット状の危険地帯がたくさんある。

 ここで事故を起こさないために必要なことは、恐怖心を克服することである。

 高所恐怖症など、恐怖に硬直すると、実力の半分も出せなくなる。だから、自分の潜在力を出し切って岩場を乗り越えるには、まずは「怖くない、自分は絶対に落ちない」と自己暗示をかけ、全身の筋肉をリラックスさせることである。

 クライミングの上手な人は、そうした心のコントロールが上手な人である。「こうすれば絶対に安全」と確信を持てる行動パターンを持っていれば、その範囲から逸脱しない限り、安全は保証されると自分自身で信ずればよいのだ。

 力を抜きなさい、恐怖や緊張から解放されてリラックスしなさい、こういう行動をしていれば危険はないと、信じながら無理をせずに進みなさい。

 乾徳山などの長いハシゴを登るときも、「この手が、しっかりと桟棒を掴んでいれば、絶対に落ちない」と信じていれば、問題なく通過することができる。

 この、失敗すると命に関わるような行動で、恐怖心を克服しながら、自分を信じて前進するという登山の経験は、人生のあらゆる場所で、自分を守ってくれる大切な宝物になるだろう。

 なお、どうしても高所恐怖症を克服できない人が同行メンバーにいる場合、リーダーは安全確保しなければならない。

 通常は7ミリ20mのザイルを持参し、確保者には、テープスリングを八の字にして足を通して簡易ハーネスを作り、腰にもテープを巻き、ザイルに結んで確保する。これで懸垂下降も楽々こなせる。(以下は方法が異なるが簡単なので覚えておきたい) 
https://www.youtube.com/watch?v=WAbCqTInDAo

カラビナ一個あれば、懸垂下降が可能である。
 https://www.youtube.com/watch?v=VunyYaj_H7M


 実は、山でのトラブルで、もっとも多く、重要なのは、岩場事故や熊の襲撃ではなく、虫の襲撃である。

 わけても

@ブヨ Aアブ B蛭 Cマダニ Dドクガ 

に警戒が必要だ。

 ブヨは、ありふれた虫だが、刺されると被害が大きい点では、一番警戒が必要かもしれない。

 これは昨年、10月18日に、笠置山でブヨに刺されたときのもの。
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-514.html

以下は、7月20日に、高峰湖畔でブヨに刺され、4日後の本日、撮影したもの。

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 ブヨの被害は、刺されたときには痛いだけだが、後から激しく現れる。指先を刺されると、筆記具が使えなくなるほど腫れるし、肩まで腫れ上がることもある。

 ムヒアルファのようなステロイド剤しか効果がないが、治癒まで十日以上もかかることがある。

 ブヨが刺しにくるのは、冷涼で湿度の極めて高い日が多い。晴れて28度以上もあるときに刺されることは少ない。気温が25°以下で、雨が降ったりやんだりのときが危ない。

 ブヨは極めて環境汚染に弱く、水質が非常に良い小沢にしか繁殖できない。
 もっぱら露出した肌が狙われるが、上の写真はTシャツの下を刺された。

 ブヨを忌避するには、ハッカ油が良いといわれる。ハッカ油をエタノールで50倍くらいに薄めたものをスプレーに移して、肌に散布しておくのだが、上の写真は、ジーグフリートの木の葉のように、塗り残した、わずかな場所が狙われた。

 ハッカ油は、アブにも高い効果があり、山歩きの前にスプレーしておくと多くの虫害を防除できる。

 ただし、ヤブ蚊にはあまり効果がない。マダニや蛭、ムカデには効果が高い。私の場合、6月から10月まで、山歩きの前には、携帯用スプレーに入れたハッカ油スプレーをたっぷり、全身にかけておく。一回かければ二時間程度は効くが、薄いと1時間もたないこともある。

 腐らないので、400CC瓶を購入しておけば、たっぷり長く使える。
 
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 蛭は、奥駿河・遠州・鈴鹿のように極端に繁殖している場所では、行けば必ずやられるほどで、とりわけ雨の日、高湿度の日には警戒が必要だ。

 蛭を伝播するのは鹿なので、鹿が多い山、鹿の食害によりアセビが増えている山では、特にひどい。鹿がいれば蛭がいると思った方がいい。

 市販の蛭避け剤は高価なので、昔からの知恵として、山に入る前に、膝下に灯油をかけたり、塩やクエン酸をかける人もいるが、金属部品が錆びてしまう。

 やはりハッカ油スプレーに強い忌避効果がある。私は一度に100匹近くも貼り付かれたことがあるが、血を吸われた痕の治癒に一ヶ月以上を要した。

 なお、遠州・駿河の山では蛭が木の上から降ってくる。だから首や肩にも散布する必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html

  https://yamahack.com/220

 吸われた直後の対策としては、蛭の溶血酵素を洗い流しておくのが良い。

 以下の携帯洗浄機は、お尻用のものだが、私はザックの備品として、さまざまに使っている。
 https://item.rakuten.co.jp/apade/yew350/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868

 野糞(お花摘み)のとき、本当に清潔で便利だし、これで目を洗浄したり、虫刺されや、蛭害を洗浄するのに極めて有効。圧力が出るので、傷口に吹きかければ蛭毒を洗い流すこともできる。もう手放すことはできない。

 ただし、アブやブヨに刺された場合、ポイズンリムーバのような吸い取り器が必要になる。これも必需品といってよいだろう。
 https://sakidori.co/article/101872

 なお、女性用の密度の高いストッキングは、蛭の口器が入らないといわれる。私もハッカ油スプレーを、ビタビタにかけて愛用している。

 マダニは、わが東濃地方には、とても多く、私は恵那山で噛みつかれた。笠置山の山上休憩所にも出ている。
 https://www.hohto.co.jp/pmpnews/pmp370_2/

 私は家に帰ってから膝下に潜り込んでる黒い物体に気づいたのだが、マダニと知ってウイスキーをたっぷり流して、数分後にピンセットで除去できた。高濃度のアルコールに対して、マダニは食いつく力を失うようだ。

 放置するとライム病などの致死率の高い病気にかかることがあるので、早めにエタノールなどを使って自分で除去すべきだと思う。
 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/22-%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E4%B8%AD%E6%AF%92/%E5%88%BA%E5%92%AC%E7%97%87/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B%E5%92%AC%E5%82%B7

 ドクガの被害は、南アルプスの黒法師山の帰路で起きた。

 最初は、腕に強い痛みを感じたが、みるみるまだら状に赤く腫れて、治癒に一か月程度もかかった。
 http://www.city.kawasaki.jp/350/cmsfiles/contents/0000006/6005/dokuga.pdf

 これはツバキ科につく毒虫で、山の中では、ドクガが体に触れただけでひどい目に遭う。我が家でもチャドクガが出て、原因となるサザンカの木を見つけて、焼き払うまで被害が続いた。

 なお毒素は43度の湯に5分浸かれば解毒されるようだ。炎症を起こしてる部位だけでもいい。

 以上、自分が被害を受けた経験のあるものばかりを並べたが、襲われた経験のないことまで書いておく必要があるものがある。

 それは熊だ。

 中津川市は、中央アルプス恵那山が市街地に隣接していて、熊が頻繁に出没する地域だ。今年に入って、2回、近所の高山大橋の上の雑木林で見かけた。

 また笠置山山頂付近や、高峰山鎮之峠にも出没している痕跡を見つけた。去年は、我が家の裏山に出没していた。恵那神社では、最近、釣り人が襲われて大怪我をしている。

 襲われた経験がないのに申し訳ないが、これだけ熊が増えると、山登りに熊避けは必需品になったと思う。

 私の場合は、ザックにハンドベルを結びつけて、歩きながら自然に鳴るようにしている。
 
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 柄の部分に穴を開けてナイロン紐でザックに垂らしておくと、歩く刺激で自然に鳴っている。なお、ラジオやガラガラ鈴は、効果が乏しく、なるべく高音の鈴が良いそうだ。

 カーマでは山菜キノコ採取用に千円程度で販売されている。

 以前は、カウンターアソールトという熊専用スプレーを携帯していたが、1万円近い高価だし、自然に漏れて、ひどいことになるので使うのをやめた。

 代わりに爆竹をザックに忍ばせていて、糞を見つけると点火できるようにしている。

 また、危ないと感じるとき、ダブルストックを持参し、現れたら突いてやろうと思っている。

 熊は、年間を通じて定まった行動パターンがあり、好物であるタケノコや栗や柿などの果樹園近くに潜んでいることが多い。食物の縄張り意識があると、持ち主が採取したとき、自分の食物を横取りされたと思い込んで怒り狂って襲うことがあるようだ。

 以前、高山の展示民家を訪れたとき、果樹園の持ち主が、そのようにして殺害された話を詳しく聞いた。

 笠置山では、山頂付近のブナ林の実が落ちているときと、木イチゴなどの果物が出ているとき、よく徘徊していて、6月頃が危ない。真っ黒で、未消化物の含まれたベチャ糞が点々と落ちているときなど熊がいると思った方がいい。

 こちらが金属音を立てているときに襲ってくることは滅多にないようだ。
 糞が新しければ、必ず近くにいると思うべきで、すぐに爆竹を鳴らした方がいい。

 イノシシは、最近、あまりにも多すぎて、空気のように存在を忘れてしまうほどだ。

 我が家の周りや散歩先にも大量に生息している。今日も出会ったばかりだ。

 特徴は、ミミズを探すための掘り返しが登山道脇に広く見られることで、掘り返した土の新しさと気配の音で、近くにいることを知る。

 やは鈴が有効だと思う。近所にいれば爆竹を鳴らしておけばよい。

 また気づいたことがあれば、「山の歩き方 その4」を書きたいと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/792.html#c5

[番外地6] 山の危険 _ 迷っているときは沢に下りてはいけません(絶対に!) 中川隆
43. 中川隆[-8861] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:44:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3853]
東海アマのブログ 山の歩き方
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html


十数年前から痛風発作を繰り返すようになり、足の関節が変形して古い登山靴が履けなくなったりして、昔のように自由な山歩きができなくなったが、25〜40歳くらいまでは年間50回以上のペースで山歩きを続けていた。

 20歳頃から意識した日本百名山は前世紀の90年頃、とりあえず完全踏破することができた。(噴火立入規制などで山頂を踏んでいない山がいくつかあるが)
 今は友人などとともに二巡目の百名山ハイキングを楽しんでいる。

 通算では40年ほどの登山歴ということになり、まだ死んでいないところをみると、おそらく自分の山歩きが間違っていなかったように思っている。

 そこで今回は、おこがましいながら、私なりの山歩きの知恵をブログに書き残しておきたい。

 このところ冬山登山の遭難ニュースが非常に多いので、ハイキング気分で冬山に入るような甘い考えの人たちに警告を書かねばとも思っていた。

 私は若い頃から道に興味があり、登山道についても数千回の経験から、それが、どのように変遷するのか、ある程度理解することができたと思う。

 そこで、「登山道」の成り立ちについて私なりの考えを書いてみたい。

 山の主は基本的に人間ではない。それは獣たちである。人間は、獣たちの道を借りながら登山道を造り出すのである。だから、ほとんどの山で、登山道の原型は「獣道」であることを知っておかねばならない。

 山では、人道と獣道が無数に交差している。有名山岳では、しっかりした登山道が造られ、まず迷うことも少ないが、無名の藪山では、人道と獣道の区別はないと思う必要があり、その見分け方を叩き込んでおかねばならない。

 獣たちだって、通過の大変な藪漕ぎなんかしたくない。だから、山の中では一番歩きやすい場所を歩くことになり、そこに道ができる。

 ただし、人間ほど背の高い獣は希なので、おおむね狸や狐、イノシシや熊などの背丈に合わせた道ができあがることに注意が必要だ。

 すなわち、獣道と人間道を見分ける原則は、その高さにある。多くの場合、踏み跡だけでは見分けがつきにくいが、獣道は、すぐに人間が通るのが困難な腹より高い位置の枝葉や藪が出てくるから分かる。顔に枝葉が当たるような道は獣道である。

 それに人の道よりも歩幅が狭いし、多くの獣は人より軽いので人道ほど踏み固められていない。そこで、紛らわしい踏み跡があったとき、踏み込んでみれば獣道は柔らかく、人道は固いものだ。

 獣道は生活道路だ。餌場と水飲み場、寝場所を行き交うために踏みつけられる。
 獣たちがもっとも多く通う道は水飲みの道で、したがって沢筋に踏み跡が多く、これを利用するために人道も沢筋が第一になる。

 山の道は基本的に沢筋である。人が山菜採り、炭焼き、木材運搬などに利用するのも9割以上が沢筋である。しかし日本の沢には多くの滝があり、急峻危険なため、大滝やゴルジュ(水流に掘られた洞窟状水路)などで迂回路や他の安全な沢筋に移るトラバースルートが成立することになる。

 「沢筋に危険箇所が出てくると避難路がつけられる」これも覚えておく必要がある。

 次に、テリトリー拡大のため獣の峠越えルートもある。獣だって一番安全なルートを探すから、人様の峠道も獣道を利用することが多い。

 最後に、藪の多い道よりも歩きやすく、かつ外敵に遭遇したとき、いち早く逃げられる視界良好なルートということで尾根筋が利用される。もっとも、尾根筋に関してだけは、獣よりも人間の利用がはるかに多い。

 それは、一番高い場所で見晴らしが良いので、里などとの位置関係を確認できるからであり、尾根道というものは動物よりも人間が、より多く利用するものである。

 だから、尾根道は下界集落にまでつながっている場合が多く、山で迷ったときは、決していきなり沢筋に降りず、最初に尾根に登り、道を確認してから人間様ルートを利用して下界に向かうのが遭難しない大切なコツである。

 迷うと喉が渇くから沢に降りたくなり、そのまま人里につながっていると安易に想像してしまうが、決してそうではない。日本の沢は滝の連続であり、沢を下るのは危険に満ちている。

 冬山遭難以外の大半は、迷って沢に迷い込み、そのまま下って滝で滑って負傷・死亡するというケースである。

 ちなみに、獣たちは尾根道のてっぺんを歩くことは少なく、笹や藪の少ない北側の斜面の尾根より5〜20mほど下側に尾根に沿った獣道があることが多い。ベテラン猟師たちは、この道を使って猟を行う。

 歩きにくい笹藪が繁茂するのは南側の日当たりの良い場所で、北側の風雪に晒される場所は植生が悪く、逆に歩きやすいものだ。

 尾根のてっぺんにつけられた踏み跡は人間様のものであることが多い。日本中の尾根で、人道の皆無というルートは希で、そんなとき、その尾根は断崖絶壁に消えると覚悟すべきだ。

 山の道は、1・沢筋 2・尾根筋 3・峠道 4・滝・ゴルジュ迂回路 5・トラバース というように整理して覚えよう。今歩いている踏み跡は、獣道か人道か? 沢か尾根かトラバースか? などと、その属性を考え、記憶しながら歩けば、まず迷うことは少ない。

 最近は、わかりにくい場所に赤テープなどをつけても「クリーン作戦」などと余計なお節介の環境美化運動で剥がされてしまうことも多いが、迷いやすい藪山で、目印をつけるのは登山の大切な基本テクニックである。

 赤テープがダメなら、昔のようにナタで目印をつけよう。下山時の目標であるから、必ず上から降りてくるときに見えるよう人間の目の位置の皮を剥ぐ。これは自分の記号であるから、独特の分かりやすい形にする。

 マタギは目印に数十種類の共有暗号を含ませていた。形を見れば、この道が持つ情報が分かる仕組みになっていた。

 木を傷つけるのも良心が咎めるが、迷わないよう帰路を確認し、命を守る方が大事だ。必要もないのに、むやみに傷つけるのはもってのほかだが、安全のために、ためらってはいけない。

 最近は、警察検問で、車にナタやナイフが置いてあると逮捕されるらしい。必ず登山ザックに入れて、「理由なき所持」にならないように工夫する必要がある。

 私が山で目印をつけているとき、たまたま見ていた人から「自然破壊」と糾弾されたこともあった。山も難しくなったものだ。

 十分な標識が設置されているなら別だが、藪山でテープもアカン、目印もアカンじゃ困る。冬山では細い赤布をたくさん持参し、頭より高い位置の枝に縛りながら行く。一晩で2mも積もることもあり、低い位置では雪に埋もれてしまうことがある。木のない場所では、細い竹などを刺して結ぶことになる。

 結び目の作り方で、どちらが上下か分かるようにする。帰路、回収するのが常識なようだ。もちろん上から見る下山標識であることを忘れずに。

 次に、歩き方のコツを伝授する。

 歩き始めは、必ずゆっくり、最初の30分は持てる実力の三分の一しか使ってはいけない。これが準備運動だ。次の30分は二分の一の力でゆっくり歩き、十分に休んでお茶や菓子を飲食し、いよいよ本番だ。

 準備運動をしないで、いきなりハイペースで歩くと、必ずバテることになる。そんな人たちは結局、上の方で息が切れて苦しくなり、我々カメさんに追い抜かれてしまい、山歩きが楽しいものではなくなってしまう。

 1時間歩いてから、実力の8分目を出して山頂に向かう。休憩はおおむね1時間に5分程度。ほとんどの人が同じように休憩するので、有名山岳では、その位置に休憩所のような場所ができていることが多い。

 決して休みすぎてはいけない。軽く息を整える程度で、できるだけお菓子などを飲食しよう。糖尿病になりそうな甘いジュースも山ではOKだ。

 疲れてきたら、休むのではなく、「ゆっくり歩く」ことを心がける。休んでしまうと疲労が吹き出し、ますますバテることになる。

 飲食しながら、ゆっくり歩いていれば、疲れは消えてゆく。老人だって、若者のように早く歩けないが、ゆっくり山頂に着くことができる。体力のない人だって、ゆっくり歩けば、高体力の人と同じように楽しめる。

 最近、経験不足の中高年による遭難事故が多発しているが、最大の問題点は、「自分を知らないこと」である。

 自分を実力以上に過剰に評価するクセのある人は遭難しやすい。自分の実力に対して謙虚な姿勢が必要だ。

 山は大変なスポーツだ。準備があれば、困難を克服できる。装備を準備するだけではダメだ。体力・精神力を準備しなければならない。

 最初から苦しい大変な山など行ってはいけない。まずは高尾山や筑波山のような山を十数回も登り、基本的な歩き方の訓練を行い。普段から2時間程度歩く訓練を重ねる必要がある。

 そして、体力の必要な重い登山では、必ず「ゆっくり歩く」ようにすれば大丈夫、バテこそ遭難の第一歩であることを肝に銘ぜよ。

 バテない基本テクニックは、第一にゆっくり歩くこと。第二に、頻繁に軽い飲食を行うこと。第三に、こまめに衣類を脱着することだ。

 衣類を調節して、体温を一定に保つことは、非常に重要なテクニックで、山では非日常的な体験をしているので、普段の感覚が分かりにくくなる。

 体が寒がっているのに、本人は暑いと勘違いしている場合があり、着重ねしなければならない状況下で、強風に吹かれて体温が低下し、意識が朦朧としながら、そのまま死亡することも珍しくない。

 寒いと疲労度が加速する。体が熱を作るために余分なエネルギーを浪費するからだ。だから暖かく快適にすることが疲労を少なくするテクニックなのである。

 最近ではトムラウシ・ツアー登山の遭難が風に吹かれた低体温遭難だったようだ。

 強風で、少しでも寒さを感じたら、必ず、防風ヤッケ(雨具でもよい)を着ること。肌着は登山用か純毛薄手セーターを着ること。

 汗や雨に濡れて肌着の保温性が落ちたなら、純毛セーターを直接肌に着込むこと。純毛セーターは最後の命の綱である。どんなハイキングでも持参すること。

 雨中登山では、稜線に出ると凄まじい強風に遭って、とてもじゃないが、着替えなど不可能なことが多い。

 だから稜線に出る前に、藪の中で状況を予測して、先に着替えや着重ねを済ませること。

 冬山は、同じ山であっても、他のシーズンとは基本的に別世界だと思う必要がある。
 私は若い頃から鈴鹿の鈴北岳・御池岳をトレーニング場所にしていて鞍掛峠などから百回以上も登っているが、慣れきって地図も持参しないで、すべて知っているつもりでいた。

 ところが、ある冬、もの凄い暴風雪のときに登って、ホワイトアウトという現象に出くわした。これは降雪と薄い太陽光により、雪と空間の境目が認識できなくなる現象である。

 このとき、隅から隅まで知り抜いているはずの鈴北の地形が、今どこにいるのか、まったく分からなくなった。積雪で地形も変わり、自分が歩いている場所が尾根なのか、いつものルートなのかも完全に見失い、彷徨する羽目になった。

 このとき冬山が、どれほど恐ろしい魔物であるのか思い知らされることになった。
 ゲレンデとして百回も通っている地形でさえ、まったく理解できなくなる。

 1000m前後の低山でさえ、そんな現象が起きる。まして3000mの世界は凄い。
 正月に、吹雪の中で立派な登山道や標識のある間ノ岳から北岳に向かう尾根が、どうしても発見できなかったことがある。1時間も彷徨い、奇跡的に北岳への稜線が見えて助かった。

 冬山をなめてはいけない。数千回の登山経験があっても、見るも無惨に打ちのめされることがあるのだ。

 迷ったとき、行き先を確かめるのは、地図とコンパス、それに踏み跡や視界などだが、位置を確認するのに、一つや二つではダメで、高度計やGPS、無線機など、少なくとも五つくらいのアイテムを用意しておきたい。

 そして冷静に、自分を信じ、普段から訓練している自分は、必ず助かると確信して、自信をもって臨むのでなければ、冬山は地獄であり、命を奪いにくる魔物でしかない。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html  


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東海アマのブログ 続 山の歩き方 2010年01月08日


 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。

 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」

 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。

 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。

 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。

 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。

 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」

 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。

 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。

 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。

 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?

 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。

 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。

 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。

 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。

 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。

 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。


 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。


 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。

 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。

 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。


 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。

 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。

 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。

 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。

 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。

 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。

 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。

 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。

 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。

 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。

 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。

 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。

 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。

 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html



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東海アマブログ 山の歩き方 その3 2019年07月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html

 
 数年前に「山の歩き方」を、続編とともに掲載した。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html

 それから病気で肺機能が衰えたせいで、大きな山には行けなくなったのだが、今でも、毎日1時間以上の山林歩行を欠かさないでいる。

 長い山歩きの経験をブログにしておけば、これから山歩きを始める人に、少しは役に立つかも知れないと考え、その3を書いておきたいと思った。

 若い頃から、ずいぶんたくさんの山を歩いてきたが、この時期(7月8月)は、なんといっても沢登りに夢中になった。

 かつては、鈴鹿や日本アルプスの沢を毎週、全身ずぶ濡れになって登り歩いていた。

 中央アルプスの沢に単独で入って、瀧で滑落して数カ所を骨折しながら這うように逃げ帰ってきたこともある。

 北海道の山、とりわけ日高山地では、登山道が沢道であることが多く、どこに行っても沢登りを強いられる。

 しかし、夏場の沢登りでは、さまざまな危険が待ち受けている。

 どんな危険があるのか? 最大の危険は、滑って岩場で転倒することである。

 沢にはコケがつきもので、足下の岩場がヌルヌルになっている沢も多い。

 このヌルで滑らないようにするには、私が一番一生懸命登ったのは、今から40年くらい前なのだが、1980年代までは、ワラジが主流だった。

 当時の価格は、一双で300円くらいだったと思う。今は700円くらいしてるようだ。
 
yamaaruki1.jpg


 裸足に直にワラジをつけるのは、刺激が強いので、必ず地下足袋を履いてから装着した。農業用厚底足袋なら、そのまま山歩きをすることもできた。

 ワラジの滑り止め効果は非常に高いものだが、縦には強いが横滑りには弱かった。それは見てのとおり、繊維が横に走っているためだ。

 1980年代の半ばあたりから、釣り用のフェルト足袋が開発されて普及した。これはワラジほどの効果はないが、縦横ともに滑り止めになり、藁紐が切れる心配もなく、使いやすかった。

 ワラジが一回限りの使い捨てであるのに対し、フェルト足袋は数十回も使うことができた。だから3000円程度でも十分元はとれる。

 yamaaruki2.jpg
 

 そのうち、長靴フェルト底とか、短靴フェルト底とか、たくさんの種類が開発されて、今でも、滑りやすい沢道で多用されている。

 実は、このフェルト底、アイゼンが必要な凍結坂道でも滑り止めに使えるのだ。もちろんアイゼンほどの効果はないが、滑りにくくなるのは確かだ。

 私は、冬の低山で、アイゼンを持参しなかったときは、靴の上から純毛の靴下を履いて滑り止めに使った。

 これは山歩きの知恵として覚えても損はない。

 なお、長時間歩行を必要とする登山では、必ず複数の履き物を用意する必要がある。

 もちろんゴツイ登山靴を予備に持つのはアホらしいので軽量靴だが、地下足袋やフェルト足袋を予備靴として選択するのも悪くない。

 山では、予期しない靴擦れや、ゴム底の剥離なども珍しくなく、北海道のように沢ルートが多いと、予備靴がないと困ることも多い。

 沢登りの危険としては、滑り事故の次に、滝の直登における滑落事故だが、よくあるのは、いい加減に打ち込まれたハーケンを掴んですっぽ抜けで落下する事故である。

 滝のハーケンは絶対に信用してはいけない。岩場のハーケンのように丁寧には打ち込んでいないからだ。

 滝登りで事故を起こさないようにするためには、訓練によってフリークライミングの技量を上げるしかない。ハーケンが抜けたとき、掴んでる石が落下したとき、次にどうするという次善策を、いつでも考えながら 登らなければならない。

 フリークライミングの訓練をしないまま、危険な沢の直登をするのは自殺行為である。必ず、納得のゆくまで基礎的な岩登り訓練を行ってから沢に向かっていただきたい。

 私自身の滑落事故も、クライミングの技量が未熟なうちにアルプスの沢に入るという無謀行為を行ったせいだった。

 岩場の多い山歩きは非常に多い。有名なところでは、宝剣岳や槍穂高縦走、不帰険だが、日帰りでも秩父では普通だし、御在所や鎌ガ岳でもキレット状の危険地帯がたくさんある。

 ここで事故を起こさないために必要なことは、恐怖心を克服することである。

 高所恐怖症など、恐怖に硬直すると、実力の半分も出せなくなる。だから、自分の潜在力を出し切って岩場を乗り越えるには、まずは「怖くない、自分は絶対に落ちない」と自己暗示をかけ、全身の筋肉をリラックスさせることである。

 クライミングの上手な人は、そうした心のコントロールが上手な人である。「こうすれば絶対に安全」と確信を持てる行動パターンを持っていれば、その範囲から逸脱しない限り、安全は保証されると自分自身で信ずればよいのだ。

 力を抜きなさい、恐怖や緊張から解放されてリラックスしなさい、こういう行動をしていれば危険はないと、信じながら無理をせずに進みなさい。

 乾徳山などの長いハシゴを登るときも、「この手が、しっかりと桟棒を掴んでいれば、絶対に落ちない」と信じていれば、問題なく通過することができる。

 この、失敗すると命に関わるような行動で、恐怖心を克服しながら、自分を信じて前進するという登山の経験は、人生のあらゆる場所で、自分を守ってくれる大切な宝物になるだろう。

 なお、どうしても高所恐怖症を克服できない人が同行メンバーにいる場合、リーダーは安全確保しなければならない。

 通常は7ミリ20mのザイルを持参し、確保者には、テープスリングを八の字にして足を通して簡易ハーネスを作り、腰にもテープを巻き、ザイルに結んで確保する。これで懸垂下降も楽々こなせる。(以下は方法が異なるが簡単なので覚えておきたい) 
https://www.youtube.com/watch?v=WAbCqTInDAo

カラビナ一個あれば、懸垂下降が可能である。
 https://www.youtube.com/watch?v=VunyYaj_H7M


 実は、山でのトラブルで、もっとも多く、重要なのは、岩場事故や熊の襲撃ではなく、虫の襲撃である。

 わけても

@ブヨ Aアブ B蛭 Cマダニ Dドクガ 

に警戒が必要だ。

 ブヨは、ありふれた虫だが、刺されると被害が大きい点では、一番警戒が必要かもしれない。

 これは昨年、10月18日に、笠置山でブヨに刺されたときのもの。
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-514.html

以下は、7月20日に、高峰湖畔でブヨに刺され、4日後の本日、撮影したもの。

 buyo1.jpg


 ブヨの被害は、刺されたときには痛いだけだが、後から激しく現れる。指先を刺されると、筆記具が使えなくなるほど腫れるし、肩まで腫れ上がることもある。

 ムヒアルファのようなステロイド剤しか効果がないが、治癒まで十日以上もかかることがある。

 ブヨが刺しにくるのは、冷涼で湿度の極めて高い日が多い。晴れて28度以上もあるときに刺されることは少ない。気温が25°以下で、雨が降ったりやんだりのときが危ない。

 ブヨは極めて環境汚染に弱く、水質が非常に良い小沢にしか繁殖できない。
 もっぱら露出した肌が狙われるが、上の写真はTシャツの下を刺された。

 ブヨを忌避するには、ハッカ油が良いといわれる。ハッカ油をエタノールで50倍くらいに薄めたものをスプレーに移して、肌に散布しておくのだが、上の写真は、ジーグフリートの木の葉のように、塗り残した、わずかな場所が狙われた。

 ハッカ油は、アブにも高い効果があり、山歩きの前にスプレーしておくと多くの虫害を防除できる。

 ただし、ヤブ蚊にはあまり効果がない。マダニや蛭、ムカデには効果が高い。私の場合、6月から10月まで、山歩きの前には、携帯用スプレーに入れたハッカ油スプレーをたっぷり、全身にかけておく。一回かければ二時間程度は効くが、薄いと1時間もたないこともある。

 腐らないので、400CC瓶を購入しておけば、たっぷり長く使える。
 
yamaaruki3.jpg

 蛭は、奥駿河・遠州・鈴鹿のように極端に繁殖している場所では、行けば必ずやられるほどで、とりわけ雨の日、高湿度の日には警戒が必要だ。

 蛭を伝播するのは鹿なので、鹿が多い山、鹿の食害によりアセビが増えている山では、特にひどい。鹿がいれば蛭がいると思った方がいい。

 市販の蛭避け剤は高価なので、昔からの知恵として、山に入る前に、膝下に灯油をかけたり、塩やクエン酸をかける人もいるが、金属部品が錆びてしまう。

 やはりハッカ油スプレーに強い忌避効果がある。私は一度に100匹近くも貼り付かれたことがあるが、血を吸われた痕の治癒に一ヶ月以上を要した。

 なお、遠州・駿河の山では蛭が木の上から降ってくる。だから首や肩にも散布する必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html

  https://yamahack.com/220

 吸われた直後の対策としては、蛭の溶血酵素を洗い流しておくのが良い。

 以下の携帯洗浄機は、お尻用のものだが、私はザックの備品として、さまざまに使っている。
 https://item.rakuten.co.jp/apade/yew350/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868

 野糞(お花摘み)のとき、本当に清潔で便利だし、これで目を洗浄したり、虫刺されや、蛭害を洗浄するのに極めて有効。圧力が出るので、傷口に吹きかければ蛭毒を洗い流すこともできる。もう手放すことはできない。

 ただし、アブやブヨに刺された場合、ポイズンリムーバのような吸い取り器が必要になる。これも必需品といってよいだろう。
 https://sakidori.co/article/101872

 なお、女性用の密度の高いストッキングは、蛭の口器が入らないといわれる。私もハッカ油スプレーを、ビタビタにかけて愛用している。

 マダニは、わが東濃地方には、とても多く、私は恵那山で噛みつかれた。笠置山の山上休憩所にも出ている。
 https://www.hohto.co.jp/pmpnews/pmp370_2/

 私は家に帰ってから膝下に潜り込んでる黒い物体に気づいたのだが、マダニと知ってウイスキーをたっぷり流して、数分後にピンセットで除去できた。高濃度のアルコールに対して、マダニは食いつく力を失うようだ。

 放置するとライム病などの致死率の高い病気にかかることがあるので、早めにエタノールなどを使って自分で除去すべきだと思う。
 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/22-%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E4%B8%AD%E6%AF%92/%E5%88%BA%E5%92%AC%E7%97%87/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B%E5%92%AC%E5%82%B7

 ドクガの被害は、南アルプスの黒法師山の帰路で起きた。

 最初は、腕に強い痛みを感じたが、みるみるまだら状に赤く腫れて、治癒に一か月程度もかかった。
 http://www.city.kawasaki.jp/350/cmsfiles/contents/0000006/6005/dokuga.pdf

 これはツバキ科につく毒虫で、山の中では、ドクガが体に触れただけでひどい目に遭う。我が家でもチャドクガが出て、原因となるサザンカの木を見つけて、焼き払うまで被害が続いた。

 なお毒素は43度の湯に5分浸かれば解毒されるようだ。炎症を起こしてる部位だけでもいい。

 以上、自分が被害を受けた経験のあるものばかりを並べたが、襲われた経験のないことまで書いておく必要があるものがある。

 それは熊だ。

 中津川市は、中央アルプス恵那山が市街地に隣接していて、熊が頻繁に出没する地域だ。今年に入って、2回、近所の高山大橋の上の雑木林で見かけた。

 また笠置山山頂付近や、高峰山鎮之峠にも出没している痕跡を見つけた。去年は、我が家の裏山に出没していた。恵那神社では、最近、釣り人が襲われて大怪我をしている。

 襲われた経験がないのに申し訳ないが、これだけ熊が増えると、山登りに熊避けは必需品になったと思う。

 私の場合は、ザックにハンドベルを結びつけて、歩きながら自然に鳴るようにしている。
 
 yamaaruki4.jpg


 柄の部分に穴を開けてナイロン紐でザックに垂らしておくと、歩く刺激で自然に鳴っている。なお、ラジオやガラガラ鈴は、効果が乏しく、なるべく高音の鈴が良いそうだ。

 カーマでは山菜キノコ採取用に千円程度で販売されている。

 以前は、カウンターアソールトという熊専用スプレーを携帯していたが、1万円近い高価だし、自然に漏れて、ひどいことになるので使うのをやめた。

 代わりに爆竹をザックに忍ばせていて、糞を見つけると点火できるようにしている。

 また、危ないと感じるとき、ダブルストックを持参し、現れたら突いてやろうと思っている。

 熊は、年間を通じて定まった行動パターンがあり、好物であるタケノコや栗や柿などの果樹園近くに潜んでいることが多い。食物の縄張り意識があると、持ち主が採取したとき、自分の食物を横取りされたと思い込んで怒り狂って襲うことがあるようだ。

 以前、高山の展示民家を訪れたとき、果樹園の持ち主が、そのようにして殺害された話を詳しく聞いた。

 笠置山では、山頂付近のブナ林の実が落ちているときと、木イチゴなどの果物が出ているとき、よく徘徊していて、6月頃が危ない。真っ黒で、未消化物の含まれたベチャ糞が点々と落ちているときなど熊がいると思った方がいい。

 こちらが金属音を立てているときに襲ってくることは滅多にないようだ。
 糞が新しければ、必ず近くにいると思うべきで、すぐに爆竹を鳴らした方がいい。

 イノシシは、最近、あまりにも多すぎて、空気のように存在を忘れてしまうほどだ。

 我が家の周りや散歩先にも大量に生息している。今日も出会ったばかりだ。

 特徴は、ミミズを探すための掘り返しが登山道脇に広く見られることで、掘り返した土の新しさと気配の音で、近くにいることを知る。

 やは鈴が有効だと思う。近所にいれば爆竹を鳴らしておけばよい。

 また気づいたことがあれば、「山の歩き方 その4」を書きたいと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/587.html#c43

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
1. 中川隆[-8860] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:07:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3854]

朝鮮人の言うことが誇張表現ではなかった例


■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c1

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
2. 中川隆[-8859] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:08:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3855]

〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c2

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
3. 中川隆[-8858] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:08:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3856]

歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。

http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c3

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
4. 中川隆[-8857] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3857]
震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c4

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
5. 中川隆[-8856] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:11:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3858]

1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm

正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


53. 2010年10月25日 07:30:46: FtBpZiRG09
>僕は朝鮮人は大嫌いだし、
嫌日も結構だが、とは書いたが、朝鮮人の好き嫌いなんてことは訊いてないんだが(笑)
共産党な人だったのか・・・・・といいたいところだが実際は、朝鮮人も大好きなんでしょうね。
>混乱の中で、朝鮮人や社会主義者が暴動をたくらんでいるというデマが流れ、当局も
>「震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ…」
デマを聞きつけた上で、電信自体が海軍の持っていたものしか使えなかったことから
誤った情報が唯一の報告となって電信が打たれたのが現実。

実際はコレらしい↓
「東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、
現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。
スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、
鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。」

あくまで取締りだったし、地方の鎮守府宛に発信されたので罹災民衆には届いていない。
それ以前に、この時点では社会主義者出てきてないけどね。
予め震災が起こることを予測し、それを利用して流言を流すとかできないだろ、普通に考えて。
現代科学でもムリ。

>この時政府の宣伝「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」に乗せられた民衆は
電信不通、電話不通、携帯なんてもちろんない。新聞社も関東方面はまともな配達は不可能
そんな状況で1日や2日で朝鮮人虐殺計画を広めるというのは根本的に無理、というより無茶。
元々、計画として民衆に流布していたというのなら可能だが。

震災によって不安にかられた民衆が、異民族排他に動いたのが、この結果。
社会主義者については、時期を狙っていた可能性はあったかも知れないがね。


それにして、またコピペネタ見つけて、無駄に長いだけのコピペ馬鹿中川隆に戻ったか。
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五月晴郎さん
>日本統治下の朝鮮は情報も厳しく統制されていた。
厳しいというのは、どういうのが厳しいとみるかで違ってくると思いますが。
どちらかというと詳細を知りたいですね。どこまでセーフで、どこからアウトだったとか。

>大震災時朝鮮人虐殺に関連する朝鮮人側のハングル資料なんかあるの?
自分も日本資料しか見れないのでなんとも。あるかどうかと考えれば、ないんじゃないですかね。
当時、日本に在住していて、朝鮮に戻った人が書いていない限り。
横浜市震災誌に出てきた李根榮さんみたいな人が書いていませんかね。

>あったとしても朝鮮人側が書いたの分かったらアレで残されてないだろうし
アレとはなんぞや?
コピペ馬鹿中川隆のいうところの、大震災を利用した社会主義者抹殺陰謀説
(今ならともかく印刷された大正13年当時ならそう言われておかしくない)物まで
印刷された本が残ってるくらいですから、朝鮮人側が書いた本でも、
仮にあったとすれば、全く残っていないとは思えませんけどね。
もっとも朝鮮にのみ流通していれば朝鮮戦争で消されている可能性もありますけど。

>虐殺行動自体は、真偽混じった情報を計画性を持って流し
まぁ、それは後知恵じゃないですか?としか言えませんね。
上でも書いたように、社会主義者については、時期を狙っていた可能性はあるでしょうが。


54. 中川隆 2010年10月25日 10:40:00: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q
必死だね。
(そんな状況で1日や2日で朝鮮人虐殺計画を広めるというのは根本的に無理、というより無茶。)

朝鮮人を搾取して絶えず朝鮮人の怒りを感じていたんだから、後藤新平と正力松太郎はいざという時の準備をして待っていただけさ。

資料としてこれも貼っとくよ:


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

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戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

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「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

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留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-1.html


「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-2.html


「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-3.html


「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
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後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

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「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

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戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c5

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
6. 中川隆[-8855] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:14:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3859]

大河『いだてん』に関東大震災「朝鮮人虐殺」を示唆するシーンが! 右派の虐殺否定デマに抗した勇気
https://lite-ra.com/2019/06/post-4779.html
2019.06.17 『いだてん』が関東大震災「朝鮮人虐殺」を示唆! リテラ
    
    朝鮮人虐殺を示唆した『いだてん』(番組HPより)


 16日放送のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が話題になっている。関東大震災時に起きた、朝鮮人虐殺を示唆する描写に踏み込んだからだ。

 ご存知のとおり、関東大震災は1923(大正12)年9月1日に起きたのだが、『いだてん』の主人公のひとり・マラソンランナーの金栗四三も当時東京府女子師範学校で教員として勤めており、震災に遭遇する。

 ドラマ中盤、ちょうどお昼時だった東京の街を地震が襲う。地震そのものも以上に火災の被害も大きく、浅草から日本橋、芝まで炎に包まれ、2日かけて東京が焼き尽くされる。なかでも浅草の被害は大きく、シンボルだった凌雲閣の倒壊をはじめ、2日で街が消えるほどの壊滅的な被害を受ける。

 混乱さめやらぬなか四三は、浅草で行方不明になっている同僚教師を懸命に探すのだが、そこで棒を手にした数人の男に声をかけられる。

 男らは「おまえ、日本人か? どこから、どうやって来た?」と、四三にいきなり出自を問う。四三が「いやいや、どぎゃんも、こぎゃんも……」と出身である熊本訛りで答えると、男らは「なんだ? なんだ、その言葉? 日本人じゃないな」四三を取り囲む。四三が「熊本! おら熊本だげん!」と答えても、「くまもとぉ?」とさらに問い詰める。

 そこへたまたま、四三の教え子の父親で医師の大作があらわれ、「娘の学校の先生だ、日本人だ」「大丈夫だ!」と、四三を助け出したことから、なんとか事なきを得たが、男らは「本当か!?」としつこく詰め寄っていた。

「ご無事で何より」と無事を労う四三に、大作は先ほどの男らについて「自警団ですよ」「この災害のどさくさで、根拠のない流言飛語が出回っている。大きな余震がくるとか、井戸に毒がまかれたとか、とんでもないデマがね」と説明する。

 時間にしてわずか1分足らずの場面で、「朝鮮人」という言葉こそ出していないものの、関東大震災時に起きた「朝鮮人虐殺」を描いたものだ。

 大作が流言飛語が飛び交っていると説明していたとおり、実際の震災時も「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」「火をつけて回っている」などのデマ・流言飛語が飛び交い、それを信じた自警団を称する日本人たちにより多くの朝鮮人たちが殺害された。

 また熊本訛りの四三に対し「おまえ日本人か?」「なんだその言葉? 日本人じゃないな」と問い詰めていたのも、実際に当時「アイウエを言え」「教育勅語を言え」などと詰め寄り言葉に詰まったり発音が違ったりすると「朝鮮人だ」として暴行するという行為が横行していたことに基づいている。また、四三のように棒を手にした自警団に「朝鮮人だろう」と取り囲まれるというのは、実際、当時中学生だった故・黒澤明監督も同様の体験を自伝のなかに記している(https://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html)。

■右派の圧力のためか、「朝鮮人」という言葉は使わなかったが…

 もちろん、『いだてん』も本来は「朝鮮人」という言葉をきちんと盛り込んで、「朝鮮人虐殺」というヘイトクライムを明確に描くべきだったと思うが、それでも現在の言論状況で、NHKがゴールデンタイムの看板ドラマで朝鮮人虐殺を示唆する場面を描いただけでも価値がある。

 というのも、近年、関東大震災時の朝鮮人虐殺の史実を闇に葬りなかったことにしようという歴史修正の動きが激しくなっているからだ。

 ネトウヨのみならず、ヘイト本や極右雑誌などがこぞって「朝鮮人虐殺はなかった」というデマや、「本当に朝鮮人の暴動があった」というデマを掲載し、朝鮮人虐殺否定を盛んに喧伝している。

 また東京都の小池百合子知事は、2017年から、それまで歴代都知事が毎年9月1日に行ってきた朝鮮人犠牲者の追悼式典への追悼文を取りやめた。

 さらに安倍首相も、2016年「政府は、関東大震災時における朝鮮人、中国人等の虐殺事件に日本政府が関与したことを事実として認定するか」との質問主意書に対し、「お尋ねの「関東大震災時における朝鮮人、中国人等の虐殺事件に日本政府が関与したこと」については、調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することができる記録が見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である」との答弁書を出すなど、明らかな史実をなかったことにしようとしている。

 関東大震災の際、デマによって大規模な朝鮮人のジェノサイドが起き、警察や軍がこれに加担したのは、保守系の歴史学者も認めている歴史的事実であり、なにより、当時を生きた人々による膨大な証言が残されている。

■右派の虐殺否定はデマ、数々の資料が描く朝鮮人虐殺の凄惨な現場

 朝鮮人虐殺否定デマが活発化していた2014年、震災当時の証言や記録で構成されたノンフィクション本『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹/ころから)が出版されているが、同書には、公文書や軍の資料、戦後の検証記録から、被害者の朝鮮人、目撃した一般住民、さらには作家の芥川龍之介や国学者である折口信夫の証言まで、虐殺の事実を裏付ける資料がいくつも紹介されている。

 たとえば、『風よ鳳仙花の歌をはこべ』(教育史料出版会)にも収録された葛飾区四ツ木橋付近の地元住民からの聞き取り。ここには自警団と称する民間の日本人による凄惨きわまりない“朝鮮人狩り”の目撃証言がいくつも登場する。

「四ツ木橋のむこう(葛飾側)から血だらけの人を結わえて連れてきた。それを切って下に落とした。旧四ッ木はしの少し下手に穴を掘って投げ込むんだ」

「(自警団が殺したのは)なんとも残忍な殺し方だったね。日本刀で切ったり、竹槍で突いたり、鉄の棒で突き刺したりして殺したんです。女の人、なかにはお腹の大きい人もいましたが、突き刺して殺しました。私が見たのでは、30人ぐらい殺していたね」

 もっと生々しいのは子どもたちの証言だ。同書では、関東大震災から半年の間に書かれた子どもの作文を紹介しているが、そこには子どもならではのあまりにリアルすぎる目撃談が大量に出てくるのだ。

「朝鮮人がころされているというので私わ行ちゃんと二人で見にいつた。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによつてみた。すると頭わはれて血みどりにそまつていた」(横浜市・高等小学校1年女児)

「私たちは三尺余りの棒を持つて其の先へくぎを付けて居ました・それから方方へ行って見ますと鮮人の頭だけがころがつて居ました」(同1年女児)

「歩いて居ると朝鮮人が立木にゆはかれ竹槍で腹をぶつぶつさられ(刺され)のこぎりで切られてしまひました」(同小学校男児)

「するとみなさんがたが朝鮮人をつついていましたからは(わ)たくしも一ぺんつついてやりましたらきゆうとしんでしまひました」(横浜市尋常小学校4年男児)

■デマを広めた張本人・読売社主の正力松太郎も後にデマを認めていた

 さらに、自警団だけでなく、警察、軍隊まで出動して「戦争気分」で朝鮮人を虐殺した。当時、習志野騎兵連隊に入隊していた越中谷利一はこう記している。

「(亀戸駅付近に止まっていた列車の内外を調べ)その中にまじっている朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして直ちに白刃と銃剣下に次々と倒れていった。日本人避難民のなかからは嵐のように沸きおこる万歳歓呼の声──国賊!朝鮮人は皆殺しにしろ!」(『関東大震災の思い出』)

 実際、朝鮮人の暴動デマは、戦後、衆院議員、読売新聞社主として政界、マスコミ界に君臨した正力松太郎が警視庁官房主事時代に広めたことがわかっている。

『九月、東京の路上で』でもそのことは指摘されていて、「デモや集会を取り締まり、朝鮮人学生のひそかな独立運動に目を光らせていた」正力がそのデマに振り回され、「軍人達に『こうなったらやりましょう!』と腕まくりをして叫び、警視庁に駆けつけていた新聞記者たちには『朝鮮人が謀反を起こしているといううわさがあるから触れ回ってくれ』と要請する」とある。

 だが、その正力は後に、この朝鮮人暴動がデマだったと認めているのだ。正力の回顧録『米騒動や大震災の思い出』にはこんなくだりがある。

「しかるに鮮人がその後なかなか東京へ来襲しないので不思議に思うておるうちにようやく夜の10時ごろに至ってその来襲は虚報なることが判明いたしました。(中略)要するに人心が異常なる衝撃を受けて錯覚を起し、電信電話が不通のため、通信連絡を欠き、いわゆる一犬虚に吠えて万犬実を伝うるに至ったものと思います。警視庁当局として誠に面目なき次第であります(後略)」
 
 普通の人々が持つ潜在的な差別意識と恐怖心、加えて震災で通信が寸断され、何が正確な情報が分からなくなった時、虐殺は起こった。歴史修正主義者やネトウヨがどういおうと、これはまぎれもない事実なのだ

■『いだてん』は伊藤博文暗殺でもネトウヨから攻撃を受けていたが

 つまり、『いだてん』は、今回、右派政治家やネトウヨのデマ、歴史修正主義に屈することなく、こうした当たり前の史実を描こうとしたということだ。『いだてん』の場合、必ずしもこの1分足らずの場面があってもなくても、ストーリーの大勢には大きな影響はなかっただろう。それでもあえてこの場面を入れたのには、脚本の宮藤官九郎をはじめとした、製作陣の明確な意図があったことは間違いない。

 本サイトは『いだてん』について、国家主義や戦争と無縁ではいられないオリンピックというテーマを描くことの難しさについて書いたことがある。さらに『いだてん』はいまの日本で扱うと炎上しやすい近現代史を描くという高いハードルにも取り組んでいる。実際、伊藤博文暗殺に関するナレーションひとつで、ネトウヨ連中からイチャモンをつけられるなどしている。

 そんななかでも最もコントラバーシャルなトピックのひとつである朝鮮人虐殺について、『いだてん』がなかったことにせず少しでも描いたことは評価に値する。今後、戦争に突入していく日本をどう描くのか、ヒトラーのベルリン五輪をどう描くのか、そのベルリン五輪に日本選手として出場した朝鮮半島出身者たちの存在をどう描くのか。視聴率の低さばかりがニュースになっている『いだてん』だが、このチャレンジはもっと注目されていいのではないか。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c6

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
88. 中川隆[-8854] koaQ7Jey 2019年7月25日 09:40:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3860]

ケーブル類について - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93


皆さんは「ケーブル」(配線)についてどのようなお考えだろうか? かたくなにケーブルの価格は¥15000までと決めておられる方もいらっしゃいます。どんな機器をお使いか?と尋ねるとCELLOのプリ+パワーアンプを使っているとの事。CELLOのプリ+パワーアンプなら当然¥100万円は軽々と超えている。


私の考えとは相いれないお考えだ。しかしそれも個人の自由、止めたりはしない。ただ、自分がケーブル材や配線で色々実験してきた結果や、「ケーブル」は「必要条件」である事の認識をしている。


どんなに高額な機器やSPであっても、ケーブルなしでは音は出ない。(必要条件の所以) 出て来たサウンドの半分以上は「ケーブル(配線)の音」である事。機器ばかりが音に影響しているのではないと云う事。


昔、オーディオ雑誌で色々な機器(アンプ)の比較試聴記が掲載されていたが、当時は「直だし電源ケーブル」全盛時代である。アンプの音など「電源ケーブル」の音で決まっていた。


電源ケーブルの重要性に気づいたパイオニア社ではエクスクルーシブC5・M5から独自の電源ケーブルを開発し採用し始めた。海外メーカーは1980年代から電源ケーブルをインレット化して、自由に好きな電源ケーブルが使える様になっていた。国産アンプメーカーがインレット化を始めたのは1990年代に入ってから・・・。如何に国産メーカーの「音質」に対する認識が甘いかが良く分かる。バランス回路についても同じことがいえる。


ただ一般ユーザーが困る事がある。国産のケーブル材の出来は「どんぐりの背比べ」的な処が強く、8N・OFC等とネーミングは良いが、芯材の断面積がφ10mm以上ないと使い物にならない。(音数的に) 更に、周波数特性的にも下も上も物足りない。更にもう一つ、「エネルギー感」が全く不足。 (安物ケーブルを束ねてSPケーブルにして実験してみると良い)


「耳に痛い音」が飛んでくるのは大体決まって、アンプやSPが「活性化していないか、ケーブル類の質と量(断面積)が極端に不足しているからである。


オーディオマニアと云いつつ「音質」を良くすることを避けている様では本当のマニアではないと思う。小さなシステムでもオーナーが精魂込めて成長させたシステムには聴かせる所が有る。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93

アンプの音色 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd


漸く落ち着きだした自宅システム。サウンドも大きく変貌して来ました。その中で「アンプ」の「音色」について述べておきます。


マッキントッシュC22を模倣したこの自作プリアンプには、大きな癖や音色は有りません。ソースから入ってきた信号をそのまま即座にパワーアンプに送り出す様な非常に俊敏なプリアンプです。音色的には「ライトブルー系」の淡い色合いかとも思います。使っている球は12AX7(テレフンケン)と12AU7(フィリップス5814A)です。それぞれ試聴して、自分の耳に合格した球しか使いません。「ライトブルー系」の音色は「内部配線」の音色ですね。

プリアンプに対してパワーアンプのWE101Dの音色は確実に出ていますね。どう表現すれば良いのか?・・・・1960年代に良い映画館に行った時のサウンド(おそらくWEの球や機器を使ってある様な・・・)です。おそらく周波数特性的には上も下もあまり伸びてはいませんが、音の通りが良くて中域が非常に充実しています。内部配線の影響か?独特の音色もそう強烈ではありません。「楽音」の再現には申し分ないサウンドです。特筆すべきは音の粒立ちでしょうね。


私の7SPユニットシステム3種とも、すべてのケーブルを自作の最高峰ケーブルで接続しています。その結果、「見通しの良い音」(ベールが全くない)になっています。音数もソフトに入っている情報をすべて引き出して、且、さらに余裕をもってSPから音を出していると思っています。その為にケーブル類はとんでもない太さ(銀線で)に見えるかも知れません。一般的なケーブルの太さでないことは確かです。これは「ケーブル材の断面積」がすべての情報を引き出すために必要な「断面積」にしているからです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c88

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
23. 中川隆[-8853] koaQ7Jey 2019年7月25日 09:41:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3861]

ケーブル類について - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93


皆さんは「ケーブル」(配線)についてどのようなお考えだろうか? かたくなにケーブルの価格は¥15000までと決めておられる方もいらっしゃいます。どんな機器をお使いか?と尋ねるとCELLOのプリ+パワーアンプを使っているとの事。CELLOのプリ+パワーアンプなら当然¥100万円は軽々と超えている。


私の考えとは相いれないお考えだ。しかしそれも個人の自由、止めたりはしない。ただ、自分がケーブル材や配線で色々実験してきた結果や、「ケーブル」は「必要条件」である事の認識をしている。


どんなに高額な機器やSPであっても、ケーブルなしでは音は出ない。(必要条件の所以) 出て来たサウンドの半分以上は「ケーブル(配線)の音」である事。機器ばかりが音に影響しているのではないと云う事。


昔、オーディオ雑誌で色々な機器(アンプ)の比較試聴記が掲載されていたが、当時は「直だし電源ケーブル」全盛時代である。アンプの音など「電源ケーブル」の音で決まっていた。


電源ケーブルの重要性に気づいたパイオニア社ではエクスクルーシブC5・M5から独自の電源ケーブルを開発し採用し始めた。海外メーカーは1980年代から電源ケーブルをインレット化して、自由に好きな電源ケーブルが使える様になっていた。国産アンプメーカーがインレット化を始めたのは1990年代に入ってから・・・。如何に国産メーカーの「音質」に対する認識が甘いかが良く分かる。バランス回路についても同じことがいえる。


ただ一般ユーザーが困る事がある。国産のケーブル材の出来は「どんぐりの背比べ」的な処が強く、8N・OFC等とネーミングは良いが、芯材の断面積がφ10mm以上ないと使い物にならない。(音数的に) 更に、周波数特性的にも下も上も物足りない。更にもう一つ、「エネルギー感」が全く不足。 (安物ケーブルを束ねてSPケーブルにして実験してみると良い)


「耳に痛い音」が飛んでくるのは大体決まって、アンプやSPが「活性化していないか、ケーブル類の質と量(断面積)が極端に不足しているからである。


オーディオマニアと云いつつ「音質」を良くすることを避けている様では本当のマニアではないと思う。小さなシステムでもオーナーが精魂込めて成長させたシステムには聴かせる所が有る。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93

アンプの音色 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd


漸く落ち着きだした自宅システム。サウンドも大きく変貌して来ました。その中で「アンプ」の「音色」について述べておきます。


マッキントッシュC22を模倣したこの自作プリアンプには、大きな癖や音色は有りません。ソースから入ってきた信号をそのまま即座にパワーアンプに送り出す様な非常に俊敏なプリアンプです。音色的には「ライトブルー系」の淡い色合いかとも思います。使っている球は12AX7(テレフンケン)と12AU7(フィリップス5814A)です。それぞれ試聴して、自分の耳に合格した球しか使いません。「ライトブルー系」の音色は「内部配線」の音色ですね。

プリアンプに対してパワーアンプのWE101Dの音色は確実に出ていますね。どう表現すれば良いのか?・・・・1960年代に良い映画館に行った時のサウンド(おそらくWEの球や機器を使ってある様な・・・)です。おそらく周波数特性的には上も下もあまり伸びてはいませんが、音の通りが良くて中域が非常に充実しています。内部配線の影響か?独特の音色もそう強烈ではありません。「楽音」の再現には申し分ないサウンドです。特筆すべきは音の粒立ちでしょうね。


私の7SPユニットシステム3種とも、すべてのケーブルを自作の最高峰ケーブルで接続しています。その結果、「見通しの良い音」(ベールが全くない)になっています。音数もソフトに入っている情報をすべて引き出して、且、さらに余裕をもってSPから音を出していると思っています。その為にケーブル類はとんでもない太さ(銀線で)に見えるかも知れません。一般的なケーブルの太さでないことは確かです。これは「ケーブル材の断面積」がすべての情報を引き出すために必要な「断面積」にしているからです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c23

[リバイバル3] 音がわからないアホ・オーディオマニアが良く引用する「オーディオの科学」の何処がおかしいか 中川隆
31. 中川隆[-8852] koaQ7Jey 2019年7月25日 09:42:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3862]

ケーブル類について - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93


皆さんは「ケーブル」(配線)についてどのようなお考えだろうか? かたくなにケーブルの価格は¥15000までと決めておられる方もいらっしゃいます。どんな機器をお使いか?と尋ねるとCELLOのプリ+パワーアンプを使っているとの事。CELLOのプリ+パワーアンプなら当然¥100万円は軽々と超えている。


私の考えとは相いれないお考えだ。しかしそれも個人の自由、止めたりはしない。ただ、自分がケーブル材や配線で色々実験してきた結果や、「ケーブル」は「必要条件」である事の認識をしている。


どんなに高額な機器やSPであっても、ケーブルなしでは音は出ない。(必要条件の所以) 出て来たサウンドの半分以上は「ケーブル(配線)の音」である事。機器ばかりが音に影響しているのではないと云う事。


昔、オーディオ雑誌で色々な機器(アンプ)の比較試聴記が掲載されていたが、当時は「直だし電源ケーブル」全盛時代である。アンプの音など「電源ケーブル」の音で決まっていた。


電源ケーブルの重要性に気づいたパイオニア社ではエクスクルーシブC5・M5から独自の電源ケーブルを開発し採用し始めた。海外メーカーは1980年代から電源ケーブルをインレット化して、自由に好きな電源ケーブルが使える様になっていた。国産アンプメーカーがインレット化を始めたのは1990年代に入ってから・・・。如何に国産メーカーの「音質」に対する認識が甘いかが良く分かる。バランス回路についても同じことがいえる。


ただ一般ユーザーが困る事がある。国産のケーブル材の出来は「どんぐりの背比べ」的な処が強く、8N・OFC等とネーミングは良いが、芯材の断面積がφ10mm以上ないと使い物にならない。(音数的に) 更に、周波数特性的にも下も上も物足りない。更にもう一つ、「エネルギー感」が全く不足。 (安物ケーブルを束ねてSPケーブルにして実験してみると良い)


「耳に痛い音」が飛んでくるのは大体決まって、アンプやSPが「活性化していないか、ケーブル類の質と量(断面積)が極端に不足しているからである。


オーディオマニアと云いつつ「音質」を良くすることを避けている様では本当のマニアではないと思う。小さなシステムでもオーナーが精魂込めて成長させたシステムには聴かせる所が有る。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93

アンプの音色 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd


漸く落ち着きだした自宅システム。サウンドも大きく変貌して来ました。その中で「アンプ」の「音色」について述べておきます。


マッキントッシュC22を模倣したこの自作プリアンプには、大きな癖や音色は有りません。ソースから入ってきた信号をそのまま即座にパワーアンプに送り出す様な非常に俊敏なプリアンプです。音色的には「ライトブルー系」の淡い色合いかとも思います。使っている球は12AX7(テレフンケン)と12AU7(フィリップス5814A)です。それぞれ試聴して、自分の耳に合格した球しか使いません。「ライトブルー系」の音色は「内部配線」の音色ですね。

プリアンプに対してパワーアンプのWE101Dの音色は確実に出ていますね。どう表現すれば良いのか?・・・・1960年代に良い映画館に行った時のサウンド(おそらくWEの球や機器を使ってある様な・・・)です。おそらく周波数特性的には上も下もあまり伸びてはいませんが、音の通りが良くて中域が非常に充実しています。内部配線の影響か?独特の音色もそう強烈ではありません。「楽音」の再現には申し分ないサウンドです。特筆すべきは音の粒立ちでしょうね。


私の7SPユニットシステム3種とも、すべてのケーブルを自作の最高峰ケーブルで接続しています。その結果、「見通しの良い音」(ベールが全くない)になっています。音数もソフトに入っている情報をすべて引き出して、且、さらに余裕をもってSPから音を出していると思っています。その為にケーブル類はとんでもない太さ(銀線で)に見えるかも知れません。一般的なケーブルの太さでないことは確かです。これは「ケーブル材の断面積」がすべての情報を引き出すために必要な「断面積」にしているからです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/881.html#c31

[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治 中川隆
3. 中川隆[-8851] koaQ7Jey 2019年7月25日 10:02:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3863]
目くらましとしての日韓対立
2019年7月24日   田中 宇
http://tanakanews.com/190724koreajapan.htm


7月23日、ロシアと中国の空軍機が日本海で初めて合同の巡回飛行訓練を行った。中露軍機(爆撃機とレーダー機)はその際、日韓の係争地である竹島(独島)の近くを飛行したため、竹島を実効支配している韓国が戦闘機を緊急発進させ、領空侵犯した露軍機(レーダー機)に近づいて猛烈な警告射撃を行った。合同飛行した中露の爆撃機は、領空の外側の防衛識別圏内を韓国(と日本)に無許可で飛行した。韓国政府は、ロシアと中国の駐韓大使を呼びつけて抗議した。日本政府は、竹島周辺に防空識別圏を設定していないことを理由に、記者会見で遺憾の意を表明しただけだった。 (Russia-China joint bomber patrol meets Japanese & S. Korean fighters, but missions will go on)

この事件は、日韓対立や「中露の脅威」の絡みで語られているが、私が注目したのはそこでなく、米国や米軍が全く出てこなかったことだ。中露は以前から日本海や極東で軍事協調や合同軍事演習を行っており、米国はこれに対して以前から沈黙してきた。それを考えると、米国の今回の沈黙も意外でない。だが同時に米国では、中国の台頭や中露の結束が米国にとって脅威であると繰り返し言われるようになっている。中露軍が合同で日韓の領土の近くを無断で飛び回り、日韓の戦闘機が緊急発進し、韓国機が露機に威嚇射撃して交戦しそうになった。中露の結束が米国の同盟(日韓)に脅威を与えた。それなのに米国は全く出てこず、日韓が別々に直接中露軍と対峙することになった。 (Russia, Japan, South Korea, China fighter jets in complex East Asia stand-off)

ちょうど7月23−24日には、米トランプ政権の好戦派のボルトン安保担当補佐が、日韓の軍隊をイラン正面のホルムズ海峡に出させて米国同盟とイランとの軍事対立を扇動す策を進めるため、日韓訪問している。好戦派のボルトンは、イランだけでなく露中も脅威とみなして敵視してきたはずだが、事件に関してボルトンは何の発表もしていない。(ボルトンは、日韓の対立を仲裁するためという触れ込みで日韓を訪問したが、対立の仲裁を全くやらず、イランに軍を出せとしか日韓に言っていない) (Seoul considers back US efforts in Hormuz)

米国は中露の台頭を防ぎたいはずなのに、なぜ中露軍が日韓の近くで脅威を振りまいて飛び回っても米政府や米軍が黙ってるのか。私の以前からの読者なら、すぐわかる問いだろう。トランプの米国は「隠れ多極主義」で、中露の台頭や結束を防ごうとするふりをして、実は台頭結束を扇動している。表向き同盟国である日韓を中露などの脅威から守ると言いつつ、実際は日韓を放置して自衛や対米自立せざるを得ない状態に追いやろうとしている。今回の中露軍の合同巡回飛行は、竹島や対馬海峡などで日韓の領空や防空識別圏にわざと入ることで、米国や日韓の政府や軍がどのように反応するかを見る作戦が含まれていたのでないか。 (中露に米国覇権を引き倒させるトランプ)

トランプの覇権放棄・多極化戦略が進むほど、駐留米軍は日韓を守らなくなって撤退の心理的な準備を日韓にさせるようになる。米国と日韓がその道をどのぐらいまで進んでいるのか、中露は知りたいはずだ。そのため今回、中露軍は合同で日韓の領空などに対する意図的な侵犯を行い、日韓と米国の反応を見た。とくに竹島は日韓の紛争地なので、中露としては極東に対する米国の覇権が低下して極東や日本海が中露の覇権下に移っていく中で、竹島(独島)に対する日韓の反応や防衛実務について把握しておく必要がある。

竹島(独島)や対馬海峡周辺の領空や防衛識別圏への中露軍機の侵入に対し、韓国の政府や軍は、威嚇射撃や、大使を呼び出して叱責するといった、激しく厳しい「きちんとした対応」をした。韓国は竹島(独島)を実効支配しているし、北朝鮮との長年の一触即発の軍事対立や本物の戦闘を経験しているため、露軍機の領空侵犯に対しても容赦せず、激しく警告射撃する本気の防衛を見せた。対称的に日本は、竹島を実効支配していないうえ、防衛を米国任せの対米従属なので「腰が引けて」おり、韓国同様、対馬海峡の防衛識別圏を侵犯されたのに中露大使を呼びつけて抗議せず、官房長官が遺憾の意を表明しただけだった。「素晴らしい平和主義」ともいえる。 (South Korea claims ‘warning shots’ fired after Russian military aircraft ‘violated airspace’)

今後、日本海に対する中露の支配は強まる一方だろう。米国の覇権が退潮し、北朝鮮の問題も、北が核開発を凍結する見返りに米国が対北制裁を一部解除し、韓国が中露と協力して北を経済支援していく流れになる。南北の和解が進み、米国でなく中露が朝鮮半島の後見役になっていく。極東や日本海は、中露の覇権下に入る。対米従属しか頭にない日本の影響力は低下する。今回の中露軍の飛行演習は、中露の日本海支配の強まりを見越したものだ。中露軍機は今後ますます日本海を飛び回り、独島周辺も通るだろうが、韓国軍から警告射撃を受けない範囲での接近を心がけるだろう。韓国軍は今回、体を張って独島を防衛した。中露は、それに敬意を表しそうだ。対照的に、竹島に対する日本の政府と国民の主張が口だけ(外交重視)であることが露呈した。日本が「素晴らしい平和主義」の国であることが示された。 (S. Korean pilots ‘acted unprofessionally’, Russian bombers did not violate airspace – Moscow)

最近の日韓の対立激化も、米国の覇権が低下し、日本も韓国もこれまで敵だった中国やロシア、北朝鮮に対する敵視をやめていかねばならない中での「目くらまし」として機能している。日本は今後、対米従属できなくなり、これまで日本国民をプロパガンダ漬けにして敵視させてきた中国・ロシア・北朝鮮と和解協調していかねばならない。だが日本政府は、中露北と和解しようとすると、政府自身がばらまいた中露北敵視のプロパガンダによって批判され潰されることになりかねない。そのため安倍政権は、まず官僚でなく官邸がマスコミを牛耳れるようプロパガンダのシステムを変更した上で、マスコミなどを扇動して目くらましとして韓国への敵視を強める一方で、マスコミに中国批判をやめさせつつ、安倍は習近平の中国にすり寄る戦略を目立たないように続けている。そのうち、ロシアや北朝鮮についても同じことをやるだろう。米国の覇権縮小は必ず起きるので、日本が中露北と和解するのも不可避だ。 (S.Korean Fighter Fires 360 Rounds Of Warning Shots At Russian Jet In "Mid-Air Confrontation")

同様に韓国も、これまで敵視してきた北朝鮮と和解するため、目くらまし的な代わりの敵視相手として日本を選んでいる。日韓は戦後の「腐れ縁」であり、くだらない話で感情的に対立しても、必要になれば(目くらましとしての敵対が必要なくなれば)いつでも仲を戻せる。日韓の対立は、日韓双方にとって、多極型世界への過渡期の目くらましとしてちょうど良い。最近、河野外務大臣がさかんに韓国側と喧嘩して見せているが、もともと韓国と仲が良かった河野の韓国敵視は、安倍に命じられた演技以外の何物でもない。 (Shinzo Abe's Underhanded Trade War Against South Korea)

今回の中露軍機の日本海飛行に関しても、日本のマスコミは、ロシアと韓国の2国間の軍の衝突であるかのように報じている。ロシア単独でなく、中露の合同演習だったことは詳細に読んでいかないとわからないようにしてある。安倍政権はマスコミに、中国が関与していないかのように報じさせ、日本人が中国を敵視せぬよう誘導している。 (How Trump’s arch-hawk lured Britain into dangerous trap to punish Iran)

日韓の対立は目くらましなので、国際的に誰かが仲裁して日韓を仲直りさせる必要がない。米国も中露もそれを知っている。トランプは「必要なら仲裁する」と言いつつ、何もしていない。ボルトンも仲裁すると言って日韓を訪問したくせに、実際にやったことはイラン前面への派兵要請だ。トランプは、英国など同盟諸国を動かしてイランと対決させたうえで、米国自身はイランと和解して同盟国のはしごをはずそうとしている。英国はそれに引っかかってひどい目にあっている。この策略はボルトンの担当だ。日本も韓国も、ボルトンの要請を受けない。安倍はイランに行って仲良くしてきたばかりだ。日本はすでに「派兵しません」と宣言している。 (Trump’s ambiguous attitude on Seoul-Tokyo disputes) (Tokyo not considering sending military for US-proposed maritime coalition: Suga)

トランプの米国は、極東だけでなく中東からも撤退しようとしている。米国が「中国やロシアの脅威」を扇動的に語るのは「中東より中露の方が脅威なので、米軍を中東から撤退させますよ」と言うための詭弁だ。米軍は、中東から撤退しても日韓など中露前面を増強するわけでない。北問題が解決していくので、米軍は日韓からも出ていく。米軍が中東インド洋から出ていくと、その後のインド洋航路の防衛は米国に頼れなくなる。日本や韓国中国がバラバラに航路防衛をやるのは大変なので、日中韓やイラン、インド、パキスタンなどが連携して航路防衛(海賊対策)するようになる。日本は韓国中国と仲良くする以外の道がない。トランプのイラン敵視策に乗る国が皆無なのも当然だ。 (中東インド洋の覇権を失う米国) (安倍イラン訪問を狙って日系タンカーを攻撃した意図)

日本や韓国を対米自立させたいトランプは多分、安倍が中国と仲良くするための目くらましとして韓国との対立を扇動していることに賛成している。安倍は最近、徴用工や従軍慰安婦など歴史の問題でなく、半導体の対韓輸出を規制する策で韓国と対立しているが、これはトランプの貿易戦争戦略と似ており、トランプが安倍に「歴史問題は構造的に日本が不利なので、歴史問題でなく貿易戦争で韓国と対立したら良い」と入れ知恵した結果でないかと推測される。このトランプの入れ知恵にも落とし穴がありそうだが、それはいずれ見えてくるだろう。 (Japan says no comment on International Court of Justice plan in South Korea dispute)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html#c3

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
8. 中川隆[-8850] koaQ7Jey 2019年7月25日 10:31:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3864]
目くらましとしての日韓対立
2019年7月24日   田中 宇
http://tanakanews.com/190724koreajapan.htm

7月23日、ロシアと中国の空軍機が日本海で初めて合同の巡回飛行訓練を行った。中露軍機(爆撃機とレーダー機)はその際、日韓の係争地である竹島(独島)の近くを飛行したため、竹島を実効支配している韓国が戦闘機を緊急発進させ、領空侵犯した露軍機(レーダー機)に近づいて猛烈な警告射撃を行った。合同飛行した中露の爆撃機は、領空の外側の防衛識別圏内を韓国(と日本)に無許可で飛行した。韓国政府は、ロシアと中国の駐韓大使を呼びつけて抗議した。日本政府は、竹島周辺に防空識別圏を設定していないことを理由に、記者会見で遺憾の意を表明しただけだった。 (Russia-China joint bomber patrol meets Japanese & S. Korean fighters, but missions will go on)

この事件は、日韓対立や「中露の脅威」の絡みで語られているが、私が注目したのはそこでなく、米国や米軍が全く出てこなかったことだ。中露は以前から日本海や極東で軍事協調や合同軍事演習を行っており、米国はこれに対して以前から沈黙してきた。それを考えると、米国の今回の沈黙も意外でない。だが同時に米国では、中国の台頭や中露の結束が米国にとって脅威であると繰り返し言われるようになっている。中露軍が合同で日韓の領土の近くを無断で飛び回り、日韓の戦闘機が緊急発進し、韓国機が露機に威嚇射撃して交戦しそうになった。中露の結束が米国の同盟(日韓)に脅威を与えた。それなのに米国は全く出てこず、日韓が別々に直接中露軍と対峙することになった。 (Russia, Japan, South Korea, China fighter jets in complex East Asia stand-off)

ちょうど7月23−24日には、米トランプ政権の好戦派のボルトン安保担当補佐が、日韓の軍隊をイラン正面のホルムズ海峡に出させて米国同盟とイランとの軍事対立を扇動す策を進めるため、日韓訪問している。好戦派のボルトンは、イランだけでなく露中も脅威とみなして敵視してきたはずだが、事件に関してボルトンは何の発表もしていない。(ボルトンは、日韓の対立を仲裁するためという触れ込みで日韓を訪問したが、対立の仲裁を全くやらず、イランに軍を出せとしか日韓に言っていない) (Seoul considers back US efforts in Hormuz)

米国は中露の台頭を防ぎたいはずなのに、なぜ中露軍が日韓の近くで脅威を振りまいて飛び回っても米政府や米軍が黙ってるのか。私の以前からの読者なら、すぐわかる問いだろう。トランプの米国は「隠れ多極主義」で、中露の台頭や結束を防ごうとするふりをして、実は台頭結束を扇動している。表向き同盟国である日韓を中露などの脅威から守ると言いつつ、実際は日韓を放置して自衛や対米自立せざるを得ない状態に追いやろうとしている。今回の中露軍の合同巡回飛行は、竹島や対馬海峡などで日韓の領空や防空識別圏にわざと入ることで、米国や日韓の政府や軍がどのように反応するかを見る作戦が含まれていたのでないか。 (中露に米国覇権を引き倒させるトランプ)

トランプの覇権放棄・多極化戦略が進むほど、駐留米軍は日韓を守らなくなって撤退の心理的な準備を日韓にさせるようになる。米国と日韓がその道をどのぐらいまで進んでいるのか、中露は知りたいはずだ。そのため今回、中露軍は合同で日韓の領空などに対する意図的な侵犯を行い、日韓と米国の反応を見た。とくに竹島は日韓の紛争地なので、中露としては極東に対する米国の覇権が低下して極東や日本海が中露の覇権下に移っていく中で、竹島(独島)に対する日韓の反応や防衛実務について把握しておく必要がある。

竹島(独島)や対馬海峡周辺の領空や防衛識別圏への中露軍機の侵入に対し、韓国の政府や軍は、威嚇射撃や、大使を呼び出して叱責するといった、激しく厳しい「きちんとした対応」をした。韓国は竹島(独島)を実効支配しているし、北朝鮮との長年の一触即発の軍事対立や本物の戦闘を経験しているため、露軍機の領空侵犯に対しても容赦せず、激しく警告射撃する本気の防衛を見せた。対称的に日本は、竹島を実効支配していないうえ、防衛を米国任せの対米従属なので「腰が引けて」おり、韓国同様、対馬海峡の防衛識別圏を侵犯されたのに中露大使を呼びつけて抗議せず、官房長官が遺憾の意を表明しただけだった。「素晴らしい平和主義」ともいえる。 (South Korea claims ‘warning shots’ fired after Russian military aircraft ‘violated airspace’)

今後、日本海に対する中露の支配は強まる一方だろう。米国の覇権が退潮し、北朝鮮の問題も、北が核開発を凍結する見返りに米国が対北制裁を一部解除し、韓国が中露と協力して北を経済支援していく流れになる。南北の和解が進み、米国でなく中露が朝鮮半島の後見役になっていく。極東や日本海は、中露の覇権下に入る。対米従属しか頭にない日本の影響力は低下する。今回の中露軍の飛行演習は、中露の日本海支配の強まりを見越したものだ。中露軍機は今後ますます日本海を飛び回り、独島周辺も通るだろうが、韓国軍から警告射撃を受けない範囲での接近を心がけるだろう。韓国軍は今回、体を張って独島を防衛した。中露は、それに敬意を表しそうだ。対照的に、竹島に対する日本の政府と国民の主張が口だけ(外交重視)であることが露呈した。日本が「素晴らしい平和主義」の国であることが示された。 (S. Korean pilots ‘acted unprofessionally’, Russian bombers did not violate airspace – Moscow)

最近の日韓の対立激化も、米国の覇権が低下し、日本も韓国もこれまで敵だった中国やロシア、北朝鮮に対する敵視をやめていかねばならない中での「目くらまし」として機能している。日本は今後、対米従属できなくなり、これまで日本国民をプロパガンダ漬けにして敵視させてきた中国・ロシア・北朝鮮と和解協調していかねばならない。だが日本政府は、中露北と和解しようとすると、政府自身がばらまいた中露北敵視のプロパガンダによって批判され潰されることになりかねない。そのため安倍政権は、まず官僚でなく官邸がマスコミを牛耳れるようプロパガンダのシステムを変更した上で、マスコミなどを扇動して目くらましとして韓国への敵視を強める一方で、マスコミに中国批判をやめさせつつ、安倍は習近平の中国にすり寄る戦略を目立たないように続けている。そのうち、ロシアや北朝鮮についても同じことをやるだろう。米国の覇権縮小は必ず起きるので、日本が中露北と和解するのも不可避だ。 (S.Korean Fighter Fires 360 Rounds Of Warning Shots At Russian Jet In "Mid-Air Confrontation")

同様に韓国も、これまで敵視してきた北朝鮮と和解するため、目くらまし的な代わりの敵視相手として日本を選んでいる。日韓は戦後の「腐れ縁」であり、くだらない話で感情的に対立しても、必要になれば(目くらましとしての敵対が必要なくなれば)いつでも仲を戻せる。日韓の対立は、日韓双方にとって、多極型世界への過渡期の目くらましとしてちょうど良い。最近、河野外務大臣がさかんに韓国側と喧嘩して見せているが、もともと韓国と仲が良かった河野の韓国敵視は、安倍に命じられた演技以外の何物でもない。 (Shinzo Abe's Underhanded Trade War Against South Korea)

今回の中露軍機の日本海飛行に関しても、日本のマスコミは、ロシアと韓国の2国間の軍の衝突であるかのように報じている。ロシア単独でなく、中露の合同演習だったことは詳細に読んでいかないとわからないようにしてある。安倍政権はマスコミに、中国が関与していないかのように報じさせ、日本人が中国を敵視せぬよう誘導している。 (How Trump’s arch-hawk lured Britain into dangerous trap to punish Iran)

日韓の対立は目くらましなので、国際的に誰かが仲裁して日韓を仲直りさせる必要がない。米国も中露もそれを知っている。トランプは「必要なら仲裁する」と言いつつ、何もしていない。ボルトンも仲裁すると言って日韓を訪問したくせに、実際にやったことはイラン前面への派兵要請だ。トランプは、英国など同盟諸国を動かしてイランと対決させたうえで、米国自身はイランと和解して同盟国のはしごをはずそうとしている。英国はそれに引っかかってひどい目にあっている。この策略はボルトンの担当だ。日本も韓国も、ボルトンの要請を受けない。安倍はイランに行って仲良くしてきたばかりだ。日本はすでに「派兵しません」と宣言している。 (Trump’s ambiguous attitude on Seoul-Tokyo disputes) (Tokyo not considering sending military for US-proposed maritime coalition: Suga)

トランプの米国は、極東だけでなく中東からも撤退しようとしている。米国が「中国やロシアの脅威」を扇動的に語るのは「中東より中露の方が脅威なので、米軍を中東から撤退させますよ」と言うための詭弁だ。米軍は、中東から撤退しても日韓など中露前面を増強するわけでない。北問題が解決していくので、米軍は日韓からも出ていく。米軍が中東インド洋から出ていくと、その後のインド洋航路の防衛は米国に頼れなくなる。日本や韓国中国がバラバラに航路防衛をやるのは大変なので、日中韓やイラン、インド、パキスタンなどが連携して航路防衛(海賊対策)するようになる。日本は韓国中国と仲良くする以外の道がない。トランプのイラン敵視策に乗る国が皆無なのも当然だ。 (中東インド洋の覇権を失う米国) (安倍イラン訪問を狙って日系タンカーを攻撃した意図)

日本や韓国を対米自立させたいトランプは多分、安倍が中国と仲良くするための目くらましとして韓国との対立を扇動していることに賛成している。安倍は最近、徴用工や従軍慰安婦など歴史の問題でなく、半導体の対韓輸出を規制する策で韓国と対立しているが、これはトランプの貿易戦争戦略と似ており、トランプが安倍に「歴史問題は構造的に日本が不利なので、歴史問題でなく貿易戦争で韓国と対立したら良い」と入れ知恵した結果でないかと推測される。このトランプの入れ知恵にも落とし穴がありそうだが、それはいずれ見えてくるだろう。 (Japan says no comment on International Court of Justice plan in South Korea dispute)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html#c8

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
225. 中川隆[-8849] koaQ7Jey 2019年7月25日 10:56:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3865]

縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
https://www.asahi.com/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html

写真・図版
下本山岩陰遺跡から出土した人骨の一つ。臼歯を用いてDNAを抽出した(国立科学博物館提供)




 弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした。日本人類学会の機関誌Anthropological Science(日本語版)に発表した。

 九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、そして、西北九州弥生人だ。渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。

 今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に、核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。

 解析を進めた科博の篠田謙一・人類研究部長は「この結果をすべての西北九州弥生人に当てはめるのはまだ難しいが、対象となる古人骨を増やせば日本人が成立する過程の詳しいシナリオが分かってくるだろう」と語る。(米山正寛)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c225

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
226. 中川隆[-8848] koaQ7Jey 2019年7月25日 11:12:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3866]

2019年04月27日
篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html


 NHKBOOKSの一冊として、2019年3月にNHK出版から刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%9F%E3%81%A1%E2%80%95DNA%E3%81%8C%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A4%9A%E5%85%83%E7%9A%84%E6%A7%8B%E9%80%A0-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-No-1255-%E7%AF%A0%E7%94%B0/dp/4140912553


本書は

2007年2月刊行の『日本人になった祖先たち』(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html


の改訂版となります。本書は基礎的な解説に分量を割いており、DNA解析による人類集団の移動の推定の限界も指摘しているので、一般向けとして配慮された良書になっていると思います。著者が認めるように、前著刊行後の古代DNA研究の進展には目覚ましいものがあり、当然それもしっかりと取り入れられているため、一般層が日本語で読める遺伝学からの日本人形成論としてお勧めの一冊になっています。

 本書は、現生人類(Homo sapiens)の出アフリカと世界への拡散を簡潔に述べた後、日本列島への現生人類の拡散を詳しく解説しています。著者の見解については、報道や他の著書で読んでいたので、意外な感はありませんでした。ただ、最新の見解の体系的な解説ですから、より深く理解しやすくなっており、有益だと思います。縄文時代よりも前の日本列島の確実な人類遺骸はほぼ沖縄でしか発見されていないので、日本列島の古代DNA研究は縄文時代以降が主流となります。

 本書は「縄文人」について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の頻度の地域的差異から、均一だったのか、疑問を呈しています。縄文時代と現代の日本列島のmtHgの比較から、現代日本人に継承されているのは、東日本ではなくおもに西日本の「縄文人」のDNAだった、と本書は推測しています。Y染色体DNAハプログループ(YHg)でも、東日本の「縄文人」や「弥生人」は現代日本人によく見られるDであるものの、より詳しくは見ていくと、現代日本人で多いD1b1ではなくD1b2aで、こちらでも、東日本の「縄文人」のDNAが現代日本人にはあまり継承されていない、と示唆されます。

 「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響については、北海道礼文島の船泊遺跡の女性遺骸からの高品質なゲノム配列から推定すると、10%程度となるそうです。しかし本書は、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のmtHgの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測しています。西日本の「縄文人」の高品質なゲノム配列の決定が期待されます。

 弥生時代の人類遺骸でもDNA解析が進められています。「渡来系弥生人」のゲノム解析はまだ福岡県那珂川市の安徳台遺跡で発見された1人でしか成功していないそうですが、現代日本人の範疇に収まり、在来の「縄文系」との交雑の進展を示唆します。また本書は、在来の「縄文系」と交雑した「渡来系弥生人」が東進して在来の「縄文系」を吸収していったとすると、現代日本人の比率よりもさらに「縄文系」の遺伝的影響が高くなることから、古墳時代以降の渡来集団の遺伝的影響を想定しています。

 「縄文系」と考えられていた長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代の男女2人は、遺伝的には「縄文人」と現代日本人の中間に位置づけられ、形態から「渡来系」と「縄文系」に分類することの難しさを示しています。なお、下本山岩陰遺跡の2人のmtHgは、男性が「縄文系」のM7a、女性が「渡来系」のD4aとのことです。東北地方の弥生時代の男性は遺伝的には「縄文人」の範疇に収まるため、「弥生人」という均一な集団が存在したわけではない、と本書は指摘します。弥生時代末以降の古代DNA解析は進んでいないのですが、古墳時代に現代の「本土」日本人の遺伝的構成がおおむね形成されたのではないか、との見通しを本書は提示しています。

 本書は日本列島でもおもに「本土」を対象としていますが、沖縄も含む南西諸島と北海道は、「本土」とは異なる歴史・遺伝的構成があるとして、その形成過程を考察しています。南西諸島については、人類遺骸が少なく、不明なところが多分にあるのですが、「本土」の弥生時代から平安時代にかけて、「本土」から南西諸島へと人々が流入していき、在来集団と混合していったのではないか、と推測されています。北海道に関しては、「縄文人」のmtHgの構成が東北以南の「縄文人」と異なることから、ユーラシア北東部の周辺集団と把握されています。

 本書は日本語で読める最新の遺伝学からの日本人形成論で、良書と言えるでしょう。ただ、やや疑問に思ったところもあり、まずはYHg-A00系統がアフリカの(遺伝学的に)未知の「原人」に由来する、との認識です(P56)。その根拠として本書は、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代が34万年前頃であることを挙げています。ただ、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代については、当初338000年前(95%の信頼性で581000〜237000年前の間)とされていたものの(関連記事)、後の研究では239000年前頃(95.4%の信頼性で321000〜174000年前の間)とされています(関連記事)。いずれにしても、ゲノム解析では現生人類の最も深い分岐年代は35万〜26万年前頃と推定されていますし(関連記事)、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思えることを考えると(関連記事)、YHg-A00系統を「原人」由来と想定しなくともよいように思えます。

 次に、現生人類の起源に関して、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、とする多地域進化説が1990年代初頭まで人類学では定説だった、との認識です(P154)。そもそも、多地域進化説の最終的な成立が1980年代になってからですし、その時点ではアフリカ単一起源説もすでに提唱されており、激論が展開されていました。中には、1989年の時点でアフリカ単一起源説は疑う余地がないものとされており、多地域進化説を検討しようものなら、たちまち異端扱いされたほどだった、との認識さえ見られます(関連記事)。こちらもまた極端な見解と言うべきで、1980年代半ば〜1990年代後半にかけて、現生人類の起源に関してアフリカ単一起源説と多地域進化説のどちらかが定説として確立していたわけではない、と思います。また、本書の主題ではないので簡略な説明になってしまうのは仕方ないとしても、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、と多地域進化説を説明してしまうと、誤解を招くと思います。多地域進化説は、各地域独自の進化を強調しつつも、地域間の遺伝的交流も想定しており、そのため世界全体で、ホモ・エレクトス(Homo erectus)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような段階を経て現生人類へと進化した、と想定しているからです(関連記事)。まあ、最近読んだ本もそうだったように、現生人類の起源をめぐる議論は激しいものだったので、関わった人々の認識がやや偏ってしまうのは仕方ないかな、とは思いますが(関連記事)。


参考文献:
篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』(NHK出版)
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c226

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
24. 中川隆[-8847] koaQ7Jey 2019年7月25日 11:33:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]

縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
https://www.asahi.com/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html


写真・図版
下本山岩陰遺跡から出土した人骨の一つ。臼歯を用いてDNAを抽出した(国立科学博物館提供)

 弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした。日本人類学会の機関誌Anthropological Science(日本語版)に発表した。

 九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、そして、西北九州弥生人だ。渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。

 今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に、核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。

 解析を進めた科博の篠田謙一・人類研究部長は「この結果をすべての西北九州弥生人に当てはめるのはまだ難しいが、対象となる古人骨を増やせば日本人が成立する過程の詳しいシナリオが分かってくるだろう」と語る。(米山正寛)




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2019年04月27日
篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html


 NHKBOOKSの一冊として、2019年3月にNHK出版から刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%9F%E3%81%A1%E2%80%95DNA%E3%81%8C%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A4%9A%E5%85%83%E7%9A%84%E6%A7%8B%E9%80%A0-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-No-1255-%E7%AF%A0%E7%94%B0/dp/4140912553


本書は

2007年2月刊行の『日本人になった祖先たち』(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html


の改訂版となります。本書は基礎的な解説に分量を割いており、DNA解析による人類集団の移動の推定の限界も指摘しているので、一般向けとして配慮された良書になっていると思います。著者が認めるように、前著刊行後の古代DNA研究の進展には目覚ましいものがあり、当然それもしっかりと取り入れられているため、一般層が日本語で読める遺伝学からの日本人形成論としてお勧めの一冊になっています。

 本書は、現生人類(Homo sapiens)の出アフリカと世界への拡散を簡潔に述べた後、日本列島への現生人類の拡散を詳しく解説しています。著者の見解については、報道や他の著書で読んでいたので、意外な感はありませんでした。ただ、最新の見解の体系的な解説ですから、より深く理解しやすくなっており、有益だと思います。縄文時代よりも前の日本列島の確実な人類遺骸はほぼ沖縄でしか発見されていないので、日本列島の古代DNA研究は縄文時代以降が主流となります。

 本書は「縄文人」について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の頻度の地域的差異から、均一だったのか、疑問を呈しています。縄文時代と現代の日本列島のmtHgの比較から、現代日本人に継承されているのは、東日本ではなくおもに西日本の「縄文人」のDNAだった、と本書は推測しています。Y染色体DNAハプログループ(YHg)でも、東日本の「縄文人」や「弥生人」は現代日本人によく見られるDであるものの、より詳しくは見ていくと、現代日本人で多いD1b1ではなくD1b2aで、こちらでも、東日本の「縄文人」のDNAが現代日本人にはあまり継承されていない、と示唆されます。

 「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響については、北海道礼文島の船泊遺跡の女性遺骸からの高品質なゲノム配列から推定すると、10%程度となるそうです。しかし本書は、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のmtHgの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測しています。西日本の「縄文人」の高品質なゲノム配列の決定が期待されます。

 弥生時代の人類遺骸でもDNA解析が進められています。「渡来系弥生人」のゲノム解析はまだ福岡県那珂川市の安徳台遺跡で発見された1人でしか成功していないそうですが、現代日本人の範疇に収まり、在来の「縄文系」との交雑の進展を示唆します。また本書は、在来の「縄文系」と交雑した「渡来系弥生人」が東進して在来の「縄文系」を吸収していったとすると、現代日本人の比率よりもさらに「縄文系」の遺伝的影響が高くなることから、古墳時代以降の渡来集団の遺伝的影響を想定しています。

 「縄文系」と考えられていた長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代の男女2人は、遺伝的には「縄文人」と現代日本人の中間に位置づけられ、形態から「渡来系」と「縄文系」に分類することの難しさを示しています。なお、下本山岩陰遺跡の2人のmtHgは、男性が「縄文系」のM7a、女性が「渡来系」のD4aとのことです。東北地方の弥生時代の男性は遺伝的には「縄文人」の範疇に収まるため、「弥生人」という均一な集団が存在したわけではない、と本書は指摘します。弥生時代末以降の古代DNA解析は進んでいないのですが、古墳時代に現代の「本土」日本人の遺伝的構成がおおむね形成されたのではないか、との見通しを本書は提示しています。

 本書は日本列島でもおもに「本土」を対象としていますが、沖縄も含む南西諸島と北海道は、「本土」とは異なる歴史・遺伝的構成があるとして、その形成過程を考察しています。南西諸島については、人類遺骸が少なく、不明なところが多分にあるのですが、「本土」の弥生時代から平安時代にかけて、「本土」から南西諸島へと人々が流入していき、在来集団と混合していったのではないか、と推測されています。北海道に関しては、「縄文人」のmtHgの構成が東北以南の「縄文人」と異なることから、ユーラシア北東部の周辺集団と把握されています。

 本書は日本語で読める最新の遺伝学からの日本人形成論で、良書と言えるでしょう。ただ、やや疑問に思ったところもあり、まずはYHg-A00系統がアフリカの(遺伝学的に)未知の「原人」に由来する、との認識です(P56)。その根拠として本書は、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代が34万年前頃であることを挙げています。ただ、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代については、当初338000年前(95%の信頼性で581000〜237000年前の間)とされていたものの(関連記事)、後の研究では239000年前頃(95.4%の信頼性で321000〜174000年前の間)とされています(関連記事)。いずれにしても、ゲノム解析では現生人類の最も深い分岐年代は35万〜26万年前頃と推定されていますし(関連記事)、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思えることを考えると(関連記事)、YHg-A00系統を「原人」由来と想定しなくともよいように思えます。

 次に、現生人類の起源に関して、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、とする多地域進化説が1990年代初頭まで人類学では定説だった、との認識です(P154)。そもそも、多地域進化説の最終的な成立が1980年代になってからですし、その時点ではアフリカ単一起源説もすでに提唱されており、激論が展開されていました。中には、1989年の時点でアフリカ単一起源説は疑う余地がないものとされており、多地域進化説を検討しようものなら、たちまち異端扱いされたほどだった、との認識さえ見られます(関連記事)。こちらもまた極端な見解と言うべきで、1980年代半ば〜1990年代後半にかけて、現生人類の起源に関してアフリカ単一起源説と多地域進化説のどちらかが定説として確立していたわけではない、と思います。また、本書の主題ではないので簡略な説明になってしまうのは仕方ないとしても、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、と多地域進化説を説明してしまうと、誤解を招くと思います。多地域進化説は、各地域独自の進化を強調しつつも、地域間の遺伝的交流も想定しており、そのため世界全体で、ホモ・エレクトス(Homo erectus)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような段階を経て現生人類へと進化した、と想定しているからです(関連記事)。まあ、最近読んだ本もそうだったように、現生人類の起源をめぐる議論は激しいものだったので、関わった人々の認識がやや偏ってしまうのは仕方ないかな、とは思いますが(関連記事)。


参考文献:
篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』(NHK出版)
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c24

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
227. 中川隆[-8846] koaQ7Jey 2019年7月25日 12:25:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3868]

現代人のゲノムから過去を知る
Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少
2019-06-17 東京大学
https://tiisys.com/blog/2019/06/18/post-27212/

発表雑誌名:Scientific Reports

論文タイトル:Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon period

著者:Yusuke Watanabe, Izumi Naka, Seik-Soon Khor, Hiromi Sawai, Yuki Hitomi, Katsushi Tokunaga, Jun Ohashi*

発表のポイント

•日本人男性345名のY染色体全長の塩基配列解析を行い、縄文人に由来するY染色体系統を同定した。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図解析によって、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、急激な人口減少が起きていたことを明らかにした。

•現代人のゲノムデータから縄文時代の人口の変化を推定した。

•本研究の成果は、日本人の形成過程を解明する上で重要な知見となることが期待される。


発表概要

今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。

他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析をすると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。

縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。

本研究の結果は、縄文時代の遺跡数や規模などの変化から類推されてきた縄文時代後期・晩期に起きた急激な人口減少を裏付けるものである。

現代日本人のゲノム多様性を調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。

発表内容

現代日本人の成立過程に関しては諸説あるが、日本列島にいた縄文人と大陸から渡ってきた弥生人が混血したとする「混血説」が広く受け入れられている。日本列島人を対象としたゲノムワイドSNP解析においても、この説を支持する結果が得られている(Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium. 2012, J Hum Genet)。しかし、縄文人の歴史についてはいまだ不明な点が多い。

縄文人は、狩猟採集を生業としながらも定住生活を行い、非常に高い人口密度を達成した世界的にも注目される集団である。発見された遺跡数やその規模等をもとに、縄文時代の人口は縄文時代後期・晩期にかけて急減し、弥生時代に入って急増したと推定されている(Koyama. 1979, Senri Ethnological Studies)。しかし、遺跡の発見はそのロケーション等に依存しており、遺跡が無いのか(人口が少なかったのか)、それとも発見できていないのかを判断することは難しい。

今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体(注1)の全塩基配列決定と変異解析を行った。

常染色体と異なりY染色体は組換えを受けないため、塩基配列の違いをもとにY染色体の系統を区別することができる。そこで、日本人男性345名のY染色体の系統解析(注2)を行ったところ、日本人のY染色体は7つの系統に分かれることが示された(図1)。


さらに、韓国人・中国人を含む他の東アジア人を併せて解析した結果、日本人で35%の頻度でみられる系統1は、他の東アジア人集団ではほとんど観察されないことが示された(図2)。

図1. 日本人345名のY染色体の分子系統樹。数値は各系統のブートストラップ値。
図2. 各Y染色体クレードの東アジア集団における地理的分布。
https://tiisys.com/blog/2019/06/18/post-27212/


系統1に属する日本人Y染色体の変異を詳細に解析したところ、系統1はYAP (注3)という特徴的な変異をもつY染色体ハプログループD1b (注4)に対応していることが示された。YAP変異は、形態学的に縄文人と近縁と考えられているアイヌ人において80%以上という高い頻度で観察されることが知られている。渡来系弥生人の主な母体である韓国人集団や中国人集団には系統1に属するY染色体が観察されなかったことも踏まえると、系統1のY染色体は縄文人に由来すると結論できる。ちなみに、同一検体のミトコンドリアDNA (注5)の系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。

次に、系統1に含まれた122人の縄文人由来Y染色体を対象に遺伝子系図解析(注6)を行ったところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、人口が急減した後、急増したことが示された(図3)。なお、本研究はY染色体を対象としており、厳密には男性の集団サイズの変化を推定したことになるが、男性の数のみが変化したとは考えにくいため、女性の集団サイズも同様の変化を示したと思われる。

図3. 系統1に含まれる縄文人由来Y染色体を用いて推定した集団サイズの変化。 縄文時代晩期から弥生時代にかけて縄文人の人口が減少したことを示している。本研究では系統1のY染色体のみを用いて推定しているため(バイアスがあるため)、相対的な人口の変化を示している。

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給が可能になったためと考えられる。

本研究では、現代日本人のY染色体データをもとに縄文時代の人口の変化を推定した。現代日本人のゲノムデータを調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。本研究は、混血した集団の祖先集団における人口の変化を推定する良いケーススタディであり、本研究がとったアプローチは日本人のみならず他の集団の解析にも役立つことが期待される。

用語解説

注1 Y染色体

男性がもつ性染色体の一つであり、性別決定に重要なSRY遺伝子を含む。父性遺伝するため、集団遺伝学的研究ではY染色体の系統は父系を反映する遺伝マーカーとして利用される。

注2 系統解析

塩基配列またはアミノ酸配列を比較し、配列間の進化的関係(分岐のパタン)を調べる統計学的手法。

注3 YAP

Y-chromosome Alu Polymorphismの略。Y染色体の長腕部にある約300塩基からなるAlu配列の挿入変異。アフリカ人集団にも観察されることから、アジア人の祖先がアフリカを出る前に誕生した変異と考えられている。

注4 Y染色体ハプログループD1b

Y染色体上の多型サイトの組合せによって分類される系統をハプログループといい、YAP変異をもつハプログループDの下位系統の1つ。

注5 ミトコンドリアDNA

細胞小器官であるミトコンドリア内にあるDNA。母性遺伝するため、集団遺伝学的研究では、ミトコンドリアDNAの系統は母系を反映する遺伝マーカーとして利用される。

注6 遺伝子系図解析

全ての生物において、親の遺伝子が複製されたコピーが子どもに伝わる。したがって、時間を遡って遺伝子コピーの親を辿っていくと、最終的に一つの共通祖先遺伝子に到達する。この過程を表現したものを遺伝子系図といい、遺伝子系図からその集団の人口の変化を推測することができる。

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―
https://tiisys.com/blog/2019/06/18/post-27212/

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c227

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
228. 中川隆[-8845] koaQ7Jey 2019年7月25日 12:58:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]

2019年05月07日
現代日本人のY染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_11.html


 現代日本人のY染色体DNAハプログループ(YHg)では、Dが30〜40%と高い割合を占めています。YHg-Dは現代では珍しいハプログループで、おもにアジア東部の一部地域とアンダマン諸島で見られます。アンダマン諸島ではYHg-Dは高頻度で見られ、アジア東部では日本列島とチベットを除くときわめて低頻度でしか存在しません。そのため、YHg-Dを現代日本人の独自性の根拠とする言説をネットでよく見かけます。とくに、「縄文人」においてYHg-Dが確認されてからは、長期にわたる日本の独自性が強調される傾向にあるように思います。「縄文人」の父系は現代日本人においてもその多くが継続している、というわけです。

 確かに、現代日本人で高頻度なのはYHg-D1b(ちなみに、チベットで高頻度なのはYHg-D1aです)で、これは「縄文人」でも確認されていますから、そうした言説に一定以上の根拠があることは否定できません。ただ、現時点で確認されている「縄文人」およびゲノム解析で「縄文人」の変異内に収まる東北地方の弥生時代の男性は全員YHg-Dに分類されるものの、より詳細に分類できる個体は全員、YHg-D1b2aです(関連記事)。一方、現代日本人で多いのはYHg-D1b1です。YHg-D1bは、D1b1 とD1b2に分岐し、D1b2からD1b2aが派生します。つまり現時点では、現代日本人のYHgにおいて多数派のD1b1は「縄文人」では確認されていないので、弥生時代以降にアジア東部から到来した可能性も一定以上想定しておかねばならないだろう、と私は考えています。

 この問題は十数年前より考えていましたが、少なからぬ人も考えているであろうように、YHg-Dがかつてアジア東部に一定以上の頻度で広範に存在していた可能性は低くないように思います(関連記事)。もちろん、「縄文人」の核DNA解析数はまだ少なく、東日本に遍在しているため、今後西日本の「縄文人」の解析が進めば、YHg-D1b1がかなりの頻度で発見されるかもしれません。ただ、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域はせいぜい20%程度にしかならないと予想されており(関連記事)、父系の30〜40%が「縄文系」だと多いかな、とも思います。もちろん、あり得ない数値ではありませんし、仮に現代日本人のYHg-D1b1のうち一定以上の割合が弥生時代以降の「渡来系」だとしても、現代日本人の父系の一定以上の割合は「縄文系」だと思いますが。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_11.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c228

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
229. 中川隆[-8844] koaQ7Jey 2019年7月25日 13:04:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3870]

2007年03月30日
日本とチベットの近縁性?
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_31.html

 先日このブログで述べた、篠田謙一『日本人になった祖先たち』では、
http://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html

Y染色体DNAの分析にも1章割かれていると紹介しましたが、そこにはY染色体のハプログループについて興味深いデータが掲載されています。とはいっても、このデータは日本人の起源論に関心のある人にとってはよく知られたものなので、目新しさはありません。

 そのデータは、Y染色体のハプログループDについてのものなのですが、現代日本人男性の3〜4割はこれを持っています。しかし、ミトコンドリアDNAのハプログループ頻度で日本と近い韓国や北京の男性は、これをほとんど持っていません。しかしチベット(定義が厄介なのですが・・・)の男性の3割は、このY染色体のハプログループDを持っています。

 このことから、日本とチベットとの密接な関係を論じる人がいますが、『日本人になった祖先たち』で述べられているように、元々ハプログループDが広く分布していた東アジアにおいて、中国や朝鮮では後になってハプログループOの系統が勢力を拡張したのにたいし、日本とチベットではその影響を受けなかった、と考えるのがよさそうです。つまり、チベットでは山が、日本では海が障壁になったのではないか、というわけです。

 ブリテン島やアメリカ大陸の研究事例では、征服があったとされる地域において、土着系と征服系のDNAの割合について調べると、Y染色体(父系)と比較して、ミトコンドリアDNA(母系)のほうが、土着系と思われるハプログループの割合が高いという推定がなされています。おそらく、中国・朝鮮と日本とのY染色体ハプログループ頻度の違いは、有史以降も含めて、農耕開始以降の大規模な征服活動の有無に起因するところが大なのではないか、と推測されます。

 ちょっと考えてみると分かりますが、男性が潜在的に残せる子孫の数は、女性のそれよりはるかに多くなります。また、支配層の男性は複数の妻を持ち、庶民と比較すると多く子孫を残しやすくなります。そうすると、母系の遺伝的構成(ミトコンドリアDNA)には大きな変化がなくても、男系の遺伝的構成(Y染色体)では大きな変化が生じることもありえます。おそらく日本では、縄文〜弥生の変化も緩やかなものだったのでしょう。近年になって提示された、弥生時代の実年代の繰り上げが妥当かどうか、まだ結論は出ていませんが、縄文〜弥生の変化が緩やかだとすると、実年代の繰り上げのほうに分があると言えそうです。

 中国における春秋戦国・魏晋南北朝・五代十国のような、とくに父系の面での大きな遺伝的変化をもたらす人類集団の移動・争乱が日本になかったのは、日本が海に囲まれているからで、やはり海の障壁としての役割は重視しなければいけないのだと思います。もっとも私は、そこから日本孤立論、さらには日本文明独自論を主張するつもりはなく、前近代においては、日本が中国も含む東アジア文明圏の一員だったと考えていますが。

 こうした遺伝データを見て改めて思ったのは、チベットと朝鮮の運命の違いです。『日本人になった祖先たち』でも触れられているように、漢族は遺伝的には多様な集団なので一概には言えませんが、おそらく華北の漢族は、遺伝的にはチベット族よりも朝鮮族のほうに近いでしょう。文化的にも、中国文化の影響度はチベットよりも朝鮮のほうがずっと強かったでしょう。また政治的にも、中華文明の中心地に樹立された政権の歴史的な影響度は、少なくとも清朝の途中までは、チベットにおいてよりも朝鮮においてのほうがずっと強かったでしょう。しかし、現在チベットは中華人民共和国の一地域で、朝鮮は南北に分かれているとはいえ、独立国です。

 両者の違いは、清代以降の政治状況に起因するのですが、19世紀後半には、清朝にも朝鮮の支配を強化しようという動きがありましたから、あるいは朝鮮が中国領土に組み込まれていたかもしれません。しかし、清朝は日本に破れ、朝鮮の独立を公的に認めざるを得なくなり(もっとも清朝は、一時的にせよ直接支配を強めたチベットとは異なり、朝鮮を実質的には支配できていませんでしたが)、清朝末〜中華民国という混乱期においても、朝鮮を新生中国に組み入れようとの言説はなかったようです(あるいは、私の知らないところであったのかもしれませんが・・・)。

 チベットの独立派からすると、歴史的に漢族と疎遠だったチベットが中国に組み込まれていることや、中国政府の抑圧的体質に不満なのでしょうし、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのになぜ自分たちが中国の支配下にあるのだ、との思いもあるのでしょうが、政治とは非情なもので、すべての人が満足のいくようにはならないものです。

 一方中国の漢族のなかには、中華民国も中華人民共和国も基本的には清朝を継承しているのに、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのは納得がいかない、と考えている人も少なからずいるでしょうが(そうした漢族の人々は、チベットについてはとうぜん中国領と考えています)、ソ連という後ろ盾のあるモンゴル人民共和国を不本意ながらも承認してしまった経緯があるので、現在ではこの問題について公的に不満を表明する人はいないようです。
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_31.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c229

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
230. 中川隆[-8843] koaQ7Jey 2019年7月25日 13:42:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3871]

2019年06月19日
Y染色体DNA解析から推測される縄文時代晩期の人口減少
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_38.html


 父系継承のY染色体(厳密にはわずかにX染色体との間で組換えが起きますが)DNA解析から縄文時代晩期の人口減少を推測した研究(Watanabe et al., 2019)が報道されました。

解説記事
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

もあります。

本論文は、現代日本人を北海道のアイヌ、本州・四国・九州(およびそれぞれのごく近隣の島々)から構成される「本土」、沖縄の琉球の3集団に区分しています。私も、これは遺伝的にも文化的にもおおむね妥当な区分だと思います。ただ、言語を中心とする文化的には、本土集団と琉球集団が近縁なのにたいして、アイヌ集団は両集団とはかなり異なります。

 現代日本人の形成過程は、3集団それぞれで異なります。アイヌ集団は「縄文人」を基盤にオホーツク文化集団などユーラシア北東端集団との融合により形成された、と考えられています(関連記事)。本土集団は、縄文人と弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した集団との融合により形成され、後者の方が現代人にはずっと多くの影響を残している、と推測されています(関連記事)。琉球集団は、在来の集団と中世に九州南部から到来した集団との融合により成立した、と考えられます(関連記事)。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、ある程度の幅が想定されていますが、アイヌ集団では66%、本土集団では9〜15%、琉球集団では27%です(関連記事)。アイヌ集団が最も強く縄文人の遺伝的影響を受けており、本土集団は、弥生時代以降のアジア東部からの渡来集団の遺伝的影響を強く受けている、と考えられています。

 本論文は現代日本人345人のY染色体の全塩基配列を決定し、28254ヶ所の一塩基多型を解析しました。本論文はこのデータを、3006ヶ所の一塩基多型を用いて解析されたアジア東部大陸部の各現代人集団と比較しました。対象となったのは、韓国人、ベトナムのキン人、中国北部(北京)の漢人、中国南部の漢人、中国のシーサンパンナタイ族自治州のタイ人です。現代日本人のY染色体DNAは異なる7クレード(単系統群)に区分されました。このうちクレード1はアジア東部大陸部で見られず、現代日本人において特異的です。一方、例外も報告されているものの(関連記事)、原則として母系継承のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、日本人特有のクレードが見られませんでした。

 クレード1の割合は、現代日本人の本土集団で35.34%、全体では35.7%です。クレード1はY染色体DNAハプログループ(YHg)D1bに相当します。クレード1の割合は現代日本人3集団において最も縄文人と遺伝的に近縁なアイヌ集団で81.3%と高く、本論文はクレード1が縄文人由来と推測しています。クレード2および3は日本人も含むアジア東部集団やアジア南東部集団で比較的高く、クレード2はYHg- O1、クレード3はYHg- O2に相当します。クレード4および5はYHg-C、クレード6および7はYHg-Nに相当します。本土集団における各クレードの割合は、クレード2が35.4%、クレード3が19.7%、クレード4が4.1%、クレード5が4.1%、クレード6が0.9%、クレード7が0.6%です。縄文人におけるY染色体DNAの7クレード割合は、クレード1が約70%、クレード2が14%、クレード3が2%と推定されました。本土集団のクレード3はほぼ弥生時代(以降の)移民に由来すると考えられます。

 本土集団のクレード1の122人のY染色体に関して、ベイジアンスカイラインプロット(BSP)分析が行なわれました。これは、組換えのない相同領域に注目してサンプルDNAに関する分岐パターンと分岐年代を推定し、そこから集団サイズの履歴を推定する方法です。縄文時代が始まった直後の12500年前頃以後に男性の有効人口規模はじょじょに増加し、3200年前頃に急激に減少しました。その後すぐ、クレード1の有効人口規模は増加しました。クレード3の68人の分析では人口減少は観察されず、弥生時代の移民が日本列島に到来した時に、深刻なボトルネック(瓶首効果)は起きなかった、と示唆されました。これは、本土集団のゲノムの80〜90%が弥生時代以降の日本列島への移民に由来する、という以前の観察と一致します。

 縄文時代は、草創期(16500〜11500年前頃)→早期(11500〜7000年前頃)→前期(7000〜5470年前頃)→中期(5470〜4420年前頃)→後期(4420〜3220年前頃)→晩期(3220〜2350年前頃)と一般的に区分されています(関連記事)。本論文は縄文時代の始まりを12500年前頃としていますが、これは、土器製作の開始だけでは縄文時代の指標とは言えず、より定住性が高いことなど縄文的な生活様式の定着が指標になる、との見解を本論文が採用しているからでしょう。もちろん、縄文時代もその次の弥生時代も、本土に限っても一律に移行したわけではなく、地域による年代差があったでしょう。なお、北海道が縄文時代に移行するのは本土に遅れて9000年前頃だった、との見解もあります(関連記事)。

 本論文の見解は、縄文時代後期〜晩期にかけての人口減少という考古学的知見と整合的です。以前の研究では、縄文時代後期〜晩期にかけて、気候変動とともに食性が変わった、と報告されており、狩猟採集への依存度の高い縄文人の人口は、寒冷化による食料不足により減少したのではないか、と本論文は指摘しています。本論文の知見は、弥生時代以降の急速な人口増加も示唆します。これは、本格的な稲作の導入により、食料を安定的に調達できたからではないか、と本論文は指摘しています。本論文の縄文時代後期〜弥生時代初期にかけての人口変動の推定は、厳密には男性に限定されています。人類集団の混合が起きる時、一般的に混合集団への遺伝的寄与は男女で異なるので、縄文人女性の人口史は縄文人男性のそれとは異なっていたかもしれない、と本論文は指摘しています。本論文というか一般的な見解に従えば、縄文人の現代日本人への遺伝的影響は、ゲノム解析からの推定よりもY染色体DNAからの推定の方がずっと高そうです。しかし、後述のように、この見解には疑問も残ります。

 YHg-D1bとなるクレード1は日本列島でしか見られず、YHg-D1もアジア東部ではほぼ日本列島とチベット人にしか見られません。中国と韓国でYHg-D1がほぼ見られないことから、YHg-D1系統の分岐と日本列島への拡散経路およびその年代について、現時点では詳細は不明です。本論文は、YHg-D1bの分岐は縄文人の祖先が日本列島に到達する前に起きた、と推測しています。ただ、現代日本人で多数派なのはYHg- D1b1なのに、縄文人では最近まで詳細な解析の可能な個体ではYHg-D1b2aしか確認されておらず(解説記事)、最近になってYHg-D1b2bが確認されました(関連記事)。いずれにしても、YHg- D1b1はまだ縄文人では確認されていないので、本論文でのクレード1がすべて縄文人由来なのか、断定は時期尚早だと思います。

 チベットと日本列島にYHg-D1が高頻度で存在し、その中間の中国と韓国にほぼ存在しないことから、YHg-D1はかつてユーラシア東部に広範に存在していたものの、文献が残っているような時代も含めてその後の大規模な人類集団の移動により、中国や韓国では他の系統に置換された可能性があります。私が想定しているのは、本論文でのクレード1の一定以上の割合が、弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来している可能性なのですが、この仮説は、無視してよいほど可能性が低いわけではないものの、優先順位はかなり低いので後回しにしてもよい、といった水準ではなく、真剣に検証されるべきだと思います。この問題に関しては最近取り上げましたが(関連記事)、やはり現代人のDNA解析だけで過去の人類史を復元するのには大きな限界があり、ユーラシア東部の古代DNA研究の進展を俟つしかないでしょう。


参考文献:
Watanabe Y et al.(2019): Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon period. Scientific Reports, 9, 8556.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-44473-z

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_38.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c230

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
231. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:08:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3872]

2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

 北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)が公表されました。

この研究についてはすでに報道されていました(関連記事)。


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html

この研究はオンライン版での先行公開となります。現代日本人は大きく、アイヌ集団・「本土」集団・琉球集団に区分されます。現代日本人の起源は人類学・考古学・遺伝学で長く議論されており、縄文人が共通の祖先集団となっていることについては、おおむね共通認識になっている、と言えるでしょうが、縄文人と縄文時代以後の渡来集団の現代人への遺伝的影響度合など、これらの集団はそれぞれ異なる形成史を有する、と推測されています。

 さらに、縄文人の起源についても、形態学ではアジア北東部説と南東部説が提示されており、明確ではありません。20世紀第4四半期以降、縄文人のDNA解析も進められ、まずミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、その後は核DNAも対象となり、ゲノム規模のデータも報告されています(関連記事)。しかし、高品質とは言えないのでその網羅率は高くなく、縄文人の遺伝的特徴を理解するのに充分ではありませんでした。これまで、縄文人の遺伝的特徴に関しては、本土集団よりも縄文人の遺伝的影響を強く保持していると推測されてきた、アイヌ集団と琉球集団から間接的に推測されてきました。

 本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました(DNA配列の深度のピークは、F5が1倍、F23が48倍です)。DNA解析からF5は男性、F23は女性と推定され、これは形態学的所見と一致します。この船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

 F5もF23もmtHg-N9b1で、以前の研究と一致します。ただ、両者ともN9b1のサブグループであるN9b1a・N9b1b・N9b1cには分類されませんでした。F5はYHg-D1b2bで、これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので(関連記事)、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

 F23のゲノムから表現型も推測されています。F23の血液型は、ABO式ではA(AO)、Rh式ではRhD+です。ただ、ABO式血液型のAx02のアレル(対立遺伝子)では、縄文人のAx0201とAx0202は現代日本人も含む他集団では稀です。シャベル状切歯の程度はわずかで、歯冠サイズは中間的と推定され、これまでに報告されてきた縄文人の特徴と一致します。ただ、F23に切歯は残っていないので、じっさいに形態と一致するのか、確認できませんでした。F23の髪は細いと推測されています。F23の耳垢は湿性で、これは縄文人も含むアジア北東部集団において多数派だったと考えられています。F23のアルコール耐性は高く、肌と虹彩の色は中間程度の濃さと推定されています。F23の身長型スコアはやや低く、アジア東部の現代人集団と比較して身長が低い、と示唆されます。これらのF23の特徴は、形態学からしてきされていた、低身長、弥生時代以降の農耕民より小さな歯、現代アジア東部集団と比較しての非シャベル状切歯頻度の高さなどといった縄文人の特徴とよく合致しています。

 F23の色素関連遺伝子(MC1R)の多様体からは、ソバカスや深刻なシミ(日光黒子)の危険性の高さが推測されています。また、F23は心筋症や統合失調症と関連した多様体を有していました。F23がホモ接合型で有している、CPT1A遺伝子の多様体(p.Pro479Leu)はF5でも見られます。CPT1A遺伝子は脂肪酸代謝に必須で、F23の多様体は、ケトン性低血糖症や乳幼児死亡率の高さといった疾患、インシュリン抵抗性の低下、身長や体重など体格の低下と強く関連しています。この多様体は北極圏の先住民集団では70〜90%と高頻度で見られますが、他集団ではほぼ見られません。これは、高脂肪食や寒冷環境への適応と関連しており、脂肪の豊富な海生哺乳類を主要な食資源としていたことを反映しているのではないか、と推測されています。じっさい、同位体分析により、船泊縄文人は陸生および海生動物を食べていた、と推測されています。ただ、この多様体の起源がどの集団にあるのか、また北東部縄文人に共通しているのか、まだ明らかではありません。

 F23は現代人と比較してヘテロ接合性が低く、ホモ接合性が高い、と明らかになりました。これは、F23の遺伝的多様性の低さを示します。しかしF23は、長いホモ接合性領域が近親婚による個体と比較して少なく、直近世代での近親婚はなかっただろう、と推測されています。形態学的類似性と抜歯のような共通習慣から、北海道の最北部と南西部では文化的・遺伝的交流があったと推測されており、近親婚が避けられていた、と考えられます。F23の遺伝的多様性の低さと関連して、船泊縄文人集団系統の人口規模は小さく、次第に有効人口規模が小さくなっていったのではないか、と推測されます。具体的には、7700世代よりも前には20000人、7700世代前には10000人、2500世代前には5000人、100世代前には200人と減少していった、と推定されています。1世代を20〜30年と仮定すると、50000年前頃以降に顕著に有効人口規模が低下していったと推測され、これは現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散に伴う創始者効果と対応しているのでしょう。

 船泊縄文人(F23)は三貫地縄文人(関連記事)と同じく、アフリカ人・ヨーロッパ人・サフルランド(更新世寒冷期に陸続きになっていてたオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島)人・アメリカ大陸先住民よりも、ユーラシア東部集団と遺伝的に密接でした。アジア東部集団との比較では、船泊縄文人は他の現代ユーラシア東部集団とは異なっており、現代日本人は船泊・三貫地・伊川津の縄文人とユーラシア北東部集団との間に位置します。船泊・三貫地・伊川津の縄文人は、他の集団との比較で遺伝的に相互に密接な関係にあります。

 船泊縄文人系統は、パプア系統とユーラシア東部系統が分岐し、次に4万年前頃の華北の田园(Tianyuan)男性(関連記事)系統と他のユーラシア東部系統が分岐した後、ユーラシア東部系統とアメリカ大陸先住民系統が36000±15000年前頃に分岐する前に、ユーラシア東部系統と分岐した、と推定されています。ただ、25000±1100年前頃まで両者の間には遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。漢人と船泊縄文人との分岐は、38000〜18000年前頃と推定されており、この期間に船泊縄文人系統は他のユーラシア東部系統と分岐したのでしょう。なお、アメリカ大陸先住民は、ユーラシア東部系統と田园系統が分岐した後のユーラシア東部系統だけではなく、ヨーロッパ系統と近縁なシベリア南部中央系統(古代ユーラシア北部集団)の強い遺伝的影響を受けています(関連記事)。

 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、現代人ではアムール川下流域のウリチ人(Ulchi)・韓国人・台湾先住民のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)・イゴロット人(Igorot)などのフィリピン人・日本人で、古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。いずれもアジア東部沿岸圏に存在します。船泊縄文人との遺伝的距離では、漢人は日本人・韓国人・台湾先住民よりも遠く、YHgでは船泊縄文人および日本人と密接なチベット人も、ゲノム解析では他のアジア東部集団と比較して、とくに船泊縄文人と近縁というわけではありませんでした。漢人など多くのアジア北東部集団よりも船泊縄文人と遺伝的に近い現代人集団の中では、日本人が最も近く、ウリチ人がそれに続き、その後が韓国人・アミ人・タイヤル人です。

 注目されるのは、F23が他のほとんどのアジア東部集団よりもオーストラリア大陸先住民と多くのハプロタイプを共有していた、と推定されたことです。アマゾンの一部アメリカ大陸先住民集団にはオーストラレシア人の遺伝的影響が指摘されていますが(関連記事)、船泊縄文人とほとんどのアジア東部集団は、このアマゾンの祖先集団とは近縁ではない、と推測されています。この問題は謎めいており、解明には現代人と古代人のゲノムデータのさらなる蓄積が必要となるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでによく知られているでしょうが(関連記事)、F23のゲノムへのネアンデルタール人およびデニソワ人の影響は、アメリカ大陸先住民集団やアジア東部集団とほぼ同じです。

 上述のように、船泊縄文人ではmtHg- N9b1とYHg- D1b2bが確認されています。mtHg- N9bとYHg- D1bはいずれもほぼ日本列島にのみ存在し、共通祖先の推定年代は、前者が22000年前頃、後者が19400年前頃です。現代のユーラシア東部集団に遺伝的影響を残していない新石器時代ユーラシア東部集団が日本列島に拡散し、船泊縄文人も含む北部縄文人の祖先になった可能性もありますが、本論文は、北部縄文人を日本列島の更新世集団の子孫という見解を支持しています。

 上述のように、船泊縄文人は、アジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁です。これはゲノムデータだけではなく、mtHgでも同様です。これに関しては、アジア東部沿岸地域への最初の移住集団を共有しているか、縄文人系統が他のアジア東部集団と分岐した後の遺伝子流動が考えられます。上述した日本人とウリチ人の船泊縄文人との遺伝的近縁性の高さと、ウリチ人の祖先集団と考えられる悪魔の門集団と船泊縄文人との遺伝的類似性の低さからも、両者の間の遺伝子流動が支持されています。しかし、韓国人やアミ人やタイヤル人に関しては、どちらの仮説がより妥当なのか、判断は困難で、もっと多くのゲノムデータが必要と本論文は指摘します。

 上述のように、船泊縄文人は漢人よりも日本人やウリチ人や韓国人や台湾先住民といったアジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁なのですが、漢人よりもさらに遠い関係にあるのが、タイなどのアジア南東部集団です。船泊縄文人と漢人やアジア南東部集団との関係について本論文は、(1)未知の集団とアジア南東部祖先集団との交雑、(2)船泊縄文人系統と漢人関連古代集団との間の分岐後の遺伝子流動、(3)船泊縄文人およびアジア北東部大陸集団の共通祖先とアジア南東部集団との分岐後に、古代アジア南東部集団が大陸部アジア北東部集団と交雑した、という可能性を想定しています。本論文は、カンボジア人における遺伝的にヨーロッパ集団ともアジア東部集団とも等距離にある未知のユーラシア集団からの16%ほどの遺伝的影響から、(1)を支持しているものの、その他の2仮説のさらなる検証の必要性も指摘しています。

 現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 じゅうらいの諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。これらのシベリア北東部集団は、現代人ではアムール川下流域の集団と近縁と推測されていますが、アイヌ集団の形成過程のより詳細な解明も、アジア北東部の古代DNA研究の進展が必要となります。アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが(関連記事)、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。

 本土集団と琉球集団は、先住の縄文人と後に渡来した人々との混合と考えられます。この後に渡来した集団は、おそらく弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した農耕民で、現代人では韓国人や漢人と遺伝的に近縁です。もちろん、現代の韓国人や漢人も歴史的に形成されてきたわけで、紀元前9世紀〜紀元後6世紀にかけて日本列島に到来したアジア東部集団の遺伝的構成が、そのまま現代の韓国人や漢人と同じというわけではありません。本土集団における縄文人の遺伝的影響は高くとも15%程度と本論文では推定されていますが、この数字が独り歩きすることは懸念されます(関連記事)。上述したYHg-D1b1の問題からも、縄文人は均質的でありながらもある程度の地域差があり、本土集団に大きな影響を残しているのは西日本の縄文人とも考えられるからです。現代日本人の起源については、日本列島のみならずユーラシア東部の古代ゲノムデータの蓄積が必要で、日本人の私は今後の研究の進展をたいへん楽しみにしています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c231

[政治・選挙・NHK263] 日韓関係の改善には韓国が歴史ファンタジーをまずやめるべきだ。(日々雑感) 笑坊
2. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:26:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3873]
そもそも日本軍が朝鮮に行かなければこういう問題は起きなかっただろ

朝鮮人が朝鮮を近代化してくれと頼んだ訳じゃないぞ

日本が朝鮮のコメを飢餓輸出して餓死者が続出したから日本人は憎まれたんだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/616.html#c2

[政治・選挙・NHK263] 日韓関係の改善には韓国が歴史ファンタジーをまずやめるべきだ。(日々雑感) 笑坊
3. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:29:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3874]
>>1

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%81%95%E3%81%84%E5%9B%BD

【東京発信・Cool Eyes】第16回 歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%83%BB%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%A8%E6%BA%80%E5%B7%9E%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8D

じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91


宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E6%9C%9D%E9%AE%AE

宮脇淳子 韓国を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E9%9F%93%E5%9B%BD

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/616.html#c3

[政治・選挙・NHK263] 日韓関係の改善には韓国が歴史ファンタジーをまずやめるべきだ。(日々雑感) 笑坊
4. 中川隆[-8845] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:32:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]
>>1
ダメダメ家庭の目次録 05年4月22日
韓国の高校の歴史教科書
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm

歴史を眺めていると、ちょっとおもしろいことがあったりします。

ある国が滅んだ後で、別の体制となるわけですが、その滅んだ国の形式的後継者と、実質的というか心理的な後継者が違っていたりする事態が発生することもあります。

たとえば、最近の例では、ナチスドイツの形式的な後継者は、昔の西ドイツという国でした。正式な名称はドイツ連邦共和国・・・今の統一ドイツがこの国です。しかし、実質的にはナチスドイツの後継者は東ドイツの方でしたよね?

ナチスドイツと東ドイツは、権威主義だったり、秘密警察が暗躍する恐怖社会だったり、反米というスタイルにおいても同じと言えるかも?
ナチスドイツは共産主義に反対する立場の政府で、東ドイツは共産主義社会という意味では、本来は全く反対の統治システムになるはずですが、実質的には同じ社会。

同じようなことが、日本でも言えます。

現在の日本は、かつての大日本帝国の形式上の後継者であると言えますし、元首である天皇は共通していますが、その統治形態としては実質的にはかなり違っています。

かつての大日本帝国の実質的な後継者は、むしろ韓国だったり、北朝鮮だったりするわけ。

それこそ、言論弾圧の統制社会だし、権威主義だったり、妙な民族主義があったりするでしょ?それに反米だし、秘密警察が大活躍。

それにコンプレックスが強く、ムダに「大」の字を使いたがるところとか。

「日本が大嫌い!」の韓国や北朝鮮は、大日本帝国の統治システムを十分に受け継いでいるわけです。

さて、メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、一種の総集編として、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーで、種々な「作品」の中に描かれているダメダメ家庭の具体的事例をピックアップしたりしています。

今回はその「作品」として「韓国の高校の歴史教科書」を取り上げます。

「オイオイ!!教科書が『作品』かよ?」
と思われる方も多いでしょう?

しかし、これがまた目眩がするぐらいに、ダメダメなスタイルが詰まった「作品」なんですね。

よく韓国や中国が、日本の歴史教科書についてイチャモンをつけて来ますよね?
まあ、どうしてそこまで「人のすること」に関心を持ったりするのでしょうか?これって典型的なクレーマーの所業でしょ?クレーマーは「自分がやらなければいけないこと」には関心がなく、「人のやっていることに文句をつける。」そのような習性があるわけ。

では、日本の歴史教育に文句を付けてくる韓国の方は、どのように歴史を教えているのでしょうか?
何も「あら探し」と言うわけではないにせよ、韓国の歴史教科書を読んでみるのも悪くはないでしょう。

ちなみに、歴史的事件に限らず、事件を記述するのには、一種の定石があります。
よく言う「5W1H」というヤツです。「いつ(=WHEN)」、「どこで(=WHERE)」、「誰が(=WHO)」、「何故に(=WHY)」、「何を(=WHAT)」、「どのように(=HOW)」の6つを中心に記述していくものです。

たとえば、日本の有名な歴史的事件である戦国時代の長篠の合戦を例にしてみましょう。

「いつ」は1575年。「どこで」は今の愛知県の長篠の地で。「誰が」は織田信長と武田勝頼が。「何故に」は、織田家と武田家の領土争いで。「何を」は、合戦をした。「どのように」は武田家の側は、伝統的な騎馬軍で、織田軍は先進的な鉄砲部隊で・・・という記述になります。

また、歴史的事件だったら、上記の記述の他にも、「その影響」という事項も付け加える必要があります。長篠の合戦においては、織田家は最大のライバルを打ち破って、天下付武への強力な前進となりました。勿論のこと、軍事的戦法の革新という影響もあります。

と同時に、歴史的事件の記述に際しては、重要なことがあります。
資料名です。

たとえば、織田家では正式な記録として「信長公記」という記録があります。当然のこととして武田家にも正式な記録があり、その資料に、この長篠の合戦の公式の記録が収められているわけです。

そのような正式な記録だけでなく、部下たちによる非公式な日記のようなものもあるわけです。それらの資料をつきあわせることによって、歴史的事件の全貌がわかってくることになる。

だから、歴史的事件をまとめた、いわゆる歴史書では、上記の「5W1H」だけでなく、その結果と影響に関する記述や、資料名についての記述も必要なわけです。それは歴史教科書のような類の歴史書でも全く同じです。

何もこれは日本だけでなく、世界の文明国には共通の発想です。文章の言語自体は違っていても、歴史を記述する文章の記述の仕方、考え方には大きな違いはありません。

ところが韓国の国定歴史教科書では、そんな文明国の基本的スタイルとは無縁なんですね。

たとえば、例に挙げた長篠の合戦を記述する場合では、片や鉄砲部隊という最新鋭の戦法。片や騎馬戦という伝統的な戦法。その違いを記述することが不可欠でしょ?

ところが、韓国の歴史教科書では、そのような歴史的事件を記述する際に「どっちの側に愛国心があったか?」と言った記述だったり、「どっちが正義なのか?」と言った記述ばかりで、事件についての5W1Hのような具体的で客観的な記述が少ないわけ。

「どっちが正義だったか?」なんて、判断する人によりけりでしょ?人にはそれぞれの立場があるわけですからね。それこそ長篠合戦で、織田軍は武田軍を「敵」だと思っていたのは当然ですが、「悪」だとは思ってはいませんよね?
その点は、武田軍だって同じ。織田軍を「悪」だとは思ってはいないでしょ?
ただ、己の使命と野心に従って戦っただけでしょ?
それが「もののふ」の生き様であり、死に様でしょ?

韓国の国定歴史教科書の記述は、まるで「スポーツ根性モノのマンガの原作」のような趣なんですね。客観的な記述ではなく、ひたすら「ウヮー!」という叫び声が聞こえてくるよう。

客観的に事実を記述するというより、作者の「思い」を伝えることに主眼があるわけ。そんな「作品」なんですね。

まあ、そんな本で歴史を勉強させられていたら、バカになるのも当然ですよ。

では、そのような作者の「思い」に満ちた、韓国歴史教科書という「作品」を、具体的に、客観的に検証してみましょう。

検証に当たっては、「教科書の記述の問題点」というカテゴリーと、「教科書の記述から浮かび上がる韓国人のメンタリティー」そんな感じで分類して記述してみます。

【教科書の記述の問題点】

1.年号が出てこない・・・この韓国歴史教科書では年号の登場が実に少ない。何ページにもわたって、○○年と言う具体的な年号が出てこないわけ。事件の羅列があっても、その事件が西暦何年のことなのか?記述されていないわけです。チョット日本の方には信じられないことでしょうね。だって「なくよウグイス平安京」で794年・・・なんて年号をゴロで覚えるのに苦労しましたものね。年号が出てこない歴史教科書なんてこの世に存在すること自体、不思議でしょ?

韓国の歴史教科書でも、ほんの少しは年号が出てきたりしますが、後で年表の形でまとめられていて、今現在記述している歴史的事件が何年に起こったのか?分らないようにできているわけ。

年号というものは、覚えるのは面倒ですが、歴史的事件の客観的指標としては重要でしょ?年号を覚えていると事件の順番が明確になると同時に、外国の同時期の事件と比べることもできる。この時代に外国はこんなことをやっていたのに「我々の国は遅れているなぁ・・・」などと感想を持つこともあるでしょう。しかし、年号が記述されないと「我々は先進的だ!」と記述されていると、思慮の浅い人は盲目的に信じてしまうんですね。

2.資料名が出てこない・・・この韓国国定歴史教科書では、出典の資料名がほとんど出てきません。もしかしたら朝鮮半島では、資料を作るという習慣がないのかもしれません。データーを取るという習慣の欠落については、後で触れます。この韓国歴史教科書では出典の資料名もなく、「我々は正しい!」の一点張り。まるでカルト宗教のような趣になっている。資料名が無いので、疑問を持った読者が自分自身で調べ直すこともできないわけ。

3.差別用語の乱発・・・高校生が勉強するというこの教科書には、意図的な差別用語が乱発されています。日本を「倭」とか言うのはともかく、ヨーロッパ人を西洋蛮人と書いたり、清を建国した女真族をオランゲという差別用語で呼んだり・・・まあ、こんな差別意識丸出しの本は、日本だったら発禁処分でしょうし、当然のことに、他の一般の文明国でも発禁処分は確実でしょう。そんなアングラ本程度の本が教科書なんですね。そもそも、ヨーロッパ人を示したいのなら、西洋蛮人と書くのではなく、単に西洋人とでも表記すればいいだけですよ。しかし、わざわざ「蛮」を入れて勝手に喜んでいるんですね。

4.漠然とした記述・・・たとえば、上記で年号が出てこないと書きました。しかし、歴史書なんだから当然のこととして、時期に関する記述もあります。そのような場合では10世紀中葉とかの記述になっていて、漠然としてあいまいな記述になっています。しかし、10世紀中葉なんて書かなくても941年とか明確に年号を書けばいいじゃないの?しかし記述が漠然としているので、作者が意図的に読者を誘導することができているわけです。

年号の問題だけでなく、資料名も「ある民政文書」とかの表記になっている。そんな表記にするより、「△△が○○年にまとめた、☆☆という資料」と記述するのが文明国の歴史書のスタイルでしょ?
それこそ「1920年代のはじめ、全国の青年運動は100余りあり」・・・などと記述されています。しかし、文明国の歴史書だったら「政府による1922年の統計では、全国の青年運動は105団体あった。」と記述するものです。どうしてそんなにあいまいに記述するのかなぁ?

5.政治家がなかなか登場しない・・・歴史書だったら、当然のこととして多くの政治家が登場するだろう・・・と思われるでしょ?ところが韓国の歴史教科書では政治家の登場が実に少ない。その代わりに政治論者が実に多く登場するわけ。「国家はこうあるべきだ!」とワイワイ論じる人は多く登場しても、実際に政治を運営する人が出てこない。

6.やたら「べき」論・・・上記の実際の政治家より政治論者の数が多いことと関係していますが、この韓国歴史教科書はやたら「べき」論が多い。「こうすべき」「ああすべき」と、やたら説教くさい。

7.法律名が出てこない・・・具体的な人名は多く出てきますが、法律名は出てこない。上記のようにすべて「べき」論で片付けているので、具体的な法律を制定するという形で、実際的に国家を運営する気がないわけですね。

8.個人的感想がいっぱい・・・教科書と言うものは客観性が第一と考えてしまうのは、文明国の常識でしょう。しかし、さすがに韓国の教科書は作者の主観的な「思い」が詰まっている。

たとえば「高麗時代の石塔は安定感が不足し、造形感覚面では新羅時代の石塔に比して多少劣る気がする。」なる記述があったりする。しかし、執筆者が「気がする」のは勝手だけど、教科書の記述として書かれても、読んだ側は何を理解すればいいの?

あるいは後に中国で清王朝を作った女真族との戦争では「意外にも」負けた・・・との記述があります。アンタが「意外」に思うのは勝手だけど、そんなことは教科書に書く内容ではないでしょ?
それとも「気がする」とか「意外にも」とかが、試験に出たりするのかな?

9.ヴィジュアルが少ない・・・上記の石塔に関する記述だって、文章にするより、それぞれの写真を載せればいいじゃないの?ところが韓国の歴史教科書はヴィジュアルが実に少なく、文字ばかり。まあ、その文字による文章も、やたら説教くさいわけです。画家についてウダウダ説明するより、その画家の作品を載せればいいじゃないの?しかし、そのような客観的な記述を放棄して、ひたすら作者の「思い」を書き込んでいく・・・それが韓国の歴史教科書のスタイルなんですね。

10.やたら民族意識・・・この教科書には「民族意識」という言葉が実に多く出てきます。逆に日本だとそんな民族意識なんて出てこないでしょ?まあ、大日本帝国の教科書なら出てくるかもしれませんが・・・
韓国の歴史教科書では「民族意識」「民族文化」・・・そんな言葉ばかり。
しかし、ではその「民族意識」って具体的にどんな意識なの?

教科書を読んでいても、さっぱりわからないんですね。

どうやら、私がよく書いていますが「集団的被害者意識」と「オレたちはすごいんだ!」というエリート意識の混じったもののようです。しかし、「オレたちはすごいんだ!」と思うのはいいとして、具体的に見てどの辺りがスゴイのか全然書いていないわけです。まさにカルト宗教のような趣になっている。

「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」と連発するだけ。

そして、そんな「本来はスゴイはずの我々がうまくいかないのは、全部○○のせいだ!」と被害者意識になるわけでしょうね。

11.経済に関する記述が少ない・・・この教科書には経済的なマターに関する記述が実に少ない。やたら「べき」論をぶつ政治論者がワイワイ言うだけ。使用していた貨幣とか税制とか、生産技術など実際的な問題についてほとんど触れていないわけ。だから読んでいても当時の人の暮らしぶりなど全然わからないわけです。

12.都合の悪いことは書かない・・・「朝鮮半島の進んだ文物が日本に伝えられた。」この韓国の歴史教科書に頻発する文言です。しかし、先進的な文物って、具体的には何なの?それが書いていないんですね。しかし、ちょっと離れた箇所で貿易に関する文言があって、朝鮮から日本への輸出品は米、木綿、人参だったとか書いてある。米、木綿、人参かぁ・・・たしかに『先進的』だねぇ・・・。しかし、先進的という言葉と米、木綿、人参という具体例が離れて記載されているので、「素朴」な韓国の高校生だったらダマされてしまうんでしょうね。

あるいは豊臣の朝鮮半島の侵攻のあと、朝鮮がロシアと戦争して朝鮮の鉄砲部隊が大活躍したとの記述があります。その鉄砲はどこから来たの?そんなことも書いていないわけ。あるいは、その豊臣軍の侵攻の後の時期に、朝鮮の農業技術が飛躍的に向上したらしい・・・この韓国の教科書では、いつものように「農民の民族意識」云々で片付けられてしまっています。

しかし、現実的に考えると違うでしょ?豊臣軍の中で農民出身の足軽が、朝鮮半島の遅れた農業技術に見るに見かねて実地でレクチャーした、と考えるのが現実的な思考でしょ?違うのなら、データーとか資料を出さないとね。農民の民族意識がどのように農業技術の発展に貢献したのか?とかの資料があるとでも言うのかな?しかし、この韓国歴史教科書ではそんなマトモな疑問には答えてくれないわけ。

13.データーが載っていない・・・この教科書にはそれぞれの時代の人口とか、生産量とかのデーターがほとんど出て来ません。これは前記のように政治を運営する気がなく、政治を論じることにしか興味がないので、データーを取る習慣がないのでしょうね。

しかし、韓国の歴史で突然に豊富なデーターが出てくる時期があります。それは日本統治時代。この時代になると、韓国の人口とか生産量の詳細なデーターが出てくるばかりではなく、事件における年号や被害などの詳細なデーターも記録されている。この時代になって初めて「政治」が行われていたことがわかるわけ。

14.判断が先に来る・・・たとえば、韓国人による伊藤博文の暗殺事件がありました。日本だと「暗殺」という言葉で記述されますよね?ところが韓国の教科書では「処断」という言葉になっている。「悪をやっつけた!」というわけでしょう。この手の価値判断を伝えるのが教科書の役目と認識しているようです。しかし、それは文明国の歴史教科書ではないでしょ?読者が自由に考えることができなくなりますよね?

しかし、この手の判断が先に来る歴史教科書は、大日本帝国の歴史教科書がそうだったはずです。たとえば足利尊氏と後醍醐上皇が争った南北朝時代の記述において、足利尊氏は一方的に「悪」にされていたそう。
文明国の歴史書のスタイルだったら足利尊氏の政策と、後醍醐上皇の政策を記述することに重点が置かれることになります。まあ、こんな感じで判断が先に来るような教科書で歴史を学んでいたので、大日本帝国の人間はバカになってしまったのでしょうね。

15.具体例が乏しい・・・たとえば「ハングルは優秀だ!」そんな記述が多く出てきます。しかし、ハングルで書かれた「おもしろい文章」の作品名は中々出てこない。ひたすら「ハングルは優秀だ!」「ハングルは優秀だ!」それだけ。文明国の書物だったら、ハングルで書かれたおもしろい作品の写真でも載せるでしょ?ひたすら判断を押しつける形なんですね。美術でも文学でも具体的作品名がなかなか出てこないわけ。

16.感情的表現・・・教科書は作者の「思い」を伝えることが韓国での常識なので、作者の感情的な表現が頻発している。・・・日帝の悪辣な・・・とかの言葉が頻発。しかし、その日帝が何年にどんな法律を作ったのか?とは記述していない。ただ「悪辣」とか「冷酷」とかの扇情的で感情的な文言が並ぶだけ。


【教科書から浮かび上がる韓国人のメンタリティー】

1.内輪もめ・・・それこそ新羅、高句麗、百済以降も、半島の人はやたら内輪モメをしている。いつの時代もこの内輪もめの記述がいっぱい。それだけ、「小山の大将」になりたがるようです。以前にも書きましたが、会話のできない人間は「手下はいても、味方がいない。」もの。どうしても「自分が大将」になりたがるわけです。

2.情報軽視・・・当事者として政治を進める人よりも、傍観者として政治を論じる政治論者が威張っていられるのは、やっぱり当事者意識の欠如が社会に蔓延しているからですね。実際に政治を進めるとなると、情報を集めて、情報を分析して、政策を立案して、法律化して、周知させ、実行する・・・そんなプロセスが必要でしょ?単なる「べき」論では片付きませんよ。地道な作業が必要なんですね。

朝鮮の歴史では情報というかデーターを集めている様子がない。情報もないのに、どうやって政策を立案するの?この韓国歴史教科書では「儒教の教えに従って、『○○のような政策をすすめた』・・・」なる記述が多くあります。しかし、マトモな政府だったら儒教の教え以前に、国家の人口とか生産量とか周辺国に関する情報を集めるものでしょ?そんな情報軽視の姿勢だからこそ、歴史のデーター資料も少ないわけでしょうね。

3.原理主義・・・当事者意識がなく、傍観者然なので、現実無視で原理原則を押し通そうとする。そしてうまく行かなくなったら、「アイツが悪い!」と他者に原因を押しつけることになってしまう。しかし、現実を無視して自分の原理原則を押し通してしまっても、うまくいかないのは当たり前でしょ?

4.対抗心が強い・・・ダメダメ家庭ではやたら対応心が強く「アンチ○○」なんて発想をしがちであることは以前にも書いています。韓国人が「アンチ日本」の発想をするのは勝手ですが、韓国人同士でもやたら対抗心が強いわけ。儒教の流派同士で対抗したり、儒教と仏教で対抗したりと、そんな記述ばかり。対抗する以前に、民衆のことを考えてみるとかそんな発想が全然ないんですね。

政治対立、学問対立、宗教対立、地域対立、身分対立・・・そのような記述ばかりが多くなる。自分自身を主張する方法として、まず最初に「私はあの○○に対立している!」と一声あげるのが、韓国人の流儀のようです。スグに排除の論理が出てきて、「お互いが、得意分野で一緒に協力してやっていこう!」とは行かないわけ。

5.排他的な愛国心・・・民族意識という言葉がやたら頻発するのに、では「その民族意識って、具体的には何?」という質問には答えられない。しかし、そのように強圧的に民族意識を押しつけるので、どうしても排他的な発想になってしまうことになる。20世紀になってアメリカなどの海外に移住した韓国人もいたそう。それはそれで結構ですが、その移住した人は韓国に対する強い愛国心を持ち続けたそう。

韓国にシンパシーを持つのは当然として、そんなに強い愛国心を持つのならアメリカに移住しなければいいでしょ?海外でそんな、「オレたちはスゴイんだ!」というような排他的な愛国心を持っているから、関東大震災やアメリカのロス暴動で焼き討ちにあうわけでしょ?アメリカに移住したらアメリカに忠誠を誓えばいいじゃないの?ねっ?

6.身分秩序・・・・ダメダメ人間は人間を序列化することが大好きのようです。まあ、カルトではこの手の序列化が好きなのはオウム真理教でもありましたよね?韓国もオウム真理教と同じように、やたら細かく身分が別れている。それにその身分間の移動が不可能のようです。妾腹の子供は絶対に出世できないとかが、あったそう。あるいは男尊女卑なども・・・そのような秩序を「倫理的」措置などとも記述してある。そんな身分体系は制度かもしれないけど、倫理とは言えないでしょ?

7.理屈をこねくり回す・・・現実を無視して理屈をこねくりまわすことが大好き。そしてその理屈も、権威主義で、おまけにすべて善悪で片付けてしまうので、思考に広がりがないわけ。教科書におもしろい記述があります。李氏朝鮮時代の農民の離脱に関するものです。
「農民の離脱は名分上、民生を安定させなければならないという儒教の王道政治論にあわないだけでなく、現実的にも、国家の財政を危うくするものであった。」
・・・しかし、一般の文明国だったら、記述の順序が逆でしょ?儒教の名分などより、国家財政の方が重要でしょ?

8.知識欲が乏しい・・・理屈をこねくり回すことは好きでも、新たな知識を得ようとはしない。まあ、目新しい学説には興味を持つようですが、知識って学説だけではないでしょ?たとえば世界地図を韓国が入手したのは17世紀末。しかし、日本にはイエズス会の宣教師より16世紀には入手していますよね?だから豊臣軍による朝鮮侵攻は、最新鋭の軍事設備と、世界全体に対する豊富な知識を持つ日本軍と、軍事的にも知識的にも乏しく、ただ「オレたちはスゴイんだ!」と自画自賛しているだけの朝鮮軍の戦いだったわけ。20世紀での太平洋戦争では、日本の立場は全く逆になってしまいましたが・・・戦争の善悪はともかく、何事でも事前準備は重要でしょ?

9.何でも反対・・・今のイラクのように何でも悪く取り、反対するのが韓国人。日本統治時代に貨幣の共通化をやろうとしたら、それに反対し、ブチブチ文句を言っている。勿論デメリットもあるでしょうが、本来は韓国人自身で貨幣の共通化なんてやらないといけないでしょ?他人にやってもらって感謝するどころか、文句を言う始末。
それに、そんなに貨幣の共通化がイヤだったのなら、今からでも元のバラバラの状態に戻せばいいじゃないの?
反対することには熱心でも、「で、結局は、どうしたいのか?」という点は何も考えていないんですね。

10.危機意識が乏しい・・・自分自身を自分で守ろうという当事者意識がないので、危機意識もない。だから周辺国の情勢にも気を配らない。だから簡単に侵略されてしまう。中国とか日本にスパイくらい派遣して情報収集するのが、マトモな国でしょ?そんな当然のこともやっているそぶりもないんですね。それに危機感がないので、優秀な人間を抜擢する必要がない。だから社会も停滞する。

11.ダメダメの連鎖・・・根拠のない「オレたちはスゴイんだ!」という思いこみや被害者意識だけの人・・・それに人の話を聞き、相手に自分の意向をわかりやすく伝える意欲のない人間を相手にしてくれる人って、一体全体誰がいるの?結局は、相手をしてくれるのは自分の子供・・・というか子孫だけになってしまうわけ。だからこんな教科書を作って子供たちをダメにしたがるわけです。
もし韓国人の子孫がマトモな発想をしてしまったら、こんな教科書を疑問もなく読んでいるような祖先は相手にしませんよ。
ダメダメな人間は、そのダメダメな集団から脱却しようとする人間の行動を妨害するものなんですね。この教科書はそのような効果があるわけ。

12.クレーマー・・・具体的にモノを考える習慣がないし、他者に対して具体的な説明をする習慣が身に付かないので、他者と上手に会話することができないわけ。その上に被害者意識が加わるので、どうしてもクレーマーになってしまう。

「一体、どうして欲しいの?」
「一体、アナタたちはどうしたいの?」

そう聞いても答えられないものでしょ?

そもそもそのような具体的な思考をするようには訓練されていないわけ。
しかし、こんな教科書で勉強した人たちが、他者とどのようにコミュニケートするの?
まさにこの教科書のように、感情的なスタイルで文句を言うだけで終わってしまうわけ。だってクレームをつけることくらいしかネタもないでしょ?


【トホホな記述】

韓国の教科書には結構トホホな記述が多くあります。まあ、狙ったユーモアではないでしょうが、笑えますよ。

1.新羅の王様の記述・・・「王が自ら藩田を耕して農事の規範を示したりした。」・・・今でも将軍様が何かと模範をお示しになりますよね?

2.16世紀頃の農民の食料に関する記述・・・・「政府は雑穀、ドングリ、木の皮などを加工して食べる方法を提示した。」・・・今でもやっていますよね?

3.陽明学に関する記述・・・「理屈をこねくり回す」だけではダメだ!これからは知行合一(知識と行動が一体になること)の陽明学だ!と言うことで、李氏朝鮮時代に陽明学の研究が始まり、結果的に立派な陽明学の学問体系が完成したとのこと。しかし、そんな立派な学問体系に意味はないというのが知行合一の陽明学じゃあないの?日本の大塩平八郎のように実践してみたら?

4.文盲率・・・日本が統治を始めた頃の、韓国の文盲率は80%だったそう。日本統治前までそんな統計も無かったようです。しかし、80%が字を読めないのなら、日本語で教えるのも理にかなっていますよね?ちなみに日本が韓国人に行ったとされる創氏改名だって、それ以前はほとんどの韓国人は苗字がなかったのだから、当然といえば当然ですよね?それに強制ではないわけですし。だからこの教科書では、その法律名も年号も出てこないわけ。

5.税制・・・16世紀頃の韓国の税制は「租庸調」を基礎にしていたらしい。それって日本だと大化の改新で制定された制度でしょ?韓国人が経済的な面を全然考えていない人間であることが実によくわかります。1000年も進歩がないわけ。

6.満州開拓についての記述・・・韓国人は満州の開拓を行ったらしい。その記述が秀逸です。「現地土着民から圧迫を受けながらも、荒蕪地を開拓した・・・」とのこと。しかし、これって、まさに侵略じゃあないの?それこそ現地土着民に謝罪しないとね。


私は何も偏見を持って、この「韓国国定歴史教科書」を読んだわけではありませんよ。

この教科書は図書館などで借りることができると思いますので、読者の方々も一度、虚心坦懐にお読みになられると、興味深いと思います。

何でも韓国では教科書は、この国定教科書一種類しかないそうです。まさに大日本帝国そのものですよね?

こんな教科書で歴史を学んでいる韓国人が、「ああ」なってしまったのも当然と言えば当然。そんな「おバカ」な韓国人が選んだ大統領のノ・ムヒョン氏が「おバカ」なのも当然と言えば当然。

だいたい大統領になる前に一度もアメリカに行ったことがない、なんて文明国では考えられないことでしょ?

しかし、今まで検討してきた韓国の教科書から見て、そのような人間が大統領になってしまうことも理解できますよね?それに、私が提示したこの教科書の特徴を思い起こすとノ・ムヒョン氏の発言が実に理解しやすいでしょ?

この教科書を読んでいると、「作者」が頭から湯気を出して怒って書いているのはわかりますが、何が言いたいのかさっぱりわからない。それに・・・この本からどうやって試験問題を作るのかな?だってこの教科書には「客観」がなく「主観」だけなんですからネ。

他者に対して物事を伝えるのは、客観的な5W1Hを伝えることが先で、次に個人的見解でしょ?そのようなスタイルでないと、聞いている側の人間は、「この人・・・いったい何が言いたいの?」となってしまいますよね?
まさにこの教科書はダメダメの聖典と言えるくらいです。

この教科書は人にわかりやすく伝えようとする意欲そのものが無く、ただ自分の思いを勝手に言い放しているだけの本なんですね。

実際のダメダメ家庭に育った読者の方の中には、ご自分の両親の「語り口」を思い出す人もいらっしゃるでしょう。

この教科書の文章と、ダメダメ家庭でのおなじみのセリフ

「一体誰のためにこんな苦労をしたと思っているんだ?!」とか

「オマエのために人生を棒に振ってしまった・・・」

とは実に近い位置にあります。あるいは、「悪いのは全部○○のせいだ!」という犯人認定にも近い。まあ、そのグチや犯人認定を言う対象がどこになっているのか?

この点は、日本人には悲劇的なことですね。

日本の会話不全のダメダメ人間が往々にして、韓国にシンパシーを持っている例が多く見受けられるでしょ?会話のできない人は、会話ができなくてグチばかり言っている人間と一緒になって、自分自身もグチを言いたがるもの。

まあ、私がよく書いていますが、それってハエやゴキブリが腐臭に吸い寄せられるようなもの。

グチを言うことが、一時的な楽しみになっていることはわからないでもありませんが、自分自身の尊厳を大切にすることが、ダメダメからの脱却の第一歩でしょ?こんな「人の話を聞くつもりもない」人たちと一緒にいて何が楽しいのかな?

いずれにせよ、図書館で借りて、実際にお読みになってみることを是非お勧めいたします。

まあ、読んで不快になることは・・・請け合いますが・・・
韓国を考える際に参考になるだけでなく、日本のダメダメ家庭を考える際にも非常に参考になると思います。

(終了)
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発信後記

メルマガの文章作成には、結構準備時間がかかったりします。
今回の文章だって、そもそもこの教科書自体が、日本語で500ページもあって読むのも大変。
ということで、取りかかった頃には中国や韓国での反日デモもまだ起きてはいませんでした。

今回のお題は、良くも悪くもグットタイミングになってしまいました。

多分、中国の教科書も、韓国と同じように異常な教科書なんだろうと思います。
だって、卒業した生徒があのザマなんですからね。

何も日本の教科書に問題が無いというわけではありませんが、韓国の教科書は100%の異常と言えると思います。というか、日本だったらこの執筆者は変質者扱いですよ。変質的なクレーマーが執筆した教科書で勉強?させられている韓国の生徒は、ある意味お気の毒ですが、そのうっぷんを日本に向けてくるのは、はた迷惑ですね。

以下に管理者による追加文章 (10年12月21日 アップ)

さて、本文においては、韓国の歴史教科書に表れている、韓国人のメンタリティーについて考えております。

私としては、何も韓国人の問題そのものを指摘したいと思っているわけではありません。

韓国人というスクリーンに映っているダメダメのメンタリティーを考えているだけです。

韓国人なり韓国の歴史教科書そのものに意味があるわけではなく、ダメダメの問題を映すのにあたって出来がいいスクリーンというだけです。

だから、今回言及したメンタリティーに近い様相は、別のところでも見えたりするもの。

それこそ、インターネットの掲示板において湯気を出しながら書き込んでいるような人間のメンタリティーと共通しているわけですし、別の国との共通性もあったりする。

それこそ、別のところでまとめておりますが、ヨーロッパのポーランドのメンタリティーとも実に近い。

あるいは、日本だと、茨城県の歴史を調べてみたら、なんとも、同じようなことをやっている。

ここで、その共通性をピックアップしてみましょう。

ちなみに、このようなメンタリティーは、水戸藩に関わる幕末での大事件である「天狗党事件」では典型的に見出されたりします。この「天狗党事件」については、皆さんも、例のウィキペディアでも使ってチェックしてみてくださいな。

ということで、茨城県と韓国の歴史において共通してみられるダメダメの様相をピックアップしてみましょう。

1. 対抗心・・・何かと言うと、スグに「あの○○に対抗する!」と息巻く。そして、それこそ平安時代の平将門のように乱をおこしたり、論争を起こしたりする。

2. 身近なものを否定・・・それこそ、「尊皇攘夷」だって、長州や薩摩のような外様の大名が言うのなら分りますが、御三家が尊皇攘夷というのはヘンでしょ?

しかし、自分の父親が嫌いなことを自分で認めたくない人間が、「お祖父さんは立派な人だった・・・」と過剰に言ったりする例があることを考えれば、その尊皇攘夷の心理的な意味も理解できるようになるわけです。より遠くのものを肯定することで、目の前のものを否定しているわけです。

3. 政治家よりも、政治論者・・・水戸藩には色々な政治論者が出てきますが、実際の政治家はほとんどいない。実際に出てくる政治家も、「善政を行った。」とかの漠然とした記述になって、「どんなデーターをもとに、どのような施策を進め、どのような効果を得たのか?」という点が出てこない。「べき論」を用い、現実を否定しているだけの学者さんが多いんですね。そして、現実否定的な主張をすると改革派とか言われてしまう。そんな流れは、韓国の歴史教科書ではおなじみのもの。

4. 各派対立・・・それぞれの考え方について、データーを取って検証するという発想がないので、「議論のための議論」になるばかり。だから、政治論者の各派対立が深刻になってしまう。だって、主義主張の有効性を検証しようがないんだから、論争になったら収まりようがありませんよ。

5. 内輪もめ・・・ということで、内部対立が頻発することになる。水戸藩の前の時代から、やたら内輪もめが多い。

6. 報復・・・内部対立が深刻化するので、自分の側が被害者だと確認する儀式としての報復行為が頻発し、その規模も過激になってしまう。親類縁者を皆殺しするという凄惨な報復行為が習慣化してしまう。

7. 芸術の不在・・・自分の内面を見るよりも、対立している相手方を見てしまうので、自己逃避が進行してしまう。だから、自分の内面を厳しく見つめた成果といえる芸術作品が生まれない。まあ、茨城県出身で有名な芸術家となると画家の横山大観くらいとなるわけですが、その名前の大観の中の「大」の字は、当人のコンプレックスを示すことが多いもの。大きいことを肯定したのではなく、「小さい自分がイヤ。」という二重否定的な心理状態につながることも多いんですね。そもそも、その大観の作品も、芸術的に見ると「悪くはない」と言った二重否定的な価値でしょ?

目の前の現実を踏まえ、自分の意向を自覚して、異なった見解を持つもの同士でも、会話によって合意形成を進めていくという発想がない。

現実無視のご高説を「べき論」で連呼するだけ。

そして、気に入らない相手に対しては、スグに武力に訴えることになる。
そして、武力に訴える自分に酔ってしまう。

それこそ、「桜田門外の変」もその典型と言えます。
茨城の歴史は、犯人認定と報復行為ばかりの歴史なんですね。

それこそ、「尊皇攘夷」だって、「悪いのは全部、今の江戸幕府のやつらだ!」とか「外国のヤツらが諸悪の根源だ!」という発想でしょ?
それはいいとして、「では、結局は、アンタたちはどうしたいの?」となってしまうでしょ?

まあ、そんなことばかりしているから、水戸藩は尊皇が実現された明治政府に対して人材を提供できなかったわけでしょ?敵が共通となっている時点では一緒にやれていても、達成目標を共有することはできないわけです。

クレームを付けることには優秀であっても、自分たちの理想を実現させるという肯定方向には何も貢献できない。

まるで、革命家チェ・ゲバラのできそこないが集まったような人物ばかりが登場してくる歴史なんですね。

ちなみに、私としては、何も茨城県の方を蔑視しているわけではありませんよ。
幸か不幸か、ダメダメを映すにあたって、優秀なスクリーンというだけです。
そして、その点について自覚できれば、現在茨城県にお住いの方がコケないように注意することができるわけですし、芸術家も出てくることにもなるでしょう。
R.10/12/21
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/616.html#c4

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
25. 中川隆[-8847] koaQ7Jey 2019年7月25日 16:37:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]

2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html


 北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)が公表されました。

この研究についてはすでに報道されていました(関連記事)。


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html


この研究はオンライン版での先行公開となります。現代日本人は大きく、アイヌ集団・「本土」集団・琉球集団に区分されます。現代日本人の起源は人類学・考古学・遺伝学で長く議論されており、縄文人が共通の祖先集団となっていることについては、おおむね共通認識になっている、と言えるでしょうが、縄文人と縄文時代以後の渡来集団の現代人への遺伝的影響度合など、これらの集団はそれぞれ異なる形成史を有する、と推測されています。

 さらに、縄文人の起源についても、形態学ではアジア北東部説と南東部説が提示されており、明確ではありません。20世紀第4四半期以降、縄文人のDNA解析も進められ、まずミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、その後は核DNAも対象となり、ゲノム規模のデータも報告されています(関連記事)。しかし、高品質とは言えないのでその網羅率は高くなく、縄文人の遺伝的特徴を理解するのに充分ではありませんでした。これまで、縄文人の遺伝的特徴に関しては、本土集団よりも縄文人の遺伝的影響を強く保持していると推測されてきた、アイヌ集団と琉球集団から間接的に推測されてきました。

 本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました(DNA配列の深度のピークは、F5が1倍、F23が48倍です)。DNA解析からF5は男性、F23は女性と推定され、これは形態学的所見と一致します。この船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

 F5もF23もmtHg-N9b1で、以前の研究と一致します。ただ、両者ともN9b1のサブグループであるN9b1a・N9b1b・N9b1cには分類されませんでした。F5はYHg-D1b2bで、これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので(関連記事)、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

 F23のゲノムから表現型も推測されています。F23の血液型は、ABO式ではA(AO)、Rh式ではRhD+です。ただ、ABO式血液型のAx02のアレル(対立遺伝子)では、縄文人のAx0201とAx0202は現代日本人も含む他集団では稀です。シャベル状切歯の程度はわずかで、歯冠サイズは中間的と推定され、これまでに報告されてきた縄文人の特徴と一致します。ただ、F23に切歯は残っていないので、じっさいに形態と一致するのか、確認できませんでした。F23の髪は細いと推測されています。F23の耳垢は湿性で、これは縄文人も含むアジア北東部集団において多数派だったと考えられています。F23のアルコール耐性は高く、肌と虹彩の色は中間程度の濃さと推定されています。F23の身長型スコアはやや低く、アジア東部の現代人集団と比較して身長が低い、と示唆されます。これらのF23の特徴は、形態学からしてきされていた、低身長、弥生時代以降の農耕民より小さな歯、現代アジア東部集団と比較しての非シャベル状切歯頻度の高さなどといった縄文人の特徴とよく合致しています。

 F23の色素関連遺伝子(MC1R)の多様体からは、ソバカスや深刻なシミ(日光黒子)の危険性の高さが推測されています。また、F23は心筋症や統合失調症と関連した多様体を有していました。F23がホモ接合型で有している、CPT1A遺伝子の多様体(p.Pro479Leu)はF5でも見られます。CPT1A遺伝子は脂肪酸代謝に必須で、F23の多様体は、ケトン性低血糖症や乳幼児死亡率の高さといった疾患、インシュリン抵抗性の低下、身長や体重など体格の低下と強く関連しています。この多様体は北極圏の先住民集団では70〜90%と高頻度で見られますが、他集団ではほぼ見られません。これは、高脂肪食や寒冷環境への適応と関連しており、脂肪の豊富な海生哺乳類を主要な食資源としていたことを反映しているのではないか、と推測されています。じっさい、同位体分析により、船泊縄文人は陸生および海生動物を食べていた、と推測されています。ただ、この多様体の起源がどの集団にあるのか、また北東部縄文人に共通しているのか、まだ明らかではありません。

 F23は現代人と比較してヘテロ接合性が低く、ホモ接合性が高い、と明らかになりました。これは、F23の遺伝的多様性の低さを示します。しかしF23は、長いホモ接合性領域が近親婚による個体と比較して少なく、直近世代での近親婚はなかっただろう、と推測されています。形態学的類似性と抜歯のような共通習慣から、北海道の最北部と南西部では文化的・遺伝的交流があったと推測されており、近親婚が避けられていた、と考えられます。F23の遺伝的多様性の低さと関連して、船泊縄文人集団系統の人口規模は小さく、次第に有効人口規模が小さくなっていったのではないか、と推測されます。具体的には、7700世代よりも前には20000人、7700世代前には10000人、2500世代前には5000人、100世代前には200人と減少していった、と推定されています。1世代を20〜30年と仮定すると、50000年前頃以降に顕著に有効人口規模が低下していったと推測され、これは現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散に伴う創始者効果と対応しているのでしょう。

 船泊縄文人(F23)は三貫地縄文人(関連記事)と同じく、アフリカ人・ヨーロッパ人・サフルランド(更新世寒冷期に陸続きになっていてたオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島)人・アメリカ大陸先住民よりも、ユーラシア東部集団と遺伝的に密接でした。アジア東部集団との比較では、船泊縄文人は他の現代ユーラシア東部集団とは異なっており、現代日本人は船泊・三貫地・伊川津の縄文人とユーラシア北東部集団との間に位置します。船泊・三貫地・伊川津の縄文人は、他の集団との比較で遺伝的に相互に密接な関係にあります。

 船泊縄文人系統は、パプア系統とユーラシア東部系統が分岐し、次に4万年前頃の華北の田园(Tianyuan)男性(関連記事)系統と他のユーラシア東部系統が分岐した後、ユーラシア東部系統とアメリカ大陸先住民系統が36000±15000年前頃に分岐する前に、ユーラシア東部系統と分岐した、と推定されています。ただ、25000±1100年前頃まで両者の間には遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。漢人と船泊縄文人との分岐は、38000〜18000年前頃と推定されており、この期間に船泊縄文人系統は他のユーラシア東部系統と分岐したのでしょう。なお、アメリカ大陸先住民は、ユーラシア東部系統と田园系統が分岐した後のユーラシア東部系統だけではなく、ヨーロッパ系統と近縁なシベリア南部中央系統(古代ユーラシア北部集団)の強い遺伝的影響を受けています(関連記事)。

 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、現代人ではアムール川下流域のウリチ人(Ulchi)・韓国人・台湾先住民のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)・イゴロット人(Igorot)などのフィリピン人・日本人で、古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。いずれもアジア東部沿岸圏に存在します。船泊縄文人との遺伝的距離では、漢人は日本人・韓国人・台湾先住民よりも遠く、YHgでは船泊縄文人および日本人と密接なチベット人も、ゲノム解析では他のアジア東部集団と比較して、とくに船泊縄文人と近縁というわけではありませんでした。漢人など多くのアジア北東部集団よりも船泊縄文人と遺伝的に近い現代人集団の中では、日本人が最も近く、ウリチ人がそれに続き、その後が韓国人・アミ人・タイヤル人です。

 注目されるのは、F23が他のほとんどのアジア東部集団よりもオーストラリア大陸先住民と多くのハプロタイプを共有していた、と推定されたことです。アマゾンの一部アメリカ大陸先住民集団にはオーストラレシア人の遺伝的影響が指摘されていますが(関連記事)、船泊縄文人とほとんどのアジア東部集団は、このアマゾンの祖先集団とは近縁ではない、と推測されています。この問題は謎めいており、解明には現代人と古代人のゲノムデータのさらなる蓄積が必要となるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでによく知られているでしょうが(関連記事)、F23のゲノムへのネアンデルタール人およびデニソワ人の影響は、アメリカ大陸先住民集団やアジア東部集団とほぼ同じです。

 上述のように、船泊縄文人ではmtHg- N9b1とYHg- D1b2bが確認されています。mtHg- N9bとYHg- D1bはいずれもほぼ日本列島にのみ存在し、共通祖先の推定年代は、前者が22000年前頃、後者が19400年前頃です。現代のユーラシア東部集団に遺伝的影響を残していない新石器時代ユーラシア東部集団が日本列島に拡散し、船泊縄文人も含む北部縄文人の祖先になった可能性もありますが、本論文は、北部縄文人を日本列島の更新世集団の子孫という見解を支持しています。

 上述のように、船泊縄文人は、アジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁です。これはゲノムデータだけではなく、mtHgでも同様です。これに関しては、アジア東部沿岸地域への最初の移住集団を共有しているか、縄文人系統が他のアジア東部集団と分岐した後の遺伝子流動が考えられます。上述した日本人とウリチ人の船泊縄文人との遺伝的近縁性の高さと、ウリチ人の祖先集団と考えられる悪魔の門集団と船泊縄文人との遺伝的類似性の低さからも、両者の間の遺伝子流動が支持されています。しかし、韓国人やアミ人やタイヤル人に関しては、どちらの仮説がより妥当なのか、判断は困難で、もっと多くのゲノムデータが必要と本論文は指摘します。

 上述のように、船泊縄文人は漢人よりも日本人やウリチ人や韓国人や台湾先住民といったアジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁なのですが、漢人よりもさらに遠い関係にあるのが、タイなどのアジア南東部集団です。船泊縄文人と漢人やアジア南東部集団との関係について本論文は、(1)未知の集団とアジア南東部祖先集団との交雑、(2)船泊縄文人系統と漢人関連古代集団との間の分岐後の遺伝子流動、(3)船泊縄文人およびアジア北東部大陸集団の共通祖先とアジア南東部集団との分岐後に、古代アジア南東部集団が大陸部アジア北東部集団と交雑した、という可能性を想定しています。本論文は、カンボジア人における遺伝的にヨーロッパ集団ともアジア東部集団とも等距離にある未知のユーラシア集団からの16%ほどの遺伝的影響から、(1)を支持しているものの、その他の2仮説のさらなる検証の必要性も指摘しています。

 現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 じゅうらいの諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。これらのシベリア北東部集団は、現代人ではアムール川下流域の集団と近縁と推測されていますが、アイヌ集団の形成過程のより詳細な解明も、アジア北東部の古代DNA研究の進展が必要となります。アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが(関連記事)、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。

 本土集団と琉球集団は、先住の縄文人と後に渡来した人々との混合と考えられます。この後に渡来した集団は、おそらく弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した農耕民で、現代人では韓国人や漢人と遺伝的に近縁です。もちろん、現代の韓国人や漢人も歴史的に形成されてきたわけで、紀元前9世紀〜紀元後6世紀にかけて日本列島に到来したアジア東部集団の遺伝的構成が、そのまま現代の韓国人や漢人と同じというわけではありません。本土集団における縄文人の遺伝的影響は高くとも15%程度と本論文では推定されていますが、この数字が独り歩きすることは懸念されます(関連記事)。上述したYHg-D1b1の問題からも、縄文人は均質的でありながらもある程度の地域差があり、本土集団に大きな影響を残しているのは西日本の縄文人とも考えられるからです。現代日本人の起源については、日本列島のみならずユーラシア東部の古代ゲノムデータの蓄積が必要で、日本人の私は今後の研究の進展をたいへん楽しみにしています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c25

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
7. 中川隆[-8846] koaQ7Jey 2019年7月25日 16:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3868]
2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html


 北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)が公表されました。

この研究についてはすでに報道されていました(関連記事)。


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html


この研究はオンライン版での先行公開となります。現代日本人は大きく、アイヌ集団・「本土」集団・琉球集団に区分されます。現代日本人の起源は人類学・考古学・遺伝学で長く議論されており、縄文人が共通の祖先集団となっていることについては、おおむね共通認識になっている、と言えるでしょうが、縄文人と縄文時代以後の渡来集団の現代人への遺伝的影響度合など、これらの集団はそれぞれ異なる形成史を有する、と推測されています。

 さらに、縄文人の起源についても、形態学ではアジア北東部説と南東部説が提示されており、明確ではありません。20世紀第4四半期以降、縄文人のDNA解析も進められ、まずミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、その後は核DNAも対象となり、ゲノム規模のデータも報告されています(関連記事)。しかし、高品質とは言えないのでその網羅率は高くなく、縄文人の遺伝的特徴を理解するのに充分ではありませんでした。これまで、縄文人の遺伝的特徴に関しては、本土集団よりも縄文人の遺伝的影響を強く保持していると推測されてきた、アイヌ集団と琉球集団から間接的に推測されてきました。

 本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました(DNA配列の深度のピークは、F5が1倍、F23が48倍です)。DNA解析からF5は男性、F23は女性と推定され、これは形態学的所見と一致します。この船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

 F5もF23もmtHg-N9b1で、以前の研究と一致します。ただ、両者ともN9b1のサブグループであるN9b1a・N9b1b・N9b1cには分類されませんでした。F5はYHg-D1b2bで、これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので(関連記事)、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

 F23のゲノムから表現型も推測されています。F23の血液型は、ABO式ではA(AO)、Rh式ではRhD+です。ただ、ABO式血液型のAx02のアレル(対立遺伝子)では、縄文人のAx0201とAx0202は現代日本人も含む他集団では稀です。シャベル状切歯の程度はわずかで、歯冠サイズは中間的と推定され、これまでに報告されてきた縄文人の特徴と一致します。ただ、F23に切歯は残っていないので、じっさいに形態と一致するのか、確認できませんでした。F23の髪は細いと推測されています。F23の耳垢は湿性で、これは縄文人も含むアジア北東部集団において多数派だったと考えられています。F23のアルコール耐性は高く、肌と虹彩の色は中間程度の濃さと推定されています。F23の身長型スコアはやや低く、アジア東部の現代人集団と比較して身長が低い、と示唆されます。これらのF23の特徴は、形態学からしてきされていた、低身長、弥生時代以降の農耕民より小さな歯、現代アジア東部集団と比較しての非シャベル状切歯頻度の高さなどといった縄文人の特徴とよく合致しています。

 F23の色素関連遺伝子(MC1R)の多様体からは、ソバカスや深刻なシミ(日光黒子)の危険性の高さが推測されています。また、F23は心筋症や統合失調症と関連した多様体を有していました。F23がホモ接合型で有している、CPT1A遺伝子の多様体(p.Pro479Leu)はF5でも見られます。CPT1A遺伝子は脂肪酸代謝に必須で、F23の多様体は、ケトン性低血糖症や乳幼児死亡率の高さといった疾患、インシュリン抵抗性の低下、身長や体重など体格の低下と強く関連しています。この多様体は北極圏の先住民集団では70〜90%と高頻度で見られますが、他集団ではほぼ見られません。これは、高脂肪食や寒冷環境への適応と関連しており、脂肪の豊富な海生哺乳類を主要な食資源としていたことを反映しているのではないか、と推測されています。じっさい、同位体分析により、船泊縄文人は陸生および海生動物を食べていた、と推測されています。ただ、この多様体の起源がどの集団にあるのか、また北東部縄文人に共通しているのか、まだ明らかではありません。

 F23は現代人と比較してヘテロ接合性が低く、ホモ接合性が高い、と明らかになりました。これは、F23の遺伝的多様性の低さを示します。しかしF23は、長いホモ接合性領域が近親婚による個体と比較して少なく、直近世代での近親婚はなかっただろう、と推測されています。形態学的類似性と抜歯のような共通習慣から、北海道の最北部と南西部では文化的・遺伝的交流があったと推測されており、近親婚が避けられていた、と考えられます。F23の遺伝的多様性の低さと関連して、船泊縄文人集団系統の人口規模は小さく、次第に有効人口規模が小さくなっていったのではないか、と推測されます。具体的には、7700世代よりも前には20000人、7700世代前には10000人、2500世代前には5000人、100世代前には200人と減少していった、と推定されています。1世代を20〜30年と仮定すると、50000年前頃以降に顕著に有効人口規模が低下していったと推測され、これは現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散に伴う創始者効果と対応しているのでしょう。

 船泊縄文人(F23)は三貫地縄文人(関連記事)と同じく、アフリカ人・ヨーロッパ人・サフルランド(更新世寒冷期に陸続きになっていてたオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島)人・アメリカ大陸先住民よりも、ユーラシア東部集団と遺伝的に密接でした。アジア東部集団との比較では、船泊縄文人は他の現代ユーラシア東部集団とは異なっており、現代日本人は船泊・三貫地・伊川津の縄文人とユーラシア北東部集団との間に位置します。船泊・三貫地・伊川津の縄文人は、他の集団との比較で遺伝的に相互に密接な関係にあります。

 船泊縄文人系統は、パプア系統とユーラシア東部系統が分岐し、次に4万年前頃の華北の田园(Tianyuan)男性(関連記事)系統と他のユーラシア東部系統が分岐した後、ユーラシア東部系統とアメリカ大陸先住民系統が36000±15000年前頃に分岐する前に、ユーラシア東部系統と分岐した、と推定されています。ただ、25000±1100年前頃まで両者の間には遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。漢人と船泊縄文人との分岐は、38000〜18000年前頃と推定されており、この期間に船泊縄文人系統は他のユーラシア東部系統と分岐したのでしょう。なお、アメリカ大陸先住民は、ユーラシア東部系統と田园系統が分岐した後のユーラシア東部系統だけではなく、ヨーロッパ系統と近縁なシベリア南部中央系統(古代ユーラシア北部集団)の強い遺伝的影響を受けています(関連記事)。

 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、現代人ではアムール川下流域のウリチ人(Ulchi)・韓国人・台湾先住民のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)・イゴロット人(Igorot)などのフィリピン人・日本人で、古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。いずれもアジア東部沿岸圏に存在します。船泊縄文人との遺伝的距離では、漢人は日本人・韓国人・台湾先住民よりも遠く、YHgでは船泊縄文人および日本人と密接なチベット人も、ゲノム解析では他のアジア東部集団と比較して、とくに船泊縄文人と近縁というわけではありませんでした。漢人など多くのアジア北東部集団よりも船泊縄文人と遺伝的に近い現代人集団の中では、日本人が最も近く、ウリチ人がそれに続き、その後が韓国人・アミ人・タイヤル人です。

 注目されるのは、F23が他のほとんどのアジア東部集団よりもオーストラリア大陸先住民と多くのハプロタイプを共有していた、と推定されたことです。アマゾンの一部アメリカ大陸先住民集団にはオーストラレシア人の遺伝的影響が指摘されていますが(関連記事)、船泊縄文人とほとんどのアジア東部集団は、このアマゾンの祖先集団とは近縁ではない、と推測されています。この問題は謎めいており、解明には現代人と古代人のゲノムデータのさらなる蓄積が必要となるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでによく知られているでしょうが(関連記事)、F23のゲノムへのネアンデルタール人およびデニソワ人の影響は、アメリカ大陸先住民集団やアジア東部集団とほぼ同じです。

 上述のように、船泊縄文人ではmtHg- N9b1とYHg- D1b2bが確認されています。mtHg- N9bとYHg- D1bはいずれもほぼ日本列島にのみ存在し、共通祖先の推定年代は、前者が22000年前頃、後者が19400年前頃です。現代のユーラシア東部集団に遺伝的影響を残していない新石器時代ユーラシア東部集団が日本列島に拡散し、船泊縄文人も含む北部縄文人の祖先になった可能性もありますが、本論文は、北部縄文人を日本列島の更新世集団の子孫という見解を支持しています。

 上述のように、船泊縄文人は、アジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁です。これはゲノムデータだけではなく、mtHgでも同様です。これに関しては、アジア東部沿岸地域への最初の移住集団を共有しているか、縄文人系統が他のアジア東部集団と分岐した後の遺伝子流動が考えられます。上述した日本人とウリチ人の船泊縄文人との遺伝的近縁性の高さと、ウリチ人の祖先集団と考えられる悪魔の門集団と船泊縄文人との遺伝的類似性の低さからも、両者の間の遺伝子流動が支持されています。しかし、韓国人やアミ人やタイヤル人に関しては、どちらの仮説がより妥当なのか、判断は困難で、もっと多くのゲノムデータが必要と本論文は指摘します。

 上述のように、船泊縄文人は漢人よりも日本人やウリチ人や韓国人や台湾先住民といったアジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁なのですが、漢人よりもさらに遠い関係にあるのが、タイなどのアジア南東部集団です。船泊縄文人と漢人やアジア南東部集団との関係について本論文は、(1)未知の集団とアジア南東部祖先集団との交雑、(2)船泊縄文人系統と漢人関連古代集団との間の分岐後の遺伝子流動、(3)船泊縄文人およびアジア北東部大陸集団の共通祖先とアジア南東部集団との分岐後に、古代アジア南東部集団が大陸部アジア北東部集団と交雑した、という可能性を想定しています。本論文は、カンボジア人における遺伝的にヨーロッパ集団ともアジア東部集団とも等距離にある未知のユーラシア集団からの16%ほどの遺伝的影響から、(1)を支持しているものの、その他の2仮説のさらなる検証の必要性も指摘しています。

 現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 じゅうらいの諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。これらのシベリア北東部集団は、現代人ではアムール川下流域の集団と近縁と推測されていますが、アイヌ集団の形成過程のより詳細な解明も、アジア北東部の古代DNA研究の進展が必要となります。アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが(関連記事)、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。

 本土集団と琉球集団は、先住の縄文人と後に渡来した人々との混合と考えられます。この後に渡来した集団は、おそらく弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した農耕民で、現代人では韓国人や漢人と遺伝的に近縁です。もちろん、現代の韓国人や漢人も歴史的に形成されてきたわけで、紀元前9世紀〜紀元後6世紀にかけて日本列島に到来したアジア東部集団の遺伝的構成が、そのまま現代の韓国人や漢人と同じというわけではありません。本土集団における縄文人の遺伝的影響は高くとも15%程度と本論文では推定されていますが、この数字が独り歩きすることは懸念されます(関連記事)。上述したYHg-D1b1の問題からも、縄文人は均質的でありながらもある程度の地域差があり、本土集団に大きな影響を残しているのは西日本の縄文人とも考えられるからです。現代日本人の起源については、日本列島のみならずユーラシア東部の古代ゲノムデータの蓄積が必要で、日本人の私は今後の研究の進展をたいへん楽しみにしています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c7

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
232. 中川隆[-8845] koaQ7Jey 2019年7月25日 16:42:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]

2019年05月14日
「縄文人」のゲノム解析(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html

 「縄文人」のゲノム解析について報道されました。「縄文人のすべての遺伝情報を初めて解読できた」とのことですので、「縄文人」としては初めて高品質なゲノム配列が決定された、ということでしょうか。この「縄文人」は北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の女性です。表現型では、皮膚の色は濃く、髪は細く巻き毛で、瞳は茶色で酒に強く、耳垢は湿っていることなどが明らかになったそうです。また、北極圏の住民に多く見られる、脂肪分の多い食べ物を代謝するのに有利に働く遺伝子の変異も見つかり、狩りや漁を中心とした生活の様子が裏づけられた、とのことです。

 この船泊遺跡の「縄文人」女性から、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度と推定されています。また、「縄文人」の祖先は、38000〜18000年前頃に、ユーラシア大陸の住民から分岐したと推定されているそうです。「縄文人」は遺伝的には、台湾先住民・韓国人・極東ロシアのウルチ人など、アジア東部沿岸の南北に広範な人々と近いことが明らかになった、とのことです。これらの情報はおおむね、篠田謙一氏の昨年(2018年)の解説記事(関連記事)や今年3月に刊行された著書(関連記事)で明らかにされていたので、とくに意外な感はありません。

 ただ、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度との推定に関しては、まだ確定的とは言えないでしょう。篠田氏の今年3月に刊行された著書では、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のミトコンドリアDNAハプログループの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測されています。今後、「縄文人」やユーラシア東部の古代DNA研究が進めば、「縄文人」がどのように形成されたのか、また現代日本列島にどの程度の遺伝的影響を残し、地域差はどれくらいあるのか、といったことがより詳細に解明されるのではないか、と期待されます。


追記(2019年5月14日)
 国立科学博物館からのプレスリリースが公表されました。船泊遺跡の「縄文人」のゲノム解析に関する論文は今月(2019年5月)下旬に公表予定とのことです。


この記事へのコメント


kurozee 2019年05月22日 14:42

2018年7月、金沢大学の覺張隆史特任助教らが、伊川津貝塚遺跡から出土した約2千500年前の縄文晩期の女性人骨から、「世界で初めて」縄文人の全ゲノム配列を解読したと大学から発表されました。

この全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8〜2千年前の東南アジア人など80を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施したところ,この縄文人女性と現在のラオスに約8千年前にいた狩猟採集民の古人骨のゲノムがよく似ていることが分かったそうです。この論文は同月6日に国際学術誌「Science」に掲載されたとのことです。

この研究では、縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられたとされています。

雑記帳では当時、この件についての記事を書かれましたか?(私は見つけられなかったのですが)

管理人 2019年05月22日 16:35

その研究は、昨年取り上げました。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_11.html

kurozee 2019年05月22日 18:50

すみません、「現代東南アジア人の形成過程」記事でしたね。縄文人ゲノムを手がかりに検索したので探せませんでした。この記事は読んでいました。
縄文人といっても、三貫地、伊川津そして今回の船泊と、時代と地域によってかなり差があるという印象を持っていますが、おっしゃる通り、今後の研究を待ちたいですね。

管理人 2019年05月23日 14:25

時代・地域による違いは間違いなくありますね。それがどの程度なのかということや、形成過程についての研究の進展が楽しみです。

https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c232

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
233. 中川隆[-8844] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3870]

2019年01月24日
近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)が公表されました。現代アイヌ人(と呼ぶと人間人のような意味となって不自然とも言えるかもしれませんが)の形成に関しては、現代日本人起源論との関連で議論されてきました。現代日本人起源論では、二重構造モデルが有力な仮説として認められてきました。更新世の日本列島最初の人類集団は東南アジア起源で、そこから縄文集団が形成され、弥生時代以降の北東アジアから移住者と在来の縄文集団との融合により現代日本人が形成された、と考えられています。

 これはおもに本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」での過程で、沖縄地域と北海道では、縄文集団の遺伝的影響が日本列島「本土」より強く残った、と想定されています。その結果、沖縄でも北海道でも日本列島「本土」とは大きく異なる文化集団が形成されました。これは北海道ではとくに顕著で、日本列島「本土」集団たる「日本人(もしくはヤマト人)」とは言語も含めて文化の大きく異なるアイヌ人が形成された、との理解が一般的です。アイヌ人と日本人とは異なる民族と考えるのが妥当でしょう。文化的観点では、アイヌ的な文化はおおむね紀元後13世紀に確立した、と一般的に考えられています。

 二重構造モデルでは当初、とくに北海道では、前近代において縄文集団の子孫と他地域集団との遺伝的混合はほとんどなかった、と想定されていました。しかし、その後の形態学および遺伝学的研究では、オホーツク文化集団がアイヌ集団の形成に影響を及ぼした、と推測されています。オホーツク文化集団はユーラシア北東部から拡散してきたと考えられており、紀元後5〜13世紀に北海道北部および北東部沿岸やサハリン南部に存在していましたが、北海道では本州の影響を受けた擦文文化の拡散に伴い急速に衰退し、10世紀初めまでにはほとんど消滅しました。オホーツク文化は擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化へと変容し、13世紀に始まるアイヌ時代まで続きます。オホーツク文化集団の遺伝的影響とは、具体的には、北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yで、これらはオホーツク文化集団と現代のシベリア先住民集団に見られます。

 これまでのアイヌ人に関する遺伝研究の問題点は、現代人のDNAのみが解析されていることです。そのため、前近代の日本列島「本土」集団(以下、本土集団と省略)からの遺伝的影響の評価はできませんでした。また、これまでの研究の問題点として、対象地域が限定的もしくは不明であることが挙げられます。ほとんどの研究は北海道の平取町の51人の遺伝的データに基づいています。近世アイヌのDNA研究もありますが、標本の地域は明らかにされていません。そのため、これまでの研究ではアイヌ集団の遺伝的地域差の評価ができませんでした。本論文は、北海道全域のアイヌ集団の遺骸からmtDNAを解析しました。全標本の年代は江戸時代(近世)に収まり、通説では、本土集団の大規模な遺伝的影響は報告されておらず、本土集団のアイヌ集団への強い遺伝的影響は、明治時代以降の「開拓」に始まる、と想定されていました。

 本論文は、近世アイヌ集団115標本のうち94標本の配列に成功しました。江本論文は、近世アイヌ集団で観察されたハプログループの地域差を明らかにするために、次の4タイプに分類しました。それは、北海道縄文型(北海道縄文集団で見られるハプログループ)、オホーツク型(オホーツク文化集団に見られ、北海道縄文集団には存在しないハプログループ)、本土型(北海道縄文人とオホーツク文化人には存在せず、現代の本土日本人には現代のシベリア先住民集団よりも高い頻度で見られるハプログループ)、シベリア型(北海道縄文集団とオホーツク文化集団には存在せず、現代の本土日本人よりも高い頻度で現代のシベリア先住民集団に見られるハプログループ)です。

 mtDNAでも、北海道縄文集団と近世アイヌ集団との遺伝的連続性が確認されました。北海道縄文集団の中で最も高頻度のハプログループN9b1は、近世アイヌ集団でも比較的高頻度で見られます。Y染色体DNAでも、この連続性が確認されています。北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世アイヌ集団には見られることです。

 本論文は、この違いが何に起因するのか検証するため、近世アイヌ集団と、東アジアとシベリアの古代および現代の14集団を比較しました。以前の研究では、アイヌ人は北海道縄文集団とオホーツク文化集団を含むアムール川下流域集団との中間に位置します。これは、アイヌ人が北海道縄文集団とオホーツク文化集団との混合により成立した、との見解を支持します。しかし、近世アイヌ集団に見られるmtDNAハプログループの中には、M7a1などのように、北海道縄文集団にもオホーツク文化集団にも見られないものがあります。これは、北海道縄文集団とオホーツク文化集団以外にも、アイヌ人の遺伝的集団が存在することを示唆します。本論文は、本土集団とシベリア先住民集団も近世アイヌ集団に遺伝的影響を及ぼしている、と明らかにしました。

 近世アイヌ集団における各集団のタイプのmtDNAハプログループの割合は、オホーツク型で35.1%、北海道縄文型で30.9%、本土型で28.1%、シベリア型で7.3%となります。オホーツク型の割合の高さも注目されますが、何よりも注目されるのはオホーツク型・北海道縄文型とさほど変わらない本土型の割合で、前近代においてすでに、アイヌ集団と本土集団との混合がかなり進展していた、と示唆されます。シベリア型の存在は、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していたことを示唆します。

 北海道の近世アイヌ集団を南西と北東で区切ると、北海道型・オホーツク型・本土型・シベリア型の比率には、顕著な地域差が見られました。たとえば、北海道型の比率は北東アイヌ集団の方が高い一方で、本土型の比率は南西アイヌ集団の方が高くなっています。これについては地理的要因が考えられ、形態学的研究とも一致します。オホーツク型とシベリア型の比率に関しては、近世アイヌの両集団間で大きな差はありません。したがって、オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。

 このように、近世アイヌ集団は複数の起源集団を有しているわけて、アイヌ人もまた「交雑する人類」の例外ではなかったわけです(関連記事)。ただ、例外も報告されているとはいえ(関連記事)、mtDNAは基本的に母系遺伝です。そのため、mtDNAに基づく集団の歴史の解釈には慎重でなければならない、と本論文は指摘します。近世アイヌ集団における、各地域集団の遺伝的影響の比率やその歴史的経緯に関しては、やはり中世と古代までさかのぼって核DNAを解析し、周辺の各集団と比較していかねば、詳細は分からないのでしょう。今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c233

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
26. 中川隆[-8843] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:48:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3871]
2019年01月24日
近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html


 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)が公表されました。現代アイヌ人(と呼ぶと人間人のような意味となって不自然とも言えるかもしれませんが)の形成に関しては、現代日本人起源論との関連で議論されてきました。現代日本人起源論では、二重構造モデルが有力な仮説として認められてきました。更新世の日本列島最初の人類集団は東南アジア起源で、そこから縄文集団が形成され、弥生時代以降の北東アジアから移住者と在来の縄文集団との融合により現代日本人が形成された、と考えられています。

 これはおもに本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」での過程で、沖縄地域と北海道では、縄文集団の遺伝的影響が日本列島「本土」より強く残った、と想定されています。その結果、沖縄でも北海道でも日本列島「本土」とは大きく異なる文化集団が形成されました。これは北海道ではとくに顕著で、日本列島「本土」集団たる「日本人(もしくはヤマト人)」とは言語も含めて文化の大きく異なるアイヌ人が形成された、との理解が一般的です。アイヌ人と日本人とは異なる民族と考えるのが妥当でしょう。文化的観点では、アイヌ的な文化はおおむね紀元後13世紀に確立した、と一般的に考えられています。

 二重構造モデルでは当初、とくに北海道では、前近代において縄文集団の子孫と他地域集団との遺伝的混合はほとんどなかった、と想定されていました。しかし、その後の形態学および遺伝学的研究では、オホーツク文化集団がアイヌ集団の形成に影響を及ぼした、と推測されています。オホーツク文化集団はユーラシア北東部から拡散してきたと考えられており、紀元後5〜13世紀に北海道北部および北東部沿岸やサハリン南部に存在していましたが、北海道では本州の影響を受けた擦文文化の拡散に伴い急速に衰退し、10世紀初めまでにはほとんど消滅しました。オホーツク文化は擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化へと変容し、13世紀に始まるアイヌ時代まで続きます。オホーツク文化集団の遺伝的影響とは、具体的には、北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yで、これらはオホーツク文化集団と現代のシベリア先住民集団に見られます。

 これまでのアイヌ人に関する遺伝研究の問題点は、現代人のDNAのみが解析されていることです。そのため、前近代の日本列島「本土」集団(以下、本土集団と省略)からの遺伝的影響の評価はできませんでした。また、これまでの研究の問題点として、対象地域が限定的もしくは不明であることが挙げられます。ほとんどの研究は北海道の平取町の51人の遺伝的データに基づいています。近世アイヌのDNA研究もありますが、標本の地域は明らかにされていません。そのため、これまでの研究ではアイヌ集団の遺伝的地域差の評価ができませんでした。本論文は、北海道全域のアイヌ集団の遺骸からmtDNAを解析しました。全標本の年代は江戸時代(近世)に収まり、通説では、本土集団の大規模な遺伝的影響は報告されておらず、本土集団のアイヌ集団への強い遺伝的影響は、明治時代以降の「開拓」に始まる、と想定されていました。

 本論文は、近世アイヌ集団115標本のうち94標本の配列に成功しました。江本論文は、近世アイヌ集団で観察されたハプログループの地域差を明らかにするために、次の4タイプに分類しました。それは、北海道縄文型(北海道縄文集団で見られるハプログループ)、オホーツク型(オホーツク文化集団に見られ、北海道縄文集団には存在しないハプログループ)、本土型(北海道縄文人とオホーツク文化人には存在せず、現代の本土日本人には現代のシベリア先住民集団よりも高い頻度で見られるハプログループ)、シベリア型(北海道縄文集団とオホーツク文化集団には存在せず、現代の本土日本人よりも高い頻度で現代のシベリア先住民集団に見られるハプログループ)です。

 mtDNAでも、北海道縄文集団と近世アイヌ集団との遺伝的連続性が確認されました。北海道縄文集団の中で最も高頻度のハプログループN9b1は、近世アイヌ集団でも比較的高頻度で見られます。Y染色体DNAでも、この連続性が確認されています。北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世アイヌ集団には見られることです。

 本論文は、この違いが何に起因するのか検証するため、近世アイヌ集団と、東アジアとシベリアの古代および現代の14集団を比較しました。以前の研究では、アイヌ人は北海道縄文集団とオホーツク文化集団を含むアムール川下流域集団との中間に位置します。これは、アイヌ人が北海道縄文集団とオホーツク文化集団との混合により成立した、との見解を支持します。しかし、近世アイヌ集団に見られるmtDNAハプログループの中には、M7a1などのように、北海道縄文集団にもオホーツク文化集団にも見られないものがあります。これは、北海道縄文集団とオホーツク文化集団以外にも、アイヌ人の遺伝的集団が存在することを示唆します。本論文は、本土集団とシベリア先住民集団も近世アイヌ集団に遺伝的影響を及ぼしている、と明らかにしました。

 近世アイヌ集団における各集団のタイプのmtDNAハプログループの割合は、オホーツク型で35.1%、北海道縄文型で30.9%、本土型で28.1%、シベリア型で7.3%となります。オホーツク型の割合の高さも注目されますが、何よりも注目されるのはオホーツク型・北海道縄文型とさほど変わらない本土型の割合で、前近代においてすでに、アイヌ集団と本土集団との混合がかなり進展していた、と示唆されます。シベリア型の存在は、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していたことを示唆します。

 北海道の近世アイヌ集団を南西と北東で区切ると、北海道型・オホーツク型・本土型・シベリア型の比率には、顕著な地域差が見られました。たとえば、北海道型の比率は北東アイヌ集団の方が高い一方で、本土型の比率は南西アイヌ集団の方が高くなっています。これについては地理的要因が考えられ、形態学的研究とも一致します。オホーツク型とシベリア型の比率に関しては、近世アイヌの両集団間で大きな差はありません。したがって、オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。

 このように、近世アイヌ集団は複数の起源集団を有しているわけて、アイヌ人もまた「交雑する人類」の例外ではなかったわけです(関連記事)。ただ、例外も報告されているとはいえ(関連記事)、mtDNAは基本的に母系遺伝です。そのため、mtDNAに基づく集団の歴史の解釈には慎重でなければならない、と本論文は指摘します。近世アイヌ集団における、各地域集団の遺伝的影響の比率やその歴史的経緯に関しては、やはり中世と古代までさかのぼって核DNAを解析し、周辺の各集団と比較していかねば、詳細は分からないのでしょう。今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c26

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
8. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:48:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3872]
2019年01月24日
近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html


 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)が公表されました。現代アイヌ人(と呼ぶと人間人のような意味となって不自然とも言えるかもしれませんが)の形成に関しては、現代日本人起源論との関連で議論されてきました。現代日本人起源論では、二重構造モデルが有力な仮説として認められてきました。更新世の日本列島最初の人類集団は東南アジア起源で、そこから縄文集団が形成され、弥生時代以降の北東アジアから移住者と在来の縄文集団との融合により現代日本人が形成された、と考えられています。

 これはおもに本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」での過程で、沖縄地域と北海道では、縄文集団の遺伝的影響が日本列島「本土」より強く残った、と想定されています。その結果、沖縄でも北海道でも日本列島「本土」とは大きく異なる文化集団が形成されました。これは北海道ではとくに顕著で、日本列島「本土」集団たる「日本人(もしくはヤマト人)」とは言語も含めて文化の大きく異なるアイヌ人が形成された、との理解が一般的です。アイヌ人と日本人とは異なる民族と考えるのが妥当でしょう。文化的観点では、アイヌ的な文化はおおむね紀元後13世紀に確立した、と一般的に考えられています。

 二重構造モデルでは当初、とくに北海道では、前近代において縄文集団の子孫と他地域集団との遺伝的混合はほとんどなかった、と想定されていました。しかし、その後の形態学および遺伝学的研究では、オホーツク文化集団がアイヌ集団の形成に影響を及ぼした、と推測されています。オホーツク文化集団はユーラシア北東部から拡散してきたと考えられており、紀元後5〜13世紀に北海道北部および北東部沿岸やサハリン南部に存在していましたが、北海道では本州の影響を受けた擦文文化の拡散に伴い急速に衰退し、10世紀初めまでにはほとんど消滅しました。オホーツク文化は擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化へと変容し、13世紀に始まるアイヌ時代まで続きます。オホーツク文化集団の遺伝的影響とは、具体的には、北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yで、これらはオホーツク文化集団と現代のシベリア先住民集団に見られます。

 これまでのアイヌ人に関する遺伝研究の問題点は、現代人のDNAのみが解析されていることです。そのため、前近代の日本列島「本土」集団(以下、本土集団と省略)からの遺伝的影響の評価はできませんでした。また、これまでの研究の問題点として、対象地域が限定的もしくは不明であることが挙げられます。ほとんどの研究は北海道の平取町の51人の遺伝的データに基づいています。近世アイヌのDNA研究もありますが、標本の地域は明らかにされていません。そのため、これまでの研究ではアイヌ集団の遺伝的地域差の評価ができませんでした。本論文は、北海道全域のアイヌ集団の遺骸からmtDNAを解析しました。全標本の年代は江戸時代(近世)に収まり、通説では、本土集団の大規模な遺伝的影響は報告されておらず、本土集団のアイヌ集団への強い遺伝的影響は、明治時代以降の「開拓」に始まる、と想定されていました。

 本論文は、近世アイヌ集団115標本のうち94標本の配列に成功しました。江本論文は、近世アイヌ集団で観察されたハプログループの地域差を明らかにするために、次の4タイプに分類しました。それは、北海道縄文型(北海道縄文集団で見られるハプログループ)、オホーツク型(オホーツク文化集団に見られ、北海道縄文集団には存在しないハプログループ)、本土型(北海道縄文人とオホーツク文化人には存在せず、現代の本土日本人には現代のシベリア先住民集団よりも高い頻度で見られるハプログループ)、シベリア型(北海道縄文集団とオホーツク文化集団には存在せず、現代の本土日本人よりも高い頻度で現代のシベリア先住民集団に見られるハプログループ)です。

 mtDNAでも、北海道縄文集団と近世アイヌ集団との遺伝的連続性が確認されました。北海道縄文集団の中で最も高頻度のハプログループN9b1は、近世アイヌ集団でも比較的高頻度で見られます。Y染色体DNAでも、この連続性が確認されています。北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世アイヌ集団には見られることです。

 本論文は、この違いが何に起因するのか検証するため、近世アイヌ集団と、東アジアとシベリアの古代および現代の14集団を比較しました。以前の研究では、アイヌ人は北海道縄文集団とオホーツク文化集団を含むアムール川下流域集団との中間に位置します。これは、アイヌ人が北海道縄文集団とオホーツク文化集団との混合により成立した、との見解を支持します。しかし、近世アイヌ集団に見られるmtDNAハプログループの中には、M7a1などのように、北海道縄文集団にもオホーツク文化集団にも見られないものがあります。これは、北海道縄文集団とオホーツク文化集団以外にも、アイヌ人の遺伝的集団が存在することを示唆します。本論文は、本土集団とシベリア先住民集団も近世アイヌ集団に遺伝的影響を及ぼしている、と明らかにしました。

 近世アイヌ集団における各集団のタイプのmtDNAハプログループの割合は、オホーツク型で35.1%、北海道縄文型で30.9%、本土型で28.1%、シベリア型で7.3%となります。オホーツク型の割合の高さも注目されますが、何よりも注目されるのはオホーツク型・北海道縄文型とさほど変わらない本土型の割合で、前近代においてすでに、アイヌ集団と本土集団との混合がかなり進展していた、と示唆されます。シベリア型の存在は、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していたことを示唆します。

 北海道の近世アイヌ集団を南西と北東で区切ると、北海道型・オホーツク型・本土型・シベリア型の比率には、顕著な地域差が見られました。たとえば、北海道型の比率は北東アイヌ集団の方が高い一方で、本土型の比率は南西アイヌ集団の方が高くなっています。これについては地理的要因が考えられ、形態学的研究とも一致します。オホーツク型とシベリア型の比率に関しては、近世アイヌの両集団間で大きな差はありません。したがって、オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。

 このように、近世アイヌ集団は複数の起源集団を有しているわけて、アイヌ人もまた「交雑する人類」の例外ではなかったわけです(関連記事)。ただ、例外も報告されているとはいえ(関連記事)、mtDNAは基本的に母系遺伝です。そのため、mtDNAに基づく集団の歴史の解釈には慎重でなければならない、と本論文は指摘します。近世アイヌ集団における、各地域集団の遺伝的影響の比率やその歴史的経緯に関しては、やはり中世と古代までさかのぼって核DNAを解析し、周辺の各集団と比較していかねば、詳細は分からないのでしょう。今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c8

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
234. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:52:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3873]
2019年03月11日
アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html

 表題の呟きがTwitter上で流れてきました。全文引用すると、


DNA解析により、アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来したのが判明!
北海道の縄文人には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNAのハプログループYがない。
よって、アイヌ民族は北海道先住民族ではない と北海道庁ご認定していた:そよ風
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html


となります。その根拠として、

「アイヌ民族は北海道先住民族ではない」と題するブログ記事
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51838956.html


が挙げられています。


では、その根拠が何なのかというと、遺伝学的には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループY(Y1)が北海道の「縄文人」にはない、ということです。上記ブログは、「北海道の縄文人とアイヌは全く関係ないと言える」と断定しています。以下、基本的には

近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajpa.23338

に依拠して述べていきます

(関連記事)2019年01月24日 近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html


 確かに、現代アイヌ人のmtDNAハプログループに占めるY1の比率は19.6%で、比較的高いと言えそうです。また、北海道の縄文人ではY1は確認されていません。上記ブログは、江戸時代以降の日本人にもmtDNAハプログループY1が見られるので、江戸時代以前に倭人が北海道に多数いた、と推測しています。しかし、Y1が現代の「本土日本人」に占める割合は0.5%程度で、Y1はオホーツク集団由来と推測されています(オホーツク集団では43.2%)。

 また、現代アイヌ人にも近世アイヌ人にもN9bやG1bといった北海道縄文人のmtDNAハプログループは継承されており、現代アイヌ人では25%以上、近世アイヌ人では30%弱となります(M7a2も含めると30.9%)。もちろん、これは基本的には母系遺伝となるmtDNAのハプログループなので、核DNA解析ではまた違った割合になるでしょうが、少なくとも母系において、現代および近世アイヌ人は遺伝的に北海道縄文人と一定以上のつながりがある、と言えるでしょう。

 そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではない、という観点が上記ブログには欠けています。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。アイヌ人を遺伝的に云々といった見解の多くでは、論理の倒錯が見られるように思います。

 前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能です。

 そうした前近代の「民族的集団」の中には、民族は遺伝的に定義できる、といった単純素朴な観念が通用しない事例も報告されています。たとえばスキタイ人は遺伝的に、東方系がヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と、西方系が中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です

(関連記事)
2018年10月07日
青銅器時代〜鉄器時代のユーラシア西部草原地帯の遊牧民集団の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_11.html


青銅器時代のコーカサス地域のマイコープ(Maykop)文化集団は、山麓地域と草原地域とで遺伝的構成が明確に異なっており、遺伝的に異なる在来集団による共通の文化の形成・受容が想定されます

(関連記事)
2019年02月07日 コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_10.html


 もちろん、スキタイ人のようなユーラシア内陸部の遊牧民集団と、遊牧民が存在しなかったと言っても大過はないだろう日本列島の人類集団とを単純に比較できませんが、民族を遺伝的に定義することは基本的に間違っていると思います。民族はあくまでも文化的に定義された集団であり、任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、必然的に遺伝的構成が異なる、というだけのことです。これを倒錯させて、遺伝的構成の違いから民族集団を定義することはできません。

 本題に戻すと、上記ブログでは、アイヌ民族が12世紀頃に樺太から北海道に南下してきてオホーツク集団を滅ぼした、と主張されています。その根拠となる、アイヌ民族は北海道縄文人と(遺伝的に)まったく関係ない、との見解が間違いであることは上述したので、それ話は終わりです。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していた可能性も指摘されていますので、これを過大評価というか歪めて解釈して、アイヌ人が12世紀頃に北海道に侵略してきた、との与太話が今後拡散されるかもしれません。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後のシベリア先住民集団の北海道集団への遺伝的影響は、母系ではせいぜい6.4%程度で、大きな影響があった可能性はきわめて低そうです。

 なお、上記ブログでは、平取町からは正倉院御物と同じ組成の奈良時代の青銅器が発見されており、奈良時代にすでに天皇の力が北海道にも及んでいた、と主張されています。平取町の青銅器の話についてはよく知りませんが、仮にそうだとして、アイヌが北海道の先住民族だという前提は物的証拠によって完全に覆されている、との評価は的外れでしょう。確かに、正倉院御物と同じ組成の青銅器が北海道にあることを、天皇の「力が及んでいた」と解釈することは、定義次第ではあるものの、できなくもありませんが(かなり無理筋ではありますが)、それを言うなら、弥生時代や古墳時代の「日本」には、もっと強く「中国」の「力が及んでいた」と解釈すべきでしょう。

平安時代の日本の知識層の領域観念(関連記事)
2018年08月29日 佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_51.html


からも、奈良時代の日本人には、北海道を「日本」に含めるような概念はなかっただろう、と思います。

 それにしても、与太話にすぎない上記の呟きがリツイート1300以上・いいね1600以上とは残念です。もちろん、リツイートやいいねが賛同を意味するとは限りませんが、多くの場合は賛同だと思います。これを呟いた城之内みな氏のフォロワーは約26000アカウントで、フォローは1674アカウントですから、相互フォローでフォロワーを増やしていったのではなく、呟きの内容でフォロワーを獲得したのでしょう。その意味で、かなり影響力の強いアカウントなのでしょうが、こんな与太話にすぎない呟きにも多数のリツイートやいいねが集まるとは、残念というだけではなく、脅威と考えねばならないようです。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c234

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
235. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:59:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3874]

2018年07月24日
『洋泉社ムック歴史REAL 日本人の起源』
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html


 洋泉社より2018年6月に刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2REAL%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E6%B4%8B%E6%B3%89%E7%A4%BEMOOK-%E6%AD%B4%E5%8F%B2REAL/dp/4800314739


本書はおもに、弥生時代までの古代DNA研究・縄文時代研究・弥生時代研究の解説で構成されています。それぞれの執筆者は篠田謙一・山田康弘・藤尾慎一郎の各氏で、期待できそうなので購入しましたが、期待通りに最近の研究成果を知ることができました。とくに、弥生時代までの古代DNA研究の解説では、私が不勉強なため、多くの知見を新たに得ることができ、たいへん有益でした。以下、本書で注目した見解について、備忘録的に取り上げていきます。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析から、縄文人にはハプログループM7aとN9bが広範囲で見つかっており、現代ではほぼ日本人にしか見られません。ただ、どちらも出現(分岐)年代が3万〜2万年前頃なので、38000年前頃に日本列島に進出してきた人類と縄文人とは直接的な祖先-子孫関係にはなかった可能性が指摘されています。もっとも、あくまでもmtDNA解析に基づく推測ですから、38000年前頃の日本列島の人類集団と縄文人とが、もちろんその後の流入による遺伝的影響はあるとしても、直接的な祖先-子孫関係にある可能性も考えられます。

 縄文人のmtDNA解析数も蓄積されて、地域差が見えてくるようになりました。琉球列島を含む関西以西ではM7aが卓越するのにたいして、北海道・東北ではN9bが多数を占めています。また、サブグループまで分類すると、関西以西と東北・北海道では、M7aでもそれぞれ異なるグループが分布しています。そのため本書では、地域間の人的交流が広範囲に及ぶものではなかったかもしれない、と指摘されています。もっとも、後述するように、遺伝的交流は盛んではなくとも、交易などによる文化的交流はある程度以上活発だった可能性もじゅうぶんあるとは思います。

 また、現代日本人では、N9bが2%程度で、7%程度存在するM7aも、縄文時代の関西以西のサブグループで大半を占めることから、現代日本人に継承されている縄文人のDNAは、おもに西日本の縄文人に由来するのかもしれません。そうだとすると、弥生時代最初期にユーラシア大陸から九州北部に渡来した集団が在地の縄文人と混合し、東進していったために、現代日本人に占める縄文人の遺伝的影響は、西日本系の方が東日本系より高くなったのかもしれない、と本書は推測しています。

 縄文人のゲノム解析も進められており、最近になって、北海道礼文島の船泊遺跡から出土した3800〜3500年前頃の女性のゲノムは、現代人とほぼ同じ精度で解析されたそうです。平均網羅率は明示されていませんでしたが、30倍以上ということでしょうか。この女性の血液型はA型で、耳垢は湿式、切歯はシャベル状ではなく、巻き毛だったことが明らかになっています。これらの表現型はおおむね予想通りでしたが、目の虹彩は茶色で、人骨からの推測通り、身長が低くなる傾向を有する遺伝子が確認されました。

 この女性の両親は近い血縁関係にあり、両親の近縁関係の程度はアマゾンの先住民と同じくらいと推測されています。船泊遺跡からは、新潟県の糸魚川沿いの翡翠や、シベリアで発見されたものと類似した貝製装飾品が発見されていますが、婚姻圏は狭かったのではないか、と本書は推測しています。ただ、こうした狭い婚姻関係が一般的だったのか否かは、もっと縄文人のゲノム解析数が蓄積されないと、判断が難しいように思います。

 船泊遺跡の女性のゲノム解析の結果、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文人と同様に(関連記事)、船泊縄文人も現代の東アジア集団とは大きく離れている、と明らかになりました。現代人の集団で船泊縄文人とある程度遺伝的に近縁性を示すのは、アイヌ・琉球・「本土」日本・台湾や沿海州などユーラシア東部圏沿岸地域の先住民でした。本書は、東南アジアからの初期拡散により北上した集団のなかでユーラシア東部圏沿岸地域に居住した人々が融合し、縄文人が形成されたのではないか、と推測していますが、確証するにはユーラシア大陸の古代DNA解析が必要だ、と指摘しています。

 船泊遺跡では縄文時代の男性遺骸も発見されており、ゲノムが部分的に解析されているそうです。この男性もゲノムが解析された女性も、海獣など脂肪分に富む食資源に依存している場合に有利となる、脂肪代謝に関連する多様体を有しており、北極圏の先住民集団も同様です。船泊遺跡ではじっさいに漁撈具や海獣の骨が多数発見されているので、海獣への依存度が高い食生活を送っていたようです。船泊遺跡の男性のY染色体ハプログループは、現代日本人では30%以上存在するものの、中国や韓国ではほとんど見られないD1bでした。しかし、船泊遺跡の男性のY染色体ハプログループは、D1bの中でも現代日本人で多数を占めるサブグループD1b1ではなく、Y染色体でも、北海道の縄文人が現代日本人にはさほど遺伝的影響を及ぼしていない、という可能性が想定されます。

 弥生時代の人類のゲノム解析も進められていますが、縄文系と渡来系という以前からの形態学的分類がそのまま当てはまるものではなく、複雑な様相を呈していることが明らかになってきました。福岡県那珂川町安徳台遺跡で発見された弥生時代中期の女性は、典型的な渡来系弥生人と考えられており、遺伝的には韓国や中国の集団と類似する、と予想されていましたが、ゲノム解析の結果、現代日本人の範疇に収まり、むしろやや縄文人に近い、と明らかになりました。本書は、安徳台遺跡の弥生時代中期の集団が東進し、在来の縄文系と混合していったとすると、現代日本人における縄文人の遺伝的影響はもっと高くなっていると予想されることから、弥生時代中期〜古墳時代におけるユーラシア大陸からの渡来を想定する必要がある、と指摘しています。

 縄文系とされる弥生人のゲノムも解析されています。長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代後期の合葬された男女2人は、縄文人と共通する形態学的特徴を有している、と評価されています。mtDNAのハプログループでは、女性が縄文系と考えられるM7a、男性が渡来系と考えられるD4aと明らかになりました。しかし、核ゲノム解析では、縄文人と現代日本人の中間に位置する、との結果が得られました。上述した安徳台遺跡の事例からも、弥生時代には在来系と渡来系との融合が進んでおり、弥生人は均一な集団ではなく、独自の遺伝的構成を有していた、と言えるでしょう。本書は、弥生時代の渡来系は当初より在来系の縄文人と融合し始め、当時の朝鮮半島には渡来系弥生人と同じ遺伝的構成を有する集団はいなかっただろう、と推測しています。

 また本書は、弥生時代になっても日本列島の大半に縄文系の人々がいたと考えられることから、弥生時代以降もユーラシア大陸から日本列島への流入があり、現代日本人につながる集団の完成は古墳時代だろう、との見通しを提示しています。まだ予備的な研究の段階ですが、古墳時代になると、関東の集団の遺伝的な構成が大きく変わるそうで、古墳時代の日本列島の住民のDNA解析の進展が期待されます。また、飛鳥時代以降の古代DNAの解析も、日本史研究に大きく寄与するでしょうから、今後の研究の進展が楽しみです。


 これまで、先史時代の研究は考古学と形態学が主流でした。近年では古代DNA研究の進展が目覚ましいものの、考古学と形態学でも研究は着実に進展しています。日本列島最初期の土器は北海道では発見されておらず、朝鮮半島最古の土器は1万年前頃であることから、縄文土器は日本列島で開発された可能性が高そうです。また南島地域においては、縄文文化との共通性も相違点も見られ、時期により縄文文化と連動したり離れたりしていたそうです。本書は、他地域との交流はあるにしても、対馬海峡において文化的な境界線を引けることからも(関連記事)、縄文文化の空間的範囲は、現代の日本国の領域と厳密に一致しているわけではないものの、ほぼその範囲に収まる、との見解を提示しています。

 これは形態学的にも言えることで、縄文人の形質は、空間的には北海道から九州まで、時代的には早期から晩期前半までほぼ同一で、世界中で類似した古人骨は発見されていないそうです。そのため、縄文時代には、形質を大きく変化させるような他地域からの人的流入はなかった、と考えられています。それでも、やはり地域差はあり、北海道では地位内の差異が比較的大きい一方で、九州では小さいことが明らかになっており、縄文人の形成過程と関わっているかもしれません。

 縄文時代には定住が進みましたが、その度合いは地域により異なっており、その要因は依存していた食資源の違いだろう、と推測されています。縄文時代の農耕は近年よく主張されるようになりましたが、畑はまだ見つかっておらず、ダイズやアズキなどの作物が確定しただけだ、と本書は慎重な姿勢を示しています。縄文時代には、後期において、墓の分析から、北海道や東北でかなりの階層化が生じていた、と推測されています。しかし本書は、晩期にはこれらの地域で均質化が見られることから、おそらくは人口の少なさが要因で、階層社会は持続しなかっただろう、と指摘しています。

 弥生時代については、本書では紀元前10世紀にさかのぼるとする早期説が大前提となっていますが、まだ議論が決着したとは言えないようです(関連記事)。茨城県と栃木県以北では、水田稲作が行なわれても環濠集落が見られませんが、本書はその理由を、地域の核となる存在がなかったからではないか、と推測しています。水田稲作は、災害にあってもすぐに再開する傾向が強いのですが、東北の北部では、水田稲作が途絶えて数百年再開されませんでした。本書はその理由として、寒冷な気候が要因ではなく、東北の北部には水田稲作が始まっても土偶があることから、何らかの信仰形態・世界観の違いを挙げています。本書では古墳時代についても少し言及されており、九州や近畿では墳丘墓が早くから見られるものの、紀元後には衰退して古墳時代には直結しておらず、古墳時代の直接の起源は、紀元後2世紀半ば〜後半にかけての吉備や出雲にあるのではないか、との見解が提示されています。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c235

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
52. 中川隆[-8839] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:22:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3875]

2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)


画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。

空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c52

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
19. 中川隆[-8838] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:22:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3876]

2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
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冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)


画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。

空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c19

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
185. 中川隆[-8837] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:23:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3877]

2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)


画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。

空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c185

[近代史3] ソフトバンク 孫正義は日本人の敵 中川隆
2. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:24:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]
孫正義の詐欺の手口


2019年06月13日
ソフトバンクファンド第2段 投資集まらず不人気
http://www.thutmosev.com/archives/80097417.html


含み益は「架空の利益」なのでいくら儲けてもキャッシュフローは増えない

画像引用:ソフトバンクGが「投資ファンド化」、キャッシュなき過去最高営業益の実態 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンラインhttps://diamond.jp/articles/-/201844


孫正義社長の信者集め苦戦

ソフトバンクは10兆円ファンドを立ち上げて年間1兆円の利益を挙げ、近く第二ファンドを立ち上げると発表している。

だがウォールストリートジャーナルなど米メディアによると、立ち上げに必要な投資が集まっていない。

不人気の理由は第一ファンドの運用が不透明なことで、本当に利益が出たのか懐疑的な意見が強い。

というのは説明会などで孫社長が掲げる数字は「含み益」にすぎず、これがどれほど意味のない数字かは「痛い目に遭った」投資家は誰でも知っている。

リーマンショック前の世界は好景気を謳歌していて、「人類は不況を克服した」とあらゆる経済学者が説明していた。

2度と不況は来ないのだと納得した投資家や銀行は、貧困者向け住宅ローン「サブプライムローン」に多額の投資をした。


サブプライムローンの中身はホームレスに無担保で数千万円融資するもので、返済できる筈がなかった。

返済困難な代わりに高金利だったので、投資家には絶対安心で高金利な投資運用だと説明していました。

2007年7月ごろに問題が表面化しはじめ、8月のお盆過ぎに全世界株価大暴落が発生、続いて米住宅公社やリーマンブラザースが連鎖倒産しリーマンショックに発展しました。


サブプライムショック以前に投資した人は皆かなりの含み益を持っていたが、ある日数時間で「含み損」に替わりました。

含み益を利益として計算する会計方法には大きな問題があり、儲かっていないのに外部からは儲けているように見えてしまう。

孫社長が語る「利益」は買収に要した金額が含まれておらず、投資家への配当も含まれているのか分からない。

含み益が含み損になる日

半分近く出資したサウジアラビアにいくら払い、今後いくら支払う契約なのかさっぱり分からない。

確定した訳ではない株価を利益として計算し「1兆円儲かった」というのは投資家への誠実な説明とは言えない。

そして孫社長が第二ファンドを立ち上げなくてはならない理由も、第一ファンドの問題点の中に隠れている。


ソフトバンクビジョンファンドの年間利益1.2兆円は大半が含み益なので、一瞬で含み損に変わり得る数字です。

ソフトバンクビジョンファンドは相場よりかなり高額で企業買収するので知られ、英アームの時は回収に数十年かかると酷評された。

逆にソフトバンクが買収することによって、投資先企業の株価は急上昇するので、一見すると株価が上がって利益が出ています。


だが本来の株価より相当割高なので、ソフトバンクという巨額投資先を差し引くと、価値としてはかなり低くなります。

ソフトバンクが買うことで上昇した株価は、逆にソフトバンクが保有株を整理し始めたら、一斉に下落するかも知れません。

非常に不安定なものなので、孫社長は追加の10兆円ファンドを投入して、市場を買い支える必要があるのです。


孫社長の負けず嫌いは度を越していて、米通信会社のスプリントは実際には赤字なのに、会計方法で黒字にしている。

同じようにソフトバンクビジョンファンドも、儲かっていても居なくても、孫社長は失敗を認める事ができない。

含み益があるうちは良いが、米景気後退で株価が下落したら大半が含み損になる事態が起こり得る。


その時孫社長はおそらく「含み損には意味がない」と言って含み損益の発表を辞めてしまうと予想している。

もし含み益の時だけ発表し、含み損の時には発表を辞めるとしたら、あまりに不誠実ではないだろうか?

第二ファンドに海外投資家が集まらないのも、こうした疑問があるからに他ならない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097417.html  



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2019年06月22日
ソフトバンクは投資家には利益1兆円、国税局には赤字と説明していた
http://www.thutmosev.com/archives/80199736.html


孫社長は株主には利益1兆円、国税局には赤字と説明していた


画像引用:https://www.rbbtoday.com/imgs/p/5Mv003Y5bG8YWlzdSjWJq4VMdEMsQ0JFREdG/397178.jpg

利益1兆円なのに納税ゼロ

ソフトバンクグループは2018年3月期決算で2兆円もの欠損金を計上し、赤字決算だったので法人税を納税していなかった。

決算では1兆389億円の純利益を出し、孫社長自身が説明会で「利益1兆円」を誇示していたのは記憶に新しい。

ところが決算発表と税務申告の内容が同じである必要はなく、株主には利益1兆円、国税局には赤字だったと報告していた。


ソフトバンクグループは2016年に3.3兆円で買収した英企業アームの株式を、18年3月期にビジョンファンドに移管しました。

その時1.4兆円の欠損金が発生したと申告し、計算すると3.3兆円で買ったアーム株を1.9兆円で売った事になる。

とはいえこれは同じグループ内で移動させただけなので、現実の損失は発生していませんでした。


18年3月期の欠損金は2兆円を超え、東京国税局は何らかの疑いを持って調査を始めたと推測されます。

結局国税局は18年3月期に1.4兆円の欠損金は確定していなかったとして、4200億円の納税を求めたが、翌年以降に繰り越される事になった。

英アームはソフトバンクが3.3兆円で買収した後、株式非公開になったので現在の株式価値はゼロとなっている。


これをそのままの価値で申告しても良いが、半分の価値で申告すると差額は損失金になり納税額数千億円を節約できます。

欠損金は10年間にわたって繰り越し可能なので、ソフトバンクは今後10年間納税額を少なくできる。

これが孫マジックなのだが、いつくかの点でソフトバンクの経営に疑問が残った。


ソフトバンクは赤字か黒字か

疑問その一はこの欠損金は税制が想定しなかった「抜け道」を利用したもので、東京国税局は当初脱税の疑いで調べていた可能性がある。

株移管による欠損金は別の会社への譲渡を想定したもので、会社を2つに分割して同じ会社で譲渡するとは立法時に予想していませんでした。

ソフトバンクは法の抜け穴を利用して税逃れをする企業だ、と国税職員の頭に叩き込まれたでしょう。


2つめの疑問はソフトバンクや孫社長の、株主や投資家への信義の問題です。


投資家には「1兆円、2兆円儲かっている」「100兆円企業だ」と煽っておいて、納税する時に「赤字だから1円も納税しない」というのは上場企業としてどうかと思います。

他人の金を100兆円以上集めて、他人の金で投資して、やっていることが法の抜け穴を突く行為というのは誠実でしょうか。


株主への説明では含み益を「利益だ」と言って莫大な利益が上がっていると言い、国税局には大赤字で損をしていると言って納税していませんでした。

真実はどちらか一つしかないのであり、株主説明会でも「ファンドは実は赤字です」と言うべきではないでしょうか。


ソフトバンクはアメリカの通信企業スプリントでも不思議な会計操作をし、米メディアは「合法的な会計操作」と指摘していました。

スプリントは赤字なのですがレンタル会社を作って設備機材を高額で買い取り、破格の安値でレンタルする事で黒字にしていると書かれていました。

孫社長は「スプリントの黒字化に成功した」と言いましたが、あっちからこっちに赤字を付け替えただけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/80199736.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/549.html#c2

[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
2. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:25:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3879]
2019年07月23日
ソフトバンク孫社長と韓国、文在寅・李明博との距離感
http://www.thutmosev.com/archives/80464263.html

李明博が過激な反日発言を連発したのは、孫社長と会った後からでした


画像引用:https://up.gc-img.net/post_img_web/2018/02/ed6cdd7e6517fdbe2a471b831edc03fa_7345.jpeg

李明博大統領と親しかった

韓国の文在寅大統領は日本に過激な反日外交をしかけ、日本側は反発して非難の応酬となっている。

今から8年前の2011年にもこれとそっくり同じ事があり、当時韓国は李明博大統領で、日本は民主党の野田首相だった。

2012年8月14日、李明博は「日王が韓国に来たいなら一人一人に土下座しろ」と発言し、これが決定的な分岐点になった。

李明博はこのような発言をした理由について、「大物在日実業家の助言に従った」と話していました。

その実業家は「日王は日本国民に支持されていないし、日本人は日王に謝罪させたがっている」という趣旨の事を話したそうです。

李明博はこの実業家にそそのかされたと言い訳をしたが、それが誰だったのか名前を明かさなかった。


李明博と親交がある韓国系の大物実業家としては某アミューズメント企業会長、某菓子メーカー会長らの名前が挙がった。

孫社長は2011年6月20日に韓国を訪問し、大統領府で李明博と直接対談している。

この時孫社長は日本では原発廃止を訴えていたが、「韓国の原発は安全ですばらしい」と称賛している。


このように孫社長の日本に対する態度と韓国への態度は、くい違うことが多いのはなぜだろうか?

不思議なことに李明博が過激な反日路線を打ち出したのは孫社長と対談した後で、12月に慰安婦への謝罪要求し「韓国中に慰安婦像を建てる」と宣言した

2012年に発言はさらに過激になり、8月14日の「日王は土下座しろ」発言へとつながっていく。

孫社長はソウルで「日本は犯罪者だ」と批判している

これを聞いた李明博はどう感じたでしょうか

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画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20110817/03/japan-conserva/b5/60/j/o0644036411422351050.jpg


韓国を助けるため?アジアファンドを韓国に設立

さて2019年の韓国は文在寅大統領だが、李明博と同じように過激な反日外交を日本に仕掛けている。

19年7月1日に日本政府は半導体素材3品目の、韓国への優遇措置を撤廃し、事実上の経済制裁を科した。

すると孫社長は直後の7月4日に訪韓し、また大統領府で文在寅と1対1で対談し、AIの普及などを提言した。


この韓国大統領と大統領府で1対1で対談するというのは、朴大統領の洗脳疑惑にもなったほど韓国では特権と考えられている。

李明博は慰安婦や土下座発言の前に孫社長と対談し、今度は日本と国際紛争中の文在寅と1対1で対談している。

李明博と対談した後、孫社長は「日本は原発犯罪者だが韓国の原発は安全」という意味不明な名言を残した。


文在寅と対談した後も孫社長は「日本はAIの後進国になったのを自覚しろ」という一方で「韓国のAIへの協力を惜しまない」と発言した。

その言葉通り7月19日、ソフトバンクは韓国に、アジア投資ファンドを設立し、事実上韓国を支援した。

ファンドを通じてソフトバンクは数千億円を投資し、本部が韓国に置かれることで韓国政府と韓国経済はメリットがある。


その一方で孫社長は「日本はAI後進国だから投資する価値もない」と切り捨てている。


日本に対してはいつも侮蔑的な発言ばかり、韓国に対してはいつも称賛と協力ばかりです。


どうして孫社長の韓国への態度と、日本への態度はいつも180度違うのでしょうか?
http://www.thutmosev.com/archives/80464263.html  



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孫 正義(そん まさよし[1]、1957年8月11日[2] - )は、日本の実業家である
ソフトバンクグループの創業者として知られ、ソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長やヤフー取締役、スプリント会長、アーム会長、アリババ取締役[3]、福岡ソフトバンクホークス取締役などを務める。ソフトバンクグループの筆頭株主である。


家族・親族

系譜

孫正義は一直孫氏である。一直孫氏の始祖は朝鮮の土着民である荀凝で、元々名字は荀であった。荀凝は高麗時代に名前を孫凝に変えた。[61]


鐘慶

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三憲   某   某   某   女   女   真太郎

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┃   ┃   ┃   ┃
正明  正義  正憲  泰蔵

実家

祖父と祖母は漁船の底に潜り込んで日本に入国したという[62]。

在日二世である父親の孫三憲は佐賀県鳥栖市に生まれ2017年現在福岡県で暮らしている[63]。子供の頃に父親の故郷である韓国の大邱に渡るも仕事が無く密入国の形で再び日本に住んでいる。一時期金融業や密造酒を家業としていた[5][64]。孫家は父親の方針の下、将来は韓国大統領を目指すよう教育されるなど非常に勉強熱心な家風であった[5][65]。「足が汚水につかるような場所で苦学して」部落を出て成功した。孫正義が中学生の頃に病気で倒れ、孫正義の1歳年上である兄の孫正明は高校を1年生で中退して家計を支えた。

15歳年下である末弟の孫泰蔵は実業家である。

在日韓国人実業家の二男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。4人兄弟であった。いわゆる通名は「安本正義」[4]。

孫は佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で幼少期を過ごし、差別も経験する[5]。豚や羊と一緒に生活する非常に貧しく不衛生な場所であったが、「今だから言えるが密造酒も家で作っていた」と佐野眞一のインタビューで述べるとともに、父親の三憲が密造酒製造販売と消費者金融・パチンコ業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し、高級車を何台も保有するほどの裕福な時期もあったことも明らかにしている[5][6]。

緑ヶ丘・第二幼稚園から北九州市立引野小学校に入学、福岡市立城南中学校に転入後、1973年に久留米大学附設高等学校に入学。


アメリカ時代

高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、渡米(2月)。米国ホーリー・ネームズ・カレッジ(英語版)の英語学校 (ESL) に入学。米国サンフランシスコセラモンテ高等学校の2年生に編入。3年生、4年生へと飛び級。高校卒業検定試験に合格したため、高等学校を3週間で退学(10月)。翌1975年に米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。

1977年にカリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入。さらに1979年、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に[7]、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入。結婚。1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、経済学士。日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市博多区雑餉隈に事務所を構えた。


実業家

1981年、福岡市博多区に事務所を移し、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を、そして福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。1983年における慢性肝炎での入院をきっかけに社長職を退き会長へ。この時、「お金じゃ無い、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに、貢献できたら幸せだ。どこか、名前も知らない、小さな女の子に“ありがとう”と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」と思い、今に至る。「おばあちゃんは、いつも、人さまのお陰だ、と言っていたことから、人を恨んだりしてはいけない」とも語っている。その後、1986年をもって社長職に復帰、パソナの南部靖之、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄とともにベンチャー三銃士と称された[8]。1990年をもって日本に帰化。

1990年、ソフトバンク株式会社に社名変更。

1994年にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。

1996年には米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。

同年、衛星放送プラットフォームの運営会社としてジェイ・スカイ・ビー(JスカイB)をルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資により設立、マードックが会長、自らは社長に就任。この際、旺文社より全国朝日放送(現テレビ朝日ホールディングス)の株式21%を取得するも、翌1997年3月に当時第3位株主だった朝日新聞社に全株式を譲渡して撤退。JスカイBは1997年にソニーとフジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)がイコールパートナーとして資本参加した。

1998年にはパーフェクTV!を運営する日本デジタル放送サービス(現スカパーJSAT)と合併、スカイパーフェクTV!(スカパー!)として放送を開始した。

1999年、証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。翌2000年には大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン市場を開始。

ソフトバンク株式会社が東京海上火災保険、オリックスとともに、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の株式を取得。取締役に就任した。

NTTドコモの第一期アドバイザリーボードのメンバーを1年程務める[注 1]。

2001年からヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。

2002年、ナスダック・ジャパン株式会社が業務を停止。大阪証券取引所によりヘラクレスとして改組された。

2003年にあおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社に売却。

2004年には日本テレコム株式会社 (現ソフトバンクテレコム株式会社) を買収し、同社代表取締役会長に就任。2006年10月には同社の代表取締役社長に就任した。

さらに福岡ダイエーホークスと福岡ドームをダイエーから買収し、福岡ソフトバンクホークスのオーナーに就任。

続けてボーダフォン株式会社(現ソフトバンク株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任した。

2011年に東日本大震災が発生すると、義援金として個人で100億円および2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明し2011年7月14日100億円の寄付が終了した[10]。さらに福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立[11][12]。『東日本大震災復興支援財団』を6月に設立[13]。

2015年4月1日、ソフトバンクモバイルの代表執行役社長から代表取締役会長に異動した(ソフトバンクモバイルは、同時に、ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併)[14]。

2017年には海外の大物経営者が名を連ねている中国の清華大学経済管理学院顧問委員の一人となった[15][16]。
2017年12月14日、MLS参入を目指すデビッド・ベッカムの投資家グループへの参加が承認された。[17]


ソフトバンクの創業

設立経緯

自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」[18]を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、大銀行の紹介・融資の手引きをされて1億円の融資を手に入れた[19]。

その資金を元に米国で事業を起こし、1981年には福岡で不動産・産廃業を営む母方の親戚の在日韓国人から1億円の出資を受けて日本で起業する[5][20]。佐野眞一は創業時に1億円を投じた在日韓国人の親戚が個人株主としては現在も最大の株主であるとしている[20]。(ただし、孫自身を個人株主に含めれば孫が最大の株主となっている)。

電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR)をフォーバルの大久保秀夫とともに開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許は孫が保有している)[21]。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。

ソフトバンクの前身

自動翻訳機の売込みで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。日本で、流行していた「スペースインベーダー」を、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取り、アメリカで売り出して大きな利益を得た[要出典]。

「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年(昭和56年)であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の雑餉隈ざっしょのくまで、アルバイト社員二人とソフトバンクを始めました」と話している。雑餉隈の雑居ビルに存在した会社は、ソフトバンクの前身にあたる「ユニソン・ワールド」という会社であったが、孫自身はこの「ユニソン・ワールド」がソフトバンクの起業だと考えていることがこの言葉から分かる。孫は同社員の前で、立ち上げた会社を「10年で年商500億の会社にする」と豪語したが、これを聞いた二人は孫の可能性を信じることが出来ず非現実的な法螺話と受け取り、彼の力量を見限って辞めてしまったという話がある[22]。

通名ではなく本名で起業

ソフトバンクの前身であるユニソン・ワールドを起業する際、日本名である「安本」ではなく韓国名の「孫」の名前で会社を興すことを決め、そのことを一族に伝えた[23]。しかし親や親戚からは、在日が日常生活で差別されることはかなり減ったが、就職では間違いなく差別され銀行も絶対金を貸さない、お前の認識は甘い、ハードルは十倍あがる、わざわざ好んでその難しい道を行くのか、と猛反対された[23]。それに対して孫は「たとえ十倍難しい道であっても、俺は人間としてのプライドを優先したい、俺はどれだけ難しい道だって堂々と正面突破したいんだ」 と答えた[23]。一族からは「お前は青い」とも言われたが、父親は何も言わず黙って孫の話を聞いていたという[24]。

孫の名前にこだわった理由はもう一つあり、それは渡米する際に心に決めた志と通名による起業が矛盾するということであった。孫は佐野眞一に対して「何十万人といる在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている。でも在日韓国人であろうが、日本人と同じだけの正義感があって、能力がある。それを自分が事業で成功して、 証明しなきゃならないと思ったんです。これからの在日の若者に、それを背中で示さなきゃいけないのに、俺が 本名を隠してこそこそやったんじゃ、意味がなくなるじゃないか、アメリカに行った目的が達成できないじゃないか。あとから、あの事業を興したのは、実は孫でしたと言ったって……」[25]と述べている。

震災やエネルギー分野での取り組み

東日本大震災復興資金の寄付

2011年4月3日、東日本大震災の被災者支援と復興資金として個人で100億円を寄付すると発表した[26]。また、2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付するとも発表した[27]。ソフトバンクも企業として東日本大震災に対し10億円の寄付を決定している。孫は3月22日福島県の避難所を訪れ、被災者数万人への携帯電話の無償貸与に加えて、震災孤児対象に18歳までの通信料の完全無料化を表明している。

2011年5月16日、寄付金の配分を発表した[28]。内訳は、日本赤十字社・中央共同募金会・岩手県・宮城県・福島県に各10億円、日本ユニセフ協会などの「震災遺児への支援を行う公益法人」に6億円、茨城県・千葉県に各2億円。40億円は、孫と自治体が共同で設立、孫自身が会長を務める東日本大震災復興支援財団[29]に託す。

2011年6月11日までに、財団分を除く60億円の寄付が各所に行われた[30][31]。

2011年7月14日に、東日本大震災復興支援財団に残りの40億円が寄付として渡され、全100億円分の寄付が完了した[32]。この寄付金は、10年以上の継続支援ができるよう、被災地の子どもたちを中心とした支援のみに100%使われていくという[33]。

日本での脱原発と再生可能エネルギー推進、韓国での原発推進[編集]

孫は福島第一原子力発電所事故後、元ソフトバンク社長室長で元民主党衆議院議員であった嶋聡の民主党人脈を使って、当時の菅直人首相とともに、再生可能エネルギー(「自然エネルギー」)の普及と脱原発を掲げて活動を始めた。菅首相が政府委員や公職者でもない孫の意見にエネルギー政策を頼っため、孫の個人的な持論が民主党政権の政策に反映された、と批判されることもある[34]。

2011年4月には発電コストについてはアメリカにおいて補助金の助けで風力発電と原子力発電のコストが2010年に逆転したとし、再生可能エネルギーの方が原子力より安価であるとの考えを表明して、日本で自家発電などで生産された再生可能エネルギーを電力会社が買い取る固定価格買取制度を導入することに期待感を示していた[35]。また、孫は「電力会社は悪なので、発送電分離によって解体すべき」「太陽光発電に支援を」「再エネ補助金を優遇せよ」「(固定価格)買い取り保証は超長期で」「原発はゼロに」と主張していたという[34]。

孫はエネルギー間のバランスを考えず[注 2]、再生可能エネルギーに偏重した政策を実施させ、しかもその後、自身が再生可能エネルギーで巨大ビジネスを展開したため、孫の動きを震災に便乗した補助金ビジネスとして「政商」と批判する声がある[36][37]。実際に、民主党政権による固定価格買取制度の導入に際して、孫は菅直人首相に強く働きかけて同制度を成立させている[注 3][38]。その際、孫は参考人として呼ばれた政府の委員会において、太陽光発電は造成コスト等も含めるとコストが非常に高く、最低でも40円/kWhの高い買取価格が必要だと主張した(孫はこのとき、太陽光発電は40円/kWhでは9割の地点で採算が合わず、本来は更に高い42〜45円/kWhが必要であるが、「消費者への負担とのバランスを考えると」最低でも40円/kWhが必要だと主張した)[注 4][39]。

そして実際に2012年、孫の希望通り、メガソーラー(大規模太陽光発電所)で「最低限の」40円/kWh、住宅用太陽光で42円/kWhで固定価格買取制度が開始した。これは太陽光発電を特に集中的に優遇し、申請時点の買取価格をプラント建設後20年間まで保証するというもので、この日本の太陽光発電買取価格は世界で最も高く[34]、他の先進諸国に比べても2倍以上と、異常に高い[40]。この制度によって日本国民が負担する賦課金額は、2016年時点で既に、年間2兆円という巨額に達しており[41]、最終的には累計53〜85兆円(廃炉・事故処理・賠償等を含む福島原発事故の被害総額(2016年推計)[42]のおよそ2.5〜4倍)程度に及ぶ、と試算されている[40]。

固定価格買取制度が開始した2012年以降、孫の率いるソフトバンク・グループは初期参入を果たして、国内各地に数多くのメガソーラー(大規模太陽光発電所)を建設し[43]、ビジネスを展開した。

また、この制度により、太陽光パネルの設置バブルが発生したと非難する声もある[44]。すなわち、固定価格買取制度に補助を受けた太陽光ビジネスは、上記の政府委員会での孫の主張とは裏腹に、年利回り8%以上、日照がよい場所なら10%以上の極めて魅力的なビジネスであり、しかも設置の小分けが出来るようにしたことで投資家が群がった。日照の良い一部の地域ではビジネス優遇のため、ドイツのような設置への規制を設けなかったため、自治体のレベルで差がついた。森林伐採や日射被害、土砂崩れなど、景観や住環境の破壊が進み、住民からの反対運動も生じるようになった[45][46]。

孫を取材し尊敬していたという旧知の堀義人も孫をツイッター上で「政商」だと批判し、その批判から孫と討論会を実施する運びとなった[47]。民主党の原口一博は孫の立てた大規模太陽光発電所(メガソーラー)構想に対して「太陽光か原発かという選択肢ではありません。『大規模・独占・集中・排除』か『小規模・分散・自立・共同』で選択しないといけない」と忠告したという[48]。

なお、孫の脱原発運動は日本限定の活動であり、訪韓して李明博大統領と会談した際には「脱原発は日本の話。韓国は地震が多い日本とは明らかに異なる」「安全に運営されている韓国の原発を高く評価している」と韓国の原子力発電所を高く評価しているという。また、再生可能エネルギー分野でも日韓協力の体制を敷くことに前向きなコメントを残している[49]。

データセンターの韓国設置について

東日本大震災を受け孫が経営するソフトバンクは電力供給と料金面で有利な韓国にデータセンターを立ち上げることでKT社と合意した。孫は韓国にデータセンターを置く利点として、「近い」「安い」「高いICTの先進性」の3点を挙げ、「韓国は非常に『近い』外国であり、産業用電気料金が日本の半額で『安い』」ことを挙げている[50]。

堀は上述の産経新聞記事にて、この件を原子力発電で電力を賄っている韓国に産業を移転し日本の産業を空洞化させるものとして批判している他、池田信夫はニューズウィーク日本版の連載コラムにて「メガソーラーで日本の電気代を上げて他社のコストを圧迫する一方で、ソフトバンクは韓国の原発でつくった安い電気を使ってもうけようというわけだ」という批判を紹介し「彼の挑戦がもう少しツボにはまれば、霞ヶ関にも応援団はかなり出てくるだろう」と評している[51]。

エピソード・人物[

好きな企業家

「最も好きな起業家」は本田宗一郎である[52]という。

将来計画

孫は19歳の時に「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという[要出典]。

小学生時代のエピソード

小学生時代の夢は画家で、好きな画家はゴッホ[注 5]。
孫の父・三憲は小学生の正義に対し「今度お父さんが出す新製品に、何か言いたい事はあるかな」と問い、子ども扱いせずに関係者の一人として意見を聞いていた[5]。こうした体験が後に経営者としての手腕に繋がって行った。また「お前は在日朝鮮人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」と語っていた[5]。


藤田田を訪問

高校時代、藤田田の『ユダヤの商法―世界経済を動かす』という書籍(KKベストセラーズ、1972年)を読んで感動し、面会するために藤田の会社に行く。最初は門前払いを受けるが、何度も訪れて根負けした藤田についに社長室に通されたという。そこで「今度渡米するのだが、アメリカで何をすべきか」と尋ね、コンピューター関連を学ぶように助言された。その後成功した孫は藤田を食事に招待し、藤田はあの時尋ねてきた高校生が孫正義だったかと驚き、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという[54]。


大学検定試験のエピソード


この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年10月)


カリフォルニア州での大学の検定試験の際に「この問題は日本語ならば必ず解ける」と言い、辞書の貸し出しと時間延長を試験官に申し出た。試験官は、自分の上司にあたる人間に相談。さらにその上司は、自分の上司に相談。そうこうしているうちに、最後は州知事にまで孫は電話で交渉して、「辞書の貸出し」と「時間延長の要求」をのませたという。

さらに、州知事との交渉において知事は「厳密な終了時間」を決めておらず、「辞書を引くのに適当な時間だけ延長する」という結論が出されたことから、無期限の時間延長と孫は独自解釈して、最後までテストを受けて合格したという。


著名な発言

将来はヤフーを子会社化孫は2005年に雑誌の取材で「近い将来アメリカのヤフー本社も買収して子会社化しようと思う」と話している。[要出典]もっとも米国のYahoo!はかつてソフトバンクが筆頭株主だった[55]。噂にはコメントしないソフトバンクの新機種発表会で、「iPhone 3Gの発売はソフトバンクからか」と質問された時の発言。「iPhone 3GS」の発売前にも、同じコメントを残していた。首相四年連続辞任時に「日本の不幸」2010年、Twitterユーザーから首相辞任にコメントを求められた際に、「4人の首相[注 6]の任期が1年程度。民間会社ですら社長任期が1年では大きな事は成し得ない。日本の不幸」と述べた[56]。


在日割引デマ

2010年7月19日、週刊新潮に取り上げられていた「在日割引[注 7]」の存在について、一般ユーザーからの「ソフトバンクがそのような割引をしているのはデマか?」との質問に対し、直接の返答と詳細な経緯の説明を行った。これによれば、「この割引プランはデマ。2008年に代理店がソフトバンクの許可無く販売したが、ソフトバンク側が認知した後に書面で通知し、当該の割引営業行為を停止させた」と発言した[57][58]。ソフトバンクモバイル広報室は「この割引プランは、弊社の代理店が民団と勝手に取りまとめたもので、弊社サービスではありません」と発言した。


特許

スクリーンゴルフの周囲に空気ダクトを設置し風を送ることで臨場感を増した『ゴルフシミュレーションゲーム環境装置』を特許出願(特許4041197)しており[59]、自宅の地下に設置しているとされる[60]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%AD%A3%E7%BE%A9


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c2

[昼休み54] ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界 中川隆
93. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:35:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]
2019.07.25
欧米の著名人を窮地に追い込む可能性があるリストを持つ容疑者がほぼ意識不明

 ​独房内で「ほぼ意識をなくし」、倒れているジェフリー・エプシュタインを看守が発見した​と報じられている。首にけがをしているようで、病院へ運ばれた。自殺を図ったのか、病院へ移りたかったのか、ほかの囚人に襲われたのか、あるいは別の原因があるのかは不明だ。

 ​本ブログ​でも書いたように、エプシュタインは「友人」のリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。このリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物によると、それは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすものだという。しかも顧客には著名人の名前が記載されている。日本なら容疑者が「練炭自殺」しそうな事件だ。

 10年余り前にもエプシュタインは同様の容疑で起訴されているが、その時は「寛大な処分」ですんだ。担当地方検事でドナルド・トランプ政権の労働長官だったアレキサンダー・アコスタによると、​エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 その話の信憑性を高める背後関係もある。エプシュタインの妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、この人物は1960年代からイスラエルの情報機関に協力、あるいはそのエージェントだったと言われている。しかもイギリスやソ連の情報機関ともつながっていた可能性がある。

 小児性愛の問題はアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、占領を始めた当時にも問題化している。その事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたと噂されたひとりがデイビッド・ペトレイアス。当時は第101空挺師団の司令官だった。後にCIA長官を務めるが、2012年に辞任している。陸軍情報部に所属していた予備役中佐との性的な関係と情報の漏洩が原因だとされているが、真の理由は別にあるとも言われている。

 こうした問題はアメリカ以外、例えばイギリスや日本でもあると言われているが、もみ消されているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907250000/
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html#c93

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
48. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
2019.07.25
欧米の著名人を窮地に追い込む可能性があるリストを持つ容疑者がほぼ意識不明

 ​独房内で「ほぼ意識をなくし」、倒れているジェフリー・エプシュタインを看守が発見した​と報じられている。首にけがをしているようで、病院へ運ばれた。自殺を図ったのか、病院へ移りたかったのか、ほかの囚人に襲われたのか、あるいは別の原因があるのかは不明だ。

 ​本ブログ​でも書いたように、エプシュタインは「友人」のリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。このリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物によると、それは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすものだという。しかも顧客には著名人の名前が記載されている。日本なら容疑者が「練炭自殺」しそうな事件だ。

 10年余り前にもエプシュタインは同様の容疑で起訴されているが、その時は「寛大な処分」ですんだ。担当地方検事でドナルド・トランプ政権の労働長官だったアレキサンダー・アコスタによると、​エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 その話の信憑性を高める背後関係もある。エプシュタインの妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、この人物は1960年代からイスラエルの情報機関に協力、あるいはそのエージェントだったと言われている。しかもイギリスやソ連の情報機関ともつながっていた可能性がある。

 小児性愛の問題はアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、占領を始めた当時にも問題化している。その事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたと噂されたひとりがデイビッド・ペトレイアス。当時は第101空挺師団の司令官だった。後にCIA長官を務めるが、2012年に辞任している。陸軍情報部に所属していた予備役中佐との性的な関係と情報の漏洩が原因だとされているが、真の理由は別にあるとも言われている。

 こうした問題はアメリカ以外、例えばイギリスや日本でもあると言われているが、もみ消されているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c48

[日本の事件17] プチエンジェル事件の真相
72. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:39:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]
2019.07.25
欧米の著名人を窮地に追い込む可能性があるリストを持つ容疑者がほぼ意識不明

 ​独房内で「ほぼ意識をなくし」、倒れているジェフリー・エプシュタインを看守が発見した​と報じられている。首にけがをしているようで、病院へ運ばれた。自殺を図ったのか、病院へ移りたかったのか、ほかの囚人に襲われたのか、あるいは別の原因があるのかは不明だ。


 ​本ブログ​でも書いたように、エプシュタインは「友人」のリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。このリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物によると、それは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすものだという。しかも顧客には著名人の名前が記載されている。日本なら容疑者が「練炭自殺」しそうな事件だ。


 10年余り前にもエプシュタインは同様の容疑で起訴されているが、その時は「寛大な処分」ですんだ。担当地方検事でドナルド・トランプ政権の労働長官だったアレキサンダー・アコスタによると、​エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。


 その話の信憑性を高める背後関係もある。エプシュタインの妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、この人物は1960年代からイスラエルの情報機関に協力、あるいはそのエージェントだったと言われている。しかもイギリスやソ連の情報機関ともつながっていた可能性がある。


 小児性愛の問題はアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、占領を始めた当時にも問題化している。その事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたと噂されたひとりがデイビッド・ペトレイアス。当時は第101空挺師団の司令官だった。後にCIA長官を務めるが、2012年に辞任している。陸軍情報部に所属していた予備役中佐との性的な関係と情報の漏洩が原因だとされているが、真の理由は別にあるとも言われている。


 こうした問題はアメリカ以外、例えばイギリスや日本でもあると言われているが、もみ消されているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907250000/

http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html#c72

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
236. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月25日 20:27:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]

2018年05月27日
縄文時代における九州と朝鮮半島との交流
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html


 以前、当ブログで

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが(関連記事)、
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html


もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c236

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
27. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月25日 20:43:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
2018年05月27日
縄文時代における九州と朝鮮半島との交流
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html


 以前、当ブログで

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが(関連記事)、
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html


もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c27

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
237. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月25日 20:54:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]

2019年05月24日
現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_43.html

 現代日本人のうち、人数では圧倒的な割合を占める本州・四国・九州(「本土日本人」)の人々がどの程度「縄文人」の遺伝的影響を受けているのか、という問題については、複数の推定値が提示されています。「本土日本人」のゲノムに占める「縄文人」由来の領域の割合は、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の3000年前頃の「縄文人」の研究では15%程度(関連記事)、愛知県田原市伊川津町貝塚の2600年前頃の「縄文人」のゲノムも解析したアジア南東部現代人集団の形成過程についての研究では21%程度(関連記事)、北海道礼文町の船泊遺跡の3800年前頃の「縄文人」の研究では10%程度(関連記事)と推定されています。

 これらのうち、高品質なゲノム配列が得られているのは船泊遺跡の「縄文人」なので、これが最も信頼できる推定値とは言えます。では、現代「本土日本人」のゲノムに占める「縄文人」由来の領域の割合は10%で確定なのかというとそうではなく、篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』は、現代「本土日本人」のゲノムに占める「縄文人」由来の領域の割合を20%程度と推定しています(関連記事)。「10%」という数字が、あたかも確定的であるかのごとくネットなどで喧伝される危険性には注意しなければならないでしょう。

 なぜこのような違いが生じるのかというと、ゲノム配列の品質の問題もあるのですが、重要なのは、どの「縄文人」集団が現代「本土日本人」により強く遺伝的影響を残したのか、ということです。『日本人になった祖先たち』は、東日本よりも西日本の「縄文人」の方が現代「本土日本人」により多くの遺伝的影響を残している、と推定しています。その意味で、愛知県の2600年前頃の「縄文人」のゲノム解析から、現代「本土日本人」のゲノムへの「縄文人」の影響が21%程度と推定されていることを考慮すると、西日本「縄文人」のゲノム解析結果からは、現代「本土日本人」のゲノムへの「縄文人」の影響が、25%程度かそれ以上になっても不思議ではないと思います。

 最近当ブログにて、現代日本人のY染色体DNAハプログループ(YHg)で30〜40%と高い割合を占めるDの起源について、その多くが「縄文人」ではなく弥生時代以降の「渡来系」である可能性も考えられる、と述べました(関連記事)。しかし、現代「本土日本人」のゲノムに「縄文人」の中でより大きな影響を残したのが西日本集団だとすると、YHg-Dが西日本の「縄文人」である可能性もじゅうぶん考えられます。これについては、西日本だけではなく、ユーラシア東部の古代DNA研究が進まないと、なかなか確定的なことは言えないでしょう。

 このように、古代の人類集団の現代人のゲノムへの影響については、どの集団を対象とした比較かにより、推定値が異なってきます。古代人のゲノム解析事例はまだ少ないので、「縄文人」のように1個体もしくは2個体からのゲノム配列のみが比較の場合も多く、今後の研究の進展により、数値が変わってくる可能性は高いでしょう。A集団の現代人B集団への遺伝的影響とはいっても、A集団内部のA1集団とA2集団のどちらを比較対象として、どちらがB集団により強い遺伝的影響を残した集団と近縁なのかにより、推定値は変わってくる、というわけです。

 具体的には、たとえばネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の事例がそうです。以前には、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列は南シベリアのアルタイ地域でしか得られていなかったのですが(関連記事)、その後、クロアチアでも、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列が得られました(関連記事)。非アフリカ系現代人全員の祖先集団が交雑したネアンデルタール人集団は、南シベリアのネアンデルタール人よりもクロアチアのネアンデルタール人の方と近いと推定されており、非アフリカ系現代人のゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の推定値は、以前よりも高いと見直されました。同様のことが、「縄文人」の現代「本土日本人」への遺伝的影響についても言えるでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_43.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c237

[リバイバル3] コップ一杯の重曹を飲むことでみるみる健康になる? 中川隆
12. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 03:39:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]

【大活躍】重曹フル活用 2018年07月26日
お食事(食用重曹)のみならず、お掃除のみならず、アロマ、入浴、歯磨き粉、幅広く活躍する重曹の使い方をまとめました。また、癌治療のツールとしてはよく調べてから自己責任でお願いします
https://matome.naver.jp/odai/2153251151804441801?page=2


なぜ重曹水がいいのか

病原体の数を少なくさせるには、病原体の好む酸性に偏った体を、弱アルカリ化にして、病原体を寄せにくい体内環境を作ることです。日々の生活の中で、アルカリ性 8 : 酸性 2 の割合で食事をとっていると、ウイルスが集まりにくい体になると言われていますが、その食生活はとても難しいです。

そんな時、重曹水はお手軽に体を弱アルカリ性に導いてくれます。

重曹水の作り方と飲み方

基本的なコップサイズに水(水道水や、塩素のはいっていない水を1杯、重曹を小さじ1杯いれよく混ぜて溶かしてください。
溶けにくいのでお湯にいれて溶かしても良いです。これを朝食前に1杯飲んでください。

※注意1

食後に飲んでしまうと、食べ物の酸に中和されて効果がなくなってしまいます。
これを繰り返していくうちに、体は弱アルカリ化して、ウイルスを寄せ付けづらくなります。

※注意2
ケーキなどで使う重曹は本来の重曹以外の成分もはいっているため、この場合の重曹は薬局などで売っている炭酸水素ナトリウム(重曹)をおすすめします。

出典
重金属から身を守る〜重曹水〜 | 有田歯科 メタルフリー診療室

重曹の味

重曹が初めから味のしない人、まずい人様々な人がいます。
体が弱アルカリ化されている人は、無味です。味によってどこが悪いかわかるので以下を参考にしてみてください。

☆味の種類からみられる体の状態☆
・すっぱい味→腎臓が悪い
・腐った味→腸内環境が悪い
・苦い味→肝臓が悪い
・魚の生臭い味→酸とアルカリバランスが悪い もしくは カルシウムと亜鉛不足

毎日飲み続ける事によって、だんだん弱アルカリ化されて無味になっていきます。
もともと味が無い人も、一日1杯を目安に飲み続けると、体が弱アルカリ化で保たれます。

出典
重金属から身を守る〜重曹水〜 | 有田歯科 メタルフリー診療室


重曹水でうがい


重曹水でうがい


病原体と同じで、虫歯菌も口腔内が酸性の状態を好みます。新鮮な唾液はアルカリ性なので虫歯になりづらいですが、食事後や、日々の生活習慣により、口腔内が酸性の時は、虫歯菌も繁殖します。

体内から重曹水でアルカリ化することもそうですが、食事後、歯磨き後に重曹水でお口をゆすぐと、さらに効果的です。

癌治療にも?

・体液pHを改善することによって、免疫細胞がガン細胞に「反応」出来るようにする。
・がん患者は免疫力が衰えているわけではない。免疫細胞がガンに反応しなくなっているだけ。
・なので、体液pHを弱アルカリ性にすれば、免疫細胞がガン細胞を攻撃するようになる。
・食事「のみ」で体液pHをアルカリ化すること可能だが、おそらく非効率的・・・。
・野菜ジュースの大量摂取でも、体液がアルカリ化する人としない人とで明確に分けられることが分かった。
・この違いが、食事療法でガンが治る人と治らない人の違いであると思われる。

出典
がん治療戦略に関するメモ

・重曹やクエン酸を飲めば、いくら酸性食品(肉、卵、チーズなど)を食べても体液を弱アルカリ性へ保てることが分かった(測定済み)。

出典
がん治療戦略に関するメモ


体液pHに


体液pHに


・体液pHを改善することによって、免疫細胞がガン細胞に「反応」出来るようにする。
・がん患者は免疫力が衰えているわけではない。免疫細胞がガンに反応しなくなっているだけ。
・なので、体液pHを弱アルカリ性にすれば、免疫細胞がガン細胞を攻撃するようになる。
・食事「のみ」で体液pHをアルカリ化すること可能だが、おそらく非効率的・・・。
・野菜ジュースの大量摂取でも、体液がアルカリ化する人としない人とで明確に分けられることが分かった。
・この違いが、食事療法でガンが治る人と治らない人の違いであると思われる。

・クエン酸5g、重曹を5gを1セットとし、1日に計6セット飲む。
 → 起床時
 → 朝食中
 → 朝食と昼食の間
 → 昼食中
 → 昼食と夕食の間
 → 夕食中
 → 上記のタイミングでそれぞれ1セット行う
 → 運動中にもこまめに飲めば、疲れも溜まらなくなる

上記に書いた重曹の摂取量を塩分換算すると、厚生労働省や世界保健機関(WHO)が定めている食塩摂取の推奨量をゆうに超えてしまいます。

私個人の意見としては問題ないと思っていますし、上記以上の摂取量を数ヶ月間、毎日摂取し続けていますが、リスクはあると思いますので、実践される場合は自己責任でお願い致します。

出典
がん治療戦略に関するメモ

『重曹水(重曹液)』は、癌患者さんの体内、及び、癌の『乳酸アシドーシス』を改善する手助けをしたり、癌の成長を弱めたり、癌の転移を減少させたりするための「補佐役」として使用します。ですから、『重曹水(重曹液)』を癌治療の主役に考えてはいけません。
 『重曹水(重曹液)』はあくまで「補佐」ですが、『乳酸アシドーシス』の改善を強力に「補佐」してくれます。

出典
重曹で癌が治る理由


カナダの自然療法、『メープル重曹療法』


カナダの自然療法、『メープル重曹療法』


この方法は、あるサイトの説明では『IPT療法』に近いと言っています。

『IPT療法』は、メキシコティファナにある多くの代替医療病院で行なわれているガン療法で、
サンタモニカ病院では、末期ガンの70%近くが元気になり、3年以上、生存しているそうです。
特に合うのは、乳ガン、胃がん、肺ガン、膵ガンだそうです。

『IPT療法』の仕組みを簡単に説明すると、ガン細胞は「グルコース(ブドウ糖)」で増殖します。
 ガン細胞は「ブドウ糖」が大好きなのですね。
 なので、まず『IPT療法』では、即時性のインスリンを静注します。
 すると、80mg/di くらいの血糖値は20分くらいで20mg/di 台となり、低血糖になります。

 そこに、5%の「ブドウ糖」に「アミグダリン(ビタミンB17)」を溶かしたものを点滴静注します。
 そうすると、ガン細胞は「ブドウ糖」が欲しくてウズウズしているので、優先的に「ブドウ糖」を取り込みます。
 しかし、同時に「アミグダリン(ビタミンB17)」も取り込みます。
 「アミグダリン(ビタミンB17)」はガンにとっては猛毒なので、その結果、死滅してしまうそうです。

出典
メープルシロップと重曹の、癌の自然療法 〜 カナダの自然療法『メープル重曹療法』 : 癌と食養 ☆★☆ 自然療法による癌治療 〜 Cancer Therapies by Naturopathy

「メープルシロップ」には「ブドウ糖」が含まれていて、「重曹」は強アルカリ性です。
 通常の細胞には無害ですが、ガン細胞は強アルカリを取り込むと死滅します。
 また、「メープルシロップ」にも抗ガン作用のある成分が含まれているそうです。
 やはり、民間療法には素晴らしい智恵が隠されているのですね。

出典
メープルシロップと重曹の、癌の自然療法 〜 カナダの自然療法『メープル重曹療法』 : 癌と食養 ☆★☆ 自然療法による癌治療 〜 Cancer Therapies by Naturopathy

https://matome.naver.jp/odai/2153251151804441801?page=2

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/870.html#c12

[リバイバル3] アルミニウムを毎日摂取するとアルツハイマー病、パーキンソン病、中枢神経障害になる

アルミニウムを毎日摂取するとアルツハイマー病、パーキンソン病、中枢神経障害になる

アルミニウムの人体への影響 2019年07月03日
https://matome.naver.jp/odai/2153246284370764001


アルミニウム製の調理器具が人体に危険性があるとしてアメリカでは政府から公式発表されています。ドイツやフランス、スイス、イギリスなどではアルミ鍋から発生する有害物質の研究レポートに基づき、アルミニウム製の調理器具の販売規制を行っています

日常生活に欠かせないアルミニウム


昔からどこの家庭にも必ずと言ってもいいほど使われていたアルミ製の鍋ややかん。
軽くて使いやすく、安価で丈夫。
熱伝導の良さから日本食の煮物つくりに最適と各家庭に普及しました。

しかし日本での普及されている数とは裏腹に、アルミニウム製の調理器具が健康に及ぼす影響があるとして海外では販売規制が取り行われています。

食材はオーガニックのもので、と気を使われている方でも、意外に見落としがちな調理器具。
せっかく食材にこだわっていても毒性のある器具では身も蓋もありません。
あなたの使っているそのお鍋は大丈夫ですか?

地殻を構成する元素の中で、アルミニウムは酸素、ケイ素について3番目に多い元素です(約8パーセント)。自然界ではアルミニウムはいろいろな化合物の形態になっており、鉱物や土壌、水、空気、植物、動物などに含まれています。そして当然のことながら、食べ物や飲み物、水や空気などを通して、私たちは毎日アルミニウムを摂取しています。また食品添加物や医薬品、飲料水の浄化剤などにも、アルミニウムは広く使用されています。金属材料として使われる場合は、目で見てアルミニウムであることがよくわかります。よく知られているように、建築のサッシや外壁、自動車部品、容器や包装材、調理器具などに使われ、日常的に出会うことができます。このように、私たちはだれもがつねにアルミニウムのある環境の中で生活しており、アルミニウムのない環境を作り出そうとしてもそれは不可能です。そのぐらい、アルミニウムは私たちにとって身近な存在なのです。

出典
https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/p3_main.html

アルミ鍋はほかの金属鍋に比べ、融点が600℃と非常に低いことが特徴です。
このことが加工しやすいメリットではありますが、それゆえに有害物質が溶け出しやすい、という面もあります。
同時にこれはわたしたちの身体にとって大きなデメリットとなります。
ほとんどの不要物質は排泄でデトックスされると言われますが、影響を受けやすい幼少期から長期に渡って取り続けていると、何らかの悪影響も否めないのでは、と思います。

出典
健康に有害な影響を与える、危険性のあるアルミ鍋・フライパンの実態と調理器具の選び方。

ドイツではものが売られる基準は、安全と証明されたもの以外売ってはならないのです。日本の場合は、危険と証明されない限り、何でも売っていい。そればかりか、基準値を設けて薄めた毒を入れて売っていますからね。

出典
痴呆症の原因の、アルミの溶け出た缶ジュース・缶ビール・アルミ鍋: zeraniumの掲示板

西独、仏、英、スイスでは販売規制がされています。

1. 水を沸かすと悪性酸化水素が発生
2. 卵をゆでると悪性リン酸塩を生成
3. 肉料理で悪性アルミ塩化物が発生
4. ベーコン調理で強麻酔性の酸が発生
5. アルミは酸性症、赤血球激減、貧血症状を起こす

この衝撃レポートを受けて、当時、西ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス、スイス、ハンガリー、ブラジルなどでアルミニウム調理器具の販売は規制されたのです。

出典
【注意】アルミニウム製の鍋ややかんは体に毒、海外では販売規制が… アルミニウムが溶け出すと・・ - 愛詩tel by shig

人体への影響


アルミニウム製品によって起こりうる弊害


アルミニウム製品によって起こりうる弊害


・脳への蓄積→アルツハイマー病、パーキンソン病
・解毒を司る臓器への蓄積(腎臓・膀胱・肝臓)
・握力の低下
・肥満の傾向にある方は脂肪に溜まりやすい
・骨への蓄積
・神経系への影響

缶ビールとか缶ジュースがこれほど出回っているのは日本だけですよ。(自販機は外国にはない) あれは全部アルミ缶ですから、中に溶け出していますよ。アルミ摂取を国民がやめるだけで、医療費は3分の1になるそうです。

アルミは見事に脳に溜まりますから、認知症の大きな原因になります。子どもたちの多動症とか精神障害のための薬は全部アルミで溶かしてつくっていますから、飲むたびにアルミが体の中へ入っていきます。そうやって病気にしているのです。アメリカやヨーロッパではビンのビールが普通なのに、日本だけアルミ缶で大量に飲んでいる。

しかも塩素入りの水を使ってアルミ鍋で調理する。塩素とアルミが化合してとんでもないことになっている。素材に全部溶けて入っているのです。そしてアルミ張りのポットに入れた水を飲んでいるので、いつかみんな体を壊してしまう。

出典
痴呆症の原因の、アルミの溶け出た缶ジュース・缶ビール・アルミ鍋: zeraniumの掲示板

アルミニウムは大量に摂取すると中枢神経障害や骨軟化症、腎臓や握力に障害が起こることが動物実験で確認されています。

出典
【注意】アルミニウム製の鍋ややかんは体に毒、海外では販売規制が… アルミニウムが溶け出すと・・ - 愛詩tel by shig

アルツハイマー病は記憶や判断力など知的機能の著しい低下が中心的な症状です。
認知症の進行のステージとして、健忘期(記憶障害)→混乱期(失語、徘徊、精神混乱)→認知症期(高度の認知障害)があり、全経過は3年から10年以上と大きな差があります。全ての患者が認知症期まで至るとは限りませんし、健忘期に留まることが長い人もいると思われます。

このようにアルツハイマー病は、進行性の認知症を主症状とする脳の疾患です。国内外の医学界で遺伝子の異変を主原因と考えて、その発症機序解明の研究が行われています

出典
https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/p3_main.html

パーキンソン病では、主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じます。

また、パーキンソン病では、運動症状以外にも、便秘や頻尿などの自律神経の症状、不眠などの睡眠障害、うつ症状などの精神症状、認知機能障害などがみられることがわかっています。これらを非運動症状と呼びます。うつ症状は患者さんの約半数にその傾向があるといわれていて、患者さん自身や家族の方も気づかないことの多い症状です。

出典
パーキンソン病の症状|パーキンソン病の基礎知識|パーキンソン病 サポートネット


映画俳優マイケル・J・フォックスさん


映画俳優マイケル・J・フォックスさん


ご自身がパーキンソン病となりましたが、彼はマイケル・J・フォックス・パーキンソン病研究財団の活動に積極的で、これまでに同財団として1億4000万ドル(約133億円)の資金をパーキンソン病研究のために提供しています。

アルミニウム製の調理器具が人体に危険性があるとしてアメリカでは政府から公式発表されています。
ドイツやフランス、スイス、イギリスなどではアルミ鍋から発生する有害物質の研究レポートに基づき、アルミニウム製の調理器具の販売規制を行っています。

日本でもアルツハイマー病との因果関係が様々なメディアで取り上げられましたが、研究結果はグレーゾーンとして販売規制までは至らず。
あくまでも個人の判断にゆだねられています。

しかし、主要国が販売規制を行うのは明確な理由があってこそ。
私たちの身体に影響がある害について挙げていきます。

出典
健康に有害な影響を与える、危険性のあるアルミ鍋・フライパンの実態と調理器具の選び方。

カナダのある学者の研究によると、アルツハイマー患者の脳から健常者の数十倍ものアルミニウムが検出されたそうです。この研究結果も「アルミニウム原因説」の一つの根拠という見方をされています。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

一般的な生活で摂取するアルミニウムの量

国際機関であるJECFA(FAO/WHO Joint Expert Committee on Foood Additives;FAO/WHO 合同食品添加物専門家委員会)が定めるアルミニウムの許容摂取量は、体重1kgあたり1週間に2mg、体重50kgの人であれば1週間に100mg(約14mg/日)です。

これは決して「これ以上摂取してはいけない」という基準ではなく、「これだけ摂取し続けても、一生涯健康に悪影響はない」というものなので、かなり低い水準で見積もりされています。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

WHOの報告によると、アルミニウムの1日あたりの摂取量は2.5〜13mgとのことです。地域差や食生活に大きく左右されます。

調理器具や保存容器などすべてアルミニウム製品を使ったとしても、容器由来のアルミニウム摂取量は最大で6mg/日程度なので、JECFAの許容摂取量内か、わずかに超えるくらいにおさまるといえるでしょう。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

日常生活に存在するアルミニウム


第二次世界大戦後に米軍がグアム島を統治した際に、島民の老人たちに認知症の割合が高いことが認められ、地下水を検査すると高濃度のアルミニウムイオンが確認されました。

また、日本の紀伊半島でアルツハイマー患者が非常に多い地域がありました。こちらも同様に地下水のアルミニウムイオンが高濃度であったことが確認されています。

いずれの場合も、他所からの給水や上水道の完備を進めることにより(アルミニウムイオン濃度の低い水を飲むようになったことで)、認知症患者の割合が減ったことから、アルミニウムがアルツハイマーの原因である、とする説がうまれました。

もともとアルミニウムは、土壌中に大量に存在している金属ですが、近年の酸性雨の影響で、土壌中で安定であったアルミニウムが水道水の原水中へ溶け出し、その濃度も年々増加しているという指摘もあるそうです。

さらには、土壌中で栽培野菜などにも取り込まれる可能性もあるそうです。

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ


不良たちの毛髪


不良たちの毛髪


非行に走る少年たちの毛髪には、普通の子供たちの毛髪に比べて、アルミニウムの量が多いことが報告されているそうです。清涼飲料水や「ジャンクフード」に使われている「レーキ色素」の影響が考えられるそうです。

・おにぎりなどを包むアルミホイルもアルミ製                
・胃潰瘍の薬(スクラルファート)、胃腸の薬の制酸剤にも
・練り磨き粉、ふくらし粉、化粧品の制汗剤にも

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ


食品添加物にも


食品添加物にも


アルミニウムが含まれた食品添加物があるのです。
合成着色料の中でもレーキ型というものです。
これは、石油から作られるタール色素(!)にアルミニウムをくっつけて水に溶けにくくしてあるものです。

赤色2、3、40号、黄4,5号、緑色3号、青色1,2号。
この8品目の着色料には、いずれもレーキ型が使われているそうです。そもそもタール色素とはなんでしょう。

タール色素は、「合成着色料の一種。食品、医薬品、口紅などの化粧品、衣服などの工業製品などの着色料、食品添加物として」幅広く使用されているものです。

「もともとはコールタールから得られるベンゼンやナフタレン、フェノールやアニリンといった芳香族化合物を原料として合成されたためこの名がある。現在ではこれらの芳香族化合物は主に石油精製の際に得られるナフサを原料として生産されており、コールタールを原料とすることはほとんどなくなっている。」

ではナフサとは、「原油を常圧蒸留装置によって蒸留分離して得られる製品のうち沸点範囲がおおむね35−180℃程度のものである。粗製ガソリン、直留ガソリンなどとも呼ばれる。」

つまりは、ガソリンということです

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ

日本においては特に「○色○号」と呼ばれる法定色素を総称した呼び名として用いられます。

「着色の際、タール色素を単体で使用することよりも複数の種類を混ぜて使用することが多く、それによって微妙な色加減を調整することが容易であり、様々な色合いを作り出すことができる。」

これがタール色素、着色料です。
そもそもが大問題です。ガソリンを食べていることになるわけですから。

そしてさらに問題を増やしているのが、アルミニウムを添加したレーキ型というわけです。
ガソリンとアルミニウムを一緒に食べているわけです

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ

https://matome.naver.jp/odai/2153246284370764001

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/977.html

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
123. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 03:49:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]
アルミニウムを毎日摂取するとアルツハイマー病、パーキンソン病、中枢神経障害になる

アルミニウムの人体への影響 2019年07月03日
https://matome.naver.jp/odai/2153246284370764001


アルミニウム製の調理器具が人体に危険性があるとしてアメリカでは政府から公式発表されています。ドイツやフランス、スイス、イギリスなどではアルミ鍋から発生する有害物質の研究レポートに基づき、アルミニウム製の調理器具の販売規制を行っています


日常生活に欠かせないアルミニウム


昔からどこの家庭にも必ずと言ってもいいほど使われていたアルミ製の鍋ややかん。
軽くて使いやすく、安価で丈夫。
熱伝導の良さから日本食の煮物つくりに最適と各家庭に普及しました。

しかし日本での普及されている数とは裏腹に、アルミニウム製の調理器具が健康に及ぼす影響があるとして海外では販売規制が取り行われています。

食材はオーガニックのもので、と気を使われている方でも、意外に見落としがちな調理器具。
せっかく食材にこだわっていても毒性のある器具では身も蓋もありません。
あなたの使っているそのお鍋は大丈夫ですか?

地殻を構成する元素の中で、アルミニウムは酸素、ケイ素について3番目に多い元素です(約8パーセント)。自然界ではアルミニウムはいろいろな化合物の形態になっており、鉱物や土壌、水、空気、植物、動物などに含まれています。そして当然のことながら、食べ物や飲み物、水や空気などを通して、私たちは毎日アルミニウムを摂取しています。また食品添加物や医薬品、飲料水の浄化剤などにも、アルミニウムは広く使用されています。金属材料として使われる場合は、目で見てアルミニウムであることがよくわかります。よく知られているように、建築のサッシや外壁、自動車部品、容器や包装材、調理器具などに使われ、日常的に出会うことができます。このように、私たちはだれもがつねにアルミニウムのある環境の中で生活しており、アルミニウムのない環境を作り出そうとしてもそれは不可能です。そのぐらい、アルミニウムは私たちにとって身近な存在なのです。

出典
https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/p3_main.html

アルミ鍋はほかの金属鍋に比べ、融点が600℃と非常に低いことが特徴です。
このことが加工しやすいメリットではありますが、それゆえに有害物質が溶け出しやすい、という面もあります。
同時にこれはわたしたちの身体にとって大きなデメリットとなります。
ほとんどの不要物質は排泄でデトックスされると言われますが、影響を受けやすい幼少期から長期に渡って取り続けていると、何らかの悪影響も否めないのでは、と思います。

出典
健康に有害な影響を与える、危険性のあるアルミ鍋・フライパンの実態と調理器具の選び方。

ドイツではものが売られる基準は、安全と証明されたもの以外売ってはならないのです。日本の場合は、危険と証明されない限り、何でも売っていい。そればかりか、基準値を設けて薄めた毒を入れて売っていますからね。

出典
痴呆症の原因の、アルミの溶け出た缶ジュース・缶ビール・アルミ鍋: zeraniumの掲示板

西独、仏、英、スイスでは販売規制がされています。

1. 水を沸かすと悪性酸化水素が発生
2. 卵をゆでると悪性リン酸塩を生成
3. 肉料理で悪性アルミ塩化物が発生
4. ベーコン調理で強麻酔性の酸が発生
5. アルミは酸性症、赤血球激減、貧血症状を起こす

この衝撃レポートを受けて、当時、西ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス、スイス、ハンガリー、ブラジルなどでアルミニウム調理器具の販売は規制されたのです。

出典
【注意】アルミニウム製の鍋ややかんは体に毒、海外では販売規制が… アルミニウムが溶け出すと・・ - 愛詩tel by shig

人体への影響


アルミニウム製品によって起こりうる弊害


アルミニウム製品によって起こりうる弊害


・脳への蓄積→アルツハイマー病、パーキンソン病
・解毒を司る臓器への蓄積(腎臓・膀胱・肝臓)
・握力の低下
・肥満の傾向にある方は脂肪に溜まりやすい
・骨への蓄積
・神経系への影響

缶ビールとか缶ジュースがこれほど出回っているのは日本だけですよ。(自販機は外国にはない) あれは全部アルミ缶ですから、中に溶け出していますよ。アルミ摂取を国民がやめるだけで、医療費は3分の1になるそうです。

アルミは見事に脳に溜まりますから、認知症の大きな原因になります。子どもたちの多動症とか精神障害のための薬は全部アルミで溶かしてつくっていますから、飲むたびにアルミが体の中へ入っていきます。そうやって病気にしているのです。アメリカやヨーロッパではビンのビールが普通なのに、日本だけアルミ缶で大量に飲んでいる。

しかも塩素入りの水を使ってアルミ鍋で調理する。塩素とアルミが化合してとんでもないことになっている。素材に全部溶けて入っているのです。そしてアルミ張りのポットに入れた水を飲んでいるので、いつかみんな体を壊してしまう。

出典
痴呆症の原因の、アルミの溶け出た缶ジュース・缶ビール・アルミ鍋: zeraniumの掲示板

アルミニウムは大量に摂取すると中枢神経障害や骨軟化症、腎臓や握力に障害が起こることが動物実験で確認されています。

出典
【注意】アルミニウム製の鍋ややかんは体に毒、海外では販売規制が… アルミニウムが溶け出すと・・ - 愛詩tel by shig

アルツハイマー病は記憶や判断力など知的機能の著しい低下が中心的な症状です。
認知症の進行のステージとして、健忘期(記憶障害)→混乱期(失語、徘徊、精神混乱)→認知症期(高度の認知障害)があり、全経過は3年から10年以上と大きな差があります。全ての患者が認知症期まで至るとは限りませんし、健忘期に留まることが長い人もいると思われます。

このようにアルツハイマー病は、進行性の認知症を主症状とする脳の疾患です。国内外の医学界で遺伝子の異変を主原因と考えて、その発症機序解明の研究が行われています

出典
https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/p3_main.html

パーキンソン病では、主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じます。

また、パーキンソン病では、運動症状以外にも、便秘や頻尿などの自律神経の症状、不眠などの睡眠障害、うつ症状などの精神症状、認知機能障害などがみられることがわかっています。これらを非運動症状と呼びます。うつ症状は患者さんの約半数にその傾向があるといわれていて、患者さん自身や家族の方も気づかないことの多い症状です。

出典
パーキンソン病の症状|パーキンソン病の基礎知識|パーキンソン病 サポートネット


映画俳優マイケル・J・フォックスさん


映画俳優マイケル・J・フォックスさん


ご自身がパーキンソン病となりましたが、彼はマイケル・J・フォックス・パーキンソン病研究財団の活動に積極的で、これまでに同財団として1億4000万ドル(約133億円)の資金をパーキンソン病研究のために提供しています。

アルミニウム製の調理器具が人体に危険性があるとしてアメリカでは政府から公式発表されています。
ドイツやフランス、スイス、イギリスなどではアルミ鍋から発生する有害物質の研究レポートに基づき、アルミニウム製の調理器具の販売規制を行っています。

日本でもアルツハイマー病との因果関係が様々なメディアで取り上げられましたが、研究結果はグレーゾーンとして販売規制までは至らず。
あくまでも個人の判断にゆだねられています。

しかし、主要国が販売規制を行うのは明確な理由があってこそ。
私たちの身体に影響がある害について挙げていきます。

出典
健康に有害な影響を与える、危険性のあるアルミ鍋・フライパンの実態と調理器具の選び方。

カナダのある学者の研究によると、アルツハイマー患者の脳から健常者の数十倍ものアルミニウムが検出されたそうです。この研究結果も「アルミニウム原因説」の一つの根拠という見方をされています。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

一般的な生活で摂取するアルミニウムの量

国際機関であるJECFA(FAO/WHO Joint Expert Committee on Foood Additives;FAO/WHO 合同食品添加物専門家委員会)が定めるアルミニウムの許容摂取量は、体重1kgあたり1週間に2mg、体重50kgの人であれば1週間に100mg(約14mg/日)です。

これは決して「これ以上摂取してはいけない」という基準ではなく、「これだけ摂取し続けても、一生涯健康に悪影響はない」というものなので、かなり低い水準で見積もりされています。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

WHOの報告によると、アルミニウムの1日あたりの摂取量は2.5〜13mgとのことです。地域差や食生活に大きく左右されます。

調理器具や保存容器などすべてアルミニウム製品を使ったとしても、容器由来のアルミニウム摂取量は最大で6mg/日程度なので、JECFAの許容摂取量内か、わずかに超えるくらいにおさまるといえるでしょう。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

日常生活に存在するアルミニウム


第二次世界大戦後に米軍がグアム島を統治した際に、島民の老人たちに認知症の割合が高いことが認められ、地下水を検査すると高濃度のアルミニウムイオンが確認されました。

また、日本の紀伊半島でアルツハイマー患者が非常に多い地域がありました。こちらも同様に地下水のアルミニウムイオンが高濃度であったことが確認されています。

いずれの場合も、他所からの給水や上水道の完備を進めることにより(アルミニウムイオン濃度の低い水を飲むようになったことで)、認知症患者の割合が減ったことから、アルミニウムがアルツハイマーの原因である、とする説がうまれました。

もともとアルミニウムは、土壌中に大量に存在している金属ですが、近年の酸性雨の影響で、土壌中で安定であったアルミニウムが水道水の原水中へ溶け出し、その濃度も年々増加しているという指摘もあるそうです。

さらには、土壌中で栽培野菜などにも取り込まれる可能性もあるそうです。

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ


不良たちの毛髪


不良たちの毛髪


非行に走る少年たちの毛髪には、普通の子供たちの毛髪に比べて、アルミニウムの量が多いことが報告されているそうです。清涼飲料水や「ジャンクフード」に使われている「レーキ色素」の影響が考えられるそうです。

・おにぎりなどを包むアルミホイルもアルミ製                
・胃潰瘍の薬(スクラルファート)、胃腸の薬の制酸剤にも
・練り磨き粉、ふくらし粉、化粧品の制汗剤にも

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ


食品添加物にも


食品添加物にも


アルミニウムが含まれた食品添加物があるのです。
合成着色料の中でもレーキ型というものです。
これは、石油から作られるタール色素(!)にアルミニウムをくっつけて水に溶けにくくしてあるものです。

赤色2、3、40号、黄4,5号、緑色3号、青色1,2号。
この8品目の着色料には、いずれもレーキ型が使われているそうです。そもそもタール色素とはなんでしょう。

タール色素は、「合成着色料の一種。食品、医薬品、口紅などの化粧品、衣服などの工業製品などの着色料、食品添加物として」幅広く使用されているものです。

「もともとはコールタールから得られるベンゼンやナフタレン、フェノールやアニリンといった芳香族化合物を原料として合成されたためこの名がある。現在ではこれらの芳香族化合物は主に石油精製の際に得られるナフサを原料として生産されており、コールタールを原料とすることはほとんどなくなっている。」

ではナフサとは、「原油を常圧蒸留装置によって蒸留分離して得られる製品のうち沸点範囲がおおむね35−180℃程度のものである。粗製ガソリン、直留ガソリンなどとも呼ばれる。」

つまりは、ガソリンということです

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ

日本においては特に「○色○号」と呼ばれる法定色素を総称した呼び名として用いられます。

「着色の際、タール色素を単体で使用することよりも複数の種類を混ぜて使用することが多く、それによって微妙な色加減を調整することが容易であり、様々な色合いを作り出すことができる。」

これがタール色素、着色料です。
そもそもが大問題です。ガソリンを食べていることになるわけですから。

そしてさらに問題を増やしているのが、アルミニウムを添加したレーキ型というわけです。
ガソリンとアルミニウムを一緒に食べているわけです

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ

https://matome.naver.jp/odai/2153246284370764001
 

http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c123

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
124. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:00:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]

カップヌードルの人体への影響 2018年07月31日
https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201



子供たちにはNGな食品


「そんなことを言い出すと、食べられるものがなくなる」との声もあるだろうが、真実を知らされずに危険にさらされている状況は改善したいもの。こうしたリスクを踏まえて、我々はインスタント食品と付き合わなければいけない。

出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル


世界保健機関(WHO)では、大人の食塩摂取量の目標値を1日当たり5グラム未満としています。日本で市販されているカップ麺の塩分量は平均5〜6gですから、1個でWHOの目標値はオーバーします。インスタントラーメンも似たようなものですから、高血圧が心配な方は絶対に避けるべき食品といえるでしょう。

血圧の心配のない方でもカップ麺・インスタントラーメンはできるだけ食べないほうが無難です。特に子どもは要注意です。多くの添加物は、グルタミン酸ナトリウム、アスコルビン酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムというようにナトリウムとくっついて製品化されています。加工食品の食塩含有量は、添加物にくっつくナトリウムも食塩換算して加えられています。添加物の使用量が多ければ、当然、食塩含有量も増えるのです。カップ麺・インスタントラーメンの食塩含有量が多いのは、添加物の使用量も多いからです。添加物と食塩でつくられた濃厚味に子どもの頃から慣れてしまうと、味覚が麻痺していき、ますます濃厚味を選んでいくようになり、食塩も添加物も過剰に摂取してしまいます。

出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル

アミノ酸と「アミノ酸等」の違い - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153163229374702001


「アミノ酸等」と「アミノ酸」は全く違います。遺伝子組み換え技術を用いた菌からできた味覚を狂わせる化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)とは、やっぱり完全に縁を切っ...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180715%2F45%2F4316055%2F14%2F302x302xbbd38dbf760d3bb50a5b861b.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

カップ麺・インスタントラーメンには危険な食品添加物が多量に使われています。緑内障の原因物質と疑われている化学調味料のグルタミン酸ナトリウム、胃の粘膜を損傷させる恐れのある「かんすい」(炭酸カリウム、リン酸カリウムなど)、発がん性物質が含まれるカラメル色素は、ほとんどのカップ麺・インスタントラーメンに添加されています。

出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル

『買ってはいけないインスタント食品 買ってもいいインスタント食品』(渡辺雄二/だいわ文庫)によれば、下痢などの体調不良はおろか、がんまで起こしかねない危ないインスタント食品があるという。

出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル


カップラーメンの危険性


カップラーメンの危険性


デビューして約40年、ファンの数が決して減ることがないカップ麺。だがまた怖い話が再燃している。日本でもたびたび「カップ麺は有害か安全か」という問題が話題になるが、米国でこのほど新たな調査結果が発表され、「やはり有害」との警告がなされた。

かなり前からカップラーメンの危険性が専門家から指摘されていましたが、
アメリカ最大規模のメイヨー・クリニックという病院が改めて影響を調査してみたところ、
カップラーメンに想像以上の危険性があることがわかりました。

メイヨー・クリニックの発表によると、カップラーメンをよく食べる方は
心臓病、脳卒中、糖尿病、メタボリック症候群などの発症頻度が高く、
特に女性は週に二回カップラーメンを食べるだけで明らかに悪影響が見られたとのことです。

このような悪影響の原因としてメイヨー・クリニックは、
カップラーメンの容器から乱化学物質(環境ホルモン)が溶け出している事を指摘。
これにインスタント麺の油や添加物などと合わさる形で、様々な健康被害を誘発しているようです。

カップラーメンの容器が危険であることは私も前から小耳に挟んでいましたが、
ここまでハッキリと危険性が見られるのは脅威だと言えます。

出典
カップラーメンが人体に有害であることが判明!米医療研究チームが指摘!容器から内分泌かく乱化学物質が溶け出す恐れも! - 愛詩tel by shig

「過酸化脂質は有害で、ネズミやウサギに食べさせると成長が悪くなり、一定量を超えると死んでしまいます。
過酸化脂質は高温でできやすいため、揚げ油にはたくさん発生していて、揚げた麺に多く含まれてしまう」(同書)のだ。

ポテトチップスや天ぷら、フライなどを食べたときに、腹痛を催したり下痢の症状に見舞われる症状は「油あたり」と呼ばれるが、これは過酸化脂質が原因なのだ。

出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル


特に気を付けるべき成分


特に気を付けるべき成分


植物油脂、チキンエキス、ポークエキス、醤油、たん白加水分解物)、
スープ(醤油、食塩、たん白加水分解物、
チキンエキス、ポークエキス)、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、かんすい、カラメル色素、
増粘多糖類、乳化剤、カロチノイド色素、酸味料、香料、酸味料、香料

食品に含まれる様々な添加物 - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153191633288564001


メーカーは「無添加」をキャッチフレーズにわたし達消費者の心をつかみます。 しかし、たとえ無添加であってもニセモノの可能性はゼロではありません。子供たちに安全そう...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180718%2F45%2F4316055%2F12%2F901x901xde9677ea3d533977f76bca01.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

カップ麺の発泡スチロール容器に


食品添加物による健康問題の他にインスタントラーメンを懸念するもう1つは、カップ麺の容器からスチレンなどが溶け出す危険です。言うまでもなくカップ麺は、丼状に広がった発泡スチロールで作られた容器とカップヌードルに代表される紙から作られた縦長の容器に分けられます。そのうち発泡スチロール製の丼容器から、発ガン性があるスチレンが溶け出すことが確認されています。

発泡スチロールは、合成樹脂のポリスチレンに発泡剤を加えて作られます。ポリスチレンは、スチレンという化学物質を結合させたものです。スチレンをラットに吸入させた実験では、乳がんや白血病が生じました。また欧米のプラスチック工場では、長年、スチレンを吸入した労働者が、白血病やリンパ腫が多発したことが知られています。

カップ麺のスープに溶け出したスチレンを人間が摂取し続けた場合、どんな影響が出るか分かっていません。即席麺業界は安全を主張していますが、国内の研究者や当該学会がスチレンの影響性を強く指摘しています。ましてや国際がん研究機関でも発ガン性が確認されている物質なので、危険なことは間違いないことです。スチレン容器に熱湯を入れて使うのは、やめるべきと考えます。

出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語

簡単にお湯を注ぐことにメリットがある訳ですが、できれば面倒でも予め食器(陶器)の丼に中身を移してから、お湯を入れたほうが賢明です。また資源の無駄使いの点からも、紙製あるいは袋入り麺にすべきでしょう。

出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201


http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c124

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
308. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:01:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]
カップヌードルの人体への影響 2018年07月31日
https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201


子供たちにはNGな食品


「そんなことを言い出すと、食べられるものがなくなる」との声もあるだろうが、真実を知らされずに危険にさらされている状況は改善したいもの。こうしたリスクを踏まえて、我々はインスタント食品と付き合わなければいけない。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

世界保健機関(WHO)では、大人の食塩摂取量の目標値を1日当たり5グラム未満としています。日本で市販されているカップ麺の塩分量は平均5〜6gですから、1個でWHOの目標値はオーバーします。インスタントラーメンも似たようなものですから、高血圧が心配な方は絶対に避けるべき食品といえるでしょう。


血圧の心配のない方でもカップ麺・インスタントラーメンはできるだけ食べないほうが無難です。特に子どもは要注意です。多くの添加物は、グルタミン酸ナトリウム、アスコルビン酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムというようにナトリウムとくっついて製品化されています。加工食品の食塩含有量は、添加物にくっつくナトリウムも食塩換算して加えられています。添加物の使用量が多ければ、当然、食塩含有量も増えるのです。カップ麺・インスタントラーメンの食塩含有量が多いのは、添加物の使用量も多いからです。添加物と食塩でつくられた濃厚味に子どもの頃から慣れてしまうと、味覚が麻痺していき、ますます濃厚味を選んでいくようになり、食塩も添加物も過剰に摂取してしまいます。


出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル


アミノ酸と「アミノ酸等」の違い - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153163229374702001


「アミノ酸等」と「アミノ酸」は全く違います。遺伝子組み換え技術を用いた菌からできた味覚を狂わせる化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)とは、やっぱり完全に縁を切っ...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180715%2F45%2F4316055%2F14%2F302x302xbbd38dbf760d3bb50a5b861b.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r


カップ麺・インスタントラーメンには危険な食品添加物が多量に使われています。緑内障の原因物質と疑われている化学調味料のグルタミン酸ナトリウム、胃の粘膜を損傷させる恐れのある「かんすい」(炭酸カリウム、リン酸カリウムなど)、発がん性物質が含まれるカラメル色素は、ほとんどのカップ麺・インスタントラーメンに添加されています。


出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル


『買ってはいけないインスタント食品 買ってもいいインスタント食品』(渡辺雄二/だいわ文庫)によれば、下痢などの体調不良はおろか、がんまで起こしかねない危ないインスタント食品があるという。


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がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

カップラーメンの危険性


カップラーメンの危険性


デビューして約40年、ファンの数が決して減ることがないカップ麺。だがまた怖い話が再燃している。日本でもたびたび「カップ麺は有害か安全か」という問題が話題になるが、米国でこのほど新たな調査結果が発表され、「やはり有害」との警告がなされた。


かなり前からカップラーメンの危険性が専門家から指摘されていましたが、
アメリカ最大規模のメイヨー・クリニックという病院が改めて影響を調査してみたところ、
カップラーメンに想像以上の危険性があることがわかりました。

メイヨー・クリニックの発表によると、カップラーメンをよく食べる方は
心臓病、脳卒中、糖尿病、メタボリック症候群などの発症頻度が高く、
特に女性は週に二回カップラーメンを食べるだけで明らかに悪影響が見られたとのことです。

このような悪影響の原因としてメイヨー・クリニックは、
カップラーメンの容器から乱化学物質(環境ホルモン)が溶け出している事を指摘。
これにインスタント麺の油や添加物などと合わさる形で、様々な健康被害を誘発しているようです。

カップラーメンの容器が危険であることは私も前から小耳に挟んでいましたが、
ここまでハッキリと危険性が見られるのは脅威だと言えます。


出典
カップラーメンが人体に有害であることが判明!米医療研究チームが指摘!容器から内分泌かく乱化学物質が溶け出す恐れも! - 愛詩tel by shig


「過酸化脂質は有害で、ネズミやウサギに食べさせると成長が悪くなり、一定量を超えると死んでしまいます。
過酸化脂質は高温でできやすいため、揚げ油にはたくさん発生していて、揚げた麺に多く含まれてしまう」(同書)のだ。

ポテトチップスや天ぷら、フライなどを食べたときに、腹痛を催したり下痢の症状に見舞われる症状は「油あたり」と呼ばれるが、これは過酸化脂質が原因なのだ。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

特に気を付けるべき成分


特に気を付けるべき成分


植物油脂、チキンエキス、ポークエキス、醤油、たん白加水分解物)、
スープ(醤油、食塩、たん白加水分解物、
チキンエキス、ポークエキス)、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、かんすい、カラメル色素、
増粘多糖類、乳化剤、カロチノイド色素、酸味料、香料、酸味料、香料


食品に含まれる様々な添加物 - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153191633288564001


メーカーは「無添加」をキャッチフレーズにわたし達消費者の心をつかみます。 しかし、たとえ無添加であってもニセモノの可能性はゼロではありません。子供たちに安全そう...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180718%2F45%2F4316055%2F12%2F901x901xde9677ea3d533977f76bca01.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r


カップ麺の発泡スチロール容器に


食品添加物による健康問題の他にインスタントラーメンを懸念するもう1つは、カップ麺の容器からスチレンなどが溶け出す危険です。言うまでもなくカップ麺は、丼状に広がった発泡スチロールで作られた容器とカップヌードルに代表される紙から作られた縦長の容器に分けられます。そのうち発泡スチロール製の丼容器から、発ガン性があるスチレンが溶け出すことが確認されています。


発泡スチロールは、合成樹脂のポリスチレンに発泡剤を加えて作られます。ポリスチレンは、スチレンという化学物質を結合させたものです。スチレンをラットに吸入させた実験では、乳がんや白血病が生じました。また欧米のプラスチック工場では、長年、スチレンを吸入した労働者が、白血病やリンパ腫が多発したことが知られています。

カップ麺のスープに溶け出したスチレンを人間が摂取し続けた場合、どんな影響が出るか分かっていません。即席麺業界は安全を主張していますが、国内の研究者や当該学会がスチレンの影響性を強く指摘しています。ましてや国際がん研究機関でも発ガン性が確認されている物質なので、危険なことは間違いないことです。スチレン容器に熱湯を入れて使うのは、やめるべきと考えます。


出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


簡単にお湯を注ぐことにメリットがある訳ですが、できれば面倒でも予め食器(陶器)の丼に中身を移してから、お湯を入れたほうが賢明です。また資源の無駄使いの点からも、紙製あるいは袋入り麺にすべきでしょう。


出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c308

[近代史3] カップヌードルの人体への影響
カップヌードルの人体への影響 2018年07月31日
https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201


子供たちにはNGな食品


「そんなことを言い出すと、食べられるものがなくなる」との声もあるだろうが、真実を知らされずに危険にさらされている状況は改善したいもの。こうしたリスクを踏まえて、我々はインスタント食品と付き合わなければいけない。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

世界保健機関(WHO)では、大人の食塩摂取量の目標値を1日当たり5グラム未満としています。日本で市販されているカップ麺の塩分量は平均5〜6gですから、1個でWHOの目標値はオーバーします。インスタントラーメンも似たようなものですから、高血圧が心配な方は絶対に避けるべき食品といえるでしょう。


血圧の心配のない方でもカップ麺・インスタントラーメンはできるだけ食べないほうが無難です。特に子どもは要注意です。多くの添加物は、グルタミン酸ナトリウム、アスコルビン酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムというようにナトリウムとくっついて製品化されています。加工食品の食塩含有量は、添加物にくっつくナトリウムも食塩換算して加えられています。添加物の使用量が多ければ、当然、食塩含有量も増えるのです。カップ麺・インスタントラーメンの食塩含有量が多いのは、添加物の使用量も多いからです。添加物と食塩でつくられた濃厚味に子どもの頃から慣れてしまうと、味覚が麻痺していき、ますます濃厚味を選んでいくようになり、食塩も添加物も過剰に摂取してしまいます。


出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル


アミノ酸と「アミノ酸等」の違い - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153163229374702001


「アミノ酸等」と「アミノ酸」は全く違います。遺伝子組み換え技術を用いた菌からできた味覚を狂わせる化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)とは、やっぱり完全に縁を切っ...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180715%2F45%2F4316055%2F14%2F302x302xbbd38dbf760d3bb50a5b861b.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r


カップ麺・インスタントラーメンには危険な食品添加物が多量に使われています。緑内障の原因物質と疑われている化学調味料のグルタミン酸ナトリウム、胃の粘膜を損傷させる恐れのある「かんすい」(炭酸カリウム、リン酸カリウムなど)、発がん性物質が含まれるカラメル色素は、ほとんどのカップ麺・インスタントラーメンに添加されています。


出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル


『買ってはいけないインスタント食品 買ってもいいインスタント食品』(渡辺雄二/だいわ文庫)によれば、下痢などの体調不良はおろか、がんまで起こしかねない危ないインスタント食品があるという。


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がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

カップラーメンの危険性


カップラーメンの危険性


デビューして約40年、ファンの数が決して減ることがないカップ麺。だがまた怖い話が再燃している。日本でもたびたび「カップ麺は有害か安全か」という問題が話題になるが、米国でこのほど新たな調査結果が発表され、「やはり有害」との警告がなされた。


かなり前からカップラーメンの危険性が専門家から指摘されていましたが、
アメリカ最大規模のメイヨー・クリニックという病院が改めて影響を調査してみたところ、
カップラーメンに想像以上の危険性があることがわかりました。

メイヨー・クリニックの発表によると、カップラーメンをよく食べる方は
心臓病、脳卒中、糖尿病、メタボリック症候群などの発症頻度が高く、
特に女性は週に二回カップラーメンを食べるだけで明らかに悪影響が見られたとのことです。

このような悪影響の原因としてメイヨー・クリニックは、
カップラーメンの容器から乱化学物質(環境ホルモン)が溶け出している事を指摘。
これにインスタント麺の油や添加物などと合わさる形で、様々な健康被害を誘発しているようです。

カップラーメンの容器が危険であることは私も前から小耳に挟んでいましたが、
ここまでハッキリと危険性が見られるのは脅威だと言えます。


出典
カップラーメンが人体に有害であることが判明!米医療研究チームが指摘!容器から内分泌かく乱化学物質が溶け出す恐れも! - 愛詩tel by shig


「過酸化脂質は有害で、ネズミやウサギに食べさせると成長が悪くなり、一定量を超えると死んでしまいます。
過酸化脂質は高温でできやすいため、揚げ油にはたくさん発生していて、揚げた麺に多く含まれてしまう」(同書)のだ。

ポテトチップスや天ぷら、フライなどを食べたときに、腹痛を催したり下痢の症状に見舞われる症状は「油あたり」と呼ばれるが、これは過酸化脂質が原因なのだ。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

特に気を付けるべき成分


特に気を付けるべき成分


植物油脂、チキンエキス、ポークエキス、醤油、たん白加水分解物)、
スープ(醤油、食塩、たん白加水分解物、
チキンエキス、ポークエキス)、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、かんすい、カラメル色素、
増粘多糖類、乳化剤、カロチノイド色素、酸味料、香料、酸味料、香料


食品に含まれる様々な添加物 - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153191633288564001


メーカーは「無添加」をキャッチフレーズにわたし達消費者の心をつかみます。 しかし、たとえ無添加であってもニセモノの可能性はゼロではありません。子供たちに安全そう...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180718%2F45%2F4316055%2F12%2F901x901xde9677ea3d533977f76bca01.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r


カップ麺の発泡スチロール容器に


食品添加物による健康問題の他にインスタントラーメンを懸念するもう1つは、カップ麺の容器からスチレンなどが溶け出す危険です。言うまでもなくカップ麺は、丼状に広がった発泡スチロールで作られた容器とカップヌードルに代表される紙から作られた縦長の容器に分けられます。そのうち発泡スチロール製の丼容器から、発ガン性があるスチレンが溶け出すことが確認されています。


発泡スチロールは、合成樹脂のポリスチレンに発泡剤を加えて作られます。ポリスチレンは、スチレンという化学物質を結合させたものです。スチレンをラットに吸入させた実験では、乳がんや白血病が生じました。また欧米のプラスチック工場では、長年、スチレンを吸入した労働者が、白血病やリンパ腫が多発したことが知られています。

カップ麺のスープに溶け出したスチレンを人間が摂取し続けた場合、どんな影響が出るか分かっていません。即席麺業界は安全を主張していますが、国内の研究者や当該学会がスチレンの影響性を強く指摘しています。ましてや国際がん研究機関でも発ガン性が確認されている物質なので、危険なことは間違いないことです。スチレン容器に熱湯を入れて使うのは、やめるべきと考えます。


出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


簡単にお湯を注ぐことにメリットがある訳ですが、できれば面倒でも予め食器(陶器)の丼に中身を移してから、お湯を入れたほうが賢明です。また資源の無駄使いの点からも、紙製あるいは袋入り麺にすべきでしょう。


出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/557.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 食べ物、農業関係投稿リンク 中川隆
33. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:03:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]
カップヌードルの人体への影響
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/557.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/812.html#c33
[近代史02] 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3 スットン教
37. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:25:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
55. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:25:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c37
[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
53. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:25:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c53

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
20. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:26:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c20

[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
7. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:27:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c7

[近代史3] 馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形

馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児


【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html

[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
2. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:14:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]

【高配当利回り銘柄】ベスト30 <割安株特集> 7月25日版
7月25日(木)21時00分配信 株探ニュース
https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20190725-00000200-stkms-stocks



 配当利回りとは、購入した株価に対し1年間でどれだけの配当を受けることができるかを示す数値。配当金額が同じで購入株価が高いと配当利回りは下がり、購入株価が低いと配当利回りは上がる。

 日銀のマイナス金利導入で、国債利回りや預貯金金利が下がる一方、利回り面に着目すれば株式の投資魅力が相対的に高まっている。

 本特集では東証上場全銘柄(REITを除く)を対象に利回りが高いベスト30銘柄をピックアップした。

●本日の高利回り【ベスト30】

順位 コード 銘柄      市場  利回り 7/25終値 決算期
  1   日工      東1  6.82   2932  20/03
  2   新明和     東1  6.43   1354  20/03
  3   JT      東1  6.35   2427  19/12
  4   あおぞら銀   東1  6.11   2554  20/03
  5   ベリテ     東2  6.08   328  20/03

  6   浅沼組     東1  5.88   3535  20/03
  7   ADワークス  東1  5.88    34  20/03
  8   SB      東1  5.86  1451.5  20/03
  9   ゲンダイ    JQ  5.72   437  20/03
 10   フージャース  東1  5.65   619  20/03

 11   合同鉄     東1  5.63   2043  20/03
 12   新日建物    JQ  5.62   356  20/03
 13   BPカストロ  東1  5.61   1337  19/12
 14   KHC     東2  5.58   788  20/03
 15   FPG     東1  5.58   949  19/09

 16   あかつき本社  東2  5.57   323  20/03
 17   住友商     東1  5.53  1628.5  20/03
 18   東和銀     東1  5.51   726  20/03
 19   ハードオフ   東1  5.49   728  20/03
 20   イーグランド  東1  5.41   703  20/03

 21   大東銀     東1  5.41   555  20/03
 22   SUBARU  東1  5.37  2683.5  20/03
 23   三菱ケミHD  東1  5.36  745.8  20/03
 24   明和地所    東1  5.33   563  20/03
 25   日特建     東1  5.32   602  20/03

 26   アサヒHD   東1  5.32   2254  20/03
 27   マミヤOP   東2  5.32   939  20/03
 28   日本国土開発  東1  5.31   527  20/05
 29   みらかHD   東1  5.27   2468  20/03
 30   大同メ     東1  5.25   667  20/03

※利回り:単位は「%」。権利付き最終日を過ぎた銘柄は除いた。

株探ニュース(minkabu PRESS)
https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20190725-00000200-stkms-stocks
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c2

[近代史3] 韓国輸出規制の目的 _ 韓国企業に渡してたフッ化水素(ウラン濃縮素材)の3割は北朝鮮に流れていた 中川隆
11. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:19:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]

2019年07月26日
サムスン、ファーウェイ ITの2大巨人が受けた罰


サムスンとファーウェイはルール無視で日米から技術を盗み成長したと言われている


画像引用:http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2017/0407/149151443098_20170407.jpg

サムスンとファーウェイはなぜ罰を受けるのか

2019年にスマートフォン世界1位のサムスンと2位のファーウェイが、ともに自由主義国から制裁を受けている。

ファーウェイを制裁したのはアメリカで、サムスンを制裁したのは日本だが、ともに制裁ではないように装っている。

アメリカは安全保障上の懸念からファーウェイと米企業の取引を禁止し、日本も安全保障上の懸念から半導体素材3品目の輸出制限をした。


安倍首相はトランプ大統領の中国IT制裁を見て「これだ!」と思ったのかもしれない。

日米には微妙な差もあり、アメリカはファーウェイとすべての米企業の取引を禁止し、中國へのIT輸出や輸入も禁止するか高関税を掛けた。

日本はそこまで思い切ることはせず、半導体素材3品目の輸出制限と、ホワイト国除外による軍需物資輸出制限にとどまっている。


どちらも2018年には想像もつかなかった事で、アンケートでは日米両国民は自国政府の制裁を支持している。

一体何がそこまでアメリカ国民や日本国民を怒らせ、ファーウェイやサムスンと絶縁しようとしているのでしょうか?

一番目の理由は技術泥棒で、ファーウェイはシリコンバレーや米企業、米政府にスパイを送り込んで技術を盗んだとされている。


この手の産業スパイは今までの裁判を見ても立証が難しく、どの技術をいつ盗んだと証明されることはほとんどない。

サムスンも同じで日本企業と「協力」や「提携」しては技術を盗んだが、立証はほとんど不可能です。

日本企業やアメリカ企業が数兆円、あるいは数十兆円かけた技術をファーウェイやサムスンは無料で得てきた。

日米だけが法律を守り、中韓はルール無用

これでは日米企業がいくら研究開発費を投入してもサムスンやファーウェイの為にやっているようなもので、絶対に競争に勝てない。

困ったことに日本とアメリカには公正で民主的な法律があり、いくら疑わしくても罰せられることがない。

だが中国では日本人観光客が街で写真を撮っていただけで「スパイ容疑」で逮捕され、10人以上が何年も拘束されている。


韓国も同じで司法制度は公正ではないので、日米企業がサムスンの技術を盗んだりしたら、証拠がなくても逮捕し有罪にするでしょう。

サムスンとファーウェイはこうした制度を利用して数十年間利益を得てきたが、年貢の納め時が来た。

特にサムスンを始めとした韓国企業は慰安婦や過去の戦争に絡めて、日本企業の技術や資金支援を獲得してきた。


韓国の造船、電機、自動車、重工業などは全て日本企業が無償かタダ同然で供与したが、日本政府が戦後賠償の代わりとして企業に強要したものでした。

ファーウェイは実は民間企業ではなく国営企業であり、経営権は共産党にあり、稼いだ金が共産党や政府や軍に流れている。

中国は過去10年間に100兆円もの費用をIT開発に投じ、ファーウェイのようなIT企業はその金で技術開発した。


サムスンも韓国政府と一体であり、「韓国-サムスン=ゼロ」と言われるほど一点集中で優遇されている。

サムスンは労働基準法を守らなくて良く、一族は税金も払わず、電気料金やエネルギーコストや人件費を低く抑えている。

海外のサムスン工場で劣悪な労働環境が問題視されると、韓国政府が乗り込んでもみ消したり相手を恫喝する。


こうしたダーティで不公正な手口に日米はうんざりし、今や絶縁しようとしている。
http://www.thutmosev.com/archives/80499811.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/518.html#c11

[近代史3] ファーウェイ排除で世界に激震! 日本はどうなる? 中川隆
19. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:20:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]

2019年07月26日
サムスン、ファーウェイ ITの2大巨人が受けた罰


サムスンとファーウェイはルール無視で日米から技術を盗み成長したと言われている


画像引用:http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2017/0407/149151443098_20170407.jpg

サムスンとファーウェイはなぜ罰を受けるのか

2019年にスマートフォン世界1位のサムスンと2位のファーウェイが、ともに自由主義国から制裁を受けている。

ファーウェイを制裁したのはアメリカで、サムスンを制裁したのは日本だが、ともに制裁ではないように装っている。

アメリカは安全保障上の懸念からファーウェイと米企業の取引を禁止し、日本も安全保障上の懸念から半導体素材3品目の輸出制限をした。


安倍首相はトランプ大統領の中国IT制裁を見て「これだ!」と思ったのかもしれない。

日米には微妙な差もあり、アメリカはファーウェイとすべての米企業の取引を禁止し、中國へのIT輸出や輸入も禁止するか高関税を掛けた。

日本はそこまで思い切ることはせず、半導体素材3品目の輸出制限と、ホワイト国除外による軍需物資輸出制限にとどまっている。


どちらも2018年には想像もつかなかった事で、アンケートでは日米両国民は自国政府の制裁を支持している。

一体何がそこまでアメリカ国民や日本国民を怒らせ、ファーウェイやサムスンと絶縁しようとしているのでしょうか?

一番目の理由は技術泥棒で、ファーウェイはシリコンバレーや米企業、米政府にスパイを送り込んで技術を盗んだとされている。


この手の産業スパイは今までの裁判を見ても立証が難しく、どの技術をいつ盗んだと証明されることはほとんどない。

サムスンも同じで日本企業と「協力」や「提携」しては技術を盗んだが、立証はほとんど不可能です。

日本企業やアメリカ企業が数兆円、あるいは数十兆円かけた技術をファーウェイやサムスンは無料で得てきた。

日米だけが法律を守り、中韓はルール無用

これでは日米企業がいくら研究開発費を投入してもサムスンやファーウェイの為にやっているようなもので、絶対に競争に勝てない。

困ったことに日本とアメリカには公正で民主的な法律があり、いくら疑わしくても罰せられることがない。

だが中国では日本人観光客が街で写真を撮っていただけで「スパイ容疑」で逮捕され、10人以上が何年も拘束されている。


韓国も同じで司法制度は公正ではないので、日米企業がサムスンの技術を盗んだりしたら、証拠がなくても逮捕し有罪にするでしょう。

サムスンとファーウェイはこうした制度を利用して数十年間利益を得てきたが、年貢の納め時が来た。

特にサムスンを始めとした韓国企業は慰安婦や過去の戦争に絡めて、日本企業の技術や資金支援を獲得してきた。


韓国の造船、電機、自動車、重工業などは全て日本企業が無償かタダ同然で供与したが、日本政府が戦後賠償の代わりとして企業に強要したものでした。

ファーウェイは実は民間企業ではなく国営企業であり、経営権は共産党にあり、稼いだ金が共産党や政府や軍に流れている。

中国は過去10年間に100兆円もの費用をIT開発に投じ、ファーウェイのようなIT企業はその金で技術開発した。


サムスンも韓国政府と一体であり、「韓国-サムスン=ゼロ」と言われるほど一点集中で優遇されている。

サムスンは労働基準法を守らなくて良く、一族は税金も払わず、電気料金やエネルギーコストや人件費を低く抑えている。

海外のサムスン工場で劣悪な労働環境が問題視されると、韓国政府が乗り込んでもみ消したり相手を恫喝する。


こうしたダーティで不公正な手口に日米はうんざりし、今や絶縁しようとしている。
http://www.thutmosev.com/archives/80499811.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/452.html#c19

[近代史3] もうすぐ氷河時代が来る証拠 中川隆
26. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:58:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]

記録的猛暑続く欧州、エアコン普及率5%未満 鉄道や原発もストップ
2019.07.26 Fri posted at 09:45 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35140450.html

欧州で記録破りの猛暑が連日続いている/HENNING BAGGER/AFP/Getty Images



(CNN) 欧州全土が猛烈な熱波に覆われている。これまでに少なくとも12カ国で観測史上最高の猛暑を記録、列車が止まり、原子力発電所も運転を停止するなどの影響が広がっている。

欧州の7月の気温は、6月に続き、1880年に観測を始めて以来、最高を記録する見通しだ。

気象庁によると、オランダ、ドイツ、ベルギーの3カ国では、25日の気温が観測史上最高に達した。最高気温はドイツが42.6度、オランダは40.7度、ベルギーは40.6度だった。英国も24〜25日にかけて猛暑が続く。

6月はフランス、チェコ、スイスなど8カ国の気温が過去最高を記録し、フランスでは45.9度を観測していた。

今回の熱波でも、パリの気温は42度に達すると予想されている。

専門家によれば、地球温暖化ガスによる気温の上昇に伴い、今回のような熱波は欧州の新たな常態になりつつある。英セントアンドルーズ大学のマイケル・バーン教授は、「気候変動の影響で、間違いなく熱波の頻度は増え、厳しさが増すだろう」と予想する。

フランスの気象庁も、二酸化炭素の排出を大幅に削減しなければ、これまで以上に頻繁に熱波に見舞われ、厳しさも増すと警告している。


パリでは気温が42度に達すると予想されている/PHILIPPE LOPEZ/AFP/Getty Images


欧州の都市の多くは、これほどの猛暑を想定した設計になっていない。2017年の報告によると、欧州でエアコンの設備がある世帯は5%に満たない。影響は公共交通機関にも及んでいる。

欧州の多くの国では、列車が脱線する恐れがあるとして運行が停止された。24日にはベルギーからロンドンへ向かっていた長距離列車のユーロスターで故障が起き、乗客は40度の猛暑の中で、空調もないまま缶詰めになった。

英国の鉄道インフラを運行しているネットワーク・レールによると、ロンドン周辺の線路の温度は50度を突破すると予想されていた。これは平年のほぼ2倍に当たる。

フランス南部では気温が40度を超えたことから原発が運転を停止した。業界団体は、川の水の温度が上昇して海洋生物に危険が及ぶ恐れがあったと説明、環境に配慮した措置だったとしている。

極端な猛暑は欧州だけにとどまらない。インドは極度の干ばつと人的被害を伴う洪水を繰り返し、先週は米国で1億5700万人が猛烈な熱波に見舞われた。北極圏でも前例のない規模で山火事が頻発している。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html#c26

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト
山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト


馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


▲△▽▼


2019/03/18
三橋TVは、視聴者に『経済』を学んでいただくためのものです。
今回は特別ゲスト山本太郎参議院議員をお招きした対談をお届けします。

【三橋貴明×山本太郎】Part1 絶対にTVでカットされる国債の真実 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ynVn-3tLhj4&feature=youtu.be

【三橋貴明×山本太郎】Part2
「日銀破綻論」の大嘘〜御用学者が増税したい本当の理由、そして財務省の裏工作 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FP3RyPpewvs

【三橋貴明×山本太郎】Part3
日本人を貧困に突き落とす東京大学名誉教授〇〇〇 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9rF05-miTV8


「参議院議員 山本太郎」オフィシャルサイト
https://www.taro-yamamoto.jp/

・参議院議員山本太郎 Web
http://taro-yamamoto.jp/

・れいわ新選組 Web
https://www.reiwa-shinsengumi.com/

・れいわ新選組 Twitter
https://twitter.com/reiwashinsen

・れいわ新選組 Facecook
https://www.facebook.com/reiwa.shinse...

▲△▽▼


山本 太郎(やまもと たろう、1974年(昭和49年)11月24日[1] - )は、日本の政治家、元タレント、元俳優。

院内会派「国民民主党・新緑風会」所属の参議院議員(1期)、政治団体「れいわ新選組」代表。自由党共同代表兼政策審議会長を務めた。兵庫県宝塚市出身[1]。


来歴

俳優として

1990年、箕面自由学園高等学校1年生の時に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」に出場し、芸能界入り[1][5]。

出演時のグループ名は「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」。戸塚ヨットスクールズを入れた理由を、本人が小さい頃、いたずらをすると必ず母に「戸塚ヨットスクールに入れるぞ!!」と言われていて、「なんとなくつけた!」と語っている。オイルを塗った逞しい身体に、その時々の「Q(メロリンQやダブリQなど)」を油性ペンで胸に書き、際どい競泳パンツ、黄色の競泳帽姿にステッキというアイテムで、ボディビルの様なポーズでヘヴィメタルバンドジューダス・プリーストの代表曲『ペインキラー』をバックに迫り来るような奇妙なダンスを踊り、締めに「Q!」と叫ぶ。強烈なパフォーマンスや、当時再ブレイクし始めていたポール牧の指パッチン等で注目を浴びる。

山本自身は遊び感覚で出演していたが、一方、「あんな裸踊りをさせるような学校には通わせられない!」と保護者から学校に苦情が寄せられたことで、親や学校との関係が悪くなりながらも出演するなど苦労も多く、いじめ被害者になった事もあったという。本人も当時ネタにしている通り、高校を留年し、そこから「ダブリQ!」を編み出した。実際は学校側から「番組出演しない」か「自主退学」かの選択を迫られ、どちらを選んでもダンス甲子園には出場できなくなった。

芸能界入り当初は、デビューの経緯もありバラエティ番組向けのタレントであったが、トーク下手であったことなどから一発屋で終わるかと思われた。しかし1991年、映画代打教師 秋葉、真剣です!の準主役で役者デビュー。それ以来、「田舎の気の良いあんちゃん」など、肉体派でありながらどこか素朴さを持つ優しく真面目な面と、ヤクザの若頭などの強面も出来る面が定着。ドラマなどで俳優としての起用が増える。50本以上の映画、ドラマ等にて俳優として多方面に出演。演じる役のほとんどが関西出身の設定であるため(本人も関西出身である)、関西弁で演じている。所属事務所はネスト(1991年 - 1998年)。フリーランスの俳優となってから主演した  2012年公開の映画『EDEN』では、新宿二丁目のショーパブの店長であるミロという役で初めてのゲイ役に臨んだ。反原発の行動を起こして以来久々の本業復帰となったが、プロデューサーの李鳳宇から打診があったときには「この時期にボクの主演映画ですか…。李さんは勇気ありますね」と答えたという[6]。

テレビドラマ出演デビューは1992年の『しあわせの決断』で、1996年にはNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』にヒロインの相手役である海東壮平役で出演。2000年の映画『バトル・ロワイアル』では重要な役柄を演じた。特に『難波金融伝 ミナミの帝王』シリーズの出演は20本。2004年にはNHKの大河ドラマ『新選組!』に登場するなど時代劇役者としても活躍している。また、NHK教育のトーク番組『トップランナー』では2005年から2008年まで司会を務めたり、世界ウルルン滞在記での体当たりのレポートでも人気を博す。

また2003年12月に開催された「サントリー1万人の第九」第21回公演に、一般参加者に混ざってテノール・パートにて合唱出演。当時「第九」はおろかクラシック音楽を歌うこと自体初めてだったという自身の公演本番に至る奮闘ぶりは、後日に放映された「1万人の第九」ドキュメンタリー『1万人の第九 山本太郎「第九」を歌う』にて紹介された[7]。

政治家として

2011年4月、反原発運動を開始。同年5月末にはシス・カンパニー (1998年 - 2011年5月27日)を退社し6月には退社前に決まっていたミュージカルに出演したが、その後フリーランスとなり「EDEN」など映画・舞台等小規模作品にコンスタントに出演していた。

2012年4月、太陽光発電設備の販売や施工を手掛ける「ソーラーリフォーム社」(横浜市)に正社員として就職。営業を担当。反原発運動のため俳優の収入が十分の一になったと コメント。

2012年5月、プロサーファー割鞘朱璃と結婚。しかし新婚生活が始まっても山本太郎は月に1〜3度しか家に帰らず新婚生活が破綻、3ヶ月で離婚。その後一般人の女性と交際をはじめ、2012年11月に妊娠が発覚、太郎の衆院選立候補前には太郎に妊娠の事実を知らせる。

2012年12月1日、第46回衆議院議員総選挙への出馬と政治団体「新党 今はひとり」の立ち上げを表明し[8]、同年12月5日に総務省へ届け出た[9]。最終的には、東京8区から無所属(日本未来の党・社会民主党支持)で出馬[10][11]。主に反原発、反TPP等を訴え、71,028票を獲得するも次点で落選した[12]。山本は自民党が圧勝したことに憤慨し、報道陣の前で「このままでは極右化が進んでしまう。日本から脱出した方がいい」「はい、終わり。日本は終わりです。みなさん脱出したほうがいいんじゃないすか」と述べた[13]。

2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から無所属で出馬、666,684票を獲得し4位で初当選した[14][15]。選挙に際しては、生活の党、社会民主党、緑の党[16]、新社会党[2][17] の各党の支援を受けた。

2014年2月に行われた第19回東京都知事選挙では、脱原発を公約した[18] 共産党・社民党・新社会党・緑の党推薦の宇都宮健児、民主党・結いの党・生活の党支援の細川護熙いずれへも表立っては支援せず[19]、脱原発候補への投票を呼びかけるに留めた[20]。

結果は自民党都連・公明党都本部推薦、新党改革支援の舛添要一に大敗し、山本は「効果的な動きが出来なかった自分自身の不甲斐なさを感じる」と述べた[21]。また、細川について「細川さんはワイドショー選挙をできると思って、メディアを信じていたようだが、それは大きな間違いだ」と指摘しつつ、「反旗を翻したファイティングスピリットは感動した」と脱原発を公約したことを評価した[22]。

同年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙では、東京8区から立候補した民主党の円より子への支援を表明したが結果は落選した(石原伸晃が当選)。選挙後、山本は政党要件を失っていた生活の党に入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めさせた[23][24]。また、山本は「無所属の会」を提案したが、小沢は「生活」の名を残すことは譲れなかったので、この名前になったともいう[25]。

2016年の第24回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補していた三宅洋平を支援(結果は落選)[26]。同年10月12日、「生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に党名変更を決定したことにともない、党籍を自由党に置いたまま、自身の政治団体「山本太郎となかまたち」から次期衆議院選挙で東京ブロックで候補者擁立をめざすことを表明した[27] が、最終的には擁立を見送った。

2018年10月、フランスの「人民共和連合」党首と国際情勢に纏わる意見交換が行われた[28]。

2019年4月10日、夏の第25回参議院議員通常選挙に向けて同月下旬に自由党を離党する一方、新たに政治団体「れいわ新選組」を設立したと表明した[29][30]。

政治団体

2012年(平成24年)12月5日に政治団体「新党 今はひとり」の設置を総務省へ届け出[9]、2014年(平成26年)3月19日に「新党ひとりひとり」への名称変更を総務省へ届け出た[34]。目標は脱原発勢力を結集させる国政政党を作ること。今後は各地の国政選挙、地方選挙に候補者を擁立していくことを目指すとしている[35]。

2014年4月に衆議院鹿児島2区で行われた補欠選挙に介護福祉士で脱原発活動家の有川美子を党として公認した。結果は日本共産党の候補者を上回る票を得たが[36]、6人中3位で落選。

政治公約

山本太郎の政治公約は以下の通りである[32]。

被曝させない原発の即時撤退・ガスコンバインドシステムと小規模水力の推進・国民が情報を得て避難できる権利の確立などTPP入らないTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は交渉内容が不透明であって、アメリカでは国内法が条約より優先されているのに対して、日本では条約が国内法に優先されるのは不利、日本には交渉する余地がないと判断して反対。飢えさせない生活保護の不正受給は正されるべきだが、受給条件の厳格化は反対。「教育」「医療」「介護」の無償化を推進。

その他の政策

消費税はゼロにするべきだ。必要あらば大資本家から増税する。
金融緩和と財政出動でデフレ脱却、財政健全化へ。
憲法9条改正と集団的自衛権の行使に反対。
日本の核武装について、将来にわたって検討すべきでない。
総理は靖国神社に参拝すべきでなく、村山談話・河野談話を引き継ぐべきとしている[37]。

選択的夫婦別姓制度導入に賛成[38]。


政治家としての活動

山本は第184回臨時国会に福島瑞穂(社会民主党)の質問主意書と一言一句同じである項目を含み、全体としても言葉を置き換えるなどで酷似した質問主意書を政府に提出した[39]。これについて山本事務所は同じ専門家から文案を提供してもらいそのまま提出したためとし、今後はこのようなことはないようにすると表明した[39]。

2013年8月10日、志位和夫(日本共産党委員長)の講演を聞くために共産党創立91周年記念講演を訪れ、記者団に対し日本維新の会やみんなの党は自民党の補完勢力でしかなく、共産党が本当の意味での野党の最大勢力であって大きな力を持つだろうと述べ、反対勢力が一つになることが必要である旨の見解を表明した[40]。

2013年11月14日、特定秘密保護法案の危険性をみんなが共有すれば通らないと述べ、社民党前党首の福島瑞穂ら4名の野党議員と結束して、同法案の今国会での成立を阻止することを強調した[41]。


園遊会における書簡の手渡し

2013年10月31日、園遊会において、明仁天皇に書簡を直接手交した[42][43][44]。宮内庁次長・山本信一郎は同年11月5日の定例記者会見で「園遊会の招待者には、陛下のお近くで写真撮影をしないなどの注意事項を示していた。園遊会は各界で活躍された方を招いて、ご苦労をねぎらう場所。常識的に判断されるべき問題。(山本太郎が天皇に渡した手紙は)こういう状況で渡されたものなので、事務方で預かり、陛下には上げていない」と述べ、この手紙を天皇に届けておらず、今後も届けることはないことを明かした。またもしも手紙を返却して欲しいという希望があれば、返却すると述べた[45][46][47]。同年11月8日、参議院議長の山崎正昭から厳重注意と皇室行事への参加を任期中の間は認めない処分が言い渡された[48]。


山本太郎の説明

記者会見や取材などに対し、山本側が以下の説明を行ったことが報じられている。

(天皇に渡したとされる手紙の内容)子供たちの被ばくや健康被害が福島だけではなく、この先、他にもたくさん出てくることや食品の安全基準が低い問題、原発の高線量エリアで働いている作業員たちの健康や放射線管理があまりにずさんな話など。秘密保護法も通ってしまえば、権力者にとって(福島第一)原発事故も含め、都合の悪いことは隠されてしまい、戦前に逆行している。手紙を書いたのは(手紙を渡す)前日である[49]。(以下「特定秘密保護法案反対運動」も参照)

(天皇に手紙を片手で渡すことは、)非常に緊張していた。左手に招待状と手紙をくるんだ物を持っていて、片手でお渡しする形になってしまった。人を守らない国は国じゃない。僕の(政治における)ポジションがどうこう言われれば“保守ど真ん中”[50]。
陛下に福島第一原発事故をめぐる健康被害および事故の収束で働く原発作業員の労働環境の劣悪さについて知ってもらいたかった。議員が陛下に手紙を渡すことが禁止とは聞いていないし、自分の行動は議員による皇室の政治利用にはあたらない[51][52]。
今回の自分の行動が政治利用にあたるならば、五輪招致で皇室の方々に出席していただくことも政治利用なのではないか[53]。

田中正造が天皇に直訴したという事実は知っていたが、あの手紙を手渡す際には、そんなことは意識もしなかった。皆さん(マスコミ)が騒ぐことによって政治利用にされてしまう[54]。

(同行為によって陛下を困らせたについては、)軽率であったと猛省しているが、有権者との約束が果たせていないので、自ら辞職はしない[55]。

メディア

アメリカのハフィントン・ポストは2013年11月1日付の記事において、山本太郎の同行為の請願法第三条「請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」への抵触可能性について報じた[56]。

産経新聞は2013年11月2日付社説で「天皇に対する請願書は請願法で「内閣にこれを提出しなければならない(3条)と定められている。山本氏が天皇に申し上げたいことがあるのなら、きちんと法的手続きを踏むべきだ。」と、法令遵守に基づかない行為であったと報じた[57]。

朝日新聞は社説で、第2次安倍内閣において、IOC総会に皇室関係者が参加したり、「主権回復の日」式典に天皇が参加するなどしても国会は「処分」の検討をしなかった。この出来事をきっかけに、政治と天皇のかかわり方が改めて議論される機会になるだろうと報じた[58]。同社説において、北海道大学教授の山口二郎と明治学院大学教授の原武史も、朝日新聞の見解を支持した[58]。

東京新聞は社説で「儀礼を欠き、脱原発に水を差しかねない軽挙」としたうえで、「批判する側に処分する資格があるのか」と、山本の処分に疑問を投げかけた[59]。
沖縄タイムスは社説で「思慮を欠いた軽率な行為だが辞任はする必要はなく、辞職要求はやり過ぎ」と政府を批判し、「民主主義への絶望が天皇直訴という手段を(市民派の議員に)選ばせたとすれば、戦後憲法は根付いていない」「この問題は憲法に基づいて議論すべきで、戦前の不敬罪感覚で議論すべきではない。」とコメントしている[60]。


その他の見解

高崎経済大学教授の八木秀次は「明らかな政治利用だ。天皇陛下の政治的中立ということをまったく理解していない。国会議員としての資質が問われる」と述べた[61]。
宮内庁次長の山本信一郎は、本件について「あのような場所ではふさわしくない」と批判した。また手紙を天皇に見せていないことを明らかにし[45]、宮内庁幹部が「一般論として、ああいう場所で物をお渡しするのはエチケットに反し、あってはならないことだ。陛下としてもお困りになるだろう」と述べた事が報じられた[62]

政治家からの批判は相次ぎ、世耕弘成[63]、谷垣禎一[64]、下村博文[65]、石破茂[66]、石井啓一[67][68]、大畠章宏[69]、橋下徹[70]、渡辺喜美[71]、志位和夫[72][73]、仁比聡平[74][75]、猪瀬直樹[76] らにより、懸念の意が続々と表明された。一方、吉田忠智のように、同行為を批判しつつ、「議員を辞職するほどではない」とする者もいた[77][78]。


影響・余波

静岡県焼津市の市民団体「くろしおネットはまおか」が11月10日静岡福祉大学で行われる講演会に山本を招待していたが、大学側から来場者の安全を責任を持って確保できないと警備上の理由を指摘され、会場が使用できなくなった。「くろしおネットはまおか」は講演会の中止を決め、活動の停止を検討するまでに至った[79]。

11月14日の記者会見で風岡典之・宮内庁長官は、この騒動に乗じて右翼団体を自称する者から山本に折り畳みナイフが送りつけられる脅迫事件が発生したことを新聞で知った天皇が心配していると述べた[80]。21日には、山本宛てに投函された散弾銃の実包1発入り封書が銀座郵便局で見つかっている[81]。後者の事件で警視庁公安部は2014年3月24日、脅迫文と銃弾を入れた封筒を千葉県内から郵送した疑いで名古屋市の金属加工会社元社長(別の脅迫事件で起訴)を再逮捕した[82]。


野宿者支援

2016年1月、新国立競技場建設にともなう明治公園の野宿者強制排除に際し、その支援者からの通報を受けた山本太郎事務所がスポーツ庁に問い合わせ、結果的に当日は中止に持ち込んだ。本件で山本は、国会で質問する予定だったという[83][84]。


反原発活動

2011年4月9日、自身のTwitter上にて「黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と発言し、翌日の4月10日には福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)に関連した原子力撤廃デモへ参加した[85]。同5月25日、Twitter上で「原発関連の発言が原因で同7、8月に予定されていたドラマの仕事を降板することになった」と、発言した[86]。ただし、所属事務所はドラマの仕事があったことを否定している[87]。同年5月27日、所属事務所のシス・カンパニーを退社。会社から慰留されたが、最終的には「事務所に迷惑をかけるわけにはいかない」という自身の意思による。「オペレーション・コドモタチ」公式サイト上で「東北で生活するのはあり得ない。がんになるのを待っているだけ」「このまま放射能汚染が続くなら、俳優業引退・疎開も考えている」と述べている[88]。

7月11日、佐賀県庁で行われた反原発デモに参加。玄海原子力発電所廃止を訴え、「知事は出てこい」など訴えながら、県知事の古川康に玄海原発再稼働中止の請願書を渡そうと、約150人のデモ隊の一人として佐賀県庁に進入。1時間ほど県職員や守衛警備員らともみ合ったが、知事に嘆願書を手渡すことはできず職員への手渡しにとどまった。今後も反原発デモがあれば参加する意向ということである[89]。この顛末について8月、京都市在住で京都党党員の行政書士が建造物侵入の容疑で佐賀地検に告発し、9月20日に受理されたことが告発者当人を名乗るブログにて事の次第を掲載され、一部マスメディアでも報道された[90][91]。告発状の内容の一部は報道によれば「憲法が保障する表現の自由から著しく逸脱している。法治国家として是認できない。被告発人のような過激なものを野放しにせず、厳重な処罰が行われるよう、速やかに捜査に着手することを求める」などとされている。


同月13日、自身のツイッターにて「遂に菅さんが脱原発宣言した。震災から4ヶ月、険しい道のりだったけど、やっとここまで来た。そして、こっからが更に険しい。でも、頑張らなきゃね。子ども達の未来のために。」[92] とつぶやき、同日行われた当時の首相である菅直人の記者会見を評価している[93]。

同月18日、環境NGO「欧州放射線リスク委員会」委員の物理化学博士クリストファー・バズビーの講演会に参加。合間にツイッターで講演を実況した。フリーになってからツイッターのフォロワーが11万人を超過。「欧州では(内部被ばくの危険性を示す)データで出ている。食べられないものが出てきて、病気の人も増えて労働力が下がっていくことを食い止めたい」「将来の日本の、そして子どもたちのために、僕が動くことでリスクを訴え続けていかなければならないんです」「今は、ツイッターに興味がないもっと年齢が上の層にも、僕の声を広げていきたい。だから、取材はこれからも受けます」と今後も反原発活動を続けることを改めて明かした[94]。

7月20日のトークショーにて、反原発活動を行うきっかけは、2011年4月にソフトバンク社会長孫正義のツイッターにて「原発に賛成?反対?アンケートとってみよう」というつぶやきに、原発反対とつぶやいたが「抑えていたものがあふれたのか、涙が止まらなくなり、1人で嗚咽していた。それで、俺は原発反対を訴えていこうと決めた」と語った。山本自身は8年ほど前から母親の薦めで環境保護団体「グリーンピース」の支援をしていたが、原発に対し「未来に負の過去を残すようなもの」という不安を行動に起こすことなく過ごしており、今回の原発事故が起こったことから「放置してきた自分に怒り、悶々としていた」とのことである[95]。

7月23日に龍谷大学で行われた講演会を聴講していたが、サプライズゲストとして「日本政府がやっていることは、日本の将来をあきらめたとしか思えない。このままだと日本は核廃棄物の処理場になってしまう」「この状況を変えるには世論が変わるしかない。そのための底上げの活動を、草の根でやっていけたら」などと5分ほど演説をした[96]。
自身の右側頭部に発症した円形脱毛症について被曝の影響だと主張している[13] が、同時に「枝野さんが直ちに影響無いって言ってたから違うと思いますけど」と発言しているため、正確には被爆の影響だとは考えていない[97]。

自身がTwitCastingにて2013年10月24日に配信したライブ映像の中で「ベクレてる(放射能汚染されている)んやろなぁ、国会議員に出すお弁当は」と述べた[98]。山本太郎はジェイ・キャストの取材に対し、「ベクレてる、というのは放射能汚染されているという意味で使っています」と述べた[99]。


特定秘密保護法案反対運動

「秘密保護法」大集会実行委員会 主催[100][101] などの特定秘密保護法案反対運動に参加している[102]。

2013年12月3日夜、山本太郎は国会議事堂前で『(特定秘密保護法案の採決阻止のために)採決の日に、議員を国会に入れなきゃいいんですよ。』、『議員会館、国会に議員が入れないくらい、人があふれるくらいに集まれば、これは阻止できる可能性がありますよね? 1000人と言わず、1万人と言わず、10万人と言わず、100万人ぐらいの人が国会周辺に集まりましょうよ!』とデモ隊に対してスピーチした[103][104]。


安全保障関連法の採決

2015年9月、参議院本会議の安全保障関連法の採決で、数珠を持ち喪服を着用した上で投票を行い、安倍晋三総理らに焼香するしぐさを行った。このことに関して、9月25日、山崎正昭参院議長から上記の『今上天皇に対する書簡手渡し』の件も含めて、「次は容赦しない。議員バッジを外すことになるかもしれない」と、山本に対して『国会法による除名』の可能性も含ませた厳しい警告が行われた[105]。


人物・エピソード

政治家になる前から政治的発言が目立っていたが、その後政治家に転身した。上述のように反原発や反TPPを主張しており、参議院議員に当選する前からそのような政治的活動に積極的に参加していた。支持者には反原発派が多く、自身の姉も脱原発運動をしていた[106]。


趣味はサーフィン。仕事の合間を縫い、よく仲間と海へ行っている。

メロリンQというフレーズは、小学生時代に短期ホームステイ先のフィリピンで食べた「バナナQ」というデザートが由来だという。ただ語呂が悪いと言うことでメロンQ→メロリンQへと変化したとのこと[107]。山本自身はダンス甲子園からの引退以来メロリンQの芸を行っていないが、議員となって以降も「営業案件になるため、相応のギャラを頂ければ、今でもやる。」「封印している訳ではなく、人類最後の日に再びやろうと思う。」という意向をゲイレポーターの酒井佑人のインタビューで語っている[108]。なお、メロリンQの芸自体は1993年に岐阜経済大学、次いで2003年より滋賀県立大学の学園祭にて男子学生の余興として演じられるようになり、2018年現在も両大学の学園祭名物として受け継がれている[109]。

伊集院光とは芸能界でも互いが認め合う無二の親友である[110]。1992年に伊集院が司会を務める生放送の帯番組『素敵な気分De!』を盛り上げるために独断で、覆面を被り模造刀を手に持った不審者として生中継コーナーに乱入しゲストであった渡辺典子に襲いかかったりカメラを壊そうとしたりと大暴れし、警察が出動する放送事故になった。伊集院が自身のラジオ番組で語ったところによると、この放送事故の影響で、半年ほど芸能活動を謹慎する羽目になっていた。放送中には山本であると明かしておらず、警察の取り調べでも伊集院とは無関係と主張した。

大河ドラマの『新選組!』では平山五郎を殺害する原田左之助を演じたが『輪違屋糸里』では平山五郎を演じた。『幕末高校生』では、タイムスリップした幕末で新撰組隊士を演じている。

参議院議員就任後の2013年に次々とプライバシーの報道や身に覚えのない犯罪疑惑を報道されたことについて[111]、山本のオフィシャルブログで、大きな力が働いているとし弁護士チームも普通では考えられない事だと述べている、と主張している[112]。


芸能界デビュー前

父が1歳の時に亡くなり、母子家庭で育つ。(岩切徹「現代の肖像 俳優 山本太郎 ”脱原発”役者の軌跡」「アエラ」2012年12月3日より)[113]
山本曰く、母親は「パワフルで正義感が強」い人で、「日常的にも自分より弱い立場の人には、手を差し伸べろっていうことはすごく言われ」た。山本は、母の存在から大きな影響を受けて育ったという(著書「山本太郎 闘いの原点」より)[113]。
母はフィリピンの貧しい子供たちを支援するボランティア団体のメンバーで、山本も子供の時から何度もフィリピンに行って、仕事を手伝わされていたという[113]。

発言

竹島発言とその真意

2008年7月20日、読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』で「竹島は韓国にあげたらよい」と発言し、ネット右翼の批判が集中した[要出典]。2012年3月16日、オーディトリウム渋谷にて山本は批判に対して、番組の編集で発言の前後がカットされ、この部分だけが放送されたものであり、韓国の実力行使に対して、竹島は日本の領土であるというだけで何もしない日本政府にハッパをかけようという趣旨の発言であったと説明した[114]。また2012年7月15日に『たかじんのそこまで言って委員会』に再出演した際には、竹島発言に関して「竹島をあげてしまえばいいというのは、本当にそのままあげてしまえばいいというわけではなくて(中略)尖閣みたいに中国と日本の間で暗黙の諒解みたいなものがあるんであればなんかその均衡は保てるでしょうけど、竹島に関してはそうじゃなかった、もっと早くに手を打ってるべきだろう、お尻を叩く意味での発言であった」と釈明している。

東日本女子駅伝を中止に

2011年11月5日の、BSジャパン『デキビジ』(ニコニコ生放送でも中継)にて「東日本女子駅伝を中止に追い込みたい」「『復興しましたよ』ってアピールのためだけの行事」などと発言した。これに対して、主催者である東北陸上競技協会理事長の安田信昭は「放射線量も毎週計測して、大丈夫だという判断になっています。駅伝なので走る時間も限られている。復興の象徴として盛り上げようとしているのに、この発言は風評被害になりますよ。福島県民に対して失礼なんじゃないか」と発言した[115]。


森友学園問題における発言

2017年3月2日の参議院予算委員会で、森友学園問題について、安倍晋三に対し妻の安倍昭恵をロッキード事件と掛けてアッキード事件と皮肉る発言をした。この発言に対し安倍は「その言い方は限度を超えている。人の名誉を傷つけるために委員会を活用することは、極めて不愉快だ」と抗議している[116]。また、予算委員会委員長の山本一太は、この発言を問題視し措置を取る可能性にも触れている[117]。

NHK受信料ボイコット発言

公共放送であるNHKに対し偏向報道が行われていると主張し、「NHKが加計問題に対して政権への忖度報道を続けるなら、『受信料の支払いをボイコット』する。公共放送とは言えぬ偏向報道だ」「視聴者がスポンサー、ということをNHK首脳陣とNHK報道は思い出す必要がある」と発言している[118]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E

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れいわ新選組代表 山本太郎街頭演説 2019年5月5日
福岡・小倉駅 小倉城口(南口)前デッキ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=cV7QHCNe828


山本太郎に「1人で国会変えられるんか?」と聴衆!


 れいわ新選組代表の山本太郎が2019年5月5日 福岡・小倉駅前で街頭演説。3時間15分、集まった人々に訴え続けた。

 ますます悪化する日本の政治状況に山本太郎は危機感を隠さない。

 なぜ、彼が「れいわ新選組」を旗揚げしたかよく理解できた。

 時間がない人は、3時間を過ぎた終わりの部分の15分だけでも聞いてもらいたい。必ず「思うもの」があるはず。山本太郎は本気だ。

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田畑信哉さんが訴えの一部を書き起こしてくれたので転載する。

「1人で国会を変えられるんかな?」と聴衆の一人が太郎に問いかけた。

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いいこと言うてくれはった。

国会議員1人でできることなんて限られている。だから私に力をくださいと、お願いにあがっているんです。

山本太郎が1人のままでいるのか、10人になれるか。20人になれるか。50人になれるか。誰が(それを)決めるんですか? みなさんですよ!

消費税をゼロにする、奨学金をチャラにする、全国一律で政府が保証して最低賃金を1,500円にする。

わたし1人じゃできない。でも、みなさんそれを実現したくないですか?

実現させるために力を貸してください。

どうしてあきらめるんですか。「自分には力がない」って、思わされてるんじゃないですか?

あなたに何ができるの? あなたは国の役に立ってる?  会社の役に立ってる?  家の役に立ってる?  常に言われるのはマウンティングですよ。

そんな中で自分自身に自信が持てなくて、「生きてていいのか」「存在してていいのか」とさえ思わされる。

そんな世の中に生きてるのはもう嫌なんだって話なんですよ。それを救えるような政治を作りたいから立ってるんですよ、ここに。

全国ツアーするだけで300万円かかっています。GWに人が移動して、宿も借りて、いろいろやって、みなさんに選挙やるのにお金かかる、お金くださいって言ってるけれども、このツアーでさえも借金重ねながらやるしかないんですよ。どうしてか。本気だからですよ。

自分ひとり勝つためだけだったら、わたし小沢一郎さんのところにまだいます。自分ひとりの政治家のキャリアだけ考えるんだったら、小沢さんについて行きます。

その方がわたし、もっといい政治家にステップバイステップでなっていけるかも知れない。

でも、この国が壊れていく速度、待てますか? 待てないですよ。

既に壊されてるんですよ。

子供の7人に1人が貧困。全体の56.5%くらいが生活苦しいって状況。

一人暮らしの女性の3人に1人が貧困って状態にされてて。

今貯蓄ゼロっていう20代が60%超えてて。

30代、40代、50代でも貯蓄ゼロ40%超えてて。

将来高齢化したときに国、切り捨てるしかないんですよ。野垂れ死にですよ。

これをわたしが自分のキャリアをしっかり深めるために、小沢さんの側についていながら、10年20年政治を勉強し続けて、雑巾掛け頑張りますつったら、今の自民党の若手と一緒なんですよ。

今、人間を本当に部品のように、交換の効く部品のように扱ってるやん。

今勝ててる人でもいつまで勝てるかわかりませんよ、はっきり言って。あなたが経団連の関連の企業の御曹司だったら話は別かもしんない。海外に資産大量に移して、この国からいつでも逃げられるっていう状況だったら助かるかもしんない。

でも、ひとりひとりこの国に生きる大多数はこの国で生きるしかないわけでしょう?

だったら政治変えるしかないだろうって話なんですよ。もう食い物にされてるんだよ、全員が!
https://www.youtube.com/watch?v=cV7QHCNe828

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最低賃金1500円は愚策中の愚策。韓国の二の舞になるのは必至!
山田順 | 作家、ジャーナリスト、出版プロデューサー 4/28
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20190428-00124115/


山本太郎議員の訴えは痛いほどわかる。しかし----。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)


■れいわ新選組ばかりか与野党みな同じ政策

  山本太郎氏が立ち上げた「れいわ新選組」の公約の評判がいい。なかでも「最低賃金1500円」は、共産党も公約としている。今後、7月の参議員選挙をひかえて、立憲民主党なども同じような政策を出してくるだろう。なにしろ、最低賃金の引き上げは、与党の自民党でさえ推進している政策だ。自民党では毎年3%程度引き上げを掲げ、公約である「時給1000円」の実現を目指している。

 しかし、これは雇用を破壊し、日本経済をどん底に突き落とす愚策である。なぜ、そうなのか。本稿ではそれを説明してみたい。

 まず、以下が「れいわ新選組」が公表している政策である。

(1) 消費税廃止

(2) 最低賃金1500円

(3) 奨学金徳政令

(4) 公務員増

(5) 一次産業戸別所得保障

(6) トンデモ法一括見直し

(7) 辺野古基地建設中止

(8) 原発即時廃止―

 いずれも、日本が抱えている問題に鋭く切り込んでいる。「消費税廃止」などは高く評価できる。しかし、「最低賃金1500円」「公務員増」「一次産業戸別所得保障」などは政府の肥大化を招くのが必至だから、国民の自由を奪ううえ、経済衰退を招くのは間違いない。

 とくに「最低賃金1500円」は愚策中の愚策である。

■アメリカと日本では経済の事情が違う

 アメリカでは近年、最低賃金の引き上げが続いている。 ニューヨーク州では、昨年12月31日をもって最低賃金が時給15ドル(1ドル110円として1650円)に引き上げられた。これは従業員11名以上の企業の場合で、10名以下の場合は今年の12月31日から適用される。

 こうしたことを踏まえて、日本でも最低賃金の引き上げを提唱するのは、心情的には理解できる。しかし、日本とアメリカとは事情がまったく違う。アメリカはまがりなりにも経済成長をしている。しかし、日本はいくらアベノミクスがうまくいっていると政府が言い続けても、実際はマイナス成長かイーブンである。

 そんななかで、最低賃金を引き上げたら、どうなるかは、火を見るよりも明らかだ。

 現在、日本の最低賃金は、厚生労働省の「中央最低賃金審議会」によってガイドラインが決められている。それによると、昨年の10月1日から、東京都では985円、大阪では936円、愛知では898円、福岡では814円、北海道では835円となった。

 となると、1500円というのは、いきなり倍近くに上げるということになる。政治家というのは常に国民のことを考えているという姿勢をとる。だから、最低賃金を引き上げることは、イコール最大限国民のことを考えているように思える。しかし、これはまったくの偽善だ。

 とくにいまの日本でそんなことをすれば、その結果として、大量の失業者、犯罪者、自殺者を生み出すだろう。

■大幅な引き上げで経済崩壊した韓国

 最低賃金を政治の力で引き上げて、大失敗した例が、お隣の韓国である。

 リベラルの先端をいく文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、経済低迷から脱却するため、「所得主導成長」政策を提唱した。最低賃金の引き上げは、文大統領の政策の目玉で、2017年の就任以来、韓国の最低賃金は毎年10%以上と劇的に引き上げられた。文大統領は、大統領選挙の公約で「2020年まで時給1万ウォン達成」を掲げた。

 1万ウォンは、本稿執筆時のレートでは日本円で987円だから、達成されれば日本を上回る(ちなみに、2017年の韓国の最低賃金は6470ウォンで全国一律)。

 ではその結果、なにが起こったか?

 韓国の就業者の2割を占めるのが自営業者だが、彼らの生活が立ちいかなくなった。とくに家族経営や1人経営の店などでは、従業員を従来のように雇えなくなり、解雇が続出。人件費の高騰をメニューなどの値上げでカバーしようとした飲食店では、客足が減って倒産するところまで出た。

 また、ソウル市内のコンビの経営は悪化の一途をたどった。24時間営業を3交代のアルバイトでこなしてきたある店は、収益悪化で赤字になり、営業を続けられなくなった。

 昨年12月、ソウルで開かれた中小企業中央会の小商工人連合会の記者懇談会で、チェ・スンジェ会長は「最低賃金引き上げが小商工人に及ぼした実態調査を行った」とし、その結果について「恐ろしくて発表できない」と話したと、『朝鮮日報』は報道している。

 また、2月19日の『中央日報』(日本語版)に掲載されたコラム記事では、「普段20万件以上生じていた韓国国内の雇用」が、昨年7月以降、1万件前後に極端に落ち込んだと報道されている。

 雇用ばかりではない。人件費の高騰は輸出品の高騰を招き、韓国の輸出は大きく落ち込んだ。もはや、韓国経済は瀕死の状態に陥っているのだ。つまり、最低賃金の引き上げは大失敗だったのである。

 それなのになぜ、いまさら日本が、韓国と同じようなことをしなければならないのだろうか?

■なぜ引き上げると失業者が増えるのか?

 最低賃金の引き上げがどのように経済に影響を与えるかは、どんな経済学本にも書かれている。私などが改めて書くほどのことではないが、ポイントは次のようなことだ。

 経済には、「需要と供給の法則」という基本原則がある。ある商品やサービスの価格は、需要と供給が一致した点で決まるというのがこの原則で、この一致する点を「均衡点」と呼んでいる。

 均衡点は、賃金にも当てはまる。

 働いて得る対価の賃金は、モノの価格に当たる。したがって、賃金が均衡点より高くなると、供給(求職)が需要(求人)を上回る。つまり、働いて稼ぎたいという人間が増える。すると、企業側は雇うのを控えるようになる。つまり、失業が増えるのだ。

 これまで時給800円が均衡点だったとする。それが、政治の力で無理やり1500円になれば、雇う側は何人かを解雇せざるをえなくなる。そうしないと利益が出なくなるからだ。こうして、失業者がいままで以上に生み出される。 

 多くの場合、失業に追いやられるのは、低賃金だからこそ仕事にありつける、特別な職業スキルを持たない人々である。つまり、最低賃金の引き上げは、もっとも助けなければならない人々を苦しめる。

■経済情勢に合わせた「適正なレベル」がある

 ただし、最低賃金の引き上げが悪影響ばかりかというと、そうではない。1500円は無謀としても、ある程度の引き上げは経済が成長しているならやったほうがいい。

 つまり、引き上げには「適正なレベル」がある。韓国の場合は、それを無視して大幅に引き上げたために、大失敗してしまったのだ。

 

 4月12日、『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)は、最低賃金の引き上げで雇用に悪影響が出るという記事を掲載した。この記事によると、連邦最低賃金の引き上げは比較的小幅であっても雇用に悪影響を及ぼすと、多くのエコノミストが警鐘しているという。

 WSIが調査したエコノミストのうち全体の約3分の1は、現行7.25ドルの連邦最低時給を7.25ドル超〜10ドル未満の範囲に引き上げれば、雇用喪失につながると回答してきたという。雇用喪失を招く最低時給水準としては、26%前後が10.01〜13.00ドル、12%が13.01〜15.00ドル、28%が15ドル超との見方を示したという。

 

 つまり、最低賃金は、現在の経済情勢に合わせて、その引き上げ幅を考えなければならない。そうしなければ、かえって経済を悪化させるのだ。となると、マイナスかせいぜいイーブンの日本ができるわけがない。

■次に不況がきたとき最低賃金が足枷になる

 最低賃金と犯罪率を調査した研究が、アメリカにある。

 アメリカのウエブメディア『fee.org』の記事「Minimum Wage Hikes Increase Crime」(最低賃金の引き上げが犯罪を増加させる)によると、1998〜2016年に実施された10%の最低賃金引き上げの結果、新たに8万件近い窃盗犯罪が16〜24歳の若者によって行われたという。したがって、もし最低賃金を時給15ドルまで引き上げれば、さらに41万件の窃盗犯罪を生み出すことになるだろうと、この記事は警告している。

 日本は、世界の先進国でも有数の自殺者数が多い国である。一時、その数が増加して危惧されたが、最近は横ばいになった。しかし、最低賃金を上げれば、自殺者数も上がるのは必然と思われる。

 与野党とも、自覚していないのは、いまや日本は先進国のなかでももっとも貧しい国だということだ。日本の1人あたりのGDPは世界中では27位と、他の先進国と比べても圧倒的に低い。最低賃金は、こうしたことに連動しているのである。

 ここで、いまはなんとかなっているとしても、いずれ不況がやってくると考えてみよう。そのとき、なにが起こるだろうか?

 不況になれば、企業経営はただでさえ悪化する。すると、企業はそれまでの賃金水準、雇用を維持できなくなる。それなのに、そこには法律で決められた最低賃金があり、それを破る罰則が科せられる。こうなると、倒産する企業も出てくるのは必然だ。

 実際、リーマンショックによる2008〜09年の景気後退局面では、アメリカの倒産件数は増大した。最低賃金が足枷になってしまったのである。

■企業活動を活発化させる以外豊かにはなれない

 貧しい人々が、より高い賃金を望むのは当然である。貧困層ほど、一生懸命に働いて貧困から脱出しようと努力する。その努力に報いるための最低賃金の保証は必要である。

 しかし、それを政府が市場原理を無視して行うと、かえって、その人々を苦しめる。なぜなら、政府は自ら富をつくり出しているわけではなく、他人のおカネで貧しい人々を救済しようとしているだけだからだ。

 リベラルや社会主義者が致命的に陥る欠陥がここにある。この世界では、富をつくり出せるのは、民間経済、企業だけである。政府は単に、右のおカネを左に動かす機能しか持っていない。

 資本主義では、企業家が労働者を使って、消費者が望む商品やサービスを競い合ってつくり出す。この競争によって、社会は豊かになる。そうなれば、自ずと賃金も上がるようになっている。ところが、最低賃金を国家が決めてしまうと、こうした競争は阻害されてしまう。

 つまり、貧しい労働者を豊かにするためには、国家が市場に介入して最低賃金を引き上げてはいけないのだ。

 

 ところが、リベラルを提唱する人々、左派と呼ばれる人々は、自分たちはなにもしないのに、他人のおカネ(国民の税金)を使って、貧しい人々を助けようとする。この偽善に騙されてはいけない。人々と社会がより豊かになるには、企業がより自由に活動できる規制緩和や減税が必要であって、最低賃金の引き上げなどという単純かつ完全に間違っている方法では実現しないことを、この際、再認識すべきだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20190428-00124115/


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れいわ新選組は2019年夏、衆参ダブル選挙を想定して政治活動を行います。
どこまでの挑戦が可能か。集まる金額によって候補者を擁立する規模を決めていきます。
詳しくはこちらから→http://reiwa-shinsengumi.com/donation/

・参議院議員山本太郎 Web
http://taro-yamamoto.jp/

・れいわ新選組 Web
https://www.reiwa-shinsengumi.com/

・れいわ新選組 Twitter
https://twitter.com/reiwashinsen

・れいわ新選組 Facecook
https://www.facebook.com/reiwa.shinse...
 


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「れいわ新選組」が小倉で街頭宣伝 新勢力の結集めざし熱こもる山本太郎の演説 2019年5月9日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/11671

新自由主義に対抗する勢力結集なるか

 今夏に参議院選挙を控えるなかで、自由党が解党し国民民主党に合流するなどの動きが始まっている。そのなかで山本太郎参議院議員が一人で「れいわ新選組」なる組織を立ち上げ、全国で街頭演説をおこなっていることが注目を集めている。5日に小倉駅前でおこなった街頭演説の概要を紹介する(紹介するグラフや表は街頭演説で山本氏が提示したもの)。


JR小倉駅前での山本太郎の演説を聞く人たち(5月5日)


 山本太郎は小沢一郎と一緒にやってきたが一人で旗揚げをした。その名は「れいわ新選組」。まだ一人だが、みなさんのお力をお借りして勢力を拡大していき、予定調和の永田町に切り込んでいきたいと思っている。


 「れいわ新選組」はどういった決意で政治に挑んでいくのか。

 日本を守る、とはあなたを守ることから始まる。あなたを守るとはあなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす政治のうえに成り立つ。あなたに降りかかる不条理に対して全力でその最前に立つ。何度でもやり直せる社会を構築するために。


 20年間におよぶデフレで困窮する人人、ロスジェネを含む人人の生活を根底から底上げし、中卒、高卒、無職、障害、難病を抱えていても将来に不安を抱えることなく暮らせる社会をつくる。私たちがお仕えするのはこの国に生きるすべての人人。それが私たち「れいわ新選組」の使命である。


 具体的な政策として、すぐにやらなければならないことを8つ掲げている。

@消費税は廃止。

A全国一律、最低賃金1500円。これは政府が保障する。

B奨学金徳政令。国が「武富士」をやっていることで555万人が苦しんでいる。これをチャラにする。

C公務員を増やす。世界と比べても日本は公務員の数が少ない。1万人当りの数を見てもイギリスの3分の1、アメリカの2分の1だ。安定雇用を増やすことが経済政策となっていく。

D一次産業戸別所得保障。日本の食料自給率は低すぎる。安全保障を語るならば食の安全保障をしっかりと守らなければならない。

E「トンデモ法」の一括見直し・廃止。例えばTPP。自民党は「日本の主権が奪われる」とまでいって絶対反対していたのに政権をとったら掌を返した。こういうものからは抜けなければならない。水道民営化につながるPFI法もある。

F辺野古新基地建設中止。沖縄の民意は何度も示されている。アメリカの海兵隊の中枢にいる方方も、この基地の必要性には懐疑的だ。G原発即禁止・被曝させない。南海トラフ、首都圏直下地震はもう来るといわれている。そのときに本当に安全かどうかは大きな地震が起こった後でないと答え合わせできない。そのようなことにみなさんを巻き込むわけにはいかない。


 「れいわ新選組」はみなさんの生活をしっかり底上げしていくことをやっていきたい。

 選挙が近づけば土下座までするが、選挙が終わればどこに行ったかわからない幻の生き物、政治家。それでは困る。みなさんの声をしっかり聞き、議会に届け、形にするのが政治家だが、どこに生息しているのかよくわからないという実態がある。なので今、全国を回りみなさんの声を直接お聞きしている。


 「れいわ新選組」という名前についてご意見もあるが、短い期間に旗揚げして次の選挙までにたたかえる準備を整えなければならない。多くの方に覚えていただける名前を考えた場合、よくある政党名ではやはり難しい。7月には参議院選だけでなく、おそらく衆議院選もある。ダブル選挙になったとき政権を狙いに行くのだ。「一人なのになにいってるんだ」といわれるかもしれないが、政権をとれるかどうか、もしくは野党のなかでも数を増やせるかどうかの鍵はみなさんがお持ちなのだ。元号に対しては天皇制につながるという考えで否定される方もおられるかもしれないが、私たちはイデオロギーに縛られたところでのたたかいをしたいのではない。勝ちに行かなければならない。「元号を政治利用するのか」という方もおられるかもしれないが、平成も大学名や企業名に使われた。元号はみんなのものだ。


 「新選組」は血生臭くないかと思う方もいらっしゃるかもしれない。もっといえば幕府側の人間だろうと。だが主権在民の世の中で最高の権力者はみなさんだ。最高権力者のみなさんを体を張ってでもお守りする。新しい時代に選ばれる者たちということで「新選組」にした。


 令和に入り「新しい時代だ」とコマーシャルされているが、名前が変わっただけで新しい時代なんかにならない。私は格差が広がり続けた時代が平成だったと思っている。多くの方方が大企業や政治の手によって搾取され続けた。今の体制のまま令和に突入していけば、より多くの人人が疲弊する世の中になる。だからこそ、本当の新時代を迎えるために、私たちが数数の経済政策を持ってみなさんの生活を底上げしていくという気持ちで立ち上げた。名前だけ、空気だけの新時代ではなく、本当に政治が変わるということを実現するために、新しい時代を切り開く。

水道の民営化とPFI アメリカに誓った麻生大臣

 昨年夏に水道民営化につながるPFI法案が可決された。PFIの始まりはイギリスだ。税金でつくられたインフラなどの公共部門を使いながら民間にうまみを吸い上げさせるというものだ。でも表向きは違う。例えば水道は老朽化して、更新するのに公共でやると途方もなくお金がかかるから、安くするために民間の知恵を借りるのが一番だというふれ込みだ。だがイギリスではやめる方向に入っている。民間でやった方がバカ高くついたからだ。病院、学校などPFIを使うことで4割、5割、6割増し高くなったという話だ。これはイギリスの会計検査院が指摘している。


 『ザ・ガーディアン』は2018年1月の記事で、「英会計検査院、納税者はPFI契約のために200億円(約30兆円)よけいに支払うことになる」と書いている。『フィナンシャル・タイムス』2018年2月の記事も、「英国会計検査院の報告ではPFIを利用して建設した学校は公的機関がやった場合より四割も高く、病院では六割をこえる費用がよけいにかかる」としている。「政府や自治体に金がないから民間にやらせよう」という考え方だが逆に高くついた。世界はやめる方向にあるが、日本は何周も遅れて昨年夏前に法律を成立させた。


 イギリスの例を見てもろくでもないものだとおわかりいただけるかと思う。では誰のためにやるのか。企業をもうけさせるためだ。日本でPFIの旗振りをしていたのは竹中平蔵だ。この顔が出てきたら話がわかる。「みなさんのために」というが、自治体が運営すれば安い値段で安全な水を提供することが担保されるが、企業が参入したらどうなるか。まず住民に提供されるサービスではなく、株主にどれだけ利益が還元できるかということに話が変わっていく。だから命にかかわるような水を民間に託すのはよくないと思う。水は水道法のなかに入っていて水道法は憲法25条の生存権と紐付けられた法律であるという答弁を以前にいただいた。


 この水を民営化する話は麻生太郎さんが2013年4月にアメリカに渡ったさいに、民間のシンクタンク・CSISの本拠地に乗り込んで記者会見を開き、「水道はすべて国営もしくは市営、町営でできていて、こういったものをすべて民営化します」といったところからだ。CSISは完全に企業側で、日本に対してありがたくない提言をし続けている。ジャパン・ハンドラーと呼ばれる人たちがいて、今の政権はかなりありがたがっているシンクタンクだ。2013年の段階で日本の水道を民営化するという話をみなさん聞いていただろうか。日本の水道は麻生さんの持ち物ではない。にもかかわらずアメリカに行って勝手に「これから日本の水道をオンセールします」といい出した。「水道の料金を回収する99・9%というようなシステムを持っている国は日本の水道会社以外にありませんけれども、この水道すべて国営、もしくは市営、町営でできていて、こういったものをすべて民営化します」といっている。


 そればかりでなく、「学校をつくって運営は民間がする、公設民営、そういったものも一つのアイディアとしてあがってきつつあります」といっている。公共を使って民間をもうけさせる行為を水道に限定していない。昨年夏にPFI法が通ったとき、私は内閣委員会で審議に参加していた。どこまでの範囲でPFIをやるのかはPFI法2条を見ればわかるが、道路、鉄道、港湾、空港、河川、公園、水道、下水道、工業用水道等の公共施設、庁舎、宿舎等の公用施設、賃貸住宅及び教育文化施設、廃棄物処理施設、医療施設、社会福祉施設、更正保護施設、駐車場、地下街等の公益的施設、情報通信施設、熱供給施設、新エネルギー施設、リサイクル施設、観光施設及び研究施設、船舶・航空機等の輸送施設及び人工衛星(これらの施設の運行に必要な施設を含む)。全部だ。ずうずうしいにもほどがある。少なくとも命にかかわりのあるものは絶対にこんなことはやってはいけない。

 世界でどういうことが起こっているか。例えば水道では、自治体でやっていたのを民営化して水質が低下したとか料金が上がったとか。内部に関して情報開示がされず、なにをされているかわからない、とんでもないお金の使われ方がされていたりの連続だった。


 残念ながら今この国をコントロールしているのは企業側だ。大企業、グローバル企業、世界中で人人がこの新自由主義の流れ、グローバル化の流れとたたかっている。だが日本は長時間労働と高くない賃金のなかで日常に精一杯で、なかなか政治に目を向けられないという方がたくさんおられる。でもここでたたかわなければ、低賃金や長時間労働の状況をつくったのは政治なのだ。

大企業に奉仕する政治 派遣法も入管法も


 なぜ政治がそのようなことを進めてきたのか。選挙のときの組織票と常日頃からの献金、落選したときに仕事を与えてくれるなど、企業のお陰で国会議員になれたからだ。議員になったらご恩を受けた方方に一生懸命ご恩返しをしますということだ。この国で一番大きな経済団体は経団連だ。経団連は政治に対して提言をし続けているが、これは提言でなく命令だ。


 たとえば派遣法で派遣という働き方が生まれてだれが得をしたか。最初は小さな穴だったが、それがどんどん広がった。小泉・竹中のときだ。そのあとも派遣法は改定が続いているが、製造業まで広がったうえに不安定な働き方が担保されるような改悪が積み重ねられている。これも経団連のお願いが形になってより進化している。ほかにも昨年、外国人労働者を導入する入管法の改正があった。法案の段階で決まっていたことはほとんどない。決まっていたのは「今より安い労働者を大量に長時間働かせられるような働き方をつくれ」ということだけだ。その人たちの社会保障面をどうするのか、長期間いる人に対して家族の帯同をどうするのか、職種は何に限定するのかも決まらないまま法案審議が続いていった。


 これまでみなさんの働き方が壊されて、いま非正規雇用は4割くらいだ。企業はいつでも好きにクビにできる方が働かせやすいからだ。でも働く方は半年後、一年後の自分なんてイメージしようがない。不安定な労働環境を広げることを政治の場でやっている。企業が望んでいるからだ。企業に力をもらって議員になり、政権をとったからだ。これが現実だ。国会の中、議会の中に企業側の代理人が多数派を占めたときには好きな法律がつくれる。どんな法律も変えていける。その連続でみなさんはこの何十年のあいだ奪われ続けた。これが今、加速している。


 入管法のときに野党側は徹底的にたたかうといった。だが本当に徹底的にたたかったか。国会は一日も延長なしだ。延長すればいいというものではないが、数の力で最終的に決められるわけだから、国会を普通に回していたらダメだ。体を張ってでも止めなければいけない。国会を不正常化することによってマスコミがなぜかを説明してくれる。とんでもない法律が通ろうとしていることを全国の人たちが意識できるようなたたかい方を野党側がしなければいけなかった。野党側の質問によって、入管法の数数の問題点があからさまにはなったが、そこからさらに全国津津浦浦に今なにが起きているかを知らしめるために、なにをいわれようと野党が体を張って国会を止めなければいけない。


 現実はどうだったか。国会はスケジュール通りに終わった。それは徹底的にたたかうということなのか。予定調和じゃないか。早く年末年始が迎えたかった? それどころではない。今以上に安い労働力が流入してきた場合にこの国はどうなるのか。この国の労働環境はもう十分に壊されて、替えの効く部品のように扱われている。この状況のなかで入管法なんかを通してしまったときにはこの先どんな未来が待っているのか。


 あなたを守るために国があり、あなたの生活を今より豊かにするという努力を国がするために政治があり、税金を払っているのに、まったく逆だ。みなさんのことは目の中に入っていない。目の中に入った瞬間に浮かぶのはコストだ。そんな政治だったらない方がまし。そんな政治だったら税金なんて払いたくないのは当然だ。でも税金を払わないのは犯罪になる。だったら税金を払って価値のある政治をみんなでつくるしかない。


 私は入管法のときにも牛歩をやった。「また山本太郎が悪目立ちしたいのか」と見た人もいるかもしれないが、本気でたたかっていないことをみなさんに知らせなければならない。体を張ってでもなぜ止めないのか、というのを一人でやると、与党側だけでなく野党側からも罵声が飛ぶ。ばれるからだ。徹底的にたたかうことは一人では難しい。たかだかそこで牛歩をやっても2分か3分伸びただけだ。だが、人数を増やしていけばたたかい方が変わっていく。たとえばテレビで与党側も野党側もなぜ本気でやらないのかということをしゃべったとしたら、1%の視聴率で100万人の人が見る。「本気でやっていないんだな」とわかったら、支持政党の尻を叩く。そうすると緊張感が生まれる。今の国会に緊張感なんてない。このままではダメだ。それを変える力をみんな持っている。


 ほかにもある。働き方改革のなかでやられた高度プロフェッショナル制度。これも2005年に経団連がやろうとしたホワイトカラーエグゼンプションの看板をつけかえたものだ。年収400万円以上の人の残業代をゼロにしようと目論んだ。400万円でスタートして、残業代という概念自体をぶっ壊したいというのが2005年からあったということだ。だが年収400万円はボリュームのあるゾーンになる。そこで一回看板を下ろし、名前をつけかえて登場した。高度プロフェッショナル制度で1750万円以上くらいの人たちの残業代はゼロということになった。ここから国会の審議なしで、大臣の出す省令で下げていける。サービス残業を続けているという方も大勢いらっしゃるが、今の法体系ではむちゃくちゃな働き方をさせられた場合、証拠をしっかりとっていれば裁判に訴えることができる。だが残業という概念自体がなくなると裁判にさえならない。


 消費税を2025年までに19%まで上げろといっているのも経団連だ。だから恥を知れといっている。消費税を上げると法人税も所得税も下げていける。金持ちはより金持ちに、企業側はよりもうけるためにコストカットする必要がある。コストの一つは税金だ。法人税の減税の穴埋めに使われているのがみなさんの消費税だ。完全に企業側が自分たちの利益のみを追求するために政治を動かしている状態だ。みんな貧乏にさせられている。それは間違った政治、間違った経済政策のせいだ。企業側のみに慮(おもんぱか)るような政治がおこなわれ続けたらすり減るのはあなただ。これを変えたい。

真向対決する政治勢力つくる 与野党の野合に風穴を

 政治が企業側にコントロールされている。これは国内企業だけでなくグローバル企業にもまたがった話だ。


 TPPなどを考えたらわかるが、20分野以上にわたってどんどん規制緩和していく。自民党は野党時代、「国家の主権が失われる」といって全力で反対していたが、政権交代したとたん全力でとりくんだ。デフレが続いているときに規制緩和していけば、よりデフレが深刻なものになる。競争を激化させるとどんどん弱いところが淘汰される。デフレのときには企業も産業も、働く人人も守らなければならない。あたりまえの話だが真逆の政策しかやっていない。目の前のもうけだけ。今だけ金だけ自分だけ。それを全力でやっているのがこの数十年にわたる政治だ。2013年に安倍総理が施政方針演説でいった「世界で一番企業が活躍しやすい国をめざします」という言葉につきる。約束通りのことをやっている。一握りの人たちにとっては素晴らしい政治だ。だが、みなさんのもとには降り注いできていない。


 日本の政治が変わったとしても、グローバル企業たちによってコントロールされる部分もあるのだから、国を変えるのは難しいのではないかということだが、まず日本としてどうするのかというのを政治の場で示せなければいけない。たとえば米軍基地を日本の至るところに、思ったときに好きな場所につくれるという約束の下、日米関係が結ばれている。まさに植民地だ。この条件が変わらず推移しているから北方領土を返してもらえない。「北方領土を返したらアメリカ軍が基地をつくるだろ? アメリカ側に了解とってくれよ」とプーチンさんにいわれている。独立国家であるかのようにだませているのは日本国内に暮らしている人たちだけで、間接的にこの国は植民地状態であるということだ。


 しかし、米軍に対してもグローバル企業に対しても、国内の大企業に対しても、その国の政治・政権が方向性を示せば、それ以外やりようがない。圧力はかかるかもしれないが。そのような政権をつくれるのはみなさん以外にない。億万長者でもワーキングプアでも持っている票は一票だ。金持ちはその票をいかにまとめて自分たちの考えを議会で形にすることを担保するかを考えている。逆にみんなが薄く横につながっていけば、振り幅を逆にできる。ここまでさんざんな状況をつくったのは政治だ。だから別の方向に向けることもできる。まずは国内で政治・政権がどういう方向性を示すか、それさえもなければなにもない。この国に生きる多くの人たちがなにを求めているかということで当然舵は変わる。まだ投票という民主的な手続きが残っているうちにこの船の舵を変えなければならない。時間がないと思っている。


 小沢一郎さんと自由党で共同代表をしていた。順当に行けばこの7月の参議員選挙で東京から出ることになっていたと思う。そして自由党は解党して国民民主党と一緒になった。大きな政党についていき、推薦をもらって出ればお金も出るし組織も動かしてもらえる。その方が一議席に近い。そこから離れて一人でやるのはハードルが高い。しかし私がほしいのは一議席ではない。山本太郎の一議席が守られたところで世の中は変わらない。みんなが動くときだ。真っ向から永田町のなかでケンカしていく勢力が必要だ。与党にも野党にも緊張感を持たせるような勢力をつくれるのはあなただ。


 自由党の共同代表という立場にあったり、どこかの政党に属しているという立場にあったりしたら、与党と野党が机の下で手を結んでいるなんていいづらいが、一人になったら何でもいえる。これから全部みなさんにばらす。これが政治のあり方だ。コントロールするのは企業ではない。あなただ。あなたが判断するために必要な情報をどんどん発信していく。国は何でもできる。自分の奥さんの友だちの学校経営者にただ同然で国有地を差し上げることもできるし、歴史的公文書の改竄だってできる。賃金統計8年分を捨てることだってできる。長時間労働も可能にするし、企業側に税金だって流すしやりたい放題。だったらその逆をやりましょう。一部の人間に忖度することなんてやめろ! みんなに忖度しろ! ということをやらせてほしい。


 選挙はエントリー費用だけで選挙区だったら300万円。最低限、選挙らしい選挙をするためには3000万円資金が必要だ。完全な参入障壁になっている。参議院でいえば10人が全国比例でたたかうとなったとき、入場料は一人600万円、合計で6000万円必要だ。むちゃくちゃだ。これをみんなで集め、集まった額によって挑戦できるレベルを探したい。


 参議院で10人擁立する場合の最大限の獲得目標は10人全員当選で、最少の獲得目標は山本太郎一人で政党になることだ。選挙で2%の得票を得られたら一人でも政党になれる。それによってNHKや民放などで、党首討論となれば党首として出ることができる。幹事長会談や政調会長会談などに全部出ることができる。テレビに出て一番嫌なことをぶつけにいく。政治を本当にみんなに楽しんでいただきたい。一緒に育てていただきたい。一緒に成長していきたい。国会にそういう存在がいたとしたらもっと政治はおもしろくなる。みなさんとともに歩んでいく、みなさんに育てていただく、国会のなかで本気で本当のことをみんなに伝えていく勢力を拡大したい。

緊急事態条項の危険性  改憲で政府が狙っていること

 安倍政府が憲法改正で何をたくらんでいるのか。2012年に出された自民党の憲法改正草案の中身を見ると、一つは憲法36条だ。もとの36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」とある。ところが自民党はこれを「公務員による拷問及び残虐な刑罰は禁止する」とした。「絶対」を抜いた。憲法学者が、例外として拷問が可能になる恐れがあると指摘している。


 続いて、憲法99条にある「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を、自民党は「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とした。憲法は権力側を縛るものだが、国民を縛りにきたことが窺(うかが)える。法律はみなさんが守るものだが、憲法は権力者が守るものだというのが常識だ。これが逆になっている。


 表現の自由も縛っている。現行憲法21条の「表現の自由」だが、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」となっている。自民党は第1項は変えていないが、第2項として違う言葉をいれてきた。「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」。そりゃそうだと思った方は冷静に考えてほしい。その「公益」「公の秩序」は誰が決めるのか。全部権力側だ。「消費税10%にするなんてけしからん。みんなでデモしよう」としたときに、これは公益ではないか、反対するなんてけしからん、ということにもされかねない。こうして街頭で国のウソをしゃべっていることが公の秩序を乱すということにもなりかねない。「前項の規定にかかわらず」とちゃぶ台返しされるような表現の自由などあってないようなものだ。こんな憲法改正は認めることはできない。民主主義において情報は血液のような役割であり、循環しなくてはならない。だから表現の自由は最大限認められるべきである。しかしまったく逆の方向に行っている。


 端的な狙いをいうと、自民党は憲法改正に4項目をあげていた。一つは自衛隊を憲法のなかに明記すること、もう一つ最初は教育の無償化をいっていたが、どんどん後退して、努力義務程度の負担になっている。もう一つは参議院の合区の解消。自民党が合区したものを解消するなど自作自演だ。そして最後の一つが緊急事態条項だ。このために憲法改正すると思ってもらって間違いないと思う。自衛隊の話だけに特化したら結構まずいことになる。自衛隊を明記すれば、一般的な世界レベルの軍隊のような形になる可能性はある。それはすでに安保法制で憲法の解釈をねじ曲げてむりやり法律化した。これを憲法が後追いで改定するような形だ。これも問題だが、そこに特化すると本丸を議論する時間が削られてしまう。本丸が緊急事態条項だ。


 緊急事態条項は「緊急事態です」と総理大臣がいえば緊急事態にされてしまうという話だ。その場合に三権分立されていた権力を一つにまとめられるようになる。行政府、立法府、司法が一つになったら独裁になるのでこの三つを牽制しあう仕組みが三権分立だが、緊急事態条項になるとこれが一つになり、独裁になる恐れが強まる。2012年の自民党の憲法改正草案では、総理が必要と思えば閣僚と相談して、緊急事態を宣言できるが、その条件に「等」が含まれているため、幅広くどこまでも緊急事態にされてしまう可能性が強まる。内閣が政令で勝手にルールを決められるというのはめちゃくちゃだ。その政令は閣議決定で決まる。


 今までに安倍さんがどんな閣議決定をやってきたかを見ると、「安倍首相はポツダム宣言を当然読んでいる」「島尻沖縄北方大臣は歯舞(はぼまい)の読み方を知らないという事実はない」「森友学園問題を巡り、財務省・文科省・国交省に対する政治家からの不当な働きかけは一切なかった」「安倍首相の妻、昭恵氏は公人でなく私人」といった内容だ。国のカネで五人も秘書をつけているのだから、どう見ても公人だ。こんなふうにカジュアルに閣議決定をする人たちが閣議決定でルールを決められるようになったら地獄だ。


 災害のときにまぬけな指導者がトップに座っていた場合、二次災害、三次災害が生まれる。災害時に一番権限を持たなければならないのは、被災した自治体それぞれのトップだ。そこのリクエストに即行で応えられるような形で進めていかなくてはならないし、なによりも緊急事態のときに重要なのは事前の準備だ。権力者に権力を集中させたところで解決できることはなにもない。東日本大震災の被災3県の37市町村に対して実施したアンケートでは、被災した自治体の96%が「災害対応で憲法が障害になった事例はない」と答えている。権力集中などされたら余計にややこしくなる。すでに災害やテロが起きたときに必要な法整備は完全にされている。どうして今さらトップに権力を集中させることが必要なのか。


 トルコでは2016年にクーデターの未遂が起こり、非常事態宣言を発令した。その後、非常事態宣言をどんどん延長した。これはよくあることで、ドイツでもナチスドイツが国家緊急権的なことを使い、解除されたのは戦争が終わったあとだった。トルコではクーデター未遂事件から2週間たたないうちに兵士、民間人を起訴なしで1万人以上拘束した。そして公務員、裁判官、警察、研究者、教員らを6万人以上解雇や停職などにした。政権に対して批判的だった人たちをこのチャンスに乗ってクビにした。テレビ、ラジオ局も放送免許をとり消し、これまで政権に批判的な報道機関を政令で閉鎖し、人権・基本的自由の保護を定めた欧州人権条約を停止させた。何でもありだ。そのあとにも2017年4月に大統領権限を大幅に拡大するような憲法の改正、この国民投票がトルコでおこなわれ、賛成が51.4%と僅差で勝利した。その結果とんでもないことがたくさん出てきた。一番ひどいのは大統領に司法への介入権限を認めたことだ。こういうことが実際におこっている。

 憲法を変えなければただちに困る人はいるだろうか。今の憲法を守ってもらわなくては困るという状態の方が多いと思う。ちなみに、今ある憲法さえ守れない人たちに緊急事態条項のようなものを手渡したら大変なことになるに決まっている。憲法を変えたいなら今ある憲法を守れといいたい。

貧困大国になった日本 奪われ続けた20年間

 厚労省の国民生活基礎調査では1000世帯のうち生活が苦しいと答えたのは56.5%、子持ち世帯で生活が苦しいと答えた人は6割をこえる。母子世帯では82.7%だ。これだけ大勢の人が生活苦になっているというのは政治・経済政策が間違っている。構造自体がおかしい結果だ。


 憲法25条では、すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとあるが、格差はどんどん開いている。大企業は今や過去最高益。あのバブル期よりももうかっている。内部留保は数年のあいだに40%増えている。この数年のあいだに40%以上所得が増えた人はいない。企業がもうかること自体は悪くないが、もうかった分、一部でも働く人人に還元してほしい。だが残念ながらそのような形にはなっていない。政治の場で、経済界などに後押しされて政権をとった勢力たちが、暮らしが苦しくなって首を絞めていくようなことを決めているからだ。企業側のコストとは税金と働くあなただからだ。長時間低賃金がスタンダードになり、外国からもっとたくさんの労働者を呼べるようになったらもっとコストダウンできる。そんなことばかりやり続けて、あげくの果てに消費税だ。社会保障のためといいながら、使っているのはごく一部で、あとは法人税の減税に対する補填だ。健康で文化的、最低限度の生活を営む権利を有しているのに、それが全然守られていない。


 国はみなさんに投資らしい投資をしているだろうか。20年もデフレという国は日本以外にない。安倍総理にも聞いたが返ってきた答えは「ございません」だった。あたりまえだ。20年デフレは異常だ。その結果なにが生まれるか。圧倒的に需要が足りていない。需要とは消費と投資だが、消費がなければ投資もない。この需要が圧倒的に減っている状態から脱却できていない。デフレからインフレに脱却させるためには国が投資するしかない。やらなければならないのは産業を守り、労働者を守ることだ。しかし規制緩和の連続で競争をどんどん激化させていった。それはデフレのときにやったら余計にひどい目にあう政策だ。わかっていないわけがない。デフレの方がお金の価値があるから、たくさん持っている人はデフレの方が嬉しいのだ。


 あなたが今生活が苦しいのはあなたのせいではない。この国の経済政策が間違っていて、国がすべき投資をしてこなかった結果だ。それが国民生活基礎調査でもあらわれている。なぜ子どもたちの約7人に1人が貧困なのか。なぜ一人暮らしの20歳〜64歳までの女性の3人に1人が貧困なのか。こういう国を先進国と呼ぶのか。第三の経済大国と呼ぶのか。経済は一部によって回されているかもしれないが、そこで得られた富はあなたたちのところには流れてこないようにつくられているのが今の政治だ。何十年にもわたってみんな奪われ続けている。国は助けてくれない。見殺ししかない。憲法25条が守られない世の中が横行している。そんな輩がなにをいっているのかというと“憲法を変えたい”。寝言は寝てからいえ。

 この奪われ続けた20年間、その原因を見てみると、IMFが出しているデータ(戦争・紛争をやっていない140カ国以上のデータをもとに)では、1997年からの20年間の政府総支出の伸び率で、日本は最下位。世界一ドケチなのが日本だ。あなたが苦しいのは頑張らなかったから、能力がないからではなく、国の能力が低すぎたせいだ。国がやろうと思えば、もっと大胆に投資をしてあなたの生活を底上げできる。そうしなければ消費が活発になるわけがないし、貧困が減るわけがない。

 同じくIMFのデータで、1997年から20年間の名目GDPの伸び率では、戦争・紛争をやっていない140カ国以上のうち日本は最下位だ。将来に不安があるから今はお金を使わない。もしくは今使えるお金自体がなく、消費がどんどん弱っていく。企業は従業員を増やしたり設備投資したりしなくなり、消費・投資が弱る。20年続けてみんな貧乏になり、生産能力は落ちる。完全衰退国家だ。今でも戦犯が国会のなかにいる。選挙で勝ち続けているんだから自分たちには責任がない、みんなが選んだんだという話にされている。

 毎年3万人をこえていた自殺者は、今2万1000人をこえたくらいだ。目に見える戦争・内紛はないのにこの自殺者数は異常だ。自殺未遂は一年間で53万人をこえる。15歳〜39歳までの死因の第1位は自殺だ。10代前半も死因の第1位が戦後初めて自殺になった。死にたいと思える世の中でみんな必死に生きている。いつ壊れてもおかしくない状況にされている。理由はドケチ国家だ。

政府の借金は国民の資産  緊縮財政のための詭弁


 「国の借金が…」など、なに寝ぼけたことをいっているのか。どの国も政府が借金する。人生80〜90年生きる人の借金と、何千年と続くことが前提の国と、どうして借金の話が同一にされるのか。しかも、政府の借金なのに、なぜ国民の頭数で割って一人頭の借金額をいわれるのか。だまされてはいけない。誰かの借金は誰かの資産なのだ。政府の借金はみなさんの資産だ。政府の借金が増えていくということと相関して民間の貯蓄は増えている【グラフ参照】。本当のことが伝えられていないだけだ。

 ただし、バブルのときだけ国も民間も黒字になったことがあった。それ以外はだいたい相関関係がある。国の借金、財政赤字を拡大してみんなに投資をしたときには、民間の貯蓄は増える。当たり前だがそれが隠されている。「国の借金が…」にだまされてはいけない。企業は手持ち資金以上に銀行から融資を受けて投資し、事業規模を拡大していく。国もそうだ。成長させていかなければいけない。20年間デフレで唯一成長していない国が日本だ。

 財源は新規国債しかない。いつまでもできるわけではないが、インフレ率2%程度になるまでというのが日本銀行と政府の見解だ。それまでは精一杯いろんな施策を投入するということだが、この6、7年の間にほとんどインフレになっていない。コアコアCPI(価格変動の大きい食料、エネルギーを除いた物価指数)で見ると0・4%。これでインフレにしたなどドヤ顔されても困る。普通に緩やかに成長していける国というのは、緩やかなインフレの状態にあるからだ。デフレの20年間で衰退国家化したんだから、当然緩やかなインフレの状態に持っていかなくてはいけない。だからインフレ率2%という、一般的な国国が成長率として担保している部分を目標にしている。新規国債を発行し、20年間さんざんな目にあった人たちに対しても当然投資をしていかなくてはいけない。借金額が問題ではなくインフレ率が問題になる。

 私が今いっていることは財務省もいっていた。だが今は「借金はけしからん」といい、「このままでは財政破綻する」とは直接いわないが、それに近い煽りをしている。だが「財政破綻は起こらない」ということはすでに財務省自身がいっていることだ。今財務省は、「わが国の財政は毎年の多額の国債発行が積み重なり、国際的にも歴史的にも最悪の水準にあります。太平洋戦争末期と同水準、欧州諸国のような財政危機の発生を防ぐためにGDPとの対比で債務残高が伸び続けないよう収束させていくことが重要です」といっている。欧州みたいに財政危機が起こる可能性があるかも、と煽っているが、日本は財政破綻はしない。自国通貨建ての借金をしているからだ。それに加えて、自国通貨を発行する能力があるから倒れようがない。

 ヨーロッパで財政破綻したギリシャは自国通貨建ての借金ではない。EU加盟国だから通貨はユーロであり、自国で通貨を発行できない。通貨を発行できるのはヨーロッパ中央銀行だ。収入がなくてそれを返済できる形でなければ破綻する。日本とはケースがまったく違うことを菅直人さんあたりがだまされて、消費税を上げる必要があるという頓珍漢なことをいっていた。財務省もそれをわかっている。個人の借金とも企業の借金とも違う話だ。


 いつまででもお金を発行できるわけではない。世の中にお金が出回りすぎればインフレに近づいていくので悪性インフレにならないために、インフレターゲット2%というリミットをもうけている。

 「欧州諸国のような財政危機の発生を防ぐために」とか「ハイパーインフレになるぞ」みたいなことを委員などにいわせて、消費税の引き上げが必要なんだというのが財務省側のロジックだ。財政制度等審議会に「平成2年度の5・3倍にあたる借金が積み上がって、一般政府の債務残高はGDP比で238%に達しようとしている。歴史的に見ても足下の債務残高対GDPは太平洋戦争末期の状態に匹敵している」という資料を出したりして、たいへんだと煽り続けている。ハイパーインフレに関しても、第一次大戦後のドイツの事例などどんどん資料を出している。

 しかし、2002年の財務省の外国格付け会社宛の意見書で、財務省は「自国通貨建て国債で借金しているとデフォルトには陥らない」と自分たちでいっている。「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と。これをいっていたのが現在の日銀総裁の黒田東彦さんだ。当時は財務官僚だった。第2弾では「ハイパーインフレの懸念はゼロに等しい」とか、第3弾では「戦後初期のアメリカはGDP120%ごえの債務を抱えていたし、50年代初期のイギリスは200%近くの債務を抱えていた事実を無視しているじゃないか」といっている。事実を無視しているの財務省ではないか。国の借金がこれ以上積み上がったらやばいことになるという話自体を信じることは間違いだ。政府の借金はあなたの借金ではなく、政府の借金はあなたの資産だ。だまされてはいけない。

 新規国債発行を財源にして、参議院の調査情報担当室に試算をしてもらった。消費税を5%にした場合、6年目に減税効果で一人当りの賃金が約32万円上がる。消費税をゼロにした場合、6年目に減税効果で一人当り44万円賃金が上昇するという結果が出た。

 ここからが重要だが、消費税を5%に減税した場合、消費者物価指数の上昇率は、3年目のピークでやっと1・21%。ここから緩やかにおちていく。つまり消費減税をちょっとやったぐらいではインフレ率2%など到底到達しない。ゼロにした場合、初年度は5%近く物価は落ちるが、その後健全な形で上がり、3年目に1・67%まで上がるけれど、その後また落ちていく。

 つまり消費税を8%から0%にしても全然足りないということだ。もっといろんなことをやっていかないといけない。奨学金で首を絞められている555万人の賃金をチャラにするのに9兆円が必要だが、日銀は株買いで一年間で6兆円使っている。それがいいか悪いかは別として、それぐらい大胆な投資だってできるのだ。9兆円で555万人を救えるなら価値があると私は思う。

      

 今投資をしなくていつするのか。この先もっと人人が野垂れ死ぬような状況は生まれてくる。貯蓄ゼロという人は20代で60%をこえている【表参照】。30代、40代、50代も40%をこえている。その人たちは資産形成のできないまま高齢化する。どうやって高齢時代を生き抜くのか。国は平気で切り捨てる。だからこそ資産形成できるような底上げをしていかないとだめだ。今これができなければ本当に悲惨なことになってしまう。逆にいえばやれるということだ。なぜ政治でそれをやらないのか、どうして野党はこのことをいわないのか? まったく勝負にならない。「消費税増税は今は無理だろう」など、どんなロジックだ。永遠に増税なんてしてはいけないし、据え置きもありえない。減税以外道はない。みんなの生活を地盤沈下させたのは消費税だ。すべての税金の滞納の6割が消費税だ。消費税というもの自体が壊れている。消費税だけは赤字でもとられるから。本気でたたかえよ。みんながこれで暮らしていけるという経済政策を野党が旗あげなきゃ一生選ばれない。本気でケンカする気あるのか。

 2013年の特定秘密保護法、総理のお友だちのために国有地を差し上げた森友学園問題、獣医学をつくった国家戦略特区、法人税の引き下げ、派遣法の改正、安保関連法、刑訴法、TPP、種子法廃止、テロ等準備材などたくさんの法律が通されてきた。そのあいだに3回選挙があったが、政権交代は起きなかった。野党に任せて景気がよくなる気がしないからだ。財政比率とかプライマリーバランスの黒字化などという。プライマリーバランスの黒字化とは、借金なしの収入のなかでやるということで、パイは縮小し続けるということだ。それを実行して黒字化させたギリシャやアルゼンチンはその後破綻した。野党はバカじゃないのかという話だ。自分の考えと違う方向のことも知ろうとするべきだ。

 本当の財源のつくり方をみなさんにお知らせし、それを実際にやれる政治勢力を誕生させるしかない。もし野党側が一つになるときには私は旗を降ろす。ただし、消費税を5%まで下げるといえばだ。財務省に認められて政権をとりたいなど長期的な目標を持って政治に臨むな。今日死ぬのをやめよう、明日もなんとか行きようと思っている人たちの根底には経済問題が大きくかかわっている。その人たちを救わなければ国がある価値はない。それをいえる野党がいないのなら、もう政治なんてやめちまえということだ。なんのために政治家になったのかということを、もっと理論的に詰めていけるようやっていきたい。

本気で政治変革を目指す 自己保身では何も変わらぬ


 一人の国会議員で何ができるのか。私一人では何もできない。だが実際に力を持てば生活を底上げすることができる。自分一人勝つためだったら小沢一郎さんについていく。だが私がキャリアを積む20年、30年を、この国が壊れていく速度が待てるかということだ。私が小沢さんのそばで「雑巾がけを頑張ります」といったら、今の自民党の若手と一緒だ。自民党の若手は、働き方がぶっ壊されたり、大量に外国人労働者を呼び込めるようになったり、TPPなどこの国がぶっ壊されることに次次に賛成し続けている。理由は自分のキャリアを潰したくないからだ。総理がやっていることに反対したら自分の出世の芽がなくなるからだ。そんな人間にこの国が救えるか。本気でケンカする気力も気概もないのに、どうして政治の場に来たんだという話だ。

 みんな壊されていることはわかっている。労災の請求件数がどれだけ上がっているか。年間数件程度だったのが今は1000件レベルだ。労災の請求までいきつけない人もいる。働き方をむちゃくちゃにされて、誰が救うのか。政治しかない。その政治を変えれるのは誰ですか? みんなじゃないですか。だったら、どうか力を貸してほしい。まるで人間を交換のきく部品のように扱っている。今勝ち組の人もいつまで勝てるかわからない。あなたが経団連の関連の御曹司だったら、あるいは海外に資産を移してこの国からいつでも逃げ出せる状況なら助かるかもしれない。でも大多数の人人はこの国で生きるしかない。だったら政治を変えるしかない。もう全員が食い物にされているんだ。

 奨学金で考えてほしい。なぜ若い人に借金までさせて学ばせるのか。教育を受けたいという若い人たちに教育を受けさせるのが国の役目じゃないか。未来への投資だ。でもこの国は武富士がやっているようなサラ金に巻き込んでいる。もうかっているのは金融機関だ。なぜ金融機関に年間340億円もうけさせるために若い人たちに借金をさせるのか。大人が借金をするときには、仕事が決まり、年収、返済計画など手続きが必要だ。だが将来何になるかもわからず、給料の額もわからない状態で、なぜ300万円も400万円も借りさせるようなことをするのか。大学院を出たら1000万円の返済が肩にのしかかっていく。でも実際に社会に出たら、薄い初任給のなかから生活し、そのうえ奨学金の返済まである。独り立ちできるわけがない。少子化が加速するに決まっている。それをわかってやっている。

 この国に生きるみなさんのために政治をやるなんて前提は、茶番の国会の中にはない。そこに6年いたから、もう一回自分がこの茶番の中に入ったとしてもガス抜きにしかなれていない。それをもう一回やるのか。それでは救えない。みんなで変えるときに来ている。もう時間はない。だから力を貸してほしい。政治は政治のプロに任せておけばいいなんて大間違いだ。その結果、どんな世の中になったのか。政治家としては未熟で荒削りかもしれないが、本気でやりたい。本気で怒っている。どうか力を貸してほしい。

れいわ新選組公式ホームページ
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れいわ新選組youtubeチャンネル
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https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/11671


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山本太郎を守れ 『僕にもできた! 国会議員』(山本太郎=著 雨宮処凛=取材・構成)書評 島田雅彦 (webちくま)
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/651.html

2019年5月8日更新
http://www.webchikuma.jp/mwimgs/e/5/710m/img_e5a6a1e921618b943655008b2805d31e220682.jpg
 
 
 理想主義者の代名詞に「ドン・キホーテ」というのがあるが、山本太郎ほどこの称号にふさわしい男はいない。通例、揶揄のニュアンスが付いて回るが、徒手空拳で巨悪に突撃してゆく蛮勇こそ現在の政治家に最も必要とされる素質である。その理想は憲法に忠実で、あるべき政治道徳に則り、国民に安全で健康な生活を確保しようとする高潔なものだ。国会には七百人以上の議員がいるが、山本太郎と何人かの例外を除けば、ほとんどの議員が多数派の頭数合わせと己が既得権益を守ることしか頭にない。山本太郎が理想主義者として浮いてしまうこと自体が政治の退廃、劣化の証左になっている。
 
 山本太郎の六年間の議員活動はちょうど安倍政権の悪政と重なるが、この間に悪政があまりに自明のことになってしまい、有権者のあいだに諦めムードが広がり出した。もちろん、野党議員たちは国会や委員会で政府の対応を批判し、数々の疑惑に対する真相究明を続けているが、首相はじめ政権担当者たちは呼吸するように嘘をつき、公文書の改竄と偽造は当たり前、幽体離脱したかのように当事者意識を欠き、一様に記憶喪失に陥っている。もう少し道理を知っているはずの男たちも、破綻の予感を抱きながら、傍観している。政府は実質、自分で何かを決めたことも、率先して対策を練ったこともない人々の吹き溜まりである。
 
 結果、財政破綻は秒読み、廃炉への道は遠く、放射能はアウト・オブ・コントロール、外交、安全保障政策も全て裏目に出た。無為無策の首相や子どもの使いの外相を置き去りにして、国際政治の謀略は容赦なく進行する。相手の厳しい次の一手には対応できそうもない。貧困問題もいよいよ深刻になり、生活苦を強いられた庶民のあいだから、怨嗟の声が上がる。純粋な理想主義者がムチを入れなければ、政府はピクリとも動かない。
 
 首相とその不愉快な仲間たちは官房機密費を使って、マスメディアを籠絡し、世論操作することも、内閣人事局を通じて、官僚を丸め込むことも、首相権限を振りかざして警察や司法に圧力をかけることもできるが、その絶大な権力を使って、やることといったら、自分たちの不正、失策を隠すこと、アメリカ大統領のパシリとして貢ぎ、日米安全保障条約および日米地位協定を憲法の上に置き、この国の占領状態を維持し、その利権で私腹を肥やすことだけだ。山本太郎は活動資金も限られ、官僚やマスメディアを操ることはできないが、彼には有能なブレーンがついていて、ボランティア的に彼をサポートし、戦略を授けてくれるので、国家権力を私的に濫用する極右政権相手のゲリラ戦はかなり奏功しているといっていい。そのゲリラ戦の主戦場は国会中継で、政府側が誤魔化しと嘘でしどろもどろになる中、舌鋒鋭く切り込んでゆく様子はまさに「山本太郎劇場」だ。山本太郎は質問を通じて、被災者支援等で政府に善処を促すことに成功している。
 
 有権者が無知で無関心でいる限り、悪政は続く。礼儀正しく、おとなしく、他人を攻撃せず、空気を読む。そんな人々の沈黙の同意によって、不正が見逃される。右でも左でもない中立の立場でいる限り、極右の専横は容認される。そうした「無関心な人々の共謀」をいかに打破するか、それが問題だ。もし、それに成功すれば、政権にとっては致命傷になる。待望されるのは政治の不毛を笑い飛ばしつつ、常識を覆すリベラルのトリックスターである。
 
 六年前に俳優から政治家に転身した時、彼自身が一般の無関心層と変わらない素人だった。だが、謙虚に勉強を続けるうちに堂々と無能な為政者たちに正論を突きつける市民視線の政治家になった。ここ六年間の山本太郎の軌跡は、「王様は裸だ」といえる正直者の素人にしかこの国は変えられないということを如実に示している。「山本太郎が首相になる」と聞いて、「まさか」という人は政治の本質をまだわかっていない。実際、極右マフィア政権が六年も続くという「まさか」を見てきたのだから、その反動から山本太郎首相の誕生は十分あり得ると考えなければ、やってられない
 
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1710

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html

[政治・選挙・NHK263] マスメディアの自由度を測るモノサシは「山本太郎氏」の露出度だ。(日々雑感) 笑坊
1. 中川隆[-8826] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:07:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3891]

馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/645.html#c1

[政治・選挙・NHK263] れいわ旋風が問うものは〜「日本初の国会議員」/nhk 仁王像
11. 中川隆[-8825] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:08:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3892]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/638.html#c11

[政治・選挙・NHK263] <これはいけるな。楽しみだ!>れいわ躍進 共感集める「反エリート」意識…「ヤンキー気質」山本太郎氏は地方に浸透するか・… 赤かぶ
26. 中川隆[-8824] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:09:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3893]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/636.html#c26

[政治・選挙・NHK263] れいわから重度障害ある2議員誕生で、国会のバリアフリー化が進む。一般国民の理解も必要(日本がアブナイ!) 笑坊
2. 中川隆[-8823] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:10:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3894]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/640.html#c2

[政治・選挙・NHK263] <参院選2019 7.21>山本太郎記者会見「力、合わせて、もう1回やりましょう!」 with ふなごやすひこ・はすいけ透・辻村ちひろ… 赤かぶ
7. 中川隆[-8822] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:10:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3895]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/634.html#c7

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
1. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月26日 12:18:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]

激震走らせた「れいわ新選組」 2議席獲得し政党要件を突破 国政変えるスタートラインに立つ 2019年7月22日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12454


開票結果を受けて会見する山本太郎代表

 参院選の投開票がおこなわれた21日の午後8時、東京都千代田区のれいわ新選組の開票センターには、多くのボランティアが詰めかけて開票状況を見守った。「市民とともに本気でたたかう政党をつくる」と宣言し、6年間、参議院議員を務めた山本太郎氏が単独で立ち上げたれいわ新選組(東京選挙区1人、比例9人擁立)は、比例で228万249票(得票率4・6%)を得て2議席を獲得し、政党要件(得票率2%)を突破した。優先度の高い比例特定枠に新人2人を立てたため山本太郎代表は当選を逃すことになったが、比例での個人票は全党派別で単独トップの99万1752票を集めた。数々の選挙常識を覆し、政党として新段階に進んだれいわ新選組は、停滞した国政に確かな風穴を開け、次期衆院選でのさらなる躍進を見据えて大きな一歩を踏み出した。


 開票センターでは、早くから多数のボランティアが詰めかけ、開票状況を見守った。特定枠で、難病ALS患者の舩後靖彦氏、重度障害者の木村英子氏の当選確実が報じられると大きな歓声に包まれた。山本太郎代表は「私の一議席だったものが2議席になり、政党要件も獲得できた。みなさんと一緒に手にした大きな勝利だ」と、集まったボランティアたちににこやかに呼びかけた。


開票センターに駆けつけたボランティアたち

 「みんなで支えていきましょうね」――山本代表のアナウンスで登場した舩後氏は、「障害者への合理的配慮を実践する山本太郎代表こそが、これからの日本を変えていくと確信している。優しい国にするはずだ。選挙戦でも、一般の人がエレベーターを譲ってくれるなど障害者に対する国民のみなさんの意識が少しずつ変わってきたと感じる。障害者自立支援法が障害者総合支援法に名称が変わったが、小手先だけをいじる法律だけでなく、必要な支援とは何かを今一度考え直してもらえる制度を作っていきたい」とのべた。


比例特定枠で当選した難病ALS患者の舩後靖彦氏(左)

 同じく木村氏は、「たくさんの応援をいただき、厳しい状況にある障害者みなさんの一票一票が私の胸に突き刺さっている。地域で生きている障害者の生活環境は非常に厳しく、介護者がいなければ生きていけないのに介護者不足の状況もある。出るのには勇気がいったが、その状況を変えるために覚悟を決めて出馬した。地域で暮らすことを望む障害者が安心して生きられる環境を整えていきたい」と決意をのべた。


比例特定枠で当選した重度障害者の木村英子氏

 山本代表は、「日本は近い将来、高齢化が加速して寝たきりの人たちが増えていく。生産性で人間の価値がはかられる世の中にあって、この人たちに対する“いつまで生きているのか?”という空気も強まっていくだろう。医療費などによって命が選別さえされかねない時代になることを危惧している。パラリンピックのホスト国になり、“合理的配慮”などの言葉だけが踊っているが、国権の最高機関にそのような考えがない。寝たきりでありながら豊かな人生を実践し、この国の将来に必要な知見をもっている人を国会に送ることは非常に意義深い。誰も切り捨てられない社会を作るためには、寝たきりや難病の方の人間の尊厳が守られるべきであり、それを実践するために当事者に国会に入ってもらう意味は大きい。これから議会は議会活動のサポートをやるべきであり、参議院はじめ国権の最高機関である国会が柔軟に対応してほしい」と力を込めた。


 東京選挙区に立候補し、21万票を得ながら落選した野原善正氏をはじめ、7人の新人候補者たちも当選には届かなかったが、山本代表は「私一人の議席を守る選挙ではなく、この魅力的な候補者がいたからこそ2議席を確保できた。風穴を開けていくために立ち上げたれいわ新選組に対するみなさんの期待だ。すぐに来る衆院選でまたチャレンジする」とのべ、この選挙戦で作り出した地殻変動に対する確信をみんなで共有した。

 比例票が出揃い、みずからの落選が確定した22日午前4時45分、改めて会見の場に出てきた山本代表が、「後悔は一切ない。前回は東京選挙区の自分一人だけだったのが2議席になった」と支持者を前に語ると、みずからの身を切って勢力拡大を果たしたことへの惜しみない拍手が送られた。


 「立候補した10人を当選させることができなかったのは私の力不足だ。加えて、私自身も議席を得られなかったのは残念だが、みんなで全力でたたかった結果だ。とはいえ、政党要件を持たない諸派が議席を獲得したのは新制度に移行後はじめてのことだ。そのうえに2議席を頂戴して政党要件を満たしたというのは、決して負けてはいない。この波紋は今後大きく広がっていく。れいわ新選組として大きく前進した。


 旗揚げした理由は、まず国会の中に緊張感をもたらす野党勢力を作ること、そして一番の狙いは政権を取ることだ。2議席に加えて政党要件は大きな成果だ。政党助成金によってたたかうことができる。しかも障害をお持ちのお二人が通ったことで、日本の障害者施策は大きく前進する。山本太郎の一議席と引き換えに得られたものは、比べものにならないくらい大きい」と強調した。


 躍進の理由として、「そろそろみんなが怒るときに来ているということだ。20年以上続くデフレで生活や人生を削られる一方で、一部のものだけが好景気の恩恵を享受する。この国に生きるすべての人を慮(おもんばか)る政治へとみんなの力で変えようという訴えにみなさんが賛同してくれた結果だ。もっとも意識したのは小さな野党の票を狙うのではなく、最大多数である無関心層、浮動票だった。今回の投票率は戦後2番目に低いが、それだけ政治への幻滅が広がっている。と、同時に私たちが支援を呼びかける対象が増えているということだ。がんじがらめの永田町の中から変えることは不可能だが、その外側にいる数を生み出す人たちの力が動けば変えていける。山本一人ではできないが、それが2人、3人になっていくことで政治が必ず変えられることを今後も訴え続けていきたい」と力を込めた。


 今後は政党代表として国政にかかわるとともに、次期衆院選にみずからを含めて政権奪取可能な数の候補者を擁立するために全国で活動することも明言し、「すでにこの瞬間からそのたたかいがはじまっている」と口もとを引き締めた。


 この選挙戦で全国の人々から寄せられた寄付金は、約3万3000人から4億円を超える額にのぼった。有権者に支援を呼びかける公選ハガキは、法定数15万枚を大きく超える22万枚が1万1000人から返送された。配られた政党・個人のポスターは9万枚、ビラは270万枚。それらを掲示、配布することを含め、選挙戦を下で支えたボランティアの人数は集計不能な規模に膨らみ、四ッ谷の選挙事務所を訪れた人数だけでも17日間で3500人以上にのぼった。


 山本代表は、「身を削る思いで私たちに寄付をくださった方々、忙しい中で自分の時間を削ってポスター掲示やビラ配りをしてくださった方々、まるで自分が候補者に成り変わったかのように全国を走り回ってくださった方々が全国にいらっしゃることを私は知っている。残念ながら10人当選に至らなかったが、6年前の1議席しか得られなかった私および私たちの力が2議席に増え、政党要件を満たした。テレビが映さないなど、これまでの政党でないことから受ける数数の不条理を払拭するためのカードを手に入れることができた。次の選挙では、メディアも扱わなければならなくなるし、政党でなければ4、5人(×供託金600万円)立てなければ認められなかった衆院選のブロックに、1人でも立候補が認められるようになる。それによって費用も大きく抑えられる。かなり大きなシード権を手に入れることができたと思う。6年前に比べたら非常に大きな力だ。このような状況でこれからのたたかいをさらに進められるのは、みなさんのお力のお陰以外にない。足を向けて寝られない」と感謝の思いを伝えた。

 「あくまで目標は政権を取りに行く。そのための大きな一歩をみなさんの力で勝ち取った」――会見場に悲壮感はなく、一人一人の力を繋ぎながら全国を走り抜けた選挙戦で得た力を確信し、次期衆院選に向けてさらに勢力を拡大していくことを確認して、長い一日を終えた。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12454
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c1

[近代史3] Google は CIA や NSA のIT部門 _ シリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿

Google は CIA や NSA のIT部門 _ シリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿

Googleも米軍に情報提供?国防総省とシリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿=カレイドスコープ 2019年7月25日
https://www.mag2.com/p/money/731150

グーグルは、シリコンバレーの数あるIT企業の中でも、創業段階から情報機関が手塩に掛けて育て上げてきた非常に特殊な企業です。むしろ、CIAやNSAのIT部門と言い換えた方が適切なのかもしれません。(『カレイドスコープのメルマガ』)

みんなが思っているような企業じゃない?創業当時から政府が支援

シリコンバレーはかつてフルーツ生産地だった

シリコンバレーが、かつて「喜びの谷(The Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれていた風光明媚な渓谷の農業地帯であったことを思い起こす米国人は少なくなっているでしょう。

特に、その穏やかな気候と牧歌的な風景が、多くの人々を引き付けたサンタクララ渓谷は、1960年代まで世界最大のフルーツ生産地でした。

しかし、現在、このバレー(谷)で話し合われていることは、果物の品種改良や収穫を増やすことではなく、ITが世界の経済にどのような影響を与え、その結果、世界の人々のライフスタイルをどのように変えてしまうのか、といったことであり、多くの政治談話が、このバレーから巻き起こっているのです。


いまや世界経済の変革の中心地

その主役は、グーグル、フェイスブック、アップル、オラクル、ネットフリックス、シスコシステムズ、ペイパル、ヒューレットパッカードなど、世界最大のテクノロジー企業であり、ソーシャルメディア企業です。

確かに、これらのITの巨人=ビッグ・テックは、世界の株式市場を牽引し、私たちにバラ色の未来への夢を抱かせてくれました。

同時に多くの人々は、過剰な便利さと引き換えに、日常生活において一挙手一投足をトレースされ、ソーシャルネットワーク上では、他人との関係性がマッピングされ、挙句の果てには、自分たちの行動予測まで把握されつつある近未来のディストピアに知らず知らずに参加させられていることを知るようになると、すでに自由が過去のものとなりつつあることに、やっと気が付いたというわけです。

いったいこの著しい変化、そして、シリコンバレーの驚くべき豹変は、どのようにしてもたらされたのでしょうか?

そして、なぜ長閑な谷間が、世界経済の変革の中心地なったのでしょうか?

つまり、シリコンバレーは、ビッグ・テックのIT億万長者を密かに後援し続け、完全監視と完全検閲・管理の未来社会を構築しようとしている、一般人が想像もつかない“闇の勢力”が計画的に発展させてきたのです。

グーグル内部で起こっている今までになかった変化

ワシントンのネオコンと民間の兵器産業とが合体した利益共同体を「軍産複合体」と呼ぶのであれば、シリコンバレーの若きIT長者たちと闇の後援者たちとの関係を「情報産業複合体」と呼ぶことは当を得ています。

バレーの若きエンジニアたちは、自分たちが開発した技術が軍事に使われていることを目の当たりにして、一人、また一人とシリコンバレーから立ち去っています。

特に、それは、軍事目的のための人工知能(AI)の開発に携わってきたグーグルの社員に顕著で、ここのところ、優秀なエンジニアの退職が目立つようになってきているということです。


いったい、グーグル内部で何が起こっているのでしょうか。


米軍と科学技術の強固な協力関係がもたらしたもの

“闇の勢力”が、シリコンバレーにIT研究者と莫大な資金を本格的に流入させたのは、まさに第二次世界大戦が始まった直後のことでした。

米国が第二次世界大戦に勝利することができたのは、「米軍と科学との協力関係があったから」と言われていますが、この両者の流れを一体化させて米国を軍事的な方向に導いていったのが、ヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)という一人の研究者でした。

ヴァネヴァー・ブッシュは、第一次世界大戦の際にも、米軍に最大限の協力を惜しまない“献身的な愛国者“でしたが、このとき「科学者と軍との協力関係が、うまく機能していない」ことを嘆いていました。

第一次世界大戦後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の副学長と工学部学部長を務めた後、ワシントン・カーネギー研究機構の総長職の地位を得たヴァネヴァー・ブッシュは、米国の国防研究に強い影響力を持つようになりました。

彼は、第二次世界大戦が始まるとルーズベルトに官民一体の科学部門の新設を強く訴えて、国防研究委員会(NDRC)という、まさに軍の科学研究を民間が“代行する”新設の会議の議長に就任したのです。

このとき、ヴァネヴァー・ブッシュという狂信的な愛国的科学者を得て、ネオコンは、初めてその素顔を晒したのかもしれません。


つまり、今日の米国の戦争ビジネスモデルも戦争経済も、「科学者を軍部に取り込むことによって可能になった」ということです。

基軸通貨「ドル」は崩壊へ向かう?

違った角度から見れば、このことが、もともと価値がゼロの基軸通貨ドルの強さを支えてきたのです。

ですから、トランプが「世界の警察の座を降りる」と宣言したということは、トランプの背後に控えている国際銀行家たちが、ドルを自ら崩壊させるということを決めたことになるのです。

制度疲労の極にあるドルのシステムを健全化させようと不毛な努力をするより、いったんリセットして、国際デジタル法定通貨システムを新たに構築するほうが、国際銀行家にとっても、国際銀行家を顎で使っている西洋の「やんごとなき人々」にとっても都合がいいからです。

科学技術が戦争をより悲惨にした

この国防研究委員会(NDRC)は、やがて、ヴァネヴァー・ブッシュが局長を務める科学研究開発局の一部に組み込まれ、この科学研究開発局が、米国の核開発を主導した「マンハッタン計画」などの軍事と科学研究が一体となった米国の世界戦略の軍事体系を形成していったのです。

故・高橋五郎氏は、元ナチスのスパイでユダヤ系スペイン人のアンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコとの長年にわたる親交を通して、日本の皇室がいかにしてフリーメーソンから攻撃を受け続けてきたのか、大作『天皇の金塊とヒロシマ原爆』にまとめ上げました。

この中で、ベラスコが「終戦までに、米国は原子爆弾を開発することができなかったので、いちはやく開発に成功していたナチスドイツから核爆弾を盗んで、これを日本に投下した」という言説を紹介しています。


ベラスコの証言が事実であるとすれば、戦時中のマンハッタン計画そのものが“見せかけ”だった可能性さえ出てくるのです。

「グーグルは、みんなが思っているようなものじゃない」

グーグルは、シリコンバレーの数あるIT企業の中でも、創業段階から情報機関が手塩に掛けて育て上げてきた非常に特殊な企業です。

むしろ、CIAやNSAのIT部門と言い換えた方が適切なのかもしれません。

2003年、グーグルは、政府機関でありながら、世界でもっとも秘密めいた情報機関である国家安全保障局(NSA)との間で210万ドルの契約を交わしています。

ウィキリークスのジュリアン・アサンジは、「グーグルは、みんなが思っているようなものじゃない」という記事の中で、次のように述べています。


2003年、NSAはマイケル・ヘイデン統括の下で、外国情報監視法(FISA)に組織的に違反していた。それは、ブッシュのホワイトハウスからの命令に従って、すべてを収集し、すべてを傍受し、すべてを認識し、すべてを処理し、すべてを活用するために通信傍受プログラム『プリズム』が導入される前のことである。

まさに、これらは国防総省・高等研究計画局(通称「DARPA」)の全情報認知(Total Information Awareness:TIA)プログラムそのものである。

同時期、グーグルは、ネット上から収集した膨大な情報を検索するためのツールをNSAに提供するために、約200万ドルの資金をNSAから受け取っているのだ――

確か、グーグルの企業理念は、世界の情報を収集してこれを整理し、普遍的にアクセス可能で有用なものにする、ことではなかったのかな?

彼らがやっていることは、彼らが掲げた理念と正反対のことばかりです。


アメリカ国家安全保障局(NSA)とグーグルのつながり

NSAは、米国の情報コミュニティの怪しげな監視部門として不気味に機能しており、外国の諜報機関および対情報作戦における「無線諜報、電波信号の傍受による情報収集と保存、および分析」を担当しています。

これらの諜報活動は、いわゆる「シギント(SIGINT)」として知られている広範な情報活動です。

グーグルは、この不吉なNSAから提供された約200万ドルの資金によって、「24の言語で1500万の文書を検索することができる」カスタム検索ツールを構築し、それをNSAに提供しました。

2004年4月に、NSAとの契約が満了したグーグルは、「無償でも構わないので政府との契約関係を今までどおり維持したい」旨を申し出ています。そして、それは1年延長されました。


グーグルにとって、政府機関との関係をつないでおくことは、それほど重要なことだったのです。

インQテル、5,000株を超えるグーグル株式を売却

2005年、インQテル(In-Q-Tel)が、5,000株を超えるグーグル株式を売却したことが明らかになりました。

インQテルとは、CIAのベンチャーキャピタル部門であり、情報機関とシリコンバレーとの関係を完全に“パッケージング”したような組織です。

そもそも、CIAのベンチャーキャピタルが、どのようにして5,000株のグーグル株式を入手したのかは不明ですが、どうやら、グーグルが、後にGoogle Earthとなるソフトウェアの開発者であるカリフォルニア州のデジタル地図会社「キーホール(Keyhole)」を買収したことがきっかけとなったと言われています。

同社の名前「キーホール(Keyhole)」とは、米国の情報機関が何十年にもわたって3Dイメージングとマッピング解析を行うために使用してきたキーホールクラスの偵察衛星の名前にちなんだものです。

「キーホール(Keyhole)」社は、CIAと密接に協力し、その技術がペンタゴンによってイラク侵略を支援するために使用されたことを自慢さえしていた企業です。

実際に、つい最近までCIAは、「CIAのテクノロジーへの影響(CIA’s Impact on Technology)」という公式の専用ページで、Google Earthを「CIA支援テクノロジー(CIA-assisted technology)」と表現していました。


しかし、騒がれたために、慌てて削除してしまったようです。

政府機関とグーグルの怪しい関係

2010年に、ワシントンポストによって、正式なNSA-Googleとの関係の詳細が明らかになり始めましたが、以来、両者はそれ以上の情報を出すことを拒否し続けています。

その後の報告によると、2009年12月に明らかにされた情報では、グーグルは「外国のハッカーについて知り得た情報を、NSAからグーグルに提供される情報と引き換えに、ネットワーク上のトラフィックに関する情報を提供することに同意した」とのこと。

オールターナティブ・メディアは、このことを「グーグルとNSAの秘密の利益共同体:シリコンバレーと安全保障国家の間の恐ろしい取り引き」という見出しで報じています。

グーグルとNSAとの“知られたくない秘密の関係”についての詳細は、2014年の情報公開法による開示請求によって明らかになりました。

グーグルのセルゲイ・ブリンと、エリック・シュミット(グーグルの元CEO。現在はグーグルの持株会社であるアルファベット取締役兼顧問)は、当時のNSAの参謀長、ジェネラル、キース・アレグザンダー(Keith Alexander)とかなり親しい仲であることが明らかにされたのです。

それだけでなく、グーグルが「永続的な安全保障の枠組み(Enduring Security Framework)」として知られている「秘密の政府イニシアチブ」の一環であり、このイニシアチブは「ネットワークスピードで」情報を共有するために、ペンタゴンとCIAやNSAなどの情報機関と提携しているシリコンバレーの他のIT企業とも広く関係していることが暴露されたのです。

グーグルは、明らかに、米国の内部に深く根を張っている秘密主義の闇の政府のイニシアチブの一部として、その創業段階から支援されてきたのです。

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グーグル・チームは、初期段階からCIAに資金手当てを受けてきた

シリコンバレーとジョージア・ガイドストーンとの関係

スタンフォード大学とペンタゴンのDARPAとのつながり

「プロジェクト・オラクル」はCIAのコードネーム


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2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)

画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。


空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/560.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
98. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月26日 12:27:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]
Google は CIA や NSA のIT部門 _ シリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/560.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c98
[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
28. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月26日 13:48:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]

かんぽ、局員がざんげ うそまみれの顧客勧誘「申し訳なかった」
7/26(金) 10:14配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190726-00010001-nishinp-bus_all


過去に自身が行った保険の不正販売について説明する関西の郵便局員


 「ざんげしたいことがあります」。保険営業を担当する関西の郵便局の男性局員が重い口を開いた。

【写真】「あと2件アポ取れるまでは社員にも負荷を」郵便局幹部に上司から送られたメール

 男性は数年前まで、本来は保険に加入できない持病のある人に「告知の必要はない」と虚偽の説明をし、契約を結んでいた。

 この方法で契約させた40代の女性は持病が悪化して入院。かんぽ生命は「告知義務違反」を理由に保険金の支払いを拒否した。女性は「局員に告知しなくていいと言われた」と抗議したが、男性は会社の調査に「そんな説明はしていない」とうそをつき通した。

 上司から求められた1日5件の見込み客宅への訪問。訪問先がないときは、目的外使用が禁じられているゆうちょ銀行のデータを見て、資産がある顧客に電話をかけ続けた。多いときで1日50件。「制度が変わった」「相続税対策の説明をしたい」というのは表向きの訪問理由で、目的はもちろん保険契約の獲得だった。

 「だまして申し訳なかった。契約を取らないと局に帰れなかった」
.

次々に生み出される新たな勧誘方法

 営業の現場では、勧誘のテクニックとして複数の“話法”が存在する。昨年、関東の局員はインストラクターと呼ばれる指導役に同行し、「生前贈与話法」を目の当たりにした。

 インストラクターは高齢女性に「天国までお金を持って行ったらお子さんが困りますよ」「毎年100万円をお子さんの通帳に動かして保険の形で預けてもらえれば、相続税も贈与税もかかりません」。女性と同席した娘にサインさせた。

 局員は「そもそも相続税の課税対象者でない場合や、相続税より保険料が高くなることもあるが、そういった説明は一切しなかった」と明かす。

 マイナンバー話法、介護施設話法、凍結話法‐。次々に生み出される新たな勧誘方法。保険内容を理解しないまま契約する高齢者は後を絶たない。
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 かんぽ生命のメイン商品である貯蓄型保険は長引く低金利政策によって魅力が薄れ、新規契約の獲得は困難になった。多くの局員は顧客が不利益となる「乗り換え」によって厳しい営業ノルマをしのいでいる。

 数年前に退職した九州の元局員は成績優秀者として表彰された経験があるが、ほとんどが乗り換えだった。「商品で勝負しても他社に負ける。お客さんに多少の不利益があっても乗り換えさせるしかなかった」

「もはや会社に自浄能力はない」

 報道によって発覚した9万件超の不正営業も、すべて乗り換えに関するものだった。旧保険の解約時期を意図的にずらすことで保険料を二重払いさせたり、無保険状態にさせたりする乗り換え隠しの「潜脱(せんだつ)」行為が横行。被保険者を変えることで新規契約を装い、満額の実績と手当金を稼ぐ手口も広まる。

 かんぽ生命の植平光彦社長は10日の記者会見で、不正営業を知ったのは「直近」と答えた。だが、実際は数年前から二重払いや無保険状態を問題視し、ひそかに件数を集計していた。

 「もはや会社に自浄能力はない」。現場の局員たちの間には無力感が漂う。

   ×    ×

 不正営業の発覚で窮地に立つ日本郵政グループ。民営化から12年。長年、地域に信頼されてきた郵便局で何が起こっているのか。巨大組織が抱える問題を探った。
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契約減、歯止めかからず

 郵政民営化された2007年10月時点のかんぽ生命の保有契約件数は5518万件だったが、年々減少。18年度末には2914万件とほぼ半減している。

 一方、新規の契約件数は民営化後、200万件前後で推移。中高年の契約者が多くを占めているが、保有件数の減少分を穴埋めできていない。

 主力商品は貯蓄型の養老保険。長引く低金利で苦戦を強いられるが、民業圧迫を避けるとの理由で新商品開発には他社以上に厳しい規制が課されている。このため、大手生保と比べて競争力が低いとされる。

 近年は競争力を補うため他社との提携を進め、日本生命や住友生命の商品を郵便局で販売。日本郵政は、がん保険の販売委託を受けるアフラック生命の米国親会社にも出資し、今後はグループ会社化して新商品の共同開発などに取り組む。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c28

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
34. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 15:32:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]
2019.07.26 《櫻井ジャーナル》
「ジェフリー・エプシュタイン逮捕の意味」


 エプシュタインには情報機関や捜査機関の人脈がつながり、有力者をおびき寄せてスキャンダルを作り、それを利用してコントロールするという工作が行われてきた可能性があります。同じことが日本でも実行されている疑いもあります。逮捕されたエプシュタインが防衛のために事実を話した場合、アメリカの支配層はパニックになりかねません。この話が出てきたということは、アメリカで権力抗争が激しくなっているのかもしれません。

 日本が第2次世界大戦で降伏したのは1945年9月2日のことですが、昭和天皇(裕仁)が日本人に対して生命を発表された8月15日に戦争に関する催しがあるようですので、その辺のことを話したいと思います。

 この戦争は民主主義とファシズムの戦いで民主主義が勝ったと言う人もいますが、それほど単純ではありません。本部ブログでは繰り返し書いてきましたが、日本は明治維新からイギリス資本の影響下に入り、関東大震災からはアメリカのウォール街に支配されています。そのウォール街で中心的な存在だったJPモルガンが日本へ駐日大使として送り込んできたのがジョセフ・グルーでした。1932年のことです。

 この年にはアメリカで大統領選挙があり、ウォール街と対立関係にあるニューディール派が勝利、フランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれました。ルーズベルトは1933年2月15日の狙撃事件をくぐり抜けますが、大統領に就任した直後から巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画します。

 そのクーデター派と最も近い日本人は井上準之助だったと考えられています。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と太いパイプがありました。井上や団の背後にはアメリカのファシズム勢力がいたということです。

 そのクーデター計画はスメドレー・バトラー海兵隊少将らによって阻止されますが、クーデター派は排除されませんでした。1935年9月10日にはニューディール派より労働者寄りのヒューイ・ロングが暗殺されます。

 1940年5月にイギリスではウィンストン・チャーチルが首相に就任、その年の9月から翌年の5月にかけてドイツ軍はロンドンを空襲しました。その5月にヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ飛びます。当然、イギリス政府の高官と話をしたはずです。

 そして1941年6月、ドイツ軍はソ連へ向かって進撃を開始します。バルバロッサ作戦ですが、この作戦には約310万人が参加し、西の守りのために残されたのは約90万人。ドイツ軍首脳の反対を押し切り、ヒトラーが決定しました。

 この状態で西から攻められたならドイツは窮地に陥りましたが、イギリスもアメリカも攻めません。西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、コミュニスト主体のレジスタンスだけでした。

 米英が傍観する中ドイツ軍は快進撃、1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、42年8月にはスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まります。

 ここへたどり着くまでの戦闘でもドイツ軍は苦しみ、予定より遅れていたようですが、まだ夏。ところが11月になってもソ連を降伏させられません。それどころか猛反撃にあい、ドイツ軍は包囲されて壊滅、43年1月に降伏します。ドイツ軍の主力が壊滅したとうことは、ドイツの敗北は決定的になったということです。アメリカとイギリスが慌てて動き始めるのはこれからです。

 そのアメリカとイギリス、つまりルーズベルトとチャーチルも激しく対立していました。ドイツ軍を打ち破ったソ連軍は西に向かって進撃を開始しますが、ルーズベルトはその阻止に熱心ではなく、チャーチルは激怒しました。チャーチルにとって好都合なことに、ルーズベルトは1945年4月に急死、ホワイトハウスはウォール街が奪還します。

 5月になってドイツは降伏、チャーチルは米英両軍とドイツの将兵でソ連を奇襲攻撃する作戦(アンシンカブル作戦)を立てますが、これは参謀本部の反対で実行されませんでした。

 その直後にチャーチルは下野しますが、ソ連打倒の熱意は冷めません。1946年にはアメリカのミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説を行い、FBIの文書によりますと、1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対してソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだということです。

 ドイツ軍がスターリングラードで敗北してからナチスの幹部がアメリカの軍や情報機関と接触、国際情勢の次のステージについて話し合っています。アメリカ側の中心はOSSのアレン・ダレスなどウォール街の代理人でした。その後、アメリカがナチス幹部の闘争を助け、保護、雇用することになります。

 日本では戦前戦中に国民を弾圧した特高警察、思想検察、裁判官は事実上、責任を問われないまま戦後も要職につき、天皇制官僚システムは護持されました。その戦後日本を築いたジャパン・ロビーの中心にいたのは、あのジョセフ・グルーです。日本の戦後民主主義とはその程度の代物だということも言えるでしょう。

 2014年にバラク・オバマ政権はウクライナで実行したクーデターでネオ・ナチを使いました。これは必然なのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907260000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c34

[政治・選挙・NHK263] 障害持つ議員にヘイト発言…人としてなにかが欠けている 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 16:11:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/649.html#c6

[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治 中川隆
4. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:31:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html#c4
[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
2. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:31:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c2
[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
35. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:32:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c35
[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
48. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:33:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]
【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c48
[近代史3] これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」 中川隆
2. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:34:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]
【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html#c2
[政治・選挙・NHK263] 山本太郎、テレ朝で “放送事故”(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
97. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 19:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/618.html#c97

[政治・選挙・NHK263] 山本太郎・れいわ代表が「モーニングショー」で吠えた! 他局の排除継続に山本は「オファーはここだけ、私は放送禁止物体」(リ… 赤かぶ
42. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月26日 19:10:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3890]

馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/632.html#c42

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
89. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 20:02:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]

LPやCDの中にはどれだけ情報が入っているのだろうか?2019年07月26日


「LPやCDの中にはどれだけ情報が入っているのだろうか?」と云う疑問の形で、オーディオをやっている方はどれくらいいるんだろうか?


「LPやCDの情報をすべてSPから出すにはどうしたら良いんだろうか?」と云う「命題」にも繋がる。


自分は15年前にその「命題」にぶつかった。良い音と云うのはとにかく「音数」が多いのである。10万円の機器より100万円の機器の方が「音数」が多く緻密に聴こえる。だがある一定の機器のグレードに達すると価格差よりもメーカー差や「作り」の状態で変わってくる。


最初に戻って「CDの中の情報をすべて取り出す」為には何をしなければならないのか?を考えると、「ケーブル」(配線)の存在を抜きには語れない。


一般的なケーブルの線径は0.5〜1mm程度しかない。これで果たしていいのだろうか? もっと太くしたら?もっと良い材質にしたら?・・・と実験せずにはいられなかった。


0.5〜1mmぐらいの線径で銅線であれば「取り回し」は楽である。楽だからと「音数」や「音質」が良いとは限らない。それじゃどこまで線径を太くすればCDの中の情報をすべて取り出せるというのか? 結局現状のオーディオマニア達が機器をとっかえひっかえしているけど、「ケーブル類」が同じならそう大した音質変化はしない。


「音質アップ」に対する考え方が、根本的な「本質」に合っていない。「CDの中の情報をすべてSPから音に出して取り出す」という命題を自分はづっと追っかけて来た。「音数」が増えると「きつい音」は無調整でも自然と出なくなるものだ。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/dd40b9452cfeae9f4d830c9b44c7ebef
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c89

[昼休み54] 櫻井ジャーナルに騙されるな 中川隆
12. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 20:07:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]
続・戦略思考が苦手、周回遅れの前世紀の思考に凝り固まった敗北思想の伝道者、櫻井ジャを評す
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/685.html
投稿者 仁王像 日時 2019 年 7 月 26 日 20:02:58: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 



続・戦略思考が苦手、周回遅れの前世紀の思考に凝り固まった敗北思想の伝道者、櫻井ジャを評す

@http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/579.html#c3
 何だよ、この”へなちょこタイトル”は。前稿との整合性がヘンだぞ。

 いや、それがバレないように糊塗しようとしている。前世紀の発想の世界に読者を取り込もうとしている おそ松クンだ。。

 こんな櫻井ジャを信用できるかい?

A(”敗北思想”の伝道者、それが櫻井ジャ)
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/560.html#c14
 良く読めば、この記事は”「米支配層」の意向に背いても徒労なのだ、勝てないのだ”という敗北思想に裏打ちされている事に気づかれるだろう。

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/654.html#c3
 櫻井ジャの殺し文句の一つに「米支配層」が云々というのがある。これを言えば、泣く子も黙ると思っているらしい。

 前世紀は、この米支配層にやられっ放しになってきたことを執拗に強調し、今世紀も同じ伝で行くだろうことを読者に連想させ、「仕方ないか」とさせる”敗北思想”を植え付けているのだ。

 結局、世界金融勢力とその一翼を担う米支配層には適わないのだという諦観を注入する役割を担っている、ということは常に疑ってかかった方が間違いない。

 彼は、世界金融勢力のプロパガンダの一翼を担っている可能性がある。でなくば、単なるアホ、バカ、間抜けの類である。
 彼自身の外観(本性も)は、敗北主義者である。

Bhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/317.html#c2
 櫻井ジャはインポ(陰謀)論の立場のようだ。退治したはずのISをいまでも黒幕となって操っていつかのように受け取れる。
 当時、阿修羅を足の踏み場もないほど汚染していた考え方だ。
 「土・中を攻撃の可能性」などと、当時の陰謀論者に受けそうなタイトル。攻撃とはどんな内容なのか、幅広い概念で読者を釣ろうとしている。彼らができるのはテロぐらいだ、今は。欧米がさんざん悩まされてきた。土・中にも小規模なものはあった。
 彼らが大規模な軍隊をを投入することなどできない相談。トルコならともかく中国にまでどうやって足を伸ばすのか。ISは過去も現在もそんなプロジェクション能力は持っていない。
 米国が彼らを操れるほどのインテリジェンス力・資金力もなかろう。トラ政権は世界から兵を引くモードに入っている。土・中に軍事攻撃を仕掛けて何の利益があるのか。子供のケンカじゃあるまいし。

 前世紀の思考法から抜け出せない。一皮も剥(む)けていない。
インポは櫻井ジャじゃ。役勃(た)たず。

Chttp://www.asyura2.com/18/warb22/msg/658.html#c9
 こりゃひどいタイトル。空母を撃沈してまでイラン攻撃して何になる? ”いらん”攻撃だ。

 イランと真向から戦争するには、ミサイルや空爆では済まない。大規模な地上軍を投入して全土を制圧しなければならない。各地で凄絶な白兵戦が起きるだろう。その過程で大量の米兵が死ぬ。
 数千人も死ねば、米国内の世論が沸騰する。さらには大量の難民が発生して欧州を襲うだろう。こんな政治目的も曖昧な戦争は欧州や国連の賛同も得られる訳がない。イラン、アフガンの二の舞になるのは間違いない。

 以上のようなオタンコやれば世界中の笑い者になるのは必定。ただでさえ失墜しつつある大国の権威がさらに失墜する。
 何考えてんの? 櫻井ジャよ。素人以下。

 (補)
 米兵の犠牲者の遺族には保証しなければならない。大量の資金が必須。ただでさえ貧困が蔓延している米国にその力もない。イランから調達した資金を回すなどというのは話が長すぎる(虫が良過ぎる)。

Dhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/435.html#c1
 またまたズレたタイトル。
 何度も言ってきたが、このタイトルには「米国は前世紀の覇権を今世紀も維持するつもり」という意が込められている。

 そんなことは有り得ないことは、田中や副島が口をすっぱくして言っている。(こちらも口がすっぱい、すっぱい)

Ehttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/440.html#c1
 >支配層の内部で強まっている可能性

 ここの多くの読者はとうに気付いているよ。

 それはトラ大明神の行動から判断できる。支配層が戦争派と反戦争派に割れているからトラさんの大胆な行動が出来る。
 割れてなければ、いかに米大統領であってもトラさんのような奔放な行動はできない。(また、口が酸っぱく…)

Fhttp://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/720.html#c12
 (天安門事件について)櫻井ジャってえのは、本当に始末にいけない不良言論人だなー。

 こんなに腐り切っていたとはねぇ〜。

Ghttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/705.html#c4
 またまた櫻井ジャのフェイクっぽいタイトルだな。
 19世紀からアングロサックソンが手に入れたかった中国が手に入らなかったので、日本は手放さないーつまり安保破棄はないーという意味に取れるが…。そんなカバなステーションがあるかい。

 アングロサックソンが世界を支配する時代は前世紀でオワだ。その兆候は随所に現れ隠しようが無くなっている。多くの阿修羅人もそれを認識している。

 櫻井ジャ=不勉強ジャ。

・世界から兵を引かざるを得ない歴史局面に登場する運命に出逢ったトラ大明神
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/642.html
 投稿者 仁王像 日時 2018 年 12 月 26 日 20:04:35: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

・今世紀の米国は、どこかの国または地域に大規模な地上軍を投入し、そこを制圧する体力も気力もない。…そこから得られる軍産勢力の利権も先細りの運命
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/643.html
 投稿者 仁王像 日時 2018 年 12 月 30 日 10:10:38: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

・米国内に、米中の激突、大戦争を画策している勢力が存在〜トラ大は彼らを、自分の大統領としての権限(権力)で、押さえ込もうとして必死である/副島隆彦
 http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/306.html
 投稿者 仁王像 日時 2019 年 6 月 09 日 11:05:08: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

I http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/783.html#c13
 切れ味が非常に悪い文章。
 長々しく衒学じみている。読者に何かを思わせたいのだろうが明確に伝わってこない。

 山口など延々と復習必要はない。田中なども前置きのところに持ってくる必要なない。この人よほどヒマ人らしい。

 まず安倍の権力の源泉が何か。結論を先に持ってくるべきである。必要に応じてたとえば田中の場合はこうだったと持って行くのは良い。
 文章構成が下手くそである。プロではない。初心者の作文。

 自分の主張に説得力上がないと薄々感づいているから、過去の知識(経過)を累々と並べ立てて読者を誑(たら)し込もうとしている。

(補)
この記事だけでは、力の源泉が米国にあるから、何をやってもダメなんだ、と暗に言っているととられても仕方がない。敗北思想の伝道者らしいとは言える。

Jhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/772.html#c1
 何だよまたピリッとしないタイトルだな。

 アングロ・サクソンの世界支配はオワだって言うのに、数世紀の世界支配が今世紀も継続しているように読者に連想させる例の手口だ。
 
 またもや得意のマッキンダーを持ち出して”権威”付けようとしているのがミエミエ。
 くだらん。

 (関連)
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/560.html#c14

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/560.html#c3

Kttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/780.html#c2
 >有権者を裏切った…大敗した背景

 とはタイトルの前後の繋がり悪いな。裏切ったなら、大敗は普通のの事だろう。

 正確に言えば、「有権者を裏切った」んではなく、最初から欺いて来たんだろ? その結果も大敗が約束されていたはず。
 加えて新人にも米国の息がかかっているということだから。新人もまた次の選挙では大敗が予約されえいるというもの。

 こんな風に、ジャーナリストは正確を期すことに努めるべきと思う(ま、手遅れだが)。

L http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/804.html#c4
 櫻井ジャの思わせぶりなタイトル。

 好戦派なるものは居ないとは断言できないが、彼らが米国と英国という国家をイニシアをもって本格開戦に持って行けるはずがない。

 その肝心なことにはタッチしてない。”立っち”できるほど大人になっていない櫻井ジャではある。

Mhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/844.html#c3
 >露見しかかっている

 などと今更ショーアップしてどうなる?

 ボンクラ櫻井ジャが気付いていつぐらいだから「知る人ぞ知る」現象の一端に過ぎなかろう。
 これで世の中がひっくり返るのかい? 肝心な事には言及がない。

Nhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/867.html#c1
 >リストを持つ容疑者

 とあるが、容疑者の発見時、リストを携行していたのかどうかが不明である。おそらく携行しえいない。
 つまりおどろおどろしく読者を釣ろうとしているタイトル。

 こうでもしないと飯が食えないのかというとになる。浅ましい!

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/421.html#c12

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