97. 中川隆[-10395] koaQ7Jey 2019年5月17日 18:34:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1908]
2008.12.13
暴走する雅子妃と東宮職 狙われた皇室
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-303.html
皇室問題 陛下に「様々なご心労」 宮内庁長官
羽毛田信吾 宮内庁長官 両陛下の代弁者として献身的な職務ぶりが目立つ。
ストレスが原因とされた胃腸の炎症など体調不良を訴えていた天皇陛下について、宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官は11日、「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝している」とし、陛下に「様々なご心労」があると述べた。
長官は記者会見で「私なりの所見」としたうえで、陛下が、皇太子さまや療養中の皇太子妃雅子さまの体調、公務に関して気遣っていることを説明。皇太子さまが昨年6月、十二指腸のポリープの切除手術を受けた際、人さし指の先ほどだったポリープの大きさに天皇、皇后両陛下は驚き、相当期間、検査がされていなかったことに強い不安を持ったという。両陛下は、皇太子ご夫妻が定期的に健康チェックを受けるよう願っているという。
また、雅子さまの「適応障害」との診断に関し、「皇室そのものがストレスであり、病気の原因」という意見があることについて、「皇室の伝統を受け継がれて一心に働き続けてこられた両陛下は深く傷つかれた」と述べた。
さらに、皇太子ご夫妻の公務について、皇太子さまが何度か見直す考えを示し、両陛下の依頼で歴代の宮内庁長官らが相談に乗っていることについても説明したうえで、皇太子さまから具体的な提案がないことも明かした。
陛下の公務については、天皇誕生日や年末年始など今後1カ月程度、ストレスになりそうな状況をできるだけ減らすとしている。
羽毛田長官は今年2月の会見で、陛下が愛子さまと会う機会が少ないことを「残念なこと」とし、皇太子さまが「お会いする機会を作っていきたい」と答えたことについて、「回数は増えていない」とし、「発言なされたからには実行を伴って頂きたい」と皇太子さまに苦言を呈した。(佐々木隆広)
(コメント)
今回の羽毛田長官の発言内容は、恐らく天皇皇后両陛下のご了承を得てのものだろう。雅子妃のわがままや策謀に振り回され、どれだけ多くの人達が迷惑をこうむり、傷ついてきたか、それを考えると今回の羽毛田長官の発言は遅きに失した感すらある。
強度の我がままや好き嫌いを病気と考えれば、雅子妃が主張する適応障害も確かに病状の一種と考えられるのかもしれない。しかし、好き放題に生きられる人間はごく一握りであり、大部分の人間は嫌なことも我慢して騙し騙し生きているのではないだろうか。
一部の特異な人間の我がままが尊重され、まともな人間の我慢が当たり前のように強制される。左翼やマスコミが作り上げてきた歪んだ世相が、そのまま皇室に及んでいるように感じるのは自分だけではないだろう。恵まれない人間への援助はあくまで善意であり、それを盾にした健常者への逆差別を許してはいけないと思う。ましてや、病気のふりをして特権を貪るなど、論外と言っていいだろう。
雅子妃側は何かあれば病気、病気というが、患者の自己申告と特定の医者のいい加減な文書で決まる病気も珍しい。重度のウツで薬を飲みながら会社に通っている人間もいる中、本当に精神的に病んで苦しんでいる人間からすれば、雅子妃の勝手気ままな主張は腹だたしいに違いない。本当に雅子妃が病気だというなら、少なくと東宮医師団という名の謎の医師団は、公の場で会見を開くか、入院等の今後の治療方針を明らかにするべきであろう。
なぜ、それをやらないのか、やらないのではなく出来ないのか、適当な文書ではなく、雅子妃の侍医である大野医師はキチンと顔を国民の前に出して責任あるコメントをするべきである。
雅子妃の学歴は一般のものとは異なり、但し書きが必要
帰国子女だから古くさい皇室と合わない
→小1から高1まで日本で教育を受けており、義務教育期間に外国で過ごすという厳密な意味での帰国子女にはあたらず。紀子さまの方が、幼少期に加え義務教育期間にも外国に住んでいた(小5〜中1)ので本当の帰国子女。
1981〜1985年6月:ハーバード大学経済学部(17〜21歳)
→小和田父は1979年〜1981年、ハーバード客員教授。教員子弟のコネ入学枠あり。また一学部生の卒業論文に普通関わらないような財界人(糠澤和夫・真野輝彦・榊原英資)が卒論作成の手助けをしている。
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070404115228.jpg
1986年4月〜1987年3月中退:東大法学部(22〜23歳)
→3年次編入のため、共通一次試験も通常の二次学科試験も受けていない。小和田恒は *東京大学の非常勤講師として25年間にわたり* 国際法、国際機構論を教える。(1963-1988年東大非常勤講師) ソース=http://www.nyulawglobal.org/events/dfls/DGFOwadaBio.htm
1986年10月:外務公務員I種試験に合格(23歳)、87年4月入省(24歳)。
→東大は中退。2000年度まで行われていた外務公務員I種試験は、通常の国家公務員I種試験と異なり、強力なコネ枠と言われる。向上心旺盛なキャリア志向の女性が、なぜ父親が重役職にある企業の縁故採用試験を?
1988〜1990年:オックスフォード大学に留学。(24〜26歳)
→外務省からの国費(税金)留学。同期留学者のうち一人だけ、修士号を取れずに帰国。週末ごとに洗濯物を抱えてパリに往復したという情報有り。小和田父は1988年〜1990年:OECD(経済協力開発機構・事務局はパリ)日本政府常駐代表。
雅子妃の高学歴キャリアウーマンとは程遠いお粗末な英会話の能力も指摘されている→マサグリッシュ
※本来、皇太子妃としての役割を果たしてくれれば過去の経歴はどうでもいい。当人及び擁護派が、役割を果たせない言い訳として華麗な過去を持ち出すので検証せざるを得ない。
公務キャンセルの当日に元気に別行動
(2007年度分のみ同日シリーズより抜粋。一部省略)
07.01.22
モザンビークのゲブーザ大統領夫妻との宮中午餐を欠席した当日、皇太子がビオラ奏者として出席した演奏会を私的に鑑賞
≪週刊女性2/13号≫
07.01.26 26〜27日
スケート国体@群馬県の公務を欠席した当日、乗馬。
≪週刊女性2/13号≫
07.03.02
東宮御所での東京都知事によるご進講の公務を欠席した当日、学習院幼稚園ひな祭り会の日のお迎えとママ友作り。
≪女性自身3/20号≫
07.03.15
東宮御所での勤労奉仕団へのご会釈は欠席した当日、オランダのウィレム・アレキサンダー王太子との午餐会には出席。
07.04.06
一家で朝早くスケートを楽しむ≪週刊女性5/8・15号≫。その当日、経済産業省製造産業局長,同生物化学産業課長のご進講(東宮御所)を欠席。
07.04.11
東宮御所での勤労奉仕団へのご会釈は欠席した当日、父・小和田恒氏がパネリストとして出席した国連大学でのロザリン・ヒギンズ国際司法裁判所(ICJ)所長講演会は夫妻で私的に聴講
≪国連大学HP配信ストリーム動画+週刊女性5/1号、読売ウィークリー5/6・13号≫
07.04.27
東宮御所での財務省国際局長によるご説明を欠席した当日、国連大学にお出かけ
≪週刊女性5/22号≫
07.07.19
雅子と愛子、幼稚園の帰りに2回目の電車(目白〜代々木乗換え〜信濃町)乗車体験、日テレとTBSがそれを報じる。同日東宮御所では、離任イスラエル大使・離任クウェート大使・離任エジプト大使との接見公務があり皇太子が単独で対応。それなりに混んだ電車に乗るだけの元気がある雅子は欠席。
07.07.22
賢所仮殿にて文武天皇千三百年式年祭の儀があったものの東宮から出席したのは皇太子のみ、雅子は祭祀を当然のごとく欠席。同日一家で日生劇場へ「小さな山神スズナ姫〜大ナマズのひみつ!〜」ミュージカル人形劇を鑑賞し複数ブログ・mixiに目撃談が書かれる。また出演者であるジェームス小野田氏が楽屋にて皇太子一家&雅子の親戚(恐らく礼子のことか?)と歓談したと、米米クラブ公式ブログにて述べている。
07.07.27-29
佐賀県行啓(高校総体)を「体調」を理由に欠席、皇太子が留守の間の27日と29日に東宮御所でプライベートな子供会を開く
≪週刊文春8/9号≫。
07.07.30
「明治天皇例祭の儀」の祭祀、ご接見の公務を欠席した当日、自宅で3回目のプライベートな「子供会」を開く
≪週刊文春8/9号≫
07.08.12
オックスフォード大学演劇協会「夏の夜の夢」鑑賞公務を欠席した当日、六本木の東京ミッドタウン内のメキシコ料理店で外務省時代の仲間と夕食≪AERA 9/10号≫,庭の見える個室にて男女三人ずつで4時間の「プライベート・ディナー」、「力強いガーリックライス」を食べたとのこと。
≪10/15夕フジニュース≫
07.10.11
ブラジルのパラナ友好経済使節団とのご接見を欠席した当日、マンダリンオリエンタル東京ホテル37階のフレンチレストラン「シグネチャー」で田園調布双葉時代友人と“同級生ランチ”
≪週刊文春11/1号≫
07.10.12 10/12-14
秋田県行啓(全国障害者スポーツ大会)を欠席中に乗馬
≪週刊女性10/30号≫。
07.10.13
八大行啓の一つである全国障害者スポーツ大会開会式を含む秋田県行啓には皇太子のみ出席(10/12-14)、欠席した雅子は愛子を連れて学習院初等科運動会見学へ元気に出かけ昨年同様マスコミカメラを呼んでロケ撮影させる。
07.10.15
皇太子は両陛下&秋篠宮両殿下とともにナミビア大統領夫妻との午餐に出席、午餐会を欠席した雅子は銀座教文館で「藤城清治 光と影展」お忍び鑑賞
≪ヤフーブログ「藤代清治 銀座 雅子さま」&『女性自身』11/6・13号≫。
07.11.3-5
第31回全国育樹祭臨席等にて皇太子ひとりぼっち熊本県行啓へ【八大行啓】。11/4に雅子は赤坂御用地内を散策≪産経ニュース皇室ウィークリー11/10≫、同日外務省北米二課同僚の欧州転勤送別会、麻布富麗華2万円コース上海蟹等3時間お楽しみ≪週刊文春11/22号≫だったとのこと。合わせて11/5には愛子内親王学習院初等科面接受験の付き添いにも出向く。
≪11/7TBSイブニング5≫
07.11.14-16
ユニバーサル技能五輪国際大会視察等にて皇太子ひとりぼっち静岡県行啓へ。11/16雅子は多摩動物公園入り口まで愛子の遠足付き添い。但しこの付き添いは行きのみで、帰りのお迎えについては「妃殿下はこの日 ご 予 定 がおありで、先に御所にお帰りになったそうです。後は他のお母さんたちやお付きの人たちに愛子を頼みます≠ニお願いされ、あえて、お迎えにも行かれなかったそうです」(宮内庁関係者)…のように人任せだったと『女性セブン』12/13号記事に書かれる。この「ご予定」が何であったかは現時点で不明。
07.11.20
国立女性教育会館で行われる「NWEC 30周年記念国際シンポジウム」への出席について、雅子の意向を侍従らが数日前になっても確認できず、内々に決めた翌日中止されたと『週刊朝日』2008/2/29号報じる。そしてこの日、雅子は国連大学訪問と皇居内馬場で乗馬の私事お楽しみをしていたとMSN産経皇室ウィークリー2008/11/24。
07.12.21
皇居宮殿での午餐(内閣総理大臣始め閣僚等)欠席。同日夕刻に一家で15分ほど恵比寿ガーデンプレイス・クリスマスイルミネーション見物≪週刊文春12/27号、12/21TVニュース≫、その後近くのホテルレストラン(地理的にウェスティンホテル「ビクターズ」か)で小和田夫妻、妹・池田礼子家族らと食事会
≪女性自身1/22号≫≪12/21日テレニュース≫
07.12.28
毎年恒例御所でのお餅つきを東宮一家直前でドタキャン≪サンデー毎日2008/1/20号≫、その日の夜に東宮夫妻とピピマリかかりつけ獣医師夫妻、銀座ミシュラン三ツ星レストラン・ロオジエにて4時間以上夕食を楽しむ
≪2007/12/28-29NNN・FNN・ANNニュース≫
孫の顔を心待ちにする義理の両親(天皇皇后両陛下)に ...
『週刊文春』2006年2月23日号、27ページより
「お世継ぎ」をめぐって天皇皇后と皇太子ご夫妻の間には見解の相違が存在することが顕在化したのはご成婚から三年目のことだった。皇太子ご夫妻は九四年、九五年と続けて中東諸国を歴訪されているが、そのご帰国後の九五年、天皇のお言葉に雅子さまが直接異を唱えられたことがあった。
その日、天皇は雅子さまにこう語りかけたと伝えられている。
「国民みんなが待っているからね」
すると雅子さまは色をなしてこうご返事をされた。
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」
あまりのおっしゃりように、周囲は唖然としてしまったという。
(コメント)
一般の家庭でも、両親と息子夫婦の間で「早く孫の顔を見せてくれ」といった程度の会話は良く聞かれるが、千五百年以上も男系継承が続く天皇家では、子作りは一般家庭以上に必須であり、天皇皇后両陛下のお言葉はむしろ当然のことだと思う。
天皇家の男系継承が途絶えれば、日本という国にとっても大きな損失であり、未来永劫に取り返しがつかないことになる。下記の東宮職の言葉を借りれば、雅子妃は皇室の伝統と歴史を重んじているとのことだが、本当に重んじていたら子作りに拒否反応を起こすことなど考えられない。
一般の家庭でも、経済的な問題がなければ子作りに拒否反応を示す母親は極めて少数派だろう。こんなとんでもない嫁が長男のところに来てしまっては、天皇皇后両陛下のご心痛とストレスは察して余りあるものがある。
また、一部で同日シリーズとして有名な雅子妃のいい加減な行動ぶりを 2007年分に限って紹介したが、はっきり言って雅子妃がなんらかの病気であるとは考えづらい。これで雅子妃が病気であるというのなら、世間一般の人間全てが病気ということになるだろう。
皇太子ご夫妻、両陛下の心遣いに感謝 東宮大夫が会見
野村一成 東宮大夫
野村一成 東宮大夫 雅子妃の父、小和田恒の元腹心で外務省出身。外務省出身者ばかりの東宮職の長。
宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官が11日、天皇、皇后両陛下が皇太子ご夫妻の健康などを心配しているという「所見」を示したことについて、皇太子ご夫妻のお世話役のトップである野村一成東宮大夫は12日の定例会見で、
「(ご夫妻は)両陛下のお心遣い、お励ましを心からありがたく思っておられる」と述べた。雅子さまの「適応障害」との診断に関し、「皇室そのものがストレスであり、病気の原因」との意見があることに、羽毛田長官が「両陛下は深く傷つかれた」と語ったことに対し、野村大夫は「まさに妃殿下ご自身が深く傷つかれている点であろうと思う」とし、「皇室の伝統もご公務も大切に考えておられ、それらを十分に行うことができるようにご治療に鋭意努めておられる」と述べた。
【野村一成 東宮大夫】
元外務省ロシア大使
1960年代後半モスクワの日本大使館において小和田恒と同時期勤務(ロシアンスクール仲間)
当時から小和田恒の腹心の部下の一人で雅子妃が幼少の頃からの知り合い(野村のおじさまと呼ばれていた)
小和田恒の名を貰って息子に「恒成」と名付ける
("恒"が自分の名前の文字より前である事からその忠誠ぶりが伺われる)
息子の恒成も2世外務官僚として現在、国際法局国際法課に勤務
(小和田が勤務している国際司法裁判所はここの管轄)
息子の上司、国際法局長の結婚時の仲人も小和田恒
(コメント)
羽毛田長官の会見に対して、この野村東宮大夫の会見はどうかと思うが、経歴から見ても分かるとおり、東宮大夫は雅子妃の父、小和田恒の子飼の部下だった人物であり、彼なりの小和田恒への忠誠のつもなのかもしれない。
野村東宮大夫の主張は、控えめに見ても天皇皇后両陛下に喧嘩を売っているようにしか見えないが、皇太子夫妻の健康診断も満足に出来ないようでは、現在の東宮職の存在そのものが不必要なのではないかと疑いたくなる。立場上、皇太子夫妻を批判しにくいことは理解できるが、もう少し言い方を考えてはいかがだろうか。
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