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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100270
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[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
188. 中川隆[-11066] koaQ7Jey 2019年3月30日 11:55:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[957]

2019.3.28 週刊ダイヤモンド編集部+ 
株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html

株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
『週刊ダイヤモンド』3月30日号の第1特集は「株・為替の新格言」です。

昨年10、12月の株価急落に、年明け早々の外国為替市場の短時間の急変動。主犯として機械取引が挙げられますが、中央銀行による相場への影響も大きいものとなっています。高頻度な取引を繰り返すHFTに加えて、高度な数式モデルを駆使して運用するヘッジファンド。その実態に迫りました。

「30年以上にわたり運用業界にいるが、クリスマスにこれほど相場が動いたのは初めて。衝撃だった」

 そう話すのは、富国生命投資顧問の林宏明常務取締役だ。昨年の株式相場は長らく続いたゴルディロックス(適温)相場から一転、2月のVIXショックや10、12月に相次いで起こった株価の暴落など、冷や水を浴びせられた。

 とりわけ12月は、クリスマスの12月25日にダウ工業株30種平均が約653ドル下落。それにつられて日経平均株価は約1000円もの大暴落となり、市場関係者を凍り付かせた。

 従来、米国での12月の相場といえば節税対策のために株式を売却することから株安傾向となるものの、株価は大きく動かない(年末から上昇する)というのが、市場の「アノマリー」(明確な根拠はないが、よく当たる相場における経験則)だ。とりわけ、クリスマスは市場関係者が休暇を取るため、「動かない相場だった」(林氏)。

 こうした相場変動に加え、年始の1月3日には早朝という時間帯にもかかわらず、わずか数分の間に1ドル当たり4円も上昇するという異変も起きた。

 これら“薄商い”のタイミングでの相場の大変動に対し、犯人説として挙がってくるのが、コンピューターが自動で注文を出す機械取引の存在だ。とりわけ、超高速で取引を繰り返す、「HFT(高頻度取引)悪玉論」が根強い。

 確かに、機関投資家からの注文を証券会社の人間が処理することは減り、あらかじめ定めておいた手順に従って、コンピューターが自動的に注文の数量やタイミングを判断する取引が増えている。いわゆる「アルゴリズム取引」だ。

 こうした取引は古くからあるが、AI技術の進化により、近年高度化が著しい。それは金融市場において、「超高速化」と「高難度化」の二つに大別される(下図参照)。


 まず、超高速化については、先のHFTの台頭が注目されている。マイクロ秒(100万分の1秒)単位で発注を繰り返す高速取引のことで、2010年5月に米株式市場で起こった「フラッシュクラッシュ」の主因とされている。

 日本においても、10年に東京証券取引所がアローヘッドを稼働させてHFTの環境が整った。東証の近くに「コロケーションエリア」を開設し、そこに置かれたサーバーにHFT業者がさまざまな売買プログラムを入力、アルゴリズム取引を行っている。

 金融庁によれば、東証の全取引に占めるコロケーションエリアからの注文は件数ベースで75%。「その半数以上がHFTだろう」と、複数の専門家たちはみる。

 いきおい膨大な受発注を繰り返すことで相場を支配、価格を操っているかに見えるが、さにあらず。「HFTが相場変動の振れ幅を増長している面もあるが、相場のゆがみをいち早く見つけてサヤ取りを行うことで、むしろ早期のゆがみ是正につながっている」というのが市場関係者の大方の見方だ。

 仮に、市場を支配するような存在であるならば巨額の利益を稼いでいるはずだが、そうした様は見当たらない。むしろ、「HFT最大手のバーチュでさえも厳しく、事業の多角化でしのいでいる状態」と、ある市場関係者は指摘する。

 実際、HFTのビジネスモデルは、相場でいう「1カイ2ヤリ」に近い。つまり、101円で買って102円で売る取引を超高速で行っているようなもの。ただし相場が逆に振れれば損をするので、その兆候をいち早く見つけて売買するために、スピードを速める技術を競い合っているというわけだ。

 例えば、CPUとメモリー間の電子的な距離すら縮めるため、「直接プログラムを書き込める特殊なチップを採用するケースもある」と、スパークス・アセット・マネジメントの水田孝信上席研究員は言う。

 一方で、HFTが市場に大量の流動性を供給しているという側面も見逃せない。占有率の高さは、裏を返せば、「HFT業者がいなくなれば、東京の株式市場はスカスカになるということ」だと別の市場関係者は指摘する。

 とはいえ、HFTの実態が不透明なのも確かだ。そこで金融庁は登録制度を進めているが、規制を厳しくすれば東京からHFTが去ることにもなりかねず、痛しかゆしといったところが実情だ。

 次に高難度化について見ていこう。こちらのアルゴリズムは、複雑な数理モデルを組んで高度な運用を行うクオンツ系のヘッジファンドで利用されることが多い。
 スピード重視のHFTとは異なり、クオンツで使う際のアルゴリズムは複雑なため、「HFTと比べるとスピードは格段に遅い」と、あるヘッジファンド関係者は話す。

 では、そのクオンツ系アルゴリズムについて、昨年11月に野村アセットマネジメントがリリースして話題を呼んだ投資信託「ダブル・ブレイン」を例に見てみよう。

 株と債券は、「逆相関」の関係にあるというのが定説だ。金利が低下すれば株価が上がり、片や債券価格は下がるといった具合だ。こうした局面にあるとみれば、株をロング(売り持ち)し、債券をショート(買い持ち)して運用する。


 逆もしかりだが、問題なのは、株と債券が同時に下落すること。実は前述の図のように株と債券の逆相関は2000年以降のことで、株と債券の同時安は現在でも起こり得る。実際、下図のように、10分置きという短い間隔で相関をチェックすれば、共に下落する局面が浮かび上がる。こうした“予兆”を高い確率で見抜けるのが、最新のアルゴリズムというわけだ。


 これら超高速化を極めたHFTと超難解な数式モデルを搭載した“電脳”が跋扈する相場は、かつてより振れ幅が大きくなるが、一方でゆがみの収縮も速い。個人投資家は、短期の“振れ”は無視するに越したことはないだろう。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c188

[近代史02] 知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる 中川隆
29. 中川隆[-11065] koaQ7Jey 2019年3月30日 11:56:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[958]

2019.3.28 週刊ダイヤモンド編集部+ 
株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
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株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
『週刊ダイヤモンド』3月30日号の第1特集は「株・為替の新格言」です。

昨年10、12月の株価急落に、年明け早々の外国為替市場の短時間の急変動。主犯として機械取引が挙げられますが、中央銀行による相場への影響も大きいものとなっています。高頻度な取引を繰り返すHFTに加えて、高度な数式モデルを駆使して運用するヘッジファンド。その実態に迫りました。

「30年以上にわたり運用業界にいるが、クリスマスにこれほど相場が動いたのは初めて。衝撃だった」

 そう話すのは、富国生命投資顧問の林宏明常務取締役だ。昨年の株式相場は長らく続いたゴルディロックス(適温)相場から一転、2月のVIXショックや10、12月に相次いで起こった株価の暴落など、冷や水を浴びせられた。

 とりわけ12月は、クリスマスの12月25日にダウ工業株30種平均が約653ドル下落。それにつられて日経平均株価は約1000円もの大暴落となり、市場関係者を凍り付かせた。

 従来、米国での12月の相場といえば節税対策のために株式を売却することから株安傾向となるものの、株価は大きく動かない(年末から上昇する)というのが、市場の「アノマリー」(明確な根拠はないが、よく当たる相場における経験則)だ。とりわけ、クリスマスは市場関係者が休暇を取るため、「動かない相場だった」(林氏)。

 こうした相場変動に加え、年始の1月3日には早朝という時間帯にもかかわらず、わずか数分の間に1ドル当たり4円も上昇するという異変も起きた。

 これら“薄商い”のタイミングでの相場の大変動に対し、犯人説として挙がってくるのが、コンピューターが自動で注文を出す機械取引の存在だ。とりわけ、超高速で取引を繰り返す、「HFT(高頻度取引)悪玉論」が根強い。

 確かに、機関投資家からの注文を証券会社の人間が処理することは減り、あらかじめ定めておいた手順に従って、コンピューターが自動的に注文の数量やタイミングを判断する取引が増えている。いわゆる「アルゴリズム取引」だ。

 こうした取引は古くからあるが、AI技術の進化により、近年高度化が著しい。それは金融市場において、「超高速化」と「高難度化」の二つに大別される(下図参照)。


 まず、超高速化については、先のHFTの台頭が注目されている。マイクロ秒(100万分の1秒)単位で発注を繰り返す高速取引のことで、2010年5月に米株式市場で起こった「フラッシュクラッシュ」の主因とされている。

 日本においても、10年に東京証券取引所がアローヘッドを稼働させてHFTの環境が整った。東証の近くに「コロケーションエリア」を開設し、そこに置かれたサーバーにHFT業者がさまざまな売買プログラムを入力、アルゴリズム取引を行っている。

 金融庁によれば、東証の全取引に占めるコロケーションエリアからの注文は件数ベースで75%。「その半数以上がHFTだろう」と、複数の専門家たちはみる。

 いきおい膨大な受発注を繰り返すことで相場を支配、価格を操っているかに見えるが、さにあらず。「HFTが相場変動の振れ幅を増長している面もあるが、相場のゆがみをいち早く見つけてサヤ取りを行うことで、むしろ早期のゆがみ是正につながっている」というのが市場関係者の大方の見方だ。

 仮に、市場を支配するような存在であるならば巨額の利益を稼いでいるはずだが、そうした様は見当たらない。むしろ、「HFT最大手のバーチュでさえも厳しく、事業の多角化でしのいでいる状態」と、ある市場関係者は指摘する。

 実際、HFTのビジネスモデルは、相場でいう「1カイ2ヤリ」に近い。つまり、101円で買って102円で売る取引を超高速で行っているようなもの。ただし相場が逆に振れれば損をするので、その兆候をいち早く見つけて売買するために、スピードを速める技術を競い合っているというわけだ。

 例えば、CPUとメモリー間の電子的な距離すら縮めるため、「直接プログラムを書き込める特殊なチップを採用するケースもある」と、スパークス・アセット・マネジメントの水田孝信上席研究員は言う。

 一方で、HFTが市場に大量の流動性を供給しているという側面も見逃せない。占有率の高さは、裏を返せば、「HFT業者がいなくなれば、東京の株式市場はスカスカになるということ」だと別の市場関係者は指摘する。

 とはいえ、HFTの実態が不透明なのも確かだ。そこで金融庁は登録制度を進めているが、規制を厳しくすれば東京からHFTが去ることにもなりかねず、痛しかゆしといったところが実情だ。

 次に高難度化について見ていこう。こちらのアルゴリズムは、複雑な数理モデルを組んで高度な運用を行うクオンツ系のヘッジファンドで利用されることが多い。
 スピード重視のHFTとは異なり、クオンツで使う際のアルゴリズムは複雑なため、「HFTと比べるとスピードは格段に遅い」と、あるヘッジファンド関係者は話す。

 では、そのクオンツ系アルゴリズムについて、昨年11月に野村アセットマネジメントがリリースして話題を呼んだ投資信託「ダブル・ブレイン」を例に見てみよう。

 株と債券は、「逆相関」の関係にあるというのが定説だ。金利が低下すれば株価が上がり、片や債券価格は下がるといった具合だ。こうした局面にあるとみれば、株をロング(売り持ち)し、債券をショート(買い持ち)して運用する。


 逆もしかりだが、問題なのは、株と債券が同時に下落すること。実は前述の図のように株と債券の逆相関は2000年以降のことで、株と債券の同時安は現在でも起こり得る。実際、下図のように、10分置きという短い間隔で相関をチェックすれば、共に下落する局面が浮かび上がる。こうした“予兆”を高い確率で見抜けるのが、最新のアルゴリズムというわけだ。


 これら超高速化を極めたHFTと超難解な数式モデルを搭載した“電脳”が跋扈する相場は、かつてより振れ幅が大きくなるが、一方でゆがみの収縮も速い。個人投資家は、短期の“振れ”は無視するに越したことはないだろう。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html#c29

[昼休み53] 女子高生コンクリート詰め殺人事件 中川隆
127. 中川隆[-11064] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:16:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[959]

女子高生コンクリ殺人 元少年が傷害事件の公判で裁判官に噛みつく 2019年03月06日
https://friday.kodansha.co.jp/article/34392


「なんで?なんで?」

坊主頭にアシックスの紺色ジャージ上下で法廷に現れた湊伸治被告は、程よく肉付きのよい中年となっていた。「被害者Aさんの首の後ろの傷は自分がつけたものではない」と主張するために必要な証拠を却下され、裁判官に興奮気味に問いかける。

「意見いいっすか、裁判官に手紙出したの届いてます? ナイフは頭に当たってない、捏造だと言ってるんです! 幅2センチ、深さ2センチの傷が……」

綾瀬・女子高生コンクリート殺人事件。東京都足立区で当時16歳から18歳の少年らが、見ず知らずの女子高校生(当時17)を拉致したうえ、一人の少年の家に監禁し、強姦や暴行を繰り返したのち死亡させ、その遺体をコンクリート詰めにして遺棄した凄惨な事件である。平成が始まったばかりの1989年に発覚し、世を震撼させたこの事件では、逮捕された主犯格の少年4人に対し実刑判決が下され、服役ののちそれぞれ社会復帰していた。

ところが昨年8月、女子高校生を監禁した家に住んでいた当時の少年、懲役4年以上6年以下の不定期刑を受けた湊伸治被告(46)が、埼玉県で逮捕された。同県川口市の路上で、当時32歳の男性の肩を警棒で殴り、首をナイフで刺したという殺人未遂容疑だ。その公判が現在、さいたま地裁(結城剛行裁判官)で開かれている。

ムエタイジムに所属していた当時の湊伸治容疑者。現在はこの頃よりがっしりしている

初公判は2月1日に行われた。逮捕容疑は殺人未遂罪で、そのまま起訴されれば裁判員裁判となるはずだったが、なぜか起訴罪名が傷害罪に変更されており、一人の裁判官が裁く単独事件となっていた。

この日読み上げられた起訴状によれば、湊被告は昨年8月19日の夕方、川口市の路上において、車に乗っていた男性Aさんの顔面を拳で数回殴り、その後車を降りたAさんの右肩を警棒で殴ったうえ、車に乗って立ち去ろうとしていたAさんの後頚部をナイフで刺したという。逮捕当初「殴ったり刺したりしたが、殺すつもりはなかった」と殺意は否認したものの行為自体は認めていた湊被告だったが、罪状認否では「えーと、警棒で右肩殴ったところ、ちょっと違う」と警棒で殴ったことを否認。ナイフで刺したことは認めていた。

ところが3月5日に開かれた第二回公判で再び主張が変遷。湊被告はAさんをナイフで刺したことも否認し始めた。弁護側が新たな証拠として、Aさんの“現在の”傷跡を撮影したいと証拠請求したが、裁判所は却下。これに納得いかない湊被告の発言が冒頭のシーンだ。

どうやら、湊被告は「自分が刺してはいない」という主張を、事前に手紙にしたため裁判官に直接送付していたようだ。裁判官も大きな声をさらに大きくして湊被告に呼びかけた。

「弁護人をすっ飛ばして、頭越しにあなたと直接やり取りすることはできないんです! その手紙は弁護人に渡してます! あなたのほうでどう考えるか、これ以上議論をするつもりはありませんっ!」

だが湊被告は止まらず、しばらく議論が続いたが「これから被告人質問であなたの主張を言う機会はあるから!」と裁判官が発言を抑え込み、Aさんの尋問が始まった。

湊伸治容疑者が男性を刃物で刺した事件現場。湊容疑者は近くのアパートに女性と住んでいたようだ

Aさんの供述によれば、事件の日、バーベキュー帰りに職場の後輩を助手席に乗せ、Aさんが運転する車で事件現場を通りかかると、湊被告が睨んでいることに気づいた。窓を開け「何見てんだよ」と言ったところ、湊被告に顔を殴られたという。

「ノシノシ歩いてきて殴られました。ん〜、5〜6発は入ってる。メガネぶっこわれて右のレンズが吹っ飛びました」(Aさん)

助手席の後輩が車を降り、湊被告ともみ合いに。これを止めようと湊被告を押さえつけ、手を離したところ警棒で殴られたのだと述べた。

「警棒で殴られて、よけて、先端が右肩に当たって切れた。そりゃ痛いっすよ。鈍器で殴られた痛みっすかね。(それが警棒だと分かったのは湊被告から警棒を)没収した時。そしたら警棒だった。すげえ、警棒普段から持ってんだ、やっべーと」(同)

その後、車に乗り込み立ち去り際に首を刺され、後輩に「血が出てます」と指摘を受け、首だけでなく警棒で殴られた肩からも血が出ていることに気づいたのだという。

「『大事になりそうだから行くよ』って(後輩に)言って二人で車に乗った。窓を開けっ放しだったから、そこから(首を)やられた」(同)

その後、病院で、後頚部を縫う処置をしてもらったが、仕事が忙しく抜糸に行けず、自分で糸を抜いたとAさんは語った。最後に処罰感情を問われ「これで、拘置所に入っただけで出てこられるんだったら、世の中ナイフで喧嘩しても出てこられるんだと思っちゃいますよね」と、厳しい処罰を望んでいた。

当日の様子を赤裸々に語ったAさんの尋問が終わったのちも、湊被告は「自分が刺したのではない」という主張を変えなかった。そのため、当初は予定されていなかった「Aさんの処置を行った医師」の証人尋問が今後行われる見通しだ。そして閉廷直前にも、ふたたび裁判官と湊被告とのバトルが繰り広げられた。声のボリュームはかなり大きめだ。

湊被告 「医者が言ってるんだったら、それは捏造だと思う!」
裁判官 「『ナイフによる攻撃は首には当たってない、仮に傷があるとすればそれは医師の捏造だ』とあなたは主張するんですか?」
湊被告 「医師というより、警察!」

こういった、支離滅裂なやり取りがこの後も続く。

裁判官 「初公判の法廷では『右肩は殴ってない、その他に間違いはない』と言っていたけど、今の話は違うわけね?」
湊被告 「いやそれは理由あるわけ! 結果だけ求めないで!」
裁判官 「なんで主張が変わったのかは後で十分聞くから。あのね、あなたとこうしてやり取りすること、イレギュラーなんです。直接あなたから裁判官に言われても、気持ちが先に立ってて主張を整理できないんです。法律のプロである弁護士がついてるんだから、ちゃんと打ち合わせて、その上で主張を出してほしいんですよ。今のあなたの言い分、弁護士と打ち合わせてください。あなたにとっても利益じゃないですよ!」

こうした議論を裁判官が打ち切り、今回は閉廷となった。「Aさんの首は刺していない」「警察の捏造である」と主張し始めた湊被告の公判はしばらく続く見通しだ。
https://friday.kodansha.co.jp/article/34392
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html#c127

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
61. 中川隆[-11063] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:39:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[960]

昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


____


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c61

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
120. 中川隆[-11062] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:54:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[961]
皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式

厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。


この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


▲△▽▼


皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114


▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。


昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理



▲△▽▼

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられた。


▲△▽▼


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html



http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c120

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
62. 中川隆[-11061] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:55:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[962]
10. 2013年7月13日 17:47:40 : WUs3UH3xVg

天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。

例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。

古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。

終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。

当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。


日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。

日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。

現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ

「知らない方が良いこともあるのだ」

と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。


38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ可能性が浮かび上がります。

(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係していなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)

こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。

天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において戦争経験者が多く存在する時代ですし、天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではないといえるでしょう。

そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html#c10

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c62

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
121. 中川隆[-11060] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:56:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[963]
10. 2013年7月13日 17:47:40 : WUs3UH3xVg
天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。

例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。

古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。

終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。

当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。


日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。

日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。

現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ

「知らない方が良いこともあるのだ」

と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。


38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ可能性が浮かび上がります。

(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係していなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)

こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。

天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において戦争経験者が多く存在する時代ですし、天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではないといえるでしょう。

そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html#c10

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c121

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
179. 中川隆[-11062] koaQ7Jey 2019年3月30日 13:14:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[961]

蘇我氏のルーツは渡来人? “古代の大悪人”か時代の変革者か 2018.8.7
https://www.sankei.com/west/news/180807/wst1808070003-n1.html


蘇我蝦夷の墓ともいわれる小山田古墳。墳丘の周囲は石が敷き詰められていた=奈良県明日香村(甘利慈撮影)

https://www.sankei.com/west/news/180807/wst1808070003-n1.html


 「大化の改新」として覚えている方も多いだろう。古代史最大のクーデター、乙巳(いっし)の変(645年)。蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺され、本家が滅亡した蘇我氏。奈良県明日香村では平成27年、この政変で自害に追い込まれた入鹿の父、蝦夷(えみし)の墓ともいわれる小山田(こやまだ)古墳が発掘され、蘇我氏の存在がクローズアップされた。一族のルーツは奈良を拠点とした「倭人」というのが学界では有力だが、「朝鮮半島からの渡来人だった」との新説が打ち出された。文楽や浄瑠璃(じょうるり)では古代の大悪人として語られる一方、時代の変革者ともいわれる蘇我氏。果たしてその実像は−。(小畑三秋)



 天皇の外戚として栄華

 渡来人説を唱えるのは、奈良県文化財保存課の坂靖(ばん・やすし)課長補佐。県立橿原考古学研究所の研究員当時は県内の遺跡発掘を長年手がけ、1年近く韓国国立文化財研究所で研修するなど、日韓の考古学に詳しい。

 新著「蘇我氏の古代学」(新泉社)で坂さんは、「蘇我氏の出自を考古学的に検証すると、飛鳥の開発を主導した渡来人にたどりつく」とし、出身地を朝鮮半島南西部の全羅道地域との説を唱える。「飛鳥時代を切り開くうえで歴史的に大きな役割を担った」と話す。

蘇我氏は稲目、馬子、蝦夷、入鹿が有名で「蘇我四代」と呼ばれる。日本書紀で政治の表舞台に最初に登場するのが稲目。第28代、宣化(せんか)天皇の時代に大臣となり、娘の堅塩媛(きたしひめ)を欽明天皇のもとに嫁がせ、のちの用明、推古天皇が生まれたことで外戚として権力基盤を築いた。

 稲目の子の馬子は聖徳太子とともに政治の実権を握り、第32代、崇峻(すしゅん)天皇を暗殺するなど独裁色を強め、蝦夷・入鹿父子の頃に絶頂期を迎えた。2人は自らの邸宅を「宮門(みかど)」、子供らを「王子」と呼ぶなど、天皇なみに振る舞ったという。



 しかし、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、宮殿の儀式の際に天皇の前で入鹿を殺害、邸宅に逃げ帰った蝦夷も自害し蘇我本家は滅亡した。この乙巳の変を機に大化の改新という政治改革が進められ、天皇を中心とする中央集権国家の道を歩むようになった。

 カギは朝鮮半島南西部「全羅道」

 日本書紀は蘇我氏の横暴をことさら強調するが、朝鮮半島から仏教や先進技術を取り入れて国際国家にしようと尽力した立役者だったとする見方が、研究者の間で広がっている。

こうしたなか、文献だけでなく出土遺物から蘇我氏の姿に迫ろうとしたのが坂さん。「蘇我氏の古代学」の「はじめに」では、「文献資料については専門外だが、あえてここでは大胆に考古学と文献資料を結びつけた。結びつけないと蘇我氏は解明できない」と記し、多角的なアプローチを試みた。

 平成16(2004)年の韓国への1年近い研修では、渡来人の出自を研究テーマとし、現地の遺跡や遺物を丹念に調査。韓国と奈良盆地の土器などを比較・研究した結果、明日香村北部を中心とする飛鳥地域では5世紀半ば以降、朝鮮半島南西部の全羅道とそっくりな土器が多いことに着目した。



 飛鳥地域は5世紀頃、ヤマト政権の中心地ではなかったが、全羅道地域から盛んに人々が渡ってきたことが浮かび上がった。坂さんは「5〜6世紀に密接な関係があった百済と倭国をつなぐ役割を果たしたのが、全羅道を拠点にした交易集団。そのなかで、飛鳥に移り住んだのがのちの蘇我氏になった」と推測する。

 “未開の地”を開拓

 飛鳥地域はもともと湿地帯で住みにくく、5世紀ごろまでは開発も進んでいなかった。しかし、こうした不便な土地を与えられた渡来人たちが、大陸の先進技術を生かして開発。経済だけでなく政治的にも実力をつけ、稲目の時代に権力の中枢に入り込んだという。


「渡来人としての技術と生産力を権力の源泉とし、外交でも実力を発揮。新しい時代を萌芽させたのが蘇我氏だった」と坂さん。明日香村で発掘された国内最大級の方墳、小山田古墳(一辺70メートル)こそが、一族の栄華の礎を築いた蝦夷の墓だと推測する。

 ただし、蘇我氏は渡来人ではなく奈良盆地出身の倭人との説は歴史研究者の間では有力だ。第8代・孝元天皇のひ孫の武内宿禰(たけうちのすくね)を祖とするとの伝承があり、明日香村に隣接する奈良県橿原市には曽我町という地名も残り、この一帯が本拠地だったとされる。



 ただし、こうした説を裏付ける根拠は乏しい。坂さんは「出土遺物を通じて出自をたどる研究はほとんどなかった。遺物から見ると、全羅道の可能性が高い」と指摘。「正史としての日本書紀だけでは歴史は分からない。蘇我氏の果たした歴史上の役割を客観的にみる必要がある」と話した。


https://www.sankei.com/west/news/180807/wst1808070003-n1.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c179

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
29. 中川隆[-11061] koaQ7Jey 2019年3月30日 14:33:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[962]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18
朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY


朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。

トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c29

[近代史3] 馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた 中川隆
9. 中川隆[-11060] koaQ7Jey 2019年3月30日 14:34:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[963]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18
朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY

朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。

トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html#c9

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
24. 中川隆[-11059] koaQ7Jey 2019年3月30日 14:35:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[964]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#17
朝鮮半島問題とは何か?@ 朝鮮戦争に見る近代史の真実 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=B2p75lnFBfU

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18
朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY

朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。

トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c24

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
157. 中川隆[-11058] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:44:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[965]
>苗場に雪が無いと本気で思っているみたい
>筍山クローズ理由も上級コースクローズ理由もわからないらしい


かぐら でも苗場でも夜中に造雪機で雪を作って、コース外の雪も移動させて、初中級コースに雪を盛りつけてなんとか滑れる様にしてるんだよ

上級コースまでは雪を盛れないから、まず上級コースから雪不足で滑れなくなるんだ

女子リーゼンスラロームバーンは中央以外は土が出てるよ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c157

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
26. 中川隆[-11057] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:45:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[966]
>苗場に雪が無いと本気で思っているみたい
>筍山クローズ理由も上級コースクローズ理由もわからないらしい


かぐら でも苗場でも夜中に造雪機で雪を作って、コース外の雪も移動させて、初中級コースに雪を盛りつけてなんとか滑れる様にしてるんだよ

上級コースまでは雪を盛れないから、まず上級コースから雪不足で滑れなくなるんだ

女子リーゼンスラロームバーンは中央以外は土が出てるよ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c26

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
1. 中川隆[-11056] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:47:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[967]

「没落について」中野 剛志氏(評論家)グローバル資本主義を超えてII - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=OoduEx7tl2k

2018/11/23 に公開

国際シンポジウム
「グローバル資本主義を超えてII——『EU体制の限界』と『緊縮日本の没落』」
2018年10月13日 京都大学 シンポジウムホールで行われた講演配信

▲△▽▼

【中野剛志】橋下徹、小池百合子が推める道州制がヤバい理由【JPN保守チャンネル】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8W0nCVC3pvY

2019/01/09 に公開

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【中野剛志×藤井聡】グローバリズムからの脱却!
経済再生フォーラム 2017年7月22日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=qTis2wK1mrg

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『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念 中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RqWpokdk_iA
https://www.youtube.com/watch?v=1DErfYEACvY
https://www.youtube.com/watch?v=5TBPefNLsY4

2017/09/14 に公開

『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念
中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント 
2017年8月20日(日)
会場: 紀伊国屋書店新宿本店



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c1

[近代史3] 女性受刑者の40%は「覚醒剤」で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる 中川隆
14. 中川隆[-11055] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:57:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[968]

貧困、いじめ、10代で覚醒剤、強盗 「相談できる人いなかった」2019年3月30日


自身の体験を語る女性=神奈川県内で

 非行に走る少女の多くが、幼少期に親から虐待を受けている。少年と比べると、性暴力被害や妊娠・出産など女性ならではの問題を抱えるケースも少なくないが、周囲の大人たちの理解は不足しており、更生の糸口がなかなか見つからない。十代で強盗傷害事件を起こし、少年院に収容された経験のある関東地方の女性(26)の半生から考えた。 (竹谷直子)


 女性は本紙の取材に「相談できる人が誰もいなかった」と眉をひそめた。


 女性は幼いころに両親が離婚し、母と暮らした。新たな男性と交際しているらしい母はほとんど家に帰らなかった。生活は苦しく、三日分の食事はロールパン六個。空腹に耐えかねて小学生で万引を繰り返すようになった。料金未納でガスが止められた際には風呂に入れず、学校で「汚い」といじめられた。


 転落のきっかけは中学時代、友人からの「もらいたばこ」だった。たまたま吸っているところを上級生に見とがめられ、「親にばらすぞ」と万引や性的関係を強要された。本意ではないのに非行はエスカレート。思いあまって暴力団と関係のある男性を頼ると、守ってくれた代わりに覚醒剤を薦められた。初めは拒んだが、やがてやめられなくなった。


 覚醒剤を買う金を工面するために強盗傷害事件を起こしたのは高校一年の十六歳。東京都狛江市の女子少年院「愛光女子学園」に入所した。


 一年半の少年院生活では真剣に向き合ってくれる教官にも出会った。出所時は更生したとの自負もあった。しかし、別の高校に入学したものの、学生生活になじめずに退学。職探しでは「学歴がないと、全く相手にされなかった」。


 昔のグループとの関係は断ち切れず、その仲間らと結婚、DVを受けるなどして離婚を三回繰り返し、三人の子をもうけた。この間、少年院出所者の全国ネットワーク・NPO法人「セカンドチャンス!」(SC)に参加していたが、生活が困窮するたびに風俗店で働いた。住居と託児所を用意してくれるのが大きかった。「少年院に入っているときは、誰もが更生したいと思うけど、夢の世界と現実は違う」


 給料を減らされても風俗店から抜け出せずに働く四十代の女性の姿に将来を重ねた。一方、同じ四十代でも、SCの先輩は大学を卒業して就職した。ようやく三年前、子どものために大学進学を決意。中学卒業や高校中退の学歴でも、高校卒業と同等の資格が得られる大学通信教育の「特修生制度」を利用し、四月から学び始める。一定の単位を習得すれば一般の大学生になれる。税理士の資格を取るのが目標で「生活を立て直して、私と同じようなシングルマザーの支援がしたい」と前を向く。

◆幼少期に7割 虐待経験


 専門家からは切れ目のない支援を求める声が上がる。


 非行問題に詳しい千葉大学教育学部の羽間(はざま)京子教授が二〇一五年度、全国の少年院で実施した調査によると、幼少期に家族から虐待を受けた女性の割合は72%、第三者から暴力などを振るわれた被害経験のある女性は88%に達した。羽間教授は「地域や学校の先生など、子どもに関わる大人たちは背景に何があるかを知ることが必要。大人のまなざしが変われば、それ以上の非行を食い止めることにつながる」と指摘する。


 「女性は性被害の経験のある人が多く、人を信じられなくなることがある。一方で、生きていくために性を利用されがちだ」と語るのは、十代〜二十代の女性を支援するNPO法人「BONDプロジェクト」(東京都渋谷区)代表の橘ジュンさん(48)だ。「女性は子どもがいると就労の門戸が狭くなる。自立するまで支援する緩やかなシェルターが圧倒的に足りていない」と懸念する。


 羽間教授も、二十歳になると保護観察が終了することから「(成人後も)支援のつなぎ目になるNPOや自助団体がもっと必要だ」と強調した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019033002000283.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/307.html#c14

[リバイバル3] スノーモービルで原野をかっとばそう 中川隆
1. 中川隆[-11054] koaQ7Jey 2019年3月30日 17:00:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[969]

「ルール守って」 岩木山で相次ぐ悪質走行 スノーモービル乗り入れ禁止なのに…
3/30(土) 12:24配信 Web東奥
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00000001-webtoo-l02

岩木山に乗り入れる複数のスノーモービル=2017年3月20日午後0時15分ごろ(白神登山ガイド会提供)


 津軽国定公園特別保護地区に指定され、無許可での車両乗り入れが禁止されている青森県弘前市の岩木山山頂付近で、スノーモービルの乗り入れが後を絶たない。2017年4月と18年春には、山頂でスノーモービルによるものとみられる轍(わだち)、18年5月には山頂の岩木山神社奥宮が損傷していたのが見つかった。山頂付近以外にも走行の妨げになったとして切られた木も見つかり、森林法に抵触する可能性がある。県や県警など各機関は、乗り入れ禁止を呼び掛けている。

 特別保護地区に指定されているのは岩木山8合目より上の区域。公益上必要な場合を除いてスノーモービルの乗り入れは原則禁止で、特別保護地区以外においても生木を傷つけたり枝を折ったりする行為も許されていない。津軽森林管理署の唐澤智署長は「雪崩の危険性の高い場所が多く、またスノーモービルからまき散る油によって植生に影響が及ぶ可能性があることなどから車両の乗り入れは自粛してほしい」としている。

 「この前まで山頂に乗り入れしている動画がユーチューブ(動画投稿サイト)にあがっていた。無法地帯です」−。長年岩木山をパトロールしている白神登山ガイド会の渡邊禎仁代表は嘆く。渡邊代表はこれまで頻繁にスノーモービルによるものとみられる轍、鋸(のこ)のような物で木を切った跡を目撃し、スノーモービルが乗り入れ禁止区域で滑走している状況も写真に収めた。渡邊代表によれば、山麓東側の大黒沢や水無沢、北側の赤倉沢のほか登山道に沿ってスノーモービルに最適な立木のないルートが遊び場と化しており、中でも雪崩が起こる危険性が高いとされている8合目付近の西法寺森は人気スポットになっているという。「モービルの轍は雪質によって深さ1メートル近くになりスキーヤーが転倒する原因になる。過去にはスキーヤーとスノーモービルが接触しそうになったこともある。首都圏からスキーに来るお客さんもがっかりするのでは」と渡邊代表は危惧している。

 18年5月には山頂に鎮座する岩木山神社奥宮の屋根部分の一部が損傷していた。スノーモービルによるものとみられている。神社の須藤典子権禰宜(ごんねぎ)は「今までに雪の重みや落雷で損傷することは何度もあったが、今回は屋根が部分的に剥がれて割れており、自然による壊れ方とは違う」という。同年夏までに地元有志でつくる岩木山日乃出会によって修繕された。須藤権禰宜は「岩木山は自然もたくさんある神聖な山。意図的でないにしろ、(人為的な損傷なら)悲しいことです」と語った。今後は柵の設置も検討するという。

 こうした事態を受けて、ガイド会や県、県警などは2月末に青森市で「岩木山スノーモービル対策連絡会議」を開き、県内のスノーモービル販売店やスキー場で、乗り入れの規制について周知することを決定した。3月10日にはその一環で県と弘前、鯵ケ沢両警察署、津軽森林管理署が岩木山麓2カ所でパトロールを実施。チラシを配布して周知した。

 県内のスノーモービル事情に詳しい競技関係者は「このままでは雪上モータースポーツの健全な運営に支障が出るし、とても見過ごせない。ルールを守って楽しんでほしい」と話している。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/577.html#c1

[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
10. 中川隆[-11053] koaQ7Jey 2019年3月30日 17:38:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[970]

【我那覇真子「おおきなわ」#62】
川島博之氏が見た中国〜「戸籍アパルトヘイト」9億人の農民奴隷[桜H31-3-29] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=aFLdzfrGKM8
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c10
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
161. 中川隆[-11052] koaQ7Jey 2019年3月30日 18:25:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[971]

2019年3月29日
米国債利回り曲線の姿、過去の利下げ局面に接近


[25日 ロイター] - 米連邦準備理事会(FRB)の驚くようなハト派転換ぶりに低調な経済指標の発表が重なり、米国債のイールドカーブ(利回り曲線)の主要部分は、過去にFRBが利下げに動いた局面に見られた姿に近づいている。

FRBは20日までの連邦公開市場委員会(FOMC)で、年内の想定利上げ回数を従来の2回からゼロに変更し、3年続けてきた利上げサイクルに突如終止符を打っただけでなく、9月にはバランスシート縮小も停止すると表明した。


こうした姿勢は投資家の先行きに対する自信を強めるどころか、むしろ市場にこれまでにないほど悲観的な米経済の見通しを広めてしまった、と語るのはブラウン・ブラザーズ・ハリマンの通貨戦略グローバル責任者ウィン・シン氏だ。

そのため米国債の2年─5年利回りスプレッドはマイナス幅が拡大し、以前にFRBの利下げがあった水準に迫りつつある。

3カ月物財務省短期証券(Tビル)と10年債の利回りも22日に10年余りぶりに逆転し、このままの流れなら1─2年以内に米国が景気後退(リセッション)に陥る恐れがあると警鐘を鳴らしている。

Reuters Graphic

シティグループのチーフ・テクニカル・ストラテジスト、トム・フィッツパトリック氏によると、2─5年利回りスプレッドのマイナス、つまり逆イールドの幅が12ベーシスポイント(bp)より大きくなると、これまでは利下げが実施されてきた。

足元のマイナス幅は6bpだが、22日には9bpまで広がっていた。

例外的なケースだったのは2006年で、マイナス幅が19bpに達しながら、利下げまでさらに10カ月を要した。そしてやってきたのが07─09年の金融危機で、結局政策金利はゼロとなり、量的金融緩和が何年も継続した。

過去の逆イールド化とそれに続く利下げは、いずれも非常に大きなショックを背景に起きた現象だ。1989年は貯蓄貸付組合(S&L)危機、2000年はナスダック総合指数の急落、06年は住宅バブル崩壊だった。

それと比べると今回は、米中貿易摩擦や英国の欧州連合(EU)離脱問題が米経済を脅かす要因になっているものの、かつてのようなはっきりしたショックは見当たらない。

ただフィッツパトリック氏は、もし2─5年利回りスプレッドのマイナス幅が12bpを超えるようなことがあれば、市場の不安が相当なレベルに達しているからで、そうなった原因のイベントが発生していると思うと話す。

また同氏は、雇用情勢悪化がFRBの利下げを促す可能性もあり、従来は逆イールドと利下げに先立って失業保険申請件数が増加していると付け加えた。

Reuters Graphic
長期金利の低下が続いた場合も、FRBがリセッションを避けるために、先回り的に利下げするかもしれない。この方法は過去において効果を発揮しており、1995年と96年に利下げしたおかげで、リセッションを2001年以降に先送りできた。

モルガン・スタンレーのストラテジスト、マシュー・ホーンバック氏は25日付リポートで、1982年にFRBが政策金利の誘導目標を採用して以降に3回のリセッションが起きたが、FRBはいずれもその前に利下げしていたと指摘。利下げ時期は3カ月物Tビルと10年債の利回りが逆転したおよそ8カ月後だったので、今回に当てはめるなら12月に利下げがあることを意味すると説明した。

同氏は「当社のエコノミストはFRBの次の一手が利下げでなく、12月の25bpの利上げとみているものの、経済指標が今後数カ月持ち直さないなら、市場が織り込む年内の利下げ確率が一段と高まる余地はあるだろう」と述べた。

MUFGセキュリティーズ・アメリカズの金利ストラテジスト、ジョン・ハーマン氏は、経済見通し悪化を踏まえるとFRBが昨年12月に利上げしたのは「間違い」で、これを取り消す必要があるため、9月までの利下げが不可欠になるとの見方を示した。

「世界経済の成長が一貫して弱く、米国の成長も減速している。これは直近の不適切な利上げが取り除かれ、金融政策がFRBが望んできた経済でなく、現実の経済に合うように微調整され始めることを示唆している」という。

CMEグループのフェドウオッチに基づくと、現在の金利先物は12月までに利下げされる確率をおよそ60%と見込んでいる。
https://jp.reuters.com/article/us-yield-curves-idJPKCN1RA067
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c161

[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
11. 中川隆[-11051] koaQ7Jey 2019年3月30日 19:08:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[972]

【川島博之】【特集】中国経済は本当に崩壊するの? - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=qPOCgC6EOEY

2019/01/02 に公開
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c11

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
240. 中川隆[-11050] koaQ7Jey 2019年3月30日 19:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[973]

バブル崩壊・マンション暴落へのタイムスケジュール@
住宅ジャーナリスト榊淳司氏が大暴露㉕ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eg4hh7g6_oA


バブル崩壊・マンション暴落へのタイムスケジュールA
住宅ジャーナリスト榊淳司氏が大暴露㉖ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8RN0A95XlSk


マンションは日本人を幸せにするか 著者解説 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sQuUt-k833o
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c240

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
241. 中川隆[-11049] koaQ7Jey 2019年3月30日 19:34:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[974]

なぜマンションの価格はこんなに高くなったのか? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TSfhs2tjmWo
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c241
[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
5. 中川隆[-11048] koaQ7Jey 2019年3月31日 07:42:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[975]

2019年03月31日
アメリカの1ドルショップと海外のダイソー


ダイソーはスポンジのようなどうでも良い商品の品質が高い


画像引用:https://images1.laweekly.com/imager/7-things-that-happen-when-you-start-shoppi/u/original/5366974/daiso4.jpg

海外のダイソーは最初赤字だった

100円均一(ではなくなっているが)のダイソーは海外店舗がどんどん増えて、国内3,278店舗、海外1,992店舗になっています。

増加ペースは圧倒的に海外店舗が速いので、遠くない将来ダイソーは海外店舗数のほうが多いグローバル企業になるでしょう。

ところでダイソーは日本国内では100円だが、海外では2ドルや3ドルで売られています。



1.5ドルならかなり安い方でアメリカでは2ドル、日本より物価が安いアジアでも2ドル程度で売られています。

言い換えると本来200円の価値がある商品を日本では108円で買えるので、日本のダイソーは世界でも超お買い得な店と言える。

ダイソーが劇的に変化したのは95年の阪神大震災と2011年の東北地震で、地震のあと1ドル70円台の円高になりました。


ダイソーのような100円ショップは中国など海外で生産した商品を販売していたので、円高で利益が大きいが円安では儲からない。

そこでダイソーは生産のグローバル化を進め、円高でも円安でも利益が出るシステムに改めた。

同時に品質向上と海外進出も進め、円高なら国内で円安なら海外で利益を出す事で、為替変動にも強くなった。


初の海外出店は2005年で、社員が反対するなかで創業者の矢野博丈が独断で決定し、大赤字を出したと言われている。

矢野博丈は100円均一が長続きするとは思わず、体力があるうちに「ニューヨークに店を出したい」という夢を叶えたかったようです。

2008年のリーマンショックから2011年の円高を乗り切ると海外でも利益が出るようになり、出店攻勢をかけている。

アメリカのダイソーは1.5ドルから2ドル

アメリカのダイソーには最初日本から商品を送っていたが、これだと中国から日本へ、日本からアメリカへ2倍の輸送費がかかっていました。

現在はベトナムなどで生産してアメリカに直送しているが、ほとんどの商品は日本と同一のものです。

商品の内容だけでなくパッケージや説明文も日本語のままなので、文字を見ただけでは何かわからない事もある。


もし販売国に合わせてパッケージを変更したら1割はコストが上昇する筈で、200円程度の商品には非常に痛い。

それに国ごとにパッケージや説明文を変えると少量生産になり、日本で販売する商品のコストも上昇し100円では売れなくなる。

アメリカには1ドルショップがあり、日本の100円ショップはアメリカの模倣だったのだが、本家の品質は数十年向上していない。


基本的に洗剤やお菓子など小分けできるものを少量販売していて、1ドルショップは実は普通の店より利益率が高い。

2ドルで500gの商品があったとすると1ドル200gとかで売っているので、安くはあってもお得な商品は少ない。

スプーンとかも日本の100円ショップは何回も使えるほど丈夫だが、1ドルショップのはヘナヘナしていて固いものには使用できない。


品質の違いを考慮するとアメリカのダイソーは1.5ドルから2ドルでも適正で、もし1ドルで売ったらダンピングで訴えられるかも知れない。
http://www.thutmosev.com/archives/79412718.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c5

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
189. 中川隆[-11047] koaQ7Jey 2019年3月31日 08:31:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[976]
平野憲一の株のお話 2019.03.31 面白いストーリー。


 海外投資家は2001年以降、現物では18年連続で4月は買い越しになっています。

理由は、

@配当金の再投資、
Aファンドが税対策で海外へ移動させた分の戻し、
B海外ファンドに入っている日本企業の資金が会計年度の初めで増加するから


と言われていますが、今年も年初から現物を大幅に売り越していますので、19年連続買い越してくる事が考えられます。

先物との合計でも2005年と2012年以外は買い越しです。


 それから面白い話ですが、消費税増税が消えてなくなる事が政府内部では既に決まっていると言う事情通の情報です。

安倍首相は予定通りやると言っていますし、止めと言う事は口が裂けても自分からは言えませんね。アベノミクスの失敗を認める事になる訳ですから。しかし、ECBのマイナス金利、FRBのハト派転換、中国の減税と言う世界の流れの中で、日本の「増税」はいかにも違和感があります。従って、アベノミクスで日本経済は雇用情勢が示すように元気になったけれど、内外の圧力によってやむを得ず「消費税増税」は撤回します!国民の皆様を混乱に陥れた責任を感じ、国会を解散し信を問いますとやったら、野党はかないません。

兜町雀の勝手なシナリオですが、増税対策のポイント還元は中止(すでにシステムを変更しているカード会社は混乱しますが)することになりますが、今まで決定した増税対策(余分な景気刺激策)は中止できませんので、日本経済は「貰い得」となります。まさに「面白い話」ですが。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c189

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
164. 中川隆[-11046] koaQ7Jey 2019年3月31日 09:04:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[977]
2019.03.31
NGT48の事件は米国が支配する世界の縮図


 秋元康の率いる「アイドルグループ」のひとつとして誕生したNGT48。そのグループのメンバーが住むマンション内で昨年(2018年)12月8日にひとりのメンバーは襲われた。

 この事件を調べるとしてグループを運営するAKSは第三者委員会を設置したのだが、その委員会の窓口はAKSであり、報告書を作成した後に開かれた記者会見に現れたのはAKSの松村匠取締役とNGT48劇場支配人の早川麻依子を含む3名。松村はテレビ業界の出身だという。第三者委員会のメンバーやAKSの最高権力者である秋元康は現れなかった。

 厚生労働省の統計不正や神戸製鋼のデータ改竄などでも原因究明や再発防止のためだとして同じような委員会が設置されたが、「名ばかり」だと少なからぬ人が指摘している。実態を隠すため、形式を整えて幕引きというパターンだ。NGT48を巡る出来事は日本の現状を見せてくれているように思えるが、このパターンがNGT48のケースでは崩れかかっている。

 安倍晋三政権にも食い込んでいる秋元康が広く知られるようになったのは1985年4月から87年8月まで続いたフジテレビの番組「夕やけニャンニャン」。この番組を企画したのが秋元だという。

 そこで売り出され、人気になったのが女子高校生をメンバーとする「おニャン子クラブ」。1985年7月に発売されたこのグループが歌う「セーラー服を脱がさないで」が大ヒットする。秋元が作詞したのだが、内容は初めてのセックスを連想させるものだった。

 「セーラー服を脱がさないで」からはじまり、「友達より早くエッチをしたいけど、キスから先に進めない」「胸のリボンほどかないでね。男の子はその時どうなるの?興味津々しちゃうのよ」、そして「デートに誘われてバージンじゃつまらない。パパやママは知らないの、明日の外泊。ちょっぴり怖いけどバージンじゃつまらない」というような歌詞が続く。

 個人の行動をとやかく言う気はないが、秋元はテレビという強力な媒体を利用して高校生を煽っている。女子高校生に「つながる」ことを勧めている。これが秋元の原点だ。その延長線上に「AKB48グループ」や「坂道シリーズ」はある。


 秋元がAKB48をスタートさせたのは2005年12月。グループ創設に関わったのは秋元を含む3人だが、そのひとりが広域暴力団と関係していると報道されている。国外でも有名な団体で、人身売買や幼児ポルノを手がけてたともされていた。そうした背景を持つ人物をマスコミが盛んに使い、政権が重用している。「同じ穴の狢」という表現が頭に浮かぶ。

 そして2015年10月、AKB48グループのひとつとしてNGT48は新潟市で作られる。なぜ札幌市でも仙台市でもなく新潟市なのかと話題になるほど自然とは言いがたい決定だった。

 そのNGT48のメンバーである山口真帆が自室へ入ろうとした時に顔をつかまれ、押し倒されそうになったのが昨年12月8日のこと。この事件を芸能プロダクションAKSはもみ消そうとする。

 そうした会社側の対応に不審を抱いた山口がSHOWROOMで告発の動画を配信したのが今年1月8日。それが途中で途切れると、ツイッターで事件を明らかにした。

 おそらく発端の事件はシステムの末端で活動しているゴロツキがしでかしたのだろうが、その事件のもみ消しに失敗した結果、システム全体へ疑惑の目は向けられつつある。水面下で噂されていた話が浮上してきたとも言える。

 今回の事件について新潟県の花角英世知事は1月16日、事件によって「NGTの存在がより世に知られるようになったのは事実」と語り、批判された。秋元グループへの親近感が言わせたのだろう。

 その時、花角は「正常な状態に戻ってほしい」とも口にしていたが、ここにきて「今のままでは事態が収束しているとは思えない。」と語り、NGT48との広告契約を保留する意向を表明した。もみ消しに失敗したAKSへ引導を渡したように聞こえる。

 現在、アメリカをはじめとする西側の支配層も秋元と似たような状況に陥っている。新聞、放送、映画といった宣伝装置を支配し、情報をコントロールしてきたのだが、インターネットで秘密が漏れている。そうした秘密を「偽情報」だと宣伝する一方、インターネット上の検閲を強化しているが、思惑通りには進んでいないようだ。そうした意味でもNGT48の事件は日本、そしてアメリカを中心とする世界の縮図だと言えるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903310000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c164

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
26. 中川隆[-11045] koaQ7Jey 2019年3月31日 10:03:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[978]

「2島返還」は完全に潰えた、代償大きかった対ロシア政策転換
樫山幸夫(産經新聞元論説委員長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15795


 北方領土の「2島返還」への方針転換が無駄、無益な譲歩であったことがいよいよ鮮明になった。ロシアのガルージン駐日大使は3月28日に東京・内幸町の日本記者クラブで行った会見で、これについて一顧だにしない冷淡な態度を示した。

 「歯舞」「色丹」の2島を平和条約締結後に実際に引き渡すかについても言葉を濁した。「4島返還」という一貫した要求を事実上放擲することで領土問題の決着をめざした日本政府の狙いは潰えた。「4島」はおろか「2島」返還も従来よりむずかしくなったとみるべきだろう。


(laymul/gettyimages)

「引き渡しは善意=v

 ガルージン大使は、日本政府のあらたな方針「2島+アルファ」に対する受け止め方について、「ロシア側はそういう表現を使ったことはない。日本側が時々使っている。どう解釈すればいいかコメントするつもりはない」と無関心、冷淡な姿勢をみせた。

 1956(昭和31)年の日ソ共同宣言にもとづいて、平和条約が締結された後に、歯舞、色丹の返還に本当に応じるかについて念を押され、「ソ連は、日本の利益を考慮して引き渡すつもりだった。善意であったことを理解してほしい」と述べるにとどめた。「プーチン大統領、ラブロフ外相は引き渡し≠ニいう表現を用いている」とも述べ、これら諸島の主権がロシアにあるとの見解を暗に強調した

 「歯舞、色丹島にはロシア軍以外のいかなる軍隊の駐留も受け入れるものではない」として、返還後に日米安全保障条約が適用されて米軍が駐留することへの懸念も示した。

 領土問題を伴う平和条約交渉についてはプーチン大統領が3月15日、ロシア紙「コメルサント」のインタビューで「勢いが失われた」「まず日本が米国との(安保)条約を離脱しなければならない」と強調、北方領土への米軍駐留の可能性除去が交渉の前提との見解を示している。

 プーチン大統領は2016年12月、東京での安倍首相との会談後の記者会見で、同様の見方を示しており、ロシアにとっては従来からの懸念ではある。しかし、日本が2島返還に舵を切って妥結機運を盛り上げている時期にふたたび、この問題を前面に押し出してくるのは、状況に応じて交渉のハードルをあげる旧ソ連の手法そのままにもみえる。

 大使発言はもちろん、プーチン大統領の見解に従ったのものではあるが、一連の発言によって日本のめざした「2島+アルファ」は止め≠さされたというべきだろう。

「2島」で進展に感触あった?

 日本政府が「2島返還」へと方針を転換したのは、昨年11月のシンガポールでの日露首脳会談。戦争状態の終結、国交正常化と歯舞、色丹2島の日本への「引き渡し」が明記された日ソ共同宣言を平和条約交渉の基礎とすることで合意した。安倍首相はその後、国会などで、この合意は従来の国後、択捉をふくめた4島の返還要求から2島返還への転換であることを事実上認めた。 

 首相にしてみれば、70年間要求をつづけてきたにもかかわらず、返還をみなかった厳しい状況を考慮、歯舞、色丹返還に国後、択捉での共同経済活動を加味する「2島+アルファ」で決着を急ぐ方が得策という判断だった。

 日本の方針転換にもかかわらず、ロシアはかたくなな姿勢を崩そうとしなかった。2019年1月、交渉責任者に指名された河野太郎、ラブロフ両外相がモスクワで会談した際、先方は「北方領土は第2次大戦の結果、ロシア領になったことを日本側が認めない限り交渉は進まない」と、自らの不法占拠をタナにあげ、不当な歴史認識を押しつけてきた。

 この直後、安倍首相がモスクワに乗り込んでプーチン大統領と膝詰め談判したものの、事態を大きく打開するには至らず、「戦後70年以上残された問題の解決は容易ではない」ときびしい状況であることを認めざるをえなかった。

 翌2月、ドイツ・ミュンヘンで行われた外相会談の際も、河野外相は「戦後70年かけてやってきていることであり、一朝一夕に解決することではない」とやはり早期解決は困難との見通しを示した。

 シンガポールでの首脳会談の際、首相が「次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と大見得を切ったのに比べると大きな違いだ。


シンガポール会談で、日本はなぜ方針転換したのか

 あくまでも想像だが、ロシア側から事前に「2島なら解決」という何らかの感触を得ていたのではなかろうか。首相が自信たっぷりのコメントをしたのは、そのためだったのかもしれない。

 年明けの一連の首脳、外相会談でそれぞれ、どんなやりとりがあったのか明らかではないが、浮かれていた日本側を失望させ、再びきびしい認識に戻らざるを得ない何らかのやりとりがあったのだろう。

領土は返さないが経済協力は欲しい

 誠実さをかけらも示さず、ロシアは今後も北方領土で経済開発、軍事基地建設などロシア化≠進め、日本にも協力を求めてくるだろう。

 3月2日づけの産経新聞がロシアの「イズベスチヤ」紙を引用して報じたところによると、ロシアは北方領土と千島列島を対象とした経済特区の拡大、大規模投資などを検討しているという。2月20日づけの日本経済新聞は、ロシアの民間ガス大手が日本企業に対して、北極圏での液化天然ガス事業への出資を要請していると報じた。プーチン大統領も1月の首脳会談で首相に対して、日本企業の早期決断への期待感を伝えたという。この会談で日本側は、貿易額を数年間で1.5倍の300億ドルに拡大することを約束させられている。

 2月20日付けの読売新聞によると、ロシア政府系世論調査機関が北方領土の住民に聞き取りを行ったところ、96%の住民が、島の日本への引き渡しに反対したという。この結果を受けてサハリン州の知事代行は日本との領土交渉を打ち切るよう求め、国営テレビはこの結果を繰り返し報じたという。政府系機関の聞き取り調査に対して、4%の人が少なくとも反対しなかったことは、むしろ驚くべき事ではないかと思えるが、それはともかくとして、ロシアが返還反対の世論情勢工作を盛んに行っていることを示している。

 領土は絶対に返さないけど、経済協力はほしいというロシアの思惑をはっきりと示している。


今後は「2島」がスタートライン

 日本固有の領土である国後、択捉両島を断念して歯舞、色丹の2島で決着することは日本の主権放棄にも等しい。「2島返還」フィーバーが去ろうとしているのはむしろ幸いというべきだろうが、いったん「2島返還」の旗を掲げたからには、今後の交渉は2島返還をあらたなスタートラインにしなければならないだろう。

 本来の4島返還はますます遠のいたとみなければならない。まことに大きな代償だった。「2島返還」という妖怪≠ヘ。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c26

[リバイバル3] 水道料金「月額2万円」時代へ? 値上げと地域格差拡大の背景 中川隆
21. 中川隆[-11044] koaQ7Jey 2019年3月31日 10:53:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[979]
イギリス国民の83%が「水道の再公有化」に賛成の衝撃 超高額報酬をもらう経営者たち
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63729
2019.03.29 岸本 聡子 トランスナショナル研究所研究員 現代ビジネス


「再公有化」が大人気

英国は約30年にわたり深く広く公共サービスの民営化を体験してきた。そんな英国で、こんにち「公的所有(public ownership)」が政治的な主要課題として登場し、しかも大人気である。

同国のシンクタンクLegatum Instituteによる最新の世論調査(2017年)では、「水道の再公有化」が調査対象者の83%に支持されるという結果だった。さらに、鉄道は76%、エネルギーは77%の支持である(すべてLegatum Institute, 2017.We Own It キャンペーンの一覧が分かりやすい)。

この数十年にわたる重要な産業の民営化圧力は、程度の差はあれ世界共通の傾向で、日本も例外ではない。昨年末、水道法が改正され、今後自治体は官民連携の一モデルであるコンセッション方式を検討しなくてはいけなくなった(英国とは民営化の方法が異なる)。

英国は1980年代にサッチャー政権のもと、国民皆保険を除くほぼすべての公共サービスの資産を売却して民営化した。水道は1989年に世界でも稀な完全民営化を断行。約30年たった今、どうして英国民は水道の公的管理を求めているのだろうか。その理由を知ることで、日本の水道事業の変化についてもより深く考えることができるだろう。

まずは英国のこの数年の事情を見ておこう。英国の水道完全民営化は世界でも他に3か国しか例のない一番激しい民営化のモデルである(あとはチリとマレーシアのみ)。

その問題点は長く指摘されてきた。今回この原稿を書くにあたって2014年に書いた英国の水道完全民営化の論考を再読した。英国最大の上下水道サービス会社でロンドンを含むテムズ川流域の1500万人(英国の人口の27%)にサービスを提供しているテムズ・ウォーター社を例に、民間水道会社の組織形態の複雑化と金融化を概観し、水道利用者の利益が後回しになるばかりか、利用者の負担増で株主が利潤を最大化する構造が作られてきたことを示した。

その典型的な企業戦略は、過剰資金借入れやタックスヘイブン(税回避地)を利用した「租税回避」であることもこの当時からわかっていた。2014年の時点でイギリスの民間水道の信頼は失墜していたことは明らかだ(当時の調査では70%が再公有化に賛成だった)。

数年を経て、「信頼の失墜」は、人々の怒り(Public Anger)へと成長した。2018年3月1日、インデペンデント紙とファイナンシャルタイムズ(FT)紙が、ほぼ同じ内容をカバーする民間水道の問題点に関する記事を書いたことは象徴的だ。

保守党議員も怒り心頭

驚くべきは、民営化に好意的と考えられる保守党の議員すら、民間水道会社の問題に対して怒りを隠していないという点だ。両記事から察するに、マイケル・ゴーヴ環境食糧農村地域省大臣は、水道サービスを提供する企業の取締役を集めた会合で相当「キレた」ようだ。

「彼らは複雑な金融体制を作り精査の目を逃れ、税金を払わず、すでに裕福な取締役たちをさらに裕福にし、必要以上の料金値上げをし、漏水や水源汚染そのほかの失態を長すぎるほど続けてきた」と言ったゴーブは、緊縮財政と民営化を寵愛する現与党の保守党議員だ。保守党の大臣が英民間水道企業を前に怒りを隠さないのである。

ゴーブの指摘を見ておこう。まず問題にされたのは株主への巨大な還元だ。民間水道企業は2007年から2016年の間に合計181億英ポンド(約2.62兆円)の株主配当を払い、この金額はこの期間の企業の純利益(188億ポンド)とほぼ同じであると言い、「誰がこのような意思決定をしたのか、もちろんこの部屋にいる民間水道企業の最高経営責任者と取締役たちだ」と指摘した。

次に民間水道会社の経営陣の報酬が問題とされた。ゴーヴは水道企業のCEOの年酬はユナイテッド・ユーティリティー社280万ポンド(約4.06億円)、セブントレント社242万ポンド(約3.51億円)、アングリアン社とヨークシャー社120万ポンド(約1.74億円)、テムズウォーター社96万ポンド(約1.39億円)と名指しで列挙した。96万ポンドは英首相テリーザ・メイの給料の5倍だと言うのも忘れなかった。

さらに「昨年、アングリアンとサウザンとテムズは全く法人税を払っていない。しかもテムズにおいては過去10年まったく法人税を払っていない」「10年来、株主は何億円も、重役たちは何千万円も毎年受け取りながら、国庫への貢献はゼロである」と続けた。


マイケル・ゴーブ氏〔PHOTO〕Gettyimages

ゴーヴは「テムズ、サウザン、アングリア、ヨークシャーは特に洗練された金融工学に熱心だ」と非難を続け、これらの会社が「何層にもなる、めまいがするような複雑な法人形態」を創出しそれにはタックスヘイブンに拠点を置くオフショア法人の子会社※も含まれている。

※租税環境が優遇されている(租税回避地・タックスヘイブン)に法人を作り他の場所で作られた利益をそこに移す方法。海外収益は非課税でそのお金を使って再投資し、投資で発生した利益分についても税金はかからない。

その借金、本当に必要だった?

FT紙の記事もほぼ同様に報告した上、民間水道企業が行動を変えなければ、再公有化の圧力が増すばかりと警告した。会合ではテムズ、サウザン、ヨークシャーはケイマン諸島のオフショア法人をホールディングス構造から除くと約束した。

FT紙は債務問題にも触れている。1989年に上下水道が完全民営化されたとき、投資家は76億ポンド(約1.1兆円)で水道公社を買収したが、政府は当時水道公社が持っていた合計49億ポンドの負債を清算(つまり借金棒引き)したうえで、15億ポンドの公的資金を民間水道企業に供与した。つまり民間水道会社はほとんど債務ゼロ(どころか、政府からの支援を受けた状況)で出発したのだ。

こうした水道会社の債務問題がその7か月後に発表された学術論文でさらに詳しく発表され、ゴーブの怒りを裏付けることとなった。シンプルに言えば、水道会社は不必要な借金をし、その利子支払いが水道利用者の負担になっていた、という内容だ。

FT紙はこの論文を2018年10月12日の「投資家は消費者が払う民間水道の借金で潤う」で取り上げた。サッチャーが水道事業を売却してから28年、10のイングランドとウエールズの水道会社は合計で510億ポンド(約7.39兆円)の債務を持つに至った。つまり、水道の運営にあたり資金が必要なので、様々な金融機関から借り入れを行い、利子を支払っていたということだ。

ところが、この間10社は合計で1230億ポンド(約17.81兆円)の資本投資を行い、純収益の累計は360億ポンド(約5.21兆円)であった。つまり水道企業はまったく借金をせずとも投資を回収し、水道運営費を捻出できた可能性が極めて高いのだ。

言い換えれば、必要のない借金に利子を上乗せした返済に水道利用料金が使われ続けたということだ。水道利用者は年間12億ポンド(約1737億円・一世帯の負担額は年間53ポンド=約7637円)を、利子を含めた債務の返済のみに払ってきたと論文は分析した。

この必要のない債務の恩恵を受けたのは民間水道会社の株主たちだとされる。借金を資本投資返済に充てることで、同期間に合計560億ポンド(約8.11兆円)の株主報酬を払うことができたからだ。

英民間水道のスキャンダルはその規模、仕組みが広く明らかになり、選択肢のない水道利用者が長年の過剰な水道料金を払わせられたことに、多くの英国民が怒っている。

再公有化の盛り上がりと労働党人気の関係

英民間水道企業のこうした行動実態が明らかになっていく中で、水道利用者には興味深いまったく新しい変化もまた起こっている。注目すべきは、こうした「再公有化支持」の動きが労働党人気へと繋がっている可能性だ。

ジェレミー・コービンが2015年の労働党首選で勝利して党首になって以来、イギリスの最大野党である労働党はかつてと全く違うリーダーシップで勢力を急激に伸ばしている。


ジェレミー・コービン〔PHOTO〕Gettyimages

現首相テリーザ・メイが自身保守党の地盤を固めるために恣意的に行った2017年6月の総選挙では、彼女の目的が完全に裏目に出て、コービン率いる労働党が大躍進し、政権交代までにはならなかったものの世界を驚かせた。コービン党首になって9万人だった労働党員は54万人になった。

そしてとても重要なことに、新労働党に投票し、今も活動的に支援するのは40歳以下の若年層なのだ。「英国を再建する。多くの人々のために、少数者のためではなく‘for the many, not the few’」という言葉が政治的なスローガンを超える現実味があるのが現在のイギリスであり労働党である。

こうした動きの背景に、「再公有化」への期待があると考えられているのだ。2017年の選挙で労働党はマニフェストに水道、電力、鉄道、郵便の再国有化を掲げた。若年層が圧倒的に支持した新労働党の要の政策が公共サービスの再国有化だったのだ。この政策の国民的な人気は冒頭に述べた通りである。

大躍進したとはいえ、政権を取らなければ、国レベルの再公有化のような大胆なことはまずできない。コービン率いる労働党は来る時代に備えて公約を実現するための政策準備に取り掛かった。そしてそのやり方も今までに例を見ない画期的な様相を見せている。

2017年のマニフェストが発表されてから、党は党員を超えた多くの専門家や活動家たちを招集して政策の具体化のための「部会」を設置した。党の外から政策アドバイザーを積極的に採用し政策立案していくこの実験的な方法が、労働党に新しいエネルギーを呼び込み、現在のラディカルで活気ある政策策定の過程を演出している。

より民主的な水道は可能か

2018年9月リバプールで開かれた党大会で発表された「透明な水:公的所有の民主的で透明性のある現代的な水道のビジョン」も部会と議員たちの共同の成果物だ。この案によると、現在の9つの民営水道会社を議会が決める値段で買い取り、9つの流域公共水道機構へと移行する。

労働者はそのまま新しい流域公共水道機構に移行するが、現在の民間水道企業の取締役たちは全員去っていただく。上記の水道ビジョンはこの流域公共水道機構をいかに民主的な管理と公的な精査が及ぶよう組織するかの提案が要となっている。

党大会でコービンとコンビを組む「影の財務大臣(シャドーキャビネットの財務大臣)」ジョン・マクドネル議員は「過去を繰り返す政策だと批判する人がいるが、私たちが提案しているのは全く新しい政策だ。水やエネルギーといった重要な産業の公的な所有によって今までにないレベルで労働者、市民、コミュニティーに経済的な権力を取り戻す新しい挑戦なのだ」と語った。

もしこのビジョンに従って流域公共水道機構への移行を実現したら、世界でも一番民主的で水道利用者の参画を統治に組み込んだ野心的な公的水道となるだろうと私は予想している。

さらに、マクドネル議員は水道や他の重要なサービスの「民主的な公的管理を実現するためのコンサルテーション」を発表した。これは部会よりもさらに広く、国際的にこの分野の研究者や実践者から知恵と経験を集める作業である。私も私が持てる情報や分析を提供してこの労働党の政策の土台となる知識収集作業に参加している。

しかし、2018年9月の党大会から数か月、英国のEU離脱(Brexit)問題ででそれ以外の政策議論が文字通り凍ってしまっている。国家を分断する悩ましいBrexitは労働党内の勢力も激しく分断してきたが、今年2月末、コービンは労働党のBrexit案を議会で通せない場合、EU離脱を問う二回目の国民投票を支持すると表明した。

Brexitの行方がどうなるのか現在誰にも分らないが、40年の新自由主義で深く傷ついた英国に新しいビジョンが必要なことは確かである。水道について考えることは、その第一歩になると、私は考えている。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html#c21

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
285. 中川隆[-11043] koaQ7Jey 2019年3月31日 13:14:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[980]

3月28日 最も危険な食べ物、飲み水、薬のトップ10
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html


一般的に販売されている食品の多くに何等かの有害な化学物質が含まれているの確かです。それらを日常的に食べている消費者は知らないうちに不健康になっていっています。ただ、運動を行ったり、栄養バランスの良い食事をしたり、ストレス発散ができたり、高い免疫力を維持していればそれらの有害物質も身体の外に排出されるのでしょう。免疫力が低下すると具合が悪くなってしまいます。
風邪くらいですぐに病院に行くのは考え物ですね。
日ごろから気を付けるべき主な食品、水、薬品(10点)だけでも覚えておきたいものです。

https://www.naturalnews.com/2019-03-26-top-10-poisons-in-american-food-water-and-medicine.html
(概要)
3月26日付け

最も危険な食べ物、飲み水、薬品のトップ10とは

Image: Top 10 “Poisons” in American food, water, and medicine – and which body functions they ATTACK

(Natural News)
人々は様々な添加物が含まれている食品を食べ、フッ化ナトリウム、塩素が含まれている水道水を飲み、人工甘味料を使い、身体に有害な薬を飲んでいるため、常に身体はこれらの有害物質に攻撃され続けています。


処方薬の副作用は医師の指示に従わないほんの一部の患者に起こるのであって医師の指示通りに飲んでいれば安全であると信じている人も多いのです。


しかし実際はこれらの有害物質は身体を弱らせ寿命を短くしているのです。
化学薬品がカビ、菌、バクテリアなどの殺菌作用があるなら、同じように体内の細胞や軟組織そして免疫系や神経系をゆっくりと破壊するのも確かです。

そのうちに医師も患者も具合が悪くなった原因を特定できなくなるでしょう。

どのような検査を受けても真の原因の特定ができなくなるのです。しかしこれこそがアメリカの医療産業複合体による犯罪なのです。
医師と病院は以下の4段階のプランに沿って患者を騙し慢性病の治療を受けさせています。しかし彼等が行う慢性病の治療とは症状を隠すだけの手術と投薬治療のみです。これらは病気を治すものではありません。

最初に、医師は患者に「あなたの病気は遺伝ですから家族も同じ病気になる確率が高いです。」と言います。次に、医師は全く役に立たない検査を患者に受けさせます。そして検査結果を1,2週間後に伝えます。その間、患者は何度も病院通いをします。
次に、医師は患者に対してどの治療法を望むのかを尋ねます。そうすることで患者は重要視されていると感じます。しかし患者がどの治療法を選んでも、みな身体には侵襲的であり、化学薬品まみれで、ストレスの多い治療法であり、さらに具合が悪くなっていきます。
最後に、医師は患者に複数の処方薬を与えることになります。しかし与えられた処方薬を飲んでも病気は治りません。病気の原因の多くが体内に悪い物を取り入れた結果だからです。
そしてアメリカで日常的に体内に取り入れられている最も危険な食品、水、薬品(トップ10)は以下の通りです。。

1. キャノーラ油

血液凝結、心臓病、肥満、記憶喪失そして認知症になりやすくなる。

2. 水道水に含まれるフッ素

体内からカルシウムを排出させてしまうため徐々に骨がもろくなる。さらに松果腺を石灰化する。また、IQを低下させる。フッ素は殺虫剤と同様であり癌を引き起こす。

3. インフルエンザ・ワクチンなどに含まれる水銀

水銀は地球上で最も危険な非放射性有害物質であり中枢神経系を攻撃する。ほんの微量の水銀でも体内に入ると危険である。1回のインフルエンザ・ワクチンの中には25mcgの水銀が含まれている。EPA米環境保護庁の安全性限界は5mcgである。インフルエンザ・ワクチン以外に複数のワクチンを接種させられている子供たちは1日の安全性限度の10倍以上の水銀を体内に取り入れている。

4.抗生物質

免疫系の微生物叢や腸内(善玉菌と悪玉菌)を破壊する。

5. 安息香酸ナトリウム(保存料)

体内のミトコンドリア細胞を覆うたんぱく質を攻撃し酸素を取り込むのを阻害する。その結果、プログラム細胞死を招き、最終的には脳腫瘍を引き起こす。

6. アスパルテーム
アスパルテームは神経系を攻撃し極度の不安症にさせる。また、体重を増加させる。

7. グルタミン酸ナトリウム

脳細胞と呼吸パターンを攻撃し、片頭痛、嘔吐、喘息、脳損傷(幼児)を引き起こす。様々なワクチンに含まれている。

8. グリフォサート除草剤(モンサント社のラウンドアップと呼ばれる除草剤に含まれる。)


栄養が腸壁から吸収されないようにしてしまうため免疫系が侵される。アメリカの農地には毎年2憶ポンドものグリフォサートが使用されている。その結果、一般的に販売されている殆どの食品や水道水にはグリフォサートが含まれている。

9. 漂白剤(漂白されたパン、パスタ、小麦粉、砂糖、他)

膵臓、膀胱、前立腺の上皮組織を腐食し、腐食部分に癌を引き起こす。

10. GMO遺伝子組み換え穀物と農作物

GMOのDNAには、人間の腸内の善玉菌を破壊し免疫系を衰弱させ、認知能力を衰えさせ、認知症、パーキンソン病、アルツハイマー病、不安症、うつ病を発症させる除草剤が含まれている。

これらの有害物質を日常的に体内に取り入れている我々は自らの寿命を短くしています。
また、病院でも病院食としてこれらの有害物質が含まれる食事を提供しています。

アメリカの大手食品メーカーと大手製薬メーカーは利益を増やすためにアメリカ人をわざと不健康にしています。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html



http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c285

[リバイバル4] 食べてはいけない 中川隆
5. 中川隆[-11042] koaQ7Jey 2019年3月31日 13:15:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[981]

3月28日 最も危険な食べ物、飲み水、薬のトップ10
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html


一般的に販売されている食品の多くに何等かの有害な化学物質が含まれているの確かです。それらを日常的に食べている消費者は知らないうちに不健康になっていっています。ただ、運動を行ったり、栄養バランスの良い食事をしたり、ストレス発散ができたり、高い免疫力を維持していればそれらの有害物質も身体の外に排出されるのでしょう。免疫力が低下すると具合が悪くなってしまいます。
風邪くらいですぐに病院に行くのは考え物ですね。
日ごろから気を付けるべき主な食品、水、薬品(10点)だけでも覚えておきたいものです。

https://www.naturalnews.com/2019-03-26-top-10-poisons-in-american-food-water-and-medicine.html


最も危険な食べ物、飲み水、薬品のトップ10とは


人々は様々な添加物が含まれている食品を食べ、フッ化ナトリウム、塩素が含まれている水道水を飲み、人工甘味料を使い、身体に有害な薬を飲んでいるため、常に身体はこれらの有害物質に攻撃され続けています。


処方薬の副作用は医師の指示に従わないほんの一部の患者に起こるのであって医師の指示通りに飲んでいれば安全であると信じている人も多いのです。


しかし実際はこれらの有害物質は身体を弱らせ寿命を短くしているのです。
化学薬品がカビ、菌、バクテリアなどの殺菌作用があるなら、同じように体内の細胞や軟組織そして免疫系や神経系をゆっくりと破壊するのも確かです。

そのうちに医師も患者も具合が悪くなった原因を特定できなくなるでしょう。

どのような検査を受けても真の原因の特定ができなくなるのです。しかしこれこそがアメリカの医療産業複合体による犯罪なのです。
医師と病院は以下の4段階のプランに沿って患者を騙し慢性病の治療を受けさせています。しかし彼等が行う慢性病の治療とは症状を隠すだけの手術と投薬治療のみです。これらは病気を治すものではありません。

最初に、医師は患者に「あなたの病気は遺伝ですから家族も同じ病気になる確率が高いです。」と言います。次に、医師は全く役に立たない検査を患者に受けさせます。そして検査結果を1,2週間後に伝えます。その間、患者は何度も病院通いをします。
次に、医師は患者に対してどの治療法を望むのかを尋ねます。そうすることで患者は重要視されていると感じます。しかし患者がどの治療法を選んでも、みな身体には侵襲的であり、化学薬品まみれで、ストレスの多い治療法であり、さらに具合が悪くなっていきます。
最後に、医師は患者に複数の処方薬を与えることになります。しかし与えられた処方薬を飲んでも病気は治りません。病気の原因の多くが体内に悪い物を取り入れた結果だからです。
そしてアメリカで日常的に体内に取り入れられている最も危険な食品、水、薬品(トップ10)は以下の通りです。。

1. キャノーラ油

血液凝結、心臓病、肥満、記憶喪失そして認知症になりやすくなる。

2. 水道水に含まれるフッ素

体内からカルシウムを排出させてしまうため徐々に骨がもろくなる。さらに松果腺を石灰化する。また、IQを低下させる。フッ素は殺虫剤と同様であり癌を引き起こす。

3. インフルエンザ・ワクチンなどに含まれる水銀

水銀は地球上で最も危険な非放射性有害物質であり中枢神経系を攻撃する。ほんの微量の水銀でも体内に入ると危険である。1回のインフルエンザ・ワクチンの中には25mcgの水銀が含まれている。EPA米環境保護庁の安全性限界は5mcgである。インフルエンザ・ワクチン以外に複数のワクチンを接種させられている子供たちは1日の安全性限度の10倍以上の水銀を体内に取り入れている。

4.抗生物質

免疫系の微生物叢や腸内(善玉菌と悪玉菌)を破壊する。

5. 安息香酸ナトリウム(保存料)

体内のミトコンドリア細胞を覆うたんぱく質を攻撃し酸素を取り込むのを阻害する。その結果、プログラム細胞死を招き、最終的には脳腫瘍を引き起こす。

6. アスパルテーム
アスパルテームは神経系を攻撃し極度の不安症にさせる。また、体重を増加させる。

7. グルタミン酸ナトリウム

脳細胞と呼吸パターンを攻撃し、片頭痛、嘔吐、喘息、脳損傷(幼児)を引き起こす。様々なワクチンに含まれている。

8. グリフォサート除草剤(モンサント社のラウンドアップと呼ばれる除草剤に含まれる。)


栄養が腸壁から吸収されないようにしてしまうため免疫系が侵される。アメリカの農地には毎年2憶ポンドものグリフォサートが使用されている。その結果、一般的に販売されている殆どの食品や水道水にはグリフォサートが含まれている。

9. 漂白剤(漂白されたパン、パスタ、小麦粉、砂糖、他)

膵臓、膀胱、前立腺の上皮組織を腐食し、腐食部分に癌を引き起こす。

10. GMO遺伝子組み換え穀物と農作物

GMOのDNAには、人間の腸内の善玉菌を破壊し免疫系を衰弱させ、認知能力を衰えさせ、認知症、パーキンソン病、アルツハイマー病、不安症、うつ病を発症させる除草剤が含まれている。

これらの有害物質を日常的に体内に取り入れている我々は自らの寿命を短くしています。
また、病院でも病院食としてこれらの有害物質が含まれる食事を提供しています。

アメリカの大手食品メーカーと大手製薬メーカーは利益を増やすためにアメリカ人をわざと不健康にしています。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html



http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/130.html#c5

[お知らせ・管理21] 2019年03月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
52. 中川隆[-11044] koaQ7Jey 2019年3月31日 16:52:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[979]
>>51
御迷惑をお掛けしてどうも申し訳ございません。

どうしたらいいか考えてみます。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/551.html#c52

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
299. 中川隆[-11043] koaQ7Jey 2019年3月31日 17:30:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[980]

韓国の異常な反日行動の根底にある観念とは - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=xqo0k-CIaWY

2019/03/30 に公開


慰安婦、徴用工、レーダ照射、天皇謝罪要求・・・
日本人には理解できない韓国の異様な反日行動。
しかし、彼らには彼らの「正義」がある。
その根底になるものを読み解くと・・・
韓国、北朝鮮のウォッチングを
40年以上続けてきた榊淳司が解説。

関連ブログ
http://www.sakakiatsushi.com/

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c299

[近代史3] 朝鮮人は頭がおかしい _ あるのはウソだけのめんどくさい国 中川隆
2. 中川隆[-11042] koaQ7Jey 2019年3月31日 17:31:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[981]

韓国の異常な反日行動の根底にある観念とは - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=xqo0k-CIaWY

2019/03/30 に公開


慰安婦、徴用工、レーダ照射、天皇謝罪要求・・・
日本人には理解できない韓国の異様な反日行動。
しかし、彼らには彼らの「正義」がある。
その根底になるものを読み解くと・・・
韓国、北朝鮮のウォッチングを
40年以上続けてきた榊淳司が解説。

関連ブログ
http://www.sakakiatsushi.com/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/193.html#c2

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
245. 中川隆[-11041] koaQ7Jey 2019年3月31日 21:15:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[982]
排せつ物持たせ撮影 父、強要罪とDV追起訴 野田小4虐待死
2019年3月30日


 野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)が1月24日に自宅浴室で死亡した虐待事件で、千葉地検は29日、心愛さんを浴室に立たせ続けるなどした強要罪と、母親のなぎさ被告(32)=傷害ほう助罪で起訴=への暴行罪で、父親の勇一郎容疑者(41)=傷害致死罪などで起訴=を追起訴した。心愛さんに排せつ物を持たせ撮影していたことが新たに判明した。

 起訴状などによると、昨年7月30日午前5時40分〜同6時40分ごろ、自宅浴室で心愛さんを脅して排便させ、排せつ物を右手に持たせてスマートフォンで撮影したとされる。

 今年1月5日ごろには、自宅居間で「何も信用していないよお前のことなんか」「お前みたいに暇人じゃないんだよ」「立てよ。風呂場に行けよ」などと脅迫。首を横に振って嫌がる心愛さんの衣服をつかんで廊下に引っ張り出し、なぎさ被告に助けを求める心愛さんに「邪魔だから。行けよ。早く」などと威圧し、浴室や脱衣所に立たせ続けたとされる。

 なぎさ被告に対しては、同1日ごろ自宅で、胸ぐらをつかんで顔を平手で殴り、太ももを蹴るなどの暴行を加えたとしている。

 捜査関係者によると、なぎさ被告は、勇一郎被告による心愛さんへの虐待を「止めようとしたら暴力を振るわれた」という趣旨の供述をしている。

 千葉県警は、一家が沖縄県糸満市で暮らしていた2017年7月、なぎさ被告の親族が市に相談した内容に基づきドメスティックバイオレンス(DV)の状況を捜査。勇一郎被告を心愛さんへの強要容疑で4回目の逮捕後、なぎさ被告への暴行容疑でも追送検していた。

 勇一郎被告は心愛さんの死亡2日前から飢餓や強いストレス状態にさせた上で死なせたとする傷害致死罪などで起訴され、なぎさ被告は同時期に食事を与えず、暴行を制止しなかったとして傷害ほう助罪で起訴された。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c245

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
246. 中川隆[-11040] koaQ7Jey 2019年3月31日 21:20:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[983]

小4女児死亡 凶暴さと穏やかさを使い分けた父親の「二面性」


ざっくり言うと

千葉県野田市の小4女児死亡事件で逮捕された父親を、週刊女性PRIMEが報じた
近隣住民や職場の上司によると、「しっかりした人」「温厚で穏やか」だそう
一方で、父親と面談した学校関係者は「非常に威圧的」などと話した


《小4女児虐待死》娘を死に追いやったモンスター男の「不気味な二面性」
2019年2月5日 週刊女性PRIME
http://news.livedoor.com/article/detail/15978397/

昨年11月、職場のイベントで撮影された勇一郎容疑者(読者提供)
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「亡くなった子を見たことはあるよ。水色の自転車に乗ってね、楽しそうに友達と走ってたんだよ。何で覚えているかというと、その自転車がその後ずっとカギをかけられて放置されているからさ。

【写真】心愛さんのSOS、父親に渡されてしまった直筆のアンケート用紙

 自転車に乗っていたのは昨年の夏。それ以来ずっと自転車はカギをかけられたままさ」

 事件現場となったアパートの向かい側に住む男性(72)は、あの自転車、と指をさしながらそう振り返った。

24日午後11時08分、容疑者本人からの110番

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡、傷害容疑で父親の勇一郎容疑者(41)が千葉県警野田署に逮捕された虐待事件。

「木曜日(1月24日)の深夜0時近くにパトカーと救急車がうるさくて、玄関を開けてみたら(容疑者が)連行されるところでね。顔が真っ白だったのを覚えています。うなだれていて、青白いを通り越して真っ白な顔だった」

 と同じアパートの男性住人。

「丁寧でしっかりした人という印象しかありません。虐待とは真逆のイメージです」

 と続けた。

 心愛さんは容疑者と母親(31)、妹(1)の4人暮らし。勇一郎容疑者の態度は家の中では一変。暴力で家族を支配していたのである。

 事件発覚の経緯を捜査関係者が明かす。

「24日午後11時08分、容疑者本人から110番がありました。『10歳の娘を風呂場に連れて行ってもみ合いになり、静かになり、呼吸がない』との通報でした。心愛さんは心肺停止状態で、あご付近に軽い死後硬直が始まっていた」

 冷水を浴びせられたためスウェット上下は濡れていて、はだし。髪の毛があちこちにちらばり、Tシャツに隠れた身体には、古いあざのようなものが複数確認されたが、

「死因に至るような大きなケガ、外傷はありませんでした。病死以外の何らかの原因で死亡したものと判断しています」(前出・捜査関係者)

妻にDV、娘を恫喝

 心愛さんは沖縄県出身。小学校1年から3年の7月まで、母親の実家がある沖縄県糸満市の市立小学校に通っていた。そのころから一家は『要支援家庭』として行政の支援対象になっていた。

 糸満市の担当者の話。

「2017年7月上旬に、心愛さんの母親が“夫にDVを受けている。心愛も恫喝を受けている”と親族に打ち明けたそうです。親族が市役所に相談して発覚しました」

 母親(妻)へのDVの内容は、およそすべてが含まれるモンスター級。精神的には“バカ”“お前は何もできない”と暴言を吐かれる。身体的には殴られる。経済的には貯蓄や生活費を厳しく管理される。社会的には行動の監視、ケータイの履歴をチェックしたり、妻が友人や両親と会うことを禁止したりする。

 さらに市は、心愛さんが通っていた小学校とも連携し、調査をするも虐待の痕跡は確認できなかったという。

「上の子の話をすると避けられる可能性があるため、低体重児で誕生した下の子の支援を通して、母子の様子を確認しました」と前出・担当者。

 家庭訪問の約束をとりつけたが、容疑者側の都合で延期され実現しなかった。

「一緒に(夫の出身地の)千葉で暮らすことになったと言っていました」(同担当者)

 糸満市は、転入先の野田市に対し、『不安定な状態のリスク家庭』と申し送りをした。

 その具体的内容は、

「夫が妻を支配、友人家族と連絡なく、メールを削除させられるなどの生活が日常的。妻へのDVや娘への恫喝があった。夫婦のパワーバランスが懸念される、というものです」(前出・担当者)

 糸満市の支援は、この段階で終了した。

 '17年9月、心愛さんは千葉県野田市立山崎小学校に転校する。同校の教頭の話。

「積極的な児童で、授業中も自分から挙手する。礼儀正しく、言葉遣いもしっかりしている。お友達にも優しく慕われていました。衣服が汚れていることもなく、“あのアンケート”以前には虐待を感じさせることはなかったです」

 “あのアンケート”とは、学校が児童に実施したいじめに関するアンケートのこと。

 '17年11月6日だった。

 心愛さんはアンケートの自由回答欄に《お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにはけられたりたたかれたりします。先生、どうにかできませんか》と綴っている。

 選択式の設問では「いじめを誰から受けましたか」という質問に「家族」。いじめの内容を問う設問では「ぼう力を受けている」と記入。心愛さんの、心からのSOSだった。

 学校はすぐさま動いた。

「その日のうちに本人から聞き取りを行い、市教育委員会に報告しました。市が児童相談所へ通報し、翌日、一時保護となりました」

 と前出の教頭。この対応に、勇一郎容疑者は怒った。家族に言わずに児相に通報するのはおかしいと不満をぶつけ、学校の考え方が信頼できないため転校すると宣言。

2つの顔を持つ容疑者

 年が明け'18年1月、話し合いの場が持たれた。前出の教頭がその様子を伝える。

「校長、教務、担任、市教委から2名、ご両親の7名で話し合いました。父親は非常に威圧的といいますか、訴えるなどと脅し文句を言われました。“誘拐だ!”“家族を引き離すのか!”“誘拐された親の気持ちがわかるのか”とバーッと言われまして……」

 学校は、勇一郎容疑者の圧に屈し、心愛さんを保護する際は父親に情報を公開するという「念書」を書いて渡したという。その数日後、市教委は心愛さんが勇気をもってSOSを発信した“あのアンケート”のコピーまで父親に手渡すという失態を演じた。

 心愛さんを一時保護した千葉県柏児童相談所の担当者は、

「親族宅で生活をするということで一時保護を解除し、その後2回の面談を経て、'18年2月28日には、自宅に戻す決定をしました」

 と経緯を説明。勇一郎容疑者は山崎小に不信感を持ったとして、心愛さんを野田市立二ツ塚小学校に転校させた。

 二ツ塚小の校長は、

「お父さんは、学校が家庭に介入することを拒みました。“家庭訪問するときは私の許可を取ってからにしてください”と言っていました」

 と明かす。児相は、

「児相への不信感を持っていて、拒否するような姿勢でした。……職員が強く怒鳴られることもありました」(前出・児相担当者)

 アンケートの内容について、心愛さんが父親から叱責されたかどうかはこれからの捜査で明らかになるが、転校先の学校で実施されたいじめアンケート('18年6月、11月)に、心愛さんが虐待について記入することはもうなかった。アンケートに記入する勇気が無駄になることを、心愛さんは味わったのか……。

何が不満だったのか

 家族を暴力的に支配し、学校の面談ですごんでみせた勇一郎容疑者だが、職場では低姿勢で人当たりのいい別の表情を見せていた。昨年4月から在籍する沖縄コンベンションビューロー東京事務所の上司は、事件と容疑者が結びつかないと首をひねる。

「非常に温厚で穏やかでコミュニケーション能力もあり、慕われていました。どんな人にも正しい敬語を使って、自己主張もしないし、人と意見がぶつかることもなく、みんなから頼られていました。彼を悪く言う人はいません」

 酒癖は普通、ニコニコと人の話を聞き、トラブルもなし。広島カープのファンで、家族の話もしょっちゅう。

「娘さんを“上のお姉ちゃん”と“下の子”と呼んでいました。上のお姉ちゃんの運動会だったとか授業参観だったとか、学校行事のことをよく話していました」(前出・上司)

 しかし、心愛さんは下校後、毎日のように同級生の家で過ごしていた。カギを持たされていなかったから。容疑者夫婦は同級生の家に心愛さんを迎えに行くとき、これまた平身低頭だったという。

「お父さんが相手のお宅にお邪魔して“すみません”とか菓子折りを持ってやってきて、丁寧すぎて怖いほどにお礼を言うそうです。ただ服装は全身真っ黒。背が高くて、威圧的な感じがして“不気味だった”って言う人もいました」

 と近隣の主婦。そんな外面のよい父親について心愛さんが、友達同士の会話で「お父さんが怖い」と本音をもらしていたこともあったという。

 一時保護時には、こんなエピソードも。

「食事の片づけのとき、調理の人に“ごちそうさまです。おいしかったです”って必ずお礼を言っていたらしい。よっぽど厳しくしつけられていたんでしょう」(市内の女性)

 同級生の1人は、心愛さんからもらった“手編みのマフラー”を宝物にしている。寒がりのこの同級生のために編んでくれたのだという。

 そんなやさしい子に育った心愛さんの何が不満だったのか。凶暴さと穏やかさの二面性を使い分け、「しつけ」と称した暴力でわが子を死に追いやったモンスター。歪んだ父親像に憑かれている。
http://news.livedoor.com/article/detail/15978397/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c246

[近代史3] 性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態 中川隆
1. 中川隆[-11039] koaQ7Jey 2019年4月01日 08:32:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[984]

「目が合う」ということと「セックスをする」ということの間に大きな一線がなかった古代以来、世界に類を見ない、性をめぐる日本の高度な文化はいかに生れたのか?先頃亡くなった橋本治の論考から引用します。

橋本治「性のタブーのない日本」より
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日本語には「FUCK」に対する動詞がありません。女性器名をサ変動詞にして「おまんこする」という種類の表現にしているだけで、性交自体を表す動詞がありません。だから、「FUCK」を日本語に訳すと、ただ「やる」です。「FUCK」にふさわしい品のない表現だと思って、私は「やる」とか「やっちゃった」を連発していますが、ただ「やる」だけだと、「なに」をやるのか分かりません。でも、それでいいのです。日本語は「FUCK」に対応する動詞がないのだから。

なぜその動詞がないのかというと、日本には「その行為」だけを特別にピックアップする習慣がなかったからです。日本ではその行為が「逢う」ということに含まれていて、逢ったらもうやっちゃっているわけで、「その行為の部分」だけを特別視する必要がないのです。

「逢う」は当然「会う」ですが、「合う」と元は一つです。旧仮名遣いでいくと、どちらも「逢ふ」で「合ふ」です。だから「古事記」には《御合而(みあいて)》という表現も登場します。

(中略)

「FUCK」に対応する動詞が存在しないということは、「その行為」自体を特別視しないということです。「FUCK」が「性交をする」という意味から離れて、「人を罵倒する時に使う下品な表現」になってしまっているのは、当然、アダムとイヴの時代から続く「神の怒りにふれちゃうようなよろしからぬ行為」という色彩を性交が背負ってしまっているからでしょうが、日本語の「合う」や「逢う」にはそんなニュアンスがありません。性行為であることを率直に語って、しかしそこに「FUCK」のような卑語表現がないのが日本語で、「合う」や「逢う」が「率直な表現の言葉」であるということを理解しないと、「表現にぼかしが入れられた」という風に感じてしまうことになります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=344319


橋本治「性のタブーのない日本」より
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「遊女」というのをそもそも「売春を業とする女」と考えるが誤解です。「遊女」の「遊」は「エンターテインメント」の「遊」で、古い日本語で「あそぶ」というのは「音楽を楽しむ」「演奏する」であり「歌を歌う」で、「遊女」は「ポップスを歌う歌手」でもありました。「今様」というのは、「今の様(スタイル)」という意味の、院政の時代にポピュラーになった歌で、これがないと後の小唄とか歌謡曲という種類のものは生まれない、当時的な「ポップス」ですが、その時代の遊女はこのポップスのシンガーです。「今様の名手」である遊女達は、上皇や女院の御所に呼ばれて今様を披露していましたが、同時に遊女なので客を取ってもいました。

「長者」というと、「富裕な暮らしをしていられる人」ですが、女で「長者」ということになると、これは「遊女宿を経営する、自立した遊女」のことです。「遊女宿」というのは、当然、売春施設ではなくて、「遊女が客の接待をする宿泊施設」で、平安や鎌倉、室町の街道や、海や川の港や船着き場のある場所にはありました。江戸時代になって街道が整備されるとこういうものはなくなって、ただの宿場になってしまいますが、それでもその宿場の宿屋には「飯盛女(めしもりおんな)」という、客の求めに応じて肉体を提供する女が当たり前にいました。幕府の方には「一つの宿場には飯盛女は何人まで」という規定はありましたが。

こういう言い方をしても「遊女」というのがどういう種類の女かということの説明にはなりませんが、その説明がどうしてむずかしいのかというと、近代以降の我々は、「性交の有無」というところに一線を引いてしまっているからです。

「遊女」というものを存在させていた時代は、彼女達が客に対して性行為を提供していたかどうかを、あまり問題にしません。彼女達が、客にエンターテインメントを提供する職業の女性で、性行為はそのエンターテインメントと一線を引かれて特別扱いされるようなものではなかったのです。

(中略)

江戸の吉原よりも古い京都の遊郭島原は、旧京都の南西のはずれにあります。戦乱で荒れ果てていた京都を整備して、平安京の東半分だけの現在の京都市街の基盤を作ったのは豊臣秀吉ですが、豊臣秀吉の時代に遊郭は、もっと違う所にありました。もっと東北寄りの、京都御所のすぐ南で「柳の馬場」と言われたところが、江戸時代以前に遊郭のあった場所です。院政の時代に、上皇や女院が今様の名手である遊女達を御所へ呼んだように、朝廷は「芸能」を退けません。すぐ近くに遊郭があってもよかったのです。それが日本文化の本来系でもあったのですが、徳川幕府は「風紀上よろしくない」として、柳の馬場にあった遊郭を(当時の)京都のはずれへ移したのです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=344613
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/152.html#c1

[近代史3] 性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態 中川隆
2. 中川隆[-11038] koaQ7Jey 2019年4月01日 08:34:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[985]


性のタブーのない日本 (集英社新書) – 2015/11/17
橋本 治 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%B2%BB/dp/4087208109
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/152.html#c2

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
524. 中川隆[-11037] koaQ7Jey 2019年4月01日 09:11:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[986]

2019年04月01日
引っ越しで収入が上がる 田舎から都会へのiターン

やはり人が多い都市ほど平均収入が高い

好景気は大都市にしかない

世のなか都会を離れて田舎へ引っ越すUターンやiターンが盛んですが、逆はあまり話題になりません。

実際には田舎から都市部へ出てくる人の方が多く、今も日本の都市化は進んでいます。

総務省によると首都圏・中京圏・近畿圏の3大都市圏では人口が増えていて、その他の地域では減少が続いています。




このままの傾向が続くと今世紀後半には千葉から兵庫までの太平洋側は人口が微増で、他の地域の人口は4割ほどに減少します。

千葉から兵庫までと他の地域は別の国と言えるほど違っていて、就職状況も大きく異なります。

例えば人出不足と言われますがそれは3大都市圏だけで、他の地域には当てはまりません。


労働者の給与やバイト時給などの民間統計の多くは、需要の多い大都市だけしか取っていません。

好景気や不景気といった景況も、好景気は大都市から始まって田舎になるほど最後にやってきます。

そして不況は田舎から始まって、大都市には一番最後にやってくるものです。


過疎地には杉の値段が上がったとか行楽客が増えた、公共事業予算が増えたなどで好景気を感じられる程度です。

近い県や同一県内でも収入格差がある

大都市圏以外は募集企業も限られていて、田舎では昔ながらの職業しかない場合が多い。

田舎に留まったまま収入を上げるのは困難なので、お金を求めるなら都会に出た方が良い。

田舎の人口流出はまさに「お金を稼げないから」なので、そこに留まる限り収入は増えません。


すごく能力が高い人は田舎で出世したり高収入を得られるが、その場合も都会に出た方が収入は向上します。

田舎でも人口減少による労働者不足がありますが、この場合は人手不足でも企業は賃金を低く抑えようとします。

自分が住んでいる地域の平均収入を調べてみて、3大都市圏より大幅に少ないようだったら、真剣に移住を検討するべきかも知れません。


1位の東京都は615万円で5位の京都府は498万円、18位和歌山県の453万円あたりまでが3大都市圏に該当しています。

400万円以下は38位鳥取県の396万円、46位宮崎県は365万円、47位青森県は359万円などとなっています。

九州の中でも26位の福岡県、内陸部でも12位栃木県や16位群馬県は高収入県となっています。


東北でも19位の宮城県、四国では24位香川県、北陸でも22位石川県は比較的収入が高い。

同じ県内でも県庁所在地など最大都市の平均収入が高いので、同一県内でも過疎地から都市部に引っ越すメリットは大きい。
http://www.thutmosev.com/archives/79430347.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c524

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
2. 中川隆[-11036] koaQ7Jey 2019年4月01日 09:40:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[987]


MMT(財政赤字は問題ない)は、やはり危険 2019年4月1日
塚崎公義(久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15796


 米国で「財政赤字は問題ない」という新理論が話題になっていますが、『日本の財政が絶対に破綻しない理由』を記した楽観主義者の塚崎でさえも、「やはり危険だ」思います。


「財政赤字は問題ない」という新理論が米国で話題に

 米国でMMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)と呼ばれる理論が話題となっています。民主党左派が財政支出拡大を求める際の理論的根拠として支持しているようです。

 「政府は紙幣を印刷すれば借金を返せるのだから、政府が破産することはありえない。したがって、財政赤字を気にすることはない。もっとも、財政赤字は無限には増やせない。そんなことをしたらインフレになるので、インフレを抑制するために増税をする必要があるからだ」というわけです。

 つまり、「増税は財政赤字を減らすためではなく、インフレを抑制するために行うのであって、インフレが心配ないのであれば増税は不要である」というわけですね。

 従来の経済学の主流派からは「トンデモ理論」だと批判されているわけですが、「日本は巨額の財政赤字を続けているが、自国通貨で国債を発行しており、インフレにもなっていないので、何の問題も起きていないではないか」というのが彼らの主流派への反論となっているようです。

 「非常識だ」と批判するのは簡単ですが、ガリレオの地動説のように、「非常識だけれど正しいこと」もあり得るので、本稿では非常識だという批判は差し控えたいと思います。

 そうだとすると、MMTは本当に間違えているのでしょうか?

日本でも、MMTは危険

 もしも、「財政赤字が10%増えるとインフレ率が1%高まる」という安定的な関係があるのであれば、日本のような国ではMMTもある程度正しいのかもしれません。しかし実際には、そうした関係は決して安定的ではありません。

 財政赤字とインフレの関係は、直線的なものではなく、地震のエネルギーが蓄積されていって、ある時突然に暴走する可能性があるのです。

 財政赤字が続き、政府の借金が増えていくと、世の中に出回る紙幣が増えていきます。実際には紙幣は銀行に預金され、銀行は日銀に預金するでしょうから、増えるのは日銀の準備預金ですが、「いつでも人々が巨額の紙幣を手にすることができる状況」となっていくわけです。

 そうした時に、たとえば石油ショックなどが発生して、人々の間でインフレ予想が広まったとします。人々は一斉に預金を引き出して物を買うでしょうから、実際にインフレ率が急激に上昇し、それが一層の買い急ぎを誘うでしょう。

 あるいは、日本政府が破産するという噂が流れたとして、人々が「破産する政府の子会社が発行している日銀券など持ちたくない」と考えて外貨や実物資産を購入し始めるとすれば、やはり超インフレになりかねません。

 そうなったら、MMTが言うように「増税してインフレを止める」ことは極めて困難です。無理に超大幅増税を短期間で実行すれば、経済が大混乱するでしょう。

 実際には増税よりも即効性のある「大幅な利上げをする」、「預金準備率を急激に引き上げる」、といった手段が採れるでしょうから、本当に超インフレになってしまうことはないでしょうが、いずれにしても「暴走する車に急ブレーキをかける」ようなものですから、相当大きなショックを経済に与えることとなりかねません。

 したがって、筆者でさえも、「日本の財政赤字を脳天気に放置しておいて良い」とは思っていません。ただ、「放置するリスクと緊縮財政で景気を悪化させるリスクを天秤にかけると、前者のリスクの方が若干小さいだろう」と考えているだけです。


対外債務のある国では採用不可

 日本は巨額の対外純資産を持っていますし、対外債務も多くは自国通貨建てです。したがって、海外の債権者の反応を気にする必要がありません。しかし、対外債務の多い国は、海外の債権者の反応も大いに気になるところです。

 海外の投資家や銀行は、国内の投資家や銀行と比べて遥かに逃げ足が速いですから、MMTのリスクが大きいのです。海外の投資家が逃げ出すと、自国通貨をドルに替えて持ち帰るため、超ドル高となり、輸入インフレとなります。

 それだけではありません。倒産が増えるのです。海外からのドル建て債務を返済するには、自国通貨をドルに替える必要があります。海外からの返済要請が殺到した場合、最初に返済した人は良いのですが、その人がドルを買うことでドルが値上がりするため、2人目の返済負担は1人目より大きくなるのです。

 3人目以降も同様なので、最後の1人はわずかなドルを返済するのに巨額の自国通貨が必要となり、倒産しかねないのです。

 したがって、対外債務の大きな国がMMTを採用することは、大変危険なことだと言えるでしょう。

 ユーロ圏の国がユーロ建てで借金をしている場合や、米国が米ドル建てで借金をしている場合は、この限りではありませんが、米国の場合は反対に基軸通貨であるが故に世界に迷惑を撒き散らす可能性があるのです(後述)。


米国の方が日本よりインフレ体質

 米国の方が日本よりインフレになる可能性が高そうです。単に過去のインフレ率が高かったというだけではありません。インフレになった時に、それが加速する可能性が高そうだ、という点が問題なのです。その分だけ、MMTのリスクは高いと考えて良いでしょうから。

 インフレになると「買い急ぎ」をする傾向が、米国人は日本人よりも強いようなのです。日本人はインフレになると買い急ぎをするインセンティブと並んで「老後のための貯金が目減りしてしまったので、倹約して貯蓄に励む」というインセンティブも持ちますが、米国人はそうでもないようです。

 もともと楽天的で将来不安を日本人ほど感じないという国民性もあるのでしょうが、「インフレになると賃金が素直に上がる経済体質」「金融資産が株式などインフレに強いもの中心なので、インフレでも目減りしない構造」なども影響しているかもしれません。

基軸通貨の混乱は世界的な影響が大

 日本経済が混乱しても、日本の金利が急上昇しても、日本の円が暴落しても、影響は日本中心に発生するだけで、世界経済への影響は限定的なものにとどまるでしょうが、米国で同じことが起きると影響は世界中に広がります。それは、米国の通貨である米ドルが基軸通貨として世界中の貿易や投資等に使われているからです。

 米国の金利が急上昇すると、世界中の金の貸し借りが混乱します。米国のインフレを止める目的で利上げをすると、米ドルを海外から借りている途上国の経済が破綻したり、世界的に株価が暴落したりするわけです。

 そんなことになっても米国のインフレを止める効果は見込まれないのに、迷惑だけ世界中にかけるわけですね。そんなリスクを世界経済に負わせないでいただきたいものです。

 さらに問題が深刻化すると、基軸通貨が交代する、といった思惑が生じるかもしれません。そうなれば、世界経済の混乱は計り知れないものとなるでしょう。幸か不幸か現在はドルに代わって基軸通貨となり得る通貨が見当たらないこともあり、その可能性は非常に低いとは思われますが、影響の大きさを考えると、確率は低くても被害の期待値は無視できないと言えそうです。

 以上を総合的に考えると、筆者は米国がMMTを採用することに反対せざるを得ません。もっとも、米国が「米国ファーストだから、他国への悪影響など考慮せずに、米国経済だけのことを考えてMMTを採用する」と言い始めたら、止める術はありませんが(笑)。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c2

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
171. 中川隆[-11035] koaQ7Jey 2019年4月01日 15:24:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[988]

英語に堪能、母語に不自由 2019年3月29日


 次期学習指導要領で小学校5・6年生を対象に英語が正式教科となり、11歳、12歳の子どもたちが2年間で習得する英単語数は600〜700にもなるという。現在、中学校では1200単語、高校では1800単語のあわせて3000単語を習得させているが、中学校段階の半分以上を前倒しして小学校段階で覚えさせ、さらに疑問詞や代名詞、動名詞や助動詞、動詞の過去形などの表現も学ばせるのだという。そして上級学校に進学すると、中学校で1600〜1800単語、高校で1800〜2500単語にまで増やし、高卒段階の習得単語を3000からいっきに4000〜5000に引き上げるという。国を挙げてこれほど英語学習にムキになっているのは何のため、誰のためなのだろうか。

 「英語ができるオレは格好いい」の風潮なのか、はたまた英語熱の微妙な浸透による影響なのか、最近は何でもかんでも日本語の会話のなかに英単語を交えて話す人が増えてきた。一昔前ならルー大柴の芸風として笑われていたものが日常生活のなかで当たり前となり、いつの間にか意味や印象も脳味噌にすり込まれているから不思議だ。その度に「日本語でいえよ」と思いつつ、みずからが無意識のうちに使っている単語もままある。日本語で文法を使いこなしながら会話しているのに、単語は英語という奇妙な取り合わせである。

 企業ではコンプライアンス(法令遵守)やガバナンス(統治)といった言葉が当たり前に使われるようになり、会議や打ち合わせはミーティングなどという。選挙になれば公約といえばいいのにマニフェストといい、主導権を握ることをイニシアティブを握るといい、スターバックスに行くと、大中小でなくとも、せめてS・M・Lでよかろうものをスモール、トール、ラージ、グランデからサイズ(大きさ)をチョイス(選ぶ)し、「テイクアウト(持ち帰り)ですか?」と聞かれたりする。アイドルのAKB48は「アキバシジュウハチ」ではなく「エーケービー・フォーティーエイト」。昼飯に行こう→ランチに行こう、心から尊敬している→マジ・リスペクト、潜在能力を秘めていますね→ポテンシャルが高いね、売り切れています→ソールドアウトです−−。日常のなかに浸透している英単語はまだまだある。そして、暴力亭主→DV男(ドメスティックバイオレンス)、コストパフォーマンス(価格性能比)→コスパ、キャパシティ(収容能力)→キャパなどのように短縮して独自の和製英語化を遂げているものもあったりする。そして、昔の人がDをデーといおうものなら笑い者にするような風潮すらある。英語ができるものがすごいという価値基準から、そうでない者を卑下するのである。

 さて、話を本題に戻すと、常用漢字すら習得できていない小学生が、漢字の筆記学習(毎日習慣づける)に加えて英語の単語学習(スペルを何度も筆記したり、反復学習するほかない)までこなし、これまで中学校1年生段階で学んできたはずの学習量を受け止め、消化できるのかは甚だ疑問だ。恐らく無理な話で、取り残されて置いてけぼりを食う子どもが続出することは疑いない。よほどの秀才でない限りは、家庭での自学による蓄積がなければ英単語も漢字も覚えられるものではなく、そのために費やす学習時間分ほどその他が疎かになる関係だろう。現状でさえ読み書き計算ができず、そのまま放置されている子どもたちが多いなかで、一部の「できる子」とその他の多数を占める「できない子」との溝はさらに深まることが予想される。

 母語である日本語の読解力が落ち、テストで文章題の意味が理解できない子どもが増えていることがニュースになった。文章力についても、句読点の打ち方やてにをはの使い方、接続語の使い方などに不自由な子どもたちが増え、大学では卒論を書こうにも起承転結や文章のつなぎ方がわからない学生も増えているという。読書量の圧倒的不足など要因は様様あるだろうが、日本語に不自由であるというのが特徴だ。

 英語でもスペイン語でも中国語でも、語学に堪能であることにこしたことはない。何カ国語も操れるような人をみると、その努力に大いに感心する。しかし、現在のように母語を押しのけてでも政府挙げて英語学習に傾斜しているのは、植民地従属国としての仕様を完成させ、英語への反射神経を高め、外資に牛耳られたグローバル社会に適応するためでしかない。母語や母国から切り離れて世界を漂流するコスモポリタン(無国籍主義者)の道を進むという政府の宣言なのだろう。       
https://www.chosyu-journal.jp/column/11286
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c171

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
183. 中川隆[-11034] koaQ7Jey 2019年4月01日 15:25:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[989]

英語に堪能、母語に不自由 2019年3月29日


 次期学習指導要領で小学校5・6年生を対象に英語が正式教科となり、11歳、12歳の子どもたちが2年間で習得する英単語数は600〜700にもなるという。現在、中学校では1200単語、高校では1800単語のあわせて3000単語を習得させているが、中学校段階の半分以上を前倒しして小学校段階で覚えさせ、さらに疑問詞や代名詞、動名詞や助動詞、動詞の過去形などの表現も学ばせるのだという。そして上級学校に進学すると、中学校で1600〜1800単語、高校で1800〜2500単語にまで増やし、高卒段階の習得単語を3000からいっきに4000〜5000に引き上げるという。国を挙げてこれほど英語学習にムキになっているのは何のため、誰のためなのだろうか。

 「英語ができるオレは格好いい」の風潮なのか、はたまた英語熱の微妙な浸透による影響なのか、最近は何でもかんでも日本語の会話のなかに英単語を交えて話す人が増えてきた。一昔前ならルー大柴の芸風として笑われていたものが日常生活のなかで当たり前となり、いつの間にか意味や印象も脳味噌にすり込まれているから不思議だ。その度に「日本語でいえよ」と思いつつ、みずからが無意識のうちに使っている単語もままある。日本語で文法を使いこなしながら会話しているのに、単語は英語という奇妙な取り合わせである。

 企業ではコンプライアンス(法令遵守)やガバナンス(統治)といった言葉が当たり前に使われるようになり、会議や打ち合わせはミーティングなどという。選挙になれば公約といえばいいのにマニフェストといい、主導権を握ることをイニシアティブを握るといい、スターバックスに行くと、大中小でなくとも、せめてS・M・Lでよかろうものをスモール、トール、ラージ、グランデからサイズ(大きさ)をチョイス(選ぶ)し、「テイクアウト(持ち帰り)ですか?」と聞かれたりする。アイドルのAKB48は「アキバシジュウハチ」ではなく「エーケービー・フォーティーエイト」。昼飯に行こう→ランチに行こう、心から尊敬している→マジ・リスペクト、潜在能力を秘めていますね→ポテンシャルが高いね、売り切れています→ソールドアウトです−−。日常のなかに浸透している英単語はまだまだある。そして、暴力亭主→DV男(ドメスティックバイオレンス)、コストパフォーマンス(価格性能比)→コスパ、キャパシティ(収容能力)→キャパなどのように短縮して独自の和製英語化を遂げているものもあったりする。そして、昔の人がDをデーといおうものなら笑い者にするような風潮すらある。英語ができるものがすごいという価値基準から、そうでない者を卑下するのである。

 さて、話を本題に戻すと、常用漢字すら習得できていない小学生が、漢字の筆記学習(毎日習慣づける)に加えて英語の単語学習(スペルを何度も筆記したり、反復学習するほかない)までこなし、これまで中学校1年生段階で学んできたはずの学習量を受け止め、消化できるのかは甚だ疑問だ。恐らく無理な話で、取り残されて置いてけぼりを食う子どもが続出することは疑いない。よほどの秀才でない限りは、家庭での自学による蓄積がなければ英単語も漢字も覚えられるものではなく、そのために費やす学習時間分ほどその他が疎かになる関係だろう。現状でさえ読み書き計算ができず、そのまま放置されている子どもたちが多いなかで、一部の「できる子」とその他の多数を占める「できない子」との溝はさらに深まることが予想される。

 母語である日本語の読解力が落ち、テストで文章題の意味が理解できない子どもが増えていることがニュースになった。文章力についても、句読点の打ち方やてにをはの使い方、接続語の使い方などに不自由な子どもたちが増え、大学では卒論を書こうにも起承転結や文章のつなぎ方がわからない学生も増えているという。読書量の圧倒的不足など要因は様様あるだろうが、日本語に不自由であるというのが特徴だ。

 英語でもスペイン語でも中国語でも、語学に堪能であることにこしたことはない。何カ国語も操れるような人をみると、その努力に大いに感心する。しかし、現在のように母語を押しのけてでも政府挙げて英語学習に傾斜しているのは、植民地従属国としての仕様を完成させ、英語への反射神経を高め、外資に牛耳られたグローバル社会に適応するためでしかない。母語や母国から切り離れて世界を漂流するコスモポリタン(無国籍主義者)の道を進むという政府の宣言なのだろう。       
https://www.chosyu-journal.jp/column/11286
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c183

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
78. 中川隆[-11036] koaQ7Jey 2019年4月01日 18:24:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[987]

ロッテアライリゾートでダイナマイト爆発! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QShGYiWRXJ0


2019/03/18 に公開
ロッテアライリゾートスキー場で雪崩のコントロールをゲレンデのパトロールの皆さんがやっていると聞いて体験させてもらいに行ってきました。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c78

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
14. 中川隆[-11035] koaQ7Jey 2019年4月01日 18:25:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[988]
ロッテアライリゾートでダイナマイト爆発! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QShGYiWRXJ0

2019/03/18 に公開
ロッテアライリゾートスキー場で雪崩のコントロールをゲレンデのパトロールの皆さんがやっていると聞いて体験させてもらいに行ってきました。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c14

[昼休み52] 名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は? 中川隆
38. 中川隆[-11034] koaQ7Jey 2019年4月01日 19:32:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[989]

m224「眠る村」齊藤潤一監督インタビュー - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FSs2guhBx98


2019/02/15 に公開

●224「眠る村」齊藤潤一監督インタビュー
2019年2月13日シアターセブンにて
聞き手 浅尾典彦(夢人塔)

「サブカルmini」No.224
監督の齊藤潤一に、裁判の結果を待たずに
容疑者奥西勝が獄中死した事件をなぜまた扱うのか?
などインタビュー。事件が歴史になる瞬間をあなたは知るだろう。
撮影はこの映画プロデューサーの阿武野勝彦。

「眠る村〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜」
東海テレビ劇場版第11作目
第66回 菊池寛賞、2017年 日本民間放送連盟賞
〈特別表彰部門/放送と公共性〉最優秀賞。
ナレーション 仲代達矢。

3/2より第七藝術劇場、京都シネマ、順次元町映画館ほか公開
配給 東海テレビ
(C)東海テレビ放送
企画協力  シアターセブン、松井寛子
番組制作・著作 (C)2019夢人塔

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html#c38

[リバイバル3] 苗場スキー場 中川隆
66. 中川隆[-11033] koaQ7Jey 2019年4月01日 19:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[990]


雪日記 3/27(水) 
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3554.html


本日の夜の部は越後湯沢特別編。
街からは遠くて中々訪れない苗場プリンスへ。

レストランアゼリアのブッフェでアーライッ!

“つなんポークロース肉の鉄板焼き”と“越の黄金豚ロース肉のしゃぶしゃぶ”
をとことんいただきます。

正規のお値段はまぁまぁしますが、料理の種類は豊富。
そして美味しい、
プレミアムシーズン券の割引チケット利用なら納得のお値段です。
シーズン券購入者のメリットはこんな所にもあります。

デザートのクオリティが意外に高かったのも嬉しい。
プリンスホテルのディナーバイキング、侮れないぞ!
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3554.html

____


雪日記 3/29(金) 
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3556.html


シーズン券の割引券がまだ余っているので、再び苗場プリンスへ。

ゲレンデが観える特等席で鍋ビュッフェ。
29(肉)の日なのですき焼き食べ放題です(笑)

目の前は第2高速と第8高速リフト。
8高が9高だったらリフトも29だったのにね。

まぁまぁ美味しかったけど、アゼリアのブッフェと比べるとイマイチ…。
この内容で4,500円なんて価格設定だから苗場はどんどん廃れていくのだろうと。
高級路線なのか格安路線なのか中途半端すぎです。
街で2,000円程度の食べ放題の方が内容は全然マシです。
リゾートなのだから、もう少し内容をまともにして値上げしてもいいし、
格安路線でいくなら値段がやはり高すぎ。

それを象徴するかのように、お客さんは外国からの観光客ばかり。
これが日本の鍋と思われたくない…(笑)
日本人にこの内容ではリピートしてくれる方はいないでしょう。

プリンスカードでお会計したらプリンスポイントが付きませんでした。
そっか、プリンスが直営している店舗ではなかったのですね。

そー言えば、プリンスはバイキング形式のレストランを“ブッフェ”と表記するけど、
こちらは“ブュッフェ”でした。

でもホテル内の飲食店なのだから、カード提示時にそれは伝えるべきでない?
もうクローズ時期が近付いているのに、慣れない感じのバイトくんばかりだったし何だかなぁ…。

ゲレンデ目の前のロケーションだけは良かった苗場夜の部でした。

苗場はホテルの外に素晴らしい飲食店がいくつかあるので、
プリンスに宿泊しても外で食べるのが一番だと思います。
でもそれじゃダメだよなぁ、プリンスホテル様…。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3556.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html#c66

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
31. 中川隆[-11032] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:10:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[991]
2019.04.01
ウクライナの大統領選挙でコメディアンが首位となり、4月に決選投票へ

 3月31日はウクライナの次期大統領を決める投票日だった。言うまでもなく、この選挙は2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除した体制が行うもので、ペトロ・ポロシェンコが現在の大統領。有力候補者はこのほかオリガルヒのユリア・ティモシェンコとコメディアンのボロディミル・ゼレンスキーだった。出口調査によると、ゼレンスキーが30%でトップ、ポロシェンコは18%、ティモシェンコは14%。ゼレンスキーとポロシェンコで4月21日に決選投票があると見られている。

 ウクライナでは2004年から05年にかけてロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させるため、アメリカなど西側支配層を後ろ盾とする勢力が「不正選挙だ」として抗議活動を展開した。いわゆるオレンジ革命だ。その時に西側が支援していた人物がビクトル・ユシチェンコ。2005年1月から2010年2月まで大統領を務め、新自由主義を導入した。その政策で大多数の庶民は貧困化、一部の腐敗勢力が巨万と富を築いてオリガルヒと呼ばれるようになる。

 そうしたオリガルヒのひとりがティモシェンコで、2005年1月から9月まで、そして07年12月から10年3月まで首相を務めた。彼女がいかにして蓄財したかを知っている人びとからは嫌われている。2010年にも大統領選挙に出馬するが、ヤヌコビッチに敗れた。そのヤヌコビッチをバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ったクーデターで2014年に倒したわけだ。ポロシェンコもオリガルヒのひとりで、チョコレート王、あるいはチョコレート・マフィアと呼ばれている。

 オレンジ革命の直前、2003年にジョージアでも政権が倒されている。いわゆるバラ革命だ。黒幕はアメリカ大使のリチャード・マイルズ。その前には、ユーゴスラビアで政権を転覆させている。マイルズはサーカシビリ支持の若者を扇動してシェワルナゼを辞任に追い込んだのだ。

 ポロシェンコとサーカシビリは国立キエフ大学の出身だが、そこでふたりは親しくなっている。サーカシビリは1994年にアメリカのコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。卒業後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。

 ウクライナの庶民はふたりのオリガルヒを選挙で拒否したのだが、アメリカ支配層を後ろ盾とするネオ・ナチが大きな影響力を持っている。誰が大統領になっても軍事的な緊張は続きそうだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904010001/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c31

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない 中川隆
1. 中川隆[-11031] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:17:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[992]
憲法について - 内田樹の研究室 2019-03-31
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

 2018年の5月に日仏会館で憲法についての講演を行った。

 護憲派はなぜ「弱い」のかという問題について考察した。この日は憲法学の泰斗である樋口陽一先生も客席にいて、ずいぶん緊張した。さいわい、講演後の打ち上げでビールを酌み交わしながら、「おもしろいお話でした」と言って頂いて、ほっとした。


 今晩は。ご紹介いただきました内田です。

 錚々たる憲法学者の方たちが例年憲法講演会をされているところで、私のような何の専門家かわからない人間が登壇するというのは、まことに申し訳ないことです。

 時々改めて「あなた、何の専門家なの」って訊かれると、いつも返答に窮します。専門がないんです。いろんな分野に手を出して、いろいろな論点について一知半解のコメントをしているだけなので、ちょっと専門家に突っこまれると、すぐにしどろもどろになってしまう。

 でも、せっかく手を拡げている以上、どのトピックについても「その分野の専門家が誰も言っていそうもないことを言う」ということを原則にしています。他の人がすでに言っていること、その領域では「常識」として共有されていることを僕が繰り返しても意味がありませんから。せっかく発言の機会を頂いたら、どんな分野のことでも、「まだ誰も仰っていないこと」を言う。そういう方針でおります。

 ですから、憲法についても、「誰も言わないこと」を選択的に語ってきたのですけれども、最近は同じような意見を言って下さる方がだんだん増えてきました。僕が言わなくても言ってくださるのでしたら、わざわざ僕が出てくる必要はありません。白井聡さんなんかの書かれたものを読んでいると、「そう、その通りだ」と膝を叩いてしまいます。僕よりもはるかに見事に現状を分析しているので、こういう仕事はそういうできる人に任せて、僕はもっと違う分野に移動する時期かなとも思っております。それでもまだ僕や白井さんのような立場は圧倒的に少数意見ですので、当面は共同戦線を張って戦ってゆくつもりでいます。

 僕が憲法に関して言いたいことはたいへんシンプルです。それは現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということです。だから、この空語を充たさなければいけない、ということです。

 日本国憲の掲げたさまざまな理想は単なる概念です。「絵に描いた餅」です。この空疎な概念を、日本国民であるわれわれが「受肉」させ、生命を吹き込んでゆく、そういう働きかけをしていかなければいけないということです。

 憲法は書かれたらそれで完成するものではありません。憲法を完成させるのは、国民の長期にわたる、エンドレスの努力です。そして、その努力が十分でなかったために、日本国憲法はまだ「受肉」していると呼ぶにはほど遠い。というのが僕の考えです。

 もう一つ長期的な国民的課題があります。それは国家主権の回復ということです。

 日本はアメリカの属国であって国家主権を持っていない。その国家主権を回復するというのはわれわれの喫緊の国家目標です。これはおそらく百年がかりの事業となるでしょう。これもまた日本国民が引き受けなければならない重い課題です。
そして、国家主権の回復という国民的事業を一歩ずつでも前に進めるためには、「日本国民は今のところ完全な国家主権を持っていない」という痛ましい事実を認めるところから始めなければいけません。

 日本はアメリカの属国です。安全保障であれ、エネルギーであれ、食糧であれ、重要な国家戦略についてわれわれは自己決定権を有していない。この事実をまず国民的に認識するところから始めなければいけません。けれども、現在の政権を含めて、日本のエスタブリッシュメントはそれを認めていない。日本はすでに完全な国家主権を有しているという「嘘」を信じているか、信じているふりをしている。すでに国家主権を有しているなら、アメリカの属国身分から脱却するための努力の必要性そのものが否定される。この重篤な病から日本人が目覚めるまで、どれくらいの時間が要るのか、僕には予測できません。恐ろしく長い時間がかかることは間違いありません。
 
 最初に「憲法は空語である」という考え方について、少しご説明を申し上げておきます。

 憲法集会では、いろいろな団体に呼ばれます。もちろん、呼んでくれるのはどこも護憲派の方たちです。今日はちょっと違うようですが、護憲派の集会へ行くと、客席の年齢層が高いんです。ほとんどがお年寄りです。平均年齢はたぶん七十歳くらい。若い人はまず見かけることがありません。日頃から、駅頭でビラを撒いているの方たちもそうです。地域の市民たちが文字通り「老骨に鞭打つ」という感じで情宣活動をしたり、護憲派集会の会場設営の力仕事をされている。若い人が来ないんです。どうしてこんな老人ばっかりなんだろう。どうして日本の護憲派の運動は若い人に広がらないのか。

 それはどうやら、若い人たちはむしろ改憲派の言説の方にある種のリアリティーを感じているかららしい。改憲派の言葉の方に生々しさを感じる。そして、護憲派の言説は「空疎」だという印象を持っている。どうして護憲派の言説にはリアリティーがないのか。

 僕は1950年生まれです。僕にとって日本国憲法はリアルです。それを「空疎」だと思ったことがない。憲法は僕にとって山や海のような自然物と同じようなものだからです。生まれた時からそこにあった。良いも悪いもありません。自然物についてその良否を語らないのと同じです。「憲法を護ろう」というのは、僕たちの世代にとっては、当たり前のことなわけです。それは「大気を守ろう」とか「海洋を守ろう」とかいうのとほとんど変わらないくらい自然な主張に思えていました。

 でも、これはあくまで世代の問題なんです。だから、護憲派の人たちに六十代、七十代の人が多い。それが当然なんです。この世代にとっては、憲法は自然物としてのリアリティーがあるからです。でも、若い人は憲法にそのようなリアリティーを感じない。同じ文言であるにもかかわらず、育った年齢によって、その文言のリアリティーにこれほどの差がある。この差はどうして生まれたのか。この差を決定づけたのは戦中派の人たちが身近にいたか、いなかったのかという先行世代との関わりだと僕は思います。

 戦中派というと、われわれの世代では、親であったり、教師であったりした人たちです。この人たちの憲法観が僕たちの世代の憲法への考え方を決定づけた。戦中派の憲法理解が、戦後日本人の憲法への関わりを決定的に規定したというが、僕の仮説です。

 僕自身は、戦中派であるところの両親や教師たちやから、「とにかく日本国憲法は素晴らしいものだ」ということを繰り返し聞かされてきました。そして、「この憲法は素晴らしいものだ」と言う時に彼らが語る言葉は本当に重々しかったのです。声涙ともに落つという感じで。こんなよい憲法の下で育つことができて、お前たちはほんとうに幸せだ、と深い確信をこめて彼らは語った。その言葉に彼らはほとんどその実存を賭けていた。子どもにもそれは分かります。だから、「この憲法のどこが素晴らしいの?」というような質問は思いもつかなかった。大人たちがこれだけはっきりと、全身全霊をかけて言っている言葉に疑義を差し挟むことなんか、子どもにはできません。 
 
 僕らの子どもの頃、天皇制を批判する人は結構いたんです。学校の先生にもいました。天皇制について、はっきり反対だと言い切る先生はふつうの公立の小学校や中学校に何人もいました。「天ちゃん」というような侮蔑的な言葉遣いで天皇を呼ぶ人もいた。それを咎める人もいなかった。

でも、憲法について批判的なことを言う大人は、僕が子どもの頃には、周りにまったくいなかった。僕自身の個人的な経験から言うと、一人もいなかった。

 僕の世代には名前に「憲(のり)」っていう字が入っている男子がたくさんいます。今はもうほとんどいないと思うんですが、1946年の憲法公布から10年間ぐらいは、「憲男」とか「憲子」という名前はそれほど珍しくなかった。この時期だけに特徴的な命名だったと思います。それだけ親の世代が憲法に関して多くのものを期待していた。だから、自分の子どもには憲法の憲の字を背負って一生生きてもらいたいという強い願望をこめた。

 ですから、改憲論というものを僕はずいぶん後年になるまで聞いたことがなかったんです。自民党は党是として結党時から自主憲法制定を掲げていたようですが 、憲法を改正することが国家的急務であるというような言説がメディアを賑わせたことなんか、小学生から大学生時代に至るまで、僕はまったく記憶にありません。とくに1960年代末から70年にかけて、僕が高校生大学生の頃は、全共闘運動の時代ですから、改憲論なんて話題にもなりませんでした。活動家たちはブルジョワ民主制を打倒して革命をしようというような話をしている訳ですから、そもそもブルジョワ憲法の良否が政治的議論のテーマとなるはずもない。憲法を護持すべき、あるいは改正すべきだと真剣に語る学生なんか僕はその時代には見たことがないです 。

 ところが、ある時期から改憲論が声高に語られるようになって来た。そして、改憲論のほうが護憲論よりもリアリティーを持つようになってきた。若い世代において顕著だったと思います。ある時期から、護憲論を聞いてもそんな空疎な議論は聞きたくないという冷たい目を向けてくるようになった。そう言われると、確かに空疎な気がするんですね、護憲論というのは。

 憲法は素晴らしいものである。でも、突っこまれて一番厳しいところは、日本国憲法は日本人が人権を求める戦いを通じて自力で獲得したものではない、ということです。戦争に負けて、日本を占領したアメリカの軍人たちが「こういう憲法がよろしかろう」と判断して、下賜された。日本人が戦い取ったものではない。負けたせいで手に入ったものです。

 ところが、僕自身はそんなふうに思ったことがなかったのです。だって、生まれた時からあったわけですからね、憲法は。自然物として、あった。それが日本国民の闘いを通じて獲得されたものではないということは、歴史的事実としては知っていました。にもかかわらず、それを実感したことはなかったんです。なぜかというと、戦中派世代の人たちが、憲法の制定過程に関してほぼ完全に沈黙していたからです。日本側とGHQとの間で、どういう駆け引きがあって、どういうプロセスでこのような文言に定まったのか、僕たちには何も説明がなかった。

 戦中派は二つのことがらについて沈黙していたと僕は考えています。一つは戦争中における彼ら自身の加害経験についての沈黙。戦争の時の被害経験に関してはずいぶん語られてきましたけれど、加害者として、特に中国大陸や南方において自分たちが何をしたのかについては口を噤んでいた。どういう風に略奪したのか、強姦したのか、拷問したのか、人を殺したのか、そういうことについてはほぼ完全な沈黙を守った。

 それは戦争経験文学の欠如というかたちでも現れていると思います。敗戦直後の45年、46年にはほとんど見るべき文学的達成はありません。戦争から帰ってきた男たちが戦争と軍隊について書き出すのはその後です。

 最も早いのが吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、46年には書き上げられていました。大岡昇平の『俘虜記』が48年。50年代になってからは、野間宏の『真空地帯』、五味川純平の『人間の条件』、大西巨人の『神聖喜劇』といった「戦争文学」の代表作が次々と出てきますけれど、加害経験について詳細にわたって記述した作品は僕の世代は少年時代についに見ることがありませんでした。ただ、僕は戦中派の人たちのこの沈黙を倫理的に断罪することにはためらいがあるのです。かれらの沈黙が善意に基づいたものであることが分かるからです。

 ひどい時代だった。ついこの間まで、ほんとうにひどいことがあった。たくさんの人が殺したり、殺されたりした。でも、それはもう終わった。今さら、戦争の時に自分たちがどんなことをしたのかを子どもたちに教えることはない。あえて、そんなことを告白して、子どもたちに憎まれたり、軽蔑されたりするのでは、戦争で苦しめられたことと引き比べて、「間尺に合わない」、彼らはたぶんそう考えたのだと思います。子どもたちには戦争の詳細を語る必要はない。子どもたちに人間性の暗部をわざわざ教えることはない。ただ「二度と戦争をしてはいけない」ということだけを繰り返し教えればいい。戦後生まれの子どもたちは戦争犯罪について何の責任もないのだから、無垢なまま育てればいい。戦争の醜い部分は自分たちだけの心の中に封印して、黙って墓場まで持って行けばいい。それが戦後生まれの子どもたちに対する先行世代からの「贈り物」だ、と。たぶんそういうふうに考えていたのではないかと思います。戦争の罪も穢れも、自分たちの世代だけで引き受けて、その有罪性を次世代に先送りするのは止めよう。1945年 8月15日以降に生まれた子どもたちは、新しい憲法の下で、市民的な権利を豊かに享受して、戦争の責任から完全に免罪された存在として生きればいい。その無垢な世代に日本の希望を託そう。そういうふうに戦争を経験した世代は思っていたのではないか。そうでなければ、戦中派の戦争の加害体験についての、あの組織的な沈黙と、憲法に対する手放しの信頼は説明が難しい。

 例えば僕の父親がどういう人間であるか、僕はよく知っているつもりでいます。筋目の通った人だったし、倫理的にもきちんとした人でした。だから、彼が戦争中にそれほどひどいことをしたとは思わないんです。でも、父は十代の終わりから三十代の半ばまで大陸に十数年いたわけです。でも、戦争中に中国で何をしていたのかは家族にさえ一言も言わなかった。北京の冬が寒かったとか、家のレコードコレクションにクラシックのSPが何千枚あったかとかいう戦争とは無関係な個人的回想も、ある時期から後はぱたりと口にしなくなりました。戦争経験についての黙秘というのは、あの世代の人たちの暗黙の同意事項だったんじゃないかという気がします。

 村上春樹がイスラエルでの講演の時に自分の父親の話をしています 。彼の父も京都大学の院生だった時に招集されて中国大陸に行っている。その父が毎朝仏壇に向かって読経をしている。「何してるの」と訊くと、「死んだ人たちのために祈っている。敵も味方もない、戦争で死んだすべての人たちのために祈っている」と答える。けれども、彼自身が中国大陸で何を経験したかに関してはついに死ぬまで一言も言わなかったそうです。

 そういう戦争経験についての沈黙というのが世代的な合意としてあったのだと思います。自分たちの戦争犯罪を隠蔽するとか、あるいは戦争責任を回避するといった利己的な動機もあったかもしれません。でも、もっと強い動機は、戦後世代をイノセントな状態で育ててあげたいということだったと僕は思います。そういう「穢れ」から隔離された、清らかな、戦後民主主義の恩恵をゆたかに享受する資格のある市民として子どもたちを育てる。それこそが日本の再生なのだ。この子たちが日本の未来を担っていくのだ。そういう希望を託されてきたという感覚が僕にはあります。それは僕と同年代の人は多分同意してくれると思うのです。

 僕が小学校五年の時の担任の先生がその頃で35歳ぐらいでした。もちろん戦争経験がある。その先生が大好きだったので、いつもまつわりついていました。何か時に「先生は戦争行ったことある?」と聞いたら、ちょっと緊張して、「ああ」と先生が答えた。で、僕がさらに重ねて「先生、人殺したことある?」って聞いたら、先生は顔面蒼白になったことがあった。聞いてはいけないことを聞いてしまったということは子どもにもわかりました。その時の先生の青ざめた顔色を今でも覚えています。大人たちにはうかつに戦争のことを聞いてはいけないという壁のようなものを感じました。

 戦争経験についての世代的な沈黙というのと対になるかたちで憲法制定過程についての沈黙があります。これも僕は子どもの頃から聞いたことがないのです、その世代からは。学校の教師も、親たちも、近所の大人たちも、憲法制定過程について、どういう制定過程でこの憲法が出来たのかという話を聞いたことがなかった。話題にされているのをかたわらで聴いた記憶さえない。憲法制定は親たち、教師たちの年齢でしたら、リアルタイムで、目の前で起きたことです。1945年から46年にかけて、大人たちは何が起きているか、新聞を読めばだいたいのことは分かったはずです。おそらく、かなりの人が憲法制定過程に関してさまざまな「裏情報」を聴き知っていた。でも、子どもたちには一切伝えなかった。子どもたちはテキストとしての日本国憲法をポンと与えられていて、どういう過程でこれが制定されたのかに関しては何も教えられなかった。

 改憲派が随分あとになってから「押し付け憲法」ということを言い出した時には実はびっくりした。子どもの時はそんなこと考えたこともなかったから。憲法が日本人が書いたのか、アメリカ人が書いたのかについて、あれこれの説が憲法制定時点から飛び交っていたということを知ったのは、恥ずかしながらずいぶん大人になってからです。

 最初に結婚した女の人のお父さんが平野三郎という当時岐阜県知事だった人でしたけれど、彼は長く衆議院の議員をやっていました。その岳父が、当時はもう70歳を過ぎていましたけれども、酔うと僕を呼んで日本国憲法制定秘話を語るわけです。僕が個人的に、日本国憲法の制定にはみんなが知らない秘密があるという話を聴いたのは彼からが最初です。25歳を過ぎてからです。岳父は議員時代に幣原喜重郎の秘書のような仕事をしていたので、死の床で幣原喜重郎が語ったことを、後に国会の憲法調査会で証言しているんです。九条二項を思いついてマッカーサーに進言したのは幣原さんだと岳父は主張するんです。憲法九条二項は日本人が自分で考えたんだ。押し付けられたものじゃない、と。彼は自民党の代議士ですよ。大野伴睦の派閥に属していたベタな自民党議員でした。その彼が憲法九条二項を書いたのは幣原さんだと切々と訴えるわけです。誰も信じてくれないけれども、と。ほとんど声涙共に落つという感じで。

 そういう話を聞いて、どうしてこういう事実がもっとオープンに議論されないのか不思議に思いました。憲法制定過程については、実にいろいろな説が語られているわけです。「藪の中」なんです。でも、憲法というのは国のかたちの根幹を決定するものじゃないですか。その制定過程に関して諸説があるというのはまずいでしょう。歴史的事実として確定しないと。国民全体として共有できる歴史的な事実を確定して、それ以上真偽について議論する必要はない、と。そうじゃないとまずいと思うんです。でも、現代日本では、憲法制定過程に関して、これだけは国民が事実関係に関しては争わないということで共有できるベースがない。

 なんでこんなことが起きたのか。それはリアルタイムで憲法制定過程を見ていたはずの世代の人たちが、それについて集団的に証言してくれなかったからです。知っていることを言わないまま、沈黙したまま死んでしまった。

 戦中派より上の世代、敗戦の時に40歳、50歳という人たちは銃後にいただけでさきの戦争には行っていません。実際に戦争に行ったのは明治末年から大正年間、昭和初年に生まれた世代です。この戦争を現場で経験したこの人たちが、戦争の現実についての証言を避けた。復員してきた後、結婚して、家庭を作って、市民として生活を始めた。当然、これからの日本はどうなるんだろうということを興味をもってみつめていた。日本の行く末がどうなるか心から案じていた。ですから、国のかたちを決める憲法については、その制定過程だって、日々どうなっているんだろうと目を広げて、日々話し合っていたはずなんです。でも、その過程で「では、憲法はこういうふうに制定されたという『話』を国民的合意として採用しよう」ということがなかった。

 日本国憲法には前文の前に「上諭」というものが付いていますが、僕はそれをずっと知りませんでした。上諭の主語が「朕」だということも知らなかった。でも、日本国憲法は「朕」が「公布」しているんです。天皇陛下が「枢密顧問の諮詢」と「帝国憲法73条による帝国議会の議決を経て」日本国憲法を公布している。日本国憲法を公布した主体は天皇なんです。ちゃんと「御名御璽」が付いている。でも、僕らが憲法について教えられた時には、その上諭が削除されたかたちで与えられた。どういう法理に基づいてこの憲法が制定されたかという「額縁」が外されて、テキストだけが与えられた。

 憲法の個々の条項については、その適否についていろいろな意見があっても構わないと思います。でも、その憲法がどういう歴史的な過程で、どういう議論を経て制定されていったのかという歴史的事実についてだけは国民的合意があるべきだと思うんです。その合意がなければ、憲法の個別的条項についての議論を始めることはできない。でも、日本人にはその合意がない。憲法制定の歴史的過程は集団的な黙契によって隠蔽されている。

 憲法についての試案があったとか、マッカーサー三原則があったとか、GHQの民生局が草案を作って、11日間で草案を作ったとか、いろんな説があって、それについていちいちそれは違うという反論がある。どれかが真実なのか、部分的な真実が諸説のうちに散乱しているのかわかりませんけれど、「これが出発すべき歴史的事実」として国民的に共有されているものがない。

 憲法ってわれわれの国の最高法規ですよね。最高法規の制定過程がどういうものだったのかについて国民的な合意が存在しない。マグナカルタでも、人権宣言でも、独立宣言でも、どういう歴史的状況の中で、何を実現しようとして、誰が起草したのか、どういう議論があったのか、どういう風に公布されたかということは歴史的な事実として開示されている。それが当然です。でも、日本国憲法については、それがない。制定過程が隠蔽されたしかたで僕たち戦後世代に憲法は与えられた。それをなんの疑いもなく、天から降ってきた厳然たる自然物のように受け止めて来たのが今や70にならんとしている僕らの世代の人間なんです。ですから、改憲派の人たちに、「こんなもの押し付けられた憲法だ」、「こんなものはGHQの作文だ」と言われるとびっくりしてしまうわけですよ。自然物だと思っていたものがこれは「張りぼて」だと、これは舞台の書き割りのようなものだと言われたわけですから。

 でも、この舞台の書き割りを自然物のように見せていたのは、先行世代の作為だったわけです。戦中派世代の悲願だったわけです。「張りぼて」の日本国憲法を、あたかも自然物であるかのように絶対的なリアリティーをもつものとして僕らに提示した。その戦中派の想いを僕は「可憐」だと思うんです。僕には彼らの気持ちがわかる気がする。もうみんな死んでしまいました。父も岳父も亡くなった。大事なことを言い残したまま死んでしまった。だから、僕らはそれに関しては想像力で補うしかない。

 僕が子どもの頃、内田家では、お正月には毎年日の丸を立てていました。どの家もそうでした。お正月や祝日には必ず日の丸を揚げた。黒と黄色に塗り分けられた旗竿の上に金のガラス玉を入れて、ぺらぺらの日の丸の旗を張って揚げた。僕は子どもでしたから、その儀式が大好きでした。だから、年末になると父が日の丸のセットを押し入れから出して、飾りつけをする手伝いをするのを楽しみにしていました。でも、ある年、僕が小学校の低学年の頃でしたけれど、お正月だから「お父さん、日の丸出そうよ」と言ったら、父親がふっと「もういいだろう」って言ったんです。

 もう日の丸を揚げる義理もなくなった、そういう感じでした。1958年か59年くらいのことだったと思います。その頃、たしかにまわりの家もだんだん日の丸を揚げなくなってしまった。こういうのってほんとに不思議なもので、別に「日の丸を揚げるのをやめましょう」なんていう運動があったわけじゃない。でも、申し合わせたように、揚げなくなった。その時の国旗掲揚を止める時の理由が「もういいだろう」だった。

 あとから思うと、1958年って大日本帝国の十三回忌なんですね。帝国臣民たちは帝国が死んでから13年くらいまでは死せる大日本帝国に対して弔意を抱いていた。当然ですよね、彼らは生まれてからずっと「神国不敗」「天壌無窮」の大日本帝国臣民だったわけですから。でも、もういつまでも消えた帝国を懐かしんでいてもしかたがない、と。親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。もう十分に悼んだから、このへんでいいだろう、と。1958年頃に、日の丸が一斉に東京の街角から消えていったのは、あれは大日本帝国の十三回忌も営んだし、もう昔のことは忘れようという暗黙の国民的な合意だったんじゃないか。

 そういうのって、やっている本人だって、自分が何をしているのかよくわかっていないんだと思います。口に出さないけれど、何となく、そんな気分になる。無意識的にやっているわけです。でも、僕はそういう暗黙の、無意識の集団的な行動が、結局はある時代のイデオロギー的な大気圧をかたちづくっていて、その時代を生きている人間たちの思考や感受性を深く規定していたんじゃないかという気がするのです。
 
 ですから、ずっと後年になって、安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから。

 でも、そう言われて初めて、憲法を自然物のように思いなすというのは、僕たちの世代的な「偏り」であって、戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を僕たちと同じようにはとらえていないのだということを知ったのです。

 だから、護憲論が空疎になるのです。護憲論を批判するのはほんとうに簡単なんです。こんなものただの空語じゃないか、「絵に描いた餅」じゃないか、国民のどこに主権があるのか、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんか誰が信じているのか、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」なんて白々しい嘘をよく言えるな。そう言われると、まさにその通りなんです。

 憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の11月3日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。だって、公布前日の11月2日までは、列島に存在したのは大日本帝国だったわけですから。そこにいたのは「大日本帝国臣民」であって、「日本国国民」なんていうものはどこにもいない。どこにもいないものが憲法制定の主語になっている。「この主語の日本国民というのは、誰だ」と言われたら、答えようがない。

 日本国憲法を制定した主体は存在しない。存在しない「日本国国民」が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根源的な脆弱性なわけです。

 と言っておいてすぐに前言撤回するのもどうかと思いますけれど、実は世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ「そういうもの」なんです。宣言に込められている内容はおおかたが非現実なんです。宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるか疑わしい。

 例えばアメリカの独立宣言(1776年7月4日公布)では「法の下で万民が平等である」と謳っていますけれど、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いていました。奴隷解放宣言の発令は1862年です。独立宣言から100年近いタイムラグがある。奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃありません。人種差別を公的に禁じた公民権法が制定されたのは1964年。独立宣言から200年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃありません。厳然として存在している。独立宣言の内容と現状の間には乖離がある。

 でも、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいません。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なんです。でも、日本だけがそうではない。宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちが政権の座にいる。

 世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に描いた餅」だったわけです。宣言を起草した主体が「われわれは」と一人称複数で書いている場合だって、その「われわれ」全員と合議して、承認を取り付けたわけじゃない。そうではなくて、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけです。それでいいんです。日本国憲法を確定した「日本国民」なんてものは現実には存在しない。でも、そこで掲げられた理念が善きものであると人々が思うようになるのなら、「憲法を起草してくれ」と誰かに頼まれたら、すらすらとこれと同じ憲法を起草することができるなら、その時「日本国民」は空語ではなく、実体を持ったことになる。

 この憲法を自力で書き上げられるような国民に自己造型してゆくこと、それが憲法制定以後の実践的課題でなければならなかったはずなんです。ただし、その努力を行うためには、日本国民が「われわれは『日本国民』にまだなっていない。われわれは自力でこの憲法を起草できるような主体にまだなっていない」ということを自覚しなければならない。

 護憲論の弱さはそこにあります。護憲派はそういうふうには問題を立てなかったからです。そうではなくて、「日本国民は存在する」というところから話を始めてしまった。僕はそれが最初のボタンの掛け違えだったと思います。「日本国民」が集まって、熟議を凝らした末に、衆知を集めてこの憲法を制定したというふうに、たしかに憲法前文は読める。しかし、そういう事実はない。

 だから、護憲派は「そういう事実はない」ということを隠蔽した。僕はそれがいけなかったのだと思うのです。いいじゃないですか、「そういう事実」がなくても。歴史上のどんなすばらしい宣言だって、憲法だって、多かれ少なかれ「そういうもの」なんですから。たしかに日本国民が衆知を集めて憲法を制定したという事実は実際にはないのだけれども、仮にもう一度憲法制定のチャンスを与えられたら自発的にこれと同じ憲法を自力で書けるような日本国民を創り出してゆくという遂行的な責務は現に目の前にある。そういうふうに考えるべきだったんじゃないかと、後知恵ですけれども、僕は思います。戦中派の人たちが憲法制定過程における日本国民の関与の薄さということを僕たちに向かって率直に開示して、「でも、自力でこれを書けるようになろう」というかたちで戦後の市民意識の成熟の課題を掲げてくれたのであれば、それから何十年もして改憲派に足をすくわれるようなことは起きなかったと思います。

 改憲派の護憲派に対するアドバンテージというのは、まさにその一点に尽きるわけです。憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。

 憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言いますし、護憲派もGHQの関与については語りたがらない。でも、そんなのすらすら認めていっこうに構わないじゃないかと僕は思うのです。憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。それは大日本憲法だって同じです。大日本帝国憲法において主権者は天皇でした。たしかに「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。現に、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してあります。でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはありません。勅諭や綸旨ならいくらでも出したことがあるけれど、憲法という概念自身が近代の産物なんですから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲です。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定した。

 憲法というのは「そういうもの」なんです。圧倒的な政治的実力を持つ「超憲法的主体」がそれを制定するのだけれど、それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていた。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていた。

 日本国憲法だってそうです。これもまた圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体によって制定された。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」は、憲法のどこにも書かれていない。「上諭」にも書かれていない。でも、知っている人は知っている。そして、日本国憲法の場合は、「知っている人」たちがそれについて久しく口を噤んでいたということです。憲法が「ろくでもないもの」だと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろうと思います。でも、戦中派はそう思わなかった。すばらしい憲法だと思った。だから、制定過程について何も語らないことにした。

 戦中派はそれを善意で行ったのだとおもいます。戦後の日本社会を1945年8月15日以前と完全に切り離したものとして、戦前と繋がる回路を遮断した無菌状態のものとして立ち上げようとした。だから、戦争の時に何があったのか、自分たちが何をして来たかについて口を噤んだ。憲法制定過程についても、黙して語らなかった。語るためには、日本には、主権者である「日本国民」のさらに上に日本国民に主権者の地位を「下賜」した超憲法的主体としてのアメリカがいる。それは自分たちが戦争をして、負けたせいだという真実を語らなければならない。それもまた戦後世代の子どもたちに言って聞かせるにはあまりにつらい事実だった。

 戦争経験について、とりわけ加害経験について語らないこと、憲法制定過程について、日本は国家主権を失い、憲法制定の主体たり得なかったということを語らないこと。この二種類の「戦中派の沈黙」が戦後日本に修正することの難しい「ねじれ」を呼びこんでしまった。僕はそう思います。でも、僕はそのことについて戦中派を責めるつもりはないのです。彼らは善意だったと思うから。僕たち戦後世代が戦争と無縁な、戦時における人間の醜さや邪悪さとも、敗戦の屈辱とも無縁な者として育つことを望んでいたからそうしたと思うからです。

 だから、彼らの沈黙には独特の重みがあった。実存的な凄みがあった。「その話はいいだろう」といって低い声で遮られたら、もうその先を聞けないような迫力があった。だから、彼らが生きているあいだは歴史修正主義というようなものの出る幕はなかったのです。仮に「南京虐殺はなかった」というようなことを言い出す人間がいても、「俺はそこにいた」という人が現にいた。そういう人たちがいれば、具体的に何があったかについて詳らかに証言しないまでも、「何もなかった」というような妄言を黙らせることはできた。

 歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じです。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は「修正」のしようがないのです。それは、ドイツでもフランスでもそうです。今日は日仏会館での講演ですから、フランスのことに詳しい方もおられるでしょう。
 
 フランス人も自国の戦中の経験に関しては記憶がきわめて選択的です。レジスタンスのことはいくらでも語りますけれど、ヴィシー政府のこと、対独協力のことは口にしたがらない。フランスでヴィシーについての本格的な研究が出て来たのは、1980年代以降です。それまではタブーだった。それはその時期を生きてきた人たちがまだ存命していたからです。自分自身がヴィシーに加担していた人もいたし、背に腹は代えられず対独協力をして、必死で占領下を生き延びた人もいた。彼らがそれぞれの個人的な葛藤や悔いを抱えながら、戦後フランスを生きていることを周りの人は知っていました。そして、それを居丈高に責めることに抵抗があった。

 ベルナール=アンリ・レヴィが『フランス・イデオロギー』という本を書いています。僕が訳したんですけれども 、ドイツの占領下でフランス人がどのようにナチに加担したのかを赤裸々に暴露した本です。レヴィは戦後生まれで、ユダヤ人ですから、戦時中のフランスの行為については何の責任もない。完全に「手が白い」立場からヴィシー派と対独協力者たちを批判した。でも、これが出版当時大論争を引き起こしました。

 少なからぬ戦中派の人々がレヴィの不寛容に対して嫌悪感を示しました。レイモン・アロンもレヴィを批判して、「ようやく傷がふさがったところなのに、傷口を開いて塩を擦り込むような不人情なことをするな」というようなことを書いていました。せっかく忘れかけているトラウマ的過去なのに、それをまた思い出させるようなことをすべきではない、と。

 アロンの言っていることは筋の通らない話なんです。でも、「大人の言葉」だとは思いました。「もう、その話はいいじゃないか」というアロンの言い分は政治的にはまったく正しくありません。でも、その時代を生きてきた人にしか言えない独特の迫力があった。アロン自身はユダヤ人ですし、自由フランス軍で戦ったわけですから、ヴィシーや対独協力者をかばう義理はないんです。だからこそ、彼がかつての敵について「済んだことはいいじゃないか。掘り返さなくても」と言った言葉には重みがあった。

 80年代からしばらくはヴィシー時代のフランスについてのそれまで表に出なかった歴史的資料が続々と出てきて、何冊も本が書かれました。でも、ヴィシーの当事者たちは沈黙を守った。秘密の多くを彼らは墓場に持っていってしまった。人間は弱いものですから、自分の犯した過ちについて黙秘したことは人情としては理解できますけれど、結果的にヴィシーの時代にフランス人が何をしたのかを隠蔽したせいで、そのあとに歴史修正主義者が登場して来て「ガス室はなかった」というようなことを言い出すようになった。そのあたりの事情は実は日本とそれほど変わらないのです。

 アルベール・カミュの逡巡もその適例です。カミュは地下出版の 『戦闘(コンバ)』の主筆としてレジスタンスの戦いを牽引しました。ナチス占領下のフランスの知性的・倫理的な尊厳を保ったという点で、カミュの貢献は卓越したものでした。ですから、戦後対独協力者の処刑が始まった時、カミュは最初は当然のようにそれを支持しました。彼の仲間たちが彼らとの戦いの中で何人も殺されたわけですし、カミュ自身ゲシュタポに逮捕されたら処刑されていた。ですから、彼には対独協力者を許すロジックはありません。でも、筋金入りの対独協力者だったロベール・ブラジャックの助命嘆願署名を求められた時、カミュは悩んだ末にそれに助命嘆願に署名します。ブラジャックの非行はたしかに許し難い。けれども、もうナチスもヴィシーも倒れた。今の彼らは無力だ。彼らはもうカミュを殺すことができない。自分を殺すことができない者に権力の手を借りて報復することに自分は賛同できない。カミュはそう考えました。このロジックはわかり易いものではありません。対独協力者の処刑を望むことが政治的には正しいのですけれども、カミュはそこに「いやな感じ」を覚えた。どうして「いやな感じ」がするのか、それを理論的に語ることはできないけれど、「いやなものはいやだ」というのがカミュの言い分でした。

 身体的な違和感に基づいて人は政治的な判断を下すことは許されるのかというのは、後に『反抗的人間』の主題となるわけですけれど、アルベール・カミュとレイモン・アロンは期せずして、「正義が正義であり過ぎることは人間的ではない」という分かりにくい主張をなしたわけです。

 歴史的事実が開示されないとことで苦しんだという点でカミュは人後に落ちません。というのは、戦後における歴史修正主義の最初のかたちは「レジスタンスについての詐称」だったからです。

 レジスタンスは初期の時点では、ほんとうにわずかなフランス人しか参加していなかった。地下活動という性格上、どこで誰が何をしたのかについて詳細な文書が残っているはずがないのですが、概数で1942年時点でレジスタンスの活動家は二千人と言われています。それが、パリ解放の時には何十万人にも膨れ上がっていた。44年の6月に連合軍がノルマンディーに上陸して、戦争の帰趨が決してから、それまでヴィシー政府の周りにたむろしていたナショナリストたちが雪崩打つようにレジスタンスの隊列に駆け込んできたからです。その「にわか」レジスタンたちが戦後大きな顔をして「私は祖国のためにドイツと戦った」と言い出した。そのことをカミュは苦々しい筆致で回想しています。最もよく戦った者はおのれの功績を誇ることもなく、無言のまま死に、あるいは市民生活に戻って行った。

 『ペスト』にはカミュのその屈託が書き込まれています。医師リウーとその友人のタルーはペストと戦うために「保健隊」というものを組織します。この保健隊は明らかにレジスタンスの比喩です。でも、隊員たちは命がけのこの任務を市民としての当然の義務として、さりげなく、粛々として果たす。別に英雄的なことをしているという気負いがないのです。保健隊のメンバーの一人であるグランはペストの災禍が過ぎ去ると、再び、以前と変わらない平凡な小役人としての日常生活に戻り、ペストの話も保健隊の話ももう口にしなくなります。カミュはこの凡庸な人物のうちにレジスタンス闘士の理想のかたちを見出したようです。

 フランスにおける歴史の修正はすでに1944年から始まりました。それはヴィシーの対独協力政策を支持していた人々が、ドイツの敗色が濃厚になってからレジスタンスに合流して、「愛国者」として戦後を迎えるという「経歴ロンダリング」というかたちで始まったのでした。でも、それを正面切って批判するということをカミュは自制しました。彼自身の地下活動での功績を誇ることを自制するのと同じ節度を以て、他人の功績の詐称を咎めることも自制した。他人を「えせレジスタンス」と批判するためには、自分が「真正のレジスタンス」であることをことさらに言い立てて、彼我の差別化を図らなければならない。それはカミュの倫理観にまったくなじまないふるまいでした。ですから、ナチス占領下のフランスで、ヴィシー政府にかかわったフランス人たちがどれほど卑劣なふるまいをしたのかというようなことをことさらに言挙げすることを戦後は控えた。カミュは「大人」ですから。

 でも、各国で歴史修正主義がそれから後に跳梁跋扈するようになったのは、一つにはこの「大人たち」の罪でもあったと僕は思います。彼らがおのれの功績を誇らず、他人の非行を咎めなかったことがいくぶんかは与っている。「大人」たちは、歴史的な事実をすべて詳らかにするには及ばないというふうに考えたのです。誇るべき過去であっても、恥ずべき過去であっても、そのすべてを開示するには及ばない。誇るべきことは自尊心というかたちで心の中にしまっておけばいいし、恥ずべき過去は一人で深く恥じ入ればいい。ことさらにあげつらって、屈辱を与えるには及ばない。そう考えるようになったのには対独協力者たちへの暴力的で節度を欠いた「粛清」に対する嫌悪感もかかわっていたと思います。「大人」たちは愛国者ですから、勝敗の帰趨が決まった後になって、敗者をいたぶるようなことはしない。それよりは同胞として改めて迎え入れようとした。人間的にはみごとなふるまいだと思いますけれど、実際には「大人」たちのこの雅量が歴史修正主義の温床となった。僕にはそんなふうに思えるのです。

 それと似たことが日本でもあった。それは戦中派の「大人たち」の僕たち戦後世代に対する気づかいというかたちで現れた。憲法は自分たちで制定したものではない。日本国民なるものは空語であるということを彼らは知っていた。でも、自分たちに与えられた憲法は望外に「よきもの」であった。だったら、黙ってそれを受け容れたらよい。それを「日本国民が制定した」という物語に仕立て上げたいというのなら、あえて異論を立てるに及ばない。それは戦後世代の子どもたちに「親たちや先生たちがこの憲法を制定したのだ」というはなはだしい「誤解」を扶植することだったわけですけれども、彼らはそのような誤解をあえて解こうとはしなかった。

 小津安二郎の映画『秋刀魚の味』には。駆逐艦の艦長だった平山(笠智衆)が、かつての乗組員であった部下坂本(加東大介)と語り合う場面があります。坂本が酔余の勢いで、「けど、艦長。これでもし日本が勝っていたらどうなっていたでしょうね?」と言い出します。平山はそれを制して「けど、負けてよかったじゃないか」とつぶやきます。意外な答えに一瞬戸惑った後、坂本も「そうですかね。うん。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」と同意する。

 この「負けてよかったじゃないか」という言葉を僕も父の口から聴いた記憶があります。会社の部下たちが家に来て、酒を飲んでいる席で、なぜか話題が戦中のことになった。その時に父親が話を打ち切るように、「敗けて良かったじゃないか」と言ったことがあります。今となると、そこには「子どもたちの前で戦争の話をするな」というニュアンスがあったようでした。

「敗けて良かったじゃないか(だから、戦争の時に自分たちが何をしたのか、何を見たのかについて話すのはもう止めよう)」という戦争について語ることへの抑圧は1950年代から60年代にかけて多くの日本の戦中派が口にした言葉ではないかと思います。戦争は敗けたけれど、負けたせいで、こういう「良い社会」になったのだ。結果オーライじゃないか。自分たちがどれほど罪深いことをしたのか、どれほど理不尽な目に遭ったのかというようなことについては口を閉じて、黙って墓場まで持ってゆけばいい。

 小津安二郎の『秋刀魚の味』は1962年の映画です、戦争が終わって17年目です。小津の映画には戦争の話が始まると誰かがぴしゃりと話の腰を折るという場面がいくつかあります。『早春』でも、『彼岸花』でも、誰かが戦争の時の話を始めると、「その話はもういいじゃないか」と誰かが制して、話はそこで終わる。おそらく、これと同じ情景が60年頃までは日本のあちこちで実際にあったのではないかと思います。

 そして、この戦中派の節度と、僕たち戦後世代に対する気づかいが、その後の歴史修正主義者や改憲派の登場の素地を作ってしまった。僕たち戦後世代が憲法に対して、それをあたかも「自然物」のように見なして、イノセントな信頼を寄せていたのは、この憲法を日本人が持つに至った歴史的過程については子どもたちにはできるだけ何も言わずにおこうとした先行世代の黙契の力だったということです。憲法に力があったわけではなく、この憲法は素晴らしいものだと信じていた人たちの思いに力があった。彼らの生身が憲法の堅牢性を担保していたのです。ですから、その人たちが死んでいなくなってしまったとたんに、僕たちの手元には、保証人を失った一片の契約書のごときものとして日本国憲法が残された。

 これが改憲派が強くて、護憲派が弱いという現実を生み出した歴史的背景だと思うんです。この事実がなかなか前景化しなかったのは、それが「起きなかったこと」だからです。戦争における無数の加害事実・非人間的事実について明らかにする、憲法制定過程についてその全容を明らかにするということを怠ったという「不作為」が歴史修正主義者や改憲派が今こうして政治的勢いを有している理由なわけです。「何かをしなかったこと」「何かが起きなかったこと」が原因で現実が変わったわけです。歴史家は「起きたこと」「現実化したこと」を組み立てて、その因果関係について仮説を立てて歴史的事象を説明するのが仕事ですけれど、「起きなかったこと」を歴史的事象の「原因」として論じるということはふつうしません。

 それはフランスでもたぶん事情は同じで、もし戦後、対独協力者の徹底的な告発を行って、国民の相当数を「非国民」「裏切者」として処断した場合、その後のフランスの国民的統合はあり得なかったでしょう。対独協力したけれど、それを「恥じて、黙っていた」市民については、それ以上の追求を手控えたことで、フランスは国民的な和解を手にした。でも、それが歴史修正主義者の登場や、国民連合のような極右勢力の伸長に対して無防備な社会を創り出してしまった。もっと非寛容であるべきだったのか、と問われると僕にも答えようがありません。僕がその時代に生きていたら、レイモン・アロンやアルベール・カミュのような「大人の対応」に賛同の一票を投じたと思います。そして、今のフランスの排外主義や人種主義のありさまを見て、深く悔いるということをしたのではないかと思います。でも、それ以外にどうしようがあったのか。

 それは日本の戦中派も事情は同じだと思います。彼らが自分自身を含めて戦争責任を徹底追及し、憲法の空語性をきびしく難じて、「日本国民などというものは存在しない」と宣言した場合、戦後の日本はどうなったのか。たぶん僕たちの世代は国そのものと親たちの世代に対する嫌悪と軽蔑を扶植されることになったでしょう。子どもでも厳しく理不尽な現実を見つめて育った方がよいのだというタフな育児戦略を信じる人もいるかも知れませんけれど、僕は戦中派の「常識」に与します。それ以外にどうしようがあったのか。

 護憲派はこの常識と抑制の産物なわけです。だから、激しい感情や露悪趣味に対して弱い。ですから、護憲運動を1950年代60年代と同じように進めることはできないと思うのです。だって、当時の護憲運動の主体は戦中派だったわけですから。彼らはリアルな生身を持っていた。「空語としての憲法」に自分たちの願望と子どもたちの未来を託すというはっきりした自覚を持って護憲運動をやっていた。でも、僕らは違う。僕らは「自然物としての憲法」をぼんやりと豊かに享受しているうちに、ある日「お前たちが信じているものは人工物だ」と言われて仰天している「年取った子ども」に過ぎません。

 となると、これから僕らが進めるべき護憲運動とはどういうものになるのかというと、これはとにかく「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。現実を認めるしかない。われわれの憲法は脆弱である、と。根本的な脆弱性を孕んでいる、と。それを認めるしかない。そして、その上で、どのような宣言であっても、憲法であっても、法律であっても、そのリアリティーは最終的に生身の人間がその実存を賭けて担保する以外にないのだと腹をくくる。憲法条文がどんなに整合的であっても、どんなに綱領的に正しいものであっても、そのことだけでは憲法というのは自立できません。正しいだけでは自存できない。絶えず憲法に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、死文に過ぎない。

 死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗です。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、そのことを語らないんです、護憲派は。憲法はそれ自体では空語だということを認めたがらない。憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死し、倒れてしまうという切迫した危機感を僕は護憲派にあまり感じることができないのです。危機を感じるためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならない。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていたけれど、口にはしなかった。でも、知っていた。僕たちは、この憲法が空語だということを知らずに来た。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。

 それを認めるというのは、言い方は厳しいけれど「護憲派は間抜けだった」と認めるということです。それはきっとみんな厭なんだと思います。でも、僕は認めます。僕は間抜けだった。だから、歴史修正主義者や改憲派がこれほど力を持つようになるまで、ぼんやり拱手傍観していた。憲法はもっと堅牢なものだとイノセントに信じていたから。でも、改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたいと思っている人がこれだけ多く存在するということ、僕たちの失敗なわけです。それは認めなければいけない。

 だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならない。戦中派がしたように、今度は僕たちが憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての僕の基本的なスタンスです。なんだか護憲運動にとってあまり希望のない話になってしまって済みませんでした。長時間ご清聴ありがとうございました。

http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html#c1

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
79. 中川隆[-11030] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:59:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[993]

ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU


2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c79

[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
24. 中川隆[-11029] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:01:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[994]

ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU

2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c24

[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
8. 中川隆[-11028] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:02:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[995]

ロッテアライリゾートでダイナマイト爆発! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QShGYiWRXJ0


2019/03/18 に公開
ロッテアライリゾートスキー場で雪崩のコントロールをゲレンデのパトロールの皆さんがやっていると聞いて体験させてもらいに行ってきました。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c8

[リバイバル3] 2015年 かぐらスキー場スノボ遭難 雪洞に2晩ビバークして奇跡の帰還 _ 練子広寿は只者ではない 中川隆
11. 中川隆[-11027] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:03:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[996]


ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU

2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/718.html#c11

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
242. 中川隆[-11026] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:34:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[997]
レオパレスが虫の息。施工不良・サブリース契約の2大厄災を蔓延らせた責任は誰にある? 2019年3月31日
https://www.mag2.com/p/money/658971



施工不良が発覚して大きな問題となっているレオパレス21。そもそもの元凶は、サブリース契約という「うまい話」で投資家を騙し続けてきたことにあります


騙される方が悪いのか?「サブリース契約」の問題点を総まとめ

元凶は「施工不良」と「サブリース契約」

当メルマガでは2018年4月2日(306号)で「かぼちゃの馬車」問題を取り上げました。そのときにも問題となったのが「サブリース」という契約です。そして昨年発覚したレオパレス21に関する問題でも、再びクローズアップされることになりました。

まずは、昨年発覚した「レオパレス21」問題を整理してみましょう。

この問題は、大きく2つの要素に分けて検証されると思われます。1つは「施工不良」、もう1つは「サブリース契約」です。

施工不良〜組織的、構造的な問題と国の責任

レオパレス21は、オーナーの物件を一括で借り上げて、それを転貸(いわゆるまた貸し)することを主な業としています。

今回の件で言えば、レオパレス21の収益は、
・投資物件の建築
・賃貸業務および物件管理
から得る仕組みとなっています。

物件建築においては、建築コストを抑えることで収益幅は大きく得られます。建築会社に対しては、違法にコストを抑えることによる収益確保に対しては、国は常に目を光らせなければならないという部分では、国家としての責任が問われるのではとの指摘もあります。

不動産コンサルタントの長嶋修さくら事務所会長はテレビ番組で、投資用物件建築を請け負う時の価格は、通常よりも高めに設定されることが多いそうです。



レオパレス21は、オーナーから依頼の投資用物件建築では、かなり収益を得ているのではと、長嶋氏はおっしゃっておられました。

この施工不良問題は、創業者の深山祐助元社長がかかわっているのではとの指摘があり、レオパレス21という会社の組織的・構造的な問題が問われています。

施工不良を調査している外部調査委員会中間報告書では、2006年まで社長を務めた深山祐助元社長の直轄部署だった商品開発部門で、施工業務の効率化などを目的に、仕様と異なる部材を使う方向性が示されたとしました。

また、アパートを開発する段階において、物件が建築基準法といった法規適合性を満たすかどうかの判断を、専門的に行う部署がなかったとしています。当然のことながら報告書では、屋根裏の界壁が未設置だったことをアパート施工時に見抜けなかったチェック体制を問題としています。

実はレオパレス21は2012年ごろから、オーナーとの民事訴訟を抱えていました。

オーナーは裁判で、屋根裏の界壁が施工されていないことを「建物の瑕疵にあたる」と主張していて、昨春にレオパレス21がこの問題を公表する以前から、経営陣は、界壁問題を認識していたのではないかとの疑いがあります。

「知らなかった…」深山英世現社長の主張ですが、経営陣が把握していたかどうかも今後問われることになりそうです。

事実として、天井の耐火性に問題のある物件で7,700人の入居者が引っ越しを迫られることになり、全国32都府県にわたり、問題のある物件があるということです。

国土交通省は他社物件でも同様の問題がないかを調査するとしています。


施工不良〜確認の不備、監理の不備

欠陥住宅に関しては、2つの不備が指摘されます。
・建築確認システムの不備
・建築監理の不備
前者がまさに、国の責任が問われることにもなります。

たしかにレオパレス21側の組織的な施工不良を行った経緯はありますが、それらの建物はすべて第三者機関による完了検査を受けて合格し、「検査済証」が交付されているはずです。

不正を見抜けなかった検査体制に対する疑問や非難が声高に上がってこないのはなぜでしょうか。

建物の検査には「中間検査」と「完了検査」があり、中間検査に合格しなければ「完了検査」を受けることができず、当然検査済証が発行されることもありません。最低でも2度にわたる検査が行われたにもかかわらず、界壁などの不法行為が見逃される検査体制に問題はないのでしょうか。

検査員は行政庁からの天下りが多く、建築関連退職者の再就職先の大口受け皿となっているのが現実だそうです。行政庁の建築関係部署を定年退職した人が何人も民間建築確認審査機関に再就職しており、大半の検査員はそれらの人が占めているという指摘もあります。

この事実と、今回のレオパレス21の施工不良の問題と関係があるのかどうかはわかりませんが、昔から、官僚の天下りという構造問題、民間企業と官僚の関係を紐付ける意見はあります。

地方公共団体の建築主事のみが建築確認、検査事務を行なってきたものを、人手不足等から生まれる杜撰な検査から欠陥住宅が生まれるという指摘から、1998年に当時の橋本内閣は、「建築確認、検査事務」を民間の指定確認検査機関に門戸を開放するべきと主張し、民間の指定確認検査機関を創設することにより、株式会社を含む民間機関に開放された検査体制を構築しました。

ゼネコンやハウスメーカーなどの株式会社(施工業者)が集まって指定確認検査機関を作ることもできる法案であることから、公正中立な確認検査が本当に担保されないという指摘がある中で、検査業務の民間機関への開放した後に、2005年に耐震偽装問題が発覚しました。

このときも、国が認めた機関が「検査済み」のお墨付きを与えていた物件に問題があったことは、大きくは取り上げられませんでした。



耐震偽装問題の根本は、「経済設計」というもっともらしい言葉によるコスト削減で、物件価格を低く抑えることで、消費者にもメリットがあるような印象を与えていたものでした。

後者の「建築監理」とは、設計図どおりに作業が進められているかを、建築士が現場に赴いて監督するものですが、これが十分になされていれば、こんな屋根の界壁未設置などは防げたはずなのです。

建築監理者である建築士は、レオパレス21側が選んだ人なのでしょうかね。

閑話休題〜広瀬すず事務所の訴え

レオパレス21のコマーシャルをめぐってこんな話があります。あくまでもネットで拾った「ネタ」であることを説明しておきます。

2015年から「レオパレス21」のCMに出演してきた広瀬すずさん。彼女の“出世作”ともいえるシリーズだったのですが、事務所側が「広瀬すずのイメージ低下懸念とほかのCM出演企業への配慮」から、レオパレス21にCM契約中止を申し入れたところ、レオパレス21側は違約金を請求するという態度に出ました。

その後、国土交通省の調査を受け、レオパレス21の社長は謝罪、逆に広瀬側が謝罪と違約金を求めることになったといういきさつがあるようです。この問題のこぼれ話としてとらえてください。


サブリース契約の問題点〜歴史から考える

サブリースとは、賃貸オーナーに代わり不動産会社が賃貸住宅を借り上げ、入居者の応募や建物メンテナンスまで一括して不動産会社が請負家賃保証や空室保証などを行うところもあります。

平たく言うと「転貸」、いわゆる「また貸し」のことですね。レオパレス21という会社は、このサブリース契約による事業最大手と言えます。

千葉商科大学国際教養学部太田昌志准教授がラジオ番組で、サブリース契約の歴史について語られていました。それを要約しますと「サブリース」制度とは…

もともとはアメリカで生まれた制度で、地主さんの使っていない土地を集めて、「使っていないなら自分達でテナントを探すから貸して…」という業者が現れ(今で言う「仲介業者」ですね)、「使っていないのだから安く貸してね…」という感じで取引がなされ、地主さんにしても「税金分が浮けばいいや…」という感覚で始まったものだそうです。

どちらかというと、大きく儲けるよりも、「使っていない土地からお金が生まれるだけで十分…」という感じでした。

ところがこの制度が日本に上陸したとたんに、「これで一発あててやろう…」という「儲け」の仕組みに変わったのだと、太田准教授はラジオ番組で語っていました。

使っていない土地の有効活用というサブリース制度を、不動産には絶対的な価値がある日本においては、「積極的な儲けの道具」となっていったようです。

そもそも土地に大きな価格がつくという日本社会では、土地を持っている者と持っていない者との間には絶対的格差が生じます。土地を持っているだけで「金持ち」となり、土地を持つ者と持たない者との格差は、バブル経済とともに大きく広がっていきました。

土地を持ちたくても高くて買えない人たちが、土地を持っているだけで「金持ち」に属している人たちに逆転勝利を狙う(この場合「勝利」は金持ちになるという意味で使っています)手段として「サブリース」手法が使われたところがあると太田准教授はおっしゃっておられました。



詳しいことは後述しますが、サブリース契約が広まった経緯を知る上で、サブリース制度が「夢のある博打」的な要素があったということです。

また「支配床(ゆか)」という概念も、サブリース制度普及にかかわっています。

自分の裁量でテナントを見つけられる面積を「支配床(ゆか)」と表現するそうです。自分たちの力でこの支配床を広げるには限界があり、仲介業者に頼めば、手数料はかかりますが、支配床を広げることができるという大手企業の思惑も、サブリース制度拡大につながったようです。

大手企業は、東京の一等地を手にすることができ、その土地があるだけで常に優位に立てますが、中堅企業には高い値段が付く土地を持つことができないので、中堅企業が大手企業に肩を並べるには、土地の再開発を進めて価値をつけるしかなく、その際にサブリース制度が用いられた経緯があります。

この「再開発」という言葉もポイントで、大きく成長するために強引な手法がとられたことも、レオパレス21問題の背景にあったとも言えそうです。

地主とテナント側が直接契約するよりも、サブリースでは、仲介業者への手数料がかかります。仲介会社の手間賃、いわゆるコストをそれぞれ少しずつ「損」として我慢しようというのが米国制度での考えですが、日本ではこれが少し違ってきます。

仲介業者のコストは、テナント側の賃料に転化されています。通常の賃料よりかは割高に設定されているようです。

またオーナー側は銀行融資で投資物件(アパート等)を建てますので、テナント賃料から仲介会社の取り分を除いたオーナー分は、銀行返済額よりも多くなければなりません。

賃料は、それらの思惑で決められるので割高になる傾向にあります。今回、このバランスが崩れたことにより問題が表沙汰になったと考えられます。

少し高めの賃料でも、経済環境が良ければ許容範囲であったものが、景気悪化でより安い賃料のところが求められるようになると、賃料割高のサブリース物件は空室が目立つようになり、他物件に対抗して賃料を引き下げることが求められてきます。

そうなるとオーナーは銀行への融資返済ができなくなる、いわゆる「赤字」に陥ってしまう恐れが出てきます。

この「賃料引き下げ」にいたる過程が、大きな問題となっています。これが、サブリース問題の本質ともいえる部分で、それが「契約問題」です。


サブリース契約の問題点〜契約から考える

レオパレス21等の仲介業者とサブリースをお願いする側(一応オーナーと表現:オーナーの詳細は後述)との間の契約事項が問題になっています。

というよりも、セールス・トークと契約内容の違いが問題になっているとも言えます。

米国では、もともと「使っていない土地」にテナントをつけてもらうことでサブリース契約を結びますが、日本の場合は、仲介業者が積極的に土地を持っている人(土地持ちオーナー、いわゆる地主さん)にサブリース契約を勧める、サブリース契約を武器に投資用物件を建てさせるのが目的となっています。

「サブリース契約を武器に」と表現しましたが、武器にするには、オーナーさんにメリットがあるように見えなければなりません。

それが
・自動増額特約
・空室保証特約 or 最低賃料保証特約
です。

土地を持っているオーナーには、アパート経営には二の足を踏む人が多く、不動産投資の難しさや面倒さを嫌う人が多いのはよくわかります。

具体的には、地価が上がり固定資産税が上がっても家賃を引き上げられるのかという不安や、もし空室になったときはどうするのかという不安があります。

将来の修理に大きな出費がかかるのではとの心配もあります。

そこでサブリース契約では、将来の賃料値上げに対応する自動増額特約と、一定期間は空室があっても定額を払うという空室保証特約あるいは最低賃料保証特約があり、この特約でオーナーを安心させていました。



サブリース制度が日本に普及した頃はバブル経済に突入する頃で、毎年発表される地価は上昇していました。土地の価値は上がり続けるものという妄想が蔓延していましたね。

オーナーへのセールストークは「儲かる・任せる(任せられる)・保証する」だと、荻上チキ氏がラジオ番組で表現していました。実に本質を言い当てた表現ですね。

この空室保証あるいは最低賃料保証特約ですが、ずっとではなく一定期間だけとなっています。「30年間一括借入れ」という言葉にオーナーは安心するのですが、実は業者側には「中途解約権」が認められているのです。契約書にも書いてあります。

中途解約権は一定の予告期間をおいていつでも契約を解約できる権利で、企業として採算が合わなくなれば撤退できるようにしてあるのです。

契約書は字も小さいですし、契約書を隅々まで読まないでしょうからね。でも、読まないほうが悪いのですがね…。


サブリース契約の問題点〜強引なセールストーク

セールストークが強引であることも指摘されています。裁判ではオーナー側から「聞いた話(セールストーク)と契約書が違う」と訴えているようです。

契約書に書いてある「賃料を見直す」可能性については、契約書の表現を「増減」としていて、「減ることばかりを考えていますが増えることだってある」とか「今まで減額した経験がない」と表現していたようです。

またサブリース契約自体を拒んでいるオーナーには「空室になったらどうするんですか」と詰め寄っていたとのことです。

将来の修繕費に関しても、小さく表現し、場合によっては触れないでいることもあるようです。

サブリース契約の問題点〜借地借家法との関連

借地借家法とは、 賃貸人に比べて立場も弱く、経済的にも不利がある借家人や借地人を保護するために、民法の規定を修正したり補った法律です。

サブリースで問題にあるのが「32条」で、これは経済環境が大きく変動し、あるいは物件の周辺環境が変わったことで賃料を見直すことができるというもので、家主の方から賃料を増減することができることが書かれています。

この「増減」という表現を、セールストークでうまく使っていることは紹介しました。

そもそもサブリースにおける定額保証で問題となるときは経済悪化による景気後退時で、最初にサブリースが社会で問題になったのがバブル崩壊時で、その次はリーマン・ショック後です。

バブル崩壊後のサブリース契約での悪質な例として、仲介業者が勝手に賃料を減額してオーナーに減額後の取り分を支払うというケースがあります。



このときの仲介業者の言い分は
・バブルが崩壊したから仕方がない
・予想できない出来事が起きた
・契約内容変更が妥当とされる重大な事態が起きた…
でした。

しかし、これは正当化される理論ではないという判断がされています。裁判所では、経済は波であり、乱高下するのは当たり前で、バブル崩壊が予想できないということに説得力はないというものです。

これはオーナー側も反省すべきことで、10年保証とか30年保証といっても、経済環境が変われば賃料が保証されることはありえないことは想像できたはずです。

サブリース契約は、平成4年、5年に契約されているものもたくさんあります。もう既にバブルははじけている時期です。それでも家賃保証もしっかりと謳っているのです。

業者の方は、投資物件を建築して引き渡しただけで収益は十分に得られます。まさに「売り逃げ」とも取れる行為ですが、オーナー側も経済状況を考えれば、将来にわたって定額支払が約束できるのかは疑えたはずではないでしょうか。

平成15年10月21日最高裁判所判決では、サブリース契約が賃貸借契約であることを明言していて、借地借家法が適用されるとしています。よって自動増額特約があっても借地借家法32条1項が適用されるという結論を下しています。

家賃は下げられるということになります。

業者側は、この判例を知っていながら自動増額特約をつけている、つまり自動増額特約は単なるえさで、いつでもはずすことができると思っていたなら悪意を感じざるを得ません。

バブル崩壊後は不良債権が社会問題となっていて、仲介業者が破綻したらオーナーも困るだろうということで、賃料減額を認めています。ただし地価下落による固定資産額減額分と変動金利での銀行融資における金利低下分の範囲としました。

この範囲だと約1割ほどの減額となります。業者は4割の賃料減額を求めていました。そうでないと、空室による賃料減とオーナーへの定額支払分では逆ザヤになってしまうのです。

中途解約権を行使する業者が増えました。サブリース契約から10年経過したものは、大きく家賃を下げる提案をして、それに応じなければ一方的に契約解消を迫っていたようです。

オーナーは、銀行への返済額を下回る賃料は認められないそうなるとサブリース契約は解消される…。

レオパレス21は、物件自体が施工不良で、部屋を借りている人は出て行くことになり、信用失墜で新しい入居者は見込めないでしょう。

結局、残るのは銀行ローンだけということになります。


オーナーって誰?

ここで「オーナー」という表現をしましたが、オーナーにも3通りあります。

・土地を持っているオーナー
・ワンルームマンションオーナー
・土地も建物もないオーナー

米国で始まったサブリースは、土地を持っているオーナー向けのものです。繰り返しますが、米国では「使っていない」土地の有効活用目的のサブリースですが、日本では土地持ちオーナーに上物(アパート等の投資用物件)を建てさせるためにあるのがサブリースです。

土地がなくてもワンルームマンションを持っていたり、あるいは新規で購入してもらうオーナーもいます。ワンルームマンションだと、購入と言ってもアパートを建てるよりも何とか手が届く金額になっているでしょう。アパートを建てるよりも身近に考えやすいのかもしれません。この一種の値ごろ感も「曲者」と言えそうですけどね。ワンルームマンションであっても立派な不動産オーナーですからね。でも、ワンルームマンションであってもサブリースのスキームは同じです。

問題とされるのは、土地を持っていない人に土地を購入させて上物を建ててオーナーにするケースです。サラリーパーソンに多く、十分な資産がなくても不動産投資ができるというスキームにサブリースが使われています。

「かぼちゃの馬車」問題では、この不動産投資を小口に分けて、少額で投資できるようにして、資産を持たない人に不動産オーナーになれる「夢」を与えたもので、前述しましたが、弁護士の中には「夢ある博打」と表現している方もいます。

小口と言えど不動産投資です。経済環境や投資環境によりスキームが崩れることを想定しないで、資産が持てる・殖えるというところに目を奪われた人(あえて投資素人と呼びますが)が多かったのでしょう。

「あなたも不動産オーナーになれる…」サラリーパーソンの虚栄心をくすぐるのでしょうか。

サブリース問題が表に出てくるのは景気後退局面に多く、バブル崩壊後には多く見られましたが、最初のうちはサブリース契約者は土地持ちオーナーが多かったようです。



銀行融資も正常に手続が行われていました。リーマン・ショック以降のサブリース問題での登場人物は、土地を持たないサラリーパーソンが多くなりました。土地をローンで買い、アパート建設にもローンを組むとなれば、仲介業者、不動産会社、銀行がチームとなる必要があります。

この間に不正手続があったのが「かぼちゃの馬車」問題です。スルガ銀行の融資書類改ざんは記憶に新しいでしょう。

<悪質になってきた「サブリース問題」>

「サブリース問題は性質が悪くなっている…」ある弁護士の方の言葉です。

銀行から融資を受けて投資を行う、このスキームで思い出すのは、保険会社によるバブル期の変額保険販売手法です。

バブル期では、土地と株が、持っているだけで利益を生んでいました。右肩上がりに上がる土地と株を横目に、保険会社は熟知たる思いでいたところに開発されたのが、特別勘定で保険料を株運用を行う変額保険です。

あろうことか、銀行から融資を受けさせて変額保険契約を勧める手口がとられ、銀行としても手数料がはいる、銀行・保険会社・契約者の「三方良し」の構図ができ上がったのですが、バブル崩壊で株価下落、変額保険評価額も下がり、変額保険を担保に銀行融資を受けていたので、追加の担保が求められ、結局はローンだけが残った契約者だけが損をする構図であったことは、後で気付かされました。確か法人契約だと法人税の節税にも有効というセールストークがあったのではないでしょうか。

今回のケースと全く同じです。

銀行融資でアパートを建てて、家賃保証のえさに飛びつき、経済環境変化によりその契約も解約されローンだけが残るというパターン、まったく同じですね。保険会社が不動産会社に変わっただけで、このスキームのパートナーが銀行であることは変わりません。

厳しい言い方ですが、常に損をするのは「欲に絡んだ無知な消費者」なのです。


相続税対策と年金不安が殺し文句

土地を持っているオーナーに向けては、相続対策。
土地を持たないサラリーパーソンに向けては、年金不安による自助努力。

これが殺し文句となっています。でもこれは不動産業界に限らず金融業界全般に言えることで、節税対策は弁護士や税理士も好んで使っている手法と言えます。

相続対策を謳ったサイトも多く見られ、更地のままよりもアパート等の投資用物件を建てたほうが、土地の相続税評価額は大きく下がるとしています。

ただ節税対策は、その効果はその時だけで、納税額を抑えることは魅力ですが、その後の投資という要素を考えると、長期安定を第一に考えるべきです。節税目的で融資を受けることが、長期スパンで考えて得策なのかを熟考するべきです。節税効果は単年で、必ず副作用があることを忘れてはいけません。自己資本で行うならともかく、融資を受けてまで行うべきことなのでしょうか。

年金不安から、給与以外の収入確保手段として不動産投資を行うのはわかりますが、年金代わりとなれば、やはり長期安定を求めたいところです。

世の中に長期安定が確約されている投資手法なんて存在しません。投資だからこそ、収益を得たら撤退しやすい方法を選ぶべきで、そのためには、換金性が良い手法が求められます。

不動産投資には換金性、つまり現金化に難点があります。

投資は「生もの」で、経済環境で投資環境は変化するものです。繰り返しますが、長期安定の投資手法は、絶対に存在しません。イギリス貴族が用いる手法には長期安定手法があるとは聞きますが、私たちは手にすることができるのでしょうかね。

目先の利益(節税等)にとらわれず、リスクもしっかりと把握して、リターンとリスクを冷静に天秤にかけることが大事です。目先のメリットばかりを大きく捉えないようにしたいものです。



立地は大事〜駅近物件しかダメ

そもそも全ての土地の投資物件が、収益物件になることはありません。やはり立地が重要で、一般的に相続税対策を必要とする人の土地は、駅から遠いところにあることが多いです。

「不動産はどれ1つとして同じ価値のものはない…」法政大学大学院真壁昭夫教授はこう指摘しています。立地条件が全部違うので、価値が同じ不動産は存在しないとのことです。

前述の不動産コンサルタントの長嶋修氏は「駅徒歩2分がベスト、5分以内でないと投資物件としては厳しい」と断言されていました。

長嶋氏によれば、駅から1分離れるごとに120万円価値が下落するとのことです。相続税対策をする土地は駅から遠いことが多く、バス利用の土地もあり、そこに投資用物件を建てても長期安定収入が得られる可能性は決して高くないようです。

長嶋氏曰く、投資の観点から考えるなら、駅から遠い土地を売って駅近の物件を買うほうが良いと解説されています。

「サブリース案件でもうまく言っているケースもある…」それはそうでしょう。立地の良い物件だってあるでしょう。また立地条件が悪くてもオーナーの努力次第で収益を安定化させている物件もあります。人任せで何もしないオーナーの物件では、安定収益を得られるはずがないとも言えます。

国交省が毎年発表する公示地価が上がっているのは、外国人観光客によるもので、商業地区が上がっていると言われています。これらの発表数字をもとに不動産投資の将来を計ってはいけません。

楽して儲けようという考えでは、絶対に投資では成功しません。


サブリース事業を規制する法律がない

賃貸住宅管理者登録制度というのがあります。

賃貸住宅管理業務に関して一定のルールを設けることで、借主と貸主の利益保護を図ることを目的としたもので、登録事業者を公表することにより、消費者は管理業者や物件選択の判断材料として活用することが可能となります。

ただ登録は任意であり、ずっとレオパレス21は登録していませんでした(現在は登録)。国土交通省としても登録は任意なので、全ての業者の状況を把握できているわけではないとコメントしています。

宅地建物取引業法により、不動産取引に関しては厳しい規制を設け指導もされていますが、サブリース事業に関しては、特別な規制はなく、監督指導する法制度はありません。

いまだに国交省による仲介業者へは、監督指導が届かない状況にあると弁護士は指摘しています。

消費者を保護する制度の重要性は言われています。消費者庁もできました。大家と店子の関係は、持つ者と持たざる者との間の力関係がはっきりとしているので、持たざる者である店子が守られる、いわゆる弱者救済措置が取られます。

では、土地を持っているオーナーは消費者なのでしょうか。

これがサブリースにおけるオーナー保護をややこしくしています。オーナーは、土地の所有者ではありますからね。

でもある弁護士は、仲介業者は資金力から情報知識にいたるまで明らかに長けていて、オーナーとのビジネス関係であっても、力の差は歴然だと主張しています。



2度とこのような問題が起こらないように、国としても法整備を急ぐことを望みたいですね…。

うまい話なんかない。そんなにすんなりと信じないで…

性善説はもうやめよう…。1つの土地には、それぞれ立場の違う人の思惑が幾重にも交差しています。土地の活用目的が、かかわる人の立場で全然違ってきます。その土地から得る利益の取り方も違います。土地を、お金を生む道具と見るのか、親からの引継ぎ物と見るのかでも違います。

「人任せ…」これは、投資する以前の話ですね。「難しいから、ややこしいから、面倒だから…」このような考えで投資を行えば、財産をなくしても仕方がありません。

「説明を受けたが良くわからなかった…」「契約書をきちんと読んでいない…」これらは、自己防衛意識の欠落以外のなにものでもありません。

「うまい話なんてない」「そんなにすんなり信じちゃいけない」前述の真壁教授は力説されています。儲かる・任せる(任せられる)・保証する…そんなうまい話はありません。

投資リテラシーという言葉が登場して久しいですが、私たち消費者や投資家が、もっと賢くならなければならないという指摘はずっとこの情報誌でも訴えてきました。

とにかく、都合の良い解釈をしてはいけません。情報を冷静に判断し、くれぐれも自分都合にアレンジして解釈しないようにしましょう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c242

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
24. 中川隆[-11025] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:35:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[998]
レオパレスが虫の息。施工不良・サブリース契約の2大厄災を蔓延らせた責任は誰にある? 2019年3月31日
https://www.mag2.com/p/money/658971



施工不良が発覚して大きな問題となっているレオパレス21。そもそもの元凶は、サブリース契約という「うまい話」で投資家を騙し続けてきたことにあります


騙される方が悪いのか?「サブリース契約」の問題点を総まとめ

元凶は「施工不良」と「サブリース契約」

当メルマガでは2018年4月2日(306号)で「かぼちゃの馬車」問題を取り上げました。そのときにも問題となったのが「サブリース」という契約です。そして昨年発覚したレオパレス21に関する問題でも、再びクローズアップされることになりました。

まずは、昨年発覚した「レオパレス21」問題を整理してみましょう。

この問題は、大きく2つの要素に分けて検証されると思われます。1つは「施工不良」、もう1つは「サブリース契約」です。

施工不良〜組織的、構造的な問題と国の責任

レオパレス21は、オーナーの物件を一括で借り上げて、それを転貸(いわゆるまた貸し)することを主な業としています。

今回の件で言えば、レオパレス21の収益は、
・投資物件の建築
・賃貸業務および物件管理
から得る仕組みとなっています。

物件建築においては、建築コストを抑えることで収益幅は大きく得られます。建築会社に対しては、違法にコストを抑えることによる収益確保に対しては、国は常に目を光らせなければならないという部分では、国家としての責任が問われるのではとの指摘もあります。

不動産コンサルタントの長嶋修さくら事務所会長はテレビ番組で、投資用物件建築を請け負う時の価格は、通常よりも高めに設定されることが多いそうです。



レオパレス21は、オーナーから依頼の投資用物件建築では、かなり収益を得ているのではと、長嶋氏はおっしゃっておられました。

この施工不良問題は、創業者の深山祐助元社長がかかわっているのではとの指摘があり、レオパレス21という会社の組織的・構造的な問題が問われています。

施工不良を調査している外部調査委員会中間報告書では、2006年まで社長を務めた深山祐助元社長の直轄部署だった商品開発部門で、施工業務の効率化などを目的に、仕様と異なる部材を使う方向性が示されたとしました。

また、アパートを開発する段階において、物件が建築基準法といった法規適合性を満たすかどうかの判断を、専門的に行う部署がなかったとしています。当然のことながら報告書では、屋根裏の界壁が未設置だったことをアパート施工時に見抜けなかったチェック体制を問題としています。

実はレオパレス21は2012年ごろから、オーナーとの民事訴訟を抱えていました。

オーナーは裁判で、屋根裏の界壁が施工されていないことを「建物の瑕疵にあたる」と主張していて、昨春にレオパレス21がこの問題を公表する以前から、経営陣は、界壁問題を認識していたのではないかとの疑いがあります。

「知らなかった…」深山英世現社長の主張ですが、経営陣が把握していたかどうかも今後問われることになりそうです。

事実として、天井の耐火性に問題のある物件で7,700人の入居者が引っ越しを迫られることになり、全国32都府県にわたり、問題のある物件があるということです。

国土交通省は他社物件でも同様の問題がないかを調査するとしています。


施工不良〜確認の不備、監理の不備

欠陥住宅に関しては、2つの不備が指摘されます。
・建築確認システムの不備
・建築監理の不備
前者がまさに、国の責任が問われることにもなります。

たしかにレオパレス21側の組織的な施工不良を行った経緯はありますが、それらの建物はすべて第三者機関による完了検査を受けて合格し、「検査済証」が交付されているはずです。

不正を見抜けなかった検査体制に対する疑問や非難が声高に上がってこないのはなぜでしょうか。

建物の検査には「中間検査」と「完了検査」があり、中間検査に合格しなければ「完了検査」を受けることができず、当然検査済証が発行されることもありません。最低でも2度にわたる検査が行われたにもかかわらず、界壁などの不法行為が見逃される検査体制に問題はないのでしょうか。

検査員は行政庁からの天下りが多く、建築関連退職者の再就職先の大口受け皿となっているのが現実だそうです。行政庁の建築関係部署を定年退職した人が何人も民間建築確認審査機関に再就職しており、大半の検査員はそれらの人が占めているという指摘もあります。

この事実と、今回のレオパレス21の施工不良の問題と関係があるのかどうかはわかりませんが、昔から、官僚の天下りという構造問題、民間企業と官僚の関係を紐付ける意見はあります。

地方公共団体の建築主事のみが建築確認、検査事務を行なってきたものを、人手不足等から生まれる杜撰な検査から欠陥住宅が生まれるという指摘から、1998年に当時の橋本内閣は、「建築確認、検査事務」を民間の指定確認検査機関に門戸を開放するべきと主張し、民間の指定確認検査機関を創設することにより、株式会社を含む民間機関に開放された検査体制を構築しました。

ゼネコンやハウスメーカーなどの株式会社(施工業者)が集まって指定確認検査機関を作ることもできる法案であることから、公正中立な確認検査が本当に担保されないという指摘がある中で、検査業務の民間機関への開放した後に、2005年に耐震偽装問題が発覚しました。

このときも、国が認めた機関が「検査済み」のお墨付きを与えていた物件に問題があったことは、大きくは取り上げられませんでした。



耐震偽装問題の根本は、「経済設計」というもっともらしい言葉によるコスト削減で、物件価格を低く抑えることで、消費者にもメリットがあるような印象を与えていたものでした。

後者の「建築監理」とは、設計図どおりに作業が進められているかを、建築士が現場に赴いて監督するものですが、これが十分になされていれば、こんな屋根の界壁未設置などは防げたはずなのです。

建築監理者である建築士は、レオパレス21側が選んだ人なのでしょうかね。

閑話休題〜広瀬すず事務所の訴え

レオパレス21のコマーシャルをめぐってこんな話があります。あくまでもネットで拾った「ネタ」であることを説明しておきます。

2015年から「レオパレス21」のCMに出演してきた広瀬すずさん。彼女の“出世作”ともいえるシリーズだったのですが、事務所側が「広瀬すずのイメージ低下懸念とほかのCM出演企業への配慮」から、レオパレス21にCM契約中止を申し入れたところ、レオパレス21側は違約金を請求するという態度に出ました。

その後、国土交通省の調査を受け、レオパレス21の社長は謝罪、逆に広瀬側が謝罪と違約金を求めることになったといういきさつがあるようです。この問題のこぼれ話としてとらえてください。


サブリース契約の問題点〜歴史から考える

サブリースとは、賃貸オーナーに代わり不動産会社が賃貸住宅を借り上げ、入居者の応募や建物メンテナンスまで一括して不動産会社が請負家賃保証や空室保証などを行うところもあります。

平たく言うと「転貸」、いわゆる「また貸し」のことですね。レオパレス21という会社は、このサブリース契約による事業最大手と言えます。

千葉商科大学国際教養学部太田昌志准教授がラジオ番組で、サブリース契約の歴史について語られていました。それを要約しますと「サブリース」制度とは…

もともとはアメリカで生まれた制度で、地主さんの使っていない土地を集めて、「使っていないなら自分達でテナントを探すから貸して…」という業者が現れ(今で言う「仲介業者」ですね)、「使っていないのだから安く貸してね…」という感じで取引がなされ、地主さんにしても「税金分が浮けばいいや…」という感覚で始まったものだそうです。

どちらかというと、大きく儲けるよりも、「使っていない土地からお金が生まれるだけで十分…」という感じでした。

ところがこの制度が日本に上陸したとたんに、「これで一発あててやろう…」という「儲け」の仕組みに変わったのだと、太田准教授はラジオ番組で語っていました。

使っていない土地の有効活用というサブリース制度を、不動産には絶対的な価値がある日本においては、「積極的な儲けの道具」となっていったようです。

そもそも土地に大きな価格がつくという日本社会では、土地を持っている者と持っていない者との間には絶対的格差が生じます。土地を持っているだけで「金持ち」となり、土地を持つ者と持たない者との格差は、バブル経済とともに大きく広がっていきました。

土地を持ちたくても高くて買えない人たちが、土地を持っているだけで「金持ち」に属している人たちに逆転勝利を狙う(この場合「勝利」は金持ちになるという意味で使っています)手段として「サブリース」手法が使われたところがあると太田准教授はおっしゃっておられました。



詳しいことは後述しますが、サブリース契約が広まった経緯を知る上で、サブリース制度が「夢のある博打」的な要素があったということです。

また「支配床(ゆか)」という概念も、サブリース制度普及にかかわっています。

自分の裁量でテナントを見つけられる面積を「支配床(ゆか)」と表現するそうです。自分たちの力でこの支配床を広げるには限界があり、仲介業者に頼めば、手数料はかかりますが、支配床を広げることができるという大手企業の思惑も、サブリース制度拡大につながったようです。

大手企業は、東京の一等地を手にすることができ、その土地があるだけで常に優位に立てますが、中堅企業には高い値段が付く土地を持つことができないので、中堅企業が大手企業に肩を並べるには、土地の再開発を進めて価値をつけるしかなく、その際にサブリース制度が用いられた経緯があります。

この「再開発」という言葉もポイントで、大きく成長するために強引な手法がとられたことも、レオパレス21問題の背景にあったとも言えそうです。

地主とテナント側が直接契約するよりも、サブリースでは、仲介業者への手数料がかかります。仲介会社の手間賃、いわゆるコストをそれぞれ少しずつ「損」として我慢しようというのが米国制度での考えですが、日本ではこれが少し違ってきます。

仲介業者のコストは、テナント側の賃料に転化されています。通常の賃料よりかは割高に設定されているようです。

またオーナー側は銀行融資で投資物件(アパート等)を建てますので、テナント賃料から仲介会社の取り分を除いたオーナー分は、銀行返済額よりも多くなければなりません。

賃料は、それらの思惑で決められるので割高になる傾向にあります。今回、このバランスが崩れたことにより問題が表沙汰になったと考えられます。

少し高めの賃料でも、経済環境が良ければ許容範囲であったものが、景気悪化でより安い賃料のところが求められるようになると、賃料割高のサブリース物件は空室が目立つようになり、他物件に対抗して賃料を引き下げることが求められてきます。

そうなるとオーナーは銀行への融資返済ができなくなる、いわゆる「赤字」に陥ってしまう恐れが出てきます。

この「賃料引き下げ」にいたる過程が、大きな問題となっています。これが、サブリース問題の本質ともいえる部分で、それが「契約問題」です。


サブリース契約の問題点〜契約から考える

レオパレス21等の仲介業者とサブリースをお願いする側(一応オーナーと表現:オーナーの詳細は後述)との間の契約事項が問題になっています。

というよりも、セールス・トークと契約内容の違いが問題になっているとも言えます。

米国では、もともと「使っていない土地」にテナントをつけてもらうことでサブリース契約を結びますが、日本の場合は、仲介業者が積極的に土地を持っている人(土地持ちオーナー、いわゆる地主さん)にサブリース契約を勧める、サブリース契約を武器に投資用物件を建てさせるのが目的となっています。

「サブリース契約を武器に」と表現しましたが、武器にするには、オーナーさんにメリットがあるように見えなければなりません。

それが
・自動増額特約
・空室保証特約 or 最低賃料保証特約
です。

土地を持っているオーナーには、アパート経営には二の足を踏む人が多く、不動産投資の難しさや面倒さを嫌う人が多いのはよくわかります。

具体的には、地価が上がり固定資産税が上がっても家賃を引き上げられるのかという不安や、もし空室になったときはどうするのかという不安があります。

将来の修理に大きな出費がかかるのではとの心配もあります。

そこでサブリース契約では、将来の賃料値上げに対応する自動増額特約と、一定期間は空室があっても定額を払うという空室保証特約あるいは最低賃料保証特約があり、この特約でオーナーを安心させていました。



サブリース制度が日本に普及した頃はバブル経済に突入する頃で、毎年発表される地価は上昇していました。土地の価値は上がり続けるものという妄想が蔓延していましたね。

オーナーへのセールストークは「儲かる・任せる(任せられる)・保証する」だと、荻上チキ氏がラジオ番組で表現していました。実に本質を言い当てた表現ですね。

この空室保証あるいは最低賃料保証特約ですが、ずっとではなく一定期間だけとなっています。「30年間一括借入れ」という言葉にオーナーは安心するのですが、実は業者側には「中途解約権」が認められているのです。契約書にも書いてあります。

中途解約権は一定の予告期間をおいていつでも契約を解約できる権利で、企業として採算が合わなくなれば撤退できるようにしてあるのです。

契約書は字も小さいですし、契約書を隅々まで読まないでしょうからね。でも、読まないほうが悪いのですがね…。


サブリース契約の問題点〜強引なセールストーク

セールストークが強引であることも指摘されています。裁判ではオーナー側から「聞いた話(セールストーク)と契約書が違う」と訴えているようです。

契約書に書いてある「賃料を見直す」可能性については、契約書の表現を「増減」としていて、「減ることばかりを考えていますが増えることだってある」とか「今まで減額した経験がない」と表現していたようです。

またサブリース契約自体を拒んでいるオーナーには「空室になったらどうするんですか」と詰め寄っていたとのことです。

将来の修繕費に関しても、小さく表現し、場合によっては触れないでいることもあるようです。

サブリース契約の問題点〜借地借家法との関連

借地借家法とは、 賃貸人に比べて立場も弱く、経済的にも不利がある借家人や借地人を保護するために、民法の規定を修正したり補った法律です。

サブリースで問題にあるのが「32条」で、これは経済環境が大きく変動し、あるいは物件の周辺環境が変わったことで賃料を見直すことができるというもので、家主の方から賃料を増減することができることが書かれています。

この「増減」という表現を、セールストークでうまく使っていることは紹介しました。

そもそもサブリースにおける定額保証で問題となるときは経済悪化による景気後退時で、最初にサブリースが社会で問題になったのがバブル崩壊時で、その次はリーマン・ショック後です。

バブル崩壊後のサブリース契約での悪質な例として、仲介業者が勝手に賃料を減額してオーナーに減額後の取り分を支払うというケースがあります。



このときの仲介業者の言い分は
・バブルが崩壊したから仕方がない
・予想できない出来事が起きた
・契約内容変更が妥当とされる重大な事態が起きた…
でした。

しかし、これは正当化される理論ではないという判断がされています。裁判所では、経済は波であり、乱高下するのは当たり前で、バブル崩壊が予想できないということに説得力はないというものです。

これはオーナー側も反省すべきことで、10年保証とか30年保証といっても、経済環境が変われば賃料が保証されることはありえないことは想像できたはずです。

サブリース契約は、平成4年、5年に契約されているものもたくさんあります。もう既にバブルははじけている時期です。それでも家賃保証もしっかりと謳っているのです。

業者の方は、投資物件を建築して引き渡しただけで収益は十分に得られます。まさに「売り逃げ」とも取れる行為ですが、オーナー側も経済状況を考えれば、将来にわたって定額支払が約束できるのかは疑えたはずではないでしょうか。

平成15年10月21日最高裁判所判決では、サブリース契約が賃貸借契約であることを明言していて、借地借家法が適用されるとしています。よって自動増額特約があっても借地借家法32条1項が適用されるという結論を下しています。

家賃は下げられるということになります。

業者側は、この判例を知っていながら自動増額特約をつけている、つまり自動増額特約は単なるえさで、いつでもはずすことができると思っていたなら悪意を感じざるを得ません。

バブル崩壊後は不良債権が社会問題となっていて、仲介業者が破綻したらオーナーも困るだろうということで、賃料減額を認めています。ただし地価下落による固定資産額減額分と変動金利での銀行融資における金利低下分の範囲としました。

この範囲だと約1割ほどの減額となります。業者は4割の賃料減額を求めていました。そうでないと、空室による賃料減とオーナーへの定額支払分では逆ザヤになってしまうのです。

中途解約権を行使する業者が増えました。サブリース契約から10年経過したものは、大きく家賃を下げる提案をして、それに応じなければ一方的に契約解消を迫っていたようです。

オーナーは、銀行への返済額を下回る賃料は認められないそうなるとサブリース契約は解消される…。

レオパレス21は、物件自体が施工不良で、部屋を借りている人は出て行くことになり、信用失墜で新しい入居者は見込めないでしょう。

結局、残るのは銀行ローンだけということになります。


オーナーって誰?

ここで「オーナー」という表現をしましたが、オーナーにも3通りあります。

・土地を持っているオーナー
・ワンルームマンションオーナー
・土地も建物もないオーナー

米国で始まったサブリースは、土地を持っているオーナー向けのものです。繰り返しますが、米国では「使っていない」土地の有効活用目的のサブリースですが、日本では土地持ちオーナーに上物(アパート等の投資用物件)を建てさせるためにあるのがサブリースです。

土地がなくてもワンルームマンションを持っていたり、あるいは新規で購入してもらうオーナーもいます。ワンルームマンションだと、購入と言ってもアパートを建てるよりも何とか手が届く金額になっているでしょう。アパートを建てるよりも身近に考えやすいのかもしれません。この一種の値ごろ感も「曲者」と言えそうですけどね。ワンルームマンションであっても立派な不動産オーナーですからね。でも、ワンルームマンションであってもサブリースのスキームは同じです。

問題とされるのは、土地を持っていない人に土地を購入させて上物を建ててオーナーにするケースです。サラリーパーソンに多く、十分な資産がなくても不動産投資ができるというスキームにサブリースが使われています。

「かぼちゃの馬車」問題では、この不動産投資を小口に分けて、少額で投資できるようにして、資産を持たない人に不動産オーナーになれる「夢」を与えたもので、前述しましたが、弁護士の中には「夢ある博打」と表現している方もいます。

小口と言えど不動産投資です。経済環境や投資環境によりスキームが崩れることを想定しないで、資産が持てる・殖えるというところに目を奪われた人(あえて投資素人と呼びますが)が多かったのでしょう。

「あなたも不動産オーナーになれる…」サラリーパーソンの虚栄心をくすぐるのでしょうか。

サブリース問題が表に出てくるのは景気後退局面に多く、バブル崩壊後には多く見られましたが、最初のうちはサブリース契約者は土地持ちオーナーが多かったようです。



銀行融資も正常に手続が行われていました。リーマン・ショック以降のサブリース問題での登場人物は、土地を持たないサラリーパーソンが多くなりました。土地をローンで買い、アパート建設にもローンを組むとなれば、仲介業者、不動産会社、銀行がチームとなる必要があります。

この間に不正手続があったのが「かぼちゃの馬車」問題です。スルガ銀行の融資書類改ざんは記憶に新しいでしょう。

<悪質になってきた「サブリース問題」>

「サブリース問題は性質が悪くなっている…」ある弁護士の方の言葉です。

銀行から融資を受けて投資を行う、このスキームで思い出すのは、保険会社によるバブル期の変額保険販売手法です。

バブル期では、土地と株が、持っているだけで利益を生んでいました。右肩上がりに上がる土地と株を横目に、保険会社は熟知たる思いでいたところに開発されたのが、特別勘定で保険料を株運用を行う変額保険です。

あろうことか、銀行から融資を受けさせて変額保険契約を勧める手口がとられ、銀行としても手数料がはいる、銀行・保険会社・契約者の「三方良し」の構図ができ上がったのですが、バブル崩壊で株価下落、変額保険評価額も下がり、変額保険を担保に銀行融資を受けていたので、追加の担保が求められ、結局はローンだけが残った契約者だけが損をする構図であったことは、後で気付かされました。確か法人契約だと法人税の節税にも有効というセールストークがあったのではないでしょうか。

今回のケースと全く同じです。

銀行融資でアパートを建てて、家賃保証のえさに飛びつき、経済環境変化によりその契約も解約されローンだけが残るというパターン、まったく同じですね。保険会社が不動産会社に変わっただけで、このスキームのパートナーが銀行であることは変わりません。

厳しい言い方ですが、常に損をするのは「欲に絡んだ無知な消費者」なのです。


相続税対策と年金不安が殺し文句

土地を持っているオーナーに向けては、相続対策。
土地を持たないサラリーパーソンに向けては、年金不安による自助努力。

これが殺し文句となっています。でもこれは不動産業界に限らず金融業界全般に言えることで、節税対策は弁護士や税理士も好んで使っている手法と言えます。

相続対策を謳ったサイトも多く見られ、更地のままよりもアパート等の投資用物件を建てたほうが、土地の相続税評価額は大きく下がるとしています。

ただ節税対策は、その効果はその時だけで、納税額を抑えることは魅力ですが、その後の投資という要素を考えると、長期安定を第一に考えるべきです。節税目的で融資を受けることが、長期スパンで考えて得策なのかを熟考するべきです。節税効果は単年で、必ず副作用があることを忘れてはいけません。自己資本で行うならともかく、融資を受けてまで行うべきことなのでしょうか。

年金不安から、給与以外の収入確保手段として不動産投資を行うのはわかりますが、年金代わりとなれば、やはり長期安定を求めたいところです。

世の中に長期安定が確約されている投資手法なんて存在しません。投資だからこそ、収益を得たら撤退しやすい方法を選ぶべきで、そのためには、換金性が良い手法が求められます。

不動産投資には換金性、つまり現金化に難点があります。

投資は「生もの」で、経済環境で投資環境は変化するものです。繰り返しますが、長期安定の投資手法は、絶対に存在しません。イギリス貴族が用いる手法には長期安定手法があるとは聞きますが、私たちは手にすることができるのでしょうかね。

目先の利益(節税等)にとらわれず、リスクもしっかりと把握して、リターンとリスクを冷静に天秤にかけることが大事です。目先のメリットばかりを大きく捉えないようにしたいものです。



立地は大事〜駅近物件しかダメ

そもそも全ての土地の投資物件が、収益物件になることはありません。やはり立地が重要で、一般的に相続税対策を必要とする人の土地は、駅から遠いところにあることが多いです。

「不動産はどれ1つとして同じ価値のものはない…」法政大学大学院真壁昭夫教授はこう指摘しています。立地条件が全部違うので、価値が同じ不動産は存在しないとのことです。

前述の不動産コンサルタントの長嶋修氏は「駅徒歩2分がベスト、5分以内でないと投資物件としては厳しい」と断言されていました。

長嶋氏によれば、駅から1分離れるごとに120万円価値が下落するとのことです。相続税対策をする土地は駅から遠いことが多く、バス利用の土地もあり、そこに投資用物件を建てても長期安定収入が得られる可能性は決して高くないようです。

長嶋氏曰く、投資の観点から考えるなら、駅から遠い土地を売って駅近の物件を買うほうが良いと解説されています。

「サブリース案件でもうまく言っているケースもある…」それはそうでしょう。立地の良い物件だってあるでしょう。また立地条件が悪くてもオーナーの努力次第で収益を安定化させている物件もあります。人任せで何もしないオーナーの物件では、安定収益を得られるはずがないとも言えます。

国交省が毎年発表する公示地価が上がっているのは、外国人観光客によるもので、商業地区が上がっていると言われています。これらの発表数字をもとに不動産投資の将来を計ってはいけません。

楽して儲けようという考えでは、絶対に投資では成功しません。


サブリース事業を規制する法律がない

賃貸住宅管理者登録制度というのがあります。

賃貸住宅管理業務に関して一定のルールを設けることで、借主と貸主の利益保護を図ることを目的としたもので、登録事業者を公表することにより、消費者は管理業者や物件選択の判断材料として活用することが可能となります。

ただ登録は任意であり、ずっとレオパレス21は登録していませんでした(現在は登録)。国土交通省としても登録は任意なので、全ての業者の状況を把握できているわけではないとコメントしています。

宅地建物取引業法により、不動産取引に関しては厳しい規制を設け指導もされていますが、サブリース事業に関しては、特別な規制はなく、監督指導する法制度はありません。

いまだに国交省による仲介業者へは、監督指導が届かない状況にあると弁護士は指摘しています。

消費者を保護する制度の重要性は言われています。消費者庁もできました。大家と店子の関係は、持つ者と持たざる者との間の力関係がはっきりとしているので、持たざる者である店子が守られる、いわゆる弱者救済措置が取られます。

では、土地を持っているオーナーは消費者なのでしょうか。

これがサブリースにおけるオーナー保護をややこしくしています。オーナーは、土地の所有者ではありますからね。

でもある弁護士は、仲介業者は資金力から情報知識にいたるまで明らかに長けていて、オーナーとのビジネス関係であっても、力の差は歴然だと主張しています。



2度とこのような問題が起こらないように、国としても法整備を急ぐことを望みたいですね…。

うまい話なんかない。そんなにすんなりと信じないで…

性善説はもうやめよう…。1つの土地には、それぞれ立場の違う人の思惑が幾重にも交差しています。土地の活用目的が、かかわる人の立場で全然違ってきます。その土地から得る利益の取り方も違います。土地を、お金を生む道具と見るのか、親からの引継ぎ物と見るのかでも違います。

「人任せ…」これは、投資する以前の話ですね。「難しいから、ややこしいから、面倒だから…」このような考えで投資を行えば、財産をなくしても仕方がありません。

「説明を受けたが良くわからなかった…」「契約書をきちんと読んでいない…」これらは、自己防衛意識の欠落以外のなにものでもありません。

「うまい話なんてない」「そんなにすんなり信じちゃいけない」前述の真壁教授は力説されています。儲かる・任せる(任せられる)・保証する…そんなうまい話はありません。

投資リテラシーという言葉が登場して久しいですが、私たち消費者や投資家が、もっと賢くならなければならないという指摘はずっとこの情報誌でも訴えてきました。

とにかく、都合の良い解釈をしてはいけません。情報を冷静に判断し、くれぐれも自分都合にアレンジして解釈しないようにしましょう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c24

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
27. 中川隆[-11024] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:52:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[999]

ウクライナ人が日本に警告「北方領土の2島返還で笑うのはプーチンだけ」
3/26(火) 11:57配信 PHP Online 衆知(Voice)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190326-00010001-voice-pol

ウクライナ出身のグレンコ・アンドリー氏は安倍政権の対ロシア外交に警鐘を鳴らしている。


<<安倍総理は現在、プーチン大統領との友好関係を深めることで北方領土問題の解決をめざしている。だが、2014年に領土クリミアをあっという間にロシアに奪われたウクライナ人のグレンコ・アンドリー氏は異なる考え方をもつ。新著『プーチン幻想』(PHP新書)より、その理由を明らかにする。>>

※本稿はグレンコ・アンドリー著『プーチン幻想』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです
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じつは「対露国益献上外交」

最初に言っておきたいが、筆者はウクライナ人としてではなく、日本を好きな人間の一人という立場から考えを書くこととする。ウクライナからすれば、日露関係がどうなろうが、日本がどのような対露政策を取ろうが、その結果、日本がどうなろうが、ほとんど影響がないからだ。

だから本稿において、筆者はウクライナ人というより、親日外国人、日本をよくしたいと思い、日本の復活・発展と繁栄を心から望み、自分の将来を日本と結びつけて考える人の立場から、安倍政権の対露政策について考えたいと思う。

さて、安倍晋三総理大臣は20回以上プーチンと会い、友好をアピールしているのだが、総理の目的は何であろうか。総理の言動から判断すると、それはロシアと友好関係を作り、領土問題を解決した上で日露平和条約を結ぶことである、ということになる。

一見もっともらしく映るが、じつは安倍総理の対露外交の本質を表す言葉は「対露軟弱外交」もしくは「対露国益献上外交」である。なぜなら安倍総理の政策は、ロシアが一方的に日本から利益を引き出すだけであり、代わりに日本が得るものは何もないからだ。
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「領土返還」と「領土問題の解決」のすり替え

今まで日本政府は、少なくとも南千島、つまり択捉島・国後島・色丹島と歯舞群島は日本の領土である、という立場を一貫して取ってきた。

しかし、いつの間にか「領土返還」ではなく、「領土問題の解決」という言葉が日本の情報空間に飛び交うようになった。それは何を意味するのか。

「領土返還」という言葉には1つの意味しか含まれていない。しかし、「領土問題の解決」という言葉には2つの意味が含まれている。

「問題の解決」は「領土返還」という形でも「領土放棄」という形でも可能であり、どちらも「領土問題の解決」である。

したがって、領土返還ではなく領土問題の解決を繰り返し述べる日本の政治家やジャーナリストの発言は、「領土放棄という選択を排除しない」ことを意味している。

このように概念をすり替えれば、安倍総理は「実績を残す」ことができる。つまり北方領土を取り返せないが、領土を放棄することによって「領土問題を解決した首相」という「実績」を作ることができる。

そして支持層に対し、巧妙な情報発信で対露敗北を「安倍外交の勝利」と思わせることができる。

実際、総理はロシアが北方領土を返還しないことを分かっているので、「日本の面子が潰れない形で」北方領土の放棄を目指していることは明らかである。日本のメディアにおけるロシアに対する報道、もしくは日露関係に対する報道がそれを物語っている。

たとえばロシアに関する報道では、以下の話題が頻繁に出ている。すなわち「ロシアの美人スポーツ選手」「プーチン大統領は柔道が好き」「プーチン大統領に秋田犬が贈られた」「日本にシベリア猫が贈られた」などである。つまり、全く政治や外交と関係がない。

これはロシアが日本の領土を不法占領している事実から目を逸らすための戦略である、と言わざるをえない。先述のような報道だけを見れば、誰でもロシアによい印象を持ち、親近感が湧く。

日本中にこのようなロシアに対して甘いイメージが広まれば、ロシアに対する大きな譲歩も受け入れられやすくなる。

また、安倍政権が展開している対露外交についてマスコミはほとんど批判せずに、政府の発表をそのまま報道するだけである。

たとえば、日本の高官による「日露新時代」「(領土問題に関する)新しいアプローチ」「落ち着いた雰囲気での交渉」「両国に受け入れ可能な解決」などの表現を報道するだけで、反論は加えられない。

しかし、このような表現は日本の一方的な譲歩を示す婉曲表現にすぎない。このような発表の下で、安倍政権は歴代政権の立場を崩して北方領土を放棄しようとしているが、日本のメディアもそれを容認しているのである。


全島全域返還の前に平和条約を締結してはいけない

さて、安倍政権の対露外交は具体的にどこが間違っているのか。最も大きな間違いは、先述した「領土放棄の容認」である。安倍政権は明らかに「2島返還で平和条約」という解決を目指している。

しかし平和条約を締結すれば、それは事実上、国後島と択捉島のロシア帰属を認めることになる。

だから平和条約締結後、国後島と択捉島の返還を要求できなくなる。要求したとしても、「平和条約の時点で領土問題は解決した」という反論がくる。だから、いわゆる「2島先行返還論」はありえないのだ。

ロシアからだけではなく、第三国から見ても、平和条約締結後の日本の領土返還要求は正当に映らない。だから絶対に、全島全域返還の前に平和条約を締結してはいけないのだ。

ちなみになぜ、筆者は「安倍政権が2島返還を容認している」と断言できるのか。それにはいくつかの理由がある。

1つ目は、先述したメディア戦略である。安倍総理は明らかにプーチンとの個人的な友情をアピールし、日本人にロシアやプーチンに対して好印象を持ってもらいたがっている。

2つ目は、日ソ共同宣言への言及である。日ソ共同宣言は当時、違法にソ連に抑留されていた日本人の帰還のためのやむをえない措置だったかもしれないが、日本人の帰還終了後にこれを即、破棄するべきであった。その内容は大きく日本の国益を損なっているからである。

そして3つ目は、安倍総理は自分の在任中に領土問題を解決し、平和条約を締結する、と言っている。

しかし、安倍晋三総理大臣の在任中に北方領土全島を取り返すことは不可能である。だから「自分の在任中に解決する」と言っている時点で、安倍総理が「2島返還で平和条約」を容認しているのは明らかなのである。
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「在任中に解決」発言が日本の立場を不利にした

また「自分の在任中に解決する」という発言は、安倍政権の対露外交のもう1つの大きな欠陥である。

自分の在任中に解決する、というのは、問題解決に期限を設けることを意味している。

つまり、2021年9月までに北方領土問題を解決しなければならないということだ。それは交渉において、自分の立場を自ら不利にする行為である。

総理の発言のため、日本側には期限が迫っているという焦りが生じる。しかし、ロシアには一切何の期限もなく、時間が無限にある。だからロシアは、日本側に期限が迫るときまで待てばいいだけである。

他方、期限までに問題を解決しなければならない日本は、期限が近付いた頃に仕方なく譲歩せざるをえない。そして、ロシアは待つだけで自国に有利な結果での解決を獲得する。

以上のことから、安倍総理の発言は大きな誤りであり、現在の対露外交は日本の立場を不利にする行為であるので、即刻改めるべきである。

領土問題を始めとする難しい外交的問題において、期限を設けてはいけない。必要なだけ時間をかけて、必要な場合は次の代に解決を先送りすることを覚悟するべきだ。解決を焦ることは、自分の手で自らの首を絞めることである。
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グレンコ・アンドリー(ウクライナ出身)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c27

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
15. 中川隆[-11023] koaQ7Jey 2019年4月02日 07:43:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1000]

ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU

2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c15

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
80. 中川隆[-11022] koaQ7Jey 2019年4月02日 07:44:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1001]

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c80

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
158. 中川隆[-11021] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:10:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1002]
“ゴーン前会長の支払いに不審点 ”ルノーが検察に通報の報道/nhk
2019年4月2日 4時26分ゴーン前会長
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870081000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_006

フランスの自動車メーカー、ルノーは、カルロス・ゴーン前会長が経営トップ時代に行われた中東のオマーンにある販売代理店への支払いで不審な点が見つかったとして、検察当局に通報したとロイター通信が報じました。

それによりますと、ゴーン前会長が経営トップだった2011年ごろから5年の間、ルノーは中東のオマーンにある代理店に自動車を販売する際の報奨金として日本円で合わせて数十億円を支払いましたが、この多くがレバノンにあるゴーン前会長の関係者が運営する会社に流れていたことがわかったとしています。

このため、ルノーは資金の流れに不審な点があるとしてフランスの検察当局に通報したということです。

これまでルノーはゴーン前会長に不正がなかったか内部調査を進めていて、ゴーン前会長がフランスのベルサイユ宮殿で開いた自身の結婚披露宴についても、会社の資金が流用された疑いがあるとして検察当局に通報しています。
 

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c158

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
155. 中川隆[-11020] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:21:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1003]
2019.04.02
天皇制官僚国家の象徴としての「元号」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

 安倍晋三政権は4月1日、新しい「元号」を「令和」にすると発表した。元号の法的な根拠は1979年に成立した「元号法」だが、その前提として天皇制がある。その天皇制については日本国憲法の第1条から第8条で定められ、いわゆる「戦争の放棄」を定めた第9条はその後だ。この順番から考えて、日本国憲法の主眼は天皇制の維持にあると言えるだろう。

 この憲法は「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこ」んだ天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」て、1946年11月3日に公布したものである。

 第2次世界大戦でアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシストの立場から戦っていたが、1933年から34年にかけての時期にルーズベルトを中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立させようとした勢力がアメリカ支配層には存在した。その中心だったのは巨大金融資本だ。

 本ブログでは何度も書いてきたが、1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。

 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。

 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。

 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーがJPモルガンと極めて緊密な関係にあることも本ブログで繰り返し書いてきた。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。

 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。

 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる。

 日本の侵略を受けていた国々の人びとは、そうした軍人以上に厳しい目を向けていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)

 天皇制官僚システムを維持するためには、アメリカが日本で主導権を握っているうちに天皇制の存続を定めた憲法を制定し、天皇を被告席に立たせずに戦争責任を問う裁判を終わらせてしまう必要があった。それをアメリカは実行した。

 第2次世界大戦の帰趨が決したのは1944年6月にアメリカ軍を中心として実行されたノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)だと考えてる人が高名な学者の中にもいるが、実際はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで壊滅、1943年1月に降伏した時に勝負はついていた。ノルマンディー上陸作戦で決着がついたという話はハリウッドが作り上げた幻影だ。

 アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ渡ったのが1941年5月。そこでイギリス政府の要人と何かを話し合ったはずだが、その内容は未だに秘密。そして6月に310万人のドイツ軍が西側に90万人を残してソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。

 当然のことながら、このときにドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)ヒトラーは西側から攻めてこないことを「予知」していたのだろう。

 ドイツ軍の主力が壊滅したことに驚いたアメリカとイギリスは急遽会談し、1943年7月に米英軍はシチリア島へ上陸、そしてノルマンディー上陸作戦だ。それと同時に西部戦線で戦っていたレジスタンスに対抗するため、OSSはゲリラ戦部隊ジェドバラを組織、それが大戦後、CIAの秘密工作部門になる。

 それまで傍観していた米英軍が慌てて動き始めたのだが、それと並行してドイツ側はOSS(CIAの前身)と盛んに接触するようになる。こうした接触はルーズベルト大統領には秘密にされていた。

 OSSのアレン・ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織したヘルマン・ゲーリングも含まれ、ダレスたちは彼を戦犯リストから外そうとしたのだが、失敗した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 しかし、ナチスの大物たちをアメリカ支配層は保護、逃亡させ、後に雇っている。その逃走にローマ教皇庁の一部勢力が参加していたことも広く知られている。

 日本では天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。

 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B6%99%E2%80%95%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%8D%E3%81%8F-1973%E5%B9%B4-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/B000J9DIP6


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c155

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
28. 中川隆[-11019] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:22:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1004]
天皇制官僚国家の象徴としての「元号」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

 安倍晋三政権は4月1日、新しい「元号」を「令和」にすると発表した。元号の法的な根拠は1979年に成立した「元号法」だが、その前提として天皇制がある。その天皇制については日本国憲法の第1条から第8条で定められ、いわゆる「戦争の放棄」を定めた第9条はその後だ。この順番から考えて、日本国憲法の主眼は天皇制の維持にあると言えるだろう。


 この憲法は「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこ」んだ天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」て、1946年11月3日に公布したものである。


 第2次世界大戦でアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシストの立場から戦っていたが、1933年から34年にかけての時期にルーズベルトを中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立させようとした勢力がアメリカ支配層には存在した。その中心だったのは巨大金融資本だ。


 本ブログでは何度も書いてきたが、1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。


 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。


 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。


 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーがJPモルガンと極めて緊密な関係にあることも本ブログで繰り返し書いてきた。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる。


 日本の侵略を受けていた国々の人びとは、そうした軍人以上に厳しい目を向けていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)


 天皇制官僚システムを維持するためには、アメリカが日本で主導権を握っているうちに天皇制の存続を定めた憲法を制定し、天皇を被告席に立たせずに戦争責任を問う裁判を終わらせてしまう必要があった。それをアメリカは実行した。


 第2次世界大戦の帰趨が決したのは1944年6月にアメリカ軍を中心として実行されたノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)だと考えてる人が高名な学者の中にもいるが、実際はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで壊滅、1943年1月に降伏した時に勝負はついていた。ノルマンディー上陸作戦で決着がついたという話はハリウッドが作り上げた幻影だ。


 アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ渡ったのが1941年5月。そこでイギリス政府の要人と何かを話し合ったはずだが、その内容は未だに秘密。そして6月に310万人のドイツ軍が西側に90万人を残してソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。


 当然のことながら、このときにドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)ヒトラーは西側から攻めてこないことを「予知」していたのだろう。


 ドイツ軍の主力が壊滅したことに驚いたアメリカとイギリスは急遽会談し、1943年7月に米英軍はシチリア島へ上陸、そしてノルマンディー上陸作戦だ。それと同時に西部戦線で戦っていたレジスタンスに対抗するため、OSSはゲリラ戦部隊ジェドバラを組織、それが大戦後、CIAの秘密工作部門になる。


 それまで傍観していた米英軍が慌てて動き始めたのだが、それと並行してドイツ側はOSS(CIAの前身)と盛んに接触するようになる。こうした接触はルーズベルト大統領には秘密にされていた。


 OSSのアレン・ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織したヘルマン・ゲーリングも含まれ、ダレスたちは彼を戦犯リストから外そうとしたのだが、失敗した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)


 しかし、ナチスの大物たちをアメリカ支配層は保護、逃亡させ、後に雇っている。その逃走にローマ教皇庁の一部勢力が参加していたことも広く知られている。


 日本では天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B6%99%E2%80%95%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%8D%E3%81%8F-1973%E5%B9%B4-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/B000J9DIP6


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c28

[近代史3] 靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道 中川隆
3. 中川隆[-11018] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:23:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1005]
天皇制官僚国家の象徴としての「元号」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/


 安倍晋三政権は4月1日、新しい「元号」を「令和」にすると発表した。元号の法的な根拠は1979年に成立した「元号法」だが、その前提として天皇制がある。その天皇制については日本国憲法の第1条から第8条で定められ、いわゆる「戦争の放棄」を定めた第9条はその後だ。この順番から考えて、日本国憲法の主眼は天皇制の維持にあると言えるだろう。


 この憲法は「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこ」んだ天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」て、1946年11月3日に公布したものである。


 第2次世界大戦でアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシストの立場から戦っていたが、1933年から34年にかけての時期にルーズベルトを中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立させようとした勢力がアメリカ支配層には存在した。その中心だったのは巨大金融資本だ。


 本ブログでは何度も書いてきたが、1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。


 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。


 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。


 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーがJPモルガンと極めて緊密な関係にあることも本ブログで繰り返し書いてきた。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる。


 日本の侵略を受けていた国々の人びとは、そうした軍人以上に厳しい目を向けていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)


 天皇制官僚システムを維持するためには、アメリカが日本で主導権を握っているうちに天皇制の存続を定めた憲法を制定し、天皇を被告席に立たせずに戦争責任を問う裁判を終わらせてしまう必要があった。それをアメリカは実行した。


 第2次世界大戦の帰趨が決したのは1944年6月にアメリカ軍を中心として実行されたノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)だと考えてる人が高名な学者の中にもいるが、実際はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで壊滅、1943年1月に降伏した時に勝負はついていた。ノルマンディー上陸作戦で決着がついたという話はハリウッドが作り上げた幻影だ。


 アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ渡ったのが1941年5月。そこでイギリス政府の要人と何かを話し合ったはずだが、その内容は未だに秘密。そして6月に310万人のドイツ軍が西側に90万人を残してソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。


 当然のことながら、このときにドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)ヒトラーは西側から攻めてこないことを「予知」していたのだろう。


 ドイツ軍の主力が壊滅したことに驚いたアメリカとイギリスは急遽会談し、1943年7月に米英軍はシチリア島へ上陸、そしてノルマンディー上陸作戦だ。それと同時に西部戦線で戦っていたレジスタンスに対抗するため、OSSはゲリラ戦部隊ジェドバラを組織、それが大戦後、CIAの秘密工作部門になる。


 それまで傍観していた米英軍が慌てて動き始めたのだが、それと並行してドイツ側はOSS(CIAの前身)と盛んに接触するようになる。こうした接触はルーズベルト大統領には秘密にされていた。


 OSSのアレン・ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織したヘルマン・ゲーリングも含まれ、ダレスたちは彼を戦犯リストから外そうとしたのだが、失敗した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)


 しかし、ナチスの大物たちをアメリカ支配層は保護、逃亡させ、後に雇っている。その逃走にローマ教皇庁の一部勢力が参加していたことも広く知られている。


 日本では天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B6%99%E2%80%95%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%8D%E3%81%8F-1973%E5%B9%B4-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/B000J9DIP6


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/127.html#c3

[近代史3] 天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統

創価学会、宮内庁とそのバックにいる CIAが 必死にデマを拡散していますが、天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統です。

昔は年上の兄弟はどんどん他の土地へ出て行って、末弟が最後まで実家に残るので
末弟に家を継がせるのが普通だったのですね:


皇位継承


7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,

16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,

仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。

応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。
しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。

また,記紀にみえる天皇の名称をみると,

7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,

10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,

12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),

15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,

27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシ


という称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると

7〜9代の名称は持統以下の名称を手本に,
12〜14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られた

と推定される。

これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。

10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10〜12代の天皇は大和を根拠としていたが,15〜25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。

同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。

これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。

しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。
→王朝交替論
[直木 孝次郎]

皇嗣の冊定

大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。

そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。

しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。

ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。

皇位継承の資格

皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。

推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。

継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。

平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。

皇位継承の原因

上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。

天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。

また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。

なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。

81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。

また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。

35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=128
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/316.html

[番外地6] 山の危険 _ 迷っているときは沢に下りてはいけません(絶対に!) 中川隆
40. 中川隆[-11017] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:40:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1007]

ユーチューバー、山で遭難する Survival in japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4GUExgIbHoY


2017/06/19 に公開

リアルに遭難し、手元にあるものだけで生還する動画です。
危険なので絶対に真似しないでください。

Twitter→https://twitter.com/hiroroiroron

ひろろん釣りブログ、ホームページ→http://hiroronfishing.com


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/587.html#c40

[リバイバル3] 急増する山岳遭難 中川隆
2. 中川隆[-11016] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:41:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1008]

ユーチューバー、山で遭難する Survival in japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4GUExgIbHoY


2017/06/19 に公開

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/792.html#c2

[リバイバル3] 急増する山岳遭難 中川隆
3. 中川隆[-11015] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:49:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1009]

【キチガイ】ペットボトルライフジャケットと丸太で川を下ったら死にかけた 遭難した山から脱出#5 survaival in japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LsDpwFpSibo&list=PLYNIybi_CbuROtq5KtKBWKlhQfKBambTC&index=5


2017/06/30 に公開

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/792.html#c3

[番外地6] 山の危険 _ 迷っているときは沢に下りてはいけません(絶対に!) 中川隆
41. 中川隆[-11014] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:50:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1010]

【キチガイ】ペットボトルライフジャケットと丸太で川を下ったら死にかけた 
遭難した山から脱出#5 survaival in japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LsDpwFpSibo&list=PLYNIybi_CbuROtq5KtKBWKlhQfKBambTC&index=5


2017/06/30 に公開

リアルに遭難し、手元にあるものだけで生還する動画です。
危険なので絶対に真似しないでください。

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[近代史3] 日本人を憎む被差別同和部落出身者 2 _ 竹中平蔵 中川隆
2. 中川隆[-11013] koaQ7Jey 2019年4月02日 09:11:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1011]
三橋TV第21回【官僚を利用する民間人 竹中平蔵の悪の手口】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=dEuBOqqmt8M


2018/11/25 に公開

三橋TVは、視聴者に『経済』を学んでいただくためのものです。
第21回のタイトルは、【官僚を利用する民間人 竹中平蔵の悪の手口】です。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/115.html#c2

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
159. 中川隆[-11012] koaQ7Jey 2019年4月02日 09:30:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1012]


2019年4月2日
ルノー、ゴーン体制下でオマーンに不審な支出 仏当局に通報


[パリ 1日 ロイター] - 仏自動車大手ルノー(RENA.PA)が、カルロス・ゴーン被告の会長兼最高経営責任者(CEO)在任時にオマーンのパートナー会社に不審な支払いがあったと、フランスの検察当局に通報したことが分かった。関係筋3人が明らかにした。

ルノーの社内調査で判明したという。それによると、同社は2011年ごろから5年間にわたり、日産自動車(7201.T)との企業連合の販売代理店であるオマーン業者のスハイル・バハワン・オートモービルズ(SBA)に販売奨励金として数百万ユーロを支払っていた。

このオマーン業者に対しては、日産からも3000万ドルに上る支払いが行われていたとされている。

関係筋によると、ルノーが仏当局に提出した資料は、支払いの多くがゴーン被告の関係者が運営するレバノン企業に回されていたことを示している。

関係筋の1人は、ルノーが支払った総額は数千万ユーロに上ると話した。

ゴーン被告の仏弁護士ジャンイブ・ルボルニュ氏は「オマーンでの横領の可能性は断固否定する」と述べた。

ルノー広報はコメントを控え、仏検察当局はコメント要請に応じなかった。SBAのコメントも得られていない。

関係筋3人によると、ルノーおよび日産におけるゴーン被告の「CEOオフィス」予算から拠出された資金が地域販売部門を通じてSBA、さらにレバノンの仲介業者「グッド・フェイス・インベストメンツ・ホールディング」を経由し、その後さまざまな組織に支払われた。この中には1500万ドルのヨットを購入した英領バージン諸島登記の会社も含まれているという。

ルノーが仏検察当局に提出した資料には、ゴーン被告の息子アンソニー・ゴーン氏が共同創業者となっている米カリフォルニア州の会社「ショーグン・インベストメンツ」に一部の資金が回されたことを示唆する証拠も含まれていたという。

アンソニー・ゴーン氏による不正や同氏が資金の出所を把握していたことは示唆されていない。ゴーン被告の家族の広報担当者はコメントを控えるとした上で、ゴーン被告はSBAへの販売奨励金に関するルノーおよび日産の調査に絡み起訴されていないと指摘した。

関係筋2人によると、ルノー取締役会に提出されたルノー・日産統括会社の監査の暫定報告では、レバノンへの寄付やルノー・日産への恩恵に疑問のあるその他の支払いが120万ユーロ(134万ドル)に上った。

監査では、統括会社が資金を出している社有機4機の使用や、レバノンにいるゴーン被告の個人弁護士に対し6年間支払われた年間およそ17万ユーロの資金などを調べているという。この弁護士による不正は指摘されていない。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c159

[近代史3] ユダヤ人がヨーロッパ人に嫌われる様になったのは白人女性を性奴隷としてイスラム教徒に売る商売で稼いでいた為 中川隆
4. 中川隆[-11011] koaQ7Jey 2019年4月02日 10:23:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1013]
ヨーロッパは支配階級の贅沢の為に、「白人奴隷」を売っていた。
 

ヨーロッパ諸国の大航海は彼らの優れた文化や商品を遅れた諸国への普及と美化するが、現実は支配階級の贅沢な生活を満たすために、「白人奴隷」を売って贅沢品の交換していた歴史があった。しかし、その事実も現在のヨーロッパでは隠ぺいしようとしていると、松原氏の調べていることは驚きに値する。

「驕れる白人と闘うために日本近代史」(松原久子著 文芸春秋刊)
https://www.amazon.co.jp/%E9%A9%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%97%98%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%BE%E5%8E%9F-%E4%B9%85%E5%AD%90/dp/4167753057


第九章
高潔な動機
  「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
【要約記事引用】                                     
 先日、あるディスカッションに参加した析、明朝時代の武将・鄭和の大航海のことに議論が集中した。十五世紀初頭に莫大な費用をかけて行なわれた大探検旅行のことである。その時に立ち寄ったペルシャ湾、アラビア半島、紅海の入り口、今日のソマリア、ケニア、タンザニア、モザンビークといった地域を中国人はなぜ占領しなかったかという質問が議論の発端だった。わざわざそこまで遠征しておきながら、なぜそこに目に見える痕跡を何も残さないで自国へ帰ってしまったのか、理解に苦しむということだった。

 彼らの見方は、中国人はまだ成熟した強力な文化的自覚を持っていなかった。彼らにはヨーロッパの海洋国家が持っていたダイナミズムが欠けていた。自己の文化に自信がなかったからだと見ている。
その自信は、自分たちの文化は他の民族に授ける価値があるという確信があって初めて得られるものである。中国人は全ての人間、全ての人種に有効な普過的な宗教を持っていないから、自国の風土から遠くかけ離れたところに生活しているアフリカ民族を、支配できるか不安を感じたのだ。というのは、支配には、征服した国を統治し、新しい文明の尺度を注入し、住民を教育する凝務が伴うからである。これが教授の説明であった。

 私は、このような論証は、ヨーロッパの海洋国家で、他民族を幸せにしたいという願いの下に海外遠征を行った国など一つもなかったという史実を隠蔽しょうとするものである、と反論した。

 当時のヨーロッパ人が ――最初はポルトガル人とスペイン人――海外に出かけた動機は明々白々、オリエントとの交易に際してアラブ商人の独占的主導権を打ち破ることだった。同時にイタリア人を蹴落とすことだった。アラブ商人を通してヴェネチア、ジュノヴァ、その他強力なイタリアの都市国家に流れ込んでくるオリエントからの商品を自分たちが直接コントロールすることだった。

 ポルトガルの王子ハインリッヒはモロッコを占領し、船団をアフリカの大西洋岸に沿って南下させた。アラブ人の脇をかすめてインドへたどり着くためにアフリカの最南端をまわる海路が欲しかったのである。

 そして同じ動機で、スペイン王フエルディナンドと女王のイザベラはインドヘの西のルートを探すようにコロンブスに資金を提供した。コロンブスがその際アメリカ大陸の近辺にあるカリブ海の島々
を発見したことは、偶然の結果であった。
 オランダも同じ動揺で、ポルトガル人の後からアフリカをまわって船を進めた。大儲けが期待されるインドとその周辺にある国々との直接交易をポルトガル人に任せておくわけにはいかないからである。

 そして英国人も同じ動機で戦い、強力な航海・探検国家にのし上がったのである。彼らは海の大国スペインを破り、ポルトガルの商船狩りをし、機会があればいつでもオランダと交戦した。

 フランス人もまた同じ動機で大航海国家軍団に仲間入りして広大な植民地帝国を作った。

 ヨーロッパが全世界に出て行った本来の動機が知識欲と探検への情熱であったというのは、美しいお伽話である。

 当時の自分たちの優れた文化を他の諸国に普及したいがために海を渡って出かけていったというのも、美しいお伽話である。

 近東、インド、東南アジア、中国、日本といった古い文化の中心地に比べて、中部及び北部ヨーロッパはかつて荒涼とした貧しい土地だった。このことは今日なかなか想像し難い。ヨーロッパは惨めにも貧しい大陸だった。その事実はいくら壮大な大聖堂を建設しても覆い隠すことはできなかった。

 貧困は人間の罪ではなかった。それはこの地域の恵まれない気候風土のせいだった。夏至の時期でさえ、ドイツでは真昼の太陽が日本の冬の太陽より低いほどである。だから中部・北部ヨーロッパでは夏涼しく、冬がおそろしく長い。人々は苦労して自然から穀物を奪い取らなければならなかった。生活は、寒さ、湿気、雪、秋の霧、そして冬の暗闘との戦いだった。

 いかに中部・北部ヨーロッパが貧しかったかは、オリエントからヨーロッパヘ流入してきた商品とヨーロッパが近東に届けることのできた商品とを比較してみるとよく分かる。

 オリエントからは、樟脳、サフラン、大黄、タンニンなどの薬品、鉱物性の抽や揮発油などが輸入された。最も渇望されたのは、いうまでもなく砂糖や胡椒、グローブ、シナモン、ナツメグといった各種の香辛料だった。胡椒は一時期貨幣の役目をしていたこともあった。グローブの香辛料は胡横の三倍の値段だった。嫌々な染料も輸入された。繊維製品では生糸と麻で、高級絹織物やビロード、金糸、銀糸も持ち込まれた。アジアを原産地とする宝石、珊瑚、真珠。高価な陶磁絡も遊ばれてきた。

 これに対してヨーロッパが納入できた商品リストはささやかで、簡単だった。羊毛、皮革、毛皮そして蜜蝋である。この他にはほとんど何も、地中海の向こう側の人たちを魅了できるものをヨ−ロッパは提供することができなかった。

 オリエントとのヨーロッパの交易は慢性的な赤字だった。ヨーロッパ人は、ヨーロッパ外の地域から購入したものは全て、金・銀で支払わなければならなかった。何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった。

 しかしヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は、貪欲で飽くことを知らなかった。
需要の増大に反比例してヨーロッパの金・銀の貯蔵量は減少しでいった。そこで、何世紀にもわたってアジアヘの輸出のために特別な商品が用意されたのだった。その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263612

優れた欧州文化から見れば「白人奴隷」事実を隠ぺいする対象になる。奴隷買いの怨念はアラブに向かう
 
ヨーロッパ諸国の大航海は彼らの優れた文化や商品を遅れた諸国への普及と美化するが、現実は支配階級の贅沢な生活を満たすために、「白人奴隷」を売って贅沢品の交換していた歴史があった。しかし、その事実も現在のヨーロッパでは隠ぺいしようとしていると、松原氏の調べていることは超驚きに値する。

「驕れる白人と闘うために日本近代史」(松原久子著 文芸春秋刊)

第九章
高潔な動機
  「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出


 この商品については、ドイツの一般的な歴史書にはほとんど記されていない。私が調べた限りでは、他のヨーロッパ諸国の歴史書にも記載されていない。時折、キリスト教徒の男奴隷、女奴隷が北アフリカのサラセン人のもとへ売られていった、と恥ずかしそうに触れられていることがあるだけである。そしてこういった指摘は大抵、野蛮なサラセン人の海賊が悪人で、可哀想なキリスト教徒はさらわれたのだという印象を受けるように書かれている。

 しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を待ったものは何も提供できなかったからである。

 中世初期に、北部のヴァイキングがロシアの川筋に沿って黒海まで南下してきた時、奴隷は、極北の国で捕れる毛皮に次いで主要な商品だった。彼らはアルメニアの黒海沿岸で、胡椒とシナモン、絹織物、ビロード、真珠、宝石、そして北欧では常に渇望されていた砂糖などを買い、奴隷を売り込んだ。

 この利益の多い生きた商品の交易は、キリスト教国だったアルメニアを繁栄させ、この地域を最強の国家へと発展させたのである。
「奴隷(スレイブ)」は、語源的に「スラブ人」と同じである。大掛かりな奴隷狩りが行なわれた。ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられたのである。

 一四五三年頃にコンスタンチノープルがオスマン・トルコによって征服されるまでは、特にジュノヴァの商人たちが奴隷貿易を行なっていた。ジエノヴァの船で運ばれる奴隷の大群はダーダネルス海峡を通り、そこから、今日のレバノンヘと流れ込んでいった。この奴隷貿易をヨーロッパの歴史の本では、上品に黒海貿易と記述している。

 ヴェネチアの商人たちは、ダルマチア沿岸、ペロボネソス半島、クレタ島、ナクソス烏、その他行ける所があればどこからでも、生きた商品をさらってきた。ヴェネチア、フィレンツェ、そしてトスカーナ地方の富の蓄積は奴隷売買によるところ大であった。奴隷は古代シリア王国の首都アンティオキアと、今日のレバノンの港町テイルスを経てダマスカスやバグダッドヘ売られていった。そこには大きな奴隷市場があった。

 北アフリカ沿岸の豊かなサラセン人の町でも白人奴隷、特に女奴隷は金貨と交換に売られていた。

 コンスタンチノープルが陥落し黒海貿易が途絶え、ダーダネルス海峡の通行がトルコによってコントロールされるようになると、ヨーロッパ奴隷市場での奴隷の価格は急埼した。

 ヨーロッパ内部でも、何世紀にもわたって奴隷売買は盛んであった。一五〇一年に南イタリアのカブアが占領された時、男は全員殺され、女はローマの奴隷市場で売買された。

 たびたびの戦争で占領され、略奪されたヨーロッパの多くの都市の住民たちも同じような運命にあつた。一五五〇年頃、チュニジアの首都のチュニスだけで、約三万人のヨーロッパ人男女の奴隷がいたことが記録に残っている。全てキリスト教国のキリスト教徒によってどこかで捕らえられ、締られ、猿ぐつわをかまされ、王侯貴族や特権聖職者、富豪たちが競って求めているオリエントの資沢品と交換するために運ばれて行ったのである。

 ヨーロッパのいくつかの民族が海洋国家となったそもそもの動機は、決して遠い異教徒たちの魂を救済するためでも、キリスト教伝道の任務を遂行する内なる衝動のためでも、文化的優越感のためでも、その優越感から導き出された、非ヨーロッパ民族をヨーロッパの文化によって幸せにしたいという隙いのためでもなかった。大航海時代を生み出した原動力は、自然に呪われたヨーロッパ大陸の貧しさを克服したいという願望だった。
 「あなた方は行って、子孫をふやし、大地を征服しなさい」
 この神の言葉を彼らは見事に実践したのである。

 今日、ヨーロッパ人のダイナミズムとよくいわれるものは、元を正せば彼らの絶望と怒りの産物である。彼らが渇望している香辛料、絹、染料、薬、陶器、そしてインドや遠いアジアの国々の宝石や珊瑚と引き換えに、彼らから金・銀、そして白い肌の女性を奪い取ったアラブ人に対する激しい怒りの産物なのである。

 海洋国家と呼ばれて世界史に登場した国々は、執拗な粘り強さで、オリエントの財宝を直接我が物にするために邁進した。彼らは堅牢な船舶、完成された航海術、強力な軍事力を備えて航海に出発したのである。そして発見者と呼ばれるに相応しい行為を成し遂げた。それは苛離な戦いだった。航海する者一人一人が、危険を十分承知し、覚悟の上で異国へ侵入していった。異国が彼らに対して敵意を持っているかも知れなかったからではない。そうではなくて、彼ら自身の目的がはっきりしていたからである。すなわち、アラブの商人たちの虚をついて、ヨーロッパが渇望するあの商品と産物の泉を手に入れることだった。

 ヨーロッパの航海者たち、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人たちは、相前後してアフリカの西海岸を探索し、上陸できたところを調査していった。彼らは、見たものは全て正確に記録した。発見者としての喜びからでも、多面的な知識欲からでもない。必ず再度来るつもりだったので、良い場所を、といっても、文化の普及のためでも学校や病院を建てるためでもなく、文字通り碓実な地歩を占めるために有利だと思われる場所を、記録したのである。物資の補給など戦術的な理由から、とりあえず拠点となる場所が必要だった。本国から遠く触れている彼らは、その拠点を堅固な要塞で守り、そこから次の拠点を探してまわった。

  ヨーロッパの歴史書は、当時インドでヨーロッパ人が成功したのは、それまでその地域を支配していたアラブの商人たちが、商売から手を引いたからである、と美しい言共でさらりと触れている。もちろんアラブ人たちは自ら手を引くことなどしなかったので、ヨーロッパ人はアラブの商船を見つければ、予告することなく攻撃し、沈めた。

 こういったことを可能にした決定的な要因は、ヨーロッパ艦隊の圧倒的な軍事力と乗組員たちの確固たる目的意識であった。アラブ人は南からの攻撃は予測していなかったので、完全に虚を衝かれた∧ポルトガル人は二十年ほどでインド洋西側のアラブの商船をほとんど壊滅させ、攻撃して釆たトルコの全艦隊を打ち破ってしまった。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263613

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/210.html#c4

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
187. 中川隆[-11010] koaQ7Jey 2019年4月02日 10:25:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1014]
ヨーロッパは支配階級の贅沢の為に、「白人奴隷」を売っていた。
 
ヨーロッパ諸国の大航海は彼らの優れた文化や商品を遅れた諸国への普及と美化するが、現実は支配階級の贅沢な生活を満たすために、「白人奴隷」を売って贅沢品の交換していた歴史があった。しかし、その事実も現在のヨーロッパでは隠ぺいしようとしていると、松原氏の調べていることは驚きに値する。

「驕れる白人と闘うために日本近代史」(松原久子著 文芸春秋刊)
https://www.amazon.co.jp/%E9%A9%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%97%98%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%BE%E5%8E%9F-%E4%B9%85%E5%AD%90/dp/4167753057


第九章
高潔な動機
  「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
【要約記事引用】                                     
 先日、あるディスカッションに参加した析、明朝時代の武将・鄭和の大航海のことに議論が集中した。十五世紀初頭に莫大な費用をかけて行なわれた大探検旅行のことである。その時に立ち寄ったペルシャ湾、アラビア半島、紅海の入り口、今日のソマリア、ケニア、タンザニア、モザンビークといった地域を中国人はなぜ占領しなかったかという質問が議論の発端だった。わざわざそこまで遠征しておきながら、なぜそこに目に見える痕跡を何も残さないで自国へ帰ってしまったのか、理解に苦しむということだった。

 彼らの見方は、中国人はまだ成熟した強力な文化的自覚を持っていなかった。彼らにはヨーロッパの海洋国家が持っていたダイナミズムが欠けていた。自己の文化に自信がなかったからだと見ている。
その自信は、自分たちの文化は他の民族に授ける価値があるという確信があって初めて得られるものである。中国人は全ての人間、全ての人種に有効な普過的な宗教を持っていないから、自国の風土から遠くかけ離れたところに生活しているアフリカ民族を、支配できるか不安を感じたのだ。というのは、支配には、征服した国を統治し、新しい文明の尺度を注入し、住民を教育する凝務が伴うからである。これが教授の説明であった。

 私は、このような論証は、ヨーロッパの海洋国家で、他民族を幸せにしたいという願いの下に海外遠征を行った国など一つもなかったという史実を隠蔽しょうとするものである、と反論した。

 当時のヨーロッパ人が ――最初はポルトガル人とスペイン人――海外に出かけた動機は明々白々、オリエントとの交易に際してアラブ商人の独占的主導権を打ち破ることだった。同時にイタリア人を蹴落とすことだった。アラブ商人を通してヴェネチア、ジュノヴァ、その他強力なイタリアの都市国家に流れ込んでくるオリエントからの商品を自分たちが直接コントロールすることだった。

 ポルトガルの王子ハインリッヒはモロッコを占領し、船団をアフリカの大西洋岸に沿って南下させた。アラブ人の脇をかすめてインドへたどり着くためにアフリカの最南端をまわる海路が欲しかったのである。

 そして同じ動機で、スペイン王フエルディナンドと女王のイザベラはインドヘの西のルートを探すようにコロンブスに資金を提供した。コロンブスがその際アメリカ大陸の近辺にあるカリブ海の島々
を発見したことは、偶然の結果であった。
 オランダも同じ動揺で、ポルトガル人の後からアフリカをまわって船を進めた。大儲けが期待されるインドとその周辺にある国々との直接交易をポルトガル人に任せておくわけにはいかないからである。

 そして英国人も同じ動機で戦い、強力な航海・探検国家にのし上がったのである。彼らは海の大国スペインを破り、ポルトガルの商船狩りをし、機会があればいつでもオランダと交戦した。

 フランス人もまた同じ動機で大航海国家軍団に仲間入りして広大な植民地帝国を作った。

 ヨーロッパが全世界に出て行った本来の動機が知識欲と探検への情熱であったというのは、美しいお伽話である。

 当時の自分たちの優れた文化を他の諸国に普及したいがために海を渡って出かけていったというのも、美しいお伽話である。

 近東、インド、東南アジア、中国、日本といった古い文化の中心地に比べて、中部及び北部ヨーロッパはかつて荒涼とした貧しい土地だった。このことは今日なかなか想像し難い。ヨーロッパは惨めにも貧しい大陸だった。その事実はいくら壮大な大聖堂を建設しても覆い隠すことはできなかった。

 貧困は人間の罪ではなかった。それはこの地域の恵まれない気候風土のせいだった。夏至の時期でさえ、ドイツでは真昼の太陽が日本の冬の太陽より低いほどである。だから中部・北部ヨーロッパでは夏涼しく、冬がおそろしく長い。人々は苦労して自然から穀物を奪い取らなければならなかった。生活は、寒さ、湿気、雪、秋の霧、そして冬の暗闘との戦いだった。

 いかに中部・北部ヨーロッパが貧しかったかは、オリエントからヨーロッパヘ流入してきた商品とヨーロッパが近東に届けることのできた商品とを比較してみるとよく分かる。

 オリエントからは、樟脳、サフラン、大黄、タンニンなどの薬品、鉱物性の抽や揮発油などが輸入された。最も渇望されたのは、いうまでもなく砂糖や胡椒、グローブ、シナモン、ナツメグといった各種の香辛料だった。胡椒は一時期貨幣の役目をしていたこともあった。グローブの香辛料は胡横の三倍の値段だった。嫌々な染料も輸入された。繊維製品では生糸と麻で、高級絹織物やビロード、金糸、銀糸も持ち込まれた。アジアを原産地とする宝石、珊瑚、真珠。高価な陶磁絡も遊ばれてきた。

 これに対してヨーロッパが納入できた商品リストはささやかで、簡単だった。羊毛、皮革、毛皮そして蜜蝋である。この他にはほとんど何も、地中海の向こう側の人たちを魅了できるものをヨ−ロッパは提供することができなかった。

 オリエントとのヨーロッパの交易は慢性的な赤字だった。ヨーロッパ人は、ヨーロッパ外の地域から購入したものは全て、金・銀で支払わなければならなかった。何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった。

 しかしヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は、貪欲で飽くことを知らなかった。
需要の増大に反比例してヨーロッパの金・銀の貯蔵量は減少しでいった。そこで、何世紀にもわたってアジアヘの輸出のために特別な商品が用意されたのだった。その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263612


優れた欧州文化から見れば「白人奴隷」事実を隠ぺいする対象になる。奴隷買いの怨念はアラブに向かう
 
ヨーロッパ諸国の大航海は彼らの優れた文化や商品を遅れた諸国への普及と美化するが、現実は支配階級の贅沢な生活を満たすために、「白人奴隷」を売って贅沢品の交換していた歴史があった。しかし、その事実も現在のヨーロッパでは隠ぺいしようとしていると、松原氏の調べていることは超驚きに値する。

「驕れる白人と闘うために日本近代史」(松原久子著 文芸春秋刊)


第九章
高潔な動機
  「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出


 この商品については、ドイツの一般的な歴史書にはほとんど記されていない。私が調べた限りでは、他のヨーロッパ諸国の歴史書にも記載されていない。時折、キリスト教徒の男奴隷、女奴隷が北アフリカのサラセン人のもとへ売られていった、と恥ずかしそうに触れられていることがあるだけである。そしてこういった指摘は大抵、野蛮なサラセン人の海賊が悪人で、可哀想なキリスト教徒はさらわれたのだという印象を受けるように書かれている。

 しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を待ったものは何も提供できなかったからである。

 中世初期に、北部のヴァイキングがロシアの川筋に沿って黒海まで南下してきた時、奴隷は、極北の国で捕れる毛皮に次いで主要な商品だった。彼らはアルメニアの黒海沿岸で、胡椒とシナモン、絹織物、ビロード、真珠、宝石、そして北欧では常に渇望されていた砂糖などを買い、奴隷を売り込んだ。

 この利益の多い生きた商品の交易は、キリスト教国だったアルメニアを繁栄させ、この地域を最強の国家へと発展させたのである。
「奴隷(スレイブ)」は、語源的に「スラブ人」と同じである。大掛かりな奴隷狩りが行なわれた。ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられたのである。

 一四五三年頃にコンスタンチノープルがオスマン・トルコによって征服されるまでは、特にジュノヴァの商人たちが奴隷貿易を行なっていた。ジエノヴァの船で運ばれる奴隷の大群はダーダネルス海峡を通り、そこから、今日のレバノンヘと流れ込んでいった。この奴隷貿易をヨーロッパの歴史の本では、上品に黒海貿易と記述している。

 ヴェネチアの商人たちは、ダルマチア沿岸、ペロボネソス半島、クレタ島、ナクソス烏、その他行ける所があればどこからでも、生きた商品をさらってきた。ヴェネチア、フィレンツェ、そしてトスカーナ地方の富の蓄積は奴隷売買によるところ大であった。奴隷は古代シリア王国の首都アンティオキアと、今日のレバノンの港町テイルスを経てダマスカスやバグダッドヘ売られていった。そこには大きな奴隷市場があった。

 北アフリカ沿岸の豊かなサラセン人の町でも白人奴隷、特に女奴隷は金貨と交換に売られていた。

 コンスタンチノープルが陥落し黒海貿易が途絶え、ダーダネルス海峡の通行がトルコによってコントロールされるようになると、ヨーロッパ奴隷市場での奴隷の価格は急埼した。

 ヨーロッパ内部でも、何世紀にもわたって奴隷売買は盛んであった。一五〇一年に南イタリアのカブアが占領された時、男は全員殺され、女はローマの奴隷市場で売買された。

 たびたびの戦争で占領され、略奪されたヨーロッパの多くの都市の住民たちも同じような運命にあつた。一五五〇年頃、チュニジアの首都のチュニスだけで、約三万人のヨーロッパ人男女の奴隷がいたことが記録に残っている。全てキリスト教国のキリスト教徒によってどこかで捕らえられ、締られ、猿ぐつわをかまされ、王侯貴族や特権聖職者、富豪たちが競って求めているオリエントの資沢品と交換するために運ばれて行ったのである。

 ヨーロッパのいくつかの民族が海洋国家となったそもそもの動機は、決して遠い異教徒たちの魂を救済するためでも、キリスト教伝道の任務を遂行する内なる衝動のためでも、文化的優越感のためでも、その優越感から導き出された、非ヨーロッパ民族をヨーロッパの文化によって幸せにしたいという隙いのためでもなかった。大航海時代を生み出した原動力は、自然に呪われたヨーロッパ大陸の貧しさを克服したいという願望だった。
 「あなた方は行って、子孫をふやし、大地を征服しなさい」
 この神の言葉を彼らは見事に実践したのである。

 今日、ヨーロッパ人のダイナミズムとよくいわれるものは、元を正せば彼らの絶望と怒りの産物である。彼らが渇望している香辛料、絹、染料、薬、陶器、そしてインドや遠いアジアの国々の宝石や珊瑚と引き換えに、彼らから金・銀、そして白い肌の女性を奪い取ったアラブ人に対する激しい怒りの産物なのである。

 海洋国家と呼ばれて世界史に登場した国々は、執拗な粘り強さで、オリエントの財宝を直接我が物にするために邁進した。彼らは堅牢な船舶、完成された航海術、強力な軍事力を備えて航海に出発したのである。そして発見者と呼ばれるに相応しい行為を成し遂げた。それは苛離な戦いだった。航海する者一人一人が、危険を十分承知し、覚悟の上で異国へ侵入していった。異国が彼らに対して敵意を持っているかも知れなかったからではない。そうではなくて、彼ら自身の目的がはっきりしていたからである。すなわち、アラブの商人たちの虚をついて、ヨーロッパが渇望するあの商品と産物の泉を手に入れることだった。

 ヨーロッパの航海者たち、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人たちは、相前後してアフリカの西海岸を探索し、上陸できたところを調査していった。彼らは、見たものは全て正確に記録した。発見者としての喜びからでも、多面的な知識欲からでもない。必ず再度来るつもりだったので、良い場所を、といっても、文化の普及のためでも学校や病院を建てるためでもなく、文字通り碓実な地歩を占めるために有利だと思われる場所を、記録したのである。物資の補給など戦術的な理由から、とりあえず拠点となる場所が必要だった。本国から遠く触れている彼らは、その拠点を堅固な要塞で守り、そこから次の拠点を探してまわった。

  ヨーロッパの歴史書は、当時インドでヨーロッパ人が成功したのは、それまでその地域を支配していたアラブの商人たちが、商売から手を引いたからである、と美しい言共でさらりと触れている。もちろんアラブ人たちは自ら手を引くことなどしなかったので、ヨーロッパ人はアラブの商船を見つければ、予告することなく攻撃し、沈めた。

 こういったことを可能にした決定的な要因は、ヨーロッパ艦隊の圧倒的な軍事力と乗組員たちの確固たる目的意識であった。アラブ人は南からの攻撃は予測していなかったので、完全に虚を衝かれた∧ポルトガル人は二十年ほどでインド洋西側のアラブの商船をほとんど壊滅させ、攻撃して釆たトルコの全艦隊を打ち破ってしまった。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263613

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c187

[議論31] 狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない 中川隆
167. 中川隆[-11009] koaQ7Jey 2019年4月02日 10:29:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1015]

欧州評議会のポーランド議員「金持ちで近所のサウジやカタールがムスリム移民を引き受ければ?」2019年04月01日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12450390971.html

昨年夏頃のものですが、ポーランド人で欧州評議会・欧州保守改革グループの副会長、 Dominik Tarczyński議員の発言を紹介します。

トルコ国際放送、TRT Worldのインタビューを受けて、女性アンカーとやり合っています。

Dominik Tarczyński氏


(欧州への難民問題を話していて)

これはヨーロッパの問題ではありません。そういう言い方を止めてください。

これは世界規模の危機です。

世界で最も金持ちの1つであるサウジアラビアはどこにいますか?

カタールはどこにいますか?

難民のほとんどはムスリムです。サウジやカタール周辺の出身です。

なぜあなたはこれをヨーロッパの問題と呼ぶのですか?

違います。

EUはアンゲラ・メルケルの狂気と低賃金労働者探しに責任はありません。

トルコ国際放送女性アンカー


もっと多くの国々が現在進行形のこの問題に関与し協力すべきです。

この問題は宗教ではなく南側の経済に関係しています。

植民地独立後のヨーロッパ諸国の抑圧がありました。

だから西洋社会にとても関係があるのです。

今、(欧州側が)その責任を否定することは本当に残念です。

https://voiceofeurope.com/2018/08/why-dont-qatar-and-saudi-arabia-take-muslim-refugees-this-isnt-a-european-problem-polish-mp/

ダイヤグリーン

上記記事には「ポーランドは植民地支配をしたことが無い」というコメントが多く見られました。

確かにそうですね、支配されたり分割されたりという歴史はありますが・・・

このトルコ人が代弁する不法移民側の発想は朝鮮人にも似ています。

「○○は過去に自分たちを支配した。

現在気に入らないことが起きるのは、そのせいだ。

だから、○○がいつまでも面倒を見るのは当たり前だ!」

最近ではメキシコで、昨年12月に就任した新興左派のロペスオブラドール大統領が、500年前の1519年から約300年続いたスペイン統治時代の「暴虐」に対する謝罪をスペイン政府とローマ法王に求めました。

これに対し、スペイン政府は直ちに声明を発表し、「500年前のスペイン人による現在のメキシコ領土進出を、現代の尺度で判断することは不可能だ」として拒否しました。

その後、今度はセビリアのイスラム団体が,、1492年のレコンキスタ(スペイン語: Reconquista)への謝罪をスペイン国王に求めました。今までのところ、スペイン国王はこれに対して何の反応も示しておりません。

3月26日にはEU議会が、アフリカでの植民地支配への賠償決議を採択しました、EUや加盟国などにアフリカ人差別への対応やテロ・犯罪捜査などで人種プロファイリングを止めることなどを求めています。さらに、植民地時代の公文書の機密解除や教育カリキュラムに植民地主義や奴隷制度の包括的な政府見解を組み込んで、ヨーロッパ人により深く罪の意識を植え付ける教育を求めました。

ヨーロッパ人の大衆が自国の政府と外国から同じような要求をされているわけです。

日本人の大衆も日本政府から言論弾圧を受け、中国韓国からはねつ造と憎悪を浴びせられています。

似ている現象だと思いました。

本来は、もし責任を取るなら、大衆ではなくてトップの人たち、王侯貴族や大商人だけでいいと思うのです。富を貯えこんだのは彼ら支配層ですから。

しかし、支配層がそれをしたくないから、余計に外国勢力と一緒になって自国民を弾圧しているのだろうと考えます。

スラブ人と奴隷のスレイブが同じ語源であることからわかるように、ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられた奴隷貿易というものがありました。

そのくらい欧州も貧乏な時代がありました。

(クリップ優れた欧州文化から見れば「白人奴隷」事実を隠ぺいする対象になる。奴隷買いの怨念はアラブに向かう るいネットさま)

ある時点だけを取って責任を追及するこの風潮はとても奇妙な動きですが、とにかく、今の困窮を誰かのせいにして賠償しろというのが流行りのようです。

これは、第三世界の移民を先進国に送り込み先進国の一般人をますます底辺に追いやり、世界中の庶民を同じレベルにまで落とすグローバル化に利する動きです。

自分の人生で何の責任もないことを責められるのは、資産もなく余裕のない一般庶民にとってあまりにも理不尽です。

私達先進国の庶民は、グローバリストの支配者たちに「生贄」として利用されているのです。

私達は切り離されて、第三世界の大衆の怨嗟の的、憂さ晴らしの道具にされているのです。

ダイヤグリーン

ついでに、ここに出てきたサウジアラビアとカタールについて少し書いておきます。

サウジアラビアは人口が3,260万人で、そのうち外国人が1,200万人います。

サウジ人の雇用を進めるため「サウダイゼーション」を実施中で、外国人の多い企業からは罰金を取っています。そのためかサウジアラビアから外国人労働者が多く出国しているということです。出国者は70万人近いようです。

外国人住民は扶養家族や雇用する家事労働者の「人頭税」を支払うことになり年々増額されるということです。

また2018年9月からは,販売員など12職種における外国人労働者へのビザ発給が禁止され、自国民化が計画されています。

カタールは人口が260万人で、そのうち外国人が200万人ほどです。(正式な統計が公表されていません)

ここはサッカースタジアムの建設現場で死者が多数出たことなど中東にありがちな問題があります。最近保護政策もありますが、外国人労働者に厳格な「スポンサーシップ制度(身元保証人制度)」を施行して治安維持に役立っているようです。

カタールは労働者を外国人に頼るため経済の発展とともに急激に人口が増加しました。

2004年の80万人から2017年5月には270 万人に激増という具合です。

クリップhttps://www.ksa.emb-japan.go.jp/files/000437439.pdf

クリップhttps://www.jccme.or.jp/11/pdf/2018-09/josei03.pdf

クリップhttps://www.qa.emb-japan.go.jp/files/000304245.pdf

カタールは刑罰が軽いようですが、サウジアラビアは厳しくて、窃盗が特技のベトナム人なんかサウジに行ったら手がなくなる人が何人も出るのではないかと思いました。

盗癖が目立つ民族はブルネイにも行けませんね。(クリップ不倫は石打ちで死刑、窃盗は手足切断 ブルネイで新刑法適用へ)

どうしてサウジやカタールが引き受けないのだと言っていますが、彼らが行かないのでしょう。

難民発生国周辺のお金持ち2か国(他の金持ち湾岸諸国も同様)は、要するにタカリ難民からは敬遠されているのです。ここは文字通りの奴隷になりますから。そのうえ罰も厳しいです。

失踪や窃盗やレイプや殺人を犯さないと言い切る自信が無い、そういう第三世界の難民や出稼ぎ労働者たちは、だから欧米や日本という犯罪者にやさしい国を選んでくるのだろうと思います。

もっとも国だけの問題ではありません。そういう国にはリベラルや地球市民という過激派がいて、特に外国人犯罪者に寄り添って応援しますから、ますます理想の国になるんでしょうね。

そして、実際にサウジアラビアなどが外国人労働者を追い出していることもあり、ネパール人やバングラデシュ人などが行き場を失いあぶれ、それを目出度いことに、日本はありがたがって「人材」と呼び厚遇するのです。ばかぁ

人権が世界中で問題になる今、サウジやカタールなどは、奴隷に人権を与えて厚遇するように強制されるなら、それは奴隷ではないからいらない!奴隷は欲しいけど、お金のかかる人間扱いが必要な移民は不要だということなのです。

外国人を扱いなれた諸国の行動をよく見て、私たちは学習しなくてはいけないのです。

日本はババ抜きのジョーカーを喜んで引き当てるような馬鹿なことをしてはいけないのです。

日本人ですらブラック企業の餌食になっている中で、外国人を入れれば当然餌食になります。そして、日本人なら我慢させていたところを、外国人に対する権利侵害だけが政府に問題視されています。最低賃金が守られていないとかニュースになりますが、サービス残業が日常の日本人だって自給に換算すれば最低賃金が守られている人ばかりではないでしょう。

国内でやるべきことをまったくやらずに、外国人をとにかく入れてしまえ!無責任ですね。ムキー

無責任内閣の愚行は続きます。

移民を入れた場合にしてはいけないことが多文化共生です。

日本人に好意を持ち、日本人の真似をする人でないと統合できませんし摩擦が起きます。

安倍首相がゴリ押しする欧米の多文化共生主義は失敗とみなされています。


多文化政策指数(MPI)や移民のための市民権指標(ICRI)など先進国の「多文化主義の進化度」を示す指標をみても、2000年をピークにどの国でも上げ止まりの状態にある(移民政策研究家ルード・コープマンズ、2013年の指摘)。


一部の専門家からは、多文化政策は移民の社会統合には効力もないばかりか、阻害要因になりうる、という大胆な研究も出されている。

クリップ多文化共生政策、欧米の「失敗」から日本は何を学ぶべきか Forbes

日本が欧米の真似をして植民地を広げ始めた時は、もう植民地主義の終焉の時代でした。

今回も、日本が移民、多文化共生、多様性を始めた今、それはまた終焉のような気がします。このまま節操なく迷惑文化を持ち込む貧困外国人を集めていれば、日本政府にその統治力が無いため、多民族国家の統治に長けた中国共産党に飲み込まれるのではないかと思います。

グローバル化を礼賛する人にはそこまでの未来は見えていないのではないでしょうか。


https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12450390971.html
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html#c167

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
166. 中川隆[-11011] koaQ7Jey 2019年4月02日 12:09:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1013]

スキー場積雪ランキング 2019年4月2日
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 481cm
.

2関温泉

新潟 積雪量 400cm
.

3大雪山黒岳

道北 積雪量 390cm
.

4夏油高原

岩手 積雪量 375cm
.

5奥只見丸山

新潟 積雪量 350cm
.

6シャルマン火打

新潟 積雪量 350cm
.

7谷川岳天神平

群馬 積雪量 340cm
.

8ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 325cm
.

9HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 320cm
.

10八甲田

青森 積雪量 300cm
.

11野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 290cm
.

12HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 290cm
.

13赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 280cm
.

14札幌国際

道央 積雪量 270cm
.

15HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 265cm
.

16かぐら

新潟 積雪量 260cm
.

17秋田八幡平

秋田 積雪量 260cm
.

18ニセコビレッジスキーリゾート

道央 積雪量 260cm
.

19HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 260cm
.

20サッポロテイネ

道央 積雪量 255cm
.

21キロロスノーワールド

道央 積雪量 250cm
.

22GALA湯沢

新潟 積雪量 250cm
.

23ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 250cm
.

24天元台高原

山形 積雪量 250cm
.

25安比高原

岩手 積雪量 230cm
.

26グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 230cm
.

27野沢温泉

長野 積雪量 220cm
.

28丸沼高原

群馬 積雪量 215cm
.

29志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 205cm
.

30志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 200cm
.

31夕張リゾート マウントレースイ

道央 積雪量 200cm
.

32星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 200cm
.

33川場

群馬 積雪量 200cm
.

34富良野

道北 積雪量 200cm
.

35中山峠

道央 積雪量 200cm
.

36たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

37奥志賀高原

長野 積雪量 190cm
.

38志賀高原 焼額山

長野 積雪量 190cm
.

39神立高原

新潟 積雪量 185cm
.

40志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 180cm
.

41赤倉温泉

新潟 積雪量 180cm
.

42志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 180cm
.

43志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 180cm
.

44志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 180cm
.

45星野リゾート トマム

道北 積雪量 173cm
.

46ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 170cm
.

47おんたけ2240

長野 積雪量 170cm
.

48山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 165cm
.

49松之山温泉

新潟 積雪量 150cm
.

50アサマ2000パーク

長野 積雪量 150cm
.

51山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 150cm
.

52上越国際

新潟 積雪量 150cm
.

53鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 140cm
.

54岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 140cm
.

55サホロリゾート

道東 積雪量 140cm
.

56宝台樹

群馬 積雪量 140cm
.

57開田高原マイア

長野 積雪量 140cm
.

58みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 135cm
.

59HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 130cm
.

60高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 130cm
.

61箕輪

福島 積雪量 130cm
.

62石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

63スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 120cm
.

64ニュー・グリーンピア津南

新潟 積雪量 120cm
.

65ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 120cm
.

66水上高原スキーリゾート

群馬 積雪量 120cm
.

67湯の丸

長野 積雪量 120cm
.

68たざわ湖

秋田 積雪量 110cm
.

69富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 110cm
.

70黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 110cm
.

71めいほう

岐阜 積雪量 110cm
.

72湯沢中里スノーリゾート

新潟 積雪量 110cm
.

73軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 100cm
.

74エコーバレー

長野 積雪量 100cm
.

75蔵王ライザワールド

山形 積雪量 95cm
.

76ルスツリゾート

道央 積雪量 95cm
.

77一本杉

新潟 積雪量 90cm
.

78山形蔵王温泉(上の台ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

79岩原

新潟 積雪量 90cm
.

80たいら

富山 積雪量 80cm
.

81白樺湖ロイヤルヒル

長野 積雪量 80cm
.

82ふじてんスノーリゾート

山梨 積雪量 80cm
.

83青森スプリング・スキーリゾート

青森 積雪量 80cm
.

84菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 75cm
.

85山形蔵王温泉(横倉ゲレンデ)

山形 積雪量 70cm
.

86サンメドウズ清里

山梨 積雪量 65cm
.

87フジヤマスノーリゾートイエティ

静岡 積雪量 60cm
.

88狭山

埼玉 積雪量 60cm
.

89奥利根スノーパーク

群馬 積雪量 60cm
.

90函館七飯スノーパーク

道南 積雪量 50cm
.

91スプリングバレー泉高原

宮城 積雪量 50cm
.

92富士見高原

長野 積雪量 50cm


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c166

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
16. 中川隆[-11010] koaQ7Jey 2019年4月02日 12:10:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1014]

スキー場積雪ランキング 2019年4月2日
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 481cm
.

2関温泉

新潟 積雪量 400cm
.

3大雪山黒岳

道北 積雪量 390cm
.

4夏油高原

岩手 積雪量 375cm
.

5奥只見丸山

新潟 積雪量 350cm
.

6シャルマン火打

新潟 積雪量 350cm
.

7谷川岳天神平

群馬 積雪量 340cm
.

8ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 325cm
.

9HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 320cm
.

10八甲田

青森 積雪量 300cm
.

11野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 290cm
.

12HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 290cm
.

13赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 280cm
.

14札幌国際

道央 積雪量 270cm
.

15HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 265cm
.

16かぐら

新潟 積雪量 260cm
.

17秋田八幡平

秋田 積雪量 260cm
.

18ニセコビレッジスキーリゾート

道央 積雪量 260cm
.

19HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 260cm
.

20サッポロテイネ

道央 積雪量 255cm
.

21キロロスノーワールド

道央 積雪量 250cm
.

22GALA湯沢

新潟 積雪量 250cm
.

23ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 250cm
.

24天元台高原

山形 積雪量 250cm
.

25安比高原

岩手 積雪量 230cm
.

26グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 230cm
.

27野沢温泉

長野 積雪量 220cm
.

28丸沼高原

群馬 積雪量 215cm
.

29志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 205cm
.

30志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 200cm
.

31夕張リゾート マウントレースイ

道央 積雪量 200cm
.

32星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 200cm
.

33川場

群馬 積雪量 200cm
.

34富良野

道北 積雪量 200cm
.

35中山峠

道央 積雪量 200cm
.

36たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

37奥志賀高原

長野 積雪量 190cm
.

38志賀高原 焼額山

長野 積雪量 190cm
.

39神立高原

新潟 積雪量 185cm
.

40志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 180cm
.

41赤倉温泉

新潟 積雪量 180cm
.

42志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 180cm
.

43志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 180cm
.

44志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 180cm
.

45星野リゾート トマム

道北 積雪量 173cm
.

46ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 170cm
.

47おんたけ2240

長野 積雪量 170cm
.

48山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 165cm
.

49松之山温泉

新潟 積雪量 150cm
.

50アサマ2000パーク

長野 積雪量 150cm
.

51山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 150cm
.

52上越国際

新潟 積雪量 150cm
.

53鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 140cm
.

54岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 140cm
.

55サホロリゾート

道東 積雪量 140cm
.

56宝台樹

群馬 積雪量 140cm
.

57開田高原マイア

長野 積雪量 140cm
.

58みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 135cm
.

59HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 130cm
.

60高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 130cm
.

61箕輪

福島 積雪量 130cm
.

62石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

63スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 120cm
.

64ニュー・グリーンピア津南

新潟 積雪量 120cm
.

65ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 120cm
.

66水上高原スキーリゾート

群馬 積雪量 120cm
.

67湯の丸

長野 積雪量 120cm
.

68たざわ湖

秋田 積雪量 110cm
.

69富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 110cm
.

70黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 110cm
.

71めいほう

岐阜 積雪量 110cm
.

72湯沢中里スノーリゾート

新潟 積雪量 110cm
.

73軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 100cm
.

74エコーバレー

長野 積雪量 100cm
.

75蔵王ライザワールド

山形 積雪量 95cm
.

76ルスツリゾート

道央 積雪量 95cm
.

77一本杉

新潟 積雪量 90cm
.

78山形蔵王温泉(上の台ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

79岩原

新潟 積雪量 90cm
.

80たいら

富山 積雪量 80cm
.

81白樺湖ロイヤルヒル

長野 積雪量 80cm
.

82ふじてんスノーリゾート

山梨 積雪量 80cm
.

83青森スプリング・スキーリゾート

青森 積雪量 80cm
.

84菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 75cm
.

85山形蔵王温泉(横倉ゲレンデ)

山形 積雪量 70cm
.

86サンメドウズ清里

山梨 積雪量 65cm
.

87フジヤマスノーリゾートイエティ

静岡 積雪量 60cm
.

88狭山

埼玉 積雪量 60cm
.

89奥利根スノーパーク

群馬 積雪量 60cm
.

90函館七飯スノーパーク

道南 積雪量 50cm
.

91スプリングバレー泉高原

宮城 積雪量 50cm
.

92富士見高原

長野 積雪量 50cm


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c16

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
81. 中川隆[-11009] koaQ7Jey 2019年4月02日 12:11:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1015]

スキー場積雪ランキング 2019年4月2日
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/

1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 481cm
.

2関温泉

新潟 積雪量 400cm
.

3大雪山黒岳

道北 積雪量 390cm
.

4夏油高原

岩手 積雪量 375cm
.

5奥只見丸山

新潟 積雪量 350cm
.

6シャルマン火打

新潟 積雪量 350cm
.

7谷川岳天神平

群馬 積雪量 340cm
.

8ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 325cm
.

9HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 320cm
.

10八甲田

青森 積雪量 300cm
.

11野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 290cm
.

12HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 290cm
.

13赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 280cm
.

14札幌国際

道央 積雪量 270cm
.

15HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 265cm
.

16かぐら

新潟 積雪量 260cm
.

17秋田八幡平

秋田 積雪量 260cm
.

18ニセコビレッジスキーリゾート

道央 積雪量 260cm
.

19HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 260cm
.

20サッポロテイネ

道央 積雪量 255cm
.

21キロロスノーワールド

道央 積雪量 250cm
.

22GALA湯沢

新潟 積雪量 250cm
.

23ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 250cm
.

24天元台高原

山形 積雪量 250cm
.

25安比高原

岩手 積雪量 230cm
.

26グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 230cm
.

27野沢温泉

長野 積雪量 220cm
.

28丸沼高原

群馬 積雪量 215cm
.

29志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 205cm
.

30志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 200cm
.

31夕張リゾート マウントレースイ

道央 積雪量 200cm
.

32星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 200cm
.

33川場

群馬 積雪量 200cm
.

34富良野

道北 積雪量 200cm
.

35中山峠

道央 積雪量 200cm
.

36たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

37奥志賀高原

長野 積雪量 190cm
.

38志賀高原 焼額山

長野 積雪量 190cm
.

39神立高原

新潟 積雪量 185cm
.

40志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 180cm
.

41赤倉温泉

新潟 積雪量 180cm
.

42志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 180cm
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43志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 180cm
.

44志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 180cm
.

45星野リゾート トマム

道北 積雪量 173cm
.

46ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 170cm
.

47おんたけ2240

長野 積雪量 170cm
.

48山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 165cm
.

49松之山温泉

新潟 積雪量 150cm
.

50アサマ2000パーク

長野 積雪量 150cm
.

51山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 150cm
.

52上越国際

新潟 積雪量 150cm
.

53鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 140cm
.

54岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 140cm
.

55サホロリゾート

道東 積雪量 140cm
.

56宝台樹

群馬 積雪量 140cm
.

57開田高原マイア

長野 積雪量 140cm
.

58みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 135cm
.

59HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 130cm
.

60高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 130cm
.

61箕輪

福島 積雪量 130cm
.

62石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

63スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 120cm
.

64ニュー・グリーンピア津南

新潟 積雪量 120cm
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65ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 120cm
.

66水上高原スキーリゾート

群馬 積雪量 120cm
.

67湯の丸

長野 積雪量 120cm
.

68たざわ湖

秋田 積雪量 110cm
.

69富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 110cm
.

70黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 110cm
.

71めいほう

岐阜 積雪量 110cm
.

72湯沢中里スノーリゾート

新潟 積雪量 110cm
.

73軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 100cm
.

74エコーバレー

長野 積雪量 100cm
.

75蔵王ライザワールド

山形 積雪量 95cm
.

76ルスツリゾート

道央 積雪量 95cm
.

77一本杉

新潟 積雪量 90cm
.

78山形蔵王温泉(上の台ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

79岩原

新潟 積雪量 90cm
.

80たいら

富山 積雪量 80cm
.

81白樺湖ロイヤルヒル

長野 積雪量 80cm
.

82ふじてんスノーリゾート

山梨 積雪量 80cm
.

83青森スプリング・スキーリゾート

青森 積雪量 80cm
.

84菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 75cm
.

85山形蔵王温泉(横倉ゲレンデ)

山形 積雪量 70cm
.

86サンメドウズ清里

山梨 積雪量 65cm
.

87フジヤマスノーリゾートイエティ

静岡 積雪量 60cm
.

88狭山

埼玉 積雪量 60cm
.

89奥利根スノーパーク

群馬 積雪量 60cm
.

90函館七飯スノーパーク

道南 積雪量 50cm
.

91スプリングバレー泉高原

宮城 積雪量 50cm
.

92富士見高原

長野 積雪量 50cm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c81

[近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
130. 中川隆[-11008] koaQ7Jey 2019年4月02日 12:41:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1016]

よど号ハイジャック事件 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=cOhCoEJzPsk

ドラマスペシャル よど号ハイジャック事件 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=CD65pnHxH6s
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c130

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
82. 中川隆[-11007] koaQ7Jey 2019年4月02日 12:44:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1017]

横浜市の56歳女性スキーヤーが遭難 ロッテアライリゾートスキー場で警察などが捜索中
2019/04/01 09:47上越タウンジャーナル


妙高市両善寺のスキー場「ロッテアライリゾート」でスキーをしていた女性が2019年3月31日から行方不明になっている。妙高警察署によると4月1日朝から県警ヘリはじめ、警察、消防、スキー場関係者が女性の捜索を行っているが未だ発見には至っていない。

行方不明となっているのは神奈川県横浜市鶴見区の地方公務員、落合真子さん(56)。

同署によると、落合さんは3月31日午前、同スキー場で夫とスキーをし、途中、別のコースを滑走していた。

夫との待ち合わせ時間の昼過ぎになっても落合さんは待ち合わせ場所に現れなかったため、夫が同日午後2時過ぎ、スキー場関係者に妻が戻らないことを届け出た。

スキー場関係者が夕方まで捜索したが、落合さんを発見できず、午後5時45分、警察に通報した。

落合さんは水色のスキーウエア上下、白っぽい帽子、ゴーグル、白色手袋、黒っぽいスキー靴、赤色混じりのスキー板、白色ストックで滑走していた。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c82

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
83. 中川隆[-11006] koaQ7Jey 2019年4月02日 13:22:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1018]

【スキー場情報】パウダーなら鼻血!
LOTTE ARAI RESORTS 20190329金曜【虫くんch】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=O30zr8ZnEvQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c83
[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
17. 中川隆[-11005] koaQ7Jey 2019年4月02日 13:23:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1019]

【スキー場情報】パウダーなら鼻血!
LOTTE ARAI RESORTS 20190329金曜【虫くんch】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=O30zr8ZnEvQ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c17

[リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
13. 中川隆[-11004] koaQ7Jey 2019年4月02日 15:56:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1020]

『長生きしたけりゃパンは食べるな』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797389214/toyokeizaia-22/


「パンばかり食べる人」がひそかに陥る不調 2016/11/15
https://toyokeizai.net/articles/-/145054


小麦の多い食生活は簡単なコツで変えられる

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「なんとなく不調」の原因がグルテンにある人もいるかもしれません(写真:Graphs / PIXTA)

ビジネスマンにとって、コンディションは大きな課題です。 しかし、どんなに睡眠や食べ物に気を使っても、頭痛、腹痛、疲労が抜けない人は多いもの。そんな人は、思ってもみない食材が悪さをしているかもしれません。その食べ物こそが、「パン」。パンをつくる小麦の成分が、体に大きな負担となっている可能性があります。

ジョコビッチの食事法で一躍有名になり、世界中の一流セレブが実践している小麦抜きの食事法、「グルテンフリー」。夫のグルテン過敏症を機にこの食事法を8年前から実践している第一人者であり、『長生きしたけりゃパンは食べるな』の著者でもあるフォーブス弥生氏が、日本のビジネスパーソンに合わせた現実的な食事法を提案します。

【表現の変更について】初出時に「グルテンが、腸に穴を開けてしまう」「これが腸の表面に薄く付着することで」という表記をしていましたが、誤解を招く恐れがありました。そのためこれらの部分を正確な内容に修正しています(11月15日16時04分)。

頭が重い、肩こり、疲れがとれない、集中できない。メタボ、糖尿病、肌荒れ、不眠、生理不順、ボケ、食事のあとの下痢――。

医者から「異常はありません。ストレスはためないでくださいね」と言われ、対処法も見当たらず、あきらめてしまった持病はありませんか?

実は、あなたの不調の原因は、もしかしたら「毎日のパン」にあるかもしれないのです。

小麦の成分「グルテン」が原因かも

近年、小麦に含まれるたんぱく質「グルテン」が、脳に炎症を起こし、腸に小さな穴を開けると注目されています。米国でベストセラーになった神経科医デイビッド・パールマター氏などがその著書の中で指摘しています(邦訳『「いつものパン」があなたを殺す』)。世界屈指のテニスプレーヤー、ジョコビッチが実践し、話題になった小麦抜き食事法「グルテンフリー」という言葉を聞いた人もいるかもしれません。

ケーキやラーメン、パスタ、うどん、クッキー、菓子パン……。小麦粉の食品は私たちの生活に深く入り込んでいます。知らず知らずに、グルテンを大量に摂取しているのが現代人の食生活です。それだけではありません。

●グラノーラは塩分が控えめだから、朝食にピッタリ!

●全粒粉のパンはカラダにいい

●パスタの食物繊維で美容効果が期待!

そんな間違った情報や思い込みが一般に広がっています。では、いったいなぜ、これほどの症状が現れてしまうのでしょうか。

小麦の主成分はブドウ糖ですが、グリアジンとグルテニンという2つのたんぱく質も含みます。グリアジンとグルテニンは水を含むと、ネバネバとしたグルテンとなります。この「グルテン」が、腸の粘膜を傷つけ、リーキーガット症候群と呼ばれる症状を生みだすといわれています。

リーキーガット症候群とは、腸管壁における過度の浸透状態のことをいいます。腸壁の粘膜に細かな損傷があるため、腸内にあるべき物質が分子レベルで漏れだしてしまう状態のことです。

こうなると、腸は十分に働けず、消化と吸収の作業が妨げられてしまいます。グルテンの消化も進まなくなります。

グルテン不耐症が見つかりにくいのはなぜ?

「もしかしたら、私もグルテンが原因で不調になっているのかもしれない」

ここまで読み進めてきて、そう感じた方も多いかもしれません。しかし現状、症状とパンの害を結びつける診断は、難しいことが多いのです。

現在、米国では、グルテンに耐性がない患者さんは、20人中に1人と言われています。しかし、実際にそれと診断されている人はわずか。ほとんどの人が、心身の不調に悩みながらも、何が原因かもわからず、日常を過ごしている可能性があります。

なぜでしょうか。理由は、遅発型のアレルギーだからです。アレルギーには、摂取後わずか数分のうちに症状が現れる「即時型」と、時間が経ってから症状が現れる「遅発型」があります。

人によっては、少量では発症しない場合があります。摂取後、数日が経って、症状が現れることさえあります。こうなってしまうと、何が原因で症状が起こっているのか、本人も医師もわかりにくいという事態が生じます。

しかし、小麦を一切食べずに、外食や食事を楽しむことなどできるのでしょうか。

「さすがに無理だ」「現実的じゃないんじゃないか」

私たちグルテンフリーライフ協会を訪れる人の多くが、そうおっしゃいます。しかし、難しいことはまったくありません。

なぜ、私がそこまで断言できるのか。それは、私自身がもともと、「大のパン好き」だったからです。


私の夫は、グルテン不耐症、つまり小麦を口にしただけで体調を崩す体質です。私は夫との生活をきっかけに、小麦抜きの生活を始めました。しかし、いくら夫婦の仲とはいえ、自分がパンやパスタをいっさい食べない生活をするなど想像もできません。当初はそう考えていました。

しかし、試しに行った14日間の小麦抜き生活のあと、私の考えは、180度、変わりました。あんなに大好きだったパンを、「食べたい」といっさい思わなくなったのです。

前述の神経科医デイビッド・パールマター氏は、小麦の成分、グルテンには、依存性があると指摘しています。

「小麦をやめる!」と大きな決断をするのではなく、1食1食、小麦を食べなくてすむメニューを考えていくようにすることです。

とにかく14日間、小麦を口にしない食事を積み重ねましょう。そして14日後に、始める前と、今の体調や心の状態を観察してみてください。

忙しい人は、これだけでOK!実践のコツ

「グルテンフリー」健康法は、いくつかの翻訳書が出版されており、ベストセラーにもなっていますが、一方で問題もあります。日本と米国とでは、スーパーの品ぞろえから食への認識までまったく異なるため、実施に際してはなかなか参考にしづらいことが多いのです。

そこで、日本の食卓に合った〈ズボラな人向け〉食事のコツを提案します。それは、「和食中心」の食事にする、これだけです。

いつも朝はパンやシリアルで手軽に済ませていた人は、朝から和食の準備をするのは大変に感じるでしょう。しかし、難しく考えないでください。まずは、朝食のパンやシリアルをやめてみてください。

「和食は塩分が多いので、高血圧になりやすいのではないですか?」

よくそう聞かれます。たびたびやり玉に挙げられるのは、味噌汁です。日本の伝統食でありながら、「味噌汁は血圧に悪いから、あまり飲まないようにしている」という人も多いでしょう。

しかし、最近の研究によって「味噌汁は血圧に影響しない」「味噌汁を1日1杯程度飲む食生活は、血管年齢を10歳ほど若返らせること」が確認されています(出典:共立女子大学上原誉志夫教授による「習慣的味噌汁摂取が血管年齢に与える 影響」、第36回日本高血圧学会総会)

和食以外でも、グルテンフリー生活はもちろん可能性です。そのコツを以下にご紹介します。


@ イタリアで話題の「ゼンパスタ」で健康に!

グルテンフリー生活をする私たちも、パスタやラーメンを食べたくなります。そこでグルテンフリーのパスタやラーメンを常備しています。


グルテンフリーの食材は日本ではあまり流通していませんが、ネットショップなどから簡単に入手できます。

グルテンフリーの麺は、主に米粉やトウモロコシ粉を使って作られています。最近は、玄米粉を使ったパスタやペンネも出てきました。本来のものよりも白っぽいものが多いですが、味は一昔前より格段においしくなっています。

パスタの本場であるイタリアでも、小麦抜き生活を実践する人も増えているようです。その影響で、「ゼンパスタ」という麺が大ブームになっています。原料はなんと、「乾燥しらたき」。試してみてください。

A 「米粉パンケーキ」を試してみる

私はもともとパン好きです。今、食べないのは、「小麦粉」でつくったパンだけです。米粉のパンは食べます。昨日も、米粉の食パンでサンドイッチを作りました。最近は、米粉のパンを町のパン屋さんでもよく見かけるようになりました。インターネットを使って購入することもできます。

ただ、小麦粉も扱っているパン屋の場合、米粉だけで焼いたパンであっても、小麦が混入してしまう心配があります。

私は、日本ハムの「米粉パン」をインターネットで購入しています。食物アレルギー対応の専用工場でつくられている米粉のパンです。小麦粉より少々高価ですが、グルテンをいっさい含まないため、安心して食べられます。

大切なのは、諦めないこと

グルテンフリーの効果を実感するためには、まずは14日間続けてみて、その後に小麦食品を一口だけ食べてみるのが、体調の変化を知る、わかりやすい方法です。

「14日目を待たずして小麦食品を食べると、リセットしてしまうのでは?」

そんな心配もいりません。もしも食べてしまったのならば、体調にどんな変化が現れるのか、観察してみましょう。そして、再び始めればよいのです。

グルテンをどの程度許容するのかも、ご自身で決めていきましょう。
ある人は、友人と食事に出かけた時だけは、ほんの少し口にするのは「よし」としているといいます。友人が「おいしいよ」とすすめてくれたものを、「小麦粉は食べられないから」と断り、その場の雰囲気を壊したくないためです。こうした考え方は、とても素敵だと思います。

まずは朝食のパンだけやめてみて、慣れてきたところで、昼、夜と小麦をやめる回数を増やす方法もあります。

「こうしなければならない」という決まりはありません。ご自身が楽しく続けていける方法をどうぞ見つけていってください。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c13

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
30. 中川隆[-11003] koaQ7Jey 2019年4月02日 17:52:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1021]


PRO CABLE モニタースピーカーの退廃と堕落・その裏事情の大公開!!
https://procable.jp/setting/07.html


- モニタースピーカーの堕落-


■モニタースピーカーは、いつのまにやら、堕落してしまいました。

優れたモニタースピーカーが製造されなくなって、その代わりが出来るほどの優秀なモニタースピーカーが、その後、たったの一つも出てこなかったというのが、その原因です。

1950年代から60年代の、マイルス・デイビスの時代までさかのぼってみます。マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンが、レコーディング・スタジオでプレイバックされる音を聞いていた、そのモニタースピーカーは、アルテック(altec)612A(通称、銀箱)です。38センチ口径の604という型番のアルテックの同軸ユニットが入ったモニタースピーカーです。その612Aモニタースピーカーを設計開発したチームの中には、誰もが知る人物がいました。当時、アルテック(altec)社に勤めていた、JBLさん、James B.Lancingさんです。

アルテック社は、WE社、つまり、ウェスタン・エレクトリック社の技術部門が独立して出来たメーカーです。アルテック社内で往年のウェスタンエレクトリックの技術を勉強したJBLさんが、その後アルテック社を退職してから作ったメーカーがJBL社ですが、この話は本論からはずれます。

アルテックのチームとその一員だったJBLさんは、そのとき一点の曇りもない、完璧なスタジオモニタースピーカーを設計することに成功しました。それが、アルテック612Aという604という型番のユニットの入ったモニタースピーカーです。604ユニットは、38センチ口径です。モニタースピーカーには、38センチ口径のユニットが必要不可欠であったということです。

38センチというと、低音を思い浮かべるかたが多いと思います。それは大きな間違いであって、当時のモニタースピーカー用途の38センチという口径のユニットは、中域をしっかり出して、「生音と等身大の音」を出し、間違いのないミックスダウンをするためのモニタースピーカー、つまりそれが、38センチ口径のモニタースピーカーです。勿論、低周波も出す能力もありますので、低域以下の低周波数帯域のミックスダウンにも失敗はあり得ませんが、中域はそれ以上に重要です。中域再生のため、ウーファー部は1500ヘルツ、ボーカル帯域までをも、しっかり出す能力を持っています。

上記のアルテック612Aスタジオモニタースピーカー(銀箱)は、1940年代から使われはじめ、その後長年に渡って米国スタジオの標準となり、その後、日本国内も、それに習って、アルテック612A(銀箱)が標準となりました。米国のジャズのほとんど、その後のロックなども、アルテック612A(銀箱)をモニタースピーカーにしており、それが基準です。1970年代頃までは、米国では、それが続いていたものと思われます。

日本の音楽の黎明期は、それよりずっと遅れてスタートしています。アルテック612Aとそのユニット604のモニタースピーカーが標準になったのは、1960年代後半くらいからでしょうか。604Eか、604-8Gユニットくらいの時代からでしょう。アルテック612Aモニタースピーカーが使われていたのは、1980年代くらいまででしょう。

実は今でもマスタリングスタジオが使っているモニタースピーカーは、アルテック604ユニットであったりします。最終的には、今でもアルテック604をモニタースピーカーにして音を聞いて、マスターを作る段階で、スタジオの間違ったミックスを修正しているというのは、本当のことです。これはマスタリングスタジオにもよるものと思われますが、東京四ツ谷にある、多くのレコード会社が信頼しているマスタリングスタジオは、今もアルテック604がモニタースピーカーに入っていると、そのオーナーさんと仲の良いエンジニアのかたから聞いています。

その後のスタジオモニタースピーカーは、おそらくJBLに移行したものと思われます。別のメーカーも入っていたのかもしれませんが、そのあたりは、詳しくありません。

重要なことは、メインモニタースピーカーの信頼性が、アルテック612Aに比較して、低くなっていったのと併行して、YAMAHA NS10Mがスタジオに入っていったということです。当時、「ラジカセ」というものが、非常に多く使われるようになり、非常に多くの若者はじめ米国国民がラジカセで音楽を聴くようになっていました。NS10Mの役割は、当時、二つありました。

■YAMAHA NS10Mがモニタースピーカーとして使われた本当の理由

1)ラジカセで聞く人たちがいかなる音で聞くのかを、チェックするためです。

つまり、ラジカセの代表、それに近いものとして、割と素直な性質のYAMAHA NS10Mが、それ専用のモニタースピーカーとして選ばれたということです。これがNS10Mがスタジオに入っていった最たる理由です。

2)おおざっぱな音決めのためです。

卓の上に置いて、至近距離でミックスダウンするわけですから、今では二亜フィールドのモニタースピーカーと言われている、この手の使い方は、使いやすいのです。おおざっぱな定位などを最初に決めるため、NS10Mは「簡・易・的・な」モニタースピーカーとして使われました。もちろんNS10Mくらいのモニタースピーカーでは、信頼性が全くありませんので、最後には、ラージモニタースピーカー、ミドルモニタースピーカーなど、いろいろな種類のモニタースピーカーで検証して、音決めしていたものと思われます。

このあたりの時代で、モニタースピーカーを取り巻く環境が、すでに何かがおかしくなってきていることが分かります。というのは、1959年のマイルスやコルトレーンのジャズが、つまり、アルテック612Aモニタースピーカーでミックスダウンされた完璧な録音が、ラジカセでしっかり鳴らないなどということは、あり得ないことだからです。それが鳴らないのであれば、それはラジカセメーカーの責任なのですから、そんなことを、NS10Mなどをモニタースピーカーにしてまでチェックしていること自体、時間の無駄でしかなかったはずです。

モニタースピーカーの品質が落ちていき、メインモニタースピーカーを全面的に信頼できなくなってきていたからこそ、無意味なことでも、せざるを得なかったと言えます。

その後、さらにメインモニタースピーカーの信頼性は、時代とともに低くなっていき、ミドルモニタースピーカーにもろくなものがなくなってしまいました。というより、ミドルサイズには、最初からろくなモニタースピーカーは、一つたりとも、歴史上、登場していないのが実態です。

そして現代に至って、YAMAHA NS10Mだけが、無惨にもスタジオに取り残されてしまいました。役に立というが立つまいが、取り残されてしまった。だからNS10Mなどが(民生用のスピーカーに過ぎないものが)、モニタースピーカーなどと呼ばれていたのです。

■ミックスダウンの課程

自宅録音のかたも、プロのかたも、NS10Mをモニタースピーカーにしてのミックスダウン時には、次の課程を経ているはずです。

1)非常に録音の良い、優れたミックスダウンのイメージ、数枚のリファレンスCDの音が、頭の中にあります。理想とする録音です。それはおそらく数枚のCDでしょう。

2)そのリファレンスCDの音に近くなるように、モニタースピーカーの音を「目を凝らすように神経質に聞いて」、ミックスダウンしていきます。

3)プレイバックして、何度も聞き直し、良く分からなくなった時には、リファレンスCDを、そこでプレイバックしてみて、1枚で分からなければ、二枚のCDをプレイバックしてみて、ボロであろうがなかろうが、とにかくそこにあるモニタースピーカーを通して、どこがそれと違うのかを確認して、リファレンスCDの音に、時間をかけて似せていきます。

上記の方法を、NS10Mをモニタースピーカーに使う場合のミックスダウン時には、100%の確率で、取られていることと思います。頭の中は、音の足し算と引き算で埋め尽くされているはずで、そこにエネルギーの大半が吸い取られていきます。

その作業をしていること、しなければならないことこそ、そのモニタースピーカーが信頼できない品質のものである証拠です。

優れた本物のラージモニタースピーカーは、聞いた通りの音に録音されます。最も音楽が素晴らしく聞こえるようになる、まさにそのポイントに向かって録音するだけで、リファレンスの必要などありません。モニタースピーカーで聞いた通りの音が、マスターに刻まれていくからに他なりません。

また、NS10Mのように、爆音でミックスダウンする必要もありません。普通の音でプレイバックしたときにこそ、生音に近い等身大の音が出てきますから、全く無理がありません。等身大の生音という概念は、ミックスダウンには、非常に重要です。モニタースピーカーから「生音」が出ていれば、それイコール、完全に信用できるという、誰にでも分かる非常に単純なことです。ということは、NS10Mくらいのものではモニタースピーカーとは言えないということです。

そこにある音、人の存在、又は楽器の存在、音楽全体の存在が、よりいっそう気持ち悪いほどに生々しくなるように、さらに音楽が最も魅力的になるように、イコライジングしながらミックスダウンしていくだけです。

そして、その通りの生々しい信号が、マスターに刻まれていきます。それを再現しきれるオーディオ装置の有無などは、関係のないことで、間違いのないミックスダウンこそが最重要です。プロはどなたも最良のミックスダウンを望んでおられます。

ミックスダウン時の失敗や後悔、あそこはこうしておいたほうが良かったかな、というような、あとから来る迷いも、優れたモニタースピーカーさえあれば、一カ所もあり得ないミックスダウンになるであろうことは、プロのレコーディングエンジニアのかたならば、即座に理解されますでしょうし、作業が非常に早く、まったく合理的であることも、理解されますでしょう。

優れたラージモニタースピーカーが、早く出現することを願って止みません。プロのレコーディングエンジニアのかたは、集中力、気力等、並はずれて非常に優秀なかたがたばかりなのですが(今まで出会ってきたプロのかたは例外なくそうでした)、いかんせん、モニタースピーカーの環境が悪すぎます。一億五千万円もするニーブやスチューダーの卓(ミキサー)に、YAMAHA NS10Mしか接続されていないなどということは、異常事態です。

例えスタジオの経営側が、ラージモニタースピーカーは、これこれの46センチウーファーのものを壁に埋め込んで、背後からの反射をも防いでいる、これは米国のどこそこのメジャースタジオと同じであるなどと宣伝していたところで、レコーディングエンジニアのかたがた本人が、それらを全く信用できないものとして見限っており、全くあてにもせず、気分転換にしか使われていないようなことでは、それらは、ろくなモニタースピーカーではなく、使い慣れたNS10Mのほうがまだましだということで、今もNS10Mだけがスタジオに取り残されているのです。

■結論

「多くの人がラジカセだから、それにミックスダウンの音を合わせておこう。」又は、「多くの若者がiPODでイヤフォンで聞いているから、それに合わせてミックスダウンの音を合わせておこう。」

それは、非常に問題のある、「ムダ」、「ムラ」、「ムリ」、トヨタ生産方式で言えば、仕事の三大悪であり、絶対に許されない考え方です。

真のプロフェッショナルのかたは、今まで書いたことから、すでに理解されていることと思います。そのような考え方は、二流の考え方です。

プロフェッショナルは、責任を持って、徹底的に正確な信号をマスターに刻み込むこと、それが最高の仕事であり、最高の結果を生みます。

皆が使う音源、風潮に合わせるなどということは、どうでも良いことです。プロのかたは、100年後にも、その音源が最高の音源であって欲しいはずです。

そのときに使われているものがラジカセなのかiPodなのか、そんなことは分かりません。完璧なフラットが出るものを誰もが使う時代が来ているのかもしれません。そのような時代は来ていないかもしれませんが、そんなことはどうでも良いことです。

最高の録音を再現できないとしたら、それはラジカセ側の責任であい、iPod側の責任、未来の再生機材の責任であるということです。

レコード会社側の、二流の考え方に、プロのかたは妥協してはなりません。それでは二流の録音しかできません。

■さらに、上記の二流録音がもたらす結論を明確にしておきます。

徹底的に正確な信号を録音した一流の音源があるとします。かたや、iPodやラジカセに合わせた録音があるとします。両者をiPod、ラジカセで聞くとします。いづれが良い録音に聞こえるかは、明白なことです。

誰が聞いても前者を選びます。

これで、十分でしょう。

■注意点

アルテック612A(銀箱)というモニタースピーカーの名前、アルテック604ユニットというモニタースピーカー用のユニットの名前を出さざるを得ませんでした。素人のかた、オーディオのかたは、WEのフィールドスピーカーと同様、これにも近寄らないでください。これによって、いかに多くの熟練したオーディオマニアのかたが泥沼に陥ってしまわれたことか、それはまさしく吸血鬼のごとしです。一生涯かけてもセッティングできないかもしれない、非常に危険なプロの道具です。

セッティングしきれるのはプロだけと想像します。アルテック612Aというモニタースピーカーは、セッティングしきってこそ、はじめて上記のような、聞いた通りの録音がしていけるものであり、セッティングが不完全ですとかえって混乱してしまうことになります。あまりにも正確に信号を増幅してくるからこそ、一個のXLRプラグ、一本のケーブル、一個の電源プラグ、アンプ、卓などの選択ミス等、一つも許されません。もろにその間違いを出してきますので、その原因はプロのかたにしか皆目分からないはずですし、オーディオ用のプリアンプやパワーアンプくらいのものでは、とうてい鳴るものではありません。したがって、アルテック612A(銀箱)の本当の音、本当の能力は、オーディオ界では、オーナーであれオーディオ店であれ、ただの一人も知らないはずです。

趣味に使うには、あまりにも過酷で、かつ、デリケート過ぎる、本物中の本物のモニタースピーカーなのです。

オーディオは、プロのレコーディングとは違います。趣味です。趣味として割り切って、誰にでもお勧めできるモニタースピーカーは、能率90dBから93dBほどの、30センチか、38センチのウーファーのPA用スピーカーです。(EV(エレクトロボイス)のTX1152レベルになりますと、性能も高く信頼性も高いPA用スピーカーが、モニタースピーカーとして使える最高のものになります。)

低域のチェックには、38センチウーファーのスピーカーが必要不可欠なのですが、TX1152は、38センチウーファーものです。あら探しには、現代の小型のスモールスピーカーが必要です。それは、プロのスタジオさんなどに、どれがいいかを聞いて下さい。

アルテックは、A7、又はA5のほうが、よほどに安全な部類のものですが、アルテックA7にしたところで、過酷なことになるのは当然だという認識と覚悟がいります。これらもモニタースピーカーとして使えないことはありませんが、EV(エレクトロボイス)SX300や、TX1152などに比べますとモニタースピーカーとしては、クロスオーバー周波数の問題を抱えていますから、モニタースピーカーとしては、電源を良くした場合には、音の焦点の調整が難しいですから、非常に使いにくいです。アルテックA7につきましては、スピーカーの能率という項目でも、触れています。


プロケーブル注:)現代のモニタースピーカーにつきまして(2014/12/29記述)

★現代は、デジタルレコーディング全盛の時代になりました。そして、アナログ時代より音
が良いのではないかというほどのデジタルレコーディングすら可能になってまいりました。

それとともに、モニタースピーカーの環境も、やっと変わってきましたので、追加して、修
正すべきところは、修正します。先の記述と合わせて読まれますと、「モニタースピーカー」
の役割というものが、より理解出来るだろうと考えております。

ラジカセの全盛期の頃のスモールモニターというのは、ラジカセの音をスタジオで確認する
為のものであった事は、前述した通りです。
しかし、現代のスモールモニターは、用途が全く違ってきています。現代のラージモニター
では、優れたものも出て来ております(目から火が出るほど高額ですが)が、そのような
高額なものを買うまでもなく、用途は同じなのですから、EVのTX1152を、低域専用のモニ
タースピーカーにしたほうが十二分どころか、そちらのほうが用途に向いているくらいです。

しかし、TX1152も含めまして、それらのラージモニターで音楽を聞きますと、どれもこれも、
欠点が隠れて、良く聞こえてしまうという、ラージモニターは、ほぼ例外なく、モニターと
しては致命的な欠陥も、同時に持っています。スモールモニターも、プロが使えるレベルの
ものとなりますと、非常に高額です。
信頼性の高い、「パワードモニター」ですと、安いものでも、16センチウーファーもので、
一個7万円、二個で、14万円から、15万円します。これで一番安価なものです。が、安
価でも非常に高性能です。

それらの役割は以前の小型モニタースピーカーとは全く違っており、しかも、皆さんに縁の
あるオーディオ用のものとは種類が全く違うものですので、決してオーディオ用のスピーカー
をモニタースピーカーとしては、使わないで下さい。

(気を付けて下さい!!、オーディオ用と私が書いているスピーカーというのは、〇B〇の、
モニタースピーカーという名前で売っているもの、一つ残らず、全てを含みます。〇&Wも
そうです。それらは、単なるオーディオ用に過ぎません。モニターとウソをついているのは、
より多く、販売したいだけの事です。)

何というおそろしいことを彼らはしているのでしょうか!

さて、話題を元に戻します。現代の、本物の、小型のモニタースピーカー(パワードモニター)、
それらは、現代のデジタルレコーディングの「あら探し」に向いているものになります。

勿論、セッティングはきちんと出しておかなくてはなりません。完璧なフラットでないと、
意味が無いのです。

そうしますと、それらのモニタースピーカー(パワードモニター)は、あらを探すのに、適切
なものへと変貌します。そして、よりフラットなレコーディングが可能になるのです。

★このあたり、10Mの時代とは、全く意味が違ってきていますので、注意してください。

そして、超低域だけは、ラージモニターで確認するという、いわば、分担作業です。そうい
う方向へと、レコーディング環境も変化してきております。

あら探しも出来て、超低域の確認も同時に出来る38センチもののウーファーを備えたものが
現代にもあれば一番いいのですが、その種のものは、残念ながら、一本だけで、200万円
前後もします。二本で、消費税も込みで、ざっと400万円でしょう。その価格帯のもので
は、採算の取れるプロのスタジオしか導入出来ないでしょう。

最大注意事項:)パワードモニター(アンプ内蔵のモニタースピーカー)
が、おそらく、共通して持っている特徴につきまして。

現代のモニタースピーカー(パワードモニター)は、あら探しに向いていると書きました。そ
れは、壁コンセントに来ている、通常100Vで接続しておいて、おおむね、フラットにセッティ
ング出来た場合です。

現代のスモールモニタースピーカーの9割までが、アンプ内蔵型、つまりは、パワードモニター
と呼ばれるものであり、音の焦点のセッティングは、一見不可能に見えます。

ただ、抜け道があります。それらのスピーカーを使われる時には、他の
機材には、ダウントランスやダウン&アイソレーションなど、優れた電
源を出来るだけ使っておいて、パワードモニターだけを、壁コンセント
に来ている、通常100Vから取ってあげて下さい。

それで、最善の録音環境が整うと思います。

が、おおむね!、おおむねではありますが、どのみちミックスダウンやマスタリングの作業
というのは、メジャーレコード会社(ソニーミュージックや、エイベックスや、ヤマハなど)
の仕事を請け負っているレベルのプロのエンジニアの力を借りなくては、うまくいく筈が無
いほど、レベルの高い作業です。

ただレコーディングエンジニアというだけではダメです。現役で、ソニーやエイベックスなど
の、メジャーレコード会社の仕事を請け負っているレベルのエンジニアか、専門の会社でない
と、依頼しても満足するものは出来上がりません。

さてその際、出来るだけプロのエンジニアに任せる以前の段階で、優れた音源を作っておい
たほうがいいのは、言うまでもありません。そのほうが、短い時間で、音楽が完成する、す
なわち、コストが安くつくのです。

そして、音の濃さ、デジタルの濃さというのは、自宅でレコーディン
グする時にこそ、決まってしまうのです。

その時には、200Vからの、又はアイソレーション系の、良い電源を使
い、デジタルロスを最小限にしなければ、音を濃くするチャンスは、
いくらプロにその後任せても、もうやって来ないのです。

さらには、意外にも、プロのエンジニアは、音の濃さには全く無関心
なケースが多いのです。ミックスダウン、マスタリングにおいてはプロ
ですが、音の濃さや、音の焦点については、素人さんなんです。

ということは、絶対に(絶対に!!)、録音ルートだけは、パワード
モニターを使ったとしても(パワードモニターは壁コンセントの100V
から取ってください)、他の録音機材全て(録音ルート)には、200V
からのダウン&アイソレーション級の、非常に良い電源を使ってあげ
て下さい。

つまり、ラージもスモールも、最善の「濃い音」の録音には、
「録音ルート」だけは、必ず最善の電源を使って下さい、とい
うことです。


注:)パワードモニターの場合には、モニタールートには、そこまで良い電源を使ってはいけ
ません。録音結果の音の濃さには、関係の無い部分でもあります。

録音ルートと、モニタールート、この違いは、素人さんでも理解出来る筈の事ですので、決し
て混同しないで下さい。そして、理論を、理解してください。この程度の事が理解出来ないの
であれば、自宅レコーディングは最初から無理です。

モニターしている音が薄いからといって、録音されている音が薄いとは限らないでしょう。こ
の基本だけは、必ず理解してください。そして、あら探しの出来るパワードモニターを使って
下さい。

ダウン&アイソレーション級の電源は、あくまでも、録音ルート、そして、モニタールートに
は、通常100V。それで、完璧です。音も非常に濃い音で録音されます。

でないと音の焦点が、キンキンになってしまって、せっかくの良質なパワードモニターが、使
えなくなります。


★その際、モニタールートへの電源は、何でもいい、というよりは、
壁コンセントから取った100Vのほうが、パワードモニターには向い
ている、と、しておきます。

パワードモニターは、アンプ内蔵です。要するに、わざと、内蔵アン
プには、100V電源を、送ってやって、音の焦点が普通になるように、
取りはからって下さい、ということです。

そうするだけで、音の焦点が一発で決まりますし、音源が濃いので、
モニター環境に狂いが生じる事もあり得ません。目的が録音だから、
これは成立することです。

オーディオの場合には、すべての電源を、ダウン&アイソレーション
から取るのが理想ですが、これはレコーディングです。

オーディオとレコーディングは別物です。ただし、録音ルートは、
何度も書きますが、デジタルが欠落してはいけませんので、すべて、
ダウン&アイソレーション級の電源から取ってあげてください。

★要点をまとめます。

自宅録音のかたは注意してください。本当に良いレコーディングをしようと思っ
たら・・・、

最後は凄くハイレベルなプロの力が必要であるということと、モニター
スピーカーには、プロ用、つまり、あら探しに向いている、プロ用のパワードモニターを、
壁コンセントの通常100Vから取っていただくということ、他の機材は、予算が許す限り、
最高の電源(理想は、200Vのダウン&アイソレーション級のトランスなど)から電気を取
るということ、そのあたりが、濃密な音で録音出来て、さらには、モニターで躓かないコツ
です。

そして間違ってもオーディオ用のスピーカーだけは、モニター用として
使ってはならないことだけは、しっかりと、記憶しておいて下さい。
特に、〇B〇や、B〇Wなどのモニター(と名乗っているスピーカー)
では、全くダメですので、その点は注意してください。

現代の本物のプロ用のパワードモニターは、非常にマニアック
なものです。


プロケーブル注:)ただし、これは録音用、マスタリング用ですので、
オーディオのかたが入手しても、つまらない音だと思うだけでしょう。
オーディオのかたは、安易に、入手しないで下さい。

★小型パワードモニターの機種を具体的に知りたいかたは、お電話などで問い合わせ下さい。
日本では、それは到底作れるものではありませんので、日本製は見限って下さい。パワード
モニターも、日本製には、要注意です。

——————————————————-
これより先は、「お客様の声」とします。
——————————————————-

プロのスタジオさんからコメントをいただきました!

——————————————–

Music Well Studio さんのコメント: モニターの音はどうあるべきなのか!!

Subject: 導入感想をお送りいたします。

PRO CABLE さま

お世話になります。
御社より、スター電器 3000W ダウントランス コンセント16個バージョンと
シールド電源ケーブルを購入させて頂きました、
大阪のMusic Well studio の○○○○と申します。

御社の多くのお客様が感想をお送りされていますので、僕もお役に立てれば
と思いメールさせて頂きます。

接地工事が終了いたしました。
A種棒を2本連結しました。この時点で抵抗値が13Ω出ていましたので、
これで完了としました。

今回の電源廻りのリニューアル前は、○○○製100Vの大型アイソレーションレギュ
レーターにて整流し、その後に○○○製 ○○○-1500(コンディショナー) を配し
て使用しておりました。

そして今回、音に直接関わる機器には、スター電器 3000W ダウントランス に
マリンコシアターモデルを配して直接接続しました。(○○○-1500はキャンセルです)

結果、音場がとても大きく感じられ、今までに聴いた事のないダイナミクス豊富
な出音です。
これがノイズレベルの下がった事のみで得られる“音”なのかと疑問に思う程です。

私は常に “フラット” な音環境を切望し、そこを追究する事がリスナーの皆様に
対しての責任だと日々考えております。
目指すは良いものと悪いものをしっかり聴き分ける事が出来るフラットな環境です。
その様な着色のない環境での制作を可能にしないと最終アウトプット(流通商品)時
点では大変な事になります。

制作初期段階で少しでもピーキーなものが出来上がってしまうと、その後段階での
作業で段々としわ寄せが積み重なり、ごまかしごまかしで最終的にはろくなものに
はなりません。

制作スタジオに求められるのは限りなくフラットな音響環境です。
決して良い音も悪い音も『立派な音にしてしまう再生環境』ではありません。

Studioで自然に出来た“音の印象”がどの様な再生環境(ヘッドフォン、ラジカセ、
カーステ、喫茶店の天井スピーカーそして高級オーディオ等)においても“同じ印象”
で聴く事が出来れば、制作環境としては最高の状態と言えます。

歴史的に、あまり良い環境で制作出来なかった頃に“エンジニアの勘”というものが
生まれ、そしてそれが重要視されてきた気がします。
フラットな再生環境では無いため“見越”の技術が必要だったんですね。
なんとも恐ろしいですね。

“音”が解りにくければ、音楽制作は大変困難になります。

今、目の前では今までに感じた事の無い“素晴しい音”が鳴っております。

しかし、それだけではありません。
制作段階では各トラックに色々な補正処理を施します。その中にEQ処理や音圧処理
があります。
リニューアル後、特にEQ処理には大きな変化が出てます。
パラメーターを動かす幅が大幅に減少しました。変化がとても良く見えるからです。
処理後のEQカーブを見ても今までの様に大きくはなりません。なだらかで微妙な曲
線です。

“自然に聴こえるまま”で、何の見越も必要なく作業出来ています。

不安になるくらい。。。(笑)

これで大正解なのだと思います。
大きく変化させる事はピークを生みます。
振り返って、今までどれだけピーキーなものを創って来たのかと思うとゾッとします。

音をCD-Rに納め、いつもの様に色々な再生環境で聴いてみました。
実験です。ここが私にとって “肝” となります。 ドキドキです。
その結果は . . .  凄い!! ニュアンスは変わりません!
(勿論、再生環境によって迫力等は違いますが…)
今まで苦労して何度も何度も色々な環境で聴いては直し聴いては直ししていたものが、
一発でOKレベルに到達出来ました。

これは本当に素晴しく嬉しい限りです。

驚いたことに気が付けばなんと位相感までも改善されてしまってます!
モニター環境にまで影響が出るとは。。。

電源を“まとも”にする事は本当に万能薬の如く色々な恵みが与えられるのですね。
本当に驚きです。

また、今度は“音の焦点合わせ”も行いたいと思います。(とても大事そうですね)

以上が現時点での導入感想となります。

最後になりましたが、
この環境を手に入れる切っ掛けをご提示頂いたProCable様には心から感謝いたします。

本当にありがとうございました。

(長文、乱文失礼いたしました。)

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

Music Well Studio
代表 ○○ ○○
○○○-○○○○-○○○○
http://www.musicwell.jp

プロケーブル注:)このスタジオさんにいただきましたコメントは、基本的には電源への
コメントだったのですが、それで収まり切らないほどに内容の濃いものでしたので、こち
らに掲載させていただきました。なお、コメントをいただきましたのは、2008年頃で
したので、今は、Music Well Studioさんも、全く違うモニタースピーカーの環境になってお
り、(モニタースピーカーが急速に進化しましたので)、当時とは、雲泥の違いのモニター
スピーカーの環境ではないかと思います。

https://procable.jp/setting/07.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c30

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
34. 中川隆[-11002] koaQ7Jey 2019年4月02日 18:00:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1022]
2019年 04月 02日
MFシステムの真価が発揮されてきました。 GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/30520169/

先週の日曜日に導入されたMFさんのPCオーディオは、出張続きの合間を縫って、まずは習うより慣れろと右も左も解らないまま、動き出しました。間に3日間の出張も挟んでいるので、実質上は四日間しか動かしていませんでした。それでも、だんだん解ってきて、音は良い音が出ていました。

ただ、細かな設定は、解らずMFさんの設定のまま使っていますが、roonのコントロール部分は、ipadに移したので、使い勝手は格段に向上しました。新しくハードディスクをつけて録りだめた4トラックテープからのDSDファイルも本来の実力を発揮し始めたようです。


北海道から戻ってきた晩はすぐ寝てしまいましたが、翌日は起きて早速、音出しをして楽しんでいました。ところが、使用中に原因不明で、再生をしなくなります。そんなときは、面倒でも再起動してくれと言うことでしたので、起動の順番を間違えず、一つづつ電源を入れていきます。すると、しばらくは作動しているのですが、何かの拍子にDAC用のPCの電源が落ちる事がありました。

f0108399_11424306.jpg


翌日の日曜も同じような調子で、電源が落ちる頻度が高くなってきました。よく調べると、使っている電源ケーブルの接触不良のようです。どうやら、この製品用のケーブルではなく、微妙に径が小さく、接触不良を起こすようです。


その原因がわかるまでは、大変でした。結局最後は、コントロール側のソフトもフリーズして動かなくなりました。日曜日の晩は、そのフリーズ対策で何時間も無駄にしました。やはり中身を良く理解していないと、こんな時に困ります。ipadのアプリの完全なシャットダウンを行っていなかったようです。


月曜日の夕方、仕事を終えてからMFさんが来てくれました。やはり、原因は規格外のケーブルにあった様です。それを直し、動き出してからは、HQplayerの各種フィルターの音の差を検証してみました。これが各々大変な違いで、付属している日本語のマニュアルにはその辺のところが詳しく載っていません。roonに詳しいのびーさんに頼んで、英文のマニュアルを手に入れないといけませんね。


PCM用、DSD用とフィルターとディザー、オーバーサンプリング、そして、送り出す方のビットレートを変えると、音は同じソフトとは思えない程の変化がありました。いろいろ触ったおかげで、HQplayerの操作には大分慣れてきたようです(笑)。なにごとも経験で自分で操作しないと解りませんね。その意味では、全くコンピューターに触っていない人は、やはり導入は難しいかもしれません。

f0108399_09460372.jpg


いろいろやっていくうちに、お借りしていたDAC用のPCの電源に入っているノイズフィルターを購入した新品に交換しようと言うことになりました。いずれも、DACへ送り出すNAA用のPCに供給するUSB電源からのイズを除去する装置です。最初にメインのフィルターに行く前に使用するDC Power Filer(写真左)を交換したら、何これ?というぐらい音が変わりました。いままでお借りしていたのは、旧タイプで3年ほど使用していた物だそうです。新品に変わった所為か、それともヴァージョンが変わったのか、全く違う音に変わりました。


それならばと、最後のUSBのアースのループを除去するiDefender3.0というUSBアダプターも新しいヴァージョンに交換しました。MFさんによれば、これもプロポーションも変わった新型だそうです。


これが、一番変わりました。


この機器の役割は、アースのグランドループを遮断して、ノイズのフロワーを下げ、よりダイナミックな音のコントラストと暖かさと解像力を増します。その通りです。この機器の交換が、一番大きく音が変わりました。


MFさんが言われるには、こんなにはっきりと効果が聞き取れたのは、家のユニコーンがはじめてだそうです。嬉しいですね。この音なら、アナログ党のうるさ型も納得されるでしょう(爆)。
https://tannoy.exblog.jp/30520169/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c34

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
18. 中川隆[-11001] koaQ7Jey 2019年4月02日 18:05:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1023]

ロッテアライリゾート ‐ スキー場情報サイト SURF&SNOW

4/2(火)◇◆◇新雪35cm、積雪480cm◇◆◇DATE 2019/04/02

2019年4月2日(火)【9:40現在】

天候:雪
気温:0.6℃
積雪:480cm(膳棚ステーション)
   35cm(膳棚ステーション)
   10cm(山麓エリア)   

⇒昨晩の新雪降雪は35cmでした!!積雪は膳棚ステーション付近で480cmです。
 ゲレンデは全面リセット!!この時期には有り得ないパウダーライディングが可能です!!
 ロングシーズンに併せた遊び方が出来るロッテアライリゾート!!この機会にぜひご来場下さいませ。
 本日もSCLOVER PARK OPEN予定、コース目いっぱいお楽しみいただけます。
 4/6-7:第2回SNOWBOARDMASTERS開催!!日本一スノーボードが上手いのは誰だ!?頂上決戦がここアライで繰り広げられます。
 ※SNOWBOARDMASTERS大会設営の関係で、アンコール/ビーフリーは終日滑走不可となります。予めご了承下さい。

【リフト】
・新井ゴンドラ 8:30(15:15)運行開始
・膳棚リフト  8:45(15:45)運行開始
・小毛無リフト 9:00(16:00)運行開始
・山麓第一   8:30(16:30)運行開始
・山麓第二   9:00(16:30)運行開始

【コース】
・ベアバレー     滑走可
・ビーフリー     滑走可
・アンコール     大会設営の為終日クローズ
・タテガミ      滑走可
・ウマノセ      滑走可
・妙高ロングラン   滑走可
・六本木ロード    滑走可
・ヴィレッジロード  準備中
・ポニー       滑走可

【非圧雪コース】
・マムシガエシ    滑走可

【フリーライディングゾーン】
・ハッピープレイス  滑走可
・マムシ       滑走可
・船石        滑走可
・大斜面       準備中
・ベンザク      大会設営の為終日クローズ

【LOTTE ARAI SCLOVER PARK】
・通常営業予定    9:30-15:30(ビーフリー内)

【キッズガーデン】
・10:00-16:00    通常営業

※以下、今季終了となります。
・ディスカバリー
・レジェンダリー
・KG
・サンライズ
・エキサイター
・ワセ
・大斜面の一部分(東斜面)
・膳棚ボウル

https://www.lottehotel.com/arai-resort/ja.html

※リフト/コースオープン状況は、予告なく変更になる可能性がございます。予めご了承下さい。
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r1020r.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c18

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
84. 中川隆[-11000] koaQ7Jey 2019年4月02日 18:06:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1024]

ロッテアライリゾート ‐ スキー場情報サイト SURF&SNOW

4/2(火)◇◆◇新雪35cm、積雪480cm◇◆◇DATE 2019/04/02

2019年4月2日(火)【9:40現在】

天候:雪
気温:0.6℃
積雪:480cm(膳棚ステーション)
   35cm(膳棚ステーション)
   10cm(山麓エリア)   

⇒昨晩の新雪降雪は35cmでした!!積雪は膳棚ステーション付近で480cmです。
 ゲレンデは全面リセット!!この時期には有り得ないパウダーライディングが可能です!!
 ロングシーズンに併せた遊び方が出来るロッテアライリゾート!!この機会にぜひご来場下さいませ。
 本日もSCLOVER PARK OPEN予定、コース目いっぱいお楽しみいただけます。
 4/6-7:第2回SNOWBOARDMASTERS開催!!日本一スノーボードが上手いのは誰だ!?頂上決戦がここアライで繰り広げられます。
 ※SNOWBOARDMASTERS大会設営の関係で、アンコール/ビーフリーは終日滑走不可となります。予めご了承下さい。

【リフト】
・新井ゴンドラ 8:30(15:15)運行開始
・膳棚リフト  8:45(15:45)運行開始
・小毛無リフト 9:00(16:00)運行開始
・山麓第一   8:30(16:30)運行開始
・山麓第二   9:00(16:30)運行開始

【コース】
・ベアバレー     滑走可
・ビーフリー     滑走可
・アンコール     大会設営の為終日クローズ
・タテガミ      滑走可
・ウマノセ      滑走可
・妙高ロングラン   滑走可
・六本木ロード    滑走可
・ヴィレッジロード  準備中
・ポニー       滑走可

【非圧雪コース】
・マムシガエシ    滑走可

【フリーライディングゾーン】
・ハッピープレイス  滑走可
・マムシ       滑走可
・船石        滑走可
・大斜面       準備中
・ベンザク      大会設営の為終日クローズ

【LOTTE ARAI SCLOVER PARK】
・通常営業予定    9:30-15:30(ビーフリー内)

【キッズガーデン】
・10:00-16:00    通常営業

※以下、今季終了となります。
・ディスカバリー
・レジェンダリー
・KG
・サンライズ
・エキサイター
・ワセ
・大斜面の一部分(東斜面)
・膳棚ボウル

https://www.lottehotel.com/arai-resort/ja.html

※リフト/コースオープン状況は、予告なく変更になる可能性がございます。予めご了承下さい。
https://snow.gnavi.co.jp/guide/htm/r1020r.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c84

[近代史3] 赤川次郎 ふたり (松竹 1991年)

赤川次郎 ふたり (松竹 1991年)


監督 大林宣彦
脚本 桂千穂
原作 赤川次郎

音楽 久石譲
主題歌 「草の想い」大林宣彦&FREIENDS

撮影 長野重一
配給 松竹
公開 1991年5月11日


動画
https://www.youtube.com/watch?v=4nw0hgzYAxk


▲△▽▼


キャスト

北尾実加 - 石田ひかり
尾道女子中学校の2年生。子供の頃から名前で呼ばれるより「(優秀な)千津子ちゃんの妹」と呼ばれることが多々あり存在感が薄い。何かにつけて優秀な姉と比べられるので、自分に自信が持てずにすぐ諦めようとする性分が身についている。良く言えばマイペースでのんびりした性格だが、作中では「ドジでグズでマヌケな私」と自他ともに認めている。部屋は散らかっており、よく忘れ物や無くし物をしており少々だらしない性格。時々空想にふける夢見がちなところがある。趣味は小説のようなものを書くこと。千津子からは「自分のことを客観視できるのがあなたの取り柄」などと言われている。いつしか智也に淡い恋心を抱くようになる。

北尾千津子 - 中嶋朋子
実加の姉。高校2年生の秋のある朝、たまたま忘れ物をして家に取りに戻ろうとしたところ事故に巻き込まれ亡くなる。その後、しばらくして実加にだけ千津子の幽霊が見えるようになる。実加とは対照的にしっかりもので小さいころから近所では有名だった。学校に入ってからも成績優秀、ピアノも上手く、中学3年生の頃にはマラソンで活躍し、高校生の頃は演劇部で主役を務めるなど周りから一目置かれる存在。作中では万里子から「尾道女子中学校が創立して80年の歴史の中で伝説的な秀才」と言われる。また、実加により「あんなになんでもよくできて明るくて綺麗で、誰からも愛されてこの世で一番幸福だと思える姉」と評されている。ただし本人は「(優秀なのではなく)器用で目立っているだけ」だと自己評価している。

北尾治子 - 富司純子
実加の母。作中ではいつも和装で過ごしている。元々おっとりした性格だったが、千津子が亡くなったことで精神的に弱くなっている。千津子がいた頃はしっかりものの千津子を多分に頼っていた。

北尾雄一 - 岸部一徳
実加の父。落ち着いた物腰の性格。家族想いで千津子を失ったこともあり、情緒不安定気味の治子やマイペースで子供っぽい実加を気にかけている。実加の学校行事やピアノの発表会にも夫婦で見学に来ている。サラリーマンで出張も多く、その後小樽への転勤により単身赴任した。

神永智也 - 尾美としのり
広島工科大学船舶工学科の3年生。生前の千津子の恋人だった。毎年行われている第九の演奏会に来ており、千津子が亡くなる前の年にここで会う約束をしていた。千津子が死んだことを知らずにこの年も演奏会に来て、ここで実加と知り合い、親しくなる。

長谷部真子 - 柴山智加
実加の親友。クラス委員を担当。明るく素直でさっぱりした性格、曲がったことが嫌い。実加に対しては友情に厚く、いつも彼女の味方である。万里子が実加へ嫌がらせをした時は、わざわざ万里子の家まで「討ち入り」と称して実加を連れて押しかけた。

前野万里子 - 中江有里
智也とは、いとこ関係。お互い一人っ子で兄妹のように仲良く育てられてきたため、智也を実の兄のように慕っている。生前の千津子に嫉妬して邪魔に思うようになり、その妹である実加を敵視するようになった。

中西敬子 - 島崎和歌子
実加が高校1年の時に入った演劇部の上級生。

長谷部真子の父 - ベンガル
由緒ある旅館兼仕出し屋を切り盛りしていて、料理を作っている。一人娘の真子をかわいがっている。

長谷部真子の母 - 入江若葉
旅館兼仕出し屋の女将。

前野万里子の母 - 吉行和子
担任の先生 - 奈美悦子心配な実加のことを相談に来た治子に対し、実加は問題無いとした上で「千津子さんはしっかり者だがまだ子供なので気をつけてあげてください」と助言するなど教師として生徒をしっかり見ている。

国語の先生 - 奥村公延
真子の従兄弟の僧 - 林泰文実加を襲う男 - 頭師佳孝街で何度か見かけたことから実加を気に入り、ある時、夜道にあとをつけて襲った。しかしこのことがきっかけで、亡くなった千津子が実加の前に現れるようになった。

運転手 - 大前均
重い木材を積んだトラックの運転手。事故により千津子を死なせてしまう。

治子の主治医 - 竹中直人
明るいキャラクターの医者。母親が入院した時に世話をしに来ている実加のことを「親孝行娘」というアダ名で呼んでいる。

内田祐子 - 増田惠子
坂道の婦人 - 藤田弓子


▲△▽▼

北尾実加が中学2年の時、高校2年の姉・千津子は、成績優秀でピアノが上手くスポーツも得意で、高校の演劇でヒロインを務め、教師や同級生からも慕われていて、実加も憧れていた。しかし、ある日の登校中に交通事故に巻き込まれ、突然この世を去ってしまう。ところがその後、死んだはずの姉の声が実加の頭の中に聞こえてくるようになった。姉の声は自分にしか聞こえないけれど、自分を確実に見守ってくれていた。

千津子の死で精神的に不安定になった母、突然単身赴任する父、親友の父の死や心中騒動など、実加の周りでは様々な事件が起こる。姉が得意だったピアノやマラソン、演劇での活躍、そして、恋と友情。姉のアドバイスもあり実加はそれらの困難を乗り越えて次第に精神的にも成長していく。様々な経験を通じていつしか実加が姉の年齢に近づいたとき、父の浮気が発覚。激高した母、家庭崩壊の時、実加が感情的に発してしまった一言で姉の声が聞こえなくなってしまう。


▲△▽▼

1991年に映画化された。「新・尾道三部作」の第1作。NHKのテレビドラマとして製作され、テレビ放映後再編集して劇場公開された[4]。当初から劇場公開を想定しており、外部演出家である大林の起用や35ミリフィルムでの撮影などNHK作品としては異例の要素が多い[4]。

原作者の赤川次郎は本作を映画化して欲しくない作品としていたが、大林がそれを承知で交渉に来たと知るとこれを承諾した[4]。映画は原作にほぼ忠実で、赤川自身でさえ限りなく近いので驚いたという。原作では千津子は声のみの出演で姿は現さない設定であるが、映画では千津子が幽霊として姿を現すという設定(ただし実加にしか見えない)になっている。

ハイビジョンの合成による映像も用いて撮影された。駅伝のシーンではフィルムとビデオでの1秒間のコマ数の差を利用した実験的な映像が使われている[4]。

撮影の逸話

福本渡船、浄土寺、千光寺や尾道駅など、尾道の風景が映画の随所に使用されている。北尾家は実在する家が撮影に使用されたが、屋内の撮影についてはロケセットが使用された[5]。

千津子が事故にあうシーンは尾道市の海徳寺下の小さな路地で撮影された。事故を起こすトラックは、あまりに狭い路地のために、トラックの右側半分だけを切断して用いた。落下する木材は発泡スチロールで、千津子はスタントの女性が演じた。本撮影場所は映画公開後も長年花束を備えるファンが絶えなかった[5]。

駅伝マラソンの撮影場所としては、岩子島のトンネルや橋、向島の海岸路などが使用された。

千津子の死を神永智也に伝えるシーンでは、マリンパーク境ガ浜の海上水族館が選ばれ、生演奏のベートーヴェン交響曲9番のコンサートが開催され、その風景と花火大会の映像がデジタル合成された[5]。

スタッフキャスト100人で、千光寺道、大林監督の実家前に撮影で訪れた際、『濹東綺譚』のワンシーンを撮影中の新藤兼人監督の撮影クルーと鉢合わせた[6]。20人ほどのこぢんまりとしたスタッフで淡々と表現できる新藤組に「さすが『裸の島』を撮られた方だ」と大林組一同畏敬の念を抱いたという[6]。

石田ひかりは、NHK朝ドラのヒロインオーディションを落ちたところで、スタッフのメイク担当に紹介され、大林が気に入り例外的にヒロインに抜擢した[7]。その後の朝ドラ『ひらり』のヒロインオーディションに受かった[8]。

撮影期間は大林の映画にしては長い2か月間で、尾道でのオールロケーションのため、主演の石田ひかりは、18歳の夏のまるまる2か月間尾道に住んだ[7]。撮影のない日は自転車で尾道の山坂を駆け回ったり、大好きな海で海水浴やって楽しく過ごせると思っていた。ところが撮影期間はひと夏でも、四季を通じた三年間の物語なので、日に焼けてはいけない。海に入るのもダメ。街へ出る時は日陰を歩きなさいと指示をされた。最初は酷いところに来てしまった、がっかりしたと思っても、あるとき北尾実加としてなら生きられるということに気づいて、喜びを感じ始めたときを待って撮影をスタートさせた[7]。

大林は撮影を通じて石田ひかりに惚れ、19歳の石田ひかりを見てみたいと『はるか、ノスタルジィ』のヒロインに起用した。しかし『はるか、ノスタルジィ』のヒロイン・はるかは北尾実加とは全然違う役で、難しい撮影になった[7]。

中江有里も本作がデビュー作。この映画で苦手のマラソンを克服して長野オリンピックでは聖火ランナーの一人として参加した[9]。

主題歌を歌うのは「大林宣彦&FRIENDS」となっているが、これは大林と音楽の久石譲とのデュエット。作詞は大林が、作曲・編曲は久石が担当している。元々は主演の石田ひかりに歌わせる予定であったが、石田の演技を見た大林が石田を女優として最後まで通させようと考え、自身がピンチヒッターとなった[4]。この曲は劇中でも北尾姉妹たちも歌われており、編曲は異なるが中嶋朋子によるシングルカット版もパイオニアLDCから発売された。


▲△▽▼


『ふたり』は、赤川次郎の小説。1989年1月新潮社刊。事故死してしまったしっかり者の姉と、姉に頼ってばかりいた妹との、奇妙な共同生活を温かくつづる。大島弓子がカバーイラストを手がけた。

発行部数は2003年時点で約230万部[1]。赤川次郎の代表的作品であり、本人も名刺代わりの作品であると述べている[2]。本作の後半では父親の不倫話も扱っているが、子どもの読者層に配慮して書かない方がいいのではないかという意見もあったという[2]。しかし子どもだからファンタジーというのは間違いであり、実際に子どもの身にも起こりうることは小説の中で経験しておいてほしいという赤川の思いからそのまま執筆された[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/317.html

[リバイバル3] 苗場スキー場 中川隆
67. 中川隆[-10999] koaQ7Jey 2019年4月02日 20:51:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1026]


雪日記
早起きは三文の徳、さらば苗場2019。
【18-19シーズン 133日目】 天候:曇り
3/30(土) 苗場スキー場でスノーボード。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3557.html


本日は朝イチから苗場です。
苗場の今シーズンの営業は3/31まで。
ずいぶん早いクローズですが、シーズン前から決まっていた事。

ここ数年の4月以降の客入り、雪不足…、
経営側から考えると妥当なのでしょう。
ちょっと寂しいですが、お客が来ない事には仕方ない。

最後なので朝イチの4ロマから始動します。

まった〜りカービングするのには最適(笑)

2ゴンが始動する時間なのでちょっとだけ並びます。
土曜日だけどそこまで混雑はありません。
並びの半分くらいは板を持たない私服の外国からの観光客でした。

昨夜鍋ビュッフェにいたような客層、
スキー&スノーボード目当てではない客層もいるのですな。
トマムなんかもそっちの方向でしたが、星野リゾートは上手く観光客を楽しませていました。
プリンスはそこもまだまだ弱いなぁ、
本来はスキー&スノーボードの日本人客で以前のような集客を!でしょうが、
もうそれは現実的ではないので、こんな外国人の集客を上手くやれば、
再びゴールデンウィークまで営業する苗場が蘇る可能性はあるかもしれません。

本日は強力な南風が吹き荒れております。
良く定時に運行されたなと思う強風。
何度もゴンドラは止まり、揺れに揺れる。

なんとか無事大斜面。

いいね!
久々にフラットな大斜面。
適度な固さで朝イチだから人も少ない。

チャレンジコースはファーストです。

さいこ〜!!

土曜日でも朝イチから始動すれば混雑は少ないし、
綺麗な面が滑れます。

天候的にも恵まれました。
午後からは雨予報でもまだ曇り。
適度に寒いけど極端な冷え込みではないから雪は固くもなくシャバってもいません。

ゲレンデ下部は結構雪融けが激しいです。
3月クローズが決まっているので雪付けとかもあまりしないのでしょう。

第3ゲレンデではAIRMIXが行われています。

嗚呼…恐ろしい!!

凄いなとは思うけど、もうあそこまでイクと曲芸の世界。
何かスノーボードとは違うなと思っちゃいます。

スノーボードならコブでしょう。

苗場にもいいコブがあります!
しかし、
T.T.はコブに向いていないってのを思い知らされました(笑)

チャレンジコースが楽しすぎたので、もう1本だけおかわりと思いましたが、
さすがに強風で見合わせになっておりました。
8:45くらいですでに見合わせており、その後終日運休だったようで。

朝イチだけのプレミアム大斜面〜チャレンジだったのですね。
早起きは三文の徳とはよく言ったものだな。
最後にいい思い出をありがとう、
今シーズンもお世話になりました、また来シーズン!

スキー場発表積雪量:150cm(-50cm)

使用板:GENTEMSTICK / T.T.168
ビンディング:FLOW / NEXUS FUSION
ブーツ:BURTON / ION
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3557.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html#c67

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
197. 中川隆[-10998] koaQ7Jey 2019年4月03日 08:02:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1027]

値上げの春! 北海道は特につらいよ…身近な食品から社会保険料までアップ そのワケは?
4/2(火) 20:00配信 北海道ニュースUHB



 今月から様々なものが値上げされています。牛乳やヨーグルトなどの乳製品、食塩、最近需要が伸びているサバの缶詰、清涼飲料の大型ペットボトル、生めんや冷凍食品など目白押しです。

 値上げラッシュが家計を直撃。中でも北海道の暮らしが大打撃なんです。

【北海道は特に…】
 北海道では特に家計に直結しそうなのがこちら。

●札幌と新千歳空港を結ぶ連絡バス
 札幌中心部からだと70円上がって1100円に。JRの快速エアポートよりも高くなります。外国人観光客に対応する設備投資などが理由です。

●びっくりドンキー
 「レギュラーバーグディッシュ(150g)」は598円が618円になるなど、今月10日から北海道内の店舗では、20円から170円の値上げ。原材料の高騰と人件費の上昇が理由です。

●松尾ジンギスカン
 さらに道民のソウルフード、松尾ジンギスカンの製品は、「マトン(400g)」690円→820円と130円アップ、「特上ラム(400g)」960円→1100円と140円アップ。国際的な羊肉の高騰が理由ということなんです。羊肉の争奪戦が起こっているようです。

【水道料金や給食費も】
 道内各地でも値上げが止まりません。根室市では今月から水道料金を平均14.8%値上げ。市の試算によると、月20トン使用する標準世帯で年間1万円アップ。恵庭市や苫小牧市では、小中学校の給食費が値上げされます。

【健康保険も】
 病気になった時の支え、健康保険もアップします。会社を退職した人や、自営業の人が加入する「国民健康保険」。札幌市の場合、年金2人世帯で年収300万円だと、昨年度は年間の保険料が26万4490円だったのが、今年度は27万2310円と試算されています。7820円の値上げとなる見込みです。

 そして、主に中小企業で働く人とその家族が加入する「協会けんぽ」。その人の給与のどれだけを保険料として徴収するかの割合が都道府県ごとに定められています。それが保険料率と言われるものですが、今年度、北海道は全国で2番目に高くなっています。昨年度は4位でしたが、引き上げられました。介護保険料も上がったので、今月の給料明細を見てギョッとする人が多いかもしれません。

【北海道 社会保険料アップのワケ】
 特定社会保険労務士の遠藤起予子(きよこ)さんに聞きました。

 まず国民健康保険料ですが、地方から札幌に引っ越し、良い病院にかかりたいという人が増えているということなんです。医療費が増える分保険料も高くなります。

 また、協会けんぽ保険料の値上げは、北海道内で非正規雇用が増えたため、中小企業に若い新入社員が少なくなり、社員の平均年齢が上昇。その結果、病院にかかる人が増え、保険料も高くなるという構図なんだそうです。

 今年10月には、消費税の増税が予定されています。新元号「令和」は"値上げ"で幕を開けそうです。


(4月2日放送 UHB『みんテレ』内「ほぼ日刊 八木タイムス」より)
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UHB 北海道文化放送

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c197

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
98. 中川隆[-10997] koaQ7Jey 2019年4月03日 08:36:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1028]
ここまでやる!? 旅から生活まで、「車中泊」の奇想天外な利用実態(ニューズウィーク)
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/778.html

2019年4月2日(火)13時30分 中川 寛子(東京情報堂代表) *東洋経済オンラインからの転載 ニューズウィーク


大型バンなどを、暮らしや仕事の場に利用する人たちがじわじわと増えている。写真は旅をしながら旅行アプリを作っているON THE TRIP のバン(写真:筆者撮影)


車離れが言われて久しい。その一方で移動するツールとして以外に車を使おうという動きが加速している。わかりやすいのは車中泊だ。リーマンショック後の節約志向を受け、安く旅する手段としての車中泊に注目が集まり、2008〜2009年には車中泊をテーマにした雑誌が登場した。

さらに民主党政権下で行われた2010年6月から1年弱の高速道路無料化の社会実験は車中泊経験者を増やすことになった。2011年の東日本大震災以降、熊本地震、西日本豪雨災害、北海道胆振東部地震と時代を追うごとに被災地でのトレーラーハウスの利用が拡大し、北海道では仮設住宅として使われるまでになったことも車内で暮らすことへのイメージを変えた。さらに最近では泊まるだけにとどまらない使い方も出てきている。車中泊はこの先、どこへ向かうのか。

■インバウンド旅行者が使う例も増えている

現在、国内にあるキャンピングカーは約11万台。10年ほどで約2倍に増えており、ここ数年は年間数千台ずつ増加している。一般社団法人日本カートラベル推進協会のアンケート調査によると車中泊経験者のうちの46%がキャンピングカー以外で宿泊していることを考えると、市場規模はそれよりはるかに大きい可能性もある。近年の特徴はレンタルが増えていること。インバウンドも含め、旅行者が借りて使うケースが増えているのだ。

だが、問題がある。キャンピングカーを借りても停めて泊まれる場所が少ないのだ。よく利用されるのはオートキャンプ場や道の駅だが、オートキャンプ場は数が限られているし、道の駅は夜間、照明が点いておらず見つけられない、トイレが利用できないなどと宿泊できないケースが少なくないのである。

訪日外国人向けの情報発信、体験コンテンツを企画するNPO法人を主催している宮下晃樹氏がその問題解決のために思いついたのが、車中泊可能な場所のマッチングアプリ「Carstay」だ。夜間使っていない駐車場や空地を登録してもらい、泊まりたい人がアプリ上で予約・利用するというもので、登録から予約、決済までをオンラインで行う。

民泊と違い、部屋はもちろん、寝具などを用意する必要もなく、現時点では旅館業法など該当する法律がないため、許認可も不要。遊んでいる土地が車1台分あり、駐車したところから500m以内に利用可能なトイレがあれば誰でも、どこででも簡単に始められるのが特徴だ。


宮下氏が座っているのは軽トラの荷台部分を利用したもので2人分のベッド、仕事用のデスク、収納式のソファ、エアコン、バッテリーが備え付けられており、断熱性能も高い(写真:筆者撮影)

しかも、このビジネス開始にあたり、三井住友海上火災保険が車中泊旅行者、車中泊事業者向けの保険を業界に先んじて開発し、自動的に付帯する仕組みに。これにより、貸す側、借りる側とも安心して車中泊ができるようになった。

訪日客の困りごと解決から思いついたサービスだったわけだが、このサービスが変えるのはそれだけにとどまらない。

「地方の花火大会やコンサートなど一時的に多くの人が集まるイベントで宿泊施設が足りない場合、あるいはそもそも宿のない場所でもCarstayを導入すれば、一時的に安価に宿泊場所を増やせる。日帰り客より宿泊客が多くお金を落とすことを考えれば、経済効果は大きいはずです」(宮下氏)

■定住者ではなく、関係人口を増やす

公共交通機関利用の旅と違い、車での旅には時間の制約がない。そこに泊まるという機能が加われば、旅はさらに自由になる。好きなときに好きな場所に行き、そこに好きなだけ滞在できるようになるのだ。

とすれば、車中泊には地方に人を移動させ、活性化させる力があると言える。車に泊まれるなら、公共交通機関のない、宿もない場所にも行ける。それに泊まれるなら、そこで働ける、暮らせるということにもなる。

Wi‐Fiさえあれば働ける人が増えている今、車中で仕事をする人、なんだったら、そのまま車中で暮らそうという人が出てきても不思議はないのだ。その人たちがあちこちを移動しながら暮らすとしたら、それによって地方は定住とは異なるものの、その地域に関心や愛着を持ち、関わってくれる人の数=関係人口を増やせるのではなかろうか。

実際、そこに思い至り、イベントを開いた自治体がある。茨城県つくば市だ。2019年3月21〜22日に開かれたのは「VANLIFE(バンライフ)」をテーマにした「つくばVAN泊2019」なるイベント。バンライフとはバンタイプの車で働き、暮らす人たちやライフスタイルのことである。

つくば市は「世界のあしたが見えるまち」を標榜しており、同イベントはこれからの生活、社会を考えるための実験の1つ。具体的に意図したのはズバリ、関係人口の増加。つくば市の人口はつくばエクスプレス沿線では増加しているが、広大な市内では人口減少、高齢化、少子化が進むエリアがある。そうしたエリアで関係人口を増やすためにはバンライフを送る人達に選ばれるまちという手があるのではないかという考えである。


現在の不動産の在り方への
アンチからバンライフを考えるアーティストも(写真:筆者撮影)


最近では住宅並みの性能、見た目重視のトレーラーハウスも(写真:筆者撮影)

イベントには実際にバンで暮らす「バンライファー」が多数集まった。たとえば、つくば市の担当者が1年前に出会い、イベント開催のきっかけになったという渡鳥ジョニー氏は2018年春から永田町のシェアオフィスの駐車場に置いたバンで暮らしている。離婚を機に10年ぶりに戻った東京で家賃の高さや、満員電車にうんざりし、人生に最低限必要なモノは何かを自問自答した結果、それほど多くはないことに気づき、以前から気になっていたバンでの暮らしを選択したという。

10年前と違い、都会ではさまざまなものをシェアする暮らしができる。オフィスやキッチンはシェアオフィスで、洗濯はランドリーサービスで、風呂はジムで、ネットはスマホ、電源はカフェでと考えると、自宅に必要な機能はさほど多くはない。コーヒー、音楽、上質なベッドがあればいいと割切れば中古のバンで十分なのである。

■6人乗りバンをDIYし、旅しながら暮らす

しかも、思いついたら好きな場所に移動することもできる。海を眺めながら、鳥のさえずりを聴きながら仕事することも、仕事帰りに温泉に寄ることもでき、眠くなったらそのまま寝てしまえばいい。書いていてうらやましくなる暮らし、働き方である。

渡鳥氏よりもさらに移動を常としてバンに暮らしている人たちもいる。2年前にトラベルオーディオアプリ「ON THE TRIP」というサービスを立ち上げた成瀬勇輝氏と志賀章人氏だ。観光地に滞在して取材するとなると宿泊費や交通費が高くつくが、バンをオフィス兼住宅にしてしまえば金銭的な問題が解決する。そこで6人乗りのバンをDIY、旅しながら仕事をし、暮らしているという。

1カ所での滞在は1〜2カ月というが、オフィス(!)の面白さに興味を持ち、取材した人たちをはじめ、地元の人たちがバンを訪ねてくることも多く、ホテル滞在時とは違う、深い付き合いになるという。これこそ、まさに関係人口増である。

先端の暮らしを実践する人たちの話を聞いていて思ったのは最近増えている二拠点居住、多拠点居住にバンライフを組み合わせれば関係人口増に加え、空き家などの地域の問題にも解決の糸口が見えるのではないかということだ。

例えば空き家問題については、1人が複数の家を使うという考え方がある。地方の家賃や、住宅価格が下がればほかの地域から「別宅」を求めてくるようになるかもしれないが、そこで問題になるのは移動にかかる費用と時間だ。


マイクロバスを改装。水をリサイクルして使う仕組みも導入(写真:筆者撮影)

あらゆる交通費をまとめて月額定額制にするなど大胆な施策があれば、人は移動するようになると思うが、それはあくまでも個人の妄想。行政がそんなことを考えるわけはないだろうから、現実的なのは車利用である。泊まれる車で仕事しながらなら長時間の移動も無駄にはならない。さらに自動運転が実現したら、寝ているうちに別宅に到着という日がくるかもしれない。

もちろん、問題も多数ある。不動産を所有するという経済的、精神的な負担からは自由になるものの、モノへの執着も同時に断ち切らなければバンライフは難しい。最近では断熱材をしっかり入れた一般の住宅以上の性能のあるモバイルハウスも出てきてはいるものの、それ以外では夏は暑く、冬は寒い。ソーラーパネル普及で電気はだいぶ、自由になったというが、まだまだバッテリーは高く、性能も十分ではないという声もある。

■オフィス、サウナ、スナックに使っている人も

さらに現時点ではどうしようもないのが水とトイレ。とくにトイレ問題は大きく、バンライファーに女性が少ないのはそのためだ。ポータブルトイレもあるが、狭い空間でのにおい、衛生面の問題を考えると現状の商品では無理がある。

研究機関の集まっているつくばである、一瞬にして排泄物が分解されて粉末になるような技術を開発してくれたりはしないだろうか。災害時にもトイレ問題が深刻であることを考えると、これは決して冗談ではない。バンライフを快適にする技術は災害時の避難生活を快適にする技術でもあるのだ。

また、1人でのバンライフは快適だとしても、それが2人になり、子ども連れになったときにどうするか。住民票や税金その他行政的な問題も多々あるはずで、すべてがすべてバラ色とは思わないが、バンライフに未来の暮らしの糸口があることは確かだ。そこに目をつけ、かつ1985年のつくば科学万博をもじったイベントを開いたつくば市の慧眼(けいがん)には参加者同様、敬意を表したいところである。

ちなみにイベントではバンをオフィス、サウナ、ライブ演奏の舞台、スナックなどとして使っている人が参加しており、ほかの場所では茶室を見たこともある。かくあるべしを取っ払ってしまえば、車は想像以上に自由で楽しく、社会を変える力にもなる。それが売れないというのはどうしたことか。自動車メーカー各社もつくばVAN泊に参加すべきではなかったかと思う。

http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/778.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c98

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義
日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義

日本人は、人間関係を壊してはいけないという刷り込みが強い 2013-01-04

日本で不文律のように言われていることがある。それは


「人間関係は維持しなければならない」

「どんな人間関係でも、それを壊すと自分が困る」


というものだ。日本人は農耕民族なので、協調性も非常に重要視されており、どうしようもない人間とも嫌々付き合わなければならないとも言われている。


「世の中、誰もが好きな人間とだけ付き合って生きていけるほど甘くない。ときには嫌な人間とも付き合わなければならないのだ。我慢しなければならない」


日本人は昔は「村」の人間関係から逃れられず、今は「職場」の人間関係から逃れられない。だから、自分の我を出すのは非常に嫌われ、子供の頃から「我慢」と


「孤独な人間には価値がない」


と徹底的に刷り込まれていく。日本人は、


「人間関係を壊してはいけない」


という刷り込みが、極度に強い社会なのだ。


金を失い、時間を失い、平常心も失ってしまう

嫌われたら「村八分」される。村八分されたら生きていけない。だから、日本人は仲間はずれにされたり、孤独にされるのを非常に恐れており、孤独にも恐怖を感じる人も多い。はた目から見ると、人間関係の強迫観念にとらわれているかのようにも見える。社会がそれを強制している。だから、日本人は、仲間はずれにされないように他人に合わせるようになり、主張することもできず、何でも流されるように受け入れてしまう。

夜の街、歓楽街、欲望の街、売春地帯では、これが致命傷になる。手練手管に長けた女性や、自由奔放でまったく他人のことを考えない女性に、とことん振り回されるのである。

相手に不満があっても、流されるように受け入れ、そのために、どんどん金を失い、時間を失い、平常心も失ってしまう。そうなってしまっても、相手を切れず、利用され、カモにされ、踏み台にされる。

怒ったり、たしなめると、


「本当はあなたを愛してる」

「次からはきちんとする」


と答えて反省するが、しばらく経つとまたもや同じことを繰り返す。こういった女性は、他の男とトラブルを起こし、社会的なルールを守らず、金銭トラブルを起こし続けるのである。それでも、切れずに、ずるずると付き合って行く。人間関係で、「流されている」典型的な例である。

売春地帯では、日本人が束になっても敵わないほど奸知に長けた恐ろしい女性もいて、セックスをエサに男を破滅させる光景を山ほど見る。売春地帯で男が飛び降り自殺したり、自棄になって女性を殺害したりする事件が多発している。時には最悪の事件を起こす男もいる。日本人に多いのは


「ずっと貢がされる」

「断り切れなくて金を毟られる」

「次々とタカられる」


というものである。


詐欺で逮捕されたタイ女性。外国人を手玉に取って騙すような女性は、どこにでもいる。


流される人間関係が致命傷になってしまう

フィリピンでも、タイでも、ずるずると金を毟り取られる一方の男が山ほどいて、すべて奪われたら大使館前に「捨てられる」ような男もいる。すべて毟り取られて乱射事件を起こす男もいる。

なぜ、そうなるまで関わってしまうのか。ここに、人間関係で我慢し、村八分を恐れ、人間関係を切ることができない日本人の「刷り込み」を見ることができる。日本社会が日本人に強要している「刷り込み」とは、


「我を殺して協調性を重視する」


ことと


「ノーと言って人間関係を壊してはいけない」


というものだ。日本人の多くは子供の頃からそれを「刷り込まれている」ので、まったく意識していないが、だから危険なのである。過度に協調性を意識すると、それを良いことに、ずるずると利用され、タカられ、毟り取られていく。

東南アジアで女性ひとりと知り合ったら、その女性の友人や家族や親戚が次から次へと出てきて、当たり前のように、毎日のようにタカられる。

日本人は、それに強烈な不満を感じても、決してそれを口に出さず、ただ耐えて耐えて耐え抜いて、タカられるがままになる。それに何とも思わないで溶け込める人間ならいいのだが、最後に爆発して事件を起こすのであれば、最初から人間関係は遠慮なく切り捨てるほうがいい。日本から一歩出ると、むしろ「人間関係の切り捨て」ができるようにならないと、どうしようもなくなってしまう。特に、アンダーグラウンドではそうだ。流される人間関係が致命傷になってしまうのである。


自分のためにならない人間関係は、容赦なく切る

裏社会(アンダーグラウンド)は、常に表社会とは、逆のルールが作用している。

愛は表社会では正しい感情。
愛は裏社会では間違った感情。

信じることは表社会では正しい感情。
信じることは裏社会では危険な感情。

疑うことは表社会では嫌悪されること。
疑うことは裏社会では重要なこと。

何もかもが、表社会と裏社会ではそっくりそのままひっくり返っていて、表社会のルールで裏社会を泳ぐと、たちまちのうちにカモにされてしまう。

特に日本人は、自分の我を出すのは非常に嫌われ、子供の頃から「我慢」と「孤独な人間には価値がない」と徹底的に刷り込まれているので、世界中どこでもカモだ。カモにされても、気がつかないほどだ。

そこから逃れるには、


自分のためにならない人間関係は「容赦なく切り捨てる」

「ノーと言う」

「付き合えないと言えるようにする」


べきなのである。あなたのためにならない人間関係は、長く生きていると必ず出てくる。単に、群れるための人間関係、流されてできてしまった人間関係、我慢しているだけの人間関係、自分をダメにしてしまう人間関係、破滅が目に見えるだけの人間関係……。

そんな人間関係を強いる人間が、必ずあなたの目の前に現れる。特に海外では「友達」を押し売りする男と、「愛」を押し売りする女が、高確率で現れる。そのときに、人間関係を切れるかどうかが命運を分ける。悲劇を避けるためには、一刻も早く、日本社会特有の「刷り込み」から脱して、「悪い人間関係を切る」経験を積まなければならない。

大切にしなければならない縁と、容赦なく切らなければならない縁を見極めて、切るべきものは早めに切るべきだ。


重荷になっている人間関係に囚われてはならない。日本社会特有の「刷り込み」から脱して、悪い人間関係を切る。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130105T0000060900.html

▲△▽▼

迷走する日本の「働き方改革」への処方箋 2019年4月3日
日本企業が「議論」を封殺する本当の理由
立花 聡(エリス・コンサルティング代表・法学博士)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15819


 議論や異議申し立てなく、上位者の意思・指示命令に従う代わりに、組織から守られ、定年までの雇用やキャリアが保障される。日本人サラリーマンの基本的な立場である。権威への服従・忖度は、「深く考えること」を排除する。「深く考えること」が排除されたところ、「議論」も問題視される。あらゆる前提を排除するゼロベース思考は、「もう1人の自分」から自己否定・現状否定される結果をもたらし得るため、事柄によってはタブーとなる。


 今回は、その「議論」をめぐって考察したい。

「議論」のタブー化

「深く考える」ことと「議論」は双子である。深く考えても、議論しなければ、企業経営には何ら意味もなさない。

「納得できない」「合点がいかない」「腑に落ちない」……。日本語の表現は実に多様である。英語の「disagree」は、「私はあなたの意見に同意しない、反対する」という「主体の客体に対する指向性」が非常に明確である。これに対して、日本語の表現はいずれも、客体指向がなく、自分の中で完結する「自己完結型」になっている。いくら納得できなくても、合点がいかなくても、腑に落ちなくても、それはあくまで自分の中の葛藤であり、相手の意思や行動に反対や阻止の意思を直接にぶつけるものではない。しかも、このような間接的な反対すら相手に表明しない(できない)のが日本人である。負の意思や感情を自分の中に抱え込む。

 日本人サラリーマンは一般的に、たとえ深く考えたとしても、会議などの場では本音をぶつけて議論することができない。議論を避けるために、根回しするわけだ。結局のところ、各方面の利害関係の調整になり、問題の本質に触れずに折衷案で折り合いをつけることが多い。

 そこから理不尽な結論が生まれても、腑に落ちないことがあっても、私的な場で愚痴をこぼしたり、酒場に持ち込むしかない。やけ酒を呷りながら、議論を展開し本音を仲間に打ち明け、似たような境遇にある者同士が傷の舐め合いをしたりする。

 私も外資企業に入社したばかりのときは、ロジックに長ける欧米系の外国人と議論したら、あっという間に撃沈されていた。彼たちは見事に三段論法を使いこなす。 普遍的な法則と個別の事実を挙げ、そこから結論を導き出すという演繹法には反論する余地がない。ただ面白いことに、議論はあくまでも議論であり、議論が終わると、連れ立ってパブに駆け込むことも珍しくない。日本人の場合、議論を仕掛けたら、すぐに攻撃と捉えられ対立が生まれる。

日本人には議論する力がないのか?

 一般論として、「日本人は議論が苦手だ」とよく言われる。理由としては、組織の協調を重んじる気質や自分の意見を述べるのが苦手な国民性が挙げられることが多い。この通説には概ね賛同だが、1つの疑問が残る。日本人は果たして技能レベルの議論力に欠けているのか。

 コンサルの現場で、非常に論理的な日本人経営幹部と議論を展開したことは一度や二度ではない。特に海外拠点の場合、現地の事情が日本国内と異なるため、阿吽の呼吸というわけにはいかない。明確な言葉や文書にする必要があり、議論が始まる。そこで抽出された要素や法則的な大前提とその企業の状況(個別の事実)を羅列し、演繹的に推論して結論を導き出す。その結論に双方が納得した時点で、提案も合意される。

 その過程を見ると、日本人だから論理的思考力が欠けているとか、そういうことは一切感じない。ときには現地コンサルタントの私よりも一歩二歩先行して結論を導き出す人もいる。ところが、そこから先で明暗が分かれる。現地拠点の改革案が日本本社に提出されると、必ずしも全数が通るとは限らない。本社の経営陣に否決される案件も一部出てくる。

「なぜ?」。現地法人の社長に聞くと、「本社の方針です」と一言。いや、むしろ、本社の方針に沿った提案をしたはずだ。アプローチが「日本的ではない」、それが却下の理由だという。アプローチは現地の状況を考慮したもので、それだけにしっかりと議論して双方が納得したではないか。もう一度本社に掛け合うことはできないのか。

「理屈は分かっていますが、すみません、今回の案件は本社、役員の意思で却下されています。これ以上の議論はもう勘弁してください。私も議論する立場にありません」。深々と頭を下げる現地法人の社長を見ると、私は胸が詰まる思いだ。

 議論する力がないわけではない。そもそも議論する権限を与えられていない、あるいは暗黙の圧力で議論の権限を自主規制せざるを得ないのだ。前例踏襲でない斬新な提案、あるいは「脱日本的な」提案であるが故に、本社から異端視され、議論にすら至らず潰された事案もあった。タテ型社会である日本の多くの組織は「議論」を受け入れる基盤を持ち合わせていないのである。

日本企業が議論を封殺する理由

 前例がないこと、あるいは日本的でないことを理由に制度改革の提案が否決され、しかもそれ以上の議論まで封印されたのはなぜだろうか。おそらく本社役員がリスクや「承認責任」を取りたくないからであろう。つまり、「前例がない、日本的でない」という理由は根拠が薄弱で到底議論に耐え得ない。議論を続けると、「承認責任回避」という真実が露呈してしまい、そこで問題の役員が芋づる式に出てくるので、都合が悪いわけだ。

 故に、日本企業では、このようなマズイ状況にならないために、最初から議論を封殺することが多い。

 今の日本は会社や組織だけでなく、社会においても、「対人型」(Who)でなく、「対事型」(What)の議論を理性的に展開できる土台が必要とされている。これが一種の無形社会インフラ、ソフトパワーとして定着すれば、日本はとても強い国になり、日本企業もとても強い企業になるだろう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15819


2019年3月27日
ゴーン被告報酬にサイン、日産・西川社長はなぜ「深く考えなかった」のか?
立花 聡(エリス・コンサルティング代表・法学博士)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15756

 日産前会長カルロス・ゴーン被告らが起訴された役員報酬過少記載事件で、同社の西川廣人社長が東京地検特捜部の調べに対し、有価証券報告書に記載されなかった報酬の支払い名目を記した文書にサインしたと認めていることが分かった。「ゴーン被告と(前代表取締役の)グレゴリー・ケリー被告との間で話ができていると思い、深く考えなかった」と話しており、改めて説明責任を問われそうだ。(2019年3月22日付け 共同通信)


「深く考えること」への恐怖感

「深く考えなかった」

 どこかで聞いたセリフだ。日大アメフト部の悪質タックル事件で、部員たちは声明文を発表した。そのなかで、監督やコーチに頼りきり、その指示に盲従する原因として、「深く考えることもなく信じた」と説明した。


 体育会系の若者ならまだしも、14万人の社員の頂点に立つ社長まで「深く考えなかった」とは、開いた口が塞がらない。西川社長に「論理思考力」が不足しているのか、それとも「深く考えようとしなかった」のか。いずれにしても社長としてあるべき姿ではなかった。その根底にあるのは、「深く考えること」への恐怖感なのかもしれない。

「深く考えること」とは、何か?

 哲学者ニーチェいわく「一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている」(フリードリヒ・ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』)

 つまり「深く考える」とは、自分の判断や行動を否定する「もう1人の自分」が存在すること、そしてその「もう1人の自分」とリアルな自分とが対話することを前提とする。言いかえれば、自己否定のできるもう1人の自分の存在が求められている。

 緻密に論理を積み上げていく力は、技術的な「論理思考力」である。これはどちらかというと「浅く考える力」にあたる思考の基礎、あるいは初歩的な段階である。一方、「深く考える力」とは、「考える自分を考える」という「もう1人の自分」を必要とし、認知バイアスや感情バイアスたる希望的観測を徹底的に排除し、あらゆる誤謬を是正する真の叡智を意味する。

 ここまでいうと、「深く考える力」をもつことがいかに難しいかと思われるかもしれないが、実はそうではない。

 実際は、誰にもその「もう1人の自分」が存在している。ただ、「もう1人の自分」は自分を否定するだけに、怖い存在になっている。故に、「もう1人の自分」から逃げ出そうとする自分、あるいは逃げ出している自分がいることに気付く。いや、逃げ出していることに気付きすらしないときもある。


権威への盲従のメカニズム

 仮説として、日大アメフト部の部員が、監督やコーチから何らかの形で悪質タックルを指示されたとしよう。彼は「もう1人の自分」から、「相手チームの選手に酷い怪我をさせるかもしれないし、最悪の場合、後遺症や死亡に至らせるかもしれない。そういう指示に従うな」と、指示に盲従しようとする自分が否定されるであろう。

 この「もう1人の自分」との格闘がいかに苦しいものか。そこから逃げ出すには、「深く考えること」を回避するのが最善の手段となる。これを日常的に繰り返すことで習慣となり、ついにその「逃げ出す行為」の存在にすら気付かなくなる。つまり、無意識に「深く考えること」をしなくなるのである。

 2018年4月4日、大相撲春巡業中の出来事。土俵の上で挨拶をしていた舞鶴市の多々見良三市長は突然その場に倒れた。複数の女性がとっさに駆け寄って応急処置に当たったところ、行司が場内アナウンスで「女性の方は土俵から下りてください」と繰り返し呼びかけた。

 大相撲では伝統的に女性が土俵に上がることを禁じているが、1秒を争う人命救助を前にして明らかにその価値判断は間違っている。「どんな伝統や規則よりも、人命救助を最優先せよ」という「もう1人の自分」がついに出てこなかったわけだ。「女性は土俵に上がるな」というアナウンスをする行司と、それを否定する「もう1人の自分」の戦いすらなく、本能的にリアルな自分が先行してしまったのかもしれない。

 その行司は世論に批判された。しかし、われわれ一人ひとりがいざその場に置かれた場合、「もう1人の自分」が出てくるのだろうか、そして自分に対する否定を瞬時に受け入れられたのだろうか、胸に手を当ててみたい。

 いざ問題が表面化すると、世論が動き出す。世論の参加者はほぼ全員事件に無関係な人たちであり、つまり世論そのものが外野の騒ぎにすぎない。自分に無関係である以上、外野の一人ひとりがみんな、当事者の「もう1人の自分」(正義の代弁者)になるのである。事件がすでに発生した(している)のだから、事後に現れた「もう1人の自分」は牽制役でなく、批判者に転じるわけだ。

 前述の通り、多くの日本人は、無意識に「深く考えること」をしなくなっている。上位者や規則、既存の権威に無条件に従い、環境に順応することが本能化してしまったのである。環境への順応はあらゆる生物の自己保存本能である以上、果たして批判の対象になり得るのだろうか。

 現状に対する批判は、ある意味で現状への変革願望を表わす。建設的な動きに持っていくには、特定事件の特定人物に対する批判や非難にとどまらず、その背後に隠されているメカニズムをえぐり出し、社会規模の構造改革に取り組まなければならない。ただ、いざ気がつけば批判者や改革者自身も、部分的であれ、現行体制の受益者だったりする。それでも改革者の一員になれるのか。三人称ではなく、一人称で既得利益にメスを入れると。

 本題の西川社長の話に戻ろう。


西川社長はなぜ「深く考えなかった」のか?

 西川社長も若い頃、日大のアメフト部員と同じような日常があったのではないかと推測する。そして「深く考える」こととの断絶が生まれ、知らないうちに深く考えなくなり、深く考える力も失われた。ゴーン被告とケリー被告との間で話ができているのだから、深く考える必要もなく、渡された書類にサインをしてしまった。

 もしその当時、西川社長が問題となる報酬について「深く考えた」なら、どうなっていたか。不審に思えた報酬について根掘り葉掘りゴーン氏やケリー氏に追及すべく、議論を持ちかけたに違いない。「ゴーンさん、ケリーさん、恐縮ですが、この報酬の詳細について説明をお願いします。なぜ、その報酬があるのですか。どういう根拠や基準で決めたのですか」と。

 なぜ、西川社長は議論を持ちかけることができなかったのか? その前に、議論を持ちかけたらどうなっていたかを考えてみたい。結果的に、西川社長の牽制により、不正の報酬計上も、有価証券報告書の記載漏れも避けられたかもしれない。日産自動車という会社は、不正行為による不利益や損害から守られたかもしれない。それはまさに西川社長の「もう1人の自分」の出番であり、本来、社長として為すべきことであった。

 だが、一方で西川社長はこのような議論を持ちかけることによって、ゴーン氏から睨みつけられたかもしれない。あるいは潜在的な対立が顕在化し、ゴーン氏との関係が一気に険悪化し、西川社長の個益には不利な展開になったかもしれない。そこに西川社長のリアルな自分があったと推察される。

 西川社長は「もう1人の自分」から「リアルな自分」を否定されないためにも、「深く考える」ことを避けるよりほかになかった。結果的に、彼は、「深く考えなかった」のだ。

 反対の仮説を見てみよう。西川社長がもし深く考え、「もう1人の自分」から「リアルな自分」を否定されても、ゴーン氏やケリー氏に異議を申し立て、堂々と議論を促していたら、どうなったのだろうか。

 役員会には議事録がある。西川社長が疑問や不審に思っていた事項を役員会のアジェンダに上げ、議論したところで、一部始終をすべて議事録に克明に記録したとすれば、状況は一変していただろう。仮に悪事を企んでいたゴーン氏であっても、やりたい放題できなくなったのではないか。ゴーン容疑者が独裁者で暴走していたとすれば、牽制役の不在が主因だったのではないだろうか。独裁者の暴走を許した西川社長には重責がある。その責任は経営上の責任か、あるいは法的責任か、これからの調査で明らかになっていくだろう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15756

2019年2月11日
観客席の悲劇、日大アメフト事件の本質をえぐる
他人事なのに一般市民はなぜ熱くなるのか?
立花 聡(エリス・コンサルティング代表・法学博士)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15322

 日大アメフトの悪質タックル事件は大変な局面を迎えた。警視庁が第三者委員会の報告書に相反する捜査結果を発表した。内田前監督と井上元コーチについては、試合映像の解析や関係者への聴取結果などから選手への悪質タックル指示は認められなかったと判断し、シロとした。他方では、タックルをしたA選手を傷害の疑いで書類送検するとした。


期待を裏切られたどんでん返し

 大方の日本人の予測に反する、いや、正確に言うと期待を裏切った結果になり、世論が騒然としている。

 正義の実現を期待し、法律や警察・司法がそのための装置であることを確信する一般の人々にとってはショックだった。いくら警察が丁寧に捜査したからといって、やはり受け入れ難い結果である。捜査が丁寧であればあるほど、ショックが大きい。私のフェイスブック上では「警察の捜査が不十分だ」と抗議する人もいる。完全に感情的になっている。

 こういった一般の人々だが、A選手や事件の被害者となった選手の家族でも関係者でもない。ただの第三者なのに、かくも熱くなって当事者たちよりも憤慨し、抗議し、あるいは警察を非難し、監督らの刑事責任の追及を求めようとする。それは、なぜであろう。

 まず、第三者委員会の関与の影響が大きかったことが原因の1つとして考えられる。仮に第三者委員会を設けず、最初から案件を警察に丸投げした場合、捜査結果に納得できなくても、ここまで怒りを爆発させることはなかっただろう。

 ある事物に対して人間は自分の判断に基づいて、「こうなるだろう」あるいは「こうなるべきだろう」と一定の期待をもつ。その期待は必ずしも確信の持てる期待ではない。ある意味で潜在的期待と言ってもよかろう。それが権威(一次権威)によって追認されると、確信の持てる期待に変わる。

 ところが後日、別の権威、しかも上位にあたる二次権威が正反対の結論を出す。するとすでに一次権威によって確信を得た期待がどん底に突き落とされる。このギャップは大きければ大きいほど、落ち込みと反発が強くなるわけだ。希望が失望、絶望、怒りへと変わっていく。

「不当判決」の旗は何を意味するか?

 なぜ、第三者委員会の調査が必要だったのか。

 第三者委員会とは、その名称で分かるように、直接の利害をもたない中立的な第三者によって構成される委員会のことである。では、「直接の利害をもたない中立的な第三者」たるものは存在し得るのか?神が存在すれば別だが、生身の人間では無理だ。

 第三者委員会の中立性に影響する要素は、設置元との利害関係や世論などいろいろある。たとえば、日大アメフト事件の場合、世論が強い影響を及ぼしていた。A選手が直接加害者だったにもかかわらず、あたかも被害者のように同情され、教唆事実の証明はそっちのけで、監督やコーチは最初から悪者の烙印を押されていた。

 結果的に事件調査を担当した第三者委員会は、当時の世論に流され、有罪バイアスがかかり、結論ありきの報告書を作成したところで、最終的にこのたび発表された警察の捜査結論によって覆された。報告書の中身も証拠より合理性偏重の推論が多く、推定無罪の原則に反していた。結局のところ、第三者委員会は中立的な第三者ではなくなり、第一者側、あるいは第二者側に立った市民裁判の装置になり下がったわけだ。

 裁判といえば、テレビのニュースにもよく見られる、判決が出た時に当事者(代理人)がダッシュしながら見せにくるあの定番の旗を想起する。正式には「判決等速報用手持幡」というものだ。勝訴の場合は「勝訴」あるいは「全面勝訴」となっているが、敗訴の場合は「敗訴」ではなく、「不当判決」と書かれた旗を見せるのだ。

 司法判決の結果に納得せず、我が方の正義たる主張を裁判所が無視したうえで出した判決は当然「不当判決」になる。ずいぶん昔のことだが、この光景を不思議に思った知り合いの欧米系外国人に聞かれたことがある。「日本人はとても法律やルールを守りますが、なぜ司法(判決)をリスペクトしないのか」

 一般市民が考えているいわゆる正義は道徳的なものであれ、あるいは経験や常識に基づく合理的な推論・判断であれ、いざ司法の場に持ち込まれるとそれが司法の正義に転換されない限り、期待されていた正義の実現はできない。したがって、「不当判決」の旗は期待された正義が司法に裏切られたという意思表示なのであろう。

 日大アメフト事件の場合、法的には、監督とコーチの2名を刑事事件に巻き込むには、関門が高すぎる。たとえ第三者委員会の報告に合わせて警察から捜査報告を出され、それで送検立件したとしても、難題を検察や裁判所に投げるだけで、司法資源の無駄遣いにほかならない。これをめぐる法律や司法実務の蘊蓄を語るには紙幅が足りず、ここでは割愛する。結果的に警察は監督とコーチをシロとし、容疑をA選手にかけたのであった。

 この事実を受け、内田氏らが第三者委員会や日大、マスコミを名誉毀損として提訴する可能性も出てくる。とにかく一言でいえば、第三者委員会のやり方は拙かった。世論に流されて良い結果にはならなかった。


他人事なのに、一般市民はなぜ熱くなるのか?

 事実は1つしかない。正確にいうと、真の事実は1つしかない。法律上の事実とは別物で、分かりやすくいえば、法律のルールに基づいて、裁判官が認める客観的証拠によって証明された事実である。要するに証拠がすべてだ。どんなに合理的な推論であっても、客観的証拠には勝てない。

 言いかえれば、クロを証明する証拠がなければ、すなわちシロである。この冷徹なルールは世間一般になかなか理解されない。というのは、一般の人々はその人生体験や固定概念、善悪を判断する普遍的倫理観・価値観を持ちあわせているからである。これらの要素はしばしば熱血的で、冷徹なルールを排斥するものである。

 一般の人々は熱血的なものをもっていると、中立的な第三者になり得ず、英語で「Pick a side」というが、第一者側か第二者側か、どちら側に付くかを選択することになる。とはいっても、本件は他人事であることに変わりない。こうした「疑似第三者」は、なぜ、無関係の他人であるはずのA選手を擁護し、監督らを非難することで興奮し、熱くなるのか。この問題に触れておきたい。

「感情移入」と「自己投影」の結果ではないかと私は思う。

 仮説として、もし、私、あるいは、あなたが日大のアメフト部員の1人だったら、監督から仮に反則のタックル行為を指示・命令された場合、きっぱりとそれを拒否できるのか、と主体を置き換えて自問したい。

 上司や会社の指示、その内容の如何を問わず、部下として忠実に行動に移し遂行する。これを美徳とする一方、指示された内容の不正義で服従の美徳を捨てられるかという問いである。

 2018年5月29日、日大アメフト部の部員たちは声明文を発表した。そのなかに、こんな一節がある。

「これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることもなく信じきっていました」

 ここ数年、日本企業の不祥事が続出している。その多くは、思考停止、権威に盲従することに起因している。本質的には日大アメフト事件と病巣を共有している。指示命令への絶対服従、ないし上意への忖度は、組織の構成員の存続条件や個人利益と化している。日大アメフト部員だけでなく、多くの一般会社員も同じ組織構造のなかに置かれている。

 自らの倫理観や価値観に照らして、これらに反する行動を不本意ながらもやってしまっている人、あるいは深く考えず本能的にやってしまっている人、このような人々はこの事件から、無意識的に、我が身と我が身を取り巻く組織環境を想起し、事件の当事者に自己投影し、感情移入してしまうのである。三人称(他称)の一人称(自称)化現象と言っても差支えない。

 しかしながら一方、このような組織や共同体を作り上げたのもまた日本人自身である。組織に守られるというもう1つの側面からいえば、構成員はその受益者でもある。二項対立の下で苦悩と葛藤を抱えながら、積み上げる欝憤を晴らすには、ソーシャルメディアほど都合のよい捌け口はほかにない。

 組織が抱える構造的諸問題は、個別構成員の力によっては到底解決できない。そこで、法や正義に希望を託す。しかし、最終的に期待を裏切られ、悲劇的な結末を見せつけられた。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15322


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今の私たちに求められているのは、対立に身を投じることだ

戦後の日本人は意識的にも無意識にも「友愛、理解、平和、協調」を外交の柱として、誰とも争わず、ひたすら相手を立てる外交だけをやってきた。

裏工作も不得手で、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家に騙されても大騒ぎすることもないし、ただ忍の一文字で耐えてきた。今の安倍政権もそうだ。

反日国家が何をしても我慢し、何を言われても言い返さず、相手に恫喝されたら一方的に謝り、相手に恐喝されたら金を出す。問題には事なかれ主義で対処し、対立を避け、衝突を先延ばしし、まったく相手の言いなりだった。

それで、どうなったのか。

結局、「日本人は叩けば叩くほど折れる」「日本人は言いがかりを付ければ金を出す」と中国・韓国・北朝鮮に見下されるだけで終わった。

さらに、これらの国々の工作員が日本に大量に潜り込んで、国内でも反日工作をしているのも見て見ぬフリをして、結局は日本の中枢をことごとく乗っ取られてしまった。

マスコミは言うに及ばず、政治界も、財界も、教育界も、すべて乗っ取られて、もう日本人は自分の国旗すらも掲げることができなくなってしまっているのだ。


「きれいごと」では渡っていけない世の中になった

もう我慢は終わりにしなければならない。日本人はやり方を変えなければならない。もう先延ばしも事なかれ主義も捨てて、あえて対立と衝突の嵐の中に身を投じなければならない。

そもそも、世の中は友愛や平和や協調みたいなもので成り立っているわけではない。どんなに目を背けても世界には暴力、陰謀、戦争、対立が蔓延している。

世の中は、対立によって成り立っているのだ。

学校でいくら「みんな仲良く平等で」と教えられても、社会に出た次の日には、競争社会に巻き込まれる。仲良くも平等も吹き飛んでいき、必死に生きなければならなくなる。競争の本質は、対立である。

世界に目を転じると、宗教問題で、歴史問題で、領土問題で、人種問題で、絶対に妥協できない対立が激しくぶつかり合っていて、血で血を洗うような事態が起きている。

これらのすべての問題は民族のアイデンティティに直結しているので、話し合いも成立しないし、譲り合いも成立しない。譲れば民族としての存続が不可能になるので、絶対に譲れないのである。

だから、民族の生存をかけて、暴力にも、陰謀にも、戦争にも訴えて相手に勝とうとする。現実にあちこちで民族対立が発生し、テロが起き、ミサイルが飛び交っているのだ。

グローバル社会に入ると、すべてが競争と対立になるので、日本もまた宗教問題・歴史問題・領土問題・人種問題のすべてで対立の渦の中に放り込まれていく。

要するに、これからは「きれいごと」を言っているだけでは渡っていけない世の中になったということだ。自分だけが「きれいごと」に終始していても、世の中がそれを許さなくなってきているのである。

グローバル化によって世界はつながったのだが、つながったというのは対立が生まれるということである。それが現実だ。


今まで日本人は、協調性を意識しすぎた

中国・韓国・北朝鮮は反日であり、日本に向けて憎悪を剥き出しにしているのだから、日本が激しい対立に巻き込まれているのは当然のことだ。

すでに、歴史問題・領土問題で中国・韓国との闘争に巻き込まれているが、今までのように弱腰外交をしていると、日本民族そのものの信頼も信用も失墜してしまう。

日本も、日本人としての主張を「押し通す」必要が生まれてきている。今までの理解・平和・協調から脱して、いよいよ闘争本能に目覚めなければならないのである。

歴史問題は、何も言わないと相手の都合の良い主張が世界の歴史になる。

韓国は自分たちの都合の良いように歴史を改変して日本を責めるが、これは日本が対立の道を選ばなかったから嘘をエスカレートさせているのである。

領土問題は妥協していると次々と土地を奪われていくことになる。今は尖閣諸島や竹島の問題だけだが、やがては対馬も沖縄も九州もことごとく奪われていく。

妥協したら奪われる。当たり前のことだ。

だから、民族の存続をかけて、きれいごとから去らなければならなくなっている。

今まで日本人は、協調性を意識しすぎた。

批判することを恐れ、主張することを恐れ、復讐することを恐れ、バッシングされることを恐れ、関係が壊れることを恐れてきた。

だから、逆に日本人が立ち上がるためには、この恐れをすべて捨てて、脱皮しなければならないということになる。どうするのか。

反日の人間を激しく批判することを恐れない。反日の人間に対してこちらの主張を押し通すことを恐れない。反日の人間に復讐するのを恐れない。反日の人間からの批判やバッシングを恐れない。反日の人間との修復不可能な敵対・対立を恐れない。

こうした動きに転換しなければならないのである。


日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく

日本人は何事も徹底する癖がある。戦後から今までの日本は、あまりにも優しくなること、諸外国に配慮すること、対立を避けることに徹底しすぎた。

普通の民族は何事にもほどほどで止まるのだが、日本人は「平和優先」と決めたら徹底的なまでに平和優先になっていき、あまりにそれが行き過ぎる。

そして、良かれと思って徹底した「平和至上主義」が、今や日本の主権そのものが脅かされるところにまで到達している。

民進党や共産党の売国政治家や「ゴミ」と称される朝日新聞のようなマスコミに至っては、日本人よりも諸外国の人権の方が大事だと言うところにまで飛んでいった。

そんな「平和至上主義」が蔓延していつまでも対立も恐れて何もしないから、信頼が失墜し、諸外国から嘲笑され、愚弄されるような立場になってしまったのだ。

そうであるならば、いよいよ日本人全員が意識を変えなければならない日が来ているということだ。

日本人は誰かに批判されたり、罵られたりする状況に慣れていない。そういった対立を非常に恐れている。しかし、今の日本人に求められているのは、「対立できること」なのである。

日本人として、国内外の「反日の人間」と対立することを恐れてはならない。

対立できるというのは、反日の人間に自分自身も激しく批判されるのも辞さず、それでも自分の主張を押し通すことを恐れないということだ。

反日国家は、執拗で陰湿で汚らわしい批判やバッシングを、個人に向けて次々と仕掛けていく。そのような状況になっても一歩も引かないということだ。

歴史をみれば、侵略や破壊活動を仕掛けられて消えた国など山ほどある。対立に負けて、消された民族も山ほどある。それが世の中の必然だ。日本も例外ではない。

今後も日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人も変わらなければならないのは議論の余地もない。

今の私たちに求められているのは、対立に身を投じることだ。反日の人間に好かれる必要はまったくない。日本が大事だと思うのであれば、反日の人間と激しく敵対して当然だ。

敵対していないというのであれば、逆に日本を大事に思う気持ちが足りていないということでもある。

日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人も変わらなければならないのは議論の余地もない。
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世の中では何をしても嫌われる、世の中の人間の 9割 はどうしようもないアホ

「誰にも嫌われないこと」を重視して生きるのは危険なこと


アメリカ人はイスラム教徒に嫌われる。イスラム教徒はキリスト教徒に嫌われる。キリスト教徒は共産主義者に嫌われる。共産主義者は資本主義者に嫌われる。富裕層は貧困層に嫌われる。貧困層は富裕層に嫌われる。

テロリストは全世界に嫌われる。しかし、助けに来たアメリカ軍は、他国に介入したとして嫌われる。

軍人は平和主義者に殺人鬼と罵られて嫌われる。平和主義者は夢想家だと言われて現実主義者に嫌われる。現実主義者は宗教心がないと宗教家から嫌われる。保守派は左翼に嫌われる。愛国者はグローバリストに嫌われる。

ありとあらゆる国で、国民は隣の国の人間を嫌う。国民は国民で、何重にも割れて互いに相手を嫌い合う。考えてみれば、なかなか悲惨な世界だが、これが人間社会の実態でもある。

つまり、私たちは何をどうしても、他人に嫌われる運命にある。ただ道ばたに立っているだけでも嫌われてしまう。どんな生き方をしても、何を言っても言わなくても、他人に嫌われない生き方はない。

私たちは存在してるだけで誰かに一方的に嫌われる。どんなに品行方正であっても、どんなに愛すべき存在であっても無駄だ。この世で嫌われない人間はどこにもいない。


この世の中は、何もしても嫌われるのが現実だ

嫌われないことを考えて生きるのは立派に見える。しかし、それは基本的に報われることはない。誰にも嫌われないで生きるのは不可能だからだ。

別に無理して嫌われる必要はないが、何をしても嫌われるのが現実なのだから、そんなものを重視して生きると100%失敗してしまう。

他人に媚びても、結果的には何も得られない。媚びることが嫌われるからだ。他人に同調しても、それが自分の本意でないのであれば自分で自分を壊してしまう。

嫌われたくないために他人に謝罪なんかしてしまうと、足元を見られて「もっと謝罪しろ、賠償しろ、誠意を見せろ」と恐喝されることもある。

誰でも人間関係を円滑にしたいと思う。しかし、嫌われたくないと思うが故に自分が折れると、自分の立場を悪くするだけである。自分で自分の首を絞めることになる。

何らかの意見を言えば必ず嫌われる。どんな意見でも、その意見と対立する意見が必ずあるからだ。逆に意見を持たなければ持たないで嫌われる。意見を持たない人間は愚かだと思われ、愚かな人間は本能的に嫌われるからだ。

立場を築くと必ず嫌われる。どんな立場でも、その立場を嫌っている人が必ずいるからだ。立場を築かない人も嫌われる。立場も築けないほど実力のない人間だと思われるからだ。

若いと若いがゆえに嫌われる。歳を取れば歳であるがゆえに嫌われる。男であれば男だから嫌われる。女であれば女だから嫌われる。

目立つと目立つというだけで嫌われる。嫌われないように目立たない生き方をしても、その生き方自体が姑息だと言われて嫌われる。

何をしても嫌われるのだ。そんな社会で私たちが生きるためには、誰もが最後に同じところへ落ち着いていく。

それは「嫌われることを恐れない」ということだ。


何をどう言っても、他人に理解されないのが現実

「嫌われることを恐れない」と言っても、誰かの悪口や罵詈雑言を恐れずに言い回ってもいいというわけではない。わざわざ他人に嫌われることを進んでする必要はない。

私たちは自分が心地良く生きるために、ある程度の常識や良識を持って生きなければならない。

しかし常識や良識を持って生きたとしても、嫌われることは最初から受け入れておく必要がある。どんなに常識や良識を持っても、それを持っているが故に嫌われるのだ。

分かってもらおうと思ってはいけない。徒労に終わる。相手は説得されることを望んでいないからだ。理解してくれる人もいるかもしれないが、理解してくれない人もいる。

理解してくれない人は、それがいかに理路整然とした正論であっても絶対に耳を傾けない。

なぜ分かってくれないのかと、隔靴掻痒の気持ちになることもあるかもしれない。しかし、世の中は何をどうやっても交われない人間が存在するのは誰も否定できない事実だ。

自分とはまったく逆の世界観を持つ人も多い。同じ人間であっても、同じ言葉を話していても、そこに横たわる溝は限りなく深い。

だから、自分を嫌い、何を言っても理解してくれない人がいるからと言って、落ち込む必要もなければ激怒する必要もない。

また、そういった人たちにひどく嫌われているからと言って、それを気に病む必要もない。媚びる必要もなければ、理解してもらう必要もない。

大人になればなるほど、意見を持てば持つほど、地位が上がれば上がるほど、有名になればなるほど、反対するために反対している人たちと山ほど遭遇することになる。

つまり、私たちは何をやっても批判され、何を言っても反対され、行いや生き方や主張が正しくても必ず反対者に嫌われるということだ。


嫌われるということ自体は、誰もが経験すること

「誰にも嫌われないこと」を重視して生きるのが危険なのは、それが確実に失敗するのが分かっているからだ。

嫌われる度合いは発言内容な信条や性格によって違う。しかし、どんな性格でも、どんな発言でも、誰かに嫌われることだけは間違いない。

だから、嫌われること自体は別に気にする必要はない。

職場でも、家庭でも、友人関係の中でも、世間の中でも、自分を嫌う人は必ず生まれ、自分の敵が必ず生まれる。私たちはそれに慣れなければならないのだ。

現代のような高度情報化時代になると、多くの人がインターネットで自分を嫌う人を発見することも多い。自分が「受け付けない」と思う人を発見すると同じく、相手もこちらを「受け付けない」と考える。

しかし、それほど気に病む必要はない。それは個人的な問題のように見えるが、本当のことを言えば誰もが経験する普遍的な問題であるからだ。

嫌われるということ自体は誰もが経験することであり、個人的な経験ではないのだ。

気持ちが収まらないかもしれない。潔癖な人であればあるほど、自分が誤解されたり、嫌われたりすることに苦悩する。人間関係の悩みで自殺する人もいれば鬱病になる人もいる。それほど苦しみ抜いたということなのだ。

しかし、マザー・テレサのような聖女さえも批判の対象になるのだから、聖人でも何でもない私たちが、誰かの怒りを買わない方がむしろどうかしている。

だから、誰かに嫌われて気に病むのは無駄だ。私たちが生きている世界は、誰かが誰かを嫌い、批判し、嫌悪し、恨み、排斥し、衝突する世界なのだ。それが現実だ。

そうであれば、逆にこうした世界に早く慣れておく必要がある。特に日本人であれば尚更だ。なぜなら、日本人は日本人であるというだけで、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家の人間に嫌われるからである。

嫌われて何か問題でもあるのだろうか。何もない。相手を嫌うことに問題はあるのだろうか。何もない。相手と断絶することに問題はあるのだろうか。もちろん、何もない。

全般的に、蛇は嫌われる。中には蛇を愛する人がいて、この生き物がいかに愛すべき存在なのかを主張したとしても、やはり多くの人は蛇を嫌う。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180115T1809470900.html  


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価値感を共有しない国家、集団、人間と分かり合えると思ったら大間違いだ

2017年3月に入って、中国が事実上の制裁を韓国に課すようになっている。なぜか。韓国が高高度ミサイル防衛システム「THAAD(サード)」を配備しようとしているからだ。

これはミサイル攻撃に対する防衛システムなのだが、これが配備されると北朝鮮のミサイルどころか中国のミサイルまでもが防衛されることになる。

中国は以前より韓国にTHAADミサイルの配備は絶対に認めないと通告していたのだが、韓国はアメリカには早く配備しろと命令されていた。

結局、コウモリ外交のツケで板挟みになった韓国は、アメリカの命令の方に従うことに決めたのだが、それは中国を蹴ることでもあった。だから、中国は激怒して韓国を追い込んでいるのである。

中国のやり方は傲慢だが、日本は韓国に対する扱いはこの中国に学ぶ必要がある。韓国のような、すぐに裏切り、約束を守らず、価値感を共有しない国家は、中国のように有無を言わさない「制裁」や「報復」によって関係を断ち切らないといけないのである。

韓国は反日を繰り広げている。あちこちに「嫌がらせ像」を立てて日本を嘲笑している。このように価値感を共有しない韓国に対しては、日本こそが中国のように報復で返さなければならないのである。岸田文雄外相はすぐにそれをすべきだ。


「価値観を共有しない」とは、このようなことだ

価値感を共有しない国家、集団、人間と分かり合えると思ったら大間違いだ。絶対にそれはない。結果的には関係はうまくいかない。無理に一緒になっても、常に同床異夢であり、呉越同舟である。

この事実を認識するのは重要だ。

人間関係の軋轢や問題は、そのほとんどが「価値観を共有するかしないか」だ。相手が同じ価値観を持っていないと、どんなに長い時間一緒にいても必ず破綻が待っている。

自分の譲れない部分で価値観を共有していないと、一緒にいられない。個人でも、グループでも、民族でも、国家でも、重要な部分で価値観が共有されいないと必ず関係は壊れる。

「価値観を共有しない」とは、具体的にどのようなケースが考えられるのか。日本人の一般的な性格を元に考えれば、いくつもの例が挙げられる。

たとえば、日本人は自立心が高い。生活でも経済問題でも、その多くは他人に迷惑をかけず、自分で何とかしようと努力するし、困難にも耐える人が多い。

そうすると、依存心が強く、何でもかんでも他人を利用しようと考える民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は黙々と「すべきこと」をする。他人がどうであれ、自分のやることはしっかりとやる人が多い。ある意味、これも自立心の高さから生まれている。

そうすると、すべきことをせず他人に期待し、裏切られると恨んだり非難するような民族とは「価値観を共有しない」と言える。日本人には合わないのだ。

日本人は、それぞれ他人には他人の考え方があることを理解する。他人と意見が違ったり、思想が違ったりしても、できる限り相手を許容する人が多い。

そうすると、相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思って頭ごなしに批判してくるような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、すぐに目の見えるような成果がでないことでも、長い目で取り組み、少しずつ効果を生み出せるように努力する。他人が見ていなくても責任を持って取り組む人が多い。

そうすると、すぐ目に見える成果をあげようと行動し、効果が出ないと分かると、さっさと見捨てて顧みないような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、見栄や虚栄心よりも身の丈に合った生活や考え方を好む。うわべを飾り、外観を取り繕い、他人に良く思われようと過剰な努力をしたところで、内面が伴っていないと意味がないと考える人が多い。

そうすると、整形手術でも嘘でも詐欺でも騙しでも何でもいいからうわべだけを飾ろうとするような民族とは「価値観を共有しない」と言える。


日本と「価値観を共有しない」民族が存在する

日本人は、個人的な約束から公的な約束まで、たとえ自分が損をかぶることになっても、責任を持とうとする人が多い。いったん約束したことはきちんと果たそうと考える。

そうすると、自分の都合によって約束を守らなかったり、前に言ったことを翻したり、約束などした覚えはないと言い張るような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、物事を徹底して取り組み、綿密さや正確さをできる限り保障しようとする人が多い。また、そうやって物事に取り組むことに誇りを感じている。

そうすると、物事には適当に取り組み、問題が出たら責任を他者に押しつけ、それでいて最初は「何でもできる」と根拠もなく言うような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、信頼されることや信用されることをモットーとして取り組み、そのために地道な努力をする人が多い。信頼を得るには長い時間がかかる。しかし、その時間は無駄だとは思わない。

そうすると、金のためなら、嘘でも裏切りでも詐欺でもゆすりたかりでも何でもするような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、事実関係が間違っていると謝罪し、同じ間違いが起きないように物事を改善しようと考える人が多い。自分の感情よりも、事実を優先する。

そうすると、都合が悪くなると泣き叫び、ごまかし、逆切れし、被害者を装ったりするような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、他人に対する思いやりや、恩義を忘れない。また、思いやりには思いやりを返し、恩義には報いようと努力しようとする人が多い。

そうすると、思いやりを見せる相手は弱い人間だと考えたり、恩を受けたことをなかったことにし、恩を仇で返すような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。


関係を断たなければ、問題はますます深刻になる

もちろん、個人間や民族間で、すべての価値観が完全に一致しているというのはあり得ない。

人間はひとりひとり違っており、民族もそれぞれ違っている。文化も違えば、人種も違えば、宗教も習慣も何もかも違う。だから、完全一致を目指すとすべてがうまくいかなくなる。

しかし、根本的な部分で、ある程度の価値観の共有が為されていないと、最初からうまくいかないというのも事実である。

あまりにも価値観が違っていると、どこかで妥協したとしても、他のほとんどの部分が対立してしまって、次から次へと問題が発生していく。

無理に一緒になっても、関係は必ず破綻してしまう。ただ破綻するだけではない。互いに最も不幸な形で関係が破綻するのである。常に同床異夢であり、呉越同舟というのは、そういう意味だ。

したがって、「価値観を共有していない」「今後も共有できる見込みがない」と分かれば、互いに深入りすべきではなく、関係は断絶するか、もしくは必要最小限の関わりにとどめておくしかない。

「価値観を共有していない」というのは、共に生きるのに適していないということだ。生きている世界が違っているのだ。その上、相手が憎悪を向けてくるのであれば、関係は断絶すべきであり、関わるべきではない。

「誰とでも仲良く」というのは幼稚園か小学生低学年の標語であり、それは現実的ではない。うまくいかない関係は、いずれ壊れる。悪化する可能性のあるものは、いずれ悪化する。

日本は八方美人になってあちこちに良い顔をしても仕方がない。「価値観を共有していない」と悟った国とは関係を断たなければ、問題はますます深刻になっていく。

価値観を共有していない相手とは戦略敵に関係を断つというのは、問題を複雑化させないために、とても大切なことだ。

今後、韓国のように価値観を共有していない相手と関係を断てるかどうかで日本の命運が決まる。

日本は、韓国の反日で凄まじく迷惑を受けている。民族の尊厳を貶されていると言っても過言ではない。それならば、なぜ政治家は躊躇しているのか。日本も中国を見習って、さっさと韓国に報復すべきなのだ。

そして、最終的には韓国と一切の関係を断つべきだ。国交断絶と非韓三原則こそが、正しい韓国との付き合い方である。


最終的には韓国と一切の関係を断つべきだ。価値感を共有しない国に遠慮は要らない。国交断絶と非韓三原則こそが、正しい韓国との付き合い方である。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/05/20150527T1321560900.html


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反日国家との関係はマネージなどできないので断交が正しい

「一見、良いことを言っているように見えて、実は裏には別の意図がある」というのは、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家が常に使う手口である。

たとえば、「平和を守れ、平和は素晴らしい」というのは、とても美しい言葉だ。人は誰でも平和でいたいし、協調したいと思っている。誰も他人と衝突しながら生きたくない。

しかし、それを反日国家が日本に強要したとしたらどうだろうか。日本の防衛力をゼロにするために「平和を守れ」と諭しているのだから、言うがままに反日国家を信じていると、あっさりと侵略される。

「平和を守る」というのは美しい言葉であり、理想だ。しかし、現実には暴力国家・独裁国家・詐欺国家が日本のまわりに存在するのだから、きれい事など聞いている場合ではない。

反日国家が、あの手この手で日本を侵略しようとするのが現実社会のリアルな姿なのである。

日本の侵略にはいろいろあるのだが、その中のひとつの大きな手法が捏造ファンタジーの歴史プロパガンダを日本に押しつけて「謝罪しろ、賠償しろ、金を出せ」と恫喝したり、「平和を守れ」と叫んで武装解除させる方法だ。

日本はやりたい放題されている。


建前の美しい言葉は、警戒心を解くための手口

「信じ合うのは美しい」というのは間違いない。しかし、簡単に中国・韓国・北朝鮮のような国を信じてしまったら、日本は騙されて終わりだ。

韓国を見ればいい。国と国の約束すら守れない史上最悪の詐欺国家である。

だから、普通の常識を持った日本人であれば、他国を信じたいと思っても、それは「お花畑の理想論だ」と一定の警戒心を持って生きている。

この「警戒心」こそが反日国家にとって、最も邪魔なものだ。だから、反日国家はこのように言う。

「友好関係は美しいのに、日本人は他人を疑って生きている。間違っている。我々を信じなさい」

そうやって彼らは自分を信じさせて、守りもしない合意を結んで金を毟り取っていく。現に、日本は日韓合意で10億円を毟られて合意も反故にされている。

韓国の方は国内で好き放題しているのに、「友好関係は美しい。協力し合うべきだ」と都合の良い建前や理想を日本に押しつけているのは日本をカモにするための手法でしかない。

悪人ほど美辞麗句や理想を語りたがる。その理由は明らかだ。それは、要するに相手から「疑う心」を奪い取るためのテクニックなのである。

どこかのインチキ宗教の教祖も、美辞麗句を語って自分を信じさせている。もちろんそうやって自分を信じさせて、信者の財産を根こそぎ奪うためだ。

建前や美辞麗句を押しつける人間というのは、本当のところを言えば、非常に危険なタイプの人間であることも多い。

問題は、日本人はこの手の手法に弱いということだ。

日本政府も、中国・韓国・北朝鮮から「友好しろ」と押しつけられると友好し、「友好のためには謝罪しろ」と迫られると謝罪し、「謝罪するなら賠償しろ」と凄まれて賠償してきた。

日本政府がそうなら、日本人個人もまた「きれい事」に弱い。赤ん坊の手をひねるように簡単に騙される。日本人は友好を好み、弱者を守りたいという美しい気質があるので、そこを見透かされている。


自分が弱者になりすまして「弱者を守れ」と叫ぶ

生活保護にしてもそうだ。やむにやまれぬ事情で生活が困窮して生活保護を受けている人もいる反面、わざと働かないで生活保護を不正受給をするクズのような人間もいる。

本当に困った人にとって、生活保護は一縷の望みであるにも関わらず、それを不正受給する一部のクズのために生活保護というシステムは崩壊の危機に瀕している。

こうした生活保護に寄生する悪人どもは、自分が弱者になりすまして「弱者を守れ」と叫ぶ。

よくよく考えれば、本当の弱者というのは、自分が弱者であることを恥じてそれを隠そうとする。間違えても「自分は社会的弱者だが、世間は自分を守れ」と叫ばない。

そんなことを叫んで社会運動している暇があるのなら、一日でも早く仕事を見つけてまっとうに暮らせるように努力する。あるいは、心情的に、世間に迷惑をかけないように慎ましく目立たないようにする。

しかし、弱者を装ってタカリをする人間は逆だ。

「弱者を守れ」と声高に叫び、「弱者の人権を保護しろ」と役所の職員を恐喝し、もっと金をよこせと声を荒げて要求する。弱者という立場にあぐらをかいて、「保護しないのは差別だ」とわめいて、上から目線で高飛車に金を要求する。

「弱者を守る」というのは、当たり前のことであり、これは誰も否定することができない。だから、弱者を装っている悪人は、ことさらに建前や理想を他人に語って金を奪い取る。

「人を信じろ」「弱者を守れ」という正論は、悪人の手にかかるとそれ事態が相手から金を毟るための「ワナ」となる。それは、正論を無理やり相手に押しつけて、自分の都合の良いように相手を動かす手法に過ぎない。

宗教ビジネス、弱者ビジネス、人権ビジネスというのは、こうした「理想の押しつけ」「善意の押しつけ」によって成り立っている。

それを国単位でやっているのは韓国である。この国はありとあらゆる問題にケチをつけて自分が被害者だと言い張り、事あるごとに「謝罪しろ、賠償しろ」とわめき、合意を結んでも平気で破る。


悪人が善人に見え、善人が悪人に見える理由

「友好関係は美しい」という人と、「騙されるな。友好関係は破棄しろ」という人がいたら、どうしても「友好関係は美しい」というメッセージを発した人の方に好感が集まる。

「友好関係は美しい」と言っている人は、一見すると悪人に見えない。

悪人どころか善人のように見える。たとえ、友好関係を結んでから「友好を壊したくなければ謝罪しろ、賠償しろ」という邪悪な魂胆があったとしても人格者に見える。

逆に「騙されるな。友好関係は破棄しろ」と言っている人は、邪悪で心が狭い人のように見える。

たとえ反日国家の友好に裏があると分かっていて、日本を守りたいと思うがゆえの発言であっても、そのメッセージからはどうしても偏狭な悪人のような印象に見える。

悪人の方が善人に見えてしまうというのは、別に不思議なことではない。悪人は信用されなければ商売にならないから、必要以上に信用されるために外見を飾り、言葉を飾るからだ。

たとえそれが嘘でも、そのように振る舞っていれば人々が騙されることを悪人は知っている。

だから内面が真っ黒な人間ほど、外見を飾って飾って飾りまくる。美辞麗句を語り、善意を声高に要求する。そんな人間こそが危険なのである。

もう日本人は分かったはずだ。

「平和を守れ」も「友好関係は美しい」も、邪悪な人間や国家が言うと、そこには裏があるのだ。「騙した方と騙された方では、騙される方が悪い」とうそぶく国民や国家が美辞麗句を言うのはワナなのである。

美辞麗句に騙されてはならない。

中国・韓国・北朝鮮は反日国家であり、すでに日本の敵国と化している。歴史は捏造し、何の約束も守らない。ただ、日本を責め立て、日本を貶め、日本を崩壊させようとしている。

特に韓国は許せないほど卑劣だ。そうであれば、日本人はもう韓国と関わるべきではないというのは誰でも分かる。反日国家との関係はマネージなどできない。

相手にして騙されるくらいなら、完全に関係を断ち切ってしまうのが正しい。そして、それは政府だけに突きつけるのではなく、日本人ひとりひとりが肝に銘じるべきなのだ。個人も「非韓三原則」をすべきなのである。


相手にして騙されるくらいなら、完全に関係を断ち切ってしまうのが正しい。そして、それは政府だけに突きつけるのではなく、日本人ひとりひとりが肝に銘じるべきなのだ。個人も「非韓三原則」をすべきなのである。
http://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171229T1755460900.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
1. 中川隆[-10996] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:41:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1030]

憲法について - 内田樹の研究室 2019-03-31
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

 2018年の5月に日仏会館で憲法についての講演を行った。

 護憲派はなぜ「弱い」のかという問題について考察した。この日は憲法学の泰斗である樋口陽一先生も客席にいて、ずいぶん緊張した。さいわい、講演後の打ち上げでビールを酌み交わしながら、「おもしろいお話でした」と言って頂いて、ほっとした。


 今晩は。ご紹介いただきました内田です。

 錚々たる憲法学者の方たちが例年憲法講演会をされているところで、私のような何の専門家かわからない人間が登壇するというのは、まことに申し訳ないことです。

 時々改めて「あなた、何の専門家なの」って訊かれると、いつも返答に窮します。専門がないんです。いろんな分野に手を出して、いろいろな論点について一知半解のコメントをしているだけなので、ちょっと専門家に突っこまれると、すぐにしどろもどろになってしまう。

 でも、せっかく手を拡げている以上、どのトピックについても「その分野の専門家が誰も言っていそうもないことを言う」ということを原則にしています。他の人がすでに言っていること、その領域では「常識」として共有されていることを僕が繰り返しても意味がありませんから。せっかく発言の機会を頂いたら、どんな分野のことでも、「まだ誰も仰っていないこと」を言う。そういう方針でおります。

 ですから、憲法についても、「誰も言わないこと」を選択的に語ってきたのですけれども、最近は同じような意見を言って下さる方がだんだん増えてきました。僕が言わなくても言ってくださるのでしたら、わざわざ僕が出てくる必要はありません。白井聡さんなんかの書かれたものを読んでいると、「そう、その通りだ」と膝を叩いてしまいます。僕よりもはるかに見事に現状を分析しているので、こういう仕事はそういうできる人に任せて、僕はもっと違う分野に移動する時期かなとも思っております。それでもまだ僕や白井さんのような立場は圧倒的に少数意見ですので、当面は共同戦線を張って戦ってゆくつもりでいます。

 僕が憲法に関して言いたいことはたいへんシンプルです。それは現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということです。だから、この空語を充たさなければいけない、ということです。

 日本国憲の掲げたさまざまな理想は単なる概念です。「絵に描いた餅」です。この空疎な概念を、日本国民であるわれわれが「受肉」させ、生命を吹き込んでゆく、そういう働きかけをしていかなければいけないということです。

 憲法は書かれたらそれで完成するものではありません。憲法を完成させるのは、国民の長期にわたる、エンドレスの努力です。そして、その努力が十分でなかったために、日本国憲法はまだ「受肉」していると呼ぶにはほど遠い。というのが僕の考えです。

 もう一つ長期的な国民的課題があります。それは国家主権の回復ということです。

 日本はアメリカの属国であって国家主権を持っていない。その国家主権を回復するというのはわれわれの喫緊の国家目標です。これはおそらく百年がかりの事業となるでしょう。これもまた日本国民が引き受けなければならない重い課題です。
そして、国家主権の回復という国民的事業を一歩ずつでも前に進めるためには、「日本国民は今のところ完全な国家主権を持っていない」という痛ましい事実を認めるところから始めなければいけません。

 日本はアメリカの属国です。安全保障であれ、エネルギーであれ、食糧であれ、重要な国家戦略についてわれわれは自己決定権を有していない。この事実をまず国民的に認識するところから始めなければいけません。けれども、現在の政権を含めて、日本のエスタブリッシュメントはそれを認めていない。日本はすでに完全な国家主権を有しているという「嘘」を信じているか、信じているふりをしている。すでに国家主権を有しているなら、アメリカの属国身分から脱却するための努力の必要性そのものが否定される。この重篤な病から日本人が目覚めるまで、どれくらいの時間が要るのか、僕には予測できません。恐ろしく長い時間がかかることは間違いありません。
 
 最初に「憲法は空語である」という考え方について、少しご説明を申し上げておきます。

 憲法集会では、いろいろな団体に呼ばれます。もちろん、呼んでくれるのはどこも護憲派の方たちです。今日はちょっと違うようですが、護憲派の集会へ行くと、客席の年齢層が高いんです。ほとんどがお年寄りです。平均年齢はたぶん七十歳くらい。若い人はまず見かけることがありません。日頃から、駅頭でビラを撒いているの方たちもそうです。地域の市民たちが文字通り「老骨に鞭打つ」という感じで情宣活動をしたり、護憲派集会の会場設営の力仕事をされている。若い人が来ないんです。どうしてこんな老人ばっかりなんだろう。どうして日本の護憲派の運動は若い人に広がらないのか。

 それはどうやら、若い人たちはむしろ改憲派の言説の方にある種のリアリティーを感じているかららしい。改憲派の言葉の方に生々しさを感じる。そして、護憲派の言説は「空疎」だという印象を持っている。どうして護憲派の言説にはリアリティーがないのか。

 僕は1950年生まれです。僕にとって日本国憲法はリアルです。それを「空疎」だと思ったことがない。憲法は僕にとって山や海のような自然物と同じようなものだからです。生まれた時からそこにあった。良いも悪いもありません。自然物についてその良否を語らないのと同じです。「憲法を護ろう」というのは、僕たちの世代にとっては、当たり前のことなわけです。それは「大気を守ろう」とか「海洋を守ろう」とかいうのとほとんど変わらないくらい自然な主張に思えていました。

 でも、これはあくまで世代の問題なんです。だから、護憲派の人たちに六十代、七十代の人が多い。それが当然なんです。この世代にとっては、憲法は自然物としてのリアリティーがあるからです。でも、若い人は憲法にそのようなリアリティーを感じない。同じ文言であるにもかかわらず、育った年齢によって、その文言のリアリティーにこれほどの差がある。この差はどうして生まれたのか。この差を決定づけたのは戦中派の人たちが身近にいたか、いなかったのかという先行世代との関わりだと僕は思います。

 戦中派というと、われわれの世代では、親であったり、教師であったりした人たちです。この人たちの憲法観が僕たちの世代の憲法への考え方を決定づけた。戦中派の憲法理解が、戦後日本人の憲法への関わりを決定的に規定したというが、僕の仮説です。

 僕自身は、戦中派であるところの両親や教師たちやから、「とにかく日本国憲法は素晴らしいものだ」ということを繰り返し聞かされてきました。そして、「この憲法は素晴らしいものだ」と言う時に彼らが語る言葉は本当に重々しかったのです。声涙ともに落つという感じで。こんなよい憲法の下で育つことができて、お前たちはほんとうに幸せだ、と深い確信をこめて彼らは語った。その言葉に彼らはほとんどその実存を賭けていた。子どもにもそれは分かります。だから、「この憲法のどこが素晴らしいの?」というような質問は思いもつかなかった。大人たちがこれだけはっきりと、全身全霊をかけて言っている言葉に疑義を差し挟むことなんか、子どもにはできません。 
 
 僕らの子どもの頃、天皇制を批判する人は結構いたんです。学校の先生にもいました。天皇制について、はっきり反対だと言い切る先生はふつうの公立の小学校や中学校に何人もいました。「天ちゃん」というような侮蔑的な言葉遣いで天皇を呼ぶ人もいた。それを咎める人もいなかった。

でも、憲法について批判的なことを言う大人は、僕が子どもの頃には、周りにまったくいなかった。僕自身の個人的な経験から言うと、一人もいなかった。

 僕の世代には名前に「憲(のり)」っていう字が入っている男子がたくさんいます。今はもうほとんどいないと思うんですが、1946年の憲法公布から10年間ぐらいは、「憲男」とか「憲子」という名前はそれほど珍しくなかった。この時期だけに特徴的な命名だったと思います。それだけ親の世代が憲法に関して多くのものを期待していた。だから、自分の子どもには憲法の憲の字を背負って一生生きてもらいたいという強い願望をこめた。

 ですから、改憲論というものを僕はずいぶん後年になるまで聞いたことがなかったんです。自民党は党是として結党時から自主憲法制定を掲げていたようですが 、憲法を改正することが国家的急務であるというような言説がメディアを賑わせたことなんか、小学生から大学生時代に至るまで、僕はまったく記憶にありません。とくに1960年代末から70年にかけて、僕が高校生大学生の頃は、全共闘運動の時代ですから、改憲論なんて話題にもなりませんでした。活動家たちはブルジョワ民主制を打倒して革命をしようというような話をしている訳ですから、そもそもブルジョワ憲法の良否が政治的議論のテーマとなるはずもない。憲法を護持すべき、あるいは改正すべきだと真剣に語る学生なんか僕はその時代には見たことがないです 。

 ところが、ある時期から改憲論が声高に語られるようになって来た。そして、改憲論のほうが護憲論よりもリアリティーを持つようになってきた。若い世代において顕著だったと思います。ある時期から、護憲論を聞いてもそんな空疎な議論は聞きたくないという冷たい目を向けてくるようになった。そう言われると、確かに空疎な気がするんですね、護憲論というのは。

 憲法は素晴らしいものである。でも、突っこまれて一番厳しいところは、日本国憲法は日本人が人権を求める戦いを通じて自力で獲得したものではない、ということです。戦争に負けて、日本を占領したアメリカの軍人たちが「こういう憲法がよろしかろう」と判断して、下賜された。日本人が戦い取ったものではない。負けたせいで手に入ったものです。

 ところが、僕自身はそんなふうに思ったことがなかったのです。だって、生まれた時からあったわけですからね、憲法は。自然物として、あった。それが日本国民の闘いを通じて獲得されたものではないということは、歴史的事実としては知っていました。にもかかわらず、それを実感したことはなかったんです。なぜかというと、戦中派世代の人たちが、憲法の制定過程に関してほぼ完全に沈黙していたからです。日本側とGHQとの間で、どういう駆け引きがあって、どういうプロセスでこのような文言に定まったのか、僕たちには何も説明がなかった。

 戦中派は二つのことがらについて沈黙していたと僕は考えています。一つは戦争中における彼ら自身の加害経験についての沈黙。戦争の時の被害経験に関してはずいぶん語られてきましたけれど、加害者として、特に中国大陸や南方において自分たちが何をしたのかについては口を噤んでいた。どういう風に略奪したのか、強姦したのか、拷問したのか、人を殺したのか、そういうことについてはほぼ完全な沈黙を守った。

 それは戦争経験文学の欠如というかたちでも現れていると思います。敗戦直後の45年、46年にはほとんど見るべき文学的達成はありません。戦争から帰ってきた男たちが戦争と軍隊について書き出すのはその後です。

 最も早いのが吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、46年には書き上げられていました。大岡昇平の『俘虜記』が48年。50年代になってからは、野間宏の『真空地帯』、五味川純平の『人間の条件』、大西巨人の『神聖喜劇』といった「戦争文学」の代表作が次々と出てきますけれど、加害経験について詳細にわたって記述した作品は僕の世代は少年時代についに見ることがありませんでした。ただ、僕は戦中派の人たちのこの沈黙を倫理的に断罪することにはためらいがあるのです。かれらの沈黙が善意に基づいたものであることが分かるからです。

 ひどい時代だった。ついこの間まで、ほんとうにひどいことがあった。たくさんの人が殺したり、殺されたりした。でも、それはもう終わった。今さら、戦争の時に自分たちがどんなことをしたのかを子どもたちに教えることはない。あえて、そんなことを告白して、子どもたちに憎まれたり、軽蔑されたりするのでは、戦争で苦しめられたことと引き比べて、「間尺に合わない」、彼らはたぶんそう考えたのだと思います。子どもたちには戦争の詳細を語る必要はない。子どもたちに人間性の暗部をわざわざ教えることはない。ただ「二度と戦争をしてはいけない」ということだけを繰り返し教えればいい。戦後生まれの子どもたちは戦争犯罪について何の責任もないのだから、無垢なまま育てればいい。戦争の醜い部分は自分たちだけの心の中に封印して、黙って墓場まで持って行けばいい。それが戦後生まれの子どもたちに対する先行世代からの「贈り物」だ、と。たぶんそういうふうに考えていたのではないかと思います。戦争の罪も穢れも、自分たちの世代だけで引き受けて、その有罪性を次世代に先送りするのは止めよう。1945年 8月15日以降に生まれた子どもたちは、新しい憲法の下で、市民的な権利を豊かに享受して、戦争の責任から完全に免罪された存在として生きればいい。その無垢な世代に日本の希望を託そう。そういうふうに戦争を経験した世代は思っていたのではないか。そうでなければ、戦中派の戦争の加害体験についての、あの組織的な沈黙と、憲法に対する手放しの信頼は説明が難しい。

 例えば僕の父親がどういう人間であるか、僕はよく知っているつもりでいます。筋目の通った人だったし、倫理的にもきちんとした人でした。だから、彼が戦争中にそれほどひどいことをしたとは思わないんです。でも、父は十代の終わりから三十代の半ばまで大陸に十数年いたわけです。でも、戦争中に中国で何をしていたのかは家族にさえ一言も言わなかった。北京の冬が寒かったとか、家のレコードコレクションにクラシックのSPが何千枚あったかとかいう戦争とは無関係な個人的回想も、ある時期から後はぱたりと口にしなくなりました。戦争経験についての黙秘というのは、あの世代の人たちの暗黙の同意事項だったんじゃないかという気がします。

 村上春樹がイスラエルでの講演の時に自分の父親の話をしています 。彼の父も京都大学の院生だった時に招集されて中国大陸に行っている。その父が毎朝仏壇に向かって読経をしている。「何してるの」と訊くと、「死んだ人たちのために祈っている。敵も味方もない、戦争で死んだすべての人たちのために祈っている」と答える。けれども、彼自身が中国大陸で何を経験したかに関してはついに死ぬまで一言も言わなかったそうです。

 そういう戦争経験についての沈黙というのが世代的な合意としてあったのだと思います。自分たちの戦争犯罪を隠蔽するとか、あるいは戦争責任を回避するといった利己的な動機もあったかもしれません。でも、もっと強い動機は、戦後世代をイノセントな状態で育ててあげたいということだったと僕は思います。そういう「穢れ」から隔離された、清らかな、戦後民主主義の恩恵をゆたかに享受する資格のある市民として子どもたちを育てる。それこそが日本の再生なのだ。この子たちが日本の未来を担っていくのだ。そういう希望を託されてきたという感覚が僕にはあります。それは僕と同年代の人は多分同意してくれると思うのです。

 僕が小学校五年の時の担任の先生がその頃で35歳ぐらいでした。もちろん戦争経験がある。その先生が大好きだったので、いつもまつわりついていました。何か時に「先生は戦争行ったことある?」と聞いたら、ちょっと緊張して、「ああ」と先生が答えた。で、僕がさらに重ねて「先生、人殺したことある?」って聞いたら、先生は顔面蒼白になったことがあった。聞いてはいけないことを聞いてしまったということは子どもにもわかりました。その時の先生の青ざめた顔色を今でも覚えています。大人たちにはうかつに戦争のことを聞いてはいけないという壁のようなものを感じました。

 戦争経験についての世代的な沈黙というのと対になるかたちで憲法制定過程についての沈黙があります。これも僕は子どもの頃から聞いたことがないのです、その世代からは。学校の教師も、親たちも、近所の大人たちも、憲法制定過程について、どういう制定過程でこの憲法が出来たのかという話を聞いたことがなかった。話題にされているのをかたわらで聴いた記憶さえない。憲法制定は親たち、教師たちの年齢でしたら、リアルタイムで、目の前で起きたことです。1945年から46年にかけて、大人たちは何が起きているか、新聞を読めばだいたいのことは分かったはずです。おそらく、かなりの人が憲法制定過程に関してさまざまな「裏情報」を聴き知っていた。でも、子どもたちには一切伝えなかった。子どもたちはテキストとしての日本国憲法をポンと与えられていて、どういう過程でこれが制定されたのかに関しては何も教えられなかった。

 改憲派が随分あとになってから「押し付け憲法」ということを言い出した時には実はびっくりした。子どもの時はそんなこと考えたこともなかったから。憲法が日本人が書いたのか、アメリカ人が書いたのかについて、あれこれの説が憲法制定時点から飛び交っていたということを知ったのは、恥ずかしながらずいぶん大人になってからです。

 最初に結婚した女の人のお父さんが平野三郎という当時岐阜県知事だった人でしたけれど、彼は長く衆議院の議員をやっていました。その岳父が、当時はもう70歳を過ぎていましたけれども、酔うと僕を呼んで日本国憲法制定秘話を語るわけです。僕が個人的に、日本国憲法の制定にはみんなが知らない秘密があるという話を聴いたのは彼からが最初です。25歳を過ぎてからです。岳父は議員時代に幣原喜重郎の秘書のような仕事をしていたので、死の床で幣原喜重郎が語ったことを、後に国会の憲法調査会で証言しているんです。九条二項を思いついてマッカーサーに進言したのは幣原さんだと岳父は主張するんです。憲法九条二項は日本人が自分で考えたんだ。押し付けられたものじゃない、と。彼は自民党の代議士ですよ。大野伴睦の派閥に属していたベタな自民党議員でした。その彼が憲法九条二項を書いたのは幣原さんだと切々と訴えるわけです。誰も信じてくれないけれども、と。ほとんど声涙共に落つという感じで。

 そういう話を聞いて、どうしてこういう事実がもっとオープンに議論されないのか不思議に思いました。憲法制定過程については、実にいろいろな説が語られているわけです。「藪の中」なんです。でも、憲法というのは国のかたちの根幹を決定するものじゃないですか。その制定過程に関して諸説があるというのはまずいでしょう。歴史的事実として確定しないと。国民全体として共有できる歴史的な事実を確定して、それ以上真偽について議論する必要はない、と。そうじゃないとまずいと思うんです。でも、現代日本では、憲法制定過程に関して、これだけは国民が事実関係に関しては争わないということで共有できるベースがない。

 なんでこんなことが起きたのか。それはリアルタイムで憲法制定過程を見ていたはずの世代の人たちが、それについて集団的に証言してくれなかったからです。知っていることを言わないまま、沈黙したまま死んでしまった。

 戦中派より上の世代、敗戦の時に40歳、50歳という人たちは銃後にいただけでさきの戦争には行っていません。実際に戦争に行ったのは明治末年から大正年間、昭和初年に生まれた世代です。この戦争を現場で経験したこの人たちが、戦争の現実についての証言を避けた。復員してきた後、結婚して、家庭を作って、市民として生活を始めた。当然、これからの日本はどうなるんだろうということを興味をもってみつめていた。日本の行く末がどうなるか心から案じていた。ですから、国のかたちを決める憲法については、その制定過程だって、日々どうなっているんだろうと目を広げて、日々話し合っていたはずなんです。でも、その過程で「では、憲法はこういうふうに制定されたという『話』を国民的合意として採用しよう」ということがなかった。

 日本国憲法には前文の前に「上諭」というものが付いていますが、僕はそれをずっと知りませんでした。上諭の主語が「朕」だということも知らなかった。でも、日本国憲法は「朕」が「公布」しているんです。天皇陛下が「枢密顧問の諮詢」と「帝国憲法73条による帝国議会の議決を経て」日本国憲法を公布している。日本国憲法を公布した主体は天皇なんです。ちゃんと「御名御璽」が付いている。でも、僕らが憲法について教えられた時には、その上諭が削除されたかたちで与えられた。どういう法理に基づいてこの憲法が制定されたかという「額縁」が外されて、テキストだけが与えられた。

 憲法の個々の条項については、その適否についていろいろな意見があっても構わないと思います。でも、その憲法がどういう歴史的な過程で、どういう議論を経て制定されていったのかという歴史的事実についてだけは国民的合意があるべきだと思うんです。その合意がなければ、憲法の個別的条項についての議論を始めることはできない。でも、日本人にはその合意がない。憲法制定の歴史的過程は集団的な黙契によって隠蔽されている。

 憲法についての試案があったとか、マッカーサー三原則があったとか、GHQの民生局が草案を作って、11日間で草案を作ったとか、いろんな説があって、それについていちいちそれは違うという反論がある。どれかが真実なのか、部分的な真実が諸説のうちに散乱しているのかわかりませんけれど、「これが出発すべき歴史的事実」として国民的に共有されているものがない。

 憲法ってわれわれの国の最高法規ですよね。最高法規の制定過程がどういうものだったのかについて国民的な合意が存在しない。マグナカルタでも、人権宣言でも、独立宣言でも、どういう歴史的状況の中で、何を実現しようとして、誰が起草したのか、どういう議論があったのか、どういう風に公布されたかということは歴史的な事実として開示されている。それが当然です。でも、日本国憲法については、それがない。制定過程が隠蔽されたしかたで僕たち戦後世代に憲法は与えられた。それをなんの疑いもなく、天から降ってきた厳然たる自然物のように受け止めて来たのが今や70にならんとしている僕らの世代の人間なんです。ですから、改憲派の人たちに、「こんなもの押し付けられた憲法だ」、「こんなものはGHQの作文だ」と言われるとびっくりしてしまうわけですよ。自然物だと思っていたものがこれは「張りぼて」だと、これは舞台の書き割りのようなものだと言われたわけですから。

 でも、この舞台の書き割りを自然物のように見せていたのは、先行世代の作為だったわけです。戦中派世代の悲願だったわけです。「張りぼて」の日本国憲法を、あたかも自然物であるかのように絶対的なリアリティーをもつものとして僕らに提示した。その戦中派の想いを僕は「可憐」だと思うんです。僕には彼らの気持ちがわかる気がする。もうみんな死んでしまいました。父も岳父も亡くなった。大事なことを言い残したまま死んでしまった。だから、僕らはそれに関しては想像力で補うしかない。

 僕が子どもの頃、内田家では、お正月には毎年日の丸を立てていました。どの家もそうでした。お正月や祝日には必ず日の丸を揚げた。黒と黄色に塗り分けられた旗竿の上に金のガラス玉を入れて、ぺらぺらの日の丸の旗を張って揚げた。僕は子どもでしたから、その儀式が大好きでした。だから、年末になると父が日の丸のセットを押し入れから出して、飾りつけをする手伝いをするのを楽しみにしていました。でも、ある年、僕が小学校の低学年の頃でしたけれど、お正月だから「お父さん、日の丸出そうよ」と言ったら、父親がふっと「もういいだろう」って言ったんです。

 もう日の丸を揚げる義理もなくなった、そういう感じでした。1958年か59年くらいのことだったと思います。その頃、たしかにまわりの家もだんだん日の丸を揚げなくなってしまった。こういうのってほんとに不思議なもので、別に「日の丸を揚げるのをやめましょう」なんていう運動があったわけじゃない。でも、申し合わせたように、揚げなくなった。その時の国旗掲揚を止める時の理由が「もういいだろう」だった。

 あとから思うと、1958年って大日本帝国の十三回忌なんですね。帝国臣民たちは帝国が死んでから13年くらいまでは死せる大日本帝国に対して弔意を抱いていた。当然ですよね、彼らは生まれてからずっと「神国不敗」「天壌無窮」の大日本帝国臣民だったわけですから。でも、もういつまでも消えた帝国を懐かしんでいてもしかたがない、と。親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。もう十分に悼んだから、このへんでいいだろう、と。1958年頃に、日の丸が一斉に東京の街角から消えていったのは、あれは大日本帝国の十三回忌も営んだし、もう昔のことは忘れようという暗黙の国民的な合意だったんじゃないか。

 そういうのって、やっている本人だって、自分が何をしているのかよくわかっていないんだと思います。口に出さないけれど、何となく、そんな気分になる。無意識的にやっているわけです。でも、僕はそういう暗黙の、無意識の集団的な行動が、結局はある時代のイデオロギー的な大気圧をかたちづくっていて、その時代を生きている人間たちの思考や感受性を深く規定していたんじゃないかという気がするのです。
 
 ですから、ずっと後年になって、安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから。

 でも、そう言われて初めて、憲法を自然物のように思いなすというのは、僕たちの世代的な「偏り」であって、戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を僕たちと同じようにはとらえていないのだということを知ったのです。

 だから、護憲論が空疎になるのです。護憲論を批判するのはほんとうに簡単なんです。こんなものただの空語じゃないか、「絵に描いた餅」じゃないか、国民のどこに主権があるのか、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんか誰が信じているのか、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」なんて白々しい嘘をよく言えるな。そう言われると、まさにその通りなんです。

 憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の11月3日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。だって、公布前日の11月2日までは、列島に存在したのは大日本帝国だったわけですから。そこにいたのは「大日本帝国臣民」であって、「日本国国民」なんていうものはどこにもいない。どこにもいないものが憲法制定の主語になっている。「この主語の日本国民というのは、誰だ」と言われたら、答えようがない。

 日本国憲法を制定した主体は存在しない。存在しない「日本国国民」が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根源的な脆弱性なわけです。

 と言っておいてすぐに前言撤回するのもどうかと思いますけれど、実は世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ「そういうもの」なんです。宣言に込められている内容はおおかたが非現実なんです。宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるか疑わしい。

 例えばアメリカの独立宣言(1776年7月4日公布)では「法の下で万民が平等である」と謳っていますけれど、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いていました。奴隷解放宣言の発令は1862年です。独立宣言から100年近いタイムラグがある。奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃありません。人種差別を公的に禁じた公民権法が制定されたのは1964年。独立宣言から200年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃありません。厳然として存在している。独立宣言の内容と現状の間には乖離がある。

 でも、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいません。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なんです。でも、日本だけがそうではない。宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちが政権の座にいる。

 世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に描いた餅」だったわけです。宣言を起草した主体が「われわれは」と一人称複数で書いている場合だって、その「われわれ」全員と合議して、承認を取り付けたわけじゃない。そうではなくて、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけです。それでいいんです。日本国憲法を確定した「日本国民」なんてものは現実には存在しない。でも、そこで掲げられた理念が善きものであると人々が思うようになるのなら、「憲法を起草してくれ」と誰かに頼まれたら、すらすらとこれと同じ憲法を起草することができるなら、その時「日本国民」は空語ではなく、実体を持ったことになる。

 この憲法を自力で書き上げられるような国民に自己造型してゆくこと、それが憲法制定以後の実践的課題でなければならなかったはずなんです。ただし、その努力を行うためには、日本国民が「われわれは『日本国民』にまだなっていない。われわれは自力でこの憲法を起草できるような主体にまだなっていない」ということを自覚しなければならない。

 護憲論の弱さはそこにあります。護憲派はそういうふうには問題を立てなかったからです。そうではなくて、「日本国民は存在する」というところから話を始めてしまった。僕はそれが最初のボタンの掛け違えだったと思います。「日本国民」が集まって、熟議を凝らした末に、衆知を集めてこの憲法を制定したというふうに、たしかに憲法前文は読める。しかし、そういう事実はない。

 だから、護憲派は「そういう事実はない」ということを隠蔽した。僕はそれがいけなかったのだと思うのです。いいじゃないですか、「そういう事実」がなくても。歴史上のどんなすばらしい宣言だって、憲法だって、多かれ少なかれ「そういうもの」なんですから。たしかに日本国民が衆知を集めて憲法を制定したという事実は実際にはないのだけれども、仮にもう一度憲法制定のチャンスを与えられたら自発的にこれと同じ憲法を自力で書けるような日本国民を創り出してゆくという遂行的な責務は現に目の前にある。そういうふうに考えるべきだったんじゃないかと、後知恵ですけれども、僕は思います。戦中派の人たちが憲法制定過程における日本国民の関与の薄さということを僕たちに向かって率直に開示して、「でも、自力でこれを書けるようになろう」というかたちで戦後の市民意識の成熟の課題を掲げてくれたのであれば、それから何十年もして改憲派に足をすくわれるようなことは起きなかったと思います。

 改憲派の護憲派に対するアドバンテージというのは、まさにその一点に尽きるわけです。憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。

 憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言いますし、護憲派もGHQの関与については語りたがらない。でも、そんなのすらすら認めていっこうに構わないじゃないかと僕は思うのです。憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。それは大日本憲法だって同じです。大日本帝国憲法において主権者は天皇でした。たしかに「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。現に、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してあります。でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはありません。勅諭や綸旨ならいくらでも出したことがあるけれど、憲法という概念自身が近代の産物なんですから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲です。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定した。

 憲法というのは「そういうもの」なんです。圧倒的な政治的実力を持つ「超憲法的主体」がそれを制定するのだけれど、それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていた。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていた。

 日本国憲法だってそうです。これもまた圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体によって制定された。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」は、憲法のどこにも書かれていない。「上諭」にも書かれていない。でも、知っている人は知っている。そして、日本国憲法の場合は、「知っている人」たちがそれについて久しく口を噤んでいたということです。憲法が「ろくでもないもの」だと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろうと思います。でも、戦中派はそう思わなかった。すばらしい憲法だと思った。だから、制定過程について何も語らないことにした。

 戦中派はそれを善意で行ったのだとおもいます。戦後の日本社会を1945年8月15日以前と完全に切り離したものとして、戦前と繋がる回路を遮断した無菌状態のものとして立ち上げようとした。だから、戦争の時に何があったのか、自分たちが何をして来たかについて口を噤んだ。憲法制定過程についても、黙して語らなかった。語るためには、日本には、主権者である「日本国民」のさらに上に日本国民に主権者の地位を「下賜」した超憲法的主体としてのアメリカがいる。それは自分たちが戦争をして、負けたせいだという真実を語らなければならない。それもまた戦後世代の子どもたちに言って聞かせるにはあまりにつらい事実だった。

 戦争経験について、とりわけ加害経験について語らないこと、憲法制定過程について、日本は国家主権を失い、憲法制定の主体たり得なかったということを語らないこと。この二種類の「戦中派の沈黙」が戦後日本に修正することの難しい「ねじれ」を呼びこんでしまった。僕はそう思います。でも、僕はそのことについて戦中派を責めるつもりはないのです。彼らは善意だったと思うから。僕たち戦後世代が戦争と無縁な、戦時における人間の醜さや邪悪さとも、敗戦の屈辱とも無縁な者として育つことを望んでいたからそうしたと思うからです。

 だから、彼らの沈黙には独特の重みがあった。実存的な凄みがあった。「その話はいいだろう」といって低い声で遮られたら、もうその先を聞けないような迫力があった。だから、彼らが生きているあいだは歴史修正主義というようなものの出る幕はなかったのです。仮に「南京虐殺はなかった」というようなことを言い出す人間がいても、「俺はそこにいた」という人が現にいた。そういう人たちがいれば、具体的に何があったかについて詳らかに証言しないまでも、「何もなかった」というような妄言を黙らせることはできた。

 歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じです。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は「修正」のしようがないのです。それは、ドイツでもフランスでもそうです。今日は日仏会館での講演ですから、フランスのことに詳しい方もおられるでしょう。
 
 フランス人も自国の戦中の経験に関しては記憶がきわめて選択的です。レジスタンスのことはいくらでも語りますけれど、ヴィシー政府のこと、対独協力のことは口にしたがらない。フランスでヴィシーについての本格的な研究が出て来たのは、1980年代以降です。それまではタブーだった。それはその時期を生きてきた人たちがまだ存命していたからです。自分自身がヴィシーに加担していた人もいたし、背に腹は代えられず対独協力をして、必死で占領下を生き延びた人もいた。彼らがそれぞれの個人的な葛藤や悔いを抱えながら、戦後フランスを生きていることを周りの人は知っていました。そして、それを居丈高に責めることに抵抗があった。

 ベルナール=アンリ・レヴィが『フランス・イデオロギー』という本を書いています。僕が訳したんですけれども 、ドイツの占領下でフランス人がどのようにナチに加担したのかを赤裸々に暴露した本です。レヴィは戦後生まれで、ユダヤ人ですから、戦時中のフランスの行為については何の責任もない。完全に「手が白い」立場からヴィシー派と対独協力者たちを批判した。でも、これが出版当時大論争を引き起こしました。

 少なからぬ戦中派の人々がレヴィの不寛容に対して嫌悪感を示しました。レイモン・アロンもレヴィを批判して、「ようやく傷がふさがったところなのに、傷口を開いて塩を擦り込むような不人情なことをするな」というようなことを書いていました。せっかく忘れかけているトラウマ的過去なのに、それをまた思い出させるようなことをすべきではない、と。

 アロンの言っていることは筋の通らない話なんです。でも、「大人の言葉」だとは思いました。「もう、その話はいいじゃないか」というアロンの言い分は政治的にはまったく正しくありません。でも、その時代を生きてきた人にしか言えない独特の迫力があった。アロン自身はユダヤ人ですし、自由フランス軍で戦ったわけですから、ヴィシーや対独協力者をかばう義理はないんです。だからこそ、彼がかつての敵について「済んだことはいいじゃないか。掘り返さなくても」と言った言葉には重みがあった。

 80年代からしばらくはヴィシー時代のフランスについてのそれまで表に出なかった歴史的資料が続々と出てきて、何冊も本が書かれました。でも、ヴィシーの当事者たちは沈黙を守った。秘密の多くを彼らは墓場に持っていってしまった。人間は弱いものですから、自分の犯した過ちについて黙秘したことは人情としては理解できますけれど、結果的にヴィシーの時代にフランス人が何をしたのかを隠蔽したせいで、そのあとに歴史修正主義者が登場して来て「ガス室はなかった」というようなことを言い出すようになった。そのあたりの事情は実は日本とそれほど変わらないのです。

 アルベール・カミュの逡巡もその適例です。カミュは地下出版の 『戦闘(コンバ)』の主筆としてレジスタンスの戦いを牽引しました。ナチス占領下のフランスの知性的・倫理的な尊厳を保ったという点で、カミュの貢献は卓越したものでした。ですから、戦後対独協力者の処刑が始まった時、カミュは最初は当然のようにそれを支持しました。彼の仲間たちが彼らとの戦いの中で何人も殺されたわけですし、カミュ自身ゲシュタポに逮捕されたら処刑されていた。ですから、彼には対独協力者を許すロジックはありません。でも、筋金入りの対独協力者だったロベール・ブラジャックの助命嘆願署名を求められた時、カミュは悩んだ末にそれに助命嘆願に署名します。ブラジャックの非行はたしかに許し難い。けれども、もうナチスもヴィシーも倒れた。今の彼らは無力だ。彼らはもうカミュを殺すことができない。自分を殺すことができない者に権力の手を借りて報復することに自分は賛同できない。カミュはそう考えました。このロジックはわかり易いものではありません。対独協力者の処刑を望むことが政治的には正しいのですけれども、カミュはそこに「いやな感じ」を覚えた。どうして「いやな感じ」がするのか、それを理論的に語ることはできないけれど、「いやなものはいやだ」というのがカミュの言い分でした。

 身体的な違和感に基づいて人は政治的な判断を下すことは許されるのかというのは、後に『反抗的人間』の主題となるわけですけれど、アルベール・カミュとレイモン・アロンは期せずして、「正義が正義であり過ぎることは人間的ではない」という分かりにくい主張をなしたわけです。

 歴史的事実が開示されないとことで苦しんだという点でカミュは人後に落ちません。というのは、戦後における歴史修正主義の最初のかたちは「レジスタンスについての詐称」だったからです。

 レジスタンスは初期の時点では、ほんとうにわずかなフランス人しか参加していなかった。地下活動という性格上、どこで誰が何をしたのかについて詳細な文書が残っているはずがないのですが、概数で1942年時点でレジスタンスの活動家は二千人と言われています。それが、パリ解放の時には何十万人にも膨れ上がっていた。44年の6月に連合軍がノルマンディーに上陸して、戦争の帰趨が決してから、それまでヴィシー政府の周りにたむろしていたナショナリストたちが雪崩打つようにレジスタンスの隊列に駆け込んできたからです。その「にわか」レジスタンたちが戦後大きな顔をして「私は祖国のためにドイツと戦った」と言い出した。そのことをカミュは苦々しい筆致で回想しています。最もよく戦った者はおのれの功績を誇ることもなく、無言のまま死に、あるいは市民生活に戻って行った。

 『ペスト』にはカミュのその屈託が書き込まれています。医師リウーとその友人のタルーはペストと戦うために「保健隊」というものを組織します。この保健隊は明らかにレジスタンスの比喩です。でも、隊員たちは命がけのこの任務を市民としての当然の義務として、さりげなく、粛々として果たす。別に英雄的なことをしているという気負いがないのです。保健隊のメンバーの一人であるグランはペストの災禍が過ぎ去ると、再び、以前と変わらない平凡な小役人としての日常生活に戻り、ペストの話も保健隊の話ももう口にしなくなります。カミュはこの凡庸な人物のうちにレジスタンス闘士の理想のかたちを見出したようです。

 フランスにおける歴史の修正はすでに1944年から始まりました。それはヴィシーの対独協力政策を支持していた人々が、ドイツの敗色が濃厚になってからレジスタンスに合流して、「愛国者」として戦後を迎えるという「経歴ロンダリング」というかたちで始まったのでした。でも、それを正面切って批判するということをカミュは自制しました。彼自身の地下活動での功績を誇ることを自制するのと同じ節度を以て、他人の功績の詐称を咎めることも自制した。他人を「えせレジスタンス」と批判するためには、自分が「真正のレジスタンス」であることをことさらに言い立てて、彼我の差別化を図らなければならない。それはカミュの倫理観にまったくなじまないふるまいでした。ですから、ナチス占領下のフランスで、ヴィシー政府にかかわったフランス人たちがどれほど卑劣なふるまいをしたのかというようなことをことさらに言挙げすることを戦後は控えた。カミュは「大人」ですから。

 でも、各国で歴史修正主義がそれから後に跳梁跋扈するようになったのは、一つにはこの「大人たち」の罪でもあったと僕は思います。彼らがおのれの功績を誇らず、他人の非行を咎めなかったことがいくぶんかは与っている。「大人」たちは、歴史的な事実をすべて詳らかにするには及ばないというふうに考えたのです。誇るべき過去であっても、恥ずべき過去であっても、そのすべてを開示するには及ばない。誇るべきことは自尊心というかたちで心の中にしまっておけばいいし、恥ずべき過去は一人で深く恥じ入ればいい。ことさらにあげつらって、屈辱を与えるには及ばない。そう考えるようになったのには対独協力者たちへの暴力的で節度を欠いた「粛清」に対する嫌悪感もかかわっていたと思います。「大人」たちは愛国者ですから、勝敗の帰趨が決まった後になって、敗者をいたぶるようなことはしない。それよりは同胞として改めて迎え入れようとした。人間的にはみごとなふるまいだと思いますけれど、実際には「大人」たちのこの雅量が歴史修正主義の温床となった。僕にはそんなふうに思えるのです。

 それと似たことが日本でもあった。それは戦中派の「大人たち」の僕たち戦後世代に対する気づかいというかたちで現れた。憲法は自分たちで制定したものではない。日本国民なるものは空語であるということを彼らは知っていた。でも、自分たちに与えられた憲法は望外に「よきもの」であった。だったら、黙ってそれを受け容れたらよい。それを「日本国民が制定した」という物語に仕立て上げたいというのなら、あえて異論を立てるに及ばない。それは戦後世代の子どもたちに「親たちや先生たちがこの憲法を制定したのだ」というはなはだしい「誤解」を扶植することだったわけですけれども、彼らはそのような誤解をあえて解こうとはしなかった。

 小津安二郎の映画『秋刀魚の味』には。駆逐艦の艦長だった平山(笠智衆)が、かつての乗組員であった部下坂本(加東大介)と語り合う場面があります。坂本が酔余の勢いで、「けど、艦長。これでもし日本が勝っていたらどうなっていたでしょうね?」と言い出します。平山はそれを制して「けど、負けてよかったじゃないか」とつぶやきます。意外な答えに一瞬戸惑った後、坂本も「そうですかね。うん。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」と同意する。

 この「負けてよかったじゃないか」という言葉を僕も父の口から聴いた記憶があります。会社の部下たちが家に来て、酒を飲んでいる席で、なぜか話題が戦中のことになった。その時に父親が話を打ち切るように、「敗けて良かったじゃないか」と言ったことがあります。今となると、そこには「子どもたちの前で戦争の話をするな」というニュアンスがあったようでした。

「敗けて良かったじゃないか(だから、戦争の時に自分たちが何をしたのか、何を見たのかについて話すのはもう止めよう)」という戦争について語ることへの抑圧は1950年代から60年代にかけて多くの日本の戦中派が口にした言葉ではないかと思います。戦争は敗けたけれど、負けたせいで、こういう「良い社会」になったのだ。結果オーライじゃないか。自分たちがどれほど罪深いことをしたのか、どれほど理不尽な目に遭ったのかというようなことについては口を閉じて、黙って墓場まで持ってゆけばいい。

 小津安二郎の『秋刀魚の味』は1962年の映画です、戦争が終わって17年目です。小津の映画には戦争の話が始まると誰かがぴしゃりと話の腰を折るという場面がいくつかあります。『早春』でも、『彼岸花』でも、誰かが戦争の時の話を始めると、「その話はもういいじゃないか」と誰かが制して、話はそこで終わる。おそらく、これと同じ情景が60年頃までは日本のあちこちで実際にあったのではないかと思います。

 そして、この戦中派の節度と、僕たち戦後世代に対する気づかいが、その後の歴史修正主義者や改憲派の登場の素地を作ってしまった。僕たち戦後世代が憲法に対して、それをあたかも「自然物」のように見なして、イノセントな信頼を寄せていたのは、この憲法を日本人が持つに至った歴史的過程については子どもたちにはできるだけ何も言わずにおこうとした先行世代の黙契の力だったということです。憲法に力があったわけではなく、この憲法は素晴らしいものだと信じていた人たちの思いに力があった。彼らの生身が憲法の堅牢性を担保していたのです。ですから、その人たちが死んでいなくなってしまったとたんに、僕たちの手元には、保証人を失った一片の契約書のごときものとして日本国憲法が残された。

 これが改憲派が強くて、護憲派が弱いという現実を生み出した歴史的背景だと思うんです。この事実がなかなか前景化しなかったのは、それが「起きなかったこと」だからです。戦争における無数の加害事実・非人間的事実について明らかにする、憲法制定過程についてその全容を明らかにするということを怠ったという「不作為」が歴史修正主義者や改憲派が今こうして政治的勢いを有している理由なわけです。「何かをしなかったこと」「何かが起きなかったこと」が原因で現実が変わったわけです。歴史家は「起きたこと」「現実化したこと」を組み立てて、その因果関係について仮説を立てて歴史的事象を説明するのが仕事ですけれど、「起きなかったこと」を歴史的事象の「原因」として論じるということはふつうしません。

 それはフランスでもたぶん事情は同じで、もし戦後、対独協力者の徹底的な告発を行って、国民の相当数を「非国民」「裏切者」として処断した場合、その後のフランスの国民的統合はあり得なかったでしょう。対独協力したけれど、それを「恥じて、黙っていた」市民については、それ以上の追求を手控えたことで、フランスは国民的な和解を手にした。でも、それが歴史修正主義者の登場や、国民連合のような極右勢力の伸長に対して無防備な社会を創り出してしまった。もっと非寛容であるべきだったのか、と問われると僕にも答えようがありません。僕がその時代に生きていたら、レイモン・アロンやアルベール・カミュのような「大人の対応」に賛同の一票を投じたと思います。そして、今のフランスの排外主義や人種主義のありさまを見て、深く悔いるということをしたのではないかと思います。でも、それ以外にどうしようがあったのか。

 それは日本の戦中派も事情は同じだと思います。彼らが自分自身を含めて戦争責任を徹底追及し、憲法の空語性をきびしく難じて、「日本国民などというものは存在しない」と宣言した場合、戦後の日本はどうなったのか。たぶん僕たちの世代は国そのものと親たちの世代に対する嫌悪と軽蔑を扶植されることになったでしょう。子どもでも厳しく理不尽な現実を見つめて育った方がよいのだというタフな育児戦略を信じる人もいるかも知れませんけれど、僕は戦中派の「常識」に与します。それ以外にどうしようがあったのか。

 護憲派はこの常識と抑制の産物なわけです。だから、激しい感情や露悪趣味に対して弱い。ですから、護憲運動を1950年代60年代と同じように進めることはできないと思うのです。だって、当時の護憲運動の主体は戦中派だったわけですから。彼らはリアルな生身を持っていた。「空語としての憲法」に自分たちの願望と子どもたちの未来を託すというはっきりした自覚を持って護憲運動をやっていた。でも、僕らは違う。僕らは「自然物としての憲法」をぼんやりと豊かに享受しているうちに、ある日「お前たちが信じているものは人工物だ」と言われて仰天している「年取った子ども」に過ぎません。

 となると、これから僕らが進めるべき護憲運動とはどういうものになるのかというと、これはとにかく「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。現実を認めるしかない。われわれの憲法は脆弱である、と。根本的な脆弱性を孕んでいる、と。それを認めるしかない。そして、その上で、どのような宣言であっても、憲法であっても、法律であっても、そのリアリティーは最終的に生身の人間がその実存を賭けて担保する以外にないのだと腹をくくる。憲法条文がどんなに整合的であっても、どんなに綱領的に正しいものであっても、そのことだけでは憲法というのは自立できません。正しいだけでは自存できない。絶えず憲法に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、死文に過ぎない。

 死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗です。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、そのことを語らないんです、護憲派は。憲法はそれ自体では空語だということを認めたがらない。憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死し、倒れてしまうという切迫した危機感を僕は護憲派にあまり感じることができないのです。危機を感じるためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならない。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていたけれど、口にはしなかった。でも、知っていた。僕たちは、この憲法が空語だということを知らずに来た。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。

 それを認めるというのは、言い方は厳しいけれど「護憲派は間抜けだった」と認めるということです。それはきっとみんな厭なんだと思います。でも、僕は認めます。僕は間抜けだった。だから、歴史修正主義者や改憲派がこれほど力を持つようになるまで、ぼんやり拱手傍観していた。憲法はもっと堅牢なものだとイノセントに信じていたから。でも、改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたいと思っている人がこれだけ多く存在するということ、僕たちの失敗なわけです。それは認めなければいけない。

 だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならない。戦中派がしたように、今度は僕たちが憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての僕の基本的なスタンスです。なんだか護憲運動にとってあまり希望のない話になってしまって済みませんでした。長時間ご清聴ありがとうございました。

http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c1

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
2. 中川隆[-10995] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:51:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1031]

比較敗戦論のために - 内田樹の研究室 2019-03-20
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html


2019年度の寺子屋ゼミは「比較敗戦論」を通年テーマにすることにした。

どうしてこのようなテーマを選ぶことになったのか。それについて姜尚中さんとのトークセッションで語ったことがある。
そのときの講演録を再録しておく。講演があったのは2016年


敗戦国は日独だけではない

 今回の「比較敗戦論」というタイトルは、問題提起という意味でつけました。特に僕の方で用意した結論があるわけではありません。ただ、歴史を見るときに、こういう切り取り方もあるのだというアイディアをお示ししたいと思います。

「比較敗戦論」という言葉は『永続敗戦論』(太田出版 二〇一三年)の白井聡さんと対談をしまたときにふと思いついたのです(この対談はその後、『日本戦後史論』(徳間書店、二〇一五年)という本にまとまりました)。

『永続敗戦論』での白井さんの重要な主張は「日本人は敗戦を否認しており、それが戦後日本のシステムの不調の原因である」というものでした。「敗戦の否認」というキーワードを使って、戦後七〇年の日本政治をきわめて明晰に分析した労作です。

ただ、僕が思ったのは、白井さんと話をしていて、日本人が戦後七〇年間にわたって敗戦経験を否認してきたということは全くご指摘の通りなんだけれども、日本以外の敗戦国ではどうなのか、ということが気になりました。日本以外の他の敗戦国はそれぞれ適切なやり方で敗戦の「総括」を行ったのか。その中で日本だけが例外的に敗戦を否認したのだとすれば、それはなぜなのか。そういった一連の問いがありうるのではないかと思いました。

白井さんの言う通り「敗戦の否認」ゆえに戦後日本はさまざまな制度上のゆがみを抱え込み、日本人のものの考え方にも無意識的なバイアスがかかっていて、ある種の思考不能状態に陥っていること、これは紛れもない事実です。でも、それは日本人だけに起きていることなのか。他の敗戦国はどうなっているのか。多の敗戦国では、敗戦を適切に受け容れて、それによって制度上のゆがみや無意識的な思考停止を病むというようなことは起きていないのか。よく「ドイツは敗戦経験に適切に向き合ったけれど、日本はそれに失敗した」という言い方がされます。けれども、それはほんとうに歴史的事実を踏まえての発言なのか。

まず僕たちが誤解しやすいことですけれど、第二次世界大戦の敗戦国は日独伊だけではありません。フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敵国として認定した国です。それ以外にも、連合国がそもそも国として認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア自由国、満州国、中華民国南京政府があります。これだけの「国」が敗戦を経験した。でも、僕たちはこれらの敗戦国で、人々が敗戦経験をどう受け容れたのか、どうやって敗戦後の七〇年間を過ごしてきたのかについて、ほとんど何も知りません。例えば、「フィンランド国民は敗戦をどう総括したか」というような研究は、フィンランド国内にはしている人がいるのでしょうけれど、僕はそれについての日本語文献のあることを知らない。でも、「敗戦の否認」という心理的な痼疾を手がかりにして現代日本社会を分析するためには、やはり他の敗戦国民は自国の敗戦をどう受け止めたのか、否認したのか、受容したのかが知りたい。敗戦の総括をうまく実行できた国はあるのか。あるとしたら、なぜ成功したのか。敗戦を否認した国は日本の他にもあるのか。あるとしたら、その国における敗戦の否認は、今その国でどのような現実を帰結したのか、それを知りたい。「敗戦の否認」が一種の病であるとするなら、治療のためには、まず症例研究をする必要がある。僕はそんなふうに考えました。


フランスは果たして戦勝国なのか

 このアイデアには実はいささか前段があります。枢軸国の敗戦国というと、ふつうは日独伊と言われます。けれども、フランスだって実は敗戦国ではないのか。僕は以前からその疑いを払拭することができずにいました。

ご承知の方もいると思いますが、僕の専門はフランス現代思想です。特にエマニュエル・レヴィナスというユダヤ人哲学者を研究してきました。その関連で、近代フランスにおけるユダヤ人社会と彼らが苦しんだ反ユダヤ主義のことをかなり長期にわたって集中的に研究してきました。そして、そのつながりで、19世紀から20世紀はじめにかけてのフランスの極右思想の文献もずいぶん読み漁りました。

 僕がフランスにおける反ユダヤ主義の研究を始めたのは1980年代のはじめ頃ですが、その頃フランスの対独協力政権、ペタン元帥の率いたヴィシー政府についての研究が続々と刊行され始めました。ですから、その頃出たヴィシーについての研究書も手に入る限り買い入れて読みました。そして、その中でも出色のものであったベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』(国文社、一九八九年)という本を翻訳することになりました。これはフランスが実はファシズムと反ユダヤ主義というふたつの思想の「母国」であったという非常に挑発的な内容で、発売当時はフランスでは大変な物議を醸したものでした。

 歴史的事実をおさらいすると、一九三九年九月にドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスはマジノ線を破られて半年後の六月にフランスは独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直接統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンが掲げた対独協力政府ができます。

フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人やレジスタンスを行いました。フランス国内で捕らえられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツへ送られました。

 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くに人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指されて殺された。真実はわからない。

アルベール・カミュは最初期からのほんもののレジスタンス闘士でしたけれど、戦後その時代を回想して、「ほんとうに戦ったレジスタンスの活動家はみな死んだ」と書いて、今生き残って「レジスタンス顔」をしている人間に対する不信を隠そうとしませんでした。このあたりの消息は外国人にはなかなかわかりません。

シャルル・ド・ゴールもその回想録の中で、ヴィシー政府壊滅後のフランス各地の混乱に言及して、「無数の場所で民衆の怒りは暴力的な反動として溢れ出した。もちろん、政治的な目論見や、職業上の競争や、個人的な復讐がこの機会を見逃すはずもなかった」と証言しています。(Charles De Gaulle, Mémoire de guerre, Plon, 1959, p.18)

 国防次官だったシャルル・ド・ゴールはペタン元帥が休戦協定を結んだときにロンドンに亡命して亡命政府を名乗りますけれど、もちろん彼の「自由フランス」には国としての実体などありません。国際法上はあくまでヴィシー政府がフランスの正統な政府であって、自由フランスは任意団体に過ぎません。そもそもド・ゴール自身、フランスの法廷で欠席裁判のまま死刑宣告されているのです。

ド・ゴール以外にも、フランソワ・ダルラン将軍、アンリ・ジロー将軍といった軍の実力者がいて、フランスの正統な代表者の地位を争っていました。最終的にド・ゴールが競争相手を排除して、自由フランス軍のトップに立ちますけれど、それでも一交戦団体に過ぎません。44年にド・ゴールが「フランス共和国臨時政府」を名乗ったときも、アメリカもイギリスもこれを承認するのを渋りました。ド・ゴールが一交戦団体に過ぎなかった自由フランスを「戦勝国」にカテゴリー変更させたのは、彼の発揮した軍事的・外交的実力によってです。44年、ノルマンディー上陸後西部戦線でのドイツ軍との戦闘が膠着状態にあったとき、ド・ゴールはこの機会にフランスを連合国に「高く売る」ことに腐心しています。回想録にはそのことが率直に書いてあります。

「戦争がまだ長引くということは、われわれフランス人が耐え忍ばなければならない損失、被害、出費を考えれば、たしかに痛ましいことである。しかし、フランスの最優先の利害を勘案するならば、フランス人の当面の利益を犠牲にしても、戦争の継続は悪い話ではなかった。なぜなら、戦争がさらに長びくならば、アフリカやイタリアでそうだったように、われわれの協力がライン河・ドナウ河での戦闘にも不可欠のものとなるからである。われわれの世界内における地位、さらにはフランス人がこれから何世代にもわたって自分自身に対して抱く評価がそこにかかっている。」(Ibid., p.44、強調は内田)

 ド・ゴールは、パリ解放からドイツ降伏までのわずかの時間内に、フランス軍の軍事的有用を米英に誇示できるかどうかに戦後フランスの、国際社会における立場がかかっているということを理解していました。ほんとうにこのときのフランスは綱渡りだったのです。ノルマンディー上陸作戦の時点ではド・ゴールの自由フランスの支持基盤は国内のレジスタンスだけでした。それが戦局の推移に伴ってそれ以外のフランス人たちも自由フランスを自分たちの代表として承認する気分になり、最後に米英はじめ世界の政府がド・ゴールの権威を承認せざるを得なくなった。ですから、ド・ゴールが「国を救った」というのはほんとうなのです。対独協力国、事実上の枢軸国がいつのまにか連合国の一員になり、さらに国際社会の重鎮になりおおせていたわけですから、これはド・ゴールの力業という他ありません。

でも、このド・ゴールが力業でフランスの体面を救ったことによって、フランス人は戦争経験の適切な総括を行う機会を奪われてしまった。ほんとうを言えば、ドイツの犯したさまざまな戦争犯罪に加担してきたフランス人たちはもっと「疚しさ」を感じてよかったのです。でも、フランス人は戦勝国民として終戦を迎えてしまった。フランス人は「敗戦を総括する義務」を免除された代わりにもっと始末におえないトラウマを抱え込むことになりました。


イタリアは戦勝国ではないのか

 僕たち日本人はイタリアがどんなふうに終戦を迎えたかについてはほとんど知るところがありません。世界史の授業でもイタリアの敗戦については詳しく教えてもらった記憶がない。教科書で教えてもらえないことは、映画や小説を通じて学ぶわけですけれども、イタリアの終戦時の混乱については、それを主題にした映画や文学も日本ではあまり知られておりません。『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督、一九四五年)にはイタリアのレジスタンスの様子がリアルに描かれていますが、僕が知っているのはそれくらいです。ですから、ナチスと命がけで戦ったイタリア人がいたことや、イタリア人同士で激しい内戦が行われていたという歴史的事実も日本人はあまり知らない。

一九四三年七月に、反ファシスト勢力が結集して、国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ三世が主導して、ムッソリーニを20年にわたる独裁者の地位から引きずり下ろしました。そして、首相に指名されたピエトロ・バドリオ将軍は水面下で連合国と休戦交渉を進めます。その後、監禁されていたムッソリーニをドイツの武装親衛隊が救い出して、北イタリアに傀儡政権「イタリア社会共和国」を建て、内戦状態になります。最終的にドイツ軍はイタリア領土内から追い出され、ムッソリーニはパルチザンに捕らえられて、裁判抜きで処刑され、その死体はミラノの広場に逆さ吊りにされました。イタリア王国軍とパルチザンがムッソリーニのファシスト政権に引導を渡し、ドイツ軍を敗走させた。ですから、イタリアは法理的には戦勝国なんです。でも、たぶん「イタリアは戦勝国だ」と思っている日本人はほとんどいない。自分たちと同じ敗戦国だと思っている。

たしかに、戦後イタリアを描いた『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1948年)のような映画を観ると、街は爆撃でひどいことになっているし、人々は食べるものも仕事もなくて、痩せこけている。「ああ、イタリアも日本と同じだ」と思っても不思議はない。でも、違います。イタリアは戦勝国なんです。だいたい、イタリアは一九四五年七月には日本に宣戦布告しているんです。

 フランスとイタリアを比べれば、フランスよりイタリアの方がずっと戦勝国条件が整っている。フランスは先ほど述べたように紙一重で戦勝国陣営に潜り込み、国連の常任理事国になり、核保有国になり、今も世界の大国としてふるまっています。それは一にシャルル・ド・ゴールという卓越した政治的能力を持つ人物が国家存亡のときに登場したからです。ド・ゴールがいて、ルーズベルトやチャーチルと一歩も引かずに交渉したから、フランスは戦勝国「のようなもの」として戦後世界に滑り込むことができた。でも、イタリアにはそんなカリスマ的な人物がいませんでした。戦争指導者であったヴィットリオ・エマヌエーレ三世とバドリオ将軍は、ドイツ軍がローマに侵攻してきたとき、市民を「無防備都市」に残したまま自分たちだけ逃亡してしまった。そのせいでイタリア軍の指揮系統は壊滅しました。戦後の国民投票で国民たちの判断で王政が廃止されたのは、このときの戦争指導部の国民に対する裏切りを国民が許さなかったからです。

フランスとイタリアのどちらも「勝ったんだか負けたんだかよくわからない仕方で戦争が終わった」わけですけれど、フランスにはド・ゴールがいて、イタリアにはいなかった。それが戦後の両国の立ち位置を決めてしまった。

でも、僕はこれを必ずしもフランスにとって幸運なことだったとも、イタリアにとって不幸なことだったとも思わないのです。イタリアは「敗戦国みたいにぼろぼろになった戦勝国」として終戦を迎えました。戦争の現実をありのままに、剥き出しに経験した。戦勝を誇ることもできなかったし、敗戦を否認する必要もなかった。だから、彼らの戦争経験の総括には変なバイアスがかかっていない。

先日、イタリアの合気道家が僕の道場に出稽古に来たことがありました。稽古のあとの歓談のとき、「そういえば君たち、昔、日本に宣戦布告したことがあるでしょう」と訊いてみました。たぶん、そんなこと知らないと思ったんです。意外なことに、彼はすぐに苦笑して、「どうもすみませんでした」と謝るんです。「イタリアって、どさくさまぎれにああいうことをやるんです。フランスが降伏したときにも仏伊国境の土地を併合したし。そういう国なんです。申し訳ない」と。僕は彼のこの対応にびっくりしました。自国の近代史のどちらかというと「汚点」を若いイタリア人が常識として知っているということにまず驚き、それについて下手な言い訳をしないで、さらっと「ごめんね」と謝るところにさらに驚きました。事実は事実としてまっすぐみつめる。非は非として受け容れ、歴史修正主義的な無駄な自己弁護をしない。そのとき僕は「敗戦の否認をしなかった国民」というものがあるとしたら、「こういうふう」になるのかなと思いました。

イタリアは「ほとんど敗戦」という他ないほどの被害を蒙った。内戦と爆撃で都市は傷ついた。行政も軍もがたがたになった。戦死者は30万人に及んだ。でも、その経験を美化もしなかったし、否認もしなかった。「まったくひどい目に遭った。でも、自業自得だ」と受け止めた。だから、戦争経験について否認も抑圧もない。

フランスの場合は、ヴィシーについてはひさしく歴史的研究そのものが抑圧されていました。先ほど名前が出ましたベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』はヴィシーに流れ込む十九世紀二○世紀の極右思想史研究ですが、この本が出るまで戦後四四年の歳月が必要でした。刊行されたときも、保守系メディアはこれに集中攻撃を加えました。「なぜせっかくふさがった『かさぶた』を剥がして、塩を塗り込むようなことをするのか」というのです。それからさらに30年近くが経ちますが、ヴィシー政府の時代にフランスが何をしたのかについての歴史的な研究は進んでいません。

ナチスが占領していた時代のフランス人は何を考え、何を求めて、どうふるまったのか。いろいろな人がおり、いろいろな生き方があったと思います。それについての平明な事実を知ることが現代のフランス人には必要だと僕は思います。ド・ゴールが言うように「自分自身に対して抱く評価」を基礎づけるために。でも、それが十分に出来ているように僕には思えません。フランスの場合は「敗戦の否認」ではなく、対独協力国だったという歴史的事実そのものが否認されている。その意味では、あるいは日本より病が深いかもしれない。


 現在の政治状況と敗戦の総括との関係

 本来なら、ヴィシー政府の政治家や官僚やイデオローグたちの事績を吟味して、「一体、ヴィシーとは何だったのか、なぜフランス人は民主的な手続きを経てこのような独裁制を選択したのか」という問いを徹底的に究明すべきだったと思います。でも、フランス人はこの仕事をネグレクトしました。ヴィシー政府の要人たちに対する裁判もごく短期間のうちに終えてしまった。東京裁判やニュルンベルク裁判のように、戦争犯罪の全貌を明らかにするということを抑制した。ペタン元帥や首相だったピエール・ラヴァルの裁判はわずか一ヶ月で結審して、死刑が宣告されました。裁判は陪審員席からも被告に罵声が飛ぶというヒステリックなもので、真相の解明というにはほど遠かった。この二人に全責任を押しつけることで、それ以外の政治家や官僚たちは事実上免責されました。そして、この「エリートたち」はほぼそのまま第四共和政の官僚層に移行する。

 レヴィによれば、フランスにおいて、ヴィシーについての歴史学的な検証が進まなかった最大の理由は、ヴィシー政府の官僚層が戦後の第四共和政の官僚層を形成しており、彼らの非を細かく咎めてゆくと、第四共和政の行政組織そのものが空洞化するリスクがあったからだということでした。事情を勘案すれば、フランス政府が、国家的選択として対独協力していたわけですから、それをサボタージュした官僚はうっかりするとゲシュタポに捕まって、収容所に送られるリスクがあったわけです。組織ぐるみの対独協力をせざるを得なかった。だから、一罰百戒的に、トップだけに象徴的に死刑宣告を下して、あとは免罪して、戦後の政府機構に取り込むことにした。それは当座の統治システムの維持のためには、しかたなかったのかも知れません。

ですから、ヴィシーについての歴史学的な実証研究が始まるのは、この官僚たちが現役を引退した後になります。一九八〇年代に入って、戦後四〇年が経って、ヴィシー政府の高級官僚たちが退職したり、死んだりして、社会的な影響がなくなった時点ではじめて、最初は海外の研究者たちが海外に流出していたヴィシー政府の行政文書を持ち出して、ヴィシー研究に手を着け始めた。フランス人自身によるヴィシー研究は『フランス・イデオロギー』が最初のものです。戦争が終わって四五年後です。「ヴィシーの否認」は政治的に、意識的に、主体的に遂行された。でも、そのトラウマは別の病態をとって繰り返し回帰してきます。僕はフランスにおける「イスラモフォビア」(イスラーム嫌悪症)はそのような病態の一つではないかと考えています。

 フランスは全人口の一〇%がムスリムです。先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは一九五〇年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面した時、暴力的な弾圧を以って応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由・平等・友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。

もしフランスで終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、五〇年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。

 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力は全て「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民には、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。

 他の敗戦国はどうでしょう。ハンガリーは最近、急激に右傾化して、排外主義的な傾向が出てきています。タイも久しく穏やかな君主制でいましたけれども、近年はタクシン派と反タクシン派が戦い続けて、国内はしばしば内戦に近い状態を呈しています。スロバキアとかクロアチアとかにもやはり政治的にある種の不安定さを常に感じます。

戦争後は、どの国も「この話はなかったことに」という国民的合意に基づいて「臭いものに蓋」をした。当座はそれでよかったかも知れません。でも、蓋の下では、抑圧された国民的な「恥辱」や「怨嗟」がいつまでも血を流し、腐臭を発している。だから、ハンガリーの現在の政治状況や、タイの現在の政治状況が、それぞれの国の敗戦経験の総括と全く無関係かどうかということは、かなり精密な検証をしてみないとわからない。そこには何らかの「関連がある」という仮説を立てて検証をしてみてよいのではないか。してみるだけの甲斐はあると僕は思います。


 ドイツ統合は敗戦の否認か

 戦争の記憶を改竄することによって、敗戦国民は当座の心の安らぎは手に入れることができるかも知れません。でも、そこで手に入れた「不当利得」はどこかで返済しなければならない。いずれ必ず後でしっぺ返しが来る。世界の敗戦国を一瞥すると、どこも七〇年かけて、ゆっくりと、でも確実に「記憶の改竄」のツケを支払わされている。『永続敗戦論』が明らかにしたように、日本も敗戦の否認のツケを払わされている。そして、この返済はエンドレスなんです。「負債がある」という事実を認めない限り、その負債を割賦でいいから返して行かない限り、この「負債」は全く別の様態をとって、日本人を責め続ける。

 「ドイツは敗戦経験の総括に成功した」と多くの人が言います。でも、本当にそうなんでしょうか。僕は簡単には諾うことができません。東ドイツのことを勘定に入れ忘れているような気がするからです。

東ドイツは「戦勝国」なんです。東ドイツはナチスと戦い続けたコミュニストが戦争に勝利して建国した国だという話になっている。だから、東ドイツ国民はナチスの戦争犯罪に何の責任も感じていない。感じることを国策的に禁止されていた。責任なんか感じてるはずがない。自分たちこそナチスの被害者であり、敵対者だということになっているんですから。悪虐非道なるナチスと戦って、それを破り、ドイツ国民をナチスの軛から解放した人々が、何が悲しくて、ナチスの戦争犯罪について他国民に謝罪しなければならないのか。

 一九九〇年に合併した当時、西ドイツと東ドイツとは人口比でいうと四対一でした。ということは、その時点では、全ドイツ人口の二〇%、一六○○万人は「自分たちはナチスドイツの戦争犯罪に何の責任もない」と子供のころからずっと教えられてきた人たちだったということです。それが合併後のドイツの国民的自意識にどういう影響を与えたのか。僕は寡聞にして知りません。

 日本国内に「日本軍国主義者の戦争犯罪について、われわれには何の責任もない。われわれは彼らと戦って、日本を解放したのである」と教えられて来た人が二四○○万人いる状況を想定してください。そう信じている「同胞」を受け容れ、戦争経験について国民的規模での総括を行い、合意を形成するという作業がどれほど困難であるか、想像がつくと思います。さて、果たして、ドイツでは東西ドイツが合併した時に、戦争経験の総括について、国民的合意を形成し得たのか。僕は「ドイツはこんな風に合意形成を成し遂げました」と納得のゆく説明をしたものをこれまで読んだことがありません。いや、それは僕がただ知らないでだけで、そういう「全く相容れない戦争経験総括を一つにまとめあげたドイツの素晴らしい政治的達成」については既に色々な報告や研究が出ているのかも知れません。でも、そうだとしたら、それこそ「国民的和解」の最良のモデルケースであるわけですから、国内的な対立を抱える様々な国について、何かあるごとに、「ここでも『和解のためのドイツ・モデル』を適用すべきではないか」ということが言及されてよいはずです。でも、僕はそのような「和解モデル」について聞いたことがない。

 ドイツの戦争総括の適切さを語るときに、よくヴァイツゼッカー元大統領の演説が引かれます。この人はヨーロッパの諸国を訪れては、そのつどきちんとナチス・ドイツ時代の戦争犯罪について謝罪しています。その倫理性的な潔さは疑うべくもありません。けれども、やはり日本とは話の運びが微妙に違う。ヴァイツゼッカーは五月四日、ドイツが連合国に無条件降伏した日を「ドイツ国民解放の日」と言っているからです。われわれはナチスの暴虐からその日に解放されたのである、それをことほぐという立場を取る。悪いのはあくまでナチスとその軍事組織や官僚組織や秘密警察組織であって、ドイツ国民はその犠牲者であったという立場は譲らない。ドイツ国民の罪はナチスのような政党を支持し、全権を委ねてしまったことにある。そのような過ちを犯したことは認めるけれども、基本的にはドイツ国民もまたナチスの被害者であり、敗戦によってナチスの軛から解放されたという物語になっている。

 日本人にも敗戦が一種の解放感をもたらしたということは事実だったでしょう。けれども、八月一五日を「解放の日」だと言う人はほとんどいません。表だってそう発言するのは、かなり勇気が要る。けれども、実感としては、それに近いことを思っていた日本人は少なくなかったと思います。

 小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』(松竹、一九六二年)の中で、笠智衆の演じる今はサラリーマンをしている駆逐艦の元艦長平山と、加東大介の演じるかつての駆逐艦の乗組員坂本が、町なかでばったり出会うという場面があります。坂本が平山を誘って、トリスバーのカウンターに座ってウィスキーを飲む。この時に坂本が「ねえ、艦長、もしあの戦争に勝っていたらどうなったんでしょうね」と問う。平山は静かに笑いながら、「負けてよかったじゃないか」と答える。そうすると、坂本は「え?」と一瞬怪訝な顔をするのですが、ふと得心したらしく、「そうかもしれねえな。ばかなやつが威張らなくなっただけでもね」と呟く。これは敗戦がもたらした解放感についての、あの世代の偽らざる実感だったんじゃないかなと思います。

 僕は一九五〇年生まれで、父はもちろん戦中派なのですが、僕が小さい頃に、父が会社の同僚を家に連れてきて飲んでいるときに誰かが「負けてよかったじゃないか」と呟くのを僕は二三度聞いたことがあります。特に力んで主張するというのではなく、何かの弾みにぽろりと口にされる。そして、その言葉が口にされると、男たちは皆黙り込む。それで怒り出す人もいないし、泣き出す人もいない。それは思想とは言えないものでした。敗戦の総括としてはあまりに言葉が足りない。けれども、おそらくこれが戦中派の実感だったと思います。それが世代的な実感として、言挙げしないでも共有されている限り、そのような敗戦の総括もそれなりのリアリティーを持ち得た。けれども、そういう片言隻句だけでは、彼らの思いが輪郭のしっかりした思想として次の世代に継承されることはありません。


 恥ずべき過去も含んだタフな物語

 白井さんの本を読んでいると、日本は異常な仕方で敗戦を否認してきたことがわかる。これは全くその通りなんですけれども、それだけでなく、多くの敗戦国はそれぞれ固有の仕方で自国の敗戦を否認している。僕にはそう思われます。

それぞれの国は自国について、長い時間をかけてそれまで積み上げてきた「国民の物語」を持っています。これは戦争に勝っても負けても手離すことができない。だから、自分たちの戦争経験を、世代を超えて語り継がれる「物語」になんとかして統合しようとした。

 日本人は歴史について都合の悪いことは書かないと指摘されます。それは全くその通りなんです。でも、それは程度の差はあれ、どこの国も同じなんです。戦争をどう総括するかということは、まっすぐに自分たち自身に対する、世代を超えて受け継がれる「評価」に繋がる。だから、大幅に自己評価を切り下げるような「評価」はやはり忌避される。もし敗北や、戦争犯罪についての経験を「国民の物語」に繰り込むことができた国があるとすれば、それは非常に「タフな物語」を作り上げたということです。

 自分たちの国には恥ずべき過去もある。口にできない蛮行も行った。でも、そういったことを含めて、今のこの国があるという、自国についての奥行きのある、厚みのある物語を共有できれば、揺るがない、土台のしっかりとした国ができる。逆に、口当たりの良い、都合のよい話だけを積み重ねて、薄っぺらな物語をつくってしまうと、多くの歴史的事実がその物語に回収できずに、脱落してしまう。でも、物語に回収されなかったからといって、忘却されてしまうわけではありません。抑圧されたものは必ず症状として回帰してくる。これはフロイトの卓見です。押し入れの奥にしまい込んだ死体は、どれほど厳重に梱包しても、そこにしまったことを忘れても、やがて耐えがたい腐臭を発するようになる。

 僕は歴史修正主義という姿勢に対しては非常に批判的なのですけれども、それは、学問的良心云々というより、僕が愛国者だからです。日本がこれからもしっかり存続してほしい。盤石の土台の上に、国の制度を基礎づけたい。僕はそう思っている。そのためには国民にとって都合の悪い話も、体面の悪い話も、どんどん織り込んで、清濁併せ呑める「タフな物語」を立ち上げることが必要だと思う。だから、「南京虐殺はなかった」とか「慰安婦制度に国は関与していない」とかぐずぐず言い訳がましいことを言っているようではだめなんです。過去において、国としてコミットした戦争犯罪がある。戦略上の判断ミスがある。人間として許しがたい非道な行為がある。略奪し、放火し、殺し、強姦した。その事実は事実として認めた上で、なぜそんなことが起きたのか、なぜ市民生活においては穏やかな人物だった人たちが「そんなこと」をするようになったのか、その文脈をきちんと捉えて、どういう信憑が、どういう制度が、どういうイデオロギーが、そのような行為をもたらしたのか、それを解明する必要がある。同じようなことを二度と繰り返さないためには、その作業が不可欠です。そうすることで初めて過去の歴史的事実が「国民の物語」のうちに回収される。「汚点」でも「恥ずべき過去」でも、日の当たるところ、風通しの良いところにさらされていればやがて腐臭を発することを止めて「毒」を失う。

 その逆に、本当にあった出来事を「不都合だから」「体面に関わるから」というような目先の損得で隠蔽し、否認すれば、その毒性はしだいに強まり、やがてその毒が全身に回って、共同体の「壊死」が始まる。


カウンターカルチャーがアメリカの強さ

 なぜアメリカという国は強いのか。それは「国民の物語」の強さに関係していると僕は思っています。戦勝国だって、もちろん戦争経験の総括を誤れば、毒が回る。勝とうが負けようが、戦争をした者たちは、口に出せないような邪悪なこと、非道なことを、さまざま犯してきている。もし戦勝国が「敵は『汚い戦争』を戦ったが、われわれは『きれいな戦争』だけを戦ってきた。だから、われわれの手は白い」というような、薄っぺらな物語を作って、それに安住していたら、戦勝国にも敗戦国と同じような毒が回ります。そして、それがいずれ亡国の一因になる。

 アメリカが「戦勝国としての戦争の総括」にみごとに成功したとは僕は思いません。でも、戦後70年にわたって、軍事力でも経済力でも文化的発信力でも、世界の頂点に君臨しているという事実を見れば、アメリカは戦争の総括において他国よりは手際がよかったとは言えるだろうと思います。

アメリカが超覇権国家たりえたのは、これは僕の全く独断と偏見ですけれども、彼らは「文化的復元力」に恵まれていたからだと思います。カウンターカルチャーの手柄です。

 七〇年代のはじめまで、ベトナム戦争中の日本社会における反米感情は今では想像できないほど激しいものでした。ところが、一九七五年にベトナム戦争が終わると同時に、潮が引くように、この反米・嫌米感情が鎮まった。つい先ほどまで「米帝打倒」と叫んでいた日本の青年たちが一気に親米的になる。この時期に堰を切ったようにアメリカのサブカルチャーが流れ込んできました。若者たちはレイバンのグラスをかけて、ジッポーで煙草の火を点け、リーバイスのジーンズを穿き、サーフィンをした。なぜ日本の若者たちが「政治的な反米」から「文化的な親米」に切り替わることができたのか。それは七〇年代の日本の若者が享受しようとしたのが、アメリカのカウンターカルチャーだったからです。

カウンターカルチャーはアメリカの文化でありながら、反体制・反権力的なものでした。日本の若者たちがベトナム反戦闘争を戦って、機動隊に殴られている時に、アメリカ国内でもベトナム反戦闘争を戦って、警官隊に殴られている若者たちがいた。アメリカ国内にもアメリカ政府の非道をなじり、激しい抵抗を試みた人たちがいた。海外にあってアメリカの世界戦略に反対している人間にとっては、彼らこそがアメリカにおける「取りつく島」であった訳です。つまり、アメリカという国は、国内にそのつどの政権に抗う「反米勢力」を抱えている。ホワイトハウスの権力的な政治に対する異議申し立て、ウォール街の強欲資本主義に対する怒りを、最も果敢にかつカラフルに表明しているのは、アメリカ人自身です。のこの人たちがアメリカにおけるカウンターカルチャーの担い手であり、僕たちは彼らになら共感することができた。僕たちがアメリカ政府に怒っている以上に激しくアメリカ政府に怒っているアメリカ人がいる。まさにそれゆえに僕たちはアメリカの知性と倫理性に最終的には信頼感を抱くことができた。反権力・反体制の分厚い文化を持っていること、これがアメリカの最大の強みだと僕は思います。

 ベトナム戦争が終わると、ベトナムからの帰還兵が精神を病み、暴力衝動を抑制できなくなり、無差別に人を殺すという映画がいくつも作られました。ロバート・デ・ニーロの『タクシードライバー』(一九七六年)がそうですし、『ローリング・サンダー』(一九七七年)もスタローンの『ランボー』(一九八二年)もそうです。アメリカ人はそういう物語を商業映画・娯楽映画として製作し、観客もこれを受け入れた。僕たちはそのことにあまり驚きを感じません。けれども、もし日本でイラク駐留から帰ってきた自衛隊員が精神を病んで、市民を殺しまくるなんていう映画を作ることが可能でしょうか。まず、企画段階で潰されるだろうし、官邸からも防衛省からも激しい抗議があるでしょうし、上映しようとしたら映画館に右翼の街宣車が来て、とても上映できないということになるでしょう。それを考えたら、アメリカのカウンターカルチャーの強さが理解できると思います。彼らはベトナム戦争の直後に、自分たちの政府が強行した政策がアメリカ人自身の精神をどう破壊したかを、娯楽映画として商品化して見せたのです。同じことができる国が世界にいくつあるか、数えてみて欲しいと思います。

 アメリカではこれができる。ハリウッド映画には、大統領が犯人の映画、CIA長官が犯人の映画というような映画も珍しくありません。クリント・イーストウッドの『目撃』(一九九七年)もケヴィン・コスナーの『追い詰められて』(一九八七年)もそうです。警察署長が麻薬のディーラーだった、保安官がゾンビだったというような映画なら掃いて捨てるほどあります。アメリカ映画は、「アメリカの権力者たちがいかに邪悪な存在でありうるか」を、物語を通じて、繰り返し、繰り返し国民に向けてアナウンスし続けている。世界広しといえども、こんなことができる国はアメリカだけです。


 歴史上の汚点を供養する

 米ソは冷戦時代には軍事力でも科学技術でも拮抗状態にありましたが、最終的には一気にソ連が崩れて、アメリカが生き残った。最後に国力の差を作り出したのは、カウンターカルチャーの有無だったと僕は思います。自国の統治システムの邪悪さや不条理を批判したり嘲弄したりする表現の自由は、アメリカにはあるけれどもソ連にはなかった。この違いが「復元力」の違いになって出てくる。

どんな国のどんな政府も必ず失策を犯します。「無謬の統治者」というようなものはこの世には存在しません。あらゆる統治者は必ずどこかで失策を犯す。その時に、自分の間違いや失敗を認めず、他罰的な言い訳をして、責任を回避する人間たちが指導する国と、統治者はしばしば失敗するということを織り込み済みで、そこから復元するシステムを持っている国では、どちらが長期的にはリスクを回避できるか。考えるまでもありません。

 もちろん、ソ連や中国にも優れた政治指導者がいました。個人的に見れば、アメリカの大統領よりはるかに知性的にも倫理的にも卓越していた指導者がいた。でも、まさにそうであるがゆえに、体制そのものが「指導者が無謬であることを前提にして」制度設計されてしまった。それがじわじわとこれらの国の国力を損ない、指導者たちを腐敗させていった。中国だって、今は勢いがありますけれど、指導部が「無謬」であるという物語を手離さない限り、早晩ソ連の轍を踏むことになるだろうと僕は思います。

 ヨーロッパでは、イギリスにはいくらか自国の統治者たちを冷笑する、皮肉な文化が残っています。カナダにも。だから、これはアングロサクソンの一つの特性かもしれません。アメリカの国力を支えているのは、自国について「タフな物語」を持っているという事実です。「タフな胃袋」と同じで、何でも取り込める。

アメリカ人は、自国の「恥ずべき過去」を掘り返すことができる。自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンの土地を強奪したこと、奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと。それを口にすることができる。そのような恥ずべき過去を受け入れることができるという「器量の大きさ」において世界を圧倒している。

 カウンターカルチャーとメイン・カルチャーの関係は、警察の取り調べの時に出てくる「グッド・コップ」と「バッド・コップ」の二人組みたいなものです。一方が容疑者を怒鳴り散らす、他方がそれをとりなす。一方が襟首をつかんでこづき回すと、他方がまあまあとコーヒーなんか持ってくる。そうすると、気の弱った容疑者は「グッド・コップ」に取りすがって、この人の善意に応えようとして、自分の知っていることをぺらぺらとしゃべりだす。映画ではよく見る光景ですけれど、メインカルチャーとカウンターカルチャー権力と反権力の「分業」というのはそれに似ています。複数の語り口、複数の価値観を操作して、そのつどの現実にフレキシブルに対応してゆく。

 だから、アメリカには「国民の物語」にうまく統合できない、呑み込みにくい歴史的事実が他国と比べると比較的少ない。「押し入れの中の死体」の数がそれほど多くないということです。もちろん、うまく取り込めないものもあります。南北戦争の敗者南部十一州の死者たちへの供養は、僕の見るところ、まだ終わっていない。アメリカ=メキシコ戦争による領土の強奪の歴史もうまく呑み込めていない。アメリカにとって都合の良い話に作り替えられた『アラモ』(1960年)で当座の蓋をしてしまった。この蓋をはずして、もう一度デイビー・クロケットやジム・ボウイーの死体を掘り起こさないといずれ腐臭が耐えがたいものになっている。いや、現代アメリカにおける「メキシコ問題」というのは、遠因をたどれば「アラモ」の物語があまりに薄っぺらだったことに起因していると言ってもよいのではないかと僕は思います。アメリカ=スペイン戦争もそうです。ハワイの併合に関わる陰謀も、フィリピン独立運動の暴力的弾圧も、キューバの支配がもたらした腐敗もそうです。アメリカがうまく呑み込めずにいるせいで、娯楽作品として消費できない歴史的過去はまだいくらもあります。でも、これらもいずれ少しずつ「国民の物語」に回収されてゆくだろうと僕は予測しています。アメリカ人は、統治者が犯した失政や悪政の犠牲者たちを「供養する」ことが結果的には国力を高めることに資するということを経験的に知っているからです。そして、どの陣営であれ、供養されない死者たちは「祟る」ということを、無意識的にでしょうが、信じている。彼らの国のカウンターカルチャーは、「この世の価値」とは別の価値があるという信憑に支えられている。


 淡々と記述し物語ることこそが最大の供養

 僕の父は山形県鶴岡の生まれです。ご存じでしょうか、庄内人たちは西郷隆盛が大好きです。庄内藩は戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗して、力戦しました。そして、西郷の率いる薩摩兵の前に降伏した。けれども、西郷は敗軍の人たちを非常に丁重に扱った。死者を弔い、経済的な支援をした。一方、長州藩に屈服した会津藩では全く事情が違います。長州の兵はところが、会津の敗軍の人々を供養しなかった。事実、死者の埋葬さえ許さず、長い間、さらしものにしていた。

 薩摩長州と庄内会津、どちらも同じ官軍・賊軍の関係だったのですが、庄内においては勝者が敗者に一掬の涙を注いだ。すると、恨みが消え、信頼と敬意が生まれた。庄内藩の若者たちの中には、のちに西南戦争の時に、西郷のために鹿児島で戦った者さえいますし、西郷隆盛の談話を録した『南洲遺訓』は庄内藩士が編纂したものです。一方、会津と長州の間には戊辰戦争から150年経った今もまだ深い溝が残ったままです。

 靖国参拝問題が、あれだけもめる一因は靖国神社が官軍の兵士しか弔っていないからです。時の政府に従った死者しか祀られない。東北諸藩の侍たちも国のために戦った。近代日本国家を作り出す苦しみの中で死んでいった。そうい人々については、敵味方の区別なく、等しく供養するというのが日本人としては当然のことだろうと僕は思います。

僕の曽祖父は会津から庄内の内田家に養子に行った人です。曽祖父の親兄弟たちは会津に残って死にました。なぜ、彼らは「近代日本の礎を作るために血を流した人たち」に算入されないのか。供養というのは党派的なものではありません。生きている人間の都合を基準にした論功行賞でなされるべきものではありません。だから、僕は靖国神社というコンセプトそのものに異議があるのです。明治政府の最大の失敗は、戊辰戦争での敗軍の死者たちの供養を怠ったことにあると僕は思っています。反体制・反権力的な人々を含めて、死者たちに対してはその冥福を祈り、呪鎮の儀礼を行う。そのような心性が「タフな物語」を生み出し、統治システムの復元力を担保する。その考えからすれば、「お上」に逆らった者は「非国民」であり、死んでも供養に値しないとした明治政府の狭量から近代日本の蹉跌は始まったと僕は思っています。

「祟る」というのは別に幽霊が出てきて何かするという意味ではありません。国民について物語が薄っぺらで、容量に乏しければ、「本当は何があったのか」という自国の歴史についての吟味ができなくなるということです。端的には、自分たちがかつてどれほど邪悪であり、愚鈍であり、軽率であったかについては「知らないふりをする」ということです。失敗事例をなかったことにすれば、失敗から学ぶことはできません。失敗から学ばない人間は同じ失敗を繰り返す。失敗を生み出した制度や心性は何の吟味もされずに、手つかずのまま残る。ならば、同じ失敗がまた繰り返されるに決まっている。その失敗によって国力が弱まり、国益が失われる、そのことを僕は「祟る」と言っているのです。

 「祟り」を回避するためには適切な供養を行うしかない。そして、最も本質的な供養の行為とは、死者たちがどのように死んだのか、それを仔細に物語ることです。細部にわたって、丁寧に物語ることです。それに尽くされる。

司馬遼太郎は「国民作家」と呼ばれますけれど、このような呼称を賦与された作家は多くありません。それは必ずしも名声ともセールスとも関係がない。司馬が「国民作家」と見なされるのは、近代日本が供養し損なった幕末以来の死者たちを、彼が独力で供養しようとしたからです。その壮図を僕たちは多とする。

司馬遼太郎は幕末動乱の中で死んだ若者たちの肖像をいくつも書きました。坂本龍馬や土方歳三については長編小説を書きました。もっとわずか短い数頁ほどの短編で横顔を描かれただけの死者たちもいます。それは別に何らかの司馬自身の政治的メッセージを伝えたり、歴史の解釈を説いたというより、端的に「肖像を描く」ことをめざしていたと思います。

司馬遼太郎の最終的な野心は、ノモンハン事件を書くことでした。でも、ついに書き上げることができなかった。一九三九年のノモンハン事件とは何だったのか、そこで人々はどのように死んだのか、それを仔細に書くことができれば、死者たちに対してはある程度の供養が果たせると思ったのでしょう。でも、この計画を司馬遼太郎は実現できませんでした。それはノモンハン事件にかかわった軍人たちの中に、一人として司馬が共感できるが人物がいなかったからです。日露戦争を描いた『坂の上の雲』には秋山好古や児玉源太郎や大山巌など魅力的な登場人物が出て来ます。けれども、昭和初年の大日本帝国戦争指導部には司馬をしてその肖像を仔細に書きたく思わせるような人士がもう残っていなかった。これはほんとうに残念なことだったと思います。

ノモンハンを書こうとした作家がもう一人います。村上春樹です。『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社 一九九四〜九五年)で村上春樹はノモンハンについて書いています。でも、なぜノモンハンなのか。その問いに村上は答えていない。何だか分からないけれども、急に書きたくなったという感じです。でも、ノモンハンのことを書かないと日本人の作家の仕事は終わらないと直感したというところに、この人が世界作家になる理由があると僕は思います。日本人にとっての「タフな物語」の必要性を村上春樹も感じている。それが今の日本に緊急に必要なものであるということをよくわかっている。

「美しい日本」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧を施していると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」についての薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に適切に対応できるはずがありません。集団の場合も同じです。

国力とは国民たちが「自国は無謬であり、その文明的卓越性ゆえに世界中から畏敬されている」というセルフイメージを持つことで増大するというようなものではありません。逆です。国力とは、よけいな装飾をすべて削り落として言えば、復元力のことです。失敗したときに、どこで自分が間違ったのかをすぐに理解し、正しい解との分岐点にまで立ち戻れる力のことです。国力というのは、軍事力とか経済力とかいう数値で表示されるものではありません。失敗したときに補正できる力のことです。それは数値的には示すことができません。でも、アメリカの「成功」例から僕たちが学ぶことができるのは、しっかりしたカウンターカルチャーを持つ集団は復元力が強いという歴史的教訓です。僕はこの点については「アメリカに学べ」と言いたいのです。日本の左翼知識人には、あまりアメリカに学ぶ人はいません。親米派の学者たちも、よく見ると、まったくアメリカに学ぶ気はない。アメリカに存在する実定的な制度を模倣することには熱心ですけれど、なぜアメリカは強国たりえたのかについて根源的に考えるということには全く興味を示さない。アメリカの諸制度の導入にあれほど熱心な政治家も官僚も、アメリカにあって日本に欠けているものとしてまずカウンターカルチャーを挙げる人はいません。連邦制を挙げる人もいない。でも、アメリカの歴史的成功の理由はまさに「一枚岩になれないように制度を作り込んだ」という点にあるのです。でも、日本のアメリカ模倣者たちは、それだけは決して真似しようとしない。

 ほかにもいろいろ言いたいことはありますけれど、すでに時間を大分超えてしまったので、この辺で終わります。ご静聴ありがとうございました。


【Q&A】


ナラティブの力

姜 今日のお話を聞いていて、どういう「物語」をつくるかということが最大のポリティクスになっている気がします。内田さんの比較敗戦論は、我々のパースペクティブを広げてくれました。韓国や中国では日本例外論、単純にドイツと日本を比較して日本はだめなんだ、だから我々は日本を半永久に批判していい、そういう理屈立てになりがちです。そのときに内田さんの比較敗戦論をもちいてみると、我々のブラインドスポットになっている部分がよく見えてくる。解放の物語の自己欺瞞みたいなところも見えてくる。ところが、安倍さんのような人が出てくると、逆に、かつて自分たちが植民地であった、侵略をされた国は、ますます解放の物語を検証することをやらなくて済んでしまいますね。

内田 イージーな物語に対してイージーな物語で対抗すれば、どちらもどんどんシンプルでイージーな話に落ち込んでしまう。実際の歴史的な事件は「善玉と悪玉が戦っている」というようなシンプルな話ではないんです。さまざまな人たちが複雑な利害関係の中でわかりにく行動を取っている。うっかりすると、本人たち自身、自分たちがどういう動機で行動しているのか、いかなる歴史的な役割を果しているのか、わかっていないということだってある。それが歴史の実相だろうと思います。ですから、それをありのままに淡々と記述していく。軽々には評価を下さない。わかりやすいストーリーラインに落とし込むという誘惑にできる限り抵抗する。そういう歴史に対する自制心が非常に大事になると思います。

 こういう仕事においては、歴史を叙述するときの語り口、ナラティブの力というのが大きいと思うんです。最近、読んだ本の中でフィリップ・ロスの小説『プロット・アゲンスト・アメリカ──もしもアメリカが...』(柴田元幸・訳、集英社、二〇一四年)がとても面白かった。これは一九四〇年の米大統領選挙でルーズベルトではなく、共和党から出馬した大西洋単独飛行の英雄チャールズ・リンドバーグ大佐がヨーロッパでの戦争への不干渉を掲げて勝利してしまうという近過去SFなんです。現実でも、リンドバーグは親独的立場で知られていて、ゲーリングから勲章を授与されてもいます。ロスの小説では、アメリカに親独派政権が誕生して、ドイツと米独不可侵条約を、日本とは日米不可侵条約を結ぶ。そして、アメリカ国内では激しいユダヤ人弾圧が起きる・・・という話です。

 僕はナラティブというのは、こういうSF的想像力の使い方も含むと思います。もし、あのときにこうなっていたらというのは、ほんとうに大事な想像力の使い方だと思う。

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』(浅倉久志・新訳 早川書房、原著一九六二年)というSFがあります。これは枢軸国が連合国に勝った世界の話です。日独がアメリカを占領している。東海岸がドイツ占領地で、ロッキー山脈から西側が日本の占領地。そういう場合に、日本人はアメリカをどういうふうに植民地的に統治するのか、それを考えるのは実は非常に大事な思考訓練なんです。実際に日本がアメリカ西部を安定的に統治しようとしたら、日本の価値観とか美意識とか規範意識を「よいものだ」と思って、自発的に「対日協力」をしようと思うアメリカ人を集団的に創り出すしかない。ドイツがフランスでやったのはそういうことでした。でも、日本の戦争指導部にそのようなアイディアがあったと僕は思いません。

アメリカの方は、日本に勝った後にどうやって占領するかの計画を早々と立案していた。日本人のものの考え方とか組織の作り方とかを戦時中に民族学者に委託して研究しています。卓越した日本人論として今も読み継がれている『菊と刀』はルーズベルトが設置した戦争情報局の日本班のチーフだったルース・ベネディクトが出した調査報告書です。日本社会を科学的に研究して、どういう占領政策が適切かを戦争が終わる前にもう策定していた。

果たして日本の大本営にアメリカに勝った後、どうやってアメリカを統治するか、何らかのプランがあったでしょうか。どうやって対日協力者のネットワークを政治家や学者やジャーナリストやビジネスマンの中に組織するかというようなことをまじめに研究していた部門なんか日本の軍部のどこにも存在しなかったと思います。戦争に勝ったらどうするのかについて何の計画もないままに戦争を始めたんです。そんな戦争に勝てるはずがない。

 僕のSF的妄想は、一九四二年のミッドウェー海戦の敗北で、これはもう勝てないなと思い切って、停戦交渉を始めたらどうなったかというものです。史実でも、実際に、当時の木戸幸一内大臣と吉田茂たちは、すでに講和のための活動を始めています。近衛文麿をヨーロッパの中立国に送って、連合国との講和条件を話し合わせようという計画があった。もし、この工作が奏功して、四二年か四三年の段階で日本が連合国との休戦交渉に入っていれば、それからあとの日本の国のかたちはずいぶん違ったものになっただろうと思います。

ミッドウェー海戦で、帝国海軍は主力を失って、あとはもう組織的抵抗ができない状態でした。戦い続ければ、ただ死傷者を増やすだけしか選択肢がなかったのに、「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」というような、まったく非科学的な軍事思想に駆動されていたせいで、停戦交渉という発想そのものが抑圧された。

この時点で戦争を止めていれば、本土空襲もなかったし、沖縄戦もなかったし、原爆投下もなかった。300万人の死者のうち、95%は死なずに済んだ。民間人の死傷者はほぼゼロで済んだはずです。ミッドウェーは日本軍の歴史的敗北でしたけれど、死者は3000人に過ぎません。ほとんどの戦死者(実際には戦病死者と餓死者でしたが)はその後の絶望的、自滅的な戦闘の中で死んだのです。

空襲が始まる前に停戦していれば、日本の古い街並みは、江戸時代からのものも、そのまま手つかずで今も残っていたでしょう。満州と朝鮮半島と台湾と南方諸島の植民地は失ったでしょうけれど、沖縄も北方四島も日本領土に残され、外国軍に占領されることもなかった。四二年時点で、日本国内に停戦を主導できる勢力が育っていれば、戦争には負けたでしょうけれど、日本人は自分の手で敗戦経験の総括を行うことができた。なぜこのような勝ち目のない戦争に突っ込んで行ったのか、どこに組織的瑕疵があったのか、どのような情報を入力し忘れていたのか、どのような状況判断ミスがあったのか、それを自力で検証することができた。戦争責任の徹底追及を占領軍によってではなく、日本人自身の手で行えた可能性はあった。日本人が自分たちの手で戦争責任を追及し、戦争責任の追及を行い、憲法を改定して、戦後の日本の統治システムを日本人が知恵を絞って作り上げることは可能だった。

「もしミッドウェーのあとに戦争が終わっていたら、その後の戦後日本はどんな国になったのか」というようなSF的想像はとてもたいせつなものだと僕は思います。これはフィクションの仕事です。小説や映画やマンガが担う仕事です。政治学者や歴史学者はそういう想像はしません。でも、「そうなったかもしれない日本」を想像することは、自分たちがどんな失敗を犯したのかを知るためには実はきわめて有用な手立てではないかと僕は思っています。「アメリカの属国になっていなかった日本」、それが僕たちがこれからあるべき日本の社会システムを構想するときに参照すべき最も有用なモデルだと思います。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c2

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
3. 中川隆[-10994] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:53:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1032]


「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」1995年4月
 

序  

 1971年末から72年にかけて、この国を震撼させた大事件が起こった。「連合赤軍事件」がそれである。

 連合赤軍とは、当時最も極左的だった「赤軍派」と、「日本共産党革命左派神奈川県委員会」(日本共産党から除名された毛沢東主義者が外部に作った組織)を自称した軍事組織である、「京浜安保共闘」が軍事的に統合した組織で、その最高指導者に選出されたのは、赤軍派のリーダーである森恒夫。更に組織のナンバー2は、京浜安保共闘のリーダーである永田洋子。

 彼らは群馬県と長野県にかけて、「榛名山岳ベース事件」と「浅間山荘事件」(注1)を惹き起こした。とりわけ前者の事件は、組織内の同志を「総括」の名において、次々に凄惨なリンチを加え、12名を殺害、遺棄した事件として、この国の左翼運動史上に決定的なダメージを与えた。

 なお、「浅間山荘事件」は前者の事件で生き残り、逮捕を免れたメンバー5人よる、時の警察当局との銃撃戦としてテレビで実況中継され、当時の国民に鮮烈な印象を与えたが、それはあくまで、「榛名山岳ベース事件」(「総括」の死者の多くが「榛名山岳ベース」において現出したことから、以降、筆者はこの名称を使用)の一連の流れの中で突出した事件であった。従って、「連合赤軍事件」は、この「榛名山岳ベース事件」がなぜ惹き起こされたかという、その構造性を解明することこそ、私は緊要であると考える。

 本稿は、事件の当事者の同世代の者としての問題意識から、看過し難いこの震撼すべき事件を、主に心理学的アプローチによって言及したものである。

(注1)1972年(昭和47)2月、連合赤軍のメンバー5人が、軽井沢町にある「浅間山荘」(河合楽器の保養所)に、山荘の管理人夫人を人質に立てこもり、警官隊と銃撃戦を展開し、3名の犠牲者を出した末に全員が逮捕された事件。               
 

 連合赤軍事件は、この国の革命運動というものが、もう「やさしさの達人」を生む一欠片の余地もないことを露呈した極めつけの事件であった。

 事件に関与した若者たちの過剰な物語を支えた革命幻想は、彼らの役割意識を苛烈なまでに駆り立てて、そこに束ねられた若い攻撃的な情念の一切を、「殲滅戦」という過剰な物語のうちに収斂されていく。しかし彼らの物語は、現実状況との何らの接点を持てない地平で仮構され、その地下生活の圧倒的な閉塞性は若者たちの自我を、徒(いたずら)に磨耗させていくばかりだった。

 ここに、この事件をモノトーンの陰惨な映像で突出させた一人の、際立って観念的な指導者が介在する。当時、先行する事件等(「大菩薩峠事件」、「よど号ハイジャック事件」)で、殆ど壊滅的な状態に置かれていた赤軍派の獄外メンバーの指導的立場にあって、現金強奪事件(M作戦)を指揮した末に、連合赤軍の最高指導者となった森恒夫(注2)その人である。
 
 この事件を、「絶対的な思想なるものを信じる、若者たちによる禍々しいまでの不幸なる事件」と呼ぶならば、その事件の根抵には三つの要因が存在すると、私は考える。
 
 その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。

 その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。
 
 ―― 以上の問題を言及することで、私はこの事件の構造性が把握できると思うのだ。
 

(注2)1944年、大阪で生まれる。大阪市立大学在学中に田宮高麿と出会って大きな影響を受け、社学同の活動家となり赤軍派に参加。当時、多くの派内の幹部が検挙されたこと(「大菩薩峠事件」)で、派内のリーダー格的存在となり、金融機関を襲撃し、多額の資金を手に入れていた。同時期に、銃砲店を襲って武器を調達していた京浜安保共闘との連携を図ることで、「連合赤軍」を結成するに至る。               

 ―― 以下、それらの問題について、詳細に言及していこう。

1.最高指導者  

 森恒夫はかつて、赤軍派の内ゲバの恐怖から敵前逃亡を図り、組織から離脱したという過去を持つ。当時、赤軍派の創立者であった塩見孝也の意向により組織への復帰を果たすが、実は、この消しがたい「汚点」が、後の連合赤軍事件の陰惨さを生み出す心理的文脈に無視し難い影響を与える波動となっていて、しばしば党内の過剰なラジカリズムの奔流が、一個人の「汚点」の過去の補償行程であったと心理解析できるような側面をも、事件は宿命的に抱え込んでいたように思えるのである。

 連合赤軍事件は、多くの部分で本質的に、この森恒夫という男の事件なのである。

 国家権力と苛烈な「殲滅戦」を戦い抜くという、極めつけの物語に生きる若い攻撃的な情念を束ねる組織の最高指導者としては、この男はあまりに相応しくなさ過ぎた。これはもうミスマッチで済ますには、とうてい処理し切れないほどの莫大な代償を払い過ぎている。

 絶対に選ばれてはいけない男が最高指導者に君臨し、絶対に回避しなければならない状況がその指導者によって開かれてしまったとき、状況に拡散する様々な人間的な思いを鋭利に削ぎ落としていく暗い旋律を胎動させながら、事件は足早に上州の厳冬を駆け抜けていったのだ。

 最高指導者になった森恒夫という人格には、最高指導者に相応しい強靭で、不屈な指導者を演じ切ることが絶対的に要請されていた。彼の自我は、彼の内側からのこの要請に応えていくという文脈にしか、その安定の根拠を見出せなくなる世界を既に開いてしまっている。

 森恒夫の自我の跳躍のうちに、私は事件の最も深い所に潜む、何かドロドロと液状化した澱みのような風景を垣間見てしまうのである。
 
 森恒夫の跳躍は、恐らく、彼の能力の範疇を遥かに超えた地平を開かせてしまったのだ。

 事件のコアとも言える、「共産主義化論」(完璧な共産主義的人間を目指すための党内闘争を、実践的に選択していくことで、来るべき殲滅戦に備えるというもの)の登場は、彼の自我の跳躍を検証する集中的表現であって、その限りにおいて、跳躍の実態そのものであったと把握できるだろう。

 組織的指導者としての彼の貧弱な能力は、多分に、人間一般に対する精緻な観察眼や、個々のケースにおける心理学的洞察を欠如させたところに集中的に現れていて、「共産主義化論」の身体化というものが分娩してしまうであろう状況の負性過程への洞察と、この過程を統御する戦略を構築できない能力的劣性は否定し難いものがあるのだ。

 森恒夫は、自己の立場の優越性を確保することに必要以上に配慮したと想像できる。

 山岳ベースでの彼の自己批判は、自らの「汚点」を指導者自身が晒すことによってもなお、自らの党内ポジションが絶対に変わらないという確信を前提にすることで成立し、そのことによって、寧ろ、他の下位同志からの心理的共感と信望を手に入れるばかりか、却って今後の自己のイニシャティブの掌握を容易にするというコスト計算が、彼の内側に脈打っていたように推測される。それは、この男がドロドロした人間的感情の体現者であることを思い知らされる仮説である。

 私の推測によると、森恒夫という男は、ごく普通の感受性、認知力、洞察力、指導力、且つ、人並みの理性的能力を持つが、しかしそれ以上ではなかった。そして、内に抱えた劣性意識を無化し得ると信じられるまで事態を感情的に処理できない限り、容易に充足できない自我を、いつもどこかで引き摺っているようなタイプの人物であるとも考えられる。私には、彼の攻撃性や残虐性が病理的様相を示すに足るほどのものであるとは到底思えないのである。

 赤軍派時代からの盟友、坂東国夫(注3)は「永田さんへの手紙」(彩流社刊)の中で、森恒夫の人物像を正確に伝えている。

 「指導者として一切を放棄しないで頑張ろうとしていること、人にやさしいことで私は信頼していました。しかし同時に人に対して迎合、妥協したり、すぐ動揺する信念のなさが、何度か矛盾とあつれきをつくり出していることを知っていました」

 この指摘は重要である。

 何故なら、この文脈の中にこそ、森恒夫という自我が果たした危険な跳躍の心理的背景があると思われるからだ。

 森恒夫という自我は、恐らく、自分の劣性がどこにあるかについて正確に見抜いていた。正確に見抜いていたが故に、彼の自我はそれを他の同志に見透かされることを恐れていたのではないか。就中、党派としての力関係を常に意識し、競合さえしていた京浜安保共闘の年少の闘士たちに、「森恒夫という指導者は大したことないな」と侮られることを最も恐れていたと思われるのである。

(注3)京大卒。事件当時、25歳。赤軍派出身のメンバーとして、「浅間山荘事件」においてリーダー格的役割を担い、逮捕後3年目、昭和50年、「クアラルンプール米大使館占拠事件」における「超法規的措置」によって、釈放されるに至る。

 因みに、虚栄心とは、私の定義によれば、「見透かされることへの恐怖感」である。

 それは、見透かされることを恐れる自我が、見透かされたら困る内側の何かを隠そうという心情であり、紛れもなく、そこに、「隠さねばならない何か」を抱えているという心理的事実がある。「隠さねばならない何か」を抱える自我は、いつでも関係の内側に、ある一定の緊張を運んでくるのだ。

 人間の自我は生命の羅針盤であると同時に、社会的関係付けの羅針盤なのである。自分が他者の劣位に立つときは、劣位に立つことの方が状況適応に有効であると考えるからだ。劣位に立った相手が自分を攻撃して来ないという確信がなければ、人は決して、自ら敢えて劣位に立つことを選ばない。「君子危うきに近寄らず」の如く、相手からの有効攻撃距離を解体し得るスタンスの辺りにまで後退することで、常に難に遭う確率を低減する努力をするのもまた、人間の自我の枢要な機能である。これは本能ではない。全ては、人間の二次的学習の産物である。
 
 更に付言すれば、心理学では、「ホウレン草は体に良いから食べる」というのを一時的学習と呼び、「ホウレン草は体に良いから食べなさい」と言い続ける母の気を引くために、ホウレン草を食べるという文脈を二次的学習と呼ぶが、この心理は階層的秩序を成している。「これが人間の性格を形成していく」、と国立小児病院の崎尾英子は、「現代の母親像」という論文の中に書いている。(「思春期と家庭」より所収 誠信書房刊)

 これは元々、ダブルバインド仮説で有名なアメリカの社会学者、グレゴリー・ベイトソンが提起した概念として有名だが、人間の自我は「二次的学習」の中で社会化を果たし、その中で巧みに敵味方を嗅ぎ分け、優劣関係を複雑に拵(こしら)え上げていく。

 しかし、自分を決して攻撃して来ない「良き理解者」の前では、特段に虚栄心の発動を必要としないから、人間の自我は限りなく裸になれるのである。自我には、自らを裸にする休息の時間が絶対に必要なのだ。人間が落ち着いて睡眠を確保できる場所こそが、自我のレストステーションである。何故なら、そこは「誰も自己を襲わない場所」であるからだ。

 以上の推論から、私は森恒夫という男の自我に張り付く、虚栄心という名の、「見透かされることへの恐怖感情」を無視し難いと考えたのである。

2.箱庭の帝王  

 森恒夫と永田洋子が上州の山奥に構築した場所は、およそ人間の自我を適度に休ませる場所から最も隔たっていた。
 
 人間の自我に恒常的に緊張感を高める場所にあって、森恒夫の自我は常に裸にされることを恐れつつ、必要以上の衣裳をそこに被せていたと思われる。彼の虚栄心の対象は京浜安保共闘に集中的に向けられていたから、例外的に裸の自我が洩れ出すことがある。

 それを目撃する機会が最も多かったのが、盟友であった坂東国男である。坂東の伝える森恒夫像の正確さが根拠を持つ所以である。

 京浜安保共闘が山岳ベースに入る際に、既に、二人の粛清犠牲者を出したという報告を坂東から受けたときの森恒夫の動揺は、この男の平均的な人間性を、寧ろ余すところなく伝えていると言えるだろう。

 森はそのとき、「またやったか。あいつらはもはや革命家じゃないよ」と言った後、暗鬱な表情で暫く視線を落としていたと言う。(以上のエピソードは、植垣康博著「兵士たちの連合赤軍」彩流社刊参照)

 森恒夫が坂東からの報告を受けたときのインパクトは、想像するに余りある。

 森はこのとき、自分が相当の覚悟を括って対峙していかないと、状況が自らの脆弱さを醜いまでに晒しかねない恐怖感を感じ取ったと思われる。

 「覚悟」と「胆力」―― 決定的な状況下で、その状況を拓く役割を担っている者に常に問われるのは、この二つのメンタリティ以外ではないだろう。「覚悟」とは、「逃避拒絶」であり、「胆力」とは、「恐怖支配力」である。私の定義である。まさにこのとき、森恒夫という男には、このような強靭な精神性が求められていたのである。 

 幸いにして、自らは連合赤軍の最高指導者の地位にあるから、自らの跳躍によって「箱庭の帝王」を貫徹することが可能であり、そこでの「あるべき革命家像」の仮構によって自己史を止揚し得ると踏んでいたのだろうか。いずれにせよ、山岳ベースに入ってからの森恒夫の変身は、赤軍派内の同志たちに近寄り難い印象を残したようだ。
 
 京浜安保共闘からの遠山美枝子批判に端を発する、「内なるブルジョア性」との戦いは、やがて「総括」を日常化するに至り、ここに、「共産主義化論」を大義名分とした粛清の嵐が澎湃(ほうはい)していくのである。狭義に括られる所の、「連合赤軍事件」である。

 今、この事件を改めて整理してみる。

 この事件を考えるとき、連合赤軍の「殲滅戦」の思想を避けて通ることができないだろう。「殲滅戦」の思想こそ、この事件の母体となった思想である。この事件にまつわるあらゆる不幸は、全て「殲滅戦」の遂行という基本命題から出発しているとも言えるのだ。

 「殲滅戦」とは、敵(国家権力)を倒すか、敵に倒されるかという絶対状況を作り出すことである。彼らの意識において、それは革命戦争以外ではなかった。この思想は京浜安保共闘の根幹を成すマオイズム(毛沢東主義・注4)の影響もあって、山岳ベースの構築に帰結していくことになるが、そこには既に、不幸な事態の過半の要因が出揃っていた。

 山岳ベースという閉鎖的空間の選択が、「殲滅戦」の思想の理論的帰結と言っていいかどうか多いに疑問が残る所だが、若い攻撃的な情念は自らの思想と肉体の純化を、明らかに、都市と隔絶した「聖なる空間」に求めたのである。

(注4)農村が都市を囲繞し、都市ブルジョアジーを打倒することで達成されると考えられる労農一体の革命理論だが、農民がどこまでも中心的主体と看做すところがあり、階級闘争を絶対視する。このラジカルな思想が、後の「大躍進」や「文化大革命」という国内的大混乱を惹き起こしたと言っていい。その影響力は、カンボジアの「キリング・フィールド」を起こしたポル・ポト思想や、ネパールのマオイストらの行動に多大な影響を与えた。

 この文脈から言えば、「殲滅戦」を戦い抜く不屈な意志と強靭な肉体によって武装化されたスーパーマン(「共産主義化された人格」)に変身する(「自己変革」)までは決して下山しないという実践的テーゼ(「共産主義化論」)の登場は、彼らが山岳ベースを選択した時点で、半ば開かれた行程であったと言えるだろう。

 最高指導者によって提起された「共産主義化論」は、それがどのような理論的枠組みを持っていたにせよ、本質的には、最高指導者の権威と権力を強化していく方向にしか動かないのは自明である。何故なら、「共産主義的人間」のイメージは、ある特定の個人の観念の恣意性に依拠しなければ、そこに統一的な把握が困難なほどに漠然としたものであるからだ。

 「殲滅戦」の思想は、当然、「軍」の創設を必然化し、「軍」の創設は強力な上意下達の臨戦的な組織を要請する。山岳ベースは、この要請に応える形で構築されたのだ。この状況下で提起された実践的テーゼは、それを提起した最高指導者の観念の恣意性に全面依存する以外にないのである。

 有体に言えば、最高指導者が白と言えば白になり、黒と言えば黒になってしまうのだ。最高指導者の正義こそ組織の正義であり、「軍」の正義なのである。

 「共産主義化論」の登場は、本人がそれをどこまで自覚していたかに拘らず、最高指導者を神格化する最強のカードであったのだ。最高指導者としての森恒夫の変身は、自らが出したカードの効用の加速化と軌を一にして成ったものと見ていいのである。

 同時に、特殊な状況下にあって、森恒夫に内深く求められていたであろう、「覚悟」と「胆力」という強靭なメンタリティによる武装は、最高指導者を神格化し得る「共産主義化論」の提示によって、そこに構築された関係を権力性の濃度の深い様態に変容せしめるプロセスの内に収斂され、その過剰な観念系を仮構されていくに至ったと思われる。

 坂東国男や植垣康博に、「土建屋」を思わせるまでに変貌した、自らの風貌から滲み出る押し出しの強さと威厳性。総括等で、しばしば見せる迫力ある弁舌によって年少の同志たちを煙に巻き、二言目には、「力量の違いだよ」と驕って見せる態度などが求心力となって、「聖なる空間」において、森恒夫の神格性をより際立たせていく。

 森は恐らく、自らのヒロイックな自己総括を含めた印象的なパフォーマンスによって、年少の同志たちの思いを束ねることができたという実感に、一時(いっとき)漬かっていたはずだ。この実感は尊敬感情であると言っていい

 尊敬感情とは、関係における能力の落差に価値観を挿入することで、その関係を「優劣性」によって際立たせていく感情傾向である。それを被浴することは、人が人を動かすときに無視し難い力の源泉にもなる。尊敬感情を浴びることは、全ての権力者が均しく熱望するものであり、これを手に入れるために、彼らがどれほど醜態を演じて見せてきたかについては、私たちの知る所でもある。

 そして、この類の尊敬感情が、しばしば畏敬感情に繋がり得る心理的文脈については殆ど自明であるだろう。畏敬感情の本質は、恐れの感情である。恐れの感情を相手の人格に抱かせてしまうこと―― それが権力者の最も簡便な支配の様態であるということだ。
 
 森恒夫は、相手に畏怖感を与える一定の人格表現によって、「軍」と「党」の覇権を掌握し、自らも威厳的な態度を選択的に押し出していく。植垣康博は森の変貌に驚き、そこに越え難い距離感を覚えたことを自著に記していた。

 越え難い距離にいる者に対する普通の人々の基本的対応は、三つしかないだろう。

 「拒否」、「無視」、「同化」である。

 相手の権威を絶対に認めず、権威が自己に侵入してくることを毅然と拒むか、それとも、「自分とは無縁である」と言って、関係上の接点を持たないか、或いは、相手の権威に同化していくかのいずれかの対応である。

 ここで問題となる対応は、同化という態度である。

 人々が極限状況にでも置かれない限り、そうは易々と、他者の前で卑屈な自我を晒す訳にはいかない。そこで大抵の人間は、相手が垣間見せる「弱さ」や「寛大さ」を、自分(または自分たち)だけに特別に届けた表現であると思い込むことで、そこに都合のいい物語を創作していく。

 曰く、「天皇は私たちの苦難に心を痛めている。天皇をこれ以上苦しめてはならない」

 曰く、「毛沢東主席は私たちの心を分っている。主席の指示に誤りがあるはずがない。悪いのは全て、走資派(注5)のブタたちだ。革命を進めていくしかない」(「四人組」との闘争の勝利後に提起された、「毛沢東主席の決定を守り、その指示に従え」という、華国鋒の「二つのすべて」論も、そのイデオロギーの基幹には、この物語が横臥する)

 更に曰く、「金日成将軍は、本当は自分の銅像なんか作りたくないのだ。私たち国民が未熟だから悪いんだ。皆で将軍を守っていくしかない」等々。
 
 このような「確証バイアス」(自分が都合の良い情報によって、事態を把握すること)が一人歩きしてしまったら、権威への同化はほぼ完成したと見ていい。こうして人々は卑屈な自我を脱色しつつ、心地良く甘美な物語に陶酔していくことになるのだ。

(注5)劉少奇・ケ小平に代表される実権派のこと。中国文化大革命で、資本主義への復活を目指す党内幹部として打倒の対象にされた。

 
 森恒夫が自己総括の場で、自分の「汚点」を告白したという行為は、まさしく「天皇の涙」であり、「毛沢東の呻吟」であり、「金日成の苦渋」である。
 
 森恒夫はこの夜、「箱庭の帝王」になった。
 
 彼の重苦しい総括は、その後の忌まわしい総括の方向性を決定付けたのである。

 これが一つの契機となって、自己の過去と現在を容赦なく暴き、抉り出し、迸(ほとばし)る血の海の中から奇蹟的な跳躍を果たしていく厳しさが強要されるという、この「箱庭」の世界での総括のスタイルが定着するのである。

 この夜、最高指導者の一世一代の大芝居を聞く者の何人かは、明け方には疲労で眠りに入ってしまったが、それまでは、感極まって啜り泣く者もいたと言う。

 このようなエピソードには、厳冬の自然に抱かれて、生命を賭けた革命のロマンを語る若い情念の熱気を彷彿させるものがあり、時代さえ間違えなければ、語り継がれる感動譚の定番となる2、3の要素が揃っていたとも言えようか。

 いずれにせよ、このエピソードは、森恒夫の権力性が山岳ベースにおいて形成されていったことを雄弁に語っている。

 つまり森は、山岳ベース構築の当初から同志たちの肉体と精神を苛烈に管理していった訳ではないということだ。彼の「共産主義化」論の提示も、京浜安保共闘の永田洋子らの遠山美枝子批判(会議中に髪を梳かしたり、化粧をしたり等の行為によって、ブルジョア的とされた)への誠実な反応と理解・把握されたのである。

 しかしこれが、遂に自力で覚醒に逢着し得なかった全ての悪夢の始まりだった。榛名山岳ベースでの、「死の総括」の始まりである。
 
 髪を梳(と)かすことに象徴される、男女のエロス原理がブルジョア思想として擯斥(ひんせき)されるのだ。これは男の中の男性性と、女の中の女性性の否定である。

 その極めつけのような、森の表現がある。

 「女は何で、ブラジャーやガードルをするんや。あんなもん、必要ない」

 森はそう言ったのだ。

 彼は女性の生理用品の使用すら否定し、新聞紙で処理しろと要求したのである。こうした森の批判は、女性に「女」であることを捨てて、「戦士」としてのみ生きることを求めたもので、当時、女の中の女性性を否定していたはずの永田洋子は、獄中で記した「十六の墓標」(彩流社刊)の中で、これを「反人間的行為」であると批判している。

 森恒夫のエロス原理否定の思考は、山岳ベースに集合する若者たちを名状し難い混乱に陥れたであろう。

 大槻節子(京浜安保共闘)に恋情を抱いた植垣康博(赤軍派)が、大槻が過去の恋愛事件を理由に、「死の総括」を受けているとき、自分との関係を問題化され、「総括」を求められることの恐怖感に怯えていた日々を、彼は「兵士たちの連合赤軍」(彩流社刊)の中で率直に語っている。

 閉鎖的小宇宙の中で、森の「共産主義的人間」観は、男女の感情を惹起させる「性」の否定にまで行き着いたのだ。
 
 同様に、女性同志への恋愛問題が理由(後に、3人目の犠牲者となる小嶋和子と恋愛関係にあった)で、最初に総括を求められた後に、4人目の総括死に至る加藤能敬(京浜安保共闘)は、自らの性欲を克服すると総括した後、森に「性欲が起こったら、どうするのか?」と問い詰められた。

 この問いに対して、加藤は何と答えたか。

 「皆に相談します」

 ここまで来ると、殆ど喜劇の世界である。

 しかし、この小宇宙の基本的旋律は安手の喜劇を彷彿させるが、その内実は、一貫して悲劇、それもドロドロに液状化した極めつけの悲劇である。この小宇宙が喜劇なら、加藤のこの発言が他の同志たちの爆笑を買い、「この、ドアホ!」と頭を軽く叩かれて、それで完結するだろう。

 ところが、加藤のこの発言は森の逆鱗に触れて、総括のやり直しを求められることになり、遂に死の階梯を上り詰めていってしまうのである。

 この小宇宙にはもう、自らを守るための人間の愚かな立居振る舞いをフォローしていくユーモアの、些かの余裕も生き残されていなかった。

 因みに、私の把握によれば、ユーモアとは「肯定的なる批判精神の柔和なる表現」である。そんな精神と無縁な絶対空間 ―― それが革命を呼号する若者たちが構築した山岳ベースだった。その山岳ベース内の闇の臭気の濃度が自己生産的に深まるにつれ、若者たちの自我は極度に磨り減って、アウト・オブ・コントロールの様相を呈していく。

 追い詰める者も、追い詰められる者も、自我を弛緩させる時間を捕捉することさえ為し得ず、「総括すること」と、「総括させること」の遣り切れなさを客観的に認知し、その行程を軌道修正することさえ叶わない負の連鎖に、山岳ベースに蝟集(いしゅう)する全ての若者たちは搦(から)め捕られていたのである。

 そんな過剰な状況が小さな世界に閉鎖系を結ぶとき、そこに不必要なまでに過剰な「箱庭の帝王」が現出し、そこで現出した世界こそ、「箱庭の恐怖」と呼ぶべき世界以外の何ものでもないであろう。

3.箱庭の恐怖   

 ある人間が、次第に自分の行動に虚しさを覚えたとする。
 
 彼が基本的に自由であったなら、行動を放棄しないまでも、その行動の有効性を点検するために行動を減速させたり、一時的に中断したりするだろう。

 ところが、行動の有効性の点検という選択肢が最初から与えられていない状況下においては、行動の有効性を疑い、そこに虚しさを覚えても、行動を是認した自我が呼吸を繋ぐことを止めない限り、彼には行動の空虚な再生産という選択肢しか残されていないのである。

 このとき自我は、自らの持続的な安寧を堅持するための急拵(きゅうごしら)えの物語を作り出す。即ち、「虚しさを覚える自分が未熟なのだ。ここを突破しないと私は変われない」などという物語にギリギリに支えられて、彼は自らを規定する状況に縋りつく以外にないのである。

 彼には、行動の強化のみが救済になるのだ。

 そこにしか、彼の自我の安定の拠り所が見つからないからである。行動の強化は自我を益々擦り減らし、疲弊させていく。負の連鎖がエンドレスの様相を晒していくのである。

 平和の象徴である鳩でも狭い箱に二羽閉じ込められると、そこに凄惨な突っつき合いが起こり、いずれかが死ぬケースを招くと言う。

 これは、コンラート・ローレンツが「ソロモンの指輪 動物行動学入門」(早川書房刊)で紹介した有名な事例である。

 全ての生物には、その生物が生存し得る最適密度というものがある。人間の最適密度は、自我が他者との、或いは、他者からの「有効攻撃距離」を無化し得る、適正なスタンスを確保することによって保障されるだろう。
 
 最適密度が崩れた小宇宙に権力関係が持ち込まれ、加えて、「殲滅戦」の勝利のための超人化の達成が絶対的に要請されてくるとき、その状況は必ず過剰になる。その状況はいつでも沸騰していて、何かがオーバ−フローし、関係は常に有効攻撃距離の枠内にあって、その緊張感を常態化してしまっている。人間が最も人間的であることを確認する手続き、例えば、エロス原理の行使が過剰な抑圧を受けるに至って、若者たちの自我は解放への狭隘な出口すらも失った。この過剰な状況の中で、若者たちのエロスは相互監視のシステムに繋がれて、言語を絶する閉塞感に搦(から)め捕られてしまったのである。

 欲望の否定は、人間の否定に行き着く。

 人間とは欲望であるからだ。

 人間の行為の制御を、その行為を生み出す欲望の制御というものもまた、別の欲望に依拠せざるを得ず、そのための司令塔というものが私たちの自我であることを認知できないまでも、少なくとも、それが人間に関わる基本的経験則であることを、私たちは恐らく知っている。私たちの欲望は、その欲望を制御することの必要性を認識する自我の指令によって、その欲望を制御し得る別の欲望を媒介項にして、何とか制御されているというのが実相に近いだろう。

 例えば、眼の前に美味しいご馳走が並べられているとする。

 しかし今、これを食べる訳にはいかない理由が自分の内側にあるとき、これを食べないで済ます自我の戦術が、「もう少し我慢すれば必ず食べられるから、今は止めておけ」という類の単純な根拠に拠っていたとしよう。

 このとき、「今すぐご馳走が食べたい」という欲望を制御したのは、自我によって引っ張り出されてきた、「もう少し我慢した後で、ご馳走が食べたい」という別の欲望である。後者の欲望は、自我によって加工を受けたもう一つの欲望なのである。

 このように、人間の欲望は、いつでも剥き出しになった裸の姿で身体化されることはない。もしそうであったなら、それを病理と呼んでも差し支えないだろう。欲望を加工できない自我の病理である。欲望の制御とは、自我による欲望の加工でもある。これが、些か乱暴極まる私の「欲望」についての仮説である。

 もう一つ、事例を出そう。

 愛する人に思いを打ち明けられないで悩むとき、愛の告白によって開かれると予想される、素晴らしきバラ色の世界を手にしたいという欲望を制御するものは実に様々だ。

 「今、打ち明けたら全てを失うかもしれないぞ。もう少し、『恋愛』というゲームに身を委ねていてもいいじゃないか」

 そんな自我の急拵えの物語よって引っ張り出されてきた別の欲望、つまり、「もっとゲームを楽しもう」という欲望が、元の欲望を制御するケースも多々あるだろう。ここでも、欲望が自我の加工を受けているのである。

 或いは、「諦めろ。お前は恋愛にうつつを抜かしている場合ではない。お前には司法試験のための勉強があるだろう」などという物語が自我によって作り出されて、「愛の告白」によるエロス世界への欲望が制御されるが、このとき、自我は「司法試験突破によって得られる快楽」に向かう欲望を、内側に深々と媒介させているのかも知れない。欲望が別の欲望によって制御されているのである。

 また、ストイックな禅僧なら、「耐えることによって得られる快楽」に向かう欲望、例えば、尊敬されたいという欲求とか、自己実現欲求等が、自らの身体をいたずらに騒がせる性欲を制御するのかも知れないのである。

 このように、欲望を加工したり、或いは、全く異質の欲望を動員したりすることで、私たちの自我は元の欲望を制御するのである。欲望の制御は、本質的には自我の仕事なのだ。私たちの自我は、「A10神経」から流入するドーパミンによる快楽のシャワーを浴びて、しばしばメロメロになることもあるが、欲望を制御するためにそれを加工したり、全く異質の欲望を作り出したりことすらあるだろう。

 人間とは欲望であるという命題は、従って、人間とは欲望を加工的に制御する、自我によってのみ生きられない存在であるという命題とも、全く矛盾しないのである。私たちができるのは本質的に欲望の制御であって、欲望自身の否定などではない。欲望を否定することは、美しい女性を見ただけで、「触れてみたい」という殆ど自然な感情を認知し、それを上手に加工する物語を作り出す自我を否定することになり、これは人間の否定に繋がるだろう。

 森恒夫に象徴される、連合赤軍兵士たちが嵌ってしまった陥穽は、理念系の観念的文脈、及び訓練された強靭な身体の総合力によって、人間のドロドロした欲望が完全に取り除かれることができると考える、ある種の人間の自我に強迫的に植え付けられた、それもまた厄介な観念の魔境である。

 まさしく、それこそが唯物論的な観念論の極致なのだ。その人間観の度し難き楽天主義と形式主義に、私は殆ど語るべき言葉を持たない。

 彼らが要求する「総括」というものが、本来、極めて高度な客観的、分析的、且つ知的な作業であるにも拘らず、彼らの嵌った陥穽はそんなハードなプロセスとは全く無縁な、過分に主観的で、感覚的な負の連鎖の過程であった。

 自らを殴らせ、髪を切り、「小島のように死にたくない。どう総括したらいいか分らない」と訴える遠山美枝子に、永田洋子が発した言語は、「ねぇ、早く総括してよ」という類の、懇願とも加虐嗜好とも看做し得る不毛な反応のみ。かくも爛(ただ)れた権力関係のうちに露呈された圧倒的な非生産性に、身の凍る思いがするばかりだ。

 生命、安全という、自我の根幹に関わる安定の条件が崩れている者は、通常その崩れを修正して、相対的安定を確保しようと動くものである。自我の基本的な安定が、理性的認識を支えるのである。死の恐怖が日常的に蔓延している極限状況下で、最も理性的な把握が可能であると考えること自体、実は極めて非理性的なのだが、元々、山岳ベースを選択させしめた彼らの「殲滅戦」の思想こそが非現実的であり、反理性的、且つ、超観念的な文脈以外ではないのだ。

 森や永田は、総括を要求された者が、「死の恐怖」を乗り越えて、自己変革を達成する同志をこそ、「共産主義的人間」であると決め付けたが、では、「死の恐怖」からの乗り越えをどのように検証するのか。また、そのとき出現するであろう、「共産主義的人間」とは、一体どのような具象性を持った人間なのか。

 「総括」の場に居合わせた他の同志たちの攻撃性を中和し、彼らの心情に何某かの親和性を植えつけることに成就した心理操作の達人こそ、まさに「共産主義的人間」であって、それは極めて恣意的、人工的、情緒的、相対的な関係の力学のうちに成立してしまうレベルの検証なのである。

 要するに、指導部に上手く取り入った人間のみが「総括」の勝利者になるということだ。しかしこれは、本来の人柄の良さから、森と永田に適正なスタンスをキープし得た植垣康博のみが例外であって(それも状況の変化が出来しなかったら、植垣も死出の旅に放たれていただろう)、「総括」を要求された他の若者たちは、このダブルバインドの呪縛から一人として生還できなかったのである。

 「12人の縛られし若者たち」を呪縛した「ダブルバインド」とは、こういうことだ。
 
 遠山のように、知的に「総括」すれば観念論として擯斥(ひんせき)され、加藤のように、自らの頭部を柱に打ちつけるという自虐的な「総括」を示せば、思想なき感情的総括として拒まれるという、まさに出口なしの状況がそこにあった。そのことを、彼らの極度に疲弊した自我が正確に感知し得たからこそ、彼らは、「生還のための総括」の方略を極限状況下で模索したのである。

 仮に貴方が、自分を殺すに違いないと実感する犯人から刀を突きつけられて、「助かりたいなら、俺の言うことを聞け」と命令されたら、どうするだろうか。

 過去のこうした通り魔的な事件では、大体、皆犯人の命令どおりに動いているが、これは生命の安全を第一義的に考える自我の正常な機能の発現である。

 然るに、森と永田は、「総括」を求められた者が自分たちの命令通りに動くことは、「助かりたい」という臆病なブルジョア思想の表れであると決めつけた挙句、彼らに「総括」のやり直しを迫っていく。指導部の命令を積極的に受容しなかったら利敵行為とされ、死刑に処せられるのである。

 「12人の縛られし若者たち」が縛られていたのは、彼らの身体ばかりでなく、彼らの自我そのものであったのだ。

 この絶対状況下での、若者たちの自我の崩れは速い。
 
 あらゆる選択肢を奪われたと実感する自我に、言いようのない虚無が襲ってくる。生命の羅針盤である自我が徐々に機能不全を起こし、闇に呑まれていくのだ。「どんなことがあっても生き抜くんだ」という決意が削がれ、空疎な言動だけが闇に舞うのである。

 連合赤軍幹部の寺岡恒一の、処刑に至る時間に散りばめられた陰惨なシーンは、解放の出口を持てない自我がどのように崩れていくのかという、その一つの極限のさまを、私たちに見せてくれる。兵士たちへの横柄な態度や、革命左派(京浜安保共闘)時代の日和見的行動が問題視されて、「総括」の対象となった寺岡が、坂東と二人で日光方面に探索行動に出た際に、逃げようと思えば幾らでも可能であったのに、彼はそうしなかった。

 その寺岡が、「総括」の場で何を言ったのか。

 「坂東を殺して、いつも逃げる機会を窺っていた」

 そう言ったのだ。

 俄かに信じ難い言葉を、この男は吐いたのである。

 この寺岡の発言を最も疑ったのは、寺岡に命を狙われていたとされる坂東国男その人である。なぜなら坂東は、この日光への山岳調査行の夜、寺岡自身から、彼のほぼ本音に近い悩みを打ち明けられているからである。坂東は寺岡から、確かにこう聞いたのだ。

 「坂東さん、私には『総括』の仕方が分らないのですよ」

 悩みを打ち明けられた坂東は当然驚くが、しかし彼には有効なフォローができない。寺岡も坂東も、自己解決能力の範疇を超えた地平に立ち竦んでいたのである。坂東には、このような悩みを他の同志に打ち明けるという行為自体、既に敗北であり、とうてい許容されるものではないと括るしか術がないのだ。自分を殺して、脱走を図ろうとする者が、あんな危険な告白をする訳がない、と坂東は「総括」の場で考え巡らすが、しかし彼は最後まで寺岡をアシストしなかったのである。

 逃げようと思えばいつでも逃げることができる程度の自由を確保していた寺岡恒一は、遂にその自由を行使せず、あろうことか、彼が最後まで固執していた人民兵としてではなく、彼が最後まで拒んでいた「階級敵」として裁かれ、アイスピックによる惨たらしい処刑死を迎えたのである。

 寺岡恒一は、「あちらも、こちらも成り立たず」というダブルバインドの絶対状況下で、生存への固執の苦痛より幾分かはましであろうと思われる死の選択に、急速に傾斜していった。

 彼の生命を、彼の内側で堅固にガードする自我が、彼の存在を絶対的に規定する、殆ど限界的な状況に繋がれて、極度の疲弊から漸次、機能不全を呈するに至る。ここに、人間に対する、人間による最も残酷な仕打ちがほぼ完結するのだ。

 人間はここまで残酷になれるのであり、残酷になる能力を持つのである。

 人間に対する最も残酷な仕打ちとは、単に相手の生命を奪うことではない。相手の自我を執拗に甚振(いたぶ)り、遂にその機能を解体させてしまうことである。人間にとって、拠って立つ生存の司令塔である自我を破壊する行為こそ、人間の最も残酷なる仕打ちなのである。

 「自我殺し」(魂の殺害)の罪は、自我によってしか生きられない最も根本的な在り処を否定する罪として、或いは、これ以上ない最悪の罪であると言えるのかも知れない。

 「12人の縛られし者たち」は自分たちの未来を拓いていくであろう、その唯一の拠り所であった自我を幾重にも縛られて、解放の出口を見つける内側での一切の運動が、悉(ことごと)く徒労に帰するという学習性無力感(この場合、脱出不能の状況下にあって、その状況から脱出しようとする努力すら行わなくなるという意味)のうちに立ち竦み、ある者は呻き、ある者は罵り、ある者は泣き崩れるが、しかし最後になると、殆どの者は、まるでそこに何もなかったかのようにして静かに息絶えていった。

 そして「12人の縛られし者たち」が去った後、彼らを縛っていたはずの全ての攻撃者たちの内側に、「最も縛られし者たちとは、自分たちではないのか」という、決して言語に結んではならない戦慄が走ったとき、もうその「聖なる空間」は、「そして誰もいなくなった」という状況にまで最接近していた、と私は考察する。この把握は決定的に重要である。何故なら、この把握なくして「浅間山荘事件」のあの絶望的な情念の滾(たぎ)りを説明することが困難だからである。

 「浅間山荘事件」の被害者の方には、不穏当な表現に聞こえるかも知れないが、「浅間山荘」は、紛れもなく、山岳ベースでの、「そして誰もいなくなる」という極限状況からの少しばかりの解放感と、そしてそれ以上に、同志殺しの絶望的ペシミズムに搦め捕られてしまった自我に、身体跳躍による一気の爆発を補償する格好のステージであったと言えようか。

 束の間、銃丸で身を固めた者たちの自我もまた、山岳ベースの闇に縛られていたのである。縛る者たちの自我は、昨日の同志を縛ることで、自らの自我をも縛り上げていく。明日は我が身という恐怖が、残されし者たちの自我に抗いようもなく張り付いていく度に、縛る者の自我は確実に削り取られていく。削り取られるものは思想であり、理性であり、感情であり、想像力であり、人格それ自身である。

 こうして闇は益々深くなり、いつの日か、「そして誰もいなくなる」というミステリーをなぞっていくかのように、空疎なる時間に弄(もてあそ)ばれるのである。

 残されし者たちの、その自我の崩れも速かった。

 自我が拠り所にする思想が薄弱で、それは虚空に溢れる観念の乱舞となって、自我を支える僅かの力をも持ち得なくなる。山岳ベースで飛び交った重要な概念、例えば、「共産主義化」とか、「敗北死」とかいう言葉の定義が曖昧で、実際、多くの同志たちはその把握に苦慮していた。
 
 「実際のところ、共産主義化という概念はじつに曖昧で、連合赤軍の生存者たちは一様に、まったく理解できなかったと述べている。彼らは、いわゆる自己変革を獲得しようという心情的呼びかけはよく理解できた。問題は、変革を獲得した状態とはどういうものなのか、獲得する変革とはいったいなんなのか、何も描き出されていないことだった」

 これは、パトリシア・スタインホフ女史(注6)の「日本赤軍派」(河出書房新社刊)の中の共感する一節であるが、「共産主義化」という最も重要な概念が把握できないのだから、「総括が分らない」と訴えるのも当然であろう。
 

(注6)1941年生まれ.ミシガン州デトロイト出身.ミシガン大学日本語・日本文学部卒業後,ハーバード大学にて社会学博士号を取得.現在,ハワイ大学社会学部教授.戦前期日本の転向問題をはじめ,新左翼運動の研究で著名。(「岩波ブックサーチャー・著者紹介」より)

 「私は、山崎氏と土間にしゃがんで朝の一服をしながら話をしていたが、しばらくして、加藤氏が死んでいるのに気がついた。

 『大変だ!死んでいるぞ!』
 と叫ぶと、指導部の全員が土間にすっ飛んできた。皆は、加藤氏の死を確認すると、『さっきまで元気だったのに』といい合い、加藤氏の突然の死に驚いていた。特に加藤氏の弟たちの驚きは大きく、永田さんは二人を抱きかかえるようにしてなぐさめていた。

 『どうして急に死んでしまったんだろう』といいながら話し合っていたが、話し合いを終えると、永田さんが、指導部の見解を、『加藤は逃げようとしたことがバレて死んだ。加藤はそれまで逃げることが生きる支えになっていた。それが指摘されてバレてしまい、絶望して敗北死してしまった』と私たちに伝えた。

 誰も陰鬱な様子で何もいわなかったが、私は加藤氏の急な死が信じられない思いでいたため、永田さんの説明に、なるほどと思った。

 そして加藤氏の死因を絶望したことによる精神的なショック死と解釈し、この段階で、初めて『敗北死』という規定が正しいのだと確信した。それまでの私は、『敗北死』という規定がよくわからず、総括できずに殺されたと思っていたのである」(筆者段落構成)
 
 これは、植垣康博の「兵士たちの連合赤軍」からの抜粋であるが、同志たちの死に直面した一兵士が山岳ベースの闇の奥で、どのようにして自我を支えてきたのかということを示す端的な例である。

 「革命」を目指す人間が、同志殺しを引き摺って生きていくのは容易ではない。普通の神経の持ち主なら、例外なく自我の破綻の危機に襲われるだろう。自我の破綻の危機に立ち会ったとき、その危機を克服していくのも自我それ自身である。

 その自我は、自らの危機をどのように克服していくのか。

 同志殺しを別の物語に置き換えてしまうか。或いは、それを正当化し得ないまでも、心のどこかでそれを生み出したものは「体制」それ自身であるとして、引き続き反体制の闘士を続けるかなどの方略が考えられる。
 
 後者の典型が、後に中東に脱出した坂東国男や、獄内で死刑制度と闘うと意気込む永田洋子だろうか。然るに、山岳ベースの只中で闇の冷気を呼吸する若い自我が、なお「革命家」として生きていくには前者の選択肢しか残されていない。彼らは、「同志殺し」を「敗北死」の物語に置き換える以外になかったのだ。

 植垣康博の自我は、「総括」で死んでいった者は「総括する果敢な自己変革の闘争に挫折し、敗北死した」という把握に流れ込むことによって救済されたのである。だからこそ、寺岡恒一の指示で死体を殴れたのであり、その寺岡の胸をアイスピックで突き刺すことができたのである。

 しかし、植垣康博の自我の振幅は大きく、度々危険な綱渡りを犯している。

 指導部に入ることで人格が変貌したように思えた坂東国男に向かって、彼は「こんなことやっていいのか?」と問いただす勇気を持っていた。

 「党建設のためだからしかたないだろう」

 これが、坂東のぶっきらぼうな解答だった。

 連合赤軍兵士の中で、相対的に激情から最も程遠い自我を有していると思われる植垣は、結局、「敗北死」という物語に救いを求める外はなかったようだ。

 激情に流された遠山美枝子は、吉野雅邦(注7)らの指示で裸にした同志の死体に馬乗りになり、こう叫んだのだ。

 「私は総括しきって革命戦士になるんだ」

 彼女は叫びながら、死体の顔面を殴り続けた。その遠山も後日、死体となって闇に葬られる運命から逃れられなかったのである。彼らの自我は死体を陵辱する激情でも示さない限り、自己の総体が崩れつつある不安を鎮められなかったのだ。

(注7)事件当時23歳。横浜国立大学中退。京浜安保共闘出身。猟銃店襲撃事件や「印旛沼事件」(組織を抜けた二人の同士を永田の命令によって殺害した事件)に関与した後、山岳ベース事件後の「浅間山荘事件」に参加し、逮捕。1983年、東京高裁で無期懲役の判決を受け、上告せず、刑は確定した。なお、11番目の犠牲者となった金子みちよの事実上の夫でもあった。

 
 しかし事態は、悪化の一途を辿る。

 いったん開かれた負の連鎖は次第に歯止めがきかなくなり、「総括」に対する暴力的指導の枠組みを超える、処刑による制裁という極限的な形態が登場するに及んで、その残酷度がいよいよエスカレートしていくのだ。

 森と永田が、金子みちよ(京浜安保共闘)の母体から胎児を取り出す方法を真剣に話し合ったというエピソードは、最高指導部としての彼らの自我の崩れを伝えるものなのか。何故なら、「総括」進行中の金子から胎児を取り出すことは、金子の「総括」を中断させた上で、彼女を殺害することを意味するからであり、これは指導部の「敗北死」論の自己否定に直結するのである。

 森と永田の理性の崩れは、彼らが金子の腹部を切開して胎児を取り出せなかった判断の迷いを、事もあろうに、彼ら自身が自己批判していることから明らかであると言えようか。

 それとも「総括」による激しい衰弱で、もはや生産的活力を期待すべくもない肉体と精神を早めに屠って、未来の革命家を組織の子として育てた方がより生産的であるという思想が、ここに露骨に剥き出しにされていると見るべきなのか。

 いずれにせよ、こうして少しずつ、時には加速的に、人間の、人間としての自我が確実に削り取られていくのであろう。
 
 削り取られた自我は残酷の日常性に馴れていき、その常軌を逸した振舞いがほぼ日常化されてくると、同志告発の基準となる彼らの独善的な文法の臨界線も、外側に向かって拡充を果たしていく。

 これは、どのような対象の、どのような行為をも「総括」の対象になり得るということであり、そして、一度この迷路に嵌ったら脱出不能ということを意味するのだ。この過程の中で崩れかかっていた自我を一気に解体に追い込み、そして最後に、身体機能を抹殺するという世にもおどろおどろしい「箱庭の恐怖」が、ここに完結するのである。
 
 連合赤軍のナンバー3であった坂口弘は、遠山の死後、「敗北死」論によってさえも納得できない自我を引き摺って、遂に中央委員からの離脱を表明するが、しかし彼の抵抗はそこまでだった。

 パトリシア・スタインホフの言葉を借りれば、坂口のこのパフォーマンスは一時的効果をもたらしただけで、状況の悪化の歯止めになる役割をも持ち得なかった。

 彼女は書いている。

 「実際には何一つ解決してはいなかった。粛清への心理的ダイナミズムは相変わらずで、ただ延期されていただけなのだ。しかもその延期状態も不完全なものだった。すでに犠牲者となった人、弱点を警告された人、まだターゲットになっていない人、この三者のあいだに明確な区別は何もなかった」(前掲書より)

 今や、「箱庭」の空気は魔女裁判の様相を呈して、重く澱んでいたのである。

 16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに猛威を振るった魔女裁判の被害者は、身寄りなく、貧しく、無教養で陰険なタイプの女性に集中していたという報告があるが、やがてその垣根が取り払われて、「何でもあり」の様相を呈するに至るのは、抑止のメカニズムを持たない過程に人間が嵌ってしまうと、必ず過剰に推移してしまうからである。
 
 人間の自我は、抑止のメカニズムが十全に作動しない所では、あまりに脆弱過ぎるのだ。これは人間の本質的欠陥である。

 いったん欲望が開かれると、そこに社会的抑制が十全に機能していない限り、押さえが利かなくなるケースが多々出現する。上述したテーマから些か逸脱するが、ギャンブルで大勝することは未来の大敗を約束することと殆ど同義である、という卑近の例を想起して欲しい。

 これは脳科学的に言えば、ストレスホルモンとしてのコルチゾールの分泌が抑制力を失って、脳に記憶された快感情報の暴走を制止できなくなってしまう結果、予約された大敗のゲームに流れ込んでしまうという説明で充分だろう。「腹八部に医者いらず」という格言を実践するのは容易ではないのである。ましてや六分七分の勝利で納得することなど、利便なアイテムに溢れる現代文明社会の中では尋常な事柄ではないと言っていい。

 因みに、戦国武将として名高い武田信玄は、「甲陽軍鑑」(武田家の軍学書)の中で、「六分七分の勝は十分の勝なり。八分の勝はあやうし。九分十分の勝は味方大負の下作也」と言っているが、蓋(けだ)し名言である。私たちの理性の強さなど高が知れているのだ。

 榛名山の山奥に作られた革命のための「箱庭」には、適度な相互制御の民主的なルールの定着が全くなく、初めから過剰に流れるリスクを負荷していたのであろう。

 二人の処刑者を出した時点で、この「箱庭」は完全に抑止力を失っていて、「そして誰もいなくなる」という戦慄すべき状況の前夜にあったとも言えるのだ。

 連合赤軍の中央委員であった山田孝の「総括」の契機となったのは、何と高崎で風呂に入ったという瑣末な行為であった。

 これを、土間にいる兵士たちに報告したのは永田洋子である。
 
 「山田は、奥沢君と町へ行った時、車の修理中に風呂に入ったことを報告しなかったばかりか、それに対して、奥沢君と一緒に風呂に入ったのは指導という観点からはまずかったとは思うが、一人ならば別にまずいとは思わないといった。これは奥沢君はまだ思想が固まっていないから、そういう時に風呂に入ればブルジョア的な傾向に流れるが、山田の様な思想の固まった人間ならば、町に出て風呂には入ってもよいということで、官僚主義であり、山の闘いを軽視するものだ。山田は、実践を軽く見ているので、実践にしがみつくことを要求することにした」(「兵士たちの連合赤軍」より)
 
 要するに、二人で町の風呂に入った行動を批判された山田が、「一人で風呂に入れば問題なかった」と答えた点に対して、それこそ、「官僚主義の傲慢さの表れ」だと足元を掬われたのである。

 逮捕後、まさにその官僚主義を自己批判した当人である永田のこの報告を受けた兵士たちが、異口同音に、「異議なし!」と反応したことは言うまでもない。

 続いて森が、山田の問題点を一つ一つ挙げていき、恫喝的に迫っていく。
 
 「お前に要求されている総括は実践にしがみつくことだ」

 その恫喝に、山田の答えは一つしかない。

 「はい、その通りです」

 更に森は、冷酷に言い渡す。

 「お前に0.1パーセントの機会を与える。明日から水一杯でまき拾いをしろ」
 
 これが、最後の「総括」者、山田孝粛清のプロローグである。
 
 森恒夫は、自著の「銃撃戦と粛清」(新泉社刊)の中で、山田孝の問題点を以下のように記している。

 @ 尾崎、進藤、加藤、小嶋さんの遺体を埋めに行く際、彼が動揺した様子で、人が居ないのに居るといったりした事。 
 A 70年の戦線離脱の頃から、健康は害していたが、そうした自己を過度に防衛しようという傾向がある事。
 B 常に所持すべき武器としてのナイフを、あるときは羽目板を夢中で刺したりしながら、置き忘れたりする事。
 C これらと軍事訓練ベースの調査報告を厳しく行い、自然環境の厳しさのためには科学的対処が必要だと称して、多くの品物を買い込んだ事、等々。
 

 以上の山田の問題は、階級闘争への関わり方の問題であり、常に書記局的、秘書的な活動に終始した問題であり、更にかつて、「死の総括」を批判しながら、「これは革命戦士にとって避けて通れない共産主義化の環である」、という森らの見解にすぐに同調する弱さなどを指摘した。

 この最後の「すぐに同調する」という指摘は、当時の森恒夫による兵士たちへのダブルバインド状況を証明する貴重な資料となるものだが(批判を許さず、且つ、同調を許さずという二重拘束状況)、それにしても、@〜Cに網羅されてあることの何という非本質性、末梢性、主観性、非合理性。

 まさに重箱の隅を突っつく観念様式である。こんなことに時間をかけて労力を費やすなら、いかに殲滅戦を結んでいくかということにエネルギーを傾注したら良さそうなのに、とつい余計なことを嘆じてしまうほどだ。

 しかしこれが、抑制系のきかない過程を開いてしまった者の、その過剰の様態なのである。果たして、誰がこの冥闇(めいあん)の袋小路から脱却できるだろうか。

 ところで永田洋子は、巷間で取り沙汰されているように異常なサディストではない、と私は考えている。

 例えば、一審で中野裁判長は、永田洋子の人格的イメージを、「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格と共に、強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵している」と決め付けたが、この巷間に流布された「悪女」伝説には、「こんな禍々(まがまが)しい事件を起こした女」という先入観によって、かなりラベリングされたイメージが色濃く反映されている。

 私には、永田の手記、書簡や他の者たちの手記から受ける彼女のイメージは、山岳ベース内で下位の同志たちに、「鬼ババア」という印象を与えていた事実に見られるように、確かに、以上に列記した感情傾向を内在させていなかったとは思わないが、それでも、「極めつけの悪女」とは縁遠いという印象が強いのだ。寧ろ、外国人のパトリシア・スタインホフが提示する永田評の方が説得力を持つと思われる。

 彼女は書いている。
 
 「ことさら内省的な人間でも分析的な人間でもないが、すべてうまくいくと信じて、一つの行動方針に頑固にしがみつくずば抜けた能力をもっている」(前掲書)
 
 この指摘には、とても鋭利なものがある。
 彼女の犯した誤りの奥にある何かが垣間見えるからである。

 これだけはほぼ確信的に言えることだが、森や永田の執拗な追及は、所謂、「ナンバー2を消せ」というような心理的文脈とは殆ど無縁であり、ましてや、「気に入らない者」を排除するという目的のためだけに、そこに考えられ得る全ての罪状を並び立てていくというような文脈とも異なっているということだ。

 彼らは、「排除のための排除」という論法に、狂気の如く憑かれた権力者などではない。誤解を恐れずに言えば、彼らは本気で「革命戦士」であろうとしたのである。本気で、資本制権力との殲滅戦を結んでいこうとしたのだ。

 確かに、森恒夫には権力に固執する態度が見られるが、だからといって、自らの権力を維持するためだけに「総括」を捏造(ねつぞう)するという言動を一度も晒していない。

 森は寺岡恒一を裁くとき、「お前はスターリンと同じだ」と言い放ったが、極めてスターリン的行動に終始した森恒夫が、悪名高い「粛清王」のスターリンと別れる所は、キーロフ事件(大粛清の発端となった、党幹部への暗殺事件)に見られる、「邪魔者は殺せ」という体質の有無である。

 森恒夫と永田洋子は、単に「革命戦士」としてあるまじき人間的資質が我慢できなかったのである。ましてや、森は自分の過去に「汚点」を持つから、それが他者の中に垣間見えてしまうことが我慢ならなかったのだ。そう思えるのである。

 因みに、人間はなぜ他者を感情的に嫌い、憎むのか。

 他者の中に、自分に内在する否定的価値を見てしまうか、或いは、自分に内在すると信じる肯定的価値を見出せないか、いずれかであるだろう。

 これは、それらの価値にセンシブルに反応する自我ほど根強い傾向であると思われる。真面目な人間ほど、この傾向が強いのだ。潔癖であることは、しばしば罪悪ですらある。連合赤軍の兵士たちもまた、あまりに潔癖たる戦士たろうとしたのである。
 
 森恒夫の遺稿を読んでいくと、この男が物事を杓子定規的に把握する性向の持ち主であることが良く分る。しかし、物事を合理的に解釈する人間が、非合理的な発想といつでも無縁であるとは限らない。一つの人格の内部に、際立った合理主義と極端な非合理主義が同居するケースがあっても、別に不思議ではないのである。森恒夫のロジックは、しばしば信じ難いほどの精神主義によって補完されていたし、彼のパトスはロゴスを置き去りにして、暴発する危険性を絶えず内包していた。

 当時の「革命派青年」の多くがそうであったように、史的唯物論者であるが故と言うべきか、森恒夫の極めて観念的な傾向は、恐らく、同様の観念傾向を持つ下位の同志たちの、その思想性を被せた振舞いのスタイルの方向付けにとって明らかな障壁になったし、それが「総括」を要請された者の内側に軽視し難い混乱を与えたことは事実であろう。

 森と永田は、連合赤軍という「思想家族」の子供たちにとって威厳に満ちた父であり、また些かの怠惰をも見逃してくれない厄介で、嫉妬深い母でもあった。彼らは我が子を支配せずには済まない感情から自由でなかったばかりか、子供たちの隠れ遊びの何もかも把握しないではいられない地平にまで、恐らく、知らずのうちに踏み込んでしまっていたのだ。それと言うのも、彼らのそうしたフライングを抑止し得る必要な手続きを、「箱庭」の小宇宙の内側に彼ら自身が作り上げてこなかったからである。

 一切は、「革命戦士」への変革という絶対命題の産物でもあった。

 彼らは好んで、自らの子供たちへのダブルバインドを弄(もてあそ)んだ訳ではあるまい。プライバシーの垣根を取り払い、誰が誰に対してどれほどの愛欲に煩悶したかという、それ自体、至極人間的なる振舞いを、山岳ベースに侵入するまではさして問題にされなかった事柄に及ぶまで、彼らは悉く革命思想の絶対性の名によって裁いてしまう世界を強引に開かせてしまったのだ。
 
 ある種の捨て難き欲望が別の厄介なる欲望によって裁断を下されるという、踏み込んではならない禁断の世界を開いた行為のツケが、理性の継続力が困難な厳寒の上州の冬に、集中的に、且つ爆発的に表現されたのである。

 プライバシーのボーダーが曖昧になることで、相互の人格の適正なスタンスを確保することが困難になり、「有効攻撃距離」の臨界ラインが容易に超えられていく。関係の中に序列が持ち込まれているから、序列の優位者が劣位者の内側に踏み込んでいくという構図が般化される。

 序列の優位者によって過剰に把握された下位者のプライバシーは、不断に「革命戦士」という極めて恣意的な価値基準によって日常的に検証されるから、極度な緊張状態の下に置かれることになるのだ。当然の如く、強度な緊張が作業ミスなどを生んでいくだろう。そして、そのミスを必死に隠そうとするから、緊張状態は飽和点に達する。また絶えず、上位の者の眼差しを捕捉して、そこへの十全な適応を基本戦略にするから、自分の意見や態度などの表出を極力回避してしまうのである。

 これは自我の戦略なのだ。

 自我の疲弊が加速化するから、それが崩れたときのリバウンドが、あまりに呆気ないほどの死というインパクトをもたらすケースも起こり得る。これが「敗北死」の心理メカニズムである。

 ともあれ、パーソナルスペースの適正なスタンスの解体が、「有効攻撃距離」を日常的に設定してしまうという畏怖すべき状況を生んでしまうのだ。序列の優位者からの下位者に対するダブルバインドが、ここに誕生するのである。

 「有効攻撃距離」の日常的設定が、序列の優位者の支配欲を益々増強させ、序列の下位者の自我を益々卑屈にさせていく。序列の下位者はポジションに対応した有効な適応しか考えないから、その卑屈さを見抜いた優位者によって、解答困難なテーマが連続的に放たれることになる。これが、ダブルバインドのメカニズムである。

 Aという答えしかあり得ない状況の中で、Aという答えを表出することが身の危険を高めることを予測し得るとき、人は一体、何と答えたらいいのであろうか。ここには、人間の自我を分裂に導く最も確度の高い危険が潜む。人はここから、どのように脱出し得るのか。

 人間はこういうときに、或いは、最も残酷な存在に変貌する。

 自分以外に自分の行為を抑止し得る何ものなく、且つ眼の前に、自分に対して卑屈に振舞う下位者の自我が映るとき、Aという答えしかあり得ないのに、Aという答えを絶対に表出させない禅問答の迷路に追い詰めたり、AでもBでもCでも可能な答えの中で、いずれを選択しても、必ず不安を随伴させずにはおかない闇に閉じ込められてしまったりという心理構造をダブルバインドと呼ぶなら、それこそ、人間の人間に対する残酷の極みと言っていい。

 何故なら、相手の自我を分裂させ、それを崩壊に導く行為以上の残酷性は、自我によって生きる人間世界には容易に見当たらないからだ。
 
 ここに、山岳ベースの恐怖の本質がある。
 
 山岳ベースで起こったことは、そこに蝟集(いしゅう)するエネルギッシュな自我をズタズタに切り裂き、遂に闇の奥に屠ってしまったということ以外ではない。自我殺し(魂の殺害)の罪こそ、縛りし者たちが一生背負っていかねばならぬ十字架なのである。

 ここで、以上の仮説を整理しておく。

 題して、「総括という名の自我殺しの構造」である。(これについては、本章の最後に一つの表にまとめたので、参考にされたい)

 これは、「榛名ベースの闇」の心理解析である。
 
 連合赤軍は、最強のダブルバインドを成立させてしまったのだ。ここに「箱庭の恐怖」が出現し、常態化してしまったのである。

 「箱庭の恐怖」のコアは、「箱庭」に蝟集(いしゅう)した特定の物語(革命幻想)を厚く信仰する、「優しさの達人」の志願者たちの自我をズタズタに切り裂いて、闇に屠(ほふ)ってしまったことにある。「人民法廷」の向こうにいる者もこちらにいる者も、押し並べて、精神に異常を来していた訳ではない。彼らは一様に、「革命の捨石」になろうと考えていたのであり、強大な資本制権力と殲滅戦を結んで、立派に殉じようと願っていたのである。

 少なくとも、彼らの主観的心情はそうであった。

 そんな彼らの「ピュア」な思い入れが、「榛名ベースの闇」にあっという間に呑み込まれていく。「箱庭」状況と「箱庭の帝王」の出現を接合したのが、「帝王」もどきの人物による「共産主義化論」の唐突なる提示であった。これが、状況の闇を決定づけてしまったのである。加藤能敬への総括過程の初期には、加藤を立派な革命戦士に育てようという思いがまだ息づいていて、加藤自身もそのことを感知していたから、眼の輝きも失っていなかった。

 榛名ベースに遅れて参加した植垣康博は、その辺の事情について「兵士たちの連合赤軍」の中で書いている。
 
 「小屋内には張り詰めた雰囲気がみなぎり、大槻さんにも共同軍事訓練のようなはつらつとした感じが見られなかった。土間の柱の所には一人の男が縛られていた。加藤能敬氏だった。加藤は憔悴した顔で静かに坐っていたが、眼には輝きがあった。私は、彼が総括要求されている男だなと思い、総括要求のきびしさを感じたが、この張り詰めた雰囲気に負けてはならないと思った」
 
 実はこの時点で、既に加藤への「暴力的指導」が開かれていたのだが、しかし殴打という重大な制裁をきちんと定義するための確認が、まだそこでは行われていて、加藤への最初の殴打が、単に感情的暴発の産物ではなかったことが分るのである。 

 詳細に言及しないが、「革命左派」だった加藤の様々な問題点が左派の側から報告された後、森恒夫は以下のことを言い放ったのだ。
 
 「革命戦士としての致命的な弱さを抱えた加藤を指導するために殴る。殴ることは指導なのだ。殴って気絶させ、気絶からさめた時に共産主義化のことを話す。気絶からさめた時に共産主義化のことを聞き入れることができるはずや」
 
 森はそう提起して、それを指導部が受け入れたのである。(この辺については、坂口弘の「あさま山荘1972・下」や、永田洋子の「続十六の墓標」に詳しい。共に彩流社刊)

 このとき永田洋子は、自らが「今から殴ろう」と提案しつつも、心中は穏やかではなかった。

 彼女は書いている。
 
 「私はこたつのなかに入れていた手がブルブル震えていた。殴ることに抵抗があったうえ、指導として殴ることの殺伐さに耐えられない思いがしたからである。しかし私はこの震えを隠し、指導として殴るならば耐えねばならない」
 
 これが、「悪女」と罵られた一被告の、暴力的総括への心理のブレの断面である。

 しかし、全てはここから開かれていく。

 気絶させるまで集団暴行を加えるという行為が、「革命戦士」として避けられない行程であると位置づけられることで、物語は脚色され、一人歩きしていく。「気絶による共産主義化」という、森の信じ難い人間理解の底知れぬ鈍感さは、恐らく、彼の固有の欠陥であった。森は加藤を殺害する意志など毛頭なかったのだ。これは、赤軍派時代から身に付けてしまった、ある種の暴力信仰の悪しき産物でもあったと言える。

 しかし、ここは都市ではなかった。

 叫びを上げる者が緊急避難する僅かのスペースもここにはなく、裸の自我を強制的に晒されて、もはや隠そうとしても隠し切れない卑屈さが、周囲の冷厳な眼差しの中に引き摺り出されてくる。ここに、「箱庭の恐怖」が出現するのである。

 まもなく、暴力の加担者の自我にも、相手の卑屈さに怒りを覚える感情がまとってきて、却って攻撃を加速させることになる。「こいつは革命戦士であろうとしていない」と感受してしまうことで、益々相手が許し難くなってしまうのだ。序列の明瞭な関係が「箱庭」状況を作り、そこから脱出困難な事態に直面したり、過剰な物語によって補強されてしまったりすると、極めて危険な展開が開かれてしまうことがある。人民寺院事件(注8)やブランチ・ダビディアン事件(注9)を想起して欲しい。「榛名ベースの闇」こそ、まさにこの典型的な突出だった。

 誰も、ここで犯罪者になろうとしたのではない。誰も、ここで「敗北死」による死体であろうとしたのではない。様々に異なった因子が複雑に重なり合って闇に溶けるとき、そこに通常の観念ではおよそ信じ難い過程が突如開かれてしまい、「これは変だな」と思いつつも、誰もそれを軌道修正することができず、唯、いたずらに時間だけが流れていく。

 人間は過去に、こうした闇の記憶を嫌というほど抱え込んできているのに、記憶の正確な伝達が理性的に行われてこなかったために、いつでも同じような誤りを重ねてきてしまうのだ。人間はなかなか懲りない存在なのである。

(注8)1978年に、ジム・ジョーンズという男が率いる米国キリスト教系カルト宗教団体(「人民寺院」)が、南米のガイアナで集団自殺を行ったことで知られる事件。

(注9)1993年、アメリカ・テキサス州で起きた事件。デビッド・コレシュ率いる「ブランチ・ダビディアン」というカルト的宗教団体が、武装して篭城した挙句、集団自殺した事件だが、自殺説には今も疑問が残されている。当時警官隊の突入の際、その映像が全米で中継され衝撃を与えた。

 
 ここに、あまりに有名な心理実験がある。

 1960年代に行われた、エール大学のスタンリー・ミルグラムという心理学者による実験がそれである。パトリシア・スタインホフ女史も、「日本赤軍派」の中で紹介していたが、私もまた、この実験に言及しない訳にはいかない。連合赤軍事件の心理メカニズムにあまりに酷似しているからである。

 実験はまず、心理テストに参加するごく普通の市民たちを募集することから始めた。応募した市民たちにボタンを持たせ、マジックミラーの向こう側に坐る実験対象の人たちのミスに電気ショックを与える仕事のアシストを求める。

 こうして実験はスタートするが、事前に実験者たちから、あるレベル以上の電圧をかけたら被験者は死亡するかも知れないという注意があった。それにも拘らず、60パーセントにも及ぶ実験参加者は、被験者の実験中断のアピールを知りながら、嬉々としてスイッチを押し続けたのである。これは、学生も民間人も変わりはなかった。

 勿論、実験はヤラセである。電気は最初から流れておらず、被験者の叫びも演技であった。しかし、これがヤラセであると知らず、実験参加者はボタンを押したのである。このヤラセ実験の目的は、実は、「人間がどこまで残酷になれるか」という点を調査することにあった。
 
 そして、この実験の結果、人間の残酷性が証明されたのである。

 しかし実は、この実験はこれで終わりにならない。この実験には続きがあるのだ。即ち、被験者がミスしても、今度はどのようなボタンを押してもOKというフリーハンドを許可したら、何と殆どの市民は、最も軽い電圧のボタンを押したのである。

 この実験では、人間の残酷性が否定されたのである。

 これらの実験は、一体何を語るのか。

 人間の残酷性か、それとも非残酷性か。その両方なのである。人間は残酷にもなり得るし、充分に優しくもなり得るのである。

 両者を分けるのは何か。

 一つだけはっきり言えることは、命令系統の強力な介在の有無が、人間の心理に重要な影響を与えてしまうということである。つまり人間は、ある強力な命令系統の影響下に置かれてしまうと、そこに逆らい難い行為の他律性が生じ、これが大義名分に深々とリンクしたとき、恐るべき加虐のシステムを創造してしまうのである。

 就中、平等志向が強く、且つ、「視線の心理学」に振れやすい私たち日本人は、多くの場合、横一線の原理で動いてしまう傾向があるから、隣の人のスイッチ・オンを目撃してしまうと、行為の自律性が足元から崩れてしまうようなところがある。

 しかも、ここに「傍観者効果」の構成因子の一つである、「責任分散の心理学」(自分だけが悪いのではないと考えること)が媒介すると、加虐のメカニズムは構造化するだろう。

 これは疑獄事件の中心人物に、「私だけが悪くない」と言わしめる構造性と同質であり、この国の民がアジア各地で傍若無人の振舞いをしておきながら、「国に騙された」と言ってのける醜悪さとも大して変わりないだろう。
 
 人類学者の江原昭善氏は自著の中で、人間の内側に潜む「殺戮抑制」について言及しているが、これは、このような醜悪極まる私たち人間を救う手がかりと言えるかも知れない。

 江原氏は、「十九世紀の中頃には捕虜を射殺することを命じられた十二名の兵士の銃のうち、十一丁には実弾を、一丁には空砲をこめておくのがふつうだった」というクロポトキンの言葉を紹介したあと、つまりどの兵士も、自分は殺害者ではないと考えて自らの良心を慰めたことを指摘し、そこに人間の「殺戮抑制」を見ようとするのである。

 私は人間の「殺戮抑制」というものについて、否定も肯定もしない。人間には「何でもあり」と考えているから、性善説とか性悪説とかの問題の切り取り方にどうしても馴染まないのである。

 因みに、死刑制度を維持するわが国の処刑手段が、刑法11条1項によって絞首刑であると定められている事実を知る人は多いだろうが、実際に処刑のボタンを押す人が複数存在し、その中の一つが、処刑を成功裡に遂行する本物のボタンであるという事実を知っている人は少ないに違いない。この国もまた、刑務官の心の負担を軽減するためのシステムを維持しているのである。

 ただ、これだけは言える。

 人間は感情関係のない相手を簡単に殺せない、ということである。

 人間が人間を殺すことができるのは、通常そこに怨念とか、思想とか、使命感とか、組織の論理とかが媒介されているからであり、役職とはいえ、法務大臣にしたって、自らの在任中になかなか死刑執行の許可を与えにくいのである。仮に死刑執行の赤鉛筆署名をした法務大臣が、刑務場を事前に確認する行為を回避するという話もよく聞く所である。司法行政の最高責任者もまた、様々な感情を持った一人の人間であるということだ。

 翻って、連合赤軍の死の「総括」は、感情関係がドロドロに液状化した澱みのような溜りで噴き上がっていて、際立って人間的だが、しかし、あまりに過剰な狂宴に流され過ぎてしまったと言えるだろうか。

 残されし者たちの自我も跳躍を果たせずに、侵蝕による崩れの危機に立ち会って、じわじわと自壊の恐怖に呑み込まれつつあった。殲滅戦という本番に備えたはずのトレーニングの苛酷さの中で、肉体と自我のいずれもがブレークダウン(この場合、生体機能の衰弱)を起こしてしまって、本番を見ずに朽ちてしまいかねなかったのである。

 「箱庭の恐怖」は最も危険な心理実験の空気の前線となり、全ての者が電気スイッチを掌握し、誰とは言わずに被験の場に引き摺り出されるゲームの渦中にあって、ひたすら「革命幻想」の物語に縋りつく他はない。もうそこにしか、拠って立つ何ものも存在し得ないのである。人間はこうして少しずつ、そして確実に駄目になっていく。

 残されし者たちの何人かが権力に捕縛され、何人かが権力との銃撃戦に運命を開いていくことになったとき、残されし者たちの全ての表情の中に、ある種の解放感が炙り出されていたのは、あまりに哀しきパラドックスであった。

 「それまでの共産主義化の闘いの中で、見えない敵とわけのからない闘いを強いられ、激しい重圧によって消耗しきっていたところに、やっと眼に見える敵が現れ、共産主義化の重圧、とりわけ多くの同志の死に耐えてきた苦痛から解放され、敵との全力の闘争によって、多くの同志を死に追いやった責任をつぐなえると思ったからである。私は、本当に気持ちが晴れ晴れとしていた。皆も、同様らしく、活気にあふれていた。しかし、そうした気分とはうらはらに、凍傷と足の痛み、体の疲労が一段とひどくなっており、はたしてこの山越えに私の体が持つだろうかという不安があったが、体が続く限り頑張るしかなかった」(「兵士たちの連合赤軍」より)

 これは本稿で度々引用する、連赤の一兵士であった植垣康博の手記の中の、実に印象的な一節である。

 「総括」を要求され続けていた植垣の運命を劇的に変えた山岳移動の辛さを、「解放」と読み解く心理を斟酌するのは野暮である。兵士たちを追い詰めた「箱庭の恐怖」が去ったとき、彼らの崩れかかった自我は信じ難いほどの復元力を示して見せた。そこでの反応には勿論、それぞれの置かれた状況や立場による個人差があるだろうが、少なくとも、植垣のような一兵士にとって、それは魔境を閉ざす険阻な壁の崩壊を実感するほどの何かだったのだ。

 この山越えの先に待っていたのが権力による捕縛であったにせよ、山越えは兵士たちにとっては、「箱庭の恐怖」を突き抜けていく行為であった。

 山を越えることは恐怖を越えることであり、恐怖を越えることによって、崩れかけた自我を修復することであった。

 それは、もうこれ以上はないという苦痛からの解放であり。この解放の果てに待つものが何であったにしても、兵士たちには難なく耐えられる苦痛であると思えたに違いない。「榛名ベースの闇」に比較すれば、それは均しくフラットな苦痛でしかなかったのだ。

 連合赤軍の兵士たちが上州の山奥に仮構した世界は、人々の自我が魔境にアクセスしてしまうことの危険を学習するための空間以外ではなかった。

 そして兵士たちは、最後までこの小宇宙からの脱出を自らの意志によって果たせなかった。小宇宙の外側で起こりつつある状況の変化を読み解くことによってしか、兵士たちは自らの自我を縛り続けた小宇宙からの脱出を果たせなかったのである。

 まるで、自らの墓穴を黙々と掘り続ける絶滅収容所の囚人のように、縛られて凍りついた自我は、いたずらに時間に弄(もてあそ)ばれていただけだった。人々の自我は限りなく絶望の極みに嘗め尽くされてしまうとき、声も上げず、体も起こさず、思いも表さず、ひたすら呼吸を繋いでいくばかりとなる。生存の内側と外側を分ける垣根がそこになく、季節の風も、それを遮る力がない自我を貫流し、凍てつく冬をそこに置き去りにしていくのだ。
 
 兵士たちは、そこで何を待っていたのか。

 何も待っていないのだ。 彼らの自我は長い間、待つことすらも忘れていたのである。

 待つことすら忘れていた自我に、一陣の突風が吹きつけてきた。突風は、自我が自我であることを醒ますに足る最も刺激的な何かを運んできた。

 兵士たちの自我は突き動かされ、通俗の世界に押し出されていく。

 このとき、「箱庭の恐怖」の外側に、もう一つの別の世界が存在することを知った。兵士たちは、この世界こそ自分たちが、自分たちの信仰する教義によって破壊されなければならないと覚悟していた世界であることを、そこに確認する。

 崩れかかっていた兵士たちの自我は、この世界を前にして見事に甦ったのだ。自分たちのこれまでの苛酷は、この世界を倒すために存在し、その苛酷の補償をこの世界に返済してもらうことなく、自分たちの未来が決して拓かれないであろうことを、兵士たちの自我が把握したのである。
 
 兵士たちは山を越えることで、苛酷の過去を越えていく。恐怖を越えていく。自らを縛り上げていた闇を明るくしていく。

 時間を奪還する兵士たちの、無残なまでに独りよがりの旅が、こうして開始されたのだ。

 

〔総括という名の自我殺しの構造〕(連合赤軍というダブルバインド)

           組織の誕生と殲滅戦の思想の選択
           (序列の優位者と下位者への分化)
                  ↓
「箱庭状況の出現」= 山岳ベースの確保と革命戦士の要請
           (「共産主義化論」の下達)
                  ↓
「箱庭の帝王の出現」=「共産主義化論」による「総括」過程の展開
                  ↓
           「総括」過程の展開によるプライバシーの曖昧化
              (個と個の適性スタンスの解体)
                  ↓
「箱庭の恐怖の成立」=有効攻撃距離の日常的設定による
               暴力的指導の出現
                  ↓
「箱庭の恐怖の日常化」=序列の優位者と下位者間の緊張の高まりと、
            自我疲弊によるアウト・オブ・コントロールの日常化
                  ↓
    卑屈さの出現(下位者→優位者)と支配力の増強(優位者→下位者)
    
            最強のダブルバインドの成立
      (Aしか選択できないのに、Aを選択させないこと、或いは、
        あらゆる選択肢の中からいずれをも選択させないこと)

4.恐怖越えの先に待つ世界  

 しかし兵士たちの山越えは、兵士たちの運命を分けていく。

 時間を奪還できずに捕縛される者と、銃撃戦という絶望的だが、せめてそれがあることによって、失いかけた「革命戦士」の物語を奪還できる望みがある者との差は、単に運命の差でしかない。この運命の差は、同時に、抑え付けていた情念を一気呵成(かせい)に噴出させる僥倖(ぎょうこう)を手に入れるものができた者と、それを手に入れられなかった者との差であった。

 もっとも坂口弘のような、同志殺しの十字架の重みで崩落感の極みにあった「革命戦士」がいたことも事実であった。しかし本人の思いの如何に拘らず、銃撃戦という劇的な状況展開のリアリティが、「榛名の闇」で集中的に溜め込んだストレスを、束の間、吐き下す役割を果たしたことは否定できないであろう。

 銃撃戦に参加した戦士たちは一気に通俗の世界の晒し者になるが、5人の内側で殲滅戦という極上の観念が銃丸を放つ感触の中に、何某かの身体化を獲得するような徒(ただ)ならぬ快感をどれだけ踊らされていたか、私は知る由もない。

 いずれにせよ、彼らが山荘の管理人の夫人に対して慇懃(いんぎん)に対応し、それは恰も、「人民からは針一本も取らない」という物語を実践する、彼らの固有のストイシズムが自壊していなかったことを思えば、「革命戦士」という物語へのギリギリの固執をそこに見ることができる。

 彼らは管理人の夫人を人質にしたというよりも、人民の生活と権利を守るための自分たちの戦争に、人民が加担するのは歴史の義務であるという思いを抱き、そのことを啓蒙するという使命を持って夫人に接近したようにも思われた。

 彼らの内側では、自分たちの行為はあくまでも革命の切っ先であり、そのための蜂起であり、都市叛乱に引火させる起爆的な決起であったと考えたのであろう。

 だがそれは、どこまでも彼らの方向付けであり、それがなくては支え切れない苛酷の過去からの眼に見えない脅迫に、彼らの自我が絶えず晒されていたことを、私たちは今読み解くことができる。兵士たちはここでも、自分たちを縛り続けた過去と戦争していたのである。
 
 この戦争については、これ以上書かない。

 当然、「浅間山荘」という代理戦争にも言及しない。言及することで得られる教訓は、本稿のテーマに即して言えば、殆ど皆無だからである。

 一切は、「榛名ベースの闇」の奥に出現し、そこに戻っていく。縛りし者たちの自我が、縛るたびに自らを縛り上げていく地獄の連鎖に捉われて自らを崩していくさまは、私たちの日常世界でもしばしば見られる風景である。

 「自立しろ」と説教を垂れた大人が、その説教をうんざりする位聞かされていた、子供の自立への苦闘を目の当たりにして、「こうやるんだ!」とか、「そっちに走れ!」とか叫んで過剰に介入してしまうフライングから、私たちは果たしてどこまで自由であり得るのか。子供の自我を縛るたびに、私たちは私たちの自我をも少しずつ、しかし確実に縛り上げているとは言えないか。

連合赤軍の闇は、実は私たちの闇ではなかったか。連合赤軍の兵士たちが闘い抜いたその相手とは、国家権力でも何でもなく、解放の行方が見定められない私たちの近代の荒涼とした自我それ自身であったのかも知れない。

 兵士たちは残らず捕縛された。
 
 そして、そこに十二名の、縛られし者たちの死体が残された。そこに更に、二名の死体が発見されるに至った。凍てついた山麓に慟哭が木霊(こだま)する一方、都市では、長時間に及んだアクション映画の快楽が密かな自己完結を見た。

 それは、都市住民にとっては、簡単に口には出せないが、しかし何よりも格好の清涼剤であった。このアクション映画から、人々は絶対に教訓を引き出すことをしないだろう。「連合赤軍の闇」が、殆ど私たちの地続きの闇に繋がっていること(注10)を、当然の如く、私たちは認知する訳がない。狂人によって惹き起こされた狂気の宴とは全く無縁の世界に、自分たちの日常性が存在することを多くの人々は認知しているに違いない。

 それで良いのかも知れない。

 だから、私たちの至福の近代が保障されているのだろう。それは、森恒夫というサディストと、永田洋子という、稀に見る悪女によって惹き起こされた、殆ど理解不能な事件であるというフラットな把握以外には、いかなる深読みも無効とする傲慢さが大衆には必要だったのだ。

 私たちの大衆社会は、もうこの類の「人騒がせな事件」を、一篇の読み切りコミックとしてしか処理できない感性を育んでしまっているように思われる。兵士たちがどれほど叫ぼうと、どれほど強がって見せようと、私たちの大衆社会は、もうこの類の「異常者たちの事件」に恐喝されない強(したた)かさを身につけてしまったのか。

 連合赤軍事件は、最終的に私たちの、この欲望自然主義に拠って立つ大衆社会によって屠られたのである。私たちの大衆社会は、このとき、高度成長のセカンドステージを開いていて、より豊かな生活を求める人々の幸福競争もまた、一定の逢着点に上り詰めていた。人々はそろそろ、「趣味に合った生き方」を模索するという思いを随伴させつつあったのだ。

 そんな時代の空気が、こんな野蛮な事件を受容する一欠片の想像力を生み出さないのは当然だった。大衆と兵士たちの距離は、もう全くアクセスし得ない所にまで離れてしまっていたのである。

 これは、本質的には秩序の不快な障壁を抉(こ)じ開けるという程度の自我の解放運動であったとも言える、1960年代末の熱狂が、学生たちの独善的な思い込みの中からしか発生しなかったことを自覚できない、その「思想」の未熟さをズルズルと引き摺ってきたツケでもあった。彼らの人間観、大衆観、状況観の信じ難い独善性と主観性に、私は言葉を失うほどだ。彼らには人間が、大衆が、その大衆が主役となった社会の欲望の旋律というものが、全く分っていなかったのである。
 
 人間に善人性と悪人性が、殆ど同居するように一つの人格の内に存在し、体制側にもヒューマニストがいて、反体制側にも極めつけの俗物が存在してしまうということが、その人間観の本質的な把握において、彼らには分っていなかった。この把握の圧倒的な貧弱さが、彼らの総括を、実は更に陰湿なものにしてしまったのである。

(注10)「箱庭の恐怖」が人間の棲む世界において、どこにでも形成されてしまうことを、私たちは認知せねばならないだろう。

 即ち、以下の条件を満たすならば、常に「箱庭の恐怖」の形成はより可能であるということだ。
 
 それは第一に閉鎖的空間が存在し、第二に、その空間内に権力関係が形成されていて、第三に、以上の条件が自己完結的なメカニズムを持ってしまっていること、等である。そこに、何某かの大義名分や思想的文脈が媒介されれば、「箱庭の恐怖」の形成は決して困難ではない。例えば、閉鎖的なカルト集団や、独善的な運動団体、虐待家庭、等々。

 加藤能敬の自我を裸にして、その性欲の蠢動(しゅんどう)を引き摺り出してきたときの、森や永田の当惑のさまは、人の心の様態を世俗の水準で洞察できない理論居士の、ある種の能力の著しい欠損を晒すものであった。 

 彼らには、「性欲の処理で悩む革命戦士」は絶対に存在してはならない何かであったのか。当然の如く、欲望は生み出されてしまうもので、生み出されてしまった欲望は、欲望を生み出した、極めて人間的な学習過程の不可避な産物であり、それを自我が十全に統御し得なかったから、少なくとも、それを噴出させるべきではない状況下でギリギリに制御する仕掛けを、内側に拵(こしら)え上げていくように努めるというような文脈の中でしか処理できないのである。
 
 「共産主義化をかちとれば、本当に人間を知り、人間を好きになることができる」
 
 これは、森恒夫の常套句。

 自分でも恐らく、深く考察しなかったであろう、この「人間音痴」の命題の底流に脈打っている理性への過剰な信仰は、実は、自分が拠って立たねばならないと考えているに過ぎない内側の事態処理システムであって、森恒夫という自我自身によって、充分に検証を受けたものではないことが推測される。資料で読む限り、森恒夫という人間ほど非合理的で、非理性的な人間はいないからである。
 
 例えば、山崎順(赤軍派)の処刑の際、山崎が呻くようにあげた「早く殺してくれ」という声を、森は、「革命戦士の自己犠牲的誠実さ」という風に規定してしまうのである。

 これは、山岳ベースにおいてではなく、逮捕後の獄中での比較的冷静な、彼の「総括」の時間の只中においてである。山岳ベースでの遣り切れなさが、ひしひしと伝わってくるようだ。

 こういう遣り切れなさが、最も陰惨な風景の中で語られてしまうのは、もう一人の処刑者、寺岡恒一のケースである。

 寺岡は追い詰められたとき、「銀行強盗をやるつもりだった」とか、「宮殿をつくって、女をたくさんはべらせようと思った」とか、「女性同志と寝ることを年中夢想する」などという戯言を吐いたのである。

 最後の告白は、寺岡の本音かも知れないが、前二者の告白は明らかに、どうせ何を告白しても告発者を納得させられないという、自暴自棄的なダブルバインド状況が生んだ産物以外ではない。ここに、寺岡恒一の生産性のない自我の、底なしの冥闇(めいあん)を見る思いがする。

 ところが、居並ぶ告発者たちの自我も劣化しているから、この寺岡の告白が死刑相当であるという解釈に直結し、ここに最も陰惨な同志虐殺が出来してしまうのである。寺岡の自我は回復不能なまでに裂かれ、破壊されてしまったのだ。
 
 ここで事件のサブ・リーダーであった、永田洋子の手記を引用してみる。そこに、永田洋子の浅薄な人間観を伝えてくれる印象的な記述があるからだ。
 
 「坂東さん、覚えていますか。

 『共産主義化』のための暴力的総括要求中でのことでしたが、森さんが、『共産主義化をかちとれば、本当に人間を知り、人間を好きになることができる』と述べていたことを。それは、共産主義の理念に基づいたものでしたが、同志殺害時もそれを心していた私は、敗北後もこの理念は間違っていないと思うのでした。

 そうして、獄中での看守との接触に新鮮さを感じました。やさしい看守がいることには驚き、なかなか慣れませんでした。

 勿論やさしい看守も、結局東拘(注:東京拘置所のこと)の指示に従い獄中者支配の一翼を担っているのですが、そのやさしさが私の心をはずませ、楽しくさせ、私の生を心楽しいものにしてくれることを感じるのでした。獄中者と看守の関係ですから大きな限界があるわけですが、そのため楽しさは大きくなるのでした」(「獄中からの手紙」彩流社刊より/筆者段落構成)
 
 この永田洋子の人間観の根柢には、「看守=権力の番人=人民を抑圧する体制の直接的な暴力マシーン=卑劣な冷血漢」という、極めて機械的な把握の構造がある。

 そしてそんな把握を持つ人格が「心やさしき看守」の出現に当惑し、驚き入ってしまうのだ。唖然とするばかりである。信じ難いようなその狭隘な人間観に、寧ろ、私たちの方が驚かされる。

 この人間観からは、「親切なお巡りさん」とか、「社員のために骨身を削って働く経営者」という存在様式は決して導き出されることはなく、「経営者」とは、「鞭を持って労働者を酷使する、葉巻タバコを咥(くわ)えたブタのように太った輩」という極端にデフォルメされたイメージが、どこかで偏狭な左翼の人間観に影を落としていて、これは逆に言えば、「共産主義者は完全なる者たちである」という信仰を定着させることに大いに与っているということだ。

 「東拘の指示に従い、獄中支配の一翼を担」う、「やさしい看守」のその「やさしさ」に、「心をはずませ」る感性を持つ永田洋子は、それでも、「獄中者と看守の関係」に「限界」を感じつつ、「楽しさ」を「大きく」する幅を示している。

 しかしそのことが、何ら矛盾にならないことを認知できないという、まさにその一点において彼女の「限界」があるのだ。

 「看守のやさしさ」が「看守」という記号的な役割、即ち、「体制の秩序維持」という本来的役割から必ずしも発現するとは限らない所に、まさに人間の自由があり、この自由が人間にしばしば心地良い潤いを与えることを、私たちは知っている。

 役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。そこに人間の、人間としての自由の幅がある。この自由の幅が人間をサイボーグにさせないのである。

 因みに、私の愛好する映画の一つに、リドリー・スコット監督の「ブレード・ランナー」があるが、ここに登場するレプリカント(地球を防衛する有限生命のロボット人間)はロボットでありながら、彼らには自らの生命を操作する自由が与えられていない。所謂、「レプリカントの哀しみ」である。その哀しみは深く、その結末の残酷さは比類がなかった。だから、コンピューター社会における暗鬱な未来をイメージさせる、「サイバーパンク」の先駆的作品として、それは何よりも重い一作になったのだ。

 言わずもがな、拘置所の看守は断じてレプリカントなどではない。

 「獄中支配の一翼を担う」などという、ニューレフト特有の表現は思想的規定性を持つものだから、いちいち、異議申し立てをするべき筋合いのものではないが、しかし、このような厄介な規定性が、殲滅戦を闘うはずの軍事組織を率いた「女性革命家」の、その抜きん出て偏狭な人間観のベースになっていることは否定すべくもない。人間の行使し得る自由の幅までもが役割によって決定されてしまうならば、人間の未来には、「未来世紀ブラジル」((注11)や、ジョージ・オーウェル(注12)の文学世界しか待機していないことになるだろう。

 然るに、それは人間の能力を過大評価し過ぎているのである。

 人間には、役割によって全てが決定されてしまうに足る完全な能力性など全く持ち合わせていないのだ。それに人間は、人間を支配し切る能力を持ってしまうほど完全な存在ではない。いつもどこかで、人間は人間を支配し切れずに怠惰を晒すのである。

 これは、人間の支配欲や征服感情の際限のなさとも矛盾しない。どれほど人間を支配しようとも、支配し切れぬもどかしさが生き残されて、遂に支配の戦線から離脱してしまう不徹底さを克服し得るほど、私たちの自我は堅固ではない。

 人間の自我能力など、高々そのレベルなのだ。私たちは相手の心までをも征服し切れないからである。ここに人間の自由の幅が生まれるのである。この幅が人間を生かし、遊ばせるのだ。

 人間とは、本質的に自由であるという存在の仕方を、何とか引き摺って生きていくしかない、そんな存在体である。

 人間は、この自由の海の中でひたすら自我に依拠して生きていくという、それ以外にない存在の仕方を引き受けるのだ。 自我はひたすら、十全に適応しようと動いていくのである。どのようなシフトも可能だが、一切の行程が時間の検証を受けていく。適応の成功と失敗に関わる認知が、自我によって果たされていく。成功が単一の行程の産物でないように、失敗もまた、それ以外にない行程の産物であるとは言い切れないのだ。

 しかし、いつでも結果は一つでしかない。この結果が、次の行程を開いていく。自我がまた、駆動するのだ。自我のうちに、加速的に疲労が累積されていくのである。

 シビアな状況下では、自我はフル回転を余儀なくされるだろう。

 確かに人々には、状況から退行する自由もある。しかし自我は中々それを認めない。退行はリスクを随伴するからだ。退行のコストは決して安くない。自我は退行する自由を行使しないとき、そこに呪縛を感知する。この呪縛の中でも、自我は動くことを止めようとしない。止められないのだ。自我はそこに出口を見つけられないでいると、空転するばかりとなるだろう。

 人間は自由である外はないという存在でありながら、しばしば、自由であることの重圧に押し拉(ひし)がれていく。人間は同時に、過剰なまでに不自由な存在でもあるのだ。そのことを自我が認知してしまうとき、人間は一つの、最も苛酷な存在様式と化すであろう。

 絶対的な自由は、絶対的な不自由と同義となる。

 結局、人間は程々の自由と、程々の不自由の中で大抵は生きていく。人間の自由度なんて高が知れているし、また、人間の不自由度も高が知れている。この認知の中で全うし得る「生」は、幸福なる「生」と言えるだろうか。

 ともあれ、永田洋子が「やさしい看守」の中に見たのは、程々の自由と程々の不自由の中に生きる平均的日本人の、その素朴な人間性である。永田にとって「やさしい看守」の発見とは、どのような体制の下でも変わらない、人間の持つある種の「善さ」=「道徳的質の高さ」の発見であると言っていい。

 然るに、このような発見を獄中に見出す他にない青春を生きた、一人の女性闘士のその偏狭性は、殆ど圧倒的である。彼女は過去に何を見、何を感じてきたのかについて、その偏狭性によって果たして語り切れるか、私には分らない。

 彼女のこの発見が、同時に、「冷酷なる共産主義者」の発見に繋がったのかどうかについても、私には分らない。しかし彼女の中で、「共産主義者はやさしい」という命題が、「やさしい人間こそ共産主義者である」という命題に掏(す)り替ったとしても、私から言わせれば、そこにどれだけの「学習」の媒介があったか知れている、という風に突き放つしかない次元の「学習」のようにしか思えないのだ。

(注11)1985年米英製作。テリー・ギリアム監督による、近未来の管理社会を風刺したブラック・コメディ。

(注12)20世紀前半に活躍したイギリスの作家。「動物農場」、「1984」という代表作で、社会主義的ファシズムの危険性を鋭く風刺し、未来社会の予言的文学とされた。

 坂口弘にしろ、植垣康博にしろ、大槻節子(京浜安保共闘)にしろ、彼らの手記を読む限り、彼らが少なくとも、主観的には、「やさしさの達人」を目指していたらしいということが伝わってくるのは事実である。次に、その辺りを言及してみよう。

 ここに、大槻節子の日記から、その一部を引用する。

 断片的な抜粋だが、彼女の心情世界がダイレクトに伝わってくるので参考になるだろう。彼らが「凶悪なる殺人者集団」であると決め付けることの難しさを感受すると同時に、メディアから与えられた、通り一遍の「物語作り」によって括ってしまうことの怖さを痛感するに違いない。

 「私にはどうすることもできない、何ができようというのか、この厳然とした隔絶感の中で、なお私は見えてしまい、私の中に映像化し、暗転する。一つの死に焦がれて邁進する狂気した情念と、それに寄り添う死の花・・・」

 「テロル、狂気した熱い死、それのための生、許してよいのか?許す―とんでもない、そんな言葉がどうして吐かれようというのか、許すもへったくれもなく、厳然としてそこに在るのだから・・・」

 「そして打ちひしがれた、その哀れで、コッケイな姿態と位置から起上がって来るがいい。お前には死ぬことすらふさわしくない。アレコレの粉飾は鼻もちならない。“死”と流された鮮血を汚すな、汚してくれるな、その三文劇で!」

 「ああ愛すべき三文役者―お願いだから。その時、私は温かいしとねにもなれるだろうに・・・.私自身の傷跡もぬぐいさられるだろうに・・・」

 「わかって欲しい、わかって下さい。孤独な演技者よ、孤独な夢想者よ。私を殺さないで欲しい、私を無残に打ちのめさないで欲しい。あかくえぐられた傷口をもうこれ以上広げないで欲しい。助けて欲しいんです。もうどうしようもない」

 「優しさをクダサイ。淡いあたたかい色調の優しさをクダサイ」

 「既に奪われた生命と流された血を、せめて汚すまい、汚してはならない」

 「否が応でも、去る日は来る。それが幸いとなるか、悲しみを呼ぶか、一層の切実さを与えるか、全てを流す清水となるか、それは今、私は知らない。ただ、素直でありたい、自然でありたい」

 
 以上の大槻節子の日記のタイトルは、「優しさをください」。

 因みに、彩流社刊のこの著書のサブタイトルは、「連合赤軍女性兵士の日記」。
 上記に引用した文章は、1968年12月13日から71年4月4日にかけて大槻節子が書いた、この日記の肉声の断片である。

 正直言って、極めて稚拙な表現のオンパレードだが、しかしそれ故にと言うべきか、技巧にすら届き得ないその肉声から、彼女の自我が状況の激しい変化に必死に対応していこうともがくさまが、直接的に伝わってきて、とても痛々しい限りである。

 彼女にとって革命家であり続けることは、正義の貫徹のための確信的テロリスムを受容し切ることを意味していたが、それでもなお、それを受容し切れないもどかしさを認知してしまうとき、却って、不必要なまでの自虐意識を内側で加速させてしまうのだろう。

 沸々と煮え滾(たぎ)った状況下で、どうしても怯(ひる)んでしまう自我に何とか既成の衣を被せて、状況の先陣を疾駆するが、しばしば虚空に晒され、狼狽(うろた)えて、立ち竦むのだ。

 彼女もまた、「共産主義者はやさしい」という命題に憑かれているが、これがテロルを合理化する方便に安直に使われることを許せない感性と、拠って立つ思想との均衡に少なからぬ波動が生じていて、彼女の自我はそれを充分に処理し切れていないのである。

 恐らく、自我が状況を消化し切れないまま、大槻節子は跳躍を果たしていく。
 
 大槻には助走のための充分な時間が与えられることなく、ギリギリの所で「物語」が内包する圧倒性に引っ張られていった。しかし、この内側の貧困を仲間に見透かされてはならない。等身大の世界から決別するには、それなりの覚悟がいるという含みを内側に身体化していく過程を拓いたとき、ここに誰が見ても感激する、「気丈で頑張り屋」の「女性革命家」が誕生するのである。

 大槻節子という自我は、それがいつもどこかで感じ取っていたであろう、言語を絶する困難な未来にやがて嬲(なぶ)られ、噛み砕かれていく。彼女が欲した「優しさ」は、「共産主義化」という苛酷な物語が開いた闇の世界の中で宙吊りにされ、解体されていくのだ。

 彼女は、「死刑囚」としての寺岡恒一の顔面を殴り、熱心な粛清者を演じて見せた。その果てに、彼女自身の煩悶の過去が「人民法廷」の前に引き摺り出された挙句、末梢的な告発の連射を執拗に浴びて、自らも縛られし者となっていくのである。

 大槻節子の死は、一切の人間的感情を持つ者のみならず、一切の人間的感情を過去に持った者をも裁かれる運命にあることを示して見せた。

 「共産主義化」という苛酷な物語は、「プチ・ブル性」という名において、人々の意識や感情や生活のその過去と現在の一切を、執拗に裁いていくための錦の御旗であったのだ。

 考えてもみよう。

 このような裁きによる対象から、果たして自由であり得る者が、一体どこにいるというのか。この裁きによって生還を果たす者など、理論的にはどこにもいない。一歩譲って、これを認めるなら、裁かれし者の筆頭には、「敵前逃亡」の過去を持つ森恒夫が指名されて然るべきなのである。

 大槻節子の死は、圧倒的なまでに理不尽な死であった。
 
 彼女はその理不尽さに抗議するが、それが虚空に散っていくことを知ったとき、絶望的な空しさの中に沈んでいく。ギリギリまでに持ち堪(こた)えた彼女の自我は、遂に崩れ去っていったのだ。

 これは、一つの青春の死ではない。人間の、人間としての基本を支える、それなくしては生きられない、互換性を持たない何かの全き生命の死なのである。

 彼女の自我は遂にテロルの回路に搦め捕られてしまったが、その想像力の射程にはなお、「貧困と圧制に喘ぐ民衆の哀しさ」が捕捉されていた。「全人類の解放」という甘美な物語が紡ぐ極上の快楽のうちに、「やさしさの達人」への跳躍が準備されたに違いない。

 しかし大槻を始め、少なくない若者たちを捉えた大物語の大時代性は、既に拠って立つ基盤を失いかけていた。少なくとも、大槻たちが呼吸を繋いでいた社会には、彼らの殉教的なテロルによって救済されるべき「民衆の哀しさ」など、もう殆ど生き残されていなかったのだ。

 高度に成熟しつつあった大衆消費社会の出現は、自分の意見を暴力によって具現する一切の思想を、明らかに弾き出す精神文化を抱え込んでいたのである。連合赤軍事件の悲劇の根柢にあるのは、このような大衆文化の強靭な世俗性である。この社会では、彼らは最初から凶悪なテロリスト以外ではなかったのだ。

 大槻節子がどれほどの跳躍を果たそうと、彼女はヴェーラ・ザストリッチ(19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの女性革命家)にはなれないし、ローザ・ルクセンブルク(注13)にも化けられないのである。ローザがその厖大な書簡の中で表出したヒューマニズムを、大槻節子はもはや移入することさえできないのだ。

 彼らがどう主観的に決めつけようと、もうこの社会では、「やさしさの達人」を必要としないような秩序が形成されている。時の総理大臣を扱(こ)き下ろし、それが不可避となれば、首相経験者を逮捕するまでに発達した民主主義を持ち、アンケーをとれば、つい先年まで、9割以上の人が「中流」を自認するような大衆社会にあって、人を殺してまで達成しなければならない国民的テーマの存在価値などは、全く許容すべくもなかったのである。

 「やさしさの達人」を目指すなら、どうぞ国外に脱出した後、思う存分やってくれ。その代わり、国の体面だけは傷つけてくれるな、などという無言のメッセージがこの国の文化にたっぷりと張り付いていて、大衆の視線には60年安保のような、「憂国の青春」へのシンパシーが生き残されていなかったのだ。

 高度成長という日常性のカーニバルは、この国の風土を変え、この国の人々の生活を変え、この国の人々が拠って立っていた素朴な秩序を変えていった。それは人々の感性を変え、文化を変え、それらを紡ぐ一つのシステムを変えていったのである。

 大物語の大時代性に縋り付くテロリストだけが、そのことを知らない。

 彼らは時代に置き去りにされたことを知らない。人々の現在を知らないから、人々の未来を知らない。人々の心を知らないから、人々の欲望を知らないし、その欲望の挫折のさまを知らない。井上陽水の「傘がない」(注14)のインパクトを知らないし、ハイセイコー(注15)への熱狂を知らない。

 人々の心を知らないテロリストは、とうとう仲間の心までも見えなくなっていたのである。彼らはもう、「やさしきテロリスト」ですらなくなった。人々を否定し、仲間を否定したテロリストは、最後には自らをも否定していくのだ。これが、森恒夫の自殺であった。

 彼らは切っ先鋭く、「欺瞞に満ちた時代」を砕こうとして、激情的興奮を求める時代の辻風に屠られたのだ。ここからもう何も生まれない。それだけなのである。

 因みに、反日武装戦線(注16)によるテロルの拡散は、連合赤軍事件で否定されたものに固執するしか生きていけない情念が、醜悪にも演じて見せた最後の跳躍のポーズである。

 彼らは「左翼」であることの矜持すら打ち捨てて、殆ど、大義名分だけで動いたかのような杜撰(ずさん)さを晒して見せた。大衆社会の反応は、言葉の通じぬ犯人の闖入(ちんにゅう)によって被った、理不尽極まる大迷惑以外の何ものでもなかった。従って、それは通り魔的な事件を処理される文脈のうちに終焉したのである。
 
 世の中は、すっかり変わってしまったのだ。

 時代は、森恒夫や永田洋子はおろか、もはや、一人の大槻節子すらも求めることはない。事件に対する関心などは、アクション映画の快楽を堪能したらもうそれで完結したことになり、それを気難しく解釈する思いなど更々ない。まして裁判をフォローする理由などは全くなく、永田や坂口の死刑判決の報に接し、胸を撫で下ろすという程度の反応で擦過してしまうであろう。

 連合赤軍事件は、最初から過去の事件として処理されてしまったのである。

 それは事件の開始と共に既に過去の事件であり、そこでどのような陰惨な活劇が展開されたにせよ、どこまでもそれは、現在に教訓を引き出すに足る類の事件とは無縁の、おぞましい過去の事件の一つでしかなかったのだ。

 連合赤軍事件は、こうして最初から、政治とか思想とかいう次元の事件とは無縁の何かとして、高度大衆消費社会から永久に屠られてしまったのである。 
 

(注13)ドイツ革命の象徴的存在。ポーランド生まれのユダヤ人で、ドイツ移住後は「スパルタクス団」を結成、やがて組織はドイツ共産党に発展的解消。1919年に武装蜂起を指導するが、カール・リープクネヒトと共に虐殺される。

(注14)“都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨  傘がない 行かなくちゃ  君に逢いに行かなくちゃ  君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ・・・”という歌詞で有名なフォークソング。時代や社会よりも、個人の問題を優先する思いが歌われている。

(注15)1970年代半ばに活躍した、アイドル的な競走馬。増沢旗手による「さらばハイセイコー」というヒット曲でも有名。

(注16)正式には、「東アジア反日武装戦線」。1970年代半ばに、三菱重工ビル爆破事件を嚆矢とする、所謂、「連続企業爆破事件」を起こし、日本社会を震撼させた。

5.魔境に搦め捕られた男の「自己総括」  

 稿の最後に、「連合赤軍」という闇を作り上げた男についてのエピソードを、ついでに記しておく。永田洋子と共に、仲間が集合しているだろう妙義山中の洞窟に踏み入って行った森恒夫は、そこに散乱したアジトの後を見て動揺する。黒色火薬やトランシーバーなども放り出されていて、山田隆の死体から取った衣類も、そのまま岩陰にまとめて置かれていた。(因みに、この衣類が凄惨な同志粛清の全貌を解明する手懸りとなる)

 そのとき、森は上空にヘリコプターの音を聞き、下の山道に警官たちの動静を察知して、彼の動揺はピークに達する。彼は傍らの永田に絶望的な提案をする。
 
 「駄目だ。殲滅戦を戦うしかない」
 
 永田はそれを受け入れて、ナイフを手に持った。二人は岩陰に潜んで、彼らが死闘を演ずるべき相手を待っている。

 ここから先は、永田本人に語ってもらおう。
 
 「私はコートをぬぎナイフを手に持ち、洞窟から出て森氏と一緒に岩陰にしゃがんだ。この殲滅戦はまさに無謀な突撃であり無意味なものであった。しかし、こうすることが森氏が強調していた能動性、攻撃性だったのである。

 私はここで闘うことが銃による殲滅戦に向けたことになり、坂口氏たちを少しでも遠くに逃がすことになると思った。だから、悲壮な気持ちを少しももたなかった。私はこの包囲を突破することを目指し、ともかく全力で殲滅戦を闘おうという気持ちだけになった。

 この時、森氏が、『もう生きてみんなに会えないな』といった。

 私は、『何いってるのよ。とにかく殲滅戦を全力で闘うしかないでしょ』といった。

 森氏はうなずいたが、この時、私は一体森氏は共産主義化をどう思っていたのだろうかと思った。『もう生きてみんなに会えないな』という発言は、敗北主義以外のなにものでもなかったからである。

 しばらくすると、森氏は、『どちらが先に出て行くか』といった。

 私は森氏に、『先に出て行って』といった。

 森氏は一瞬とまどった表情をしたが、そのあとうなずいた。

 こうした森氏の弱気の発言や消極的な態度に直面して、私は暴力的総括要求の先頭に立っていたそれまでの森氏とは別人のように思えた」(永田洋子著・「十六の墓標・下」彩流社刊/筆者段落構成)
 
 
 この直後に二人は警察に捕縛され、粛清事件などの最高責任者として「裁かれし者」となるが、周知のように、森恒夫は新年を迎えたその日に獄中自殺を遂げたのである。 ともあれ、以上の永田のリアルな描写の中に、私たちは、森恒夫という男の生身の人間性の一端を垣間見ることができるだろう。

 自分の命令一下で動くことができる仲間たちと別れ、傍らには、下山以来行動を共にしてきた気丈な「女性革命家」しかいない。山中では、彼女を含めた殆ど全ての同志たちの前で、「鋼鉄の如き共産主義者」というスーパーマンを演じていて、それは概ね成功していたかに見えた。

 しかし事態は、同志殺しの連鎖という、恐らく、本人が想像だにしなかったはずの状況を生み出してしまった。

 自らが積極的に関与したこの負性状況の中にあって、彼はますます「鋼鉄の如き共産主義者」という、等身大を遥かに越える役割を演じ続けて見せた。この心理的文脈の尖った展開が、忌まわしい粛清の連鎖に見事なまでにオーバー・ラップされるのだ。

 彼の人格が、「共産主義者」の「鋼鉄性」(冷酷性)の濃度を増していく度に、同志の中から人身御供(ひとみごくう)となる者が供されていくのである。このような資質を内在させた人格があまりに観念的な思想を突出させた武装集団の最高指導者になれば、恐らく、不可避であったに違いないと思わせるほどの、殆ど予約された悲劇的状況が、厳寒の上州の冬の閉鎖系の空間の只中に分娩されてしまったのだ。

 一つの等身大を越える役割を演ずるということは、長い人生の中でしばしば起こり得るということである。しかし、それを演じ続けることは滅多にない。人間の能力は、等身大以上の役割を演じ続けられるほど、中々その継続力を持ち得ないのだ。等身大以上の役割を演じ続けるということは、自我のリスクを高めるだけで、自我を必要以上に緊張させることになる。緊張はストレスを高めるだけだ。

 セリエ(カナダの生理学者)のストレス学説によると、ストレスとは、「生物学的体系内に非特定的にもたらされた、全ての変化に基づく特定症候の顕在化状態」であり、これには、ユーストレス(良いストレス)とディストレス(悪いストレス)がある。

 人間が環境に普通に適応を果たしているとき、当然、そこにはユーストレスが生じている。適度なストレスは適応に不可欠なのだ。

 ディストレスは、アンデス山中に遭難(「アンデスの聖餐」/注17)してしまうとか、阪神大震災に遭うとか、殺人鬼にナイフを突きつけられるとか、アウシュヴィッツに囚われるとかいうようなケースで生じるストレスで、しばしば、自我を機能不全化してしまう。いずれのストレスも自我の臨界点を越えたら、本来の自我の正常な機能に支障を来たすのに変わりないのである。

 人間が等身大以上の役割を演じ続けることに無理が生じるのは、自我に臨界点を越えるほどのストレスが累積されることによって、自我内部の矛盾、即ち、等身大以上の人間を演じることを強いる自我と、そのことによって生じるストレスを中和させるために、等身大の人間を演じることを要請する自我との矛盾を促進し、この矛盾が自我を分裂状態にさせてしまうからだ。人間は、分裂した自我を引き摺って生きていけるほど堅固ではないのである。
 

(注17)1972年、ラグビー選手たちを乗せたチリ行き旅客機がアンデスの山中で遭難し、生き残るためにやむなく人肉食いを余儀なくされた衝撃的な事件を描いた、ブラジルのドキュメンタリー映画。『生きてこそ』(フランク・マーシャル監督)というアメリカ映画も話題になった。

 
 森恒夫が演じ続けた「鋼鉄の共産主義者」は、あくまでも彼が、「そうであるべきはずのスーパーマン」をなぞって見せた虚構のヒーローであった。

 然るに、そのヒーローによる虚構の表出が、彼をして、「箱庭の帝王」の快楽に酩酊させしめるほどのものであったか、些か疑わしいい所である。森恒夫の自我に、「箱庭の帝王」の快楽がべったりと張り付いていなかったとは到底思えないが、私には、彼の自我が浴びた情報が快楽のシャワーであるよりも、しばしば、等身大以上の人間を演じ続けねばならない役割意識が生み出した、厖大なストレスシャワーであるように思えてならないのだ。

 自我が抱え込めないほどのストレスはオーバーフローせざるを得ない。「鋼鉄なる共産主義者」を演じ切るには、考えられる限りのパフォーマンスの連射が要請されるに違いない。「敗北死」を乗り越えていく意志を外化させることで、自らの「鋼鉄性」を検証する。「鋼鉄性」の濃度が、「冷酷性」によって代弁されてしまうのである。この「冷酷性」こそ、実は、オーバーフローされたストレスの吐瀉物なのである。

 従って、森恒夫が等身大以上の人間を演じ切ろうとすればするほど、オーバーフローしたストレスが「冷酷性」として身体化されることになる。「鋼鉄なる共産主義者」への道という等身大以上の物語の仮構が、その物語が抱えた本質的な虚構性の故に、更にその虚構性を観念の範疇に留めずに、「あるべき身体」として押し出してくるとき、そこに極めて危険な倒錯が発生するのだ。
 
 即ち、「あるべき身体」であらず、「あるべき身体」であろうとしないと印象付けられた全ての身体、就中、「あるべき身体」でないために、「あるべき身体」を欲する身体を成功裡に演じ続ける器用さを持たない、真に内面的な身体、例えば、大槻節子のような身体が、「総括」の名によって烈しく否定されてしまうという状況を生み出すのである。

 「あるべき身体」の仮構が、「あるべき身体」であらない身体を拒むとき、そこで拒まれることのない身体とは、「あるべき身体」以外ではない。そこでの「あるべき身体」の検証をする身体もまた、「あるべき身体」でなければならないのである。だが、「悪魔」が「神」を裁けないのだ。

 では、「あるべき身体」としての「神」の存在を前提にすることで成立し得るこの状況性にあって、その「神」を担う身体は、一体どのような身体なのか。

 それが、「鋼鉄なる共産主義者」を演じ切ることを要請された、森恒夫という固有なる身体である。森恒夫という身体は、「あるべき身体」として、他の全ての「あるべき身体」を目指す、「あるべき身体」ではない身体を相対化する、唯一の絶対的な身体となる。少なくとも、それ以外には粛清を合理化するロゴスはないのである。「あるべき身体」ではない身体が、他の「あるべき身体」ではない身体を否定することは理論的に困難であるからだ。
 
 こうして、森恒夫という身体は、「あるべき身体」の体現者を演じ切らねばならないという十字架を負っていく。
 
 これが私をして、「箱庭の帝王」=「森恒夫の快楽」という風に、安直に決め付けることを困難にさせる根拠がある。問題はそれほど単純なものではないのである。

 森恒夫の跳躍は、まず「あるべき身体」を仮構するという困難さの中に端を発し、ここに埋没して果てたと言うべきか。どだい、その跳躍自体に問題があったのだ。「覚悟」と「胆力」を不足させた男の自我の、その過激な、あまりに過激な跳躍が、この陰湿極まる事件の根柢にあったとは言えないだろうか。
 
 高度大衆消費社会のとば口で、山岳ベースに依拠して殲滅戦を結ぶという、およそ信じ難い倒錯(この場合、社会的規範から外れた行動を示すこと)を生き切るには、それを内側で支えるに足る烈しく狂信的な物語と、その物語に殉教し得る持続的なパトスが不可欠であった。

 森恒夫という身体の内側に、それらの強靭な能力が備わっていたかどうかの検証が、少なくとも、山岳ベースではギリギリの所で回避されていた。森恒夫という能力の検証が回避されたことは、森恒夫という身体が、山岳ベースで、「あるべき身体」を仮構し得ていたことを意味するだろう。

 彼の能力の検証の回避は、同時に、「箱庭の恐怖」=「榛名ベースの闇」からの解放の可能性が開かれないことを意味していたのである。平凡な能力しか持ち得ない一人の男の、その過激な跳躍が、単なる愚行を忌まわしい惨劇に塗り替えてしまったのか。

 しかし、このドラマ転換は、恐らく、男の本意ではなかったように思われる。男はただ、演じ切ることが殆ど困難な役割を、一分の遊び心を持たないで、男なりに真摯に、且つ、徹底的に演じ切ろうと覚悟しただけなのだった。

 男のこの過激な跳躍を保証した山岳ベースとは、男にとって魔境であったのだ。

 男はこの魔境に嘗め尽くされ、翻弄された。この魔境は、平凡な能力しか持たない男に制御され、支配されるような宇宙ではなかったのである。男が支配したのは、男によって縛られし者たちの肉体のみであって、それ以外ではない。男もまた、その忌まわしい宇宙に縛られていたとしか説明しようがないのだ。

 男は恐らく、この魔境に入らなければ権力にきついお仕置きを受けた後、「俺の青春は華やかだったんだぞ」と声高に回顧する、理屈っぽい中年親父に転身を遂げたのではないか。

 男を擁護するつもりなど更々ないが、私にはこの男が、このような秩序破壊の暴挙を貫徹する能力において際立って愚昧であることを認知しても、その人格総体が狂人であるという把握をとうてい受容できず、誤解を恐れずに言えば、男の暴走の当然の帰結とは言え、男が流されてしまったその運命の苛酷さに言葉を失うのみである。

 ともあれ、最高指導者としての自分の能力の「分」を越えた男の所業の結果責任は、あまりに甚大であり過ぎた。踏み込んではならない魔境に侵入し、そこで作り上げた、「箱庭の恐怖」の「帝王」として君臨した時間の中で、この最高指導者は「同志」と呼ぶべき仲間の自我を裂き、削り抜いてしまったのだ。

 詰まる所、「箱庭の恐怖」の凄惨さは、最高指導者としての男の自我の凄惨さをも、存分に曝け出してしまったのである。

 ――― 男を縛った魔境は私たちの日常世界にも存在していて、それがいつでも私たちの弱々しい自我を拉致せんと、甘美な芳香を漂わせて、木戸を開けて待っている。それが怖いのである。その怖さは、或いは、近代文明の諸刃の剣であるだろう。

 近代文明の快楽は、いつでも快楽に見合った不条理を懐深く包含させているのだ。エール大学での心理実験が炙り出した根源的問題は、まさに私たちの自我の脆弱さが、その栄光の陰にまとっていることの認知を私たちに迫るものだった。そのことを少しでも認知できるから、私は近代文明への安直な批判者になろうとはゆめゆめ思わないのである。

 もう既に、私たちの文明は、私たちの欺瞞的な批判によっては何ものをも変えられないような地平を開いてしまったのである。甘い飴をたっぷり舐(な)め尽した後、虫歯になったからと言って、ギャーギャー泣き騒ぐのはフェアではないし、誠実さにも欠ける。誰のせいでもない。私自身の何かが欠落していたのである。文明の問題は、畢竟(ひっきょう)、私自身の問題であるという外はない。

 感傷的な物言いは止めて、男についての私の最後の感懐を記しておく。

 男は魔境の中で、遂に裸になれなかった。

 男が最後まで裸になれなかったなら、恐らく、私は本稿を書こうとは思わなかったであろう。終始、男と共に魔境にあった女が、「十六の墓標」という本を上梓しなかったら、私は「連合赤軍の闇」について、思考を巡らすことをしなかったかも知れない。

 私はこの本を読み進めていくうちに、次第に胸が詰まってきて、男の内側の見えない風景の中に、何とも名状し難い煩悶のようなものが蠢(うごめ)いているのが感じられたのである。この男は、自分の能力ではどうすることもできないような魔境の磁場に引き摺られて動いている、という思いが痛切に伝わってきて、これが逮捕劇の醜態を読み解く伏線になっていた。

 私には、この男の「弱気な発言や消極的な態度」に、何の違和感も覚えない。男は逮捕に至る酷(むご)く閉鎖的な状況下で、一瞬、仮面を脱ぎ捨てて、「最高指導者」としての決定的な役割を放擲(ほうてき)しようとしたのである。男は革命劇の最後のシーンで、裸の自我を完全に曝して見せたのだ。そしてこれが、過激な跳躍を果たした男の、最初にして最後の、赤裸々な自我の表出となったと言えるか、私には分らない。

 或いは、男が首を括ったとき、その顔は男が執拗に求め続けた「あるべき身体」の、威厳に満ちた、しかし情感に乏しい表情に戻っていたと言えるのだろうか。

 男は最後まで、「鋼鉄の如き共産主義者」という物語を捨てられなかったのか。それがせめてもの、男の死出の旅の拠り所であったのか。私には何も分らない。ただ、人間は死んでいくにも、何某かの物語を必要としてしまう何者かであることだけは分っているつもりだ。

 男は「自死」というあまりに見えやすい身体表現によって、「自己総括」を果たしたのか、それとも、それが男の「敵前逃亡」の自己完結点だったのか、今となっては、一切は想像の限りでしかない。少なくとも、魔境に搦め捕られた男の「自己総括」が、「自死」という見えやすい身体表現によって完結点を結んだと括るには、男が魔境で吐瀉した情動系の暴走は突き抜けて過剰だったと言えるだろう。
 
 その過剰なる暴走に対して、もう男は全人格を持って引き受ける何ものをも持ち得なかったに違いない。あのとき男は、自らが倒すべき標的だった権力機関の一画に捕捉されて、それと全人格的に闘争する合理的文脈の欠片をも所有することなく、その絶望感の極みを、あのような見えやすい身体表現のうちに、辛うじて、かつて「最高指導者」であった者のギリギリの矜持(きょうじ)を鏤刻(るこく)したのであろうか。             

(1995年1月脱稿)                          

〔尚、本稿の中での全ての注釈、本稿の一部については、本稿を「Word」に転記していく際に、若干の補筆を加えながら、2007年1月に記述したものである〕

 
【余稿】
 
 本稿を擱筆(かくひつ)後、2ヵ月経った3月20日に、「地下鉄サリン事件」が発生した。所謂、一連の「オウム真理教事件」として世を震撼させる事件が顕在化する契機となった凶悪犯罪である。

 事件の真相が明らかにされるにつれ、「サティアン」と呼ばれる特殊空間の中で、生物化学兵器である物質を製造し、あろうことか、それを既に使用したという現実を、この国の人々は目の当たりにすることになったのである。
 
 私が瞠目したのは、事件の凶悪さそれ自身よりも、寧ろ「サティアン」という名の、特定的な権力関係の暴走を許す小宇宙が、富士山麓の風光明媚な国土の一角を占有していたという現実だった。

 そこだけが閉鎖系に自己完結する、おぞましい空間が生み出した権力関係の内実は、まさしく「箱庭の恐怖」の様相を呈するものだったのだ。当然の如く、そこには「箱庭の帝王」が君臨し、その「帝王」によって支配される偏頗(へんぱ)な階級構造の仮構によって、その小宇宙の権力関係は、紛れもなく、ラインを判然とする暴力機構の機能を発現していたのである。

 この事件は、「箱庭の恐怖」の最もおぞましい様態を晒していて、必ずしも不可避な現出を検証する事態であるとは言えないだろう。

 それにも拘らず、近代文明社会の只中に物質文明の自然科学の情報のみを吸収しつつも、精神文化の異様な尖りを見せた世界が、そこだけは偏頗(へんぱ)な様態を顕在化させて、長きに渡って継続力を持ってしまったという事実に着目する限り、常に私たちのこの秩序だった社会の隅に、私たちが拠って立つ一般的な規範を逸脱する事態の出来が裂かれるようにして、一つの禍々(まがまが)しい「状況性」を結んでしまう恐怖感 ―――まさにそこにこそ、この事件の本当の怖さが伏在していたと考えるのである。
 

 「連合赤軍の闇」という本稿の冒頭に、「榛名ベースの闇」を形成した因子として、私は三つの点に注目した。それらを、ここで改めて確認する。

 その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。
 
 その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。
 
 この三つの要因が組織的に、構造的に具現化された世界の中で、私は「箱庭の恐怖」の出現の可能性がより増幅されると考えている。

 まさに「オウム真理教事件」の「サティアン」こそ、「箱庭の恐怖」以外の何ものでもなかったのである。そして、「サティアン」というカルト教団が作り出した「箱庭の恐怖」は、以上三つの形成因子を堅固にリンクすることで立ち上げられていたということだ。

 「サティアン」という名の小宇宙の闇の本質は、支配命令系統の絶対化と、脱出不能の閉鎖系の時間を日常化させていた所にある。就中、そこでの権力関係の組織力学は、およそ大衆的な宗教団体の柔和性と融通性とは完全に切れていて、「ハルマゲドン思想」という危機な物語の共有化によって、より極左集団の硬直性と酷似する苛烈さを内包するものであった。

 まさに「権力関係の陥穽」を存分に炙(あぶ)り出す、その組織の硬直した構造性こそ、このカルト教団の闇を貫流する、その本質的な暴力性を必然化する決定的な因子であると言っていい。
 
 このような問題意識によって、私は事件直後に、「権力関係の陥穽」と題する小論を書き上げた。それは、「権力関係の陥穽」というものが、ある一定の条件さえ揃ってしまえば、私たちの日常性の中に容易に出来してしまうという把握を言語化したものである。
 
 以下、本稿をフォローする「補論」として、それを記述していきたい。

(2007年1月記)

 

補論 「権力関係の陥穽」  

 人間の問題で最も厄介な問題の一つは、権力関係の問題である。権力関係はどこにでも発生し、見えない所で人々を動かしているから厄介なのである。 権力関係とは、極めて持続性を持った支配・服従の心理的関係でもある。この関係は、寧ろ濃密な感情関係の中において日常的に成立すると言っていい。
 
 例えば、極道の世界で生まれた階級関係に感情の濃度がたっぷり溶融したら、運命共同体に呪縛が関係を拉致して決して放すことはないだろう。

 或いは、最も非感情的な権力関係と見られやすい軍隊の中でこそ、実は濃密な感情関係が形成され得ることは、二.二六事件の安藤輝三隊(歩兵第3連隊)を見ればよく分る。決起に参加した下士官や兵士の中には、事件そのものにではなく、直属の上司たる安藤輝三大尉に殉じたという印象を残すものが多かった。
 
 心理理学者の岸田秀が折りに触れて言及しているように、日本軍兵士は雲の上の天皇のためというより、しばしば、彼らの直属の上司たる下士官や隊付将校のために闘った。また下士官らが、前線で驚くべき勇士を演じられたのも、普段から偉そうなことを言い放ってきた見知りの兵卒たちの前で、醜態を見せる訳にはいかなかったからである。まさに軍隊の中にこそドロドロの感情関係が澱んでいて、そこでの権力関係の磐石な支えが、視線に生きる人々を最強の戦士に育て上げていったのである。
 
 因みに、「視線の力学」は、この国のパワーの源泉の一つであった。

 この力学が集団を固く縛り、多くの兵卒から投降の機会を奪っていったのは事実であろう。日本軍将兵は単騎のときには易々と敵に平伏すことができたのに、「視線の力学」に呑まれてしまうと、その影響力から解放されることは極めて困難であった。この力学の求心力の強さは、敗戦によって武装解除された人々のうちに引き続き維持され、深々と温存されていることは経験的事実であると言っていい。

 こうした「視線の力学」の背後に感情関係とリンクした権力関係が存在するとき、そこに関わる人々の自我は圧倒的に呪縛され、その集合性のパワーが状況に雪崩れ込んで、しばしばおぞましい事件を惹起した。その典型例が、「連合赤軍事件」と「オウム真理教事件」であった。

 そこでは、個人の自我の自在性が殆ど済し崩しにされていて、闇に囲繞された「箱庭の恐怖」の中に、この関係性がなかったら恐怖の増幅の連鎖だけは免れていたであろう、様々にクロスして繋がった地獄絵図が、執拗なまでに描き込まれてしまったのである。

 権力関係は日常的な感情関係の中にこそ成立しやすいと書いてきたが、当然の如く、それが全ての感情関係の中に普通に生まれる訳ではない。
 
 ―― 例示していこう。
 
 ここに、僅かな感情の誤差でも緊張が生まれ、それが高まりやすい関係があるとする。

 些細なことで両者間にトラブルが発生し、一方が他方を傷つけた。傷つけられた者も、返し刀で感情的に反撃していった。相互に見苦しい応酬が一頻り続き、そこに気まずい沈黙が流れた。よくあることである。しかしそこに感情の一方的な蟠(わだかま)りが生じなければ、大抵は感情を相殺し合って、このように一過的なバトルが中和されるべき、沈黙という緩衝ゾーンに流れ込んでいくであろう。

 そこでの気まずい沈黙は、相互に感情の相殺感が確認できて、同時に、これ以上噴き上げていく何ものもないという放出感が生まれたときに、殆ど自然解消されていくに違いない。沈黙は手打ちの儀式となって、後は時間の浄化力に委ねられる。このようなラインの流れを保障するのは、そこに親和力が有効に働いているからに他ならないのである。

 このように、言いたいことを全て吐き出したら完結を見るという関係には、権力関係の顕現は稀薄であると言っていい。始まりがあって終わりがあるというバトルは、もう充分にゲームの世界なのだ。

 然るに、権力関係にはこうした一連なりの自己完結感がなく、感情の互酬性がないから、そこに相殺感覚が生まれようがないのである。関係が一方的だから、攻守の役割転換が全く見られない。攻め立てる者の恣意性だけが暴走し、関係が偶発的に開いた末梢的な事態を契機に、関係はエンドレスな袋小路に嵌(はま)りやすくなっていく。

 事態の展開がエンドレスであることを止めるためには、関係の優劣性を際立たせるような確認の手続きが求められよう。「私はあなたに平伏(ひれふ)します」というシグナルの送波こそ、その手続きになる。弱者からのこのシグナルを受容することで、関係の緊張が一応の収拾に至るとき、私はそれを「負の自己完結」と呼んでいる。権力関係は、しばしばこの「負の自己完結」を外化せざるを得ないのである。

 然るに、「負の自己完結」は、一つの始まりの終わりであるが、次なる始まりの新しい行程を開いたに過ぎないも言える。権力関係は、どこまでいってもエンドレスの迷妄を突き抜けられないのである。

 ―― 他の例で、具体的に見ていこう。
 
 ある日突然、息子の暴力が開かれた。

 予感していたとは言え、その唐突な展開は、母親を充分に驚愕させるものだった。母親は動揺し、身震いするばかりである。これも予測していたこととは言え、母親を守るべきはずの父親が、父親としての役割を充分に果たしていないことに、母親は二重の衝撃を受けたのだ。

 父親は口先では聞こえの良いことを言い、自分を庇ってくれている。しかしそれらは悉(ことごと)く客観的過ぎて、事態の核心に迫ることから、少しずつ遠ざかるようなのだ。父親は息子の暴力が反転して、自分に向かって来るのをどこかで恐れているようなのである。

 母親は急速に孤立感を深めていった。父親と同様に、息子の暴力を本気で恐れている。最初はそうでもなかった。髪をむしられ、蹴られるに及んで、自分を打擲(ちょうちゃく)する身体が、自分がかつて溺愛した一人息子のイメージと次第に重ならなくなってきて、今それは、自分の意志によっては制御し得ない暴力マシーン以外ではなくなった。
 
 何故、こうなってしまったのかについて、母親はもう理性的に解釈する余裕を持てなくなってしまっている。それでも、自分の息子への溺愛と、父子の対話の決定的な欠如は、息子の問題行動に脈絡しているという推測は容易にできた。

 しかし今となってはもう遅い。何か埋め難い過誤がそこにある。でも、もう遅い。息子の暴力は、日増しに重量感を強めてきた。ここに、体を張って立ち向かって来ない父親にまで、息子の暴力が拡大していくのは時間の問題になった。
 
 以上、この畏怖すべき仮想危機のイメージが示す闇は深く、絶望的なまでに暗い。
 
 母と息子の溺愛を示す例は少なくないが、必ずしも、その全てから身体的暴力が生まれる訳ではない。しかしドメスティック・バイオレンス(DV=家庭内暴力)の事例の多くに、溺愛とか愛情欠損といった問題群が見られるのは否めないであろう。

 その背景はここでは問わないが、重要なのは、息子の暴力の出現を、明らかな権力関係の発生という風に把握すべきであるということだ。母子の溺愛の構図を権力関係と看做(みな)すべきか否かについては分れる所だが、もしそのように把握したならば、ここでのDVは権力関係の逆転ということになる。
 
 歴史の教える所では、権力関係の逆転とはクーデターや革命による政権交代以外ではなく、その劇的なイメージにこの暴力をなぞってみると、極めて興味深い考察が可能となるだろう。

 第一に、旧政権(親権)の全否定であり、第二に、新政権(子供の権利)の樹立がある。そして第三に、新政権を維持するための権力(暴力)の正当性の行使である。

 但し、「緊張→暴力→ハネムーン」というサイクルを持つと言われるDVは、革命の暴力に比べて圧倒的に無自覚であり、非統制的であり、恣意的であり、済し崩し的である。

 実はこの確信性の弱さこそが、DVの際限のなさを特徴付けている。暴力主体(息子)の、この確信のなさが事態を一層膠着(こうちゃく)させ、無秩序なものにさせるのだ。権力を奪っても、そこに政治を作り出せない。政治を作り出せないのは、自分の要求が定められないからだ。要求を定められないまま、権力だけが動いていく。暴力だけが空気を制覇するのだ。

 この確信のない恣意的な暴力の文脈に、息子の親たちは弱々しい暴力回避の反応だけを晒していく。これが息子には、許し難い卑屈さに映るのだ。「卑屈なる親の子」という認知を迫られたとき、この文脈を解体するために、息子は暴力を継続させる外になかったのか。しかし継続させた暴力に逃げ惑う親たちを見て、息子の暴力はますますエスカレートしていった。「負の自己未完結」の闇が、いつしか「箱庭」を囲ってしまったのである。
 
 母親の屈従と、父親の沈黙。

 その先に父親への暴力が待つとき、この父親は一体、息子の暴力にどう対峙するのだろうか。
 
 近年、このような事態に悩む父親が、専門的なカウンセリングを受けるケースが増えている。その時点で、既に父親は敗北しかかっているのだが、かつて、そんな敗北感を負った父親に、「息子さんの好きなようにさせなさい」とアドバイスをした専門家がいて、一頻り話題になった。マスコミの論調は主として、愚かなカウンセリングを非難する硬派調の文脈に流れていった。

 私の見解もマスコミに近かったが、ここで敢えて某カウンセラー氏を擁護すると―― 息子の暴力に毅然と対処できないその父親を観察したとき、某カウンセラー氏が一過的な便法として、相手(息子)の感情を必要以上に刺激しない対処法を勧めざるを得なかった、と解釈できなくもない。

 某カウンセラー氏は常に、敗北した父親の苦悶に耳を傾けるレベルに留まらない、職域を越えた有効なアドバイザーとしての、極めてハードな役割を担わされてしまっている。だから、彼らが敗北した父親に、「息子と闘え」という恐怖突入的なメッセージを送波できる訳もないのだ。それにも拘らず、彼らが父親に、「打擲に耐える父親」の役割のみを求めたのは誤りだった。この場合、「逃げてはいけません」というメッセージしかなかったのである。

 敗北した父親に、「闘え」というメッセージを送っても、恐らく空文句に終わるであろう。そのとき、「我慢しなさい」というメッセージだけが父親に共振したはずなのだ。

 父親はこのメッセージをもらうために、カウンセリングに出向いたのではないか。他人をこの苛酷な状況にアクセスさせて、自分の卑屈さを相対化させたかった。他者の専門的な判断によって、息子との過熱した行程の中で自らが選択した卑屈な行動が止むを得なかったものであることを、ギリギリの所で確認したかったのではないか。そんな読み方もまた可能であった。

 結局、父親も母親も息子の暴力の前に竦(すく)んでしまったのだ。彼らは単に暴力に怯(おび)えたのではない。権力としての暴力に竦んだのである。DVというものを権力関係というスキームの中で読んでいかない限り、その闇の奥に迫れないであろう。
 
 息子の暴力の心理的背景に言及してみよう。

 以上のケースでの父子関係に、問題がない訳がないからだ。
 
 このケースの場合、ここぞという時に息子に立ち向かえなかった父親の不決断の中に、モデル不在で流れてきた息子の成長の偏在性を見ることができる。立ち向かって欲しいときに立ち向かうべき存在のリアリティが稀薄であるなら、そのような父親を持った息子は、では何によって、一人の中年男のうちに、より実感的な父親性を確認するのだろうか。

 そのとき息子は、長く同居してきた中年男が、どのような事態に陥ったら自分に立ち向かって来るのか、という実験の検証に踏み出してしまうのだろうか。それが息子の暴力だったというのか。DVという名の権力の逆転という構図は、こんな屈折した心象を内包するのか。

 いずれにせよ、これ以上はないという最悪の事態に置かれても、遂に自分に立ち向かえなかった父親の中に、最後までモデルを見出せなかった無念さが置き去りにされて、炸裂した。息子に言われるままに買い物に赴く父親の姿を見て、心から喜ぶ息子がどこにいるというのだろうか。
 
 「あ、これが父親の強さなのだ。やはりこの男は、俺の父親だったんだ」
 
 このイメージを追い駆けていたかも知れない息子の、あまりに理不尽なる暴力の前に、イメージを裏切る父親の卑屈さが晒された。

 卑屈なるものの伝承。

 息子は、これを蹴飛ばしたかったのだ。

 本当は表立った要求などない息子が、どれほど父親を買い物に行かせようとも、それで手に入れる快楽など高が知れている。そこには政治もないし、戦略も戦術も何もない。あるのは、殆ど扱い切れない権力という空虚なる魔物。それだけだ。

 家庭という「箱庭」を完全制覇した息子の内部に、急速に空洞感が広がっていく。このことは、息子の達成目標点が、単に内なるエゴの十全な補償にないことを示している。彼は支配欲を満たすために、権力を奪取したかったのではない。ましてや、親をツールに仕立てることで、物質欲を満たしたかったのではない。

 そもそも彼は、我欲の補償を求めていないのだ。

 彼が求めているのは自我拡大の方向ではなく、いつの間にか生じた自我内部の欠乏感の充足にこそあると言えようか。内側で実感された欠乏感の故に、自我の一連なりの実在感が得られず、そのための社会へのアクセスに不安を抱いてしまうのだ。

 欠乏感の内実とは、自我が社会化できていないことへの不安感であり、そこでの免疫力の不全感であり、加えて自己統制感や規範感覚の脆弱感などである。

 息子が開いた権力関係は、無論、欠乏感の補填を直接的に求めたものではない。もとより欠乏感の把握すら困難であるだろう。ただ、社会に自らを放っていけない閉塞感や、社会的刺激に対する抵抗力の弱さなどから来る落差の感覚が、内側に苛立ちをプールさせてしまっているのである。
 
 何もかも足りない。決定的なものが決定的に足りないのだ。

 その責任は親たちにある。思春期を経由して攻撃性を増幅させてきた自我が、今やその把握に辿り着いて、それを放置してきた者たちに襲いかかって来たのである。

 当然のように、暴力によって欠乏感の補填が叶う訳がなかった。

 そこに空洞感だけが広がった。もはや権力関係を解体する当事者能力を失って、かつて家族と呼ばれた集合体は空中分解の極みにあった。そこには、内実を持たない役割記号だけしか残されていなかったのである。

      
            *        *       *       *

 ここで、権力関係と感情関係について整理してみよう。それをまとめたのが以下の評である。
           
      ↑              感情関係   非感情関係
     関自
     係由   権力関係       @       A
     の度  非権力関係     B       C
       低        
       い          ← 関係の濃密度高い

  
 
 @には、暴力団、宗教団体、家庭内暴力の家庭とか、虐待親とその子供、また大学運動部の先輩後輩、旧商家の番頭と丁稚、プロ野球の監督と選手や、モーレツ企業のOJTなどが含まれようか。

 Aは、パブリックスクールの教師と寮生との関係であり、警察組織や自衛隊の上下関係であり、精神病院の当局と患者の関係、といったところか。

 また、Bには普通の親子、親友、兄弟姉妹、恋人等、大抵の関係が含まれる。

 最も機能的な関係であるが故に、距離を保つCには、習い事における便宜的な師弟関係、近隣関係、同窓会を介しての関係や、遠い親戚関係といったところが入るだろうか。
 
 権力関係の強度はその自由度を決定し、感情関係の強度はその関係の濃密度を決定する。

 ここで重要なのは、権力関係の強度が高く、且つ、感情関係が濃密である関係(@)である。関係の自由度が低く、感情が濃密に交錯する関係の怖さは筆舌し難いものがある。

 この関係が閉鎖的な空間で成立してしまったときの恐怖は、連合赤軍の榛名山ベースでの同志殺しや、オウム真理教施設での一連のリンチ殺人を想起すれば瞭然とする。状況が私物化されることで「箱庭」化し、そこにおぞましいまでの「箱庭の恐怖」が生まれ、この権力の中心に、権力としての「箱庭の帝王」が現出するのである。

 「箱庭」の中では危機は外側の世界になく、常に内側で作り出されてしまうのだ。密閉状況で権力関係が生まれると、感情関係が稀薄であっても、状況が特有の感情世界を醸し出すから、相互に有効なパーソナル・スペースを設定できないほどの過剰な近接感が権力関係を更に加速して、そこにドロドロの感情関係が形成されてしまうのである。そこには理性を介在する余地がなく、恣意的な権力の暴走と、その禍害を防ごうとする戦々恐々たる自我しか存在しなくなる。いかような地獄も、そこに現出し得るのだ。

 ―― この権力の暴走の格好の例として、私の記憶に鮮明なのは、連合赤軍事件での寺岡恒一の処刑にまつわる戦慄すべきエピソードである。

 およそ処刑に値しないような瑣末な理由で、彼の反党行為を糾弾し、アイスピックで八つ裂きにするようにして同志を殺害したその行為は、暴走する権力の、その止め処がない様態を曝して見せた。このような状況下では、誰もが粛清や処刑の対象になり得るし、その基準は、「箱庭の帝王」の癇に障るか否かという所にしか存在しないのだ。

 実際、最後に粛清された古参幹部の山田孝は、高崎で銭湯に入った行為がブルジョア的とされ、これが契機となって、過去の瑣末な立ち居振る舞いが断罪されるに及んだ。山田に関わる「帝王」の記憶が殆ど恣意的に再編されてしまうから、そこに何か、「帝王」の癇(かん)に障(さわ)る行為が生じるだけで、反党性の烙印が押されてしまうのである。

 そしていつか、そこには誰もいなくなる。

 そのような権力関係の解体は自壊を待つか、外側の世界からの別の権力の導入を許すかのいずれかしかない。いずれも地獄を見せられることには変わりがないのだ。

 感情密度を深くした権力関係の問題こそが、私たちが切り結ぶ関係の極限的様態を示すものであった。従って私たちは、関係の解放度が低くなるほど適正な自浄力を失っていく厄介さについては、充分過ぎるほど把握しておくべきなのである。

 ―― 次に、介護によって発生する権力関係について言及してみる。

 ある日突然、老親が倒れた。幸い、命に別状がなかった。しかし後遺症が残った。半身不随となり、発語も困難になった。

 倒れた親への愛情が深く、感謝の念が強ければ、老親の子は献身的に看護し、恩義を返報できる喜びに浸れるかも知れない。その気持ちの継続力を補償するような愛や温情のパワーを絶対化するつもりはない。しかしそのパワーが脆弱なら、老親の子は、看護の継続力を別の要素で補填していく必要があることだけは確かである。

 では、看護の継続力を愛情以外の要素で補填する者は、そこに何を持ち出してくるか。何もないのである。愛情の代替になるパワーなど、どこにも存在しないのである。強いてあげれば、「この子は親の面倒を看なければならない」という類の道徳律がある。しかしこれが意味を持つのは、愛情の若干の不足をそれによって補完し得る限りにおいてであって、その補完の有効限界を逸脱するほどの愛情欠損がそこに見られれば、道徳律の自立性など呆気なく壊されてしまうのである。

 「・・・すべし」という心理的強制力が有効であった共同体社会が、今はない。

 道徳が安定した継続力を持つには、安定した感情関係を持つ他者との間に道徳的実践が要請されるような背景を持つ場合である。親子に安定した感情関係がなく、情緒的結合力が弱かったら、病に倒れた親を介護させる力は、ひとり道徳律に拠るしかない。しかしその道徳律が自立性を失ってしまったら、早晩、直接介護は破綻することになるのだ。

 直接介護が破綻しているのに、なお道徳律の呪縛が関係を自由にさせないでいると、そこに権力関係が生まれやすくなり、この関係をいよいよ悪化させてしまうことにもなるだろう。

 介護の体裁が形式的に整っていても、介護者の内側でプールされたストレスが、被介護者に放擲(ほうてき)される行程を開いてしまうと、無力な親は少しずつ卑屈さを曝け出していく。親の卑屈さに接した介護者は、過去の突き放された親子の関係文脈の中で鬱積した自我ストレスを、老親に向かって返報していくとき、それは既に復讐介護と言うべき何かになっている。

 あれほど硬直だった親が、何故こんなに卑屈になれるのか。

 この親に対して必死に対峙してきた自分の反応は、一体何だったのか。そこに何の価値があるのか。

 何か名状し難い感情が蜷局(とぐろ)を巻いて、視界に張り付く脆弱な流動体に向かって噛み付いていく。道徳律を捨てられない感情がそこに含まれているから、内側の矛盾が却って攻撃性を加速してしまうのだ。この関係に第三者の意志が侵入できなくなると、ここで生まれた権力関係は、密閉状況下で自己増殖を果たしていってしまうのである。

 直接介護をモラルだけで強いていく行程が垣間見せる闇は、深く静かに潜行し、その孤独な映像を都市の喧騒の隙間に炙り出す。終わりが見えない関係の澱みが、じわじわとその深みを増していくかのようだ。

 ―― 或いは、ごく日常的なシーンで発生し得る、こんなシミュレーションはどうだろうか。

 眼の前に、自分の言うことに極めて従順に反応する我が子がいる。
 この子は自分に似て、とても臆病だ。気も弱い。この子を見ていると、小さい頃の自分を思い出す。それが私にはとても不快なのである。

 人はどうやら、自分の中にあって、自分が酷く嫌う感情傾向を他者の中に見てしまうと、その他者を、自らを嫌う感情の分だけは確実に嫌ってしまうようだ。また、自分の中にあって、自分が好む感情傾向を他者の中に見てとれないと、その他者を憧憬の感情のうちに疎ましく思ってしまうのだろう。多くの場合、自分の中にある感情傾向が基準になってしまうのである。

 我が子の卑屈な態度を見ていると、自分の卑屈さを映し出してしまっていて、それがたまらなく不愉快なのだ。この子は、人の顔色を窺(うかが)いながら擦り寄ってくる。それが見え透いているのだ。他の者には功を奏するかも知れないこの子の「良い子戦略」は、私には却って腹立たしいのである。それがこの子には分らない。それもまた腹立たしいのである。

 この子に対する悪感情は、家庭という「箱庭」の中で日増しに増幅されてきた。それを意識する自分が疎ましく、不快ですらある。自分の中で何かが動いている。排気口を塞がれた空気が余分なものと混濁して、虚空を舞っている。

 そんな中で、この子がしくじって見せた。

 他愛ないことだが、私の癇に障り、思わず怒気が漏れた。卑屈に私を仰ぐ我が子の態度が、余計私を苛立たせる。感情に任せて、私は小さく震えるその横っ面を思わず張ってしまった。それが、その後に続く不幸な出来事の始まりとなったのだ。

 以来、我が子の、自らを守るためだけの一挙手一投足の多くが癇に障り、それに打擲(ちょうちゃく)を持って応える以外に術がない関係を遂に開いてしまって、私にも充分に制御できないでいるのである。

 感情の濃度の深い関係に権力関係が結合し、それが密閉状況の中に置かれたら、後は「負の自己完結」→「負の自己未完結」を開いていくような、何か些細な契機があれば充分であろう。

 ここでイメージされた母娘の場合も、父の不在と専業主婦という状況が密室性を作ってしまって、そこに一気に権力関係を加速させるような暴力が継続性を持つに至ったら、殆ど虐めの世界が開かれる。

 虐めとは、身体暴力という表現様態を一つの可能性として含んだ、意志的、継続的な対自我暴力であると把握していい。それ故、そこには当然由々しき権力関係の力学が成立している。

 母娘もまた、この権力関係の力学に突き動かされるようにして、一気にその負性の行程を駆けていく。

 例えば、この暴力は食事制限とか、正座の強要とかの直接的支配の様態を日常的に含むことで、関係の互酬性を自己解体していくが、これが権力関係の力学の負性展開を早め、その律動を制御できないような無秩序がそこに晒される。もうそこには、別の意志の強制的侵入によってしか介入できない秩序が、絶え絶えになってフローしている。親権のベールだけが、状況の被膜を覆っているようである。

 ―― 虐めの問題を権力関係として捉え返すことで、この稿をまとめていこう。

 そもそも、虐められる者に特有な性格イメージとは何だろうか。

 結局、虐められやすい者とは、防衛ラインが堅固でなく、それを外側でプロテクトするラインも不分明で(母子家庭とか、孤立家庭とか)、そのため人に舐められやすい者ということになろうか。

 しかしそこに、少なからぬ経験的事実が含まれることを認めることは、虐めを運命論で処理していくことを認めることと同義ではない。

 虐めとは、意志的、継続的な対自我暴力であって、そこには権力関係の何某かの形成が読み取れるのである。この理解のラインを外せば、虐めの運命論は巷間を席巻するに違いない。

 虐めの第一は、そこに可変性を認めつつも権力関係であること。第二は、対自我暴力であること。第三は、それ故に比較的、継続性を持ちやすいこと―― この基本ラインの理解が、ここでは重要なのだ。

 虐めによる暴力の本質は、相手の自我への暴力であって、それが盗みの強要や小間使いとか、様々な身体的暴力を含む直接、間接の暴力であったとしても、それらの暴力のターゲットは、しばしば卑屈なる相手の卑屈なる自我である。ここを打擲(ちょうちゃく)し、傷つけることこそ、虐めに駆られる者たちの卑屈なる狙いである。

 卑屈が集合し、クロスする。

 彼らは相手の身体が傷ついても、その自我を傷つけなければ、露ほどの達成感も得られない。相手が自殺を考えるほどに傷ついてくれなければ、虐めによる快楽を手に入れられないのだ。対自我暴力があり、その自我の苦悶の身体表現があって、そこに初めて快楽が生まれ、この快楽が全ての権力関係に通じる快楽となるから、必ずより大きな快楽を目指してエンドレスに自己増殖を重ねていく。

 そして、この種の暴力は確実に、そして果てしなく増強され、エスカレートしていく。相手が許しを乞うことで、一旦は暴力が沈静化することはあっても(「負の自己完結」)、却って、その卑屈さへの軽蔑感と征服感の達成による快楽の記憶が、早晩、次のより増幅された暴力の布石となるから、この罪深き関係にいつまでも終わりが来ないのだ。

 虐めというものが、権力関係をベースにした継続的な対自我暴力という構造性を持つということ―― そのことが結局、相手の身体を死体にするまでエスカレートせざるを得ない、この暴力の怖さの本質を説明するものになっていて、この世界の際限のなさに身震いするばかりである。

 「虐め」の問題を権力関係として捉え返すことで、私たちはこの世に、「権力関係の陥穽」が見えない広がりの中で常に伏在している現実を、いつでも、どこでも、目の当たりにするであろう。それが人間であり、人間社会の現実であり、その宿痾(しゅくあ)とも呼ぶべき病理と言えるかも知れない。

 結論から言えば、私たち人間の本質的な愚昧さを認知せざるを得ないということだ。人間が集団を作り、それが特定の負性的条件を満たすとき、そこに、相当程度の確率で権力関係の現出を分娩してしまうかも知れないのである。

 繰り返すが、人間の自我統御能力など高が知れているのだ。だから私たちの社会から、「虐め」や「家庭内暴力」を根絶することは、殆ど不可能と言っていい。ましてや、権力関係の発生を、全て「愛」の問題で解決できるなどという発想は、理念系の暴走ですらあると断言していい。

 しかし、以上の文脈を認めてもなお、「虐め」を運命論の問題に還元するのは、とうていクレバーな把握であるとは思えないのだ。「虐め」が自我の問題であるが故に、その自我をより強化する教育が求められるからである。

 人間は愚かだが、その愚かさを過剰に顕在化させないスキルくらいは学習できるし、その手段もまた、手痛い教訓的学習の中で、幾らかは進化させることが可能であるだろう。少なくとも、そのように把握することで、私たちの内なる愚昧さと常に対峙し、そこから逃亡しない知恵の工夫くらいは作り出せると信じる以外にないということだ。

 人は所詮、自分のサイズにあった生き方しかできないし、望むべきでないだろう。

 自分の能力を顕著に超えた人生は継続力を持たないから、破綻は必至である。まして、それを他者に要求することなど不遜過ぎる。過剰に走れば、関係の有機性は消失するのだ。交叉を失って、澱みは増すばかりとなる。関係を近代化するという営為は、思いの外、心労の伴うものであり、相当の忍耐を要するものであるからだ。

 人は皆、自分を基準にして他者を測ってしまうから、自分に可能な行為を相手が回避する態度を見てしまうと、通常、そこでの落差に人は失望する。どうしても相手の立場に立って、その性格や能力を斟酌(しんしゃく)して、客観的に評価するということは困難になってくる。そこに、不必要なまでの感情が深く侵入してきてしまうのである。

 また逆に、自分の能力で処理できない事柄を、相手が主観的に差し出す、「包容力」溢れる肯定的ストロークに対して、安直に委託させてしまう多くの手続きには相当の用心が必要である。そこに必要以上の幻想を持ち込まない方がいいのだ。自分以外の者にもたれかかった分だけ拡大させた自我の暴走は、最も醜悪なものの一つであると言っていい。そのことの認知は蓋(けだ)し重要である。

 私たちはゆめゆめ、「近代的関係の実践的創造」というテーマを粗略に扱ってはならないということだ。それ以外ではない。
http://zilx2g.net/index.php?%A1%D6%CF%A2%B9%E7%C0%D6%B7%B3%A1%D7%A4%C8%A4%A4%A4%A6%B0%C7

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c3

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
4. 中川隆[-10993] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:56:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1033]

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=q_uMjzQAwnM
https://www.youtube.com/watch?v=cicGFPx-4GE

▲△▽▼


<再現>日本赤軍事件 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QNNokzO4u-Y
https://www.youtube.com/watch?v=3dN3r3H4mSU


重信房子独占インタビュー 1973 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=rXIUjCImv1M

映画『革命の子どもたち』予告編 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=93xiGKx5ASU


▲△▽▼


連合赤軍あさま山荘事件 完全版 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=_7538Mapqd8

https://www.youtube.com/watch?v=JbXHqyyCvRY
https://www.youtube.com/watch?v=UgCwy_WQP60
https://www.youtube.com/watch?v=6dy2fbMgILE

<再現>連合赤軍 山岳ベース事件  - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%EF%BC%9C%E5%86%8D%E7%8F%BE%EF%BC%9E%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D+%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6&sp=mAEB

銃撃と粛清の神話 1972年連合赤軍あさま山荘事件 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%8A%83%E6%92%83%E3%81%A8%E7%B2%9B%E6%B8%85%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1+1972%E5%B9%B4%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

【昭和】連合赤軍30年目の真実【大事件】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=VwrRJSLg7nU

連合赤軍兵士 41年目の証言 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=fBusjiyrX78


▲△▽▼


しかし、昔の学生やインテリは随分 IQ が低かったみたいですね。

当時の日本は一億総中流で、マルクス主義の前提になる階級自体が存在しなかったので、いくら社会不安を起こしても階級闘争や革命なんか起きる筈がなかったのですけどね。


まあ、今の学生やインテリが賢くなったというのでなく

今だけ、金だけ、自分だけ

という価値観に変わっただけなのですが。


世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです
そしてそれは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

日本共産党や労働組合を創設させたのも GHQ なのですね。

平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。


参考


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c4

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
132. 中川隆[-10992] koaQ7Jey 2019年4月03日 11:17:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1034]

JBLの低域ユニットではD130が好きですね - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年04月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f0a7f6b24f7496ce7fedd5bf3697f947

オリンパスシステムが非常に良いサウンドを出しても手放さなかったD130のシステム。その訳は「軽く弾む低音がする」からだ。これに「低音の音の厚み」が加われば他のユニットでは追随できないだろうと思っていた。それが今出て来始めている。だから聴くのが楽しくて仕方がない。それも、まだNo1グレードのケーブルで電源ラインも信号ラインも「活性化中」だから、更に良くなっていくのが判っている。

45年前のアンプを使ってどうなるかな?と実験で入れたパイオニアのC3+M4。プリアンプ単体で考えれば、自作管球プリの方が音質やSN比は上だろうと思うが、敢えてパイオニア純正の組み合わせにしている。ただC3もM4も「オリジナル」と云う訳ではない。「音質アップ」のノウハウをこの15年追及して来た。その結果「電源ケーブル」と「ラインケーブル」を自主開発して、CD等のソース機器に入っている情報をすべて取り出して余裕のあるケーブルグレードにしたと自分では推定している。

SP間にラックやTV等が有るが、それらに関係なく音が詰まって来て、音が面で出て来る一歩手前まで来ている。多分「活性化」が完了すればオリンパスシステムと同じ様に「音が面で出て来る」はずだと思っている。スケール感も非常に大きくなっている。

部屋的にも10畳の空間が有り、オリンパスシステムの7.5畳より音の広がりやヌケが良い。聴いていて心地よく弾む低音の質感が良い。D130は軽く弾む低音が魅力だ。いつまでも聴いていられる心地よさが有る。オリンパスのLE15ではちょっと重たい低音なので、体力が無い時は苦痛に思える時がある。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f0a7f6b24f7496ce7fedd5bf3697f947


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c132

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
133. 中川隆[-10991] koaQ7Jey 2019年4月03日 11:19:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1035]

高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c133
[リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
14. 中川隆[-10990] koaQ7Jey 2019年4月03日 14:13:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1036]

『「いつものパン」があなたを殺す』白澤卓二教授に聞いた“グルテン”と“脳”の真実とは 2015.4.2
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088


美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本

『「いつものパン」があなたを殺す』

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837957552/urepi-22/ref=nosim/

の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

最近、人気モデルや著名人が実践中ということでも話題の“グルテンフリー”。健康に関心の高い人やダイエットを目指す人たちを中心にじわじわと注目を集め、グルテンフリー食品や専門店なども登場している。

しかしこの“グルテン”、どうやら特別な人々だけに関わる問題ではないらしい。

私たちの「脳」に着々と、深刻な影響をおよぼしている可能性が高いのだ。


アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる『「いつものパン」があなたを殺す』(デイビッド・パールマター/クリスティン・ロバーグ著 原題:Grain Brain)の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

■白澤卓二(しらさわ・たくじ)
順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。日本抗加齢(アンチエイジング)医学会理事。専門は寿命制御遺伝子の分子遺伝子学、アルツハイマー病の分子生物学など。
著書に『100歳まで元気に生きる食べ方』(三笠書房)、『ココナッツオイルでボケずに健康』(主婦の友社)、訳書に『小麦は食べるな!』(日本文芸社)などベストセラー多数。

小麦に含まれる「グルテン」が脳を鈍くしている!?

セルビア出身の男子テニスプレーヤー、ノバク・ジョコビッチ選手。彼は世界ランク3位で伸び悩んでいたとき、ある簡単な検査でグルテンに過敏な体質を持っていることを知った。

そこで彼は14日間、グルテンを含む小麦食品を一切断った。すると体調がよくなり、パフォーマンスもアップした。2週間後、再びグルテンを含むベーグルを1個食べてみたところ、その翌朝は体のキレが悪く体力が続かなかったという。

「腸管に炎症が起きていたんですね。『リーキーガット』になっていたんです」

普通、小腸の粘膜を覆っている細胞は、1つ1つが規則正しく結びついて並んでいるのだが、グルテンアレルギーがあると、この細胞の結びつきが崩れて緩み、腸管に穴が開く。すると中から毒素が漏れ出し、それが脳へと到達して「キヌレニン」という神経毒性物質を生み出すという。これが『リーキーガット』。

「『キヌレニン』が脳のニューロン(神経細胞)に作用すると、神経伝達物質が出にくくなります。つまり、『キヌレニンがジョコビッチ選手の脳を犯していた』ということです」

ジョコビッチ選手は本格的に小麦食品を除去し、良質なタンパク質や脂質を十分に摂る食生活に変えた。そして世界ランキング3位から1位へと上り詰め、快進撃が続いている。

「グルテンを除いた影響ですね。相手がボールを打ってから次の動きを始める前には、信号が脳のいくつかの『シナプス』を経由するんですが、そのシナプスの結合が良くなったんです。相手が打った瞬間に動けるから、ストロークが安定したんでしょう」

グルテンを断つことで、脳の働きがよりスムーズになった。逆に言えば、“グルテンが脳の働きを悪くし、動きを鈍らせていた”ことになる。実際に映像で観てみると、同じトップクラスの選手と比べてみても、動きの速さが段違いであることがわかる。

「こういうことが、小麦で起きているんです。『パンがあなたを殺す』というのはそういう意味です。たとえ全粒粉のパンを食べたとしても同じです。『脳の中が空っぽ(Grain Brain=穀物脳)になる』、ということなんです」

“袋入りパン”が売られているのは、実は日本だけ!

ジョコビッチ選手はグルテンに過敏性があった。だが、私たちはどうなのだろう?

スーパーやコンビニなど街のいたるところで“袋入り”で売られているパン。日本で流通しているような“ふわふわ”と伸びがよい、“日持ちする”パンを作るためには、グルテンを多く含む「強力粉」を使う必要がある。

日本での強力粉の自給率は1%程度。そのため輸入に頼るしかない。日本のパンの原料となっている小麦は、ほとんどがアメリカやカナダからの輸入品なのだ。

「フランスでパンといえば『バゲット』で、強力粉は使いません。日持ちしないので、パンを買いに、街のパン屋さんに足を運ぶわけです。

パンがビニール袋に入って売られているのは、日本だけです。

日本ではこれ(袋入りの食パン)が普通のパンだと思っていますよね? 学校給食でも袋入りで配られますからね。でもこれ、もともとが『強力粉』を使わないと作れないものなんです。100%、輸入小麦を使わないと作れない仕組みに、最初からなっていたわけです」

あなたのイメージする小麦は、“本当の小麦”?


いくつか、小麦の穂の写真を見せていただいた。広々とした畑の中で、ゆらゆらと穂をなびかせながら大きく育つ…。小麦にはそんなイメージがある。しかし、1960年から1980年までの間に行われた度重なる品種改良によって、小麦はその姿・形を大きく変えた。

「現在作られている小麦のほとんどがこれです」。
白澤先生がそう言って指し示した小麦は、1960年代に作られていた小麦と比べ、背丈は半分以下。大量の化学肥料や農薬を使わないと育つことができない。

『小麦は食べるな!』(Dr.ウイリアム・デイビス著)によれば、現代の小麦は、収穫量を増やし、病気や日照りなど環境への抵抗力をつけるために、“異種交配”や“遺伝子情報の大幅な変更”が繰り返され、高い生産性をもつ矮性小麦へと変わった。現在、世界で作られている小麦の99%が、こうした矮性小麦や半矮性小麦だという。

グルテンの含有量が少ない昔の小麦では、“ふわふわ”した食感のパンやパンケーキは作れない。品種改良によってグルテンの量が増えたからこそ、より“ふわふわ”な食感になる。つまり私たちは、昔とは性質の違う、「体が受け入れる準備が整っていない」小麦を食べているらしい。


誰もが、グルテンで脳に“炎症”を起こしている


小麦グルテンによって小腸が損傷する「セリアック病」という病気がある。これはごく少数の人がかかる小麦に反応する自己免疫性疾患だ。
しかし、「セリアック病」でないからといって安心できる訳ではない。この病気でなくとも、グルテンを適正に処理できない過敏症である可能性があるという。

「小学校の頃から炭水化物ばかり食べさせられてきて、グルテンに対するアレルギー検査も受けていない。それにコレステロールの多い食事も摂っていないでしょう? 条件的には、日本人はほぼ、腸管に穴が開いているとしても不思議ではありません。ほとんど日本人全員にあてはまるのはないでしょうか、彼(デイビッド・パールマター)が言っていることは」

つまり私たちの誰もがグルテンに過敏であり、「脳」にグルテンの影響を受けている可能性が極めて高い、ということなのだ。

さらに、グルテン以外の「糖質」、「炎症を促進する食べ物」、「環境有害物質」などが組み合わさることで、脳への影響が加速する…と著者は指摘する。

「1日の糖質は60g以下に、と彼は言っています。そうしないと脳に炎症が起きてきます。『キヌレリン』という毒が発生して、脳を犯すんです」

今まで小麦を食べてきた量によって、その影響に差は生まれるのだろうか?

「彼は『(小麦以外も含む)炭水化物の影響は蓄積される』と言っています。人生において、炭水化物を食べれば食べるほど脳が燃えている時間が長くなり、脳の中の空洞が大きくなる、と断言しています。濃厚に食べていればそれだけ、たとえ生きている時間が短いとしても、『脳が空っぽになる』と」

ふわっふわの美味しい「パン」が、心の病の原因に

実際に「小麦を断つ」、ただそれだけのことで、うつ病や統合失調症、注意欠如・多動性障害(ADHD)、自閉症、記憶・認知障害などの精神や行動にかかわる病が治った、という多くの例が存在する。

グルテンにはまた、強い依存性がある。グルテンが胃で分解されると、アヘンに似た作用を持つ「エクソルフィン」という物質に変わる。それが脳の“関門”をするりと突破し、脳内に入り込む。すると「おいしい!」「最高!」という恍惚感を生み、依存性を引き起こす。

「パンを食べて『ふわっ』とした快楽が脳に走るのは、血糖が上がったからではなくて、エクソルフィンが脳まで行き、『アヘン受容体』と結合したからなんです。つまり、神経回路が行動を制御している、ということです」

精神の病を引き起こす“だけでなく”、脳などの神経系組織を破壊し、しかも依存性がある。それが多くの食品に含まれているとなれば、問題が大きいのではないか?

小学生は給食でパンを食べている。集中力を保てない、疲れやすい、キレやすい、アレルギーの増加…。ちょうど1980年代頃から指摘され始めた子どもたちのこうした変化も、小麦がひとつの要因となっているのだろうか?

「まず、すべき事は『パン』を食べないこと。給食でも、みんなで『パン』を食べなければいい、ボイコットすればいいんです。牛乳も本当はやめるべきなのです」


美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本『「いつものパン」があなたを殺す』の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

問題は「パン」だけではない!

“小麦を断つだけ”で、慢性疲労、自己免疫疾患、アレルギー、関節炎、偏頭痛、じんましん、心臓疾患、といった多くの原因不明の病気が治ることがある。つまりそれだけ、小麦がいろいろな病気の引き金になっているということだ。アメリカでは、小麦をやめてお米を食べる人が増えてきているという。

しかし、パンをほかの穀物に変えればいい、という問題ではないと、白澤先生は指摘する。

「パンをやめて、うどんを食べていたら意味ないですし、グルテンフリーにすればいい、というわけではないんですよね」

炭水化物(糖質)が多くの現代病の原因になっている。したがって、なるべく健康でいたい人はまず、糖質の摂取量を減らさなければならない。糖質を摂ることで“糖化反応”が加速し、体のあらゆる組織を酸化させる。“健康にいい”イメージのある全粒粉のパンも、グラノーラも、ブランのシリアルも、その本体は糖質であることに変わりはない。血糖の急上昇を招き、体にダメージを与える。


「グルテンフリーが健康にいい、というわけではないんです。全粒粉のパンが健康にいい、と勘違いしてたくさん食べた結果がこうなっている(糖尿病などが増えている)のです。肝心な部分を理解していないと、グルテンフリーを食べて病気が増えた、という話がおそらく何十年か後にまた繰り返されるでしょう」

世間では、ある特定の“機能性”だけに着目した食品や情報があふれているが…。

「体にいいものを摂り入れれば『毒』がなくなるかというと、そうではない。何かを足せばいい、混ぜればいい、という発想は間違っています。いくらブロッコリーを食べても、いくら白米に雑穀を混ぜても『毒』は相殺されない。『毒』は取り除かなければ意味がないのです」

“低糖質”をアピールした食品を目にする機会も多くなった。もちろん、それで健康になれるというわけではない。重要なのは、食生活全体のバランスだ。ただ、その“食生活のバランス”にもまた、問題がある。「コレステロールは体に悪い」という誤解が、あまりにも世間一般に浸透しているからだ。

なぜ、コレステロールに関して、こうした認識が広まってしまったのだろう? その背景にある“いろいろな事情”についても、私たちは知っておいた方が良いだろう。
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c14

[近代史3] 赤川次郎 ふたり (松竹 1991年) 中川隆
1. 中川隆[-10989] koaQ7Jey 2019年4月03日 15:19:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1037]
尾道ロケ地巡り 〜 ふたり編 〜 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=PIFg2HWTSyo


2012/01/08 に公開

大林宣彦監督の映画「ふたり」。
公開から20年あまり経った尾道のロケ地を巡ってみました。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/317.html#c1

[近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
23. 中川隆[-10988] koaQ7Jey 2019年4月03日 16:36:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1038]

紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html#c23

[リバイバル3] かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場) 中川隆
116. 中川隆[-10987] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:23:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1039]

ゲストハウスを経営してる55(GoGo)のブログ 宿屋の日常と世界の話題
 2019-02-22 がぐらスキー場での遭難事故について。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/02/22/000000


新聞でかぐらスキー場での遭難事故についての記事を読んだ第一印象は「装備も無いスキーヤがコース外に出て遭難したのかな?」っとその時には思いました。

二人が同時に遭難しているので「二人が同時にスキー場のコース脇で遭難するってちょっと考えにくいなぁ〜」とも思った事を覚えています。

実際はどうであったのか?

新聞の初期の報道(2019/02/17)では遭難したスキーヤーがバックカントリーに必要な装備を持ってかぐらスキー場に設置されているゲートをくぐって出て行ったという事は伝えていませんでした。

もしもそのことが第一報で知らされていれば遭難したスキーヤーは登山計画書を提出してバックカントリーに必要な装備を持ってかぐらスキー場のゲートから管理区域外の山に入り込んだのだという事が分かります。

スキー場のコースロープを越えて滑るのと指定された装備を持って登山届を出してスキー場外の雪山を滑るバックカントリーとは似ているようで全く別だという事を55もバックカントリーを始めるまでは知りませんでした。

ですからこうした事故が起きると「スキー場のコース外で遭難したんだから自業自得だ!税金を使って救助するのはおかしい!雪山で死ねば本望だろう!」などという非難がツイッターなどで巻き起こる事も理解できます。

バックカントリースキー、スノーボードは日本では 山スキーと呼ばれていて冬山登山の技術を持った登山家にだけゆるされた高度なスキー技術や雪山の知識が求められる特殊な楽しみでした。

一部の限られた人だけに許された山スキーがスキーやスノーボードの道具の進化によって比較的簡単に誰でも深いパウダースノーを楽しめるようになって来たのは10年ぐらい前からでしょうか?

パウダースノーで比較的浮力が得られやすいスノーボーダーがスキー場外のパウダースノーを求めてバックカントリーフィールドに入り始めたのをきっかけとしてスキーヤーもファットスキーと言われる超幅の広いスキー板が様々なメーカーから発売されて現在では多くのパウダースノーファンが厳冬期の雪山に登るようになってきました。

ブームは5年ほど前から急激に盛り上がり出して現在では多くの女性もバックカントリースキーやボードにのめり込んでいます。

遭難した二人のスキーヤーもバックカントリースキーの愛好者でかぐらスキー場内にある和田小屋という宿泊施設を予約していたことから考えて筋金入りのバックカントリー愛好家だったのではないかと55は推測しています。

二人が宿泊予定の和田小屋にチェックイン時間になっても現れない事から遭難したのではないか?となり今回の騒動に発展したという訳です。

そして二人のスキーヤーはバックカントリーフィールドへの入り口で提出した登山計画書にゲートから神楽峰を経由して反射板方面へという登山計画書を提出していました。

このコースはそれほど厳しいコースではなく何も起こらなければ数時間で返ってこられる比較的短い登山ルート計画です。

二人は提出した計画書どうりに神楽峰を経由して大きくトラバース(斜滑降で尾根を回り込む)しながら反射板方面へ尾根を進んでいたと思われます。

冬山に関する知識も豊富で雪崩対策グッツも持ち非常食まで携行した二人が何故遭難してしまったのか?

その答えは遭難当日の天候につきます。

雪が降っていて視界が非常に悪いコンディションだった事で55の推測ですが二人は何度も入った経験のある比較的簡単なルートを選んだにも関わらず稜線の越えてはいけない側の沢筋に迷いこんでしまったと推測されます。

道迷いはバックカントリーでは最も多い遭難の理由の一つで大げさに言うとそのリスクは誰にでもあると言っても良いでしょう。

冬山の天候はわずか数分で急激に視界が悪くなったりするので行ってはいけない沢筋に落ちてしまう事は誰にでも起こり得ると55は思います。

もう一つの原因は当日の積雪の状態です。

遭難した二人は行ってはいけない側の危険な沢筋を滑っていてすぐに「あれ?道を間違えたか??」っと気が付いたはずです。

ランドマークである電波反射板を目指してもう少しというところまで来ていながらそれが出てこないとすぐに気が付いたはずです。

さてこうした時の最善の策は「間違った箇所まで戻る!」これですがここで当日の雪の状態が二人にとっては最悪の積雪量で急な斜面と深い新雪が登り返す事を阻んでしまったという事です。

もう一点今回の遭難事故で大きな原因となったのが携帯電話の電波です。

かぐらスキー場はバックカントリースキーやスノーボードをする人達にある程度の危険を管理する工夫をしていますので多くの場所で携帯電波の受信が可能です。

55も行ったことのある場所ではほとんど携帯電話の受信範囲内でした。

現代では携帯電話が通じるか通じないかは遭難した時には生死を分けるといっても良いでしょう。

今回二人が落ち込んでしまった沢は電波の届かない側だったために道迷いしてもそれを誰にも連絡が出来ないという状況になってしまったという事です。

原因を整理すると、、、

@視界不良

A深い積雪

B携帯電話が通じない地域

これは麻雀で言うとメンタンピンドラドラバンバン!です。

ここからも55の推測ですが道に迷った事に気が付いた二人は滑り降りて来た沢を登り返そうとするも深すぎた雪でそれが無理だと判断。携帯電話が通じない事もあり救助活動を待つしか方法が無いと判断したと思われます。

バックカントリーに出る人たちは小さな折り畳みのスコップを必ず持っています。

このスコップは万が一雪崩に巻き込まれた人が居た場合などに雪から人を掘り出したりするときの為にリュックに入れているのですが遭難した時には雪洞を掘る事が出来ます。

道に迷い、登り返す事も携帯電話で現在位置を知らせる事も出来ない二人が出来る事は救助隊が二人を発見してくれるまで体力を温存して生きているという事だけです。

外気温がマイナス10度程度でもしっかりとした雪の穴倉を作って風などをしのげば凍死するリスクはある程度抑えられます。

雪洞の中は〇℃程度と言われていますのでしっかりとした防寒具とリュックの中に持っている非常食があれば二〜三日は生きて居られます。

二人は幸いな事に雪崩に巻き込まれたりした訳ではないのでしっかりとした雪洞を掘る事も出来たのでしょう。

救助隊が発見するまでじっとしていた事で体力を奪われることなくなんとか無事に生還できたという事です。

二人が迷い込んだ沢はレスキュー隊も降りていかれないような場所で今回もヘリコプターによって救助されています。

救助には捜索する人たちにも大きな危険が伴いますしヘリコプターなどを使えば大きな捜索費用も発生します。

推測ばかりで申し訳ないのですが二人はきっと山岳保険にも加入していたのではないでしょうか?

55も加入していますが年間数千円で万が一の遭難の際にも経済的な面で備える事が可能です。

55はこうした遭難事故が起きるたびに自分にも起こりえるという事を常に考えます。

どんなに経験を積んでもどんなに装備を持っていても小さな判断ミスが冬山では命に係わる重大な事故に直結しているという事を今回も胸に刻んだ55です。

少し臆病なくらい慎重な判断をするのが最も大切で自分や友人達の命を守ると考えています。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/02/22/000000



▲△▽▼


 2019-01-30
雪崩の中でも息が出来るアバラングを買いました!
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


アライリゾートで立て続けに雪崩やパウダーに突っ込んでスキーヤーやボーダーの死亡事故が起きています。

、、、っと言うことでアバラングを買いました!

アバラングは雪崩に巻き込まれた時やパウダーに埋まった時に呼吸が出来るフィルター機構です。

f:id:guesthouse55:20190127194104p:image

マウスピースから呼吸をします。

すぐにくわえられる位置に常に準備!

f:id:guesthouse55:20190127194110p:image

これはベストタイプで他にはリュックに組み込まれていたり体にストラップで装着して使うタイプもあります。

アバラングを使う事が出来ると万が一雪崩に巻き込まれても助かるチャンスが少し増えます!

滑走の前に雪の状態が悪かったりした場合にはあらかじめホースのマウスピースをくわえて滑るか口元の位置にマウスピースをセットして手を使わずにくわえられるようにして滑り降ります。

実際に雪崩に巻き込まれて叫んだりしないというのは至難の業ですがアバラングを正しく使用すれば雪に埋まっても60分くらいの呼吸が確保できるというテスト結果が出ています。

60分雪の中に居たら低体温症で危険ですが呼吸がしばらく出来れば脱出のチャンスはかなり広がります。

話半分で30分でも呼吸が出来れば生存の可能性はかなり高まります。

雪は人が息をするのに十分な空気を含んでいるのですが雪に埋もれた状態で呼吸をすると口の周りの雪が溶けて凍る事でビニール袋を被ったような状態となり自分の吐いた二酸化炭素で窒息してしまいます。

口の周りがすぐに二酸化炭素で充満してしまう訳です。

パウダースノーに埋まった場合は粉雪を吸い込む事で呼吸が出来なくなってしまいます。

アバラングはフィルターを通して雪の中の空気を呼吸して、吐いた呼気をホースを通じて頭部から離れた場所に排泄するシステムです。

実際の非常事態に冷静にアバラングを使えるのかは大きな課題ですが通常から練習をすることで万が一の事態に備える事が出来るでしょう。

出来ればアバラングを使うような事態にならないことを願っていますが、、、

次に山に入ったらパウダーに埋めてもらってサバイバル実験してまた報告します!!笑い
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html#c116

[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
25. 中川隆[-10986] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:24:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1040]


ゲストハウスを経営してる55(GoGo)のブログ 宿屋の日常と世界の話題
 2019-02-22 がぐらスキー場での遭難事故について。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/02/22/000000


新聞でかぐらスキー場での遭難事故についての記事を読んだ第一印象は「装備も無いスキーヤがコース外に出て遭難したのかな?」っとその時には思いました。

二人が同時に遭難しているので「二人が同時にスキー場のコース脇で遭難するってちょっと考えにくいなぁ〜」とも思った事を覚えています。

実際はどうであったのか?

新聞の初期の報道(2019/02/17)では遭難したスキーヤーがバックカントリーに必要な装備を持ってかぐらスキー場に設置されているゲートをくぐって出て行ったという事は伝えていませんでした。

もしもそのことが第一報で知らされていれば遭難したスキーヤーは登山計画書を提出してバックカントリーに必要な装備を持ってかぐらスキー場のゲートから管理区域外の山に入り込んだのだという事が分かります。

スキー場のコースロープを越えて滑るのと指定された装備を持って登山届を出してスキー場外の雪山を滑るバックカントリーとは似ているようで全く別だという事を55もバックカントリーを始めるまでは知りませんでした。

ですからこうした事故が起きると「スキー場のコース外で遭難したんだから自業自得だ!税金を使って救助するのはおかしい!雪山で死ねば本望だろう!」などという非難がツイッターなどで巻き起こる事も理解できます。

バックカントリースキー、スノーボードは日本では 山スキーと呼ばれていて冬山登山の技術を持った登山家にだけゆるされた高度なスキー技術や雪山の知識が求められる特殊な楽しみでした。

一部の限られた人だけに許された山スキーがスキーやスノーボードの道具の進化によって比較的簡単に誰でも深いパウダースノーを楽しめるようになって来たのは10年ぐらい前からでしょうか?

パウダースノーで比較的浮力が得られやすいスノーボーダーがスキー場外のパウダースノーを求めてバックカントリーフィールドに入り始めたのをきっかけとしてスキーヤーもファットスキーと言われる超幅の広いスキー板が様々なメーカーから発売されて現在では多くのパウダースノーファンが厳冬期の雪山に登るようになってきました。

ブームは5年ほど前から急激に盛り上がり出して現在では多くの女性もバックカントリースキーやボードにのめり込んでいます。

遭難した二人のスキーヤーもバックカントリースキーの愛好者でかぐらスキー場内にある和田小屋という宿泊施設を予約していたことから考えて筋金入りのバックカントリー愛好家だったのではないかと55は推測しています。

二人が宿泊予定の和田小屋にチェックイン時間になっても現れない事から遭難したのではないか?となり今回の騒動に発展したという訳です。

そして二人のスキーヤーはバックカントリーフィールドへの入り口で提出した登山計画書にゲートから神楽峰を経由して反射板方面へという登山計画書を提出していました。

このコースはそれほど厳しいコースではなく何も起こらなければ数時間で返ってこられる比較的短い登山ルート計画です。

二人は提出した計画書どうりに神楽峰を経由して大きくトラバース(斜滑降で尾根を回り込む)しながら反射板方面へ尾根を進んでいたと思われます。

冬山に関する知識も豊富で雪崩対策グッツも持ち非常食まで携行した二人が何故遭難してしまったのか?

その答えは遭難当日の天候につきます。

雪が降っていて視界が非常に悪いコンディションだった事で55の推測ですが二人は何度も入った経験のある比較的簡単なルートを選んだにも関わらず稜線の越えてはいけない側の沢筋に迷いこんでしまったと推測されます。

道迷いはバックカントリーでは最も多い遭難の理由の一つで大げさに言うとそのリスクは誰にでもあると言っても良いでしょう。

冬山の天候はわずか数分で急激に視界が悪くなったりするので行ってはいけない沢筋に落ちてしまう事は誰にでも起こり得ると55は思います。

もう一つの原因は当日の積雪の状態です。

遭難した二人は行ってはいけない側の危険な沢筋を滑っていてすぐに「あれ?道を間違えたか??」っと気が付いたはずです。

ランドマークである電波反射板を目指してもう少しというところまで来ていながらそれが出てこないとすぐに気が付いたはずです。

さてこうした時の最善の策は「間違った箇所まで戻る!」これですがここで当日の雪の状態が二人にとっては最悪の積雪量で急な斜面と深い新雪が登り返す事を阻んでしまったという事です。

もう一点今回の遭難事故で大きな原因となったのが携帯電話の電波です。

かぐらスキー場はバックカントリースキーやスノーボードをする人達にある程度の危険を管理する工夫をしていますので多くの場所で携帯電波の受信が可能です。

55も行ったことのある場所ではほとんど携帯電話の受信範囲内でした。

現代では携帯電話が通じるか通じないかは遭難した時には生死を分けるといっても良いでしょう。

今回二人が落ち込んでしまった沢は電波の届かない側だったために道迷いしてもそれを誰にも連絡が出来ないという状況になってしまったという事です。

原因を整理すると、、、

@視界不良

A深い積雪

B携帯電話が通じない地域

これは麻雀で言うとメンタンピンドラドラバンバン!です。

ここからも55の推測ですが道に迷った事に気が付いた二人は滑り降りて来た沢を登り返そうとするも深すぎた雪でそれが無理だと判断。携帯電話が通じない事もあり救助活動を待つしか方法が無いと判断したと思われます。

バックカントリーに出る人たちは小さな折り畳みのスコップを必ず持っています。

このスコップは万が一雪崩に巻き込まれた人が居た場合などに雪から人を掘り出したりするときの為にリュックに入れているのですが遭難した時には雪洞を掘る事が出来ます。

道に迷い、登り返す事も携帯電話で現在位置を知らせる事も出来ない二人が出来る事は救助隊が二人を発見してくれるまで体力を温存して生きているという事だけです。

外気温がマイナス10度程度でもしっかりとした雪の穴倉を作って風などをしのげば凍死するリスクはある程度抑えられます。

雪洞の中は〇℃程度と言われていますのでしっかりとした防寒具とリュックの中に持っている非常食があれば二〜三日は生きて居られます。

二人は幸いな事に雪崩に巻き込まれたりした訳ではないのでしっかりとした雪洞を掘る事も出来たのでしょう。

救助隊が発見するまでじっとしていた事で体力を奪われることなくなんとか無事に生還できたという事です。

二人が迷い込んだ沢はレスキュー隊も降りていかれないような場所で今回もヘリコプターによって救助されています。

救助には捜索する人たちにも大きな危険が伴いますしヘリコプターなどを使えば大きな捜索費用も発生します。

推測ばかりで申し訳ないのですが二人はきっと山岳保険にも加入していたのではないでしょうか?

55も加入していますが年間数千円で万が一の遭難の際にも経済的な面で備える事が可能です。

55はこうした遭難事故が起きるたびに自分にも起こりえるという事を常に考えます。

どんなに経験を積んでもどんなに装備を持っていても小さな判断ミスが冬山では命に係わる重大な事故に直結しているという事を今回も胸に刻んだ55です。

少し臆病なくらい慎重な判断をするのが最も大切で自分や友人達の命を守ると考えています。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/02/22/000000



▲△▽▼


 2019-01-30
雪崩の中でも息が出来るアバラングを買いました!
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


アライリゾートで立て続けに雪崩やパウダーに突っ込んでスキーヤーやボーダーの死亡事故が起きています。

、、、っと言うことでアバラングを買いました!

アバラングは雪崩に巻き込まれた時やパウダーに埋まった時に呼吸が出来るフィルター機構です。

f:id:guesthouse55:20190127194104p:image

マウスピースから呼吸をします。

すぐにくわえられる位置に常に準備!

f:id:guesthouse55:20190127194110p:image

これはベストタイプで他にはリュックに組み込まれていたり体にストラップで装着して使うタイプもあります。

アバラングを使う事が出来ると万が一雪崩に巻き込まれても助かるチャンスが少し増えます!

滑走の前に雪の状態が悪かったりした場合にはあらかじめホースのマウスピースをくわえて滑るか口元の位置にマウスピースをセットして手を使わずにくわえられるようにして滑り降ります。

実際に雪崩に巻き込まれて叫んだりしないというのは至難の業ですがアバラングを正しく使用すれば雪に埋まっても60分くらいの呼吸が確保できるというテスト結果が出ています。

60分雪の中に居たら低体温症で危険ですが呼吸がしばらく出来れば脱出のチャンスはかなり広がります。

話半分で30分でも呼吸が出来れば生存の可能性はかなり高まります。

雪は人が息をするのに十分な空気を含んでいるのですが雪に埋もれた状態で呼吸をすると口の周りの雪が溶けて凍る事でビニール袋を被ったような状態となり自分の吐いた二酸化炭素で窒息してしまいます。

口の周りがすぐに二酸化炭素で充満してしまう訳です。

パウダースノーに埋まった場合は粉雪を吸い込む事で呼吸が出来なくなってしまいます。

アバラングはフィルターを通して雪の中の空気を呼吸して、吐いた呼気をホースを通じて頭部から離れた場所に排泄するシステムです。

実際の非常事態に冷静にアバラングを使えるのかは大きな課題ですが通常から練習をすることで万が一の事態に備える事が出来るでしょう。

出来ればアバラングを使うような事態にならないことを願っていますが、、、

次に山に入ったらパウダーに埋めてもらってサバイバル実験してまた報告します!!笑い
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c25

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
85. 中川隆[-10985] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:25:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1041]


ゲストハウスを経営してる55(GoGo)のブログ 宿屋の日常と世界の話題
 2019-02-22 がぐらスキー場での遭難事故について。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/02/22/000000


新聞でかぐらスキー場での遭難事故についての記事を読んだ第一印象は「装備も無いスキーヤがコース外に出て遭難したのかな?」っとその時には思いました。

二人が同時に遭難しているので「二人が同時にスキー場のコース脇で遭難するってちょっと考えにくいなぁ〜」とも思った事を覚えています。

実際はどうであったのか?

新聞の初期の報道(2019/02/17)では遭難したスキーヤーがバックカントリーに必要な装備を持ってかぐらスキー場に設置されているゲートをくぐって出て行ったという事は伝えていませんでした。

もしもそのことが第一報で知らされていれば遭難したスキーヤーは登山計画書を提出してバックカントリーに必要な装備を持ってかぐらスキー場のゲートから管理区域外の山に入り込んだのだという事が分かります。

スキー場のコースロープを越えて滑るのと指定された装備を持って登山届を出してスキー場外の雪山を滑るバックカントリーとは似ているようで全く別だという事を55もバックカントリーを始めるまでは知りませんでした。

ですからこうした事故が起きると「スキー場のコース外で遭難したんだから自業自得だ!税金を使って救助するのはおかしい!雪山で死ねば本望だろう!」などという非難がツイッターなどで巻き起こる事も理解できます。

バックカントリースキー、スノーボードは日本では 山スキーと呼ばれていて冬山登山の技術を持った登山家にだけゆるされた高度なスキー技術や雪山の知識が求められる特殊な楽しみでした。

一部の限られた人だけに許された山スキーがスキーやスノーボードの道具の進化によって比較的簡単に誰でも深いパウダースノーを楽しめるようになって来たのは10年ぐらい前からでしょうか?

パウダースノーで比較的浮力が得られやすいスノーボーダーがスキー場外のパウダースノーを求めてバックカントリーフィールドに入り始めたのをきっかけとしてスキーヤーもファットスキーと言われる超幅の広いスキー板が様々なメーカーから発売されて現在では多くのパウダースノーファンが厳冬期の雪山に登るようになってきました。

ブームは5年ほど前から急激に盛り上がり出して現在では多くの女性もバックカントリースキーやボードにのめり込んでいます。

遭難した二人のスキーヤーもバックカントリースキーの愛好者でかぐらスキー場内にある和田小屋という宿泊施設を予約していたことから考えて筋金入りのバックカントリー愛好家だったのではないかと55は推測しています。

二人が宿泊予定の和田小屋にチェックイン時間になっても現れない事から遭難したのではないか?となり今回の騒動に発展したという訳です。

そして二人のスキーヤーはバックカントリーフィールドへの入り口で提出した登山計画書にゲートから神楽峰を経由して反射板方面へという登山計画書を提出していました。

このコースはそれほど厳しいコースではなく何も起こらなければ数時間で返ってこられる比較的短い登山ルート計画です。

二人は提出した計画書どうりに神楽峰を経由して大きくトラバース(斜滑降で尾根を回り込む)しながら反射板方面へ尾根を進んでいたと思われます。

冬山に関する知識も豊富で雪崩対策グッツも持ち非常食まで携行した二人が何故遭難してしまったのか?

その答えは遭難当日の天候につきます。

雪が降っていて視界が非常に悪いコンディションだった事で55の推測ですが二人は何度も入った経験のある比較的簡単なルートを選んだにも関わらず稜線の越えてはいけない側の沢筋に迷いこんでしまったと推測されます。

道迷いはバックカントリーでは最も多い遭難の理由の一つで大げさに言うとそのリスクは誰にでもあると言っても良いでしょう。

冬山の天候はわずか数分で急激に視界が悪くなったりするので行ってはいけない沢筋に落ちてしまう事は誰にでも起こり得ると55は思います。

もう一つの原因は当日の積雪の状態です。

遭難した二人は行ってはいけない側の危険な沢筋を滑っていてすぐに「あれ?道を間違えたか??」っと気が付いたはずです。

ランドマークである電波反射板を目指してもう少しというところまで来ていながらそれが出てこないとすぐに気が付いたはずです。

さてこうした時の最善の策は「間違った箇所まで戻る!」これですがここで当日の雪の状態が二人にとっては最悪の積雪量で急な斜面と深い新雪が登り返す事を阻んでしまったという事です。

もう一点今回の遭難事故で大きな原因となったのが携帯電話の電波です。

かぐらスキー場はバックカントリースキーやスノーボードをする人達にある程度の危険を管理する工夫をしていますので多くの場所で携帯電波の受信が可能です。

55も行ったことのある場所ではほとんど携帯電話の受信範囲内でした。

現代では携帯電話が通じるか通じないかは遭難した時には生死を分けるといっても良いでしょう。

今回二人が落ち込んでしまった沢は電波の届かない側だったために道迷いしてもそれを誰にも連絡が出来ないという状況になってしまったという事です。

原因を整理すると、、、

@視界不良

A深い積雪

B携帯電話が通じない地域

これは麻雀で言うとメンタンピンドラドラバンバン!です。

ここからも55の推測ですが道に迷った事に気が付いた二人は滑り降りて来た沢を登り返そうとするも深すぎた雪でそれが無理だと判断。携帯電話が通じない事もあり救助活動を待つしか方法が無いと判断したと思われます。

バックカントリーに出る人たちは小さな折り畳みのスコップを必ず持っています。

このスコップは万が一雪崩に巻き込まれた人が居た場合などに雪から人を掘り出したりするときの為にリュックに入れているのですが遭難した時には雪洞を掘る事が出来ます。

道に迷い、登り返す事も携帯電話で現在位置を知らせる事も出来ない二人が出来る事は救助隊が二人を発見してくれるまで体力を温存して生きているという事だけです。

外気温がマイナス10度程度でもしっかりとした雪の穴倉を作って風などをしのげば凍死するリスクはある程度抑えられます。

雪洞の中は〇℃程度と言われていますのでしっかりとした防寒具とリュックの中に持っている非常食があれば二〜三日は生きて居られます。

二人は幸いな事に雪崩に巻き込まれたりした訳ではないのでしっかりとした雪洞を掘る事も出来たのでしょう。

救助隊が発見するまでじっとしていた事で体力を奪われることなくなんとか無事に生還できたという事です。

二人が迷い込んだ沢はレスキュー隊も降りていかれないような場所で今回もヘリコプターによって救助されています。

救助には捜索する人たちにも大きな危険が伴いますしヘリコプターなどを使えば大きな捜索費用も発生します。

推測ばかりで申し訳ないのですが二人はきっと山岳保険にも加入していたのではないでしょうか?

55も加入していますが年間数千円で万が一の遭難の際にも経済的な面で備える事が可能です。

55はこうした遭難事故が起きるたびに自分にも起こりえるという事を常に考えます。

どんなに経験を積んでもどんなに装備を持っていても小さな判断ミスが冬山では命に係わる重大な事故に直結しているという事を今回も胸に刻んだ55です。

少し臆病なくらい慎重な判断をするのが最も大切で自分や友人達の命を守ると考えています。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/02/22/000000



▲△▽▼


 2019-01-30
雪崩の中でも息が出来るアバラングを買いました!
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


アライリゾートで立て続けに雪崩やパウダーに突っ込んでスキーヤーやボーダーの死亡事故が起きています。

、、、っと言うことでアバラングを買いました!

アバラングは雪崩に巻き込まれた時やパウダーに埋まった時に呼吸が出来るフィルター機構です。

f:id:guesthouse55:20190127194104p:image

マウスピースから呼吸をします。

すぐにくわえられる位置に常に準備!

f:id:guesthouse55:20190127194110p:image

これはベストタイプで他にはリュックに組み込まれていたり体にストラップで装着して使うタイプもあります。

アバラングを使う事が出来ると万が一雪崩に巻き込まれても助かるチャンスが少し増えます!

滑走の前に雪の状態が悪かったりした場合にはあらかじめホースのマウスピースをくわえて滑るか口元の位置にマウスピースをセットして手を使わずにくわえられるようにして滑り降ります。

実際に雪崩に巻き込まれて叫んだりしないというのは至難の業ですがアバラングを正しく使用すれば雪に埋まっても60分くらいの呼吸が確保できるというテスト結果が出ています。

60分雪の中に居たら低体温症で危険ですが呼吸がしばらく出来れば脱出のチャンスはかなり広がります。

話半分で30分でも呼吸が出来れば生存の可能性はかなり高まります。

雪は人が息をするのに十分な空気を含んでいるのですが雪に埋もれた状態で呼吸をすると口の周りの雪が溶けて凍る事でビニール袋を被ったような状態となり自分の吐いた二酸化炭素で窒息してしまいます。

口の周りがすぐに二酸化炭素で充満してしまう訳です。

パウダースノーに埋まった場合は粉雪を吸い込む事で呼吸が出来なくなってしまいます。

アバラングはフィルターを通して雪の中の空気を呼吸して、吐いた呼気をホースを通じて頭部から離れた場所に排泄するシステムです。

実際の非常事態に冷静にアバラングを使えるのかは大きな課題ですが通常から練習をすることで万が一の事態に備える事が出来るでしょう。

出来ればアバラングを使うような事態にならないことを願っていますが、、、

次に山に入ったらパウダーに埋めてもらってサバイバル実験してまた報告します!!笑い
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c85

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
19. 中川隆[-10984] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:26:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1042]


 2019-01-30
雪崩の中でも息が出来るアバラングを買いました!
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


アライリゾートで立て続けに雪崩やパウダーに突っ込んでスキーヤーやボーダーの死亡事故が起きています。

、、、っと言うことでアバラングを買いました!

アバラングは雪崩に巻き込まれた時やパウダーに埋まった時に呼吸が出来るフィルター機構です。

f:id:guesthouse55:20190127194104p:image

マウスピースから呼吸をします。

すぐにくわえられる位置に常に準備!

f:id:guesthouse55:20190127194110p:image

これはベストタイプで他にはリュックに組み込まれていたり体にストラップで装着して使うタイプもあります。

アバラングを使う事が出来ると万が一雪崩に巻き込まれても助かるチャンスが少し増えます!

滑走の前に雪の状態が悪かったりした場合にはあらかじめホースのマウスピースをくわえて滑るか口元の位置にマウスピースをセットして手を使わずにくわえられるようにして滑り降ります。

実際に雪崩に巻き込まれて叫んだりしないというのは至難の業ですがアバラングを正しく使用すれば雪に埋まっても60分くらいの呼吸が確保できるというテスト結果が出ています。

60分雪の中に居たら低体温症で危険ですが呼吸がしばらく出来れば脱出のチャンスはかなり広がります。

話半分で30分でも呼吸が出来れば生存の可能性はかなり高まります。

雪は人が息をするのに十分な空気を含んでいるのですが雪に埋もれた状態で呼吸をすると口の周りの雪が溶けて凍る事でビニール袋を被ったような状態となり自分の吐いた二酸化炭素で窒息してしまいます。

口の周りがすぐに二酸化炭素で充満してしまう訳です。

パウダースノーに埋まった場合は粉雪を吸い込む事で呼吸が出来なくなってしまいます。

アバラングはフィルターを通して雪の中の空気を呼吸して、吐いた呼気をホースを通じて頭部から離れた場所に排泄するシステムです。

実際の非常事態に冷静にアバラングを使えるのかは大きな課題ですが通常から練習をすることで万が一の事態に備える事が出来るでしょう。

出来ればアバラングを使うような事態にならないことを願っていますが、、、

次に山に入ったらパウダーに埋めてもらってサバイバル実験してまた報告します!!笑い
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c19

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
20. 中川隆[-10983] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:32:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1043]


 2019-01-26
スキースノーボード死亡事故多発のアライリゾート。(現場検証詳細を追記しました)
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/26/011515


今回の死亡事故も残念ながらアライリゾートのコース外で起きています。

スキー場の管理区域内か管理区域外なのかはちょっと不明(後日スキー場管理区域外と判明)ですがスキー場のゴンドラを使って山頂の駅からさらにコース外へと登ったと思われます。

55も昨年伝説のアライリゾートが復活という事で行って来ましたが山頂からバックカントリーフィールドにはバックカントリーギアなどなくても入れる事に驚きました。

装備無しで裏山に入る事は自殺行為なんです!!(後日フル装備だったことが判明)

通常スノーボーダーであればスノーシューをはいてリュックにはスコップやプローブを携帯しています。

55は非常食にレスキューシートの寝袋タイプと予備のバッテリーチャージャー2個!まで背負って登ってます。

もちろん雪崩に巻き込まれた際に位置を特定するビーコンの携帯も必須です。

まあビーコン持ってても15分以内に掘り出さないと助からないので春まで死体を雪の中に残すのを防ぐぐらいの効果しかないと思っていますが、、、

アライリゾートではコース外にスノーボードブーツで(通称ズボ足)で登るスノーボーダーの長い列を見て「大丈夫なのか??」っとその時に正直思いました。

ほとんどがゲレンデを滑る軽装で冬山登山をする訳です。

今回の事故は遺体が早い時間で発見されている事からビーコンなどの装備は持っていたのかもしれませんがアライは雪崩の巣窟とも言われているのでちょっと油断すれば雪崩の餌食となってしまいます。

20分間で助け出したのに窒息死です。

3人が雪崩に巻き込まれたと記事に有りますが同じ斜面に3人が同時にライディングをしていたと思われますのでこれもバックカントリーの常識からは危険な行為と言わざる負えません。

ほとんどの雪崩はスキーヤーやスノーボーダーが雪面を滑走するときに切る事で発生するので同じバーンに3人が同時に滑走していたというのはあまりに危険すぎます。

そうしたバックカントリーの掟を知らないでアライリゾート周辺の雪深いバックカントリーフィールドに出ればいつ雪崩に巻き込まれても不思議ではありません。

ヨーロッパのスキーヤーは装備も経験も積んだ人を良く見かけますので今回の3人も経験豊かなスキーヤーである可能性も否定できませんが3人ともが同じ雪崩に巻き込まれたという一点だけはどうにも理解が出来ません。

一人が滑って安全な地点まで行ってから合図して次の人が滑るというのが常識なのですから3人が同じ雪崩に巻き込まれるという事は起きえないんですよね、、、

アライリゾートはゴンドラでワイルドな山頂付近まで一気に運んで上質なパウダースノーを堪能することが出来るのが最大の魅力です。

パウダースノーは巧く乗れれば雲の上を飛んでいるかのような浮揚感を楽しめますが雪の深さによっては転倒して頭から雪に刺さって窒息して死亡することが良く起こります。

そんなときの為に特殊な装置もあります。↓

https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000

ツリーホールといって木の根元近くに空いた穴に落ちて足をばたばたさせるものの脱出できないで凍死する例もよく起こります。

55の山の仲間はこうした死に方を八墓村と読んで居ます、、、

アライリゾートはスキー場管理区域内でもこうした事故が起きても不思議ではないほどの降雪量があります。

ある程度の経験を積んだスキーヤーやボーダーであれば頭から雪に刺さるという事は起こりにくいですが初心者の場合は非常にリスクがあります。

55は一度しか滑っていませんが「アライリゾートはコース内でも遭難しかねない」とその時に感じました。

それほどの深いパウダースノーを乗りこなすにはそれなりの経験をスキー場内のコース脇とかで乗りこなす練習を十分に積む事が必須です。

バックカントリーフィールドに出るのであれば現地の山に詳しいガイドを雇うなどして雪崩のリスクを減らす事が求められます。

日本ではまだまだ始まったばかりのバックカントリーが健全に広がることを願ってやみません。

でもどんなに用心しても雪崩にあう可能性はゼロでは無いという事も事実として常に用心に用心を重ねる事しか方法はありません、、、

雪崩についての詳しい対策はこちら!↓

https://www.nadare.jp/basic/safety-measure/

これを読んで居るだけでも全く無警戒とは差が出ます!!

雪崩用のエアバックは最も効果が高いですけれど値段が非常に高い。


雪崩からの生還の新スタンダード。火薬式エアバック「ABS」、いよいよ日本に上陸 - ヤマケイオンライン - 山と溪谷社
https://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=2179

このエアバックシステムでさえ滑るときにエアバックを膨らませるハンドルに手をかけていないといざという時には間に合わないとも言われいます。

まあ命より高いものはないですからエアバックは今後義務化しても良いんじゃないでしょうか?

追記 詳しい現場情報が入って来ました。なんと亡くなった方はエアバックもアバランチギアも装備していたそうです。悲しい事に仲間が起こした雪崩に巻き込まれてエアバックを開く事も出来ずに雪に埋まってしまつたと言うことです。考えられる装備をしていても避けられない事故は起こるんですね。ご冥福をお祈り致します。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/26/011515


▲△▽▼


雪崩用エアバック-JETFORCE - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZhMdYRW6YDs

2016/01/13 に公開

最近は日本に滑りに来る外国人達の多くが装備しているエアバック!
暖冬の影響か雪には雪崩を起こす層が増えているのも現実です。
ツベートガイドとPIEPSのエアバックの動作実験をしてみました
C&C.JAPANでも特別価格で販売できますので
興味がある方は連絡くださいませ
candc@niceshot.jp
http://www.candcjp.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c20

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
86. 中川隆[-10982] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:32:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1044]

 2019-01-26
スキースノーボード死亡事故多発のアライリゾート。(現場検証詳細を追記しました)
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/26/011515


今回の死亡事故も残念ながらアライリゾートのコース外で起きています。

スキー場の管理区域内か管理区域外なのかはちょっと不明(後日スキー場管理区域外と判明)ですがスキー場のゴンドラを使って山頂の駅からさらにコース外へと登ったと思われます。

55も昨年伝説のアライリゾートが復活という事で行って来ましたが山頂からバックカントリーフィールドにはバックカントリーギアなどなくても入れる事に驚きました。

装備無しで裏山に入る事は自殺行為なんです!!(後日フル装備だったことが判明)

通常スノーボーダーであればスノーシューをはいてリュックにはスコップやプローブを携帯しています。

55は非常食にレスキューシートの寝袋タイプと予備のバッテリーチャージャー2個!まで背負って登ってます。

もちろん雪崩に巻き込まれた際に位置を特定するビーコンの携帯も必須です。

まあビーコン持ってても15分以内に掘り出さないと助からないので春まで死体を雪の中に残すのを防ぐぐらいの効果しかないと思っていますが、、、

アライリゾートではコース外にスノーボードブーツで(通称ズボ足)で登るスノーボーダーの長い列を見て「大丈夫なのか??」っとその時に正直思いました。

ほとんどがゲレンデを滑る軽装で冬山登山をする訳です。

今回の事故は遺体が早い時間で発見されている事からビーコンなどの装備は持っていたのかもしれませんがアライは雪崩の巣窟とも言われているのでちょっと油断すれば雪崩の餌食となってしまいます。

20分間で助け出したのに窒息死です。

3人が雪崩に巻き込まれたと記事に有りますが同じ斜面に3人が同時にライディングをしていたと思われますのでこれもバックカントリーの常識からは危険な行為と言わざる負えません。

ほとんどの雪崩はスキーヤーやスノーボーダーが雪面を滑走するときに切る事で発生するので同じバーンに3人が同時に滑走していたというのはあまりに危険すぎます。

そうしたバックカントリーの掟を知らないでアライリゾート周辺の雪深いバックカントリーフィールドに出ればいつ雪崩に巻き込まれても不思議ではありません。

ヨーロッパのスキーヤーは装備も経験も積んだ人を良く見かけますので今回の3人も経験豊かなスキーヤーである可能性も否定できませんが3人ともが同じ雪崩に巻き込まれたという一点だけはどうにも理解が出来ません。

一人が滑って安全な地点まで行ってから合図して次の人が滑るというのが常識なのですから3人が同じ雪崩に巻き込まれるという事は起きえないんですよね、、、

アライリゾートはゴンドラでワイルドな山頂付近まで一気に運んで上質なパウダースノーを堪能することが出来るのが最大の魅力です。

パウダースノーは巧く乗れれば雲の上を飛んでいるかのような浮揚感を楽しめますが雪の深さによっては転倒して頭から雪に刺さって窒息して死亡することが良く起こります。

そんなときの為に特殊な装置もあります。↓

https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000

ツリーホールといって木の根元近くに空いた穴に落ちて足をばたばたさせるものの脱出できないで凍死する例もよく起こります。

55の山の仲間はこうした死に方を八墓村と読んで居ます、、、

アライリゾートはスキー場管理区域内でもこうした事故が起きても不思議ではないほどの降雪量があります。

ある程度の経験を積んだスキーヤーやボーダーであれば頭から雪に刺さるという事は起こりにくいですが初心者の場合は非常にリスクがあります。

55は一度しか滑っていませんが「アライリゾートはコース内でも遭難しかねない」とその時に感じました。

それほどの深いパウダースノーを乗りこなすにはそれなりの経験をスキー場内のコース脇とかで乗りこなす練習を十分に積む事が必須です。

バックカントリーフィールドに出るのであれば現地の山に詳しいガイドを雇うなどして雪崩のリスクを減らす事が求められます。

日本ではまだまだ始まったばかりのバックカントリーが健全に広がることを願ってやみません。

でもどんなに用心しても雪崩にあう可能性はゼロでは無いという事も事実として常に用心に用心を重ねる事しか方法はありません、、、

雪崩についての詳しい対策はこちら!↓

https://www.nadare.jp/basic/safety-measure/

これを読んで居るだけでも全く無警戒とは差が出ます!!

雪崩用のエアバックは最も効果が高いですけれど値段が非常に高い。


雪崩からの生還の新スタンダード。火薬式エアバック「ABS」、いよいよ日本に上陸 - ヤマケイオンライン - 山と溪谷社
https://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=2179

このエアバックシステムでさえ滑るときにエアバックを膨らませるハンドルに手をかけていないといざという時には間に合わないとも言われいます。

まあ命より高いものはないですからエアバックは今後義務化しても良いんじゃないでしょうか?

追記 詳しい現場情報が入って来ました。なんと亡くなった方はエアバックもアバランチギアも装備していたそうです。悲しい事に仲間が起こした雪崩に巻き込まれてエアバックを開く事も出来ずに雪に埋まってしまつたと言うことです。考えられる装備をしていても避けられない事故は起こるんですね。ご冥福をお祈り致します。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/26/011515


▲△▽▼


雪崩用エアバック-JETFORCE - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZhMdYRW6YDs

2016/01/13 に公開

最近は日本に滑りに来る外国人達の多くが装備しているエアバック!
暖冬の影響か雪には雪崩を起こす層が増えているのも現実です。
ツベートガイドとPIEPSのエアバックの動作実験をしてみました
C&C.JAPANでも特別価格で販売できますので
興味がある方は連絡くださいませ
candc@niceshot.jp
http://www.candcjp.com/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c86

[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
26. 中川隆[-10981] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:33:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1045]

 2019-01-26
スキースノーボード死亡事故多発のアライリゾート。(現場検証詳細を追記しました)
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/26/011515


今回の死亡事故も残念ながらアライリゾートのコース外で起きています。

スキー場の管理区域内か管理区域外なのかはちょっと不明(後日スキー場管理区域外と判明)ですがスキー場のゴンドラを使って山頂の駅からさらにコース外へと登ったと思われます。

55も昨年伝説のアライリゾートが復活という事で行って来ましたが山頂からバックカントリーフィールドにはバックカントリーギアなどなくても入れる事に驚きました。

装備無しで裏山に入る事は自殺行為なんです!!(後日フル装備だったことが判明)

通常スノーボーダーであればスノーシューをはいてリュックにはスコップやプローブを携帯しています。

55は非常食にレスキューシートの寝袋タイプと予備のバッテリーチャージャー2個!まで背負って登ってます。

もちろん雪崩に巻き込まれた際に位置を特定するビーコンの携帯も必須です。

まあビーコン持ってても15分以内に掘り出さないと助からないので春まで死体を雪の中に残すのを防ぐぐらいの効果しかないと思っていますが、、、

アライリゾートではコース外にスノーボードブーツで(通称ズボ足)で登るスノーボーダーの長い列を見て「大丈夫なのか??」っとその時に正直思いました。

ほとんどがゲレンデを滑る軽装で冬山登山をする訳です。

今回の事故は遺体が早い時間で発見されている事からビーコンなどの装備は持っていたのかもしれませんがアライは雪崩の巣窟とも言われているのでちょっと油断すれば雪崩の餌食となってしまいます。

20分間で助け出したのに窒息死です。

3人が雪崩に巻き込まれたと記事に有りますが同じ斜面に3人が同時にライディングをしていたと思われますのでこれもバックカントリーの常識からは危険な行為と言わざる負えません。

ほとんどの雪崩はスキーヤーやスノーボーダーが雪面を滑走するときに切る事で発生するので同じバーンに3人が同時に滑走していたというのはあまりに危険すぎます。

そうしたバックカントリーの掟を知らないでアライリゾート周辺の雪深いバックカントリーフィールドに出ればいつ雪崩に巻き込まれても不思議ではありません。

ヨーロッパのスキーヤーは装備も経験も積んだ人を良く見かけますので今回の3人も経験豊かなスキーヤーである可能性も否定できませんが3人ともが同じ雪崩に巻き込まれたという一点だけはどうにも理解が出来ません。

一人が滑って安全な地点まで行ってから合図して次の人が滑るというのが常識なのですから3人が同じ雪崩に巻き込まれるという事は起きえないんですよね、、、

アライリゾートはゴンドラでワイルドな山頂付近まで一気に運んで上質なパウダースノーを堪能することが出来るのが最大の魅力です。

パウダースノーは巧く乗れれば雲の上を飛んでいるかのような浮揚感を楽しめますが雪の深さによっては転倒して頭から雪に刺さって窒息して死亡することが良く起こります。

そんなときの為に特殊な装置もあります。↓

https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000000

ツリーホールといって木の根元近くに空いた穴に落ちて足をばたばたさせるものの脱出できないで凍死する例もよく起こります。

55の山の仲間はこうした死に方を八墓村と読んで居ます、、、

アライリゾートはスキー場管理区域内でもこうした事故が起きても不思議ではないほどの降雪量があります。

ある程度の経験を積んだスキーヤーやボーダーであれば頭から雪に刺さるという事は起こりにくいですが初心者の場合は非常にリスクがあります。

55は一度しか滑っていませんが「アライリゾートはコース内でも遭難しかねない」とその時に感じました。

それほどの深いパウダースノーを乗りこなすにはそれなりの経験をスキー場内のコース脇とかで乗りこなす練習を十分に積む事が必須です。

バックカントリーフィールドに出るのであれば現地の山に詳しいガイドを雇うなどして雪崩のリスクを減らす事が求められます。

日本ではまだまだ始まったばかりのバックカントリーが健全に広がることを願ってやみません。

でもどんなに用心しても雪崩にあう可能性はゼロでは無いという事も事実として常に用心に用心を重ねる事しか方法はありません、、、

雪崩についての詳しい対策はこちら!↓

https://www.nadare.jp/basic/safety-measure/

これを読んで居るだけでも全く無警戒とは差が出ます!!

雪崩用のエアバックは最も効果が高いですけれど値段が非常に高い。


雪崩からの生還の新スタンダード。火薬式エアバック「ABS」、いよいよ日本に上陸 - ヤマケイオンライン - 山と溪谷社
https://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=2179

このエアバックシステムでさえ滑るときにエアバックを膨らませるハンドルに手をかけていないといざという時には間に合わないとも言われいます。

まあ命より高いものはないですからエアバックは今後義務化しても良いんじゃないでしょうか?

追記 詳しい現場情報が入って来ました。なんと亡くなった方はエアバックもアバランチギアも装備していたそうです。悲しい事に仲間が起こした雪崩に巻き込まれてエアバックを開く事も出来ずに雪に埋まってしまつたと言うことです。考えられる装備をしていても避けられない事故は起こるんですね。ご冥福をお祈り致します。
https://guesthouse55.hatenablog.com/entry/2019/01/26/011515


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雪崩用エアバック-JETFORCE - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZhMdYRW6YDs

2016/01/13 に公開

最近は日本に滑りに来る外国人達の多くが装備しているエアバック!
暖冬の影響か雪には雪崩を起こす層が増えているのも現実です。
ツベートガイドとPIEPSのエアバックの動作実験をしてみました
C&C.JAPANでも特別価格で販売できますので
興味がある方は連絡くださいませ
candc@niceshot.jp
http://www.candcjp.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c26

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
99. 中川隆[-10980] koaQ7Jey 2019年4月03日 17:37:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1046]

2019年04月03日
アウトドア用のカセットコンロは室内用とどう違うか


三脚タイプに短いカセットなら徒歩や自転車でも苦にならない


画像引用:https://item-shopping.c.yimg.jp/i/n/steppers_4901140907951_2

手軽なカセットコンロでアウトドア

アウトドアや野外活動に火を使うことが多いと思いますが、伝統的な焚き火をするのが本格的とされています。

対してアウトドア用ストーブやカセットコンロを使うのは、本格的ではないようなイメージがある。

焚き火にもいくつかスタイルがあって、キャンプ場では木材を割った薪を使い、用意された焚火場所で火を起こします。



これが王道なのだが用意されていない場所にに薪を背負って歩くのはきついし、燃やす枝が落ちてないかもしれません。

薪ではなく木炭ならホームセンターで売っていて軽いので、車で近くまで行けば持ち運びが可能です。

キャンプ場の焚火場所以外で火を起こすときは、地面に火が伝わらないように焚き火台を使用します。


地面で火を燃やすとそこは草木がなくなって禿げてしまうし、山火事になるおそれがあります。

自然の中で焚火は自然には良くないので、アウトドア用の器具を持ち込むのが適しています。

コールマンなど本格的なバーベキューセットを車で持ち込む人もいるし、家庭用カセットコンロを使用する人もいます。


コールマンとかの器具は登山にも使用できるよう作られていて、耐久性や実用性などあらゆる点で優れています。

高性能ということは値段が飛び切り高いのが常なので、カセットコンロの2倍5倍から10倍の商品も珍しくない。

例えばカセットガスのボンベは岩谷の互換タイプが100円から200円で売られているが、登山用のは500円から1000円もします。

カセットコンロの長所と弱点

燃焼時間は200円のカセットガスも1000円のコールマンも同じ程度なので、できれば安い方で済ませたい人が多いでしょう。

カセットガスの火口をいくつかまとめたバーベキューストーブもありますが、爆発事故も起きています。

カセットガスの弱点は熱に弱いことで、小さなコンロに大きな鉄板やフライパンを乗せて、ボンベに熱が伝わることで爆発します。


ボンベと鉄板が離れていれば良いのですが、室内用のコンロは大火力で高熱にするのを想定していません。

屋外用のバーベキュー用グリルでも、カセットガス用のはコンパクトさを重視して熱を逃がす設計になっていない事が多い。

大きな鉄板を大人数で囲んで、焼肉ジュージューするにはカセットガスではちょっと無理だと思います。


子供を含めた家族でこじんまりとバーベキューしたり、1人でソロキャンプするには向いています。

最近は岩谷などからアウトドア用のカセットコンロが発売されていますが、室内用とはいくつか違っています。


以前から使用されていたのが三脚に火口だけをつけたタイプで、かさばらないので徒歩やバイク、自転車の人に人気です。

カセットフー BO(ボー) EXは5000円くらいで売られている

見えにくいが風よけが2重になっている


4901140907388_2
画像引用:https://shop.r10s.jp/seikatsuzakka-plus1/cabinet/item/giga04/4901140907388_2.jpg


屋外用カセットコンロの種類

「ジュニアコンパクトバーナー」など三脚タイプは風防などがなく風に弱いが、自分で工夫するしかありません。

次は家庭用と同じスタイルだがフタを閉じてカバンのように持ち運べる、カバンスタイルが増えています。

「カセットフー マーベラス」などカバンのフタの部分を立てると風よけになるので、風上にフタが来るようにして使います。


次はガスバーべキューコンロでカセットを2本使用するタイプが多く、鉄板を乗せてもボンベが過熱しないように離してあります。

車がないと持ち運ぶのは困難なので、グループで使う時などに向いています。

次は見た目が室内用と同じようなアウトドア用コンロで、よく見ると火口の周りを風よけで囲んでいます。


強風では使えないが多少の風は大丈夫で、携帯用ケースに入って5000円程度で売られています。

屋外で使う専用設計なので、室内用よりは高くなっています。

肝心のカセットボンベですが通常10度以下で火力が弱くなり、5度以下では点火しなくなります、


低温で使うには低温用のガスを充てんしたボンベが必要で、ソト(SOTO) パワーガスなどをアマゾンとかで購入できます。

低温用も通常のボンベと同じ1本200円くらいの値段で、1シーズン用にまとめて買うと非常用にも使えます。

普通に売られているボンベは冬の屋外や、気温が下がる山では点火しないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/79458139.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c99

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
5. 中川隆[-10979] koaQ7Jey 2019年4月03日 21:04:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1047]

今だけ、金だけ、自分だけ
という日本のエリートの価値観はどうやって生まれたのか?


亀井静香とチェ・ゲバラ 2005年10月25日


保守政治家の亀井静香は連合赤軍事件について、以下のように言及しています。

「連合赤軍メンバーの森恒夫や永田洋子なども取り調べましたが、結構いい若者なんですよ。

今の若い連中みたいに、シンナー吸ってフラフラしたりとか、ガリ勉して、いい学校、いい会社に入るとか、いい彼氏、いい彼女見つけたいとか、そんな浮ついた気持ちはなかった。

自分が幸せになるより、世の中をよくしたいという思いに駆られた連中でした」


総選挙前の8月10日に私が書いたエントリー記事「亀井派と社民党の合併は如何?」のコメント欄に下記のようなコメントをいただきました。

保守政治家の亀井静香氏がチェ・ゲバラを尊敬しているというのは、多くの人々にとって大変に興味深い事実のようです。ちょっと私的に分析してみたいと思います。反小泉左右共闘を考える上でも、警察出身の亀井静香と革命家のチェ・ゲバラの共通点を探るというのは興味深いと思われるからです。


 >>ちなみに亀井氏が尊敬する人物は、私も好きなチェ・ゲバラです。

 >これホントですか?警察官僚出身の亀井氏がそんな発言をするとは。
 >私はゲバラも亀井氏も好きなので(笑)、出典などを教えてくれればうれしいです。


 亀井さんが自民党総裁選に立候補したときは、マスコミの取材に答えて「私が尊敬するのは、貧困に苦しむ民衆のために死を選んだチェ・ゲバラと大塩平八郎だ」と公言していました。 

 私の手元にある亀井さんの著書は『ニッポン劇的大改造』(扶桑社)ですが、その中でも以下のように語っています。

「私はゲバラの写真を事務所に掲げてあります。アメリカのベーカー大使が、永田町の私の事務所にやってきて、そのゲバラの写真を見て驚かれていましたが、私はゲバラを尊敬しているのです。

 (中略。ゲバラのグァテマラでの活動、キューバ革命への参加などの事績を紹介する)

 そうして、(ゲバラは)自分の人生を、圧政と貧困のなかで苦しんでいる人たちの救済に捧げました。自分の人生を全部捨てて、人の痛みを少しでも和らげようとしたわけです」(亀井静香、前掲書、150〜151頁)
 
 自民党の機関紙の『自由民主』でも今年の3月8日号で、亀井さんは鉄人・衣笠祥雄さんと対談して、ゲバラに対する想いを語っています。亀井さんのHPに紹介されています。
 http://www.kamei-shizuka.net/media/2005/050308.html

 その衣笠さんとの対談の中で、亀井さんは連合赤軍事件について、以下のように言及しています。

「連合赤軍メンバーの森恒夫や永田洋子なども取り調べましたが、結構いい若者なんですよ。今の若い連中みたいに、シンナー吸ってフラフラしたりとか、ガリ勉して、いい学校、いい会社に入るとか、いい彼氏、いい彼女見つけたいとか、そんな浮ついた気持ちはなかった。自分が幸せになるより、世の中をよくしたいという思いに駆られた連中でした」

 私は、亀井さんが死刑制度廃止を叫び続けるのは、獄中で心の底から改心している永田氏のような人々を、死なせたくないからだと思います。

 警察の内部事情を知り尽くした亀井さんが、「冤罪は絶対に避けられない。無実の人間の命を国家が奪ってはならない。だから死刑には反対だ」と訴えているのです。冤罪が避けられないことは、他ならぬ警察の中にいる方々がもっとも良く知っていることでしょう。

 「共謀罪」などという治安維持法を思わせる法律が審議されている現在、亀井さんの訴えはますます重みを増しています。私も読者の皆さんも、全くの冤罪によって罪を着せられて死刑になってしまうというようなことすら、今後は発生するかも知れないのです。共謀罪が可決されれば、市民の誰もが冤罪の犠牲になってもおかしくないような状況が発生すると思います。警察官僚だった亀井さんの訴えに、私たちは耳を傾けるべきでしょう。
 
 それにしても興味深い事実は、暴力革命を目指した連合赤軍の摘発に敏腕を振るった警察官僚である亀井静香氏が、キューバで暴力革命を成功させたチェ・ゲバラや、大阪町奉行所の役人でありながら幕府の悪政に抗議して武装蜂起を行った大塩平八郎を「尊敬」しているという事実でしょう。

 亀井さんの頭の中では、この問題はどのように処理されているのだろう、と私も非常に不思議に思います。いまでもちゃんと回答は出せません。本人に直接聞いてみるのが一番ですね。

 私が思うに、民主主義国であった70年代初頭の日本において武力革命など全くのナンセンスであるが、米国傀儡のバティスタ独裁体制下で、言論の自由も集会結社の自由も制限されていたような状況下において、カストロやゲバラが行った選択は、亀井さんから見ても支持できるということでしょうか。しかし、そう考えると米国傀儡の小泉独裁体制も、当時のキューバのバティスタ体制に近づいているような・・・・・。

 大塩平八郎も町奉行所の与力という、いわば警察官の立場にありながら、反政府武装蜂起をしたわけです。大塩が抗議したのは、奉行と悪徳商人が結託してコメの値段を釣り上げ、庶民を苦しめながら、暴利を貪るという不正義でした。

 ちなみに大阪の商人が行っていたのは、今日でいうデリバティブ取引の原型でした。社会を混乱させながら暴利を貪るハゲタカファンドやヘッジファンドと結託して郵貯の資金を投機に流そうとする小泉の不正義に、公然と反逆した亀井さんの心境も、大塩と重なるものがあったと思います。残念ながら、大塩も亀井さんも敗北してしまいましたが・・・。

 亀井さんは東大時代は、駒場寮に住んでバイトしながら学費を払った苦学生でした。駒場寮にあった『マルクス・エンゲルス全集』は、「全部読んだ」そうです。

 亀井さん本人は学生運動をしていたわけではないみたいですが、全学連の活動家学生が退学処分を受けそうになったとき、抗議のハンガーストライキをしたそうです。ドクターストップがかかるまで、1週間もやったそうです。

 小泉のような、苦労知らずの親の7光ボンボン3世議員とは、心が根本的に違います。

 私も以前は、マスコミによる「ミスター公共事業」というレッテル貼りの宣伝に騙されて、亀井さんをただの「利権政治家」と誤解していました。亀井さんの書いたものなど読んでみて、全くの誤解であり、自分がマスコミに騙されていたのだと気付きました。

 亀井さんは政調会長のとき、中海干拓を中止し、吉野川可動堰を凍結するなど、総額2兆円以上もの公共事業費を斬りました。利権政治家にこんなことができるでしょうか?

 小泉を見てください。官僚のメンツを守り、ムダな公共事業など一つも止めていません。川辺川ダムや八ッ場ダムのような究極のムダすら止めることができないのです。それで予算総額だけ減らすので、生活関連の本当は必要な事業ばかり削られて庶民を苦しめているのです。
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/739472309fb34190d4e7768d8e002ba6




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なぜ連合赤軍とオウム真理教は敗北したのか
https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/04/150926


戦後日本における大きな反体制組織と言えばあさま山荘事件を起こした連合赤軍と、その後に登場するオウム真理教だろう。

20世紀の喧騒を象徴する2つの組織、そしてあさま山荘事件と地下鉄サリン事件という2つの事件に関与している。


21世紀になってからは同時多発テロがアメリカで起き、その後現在のISIS系のテロが欧州で頻発しているが日本からはどこかそういった反体制運動は消滅しつつある。

むしろ日本の右傾化が進み、比較的政治的にも治安的にも安定するようにはなったというのが大きな流れだ。


連合赤軍とオウム真理教の敗北というのは、左翼の敗北、そして宗教の敗北だったと見ることもできる。「反体制」で勝つことはできないということが彼らが残した歴史的な意味合いだろう。


日本で反体制勢力は大きな戦力を持つ事ができず権力を打倒できないことに気付いたため、その後大きな動きは起きなくなっている。

結局のところ自動小銃を密造しようとしたが試作品を作ることが精いっぱいだったオウム真理教、猟銃で少数の人間が訓練することしかできず内ゲバで瓦解した連合赤軍、彼らは必然的に敗北した。


またオウム真理教は選挙に出馬するが惨敗し結局地下鉄サリン事件のようなテロリズムに走っていき、日本で左派政党が政治的に勝利することは限られた回数しかない上にやはり「政権交代」はそれぞれ敗北した。


宗教アレルギーだと言われる日本でオウム真理教が勝利することは難しく、同時に「日本の左翼はレベルが低い」と言われるように高度な政権運営を行う事は出来なかった。

自民党や官僚という体制は非常に強固であり、今後何かの革命を起こそうとするならば権力者側や体制側に活路を見出さなければならないだろう。


オウム真理教にしても連合赤軍にしてもそれほど大きなことは成し遂げることができず、簡単に体制に滅ぼされてしまった。

せいぜいちょっとした反抗期だった少年が教師や親に大人しくさせられたように、その後日本から何らかの抵抗運動は消滅する。


オウムのハルマゲドンは東京上空からヘリコプターでサリンを散布する寸前まで行ったか結局その試みは阻止され、今では「ひかりの輪」が細々と存続している程度でしかない。

連合赤軍を始めとしたあの頃の極左や学生運動というのも80年代に入れば消滅していくことになる。

東アジア反日武装戦線は三菱重工爆破事件を起こしたが、こちらの知名度は非常に低く社会的なインパクトはなかった。


その後何らかの抵抗運動といえば、ネオ麦茶事件や宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗、秋葉原加藤とやまゆり園植松が登場するが彼らの個人的な衝動は社会を変革させることができなかった。


結局そういった抵抗は個人や地下組織では限界があり、やはり政権を掌握しなければナチス・ドイツやソビエト連邦のような事はできない。

少し爆破したり、路上で誰かを刺殺したすること程度の規模で終わってしまう。

現在ISISが自動車を使ったテロを実行しており、そちらは規模が巨大化しているがそれでも数十人が限度だ。ノルウェーでも銃を乱射したテロがあり、この時は「FPSならこのキルレシオは驚異的」と言われていたが、革命に匹敵する変革を起こすことには失敗した。

秋葉原加藤は騒がれたが、やまゆり園植松は既に風化しているように、現代からそういうった反抗や反逆を賞賛するムードは消滅しつつある。

「大人しい事」や「怒られない事」が最適解になり、連合赤軍とオウム真理教が敗北したことで誰も似たような事をやらなくなった。

更に個人的な反抗ですら今では社会に大きなインパクトを与えられなくなっており、抽象的な見方かもしれないが「熱量」自体が世の中から消えている。


かと言ってそのような行動を美化するわけではない。

大東亜戦争末期の特攻作戦を美化したところで、それは軍事的に敗北だったとしか言いようがない。特攻作戦に従事した青年や、オウム真理教の信念に共感した純粋な信者や、革命による変革に社会の理想を求めた連合赤軍構成員の個人の心意気自体はもしかしたら美しかったかもしれないが軍事作戦や革命行動としては敗北している。

またISISの散発的な自動車テロでも彼らが掲げるイスラム領土の再獲得を実現できるとは思えない。


ただ単に路上で車を暴れさせて終わりではなく、「戦車戦」や「戦略爆撃」、「本土決戦」をやる領域に入っていかなければならないと自分は考えている。個人が銃を乱射して一般市民を巻き込むという事も非常にレベルが低い話であり、そもそもテロという手段が間違っているだろう。

「もっとデカいことをやりたいけど、仕方ないからテロをする」という事例が今までの出来事であり、彼らはナチスやソ連にはなることができなかった。


モンゴル帝国、オスマン・トルコ、大英帝国、オランダ海上帝国、スペイン太陽帝国、大東亜共栄圏、ソビエト社会主義共和国連邦、ナチス・ドイツ、そして超大国アメリカ合衆国、そのレベルのことをやろうとしている人間がたかが少し一般市民を攻撃するだけのテロで終わってはいけないと自分は考えている。


しょぼいテロで終わりたいわけではなく、オウムや連合赤軍程度の小さい反抗で終わりたくもない。

ソ連やナチスドイツという虐殺国家、そしてイギリスとアメリカというアングロサクソンによる二大巨悪、スペインとモンゴルという二大畜生、日本をそのレベルに到達させようとした場合大東亜共栄圏や満州国が限度だったというのはどうしても規模が小さい。

実は日本がもっとも世界的に存在感を示したのは太平洋戦争ではなく、ジャパンアズナンバーワンに始まる1980年代の好景気の時代であり軍事よりも経済で世界を制圧した。

その理論を応用するならば次なる革命は「ペンは剣より強し」という考え方に基づき「言論」による変革、そして体制側の人間を取り入れなければならない。


そういった日本の黄金期時代を経験したことが無いバブル崩壊以降のゆとり世代としてはどうしてもそのことを寂しく感じてしまう。

明治維新を実現した幕末の世代や、戦後復興を支えた世代に比べて、「最近のゆとり」というのはどうしてもやることが小さいと言われても仕方がない。

おそらく「大日本帝国越える国作ろうぜ」と考えている自分のような人間は希少であり、そうんなことすら誰も考えていないんだろうなということに疑問を感じる。


それはおそらく中二病であるが、「デカい国」を作ろうとするような若者が台頭し始めてきたのが過去の歴史でもある。

「明治維新や昭和維新をやろうとしていた時代の若者すげぇ」と思うし、戦後昭和の世代もエネルギーも半端無い。

そういう世代を見ているとゆとり世代の一人として虚無感があり、この世代って歴史において何も残らないんだろうなという諦めにも似た感情がある。

ただ単に衰退していく日本に巻き込まれ、反抗もできず、いや抵抗すらせず大人しく消えていくのがゆとり世代なのだろうか。


情熱的になることも反抗することもダサいというひたすら大人しい世代になりつつあることに寂寥感を抱かずにはいられない。

世間的には大人しいと言われていたオタクがアニメや漫画の世界だけでは派手にやっていた時代すら終わり、最近では日常アニメに代表されるように創作の中ですら大人しくなり癒しばかり求めている。

エヴァンゲリオンやコードギアスすらなくなり、日常アニメに癒ししか求めなくなった姿を見ると日本人の情熱はどこにも存在しなくなっているだろう。

アイドルも「自分でも手が届きそう感」を重視するようになり、もはや親近感のあるユーチューバーの時代になってきている。

「その辺の普通の人たち」やありふれた日常の幸せに癒しを求める時代が到来している。


日本人の夢や希望、野心や反抗意識、そういったあらゆるものが小さく大人しくなってきている。

不良も人を殴らず窓ガラスを割らず、非行に走らず、ネットユーザーも民度が高くなりオタクは創作の中ですら大人しくなり、富や発展を求めなくなっていく。

「諦めムード」があらゆるものを支配していくのが今の日本文化なのだろう。


現実では駄目だけどアニメやアイドルには華やかなものを求めようとしていた人達すら少なくなり、自由にできる世界ですら現実や日常を求めるようになった。極左も大人しくなりシールズのようにカジュアルに騒ぎたいだけであり、過激な宗教家や新興宗教も減っている。

天理教や創価ですら深刻な信者離れや二世、三世の離脱が進んでいる。


むしろ元気なのは近隣諸国や新興国であり、日本に憧れる海外のオタクや先進文化に憧れる人々も減りつつある。仕方ないからクールジャパンと宣伝し、日本スゴイデスネーの発言を求める番組が増えているが、現実には街の綺麗さや水道水の美味しさ、治安の良さぐらいしか誇る物が無くなってきている。

その一方で中国に敵うわけがないという考えが当たり前になっており、韓流も捏造だとは言えなくなっているほど浸透している。


そしてそこに悔しさを感じる人すら減り、日本がオワコンだということを誰も疑問視しなくなる段階に入り始めている。

そんなムードの時代に「革命と戦争しようぜ、大日本帝国越えようぜ」と言ってる人間がいたとしても、電波で誰も本気に思わないのは仕方がないのだろう。


反逆に憧れず、日常で満足して、もはや想像や妄想をするエネルギーすら残されていない程に日本人は疲弊し老化しているというのが日本の現実なのだ。

みんな忙しいし革命どころじゃないし、癒しを求めるのが精いっぱいでそれすら手が届きにくくなっている。

高級車や豪邸に憧れるエネルギーも無くなっている世代が「大国の建国」という壮大なものを求めなくなるのは必然なのだろう。

バイクで暴走したり車を改造したりする気力も無くなり、実際にそれを出来る経済的な余裕も無くなっている。


しかしながら大人しい若者に罪は無く、彼ら、いや僕らが悪いと言うよりも若者から元気を奪う社会のほうが圧倒的に悪い。

その一方で社会を批判する人すらもはやいなくて、目先の癒しにしか興味がない同じゆとり世代にも違和感がある自分がいる。

社会が悪いとすら思わず、それが当たり前のことだとして受け入れている世代がとうとう現れ始めてしまった。


連合赤軍やオウム真理教は社会が悪いからそれを壊してでも変えようと考えていたが、80年代に入ってそんなこと無理だしって時代になって、21世紀はとうとう社会が悪いとすら思わなくなった。社会が悪いという事にもしかしたら薄々気づいているが、それを行ったところで仕方がないしイイネ!を押しあっていれば嬉しくなって、その不満も紛らわすことができる。


そういう時代にそりゃ革命なんて起こせないわけであり、そんな情熱持ってる暑苦しい奴なんて自分以外もはやいなくなっている。

「ワルしようぜ」と思ってる不良が一人治安のいい学校にいるとそりゃつまらないわけで、自分が世の中や最近のネットがつまらないといってるのはもしかしたらその感覚に似ているのかもしれない。


皆中三になってしまって「おまえいい加減に中三になれよ、そろそろ高校生だぜ」と中二病の少年が言われているような感覚でもある。

皆誰かのタイムライン汚したくないしドン引きされたくない、そんな奴らばっかりになったら世の中は面白くない。

しかしゆとり世代はそういった空気に特化した協調性の高い世代になりつつある。


「空気読むことや怒られないことが最も上手い世代」というのがゆとり世代論の総評なのではないか。

しらけ世代以上にしらけてる、それが僕らゆとりだ。

そういう世代論を語る人がいなくなり、それを面白いと思う人すらもいない。

「俺って変なのかな」とか「世の中間違ってるよな」と言ってる奴がもう自意識過剰で中二病扱いされる空気になっているのならば、そんな時代から歴史を変えるような強力な個人が現れるわけもない。


大人しい世代や癒しにしか興味がない世代が主流になれば日本が復活する見込みがないのは必然だと言える。

明治維新を起こした世代は「日本は列強に対抗しなければならない」と思い、戦後の高度経済成長を成し遂げた世代はひたすらに「裕福になりたい」という思いが強かった。

欲がない世代とよく言われるが、何も強い衝動が無いのがゆとり世代でもある。

いや「癒されたい」という思いが強いのかもしれない。


「公務員が一番の夢になった時代って面白くないよね」とも言えるし、じゃあユーチューバーに憧れる世代はどうなのかという問いかけも必要だろう。

逆にこれだけゆとり世代が大人しいと、今度はユーチューバーに憧れる世代が主流になれば文化的には面白くなっていく可能性を秘めている。


「安定した人生を送りたい」と考えているのがゆとり世代だとすれば、「好きなことをしていきたい」というのがこれからのユーチューバー世代なのだろうか。

そう考えるとまさにゆとり世代というのは「谷間世代」であり、日本という国が変わっていくサナギの地味な時期でもあるのかもしれない。


そしてそのサナギ状態であることや大人しいと言われることに特に不満も無いのがゆとり世代でもある。

あまりにも「これだから最近のゆとり世代は」と言われすぎて、「はいはい俺らゆとり」という状態になっており逆らう意欲すらない。それ以前に大人しいことがかっこ悪い事だとも思わなくなり、やはりそういう世代が何かをする気になれないのは必然だろう。

この世代に希望があるとすれば「ゆとりつまらないと思ってるゆとり」みたいな層をどれだけ増やしていけるかにかかっているのではないか。


大事なことは空気を読むことではなく、空気を変える事だろう。

社会に対して不満があるのならばもっとガンガン発言し、「なんかおかしいよね」という雰囲気を作っていくことが最初の第一歩なのではないか。

この空気に従っていれば気付いたときには飲みこまれてしまっているだろう。


「停滞感」を感じているならまだマシで、停滞が普通になり過ぎればもはや疑問にすら思わなくなる。

自分がいじめられていることを自覚している生徒は何らかの解決策を導き出すか反抗しようとするが、もはや「おまえいじめられてるんだぜ」と言われないと気付かない人はある意味悲しくも無く幸せなのかもしれない。

徐々にゆとり世代が、上の世代にいじめられていることに慣れ過ぎて、これがいじめだと気付かない状態になっているのではないか。


「やっぱ俺らいじめられてるわ」ってことに気付きなさないといけない時期に来た。

じゃあ「いじめの主犯格誰だよ」って言ったら、それは高齢者なわけで主犯格を一回殴り倒さないといじめは終わらない。


オウム真理教や連合赤軍はある意味若者として社会と戦おうとした。

しかし今の若者世代からそういう組織が現れてくる見込みはない。SEALDsは反逆組織のようで実はただ単に身内でイイネ!を押しあうだけの集団でしかなかった。

「一緒に酒飲めば敵の上陸防げます」と言ってるような連中の勢いがなくなっていくことはある意味当然だったと言える。

「若者なら何かできる」とか「俺らエネルギッシュな若者だし」というエネルギーすらなくなり、若いってだけで自慢するの良くないよねという風潮になってきて、高齢者や中高年層が主流になってきている。

若者が多数派だった時代にあった"調子乗り感"が今のゆとり世代からは消えつつある。


ゆとり世代といういじめられっ子がこれからどう反逆するのか、それとも「俺はイジられてるだけ」とかいじめられる日常に慣れ過ぎて何も気づかなくなるのか、今の時期はまさに世の中がどうなっていくのかとい分水嶺の時期なのではないだろうか。


連合赤軍やオウム真理教でもなければ、SEALDsでもない、そんな組織を作り上げなければ革命は実現できない。

ロシア革命の時代からちょうど1世紀が過ぎようとしている、そして後にナチスの政権掌握も訪れる。

世界史の潮流が1世紀おきに変わるのであればもうすぐ何かが起こる可能性は否定できない。

https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/04/150926


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今の時代やはり暴力革命は成立しえない
https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/24/145737

理想的共産主義社会の実現のために若者が革命を志していた「政治と闘争の季節」は1960年代までであり、70年代に入りカジュアルな文化や新しい庶民の生活スタイルが普及するようになると見限られるようになっていく。


サブカル文化を取り扱った番組を見て、70年代から現代の若者文化に近い潮流が始まったと知った。ものすごく簡単に言えば政治がそこまでかっこいいものじゃなくなったり、他にもっと楽しいことができたり、あまりにも暴力的で過激になり過ぎたことで若者から見放されていったというのが大きな流れだ。

他に楽しいことができたし、物凄く戦わなければならない理由も無くなった。


70年代ですら見限られて衰退していった暴力革命を今しようとしたら誰もついてこないだろう。

実際極左が多いイメージのある京都大学でもかつての中核派的な活動をしようとしていた学生が、一般学生に排斥されているようである。

結局日本の左翼というのはそういう活動の昂揚感にしか興味が無く何かに反対している興奮が好きな人が多いが、どう頑張っても少人数で細々とやり何も実現できない「左翼ごっこ」の領域を出ない結果にしかならない。


京大のような高学歴大学に進学すれば革命を志している凄い過激派がいるんだろうなという漠然とした幻想はは一般学生から白い目で見られて崩壊するのである。


日本の過激派「中核派」をフジテレビ・みんなのニュースが特集!その実態とは? - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2147079950621838601?&page=1


このまとめでも「反対することが多くて忙しそう」と皮肉られていたが、反安倍だの、反改憲だの反原発、反米だのやることが多すぎてしかも少数しか集まらないため結局過激な暴走に少人数だけが走るようになる。

しかしそんなものは連合赤軍が山荘において少人数が猟銃で訓練する程度にしかならず、フルオートのアサルトライフルで武装した組織には勝てないのである。


若者だけでなく多くの人が「そんなことをしてもしょうもない、第一自分の生活で忙しい」と思っており、興味もなければ情熱を抱く体力すらない程に疲弊しているのが現代日本社会だ。


更に60年代と70年代前半の極左過激派があれだけ元気だったのは、それだけ世の中が激動の時代だったという事でもある。

東西冷戦真っただ中で、いつソ連と戦争が始まってもおかしくない状況だった上にまだ沖縄も返還されていない時代だった。

沖縄に核兵器が配備されていたことに関するドキュメント番組を見たのだが、当時の冷戦の状況は今とは比較にならない程緊迫していた。


最近の若者がなぜ政治熱が無いのかといえば、状況が違うというのもあるのかもしれない。あれだけ面白い材料やニュースがあれば、それは政治熱が高まるに決まっている。

ベトナム戦争やキューバ危機が歴史の教科書に出てくる単語ではなかった時代の話なのだ。

逆に言えば今何か特別昂揚感を刺激するようなニュースがあるかと言えば、せいぜい北朝鮮がミサイルを発射するぐらいでそれすらもう日本人は感覚が麻痺して慣れ切っている。それを言えば更に日本人が血気盛んだった戦前はもっと大きな出来事のオンパレードだったため若者が情熱を持ちやすかった。

ソ連すら知らない今の世代がせいぜい北朝鮮が虚勢を張っているだけの小粒化した共産陣営に抵抗しようとも思わないし、そこに憧れを抱かないのも必然だろう。


言葉に語弊はあるかもしれないが、当時の極左は今思えば楽しかったのではないだろうか。未だに学生運動の情熱を持っている当時の世代が、今も中核派や核マル派を一応続けているらしいが当時の熱狂を忘れられない時代遅れの人々かそこに憧れる世代しかもはや存在していない。

かつて従来の既成左翼を批判した新左翼が今は旧左翼になっている、そんな皮肉もこの記事では綴られている。


高齢化し数も減少 若者から見限られる中核派・革マル派の現状|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20151226_369124.html?PAGE=1#container


そしてこの記事で旧世代の左翼を見限った新世代の左翼の代表格だったSEALDsですら結局は平和と叫んで心酔したいだけのお笑い集団でしかなかった。


全ては時代背景に行き着く問題で、今真剣に厚く語れる政治問題そのものが存在しないというのが大きい。

ソビエト連邦という総本山がありまだ社会主義への幻想があった時代とは全てが違う。ベトナム戦争でかわいそうなベトナムの人々が犠牲になっているという共感できるニュースも無い。


渋谷で暴動を起こしたり、大学を占拠したり企業のビルを爆破したり山荘に強奪した武器を持って立てこもるには相当なモチベーションと情熱、そして信念が必要だろう。

日本で革命が起きない理由はそういったモチベーションを掻き立てる物や反対するものが無いということが大きい。

大多数の日本人はなんだかんだで米軍が日本の防衛に役立っているという事をわかっているため、特に反対しようという気にもならないし、かと言って中国や北朝鮮もそれほど脅威には感じられないため憲法を改正しようという危機感も無い。

左右両方の方面で特別エネルギーを沸かせるような要因そのものが無い。

福島の原発の事があったとしても電力が必要だという現実路線が日本人の中で優先されるし、北朝鮮がミサイル実験を断行しても憲法まで変えようという気にはならない。自衛隊と安保、日米同盟で十分対処できるしそもそも攻撃してこないということを現実的に理解している。


イギリスがその場の雰囲気でなんとなく後先考えずEUを離脱したり、アメリカでトランプが就任したりする姿を見ると日本人って飛び抜けた方向にはいかないというか平均的に賢いのかもしれない。


つまり日本人自体が非常に現実的な思考をしている上に、日常に忙しくそして疲れている、そして特に強い衝動を引き起こすような出来事もないため何も起こらないというのが実情だ。

中核派の学生が演説しても今時一般学生からは白い目で見られるのと同じで、あらゆる政治活動、いやいろんな流行や現象が今は「盛り上がっているのは一部だけ」という目で見られるようになった。

昔はオリンピックに興味がないと言う人は現実ではなかなか共感してくれる人がいなかったが、今ではネットでオリンピックに興味が無い人でも集まれる。

ハロウィンが新しく文化現象になろうとしても、一部の馬鹿が騒いでいるだけということをネットで言いやすくなった。

「そんなことする体力よくあるなぁ、興味ないや」という意見が言いやすくなったし、実はそういう人たちがサイレントマジョリティだった。


一回立ち寄った喫茶店のマスターと少し政治の話をしたことがあるのだが学生運動全盛期ですら「左翼は頭がおかしい」と思っている人が大多数だったようである。


今の日本はそういった静かな少数派が力を持つ時代であり、多くの人が実は静かな少数派の一人であることを自覚している。

そしてそういうサイレントマジョリティの意見がむしろ今はむしろメジャーな意見になっている。

例えば「流行に興味がない」という人が増えたが、昔もおそらく何らかの流行に興味が無い人の方が多数派だったがそれを言いにくい空気があった。

今では逆転しており、流行に盛り上がる人の方が恥ずかしいという冷めた空気感が漂っているし、特にネットはそういう現象を叩く傾向にある。流行に興味が無い事や冷めていることが恥ずかしい事ではなくなった結果、特に大きなことも起きなくなったというのが今の時代だ。


既に日本は大きなムーブメントが発生しにくい土壌になっており、大多数がそれなりに満足できる妥協案が最も強いという民主主義の原則が支配的になっている。


日本というのは自ら変わる国ではなく外圧で変わる国でもある。

ペリー来航や欧米列強の脅威が迫らなければ今も江戸時代や徳川幕府が続いていた可能性も否定できないだろう。

実際徳川幕府は世界でも例を見ない程続いたある種の軍事政権の一つであり、天皇制の歴史も非常に長い。

余程変わらないといけない大きな理由、多くの場合は外圧がない限り日本で大きな変革は実現しえない。

変える理由がない時は変えないという当たり前の事であり、無難な日々や昨日と同じ日常を安全に迎えられることに幸せを見出してきた農耕民族でもある。

無計画でもなんでもとにかく行動して変えてやろうという強い衝動を持ちにくく、忍耐力のある民族であることは間違いない。


おそらく次の衆院選は政権交代には至らないが、かと言って改憲が可能な程与党が大勝するわけでもないというどちらとも言えない結果になるだろう。

現政権を打倒しなければならない強い理由もなければ、現政権を強化して憲法を変えるほどの脅威もやはりない。

当然ながら私設組織や地下組織が独自に武力革命を起こすこともないだろう。

また少し平和を叫んでいれば楽しくなったような気になる市民団体がちょっと出てきて話題にもならず選挙後消えていくだけでしかないはずだ。

革命

激動の時代を味わいたいとか、凄い変革を見たいという人はあまり期待しない方がいいだろう。

そういう雰囲気に熱狂する体力もないほど今の日本人は疲弊しており、まずそういう興味や衝動を持っている人が限られる。

貧しいなりに娯楽が充実していてそれなりに不満も紛らわせたり、ささやかな楽しみと最低限の安全は存在する。

「昔に比べてしょぼくなったがそれでも絶望的に悪いわけではないから仕方ない」と受け入れる、それが日本人の基本的な考え方になっている。

皆それぞれ不満はあるがそこまでして変えようと思わないぐらいには我慢できる忍耐力があるのが日本人でもある。ただしその堪忍袋の緒が切れたときには思ってもみなかったぐらいの行動を起こすが、それでも実は江戸城の無血開城を実現したり本土決戦を回避したりどこかで優しく大人しい部分はある。


今の日本は特に何かを起こさなければならない時期でもない平和な期間だともいえる。

江戸幕府がものすごく長く続いたのと一緒で、戦後日本という体制はせいぜい70年程度の物で体制という物は続く時は大きな変化も無く続く物なのである。


大きな変革や革命が起こるとするならばやはり何らかの外圧がなければならないだろう。基本的に和を尊び妥協案を探すか、大人しく忍耐する日本人が我慢できない程の何かが起きればそれは起きるかもしれない。


そういうエキサイティングな何かが見たければ海外に行くという手段もある。

チェ・ゲバラがキューバ革命を実現した後にボリビアにまた革命をしに行ったのはもしかしたらその昂揚感が目的だったのではないかと自分は思っている。

フィデル・カストロが現実的な政治を行い、ゲバラが理想とする更なる革命を実現しなかった姿を見て彼はボリビアに次なる戦場を求めた。その結果彼はこの世を去ることになるのだが、ゲバラ的なロマンチストは理想と闘争を求めずにはいられないのかもしれない。


実際日本人でも日本赤軍はパレスチナに軍事訓練に行ったり、よど号で北朝鮮に向かおうとした。彼らは海外で軍事訓練を受けて日本での革命のための準備をしようとしていたようだが、革命や理想のために頑張っているという充実感を欲するならばそれは海外にあるだろう。

ある意味今の日本で革命が起きなくてつまらないと思っていたりそれが不可能だと諦めている人たちの先駆けが彼らだったのかもしれない。


国内で余程大きな歪が生じるか、何らかの大きな外圧が起こる以外、今特に大きな変革を望む必要性は左右両方の面で存在しない。

「70年間戦争をしなくて済んだ」というのは平和主義者の常套句だが、日本の戦後の八方美人外交というのはある意味日本が国際社会で生き残るための最適解だったと数百年後歴史評論家に語られる時が来るのではないだろうか。


天下太平の世では革命など起こす必要が無い、江戸幕府発足後70年の頃に生きていた人たちはまさかアメリカの歴史並に長く続くとは思ってもいなかっただろう。

案外戦後日本の体制はこれから大きな変革も無く江戸幕府のように200年以上続く体制なのかもしれない。

https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/24/145737



▲△▽▼

世代間闘争論、あるいは団塊の世代の精神的病理について 2008年03月30日
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/3acf222a439537072916d8c0c85a3fe5

 このブログの今年の1月9日の記事で赤木智弘さんの「希望は戦争」について触れ、私も「もうこうなったら世代間戦争だとでも言いたくなってくる」と書いたことがありました。

 月刊『創(つくる)』の今月号を読んでいたら作家の雨宮処凛さんが、「『世代間闘争』問題」という記事を載せていました。その記事に触発されて、「世代間闘争問題」を再度論じてみたいと思います。

 いま全国でロスジェネ世代のフリーターや派遣・非正規労働者の労働組合が次々に設立されていくという感動的な現象が進行しています。各地で立ち上がった人々に対して心からの声援を送ります。皆さまがんばって下さい。心から応援します。

 さて、雨宮さんの記事は、京都の若者向け労働組合「ユニオンぼちぼち」のパネルディスカションの際に起こった「事件」を書いたものでした。パネルディスカッションは、反貧困そして生存のため、若者がどのように連帯していけばよいのか真剣に話し合うものだったそうです。その際、フロアーにいた団塊の世代の学生運動経験者らしいオジサンが、「甘えるな」「一人一人がしっかりしていない」「戦略意的に生きてこなかった結果」などと、すごいケンマクで「フリーター=自己責任論」をまくしたて、あげくの果てには会場にいた生活保護受給者に対し、「生活保護を受けられるだけでも有り難いと思え」などと暴言を吐いたというのです。

 雨宮さんは、「そんな言葉を聞くたびに、猛烈に胃が痛くなる。人に責められる前に、当事者は死ぬほど自分を責めている。責めに責めて、私の周りでも多くの人が命を絶った。そのたびに、思うのだ。言葉は簡単に人を殺せるのだ」と書いていました。

 団塊の世代には確かにこの種の人間が多い。残念なことですが。私自身、長い間「フリーター研究者」として過ごしてきて、団塊の世代の人々からその種の言葉をもらって傷ついた経験があります。このブログにも、団塊世代とおぼしき人からその類のことを書きこまれてすごく傷ついたことがありました。もちろん団塊の世代すべてがそういう人なわけではありませんが、残念ながら、かなりの割合でこういう人々が存在することも事実です。

 なぜ団塊の世代の人にはこういう人が多いのだろう? 基本的に社会科学のイロハも分かっていないとしか思えない。社会科学の「イ」の字でも分っていれば、以下のことはすぐに分かるでしょう。

 ロストジェネレーションの悲劇は、日本企業が土地ころがしのバブル生成に狂奔し、日本政府がそのバブルを放置し、ついにそれを崩壊に追い込んだことによって生み出されたこと。その背後にはプラザ合意から日米構造協議と続いた米国による市場原理主義イデオロギーに基づいた一連の内政干渉があること。バブルに踊らされたのは団塊の世代の人々であり、ロスジェネ世代の人々には何の責任もないこと。それなのにバブル崩壊の被害をロスジェネ世代が一身に背負っていること。

 いわば犯罪者たちがそのまま食い逃げし、無罪の人々が冤罪で牢獄につながれているようなものです。こうしたことが分かれば、まずは団塊の世代として、ロスジェネ世代に謝罪の一言もあってもよいと私は思うのです。なぜハレンチにも自己責任論をまくしたてて、若者を傷つけ、死に追いやっているのか。あまりにもひどい。
 
 彼ら・彼女らが社会科学の「イ」の字も分っていないのは、彼らが学生時代ゲバルトばかりして暴れ回っていたため、全く基礎的な教養がないことと関係があるのでしょうか?
 彼・彼女らはマルクスぐらいちゃんと読んでいたと思っていたのですが、暴れるのに忙しくてマルクスもちゃんと理解していなかったのではないですか? 

 私は、いわゆる「全共闘運動」というものに対して決定的に嫌悪感を抱いています。全共闘が掲げた「大学解体」「自己否定」などという全く訳の分らないスローガンには怒りを覚えます。運動の目的も何も分らない。甘ったれもいいところだ。そんならアンタたちがトットと大学を退学すればよいだけじゃないですか。何で勉強したい人々の邪魔しながら大学をバリケード封鎖などしなければならないのですか?

 連帯などはじめから求めていないから、各個人がバラバラに孤立していくしかなかったのです。彼らは破壊しか知らず、創ることなど何もできなかった。信州大学全共闘で破壊活動ばかりしていた猪瀬直樹が、小泉政権による日本破壊政策の片棒を担いだのは、象徴的なことだったと思います。

 いや、全共闘の中でも評価できる運動もあります。日大全共闘です。私から見て日大の運動は評価できますが、東大含めそれ以外の大学の運動は全く評価できません。日大全共闘は、「学園の民主化」というきわめて正当で具体的な課題を掲げて闘い、運動の目的がハッキリしていたと思います。そして皆が共通目標に向かって連帯し、協力することによって確かな成果を勝ち取っていったと思います。

 だから日大全共闘OBは、学生運動経験を人生における輝かしい出来事としてポジティブに評価でき、その後の人生においても運動経験を前向きに活かしている方が多いと思います。それは人間同士が連帯して何かを生みだすことの素晴らしさを、彼・彼女らが運動の中で学んだからだと思います。

 その他の大学の全共闘が掲げた「大学解体」「自己否定」などという運動の目的も何もサッパリ分らないメチャクチャなスローガンからは何も生まれません。目的が分からないから連帯などしようがない。「自己否定」から「自己責任」へ。連帯のすばらしさも経験することのできなかった彼らは、アトムへと分解し、徹底的に個人主義的な思考になってしまったのではないでしょうか。

 運動の中で何も得るもの、誇れるものも何も得られなかった彼・彼女らは、「運動なんかバカがするものだ」みたいなことを自分の子どもたちに平気で言って、人々が生きやすい社会をつくるために力をあわせて政治を変えていこうとする努力そのものも否定するようになりました。彼らは極度のニヒリズムに陥って個人主義的になり、自己責任論をまくしたてるようになってしまったのではないでしょうか。

 彼らは学生時代に暴れていただけで勉強していないにも関わらず、社会に出て自分が努力したから、個人の力で頑張ったから何とか成功してきたと勘違いしているのです。勘違いしてナルシズムに浸っている。それでロスジェネ世代に対して、「努力が足りない」「頑張らないのが悪い」「甘えるな」などと暴言を吐くのです。

 あなたたちが社会人になった70年代は、頑張ればどうにかなる時代だったのですよ。個人の力でも何でもない。90年代には個人の力で頑張ってもどうにもならなようない社会構造ができあがってしまったのです。派遣労働の自由化などによって。

 10%の経済成長を遂げている時代の失業者者も「自己責任」、マイナス成長の時代の失業者も同じく「自己責任」なのですか? バカも休み休み言いなさい。
 
 全共闘の人々が犯罪的だと思うのは、彼らがバカげた運動をしたせいで、その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと。そして民衆が歴史を動かすという具体的イメージを日本社会が失ってしまったことです。学生運動が実際に社会を動かしてきたフランスや韓国などの活力比べて、日本がここまで硬直してどうしようもなくなっているのも一重に全共闘運動の責任だと思うのです。すでにして彼らは、こうして後の世代に多大な負債を残しているというのに、あろうことかこの期に及んで、貧困に苦しむ若い世代の新しい運動に対して、「自己責任」と罵倒しながら冷水を浴びせかけるなんて、私には断じて許せない。彼・彼女らに対しては断固として闘わねばならないと思います。
 
 いま全国で起ちあがっているロスジェネ世代は、団塊ジュニア世代でもあります。ぜひ両親の世代をギャフンと言わせるだけの成果を勝ち取りましょう。そして「団塊の世代の呪い」による日本の社会運動の沈滞を、創造的に乗り越えていきましょう。
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/3acf222a439537072916d8c0c85a3fe5


分断統治への反撃 ―こんどはこっちが分断する番だ 2008年04月25日
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/e41b39579770bca33cadde5f17c8faa6


 まず、一つ前の記事がだいぶ物議をかもしだしたようですので、続きを書きます。なぜあんなことをを書こうと思ったのかを説明します。

 あの記事は、少なからぬ団塊の世代の方々を傷つけてしまったようです。私は、あの記事で「ニヒリストかつナルシスト」という精神的傾向を持つ全共闘崩れの一群の方々を批判しました。もちろん私は、前向きにポジティブに生きておられる元全共闘の団塊の世代の方も少なからず知っています。ですので、心の中では「ああ、ステレオタイプなこと書いちゃってすいません」と謝りながらも、なおかつ敢えて書きました。

 というのも、「俗流若者論」で若者が攻撃され、若者が打ちひしがれているという現状があり、それに対するささやかな抵抗として「俗流団塊論」で少しくらい言い返してやったって、バチは当たらないだろうと思ったのです。レッテル貼りにはレッテル貼りで対抗し、レッテル貼り攻撃してきた上の世代の方々に自省を促したかったという点があります。

 赤木智弘さんの『若者を見殺しにする国 −私を戦争に向かわせるものは何か』(双風社、2007年)の第1章は「強大な敵としての俗流若者論」でした。それは、上の世代から放たれる「最近の若者は・・・・」という不当なレッテル貼りに対する抗議の文章です。それを読んで、共鳴したというのも、あれを書いた動機の一つです。

 私は、このブログを始めてからというもの、若者たちとの論争をだいぶしてきました。中国・韓国に対する差別的バッシングにあけくれる若者たちとの論争です。私もカーッとなって「差別はやめろ」などと口泡飛ばすような論争をしてきました。

 しかしながら、最近になって、「自分は分断の罠にはまっていただけなのではなないだろうか?」と自省するようになったのです。中国・韓国を叩いてウサを晴らそうとする、絶望的な状況に追い込められた若者の気持ちも分かります。絶望的な状況に置かれて未来が見えない中、しかも自己責任論で上の世代からバッシングされる中、「自分よりダメな人々」を求めて、韓国・中国に攻撃の矛先を向けてしまっているのでしょう。人間は弱いものです。これだけ格差が増大したら、そうなってしまうのも仕方ないです。

 市場原理主義のグローバル化によって絶望的な状況に追い込まれた若者のやるせない不満のはけ口として、中国・韓国を利用しようとしているのは、『諸君!』や『正論』などに寄稿するご老人方です。そしてその背後には、アジア諸国を分断して混乱させながら、日本の従米状態を恒久化させようとする米国の戦略があります。日本人に「中国は怖い」というイメージを徹底的に刷り込むことによって、日本が米国の半植民地状態にあることを恒久化させ、日本を米国とって便利なATMマシーンとして機能させ続けようというわけです。ちなみに、『諸君!』という雑誌は、そもそもCIAの工作資金で創刊されたものです。

 西洋帝国主義のお得意は分断統治戦略。大英帝国はインドを植民地統治するにあたって、イスラム教徒とヒンドゥー教徒が互いに争うように仕向けさせ、彼らの怒りの矛先が英国に向かわないようにしました。そのせいでインドとパキスタンの分裂とその後の抗争の悲劇が生まれたわけです。

 日本国内で、米国のエージェントのようになって反中・反韓論を威勢良く展開しているご老人方、豪邸に住んで何不自由なく暮らしている方々は、いまの若者の絶望的な状況に共感できる一片の感性も持ち合わせていない。彼らは、自分たちの世代の責任でここまで日本をダメにしてしまったという、その犯罪を覆い隠そうとするかのように、若者の目を国内矛盾からそむけさせようと、意図的に中国・韓国に対する敵意を煽りたてようとしているのです。だから右派雑誌ときたら、中韓批判やら民主党批判やら朝日新聞批判の特集ばかりで、格差社会批判の特集など組もうとしないのです。それで「日本の格差など中国に比べればはるかにマシだ」などという、およそ反論にもなっていないハレンチな開き直り論を展開するのです。

 あれらの雑誌に寄稿する人々は、中国・韓国批判の一方では、自己責任論をあおりたて、市場原理主義を礼賛する人々でもありました。宮台真司氏の言うところの「ネオリベ右翼」です。「ネオリベ右翼」は、方法論的個人主義を大前提とする市場原理主義を礼賛しながら、なおかつ国家主義を煽りたてるという、とてつもなく矛盾した人々です。

 それで、市場原理主義を正当化するところの新古典派経済学がどんな学説なのか分かっているのかといえば、彼らは不勉強で全然知らない。知らないままに、ただただ米国に迎合して資本主義万歳、構造改革万歳を唱和してきただけ。だから、自分の思想がとてつもなく矛盾しているという事実そのものにも気付かない。救いようのない愚かな人々です。

 しかも、ああした反中・反韓雑誌に寄稿している方々の少なからぬ人々が、元左翼活動家だったりするで唖然とします。そのような無節操な人々が信用できるわけないでしょう。「左翼はバカだ」という若者の皆さん。少なくとも日本の左翼は本当にバカだと私も思います(ただ、外国の左翼はあまりバカでない人たちも多いですが・・・)。そのバカな左翼思想にかぶれていたような浅薄な人々なんて、右翼になった今も変わらずバカなのだと思いませんか?

 絶対にあの無節操な元左翼右翼たちを信頼してはいけません。若者たちを、彼らバカな元左翼右翼の影響下から引き離すにはどうしたらよいのだろう、私たちが分断されるのではなく、彼らを分断するにはどうすればよいのだろう、それがあの文章を書いた主要な問題意識です。手始めに全共闘崩れの構造改革礼賛論者の精神的病理の分析をしようと思ったのです。
  
 「分断統治戦略」とはよく言ったものです。私なんか、まんまと支配層の策謀に引っかかって、分断の罠にはまりこんでいたのかも。私は、格差社会を批判する、中国だけでなく米国もちゃんと批判するような右派の方々は好きです。いままで、私たちが分断されてしまっていた。これからは彼らを分断してやりましょう。まずは政治的ヌエのような存在である「ネオリベ右派」を社会的に孤立させ、その思想的影響力を消滅させることだと思います。

https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/e41b39579770bca33cadde5f17c8faa6


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c5

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
6. 中川隆[-10978] koaQ7Jey 2019年4月03日 21:15:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1048]


中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


中島みゆき 誰のせいでもない雨が 動画
https://pv755.com/dare-no-seide-mo-nai-ame-ga

▲△▽▼

伊勢正三「22才の別れ」  1975年2月5日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=22%E6%89%8D%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C

22才の別れ【昨日、悲別で】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=nNuaBXhD2Gg



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c6

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
7. 中川隆[-10977] koaQ7Jey 2019年4月03日 21:24:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1049]

因みに、赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけなんですね:

紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c7

[近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
131. 中川隆[-10976] koaQ7Jey 2019年4月03日 21:32:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1050]

因みに、赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけなんですね:

紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c131

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
25. 中川隆[-10975] koaQ7Jey 2019年4月03日 21:33:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1051]
因みに、赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけなんですね:


紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c25

[近代史3] 馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国 中川隆
9. 中川隆[-10974] koaQ7Jey 2019年4月03日 21:46:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1052]

因みに、赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけなんですね:


紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw


2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html#c9

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
8. 中川隆[-10973] koaQ7Jey 2019年4月03日 22:00:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1053]

中島みゆき「誰のせいでもない雨が」


誰のせいでもない雨が降っている
しかたのない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が 責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

怒りもて石を握った指先は
眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は
時の褥に愛を呼ぶ
されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は
されど 私の裏切りは
誰のせいでもない雨が降っている
日々の暮らしが降っている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
私たちの船は 永く火の海を
沈みきれずに燃えている
きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと
跣(はだし)の女が雨に泣く
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ


学生運動の歌をあらためて聴く 「誰のせいでもない雨が」(中島みゆき)

 今回は中島みゆきの「誰のせいでもない雨が」を、私なりに解釈していこうと思います。

 「神田川」で、いっしょに暮らしていた二人は、運動の志のせいかどうかはわかりませんが、結局は別れてしまいました。


かぐや姫 神田川 1973年9月20日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB++%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D


 一方、この「誰のせいでもない雨が」は、「神田川」の主人公が恐れた、まさにその通りになった、女性活動家の歌だと思います。


 道浦母都子に、

ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく

という句があります。

 大義を掲げた運動をしていて、いくら目的に関係のないものはみんな排除しようとしても、「人間らしさ」というものは抑えきれないのでしょう。

 中島みゆきのこの歌の女性は、誰かと恋愛関係になり、子供が生まれ、結局、高邁な目標よりも平凡な日常を選んで、運動から降りてしまいます。

 学生時代、権威に反対する運動へ身を投じた人の多くは、結局は世の流れに呑み込まれ、男は平凡な勤め人に、女は平凡な母親に、恐らく彼ら・彼女らが「こうした人生には埋没したくない」と思っていたその人生に落ち着いていきました。

 自分の変わり身に何の痛みも覚えず、さっさと会社で出世している人もたくさんいますが、罪悪感のような落ち着かない気持ちを抱えて毎日を送っている人もいます。

 この歌の女性は明らかに後者であり、この歌の「雨」は彼女が感じている後ろめたさ、やり場のない気持ちの象徴です。

 黒い飛行機がそっと通るくらいですから、世界は、彼女が考えるまともな場所に、全くなってはいません。

 それでも彼女は今では、かつて投石した手で赤ん坊を抱き、罪を糾弾した唇で愛情を囁きます。

 運動から降りてしまった自分は非難されても「仕方ない」、でも、人間である以上、りんごが自分の重さで落ちていくように、今の生活を選び、落ち着いていったのもまた「仕方ない」ことだ、彼女に降るのはたぶんそんな「雨」です。

 「寒さに痛み呼ぶ片耳」とは、活動中に怪我を負った耳を指すのかもしれないし、活動家たちのメッセージを、今では全身を傾けては聞けないが、さりとて無視したくもないという落ち着かない気持ちの比喩なのかもしれません。

 その他、私の勝手な想像ですが、「港を出る前に沈んだ船」は、改革が何らかの具体的な実行段階に移される前に、頓挫させられたこと、「火を止めに来る早過ぎる伝令」とは、もうあきらめなさいと囁く、体制側の声のような気がします。
それでも船は沈みきれず、火の海で燃えます。

 運動から降りてしまった彼女は、そうした成り行きや、かつての仲間である滝川と後藤が逮捕されたという知らせをやりきれない思いで受け止めながら、時間が気持ちを鎮めてくれるのをひたすら待っている、これはそういう歌ではないかと思います。


 あらためて考えてみると、「誰のせいでもない雨」って、すごい言葉です。

 この一言で、「私にはこうするしかなかった」「どう思われようと受け入れるしかない」「世界の現状の中で暮らしていくしかない」

 「人間とは悲しいものだ」等、様々なイメージが喚起されます。

 中島みゆきは、本当に凄い歌手だと思います。
http://nekosabu.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

▲△▽▼

中島みゆき エレーン 動画
https://pv755.com/nakajima-miyuki-eren


▲△▽▼

中島みゆきさん『生きていてもいいですか』―「エレーン」と「ヘレン」
http://bund.jp/?p=14806


 初めて中島みゆきさんの「エレーン」という曲を聞いたのは高校生の頃だったでしょうか。まだネットなんて影も形もなく、音楽はレコードとカセットテープで聞いていた時代で、その手の情報は主にラジオの深夜放送という頃でした。

 一般にはそんなにヒットしたという印象はありませんが(シングルカットもされてなかったと思う)、不思議と印象に残る曲で、みゆきファンの間では最高傑作にあげる人もいる有名な歌です。私も長らく心に残る曲として覚えていましたが、ネット時代に入ってから、これが実話であることを知り、大変にショックを受けました。中島みゆきさん本人が、コンサートであかしたそうで、すでにファンの間では大変に有名な話だったそうです。

 中島さんが20代の頃、ヒット曲に恵まれて都内に拠点を設けるにあたり、「有名人の居宅」として騒がれるのを嫌って、麻生の外国人専用マンションを選んだそうです。そこに「ヘレン」と名乗る外国人娼婦が住んでいました。中島さんはヘレンと知り合い、時おりカタコトの英語で会話をかわすようになります。

彼女は髪を金髪に染め、いつも派手な化粧と、ファッション雑誌から切り抜いたような派手な衣装を着ていました。自分をモデルと自己紹介しましたが、夜になると何度か住人以外の日本人男性がやってきて、ヘレンのドアをノックし「ハウマッチ?」などというところを目撃するようになります。


 そんなある日、警察が中島さんのマンションを訪ねてきました。
ヘレンが殺されたので、住人にも聞きこみをしたいというのです。

ヘレンは顔面を潰されて絞殺された上に、全裸でゴミ捨て場に捨てられていたそうです。
顔が潰されているので、しばらく身元も特定できなかったとのこと。

手口と状況から見て、所持品目当ての犯行という疑いよりも、「客」がいざこざから犯行に及んだとの疑いが濃いとのことでした。


 中島さんは訪ねてきた刑事に

「だったらヘレンの客にあたって事情を聞けばいいのでは?」

と質問してみました。刑事の答えは

「それはわかっているが、誰が彼女のことを話したがりますかね?」

だったといいます。

聞き込みなんてしても、どうせ誰もヘレンのことを知っていたとさえ話したがらないだろうと、だから最初から無駄なことだと言うのです。中島さんは絶句するしかありませんでした。

 これだけ無残な大事件なのに、新聞はたった数行の扱いでした。前述のように警察の動きも鈍く、結局は犯人もわからないまま早々に迷宮入りします。

ヘレンには身内もおらず、やむなく管理人がヘレンの荷物を整理しましたが、華やかにみえた衣装は実はすべてが安いまがい物で業者も引き取らず、ゴミとして出すしかなかったそうです。

 私でさえ大きなショックを受けた話です。若き日の中島さんは、自分と同年代のこの女性の死を、どういう思いで受け止めたでしょうのでしょうか。

そしてこの歌ができました。


中島みゆき『エレーン』の歌詞
http://www.kasi-time.com/item-18203.html


 歌詞の「生きていてもいいですか」はアルバムのタイトルとなり、この歌は同アルバムの中心的な曲となっています。

 重要なことですが、中島さんは曲の中で、決してヘレンの生き方を美化も肯定もしていません、まして安易な同情を歌っているわけでもない。ただ、ヘレンを金で抱きながら、口をつぐんで悪口を流す世間への嫌悪感、そしてただ哀しみを歌っています。同情でも美化でもないこの哀しみが、この曲が心に残る所以だったのかなと思います。

 人の死は平等ではない。そのことがただ哀しい。同じように惨殺された人でも、大きく報道されて世間の同情を集め、何年でも警察が威信をかけて捜査することもあれば、同じような目にあいながら、わずか数行しか報道されず、さっさと迷宮入りあつかいされてしまう人もいる。

 刑事が訪ねてくる数日前、おそらくはヘレンが殺されるまさにその前日、中島さんがマンションのランドリーで乾燥機を回しているヘレンを見かけます。その時のヘレンはいつもとは違い、濃い化粧が抜け落ちていて、珍しく沈んでいるようにみえました。「これが私の普通の顔よ」と言って恥ずかしそうに笑って振り向いたヘレンの素顔は、普段よりもふけてみえたが、一番きれいだったと中島さんは語っています。

 学生時代に調べた正当防衛の判例で、ホテルの密室に呼びだされた娼婦が、客の男性から酷い「SMプレイ」を強要され、殺されるかもしれないという恐怖に逃げ回っているうちに、あやまって男性を突き飛ばして死亡させたという事例がありました。この事例では弁護士の努力にもかかわらず、正当防衛が認められずに実刑となり、女性は刑務所にいきました。理由は女性は娼婦なのだから、男性の要求をある程度は受け入れるのが当然だからということでした。

 同時に調べた別の事例では、空き巣にはいった泥棒に遭遇した男性が、逃げる空き巣を家の外まで追いかけて、そのままバッドで殴り殺したという事例がありました。この場合は正当防衛が認められ、男性は無罪になります。男性の「自身ではなく家族を守るためにやった」という証言が決め手になったそうです。

 人の死のあとに残るのはその人の生き様だけです。それに安易な肯定も同情も美化もしません。ただ、あとから作られた社会の価値観によって、自分だけは手を汚していないような顔をしながら、人の死に優劣をつけて分類していく、そんな世間の仕組みを見ながら、それがとても哀しい。

 そういう、人ならば当然に感じる人間らしい感性を「中二病」などと切り捨てたり、そんな人間らしい感性を失っていくことが大人になることだとか、それをなくすことが求められるような社会が哀しい。だからどうだとか言う前にただ哀しいのです。

 せめて、中島さんの歌を通じて、ヘレンという女性がいたことをいつまでも覚えていたいと思います。「エレーン」は今日も私たちの食卓を窓から眺めていると思うから。

 私は(そしてわりと多くの人もそうだと思うのですが)この話を聞いて、聖書で一般に「姦通の女」と呼ばれている話を思いだしました。中島さんの通っていた藤女子大学は北海道で唯一のカトリック系の女子大だったそうです。中島さんも、おそらく刑事の話を聞いた時、この話を思い浮かべたのではないかと思います。


 イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、 御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
 「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。
 「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか」
 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
 「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
(ヨハネによる福音書、第8章の1〜11節)

http://bund.jp/?p=14806


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c8

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
9. 中川隆[-10972] koaQ7Jey 2019年4月03日 22:13:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1054]

そして変わらない者は最後はこういう感じになってしまうのですね:


ばいばいどくおぶざべい
https://pv755.com/bai-bai-doku-obu-zabe-i
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c9

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
10. 中川隆[-10971] koaQ7Jey 2019年4月03日 22:44:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1055]

砂の船
https://pv755.com/sand-boat
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c10
[近代史3] 中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか? 中川隆
59. 中川隆[-10970] koaQ7Jey 2019年4月04日 06:44:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1056]

因みに、赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけのものなのですね:

紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

即ち、中島みゆき「世情」の

「変わらない夢を 流れに求めて時の流れを止めて 変わらない夢を見たがる者」


というのは毛沢東とその世界中の同志を指しています:


▲△▽▼

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


1 世の中はいつも 変わっているから
  頑固者だけが 悲しい思いをする

  変わらないものを 何かにたとえて
  その度 崩れちゃ そいつのせいにする

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


2 世の中はとても 臆病な猫だから
  他愛のない嘘を いつも ついている

  包帯のような 嘘を 見破ることで
  学者は 世間を 見たような気になる

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#c59

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
11. 中川隆[-10969] koaQ7Jey 2019年4月04日 06:45:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1057]

赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけのものなのですね:

紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

即ち、中島みゆき「世情」の

「変わらない夢を 流れに求めて時の流れを止めて 変わらない夢を見たがる者」


というのは毛沢東とその世界中の同志を指しています:


▲△▽▼

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


1 世の中はいつも 変わっているから
  頑固者だけが 悲しい思いをする

  変わらないものを 何かにたとえて
  その度 崩れちゃ そいつのせいにする

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


2 世の中はとても 臆病な猫だから
  他愛のない嘘を いつも ついている

  包帯のような 嘘を 見破ることで
  学者は 世間を 見たような気になる

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c11

[近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
132. 中川隆[-10968] koaQ7Jey 2019年4月04日 06:47:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1058]

中島みゆき「世情」の

「変わらない夢を 流れに求めて時の流れを止めて 変わらない夢を見たがる者」


というのは毛沢東とその世界中の同志を指しています:


▲△▽▼

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


1 世の中はいつも 変わっているから
  頑固者だけが 悲しい思いをする

  変わらないものを 何かにたとえて
  その度 崩れちゃ そいつのせいにする

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


2 世の中はとても 臆病な猫だから
  他愛のない嘘を いつも ついている

  包帯のような 嘘を 見破ることで
  学者は 世間を 見たような気になる

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c132

[近代史3] 欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは 中川隆
15. 中川隆[-10967] koaQ7Jey 2019年4月04日 07:49:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1059]
櫻井ジャーナル 2019.04.04
安倍政権は嘘をつき、議論を避け、強引に新自由主義的な政策を推進してきた。話し合いではなく命令で物事を決めてきたと言える。庶民を主権者だと考えているとは思えない。

 なぜ安倍政権はそうした強引な政権運営ができるのか。この政権には逆らえない強さがあると言う人もいるが、総理大臣という地位がそうした力を生み出しているわけではない。鳩山由紀夫政権を見れば、その脆弱さは明らかだろう。安倍自身にそうした力があるようには思えず、彼の背後に強大な権力が存在していると考えるのが自然だ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、安倍の祖父に当たる岸信介は第2次世界大戦で日本が敗北する前からウォール街の大物と昵懇にしていた。その祖父を尊敬しているという安倍が岸と同じ道を歩こうとしても不思議ではない。

 安倍政権は戦争の準備を着々と進めているが、その一方で日本経済を破壊した。数字を見る限り、日本はアメリカに次ぐ貧富の差の激しい国になっている。

 その一方、日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込んできた。そうした政策の推進を宣言するような​講演を彼は2013年9月にハドソン研究所で行っている​。このときに彼は日本を「積極的平和主義の国」にすると語っているが、これは「令和」に通じるだろう。

 ハドソン研究所はネオコン系シンクタンクとして有名。2013年の講演はハーマン・カーン賞の受賞を記念してのものだが、演壇に登る前に記念品を渡したのはネオコンの大物でポール・ウォルフォウィッツの教え子であるI・ルイス・リビー。この研究所の上級副所長だ。安倍がハドソン研究所で講演したのはこのときだけではない。

 1992年2月、ウォルフォウィッツがジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防次官を務めていたとき、DPG草案という形で世界制覇プランを作成した。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだが、その作成にリビーも協力している。

 このグループの下で安倍のような日本人を操っているのがジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、パトリック・クローニンたちだ。

 安倍はこの支配システムの末端にいるのだが、そのことで強大な権力を持っているように見える。が、実際の権力は海の彼方に存在する。その権力者は世界を支配し、富を独占しようとしている。

 マクス・ウェーバーによると、宗教改革の際に魂の救済は神が予め定めているとする教えが広がった。善行は無駄だということでもある。

 キリスト教世界で最も影響力を持っている文書はヨハネの黙示録だと言われている。しかも原著者でなく、後に加筆した人物の記述。田川健三によると、その加筆した人物は狂信的なユダヤ民族主義者で、ユダヤ民族以外はすべて殺しつくさるべしと繰り返し、世界中の異邦人が滅ぼしつくされ、殺しつくされ、ユダヤ人、あるいはユダヤ主義キリスト信者のみ救われることを願っている。(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 第七巻』作品社、2017年)実際、キリスト教の影響下にある欧米諸国は侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきた。

 新自由主義の根底にはそうした価値観があり、それは世界に広がった。日本も例外ではなく、社会に浸透している。2月18日に警視庁が逮捕(東京地検は不起訴)した大林組に務める男性社員は就職活動をしていた女子大学生に猥褻な行為をしたという。3月26日に逮捕された住友商事の「元」社員は女子大生の宿泊先であるホテルにおいて猥褻な行為をしたのだという。

 いずれも​就職活動をしているという弱みにつけ込んでの行為​で、ある種の「特権」を社員は持っていた。弱い立場の人間には何をしてもかまわない、「役得」だと考えていたのかもしれないが、それは新自由主義の基本原理だ。

 昨年(2018年)12月8日にAKS傘下の「アイドルグループ」NGT48でメンバーがオートロックのマンション内にある自室へ入ろうとした時に男性ふたりに襲われ、顔をつかまれ、押し倒されそうになったという事件があった。

 AKSは一貫してこの事件をもみ消そうとしている。その背景にはメンバーの弱みにつけ込み、あるいは弱みを握り、自分たちの様々な欲望を満たそうとしていた疑いがあるのだが、就職活動の際に不適切な行為を迫られる学生とメンバーは似た状況におかれていると言えるだろう。

 NGT48のケースは被害者がインターネットで告発したことで発覚した。人によっては「波風を起こした」と被害者を批判する。勿論、事件があった以上「正常な状態」ではないのだが、表面的に静かなら「正常」だと考える人がいることも確か。波風が立ったら早く「収束」させろとも言う。こうした指示を「もみ消せ」と解釈する人がいても不思議ではない。

 これが逆の立場だったら、つまり権力を握っている人びとにとって都合の悪い人物が相手なら、やってもいない事件をでっち上げて抹殺するだろう。実際、そうしたことはある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904040000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html#c15

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
10. 中川隆[-10966] koaQ7Jey 2019年4月04日 07:55:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1060]

読書:田川建三『新約聖書 訳と註』 ヨハネ黙示録 2017/09/07
https://ohta.at.webry.info/201709/article_1.html


13年かかった田川建三の新約聖書翻訳が遂に完結である。長年の田川ファンとしては、慶賀の至である。なんせ、1935年生まれだから、今年で82歳。高齢ゆえに、完結を待たずして病に倒れるなんて状況はいくらでもあり得たのである。

近年の刊行ペースは二年に一回だった。最終稿が上がって最終校正も終わった頃になると田川自身のホームページが2年ぶりに更新されて、そろそろ新刊が出ることと近況として病気をして寝込んでいたことなどが報告されるというのが最近のパターンだったのである。まずは、よかったよかった。

しかし、、、、この調子でいくと『事実としての新約聖書』(新約聖書概論)が発刊されるのは、2ー3年先になりそうだし、それまで田川建三先生の元気が持つかどうかは相当に怪しい。何としても、ここは頑張っていただきたい。そうでないと、日本のキリスト教理解が生半可なまま続いてしまう。日本人のおめでたいキリスト教観が維持されてしまう。それは堪忍してほしい。

で、現物を買ってきて読んだ。訳文41ページ、註が約800ページという配分も相変わらずで、註の文章の中で炸裂する田川節も相変わらずというか、しつこいぐらいに聖書協会の翻訳(文語訳、口語訳、新共同訳)とアメリカ聖書協会の英訳(RSVとか)をこき下ろしまくる。今回は岩波訳が槍玉に上がってないなと思ったら、岩波の黙示録翻訳は特に程度が低いので相手する気にもならないのだそうだ。代わりに槍玉に上がっているのは佐竹明の(注解書の)翻訳と解釈。読みながら「ああ、私は佐竹明の親族親戚でも友達でもなくて良かった」としみじみ思いたくなるくらいに執拗な批判(というか、攻撃だよなぁこれは)を繰り返す。

・佐竹は学問のやり方を根本的に間違っている。しっかりと証拠を上げることには何の興味も示さず、他人の「論文」の結論だけを写してきたとて、それじゃ学問にはならない。それも大部分は近頃の学者になりたがり屋の連中(ほとんどは学問ごっこのお遊びの水準)が業績稼ぎに書いた「論文」を何百と読んだとて、何の役にも立つまいに。p.85

・佐竹さんは太陽が地平線から上って来る瞬間を見たことがないのかしらん。p.91

・佐竹はこの人たちのことを「リベラルな性格を持ったグループ」とレッテルを貼ってお出でだが、このレッテルがエイレナイオスの悪口に起因する、という事実をご存知ないままに、それに乗っかっておいでなだけである。p.110

800ページの注釈の中でこれを延々続けるのである。いや、日本にとどまらず、英独仏の聖書学者を片端からこき下ろしている。

・この種の学説をご自分で検討しないで尻馬に乗る奴が多いが、たとえばローマイヤー。(中略)尻馬進学者はそれを有難い神学の教えに転化しようというのだから有難や聖書学も困ったものである。安物学者は学問をやらずに神学ごっこをやっている。p.175

果てはルターの翻訳も批判にさらされるのだから、半端では無い。私も含めて田川ファンというのは歯に衣着せぬ田川節=罵倒を楽しむという不埒な趣味の人間が多い筈だが、ここまで徹底的にやられてしまうと、さすがに辟易というか、「田川先生、よく分かりましたから、そのあたりでやめてください。読んでる私たちが辛くなりますから」状態である。叩かれている相手が可哀想になってくるぐらいに田川はしつこい。

田川は、自分で書いた原稿は何回も繰り返して推敲するのだと、あるところで述べているのだが、あそこまで繰り返しているとご自身で読んでいて辛くならないのか?とも思いたくなる。しかし、田川はこの調子で全7巻8冊の註を書き切ってしまったのだ。

そして今回、あとがきを読んでいたらこんな一節に出くわした。

「(佐竹明について)自分が若い頃から何かとお世話になり、尊敬してきた先輩、畏友の書物をここまで徹底して、いわばなますに刻むようにして批判を叩きつけるのは、私としては心理的にずい分迷ったのだが、学問である以上、下手な手加減は許されない。…(中略)……真理、真実を明らかにする作業では一切の手加減も許されず、徹底した相互批判を通してしか正確な認識は得られない。学問は非常に徹しなければならないのである。むろん、佐竹さんもそういうことはよく了解なさっておられるはずである。この書物を書き進む時に、私の心には常にその点で痛みがあったが、我々はこういう仕方で協力して学問の真実を前進させていかねばならない。」

うーん。心に痛みを感じておられたんですか、、、
その上であれをやっていらっしゃったということを読むと、田川先生自身が「痛い人」に見えてきました、、、

既存翻訳に関する罵倒は、他巻でもお馴染みのことではあったのだが、今回はそれに加えて「黙示録編集者S」への攻撃が凄まじい。田川は今回の訳と註で「黙示録の原著者が書いた本文に対して、ほど同量の文章を書き加えた編集者Sがいる」という説を唱えた。Sは「サディスティック」の略であり、黙示録で有名な、天使のラッパとともに地上が破壊し尽くされあらゆる生き物が滅ぼされるというような話を書いたのは全てこの編集者Sなのだというのだ。異教徒をホローコーストしたくて堪らないガチガチのユダヤ教教条主義者というのが田川の見立てなのだが、原著者の文章と、編集者Sの文章は使っている語彙や文法で分離することが可能だとも田川はいう。編集者Sは文法が滅茶苦茶だというのだ。ギリシャ語が得意でないのに、無理に文章を書き加えたから、前後の話は繋がらないし文章自体も目を剥きたくなるような文法の間違いで一杯だという。引用すると、以下のようなものである:

・のっけから、構文上ひどく手抜きの下手くそな文。以下最後まで、この手の構文不整合が連続して出現する。編集者Sがそもそも西洋語の文法構造をろくに理解してない証拠。と言うか、そもそも言語の文章構造というものが理解できていない。 p.54

・下手に自己流に言葉を付け加えようとするから、しっぽを出してしまった。p.59

・属格支配の前置詞に続けて名詞を置くのに主格の語を並べるなぞ、唖然とするしかない。(中略)冒頭から不注意でこの種の幼稚な文法的間違いを犯す人は普通はいないだろう。それにこれはギリシャ語の初歩の中でも最も初歩、(中略)つまりこの人、そもそもギリシャ語文法をろくに知らないのである。p.59

これが第1章1節から4節までからの抜粋である。これが第22章の終わりまで延々と続くのだ。

これに加えて、編集者Sのユダヤ教教条主義への攻撃も凄まじい。田川の読者なら保守的なユダヤ教の感性がついに抜けなかった使徒パウロに対する田川の攻撃的文章の数々を思い出すだろうが、パウロより小物の編集者Sへの攻撃はさらに凄まじい。2世紀初頭の西アジアのどこかであのギリシャ語を書いていた著者からすれば、まさか2000年近く経って遥か東の島の人間が自分の書いた文章に悪口を並べているなんて想像もできない事態だろう。

ということで、田川訳新約聖書全8冊の中で田川節の濃度はこの巻が最も高かったです。

****

とまあ、「田川節は健在だった」報告はこの辺りにして、内容的な話。やはり「編集者Sの加筆」という田川の見解は面白いと思う。そして、田川訳で編集者Sの加筆部分とされる部分を除いて通しで読んでみると、難解だった黙示録が実にすらすらと読めてしまう。「え、これだけの話だったの?」状態である。つまり、

「私は幻視しました。ローマが滅びて民族の隔てなく人々が平和に暮らせる状態を。終わり。」

天使はラッパを吹かず、海は血に染まらない。悪の勢力はハルマゲドンにも集まらない。千年王国もない。それが、ヨハネ黙示録の元々の姿だったのだというのだ。もちろん、味わうべき文章はそこにもいろいろある。マルクスが貨幣物神のくだりで引用した13章、田川先生お気に入りの18章などは原著者の文章だという。ただ、話と描写があっちこっちに飛んでなんの事やらよく分からなかったヨハネ黙示録の話の筋が、田川説では、実にスッキリと見える。天使がラッパを吹いて地上が破壊されるみたいなスペクタクルはないけれども、分かりやすい構成の話だったのである。

元々はそんなに難解でも複雑でもなかったヨハネ黙示録だが、編集者Sが「ユダヤ人だけが残されて異邦人(ユダヤ人じゃない人々)は滅びる」という立場から執拗に加筆を行い、ホロコースト趣味の視点であれこれと書き加え(田川によれば、その場の思いつきで程度の低い文章を突っ込んでいった)訳が分からなくなった、、ということらしい。

実に面白い見解だと思う。願わくば、専門家の検証を待ちたいところだが(だって、古典ギリシャ語が相当に分かっていないと、あの註はきちんと読めないもん)、田川建三の説を取り上げようという聖書学者がもはや日本にいるとは思えないのが悲しいところである。田川先生の孤独な戦いは著作を残す事でしか世に問えないのだろうか。

****
附論:田川建三にはなぜファンがつくのか

田川建三がコアなファンを獲得している理由は、護教論的発想をすっぱり切り捨てている聖書学者だからである。彼は教会とキリスト教自体を突き放して見ている。例えば使徒パウロの「女は会堂で発言するな」という発言を、女性蔑視と田川は言い切っている。要するにパウロは大変に保守的な心性の持ち主だったのだ。そして、大方の聖書学者がいろいろと理屈をこねたりそれっぽい文献を出してきて、「パウロの真意」を言い繕おうとする中で「この発言は、取り間違えようのない女性蔑視の発言だ」と言い切る。現代の基準からすると問題となる発言は困る、つまり聖パウロともあろうお方なら普遍的に立派な人でなくては困る、聖書の言葉は神が聖書記者に霊感を与えて書かせたのだし、、、云々という信者的発想からすると困ったことになる事態であろうとも、田川は反論を退ける。そんな信者の事情など持ち込むなと一蹴する。

フツーの人が、パウロの「女は会堂で発言するな」を読めば、フツーに女性蔑視の人だったんだねと思う。でも、信者サイドの人たちはなんやかんやと理屈をつけたがる。いわゆる護教論というヤツである。キリスト教に心を奪われた人はともかくとして、フツーの感性が残っている人はそういう護教論は胡散臭いと思っているし、鬱陶しい。そしてそれを口にすると、信者サイドはさらに理屈やら「証拠」を積み上げてくるので更に鬱陶しくなる。彼らが積み上げてくる「証拠」をいちいち反論するのには多大な労力を要するからである。なんせ、彼らのバックには聖書学者達がそれっぽい理屈をいっぱい用意してくれている。

2000年にわたって築き上げられたこの護教論の城を攻めるのに、田川建三の著作は大変役に立つ。歴代の聖書学者たちの論拠を、事細かに「テキストの読み方が間違っている」「ギリシャ語の解釈がおかしい」と暴いてくれるからである。キリスト教に対してモヤモヤしたものを抱きつつも、それを具体的な言葉にできないでいる知識人にはうってつけの素材を田川建三は提供してくれている。

これは、単にキリスト教に漠然とした反感を持つ程度のインテリではできない仕事である。向こうが展開している神学の中に相当程度に入り込まない限り、きちんとした反論は構成できない。2000年近い歴史を誇る組織神学はそんなにヤワなものではないのだ。

田川建三がそこに切り込んでいけたのは、新約聖書の正文批評という物証主義(というかテキスト主義?)で作業したことが大きいのだが、元々はキリスト教の環境で教育を受けた人であることが大きいと思う。変な喩えかもしれないのだが、UFOや心霊現象について懐疑論を展開している人には、UFOや心霊現象を信じていた過去がある人が多いという現象に似ている。つまり、UFOや心霊現象を鼻から馬鹿にしている人たちは、UFOや心霊現象のことを深く知ろうとはしない。深入りするのも馬鹿馬鹿しいからだ。そういう人たちがビリーバー(信者)に反論しても、深いところで突っ込めない。しかし、ビリーバーの過去がある人たちは相当に細かいところまで深入りしたことがあるので、反論も無闇に細かいのである。そして、過去の愛着が裏返しになっているので、議論も長続きするし持久力がある。

田川がどこでキリスト教の信仰から自由に物事を考えられるようになったのかは、本人がはっきりとしたことを語っていない以上知る由も無い。しかし、国際基督教大学で教職を勤めていた時代に「存在しない神に祈ろう」と学内礼拝の講話で話し、それが遠因で大学を辞めさせられることになったと語っているから、その頃には人類が神に祈ってきたという行為には敬意を表しつつも神の実在は否定していたことは確かである。しかし、恐らくは東京大学文学部修士課程で西洋古典学を学んでいた頃にはキリスト教の信仰に距離を取っていただろうし、マルクスの考え方なども学んでいただろう。

蛇足になるかもしれないのだが、東大文学部修士課程の西洋古典学科(の古典ギリシャ語)は、プロテスタント系神学者のエリートコースである。そして、どんな学術分野でもそうなのだが、ここで(新約聖書の)ギリシャ語を学んだ学者さんたちは、狭いコミュニティーを形成した。田川建三がかなり執拗に批判し続けた聖書学者荒井献にしても、今回のヨハネ黙示録で散々槍玉にあげられた佐竹明にしても西洋古典学科の同窓生なのであり、個人的な行き来もあった。コミュニティが狭かっただけに、人間関係のこじれ方も半端なかったのでは無いかとも想像できる。

荒井献にしても佐竹明にしても、田川建三の批判から浮かび上がるのは「要領の良い学者」像である。欧米の主流学説を効率よく(あるいは貪欲な数量の論文を)取り入れて論文を書いていく生産性の高さで評価されるという学者像なのだが、荒井や佐竹が本当にそういう学者なのかどうかは私はご本人たちを知らないからなんとも言いかねる。しかし、田川の批判を通じて見えるのはそういう学者像だから、田川はそのように彼らを見ていたのだろうし、そういう学者はどの分野にも居た(私の専攻した分野にももちろん居た)から、説得力はある。そして、その手の要領の良い学者が学閥みたいなものを形成していくのを田川が快く思って居なかっただろうことも容易に想像はつく。

田川はそうした要領とは無縁の道を進んだ。国際基督教大学を追われてからは独力でドイツに行き、アフリカの大学にも赴任し、帰国後は聖書学以外の講義で糊口を凌ぎ、退職後は一般市民を相手に私塾を開いて聖書学を講義し、独力で新約聖書を翻訳し、ほとんど罵倒と変わらないような言葉でかつての同僚の仕事を批判し続けた。愚直なまでにそれを続けたのだ。言ってみれば、「呪われた知識人」である。このポジションに田川は嵌っており、それがファンを呼び寄せているのである。

私も長年の田川ファンを自認するものなのではあるが、こうした事情に基づく田川ファンの構造に無意識で居られるほどの無知でもない。それだけに、精神病理学的な領域に達しているとすら思われる田川の罵倒癖にも無頓着では居られない。

学問上の真実を追求するために情を排した批判は不可欠だと田川は言う。だが、田川の言う「非情」(=情を排した)の実質は「ネガティブな情が満載」なだけのようにも見える。情を交えた学問が百害あるものだとすれば、ネガティブな情を交えた学問はさらに害がありそうなものだ。田川節は少なからぬファンを獲得した。そのファンの存在があればこそ、田川の『新約聖書 訳と註』の出版が可能になったのかもしれないが、あの罵倒が学界全体の向上に繋がったのかは疑問である。田川ファンを自認するものとして悩ましい事態である。
https://ohta.at.webry.info/201709/article_1.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c10

[近代史02] 参考資料6 _ ヨハネの默示録 (文語訳) 中川隆
11. 中川隆[-10965] koaQ7Jey 2019年4月04日 07:57:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1061]

マクス・ウェーバーによると、宗教改革の際に魂の救済は神が予め定めているとする教えが広がった。善行は無駄だということでもある。

 キリスト教世界で最も影響力を持っている文書はヨハネの黙示録だと言われている。しかも原著者でなく、後に加筆した人物の記述。

田川健三によると、その加筆した人物は狂信的なユダヤ民族主義者で、ユダヤ民族以外はすべて殺しつくさるべしと繰り返し、世界中の異邦人が滅ぼしつくされ、殺しつくされ、ユダヤ人、あるいはユダヤ主義キリスト信者のみ救われることを願っている。

(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 第七巻』作品社、2017年)実際、キリスト教の影響下にある欧米諸国は侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904040000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html#c11

[リバイバル3] 今 大人気の WE101D _ 出力0.6Wのシングル・アンプで鳴らせるスピーカーは? 中川隆
9. 中川隆[-10964] koaQ7Jey 2019年4月04日 08:34:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1062]

不用品の処分 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年04月04日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/86be03cfa3516e6ac39ce99075982bb7

オーディオをやっていて一番眠っている金額が高いのが「真空管」のストック。Tr型アンプなら殆ど「ゼロ」に出来るが、真空管アンプを一生使おうとすると「予備ストック」の真空管がいる。それも「音質の良い」真空管となると「古い」ヴィンテージ管になる。

WE101Dppパワーアンプに使っている球だけでも貧乏人には辛い金額になる。オールドムラード製の5U4Gや5AU4等の整流管、WE純正の101D、前段管のRCAやSTC製の6SN7。良い真空管はもう時間が経ちすぎて数が少ない。そうなると金額が高騰してくる。

現在手持ちの管球アンプのパワー管はSTC 4033L、GE6550、WE101Dの3種にしている。そのストック金額は軽く20万円は超えている。

少しづつ管球アンプを減らしていこうと思っている。予備ストックの真空管も「自然劣化」する。以前5U4Gの太管のNOS品を入手して、動作確認を終えて5年ほどストックしてから、いざ使おうとしたらお釈迦になっていた事もある。真空管のガラス部とソケット部の接着剤(ニカワ?)部分から空気が入ってしまった様だ。

管球アンプをTr型に変更しているので管球アンプが空いて来た。アンプ本体(4台)と予備ストックの真空管が処分すべき対象となる。これが悩ましい!!! これらの管球アンプは「生涯用」に内部配線を全て「特殊な銀線」に苦労して交換済。音質も質感もすこぶる上等なのだ。SN比も高級Tr型アンプに引けを取らない。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/86be03cfa3516e6ac39ce99075982bb7
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/445.html#c9

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
160. 中川隆[-10963] koaQ7Jey 2019年4月04日 09:57:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1063]
日産ゴーン保釈→再逮捕、検察と裁判所の“筋書き通り”…弁護士辞任なら“孤立無援”の悪夢
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27346.html
2019.04.03 文=編集部、協力=山岸純/弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士 Business Journal


カルロス・ゴーン被告を保釈 弁護士事務所を訪問(写真:日刊現代/アフロ)


 検察は意地でも“あの男”を叩き潰すつもりなのか――。

 金融商品取引法違反と会社法違反の容疑で起訴されていた日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告が、再び逮捕される見通しだと一斉に報じられた。先月6日に保釈されてから約1カ月、4回目となる逮捕によって、ゴーン氏は再び勾留生活を送ることになるのか。

 今回の逮捕容疑は、ゴーン氏が主導してオマーンの友人側に日産資金を不正に支出するなど、会社法違反(特別背任)の疑いがあるというもの。資金の一部がゴーン氏に流れ、ゴーン氏がそれを私的に流用した疑いがあるという。

 具体的には、日産のゴーンCEO(当時)は自身が直轄する「CEOリザーブ」という予備費から、ゴーン氏の友人が経営するオマーンの販売代理店、スハイル・バハワン自動車(SBA)に複数回にわたり計約35億円を支出していたという疑い。ゴーン氏は2009年、その友人から私的に約30億円を借り入れ、ゴーン氏個人の借金返済に充てられた可能性もあるとみられている。

 また、SBA幹部が代表を務めるレバノンの投資会社に、このSBA幹部の個人口座から計数十億円が送金され、このうちの約9億円がゴーン氏の妻が代表を務める会社に流れ、大型クルーザー(約16億円)の購入費に充てられたという。

「ゴーン氏が主導したとされるオマーン販売代理店への不正支出については、仏ルノーが仏検察当局に通報をしたことが昨日明らかになったばかりで、フランスでの動きとタイミングを合わせて、日本の検察も逮捕に踏み切ったとみられています。ゴーン氏が保釈される際の条件として、消去隠滅を防ぐために、住居に監視カメラを設置したり、携帯電話やPCのインターネット利用に制限をかけるなどの措置が取られましたが、現在、ゴーン氏は毎日のように自由に外出してホテルで食事をしたりしているので、外部の人間との接触は自由に行えます。携帯電話で誰かと長電話する様子もみられ、消去隠滅を行っている可能性も否定できません。

 そうしたなかで昨日、ゴーン氏の代理人である弘中惇一郎弁護士が会見を行い、法人としての日産との公判分離を東京地裁に申し立てたことや、ゴーン氏の会見を近日中に開くことを明かしました。すでに特別背任の容疑でも起訴している検察だけに、『ゴーン氏サイドにこれ以上好き勝手にはさせない』という強い意思を感じます。もっとも、あの検察がゴーン氏の好き勝手にさせておくはずもなく、今回の再逮捕は“検察側の筋書き通り”という見方が大半です。

 ちなみに、なかなか言うことを聞かないゴーン氏と代理人弁護士の間に溝ができつつあるという情報もあり、弘中弁護士は過去にも依頼人との方針の食い違いを理由に途中で弁護を降りたケースもあるので、代理人が弁護を降りてしまい、ゴーン氏が事実上孤立無援の戦いを強いられる可能性も指摘されています」(新聞記者)

 急転直下の再逮捕にもみえるが、今回の検察の動きをどうみるか。弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士の山岸純氏に解説してもらった。

■山岸弁護士の解説

 今回の再逮捕は、私が3月6日付当サイト記事『日産ゴーン氏保釈、別の容疑で再び逮捕の可能性も…一部でも無罪なら検察特捜部は混乱』内で「検察側も保釈は想定していたでしょうし、きっと次のカード(別の容疑での逮捕)もある」とコメントしていたとおりです。ゴーン氏が罪を認めず対決姿勢をとっている以上、エリート集団である検察がわざわざ手をこまねいて何もせずに公判期日を待っているわけがありません。

 おそらく今回の逮捕について、国内外のマスコミや団体が「不当だ! 人権侵害だ!」などと騒ぎ出すことでしょう。確かに“人質司法”と非難される日本ですが、なんの問題もないからこそ、東京地裁刑事14部(令状部)が逮捕状を発布しているわけで、刑事訴訟法というルールに則って、すでに保釈された容疑(犯罪)についてではなく、別な容疑(犯罪)についての罪証隠滅や逃亡の恐れを理由に逮捕するのです。国会が制定し、現時点では最高裁も違憲判断をしていない刑事訴訟法というルールに則った手続きを経ている以上、抗議や非難は余計なお世話です。

 結局のところ、検察が、弘中先生チームによる保釈申請と保釈の成功に対し何の準備もしていないわけがなかった、というだけのことです。

 うがった見方をすれば、一連の東京地裁の判断は、世論の非難を避けるべく弘中先生チームに「保釈」という花を持たせ、ゴーン氏にも家族とのひと時を与え、でも別な容疑(犯罪)ということで新しい逮捕状を発布することで検察側の事情(すべての容疑が解明しているわけではない)も斟酌し、バランスをとったのではないでしょうか。

(文=編集部、協力=山岸純/弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c160

[近代史3] 中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか? 中川隆
60. 中川隆[-10962] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:10:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1064]
2006年08月10日 革マルの支柱逝く


革マル派の最高指導者死亡 黒田寛一・元議長

 過激派「革マル派」の最高指導者だった黒田寛一元議長(78)が
6月下旬、埼玉県内の病院で死亡していたことが10日、関係者の話で分かった。

 関係者によると、黒田元議長は1963年、日本革命的共産主義者同盟(革共同)
が分裂して、革マル派が結成されて以来、議長を務めていた。

 「クロカン」の通称でも知られ、同派の理論的指導者として執筆活動を続け、
96年に開かれた同派の政治集会で議長を退くことを表明したが、詳しい消息は
長年不明だった。

 議長辞任後も最高幹部として組織を指揮し、絶対的な存在だったとされる。

(2006年08月10日 11時44分)


あれ、まだご存命だったのね。

死に損なった吉本隆明が、長生きしているから不思議。
黒田寛一の葬儀には、中島みゆきは駆けつけたのだろうか。
革マル派の歌姫が、紅白歌合戦に出てきた時には仰天した。


黒田 寛一(くろだ かんいち(「ひろかず」とも)、1927年10月20日 -2006年6月下旬 )
は、日本の反スターリン主義者、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)
最高指導者。通称クロカン。筆名は山本勝彦、牧野勝彦など。

旧制東京高等学校を中退後、出版社を自営。その傍らマルクス主義の研究・著作を重ね、
その研究サークルが発展する形で日本トロツキスト連盟を結成。1957年12月、革命的共産
主義者同盟全国委員会の結成と共に議長に就任。

1962年の参議院選挙全国区に党公認で出馬するが、落選。得票数2万余り。大日本愛国
党総裁の赤尾敏が12万票余りを獲得したのと比べれば、惨敗であった。
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ahocN2NIq5wJ:https://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/200608100005/+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#c60

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
12. 中川隆[-10961] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:12:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1065]

2006年08月10日 革マルの支柱逝く

革マル派の最高指導者死亡 黒田寛一・元議長

 過激派「革マル派」の最高指導者だった黒田寛一元議長(78)が
6月下旬、埼玉県内の病院で死亡していたことが10日、関係者の話で分かった。

 関係者によると、黒田元議長は1963年、日本革命的共産主義者同盟(革共同)
が分裂して、革マル派が結成されて以来、議長を務めていた。

 「クロカン」の通称でも知られ、同派の理論的指導者として執筆活動を続け、
96年に開かれた同派の政治集会で議長を退くことを表明したが、詳しい消息は
長年不明だった。

 議長辞任後も最高幹部として組織を指揮し、絶対的な存在だったとされる。

(2006年08月10日 11時44分)


あれ、まだご存命だったのね。

死に損なった吉本隆明が、長生きしているから不思議。

黒田寛一の葬儀には、中島みゆきは駆けつけたのだろうか。
革マル派の歌姫が、紅白歌合戦に出てきた時には仰天した。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ahocN2NIq5wJ:https://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/200608100005/+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c12

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
13. 中川隆[-10960] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:27:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1066]

中島みゆき キツネ狩りの歌 動画
https://pv755.com/kitsune-kari-no-uta


▲△▽▼


実は、内ゲバのテーマソング


 キツネ狩りの歌

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら
ねぇ空は晴れた風はおあつらえ
あとは君のその腕次第

もしも見事射とめたら
君は今夜の英雄
さあ走れ夢を走れ

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら、ね

キツネ狩りにゆくなら酒の仕度も忘れず
見事手柄たてたら乾杯もしたくなる
ねぇ空は晴れた風はおあつらえ
仲間たちとグラスあけたら

そいつの顔を見てみろ
妙に耳が長くないか
妙にひげは長くないか

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
グラスあげているのがキツネだったりするから
君と駆けた君の仲間は
君の弓で倒れてたりするから

キツネ狩りにゆくなら 気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら、ね


▲△▽▼


えのき堂‏ @skoda130rs

中島みゆきの「キツネ狩りの歌」は革共同の内ゲバについて歌っていると言われているが、確かにこの歌詞はそういうものを想起させるものだと思う。

内ゲバ云々については昔、京大吉田寮のプレハブ部屋に住む中島みゆきファンの京大生から聞いたのだった。
10:18 - 2011年12月1日
https://twitter.com/skoda130rs/status/142306665130246144


都市伝説?
中島みゆき は高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか


▲△▽▼


741 :人力飛行機:2014/02/14(金) 10:58:51.74  

「誰のせいでもない雨が」。

60-70年代ならば新左翼運動、90年代ならオウム真理教事件。のように、人間疎外を訴え、闘おうとし、でもそのなかで家族からも離れ、警察から追われ、就職もできず、社会の片隅で隠れるように生きていく人がいる。

彼らにも恋人がいたり、恋人は彼らを助けたいけどどうしようもないことがあったり。恋人との別れがあったり。かつて平和を訴え政治家を弾劾した唇はいつしか離れた恋人の名前を呼んでいる。

 ちょうど二年前だったか、オウムの菊池という女性逃亡犯が同棲していた
男性に説得されたか、出頭したような記憶が・・・。彼らも思想だけじゃなく
恋も生活もある、そこでいろんな想いはあるでしょうし、自分の人生を
思い返したりね。でももう引き返せない。殺人の容疑者や協力者になって。
いろんな想いがある。始まりは正義であり不正や差別や貧困の存在や、
真理の希求や、当然なものがある。そこから始まり、気がついたら遠い場所
で家族や友人からも離れ、逃げるように生きている自分がいる・・・。

 それが誰のせいでって自問しても答えはない。

 そういう心の風景が浮かぶんですけどね。僕とかあの歌の心の風景が
浮かんでくる。周りに左翼もいたし、新宗教の人もいたし、オウム教団の本
も読んでます。そういう人たちの姿が浮かんできます。

 中島みゆきは大学時代にやはり内ゲバで恋人が死んだ女性と関わりが
あり、その女性は歌も歌ってて、中島がプロになったあとに家にまねかれ
たことを『女歌』(ふたつのうちのどっちか)に書いてます。

彼女は家庭をもち、幸せそうだった、とか。
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/mjsaloon/1355029610/

2019年03月08日 09:35
映画『マイ・バック・ページ』

僕が大学に入ったのは74年。
初めてセクトというものと出会ったのも同じ時期である。
当時は、中核派と革マル派の内ゲバ事件が最盛期だった。

東大駒場寮から引っ越し作業中の活動家が敵対セクトから襲撃されて殺された事件があった。僕も駒場寮に住んでいたが、それを聞いても、特段の感慨すら抱かなかった、そんな時代だった。

結局、崩壊した学生運動は、どれだけ派手な成果を挙げるかだけを競い、三菱重工爆破事件や、北海道庁爆破事件を次々と起こし、自壊していった。

映画は、そうした学生運動の崩壊過程の初期を描いていることになろう。
実は収穫が一つだけあった。
常々、学生運動の経験者が実権を握った現代日本がなぜ、これほどまでに保守化していくのか、疑問に思っていた。
朝日新聞などのメディアには、相当数の学生運動経験者が、今やデスクを握っているに違いないのに、とめどなく保守化していくのはなぜなのか。

映画は、そんな疑問に明快な回答を与えてくれた。
熱病が醒めれば、潮が引くように一部の活動家を孤立化させて、抵抗なく社会に適応をする学生が大半だった。

熱病には、確固たる信念もなかった。
共通する心情は、何かしら、目立つことがしたい、いい言葉で言えば「自己実現したい」ということだけだった。

政界にしろ、メディアにしろ、組織を左右する地位を手に入れる人たちは、人並み以上の権力欲を持っている人たちだろう。
そして梅山がそうであったように、権力欲とバランスするような理念を持っている訳ではない。

政治やメディアで権力を掌握した学生運動経験者たちは、過激派と違う方向で、「自己実現」を図っているに過ぎないのだろう。

かつて学生運動が華やかだった頃、若者に対して不公正な社会構造があった訳ではない。
今の社会構造は明らかに若者に対して不公正なのだ。
若者はもっと怒っていい。
僕はつくづくそう思うのだが、「希望は戦争」といわざるを得ないほど、この国は閉塞してしまっているのだろう。

この閉塞感を生み出す、至る所に張り巡らされたコングロマリットを解きほぐす手がかりはないのか、ただ無為に煩悶しながら僕の日々は過ぎていく。
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2011/06/post-7948.html

▲△▽▼

中島みゆきは北海道時代、革マルシンパ。
藤女子大時代の彼氏が札医大の革マル派学生(現在も現役)


316革命的名無しさん2008/02/05(火) 10:40:11

中島みゆきって学生運動でバリケード作って大学に泊り込んでるときに
自分の好きだった男と友達の女がセクロスしてるのを目撃してショック受けて
そのまま運動やめて家に帰ったんだよね。

学生の頃、バイト先の同僚のオバチャンに聞いた話。
オバチャンが学生の頃、北大近くのアパートに住んでたらしいんだが、
隣が中島みゆきの彼氏の家だったらしい。
相当の修羅場があったらしく、ドアをガンガン叩いて暴れたりとか、
廊下で寝てたりとか、すごいことになってたらしい。
さすがあんな歌詞書く人よね〜と
しみじみ語っておりました、オバチャン。



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c13

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
14. 中川隆[-10959] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:35:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1067]
【2004.05.17 Monday 08:00】 author : 土岐正造

「生きていてもいいですか」の「キツネ狩り」がとても怖い歌ですよね
(歌詞だけでなく歌唱法?も)
| Doblogコメント移植 | 2009/05/31 12:01 AM |


アレも、解釈に幅のある歌ですよね。
一応、名曲『世情』と『誰のせいでもない雨が』と重ね合わせて、全共闘の挫折体験(内ゲバによる仲間殺し)という解釈も可能でしょうか。

しかし、ずいぶんと鋭いところを突いてきますね。
詞の怖さを指摘する人はまぁまぁいますが、歌唱法の怖さまで感じる人って、少数派じゃないでしょうか。突き抜けた、乾いた狂気が宿っている歌い方だとは、自分も漠然と感じてはいましたが。
[ motowota ] [2004/05/18 11:43] [ Myblog ] [ 削除 ]


全共闘シリーズ? は「はじめまして」の「僕たちの将来」でひと段落着いている気がしますね。
救いようのない絶望で一旦死に、「はじめまして」で転生すると。
以上、猪木の独り言でした(違います)。
[ 土岐正造 ] [2004/05/18 11:54] [ Myblog ] [ 削除 ]


「あぶな坂」知らなかったんで歌詞だけの印象ですがモロ男女モノで想像しました。
「ふるさと」を失くした男と「ふるさと」になれない女、みたいな。=都会、というのは「ほぉ」と。
故郷モノ(?)で谷山浩子の「ネコの森へは帰れない」を思い出しました。
ば、漠然としたヒトリガタリですいませんー
[ motowota ] [2004/05/18 16:37] [ Myblog ] [ 削除 ]

[ 土岐正造 ] [2004/05/21 10:57] [ Myblog ] [ 削除 ]
>>motowotaさん
そこら辺の、全共闘の挫折に対する中島みゆき論は、いつかまとめてやりたいですね。いやマジに。
イラクの3人組とか見ていますと、人間は相変わらず同じような失敗と過ちを繰り返しているようですしね。

時代は変われど人は変わらず……って自分の作品のキャッチコピーですな(苦笑)。
[ mutsumi ] [2004/05/20 00:36] [ Myblog ] [ 削除 ]
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1117
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c14

[近代史3] 中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか? 中川隆
61. 中川隆[-10958] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:48:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1068]

中島みゆき 僕たちの将来 動画
https://pv755.com/bokutachinoshorai



▲△▽▼

中島みゆき「僕たちの将来」 〜どこまでもつづく荒野と日常
https://microstory.hatenablog.com/entry/20180731/1533039049

中島みゆきの曲は常備薬みたいなものだと思ってるぼくですが、このところの仕事の不条理さから最近ひさしぶりにひっぱりだして聞いてリピートしてしているのが、アルバム「はじめまして」です。このアルバムはそれ自体結構挑戦的なアルバムで、収録曲をひとつひとつ取り出しても長文が書けてしまいそうな名曲揃いなんですが、今日はそのなかにある「僕たちの将来」を起点に、「日常」についての旅に出てみたいと思います。

いまやうちの娘が幼稚園の音楽会で歌うほど有名になったみゆきさんの「糸」ですが、この曲が人口に膾炙するきっかけとなったのは、ミスチルの桜井和寿氏が中心となって結成されたBank Band、その1stアルバム「沿志奏逢」です。このアルバムで、「糸」と一緒にカバーされたのが「僕たちの将来」でした。「糸」が万人受けのする曲であったのに比べ、「僕たちの将来」はみゆきさんのファンでもあえてこれを取り出してカバーするとは誰も思わなかったんじゃないかと思います。このアルバムがきっかけになっていろんなアーティストが「糸」をカバーするようになりましたが、「僕たちの将来」についてはそのあと他のアーティストがカバーしたというのは聞きません(ちなみに、ぼくはいちどだけBankBandバージョンの「僕たちの将来」を路上で若者が歌っているのを聞いたことがありますが)

この曲は、ものすごく近いものを描くことで、ものすごく遠いものを描きだしている傑作です(断定)。

舞台は二十四時間レストラン、一組のカップルが会話をしています。おたがいにままならない日常にもやもやしたものを抱えながら、それを口にすることを恐れ、ごく私的な二人のエピソードを蒸し返すことでその恐れから目をそらします。ここに描かれているのはどこまでも日常であって、その不安は二人の関係性からしか生まれてこない。しかし、その日常の延長には、確かに「将来」があるし、いまなお、世界の何処かでは二人の私的な関係以上に深刻な争いごとが起きています。それでも二人は、もっと身近な過去「さっき抱き合った宿」とか、二人の関係性が始まったもう少し前のこと「君が飛び込んできてくれた夜」のことを蒸し返すことで精一杯です。将来だって互いのアルバイトの予定程度の先のことしかここには見えてきません。それ以外のことは、ただ漠然とした不安となって世界に揺曳している。

でも、それってまさに今も昔も、ぼくたちのこととと変わりないんじゃないでしょうか。少なくともぼくはそうです。ネットニュースで凄惨な事件を見つけて憤慨はするものの、日々の生活の中でそれらは霧散してしまい、この半径数歩の世界の中でじたばたしている。それでもぼくたちは世界とゆるやかに地続きでつながっていて、この生活は決して自分だけで完結していないんです。

中島みゆきという歌手はこの「日常」の近さと、そこからゆるやかに、そして遥かか彼方までひろがっている世界の「遠さ」を、いろんな方法で描いています。まずはじめに思いつくのが「誰のせいでもない雨が」という楽曲です。この曲は、学生運動をテーマにしていると言われています。学生運動の中で打倒されてしまっていた思いとか主義主張なんてものは日常から乖離した「社会的な言説」ですが、その一方で、われわれは日々を生きていく必要がある。雨というのはその日常の象徴です。


誰のせいでもない雨が降っている 日々の暮らしが降っている

近年のみゆきさんの歌のなかには社会派と(場合によっては批判的な言説としても)言われる楽曲が増えているようにいわれることがあります。しかし、根底を流れているものは昔から変わっておらず、その表出が社会派ともいえるように変容してきただけ、とも思います。

ペルー日本国大使公邸占拠事件をあからさまに下敷きにして、主義主張をもっともストレートに出したと思われる歌「4.2.3」。その出だしはこうです。


食べてゆくための仕事にひとやすみして 私はTVをつけた

「僕たちの将来」で戦争を映し出すのは、さらにそれを遠ざけるかのような「青の濃すぎるテレビ」(青が濃いのは、ただ安物であることを言っていてつまりその機械自体が日常の中の背景にあるただの受信機であることを強く意識させる)です。そう、ぼくたちは「食べていく」必要があるのです。

「月はそこにいる」で遥か上空から月に見透かされているのもまた、日常です。


日々の始末に汲々として また一日を閉じかけて

「空がある限り」では私の暮らす街が空を伝ってゆるやかに「あなたの街」と接続されます。あなたの街とは「銃で砕かれた建物や、鉄条網が視界」を覆っている街です。そこでは銃や鉄条網が日常で、われわれのいる街とは明らかに異なっている。

しかしながら、ぼくたちは日常を恥じる必要もないでしょう。ただ、その日常が、どこかぼくたちとはちがう日常と地続きであることを忘れない限りは。

「僕たちの将来」は「はじめまして」に収録されています。では、また。
https://microstory.hatenablog.com/entry/20180731/1533039049
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#c61

[近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
15. 中川隆[-10957] koaQ7Jey 2019年4月04日 19:06:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1069]
中島みゆき 僕たちの将来 動画
https://pv755.com/bokutachinoshorai

中島みゆき 僕は青い鳥 動画
https://pv755.com/boku-wa-aoi-tori


▲△▽▼


中島みゆき「僕たちの将来」 〜どこまでもつづく荒野と日常
https://microstory.hatenablog.com/entry/20180731/1533039049


中島みゆきの曲は常備薬みたいなものだと思ってるぼくですが、このところの仕事の不条理さから最近ひさしぶりにひっぱりだして聞いてリピートしてしているのが、アルバム「はじめまして」です。このアルバムはそれ自体結構挑戦的なアルバムで、収録曲をひとつひとつ取り出しても長文が書けてしまいそうな名曲揃いなんですが、今日はそのなかにある「僕たちの将来」を起点に、「日常」についての旅に出てみたいと思います。

いまやうちの娘が幼稚園の音楽会で歌うほど有名になったみゆきさんの「糸」ですが、この曲が人口に膾炙するきっかけとなったのは、ミスチルの桜井和寿氏が中心となって結成されたBank Band、その1stアルバム「沿志奏逢」です。このアルバムで、「糸」と一緒にカバーされたのが「僕たちの将来」でした。「糸」が万人受けのする曲であったのに比べ、「僕たちの将来」はみゆきさんのファンでもあえてこれを取り出してカバーするとは誰も思わなかったんじゃないかと思います。このアルバムがきっかけになっていろんなアーティストが「糸」をカバーするようになりましたが、「僕たちの将来」についてはそのあと他のアーティストがカバーしたというのは聞きません(ちなみに、ぼくはいちどだけBankBandバージョンの「僕たちの将来」を路上で若者が歌っているのを聞いたことがありますが)

この曲は、ものすごく近いものを描くことで、ものすごく遠いものを描きだしている傑作です(断定)。

舞台は二十四時間レストラン、一組のカップルが会話をしています。おたがいにままならない日常にもやもやしたものを抱えながら、それを口にすることを恐れ、ごく私的な二人のエピソードを蒸し返すことでその恐れから目をそらします。ここに描かれているのはどこまでも日常であって、その不安は二人の関係性からしか生まれてこない。しかし、その日常の延長には、確かに「将来」があるし、いまなお、世界の何処かでは二人の私的な関係以上に深刻な争いごとが起きています。それでも二人は、もっと身近な過去「さっき抱き合った宿」とか、二人の関係性が始まったもう少し前のこと「君が飛び込んできてくれた夜」のことを蒸し返すことで精一杯です。将来だって互いのアルバイトの予定程度の先のことしかここには見えてきません。それ以外のことは、ただ漠然とした不安となって世界に揺曳している。

でも、それってまさに今も昔も、ぼくたちのこととと変わりないんじゃないでしょうか。少なくともぼくはそうです。ネットニュースで凄惨な事件を見つけて憤慨はするものの、日々の生活の中でそれらは霧散してしまい、この半径数歩の世界の中でじたばたしている。それでもぼくたちは世界とゆるやかに地続きでつながっていて、この生活は決して自分だけで完結していないんです。

中島みゆきという歌手はこの「日常」の近さと、そこからゆるやかに、そして遥かか彼方までひろがっている世界の「遠さ」を、いろんな方法で描いています。まずはじめに思いつくのが「誰のせいでもない雨が」という楽曲です。この曲は、学生運動をテーマにしていると言われています。学生運動の中で打倒されてしまっていた思いとか主義主張なんてものは日常から乖離した「社会的な言説」ですが、その一方で、われわれは日々を生きていく必要がある。雨というのはその日常の象徴です。


誰のせいでもない雨が降っている 日々の暮らしが降っている

近年のみゆきさんの歌のなかには社会派と(場合によっては批判的な言説としても)言われる楽曲が増えているようにいわれることがあります。しかし、根底を流れているものは昔から変わっておらず、その表出が社会派ともいえるように変容してきただけ、とも思います。

ペルー日本国大使公邸占拠事件をあからさまに下敷きにして、主義主張をもっともストレートに出したと思われる歌「4.2.3」。その出だしはこうです。


食べてゆくための仕事にひとやすみして 私はTVをつけた

「僕たちの将来」で戦争を映し出すのは、さらにそれを遠ざけるかのような「青の濃すぎるテレビ」(青が濃いのは、ただ安物であることを言っていてつまりその機械自体が日常の中の背景にあるただの受信機であることを強く意識させる)です。そう、ぼくたちは「食べていく」必要があるのです。

「月はそこにいる」で遥か上空から月に見透かされているのもまた、日常です。


日々の始末に汲々として また一日を閉じかけて

「空がある限り」では私の暮らす街が空を伝ってゆるやかに「あなたの街」と接続されます。あなたの街とは「銃で砕かれた建物や、鉄条網が視界」を覆っている街です。そこでは銃や鉄条網が日常で、われわれのいる街とは明らかに異なっている。

しかしながら、ぼくたちは日常を恥じる必要もないでしょう。ただ、その日常が、どこかぼくたちとはちがう日常と地続きであることを忘れない限りは。

「僕たちの将来」は「はじめまして」に収録されています。では、また。
https://microstory.hatenablog.com/entry/20180731/1533039049

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c15

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
161. 中川隆[-10956] koaQ7Jey 2019年4月04日 20:48:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1070]
ゴーン氏に見たかつての日産の「天皇」 OBが語る体質/朝日デジ
有料会員限定記事 ゴーン前会長
2019年4月3日16時30分
https://www.asahi.com/articles/ASM3K6F5NM3KULFA007.html?iref=comtop_favorite_02

 横浜市のみなとみらい21地区にそびえる日産自動車グローバル本社。22階建てのビルの上層階にある役員用会議室で、経営の重要事項を決する取締役会が月に1度のペースで開かれる。

 前会長のカルロス・ゴーン(65)が昨年11月に逮捕されるまでの数年間、取締役会の所要時間は1回あたり平均30分を切っていた。短い時は10分弱のこともあり、「ゴーン以外に発言もないままシャンシャンで終わることも珍しくなかった」と日産幹部。役員ごとの報酬額の決定をゴーンに一任することも、異論もなく決まった。人事と報酬を掌握したゴーンに面と向かって反論できる役員は残っていなかった。

 2000年代の初頭。日産で月に1度開かれる経営会議では、ゴーンが役員を罵(ののし)る声がたびたび響いた。

 「お前の言っていることはうそだ」「お前のプロジェクトはモンスターだ」

 担当事業の収益低迷を報告する度に、副社長らも居並ぶ前で口を極めて非難されたと元常務は振り返る。

 「私はゴーンの側近と対立していたので、抵抗勢力と色分けされていた。ゴーンは自分が気に入らない者はどんどん排除した」

 大赤字を垂れ流していた車種群の収益改善という難題を命じられ、懸命に改善策を説明しても、「お前の言うことは信じられない」と一蹴された。「ひどいときは、報告しても話も聞かずに無視された」

 倒産寸前だった日産をV字回復へと導いたゴーンは自分への異論を許さなくなり、周囲はイエスマンで固められていった。「コミットメント(必達目標)」を掲げて幹部に責任感を植え付けようとしていたのに、米国事業で大赤字を出した側近の外国人幹部を栄転させるなど次第に変節。信賞必罰の気風は弱まり、社内の規範は失われた。

 元副社長の森山寛は06年、日産社内での体験をつづる回顧録を執筆するうちに強い既視感にとらわれた。「私はゴーンの中に塩路(しおじ)一郎を見たんです」

この記事は、企業統治の不全を露呈し「独裁者」の出現を再び許した日産の企業体質に迫った連載「ゴーンショック 繰り返す統治不全」を1本化したものです。=敬称略

 塩路は、かつて「塩路天皇」の…

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c161

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
27. 中川隆[-10955] koaQ7Jey 2019年4月04日 20:49:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1071]
ゴーン氏に見たかつての日産の「天皇」 OBが語る体質/朝日デジ
有料会員限定記事 ゴーン前会長
2019年4月3日16時30分
https://www.asahi.com/articles/ASM3K6F5NM3KULFA007.html?iref=comtop_favorite_02

 横浜市のみなとみらい21地区にそびえる日産自動車グローバル本社。22階建てのビルの上層階にある役員用会議室で、経営の重要事項を決する取締役会が月に1度のペースで開かれる。

 前会長のカルロス・ゴーン(65)が昨年11月に逮捕されるまでの数年間、取締役会の所要時間は1回あたり平均30分を切っていた。短い時は10分弱のこともあり、「ゴーン以外に発言もないままシャンシャンで終わることも珍しくなかった」と日産幹部。役員ごとの報酬額の決定をゴーンに一任することも、異論もなく決まった。人事と報酬を掌握したゴーンに面と向かって反論できる役員は残っていなかった。

 2000年代の初頭。日産で月に1度開かれる経営会議では、ゴーンが役員を罵(ののし)る声がたびたび響いた。

 「お前の言っていることはうそだ」「お前のプロジェクトはモンスターだ」

 担当事業の収益低迷を報告する度に、副社長らも居並ぶ前で口を極めて非難されたと元常務は振り返る。

 「私はゴーンの側近と対立していたので、抵抗勢力と色分けされていた。ゴーンは自分が気に入らない者はどんどん排除した」

 大赤字を垂れ流していた車種群の収益改善という難題を命じられ、懸命に改善策を説明しても、「お前の言うことは信じられない」と一蹴された。「ひどいときは、報告しても話も聞かずに無視された」

 倒産寸前だった日産をV字回復へと導いたゴーンは自分への異論を許さなくなり、周囲はイエスマンで固められていった。「コミットメント(必達目標)」を掲げて幹部に責任感を植え付けようとしていたのに、米国事業で大赤字を出した側近の外国人幹部を栄転させるなど次第に変節。信賞必罰の気風は弱まり、社内の規範は失われた。

 元副社長の森山寛は06年、日産社内での体験をつづる回顧録を執筆するうちに強い既視感にとらわれた。「私はゴーンの中に塩路(しおじ)一郎を見たんです」

この記事は、企業統治の不全を露呈し「独裁者」の出現を再び許した日産の企業体質に迫った連載「ゴーンショック 繰り返す統治不全」を1本化したものです。=敬称略

 塩路は、かつて「塩路天皇」の…

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c27

[近代史3] 「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本

「アメリカニズムの終焉」を認めたくない日本 1月11日 2018
http://www.yamamotomasaki.com/archives/2322


大きな話題になることはなかったが、平成バブルがはじけた1993年に

佐伯啓思氏の「アメリカニズムの終焉」
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%B5%82%E7%84%89-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E4%BC%AF-%E5%95%93%E6%80%9D/dp/412206029X


という名著が出版されている。氏はこの本の中で戦後一貫してアメリカ的なるもの、アメリカ文明的なるものを参照枠として思考の基軸に据えてきた日本という国の危うさを適確に指摘。すでにこの時点で現在のグローバリズムをもたらしたアメリカニズムの行き詰まりを予見していた。また、高坂正堯氏も著書「文明が衰亡するとき」のなかで、アンドレ・マルローの<一つの文明の結末を、それと意識しながら生きるのは妙なことだ。ローマの末期以来、こんなことはなかった。>という言葉を紹介している。パックスアメリカーナの終焉をはっきりと戦後の保守言論人を代表する高坂氏も意識していたのである。ところが現在、そのような冷静な思考フレームを日本のマスメディアでは、全く見ることができない状況になっている。

そこで今回は、興味深いエピソードを紹介しながら、現在の日本を呪縛しているアメリカ共同幻想について考えてみたい。

アメリカニズムの終焉

現在でも公式資料では、2018年8月末時点でもアメリカの金保有高は、8133トンで第2位のドイツが3369トンだからダントツの第1位である。ちなみに日本は765トンで第9位である。ところが、今から8年前(2010年1月)にパキスタン・ディリーが対外決済のために中国が米国から受け取った5600本、400トロイオンスの金塊が偽物であったという報道したことがある。

「中国の役人たちは驚愕した。中はタングステンであり、周りに金メッキが施されていたのである。しかももっと凄いことがある。これらの金塊は打刻されたアメリカ製であり、数年間は米国財務省金管理庫において管理されていたものだったのである。」

このことを調査した中国によれば、こういった金塊がすでに6、000億ドル以上、不法に売買されていることが判明したとのことである。2008年にはエチオピア中央銀行から南アフリカに送金した金塊が同じく偽物であることが判明した事件もあった。この事実関係を英国のBBCが報道している。巷間、ロスチャイルドがロンドンにおいて金の値段を実質上、決めていると言われていた歴史を踏まえると、2004年4月の時点で世界有数の投資銀行であるロスチャイルド・アンド・サンズ社が金を含む商品取引から撤退しているのも意味があるがはずだ。何らかの背景があって撤退したとしか考えられないのである。もちろん、閉ざされた言語空間にある日本のマスコミでこう言ったニュースが報道されることは決してない。最近では2013年に米国第七艦隊を舞台にした大規模な収賄事件(「太っちょレオナルド(Fat Loenard)」汚職事件)が日本を含む東アジアで起きている。内容はアメリカ海軍史上最大規模の汚職事件でマレーシアの建設業者が米軍からの契約を取ろうとして、米海軍の将官たちを接待し、賄賂を渡し、3500万ドル(約38億円)の契約を成立させていたというもの。日本の大手メディアは全く取り上げなかったので、多くの日本人は全く知らないはずである。

 それでは英国BBCや海外メディアで報道されることが、どうして日本マスコミでは報道されないのだろうか。

それは戦後、日本という国が米国情報機関(CIA(中央情報局)、NSA(国家安全保障局))によるいわゆる「心理戦」によって強力なマインドコントロール下に置かれているためである。ところが2017年、反グローバリズムの政治家トランプが登場し、臨界点に達したパックスアメリカーナに急速に幕を引く動きが米国内で始まっている。そしてトランプは着々とリトリート(撤退)政策を進めるための布石を打っている。もちろん、本年6月にシンガポールで行われた米朝会談、同7月にヘルシンキで行われた米ロ会談はその流れを強力に推し進めるためのものである。政府広報であるNHKをはじめとする大手メディアは必死にこのことを隠蔽しようとしているが、「従米路線」しか外交戦略をもたない日本政府は、朝鮮半島を巡る六ヵ国協議からロシアが日本を外すように提案していることに象徴されるように徐々に蚊帳の外に置かれるような状況になってきている。現在、日本に残っている役割は世界経済を回すために世界最大の債権国として世界中にお金をばらまくキャシュディスペンサーとしての役割だけだと言っても過言ではない状況に陥っているのが現実だ。 

考えてみれば冷戦下の日本においては、GHQの民主化政策で導入された6・3・3制の戦後教育制度の中で、巧みコントロールされたマスコミ報道、ハリウッド映画、アメリカのテレビドラマによって私たち日本人は、パックスアメリカーナの共同幻想の中で温々と安眠を貪ることができた。現在、現役の日本の政治家はほとんどがその環境下で育った世代である。たしかにそれは自由主義陣営のショウインドウとしての日本に高度経済成長という果実=実利をもたらした。私たち日本人は「平和憲法」に守られながら、アメリカが行う戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争等)によって世界に冠たる経済大国になることができたのである。つまり、冷戦時代の日本という国はアメリカが行う戦争経済の最大の受益者であったということである。

振り返ってみれば、私自身も日本人なのに能や歌舞伎よりハリウッド映画の方をよっぽどよく知っている。ビビアン・リー主演の「風と共に去りぬ」は20回以上見たし、オードーリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」も10回以上見ている。現在まで見たハリウッド映画は、おそらく、邦画の何百倍の本数である。このように戦後のアメリカ文化の日本への浸透にはすさまじいものがある。私たちの世代は、訳もわからず、「トムとジェリー」というアニメを見させられ、「ベン・ケイシー」や「コンバット」、「パパは何でも知っている」、「奥様は魔女」というアメリカのテレビドラマの再放送をずっと見させられ、米国の中流家庭の文化的な生活に憧れを抱くように誘導されてきたのである。小学校でも授業時間内にディズニィーのアニメ映画を何回も見せられた記憶がある。「巨人の星」という人気漫画に出てくるスプリングの塊の「大リーグ養成ギブス」、まさにアメリカメジャーリーグに対する憧れそのものである。その流れがあったからこそ、私たちは、野茂、イチロー、松井秀喜のメジャーリーグでの活躍に心を躍らせたのではないか。その流れのなかで現在も、NHKは莫大な放映権料をMLBに払って衛星テレビで放送しているのである。

 ところで、上智大学の渡部昇一氏のような人々が1960年安保、1970年安保は日本にとって正しい選択だったと力説していたことがあるが、本当だろうか。

今から考えてみれば甚だ疑問である。そのために日本が独立国に近づく機会をみすみす放棄し、1980年代以降、特に85年のプラザ合意以降、莫大な国富を米国に貢ぐ道に誘導されただけではないのか。今こそ、ジョヴァンニ・アリギの「長い20世紀」のような客観的な分析が必要だろう。

長い20世紀

よくよく考えておかしなことだと思うのだが、戦後学校教育の中には、今では英語学習を小学生から積極的に取り入れているにもかかわらず、本当の意味で日本の本質(哲学、思想、宗教、文化)を教えられる機会がほとんどない。その意味では、日本の教育は独立国家としての体をなしてないと考えてもいいのではないか。

かつて岡倉天心は「アジアは一つ」と言った。日本人として、欧米に対する対抗意識をはっきり表明したわけである。もちろん、宗教、哲学の底流に流れるものが同じであるという意味で言った言葉であって、アジアを一つにまとめる哲学・思想が彼によって表明されたわけではない。

岡倉天心が「茶の心」、つまり日本人の心をたった10項目に要約しているので紹介する。


岡倉天心 茶の本
https://www.amazon.co.jp/%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A1%E5%80%89-%E8%A6%9A%E4%B8%89/dp/4003311515

1.西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国とよんでいる。

2.いつになったら西洋は東洋を理解するのか。西洋の特徴はいかに理性的に「自慢」するかであり、日本の特徴は「内省」によるものである。

3.茶は衛生学であって経済学である。茶はもともと「生の術」であって、「変装した道教」である。

4.われわれは生活の中の美を破壊することですべてを破壊する。誰か大魔術師が社会の幹から堂々とした琴をつくる必要がある。

5.花は星の涙滴である。つまり花は得心であって、世界観なのである。

6.宗教においては、未来はわれわれのうしろにあり、芸術においては現在が永遠になる。

7.出会った瞬間にすべてが決まる。そして自己が超越される。それ以外はない。

8.数寄屋は好き家である。そこにはパセイジ(パッサージュ=通過)だけがある。

9.茶の湯は即興劇である。そこには無始と無終ばかりが流れている。

10.われわれは「不完全」に対する真摯な瞑想をつづけているものたちなのである。

一部の日本人にはあまりも残念なことかもしれないが、戦後、我々日本人の頭の中に張り巡らされたアメリカという共同幻想が雲散霧消する(アメリカが普通の国になる)時が近づいている。多極化政策を進めるトランプによってドルが基軸通貨でなくなり、アメリカが覇権国でなくなる日が刻々と迫っているからだ。パックスアメリカーナの下で既得権を獲得した日本のイスタブリシュメントは、今もパックスアメリカーナを維持したいと懸命に抵抗を続けているが、1945年8月15日のような大転換の節目がくることを回避することはもはや、不可能に思われる。

このことは、明治維新以降、欧米金融資本によって国民国家としての道をある意味、強制的に歩ませられた日本に真の独立国になるチャンスが訪れることも意味しているのだが、もしかすると、現在の日本のエリートは独立国になる気概すらすでに奪われてしまったのかもしれない。 

おそらく、その気概を創るための新しい思想家が日本に出てくる必要があるのだろう。言うならば、その意味で二十一世紀の岡倉天心の出現が望まれる。日本、東アジア、をゆるやかにまとめていくことのできる哲学・思想を語ることのできる思想家が今、時代の要求なのである。

「ひとことで言えば、自他ともに幸せになり、その社会を人間の望みうる理想のものとするには、日本を見習うべきだということなのである。―――もし自然が生活に必要なもの、そのすべてを与えたとしたら、そして、もしその国が国民の勤勉により、世界に例を見ないまでに発展しているとしたら、その国は外国に頼るこなしに存在できるのである。これは大きな利点である。これによって他国より来る邪悪、放蕩,軽薄、戦争、変節などに乱されることなく、国内に大きな問題も起こらず、危急の場合、外国の攻撃から身を守ることができるのである。これこそ日本が他国よりすぐれている点である。」著者の生前は出版されることのなかったケンペル著「日本誌」の一節から岩松睦夫著「緑の大回廊〜森が語る日本人へのメッセージ」(1984年 東急エージェンシー)より

(ペリーが黒船で日本を脅す前に読んでいた日本についての情報は、ケンペルの『日本誌』によっていた。シーボルトが日本にくる前に読んでいたのもケンペルの『日本誌』である。ケンペル以降に日本に来た外国人の大半は『日本誌』を読んでいる。世界的なベストセラーだった。江戸時代の日本を西洋人は上記のように理解したのである。)

明治維新から150年、私たちはこの150年の近代史を今一度、あらゆる思い込みを捨てて冷静に振り返り、21世紀の日本のあるべき姿を考える時を迎えている。ペリー来航から165年、そろそろ米国を卒業する時を迎えていることだけは間違いないのではないか。

もうすぐ、平成時代も終わる。元号が変わるとき、まことに不思議な事に日本の歴史は大きく動き出すのである。
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