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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100031
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[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
27. 中川隆[-7640] koaQ7Jey 2017年5月25日 14:26:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

自然の恵みが豊かだった田舎が貧困の象徴になっていく理由

2014-01-03
熱帯の国は実り豊かだ。東南アジアを旅すると、その豊穣さが分かる。

温暖な気候のために草木が豊穣に生育し、果物がふんだんに取れ、山にはたくさんの動物がいて、湖や川には魚が群れをなして泳ぐ。蝶やトンボが舞い、色とりどりの小鳥が鳴き、木々に大きなトカゲが這う。

食べるものは、目の前に何でもある。野草も食べることができる。小動物も、昆虫も、魚も好きなだけ取って食べることができる。空気も水もとても澄んでいて気持ちが良い。

人々はあくせく働く必要はない。水田も、三期作も三毛作もできる。放っておいても、いくらでも生育する。

ニワトリやアヒルやブタは放し飼いをして、残飯を放っておけばいい。気が向いたら卵を食べることもできるし、鶏を絞めれば肉を食べることもできる。

そうやって人々の生活は回っていて、それが何百年も続いていた。田舎は豊穣で豊かなのだ。ところで、ここで疑問に思わないだろうか?

近代社会になっていきなり貧困の象徴になった田舎

タイのイサーン地方でも、インドネシアの辺境でも、カンボジアの田舎でも、そしてバングラデシュやインドでも、田舎はみんなそうやってうまくやってきた。中国でもそうだ。

何百年も自然と共に生活してきて、まったく何の問題もなかったはずだった。それなのに、「田舎」は、なぜ近代社会になってから貧困の象徴になってしまったのだろうか。

今や、アジアの田舎はどこも貧困にあえぎ、農家はどの国でも貧乏人であると烙印を押されている。

彼らは昔と同じように、今でも自然と共存し、自然に取れるものをいくらでも取って生活できる。それなのに、近代社会になっていきなり貧困の象徴になってしまっている。

飢饉がやって来たわけでもない。疫病が蔓延したわけでもない。外敵が滅ぼしにやってきて戦争が起きているわけでもない。それなのに、アジアのすべての農村が貧困に陥った。

それは、何が原因だったのか。

もちろん、言うまでもなく「資本主義」が村にやって来たからだ。資本主義で作られた工業製品が村に入り込んだのだ。電気が入り込み、テレビが入り込む。

人々は電気代を払わなければならない。そして、テレビを見ながら物欲を刺激され、テレビで売っているいろんな興味深い商品が欲しくなる。

バイクも欲しくなれば、車も欲しくなる。村の生活は豊穣だが、困ったことに唯一、不足しているものがある。それは何だったのか。

現金だった……。

村の生活は豊穣だが、困ったことに唯一、不足しているものがある。それは、現金だった。


人々は借金のために働かなければならなくなる

多くの男たちがまず欲しがるのは運搬用のバイクや車だ。しかし、それは非常に高価なものであり、一括で買えるようなものではない。

そこで多くの人たちはあきらめようとするのだが、資本主義は欲しがる人をあきらめさせるほどヤワではない。分割ローンという手もあれば、借金という手もある。

何かを担保にしてローンを組ませるのだが、その瞬間、村は資本主義に組み入れられて、人々は借金のために働かなければならなくなるのである。

借金は、麻薬のようなものだ。一度、前借りして物を買うと、必ず他にも何か欲しくなる。そして、買う。買うと、忘れた頃に返済日がやって来る。

返せないと担保を取られることになるのだが、担保にしているのはほとんどが自分の土地だ。

そこで、借金が返せないと、自分の田畑や、今まで住んでいた土地を取り上げられて、追い出されることになってしまうのである。

借金を猶予してもらっても、次の返済日には金を返さなければならない。それは大きなプレッシャーになる。今まで自給自足でのんびり生活していた頃とはまったく違う生活だ。

自然の豊穣さはまったく意味がない。金にならないからだ。庭を駆けずり回るニワトリもアヒルもブタも役に立たない。金にならないものは資本主義では意味がない。

そして、多くの「田舎」が資本主義に組み入れられ、収奪され、人々を次々と困窮させていく。


それが便利だと思って取り入れていただけだったが……

ベトナムのメコンデルタは自然が豊穣で、川沿いはほとんどジャングルのようになっている場所がある。

そこに住むベトナム人の村人はみんな豊かな自然の恵みの中で静かに生きてきた。

しかし、メコンデルタも開発されていき、それぞれの村に道路が建設され、電気が入り込み、テレビが見れるようになった。

そして村人は我先に便利な電気を家に引き込み、面白いテレビを見ているうちに、知らずして資本主義に組み込まれる生活になっていった。

カンボジア・プノンペンの売春地帯に放り込まれた貧困女性たちの多くは、このメコンデルタから売り飛ばされてきたベトナムの娘たちだった。

タイの東北地帯(イサーン)でも、似たような経緯を辿って村に電気がやってきてテレビがやってきて、人々は資本主義に組み込まれていった。

そして、村人たちは知らないうちに借金まみれになっていき、やがては娘を売り飛ばすしかなくなってしまった。

現在でも、バンコクやパタヤの売春地帯にいる女性たちの多くは、決まってイサーン出身の女たちである。

本来は、自然の恵みを享受していてとても豊かだったはずの田舎は、そうやって資本主義の中で「貧困」の最前線に仕立て上げられている。

田舎に住む村人たちは、資本主義を強制されたわけではない。

それが便利だと思って取り入れていただけだ。

しかし、それが仇になった。金が足りなくなって、やがて追い立てられる生活になり、破綻して、最後には持っているものをすべて失う。

今でも、世界中で同じことが次々と繰り返し起きている。そして、場末の売春地帯には貧しい女性たちがひしめく。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140104T0147230900.html


2014-01-04
マイクロファイナンス。希望と悲劇の両方を生み出す仕組み

東南アジアのみならず、多くの農村は無理やり資本主義に組み入れられて貧困にあえぐようになった。(自然の恵みが豊かだった田舎が貧困の象徴になっていく理由)

その貧困は今まで自給自足だった村が道路によって外界とつながり、電気が入り、テレビが入り、家電製品が入り、バイクや車が入り込むことによって起きた現象だった。

資本主義が農村を追い詰める姿は、世界中で起きているのだが、バングラデシュでもインドでも同じだった。

2010年、インドでは女性が次々と自分の身体に火を付けて自殺するという事件が相次いだことがあった。何が起きていたのか。

彼女たちは金を借りて事業をしていたのだが、その事業が失敗して借金だけが残り、たまりかねて自殺をしていたのだった。

彼女たちに金を貸していたのは、誰だったのか。それは、「マイクロファイナンス」の事業者だった。

貧困者に金を貸しつけて資本主義に組み入れる

マイクロファイナンスの概念が有名になったのは、グラミン銀行のムハンマド・ユヌス氏が2006年にノーベル平和賞を取ってからだ。

資本主義に組み入られていない貧困者に金を貸しつけて資本主義に組み入れるのがこのマイクロファイナンスの特徴だ。

グラミン銀行のユヌス氏はバングラデシュだが、このマイクロファイナンスの概念自体は、すでに世界中の多くの国に取り入れられている。

貧しい人々が困難から抜け出すには「元手」がいる。しかし、貧しい人たちに金を貸し付ける銀行はそれまでにはなかった。

だから、貧しい人たちはいつまで経っても、資本主義に「参加」すらできなかった。

しかし、マイクロファイナンスという仕組みは、貧しい人たちにマイクロ(小口)でお金をファイナンス(貸出)し、それを仲間同士で相談・援助・監視させることによって経済活動に取り込む方法を生み出した。

ムハンマド・ユヌス氏はバングラデシュのチッタゴン出身だが、チッタゴンはエビ養殖や農業が盛んな場所である。

バングラデシュの水田は行ってみれば分かるが、どこか日本の田舎の水田地帯の光景と良く似ている場所も多くて、私も息を飲んでそんな光景を見つめたものだった。

その水田を耕すのに工作機械もあれば便利だろう。あるいは、農具も揃っていれば効率が上がる。

しかし、貧しい人たちにファイナンスする銀行がなかったので、効率が上がるはずの農具を買う金がない。収穫が上がらない以上は、そこから抜け出すきっかけすら見つからない。

彼らに必要なのは施しではなく、キャピタル(資金)である。仕事はあるのに資金がない。それで行き詰まっているのである。

だから、目の前の広大に広がる水田やエビ養殖池を見つめながら、ムハンマド・ユヌス氏はマイクロファイナンスのアイデアを得て、それが信念になったのは想像に難くない。

グラミン銀行創設者。ムハマド・ユヌス氏。バングラデシュのチッタゴン出身だった。


その金利が高いのか安いのかと言われると、高い

グラミン銀行の場合は、そのマイクロファイナンスの利息として年利で20%ほどを取っていて、必ず返済させることをモットーにしている。

議論になったのが、マイクロファイナンスが取り立てる20%の金利である。

多くの人がマイクロファイナンスの手法を知ったときに、真っ先に言葉を失ったのもその金利の高さだった。

20%の金利は、ファイナンスの世界では決して珍しいものではない。しかし、借りる側の立場から見て、その金利が高いのか安いのかと言われると、当然「高い」と言うだろう。

少なくとも、貧困者が資本主義に参加するチケットにしては、あまりにも高利である。

それが「高利貸しやサラ金会社がノーベル平和賞を取ったようなものだ」という批判にもつながっている。

批判はともかく、今までになかった概念が試されて、そこから少なからずの貧困者が成功できるのであれば、それは意義あることなのかもしれない。

今のところ、貧困脱出のための手がかりとして提供されるサービスはそれしかないからである。

しかし、その金利に押しつぶされる人が出てきてそれが別の問題を生み出すのも時間の問題だったのだ。その想像は、次々と破綻して死んで行く貧困者の姿で証明された。

グラミン銀行はマイクロファイナンスの理想を具現化する銀行だ。だから週に一度は貸し出しと返済についての相談会や知識の説明を繰り返し行なっており、啓蒙が進んでいる。

これはとても必要な教育だ。

そもそも、資本主義の外部にいた人間には金利の理屈が分からない。理屈が分かっても何パーセントが妥当なのかという計算ができない。

私がねぐらにしていた民家の目の前。バングラデシュの水田の光景。


80%から100%もの暴利をかける銀行も生まれた

なぜだか分からないが、先進国でも金利の概念が身につかない人が多い。資本主義の中にどっぷりと浸って生きていても、金利にまったく無頓着な人が山ほどいる。

先進国でもそうなのだから、貧困国で金融の知識がない人たちにとってはなおさらだ。

それをいいことに、中には貧困者に貸し出して、20%どころか80%から100%もの暴利をかける銀行が生まれてきていた。

メキシコのコンパルタモス社がそうだった。この会社は上場企業になって創業者が莫大な富を得たが、これは貧困者を利用した新しい搾取事業だと断言してもいい。

実態は知らなくても、金利100%と聞いた瞬間に、これは世の中にあり得ないほど恥知らずな事業だと激怒しなくてはならない。存在そのものが許されないビジネスである。

ムハンマド・ユヌス氏の理想とは程遠いものであり、これはマイクロファイナンスというよりも、最も悪質な部類の高利貸しでしかない。非難されて然るべきだろう。

では金利20%のマイクロファイナンスは称賛されて然るべきなのかと言われれば、やはり逡巡してしまう人は多いのではないだろうか。

この世の中に金利20%のファイナンスをして、それ以上の利益を上げられるビジネスというのはそうザラにない。第一次産業であれば、特にそれは厳しいはずだ。

そして、20%の金を借りるのであれば、20%以上の儲けがなければ、遅かれ早かれそのファイナンスは破綻に向かう。これはビジネスを評価する上での基本だ。

貧しい村人に金を貸し付けて何らかの事業を運営してもらう。成功すればいいが、失敗すれば20%の金利に追われることになる。


良いものなのか悪いものなのか評価できない

もし貧困者が従事しているビジネスが年間20%のリターンを生んでいるのであれば、いつまでも貧困者でいるはずがない。

そうでないから貧困者は貧困から抜け出せない。

グラミン銀行側の立場から考えると、貸し倒れ率(すなわちリスク)が通常よりも高いファイナンスだから相対的に20%になるのは理解している。

金利は常にリスクと表裏一体の関係である。だから、金利を見て単純にマイクロファイナンスを批判する人間もまたビジネスの基本を分かっていない。

それはボランティアではないのだから、リスクと照らし合わせてグラミン銀行が20%の金利を設定しても誰も批判できない。

しかし、そこに20%を貸し付ける仕組みそのものがムハンマド・ユヌス氏の理想と裏腹に、常に危ういものを抱えていることも現実としてある。

ちなみに、ここで言う20%とは最高額で20%の計算で、グラミン銀行に限って言うと教育ローン等では5%程度に抑えているという。

私も含め、多くの人が何年経ってもマイクロファイナンスが良いものなのか悪いものなのか評価できないのは、単にその金利の設定が妥当かどうかが理解できないからである。

つまり、マイクロファイナンスの存在の重要性と、金利が生み出す問題を測って、どちらが重いのかがまだ分からない。

結局、高利が多重債務に結びつき、灯油をかぶって自殺しなければならない貧困者も生まれる。

それは事実である。

マイクロファイナンスで金を借りたが事業に失敗して、殺虫剤を飲んで自殺した女性。悲劇があちこちで起きている。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140104T0329110900.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c27

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
28. 中川隆[-7639] koaQ7Jey 2017年5月25日 14:46:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アメリカの医者は儲かって幸せなのか?

2014年04月17日
「アメリカの医師の9割が医者になることを勧めず、年間300人が自殺している」衝撃の結果に海外の反応は…
http://labaq.com/archives/51823334.html

アメリカでは患者の高額医療費が社会問題となっていますが、では医者は儲かって幸せなのかというと、彼らもまた苦しんでいる現状が浮き彫りになっています。

参照
「もうこんな国いやだ…」アメリカで請求された恐ろしく高額な医療費14例
http://labaq.com/archives/51816136.html


医者も患者も不幸だという、ゆがんだアメリカの現状に対する、海外掲示板の反応をご紹介します。


The Daily Beast紙によると、医者は鬱による自殺率が高く、また医者という職業に就くことを10人中9人が勧めていないとのことです。

さらに可能なら医者を辞めたいと思っていながらも、膨れ上がった学生ローンの返済のために他の選択がないのが現状だそうです。

また、アメリカの保険制度により医者は患者を増やさなくてはならず、その結果1人当たりの診断時間が短くなり、そのことで医師も患者も満足できずにいます。

複雑な保険システムにより、ほとんどの医師はノーという権限が与えられていないことから、仕事への情熱を失っていくケースも少なくないようです。

この現実に対し、医師も含め多くの人がコメントを寄せていました。

●想像してほしい。やっとの思いで到着した目的地が、すごくイヤでしかたがないことを。しかも巨額のローンが反面鏡で映し出されているんだ。

↑私の担当医は選択権を与えられたら、二度と医学の道には行かないと打ち明けてくれた。一生学生ローンの返済をしていかないといけないそうで、それから逃れる別の方法は死ぬしかないとも言っていた。

↑一緒に働いている麻酔技師が告白してくれたのだけど、彼女の学生ローンは50万ドル(約5000万円)近くあると言ってた。だから彼女はいつも残業して患者が多いんだなと思った。

↑麻酔技師は給与が高いことで知られる職業でもある。10年もすれば彼女は大丈夫さ。

↑むしろそれだからこそ、実は働く職場を見つけにくい。

●医者だが、記事を読んですべての点に同意せざるを得ない。患者の要求をほぼ無条件に聞かなければいけないのは事実で、この問題はひどくなる一方だと思う。医者にノーという権限を与えられていないことはつまり、患者は医師と会うのではなく、患者は人質を取ることを意味する。

●自分はNHS(イギリス)の医師だが、とても大変な仕事で長時間労働の上に、常に無料で奉仕しないといけない部分もある。
他にも患者がいることを理解しない患者から怒鳴られることも多く、アルコールやらヘロインやらの禁断症状なども私のせいだと思われることも多い。他の心臓発作の患者のところに行かなければならないことで怒鳴られたこともあった。給料は学校の先生より少し多いくらいのものだ。
でもこのコメントを書きながら自分はスマイルになっている。なぜなら上に書いたことが全部本当でも、毎日家に帰ると笑顔で「ああ、この仕事が好きだ」と思えるからだ。
もし僕に支援者やスポンサーがいて、日々の生活費とちょっとした贅沢(時々の葉巻やお持ち帰りのピザなど)を面倒みてくれるなら、仕事を無賃で奉仕してもいいと思っているよ。
NHSで働いているということは僕の誇りでもある。自分に向いていると思っているし、人の命を救えるだけでなく、患者の状態をよくする手助けも出来る。人々の良いときと悪いときを見ることができて、患者はその瞬間を僕と共有してくれる。そういった特権の感覚を僕は失っていない。自分も医学も完璧ではないので、毎日が学習で向上させていくことができ、退屈になるということもない。一緒に働く人々も才能があって貢献できる人ばかりなんだ。
もちろん日常的にイヤな奴(患者でも同僚でも)を扱わなくてはいけないことは否定できない。でも、よく若い医師たちが言い合っているように、「トイレに行く時間がないが、そもそも最初に飲む時間もない」ので問題ないんだ。
実際に関係があるのは、「自分に価値があるか」ということだけど自分にはある。全員が医師になるわけではないし、それも感謝しているよ。自分がそんな風に考えていることを幾人かに知ってほしいと思うので書いてみた。僕は医者で、それはとにかくすばらしいと思っているよ。

●長く医者をやっている。多くのコメントが長時間勤務や高額借金のことだが、本当にみじめな気分になることは、記事に美しく書かれていたように悪夢のようなペーパーワークだ。それも保険のための。終わりのない雪崩のようにやってきて、医師を完全燃焼させてしまう。全員が給料と引き換えに自由時間を求めているのは、もう疑いもない。

●医療勤務する友人がたくさんいるが、聞いていて一番ひどいと思うのは、とにかく不眠だってこと。医者はほぼ24時間シフトで仮眠を許可されている。私たちは飛行機のパイロットにしっかり休息を取ってもらいたい、管制塔の人間にしっかり休息をとってもらいたいと思っている。
それなら心臓の移植手術をしたり、出産を手伝う医師にも、しっかりと休息を取ってもらいたい。ほとんどの人が、手術室のカーテンの裏で何が起こっているかを見たら、恐ろしく思うに違いない。

●弁護士だが、記事にあるような医師の苦情を自分の友人や身内も含めてよく聞く。そのとき僕は静かにうなずいて、財布から自分の弁護士の免許状を出す。そして裏をめくって見せる。そこには弁護士免許に関する情報ではなく、太字で薬物乱用や自殺ホットラインの番号かいくつか載っている。

↑自分も最初弁護士の記事かと思った。人に弁護士になるように勧める弁護士を知らないしね。

●医師はミスをするとすぐに免許はく奪だ。訴訟も心配しないといけない。15年もかけて借金を背負ってなれたとしても、人から感謝されてないと感じることが容易に理解できるよ。

●婚約者が実習3年目で、10年付き合っているのでずっと見てきたよ。とにかく試験に次ぐ試験ばかりだった。しかも1つの試験が1000ドル(約10万円)くらいかかって、時々テストを受けるために飛行機代がいるほどだ。
仕事のローテーションも週に80時間ほど働いたり、医師になるまでに通り抜けないといけない障害物がすごいんだ。それでも彼女は幸運で、費用は全て両親が出してくれていた。普通の人はみんな20〜40万ドル(2000〜4000万円)ほどかかるので簡単な職ではない。なるためには極端な貢献、融通、忍耐、知能、そして経済力が必要だ。

日本でも医師になるのは大変ではありますが、アメリカでは相当厳しい境遇のようです。

医師も患者も満足できないというのは、やはりどこかゆがんでいるのかもしれません。

How Being a Doctor Became the Most Miserable Profession: Nine of 10 doctors discourage others from joining the profession, and 300 physicians commit suicide every year.
 

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c28

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
29. 中川隆[-7638] koaQ7Jey 2017年5月25日 14:48:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

派遣は生かさず殺さず…いい言葉だね

うちの課も派遣ちゃんが6人いるけど、頭もお股もユルいから
課長に相談するだけじゃ足りなくて俺のとこにまで相談にきたよ

朝まで相談に乗ってあげたら腰がガクガクになっちゃった

生きるためなら何でもできる女の子が増えればみんな幸せになれるってこと
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1247366929/l50


この言葉を与えてやるから、泣いて感謝するように↓ 読んだ感想を述べてみたまえ

★まず低学歴は頭が悪いんだから、生きてる価値は無いよ ゴミクズだな
俺のようなイケメンで有名大卒じゃないとな  
当然、モテモテ王子だよ
頭が悪いと何をやってもダメだな ずーっと負け組のままで終わるv 冷笑


★禿げやチビも、大きく減点だ  ~~
身長174センチ以下は遺伝子に問題でもあるんだろ  欠陥人間だ
禿げなんて笑いの対象にしかならんわな


★ブサイクやキモい奴は、地球から消滅したほうがいい  キリッ
醜い男たちよ モテないだろうな(笑) それでオタになったのか?
整形でもしろ 世間の迷惑だからよ  ゴキブリ君たち


★やっぱ頭が悪いと金儲けもできんだろ  
それで銭に困って借金して、犯罪に走る馬鹿がけっこう多いんだよな
俺のような勝ち組になれるのは、世間の1割程度だからな

ゴミのような負け組どもとは絶対に関わりたくねーよ(マジでマジで)
俺のように、女達とラブラブしながら、遊んでいられる身分になりたいだろ?  でも無理だ


★悔しかったら泣けよ ^^  
でも不幸しかない未来が変わることもないがなw
まぁ馬鹿でも前向きにやっていけば、運が良くなるかもしれんぞ


▼デブは脳機能に問題があることは、明らかになってるから、土方の仕事でもやって
世の中に貢献してからポックリくたばれな

でもなー、負け組のクズどもに、下手に期待をもたせるのは良くないな  ウホホホホww
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1323944359/l50

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c29

[近代史02] 株で損した理由教えてあげる 中川隆
478. 中川隆[-7637] koaQ7Jey 2017年5月25日 15:06:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

近づく「官製ブラックマンデー」約束された急落のベストシナリオ=藤井まり子
2017年5月25日
http://www.mag2.com/p/money/233096


利上げによる米国株式市場の大幅調整は免れないでしょう。しかし逆説的ですが、6月利上げは「米国市場の弱気相場入り」を回避するためにも必要なのです。


押し目かトレンド転換か。アメリカ株式市場の来る大幅調整を読む

2018年春にリセッション入りの恐れ

4月にアメリカの失業率が10年ぶりに4.4ポイントもの低さを記録したこと、さらには、4月のアメリカ市場のVIX恐怖指数がこちらも同じく10年ぶりに10ポイント台を割り込んで9ポイント台をマークしたこと。この2つが、内外のマーケット関係者の間でかなり話題をさらっています。

結論から言えば、近いうちにイエレンFRBが金融緩和へと転換しない限りは、2017年秋にはアメリカの株式市場がピークアウト(=暴落)して、2018年春にはアメリカの実態経済の方もピークアウト、リセッション入りする可能性があります。

ただし、ここが重要なところですが、「イエレンFRBが金融緩和へ転換すれば」この限りではありません。「トランプノミックスの中間選挙までの成長戦略は、金融緩和にあり」と言われるゆえんは、ここらあたりにあります。

「失業率4.4%」の衝撃

4月の米雇用統計で、失業率が4.4ポイントを記録した「知らせ」を受けて、内外のマーケット関係者の間には衝撃が走りました。

「失業率4.4%」というのは、経験則的に、「景気循環的には、1年後あたりにアメリカ経済がピークアウトするかもしれない。すると、半年後あたりにはアメリカ株式市場は大幅調整か暴落を覚悟しなければならない?」ということです。

さらに、1年後の景気のピークアウトが本当ならば、イエレンFRBは「2016年12月の政策金利の引き上げ」を最後にすべきだったのではないか。3月と6月の利上げは、やはり余計だったのではないか。そう感じたのは、私だけではありませんでした。

年初にお伝えしておりますが、今年2017年は「7」の付く年です。「7」の付く年は、ブラックマンデーの起きた1987年、アジア通貨危機の起きた1997年、リーマンショックの前哨戦が始まった2007年と、暴落や危機の起きやすい年です。

そして、この「暴落」「危機」は、どういうわけか夏から秋にかけて起きています。

さらに、アメリカ経済は「金融立国(=資産立国、バブル立国)」を目指し始めた1990年代後半から、「ほぼ10年に1度のサイクルでバブルをつくっては消滅」させています。

私のブログの創刊時や「アベノミックスのロケットスタート」時にも、「景気循環的には、今の株高が続くのは、2017年から2018年あたりまでだろう」というざっくり予測は、皆様にくり返しお知らせしております。

http://www.mag2.com/p/money/233096


上記グラフに示したように、景気循環的には、「イエレンFRBが金融緩和へと転じない」限りにおいては、「そろそろ1年後あたりに米国経済はピークアウトし始めて、株価はそれに半年先行して天井を打つ」かもしれないのです。

(もちろん、イエレンFRBが近いうちに金融緩和へ転じれば、この限りではありません。繰り返しになりますが、クリントン政権時代の景気回復期が極めて長かったのは、当時のグリーンスパンFRB議長が1998年のロシア通貨危機をきっかけにアメリカの金融政策を緩和へと転換したからです)

もうちょっと詳しく解説すると、「失業率4.4%」というのは、前回サブプライムバブル期の最低水準です。この最低水準は、景気拡大期の頂点で出現しやすいのです。この「失業率4.4%」あたりが記録されると、およそ1年後には実体経済はピークアウト、その後リセッション入りすることが多いのです。

すると、今回の「失業率4.4%」が、今回の「サブプライム危機後の景気回復の最低水準」とするならば、「アメリカの実体経済は(イエレンFRBが金融緩和へと転換しなければ)、だいたいは2018年4月頃にはピークアウトして、その後リセッション入りする」と、ざっくりと予測されます。

株価は実体経済よりも半年早く反応しますから、「アメリカ株がピークアウトするのは、(イエレンFRBが金融緩和へ転換しなければ)、だいたい2017年10月〜11月頃」と、ざっくり予測できます。

そして、平たく言えば、セオリー通りの「秋の株価暴落、2018年のリセッション入り」が嫌だったから、トランプ政権が登場したわけです。


根拠無き楽観に支配されたアメリカ株式市場

「4月のアメリカVIX指数」は、4月後半からの朝鮮半島での地政学リスクの後退を受けて、一時期10ポイントを割り込みました。こちらも、なんと10年ぶりの低水準でした。このこともやはり、内外マーケット関係者には衝撃でした。

4月のアメリカ株式市場は、「ITバブル期同様の根拠無き熱狂」とまで言わなくても、まさしく10年ぶりの「根拠無き楽観」「シュガーハイ状態」の極みだったのかもしれないのです。

「VIX恐怖指数」が10ポイントを割り込んだのは、2006年12月〜2007年1月以来(10年ぶり)のことです。

サブプライムバブル時代の頂点にあった2006年〜2007年を振り帰ると、VIX恐怖指数が10ポイントを割り込んだ「2006年12月〜2007年1月」に遅れること2カ月の3月には、上海株式市場が暴落しています。そして、7月と10月にはアメリカ株が2度のピーク(ダブルトップ)を打って、その後続落していきます。

2006年12月〜2007年1月は、VIX恐怖指数は「シュガーハイの極み」である「9ポイント台」を記録してから、およそ半年後あたりに株式市場がピークアウトしたわけです。実体経済の方も、株式市場におよそ半年遅れて、2007年12月にはピークをつけ、2008年1月からリセッション入りしていきます。2008年にはサブプライム危機が起きたのは、皆様ご記憶の通り。

少なくとも、サブプライムバブルとその崩壊の過程の2007年前後では、「VIX恐怖指数」がシュガーハイの極みである9ポイント台を付けると、およそその半年後の7月に株価がピークを付けて、さらにその半年後の12月に、実体経済がピークアウトしてリセッション入りするという「サイクル」でした。

そして、時代は巡り巡って10年後の2017年。2017年4月に「VIX恐怖指数がシュガーハイの極みであるかもしれない9ポイント台」を記録しました。同時並行的に4月には、上海株式市場の10%下落が起きました。

これを「10年前のサブプライムバブル時のサイクル」で予測すれば、イエレンFRBが金融緩和へ転換しなければ、「半年後の2017年11月には株式市場がピークアウト、その半年後の2018年5月には実体経済のピークアウト」という予測が可能になります。

この予測は、「失業率4.4%」から予測した「2017年〜2018年の米国経済とアメリカ株式市場のざっくり予測」と、ぴたっと一致します。なにやらとても不気味です。

もちろん、サブプライム危機前の2007年と、ブプライム危機後の2017年の今のアメリカ経済とは、経済構造が違っています。潜在成長率はさらに悪化、自然利子率も低下しているので、バブルの生成と崩壊過程がまるっきり同じプロセスをたどるとは限りません。

たぶん、イエレンFRBは、「8月にFRBの人事が確定した」ならば、9月あたりから「金融緩和へと大転換」することでしょう。ですから、ぎりぎりセーフで「米国経済のリセッション入りとアメリカ株式市場の暴落」は回避されることでしょう(詳しい理由は4ページ目で後述)。

が、上述の「失業率:4.4%」から眺めても、「VIX恐怖指数:10ポイント割れ」から眺めても、イエレンFRBが金融緩和へと転換しなければ、「半年後の2017年10月から11月には株式市場がピークアウト、その半年後の2018年4月には実体経済のピークアウト」という「ざっくり予測」が成り立つことは、大いに注意すべき事柄でしょう。

そして、「そんなのは嫌だぁああああ〜!」「株価の暴落も景気のピークアウトも嫌だぁああああ〜!」「低金利が好きだぁああああ〜!」「2%成長なんて嫌だあああああ!バブルをつくって3%成長がした〜い!」と登場したのが、トランプ大統領だったのです!


2万円を超えられない日経平均

日本株式市場では、日経平均は上値を抑えられてなかなか2万円台に乗りません。

「何が日経平均の上値を抑えているのか?」といえば、その原因は、日本国内の要因というよりも海外要因でしょう。すなわち、米国経済の「動機が不純な3月と6月の利上げによる失速懸念」と「中国経済の失速懸念」です。

世界の実態経済は、どうやら2016年半ばには大底を打って、そこそこ力強い成長軌道に乗っているようです。

ところが、イエレンFRBは、2015年12月の「1度目の政策金利委の引き上げ」に続いて、2016年12月に「2度目の政策金利の引き上げ」を行いました。「12月の利上げ」を「最後の利上げ」にすべきだったところを、イエレンFRBは「近い将来、金融緩和へ転じないといけなくなりそうだから、利上げできる今のうちに利上げしておこう」と、3月には慌てて利上げを断行しました。来月6月の「利上げ」もほぼ確実でしょう(確率はおよそ80%〜100%)。

アメリカの実体経済は、遅かれ早かれいくばくか失速していくのではないでしょうか?

一方、中国。世界の中央銀行であるアメリカFRBの度重なる利上げで、米国経済よりも苦しんでいるのが中国経済です。

トランプ政権の手前、中国人民銀行は、人民元安政策は行えません。北京政府は、秋の共産党大開を控えて、中国経済の「痛みを伴う構造改革」に着手しています。

今の北京政府は、金融引き締めを行いながら、構造改革を断行するという「絶望的な離れ業」を継続しているのです。今後は中国経済はいくばくか失速していくかも知れません。

中国経済の失速懸念で、日本株式市場の上値が抑えられています。黒田日銀総裁は、イエレンFRBの金融緩和への大転換と足並みをそろえて、もう一度、追加の金融緩和を打つ必要が出てくるかも知れません。

「官製のブラックマンデー」はすぐそこまでやってきている

2017年は「7」の付く年なので、暴落が起きやすいです。放っておけば、「2017年の秋」には、暴落が起きて、バブルがピークアウトしてしまうかもしれない。半年後の2018年春あたりには、アメリカ経済はリセッション入りする可能性もある。

かくして、「バブルが終わるなんて嫌だ!」「リセッション入りなんて嫌だぁああ!」ということで登場したのがトランプ政権。

ただし、大型減税と大型のインフラ投資と規制緩和を掲げる「トランプラリー」は、画竜点睛に欠けていました。今のトランプラリーは、イエレンFRBが金融緩和へ転換しない限りは、欠陥車なのです。

減税は、株価を上昇させますが、金融緩和とセットで行わない限り(減税の規模が大きいか小さいかに関わらず)経済成長を加速させないのです。そのトランプ減税も、ロシアゲート事件発覚でその実現性が怪しくなってきています。

そもそも、「2017年、比較的早い時期の株価の大幅修正」は、トランプラリーのベストシナリオでした。

今のアメリカのマーケットには、「大きなゆがみ」が存在しています。株式市場は極度にイケイケのシュガーハイ状態なのに、債券市場は実体経済が堅調な割に慎重極まりない。為替市場では、「ドルのインデックス指数」が、既にトランプラリー開始前の昨年秋の水準にまでドル安修正しています。これは、大規模減税でも大規模インフラ投資でも、もうトランプ大統領には何も期待していないということです。

為替市場は、マーケットの中で最も早く動きます。近いうちに、債券市場も株式市場も、為替市場に遅れて調整していくことでしょう。

年明けからのトランプラリーは、イエレンFRBが利上げできるくらいだから、「アメリカ経済の将来はかなり調子が良いのだろう」と株式市場関係者も頭を空っぽにして株式市場に賭けてきた可能性がかなり高いです。 マーケットの「ゆがみ」は、近いうちに修正・調整されることでしょう。

今のアメリカ経済は、賃金上昇率の低下と物価上昇率の低下という点では、暗い陰があります。近い将来、成長がスローダウンする可能性が懸念されています。物価上昇面から眺めると、アメリカ経済の 「長期停滞」の影がどうしても拭えないのです。

そういった中、イエレンFRBの3月の利上げは「動機は不純」だった疑いがあります。「近い将来、政権に金融緩和を迫られそうだから、金利を引き上げられる今のうちに急いで金利を引き上げた」疑いがあります。

同じように、イエレンFRBの6月利上げも「動機が不純」。しかしながら、イエレンFRBは6月に利上げを断行することでしょう。「8月のFRB人事」の正式決定までは、イエレンFRBは利上げの手綱を緩めないでしょう。

(トランプ大統領もイエレンFRB議長も「近い将来、金融緩和に転じて、高圧経済を造り出して、大型バブルを造ってでもアメリカ経済の構造改革を推進していこう」という点では、意見が一致しています)

2回におよぶ「動機が不純」な利上げで、アメリカ株式市場の大幅調整は免れないでしょう。

「100歩」譲って、イエレンFRBが6月の利上げを見送ったならば、何が起きるのか? そもそも、イエレンFRBはかねてより「アメリカの株価はバリエーションから眺めると高すぎる」と警鐘を鳴らしているので、6月利上げを見送るなんてことが起こりうるのだろうか?

6月に早々と利上げを見送れば、下手をすると、8月に「FRB議長の人事」が正式決定する前に、トランプ大統領との政治的な取引が終了してしまうことにもなり、イエレンFRB議長としては「とても損」になります。

イエレンFRB議長としては、FRB人事が無事終了するまでは、トランプの奥歯をがたがた言わせたいはずです。利上げの手綱は緩めないでしょう。そういった意味でも、6月利上げの見送りは起こりえない。

万が一、6月利上げを見送るとすれば、アメリカ株がイケイケになり過ぎて、秋には20%以上の大幅調整や暴落を巻き起こすことなってしまうかもしれません。「20%以上の下落」では、(大幅調整を超えて)アメリカ株式市場を「弱気相場入り」させてしまう危険があります.。

6月利上げは、「アメリカ株式市場の弱気相場入り」を回避するためにも必要なのです。また、アメリカ株式市場を「健全に調整させる」ためにも必要でしょう。今のアメリカ株式市場で「健全なガス抜き」を起こすためにも、さらには、「その後の息の長い株価上昇」を形成するためにも、6月利上げがぜひとも必要なのではないでしょうか。
http://www.mag2.com/p/money/233096


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/428.html#c478

[リバイバル3] 札幌 ジャズ喫茶 JAMAICA _ JBL パラゴン 富山誠
5. 中川隆[-7636] koaQ7Jey 2017年5月25日 15:41:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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横浜M邸のパラゴンは GRFのある部屋
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販売価格 5,480,000円(税抜)
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と比べると ノースウエスト トレーディングのレプリカの安さは異常ですね。

見事なJBL「パラゴン」(レプリカ)の製作 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年05月25日


幾つものスピーカーを操っていると、すぐに足りなくなるのがSPターミナルだ。SPコードを接続するための大切な小物だが、SPコードを繋ぐときにもハンダ付けすればいいものを便利さにかまけてSPターミナルを使うので、つい出番が多くなってしまう。

先日、いよいよ足りなくなったので調達しようと別府の隣町のSさん宅(日出町)へクルマを飛ばした。

Sさんはスピーカーのエッジなどの関連部品を手広くネット販売されている方で、それだけに留まらず以前のブログ(「見事なJBL「メトロゴン」2013.12.10)で紹介したように、ご自宅でJBLの「メトロゴン」を製作されている。

15分ほどで無事到着。電話で予約していたので「やあ、お久しぶり。お邪魔しま〜す。」

「いつもブログを拝見してますよ〜。最近、真空管アンプに興味を覚えて部品を集めているところです。」と、Sさん。

「TRアンプもいいでしょうが、昔のスピーカーには真空管アンプの方が相性がいいみたいですよ〜。」と無難に応じておいた(笑)。

オーディオルームに入ったところ、いきなり目に飛び込んできたのが「パラゴン」だった。

          

「エッ、メトロゴンからパラゴンに切り替えたのですか!」と、驚いた。

それにしても見事なツクリである。とりわけ独特の曲線を持った足の部分の製作が困難を極めたそうで、実際に見本を取り寄せてその通りに復元したそうだ。

わざわざアメリカから木材を取り寄せて、組み立てられるそうで1台当たり6か月ほどかかるとのことで壮年のSさんだから出来る根気仕事だ。それでもオークションに出品すると全国津々浦々にわたって右から左へとすぐに売り切れるとのことでヤル気満々。

これまでに4台完売し、大きな図体にもかかわらず3分割できるので輸送もそれほど困難ではない様子。

この仕上がりならまさにプロ級の腕前だと納得。お値段も信じられない程安い!

音を聴かせてもらったが、大型システムならではのゆったりして安心できる音だった。

それに、お見かけどおり、パラゴンは家具としての調度品的な役割も十分果たせるので、都会のマンションなどのリビングルームにさりげなく置いておくととても洒落た感じだし、パラゴンの形状からして指向性に優れているので部屋のどの位置からでも聴けるのがいい。

また販売用とは別に、ご自宅用として設置されているのがこれまたJBLの「エベレスト」。

           

ホーン部分は別として、木材の部分は自作だそうで、本当にSさんは器用だ!

帰り際に「真空管アンプなら我が家に余っているのが2〜3台ありますので貸してあげますよ。ぜひ、お見えになってください。」

大分県の片田舎で孤軍奮闘しているSさんだが、それほどガツガツしていない様子が好ましい。何とか応援したくなるが、当方なんて微力そのものなのでどうしようもない(笑)。

最後に、Sさんのホームページ

スピーカーエッジ、リコーンキット、クランプの販売 ノースウエスト トレーディング
http://www.hobbies-n-things.com/

と連絡先「0977−72−8926」を掲げておこう。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9a7d7e0a0dce681432aed3ded5086f3b



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/416.html#c5

[リバイバル3] 岩手県 奥州市 ハーフノート _ JBL パラゴン 富山誠
2. 中川隆[-7635] koaQ7Jey 2017年5月25日 15:43:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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最後に、Sさんのホームページ

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/408.html#c2

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
389. 中川隆[-7634] koaQ7Jey 2017年5月25日 17:10:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

投資を行なってそれが成功するように祈るのは二流の投資家のやることであり、

プロはどちらに転んでも利益となるように未来のシナリオを精査し戦略を考えるものである:

原油トレード
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6271

トランプ相場でアメリカの長期金利の上限を予想した時のように、レンジの予想を当てること自体はさほど難しくない。

•トランプ相場: アメリカの長期金利は高いのか低いのか?(2016/11/26)
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4848


もし2.7%という長期金利の適正値が正しいとすれば、金利が2.7%近辺になった辺りで10年物国債を買うことが正当化されるからである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/05/2017-5-25-us-10-year-treasury-note-yield-chart.png

しかし問題は、レンジ予想で利益を得るためにはオプションを取引することが必要であり、日本の個人投資家の読者には原油や国債のオプションを取引することは難しいだろうということである。

•オプション取引入門1: プット・オプション、コール・オプションとは何か?
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/1694


しかしオプションを使うことが最良の解であれば、それを承知の上でもやはりそのトレードについてここでも書くべきだろう。

上記の原油価格のレンジ予想に従ってトレードするためには、

コール・オプションの売り(原油価格が一定以上に上がらなければ利益が出る)

プット・オプションの売り(一定以下に下がらなければ利益が出る)

を同時に行う必要がある。

2018年中は原油価格が一時的に上昇する可能性があるため、例えば2019年1月に期限が来る原油先物のオプションを見れば、52ドル以上に上がらなければ利益となるコールの価格が7.36ドル、52ドル以下に下がらなければ利益となるプットの価格が6.5ドルである。

これを両方売ってそのポジションを期限まで持てば、13ドル程度が無条件で手に入り、そしてその時の原油価格と52ドルとの差がそこから差し引かれるということになる。

例えばその時の原油価格が54ドルならば、13ドルから2ドルを引いて11ドルが利益となる。この詳細な説明についてはオプションについて書いた記事を参考にしてほしい。

•オプション取引入門1: プット・オプション、コール・オプションとは何か?
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/1694

しかし重要なのは、結果としてこのトレードは原油価格が52ドルからプラスマイナス13ドルの範囲、つまり39ドルから65ドルのレンジに収まる場合、利益の出るトレードになるということである。ここに書いた予想にほぼ適合するポジションである。

また、万一一時的にこのレンジから外れることがあれば、むしろそれはチャンスと捉えるべきである。

原油価格の行き過ぎは、上下どちらの方向であったとしても投資機会を生む。

原油価格が40ドルを下回れば、産油国ロシアの市場は優良な資産が大安売りとなるだろう。

•2017年はロシア市場こそがレーガノミクス上げ相場の再来となる
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5249


逆に上昇が行き過ぎる場合、破綻寸前の米国シェール企業が発行するジャンク債に過度な楽観が見られることになるだろう。空売りの絶好の機会である。

•トランプ政権が超長期債発行でジャンク債は暴落する
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5069

つまり、このトレードはレンジに入れば利益となり、入らずとも別の投資機会を生む、どちらに転んでも構わないトレードということになる。

投資を行なってそれが成功するように祈るのは二流の投資家のやることであり、プロはどちらに転んでも利益となるように未来のシナリオを精査し戦略を考えるものである。

トランプ相場は後退したが、原油市場にはそういう機会が存在している。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6271

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c389

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
390. 中川隆[-7633] koaQ7Jey 2017年5月25日 18:06:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

投資を行なってそれが成功するように祈るのは二流の投資家のやることであり、
プロはどちらに転んでも利益となるように未来のシナリオを精査し戦略を考えるものである 2 :

アナリストの予想は逆になる         

専門家は1%上がれば「回復基調」「底打ち感がでている」と書き、逆に少し下がると「リスク回避懸念」などと書いた。

経済メディアやエコノミスト、投資の専門家は少しでも上昇すると「上げ相場だ」と言い、少し下げると「下げ相場だ」と言っているだけです。

XXX銀行チーフエコノミストのような立派な肩書きを書いていても、やっている事はオウムと一緒で、早くAIで自動化したほうが良い。

オウムよりはしっかりした著名投資家や投資機関は中長期の見通しを発表するが、これがまた当たらない。


世界一の投資会社はゴールドマンサックスで、取引高は国家を遥かに上回る数千兆円とも言われていて、さぞ的確な予想をしているだろうと想像する。

だが2011年に東日本大震災が起きた後、GSの責任者は「日本売りで年末には1ドル195円を超え、国債大暴落が起きる」と言っていました。

現実には日本国債は大暴落どころか大人気でマイナス金利になり、年末に1ドルは80円でした。


予想の上手さと投資成績は無関係

GSの経済予想を時系列で並べても当たった例はほとんど無く、わざと逆の事を言って騙そうとしているのではという邪推すら起きてくる。

世界一の投資家のWバフェットも同様で、2008年の北京オリンピックの頃「中国の一人当たりGDPはアメリカ人と同じになり、中国のGDPはアメリカの5倍になる」という計算を披露しました。

この計算では中国の経済規模は日本の10倍になるが、現実には「水増し」を差し引くと未だにアメリカの半分、日本の1.5倍程度で頭打ちになっています。


バフェットと共に大投資家として名高いJソロスはトランプ大統領当選でドルが暴落すると予想したが、逆にドル高株高になって数千億円も損をしたとされています。

ソロスは2016年に中国人民元暴落も予想し、少しは下げたのだが暴落はしなかったので、これも儲からなかったでしょう。

冒険投資家Jロジャーズも2008年ごろは「子供を中国に移住させ、自分も中国人になるつもりだ」と述べるなど大変な入れ込みようだった。


「中国人はアメリカの4倍いるのだから4倍のガソリンを消費し、4倍の買い物をする」だから中国人になれば世界一の投資家になれると言っていました。

その後中国の失速が明らかになるとロジャースは中国の話をしなくなり、ベトナムとかミャンマーとか怪しげな国を「将来有望だ」と言っていました。

日本で経済や投資のニュース解説に必ず登場するのが元財務官僚のアナリストで、中でも「ミスター円」榊原英資は大人気です。


大恐慌でも投資家の財布は痛まない

だが榊原氏の相場予想となると、当たったことが一度も無いと言えるほど外れまくり、それでいて経済番組に必ず登場するので、テレビと財務省の癒着ではないかと疑っています。

このように経済専門家や投資専門家、アナリストから世界最大の投資機関まで、彼らの予想は99%まで外れる事になっていて、一般の人と同じレベルです。

それでもバフェットやソロスやGSは、我々一般人の年収を数分で稼いでいるので、相場の予想と投資で稼ぐのは無関係だと分かります。


彼らが運用する数兆円というような金額になると、「どこにいくら配分するか」という運用配分が重要になります。

どの国の株式に何%、どの国の国債にそれぞれ何%、あるいは成長分野の企業買収とか、細分化することで「絶対に損をしない」ようにします。

例えばリーマンショックの時ですら、世界全体では1年だけ0.05%マイナス成長だっただけで、分散していれば打撃を受けなかった筈です。


こうした事がお金持ちや大投資家の投資なので、予想が当たろうが外れようが、彼らの資産は守られているのです。

自分でリスクを負っているようで、実は株価が半分になっても、資産は保護される仕組みになっています。

一般の個人投資家はそうではなく、日経平均やNY株が1割も下がったら、資産の大半を失う人が続出します。


お金持ちや投資機関責任者の発言を真に受けると、個人投資家は酷い目に遭うでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/70226723.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c390

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
75. 中川隆[-7632] koaQ7Jey 2017年5月25日 21:36:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

CONEQ イコライザーを使ったパラゴン再生

長野県 S邸導入事例 (2012年8月取材)


今回CONEQの導入事例として、APEQ-2proを導入された長野県のS邸を取材しました。

静かな森の別荘地に佇むS邸では、アメリカから直接取り寄せたというパラゴンが鎮座しており、今回はそのパラゴンの補正にAPEQ-2proが使用されました。


S邸の機材一覧

スピーカ:JBL Paragon (プロトタイプ)
CD: DCS P8i
プリアンプ: McIntosh C22
パワーアンプ:McIntosh MC275


以前より弊社ホームページで他のパラゴン補正事例や、様々な導入事例をご覧になっていたS氏。今回初めてCONEQの補正力をご体感され、導入されたその経緯とご感想を伺いました。

S氏のパラゴンはプロタイプと伺っていますが?


そうですね、プロトタイプです。ツイーターが下についているのが特徴で、木材は全て米松の合板を使用しています。

板厚が量産モデルよりも厚く重いので、重みのある音がするのが特徴だと思います。

今までパラゴンをご使用されていて、気になっていた点はどういったところですか?

まずとにかく高域が出てこないというところです。よくパラゴンは

「洞窟の中から音が聞こえてくるようだ」

と称されますが、まさにそんな感じですね。
その改善をCONEQにご期待され今回の導入を決めました。

実際にCONEQを入れての音は今日初めてお聴きになったと思いますが、ご感想はいかがですか?

とにかく、良いところは残したまま、オリジナルに忠実にフルレストアして、更に現代風のアレンジを加えたという感じでしょうか。

また、音像が上に上がりました。以前は下に淀んでいた音が、すっきりとして上に上がってきました。

CONEQである程度の改善の期待はしていましたが、実はここまで改善できるとは予想していませんでした。いい意味で裏切られましたね。

逆にCONEQを導入されたことによるデメリットは感じますか?

全くマイナスはないですね。

よくイコライザーを入れると音が悪くなると言われていてそう思い続けてきましたが、CONEQに関してはそれは全く感じません。

_________


Real Sound Lab 音響パワーイコライザ・CONEQ (生産完了品)
http://www.realsoundlab.jp/coneq/


音響パワーとは?

音響パワーとは、音源から放射された音が、ある特定の面を1秒間に 通過する総合的なエネルギー量です。

我々が自然界で聞く音には、全て音源があります。音源から 放たれた音は、空気を媒体として夫々の方向に伝播して行きます。 これは池に石を落とした時に見られる波紋の広がりに似ています。 その波は実はエネルギを運んでいるのです。

同じように音もエネルギとして伝播して行きます。そして、その ある瞬間の音響エネルギが音響パワーです。

スピーカーから放たれる全音響パワーを得るには、スピーカーの 前面を包み込む仮想面に沿って音圧を綿密に測定し、その測定 結果から演算して算出します。

音響パワー周波数特性の測定

音響パワーの測定は以前から確立されており、半自由音場法や 音響インテンシティ法といった方法を基にISOやJIS-Z8732:2000と いった規格も存在します。ただ、これらはあくまでもある音源から どれ程の音響エネルギが放射されているかを測定するものであり、 そのエネルギ内の周波数特性分析を行う事はできませんでした。

Real Sound Labは、世界で初めて音響パワーの周波数特性分析を 可能とし、それを基にイコライジングを行う技術「CONEQ」を開発し、 今まで音圧のみで行ってきたイコライジングに、新たな方向性を 示す事ができました。

「音圧」ではなく「音響パワー」を補正する理由

従来のイコライジングの概念で使われていた「音圧」は、 スピーカ前面のある1点での音の圧力で、一方「音響パワー」は スピーカ前面のある特定の面を1秒間に通過する音の エネルギ量です。

ここで音圧と音響パワーの関係を簡単に説明する為に次の様に 電気に例えてみます。


音圧 = 電圧(V)

空気粒子の流れ = 電流(A)

音響パワー = 電力(W)

更にそれぞれの関係は下記の様に例えることが出来ます。


『電圧 x 電流=電力』 = 『音圧 x 空気粒子の流れ=音響パワー』

『電力 (W)x 時間(h)=電力エネルギ(Wh)』 = 『音響パワー x 時間=音響エネルギ』

例えば、人が電気に触れた時に受け取るものは「電圧」ではなく 「電力エネルギ(瞬間的には電力)」です。同じように人の 耳に届く音は「音圧」ではなく、空気中を伝わってくる音響 エネルギ(瞬間的には音響パワー)です。

音を音源から耳に運ぶにはエネルギが必要で、本来 イコライジングはこのエネルギ(瞬間的にはパワー)に対して 行う必要があるのです。

音響パワーイコライザ・CONEQ

CONEQはスピーカーから放たれる音響パワーを約400点の 測定ポイントから演算し、音響パワー周波数特性を完全に フラットにする技術を世界で初めて確立しました。

これによりスピーカーからの再生音を限りなく原音に 近づける事が可能となり、プレーヤーが演奏した音 そのままをスピーカーから再生する事を可能にします。
http://www.realsoundlab.jp/coneq/

リアルサウンドの 2chイコライザー“APEQ-2pro” 2009年9月 清原 裕介


この製品は、バランス(XLR)のアナログ2ch信号をイコライジングする装置です。内部の演算はすべてデジタルで行われますが、入出力はあくまでも「アナログ」で、使用方法も他のイコライザーと同じようにプリアンプとパワーアンプの間に挿入したり、プリアンプ(プリメインアンプ)のTAPE入出力などに接続して使用します。

特徴

APEQ-2proが他のイコライザーと違っているのは、「演算」に「音響パワー」を用いることです。APEQ-2proは、従来のイコライザーのような「単純な周波数」ではなく、Real Sound Lab社が開発した音響パワーイコライジング技術“CONEQ(コネック)”により、スピーカの前面約400点の測定結果に基づき完璧な“音響パワーイコライジング”を実現します。

イコライジングに用いられる帯域分割(バンド)も非常に細かく、4096バンドで音響パワーイコライジングを行い、同時に位相とタイムアライメントも完全に調整されます。内部演算に用いられるDSP(デジタル、シグナル、プロセッサー)の量子化ビット数は32bit(約43億段階)にも及びます。デジタルフィルターには、位相が変化しないFIR型が用いられるなど、デジタルイコライザー部の精度もオーディオユースに十分見合う以上に高いものとなっています。

これがどれくらい高い性能か確認するため、オーディオ用のデジタルイコライザーとして評価の高い、Accuphase DG-48と比較しましょう。DG-48は内部演算こそ“40bit”とAPEQ-2proの32bitを上回りますが、補正されるバンド数は80(APEQ-2proは4096)、使用されるフィルターはIIR(位相が回転するため、プロフェッショナル用途には使用されることのないデジタルフィルターです)にしか過ぎません。このDG-48のスペックでは、音を変えるのが精一杯で音質改善はまず難しいと思います。D-48の評価はとにかく、APEQ-2proはDG-48とは比較にならない高いスペックを持っていることがおわかりいただけると思います。

このように、"リアルサウンドラボ社が開発した世界初の“4096バンド音響パワーイコライザー APEQ-2pro”を使えば、お使いのスピーカーが完全に補正され、スピーカから放たれる音は限りなく原音に近づき、トランジェントが改善されて豊かなステレオ感と 正確な音の定位が得られます。

1.従来の音圧ではなく、※音響パワー(エネルギー)の周波数特性を 4096バンドの超高精度で補正(世界初) システム構成や設置位置に関わらず、限りなく原音に近い再生が可能。


2.位相とタイムアライメントを完全補正スピーカや各コンポーネントの 特性に起因する位相とタイムアライメントのズレを完璧に補正。 声の明瞭度に加え、音の躍動感、臨場感が増します。


3.低音域の補正も可能(0-100Hz間で約20バンドの補正が可能) 今まで不可能だった超低音域も、自動的に補正。 ブーミーさが無くなり、迫力のある引き締まった音に改善されます。


音響パワーとは?

オーディオの世界では聞き慣れない「音響パワー」という言葉ですが、音源の音響パワーレベルとして機械など各種騒音源やその他一般の音源から放射される音を表示・評価 するための基本量として、ここ十数年前から使われるようになり、現在はJISやISOなどでも定義されてる音を表す単位を示します。

「音響パワー」とは、“ある指定された面を通って1 秒間に通過する音響エネルギー”を意味し、音響エネルギーとは、“指定された面に垂直な方向の体積速度と瞬時音圧の同相成分の積の時間平均値”を示します。すなわち,音響パワーはエネルギーを概念として音場の性質を捉えた基礎量であり、一般的なイコライザーが測定に用いる“周波数特性”とは、根本から異なります。

言い換えるなら「音響パワー」は、ある空間を通過する音波の「動的特性」を示し、「周波数特性」とは、ある空間の「瞬間の特性(静的特性)」を示すに過ぎないのです。音楽は、「音響エネルギー」の変化によって成り立っていますから、イコライザーとしてどちらが最適か?それは、論を俟たないことです。


上のインストール例のコメントにもありますように、APEQ-2proを使うと「余計な音」、「余計な響き」が激減します。部屋がブーミな場合やスピーカーのセットアップが不十分な場合は、その効果は非常に高く劇的に音がクリーンになります。冒頭で比較したAccuphaseなどの周波数を補正する“グラフィックイコライザー”との違いは、使用によって「音が平坦になる」、「音楽の抑揚が無くなる」などの「悪影響」が全く起きないことです。

APEQ-2proを使うと、楽器と楽器の間にあった空間の「濁り(余計な響き)」だけが取り去られ、楽器の響きの透明感が増してきます。また、余計な響き成分が減少することで音場はより大きく広がり、各楽音の明瞭度も向上します。

そればかりではありません。、本来「音の良さ」が何より求められるコンサートやライブ会場などのスピーカーの音質改善を目的として作られたAPEQ-2proは「音楽の表現力を改善」できるのです。それは、多くのオーディオ用イコライザーが「音は変わっても音楽がつまらなくなった」という問題を生じるのと対照的です。

APEQ-2proを使えば、楽器の音は生音に近づき(生の楽器を聴いているのと非常に近い音色になる)、ボーカルもまるで目の前で本人が歌っているかのように生々しくなります。APEQ-2pro(DIO)によって「邪魔な音だけが取り去られた結果」として、「音楽の表現力の大きさと深さ」がそれまでとは比べものにならないほど大きくなるのです。

「原音忠実再生」を目差していらっしゃるなら、スピーカーやアンプ、アクセサリーやルームアコースティックの調整でお悩みになることはありません。そのすべてをReal Sound APEQ-2pro(DIO)は、たった一台で解決できるのです。


オーディオの目的は二つあります。一つは「コンサートの忠実な再現」です。この目的に対してAPEQ-2proは、最短で最良の手段です。では、もう一つの目的である「気に入った音を出す」という目的に対してAPEQ-2proのようなイコライザーをどのように使えばよいのでしょう?答えはそれほど難しくありません。音質を補正することはすなわち、スピーカーから新しい音を出すことだからです。では「気に入った音を出す」ためにAPEQ-2proをどのように使えるか?考えてみましょう。

オーディオで求める音は「一つ」ではなく、求める人の数だけ「音のバリエーション」があって良いと思います。そのバリエーションを実現するために、スピーカーやアンプ、プレーヤー、あるいはケーブルと言った製品やアクセサリーが星の数ほど存在しています。それらのアクセサリーを「調味料」に例えるなら、スピーカーやアンプは「素材」です。もし、「素材」に強烈な個性があれば、「調味料」の使い方は非常に難しくなります。しかし、「素材」の個性が薄ければ、「調味料」は少しですむはずです。そして、「調味料による変化」もとても分かりやすくなります。

APEQ-2proの最大のメリットは、リスニングルームでもっとも大きな問題となる「ルームアコースティック」も含めてスピーカーの音を補正できることです。さらにアンプやケーブル、インシュレーターの音も含めて完全に「色づけのない音」が実現します。そこでまず、アクセサリーを一切使わずに「補正データー」を算出し、そのデーターを使って「スピーカーを補正」した後、アクセサリーを使用すれば「そのアクセサリーの音質」だけを反映できるのです。最初から「味」が付いている「素材」に調味料を加えるのではなく、「味のない素材」に「調味料」を使えば、「調味料の味」だけが際立つというわけです。

さらにAPEQ-2proに付属する“C1”という「12バンド精密パラメトリック・イコライザー・ソフト」を使えば、非常に精密なトーンコーントロールとしてAPEQ-2proを使うことができるのです。精密なイコライザーは、「音質をフラット」にするだけではなく、「フラットにした音に味を付ける」ことにも使えるのです。


ここで「グラフィック・イコライザー」や「トーン・コントロール」の有効性について考えてみましょう。

高音/低音が足りないと感じたとき、アンプに「トーンコントロール」が装備されていれば、つまみをひねるだけで望みの音が手に入ります。特に生演奏よりも「小音量」で音楽を聞かなければならないことが多い家庭では、音量に応じた音質を得るために「トーンコントロール」が欠かせません。しかし、なぜか高級オーディオでは「トーンコントロール」や「グラフィックイコライザー」は邪道とされています。それには次のような「明快な理由」があります。

私は「趣味は無駄を楽しむこと」だと考えています。オーディオにおける「試行錯誤の時間」こそ趣味の本質であり楽しい時間なのです。それに対し、仕事は「効率を上げること(無駄を省くこと)」が目標です。APEQ-2proはその“PRO”という名の通り、無駄を省いてくれます。しかし、それでは「楽しみが奪われて」しまうではありませんか?これが、高級オーディオ製品に「トーン・コントロール」が省かれたり、イコライザーが嫌われる理由なのです。

楽しみながら苦労して「自分が作り上げた音」が一瞬で「無味」になってしまったらどんな気持ちがするでしょう?特に「自分の作った音に絶対的な自信を持っている」、「自分の音に惚れている」、「自分の音が自慢である」といったコアなオーディオマニアこそ、APEQ-2proを否定するでしょう。「遅くともマニュアルで車は運転したい=音質が完全でなくても音は全部自分で作りたい」。それも趣味として「正しい姿勢」に違いないからです。

しかし、あまりにも「音作り」にばかりこだわりすぎると、「音楽」がお留守になります。私は、オーディオの話をする前に必ず「好きな音楽」を尋ねます。音楽の趣味を知れば、その人の「音楽に対する理解(愛情)」は、容易に判断できるからです。音楽に対する造詣が浅い人が出す音は、やはり浅いものでしかないのです。しかし、オーディオの音質が原因で「音楽に対する造詣が深められない」などしたら、それは悲劇です。何を隠そう私自身がそうだったのです。プアなステレオでプアな音しか聞いていないときは、交響曲やクラシックの本当の良さを知ることは出来ませんでした。

現在私は、積極的に「トーンコントロール」や「グラフィックイコライザー」を推進しています。それは、一歩でも早く「音楽の本質」に近づいて欲しいとの願いからです。逸品館に寄せられる「音」のご相談の多くは、「低音/高音が足りない」、あるいは「音が前に出てくない」といった、根本的でありながらも「比較的解決が優しい問題」です。そんな簡単な問題の解決に「無駄な時間」を費やして欲しくはありません。

かなり以前から、逸品館では「先進のトーンコントロール機器」としてBBEの製品をお薦めしています。BBEを使えば高音や低音のバランスのみならず、音像の定位が悪いといった問題は嘘のように解決するからです。BBEは簡単なアナログ・プロセッシングの音質補正装置ですが、その優れたプロセスによって他のトーンコントロールでは実現しない素晴らしい効果が音質をほとんど犠牲にすることなく得られます。つい先日も「音を前に出したいから100万円クラスのパワーアンプを探している」というお客様に、BBEをご紹介したところ大変喜ばれ、その場でご購入なさったことありました。オーディオ機器に100万円近く投資する効果が、数万円のBBEで得られることをご存じでしたか?

今回テストしたAPEQ-2proは、BBEより遥かに進歩しています。APEQ-2proは車で言うなら、素晴らしく良くできたオートマチックです。ドライバーは、エンジンキーをひねるだけで後は車が全部やってくれます。誰より快適で、誰より早く「コンサートの再現」という、オーディオの一つのゴールにたどり着くための特別な手段がAPEQ-2proなのです。そして、APEQ-2proを上手く使いこなしたときには、「気に入らず機器の買い換えを繰り返した悪循環」が完全に断ち切れます。


オーディオの頂点を「マニュアル」でゆっくり目差すか?オートマチックで一気に上り詰めるか?それは、あなた次第なのですが、APEQ-2proは、「音楽を聴くためのマイナス面」だけを取り去るので、「機器本来の情報量が損なわれる」事がありません。確かにプレーヤー(プリアンプ)とアンプ(パワーアンプ)の間に一つ機器が増えることで、僅かですが「音の細やかさ」がスポイルされるのは避けられませんが、それはAPEQ-2proからアンプに接続するケーブルに高級品を奢ってやれば解決します。総合的に判断してAPEQ-2proを使ったマイナスよりも、それを使ったプラスが小さいというケースには、まずお目にかかれないはずです。何よりも「音楽を聴くのが楽になる(音場の余計な癖が取れてしまう)」ことは、普段音楽を聴く時間が長い方にとって、これほど嬉しいことはないはずです。

TANNOYのような「響きの多いスピーカー」やJBLのような「特性に癖があるスピーカー」にAPEQ-2proを使った場合、それらの「癖=持ち味」はかなり薄くなります。しかし、その「癖(持ち味)」が音楽を聴くために、決してプラスに作用していたのではないことがAPEQ-2proを使うことで明らかになります。高価な機器を使いながら、納得できる音が出せないときこそAPEQ-2proを使うべきです。隠れていた音が一気に聞こえ、装置本来の能力が引き出せるはずです。

ライブハウスなどのスピーカーにAPEQ-2proを使うのは「絶対」です。下手なエンジニアは職を失うかも知れませんが、自分のプレイした音、演奏された音が、そのままスピーカーから聞こえる快感は、音作りによって得られる快感には代え難い素晴らしいものです。APEQ-2proによってベールが剥がされた色づけのない音で音楽を聴き、演奏者とダイレクトに心が繋がる快感を一度知ってしまえば、音楽好きな「聴衆」は二度と後戻りできなくなります。
http://www.ippinkan.com/real_sound_apeq-2pro_coneq.htm


麻倉怜士先生インタビュー 2009年9月23日 麻倉先生御宅

今回、リアルサウンドラボ社の音響パワーイコライザ「APEQ-2pro」を2年前よりいち早く ご自宅のリスニングルームに導入頂いているオーディオ評論家・麻倉怜士先生の ご自宅を訪問し、「APEQ-2pro」及び音響パワーイコライザ技術「CONEQ」について インタビューさせて頂きました。

1.導入前のオーディオシステムについて

・JBLのK2・s9500スピーカーを1992年に導入しました。それからかなり長い時間が 経っています。このスピーカーを鳴らし切るのはほんとうに難しく、最初は定評のある マークレビンソンのメインアンプを使用していましたが、いまひとつでした。 何か力が無いんですね。いろいろ試して最後に真空管アンプ845プッシュプルを 導入したところ、素晴らしい押し出し感があり、豊潤なサウンドが得られ、これに 落ち着きました。

・しかし、長く聴き込んでいくうちに低域の量感はあるものの、輪郭感や切れ味が もう少し欲しいなと思うようになりました。38センチウーファーのバーチカルセンター 使いなのでマッシブな音は出るのですが、だけど、もう少しシャープネス階調感、 繊細な音が欲しいと。

・ずっと改善したいと思っていましたが、なかなかうまくいきません。中高域はスーと 延びて気持ちが良くて解像度が高いのですが、もっと低域とのバランスが欲しいと 常々思っていました。

2.APEQ-2pro導入について

・そんな時、2007年末にReal Sound Lab USAの朝日氏からメールをもらいまして、 興味を持ちました。ただ、メールの時点では何か良く分かりませんでした。 「これは何だ?」という感じでしたね。(笑)

・しかし、実際このAPEQ-2proを導入した時は驚きました。最初にビックリしたのは、 低域は量感がたっぷりあるが、明瞭度や速度感が追いついていないことが 感覚的ではなく、測定的に明確に把握出来た事です。感覚的には分かって いましたが、どれくらい具体的にモヤついていたのかを数値で正確には掴んで いなかったですね。それが実際にAPEQ-2proの使用前・使用後で聞いてみると、 差分として明確に把握でき、得心しました。

・使用後では、低域のスピード感、質感、階調感、輪郭感などが非常に立ってきました。

・導入後の今から考えますと、これまで中高域が早くて、低域が結構遅かったですね。 高域と低域の音調とスピードが合ってきました。これまでは低域の量感がたっぷり 過ぎたことに対しいろいろ直すようにしていましたが、なかなか難しかったです。 今回の導入でこの問題はほぼ解消されたと思いましたね。

・一次反射や定在波、拡散音場などのルーム・アコースティックの問題が発生している というのは以前から分かっていました。かといって、この部屋からそうした問題を 取り去るのは難しくて、正直諦め掛けていたところがありました。

・今回まず導入前の素の特性をマイクで計測してみると、かなり低域が持ちあがって いました。中域にはピーク&ディップがあって高域は早めに落ちていましたそれが 部屋の要素を入れたスピーカーの音の特性でした。

・補正してほぼ周波数特性をフラットに近い状態にすると、鮮度、全帯域における 解像度が上がり、本当に使用前使用後ではこんなに違うのか、と正直驚きました。 使用前の時も素晴らしいスピーカーだとは思ってはいましたが、ルーム・ アコースティックの影響を抑制することによって、スピーカーの本来の姿が出た のでしょう。やはりかなり部屋の影響を受けていましたね。

3.聴感上のテイストも盛り込んだ更なる補正

・一方、最初に設定してもらった時には、確かに特性上フラットになっていたが、 低域の量感が出過ぎていたところを抑えたということで、その意味で若干 聴感的にハイ上がりに感じました。中高域が優勢になったという感じです。

・その後、アプリケーションのアップデートなどの際に、今度は低域の抑制を緩めて 高域の拡散音場の調整などを行い、今では非常にバランスが取れた音になりました。 中高域の伸びが自然になったのです。さらに低域のしっかりとしたタイトな量感も 得られています。

・この辺が面白い点だと思うんですよね。つまり、スタジオ向けの機器なので フラット志向のイコライザーではあるけれども、最終的にフラットではない方が 良いかもしれない。理論的な目標値とは別に聴感上の要素を入れることも簡単に 出来るので、フラットをベースにして、更にそこから追い込むことが可能なのが 良いですね。

・低域の量感、切れ味が良くて、中高域の伸びが出てバランスがしっかりしました。 よく聴くホリー・コールの「I Can See Clearly Now」を再生した時に、最初のベースの 立ち上がり、全帯域におけるスピード感など素晴らしくなっていることが感じられました。

・すごいと思うのは、信じられないほどバンド数が多く、全帯域で精密な補正が できるということですね。イコライザーというと全帯域で10バンド程度が一般的な イメージですが、APEQ-2proの数千バンド(4096tap)というのは、既にイコライザーの 概念を超えています。そこまでの細かさがあれば、細かいディップまでチェックして 補正ができるわけです。

4.スタジオ使用からハイエンドオーディオへの展開

・今まで不可能と思われていた部屋の影響、ルーム・アコースティックを除去する 事が出来るということは、逆に加えることも出来る訳です。我々は通常、ルーム・ アコースティックの中で生活している訳で、完全に取り除いてしまうと無響室の様に なってしまいこれはこれで物足りないのです。ある程度の心地の良い定在波が あった方が良いこともあると思います。つまり、ある程度追い込んでルーム・ アコースティックを加減する事で自分に対する最適なF特に追い込むことも可能です。

・今の段階ではこの製品はスタジオ用という事ですが、スタジオははじめから 音響対策をしているので、ある程度出来たところで、更なるファインチューン 出来るという使い方だと理解しています。

・しかし、むしろそのような対策をまったくしていない一般家庭の2chやマルチ チャンネルリスニングでは効果が跳びぬけて大きく、ニーズが高いはずです。 今後はマルチチャンネル化して民生向けにも製品を出して欲しいですね。

・部屋は第2のオーディオ・コンポーネントなんです。しかし、機器を買い換える ことは簡単に出来たとして部屋は無理です。だから部屋というコンポーネントを どのように上手く鳴していくかがとても重要になりますね。

・これまで、コンポーネントを変える、ケーブルを変える、電源を変える というようなグレードアップの工夫はたくさんありましたが、部屋に関する アクセサリー機器は吸音用など一部に限られていました。できることといえば、 部屋の乱反射をなくす為に、家具の配置を変えるということぐらいでした。

・唯一AVアンプには自動音場補正機能がありますが、それはマルチ チャンネルでのスピーカーの特性を揃えることに主眼が置かれ、ルーム アコースティックを是正するところまではいっていません。

・しかも、スピーカーの持ち味をスポイルするのではなくて、生かしつつ部屋の 問題を直せるなら素晴らしいことですね。これまでもDSPでスピーカーの F特を変えるという技術はありましたが、多くはDSP臭さ、デジタル臭さが 出てしまい、スピーカーの持ち味が損なわれてしまう危険性がありました。

CONEQはデジタルの塊のような構成ですが、聴感上のカラーレーションは たいへん少ないと思います。K2がまさにK2らしい音で鳴っています。

ハイスピードで、音場の見通しも良くて、輪郭がはっきりしているというJBLの 持ち味を維持したまま、ルームアコースティックの影響を低減することで、 JBLが、さらにピュアなJBLの音で鳴るようになったのが凄いですね。 これがスタジオでうけている理由だと思います。

・一方、そのような点はまさにオーディオファイル向けだと思います。 これには期待しています。

・イコライザーという製品にはカーブを作って、それに強制的に何が何でもそれに 当てはめてしまうというイメージがあり、導入すると何でもかんでもイコライザー 機器特有の色をつけ、悪さをするという通念がありますが、CONEQには そのような色は感じられません。1を入力したら、1が出力されるというリニアリティ 感覚がとても濃い。つまり、いい意味で存在感が無いんです。 機能はしっかりと働いていますが、スピーカーをスポイルしないでスピーカー 本来の持ち味をきちんと出しています。

・その意味ではこれはいわゆるイコライザーではないと思います。コンポーネントの 持ち味を生かしながら、部屋の悪影響を取り除くことが出来る、つまり音の インフラストラクチャーの改善機器だと思いますね。

5.ラトビア発の最先端技術

・この機器が開発されたストーリーも興味深いですね。ソ連崩壊後に、それまで 蓄積されたデジタル技術とノウハウを元にし、ラトビアでこのような技術と製品が 開発されたという物語も面白いと思います。完全なトップダウン型開発ですね。

6.民生機器、そして日常の音の音質改善の展開に期待

・まずはスタジオ機器として開発されましたが、この基本技術は薄型テレビにも 転用できるはずです。テレビの音がどんどん悪くなっている中で、アコースティックを 最適な形に、F特と位相を直すのはは最近の薄型テレビに非常に有効だと思います。

昔はブラウン管テレビが主流だったので、それなりに容積があったのですが、 最近の薄型テレビは薄くなればなるほど音も薄っています。もう悲惨な状況で、 もちろんF特は低域が無いし、中域はピークディップだらけし、高域も無いし、 本当にひどい状況です。

CONEQは、そんなひどいディップでも補正できるわけで、これらの問題をかなり改善 できると思います。テレビに搭載されているDSPでこの技術が実現できればTVの音が 革命的に良くなることは間違いありませんね。

・せっかくこんなに素晴らしい技術が存在するのであれば、これをスタジオなど 限られた場所だけでのみ使われるのはもったいないと思います。

今やほとんどの人が日常的にきく音というのはテレビの音であり、つまり 「テレビの音⇒日常の音」な訳で、これを改善することはまさに社会的な責務 なのではないでしょうか。CONEQはDSPソリューションで実現出来るわけで、 今後はリアルサウンドラボには是非その面も追求して欲しいと思います。

・もっと突っ込んで考えますと、社会の音、例えば駅、電車の中のアナウンスの音は、 F特的に言うと、狭帯域であり歪んでいて聞きにくいですよね。本当はこれら公共の 音には明瞭度が一番重要なわけですから、CONEQのような技術が導入されれば 明瞭度は驚異的に良くなるはずです。メッセージの伝わり方も格段に良くなる。 スタジオを出発点にして、家庭に入る、つまりテレビやラジオなどの製品に入って、 さらにはそのような「社会の音」も改善していく。つまり、広義の意味のPublic Addressの 質を直していく、それも単純にスピーカーを変えるのではなくて、信号処理的で 変えていく。社会的なニーズというのは絶対にあるはずです。そういうインフラの 音を快適な音へ変えていくという点においても、CONEQのこれからの展開が 非常に楽しみです。本来は民主党がマニフェストに入れても良いぐらい。(笑)
http://www.realsoundlab.jp/interview-asakura/

山本浩司先生インタビュー 2009年12月11日 山本先生御宅

今回、リアルサウンドラボ社の音響パワーイコライザ「APEQ-2pro DIO」をご自宅の リスニングルームに導入頂いているオーディオ評論家・山本浩司先生のご自宅を 訪問し、「APEQ-2pro DIO」及び音響パワーイコライザ技術「CONEQ」について インタビューさせて頂きました。


1.CONEQ導入について

初期にReal Sound Lab USA(以後RSL USA)の朝日さんから「凄く面白いイコライザを 見つけたよ」と連絡を頂いたのが始まりですね。もう2年前になりますね。

その後、朝日さんが来日した際に、滞在されていたホテルの部屋で、ペアで8千円ぐらいの パソコン用の小型スピーカで効果を試聴させてもらって、ON/OFFで凄い違いがわかった。 確かに劇的に音が改善しました。

音質の改善にも驚きましたが、その際にこのCONEQという技術が面白いと思ったのは、 スピーカ前面の”面”を測定してそのデータを基に補正を行うという事ですね。 このイコライザが実現出来るプロセッサー(APEQ-2pro)が入荷したら一度自宅で使って 見て下さいと提案してもらって、それから使用させてもらいました。

2.他の一般的な音場補正のイコライザについて

私は仕事上AVレシーバに搭載された自動音場補正の技術というのはいろいろ テストしましたので、基本的にはそのほとんどが「リスニングポイント1点における テスト信号を拾うことで測定を行い、そのリスニングポイントでの音圧周波数特性の 補正を行う」という点においては共通しているという事は良く分かっていました。  もちろん、中には数点の複数位置で測定したデータに基づいたものもいくつか ある事も知っていますが、基本的な概念としては同じかなと思っています。

その考えは非常に分かるのですが、しかしながら、その部屋の伝送特性というのは マイクの位置が数センチずれただけで、まったく変わってくる訳で、実際にはマイクの 位置を上下前後に10cm動かしたら結果はまったく異なってきます。つまり、「その測定 結果をはたして本当に信じてよいのか?」という疑問を以前からずっと感じていました。

実際、そういった一般的な音場補正イコライザを使ってみて音を聞いてみても、 聴感上、どうしても「過補正」、「補正が過ぎる」という感じが凄くするんですよね。 周波数特性をいじる訳なので、エネルギーが減衰していく方向に聴感上感じられて、 まあ音が整ってくるのは分かるのですが、音のエネルギーが物足りなくなる。

私は音のエネルギー感とかダイナミズムを重視して音楽を聴くのが好きなタイプ なので、「いくら音が整えられたとしても、音に元気がなくなるなら使いたくないな」と 思っていました。

そのような背景もあり「イコライザって結局こういうものだよね」と思っていまして、 そういう自動音場補正技術を使うことによっていくら音が整えられたとしても、私は 少々音が暴れても、元気な方がいいなと思っていました。

3.CONEQのスピーカ補正

それら一般的なイコライザ技術に対して、CONEQはスピーカから発せられる 音響パワーの周波数特性を補正していこうというまったく新しい概念のイコライザ 技術な訳ですね。この点は非常に面白いと思いましたね。

無指向性マイクをスピーカの前でぐるぐる動かしながら測定しているのを最初 見た時には斬新過ぎて驚きましたけど(笑)。まあ、それをもってスピーカの前面を 400ポイント測定する。 つまり、そのデータを基にスピーカから放たれた音響パワーを整える事が出来る。

部屋の伝送特性というのは、自分で部屋をいろいろ調整していけば変わってくる訳で、 まあ本当に深刻で難しい場合は別として、ある程度まで改善出来ます。故に、ルーム イコライザではなく、むしろスピーカから放たれる音、しかも音圧ではなくて音響パワーの 周波数特性を補正するというのは、新しく正しいアプローチだと思う訳です。

4.デジタル版プロセッサ「APEQ-2pro DIO」

実際にCONEQのプロセッサ「APEQ-2pro」の1号機を使ってみると、音のモヤモヤ感は 一掃され、整えられてすっきりした感じになりましたね。このON/OFFの違いは大きかった。

ただ一方、重箱の隅をつつくような話ですが、このアナログ入出力専用バージョンの プロセッサを通すと、私には少しS/N感が物足りない感があって、あまり理論のみを頭の 中だけで考えてはいけないのですが、やはりCDの音を一度アナログにして、さらに AD/DAするということをせず、純粋にデジタル出入力で音を聞いてみたいという気持ちは ありました。

そんな話をしていたら、何とデジタル出入力のプロセッサが発売されるという 連絡を頂きました。紹介頂いたのは今年の夏でしたね。正直な話、一般的に海外の メーカーというのはリクエストしても、まあいろいろ難しい面もあって結構動きが遅い 傾向があったので、随分早く実現したなぁと思いましたよ(笑)。

現在はこのデジタル出入力バージョンである「APEQ-2pro DIO」を使わせて もらっています。ABS/EBU端子のみという事ですが、私のCDプレイヤーは ABS/EBU搭載なので問題はありませんでした。

アナログ版プロセッサで少し気になっていた若干のS/N感の劣化というのは 無くなりましたね。さらなる音質向上が明らかに認められました。

音響パワーの周波数特性だけではなく、FIRフィルタを使って位相特性も そろえる。これもこの技術の魅力だと思いますね。これを通すことによって、 音像の定位がすごくシャープになり、音場感つまりステレオ感がクリアになり、 音の立ち上がり、音の明瞭感が明らかに改善されました。

5.PDカーブの提案

もう一つ感心したのは、PDカーブの提案ですね。自分のメインシステムは JBLの「K2/S9800SE」という15インチウーファーにコンプレッション・ドライバを 組み合わせた大型ホーン型スピーカですが、CONEQを通してフラットにすると、 聞きなれている自分の好きな音に対して音の整い感は良くなるけども、聴感上 低域が少しスリムになり過ぎて、高域が若干うるさくなる感じがありました。

これはどちらかというと好みの問題で、もちろん録音された正しい音としては、 フラットで聞く音なのかもしれない事は承知していますが、私にとっては若干高域が 強い感じがしました。

それについてRSL USAの朝日さんにもお伝えしたところ、部屋の平面音場や 拡散音場などのルームアコースティックを考慮した「PDカーブ」というターゲット カーブを提案頂きました。それを聞いてみると、若干ですが唯一気になっていた 高域の質感がすっかり解消しました。

そして、今日そのPDカーブに加え、さらにRSL USAの朝日さんが検討した 高域と低域にそれぞれ異なるシェルフを加えた新たなカーブを聞かせてもらい ましたが、これはMuch Betterでした。その音を聞いて非常に自然な感じがしました。

とにかく耳なじみの良い音、聞き味の良い音になりました。音を評価する際には、 音像の定位とか、ステレオイメージの豊かさ、ダイナミック・コントラストとかある訳 ですが、それらの点についてはもちろんOKで、唯一気になっていた高域の件に 関してもほぼ解決しましたし、低域が若干すっきりし過ぎていた感もなくなって、 自分が好きな音にドンピシャでした。RSL USAの朝日さんには私の好みを 読まれているのかな(笑)

プロの現場であれば、フラットを持って良しとするのは当然。録音などの音を 作る現場で、いろんな色づけされた変な音でモニターしていたら、これは大問題な 訳なので音響パワーの周波数特性を完全にフラットにするというのは理解出来るし 賛同しています。

一方、自分たちのような「再生」の場(ハイエンドオーディオの世界)で、単純に フラットを追求するのは幼稚だと思っています。でたらめな音はもちろん駄目ですが、 究極的には自分たちの好みの音で聞ければ良い訳で、このように突き詰めた カーブで好きな音を聞けるのは素晴らしい。CONEQを通すことで、ベストサウンドに 近づいてきたと言えると思います。この最新のカーブを大事にして聞いていきたいと思います。

6.CONEQによる小型スピーカの音質改善効果

それからもう一つ話しておきたいのは、CONEQには小型スピーカの音質改善に 絶大な効果があるという事です。

先日メインのシステムの補正を行って頂いた際に、ついでに小口径ウーファーの ELACの小型スピーカ「330CE」も補正してもらったのですが、その際のCONEQの ON/OFFの違いは非常に大きかったですね。もともと初めてCONEQを試聴したのが、 パソコン用小型アクティブスピーカーの劇的な音質改善だった事を考えると、小型 スピーカの音質改善により効果を発揮するのではと感じました。

口径の大きいウーファーのゆったりした大型スピーカ、例えるなら「3000ccクラスの 車をゆっくり転がしても割りと深々とした安定感がある」様なスピーカ。「排気量の大きい 車をゆったり走らせる」というような音が私は個人的に好きです。

一方、「ライトウェイトスポーツカー」、いうなれば「リッターカーを俊敏に走らせる」様な 小型スピーカの方が好きって言う人もいる訳です。そのような小型スピーカのシステムを CONEQで音響パワースピーカーを測定してフラットに補正してみると、大型スピーカを 髣髴させる様なゆったりしたスピーカに変貌しましたね。このような小型スピーカの方が 音質改善の度合いとしては大きいと感じました。

日本では居住空間の問題もあって、現在は圧倒的に小型スピーカの市場が大きいので、 そのような小型スピーカのユーザーにはこの技術の効果は本当におススメしたいと思います。

7.安心して使えるイコライザ

最近「ステレオサウンド」誌などのハイエンドオーディオの雑誌でも「イコライザ特集」が 組まれるなどイコライザを薦めている動きが出てきた訳ですが、これは良い傾向だと思います。

部屋の不備をイコライザだけで補正するということ、これが出来ればよいのですが、 正直非常に難しい。更に言えば、聴感だけで自分の好みの音を作るというのは、正直 不可能に近い。 部屋の伝送周波数特性をリスニングポイント1点で測定して、それで全てが分かった という事も無理な訳で、さらにそれに基づいて無数に在る小さなピークを数バンドで 補正するのも無理な訳です。そういった事だけで作られた音を聞いて、これまで良い 音と思うような音を聞いた事が無い。

一方、CONEQはせいぜい1次反射までは取り入れるにしても、基本的にはスピーカ から放たれる直接音だけを測定して、その音響パワー周波数特性を補正するということで、 非常に再現性がありますよね。まあ完全にどのポジションでも一律ということでは無い にしても、大体どこで聴いても大丈夫。

「再現性がある」ということは本当に重要なんですよね。「こんなに安心して使える イコライザは他に無いよ」という事を私は声を大にして言いたいですね。

8.民生機器(テレビやホームオーディオ)への展開について

先程小型スピーカでのCONEQの効果が絶大という話をしましたが、音響パワー 伝送的に劣るものほど、その音質改善効果は大きいので、ミニコンポなどには 最適だと思います。

ハイエンドオーディオユーザーと違って、テレビやミニコンポの一般ユーザーに 難しい測定や補正を押し付けたところでうまく行くのは難しい訳だから、そのような 使用されるスピーカが固定されていて分かっているような製品は、セットメーカーが CONEQを使って予めそのスピーカに完全に最適化したイコライジングを追い込んで 組み込んで置けば最良ですよね。

特に今はテレビの音はどんどん悲惨になっていく一方だから、CONEQを導入 していないメーカーがあるという事が不思議でしょうがないです。一部のテレビや ミニコンポにはReal Sound Lab社以外のイコライジング技術を採用しているものも あることは知っていますし、音も試聴した事がありますが、比較してもCONEQが No.1であると自信を持って言えますし、薄型テレビやミニコンポなど音響的に 厳しい条件に取り組まなければならない製品には、これほど安心して使える イコライジング技術は無いでしょう。

確かに音響的にハードウェア面で厳しい深刻なほど劣っていれば、フラットに 出来ないものあるでしょうが、そういった場合でもCONEQのターゲットカーブを 適用させて、その条件化でベストな音質に追い込む事が出来る事も大きな利点ですね。

それに繰り返しにはなりますが、最近のテレビの音質の劣化は悲惨です。 まともな音、つまり「男性アナウンサーの声はちゃんと男性の声に聞こえる」テレビ じゃないといけないと思いますし、現代のような無愛想な時代においては生々しい音、 リアリティをちゃんと伝える事が重要だと思っています。

テレビメーカーはCONEQの導入をきっかけに、ユーザーがきちんとした音を楽しめる ように、ハードを含めた音質の向上を検討する機会になればと思いますので、 とにかく全テレビメーカーの音響のエンジニアにはこの効果を体験してもらいたいと 考えています。
http://www.realsoundlab.jp/interview-yamamoto/


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CONEQ 2009年09月14日


先日、東京 渋谷のRock On Companyさんに伺った際、CONEQ VSTのデモを聴かせていただきました。

CONEQ(コネック、CONvolution EQualizerの略)とは、リアルサウンドラボ社が開発した世界初の音響パワーイコライジング技術。スピーカから放たれる音の音響パワー周波数特性を、スピーカ前面400点の測定から算出し、その結果に基づいて超高精度補正(最大65,536バンド)を行う事で、その特性を極限までフラットに近づけるのだとか。

試聴してみると・・・

これは凄い!

CONEQをバイパスした時との差はIK Multimedia ARCで感じた差以上。
とても目の前のMakieのモニターから出ているとは思えないような出音。
音質面でARCに納得されていない方にはオススメです。

ARCでは測定そのものが面倒でしたが、CONEQは測定自体も非常に簡便。
(とは言うものの、スウィープを発して行う高精度な測定)
この辺も非常に好感が持てます。

但し、測定マイクは付属せず、銘柄、機種が指定されている点は要注意。
そのため出張測定サービスもあるんだそうです。

ARCなどの先行製品が存在しますが、CONEQは一歩抜きん出ているように感じます。
しかも、ネイティブ版である現行製品でもレイテンシーはたったの2ms!
価格もお手ごろ。即戦力の製品です。
http://blog.okutsu.co.jp/archives/51286553.html

Realsound APEQ-2 pro DIOで音響補正 [AUDIO]


まだ、納得いく調整ができていないため、メーカーには写真などの情報提供をしていないのですが、途中経過を報告します

メインシステムのLOCKWOOD MAJOR (TANNOY HPD385A)を使ってテストしています。


上から順に、L / Rの軸上特性です。緑色が周波数特性で、オレンジ色が補正目標値です。

テストシグナルを出しながら、スピーカーの軸上のある程度の広さを持った面上でマイクを動かすことにより、およそ400点の測定を行い、これを元に演算することにより、周波数特性と補正データを算出します。複数の点を測定することにより、部屋の影響の少ないデータを取れるようです。

この処理をするためのコンピュータは、Core2DuoクラスのCPU推奨ですが、あまっていた古いPentium4(HT 2.8GHz)のノートPCを用いた為、測定後〜グラフが出るまで4分くらい時間がかかりました。

防音については、充分な性能を持つ私のオーディオルームですが、建築上の制約で部屋の寸法比までは充分なケアをしていません。低域、特に200Hzのディップは結構深刻です。システム全体としては、中域が比較的引っ込んでいるのと、高域もハイあがりですね。ただし、両チャンネルの特性は思っていたより揃っていました。


これがAPEQ-2pro DIOで補正後のLチャンネルの特性です。低域のレベルもアップしていますし、200Hzのディップも大きく改善しました。大雑把に±2.5dBに収まっている ので非常に優秀といえるでしょう。恐るべきことに、2kHz以上の補正目標値と実測値のグラフはほぼ一致しています。

当初、APEQ2については、DA/ADのパスが入る(逸品館ではアナログ入出力を推奨)事に、違和感を感じていたのですが、実際に補正による効果を聞いてしまうと、そういうレベルの改善でない事がわかります。隠れていた細かい音が聞こえてきたり、音の鮮度がアップしたり、バランスが改善されたり。 一言で言うと、全てのCDが最良のリマスターをされた最新版のように聴こえるのです。

これだけ周波数特性が変るのですから、元のスピーカーの持つ良い意味での個性が失われるのでは?と、いった心配も不要でした。あくまでLOCKWOOD/TANNOYの歯切れの良い音は変りません。そのまま特性も良くなるような感じを受けます。音のフォーカスがピシッとしまって、定位がよりクリアになります。

この測定条件ではタンノイのネットワークを標準位置に固定していたので、アッティネーターで高域を絞り、よりフラットな状態を作ってから、APEQ再調整したほうがよさそうです。

高域の乱れは、1970年代のビンテージスピーカーだから仕方ないところでしょうか?APEQで補正できるとしても、定材波によるものとおもわれる低域のピークディップについては、何らかの対策を取りたいと思います。 測定と補正によって、客観的なデータから音質改善ができるのはすばらしいですね。

予算の問題で、ベリンガーの安価なマイクを購入しましたが、やはり、測定器用の高性能なマイクが必要になりそうです。
http://rasenkan.blog.so-net.ne.jp/2010-01-25

CONEQ APEQ-2pro DIO イコライザーRealSoundLab 2012年10月08日


RealSoundLab(リアルサウンドラボ)APEQ-2pro DIO CONEQイコライザーレビュー その1


つい先月にCONEQのイベントに参加して「いつか買うと思います」って言ったのですが、早速買っちゃいました!!


電光石火の勢いで買った理由をあえて挙げますと

・ハイエンドマニアへの実績多数で性能は折り紙付き
・一般向けの廉価モデルの商品化は遠い
・偶然中古で手に入る機会があった
・凄い欲しいから


と8割がた4番目の理由が決定打で買いましたw

メーカー説明のイベントにがっつり参加しておきながら公然と中古でゲットするのもどうかと思いますがお金もないし背に腹はかえられませんよってことで(汗)

スピーカー補正型のイコライザーです。

従来の音場補正ではなくスピーカー補正としてリスニングポイントではなくスピーカーシステムの特性を面として測定の上、補正することを主眼としている点。

音圧主体の測定ではなく、位相(タイムアライメント)の問題を考慮の上補正している点。

が革新的なんだと思います。


■導入に関して本来だとメーカーの方に測定を依頼しないとそもそも使えないのが本機の弱点です。

ところが今回お譲り頂いたユーザーの方は測定ソフトの永久ライセンスおよび測定推奨機材一式を持っている猛者でしたのでお願いしました。


測定は右端に見えるとんがったマイクで行います。


測定結果がこちら。

100Hz以下がだれ下がりで、60と130Hzあたりに大きな谷がある特性でした
あとは最高域が下がっているぐらいで比較的フラットな特性っぽいです。
聴感上も中低域以下の薄さは感じていたので納得の結果。

しかし、測定結果を画像でもらっておくべきっだったなぁ〜orz
そして測定結果を元にソフトウェアで最適化して出力します。


肝心の音ですが


That's Great!CONEQ!!

としゃべれもしない英語が飛び出すほどの効き目でした。


もう少し具体的に説明すると大きな効き目は3点です。


●音場感が凄い
元々スピーカーは消える音の鳴りかたでしたがより一層空間に溶け込むと共に音場感が広がりました。低域を厚くしたのでその効果もあると思います。

●定位が半端なく明瞭
元々定位は良いほうだったはず・・ですが、以前の定位が茫洋と感じるぐらいにビシッと決まります。

●音にキレが生まれる
結構不満があった金管系の音の鳴りっぷりが改善。
これはイベントでも体感した内容ですね。


とまぁ大型補強した甲斐があったぜ!という効き方でした。

次回以降、専用のイコライザーソフトによる使いこなしやデジタル接続orアナログ接続の比較などもおいおいやっていきたいと思います。
http://ameblo.jp/pure-audio-blog/entry-11374958895.html


CONEQイコライザーレビュー その2 2012年10月15日


さて、前回べた褒めしたCONEQですが欠点がまるで無かったわけではないです。

つなげた時点で感じた欠点をいまさらながら上げておくと

・音色に変化があり温度感が下がったこと
・音質的に固さを感じること

です。


これに対して考えられる要因としてはざっとこんな感じ。

・CONEQもしくはAPEQ-2pro DIOの持つ音質
・イコライジングし周波数特性が変化したため
・バランス接続もしくはケーブルの音質


で、今回は3点目のバランス接続ケーブルに関して試行錯誤しました。

主観ですが悪さしているのは、ケーブルにあるなぁって当初から感じてたからですね。

我が家ではバランスケーブルは申し訳程度にしかなく
こと安価なオルトフォンの音の微妙さがモロに出ていた印象なので調整できるはずという思惑があったのです。

元々我が家ではバランスケーブル自体がほとんどなかったので新たなケーブル導入に踏み切りました。
(110Ωじゃないので厳密に言うとデジタルケーブルとしてはアウトですが・・)


導入したのはこちら。

ご存知ベルデンの83335Eという軍規格のケーブルを利用した製品です。
WAGNUSという店舗の商品です。
http://wagnus.exblog.jp/


某氏のオーディオ雑誌で言えないオフレコ推薦という経緯でその存在を知りまして、1万円程度と安いし、これでいっか的なノリで購入しました。


肝心の音ですが

クリアでワイドレンジで言うことなし。って感じです。

オルトフォンでは気になっていた音の硬さも改善しました。
素晴らしきCPです。まぁでも正直ケーブルはこれぐらいの値段であって欲しいものですけど。


当初の目論見であった欠点に関しては

・音色の温度感は全く戻せず
・音の固さは概ね改善

という成果でした。


これは別途アプローチが必要ということで次回の課題ということですね。


コメント


1. APEQ-2pro、購入するかどうか悩んでいます。

現在、約5帖の部屋にオーディオを持ち込んでいるのですが、賃貸の古いマンションということもあり、かなり酷い状況で音楽を聴いています。どうしても太鼓のキックとか、うねるようなベースを体感したくJBLの4428を導入したのですが、やはり無理があるようです。

部屋に鉛シートを貼付けたり、できる範囲でいろいろとやってはいますが、一長一短です。やはり根本的には改善されません。そこで、Real Sound APEQ-2proをいよいよ導入しようかと思っているのですが、如何なものなのでしょうか? 

やはり音の痩せ、緻密さの低減などがあるのでしょうか?

実際に逸品館さんの映像を観ていても、音が細く(?)なっているのはPCのスピーカーでも分かったのですが。

ちなみに、ワタシのシステムですが、

プリ: CHORD CPA-2500
パワー:マッキン MC252
SP : JBL4428
CD Player : ブラデリウス

モニタースピーカーらしくソリッドで緻密な感じですが、もう少し艶やかな方向で鳴ってくれるのなら大歓迎なのですが…。
もっと固くなってしまいますかねえ?!
これ以上、ソリッドになると厳しいですよね。
温度感が下がるってお書きになっていますが、一番そこが気になっています。
カネゴン 2012-11-25 08:26:23


3. Re:さきほどの続きです。

さて、ご質問いただいた件ですが個人的な見解ではありますがお答えさせていただきます。

APEQ-2proの導入ですが結論としては導入せず、他の方法(より大型のSP導入など)を模索した方が有意義だと感じました。

理由は「どうしても太鼓のキックとか、うねるようなベースを体感したく」という部分はCONEQの導入によってのみでは実現しないと考えるからです。

私がそのように考えた詳細につきましては、CONEQおよび低音に関する私見から、頂いた他のご質問にお答えしつつ説明いたします。


1点目のCONEQの音質に関して
>音の痩せ、緻密さの低減などがあるのでしょうか?

付帯音が減り、広大な音場感とピントの合った定位になります。
それを音の痩せや迫力が無くなったと感じる方もいると思います。

微細表現が高まり緻密な音になると思います。


>温度感が下がるってお書きになっていますが、一番そこが気になっています。

CONEQは大変で優秀で基本的にはシステムの特徴を残した形で改善します。ただやはり多少はシステムの特徴が減衰します。この辺は逸品館の清原さんにも相談しましたが、同意見です。

厳密には温度感が下がるというより、ニュートラルな方向への変化が大なり小なり起こると思います。

我が家の実体験としてはデジタル入出力、ケーブル及びバランス伝送の相性とあいまって温度間が下がりました。これは元々の構成が温度感を出す構成だったからとも言えるはずです。この辺は一概に言えませんが、調整できる範囲として割り切って良いと私は思います。


>モニタースピーカーらしくソリッドで緻密な感じですが、もう少し艶やかな
>方向で鳴ってくれるのなら大歓迎なのですが…。

ソリッドな特徴が強化されるとは思えませんが、音の艶っぽさという観点でいうと、上で述べた理由からもCONEQを導入することによって出ることは無いと思います。他の方法で足してあげる必要があると思います。

>どうしても太鼓のキックとか、うねるようなベースを体感したく
カネゴンさんの低音に対する理想像ですが、これを仮に低音マニアが納得するキックドラムやベースとしますと非常に難しいと思います。


私は片CHあたり38センチ2発以上が標準装備の低音マニアの方々のシステムを色々聴きました。その経験を通して感じたのは「理想的な低音再生には圧倒的な物量&労力が必要」という身も蓋もない話です。

カネゴンさんのシステムは30センチのフロア型をマッキンとCHORDのセパレート鳴らされている訳ですので大変素晴らしいシステムだと思います。

ところが低音マニアに言わせれば38センチと駆動する低域専用アンプというのが入門レベルという様相ですので、低音の理想のみを語れば物量不足だと思います。

そうなるとCONEQ導入以前の問題だと思います。


また、部屋に関してですが6畳の部屋の長辺を3.5mの場合に正確に再現できる
(部屋に波長が収まる)音の最低域は約50Hzです。
部屋が5畳とのことですので、それを踏まえれば部屋が問題で低音再生が追求できるかについても疑問が残ります。

CONEQはSPから出される時点の音を最適化するシステムです。
部屋の影響及びリスニングポイント上での音を改善するタイプではありませんので、この点には留意する必要があります。


以上のことから私がカネゴンさんの立場であれば
低音再生を改善するためにより大型のSP導入や駆動力のあるアンプを検討するのではないかと思います。(その辺りは求める低音のタイプで当然異なるわけですが)

そうではなく現状のJBLで最大限の良音を出すという目的であれば
高額なDACや駆動力のあるパワーアンプの導入よりもCONEQの導入が有効だと私は思います。
ジムヘンソン 2012-12-01 00:17:13


5. ありがとうございます。

もう少し、部屋の制振をやってみて、CONEQの導入を考えてみようと思います。まだ床の部分とかシステムの背面の壁とかいじれる気もするので。とはいえ、賃貸の古マンションですから、鉛シートも直接貼れないので、フォックの制振シートを壁に張り、その上に鉛シートを貼るぐらいのものですが(現状は壁に両面テープを張り、その上から鉛シートを押しピンで固定し、そしてミスティック・ホワイトを数枚置いている状態)。床もアスファルトシートとゴムシートを3枚重ねた状態なのですが、まだ足下に響いてきますので、こちらも制振シートをかませてみようかなと思っています。

酷い状態の部屋で低音の付帯音を聴いてる現状を考えれば、CONEQにおけるロスなど、取るに足らないものとも思っています。

あと、ほんと、もう少し低音の付帯音が改善されれば、自分的にはそこそこ満足はできると思っているんですが。というか、この部屋で聴くには、それ以上は求められないとも思っているのです。

やはり、オーディオで聴く音と、楽器本来の音の区別を自分の中で割り切れないといけないとも思っております。

質の良い低音、そしてバランス、オーディオは本当に深いですね。F1のメカニックになったような気分です。
カネゴン 2012-12-11 14:40:04


6. こちらこそどうも。

ちなみにルームチューンに関してアイディアを披露しますと、結局のところ対策したアイテムの音が乗るので素材は吟味したほうが良いと思います。

具体的には、木材のフローリングやオーガンジー(絹)がお勧めです。

特に、オーガンジーは手ごろな値段とひ弱な存在と裏腹に効き目がすごいので一度試してみることをお勧めします。
ジムヘンソン 2012-12-12 00:58:56
http://ameblo.jp/pure-audio-blog/entry-11379932225.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c75

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
107. 中川隆[-7631] koaQ7Jey 2017年5月26日 09:43:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

民族と民族が対立する時代に私たちは生きている


今、世界はあらゆる対立が吹き出そうとしている。

グローバル化や、多文化共存というお花畑の思想で、本来は相容れないはずの人たちが一ヶ所に混ぜられた結果、かつてない緊張と対立と衝突と暴力がそれぞれの国で湧き上がっている。

テロというのは、そうした社会矛盾のひとつの結果である。

社会矛盾を引き起こすグローバル化という流れが止まらないのは確実だから、今後もテロが止まらないというのは当然のことでもある。

それぞれの地域・地域で起きているバラバラのテロがやがて大きな破壊の潮流を作り出す。テロ・ネットワークが生まれ、テロリストは互いに共謀しながらテロを準備していく。

すでに、テロはソフトターゲットに移行しているので、普通の人が生きる普通の場所で突如として起きるのだ。

日本でも、やがてはテロが引き起こされる。

日本人も何人もの人たちがイスラム過激派に斬首されて、その斬首された画像がインターネットに出回っている。あるいは海外で経済支援活動を行っていた人たちが銃撃されて殺されたりしている。

日本人であっても、いつでもテロの標的になる。そして、民族憎悪のターゲットとなる。「日本人だから殺される」時代が来るのである。

中国・韓国・北朝鮮の人間たちは「反日」教育を受けて激しく日本人を嫌っており、対立が深まれば日本人の殺戮やレイプに突き進んでも何ら不思議ではない。

すでに中国では「日本人の男を殺せ、日本人の女を犯せ」と煽られているのだ。

日本国内でも大阪で「日本人かどうか確認して殺す」ような恐ろしいヘイト殺人が日本人に対して行われてきた。この残虐なヘイトクライムをマスコミはまったく追わない。

時代がこのように突き進んでいるのだから、テロが行われる前にテロリストが殺人計画を立てた段階で逮捕できるようにしないと日本人は殺される一方になる。日本人を激しく嫌う人間に殺されていく。

世界中で、民族と民族が対立する時代に私たちは生きているのだ。


なぜこんなことになってしまったのか。

もちろん、グローバル化の推進だ。これは、グローバル化が突き進むことによって、誰もが見ないで無視してきた闇(ダークネス)の部分が表社会を侵食して覆い尽くそうとしている動きなのである。

グローバル化で移民や難民を大量に受け入れてきた国は、人道的主義で受け入れると表側ではきれい事を言っていた。

しかし、実際には連れてきた移民・難民を安い賃金でこき使い、「危険・汚い・キツイ」と言われる3Kの仕事に就かせて都合良く利用していた。それが裏側の目的だった。

体よく利用され人たちの怒りや復讐の念は貧困で増幅され、それをイスラム過激派が煽り、テロの嵐となっている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170525T1723100900.html

2013-05-23
「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきた
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html


2013年5月20日、韓国の中央日報で、キム・ジンという韓国人ジャーナリストが、原爆投下や大規模空襲を「アジア人の復讐だった」「神による苛酷な刑罰」だったと書いて、翌日、日本大使館の道上公使が抗議する騒ぎとなっている。

ここでは、「日本に対する爆撃が足りないと判断するのも神の自由だ」と、信じられない日本人憎悪の文章が掲載されていた。

「日本に対する爆撃が足りない」というのは、もっと日本を破壊すべきだったということであり、さらには日本への爆撃は正当化されるという意味でもある。

日本政府もこれを受けて、「断じて容認することはできない」と菅官房長官が強い調子で述べている。

韓国では、かねてより日本が原爆を投下されたことを祝ったり喜んだりしているので、このキム・ジンという頭のおかしなジャーナリストだけがそう考えているわけではない。

韓国は国を挙げての反日を驀進している途上だ。その激しく執拗な日本憎悪はすでに数年前から続いているのだが、マスコミがまったく報道しないので、日本人は他人事のように見ていた。しかし、もう他人事ではなくなった。

意味不明どころか、非常に明瞭なメッセージ性

2013年5月22日、早朝の5時20分頃、大阪市生野区新今里の路上で、信じられない通り魔事件が起きていた。

犯人はこの近くに住む無職31歳の男で田仲桂善という名前の男だった。名前だけ見ると日本人のようなのだが、日本人の名前(通名)を使っているだけで、実際は韓国籍の男だ。

この男が新聞配達をしていた61歳の日本人の腹を数ヶ所刺し、さらに150メートル行ったところで、たまたま出勤途上だった63歳の女性に「生粋の日本人ですか?」と尋ねて切りつけ、腹を刺し、腰を刺して重傷を負わせている。

この時、事件の知らせを聞いて現場に駆けつけてきた警察官に現行犯逮捕されているのだが、田仲桂善は「生粋の日本人なら何人も殺そうと思った」と供述しているという。

新聞ではこれを「意味不明の言動」と言っているが、客観的に見ると意味不明な部分はどこにもない。この男は韓国籍の男はこのように言っているのである。

「生粋の日本人を殺したかった」
「何人も殺そうと思った」

意味不明どころか、非常に明瞭なメッセージ性があるではないか。日本人に殺意を持ち、実際に日本人を殺す行動を起こしたのである。

「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきたということだ。


マスコミが隠しても隠しきれない憎悪

なぜ、田仲桂善は「生粋の日本人ですか?」と刺す相手に聞かなければならなかったのか。

大阪市生野区新今里は、韓国系の人間が多く住む場所で鶴橋に近い。

鶴橋はご存知のように昔から韓国人が多く住み着いていて、今でも細い路地に多くの商店が猥雑に集まって賑わっている街として知られている。

その隣の駅の今里近辺も韓国人は多い。生粋の日本人かどうか聞いておかないと、同朋を刺し殺すことになる。

犯人は根本的に狂っているのだが、狂っている中でもこのような部分では、なぜか合理的判断をしている。よほど「生粋の日本人」を殺したかったのだろう。

このような事件が2013年5月22日に起きていた。

普通、このような凶悪な通り魔事件は犯人の生い立ちや事件の背景について非常に詳しく報じられる。

しかし、マスコミはこの事件については、現行犯逮捕された犯人の本名も報道することもなければ、その背景についても報道しようとしない。

私たちは、この事件がなぜ起きたのかを詳しく知りたい。にも関わらず、詳しく知ることができないかもしれない。報道どころか、情報隠蔽されているのだから仕方がない。

しかし、もう報道されなくても、この事件が日本と韓国の民族憎悪が高まっている中で起きたものであると多くの人が薄々気がついている。マスコミが隠しても隠しきれないほど、憎悪が高まっている。

だからこそ、韓国人と日本人の間の民族憎悪は、誰にとっても他人事ではなくなっているのである。

韓国の異様で執拗で薄気味悪い反日に対して、日本人はずっと他人事のように見ていたし、今もそのような無関心な目で見ている日本人も多くいる。

もう他人事ではなくなった。


民族憎悪が次々と事件を引き起こす

マスコミは韓流という韓国崇拝を押し付けて、日本人全体を親韓国に仕立て上げようとした。

しかし、日本の底辺で実際に起きたのは、マスコミや韓国に対する激しい反発だった。

底辺で起きていた反韓は、戦時売春をしていた女性を、「日本人に強制連行されたセックス・スレイブだった」とすり替えを行って国際世論で日本を貶めたり、韓流を無理やり押し付けてくる韓国への反発から生まれていた。

これだけでも韓国に対する怒りは沸騰していたのだ。

さらに、全日本人を激怒させて反韓を加速させた出来事があった。以前韓国大統領をやっていた李明博という男が行った一連の言動がそうだ。

この李明博という男は2012年8月10日、突如として竹島に上陸して「ここは韓国のものだ」と表明した挙げ句に、「天皇陛下は跪いて謝罪しろ」と言った。

さらに日本から送られた親書を「一顧の価値もない」とあっさりと退けるという言語道断の政治を行っていたのである。

当時の民主党・野田政権はこれに対してうやむやな対応を繰り返した。本来ならば、ここで国交断絶を含めた重大な決意をしなければならない局面だったのだが、それをしなかった。

だから、韓国は日本に対しては何をしてもいいと、より反日をエスカレートして襲いかかって来ているのである。

この韓国の反日は、韓国が国を挙げて進めているものだから、放置しておけば静かに収束するのではない。

逆に、どんどん燃えさかり、民族憎悪が次々と事件を引き起こす。世界の紛争の多くが民族憎悪から来ているが、日本と韓国の間もそうなっている。

「日本人を殺せ!」が実際の行動として表れてきたのは、特に不思議なことではない。

民族憎悪は、民族間の殺し合いを生み出す。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c107

[近代史02] 釈迦の本当の教え 富山誠
18. 中川隆[-7630] koaQ7Jey 2017年5月26日 10:55:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

橘玲の世界投資見聞録 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方


2017年5月25日 インドのカースト制度は「人種差別」。
カースト廃止を望まない被差別層もいる現実
http://diamond.jp/articles/-/129413


 インド社会を体験したときに日本人がもっとも戸惑うのはカーストの存在だ。「中進国から先進国を目指す経済大国になったインドにもうカーストは関係ない」との意見もあれば、「カースト差別はますます厳しくなり、インド社会を蝕んでいる」との主張もある。

 カースト制をどのように理解したらいいのだろうか。ここではそれを考えてみたい。

デリーの大道芸人                               (Photo:©Alt Invest Com)

カーストによる職業分業は共同体を安定させるための知恵

 インド旅行で驚くのは、レストランに女性の従業員がいないことだ。イスラーム圏では若い女性は既婚・未婚にかかわらず人前に出てはいけないとされているため、レストランやカフェにはウェイターしかいないが、厨房では女性が料理をしていることも多い。インド(ヒンドゥー教)では女性の顔をヴェールで覆うような習慣はないが、ウェイトレスはもちろん女性が厨房で料理をつくることもない。

 高級ホテルのレストランでは美しく着飾った女性が受付にいるものの、彼女たちの仕事は客をテーブルに案内することで、料理を運んだりはしない。いちど、受付の女性が水を持ってきてくれて珍しいなと思ったが、観察していると、彼女が案内と同時に水の入ったグラスをテーブルに置くのは外国人客だけだ。明らかにインド人とわかる場合は、ウェイターがトレイにグラスを載せて彼女のあとをついてくる。

 これはヒンドゥーの“浄”と“不浄”の文化からきている。最高位のカーストであるブラフミン(バラモン)はもっとも浄性が高いが、それは不浄のものに触れると穢れてしまう。

 浄と不浄は厳密に決められており、もっとも不浄なのは体外に排泄されるものだ。ここから月経中の女性は不浄であるとされ、その女性が触れた水や食べ物も不浄で、それを飲食することで浄性が穢れるという観念が生まれた。さらに、女性が月経かどうかは外見から判別できないため、見知らぬ女性が触れた飲食物はすべて忌避されることになった。これが、インドのレストランに女性従業員がいない理由だ。

「女性の穢れ」という文化はインドに特有のものではなく、日本でも神社仏閣には女人禁制のところがあるし、大相撲の「神聖な」土俵に女性知事が上がることをめぐって紛糾したこともあった。「伝統」という美名でごまかされているものの、その理由は女性が「不浄」だからだ。

 しかしだからといって、日本では、カフェやレストランでウェイトレスが持ってきた飲み物や料理を「穢れている」と感じるひとはいないだろう。インドの特徴は、この「穢れ」の感覚が社会のすみずみまで徹底されており、街の飲食店はもちろん外国人客の多いレストランやカフェ、さらにはホテルのバーですら女性従業員が排除されてしまったことにある。

 インドのレストランのもうひとつの特徴は男性従業員がやたらと多いことだ。これにも理由があって、カーストの低い者が触れた飲食物は穢れており、浄性が落ちるとされている。そのため本来は、料理をつくるのも運んでくるのも高位カーストでなければならないことになる。

 とはいえ、さすがにこれは現実的ではないから、都市部の飲食店では厨房の料理人のカーストまでは気にしないだろう。だがウェイターの場合は、誰が高位のカーストで誰が低位のカーストかが一目瞭然になる。ゴミや食べ残しに触れるのは低位のカーストだけなので、同じウェイターが客に食べ物を運ぶことは許されないのだ。

 こうしてインドのレストランはどこも、飲食物をサーブする係と汚れた皿を片づける係が必要になる(ゴミを拾ったり掃除をする係が別にいることも多い)。日本のレストランで1人でやる仕事を2人や3人に分けるのだから、必然的に、店は男の従業員で溢れることになるのだ。

 このことからわかるように、カーストには分業によってできるだけ多くの男に仕事を分け与える機能がある。女性は家庭で男に従属して生きることを強いられるが、これは労働市場から女性を締め出すわけだから、男性のあいだの競争率は下がるだろう。身分差別と性差別は、人口圧力がきわめて高い社会で共同体を安定させるための「工夫」でもあったのだ。

ムンバイのカフェ。店員はすべて男性              
http://diamond.jp/articles/-/129413

インドでは3500年も前に生まれた身分差別が連綿と現在まで受け継がれている
http://diamond.jp/articles/-/129413?page=2


 カースト制度は3500年前までさかのぼるといわれている。

 この頃インド大陸では、インダス川流域(現在のパキスタン)に高度な農耕文明が発達していた(インダス文明)。その北西の中央アジアには「アーリヤ」と称する遊牧民がおり、紀元前1500年頃、その一部が南下を開始してインダス川流域(パンジャーブ)に移り住んだ。これが「インド・アーリヤ人」だ。

 その後、紀元前1000年頃に中央アジアから南のイラン方面に大規模な移動が始まった。彼らは「イラーン」と自称したが、これは「アーリヤ」と語源を同じくする。インド・アーリヤ人とイラン人は、人種的には同じアーリヤなのだ。古代ペルシアの宗教ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の神々と、ヒンドゥー教のヴェーダ聖典の神々に共通するものが多いのはこれが理由だ。

 アーリヤ人の神々への賛歌を集めた『リグ・ヴェーダ(聖なる知識)』は前期ヴェーダ時代(紀元前1500〜前1000年頃)に成立したとされるが、そこではブルと呼ばれる城塞都市に立てこもるダーサ(ダスユ)と呼ばれる先住民を、雷神かつ軍神であるインドラが(戦士と御者が乗り2頭ないし4頭の馬が引く)二輪戦車と金属製の武器によって征服していく様が描かれている。

 アーリヤ人は先住民のダーサを「黒い肌の者」と呼び、自分たちの「白い肌」と比べた。さらにダーサは、「牡牛の唇を持つ者」「鼻のない(低い)者」「意味不明の敵意ある言葉をしゃべる者」とも呼ばれている。こうした先住民の多くは、現在、南インドに多く住むドラヴィダ系のひとたちだと考えられている山崎元一『古代インドの文明と社会』。

 カースト制度というと「ブラフミン(司祭階級)」「クシャトリア(軍人階級)」「ヴァイシャ(商人階級)」「シュードラ(奴隷)」を思い浮かべるが、この身分の区別は「ヴァルナ」と呼ばれている(このうちブラフミンからヴァイシャまでが高位カースト)。ヴァルナの原義は「色」だ。ここから、カースト制の起源は(白い肌の)アーリヤ人による(黒い肌の)先住民の征服にあると考えられている。この4つのカーストの下に、「アンタッチャンブルズ」と呼ばれる不可触民がいる。

 かつて日本列島には狩猟採集生活の縄文人が暮らしていたが、中国大陸(中原)の混乱によって大量の難民が発生し、それに押し出されるようにして、紀元前500年(もしくは前1000年)頃、朝鮮半島南端から弥生人が対馬海峡を渡り、鉄器と農耕技術を持って九州にやってきた。その後、弥生人による縄文人の征服が進み、両者が混血したのが現在の日本人だ。

 だが今日の日本で、「弥生系」と「縄文系」のあいだに身分差別があるなどということはなく、そもそも自分が弥生系なのか縄文系なのか誰も気にしない。弥生人と縄文人という異なる「人種」は、完全に融合してしまったのだ。

 これは日本にかぎったことではなく、地続きであるアジアやヨーロッパでは古来、(侵略をともなう)大規模な人口移動が繰り返され、征服者と先住民が入り乱れ混ざり合ったが、そのような古代の歴史が現在まで尾を引いている地域はほとんどない。

 ところがインドでは、3500年も前に生まれた身分差別が連綿と現在まで受け継がれている。この気の遠くなるようなタイムスパンが、カースト制のいちばんの特徴だ。

路上の床屋(アーグラ)。他人の身体に触れることは「不浄」とされるので、これも低位カーストの仕事とされている                      

カースト制の本質は「人種差別」

「カースト」の語源はポルトガル語で「血統」を意味する「カスト」で、その後のイギリス統治時代に、インド社会に固有(とみなされた)の複雑な身分・職業区分が「カースト制」として整理された。こうした経緯から「(現在の)カースト制は植民地時代にイギリスがつくった」との主張もあり(これについては次回述べる)、その立場からはカースト制を安易に古代インドにまでさかのぼって説明するのは「偽歴史」と批判されるかもしれない。

 しかしそれにもかかわらず、古代インドの身分差別(ヴァルナ)は現在のインドを理解する鍵となっている。なぜならこれが、「不可触民(アンタッチャブルズ」と呼ばれる差別されているひとたちが、自らの来歴を語る物語だからだ。

 彼らの物語によれば、アーリヤ人という「人種」が先住民という「人種」を支配し、奴隷化したことで身分差別が生まれた。これは時代が異なるものの、アメリカ南部において白人農場主がアフリカの黒人を奴隷として使っていたのと同じだ。すなわちカースト制の本質は「人種差別」であり、反カーストの運動はインド社会に固有の問題ではなく、人種差別に反対する世界的な運動とつながっているのだ。

 作家の山際素男氏はインドの不可触民の実態を日本にもっとも早く伝えた一人で、『不可触民と現代インド』(光文社新書)には、不可触民の政治団体バムセフ委員長によるカースト制度の説明が紹介されている。ちなみにバムセフは、不可触民階層出身ののエリートであるカシム・ラムが創設した政治団体で、2000年当時、会員は140万人を超え、全国に支部と協同組合を組織し、各種新聞を発行するばかりか、インド最大(人口1億4000万人)のウッタル・プラデシュ州ではカシム・ラムの盟友かつパートナーであるマヤワティー女史がBSP(人民大衆党)の党首となり、ヒンドゥー主義政党であるBJP(インド人民党)と連立して州知事の座に着いていた。

 バムセフの委員長は不可触民を「ダリット(虐げられた人、倒れた人)」と呼び、インド社会の85%を占めるという。インド社会はブラフミン、クシャトリア、ヴァイシャの15%の「高位カースト」が政治・経済・行政などすべての権力を握っており、狭義の不可触民だけでなく、ムスリムや仏教徒、シク教徒、さらにヒンドゥーの低位カースト(後進社会階層)を加えた残り85%の国民を“支配”しているのだ。こうした世界観では、高位カーストは征服者であるアーリヤ人の末裔で、大多数のインド人は宗教や身分、職業のちがいにかかわず、誰もが先住民の末裔である「ダリット」ということになる。現代インドは3500年前と同じく、アーリヤ人種(白人)が先住民であるダリット(黒人)を差別し、抑圧し、奴隷化している「人種差別国家」なのだ。

「カースト制はバラモンたちが作ったものであり、それを先住民に強制したのです」と、バムセフ委員長はいう。

「彼ら(バラモン)は被征服者であるダリットを3000ものジャーティ(職業区分)に分断し、そのジャーティーの中で互いに憎み合わせ、闘わせてきました。そして一切の知的能力、知識を奪い取り、物事を正しく見、判断する力を根こそぎにしました。

 バラモンの聖典とされるヴェーダを教えることのできるのはバラモンだけであり、クシャトリア、ヴァイシャたちは学ぶことを許されていただけで教えることは禁じられていました。今でも大学などの教授をはじめ、教育者の大半をブラーミンが独占しているのもそのためなのです。ヒンズーの聖典をシュードラが“立ち聞き”していたというだけで、耳に煮えたぎった油を注ぎこまれる罰(死刑)を受けたことは、“マヌ法典”にくり返し出ています」(『不可触民と現代インド』)

 不可触民の政治団体の委員長がここまで激しく高位カーストを批判するのは、ナレンドラ・モディ現首相が率いる政権与党BJPが、ヒンドゥトヴァ(ヒンドゥー・ナショナリズム)による民族融和を進めるために、「アーリヤ種族はもともとインドにいた先住民だ」と主張しているからだという。アメリカの人種問題にたとえるなら、これは白人が「人類の故郷はアフリカなのだから、自分たちもアフリカ起源だ」というようなもので、これまで差別されてきたダリットからすれば許しがたい主張なのだ。

ムンバイのドービーガートは洗濯カーストの村。他人の衣服を洗うのは不可触民の仕事とされた 
http://diamond.jp/articles/-/129413?page=2


被差別層が必ずしもカーストの撤廃を求めているわけではない
http://diamond.jp/articles/-/129413?page=3


 カースト問題が難しいのは、被差別層(ダリット)が必ずしもカーストの撤廃を求めているわけではないことだ。

 そもそもインド憲法は、17条で「不可触民制は廃止され、いかなる形式におけるその慣行も禁止される。不可触民制より生ずる無資格を強制することは処罰される犯罪である」としてカーストによる差別を禁じているものの、カースト制度そのものの撤廃を宣言したわけではない。

 なぜこのような条文になったかを説明しようとすると、インド独立をめぐるさまざまな利害対立が顕在化した1930年代の複雑な交渉過程から説き起こさなければならないが、要約すると次のような経緯だ。

 ムスリム勢力が「自分たちはマイノリティ(少数民族)ではなく一民族である」として独立を強行したことで、ガーンディーは残されたインドを「ヒンドゥーの国」として統一するほかなくなった。

 当時、ヒンドゥーの進歩派(改革派)のあいだでは、「ヴァルナは差別的なヒエラリキー(階層構造)ではなく、たんなる分業形態に過ぎず、本来、不可触民を含めすべてのカーストは平等である」という思想が唱えられていた。いわば、カーストから差別性を取り除き近代的な平等に適合させようとしたのだが、ガーンディーがかなり無理のあるこの「進歩主義」に与したのは、ヒンドゥーを全否定することで社会が混乱し、イギリスに介入の口実を与えインド独立が頓挫することを恐れたからだった。

「カースト制は差別ではない」という“きれいごと”に対して真っ向から反論したのは、不可触民出身の政治家で、インド憲法の起草者でもあったアンベードカルで、「差別され、排除されてきた不可触民がヒンドゥーの一部であるわけがなく、(ムスリムと同じ)独立した民族として分離選挙(自治)を認められるのが当然だ」と主張した。

 しかしガーンディーは、アンベードカルのこの分離主義をぜったいに認めることができなかった。イギリス植民地政府がイスラーム勢力の要求をいれて分離選挙を認めたことがパキスタン建国につながったからで、4000万〜5000万人といわれる不可触民に分離選挙が認められれば、独立インドが内部から解体してしまうおそれがあった。1932年、イギリス首相マクドナルドが、カースト差別撤廃運動の高まりを受けて不可触民への分離選挙を認めると(コミュナル裁定)、ガーンディーが断食によって抗議したのはこれが理由だ。

 この「生命を賭した抗議」によってアンベードカルは妥協を余儀なくされたが、ガーンディー側も「カースト差別はヒンドゥー教徒のこころの問題」というきれいごとで済ますことはできなくなった。こうしてインド憲法に、カースト間の差別を禁止するとともに、カースト制度によって差別されてきたひとびと(指定カーストおよび指定部族)に対する特別規定が設けられ、衆議院および州立法議員の議席が「留保(リザーブ)」されることになった。分離選挙を撤回する代償として、被差別層に対する政治的権利の優遇を憲法で定めたのだ。この「リザーブ制度」が、インド版のアファーマティブアクション(少数民族優遇措置)になる。

 このようにして独立後のインドでは、特別な教育的・福祉的支援によって不可触民の地位を引き上げると同時に、大学や行政機関において「特別枠」を用意することで、彼らをヒンドゥーに「包摂」することが国是となった。リザーブ制度によって、不可触民のなかから高等教育を受け、行政機関で高位の職に就いたり、経済的・社会的に成功する者が現われ、バムセフのようなダリット(不可触民)のための政治団体も誕生するようになる。

 リザーブ制度は不可触民の権利拡大運動の成果であり、差別の解消に寄与したものの、その反面、ダリットの政治活動は深刻な矛盾にさらされることになった。彼らが求めるのはカーストの撤廃だが、そうなると「指定カースト」への優遇措置もなくなってしまうのだ。こうしてダリットのあいだに、自らのアイデンティティは「被差別」にあるとして、これまでの既得権を守りつつより大きな政治的権利を求める動きが主流になっていく。これが、「カーストの固定化」と呼ばれる現象だ。

 不可触民たちの政治活動は、差別撤廃を求めつつ差別に依存するようになった。現代のインドでは、カーストが解消されるどころか、低位カーストが政治団体化し国政や州議会で政治家に圧力を加えることで、それぞれのカーストの政治的利益を競っているのだ。

 マイノリティ(差別される少数者)への優遇措置は彼らの地位向上に資すると同時に、深刻な社会の対立を引き起こす。同様の政治現象は、アメリカの人種(黒人)問題だけでなく、アパルトヘイト後の南アフリカで黒人を対象に行なわれているアファーマティブアクションでも起きている。カースト制はインド特有の宗教や文化ではなく、「差別のない社会をいかにつくるか」というグローバルな課題の困難さを象徴してもいるのだ。

映画『スラムドッグ&ミリオネア』の舞台となったダラビ地区 
http://diamond.jp/articles/-/129413?page=3

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/735.html#c18

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
30. 中川隆[-7629] koaQ7Jey 2017年5月26日 16:43:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

マスコミに載らない海外記事 Chris Hedges 2017年5月22日

共和国の死
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-79c9.html


2017年のアメリカ合州国とよく似た、肥大化した軍隊と、巨大な政治力を有するひと握りの腐敗した連中とに支配された古代ローマの陰の政府による、虚栄心が強い大ばかなコンモドゥス皇帝を浴室で絞殺するという192年の決定も、ローマ帝国の増大する混乱と急激な衰退は止められなかった。

多くの他のローマ皇帝たちやトランプ大統領と同様、コンモドゥスは無能で、虚栄心で頭が一杯だった。彼はヘラクレスに擬した彼の像を無数に造らせたが、治世にはほとんど無関心だった。彼は国家元首としての地位を、見せ物でスターになるのに利用した。アリーナでの八百長試合で、闘士として勝ち誇って戦ったものだった。コンモドゥスにとっての権力は、トランプの場合と同様、主として、その計り知れない自己愛、快楽主義と富への渇望を満たすためのものだった。彼は公職を金で売ったので、古代のベッツィ・デヴォスやスティーヴン・マヌーチンに等しい連中が、大規模な盗賊政治を画策できた。

コンモドゥスは、当時のバーニー・サンダースたる改革者、ペルティナックスにとって変わられ、ペルティナックスは、古代版軍産複合体たる近衛兵の力を削ごうと、むなしい取り組みをした。この取り組みの結果、権力の座について、わずか三カ月で、ペルティナックスは近衛兵に暗殺された。近衛兵は、皇帝の座を一番高値で売る競売にかけた。次の皇帝ディディウス・ユリアヌスは、たった66日しかもたなかった。コンモドゥス暗殺の翌年、A.D. 193年、皇帝は五人も変わった。トランプと、我々の腐敗した帝国には不吉な歴史的前例があるのだ。もし陰の政府が、無能さと愚かさが帝国を当惑させているトランプを置き換えても、その行為とて、コンモドゥスを置き換えても、ローマの民主主義が回復しなかったのと同様、民主主義が回復することはあるまい。我が共和国は死んでいる。

かつては開かれ、民主的伝統があった社会は、民主主義の敵にとって格好の餌食だ。これら扇動政治家連中は、かつての民主的政治制度の愛国的な理想や儀式や慣行や形式を、破壊しながら、敬意を払うふりをする。自らを“第一番の市民”と称したローマ皇帝アウグストゥスが共和国を去勢した際、彼はかつての共和国の形式を維持するよう配慮した。レーニンとボリシェビキも、権力を掌握した際に同じことをし、自治ソビエトを粉砕した。ナチスやスターリン主義者さえもが、彼らは民主的国家を支配していると主張した。トーマス・ペインは、専制政府は腐敗した市民社会から生えるカビだと書いていた。これが、かつてのこうした民主主義に起きたのだ。それが我々に対して起きている。

我々の憲法上の権利である、適正手続き、人身保護令状、プライバシー、公正な裁判、搾取からの自由、公正選挙や異議を唱える権利は、司法の専断により、我々から剥奪されている。こうした権利は、名目上しか存在していない。国家の価値観とされるものと、現実との間の余りの断絶ゆえに、政治論議はばかばかしいものとなっている。

大企業は連邦予算を食い物にし、自ら搾取し強奪する権限を合法的に付与している。ゴールドマン・サックスやエクソン・モービルの権益に反対して投票するのは不可能だ。医薬品と保険業界が、病気の子供を人質にし、息子や娘を救おうとして両親は破産する。学生ローンの重荷を負った人々は、破産宣告しても、借金は決して消し去ることができない。多くの州で、病気の家畜が屠殺のために倉庫に入れられる巨大な工場式畜産場の状態を広く知らせようとする人々は、刑事犯罪で告訴されかねない。大企業は合法的に脱税している。大企業は、小農や小企業を破壊し、アメリカ産業を空洞化させる自由貿易協定を画策した。空気や水や食品の汚染や高利の債権者や貸し手から国民を保護するために設けられた労働組合や政府機関は無力化されてしまった。ジョージ・オーウェル並みの権利の逆転で、最高裁は、政治運動似対する無制限の大企業献金を、政府に対する請願権やら、言論の自由の一形態だと定義している。大企業が所有するマスコミの大多数は、エリートのための音響室だ。州営企業や市営企業や公共事業は、料金を引き上げ、貧しい人々へのサービス提供を拒否する大企業に売却されている。教育制度は徐々に民営化され、一種の職業訓練へと変えられつつある。

賃金は横ばいか下落している。偽造された統計で隠された失業や過少雇用が、国民の半数を慢性的貧困に追い込んでいる。社会福祉は、緊縮政策という名目で廃止されている。文化と芸術は、性的商品化や陳腐な娯楽や生々しい暴力描写に置き換えられてしまった。無視されて資金不足のインフラは崩壊しつつある。破産や差し押さえ、逮捕、食糧不足や治療しないままの病気放置が早過ぎる死をもたらし、苦しむ最下層階級を悩ませている。絶望した人々は、薬物や犯罪や人身売買が蔓延する地下経済に、逃げ込んでいる。国家は、こうした経済的困窮に対処せず、警察を軍隊化し、非武装の一般市民に対し、殺傷力の高い武器を使用する権限を警察に与えている。警察は、刑務所を230万人の国民で一杯にしているが、そのうちの極少数の人々しか裁判を受けていない。刑務所内で、100万人の囚人が、企業のために現代の奴隷として働かされている。

国民を暴政から守ることを目指している憲法修正は無意味だ。例えば、修正第4条にはこうある。“不合理な捜索及び逮捕・押収から、その身体・家屋・書類及び所有物の安全を保障される人民の権利は、これを侵してはならない。宣誓または確約によって証拠づけられた相当の理由に基づくものであって、捜索すべき場所及び逮捕すべき人または押収すべき物件を特定して記載するものでなければ、いかなる令状も発してはならない。”現実には、我々の電話会話、電子メール、テキスト、財政、司法や医療記録は、我々が見るあらゆるウェブサイトや移動とともに、追跡され、記録され、政府コンピューター・データベースに永久保存される。

国家による拷問は、アフガニスタンのバグラム空軍基地やグアンタナモ湾にあるような秘密軍事施設のみならず、コロラド州フローレンスにある、囚人が長期の独房監禁で精神衰弱をわずらうスーパーマックADX [最大監視]施設などでも行われている。囚人は国民なのに、24時間態勢で電子監視され、一日のうち23時間閉じ込められるのに耐えさせられている。彼らは極端な感覚遮断を味わっている。囚人は殴打にも耐えさせられている。彼らはカメラ監視下で、シャワーを浴び、風呂に入らなければならない。彼らは、週に一人の親族に、一通の手紙を三枚の紙でしか書けない。彼らは新鮮な空気を味わう、ハツカネズミの踏み車に似た巨大な檻での一日一時間のレクリエーションを妨げられることも良くある。

囚人から法的権利を剥奪するため、国は“特別行政措置”略称SAMsとして知られているものを利用している。SAMsは囚人の外部世界との通信を制限する。囚人は弁護士以外の誰とも、電話、手紙、面会ができなくなり、家族との接触も厳しく制限される。SAMのもとでは、機密情報刑事手続き法CIPAと呼ばれる法律のおかげで、囚人は自分に不利なほとんどの証拠を見ることが許されない。レーガン政権時代に始まったCIPAは、裁判での証拠が機密扱いされ、起訴されている人々に見せるのを控えることが許される。フランツ・カフカの小説“審判”のヨーゼフ・Kのように、自分が有罪になった証拠も全く見ずに裁判され、有罪判決を受ける可能性があるのだ。SAMsのもとでは、弁護士を含め、囚人と接触した人が、囚人の肉体的、心理的状態について話すと違法になる。

また囚人が釈放された場合には、投票権や公的支援を受ける権利を失い、罰金を支払う負担を負わされ、支払えなければ、牢獄に戻される。彼らは恣意的な捜査と逮捕の対象にされる。彼らは余生を、膨大な犯罪人カーストの一員としてのけ者にされて暮らすのだ。

行政府は、自らにアメリカ国民を暗殺する権限を与えた。国防権限法第1021条のもとで、行政府が、大衆暴動を鎮圧するために軍隊を街に出動させることができるようになり、軍隊を国内警察部隊としての活動禁止が終わってしまった。行政府は、テロリストである、あるいはテロリストと関係していると見なしたアメリカ国民を逮捕するよう、軍隊に命令できる。これは“特例引き渡し”と呼ばれている。軍隊によって拘留された人々は、適正手続きや、人身保護令の権利を否定され、軍施設に無期限拘留されかねない。かつては憲法修正第一項で、権利が守られていた活動家や反体制の人々は、無期限投獄に会いかねない。
憲法で守られている言論、信仰や集会は非合法化される。国家は、人々が行ったことに対してでなく、しようと計画していることでさえなく、煽動的だと見なす宗教、政治信条を持っているだけで、人々を拘留し起訴する権限を持っている。最初に標的にされたのは忠実なイスラム教徒だったが、彼らが最後の標的というわけではない。

民主的参加、投票、競合する政党、司法による監視や司法的立法といった外観は無意味な見せ物だ。絶えざる監視下で暮らし、どこでも、いつでも拘留される可能性があり、会話、メッセージ、集会参加、性癖や習慣が記録され、蓄積され、分析される、大企業の搾取を前にした無力な人々を、自由と表現するのは不可能だ。国家と、常時監視されている市民の関係は、主人と奴隷との関係だ。しかも、たとえトランプが消えたとて、手かせ足かせが外されることはないのだ。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c30

[日本の事件30] コンクリ殺人の犯人が全員出所したらしい(2ch) 木卯正一
1514. 中川隆[-7628] koaQ7Jey 2017年5月26日 18:50:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

女子高生コンクリート詰め殺人事件は旭川女子中学生校内集団レイプ事件と酷似していますね。

その相似からすると女子高生コンクリート詰め殺人事件の黒幕云々というのも妄想でしょう:

468 :少年法により名無し:2017/03/27(月) 00:52:47.36 ID:mUiCCgdB0

朝、少女が呼び出された男子トイレに行くと、既にDQNのケンジとタカシと吉田の三人がボッキしてスタンバイしている!

「遅えぞ!」
「申し訳ありません!」
「ノーパンチェックだ!」
「かしこまりました!」

少女は自らスカートをたくし上げる!パンツ!履いていない!

ノーパンチェック済ますとそのままケンジの手マン!十分に濡れたところで立ちバックだ!

ケンジは少女の尻を無茶苦茶に叩きながらの激しいピストン!

中出しの後はお掃除フェラだ!「美味しいミルクをありがとうございます」

「次は俺の番だ!」タカシがバキュームフェラを要求!

四つん這いになって激しくチンポを吸引!

吉田は少女の後ろに回って尻を撫で回しながら、舌で少女のアナルを愛撫!

朝からイキまくりイカせまくりの辛え学校生活だぜ!


436 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0

通りすがりのおっさん
「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。
アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい

旭川市民には通報という概念がないのか?

437 :少年法により名無し:2017/02/01(水) 00:20:05.58 ID:+9VyMEnC0

・加害者達は学校の廊下をバイクで走るキチガイ。同級生はおろか教師も平気で殴っていた。

・当初行われていたいじめは、被害者の胸が大きいことをからかうことから始まった。被害者の胸を触り、スカートをめくってお尻を触るような比較的軽い性的ないじめだった。

・加害者の1人が被害者に交際を迫ったが断われた。それ以降、性的ないじめの内容が激しくなった。トイレや空き教室に無理やり連れ込み、服を脱がせて被害者の身体を執拗に弄び、フェラチオを強要するようになった。

・中2の夏に処女を奪われた。それ以降、フェラチオの強要だけでなく度々強姦されるようになった。

・被害者は最初、激しく抵抗していたが、そのたびに過激な暴力を振るわれていた。たび重なる暴行と脅迫により、中2の半ばにはほとんど言いなりになっていた。

・被害者は加害者に敬語を使い、ご主人様と呼ばされていた。命令されればクラスメートのいる教室でも裸になった。フェラチオのときに精液を飲んだら「おいしいミルクをありがとうございます」と言わされていた。


・日常的に強姦されるようになった当初、加害者は膣外に射精していたが、徐々に膣内に射精されることが増えていった。妊娠を恐れた加害者は、被害者に売春をさせた金でピルを購入して常飲させていた。

・被害者が少しでも反抗的な態度をとったら容赦なく殴りタバコの火を押しつけた。

「兄貴とセックスさせるぞ」
「母親も犯すぞ」
「少年院なんてすぐ出てこれる」

と脅していた。


・陵辱現場に連行されている際、通りかかった教師に「助けて」と叫んだが無視された。被害者が教師に助けを求めたことに激昂した加害者は被害者の後頭部を殴り、背中にタバコの火を押しつけるなどの激しい暴行を加えた後に強姦した。

・加害者の機嫌が悪いと命令に従順でも暴力を振るわれることがあった。教室で裸にさせられて、肛門に指を突っ込まるいじめをされていたとき、「うんこついたじゃねえか」と激昂した加害者に長時間に渡る暴行を受けた後に強姦されている。

・授業中にもトイレに連れて行かれて強姦されていたが教師は何もしなかった。体育の授業ではサイズの小さい体操服を着るように命令されていた。授業中にも殴られて体操服を脱がさていたが教師は何も言わなかった。

・性器や肛門に様々な異物を挿入されていた。性器にタバスコを塗られたときには、あまりの痛みに絶叫して許しを乞うたが、加害者は大笑いしていた。「ま○こにタバスコぶっかけるぞ」と加害者が脅すだけで泣き出すほど怯えていた。

・下着をつけずに登校するよう命令されていた。加害者が「ノーパンチェック」と言うと自分でスカートめくって下着をつけていないことを証明していた。

・陰毛に火をつけられて縮れてしまったときには「汚ねえから剃ってこい」と加害者に言われた。それ以降は常に剃毛してくるように命令されていた。

・自由な排泄を禁止されていた。加害者の見ているところで裸になって用を足していた。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要していた。「このうんこてめえに食わせるぞ」と脅されていた。

・尻に落書きをされた上、裸で踊るように命令されていた。手を抜くと暴行されるため、必死に尻を振って加害者の歓心を買っていた。

・被害者との日常的な性交はリーダー格である一部の加害者だけの特権だった。他の加害者の性処理はフェラチオやパイズリが主だったが、加害者の誕生日などには性交を強要されていた。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/


詳細は

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html

http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/632.html#c1514

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
31. 中川隆[-7627] koaQ7Jey 2017年5月26日 19:13:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アディダス、ナイキ、リーヴァイスは、犯罪組織 2012年01月20日


 スポーツシューズの有名ブランド、ナイキは、インドネシアで15歳以下の児童を工場で酷使し、ユニセフ等から犯罪企業として非難を浴びているが、国際的に禁止されている児童の酷使、労働を、ナイキは止めようとしない。

 ナイキのシューズは児童の酷使により、1足あたりわずかに5ドル=400円弱で製造され、1〜2万円で販売されている。原価の50倍前後であり、シューズ価格の98%がナイキの利益となっている。

 また、有名なスポーツ用品メーカーのアディダス、ジーンズのリーヴァイスは、インドネシアで同様の、15歳以下の児童による違法な労働で利益を上げている。児童は工場に閉じ込められ、学校に通う事も出来ず、十分な食料も与えられていない。これは犯罪である。

 アディダスとリーヴァイスは、児童と女性に「睡眠を与えず」死ぬまで働かせるために、覚醒剤の入った飲み物を飲ませ、麻薬中毒にし、文字通り奴隷として死ぬまで酷使している。

 アディダスとリーヴァイスのために多数の児童が「殺され」、児童と女性が麻薬中毒になっている。

 リーヴァイスは、タイではジーンズの原料となる綿花の農園で大量の農薬を使用し、河川を汚染、タイの一般市民にガン患者の多発を引き起こしている。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/247288059.html


上司が部下の女性従業員を自由に強姦出来るスポーツシューズ、ナイキ
2007/10/12(金)

 スポーツシューズの有名ブランド・メーカー、ナイキのメキシコ、インドネシアの工場では、13歳〜14歳の少女達が時給わずか17セント、20円程で働かされている。子供を学校にも通わせない、この児童労働は違法な児童虐待と言える。

 ナイキは、13歳〜14歳の少女達が生理で仕事を休むためには、少女達を上司の男性全員の前で全裸にし、出血を確認するという「義務」を強制していた。

 この義務は、従業員全員に強制されていた。

 これは極めて悪質な人権侵害である。

 また、この少女達は仕事中、強引に別室に連れ込まれ、上司の男性により日常的に強姦されていた。

 ナイキはこの犯罪事実を「隠し」、そのような事は無いと嘘を述べて来たが、2003年6月、米国連邦最高裁判所は、児童労働、人権侵害、強制猥褻、集団強姦等の犯罪で、ナイキに有罪判決を下した。

 現在、従業員の13歳〜14歳の少女達を強姦し続けたスポーツシューズ、ナイキの企業犯罪の有罪判決は確定している。
http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/25567191.html

CIAを作ったのは誰か

 バナナボートという有名な曲がある。中南米のバナナ農園で、奴隷として労働する黒人、先住民(インディアン等と差別的に呼ばれて来た)の悲哀を歌った曲である。
 かつても現在も、米国の貿易商社(穀物商社等)に支配された中米では、住民の食べる食糧を生産する事が禁止され、商社が輸出するバナナだけを生産する、単一作物農業=モノカルチャー化が推進されている(注1)。

 しかも中米全体の経済中枢が、UF=ユナイテッド・フルーツ社(チキータ・バナナ)1社によって、強硬に支配されて来た。

 かつてUFは、黒人、先住民族等の「奴隷」の反乱を押さえるため、秘密警察とスパイ組織を中米の全域に張り巡らせ、奴隷労働に反抗する奴隷=有色人種を次々と殺害して来た。「見せしめ」のために反抗した黒人の体を500片の「肉片」に引き裂く拷問を奴隷の眼の前で行い、その500片の「肉片」が動物により食べ尽くされ、腐敗して消失するまで奴隷の眼に付く場所に放置された。

 こうした奴隷労働と秘密警察による虐殺により、かつて南北アメリカ大陸に居た先住民族の95%以上が殺害された。その数は5000万人を超え、文字通り「皆殺し」である。

 この中米のスパイ、拷問、虐殺組織が、後に米国のCIAとなる。UFの経営者がブッシュ大統領一族であり、CIAの中核部隊がブッシュ一族のUFの秘密警察であったため、CIA本部が「ジョージ・ブッシュ・センター」と呼ばれる事となる。

 第二次世界大戦以前の、こうした状況は現在も変化していない。

 第二次世界大戦後、中南米諸国では、米国の穀物商社にバックアップされた軍事独裁政権が乱立し、穀物商社の農園での奴隷同様の低賃金に反抗する黒人、先住民族は軍事独裁政権の秘密警察により、次々誘拐、殺害されて来た。

 奴隷農園の農園主が、軍事独裁政権の大統領に交代しただけであった(注2)。

 中米の内陸にあるバナナ農園からのバナナを輸送するために、中米には鉄道網が整備され、それは米国本土の鉄道王ブッシュ大統領一族により建設されて来た。ブッシュ一族は、特に豊かな農園地帯であるニカラグアでは、強い支配権力を振るって来た。

 1935年、ニカラグアを植民地として支配するため、米軍の海兵隊の大軍がニカラグアに「侵撃」した。それ以降、ニカラグアは米国の「奴隷農園」になった。

 このニカラグア侵略戦争を実行した米国海兵隊の指揮官=将軍、スメドレー・バトラーは晩年、日記の中で以下のように語っている。

 「私はブッシュ、ロバートソン一族のために、海兵隊を指揮しニカラグアを支配下に置いた。」

 ロバートソン一族とは、「日本人を始めとした有色人種は、人種的に劣った人種であり、核戦争により絶滅すべきだ」と主張するキリスト教原理主義教会の指導者パット・ロバートソン一族である。若い時代、アルコール中毒患者であったブッシュ大統領を説得し、立ち直らせた現在の大統領の「育ての親」ロバートソンである。

 ブッシュ大統領の最大支持基盤であるキリスト教原理主義教会=ロバートソン一族と、ブッシュ一族の「一体化」は、その源流を中米の「奴隷農園」の共同経営に持っていた(注3)。

 中米の奴隷農園で、黒人、先住民族=有色人種を奴隷として虐殺して来た人種差別思想が、「宗教の装い」を取ったものがキリスト教原理主義教会である。


※注1・・このモノカルチャー化は、WTOによる農作物の「貿易自由化」でも同一の事が推進される。WTOの正体が何かをこれは明確に示している。現在の「貿易自由化」とは、中南米に見られた農民の奴隷化の「別名」であるという実態が、そのモノカルチャー化と言う同一の農業形態により、明確に見えて来る。拙稿「日本のコメが危ない」を参照。

注2・・第二次世界大戦後、中南米諸国に乱立した軍事独裁政権の秘密警察には、ドイツから逃亡して来たナチスの生き残りが雇用され、有色人種の虐殺を担当した。

 ナチスの生き残りが中南米に逃亡する「手配」を行ったのは、CIAとローマ・カトリック教会=バチカンであった。ナチスの生き残りは、カトリック教会の修道院の世界的ネットワークを使い、修道院から修道院へと逃亡し、ブラジル、アルゼンチン等に逃げ延びた。

この世で一番恐ろしいことは、「自分で生きていく術を失われる」ということである。自分たちで食料も生産できなくなった社会では、奴隷になる以外の生き方が存在しない。デカイ企業に時給数百円で(言い値)で雇われ続けるしかない。

新たな奴隷商売は世界で起きていることで、この日本にも入ってこようとしている。

日本のJAICAという組織をご存知だろうか?
発展途上国へいって、収入を得る術を教えに行くボランティア集団を抱えている組織である。彼らは、現地民に土地を捨て、現金収入を得るよう促す努力をしている。もちろん日本製品を販売する礎を作るためである。

それはそれでいい。が、問題は彼らから自立を奪い、現金収入に頼る経済機構を構築することにある。これがどのような問題を起こすのか。
想像できない方は、これから先の日本では生きていくことはできないであろう。
http://keifugaku.blog110.fc2.com/?mode=m&no=7


奴隷が作るインスタント・コーヒー=ネッスル社のネスカフェ 2007年10月10日

 アフリカのコートジボワールでは、近隣のマリ共和国から誘拐されて来た7歳から14歳の少女達が2万人、給料も休憩も無く奴隷として強制労働させられている。  現場監督により、この少女達は日常的に殴る蹴るの暴行を受けており、彼女達は病気になっても医者にも見てもらえず、死ぬまで奴隷として労働が強制されている。  ユニセフは、これは悪質な奴隷労働であると「非難」している。  

2万人もの少女達を誘拐し、奴隷として強制労働させている犯罪者は、ロックフェラー(ブッシュ)の経営する穀物商社カーギル=ネッスル社、クラフト・チーズで有名なクラフト社(親会社が最大手の穀物商社コナグラ社)、タバコのマルボロで有名なフィリップ・モリス社(食品加工・最大手)、クラッカーで有名なリッツ社である。  

「非難」するだけで国際刑事警察機構に刑事告訴しない所が、大企業の「味方」国連=ユニセフである。

これらの世界では、自分たちで自立をする手段が全て貨幣経済に差し替えられた。ゆえに貨幣という(紙幣か)虚構を、他人の借金を、使って生きることを余儀なくされている。

彼らの借金とは何か? IMFである。

この高利貸し集団が政府に莫大な借金をさせ、借金返済のための外貨獲得を余儀なくされている。IMFを拒否すれば、武力によって国は蹂躙されることになる。 そうして、IMFとその仲間たちはいわば合法的に奴隷商売に手を染め、莫大な利益を得ることになる。 この世界の姿が、今後の日本の姿になりえるとどれほどの人々が思っているのだろう?
教育上決して教えられない効した事実は、何も知らされない庶民を大量生産し、奴隷商売を助け、そのまま奴隷として死んでゆくのだ。
http://fuen-desu.blogspot.jp/2007/10/blog-post_12.html


安くて従順な子供を、朝から晩までこき使う資本主義の裏の顔


グローバル経済の中で「人件費を下げる」「コストを下げる」というのは非常に重要な部分である。コストを下げるために、企業は何でもする。そうしなければ、競争に打ち勝つことができないからだ。

消費者は、品質よりも安さを求めることが多く、他人よりも安く買えれば「得した」と満足を得て、高ければ「企業努力が足りない」と悪態をつく。ぼったくられて高い値段を払うのは誰でも苦痛だ。自分の給料や資産にも限りがあるのだから、少しでも安いものを選ばなければならないと誰もが思う。


安くて、文句を言わず、朝から晩までこき使える労働者

それがより安いものを選ぶ消費者行動になり、そして企業はその一点に向けて骨身を削るような「企業努力」を行う。その企業努力というのが、「人件費を下げる」「コストを下げる」という部分になる。

先進国の労働者はコストが高い。だから企業は先進国の労働者をみんな捨てて、新興国の安い賃金に群がる。そして、新興国の中でもより安い人材を求めて捜し回る。人件費は安ければ安いほどいい。安くて、文句を言わず、朝から晩までこき使える労働者であればあるほどいい。

そして、グローバル経済は何を生み出したのか。

いち早く新興国に工場を移したシューズ企業の工場では、より安い労働者を確保して奴隷のように働く労働者を見つけていた。それは「子供たち」である。中国でも、アフリカでも、カンボジアでも、インドでも、新興国では学校に行けない貧しい子供たちがたくさんいる。ある経営者は、そんな子供たちを捕まえてきて、二束三文で働かせて利益を生み出すようになっていた。

2004年にインド・チェンナイの裁縫工場で働かされていた12歳の子供たちは1日14時間も拘束されていた。休みもなし、食事は1日2食、それもほんのわずかな量だ。工場内は非常に暗く、高温多湿で、立ち入った検査官が気分が悪くなるような場所だった。


貧しい子供たちは、それまでずっと犠牲にされたまま

ある朝、カンボジアで食事をしているとき、ひとりの少年が私の前に立って靴を磨かさせてくれと手振りで言った。私はいらないと言って食事を続けていた。こんな少年に労働をさせたくないと思ったからだ。しかし、少年は立ち去ろうとしなかった。とても貧しい身なりの少年だった。

気がつくと、遠くに彼よりもさらに小さな少女がじっとこちらを見ていた。そのとき、ふとこの少年に「労働」させないとこの兄妹が飢えるのだと思って靴を磨いてもらい、金と一緒にテーブルのヨウティアオ(中国の揚げパン)を渡した。少年はそれを妹に渡して消えていった。

新興国では肉体労働にも子供が駆り出されている。バングラデシュを訪れたとき、ダッカ郊外に多くのレンガ工場があったが、そこで働いていたのは小さな子供たちだった。カンボジアではスタンメンチャイのゴミ集積所で大人にまじって子供がゴミ拾いをしている。タイではスクンビットでカンボジア出身の子供が物乞いを強制され、ベトナムではゴミのリサイクル工場で子供が働いている。

これは見える「児童労働」だ。

しかし、先進国の人間が100円ショップに行って安い品物を買ったときはどうだろう。その陰に、強制されて働かされている多くの子供たちの存在がある。そのことを思い浮かべる人はどこにもいない。これは見えない「児童労働」だ。

グローバル経済は、今も新興国・後進国と呼ばれている国で、平然と児童を労働に使っている。これは正しいことではない。しかし、私たちはそれを止めることはできないでいる。あなたは会社に行って

「グローバル経済は人類を幸せにしないから競争なんかやめましょう」

と言えるだろうか。社員から経営者まで誰もそんなことを言えない。競争をやめたら企業は存続できないからだ。現代文明は人類そのものを不幸にしながら暴走するしかない。

行き過ぎた資本主義、行き過ぎたグローバル経済、行き過ぎた消費文化は、いずれ行き詰まる日が来る。それまで貧しい子供たちは、犠牲にされたままだろうか。恐らくそうだろう。先進国では、誰も彼らに興味がないのだから。


2012-08-22 08:31:06 25b5592tut

以前テレビで、アフリカのどこかの国でカカオの収穫に子供を働かせているのを見たことがあります。朝から晩まで不当にこき使われて、ぶたれたり食事を抜かれたり奴隷のようでした。どの子もみんな痩せ細ってて胸が痛みました。

しかも、本人達はそのカカオがチョコレートの原料であることを知らないばかりかチョコレートを食べたこともないというのが衝撃的でした・・

以来、あまりチョコレートを買わなくなりました。ただこれはショックな事を思い出したくないという自己保身にすぎません。私のようなヘタレは現実に向き合うのがとても厳しいです。知りすぎると何も買えなくなってしまいそうです・・

安い人件費や子供達の犠牲のもとに今の入手価格があるのがわかっても、高くなるとやっぱり不満に感じてしまう・・私も含めこんな人間が多ければやはりこのような問題は解決することがないように思います。

2012-08-22 16:31:39 ssb5t21u79

子供を労働者に使うと暴動を起こしませんものね(知的障碍者を雇うってのもありましたね)。昨今、海外新興国の工場で賃上げ暴動やストが盛んです。その点、子供ならそういう発想や暴力・団結等はできない・・

搾取する側の大人は、資本主義は、「グローバル経済」とやらは本当に儲け主義で狡猾な発想を生み出します。鈴木さんが言われるように、このままエスカレートしていったら、どうなるのでしょう。

ここ何年かいろいろ購買していて気が付いたのですが、安いものであまり品質の良いものはありません。100円ショップで買ったスリッパはたった1週間で壊れました。じゃあ、と他のドラッグストアで298円のスリッパを買ってみたら、2週間ちょっとで崩れました。値段との正比例っぷりがおかしくて、自分でも納得しました。それらの安い商品は当然「Made in chaina」です。やっぱりスリッパは400〜500円の日本製のものを買わなくちゃなあ・・と思いました。

ところで、先日うちのパソコンが壊れました。グラフィックのBIOSファイルが壊れたようなので、グラフィックボードだけ買いなおすかと思いましたが、新品パソコンとたいして値段が変わらないので、新しいパソコンを買いました。買ったのは「ACER(台湾製)」です。

それまでのは「DELL」でした。たったの4年で壊れました。まあHDの内容がすべて破壊されていたわけではないので、HDは新PCに移行して主要ファイルを移してそのまま使っています。しかし実は私もダンナも日本の某電機メーカ社員です(お互い違う会社です)。当然、両社ともPCは販売しています。最初のころは、お互いの会社のPCを交代に買って穏便に済ませていました。が、その後、買い替える時に私が「うちの会社のは高いから論外!」と言うようになりました。まあ、いろいろ内情を知れば知るほど、わかるものです。

日本製は、人件費(部品は海外で作っているので安いのですが、販促や物流費用やユーザ対応等)や高い広告費等いろいろ付加され、性能が海外PCとそんなにかわらないのに高いのです。ダンナの会社の製品も価格・性能ともに50歩百歩だったので、そのうち私たちは自社のPCを買わなくなりました。だって、中身を分解して時々掃除したりして見ているし、役員や幹部のスピーチを聞く機会がありますから、いろいろわかります。でもそこでお給料をもらっている身としては、多少の罪悪感はあります。いや、多少どころかかなりです。会社の利益とそこからもらう給料、自分の家庭の経済・・これを比較して考えると頭が痛くなります。

かつて、ある役員のスピーチで私の頭に衝撃を感じたものがあります。

「法律を犯さなければ何をやってもいい、いや、ばれなければいい、とにかく儲けろ!」・・・・

この倫理観。私はこうはなれません。会場にいた管理職たちは、「オー!」とか言って応じていました。無常観を感じました。私の父も一部上場企業の役員までいきましたが、技術畑出身なのでこんな発想は決してなかったと思います。むしろ、40年以上前に「原発は危ない」とぽつりと言うような(現地を見てきてから)人でした。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120821T2341010900.html



子供の奴隷を使っているチョコレートブランド7社 世界の裏側ニュース
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/558.html


子供の奴隷を使っている有名チョコレート企業7社
7 Famous Brands That Use Child Slaves To Make Your Chocolate

2月9日【AnonHQ】
http://anonhq.com/7-famous-brands-that-use-child-slaves-to-make-your-chocolate/ より翻訳


Vandita著:


西アフリカのカカオ豆農園では、15歳に満たない子供たち(中には5歳の子供も)が朝6時から夕方まで働いています。そしてこれら農園は、あなたの大好きなキットカットやM&Mといったチョコレートの生産のためにネスレーやハーシー(Hershey)、マース(Mars)、クラフト、ADMココア、ゴディバ、そしてFowler’s Chocolateなどと取引を行っているのです。


2015年9月、カリフォルニア州でネスレー、ハーシー、マースに対する集団訴訟が起こされました。これは同社らが社会的・同義的に責任を取っていると間違った印象を与えている一方で、西アフリカのカカオ豆供給業者による人権侵害を黙認していたためです。


2005年に子供の奴隷であった三人のマリ人が現在、ネスレー、カーギル、ADMに対して別個の訴訟を起こしており、コートジボアール国内でのカカオ豆市場で子供の奴隷の使用を支援し、教唆していたと訴えられています。


2000年に公開された「Slavery: A Global Investigation(仮訳:奴隷制度・世界的な調査)」というドキュメンタリーでは、チョコレート産業と子供の奴隷によるカカオ豆の収穫という深い闇の関連性について明らかにしています。

Slavery A Global Investigation
https://www.youtube.com/watch?v=P-mgXSojRuo


コートジボアールの当局によって奴隷の立場から逃れることのできた19人の子供の保護者は、当時の子供たちは毎日、夜明けから日暮れまで働かされた上で毎晩、鍵のかけられた小屋の中に閉じ込められた後、排尿のためのブリキの缶を渡されて服をもぎとられ、縛り付けられて定期的に暴行を受けると言う日常を、チョコレート製造企業に伝えました。


そして、数千人もの子どもたちがマリやブルキナファソ、トーゴなどの国からわずかのお金のために両親から買い取られ、あるいは一部にはあからさまに奪い取られ、コートジボワールに船で運ばれて同国のカカオ豆農園で奴隷とされるまでの経緯も伝えました。


奴隷制度を支援することを避けるために、こちらに子供の奴隷制度を食い物にし、児童労働から利益を得ている7つの人気のあるチョコレートのブランドをリストアップしました。


ネスレー


ネ スレー社は経営上の行動規範の中で、サプライ・チェーンの中での児童労働の使用を禁止しているものの、公正労働協会(FLA)の調査員は、強制労働や、子 供たちがマシェーテ(なたに似た刃物)を使用したり重い荷物を運ぶなど、危険な労働条件の下で14時間労働している子供たちと、同社の関連性を示す証拠を 発見しています。


ガーディアン紙のインタビューに対するネスレーの広報官の説明は次の通りです。


「これまでのところ、自分の家族が経営する農園で労働し(約10%が調査の対象)、児童労働に該当する危険な仕事に関与している3,933人の子供を特定しました。


当社はその児童のうち半分を、当社の「児童労働に対する観察および改善システム」に含めました。このシステムは、学校に必要な物資の提供、出生証明書の取得、そして312人の確認された児童の家族に対して所得創出活動を発展させる役割を担っています。


残念なことに、この問題の規模や複雑さはあまりにもひどいため、コートジボアールをカカオ豆の入手元としている企業はどの社も、供給チェーンから児童労働のリスクを完全に取り除くことができると保証することはできません」


ネスレー社は2014年、チョコレートの売上として916億スイスフラン(約105兆円)を計上しています。


ハーシー


アメリカ国内最大のチョコレート製造企業であるハーシー社は、製品の主な原料をコートジボアールから購入しています。しかしコートジボアールは、強制労働や人身売買、児童労働や子供の奴隷などの面で最悪の環境であると悪名の高い国です。


2012 年、同社の西アフリカで栽培されたカカオ豆のうち、子供の奴隷によって生産された可能性のあるものはどれだけなのかハーシー社の重役が把握している知識に ついて、ルイジアナ州の年金基金が疑問を投げかけたことがありました。虐待的な慣行に対する認識について、ハーシー社企業広報部長のジェフ・ベックマン氏 はConfectionerynews.comに対して次のように説明しています。


「訴訟の申立の内容は新しいものではなく、カカオ豆産出国内での長期的な課題であり、NGOを含む株主やカカオ豆供給チェーンの企業、アメリカ政府が地道に何年にも渡って取り組んできた問題です」


2014年度のハーシー社は純利益として約8.5億ドル(約952億円)を計上しました。


マース(Mars)


マース社は2020年までには(児童労働が用いられていないと)認定を受けたカカオ豆だけを調達すると2009年の時点で誓約しました。


し かしExaminer紙がマース社に対し、なぜ同社のチョコレートに一切、児童奴隷が使用されてないことが認証されるまでに2020年まで必要なのかと質 問したところ、マース社は「カカオ豆農園で人身売買され、あるいは強制労働させられている子供の数はごくわずか」とし、「西アフリカの何百万ものカカオ豆 農園の全員に手を差し伸べるのは難しい仕事」で、子供の奴隷が関与していないチョコレートと保証するのは「複雑」な問題であるため、持続可能性を保証する ためには「10年が現実的な期限」であると考えていると応えています。


チョコレート産業全体での協定として、2005年までにチョコレート産業として子供の奴隷制度を自主規制し、終わらせることを目的としたハーキン=イーグル議定書(Harkin-Engel Protocol)が2001年に調停されましたが、その期限は2005年から2008年から延期され、その後再び2010年に延期されています。


そして2016年になった今も、子供の奴隷制度の終結を誓約しつつも、虐待的な慣行から数百万ドル単位の利益を弾き出しているチョコレート製造企業が存在しているのです。


さらに、2015年の報告書によると、カカオ豆産業で働いている児童の数は2009年から2014年を比較すると51%増加し、現在では合計で140万人になっているということです。


奴隷状態の労働条件で働く子供の数は、2009年から10%増加し、現在は合計で110万人になっています。

ADM、クラフト、ゴディバ、Fowler’s Chocolate


205年、コートジボワールのカカオ豆プランテーションで強制的に労働させられたマリ国籍の者3人が、ネスレーやADM、カーギル(カーギル社はADM社の国際的なチョコレート取引部門を企業価値約4.4億ドルとして買収)が、児童労働によって収穫されたカカオ豆を購入し、奴隷制度、児童労働、虐待を「支援・ほう助」したとして、カリフォルニア州の連邦裁判所で集団訴訟を起こしました。


カカオリカー、ココアパウダー、ココアバターの製造加工業者であるADM社に対する10年越しの訴訟が継続する中、同社はココア関連ビジネスをシンガポールに拠点を置く農業総合商社オーラム・インターナショナル社に13億ドルで売却しました。


2012年、キャドバリー(Cadbury)やクラフトフーズ(Kraft Foods)を買収したモンデリーズ・インターナショナル社は4億ドル(約44.8億円)を投資し、カカオ豆生産農家の生活基準を改善し、持続可能なカカオ豆経済を創設すると誓約しています。しかし、サプライチェーンから強制労働を取り除こうとする同社の企業努力は何年も苦戦し、これまでのところ効果が出ていません。


ゴディバを含め、世界で用いられているカカオ豆の60%以上は西アフリカから供給されています。他の大規模なチョコレート製造企業とは異なり、ゴディバ社は原料が児童労働によって収穫されていないことを確実にするために同社のカカオ豆のサプライチェーンを追跡調査したり、あるいは地元と協力し合うという宣誓をしていません。


ゴディバ社は2020年までにはカカオ豆の供給の100%を持続可能な供給元から行うと約束はしたものの、公正な給料や安全な労働環境を保証し、児童労働をなくすためのゴディバ社の具体的措置については明らかににはされていません。


Fowler’s Chocolate社は児童労働を糾弾する一方で、コートジボアール産のカカオ豆を使用し続け、同社のチョコレートに児童労働が用いられてないことを保証することは不可能になっています。


2010年、BBCがイギリス国内で販売されているチョコレートの大部分に供給しているサプライチェーンについて行った調査
http://news.bbc.co.uk/panorama/hi/front_page/newsid_8583000/8583499.stm


では、人身売買や子供の奴隷が使われている証拠を見つけただけでなく、予防対策は取られているフェアトレードとして販売されているチョコレートでも、サプライチェーンで児童労働がまったく使われていないと保証することはできないということも明らかにされています。
 


(翻訳終了)


*****


【コメント】


バ レンタインですが、あまり甘くないチョコの裏側の話です。児童労働の情報については日本語でもありますが、社名を特定されていた記事があったので翻訳しま した。とはいえもちろん、ここに名前の挙がっていない企業でも同罪なところはたくさんあるので、この辺だけを避ければよいというものでもなく、さらに言え ばこのような問題のある製品はチョコレートに限定されるものでもありません。


【関連記事】


★「安い中国産製品」の裏側に潜む現代の奴隷制度
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11961955129.html

イギリスでは、大人もチョコレートが大好きな人が多く、何か行事がある度にとりあえずチョコレートでも・・・とばかりに販売合戦がすごいです。


Internet.com.の日本語サイト
http://internetcom.jp/wmnews/20120209/2.html


の情報によれば、イギリスのチョコレートの消費量は世界第三位だとか。カカオは摂り方によっては健康によい側面もありますが、チョコを買う=児童労働・奴隷を認めてそこにお金を流し、支援していることになるので控え目にしたいなとは思っています。


ネスレー社といえば、このチョコレートの問題だけでなく、このブログで取り上げてきた記事の中でも何度も登場している「常連」さんです。


ガザ地区で非人道的な侵略を行っているイスラエル政府を支援していたり、


★ボイコット・イスラエル
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11807316661.html

製品にGMOを使用していたり、


★GMOが含まれる外国(アメリカ)製品一覧
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11555568003.html

もちろん、ビルダーバーグ・グループの一部でもあります。


★99%vs1% ビルダーバーグに関連している企業一覧やデモ状況など
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11869072484.html


しかも他の多国籍企業と同様、他の企業やブランドを買収してもいますので、その周辺にも気をつけたいところです。こういう系図を見ていくと、私たちにはいろいろと選択の自由が与えられているようで、実はどの会社を選んでも親会社が同じだったということもよくありますね。


Disclose TVには、世界の水資源を利益のために販売し、子供の奴隷を用い、GMOを支援しているビルダーバーグのネスレーに宣戦布告を行っているアノニマスの動画もアップされています

(Disclose TV リンク)。
http://www.disclose.tv/action/viewvideo/175954/Anonymous__Bilderberg_Nestl_Want_to_Control_World_Water_Supply_Use_Child_Slaves_and_support_GMOs/


イ ギリスではキャドバリー(Cadbury)社もかなり大手で人気ですが、甘すぎる割にチョコの味もしないので私はあまり好きではありません。それ以前に、 ミルクチョコレートの原料になる牛の扱いが非人道的で、それを明らかにした動画を見てからはとてもプレゼント用でも買う気がしません。でも娘の学校で遠足 として、キャドバリーのチョコレート工場見学に行ったりしているんですよね〜


M &Mのチョコレートも人気ですが、フランスにあるM&Mを製造している工場の近くにある蜂の巣の蜂蜜がすごい色になった写真などを見ると・・・M&Mは果たして、人間の食べるものかなと考えてしまいます。


こちらがM&M工場の廃棄物に触れたミツバチの作るはちみつです。見た目にはきれいですが、食べ物にこだわりの強いフランス人農家は激怒していました。


日本のチョコレートを製造・販売している企業はこの問題に対して、どのような取り組みを行っているのでしょう?

子供の奴隷を使っているチョコレートブランド7社 世界の裏側ニュース
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12127771409.html

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うーん、100年前と今と全然変わっていないのが一番問題ですね:


ビール一杯のため、黒人の手首を切り落として遊ぶロスチャイルドの部下達 

藤永茂 「闇の奥の奥」 三交社
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E9%97%87%E3%81%AE%E5%A5%A5%E3%80%8F%E3%81%AE%E5%A5%A5%E2%80%95%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89-%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%87%8D%E8%8D%B7-%E8%97%A4%E6%B0%B8-%E8%8C%82/dp/4879191671


かつてベルギー領であったアフリカのコンゴでは、ベルギー国王レオポルト2世の経営する無数の大規模ゴム農園で、黒人が凄まじい奴隷労働を強制された。

この奴隷農園を経営していた実働部隊が、ロスチャイルド一族とその盟友・銀行ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック[Société Générale de Belgique]である(拙稿「核兵器の密売人フランス」参照)。


本書p28には、ロスチャイルドによって手首を切り落とされた黒人の少年の写真が載っている。

黒人には1日に採集するゴムの量が1人1人割り当てられた。1日でもその割り当てノルマが達成できないと、ロスチャイルドはその黒人奴隷の手首をオノで切断し、制裁を加えた。相手が少年であっても容赦はされなかった。

本書に掲載されている写真が残されている事は、「写真という技術が登場し、しかもアフリカの奥地にまで持ち込める携帯用のカメラが開発・販売されるようになったつい近年まで、ロスチャイルドによる黒人奴隷の手首切断が実行されていた」事実を示す。

この有色人種を奴隷とし人間とも思わない一族が、今後、中国を支配し、原発と核兵器を大量生産する事になる。原発の事故が起こり、核戦争が起こり、アジア人=有色人種が死のうとロスチャイルドが「何とも思わない」事、むしろ不要な人種が死んで喜ぶ事を、この写真は事実として示している。

今後、国連の中心となり、国連という国際機関を「動かす」中心国となるベルギーとロスチャイルドによる、この黒人・有色人種虐殺の犠牲者は、数百万人に上る(p33)。

 国連が平和維持活動と称しPKO部隊を送り込み、有色人種の国々で虐殺を繰り返している事実は、このベルギーとロスチャイルドによるコンゴでの大虐殺に「同一起源・源流」を持つ。

本書p79にも、切り落とされた黒人奴隷の手首を持つ黒人の写真が掲載されている。
ロスチャイルドは、逆らった黒人、病気・ケガで働けなくなった黒人を射殺する事を農園の監督人に命じた。しかしライフル銃の弾丸を節約するために、殺害に使用した弾丸の数と同一の数の黒人の手首を持ち帰る事を監督人に要求した。殺害された黒人1名につき弾丸1個しか使用してはならない、という弾丸の節約命令が出されていた。
黒人の命より、弾丸1個の方が「もったいない」という事である。

一方、監督人は木の棒等で黒人を撲殺し、弾丸を未使用のまま残し、「黒人が逆らったので銃殺した」とウソの報告を行い、弾丸を銃器販売店に「横流しし」、その利益を「小遣い」として着服する事が常態化していた。

つまり逆らってもいない黒人を撲殺し、弾丸を横流し販売する事で「小遣い」が得られた。ロスチャイルドの監督人達は、ビール1杯を飲む小銭のために、逆らってもいない黒人を殴り殺し続けて来た事になる。

このベルギー国王(英国王室と同族のザクセン・コブルク・ゴータ一族)とロスチャイルドの行った大虐殺を知り、写真を撮り世界に知らせた勇敢なジャーナリストが三名居た。

最初の告発者ワシントン・ウィリアムズ[George Washington Williams, 1849-91]は、わずか32歳(引用注:正しくは41歳)の若さで何者かに毒殺されている。

盟友の毒殺にも屈せず政府とロスチャイルドの告発を行ったジャーナリスト、ロジャー・ケースメント[Roger David Casement, 1864-1916]は「国家反逆罪」で、ベルギー政府の手で逮捕され「絞首刑」となり処刑されている。

3人目のE・D・モレル[Edmund Dene Morel, 1873-1924]も逮捕され、ケースメントと同一の刑務所に収監され、出獄後、病死している。

こうした写真は、この勇敢なジャーナリスト達が自分の命と引き換えに撮影してきたものである。

本書p142には、南アフリカで絞首刑にされ、「さらし者」にされている3名の黒人奴隷の木に吊り下げられた死体の写真が掲載されている。

裁判等抜きで、白人が「気に入らない黒人を自由にリンチ処刑している」。 同時に、リンチにされた黒人の姿を「満足気に葉巻を吸いながら眺めている白人達の姿」も撮影されている。有色人種をリンチ殺害する事は、大好物の葉巻を吸いながらそれを眺める程、「最もリラックスできる楽しい時間」であった事を、この写真は示している。 これは、携帯用の小型カメラが世界中に販売されるようになった時代のリンチであり、「つい最近」の出来事である事を、写真撮影という事実そのものが示している。 そしてコンゴだけでなく、南アというロスチャイルドの支配下に入った国・地域では、どこでもリンチ殺人が行われていた事実を、こうした写真は示している。

コンゴは、ゴムだけでなく核兵器原料のウランの最大手の生産国であり、ロスチャイルドの核兵器原料企業ソルベイ社[Solvay]が、コンゴでのウラン採掘と世界への販売を担当してきた。

このソルベイ社とベルギー国王が「国連所在地のブリュッセル」で3年に1度開催する「ソルベイ会議[Solvay Conference]」は、世界中の核兵器メーカーと核物理学者が集まり、今後の核兵器販売計画を密談する、ソルベイ社から招待された者だけが参加可能な、マスコミにも情報を出さない「隠密会議」となっている。

かつて、第5回ソルベイ会議に出席したアインシュタインが、ソルベイ社に説得され、米国のルーズベルト大統領に書簡を送り、原爆開発の推進を「提言」した事実は有名である。著名であったアインシュタインの書簡であれば米国大統領も「核兵器開発を認め、説得されるであろう」と計算したソルベイ会議は、アインシュタインを「上手に誘導し説得した」のである。

このソルベイ会議が無ければ、日本の広島・長崎への原爆投下も原爆開発も無かった。 この会議を開催している者が、ロスチャイルドとベルギー王室、つまりコンゴの奴隷虐殺者達である。

日本人という有色人種を大量に虐殺した広島・長崎への原爆投下と、コンゴでの有色人種=黒人大虐殺が、同じ「論理」、同じ企業・人間達によって行われてきた事実が浮かび上がる。その論理とは「有色人種虐殺」である。

この企業・人間達が、今後アジアの盟主として中国の政権中枢を担当する。その金融面での動きがアジア統一通貨の形成であり、それは欧米・ロスチャイルドの新しい支配戦略である。

アジア通貨の誕生をドル支配からのアジアの独立である等という寝呆けた主張は、国際情勢への無知か、自分がロスチャイルドの「手先」である事を自白しているに過ぎない。
*・・・なお、ベルギーによるコンゴ支配を描いた小説「闇の奥」の作家ジョセフ・コンラッド[Joseph Conrad, 1857-1924]は、「ベルギーのような遅れた国がこうした虐殺を行うが、自分達、英国人であれば、こうした虐殺は行わない」と英国人を自画自賛している。

英国王室とベルギー王室が同一一族である事実を知識人コンラッドが知らないはずは無く、悪質なデマをコンラッドは流している。

こうした悪質なデマを流し、真実を隠す作家でなければ「大作家」「人種差別に最初に気付いた知識人」などと言う「名誉ある称号」は手に入らない。

またコンラッドの小説を映画化し「地獄の黙示録」を製作した映画監督・「巨匠」フランシス・コッポラ[Francis Ford Coppola]は、ベルギー政府とロスチャイルドの行った、この残虐な黒人奴隷の手首切断をベトナムに舞台を移し、「ベトナム共産軍の行った野蛮な行為」として描き出している。

ベトナム戦争でベトナム共産軍を敵として戦争を行った米国政府の「ご機嫌を伺うために」、ベルギー政府の行った虐殺を「ネジ曲げ」、米国政府の敵=共産軍が行った野蛮な行為として手首切断を、「巨匠」コッポラは描いている。

手首切断を行ったロスチャイルドの米国支部はロックフェラーであり、そのロックフェラーこそがベトナム戦争を行った米国政府中枢である事を、無知からか意図的にかコッポラは無視し、デマを世界中に「タレ流している」。

こうした悪質なデマを流し、真実を隠す作家でなければ「巨匠・映画監督」にはなれない。

真実を語るものが絞首刑になり、デマを「タレ流す」者だけが「大作家」、「巨匠」になる。現代世界と芸術界は、ニセ者だけが表通りを歩く事の出来る肥溜めと化している。
http://satehate.exblog.jp/15342781/  


何も考えないで生きていると、必ず誰かに「モノ化」される


人間は考えることを止めても生きることができる。どうするのか。支配してもらうのである。国に支配してもらい、会社に支配してもらい、親に支配してもらい、言われた通りにする。

そうすれば、自分で何か考えたり、決断したり、行動したりしなくてもいい。

独裁国家は考える人間を排除し、考えない人間だけを作り出し、そしてその「無脳集団」を自分の思う通りに動かして独裁を完成させる。

(独裁者が誕生するのは、独裁して欲しいと思う人がいるから)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20170403T0400140900.html


自分で考えないで生きるというのは、誰かの駒になるということである。人間社会は昔から、考える人間が考えない人間を支配することで成り立ってきたのだ。

それは、今も社会の中で公然と行われており、これからも続いていく。考えない人間は誰かに都合良く動かされ、要らなくなったらゴミのように捨てられる。

独裁者は国民を使い捨てにするし、ブラック企業は社員を使い捨てにする。考えない人間は奴隷のようにこき使われて、ゴミのように捨てられる。何も考えないと、必ず誰かに「モノ化」される運命が待っている。

人間のモノ化とは、抽象的な概念ではない。文字通りの意味である。人間が人間扱いされない。生きた人間そのものが「商品」や「物体」として認識され、効率的に使い捨てされるようになっていく。誰がそうなるのか。考えない人間だ。


考えないで生きていると、必ずモノ化される運命

4月になったら、多くの新卒の学生が新入社員としてどこかの会社に入る。何か目的を持って会社に入ったというよりも、まわりに合わせて自分もそうした人も多いはずだ。

何も考えないでまわりと同じようにやっていると、必ずモノ化されることになる。企業が労働者をモノ化するというのは昔から行われていることであり、すでに労働者をモノ化する手法は確立されているからだ。

労働の世界で、企業が人間をモノ化するのは今に始まったことではない。

映画『モダン・タイムス』では、チャーリー・チャップリンが強烈な風刺でそれを世に知らしめて、この映画はチャップリンの代表作になった。

日本でも「女工哀史」に見られるように、女性が機械の部品のように扱われて労働者の「人権」はどうなっているのかと世の中が嘆いた。

(日本女性が忘れた女工哀史は、途上国ではリアルタイムだ)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20141119T0212040900.html


そういった極度な労働強要はやがて姿を消すようになったが、しかし1980年からグローバル化が加速していくと、それが見えない形で復活するようになった。

まず、強制労働は途上国の、誰も見ていないところで急速に広がることになった。

中国・インド・バングラデシュでは、子供たちが薄暗く、暑く、埃の舞う衛生観念のないような場所で14時間もぶっ通しで働かせられるようになった。

(児童労働。アジアで知り合った子供たちの顔を何人も思い出す)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20130707T2126240900.html


それが常態化すると、今度は先進国で労働者の賃金格差が起きて、アメリカでは高学歴の人間がファーストフードのデリバリー、若年層はインターンという名の無償労働が起きるようになった。

そして、日本では大量に若者を採用して、つぶれるまで働かせて使い捨てするブラック企業が大量発生するようになった。

人間性を奪い取って、機械の部品のように働かせるのは、紛れもなく、人間の「モノ化」という視点がそこにあるからだ。


ポルノの世界でも、日に日に女性がモノ化していく

こういった表社会で起きている「モノ化」の視点は、もちろん裏社会にも波及している。

たとえばインターネットの普及によって凄まじく粗製濫造されているポルノは、もはや女性との出会いや愛からセックスに至るというような「まどろっこしい」描写は消えた。

欧米でも日本でも、ポルノが蔓延すればするほど、もっと剥き出しに、もっと過激に、もっと激しく女性が陵辱される行為を望んだ。

それが突き進んだ結果、普通の快楽ではもう飽き足らなくなり、過激表現はどんどん突き進んで、ポルノは暴力になる。性行為を通して、暴力的なまでに女性を痛めつけるような過激描写になって、それが喜ばれている。

そこでは女性の意思はないし、あったとしても尊重されない。これは何を意味しているのか。もちろん、女性の「モノ化」である。

その大きな流れの中で見ると、女性がどんどん「モノ化」されていることが見えてくる。本当に女性を「モノ化」するには、究極的には女性を「殺す」ことにつながる。

女性が死ねば、女性の肉体は一個の物体になる。完全なるモノ化の完成だ。

今はまだ信じられないかもしれないが、いずれは女性を殺して死姦するポルノが作られることになる。なぜなら社会が「人間のモノ化」「女性のモノ化」を望んでいるからだ。

そういった目で見れば、最近になって大量に起きるようになった女性の人身売買や拉致監禁事件の本質がどこにあるのかが分かってくるはずだ。

それらは「女性のモノ化」にあったのである。

誰かをモノ化すれば、自分の私利私欲が遂げられるというのを考える人間は悟っており、だから考えない人間を作り出し、そんな人間たちを自分の思う通りに動かそうとするのである。


考えることができるようになればモノではなくなる

私たちは、消費社会にどっぷりと浸って生きている。生まれてから死ぬまで、モノを大量消費することで生きてきた。大量消費するということは、大量に「使い捨て」するということでもある。

「モノを買って、利益を得て、棄てる」という行為が延々と繰り返されて、それが現代人の「物の見方」になっていった。だから「モノを買って、利益を得て、棄てる」という行為に、現代人は疑問を抱かない。

そうであれば、社会全体が人間をそのように扱おうと考えるようになるのは決して意外なことではないはずだ。現代社会がモノを使い捨てにすることを奨励しているのであれば、モノの扱いは人間の扱いにも反映されていくのである。

現に労働の現場では「労働させて利益を得て壊れたらクビにする」が徹底されている。労働のために人間がモノ化した。ポルノの現場では「性行為をさせて利益を得て女性を使い捨てにする」が徹底されている。快楽のために女性もモノ化された。

人間をモノ化できたら、自分の利益・快楽・楽しみのために、他人を消費して、要らなくなったら使い捨てできるわけだから、支配者がそれを求めても不思議ではない。

だから、何も考えずに他人に自分の人生を委ねるというのは、とても危険なことなのだ。

何も考えずに学校で教師の言うことを鵜呑みにし、みんなが行っているからとわざわざ莫大な借金を背負って大学に入り、みんなが会社に入るからと自分も会社に入るような生き方をしている人は多い。

みんなと同じように生きていたら何も考えなくてもいいので楽だ。政府も企業も親もあなたがモノ化していれば扱いが楽なのでモノ化するように働きかける。

だから誰もがモノ化して「考えない道」を選ぶ。

ずっとそんな生き方をしていたら、いずれ「自分で何も考えられない、決断できない、行動できない」人間と化す。何も考えられないから誰かに命令されるだけの人生になる。

そして、自分の人生が自分のものでなくなり、誰かにモノ化されて、良いように使われて捨てられる。

まずは自分が今、モノ化されていないかどうかを考えなければならない。そして、モノ化されていることに気付いたら、自分に問いかけなければならない。

「それでいいのだろうか?」

何も考えないで生きていると、必ず誰かにモノ化されることになる。逆に言えば、考える力を取り戻すとモノ化から脱却できる。考えることができるようになれば、モノではなくなる。

労働の世界で、企業が人間をモノ化するのは今に始まったことではない。

映画『モダン・タイムス』では、チャーリー・チャップリンが強烈な風刺でそれを世に知らしめて、この映画はチャップリンの代表作になった。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170403T1453160900.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c31

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
32. 中川隆[-7626] koaQ7Jey 2017年5月26日 19:19:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてるとこういう社会になる


なんとサムスンなどの主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてる韓国(笑)
韓国猿がどんなに働いても、利益のほとんどが日本と欧米に吸い上げられる絶望的な構造が完成しているのですwww


【朝鮮日報】韓国の大企業、もはや「韓国企業」ではない


各企業が公表してる最新のIRでは、

 サムスン - 外資比率60%
 ポスコ - 58%      ←日本が筆頭株主です
 現代自動車 - 49%
 LG - 50%
 SKテレコム - 55%

さらに韓国の主要銀行はウリ銀行以外はすべて外資。

韓国の銀行は最大規模でも300億ドル前後と、日米英に比べて資金力が欠如しているために、外資比率がドンドン高まっている。

日本と比較しても、銀行の資金力は5〜10倍程度差がある(英米と比較すると20倍程度の開き)
ポスコは新日鉄との提携強化を進めた結果、ボスコの筆頭株主は新日鉄に。


第一銀行 外資比率: 0.1%→100.0% 主要株主:スタンダード・チャータード(100%)
韓美銀行 外資比率:29.4%→99.90% 主要株主:シティグループ(99.91%)
KB金融 外資比率:41.2%→85.68% 主要株主:Bank of New York(15.21%)
韓国外韓銀行 外資比率: 2.7%→74.16% 主要株主:ローンスター(50.53%)
ハナ銀行 外資比率:21.3%→72.27% 主要株主:ゴールドマンサックス(9.34%)
新韓銀行 外資比率:23.4%→57.05% 主要株主:新韓フィナンシャルグループ(100%)
ウリ銀行 外資比率: 8.6%→11.10% 主要株主:ウリィフィナンシャルグループ(韓国預金保険公社)(77.97%)
http://www.scbri.jp/PDFgeppou/2006/2006-10.pdf

TOEIC900点でも就職先がない韓国

韓国・中国では今や若者が就職できないと社会問題になっています。


【韓国】

『英語検定能力テストTOEICで900点以上を獲得。
自信を持って、SKエナジーなどエネルギー関連企業への就職試験に臨んだ。フタを開けてみると全敗だった。』

これはソウルの私立大学に通う25歳の学生の実態を報じた日経新聞からの記事ですが、TOEIC900点以上でも就職先がないのです。

ソウル大学と言ったトップ校でも3人に2人しか就職できなく、就職率2割台の大学もあるとこの記事は報じており、
例え就職出来ましても、大学卒の4割が学歴に見合う仕事に就けないという現実があるとも報じています。

中国を見ますともっと悲惨な現実があります。

【中国】

2012年の卒業生は680万人。
この8割しか仕事につかない。
働かない(働けない)新卒は100万人を超える。
就職しても仕事は不安定で、都市部ではベッドと机しかない狭いスペースに住む若者が増えている。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/

697 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2013/02/19(火) 03:46:55.74

半島はインフレの先例だよね

@時給300円社員500円無住居者200万人

Aアパート都市部坪1万円/月(都市率80%)

B物価食費日本の2倍。ウォルマート以外は日本の2倍

C日本並の生活をする場合の参考生活コスト
食費6万(衛生機にするなら12万)
家賃15万駅15分1LDK空港都心まで30分
ガソリン代5万
世帯で2倍規模
保険10万
税別30万から50万税込1000万くらいで
ほとんど世帯の1%以下でありそもそも市長クラスがこの3文の1


699 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2013/02/19(火) 06:55:19.95
>>697
通貨を安くしすぎだわ
輸出ばかり優遇しその利益は韓国国民に還元されていない
経済植民地になっている
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1357967323/l50

 4月14日、福岡県の「魚べい」という回転ずし屋を訪れた。中央駅近くの家電売り場の4階にあったが、店内の至る所から韓国語が聞こえてきた。以下は、近くの席で話していた人たちの会話内容だ。

 「1皿105円なら安い方でしょう。今のレートで1200ウォンくらいだから」「ソウルに『スシロー』という回転ずしチェーンが進出したけど、そこで一番安いのが1皿1700ウォンだよ。高いのは3600ウォンもする」。

 ソウルに3店舗をオープンしたラーメン店「一風堂」は、福岡に本店がある。一昨年5月にソウル店をオープンした際、韓国と日本の為替レートは大きな開き(100円=1300ウォン水準)があった。一風堂の看板メニューである「赤丸新味」を日本の値段に合わせると、1万ウォン以上に跳ね上がる。しかし「ラーメンは安いメニュー」という韓国人消費者の先入観、さらに昼食時の「1万ウォン抵抗線」のため、値段を9000ウォンに引き下げた。

 福岡市中央区にある一風堂本店にも韓国人の客がいた。「本場のラーメンを味わってみたい」という人たちだった。ところでここでも、メニューを見ていた韓国人観光客が値段に対する会話を交わしていた。

 「おっ、ソウルの一風堂よりも安いね」「800円だから、11倍すると8800ウォンだ」

 翌日、福岡からソウルに戻る機内で、韓国人の乗客2人が次のような話を交わしていた。

 「今となっては日本の物価も大して高くないね」

 「でも、変だよな。円安になったとは言っても為替レートはいまだに11倍。6年前に7倍だったころ、日本と韓国の物価はちょうどいいと思っていたけど、今では11倍でちょうどいい気がする」

 4月23日、こうした疑問を解決するニュースが飛び出した。韓国と日本のビッグマックの値段が4年ぶりに逆転したというニュースだった。

■韓日ビッグマック価格逆転の秘密

 ファストフードチェーン、マクドナルドの看板メニュー「ビッグマック」は、マクドナルドが進出している国ではほぼ同じような品質で販売されている。ところで、ビッグマックの値段は国によってずい分違う。物価と為替レートが別々に変動するためだ。ビッグマックの値段が競合国よりも高ければ、物価が高過ぎるか、その国の通貨が高く評価されているということを意味する。これを換算する「ビッグマック指数」というのもある。

 現在、韓国のビッグマックの値段は3900ウォン、日本のビッグマックの値段は320円だ。4月25日現在のウォン・円レートを適用すると、日本のビッグマックは現在3520ウォンということになる。韓国のビッグマックが380ウォン高いわけだ。価格が逆転した正確な日付を調べてみると、為替レートが12.2倍になった今年1月3日だった。ビッグマックの値段が相対的に変化した二つの理由は、韓国と日本の経済がこれまで数年間、どのような経路をたどってきたかを表している。
 一つ目は、2009年に100円=1600ウォン水準にまで跳ね上がったウォン・円レートは、最近の円安により100円=1100ウォンにまで低下したという点だ。そしてもう一つは、韓国のビッグマックの値段が日本に比べて大幅に値上がりしたという点だ。韓国マクドナルドは07年からこれまでビッグマックの値上げを4回も行い、実に34%も値上げした。日本マクドナルドは6年間で1回、14%を引き上げた。両国ともに値上げしなかったら日本のビッグマックの方が韓国に比べ180ウォンほど高かったはずだ。これは、為替レートと同じくらい、韓国の値上げが韓日のビッグマックの価格逆転の重要な理由となっていることを物語っている。もちろん、こうした現象は何もビッグマックに限ったことではない。

 極端的なケースが両国の代表的なランチメニューであるソルロンタン(牛のスープ)と牛どんの値段の変化だ。もちろん、ソルロンタンと牛丼は味や質、量的な側面で単純な比較はできない。しかし、これらの相対的な価格の変化は20年にわたって韓国と日本の経済がどのような道を歩み、価格逆転の時点がどうして早まったのかを説明している。

 日本の代表的な牛丼チェーン「吉野屋」の牛丼は17年前(1996年)に400円だった。ところで今は280円まで下がっている。日本経済のデフレーション(物価下落)とランチ市場をめぐる牛丼チェーンの激しい価格競争がもたらした、劇的な値下げの賜物だ。

 韓国のソルロンタンの場合、その逆で粘り強く値上げの道を歩んできた。ある大型店の17年前のソルロンタンの値段は3500ウォンだった。その後、値下げが行われたことは1度もない。そして現在、同店のソルロンタンの値段は9000ウォン。17年にわたって日本の牛丼の値段は30%下がったが、韓国のソルロンタンの値段は150%引き上げられたというわけだ。キムチの材料である白菜の値上げや、口蹄疫発生の影響で牛肉の値段が上がるたびに、ソルロンタンの値段を引き上げてきたためだ。


■スターバックスやユニクロでも価格の逆転現象

 ビッグマックで起きた価格の逆転現象は、ほかの品目にも拡散している。ビッグマックのように国際的に比較可能な品目の一つが、世界最大規模のコーヒーチェーン店、スターバックスコーヒーだ。比較可能な両国のスターバックスの六つのメニューを比べると、4月25日現在、3品目の価格が逆転していた。カプチーノ、キャラメルマキアート、ティーラテだ。このうち、カプチーノのトールサイズの値段の逆転は、ビッグマックと流れが似ている。

 韓国のスターバックスは2006年に3800ウォンだったカプチーノの値段を2度引き上げ、7年後の現在は4400ウォンとなっている。引き上げ率は16%だ。日本スターバックスは同品目の価格を1度引き上げ、現在380円(韓国では4180ウォン)で販売されている。こちらは引き上げ率が12%だ。2012年に値上げしたとき、スターバックスは「大幅に上昇した牛乳、コーヒー豆、人件費、賃貸料など、各種の直間接的な運営コストを反映し、値段を調整した」と説明した。

 比較可能なそのほかのブランドはユニクロだ。ユニクロは日本のブランドだが、各国の売り場で販売されている衣類の70%を中国で生産している。残りはバングラデシュ、ベトナム、インドネシアの工場で生産する。日本を通さず、全て販売国に向け直接輸出されているため、日本と韓国の輸入コストはほぼ同じになる。

 ところが、ユニクロのヒット商品「ヒートテックの半袖(メンズ)」と「エアリズム(レディース)」は、日本では990円で販売されているが、韓国では1万4900ウォンで販売されている。ソウルの売り場と福岡の売り場を調査したところ、レディースのかばんやランニングシャツのように日本で990円で販売されている製品が、ソウルでは1万4900ウォンで売られていた。

 日本で990円で売られている製品がソウルの売り場にも並ぶようになったのは、ウォン・円レートが円高に振れた2008年だった。当時の為替レートを反映し、価格が策定されたわけだ。ウォン・円レートが100円=1500−1600ウォンだったときは、同じ品目の値段は日本の方が高いときもあったが、1500ウォンを下回った時点から価格の逆転現象が生じ始めた。その時点が昨年半ばだった。ユニクロの関係者は「生産から販売まで8カ月かかるため、生産した時点の為替レートを反映し、販売価格を決めている。今後もウォン高が長期化すれば、追加で価格調整する可能性もある」と話した。

 旅行客たちは特に為替レートの変動に敏感だ。ウォン・円レートが円安に振れ、今年韓国を訪問した日本人観光客の数は半減した。2012年4月の第3土曜日に大韓航空で仁川−成田路線(KE701・702便)を利用した日本人は502人。今年4月の第3土曜日に大韓航空の同じ路線を利用した日本人は236人だった。4月15日に韓国を訪問したある日本人は「品質が日本と同じだということを前提にすれば、韓国製品の価格メリットはもう終わったようだ」と話す。ウォン・円レートが100円=700ウォンだった2007年、韓国の対日本旅行収支の赤字額は31億ドル(約3030億円)まで拡大した。

■現在の日本の競争力は100円=700−800ウォンだった時代と同じ

 実質実効為替という概念がある。基準時を設定し、主な交易相対国(韓国を含む)との物価上昇率の差を反映した為替レートだ。基準時に比べて100以上なら高くなったことを、それ以下なら低くなったことを表している。高くなればなるほど自国商品の価格競争力が弱まったことを意味し、低くなればなるほど強まっていることを意味している。低くなるときは、自国の貨幣価値が下落すると共に物価が相対的に安定した場合、そのスピードはさらに速くなる。

 日本の円の実質実効為替は2011年10月に105で頂点を記録した後、低下し始め、今年1月には87にまで下がった。これは韓国の対日本旅行収支赤字が拡大し、日本製品の価格競争力が上昇した2007年と類似する。韓国銀行の関係者は「物価を考慮する際に、ウォン・円レートは100円=700ウォンだった2007年水準にまで下落した(円安)。韓国と日本の旅行者の立場からすれば、ウォン・円レートが円安に振れ、韓国の物価上昇の影響を同時に受けている」と説明した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130506-00000372-chosun-kr

大木広也の息子が韓国で見たものは


 私事で恐縮だが、私の息子は日本で売れない役者やモデルをやっていたものの、行き詰まりを感じたらしく女優の笛木優子さんの男性版を狙ってソウルに渡り、笛木優子さんと同じ大学に在籍しながら「韓流ドラマ」に関係するなどして二〇〇七年の暮れから四年半韓国で生活していた。一年に二回ほどスカイプでソウルでの生活を中心に四方山話をしたのだが、その内容は最初のうち、にわかには信じられないものであった。そのくらい日本で聞く話とはギャップがあったのである。

 「ソウル市役所の職員は冬になると毎朝、凍死したホームレスの死体を片付けるので大忙しなんだ。ソウルの地下鉄駅には乞食やホームレスが溢れているからね」

 韓国には国民健康保険も社会福祉制度も皆無であるから病気または失業は即、乞食への転落または死を意味する。また冬にはソウルの最低気温は零下二〇度まで下がる。

 「ソウルでは日本円で十万円出してもまともな住居には住めない。一千万近い保証金が積めないなら、地下室とか屋上に建てられたプレハブくらいだね。順番待ちのアルバイトの時給が二五〇円くらいのところでだよ」

 おそらく、いつぞやのIMF騒動の際に不動産が外国資本や一部特権富裕層に買占められてしまったのだろう。本来、息子など人並みに部屋など借りられない身分なのだが、ろくに言葉も話せないうちから韓国人スッチーの部屋に転がり込んで家賃を不要としたのは天晴れとしか言いようがない。

 「KBSにずっと勤めている知り合いでも家が買えないんだよ。KBSって言えば日本のNHKなんだけど、外国資本だから韓国人の職員の給料は死ぬほど安いんだ」

 これも同じくIMF騒動のときに企業の株式が外資によって底値で買い占められてしまった結果だろう。これは日本でも二〇〇三年から既に現実になっていることである。

 「もう僕のいる大学を出ても実際に就職できるのは十人に一人くらいしかいない。仕方がないから若い人は国外に出るんだ。こっちに来て友だちになった四人は全員、香港、カナダ、シンガポール、日本に移住してしまった。女の子は売春しか仕事口はないよ」

 おそらく非正規就業者が五割を超えると若者が国外に流出し始め、国家のメルトダウンが開始されるようである。そしてこれはアメリカに徹底的に収奪された一九〇〇年代後半の中南米諸国の動向を髣髴とさせる。

「国が崩壊するっていうのは怖いもので、こないだの延坪島砲撃事件で韓国軍が反撃したんだけど一発も当たらないんだ。士気が衰えちゃって兵士が逃げ腰になっているからだと、こっちではいわれている」

 国家が崩壊・破綻してしまったなら、どれほど精神力を謳おうとも、軍隊は必ず烏合の衆の敗残兵集団と化すことは記憶しておかねばなるまい。死力を尽くした戦争など出来るわけもない。またこういうときに真っ先に腰砕けになって逃げ出すのは最も勇ましいことを声高に叫んでいた人間であるのは様々な戦史の等しく教えてくれるところである。

 「韓国みたいな完全植民地になると老人は飯も食えずに死んで行くしかないみたいだ。こっちには日本の牛丼屋にあたる『キンパップ天国』という韓国式海苔巻屋があるんだけど老人がここで一本の海苔巻を三人で分けて食べるというのが当たり前の光景になっている。大体一〇〇円のものをだよ。紅生姜みたいにキムチは食べ放題だからこれで出来るだけ腹を満たすようにするみたい。それにスープも付くからね。日本人の間では『一杯のカケ蕎麦』をもじって『一本の海苔巻』って呼んでいるんだ」

 何とも悲惨な光景だが、一歩間違えると我国も十年、二十年先には、まさかと思いつつ、こういう状態になっているかもしれないことは十分、警戒する必要がある。油断大敵。

 そして韓国情報で何よりも恐ろしいのは、このような韓国国内の惨状が日本に一切伝わってこないことであり、おそらく正確な情報を完全に遮断したうえで巧妙なすり替えや情報の偽造が行われているものと推測される。韓国の技術が日本の技術を凌駕したなどという韓国人経営者の傲(おご)った発言が報道されたことなど、その最たるものであろう。

 これは大きく見れば、戦時中、軍の開発した自決用の毒薬(帝銀事件でも使用されたといわれている)が服用から致死までにタイムラグを持っていたことによく似ている。誰だって先に薬を飲んだ人間が、もがき苦しんで死んで行く様子を見れば警戒するなり躊躇するなりしてしまう。韓国はハゲタカに食い荒らされて一足早く既に死に体となっているのである。次の標的である日本に自身の近未来の姿を見せるわけにはいかない。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2013/02/post-d9db.html

 
【速報】 韓国、時給300円なのに日本と物価同じに

1 : ベンガル(愛知県):2013/05/07(火) 16:01:12.91 ID:ioBcJm0j0● ?PLT(12100) ポイント特典

韓日の物価逆転、いよいよ本格化

ファストフードチェーン、マクドナルドの看板メニュー「ビッグマック」は、マクドナルドが進出している国ではほぼ同じような品質で販売されている。
ところで、ビッグマックの値段は国によってずい分違う。これを換算する「ビッグマック指数」というのもある。

 現在、韓国のビッグマックの値段は3900ウォン、日本のビッグマックの値段は320円だ。4月25日現在のウォン・円レートを適用すると、
日本のビッグマックは現在3520ウォンということになる。

画像
http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2013/05/06/2013050600686_0.jpg

朝鮮日報 2013/5/6
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/05/06/2013050600372.html?ent_rank_news


◆韓国4大卒の就職志望者 大半が月給6〜7万円、残りは無職

>今年春に四年制大学を卒業した32万1740人の就業状況を調べたところ、
>進学や徴兵などを除く就職希望者28万人以上のうち、実際に就職できたのはおよそ14万人(約51%)だった。
>さらに就職できた人の給与水準を調べてみると、100万ウォン(約6万5000円)台が48.9%(7万362人)で
>最も多かったが、そのほとんどがコンビニでのアルバイト社員やインターンだった。
www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/10/12/2011101200744.html


◆韓国人アルバイトの46.8%、「最低賃金ももらっていない」 民衆の声

韓国での労働者のうち、半数近くが最低賃金(韓国は4320ウォン)以下の給料で働かされていることが分かった。

1681人を対象に実施したアンケート調査の結果を発表した。46.8%が最低賃金の時給4320ウォン(約320円)より低い賃金だったと述べた。

賃金のほかにも、勤労基準法違反はさまざまなものがあった。76%が勤労契約書を作成しておらず、事故が起きた時に守ってもらえなかったと答えた人は 65.9%に達した。

また、56.7%が「雇用主から一方的に勤労条件を変更させられた」と答え、「賃金未払いおよび削減」のケースは 26%に達した。

セクハラや身体的な暴力を含む人格冒涜を経験した人は30.9%に達し、また不当な待遇を受けた時は誰かに助けを求めたケースはたったの7.7%だった。
www.vop.co.kr/A00000412011.html

24 : ピューマ(千葉県):2013/05/07(火) 16:20:20.59 ID:/yGExgVx0

【速報】 韓国、時給100円なのに物価が日本の2倍に

こんぐらいでオナシャス

25 : アビシニアン(東京都):2013/05/07(火) 16:20:59.17 ID:fkb5GpD70

これ、働いた時間そのままの金がもらえるって訳じゃなくて、
サービス残業みたいなのもあるんだろ?
実質時給250円以下じゃね?


26 : スナネコ(東日本):2013/05/07(火) 16:22:36.78 ID:tMxf1GmHP

スシロー
日本 1皿105円=1200ウォン
韓国 1皿1700ウォン


一風堂
日本 800円=8800ウォン
韓国 9000ウォン


スターバックス
日本 カプチーノ380円=4180ウォン
韓国 カプチーノ4400ウォン


ユニクロ
日本 ヒートテック 990円=11000ウォン
韓国 ヒートテック 14900ウォン


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2014-04-05
泣く子も黙る。IMFの融資と、それを取り戻す強引な手口


ウクライナを巡って、欧米諸国とロシアが激しく対立し、現在も一触即発の状況になっている。ウクライナは元々貧困国であり、ロシアの支援がないと成り立たない国家だった。

今後、ロシアと敵対するのであれば、欧米がウクライナを支援しなければならないのだが、ここに来てIMF(国際通貨基金)がウクライナを支援する用意があると言い出し始めている。

2014年3月27日、IMFが発表したのは140億ドルから180億ドルの「融資」である。それだけではなく、それを皮切りに西側の支援も入れて総額270億ドルの支援ができるという。

しかし、私たちはIMFの支援というのは、事実上、西側資本による「略奪」であることは知っている。IMFは、「最初に貸して、返せないのを見計らって奪い取る」のを合法的に行う機関として知られている。

つまり、IMFの融資を受けた瞬間、ウクライナの土地・資産・資源は、合法的に「略奪」されていくことになる。


IMFが融資した国から金を生み出す方法とは

IMFの略奪とは、どのような方法を取るのだろうか。

IMFは融資をした国には、それがどんな歴史を持っていようが、どんな経済規模であろうが、ほぼ一律に似たような政策を押しつける。

IMFが真っ先に行うのは、通貨の切り下げだ。なぜ通貨を切り下げるのかというと、輸出を増やすためだ。

ウクライナは世界でも有数の小麦の生産地であり、IMFの融資を受けると、まずは通貨切り下げと極限までの輸出中心経済を強いる。

国民が食べる分の小麦がなくなるまで、国民が必要としている資源がなくなるまで、すべてを輸出に回させる。それによって、貿易黒字を無理やり作る。

そして、その貿易黒字を借金の返済として無理やり取り上げるのである。まとめると、以下のようになる。

(1)通貨をギリギリまで切り下げる。
(2)資源を極限まで輸出させる。
(3)貿易黒字(輸出の儲け)を返済として奪い取る。

要するに、その国の輸出品は安く叩き売られ、それで入って来た金をIMFが根こそぎ持って行く。これが「IMF商法」である。資源を西側が奪い取り、さらにその儲けはIMFが奪い取る。

ところで、極度の通貨切り下げになると、国民はどうなるのか。通貨が切り下がると、輸入品の価格は上がる。

輸入品は買えないほど高くなる。エネルギーのない国は石油価格等の生活の基盤となる物資が高騰し、国民は一気に困窮する。

IMFの融資を受けたら、国民が塗炭の苦しみに

それだけではない。国内の資源は根こそぎ「輸出」という形で国外に持って行かれるので、自分たちの食べる分すらもなくなってしまう。

不足したものは、当然のことだが価格が上がる。IMFに融資を受けた国は、通貨切り下げで輸入品の物価が高騰し、必要以上の輸出を強いられて国内品の物価も上昇させられる。

まだある。IMFは政府の支出を減らすために、IMFは教育・医療・行政の予算を削減させる。さらに公務員を解雇し、国民の福祉・年金制度も撤廃させる。

そうやって政府の支出を根こそぎカットして、浮いた部分をIMFが「返済金」として持っていく。

まだある。その国に国営企業があると、それを民間に売り払う。もちろん、それで得た金もIMFが持っていく。政府の持っているものをIMFが片っ端から剥がして、叩き売って、その金をIMFが持っていく。

ところで、安く叩き売ると言っても、誰に売るのか。それは国外の多国籍企業である。

その国が保護貿易や関税を敷いていたとしても、IMFの管轄になった瞬間にそれらはすべて撤廃させられる。

そして、多国籍企業を進出させて、IMFが多国籍企業に安く売り払うのだ。多国籍企業は合法的にそれらを叩き値で買い取っていく。

その国の政府の資産は土地・建物・設備が含まれるが、こういったものもすべて多国籍企業が安く買い漁るので、気が付けば不動産も、基幹産業も、すべて多国籍企業のものになっている。IMFが売り払い、多国籍企業が買う。

この頃になると、自国企業も窮地に陥っているので、多国籍企業はその国の有力な企業の株式をごっそりと買い漁る。そして、配当という形で利益を吸い上げていくのである。

IMFのやり口は、乗っ取り屋、清算屋と同じ

IMFがやっていることは別に難しいことではない。乗っ取り屋や清算屋のやっていることと同じだからだ。

乗っ取り屋や清算屋は何をしているのか。借金を返せない人の家や企業に乗り込んで、金目のものをどんどん持ち出して売り飛ばす。

何もかも売り飛ばし、従業員も家族も裸同然で追い出す。その人の事情など何も考えない。一切合切を叩き売ってしまう。

それを、国家単位でやるのがIMFなのだ。

苦境に落ちた国に金を貸して、「金を返せ」と言いながら、片っ端からその国の資産を「略奪」する。

IMFが乗り込んで来た瞬間、その国の国民は、自分たちの国がズタズタに切り売りされるのを、ただ見つめるだけになってしまうのだ。自分たちのものはすべて他人のものになる。

IMFが乗り込み、去って行った国の国民は、貧困に落ちてボロボロになる。

気が付けば、自分たちの不動産や企業の所有者はすべて外国人のものになっていて、長い期間に渡って富は外国に流れていく仕組みになっているのだ。

ウクライナがIMFの融資を受けると、この国は立ち直るのではない。むしろ逆に、どんどんウクライナの富は西側の支配者や多国籍企業のものになっていくことになる。

すでにウクライナは破綻寸前にあって、このまま支援がなければ、あと2ヶ月以内にも国家破綻に見舞われる。

ウクライナが将来をロシアに委ねるのか、それともIMFに委ねるのかは分からないが、いずれにしても「前門の虎、後門の狼」で身動きできない状態になっているのが見て取れる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140405T0218440900.html


セウォル号沈没事故が示す教訓

乗客の安全ないがしろの市場原理
他人事で済まぬ日本社会の実態    2014年4月23日付


 韓国の珍島沖で旅客船「セウォル号」が沈没し、乗客270人以上が行方不明になるという大惨事が起こった。過積載だったことが事故原因としてあげられ、固定されていなかった積み荷が崩れ、バランスを失って急旋回したことや、25歳の三等航海士に操舵させていたこと、乗客を救助しなければならないはずの船長や船員は我先に逃げ出して助かったことなど、通常では考えられないような事実が次から次へと明るみに出ている。90年代末に通貨危機を経験した韓国では、その後IMFが乗り込んで市場原理改革を徹底し、金融資本が経済活動の頂点に君臨したもとで各種の規制緩和が実行されてきた。非正規雇用大国と呼ばれるほど階級格差は拡大し、過当競争によって低運賃や低賃金がはびこり、それが労働のモラルすら崩壊させていること、今回のような過積載・海難事故もそうした社会的構造と切り離すことはできない問題であることを浮き彫りにしている。
 
 契約社員だった雇われ船長

 急旋回した原因は過積載だったことが、その後の関係者の証言から明るみになっている。「舵を切って荷崩れした」というのは二次的なもので、既に傾いて航行していたという目撃証言も出てきている。「セウォル号」は燃料が下層に積まれており、航行して燃料消費すればなおさら傾きやすい構造であることや、復元力がなく、しかも傾いた状態だった事から少し舵を切っただけでいっきに急旋回した事などを専門家は指摘している。

 ひどすぎたのが事故対応で、船長や船員の船乗りとしての資質の劣化も暴露した。乗客には「動かないように」と指示しながら、みずからは逃げ出すというあり得ない対応となった。救命ボートを出したり、最後まで乗客の生命を守るために身を挺するという、船乗りとしての社会的使命感や責任感が乏しい姿をさらした。

 本来なら傾いている船を停船して復元しなければならないのに、アンカーを打って船体を立て直すわけでもなく、そのまま航行していたり、韓国沿岸では有数の難所を未熟な三等航海士に操船させていたり、最終的にはひっくり返ることを判断して乗客を救出しなければならないのに、その対応も後手後手だったことなど、航海や船舶の知識についてどれほど持ち合わせていたのか疑われるような事実ばかりが露呈した。

 過積載について、船舶会社がみずから発表している数値だけ見ても、事故当時の「セウォル号」には乗用車124台、1dトラック22台、2・5d以上の貨物車34台、貨物1157dなど合計3608dの車両や貨物が積まれていたとされている。さらに、50d以上する大型トレーラー(20dの鉄製タンクを搭載)を3台積んでいたことも、救助された運転手の証言から明らかになっている。乗客数は定員の半分だったが、船会社の自己申告による車両数だけでも30台超過していた。こうした過積載の取締はおこなわれておらず、海運会社の判断に委ねられていることも明らかになった。

 一回の航海で大量の人員や貨物を運べば、企業経営にとって利益効率は上がる。船長や船員たちの航海のプロとしてのモラル崩壊もさることながら、船会社の経営体質や責任、体制についても究明が避けられない。

 過半数が短期契約社員 技術軽視が横行

 船長は1年契約の契約社員で、給料は日本円に換算して26万円(同業他社の6〜7割)だったこと、本来の「セウォル号」船長は休暇中だったことも明らかになった。韓国最大級の旅客船2隻を運行している船会社だったが、経営が悪化して正規社員を減らし、船長も契約社員の非正規雇用に切り換えていたとされている。「セウォル号」の全乗務員のうち半数以上が6カ月から1年の契約社員で、船長、航海士、操舵手、機関士ら運行に重大な責任を負う船舶職15人のうち9人が契約社員だった。船舶運航の統制にもかかわる問題で、契約社員の船長が無謀な過積載を断れない関係だったことも容易に想像がつく。厳しい労働条件のもとで労働者としての誇りや責任感、使命感が抜き去られ、ムリな航行に甘んじて最後は自分だけが逃げる。労働の荒廃や船員モラルの崩壊についても重要な問題を投げかけている。船員なら船員の労働者としての誇りを回復しなければ安全も何も守れないことを突きつけている。

 「セウォル号」は94年に日本で建造された中古フェリーを2012年に購入し、改造したうえで使用していた。船齢は20年で、いかに経営効率を求めた会社経営がやられていたかをあらわしている。韓国は造船大国で、釜山港は世界最大のコンテナ港として知られる。造船大国でありながら、その船舶運航を取り巻く環境は運賃のダンピング競争にさらされ、過積載でもしなければ経営がやれないほど過当競争が強まっていたこと、規制が撤廃されて非正規雇用がはびこり、技術軽視が横行していたことも、今回の海難事故の背景にある。

 バスやJRで事故頻発 共通する日本社会

 市場原理で安全規制を撤廃することがいかに犯罪的なものであるかを「セウォル号」沈没事故は示した。同時に、それは韓国に限った話ではなく、共通の土壌を抱えている日本社会にとっても、決して他人事といえる代物ではない。

 隣国で海難事故が騒がれている折に、日本国内ではまた高速バス事故が引き起こされた。乗客を乗せた高速バスの事故や無謀運転が「またか…」と思うほどくり返される。今回、名神高速で事故を起こしたバスは、運転していたのが社長本人で、従業員を雇う経済力もなく非正規雇用で回したり本人みずからがハンドルを握るなどし、過去に何度も行政指導が加えられていたことも明らかになっている。

 2000年に規制緩和されて以後、バス業界は大きく変貌し、旅行会社が格安運賃で運行させる新規参入組が急増した。下請のバス会社は消耗する車体の整備にもカネをかけられず、安売り競争のもとで安全を犠牲にし、非正規雇用の運転手を酷使してきた。過当競争にさらされ、労働現場が安全を確保できないところまで追い詰められている関係は、韓国の産業構造とも共通している。

 107人が亡くなったJR尼崎線脱線事故では、経営効率を追い求めるJR西日本の殺人経営が問題になった。JR北海道では列車の整備不良や歪んだレールが問題になった。国鉄分割民営化から30年がたって鉄道事業がまるで私企業化されてしまい、かたや都会のドル箱路線を持っているJRが不動産商売にまで手を染めるなど急成長を遂げながら、一方では鉄道管理の能力すら疑われる事態に行き着いた。国労が解体されるなど労働運動の力が弱まるなかで、鉄道輸送を担うJR職員は半減。「鉄道員(ぽっぽや)」の誇りは線路の安全を守ることにあるのに、強烈な人減らしがやられ、保線を担う現場の仕事はみな下請や孫請を酷使する外注化が進むなど、利潤追求と安全担保が共存できず大きな矛盾になってきた。

 鉄道だけでなく航空、トラックやバスなどの輸送手段、高速道路にいたるまで、安心して乗っていたら知らぬ間に死んでいたという事故が他人事ではない。NEXCO中日本が管理する中央自動車道では笹子トンネルの天井が崩落し、9人が犠牲となる前代未聞の事故も起きた。原発は「安全神話」を自慢していたのに爆発し、放射能をばらまいて収拾がつかない。各地のコンビナートで爆発事故が絶えないのも、労働現場の人員削減を原因にしたものが大半を占めている。公共性を否定し、社会にとって有益であるか、安全であるかを二の次にして、反社会的な企業利益だけを追い求めていく新自由主義改革路線の犯罪性をあらわしている。

 「小さな政府」路線、すなわち新自由主義改革によって公共性のある自治体業務や施設の管理運営も軒並み民間開放し、企業の利潤追求や競争性に委ねる動きも活発になっている。人件費カットでワーキングプア状態はますます広がり、公共性と切り離れた企業管理のもとで過重労働が横行し、労働者も素人化する関係となっている。

 労働の誇り回復が急務 社会潰す資本原理

 極端な安全無視、効率経営がめだち始めたのは、90年代以後の規制緩和と小泉構造改革がおこなわれてからで、カネもうけ一本槍で社会的有用性や役割など否定して、ひたすら利潤を追い求める企業経営、自由競争に火がついた結果にほかならない。労働者に対して過酷な合理化を実施し、社会の役に立つという労働本来の目的を否定し、労働者の誇りをじゅうりんしてきたことに最大の特徴がある。「社会のため」「安全のため」につくられた規制を「企業のもうけのため」に破壊し、あるいは民営化して横暴に振る舞う。その産業資本の上には金融資本が君臨し、株主の利益のために尻を叩いてきた。老朽原発を稼働させればさせるほど利益効率は上がり、老朽列車や線路を使い回すことで目先の支出を抑え、非正規雇用にすることで人件費を抑え、労働現場には技術力の劣化をもたらした。労働の役割を否定した結果、考えられないような事故が頻発し、さまざまな分野で社会の崩壊状況があらわれるようになった。

 市場原理がはびこる社会では、もっぱら金融資本がもうけるために社会に対して構造改革を迫り、その阻害物となる規制を緩和させたり、撤廃していく。搾取が徹底されるのとセットで労働現場では安全がないがしろにされている。大企業天国というが要するに金融資本天国で、資本主義社会はいつの間にか物作りで成長するのではなくて、金融で成長するのだ! という詐欺経済に変貌した。

 企業利益、もっといえば金融資本や株主の利益のために社会を犠牲にする構造を転換させなければ、第二、第三の尼崎脱線事故や「セウォル号」沈没事故はくり返される。強力な労働運動を復活させ、「社会のため」に労働者みずからが力を発揮すること、強欲な資本原理を規制して、労働の誇りを回復することが待ったなしの課題になっている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/seuorugoutinbotujikogasimesukyoukun.html

『韓国…揺らぐ巨大財閥1・「遺体が消えた」格差の現実とは

http://jcc.jp/news/8533057

 韓国の巨大財閥(サムスングループ)を巡る労働争議で起きている不可解な事象、韓国での厳しい格差の現状を取材。

 サムスンのグループ会社で修理工として働き、去年発足した労働組合で中心的役割を担い、デモにも参加していたヨムホソクは、労働環境是正を訴え5月に自殺。
 更に組合の仲間たちに火葬を託したヨムホソクの遺言に反し、警察がヨムホソクの遺体を安置所から運びだし、火葬した遺骨も組合に引き渡さないまま隠したとされている。

 ヨムホソクの父親は、当初は組合側に葬儀など段取りを一任していたが、突如態度を変えて遺骨を持ち出した。

 会社側に寝返ったのではないかと元同僚は見ている。(後略)』

 韓国最大の企業サムスン(サムスンだけではないでしょうが)、極めて「合理的」な雇用を実現していました。すなわち、従業員の過半を「非正規化」し、歩合制で給料を支払っていたのです。


 歩合制とは何のことかと言えば、

「仕事があるときに出社させ、時間給で給料を支払う。仕事がないときは、給料を支払わない」

 という話です。要するに、コンビニのバイトと同じですね。


 仕事があるときは、一日15時間労働で、さらに土日も返上して働かせる。
仕事がないときは、平日でも給料を支払わない。


 というわけで、昨日のサンデースクランブルで取り上げたヨム・ホソク氏の14年4月の給料は、4万円ほどだったそうです。(母親が愕然としていました。息子さんは彼の「サムスングループ」に勤めていたわけですから、無理もありません)


 サムスンは以前は「無労組経営」を貫いていましたが、昨年、ようやく労働組合が発足しました。組合の中心人物だったヨム・ホソク氏は、組合員たちに、

「私の遺体が見つかれば、支会が勝利するまで安置してほしい。 支会が勝利した日に火葬してここに撒いてほしい」

 という遺書を残し、今年の5月17日に自殺しました。


 ところが、ヨム・ホソク氏の希望はかないませんでした。警察権力が介入し、氏の父親の要請で強引に火葬にし、骨壺は父親と共に行方をくらませてしまったのです。警察の後ろに「誰」がいたのか。父親が会社側に籠絡されたのではないか。と、言われていますが、真相は現時点では分かっていません。


 さて、「合理的」な雇用と書いたのは、まさにサムスン電子式「非正規化&歩合給」こそが、企業の利益を最も大きくする雇用制度だと思ったためです。何しろ、需要が少なく、生産をする必要がない時期は、会社側は社員に給与を支払う必要がないのです。


 とは言え、気まぐれな需要により歩合給の給与が決定される非正規社員たちは、生活設計が成り立ちません。4万円の給料では、韓国ですら普通に暮らすことはできないでしょう。


 もちろん、それなりに需要が大きく、仕事がコンスタントにある状況であれば、歩合給でも生活していくことは可能でしょう。とはいえ、特に韓国の大手企業は「グローバル市場」が中心です。グローバル市場の需要がどうなるか、長期的な予想がつく人はいません。さらに、そもそもグローバル市場で勝つためには、人件費を引き下げなければなりません。歩合制の非正規雇用は極めて「合理的」な雇用制度なのです。


 サムスン・グループのように「超大手企業」に努めている人々が、歩合給の非正規雇用で、需要に振り回され、貧困化していく。所得が足りない人々は、借金に頼り、生活する。とはいえ、韓国は信用階級が比較的厳しいため、彼ら、彼女らは最終的には闇金(年利数百%の世界です)に依存するようになり、人生が終わる。


 まさに、「グローバル経済の優等生」でございます。現在の韓国の経済構造に、「国民の所得や中間層が増える形で経済成長する」という発想は全くありません。


 お分かりでしょうが、現在の安倍政権が進めている各種の労働規制の「改革」は、日本の韓国化の道です。別に、日本が韓国化すると断言する気はありませんが、方向的には間違いなくそうなのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11893889483.html


2016-06-07
韓国が経済危機に直面しているが、日本は助ける義理はない

韓国は経済成長したように見えるのだが、それは表面だけの話であり、内部はボロボロになっている。

韓国の受験競争は苛烈なものだと言われているが、そんな苛烈な受験競争を勝ち抜いても何ら意味がない。なぜなら、韓国はどこも縁故主義であり、有能な他人よりも無能な身内の方が大切だからだ。

どんな巨大な企業になっても、会社を継ぐのは創業者の身内であり、だから身内で固めたその大企業は「財閥」と呼ばれるのである。

財閥は一族を富ませ、他人はこき使って使い捨てにする。言ってみれば、韓国は今も「身分制度」なのだ。

だから、財閥はナッツ姫のように自分のやりたい放題を行い、それ以外の人間は低賃金で働かされて、40歳にもなればゴミのように会社から追い出される社会と化す。

こうした状況を韓国の若者は「ヘル朝鮮」と自嘲している。

貧困層で生まれ、人脈も持たない人間は、どんなに努力したところで浮かばれない。大学を卒業しても就業率は57.4%なのだから、これでは豊かになれるわけがない。


韓国経済は韓国人のためにあるのではないのが現実

韓国の大企業は賃金を上げることよりも、内部留保と配当の方を重視する。なぜなら、韓国の企業はその多くが株主が外国人投資家だからである。

韓国は1997年の通貨危機で国内の企業はほとんどが外資に安値で買い叩かれる状態になり、めぼしい韓国企業はほとんど外資が支配するようになっていった。この時期に韓国経済の8割を外資が乗っ取ったと言われている。

本来は韓国政府が救済しなければならないのだが、韓国政府は無為無策で何もできなかったのだ。だから、やすやすと外資に乗っ取られた。

韓国を代表するサムスン・グループも、外資比率は60%近くであると言われている。現代自動車も、LGも、SKテレコムも、株式のほぼ半分は外資が掌握している。

さらに、韓国の第一銀行、韓美銀行、新韓銀行も完全に外資が乗っ取り、その他の銀行も主要なところはすべて外資が株主として支配する構図となった。

その結果、韓国経済はどんなに成長してもその成長分は外資がすべて持っていくのである。

これは言ってみれば、韓国人の労働者は外資に稼ぐために働いているような状況である。韓国経済は韓国人のためにあるのではない。外資のためにある。

だから、どんなに韓国経済が成長しても、韓国は豊かになれない。外資に貢ぐ構造になっているのだから、韓国人の労働者が豊かになれないのは当然のことだ。

韓国人がやたらと日本にやってきて働きたがるのも、韓国人女性が世界中に散らばって売春ビジネスをしているのも、日本のマスコミが言うほど韓国が豊かな国ではないからだ。

そこは、地獄(ヘル)だったのである。

労働者が使い捨てにされ、ホームレスが溢れる国

日本では、2009年から2012年は民主党が政権を取って円高を放置するがままにしていたので、日本の輸出企業は競争力を失い財務的に最悪の状況と化した。

そこにウォン安で韓国企業が伸びたのを見て、日本のマスコミは「韓国を見習え」と叫んでいた。

単に円安で日本企業が衰弱しただけなのだが、その部分は触れず、あたかも韓国企業が素晴らしい経営をしているかのようにミスリードして「韓国を見習え」と言っていたのである。

マスコミの言うとおりに韓国を見習っていたら、今ごろ日本の企業はすべて外資に掌握されていたはずだ。そして、韓国のように、今よりもさらに苛烈に大株主に収奪される弱肉強食の資本主義が訪れていた。

外資に支配された韓国は、いち早く「株主優先社会」がやってきて労働者が使い捨て歯車になっている。企業は労働者に最低賃金しか出さず、しかも労働者が高齢化してきたら40代で早くも早期退職させる。

定年は60歳のはずなのだが、民間企業では40代、50代で、早くも労働者を捨てるのである。それは、自主退職という名のリストラだ。

こうして「自主退職」をさせられた労働者は生きていくために次の仕事を探すのだが、高齢の労働者を雇う企業はほとんどない。だから、多くの労働者は「いちかばちか」の起業を強いられることになる。

ほとんどの労働者は、焼き肉屋やらフライドチキン屋のようなものを始めるのだが、過当競争である上に、素人の商売なのでうまく行くはずがなく、ことごとく潰れてしまう。

その結果、韓国では貧困にあえぐ高齢者が山のように出現して、彼らがスラムに住み、あるいはネットカフェのようなところで身体を休めているという。

韓国の65歳以上の貧困率は48.6%というのだから尋常ではない。韓国の高齢者の2人に1人は「生活できない」のである。

このままでは韓国はより深い地獄に堕ちていく

韓国では路上で倒れているホームレスも多い。ソウル駅や永登浦駅の周辺もホームレスがうじゃうじゃと徘徊しているような惨状と化している。

韓国ではホームレスからビニールハウスに住むような人間たちが20万人以上はいると言われている。

こうした韓国の貧困は、李明博(イ・ミョンパク)大統領時代からずっと言われていることである。

そこで、朴槿恵(パク・クネ)が颯爽と出てきて「創造経済」なるものを公約にして大統領選に勝ち上がり、2013年2月25日より大統領に就任した。

ところが、この大統領は経済のことは何ひとつ分からない無能で実行力もないことが早々に発覚した。これで韓国はますます経済的に失速していくようになった。

そこで、国内の不満の目をそらすために、いつものように反日をけしかけて「日本が悪い」「日本がひどい」「日本を1000年恨む」「日本は謝れ」と朝から晩まで言い始め、国外に言っても日本の悪口を言うだけの「告げ口外交」を繰り広げた。

これだけは韓国国内で絶賛されたが、そうだとしても国内で難しい問題が起きるとすぐに海外に「外交」という名目で逃げていくので、韓国人からもすっかり見放された。

この無能な大統領には、今や何の重みもない。もうとっくの前に「レームダック」と化して何の政策も出せない。

折しも2015年6月以後、中国では株式バブルが崩壊し、経済成長が急激に縮小している。

中国圏に飲み込まれた韓国はこの不況の波をまともにかぶって、いよいよ韓国財閥も破綻が始まる危機的状況に入ったと言われている。

造船・機械のセクターが全滅になっているのだが、それだけではなく、建設も、鉄鋼も、石油化学も、輸送も、ほぼ全セクターに問題が発生している。

このままでは韓国はより深い地獄に堕ちていく。反日国家に相応しい末路である。別に韓国が地獄に堕ちても、日本は助ける義理はない。この国の本質は「反日」だ。そんな国には関わるべきではない。

朴槿恵。この無能な大統領には、今や何の重みもない。もうとっくの前に「レームダック」と化して何の政策も出せない。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160607T0519410900


2016-08-25
韓国の社会問題も日本のせいにされて謝罪と賠償を要求される

2016年8月15日、韓国の大統領である朴槿恵(パク・クネ)が、「いつからか、韓国を否定的に描写する誤った風潮が広がっている」と憂慮してみせた。

朴槿恵が大統領になってからも、韓国経済は引き続き停滞し、じり貧になり、国内に貧困と絶望が広がる一方だ。

その結果、韓国の若者たちはいつしか自分の国を指して「ヘル韓国(地獄の韓国)」だとか「地獄火半島」とか言うようになっている。

朴槿恵はそれを「韓国を否定的に描写する誤った風潮」と嘆いてみせたのだが、これを聞いて韓国の若者たちはいっせいに反撥し「誰のせいでこうなったのだ?」「これは卑下ではなくて現実だ」と叫んでいる。

韓国では食べていけなくなった女性が世界中で売春ビジネスをしている。その中の一部は日本人になりすまして海外売春しているのである。

(海外で、韓国人女性が日本女性になりすまして売春している)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160701T0551090900


韓国女性が出稼ぎして身体を売っているのは、韓国でまともな仕事がなく、稼ぐこともできないからである。

こんな状況で、朴槿恵が他人事のように「韓国を否定的に描写する誤った風潮」などと言うのだから、反撥を食っても不思議ではない。無能と呼ばれる所以である。


大学を卒業しても就職できるのはそのうち半分だけ

韓国経済はもともと財閥寡占型で、まともな競争が国内にない。そして朴槿恵は就任以後、中国傾斜に拍車をかけた。

ところが、その中国が2015年から株式バブルが崩壊して消費が激減し、そのあおりを韓国がまともに食らっている。中国一辺倒が裏目に出て、韓国経済はますます苦境に落ちている。

韓国では大学を卒業しても、まともに職が見つかるのはそのうちの半分しかないと言われている。

大学を卒業して、就職できるのがそのうち半分だけだとしたら、それは正しく機能している社会と言えるだろうか。いや、これはかなり不幸な社会であると多くの人が見なすだろう。

韓国はすでに、そのような社会となっている。

韓国の大学進学率は84%で非常に高いのだが、必死になって大学で勉強しても卒業したら働けない。働く場所がない。社会に出た瞬間、半数の若者が生きていけない。それが、韓国という国の実情である。

では、就職できた人々はきちんとした賃金を得ているのか。いや、韓国の労働者のうち、半数近くが最低賃金以下の給料で働かされているという。

韓国の物価は、日本とほぼ同じであると言われている。しかし、大学卒業して就職できた人たちのほぼ半数が6万5000円程度の給料しかもらっていない。

しかも、韓国ではそのなけなしの賃金ですらも、未払いに遭ったり、いきなり削減されたりするケースが相次いでいると言われている。

では、きちんとした大企業に就職できた者は勝ち組になるのかというと、それがまったくそうではない。

土曜日の出勤は当たり前で、中小企業ではボーナスなしのことが多い。さらに、セクハラやパワハラは当たり前の社会風土でもある。過労死も増えている。


脱落者を生み出しながら、打つ手がなくなった韓国

こういった苛酷な状況に耐え抜いても、韓国の多くの企業では、40歳が実質的な定年であると言われている。

韓国の企業は法的には55歳で定年だ。しかし、それは表向きの話で、多くの人は40歳になればリストラ対象になり、実際にいろいろな手口で会社から放り出される。

40歳で実質的な定年なのだから、尋常な社会ではないことが分かるはずだ。韓国人の平均寿命は約80歳だから、まだ人生が半分残っているのに、もう人生の岐路に立たされる。

年金は60歳から支給されることになっている。しかし、韓国人の4割が年金未加入なので、支給すら受けられない人も半分近くいる。

大学を出ていないと就職口はまったくない。必死の思いで大学を出ても、職に就けるのは半分の人たちだけ。運良く職に就けて、必死で働いても40歳になったらもうリストラである。

まさに、絶望社会としか言いようがない。

どんどん脱落者を生み出しながら、どうしようもなくなっているのが現在の韓国だ。韓国の若者が「ヘル韓国」と自国を自嘲し、韓国の女性が海外で身体を売ってもおかしくない社会なのである。

ところで、40歳でリストラされたとすると、あと20年をどうするのかという話になる。誰も彼らの面倒を見ないので、彼らの多くは自営業に向かう。

しかし、それは計画された入念な自営ではない。リストラされてせっぱ詰まった後の自営業だから、その多くが失敗して、さらに追い込まれることになる。

実際、韓国政府の統計では、毎年約100万人の人たちが自営業に挑戦するのだが、そのうちの80%は事業経営に失敗しているという。

自営業と言っても職種はさまざまだが、韓国の場合は小売りや飲食店に集中している。

飲食店は非常に競争が激しく、しかも多くが零細なので、どこの国でも潰れやすい職種のひとつとして認識されている。そんなところに集中しているので、韓国人は国内でほとんど潰し合いをしているようなものだ。

一年で80万人が廃業に追い込まれているのだが、実際にそうなったら彼らはそれからどうすればいいのか。

どうしようもない。再就職しようと思っても、そもそも再就職が難しいから起業したわけで、そこで失敗したら、もう人生が終わったも同然だ。


この状況を見ると、次にどうなるのか分かるはずだ

ほとんどの人たちが廃業の際に負債を抱えることになるので、貧困層に落ちていく。それでも、死ぬわけにはいかないので、何とかしようとあがく。

多くの人は、さらに借金をして第二、第三の起業をする。しかし、借金で起業すると、利益が出てもそこから借金に支払いをしなければならない。自転車操業そのものだ。

少しでも利益を落とすと、その瞬間に借金の支払いができなくなる。

韓国では、他国に比べてサラ金やヤミ金と言ったノンバンクにカネを借りる人が多いが、自営業者のノンバンク依存率は突出している。多重債務者も多く、自己破産も深刻だ。

当然、自殺も多い。韓国の自殺は人口10万人あたりの自殺者数で世界一位となっている。

朴槿恵はこうした社会情勢の中で中国とアメリカを両天秤にかけるコウモリ外交を繰り広げて、どちらからも利益を得ようとした。しかし、両方を天秤にかけたことで両方から信用をなくしただけだった。

あれほど傾斜した中国にもTHAAD(高高度迎撃ミサイルシステム)を設置すると決めた瞬間に蜜月は吹っ飛んで「何をしてるんだ。THAAD(サード)を撤回しろ」と恫喝され、嫌がらせに近い経済的圧力を加えられている。

米中を天秤にかけるコウモリ外交が破綻した今、朴槿恵に打つ手はほとんどない。

中国と蜜月だった数年間、朴槿恵はあからさまに日本を見下していたのだが、この状況を見ると、次にどうなるのか分かるはずだ。

韓国は間違いなく、再び「お人好し」の日本にすり寄り、寄生し、たかりに来る。韓国社会の惨状を、日本にしがみついて、日本人の金で何とかしようとする。日本を自分たちの利益のために利用することを韓国では「用日」と呼ぶ。

これから韓国は日本に「用日」を開始する。しかし、日本はさんざん韓国に騙され、利用されてきたのだ。次の「用日」は断固として拒絶しなければならない。

さもないと、韓国社会の問題を日本人が背負わされることになる。そして、いつしかこの韓国社会の失敗は、「日本のせい」にされて日本に謝罪と賠償を要求してくる。

それが韓国のやり方だ。

これから韓国は日本に「用日」を開始する。しかし、日本はさんざん韓国に騙され、利用されてきたのだ。次の「用日」は断固として拒絶しなければならない。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160825T1640150900

2016-09-23
サムスンが爆発スマートフォンでますます窮地に落ちている

サムスン電子のスマートフォン「ギャラクシーノート7」がバッテリーの不具合で世界中で爆発して社会問題化している。

これまで26人が火傷を負い、車や車庫が燃えるなどの被害も55件も報告された。この中には6歳の男児が手を大火傷するという事件も含まれている。

すでに、アメリカは法律に基づくリコールを決めており、これによって世界各国の航空会社や航空当局が、機内での使用禁止を決めている。無理やり航空機内で使うと法律違反になる。

アメリカ・カナダ・メキシコだけでも100万台のリコールが決定しており、サムスンはリチウムイオン電池を交換することで事態を収めようとしている。

ところが、交換したその新品のギャラクシーノート7も、急速放電と発熱という異常現象が起きている。充電すると、逆に放電されるという奇怪な現象まである。

もしかしたらバッテリーの不具合だけでなく、設計上の不具合も発生しているのではないかと言われている。設計上の不具合であれば、バッテリー交換しても意味がなく、サムスンは大きな問題に直面することになる。

サムスンの売上高の3分の2は、モバイル事業だが、このモバイル事業がこければサムスンは死ぬ。


コマーシャルで「ヤバイ」と自分たちを自己紹介

もっとも、アンドロイド業界で言えば、サムスンは大勢いるプレイヤーのうちの1人に過ぎず、サムスンが死んでも誰も困らない。サムスンの代わりはいくらでもいる。

最近ではサムスンと同じ「パクリ商法」でファーウェイやシャオミ等の中国企業が怒濤の勢いで伸びており、中国市場ではすでにサムスンの牙城は崩れ去っている。

サムスンがパクリで成長できるのであれば、中国企業もまたパクリで成長できるということだ。中国企業がサムスンのパクリビジネスをパクってサムスンを追い出しているという皮肉なことになっているのだ。

サムスンはコマーシャルで「ヤバイ」と自分たちのことを自己紹介しているようだが、本当に危険で問題のある企業だ。

技術は日本からパクリ、デザインはアップルからパクり、彼らの新技術と言えば、ベンチマークの水増し機能や、バックドアを付けることくらいだ。

大きな会社がバックドアを付けてユーザーの情報を盗むとは信じられないかもしれない。しかし、それは本当のことだ。

嘘だと思う人がいたら、「サムスン・ベンチマーク水増し」「サムスン・バックドア」でグーグルで検索をかけて調べてみて欲しい。いくらでもサムスンの行状が出てくる。

こうした大きな問題を、サムスンは巨額の広告費をかけることで握りつぶしてきた。問題はいつでも発生しており、今回はたまたま隠せないほどの欠陥があったということだ。

相手からパクリ、パクった相手を執拗に貶し、嘲笑し、いやがらせをする。このサムスンの気味の悪い体質は、まるでストーカーに通じるものだと分析する人もいる。

アップルを執拗にストーキングし、アップルのスタイルを剽窃した挙げ句、そのアップルを嘲笑するのだから、この企業の体質は普通ではない。


なりすまし企業が、なりすまし製品を作る

サムスン電子は、アップルストアのスタイルまでもパクって、あたかもアップルのようなフリをして製品を売っているというのもよく知られている。そのパクリには際限がない。

サムスンはかつては「三星(みつぼし)」と自分たちを言っていたが、それはローマ字で書くと「Mitsuboshi」で「三菱」の一字違いの社名でもあった。つまり、社名もパクリだった。

欧米で「Mitsuboshi」のブランド名で商品を売られると、誰もがそれをMitsubishi(三菱)と間違えるか、もしくは日本製と誤解するだろう。

さらにサムスンはテレビを売る際には「富士山」や「相撲」などをコマーシャルに映し出して製品を宣伝していた。もはや意図的に「日本企業のなりすまし」をしていることがこれで分かるはずだ。

韓国企業だと言えば売れなかったので、日本企業に「なりすまし」したのである。もちろん、欧米人はこれにコロリと騙された。未だにサムスンを日本の会社であると勘違いしている人もいると言われている。

そして、この「なりすまし」企業の作る製品は、いつもライバル企業のパクリであり、製品から外装までライバルをそっくりそのまま真似ている。つまり、製品もまたパクリであり、「なりすまし」である。

この企業は、いつも売れているライバル製品に「なりすまし」していたのである。

このパクリ被害に遭っているのは、もちろんアップルだけではない。たとえば掃除機のダイソン社もサムスン電子に丸パクリされて、それを訴えたら逆提訴された。

理由は、「ダイソンの訴訟提起でサムスンのブランドイメージが傷つけられたから」という奇妙なものだった。これは報復訴訟であるのは言うまでもない。

パクリ企業にブランドイメージがあったのかどうかは知らないが、このような傲慢な行動が、サムスン電子に対する嫌悪につながっている。


弱り目に祟り目になっているサムスン電子

このようにパクリ丸出しの傲慢な経営をしていても、騙される消費者は世の中にたくさんいるので、サムスンの製品は売れ続けた。

品質については必要な技術を日本から吸い上げていたのは誰でも知っていることだ。

サムスンはコマーシャルから日本列島だけはわざわざ消し去るような反日的な体質があるのだが、こんな反日企業に金で釣られて技術を売り渡すクズのような日本人がたくさんいた。

サムスンはそんな技術者を金で買って用済みになったら使い捨てするという方法で品質を上げていたのだ。今でもサムスンに重要な技術を提供しているのは金に買われた日本人であり、日本企業である。

しかし、それでもどこか抜けているところがあるのか、サムスンのスマートフォンには大きな欠陥が入り込む。ギャラクシーノート7はそれがバッテリー問題だったということだ。

サムスンはこの問題で対処を誤ると、すぐに見捨てられて他の企業の製品に取って変わられる運命が待っている。

そもそも、スマートフォンはすでに市場が飽和したと言われており、これを乗り切っても将来があるわけではない。

アップルはその世界で最も強固なブランドで高級路線を突き進んでいけるが、サムスンは急激にコモディティ化していくスマートフォン業界の中で、大勢のライバルと安売りの消耗戦に巻き込まれていく。

サムスンは中国市場を重視してきたが、その中国で韓国企業は嫌われている。そのため、日本と同様にわざわざ名前を隠して販売している始末だ。

しかし、そんな姑息なことをしても、サムスンが韓国企業であることを知らない中国人はいない。中国企業で間に合うのであれば、中国人はわざわざサムスンの製品を買うわけがない。今後、サムスンは駆逐される。

そんな中でギャラクシーノート7も爆発して「サムスンのスマートフォンは買うな」という風潮になっているのだから、ますますサムスンは追い詰められていくだろう。


爆発するサムスンのスマートフォン。この問題の対処が片付いても、サムスンは急激にコモディティ化していくスマートフォン業界の中で、大勢のライバルと安売りの消耗戦に巻き込まれていく。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160923T1800170900


2017年3月26日[三橋実況中継]韓国は未来の日本国 From 三橋貴明
日本国は現在、世界第五位の「移民受入大国」と化しています。

ちなみに、2014年の移民受入数のランキングは、首位からドイツ、アメリカ、イギリス、韓国、日本となっています。

注目すべきは、韓国です。韓国は、移民送り出し国(特に、日本へ)でありながら、
同時に移民受入大国という興味深い状況になっています。

韓国の若年層失業率は、10%台に達しています(恐らくは、10%台後半)。
日本とは異なり、若者の雇用環境は極めて悪いのです。
それにも関わらず、韓国は2014年に日本を上回る41万人もの移民を受け入れました。

ちなみに、本稿(及び明日の稿)でいう移民とは、国連及びOECD定義の

「出生地以外で一年以上暮らしている人」

という定義になります。日本に来ている技能実習生、留学生という名の外国人労働者も、全て移民です。

なぜ、韓国は移民受け入れ国と移民送り出し国を兼ねているのでしょう?
いわゆる「単純労働」の生産性を上げず、賃金水準が低迷し、韓国の大卒の若者たち(韓国の大学進学率は70%と、世界最高)が、その種の職に就かず、「人手不足」と「若年層失業率上昇」が同時発生しているのです。

賃金を上げたくない企業側は、生産性向上の努力をせず、外国人労働者を「安い賃金」で雇用し、あぶれた(というか、その種の職に就きたがらない)韓国の若者が若年層失業者と化す。

外国人労働者を年間に40万人も受け入れていながら、韓国の商工会議所は「日本で就職しよう!」という異様なキャンペーンを展開する。

正しい道は、「単純労働」と考えられている職の生産性を高め、実質賃金を上昇させ、「国民」が雇用され、大いに所得を稼ぐというスタイルであるにも関わらず、
その道は採らない。結果、若年層失業率の上昇と人手不足が同時進行し、 外国人労働者を日本以上に受け入れていながら、移民送り出し国でもある。
https://38news.jp/economy/10251


グローバリズムの目的は、単純に「利益」です。
個々人の利益になるからこそ、政府に規制緩和、自由貿易、構造改革を求めるのです。

グローバリズムが緊縮財政を好むのは、

「国の借金で破綻する〜っ!」

と、キャンペーンを展開し、国民に財政破綻論がインプットされれば、「政府の支出・予算のカット」が容易になるためです。

もっとも、政府の支出や予算をカットしたとしても、公共サービスや社会保障は提供され続けなければなりませんし、最低限のインフラも必要です。

というわけで、

「ならば、我々にお任せを。民間活力を導入しましょう」

と、”彼ら”が登場し、公共サービスが「ビジネス」と化していくわけでございます。


水道といった基本インフラを含む、公共インフラはコンセッション方式で民営化。

社会保障はカットし、民間ビジネスである年金、保険へ切り替え。

新たな診療については保険適用せず(医療亡国!とか叫び)、自由診療を拡大。
公務員も削減し、代わりに派遣会社が行政サービスを提供。

全ては、同じ「スキーム」に基づき推進されます。

具体的には、「我々が儲けるには、どのように政府の規制緩和を推進すればいいのか?」でございますね。

もっとも、上記の類の規制緩和、構造伊改革は、後に法律を制定することで「元に戻す」ことが可能です(論理的には)。

例えば、韓国はソウルの地下鉄9号線を民営化し、外資系(マッコリー・インフラ)に売却しました。

ひどい話ですが、地下鉄9号線の年平均事業収益率は8.9%に設定され、収益率が下回った場合はソウル市から補填を受ける契約になっていたのです。すなわち、収益保証条項です。

現実には、収益率が8.9%に達することはなく、ソウル市はマッコリーに毎年、数十億円の補償金を支払わざるを得ませんでした。

その後、マッコリーのやり方に批判が殺到し、2013年に収益保証条項は破棄されました。

「利益にならない」ことが判明した時点で、マッコリーはあっさりとソウルの地下鉄事業から撤退してしまいます。

民営化された公共サービスを「受注」した株式会社(外資含む)は、利益にならないとなれば、即座に事業から手を引きます。

何しろ、彼らの目的は利益であり、他にはないのです。
https://38news.jp/economy/10256


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c32

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
76. 中川隆[-7625] koaQ7Jey 2017年5月26日 20:03:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

891 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 15:52:22.82ID:OYpzsQ90

スピーカーエッジ、リコーンキット、クランプの販売 ノースウエスト トレーディング
http://www.hobbies-n-things.com/

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892 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 18:19:53.06ID:MSDY91+I
>>891
ちょっと軽いけど爆安だね

893 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 19:11:10.03ID:26rsJ8ln
>>892
問題は、程度の良いユニットとネットワークが手頃な値段で
入手出来るかどうかだよな。。。


895 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 17:24:36.40ID:YQyoWQNl
>>893
程度の良い375と075買うともう40万はするし、150-4cなんて良いのは現存すら怪しい

でも本当のパラゴンの音って150-4cだけなんだよなぁ…

本体レプリカでユニット本物ってのも微妙だし、結局外国から本物入れてる業者に頼むのが一番な気がする
今、オクに出てるのが600万だからくだらないミニバンなんか買うんだったら圧倒的にこっちだわね

897 パラゴンのウーハーは D130 がオリジナル 2017/05/26(金) 18:25:50.50ID:BUpVanXl

PARAGONのプロトタイプ

へ〜、こんなの知りませんでした。パラゴンのプロトタイプですって。

D130 と 075 の2ウェイなんですね。
http://kawa.weblogs.jp/things/2015/08/paragon%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97.html


Paragon prototype ( D130 / 075 / N2600 ) Jazz 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MhTmhdeGud8

◇最初期・博物館級◇ JBL C44 PROTO-TYPE PARAGON 1
https://www.youtube.com/watch?v=mGUKoS3_-CI
https://www.youtube.com/watch?v=yVC2G8rJBmk

◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (ボーカル音源)
https://www.youtube.com/watch?v=pXFfSWPIdiI

◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (150-4C 動作確認映像)
https://www.youtube.com/watch?v=27V5PwkZzdA

MVI_3723.MOV◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (スタンダード音源)
https://www.youtube.com/watch?v=X3A7uDIuTkE

JBL D44000 C44 PARAGON Early Model (VOCAL)
https://www.youtube.com/watch?v=iLP8SI_4xF8&list=PLsq9Y2_0YqgwTuCufVM9iZ219hDuBQMNC

JBL D44000 C44 PARAGON Early Model (JAZZ)
https://www.youtube.com/watch?v=TEEquzGbUwc&list=PLsq9Y2_0YqgwTuCufVM9iZ219hDuBQMNC&index=2

最初期パラゴン JBL PARAGON D44000 earlisest model Kenrick スペシャルモディファイ
https://www.youtube.com/watch?v=0MZdsH5SM1k

最初期JBLパラゴンD44000 Paragon earlisest model ケンリック・スペシャル
https://www.youtube.com/watch?v=TwGHMmX2f-Y

901 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 19:17:10.87ID:YQyoWQNl
>>897
パラゴン計画がすすんでいた段階で 075 はまだ存在しない
いよいよ煮詰まった時期に 075 が登場
シャカシャカと素晴らしい音がするので採用決定

だがしかし、375 と 150-4c の2wayで計画されていたパラゴンに 075 の居場所はなく
仕方なくあの低音が噴出してくる音道の途中、目の前には 5038ホーンという信じられない場所に 075 は押し込められた

というのが通説


因みにやってみれば分かるけど D130(130A)の薄いコーンでは背圧に勝てず低音を前に押し出す事ができない

当時そのお役目に叶うウーハーが JBL には 150-4c しか無かったというのが本当のところ

その後すぐに LE15A という重たい音しかしないウーハーが搭載されほとんどの人は LE15A パラゴンの音をパラゴンの音として認識するようになる

以降パラゴンといえば遅れて聞こえる低音、洞窟の奥で怪獣が唸っているような低音と散々の評価を得る

150-4c の音は軽やかで速い、LE15A などとは比較にならない

あ、そうそう 075 と D130 の 2wayパラゴンは完全に後から作った遊びスピーカーでしょうね

D130 じゃ腰の抜けた低音しか出ないので…
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1454208247/l50

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c76

[リバイバル3] 札幌 ジャズ喫茶 JAMAICA _ JBL パラゴン 富山誠
6. 中川隆[-7624] koaQ7Jey 2017年5月26日 20:14:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

891 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 15:52:22.82ID:OYpzsQ90
スピーカーエッジ、リコーンキット、クランプの販売 ノースウエスト トレーディング
http://www.hobbies-n-things.com/

★C44-100 JBL PARAGON パラゴン レプリカ ホーン付きボックス販売中★ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=M-p1c0kY3as

JBL C44 パラゴン レプリカ ボックス ホーン付き [c44_paragon]
販売価格: 529,800円(税込)
http://www.hobbies-n-things.com/product/485


892 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 18:19:53.06ID:MSDY91+I
>>891
ちょっと軽いけど爆安だね


893 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 19:11:10.03ID:26rsJ8ln
>>892
問題は、程度の良いユニットとネットワークが手頃な値段で
入手出来るかどうかだよな。。。


895 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 17:24:36.40ID:YQyoWQNl
>>893
程度の良い375と075買うともう40万はするし、150-4cなんて良いのは現存すら怪しい

でも本当のパラゴンの音って150-4cだけなんだよなぁ…

本体レプリカでユニット本物ってのも微妙だし、結局外国から本物入れてる業者に頼むのが一番な気がする
今、オクに出てるのが600万だからくだらないミニバンなんか買うんだったら圧倒的にこっちだわね


897 パラゴンのウーハーは D130 がオリジナル 2017/05/26(金) 18:25:50.50ID:BUpVanXl

PARAGONのプロトタイプ

へ〜、こんなの知りませんでした。パラゴンのプロトタイプですって。

D130 と 075 の2ウェイなんですね。
http://kawa.weblogs.jp/things/2015/08/paragon%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97.html


Paragon prototype ( D130 / 075 / N2600 ) Jazz 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MhTmhdeGud8

◇最初期・博物館級◇ JBL C44 PROTO-TYPE PARAGON 1
https://www.youtube.com/watch?v=mGUKoS3_-CI
https://www.youtube.com/watch?v=yVC2G8rJBmk

◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (ボーカル音源)
https://www.youtube.com/watch?v=pXFfSWPIdiI

◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (150-4C 動作確認映像)
https://www.youtube.com/watch?v=27V5PwkZzdA

MVI_3723.MOV◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (スタンダード音源)
https://www.youtube.com/watch?v=X3A7uDIuTkE

JBL D44000 C44 PARAGON Early Model (VOCAL)
https://www.youtube.com/watch?v=iLP8SI_4xF8&list=PLsq9Y2_0YqgwTuCufVM9iZ219hDuBQMNC

JBL D44000 C44 PARAGON Early Model (JAZZ)
https://www.youtube.com/watch?v=TEEquzGbUwc&list=PLsq9Y2_0YqgwTuCufVM9iZ219hDuBQMNC&index=2

最初期パラゴン JBL PARAGON D44000 earlisest model Kenrick スペシャルモディファイ
https://www.youtube.com/watch?v=0MZdsH5SM1k

最初期JBLパラゴンD44000 Paragon earlisest model ケンリック・スペシャル
https://www.youtube.com/watch?v=TwGHMmX2f-Y

901 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 19:17:10.87ID:YQyoWQNl
>>897
パラゴン計画がすすんでいた段階で 075 はまだ存在しない
いよいよ煮詰まった時期に 075 が登場
シャカシャカと素晴らしい音がするので採用決定

だがしかし、375 と 150-4c の2wayで計画されていたパラゴンに 075 の居場所はなく
仕方なくあの低音が噴出してくる音道の途中、目の前には 5038ホーンという信じられない場所に 075 は押し込められた

というのが通説


因みにやってみれば分かるけど D130(130A)の薄いコーンでは背圧に勝てず低音を前に押し出す事ができない

当時そのお役目に叶うウーハーが JBL には 150-4c しか無かったというのが本当のところ

その後すぐに LE15A という重たい音しかしないウーハーが搭載されほとんどの人は LE15A パラゴンの音をパラゴンの音として認識するようになる

以降パラゴンといえば遅れて聞こえる低音、洞窟の奥で怪獣が唸っているような低音と散々の評価を得る

150-4c の音は軽やかで速い、LE15A などとは比較にならない

あ、そうそう 075 と D130 の 2wayパラゴンは完全に後から作った遊びスピーカーでしょうね

D130 じゃ腰の抜けた低音しか出ないので…
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1454208247/l50

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/416.html#c6

[リバイバル3] 岩手県 奥州市 ハーフノート _ JBL パラゴン 富山誠
3. 中川隆[-7623] koaQ7Jey 2017年5月26日 20:15:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

891 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 15:52:22.82ID:OYpzsQ90
スピーカーエッジ、リコーンキット、クランプの販売 ノースウエスト トレーディング
http://www.hobbies-n-things.com/

★C44-100 JBL PARAGON パラゴン レプリカ ホーン付きボックス販売中★ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=M-p1c0kY3as

JBL C44 パラゴン レプリカ ボックス ホーン付き [c44_paragon]
販売価格: 529,800円(税込)
http://www.hobbies-n-things.com/product/485


892 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 18:19:53.06ID:MSDY91+I
>>891
ちょっと軽いけど爆安だね


893 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 19:11:10.03ID:26rsJ8ln
>>892
問題は、程度の良いユニットとネットワークが手頃な値段で
入手出来るかどうかだよな。。。

895 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 17:24:36.40ID:YQyoWQNl
>>893
程度の良い375と075買うともう40万はするし、150-4cなんて良いのは現存すら怪しい

でも本当のパラゴンの音って150-4cだけなんだよなぁ…

本体レプリカでユニット本物ってのも微妙だし、結局外国から本物入れてる業者に頼むのが一番な気がする
今、オクに出てるのが600万だからくだらないミニバンなんか買うんだったら圧倒的にこっちだわね


897 パラゴンのウーハーは D130 がオリジナル 2017/05/26(金) 18:25:50.50ID:BUpVanXl

PARAGONのプロトタイプ

へ〜、こんなの知りませんでした。パラゴンのプロトタイプですって。

D130 と 075 の2ウェイなんですね。
http://kawa.weblogs.jp/things/2015/08/paragon%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97.html


Paragon prototype ( D130 / 075 / N2600 ) Jazz 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MhTmhdeGud8

◇最初期・博物館級◇ JBL C44 PROTO-TYPE PARAGON 1
https://www.youtube.com/watch?v=mGUKoS3_-CI
https://www.youtube.com/watch?v=yVC2G8rJBmk

◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (ボーカル音源)
https://www.youtube.com/watch?v=pXFfSWPIdiI

◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (150-4C 動作確認映像)
https://www.youtube.com/watch?v=27V5PwkZzdA

MVI_3723.MOV◇最初期・最高峯◇ JBL C44 PARAGON パラゴン (スタンダード音源)
https://www.youtube.com/watch?v=X3A7uDIuTkE

JBL D44000 C44 PARAGON Early Model (VOCAL)
https://www.youtube.com/watch?v=iLP8SI_4xF8&list=PLsq9Y2_0YqgwTuCufVM9iZ219hDuBQMNC

JBL D44000 C44 PARAGON Early Model (JAZZ)
https://www.youtube.com/watch?v=TEEquzGbUwc&list=PLsq9Y2_0YqgwTuCufVM9iZ219hDuBQMNC&index=2

最初期パラゴン JBL PARAGON D44000 earlisest model Kenrick スペシャルモディファイ
https://www.youtube.com/watch?v=0MZdsH5SM1k

最初期JBLパラゴンD44000 Paragon earlisest model ケンリック・スペシャル
https://www.youtube.com/watch?v=TwGHMmX2f-Y


901 名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 19:17:10.87ID:YQyoWQNl
>>897
パラゴン計画がすすんでいた段階で 075 はまだ存在しない
いよいよ煮詰まった時期に 075 が登場
シャカシャカと素晴らしい音がするので採用決定

だがしかし、375 と 150-4c の2wayで計画されていたパラゴンに 075 の居場所はなく
仕方なくあの低音が噴出してくる音道の途中、目の前には 5038ホーンという信じられない場所に 075 は押し込められた

というのが通説


因みにやってみれば分かるけど D130(130A)の薄いコーンでは背圧に勝てず低音を前に押し出す事ができない

当時そのお役目に叶うウーハーが JBL には 150-4c しか無かったというのが本当のところ

その後すぐに LE15A という重たい音しかしないウーハーが搭載されほとんどの人は LE15A パラゴンの音をパラゴンの音として認識するようになる

以降パラゴンといえば遅れて聞こえる低音、洞窟の奥で怪獣が唸っているような低音と散々の評価を得る

150-4c の音は軽やかで速い、LE15A などとは比較にならない

あ、そうそう 075 と D130 の 2wayパラゴンは完全に後から作った遊びスピーカーでしょうね

D130 じゃ腰の抜けた低音しか出ないので…
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1454208247/l50

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/408.html#c3

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
77. 中川隆[-7622] koaQ7Jey 2017年5月26日 20:46:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トーンコントロールやイコライザーを使わない理由 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2017年05月23日

私は基本的に「トーンコントロール」や「イコライザー」を使わない。
何故ならそれは「流出源対策」だからだ。出音を良くする「発生源対策」に比重を置いている。「音の鮮度」を下げる行為でもある。

そもそもトーントントロールやイコライザーを使わなければならない様な事態は、「基の出音」がいびつだから使うので有り、ユニット自体の音の出方やバランスが狂っているからである。

この根本原因を安直なイコライザーなどで修正して良いものか?が常に私の頭の中にある。「結果良ければ全て良し」と云う事にはならないのである。安直な方法を使えばそのしっぺ返しが必ずどこかで出て来ると考えている。だから「出音」に拘る。

例えば古いSPに多い、「周波数特性」で中域が盛り上がって、高域が12KHz辺りからだら下がりのSPの場合、中域の盛り上がっている部分を削り、高域のだら下がりの部分を持ち上げてフラットな特性に持って行こうとするだろう。この時私には疑問が出る。削られた中域の音が「もったいない」し、無い筈の高域が「作られて」いる訳である。多分曲毎にイコライザーを調整しなければ最良の状態にはならないだろう。またフラットにすること自体が有意な事なのだろうか?疑問に思う。

自分の考え方(発生源対策)で行けば、その原因と対策を直ぐに二つは考える。まだ他にも方法は有ると思う。

1)各ユニットが正常に動作や性能を発揮しているか?

 ユニットに問題が有るのではなく、SPケーブルやSP箱内配線に問題が有る・・・そう云う特性のケーブル類を使って有る。・・・ケーブル類の見直し(フラットな特性のケーブルに置換する)・・・意外とケーブルの周波数特性は盲点になっている。

2)出ている中域に合わせて、高域のユニットを追加して補完させる。

 但し、高域のユニットの追加にしても「質感」と「能率」については配慮して置くべきだ。質感が合わないユニットを使ったり、能率が合わなかったりすれば、さらに悪化する事にもなり兼ねない。それなりに「試行錯誤」を繰り返してSPを完成させる事だと思う。基本スピーカーの音色や質感を損なわずにユニットの追加で改善できれば更にSPの性能が上がると考える。

基本的には 1)の原因の場合が殆どである。

安直な方法を使えば安直なサウンドにしかならないと云うのが私の考えである。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/aa049dc2546b6b3c36f3b3fd12e17027


トーンコントロールやイコライザーを使わない理由 その2 2017年05月25日

音の「鮮度」が落ちるのを嫌って「トーンコントロールやイコライザーを使わない」のが一つの理由ですが、もう一つ、プリアンプの「つまみ」類の維持管理でも使いたくない。

以前マッキントッシュのプリアンプ C40 や C29 を使っていた時に、イコライザーやトーンコントロールは「音質には殆ど影響がない」と云われていましたが、自分で使ってヒアリングすると確実に「鮮度」が落ちますね。

そうなると使わなくなりました。その状態で5年も使わないと、使っていない SW類に「ガリ」が出て来ます。

プリアンプで使うSW類は意外と少なく、電源SW、セレクター、ボリュームの3箇所になります。余計なSW類が有るだけで、そのSW類の維持管理の為に動かしてやらなければならなくなります。C40やC34等マッキントッシュのプリアンプはSW類が一杯デザインして有り、それらの機能を維持させるのは大変な負担になって来ます。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/94cc177675529a4af3d35d0e34bc1303

古いスピーカーを蘇らせる1方法 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2017年05月24日

1950〜1970年代の古いスピーカーは「高域がダラ下がり」の周波数特性のモノが多い。これはユニットが古いから・・・と思われているが、意外とユニットは非常に優秀で有る場合が多い。

3年ほど前に JBL#4311 の「SP箱内配線」を交換した事が有る。#4311 はオールコーン型で、ノーマルだと高域ユニットLE25の高域はそれほど伸びていない。また粗さも目立つ。

この特性が「JAZZ向き」と思われているが、実際に自分の作ったケーブルに交換して分かった事は、この LE25 は非常に優秀なユニットで有ると云う事。配線交換後、ビックリする様な高域が出て来た。

まず高域の伸びは最近のドーム型など及びもしないほど良く伸びている。フラットに伸びている。だから荒れた音など出てこなく、非常に伸び切った密度のあるサウンドを出してくれた。まさに「目から鱗」の状態であった。

ケーブルにはそれぞれ「周波数特性」が有る。単純に「メーカー純正」のケーブル(配線)と云うだけで、鵜呑みに出来ない。現在でも「ケーブルに周波数特性」が有ると知っている方はまずいないと思う。一般に使われている銅線ケーブルでは15000Hz以上の再生は望むべくもないと、私は経験上判断している。高域特性の良いケーブル(配線)に交換してやれば「高域不足」は感じなくなる。それだけ昔のユニットは潜在的に優秀な場合が多い。

ただ注意すべきは、「高域」のみケーブル(配線)交換してはいけない点だ。低域〜高域までフラットに出せるケーブルを使う事だ。世の中になければ作り出してでも使って欲しい。自分はそう思ってケーブルを開発してきた。高域のみケーブル交換すると、低域や中域と「音数」(容量)や「スピード感」、「質感」が揃わない。やはりここは統一して使うべきだろう。

実際に最近のカナレの安いケーブルで実際にやって見たらその効果が判るだろう。最近のカナレの安いケーブルでもメーカーオリジナル配線よりは「周波数特性」や「伝送容量」の点で優秀だと思う。WE16GA〜14GAあたりでも面白いと思う。個人的にはカナレやWE14GAあたりでも「力不足」だと思っている。もっと上級の「周波数特性の良い」、「伝送容量のデカい」ケーブルを使えば更なる改善が出来ると思う。
http://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/2128de693d9783cdb16456c6810847d6
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c77

[政治・選挙・NHK226] 財務省も動くか “反アベノミクス勉強会”に自民議員60人(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 中川隆[-7621] koaQ7Jey 2017年5月26日 20:53:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

知恵遅れ集団の“反アベノミクス”勉強会


『自民“反アベノミクス”勉強会 初会合に衆参国会議員約20人が出席
http://www.sankei.com/politics/news/170517/plt1705170010-n1.html

 自民党の「財政・金融・社会保障制度に関する勉強会」(代表発起人・野田毅前党税制調査会長)が16日、国会内で初会合を開いた。今後、アベノミクスの三本の矢である財政、金融、成長戦略の課題について有識者を交えて定期的に議論する。

 同会には呼びかけ人として中谷元・前防衛相や野田聖子元総務会長も参加している。会合には党所属の衆参国会議員約20人が出席した。野田毅氏は会合の冒頭、「少子高齢化が加速する中、財源の裏付けがないまま惰性に流されればあまりにも無責任だ」と述べた。』


 野田毅は、上記の会合において、

「財政破綻の足音が聞こえてきており、このまま放置するわけにはいかない。」

 と、語っています。


 頭が相当に悪いのか、幻聴が聞こえるほどに聴覚が劣化してしまったのか、単なる嘘つきなのか。あるいは頭が悪く、視聴機能が劣化した嘘つきなのか。


 政府の負債が100%日本円建てで、国債金利が0.04%台の国で、財政破綻の足音が聞こえてくるそうです。とりあえず、権力が大きい政治家からは引退した方が日本国のためだと思います。国民が迷惑します。


 反・アベノミクスの連中(しかも「国会議員」)が、このレベルなのです。


 つまりは、わたくし達は、野田毅に代表される「反・アベノミクス」の財政破綻論者たちを批判しつつ、安倍政権に対し「緊縮財政するな!」と、批判しなければならないわけです。


 厄介な話ですが、これが日本の現実です。


 とりあえず、財政破綻の足音など、全く聞こえてきていません。


現在の日本国に必要なのは、デフレという「総需要の不足」から脱却するために、政府が財政出動を拡大することです。財源は、普通に国債を発行すればいいのです。


 日本銀行が量的緩和を継続し、10年物国債金利が0.046%に低迷している我が国に、財政主導のボトルネックは「経済的(経世済民的)」にはありません。


 デフレとは、モノやサービスという生産された「付加価値」に対し、「消費・投資」として支出が減ることで発生します。すなわち、需要(消費・投資)の不足です。


 なぜ、需要が不足するかと言えば、
●バブル崩壊後に、国民が借金返済と銀行預金を増やし、所得から消費や投資に回されるおカネが減るため
●政府が増税や政府支出削減という緊縮財政をとり、消費や投資の減少に拍車をかけるため
 でございます。


 まさに、日本はバブル崩壊後に橋本龍太郎政権が緊縮財政を強行し、需要が一気に減るデフレーションに突入しました。


 需要が減ると、国民の実質賃金が減ります。実質賃金が減った国民は、消費や投資という需要を減らし、さらなる実質賃金減少を引き起こす。


 上記の悪循環が20年も続いた結果、我が国の実質賃金は、何とピークから15%も減ってしまいました。


【日本の実質賃金指数(長期)の推移】

http://mtdata.jp/data_56.html#chouki


 上記、デフレ化の原因を理解すれば、デフレ脱却のためには「誰か」がモノやサービスに対する消費、投資としての支出を増やすしかないことが分かるはずです。小学二年生くらいの知識があれば、理解できると思います。


 とはいえ、デフレ期に民間が消費や投資を率先して増やすことはありません。なぜなら、デフレ期には貯蓄(借金返済や銀行預金)が合理的になってしまうためです。


 我々は、おカネを使わないことが合理的だからこそ、おカネを使わないのです。結果、デフレが続く。


 この状況を打開できる存在は、非合理的におカネを使うことが可能な政府しかありません。ここでいう非合理的とは、「短期的な利益にならなくても、将来のためにおカネを使える」という意味です。


 現在の日本政府に求められるのは、財政出動による需要創出なのです。


 ところが、安倍政権は憲政史上最悪の「緊縮財政政権」として、日本のデフレ脱却を妨げてきました。だからこそ、責められるべきなのです。


 藤井聡先生が、英フィナンシャル・タイムズ紙のアベノミクス批判を取り上げていらっしゃいました。


【英FT紙はなぜ「プライマリーバランス亡国論」を日本に警告するのか?=内閣官房参与 藤井聡】
http://www.mag2.com/p/money/226316


 FTは、アベノミクスについて「財政拡大をやっていない」からこそ批判しているわけです。


『(引用)成功へのすべての障害のうち、最悪だったのは「2014年の5%から8%への消費増税」という「自傷行為」であった。
 本来、理論的にはアベノミクスは「財政政策」を含むものである筈だった。しかし実際には、この財政拡大は2013年における「短期間」でしか推進されなかった。それ以後の4年間は、日本政府は激しい「財政引き締め」を行ったのだ。これはもちろん、物価上昇の重大な障害となった。』


 まさに、その通りで、アベノミクスは本来の「デフレ脱却」とは真逆の緊縮財政を採用したからこそ、責められなければなりません。反・安倍あるいは反・アベノミクスの政治家が現れるならば(現れるべきですが)、安倍政権が緊縮財政を採り、国民の貧困化を継続したことを理由としなければならないのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12275678983.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo226/msg/362.html#c3

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
69. 中川隆[-7623] koaQ7Jey 2017年5月27日 05:29:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.05.26
反露報道を崩壊させかねないDNCスタッフ殺害を封印するため米有力紙はスタッフの両親を利用

2016年7月10日に殺されたDNC(民主党全国委員会)のスタッフ、セス・リッチはDNC幹部の間で遣り取りされた電子メールをWikiLeaksへ渡した人物ではないかと言われてきた。事件の翌月、WikiLeaksのジュリアン・アッサンジはDNCの電子メールを提供した人物はリッチだと示唆、射殺事件に関する情報提供者に2万ドルを提供するとツイッターに書き込んだこともそうした疑いを強めることになった。

それに対し、セス・リッチの両親は5月23日付けのワシントン・ポスト紙で、息子の殺人事件の政治化を止めてほしいと主張している。息子のパソコンを警察が詳しく調べた結果、息子がWikiLeaksと通信していた証拠は見つからなかったとし、息子とWikiLeaksが関係しているとする話は陰謀論だと言いたいようだ。

勿論、名義が両親だったというだけで、実際にその文章を誰が書いたかは不明だ。こうした両親の話を同紙が掲載した理由は、その両親が雇った私立探偵の発言をFOXニュースが報道したことにあるだろう。報道の直後、セス・リッチの遺族からウィーラーやFOXニュースへ抗議があり、ウォーラーは発言を撤回したという。

ウィーラーはDNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルをセス・リッチがWikiLeaksへ渡したという情報を警察内部の情報源から得たとしていた。パソコンを詳しく調べた結果、そのように判明したということだ。

その捜査を警察の幹部やFBIが打ち切らせたとウィーラーは主張しているが、そうしたことを疑わせる出来事もある。事件当時にワシントンDC警察長だったキャシー・ラニエーは8月16日、9月で辞職してナショナル・フットボール・リーグの保安責任者に就任すると発表したのだ。収入は大幅に増えるだろう。

両親の主張を載せたワシントン・ポスト紙はロシアを悪魔化するキャンペーンの中心グループに位置している。例によって証拠は示さず、「我々を信じろ」と言うばかりだ。ユーゴスラビア、アフガニスタン、リビア、シリア、そしてイラクを先制攻撃する際にもアメリカの有力メディアは偽情報を流していた。イラクの場合、政府も嘘だったことを認めざるをえなくなっている。そうしたことをワシントン・ポスト紙も気にしていない。認めてしまえば、嘘で築き上げた幻影が全て崩壊してしまう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201705260000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c69

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
71. 中川隆[-7622] koaQ7Jey 2017年5月27日 09:58:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

川端康成之水晶幻想雙機版 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=3dM7vQqaynQ

Yasunari Kawabata Trilogy-Suisho Genso PV 水晶幻想 PV - Mirei Yamagata - contemporary butoh dance - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YOGDAUuBEvs

彼女の古里の古い海港の教会で、マリア様−愛らしい私だつたけれど、なにをお詫びするつもりだつたのか、忘れてしまつたわ。

重力、梃子、秤、慣性、摩擦、振子と時計、ポンプ。

あら、尋常五年の三学期の理科の目録だわ。

ジグムンド・フロイドと十字架。

でも、だけど、女王蜂は一生にただの一度だけ交尾をするのだつたわ。

ただの一度、巣の外で。家庭の外で。一つの巣に一匹の女王蜂。

百匹くらゐの雄蜂、二萬以上の働き蜂。春の日の蜂の羽音。

ピペット、ピペットと聞こえる、汽車の車輪。

ホテルの白蚊帳。春ではない、夏であつた。蜜月旅行。(川端康成著『水晶幻想』)。
http://d.hatena.ne.jp/maggot/20031108


「水晶の玉のなかに小さい模型のやうに過去と未来との姿が浮かび上つた、活動写真の画面。

水晶幻想。玻璃(はり)幻想。秋風。空。海。鏡。

ああ、この鏡のなかから聞こえてゐるのだわ。音のない音。

音のない雪のやうに海の底へ落ちる白い死骸の雨。

人間の心のなかに降り注ぐ死の本能の音。

銀の板のやうにきらめきながら、この鏡が海の底へ沈んでゆく。

私の心の海へこの鏡の沈んで行くのが見える。」(川端康成著『水晶幻想』)。
http://blog.goo.ne.jp/blue1001_october/e/ef405939523276cb7cf2feaaa01c763c


水晶幻想/禽獣 (講談社文芸文庫) 川端 康成 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B4%E6%99%B6%E5%B9%BB%E6%83%B3-%E7%A6%BD%E7%8D%A3-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B7%9D%E7%AB%AF-%E5%BA%B7%E6%88%90/dp/4061961713


初期の短篇小説を8篇収録。
どれもこれも死の香りと妖艶な美しさを漂わせる不気味な物語だ。

特に、冒頭の幻想的な『青い海黒い海』に圧倒され、表題作『水晶幻想』は意識の流れと自動筆記を合わせたような記述に幻惑されてしまった。
https://bookmeter.com/books/514457

水晶幻想 / Crystal Illusions

「水晶幻想」は1935年、川端が書いた短編小説。

ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んで衝撃を受けた川端が、ジョイスに似たスタイルで書いた作品。

その文章は川の水のように流れていく意識を描いています。

犬を使って受精を研究する発生学者の夫と、妊娠が出来ない妻の脈絡のない、会話。

意識と無意識が交差し、散漫な想いの翻弄が映し出された世界を、舞踏の視点で舞台化します。
http://www.kawabatatrilogy.org/crystalillusions

水晶幻想 2009-09-22

去る9月18日に川端康成の「水晶幻想」の読書会を行いました。
この作品は昭和6年に「改造」に発表されたものです。

初読の感想として、一番あげられたのはその難解さでした。

その難解さの要因として挙げられたのは、極端なまでの改行の少なさと、夫人の心内語の挿入によって物語が中断されることでした。

しかし、この二つの要因があるからこそ「水晶幻想」という作品が成り立っていると言えます。

畳み掛けるような「意識の流れ」が物語と並行に進み、全てが一体となる手法は、この時期の川端に独特なものと言えます。

この「水晶幻想」の初刊に一緒に掲載されている「抒情歌」もまた、連想と融合の手法で描かれています。

この手法に関しては、川端の「新進作家における新傾向解説」という大正14年に出された論文で詳しく述べられています。このように、「水晶幻想」の手法は新感覚派の理論(川端なりの)の実践したものだと言えます。

また、描かれている題材の指摘もありました。

プレイ・ボオイというヨーロッパやアメリカで人気のワイヤア・ヘエア・フォックス・テリアや、クリスマスやユダなど、キリスト教を始めとする西洋の文化が多く描かれており、これは当時のモダニズム文化に起因するものだと言えます。

性や科学といった題材にも、モダニズム文化の影響が見られるでしょう。

この時期、川端は『モダンTOKIO円舞曲』という新興芸術派の小説集に「浅草紅團」を書いており、モダニズム文化にも近しいものであったことがわかります。

しかし、新興芸術派の代表の中村武羅雄は新感覚派の作家を否定的に見ており、新感覚派と新興芸術派がすべからく同一の思想を共有していたとはいえません。しかし、プロレタリア文学を含むこれらの派閥は全く違うものから生まれたのではなく、西洋の影響から出発し、反発や同調を繰り返しながら歩んでいく、いわば兄弟のようなものであったのだと考えられます。
http://blog.goo.ne.jp/kokugakutarou/e/7a73f1f9473b156fa56ee7effa4cc746


「水晶幻想」は、川端康成の文学のキャッチ・フレーズになった新感覚派のお手本のような、生、死、生殖、誕生などがテーマになった万華鏡を見るような、きらびやかな作品

川端康成の特色は、和歌のようではなくて、俳句のようであって異質な言葉がぶつかり合って、飛躍、断絶、融合、反発、異化、など特異な効果をあげています ← 凡人がやると、支離滅裂

その言葉のぶつかり合いが、万華鏡をくるくる回転させて次々と現れる、美しく奇妙な絵柄/図柄を見ているようです

難しい言葉や引用が一杯ありますので、巻末に注解が欲しいです
それが無かったので、1度読んだだけでは、よく理解できなかった

産婦人科医の夫婦が主人公ですから ← その方面の専門語が一杯出て来る

なんとなく、焦点は生殖や誕生、といった性的なものに当てられていると、おもうのですが、わざと難解/曖昧にしている、のかもしれません
http://salu.at.webry.info/201208/article_15.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c71

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
72. 中川隆[-7621] koaQ7Jey 2017年5月27日 10:16:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「水晶幻想」と「抒情歌」は雪国執筆時点での川端の代表作だった


川端康成が湯沢に滞在して「雪国」を執筆した時期と、峠豊作ときくが恋仲であった時期が重なるのではないかと思われる。

 高半旅館の次男・高橋有恒も、「『雪国』のモデル考――越後湯沢における川端康成」(『人間復興』第2号、1972(昭和47)・11・期日不明)のなかで、「峠豊作と芸者松栄との間に当時、すこし噂があった」と書いている。

 また、あるとき、峠の運転する車に有恒が乗せてもらっていると、峠は芸者置屋豊田屋の前で車をとめ、二階の芸者松栄に声をかけた。すると松栄が降りてきて、車に同乗した。このとき松栄は、

「オツさま、この本、川端さんがくれたの」と1冊の本――「水晶幻想」を差し出した、とも述べている。


 これらの事実を、どう解釈したらいいのだろうか。

清水トンネルが開通した1931(昭和6)年に湯沢駅前の土産物店兼自動車屋に、峠(とうげ)豊作という運転手が雇われた。

 22歳の美貌の豊作と19歳のきくは、やがて深い恋仲となった。小説「雪国」は、この年から書き始められている。

峠は和田芳恵に康成を定宿の「高半」へ幾度も送り迎えをしたことなども話したという。

 1932(昭和7)年、18歳のきくが、若松屋から松栄という名で芸者にでた事実は確かであろう。康成がはじめて湯沢に来たのは、2年後の1934(昭和9)年である。

 このときすでに松栄は、峠豊作と恋仲になっていたと思われる。

 というのも、松栄と峠豊作が恋仲になったのは、松栄が高岡に行く前のことと、和田芳恵は書いているからである。湯沢に帰ってきて、ふたたび松栄という名で芸者に出たきくと峠豊作は、感無量のうちに再会したはずである。

 もっとも、作品で見てきたように、潔癖で正直な松栄が、ふたりの男に二股(ふたまた)をかけるような女でないことは確かである。

 わたくしが注目したいのは、3度目の旅で、縮の産地から帰った島村の乗った車に、駒子が飛び乗る場面である。

   車が駒子の前に来た。駒子はふつと目をつぶつたかと思ふと、ぱつと車に飛びついた。車は止まらないでそのまま静かに坂を登つた。駒子は扉の外の足場に身をかがめて、扉の把手(とって)につかまつてゐた。(中略)

   駒子は窓ガラスに額を押しつけながら、
  「どこへ行つた? ねえ、どこへ行つた?」と甲高く呼んだ。

  (中略)

駒子が扉をあけて横倒れにはいつて来た。しかしその時車はもう止まつてゐるのだつた。
 
これは、実際の体験を描いた場面ではなかろうか。そうだとすれば、駒子が大胆にも走っている車に飛び乗ることができたのは、峠豊作の運転する車で、豊作が危険な操作をするはずがないと安心して、駒子は無茶をしたのではないだろうか。

 つまり、豊作もまた、駒子が島村とつき合っていることを知っていて、島村の前で車の速度を落し、また危険のないよう配慮したのである。

 わたくしは、すでに駒子こと、きくと豊作は恋仲であったと確信する。

 そこへ、いきなり東京から得体の知れぬ、これまで会ったこともないような男が現れ、きくは電撃に打たれたように、その男に惚れてしまったのだ。駒子は夢中になって、その新しい男に心血をそそいで恋をする。

 豊作は黙ってそれを傍観しているしかなかった。

 およそ2年間、駒子は命がけの恋をした。それは次元の異なる恋だった。豊作は黙って見ているより術(すべ)がなかった。

 島村が雪国を去ってしばらくたって、駒子こと、きくは豊作のもとに戻ってきた。駒子は豊作との結婚を本気で考えた。……

 康成は、駒子にそのような想い人があったことを知っていただろうか。

 小高久雄は和田芳恵の取材のとき、「この人には、そのころ、7年も思いつめた男の人がいたのですよ」と語ったそうだ。また、「雪国」の作者のことは、きくから聞いてはいたが、「雪国」を読んだのは結婚してからだったという。

 最後にきくは、康成のことを、「あの方は、これまで知った多くの人たちから感じられない独特な雰囲気を持っていました」と和田に語ったという。

 峠豊作というひとがありながら、駒子のきくは、魅入られたように康成との恋に命を傾けたのではなかろうか。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/7d45b23134e8d90da385ae91582324...
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c72

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
33. 中川隆[-7620] koaQ7Jey 2017年5月27日 11:48:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

先進国で有数の貧乏国民になりつつある日本人 2015年05月03日


日本人はまだ理解していませんが、統計からは先進国では最下位層の貧乏国民になりつつあるのが分かります。

以下は国民一人当たりの名目GDPです。


1位 ルクセンブルク $111,716 

2位 ノルウェー  $97,013

4位 スイス  $87,475

5位 オーストラリア $61,219ドル

10位 アメリカ $54,597ドル  

《27位  日本 $36,332ドル》 

これをみれば日本人は先進国で27番目のGDP(一人当たり)となっているのが分かります。
しかも今後円安が進めば更に額は下がり、下手しますと、ヨーロッパでダメな国とも言われていますイタリアやスペインよりも下回る可能性すらあるのです。


今中国人やアジア人が日本に買い物に来ていますが、彼らが買ってるものは言わば日用品であり、安いから買ってるのです。
日本は安い国とみられているのです。

かつて日本人は世界中にショッピングに出掛けていきましたが、ブランド品を買いまくっていたもので、ショッピングの内容が全く違っています。

今の中国人やアジア人がかつての日本人のようにブランド品を本格的に買い始めれば世界中のブランド品は中国人やアジア人に買い占められるかも知れません。

今、日本の¨質屋さん¨に中国人やアジア人がブランド品を買いに来ていますが、質屋さんへの売り手は日本人、買い手は中国人やアジア人となりつつある今、ブランド品を持ち続けられない日本人は猛烈な勢いで貧乏化が進んでいると言えます。


今、ゴールデンウイークで海外にいってマクドナルドの価格を見て驚いている日本人も多いはずです。

ビッグマック

スイス 900円
アメリカ 580円
ドイツ 500円


日本は370円ですから、本家のアメリカより大幅に安い価格となっているのが分かります。

これだけ日本はデフレが進んでいる訳ですが、日本人からすれば、何でこんなに海外は高いのか?となるでしょうが、海外からみれば何で日本がこんなに安いのか?となっています。

*日本マクドナルドの赤字が積み重なって来ており、本家の判断次第では日本撤退もあり得るかも知れません。
安く売っても売り上げが減少しており赤字が出ており、これではやっていけないと判断しましても何ら不思議ではないからです。


ニューヨークでも大戸屋での焼き魚定食が3000円、ざるそばが1500円程しますが、日本人は殆どいません。
こんな価格に日本人はついていけないからですが、不味いラーメンでも1000円しますから、安いツアーでニューヨークにいった観光客は食べるものに四苦八苦するはずです。

次第に貧乏化が進む日本ですが、高齢化が進み、1000兆円を超えて更に借金が積み上がる中、日本はこの先やっていけるでしょうか?

円安が仮に1ドル150円にまで進めば、日本人の
一人当たりのGDPは2万円ドル台に転落し、もはや日本は先進国ではないと判断されましても不思議ではありませんし、その時何が起こるでしょうか?

外資の大量脱出となります。
先進国の中で最貧国となる日本人を相手にしないとなりましても何ら不思議ではないからです。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-investment/


世界の消費税と最低賃金 2014.02.21


アべノミクスのせいで、収入はぜんぜん増えないのに物価ばかりがどんどん値上がりして、もともと苦しかった生活がさらに苦しくなったけど、それでも、

日本の物価の高さは、スイス、ノルウェー、デンマーク、オーストリアに継ぐ「世界5位」なので、世界一物価の高いスイスと比べれば遥かにマシだ。


「ロケみつ」の「ヨーロッパ横断ブログ旅」でスイスに行った早希ちゃんは、日本でも見慣れたマクドナルドを発見して、いくら世界一物価の高い国だと言っても、さすがにマックは安いだろうと思って店内に入ってみると、

ナナナナナント!ハンバーガーとポテトとドリンクのセットが1000円以上!

驚いてお店を飛び出した!


そして、キオスクでお水を買おうとしたら、500mlのミネラルウォーターが300円以上、

スーパーでサンドイッチを買おうとしたら750円以上、

あまりの値段の高さに早希ちゃんはビビッてた。他にも、

日本だと10個で200円前後のタマゴが、スイスのスーパーだと3倍の約600円、

日本だと12ロールで300円前後のトイレットペーパーが、スイスのスーパーだと2.5倍の約750円、

これじゃあとても生活なんてできない。

でも、早希ちゃんがお世話になった現地で暮らす日本人女性によると、ビールは安い。500mlの缶ビールが50円!500mlのミネラルウォーターは300円以上もするのに、同じ量のビールは50円だなんて、いくら日本みたいにバカ高い酒税がない国だからって、これは安すぎる。あたしだったら、お水の代わりに、朝からビールを飲んじゃいそうだと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)


‥‥そんなワケで、ビールが安くても食べ物や日用品が日本の2倍から3倍もするんだから、スイスで生活するのは大変だと思うかもしれないけど、実は、そんなこたーない。何故かと言えば、スイスは世界一物価の高い国だけど、お給料のほうも物価に見合ってたくさんもらえるからだ。

スイスには、日本や他の先進国のように法律で定めた「最低賃金」てのはないけど、その代わりに、自主的な団体交渉で最低ラインの月給が決められてて、平均すると

現在の「最低月給」は4000フラン(約46万円)だ。

アルバイトの時給も、スーパーのレジのバイトで1時間17〜26フラン(約2000円〜3000円)だ。

早希ちゃんがお世話になった日本人女性も「普通のバイトで月に30万円以上は稼げる」って言ってた。


だから、世界各国の主要都市の「平均年収ランキング」では、スイスの最大都市であるチューリッヒが517万円で世界1位だ。

つまり、物価の高さは世界一だけど、平均年収の高さも世界一ってワケで、さらに言えば、アルバイトの時給も世界一ってワケだ。

だから、日本で働いてお金を貯めて、そのお金を持ってスイスに旅行すると「物価が高い!」ってことになっちゃうけど、スイスに住んでスイスで働いて暮すぶんには、物価の高さなんて感じなくなるハズだ。

だって、スーパーのレジのバイトで時給3000円ももらえるなら、マックのハンバーガーセットが1000円でも安く感じちゃうだろう。

日本の場合、東京のスーパーのレジのバイトでも時給850円とか900円とかだから、スイスの時給の比率で考えると、マックのハンバーガーセットが300円以下で食べられる計算になる。

500mlのミネラルウォーターが300円しても、時給の10分の1だと考えれば、日本なら85円とか90円とかってことになるから、ぜんぜん高くはない。


‥‥そんなワケで、ここでクルリンパと最初に戻るけど、スイスの消費税はどうなってるんだろう?

ちなみに「消費税」ってのは日本式の呼び方で、スイスでは他の多くの国々と同じく「付加価値税」と言って、一般的には「Value Added Tax」の頭文字を取って「VAT」って呼ばれてる。で、スイスの場合、日本の消費税にあたる付加価値税がどれくらいなのかって言うと「7.6%」だ。これなら、日本の消費税が5%から8%に引き上げられても、スイスとほとんど変わらない‥‥って思ったのもトコノマ、スイスの付加価値税には「軽減税率」が導入されてる。

たとえば、食品、医薬品、書籍、新聞などは「日用品」であり「生活必需品」なので、税率が3分の1以下の「2.4%」に軽減されてる。また、スイスは観光が大きな収入源の国だから、ホテルの宿泊などは「3.6%」に軽減されてる。さらには、病院、保険、銀行などは「0%」だ。つまり、スイスで生活して行く上で絶対に必要なものに関しては、ちゃんと「軽減税率」が適用されてるってワケだ。

一方、日本の場合は、食品や医薬品からホテルの宿泊まで、さらには病院や保険、挙句の果てに銀行のATMの手数料まで、「日用品」であろうが「生活必需品」であろうが、すべてのものの消費税が4月1日から「8%」に引き上げられる‥‥ってワケで、ここで、世界各国の付加価値税を見てみると、日本以外の先進国は、どこもスイスと同じように「軽減税率」を導入してることが分かる。

たとえば、イギリスの場合、基本的な付加価値税は「17.5%」と高いけど、電気やガスなどの家庭用の燃料費は「5%」に軽減されてるし、食品、水道、医薬品、書籍、新聞、電車やバス、家賃などの「生活必需品」から、病院、保険、銀行、教育、郵便などに至るまで、すべて「0%」だ。フランスやドイツを始めEU各国も、基本的な付加価値税は日本より高いけど、すべての国が「軽減税率」を導入してる。食品や医薬品にまで贅沢品と同じ税率を課すようなバカな国は、先進国の中で日本だけなのだ。


スイスの場合は、世界一物価が高いけど、平均年収も世界一だし、アルバイトの時給も世界一だし、その上、食品や医薬品を始めとした「生活必需品」には「軽減税率」が適用されてるから、実際に生活するとしたら、日本よりは遥かに暮らしやすいと思う。

日本の政府や財務省は、ことあるごとに先進各国の付加価値税の税率だけを引き合いに出して「日本の消費税は低すぎる」って言うけど、この理屈には、所得の違いも、物価の違いも、そして「軽減税率」も、すべてが抜け落ちてる。


‥‥そんなワケで、今度は、各国の「最低賃金」を見てみよう。スイスの場合は、実際には世界一だけど、さっきも書いたように「法律で定めた最低賃金」じゃないから、ここではスイスは抜きにして、それぞれの国の「法律で定めた最低賃金」だけを比較してみる。それぞれの国で通貨単位が違うので、現在の日本円のレートに換算して、分かりやすいように「1時間あたりの時給」として比較してみる。


1位 オーストラリア 1610円
2位 ルクセンブルク 1450円
3位 フランス 1310円
4位 アイルランド 1230円
5位 ベルギー 1220円
6位 ドイツ 1180円
7位 オランダ 1160円
8位 イギリス 1055円
9位 ニュージーランド 1050円
10位 カナダ 1045円


もちろん、これらの国々は、物価も違えば付加価値税の税率も違うから、1時間あたりの最低賃金の高い国が、イコール「暮らしやすい国」ってワケじゃないけど、これらの国々は、少なくとも日本よりは遥かに暮しやすいハズだ。

ちなみに、現在の日本の最低賃金は、最高が東京都の869円、最低が鳥取県や島根県、九州の各県や沖縄県などの664円で、全国平均は764円だ。


アメリカも州ごとに違うけど、全国平均は816円、日本よりは少しだけマシだ。でも、日本もアメリカも、ランキングでは韓国よりも下で、先進国の中だけで比較すると、日本はダントツのワースト1位なのだ。今年の1月、国連が発表した先進各国の最低賃金調査によると、「日本の最低賃金は人間が生存するために必要な最低金額を下回っており、先進国の中では最悪の水準」と指摘されてる。

で、またまたクルリンパと最初に戻るけど、日本の物価の高さは、スイス、ノルウェー、デンマーク、オーストリアに継いで「世界5位」なのだ。

物価が世界で5番目に高い国なのに、最低賃金は先進国の中でワースト1位の764円、

それなのに消費税に「軽減税率」が導入されてなくて、食品や医薬品などの「生活必需品」にも贅沢品と同率の税金が課せられてる。そして、4月1日からは、こうした「生活必需品」の消費税も、何の考えもなしに8%に引き上げられる。


‥‥そんなワケで、アメリカのオバマ大統領は、現在約8ドルの最低賃金を10ドルちょいに引き上げるって宣言したけど、いくら大統領が宣言したって、その瞬間にアメリカの低賃金労働者全員の時給が10ドルになるワケがない。

日本にしたって、最低賃金は764円だなんて言ってるけど、これより安い時給で働いてる人は数えきれないほどいる。あたしの原稿打ちの内職なんて、徹夜でがんばっても2500円行くか行かないかで、時間で割ると時給300円ほどだ。だから、あたしの場合、アベノミクスのせいで食品や日用品が軒並み値上がりして大打撃を受けてるし、これで消費税まで引き上げられたら、冗談じゃなくて1日の食事を2回にしなきゃならなくなる。

「駆け込み需要」なんてのは、雲の上で高級な天ぷらを食べてるような人たちだけの話であって、あたしにとっては、3月中に、トイレットペーパーを少し多めに買っとくのが精いっぱいの今日この頃なのだ。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2014/02/post-d7b5.html
 


2017年05月27日
日本は輸出と観光を辞め、労働力を国内のために使うべき

観光客が10倍に増えてもサービスを受け取るのは外国人なので、GDPが大幅に増えたりはしない
引用:https://www.projectdesign.jp/201607/images/gazou/22_1.jpg


日本が世界最大の純債権国

財務省は5月26日、2016年末の対外純資産が前年比2.9%増の約349兆円で、26年連続で世界一だったと発表しました。

ところで似たような発表で「外貨準備高」という数字を聞いた事があると思うが、両者はどのように違うのだろうか。

中国の外貨準備高は2017年4月末で3兆295億ドル、日本の外貨準備高は2017年4月末で1兆2422億9500万ドルと発表されています。


外貨準備高は中国が1位だが、対外純資産は210兆3027億円で2位、因みに対外純資産3位はドイツだった。

対外純資産は外国に対する「資産−借金」だが外貨準備高は「外貨だての金融資産」なので借金でも何でもかまわない。

もし中国の外貨準備3兆ドルが全額どこかからの借金だとしても、漫画のセリフではないが「金に変わりは無い」のでした。


日本は純粋に海外に保有している資産が世界一なので、一般的には良い事だと考えられている。

経済学者も財務省もテレビ解説者も「日本は金を持っている」から良い事だと言っています。

反対にアメリカは世界最大の純債務国で、対外資産2793兆円、対外負債3740兆円と世界一対外債務が多い


では日本が豊かでアメリカが貧困に悩んでいるかと言えば、その逆であり貧困に悩んでいるのは「金持ち」のはずの日本です。

どうしてこうなるのかは個人に置き換えると分かりやすいかも知れない。

日本人Aさんは100万円をBさんに貸していて、アメリカ人Bさんは100万円を借りているとする。


お金を使うのはBさんであり、Aさんは自分のお金なのに自分では使えません。

アメリカ人Bさんは借りた100万円を元手にIT事業なんかで稼ぎまくり、日本人AさんはせっせとBさんに送金しています。

つまり日本がアメリカに貸したお金はアメリカの為に使われるのであり、日本の為には使われません。


日本は外国にどんどんお金を貸して金利を儲けているが、金利が日本に送金されるほど、経常利益になって「円高」を引き起こします。

アメリカが日本に金利を送金すると、ドルを売って円を買いますから、永久的に円高圧力が高まります。

円高になると日本は輸出でダメージを受けるので、稼いだ金利は泡のように消えるのです。


これが世界一の純債権国なのに、日本が世界一貧乏になっている仕組みです。

日本の貿易黒字、経常黒字が復活

2011年の超円高によって日本の輸出が止まり、日本は貿易赤字になり、経常黒字は縮小しました。

マスコミや評論家は「稼ぐ力がなくなった」さあ大変だと大騒ぎしていました。

だが2016年には貿易黒字が復活し、財務省や評論家が今度は「稼ぐ力が回復した」と喜んでいます。


あるいは訪日外国人が過去最多になり、3,000万人を突破するとも言われていて、これも「大変良い事だ」と言われています。

少し先ほどの理屈を思い出して欲しいのだが、観光客が増えたり輸出が黒字になったら、ドルから円に交換するので、円高を招いてしまうだけです。

観光客が3,000万人来日して一人数十万円ずつを日本円に交換したら、いったいどれだけ円高になるでしょうか?


私には安倍首相の外国人観光客誘致は、自分の首を自分で締めているようにしか見えないのです。

輸出と観光にはもう一つ問題があり、それは日本人の労働力が外国人のために「浪費」されるという問題です。

日本人観光客に日本人従業員が奉仕するのは問題ないが、国内労働力を外国のために使ったら、理論上経済成長の足を引っ張ります。


日本が貧困国家だった頃には、カローラを生産してアメリカ人に使ってもらい、日本はドルを受け取ってドルで国内に必要な物を買っていました。

今の日本が自動車を生産してアメリカに買ってもらっても、それで経済成長はできないのです。

逆にアメリカから見て日本の自動車を輸入するのは、日本人の労働者を雇ってアメリカの資産を増やしている事になります。

外国人観光客で経済成長はしない

工場が日本に存在するというだけで、生産した自動車はアメリカの資産になり、日本はドルという紙切れを受け取ります。

だがドルを受け取ったために円高を招いてしまう原理は、先ほど説明した通りです。

困った事に日本経済を主導している財務省はこれを分かっておらず「輸出が増えるのは良い事だ」「観光客が増えるのは良い事だ」と考えている。


良い事かも知れないが、観光客や輸出がいくら増えても、それで日本のGDPが増えたりはしません。

愛知のトヨタ工場で生産した自動車をアメリカに輸出するのは、日本の労働力が日本の為に使われず、アメリカに移住したのと同じ事なのです。

逆にアメリカから見ると、住所が日本にあるだけで、工場で生産したものはアメリカの資産になるのであり、対価として紙切れを印刷して渡せば良いだけです。


この理屈は分かり難いのだが、国内の労働力を国内資産を増やすために使わないと、労働力不足なのに経済はマイナス成長という結果になりかねません。
http://www.thutmosev.com/archives/71088272.html

植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は
ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった
2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳


ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。

 一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。

 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。

 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。

 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。

 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。

 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。

驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる


このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である


 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである


 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。

 しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。

「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html

2016.02.15 経済学のウソ 金融=養分吸い取り装置の説明
http://golden-tamatama.com/blog-asyuracom-2264.html

それにしてもちょっと前の記事で

経済学など存在しませんよ。
だって金融や通貨って養分吸い取り装置なだけなんだもの。

そう、元も子もないことを書いたら、お前が経済学を知らないだけだろ!

と突っ込みが来ました。

おいおい。
あんたね。。

まだ騙されてるんでしょうか。

以下、ワタスが思い描く現代人のイメージ図。

http://golden-tamatama.com/blog-asyuracom-2264.html


奴隷さん同士結束すれば良いのにお互いに仲悪しにさせられている。
わたしは悪くない!そう叫ぶベッキーさんを奴隷仲間で集団で叩いたりしてます。

そのせいで支配者に目もくれず、反乱も起きず、
まんまとうまく支配されてしまっているのでした。

ったく。この馬鹿共どもが。。。
一生、このまま5000年間ピラミッド作ってろ!このスカポンピン!

ったく。もう。
何度言ったら分かるのか。

分割統治。

いい加減、ピラミッド作りやめたら?
弱いもの同士団結したら?
99%が団結して1%の奴らをやっつけましょう!!

と言ってもワタスが攻撃されるんですから。
毎日、ふてくされて股間をかきあげるしかないというものです。

なぜ1%が99%を支配できるのか。
普通に考えれば人口で圧倒的多数の99%が反乱を起こせば1%なんてひとたまりもないですよね。

例えばなんで若者が体力のない爺どもの奴隷になってるのでしょうか。
昔の農村なら、老人などこの死にぞこない!と山に捨てらてた時代もあったのです。

完全に洗脳されている人々。

おいおい。あんたんとこの教祖は信者に一生懸命修行しろなどと言いつつ
裏で女性信者と乱交パーティやってますよ。

そう親切心で真実を教えてあげても逆にぶちぎれて、
逆にワタスをポアしようとしてくるんですから
ふてくされて遠くのアルプスを眺めるしかなくなるというものです。

経済学がちゃんとした学問だと言う人。

では、経済学で以下の事実を理論的に説明して下さい。
中央銀行制度がない国がなぜか戦争になって、政権が転覆させられてしまう不思議。

これを経済学でどう説明するんでしょう?


911以前、中央銀行制度(BIS配下)がなかった国は以下の7カ国でした。
アフガニスタン、イラク、スーダン、リビア、キューバ、北朝鮮、イラン

2001年の9.11に世界同時多発テロが起きました。
イラクとアフガニスタンが攻撃され中央銀行が設立されました。

その後、2011年にリビアとス−ダンに中央銀行が設立されました。リビアはカダフィ大佐が死亡。

残りはキューバ、北朝鮮、イランになりました。

世界中のモルガンやロスチャイルド配下の中央銀行がない国は、
なぜか戦争になってしまい政権を転覆させられてしまう。

リビアのカダフィさんなんかは悲惨ですよね。
民衆にリンチされて殺されてしまいました。
日本も同じですよね。江戸幕府が浪人達に倒されてその後、三井の番頭の渋沢栄一さんが日銀を作りました。
渋沢栄一さんと言えばフランスロスチャイルド家の弟子ではないですか。

これを経済学ではどう説明するんでしょうか??
納得できる説明があればワタスは経済学がちゃんとした学問だと認めますが。

いまや、中央銀行がない国はキューバ、北朝鮮、イランの三ヶ国になってしまいました。

ちなみに北朝鮮などはこれから攻められそうなので、しきりに核を持ってますアピールをしてます。

以下はBIS配下の中央銀行リストです。
ほとんどすべての国の中央銀行がBIS配下(モルガンやロスチャイルド配下)なのです。


http://www.bibliotecapleyades.net/sociopolitica/esp_sociopol_rothschild40.htm

つまり

通貨=養分吸い取り装置を取り付けてない国は占領されて、無理やり取り付けられてしまうのです。

前に通貨は全部、不換紙幣だと書きました。
つまり日本もアメリカもEUもインチキ通貨なのです。
好きなだけ刷りまくれる。

個人に置き換えて見れば、
ワタスが金玉通貨を刷りまくって、いろんな人の土地とか家とか
車とか食べ物とか。はたまたキャバクラのお姉さんのサービスとか。
そういうものを自分の刷ったお金で買いまくる。
これは人の養分を吸ってるのと同じですよね。

くほほほ
楽しいですねぇ。楽ですねぇ。
ワタスは何にも働いてないのに、他人の養分をチューチュー吸いまくれる。

あまり派手にやり過ぎて罪に問われそうになったら検察を買収してしまえば良い。
いや国会議員を買収して、法律を変えてしまえば良いので楽ちんです。

これが兌換紙幣なら、そんな極悪非道なことはできません。

当たり前ですよね。
通貨を発行するためには、ワタスは何らかの価値があるものを提供して
それと通貨を交換しなければいけないのですから。
現物との交換を保障する=ワタスはせっせとお米を作って交換を保障しなければならない。
=真面目に働かないといけない。

という訳で

現在の通貨(不換紙幣)制度=養分吸い取り装置

この基本が分かってない人が多すぎる。

以下は、とてつもない特権という本です。


とてつもない特権 [ ベリー・アイケングリーン ]
http://books.rakuten.co.jp/rb/11904909/?scid=af_pc_link_tbl&sc2id=af_101_0_0

この本は現在の基軸通貨となっている米ドルの法外な特権について書かれています。

例えばです。
あなたのお隣に通貨をバカスカ刷る国があったらどうでしょうか。

この野郎。
そんなに通貨を刷りやがって。
これ以上、我々の養分を吸い取るのか?
それで、怒って皆さんその国の通貨を相手にしなくなりますよね。
そんな国の通貨なんて使わない。
そうやって完全スルーするようになります。

通貨を発行し過ぎると価値が薄まってしまいます。(通貨の希釈化)
養分吸い取り装置は希釈化するとうまく作動しなくなるのです。

金玉通貨だって、ワタスが調子に乗って刷りまくるとうまく作動しなくなる。
これ以上養分を吸い取れなくなるのです。

そうすると、その薄まった価値を元に戻すために
どこかの国の誰かが一生懸命働いて価値を維持しなければいけません。

良く外貨準備高と言いますが、例えば東南アジアなどでその昔、通貨危機がありましたよね。
タイバーツとか。
ヘッジファンドがタイバーツの空売りして暴落させた。
固定相場にしてると攻撃されてIMF管理下になる仕組み。

それで東南アジア諸国は自国の通貨を防衛するために外貨準備として
米ドルを蓄えなければならなくなりますた。

これは、希釈してしまった米ドルを日本や中国、東南アジア諸国が働いて
買い支えたということです。

それが最近、あーやめやめ。
ドルなんて使うのやめやめ。
自分達で刷ろう。
それが今、中国がやってることですよね。
米国債を売っぱらって、ドルをスルーする経済圏を作ろうとしています。

もう一つはサウジアラビア。
良く米ドルのことをペトロダラーと呼びます。
石油のpetroleum(ペトロリアム)と、米ドルdollar(ダラー)を合わせてペトロダラーです。
今まで世界一の産油国のサウジアラビアが自分とこの石油は米ドルじゃなきゃ売らないよと言ってました。

これがどういうことかというと、
例えば日本がサウジアラビアの石油を買うのに日本円じゃ買えなかったのです。
それで、わざわざ日本円で米ドルを買って、それからサウジの石油を買ってました。
そのために米ドルというのは何もしてなくても需要があったのです。

それが最近、あーやめやめ。
バカバカしい。
ドルで石油売るのやめやめ。
サウジアラビアもそう言い始めたのです。

とにかく誰もが価値の希釈化した米ドルをもう使わない。
スルーし始めたということです。
養分吸い取り装置がだんだん作動しなくなっているという話なのです。

ということで、以上。

本当の敵は誰なんだ?
最近、奴隷たちもようやく気づき始めた。
ハンガリーやアイスランドは民衆が早々に気づいて養分吸い取り装置を取っ払った。
(これは、未だにどこのマスコミも報道してません)

遅れてる日本は未だに養分吸い取り装置をつけられて苦しんでる。
庶民は未だ敵が分からずにベッキーや清原叩きをしている。

なんで派遣社員がここまで増えるのか。
8%に飽き足らず、消費税が10%導入などと言ってるのか。
どっかに自分達の養分が吸い取られてるからに決まってるでしょう。

それが、さっぱり理解できず養分吸い取り装置の現場操作員。
パソナ会長のとぼけた経済理論を信じたりしている。
http://golden-tamatama.com/blog-asyuracom-2264.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c33

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
34. 中川隆[-7619] koaQ7Jey 2017年5月27日 14:07:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2015•07•02 ギリシャ危機の原因はドイツ


ここ最近、またギリシャ危機が騒がれ始めました。

私のブログのアクセス解析でも、【ギリシャ人 働かない】なんて検索ワードで訪れてくださる方がチラホラと。

しかし、前にも投稿で書いたことが有るのですが、今回のギリシャ危機の主な要因は、ドイツに代表されるEU内の先進国です。

ユーロという枠組みは、通貨を統合して政治的には統合しないという不思議な枠組み。
このシステムで一番得をしたのが、ドイツです。

そもそもドイツは、国際競争力の高い高級車等が主力商品の工業国。
売っている商品のジャンルこそ違えど、日本と同じ様な貿易黒字国です。
貿易黒字国の宿命として存在するのが、通貨高。
通貨高になってしまうと、優れた商品を作っても他国から見れば割高な商品となってしまう為、競争力は失われてしまう。

ではどうすれば良いのかといえば、そもそも通貨が変動しなければ良い。
ユーロという枠組みを作って、ヨーロッパ圏内の通貨を統一してしまえば、通貨変動によって競争力が変化しない。
よって、ドイツがどれだけ黒字を出そうが、ヨーロッパという市場では競争力が変化しない事になる。

またこの枠組みを作ることで、ドイツにとってもうひとつ有利な点が生まれる。
それは、通貨安。

ドイツが貿易黒字を出すと、通貨高の要因になるのは先ほど書きました。
では、ユーロという枠組みを作り、貿易赤字を垂れ流している国を引き込めばどうなるでしょうか。

赤字と黒字がユーロ経済圏内で相殺し合い、上手く行けば通貨安に誘導できる。

ユーロという通貨が安くなれば、世界市場で販売しているドイツ車の国際競争力は更に増し、ドイツ経済にとって良い影響を与える。

つまりユーロという枠組みは、ドイツのような貿易黒字国にとっては良いことづくめと言える。


しかし、経済だけを統一して国を統一しないと、問題が起こってきます。
それは、一部の都市のみが発展し、地方が衰退してしまうという現象です。

ヨーロッパという地域で考えると、イマイチ『ピンッ!』と来ないという方は、日本という枠組みで考えれば分かりやすいでしょう。

日本も、東京一極集中で、地方が衰退しています。
しかし日本の地方は、むかし夕張等で破綻が起こりましたが、それ以外は比較的安定しています。

何故かと言うと、国が地域差を是正する為に再分配を行っているからです。
具体的には、東京で稼いだ税金を吸い上げて、地方交付税という形で再分配をする。

もし、この日本の中で東京が

『地方は怠け者で働かないから発展してないだけだ。
何故自分達の税金が、関係のない地方に配られるんだ!
東京で稼いだ税収は東京のためだけに使うべき!』

と言い出したらどうでしょうか。
東京都地方の格差は、更に拡大することになります。


潤沢な資金が有る東京は、有り余る資金で最新設備を設けた大学などを何個も創ることが出来ます。

そうなれば、日本中の優秀な若者は、地方から東京に移住することになります。
東京という地域には人が流入し、経済的にも更に発展。
更に増額した税収で、住民サービスは良くなります。

すると、地方の引っ越しが出来る程の財力が有る人達は、発展していて住民サービスも良い東京に移住した方が得になるので、また、住民の移動が起こってしまう。

結果として、経済的・学力的に東京の大学に行けない若者と、引っ越す財力のない人達が地方に取り残されることになる。

この様な人たちは収入も少ない為、地方の税収は更に下がる。
財政を維持する為には、緊縮政策を取らなければならない。
つまりは、住民税の増額と公共サービスの削減・低下につながる。

簡単に表現すると

富める者はより裕福に。
貧しい者はより貧しくなってしまう。

この流れを避ける為に行われるのが、同じ経済共同体内での再分配です。
しかし、EUはこのが機能していない。

ドイツ人達は、『何故ギリシャ人の為に、自分達の税金が使われなければならないんだ!』と主張し、ギリシャに金を貸すことはあっても、再分配という形で分け合うことはしていない。

もしEUの要求通りに、ギリシャで緊縮財政が起こればどうなるのか。
先程日本で例えた際の、【東京】と【地方】の関係と同じようなる。

やる気があってまじめに勉強をしているギリシャ人の学生は、ドイツの大学に進学してドイツの会社に入社する。

当然、税金もドイツで支払い、ドイツはより潤う事になる。

その一方でギリシャは、公共サービスが低下して、税金も上昇。

EU国内では国民は移住が自由である為、余裕のある人はサッサとドイツに移住してしまう為、主な収入源の富裕層が国を出て行くことになる。
こうなると、更に税収は激減する。

つまり、ギリシャにとっては緊縮財政を採用しても借金を踏み倒しても、どちらにしても地獄ということ。

これは、ギリシャが悪いというわけではなく、EUという制度に致命的なエラーが存在するということ。

因みにこの話は、私が考えた机上の空論では有りません。

この話を、日本に留学で来ているスエーデン人の方に話した所、大きく頷き、ドイツに全て搾取されているといった事を話されていました。

その方の話によると、ドイツは経済状態も良く、物も大量に消費される為、物価自体が安いそうです。

どれぐらい安いのかというと、スエーデンでビールを購入するより、ガソリンを使ってデンマーク経由で陸路でドイツに渡り、トランクに詰めるだけ積んでスエーデンに戻った方が安いそうです。

ここまでモノが安いと、ドイツ周辺国の人は皆、ドイツで買物をすることになり、ドイツの税収が上がる一方で周辺地域は疲弊してしまう。

これが成り立つのも、再分配が行われていないからです。

今回のギリシャ危機は、どのような形で処理するかによって、EUという枠組みそのものが存続できるかどうかという重要な問題です。

ギリシャの意見を聞き入れ、再分配を真面目に考える事ができれば、存続できる可能性はあるでしょう。

しかし、ギリシャを切り捨てた時点で、EUという枠組みは近いうちに空中分解することでしょう。
http://kimniy8.hatenablog.com/entry/2015/07/02/193000  


ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと
http://jp.wsj.com/articles/SB10468926462754674708104581085121389238598


ギリシャ人たちが危機に陥っているのは、彼らが怠け者で借金を踏み倒す連中だからだ、というのは正しいか?

 結局のところ、彼らは1年に10カ月間しか働かず、14カ月分の支払いを受け取っている。25歳で引退し、カフェにたむろしてウーゾ(アニスの香りがするギリシャの蒸留酒)をあおっている。ドイツからの施しで生活し、税金をごまかす。欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)のトロイカが繰り返し支援しようとしたが、彼らは聞く耳をもたない。そして今や、極端なリベラルに走り、借り入れたカネをびた一文返そうとしない。

 それは正しいか?

 全く正しくない。

 ギリシャ危機について皆さんが教えられているほとんどあらゆるものは、完全なたわごとである。以下はその理由だ。

 1.ギリシャ人は既に要請されている以上に緊縮している。5年前の救済取り決め以降、ギリシャ政府は支出を削減し、増税し、そして基礎的財政収支(プライマリーバランス)を240億ユーロの赤字から30億ユーロの黒字に転換した。同国は実際には救済側の要求以上に債務を削減した。IMF自体が緊縮対策は「どんな基準でみても異例だ」と述べ、改革面での彼らの「重要な進展」を称賛したのも無理はない。

 2.本当の問題はトロイカの薬が効かなかったということだ。IMFは当初、緊縮政策を採用すれば、ギリシャは2011年から「V字型」の経済回復に入ると予測していた。「信頼感の効果と、市場アクセス再開」が期待されたのだ。だが、現実にはそうではなかった。これらは10年の救済文書から引用したものだ。IMFは、14年までに経済成長率が3%を超え、「失業率は12年までに15%近くでピークになるだろう」と予測した。何たることだろう。つまるところ、ギリシャ政府が債務を削減する間、経済は一段と縮小しただけだった。

 3.引用される「専門家」の発言は、皆バイアスがかかっている。確かに、TVやインターネット上では大勢の賢人たちがあれこれ非難したり警告したりしている。問題はどこにあるか。彼らがおおむね金融部門で働いている点だ。したがってその関心事は株式、債券、その他の金融資産であって、アテネやテッサロニキのような諸都市の雇用や世帯収入など日常生活の実態ではない。金融は実際に大切かもしれないが、それがすべてではないことは確かだ。

 4.ギリシャは既に破局している。わたしにとって開いた口がふさがらないのは、ギリシャはトロイカへの返済を停止したり、ユーロから離脱したりすれば、経済的な災厄に直面すると別の専門家が主張する時だ。国内総生産(GDP)は8年間で25%減少した。輸入は40%減少した。公式の失業率は25%だ。災厄だって?それは既に発生している。

 5.国というものは、財政緊縮でマネーを「創出」できない。ギリシャとトロイカの話し合いは、ギリシャ政府がどれほど増税ないし支出削減すべきかをめぐって決裂した。これは「単式簿記」システムの誤りに基づいている。それでも、広い範囲(尊敬すべき報道機関をも含む)で繰り返されている。ある国が増税ないし支出削減しても、全体としてマネーを創出しない。それは、一つの手から別の手にマネーが移動するだけだ。

 6.本当は、ギリシャのドラクマ再導入は極めて容易だ。容易でないとする恨み言は、全く偽りだ。この種の措置は以前にも実行されたことがある。例えば、ベルリンの壁崩壊後の多くの東欧諸国がそうだ。当時、IMFとその他国際機関は手を差し伸べたし、新通貨への移行は成功し、比較的痛みも少なかった。彼らがギリシャを助けるのを拒否するなら、それは意図的な悪意ある行為だろう。

 7.本当は、ユーロ無しでもギリシャはやっていける。英国がそうだし、ポーランドがそうだし、スカンジナビア諸国がそうだ。アイスランドは自国通貨の管理ができることもあって、2008年の通貨危機から回復した。実際、IMFは、ギリシャが今もドラクマを使っていてそれを切り下げてさえいれば、このような不況を回避できた可能性があると認めている。ギリシャがユーロを必要とするという考えはくだらないのだ。

 8.ギリシャだけがこの危機の原因だったのではない。非は「ダボスの寵児たち」にある。彼らはお気に入りの「ユーロ」構想を誰にでも売り込んだ。その中にはユーロは不釣り合いなギリシャなどの国も含まれていた。これが過去10年間の膨大な債務バブルを膨らませる一因になった。それ以降、ダボスの寵児たちは自分たちの専売特許のパンと水と粥(かゆ)という治療食を強く勧めた。だが、効果は全くなかった。皆さんは、ダボスの寵児たちが自分たちのこの治療法を自分で試そうとするほど間抜けでないことに気づくだろう。ブリュッセル、フランクフルト、ロンドン、ワシントンでは、食事のメニューはこのような治療食ではなく、ロブスター・テルミドール、オイスター・ロックフェラー、そしてシャトー・ディケムだ。


 9.パニックになるな。今回のギリシャ危機は他の世界にとって大きな問題にならないはずだ。ギリシャ経済の規模は米アラバマ州のそれと同じくらいだ。市場は既にギリシャの金融資産の大半を償却している。ギリシャ危機が「伝染」するのは、海外の政策担当者がそれを放置した場合だけだろう。わたしは良いパニックを好む人がいることは評価しているが、彼らは気持ちを落ち着かせる必要がある。


 10.トロイカの提案する「治療薬」は無意味だ。トロイカが提案するように、ギリシャは年金制度を改革すべきか?課税基盤を広げて簡素化すべきか?港湾を民営化すべきか?確かに。よろしい。しかし、これらはどれも100万人規模の人々を職に復帰させ、カネを稼がせ、消費させるのに全く助けにならない。弾丸による負傷を「食事と定期的な運動」で治療しようとするようなものだ。それらの処方が悪いのではない。完全に的外れなのだ。


(筆者のブレット・アレンズはマーケットウォッチのコラムニスト)

原文:Opinion: 10 things they’re not telling you about the Greek crisis
http://www.marketwatch.com/story/10-things-theyre-not-telling-you-about-the-greek-crisis-2015-07-01

http://jp.wsj.com/articles/SB10468926462754674708104581085121389238598


“ギリシャは犠牲者”

クルーグマンから擁護の声 ユーロの構造的問題を指摘 2015年6月29日

深刻な財政危機に直面しているギリシャは、EUが求めている財政緊縮案を受け入れるかどうかを問う国民投票を7月5日に実施することを決定し、ユーロ圏離脱の可能性も出て来た。ギリシャを非難する意見は多いが、責任はギリシャだけにあるのではないという見方もある。

◆資本規制発表で国内は混乱。影響は国外にも

 27日に、ギリシャへの金融支援延長は債権団によって拒否され、28日には欧州中央銀行が、ギリシャの銀行に対する資金援助枠の引き上げを見送った。これにより、ギリシャには銀行の営業を停止させ、資本規制を導入するという選択しかなくなったとロイターは報じる。

 資本規制の発表を受け、ギリシャの市民は銀行のATMに長蛇の列を作った。また、29日の日経平均もギリシャ混乱のニュースを受け、今年最大の下げ幅を記録。他のアジアの国々でも、為替や株式に影響が広がった。

◆押し付けの緊縮策こそ問題

 このような状況のもと、ビジネス・インサイダー誌のヘンリー・ブロジェット編集長は、皆が悪者探しをしていると指摘。多くがギリシャのチプラス首相を無責任だと責めているが、経済学者のポール・クルーグマン氏は、これに異議を唱えていると述べている。

クルーグマン氏は、過去7年間、欧州はギリシャ経済の首を絞めてきたと主張。欧州が金を貸すたびに、ギリシャは歳出カットで応えており、緊縮財政こそが、ギリシャ経済にダメージを与えてきたと説明する。同氏は、危機に陥るたびに譲歩したことで、ギリシャは不況に苦しむ経済上の奴隷国になり果てたとし、ギリシャが持続可能な方法で負債を減らして現状から脱却することを欧州が認めないならば、ギリシャに残された道は債務不履行とEU離脱しかないと述べる(ビジネス・インサイダー誌)。

 ブロジェット氏は、支出は各国政府がそれぞれの裁量で行うが、借り入れは単一通貨で行う現在のユーロの仕組みは、豊かな国が貧しい国を助成しない限りは、長期的にうまくいくはずはないと指摘。欧州の「中心」の国々は、この考え方を受け入れそうもないため、ギリシャや他の弱小国は、ユーロ圏を離れた方がおそらく幸せなのではないか、と述べている。

◆富に負けた民主主義

 英ガーディアン紙のコラムニスト、ゾーイ・ウィリアムズ氏も、ユーロのあり方に批判的だ。同氏は、国民投票の選択肢は、終わりなき緊縮か今すぐの大混乱だとし、どちらもギリシャ国民は望んでいないと説明。失業率は25%に達し、若者に至っては、ほぼ半分が職を持たず、40%の子供の生活レベルが貧困ラインを割っている現状では、EUがギリシャに求める緊縮案では、何も変わらないと主張する。

 同氏は、単一通貨の導入で、自分たちの通貨のコントロールを失ってしまったとたんに、一国の政府は、その力を制限されてしまうと指摘。結局、強者が支配するのだと述べ、最も富めるドイツのやり方に従うことになると述べる。通貨管理は政治とは切り離すというユーロ創設時の神話は崩れ、民主主義はそれとともに降ろされたのだと同氏は主張。ギリシャはわれわれすべての力を弱める、間違った考えを維持するために犠牲になっていると述べている。


◆ユーロ自体が悪?

 英テレグラフ紙で執筆する政治コメンテーターのイアン・マーティン氏は、ギリシャのチプラス首相は、EU加盟国との慎重な話し合いを選ばず国民投票実施を決めたことで、欧州の政治家や官僚たちからは完全に狂っていると思われている、と述べる。しかし、狂っているのはチプラス首相ではなく、ユーロを作った側だと同氏は主張。彼らこそが、必要なセーフガードなしに、広大な大陸に通貨同盟を作ることで、政治的な夢と虚栄心が、経済感覚や文化、国の違いに打ち勝つと信じていたと断じる。

 同氏は、ユーロ圏からギリシャが去り多大な影響が出れば、ユーロのエリートたちは、彼らのアプローチが機能していないことに、ようやく気づくかもしれないと述べている。
http://newsphere.jp/world-report/20150629-2/


日本より長い労働時間 「ギリシャ人=怠け者」は大ウソだった 2015年7月8日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/161509


「緊縮財政計画」を拒否したギリシャに対し、EU各国は呆れ果てている。もともと、ギリシャ人を「怠け者」と軽蔑していることもあって、「あいつら働きもしないで」と怒りを強めているようだ。

 しかし、本当にギリシャ人は怠け者なのか。意外にもギリシャ人の労働時間は、日本人より長いという。ギリシャ人の労働実態について「東短リサーチ」が詳細にまとめている。チーフエコノミストの加藤出氏がこう言う。

「ギリシャ人が怠け者というのは、勝手な思い込みです。OECDの2013年の調査では、ギリシャ人の年間労働時間は、2037時間と世界2位。

1位は2237時間のメキシコ。日本は1735時間で16位でした。

この調査結果を疑った英BBC News Magazineが、フルタイムやパートなどさまざまな切り口で統計を見直したのですが、やはりギリシャの長時間労働は事実でした。

賃金の水準が低いため1つの仕事だけでは生活ができず、2つ、3つと仕事を掛け持ちしている人が多い。労働時間が長いという統計は、ギリシャ人の間で浸透している。だから“怠け者”と決めつけるドイツに対して猛烈に反発しています」


■楽天的な国民性でイメージ定着

 実際、1950年代、ドイツに移住したギリシャ人の勤勉ぶりは、よく知られている。

 しかし、どうして「ギリシャ人は怠け者」というイメージが定着してしまったのか。

「公務員があまりにも恵まれているため、ギリシャ人は働かない、というイメージがついてしまったのでしょう。ステレオタイプの報道が多いのも原因です。

ドイツのテレビ局は、ヨットハーバーを映して〈経済危機でもギリシャ人はヨットを保有している〉と報じています。でも、実際にはヨット所有者の多くは裕福なドイツ人でした。

ギリシャ人が楽天的だということも大きいでしょう。気候が良いためか、“まぁ、しょうがないか”と深刻にならない。北ヨーロッパの国からすると、そうした態度が怠け者に見えるのでしょう」(加藤出氏)

 怠け者ではないらしいが、あまりの楽観主義が、ここまで債務を膨らませてしまったのは確かだ。

____


100年前の「ユーロ」とギリシャ 2015-07-10

ギリシャのこれからが問題になっているが、実は、ギリシャが欧州通貨連合を抜けそうになったのはこれで2回目なのである。

そのことはこのBBCニュースの記事(2012年)で知ったのだが、150年前にラテン通貨同盟という欧州の通貨同盟(各国の通貨は残して、交換レートを固定化して、交易の便を図る試み)が生まれた。

「ラテン通貨同盟の発足は1866年8月で、当初の加盟国はフランス、ベルギー、イタリア、スイスでした。

4カ国は、各国の通貨を標準化し、交換可能にすることに合意しました。

2年後、当初の4カ国にスペインとギリシャが新たに加入し、1889年には、ルーマニア、ブルガリア、ベネズエラ、セルビア、サンマリノが加盟し、さらに拡大しました。」(BBCニュースから引用)

ということなのだが、ドイツはこれには当初から入っていない(ドイツは各州の通貨がまだ別だったので、ドイツ通貨統合でそれを固定化していた)。また英国は迷ったが加入しなかったというのも、ユーロの場合と同様だ。
 
そして、その後の歴史はこうだ。BBCから引用すると
 
「1832年、苦闘の末にオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取って以来、ギリシャは度重なる財政危機や債務不履行に悩まされ、長い間、国際資本市場から事実上締め出されてきました。そしてラテン通貨同盟の草創期に加盟しましたが、やがてその存在は歓迎されなくなり、懸念の的となっていきました。 

 無責任で容認できない行動をとり続けたギリシャは、1908年にラテン通貨同盟から正式に除名されました。その結果、ギリシャは通貨政策を見直し、2年後に再び同盟に加入することができました。」

と、「無責任で容認できない(ギリシャ)」と、まるで現在と同じようなことが書いてあるのには驚く。しかし、その結末は、こうだった。

「しかし、その頃には同盟全体がますます脆弱になり、将来の見通しも次第に不確かになり、わずか4年後には第一次世界大戦が勃発しました。」

ここで実質的にラテン通貨同盟は終わりを迎えたのである。100年前にも、ギリシャ問題がきっかけで崩壊した通貨統合。これはやはりギリシャという地域が、通貨統合によって「財政危機」になりやすいということを示しているのだろう。そもそも、ギリシャを入れるべきではなかったのである。今回は、最後の結末だけは、繰り返して欲しくないと願うばかりである。
http://blog.goo.ne.jp/yamahafx/e/99bb684872164ef1517359030c4a8434


繰り返される共通通貨の歴史 BBCニュースサイト


ギリシャは共通通貨を巡って、隣国とうまくいかなくなっています。

 約1世紀前と同じことが繰り返されているわけですが、共通通貨を媒介とした親密な関係は、ほとんど長続きすることがないと、歴史学者デイヴィッド・キャナダインは言います。

 ギリシャ経済の長引く低迷と、それが欧州経済通貨統合(EMU)に与える悪影響への懸念は、どちらも目新しく前例のないことのように見えますが、実はいくつかの重要な点において、何度も繰り返されてきたことなのです。通貨統合は、近年の革新的な発想のようですが、通貨そのものと同じくらい長い歴史があります。しかし2500年の歴史の中で、さまざまな共通通貨が生まれたものの、長く続いたものはほとんどありません。そのため、多くの人が、その存在をいとも簡単に忘れてしまっているのです。

 初期の通貨統合でも、ギリシャは重要な役割を担っていました。時にはよい意味で、時には悪い意味で。そして近年、歴史はまた繰り返しています。英国がヨーロッパの枠組みとしての現在の統一通貨を敬遠するのは、今回が初めてではないのです。

 ヨーロッパの歴史は、通貨統合の失敗の歴史と言っても過言ではありません。EMUの前には、19世紀のラテン通貨同盟がありました。最も多く流通している硬貨がまだ金や銀でできていた当時、ヨーロッパのいくつかの通貨を統一しようという試みがなされたのです。

 ラテン通貨同盟の発足は1866年8月で、当初の加盟国はフランス、ベルギー、イタリア、スイスでした。4カ国は、各国の通貨を標準化し、交換可能にすることに合意しました。

 共通の単一法定通貨は作られませんでしたが、加盟国の通貨が互いに定率で固定されたのです。

2年後、当初の4カ国にスペインとギリシャが新たに加入し、1889年には、ルーマニア、ブルガリア、ベネズエラ、セルビア、サンマリノが加盟し、さらに拡大しました。こうして大きくなったラテン通貨同盟は、第一次世界大戦まで続きました。

 しかし、戦争の勃発で、金本位制の国際金融制度が突然終わり、その結果、ラテン通貨同盟は1927年の正式解散まで法人としては存続したものの、1914年には事実上終焉を迎えました。

 ラテン通貨同盟の実現に向けての交渉が始まったのは1865年で、初めは英国も話し合いに参加していました。しかし、2つの提案が大きな障壁となりました。1つ目は、英国が、1ポンド硬貨をフランスの25フランと全く同等にするため、ごく少量ではありますが、硬貨に含まれる金の量を減らさなければならないというものでした。2つ目は、英国が、ほかのヨーロッパ通貨と同じ10進制の貨幣制度にするため、シリングとペンスを廃止しなければならないというものでした。どちらの提案も受け入れられないということになり、1999年の時と同じように、英国は同盟を離れ、ヨーロッパ大陸の国々だけで共通通貨の仕組みを作ることになりました。

 1867年にフランスが提案した、フランス、英国、アメリカが同等の金貨を発行するという、さらに壮大な「世界貨幣」の構想にも、英国は興味を示しませんでした。

 ここに、英国の最近の態度や行動の兆候が、はっきりと表れています。

 『エコノミスト』紙のコラムニストで編集者でもあったウォルター・バジョットは、1860年代後半に、次のように深刻な危機の訪れを警告しました。

 「遠くない将来、英国以外のヨーロッパ全体が、統一の通貨を持つようになり、英国だけが独自の通貨に固執して取り残されるだろう」バジョットの警告は続きます。「俗な言い方をすれば、我々は『仲間はずれにされる』だろう。もし、この通貨制度を導入するのに重大な不都合がないのなら、私個人としては、是非そうするべきだと考えている」

 しかしバジョットは、それを実行に移すには、「どうしても乗り越えられない」困難があると考えていました。そして総合的には「統一通貨を導入する試みは、現時点では不可能」であると危惧していました。彼のその懸念は、のちのラテン通貨同盟の不運な結末によって、裏づけられることになりました。 
  
 それでも、20世紀末の欧州経済通貨統合の設立により、バジョットがかつて予想し恐れていた状態が、実現に大きく近づいたのです。2001年にギリシャが欧州経済通貨統合に加盟し、あとは、ご存じの通りの史実となりました。しかもその歴史は、まだとても終わったとは言えないのです。

 1832年、苦闘の末にオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取って以来、ギリシャは度重なる財政危機や債務不履行に悩まされ、長い間、国際資本市場から事実上締め出されてきました。そしてラテン通貨同盟の草創期に加盟しましたが、やがてその存在は歓迎されなくなり、懸念の的となっていきました。 

 慢性的な経済の低迷で、ギリシャ政府が何代にもわたって硬貨の金含有量を減らしたため、他の加盟国の硬貨と比べてギリシャ通貨の価値が下がった為です。またそれは、当初の合意に反する行為でもありました。

 無責任で容認できない行動をとり続けたギリシャは、1908年にラテン通貨同盟から正式に除名されました。その結果、ギリシャは通貨政策を見直し、2年後に再び同盟に加入することができました。

 しかし、その頃には同盟全体がますます脆弱になり、将来の見通しも次第に不確かになり、わずか4年後には第一次世界大戦が勃発しました。

 19世紀のヨーロッパでは、ラテン通貨同盟以外にも、同様の試みが行われていました。

 1857年に結成されたドイツ通貨統合は、ドイツ各州で流通していたさまざまな通貨を統一しようというもので、北部ドイツのターレルと南部ドイツのグルデンの2本建てでした。

 この制度は、このような試みの中ではまれな成功例で、1870年のドイツ統一まで続きました。

 ドイツ統一で政治と共に通貨制度も事実上統合され、5年後には2つの通貨に代わってライヒスマルクが公式通貨になりました。

 ドイツほど成功はしませんでしたが、1873年にデンマークとスウェーデンがスカンディナヴィア通貨統合を結成し、2年後にはノルウェーも加わりました。その目的は、ラテン通貨同盟がヨーロッパ全体でより広範に行おうとしていたことを、スカンジナビアでも実現することでしたが、第一次世界大戦の勃発で事実上その機能を失い、1924年に正式に解散しました。

 19世紀と20世紀に行われたこのような共通通貨の試みは、通貨制度そのものが生まれて以来何度も繰り返されてきた努力のうちの、ごく最近の例に過ぎません。このような試みの先駆者の中に、ほかならぬ古代ギリシャ人がいたことは、何とも興味深い歴史の皮肉です。

 通貨統合の最も初期の試みの一つは、紀元前400年頃に小アジア西岸地域で行われました。ギリシャの7カ国が同盟を組み、貨幣制度を作ったことは、のちの欧州通貨統合の先駆けともいえるでしょう。 

 硬貨の表には赤ん坊のヘラクレスが蛇を絞め殺している絵と、ギリシャ語で同盟を意味する言葉の最初の3文字が共通して描かれています。硬貨の裏には、それぞれの国が独自のデザインを施しました。硬貨はすべて同じ重さに鋳造され、統一通貨となり、7カ国による経済同盟の具体的な象徴となりました。

 この初期の通貨統合が、いつ、どのような理由で崩壊したかは定かではありませんが、200年後に、古代ギリシャでは別の試みが行われました。アカイア同盟として知られるこの試みは、ペロポネソス半島一帯の地域や都市国家が参加して、紀元前280年ごろに形成されました。

 ここでも、共通通貨の表には共通デザインであるゼウスの頭部が描かれ、裏側にはそれぞれの発行当局が独自に考案した図案が施されていました。

 歴史家ポリュビオスによると、このアカイア同盟により、ギリシャ人は「友好的な同盟地域を構築しただけでなく、共通の法律、度量衡単位、通貨制度も導入し、役人や議会、裁判所まで共有した」といいます。これほど高いレベルの統合が実現したことは、現代の熱心で野心的な欧州官僚にしてみれば羨ましい限りでしょうが、ラテン通貨同盟やスカンディナヴィア通貨統合と違って、アカイア同盟が100年以上続いた理由は、そこにあるのでしょう。

 アカイア同盟は紀元前146年に消滅しましたが、その原因は、通貨などの問題に関して加盟国同士の意見が食い違ったからではなく、コリントスの戦いでローマ軍に惨敗したという外的要因でした。

 このように歴史をひもといてみると、私たちには次のようなパラドックスが見えてきます。

 古代ギリシャ人は通貨統合のパイオニアであり、それを持続させることに努力を惜しまなかったということです。一方、現代のギリシャ人は、通貨統合に参加するたびにその組織を脅かし、危機に陥れているのです。
https://www.bbcworldnews-japan.com/uk_topics/view/0000162


ギリシャの真実 2015-07-09
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12048360210.html


相も変わらずといえば、日本国内のギリシャ問題に関する報道が相も変わらず、

「ギリシャ人は怠け者で、公務員だらけで、財政赤字を膨らませたから破綻した!」

 といった嘘八百が流れておりますので、訂正しておきたいと思います。


 ギリシャ人の労働時間は、OECD諸国の中では最長です。ドイツ人はもちろんのこと、日本人よりも多いのです。

 そして、2014年のギリシャ政府はプライマリーバランス(基礎的財政収支)が黒字化していました。

 さらに、パパンドレウ政権までのギリシャの公務員数が妙に多かったのは確かですが、今は激減し、主要先進国の中では「日本に次いで」少なくなっています。


【主要先進国の公務員対労働人口比率(%)】
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12048360210-13360844829.html
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_50.html#OECD

 ギリシャ問題については、当ブログ以外では以下の記事がかなり適切かと存じます。

『【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと
http://jp.wsj.com/articles/SB1046892646275467470810458108512138


 ギリシャ人たちが危機に陥っているのは、彼らが怠け者で借金を踏み倒す連中だからだ、というのは正しいか?

 結局のところ、彼らは1年に10カ月間しか働かず、14カ月分の支払いを受け取っている。

25歳で引退し、カフェにたむろしてウーゾ(アニスの香りがするギリシャの蒸留酒)をあおっている。

ドイツからの施しで生活し、税金をごまかす。

欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)のトロイカが繰り返し支援しようとしたが、彼らは聞く耳をもたない。そして今や、極端なリベラルに走り、借り入れたカネをびた一文返そうとしない。


 それは正しいか?

 全く正しくない。

 ギリシャ危機について皆さんが教えられているほとんどあらゆるものは、完全なたわごとである。以下はその理由だ。

1.ギリシャ人は既に要請されている以上に緊縮している。(後略)』9238598


 WSJの記事でブレット・アレンズは「1」以外にも、以下のポイントを挙げていました。


2.本当の問題はトロイカの薬が効かなかったということだ。

3.引用される「専門家」の発言は、皆バイアスがかかっている。

4.ギリシャは既に破局している。

5.国というものは、財政緊縮でマネーを「創出」できない。

6.本当は、ギリシャのドラクマ再導入は極めて容易だ。

7.本当は、ユーロ無しでもギリシャはやっていける。

8.ギリシャだけがこの危機の原因だったのではない。

9.パニックになるな。

10.トロイカの提案する「治療薬」は無意味だ。

 全て、正しいと思います。


 上記が「事実」であるにも関わらず、なぜ、

「ギリシャ人は怠け者で、公務員だらけで、財政赤字を膨らませたから破綻した!」

 のようなウソが蔓延するのか。

もちろん、緊縮財政を正当化するためです。日本の場合は、

「ギリシャは破綻した。日本も破綻する。だから、緊縮財政」

 という、陳腐なレトリックが相も変わらず報道されています。

この手の「ウソ」からいい加減に目覚めなければ、日本もギリシャも経済の縮小と国民の貧困化から逃れられません。


 というわけで、皆様もギリシャについて「ウソ」を語っていたり、書いたりしている人を見かけたら、容赦なく「ギリシャの真実」を教えて差し上げて下さいませ。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12048360210.html

昨日のギリシャに関するレトリックは、実に「理不尽」でございますが、その上、問題解決を不可能とします。

ギリシャが財政破綻したのは、生産性が低い状況で関税自主権や通貨発行権を手放し、さらに国債発行に際し、共通通貨で国際金融市場から政府が資金調達しなければならなくなったためです。

ギリシャ政府は、国債を発行する際にドイツ政府やフランス政府と「競争」を強いられたわけでございます。


 結果、ギリシャの金利は高止まりし(現在の長期金利は18.9%)、しかも関税と為替レートという「盾」を失っている状況で、生産性向上のための投資が困難な構造に置かれました。ギリシャの問題こそが、構造問題なのです。


 ギリシャの構造というよりは、ユーロの構造ですが、ユーロという構造問題を解決するためには、結局は「ユーロという構造」を壊すしかありません。正しい解決策である「ユーロの構造を壊す」ことを防ぐためにも、全てを「ステレオタイプなギリシャ国民の印象」に押し付け、

「ギリシャ人は怠け者で、公務員だらけで、財政赤字を膨らませたから破綻した!」

 などと、嘘つきたちが蔓延する結果になったのだと思います。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12048719130.html


【青木泰樹】ギリシャ危機は対岸の火事ではない 2015/07/11


ギリシャ危機は対岸の火事ではない。

この手の論評が目に付くようになりました。

確かに、私もそう思います。

しかし、ギリシャ危機から何を教訓として学ぶのでしょうか。そこが問題です。

財務省シンパと思われるマスコミの論調は、概ね一致していますね。

一言で言えば、「身から出た錆(さび)」。

ギリシャ危機を招いたのは他ならぬギリシャ自身の放漫財政の結果であると。

放漫財政のツケは必ず払わなくてはならない。まさに今のギリシャ危機がそれを物語っているのだと。


そして例によって、「翻って、日本の場合はどうなのか」というお決まりのパターンが続くわけです。

今回驚いたのは、ギリシャが2014年度に基礎的収支(プライマリーバランス:PB)を黒字化していたことでした(三橋先生が前にブログで指摘されて初めて知りました)。

「我が意を得たり」と思ったかどうかはわかりませんが、マスコミの論調もヒートアップします。

曰く、「ギリシャは日本より財政は健全であったにもかかわらず破綻寸前。ましてや日本は危機目前。早急に財政再建を」となるわけです。

確かに、ギリシャの政府債務対GDP比は180%くらいで、日本のそれは200%を超えています(もちろん幾つかある政府債務の定義のうちの一つの場合ですが)。

また日本は2020年度のPB赤字解消さえ危ぶまれているとマスコミは報じていますから、国民の危機感を煽るにはギリシャ財政との比較は格好の材料なのでしょう。

「消費税再増税も歳出削減も、日本のためなのだ。財政出動などもっての外だ」と言いたいために。

しかし、財政健全化の指標とされる政府債務対GDP比の国際間比較は、実はほとんど意味はありません。

外国と比較して多い少ないではなく、その比率が中長期的に一定の枠内に収まっていれば問題ないのです。

以前、サラリーマンの住宅ローンを組む時の目安は、年収の五倍程度までと言われておりました。

つまり住宅ローン対年収比率は500%までが健全ということです。

もちろん、まだまだ債務を膨張させられると言いたいのではありません。
あまり目くじらを立てるほど神経質になる必要はないと言っているのです。

以前からお話ししているように、国債問題とは民間保有の国債残高が累増し、利払い費が膨張することです。

本年中に日銀は国債発行残高の3割を保有することになるでしょうから、国債問題は事実上解決したのも同然なのです。

後は適当な時期に政府と日銀間で、すなわち広義の政府部門内で処理すれば良いだけの話です。

政府が新しい債券(例えば長期のゼロクーポン債)を発行し、それと日銀保有の国債を交換すれば済むことです(そうすれば、万一金利が上がっても日銀のバランスシートは痛まない)。

それによって民間の債権債務関係が変更するわけではないので、民間経済に悪影響は及びません。

政府債務対GDP比の国際間比較以上に意味がないというか、逆に経済成長にとって最悪なのが「PB目標」、すなわち基礎的収支を単年度で均衡させる財政目標です。

財務省、そのシンパのマスコミ、経済学者、評論家、政治家たちはギリシャ危機から財政再建の重要性を学ばねばならないと考えているのでしょう。

日本も、2020年度のプライマリー赤字解消に向けて9.4兆円歳出削減をしなければならないと息巻いていた自民党の政調会長もいましたね。

その方たちに是非、ギリシャ危機の本質を学んでいただきたい。
まさに対岸の火事ではないのです。
なぜギリシャ危機が生じたのか。その原因は何なのかを。


それは財政均衡主義がもたらした災厄なのです。

まさしく経済思想が現実経済を潰した事例なのです。

欧州委員会(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)という三者、いわゆるトロイカに押し付けられたPB目標を達成しようとして、ギリシャは忠実に増税と歳出削減を履行し、結果的に経済を破綻させました。

5年間でGDPは25%減少しました(日本に置き換えて考えるなら、日本の名目GDPは約490兆円ですから、120兆円以上が消し飛んだことになります)。
失業率も平均で26%超、若年層に至っては60%超です。

若者が希望の持てない、未来のない国にしてしまったのです。
万死に値する所業です。

ここまで経済を破壊して得たものは何か。

若干のPB黒字だけです。

それによって財政再建はかなったのでしょうか、財政破綻の危機は去ったのでしょうか。

とんでもない、PBを黒字化しても財政破綻寸前です。

PB目標の達成は、国家の安寧も財政再建も、何ももたらさなかったという歴史的事実が残ったのです。

これを教訓とせずして、何を教訓とすべきでしょうや。


PB目標の達成のためには、増税と歳出削減しかありません。

しかし、公的支出を削減すれば、総需要が減り、名目GDPが減り、税収も減る。
増税分を国内で使えばまだしも、対外債務の返済に充てれば、ますます名目GDPは減る。

民需か外需が公需の減少した分を補てんするだけ増加しなければ、国民経済は縮小する。

ただの足し算引き算です。


この誰にでもわかることを財務省も、トロイカも、特にドイツのメルケル首相はわからないのです。

それは、「入を量りて、出を制す」という財政均衡主義の原点である個人の経済感覚に根ざすものなのでしょう。

部分だけを見て全体を顧みない。
財政を均衡させれば、万事うまくいくと思っている。
救いのない頑固脳。

そうした経済通念から脱却しない限り、為政者の思い込みによる経済破壊が続くのです。これは本当に人災です。


果たして、財政均衡主義の犠牲となったギリシャはどうなるのでしょうか。
トロイカは、金融支援の替わりにより厳しい緊縮策をギリシャに要求しております。

増税(付加価値税における軽減税率廃止)によってGDP1%分の増収を、そして歳出削減策(年金制度変更)によってもGDP1%分の増収を目指せと言っています。

他に軍事費も4億ユーロ削減せよと要求しております。
ギリシャの国防にまで口を出してきています。

到底、声は届かないでしょうがギリシャのチプラス首相に二つ助言を送っておきましょう。


先ず財政支援に関して。


歳入=税収+国債収入(国債を中心とする借入金)。

歳出=一般歳出(国債費を除く政策経費)+国債費(利払い費および償還費等)


ですね。財政赤字は「税収<歳出」です。


他方、プライマリー均衡は、「税収=一般歳出」です。


ギリシャはプライマリー黒字の状況ですから、問題は国債収入が確保できない(金融支援=借金ができない)ということです。

それゆえ借金の返済(国債費)ができずにトロイカに支援を仰いでいるわけです。
この状況を打開するためにチプラス首相はこう言えばいいのです。

「私が金融支援を仰ぐのは(追加の借金したいのは)、あなたたちに借金を返すためだ。」と。

さらに、あなたの右のポケットにあるカネを貸してくれ。すぐにあなたの左のポケットにそれを入れるから」と言えばよいのです。

つまり、トロイカのカネはギリシャ政府経由でトロイカに戻るのです。
トロイカに損はない。

これによってギリシャの銀行は救われ、実体経済をこれ以上毀損することなく、問題を先送りできるのです。

先送りが大切なのです。

世の中には、先送りを嫌悪する人達が一定数おりますが、それは物事の二面性を理解していないことを表明するに等しい。

先送りの対語は、拙速です。

拙速にならずに、じっくりと時間をかけて解決することが適切な場合も多々あるのです。今回のギリシャのケースがまさにそれです。

経済を立て直して、ユーロからドラクマに移行する時間稼ぎが必要なのです。


もう一つ、チプラス首相は緊縮策を受け容れないほうが良いのです。
これ以上、ギリシャ国民に貧困の淵を覗かせてはならないのです。
メルケルに従って、若者の失業を増やしてはなりません。

その代り、次のように逆提案すればよいのです。

「ギリシャは経済成長を成し遂げることによって、トロイカに債務を返済することを約束する。ついては、成長のための資金を融資してくれ。

これまで、トロイカの要求に素直に従ってきたが、結果は最悪だった。経済を潰してしまった。あなたたちの論理でギリシャを救えないことが分かった。

あなたたちもわかっただろう。成長によってのみ、ギリシャは救われ、ユーロも命脈を保つことができる(ただし、一時的ですが)。ギリシャには世界に誇れる観光資源がある。それを中心にギリシャ強靭化計画を実施することで再生を図りたいのだ」と。

もちろん、なかなか難しいでしょう。

ギリシャはユーロ通貨を導入したことで、先の見えない将来を自ら造ってしまいました。

以前の通貨ドラクマのままでいれば、現況以上に再生は可能であったと思います。
厳しい時期が到来しようと、未来に希望が持てれば生きていけるものですから。
ユーロ圏に留まる限り、ひとたび金融支援が滞るとギリシャの銀行システムは破壊されます。

今後も繰り返し、そうした状況が続きます。
それが実体経済にとって最も厳しいことなのです。決済ができないと商売が成り立たないからです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/


緊縮財政の犠牲者 週刊実話 2015年7月23日 特大号


 2015年7月1日、ギリシャがIMF融資15億ユーロ(約2000億円)の返済不能となり、デフォルト(債務不履行)した。すなわち、財政破綻である。

 6月末時点で、ギリシャ議会は欧州連合(EU)などが金融支援の条件として示した構造改革案の是非を問う国民投票を、7月5日に実施することを賛成多数で承認。ギリシャのチプラス首相は6月27日にテレビで演説し、

 「ギリシャは緊縮策の継続をEUなどから強要されている。国民の意思に逆らう要求に対して回答を迫られている」

 「国民は(EU案による)脅迫から自由に決断すべきだ」

 と、発言。EU側は激怒し、ユーロ圏19カ国財務相会合がギリシャ側の支援要請を拒否することを決断。ギリシャはついに、デフォルトに至った。

 現在のギリシャは、国内の銀行を営業停止とし、資本規制導入も決定している。

 何しろ、ユーロ加盟国であるギリシャは自国の「通貨発行」が不可能であるため、銀行を営業させると、確実に取り付け騒ぎになる。昭和金融恐慌時の日本のように、紙幣を印刷して銀行に積み上げるといった沈静化もできない。

 ギリシャ国内の銀行が、片っ端から倒産していく状況になりかねない。

 国民投票の結果がどうなるか、本稿執筆時点では不明だが、とりあえず「なぜ、ギリシャが財政破綻に至ったのか」について、日本国民は正しく知るべきだ。

 とにかく、日本には“家計簿脳”の自称識者や政治家が少なくない。

 「ギリシャは放漫財政を続け、財政赤字が膨らんだから財政破綻した。日本も増税や歳出削減でプライマリーバランス(政府の基礎的財政収支のこと。以下、PB)を黒字化しないと、財政破綻する」

 などと、もっともらしく語る“無知な論者”が、溢れかえるほど存在するのだ。

 信じられないかも知れないが、昨年のギリシャはPBが「黒字」だった。ギリシャの、地方政府分を合わせた2014年のPBは、国内総生産(GDP)比0.4%の黒字だったのである。

 なぜ、ギリシャはPBが黒字であるにもかかわらず、財政破綻したのだろうか。話はまるで「逆」で、ギリシャはPBを黒字化するほど緊縮財政(主に支出削減)を実施したからこそ、デフレが悪化し、税収が減り、財政破綻に追い込まれたのだ。

 日本のエコノミストと自称する連中や、

 「PBを黒字化しないと破産する」

 などと発言した自民党の政調会長をはじめとする無知な政治家には、是非とも以下の事実を理解してほしい。

 ギリシャはPBが赤字だから財政破綻したのではない。PBが黒字化するほど緊縮財政を実施し、デフレが悪化し、税収が減り、財政破綻したのだ。

 ギリシャは「緊縮財政の犠牲者」なのである。

 アメリカのノーベル経済学者であるポール・クルーグマン教授は、ビジネス・インサイダー誌のインタビューで、

 「過去7年間、欧州はギリシャ経済の首を絞めてきた。欧州が金を貸すたびに、ギリシャは歳出カットで応えており、緊縮財政こそが、ギリシャ経済にダメージを与えてきた。危機に陥るたびに譲歩したことで、ギリシャは不況に苦しむ経済上の奴隷国になり果てた。ギリシャが持続可能な方法で負債を減らして現状から脱却することを欧州が認めないならば、ギリシャに残された道は債務不履行とEU離脱しかない」

 と、語っている。

 その通りだ。ギリシャはカネをEUなどから借りるたびに、きちんと「緊縮財政」を実施してきた。だからこそ、こんな事態に至ってしまったのだ。

 デフレ期に緊縮財政を続けた結果、ギリシャはGDPがピークから26%も減ってしまった。戦争でもなければ、普通はこれほどまでのGDP減少は起きない。

 デフレとは、戦争並みに(あるいは戦争以上に)経済にダメージを与えるのだ。

 GDPが縮小すると、税収も減る。GDPとは国民が働き、モノやサービスという付加価値を生産することで獲得する「所得」の合計だ。

 そして、国民は所得から税金を支払っている。所得の合計である名目GDPが縮小すると、税金の「源」が小さくなるという話になってしまう。当然ながら、政府の租税収入も減る。

 通貨発行権がないギリシャ政府は、緊縮財政で税収が減り続ける中、結局は対外負債の返済不能となりデフォルトに至ったのだ。

 翻って我が国を見ると、6月30日に安倍(晋三)政権は「骨太の方針」を閣議決定し、2020年度までのPB黒字化と、'18年度のPB赤字対GDP比半減という「緊縮財政」の目標が設定された。

 本来、財政健全化の定義は「政府の負債対GDP比率の低下」だ。財政健全化の目標を設定したいならば、当然ながら政府の負債対GDP比率の引き下げ目標を立てるべきなのだ。

 それにもかかわらず、安倍政権は財政健全化の手段の一つにすぎないPBをことさらにクローズアップし、黒字化目標を立ててしまった。 
 PB黒字化を短期で「主体的に」達成しようとすると、税収が増えない場合(2015年度は対前年比で減収になるだろう)、政府の歳出削減以外にやれることがない。

 というわけで、政府が支出を削り、日本を再デフレ化させ、GDPを減らし、税収が減り、さらなる歳出削減、という悪循環に突っ込んでいくことになってしまう。

 我々もまた、緊縮財政の犠牲者であるという「現実」を、日本国民はいい加減に理解するべきなのだ。
http://wjn.jp/article/detail/1252119/

 



万死に値する所業 2015-07-12
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12049464532.html

   


  ギリシャ議会が、アテネで市民が反緊縮のデモ行進をする中、EUと債権者側が示した120億ユーロの緊縮財政を承認しました。


 国民投票は、何だったんだという話で、これでチプラス政権は支持率を失い、早急に退陣という運びになると予想します。

 というか、自分の首を賭けて緊縮を受け入れるなら、別に国民投票に打って出る必要はなかったでしょうに・・・。

『ギリシャ議会:譲歩案を賛成多数で承認
http://mainichi.jp/select/news/20150711k0000e030166000c.html


 ギリシャ議会(1院制、定数300)は11日未明(日本時間同日午前)、チプラス政権が欧州連合(EU)など債権者側に示した120億ユーロ(約1兆6000億円)規模の財政改革案を賛成多数で承認した。ロイター通信によると賛成251、反対32、棄権8で9人が採決を欠席した。ギリシャが改革実行への決意を示し、EUなど債権者側も改革案を肯定的に評価しており、11日のユーロ圏財務相会合でのEU側との支援交渉開始に向け大きく前進したことになる。

 改革案は、総額535億ユーロ(約7兆2000億円)の金融支援をEU側から受けるための条件。EU側が要求した緊縮策をほぼ受け入れる内容のため、5日の国民投票で緊縮反対を訴えた与党・急進左派連合(149議席)の一部から強い反発が出て、審議が長時間にわたった。

 だが、最大野党の中道右派・新民主主義党(76議席)など野党の大半はユーロ圏残留を最優先すべきだと主張し、賛成に回った。

 チプラス首相は採決を前に「国家としての責任を問う選択だ。私たちには国民を守る義務がある」と、賛成投票を促した。改革案について「公約とはかけ離れている」と認めたが「EU側の提案よりは少なくとも良い」と主張した。(後略)』


 朝日新聞の記事「私たちの国民投票どこへ? ギリシャで緊縮反対デモ(7月11日)」で、興味深いインタビューが載っていました。アテネで街頭インタビューに答えた元数学教師のステリオス・マリーニヌさん(65)が、

「EUのせいでギリシャは生産性を失い、外国から製品を買わされるばかりになった。緊縮財政には最後まで『ノー』を貫き、EUを離脱すべきだ」

 と、語っているのです。


 本質を突いています。結局のところ、ギリシャ問題とは、

「生産性が異なる国同士が国際協定で統一市場、統一通貨を構築し、フェアに競争すると何が起きるのか?」

 という実験の結果を、典型的に示してくれたという話なのです。


 経常収支のインバランスが発生し、さらに国債発行まで「フェアに競争」ることになり、負け組は金利が高くなり、生産性向上のための投資が困難になります。さらに、関税や為替レートで自国市場を保護することもできない。


 最終的には、経常収支の赤字(対外純負債の増加)が限界に達し、政府が財政破綻するわけです。


 ちなみに、ギリシャのGDPは1790億ユーロであるため、120億ユーロの緊縮とは対GDP比6.7%のマイナスのインパクトが生じます。


 すでにして、ギリシャのGDPはピークから26%減り、失業率は全体で26%、若年層失業率は60%超。この上、更なる緊縮財政。


 失業者たちは、現在の所得を得られないのはもちろんのこと、自身の中に仕事の経験、ノウハウ、スキル、技能等を蓄積する機会を奪われ、将来的に「人材」に成長することがありません。すなわち、先のステリオス・マリーニヌさんではないですが、ギリシャは高失業率に対する対策を打てない時点で、生産性向上が不可能な環境に置かれているのです。


 将来的に(「近い」将来的に)、ギリシャは発展途上国に舞い戻ることになるでしょう。これまでにギリシャが先進国だったのかという議論は置いておいて(わたくしは、そうは思っていません)、更なる発展途上国化が進むという話です。


 一つ、世界にとっていいことがあるとしたら、今回のギリシャ議会の決定により、緊縮財政が国民経済にどれほど凄まじい「害」を与えるか、さらに世界に示す結果になること確実、という点です。その分、ギリシャ国民が悲惨なことになってしまうわけですが。


 青木先生は、


【青木泰樹】ギリシャ危機は対岸の火事ではない
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/07/11/aoki-16/


 において、EUやユーロがギリシャにやってきたことについて、

「欧州委員会(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)という三者、いわゆるトロイカに押し付けられたPB目標を達成しようとして、ギリシャは忠実に増税と歳出削減を履行し、結果的に経済を破綻させました。

 5年間でGDPは25%減少しました(日本に置き換えて考えるなら、日本の名目GDPは約490兆円ですから、120兆円以上が消し飛んだことになります)。

 失業率も平均で26%超、若年層に至っては60%超です。
 若者が希望の持てない、未来のない国にしてしまったのです。

 万死に値する所業です。
 ここまで経済を破壊して得たものは何か。
 若干のPB黒字だけです。」
 
 と、書いてらっしゃいますが、まさに「万死に値する所業」をギリシャは継続することになるわけです。若者が働く機会を得ることができない国家に、未来はありません。何しろ、しつこく書きますが、真の意味における「経済力」とは、


「国民のモノやサービスに対する需要を、国民の供給能力で満たすこと」


 なのです。そして、国民の供給能力は、国民が働くことによってしか蓄積されません。EUやギリシャ議会は、ギリシャの未来を奪いました。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12049464532.html





ギリシャ危機の原因についてメディアが嘘を並べています。 2015年07月06日

日本でもネット上でギリシャはヨーロッパの韓国だなんて、ギリシャをお荷物のように扱っていますが。。。メディアの報道に騙されている人々はギリシャと韓国を結び付けたがるのでしょうね。

ギリシャは、年金受給額も良いし、受給開始年齢も若いし、公務員の数もかなり多いのは確かですが。。。

以下の記事にて、ギリシャ経済がここまで悪くなったのは、金融エリートやグローバル企業(イルミナティ=ハザールマフィア)がギリシャを騙したからだということが分かります。なぜ、彼らはギリシャを騙してギリシャの財政を破綻させたのでしょうか。。。

彼らはギリシャの民営化を強要し、ギリシャの重要なインフラや遺産や資産を安く買い取ってしまったのです。そしてギリシャ政府をも乗っ取ったのです。ギリシャは彼らの支配下となり、完全に荒されてしまいました。その目的は。。。ギリシャの富を奪うためです。

彼らは世界の国々から資源や資産を奪うことしか頭にありません。そのためには、あらゆる手段を講じて国を破壊し乗っ取ります。また、その国の国民がどうなってもかまわないと考えています。大量虐殺さえします。このような欲深く汚らしい獣たちが世界を支配している限り、世界は常に彼らによってコントロールされてしまいます。

今回の投票で、ギリシャ国民は緊縮財政にNOを突き付けました。ギリシャはユーロ離脱をすることになるのかもしれません。しかしギリシャが次に頼る国は残念ながら中国とロシアでしょう。そしてギリシャはロシアの中国の支配下になってしまいます。ギリシャがたとえユーロを離脱しても、ロシアと中国に頼り、BRICSの仲間になるなら、ギリシャは永遠に独立国になることはないでしょう。

ギリシャはロシアと中国に頼らず主権を取り戻すことができるのでしょうか。それとも、欧米と同じようにイルミナティ(ハザールマフィア、バチカン)が支配しているロシアと中国に助けを求め、ロシアや中国の命令に従う国家になってしまうのでしょうか。

最も気の毒なのはギリシャ国民です。どの国も一般国民が犠牲となります。


http://beforeitsnews.com/eu/2015/07/greece-the-one-biggest-lie-you-are-being-told-by-the-media-2585602.html
(概要)
7月5日付け:Greece — The One Biggest Lie You Are Being Told By The Media


No to blackmail and austerity

By Truth and Satire

ギリシャ危機に関して、どこのメディアもギリシャが悪いと批判をしています。例えば、ギリシャ政府は巨額の財政支出を行ってきたために破たんしたとか、寛大な金融機関が彼らにお金をあげたのにギリシャはお金の管理がきちんとできなかったため返済不能になったとか。。。このような批判はいかにも筋の通っ手いるように見えます。

しかしメディアのギリシャ批判は全くの嘘に基づいています。ギリシャだけでなくスペイン、ポルトガル、イタリア、アイルランドもギリシャと同じように様々な種類の緊縮財政を強いられています。

また、ラテンアメリカ、アジア、アフリカ諸国に関しても、数十年前から金融機関や企業体は大きな嘘をついてきました。
つまり、ギリシャは自ら破たんしたのではありません。破たんさせられたのです。
グローバル金融機関がギリシャ政府をつぶし意図的に持続不可能な債務を押し付けたのです。

しかも、収益を創出する公有資産はオルガルキーとグローバル企業に売却されました。

例えば、マフィアが流行っているレストランを乗っ取る時には、まず、レストランの営業を妨害し、レストランで殺人事件を起こすか放火をします。

レストランの経営が悪化すると、ゴッドファーザーはレストラン側に寛大にも大金を与えます。その代り、マフィアはレストランの経営権を奪います。

このようにマフィアはレストランのオーナーに窮乏の連鎖を与え、オーナーを一文無しにさせます。オーナーが殺されずに済むならかなり運が良いということです。

では、グローバル金融機関のやり方はどうでしょうか。

彼らは4段階に分けて対象国を破綻させます。


第一段階: ウォール街とグローバル銀行が仕組んだ2008年の金融恐慌により、ギリシャの経済がかなり悪化しました。金融機関は、金融恐慌を起こすために、サブプライム・ローンを誰にでも貸しつけ、それらを証券パッケージにして売りさばき世界中の金融機関に大きな利益をもたらしたのです。

金融エリートらは、このような恐ろしい構想を実行に移しました。そして、サブプライムローンを使った犯罪活動の実行部隊は金融エリートらが支配するS&P、フィッチアンドムーディーズなどの格付け機関です。彼らは初めから国家を破たんさせるために作り出した金融商品に対し、意図的に素晴らしい評価をしたのです。

恥知らずな政治家のトニー・ブレア英首相はゴールドマンサックスと共謀しサブプライムローン関連の証券をヨーロッパ諸国の政府、年金基金、地方自治体に売りさばきました。その結果、金融機関やウォール街の権威者たちは何千億ドルもの利益を得ました。

しかし第二段階に移ると、彼らはさらに巨額の富を得たのです。


第二段階:彼らは適時にサブプライムローンを崩壊させました。世界中の金融機関がたった数週間で破たんしてしまいました。そして各国の政府(地方政府?)の投資資金や資産が消滅しました。世界中がカオス状態となりました。
一方、ゴールドマンサックスなどのハゲワシは以下の3つの方法で巨額の富を得ました。


1)彼らはリーマンブラザーズやワシントン・ミューチュアルを通常よりもかなり安い価格で買収したのです。

2)ゴールドマンサックスやジョン・ポールソンなどのインサイダーらは、サブプライム証券が破たんすると賭けました。もちろんポールソンは賭けに勝ち、メディアは彼らの洞察力の良さを賞賛しました。これは9.11のテロリストが9.11が起こることに賭け、巨額の利益を得た場合と同じです。

3)厚かましい大手金融機関は、傷口を塩で擦るために、彼らによって生活が破壊された国民が納めた税金を金融機関の緊急支援にまわせと要請したのです。

アメリカの大手金融機関は納税者が納めた何千億ドルもの税金を強奪しました。また金融エリートらの偽装団体であるFRBからも何兆ドルもの緊急支援を得ました。
ギリシャでは、国内の金融機関がギリシャ国民が納めた税金のうち300億ドルの緊急支援を得ました。


第三段階:グローバル金融機関は対象国の政府に巨額の債務を無理やり受け入れさせました。

寄生虫の金融エリートらが使ったテクニックとは。。。2009年末から、対象国の国債を格下げしました。その直後に国債利回りが上昇しました。そして対象国はこれ以上借金をすることが難しくなり。。。既存の国債をロールオーバー?することも難しい状況になりました。

2009年から2010年中旬にかけて、ギリシャの10年国債の利回りが3倍に上昇しました。このような残酷な金融テロ攻撃を行った金融エリートらは、次に、ギリシャ政府を服従させ、ギリシャとの最初の協議では1100億ユーロを勝ち取りました。

さらに彼らは、破たんした国の政治家をも支配するようになりました。当時のギリシャ首相は2回目の巨額の緊急支援を断ったとき、彼らはギリシャ首相を即退任させ、欧州中央銀行の副総裁をギリシャ首相に任命しました。(選挙は行われませんでした。)

この時、金融エリートらはギリシャの民主主義を破壊しました。

そして新首相は、金融エリートらが用意した書類に署名するだけのパペットでした。

翌日にはイタリアでも全く同じことが起きたのです。イタリアの首相が辞任し、金融エリートらのパペットが新首相になりました。

その10日後にスペインで早すぎる選挙が行われ、スペインでも金融エリートらのパペットが新首相となりました。

2012年には、金融エリートらは証券市場の操作を行い、ギリシャの国債の利回りを50%まで引き上げました。彼らによるギリシャに対する金融テロはすぐに効果が表れました。

それは。。。ギリシャ国会が金融エリートらが押し付ける2回目の巨額の緊急支援(一回目よりもはるかに多い額)を受け入れることになったのです。

このようにギリシャが2回の緊急支援を受け巨額の債務を抱えた時に金融エリートらはギリシャに対して国の資産の民営化を強要しました。


第四段階:ギリシャは強制的に押し付けられた債務により、国が所有する様々な重要資産をオルガルキーやグローバル企業に売却しなければならなくなりました。
民営化は無慈悲です。有益な国の資産が全て民営化されてしまいました。ギリシャの民営化は水道、電気、郵便、航空サービス、国営銀行、テレコミュニケーション、港湾管理(ギリシャは世界有数の海運国家でした。)、その他の施設にまでおよびました。

さらに、金融界の暴君たちは、ギリシャ政府の予算を全て決定しました。つまり政府が予算を決めることができなくなったのです。

ギリシャの民営化後に金融エリートらによる独裁政治が始まると、政府の歳入が減り、借金が増えていきました。そうなると、緊縮財政を受け入れざるを得なくなります。

公務員の大量リストラ、最低賃金の引き下げ、社会福祉のカット、年金の引き下げ、そしてギリシャ人口の99%の人々(1%の富裕層には影響しない)の生活に影響を及ぼす増税が断行されました。

このような緊縮財政策が実施された結果、ギリシャは1930年代にアメリカで起きた大恐慌よりも酷い状態となってしまいました。

もちろん、金融エリートらは、ただちにギリシャのメディアの民営化を断行したため(彼らがギリシャのメディアを乗っ取った)、ギリシャ国民は金融エリートらにとって最も都合のよい報道やプロパガンダしか耳にすることができなくなりました。ギリシャのメディアは「金融機関はギリシャを救おうとしており、彼らが提案する緊縮財政が最も効果的な方法だ」と伝え続けたのです。

もし、緊縮財政の恐ろしさについてギリシャの全国民が理解していたなら、このような状況には陥らなかったでしょう。そして同じく緊縮財政を強いられたスペイン、イタリア、ポルトガル、アイルランド、その他の国々も同じなのです。

このような残酷な政策は今に始まったことではありません。第二次世界大戦以降、アジア、ラテンアメリカ、アフリカでIMFと世界銀行により緊縮財政が断行されたのです。

これこそ、ニューワールドオーダーの本質なのです。世界はほんの一握りのエリートらによって支配されています。

今まさに、ギリシャの素晴らしい人々がゼウスのように立ち上がるべきときがきました。ギリシャ国民は欲深いパペットマスターや国賊のオルガルキー、寄生虫の金融エリート、腐敗した政治家にNOを、そして彼らが押し付ける緊縮財政にNOを突き付けましょう。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51963097.html




2015年7月23日 木曜日
緊縮財政のギリシャで 軍事予算だけは削られない理由
ジャーナリスト 堤未果


二〇一五年六月三十日。ギリシャはIMFへの返済が出来ず、事実上債務不履行に陥った。七月五日には、EUからの要望である緊縮策の賛否を問う国民投票が実施された。

ここまで財政赤字が膨れ上がった原因は、高すぎる年金、公務員優遇だなどと報道されているが、何故か触れられないもうひとつの重要要素についてはあまり知られていない。

債務の半分以上を占めるといわれる、防衛予算だ。

NATO同盟国28か国の中で、ギリシャの軍事支出はトップのアメリカに次いで2位と突出している。金融危機から5年たった2015年においても、財政赤字がGDPの175%だった前年よりも軍事費は1%増やし、GDP比2.4%というEU最大規模を維持し続けているのだ。

この問題について、欧州外交政策財団のサノス・ドコス所長はガーディアン紙のインタビューでこう答えている。

「1300車両という、イギリスの二倍以上の数の戦車が本当に必要なのかどうかは議論が分かれるところだろう。だがトルコの軍事的脅威に対しバランスをとるためには、やむを得ない措置なのだ」

トルコの脅威。だが本当にそれだけだろうか?

奇妙なことに、危機に陥ってからこの間、IMFやEU、欧州中央銀行から提示された緊縮財政メニューの中に、軍事費削減はのっていない。

ギリシャへの財政支援条件として最も強く緊縮財政を要求していた債権国のドイツも、ギリシャに軍事費を半減させ、ドイツと同じGDPの1%台に抑える事でIMFへの当座の支払いをさせるという現実的な要求は決してしなかった。代わりにメルケル首相は、救済金の大半を国内経済の立て直しではなく軍事支出に振り分けるよう、ギリシャ政府に圧力をかけている。

だがメルケル首相にはそうするだけの理由があった。ドイツは武器輸入大国ギリシャから、アメリカに次いで最も恩恵を受けている国の一つだからだ。ちなみに三位は、ドイツ同様長年ギリシャ政府に軍事費増の政治的圧力をかけてきた、

やはり債権国のフランス。2010年から2014年までの5年間、ギリシャ政府は5億5100万ドル分の武器をドイツから、1億3600万ドルの武器をフランスから購入している。

二〇一二年に金融支援の条件としてギリシャ政府が課された20%もの最低賃金引き下げや、公務員の給与凍結は一体何のためだったのか?IMFに言われるままに、障害者の自己負担を高騰させ、医師数を大幅に減らし、病院を閉鎖させ、国家にとって最大の財産である筈の国民を公衆衛生上の危機に陥れた対価は、更なる財政赤字となってギリシャ政府にのしかかった。

二〇一〇年に、メルケル首相とサルコジ大統領が、借入金が入る前に武器輸入契約の維持をギリシャ政府に約束させた事実や、二〇一三年にドイツの防衛産業からの収賄が暴露されたギリシャの元防衛大臣他政府高官らの逮捕など、次々に暴露される腐敗劇に国民の怒りは爆発寸前だ。

百万人の失業者、ホームレス人口の急増、若者の二人に一人が職を失い、二十万人もの国民が国外へ逃げ、貧困層の間で感染症が拡大しているギリシャ。

欧米の商業 マスコミが描く公務員天国の自堕落なギリシャ像の裏で、笑いが止まらない勝ち組たちの姿が、私たちに見えるだろうか?

(週刊現代「ジャーナリストの目」2015年7月掲載記事)
http://www.mikatsutsumi.org/blog/?p=98


ジョージ・ソロス氏: ギリシャ経済はユーロ圏にいる限り決して回復しない2016年1月10日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/2277


引き続き、ドイツの週刊ビジネス誌Wirtschaftsによるジョージ・ソロス氏のインタビュー(原文ドイツ語)の翻訳である。今回はギリシャ問題の先行きについてである。

先ず、ユーロ圏における緊縮財政に対するソロス氏の意見は以前より一貫している。ドイツのメルケル首相がTIME誌の「Person of the Year」に選ばれたことについて、これは過大な評価かと聞かれ、ソロス氏はこう答えた。


とんでもない。メルケル氏がヨーロッパに押し付けている緊縮財政はどうしようもなく間違っているが、彼女が長らくヨーロッパの指導者として、そして間接的には自由を尊重する世界全体の旗手として、疑いようのない活躍をしていることは確かだ。

移民受け入れはオープンな社会を望むソロス氏の政治的立場と一致している。しかし今回の主題は経済である。ユーロ圏の盟主としてのドイツの立場について、彼はこう語る。


ドイツはメルケル氏のリーダーシップのもとヨーロッパの覇権国(訳注:経済学の術語、ウィキペディア)となったが、しかしドイツは覇権国として得られる利益に対し対価を払わなければならない。

ドイツ人が負債についてどれほどギリシャ人を責めようとも、対価を払うべきなのはドイツなのだ。覇権国には覇権国に委ねられた他国の利害というものがある。ドイツは1945年以後のアメリカのように義務を果たすのかどうか、決めるべき時が来ている。

読者にも周知のように、わたしもこれに同意する。というよりは、これに同意しない人間は経済学に明るくない人々とドイツ人だけである。経済学には以下の等式がある。
•政府貯蓄 = 貿易収支 + 投資 – 民間貯蓄

つまりは貿易収支が増えれば政府の赤字は減り、貿易収支が減れば政府の赤字は増える。ユーロという通貨がドイツにとって非常に安く、ギリシャにとって非常に高いという事実を思い出そう。この事実は長年ドイツの政府債務を軽減し、ギリシャの政府債務を肥大化させてきた。

したがってドイツ人が勤勉でギリシャ人が怠惰であるというのは、上記の経済的事実から生じた全くのまやかしである。両方の国を知る人間は、ドイツ人の仕事ぶりが評判に反して案外に適当で無責任であり、ギリシャ人がとりわけ怠惰ではないということを知っている。

ギリシャはどうなるだろうか? ソロス氏はこう予想する。


2009年後半にギリシャで債務危機が生じた時、ドイツの率いるEUは支援の手を差し伸べた。だが要求した対価が大きすぎた。彼らはあまりに高い利子を負債に課したため、ギリシャは負債を返せなくなってしまった。残念ながら、ドイツは最近の交渉で同じ誤りを犯した。ドイツの強制した条件はギリシャを更に深刻な債務危機へと陥れるだろう。ギリシャの負債が返済されることはない。

ギリシャは投資先としてどうかと聞かれると、ソロス氏はこう答えた。


ギリシャがユーロ圏に留まる限り、魅力的な投資先にはなりえない。ユーロ圏のなかではギリシャは決して回復することはない。通貨レートが高すぎるからだ。

もう一度例の等式を思い出そう。彼も単純にこの式を想定しているはずである。
•政府貯蓄 = 貿易収支 + 投資 – 民間貯蓄

ドイツ人にまともな経済学の知識さえあればユーロ圏の悲劇は起きなかったのだが、彼らは自分に都合の悪い事実は見ようとしない。彼らの財政黒字が自分たちの勤勉さの結果だと信じたいのだ。

彼らの主題は常に、自分を誇ることができるかどうかにある。そしてドイツの振る舞いのために南欧諸国の貧困層が子供にスリや売春を押し付ける生活を送ろうとも、ドイツ人は決して気に留めることがない。
•ヨーロッパには移民受け入れ能力はない: イタリアで邂逅した少女の話とドイツの欺瞞

ドイツ人が自己中心的な国民性を形成した歴史的、文化的背景については以下の記事に詳しく書いたので、そちらを参考にしてほしい。
•移民を歓迎するドイツの本音と哀れなハンガリーの受難

ヨーロッパの今後については、個人的にはもう諦めつつある。あまりに多くの悲劇が既に起こってしまった。本当に行くところまで行かなければ、彼らは気付かないのだろう。
•パリ同時多発テロの犠牲者130人はドイツが殺した
•大晦日に移民が集団でヨーロッパ人女性に性的暴行、ドイツ、スイス、フィンランドで


ユーロ圏がドイツの植民地だと一目で分かる各加盟国の貿易収支比較2017年1月29日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5343

ユーロ圏は崩壊寸前である。2010年には欧州債務危機が起こり、南欧諸国の財政は破綻の危機に瀕した。ユーロ圏の失業率はいまだ10%近い水準であり、イタリアやフランスにはユーロ圏やEUからの離脱の兆候が見られる。


•イタリア改憲国民投票否決はユーロ圏離脱の始まり

•フランス大統領候補ル・ペン氏: EUは死んだ、変化なければフランスはEU離脱を


しかし何故ユーロ圏はこれほどに混乱しているのか? 移民問題などの理由もあるが、経済的な混乱の原因は、一つの経済指標を調べれば非常に端的に理解できる。それはユーロ加盟国の貿易収支である。


為替レートと貿易収支

ここの読者にはお馴染みの話となるが、先ずは為替レートと貿易収支にどういう関係があるのかから説明したい。

アベノミクスが量的緩和で紙幣を印刷し、日本円の価値を意図的に引き下げたのは、通貨安になれば国内の輸出企業にとって利益となるからである。自国の通貨が安ければ、自国通貨建てでは同じ値段の輸出品であったとしても、外国の買い手から見れば安くなるため、輸出品が売れやすくなるわけである。

では、ユーロ圏の場合にはこの理屈はどう作用しているか? ユーロは元々別の通貨を使っていた複数の国がその通貨を統一したものである。元々、ドイツにはマルク、フランスにはフラン、イタリアにはリラという通貨があったが、これがすべてユーロという一つの通貨に統一されたのである。

ユーロ採用以前にはそれぞれの通貨がそれぞれの通貨に対して為替レートを変動させていた。イタリアの輸出が振るわない場合、景気刺激のために金融緩和をすれば、イタリアのリラはドイツのマルクに対して下落し、イタリアの輸出業は通貨安による一時的な底上げを得ることが出来た。変動通貨制においてはその国の産業の好調不調に対してこのように自動の調整機能が働くのである。

しかし、いまやヨーロッパの大部分はユーロを採用した。つまり、複数の国が一つの為替レートを使用していることになるわけだが、ではその一つの為替レートはどのように決まっているのか?

それは、非常に大まかに例えとして言えば、すべての加盟国の為替レートの平均となる。ユーロ圏内で豊かな国は先ずドイツであり、輸出で外貨を稼ぎ、金融緩和も南欧諸国ほど必要としないドイツのマルクは強かった。一方で、ドイツ経済より弱く、失業率がドイツほど低くないイタリアのリラは、一般論で言えばマルクより弱い通貨であった。それがユーロという一つの通貨に統一されるのだから、ユーロの為替レートはある意味その間を取ったものになるわけである。


矛盾をはらんだ共通通貨ユーロ

この「平均的な」ユーロこそが問題の元凶であった。大国ドイツが入ったユーロという通貨は、当然イタリアのリラよりも高くなった。結果、イタリアの輸出は振るわず、ユーロ圏加盟前にはGDP比で5%近くあったイタリアの貿易黒字は、1998年のユーロへの段階的移行を境に瞬く間に減少してゆき、ついには貿易赤字の状態まで転落してゆく。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/italys-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


その悪化は10年以上続き、ようやく改善されたのは2010年に欧州債務危機が表出してECB(欧州中央銀行)が事後的に対策に乗り出してからである。それまでの間にイタリアの債務は膨れ上がり、経済は瀕死の状態まで追い込まれてしまった。

輸出が振るわないということは、外貨を稼ぐことが出来ないということである。マクロ経済学上、稼いだ外貨は政府と民間で分け合う(つまり輸出の利益は税金と企業利益に分割される)ことになるため、外貨を稼ぐことが出来なければ、輸出企業の利益が減少するだけでなく、税金を得られない政府の財政も急激に悪化してゆくことになる。これこそが欧州債務危機の真実なのである。


他国の状況

「高すぎるユーロ」の犠牲となったのはイタリアだけではない。スペインの貿易収支も1998年辺りを境に同じような下落トレンドを辿っている。その悪化速度はもはや見事なほどである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/spains-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


ユーロ圏で一番状態の悪いギリシャの貿易赤字は一時GDPの10%を超えるところまで悪化した。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/greeces-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


ニュースになったギリシャの債務危機は、高すぎるユーロのために外貨が稼げなくなったことが理由であり、南欧諸国の財政が悪化してゆく理由はこうしたグラフを眺めれば素人でも分かるものだったにもかかわらず、明らかに必要とされていた金融緩和をドイツが自分に必要がないからという理由で頑なに拒否し続けたために起こった悲劇である。

それでもドイツ人はギリシャ人を怠惰だと罵り続けた。しかし経済学の知識のある人々は全員、その原因がユーロにあると知っていた。
•ジョージ・ソロス氏: ギリシャ経済はユーロ圏にいる限り決して回復しない

因みに興味深いことに、こうした貿易収支の悪化を経験しているのは南欧諸国だけではない。以下はユーロ圏で二番目に大きいフランス経済の貿易収支である。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/frances-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png

天秤の反対側

さて、加盟国の通貨レートの「平均」であるユーロがこうした国々にとって高すぎるということは、その天秤の反対側にはユーロが自国にとって安すぎる状態となっている国があるはずである。そしてその国の貿易収支は、上記の国々の貿易収支が悪化した分、凄まじい改善を見せているはずである。

その国はドイツである。以下はドイツの貿易収支のチャートである。もう笑うしか無いだろう。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/germanys-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


これがドイツ人が他のユーロ加盟国の犠牲をもとに稼いだ外貨の総量である。GDPの7%分にも達している。ドイツ人はこれらの外貨を自分の政府の財政状態の改善のために使い、その結果実現したドイツの財政黒字をドイツ人が勤勉である証拠だと誇っている。そしてイタリア人やギリシャ人を怠惰だと馬鹿にしているのである。


結論

しかし他国人はそうは見ていない。こうしたユーロ圏の狂気を知っていたイギリス人は2016年に何を決断したのだったか? イギリスのEU離脱を主導したジョンソン外相の言葉をもう一度眺めたい。


•元ロンドン市長: EU統一を目指すドイツの目的はヒトラーと同じヨーロッパ支配だ


EUの悲惨な失敗は加盟国間の緊張をもたらし、そしてドイツにヨーロッパにおける過大な権力を与え、彼らがイタリア経済を乗っ取り、ギリシャを破壊することを許す結果となった。

イタリア人はかつて優れた自動車製造業を誇っていたが、これはユーロによって完全に破壊されてしまった。ドイツ人が望んだ通りにである。

ユーロはドイツの生産力がユーロ圏の他の地域に対して不可侵の優位性を得るための道具となってしまった。これはわれわれイギリス人にとって、節度と常識の声としてヨーロッパの救世主となり、目の前で繰り広げられる無秩序を止めるためのチャンスなのだ。

このように、経済的に完全にドイツの植民地となったヨーロッパの現状を詳細に理解しながら、イタリア人とフランス人が2017年にどういう政治的決断を行うのかについてもう一度思いを巡らせてみたい。ル・ペン氏の言葉通り、EUは既に死んでいるのである。

•イタリア改憲国民投票否決はユーロ圏離脱の始まり

•フランス大統領候補ル・ペン氏: EUは死んだ、変化なければフランスはEU離脱を


http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5343


2017年02月25日
ドイツの植民地と化したギリシャ、緊縮財政の末路

ドイツはギリシャを騙して財政悪化させて支配下に置いた
引用:http://mandiner.hu/attachment/0122/121638_merkel_ciprasz.jpg


経済植民地になったギリシャ

2010年のギリシャ危機から早くも7年が経ったが、あれからギリシャがどうなったのか報道されなくなりました。

IMFの管理下に入って支援を受け、ドイツなどEUからも支援を受けたが、悪くなる一方だと言われています。

IMFが僅かな金融支援の代わりにギリシャに求めたのは破壊的な緊縮財政で、実行すればギリシャ経済が破綻するのは予想できた。

       

IMFおよび欧州議会は「今すぐに」財政黒字化を達成するようギリシャに迫り、その手段は国家予算をカットする以外に無い。

例えば日本の政府予算は年100兆円だが、他にも地方予算が100兆円ほどあるので、合計200兆円くらいの規模になっている。

日本のGDPは500兆円なので、そのうち4割の税金を徴収すれば財政赤字にはならないが、税収額が下回っているので赤字です。


これを例えば「明日財政黒字にしろ」と指示されて政府と地方予算を半減したら、経済活動が縮小して不況になります。

その代わりにIMFとドイツが「はした金」を援助してくれるが、結果は支援を受けないのと変わらない気がします。

このような経済政策は下の下で、第一次大戦後にドイツを経済破綻させたフランスの手口と同じです。


フランスも当時のドイツに緊縮財政を要求して、はした金を出し、事実上ドイツを植民地支配する事にしました。

国民生活が破綻したドイツでは「フランス野郎をぶちのめせ!」と主張するナチス党が大人気になり、後に公約は実行されました。

戦争に勝ったからといって調子に乗りすぎたフランス人が悪いので、自業自得というところです。


ドイツがギリシャにした事

ギリシャの財政危機が表面化したときに、ドイツのメルケル首相は「ギリシャ人は怠け者だからこうなった」と露骨にギリシャ人を見下す発言をしました。

実際その通りなら仕方がないが、ギリシャはEUに加盟するまで欧州でもっと健全財政で、怠け者でも浪費家でもありませんでした。

ギリシャはGDP2422億ドル(約27兆円)で政府債務は計約3200億ユーロ(約43兆円)だったが、最初からこんなに酷かったのではなかった。


ギリシャは1981年にEU加盟し、1990年にEU統合し、2002年にユーロを導入しました。

1990年のギリシャ政府債務はGDP比50%以下と健全だったが、ユーロ加盟条件は単年度赤字GDP3%以下、政府債務残高はGDP60%以下でした。

2002年時点でEUの財政規律を守っている国は一カ国も無かったが、ギリシャはEUの勧告に従って緊縮財政に転換しました。


財政が健全だった国が緊縮財政をすると経済成長率が低下し税収も少なくなるが、運が良ければ財政赤字が減少します。

たとえば日本は1990年時点での財政は(今よりも)健全だったが、やはりIMFや欧米の勧告に従って緊縮財政に転換しました。

消費税のように増税して支出を減らしたのだが、それ以上に景気悪化で税収が減ったので、財政赤字は悪化しました。


ギリシャでも同じ事が起きて財政破綻してしまい、EUとドイツ、IMFなどに従ったせいで国が破産してしまいました。

1990年に健全財政だったギリシャだが、ドイツの口車に乗って緊縮財政にした結果、2002年にGDP比98%になっていました。

2011年には170%に達したが、またドイツとEU、IMFに従って緊縮財政した結果、GDP比180%以上に増えています。

「ギリシャ人は怠け者だ」とメルケルは言ったが、実際はギリシャの労働時間はドイツよりもずっと長いのが分かっている。


食い物にされていく日本とギリシャ

結局緊縮財政で政府が支出を減らすと、経済活動が縮小して節約した以上に税収が減るという、戦前の経済理論をおさらいしただけでした。

アメリカは1929年に大恐慌で経済破綻しやはり緊縮財政したが、節約すればするほど財政が悪化してしまいました。

この間違った政策を正したのが教科書に出てきたニューディール政策で、ルーズベルト大統領は逆に公共事業でお金をばら撒いて経済と財政を好転させました。


つまり緊縮財政すると財政悪化して最終的に経済破綻するのは、70年も前に分かっていた事で、ドイツ人はギリシャが破産するのを承知でやらせていました。

日本の緊縮政策も全く同じで、緊縮財政すれば経済破綻するのを最初から知りながら、財務省は緊縮と増税に突っ走っています。

財務省がそうする理由は増税すれば出世するからで、アメリカが緊縮財政と消費増税を指示しているからでもある。


ドイツやアメリカが自分では浪費しておいて、なんで日本とギリシャに緊縮を迫るのかは、敵国を破産させる為です。

アメリカは1980年代に財政赤字で破産しかけましたが、レーガンは軍拡と浪費政策を取り、90年には日米逆転していました。

当たり前のことで政府がお金を使えば経済が拡大して税収が増え、政府が緊縮すればするほど財政赤字が拡大していきます。


アメリカにとっては日本経済が好転して良い事は一つも無く、ライバルは落ちていったほうが良いに決まっています。

その口車にまんまと乗せられているのが財務省の無能官僚たち、そして財務官僚に経済を教えてもらって「経済通」を自認しているのが麻生財務大臣と自民党政治家です。

この構図が続く限り、アベノミクスがどうなろうと日本の再生はありえず、ギリシャと同じになるでしょう。
http://thutmose.blog.jp/archives/69556428.html


2017年03月01日
ドイツはなぜ難民が溢れても財政黒字なのか

メルケルはドイツが繁栄した時期に首相を務めた
引用:https://jp.sputniknews.com/images/149/31/1493178.jpg


ドイツはなぜ財政黒字なのか

ドイツを巡って2つのニュースが2017年2月に世界へ伝わり、一つは良いことで、もう一つは悪いことだった。

良いほうはドイツの財政黒字が統一後最大になり、お金が余って使い道に困っているという話でした。

悪いほうはドイツで排他主義が勢力を増し、難民施設襲撃が過去最多になったという話題でした。

まずドイツの財政黒字については本当に黒字なのか、黒字に見せかけているだけなのかを慎重に見極める必要がある。

というのは国家の「借金」は国家の「資産」と同額であり、ドイツの資産の分だけ必ずどこかに借金が存在するからです。

日本の財務省は毎日24回は「日本は世界最大の借金を抱えている」と1000兆円の借金を誇示しているが、半分本当で半分は嘘です。


まず日本政府の借金が仮に1000兆円だとしても、世界最大はアメリカか中国のどちらかです。

両国ともGDPが日本より大きいので金額で政府債務が上回っているのは当然として、対GDP比政府債務でも日本を上回っています。

アメリカは合衆国制なので「連邦債務」だけを公表し「公的債務」全体を公表しておらず、州や自治体、民間公的機関の債務は非公開にしています。


アメリカ全体の公的債務の合計は3500兆円とも5500兆円とも言われているが、建国以来一回も計算していないので大統領すら知らない。

アメリカのGDPは約1600兆円(1ドル100円として)なので公的債務3500兆円だとしても日本より良いという事はありません。

中国も省と国家は別々に経営されている上に、GDPも債務総額の数字も信憑性に乏しい。


なぜドイツだけが繁栄するのか

欧米の大手金融機関や情報機関の推測によると、中国の公的債務はGDP比200%から300%の間とされています。

ドイツも連邦制度でドイツ連邦とそれぞれの州は独立していて、連邦政府が発表した数字がドイツ国家の合計である訳ではない。

日本はどうかというと北海道から沖縄まで「日本政府」が配る予算で経営されていて、民間の公的機関の借金も政府債務に含めて発表しています。


ざっくりいうとアメリカ、中国、ドイツのような連邦制国家は、国全体の公的債務の2分の1か3分の1だけが「政府債務」で他は関係ないのです。

というわけでドイツの財政黒字もそれが本当なのかは、大いに疑って掛かる必要があるのです。

ドイツは2015年に300万人の移民を一旦は受け入れて、そのうち200万人を送り返したり他のEU諸国に押し付けて100万人を受け入れた。


2015年に約90万人の難民申請があり、2016年にも28万人の難民申請があり、さぞや財政負担で苦しんでいるだろうと思いきや、儲かりすぎて困っています。

ドイツは日本よりは遅いが高齢化と少子化が進んでいて、移民の負担もあるのに財政黒字になっている。

消費拡大と就業者数増加で税収が増えたが、メルケル首相は「黒字幅が小さすぎるので支出は増やさない」と言っています。


ドイツ経済を支えているのは輸出で、EU統一通貨ユーロのおかげで、いくら輸出しても絶対に「円高不況」はおきません。

1ドル360円で輸出し放題だった頃の日本と同じと言ってよく、特にEU域内で関税なしの無制限で輸出できます。

その犠牲になっているのはドイツ以外のEU加盟国で、貿易黒字はほぼドイツだけで、他は全て貿易赤字に近い。


ドイツの春はいつまで続く

ギリシャが経済破綻したのもドイツのせいだし、他のEU諸国が不況なのもドイツのせいと言い切っても良いほどです。

EU域外への輸出でも、ギリシャやイタリアなど他の国の貿易赤字のおかげで、ユーロは安いままなので、ドイツの輸出は止まりません。

自動車王国の日本でも輸入車が10%を超え、大半をドイツ車が占めているのも、ユーロ安のお陰です。


財政黒字もユーロ安による無制限輸出のお陰で、この状況が続けばドイツはアメリカに匹敵する「超大国」になるかも知れません。

だがドイツの黒字を負担させられている他のEU諸国は、ずっとドイツ人の言いなりになるのかは分かりません。

イギリスのように「ドイツに支配されるのはごめんだ」と言ってEUから出て行くかもしれません。


ドイツでは実は「ドイツ人」つまり昔からのドイツ民族が急激に国外に移住し、変わって外国人がドイツに移住しています。

このためドイツの2割超が既に移民で占められていて、難民受け入れ後はさらに急速に移民が増加しています。

そうなると反発も強くなり、ナチズムを支持する人が増えたり、難民排斥を主張して襲撃する事件が多発しています。


12年に渡ってドイツ首相を勤めてきたメルケルは、難民政策の失敗でどうやら今年で交代する可能性が高い。

ドイツには日本の自民党やアメリカの2大政党のようなものがなく、少数政党が乱立して連立政権をつくっています。

メルケル交代をきっかけに、ドイツをめぐる情勢も変化していくと考えられます。
http://thutmose.blog.jp/archives/69641007.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c34

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
73. 中川隆[-7618] koaQ7Jey 2017年5月27日 15:39:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

川端康成 叙情歌 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Y0M1FwS8SoE


あなたと花嫁との新床の香水の香を、お二人のホテルとは遠く離れた風呂場で嗅いでからというもの、私の魂は一つの扉を閉ざしてしまいました。

あなたを失ってからは、花の色、小鳥のさえずりも、私にはあじけなくむなしいものとなってしまったのでありました。天地万物と私の魂との通い路がふっつり絶たれてしまったのでありました。私は失った恋人よりも失った愛の心を悲しみました。

そうして読みましたのが輪廻転生の抒情詩でありました。その歌に教えられまして、私は禽獣草木のうちにあなたを見つけ、私を見つけ、まただんだんと天地万物をおおらかに愛する心をとりもどしたのでありました。

釈迦は輪廻の絆より解脱して涅槃の不退転*1に入れと、衆生に説いていられるのでありますから、転生をくりかえしてゆかねばならぬ魂はまだ迷える哀れな魂なのでありましょうけれど、輪廻転生の教えほど豊かな夢を織りこんだおとぎばなしはこの世にないと私には思われます。人間がつくった一番美しい愛の抒情詩だと思われます。
http://d.hatena.ne.jp/witmiffy/20040817

「私」は、まだ字も読めない幼少の頃、詠われるかるたの札を次々と小さな手に取り当て、周りの大人たちを驚かせ「神童」と呼ばれていた。その透視能力や予知能力も年頃になると、時々発揮されるだけとなるが、それでも幼い弟の危機を霊感で救ったこともあった。

「私」は夢の中、夾竹桃の花ざかりの海岸の小路で行き会った1人の青年に恋をし、岸近くを走る汽船の名前まで覚えていたが、その2、3年後、初めて訪れた温泉場の小路の夢と同じ風景の中、その青年の「あなた」と出会った。それから「私」と「あなた」の間には不思議な魂の霊感の共鳴があり、愛し合い暮らしはじめた。

ある日「私」は母親の死を直感し帰省した。葬儀の後「私」は父親から「あなた」との結婚を許され、実家にしばらく滞在した。しかしその期間、「あなた」は「私」に黙って、友人の綾子と結婚してしまった。「私」はそれとは知らずに、2人の新婚旅行の初夜の同時刻、突然香水の匂いを霊能力で嗅いだ。それは4年前の出来事だった。それ以来「私」の心の翼が折れ、透視能力も霊感も消え、その後「あなた」が突然死んだことも察知できなかった。

失った愛の苦しみを癒すため、「私」は古今東西の経典や仏法、霊媒の話を読みあさった。「私」は輪廻転生を、「人間が作った一番美しい愛の抒情詩」だと思いながらも、昔の聖者も今の心霊学者も人間の霊魂だけを尊び、動物や植物を蔑んでいるようにも感じた。人間は結局何千年もかけ、自身と自然界の万物とを区別する方向ばかり進み、その「ひとりよがりの空しい歩み」が、今こんなに人間の「魂」を寂しくしているのではないかと「私」は考える。

「太古の民の汎神論」と世間から笑われても、「私」はいつか人間は再び、もと来た道を逆に引き返すようになるかもしれないとも思い、万物流転を唱えたレイモンド・ロッジの「香のおとぎ話」も、「科学思想の象徴の歌」であり、物質が不滅ならば、智恵の浅い女の身でありながらも悟っていた「魂の力」だけ滅んでしまうとするのは矛盾だと感じた。

そして「私」は「魂」という言葉を、「天地万物を流れる力の一つの形容詞」と感じ、動物を蔑む因果応報の教えを、「ありがたい抒情詩のけがれ」と感じた。エジプトの死者の書やギリシャ神話はもっと明るい光に満ち、月桂樹に姿を変えたダプネーや、福寿草に生まれ変わったアドーニスのように、アネモネの転生はもっと朗らかな喜びのはずと「私」は思った。

「あなた」に捨てられ、アネモネの花の心を知り、「哀れな女神」でいるよりも美しい草花になった方がどんなに楽しいか、綾子や「あなた」への恨みに日夜苦しめられる哀れな女でいるよりも、アネモネの花になってしまいたいと「私」は何度も思った。愛を失い、全てが味気なくなっていた「私」は「輪廻転生の抒情詩」を読むうち、禽獣草木のうちに「あなた」や「私」を見つけ、次第に天地万物をおおらかに愛する心を取戻していった。

「あなた」の死を知った時、呪いの一念で人を殺してしまった生霊死霊の話を「私」は想起し、なおさら草花になりたいと思い至った。霊の国や冥土や来世で再び「あなた」と結ばれるより、2人とも紅梅か夾竹桃の花に転生し、「花粉を運ぶ胡蝶に結婚させてもらう」ことの方を美しく感じる「私」は、そうすれば「悲しい人間の習わし」で、死んでしまった「あなた」にこんなふうに語りかけることもないのにとつぶやく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%92%E6%83%85%E6%AD%8C_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)


宮本百合子 「抒情歌」について  ――その美の実質――

1932年(昭和7年)二月号の『中央公論』に、川端康成の「抒情歌」という小説がのっている。印刷して二十三ページもあり、はじめから終りまでたるみない作家的緊張で書かれている。川端康成の近頃の創作の中で、決していい加減につくられたものでないのはよくわかる。

 字も読めない子供時代から、かんで歌留多をとり、神童といわれたような少女が次第に年ごろとなり三年も前から夢で見ていた青年と、夢で見たままの場面、服装でであいする。

 龍江というのがその若い女の名である。龍江には異常な霊の力があって、海に溺れる運命だった弟の命を救ったり、一ぺんも行ったことのない愛人の書斎に、古賀春江の絵と広重の版画とがかかっていて、雪の降る日背中に赤ん坊を背負った男が偶然雪かきをやらせてもらいに来たりするところまでをあてる。

 男は、龍江が「こんなにまで僕を愛していてくれるのか」とおどろき、「こんなに魂が来ているのに、肉体だけ来ないという法はないと思って」家をすてても来いといってやり、二人は結婚する。

 女はどこにいて、何をしていても男に用があると呼ばれないでもそばへ行き、「二つの口から始終同じ一つの言葉をぶつけ合う」ような霊的交流をもって生活したが、やがて男はそのみこのような霊力の女をすてて、別の女と結婚し、死ぬ。

 龍江は、だが、男の結婚したことは知らず、ある夜、ふろの中で突然はげしい香におそわれ、真裸でこのような強い香をかぐのは、たいへん恥しいことだと思ううちに目がくらんで気が遠くなる。それが丁度男が花嫁の床に香水をまいた時だった。

 棄てられた女は、さんざん苦しんだあげく、だんだん霊の不滅、輪廻転生の教えを美しいものと信じるようになり、霊交術にまで熱中しだす。そして、ギリシア神話のように、死んだ男は早ざきのつぼみを持つ紅梅に生れかわっているという幻をえがき、「心を一つにこらして」魂をその死人のもとにかよわせ、るる霊の不思議とあの世の生について語る。

 川端康成は、一年前、「水晶幻想」を書いた時分の都会風な、ヨーロッパ的モザイックの手法とはまるで違った綿々として「香の立ちのぼる」ような筆致でこの霊界物語を書いている。龍江という女のことばをかりて、力をこめ「人間は何千年もかかって人間と自然界の万物といろいろな意味で区別しようとする方へばかり盲滅法に歩いて来た」から、そのひとりよがりが「魂をこんなにさびしくした」のだ。いつかまた人間は「もと来たこの道を逆に引きかえして行くようになるかもしれない」といっている。物質のもとは不滅であるという唯物論的一元論を、川端康成は、この作品中で七生輪廻や転生の可能へねじまげてしまっている。

 よしんば、作者自身龍江ほどそれを現実としては信じないまでもこういう霊界物語にひどく「抒情歌」の美を感じ、その美をとぎあげてこの一篇の小説の中へ盛りこもうとした情熱だけは、まがうかたなく感じられる。

「水晶幻想」時代にでも、現実の激しい社会生活から遊離した川端康成の主観玩弄の癖は一つの特徴だった。有閑なブルジョア・インテリゲンチアらしく脳みそは一秒間にどれだけ沢山のものを連想し得るかを暇にまかせて追求し主観の転廻のうちに実現と美を構成しようとしたのが「水晶幻想」であった。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2836_8503.html


幼少時から霊感の強かった川端は、1919年(大正8年)に知り合った今東光の父親から聞いた神智学に興味を持ち、カミーユ・フラマリオンやオリバー・ロッジなどを愛読した。また新感覚派と呼ばれた頃に創刊した同人誌『文藝時代』では、万物一如・主客合一の思想を掲げていた。

川端は『抒情歌』を発表した2年後に、以下のような文学への抱負を語っている。


 川端康成「文学的自叙伝」

私の近年では「抒情歌」を最も愛してゐる。(中略)私は東方の古典、とりわけ仏典を、世界最大の文学と信じてゐる。私は経典を宗教的教訓としてでなく、文学的幻想としても尊んでゐる。「東方の歌」と題する作品の構想を、私は十五年も前から心に抱いてゐて、これを白鳥の歌にしたいと思つてゐる。東方の古典の幻を私流に歌ふのである。書けずに死にゆくかもしれないが、書きたがつてゐたといふことだけは、知つてもらひたいと思ふ。

西洋の近代文学の洗礼を受け、自分でも真似ごとを試みたが、根が東洋人である私は、十五年も前から自分の行方を見失つた時はなかつたのである。(中略)西方の偉大なリアリスト達のうちには、難行苦行の果て死に近づいて、やうやく遥かな東方を望み得た者もあつたが、私はをさな心の歌で、それに遊べるかもしれぬ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%92%E6%83%85%E6%AD%8C_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c73

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
74. 中川隆[-7617] koaQ7Jey 2017年5月27日 16:38:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「ノーベル賞作家・川端康成は借金の天才だよ」  2016/02/14
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/14456.html


1868(昭和43)年にノーベル文学賞を受賞した川端康成は借金の天才″だった。梶山季之が週刊文春のトップ屋だった頃、真夜中でも、事件があれば飛び出さねばならないため、編集長に言って、夜でも現金を準備してもらっていた。

ある夜、地方出張の取材が突発した。早速、借り出しを経理に請求すると、金庫はカラッポとの返事、梶山がカンカンに怒って理由をただすと、夕方、川端がブラリと訪れて、佐々木茂索社長に「あるだけの現金を貸してくれ」と頼み、金庫にあった300万円をすべて持って行ったという。

何でも、壷を買ったためだとか。川端はその当時、文芸春秋から一冊も本を出していないし、寄稿もしていない。そんな川端に2つ返事で300万円(今の金に直すと3000万円以上)を貸すほうも貸すほうなら、借りるほうも借りるほう−と梶山はその夜、ヤケ酒を飲んで悪酔したとか。この借金は池島信平社長にかわった時に、そのままうやむやになってしまった。

1921(大正10)年のこと。菊池寛の家へ、突然、川端がミミズク″ のような顔をして現れた。菊池は一人将棋をしていたが、川端は黙って座ったまま、一時間ほどまったく無言で一言もあった。 しびれをきらした菊池にやっと川端が、「200円いるんです」ポッンと言った。

「いついるの」

「今日」

仕方がない、といった顔で菊池が大きなサイフから、10円札をそろえて出した。

「さようなら」

川端はミミズクの顔をくずさず、サッと引き上げた。当時の200円は今では100万円以上である。

名作『伊豆の踊子』を執筆する際、伊豆・湯ケ島の「湯本荘」にしばらくの間滞在した川端はこの時の宿代も、出世払いということでまったく払わなかった、といわれている。

川端は最初から、「金は天下の回りもの」という考え方であった。「ある時は払い、ない時は払わなくてよい」とはっきりしていた。

吉行淳之介がある時、「銀座のバーの勘定は高い」といった内容のエッセイを書いた。これを読んだ川端は、あるパーティで吉行に会い、

「高かったら、払わなきゃいいじゃないですか……」

とキッパリした調子で言ったのには、吉行もビックリ。

 劇作家、北条誠は川端の一番弟子である。

ある時、鎌倉から上京した川端から、北条に突然、電話が入った。北条は原稿の締め切りがせまっていた。

「ぼく、来ましたよ。いま、新橋です。すぐにいらっしゃい」

北条は面くらい、原稿の締め切りを理由に断ると、

「あなたは、マジメすぎるからいけません。そんな仕事、放り出して、すぐいらっしゃい」と怒られた。

北条がしぶしぶ、タクシーを飛ばして行くと、川端はバーの勘定の支払いに上京してきたのだが、酔っていたので店の名前も、どこにあったかも忘れたので、一緒に探してほしい、と言う。

北条はあきれ果てたものの、大先生のいうことなので泣く泣く、川端の記憶をたどりながらバーをはしごして回った。やっと、探し当てた頃には、二人ともへベレケに酔っぱらっており、北条は10万円以上の持ち出しとなった。

これまた北条の内緒話。

北条が京都で仕事をしていると、突然、川端からそちらに行くと電話があった。 ところが、指定の時間に待てど暮らせど来ない。

やっとこさ、北条の芝居を上演していた南座の前で会うと、いきなり、

「金がなくなったから、鎌倉へ帰る。タバコがないので、タバコをください」と言う。

京都駅まで送っていき、タバコを買って渡すと、今度は、

「弁当代をください」と言う。

川端は一銭も持っていなかったのである。

特急「はと」で帰るというので見送ると、展望車に乗り込むので、北条が恐る恐る、「先生、キップはあるんですか…‥」

と尋ねると、川端は、

「検札の人に言って、あとで払います」

と澄ました顔だった。

川端はノーベル賞が決まった途端・・・

富岡鉄斎の7000万円もする屏風をポンと買い、1000万の埴輪の首を買った。このほかにも、計一億円近い美術、骨董品を買いあさった。

ノーベル賞の賞金は2000万円しかない。その五倍に相当するが、本人はわかっていての、この買い物だった。授賞式の直前、今日出海文化庁長官のところに行き、「フランスにいい絵の売りものが出た。日本で買っておいた方がいい。自分のノーベル賞の小切手を担保にするから」と申し出て、今長官をあきれさせた。

小切手を担保に、そんな高価な絵を外国から送ってくれるはずがなく、第一、その絵の価格もわからないうちなのに、と今長官は開いた口がふさがらなかった。

そんな借金の天才″の川端は、断るほうでもまた名人級。借金取りがきても平気の平左で、逃げたりせず、

「ないものはない。いずれ払います」

と言ったきり、あの独特なミミズクが驚いたように目をむいた表情で、何時間でも無言のまま、相手と対峠していた。

そのうちに相手が閉口して、退散した。「金はあるヤツが出せばよい。なければ払うな」という金銭哲学を貫いていた。

川端が自殺したあとには、集めた国宝、重要文化財など、約200点を超える美術品が遺された。

一銭の金がなくても、気に入った骨董があると、

「これ届けてください」と買い集めた結果が、この膨大な川端コレクションの遺産になったのである。

 川端の古本グセも同じである。

東京・神田のなじみの古本屋へ入っていき、主人が「先生、よくいらっしゃいました」とあいさつしても、口もきかず知らん顔。おもむろに本をみて、ステッキを持っている時はステッキで、そうでない時は手で「あれ」とさす。

声がボソボソして開きとれないので、主人がさされたあたりの本を五、六冊とり出してみせる。帰りぎわに、「先生、この中のどれですか」と聞くと、やっと「これだ」と決まる。

また、気に入ったものは、みさかいなく持ち帰るクセは、ここでも如何なく発揮された。

ある時、古本屋のオヤジが川端を応接間に通し、奥から家宝にしている夏目淑石の軸を持ってきて、

「先生、これは売りものじゃないんですが、私の大事なものなんです。先生には特別にお目にかけます」と自慢してみせた。

すると、川端の目は大きくなり、一目で気に入った様子。

「いや、これは私がもらっていきます」

「イヤ、ダメです」

「これはもう私のものだ」

「これ包んでくれ」

「困ります。困ります」

と何度も断っても、まったく聞かない。

結局、持って帰ってしまった。ほしくなると、もうどうにも止まらないのだ。

C  川端の執筆時間は真夜中、それも午後11時からと決まっていた。

午前中は必ず寝ていた。

午後2時か3時に寝室から起きだしてきて、出版社や来客に会い、夕食後、また寝て、午後10時か、11時に起きて、深夜から明け方まで執筆していた。

たまには午後11時頃から、一、二時間を家族とゆっくり話したり親しい人とよもやま話をする時間もあり、近所に住んでいた作家の山口瞳やその家族がきて雑談した。

山口瞳によると、髪が固いのか、無頓着なのか、川端は髪にクシをさしたまま、人前によく出てきた。終始無言。川端は客が来ても一言もしゃべらないことが多かった。

時々、大きな目をパチクリして相手をにらむようにみつめる。30分でも、一時間でも沈黙していることがよくあった。

ただし、本人は相手がいることに、不愉快なのではなかった。つい、相手が気まずい思いをして腰を上げ「帰ります」と言うと、「まだいいじゃないか」と驚いた顔になった。

そして、やっと言葉が出てきた。そして、また沈黙居士。延々と無言の対座が続いた。

ある時のこと。

この沈黙居士の川端のところに、若い女性編集者が原稿依頼に訪れた。コチコチに緊張して、執筆を依頼した。川端はいつものクセで何も言わない。沈黙が続いた。

女性編集者は面くらい、そのうち顔が真っ赤になり、蒼白にかわった。しかし、川端は相変わらず、押し黙ったままで何も言わない。若い女性は沈黙に耐えきれず、突然「ワァーッ」と泣き出した。川端は驚いて「どうしたの」と初めてロを開いた。

沈黙に、いても立ってもいられず「それでは失礼します」と告げると、川端は「まあいいでしょう。もう少し」と必ず引き止めるのがクセであった。

インタビューを申し込むと、「ぼくには何も話すことはありません」といつも断った。では写真を撮らせてほしい、と頼むと断らなかった。写真さえ撮ればこっちのもの、と新聞記者が取材に行って、何を聞いても、「エエ」とか「アア」とかばかりで、返事をしないことが多かった。

処置なしと思っていると、帰りぎわに、川端は「勝手に、いいように書いておいてください。話したことにして」とポツンと言った。

 その無口の川端が神戸に講演会に出かけた。

川端は開口一番、

「わたしは講演が嫌いだ。それなのに、ここに連れて来られた。顔だけをみせてくれ、と言われたから、顔だけみせます。一時間ここに座っているから、よくみてくれ」

と言い、それから例のミミズクのような顔で、目をパチクリしながら黙り込んでしまった。

これには聴衆も驚くやらあきれるやら。

川端は時々、時計をみながら、「1時間というのは長いですね」「今日はいいお天気ですね」とつぶやく。

作家の陳舜臣の話である。陳はこの講演を聞きに行けなかったが、聞きに行った友人はこれで逆に感激した、という。

川端はノーベル賞を受賞する前年、ノルウェーで開かれた

国際ペンクラブ会議に福田蘭童(評論家)らと一緒に出席した。

ある晩、福田が川端の部屋に行くと、「大変なことになった。すぐ帰る」

と青くなっている。

ニューヨークで買ったセックスの実況録音盤を家へ送ったが、それが娘に知られたら大変だ、とオロオロしている。

結局、スケジュールを早く切りあげて帰り、スレスレで間に合って、娘に気づかれずにすんだ、という。福田の話である。
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/14456.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c74

[リバイバル3] カルトの世界 中川隆
8. 中川隆[-7616] koaQ7Jey 2017年5月27日 17:14:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2012年1月21日 今は幸せかい?「オウム」の女たち
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-54f0.html


 これは、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が、何故100人前後の女性を愛人として囲うことが出来たかを知るヒントになるはずだ。

一連のオウム報道から「オウム真理教」の最高神は「シヴァ神」であることを思い出した。

 まず、「シバァ=リンガ(シバァの男根)」は、ヒンドゥー最高神シバの象徴だと言われていることだ。女性器はヨーニといい、この写真の形は性交している状態で、そこから世界が誕生したという神話を具現化しているという。

 シヴァ寺院では、この「シヴァ=リンガ」が御本尊として安置されており、それが礼拝の対象だ。

 最高神シヴァ神の一番弟子を自称する、生臭い麻原彰晃が、この好都合な理屈を利用しないはずがない。オウム真理教は、麻原個人の欲望のはけ口が目的に造られた宗教と見ることもできる。
 
 昨年末、週刊新潮に「醒めない夢の中に棲む「オウム」の女たち」と題して、オウム真理教に関与した女性たちの近況が掲載された。

 そして、本年に入り平田信と斉藤明美の出頭から、再び「オウム」の女たちが国民の注目を集めている。

 一説には、100人前後の女性が麻原の愛人だったとされる。

 果たして、オウム真理教を信じ麻原の餌食にされた多くの女性たちは、今は、どうなっているのだろうか。

 週刊新潮によると、人生を狂わせ誰一人として幸せになっていないようだ。

 とは言え幸せとは、人それぞれが感じるとるもの。
 他人の秤で、とやかく言う必要はないのかも知れない。


■オウム事件解決の最大功労者は仮谷さん 
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6f83.html

■オウム事件関連死刑囚(麻原以外)

http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2015/03/21/sikei_13.jpg
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■醒めない夢の中に棲む「オウム」の女たち
     (週刊新潮2011.12.8号より)

・ウッタマー正悟師こと村岡達子(61)

  元幹部、関西地区在住。
 今は翻訳、英作文の添削など得意な英語を使って、収入は月4万〜5万ほど。
 オウムでの質素な生活に慣れているので苦しいとは思わない

・マハーケイマ正大師こと石井久子(51)

  教祖の間に3人の子を生んでいる。Ishii_
 00年11月に懲役3年8ヶ月の服役終えて出所。
 一時精神を病む。
 現在は訪問介護の仕事しながらマンションで父親と二人暮らし。


・サクラー正悟師こと飯田エリ子(50)

 02年8月に懲役6年6ヶ月の実刑を終え出所。
 出所数ヶ月前に脳出血。Iida_eriko
 現在は都内の実家で暮す。
 右半身麻痺。
 リハビリのため実家(府中市?)と病院を往復する毎日

・北沢優子(47) ケロヨンクラブ
  末期ガン。都内のケアハウスで暮す


・キサーゴータミー正悟師こと山本まゆみ(享年53)
  07年1月死亡。喉頭がん


・鹿島とも子(51)
 仕事見つからず息子と2人で日給6000〜8000円のビラ配りのバイトしたこともある。
 今はホームヘルパー資格取得し、11年間続けた。
 02年に芸能活動再開。


・加藤智子(47)
  上祐の運転手。6歳位の娘と沖縄で暮らしている

・ヤソーダラー正大師こと松本知子改め松本明香里(53)麻原の妻
  知子改め明香里は、次女や三女らと関東地方で暮らしている。
  長女は01年1月東京・北区でスーパーで万引逮捕歴。
  現在ファミリーとは絶縁
  四女は自ら教団との関係を絶つため松本家を離れている。

・スメーダ正悟師こと木田裕貴子(34)
  18歳で麻原の子を産む(女)。実母と麻原の子(娘・高校生)と3人で群馬県に住む。
  娘は乗馬クラブに通っている(近所住人の話)
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■オウム真理教 “美人すぎる幹部”が脳出血で車いす生活に
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111208-00000324-jisin-soci                 
 地下鉄サリン事件、松本サリン事件などの実行犯・遠藤誠一被告の死刑が確定したことで、一連のオウム関連の刑事裁判が終結した。

 そんな中、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が愛した女たちの今が、次々に明らかとなった。


 美人幹部E・I(51)もその一人。

 かつては、松本死刑囚の寵愛を一身に受けていたが、その後は悲惨な生活を送っているという。「彼女は今、東京郊外にある実家で親と暮らしています。服役中に脳出血で倒れ、現在も後遺症が残っており、車いすと杖が必要な生活をしています」(公安関係者)


 松本死刑囚の妻T・M(53)と子供たちは、一家離散で流転生活。
 T・Mは現在、心の病気を患っているという話も。


 また、オウム真理教の金庫番だった“女帝”H・I(51)は、松本死刑囚との間に双子を含む3人の子をもうけたが、子供たちとは暮らしておらず、神奈川県近郊で父親と2人で暮らしているという。


 元オウム真理教被害対策弁護団の滝本太郎弁護士はこう話す。

 「オウムに関わった女性たちは、家族と和解し、支えられて過ごしている人が多い。
その一方で、教団から抜け出したものの人間関係がギクシャクしてしまい、孤独に暮らしている人もいます。そういう意味では、多くの女性たちの人生を狂わせたことは事実でしょう」


http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/10/25/jun0405.jpg
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/10/25/200317image.jpg

■大内早苗は福島県浪江町出身で兄・大内利裕とともに出家

麻原尊師 生でダラダラいかせて出演
http://youtu.be/YZEXOhpLd2E

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html#c8

[リバイバル3] カルトの世界 中川隆
9. 中川隆[-7615] koaQ7Jey 2017年5月27日 17:32:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

オウム真理教に入信した女性の末路 村岡達子
https://www.youtube.com/watch?v=OF3v6v5QXMI
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html#c9
[リバイバル3] 恐怖の玉川温泉 _ 本当に怖いのは強酸性のお湯ではなく玉川温泉信仰 中川隆
23. 中川隆[-7614] koaQ7Jey 2017年5月27日 19:44:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

クマ襲撃か、61歳女性死亡 仙北市田沢湖
2017年5月27日 14時41分 掲載 2017年5月27日 17時2分 更新
https://www.youtube.com/watch?v=E-VE6kq0JaM

 秋田県警仙北署によると、27日、仙北市田沢湖の山林で女性が頭から血を流して倒れているのが見つかった。

女性は同市田沢湖の大石正子さん(61)で、死亡が確認された。
クマに襲われた可能性が高い。

 現場は玉川温泉から国道341号を八幡平方面へ700〜800メートル。


大石さんは、仲間と朝からタケノコ採りで山に入っていました。

現場周辺はこの時期、タケノコ採りなどで山に入る人が多くなる一方で、クマの活動が活発になり、クマの目撃情報が多く寄せられています。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/308.html#c23

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
108. 中川隆[-7613] koaQ7Jey 2017年5月27日 23:27:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-05-27
日本人を殺しても、愛国無罪で許されると彼らは本気で思う
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170527T1726590900.html


2017年5月10日に誕生した韓国の新しい大統領である文在寅(ムン・ジェイン)は、日韓合意など守るつもりはさらさらなく、「日本が韓国の期待に応えるべき」と言い放っている。

合意は破られ、日本の血税である10億円はドブに捨てることになるというのは、この合意が為されたその瞬間から分かりきっていた。

なぜ分かりきっていたのか。韓国は約束を守るような国ではないというのは、今まで何度も何度も日本との合意を反故にして蒸し返してきた歴史があるからだ。

こんなことすらも分からないで韓国と合意を結んで10億円を取られた岸田文雄外相の責任は非常に重い。こんな間抜けな男が外相であることに怒りを覚える。

どうすれば良かったのか。もちろん、「助けるな、教えるな、関わるな」の非韓三原則の採用である。韓国とは一刻も早く国交断絶をしなければ、日本の国益は毀損され続ける。

韓国は変わらない。むしろ、もっと悪くなる。

歴史問題で世界的に日本を貶めて対外イメージを悪化させ、日本人を自虐史観に落とし込み、日本からカネを毟り取り、日本の領土を侵略してくる。

反日教育を受けた若者が日本を破壊するのだ

日本人が反発すれば歴史問題を持ち出して日本人を萎縮させ、さらに韓流を押し込んでくる。下らないワンパターンを永遠に繰り返して日本を屈服させようとする。

日本人が腹を立て始めると、今度は「日本で差別主義者が台頭してきた」とわめき立て、日本人の自尊心をいっさい認めない。日本人を徹底して押さえ込み、立ち上がらせないようにしている。

日本人に対する憎悪が日本への破壊工作に込められている。

この韓国と共に反日教育を徹底してきたのが中国と北朝鮮である。こうした国々で「反日教育」が行われ続けているということに対して日本人はまったく無関心でいた。

この反日教育というのは「日本人を差別する教育」「日本人に対する憎悪を植え付ける教育」である。教育の現場で、憎悪を埋め込むものだ。

教育は読み書きや計算だけを教える場ではない。思想を教える場でもある。

子供たちは真っ白いキャンバスであり、そこに力強く「日本憎悪」を書き込んだら、それが子供たちの中から一生消えることのない鮮明な思想となっていくのは想像に難くない。

教育によって、中国人や韓国人は「日本人を憎む」ように洗脳されている。だから深刻なのだ。

日本人は、彼らが大人になって政治的影響力を及ぼすようになったとき、当然のように彼らが日本を破壊するための活動を始めることを察知すべきだった。

これらの国では1990年代から反日教育が国家主導で行われるようになっていた。

極端な反日工作が目立ってきたのは、反日教育を受けて生粋の「日本人嫌い」になった若者が、世の中に出てきたことと無関係ではない。


これからは憎悪によって歴史が作られていく事実

もちろん、だからと言って中国人や韓国人が日本人を見かけたら叩き殺すようになったというわけではない。彼らにも人間としての節度がある。

しかし、子供の頃から「日本人は悪い民族だ」と教えられて来たのだから、日本人が嫌いだと思うようになったり、日本人を避けたいと考えるようになるのは無理もないことだ。

こうした状況は日本のマスコミはいっさい報道しない。

そのため、日本人の年配者の中には、反日教育がここまで浸透して日本に対する憎しみでいっぱいになっているとは想像すらもしていない。

しかし今の日本の若年層は、中国・韓国・北朝鮮に憎悪をぶつけられる対象になっているので敏感だ。中国・韓国・北朝鮮に対して郷愁など一片もなく、むしろ「敵」という認識の方が強くなっている。

日本の年配層と若年層のどちらの見方が正しいのかというと、もちろん若年層の方の見方である。

反日教育の徹底により、歴史が変わり、時代が変わり、人が変わり、国と国の結びつきが変わってしまった。反日国家とは価値感が共有できない時代となった。

今は基本的に反日という憎悪がベースになっているのだから、日本と中国・韓国・北朝鮮は、これからは憎悪によって歴史が作られていくと考えるべきなのだ。

憎悪が生み出すのは、平和や相互理解や調和ではない。憎悪からそのようなものは生まれない。憎悪から生まれるのは、ただひとつのものだけだ。それは暴力だ。

これからは日本でも中国・韓国・北朝鮮の反日教育の反発から、これらの特定アジア3ヶ国に対して激しい憎悪を持つ若年層が大人になっていき、日本国内の空気も変わっていく。

これらの特定アジア3ヶ国に対して、報復外交や非韓三原則を訴える人間がどんどん増えていく。これは止めることができない潮流となる。

対立や衝突や憎悪の応酬を恐れず、反日には反中・反韓で立ち向かえる人間が出てくる。そういう時代になる。


「愛国無罪で許される」と彼らは本気で思う

中国・韓国・北朝鮮は、日本を徹底的に憎む「反日」を選択した。だから、今後も日本破壊工作が延々と続く。

日本の領土を自分たちの領土だと言い、日本人は1000年間許されることのない加害者だと言い、日本人は絶滅して欲しいと言い、日本という国は沈没して欲しいと口に出す。

そして、「日本に対しては何をしてもいい」と愛国無罪の思想が育っていく。

2012年の夏には中国で反日暴動が起きたが、ここで中国人が叫んでいたのは「愛国無罪」という言葉だった。

「日本を痛めつけるのは愛国的行為であり、だから日本人に対しては何をしても無罪になる」

これは明らかに日本人に対する激しい差別であると言ってもいいが、今後は中国でも韓国でも「愛国無罪」という考え方が浸透していく。

すでに反日が定着しているので、潜在意識の中には愛国無罪も定着していると見た方がいい。

この暴動の時、「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」というスローガンが出て、それを多くの中国人が賛同したのだが、こういうのが本当に実行されても「愛国無罪で許される」と彼らは本気で思うはずだ。

世の中が、そういう方向に向かっているということを認識していないと恐ろしいことになる。

日本と特定アジア3ヶ国の対立は、やがては修復不可能になる。それはこれらの国家が反日を選択した瞬間から決定付けられていることでもある。

この結末には何が待つのか。

言うまでもなく、物理的な衝突である。言葉の対立だけで終わらない。それは、最後には血を見ることになる。


反日を叫ぶ夥しい中国人。日本と特定アジア3ヶ国の対立は、やがては修復不可能になる。それはこれらの国家が反日を選択した瞬間から決定付けられていることでもある。

反日暴動が起きると、中国では「日本の男を見たらすぐに殺せ。日本の女を見たらすぐに犯せ」というスローガンが街に出て多くの人がそれに賛同のサインをした。日本人はここに書かれている言葉を何度も噛みしめるべきだ。現実を見なければならない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170527T1726590900.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c108

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
75. 中川隆[-7623] koaQ7Jey 2017年5月28日 08:39:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『みずうみ』川端康成/文學ト云フ事 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MXy2tV2p3BI


〈みづうみ〉をめぐる円環と時のない水


「僕のあとをつけて来たんだね」と銀平は女に言った。

「つけて来たというほどでもないわ。」

「僕が君の後をつけて来たんじゃないだろうね。」

「そうよ。」 
                              
(『みづうみ』川端康成)

そうよ、の微妙なニュアンスによって、奇妙な会話は円環する。そうだともいえる。そうでないともいえる。後をつけているようでいて、その実、つけられているのかもしれない。

いずれにせよ、同じところを中心にぐるぐると互いを追いかけていくのであれば、どちらかが追い詰め、追い詰められないかぎり、追う者と追われる者はあいまいな距離を保ち続ける。

追跡者の側に、追いかけることの快楽があるように、追われる者にも受動者の快楽があるというのは、倒錯した関係妄想だが、主人公・桃井銀平が、半ば気の触れた切実さで後をつけていく女たちは、ときに追われることに恍惚し

「先生、また私の後をつけて来て下さい。私の気がつかないようにつけて来て下さい」

などと囁く。水木宮子の場合においてもそれは同様で、銀平は「麻薬の中毒者が同病者を見つけたよう」に、あるいは「同じ魔界の住人を見つけたように」、街中で見かけただけの彼女の後を、忘我のうちに追っていくのである。それは白昼夢のように朦朧と閉じた世界だ。

「しかし、あぶないねえ。」と老人は言った。

「鬼ごっこという遊びがあるが、男にたびたびつけられるなんて、悪魔ごっこじゃないの?」(同)

銀平は追っていく。教え子の玉木久子を、銀杏並木の道で見つけた美少女・町枝を、自分と同じ魔を垣間見せる水木宮子を、愛憎半ばする幼なじみの従姉の面影を、その向こう側に みづうみ のほとりの町で死んだ美貌の母を。

同時に、銀平は追われている。図らずも宮子から盗んだ大金に、生死のわからない赤子の存在に、街娼に、自らの醜い足に、みづうみ で変死した父の幽霊に。

鬼ごっこのルールに本来明確な「終わり」がないように、みづうみ を中心に病的に円環する美と醜の、母・子の、あるいは父・子をめぐる追走の連鎖は、小説世界の中で半ば永遠のようにすら思われる。

桃井銀平は、その少年時代を「母の古里」である美しい みづうみ のほとりの町で過ごした。二つ年上の従姉・やよいに幼い思慕を寄せながら岸辺に遊ぶ日々は、やがて、父親が みづうみ で変死体となって発見された事件を機に、軋みをあげ始める。里の人々は銀平の一家を疎むようになり、美しい従姉も銀平に残酷な言葉を投げつけるようになる。

やがて銀平は町を出て出兵し、やよいは海軍士官と死別して未亡人となる。銀平にとっていつしか故郷は縁遠いものとなっていた。

みづうみには霧が立ち込めて、岸辺の氷の向こうは霧にかくれて無限だった。

銀平は母方のいとこのやよいを、みづうみの氷の上を歩いてみるように誘うよりも、むしろおびき出したものだ。少年の銀平はやよいを呪詛し怨恨していた。
足もとの氷がわれてやよいが氷の下のみづうみに落ちこまないかという邪心をいだいていた。

 (同)


円環の目である みづうみ は、「時のない」場所である[※1]。

幼い日の冬、やよいと手をつないでその氷の上を歩いていくと、手からは力が抜け、つないだ手は離れ、従姉は岸へと戻ってしまう。二つ年上の彼女はもう十四、五歳である。もし手を離さなければ、彼女を氷の下に沈めることができたのだろうかと銀平は考える。


「後をつけなければ、二度と会えぬ世界に見失ってしまう」

「この世の果てまで後をつけるというと、その人を殺してしまうしかないんだからね」

という銀平は、いわば ゆきずりの永遠性ともいうべき矛盾したものに手を伸ばしている。しかし、そもそも銀平の世界には、瞬間も永遠もないように思われる。そこには過去にとらわれてゆがんだ時空間が、夢のように連鎖するばかりだ。


『みづうみ』は1954年の「新潮」1〜12月号に、一度の休載もなく連載された作品である。ただし、この雑誌掲載版と、現在手に取ることができる版では、結末が異なっている。

「新潮」版は、最終回で物語の始まりと終わりがつながり、逃亡者として夜の軽井沢に現れた銀平が、再びバスに乗っていずこへか去っていく場面で終わる。

ところが、1955年4月に単行本として発刊するにあたって、川端康成は、連載第11回の後半と、最終回の全文を削除し、あえて一度はできあがっていた物語の円環を壊し、「未刊」状態としたうえで本作を刊行した[※2]。

結果として、物語の時系列が、どの時点を起点としているのかが判然としなくなり、ただでさえ回想の入れ子構造が頻発する描写によって、終盤ではほとんど現実感は失われ、作品全体が夢に絡めとられてしまったようにも思われる。

作劇上の大きな円環が断ち切られた作品世界において、跡に取り残されたように、小さな円環のモチーフが随所に見え隠れする。銀杏並木の幻想、地面の裏の赤子の幻想、そしてくりかえし回想される従姉の姿・・・。


そもそも、作品に妙な悪夢性を加えているのが、ゆきずり の出会いに異常なまでに執着する主人公に反して、作中に現れる登場人物たちが、ほとんど何らかの縁故でつながっているという設定である。

銀平が町で見かけて思わず後をつけていく水木宮子は、ある資産家の老人の愛人なのだが、その有田老人は、銀平がかつて勤めていた学校の理事長である。さらに、水木宮子の弟の友人・水野には町枝という美しい恋人がいるが、あるとき、銀杏並木の道でその町枝を見かけ、後をつけていくのは、ふたたび銀平なのである。ともすると、小説全体が有田老人がうなされている悪夢の一端なのではないかとすら思える。

桃井銀平は夏の終り――というよりも、ここでは秋口の軽井沢に姿をあらわした。(同)

『みづうみ』の冒頭はこの一文から始まる。そして本来はここへと戻ってくるはずだった。「姿をあらわした」という文言が、銀平の犯罪性、ある種の神出鬼没性をどことなく匂わせる。罪人のように、夜の軽井沢で不審な行動を取る銀平は、作者による「続き」の削除によって、前後の接続を失った主人公である。しかし、この宙に浮いた軽井沢のくだりは、それでいて回想がもっとも美しく接続されるパートでもあるのだ。なぜ作者はあえて円環を断ち切ったのか。

そもそも、終盤の描写を追っていくと、銀平は、追跡の円環から自ら脱しえたのではないかとも思えるのである。以下の蛍をめぐる一連の描写がそれにあたる。

銀平はこのごろでもときどき、母の村のみずうみに夜の稲妻のひらめく幻を見る。ほとんど湖面すべてを照らし出して消える稲妻である。その稲妻の消えたあとには岸べに蛍がいる。岸べの蛍も幻のつづきと見られないことはないが、蛍はつけ足りで少し怪しい。 (同)

銀平はただそうしてみたかったので、なんのためともなかったのだが、自分の心を少女の体にともすように、蛍籠を少女のバンドにひっかけたと、後からは感傷で見られるだろう。しかし少女は蛍を病人にやりたがっていた。そのために銀平は蛍籠を少女にそっとくれたのかとも思えるのだった。 (同)

銀平はここでは、母の里の みづうみ の記憶に直結する蛍籠を、ほとんど気まぐれのように少女に預け、その場を立ち去っていく。母に、従姉に連なる憧憬を、蛍籠に封じて町枝に渡したとも読めるのである。この後、小説の描写は一転して現実の醜さを押し出したものになり、ほのぐらい現実の不気味さが銀平の意識を覆っていく中、断ち切られて終わる。

意識の底にはただ、霧に閉ざされた無人の みづうみ のイメージだけがつめたく残る。水をたたえた湖面は小説上の「時」すら存在しないかに思われる。圧倒的な 目 である。


[※1] 「湖の多くは遠いむかし地の奥から火を噴きあげた火口に水をたたへてできた。火はしづまる時が来るが、水には時がない」(『湖』「まへがき」有紀書房、1961年)

[※2] 「川端康成『みづうみ』の基礎研究 ――作品「みづうみ」はいかに構築されているか――」田村充正参照
http://school.genron.co.jp/works/critics/2015/students/fukuda/574/

最高峰「みづうみ」

 川端康成の魔界文学の最深部にあるのは、間違いなく、この作品であろう。

 「みづうみ」は、昭和29年に雑誌『新潮』に連載された。

 主人公の桃井銀平は、夏の終わり、というよりも秋口の軽井沢に、姿をあらわす。

 彼は、新しい服を買い、それまでの服を袋につつんで、空いた別荘のゴミ箱に捨てる。

 そしてさまよって、トルコ風呂のアーチに誘われたように、そこに入ってゆく。といっても、現在とは異なり、日本にトルコ風呂が入ってきたばかりのころだ。売春宿ではない。

 蒸し風呂に、湯女(ゆな)がマッサージをしてくれるだけだ。

 それでも、湯女の少女の親切さに心をゆるした銀平は、日ごろの思いを、このように表現して少女に話しかける。

   君はおぼえがないかね。ゆきずりの人にゆきずりに別れてしまつて、ああ惜しいといふ……。

僕にはよくある。なんて好もしい人だらう、なんてきれいな女だらう、こんなに心ひかれる人はこの世に二人とゐないだらう、さういふ人に道ですれちがつたり、劇場で近くの席に坐り合はせたり、音楽会の会場を出る階段をならんでおりたり、そのまま別れるともう一生に二度と見かけることも出来ないんだ。

かと言つて、知らない人を呼びとめることも話しかけることも出来ない。人生つてこんなものか。さういふ時、僕は死ぬほどかなしくなつて、ぼうつと気が遠くなつてしまふんだ。

 私は、この言葉は、銀平の言葉であると同時に、作者である川端康成の、心からの言葉であると考える。

 だから、私の本の冒頭の扉(とびら)に、この言葉を書きつけた。
 康成の人生観の本質を吐露した言葉だと思う。

 ここにあるのは、かなしみ である。会者定離(えしゃじょうり)の、別れのさびしさにともなう、深い喪失の かなしみ だ。

 「みづうみ」には、銀平が邂逅する幾人もの少女や若い女が登場するが、最も劇的なのは、銀平の教え子・玉木久子の場合であろう。

 銀平は久子の放つ魅力にとらえられ、彼女が自宅に帰ってゆく後をつけた。
 初めは、怒りにふるえた久子だったが、とうとう二人は、深い関係になる。

    久子の女は一瞬に感電して戦慄するやうに目ざめた。久子が身をまかせた時、多くの少女はかうなのだらうかと、銀平さへ戦慄を感じたほどだ。

 それからたちまち大胆になった久子が銀平を驚かせる。稲妻に打たれたように、久子の女は目ざめたのだ。

 大胆になった久子は、銀平を自分の家の居間へ誘い入れる。

   「私、先生と結婚出来ませんでせう。一日でもいいから、私の部屋でいつしよにゐたかつたの。いつもいつも、草葉のかげはいやだわ。」

 久子の居間は二階の洋室で、女生徒の部屋としては想像も及ばないほど華美で贅沢な室だった。

 しかし久子が銀平の夕食にサンドイッチを作ってくれたりしたから、家人に露見した。

 母が来て、久子の居間のドアを外からノックした。

 「お客さまですから、お母さま、あけないでちやうだい」と答えた久子の凛々(りり)しさに、銀平は「狂はしい幸福の火を浴びたやうに」思う。ピストルでも持っていたら、うしろから久子を打ったかもしれない、と思った。

 玉は久子の胸を貫いて、扉の向こうの母にあたる。

久子は銀平の方へ倒れ、銀平の脛(すね)に抱きついた。久子の傷口から噴き出す血がその脛を伝わり流れて、銀平の足の甲をぬらすと、それは薔薇の花びらのように美しく、桜貝のようになめらかとなって、猿の足みたいな銀平の醜い足は、マネキン人形の指のようにきれいになる……。

 銀平の狂おしい妄想に、銀平の根づよい願望があらわれている。

恩田信子の密告

 しかし、それは久子がこれまでの高等学校を辞めて、私立の女子高等学校に移ってからのことだった。

 久子が何でも話すという親友・恩田信子が、銀平を不潔であるとして、二人のことを暴露(ばくろ)して、校長と久子の父に密告の手紙を書いたのだ。

 手紙の後ろには、「むかでより」と書かれていたという。

 恩田信子の醜がよく出た場面だが、このため銀平は高等学校を追われ、久子も学校を変えなければならなかった。

 久子の父は戦後も巨大な財を築いたが、その豪邸を見たとき、銀平はそこに犯罪めいた不正が背後にあると想像して、久子をそれとなく脅迫したものだった。

 久子が銀平を受け入れたことは、久子の裡に魔界の住人たる要素があった故だろう。そして久子を魔界の住人たらしめる要素の一つに、作者は、父親の隠れた犯罪を示唆(しさ)しているのだ。

 その証拠というべきだろうか、久子の父は、あの有田老人と親しい関係にあった。

 その縁で久子は、有田が理事長をつとめている女子高等学校に転校できたのだ。

 しかも銀平は、有田老人とも縁の糸が結ばれていた。銀平の学生時代の友人が、有田老人が私立高校で挨拶する演説の草稿を銀平にまわしてくれる。収入をなくした銀平の大切な資金源となった。

 こんなふうに、魔界の縁はつながっている。

 だが、大切なのは、銀平と久子のその後だろう。

 私立の学校に移った久子を監視する父の目は厳しかった。
 二人は、久子がえらんだ場所でしのびあいをすることになった。
 久子の父が戦前に買った山の手の屋敷の焼け跡である。

 コンクリートの塀だけが一部は崩れながら残っている。人目がこわい久子は、その高い塀のなかで銀平と会うのを好んだのだ。はびこった草の高さが、二人をかくすに十分だった。

 手紙も電話も、ことづけも出来なくて、久子への連絡は一切絶たれたようなものだったから、この塀の内側に白墨で書いておくと、久子が見に来てくれるのだった。逢いたい日と時間の数字を書いておく、秘密の告知板だった。

 久子が、母の金を盗んできて、銀平に渡すこともあった。

 「先生、首をしめてもいいわ。うちに帰りたくない」と、久子がささやくこともあった。

 「先生、また私の後をつけて来てください。私の気がつかないようにつけて来てください。やはり学校の帰りがいいわ」と言うこともあった。

 そして、久子が私立高校を卒業した日、その秘密の場所で、偶然に二人は久しぶりに会うことができた。

魔界との訣別(けつべつ)

 だが、このときの出逢いが、二人の最後になった。
 銀平は久子の肩に手をかけて誘った。

   「どこかへ行かう。二人で遠くへ逃げよう。さびしいみづうみの岸へ。どう。」

 だが、久子は思いがけないことを口にした。

   「先生、私もう先生とお会いしないことにきめてゐたんです。今日ここでお目にかかれて、それはうれしいけれど、もうこれきりにして下さい。」

 訴えるように、だが落ち着いた声で久子はつづける。

   「どうしても先生に会はずにゐられなくなつたら、どんなにしても先生をさがして行きます。」

  「僕は世の底に落ちてゆくよ。」

  「上野の地下道に先生がいらしても先生をさがして行きます」

 この対話は、かなしい。銀平と久子の人生を象徴した場面である。

 「僕は世の底に落ちてゆくよ」とは、銀平の、いっそう没落下降してゆくという予感であろう。

 これに対して、久子は「上野の地下道」を口にする。

 「上野の地下道」とは、敗戦後の日本の、敗残の象徴である。上野駅の線路の下をくぐる地下道には、空襲で家を焼かれ、行き場を失った人々であふれた。落魄(らくはく)没落の極まりを表現する言葉が「上野の地下道」だった。

 久子の言葉は、銀平に対する決死の愛情を語って美しいが、同時に、銀平の没落してゆく人生を予言しているかのような言葉でもある。

 この久子の決意に、銀平は反対することはできない。銀平は語る。

   「よくわかつた。僕の世界なんかにおりて来ない方がいいよ。僕に引き出されたものは、奥底に封じこめてしまふんだね。さうしないと、こはいよ。僕は君とは別の世界から、一生君の思ひ出にあこがれて、感謝してゐるよ。」

ここには、期せずして、この「みづうみ」という作品の基本構造が露呈している。

 銀平は生涯の一時期、久子とともに、しびれるような恍惚たる魔界の世界を共有した。銀平は久子の内部に隠されていた魔界の要素を引き出し、眩暈のような至福の世界を共有することができた。

 だが、久子は、その世界から去る、という。相変わらず魔界の彷徨をつづけるしかない銀平は、「僕は君とは別の世界から、一生君の思ひ出にあこがれて、感謝してゐるよ」と、胸中を率直に吐露するのである。

 久子は、この日を境に、魔界を去って、通常の人々の住む、通常の世界に帰ってゆく。銀平は魔界にとどまるのである。

   「さう、それがいいんだ。」と銀平は強く言ひながら、刺すやうなかなしみにいたんだ。

銀平は、久子の思い出を胸中に抱きつつ、これからも、〈魔界〉の漂泊をつづけるしかないのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/2c7a6c69a33ebc85e550787008066180



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[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
76. 中川隆[-7622] koaQ7Jey 2017年5月28日 10:14:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「眠れる美女」 House of the sleeping beauties - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=VkmWkMa6ol0&list=PLk_YtDtAxVsp3ZSSkeNzVqGgX5MmdQmJS
https://www.youtube.com/playlist?list=PLk_YtDtAxVsp3ZSSkeNzVqGgX5MmdQmJS

「眠れる美女」の爛熟(らんじゅく)した世界

江藤淳の「文芸時評」

 「みづうみ」の数年後、昭和35年から36年にかけて、康成はまことに大胆な状況設定と細密な描写からなる、この作品を雑誌『新潮』に連載した。

 連載が終了するやいなや、ただちに江藤淳が『朝日新聞』の『文芸時評』に、その冒頭でこの作品を取り上げて、次のように述べた。


   夢見る過去の女たち

  「眠れる美女」はまことに奇妙な小説である。(中略)この作品に漂っている異常にエロティックな雰囲気は、ほとんど息苦しい位である。

だが、江口老人の前に出現するさまざまな匂いと肌を持つ全裸の美少女たちとは、いったい何だろうか? 

それはまさに「匂い」と「肌」であって、人間ではない。

むしろ沈黙の妖しい世界のなかで、感覚の旋律  が協奏される時間がかたちをとったものとでもいうべきものである。

江口の夢見る過去の女たちは、これらの感覚が記憶のなかから喚(よ)び起す影である。(中略)

   反・小説的な作品

 同じ老人の官能を主題にしていても、今月から連載のはじまった谷崎潤一郎氏の「瘋癲(ふうてん)老人日記」(中央公論)と比較すれば、この作品がいかに非小説的な世界の上につくりあげられているかは明らかだろう。

「匂い」が、あるいは触感が過去を現前させるのは、プルウストの有名なプティット・マドレエヌの挿話を想わせ、その点でも「眠れる美女」は川端氏の小説がしばしばそうであるように前衛的な趣さえ有するが、ここには「見出された時」を求めようとする意志が欠けている。いや、むしろ意志の放棄によって成立しているという点で、これはほとんど反・小説的な作品である。(中略)

  女体への憧憬(どうけい)

 『山の音』でも「みづうみ」でも川端氏は老人の女体への憧憬を描いた。憧憬が専ら感覚のゆらぎとして歌われるのは「眠れる美女」でも同様だが、ここではその感覚の  衰弱と荒廃を美に仕立てあげようとする詭計がからくも功を奏したというべきであろう。この作品のエロティシズムは、生命からではなく、死の感覚をもてあそぶところから生れている。そういえば「眠れる美女」という童話があったが、川端氏の作品は、人工が最も根源的な生の秘密をあばき出しているという意味で、一首の裏返された童話だともいえるのである。

 この時評は、時評を超えて、「眠れる美女」という作品の本質をかなり深く指摘していると思われる。

 なかでも、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の冒頭の挿話(そうわ)に言及(げんきゅう)しながら、「眠れる美女」の前衛性を指摘し、作者が小説を作ろうとする意志を放棄している点から「これはほとんど反・小説的な作品である」と規定していることは、江藤淳らしい卓見である。

「眠れる美女」は、どんな物語なのか?

 江藤淳の批評を読んだ読者は、いったい、「眠れる美女」とは、どんな作品なのだろうと不思議に思うだろう。

 この作品の主人公は、江口老人である。彼は70歳を過ぎた老人だ。世間的には成功したらしい。だから、お金がある。だからこそ、こんな贅沢(ぜいたく)なこともできるのだろうが、江口老人は、友人に教えられて、ある秘密の家に通うようになったのである。

 その秘密の家、というのは、老人の客が行くと、一室に通される。そこには、睡眠薬によって昏睡状態になった若い女性が、裸身で横たわっている、というのだ。

 老人は、ひと晩、その裸身の女性と一つの蒲団(ふとん)の中で過ごす、という仕組みである。

 若い読者にとっては、奇妙なものに思われるだろうが、老人にとっては、若い女性、しかも裸身の女性と一夜をともに過ごすなんて、これ以上にない極楽世界なのだ。

 この宿を教えてくれた友人は言った。「まるで秘仏と寝るようだ」と。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/67b04470abd8cc0be42ab309a4cbdc1d



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[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
77. 中川隆[-7621] koaQ7Jey 2017年5月28日 13:40:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「眠れる美女」の主題

 では、このような作品「眠れる美女」の主題は、何だろうか。

 それは、老年にとって、「生」とは何か? である、と私は思う。そして、「生」とは、主人公・江口老人にとって、「性」なのである。

 そうなのだ。この作品において追究されているのは、老年における「性」なのだ。

 秘密の家で、眠る美女の傍(かたわ)らで、江口はさまざまなことを回想する。初めて「きむすめ」(処女)を与えてくれた女のこと。あるいは、ふと知り合った神戸の人妻……、というように。

 つまり、この宿で江口老人は、美女に寄り添われながら、自分のこれまでの人生を回顧するのである。そして、自分の生がまもなく終わってゆこうとするのに、この世界には、次々と若い生命が誕生してくる、という事実に、今さらながら、深い悔恨を覚えるのである。

   計り知れぬ性の広さ、底知れぬ性の深みに、江口は67年の過去にはたしてどれほど触れたといふのだらう。しかも老人どものまはりには  女の新しいはだ、若いはだ、美しい娘たちが限りなく生まれて来る。

人生の悔恨

 彼のこの慨嘆(がいたん)には、生命というもの、あるいはその生命を司(つかさど)っている、或る超自然的な力への驚異がこめられている。

 彼がこれまでの生涯で触れ得なかった底知れぬゆたかさ深さは、この世界には無限に残されている。そして世界は、彼一個の生死なぞには微動だもせず、滔々(とうとう)と流れ動いてゆく。そこには絶えずあらたな生命が誕生し、逞しい旺(さか)んな繁殖を見せつつ、世界はいつまでも続いてゆく。

 この巨大なエネルギーと、いくつかの貧しい記憶を胸にたたんでひっそりと消滅してゆかざるを得ない自己の存在を対比させるとき、彼はあらためて生の実体の一端に触れた思いがするのである。

 巨大な生の末端につらなる自己の微小な生を認知することによってはじめて、江口は自分という存在に対する限りないいとおしみを覚え、そのかなしみのなかで、自分が生きてあるという思いを胸にするのである。

 思い出の中にしかあり得ない自己の生を思い知らされ、しかもその生はあまりにもゆたかで底知れぬものであるということに驚嘆し絶望し、それ故になおいっそう、現在の自分があわれでいとおしい――このような自己憐憫(れんびん)のなかで初めて彼は自己の生を確認し、つかのまの「生の旋律、生の脈動」に身をゆだねることが可能となったのである。

 ――江口老人にとって、眠れる美女の家とは、自己の無力を知り、逆にそこから自己の生を確かめ、そこに瞬時の生の脈動を回復し獲得するところであった。

 そしてこのような秘儀は、どこででも可能なものではない。きわめて制限された条件、厳密な規制、それらの掟の支配する鎖された空間の中でのみ、彼はかろうじて老年固有の「生」を獲得できるのである。

 このように、「眠れる美女」は、江口老人が、自分の無力を悟ったところで終わる。それも、その夜は、江口のために、二人の眠る娘が与えられていた。その一人が、死んでしまうのだ。

 あわてて、宿の女に報告すると、「騒がなくてもいいです。娘も、もう一人をりますでせう」と言う。

 この秘密の家の、恐ろしい非人間性が曝露(ばくろ)されたところで、物語は収束するのである。


魔界の衰微

 このように見てくると、「眠れる美女」という作品は、一方で川端康成の絶頂を示す傑作であると同時に、他方で、その躍動的な〈魔界〉が次第に衰微してゆく過程を物語っているように思われる。

 なぜなら、「みづうみ」の主人公・銀平は、あんなに自在に、過去から現在に、現在から過去に、自由に行き来していたではないか。広い空間・時間を自由に生きていた。

 それに対して「眠れる美女」の江口老人は、閉じ込められた密室の中で、ただ回想という形で自由な羽をはばたかせることができるだけだ。それは、自由を半分、失っている、という意味であろう。

 このように、昭和23年の「反橋」(そりはし)を契機に、魔界に入って、ぐんぐん深みに到達した川端康成の文学世界は、ようやくこのころから、衰えを見せはじめるのである。

 そうして数年後、康成は、或る痛切な告白をすることになる。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/59bfb08c823b075b073288758bc7d4b4


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[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
78. 中川隆[-7620] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:05:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋 2014-08-14


『魔界の住人 川端康成―その生涯と文学―』
https://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%BD%8F%E4%BA%BA-%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90-%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E6%A3%AE%E6%9C%AC-%E7%A9%AB/dp/4585290753


本書は、世界中の、川端康成の生涯と文学に関心をもつ人々を対象として書かれた。

 川端康成は、1899年から1972年まで、72年の生涯を生きた。だから今や、彼の静謐な自裁から42年の歳月が経過したことになる。しかし今日、〈魔界〉というテーマから検証するとき、川端作品は、これまで以上に、いっそう重要な意味をもつ。
 第二次世界大戦の後、彼の作品は突然に深まり、〈美〉の妖しい光を放つようになった。 私は、ちょうどこのとき、川端が〈魔界〉の門をくぐったのだと考える。

 のちの1968年、ノーベル文学賞を受賞したとき、川端は「美しい日本の私」と題した講演を行った。この講演において彼は、日本の、伝統的な〈美〉の精神と魂について語った。

 しかし、この中で最も重要なのは、禅の一休の「仏界入り易く 魔界入り難し」という言葉を引用した部分であろう。そして、この〈魔界〉とは、真の芸術家の、運命的・必然的な魔の世界を意味するのだ。

 川端はつづけた。「究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願ひ、恐れの、祈りに似通ふ思ひが、表にあらはれ、あるひは裏にひそむのは、運命の必然でありませう」と。

 これらの言葉は、川端自身の決意と、彼自身がすでに〈魔界〉に入っていること、そして彼の作品がこの永遠の理念によって書かれている事実を語っている。この時点において、彼はまさに〈魔界〉の住人だったのである。

 では、川端文学における〈魔界〉とは、いったい何だろう?

 「みづうみ」(1954)において、この小説の主人公・銀平は、しょぼくれた中年男である。彼は今、職がない。しかし彼はいつも、美しい少女や若い女性のあとを追いかける。彼は〈美〉の探求者なのだ。そして時たま、稀(まれ)に、そうした女性と恍惚とした瞬間を持つが、そこから彼は逃亡する。彼はこの世の永遠のバガボンド(漂泊者)であり、そうして世界の底へと沈んでゆく。

 銀平は、父親をとても早くに失ったので、子供の頃から、いつも〈寂しさ〉を感じつづけてきた。そしてしばしば、自分の脚が猿の脚に似ていて〈醜い〉、という劣等感に悩まされている。彼にはまた、自分の行為が道徳に反しているという〈悪〉の悔恨がある。しかもなお、彼は常に、地獄の底から、聖なる世界の美少女に〈憧憬〉しつづけている。

 これが、川端康成の〈魔界〉作品の基本的構造である。

 「住吉」連作(1948-71)、「千羽鶴」(1949-54)、「山の音」(1949-54)、「眠れる美女」(1960-61)、「片腕」(1963)、「たんぽぽ」(1964-68)は、〈魔界〉を内蔵する作品群だ。

 本書を通じて、私は川端文学の個々の作品を解明し、川端内面の精神世界・魂の世界の、生涯の軌跡を解明しようとした。

 私は読者に、川端の〈孤児〉としての宿命、伊藤初代との悲しい初恋、肉親や女性や友人との邂逅と別離、戦争の深い傷痕(きずあと)、源氏物語を初めとする日本の伝統的な文化や〈美〉を深く自覚していたことを、知っていただきたいと願う。また、川端の、前衛的な手法への挑戦を知っていただきたいと思う。

 最後に私は、読者が川端作品の豊かな〈魔界〉の世界を楽しんでくださることを願っている。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/1ad45a88c5dd04acb486669cfcf0e718

拙著が刊行されることになりました。
 下の写真は、その外箱の装幀です。デザイナー盛川和洋氏の手になるものです。

http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/75693d1279ef9c6b832a1edcc18e79ac

 
 まず、上巻の写真に、ご注目ください。

 そう、最近話題になった、川端康成の初恋のひと、伊藤初代を中心に、三人がうつった写真ですね。

 ところは、岐阜市瀬古写真館、ときは、今を去ること93年、大正10年(1921年)10月9日のことです。

 右端の人物は、新聞では、カットされていることが多かったですね。ところが、この人物・三明永無(みあけ えいむ)こそ、川端の恋を応援し、婚約も、じつは、この三明が初代を説得して成立したものなのです。

 三明永無は、名前が表すように、仏門の出身です。島根県大田市温泉津(ゆのつ)の名刹(めいさつ)瑞泉寺に生まれました。浄土真宗の寺です。石見銀山の傍らにあり、その冨を象徴して、絢爛(けんらん)たる内陣が、今も残っています。

 三明永無は、杵築(きづき)中学(現、大社高校)を首席で卒業した秀才でした。

 一高の寮で同室になると、三明永無を先頭に、4人の仲間ができました。石濱金作、鈴木彦次郎と、この二人の、計4人です。

 一高3年のころから、彼ら4人は夕食後、散歩に出かけ、寮に近い本郷のカフェ・エランに通うようになりました。

 そこに、14歳の可憐な少女、伊藤初代が女給として、いたからです。

 彼女は、会津若松で生まれ、早くに母親をなくし、父親とも別れて親戚と一緒に上京した、貧しい少女でした。親戚から見捨てられた形になった初代を、お母さんのように世話したのは、偶然に出会った、山田ます、という女性でした。

 山田ますは、夫とともに、カフェ・エランを開きました。そして初代も、その店に出たのです。

 松井須磨子の全盛期でした。彼女が舞台で歌い、評判になった歌を、初代と3人の学生たちは、一緒に歌いました。でも、恥ずかしがり屋で、臆病な康成は歌えず、黙って聞いていました。

 しかし、彼らが一高を卒業し、東大に進んだころ、山田ます(そのころは、すでに夫と別れていました)の新しい恋によって、ますは、カフェを閉じ、新しい恋人と結婚するため、台湾に行きました。恋人が、台湾銀行に就職することが決まっていたからです。

 しかし、ますは、初代のことが心配で、自分の実の姉が岐阜の寺にとついでいることから、その住職夫妻の養女になるように、取り計らいました。

 このため、伊藤初代は、岐阜にいたのです。

 三明永無に誘われて、岐阜に途中下車した康成たちは、その西方寺という寺を訪ねました。そして初代は、康成にも、やさしい口をきいたのです。

 しかも初代は、あの、東京本郷で、学生たちの人気者であった日々を忘れかねていました。貧乏なお寺はいやだ、東京に帰りたい、と言いました。

 その言葉で、康成の恋が再燃したのです。ずっと、初代を好きでいて、でも、あきらめていたのでした。

 物心がついたとき、すでに両親が病死していた康成は、自分が〈孤児〉であることを自覚していました。

 そして、母親を早く亡くし、父親とも縁のうすい伊藤初代に、自分と似た境遇を感じ、それがいっそう、恋情をつよくかきたてたのでした。

 初代と結婚したい、と打ち明けた康成を、三明永無は応援する、と誓いました。
 そして実際、大正10年10月に、二人は夜行列車に乗って岐阜に行き、寺を訪れました。

 三明永無の巧みな話術で、初代を長良川沿いの宿に誘うことに成功しました。
 三明は、康成がいないところで、初代に、「お前にはお似合いの相手だ。結婚しろ」と説きました。

 かねてから、三明を兄のように慕っていた初代は、その言葉に従いました。

 康成から訊(たず)ねられた時、「もらっていただければ、幸せですわ」と初代は答えました。

 3人は、夜、宿の二階から、鵜(う)飼いの舟が下ってくるのを見ました。
 舟で燃やす、かがり火が、初代の顔を染めていました。

 「初代がこんなに美しいのは、今夜が初めてだ。彼女の人生にとっても、今がいちばん美しい時だ」と、康成は思いました。

 そのことを書いたのが、「篝火」(かがりび)という作品です。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/75693d1279ef9c6b832a1edcc18e79ac


昨夜は、上巻の写真について説明いたしました。
今夜は、下巻表紙の写真について説明いたします。

http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9193c196012d2f269aab93090e2d264c

 この、少女がこちらを向きながら仰向けに横たわっている絵は、石本正(しょう)画伯の「裸婦」という作品です。晩年の康成が愛蔵した絵です。

 康成は石本正の絵が大好きで、二人のあいだに深い交流のあったことも、本書では、詳しく描いています。

 さて、晩年の川端康成がこの絵を愛蔵したのには、深いわけがあります。

 この絵は、康成晩年の渇望、といおうか、憧れ、といおうか、康成の深い願望をこめた、まことに象徴的な絵画なのです。

 昭和29年(1954年)に、生涯の最高作ともいうべき「みづうみ」を発表した康成は、その6年後の昭和35年(1960年)に、多くの評家と読者をあっと驚かせた奇想天外な小説「眠れる美女」を発表します。

 主人公は、江口老人。友人から教えられた秘密の家に行きます。そこでは、別室に通されると、睡眠薬で深く眠らされた少女あるいは若い女性が裸身で横たわっているのです。

 この家のただ一つの禁制は、眠った女性に手荒なことをしないこと、だけです。

 実際、この秘密のクラブである家に通うのは、お金はあるが、すでに性的能力を失った、哀れな老人たちだけなのです。

 江口老人だけは、見かけとは異なり、まだ性的能力は残っているのですが、とにかく、秘密の密室で、眠った裸身の女性と、ひと晩、一緒に眠れるということは、至高の歓びなのです。友人は、この家の一夜を「秘仏と寝るようだ」と表現しました。

 まことに、老人たちは、この家に通い、一夜、裸身の少女と寝床を共にするだけで、生きている歓びを得ることができます。

 もちろん、歓びだけではありません。この家は、海に面した高い崖の上に建っているようです。冬が近く、海面にみぞれが降るイメージも出てきます。

 つまりそれは、遠からず老人を襲う死の恐怖です。暗黒の死の恐怖とうらはらに、一夜の、観音様のような全裸の美女と過ごすという稀(まれ)な幸運を得るのです。

 江口は5夜、この家を訪れ、眠って意識のない裸身の女性の傍らで、過ぎ去っていった女性たちを思い出します。特に第1夜に思い出す、結婚前に北陸から京都まで旅を共にして処女を奪った女性の記憶は鮮烈です。

 その2〜3年後の昭和38年(1963年)に、康成は「片腕」という短い作品を発表します。これも、深い濃霧の夜に、一人の少女から、片腕だけを借りてアパートに帰り、片腕と一夜を過ごす、という物語です。

 晩年の康成が、若い女性、あるいは少女の裸身に、どれほど憧れを抱いたか、よくわかるでしょう。

 私のお薦(すす)めは、「掌(たなごころ)の小説」と呼ばれるショート・ショートの一編、「不死」という作品です。新潮文庫に、「掌の小説」を1冊にまとめたものがあります。この、終わりの方に出てきます。

 ひとりの老人と、若い娘が、手をつないで歩いています。若い娘は、昔、老人の若かったころ、恋人だったのですが、おそらくは身分の違いのため一緒になれず、娘は海に飛び込んで死にました。

 その娘が今、生き返って、昔の恋人で、今は人生に敗残した老人と一緒に歩いているのです。

 くわしい話は、私の本(下巻)で読んでください。

 やがて二人は、ゴルフ場の端にある、大きな樹の、洞穴(ほらあな)に、すうっと入ってゆきます。そうしてもう、出てこないのです。

 永遠の生命を得て、二人は永遠に、その樹の洞(ほら)の中で過ごすのです。
 ここに、康成の晩年の渇望(かつぼう)がよく表れています。

 私は、そのような康成の晩年の渇望を具現した作品として、この絵を下巻の口絵写真の一つに選びました。

 装幀家の盛川さんは、私の意図をよく汲んで、この絵で表紙を飾ってくれました。

 女性の読者は、この表紙を見て、ちょっと、どきっとされるかも知れませんが、男性読者は、この絵の美しさに惹(ひ)かれることでしょう。

 康成が死の半年前(昭和46年、1971年)に発表した「隅田川」という作品があります。これは、敗戦後まもなく書き始められた「住吉」連作の、22年ぶりの続編なのですが、その中に、象徴的な言葉がでてきます。

 主人公の行平(ゆきひら)老人が、海岸の町の宿に行こうとして、東京駅に行きます。すると、ラジオの街頭録音の、マイクロフォンを突きつけられます。

 「秋の感想を一言きかせてください」という質問です。行平は、

 「若い子と心中したいです」と答えます。

 「えっ?」と驚くアナウンサー。その意味を問います。すると行平の答えは、こうです。 

「咳をしても一人」

 この一節は、最晩年の川端康成の心境を、如実にあらわした部分です。

 咳(せき)をしても一人……これは、放浪の俳人・尾崎放哉(ほうさい)が、晩年、小豆島に渡って独居し、死に近いころ読んだ自由律の俳諧です。

 咳をしても、その、しわぶきの声が、壁に反響して、空しく自分にはね返ってくるだけだ、という、孤独と寂寥(せきりょう)の極みを詠んだものです。

 つまり康成は、自分の根底の願望を「若い女性と心中したいです」と語り、その背景として、恐ろしい孤独の意識を、ここで告白したのです。

 ノーベル賞を受賞して、晴れがましい騒ぎの余波から、わずか3年後のことでした。

 以上が、下巻の写真の意味するところです。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9193c196012d2f269aab93090e2d264c

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c78

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
79. 中川隆[-7619] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:16:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

運命のひと 伊藤初代 2014-07-10

カフェ・エラン

 1919(大正8)年の秋……そのころ、一高の寮や学校からほど近い本郷元町2丁目に、小さなカフェがあって、4人の一高3年生が毎夜のようにこの店に姿を現した。一高寄宿舎の和寮十番室で、文字通り寝食をともにしていた親しい四人組であった。そのカフェの女給、「千代」と呼ばれている美しい少女に惹かれてのことであった。

 その四人とは、川端康成、三明永無(みあけえいむ)、石濱金作、鈴木彦次郎である。

 名前は川端を筆頭にあげたが、実際は、康成は彼らのなかで積極的に千代に近づいたりするわけではなかった。むしろ仲間たちの後ろにかくれるように静かに腰かけているばかりだった。

 千代は快活な少女で、康成たちが来ると、よくそのころ流行していた「沈鐘」の森の精の歌をうたった。

 それはハウプトマンの原作になる歌劇で、松井須磨子が劇中でうたう歌である。北原白秋作詞、中山晋平作曲の歌は、こういう歌詞だった。

  くるしき恋よ、花うばら
  かなしき恋よ、花うばら
  ふたりは寄りぬ、しのびかに
  ふるえて目をば見かはしぬ

 鈴木彦次郎も、石濱金作も、三明永無も一緒に声をあげてうたった。ただ、康成だけが、生来の臆病のせいか、羞恥のせいか、うたわなかった。

 その康成が、仲間の前で突然、自分は千代と結婚する、としずかに宣言したのは、それから2年たった1921(大正10)年、数え23歳(満22歳)の秋のことである。東京帝大の2年生になっていた。

 そのころエランはいったん店を閉じ、千代は岐阜にいた。

 その岐阜に、夏休暇の終りに上京するとき、出雲出身の三明永無と京都の停車場で落ち合った康成は、岐阜で汽車をおりて、一緒に千代を訪ねた。

 そのときの印象に自信をもったことから、康成はいきなり、結婚すると宣言したのである。仲間たちは驚いたが、若者らしく、康成の願望をかなえるよう協力しようという体制がととのった。

 なかでも、奥手(おくて)で、話すことの苦手な康成を励まして、この恋の成立に熱心に働いたのが三明永無である。出雲の杵築(きつき)中学出身で、僧院の育ちであるが、闊達な若者であった。

 10月8日、三明にともなわれてふたたび岐阜に千代を訪ねた康成は、ちよから「結婚」の同意を得ることができた。


伊藤初代の生い立ち

 しかしここで、カフェ・エランの内情と、千代こと、伊藤初代が岐阜にいた事情を説明しておこう。

 ――1910(明治43)年の大逆事件のとき、幸徳秋水らの特別弁護人をつとめた平出(ひらいで)修というひとがいた。彼は前年、石川啄木、平野万里、木下杢太郎、吉井勇、高村光太郎たちと耽美的な雑誌『スバル』を出した同人のひとりで、その出資者でもあった。明治法律学校に学び、弁護士になった人なので特別弁護人をつとめたわけだが、文学にも造詣が深かったのである。

 幸徳秋水が獄中から平出に送った陳弁書を、石川啄木が秘かに借り出して読み、大きな感動を受けた事実も、よく知られている。

 その平出修の義理の甥にあたる平出(ひらいで)実(みのる)が、吉原の娼妓であった美貌の山田ますを請け出して、ふたりで始めた店がカフェ・エランである。平出修の縁で、文壇関係者がよく顔を出したという。谷崎潤一郎や佐藤春夫も店に来た。

 ところが平出実は、たった1年で、店の女給と出奔し、山田ますは捨てられた形になった。

 しばらく店を休んだあと、山田ますは平出修や実の思想上の仲間であった百瀬二郎に励まされて、店をつづけることになった。

 康成たちが訪れたのは、このころである。

 菊池一夫『川端康成の許婚者 伊藤初代の生涯』(江刺文化懇話会、一九九一・二・二七)、菅野謙『川端康成と岩谷堂』(江刺文化懇話会、1972・12・28)、及び羽鳥徹哉「愛の体験・第一部」によると、店で「千代」と皆から呼ばれた、この娘の本名は伊藤初代(戸籍名ではハツヨ)。1906(明治39)年9月16日、伊藤忠吉を父、大塚サイを母として、福島県会津若松市川原町25番地、若松第4尋常小学校(現、城西小学校)の使丁(してい)室(用務員室)で生まれた。のちに康成が繰り返し描いたように、1906(明治39)年、丙午(ひのえうま)の生まれである。

 忠吉とサイはまだ入籍しておらず、ハツヨは、母方の戸主、大塚源蔵長女サイの私生子として届けられた。

 用務員室で生まれたのは、サイが臨時の使丁として時々学校の仕事を手伝っていたからだという。

 父伊藤忠吉の出身地は、岩手県江刺郡岩谷堂(現、奥州市江刺町岩谷堂)字上堰14番地である。

 だが忠吉は一度、村でS家の婿に入ったが、この結婚生活に破れて家を飛び出し、北海道および仙台を経て、会津若松に来ていたのであった。

 母サイの父は前述の大塚源蔵であるが、会津若松市博労町で雑貨商をいとなんでいた。かつては鶴ヶ城に出入りする御用商人であったという。

 3年後に大塚源蔵はふたりの仲を認め、1909年8月に結婚届けが出された。サイは伊藤忠吉の籍に入り、ハツヨは嫡出子の身分を獲得したことになる。

 田村嘉勝の調査によると、若松第4尋常小学校の沿革史、1907(明治40)年3月1日の項に、「同日ニ於イテ伊藤忠吉月俸5円、同サイ月俸4円ニテ使丁ノ任命アリ」と明記されているそうである。

 使丁とは、小使、現在の用語でいえば用務員である。

 しかし不幸にもハツヨの母サイは、1915(大正4)年、病死する。サイ行年29歳、初代10歳、妹マキ3歳(いずれも数え年)であった。

 妻サイに死なれて、父忠吉は翌年、マキひとりを連れて、故郷江刺に帰った。親の農業を手伝うことにしたのである。悄然たる帰郷であった。

 残された初代は、叔母キヱ(母サイの妹)の子の子守や使い走りをしながら学校に通った。成績はよかった。(菅野謙は、首席と書いている。)

 3年生から4年生に進級するとき、学校長から表彰されることになった。その日も初代は小さな身体に小さな子をくくりつけ、受章式に出た。その姿を見て、参列した来賓や父兄が感涙にむせんだという話が残っているそうだ。

 そのころ、祖父の大塚商店の商売が行きずまり、一家を挙げて東京へ行くことになった。初代は4年の初めで学校をやめ、祖父の一家の一員として上京した。

 一方、岩谷堂に帰っていた父忠吉の方は、1916(大正5)年になって、岩谷堂小学校の使丁として採用された。昭和5年(ママ)に老齢の故をもって退職するまで、実直にその仕事をつづけたという。
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運命のひと 伊藤初代(2)

カフェ・エランのマダム

 大塚源蔵一家の上京によって上京した初代は、子守として働いた。口入れ屋がいて、医者、弁護士、旅館、料理屋……子守を必要とする子がいると、そこに雇われ、その子が大きくなると、次の家の子守をしたという。

 そうしたなかで、山田ますと知り合った。

 山田ますは、岐阜市加納の出身で、郷里に姉がいた。1887(明治20)年生まれであるから、初代より19歳年上、ということになる。

 吉原で娼妓をしていたが、初代と出合ったころは、すでに自由の身になっていたらしい。美貌で知られ、平出実もその美貌に惹かれて身請けしたのであろう。

 しかし、心のやさしい、親切で義侠心にとむ気質のひとだった。

 康成らと知り合った1919(大正8)年、初代は数え14歳であった。

 カフェ・エランが繁盛したのは、この初代を目当てにした学生たちが多かったのも理由の一つであるが、マダムの山田ますの美貌に惹かれて訪れる年長の学生たちもいた。

 平出実が出奔したあと、店には男手がなかった。また小学校にもろくろく行っていなかった山田ますは、帳付けに不安をもっていた。このため、二階に住み込んで、帳付けを見てくれる学生をもとめていた。

 このとき、百瀬二郎から紹介されたのが、のちに「『南方の火』のころ」(東峰書房、1977・6・5)を書く椿八郎である。

椿は信州松本の生まれで、慶應義塾大学の医学部予科の学生であった。

 椿によると、店はカフェとは名ばかり、むしろミルクホールのような感じで、テーブルが4、5脚とカウンターがあるばかり、簡素な雰囲気であったという。マダムと千代のほか、もう一人、20歳前後の女給がいた。

 店ははじめ平出修の関係から文士がよく出入りし、「エラン」の名も、与謝野鉄幹がフランス語の「飛躍」という語からつけてくれたのだという。(与謝野晶子が名づけた、という証言もある。)

 ところが一高3年生の川端たち4人グループが出入りしていたころ、彼らとは別に、マダムの山田ますを目当てに、毎晩やってくる東大法科3年生の客があった。福田澄男というひとで、卒業したら台湾銀行に就職することが決まっていた。

 やがて福田の卒業のときがきて、ますは7歳年下の福田と結婚して台湾までついて行くことに決めた。しかし千代こと伊藤初代のことが気がかりである。

 幸い郷里の岐阜で、姉が浄土宗の寺に嫁いでいて、夫婦のあいだに子がなかったところから、初代を養女にするということで、岐阜の寺にあずけたのだった。寺の名を西方寺(さいほうじ)という。

 初代が岐阜の寺にいたのは、そういうわけであるが、康成は東大2年の夏休暇の終わり、上京の途上、三明永無と京都駅で落ち合い、岐阜で途中下車してこの寺に初代を訪ね、自分にも親しく口をきいてくれたところから、初代に対する恋情が燃え上がり、東京に帰ってからの結婚宣言となったのである。

 康成が1924(大正13)年から1927(昭和2)年にかけて書いた「篝火(かがりび)」(『新小説』1924・3・1)、「南方の火」(『新思潮』1923・7・20)、「非常」(『文藝春秋』1924・12・1)、「暴力団の一夜(のち改題されて「霰」)」(『太陽』1927・5・1)、など初代との愛を描いた作品は、康成自身、モデルの名を明かし、「これら4編に書いた通り」と証言しているように(「独影自命」2ノ6、2ノ7)、作中に登場する初代が多く「みち子」と呼ばれているので、ふつう「みち子もの」(時には「ちよ物」)と呼ばれている。命名者は、伊藤初代をはじめて広く世に知らしめた川嶋至である。

 「みち子もの」は、「掌(たなごころ)の小説」にも少なからずある。

 これらの作品には、康成の一途に思いこんだ恋情と、それがあっけなく裏切られた経緯、その後長く尾をひく恋情が、フィクションをほとんど交えず、描かれている。
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川端康成の手紙 初恋 運命のひと 伊藤初代(3)

喪われた物語「篝火(かがりび)」

長良川のほとり

  「篝火(かがりび)」(『新小説』1924・3・1)は、その発端を描いた作品である。

 「私」は、朝倉(三明永無みあけ えいむ がモデル)とふたりで岐阜に来る。岐阜名産の雨傘と提灯を作る家の多い田舎町にある澄願寺に、みち子を訪ねる。

 半月のうちに二度も、東京から岐阜のみち子を訪ねてくるのは、養父母の手前、穏やかではないので、名古屋方面に行く修学旅行のついでに寄るといつわって、手紙を書いての訪問だった。

 みち子は、和尚が壁塗りをする手伝いをしていた。やがて「私」の前に着疲れた単衣(ひとえ)で坐っているみち子を見ながら、「私」はこの二十日ばかり空想してきたみち子と、現実のみち子の隔たりを感じて、自分の願望がどんなにみち子を苦しめているかを思って暗澹たる思いになる。自分の一途な恋情が、恋に未経験なみち子を懊悩させていることへの反省である。

 しかし朝倉の機転で、みち子を寺から出させることに成功したふたりは、長良川の川向こうの宿に来る。そこで「私」が湯に入っているあいだに朝倉がみち子を口説いて「私」との結婚を承諾させる、という筋書きだった。

 朝倉は、「私」の知らないうちに、みち子を口説いていた。「俊さんが君を望んでゐる。お前の身にとって、こんないいことはないと僕も思ふし、それに第一、非常に似合ひだ」と言ってくれたのである。

   「朝倉さんから聞いてくれたか。」

  さつと、みち子の顔の皮膚から命の色が消えた。と見る瞬間に、ほのぼのと血の帰るのが見えて、紅く染つた。

  「ええ。」

  煙草を銜(くは)へようとすると、琥珀(こはく)のパイプがかちかち歯に鳴る。

  「それで君はどう思つてくれる。」

  「わたくしはなんにも申し上げません。」

  「え?」

  「わたくしには、申し上げることなんぞございません。貰つていただければ、わたくしは幸福ですわ。」

幸福といふ言葉は、唐突な驚きで私の良心を飛び上らせた。

  「幸福かどうかは……。」と私が言ひかかるのを、さつきから細く光る針金のやうにはきはき響いてゐるみち子の声が、鋭く切つた。

  「いいえ、幸福ですわ。」

  抑へられたやうに、私は黙つた。

 みち子は、今の養父母が自分のうちからお嫁に出すと言っているから、「一旦私の籍を澄願寺へ移して、それから貰つて下されば、わたくしは嬉しいんですわ」と言う。これに対して「私」は、「私のやうな者と婚約してしまつてと、なぜだか、無鉄砲なみち子が可哀想でならない」と思うのである。

 そして三人は宿の廊下から、長良川を下ってきた鵜飼いの船を印象深く見る。

 「私は篝火をあかあかと抱いてゐる。焔の映つたみち子の顔をちらちら見てゐる。こんなに美しい顔はみち子の一生に二度とあるまい」と思う。――

 「篝火」は、およそこのような作品であるが、「私」がみち子を痛ましく思ってならないでいる心がつよく全編を流れている。昨夜の汽車の中で見た女学生たちよりも、みち子が子供であることを思って胸を痛めたりする。
瀬古写真館と故郷・岩谷堂の父

1921(大正10)年10月8日、意外なほど簡単に、みち子は結婚を承諾した。それも、康成が直接口説いたのではなく、友人朝倉が初代を説いて、なかば強引に結婚を納得させたのである。このとき康成は数えで23歳、初代は16歳であった。「篝火」に書いてあるとおりである。

いったん初代を寺に帰した翌日の10月9日、3人は、婚約の記念に、岐阜の裁判所の前にある大きな写真館で、幾枚かの写真をとった。

 このときのことを、康成は「南方の火」(第4次37巻本『川端康成全集』第2巻)の第4章に、以下のように書いている。

   岐阜市の裁判所前の写真屋だつた。

「髪は?」と時雄が小声に言つた。弓子はひよいと彼を見上げて頬を染めると、子供の素直な軽さでぱたぱたと化粧室へ走つて行つた。   (中略)それを見ただけでも時雄は夢のやうに幸福だつた。微笑が温かくこみ上げてきた。(中略)

    しかし男の前では恥かしくて化粧の真似も出来ないほんの小娘だつた。だから、初め時雄と一緒に行つた水澤といふ学生を加へて三人   で写す時には、彼女は海水帽を脱いだばかりのやうにほつれた髪だつた。それからもう一枚二人で写したのが、弓子の父に見せた写真だつた。

    弓子が化粧室を出てくると、写真師が生真面目に、

   「どうぞそこへお二人でお並びになつて。」と白いベンチを指さしたが、時雄は弓子と並んで坐ることが出来なかつた。うしろに立つた。彼の親指に弓子の帯が軽く触れた。その指の仄かな體温で彼は弓子を裸でだきしめたやうな温かさを感じた。

 時雄は康成、水澤は三明、弓子が初代であることは、言うまでもない。このとき、三人で並んだ写真と、康成と初代と二人だけの、二枚の写真が撮影されたはずであるが、93年後の今日、三人の写真だけが残って、二人だけの写真は、すでにない。

 ここに登場する写真館が瀬古写真館であることは、地元の人々によって、簡単に明らかになった。岐阜裁判所の向かいにある、当時も群を抜いた写真館であったからだ。

 瀬古写真館は創業1875(明治9)年の、三層の塔をもつ、瀟洒な洋館の写真館だった。

 このとき三人が一緒に写した写真は、後年、長谷川泉が三明永無を説いて譲ってもらい、世に出た。

 しかし実は、瀬古写真館にも、原板が残っていた。

 岐阜では、若き日の康成が恋人を求めて岐阜を訪れた事実を検証しようと、島秋夫、青木敏郎といった人たちが調査を進め、その結果、「篝火」に澄願寺と記されている寺――初代が養女として預けられていた寺が正しくは浄土宗の西方寺(岐阜市加納新本町)であること、などが明らかにされてきた。

 わたくしは、三木秀生『篝火に誓った恋 川端康成が歩いた岐阜の町』(岐阜新聞社、2005・5・5)を入手して、そこに当時の瀬古写真館の写真のあることに驚いた。それがあまりにも見事な洋風建築であったからだ。

 川西政明『新・日本文壇史』第三巻(岩波書店、2010・7・15)の第16章「川端康成の恋」には、この瀬古写真館が岐阜市今沢町、と明記されているので、現在も存続しているにちがいない。早速、104番で電話番号を訊ね、康成らの写真がそちらに存在するなら、譲ってほしいと店主夫人らしき方に懇願した。

 数日後、現在の社長(正社員36名を擁し、名古屋、四日市にも事業所を持つ瀬古写真株式会社に成長していた)瀬古安明氏より、4葉の写真が恵送されてきた。
 当時の写真館主、瀬古安太郎が撮影した3人の写真2葉のほかに、3人の署名を写した写真があった。

   大正十年十月九日
     於 瀬古写真館
   三明永無 東大二年(23)
   伊藤初代 十六才
   川端康成 東大二年(23)

 「篝火」に書かれた10月8日の翌9日に、確かに3人は、瀬古写真館で写真をとったのだ。

 そして、康成と初代が二人で撮った写真は、今度、岩手県岩谷堂に住む、初代の父に結婚を承諾を得るために行く、いわば二人の愛の証拠写真として機能させる目的を秘めていたのである。

 もっとも、このときの約束を、「婚約」と表現するのは、大げさすぎるかもしれない。康成がのちに「文学的自叙伝」に書いているように、「結婚の口約束」という表現が、真実にいちばん近いだろう。

 なお、初代をめぐる岐阜の西方寺との関わり、西方寺の住職夫妻、あるいはカフェ・エランのマダムであった山田ますのその後などについては、早い時期に『図書新聞』に発表された三枝康高「川端康成の初恋」が詳しい。この文章は、山田ますのその後の人生についても教えてくれ、流転する人生の不思議をも示唆して味わい深い名文である。

 ――それはさておき、東京に帰ると、康成は早速、新居の準備をはじめた。といっても先立つものは金である。

 菊池寛と康成のかかわりについては後述するが、まだ二、三度会ったばかりの先輩である。翻訳の仕事でも紹介してもらえれば、ぐらいの気持だった。

   私の二十三歳の秋であつた。菊池氏は今の私より若い三十四歳であつた。私は小石川中富坂の菊池氏の家を訪れて、二階の部屋に対坐するなり、娘を一人引き取ることになつたから、翻 訳の仕事でもあれば紹介してほしいと、突然頼んだ。菊池氏はうんと力強くうなづいて、引き取るつて、君が結婚するのか。ええ、結婚は今直ぐぢやないと、私が弁解めいたことを言ひ出さうとすると、だつて君、いつしよにゐるやうになれば結婚ぢ  やないか。そして、その後に直ぐ続いた菊池氏の言葉は、僕は近く一年の予定で洋行する、留守中女房は国へ帰つて暮したいと言ふから、その間君にこの家を貸す、女の人と二人で住んでればよい、家賃は一年分僕が先払ひしておく、別に毎月君に五十円づつやる、一時に渡しといてもいいが、女房から月々送るやうにしといた方がいいだらう。

それに君がもらふ学資の五十円くらゐを合せたら、たいてい二人で食へるだらう、君の小説は雑誌へ紹介するやうに芥川によく頼んでおいてやる、そんなことで僕がゐなくてもなんとかやつて行けるだらう、僕が帰つたらその時はまた考へてやる。私はあまりに夢のやうな話で、むしろ呆然と聞いてゐた。

   だから、帰りの富坂は、足が地につかぬ喜びで走つて下りた。

  二十三の私が十六の小娘と結婚したいと言ふのも非常識だつたが、菊池氏はただ娘の年と居所を聞いただけで、なんの批判も加へず、穿鑿  (せんさく)もしなかつた。

 「文学的自叙伝」(『新潮』1934・5・1)の冒頭部分に描かれた告白である。ここにもあるように、伊藤初代と、恩人としての菊池寛は、康成の文学を成立せしめた二つの重要な要素である。

 さて、 経済的な目処はついたが、次に康成が必要と考えたのは、初代の父親の承諾を得ることだった。

 初代は、数え10歳のとき母を喪い、まもなく父と別れ、尋常小学校の3年を終えたあたりで学校をやめて上京している。

 初代の父伊藤忠吉の故郷は、先述したように岩手県江刺郡岩谷堂(現、奥州市江刺町岩谷堂 いわやどう)である。

 妻に死なれたあと、忠吉は幼いマキをつれて岩谷堂に帰り、岩谷堂小学校の使丁(用務員)になっていた。会津若松でもこの仕事をしていたこともあり、堅実実直な仕事ぶりであったという。

 その父の承認をとって、晴れて結婚したいと康成は考えた。

 友人たちも賛成した。友人のひとり鈴木彦次郎は同県盛岡市の名家の出身である。鈴木の先導で、康成をふくめた四人――三明永無、石濱金作――が岩谷堂をたずねることになった。

 このとき彼らは東京帝国大学の学生であった。制服角帽のきちんとした身形(みなり)で父親に面会した方がよいだろうと三明が提唱し、それを実行した。

 彼ら四人は、水沢の駅から約六キロの距離を、自動車で岩谷堂小学校に到着し、校長に面会を求めた。それから使丁の伊藤忠吉を呼んでもらった。

 おずおずと現れた父親に、彼らは、代わる代わる、初代が自身の意志で康成と婚約したと説明し、その証拠として、岐阜で撮影した写真を見せた。

 父親は、写真の初代を見て涙をこぼした。

 そして、本人がそう希望したなら、それでよい、と小さな声で答えた。
 四人は、盛岡の鈴木彦次郎の家に一泊し、翌日、東京に凱旋した。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/bbe6c7399faed56b1c13dc8a03ac1f45


川端康成の手紙 初恋 運命のひと伊藤初代(4)

迎える準備

 1921(大正10)年10月8日に岐阜で伊藤初代との婚約が成り立ち、10月末には岩手県岩谷堂に初代の父親を訪問して、結婚の承諾を得た。

 あとは初代の上京を待つばかりである。
 その間にも、初代からの手紙はとどいた。

  私は私をみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまでも愛して下さいませ。

   私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました。

   又あなた様のお手紙によれば、11月の中頃に岐阜へ私を迎へに御いで下さいますさうですが、私として、来て下さいますのはどんなに  うれしきことでせう。しかし御母様(養母)はどこまでもあなた様や岩佐様のことを悪く申してゐるのです。

   11月の1日には行けませんやうになりましたが、10日頃には行きたいと思って居ります。しかしあなた様が岐阜においで下さいます  なら待つてをりますが、私があなた様のところへ行つてよければ、十日頃に逃げて行きます。

   唯今の私が東京に行つたらよいのか、あなた様に来ていただくか、2つのことをおさしづお願ひ致します。わたしはどのやうなことがあ  りましてもお傍へ参らずには居られません。お手紙を待つて居ります。

 10月23日の手紙(「彼女の盛装」)を写し出したものだが、いずれの部分にも、稚拙な表現のなかに、みち子の、康成に対する愛情と全幅の信頼があふれている。

 康成は、幼いみち子をひとりで上京させるにしのびず、自分で岐阜まで迎えにゆくと手紙を書いたようだ。

 これに答えて、みち子は、来てくれるのはありがたいが、養母がふたり(康成と三明であろう)に悪感情を持っているから、かえって事態が難しくなると、婉曲に、迎えに来ない方がよい、と書いている。しかし最終的には、「おさしづお願ひ致します」と康成に判断をゆだねている。

 しかも行間にあふれる愛の言葉は、稚拙なだけに、かえって真情がこもっている。「私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました」とは、何と美しい愛の言葉であろうか。

 「わたしはどのやうなことがありましてもお傍へ参らずには居られません」という言葉にも、娘らしい一途な心があふれている。

 これに応じて、康成も着々とみち子を迎える準備をすすめた。

 秋岡さん(菊池寛)に資金をもらって、本郷に、二間つづきの二階の小ぎれいな部屋を借りた。鍋や釜の所帯道具はもちろん揃えた。

 それでも足りずに、みち子のために用意する、若い娘にふさわしい品々を原稿用紙に書きつけた。

  鏡台  女枕  手袋  化粧手拭い  髪飾り  針箱
  針   糸   指ぬき 箆(へら)      鋏(はさみ)    アイロン
  鏝(こて)   箆板(へらいた)  鏝台  鏡台掛け   手鏡  洋傘と雨傘
  部屋座布団   衣装盆
  櫛   ブラッシュ   髪鏝(かみごて)     元結い  髷(まげ)形
  手絡(てがら)  葛(かずら)引き     鬢(びん)止め    おくれ毛止め
  ゴムピン毛ピン     すき毛    かもじ
  ヘヤアネット      水油     固煉油   
  鬢附け油    香油  ポマアド   櫛タトウ

康成はこのように準備万端をととのえて、いったいみち子とどんな暮らしをしようと考えたのだろうか。この結婚に何をもとめていたのだろうか。

   私はその娘の膝でぐつすりと寝込んでしまひたいと思つてゐたのだつた。その眠りからぽつかり目覚めた時に、自分は子供になつてゐる  だらうと思つてゐたのだつた。幼年らしい心や少年らしい心を知らないうちに、青年になつてしまつたと云ふことが、たへ難い寂しさだつたのだ。                                (「大黒像と駕籠」、『文藝春秋』1926・9・1)

ここでようやく、康成がみち子にもとめていたものが明らかになる。

 康成には、自分が両親を知らず家庭の味を知らずに育った、という抜きがたい寂しさがあった。

 みち子はどうだろうか。

 みち子もまた、早くに母親を失い、父親や妹と別れて育ってきた。自分と同じように、幸福な少女時代をもたなかった。

 そのふたりが結ばれることによって、ふたりとも子供に返る――娘の膝でぐっすり眠りこんでしまいたいとは、そんな願いをこめた表現だった。娘もまた自分のふところでぐっすり眠る――そうしてぽっかり眠りから目覚めたとき、幸福な少女に戻っている。……

 康成がみち子にもとめたのは、そのような幸福の形だった。そうして、この願いは達せられたのだろうか。

「非常」の手紙

 「非常」は、「みち子もの」の中核となる作品である。主人公の「私」は北島友二という名、友人の柴田は三明、そして新進作家の吉浦は横光利一、今里氏は菊池寛と、モデルはすぐわかる。
 
 今里氏は人通りの中で無造作に大きな蟇口(がまぐち)から札(さつ)を出して「私」にくれる。明日引っ越しをする「私」の資金である。

 上野広小路で今里氏に別れると、「私」は友人の柴田を訪ね、誘い出して、冬の座布団を五枚買う。

 「鏡台、お針道具、女枕――みち子が来るまでに買はなければならない品々が私を追つかけてゐる。」

 「私」は明日その二階へ引っ越す家に立ち寄る。その家の主人と対話する。

  「では、明日御一緒に?」

  「明日は僕一人です。4、5日のうちに岐阜へ迎へに行くんです。」

   実際4、5日のうちに迎へに行くはずなのである。みち子からその日を報せてくる手紙を私は待つてゐるのだ。その手紙が来さへすればいいのだ。なんとかして、みち子が東京に来てしまひさへすればいいのだ。

 そして浅草の下宿に帰ると、みち子の手紙が来ている。「私」は2階へ駆け上がった。みち子が東京に来たと同じではないか。

 しかし、その手紙は、余りにも意外な文面だった。

   おなつかしき友二様。
  お手紙ありがたうございました。
  お返事を差上げませんで申しわけございませんでした。お変りもなくお暮しのことと存じます。

   私は今、あなた様におことわり致したいことがあるのです。私はあなた様とかたくお約束を致しましたが、私には或る非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。私今、このやうなことを申し上げれば、ふしぎにお思ひになるでせう。あ  なた様はその非常を話してくれと仰しやるでせう。その非常を話すくらゐなら、私は死んだはうがどんなに幸福でせう。

   どうか私のやうな者はこの世にゐなかつたとおぼしめして下さいませ。

   あなた様が私に今度お手紙を下さいますその時は、私はこの岐阜には居りません、どこかの国で暮してゐると思つて下さいませ。

   私はあなた様との○! を一生忘れはいたしません。私はもう失礼いたしませう――。

   私は今日が最後の手紙です。この寺におたより下さいましても私は居りません。さらば。私はあなた様の幸福を一生祈つて居りませう。

   私はどこの国でどうして暮すのでせう――。
   お別れいたします。さやうなら。
   おなつかしき友二様

「私」は茫然としながら、幾度も手紙を読み返す。消印を調べると、岐阜、10年11月7日、午後6時と8時との間、である。
 「私」は柴田のところへ駆けつける。

 「非常」とは、いったい何だろう。
 處女でなくなったこと?
 生理的欠陥?
 悪い血統か遺伝?
 明るみへ出せない、家庭の、親か兄弟の恥?
 ○! も、わからない。
 いずれにしても、わからない。もう、あの寺にはいないんだろうか? とすれば、今、どこにいるのだ。東京へ来る汽車にでも乗ったのだろうか?

 そのとき、柴田がぽつりと言う。

「この前来ると言つた時に、東京に来さしてしまへばこんなことはなかつたんだ。機会の前髪を掴まなかつたからいけないよ」

 ――10月の中頃に来たみち子の手紙のことだった。11月の1日に岐阜を逃げ出すから汽車賃を下さいと言ってよこしたのである。

 しかしそのとき、みち子は5歳年上の近所の娘と一緒に来る、というのだった。「私」はそれが不愉快だった。

 東京へ着く時は、みち子一人であってほしいのだ。みち子の感情を真っ直ぐに一ところへ向けて置いて、それを真っ直ぐに受け取りたいのだった。

 そんなことで「私」は、みち子が近所の娘と一緒に来ることに反対したのだった。

 その時のことを柴田に言うと、「なんだ。女一人くらゐ僕がなんとでも片づけてやつたんだ」と言った。

 今になってみれば、あんな綺麗好きなことを言はなくて、とにかくみち子を東京へ受け取つてしまつておけばよかつたのだと、「私」もひしひし感じる。しかしもう遅い。

 とにかく「私」は今夜の夜行で岐阜へ行くことにする。友人たちから金を借り集め、岐阜の寺へ電報を打っておく。

  ミチコイヘデスルトリオサヘヨ

 もちろん差出人の名は書かない。みち子を家出させようとしている「私」が、取り押さえよ、というのだから。

 東京駅の待合室で「私」は今里氏に手紙を書く。柴田を行かせるから、また金を貸して欲しいと。

 汽車の窓から首を出して、「私」は柴田にきっぱり言った。

「みち子のからだがよごれてゐないなら何としても東京へつれてくる。若(も)しだめになつてゐたら、国の実父の手もとへ帰れるやうにしてやらう」
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/4e2d7af204cb3f5da889a75815663ffd


川端康成の手紙 初恋 運命のひと 伊藤初代(5)

岐阜のみち子

 みち子は、もう寺にはいない、と書いていた。とすると、いったいどこにみち子はいるのだ。岐阜の町のどこかだろうか。それとも汽車に乗って東京に出てくるのか。

 夜汽車に乗っている間にも、「私」は必死でみち子の姿を探した。

 新橋や品川の、明るいプラットフオウムの女たちを一人も見落とすまいと、眼を痛くした。

 そうして翌朝、岐阜につく。

 車に乗り、車を待たして寺に入ると、内庭に面した障子のない部屋で養母が縫い物をひろげている。落ち着いた姿だ。

 「私」は挨拶をする。「東京から今着いたのです」という。

 養母は驚いて、「わざわざ?」

「ええ。お話したいことがありまして参つたのです」

「みち子のことでございますか」
「さうです」

「この頃はみち子を決して家から外へ出さないやうにして居ります」
「え! うちにいらつしやるんですか」

「ええ。使ひにも一人では出してやりません。ちつとも目が放せません」

 ようやく養母は寺に上げてくれる。そして、みち子を呼ぶ。

   「みち子。みち子。」

音がない。私は固くなつた。養母は隣室へ立つて行つた。襖(ふすま)が明いた。

  「いらつしやいまし」

   針金のやうな声で、みち子が両手を突いてゐる。

   一目見て、私の心はさつと白くなつた。その瞬間は怒りでも喜びでも愛でも、失望でもない。私は謝罪の気持で縮かんだのだ。

   この娘のどこが一月前のみち子なんだ。この姿のどの一点に若い娘があるのだ。これは一個の苦痛のかたまりではないか。

顔は人間の色でなくかさかさに乾いていた。白い粉が吹いていた。干魚の鱗のやうに皮膚が荒れている。

 この姿は、昨日今日の苦痛の結果ではない。この一月の間にみち子は、毎日父母と喧嘩をしている、泣いている、という手紙を十通「私」によこした。みち子には手紙の上ではなく、現実の苦痛だったのだ。

   どんな「非常」があるのかは分らない。しかし、私との婚約がみち子を挽(ひ)きつぶしたのだ。その重荷に堪へられなくてあの手紙か。

   一個の苦痛が私に近づいて、火鉢の向う側に硬く坐つた。

 作品「非常」は、ここで終わっている。「非常」の手紙も衝撃だったが、このみち子の憔悴した姿も、康成には衝撃だったのだ。自分と婚約したという一事が、みち子をこんなに憔悴させている。

 康成には、空しく東京に帰っていくしか方途がなかった。

その後のみち子

その後も、みち子から手紙は来た。しかし最後の手紙は康成をうちのめした。

   私はあなた様のお手紙を拝見いたしましてから、私はあなた様を信じることが出来ません。

   あなた様は私を愛して下さるのではないのです。私をお金の力でままにしようと思つていらつしやるのですね。(中略)

   私はあなた様を恨みます。私は美しき着物もほしくはありませんです。私がいかにあなた様の心を恨むことか。私を忘れていただきませう。私もあなた様を忘れます。

   あなたは私が東京に行つてしまへば、後はどのやうになつてもかまはないと思ふ心なんですね。(中略)

   あなた様がこの手紙を見て岐阜にいらつしやいましても、私はお目にかかりません。

   あなたがどのやうにおつしやいましても、私は東京には行きません。
   手紙下さいましても、私は拝見しません。

   私は自分を忘れ、あなた様を忘れ、真面目に暮すのです。私はあなた様の心を恨みます。私を恨みになるなら沢山恨んで下さい。(中略)

 私は永久にあなたの心を恨みます。さやうなら。

   11月24日                                 「彼女の盛装」『新小説』1926・9・1)

 ところが、それから幾ばくもなく、みち子が東京に現れて、本郷3丁目のカフェ燕楽軒に勤めている、と友人が報せてくれる。康成はその店に行く。とりつく島もないような、みち子の態度であった。そしてまもなく、店を変わってしまう。

 新しい店は、浅草の大カフェ・アメリカだった。また友人が報せてくれて、康成はその店へ行くが、みち子は当てつけのように21歳の学生内藤(仮名)の下宿に泊まったりする。その下宿にまで追いかけた康成であったが――その一段を描いたのが「霰」(あられ)(原題「暴力団の一夜」)である――しかし、ついにみち子は、康成の前から姿を消してしまった。

みち子の幻影

 いったい康成は、みち子のどこにそれほど惹かれたのだろうか。康成の眼に、みち子はどう映ったのだろうか。

 カフェ・エランで見たみち子の姿を、康成の仲間であった鈴木彦次郎は、次のように回想している(「新思潮前後」、『太陽』8月号、1972・7・12)。

   エランは、カフェというよりも、むしろ、喫茶店というほうがふさわしい地味な店だった。マダムは、30をちょいと出たか、大柄な、目鼻立ちのぱっちりした女性で、いつも、こんな商売とも思えない主婦並みな束髪を結っていた。その養女格に、ちよと呼ぶ14の少女がいた。

   ちよは、すきとおるような皮膚のうすい色白な小娘であったが、痩せぎすの薄手な胸のあたりは、まだ、ふくらみも見えず、春には程遠い、かたいつぼみといった感じであった。でも、マダムの好みか、たいていは、やや赤味がかった髪を桃割れに結い上げ、半玉ふうなはで  な柄の着物に、純白なエプロンをつけ、人なつっこく、陽気に歌など唄いながら、卓子のまわりを泳ぎまわっていたが、時折、ふっと押し  だまると、孤独な影が濃く身辺にただよって、さびしげに見えた。(中略)

   マダムは、……私どもは「おばさん」と、呼んでいたが、ちよを実の娘のように可愛がっていて、時たま、酔っぱらいの客が、彼女に悪 ふざけなどすると、たちまち、目に険を見せて、

  「止して下さい。大事な娘をからかうのは!」

   と、きつく極めつけるのであった。

 この印象は、カフェ・エランの雰囲気と、みち子の姿を非常に正確に捉えていると思われる。康成自身もまた、みち子のことを、「篝火」の中で、次のように描写しているからである。

   私は歩いてゐるみち子を見た。体臭の微塵もないやうな娘だと感じた。病気のやうに蒼い。快活が底に沈んで、自分の奥の孤独をしじゆう見つめてゐるやうだ。

 康成たちと初めて出合ったとき、みち子は数え14歳で、鈴木彦次郎がいみじくも表現しているように、「すきとおるように皮膚のうすい色白な」小娘で、「痩せぎすの薄手な胸のあたりは、まだ、ふくらみも見えず、春には程遠い、かたいつぼみといった感じ」であったに違いないのである。

 その、まだ成熟していない少女に、康成は恋した。あれから2年たっているが、数え16歳のみち子はまだ十分には成熟していなかっただろう。その小娘に、「結婚」という重大事を突き付けたのだ。

 その結果が、みち子の落ち着きのない半狂乱状態をみちびきだしたのだった。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/e657a19f59ad6bfc5e40e45d44da751a

川端康成の手紙 初恋 運命のひと 伊藤初代(6)

康成の執着

 康成が書いた「南方の火」という作品は、現在、4編が残されている。康成の執着を語る、作品の多さだ。

 第一は、一九二三年七月十日、再刊された『新思潮』創刊号に載せた作品である。しかし康成はこの作品を未熟と見て、生前、どの刊行本にも全集にも載せなかった(37巻本全集第21巻収録。)。

 第二は、この『新思潮』作品の続稿と思われる原稿用紙四枚の断片である(37巻本全集第24巻収録)。

 第三は、のち小林秀雄たちと『文学界』を創刊したとき、それに連載しようと一度だけ掲載した(1934年7月1日)したものの、息がつづかず、そのままに放置されたもの(三十七巻本全集第22巻収録)。

 第4は、1927年8月13日から12月24日まで、129回にわたって連載された、康成の初めての新聞小説『海の火祭』から分離したものである。

 この長篇の第12章「鮎」に康成は改訂削除をほどこして、「南方の火」と名づけ、戦後、第一次全集に掲載した(37巻本全集では、第2巻収録)。

 これが現在、「みち子もの」の全体を語った完結版というところだろう。しかし内容には「篝火」「非常」「霰」などと重複がある。この長篇を、ここでは完結版「南方の火」と呼ぶことにしよう。

 康成は「独影自命」2の7で、その事情について、次のように述べている。

   「篝火」、「非常」、「霰」、「南方の火」の四篇は同一の恋愛を扱つた作品である。この事件を書いたものは一つも作品集に入れなかったわけである。

   大正10年のことで、私は23歳の学生、相手の娘は16歳、これらの4篇に書いた通りで、恋愛と言へるほどのことではなく、事件と言へるほどのことでもなく、「篝火」で10月8日に岐阜で結婚の約束をしてから「非常」の手紙を受け取るまで僅かに一月、あつけなく、わけもわからずに破れたのだつたが、私の心の波は強かつた。幾年も尾を曳いた。

   さうしてほかに女とのことはなかつたので、私はこの材料を貴ぶところから、「篝火」、「非常」、「霰」(原題「暴力団の一夜)などは草稿のつもりで作品集には入れずにおいた。私はこの材料を幾度か書き直さうとして果さなかつた。

 こういう事情で「南方の火」は、なかなか成稿にならなかったのである。

 しかし「南方の火」という題名について、康成にはよほど執着があったようである。その理由は、「南方の火」に託した、康成の思いの深さにある。


丙午(ひのえうま)の女

  「丙(ひのえ)は陽火なり、午(うま)は南方の火なり。」と「本朝俚諺(りげん)」に出てゐる。時雄はこの言葉が好きだつた。火に火が重なるから激し過ぎるといふのだ。弓子は火の娘なのだ。「丙午の二八の乙女」――この古い日本の伝説じみた飾りも彼が夢見る弓子を美しくする花火だつた。その上に弓子の星は四緑だつた。四緑は浮気星だ。四緑丙午だと思ふことは一層彼の幼い小説家らしい感傷を煽り立てるのだつた。

   美しくて、勝気で、強情で、喧嘩好きで、利口で、浮気で、移り気で、敏感で、鋭利で、活発で、自由で、新鮮な娘、こんな娘が弓子と同い年の丙午生れに不思議に多いことを、時雄は六七年後の今でも信じてゐる。
                                                   (「海の火祭」、「鮎の章)

康成の女性に対するきらびやかな夢を託した言葉――それが「南方の火」だったのである。


漂泊の姉妹

 この恋は、婚約してから一ヶ月足らずで終わってしまったが、康成の中では長く尾をひいた。

 康成は「独影自命」の中に、古い日記を引用して、繰り返し、みち子への慕情を告白している。

 大正11年(注、1922年)4月4日

   岐阜の写真屋より送り来し例の写真袋を取り出して、みち子と二人にて撮りし写真を見る。いい子だつたのに、いい女だのにの念しきりなり。彼女の手紙読む。一時は本当に我を思へる如き文言の気配を嗅ぐ。いい性質文面に現はれたりと思ふ。哀愁水のごとし。(3ノ1)

 大正12年(注、1923年)11月20日

   地震に際して、我烈しくみち子が身を思ひたり。他にその身を思ふべき人なきが悲しかりき。

9月1日、火事見物の時、品川は焼けたりと聞きぬ。みち子、品川に家を持ちてあるが、如何にせるや。我、幾万の逃げ惑ふ避難者の中に、ただ一人みち子を鋭く目捜しぬ。(3ノ4)

 大正12年1月14日

   九段より神田に徒歩にて出で、神保町近くにて、電車の回数券を石濱(注、金作)拾ふ。金なき折なりしかば、これに勢ひを得て、浅草行きを決す。

   松竹館の前に立ち、絵看板を見て、余愕然とす。「漂泊の姉妹」のフイルム引伸しの看板の女優、みち子そつくりなり。ふと、みち子、女優になりしにあらずやと思ひしくらゐなり。みち子の他の誰なるや見当つかず。それに動かされ、伊豆の踊子を思ひ、強ひて石濱を入らしむ。みち子に似し、娘旅芸人は栗島すみ子なり。十四五歳につくり、顔、胸、姿、動作、みち子としか思へず、かつ旅を流れる芸人なり。胸切にふさがる。哀恋の情、浪漫的感情、涙こみあぐるを、辛うじて堪ゆ、石濱、「みち子に似てるぢやないか。」余ハツとして「さうかなあ。」と偽りて答へたるも、後で是認す。痛く動かされて心乱る。余の傾情今もなほ変るはずなく、日夕アメリカのみち子に思ひを走らす。(中略)活動小屋を出でしばし言も発し得ず。(4ノ1)

 そのころ既に、みち子が浅草のカフェ・アメリカに出て働いていることも、品川辺に住んでいるらしいことも、噂で知っていたようだ。しかし、このような思い込みは、まだつづく。

 大正15年(注、1926年)3月31日

   大仁駅にて、仙石鉄道大臣そつくりの老人の後より車室に入り来りし女、彼女にあらずや。小説「南方の火」、「篝火」なぞに書いた女だ。傍を通る時、よく見る。首白く、手白し。その昔、彼女手を上げて髪を直す時なぞ、紅き袖口よりこぼるる肘(ひじ)の鉄色なるが悲しかりしを忘れず。20になれば肌白くなるべしと祈るやうに思ひしを忘れず。神わが祈りを哀れみしか、彼女今や白し。されど彼女のうしろに青年紳士の従ふあり。小  意気なる季節の洋服を纏ひ、温雅なる風貌なり。

   30を過ぎたるべし。彼女も臙脂色(えんじいろ)のコオトの下に趣味よく着飾れり。賢き女なれば教養ある良家の子女の如き趣味に進みたるらし。二人の身辺に豊かなる生活の匂ひ温かなり。彼女僕に気附けるものの如く、車室の最後部の席に坐す。僕屡(しばしば)、首を廻らして、女の顔を見る。

   藤澤駅より片岡鉄兵、池谷信三郎君と共に乗り来る。(中略)

   二人座席なかりしかば、僕も席を棄てて立ち話す。これにて彼女の胸から上見ゆ。彼女目を閉ぢ頬を紅らめなぞして、苦痛を現はす。何  が故に苦しむや。僕これを悲しむ。僕憎めるにも咎めるにもあらず。唯単純に顔が見たいのだ。五年振りにて会い、またいつ見られるか知  れぬ顔を見たいのだ。美しくなり幸福になつた顔を明るい気持で見せてくれることが出来ないのか。彼女何が故に苦しみの色を現はすや。  彼女にも巣食へる感情の習俗を悲しむ。(6ノ5)

別れてから5年たっている。あのころ悲しかった鉄色の肘(ひじ)も、今は白くなっている。豊かで幸福な妻になっている。それを康成は素直に祝福したいと思う。それなのに、彼女は顔に苦痛の色を浮かべて自分の視線を避ける。

 しかしこれも康成の思い込みに過ぎなかった。みち子が栗島すみ子でなかったように、この女性も遠い別人であった。

 というのは、そのころみち子は、悠長な旅行を出来るような境地にはいなかったからである。

 前引『伊藤初代の生涯』によると、そのころすでに初代は、浅草のカフェ・アメリカで支配人をしていた中林忠蔵と結婚し、一女珠江をもうけていた。中林は長身の美男子であった。多くの女給の中から、支配人であり目の肥えた中林が初代を妻に迎えたということは、初代のよき気質を見抜いてのことであったろう。

 ところが1923(大正12)年の関東大震災でカフェ・アメリカも倒壊した。とてもすぐには再建できない。

 青森県黒石町(現、黒石市)の出身であった忠蔵は、思い切って仙台に行き、そこでカルトンビルのカフェに勤め、支配人になった。カルトンビルは、当時、仙台で唯一の五階建てビルであったという。忠蔵は能力を買われたのであろう。

 11月、初代は母となった。逆算すると、遅くとも1922年(大正11年)末には、中林と結婚していたことになる。

 母となった初代は、江刺から父親忠吉と妹マキを招いた。苦労した父に孝養を尽くすことが、初代の永年の夢だったからである。しかし忠吉は来ず、マキだけが来た。

 それでも、4人の幸福な生活が現出した。初代の生涯で、あるいはいちばん幸福な時期であったかもしれない。

 1924年になって、忠蔵が病に倒れた。結核性の病気であった。よい医者のいることを考え、一家は東京に戻ることにした。赤ん坊の珠江は忠蔵の伯父にあずけ、マキを連れて東京に出た。初代はふたたびカフェにつとめて夫の療養費をかせいだ。妹マキが忠蔵の世話をした。

 忠蔵は1926(大正15)年の半ばに世を去った。初代は夫の郷里黒石で立派に法要をいとなんだ。

 そのような夫の療養のさなかに、初代が鎌倉近くの汽車に乗るはずもなかった。すべて康成の幻想である。

 岐阜・長良川の「篝火」において頂点に達した康成の夢は、こうして無惨な終幕を迎えることになった。

 そして時間を経るにつけ、結婚の約束をして長良川の鵜飼を見た、あのときの情景が、あたかも原風景のように、康成の脳裡に浮かぶようになったのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/6b3463112ea4f24da758ea5dd9c2089b

川端康成の初恋 手紙 運命のひと 伊藤初代(7)

6年後の「時代の祝福」

 この時から6年たった1927(昭和2)年、5月末から康成は改造社の「円本」宣伝のため、講演旅行に加わり、池谷信三郎、新居格、高須芳次郎と4人で大阪、奈良、津、桑名、岐阜、和歌山……とまわった。

 このとき岐阜を再訪した康成の、事実を基礎として書いたと思われる興味深い小説「時代の祝福」が、〈未発表作品〉として、37巻本『川端康成全集』第26巻(新潮社、1982・10・20)に収録されている。

 この小説は、6年後の6月初めに、講演旅行で偶然に岐阜に立ち寄ることになった「彼」が、講演を途中で切り上げて長良川ほとりの宿に急ぎ、鵜飼の篝火を見る、というものである。

 この作品の重要性については、早くに川端香男里が「川端康成の青春――未発表資料、書簡、読書帳、『新晴』(二十四枚)による」(『文学界』1979・8・1)のなかで、次のように紹介していた。

   一番風変りなものとしては、26枚の未完の下書き『時代の祝福』がある。これは『篝火』でも書かれている長良川の鵜飼の描写から始まる。女主人公は16歳の加代子、ただこれは後日譚で、講演旅行に岐阜が選ばれた時に、その機会を利用して、加代子といっしょに鵜飼を見たことを思い出して、また長良川に行こうと空想する。草稿はその時に聴衆を前に講演するという話が大部分を占めている。大震災の話、心霊学の話がきわめてシニカルな口調で語られている。

 これ以後、この作品について触れているのは、『川端康成全作品研究事典』(勉誠出版、1998・6・20)の原善「時代の祝福」があるばかりであった。原は、作品執筆の時期を「昭和2年5月以降昭和2年内の執筆」と推定し、「その時期に何故『篝火』の体験を相対化するような作品を書こうとしたのか」などを今後の研究課題として挙げている。

 この、いわば忘れられた作品に光を当てて愛情をこめて論じたのが金森範子「―川端文学―『時代の祝福』を読む」「『西国紀行』と『時代の祝福』」(いずれも『小品』第32集、2012・11・14)の2論考である。

 岐阜市に住む金森は、「篝火」に描かれた鵜飼の篝火の場面と、「時代の祝福」の冒頭にたっぷりと描かれた6年後の篝火を見る「彼」とを重ねて、そこに康成の、忘れられぬ深い愛着を見るのである。

 「彼」は「8時が近づいて参りました。もう川原に篝火が燃え出した頃と思ひます。私は鵜飼を見に行かねばなりません」と強引に講演を打ち切って長良川の宿に急ぐ。

鵜飼いの感動的な描写

   闇が流れてゐる――彼には広い川幅が布のやうに沈んだ闇の滑らかな肌に見えた。それだけに、漂つて来る7つの篝火は感情的だつた。1列に並んだ篝火は次第に房のやうな長い尾を振り初めた。黒い船の形が火明りに浮び出した。鵜匠が、中鵜使ひが、そして火夫が見えた。楫で舷(ふなばた)を叩いて声をはげます舟夫が聞えた。松明の燃えさかる音が聞えた。舟は瀬に乗つて、彼の宿の川岸へ流れ寄つて来た。舟足は早かつた。彼はもう篝火の中に立つてゐた。炎の旗が船からゆらゆら流れてゐた。

   黒い鵜が舷でしたりげな羽ばたきをしてゐた。(中略)烏帽子のやうな頭巾をかぶつた鵜匠は舳先(へさき)に立つて、12羽の鵜の手縄を巧みに捌いてゐた。

   彼は頬に篝火を感じた。この焔があかあかと映つてゐた加代子の頬を思ひ出した。その時彼女は云つた。

   「あら、鮎が見えますわ。」
   「どこ、どこ。」

   「ほら、あすこにあんなに泳いでゐますわ。」

   彼は今もまた篝火が萌黄色に透き通つた水底を覗き込んだ。しかしやつぱり鮎は見えなかつた。

 「時代の祝福」は3章から成っている。冒頭と第3章が鵜飼の篝火の場面で、第2章は「彼」の講演の内容である。

 その冒頭で「彼」は宣言する。

   私の処女作は「篝火」といふ小説でしたが、舞台はこの岐阜です。つまり、長良川の川岸の宿から娘と一緒に鵜飼の篝火を眺める、だから「篝火」といふ題を附けたのでした。さつき出がけに玉井屋旅館で聞きますと、今夜は中鵜飼で八時の船出ださうですな。これから半時間ばかりしやべつて居りますと、ちやうど8時になりますが、そしたら話の糸口であらうと中途であらうと、仔細かまはずこの演壇を逃げ出して、もう1度長良川へ船の篝火を見に行くつもりであります。

 2つの鵜飼の篝火の場面の間に置かれた、この講演の内容は、まことに乱雑である。人工妊娠、発生学の研究、輪廻転生説、心霊学……のちの「水晶幻想」、「海の火祭」、「抒情歌」の先触れとなるような素材を乱暴に書きなぐっている。

 そして最終章では、篝火が消えはじめる。

   篝火の消えた川を見てゐてもしかたがなかつた。向ふ岸に町外れのともし火があるにはあつた。しかしそれが沈めたやうに低く見えた。そしていぢけて見えた。その上に、彼は加代子とこのともし火を見たことを思ひ出さずに弓子を思ひ出した。

 加代子とは、伊藤初代のことである。その思い出をふたたび体験するために宿に帰って篝火を見たというのに、作品の最後では、別の女性・弓子を思い出しているのである。弓子とは、「彼」の処女作品集の出版記念会で見た女性であると、作品の末尾に明かされている。

 このように、婚約のあと美しい表情を見せた初代の思い出を確かめるために宿に帰ったはずの「彼」の、予想外の心変わり――原善のいう「相対化」によって、この作品は閉じられている。

貴重な記録「西国紀行」

 同じ年の『改造』8月号(1927・8・1)に発表された「西国紀行」は、金森が指摘しているように、「時代の祝福」の背景を知ることのできる貴重な記録であるが、そこには、「講演会の時間に後れるので、大垣駅から自動車で急ぐ。途中岐阜郊外の名物の雨傘を作る家の多い加納町を注意してゐたが、通つたか通らないかも分らぬうちに玉井屋旅館に着いてしまふ。加納町は小説『篝火』に書いた思ひ出がある」と記されている。金森が解説を加えているように、「篝火」冒頭は「岐阜名産の雨傘と提燈を作る家の多い田舎町」と始まるが、「加納」という地名は書かれていない。しかし康成の脳裡には、しっかりと、この地名が刻まれていたのである。

 さらに、5月30日、「講演を8時にすませ、僕一人長良川へ急ぐ。長良橋を渡り、北詰の鐘秀館へ行く。『篝火』に書いた鵜飼の篝火を見たのも、矢張り鐘秀館の二階だつた」と記し、旧作「篝火」の一節を書き写したあと、「今日も同じである。公園の名和昆虫館にも思ひ出があるが、そこの名和氏はこの間死んだと新聞で見た」と書いている。

 6年前、康成は名和昆虫館も、紹介されて見学に行ったのだった。つまり康成は「西国紀行」においては「相対化」することなく、素直に岐阜の思い出の一つ一つに深い愛着を示して、1字1字刻むように、6年前の記憶を反芻しているのである。

 それほどに、六年後においても、伊藤初代の思い出、とりわけ結婚の約束をしたあとで一緒に鵜飼の篝火を見た、そのときの美しい顔を決して忘れることはなかったのである。

   そして、私は篝火をあかあかと抱いてゐる。焔の映つたみち子の顔をちらちら見てゐる。こんなに美しい顔はみち子の一生に2度とあるまい。

 「篝火」は、康成が一瞬に見た美しい夢であった。だが、康成の描いた、その夢を、だれが非難することができようか。ただわたくしたちは、康成の描いた美しい夢の物語が永遠に喪われたことを、慨嘆するほかにないのである。 
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9e3c029700cb22dfd916aa455ae64138

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c79

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
80. 中川隆[-7618] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:29:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

川端康成の初恋 伊藤初代 10年後の再会「父母への手紙」(1) 2014-07-22

")「抒情歌」(じょじょうか)から「父母(ちちはは)への手紙」へ

 康成にとって、「抒情歌」の書かれた昭和7年(1932年)は、重要な転機をなす年であった。

 「抒情歌」と踵を接して「父母への手紙」が書きつがれ、翌昭和8年には「禽獣」が発表され、さらに10年から『雪国』の断続掲載がはじまる。また、康成のこの期における自己確認の書「末期の眼」と「文学的自叙伝」が8年と9年に書かれている。

 川端康成は自作の意味するところを最もよくわきまえた、鋭利な批評精神の持ち主であった。たとえば敗戦後の再出発期には「哀愁」、昭和40年代には「美しい日本の私」というように、生涯のそれぞれの転機に、それまでの歩みを検証し、再出発のための文学理論を提示することによって、あらたな創造の世界に踏みこんでゆくという、きわめて自覚的な作家であった。

 そのような康成の、初期作品に訣別し、新しい一歩を踏みだそうという時期に「抒情歌」は書かれているのである。

 しかもこの昭和7年(1932年)は、康成の青春を支配したといっても過言ではない伊藤初代と、1922(大正11)年に別れてから、ちょうど10年めにあたる年であった。康成の一人相撲といってもよいこの恋愛もようやく緊張が薄らぎ、康成の内部で整理されて、客観的にこの愛の意味を顧みる余裕のできた時期である。

 初代との再会があったのは「抒情歌」の発表直後、羽鳥徹哉によれば、この年の「『文学時代』4月号締切まぎわの3月頃」であるが、すでに再会以前に、康成の内面において、この一方的な恋愛はほぼ正確に見据えられていたと思われる。

 すなわち愛とは執着であり、そのよって来たるところは人間の自我にほかならぬ、という認識である。この絶望的な認識を得るまでに、康成は10年間の痛切な葛藤の期間を必要としたのである。その結果として発見されたのが、自我を離脱し、執着を滅却して「偽りの夢に遊ぶ」という秘法であった。

 草花への転生という「抒情歌」の奇抜な発想は、みずからの苦い10年間の執着の果てに生みだされたものなのである。

 川端文学初期の根本的テーマが〈孤児根性〉であることは言うまでもないが、その〈孤児根性〉からの脱出のねがいをこめた初代との恋愛もまた、康成を救抜してはくれなかった。「父母(ちちはは)への手紙」は、亡き父母に呼びかける形式によって、〈孤児根性〉の本質をいま1度問い直し、そこからの脱却を宣言した作品である。

 「抒情歌」もまた、いまは亡き恋人に語りかける形式によって、わが青春を支配した愛からの離脱を歌った物語であるといえる。

 最終的には、因果応報の輪廻思想を除いた仏教=ギリシア神話の花ことばに帰依することにより、自我を離脱して自由な世界に羽ばたくという「おとぎばなし」を造型し得たのである。

 かくて康成は初期のテーマに一応の決着をつけ、「禽獣」から『雪国』に至る次の道程に踏みだしてゆくのである。

川嶋至の伊藤初代論

 ところで、康成の青春に深い影響を残した伊藤初代のことは、第1章第6節、第7節において述べたが、ここでふたたび、初代の存在が大きな意味をもつことになる。

 作品における初代の役割を最初に指摘したのは山本健吉の前掲『近代文学鑑賞講座13 川端康成』を嚆矢(こうし)とするが、実地調査を加えて、という面からすると、三枝康高「特別レポート 川端康成の初恋」(『川端康成入門』有信堂、1969・4・20)、長谷川泉「川端康成における詩と真実」(『川端康成論考 増補版』1969・6・15)、羽鳥一英(徹哉)の「愛の体験・第1部」「愛の体験・第2部」「愛の体験・第3部」を収録した『作家川端の基底』(教育出版センター、1979・1・15)を挙げなければならないだろう。

 特に羽鳥の重厚な3部作は、伊藤初代の全体像を俯瞰したという意味で逸することのできぬものである。

 地道な実地調査によって貴重な発見をした点で、田村嘉勝の功も大きい。

 しかしながら、伊藤初代の存在を広く世に知らしめたという点では、川嶋至の果たした役割に及ぶ者はないであろう。

 川嶋は早くも大学院時代に伊藤初代の存在に着目し、「『伊豆の踊子』を彩る女性」(上下)を発表したが、これは注目されることなく終わった。

 川嶋はこの仮説にみずから信ずるところがあったのだろう、細川皓の名で雑誌『群像』の新人文学賞に応募した。

 入選はしなかったが、選考委員のひとり伊藤整の推挽によって、この評論は『群像』1967(昭和42)年年9月号に「原体験の意味するもの―『伊豆の踊子』―」として発表された。

 さらに、これを機縁に、講談社から川端康成論を書く機会を与えられた川嶋は『川端康成の世界』(1969・10・24)を出版した。

 この書において川嶋は、伊藤初代をモデルに描いた康成の一連の作品を非常に重要なものと考え、康成が青春時代の日記において、この女性に佐川みち子と名づけて記していることから、これらの作品を「みち子もの」と呼んだ。(一方、三枝(さえぐさ)康高は、「ちよ物」と呼んでいる。

   ……私は、この恋愛事件を川端氏の生涯の転機となった決定的な事件と見るし、後で触れることになる、事件の後日談と合わせて、氏の文学の方向を決めた、いわば川端文学解明の重大な鍵と見るのである。

 川嶋はこう考え、鈴木彦次郎、三明永無ら当時の友人、それに初代の妹まきなどに面接して独自の調査をおこなった。

この調査をもとに、川嶋は「伊豆の踊子」について、驚嘆すべき仮説を発表した。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/72478de8526256ee001679d129f28fd5


川端康成の初恋運命のひと 伊藤初代 10年後の再会(2)

川嶋至の仮説

 川嶋の所説の中心は、以下の点であった。

 康成がはじめて伊豆に旅して踊子と旅をともにしたのは、1918(大正7)年の秋である。

 一方、康成がみち子の不可解な翻意によって深く傷心したのは、3年後の1921(大正10)年の秋だ。

 康成が、のちに「伊豆の踊子」となる踊子との旅を描いた草稿「湯ケ島での思ひ出」を書いたのは、1922(大正11)年の夏である。それは、みち子によって傷ついた自己の心を癒すことを目的に、いわば自然発生的に描かれたものであった。

 その草稿に、4年も前の踊子の像よりも、つい最近のみち子の像が入りこんだのではあるまいか。

   みち子との恋愛のはかなさを思うそうした日々に、川端氏の脳裏に去来したものは、寝顔の目尻にさしていた古風な紅も鮮かな、幼く氏を慕ってくれた踊子の姿であったろう。

四年前の踊子は、「湯ケ島での思ひ出」を書く川端氏の眼前に、一年前のみち子の面影を帯びて現われたのである。四年前の、印象も薄れかけた踊子の姿を、失恋の記憶もなまなましいみち子の面影によって肉づけするということは、あり得ないことではない。もしそうであったとすれば、川端氏にとって、「伊豆の踊子」は、古風な髪を結い、旅芸人姿に身をやつした、みち子にほかならなかったのである。

 川嶋はこの説の根拠に、大正12年1月14日、浅草の松竹館の前に立った康成が絵看板を見て愕然とした、あの日記を挙げた。

   「漂泊の姉妹」のフィルム引伸しの看板の女優、みち子そつくりなり。みち子の他の誰なるや見当つかず。それに動かされ、伊豆の踊子  を思ひ、強ひて石濱(友人)を入らしむ。みち子に似し、娘旅芸人は栗島すみ子なり。14、5歳につくり、顔、胸、姿、動作、みち子と  しか思へず。かつ旅を流れる芸人なり。胸切にふさがる。哀愁の情、浪漫的感情、涙こみあぐるを辛うじて堪ゆ。

 この日記は「湯ケ島での思ひ出」の書かれた翌年のものであるが、日記である以上、純粋な体験による告白とみてよいであろう、として、川嶋は、ここではみち子像と「伊豆の踊子」像が康成の脳裏で一致した姿を現出している、と断定した。
 さらに川嶋は、「伊豆の踊子」の最終部分と、「非常」の一節の似通った描写を挙げた。

 「伊豆の踊子」の最終部分には、踊子と別れた「私」が、船中で、入学準備に東京へ行く河津の工場主の息子である少年から親切にされる場面がある。

 「非常」にも、みち子の不可解な手紙を受け取った主人公が夜汽車に乗って岐阜へ行く途中、汽車のなかで、向かい合った学生から親切にされ、それに甘える場面がある。

 これを川嶋は、「伊豆の踊子」の主人公と「みち子もの」の主人公が共通した心の動きを示す例として、次のように結論づけた。

   こうしたことからも、「伊豆の踊子」が、4年前に出逢った記憶も薄れかけた踊子の姿を、1年前に別れていまだ印象も鮮かなみち子の姿で補色し、氏のみち子に対する強い慕情を踊子に対する淡い恋心にすりかえるという作業を通して成立した作品であることは、ほぼ確実  であろう。

康成の反応

 この仮説を読んだ康成は驚愕したらしい。そのとき雑誌『風景』に連載していたエッセイ『一草一花――「伊豆の踊子」の作者――』に、その驚きを率直に表明した。

   作者の私には、この「仮説」は思ひがけないものであつた。あるひは、気がつかないことであつた。「伊豆の踊子」の面影に「みち子」の面影を重ねることなど、まったく作者の意識にはなかつた。踊子と「みち子」とのちがひは、まだ20代の私の記憶で明らかだつたし、踊子を書く時に「みち子」は私に浮かんで来なかつた。

しかし、「伊豆の踊子」の草稿である「湯ケ島での思ひ出」を書いた、大正11年、23歳(数え)の私は、恋愛(ではないやうな婚約)の「破局」の前後だから、相手の娘は強く心にあった。(中略)これは(注、受験生のこと)2つとも事実あつた通りなので、いはば人生の「非常」の時に、2度、偶然の乗合客の受験生が、私をいたはつてくれたのは、いつたいどういふことなのだらうか、と私は考へさせられるのである。ふしぎである。
          (「一草一花」13、1968・5・1)

 川嶋の説に対して、珍しく康成は反論を加えている。自作を解説することは、自作を狭めることだというのが持論の康成には、珍しいことであった。

 このような論や調査によって、伊藤初代の全体像は、かなり明らかになったといえる。しかし、それは初代との別れがどれほど深い傷跡を康成に残したか、が中心であった。

初代との再会

 川嶋至の仮説は、「伊豆の踊子」にとどまらなかった。

 『川端康成の世界』の第五章「ひとつの断層―みち子像の変貌と『禽獣』の周辺―」において、初代と康成がその後、再会したことを述べ、そのとき康成の感じた深い幻滅が、康成の人間観、文学観に大きな影響を与え、それが作風に根源的な変化をもたらした、と詳細に論じた。

 そののち、川嶋はさらに、初代がのちにつとめた浅草のカフェ・聚楽(じゅらく)に、同じ時期、新人作家であった窪川いね子(のちの佐多稲子)が女給としてつとめ、そのカフェの内幕を「レストラン・洛陽」(『文藝春秋』昭和4年・9・1)に描いて発表したとの情報を得て、「レストラン洛陽」を読み、それについての論考を発表した。

 「『レストラン洛陽』の夏江」(『北方文芸』1970・6・1、のち『美神の叛逆』北洋社、1972・10・20に収録)がそれである。

 そのなかで川嶋は、佐多稲子自身が、文壇に出発して間もないころ、その作品を川端康成が文芸時評で賞讃してくれ、そのおかげで作家として立つ自信が出来たと述べている、とも明かした。

 しかしこのとき、川嶋は、康成のその文芸時評を手にすることはできなかった。まだ今日のような整備された37巻本全集もなく、基礎研究がそのあたりに及んでいなかったからである。

 しかし川嶋は、かなり詳細にこの作品の内容を語り、初代の最初の結婚生活が初代にどのような結果をもたらしたかを、窪川いね子の作品から抜き出して、説明している。

 だがこれについて語る前に、康成と伊藤初代の再会が、どのように果たされたのかを、明らかにする必要があるだろう。
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川端康成の初恋 運命のひと伊藤初代 10年後の再会(3)

 上野桜木町の家

 この再会は、上野桜木町36番地の家を、ある日突然、初代が訪問してきたことによって果たされた。

 その時期については、川嶋は「別れてから、ちょうど十年め」という言葉を根拠に、「父母への手紙」第1信発表までの「昭和6年末から7年1月までの間」とし、羽鳥は、「父母への手紙」第2信(原題「後姿」、『文学時代』1932・4・1)中の記述「一昨日」から、その原稿締切寸前の「昭和7年春」と推測している。

 川端秀子『川端康成とともに』も「昭和7年3月上旬」としている。

 しかし、いずれも曖昧な推測で、その訪問が一度だけのものであったのか、幾度かあったのかも、明確ではなかった。

 ところがつい最近、精細な論証によって、訪問の時期と回数が明確にされた。

 森晴雄の掌篇小説論「川端康成『父の十年』――『旅心の美しさ』と『明るい喜び』」がそれである。

 「父の十年」は四百字詰原稿用紙約十枚の『掌の小説』であり、『現代』1932(昭和7)年6月号に掲載された作品であるが、生前、単行本未収録であった。37巻本では第21巻に収録されている。

 伊藤初代との結婚を許してもらうために父親を訪ねた旅と、それから10年後に初代と再会した事実を素材として描かれた作品である。

 森によれば「過去の”古傷”を明るく清算する内容」であり、「父母への手紙」第2信との違いは大きい。

 森はそこから論を進め、初代との再会が康成自身の発言からも、2度あったことを明らかにし、同じ1932(昭和7)年3月号に発表された「雨傘」(『婦人画報』)と「見知らぬ姉」(『現代』)の発行日などを勘案しながら、初代の訪問は1度目が二月前半、2度目は3月上旬、と推測する。論証の詳細な内容は本論を読んでいただくしかないが、その思いがけぬ再会が康成の内部に大きな波紋を起こしたので、この訪問の回数や時期も問題となってくるのである。


「後姿」

 では、再会した初代は、作品中でどのように描かれているのだろうか。

 「父母への手紙」第2信は、『文学時代』1932年4月号に、「後姿」と題して発表されている。

 その中に、初代とおぼしき女性が康成の家を訪ねてきたことを、次のように書いているのである。

 長いので、ところどころを引用すると、

「……実は一昨日、ちやうど10年目で、その少女が私の家へ訪れて来たのですよ。そしてたいへん寂しい後姿を残して帰つて行つたのですよ。」

   私は後姿といふ言葉を、幾つもこの手紙に書きましたけれども、人間が人間の後姿を、深く心に刻みつけるほど感情こめて見る折は、さうたくさんないのではないかと思はれます。一昨夜の少女の後姿などは、確かにその見る折の少い後姿の1つでありましたでせうか。彼女は夕方の6時頃に来て、11時頃に帰つて行つたのでありましたが、玄関へ送り出してみると、もう夜もおそいので、うちの女共が銭湯の帰りに閉めたものか、雨戸が引いてありましたから、それをあけるついでに、黒い羽織の上へ黒いコオトを着る彼女の先きに表へ出て、門まで行つたのでありました。(中略)

   昔の少女が10年振りで私を訪ねて来たのは私が小説家だからでありませう。彼女のふしあはせな半生は、10年前に小説家の卵と結婚の約束をしたばかりに、恐らくはそのふしあはせの思ひが一層強められたことでありませう。しかも、彼女自身はそのことに気がついてゐないやうであります。そればかりでなく、彼女のことを書いた私の小説を読み、そして私を思ふことは彼女のふしあはせの1つの慰め、または彼女のふしあはせからの1つの逃げ場になつてゐたやうであります。

   一昨日訪ねて来たことを、彼女の昔なじみであり、私の一番親しい友だちにも、黙つてゐてくれと、彼女は頼んで行つたのでありました。この訪れを、2,3年も、もしかすると7,8年も、彼女は考へてゐたほどに、私の家は来づらいものだつたにちがひありません。ま  さか私が来るとはお思ひにならなかつたでせうとか、さぞづうづうしい女だとお思ひになるでせうとか、彼女は何度も繰り返しました。(中略)

   彼女の先きに玄関を出て門まで行つただけで、門の戸は彼女があけて、彼女がしめたのでありました。その彼女に思はせぶりな身のこなしがあらうはずはなく、従つて私は彼女の後姿など見る暇もなかつたのですけれども、門の戸がしまると同時に、たいへん寂しい後姿を見たやうな、少女を遠くの国へ見送つたやうな、時の流れの果てへ見失つたやうな思ひが、ふいと私の胸へ突き上つて来たのでありました。少女が私に会ひに来るまでに10年の歳月があつたのですから、この次会ふまでにまた10年かかるかしらといふ気がしたのでありました。

   一昨日来た少女は、もう3年で30ですわといふやうなことを、度々繰り返してをりました。私は17から後の彼女を見ないのです。私の思ふ彼女はいつも17歳の少女でありました。けれども、10年後に訪れた彼女が27となつてゐることに、なんの不思議はないのであります。彼女の長女はもう10になるさうであります。


初代の10年間

   私が北国の町で1度会つたことのある彼女の父は、去年も東京の彼女の家へ来たさうですが、もうすつかり耄碌(もうろく)してしまひましたわ、どうせ長くはないのですわとの彼女の話です。私が結婚したら彼女の妹を呼び寄せてやらうと思ひ、また彼女が結婚の約束を破つてからは、せめて彼女の幼い妹といつか恋をしようかなぞと、私は夢みたこともあつたのですが、その妹も彼女が引き取つて育て上げ、去年19で結婚させてやり、今年はもう赤ん坊が生れるさうであります。10年、この次の10年の間には、君はもう娘さんを結婚させなければならないねと私が言ふと、いいえ、10年経たないうちに、もう7,8年ですつかり一人前の娘になりますわと、彼女は寂しげに笑つてをりました。

   18で長女を産むと、彼女は夫の病を4年間看護し、そして死なれたのださうであります。今の夫との間の長男は去年亡くなり、満1歳にならぬ女の児をミルクで育ててゐるさうであります。夫は去年から失業してをります。

 ここで語られている伊藤初代の、康成の前から姿を消して以後の境涯は、川嶋至や羽鳥徹哉が、のちに調査した事実と、ほとんど違いはない。しいていえば、「彼女は夫の病を4年間看病した」というところは、実際は、結婚生活は4年、そのうち残りの1年半、結核を発病した夫を看護した、と直すべきであろうという。

 しかし羽鳥もいうように、たくさん聞いた話の中で、この程度の聞き誤りは、許容範囲であろう。康成は、初代から聞いた話をほとんどそのまま、この作品に書きつけた、といっていいのである。

結核にかかった夫を看護し、その死を看取り、それから再婚して、その夫は去年から失業中であるという。

 さすがの初代も、今後の生活の見通しが立たず、つい、10年前、あれほどの好意を自分に見せてくれた、そして今は作家として成功している康成を訪ねたくなったのであろう。

 初代の訪問の目的が何であったか。単なる懐旧の情からであるか、あるいは具体的な目的があったのか。また、その訪問は1回きりであったのか、あるいは数度に及んだのか。

 初代の訪問を素材にのちに書いたと思われる「姉の和解」(『婦人倶楽部』1934・12・1)の記述は、基本的に事実にもとづいて書かれていると考えられるが、訪問の目的は、やはり金を貸してほしい、ということだった。

 初代の妹の嫁いだ夫が遣いこみをしたという。もうどこにも、借りにゆく相手がいないのだった。
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川端康成の初恋 運命のひと伊藤初代 10年後の再会(4)

滓(かす)のやうな女

再会した初代の印象について、康成はあちこちに書いている。

「……女が身も心も敗れた今のありさまを見えもなく話すのを聞いては、女から成功者と見られてゐるらしい自分の作家面が、虚飾に過ぎぬと思ひ知る」(「文学的自叙伝」)

 「母の初恋」(『婦人公論』1940・昭和5年・1・1)の記述は、もっと残酷である。

   さうして、10幾年の後の今、民子は佐山の目の前にゐるが、使い果した滓のやうな女を、味はつてみようといふ気は、もう  起らない男であつた。

 初出では、「滓(かす)のやうな女」とルビが振られている。

 17歳の少女から10年会わなかった康成にとって、初代の変貌は、大きなショックであったろう。

 だが、初代には、その10年間で「身も心も破れる」実生活があったのだ。

 川嶋が指摘し、羽鳥も確認した作品に、窪川いね子(のちの佐多稲子)の小説「レストラン・洛陽」がある。

 「キャラメル工場から」で作家デビューして間もない窪川いね子は、前述したように、1926(大正15)年6月から、翌年7月まで、浅草のカフェ・聚楽(じゅらく)につとめた。『驢馬(ろば)』同人の窪川鶴次郎や中野重治と知り合い、窪川と同棲しはじめたころである。

 一方、初代は浅草の大カフェ・アメリカの女給になったが、その支配人をしていた中林忠蔵と結婚し、1女の母となった。しかし関東大震災でカフェ・アメリカが倒壊したため、中林は仙台のカルトン・ビルディングの支配人となり、一家は仙台に移住した。

 ところがまもなく、忠蔵が胸をわずらったため、一家は困窮し、一家は1926年末に上京、初代はカフェ・オリエントやカフェ・聚楽を転々として生計を立てた。

 こうしてみると、窪川いね子と初代は、1926(大正15)年末から1927(昭和2)年にかけて、浅草の聚楽で、およそ半年ほど同じ女給として働いたことになる。

 この聚楽の内幕を、窪川いね子は「レストラン・洛陽」(『文藝春秋』1929・9・1)に発表した。

 いね子は、「キャラメル工場から」の好評により、「発表後まもなく『文藝春秋』に『レストラン洛陽』を書くことになり、このときから私の今日に至る道が決定したようなことです」(『佐多稲子作品集』T「あとがき」筑摩書房、1959・4・15)と書き、また板垣直子の「佐多稲子」(『明治・大正・昭和の女流文学』桜楓社、1967・6・5)には、「第1作が好評を受けたせいか、じきに『文藝春秋』から小説の依頼があって、『レストラン洛陽』をのせたところ、時評で川端康成にほめられ力づけられた」と記されている。

では、「レストラン洛陽」に、初代は登場するのだろうか。また、登場しているとすれば、どのように描かれているのだろうか。

「レストラン・洛陽」の夏江

   レストラン・洛陽は、震災後に出来た店なのだ。復興の東京にいち早くどんどん殖えていつたカフエーの1つである。

 かつては浅草でカフェ・オリオンの次に挙げられる店であったが、年々に客は減り、だんだん寂れてきて、今では閉店も間近と思われる、すさんだ店だ。

 初代がモデルと思われる夏江は、21人いる女給たちのうちで、詳しく描かれる3人のひとりである。

 夏江は、「病気で寝たつきりの亭主と子供を養ふ」ために働いている。「痩せぎすのすらりとした」「派手な」姿で、「グラジオラス」の花にたとえられている。

   夏江がごむのやうな足どりですらりとはひつて来た。

  「田中さん、私今日はうんと酔ふの、いゝでせう。」蓮(はす)つぱにさう言つた。笑ふ彼女の目はもう細くなつてゐる。

「大きく口を開いてあハハと面白さうに笑ひ散らす」、「人の好い」、からりとした気性をもつ女性としても描かれている。

 しかし、夏江には、「公然のパトロン」がいる。華族の息子の保(やす)河徳則という男で、「無表情な色の悪い男」である。しかし彼に買ってもらった反物が店にとどくと、「あら、夏江さんのえり止め、葵(あおい)の紋ぢやないの」といって朋輩たちが騒ぐ。事実、羽鳥徹哉の調査によると、保河徳則のモデル徳川喜好は、徳川慶喜の孫であったという。(「愛の体験」第三部)

 そういう実力者をパトロンにもつ夏江だが、寝たっきりの夫に対する態度は冷たい。「あの病気は、気ばかりとてもしつかりしてるんでせう。何だかんだつて、やかましくてね」といい、また「疲れて帰つた彼女に○○を強要する」と、同輩に愚痴をこぼす。

 そしてある日、彼女が外泊して帰らなかった翌朝、病夫の遺書が店にとどけられて、ひと騒動が持ち上がる。

 それは「病気の夫の心苦しさと、この頃の夏江の仕打ちに対する悩ましいうらみを書きつらね、早晩、死んでゆく自分だ、死期を早めて夏江の負担を軽くする」という内容の手紙であった。眠り薬を多量に飲んで自殺をはかったのである。かろうじて命はとりとめたが、夏江は、それにも心を動かしたふうもない。
 夫は、6月に入って死ぬ。しかし、

   危篤の知らせが店に来たときもやはり夏江はいなかつた。

   保河が病気で、看病のため彼女はその方へずつと前から泊つてゐたのである。

 知らせを受けて店へ戻ってきた夏江は、「大丈夫よ、どうせ死ぬことは分つてゐるんですもの」と平然としている。

 物語は、次のように結ばれている。

   夏江は子供を連れて洛陽の近くに間借りをした。彼女はこの頃ますます酒を飲んだ。

かんばん過ぎて、女部屋は帰り支度をする女たちが立ちはだかつて暗かつた。その蔭に、その夜も、夏江は泥酔して転がつてゐた。

  迎ひに来て待つてゐた可愛い子供が、くりくりと悲しさうに目を動かして、周囲の女たちを見上げながら、母親の夏江を引つ張つた。

「母ちやん、早く帰らうよ」

  「あいよ、今帰るよ。母ちやんはね、酔つぱらつちやつたんだよ。華(はな)ちやん母さんにキッスしてお呉れ」

さう言つて畳に顔をすりつけて眼をつぶつたまま、あてずつぽに子供の首に巻きつけてゆく母おやの腕から、子供は笑ひもせずくぐり抜けてまた母親の手を引つ張るのだつた。
           
 泥酔して、女部屋に転がっている夏江の姿。夫の死後、いっそうすさんでゆく夏江の姿を描写したこの一節は、哀切である。加えて、無心な、可愛い子供の姿が読者の胸をかき乱す。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/4d1a331dbbf2f3d937600e0a7d4bdd8a


川端康成の初恋 運命のひと 伊藤初代 10年後の再会(5)

康成の文芸時評

 この「レストラン・洛陽」に対して、川端康成は、『文藝春秋』の「文芸時評」(9月)で、次のように批評を書いた。

   窪川いね子氏の「レストラン・洛陽」(文藝春秋)を批評するに当つて、私は新しく別のペンを持ち出して来たい。がさつな文章を、つつましい光のひそんだ文章に改めたい。そのやうに――この作品は、とりわけ作者のしつかりとした落ちつきは、  私に尊敬の念を起させたのである。

   これは、レストラン女給生活の真実である。彼女等の内から見た真実である。カフエやバアの女給達の姿は、咲きくづれた大輪の花のやうに、近頃の文壇の作品に、けばけばしく現れ出した。余りに外面的に、従つて猟奇的な対象として――だが、一群の彼女等がこの作品の中の彼女等のやうに、ほんたうの姿を見せたことはないであらう。

 真実はいつも真実である。――  そのやうな言葉をこれは思ひ出させる。透徹した客観と、女性的なものとが、このやうに物柔かに融け合つて、作品を構成したことは、全く、珍らしい。ここに描かれた彼女等の生活の流れは、余りにわびしい。しかしそのわびしさを、ぢつと支へた作者の筆致から、われわれは作者の作家的な大胆な落ちつきと、  心のこまやかさを、同時に感じる。

   本誌に出た作品だから、詳しい説明は略するが――文壇はこの作者によって、1個の真実を加へたと云へよう。つつましくて、同時に大胆で、冷くて、同時に温い――。

 ほとんど絶讃である。若い作者の汚れのない筆つきに、康成は素直に感動したのであろう。

 一時、初代を追ってカフェに出入りした康成にとって、うらぶれたカフェの内側の女たちを描いたこの作品は、他人事とは思えなかったろう。しかし、いかに炯眼(けいがん)の康成でも、この作品の夏江が、初代の一時期を活写したものであるとは、夢にも思わなかったであろう。

 この時評の3年後、「父母への手紙」第1信で、康成は次のように書く。


康成の愛のかたち

   ついでに、私がどういふ女を愛するかも申し上げませうか。平和な家庭に育つた少女のほのぼのしさは、涙こぼれるありがたさで見惚れはしますけれども、私は愛する気にはなれないのです。とどのつまり、私には異国人なのでありませう。

 肉親と離れたがためにふしあはせに育ち、しかも自らはふしあはせだと思ふことを嫌ひ、そのふしあはせと戦つて勝つて来たけれども、その勝利のために反つて、これからの限りない転落の坂が目の前にあり、それを自らの勝気が恐れることを知らない、ざつとさういつた少女の持つ危険に私は惹きつけられるのです。

 さういふ少女を子供心に帰すことによつて、自分もまた子供心に帰らうといふのが、私の恋のやうであります。

 この、肉親と離れて不幸な境涯に育ち、これまではその不幸と戦って勝ってきた、そのためにかえって、「これからの限りない転落の坂が目の前にあ」ることに気づかぬ少女の危険こそ、康成を初代に釘づけにする魅力であった。康成は、初代の転落をほとんど予測していた、といっても過言ではない。

 はたして、別れて10年後に、かつての少女は、人生の深い谷底に転落した経験をもって、その姿をあらわした。

 彼女は、見えもなく、転落の結果、自分が今どんな惨状にあるかを隠すことなく語った。

 しかし、「夫の病を4年間看護し、そして死なれた」という彼女の話の内実が、カフェ・聚楽の女部屋に、連夜、泥酔して転がっていた、というものであったとは、神ならぬ身の康成の、思いも及ばぬところであったのだ。

 ただ、その内実は知らずとも、そのような生活が彼女にもたらしたもの――もはや、17歳の初代とはあまりに変わってしまった淪落した女の姿は、康成の想像の外にあったのである。

 川嶋至が、この堕天使との再会後、康成が大きく変貌したと力説しているのは、あながち川嶋の思いこみではないだろう。

古い恋の墓標

 伊藤初代の訪問を描いたのは、「父母への手紙」だけではない。
 前引の「姉の和解」も、この訪問を直接素材にした作品である。

 新吉は、妻の芳子と、その妹照子と3人で暮らしている。彼の収入が少ないので、妻の妹が女給に出て、家計を支えてくれているのが実情だ。

 そんなある日、妻の芳子があわただしく玄関を駈け上がって、鏡台の前にすわりこんでしまう。

 「変な人が来てゐたのよ」と芳子はいう。新吉がのんびり「物貰ひか、押売りだらう」と言うと、芳子は怒った調子で「女よ。」と答える。

 まもなく、玄関に、はばかるような女の声が聞こえる。幾分の好奇心も手伝って、新吉が玄関に出てみると、思いがけない、房子が立ってゐるのだった。

   芳子の怒つた理由が分つた。
   新吉も8年ぶりで見る房子だつた。

   夕闇を背に受けて、黒つぽい地味な着物で、顔の色もやつれて、肩を縮めながら、弱々しく微笑んでゐた。

   ずゐぶん御無沙汰致して居りました。ほんたうに伺えた義理ぢやございませんわ。何度もお宅の前を行つたり来たりしましたわ。」

   なるほど二人はこんな挨拶をしなければならぬ間柄になつてしまつたのかと、彼は房子の丁寧な言葉を幾らかくすぐつたく聞きながら、

  「まあ上り給へ。」

 新吉が茶の間に引っ込んで、「おい、房子だよ。」と妻にいうと、「なにしに来たんです。なんの用があるんです。」と言われ、新吉はぐっと言葉につまる。

 「昔あなたを苦しめて棄てた女を、家へ上げるなんて、そんな意気地のないこと、私は嫌いです。」

 芳子はそう言って、家を出てゆく。新吉は応接間に戻る。

   それとなく昔の裏切りを詫びる言葉には、あの頃の勝気な虚栄心は跡形もなく、あきらめに近い素直な悔恨の響きがあつた。それを聞くと、新吉は妙に寂しくなつた。

   房子の姿はもう全く古い恋の墓標としか、新吉の眼には写らなかつた。

 寧(むし)ろその墓標の前に房子と二人で立つて、はかない夢を追つてゐるやうな気持だつた。裏切られた時の血の涸れるやうだつた未練も、その前の息苦しいやうだつた恋心も、当の相手の房子と今向ひ会つてみると、反つてひとごとのやうに遠ざかる思ひだつた。房子は新吉が変らないと言つたけれども、新吉は房子が変らないとは、義理にも言へなかつた。

 房子の帰っていったあと、妻は妹照子と一緒になって帰ってくる。もう機嫌は直っている。その妻に、新吉は、「僕も幻滅したから、来ない方がよかつたのにね。」と語るのである。

 房子は、やはり金の無心に来たのであった。

 この作品を書いた康成の、苦い顔が見えてくるようである。伊藤初代が実際に10年後の姿を彼の前に現わしたことによって、康成の長年にわたる「命の綱」であった「恋心」が、がらがらと崩落したのである。

 こののち、「命の綱」を失った康成は、どのように生きてゆくのであろうか。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/50fbb280735ec977f976278dd1c9d4bd

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c80

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
81. 中川隆[-7617] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:40:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


伊藤初代のその後 〈美神〉の蘇生 「母の初恋」 (1) 2014-08-16

 はじめに

 ……康成が伊藤初代の姿を見失ったのは、婚約と「非常」事件のあった翌年、大正11年(1922年)のことであった。

 それから、ちょうど10年後の昭和7年(1932年)春、突然、初代は上野桜木町の康成の家を訪問したのであった。康成は昭和4年に『東京朝日新聞』に「浅草紅団」を連載して好評を博し、浅草ブームに火をつける役割をはたして人気作家としての地位を確立していた。

 その、作家として成功した康成の家を、初代は訪問したのであったが、「10年後の再会」で見てきたように、この再会は、康成に深い幻滅を与えたようである。

 長い間、康成の内部に輝いていた〈美神〉の像が、ガラガラと崩壊したのである。

 ……じつは、拙著においては、このあと、昭和8年の小説「禽獣」(禽獣)、エッセイ「末期の眼」(まつごのめ)、翌9年のエッセイ「文学的自叙伝」について書いたあと、昭和10年(1935年)から発表の始まった「雪国」についての、長い章が入っているのだが、伊藤初代に焦点を合わせたこのブログでは、これらの章を割愛する。

 そして、次に登場するのが、昭和15年(1940年から『婦人公論』に連載された「あいする人達」の冒頭の一編、「母の初恋」なのである。

 この美しい作品に、康成の内部における、〈美神〉の変化が暗示される。以下の章で、そのありかたを見ようと思うのだ。

 では、「父母への手紙」から8年後の「母の初恋」を検討するところから、論を再開しよう。


その後の康成

 昭和12年(1937)年6月に〈旧版『雪国』〉を刊行してから、康成はそののち、どのように日々を過ごしたのだろうか。

 構想上の問題が残っていたとはいえ、いちおう「雪国」からは卒業した気分になっていただろう。

 「雪国」を断続して書いているあいだに、康成は昭和10年(1935年)12月に上野桜木町を去って、鎌倉に居を転じた。はじめは林房雄の招請で鎌倉町浄妙寺宅間ヶ谷に、2年後の5月には鎌倉市二階堂に居を移した。

 さらに「雪国」が尾崎士郎「人生劇場」とともに文芸懇話会賞を受賞したので、その賞金に出版社からの借金を加えて、軽井沢に別荘を購入したりしている。

 この軽井沢に取材した諸短篇が、のち『高原』にまとめられる。

 北条民雄の世話をしたのも、この少し前のことであった。

 北条からはじめて手紙を受け取ったのは、昭和9年、「雪国」を書きはじめる前夜であるといっていい。「雪国」分載と雁行するように、鎌倉で北条と会い、「間木老人」「いのちの初夜」を『文学界』に掲載するよう取り計らい、特に後者は文学界賞を受賞するなど、文壇に大きな衝撃をもたらした。

 〈旧版『雪国』〉を刊行した半年後に北条は死亡し、その遺骸と対面した康成は、翌昭和13年(1938)年に『北条民雄全集』上下2巻(創元社)を編集刊行し、印税をすべて遺族にわたるように取り計らう。美談というより、康成にとっては自然な行為であった。

 昭和12年から翌年にかけて、康成は、『婦人公論』に長編「牧歌」を連載している。

 この昭和13年(1938年)には、7月から12月にかけて、囲碁の本因坊秀哉(しゅうさい)名人の引退碁があり、その観戦記を書いた。これがそののち「名人」執筆につながったことは、よく知られているとおりだ。

 昭和14年には、『少女の友』に盲学校の少女を主人公とした「美しい旅」の連載をはじめ、昭和16年には『満洲日日新聞』の招きで満洲に赴(おもむ)き、北京にも足を踏み入れている。また、関東軍の招きで再度満洲を訪ねたことも、記憶に残る足跡である。

 しかし、わたくしが最も注目したいのは、1940(昭和15)年1月から『婦人公論』に9回にわたって連載され、翌年12月、新潮社から刊行された『愛する人達』である。なかでも、最初の「母の初恋」は、康成の生涯全体を眺望するときに、欠かすことのできない重要作品である。

「母の初恋」

 現在ではなかなか手に入りにくいが、川嶋至に「『母の初恋』論のための序章」という論考がある。

 この論で川嶋は、単行本『愛する人達』に収載された「母の初恋」をはじめ、「女の夢」「ほくろの手紙」「夜のさいころ」「燕の童女」「夫唱婦和」「子供一人」「ゆくひと」「年の暮」の9編について考察を加えた。いずれの作も、「作者川端に近似した風貌と感性を持つ主人公が登場して、その男の眼を通して相手を観察し、過ぎ去った日々を詠嘆的に回顧するという点で、共通した基盤の上に成立した作品である」という結論を導きだしている。

 そしてこの結論を出発点として、川嶋はさらに「『母の初恋』をめぐる一つの推論」を発表した。

 この論考は、みち子――伊藤初代の存在を世に送り出した川嶋らしく、熱気を帯びた「母の初恋」論である。

 今この論を詳細に紹介する余裕はないが、この論考に示唆(しさ)されて、わたくしはわたくしなりに、「母の初恋」を論じてみたい。

 私見によれば、「母の初恋」は、康成がこの時期、書かずにはいられなかった作品である。内的衝迫(しょうはく)によって、自己の内部に存在する伊藤初代事件の総括と、そこから発展した美しい夢を織りなした作品である。

 「母の初恋」を発表した1940(昭和15)年といえば、いわゆる「非常」事件があって康成のもとから伊藤初代が飛び去った1922年(大正11)年冬から18年の歳月が流れている。おおかた20年といっていい。

 その20年前の古い傷が、ここでは動かしがたい事実として、作品の背後にどっしりと腰を据えている。


雪子の婚礼

 物語は、現在からはじまる。

   婚礼の時に、白粉(おしろい)ののりが悪いとみつともないから、もう雪子には水仕事をさせぬやうにと、佐山は妻の時枝に注意した。

雪子の結婚がせまっているのだ。妻時枝にしたがって台所仕事を、これまでどおりにつづけている雪子の肌のことにまで気づいて、佐山は妻に注意する。

 それが一昨日の夕方のことだった。ところが今日の昼も、雪子はやはりお勝手ではたらいている。

 この分では、式の日の朝飯の支度までして、うちを出てゆくことになりそうだ。そう思って佐山が見ると、雪子は小皿にしゃくったつゆを、ちらちらと舌を出して味わってみながら、楽しそうに目を細めている。

   佐山は誘ひ寄せられて、

  「可愛いお嫁さんだね。」

   と、軽く肩にさはつた。

  「お料理しながら、なにを考へてるんだい。」
  「お料理しながら……?」

   雪子は口ごもつて、じつとしてゐた。

 雪子は料理が好きで、女学校のころから、時枝の手伝いをしている。女学校を卒業してからは、もうまかせられたように、味つけまで雪子がする。そしていつのまにか、雪子は、時枝とまったく同じ味つけになっている。

 雪子は16歳で佐山のところへ引き取られて、時枝の味をそっくり受け入れて、それを持って、嫁にゆくのである。

 佐山は今日、1時03分の大垣行きに乗って、雪子と若杉の新婚旅行の宿を決めに、熱海へゆくのである。

   雪子がカバンを持つて、門口へ先廻りしてゐた。

  「いいよ。」

   と、佐山は手を出したが、雪子は佐山の顔を悲しさうに見上げたまま、首を振つて、

「バスのところまでお送りしますわ。」

   なにか話があるのかと、佐山は思つた。(中略)

   佐山がわざとゆつくり歩いても、雪子はなにも言はなかつた。

  「どんな宿がいいの?」

   と、佐山はもう幾度も聞いたことを、またたづねた。

  「をじさんのおよろしいところで、いいんですの。」

   バスが来るまで、雪子は黙つて立つてゐた。

   佐山が乗つてからも、しばらく見送つてゐた。そして、道端のポストに手紙を入れた。気軽に投げ込むのでなく、すこしためらつてゐるのか、静かなしぐさだつた。

 さりげない描写だが、のちの伏線となる重要な記述である。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/e5a43bbb34be774df2c8f7d480a9327e

伊藤初代のその後 〈美神〉の蘇生 「母の初恋」 (2)

 民子との再会

 新婚旅行の宿の部屋まで父親が決めるなど余計なことだと時枝は言ったが、佐山は、ついでに芝居の腹案を練るという口実で、わざわざ出かけてきた。

 雪子はものごころつく頃から、継父と貧乏とに苦しめられ、佐山の家へ引き取られてからは、落ちついたとはいうものの、いわば居候である。一種の牢獄であったかもしれない。

 結婚によって、初めて自分の生活と家庭が持てるようなものである。

 解放と独立の強い感じのなかに、婚礼の翌朝は目覚めさせてやりたいというのが、佐山の心づくしであった。

 ――40歳を少し出たばかりの佐山は、シナリオ作家である。しかしもう隠居役で、面白くもない小説の脚色などは後輩に押しつけて、気の合った監督と組んで、好き勝手なものが書ける地位にあったが、ひるがえって考えると、それはもう自分が現役のシナリオ作家ではなくなったということだった。シナリオ作家として立ち直るか、撮影所をよして、彼の元来の道である戯曲で出直すか、迷っている時期であった。

 ……6年前のこと、妻の時枝が子供をつれて、買い物から帰ってくると、門の戸にへばりついて、家の様子をうかがっている女があった。

 それが民子だった。雪子の母である。

 むかし佐山にそむいて去った恋人が、十幾年ぶりで、ひょっこり彼を訪ねて来たのだった。

 そのとき民子は、まだ30を2つ3つ出たばかりなのに、関節がぼろぼろにゆるんだように、疲れ果てた姿だった。

 「ほんたうに御成功なすつて、私も喜んでをりますわ。」

 と、民子は心からそう信じているように言った。また、

 「御作はいつも拝見させていただいてますの。よく、子供をつれて参りますのよ。」とも民子は言った。

 佐山が脚本を書いた映画のことである。

 佐山は面映ゆく、話をかえて、民子の子供のことをたずねたものだった。――その子が、今度嫁入りさせる雪子である。

 民子は、最初結婚した男が結核になって、男の田舎へ帰り、四年間看病して死別したことや、一人の女の子をつれて、今の夫の根岸と再婚して5年になることなどを、こまごまと話した。

滓のやうな女

 この作品では、佐山と民子の初恋についても、簡潔に説明されている。

   ――民子は、佐山が友人達と劇研究会をつくつて、学生芝居などを催した時に、女優代りの手伝ひに来た娘だつた。そのうちに、佐山が結婚したいと言ふと、民子はたわいなく承知した。  佐山は卒業と同時に撮影所に入つた。芝居よりも新しい芸術として、映画に理想と情熱を持つたが、それを愛人の民子の上に、花咲かせてみたかつた。彼は民子を撮影所に入れた。(中略)

   そのやうな民子を、紙屑のやうな映画新聞の記者が、撮影所へ無心に通つてゐるうちに、宣伝してやるとか言ひくるめて、連れ出してしまつたのである。

   そのために民子は、雪子を産み、田舎へ行つて、男が死ぬまで看病したといふ。

   民子を失つた当座、佐山は電車などに乗つて、民子とおなじ年頃の17,8の娘の着物が、手にさはつたりすると、泣き出しさうでならなかつた。

脚色されてはいるが、かつての康成と初代の婚約のころが、明らかに踏まえられている。

 そしてその次に、突き刺さるような恐ろしい言葉が、この作品には書きこまれている。

   さうして、十幾年の後の今、民子は佐山の目の前にゐるが、使ひ果した滓のやうな女を、味はつてみようといふ気は、もう起らない男であつた。

 この部分は、底本とした第4次37巻本『川端康成全集』第7巻(1981・7・20)と本文に異同はないが、初出の『婦人公論』は、総ルビである。

 そして「滓(かす)のやうな女(をんな)」とルビを付されているのである。

別れてから10年後に初代が訪ねてきて再会した、そのときの衝撃が今も尾をひいている。「使ひ果した滓のやうな女」とは、何とむごい、初代の人格を無視した言葉であろう。

 なるほど、初代はあのとき、洗いざらい、すべてを語ったようだ。康成が「父母への手紙」や、この作品に書いた内容と、その後の調査によって確認された事実を突きあわせると、ほとんど隔たりはないようである。しかし康成は、窪川いね子の「レストラン洛陽」を読んではいるけれど、そのモデルの一人が初代であったなどとは、夢にも想像しなかったはずである。それなのに、この言葉は、ひどい。

 また、民子の最初の夫、第二の夫も、作品の上だからであろうか、事実よりもひどく書かれていると思われる。

 その延長であろうか、初代をモデルとした民子は、作品の上で、殺されてしまうのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/7e4279b8c0b1b775f1ddc53d7a97f3b2

伊藤初代のその後 〈美神〉の蘇生 「母の初恋」(3)

「父母への手紙」との類似

 再会したとき、民子は、こんなふうにも語った。

   「随分苦労ばかりして来ましたわ。罰(ばち)があたつて……。あの時、自分の幸福を自分で逃がしたんですから、しかたがないとあきらめてますの。つらい時は、佐山さんを思ひ出して、よけい悲しくなりますの。自分勝手ですわね。」

 再婚した根岸は朝鮮を浮浪してきた鉱山技師だが、内地へ帰っても山気が抜けないで、なかなか落ち着かないとも言って歎いた。

 そして、今度こそ根岸と別れる決心をしたので、ついては、娘と2人の糧に喫茶店を出したいから、500円貸してはくれまいかと、遠慮がちに切りだすのであった。

 民子は長年の無理がたたって、體にひびが入り、今は医者がよく起きて働いているとあきれるほど、心臓と腎臓とが悪くなっていた。

 ここまで読んでくると、わたくしたちは、「父母への手紙」第2信の「後姿」を否応なく想起する。

 1032(昭和7)年春、10年前に別れた伊藤初代が上野桜木町の康成の家を訪ねてきて、無心をした。そのときの状況と告白と、あまりに内容が似ているからだ。康成がその無心を断ったことも、妻が腹を立てて数時間家を出ていったことも。

 川嶋至は、前記の論考で、第1次全集の「あとがき」(のち「独影自命」)に引かれた康成の日記をいくつも引用しながら、次のように述べている。

   「母の初恋」の佐山と民子の初恋が、実生活における川端とみち子の恋愛に基づいて描かれていることは、ほぼ間違いない事実なのである。

この事実にもとづいて、康成は作品をさらに押しすすめてゆく。

   佐山はまた子供のことをたづねた。せめてその娘には、以前の恋人の面影があらうかと思つて、

  「あんたに似てるの?」
  「いいえ、あんまり似てないやうですの。眼が大きくて、皆さんから可愛いつて言はれますわ。つれて来ればよかつたですわ。」

  「さうですね。」
  「佐山さんの映画を見て、よくお噂を聞かせてありますから、雪子も佐山さんのことは、よく知つてをりますの。」

   佐山はふとにがい顔をした。

 それから2ヶ月ほどあと、佐山が撮影所に出て留守の間に、民子は子供を連れて佐山の家をおとずれた。そうして妻の時枝に何も彼も告白した。鉱山技師の夫とも別れたといった。

 家庭の平和を脅かすような力は、すでに民子にはなかった。このこともあって、時枝はもう民子になんの反感もなく、同情しているのだった。同情する自分に、満足を感じているようだった。

民子の死

 それっきり民子は訪ねてこなかったが、半年ばかりして、佐山は銀座で偶然、民子に行き会った。妻の時枝が雪子をほめていたと言うと、民子は、佐山にもぜひ雪子をちょっと見てほしいと、もう自分でタクシーを捜すのだった。

   麻布10番の裏町の家では、水兵服を着た雪子が、粗末な机で勉強してゐた。女学校へ通つてゐるのだらうか。

御挨拶しなさいと民子が呼ぶと、雪子は立つて来て、少女らしいおじぎをしたが、その後は、黙つてうつ向いてゐた。母に紹介されるまでもなく、佐山を知つてゐる素振りだつた。

  「いいから勉強してらつしやい。」

   と、佐山が言ふと、雪子はにこつと笑つて、うなづいた。しかし、そのまま佐山の前に坐つてゐた。(中略)

  「あの時分は、まだ私ほんたうに子供で、なんにも分りませんでしたわ。まるでなにもかも、夢中でしたの。――だんだん分つて来て、いつも心でお詫びしてましたけれど、こんなにして、会つていただけるとは思へませんでしたわ。」

   と、民子はまた古いことを言ひ出した。
   娘がそこにゐるのにと、佐山は困つた。

   民子はちよつと雪子を見て、

  「かまひませんの。この子は、みんな知つてをりますのよ。――佐山さんの奥さんに、親切にしていただいてもいいのつて、聞くんですの。」

   母の初恋を、雪子はどんな風に話して聞かされてゐるのだらうか。

  「雪子は頼りの少い子供ですから、私に万一のことがありましたら、見てやつていただけませんでせうか。佐山さんのことは、よく言ひ聞かせてあるつもりです。」

   民子の言葉は奇怪にひびいた。

 そのあとの一節が、読者の胸をうつ。
 佐山がそこそこに民子の家を出ると、民子は雪子をつれて送ってくる。
 
   坂道だつたが、雪子は二人から離れて、片側の溝の縁ばかり歩いた。

  「雪子。」

  と民子が呼んでも、雪子はまた溝の縁へ寄つて歩いた。

 雪子のこれまでの境涯がしのばれる一節である。抱きしめてやりたいような、頼りない、不安な境涯の、そして心もその境涯にちぢみすくんだ、雪子のほそい體つきが浮かんでくる。

 そして章が変わり、第4章になる。冒頭に、電文が示される。

   ……ハハタミコシスユキコ
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/ed90f66c1b83046158c72bbf5503a999

伊藤初代のその後 〈美神〉の蘇生 「母の初恋」(4)

けなげな雪子

 電報が来たのは、あくる年の4月だった。

 電文を見て、妻の時枝が、「ユキコ……、差出人が、雪子となつてますよ。あの子が一人で、どんなに困つてるかもしれませんわ。行つておやりになつたら……?」と言ってくれる。

 佐山にも、どうしてだか、「ユキコ」といふ3字の音が、悲しく胸にしみる。麻布の家に1度行ったきりで、向こうからも音沙汰がなかったのに、雪子はどういうつもりで、自分の名前で母の死を報せてよこしたのか。

 葬式はいつかわからないが、その前に行くとなると、少し金を準備して行かなくちゃならんかもしれんね、という佐山の言葉に、「そんなこと……」と時枝は一時、気色ばみかかったが、「しかたがないわ。最後の御奉公と言ふんでせうかね」と笑いにまぎらわして、それを許し、喪服も用意してくれる。

   民子の家には近所の人らしいのがごたごたゐたが、むろん佐山を誰だかわからうはずがなく、

  「雪ちやん、雪ちやん。」

   と呼んだ。

   雪子は走り出て来た。母に死なれたとは見えない、元気な少女だつた。

   佐山を見ると、よほどびつくりしたやうだが、なんとも言ひやうなく純真にうれしい顔を、ぱつと見せた。そして、ちよつと頬を染めた。

   ああ、来てやつて、よかつたと、佐山は心が温まつた。
   佐山は黙つて、仏の方へ行くと、雪子がついて来た。
   佐山は香をたいた。

   雪子は民子の頭の方に坐つて、少しかがみながら、

  「母ちやん。」

   と民子を呼ぶと、死顔の上の白い布を取つた。

   佐山は、民子が死んでゐることよりも、雪子が佐山の来たことを母に報せて、民子の顔を佐山に見せたことに、よけい心を突かれた。(中略)

  「母ちやんが……」
  「母ちやんが?」

  「佐山さんによろしくつて言ひました。」

   そして、雪子は急にむせび泣くと、両手で顔をおさへた。
  
 雪子は、ほかの客は眼中にないかのように佐山につくす。佐山は雪子を外に呼び出して、通夜のときに食べるものを用意してあるか訊ねると、それもしていなかった。近所の寿司屋に頼むのがいいと、佐山は雪子をつれてゆく。

   暗い坂を下りて行くうちに、佐山の方が悲しくなつて来た。
   雪子はまた溝の縁を歩くのである。

  「真中を歩けよ。」

   と、佐山が言ふと、雪子はびつくりして、ぴつたり寄り添つて来た。

  「あら、桜が咲いてますわ。」
  「桜……」
  「ええ、あそこ……。」

   と、雪子は大きい屋敷の塀の上を指さした。

 帰ってくると、近所の人たちが相談して、佐山を重んずべきだと決めたらしかった。その夜、佐山はお隣の二階に寝た。

 あくる朝、雪子は火葬場で、佐山の渡しておいた金を払った。用意しておいてよかったのだ。


雪子の失踪

 第5章で、作品は、ふたたび現在に戻る。

 婚礼の日の朝も、雪子はいつものように、佐山の二人の子供たちの弁当をつめる。それも自発的に、自然に、である。

 それから、雪子を家に引き取った経緯がしるされる。

 民子の葬式からしばらくして、佐山は雪子に手紙を出してみたが、宛名人の転居先不明という付箋がついて手紙は戻ってきた。

 ある日、時枝が百貨店に行くと、食堂の給仕をしている雪子に会った。そのなつかしがりようが、ちょっとやそっとではなかった。夜学校をやめて、百貨店の寄宿舎にいるというのを聞いて、時枝が「あなたなら、きつと、うちへおいでつて仰しやるわよ」というような話から、雪子は16歳で佐山の家の人になったのだった。

 女学校をつづけることになった雪子は、子供たちの世話から台所のことまで、じつによく働いた。時枝がすっかり雪子を気に入った。

 そして後々のために、佐山の家へ雪子の籍を入れて養女にしたのも、時枝の考えだった。

 縁談があった。相手の若杉は、大学を出て3年ばかりたった銀行員で、係累も少なく、申し分ない話だった。

 婚礼の日の朝、しるしばかりの祝いの膳について、雪子の挨拶があってから、

   「雪ちやん、どうしても、どうしてもつらいことがあつたら、帰つてらつしやいね。」

   と、時枝が言ふと、急に雪子はくつくつくつと涙にむせんで、手をふるはせて泣いた。部屋を走り出てしまつた。

式場では、親戚のいない雪子の側は寂しかったが、披露の席では、雪子の女学校の友達を10人ばかり招いておいたので、華やかだった。しかし佐山は、民子のことが切なく思い出されてならなかった。民子の幽霊が、娘の花嫁姿をのぞいてはいないかと、窓の方を振り向いたりした。

 披露の席から帰る車のなかのさびしさと言ったらなかった。そのとき、時枝がずばりと言う。「あなた、雪ちやんが好きだつたんでせう?」

 「好きだつた。」と佐山は、静かに答える。

 ――ところが、思いがけないことが起こる。3日目には新婚旅行から帰って、仲人の家などへ挨拶に歩くことになっているので、佐山が若杉と雪子の新居へ行ってみると、なんということか、民子の第2の夫であった根岸が新居に坐りこんで、脅迫しているのだった。根岸は、佐山にも、雪子をことわりなしに嫁入りさせたのは、けしからんと食ってかかった。

 根岸は雪子の養父ではあったが、雪子は彼の籍には入っていないし、民子とも別れたのだから、無法な言いがかりであった。

 佐山は根岸を帰すつもりで、あるビルの地下室で説得していると、その間に、雪子がちょっと出ていったきり、戻ってこないのである。

 その夜、雪子は若杉の家にも佐山の家にも戻らなかった。

愛の稲妻

 雪子は失踪したのか、自殺しはしまいか。

 佐山は雪子の最も親しかった女学校友達に電話をかける。

 その友達は、結婚のすぐ前に、雪子から長い手紙をもらったと言ったが、次の言葉をいいよどんだ。

 それを、あえて訊くと、

   「あの、よくは分りませんけど、雪子さんに、好きな人があつたんぢやありませんの?」

  「はあ? 好きな人ですか? 恋人ですか?」

  「存じませんのよ、私……。でも、初恋は、結婚によつても、なにによつても、滅びないことを、お母さんが教へてくれたから、私は言はれるままにお嫁入りするつて、そんなことがいろいろ書いてありましたの。」

  「はあ?」

   佐山は受話器を持つたまま、ふつと眼をつぶつてしまつた。

 そして次の日、佐山が撮影所に顔を出すと、雪子が朝早くから来て、彼をしょんぼり待っていたのである。

 佐山は直ぐに車を呼んで、雪子を乗せる。
 自分の愚かさと言おうか、うかつさと言おうか――。
 しかし、今さらそれには触れられないので、

   「ほかにも、なにかつらいことあつたの? ――つらいことがあれば、帰つておいでと、時枝は言つたが……。」

   雪子はぢつと前の窓を見つめたまま、

  「あの時、私、奥さんは幸福な方だと思ひましたわ。」

   雪子のただ1度の愛の告白であり、佐山へのただ1度の抗議だつた。
   雪子を若杉のところへ送りとどけるために、車を走らせてゐるのかどうか、それは佐山自身にも分らなかつた。

   民子から雪子へと貫いて来た愛の稲妻が、佐山の心にきらめくばかりだつた。

 ……結びの文章の木霊のような響きの美しさは、類を見ない。読者の心を、母から娘へと受け継がれた、長い歳月の愛への想いにさそう。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/342b1416e76a93664024ccae47f91710

伊藤初代のその後 〈美神〉の蘇生 「母の初恋」(5)

「母の初恋」の最終行

 ……民子から雪子へと貫いて来た愛の稲妻が、佐山の心にきらめくばかりだつた。

 康成が書きたかったのは、まさにこの1行だったのである。

 民子は死んだが、その愛は生きていた。地下水のように脈々と流れて雪子に至り、雪子の心の奥深く、清冽な流れとなって、流れつづけてきた。


〈美神〉の蘇生

 1922(大正11)年冬、不可解なままに愛を喪った康成だったが、その真剣な思慕は、ちゃんと初代に通じていた。

 初代が不如意な結婚生活に苦しんでいるあいだに、康成の愛は初代によって思い出され、次第に大切な思い出となって、苦境にある初代の心の支えとなった。

 10年後に、思いあまって初代は上野桜木町の康成の家を訪ねた。

 しかし、すさんだ生活のあいだに、初々しさも、若さも、美しさも、すべてを失ってしまった零落(れいらく)した姿に、康成がその後も内部ではぐくんできた〈美神〉の像は、がらがらと崩壊した。

 ――ここまでが、川嶋至のいう「実生活における川端とみち子の恋愛に基づいて描かれている」部分である。

 けれども、1度消えたかに見えたみち子――初代への想いは、康成と別れたあと、初代が康成の代わりに育んでいてくれた。その想いが、娘に引きつがれて、何10年にもわたって愛の稲妻となって戻ってくる。

 すなわち、康成のなかに固着した伊藤初代という〈美神〉は、いったん崩壊しても、そのままでは終わらなかったのである。康成の内部に、痛切な希求(ききゅう)として生きつづけ、ひそかに成長しつづけた。

 それが、母の愛が娘のなかに生きつづけるという発想につながったのである。別れたのちも想いつづけてくれた初代の愛は、娘に受け継がれるという思いがけないかたちで、ふたたび甦ったのである。

 〈美神〉の蘇生――「母の初恋」は、そのような康成の悲痛なまでのねがいが成就された作品である。
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[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
82. 中川隆[-7616] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:44:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

川端康成の恋 伊藤初代のその後 日記に告白された恋情(1) 2014-09-01

これまでの復習

 1932年(昭和7年)春、伊藤初代は10年ぶりに、康成の前に姿をあらわした。
 その時の様子を康成は、「父母への手紙」や「姉の和解」にくわしく描いている。そうして再会した初代に幻滅したかのような印象がしるされる。

 そこから、今は亡き研究者・川嶋至は、これまで康成の内部ではぐくまれていた初代の美しいイメージが崩壊し、それ以後、康成は「禽獣(きんじゅう)」、「末期(まつご)の眼」など、冷徹な作品を描くようになった、との説を提示した。

 しかし、康成の内部に、ありし日の初代の像は、まだまだ大切に抱かれていたのである。その証拠に、再会から16年もたった、しかも戦争をへだてたのちの、敗戦後の文章に、伊藤初代を想った痛切な日々のことが、くわしく告白されたのだ。

 敗戦から3年たった昭和23年、川端康成は数え年で五十歳を迎えた。そしてこれを機に、『川端康成全集』を出さないかと、新潮社から申し出があったのである。

 康成は喜んで、これを受け入れた。そうして、各巻の「あとがき」を書いて作品解説としたいと、みずから申し出たのだ。もちろん新潮社は喜んでそれを受け、5月から刊行がはじまった。

 これが、第一次川端康成全集、いわゆる16巻本全集である。

 この「あとがき」において、康成は読者をあっと驚かせることをした。

 それは、若き日々の日記を、この「あとがき」において、惜しみなく発表し、それまで読者が想像もしなかった事実を、次々と告白したのである。

 たとえば、茨木中学の寄宿舎にいたとき、下級生の清野少年と、真剣な同性愛におちいっていた事実を、当時の日記を書き写しながら、告白したのだ。

 そればかりでなく、伊藤初代が去っていった後も、どれほど自分が彼女を恋したか、ということを、次々と日記を公開して告白していったのだ。


全集「あとがき」の告白
 
 康成は、大正10年に岐阜をたずねて初代と結婚の約束をしたことから、「非常」事件を経て、彼女が去ってゆくまでの経過を、「篝火(かがりび)」「非常」「霰(あられ)」「南方の火」などに描いて、雑誌に発表していた。

 しかし、それらの作品を、単行本には載せないで来た。もっとうまく、全体を描き直したいと思ってのことだった。しかし、それはもう出来ない。

 で、今回の全集第1巻には、「篝火」「非常」を載せた。2巻には、「霰」や「南方の火」を載せた。その解説を書くときに、大胆にも、当時の日記を引用して、赤裸々な自己の内部を告白したのである。

 以下、その、発表された日記を読んでいこう。康成は、日記の中で、初代のことを、「みち子」と名づけている。


大正11年(1922年)4月4日
   岐阜の写真屋より送り来し例の写真袋を取り出して、みち子と二人にて撮りし写真を見る。いい子だつたのに、いい女だのにの念しきりなり。彼女の手紙読む。一時は本当に我を思へる如き文言の気配を嗅ぐ。いい性質文面に現はれたりと思ふ。哀愁水のごとし。(3巻ノ1)


 大正12年(1923年)11月20日
   地震に際して、我烈しくみち子が身を思ひたり。他にその身を思ふべき人なきが悲しかりき。

9月1日、火事見物の時、品川は焼けたりと聞きぬ。みち子、品川に家を持ちてあるが、如何にせるや。我、幾万の逃げ惑ふ避難者の中に、ただ一人みち子を鋭く目捜しぬ。(3巻ノ4)

 大正12年1月14日
   九段より神田に徒歩にて出で、神保町近くにて、電車の回数券を石濱(注、金作)拾ふ。金なき折なりしかば、これに勢ひを得て、浅草行きを決す。

   松竹館の前に立ち、絵看板を見て、余、愕然(がくぜん)とす。「漂泊の姉妹」のフイルム引伸しの看板の女優、みち子そつくりなり。ふと、みち子、女優になりしにあらずやと思ひしくらゐなり。

 みち子の他の誰なるや見当つかず。それに動かされ、伊豆の踊子を思ひ、強(し)ひて石濱を入らしむ。みち子に似し、娘旅芸人は栗島すみ子なり。14,15歳につくり、顔、胸、姿、動作、みち子としか思へず、かつ旅を流れる芸人なり。胸切にふさがる。哀  恋の情、浪漫的感情、涙こみあぐるを、辛うじて堪ゆ、石濱、「みち子に似てるぢやないか。」余ハツとして「さうかなあ。」と偽(いつわ)りて答へたるも、後で是認(ぜにん)す。痛く動かされて心乱る。余の傾情今もなほ変るはずなく、日夕、アメリカのみち子に思ひを走らす。(中略)活動小屋を出でしばし言も発し得ず。(4巻ノ1)
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/7380db38ab17016e4d506f23d032b71f


川端康成の恋 伊藤初代のその後 日記に告白された恋情(2)

全集「あとがき」と伊藤初代

 康成は、第一次全集(昭和23年5月から刊行が開始された)に「あとがき」を書きつづけた。

 その最初の方には、茨木中学時代、寄宿舎に入っていたころ、下級生の清野少年と愛し合った日々のことが告白され、当時の日記が掲載された。

 当時の読者もさぞ驚いたことだろうが、康成は、「あとがき」に告白したばかりでなく、このとき見つかった古い日記や手紙を利用して、「少年」という、随筆とも回想録とも小説ともつかぬものを、雑誌『人間』に発表しはじめた。

 そのように、「少年」と並行して「あとがき」を書きつづけていた康成だが、全集はこの昭和23年に、第4巻までが刊行された。

 第3巻と第4巻の「あとがき」は、悲痛な別離に終わった「みち子もの」、すなわち伊藤初代との恋愛の経過、というより一方的な恋に終わった失恋の痛みを、当時の日記を引用するかたちで回想している。

 その失意の深さと、いつまでもつのる恋慕の情については、わたくしも、すでに第2章においてこの日記を引用したが、ここでは、第4巻「あとがき」から、康成が浅草のカフェ・アメリカを訪れた日のことを引用したい。

 みち子(伊藤初代)は、康成に「非常」の手紙を寄越したのち、直後に岐阜を訪れた康成に会うことは会ったが、もう心は戻らなかった。

 岐阜に駆けつけてくれた三明永無(みあけ えいむ)の説得によって、いったん、心はもどったかに見えたのだが、11月末、一方的に「私はあなた様を恨みます」と絶縁を宣言した手紙を寄越したまま、音信を絶った。

 まもなく岐阜を失踪して上京。その後は、あちこちのカフェで女給になった。康成は、みち子が今は浅草のカフェ・アメリカに勤めていると友人から教えられたが、金がないのと、自分の身なりが貧しいこととで、なかなかアメリカに行くことができなかった。

 その日は、友人朝倉(三明永無)のインバネスを借りることができたので、少し雪が降るなか、思い切ってアメリカを訪れたのである。

   遂に、遂にアメリカに到る。来らざること初夏以来。ドキドキす。階下奥まで見渡して、みち子なし。2階に行く。矢張りゐず。石浜、丁寧に信子に問ふ。20日程前、帰国せりと。よく聞けば、都を棄てて、父の懐にかへれるなり。父老いたればとて、父より度々手紙来りし由なり。

 「さうか。」「たうとう。」と心静まる思ひもあれど、失望、落胆、張り合ひ抜けて、呆然(ぼうぜん)たり。千々の思ひす。雪の岩谷堂(いわやどう)を思ふ。戸外降りやみたれど、一面に白し。

   みち子さへなくば、アメリカなぞ天下取つた気分にて、楽なものなり。

   彼女に語るべかりし多くのことあり。日夜よみがへる恋心に、夢を新にし新にすること、幾月ぞや。浅草に来る度、物書かんとする度、女や恋を思ふ度、なににつけかにつけ思ふはみち子なり。(中略)

   ひとり電車に乗れば、感傷胸を洗ひて、憂(うれ)へ清まるが如き涙流れんとす。悲しげに頭を垂れてみち子を思ふ。わが心の通ぜざりしことを、せめてかねがねまたこの頃も思へることを、両方の心を同じ正しき位置に据ゑて、一度十分に語ればよかりし。

  何の故に帰国せるや。何の故ぞや。父恋しとてか。父の言葉に動かされてか。1年ばかりの彼女の東京生活は、悲風惨雨にとざされし月日にあらざりしや。わが心、われに都合よき慰めを見出す。甘きこと限りなきかもしれねど、彼女は遂に心安らかなる場所を見出さざりし。何の故に東京生活は、ああまで荒々しく、白け切つたものなりしや。問うて語らまほし。安住の地、余の傍(かたわら)の他になし。(中略)

   彼女岐阜にありし時、いかに東都にあこがれしや。昨2月一旦(いったん)帰国して、東都に出しもあこがれなり。みち子に東京はいかばかりの魅力なりしぞ。しかも今や傷つきし心を抱きて、遂に都を棄て、老父の愛に帰る。岩谷堂の町のたたずまひ、彼女の家及び暮しのいかなるものか、いかに彼女に味気なきものか、彼女十分にこれを知る。しかも遂に老父と妹の許(もと)に帰る。彼女の如き性格の女ゆゑ一入(ひとしほ)涙す。さすらへる魂、先日見し「漂泊の姉妹」の栗島すみ子がみち子にあんなに似しは、彼女の魂の表象ならずや。帰国せる彼女が余に神秘的に語れるにあらずや。因縁事らしき諸々の暗示を新に思ひ起す。夢に夢を織りて果しもなし。

   彼女の国に帰りしは自然なり。彼女の心のため、魂のため、よきことなり。父のもとに願はくは静かに憩へ。静かなるくつろぎ、安らかなる楽しさ、明るきのびのびしさこそ、みち子によきもの、また余の与へんと夢みしもの。余、みち子の根を流るる、張り切つた、一本気な、美しき魂を信じ居りし。よき心あれ、よき心あれ。よき魂を護りて伸びよ。                            (大12・1・25)

このような、みち子に対する一途の慕情を書き写しながら、康成は何を思ったことであろうか。

 10年後の再会によって、康成のみち子に抱いていた夢想は無惨に打ちくだかれたけれど、青春の時期、そのように必死に想いつづけた日々を康成は思い起こし、自身の真剣で純粋な心と、みち子のその後の人生の転変を、感慨深く、時には涙しながら反芻(はんすう)したのではあるまいか。

 ――「みち子もの」の作品数そのものは、それほど多くはないが、この一連の日々が康成にとって青春期最大の事件であったことに間違いはない。康成はここでも、自身の過去と遭遇し、その詩嚢(しのう)をふくらませたのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9f86c3868c9554d83ef59d6389edaf9a

川端康成の恋 伊藤初代のその後 日記に告白された恋情(3)

 川端康成が全集「あとがき」に、かつて一方的に別れていった、遠い日の伊藤初代への恋情を記したのは、昭和23年、康成数え50歳のことであった。

 このころから、康成の文学は異常な充実期を迎える。

 私は、この昭和23年の短編小説「反橋」(そりはし)から、康成の〈魔界〉文学が始まった、と考えている。「反橋」につづいて、「しぐれ」「住吉」と、三つの連作が発表される。この連作は、ずっと後、22年後の昭和46年11月に、その続編「隅田川」が発表されることになる。康成の自裁の半年前のことである。

 それほどに、この連作は、すぐれたもので、川端康成の作品中でも最高峰の一つと目される傑作であるが、なぜこの時期に、産み出されたのだろうか。

 拙著の〈魔界〉文学の誕生、という部分で、私は、以下のように書いた。

 〈魔界〉文学の誕生

 ……思うに、戦争が進行するにつれて深められていった康成の〈かなしみ〉は、敗戦によって、その極みに達した。

 戦時下に受容した中世文学や、源氏物語から自覚を深めた日本古来の〈かなしみ〉と、それは深く重なるものであった。

 加えて、戦時下に書きつづけた「故園」と、全集「あとがき」を書くために読み返した初期作品は、幼少期から舐めつづけてきた康成深奥の〈かなしみ〉を、ありありとよみがえらせた。それは〈孤絶〉の意識と深く通底するものだった。

 しかも敗戦後に目撃しつづけた、被占領国の世相風俗の惨状――。相次いで経験した知友の死も打撃となった。

 このように幾重にもかさなった〈かなしみ〉が、流離漂泊の生涯という主題を康成に発見させ、「反橋(そりはし)」冒頭の数行を導きだしたのだ。

 ここから、康成の〈魔界〉は覚醒する。己れの生涯が「汚辱と悪逆と傷枯の生涯」以外の何物でもないと悔恨を深め、自己の内部に〈悪心〉を自覚したところから、康成の〈魔界〉は現実味を帯びる。康成の内部で、〈悪〉は際限もなく広がり、想像の翼は果てしもなく羽ばたいて、未踏の領域へと筆は進んでゆく。

 それが敗戦後、突如、姿をあらわにした康成の〈魔界〉文学である。「住吉」連作を嚆矢とし、「山の音」「千羽鶴」を経て「みづうみ」「眠れる美女」に至る、〈美〉と〈悪〉と〈醜〉の混淆した妖しい花を咲かせる、〈魔界〉の誕生だ。その流離漂泊する魂の、人生のどん底から、遙かな高みにある〈美〉を希求する、〈魔界〉の構造が、「反橋」「しぐれ」「住吉」の連作に現れる。

 この連作を端緒に、川端文学の最高の連峰をなす諸作品が以後20年間にわたり、産み出されてゆくことになるのである。

 ところで、この連作の価値を最初に見出し、その解説をしたのは、三島由紀夫であった。

 毎日新聞の「川端康成ベスト・スリー」という文章において、三島は、この三部作を、とりあえず、反橋連作と呼び、ここに川端康成の戦時下から戦後に至る、きびしい自己改革の成果を指摘したのである。

 さすがに三島由紀夫だ、と思う。三島ほど、川端康成の文学を深く理解した作家は、ほかにいなかった。三島は、康成の紹介によって、当時の一流雑誌『人間』に短編小説を発表して作家の地位を確立したのだが、川端も、自作に深い理解をもつ三島を身近に得たことで、どんなに作家として勇気づけられたか、わからないのである。

〈魔界〉の作品群

 さて、ではその後、川端康成はどんな作品を書いていったのだろうか。

 「住吉」連作につづいて、昭和24年には、『千羽鶴』と『山の音』の連載をはじめた。

 これらは、川端康成の代表作として誰もが認める傑作であるが、『山の音』を、私は「末期の夢」(まつごのゆめ)と題して論じた。

 昭和8年に、康成は「末期の眼」(まつごのめ)という評論を書いたのだった。

 これは、自殺した芥川龍之介の遺作に残された言葉――「死を意識した自分に、自然はいつもよりいっそう美しい」――を引用して、芸術家と死の関わりの深さを論じたものだ。

 この言葉を使って、私は『山の音』のテーマを「末期の夢」と名づけた。

 去年、還暦を迎えた61歳の尾形信吾が、深夜に山鳴りの音を聞いて、自分の死期を自覚する、という物語だ。終戦後まもない時期だから、満61歳は、今日の80歳ぐらいの感覚であろう。

 その尾形信吾は、同居している長男の嫁・菊子に慕情を寄せている。

 そのような作品である。死を自覚した信吾の、人生最後の夢として、菊子への抑制された愛が描かれている。

 そこから、私は「末期の夢」と題したのである。

 同時期に、『山の音』と併行して描かれた『千羽鶴』を、私は「夢魔の跳梁(ちょうりょう)」と題した。

 『山の音』では抑制されていた、信吾の慕情の底にある欲望が、夢の中の出来事のように奔出(ほんしゅつ)したのが『千羽鶴』という作品である。

 ここでは、道徳や倫理が失われ、三谷菊治を中心に、背徳の限り、といっていい、美しい愛欲の果てしない具現が、妖しい夢のように描かれる。

 〈美〉という点では、最高にうつくしい、絵巻物のような逸品である。

 道徳的な見地から、この作品を、『山の音』より劣る、というのが一般的な評家だが、倫理性を除けば、この作品ほど、彫琢(ちょうたく)された作品はない。

 『千羽鶴』の続編が、『波千鳥』(なみちどり)という作品である。これも、菊治と過ちを犯してしまった文子が、贖罪(しょくざい――罪をつぐなう)と、浄化を願って九州の奥地を旅し、菊治に美しい手紙を書きつづけるところが美しい。

 この文子の贖罪と浄化をもとめて、という構造は、じつは、源氏物語の、宇治十帖の、浮舟(うきふね)の物語と、まったく同じである。

 つまり康成は、戦中の昭和18年から戦後の、昭和23年までかけて、ついの読了した源氏物語の、その最後にある浮舟の物語を、無意識のうちに下敷きにして、この作品を描きつづけたのである。

 そうして、昭和29年に、畢生(ひっせい)の傑作「みづうみ」が発表される。

 すこし、伊藤初代から離れたようだが、明日は、また伊藤初代に戻る予定である。川端康成の最高峰をなす作品群を、すこし紹介しておきたかったのである。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c82

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
83. 中川隆[-7615] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:46:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

川端康成の恋 伊藤初代の死(1) 2014-09-12

「眠れる美女」で見たように、川端康成の〈魔界〉文学は、次第に衰微の色をおびはじめていた。

 その数年後、康成は『週刊朝日』に、沈痛な文章を寄せた。

「水郷」の懐旧

 康成に「水郷」という文章のあることは、椿八郎『「南方の火」のころ』を、図書館相互貸借制度によって、姫路市立城内図書館に取り寄せていただいた時に知った。

 椿八郎は、最近康成にこの文章のあることを知ったのだが、と断った上で、「水郷」の末尾で告げられた、伊藤初代の死について述べていたのである。

 それは『週刊朝日』(昭和40年7月2日)の「新日本名所案内62 水郷」という文章である。シリーズだが、戦時下の康成に「土の子等」という千葉県印旛郡本埜村周辺のルポルタージュのあったことを知って、千葉県の水郷を、康成に依頼したのであろうか。あるいは康成の鹿屋航空基地体験から、霞ヶ浦の航空隊を連想しての依頼であったのだろうか。

 「「船頭小唄」に歌われた水の風景に昔の恋人を追憶し特攻隊をしのぶ」と、リードの部分に紹介されている。

   水郷佐原市、観光ホテルの離れで、これを書く。――裏窓からよしきりの鳴きしきるのが聞えてゐる。鳴くといふよりも、さへづりと言ひたいやうな鳴き方が、絶え間なくつづいてゐる。

 と始まる紀行文だが、文頭からどこか沈痛なひびきがある。

 霞ヶ浦から利根川へ連なるあたりに水郷があると記しながら、謡曲『桜川』の哀話を語ったり、筑波山のありかを探したりしているが、主題は、次の一節から始まる。

   今井正監督の映画「米」の、美しい帆船の群れの画面を、私はカンヌ映画祭で、日本出品作として見た。それはこの霞ヶ浦の帆引き網の帆ださうである。水郷の映画は少くないやうだが、私になつかしくて忘れられないのは、栗島すみ子(現在は水木  流の家元、当時、松竹蒲田撮影所の大女優)が主演の「船頭小唄」と「水藻(みずも)の花」である。

  「船頭小唄」はもちろん、野口雨情の歌の流行につれて作られたものであつた。「水藻の花」は「船頭小唄」を追つて出来た、小さい映画であつた。40年あまり前の映画である。

 康成は、つづけて書く。次第に核心に迫ってゆく。

「水藻の花」の栗島すみ子

   栗島すみ子がおそらく20ころであつたらう。私は浅草で見た。私は22,23で、本郷の大学生であつた。大正の終りであつた。「おれは河原の枯れすすき、同じおまへも枯れすすき……おれもお前も利根川の、船の船頭で暮らさうよ。」の「船頭小唄」は、歌詞も曲もよく出来てゐて、今もをりをり唄はれ、流行歌の歴史からははづせない。

   「枯れた真菰に照らしてる、潮来(いたこ)出島のお月さん。」などの句もある。そのころの世情人心に訴へるものがあつて、あんなに唄はれたと言ふ人もある。佐原で與倉(よくら)芸座連の人たちに聞かせてもらつた「佐原ばやし」は、もちろん祭ばやしなのだが、それにまで「船頭小唄」が演奏されて、私はおどろいたものであつた。

   しかし、私が40幾年前の映画をおぼえてゐるのには、私ひとりのわけがある。21の私は14の少女と結婚の約束をして、たちまちわけなくやぶれ、私の傷心は深かつた。関東大震災にも、私はその少女の安否を気づかつて、「焼け野原」の東京をさまよつた。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/4e08ea3db95576d15d281df270ed83a6


川端康成の恋 伊藤初代の死(2)

 その少女が「船頭小唄」、殊(こと)に「水藻(みずも)の花」の、潮来(いたこ)の娘船頭姿のやうな栗島すみ子に、じつにそつくりであつた。私にはさう見えた。満員の映画館で立見してゐた私は、連れの友人の手前、涙をこらへるのに懸命であつた。その少女も今は世にゐない。姪(めい)の手紙で、私はその死を知つた。

 この「水郷」の栗島すみ子のところを読んだ読者は、その20年近く前の、第1次全集「あとがき」(――のち「独影自命」)2の7の、あまりにも印象的な、あの一節を、思い出さずにはいられないだろう。

 康成は、当時の日記を引用して、去っていった伊藤初代への思慕がつのり、浅草の松竹館で栗島すみ子を見た衝撃を、次のように語っていたのであった。ここでは、37巻本全集補巻1「大正12年・13年 日記」から、直接、引用してみよう。


  大正12年1月14日
   九段より神田に徒歩にて出で、神保町近くにて、電車の回数券を石濱(金作)拾ふ。金なき折なりしかば、これに勢いを得て、浅草行きを決す。

   松竹館の前に立ち、絵看板を見て、余愕然(がくぜん)とす。「漂泊の姉妹」のフイルム引伸しの看板の女優、みち子そつくりなり。ふと、みち子、女優になりしにあらずやと思ひしくらゐなり。みち子の他の誰なるや見当つかず。それに動かされ、伊豆の踊子を思ひ、強ひて石濱を入らしむ。みち子に似し、娘旅芸人は栗島すみ子なり。

 14,5歳につくり、顔、胸、姿、動作、みち子としか思へず、かつ旅を流れる芸人なり。胸切にふさがる。哀恋の情、浪漫的感情、涙こみあぐるを、辛うじて堪ゆ、石濱、「みち子に似てるぢやないか。」余ハツとして「さうかなあ。」と偽(いつは)りて答へたるも、後で是認す。痛く動かされて心乱る。余の傾情今もなほ変るはずなく、日夕(にっせき)(カフェ)アメリカのみち子に思ひを走らす。(中略)活動小屋を出でしばし言も発し得ず。
 
 このとき、康成は、映画の題を「漂泊の姉妹」としている。(37巻本全集補巻1の「大正12年・大正13年 日記」によれば、「漂泊の姉妹」という題名は、同年1月25日にも登場する。)

 しかしその大正12年から40数年たった今、「船頭小唄」と並べて、「漂泊の姉妹」ではなく、はっきり「水藻の花」と明記しているのだ。しかもその記憶の内容は、大正12年の日記よりも鮮明である。

 康成はこのとき初めて、あの忘れがたい映画の、ほんとうの題名を読者に明かしたのではなかろうか。

 それはともかく、康成は、10後に再会していったん幻滅したはずの伊藤初代を、今も、くっきりと記憶に刻んでいた。

 そして水郷の風光に誘い出されたように、その思い出と、その死を語ったのである。

   ――その少女も今は世にゐない。姪の手紙で、私はその死を知つた。

 この簡潔な1行が、康成の無限の思いを語っている。

 羽鳥徹哉は、「愛の体験・第3部」において、初代ののちの結婚による3男・桜井靖郎らに面接し確認したことを記している。

 それによると、伊藤初代は1951(昭和26)年2月27日、東京の深川砂町で、満45歳5ヶ月の生涯を閉じた。その3年前の脳溢血による後遺症で、足を引きずり、杖をついていたという。

 もちろん康成はその死を知るべくもなかった。「水郷」に記されているように、初代の姪の手紙によって、その数年後に事実を知ったのである。

 羽鳥はこの「姪」の名を、初代の妹伊藤まきの、次女・白田紀子(としこ)であると確定し、紀子が康成に手紙を出した経緯を書いている。

 紀子は多少の文学少女趣味で、有名作家にちょっと手紙を出してみたくなり、1955年(昭和30)年前後、14,5歳のころ出したのだという。むろん返事は来なかったというが、康成は自分の青春にあれほどの足跡をきざみつけた初代の死を黙して語らず、ようやくそれから10年ほど経った時点で、水郷の風景に託して、その死をしずかに告白したのである。

 「水郷」の文章は、単に伊藤初代の死を語っただけの文章ではない。戦争末期に鹿屋(かのや)基地に滞在して特攻機の出撃を見送った日々をも追想し、その少年航空兵の訓練場が「水郷」近くの霞ヶ浦にあったことを書きもらしてはいない。

 「今は青い真菰やよしが、秋、冬に枯れて、満目蕭条(しょうじょう)の水景色、そして水の月夜も、私は思つてみた。」と「水郷」は結ばれている。

 この文章で、しずかに伊藤初代の死を書きつづり、その冥福を祈ったとき、康成の底深い内部で、養女麻紗子の結婚についで、また一つ、生涯の節目が1段落ついたのではあるまいか。

 康成を実人生に結びつけていた強力な力がうせて、ここから康成自身の、死への足取りが早くなるのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/146fef22285e1143570f5dd4c66a8990
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c83

[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
84. 中川隆[-7614] koaQ7Jey 2017年5月28日 14:49:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


川端康成の未投函書簡の意味するもの   ――「非常」事件の真相――

                         森本 穫

 川端康成に関心をもつ者にとって、2014年(平成26年)の最大事件は、7月8日から9日にかけてNHKと新聞各紙に公開された、康成の未投函書簡1通と、伊藤初代の書簡10通であった。

 その書簡は、1枚の用紙に、万年筆のブルーの色もあざやかに、次のように書き出されていた。

 「僕が10月の27日に出した手紙見てくれましたか。君から返事がないので毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない。」

 どうやら、伊藤初代から手紙の返事が急に来なくなったので、あせって、切迫した調子で書いたものらしい。

 冒頭の「10月の27日」という日付と、内容から、この手紙の書かれた時期が推定される。書かれたのは大正10年(1921年)10月末か11月初めである。今から94年前の秋のことだ。

 その秋、川端康成の生涯最大の出来事といってもいい事件が進行しつつあった。伊藤初代との婚約、そして突然の婚約破棄である。

 10月8日、三明永無(みあけえいむ)とともに夜汽車で岐阜につき、初代と結婚の約束に漕ぎつけた康成は、帰京すると岐阜の寺にいる初代に手紙を送りつづけ、ひと月足らずのうちに、初代も9通の手紙・葉書を康成に送った(あと1通は、三明永無宛ての葉書だ)。

 10月23日付けで康成に届いた手紙には、こんな言葉もあった。

「私は私をみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまでも愛して下さいませ。」

「私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました。」

「私はどのやうなことがありましてもお傍へ参らずには居られません。」(「彼女の盛装」)

 これはもう、立派な「愛の手紙」と呼んでいいものだろう。そのわずか数日後の27日に、手紙の返信がない、といって康成は、あせっているのだ。その少し前から初代の手紙が急に途絶えた、ということだろう。

 ――この未投函書簡公開の少し前、昨年初夏の6月、私は個人的に重要な体験をした。田村嘉勝、水原園博両氏のご紹介により、伊藤初代のご令息・桜井靖郎氏にお目にかかり、重大な証言をいただいたのである。それは、第一次川端康成全集第4巻「あとがき」(のち「独影自命」4ノ3)、大正12年11月20日の記録として残された言葉に関するものだった。

「10月、石濱(金作)、昔みち子が居りしカフエの前の例の煙草屋の主婦より聞きし話。―みち子は岐阜○○にありし時、○に犯されたり。自棄となりて、家出す。これはみち子の主婦に告白せしことなり。」

 桜井靖郎氏は、この言葉が正しいこと、より具体的な内容を、異母姉・珠江(初代と先夫との間に生まれた子)からはっきり聞いたと、お話しくださったのである。

 この重要なお言葉を伺って、私はこの問題について頭を振り絞って考えていた。そしてふと、或ることに気づいたのである。

 それは、第4次川端康成全集(いわゆる37巻本全集)の「補巻1」に、「あとがき」の原型が記載されていはしないか、ということだった。周知のように、「補巻1」には、康成の少年時代・青年時代のおびただしい量の日記が、解読されて収録されている。

 もし、「補巻1」に、大正12年の日記が収録されていて、しかも11月20日の項目が記されているとしたら……。

 私は急いで帰宅し、「補巻1」を開けてみた。すると「大正12年・大正13年日記」が収録されている。そして、587頁には、11月20日の記録として、無造作に、その原型が記されていたのだ。

 「十月、石濱、旧エラン前の例の煙草屋の主婦より聞きし話。/千代は西方寺にて僧に犯されたり。自棄となりて、家出す。これは千代の主婦に告白せしこと。」

千代とは、カフェ・エラン時代からの、初代の呼び名である。

 さて、この婚約から、婚約破棄の手紙を受け取る、いわゆる「非常」事件の核心は、約束から、ちょうど1ヶ月後の11月8日に康成が受け取った「非常」の手紙の内容だ。そこには、こうあった。

 「私は今、あなた様におことわり致したいことがあるのです。私はあなた様とかたくお約束を致しましたが、私には或る非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。(中略)その非常を話すくらゐなら、私は死んだはうがどんなに幸福でせう。」(「非常」)

 康成はこの手紙を持って三明永無の下宿へ駆けつける。そして「非常」の意味を二人で考える。

 「男だね。」/「僕もさう思ふ。女が言へないと言ふのは、處女でなくなつたことしかないね。」

 二人で語りながら、その先へは進めなかった。「しかし、みち子が今男に騙(だま)されるなんてことはあり得ないと思ふがな。とてもあの年頃とは思へないしつかりした賢さを持つてゐるからね。」と柴田(三明)が言うように、今の初代が處女でなくなる可能性が見出せなかったのである。だが、そこから先が謎だった。

 しかし、この「補巻1」日記の記述が正しいとすると、すべての謎は解ける。

 10月23日付けの手紙を最後に、ぴたりと、初代からの手紙が途絶えたのだ。康成は10月27日に、思いをこめた手紙を書いた。だが、岩手県岩谷堂(いわやどう)の、初代の父への説得の旅を終えて11月1日に東京に帰ってきても、初代の返事はとどいていなかった。

 あせって書いたのが、公開された、あの一通である。書きはしたものの、しつこすぎるのではないか――そう考え、康成はぐっとこらえて、この手紙を投函せず、結局この手紙は、初代から届いた一連の手紙とともに、手元に残されることになった。90数年間、これらの手紙は眠っていた。

 だが真実は、意外なところにあった。こともあろうに、初代にとって養父にあたる岐阜の僧が、あの「愛の手紙」の直後、初代を襲い陵辱したのだ。

 「非常」事件の真相――初代の心変わりの真因は、ここにあった。

 初代からの手紙がぱたりと途絶えたのも、「非常」の手紙の内容も、この事実があったと考えれば、すべてが合理的に解明される。

 これまで研究者は、「あとがき」の一節に注目しながらも、長谷川泉、三枝康高、川嶋至、羽鳥徹哉、田村嘉勝も、誰一人、この一節の真実の可能性を真剣に考察しなかった。言及しなかった。94年を経て、今ようやく、「非常」の謎は解明されたと私は考える。
                               (『文芸日女道』五六二号。姫路文学人会議、2015年3月5日)


巻頭時評「川端康成・未投函書簡の意味するもの」補記 
                                         森本 穫

 上記の本文最後のほうで長谷川泉、三枝康高、川嶋至、羽鳥徹哉、田村嘉勝と、研究者の名を挙げたが、説明不足で、誤解を招いてはいけないので、補記させていただきたい。

 長谷川泉『川端康成論考』(明治書院、1969・6・15)、川嶋至『川端康成の世界』(講談社、1969・10・24)は、まだ康成存命の時期であり、真相記述を遠慮した可能性がある。また三枝康高「川端康成の恋」(『図書新聞』1973・1・1)は、初代が「非常」を「事情」と書き誤った、という説である。

 羽鳥徹哉「愛の体験・第3部」(『作家川端の基底』教育出版センター、1979・1・15)は、初代の「年端もゆかぬ少女ゆえの無考え」「動かされ易い心」「境遇から来る心の歪み」が「不可解な裏切り」を招いた、と説いている。羽鳥徹哉の説から約35年、反論が出ていないので、この説が現在、ほぼ定説化していると思われる。

 田村嘉勝は、この問題について触れていないが、記述を控えている、という事情があるのかもしれない。

 一方、川西政明「川端康成の恋」(『新・日本文壇史』第3巻、岩波書店、2010・7・15)は、明確には指摘していないが、真相をほぼ嗅ぎ当てているようである。

 未投函書簡発表とほぼ同時(7月10日)に発売された『文藝春秋』8月号の川端香男里「川端康成と『永遠の少女』」(2014・8・1)は、「あとがき」と「補巻1」の日記を挙げた上で、「研究者諸氏のお心遣いにも感謝したい」と述べている。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9c80ffc19ae182c5d2ced7e6494aa9c6?fm=entry_awc_sleep


川端康成と伊藤初代 岐阜記念写真の原本(右端は、三明永無。島根県温泉津町・瑞泉寺・三明慶輝氏ご提供)
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/c9998491e2fa8178f372db6e1a5a8a30?fm=entry_awp_sleep


3人の記念写真

 最近、ふたたび、川端康成と伊藤初代の恋について、話題が再燃している。

 新聞にも、岐阜で撮影された三人の記念写真が掲載されて、読者の注目を集めている。

 しかし、現在、新聞に掲載されている写真は、複製につぐ複製の結果、残っているもので、これらの複製写真の原本となった一枚が、現存するのである。
 それが、ここに掲げる写真だ。

 よく見ていただきたい。伊藤初代の顔の上方に、かなり大きな白いシミがある。他にも、白い小さなシミが、いくつか、ある。しかし、そう、これこそ、大正10年(1921年)から95年後に現存している、正真正銘の原本なのである。

 この写真原本は、一昨年2014年秋、島根県大田市温泉津(ゆのつ)町西田の古刹・浄土真宗本願寺派 三明山(さんみょうざん)瑞泉寺(ずいせんじ)で発見されたものである。。

三明永無(みあけ・えいむ)という人物

 この写真の右端に写っている人物、この人こそ、川端康成と伊藤初代の恋を取り持ち、大正10年10月8日、岐阜市の長良川沿いの宿で二人の結婚の約束ができた、そのお膳立てをし、何かと康成を助けた三明永無(みあけ・えいむ)である。
 
 そして上記の瑞泉寺は、三明永無の誕生した寺であり、今も三明永無が眠る寺なのだ。


カフェ・エラン

 三明永無は一高(第一高等学校)文科の、川端康成の同級生であり、寄宿舎で同室の親友であった。

 この同室の四人の学生(他に、鈴木彦次郎、石濱金作)が大正8年から、寄宿舎の近くにあった、本郷のカフェ・エランに通いつづけ、そこで「千代」と呼ばれていた伊藤初代と親しくなった過程は、このブログ「運命のひと 伊藤初代」の章で、くわしく述べた。

 翌大正9年、エランは店を閉じ、伊藤初代は、マダムの故郷、岐阜の貧しい寺に預けられた。

 その初代をたずねて、まず三明永無が岐阜を訪問し、ついで康成を誘って一緒に岐阜へ行き、初代と会ったのである。

 このまま岐阜にいたくない、東京へ出たい、という初代に、康成の恋心は再燃した。

 その心を汲んだ三明永無が、二人の恋の成就(じょうじゅ)と結婚を応援することになり、その年の秋、9月と10月の二度、岐阜を訪ね、永無の努力で、康成は初代と、結婚の約束をすることができたのだ。

 それが大正10年10月8日のことだった。

瀬古写真館の記念写真

 翌日、3人は、岐阜市の繁華街、裁判所の前にある、瀟洒(しょうしゃ)な写真館、瀬古写真館で記念撮影をした。

 写真は2種類あった。1つは、康成と初代の2人だけが写ったもの、もう一つは、三明永無も入って3人で写ったものであった。

 それから東京に帰った康成と、岐阜の初代との間に、頻繁な手紙のやり取りがあった。初代から寄せられた10通が、一昨年7月、公開されたことは、周知のとおりである。そこには、次第に高まる初代の恋心が切々と表現されていた。


突然、途絶えた手紙

 しかし突然、初代からの手紙は途絶えた。10月23日に投函された手紙が最後だった。

 そして初代から突然に手紙の途絶えたことに苦しみ、寂しがった康成の手紙――それは、書かれたものの、あまりにしつこいことを懸念してか、ついに投函されずにしまったもの――が、一昨年(2014年)7月9日、新聞各紙に掲載されたものである。

 やがて、11月8日(それは、結婚の約束をしてから、ちょうど1ヶ月後のことだった)、久しぶりに初代からの手紙が届いた。しかし、そこには、驚くべきことが書いてあった。


「非常」事件

 「私には、或る非常があります。(中略)それを話すぐらいなら、死んだ方がましです」という内容の手紙だった。初代から、一方的に、結婚の約束を取り消すと言って寄越したものだった。

 私は、この手紙を「非常の手紙」と呼び、この事件を「「非常」事件」と呼んでいる。

 その後も、さまざまな経緯はあったが、結局、初代の心は戻りはしなかった。

 初代は上京し、カフェからカフェへと勤めるが、翌大正11年(1922年)、ついに川端康成の前から姿を消した。


全集「あとがき」に発表

 それでも、康成の、初代に対する激しい恋心は消えることはなかった。その思いを切々と書き綴った日記を、およそ30年後、川端は、活字にして発表する。

 それは、太平洋戦争の終わったあと、昭和23年(1948年)から刊行され始めた川端康成全集の「あとがき」においてであった。

 岐阜で写した写真を取り出し、初代に想いをめぐらす康成の真率(しんそつ)な心が、そこには描かれている。


失われた写真

 この全集は、全12巻だった。第一次全集と呼ぶ(川端康成の全集は、これまで、4度、出ているので、最初の12巻の全集は、「第一次全集」と呼ぶのが、ふさわしい。)

 この全集の各巻末尾に書かれた「あとがき」は、川端康成の秘密をさらけ出した重要なものなので、第三次全集には、まとめて掲載することになった。このとき、川端康成自身が命名して「独影自命」と呼ばれるようになった。

 この「あとがき」によると、康成はこの2種類の写真を大切にしていたが、色んな事情で、とうとう失ってしまった。

 一方、伊藤初代の方も、二度の結婚後も、大切にしていたが、晩年、とうとう、これらの写真も、康成から受け取った写真とともに、失ってしまった。

 では、これらの写真は、永遠に失われたのか?


三明永無が保持していた!

 昭和47年(1972年)4月16日、川端康成は、自宅のある鎌倉から近い、「逗子マリーナ・マンション」の一室において、みずから多量の睡眠薬を飲み、ガス管をひねっておいて自裁した。

 その秋、日本近代文学館が主催して、『川端康成展――その芸術と生涯――』が開催された。新宿伊勢丹を皮切りに、全国諸都市を巡回したのである。

 その展覧会の準備にあたった、当時、川端康成研究の第一人者であった長谷川泉は、この機会に、川端康成の青春、いや生涯にわたって大きな影響を与えた伊藤初代のことも展示したいと考えた。

 長谷川泉は、すでに、川端の親友であった三明永無とも昵懇(じっこん)であった。

 そこで、岐阜の写真を持っているのは、三明永無しかないので、この写真を展覧会に貸してほしいと言った。三明は、応じた。(2種類の写真のうち、2人だけの写真は、川端と初代しか持っていなかったので、すでに散逸して、失われていた。3人の写真が1枚だけ、三明永無が大切に保存して、残っていたのである。)


原本を複製

 この展覧会には、事情があって、この写真は展示されることがなかった。(その事情は、別の項で、語ろう。)

 そこで長谷川は、この写真を3枚ばかり、写真館に依頼して複製し、その3枚は、1枚は長谷川自身が持ち、1枚は川端家に返還、そして最後の1枚は、当時、岐阜と川端康成の関係を掘り起こししていた岐阜在住の研究者・島秋夫に渡った。

 岐阜では、この島秋夫所持の写真が、さらに複製されて、出回っているようだ。

 また、川端家は、現在、公益財団法人・川端康成記念会が保持し、日本近代文学館に寄託されている。そこで、各新聞社は、この写真を用いるとき、(所定の料金を支払い、)日本近代文学館から取り寄せて、紙面に掲載するのである。


三明永無の遺品の中にあった!

 ところが、一昨年秋、それまで、名のみ知られて、その故郷も出自も明らかでなかった、三明永無の故郷が明らかになった。

 (これについては、この発掘に一役割を果たした私の論考がある。近日、このブログに発表する予定である。)

 三明永無の墓があり、誕生した寺でもある、島根県瑞泉寺を、『山陰中央新報』の石川麻衣記者が訪ねると、永無の遺品は大切に保存されており、その中に、「岐阜記念写真」も発見されたのだ。

 90年余りの歳月を隔てたため、写真はセピア色に変色し、ところどころに、白いシミが浮き出ていたが、その裏面には「大正十年秋」と、永無自筆の書き込みがあった。

 つまり、このとき発見された写真こそ、現在出回っている、岐阜の3人の記念写真の原本なのである。

 『山陰中央新報』は、この発見を何度も紙面に発表し、石川記者の署名記事も出て、全国紙も後追いの記事と写真を載せた。

 ところが惜しいことに、このとき『山陰中央新報』は、三明永無遺品の写真を修正してしまった。つまり、白いシミのない、きれいな写真にして、掲載したのである。このため、それ以前に発表された、長谷川泉経由の写真と区別がつかなくなってしまったのだ。


私は、三明永無遺品の写真を尊重する!

 しかし私は、新しく発見された、三明永無の遺品として残された、このシミのある写真をこそ、重視するものである。永無が終生、生涯の大切な記念として身につけていたものだからだ。大正10年の息吹がこもっている。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/c9998491e2fa8178f372db6e1a5a8a30?fm=entry_awp_sleep

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c84

[環境・自然・天文板6] マックスウェルとアインシュタインの論争 JPLAW
6. 中川隆[-7612] koaQ7Jey 2017年5月28日 21:52:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>5
>水や物質の中で遅くなることも知らんのか?


全然わかってないな

そもそも水や物質は何でできているの?



http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/545.html#c6

[リバイバル3] 新潟のリゾートマンション「ツインタワー石打」 管理組合前理事長が11億円着服 中川隆
6. 中川隆[-7611] koaQ7Jey 2017年5月28日 22:40:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

大規模修繕なんて必要ない!?

お題は「修繕積立金」と「大規模修繕」。

まず「修繕積立金」というものは、分譲マンションを買って住んでいる人は、みんな払っているはず。

そもそも、これは何かと言えば
「不具合が生じた共用部分を修繕するためのお金」。

各住戸から専有面積に割合に応じて毎月徴収。
管理組合の口座に貯めていくのです。

鉄筋コンクリートのマンションは、普通に考えれば丈夫です。
めったに壊れることはありません。
あの東日本大震災でも、東京では「住めなくなるほど」に
壊れたマンションは、私が知る限りひとつもありません。
しかし、部分的に被害を受けたマンションは多かったですね。

そういう丈夫なマンションでも、年月を経るとあっちこっち傷みます。
実は、もっとも傷みやすいのは配管類です。
上水、下水の管は常に水その他を流しているわけで、
何十年も使っていればボロボロになるのは当然。
電気やガスの配管はまだマシですが、それでも傷みます。

もっとも丈夫なのは躯体部分。すなわち鉄筋コンクリートのところ。
今のマンションは、外壁がたいていタイル張ですね。
その理由は、見た目にカッコイイから。
実利的には、雨風に直接躯体が晒されずに済みます。
それでも、躯体に接着してあるものですから、
施工されてからある程度の年月を経ると剥がれることもあります。
剥落すると、時にキケン。でもまあ、それで人が死ぬほどでもありません。

さて、修繕積立金ですが、その使いみちの大半は大規模修繕です。
これは、新築後十数年で行われることが多いですね。
普通のマンションなら、足場を組んで「外壁修繕工事」なるものを行います。
これをやると、やたらとお金がかかります。
まあ、10年分くらいの積立金はふっとびますね。

実は、大規模修繕工事というのはほとんどの場合「必要ない」と
私はひそかに考えています。特に外壁の修繕工事。
あれは、9割以上管理会社が儲けるために仕組まれた茶番です。
そもそも、マンションの外壁なんて十数年に一度、
足場を組んで修繕しなければならないほどヤワなものでしょうか?

確かに、外見はどんどん薄汚れていきます。
当たり前でしょ。雨風や排気ガスに晒され続けるわけですから。
建物をいつも新築同然に保っておけることなんてあり得ません。
つまるところ、外壁の修繕工事とは見た目をキレイに設えるだけ。
そのために、ほぼ10年分の積立金がパーになるのです。

大規模修繕工事というのは、マンション管理業界と
国土交通省が作り上げた見せかけの「ジョーシキ」による陰謀です。
「やらなきゃいけない」「他のマンションはみんなやっている」という
妙な空気に惑わされて、無駄なお金を使っているのです。

例えば、オフィスビルで十数年に一度などという割合で
外壁の修繕工事をしているところがあるでしょうか?
そんなこと、一度もやらずに建て直しに至るケースが
ほとんどではないかと私は推測しています。
賃貸マンションでもそうです。
バカ正直に国交省の指針に従って、十数年に一度
管理会社あるいはコンサルタントを儲けさせるために
外壁の大規模修繕工事をやっているのは、
素人の管理組合が張り切る分譲マンションだけです。

ただ、こういったことは一概にいうとやや暴論。
マンションの中には施工精度が悪くてタイルが剥がれやすくなっている
物件もあることにはあります。そういうマンションには必要。
でも大半のタイル張りマンションには必要ないもの。
特にタイルの剥落やクラックが認められないマンションまで
マニュアル通りに外壁の修繕工事をやる必要はないはず。

ただし、配管については適切な時期に取り替える必要があります。
特に、上下水の配管は確実に傷みます。
それでも、十数年は早すぎますね。
十数年で取り替えの必要があるほど傷んでいるのは、
使い方が悪いは設計もしくは施工のミスを疑うべきです。

分譲マンションの管理というのは、たいていの場合はプロである管理会社が
素人である管理組合をうまくだましながら行っています。
中には、管理組合の理事になった人が勉強をすることで
管理会社と丁々発止と渡り合うケースも見られます。
しかし、プロ対アマの構造をひっくり返している例は僅少。
多くの場合「独りよがり」な運営に陥りがちです。
だって、そういう組合ほど大規模修繕に熱心だったりしますから。

マンションというものは最低限50年もちます。
長ければ100年以上住めるマンションも出てくるはず。
それを十数年に1回の割合で外壁の修繕工事をい続けるのですか?
いや、外壁がそんなに傷むのなら、年月を経るごとに
そのタームを縮めていかなければなりませんね。
何ともリアリティのない話です。

日本人が本格的にマンションに住み始めて、まだやっと半世紀です。
つまり「100年分のノウハウ」なんて、どこにもありません。
国交省も管理会社も、ましてやデベロッパーも、自分たちに
都合のいい理屈を作ってエンドユーザーに押し付けているだけ。
日本人は「他のマンションがやっています」とか、
「あの敏腕理事長のマンションではこうだった」みたいな事例に惑わされ
優等生的な管理を行おうとしているだけです。
私のような部外者であり、かつ既成概念のない人間からすると疑問だらけ。

「100年のノウハウ」がない以上、すべては仮説・仮定です。
つまり「十数年に一度」の大規模修繕工事など、
その必要性はどこにも確たる立証がないのです。
バカみたいですね。それに多くの人が騙されている。
気になるのは、偏差値の高い学校を出た人ほど、
こういう虚妄に騙されやすい傾向にあるということ。
世間にある情報しか信用せず、それですべてを解決しようとする・・・
私は左様な世間の常識を片っ端から疑う天邪鬼です。
だからこそ、嫌われている(笑)。
http://www.sakakiatsushi.com/?p=8720
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/611.html#c6

[番外地6] 「日本のホワイトカラーは生産性が低い」という都市伝説に騙されるな 中川隆
6. 中川隆[-7610] koaQ7Jey 2017年5月29日 08:13:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トランプ大統領が証明している「日本の生産性」議論のバカらしさ=児島康孝 2017年5月28日

トランプ大統領がサウジアラビアに1100億ドルの武器を売却したと報道されています。このことは、日本の「生産性」論議が筋違いであることを示しています。

日本人が信じる「もっと働けば日本の生産性が上がる」の大ウソ

米、サウジに12兆円分の武器を売却

CNNによると、トランプ大統領は20日、サウジアラビアに1100億ドル(約12兆円)分の武器を売却する契約に署名しました。


武器売却は、それが良いか悪いかは別としまして、「生産性」が極めて高い経済活動です。

日本の艦船に同乗してひょいと見上げると、装備にはハネウエル「Honeywell」と書かれていたりします。ハネウエルはアメリカの電子機器会社で、武器も生産しており、2000年から2010年頃の株価は50ドルぐらいでした。しかし、今日(5/23執筆時点)ふと株価を見ると、131ドルにもなっています。


HONEYWELL INTERNATIONAL INC HON 月足(SBI証券提供)

アメリカの武器売却は「生産性」が高く、それだけ儲かるわけです。

無意味な日米の生産性比較

ですから、こういう分野を無視して、日米の比較で「生産性が高い」「生産性が低い」という話をしても、全く意味がありません。

今回のトランプ大統領のサウジ武器売却でも、金額は12兆円。1回の訪問で12兆円のビジネスを成立させるのですから、「生産性」が高いのはあたり前です。

ということは、「日本人がもっと働けば生産性が上がる」とかそういう話ではなく、「何をやって儲けているか」という方がはるかに影響が大きいのです。

同様に、産油国の「生産性」が極めて高いのも、オイルを掘って売るわけですから、当然といえます。

一生懸命に仕事をするのは大切なことで、それで見い出されて、「シンデレラ・ストーリー」の呼び水になることもあります。しかし、それだけでどうにかなるという種類の話ではありません。

トランプ大統領が12兆円の武器を売却したり、オイルをどんどん輸出して儲ける産油国をみれば、日本の「生産性」論議は筋違いであることがわかるでしょう。
http://www.mag2.com/p/money/234108
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/756.html#c6

[リバイバル3] 究極の出力管 _ 伝説の DA100 中川隆
3. 中川隆[-7609] koaQ7Jey 2017年5月29日 08:58:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

498名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 14:42:01.46ID:f3ALnFY9

さる昔の高名な技術屋さん曰く、シングルアンプなんてかたわですからとの事。

メーカー品で現存するのはウェスタンエレクトリックの慰問用の WE91 と IPC のモニターアンプくらい。

あとは小型のラジオや蓄音機の内臓アンプくらいでしょとの事だった。

まあシングル全否定というわけではないが WE91B 持ってた身としては所詮 WE86 とはレベルの違いも痛感してる

シングルアンプだと特にセルフバイアスなんかだと無調整で済む。
プッシュにすると最低でもバランスを取らなくちゃならない。
もしくは完全マッチドペアー球使うとか。

つまり調整必要な物など売れないってこと。

そこまでオーディオマニアのレベルが下がってしまってるってこと。
そのレベルの人向けに本も製品も出すわけだから音何か二の次。
プラモデルだよ。

499名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 14:57:21.83ID:KuozTWQn

Lowther(ローサー、ラウザー)の真空管アンプ
http://www.lowthervoigtmuseum.org.uk/lowtheramps.html

にはシングルアンプも有りますね

500名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 15:05:47.02ID:f3ALnFY9

それこそ電蓄用じゃない。時代的にも。

505名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 15:20:23.97ID:KuozTWQn>>508

ローサー, ジーメンス coaxial, Vitavox coaxial, WE755, Goodmans Axiom80 みたいな高級な音のスピーカーにはシングル

B&W とか JBL, アルテック みたいな酷い音のスピーカーにはプッシュプル

としか思えないんですけどね


496名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 13:14:51.45ID:A/3Ho35H

シングルで上手く鳴らすには昔ながらの高能率ユニットが必要で出来るならマルチで直結させたい

結局 PP よりも金が掛かる

今どきの 90dB くらいの複雑怪奇なネットワークを使ったスピーカーだとシングルでは 845 クラスで捩じ伏せないと難しい

オーディオに安くて良い音ってのは中々ね


508名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 15:57:07.15ID:f3ALnFY9
>>505
出力トランスでの磁気合成の問題を聴いているんでしょ。

安物のトランスでは磁気合成をしないシングルトランス方が優秀なのは周知の事実です。
ただしトランスによると思いますね。

PPのアンバランスも問題になります。

でもシングルはコアーが磁化しますから歪みます。

ギャップ広げて逃げるわけですがそうすると低域特性が劣化し位相回転も早くから起こります。

結局フルレンジのような小型の SP では良さが勝りますが大型の SP だと逆転します。

ご指摘の小型ユニットだとシングルが勝って当然ですね。

PP にも色んな方法がありますので磁気合成をしないトランス式SEPPとかだと両方の
良いとこ取りが出来ます。

ご指摘の PP の欠点は磁気合成をしないので一掃されます。
OTL式のSEPPで設計しマッチングトランス式でトランスを使うともっといいでしょう。
この辺は試されたことありますか?

この辺の PP 一度でも試されればシングル至上主義も卒業出来るでしょう。
で如何にシングルでトランスが低域で歪んでいたかもわかる筈です。

ただしどちらも回路は難しくなりますので一般向けとは言いずらいですが。
特に電源関係が複雑になります。

残念ながらこういった回路構成のアンプは発表しても理解させ難いし、製作も
調整も複雑になりますので雑誌に載ることは滅多にありません。
シングルでクラーフのアンプを造って居られる方がヤフオクでお一方だけ居られました。
これも良い方法の一つです。211だったと記憶します。

出力トランスの磁化歪みからは逃げられます。
これなら簡単ですね。


507名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 15:36:16.93ID:KuozTWQn>>509

昔は安かったからプッシュプルでも買えたんだけどね:


昔のEARの値段
http://ameblo.jp/507576/entry-12269516081.html


1ペア 8万円の レプリカ 300B や PX25 でも金掛かり過ぎ

シングルアンプでないと高くて買えないよ

509名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 16:00:59.94ID:f3ALnFY9
>>507
今、まともな球アンプの音聴こうと思うと金掛かるんだよ。
下手に作るよりビンテージ買ってる方が安いって言ってるでしょ。
https://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1347654914/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/441.html#c3

[リバイバル3] 究極の出力管 _ 伝説の DA100 中川隆
4. 中川隆[-7608] koaQ7Jey 2017年5月29日 09:14:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「音楽&オーディオ」の小部屋 2016年07月09日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/72092f44e94c1c7280b2f73b09dab4eb


東海地方の「I」さんから、このほど「ペンションすももの木の音は素晴らしかった!」というメールが届いた。


真空管アンプ「カトレア」
http://www.cattlea.jp/


ちなみに「ペンションすももの木」といえば山梨県の山中湖畔にあって老舗の真空管アンプ工房としてもつとに有名。

    

「ペンションすももの木」に行ってきました。お客さんの少なそうな曜日を狙って行ったため、私達の他は家族4人連れの一組だけでしたので、チェックイン後に音を聴かせていただくことができました。

装置の写真がうまく映っていませんが、部屋は24畳のダイニングルームです。

アルテックのヴォイスオブシアターより少し大きな小池さん設計のフロントロードホーンに、

ドイツ製でオイロダインの元になったという励磁型の40pウーファー、
ドライバーはヴァイタボックスのS−3、
これにヴァイタボックスのホーン(クロス450HZ)
ツイーターは、なんとヤマハのJA0506・・・当方の愛好品(クロス4000HZ・・記憶が曖昧です)

以上LCネットワークです。

アンプは300Bの交流点火(よくわからないのですが、全国で小池さんのアンプだけだそうです)。初めにジャズで、カインド・オブ・ブルーとアートペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクションを掛けていただきました。とにかく、シームレスのスムースさです。特上の大型フルレンジを聴いているようです。

Fレンジも、拙宅のを比較に持ち出すのもおこがましいのですが、当家のシステムが、低域が100HZくらいからダラ下がりの限界が60HZくらいとすると、すももの木システムは、50HZまでフラットという感じです。

音色ももちろん素晴らしく、キャノンボール、ペッパーのアルトがなまめかしく響きます。リズムセクションも文句なし! 

クラシックに移り、モーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(五嶋みどり盤)、弦楽五重奏曲(スーク+スメタナ四重奏団)がほんとにいい音で再生されます。音場もナチュラルで心地いい。

次の展開が驚きでした。ムターの弾くツゴイネルワイゼンの時に、小池さんが「アンプを換えますね」といった後のヴァイオリンの音が絶品でした。

きめが細かく、柔らかく、澄んでいて、伸びやかで、音像の定位もきまっている!! こんなヴァイオリンは初めて聴きました。B&Wの802Dなら出るのかも・・・。

換えたアンプはKRのPX25、交流点火。アンプによる変化にはびっくりしました。ブログで拝見している、〇〇様が楽しんでいる中身が、少し覗けたような気がしました。300Bも素晴らしいと思って聴いていましたが、このPX25のヴァイオリンには思わず拍手でした。

小池さんのお話では、LCネットワークのSPシステムを練り上げて、ジャズには300B、クラシックにはPX25、それと大編成用に大型真空管のアンプと、計三種類のアンプで音楽をカバーするのが楽しいとのことでした。

夕食後、一杯やりながらオーディオの話をしましょうと誘っていただき、ゴロゴロしているドライバーやフルレンジユニットをいろいろ見せていただきました。これも楽しかったです。

今回はいい音が聴けて、本当に良かったです。あの音に、ヤマハのJA0506が一枚かんでいるとは愉快でした。」



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/441.html#c4

[リバイバル3] 超絶人気の名曲喫茶ネルケンのマダム _ クラシック・ファンが本当に求めているのは… 中川隆
17. 中川隆[-7607] koaQ7Jey 2017年5月29日 10:24:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

音楽カフェ Blossom :ブロッサム
http://www.cafe-blossom.jp/
https://www.facebook.com/cafeblossom1
http://cafe-blossom.blogspot.jp/


埼玉県 越谷市 東大沢5丁目15番3

TEL048-954-9005

営業時間:
午後2時30分〜8時30分(ラストオーダー) 午後9時30分閉店

貸切りランチは午後12時〜2時(要予約)
貸切ディナー(時間は相談、要予約)

定休日:火曜日・水曜日


アクセス

東武伊勢崎線「北越谷」駅東口より徒歩約11分。

バスご利用の場合は、「北越谷」駅東口2のりば:老人福祉センター(くすのき荘)行きにて キャンベルタウン公園入口(二つ目)下車徒歩3分。

1. 店の裏に2台分の駐車場があります。
 ご利用に際しては、事前に、お問合せ、御予約をお願い致します。

2. 徒歩5分の処にコインパーキングがあります。
 詳細は
https://www.repark.jp/parking_user/time/result/detail/?park=REP0009809&p=1&st=4&lat=35.8910841&lon=139.7909377&word=%25E5%259F%25BC%25E7%258E%2589%25E7%259C%258C%25E8%25B6%258A%25E8%25B0%25B7%25E5%25B8%2582&plc=%25E5%259F%25BC%25E7%258E%2589%25E7%259C%258C%25E8%25B6%258A%25E8%25B0%25B7%25E5%25B8%2582&pref=11&city=222&


地図
http://www.cafe-blossom.jp/map/index.html
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92343-0022+%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E8%B6%8A%E8%B0%B7%E5%B8%82%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E6%B2%A2%EF%BC%95%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%93/@35.9052375,139.787693,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x60189617136c57bb:0x7f00d794d925d164!8m2!3d35.9052375!4d139.7898817?hl=ja

ブレンドコーヒー 500円
紅茶 500円
http://www.cafe-blossom.jp/menu/index.html


(1) 建物はカナダより輸入。 イギリス風外観

(2) 音楽を楽しむために、遮音、内装材、床構造に配慮しました。 コンクリートベース+構造用合板+遮音マットの上に、直接ブラックウォルナットの無垢床材を貼っております。
床材床の鉄筋.

(3) 建物は2x6工法を採用し、外部との遮音を行うため壁の厚みは20cm程度と十分確保しました。壁材はスピーカ背面はオーク他の面は吸音壁と腰板の組み合わせ、音響を配慮した天井材を使用しています。

(4) 室内面積は、約30畳(50m2)。天井高さは 5.5m と充分確保しました。


オーディオ装置


英国製大型スピーカ、タンノイオートグラフミレニアム

レコードプレーヤはトーレンス TD520 に、SME3012トーンアームを取り付け、カートリッジはオルトフォン MC20Wを使用。


真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプ

プリアンプ : 真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプ

メインアンプ : 大型直熱真空管 845 を使用した三段直結アンプ。 
モノラルアンプ 2台 (上田順筰氏 特製)



レコード盤(1) 店主が長年にわたり収集したしたレコード盤。 管弦楽曲、ジャズバラード 等、約3,000枚のコレクションがあります。

お出しするパンは、全て当日焼いた自家製のパンです。
http://www.cafe-blossom.jp/owner/index.html


『音楽カフェBlossom』さんをお訪ねして丸2日が経つが、あの音体験は強烈である。

音楽カフェ Blossom BLOG
タンノイ オートグラフ ミレニアム 845シングル/EL156PP真空管メインアンプ
http://cafe-blossom.blogspot.com/2009/08/8.html

いや、音自体はクラシックでは包み込むようなおおらかさで、一方、録音の良いポピュラー系のディスクでは大型モニターを起源とするスピーカーらしい鮮やかさを見せはするが、「鮮烈で耳について離れない」という類の音ではない。音楽の好きな方が、気持ちよく、かつ音楽の生命感を失わずにという方向で、機器と空間との調和をはかってたどりついた音だ。

つまり、聴き手に押し付けをせず、心地よくくつろいでいただこうというホスピタリティーに富んだ音で、カフェというお店の性格に合った音である。記事の通り、機器のというより空間の次元が違いすぎて、我が家の装置と音を比べようとか、どのくらい差があるかなどという下心は最初から持ちようがないのだが、しかし、自宅で聴く音の聴こえ方が変わってしまっていることは否定できない。

今はスペンドールBCUで聴いているが、ステージがやはり縮尺モデルである。このスピーカーは、中型ながらオーケストラの響きをそれらしく聴かせると言われたもので、私自身もイメージで補いつつ擬似演奏会を楽しんでいたが、オートグラフ・ショック以来、ミニチュア・スケールのイメージがぬぐいきれない。この点は、隣家からの苦情を覚悟してボリュームを上げれば、幾分かは改善されるが、それにしても本質的な差は埋めようがない。

もう一点、高音、とくに弦の音に艶が乗りすぎる。この点も、「BCUは、実際以上に美しく聴かせるので、モニターには向かない」などと評する人も多かった元々の特徴なのであるが、これが少々邪魔になるのだ。(一昨日までは、これがたまらない魅力だったのに)

スターリングに戻せば、艶めきは控え目になり、縮尺が1/5から1/3くらいには修正できるかもしれないが、今はそうせずに、この艶をもう少し部屋の響きと調和させる方向を探ってみようと思う。

試みにいつもより聴取位置をギリギリまで後ろに下げて、キッチンの中に半分体を入れて聴いてみた。“空間が鳴っている”感じが出て、オートグラフの試聴感に近づいた。しかし、微細な繊維で織り込んだような、きめ細かな高音は聴き取りにくくなる。この、顕微鏡を覗くような“粒子の細かな、絹のようにやわらかな高音”は、オートグラフにないBCUの持ち味である。私の好きな、英国のスピーカーにしか聴けない美点である。これを捨ててはなるまい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatupulin/55747793.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/281.html#c17

[近代史02] LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡 中川隆
108. 中川隆[-7606] koaQ7Jey 2017年5月29日 10:34:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

タンノイ オートグラフ ミレニアム を聴ける店

音楽カフェ Blossom :ブロッサム
http://www.cafe-blossom.jp/
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埼玉県 越谷市 東大沢5丁目15番3

TEL048-954-9005

営業時間:
午後2時30分〜8時30分(ラストオーダー) 午後9時30分閉店

貸切りランチは午後12時〜2時(要予約)
貸切ディナー(時間は相談、要予約)

定休日:火曜日・水曜日


アクセス

東武伊勢崎線「北越谷」駅東口より徒歩約11分。

バスご利用の場合は、「北越谷」駅東口2のりば:老人福祉センター(くすのき荘)行きにて キャンベルタウン公園入口(二つ目)下車徒歩3分。

1. 店の裏に2台分の駐車場があります。
 ご利用に際しては、事前に、お問合せ、御予約をお願い致します。

2. 徒歩5分の処にコインパーキングがあります。
 詳細は
https://www.repark.jp/parking_user/time/result/detail/?park=REP0009809&p=1&st=4&lat=35.8910841&lon=139.7909377&word=%25E5%259F%25BC%25E7%258E%2589%25E7%259C%258C%25E8%25B6%258A%25E8%25B0%25B7%25E5%25B8%2582&plc=%25E5%259F%25BC%25E7%258E%2589%25E7%259C%258C%25E8%25B6%258A%25E8%25B0%25B7%25E5%25B8%2582&pref=11&city=222&


地図
http://www.cafe-blossom.jp/map/index.html
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ブレンドコーヒー 500円
紅茶 500円
http://www.cafe-blossom.jp/menu/index.html


(1) 建物はカナダより輸入。 イギリス風外観

(2) 音楽を楽しむために、遮音、内装材、床構造に配慮しました。 コンクリートベース+構造用合板+遮音マットの上に、直接ブラックウォルナットの無垢床材を貼っております。
床材床の鉄筋.

(3) 建物は2x6工法を採用し、外部との遮音を行うため壁の厚みは20cm程度と十分確保しました。壁材はスピーカ背面はオーク他の面は吸音壁と腰板の組み合わせ、音響を配慮した天井材を使用しています。

(4) 室内面積は、約30畳(50m2)。天井高さは 5.5m と充分確保しました。

オーディオ装置


英国製大型スピーカ、タンノイオートグラフミレニアム

レコードプレーヤはトーレンス TD520 に、SME3012トーンアームを取り付け、カートリッジはオルトフォン MC20Wを使用。


真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプ

プリアンプ : 真空管式CRイコライザ+超低歪率フラットアンプ

メインアンプ : 大型直熱真空管 845 を使用した三段直結アンプ。 
モノラルアンプ 2台 (上田順筰氏 特製)

レコード盤(1) 店主が長年にわたり収集したしたレコード盤。 管弦楽曲、ジャズバラード 等、約3,000枚のコレクションがあります。


お出しするパンは、全て当日焼いた自家製のパンです。
http://www.cafe-blossom.jp/owner/index.html

『音楽カフェBlossom』さんをお訪ねして丸2日が経つが、あの音体験は強烈である。

音楽カフェ Blossom BLOG
タンノイ オートグラフ ミレニアム 845シングル/EL156PP真空管メインアンプ
http://cafe-blossom.blogspot.com/2009/08/8.html


いや、音自体はクラシックでは包み込むようなおおらかさで、一方、録音の良いポピュラー系のディスクでは大型モニターを起源とするスピーカーらしい鮮やかさを見せはするが、「鮮烈で耳について離れない」という類の音ではない。音楽の好きな方が、気持ちよく、かつ音楽の生命感を失わずにという方向で、機器と空間との調和をはかってたどりついた音だ。

つまり、聴き手に押し付けをせず、心地よくくつろいでいただこうというホスピタリティーに富んだ音で、カフェというお店の性格に合った音である。記事の通り、機器のというより空間の次元が違いすぎて、我が家の装置と音を比べようとか、どのくらい差があるかなどという下心は最初から持ちようがないのだが、しかし、自宅で聴く音の聴こえ方が変わってしまっていることは否定できない。

今はスペンドールBCUで聴いているが、ステージがやはり縮尺モデルである。このスピーカーは、中型ながらオーケストラの響きをそれらしく聴かせると言われたもので、私自身もイメージで補いつつ擬似演奏会を楽しんでいたが、オートグラフ・ショック以来、ミニチュア・スケールのイメージがぬぐいきれない。この点は、隣家からの苦情を覚悟してボリュームを上げれば、幾分かは改善されるが、それにしても本質的な差は埋めようがない。

もう一点、高音、とくに弦の音に艶が乗りすぎる。この点も、「BCUは、実際以上に美しく聴かせるので、モニターには向かない」などと評する人も多かった元々の特徴なのであるが、これが少々邪魔になるのだ。(一昨日までは、これがたまらない魅力だったのに)

スターリングに戻せば、艶めきは控え目になり、縮尺が1/5から1/3くらいには修正できるかもしれないが、今はそうせずに、この艶をもう少し部屋の響きと調和させる方向を探ってみようと思う。

試みにいつもより聴取位置をギリギリまで後ろに下げて、キッチンの中に半分体を入れて聴いてみた。“空間が鳴っている”感じが出て、オートグラフの試聴感に近づいた。しかし、微細な繊維で織り込んだような、きめ細かな高音は聴き取りにくくなる。この、顕微鏡を覗くような“粒子の細かな、絹のようにやわらかな高音”は、オートグラフにないBCUの持ち味である。私の好きな、英国のスピーカーにしか聴けない美点である。これを捨ててはなるまい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatupulin/55747793.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c108

[経世済民121] 「国民生活は地獄に堕ちる」 藤巻健史が「シムズ理論」に警告〈週刊朝日〉 赤かぶ
1. 中川隆[-7605] koaQ7Jey 2017年5月29日 11:02:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
藤巻健史は「バカの壁」


シムズ理論と「バカの壁」


日本の「バカの壁」

日本でシムズ理論に批判的なのは、主に財政均衡派、つまり財政再建派である。財務省がその中心となっているのか不明であるが、その周辺の経済学者やエコノミストがシムズ理論に猛反発している。いわゆる御用学者が「シムズ理論はいい加減」と決め付けている。

財政再建派はこれまでも日本政府が国債を財源にすることに反対してきた。また彼等は消費増税を推進し、各種の保険料を上げるよう政府に働きかけてきた。とにかく国の借金さえ減れば(無くなれば)日本の将来はバラ色と吹聴している。


彼等は、国債の増発によって大きな問題が生じると人々を脅し続けてきた。その主な問題とは「国債価格が暴落し金利が高騰する」と「ハイパーインフレを引き起す」である。しかし日本の国債発行残高は増えているが、一向に金利は上がらない(それどころかゼロ金利やマイナス金利で這っている)。これに対して彼等は日銀が国債を買い続けているからと苦しい言い訳をする。しかし日銀が異次元の金融緩和を始める前から、日本の金利は世界で一番低い水準で推移していたことに彼等は触れない。また一方で日本の家計の金融資産が1,800兆円にも達することも無視する。

つまり「金利高騰うんぬん」の脅し文句はもう使えないのである。したがって財政再建派に残る武器は「ハイパーインフレへの警戒」となる。ところがここに来てシムズ理論が登場し「インフレが起ってもかまわないじゃないか。むしろ物価上昇によって財政は良くなる」と言い始めた。しかもシムズ教授等は、彼等の信仰対象である200年前のリカードの中立命題を使ってこれを説明した。さらにシムズ理論が政治を動かし、現実の経済政策にも影響を及す可能性が出てきたのである。


17/4/3(第933号)「シムズ理論の裏」で述べたように、財政再建派のシムズ理論への批判は、シムズ理論に沿った政策は「インフレを起こす力が全くない」か、あるいは「ハイパーインフレを招く」かのどちらかと非論理的で支離滅裂である。しかも一旦ハイパーインフレが起ると制御不能と意味不明なことを言う。しかしバブル景気のピーク時の物価上昇率がたった3%だったことを考えると、ハイパーインフレなんて有り得ないことである。また財政・金融政策など物価を制御する方法はいくらでもある。

そもそも筆者は、日本経済がおかしくなった原因は、大平政権辺りから始まった財政再建運動だと昔から指摘してきた。つまりシムズ理論を否定する人々が唱える政策(具体的には国債の新規発行を制限しプライマリーバランス回復を目指す財政運営)が採用されたり影響し、これが常に日本経済の足を引張ってきたと筆者は見ている。


過去40年くらいを振返っても、財政再建派が主導した経済運営はことごとく失敗してきた。大平・鈴木政権から始まった財政均衡路線で日本経済は過度に外需依存となり、最終的にはプラザ合意によって超円高になった。この円高不況の対策として過度の金融緩和が実施されバブルが発生し、その次にはバブルの崩壊である。バブル崩壊の影響が残るのに、橋本政権は財政再建に走り財政支出を絞り消費増税を強行した。これによる経済悪化で金融機関の経営危機が表面化し資産価格の下落が止まらなくなった。

小泉政権では再び緊縮財政に転換したため、日本経済は外需への依存度をさらに高めた。特に財政当局は35兆円もの常軌を逸した為替介入を行いこの動きをサポートした。しかしその後この反動が起り、民主党政権下では為替は1ドル75円程度の超円高がずっと続くことになった。12年暮れに安倍政権が発足し、13年度に積極財政と日銀の異次元の金融緩和が実施され、日本経済は回復を見せた。ところが安倍政権の3年目の14年度には、補正予算の大幅減額と消費増税によってアベノミクスは失速した。


筆者は財政再建派を「バカの壁」と思っている。その典型例を示すのが財政制度等審議会会長に最近就いた榊原経団連会長の「19年10月の消費再増税は絶対に必要だ」発言である。まさに「バカの壁」である。


米国の「バカの壁」

米国にも「バカの壁」がいる。「フリーダム・コーカス」と呼ばれている40名程度の下院共和党内の保守強硬派がその一つである。また彼等は「茶会パーティー」とも呼ばれ狂信的な「小さな政府」の信奉者でもある。トランプ政権はオバマケアの代替案を提示したが、オバマケアの廃止を唱える「フリーダム・コーカス」の賛同が得られず撤回に追込まれた。

トランプ大統領の目玉政策はインフラ投資と大型減税である。「小さな政府」を唱えるフリーダム・コーカスは、減税に賛同するかもしれないが財政出動によるインフラ整備には猛反発するであろう。この調整に手間取り具体的な経済政策の策定は、年後半まで大幅に遅れる模様である。トランプ政策を見越し上がって来た米株価は冷や水を掛けられた。このようにトランプ政権の財政運営の前途は多難である。


「フリーダム・コーカス」とは富豪実業家のコーク兄弟の支援を受けた政治家の集りである。なお兄弟は石油関連事業などを反共主義者の先代から受継いだ。彼等の資産は各々220億ドル(一説では二人で800億ドル)と米国有数の大富豪である。ハイエクに影響を受け、反共思想を持ち経済活動への政治介入を徹底的に嫌うコーク兄弟は、コーク財団を創り活発に政治活動を行っている(以前はリバタリアンという政党を創り自ら政治活動を行っていた)。

財団の政治活動の一つは保守色の強い色々なシンクタンク等への経済的支援である。また直接的な資金援助には法的な限度があるので、同じ思想の富豪達のネットワークを構築し保守強硬派の政治家を経済的にサポートしている。つまり「茶会パーティー」は、一見草の根運動と思われがちであるが実態は正反対である。一般の米国民の中には、彼等は選挙上手なエゴイステックな金持ちの手先と見る向きがある。


トランプ氏は、経済的に余裕があるのでコーク財団に関係なく大統領選を戦った。しかし政治運営を考えると「フリーダム・コーカス」の存在を無視する訳には行かない。どうも17/2/27(第928号)「トランプ大統領のパリ協定離脱宣言」で取上げた「パイプラインの建設や原油開発などにゴーサイン」もコーク兄弟への懐柔策という見方ができる。

ところがオバマケアの代替案は「フリーダム・コーカス」によって潰されたのである。頭から妥協を拒むこの「フリーダム・コーカス」に対し、トランプ大統領は怒り「次の中間選挙は、民主党だけでなく彼等との戦い」と漏らしているほどである。今後、両者がどれだけ歩み寄れるか注目される。


また小さな政府を指向するフリーダム・コーカスはFRBの金融政策にも反対している。もちろんFRBによる国債などの債券の買入れ政策(QE)はとんでもないと言う。またフリーダム・コーカスとは別に、米議会には教条的な財政均衡主義者や中央銀行(FRB)の金融政策を否定する分権主義者がいる。

したがってシムズ理論を米国で実践しようとしてもこれらの「バカの壁」が立ちはだかる。シムズ理論沿った政策は、せいぜい政府が「将来の増税はない」と宣言するといった意味不明なものになる。おそらくシムズ教授の本心はシニョリッジやヘリコプター・マネーによる財政拡大と筆者は見ている。要するに解る者が解れば良いとシムズ教授は考えているのであろう。また少なくともFRBの協力が難しいとしたなら、米国でのシニョリッジと言った場合は政府紙幣ということになる。

むしろ日銀が政府に協力している日本の方がシムズ理論の実行は容易い。既に日銀が400兆円もの日本国債を買っているのだから、後は財政支出を拡大させれば良い。しかしこの前に立ちはだかっているのも例の「バカの壁」である。


シムズ理論の批判として「政府は儲かるが庶民は損をする」という詐欺師的な解説が出回っている。来週はこれを取り上げる。また日米はともにシニョリッジやヘリコプター・マネーを既に実行していることを説明する。
http://www.adpweb.com/eco/eco935.html

理解されないシムズ理論の本質


週刊ダイヤモンドのシムズ理論への批判的文章

週刊ダイヤモンドに「シムズ理論が成功しても庶民だけが損をする理由」というシムズ理論に批判的な文章が掲載された(筆者はこれをネットで読んだ)。著者は山口圭介氏という副編集長である。そのうち出ると思われた財政再建派の詐欺的な批判である。わざわざ「庶民」という言葉を使っているところが特に気になった。しかし読者の中にはこんなものでも簡単に騙される者がいると筆者は感じた。

この文章の骨子は他の財政再建派の経済学者やエコノミストのシムズ理論への批判とほとんど同じである。ただ「庶民だけが損をする」という情緒的で扇動的な表現が特徴である。


筆者はシムズ理論を15/11/9(第867号)「小黒一正教授の文章(論文)」や13/4/29(第754号)「国民一律の年金」で取上げた「インフレ税」に通じると指摘した。しかし筆者は「インフレ税」を必ずしも否定的には捉えていない。この時「インフレ税」をより分りやすく説明するため、消費税増税で物価が上昇することに対し、物価が同程度に上昇するまで日銀がこの永久債を買うことで生まれる財源を使って「国民一律の年金を支給する」というアイディアを提示した。この「日銀がこの永久債を買うことで生まれる財源」とはシニョリッジやヘリコプター・マネーの一つと理解してもらって良い。

同じ物価上昇という国民負担が発生するとしても、消費増税の場合は税率アップ分がそっくり国民の負担になる。一方、シニョリッジやヘリコプター・マネーで「国民一律の年金を支給する」(もちろん年金に限らず国民の厚生を向上させる財政支出なら何でも良い)という政策を行えば、確実に国民全体の厚生が向上する(例えば国民一律の年金)。同じように物価上昇を伴うが、これら二つの政策でどちらの方が国民経済にとって良いのか比べるという話になる。


例えば消費税率を3%上げることによって物価は確実に2%程度は上がる。これに対し筆者の提案は2%の物価上昇するまで、財政負担の無いシニョリッジやヘリコプター・マネーを財源に財政支出を増やすことである。2%の物価上昇という国民負担という点では全く同じである。

前者の消費増税の場合は(増税分を財政支出に充てないという前提)、確実に消費が落込み名目GDPは減少する(14年度の消費増税で実証済み)。そもそも財政再建派の消費増税の目的は財政再建である。実際、14年度からの消費増税分は8〜9割が財政再建に使われた。また財政再建派が言うように消費増税によって財政債務が減り金利が下がっても、経済活動が活発になるということはない(そもそも金利は下がるところまで下がっている)。さらに消費増税によって財政再建が進み、国民は将来に安心し消費を増やすということは有り得ない妄想である。

一方、2%の物価上昇を見るまでシニョリッジやヘリコプター・マネーを財源に財政支出を増やせば、名目GDPが増えるだけでなく税収が増え財政も良くなる。この点がシムズ理論と合致する。ところでシムズ教授は物価上昇に力点を置いて説明しているが、筆者はむしろ名目GDPと国民所得が増え税収が増える点を強調したい。また「国民一律の年金」政策による物価上昇分に見合う消費減税を同時に行うと言う方法も考えられる。もちろんこれらの財源もヘリコプター・マネーである。


週刊ダイヤモンドの山口氏は、シムズ理論は借金の多い政府にとって都合が良いが、庶民は物価上昇と貯蓄の目減りで損をするだけと言っている。ところが彼は名目GDPが増え国民の厚生が上がることには全く触れない。また国民の所得が上がることについても、「所得税が増えるだけ」と誤解を招くような記述をしている。さらに政府と庶民が対立するような構図を山口氏は描いている(昔の階級闘争時代の名残のような発想)。しかし必ずしも一方が得をすれば他方がその分損をするということはない(政策によっては両方とも得をするということは十分にある)。

シムズ理論に対してこのような拙い批判が出る原因の一つは、シムズ教授が物価上昇を起こすための道筋を明確には示していないからと筆者は理解している。まさか「政府が財政再建に取組まない」と宣言することだけで、物価上昇が起るとは筆者も思わない。おそらくシムズ教授はシニョリッジやヘリコプター・マネーを財源とする財政政策を考えていると筆者は憶測している。しかし先週号で示したように、米国内ではこれに関し色々な異論や障害があるため前面に出せないのだろうと筆者は考える(米国でも「バカの壁」は厚く、シニョリッジやヘリコプター・マネーはタブーになっているのであろう)。


日米のシニョリッジ政策

驚く人も多いかもしれないが、日米ともシニョリッジやヘリコプター・マネー政策を既に実施している。財政再建派は「シムズ理論やヘリコプター・マネー政策はけしからん」といきり立つ。しかし日銀が日本国債を、またFRBが債券(米国債や住宅担保ローン債券)を買った時点で、ヘリコプター・マネー政策は実質的に実施されたことになる。このことは本誌で何度も説明して来た。

中央銀行(日銀、FRB)が購入した国債や債券には利息などの収益が生まれる。この収益から諸経費を差引いたものが国庫納付金として政府の収入になる。これが通貨発行益であり仕組は日米共通である(諸経費を差引く前の総収益を通貨発行益と見なす見方もある)。


日銀の国庫納付金は2014年度が7,567億円、15年度が3,905億円であった。ただし15年度に準備金として4,500億円を引当てている。最近の米国FRBの国庫納付金は毎年1,000億ドルを少し下回る程度と金額的に巨額(毎年10兆円程度)である。ちなみに3回のQE(量的緩和)を始める前は毎年200〜300億ドルと少なかった。日米のこの金額の差は主に金利水準の差による。また日銀の国債などの資産買入残高は400兆円であり、FRBは4.5兆ドル(490兆円)と規模的には拮抗している。

次に考えることは何をもってシニョリッジやヘリコプター・マネーと認識するかである。これに関しては二つの見方がある。一つは毎年の国庫納付金(あるいは諸経費を差引く前の総収益)であり、もう一つが中央銀行(日銀、FRB)の国債などの資産買入残高(日銀400兆円、FRB4.5兆ドル(490兆円))そのものである。

これに関しては前段で引用した15/11/9(第867号)「小黒一正教授の文章(論文)」で説明したように、どちらでも良いという結論である。要するに通貨発行益に関する二つ定義の違いは利益を認識するタイミングの違いと解釈できる。つまり買入資産の収益を毎年計上するか、あるいは資産を買入れた時点で全てを認識するかの違いである。

話はちょっと変わるが、この他にも中央銀行に関しては埋蔵金の類が考えられる。日銀の場合には準備金などがある。ただFRBの方にもこの種の準備金はあると思われ、筆者も調べたがよく分らなかった。しかしFRBは大量の金を保有しているので、この評価が筆者は気になる。もし取得簿価で計上されているとしたなら、桁違いの評価益が発生している可能性がある。


シニョリッジやヘリコプター・マネーに伴う通貨発行益の源泉は発行する通貨である。発行通貨は債務勘定に計上されるが、利子は付かず債務としてのコストはゼロであり、また返済期限はない。つまり発行した通貨は借金ではなく実質的に利益と認識すべきである。米国は通貨制度の仕組が若干異なっているが(ドル紙幣は債券、もしくは借用書という認識・・FRBが完全私企業ということが影響してか)、同様にドル紙幣に利子は付かず返済期限も無い。


シムズ教授は、これだけ日米ともにシニョリッジやヘリコプター・マネー政策を進めているのに、経済が低迷し物価上昇が見られないことを問題にした。だから教授は「金融緩和によって金利がゼロになっても効果がない場合は、財政出動を行うべき」と「物価水準の財政理論」(FTPL)を提唱したのである。

このシムズ理論に対して、日本の財政再建派(財政均衡派)は危機感を抱き、週刊ダイヤモンドの文章のような的外れの批判を繰出している。彼等が恐れているのは、まずシニョリッジやヘリコプター・マネー政策が既に実施されているという事実が明らかになることである。また日本政府の借金が既にほぼゼロになっている事実が一般に知れ渡ることが、彼等にとって一番まずい。先日、森永卓郎氏が、ワイドショー「ミヤネ屋」(読売テレビ)で「日本政府の借金はほぼゼロになっている」と本当の事を言い周囲を驚かせた。今後、森永氏がテレビ界から追放されるか注目されるところである。
http://www.adpweb.com/eco/eco936.html


今どきリカードの中立命題なんて

シムズ理論への批判を展開しているのは主に財政再建派(財政均衡派)である。シムズ理論が世間で認められると、彼等の主張である「財政支出の削減や増税」といった財政再建路線が否定されることになる。したがって支離滅裂な経済理論を繰出しても、シムズ理論を必死になって攻撃している。

ところで日銀は400兆円、FRBは4.5兆ドル(490兆円)もの国債や債券を購入するといった空前の金融緩和を行っている。しかし金利水準が下限で推移しているのに一向に経済は上向かない。物価もほとんど上昇しない状態が続いている。明らかに先進国の経済の体質が大きく変わっているのである(これについては本誌で何回も説明してきた)。


このことは現実の経済に携わっている者は誰もが感じているところである。最近商品の値下げ戦略を打出したイオンの社長は「デフレを脱却したなんてイリュージョンだ」と言い切っている。シムズ理論に賛同するかどうかを別にして、消費増税などの財政再建路線には以前より厳しい目が向いている。

金利がゼロといった金融緩和政策が極限まで来た状況では、財政政策が有効というシムズ理論(「物価水準の財政理論」(FTPL))は、現実の経済を知っている者なら誰でもなんとなく納得するであろう。トランプ政権のインフラ投資や大型減税を期待し、株価が上昇したことを見てもこのことが分る。またかなりの財政政策を実施しても、簡単には物価が急騰することはないと実際の経済に関わる者は肌で感じている。


シムズ理論に対する批判はどれも似ていて「インフレを起こす力が全くない」か、あるいは「ハイパーインフレを招く」かのどちらかと言ったものである。ここでは前者の「インフレを起こす力が全くない」を取上げる。先週号の週刊ダイヤモンドの「シムズ理論が成功しても庶民だけが損をする理由」(山口圭介副編集長)でも同じ論理が使われている。「政府の「増税しない」との宣言があっても、将来に不安を持つ者(特に若者)は所得が増加しても消費に回されず貯蓄に回される」と決め付けている。

この発想は明らかに「財政支出が公債で賄われても増税で行われても効果は同じ」という200年前の「リカードの中立命題」である。つまり「国債を発行して公共事業を行い人々の所得が増えても、将来の増税が予想されるので消費を抑える」(いわゆる合理的期待形成論)といった論理である。しかし一体誰がいちいち財源を気にして消費行動を変えるものかと思われる(千人に一人くらいはそのような変人がいるかもしれないが)。つまり亡霊まがいのポンコツ理論が日本の理論経済学の世界ではまかり通っているのである。


このようにシムズ理論への批判を展開しているのは、浮き世離れした経済学者とエコノミストの一群である。今の時代に「リカードの中立命題」に捕われているなんて、どう見てももまともではない。これに財政当局の考えを忖度(そんたく)した御用学者(主に財政学者)が加わっている。

安倍政権は、シムズ理論に沿った政策を進めれば良い。逆に消費増税を行って財政再建を進めれば人々は将来に安心して消費を増やすといった虚言・妄言(もしリカードの中立命題が正しければそうなる)に影響を受け、3年前に消費増税し大失敗したのである。
http://www.adpweb.com/eco/eco937.html


http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/814.html#c1

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
253. 中川隆[-7605] koaQ7Jey 2017年5月29日 12:11:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>251 は CIA 工作員
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c253
[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
391. 中川隆[-7604] koaQ7Jey 2017年5月29日 13:47:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

平野憲一の株のお話

日本証券新聞5月29日(月)版の1面トップはMSCIマネージングディレクターの内誠一郎氏のインタビュー記事です。

MSCI指数をベンチマークとするグローバルな運用資金は1000兆円を超えているそうです。

日本の時価総額の世界に占める割合は8%ですので、80兆円が日本株で運用されていると推定されます。

日本株の組み入れ比率は各ファンドの方針で少し違いますが、世界の株価が騰がると日本の組み入れ比率が下がり、自動的に日本株を買って調整する事になります。

昨今の外国人買いの多くは、この自動的な買いと思われます。


これに関する注目イベントが2つあります。

1つは5月31日のMSCI「スタンダード指数」と「最小分散指数」の銘柄入れ替えです。

前者は4042東ソー、9142JR九州、6146ディスコを採用して9505北陸電力、9301三菱倉庫を除外し採用数は320銘柄に、

後者はJR九州、コナミ、東電、東エレクなど8銘柄を採用してヤマトHD、上組など15銘柄を除外して155銘柄になると言われています。


 2つ目は6月21日の中国A株が採用されるかどうかです。

枠が同じなら、新規参入で増えた分は既存の分を減らさなければなりません。

採用決定となれば日本株にとって当然マイナスです。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c391

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260. 中川隆[-7603] koaQ7Jey 2017年5月29日 13:54:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

知る大切さ氏 も 魑魅魍魎氏も同じ CIA工作員仲間なんだから、いがみ合わないで仲良くやれよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c260
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263. 中川隆[-7602] koaQ7Jey 2017年5月29日 14:47:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
魑魅魍魎男氏は上役だから偉いんだよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c263
[リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
85. 中川隆[-7601] koaQ7Jey 2017年5月29日 15:22:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

伊豆の踊り子を読む1−踊子のモデルを探してー 2012/1/6
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/2474409.html

 里山便りから突然文学散歩になる。伊豆の踊子に関するユニークなブログを見て今まで書きためたものを整理してみた。研究というほどのものではなく、論文というほどのものでもない。強いて言えば私見「踊子探し」というほどのものである。長い文章なので2回に分けないと掲載できないので読む方には大変だと思いますがお付き合いください。

「伊 豆 の 踊 子」 を 読 む

                                   

 私は「伊豆の踊子」の叙情性こそ小説の原点と思っている。それは「淡い初恋や別れの哀しみ」といったものを超えた、人の世の宿命による「別離傷心」という永遠の文学的テーマを有しているからである。

ストーリーは万人の知るところである「孤児根性で歪んでいると思い悩む一高生が、一人伊豆の旅に出てその途上で出会った旅芸人の一行と親しくなり中でも踊り子にひそかに心を寄せるが、余儀なき別れがあるだけだった」という川端康成の実体験を基に書かれたものである。

修善寺、天城峠、湯ヶ島、湯が野など伊豆の詩情豊かな風景の中を旅芸人との交流を通して旅情をかきたてながら最後は下田の港で別れるといういかにも絵に描いたような実体験を淡々と描いたところにこの作品の特色がある。感傷などからはるかに遠のいた今読み返してもなんともいえぬ感懐を抱くのである。

「伊豆の踊子」のもう一つの特色は何度も映画化され、その時々の人気女優を踊子に仕立てていることである。また、その都度歌にも歌われている。主題歌としてはヒットしなかったが昭和三十年代歌謡曲としても世に出て歌謡ベストテンのトップにもなっている。これらの事実からも「伊豆の踊子」が最も人気のある国民的な名作であることが肯けよう。  

従って作品の解説や評論も多く、またモデルをはじめとして作品の背景も研究家によってほとんど隈無く調査された。さらには6回に亘って映画化されたそれぞれの作品についても十分すぎる論評がなされている。それらは作者川端康成の生前にも容赦なく行われ、時に作者を困惑させている。田中絹代主演の伊豆の踊子が映画化された、昭和8年その公開に当たって「―あの時14歳であった踊子は、今年はもう29になっている。

思い出に何よりあざやかに浮かぶのは寝顔の目尻にさしていた、古風な紅である。あれが彼女らの最後の旅であった。あの後は大島の波浮の港に落ち着いて、小料理屋を開いた。一高の寮の私との間にしばらく文通があった。似ているはずもないが田中絹代はよかった。―踊子は目と口、また髪や顔の輪郭が不自然なほど綺麗だった」と書いている。このとき大島に足を伸ばせば29歳の踊子に出会えたかもしれない。だが、絶対にそうさせたくない事情が作者にはあった。それは後述しよう。

伊豆の踊子の最終章に船の中で学生のマントにくるまり涙を出任せにする場面がある。その学生は探し出され昭和40年湯ヶ野の文学碑の除幕式で47年ぶりに再会を果たしている。

その文学碑建立に際し作者は「湯ヶ野に伊豆の踊子の文学碑を建てる世話人が、踊り子のモデルを大島に甲府にさがしもとめたと聞いて、私はぎょっとした、何の手がかりもなかったそうで、ほっとした。小説のモデルさがしなどは、作者にとってはにがいことで。ゆるしてもらいたく、見ぬふりをしてほしいものだが、好事家や研究家の詮索は、作者の妨げる限りではないようだ。踊子のモデルやその縁者の跡もわからないのは、作者の稀な幸い、この作品をすっきり守っているかに思える。」と書いている。

しかしながら作者の意に反して研究者たちは昭和四十年代からの踊子ブームに乗って執拗に踊子捜しを行っていく。そして一行のモデルと思われる一家を発見する。土地の古老は次のように語ったという「一家は岡本某と後妻、二人娘の姉と妹、他に貰い子がいた。

一家は旅芸人で、時々よそから回ってきていたが、大正5〜6年ごろからは波浮に住み「鉄丸」というお茶屋にいるようになった。大正八年になってお茶屋「さかえや」を自分で開業した。妹は小柄で細面のきりょうよしで、気だてのよい、ほがらかな娘だった。芸がうまく港町にはもったいないくらいとの評判があった。郷里は甲州だと思うがよくわからない。」この一家は作者の述懐に符合する。小柄で細面のきりょうよしの妹が踊子だったにちがいない。だが、足跡はここで途絶える。作者の安堵した所以である。

評伝等の年譜によれば作者川端康成が伊豆を旅し踊子一行に出会ったのは大正7年19歳の時である。「伊豆の踊子」を作品として発表したのは昭和2年二八歳の時である。九年の間に実際の旅の記憶が作品として昇華された。一高生というエリートと旅芸人という当時最下層を生き「村に入るべからず」とまで蔑まれた人々の交流は現代では考えられぬ意味を持っていたのである。

 作品として纏められた9年の間に作者は、一般に初恋として伝えられている劇的な体験をする。16歳のカフエの女給に恋をして婚約まで漕ぎつけたが一方的に破棄されてしまったのである。この間の事情は作者自身によっても書かれ初恋の相手とされる伊藤初代は徹底的に調査され岐阜や岩手に記念碑も建てられている。川端康成23歳、伊藤初代16歳の婚約と破局に至る経緯は当然川端文学に深い影響を与えている。

それは一般に初代のカフエでの源氏名「ちよ」にちなんで「ちよ物」と呼ばれ「伊豆の踊子」もその系列に属している。文学的自叙伝の中では「いったいに私は後悔というものをしない。―過去を思い出すことはない。だから23と16で結婚していたらどうなったか、考えてみたこともない―。結婚の口約束をしたものの、しかし私はこの娘に指一本触れたわけではなかった。14少女の「伊豆の踊子」も似たものである」と述べている。

19歳での伊豆の旅から「伊豆の踊子」が作品として世に出る間に遭遇した強烈な出来事が作品に影響を及ばさないはずもない。それが何人かの評論家の述べるところの「淡い初恋とか、別れの感傷とかの生やさしいものではなく、断念、ひたすら忘れる他はない断念を描いたのである」との論評にも繋がるのであろう。

踊子の「薫」と初恋の相手「初代」とはほぼ同年齢である。「初代」は徹底的に研究され写真も残されているが、「薫」はとうとう世に出なかった。初恋の顛末が衝撃的であっただけに研究者も「伊豆の踊子」はそっとしておきたい心理が働いたのではあるまいか。

踊子はあくまで汚れなき少女で永遠の憧憬でなければなるまい。研究者のあいだにもその程度の心理は働いたであろうし、よしんば踊り子に辿り着いたとしても作者の生前であれば流石に発表をはばかられたであろう。前述のように調査の手はかなりのところまで伸びた。そして栄吉のモデルは岡本文太夫本名は松沢要といい信州の生まれ。踊子のモデルは松沢たみ。そこまではほぼ確定できたようだ。そして松沢要のその後についてはほぼ調査された。ところが、松沢たみは30歳前後を境に消息が絶える。まさにあと一歩までたどり着いている。だが、作者の言うように幸運なことに作品はすっきりと守られた。
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/2474409.html

伊豆の踊子を読む2−踊子のモデルを探せたかー 2012/1/6
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%88%9D%E4%BB%A3&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwisjLuetJTUAhUCW7wKHWOLB5kQsAQIMg&biw=1107&bih=599#imgrc=mf95Pys2aaKjVM:&spf=1496037033294

川端康成は体験的小説の少ないことでも知られている。その数少ない体験小説の作品が「伊豆の踊子」である。作者自身が「ほとんど事実である」としながらモデルを始め謎も多い作品であるからこそ、何度も映像化され読者も自らの踊子像を形成するのであろう。ちなみに初恋の相手「伊藤初代」は川端の友人によれば「踊子のイメージを宿した、透き通る様に色白で儚げな少女であった」という。彼女も数奇な運命を辿る。初代は幼くして母と死別し父とも別れねばならなかった。12~3歳から子守などをして他家で暮らす。カフエの女給として働き始めたのは14歳のころでそこで川端と出会う。

彼女は川端と別れたのち1年後に結婚し子をなすが、夫に死別する。その後再婚するものの生活のためカフエの女給を続ける。川端は初代から一方的に婚約を破棄された後も執拗と思えるほど彼女の後を追う。東京のカフエを捜し歩き何度か探し当てるのであるが受け入れてはもらえなかった。その間の状況も川端自身によっても書かれ、研究者によっても徹底的に調べ尽くされている。

初代は流転に近い人生を歩むのであるが、小学校時代県知事の表彰にまで推薦された努力家で「頭の回転の速い環境に適応性のある美人であった」という。かなり一方的に川端の方が傾斜していったのはこれもほとんどの認めるところでもある。川端の孤児性と初代の境遇とはある種の共通点として川端のほうに強く作用している。伊豆の踊子の中では「孤児根性に歪んだと思い悩んでいる」自分に踊子一行は何の隔てもなく「いい人」として接している。その係わりを初代の中にも見出しまた求めたのであろう。

川端が初代と深く接して多くを語ったという形跡も見られない。常に友人を介しことを進めている。

15歳の折初代は東京を離れ岐阜の知人の下に貰われるように去って行く。それは相当辛かったに相違ない。しかしながら孤児同然の15歳の少女に運命に逆らう術などあろうはずもなく流されてゆくのである。岐阜に尋ねた川端らに東京に帰りたい心情を伝えていたのであろう。恐らく孤児性への同情が川端をして初代の保護者になりたいという願望に繋がり、恋愛感情以上に婚約を急がせたのではあるまいか。初代の中に伊豆の旅の踊り子の面影を見ていたのは疑う余地もない。

初代は27歳の時川端家を訪ねている。川端は変わり果てた姿に衝撃を受けるがその時をもって一連の初恋事件に対する訣別ができたとし、確かに作品の上では変化が見られている。そのときのことは川端夫人も書いているが哀れを誘う。頭のよい初代がなぜ川端家を訪ねたのか、金の無心ではないことは確かである。

初代は婚約事件のころから「金で私を買おうとして」と疑念をぶつけるのであるから、生活に困窮したからといって金銭のために川端を訪ねるはずもない。前夫との間の子どもを養子にして欲しいと願ったとも言われるが、それも定かではない。いずれにしてもこの再会は短時間で終わっている。川端婦人が書いているほどにあつかましい姿ではなかったであろう。だが川端家を訪ね再会したことは事実でありこれを境に川端の初代観が変化したことも否めない。

初代は40歳を過ぎたころから中風を患い紐も結べぬほど半身が麻痺をする。当然のことながら女給を続けることも叶わず病に伏し、困難な時代を背景に貧困の中に46歳で世を去った。川端のことはほとんど語らなかったが、一度だけ妹に、「川端と結婚していたらどうだったろうか」と遠くを見る目つきで呟いたという。

永く東京の寺に仮葬されていたがそこに時折焼香する人がいたという。名を尋ねたわけではないが、瘠せた目の大きい人だったというから川端に相違ない。

20年を経てようやく遺族によって鎌倉の霊園に納骨される日、あまりの人の多さと警戒ぶりに驚いて縁者が事務所に訪ねたところ、全くの偶然ながら奇しくもその日が川端康成の納骨の日で時の佐藤総理大臣も参列したとのことであった。魂が呼び合ったのではあるまいかと述懐する人もいた。初代が川端との婚約を破棄した理由や手紙にしるした『非常』の意味については結局詳しくは語られていない。初代は当時の女性にしては珍しく丹念に日記を書いていたという。晩年のものが多少残っているだけであとは自分で処理したらしい。日記を読むことはできぬのであるが、その中では語られていたのかもしれない。 

初代が川端家を訪ねた翌年、田中絹代の主演で伊豆の踊子は映画化された。初代の変わり果てた姿と田中絹代の踊子の対比に作者は何を見たのであろうか。

さて、同時代を生きたほぼ同年齢の初代の生涯が完璧なほど調査され、写真もかなり残され墓も川端と同じ霊園と特定された。それに対して踊子薫のモデルはある時を境に忽然と消えた。それは第1回目に映画化されたころである。昭和の時代に入っているというのに一人の人間の生死も定かではないのはどうしたことであろう。「港にはもったいないくらい」の器量よしで気立てのよい薫のモデル(松沢たみ)はどこに消えたのであろう。また彼女たち旅芸人の一行は映画化されたことを知ったのであろうか。

川端康成は「後悔することも、思い出すこともない」と書きながらも踊子と初代は心の奥底に生涯強く生き続けたのである。

私は何回か踊り子の跡を辿り、江刺の文学碑も岐阜の文学碑も訪ねてみた。初代の何枚かの写真にも接する機会があった。読むにつけ調べるにつけて、初代と踊子が重なってならなかった。私たちが目にすることのできる初代13歳の写真は、13歳にしては大人びて見える、あるいは初代は薫の面影を宿していたのではないだろうか。

川端の中でも薫と初代は一体化していたのに違いない。初代との破滅的な恋が永く尾を曳き、それが踊子の思い出を際だたせ珠玉の名作を生んだのであろう。川端は伊豆の旅を終えた後、にわかに明るくなり口数が増えたと友人が証言している。急速に初代に惹かれたのも、初代の中に、踊子の屈託のない明るさと純粋さを見たからに違いない。一高生と踊り子、一高生と女給、結ばれるはずもない取り合わせも破局と別離の余儀はないのであるが。初代は踊子の影であったかも知れない。

川端は71歳の折りにもこの間のことを回想して「結婚の約束をしてから、『非常』の手紙を受け取るまでに僅かに一月、あっけなくわけもわからず破れたのだったが、私の心の波は強かった。幾年も尾を曳いた。」と書いている。自ら命を絶つ三年前のことである。変わり果てた初代に衝撃を受け失望し、その初代も既に世を去っている。それにもかかわらず心の波はおさまらず、終生尾を曳いていたのである。

読者の多くが感ずるように、まれなる文豪川端康成をして踊子こそが、憧れ続けた理想の女性像であった。そしてそこには初代の影がある。川端康成七十余年の生涯の中で踊子と出会い、旅をしたのはわずかに一週間程度である。その一週間こそが強烈な初恋事件を生み名作の根源となり、永遠となったのである。そうした意味において「伊豆の踊子」こそが文豪川端康成の原点であり終着点であるように思われる。


上の2枚はインターネット上でも見られる初代の写真13歳と14歳のもの。
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/GALLERY/show_image.html?id=2474683&no=2
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/GALLERY/show_image.html?id=2474683&no=3


下の2枚の写真はインターネットで調べても載っていない伊藤初代の写真。
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/GALLERY/show_image.html?id=2474683&no=1
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/GALLERY/show_image.html?id=2474683&no=0

初代の故郷岩手江刺の研究家菊田一夫氏の力作「エランの窓」の中から引用しました。「エランの窓」を閲覧できるのは国会図書館と江刺図書館だけです。
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%88%9D%E4%BB%A3&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwisjLuetJTUAhUCW7wKHWOLB5kQsAQIMg&biw=1107&bih=599#imgrc=mf95Pys2aaKjVM:&spf=1496037033294


コメント



少し 質問をさせてください。

現在、ヤフー知恵袋 に おいて、川端康成 の小説『伊豆の踊子』の 踊り子 (薫) の本名が 話題になっております。

@ 松沢たみ 説
A 時田 〇〇 説

どうやら、2つの説がある様子です。

@ は、主に 土屋寛氏が、著書『天城路慕情 伊豆の踊り子を探して』にて 展開している説で、踊り子 = 松沢たみ 栄吉 = 松沢要 であり、 たみ が30歳前後に 足尾 で亡くなった という説です。

Aは、川端康成 の 弟 が発表した説です。
栄吉=時田かおる
踊り子=時田??
川端康成が 踊り子一行と伊豆で出会った 大正7年の大晦日に、時田かおる = 栄吉のモデル から 葉書 が 康成 へ届き、その後、数回 相互に手紙のやり取りがあった という説。

A の 説について、どのようにお考えですか?
2013/7/22(月) 午後 10:57[ jyugorojyugoro ]


私は時折女子大の論文指導をするほか看護学校で文学の講義をしています。また公民館で文学散歩を担当しそこでは必ずしも文献や事実に基づかない「推論」を展開しています。伊豆の踊子のモデルを探しても、私なりの解釈が多く入っています。天城路慕情も参考にしました。

文献としては川端康成に最も近い作家であった北条誠の「川端康成・文学の舞台」に中に「波浮を夜逃げしてからのたみ子は下田で芸者になり、伊東にもいたことがあるそうだ。―その後のたみ子が、結婚したか、死んだか、あるいは身を持ち崩したか、私はもう調べる気持ちを失っていた。踊子の美しい夢が壊れそうだ。波浮の港のたみ子は伊豆の踊子の薫とは別人だと思いたい。―

踊子は天城峠ならぬ、人生の峠、文学の峠で、若い日の川端が見た一瞬の虹であったようだ。と書いています。川端康成の最も身近に存在した作家の言葉です。様々な説がありますが結局モデルは特定されなかったというべきでしょう。
2013/7/22(月) 午後 11:41[ itabueki ]

失礼しました。お尋ねは2のはがきについてでしたね。川端康成は姉がおりましたが、父母姉共に早くに亡くし、育てられた祖父も喪い天涯孤独と言ってますので弟は誤りと思いますが踊子の一行とはがきのやり取りがあったのは事実で時田某というのも事実のようです。何枚かは残っているそうですから。ただ特定されなかったとはいえモデルとしては天城路慕情の作者の調査した、たみ子もしくはたみという方が近いと思います。
2013/7/23(火) 午前 0:29[ itabueki ]


「川端康成の青春」???の著者である 川端康成の弟・・・川端香男里氏の書簡に、時田かおる = 栄吉 説 が どうやら 載っているようです。

たしかに、川端康成は 天涯孤独な筈ですから、弟 というのもおかしな話だとは思います。

最近、私は、管野春雄氏著者『誰も知らなかった伊豆の踊子』の深層』という著作も読んで、その物凄い説得力と 本当に新しい「伊豆の踊子」のストーリーの深層に驚きました。

先生は『誰も知らなかった伊豆の踊り子の深層の』をおよみにお読みになられましたか?恐ろしい程の説得力です。
例えば、湯川橋 での 出会いはなかった! 等

踊り子(薫)のモデルは 結局 確定できていないようですね。
でも、私は、確定できなくて、よかったような気がしています。
2013/7/23(火) 午後 5:36[ jyugorojyugoro ]

訂正です。

川端香男里 さんは、川端康成の養女政子の夫で、義理の息子さんのようです。
Wikipediaで調べました。

川端香男里さんによると、時田かおる 氏から 大正7年の大晦日に川端康成へ 葉書 が届いた様子です。

伊豆の踊り子の薫
時田かおる
川端香男里

かおる が たくさんです。
2013/7/23(火) 午後 5:50[ jyugorojyugoro ]

ご教示頂いた管野春雄氏の著書さっそく取り寄せます。伊豆の踊子は作者がほとんど事実だといっていますが、私の書いた中にもある通り実体験から作品になるまでに数年の時間の経過があります。その中では書き換えや加除訂正もあったはずです。もちろん様々な経験を通して作者自身の人生観も変わったことでしょう。ある書物には、実は川端康成は伊豆の大島を訪問しているという説もあります。

それらの真偽も今となってはわかりません。作品は世に出るとある意味作者を離れます。自分なりの解釈を持っても一向にかまわぬのです。ただその説を学会などに発表する際は確かな証拠を必要とします。伊豆の踊子についてはモデルの問題も含めてほぼ定説化したように思います。作者自身もかなり踏み込んだ発言をしまた文章に残しています。

私は17歳の秋、伊豆の踊子の跡を辿って歩きました。列車の切符だけは買ってありましたが、湯ヶ野のあたりで資金が底をつき小雨の中をてくてく歩いていたらバスが止まってくれてぶっきらぼうな運転手と優しい叔母さんの車掌がバスに乗せてくれました。
2013/7/23(火) 午後 9:42[ itabueki ]


500文字まで という文字数制限 があるので、書いた文章を分割させていただいたのですが、申し訳ありません、順番がおかしくなってしまいした。
2013/7/24(水) 午前 0:04[ jyugorojyugoro ]


コメントいただいたおかげで伊豆の踊子関係の書物を読み返してみました。またユウチューブで流れている小田茜の踊子の最後の部分などを見ました。北条誠は川端康成は本当は踊子の行方を知りたかったのではないかと推論しています。

折に触れて初恋の相手伊藤初代と踊子のことは書いています。「落花流水」の中に―伊豆の踊子にはモデルがある。四十四、五年小空くは絶えているが、生きていれば、もう五十五歳から六十歳の間である。

映画、ラジオ、テレビジョンに度重ねて使われていることを、彼女や旅芸人の一行の人たちは知っているのだろうか。いくつかの国語教科書に載っていることはおそらく知らないであろう。―と書いています。遠い昔わずかに一週間ほどの旅をしただけのことを生涯忘れられなかったのです。それが伊豆の踊子なのでしょう。
2013/7/24(水) 午後 11:45[ itabueki ]


さて、『誰も知らなかった伊豆の踊子の真相』 静岡出版社 平成23年刊行 は、相当な現地取材を重ねた、緻密な倫理で、ものすごく説得力に富んだ力作です。
著者は元公務員のようです。

たとえば、

1.間道越え (本当に)大島は見えたのか?
2. 男(栄吉)は何故夕方まで座り込むのか?

特に印象に残ったのは・・・湯ケ野で、踊子(薫)が(共同湯から)真裸で飛び出してきた時、康成の泊まっていた旅館の風呂(←当時から、地下にあるので)からは踊子の姿は絶対に見えなかった。

しかし、康成の泊まっていた部屋の窓からは、共同湯が完全に(間近に)見えるので、踊り子が全裸で手を振ったのを康成が見たのは、康成が止まっていた部屋の窓からの筈だ といった按配です。

逆に言えば、踊り子(共同湯)からも康成の部屋の中がよく見渡せた ということです。
2013/7/25(木) 午後 10:43[ jyugoroujyugorou ]


私は、実は、井上靖さんのファンで、通算50回前後は伊豆半島へ行ったことがあります。
最も好きな小説は、『あした来る人』です。
この小説にも伊豆の戸田は出てきますね。
2013/7/25(木) 午後 10:50[ jyugoroujyugorou ]


当然、私は 天城湯ヶ島 や 湯ケ野 や 修善寺等 へも何度も何度も足を運んでいて、厭でも〈伊豆の踊子〉が視野に入ってきました。

そんな訳で、特に川端康成さんの著作を好んで読んだ訳ではないのですが、川端康成さんの著作では『伊豆の踊子』限定のファンです。
2013/7/25(木) 午後 10:52[ jyugoroujyugorou ]


もし、川端康成さんが、大島を訪問していて、踊り子と再会を果たしていたとしたら、素晴らしいことですね!??

先生に教えていただいたことを(勝手に)総合させていただくと、『伊豆の踊子』の薫は、時田某ではなくって、 松沢たみ(民子)の可能性が高いだろう と理解してよろしいのですね。
2013/7/25(木) 午後 11:04[ jyugoroujyugorou ]

先生のおっしゃった

「作品は世に出ると作者の手を離れるので、自分なりの解釈を持っても一向に構わない。唯 その説を学会等に発表する際には、確かな証拠を必要とする。伊豆の踊子 についてはモデルの問題も含めてほぼ定説化したように思う。康成自身もかなり踏み込んだ発言をしており、文章にも残している。」

の意図するところは、私なり理解した心算です。
2013/7/25(木) 午後 11:05[ jyugoroujyugorou ]


こんばんは。注文した「誰も知らなかった伊豆の踊子の真相」届きましたので興味深く読みました。緻密な調査や検証に驚きました。

結論から申し上げますが、私の感想では従来の価値観を覆すものではないということです。

伊豆の踊子は日記文学や紀行文あるいは伊豆の解説書ではありませんので創造や創作は当然のことです。実体験から9年を経て完成された作品ですので若き日の非日常的な甘美な体験のエッセンスが詰まっています。

私は素直に最終章の「涙を出まかせにしてあとには何も残らないようなあまい快さだった」という表現をそのまま読み取っています。長く国語の教員をしましたので生徒の感想を大切にし素直な読み取りや解説を心がけてきました。
2013/7/25(木) 午後 11:20[ itabueki ]

『誰も知らなかった伊豆の踊子の深層』をわざわざ取り寄せて読んでくださった様子で、本当にありがとうございました。

著者の菅野春雄さんは、何度も何度も『伊豆の踊子』舞台へ足を運んでいらっしゃり、何だかんだ言っても小説『伊豆の踊子』のファンであることは明白。

著者の探究心と分析力に対して感嘆と賞賛します。

また、先生のおっしゃっている通りで、小説『伊豆の踊子』の従来の価値観や定説を覆したりする意図はないものと思います。
2013/7/28(日) 午後 9:30[ jyugoroujyugorou ]


更に、2013年5月23日初版発行の小谷野敦著『川端康成伝 双面の人』中央公論社刊を一昨日に購入致しました。

3,000円もする650頁ある分厚い書籍で(時間の関係で)まだ殆ど読み終えていないのですが、第2章「一高へ、伊豆の踊子」と第3章「伊藤初代事件」のみ流し読み致しました。
2013/7/28(日) 午後 9:45[ jyugoroujyugorou ]


実は、私は、itabueki先生に今月24日に教えていただくまでは伊藤初代さんの存在すら(ほとんど全く)知らなかったのです。

『川端康成伝 双面の人』の著者小谷野敦さんは伊藤初代さんのことについて詳しく解説してくれております。

そういえば、先生のブログのも伊藤初代さんの写真がかなりの枚数掲載されていましたね!
川端康成さんにとっては、よっぽど重要な女性の様子ですね。
2013/7/28(日) 午後 9:58[ jyugoroujyugorou ]


『川端康成伝 双面の人』の中で小谷野敦さんは、第2章「一高へ、伊豆の踊子」において、以下のように断定しております。

旅芸人岡本文太夫の一行と道連れになったもので、踊り子の名前は加藤タミ、その兄は時田かおるで、踊り子の名前「薫」は時田かおるの名を使ったもの、兄の名「栄吉」は(康成の)父の名を使ったものだ。
兄と薫は姓が違うが、兄といっても、実の兄ではなかったのだろう。
2013/7/28(日) 午後 10:16[ jyugoroujyugorou ]


踊子一行は、その後、伊豆大島へ渡って興業を続けており、康成とも書簡の往来があって、暮れには横須賀甲州屋方 芸人時田かおるから年賀葉書が来ていて、これが踊子の兄である(香男里「川端康成の素顔」)。

伊藤初代の写真を見ると、美人ではなく、特に鼻が貧弱である。

川端は踊子(タミ)についても、やはり、鼻が小さかったと言っているから(初代と)似ていたのだろう。それはまた、今でいえば「ロリ顔」である。
2013/7/28(日) 午後 10:30[ jyugoroujyugorou ]


私が踊子のモデルを探しての文章を書いたのは、一つの文学論としてモデルを想像することの意味を考えてみたかったからであり、モデル探しの過程で必ず作者の体験に行き当たりますのでその作業も作品の解釈には欠かせません。

前のコメントに書いたように北条誠が途中でモデル探しの意欲を失ったとありますが、当時の踊子の生きた環境は私たちの想像の埒外のものだったと思われます。もし幸せな結婚をしたとすれば戸籍は様々な形で変えられたでしょうしある種のパトロンがついたとしても追及の手は妨げられたでしょう。ぷっつり足跡が消えたのは読者や研究者にも幸せなことだったように思います。

学校へも行けず文字もほとんど読めなかった踊子はおそらく「伊豆の踊子」を読むことはなかったと思います。
2013/7/28(日) 午後 10:47[ itabueki ]

五井に住む 仲の良い友人に誘われて、 南房総 和田浦へ行き、鯨を食べに言って参りました。
ミンク鯨ではない、クチなんとか鯨 が、美味しかったです。

私も 井上靖さんの自伝系の小説を読破しているので、当時の旧制高校 が 一般的に いかに狭き門だったのかは 容易に想像が可能です。

井上靖さんは たしか旧制4高でしたが、康成は旧制一高。現在の東京大学の教養学部のような機関で 現在よりも遥かに 権威 と エリート性 が高かったものと思われます。

ですから、恐らく 尋常小学校を中退している 旅芸人の踊り子 (薫) と、当時 一高生だった康成では、天と地の差のような (言葉は悪いですけど) 身分差があったのだろうことは (私でも) 容易に想像がつきます。
2013/7/29(月) 午後 7:22[ jyugorojyugoro ]


ただ、私が 現在読み進めている『川端康成伝 双面の人』の102ページに、「今東光によると、川端は、不幸な 身分の低い 貧しい少女が好みで、貴顕の令嬢といったものに関心がないのだ、という。自分でも 汚い中の美しさ が好きだと書いている。

川端は 一高生 から 東大生 になる訳で、素性の知れない女給 (伊藤初代のこと) と結婚するのは 狂気の沙汰であった という人もあった。・・・」というくだりがあります。

康成が、踊り子 (タミ) と出会った時の踊り子の満年齢は(恐らく)12〜13才。
もし、踊り子が、あと 数才 年長であったならば、ひょっとして、康成の初恋の相手は 伊藤初代 ではなくて、踊り子(タミ)であった可能性もあったのではないか?

康成は「タミと結婚する」と言い出していた可能性もあったのではないか? などと 私は想像したりしております。

更には、タミ であったならば、初代のように 康成の求婚を無下には断らなかったのでは?などとも想像しております。
2013/7/29(月) 午後 7:51[ jyugorojyugoro ]

当時の 旅芸人の踊子 と カフェの女給 では どちらが社会的に上だったのか どちらが下だったのか が 私には よく分かりません。
ただ、踊り子 と 女給 の当時の身分差は ほとんど無かったのてはないか と推測しております。

でしたら、康成 が 踊り子を選択しても 決して不思議ではなかった筈です。
2013/7/29(月) 午後 8:08[ jyugorojyugoro ]


川端康成は自身で

「女性のにおいのしない自分の生い立ちのせいか大人の女性には興味が湧かなかった、子供から大人への中間点のような女性に興味があった」

と言ってますから今様に言えばロリコンと言ってもよかったのでしょうか。

踊子がもうちょっと歳が上だったらという仮定は何人かの評論家も指摘しますが、風呂から裸身を晒すほどの子供であったからこそ、印象に残ったのでしょう。

伊藤初代に出会ったのも彼女が14〜5歳の時です。ただとんちんかんで教養のない踊子と違って初代は頭がよくカフエに来る学生たちとの会話の中でも頭の良さを示すことがあったようです。結婚の相談をした菊池寛に「そんな子供と結婚してどうするのだ」と言われて「しばらく家の手伝いをさせます」といったような答えを言っていることからも初代との結婚は孤児性への同情であったのだろうと考えられます。

ただ踊子も初代も長く心に残り折に触れて回想していることからも二人が一体となって初恋の対象のように思われます。若い時代にそうした出会いがあったということは文学の上でも稀有の幸いと思います。
2013/7/29(月) 午後 8:29[ itabueki ]
https://blogs.yahoo.co.jp/gfqyw880/2474409.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c85

[番外地6] 経済破綻したベネズエラの状況 富裕国から最貧国へ 中川隆
2. 中川隆[-7600] koaQ7Jey 2017年5月29日 15:43:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

破綻国家ベネズエラの耐えがたい日常 異形の国家が生き延びる理由(WEDGE)
http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/540.html
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9627
2017年5月27日 風樹茂 (作家、国際コンサルタント)  WEDGE Infinity


 ファシズム政権の暗部を隠す広告燈の役割も担っていたオーケストラ、エル・システマのバイオリン奏者Armando Cañizales(18)も抗議中に銃弾を受け殺された。

 政治活動や言論の自由を求めて、何十万、何百万という国民がデモを行うことは、めったにない。独裁政権でも、それなりの生活が保障されていれば、国民はさほど文句を言わない。ベネズエラでは、国会の立法権の剥奪の試み、大統領選出馬阻止を目的とする野党リーダー、エンリケ・カプリレスの政治活動15年の禁止と、その事務所への放火などをきっかけに、マドゥロ大統領退陣を求める大規模な抗議行動が3年振りに広がっている。底流には何があるのか? 昨年7月まで6年ほど留まっていたベネズエラの耐えがたい日常を報告する。


早朝から長蛇の列が

■気も水もない 銃弾はある

 土曜日の午前中にテレビでチャンピオンリーグの試合を見ているとき、突然、停電となった。途上国では珍しいことではない。水不足に加え、送電網や変電所の整備不備、盗電なども重なり、計画停電が続いている。だが、実質無計画停電。いつ復旧するのか? 1日、2日、3日と続くことがある。電気がないとポンプが働かず、水も出ない。トイレの水も流れない。食事も作れない。シャワーも浴びられない。カリブの暑さは格別だ。たちまち汗がたらたらと落ちて行く。

 もう我慢ならん!

 隣町までタクシーを飛ばし、自家発電を持つ4つ星ホテルを訪れた。かつてはExperia International Hotelだったが、接収され国営化。とたんにサービスは悪化した。顔見知りのフロントに聞くと、部屋は空いていて電気もあるが、「でも」と気の毒そうに答えた。

 「水が出ないんですよ。ポンプと配管に問題があるようで、修理を頼んでいるけど、いつ来ますかね」

 諦めて周辺のホテルを探したが、生憎イベントがありどこも満員だ。結局、繁華街にある小さなペンションに泊まることにした。だが、場所柄を注意しなかった。

 隣の隣がディスコティックだった。夜、大音響が鼓膜を揺らす。眠れない。午前2時頃だろうか。ガタンという音ともにクーラーが停まった。音楽がとまり、窓の外は真っ暗闇になった。ほっとする。ところが、停電に腹を立てたディスコの客たちが騒ぎ始める。喧嘩も始めたようだ。とてつもなく煩い。窓から外を窺う。

 すると、銃声が3発! やっと静かになった。

■パンがない

 アパートの守衛に電話をすると、幸い電気が復旧したという。

 自宅に戻ってから、自転車でパン屋とスーパーマーケットをはしごする。残念ながら、パンはどこにもない。小麦が手に入らないのだ。でもラッキー! 2週間ぶりでスパゲティを見つけた。4000ボリバル、あっという間に価格は2倍になっている。5つ買えば、ベネズエラ人の月給はふっとんでしまう。

 トイレットペーパーを買いたかったので、中国人経営の雑貨屋にも寄ってみた。ところが長蛇の列。紙おむつ、シャンプー、石鹸、鶏肉、トウモロコシの粉(アレパという主食を作る)などの価格統制品を買うための闇商人と普通の人たちだ。身分証明書の番号によって、購入曜日が限られている。筆者は、日曜日と金曜日。だがめったに並ばない。

 暑い日差しの中、早朝5時から3時間、4時間と並んでも、購入できる保障はない。途中、必ずといっていいほど、列のどこかでイライラが募り、小競り合いが始まり、警官の出動となる。あるいは略奪が始まる。人間の尊厳など皆無の長い長い不幸な苦役だ。だから、路上などで闇商人から数倍の値段で購入する。

 海外の経済紙などは、ベネズエラのインフレが80%だとか100%だとか書いてあったが、とんでもない。昨年から1000%をとっくに超えている。ちなみに、トウモロコシの粉は一年間でキロ19ボリバルが177ボリバル(闇価格1500ボリバル)、鶏肉キロ65ボリバルが850ボリバル(闇価格3000ボリバル以上)だ。

 それでも外国人はドルを持っているのでまだ恵まれている。駐在し始めた2008年ベネズエラの通貨価値は高く、実質レートは1ドル=2.5ボリバルだった。今は5000ボリバル前後で、2000分の1になってしまった。

 時折、数カ月ぶりかで、友達に会うと驚く。ふっくらとしていたはずなのに、痩せて一回り小さくなっている。1日3回食べられるベネズエラ人はさほど多くはない。

■オフィスに人がいない

 早朝のオフィスはがらんとしている。仕事ができる友人で、国にしがらみがないものは、車、家、家財道具などすべてを売り払い、スペイン、アメリカ、エクアドル、チリなどに移住してしまった。1999年にチャべスが政権に就いたときも、大量の移住者が出たが、そのとき国を見限ったものは、先見の明があったのである。


トヨタの工場も閑散としていた

 隣のブーツからは、「あのスーパーにコーヒーがあった」「あの店で小麦粉が売られている」

 「あそこでオリーブ油を見つけた」「マクドナルドにさえ肉がない。野菜バーガーだ!」

 などの声が聞こえて来る。

 友人が何カ月振りかでオフィスに顔を出した。ラテン流に大袈裟に抱擁する。

 「寒い、寒い、朝から晩まで路上で仕事だよ。職場では挨拶さえろくにしなくて、友達にもなれないよ。でも、子どもの学校も決まったし、また戻るしかない。英語をもっとブラシアップしなきゃ」

 ニューヨークから一時帰国した友人はエンジニアだが、アメリカでは今のところ肉体労働者なのである。

■ストレス発散ができない

 翌週の土日に熱帯雨林のど真ん中に広がるエデンの園のように美しい冷泉「モーゼの泉」に行くことにした。Cachama(日本名コロソマ)という大型淡水魚といっしょに泳ぐことのできる湖もある。しかも美味い。

 ところがその行き帰りの170キロの海岸通りは、とてつもない苦行だった。

 まず、頼んでいたタクシーが一時間遅れた。「突然、停電でエレベーターに閉じ込められた」という。最初の検問所でワイロ目当ての治安警官と口論となる。しぶとく難癖をつけてくる。時間がもったいなので、僅かな金を差し出し、そのお金でコーヒーを買いに行かせた。不快なだけだ!

 道中、スクレ州の州都クマナにあるトヨタの工場に寄ってみる。90年代には直接従業員1800人、間接1万人を雇用する巨大工場と成長し、スクレ州生産の50%を占めるまでになった。今は、寂しいことに開店休業。広大な敷地に車両は見あたらない。目立つのは、犯罪に備える警備員の姿ばかり。この一カ月後にはクマナ市は商店街が略奪にあい、日本人駐在員は工場を去ることになる。


世にも美しいモーゼの泉も宝の持ち腐れ

 海岸通りに戻り、一路モーゼの泉を目指す。あと30分ほどで到着する予定が、渋滞にあう。数百メートル先で道路が封鎖されているという。車を降りて、住民にきいてみる。

 「3カ所ぐらいで封鎖しているわよ。市場が閉じたの。略奪されそうになって。それで住民が怒っているのよ。食べるものがないって。どれぐらいかかるかわからないわ。ほんと、お馬鹿大統領をどうにかしたい。何を食べているかって? イワシとマンゴよ」

 食糧不足、治安悪化、停電などに抗議する住民のデモがあらゆる場所で起こっている。石や木材でバリケードを作って、時にはタイヤを燃やす。

 埒が開きそうもないので、山道を迂回することにした。本来3時間で到着するはずが7時間もかかった。

 翌日は午後1時に帰路についたが、道路が二カ所も封鎖されていて、家に着くまでに10時間。冷泉でストレス発散という思惑は完全に裏切られた。

■薬がない

 いつの間にか肩から背中にかけて赤い湿疹ができた。痒い。痛い。眠れない。流行っているジカ熱(=蚊が媒介するウィルス)かもしれない。死人も出ている。

 皮膚科に行った。神経性皮膚炎だという。処方箋をもらった。ステロイド系の塗り薬と抗炎症作用のある副腎皮質ホルモンの注射用アンプル。タクシーをとばして、ドラッグストアーをいくつも巡る。どの店にも薬も注射液も存在しない。外貨不足で輸入できない。

 国際金融市場にはベネズエラのデフォルトの噂が数年前から流れ続けている。けれども腐敗しているがゆえにこそ政府はどんな手段を使っても返済する。もしデフォルトとなり政府が国際管理になったならば、政権は崩壊する。国家反逆罪、人権侵害、麻薬密売の罪が待っている(=『家に食べ物がなければ、盗むほかない 犯罪立国の謎(その1)』参照)。外貨は借金返済のためにある。

 この日、薬は諦め、最後に辿り着いたのは、植木屋だった。民間療法。オレガノとニンニクをつぶして患部の肩や背中に塗った。

 2週間後、やっと予約がとれて街一番だという評判の皮膚科に行った。アメリカ帰りの女医だった。心理学者のように迫ってくる。「仕事は面白いか」「何が辛いのか」「若いときとは違うのでは」「人生の目的がずれているのではないか」と矢継ぎ早に聞いてくる。いちいち答えているうちに、泣き出したくなってしまう。

 最後に彼女は「日本に帰ったほうがいい」という。そこで聞いた。

 「数年前までベネズエラもこんな生活じゃなかった。ベネズエラ人だってストレスを感じているはずでしょ」

 ところが彼女はこう答えるのだった。

 「ベネズエラ人は友達や家族と海に行って、ビールを飲んで冗談をいえば、それでおしまいよ」

 病院からの帰り道、家のそばの海の前の駐車場で偶然、友人に会った。カーステレオでレゲトンをかけ、男女4人でビールを飲んでいる。

 「日本企業に職はない? 韓国企業じゃ、給与はピーナツだよ」

 友人は私が監督をしていたヒュンダイ系企業に勤務していたが、一年前に退職していた。英語もでき専門知識もある。

 「オーストラリアに移住しようかと思っているんだよ。その前に飲もう、綺麗な娘もつれてくるよ」

 彼はそういって笑った。

■ベネズエラ国民の悲劇

 10カ月が経過した。さすがのベネズラ人も我慢の限度にきたようだ。全土で何十万人もの人間が政府に対する抗議デモを1カ月以上続けている。ところが、彼らを待ち受けているのは、催涙ガス、時に実弾、装甲車による轢殺、そして拷問の待つ刑務所だ。その上、犯罪集団がここぞとばかりに商店略奪へと繰り出す。

 あっという間に犠牲者の数が10人、20人と増えて行った。憎悪の炎が一層盛り上がる。若者たちは糞爆弾や火炎瓶の投擲で装甲車に挑み、治安部隊の何人かを血祭りに上げる。催涙ガスが実弾へと変わり始める。30人、40人、50人と犠牲者が増える。医師を目指していたエル・システマのバイオリン奏者も射殺される(5月3日 若干18 歳)。治安部隊の側にも1人、2人と死者が出る。

 このような時にこそ、ファシズム独裁政権(『民主政権下でのハイブリッド型ファシズム独裁の作り方』参照)はその真価を見せる。マドゥロ大統領はサルサを踊り、新たな憲法を作ると宣言した。自信たっぷりだ。コカイン利権に深く関与する軍と治安警察が裏切ることはありえない。彼らの真の役割は国内反対勢力と国民の弾圧である。

 もし万一彼らが裏切ったときは、チャべスが飼いならしてきた民兵がいる。もしも民兵に裏切られた時は、キューバの警護隊が政府高官と大統領を守る。ベネズエラ政府は盤石の態勢に見える。

 その上、国際社会は北朝鮮と同様にベネズエラ政府の崩壊は望まない。共産主義の変種チャべス主義を信奉し、反米なのにアメリカとの交易が25%以上を占め、トランプ大統領に献金し、スホイ戦闘機など最新兵器はロシアから買い、石油資源は半ば中国の担保に入り、政治はキューバの指示を仰ぎ、世界一の石油埋蔵量を持つのにガソリンを輸入し、国際金融への債務は必ず返す。そのような政権はさほど悪いものではない。悲惨はすべて国民に負わせる。こうして、異形の国家は生き延びて行く。

 かつてチリのピノチェト軍事独裁政権下の終末時に「Por No! =独裁にノー!」というクンビアの歌が全土に流行った。今はせめて国際社会にこの歌が流布されるとことを希望して。「ミスユニバースの国の自由へのバラード」
http://www.el-nacional.com/videos/protestas/video-conmovedor-las-heroinas-abarrotaron-las-calles-caracas_26386


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/780.html#c2

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266. 中川隆[-7602] koaQ7Jey 2017年5月29日 16:39:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>265 も CIA工作員だけどね
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c266
[環境・自然・天文板6] マックスウェルとアインシュタインの論争 JPLAW
8. 中川隆[-7601] koaQ7Jey 2017年5月29日 16:42:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>7 が精神分裂病だという事だけは間違いないけどね
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/545.html#c8
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274. 中川隆[-7600] koaQ7Jey 2017年5月29日 17:40:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
魑魅魍魎氏さえ阿修羅から出て行けば平和になるんだよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c274
[地域13] 札幌はいつまでヒグマを放置し続けるのか? チベットよわー
59. 中川隆[-7599] koaQ7Jey 2017年5月29日 17:59:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ヒグマよりツキノワグマの方が狂暴だった

秋田 クマ警戒態勢を強化 仙北の女性死亡で 目撃相次ぐ

毎日新聞 5/29(月) 10:37配信


秋田 クマ警戒態勢を強化 仙北の女性死亡で 目撃相次ぐ


女性がクマに襲われ死亡した現場付近に設置された看板=秋田県仙北市で2017年5月28日、森口沙織撮影


 秋田県仙北市田沢湖玉川の山林でクマに襲われたとみられる60代の女性が死亡した被害を受け、県は28日、同市内で県警など関係機関を集め「ツキノワグマ被害緊急対策会議」を開いた。県の担当者は「人を襲ったクマは人に再び襲いかかる可能性がある」として、看板設置や付近のパトロールなど、警戒態勢強化を確認した。【森口沙織】

【図解で学ぶ】クマさんに出合ったら
https://mainichi.jp/articles/20141206/mul/00m/040/00300sc?inb=ys

 27日に女性が発見されたのは、国道341号から約30メートル入った山林。タケノコや山菜が豊富で、県内各地から愛好家が集まる。

 山林へは国道から容易に入れるため、全域に規制ロープを張るのは困難。会合では、現場周辺の重点的パトロールや捕獲用のオリの設置、注意喚起の看板を増やすなどの対策を明らかにした。

 また同署によると、死亡した女性はクマよけの鈴を身に着けていたという。県の担当者は「しゃがんだ姿勢を続けたままで鈴が鳴らず、近づいてきたクマに気付かないケースもある」と話す。

 会議に出席した県猟友会の菅原陽三副会長によると、クマは一晩で約40〜50キロを移動することがあるという。「昨年は鹿角市の被害が話題になったが、クマの移動範囲は県内全域に及んでいる。人を襲った経験があるクマはどこにいてもおかしくない」と警鐘を鳴らす。さらに「山菜採りが昔から生活の一部だったのは分かるが、これ以上被害を出さないため、規制されたり目撃情報があったりした場所には近づかないでほしい」と訴えた。

 女性が亡くなった現場付近では28日午後、山菜採りに訪れた人が止めたとみられる車が10台程度あった。大仙市大曲からゼンマイ採りに訪れた会社員の男性(58)は「クマの事件は知っているが、子どものころから山に入っているから大丈夫。今さらやめようとは思わない」と話していた。

  × × ×  

 28日はクマの目撃が相次いだ。

 目撃されたのは、大館市中山▽美郷町浪花(2頭)▽秋田市浜田▽五城目町高崎▽大仙市刈和野▽仙北市角館町西長野。いずれも体長1メートル以上の成獣とみられる。

http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/658.html#c59

[リバイバル3] 恐怖の玉川温泉 _ 本当に怖いのは強酸性のお湯ではなく玉川温泉信仰 中川隆
24. 中川隆[-7598] koaQ7Jey 2017年5月29日 20:18:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ヒグマよりツキノワグマの方が狂暴だった


秋田 クマ警戒態勢を強化 仙北の女性死亡で 目撃相次ぐ

毎日新聞 5/29(月) 10:37配信


秋田 クマ警戒態勢を強化 仙北の女性死亡で 目撃相次ぐ


女性がクマに襲われ死亡した現場付近に設置された看板=秋田県仙北市で2017年5月28日、森口沙織撮影


 秋田県仙北市田沢湖玉川の山林でクマに襲われたとみられる60代の女性が死亡した被害を受け、県は28日、同市内で県警など関係機関を集め「ツキノワグマ被害緊急対策会議」を開いた。県の担当者は「人を襲ったクマは人に再び襲いかかる可能性がある」として、看板設置や付近のパトロールなど、警戒態勢強化を確認した。【森口沙織】

【図解で学ぶ】クマさんに出合ったら
https://mainichi.jp/articles/20141206/mul/00m/040/00300sc?inb=ys

クマも退ける! 耐久性を極めた“最強ケータイ” 女性にも人気の京セラ「トルク」(SankeiBiz)
http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/470.html


 27日に女性が発見されたのは、国道341号から約30メートル入った山林。タケノコや山菜が豊富で、県内各地から愛好家が集まる。

 山林へは国道から容易に入れるため、全域に規制ロープを張るのは困難。会合では、現場周辺の重点的パトロールや捕獲用のオリの設置、注意喚起の看板を増やすなどの対策を明らかにした。

 また同署によると、死亡した女性はクマよけの鈴を身に着けていたという。県の担当者は「しゃがんだ姿勢を続けたままで鈴が鳴らず、近づいてきたクマに気付かないケースもある」と話す。

 会議に出席した県猟友会の菅原陽三副会長によると、クマは一晩で約40〜50キロを移動することがあるという。「昨年は鹿角市の被害が話題になったが、クマの移動範囲は県内全域に及んでいる。人を襲った経験があるクマはどこにいてもおかしくない」と警鐘を鳴らす。さらに「山菜採りが昔から生活の一部だったのは分かるが、これ以上被害を出さないため、規制されたり目撃情報があったりした場所には近づかないでほしい」と訴えた。

 女性が亡くなった現場付近では28日午後、山菜採りに訪れた人が止めたとみられる車が10台程度あった。大仙市大曲からゼンマイ採りに訪れた会社員の男性(58)は「クマの事件は知っているが、子どものころから山に入っているから大丈夫。今さらやめようとは思わない」と話していた。

  × × ×  

 28日はクマの目撃が相次いだ。

 目撃されたのは、大館市中山▽美郷町浪花(2頭)▽秋田市浜田▽五城目町高崎▽大仙市刈和野▽仙北市角館町西長野。いずれも体長1メートル以上の成獣とみられる。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/308.html#c24

[お知らせ・管理21] 2017年5月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
292. 中川隆[-7597] koaQ7Jey 2017年5月29日 20:23:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

魑魅魍魎氏みたいな精神障害者は出て行ってもらうしかないだろ

みんなが困っているんだ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/484.html#c292

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
78. 中川隆[-7599] koaQ7Jey 2017年5月30日 06:34:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年05月25日 人骨は多くを語る〜沖縄の石垣島で2万7千年前の人骨が大量発見
http://web.joumon.jp.net/blog/2017/05/3212.html


5月20日にプレス発表されたこのニュース。考古学的にはかなり大きな発見だ。
毎日新聞と琉球新報での記事全文を転載しますが、特に今回の発見での特筆すべき点を記事の中から抽出しておきたい。


http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/2017/05/img_e72b1210f7ad6d6dbb815b68561efc40228205.jpg


>7年間に渡る調査の集大成

2012年から継続した発掘調査は今年7月で終了。旧石器時代の人骨は全体で計約1000点出土した。同時代の人骨が確認された遺跡としては東アジア最大級で、科学分析による新たな知見も得られており、日本列島の旧石器人の研究に欠かせない遺跡となった。

>高度な分析方法で人骨年代精度が高まる

今回の遺跡調査の特徴は、人骨の科学的分析を進めてきた点だ。

骨内のたんぱく質「コラーゲン」を放射性炭素年代測定にかけることで、人骨の年代を直接測定できるようになった。過去にも1万8千年前とされる湊川人の遺跡が発見されているが、年代は人骨に伴って出てきた遺物の測定によるものだったため、人骨が後世に流れ込んだ可能性が指摘され、沖縄での旧石器人の存在を疑う見解もあった。今回の調査は沖縄に確実に2万年以上前に旧石器人が居た事を証明するものとなった。


>2万年前の葬送方式は風葬だった

今回の発掘の最大のポイントは風葬という葬送方式が再現できる形で発掘できた事である。⇒旧石器時代の人骨が大量に出土した同遺跡は、墓地だった可能性が指摘されている。岩陰や洞穴の入り口に遺体を安置する、風葬に近い葬送法が考えられるという。

藤田研究員は「世界でも岩陰で人骨がばらばらで見つかることがあり、墓なのか分からなかった。世界的に価値が高い発見だ」と評価し「沖縄だけでなく、日本本土でも洞穴を墓に利用したのではないか」とも想像する。
死体を埋めずに空気にさらす「風葬」の決め手は岩陰で見つかった、国内最古となる全身骨格がそろった1体分の人骨だった。手足を折り曲げて葬られた姿勢が初めて分かった。それらを分析すると「古い人骨を押しのけて新しい遺体を置いたことが推測できる」

>DNAの抽出に成功、日本人のルーツ、食生活まで人骨から情報を得る

推定身長が165センチの人骨もあり、港川人など他の旧石器人骨より大柄だ。

当時の食生活についてもコラーゲンの組成分析から発見があった。同遺跡の旧石器時代の人間は、その後の時代の人間に比べ海産物を食べる割合が低かったことが判明した。氷河期のためサンゴ礁がなく、海産物が利用できなかった可能性が指摘できるという。

旧石器時代のものでは初めてで国内では最古となる、人骨からのヒトのDNA抽出にも成功した。そのDNAのパターンが、中国大陸南部や東南アジアなどが起源と想定されるパターンだったことが判明し、日本人のルーツを探る上で貴重なデータとなった。


以下は記事の転載です。今後のさらなる発見にも注目が高まります。

5月20日毎日新聞1面〜

DNAも抽出、日本人の起源手がかりに

約2万年前の旧石器時代の人骨が確認されたことで知られる沖縄県・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡(石垣市)で、ほぼ全身の骨格をそろえた人骨が1体分見つかった。旧石器時代の全身骨格の出土は、沖縄本島・八重瀬町の港川フィッシャー遺跡での出土以来2例目。2012年から継続した発掘調査は今年7月で終了。旧石器時代の人骨は全体で計約1000点出土した。同時代の人骨が確認された遺跡としては東アジア最大級で、科学分析による新たな知見も得られており、日本列島の旧石器人の研究に欠かせない遺跡となった。【大森顕浩】

全身骨格の人骨は、約2万4000〜2万年前(放射性炭素年代)の地層にあった岩陰の奥で見つかった。2014年にひざが一部露出、翌年から掘り下げて、頭骨など1体分の全身の骨の約8割がまとまって出土した。ひざの関節部分や背骨などが接合しそうなほど近い位置で見つかっており、体が横たわった状態がうかがえるという。

日本の旧石器時代の確実な人骨は、酸性土壌の多い本土では静岡県で確認された「浜北人」だけ。一方、化石の保存に適した石灰岩質が広がる沖縄県では山下町第一洞穴遺跡(那覇市)など数多く発見されているものの、全身骨格の発見は港川フィッシャー遺跡で確認されたのが最初。約1万8000年前(放射性炭素年代)の4体のみだった。今回の骨格は港川とほぼ近い年代にあたるという。

土肥直美・元琉球大准教授(形質人類学)は「遺体が埋められていないまま、自然にばらけて白骨化していく様子がうかがえる。全身骨格は体形などの特徴がはっきり分かり、大変重要」と指摘する。

*************************

白保竿根田原洞穴遺跡は旧石器時代から近世の人骨やイノシシ、鳥などの動物の骨、土器や石器などが出土する複合遺跡。石垣島の空港建設に伴う調査で発見された。沖縄県立埋蔵文化財センターが10年に緊急調査、12年から5カ年計画の本格調査を続けてきた。
これまで確認した旧石器時代の人骨約1000点は、頭骨や歯、四肢の骨などで、全身の骨がまんべんなく見つかっている。同センターの分析で、現時点で十数人分の人骨に相当すると判明した。

同遺跡の特徴は、人骨の科学的分析を進めてきた点だ。骨内のたんぱく質「コラーゲン」を放射性炭素年代測定にかけることで、人骨の年代を直接測定できるようになった。白保竿根田原洞穴遺跡の発見以前は、沖縄では旧石器そのものが見つかっていなかった。沖縄の旧石器時代の人骨も洞穴内での発見が多く、年代は人骨に伴って出てきた遺物の測定によるものだったため、人骨が後世に流れ込んだ可能性が指摘され、沖縄での旧石器人の存在を疑う見解もあった。同遺跡の人骨から約2万年前の年代が測定されたため、旧石器人の存在を科学的に証明することができた。

当時の食生活についてもコラーゲンの組成分析から発見があった。同遺跡の旧石器時代の人間は、その後の時代の人間に比べ海産物を食べる割合が低かったことが判明した。氷河期のためサンゴ礁がなく、海産物が利用できなかった可能性が指摘できるという。

旧石器時代のものでは初めてで国内では最古となる、人骨からのヒトのDNA抽出にも成功した。そのDNAのパターンが、中国大陸南部や東南アジアなどが起源と想定されるパターンだったことが判明し、日本人のルーツを探る上で貴重なデータとなった。

************************

旧石器時代の人骨が大量に出土した同遺跡は、墓地だった可能性が指摘されている。同遺跡では、人骨が特定の場所に複数人分が集中する形で出土している。人骨には片面だけ粘土や土が付着したり、動物がかんだ跡とみられる傷もあった。人骨が長期間露出していた環境がうかがわれるため、岩陰や洞穴の入り口に遺体を安置する、風葬に近い葬送法が考えられるという。

調査を担当した沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座久宜・調査班長は「旧石器時代の人骨出土数は国内最大。約2万年前に人類が石垣島まで到達したことを示す貴重な成果。その後も洞穴が断続的に利用されていた点も重要だ」と振り返る。今後は新たに出土した人骨からも年代測定やDNA抽出を試みるほか、保存状態の良い頭骨を基に顔の復元などの研究を進めるという。土肥さんは「日本人の起源や、東アジアでの人類の拡散につながる新しい研究成果がこれからも出てくるだろう」と期待している。

5月20日毎日新聞 25面〜

沖縄県・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で見つかった世界でも例のない大量人骨は、旧石器時代に何度も繰り返された葬送の痕跡だった。手足を折り曲げた遺体を風葬のように岩陰に置いたとみられ、洞穴を墓にしていた実態が明らかになった。「風葬のような葬送方法が分かったのは前例がない」と国立科学博物館の藤田祐樹研究員(形態人類学)は驚きを隠さない。

死体を埋めずに空気にさらす「風葬」の決め手は岩陰で見つかった、国内最古となる全身骨格がそろった1体分の人骨だった。手足を折り曲げて葬られた姿勢が初めて分かった。骨の関節がはずれてばらついた様子は、沖縄で長く続いた風葬の人骨と似ており、遺体が長期間地上で露出していたことを物語る。

屈葬の姿勢は縄文時代に多くみられ、手足を縛って災いを防ぐ、胎児の姿勢にして再生を祈願する、などの説がある。当時の死生観について、沖縄県立埋蔵文化財センターの金城亀信所長は「類例がないのでなんとも言えない。今後の課題だ」と話した。

国内の旧石器時代の人骨の出土は沖縄県がほとんどだが、散乱して見つかっており、遺体の姿勢までは分からなかった。藤田研究員は「世界でも岩陰で人骨がばらばらで見つかることがあり、墓なのか分からなかった。世界的に価値が高い発見だ」と評価し「沖縄だけでなく、日本本土でも洞穴を墓に利用したのではないか」とも想像する。

保存状態の良い頭蓋骨(ずがいこつ)は計4点見つかり、河野礼子・慶応大准教授(自然人類学)は顔の復元に注目する。「4点の顔が似ているかどうかで、洞穴に葬られた人たちの血縁関係がどの程度近いか推測できる。また、全身骨格からは体つきや健康状態も分かる。どの地域から来たのかもうかがえる。日本人のルーツのヒントになる」と期待する。【大森顕浩】

琉球新報より〜

「あおむけて膝を胸の方に折り曲げた姿勢(屈葬)で葬られた」−。19日に沖縄県西原町の県立埋蔵文化財センターで開かれた同県石垣市の白保竿根田原(さおねたばる)洞穴遺跡に関する記者会見。日本で初めて旧石器時代の墓地と確認された同遺跡で見つかった「4号人骨」の葬られた際の姿勢について、土肥直美元琉球大准教授はこう説明した。琉球弧に広く分布する風葬は、2万7千年前には始まっていたことになる。研究者らは「旧石器時代の葬法の状況が分かるのは国内で初めて」と興奮気味に語った。

 遺跡からは1千を超える人骨片が出土し、それらを分析した結果、少なくとも19人がそこに葬られていることが分かった。5カ所にまとまって人骨が集中しており、墓地である可能性は早くから指摘されていた。しかし、人工物が全く見つからず文化的活動の証拠を見いだせず、墓地と打ち出せるかどうか慎重に検討されてきた。

決め手になったのが「4号人骨」で葬られた姿勢が明確になったことだ。屈葬と呼ばれるその姿勢こそ文化活動の証拠だった。他のバラバラで見つかった人骨も、発掘を進めながらその位置関係を3次元で精密に記録してきた。それらを分析すると「古い人骨を押しのけて新しい遺体を置いたことが推測できる」と土肥さんは語る。

県立埋蔵文化財センターで20日から一般公開される1号から4号までの人骨。1、3号は頭骨だけで、2、4号は全身の骨格がほぼ残る。これらの骨の形や状態からは、当時の暮らしも垣間見えた。4体はいずれも成人男性で、20代半ばの2体と高齢とみられる2体。推定身長が165センチの人骨もあり、港川人など他の旧石器人骨より大柄だ。

高齢とされる2号、4号では、下顎より上顎の歯のすり減り方が著しい。河野礼子慶応大准教授は「食生活からは考えにくい。特殊な歯の使い方をしていた可能性がある」と指摘した。この男性の頭骨からは日常的な冷水刺激によるとされる外耳道骨腫が確認できた。長年、潜り漁をしていたのではないかと想像が広がる。

形質人類学が専門の土肥さんは10年以上、八重山で旧石器人骨を探し続けたが手掛かりがなかった。そこに現れたのが竿根田原遺跡だった。人骨を「この人は…」と説明する土肥さんの言葉には、はるかな昔を今に伝えてくれる人骨への敬意が込められていた。
http://web.joumon.jp.net/blog/2017/05/3212.html

石垣島で国内最古の全身人骨発掘
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-33.htm

関連の学会や研究機関では大変話題になっている報告です。
紹介するのは 2017/5/21 の朝日新聞の記事です

沖縄群島が日本人の「先祖の系統の一つ」を考察するうえで非常に重要であることがまた裏ずけられました。

1.オーストラロイドでしょう。

  縄文草創期の港川人はオーストラロイド似(恐らくY-DNA「C1a1」)であることは既に研究機関の復元顔が報告されていますが、 弟遺伝子亜型と考えられるオーストラリアのアボリジニ(Y-DNA「C1b2b」)は50,000年前には既にサフール大陸 (ニューギニア島とオーストラリア大陸が一つの大陸に繋がってころの大陸名)に上陸していたことは 欧米の研究で報告されています。

  つまりニューギニア高地人(ラニ族やダニ族など:Y-DNA「C1b2a1c」)やオーストラリア・アボリジニ(Y-DNA「C1b2b」)より古い 兄Y-DNA亜型を持つ縄文人の一系統である海洋性ハンターのY-DNA「C1a1」は 少なくとも同じころにはヤポネシア列島に上陸していてもおかしくはないのです。

Y-DNA「C」系統の中で最も古い亜型が日本列島から検出されているのです。 日本列島は少なくとも数万年以上まえから、遺伝子の吹き溜まり(最終到達地)となり 極めて古い亜型がそのまま残っている希少な価値を持つ唯一の「先進国家」なのです。

2.主要な遺伝子亜型の入れ替わりがあったようです。

  今回の発掘の価値は、遺伝子亜型入れ替えの可能性が求められることにあります。

  これまでの国内のY-DNA調査では現代石垣島はY-DNA「O1b2」つまり弥生農耕民亜型が60%近くを占める弥生系世界のようです。 日本列島の中で最も弥生度の高い地域と思われるのです。

  ところがもっと古い時代は沖縄本島と同様の縄文系の世界であることが今回判ったのです。

  縄文系精神風土の石垣島に、南下してきた稲作農耕民が移住し多数派になり精神風土が弥生系に変わったと考えられます。 沖縄の中でも独特な石垣島の精神風土は支配層の遺伝子亜型の違いによるものかもしれません。 沖縄群島は縄文でひとくくりにされる単純な文化/精神風土地域ではないのです。

  かと言って台湾との接点は現在全く検出されていません。台湾の先住民の遺伝子型はY-DNA「O1a1a」で楚系の集団と考えられます。 

この楚系遺伝子亜型は石垣島では検出されず、むしろ本州の中国地方で高頻度で検出され、中国地方が日本の中でも 特異な地域(吉備氏が代表か?)であることが判っています。

  石垣島の農耕民遺伝子は現代のY-DNA調査では、台湾からではなく朝鮮半島から九州経由で南下してきたと考えるのが妥当です。

  但しこの調査研究報告は若干古く、報告された弥生系の亜型は満州、朝鮮半島や日本の一部でも検出されるオリジナル呉系のY-DNA「O2b2」か、 縄文と交配し分化した日本独自のY-DNA「O2b2a1a1」かどうかまでは踏み込んではいません。 つまり水田稲作農耕文化民が満州から朝鮮半島経由で南下し一気に石垣島まで移住してきたのか、九州で独自亜型に分化してから南下してきたのかはまだわからないのです。
  新しい研究が進む事を期待します。

関連論文と記事

16-5. 30,000年前〜35,000前に遡る沖縄の漁労技術
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-5.htm

14-4. 42,000年前のホモサピエンスの外洋漁撈と海洋技術
http://garapagos.hotcom-cafe.com/14-4.htm

30-12. 石器晩期−縄文草創期の港川人はオーストラロイドのようだ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-12.htm

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c78

[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
10. 中川隆[-7598] koaQ7Jey 2017年5月30日 07:45:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

水上温泉の未来 旅行時期 2015/04/11 - 2015/04/12
http://4travel.jp/travelogue/11000916

 水上では週末になると SL もほぼ定期的に運行されるようになり、集客の目玉となっております。

http://4travel.jp/travelogue/11000916

ただ、沿線で三脚を立てる撮り鉄の多くは車で乗り付け、途中寄ったコンビニで買ったオニギリを食べつつ、撮り終わったら帰る。

つまり、なかなか地元にお金を落とさないんじゃないかと想像します。

水上に泊まり、食べ、お土産を買うのは一日一往復する列車の乗客のみ。それでも家族連れの観光客を呼ぶ効果はあります。


 明治元年創業の老舗、米屋旅館。

http://4travel.jp/travelogue/11000916


パッと見廃業してるようにしか見えない外観で以前より気になっていましたが、良い宿との情報を聞き、今回宿泊してみました。

 ロビーの暗さとひと気の無さから、日帰り入浴営業中と書かれていてもなかなか入る気になれませんでした。しかし宿泊してみれば部屋は広く掃除も行き届いています。ただし社長(爺ちゃん)と社長夫人(婆ちゃん)ともにご高齢のため耳が遠いのか、根気よく呼ばないと出て来ません。(笑)

 今でも使われる事があるのか不明な宴会場。昭和の名残を感じます。また、現在使われてない屋上に夜こっそり上がってみたのですが、満天の星空が見事でした。


 お風呂は広く、そのぶん加温されていますが、源泉掛け流しの新鮮なお湯です。カルシウムナトリウム硫酸塩温泉のお湯は最初あまり個性を感じません。しかし、あまり熱くない湯加減なのでゆっくり長湯をしていると、徐々にぬめりを感じるようになり、浸透して来る感覚が体全体を包み込むようになります。長湯をしてこそここのお湯の素晴らしさを初めて知ることが出来る。

 以前訪れた時は時間が遅かったのか平日だったのか、今まで営業している所を見た事のない射的場が営業していました。隣にはスマートボールもあります。店内にはお客さんも居てなかなか賑わっています。夜の水上は4年前水上館さんに泊まった時以来ですが、その時は店がどこも閉まっていて真っ暗だった覚えがあります。

 素泊まり4500円で泊まったため、一泊目の夜食は居酒屋で。米屋旅館さんの親戚が経営する『魚信』さん。新鮮な馬刺や温泉水で炊いた湯豆腐が美味しい。またサービスで出して下さったキュウリの浅漬けとイチゴがやたら美味! 良いお店です。

 女将さん曰く、最近では温泉街に新しい店も増えて来ており、少しずつだけど活気を取り戻しつつあるとか。色々と面白い話を聞かせていただきました。


 二泊目の夜は中華料理の『雪松』さん。昼間は営業している所を見た事が無かったのですが、餃子が絶品。温泉に浸かった後の生ビールと餃子で、もう何もいらない至福の時を過ごしました。


 最後に温泉街の中ほどにあるスナック『すみれ』さんに立ち寄りました。中学生の頃から水上に住むママさんは最近物忘れが多くなったのか、何回ウーロン茶割りと言っても水割りが出てくる。(笑)

 しかし優しい人柄と落ち着く店の雰囲気は良く、そしてやたらと安かった。昔の水上の話などを色々と聞かせていただきました。

水上の代表的な観光ホテル水上館。

ジュラクと並んで水上では民事再生法を適用しなかった数少ない大型観光ホテルです。米屋旅館の屋上から見た時にはほとんどの部屋に明かりが灯り、順調なのかなと思いました。

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 しかし2013年8月、経営不振に陥り会社分割方式によって事業再生に踏み出したそうです。

それまで世襲で受け継いできた経営も後継者不在を理由に、温泉旅館の再生などを手掛ける経営コンサルティング会社から派遣された社長に引き継がれ、従業員は全員に継続して働いてもったとの事(日本経済新聞より)。

しかし実際は東京からのスタッフが多く動員され、それまで働いたいたスタッフの多くがリストラされてしまったとの噂もあります。旧運営会社だった室井商事は負債総額は17億円程度を残し解散。今後の行く末に注目したいと思います。


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 左上の看板には水上温泉見番と書かれています。

かつてここに芸奴衆の見番があったのでしょうか。

しかし数年前、芸者さんの組合も解散してしまったそうで、現在では個人でやっている芸者さんが数名残るのみ。昔はよく東北の貧しい村から身売りされて来た女性たちがたくさんいたと、スナックのママさんから聞きましたが、時代の変化でしょうか。

 新たに店を出した若い人々も確かにいますが、水上全体でみると高齢化が大きな問題となっているそうです。若い衆はみな都会に出てしまい、水上館向かいの山の上にある神社のお祭りも、頂上の祠まで行かなくなってしまったと聞きます。

 確かにここ水上で、スナックやお土産屋さんなどで跡を継ごうと考える若者は少ないかも知れません。街を盛り上げるには若い力が必要ですが、盛り上げる前に諦めてしまう現状。

水上に限った事ではありませんが、地方の過疎化高齢化は非常に難しい問題です。
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SLで行く水上温泉 旅行時期 2017/04/08 - 2017/04/08
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日帰りには少し遠いけど水上温泉に行ってきました。

水上から先は三国山脈が連なり、昔風に言えば関東と上越の国境の町です。
今では新幹線であっというまに超えてしまうが、水上まで蒸気機関車が走っているので、春の18きっぷで行きました。


始発駅 上尾に向かいます。今日で18きっぷ5回分を使いきります。

東京側がEF65501電気機関車、高崎側がEF6019 電気機関車で客車5両を挟んでいます。

乗って驚くこと、ほぼ満席です。車内放送では指定券のない方は本日満席で乗車できませんと放送しています。そんなに人気があるとは知りませんでした。

高崎から蒸気機関車に交代します。人ひとでホームはごった返しています。

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一人客も多いけど家族連れも多いです。機関車の前で記念撮影です。

乗って驚くこと、ほぼ満席です。車内放送では指定券のない方は本日満席で乗車できませんと放送しています。そんなに人気があるとは知りませんでした。

左手下方に水上温泉が見えてくると水上駅に到着です。

水上温泉キャラクターおいでちゃんが改札口でお迎えです。帰りはホームで見送りをしています。このおいでちゃん可愛い顔をしているが図体がバカでかいです。温泉組合の人総出でのお客のお迎え、ご苦労様です。

駅を出たらまずは転台車で方向を変える蒸気機関車を見に行きます。
昔機関区があったので構内は広いです。


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土曜日曜は水上温泉シャトルバスが運行されています。
駅前のみなかみ観光案内で1日乗り放題券500円を買います。

おいでマップを貰ってから出発です。1台のバスが30分に1本の割合で走っています。

温泉に行きます。日帰り温泉は沢山あるみたいですが、最初の停留所、町営温泉・湯テルメ谷川で5〜6人降りたので私も一緒におります。広い駐車場があります。

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山小屋風で谷川のせせらぎにあります。今は雪解け水で激流になっていました。利用券大人2時間570円ですが時間を測っているわけではありませんでした。


入口には地元の農産物売り場があります。貴重品を入れは下駄箱の隣にありましたが、使い方がいくら操作してもわからないので、受付の人を呼んでしまいました。

脱衣場にはロッカーがありました(有料100円)。洗い場はソープとシャンプーがあり、脱衣場にはドライヤーが置いてあり、手ぶらで行っても大丈夫です。タオルは有料ですけど。水上温泉町中にある町営日帰り温泉ふれあい交流館より◎だと思います。


小さい目2つ、大き目が1つの内風呂と大き目の露天風呂が1つあり、露天風呂からは谷川の渓流が望めます。ゆっくり、のんびりできます。


時間は14時半を回っていますので、一旦水上駅にシャトルバスに乗って戻ります。
15時20分発の上りみなかみ号を撮影するためです。バスは向かいの谷川旅館前から乗ります。

ホテル前の案内板です。少し傾いていますが「手洗いをお探しの方、道がお分かりにならない方、お気軽にお立ちよりくださいませ。」と書いてあります。一流旅館にトイレだけ借りるなどは敷居が高くて入りにくいですが、その心づかいに感心します。


水上駅に戻ってきました。出発前のみなかみ号がホームに停車しています。子供を肩車したお父さんご苦労様です。


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モウモウと煙を吐きながら驀進です。目の前を通過していきます。お子さんは歓声を上げています。

さて、水上温泉は初めてなので町中に行ってみます。歩いて10分ほどです

利根川遊歩道に掛かる朽ちかけた通行禁止の吊り橋です。

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この橋を渡ると水上温泉街です。


まだ15時半過ぎなのに人通りはほとんどないです。


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閉まっている店も多いです。


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今日は土曜日なのにほとんど閉まっています。まだ観光シーズンではないからなのでしょうか。


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日帰り温泉町営ふれあい交流館です。入口前には足湯がありましたが、誰も利用していません。

10分ぐらい歩いたでしょうか、温泉街出口に着いてしまいました。

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出たところのリゾートマンション脇に諏訪峡遊歩道があったので、進んでみます。


桜の開花には早いし、新緑も芽吹いていませんが、パンジーが植えられている花壇です。

遊歩道沿いにある清流公園です。

道の駅紀行館です。時間は16時を過ぎていますが、ここには沢山の観光客がいます。車で移動する人が多いのですね。


紀行館内部です。結構きれいな道の駅です。隅には食事処もありましたが、16時で終了です。温泉街で適当な店がなく食事ができなかったのですが、ここでも昼食はお預けです。


先週食べた山形でのフキノトウとこんにゃく玉が美味しかったので、ここでも買います。


駐車場横には無料の足湯がありました。足を拭くタオルも置いてあります。営業時間は9時から17時と書いてあります。

このボートはダッキーボートでしょうか。諏訪峡はラフティングと共に盛んなところらしいので、ひと滑りを終えたところなのでしょう。


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さらに諏訪峡遊歩道を下流に向かって進みます。

桜並木ですがまだつぼみも小さいです。開花のころは美しい風景が展開するのでしょう。

ここからの三国山脈(三国山脈だと思う)の眺めは素晴らしいです。


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笛吹橋です。さらに奥にバンジージャンプができる諏訪峡大橋が見えます。バンジージャンプをしている人が真下かに出ることができます。


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この笛吹橋から諏訪峡大橋にかけてが、諏訪峡遊歩道の一番の見どころらしいですが、時間は17時近くになって、太陽は陰ってきたので戻ることにします。


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脇の岩に松が立っています。すごい生命力です。

来た同じ道を水上駅まで戻ります。

駅前の食堂は全て閉まっている中、1軒(食事処ちゃこ)だけに人の気配があったので、引き戸を開けて食事はできるかと尋ねると、おっきりこみだけはできますとの返事なので、ここで遅い昼食をとることにします。


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上州名物おっきりこみ、大根・かぼちゃ・キノコ類・こんにゃくなどを手打ちうどんと煮込んだ食べ物です。甲州名物ほうとうに似ています。しかし、汁は味噌仕立てではなく醤油ベースでした。味はさっぱりしています。

おじさんに質問します。

どうして水上温泉街は外に人が少ないのか
→ホテルは設備が充実しているので客を囲い込み、客は外に出ないで済みます。


どうしてまだ18時なのに駅前の店は全て閉まっているのですか
→日帰り客は夕食をここで取らないで帰りますので、客は来ません。


なるほど、商売は大変なのですね。

そして、おじさんは今年1月28日に日本テレビの取材が来て、徳光さんと対面したとニコニコしながら話してくれました。
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[番外地6] 米ネオコンとは? 中川隆
18. 中川隆[-7597] koaQ7Jey 2017年5月30日 09:36:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.05.30
アフガニスタンでアル・カイダの仕組みを作り、地上に破壊と殺戮を広めたブレジンスキーが死亡

ズビグネフ・ブレジンスキーが5月26日に死んだ。1928年3月28日にポーランドのワルシャワで外交官の息子として誕生したが、一族の出身地はガリツィアのブレザニー(現在はウクライナ)だという。1938年に父親の仕事でカナダのモントリオールで生活を始め、1953年にはハーバード大学で博士号を取得、後にコロンビア大学で教えるようになる。このころかCIAと関係ができたと見られているが、その一方でデイビッド・ロックフェラーと親しくなる。

ベトナム戦争への本格的な軍事介入に反対、ソ連との平和共存を売ったいていたジョン・F・ケネディ大統領、ベトナム戦争へ反対していたマーチン・ルーサー・キング牧師、ケネディ大統領の弟でキング牧師と親しかったロバート・ケネディーが暗殺される一方、アメリカは戦争へとのめり込むが、国内では反戦運動が活発化、1972年の大統領選挙で民主党の候補は反戦の意思を明確にしていたジョージ・マクガバンが選ばれた。しかも、共和党のリチャード・ニクソンもデタント(緊張緩和)を考えていた。ブレジンスキーはマクガバンやニクソンに敵対する。

選挙戦の最中、民主党の内部ではヘンリー・ジャクソン上院議員を中心に反マクガバン派がCDMを結成している。ジャクソン議員のオフィスは後にネオコンの幹部になる人たちが送り込まれ、教育の場になっていた。その中にはポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パール、ダグラス・フェイスも含まれていた。

ニクソン失脚後にジェラルド・フォードが大統領になるとデタント派が粛清され、CIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ、国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ交代になる。また、リチャード・チェイニーが大統領首席補佐官に就任、ウォルフォウィッツやジャクソン議員の顧問だったリチャード・パイプスはCIAの内部でソ連脅威論を正当化するための偽情報を発信するチームBのメンバーに選ばれている。

1976年の大統領選挙で勝ったジミー・カーターはブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーが後ろ盾になっていた人物。ブレジンスキーはその政権で安全保障補佐官に就任した。

1978年にCIAとイランの情報機関SAVAKはエージェントをアフガニスタンへ派遣、軍内部の左派将校を排除し、左翼政党を弾圧するように工作(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)、79年4月にはNSC(国家安全保障会議)でアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」に対する同情を訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始している。5月にはCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談している。

こうした工作が功を奏し、1979年12月にソ連の機甲部隊がブレジンスキーの思惑通りに軍事介入してくる。そのソ連軍と戦わせるために彼はCIAに戦闘員を訓練させているが、その戦闘員を雇っていたのがサウジアラビア。CIAは対戦車ミサイルのTOWや携帯型地対空ミサイルのスティンガーを供給している。

サウジアラビアで教鞭を執っていたアブドゥラ・アッザムが戦闘員を集める工作を始めるのだが、そのアッザムの教え子のひとりがオサマ・ビン・ラディン。ふたりは1984年にパキスタンへ行き、そこでMAK(礼拝事務局)を創設する。アル・カイダの前身になる団体だ。

このアル・カイダを戦闘集団だと誤解している人もいるようだが、実際は違う。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リスト。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。

 アル・カイダに登録されている戦闘員を中心に武装集団を編成、さまざまなタグをつけて侵略の手先にするという仕組みを作り上げたのはブレジンスキーだということ。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、こうした戦闘集団を作り、戦乱を広めたことを後悔していないかと聞かれているが、それに対して後悔はしていないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998)

ブレジンスキーは地上に破壊と殺戮を広めたひとりだった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201705300000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/751.html#c18

[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
11. 中川隆[-7596] koaQ7Jey 2017年5月30日 09:58:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


みなかみを楽しめる。蒸気機関車
http://www.minakami-onsen.com/sl.php

SLマニアが、たくさん訪れるみなかみ町。

春から12月初頭まで高崎駅から運行しています。
国内で営業運転している唯一のD51(D51-498)や2011年に37年ぶりに復元された C-61。


SL関連・リゾートやまどり運転カレンダー|JR東日本高崎支社
http://www.jreast.co.jp/takasaki/calendar/index.html

みなかみ町観光協会 みなかみパーフェクトガイド メイン
http://www.enjoy-minakami.jp/

SLみなかみ号で行く、群馬(水上温泉)日帰り入浴のすすめ
https://icotto.jp/presses/6354


SLみなかみ号は、JR上越線高崎駅〜水上駅を走る蒸気機関車です。GW・夏休み・紅葉シーズンの土日祝・年末年始などに運行し、多くの鉄道ファンや家族連れでにぎわいます。

高崎駅から、SLみなかみ号へいざ乗車!


SLみなかみ号では数種類の客車に乗れますが、特に人気の高いのがこのスハフ32型車両です。水上行きでは先頭となる6号車は、現在運行中の車両としては最古のものといわれて、戦前からずっと活躍し続けているのだとか。現在では珍しい板張りの床や小型の窓などが、レトロな雰囲気を演出します。


自然の中をのんびり進んで…


のんびりしている間にも、SLはどんどん北上していきます。右側に見えるのは、みなかみ町を水源地とする「坂東太郎」こと利根川です。


利根川をどんどんさかのぼっていき、諏訪峡を通ります。写真ではラフティングを楽しんでいる人が見えますが、みなかみ諏訪峡大橋では落差42mのバンジージャンプが体験できます。一度挑戦してみては?


水上駅の転車台も必見!


水上駅に到着したら、転車台で方向転換する様子をぜひ写真におさめましょう。
SLみなかみ号が入線したらすぐ客車が切り離され、機関車のみが転車台に向かいます。駅の改札を出て少し行くと転車台がよく見える休憩所があるので、そこからの撮影がおすすめです。

方向転換後の整備もめったに見られない光景なので、時間が許す限りじっくり鑑賞していきましょう。
https://icotto.jp/presses/6354

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c11

[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
12. 中川隆[-7595] koaQ7Jey 2017年5月30日 10:15:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

諏訪峡大橋からのバンジージャンプ(群馬県水上) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%B3%A1%E5%A4%A7%E6%A9%8B+%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97

【群馬・みなかみ】高低差42mのバンジージャンプ!諏訪峡大橋「みなかみバンジー」


群馬県利根郡みなかみ町小日向143


アクセス

■車
練馬IC⇒水上IC(約1時間半)⇒水上IC⇒諏訪峡大橋(約2分)


■新幹線
東京駅⇒上毛高原駅(約1時間10分)⇒関越交通バス(水上駅・谷川ロープウェイ行き)⇒諏訪神社前(約10分)
⇒みなかみバンジー受付(徒歩2分)

■電車
上越線 高崎駅⇒水上駅(1時間)⇒バス/タクシー(バス5分 or タクシー3分)⇒みなかみバンジー受付
http://www.bungyjapan.com/minakami/

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3+%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC/@36.7606742,138.9726476,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601e14bdc44b035b:0x33ea9eb3f3cd4a09!8m2!3d36.7606742!4d138.9748363?hl=ja


アクティビティジャパン 大人 1人 9,000 円(税込)
http://activityjapan.com/publish/plan/6731?gclid=CLaxsoK2ltQCFdgmvQod5rwDXQ

みなかみバンジー - Bungy Japan |  ¥9、000
http://www.bungyjapan.com/minakami/

日本一歴史の長いブリッジバンジージャンプ

諏訪峡大橋は利根川から42メートルの高さに架けられた橋。ブリッジバンジーはこの橋から始まりました。2007年から営業を始め、毎年7000人以上の方がバンジーをチャレンジし、今まで5万人以上が無事にこの橋からジャンプしました。

友人や家族がバンジージャンプの光景を見て楽しんだり、壮大な谷川岳を背に、ジャンパーの写真やビデオ撮影が出来ます。


•42メートル

•年齢 15歳以上

•体重制限 40 〜105 kg

•4月〜11月(火・水曜日定休)

•9:00〜17:00 (16:30が最終受付)
http://www.bungyjapan.com/minakami/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c12

[国際19] 移ろう世界とソロス氏の憂鬱:いかなる理念を掲げようともソロス氏がやっていることは「内政干渉」や「選挙介入」 あっしら
2. 中川隆[-7633] koaQ7Jey 2017年5月30日 13:29:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ロスチャイルドの番頭で殺人鬼だったジョージ・ソロス

ハッキングされたメールからヒラリーがソロスの助言に従っていることが判明、侵略やTPPに執着か


電子メールのハッキングが続いている。今回は投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスだ。彼がターゲット国の体制を転覆させるために使っているオープン・ソサエティ基金もハッキングされたという。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスするものがある。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。

 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、マデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いているが、その背後にソロスがいたということだろう。国務長官に就任したオルブライトが主導する形で1999年3月にNATO軍は偽情報で環境作りをしながらユーゴスラビアを先制攻撃、ひとつの国を破壊した。

 2003年11月にはジョージア(グルジア)で「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、新自由主義体制になった。当然、一部のグループが不正な手段で国民の財産を奪って莫大な富を築き、その後ろ盾になっていた西側の巨大資本も利益や利権を手にした。こうした「革命」でもソロスはスポンサーとしての役割を果たしていた。

 言うまでもなく両国の庶民は貧困化、そうした状況への怒りからソロスたち西側の富豪や巨大資本にとって好ましくない方向へ動いた。そこで仕掛けられたのがキエフのクーデター。2014年2月22日、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とするグループがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除している。そのクーデターを現場で指揮していたのがヌランド国務次官補だった。クリントンは2013年2月に国務長官を辞めているが、ヌランドは彼女の同志だ。

 クリントンが長官に就任したのはバラク・オバマが大統領に就任した2009年1月のことだが、その年の6月にホンジュラスで実行されたクーデターでクリントンは黒幕的な役割を果たしたと言われている。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、マヌエル・セラヤ大統領を拉致され、コスタ・リカへ連れ去られている。

 現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言した。このクーデター政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したとも報告されている。そのクーデターの背後にクリントン長官がいたということだ。

 2011年にアメリカはサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国やイスラエルと新たな侵略戦争を始める。2月からはリビア、3月からはシリアだ。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、その時にカダフィが惨殺されている。その事実をCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンは「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいる。

 カダフィ体制が倒された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされた。その事実をイギリスのデイリー・メイル紙でさえ、伝えている。リビアを侵略した軍隊は空がNATO軍、地上はアル・カイダ系のLIFGだった。

 リビアを破壊した後、侵略軍はリビア軍の倉庫から武器/兵器を持ち出してトルコへ運んでいる。勿論、戦闘員も同じように移動した。

 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、シリアへ軍事介入する口実にしようとしたと言われている。

 そうした武器や戦闘員の輸送をアメリカ国務省は黙認した。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたヒラリー・クリントンもこの工作を知っていたはず。しかも、クリントンの部下にあたるクリストファー・スティーブンス大使は2012年9月10日、CIAの武器輸送担当者と会談、その翌日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。勿論、武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。

 その9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてスティーブンス大使が殺されている。議会が首相を指名する前日だ。その2カ月後にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。

 クリントンは戦争犯罪人と言われても仕方のないようなことをしてきたわけだが、欧米の支配層はクリントンを支持してきた。ソロスも支援者のひとり。この支配層は軍事的に世界制覇を進めるだけでなく、巨大資本が国や国際機関を支配する仕組みを作り上げようとしている。それがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、そしてTiSA(新サービス貿易協定)の3点セットだ。

 世界的に見ると、その実態を多くの人が知るようになり、抵抗が強まっている。アメリカ大統領選では共和党の候補者であるドナルド・トランプや民主党の候補者選びに参加していたバーニー・サンダースもこうした協定に反対している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、これらはファシズム化を目指すものだ。

 そうした中、クリントンは若干の手直しをするだけで協定を実現しようと目論んできたのだが、サンダース支持者の民主党幹部やクリントンに対する反発が強く、自分も反対だと言わざるをえなくなっている。

 しかし、クリントンは弁護士である。契約や法律に違反することなく約束を破る方法を考えることを商売にしている人物だ。先送りと言うことはありえるだろうが、ファシズム化という方針をアメリカの支配層が放棄するとは思えない。ソロスもクリントンに何らかの悪知恵を授けているのだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608200000/


2017.01.10
来日し、安倍首相らと会ってカネの使い方を話し合った投機家のソロスが置かれた厳しい状況

ジョージ・ソロスがアデアー・ターナー元CBI(英国産業連盟)会長を伴って来日、1月6日に安倍晋三首相と30分ほど「アベノミクス」について話し合ったと報道されている。その席には元朝日新聞主筆の舟橋洋一もいたようだ。さらに麻生太郎財務相や黒田東彦日銀総裁とソロスの一行は会ったという。日本からカネを巻き上げるための話し合いと言えるだろう。

 長年、ソロスはソ連/ロシアを不安定化させて浸食、あるいは侵略して富を奪おうとしてきたが、ウラジミル・プーチンによって押し返されている。しかも昨年の大統領選挙ではソロスがコントロールしていたヒラリー・クリントンが敗北、ロシアとの関係修復を主張していたドナルド・トランプが勝利してしまった。

 クリントンとソロスとの関係を示す電子メールが昨年8月、インターネット上に公開されている。ハッキングされたもので、その中にはソロスが国務長官時代のクリントンにアルバニア情勢の対処法をアドバイスしている2011年1月24日付けのメールもある。実際、クリントンはその通りに動いたようだ。

 その頃、アメリカではソロスが親イスラエル派を弱体化させようとしているとする報道もあったが、イスラエル系富豪がトランプへ資金を大量に提供していた可能性がある。例えば、選挙後の昨年11月13日に放送された番組の中でロシア外務省の広報担当者、マリア・ザハロバは、アメリカの大統領選挙でトランプが勝利した理由をユダヤ人の資金だと語っている。9月にニューヨークで会ったユダヤ系の人物から、自分たちはヒラリー・クリントンに寄付しているが、その倍をトランプに提供していることを明らかにしたというのだ。トランプに対する最大の寄付者はカジノを経営、日本でもカジノを経営しようとしているシェルドン・アデルソンだ。

 しかし、ソロスもユダヤ系であり、人脈はユダヤ系のロスチャイルド系のネットワークに続き、イギリスのN M ロスチャイルド・アンド・サンやフランスのエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループとつながっている。ユダヤ系富豪の内部で対立が生じていたのかもしれない。

 選挙後もソロスはトランプを攻撃しようとしている。例えば、昨年11月13日から3日間の予定で彼は息子のジョナサン・ソロス、あるいはトム・ステイアーを含む富豪たちと一緒にトランプ対策を練る秘密会談をワシントンのマンダリン・オリエンタル・ホテルで開いている。やはり13日にベルギーのブリュッセルではイギリスとフランスを除くEUの外務大臣がトランプに関して話し合っている。

 こうした会議以上に興味深いのはロシアで新自由主義者、つまりアメリカ巨大資本の傀儡グループに属すと見られているアレクセイ・ウルカエフ経済開発相が逮捕された事実だろう。現在でもロシア支配層の内部には西側資本の傀儡勢力が小さからぬ影響力を維持している。ウルカエフはそのひとりだが、この逮捕によって彼の仲間は背筋が寒くなるのを感じたことだろう。ロシアでソロスの手先は締め上げられつつある。

 ソロスはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを成功させたグループのひとりだが、そのウクライナは破綻状態。トランプが大統領に就任した場合、さらに状況は厳しくなるかもしれない。そうした中、「アメリカの関東軍」とも言えるNATOはエイブラムズM1A1戦車87輌を含む戦闘車両を1月6日にドイツへ陸揚げした。戦闘ヘリのブラック・ホーク50機、CH-47チヌークを10機、アパッチ・ヘリコプターを24機などと共にドイツ、ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニアへ配備するようだ。武力でロシアを挑発しているのだろうが、トランプが大統領に就任する前、何らかの行動に出る可能性も否定できない。

 そうした状況下でソロスは日本へ乗り込んできた。平和的なビジネスの話をすることが目的ではないだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701100000/


「クリントンは戦争犯罪人と言われても仕方のないようなことをしてきたわけだが、欧米の支配層はクリントンを支持してきた。投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスも支援者のひとり。

 この支配層は軍事的に世界制覇を進めるだけでなく、巨大資本が国や国際機関を支配する仕組みを作り上げようとしている。それがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、そしてTiSA(新サービス貿易協定)の3点セットだ。」

    *

 ヒラリー女史の好戦性、あるいはヒラリー女史が大統領になると、なぜ第3次世界大戦になる危険性があるかは、以上の説明で、かなり分かっていただけたのではないかと思います。

 しかし彼女の好戦的履歴は、このリビア爆撃にとどまるものではありません。

 とはいえ本稿もすでにかなり長くなってきていますので、以下ではその略歴だけを紹介して、この論考を閉じたいと思います。以下の引用は先の櫻井ジャーナル(同日付け)からのものです。

 「ウィキリークスによる電子メールのハッキング情報が続いている。今回は投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスだ。

 彼がターゲット国の体制を転覆させるために使っているオープン・ソサエティ基金もハッキングされたという。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してユーゴスラビア=アルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスするものがある。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。

 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、マデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いているが、その背後にソロスがいたということだろう。国務長官に就任したオルブライトが主導する形で1999年3月にNATO軍は偽情報で環境作りをしながらユーゴスラビアを先制攻撃、ひとつの国を破壊した。」

    *

 上記に登場するマデリーン・オルブライトとビクトリア・ヌランドという二人の女性は好戦的人物として有名ですが、この2人を、戦争にあまり乗り気ではなかった夫のビル・クリントンに紹介し強引に新しい国務長官や国務副長官の首席補佐官に据え付けたのも、ファーストレディだったヒラリー女史だったと言われています。

 ですから、彼女のタカ派ぶりは、ここでみごとに発揮されていると言えます。

 櫻井ジャーナルの叙述は、さらに次のように続いています。

 「2003年11月にはジョージア(グルジア)で「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、新自由主義体制になった。

当然、一部のグループが不正な手段で国民の財産を奪って莫大な富を築き、その後ろ盾になっていた西側の巨大資本も利益や利権を手にした。こうした「革命」でもソロスはスポンサーとしての役割を果たしていた。

 言うまでもなく両国の庶民は貧困化、そうした状況への怒りからソロスたち西側の富豪や巨大資本にとって好ましくない方向へ動いた。そこで仕掛けられたのがウクライナ首都キエフのクーデター。

2014年2月22日、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とするグループがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除している。そのクーデターを現場で指揮していたのがヌランド国務次官補だった。クリントンは2013年2月に国務長官を辞めているが、ヌランドは彼女の同志だ。」

    *

 私は「バラ革命」や「オレンジ革命」のニュースを聞いたとき、旧ソ連圏の東ヨーロッパで、新しい民衆運動が起きているものと信じていました。

 しかし今から考えると、実に巧妙に仕組まれた「偽の民衆革命」だったのです。これは一種のクーデターでした。

 しかも、このクーデターは東欧だけにとどまりませんでした。ヒラリー国務長官のもとで、クーデターは中米にまで飛び火していました。あの悪名高いブッシュ大統領ですら、やらなかったことです。以下の櫻井氏による説明は次のようになっています。

 「クリントンが長官に就任したのはバラク・オバマが大統領に就任した2009年1月のことだが、その年の6月にホンジュラスで実行されたクーデターでクリントンは黒幕的な役割を果たしたと言われている。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、マヌエル・セラヤ大統領を拉致し、コスタ・リカへ連れ去っている。

 現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言した。

 このクーデター政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したとも報告されている。そのクーデターの背後にクリントン長官がいたということだ。」

    *

 以上で櫻井ジャーナルからの引用を終えます。まだまだヒラリー女史の好戦性・冷酷さを示す事例に事欠かないのですが、長くなりすぎていますので、ひとまずここで筆をおきます。今のアメリカ情勢を理解する一助にしていただければ幸いです。

 ただ一つだけ付け加えておきたいことがあります。それはアメリカの民衆が、知れば知るほどヒラリー女史に嫌気がさしているのに、他方の大手メディアがトランプ叩きに終始しているという事実です。

 これでは、アメリカ民衆は「どちらがワルとして我慢できるか」という選択肢しか残されていないことになります。これはアメリカ史上、最悪の大統領選挙と言えるでしょう。

 ただ私たち日本人に一つだけメリットがあるとすれば、今までアメリカは理想の国、民主主義のモデル国だと思われていたのに、それは虚像に過ぎなかったことが、この選挙戦を通じて見えてきたことではないでしょうか。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/hirarikurintontohadarekage.html


ジョージ・ソロス氏、支配階級の集まるダボスでトランプ大統領を独裁と批判2017年1月21日


2017年の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)については主にBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏の世界経済見通しについて報じている。

•世界最大のヘッジファンド: トランプ相場で株価上昇は完全に論理的
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5261

•世界最大のヘッジファンド: 債務の長期サイクルはまだ生きている、金融政策と財政政策は大して効かない
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5273


一方で、あまり引用する気にならなかったのだが、一応公平を期するためにジョージ・ソロス氏のコメントについても報じておこう。


「開かれた社会」の危機

毎年ダボス会議に出席しているソロス氏は今年も出席し、Bloombergによるインタビュー(原文英語)を受けた。ソロス氏は反トランプで有名であり、アメリカ大統領選挙では対立候補のヒラリー・クリントン氏を支持していた。

2016年は彼にとって災難な年となった。彼が彼の嫌いなロシアに対抗する勢力として支持したEUは、イギリスのEU離脱によってその意義を人々に否定された。


•ジョージ・ソロス氏: 私の強い反ロシア感情は個人的経験に由来するもの
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4342

•イギリスがEUを離脱したがる理由: イギリスの要求は何か? 国民投票はどうなるか?
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/2082


これはソロス氏の支持する移民政策が一因であった。そしてアメリカではトランプ大統領が勝利した。

•ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選挙に勝利した理由
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4615


政治活動家でもあるソロス氏は「開かれた社会」を世界中で実現するためにその莫大な資金を使っている。その信念はグローバリズムである。しかしそうした考えに否定的な潮流が広まりつつあることを受けて、何故人々は「開かれた社会」に異を唱えつつあるのかと聞かれたソロス氏は、以下のように答えた。


何故ならば、「開かれた社会」は別の社会モデルによる脅威に晒されているからだ。一般に、政府には二つのモデルが存在する。一つのモデルにおいてはリーダーが民主的なプロセスによって選ばれ、選ばれたリーダーはそれを選んだ人々の利益になるよう行動するとされている。

「されている」と言ったのは、当然そこには欺瞞があるからだ。しかし、それでも支配者が自分の利益のために民衆を操作するもう一つのモデルよりはよほど好ましい。残念ながら、現在そのもう一つのモデルが台頭してきている。

ソロス氏がその例として挙げるのはトランプ大統領である。


わたしは彼を独裁者気取りの偽物の詐欺師だと表現した。だが彼は「独裁者気取り」でしかない。アメリカの社会に根付いた価値観は力強く、彼は独裁者にはなれないだろう。彼が行き過ぎる時、議会は自分の権利を守るために行動し、彼の行き過ぎに対して反抗するだろう。

要するに、彼はトランプ大統領が独裁的で、その結果民主的な「開かれた社会」が攻撃されているのだと言っているのである。


ソロス氏の批判

先ず第一の疑問は、アメリカ大統領選挙で対立候補であったヒラリー・クリントン氏が、ソロス氏自身を含む富豪や企業からの政治資金を集められるだけ集め、そうした利権に賛同する大手メディアの一方的な支持を受けていながら、それに対抗してほとんど自前の資金で選挙を行い勝利したトランプ氏の当選が民主的ではないとする主張が、どのように正当化されるのかということである。

ちなみにソロス氏はそのトランプ氏の勝利の後、自分の主宰する非営利団体を使って反トランプデモを扇動し、しかもその一部は単なる暴動に発展している。


•左翼投資家ジョージ・ソロス氏、大統領選挙後の反トランプ政治活動を扇動
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4662


この件についてはソロス氏の基金であるオープンソサエティ財団も「われわれは多くの団体を支援しており、そのなかにはそういう団体もあったかもしれない」と否定していない。これが「支配者が自分の利益のために民衆を操作する」以外の何であると言うのだろうか? 彼は自身の矛盾に気付いていないのか?

また、ソロス氏の信じるアメリカの「価値観」とは、反グローバリズムの勢いに対抗するためにインターネット規制を行おうとしているドイツのメルケル首相が「われわれが慣れ親しんだ秩序」と呼んだものである。


•中国化するEU: メルケル氏がインターネット規制を提案、議会が反ロシア系メディア決議を採択
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4821


その秩序とは、要するに既得権益層がメディアや公共教育を通して民衆を管理出来るシステムである。

そうした既得権益層の欺瞞に対する人々の反発こそがトランプ大統領やBrexitを産んだというのに、ソロス氏のような人間はそれに気付くことはない。彼の発言は、何か気まずそうにしながらもその根本原因を理解することのないダボス会議のエリート達の心理を体現していた。

また、ソロス氏はトランプ大統領がアメリカ社会をより分断させると主張していた。


彼はアメリカの社会をより分断するだろう。彼は自分を人々の意思を体現する人間だと考えている。だから彼に反対する人々は、彼の言う「人々」のなかには含まれないのだ。

アメリカ大統領選挙を自分の目で追ってきた読者ならば、このコメントを聞いて思い出すことがあるだろう。これはまさに、ソロス氏が支持し、莫大な資金をつぎ込んだ対立候補のヒラリー・クリントン氏が選挙中に非難を受けたことである。クリントン氏は選挙中の演説(原文英語)のなかでこう述べた。


一般的に言って、トランプ支持者の半分は屑の集まりだと呼べる人々だろう。人種差別主義者、性差別主義者、同性愛嫌悪、外国人嫌悪、イスラム嫌悪など何とでも呼べる。

クリントン氏はこの発言で実質的にアメリカ国民の四分の一を屑だと呼んだ。何度でも言うが、国境を持つことは人種差別ではない。トランプ氏の支持者の大半は単にグローバリストの押し付けた移民政策に異を唱え、「普通の国境」を求めた人々である。彼らはヨーロッパの移民政策の惨状を知っている人々である。


•ヨーロッパ移民問題: 止まらない大量殺人と性的暴行、今度はミュンヘンでイラン人が銃乱射
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/3909


移民政策は安い労働力を望むグローバル企業が自分勝手な理由で押し付けようとした現代の奴隷制度であり、それは現地国民はおろか移民さえも不幸にする制度である。


•ヨーロッパには移民受け入れ能力はない: イタリアで邂逅した少女の話とドイツの欺瞞
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/1757


人々はそれに気付きつつあるというだけのことである。しかしソロス氏の支持したクリントン氏は、そうした人々を上記のように切り捨てた。それに対してトランプ氏はTwitter(原文英語)でこう答えた。


ヒラリーがわたしの支持者に酷いことを言っている。彼女の支持者の多くは絶対にわたしに投票したりはしないだろうが、それでもわたしは彼ら全員を尊重する。

さて、ソロス氏は、誰の言う「人々」のなかに、どういう人々が含まれていないと言ったのだったか?

わたしは個人的には投資家としてのソロス氏を非常に尊敬している。だから彼のこういうコメントは読んでいて悲しくなる。もう少し彼が自分を客観的に見ることが出来れば、もう少し聞き手の共感を得る発言をすることが出来ただろう。彼の政治的発言についてはそうコメントするだけとしたい。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5281


2017.01.26
トランプが迅速に公約を実行する中、反トランプ派は「パープル革命」を目指してカナダを拠点に


ドナルド・トランプは大統領に就任した直後にTPP(環太平洋連携協定)からの離脱を決めた。「チェンジ」を掲げて当選したにもかかわらず、庶民にとって良い方向へ「チェンジ」できなかった前任者のバラク・オバマとの違いを見せつけた形だ。

 当然、TPP、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットで巨大資本に国を上回る力を与えようとしていた勢力は激怒しているだろう。そうした勢力はロシアや中国を恫喝して屈服させようともしている。こうした恫喝にロシアや中国が屈するはずはなく、必然的に恫喝はエスカレート、最近では核戦争の脅しになっていた。

 TPPからの離脱は大統領に就任する前からトランプは宣言、投票日の前からシリアでの戦争を終結させるために動いている。例えば、10月11日にパリのリッツ・ホテルで約30名の政治家、実業家、外交官が集まって開かれたシリア情勢に関する話し合いにドナルド・トランプの長男、ドナルド・トランプ・ジュニアが出席している。

 またイスラエルの情報機関と緊密な関係にあると言われているDEBKAfileによると、トランプ政権で安全保障担当補佐官に就任することが内定していたマイケル・フリン中将はロシア安全保障会議の議長、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、ヨルダンのアブドラ国王などと秘密会談を行ったという。すでにトルコはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)つまりネオコンたち好戦派の手先になってきた武装勢力に対する攻撃でロシアと行動を共にしている。

 反トランプ勢力のうち、公然グループの中心には投機家のジョージ・ソロスがいて、民主党の大統領候補だったヒラリー・クリントンもその影響下にある。選挙直後の昨年11月13日、ソロスは息子のジョナサン・ソロスやトム・ステイアーを含む富豪たちとワシントンのマンダリン・オリエンタル・ホテルでトランプ対策を練る秘密会談を開いた。ヒラリー・クリントンとビル・クリントンには紫色をあしらった服で集会に登場させ、「パープル革命」の開始を宣言した。

 この「革命」の拠点になると見られているのがカナダ。ジャスティン・トルドー首相は筋金入りのネオコン、つまりロシアを憎悪しているクリスティア・フリーランドを外務大臣に据えた。この女性はウクライナ系で、バラク・オバマ政権内の好戦派だったビクトリア・ヌランド、サマンサ・パワー、スーザン・ライスの分身だと表現する人もいる。作家のデイビッド・ホロウィッツによると、オバマとヒラリーは「亡命政権」の準備をしているそうだが、その拠点はカナダになるのだろう。

 トルドー政権はTPPを復活させ、ロシア敵視政策を推進しようとしている。つまり、安倍晋三首相とは親和性が強い。その安倍首相と会談するため、ソロスは今年1月6日、アデアー・ターナー元英国工業連合会長を伴って来日している。ソロスが安倍に「お伺い」を立てることはありえず、何らかの指示を与えるために来た可能性が高いだろう。今後、カナダと日本がネオコンの拠点になるかもしれない。日本が非常に難しい立場に陥る可能性が高いということだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701250001/


外部に漏れ出たヒラリーの電子メールを見ると、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルド(エベリン・ド・ロスチャイルドの妻)と頻繁に連絡を取り合っていることがわかる。国務長官時代にジョージ・ソロスの指示に従って政策を決めていたことも明らかにされた。

 このソロスはナイル・トーベを介してジェイコブ・ロスチャイルドにつながり、そのジェイコブも所属する金融機関N・M・ロスチャイルドにリチャード・カッツを通じてつながる。

このN・M・ロスチャイルドにはエベリン・ド・ロスチャイルドもいる。

またジョージ・カールワイツによってソロスはエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループとつながっている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701310000/


 ヒラリーの背後には金融資本も存在している。例えば、漏洩したヒラリーの電子メールを見ると、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルド(エベリン・ド・ロスチャイルドの妻)と頻繁に連絡を取り合っていることがわかる。国務長官時代に投機家のジョージ・ソロスの指示に従って政策を決めていたことも明らかにされた。

 このソロスはナイル・トーベを介してジェイコブ・ロスチャイルドにつながり、そのジェイコブも所属する金融機関N・M・ロスチャイルドにリチャード・カッツを通じてつながる。このN・M・ロスチャイルドにはエベリン・ド・ロスチャイルドもいる。またジョージ・カールワイツによってソロスはエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループとつながっている。

 ヒラリーを取り巻くこうした勢力がトランプを攻撃、「リベラル派」が同調、あるいは従っているのだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201702020000/


http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/544.html#c2

[環境・自然・天文板6] 気候寒冷化の可能性を火山噴火の頻発から検討するべきでは? taked4700
1. 中川隆[-7632] koaQ7Jey 2017年5月30日 18:48:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

妄想はもういいよ

スキー場の雪の量は20年前の半分になってるよ

北海道も昔は避暑地だったけど、今は毎日真夏日

ヒマラヤの氷河は毎年小さくなっている

誰が見ても温暖化がどんどん進んでるよ
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/547.html#c1

[政治・選挙・NHK226] 見るに見かねるレイプの被害者叩き、良心があればできないはずだと思う  赤かぶ
3. 中川隆[-7631] koaQ7Jey 2017年5月30日 20:58:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
日本人はみんな従軍慰安婦が詐欺師だと叩いていたんじゃないのか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo226/msg/543.html#c3
[環境・自然・天文板6] 気候寒冷化の可能性を火山噴火の頻発から検討するべきでは? taked4700
4. 中川隆[-7630] koaQ7Jey 2017年5月31日 10:15:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
要するに

小惑星が地球に衝突して人類が絶滅する

という類の話なんだ

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/547.html#c4

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
79. 中川隆[-7629] koaQ7Jey 2017年5月31日 10:29:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>74 に追記


王家のハプログループ 科学的根拠なしで削除された項目
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97#cite_note-4


王家のハプログループ(英:haplogroup of a royal family)とは、世界各国の王家のY染色体ハプログループを記した一覧である。詳細なSNP(一塩基多型)に関しては研究途中の段階であるケースもあるが、現在、解明されている世界の王家に関するY染色体の分岐系統をなんとなく適当に記す。


日本

出雲王朝 C2c1a(C-Z1300)[2] 要再調査。千家国麿氏と典子さまのご結婚時にD1b2と報道されたとうわさあり。

諏訪神党 C2c1a(C-Z1300) [3] 要再調査。

皇室 D1b1a2(D-IMS-JST022457)(継体天皇まで遡る) 科学的根拠なし[4][5][6]

源氏(征夷大将軍) D1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093) 科学的根拠なし[7][8]

足利氏(征夷大将軍) D1b1a2b1a1 科学的根拠なし

豊臣秀吉(太閤) C1a1 科学的根拠なし

徳川氏(征夷大将軍) D1b1a2 科学的根拠なし

王政復古 D1b1a2 科学的根拠なし

蝦夷

鬼菱 ?(シャクシャインと覇を争ったアイヌの酋長。松前藩の仲介で一時和睦するが、シャクシャイン側の奇襲にあって討死した)

シャクシャイン ?(東蝦夷シブチャリ(静内)のアイヌの酋長)

カンナリ家 ?(幌別アイヌの巨酋・カンナリキ[9]に始まる系統。子孫は金成・神成姓を称す。カンナリキの遠祖はもと和人とされる)

チリ家 ?(登別アイヌの酋長・チリパ・ハエプトに始まる系統。子孫は知里姓を称す[10])

琉球

舜天王統 D1b(D-M64.1) 科学的根拠なし[11]

英祖王統 ?
察度王統(中山王) ?
羽地王統(北山王) ?
大里王統(南山王) ?
第一尚氏王統 ?

第二尚氏王統 D1b(D-M64.1) 科学的根拠なし[12]

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c79

[近代史02] 竹中平蔵物語 中川隆
73. 中川隆[-7628] koaQ7Jey 2017年5月31日 12:09:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年05月31日
アメリカ人の家計は火の車だった のしかかる住宅、医療、教育費

平均的なアメリカ人が一戸建てを買えたのは50年も前の話
引用:http://blog-imgs-54.fc2.com/g/l/o/globalproperty/MP900442184.jpg

アメリカ白人の苦悩

アメリカでは最近低学歴層や低所得層(ほとんど同じ意味だが)の寿命が短くなっている。

他の先進国や新興国ですらこうした数字は改善方向に向かっているが、アメリカでは逆に悪化している。

特に深刻なのが白人の低学歴、低収入層の短寿命化で、この20年ほどで急激に悪化していた。

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NT紙によると高卒白人中年の年間死亡率は1999年から2014年までに、約3倍に上昇している。

では白人以外の人種はどうかというと、黒人の場合は最初からかなり高く、白人との比較では現在も高い。

ヒスパニック系中年の死亡率は白人や黒人よりもかなり低く、白人中年だけが悪化し続けていた。


白人の生存条件が急激に悪化するような変化が、この20年間でアメリカに起きているのを意味している。

高卒白人中年とわざわざ書いたのはアメリカでは高卒と大卒で社会が断絶しているからで、生涯収入で2倍から3倍の差がある。

アメリカの大卒は日本の大卒より高収入だが、アメリカの高卒は日本の高卒の半分以下の生涯収入だとされている。


高卒だと日本で言う「正社員」のような安定職業に就くのは不可能で、一生涯日雇い労働者から抜け出せない。

そして1990年代以降のアメリカでは競争や市場原理、IT化などで高卒の安定職業はますます減少し、ハンバーガーショップの店員すら液晶モニターに替わられてしまった。

高卒が自動車工場で働くとか、企業の社員になるなど、もはや親の世代の話になってしまった。


そして苦しんでいるのは白人だけではなかった。

プール付き一戸建ては幻になった

90年代以降のアメリカ経済は日本よりかなり良く、リーマンショック以降もいち早く立ち直り、羨ましいほど好調だった。

だが現実のアメリカ人は、生活がどんどん苦しくなり、「こんな馬鹿な」と思っているようです。

リーマンショックは元々2007年に「サブプライム住宅ローン」が破綻した住宅ローン問題から飛び火したのは、今は忘れ去られています。


アメリカ人の理想はプール付きの広い一戸建てを所有することで、政府や政治家もこれを実現すべく努めてきました。

その結果2007年には、ホームレスや無一文の移民にも高額の住宅ローンを貸付け、投資家には「絶対安心で高利回り」と言って出資させていました。

実態としてはもうアメリカの平均的夫婦がプール付き一戸建てを買うことなど不可能で、それどころか家賃すら払えなくなっている。


リーマンショックの乗り切るためにFRB(中央銀行)は空前の金融緩和を行って世界中にお金をばら撒きました。

日本の金融緩和はさっぱり効果が見えないが、アメリカでは不動産ブームが起きて住宅価格が高騰しました。

サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークのような街では住宅を買うどころか、家賃も払えないほど高騰してしまった。


これらの都市では平均的な1LDKの1ヶ月の家賃が30万円以上であり、労働者の1ヶ月の賃金に等しい。

ハワイでも同様に家賃は高騰し、都市の外側に出なければ住居を借りれなくなった。

年収10万ドル(1100万円)以上あっても日本で言うワンルームを借りる事ができずに、ホームレス状態になったという笑えない話もある。

のしかかる教育費と医療費

アメリカでは大学に行かないと年収が2倍か3倍違うと書いたが、大学に行くための学費はますます高騰し、社会に出る前に1000万円以上の借金を背負う。

仮に親が払うとしたら、子供が2人居れば4年間の費用は数千万円+人数分なので、やはり重く圧し掛かっている。

加えてアメリカでは医療費が飛び切り高く、医療費負担を減らすための医療保険も高い。


救急車(有料)は1キロ走るごとに1万円以上請求されるのが普通で、国土が広いのでヘリで搬送すると1回数百万円が掛かる。

ガーゼ1枚数千円、消毒も数千円、簡単な治療で数万円、手術なら確実に100万円単位が請求される。

それではと医療保険に加入するが、民間医療保険は結局保険会社が儲けるので、加入するとトータルの支払い金額が増えてしまう。


日本の国保、社保は健康な人が病気の人の医療費を払う制度なのだが、アメリカ人はそういう制度を嫌います。

アメリカで破産する人の最も多い原因が医療費で、しかも破産した人の多くは医療保険に加入していました。


こうしてアメリカ人の家計の借金は増え続け、2017年3月末の家計債務残高は約12.7兆ドルにもなりました。

リーマンショックの最悪期2008年9月に約12.6兆ドルだったが、これを上回りました。

最も急激に増えたのが学生ローンで、2000年ごろにはほぼゼロだったのが、2017年には1.4兆ドルに成っています。


アメリカでは自動車販売が好調だったが、自動車ローンも学生ローンに近い水準に増えていて、これは自動車販売が持続しないのを意味している。

つまりアメリカの平均家庭では収入以上に借金が増えてしまい、家計は火の車であり、羨ましいどころではありませんでした。

むろんこれも低学歴で低収入な人ほど、恩恵が少なく負担だけが重かったのです。
http://www.thutmosev.com/archives/71143793.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html#c73

[リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
78. 中川隆[-7635] koaQ7Jey 2017年5月31日 15:50:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

音のプロが目指すのは良い音ではない




フラットな音
質問者:kouyadouhu 質問日時:2013/12/14 20:03

「クセのないフラットな音」っと、雑誌の評価のときに使われている場合があります。
「ほめ言葉」として使われると思います。

かなり高級なイコライザーは、マイクで測定して どんなスピーカーでも自動で強制的にフラットにできます。

それが本当にいい音なのか、7〜8年前の雑誌で、実験した記事がありましたが、意外と否定的な意見でした。

でも、録音される現場でフラットなスピーカーを使用されていたとすれば、いい音になるかどうかは別にして、「録音に忠実な音」を再現することになるのではないかと思いました。

質問を整理すると、
単純に「フラットな音」=「クセのない良い音」なのでしょうか。


回答者: John_Papa 回答日時:2013/12/15 09:08


『「クセのないフラットな音」』が、文学的表現であっても

『「フラットな音」=「クセのない良い音」』と言っている訳ではないですね。


「クセのない音」&「フラットな音」というロジックになります。

文学的表現者が、必ずしも「フラットな音」=「クセのない良い音」ではなく
「フラットな音」≠「クセのない良い音」である事も認めていると見なせます。


したがって、『フラットなスピーカー』が『「録音に忠実な音」』か?

『単純に「フラットな音」=「クセのない良い音」』か

と、周波数特性だけで問われれば、『否』という答えが一斉に返ってきて当然でしょう。

周波数特性だけではなく、調波歪や過渡特性もあり、文学的表現者はこちらを『クセ』に含めたのでしょう。測定が困難だった過渡特性もバースト特性やインパルス応答など測定方法が開発されました。

また、周波数特性は特に再生環境(主にルームアコースティック)による影響も非常に大きいです。

でも、スピーカー創りに於いては、少なくとも測定可能な範囲では出来るだけ理想に近づけるように努力された時代が有ったと思います。

「クセのないフラットな音」が絶賛されまた求められた時代です。残念ながら過去形です。

日本のオーディオ界は後追いの音楽業界を道連れにバブル崩壊と共に砕けてしまいました。

現在は、絶不調期を抜けかけたかな、という位置でしょうか。

古いオーディオ製品が買い求められ、古い音源もしくはそのリマスター音源が支持される。そんな現状です。

一方で

『業務用(バブル期の特性の良いスピーカーの生き残り手段です。実音がある場所が現場です)は鑑賞に適さない』

などと現状支持する意見も見られます。
確かにコンパクトスピーカーでも周波数特性だけは上下に伸ばされてますけど。


>業務用は鑑賞に適さない。っという意見は以前私がエレクトロボイスS40にした意見のことですね。

それも含みますが、他にもあります。

また、S40 については 85dB/w/m とやや控えめな家庭用と同じ低能率の設計ですが、EV の一般的 PA用はそれより 10〜20dB も高能率です。同列には語れません。

EVくらいのメーカーになると、使用される場所や目的を想定し、それに合わせたスピーカーを設計しています。

そんなことを考えもせずに、

EV=PA用、PA用=質が悪い、

といった感じの三段論法を展開する回答やブログ記事を見かけます。

EV だけでなく、YAMAHA のスタジオモニタや SONY のモニターヘッドフォンなどでも同じように言われてます。

つまり、俗に言う分解能が高くダイナミックレンジが広く低歪率で周波数特性も平坦な四つ揃いのスピーカーやヘッドフォンに共通して、そういう評価がされている。と言えるでしょう。

ここの回答にもありますが、民生用オーディオはフィクションだと割り切って、好きに調理して幸せな気分でお聴きになるのは一向に構わないのです。

でも、そのような音しか知らない人が、忠実だとか、生生しさを、例えば

『バイオリンの松脂が飛び散る音・・・』

とか語られると、開いた口が塞がらないのです。きっとどこかの雑誌記事の受け売りでしょうが、まずスピーカー音の目指す方向が違います。

ま、悪い例を出してしまった。

バイオリンは実に難しい楽器です。

ルームアコースティックの影響を受けやすい。演奏者も音を確かめながら演奏するので奏法まで変わってくる。

楽器までの距離に拠っても音が違い、当然マイクの位置が収録される音に大きく反映してしまいます。

演奏家視線・観客視線の音の違い、おアシを頂いて生活する演奏家の半端ではないこだわりも有ります。

たまたまバイオリンのコンクールに上位入賞する友人が居て、若い頃何かに付けて録音させて貰いました。失敗もありましたし機材貧乏もしましたが、貴重な勉強になり凄くラッキーでした。知り合う音楽家達に恵まれたと思います。

確かに、多くの人には、そういう機会は少ないでしょう。雑誌の評論に頼るのは止むを得ないと思います。

硬い・柔らかい・太い・細い・繊細・豊かな・痩せた・・・など抽象的文学的な表現を、批評される商品から学ばれるのではないでしょうか?

これでは、言葉が一緒でも人によって捕らえ方に違いがあるのもしかたないでしょう。
そんなところで、不毛な談義をするよりは、

『このスピーカーは、近所の音大生のバイオリンのような音がするから、普通過ぎて迫力が無くてつまらない。もっと低音が雄大に聞こえる方が好き。』

とその人の美学で語っていただいた方が、快いのですよ。

私は、『近所の音大生のバイオリンのような音が出せるとは、大したスピーカーだ』と言う側にいるに過ぎません。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8386337.html


大阪のMusic Well studio の○○○○と申します。

私は常に “フラット” な音環境を切望し、そこを追究する事がリスナーの皆様に対しての責任だと日々考えております。目指すは良いものと悪いものをしっかり聴き分ける事が出来るフラットな環境です。その様な着色のない環境での制作を可能にしないと最終アウトプット(流通商品)時点では大変な事になります。

制作初期段階で少しでもピーキーなものが出来上がってしまうと、その後段階での作業で段々としわ寄せが積み重なり、ごまかしごまかしで最終的にはろくなものにはなりません。

制作スタジオに求められるのは限りなくフラットな音響環境です。
決して良い音も悪い音も『立派な音にしてしまう再生環境』ではありません。


Studioで自然に出来た“音の印象”がどの様な再生環境(ヘッドフォン、ラジカセ、カーステ、喫茶店の天井スピーカーそして高級オーディオ等)においても“同じ印象”で聴く事が出来れば、制作環境としては最高の状態と言えます。

歴史的に、あまり良い環境で制作出来なかった頃に“エンジニアの勘”というものが生まれ、そしてそれが重要視されてきた気がします。

フラットな再生環境では無いため“見越”の技術が必要だったんですね。なんとも恐ろしいですね。

“音”が解りにくければ、音楽制作は大変困難になります。

今、目の前では今までに感じた事の無い“素晴しい音”が鳴っております。

しかし、それだけではありません。制作段階では各トラックに色々な補正処理を施します。その中にEQ処理や音圧処理があります。 リニューアル後、特にEQ処理には大きな変化が出てます。パラメーターを動かす幅が大幅に減少しました。変化がとても良く見えるからです。処理後のEQカーブを見ても今までの様に大きくはなりません。なだらかで微妙な曲線です。

“自然に聴こえるまま”で、何の見越も必要なく作業出来ています。不安になるくらい。。。(笑)

これで大正解なのだと思います。大きく変化させる事はピークを生みます。振り返って、今までどれだけピーキーなものを創って来たのかと思うとゾッとします。音をCD-Rに納め、いつもの様に色々な再生環境で聴いてみました。実験です。ここが私にとって “肝” となります。 ドキドキです。
http://www.procable.jp/setting/07.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c78

[近代史02] 中国美女も日本男性が大好き 中川隆
62. 中川隆[-7634] koaQ7Jey 2017年5月31日 18:25:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-05-31
ハニートラップによる「愛国者潰し」は国内でも起こり得る



中国・韓国・北朝鮮などの反日国家に行った政治家は、往々にして寝返って帰ってくる。そして以後、これらの国々のスポークスマンのようになっていく。

ワナにかけられたということだ。「未来の大臣」のように持ち上げられ、大金を与えられ、さらにハニートラップも仕掛けられ、弱みを握られて逆らえなくなる。

私利私欲の塊のような政治家は、地位と金と女を与えられたらワナを仕掛けられたネズミのように引っかかる。

今まで威勢よく中国・韓国・北朝鮮に対峙していた政治家も、こうした国に行くといきなり「日本も歴史を見つめるべきだ」「北朝鮮の核は容認すべきだ」「中国・韓国に謝罪すべきだ」と自ら言い出すようになる。

弱みを握られ、脅されているのである。

政治家だけでない。新聞記者も、ジャーナリストも、小説家も、みんなこうした国々に「招待」され、まともに「金と女」に懐柔されて帰ってくる。

ハニートラップというのは、敵対国家が美しい女性工作員をあてがって標的にする男と性的関係を持たせて弱みを握る工作活動である。古典的だが、ほとんどの男はワナに堕ちる。

自分の性行為を克明に記録されたら逆らえなくなる

男は分かっていても、目の前の美しい女が言い寄ってきたら性的本能を刺激されて逆らえない。理性よりも本能が勝る。そして、ワナに自ら堕ちていく。

女性の工作員は、これと言ったタイプはない。

標的にする男の趣味に合わせた女が用意され、男が見初めるようにする。女性工作員は準備されてそこにいるのだが、男はたまたま自分の気に入った女性を自分が見つけたと思う。

そして、女性工作員が男を誘うのではなく、男が自らの意志で誘うように女性工作員を含め、まわりの人間が状況を誘導していく。

男の行動は逐一ビデオで記録され、口説き文句なども録音されていく。男が女性工作員をベッドに連れて行くと、性行為もまた記録される。

スパイ組織を持つ国ではハニートラップを国家ぐるみでやっているので、ホテルの部屋も盗聴器や盗撮ビデオが仕掛けられているのは常識だ。

だから、多くの要人はどこかの国でホテルの部屋に泊まる時、まず部屋に盗聴器が仕掛けられていないか、シークレット・サービスに入念に調べさせて部屋に入る。

それでも発見されない盗聴器や盗撮ビデオはあるし、そもそも要人が自ら女性工作員を連れ込んだら、女性工作員が記録媒体を仕掛けるので事前のチェックは意味をなくす。

自分の性行為が克明に記録され、それが相手の組織の手の中にあると知らされたら、多くの男は逆らえなくなる。

もし相手の言うことを聞かなければ、自分のセックスを徹底的に暴露されて、今まで自分が築いてきた立場、信用、人脈、ビジネスはすべて吹き飛んで破滅する。

しかし、相手の望む通りに行動し、発言すれば、逆に地位は守ってもらえて金も与えられ、しかも重要人物として扱ってもらえる。

わざわざ好き好んで破滅を選ぶ人間はいない。だから、ハニートラップを仕掛けられた男は、みんな割り切って売国発言をするようになっていく。


ハニートラップの女性工作員は無数に存在する

2004年には在上海日本国総領事館に勤務する当時46歳の領事が自殺しているのだが、この人もハニートラップに引っかかってしまった人だ。

(ウィキペディア:上海総領事館員自殺事件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E7%B7%8F%E9%A0%98%E4%BA%8B%E9%A4%A8%E5%93%A1%E8%87%AA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


この人は「一生あの中国人たちに国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と遺書を綴って自殺している。

この人こそが真の愛国者であり、見上げた人である。しかし、この人のように「日本を売り飛ばすくらいなら死ぬ」という人は例外中の例外で、多くは売国奴となって生き延びる。

国を売り飛ばせば生きていける。そして国を売り飛ばせば自分の身分は安泰だ。だから、ハニートラップにかかった男のほとんどは、売国して生き延びるしかないと思う。

国益を第一に考えている政治家・ジャーナリスト・著名人・官僚・公務員・実業家・教育関係者・技術者は、絶対にこれらの国に行くべきではないし、関わるべきではない。

「まさか自分がハニートラップの対象になるはずがない」と考えるべきではない。ハニートラップの対象は驚くほど広い。そしてハニートラップの女性工作員は無数に存在する。

そもそも、日本はスパイ防止法すらも制定できていないスパイ天国なので、日本国内にいても安全ではない。

たとえば、自衛隊員の配偶者は異様に外国人妻の比率が高いことで知られている。

2013年で約800人の隊員が外国人の妻を持ち、そのうちの約600人は中国人妻であると『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』の著書である鳴霞(めいか)氏が記している。

韓国出身者も多いと鳴霞氏は指摘する。反日国家の女性が大量に自衛隊員と結婚しているという事実が、単なる偶然だと考えている人はほとんどいないはずだ。

中国・韓国・北朝鮮は、「ハニートラップ大国」である。本土でそれをやっているのであれば、日本国内でもそれをやっていると考えても間違いない。


ハニートラップを仕掛けて標的を潰すこともできる

中国・韓国・北朝鮮は、日本人にハニートラップを仕掛けて情報を盗むだけでなく、ハニートラップを仕掛けて標的を潰すこともできる。

たとえば、中国・韓国・北朝鮮に都合の悪い発言をする人間がいたとする。

この人物を潰すにはどうすればいいのか。まずは身辺を調査してスキャンダルになりそうなネタがないかどうかを調べる。あればそれを利用するし、なければ作る。

どのように作るのか。

例の如く、女性工作員を向かわせてハニートラップを仕掛けるのである。ワナにかかれば後は何でもできる。

性行為を記録して「暴露する」と脅すこともできるし、あるいは女性に「あの男にレイプされた」と騒がせるのもいい。本当にレイプされていなくても構わない。

密室で起きたことは何が真実か分からないからだ。

女性工作員が「あの男にレイプされた」「すべての女性のために戦いたい」と公共の場で泣いて騒げば、あたかもそれが真実のように伝わっていく。

念を入れて、仲間の工作員どもに「共に戦う」「支えます。あなたは独りではない」と騒がせれば、対象の男を一気に潰すことができる。このあたりは、被害者ビジネスをしている人間がいつもやっている手口と重なる。

こうした「ハニー・トラップによる愛国者潰し」を仕掛けられたら逃れられない。社会的に抹殺されるまでやられる。日本の愛国者はそうやってことごとく潰されてきた。

ウブな日本人は、こうした邪悪な工作に引っかかりやすいし、世論も反日の工作活動に騙されやすい。

反日国家の人間と関わるというのがいかに危険なことなのか、スパイ防止法がないというのはいかに恐ろしいことなのか、日本人はもっと真剣に考えた方がいい。

世界は善意で動いているわけではないのだ。むしろ、悪意で動いていると見るのが正しい。


「ハニー・トラップによる愛国者潰し」を仕掛けられたら逃れられない。社会的に抹殺されるまでやられる。日本の愛国者はそうやってことごとく潰されてきた。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170531T1358070900.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html#c62

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
5. 中川隆[-7633] koaQ7Jey 2017年5月31日 20:28:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

550 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:04

雲丹音のページ見たら、5やコムパクトはケフのユニット採用って
書いて歩けど、ホント?


552 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:15

HLコンパクトのツイーターはオーダックス製だったのでは?

ステサンの工場訪問でアラン・ショーが「バラツキが多いけど音はイイ」と書いてあったと記憶しています。
ハーベスでツイーターを測定して、特性の揃ったユニットをペアにして出荷している。

553 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/02 20:58

じゃあ、下がケフ製という事かな?
それにしても、わざわざケフ製と注記するという事は、ケフにステータスを認めているのか?>雲丹音

560 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/07 11:39

以前、Harbeth用のユニットを供給していたAUDAXが、Harman傘下にはいり、Harbeth用の特注ユニットの供給がストップになった。

それ以後、あのメーカーの迷走が始まったような気がする…

最近の3WAYモニターなんて、代理店のノアの人すら、顔をしかめていたからな。
素性が良かっただけに残念。


572 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/17 19:58

>Harbeth用の特注ユニットの
>供給がストップになった。

ということは、今出ている、HL-COMPACT7SE2は、以前のHL-COMPACT7とは、別の音がするのでしょうか?

573 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :01/12/17 20:30

オーダックスが作っていたのはコンパクト用のユニット
コンパクト7用ではないよ
http://hifi.denpark.net/967994722.html


逸品館は日本国内で、Herbeth HL-Compact と HL-5 を最も多く販売した販売店の一つです。

価格で上回る他メーカーの上級モデルを圧倒するほどの HARBETH の開放的で楽しい鳴り方をとても魅力的に感じたからです。

当時の国産代表 HiFi スピーカー DIATONE では「静的に躍動しない音」が特徴の HiFi 的なテイストでした。それと対照的な HARBETH HL-5 と HL-Compact の動的で明るいテイストで音楽を聞くと「心がワクワクしたこと」を今もハッキリ覚えています。

「オーディオは価格じゃない」と気づかせてくれたスピーカー、そして当時まだ本格的にオーディオの良さに目覚めていなかった私の目を開き、逸品館を「セレクト・オーディオショップ」としてスタートさせる決心をさせてくれたのが HARABETH なのです。

しかし、HARBETH の創設者であり初代からの設計者であった「ハーウッド氏」がお亡くなりになり、設計が後継者の「アラン・ショウ」に完全に移行して発売された HL-Compact の後継機、HL-Compact7 の音を聞いたとき私は愕然としました。

あの明るく楽しい HARABETH が全く違うテイストの暗く重い音に変わっていたからです。

明るい音から暗い音へ180度の変身を遂げた HL-Compact7 を前にして、私は途方に暮れました。

逸品館が大セールスを記録した HL-Compact の後継として当然注目が集まり、当然注文も殺到する HL-Compact7 ですが、私はそれを HL-Compact の後継モデルに相応しいテイストと認めたくなかったからです。

その判断が正しいのかどうかは今も分かりませんが、カラリと明るく元気な音が HARBETH のテイストだと決めていた私はビジネスチャンスを捨てても HARBETH HL Compact7 とそれ以降の HARBETH 製品を販売することはありませんでした。

それから 20年近くの年月が流れ、久しぶりに試聴した HARBETH の最新モデル「Monitor20.1」を聞いた時、私は再び大きな驚きを感じました。20.1から出た音は、私が切望していたHARBETHの音だったからです。

しかし、同時に聞いた Monitor30.1(チェリー仕上げ)は、私が受け入れられない暗いテイストの音だったのです。どっちが本当の HARBETH なのか?

あるいは、HARBETH は 2重人格なのか?

未だに途方に暮れています。ジキルとハイドと言っても言い過ぎではないほど、モデルによってまったく異なるテイストを持つのが今の HARBETH です。

テイストの異なるモデルをお聞きになると戸惑いを感じられるかも知れません。同じ音楽を表と裏のように描き分ける HARABETH をお選びになるときは必ず、ご自身の耳でそのテイストをしっかりと確認して欲しいと願います。
http://www.ippinkan.com/SP/herbath_page1.htm



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c5

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
6. 中川隆[-7632] koaQ7Jey 2017年5月31日 21:03:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

My vintage audio 2015年 Audio miniature garden
http://my-vintage.music.coocan.jp/2015.html


今年の抱負は「音の雰囲気を良くすること」にでも置いておくことにしよう。

TANNOY IIILZ のクラシックシステムは、シングルアンプ SV-501SE のコンデンサー交換によって不満のない音色を提供してくれるようになった。今年度は組み合せるトランスと USB-DAC などを吟味して、音のニュアンスを改善させて行きたい。

Harbeth HL-4 は断線したトゥイーターを新品に交換することによって今後の使用に対する不安が払拭されたが、これまでと同等の美音を聴かせてくれるかが問題である。

システムの要となる Marantz7R は既に大半のカップリングを SPRAGUE-BB に交換済みで、バイアス用整流器もセレンに換装している。交換後はまったく音質に不満はなくなったが、残すところはヒーター用セレンの交換ぐらいであろうか。忘れた頃に現れるポップノイズは真空管とソケットの接触あたりが怪しいが、はっきりとした原因がつかめていない。

Harbeth HL-4 の故障によって生き返ったのが HL-COMPACT である。

フットワークの良いキレのある音質はヴォーカルや室内楽などの曲種に良くマッチしているので、以前のオーディオルームで使わなくなった ELEKIT の 300B シングルアンプと組み合せて、新たなシステムを構築しようかとも考えている。そんなこんなで音楽を楽しむために改善する余地が、まだまだ残されているのである。    1/1

■ カムバック


やっと Harbeth HL-4 のトゥイーターが手元に届いた。

フランスのオーダックス社製シルクドームトゥイーターは、なぜかアメリカから海を渡ってやって来た。どちらにしろ注文してから僅か10日ほどでマエストロ・オーディオに着荷するという早業であるが、年末年始の休みの関係で本日やっと取りに行くことが出来た。


左は AUDAX の箱に入ったトゥイーターの画像。

真ん中と右側の画像の左側が元々付いていたオリジナルのトゥイーターで、右側が今回購入した新品である。前面から見るとほとんど違いはないが、背面を見ると接続端子の位置が異なっている。

付け替え作業に入って気が付いたが、この接続端子が異なるせいでうまく装着できないのである。オリジナルのトゥイーターは左右に端子がありバッフルにはこの位置にざぐりが入れてあるが、新品を装着する為には片方のざぐりをノコギリで大きくする必要があった。そんな訳で少し手こずったが、2時間ほどで装着も完了し楽しみにしていた試聴に入る。


見た目は少し塗料の色目が違うようだが、オリジナルと同じ寸法だから違和感なく収まった。なぜか片方の個体のつらがあわずほんの僅かに出っ張りがあるが、細かいことはあまり気にしないことにしよう。

さて肝心の音質の方は当然のことながら聴き始めは新品の硬さが感じられるが、しばらく鳴らしているうちに明るさと美しい輝きが加味されまったく素晴らしい美音に生まれ変わったようである。

交換前はきめ細かく繊細で落ち着いた音質であったが、交換後はその持ち味にフレッシュで生き生きとした生命力が加わったようである。

この音楽性豊かな響きに耳を傾けると、1990年代にベストバイの評価を得て人気を博したアラン・ショーの HL-COMPACT も敵わないのではと感じられる。

ハーウッドが改良に改良を重ねた HL-Mk4 から生み出される音楽性の高さを忘れられずに、発売以来永年に渡って使用されている音楽ファンが日本にどれぐらいいるかは見当もつかないが、トゥイーターが断線故障しても諦めずにオーダックスの新品に交換すれば僅かな出費で再びフレッシュに生き返りますよ。そんな訳で今年の出だしは順風満帆なものとなった。      1/7

オリジナルのオーダックス・シルクドーム・トゥイーターのボイスコイルである。

両側の接続端子から中央のボイスコイルまでリード線が伸びているが、このコイルの根元のところで断線するパターンが多いようである。しかしこのトィーターに関しては根元の部分に問題はなく、結局どこが断線しているのかは分からなかった。また外してみてから疑問に思ったのが接続コードの極性である。ユニットの赤の塗料が縫ってある端子側が+の筈だが、コードは赤ではなくブルーが接続してあったので、逆相接続かもしれない。また画像には残していないがボイスコイル中央ドーム部分の内側にウレタンが挟んであったが、サランネット同様経年変化でボロボロになってどんどん小さくなっていた。

最近鼻づまりが頻繁に起きるようになって、その影響か難聴気味で耳の調子があまりよろしくない。

アナログのリード線の試聴をしていても、以前のように音質の違いがはっきり把握できなくなっている。SPU GOLD と MEISTER の違いがはっきり分からないのはまだましなほうで、古い SPU-GE まで同じように聴こえるのは困りものである。最近音質に不満を感じることが少なくなって来たのはこういったことも影響しているのかもしれない。まあ良い音に聴こえる分にはよろしいのではないでしょうか。  1/10


■ お年玉の真空管

 6BM8/ECL82

今年のお年玉は SV-501SE の初段管である。

オリジナルはロシア製 Svetlana であったが、やはり高域にヒリつきがあったので昨年9月にハンガリー製 TUNGSRAM を調達して聴いていた。その後もオークションなどで音質の良いと言われている MULLARD/TELEFUNKEN などの出品がないかウォッチしていたが、待った甲斐があってやっと年始に待望の英 MULLARD を落札することができた。

オークションでは珍しく競合することもなく出品価格で落札できたので品質に不安があったが、出品者の説明通りともにエッチングコードはブラックバーン工場製造のオリジナルであった。

落ち着いた音質のタングスラムでも特に不満があるわけではなかったが、差し替えるとまさしくムラードならではのふくよかな低音と繊細な高域に満足させられる。プリントは黄色と白で印字内容も若干異なるが、内部構造もッじでまったくお値打ち品を落札することが出来たと満足している。このアンプもコンデンサー交換後50時間超が経過し、増々音質に磨きがかかっている。

Harbeth HL-4 は交換したトゥイーターのエージングも進み、高域がキラリと輝くいぶし銀的な美しい音色に変身している。

交換前のくすんだような音質を考えると、やはり長年の使用で品質が劣化していたのかもしれない。

PCTオーディオのトランスは Kanno に替わり DUKANE/3A55 で落ち着きを見せている。Kanno のナチュラルな抜けの良さも美しいが、中低域重視の厚みと馬力のある DUKANE の音色が気に入ってる。

そんな PCTオーディオの音色は、それぞれのパーツが馴染んで来た効果により無機質なデジタル臭が抜けて、温度感の高い温もりを持った音色に変わって来たように思う。これまでは味気のない理性的に力強く迫力のある音質であったが、その説得力のある音色に感性的な色気が加わって「良い音だなぁ」と感じることも多く、アナログとの差異が更に縮まったような気がする。   1/14


 圧着端子

Harbeth HL-4 のトゥイーターへの接続は、マエストロ・オーディオの谷口さんが揃えてくれた高品位金メッキタイプのファストン端子を使用している。

ファストン端子とは聞いたこともなかったが、主にカー用品などで使用する圧着金具のことである。新規に調達したトゥイーターの+とーの接続端子の大きさが異なるため、今回は中と小の金具を使用している。元々のオリジナルでも金メッキではないが同じような圧着端子を使用しており、今回の端子交換でも特に音色に問題がなかったので、念のためにハンダ付けで仕上げることにした。

もともとハーベスはあらゆる接点をハンダ処理することによって音質の向上を目指しているようだが、実際にこんな端子のハンダ付け一つで音色が変わって来たので、まったく音質を改善するのはこういうことかと納得させられた。

圧着端子を使用しないで直接ハンダ付けを行っても音質が変わりそうだが、今回はオリジナル通りの圧着端子とハンダの使用で万全を期すことにした。    1/21


■ トランス

PCT(パソコン・トランス)オーディオのトランスを Kanno に戻し、ケーブルも QUAD22 用の特注品に交換することにした。

Harbeth HL-4 のトゥイーターを新品に交換してまだまだエージングが足りないのか、少し中高域の音質がもたついて嫌らしい響きを感じ始めた。

トゥイーターが断線する前から新たに調達した DUKANE のトランスに古い SME アーム用ケーブルを使用していたが、理由は分からないが数日前にトゥイーターの圧着端子にハンダ処理を行ってから更にこの傾向が強まったように感じる。

そんな訳でいろいろと組み合せ試聴を行った結果、トランスを以前の Kanno に戻してケーブルも細めのケーブルに交換することにした。

このケーブルは 20年ほど前に RCA端子の短い QUAD22用にオーディオ専門店で特注で作ってもらったものだが、こちらの組み合わせの方が中高域がクリアに広がっていやらしさのない聴きやすいものとなった。DUKANE は帯域を変に欲張らずに中域重視の密度の高い迫力のある音質が利点となるが、今回は高域方向に自然な伸びを見せる Kanno のナチュラルな音質で違和感を払拭することが出来た。   1/23

■ サブシステム

Harbeth HL-COMPACT を使わずに眠らしておくのはもったいないので、以前使っていた6畳間にサブシステムを構築した。

ソースはアナログの EMPIRE598 と光学系固定方式メカの SONY CDP-XA5ES、アンプはELEKIT TU-875 と TU-873LE を組み合わせることにした。

また CDP には DUKANE のトランスをかませて音質の改善を図っている。

最初にCDを掛けて慣らし運転を行いながら音質を確認するが、プリアンプの TU-875の調子が悪くしばらくするとまともに音が鳴らなくなった。これまでEMPIRE598のフォノイコとして使っていた時にもフォノ段の真空管が点いたり消えたりするという同じ症状で、昨年ハンダ修正などの修理を行ったがやはり完全に直った訳ではなかったようだ。

再度分解してハンダなどの点検を行うが、今度は真空管の明滅はなくなったが音が出なくなった。そんな訳で少し音質には潤いに欠けるが、CDP から直接 TU-873LE に接続してCDだけを楽しむことにしている。


メインのシステムには約40年前の学生時代に購入した Pioneerのチューナーを復活させた。

各部屋に分配されているケーブルTVの信号にはFM放送の信号も一緒に流れているのでそちらを活用することにしたが、直づけでは受信状態が悪くノイズが混じるのでTV用のブースターをかませて信号を増幅している。久しぶりに聴くFM放送の音質は、チューナーが何十年も使用されていなかったせいなのか元々の性能なのかは判断できないが、やはり潤いがなく少し痩せ気味の音質である。焦らないでしばらく通電しながら気長に使ってみることにしよう。   2/6


■ 早春の候

以前のように音楽を聴いていてしっくり来ない違和感を感じ、真空管やケーブルの組み合わせをあれやこれや変更してバランスを取り直すなどと言うことはとんと少なくなった。

そんな中でも年始にトゥイーターを交換した Harbeth HL-4 のシステムは、エージングが進んだ最近になってアナログ・プレーヤーのカートリッジを SPU GOLD から Keis さんお手製のハイブリッド・リード線を装着した MEISTER に交換後、アーム・ケーブルをテクニカ AT-1503 の純正タイプからノイマンのケーブルに変更している。

昨年末にカップリング・コンデンサーを交換して年始に初段管をムラードに入れ替えた SV-501SEは、エージングが進んで落ち着いた音色を提供してくれているが、僅かに高域のヒリつきが感じられるので初段管をタングスラムに戻すか思案している。

どちらにしろ学生時代に聴いたあこがれの音色を再現するまで散々に苦労した TANNOY III LZ を、これほどまでに生き生きと駆動してくれるアンプはお目に掛かれるものではないとその音質には満足している。

アナログは増々熟成を深めるが、PCTオーディオの方は DACとトランスの質の改善を検討中である。トランスを組み合せることによって、煮詰め過ぎたような濃い音質をもう少し伸びやかなものに改善して行きたいと考えている。DAC はサンバレーなどの真空管式可変サンプリングタイプが良さそうだが、トランスの方は手頃な価格のものをもう少し試してみたいと思っている。    3/6


■ ライントランス  

今度はPCTオーディオ用に ALTEC のライントランスを調達した。
昨年購入した DUKANE のインプットトランスと同じく、US8Pソケットを用いたプラグイン式トランスなのでこのケースを流用することにする。回路には疎く内部配線で少し悩んだが、配線用のウエスタン単線を購入してなんとか音が出るようになった。


このライントランス 15335A は 15K:15K のリピートトランスで、これまで使用していたカートリッジ昇圧用のインプットトランスと違ってボリュームを絞る必要がない。僅かばかりの試聴をしただけだが、これまでの低域の圧倒的な迫力を持ったインプットトランスと違って、高域方向に良く伸びてフラットな音質に聴こえる。その分低域が薄くなったような気もするが、こちらの方が元の自然なバランスなのであろう。もう少しじっくり試聴を続けて見ることにしよう。

ALTEC PEERLESS 4722 は MCH-II の昇圧トランスとして定着しているが、DUKANE の方は最近出番が少なくなっている。アメリカものはこれぐらいにして、今度はゼンハイザーやHaufeなどドイツのトランスを試してみたいと考えている。   3/18

アナログの方はどちらのシステムもほとんど不満なく音楽を楽しむことが出来ている。

TANNOY IIILZのクラシックシステムは、昨年カップリングを換装した SV-501SE が100時間ほどのエージングも終えて落ち着いた音色となって来た。年始に初段管をムラードに交換した後、少しレーベルによっては高域のヒリつきが感じられたが最近はそれほど気にならなくなった。トゥイーターを交換した HARBETH HL-4 の方も、高域が適度に落ち着いて来たように感じる。

PCTオーディオの方は新たに入手したHIインピーダンスのライントランス ALTEC 15335A を試しているが、これまでの昇圧トランスに比べて使い勝手は良いのだが、音色が落ち着き過ぎて今一歩のような気がしている。MCカートリッジ用 LOWインピーダンスのステップアップトランスは昇圧比も高いため、再生ソフトの AudioGate のマスターボリュームを75%に絞ってもプリアンプの Marantz7 のボリュームの位置は時計の短針の9時あたりに絞らないといけない。これがライントランスだとAudioGateのマスターボリューム100%でプリアンプのボリューム位置は1時あたりまで上げることができるのである。

Kanno などのステップアップトランスを使用すると低域の量感が大幅に増加し、迫力ある音質がロックなどの曲種ではスピーカーを大型化したような利点となるが、音の密度が濃過ぎて伸びやかな音場の広がりを感じることができない。これがライントランスだと低域から高域まで自然なバランスの伸びやかな音色を得られるのだが迫力の方が後退するのである。インピーダンスと昇圧比が程よいバランスの物を探せば良いのかもしれないが、高インピーダンスで昇圧比を高める方が良いのか、低インピーダンスで昇圧比が低い物が良いのかは想像がつかない。もう少しいろいろなトランスを試して見ることにしよう。   3/25


トランスを付け替えてPCTオーディオの試聴を続けている。

趣向を変えて旧型スイングアームの Marantz CD-16 にライントランスを用いると、当時良く言われていたデジタル臭が抜けて聴きやすくなると言った評判を実感することができるのだが、アップコンバートされた USB-DAC のPCTオーディオの音質には敵わないようである。

LOWインピーダンスの KannoステップアップトランスもHIインピーダンスのライントランス ALTEC 15335A も基本的な音質は似通っていて、端的に言うと中低域に重心を置いた Kannoと上下に音域の広い ALTECという感じである。音質を聴いていると中域には迫力もあるし低域もどっしりとした重心で特に不満なく聴こえるが、音楽を聴いているとなんとなく・・・・・なのである。

アナログで音楽を聴いていると、所々で「良い音だな〜」と思わせる箇所があるが、PCTオーディオではその感動が少ないような気がする。どうやらこの辺の響きの薄さ、余韻の少ないすっきりとした音質傾向は、トランスにあるのではなく簡素なUSB-DACにあるのではないだろうか? やはりもう少し質の高い真空管式DACを加えないと、アナログと同等の音楽の味わいを得るのは難しいのかもと思うようになってきた。アナログへの投資額に比べれば一桁違う金額でこれほどの音質を得られるのだから、特に不満のある理由はないのだが、もう少し音質の良いDACを聴いてみたいと考えている。    3/31


■ 音の雰囲気

アナログの方は HARBETH HL-4 のシステムでもクラシックが美しく聴けるようになってきた。

カートリッジをKeisさん製作のウエスタン・リード線を装着した SPU Gold-GE から、これもまた Keisさんお手製のハイブリッド・リード線に付け替えて生き返ったSPU MEISTER-GE に交換したのが良かったのかもしれない。

ひょっとして QUADII の音質に円熟味が増して来たのかと思って、300Bシングルと交換して TANNOY IIILZ を聴いてみたがこちらはこれまで通りやはり今一歩の音質だった。

HARBETH HL-4 の方に 300Bの SV-501SEを組み合せると、少し音質傾向が細身となるがこちらはそれなりに楽しむことができる音色となる。

PCTオーディオの方は結局ライントランスの ALTEC 15335A が定着している。

しばらく聴いて行くうちに、抜けの良さに加えて中低域の馬力も加わって来た。また USB-DACを192kHzまでアップコンバートすることによって、響きが豊かになって魅力的な美しい音色となることが分かった。

「音質を左右するのは低域である」とは故五味康祐氏の名言であるが、美しい音色の決めては余韻と響きではないだろうか?   4/12

最近は以前のようにあれやこれや真空管やケーブルを替えたりして音質調整することがめっきり少なくなった。

もちろん音質を気にすることなく音楽を楽しめるところまでシステムのレベルが向上したことも要因だろうが、老化により聴覚が衰えてまともに音質を捉えることができなくなってきたためかとやや悲観的に考えることもある。しかしTANNOY IIILZに QUADII を組み合せた時などは、これまでと同様に音質の違和感を感じる訳だから、ボケた耳もどうしようもないというほどでもなさそうだ。

昨日の休日も最近不満の少なくなったアナログシステムでビートルズのアルバムを数枚じっくり聴いていると、中には音質に引っかかる部分を感じるアルバムがあって、久しぶりにカートリッジを色々付け替えてみて試聴を繰り返している。   4/21


■ スラストパッド

Garrard401 のスラストパッドを調達した。(画像左、右はこれまで使用して来たもの)

出品者によると1970年代英国 Garrard社の純正品で、オイルレスメタル製とのことである。オーディオ専門店などで販売されている最近の純正パーツと比較すると、メタル部分の盛り上がりがほんの僅かに違うようで素材も異なるとのことである。外見からはもともと付いていたパーツ(右)とほぼ同じもののようである。

このプレーヤーを購入後8年ほど使用して来たが、最近レコードに針を落とすと少しゴロを感じるようになって来た。スラストパッドがそろそろ寿命かと思って購入したが、これまでのものがまだ使えそうな感じなので取りあえずそのまま交換せずに、半年振りに軸受けクリーニングを行い再度 EMTオイルを使って仕上げたところ、ゴロは気にならない程度に改善され音質も明瞭度がアップしたように感じられた。どの程度まで摩耗すると寿命となるのか、Garrard に詳しい方がいらっしゃったらご教授いただきたいものである。
  
アナログは音質の良い好みのレコードを聴くことが多いので安心して音楽を楽しむことが出来るが、ALTECのライントランスを使用したPCTオーディオの方も、トランスのエージングが進んで来たのか低音の量感が増加して響きの良い音質を楽しませてくれるようになって来た。

引き続きドイツのトランスを探しているが、プリアンプの故障によりせっかく別室に設置したサブシステムがほとんど楽しめないので、適当なプリアンプまたはフォノイコがないものかとオークションを中心にウォッチしている。   4/29

■ Northern Electric


アメリカからヨーロッパに移ってドイツのトランスを調達するつもりが、カナダで途中下車してオまった。

名古屋のY下さんは泣く子も黙る WE618B で美音を楽しんでおられるようだが、我が家では到底手に入らない高嶺の花である。そんな時オークションをウォッチしていると、WE のカナダの子会社である Northern Electric(NE)の MCトランスが出品されていたので調達することにした。

出品者によると1990年代後半に大阪日本橋で真空管オーディオを中心に品揃えしている専門店で購入したとのことである。これも出品者に頂いた STEREO SOUND誌に掲載されているこの商品広告のコピーによると、SPUの音楽性を更に高次元で再現することを目指してNEの業務用トランスをケーシングしたと言うこだわりを感じさせるMCトランスである。最近は人気のあるトランスの価格が増々高くなって来ているが、手持ちの英パートリッジなどの最近の取引価格と比較すると、比較的安価に調達することができた。

現在Garrard401とともにSPUシリーズで愛用しているトランスは、左側の1980年代のPARTRIDGE TK-2220である。

このトランスを一世代前のTH-7559(右側)と比較試聴すると、新しいためかレンジも広くなって分解能も向上したように感じ轤黷驕Bさらに今回購入したNEを続けて試聴すると、弾力感のある低域の臨場感やふところの深いプレゼンスが素晴らしく感じられた。パートリッジの2機種と比較するとゲインは少し低いが、音場も広くパートリッジの硬質感の美しい響きとは好みの別れるところであろう。今後はしばらくアナログを中心に試聴を続け、PCTオーディオにも組み合せてみようと考えている。


NE のトランスはケースが小型で可愛らしいサイズだが、ALTEC PEERLESS 4722と似通った浮遊感のある音場を形成するのが特徴だ。高域の解像度もパートリッジより優れているようで、まだワだじっくり聴き込んでいる訳ではないが、音質的な魅力を感じさせるトランスのようである。

右側は我が家のトランス群であるが、これにあと DENON DL-103C1用の純正トランスがある。これからも音質の要となるインプットやライントランスなどを、更に拡充させていきたいと考えている。       5/3

試聴の末、Northern Electricはまたまた残念な結果となった。

聴き始めは音の出方が PARTRIDGE とまったく異なるため、「色気のある高域だな〜」「低域の量感も十分で問題ない」などと喜んでいたが、いろいろなアルバムを聴き込むうちに、中域に張りのないバランス感や透明度の薄いエコーでかぶったような音場が耳につき始めた。それに比べると聴き馴染んだパートリッジは、持ち味の硬質感が音の鮮度を際立たせたような見通しの良い奥行きのある音質である。たとえて言うとNEの方は鮮度の薄れた食材を調味料で味付けしたような音質に聴こえて来る。

アナログでは期待通りの結果を得られなかったNEだが、PCTオーディオでは如何であろうか。

現在PCTオーディオはALTECのライントランスで大きな不満もなく落ち着いている。KannoのMCトランスを使用すると、低域の量感は圧倒的なのだが目に見えないダークマターで満たされたように音場がだんご状態となり、響きの良さを打ち消したような重苦しい音質となってしまう。その点アルテック/HIインピーダンスのライントランスは、低域の量感もそこそこに奥行き感のある抜けの良い音場を形成している。
さてNE/ミドルインピーダンスのインプットトランスをそのライントランスと交換すると、Kannoと同様に低域の量感は増すのだが抜けの悪い糞詰まり感が顕著となってこちらもNG。そんな訳でWE-618Bに迫るどころか所詮は子会社のNEインプットトランスは、残念ながらパートリッジやカンノの優秀性を再認識させてくれただけで、当分は日の目を見ることのない結果に終わってしまった。      5/8

■ オーディオ熟成


現在もポップス&ロック用のシステムで稼働を続けている QUADIIを、QUAD22 とセットで購入したのが1989年だった。

その時に一緒に購入した EMPIRE598 は現在サブシステム用に別室に移しているが、フォノイコが故障中なので残念ながら休眠状態である。クラシック用の TANNOY IIILZ は2001年に購入し、Thorens TD126 Centennialや Marantz7R も同じ年に我が家にやって来た。

HARBETH HL-4 が2005年で Garrard401 が2008年だから経年による老朽化が進んでいるように思われるが、メンテナンスによってそれぞれの機器の熟成が進んでいるのが名器と呼ばれるヴィンテージ機器の強みである。

これまでのメンテナンス内容をご覧になっていただければお分かりいただけるように、それぞれの愛機が中古購入時よりオリジナルを意識したメンテナンスによって高音質化を実現している。最も顕著なのが Marantz7 のレプリカで、カップリングコンデンサーの交換などによってオリジナル販売当時の音質に近づいたのではないだろうか。TANNOY IIILZもネットワークコンデンサの交換によって、それまでにはョくことの出来なかった美音を提供してくれるようになった。

老いによる聴力の衰えも手伝って、最近は神経質に音の出方に拘らずに音楽を楽しむことができている。

定年も近づいて今後はオーディオ環境の変化も少ないだろうから、大型のSPなどを購入して方向性の転換を計ることもないだろう。音質に大きく影響するトランスやコンデンサーなどの修正は続けるだろうが、我が家の「箱庭的オーディオ」ライフは到達点にかなり近づいて来ているようだ。

その着地点を更に改善してくれるのは、挑戦し始めたばかりのPCTオーディオなのかもしれない。こちらの方はまだまだ熟成感もなく、ややもすると若々しくアクの強い音質を醸し出しているのが現状だが、新たな音楽的感動の獲得を目指して頑張って行きたいと思っている。  5/12


■ オーディオ巡礼「Y下さん邸訪問記」


名古屋のY下さん宅を2年振りに訪問させて頂いた。

今回の主たる目的は、英国が誇るヴァイタボックス DU-120 コアキシャル SPを、WE VT-52(刻印)とWE-300B(復刻)を差し替えて使えると言うY下さんお手製の夢のようなアンプで聴かせて頂くことである。

初めて現物を間近に見たDU-120は、このユニット用に特注で製作されたフィンランドバーチ製コーナー型エンクロージャーに収められている。

これまで VITAVOX のユニットをじっくり聴かせてもらう経験は無かったが、アルミのパンチングで保護されているツィーター部は TANNOY のようなホーンではなく、特殊なポリエステルフィルムの振動板を使っているとのことである。

音を聴く前にまずじっくり今回の主役となる自作アンプやPCTオーディオ用にケーシングされたトランス類を眺めさせて頂く。

回路などについては説明いただいてもまったくその良さが理解できないが、音質と同様にオーディオ機器の重要なファクターとなる大手メーカー顔負けの視覚的な佇まいが、一目見ただけで高い完成度を伺わせてくれている。


今回の主役の真空管がこちら。出力管の WE VT-52(刻印)/WE-300B(復刻)と整流管の WE-274(刻印)のお宝シリーズ。

前段の方もこれ以上の選択肢が無いと思われるテレフンケン 802S(金足)を組み合せておられるので、まったくもって最強のアンプとなっているのではないだろうか。たぶん内部配線も音質の良いオイルコンデンサーなどを惜しげも無くお使いのことだろうと想像できるが、数々の高音質アンプを製作されているY下さんは「もうアンプ作りも最後にしたい」とおっしゃっていた。それだけこのアンプに対する思い入れが強いものだとも想像できる。

今回お聴かせいただいたソースは大半がデジタル音源である。

PC音楽再生プレーヤーは音質評価の高いfoobar2000、DAコンバーターには今は亡きラステームのUSB-DACをお使いである。CDの再生は CECの CDPが故障中とのことで、アンプの横にあるポータブルなCDトランスポートを利用されていた。


こちらはPCT(トランス)オーディオ用のトランス。WE-618B は○ッ○屋さんに貸し出し中とのことで、最近ネットを通じて調達されたトランスの2機種を聴かせて頂いた。右側の AWA(オーストラリア)のトランスは WE-618B と比較しても遜色の無い高音質のトランスとのことであるが、これらのケーシングも自作で済ませておられるということで、見た目の完成度もまったくもって申し分のないものである。

さて肝心の音質の方はと言うと、ヴァイタボックス DU-120 コアキシャルSPは前回訪問時に聴かせて頂いたロンドンウェスタン直系の3WAYシステムが醸し出していた美音より、TANNOY と構造的に等しい同軸ユニットのメリットを発揮しているためか音質的には当方の耳にはより好ましく聴こえるものであった。

アンプの出力管も最初は背面に設置されているスウィッチを切り替えて VT-52 で聴かせて頂いたが、帯域バランス上高域と低域が中域に集まったややナローな音質傾向ながら、弦楽器が刺激的な音質に一切落ち入らない優しくて渋い音色であった。最初はこれがこのアンプとこのSPの音色傾向なのかと思ったが、整流管をWE-274Bからナショナルユニオンに交換するとその高域の表情が一変してやや刺々しさが現れたことを考えると、ウエスタンの真空管が音質に与える影響度の高さを物語っているよ、である。

さらに出力管を WE-300B に交換すると、帯域バランスが上下に広がると同時に音に艶感や躍動感を感じさせるハイファイ的な音質に一変した。

オケのようなダイナミックな表現を要求される曲種などには、真空管の王者と呼ばれる WE-300B がその実力を遺憾なく発揮しそうな音色であったが、ソナタや小編成などの楽曲では VT-52 の水墨画のような色の付かない高貴な美しさが生きるような気もする。

PCTオーディオのトランスもスタンコアのトランスはこの組み合わせでは音場が狭まり、やや不自然な響きが楽器に乗るようで実力を発揮できていない感じがする。一方AWAの方はインピーダンスの低いインプットトランスを組み合せた時に感じるような詰め込み過ぎた圧縮感がなく、伸び伸びと音場が広がってとても好感の持てる美音であった。

とにかくY下さんのお話からも伺えるように、WE-300Bより希少価値の高い VT-52 をこのような完成度の高いオーディオシステムで聴かせて頂いたのは、大変貴重な経験をさせていただいたのは間違いないニ感じた。


今回は聴かせていただけなかった、スタンコアのトランスを使用した KT-66 アンプと交流点火に改造された SV-91B アンプ。

トランスが大きいのか GECの KT-66がスリムに見える。また別の機会にこのアンプでヴァイタボックスを聴いてみたい。

初期型のGOODMANS AXIOM 80ユニット。こちらも貴重品。

裸のユニットのままでSPコードを接続して聴かせてもらったが、箱もないのに高域のバランスが自然で美しい音色なのは驚きだった。

こちらは新たなキャビネットの製作を予定されているプレーヤーシステム。右側のカートリッジはスプリング配線の Ortofon SL-15。

少しだけ奥のグレースアームとMMカートリッジでケルンコンサートを聴かせてもらったが、CDとは別世界のアナログ独特の芯のある音質はとても魅力的なもので好感を持った。

久しぶりの訪問記であったが、今回もとても良い体験をさせていただいた。自閉気味に閉じこもってばかりいないで、たまには素晴らしいオーディオ愛好家の音を聴かせてもらうのはとても良い刺激となる。

今回特に我が家では一生縁のなさそうな、ウエスタン製刻印真空管の実力を肌で(耳で)感じることが出来たのは収穫であった。また日本では愛好家の多いTANNOYより、希少価値の高いヴァイタボックスのSPをじっくり聴かせて頂けたのはとても良い経験となった。   5/18

■ 私も買ってしまいました


このStereo Sound 保存版を早速本屋で購入した。

90年代中頃まではステサンの発刊を待ちこがれて毎季購入していたが、ヴィンテージ指向がはっきりして来るとその行事もピタリと止んだ。その後は管球王国やanalogなどで内容の気に入ったものや、ステサンの特集号の一部だけを購入している。
今回の「MCカートリッジ徹底研究」はオーディオ全盛時より永らく頑張っておられる評論家柳沢功力氏の「最新MC型カートリッジ25モデルの試聴リポート」と、故長島達夫氏著『図説・MCカートリッジの研究』(1978)が掲載されている。まったく最近のオーディオ機器はとんでもない値段だなあと感じているのは私だけであろうか? 

「最新MC型カートリッジリポート」ではデンオンDL-103がお付き合い程度に載っているが、蜚シが30〜50万もする高級品?ばかりで、いくら音質評価で美辞麗句を並べられても新品で購入する気持ちは更々湧いて来ないものばかりである。

我が家も最近まではアナログ主体で音楽を楽しんでおり、未だにお気に入りのカートリッジがMC型を中心に10個ほど生き残っているが、全部足しても現在の高級品の価格には及ばないのではないだろうか。昨年 Thorens MCH-II の修理を荻窪のマエストロ・ガレージにお願いした時に、35万ほどするマイソニックラボのカートリッジを聴かせて頂いたが、しばらく聴いていてレコード盤のノイズを拾わない静寂性の高い音質には驚いた。しかし我が家にある旧世代のものと比べて、まったく別世界の美音と言う訳でもない。オーディオは値段でもないのである。


最近になってPCTオーディオのトランスは PARTRIDGE TH-7559 を使うようになった。
Y下さん邸にお邪魔した後、我が家に帰ってからいろいろ試聴を続けている。最近定着していた ALTEC 15335A のライントランスはロックなどの曲種では問題はないが、クラシックの弦楽器がいやに刺ンIで自然に響かないことが分かった。それで昇圧トランスのパートリッジに交換したところ、Kannoを使用した時よりも高域もナチュラルで特に違和感もなく、低域の方も床を振動させるほどの重低音が圧倒的でなかなかに好ましい。しばらくこの組み合わせで楽しむことにしよう。   5/30

■ アナログ通信


北海道のKeisさんから新作のリード線が届いた。

今回の素材はCreationと言うメーカーが販売しているPC-Triple Cと呼ばれる新しい線材とのことである。ラインケーブルやSPケーブルに加工して製品化しているメーカーならなんとなく分かるが、素材の詳細となると Keisさんの詳しい説明を読んでもまったくぴんと来ない。

昨年の年末にはTUNAMI TERZO V2ケーブルの102-SSC線材から作成したリード線を送って頂いたが、これがとても我が家の機榿は相性の良いもので、このリード線と組み合せたSPU MEISTER-GEを常用カートリッジに復活させてくれた。今回の線材の試聴結果は前回の素材ほどの可能性を見いだすことができなかったが、線材の本数、組み合わせやその方向性だけでなく撚り方の強さまで独自に考慮して製作されているのはまったく驚嘆すべき技術である。アンプ作りのY下さんやKeisさんなど技術者としての能力をお持ちのオーディオ愛好家が、自分の力で音を変えられると言うのは本当に素晴らしいことだと感心させられる。         6/3

■ サブシステム

Harbeth HL-COMPACT のサブシステムを最近良く聴いている。

プリアンプが故障中なので音源は旧世代 CDPの2台となるが、なかなかフレッシュな音色でヴォーカルなどの肉声がとても自然に響く。CDPからライントランスを介してダイレクトにパワーアンプ(TU-873LE)へ繋いでいるのだが、エレクトロハーモニクス300Bとの相性もまずまず良いようだ。

しかしヴォーカルや小編成の曲種には相性が良いが、もう少し音質にコクと音数の増加が欲しいような気がする。

やはりこの辺はプリアンプの必要性を感じるところなので、手頃なフォノイコ付プリアンプを物色中である。

以前使用していたラックス CL-32クラスのアンプがあれば丁度よいが、調達できても発売後40年近くが経過しており流石にコンデンサーなどの耐久年数が切れているのが不安要素である。こんな時に自分でメンテできれば問題はないのだが、まだまだ技量が追いつかないのが悩ましい。

90年代に発売された中堅 CDPの音質も、ALTEC のライントランスを使用することでバランス良く音楽を楽しませてくれている。

当初はスイングアームを使用した Marantz CD-16 の音楽性の高さが予想されたが、独自の光学系固定方式メカニズムを採用したSONY CDP-XA5ESのパワフルな音質も、POPSなどではマランツに遜色の無い音色を聴かせてくれている。EMPIRE598を久しく聴いていないが、そろそろかまってやらないと使い物にならなくならないかが心配である。   6/10

やはりゴロが気になるのでスラストパッドを交換することにした。

裏側から良く眺めてみるとモーターを固定するプレートに少しサビが出ているが、これは購入当初よりあったのかはっきり覚えていない。まあスラストパッド同様に純正のサービスパーツが手に入るから問題はないだろう。さていつも通り軸受け部を本体より取り外して分解するが、軸側中心のパッド接触部分にも円形の摩耗の後が残っているので、サンドペーパーで磨いて元に戻すことにした。400番から1200番目までのサンドペーパーを使って磨くのだが、手作業の為に平面が出ているのかが心配だった。まあパッドの平面ではなく円の接点で接触する訳だから大丈夫だろうと素人判断でメンテナンスを行う。

ところが新しいパッドに取り替えオイルを補充して元に戻すが、スイッチをオンにして駆動するとゴーッと軸がパットに擦り合わされる音が盛大に聞こえて来る。「ありゃー!またやってしもうた。」と動揺するが、馴染むのに時間が掛かるのかもしれないと廻しっぱなしでしばらく放置することにした。幸いにも1時間ほどすると異音も治まり、レコードを聴いてもゴロもなく一件落着となった。

ここのところ常用カートリッジの地位を維持してきた SPU MEISTER-GEの調子が少し悪い。

実は半年くらい前のことだが、いつも通りレコードを聴こうと思ってプレーヤーに被せている布を取ろうとして、うっかりカートリッジのカンチレバーに引っ掛けて大きく曲げてしまった 。なんとかペンチを使って自力で修復する(したつもり?)が、そのころからなんとなく右chの音が小さくなったような気がしていた。最近その傾向が顕著になって来ておりMCH-IIの時のようなラインコンタクト針の摩耗も考えられるので、マエストロ・オーディオさんから専門業者の方に送って診断をお願いすることにした。はてさてどれくらいの見積もり額となるかが心配の種である。
そんな訳で再びGold-GEに出番が廻って来たが、付け替えた当初はヘソを曲げたのか低域がまともに出て来ない。LPを2枚ほど掛けて愛情を注いでやるとやっと音場も広がって本領を発揮し始めるが、この辺が Vintage の難しいところなのであろう。    6/17

■ マエストロ・ガレージ訪問

年始に Harbeth のトゥイーターを受け取りに言って以来、半年振りにお邪魔させていただいた。

今回の目的は調子の悪くなった SPU MEISTER-GE の修理依頼だったのだが、土曜日の午後一番といった時間帯のせいか既に先客が2組も来店されており、フェーズテックのカートリッジとトランスの試聴会開催されていた。

しばらくご一緒させていただいてベートーベンのチェロソナタに耳を傾けるが、奥行き感を伴った豊潤な音質で刺激的な響きをまったく感じさせない心地良さが印象的であった。

初めて聴いたこのスペンドールの現行スピーカーは、我が家の Harbeth とはエンクロージャーのサイズもほぼ同じでウーハーのサイズは 20cmと小振りながら、中高域に2種類のソフトドームを使用した分だけ中域の響きが充実しているように感じた。

流石に同じ英国 BBC の血統を受け継ぐスピーカーではあるが、明るく抜けの良い Harbeth と比較すると昔の BC-II の血筋を感じさせる渋い趣である。

昨年聴かせて頂いたスペンドールのトールボーイシリーズはやや淡白な音質で少し違和感を覚えたが、こちらのタイプがより BBC の音色を色濃く受け継いでいる音楽性の高い気品のある響きではないだろうか。

カートリッジはフェーズテックのP-1Gという、最近まで製造されていた価格30万ほどのモデルである。

昨年聴かせて頂いたマイソニック・ラボの時も感じたことだが、開発年代の新しい新世代カートリッジ群はノイズの少なさが共通した利点なのであろうか。このカートリッジを使用して現行2種類のトランスを聴き比べると、4万ほどの低価格のタイプでも十分とも言える音楽性の高さで楽しませてくれたのは驚きであった。
今回お邪魔した折にも30年以上昔のオラクルのプレーヤーの修理品が持ち込まれており、店主の谷口さんのお話ではまだまだVintage機種を大切に使用されているオーディオ愛好家が多いとのことであった。

1週間ほどで修理の見積もりが上がるとのことであったが、果たして結果はいかばかりであろうか。    6/20

SPU MEISTER-GEの針の状態は予想通り芳しくなかった。

針先は最も摩耗した状態らしく、カンチレバーの曲がりも新規取り付け(外径接合)が必要だとのことであった。結局10年ほど前に今はなき○○オンの展示品を購入した時と同じくらいの投資となったが、またこれでしばらくは完全な状態でレコードを楽しめると思えば納得せざるを得ない。

しかし前回のMCH-IIの時も疑問に思ったのはラインコンタクト針の摩耗が早いとのことだが、昔は針の寿命(ダイヤモンド針)は半永久的であると言われていたものとは別物なのであろうか。そんな風に少々せこく考えてしまうのだが、GoldやClassicなどでは得られない豊かな表情が持ち味のこのカートリッジの音質はPOPSやROCKにはやはり必要なものなので、しっかり直していただくことにした。

そんなことを言われると、2010年に針交換後使用時間の少ない状態で購入したGoldや2000年頃に針交換で戻って来てからほとんど使用していないClassicはまだまだ使えるような気がするが、1990年頃に購入したSPU-GEの中古品はとうに寿命を迎えているのかもしれない。

MEISTERやGoldを導入後はとんと活用する機会が少なくなったオリジナルのSPU-GEではあるが、やはりこの機種は今後も手放すことはせず、カートリッジのベクトルとして完全な状態で所有していきたいと考えている。またしばらくして余裕ができたら修理に出すことにしよう。 6/28


■ スピーカーのセッティング

最近は「ウーファーとツィーターの間がほぼ耳の高さになるように設置する」というのがセッティングの基本らしい。

昔は「ツィーターが耳の高さの少し下あたり」が基本で、Harbethの純正スタンドも少し高さが低くなっている。TANNOY は同軸コアキシャル構造だからツィーターの位置が少し低過ぎるのかもしれないと思い、アイアン・ウッドと呼ばれる素材でできたキューブを挿んで7cmほど高さを上げてみた。

Harbeth 同様、3点支持でテクニカ製ハイブリッド・インシュレーターの上にセッティングするが、ツィーターが耳の高さに近づいた影響で、以前より音域バランスが高域に寄ってくっきりと聴こえる。

低音の広がりが薄くなるのは不満だが弦楽器が特に刺激的に響く訳でもないので、しばらくインシュレーターの組み合わせを替えながら試聴を続けて行くつもりである。     7/1


■ Thorens TD126mkIII Centennialのメンテナンス

スピーカーのセッティングを変えてから、音場がはっきりと見渡せるようになった。

その反面、低音の広がりが少し薄くなったように感じるので、Marantz7R のトーン・コントロールのBassを+1補正してョいている。しかしなんとなく高域が混濁していて透明度も低く感じるようになったので、300Bシングルアンプの初段管を再び重心の低いタングスラムに交換してみる。

しばらく聴いているとピアノのピアニッシモで微妙にワウフラッターを感じ、ひょっとすると高域の濁りの原因はプレーヤーにあるのかもと思ってThorensのメンテナンスに着手することにした。同様の症状は昨年末に伸びたベルトを交換するまでは顕著であったが、ベルト交換後はあまり気にならなくなっていた。ベルト交換直後はストロボスコープに前後の軽い揺れがあるのが気になっていてベルトが馴染んだら安定するだろうと楽観視していたが、このあたりが音質に影響しているのかもしれない。

このプレーヤーはスイスのトーレンス社100周年を記念して開発されたリミテッドモデルで、当時の輸入元だったノアとSME輸入元のハーマンが共同企画した日本特別バージョンである。1985年に発売されたものを2000年頃に中古で購入したものであるが、当時の売価が38万円だから現在作ろうとすると倍くらいの価格になっているのではないか。クラシックなどの曲種に向いたゆったりした音質が気に入っているので、今後も末永く活躍して欲しい機種の一つである。まず左の画像のようにインナープラッターのベルト接触面に付着している汚れをサンドペーパーで磨き上げ、スピンドルも古いオイルを拭き取って純正オイルを補充する。念のためにカートリッジのオーバーハングや針圧バランスなどを再調整してメンテナンス終了。メンテナンス後はストロボのふらつきも治まり、高域のワウフラッターも感じなくなった。   7/4

■ ノスタルジー

Y下先輩と学生時代のオーディオへの憧れのお話をしていて、昔のオーディオ雑誌を引っ張り出して来た。

1981年 FMfan臨時増刊号のアナログ専門誌「'82カートリッジとレコードとプレーヤーの本」である。学生時代はFMレコパルやFMfanなどの雑誌を購読して夢を膨らませ、小遣いのゆとりのあるときだけSTEREO SOUNDや月刊STEREOなどの専門誌を購入していた。

我が家にあるステサンで一番古いのが、1973年28号「最新ブックシェルフスピーカーのすべて(上)」である。この特集で我が愛機TANNOY IIILZを始め、学生時代に使用経験のあるKLH-Model32やDYNACO A-25XSなどが準特選/特選の評価を受けている。


このアナログ特集号を眺めていたのは大学生時代で、既に自分のコンポーネントステレオを所有していた頃である。

高校の入学祝いに購入した初めてのコンポーネントは1970'sに記されているが、大学時代になって初めてスピーカーを TANNOYの HPD295にグレードアップするとともにアンプも真空管の Dynacoに移り変わっている。カートリッジは高校時代から変わらず、シュアー M75EDだったと記憶している。


このアナログ特集を眺め倒して Ortofon SPU-G や ELAC 555E/DECCA MarkV-EE/EMPIRE 4000DIII/TSD-15 などを購入することになる訳だが、この頃には嗜好が海外製品に移っているようだ。


高校生時代に購入した1975年「評論家・読者の選ぶ'75ベストバイ・コンポーネント」の頃には海外製品に憧れを持ちつつも、国産のグレースなどのお手頃価格のカートリッジをターゲットとしていたが、最終的には国産品は音楽性が低いといった理由でアメリカのシュアーを選んだ記憶がある。

こうやっていろいろ昔憧れていた Vintage アイテムを眺めていると、いまだに使用してみたいという願望を抱かせるような完成度の高い機種も多いような気がする。       7/11 


■ 最近のオーディオあれこれ

この前仕事の関係で東京駅に行ったので、百貨店に出店したという中古オーディオショップに立ち寄ってみた。

4セットほどアナログからスピーカーまでの組み合わせがセッティングされており、その中央にどんと構える超弩級の組み合わせから音楽が流れていた。

JBL のエベレストとマークレビンソンを組み合せた中古でもそれぞれが数百万もするようなシステムだが、その女性ヴォーカルはなんとなく寝ぼけたような冴えの無い音質で、これがジャズなどでは最高にキレの良かった JBL の最近の音質かと耳を疑った。

見た目の迫力だけならお金持ち愛好家の所蔵するターゲットにはなり得るかもしれないが、果たして音楽愛好家がこの味気ない音色を聴いて高い(?)購入金額を支払うだけの魅力があると感じるのだろうか。

そうは言っても他に古いケンウッドやパイオニアのプレーヤーに加え、美しいデザインに昔憧れていたヤマハのアナログプレーヤーまで品揃えされていて、今後も頑張っていただきたいショップではあると感じた。

上の2枚のアルバムは同じ音源を使った、大好きなクレンペラーのEMIワーグナーアルバムである。

左が仏マルコーニの1963年オリジナルアルバムで、右は1985年頃に再発された独EMIデジタルリマスター盤である。カッティングされた国(エンジニア)の違いとデジタル処理されたリマスター盤の音質の違いが体験できる訳だが、ともに美しい音色で我が家の宝物となっている。右側の独でカッティングされたDmm(デジタル・メタル・マスター)盤は昨年近所のハードオフで未開封の新品を安く手に入れたものだが、ドイツ盤特有の低音の豊かな響きとデジタル処理されノイズ感が少なくなった音場がとても美しい。

オリジナルのフランス盤は気品のある高域の瑞々しさが特徴ながら、決して刺激的な響きにならないのがこちらもとても好ましい。こんなプレスされた国(音質)の違いに拘るのは、レコードの古き良き時代を経験したことのある物好きなアナログマニアだけだろうが、確かに音質に違いがあるのだから享受される演奏家の感動は同じかも知れないが、そのレベルが違って来るというものだ。

最近は我が家のオーディオ機器も熟成を重ね、音の良いと言われる輸入盤だけでなく国内盤でも違和感無く音楽を楽しめるよ、になってきたが、やはり国内盤と輸入盤の音質の差は確かにある。若気フ至りで学生時代に「輸入盤は音が良い」という言葉を鵜呑みにして結構な数の韓国プレス輸入盤を購入していたが、物を知らないと言うのは本当に恐ろしいことである。最近になってやっとその名演と言われるアルバムの英国やドイツの本国盤を手に入れるようになり、やっぱり音が、音楽が違うと再確認している。      7/18


■ DENONさんもなかなかのモノですね

我が家は昔からオルトフォン党である。

クラシックにはMCH-IIを愛用しているが、それ以外の曲種では4種類のSPUとMC-30の2種類を使うことが多い。その中で一番のお気に入りだった MEISTER-GEが修理中なので、SPU GOLDを中心にいろいろなカートリッジの音色を楽しんでいる。

オルトフォン以外では EMPIRE598プレーヤー純正の4000DIIIとDECCA Mark-V EE、それにDENON DL103C1がある。オルトフォン党と同様にデンオン党を支持するオーディオ愛好家が多いことも良く知っているが、なぜかオーディオ初心者の時に馴染んだのがSPUシリーズだったので、その伝説的なDL-103を購入する機会を逸していた。我が家の派生モデルDL103C1はSTEREO SOUNDの91年度ベストバイで1位に選ばれたから購入したものと記憶しているが、音がこじんまりとまとまり過ぎていてこれまではあまり聴く機会はなかった。前回聴いたのは2年ほど前にKeisさんが製作したオーグライン+プラチナリード線の試聴をした頃であろうか。

今回久しぶりにそのDENONさんを引っ張り出して聴いてみたのだが、ROCK系との相性がバッチリで特に低音のドラムの音が最も迫力を持って聴こえるのでまったく驚いた。ゆったり感があり響きの豊かなSPUシリーズと比較して、全体的に音が良く締まっていて中域の密度感が非常に濃く聴こえるのである。

あまりにも音が良いのでメタル教の嫁殿を呼んで聴かせたが、中低域の音色は当方の耳と同じでスピード感のある音色がとても良いとの評価である。しかし高域が少しキンキン響く傾向があり、ZEPPのロバート・プラントの声がもう少し潤いを持って響く方が良いとのご指摘であった。なるほど〜、この辺はプラチナ素材リード線の音質傾向が出ているかもしれないのでリード線の交換で音質向上が計れるかもしれないなと考えていたところに、タイミング良く北海道のKeisさんから新作リード線が届いた。時を同じくしてMEISTER-GEの修理が上がって来たので、ここのところアナログ三昧で試聴を繰り返している。     7/29


■ 修理完了

やっとGarrardの主が帰って来た。

昔からオーディオ雑誌などに広告を載せている専門業者の方に、昨年のMCH-IIに続いて修理をお願いすることにした。

修理内容は 針入れ: ラインコンタクト針 カンチレバー: 新規取り付け(外径接合) ダンパー: 交換、または調整 ゴムシートカバー交換 端子ピン: 調整、接着補強との見積もり時の内容だったが、修理結果についてはマエストロ・オーディオの金額領収証のみでまったくあっさりした物である。前回のMCH-IIの針先交換と断線修理では、オリジナル時の華やかさが薄れて若干大人びた音質に変貌を遂げたが今回はどうだろう。

持ち帰って早速アームに装着してレコードに針を落とす。最低針圧の3gでいつも通り慎重に針を落としたつもりだったが、いきなり2cmほど針滑りを起こしてしまう。もう一度針圧を確認して少し針圧を重くするが、少しの振動で盤面を滑ってしまう。針先をルーペなどで確認してみると、少し片方にねじれが起きていて真下に向いていなかったので、慎重にピンセットなどで修復を図ってみた。カンチレバーの新規取り付けは難易度が高いのかトラッカビリティーに大きな問題が発生しているが、肝心の音質の方は修理前のバランスの崩れも修正されて音場も左右一杯に広く取られている。しかしなんとなくこのカートリッジ持ち前の馬力の良さと鮮烈とも言える切れ込みの良さが影を潜めてしまったようなのだが、エージングによって改善されて行くものなのかまったく判断が付かない。

その後リード線もオリジナルに戻してしばらく試聴を続けているが、果たして控えのSPU GoldやDENONさんを超えて再び主役の座に戻ることがかなうのであろうか。       8/2


■ シングルアンプの初段管

 SIEMENS 6BM8

300Bシングルアンプ(SV-501)の初段管を購入した。

TANNOY IIILZ のセッティングを変更したところ、ムラードでは少し高域に違和感を覚えたので現在はタングスラムに戻して聴いている。継続してテレフンケンなどの出物を探していたが、同じドイツのシーメンスを見つけたので調達することにした。ドイツ製オリジナルかどうかははっきりしないが、肝心の音質は落ち着きがあってまずまず楽しめそうなのである。

SPU-MEISTERはリード線にウエスタン線を加えてマルチブリッドにしたところ筋肉質でパワフルな音質に復活したが、トラッカビリティーが最悪でカッティングの良いレコードや少しソリのあるレコードですぐに針飛びを起こすのがまったく困りものである。針先をルーペなどで良く観察してみたところ、オリジナルの物よりかなり小さめのラインコンタクト針が付いているが、この辺に問題があるのだろうか。    8/7

このHPを見たマエストロ・オーディオの谷口さんが、SPUカートリッジ修理の件で助け舟を出してくれた。

修理元に症状を説明して実際の修理内容を確認してもらったのだが、針先チップのラインコンタクト針は元々着いていた純正と同じ大きさで、実際にortofon に針先チップを供給している製造会社から仕入れたものを使っているとのことであった。手持ちのGoldやClassicなどと比較すると明らかに小さめなのだが、専門の方がおっしゃるのだから間違いはないのであろう。原因として考えられるのは、ダンパーを交換したため馴染むのに若干時間を要するとのことなので、エージングが必要なだけなら少し不安な気持ちが払拭されたような感じである。

我が家にあるような少し古くなった機器は、愛情を持ってじっくり良い音楽を聴いてあげないと、機嫌の良い状態にならないのかもしれません。あせらずにじっくりと取り組まないといけませんね。谷口さま、アフターサービス有り難うございました。      8/11


■ 新規チューナー購入

 SONY ST-SA50ES

還暦定年まであと数年を残すのみとなった今月の初旬に、急遽配置転換となった。
入社から既に30年以上が過ぎ、これまで北陸から北海道まで度重なる転勤を重ねて来たが、今度は別会社への出向でこれまでの異動とは職務内容もちょっと違って来ている。勤務形態もこれまでの平日主体の休みから、一般サラリーマンのように土日に替わっている。転勤を伴わなかったのは喜ばしいことだが、職務内容がまったく異なったものなので、心身ともにボロボロの日々を耐え忍んでいる。残業を含め連日12時間を超える労働時間は辛いが、なんとか週休2日は維持しているので、体力的な問題よりも精神的な問題の方が大きい。そんな訳で、これまでは毎日大好きな音楽と向き合う時間が少なからず取れていたが、最近はその楽しい一時を土日でしか取ることができなくなってしまった。

修理後調子の悪かったオルトフォンのSPU MEISTERは、マエストロ・オーディオのプレーヤーで試してみても針滑りが起きることが判明して、修理もとに再度点検をお願いすることにした。

さて、この土日にリフレッシュを兼ねて近所のハードオフに偵察に出かけた時、このSONY製チューナーをゲットした。最近になって倉庫から引っ張り出して来たパイオニア製のチューナーは、しばらく使っているうちに音が出なくなって故障してしまった。メンテナンス情報をいろいろ調べてみたところではトランジスタの劣化と推測されるが、修理をするには難易度が高いので少し前から手頃なものを探していた。

このチューナーは1997年に発売されたESシリーズのFM/AMステレオチューナーで、当時の定価はそれなりの40,000円。前機種のST-SA5ESなどと性能を比べると、コストダウンされた分だけ中身もスカスカのようである。しかし流石に音質に定評のあったソニーのDNAは受け継がれているのか、故障前のパイオニアと比較すると受信性能も高く、数段ハイレベルの音質に仕上がっているようである。お安い分、取説もAMアンテナのどの付属品もなかったので使用方法をネットなどで検索中だが、AMステレオ放送なるものを聴いてみたいと思っている。    8/23

■ SPU MEISTER


再修理をお願いしていたMEISTERが戻って来た。

針飛び+横滑りを起こすレコードと一緒に修理元に送ったところ、原因については交換した部分(針先,カンチレバー、ダンパー等)と既存の振動系との微妙なバランスで、このような症状が出ているのではないかとのことであった。特にカンチレバーを後ろから引っ張って支えるテンションワイヤーに原因があるとも考えられ、このワイヤーを含めた振動系一式の交換を予定しているとの報告を受けていた。
昨日、マエストロ・オーディオの谷口さんから再修理が完了して症状が改善したようだとの連絡が入り、早速取りに伺った。谷口さんのお話では、振動系を交換した結果、マエストロ・オーディオの機器でも以前のような針飛び+横滑りが起きなくなったとのことであった。

しかしテストしたようなソリのあるレコードでは、ボディが盤面に擦れることによって針飛びを起こすので、軽めの針圧(3g強)での使用が無難とのことであった。確かにお伺いして YAMAHA GT-2000で聴かせて頂いたところ、症状は改善されており音質も特に気になるところはなかった。

家に持ち帰って我が家の機器で試聴したところ、修理前と比べてボディと盤面の間隔がとても狭くなっている(1mm弱)のが分かった。これでは当然振幅の大きいレコードではボディが盤面に擦れる危険性があるようだ。右側の画像は手持ちのSPU Goldとの針先部分の比較画像だが、カンチレバーがかなり短くなったような気がする。当然のことながらこのカンチレバーの長さと取り付け角度によって、最低針圧での使用でもレコードとボディの接触を引き起こすのではないだろうか。

また音質についても修理前から少し気になっていた、導入口などの無音部分で「カリカリ、カリカリ」とスプリングが擦れるような音がするのが少し気になっているが、こちらもエージングで緩和される症状なのであろうか? などなど若干辛口の修理感想となったが、難易度の高いと思われる修理にも関わらず無償で再修理を行った修理元の対応や、窓口となった谷口さんのアフターサービス体制は、同じサービス業を生業とする当方にも感心させられる部分が多かった。谷口さん、お世話になりました。

修理品を取りに行った時に、愛聴盤のレスピーギのローマ三部作(小澤/ボストン)を持ち込んで聴かせて頂いた。フォノイコがEARの真空管タイプからPhasemation製のコンパクトタイプに替わっていたが、パワーアンプが馬力を優先したトライオード製6L6のプッシュプルにも関わらず、弦楽器に刺激的な音色が伴わない響きなのが驚きであった。

我が家に帰ってまずマエストロ・オーディオの組み合わせと共通性の多い、Harbeth HL-4 を使ったシステムで同じレコードを聴き、次に TANNOY IIILZ のクラシックシステムに針を落とすが、流石にクラシックに関して言えばこの組み合わせが聴かせてくれる極めて自然な音色と音場は、別格の感動を提供してくれることを再確認させてくれた。

最近は仕事の関係でオーディオに接する時間が週末しか取れず、そのせいか音楽を聴いたときの喜びがとても大きく感じている。これからも疲れ果てた心身を癒してくれる、良質な音楽と向かい合って行きたい。    9/5


※追記 色々な資料で調べた結果、MEISTER のカンチレバーの長さはオリジナルから短めで、我が家の個体も特に短くないことは確認できたが、取り付け角度が浅過ぎることが判明した。修理が上がったばかりであまり手荒なことはしたくなかったが、カンチレバーに少し角度を持たせることによってボディの接触は改善の見込みがありそうだ。あとは「カリカリ、カリカリ」の異音だけが問題となる。


週末の今日はじっくり音楽を楽しんだ。

昨日は修理から上がって来たMEISTERが、浅いカンチレバーの取り付け角度を少し起こしたりして、針飛びなど起こさないか不安を持ちながら聴いていたが、何枚かアルバムを聴き続けているうちに今日になってやっと音の輝きが戻って来たようだ。カートリッジに不安を持ちながら聴いていたのが、安心して音楽を楽しむ精神状態に戻って来て、やっと心地よい時間を過ごすことができるようになった。

しかしこの SPU MEISTER-GE の音は心に沁み入るような説得力のある音色である。
最近まで聴いていた DENON DL-103C1 も中々の物だと思ったが、やはり音の潤いを持った質感がまったく違うのが良く分かる。ジャズなどにはタイトに引き締まったDL-103C1の方が相性の良さを見せるのかも知れないが、乾燥したマットな音色はプレーヤーの色気や円熟味が伝わって来ない恨みがあるようだ。まあ1992年当時の定価が5倍ほどの開きがあるのだから、差があって当然の事とも思えるが・・・・。

音質はほとんど問題の無い状態まで戻ったが、昨日よりは緩和したもののやはり僅かに昔のゼンマイ式目覚まし時計のネジを巻いた時のような「カリカリ」といった異音が聴こえることがある。この辺りがエージングによって緩和すればまったく嬉しい限りである。   9/6


■ アクセスカウンター


この大した事も無いHP「Comfortable Space」も来訪者件数が5万件を超えた。
もう作り始めて10年を超えているから特に人気のあるものでもないだろうが、なんと言っても長年お付き合いいただいて、関西から北海道までオーディオ仲間が増えたのはとても心強いものである。ありがとうございました。

さて、相変わらず音楽を楽しむ時間は少なくなっているが、修理したアナログのSPU MEISTERもなんとか本領を発揮し始めたのが嬉しい。針圧を低めの3gに設定することによってほとんど針飛びも起こらなくなったし、購入当初に聴いた迫力のある音質が蘇って来た。修理前はSPU-Goldと聴き比べてみても音質の差があまりなかったが、現在はまったくの別物となっている。特に1970年代の古いレコードでも、高音質で楽しませてくれるのが有り難い。テンションワイヤーあたりからの「カリカリ」音は依然として発生しているが、まあそれほど気にならなくなって来た。
さて、最近は別室のHL-Compactを使ったサブシステムのプリアンプを物色中である。昔使っていたフォノイコを搭載したラックスのCL-32あたりが値段も手頃なのではないだろうか。      9/26


■ トライオードのプリアンプ

猛烈に忙しい1ヶ月だった。
このHPの更新もままならず音楽を楽しむ時間もほとんどなかったが、少し落ち着いたここ2〜3日でこちらのプリアンプを速攻で調達した。初めてのトライオードのアンプなのだが、今月の初旬まで発売されていた我が家では珍しい現行品である。TRIODE のアンプはマエストロ・ガレージでも度々聴かせていただいているが、国産で真空管アンプを製造しているメーカーではサンバレーとともにリーズナブルな価格ながらユーザーの熱い支持を得ている会社である。使用している真空管はフォノ段に12AX7×2本(右側のシールドキャップの2本)、ライン段に同じく12AX7×4本と整流管が5AR4×2本と言った構成で生産国はすべて中国モノのようである。

最初は昔使用していたLuxman CL-32あたりを狙っていたが、製造年代が古過ぎてしっかりメンテナンスされた個体に出会う事が叶わなかったため、思い切って現行品を試してみることにした。使用している整流管などの真空管を差し替える事によって、音質の変化を楽しむ事ができると考えたのである。ヤフーオークションで2年ほど前に購入された完動品を定価の6割ぐらいで落札したが、綺麗な元箱も揃っており新品同様といってもおかしくないほど程度の良いものだった。これでやっとサブシステムでアナログを楽しむことができる。おっと、型番はTRV-4SEである。


組み合せるパワーアンプは300Bシングルの ELEKIT TU-873LE である。出力管はいろいろあるが、エレハモやGD4300などが第一候補となっている。プリの初段管はさまざまなヴィンテージ管があるし、整流管もQUAD用GZ-32が数種類あるのでいろいろと試して行くのが楽しみだ。


■ THE EMPIRE STRIKES BACK


4ヶ月ほどほったらかしにしておいたEMPIRE598は、逆襲を遂げられるのであろうか?

まずは純正のMI型4000DIIIをセッティング。さすがに接触不良が頻繁に起こり、しっかりベースの接点やリード線のクリーニングなどのメンテナンス行って、ご機嫌を取らないと本調子とまでは行かないようだ。新しいプリアンプを加えて聴くこのサブシステムの音色は、低域の量感は豊かながら中高域のキレがまったくなく、かなり寝ぼけた音質である。1970年代に人気を博したこのカートリッジは、高域も繊細で良く伸びている筈だからまだまだ本領を発揮していないのだろう。

「モスキート音とは・・・・・」

通常、人間が聴くことができる音の周波数は20Hzから20KHzといわれている。
この音を聴き分ける能力は年齢と共に変化し、30代になると17KHz程度の音は聴こえなくなるといわれており、モスキート音はこの17KHzの周波数を持つ音のことである。

だいたい13歳〜17歳で19kHz、 18歳〜24歳で17kHz、25歳〜30歳で15kHz、31歳〜40歳で13kHzといったように、加齢とともに耳の性能も劣化して聴こえる周波数が低くなって行くのが通常のようだ。20歳代でうるさく感じた高域のきつさを最近は感じなくなったのは、オーディオの音質が良くなったのではなく、ただ単に歳をくったためかもしれないのである。まあ気持ち良く大好きな音楽を楽しめるようになったのだから、当然文句がある訳ではない。    10/22


久しぶりに真空管の交換試聴を行う。

整流管の5AR4を英 BRIMAR-GZ34に替えて、フォノ段の12AX7×2本をLUXMANロゴの松下製に交換してみる。

CDPからダイレクトにパワーアンプに繋いでいたときはとてもスッキリとした高域よりの音質だったが、プリアンプを使用する事によって中低域にバランスされた音質に打って変わった。また整流管を交換することによって滲み気味だった音質が少し締まった感じになる。オリジナルの真空管は中国曙光電子製と思われるが、12AX7の方はMarantz7Rに使用されている物とまったく同じであった。やはり現行の中国管からヴィンテージの優良管に交換すると、ガラッと音質描写が変わって来て好みの音質に近づけて行くのがとても楽しい。Mullardなんかを使ってみるのも少し高域の繊細感が出て面白いかもしれないが、ちょっともったいない気もする。まあ気長にいろいろ試してみる事にしましょう。

プレーヤーの方はカートリッジのEMPIRE 4000DIIIのピンの腐食がひどく、まともに鳴らないので早くも主役のOrtofon MC-30Sに変更している。ステップアップ・トランスはNorthern Electricを使用しているが、アナログの音質は響きはそれほどでもないが低域の量感が大変豊かである。

HARBETH HL-Compact はエンクロージャーのサイズが小さいので、箱鳴りで低域もある程度は出て来るが響きは少しタイトになるのはしょうがない。

今回のこの組み合わせでも、ライブハウスの前席で聴くようなリアル感で楽しめる。そんな訳で当初の予想通り、アコースティックやヴォーカルなどの曲種と相性が良さそうだと感じている。

EMPIRE598とTRIODE TRV-4SEのフォノイコの組み合わせはかなり音質に厚みが出て来るので、ネかなか説得力のある音色を楽しむことができそうだ。     10/24


昨日に続いて真空管の交換試聴を継続。久しぶりの週末連休はとても嬉しい。

整流管と出力管(300B)の交換試聴を、今日は嫁殿と一緒に進めて行く。ソフトは嫁殿好みのメタル・ロックを使用するが、嫁殿の音質評価はまずまずよろしいようである。ベースは弱いがドラムにキレがあり、高域が少しおとなしい分だけギターが弱いといった評価である。

さて、整流管をオリジナルの5AR4(中国製)からGZ34(BRIMAR)に変更し、更にGZ32(Mullard?)に取り替えるが、最も音に勢いが出て好ましかったのがGZ34であった。一番期待したのはGZ32であったが、低域の量感も減少して少し淡白になり過ぎて、クラシックなどには良い相性をみせるのかもしれないが、POPS&ROCKには物足りない結果となる。音質に最も影響を与える出力管の方は、エレハモ→GD4300B→桂光→曙光と短時間での切り替え試聴を行うが、最も評価の高かったのが以外にもロシア・エレハモブランドであった。低域の量感も十分で音に厚みもあり、中高域のキレも良くてなかなかのバランスで響く。

アナログはEMPIREの軸受けクリーニングを実施し、モーターにオイルを補充するなどしてボケた音色にやっと抜けの良さが出て来た。CDPの方は光学系固定方式メカを採用したSONY CDP-XA5ESにピアレスのライントランスをかませているが、嫁殿の評価でも定位の良さでCDPはアナログに敵わず、音が少し団子状態になってプレーヤーの存在感が分かりにくいとのことであった。厳しい〜。
大分煮詰まって来たが、来週の休みにはライン段とフォノ段の12AX7をいろいろと試してみようと考えている。    10/25


■ 米 UTC-2080


メインのPOPS&ROCKシステムの方はOrtofon MEISTER-GEが修理の紆余曲折後に復調したことから、最近はまたアナログ三昧である。

ドイツ製トランスで思い通りのものが手に入らない中、米UTCのトランスを調達した。WEやTRIADとともに米製トランスの御三家のひとつで人気のある機種なのだが、PARTRIDGEのトランスなどと比べて比較的安価に手に入れることが出来た。

早速、これまで長期に渡りメイントランスとして愛用して来たPARTRIDGE TK2220との比較試聴を実施する。

結論から申し上げると、POPS&ROCKのような曲種では僅差でUTC-2080の音質が上回ったと言うかより好みにあった結果となった。そんな訳で長年SPUとの組み合わせをサポートして来たPARTRIDGEが、いよいよお役御免となってしまった。中低域の重量感はゆったり響くPARTRIDGEが勝っているのだが、高域に独自のクセというかキラキラ感がありこれがこのトランスの美点でもあるが、ややもするとキンキンとした響きに聴こえることがある。

UTCの音質傾向は全体的にシャープで締まりがあり、プレーヤーの実在感をはっきりさせる音場形成が一番の利点となっていると感じた。前に迫ってくる音質が奥行き感の醸成にも結びついており、音楽性といった点でも評判通りの高音質である。そんな訳でPARTRIDGEは今後サブシステムのOrtofon MC-30Sと組み合せることにした。

さて、サブ・システムのTRIODEプリアンプ真空管の続・交換試聴である。

今度はいよいよライン段とフォノ段の12AX7編である。オリジナルは中国の曙光電子製であるが、何か風呂場で聴いているような独自の低音の膨らみと湿気を帯びたような音色で、カビが生えているような感じである。(そんなひどい訳ありません)
ライン段は4本使用されており、どれがどれだか判断できないので、4本の同一ブランド管(GE高信頼管5751/LUXロゴ松下12AX7)で試聴してみる。全盛期のヴィンテージ管に交換してやっと湿気が抜け、見晴らしの良いはっきりとしたバランスに戻ってほっと一息つかせていただく。GE高信頼感の方は今一歩キレが無いので、こちらは古いLUX選別管で落ち着きを見せる。

さてフォノ段の2本だが、こちらは選択肢がかなり多い。12AX7では英BRIMAR/Mullard/米GEなどに加え、MullardCV4004/CV492などが候補となる。ドイツ管(TELEFUNKEN/SIEMENS)がないのは少し寂しいが、結果として少しもったいない気もするがCV4004で着地した。


プリアンプを導入して真空管も各種取り替えた結果、こちらのサブシステムもかなり図太くて暖かみのある音質を聴かせるようになった。

今後、整流管(5AR4/GZ34)などはまだまだ選択肢があるようだから、機会があったら増やして行こうと考えている。

さて、今度はGarrard401のロングアーム増設にいよいよ取りかかろうと考えてる。SPUと相性の良いロングアームを組み合せるつもりだが、アームブラケットを装着して増設するとなると、アームが限られて来るような感じである。さてさて決着は如何に!   10/30


■ 放送局仕様トーンアーム

いよいよダブルアーム計画を実行に移す時期を迎えた。

もともとこのGarrard401プレーヤーシステムには audio-technica AT1503IIがセットアップされていたが、このキャビネットにもう一本アームを増設しようというものである。一度はロングアームを使ってみたいと思っていたが、オルトフォンやSMEは予算的に手が届かない。そんな訳で放送局仕様として開発されたこのテクニカのロングタイプAT1501IIを使ってみることにした。それほどお高い物ではなかったので、この機会にショートアームの方もAT1503IIIにバージョンアップすることにした。

このショートアームはAT1503IIIになって、インサイドフォースキャンセラーの設置や内部配線を純銀線に変更するなどの仕様変更が計られている。ロングアームは別注のアームブラケットによって後方に取り付ける予定であるが、このロングアームを主にSPU用として使い、ショートアームの方はDENONやOrtofon MC30シリーズなどを使用する予定である。

ロングアーム用のブラケットが完成するのは12月になりそうだが、それまでにフォノイコライザーを調達することにしよう。EARのフォノイコを一度は使用してみたいと思っているのだが、今回は予算的に難し「かもしれない。

サブシステムの方はSPコードをBELDENからORTOFONのバイワイヤータイプに交換したりしているが、依然音に広がりが出ず少し重苦しい音質となっている。やらかくフワッと浮かぶような音質が好みなのだが、音場がどちらかというと低く中央に集まりがちである。アナログでもCDPでも基本的には変わらないから、やはりアンプの音質傾向なのであろうか。CDPを300Bパワーアンプにダイレクトに繋いで聴いていた時はそれほど気にならなかったので、これはTRIODEプリアンプの影響が強いのではないだろうか。どう料理いたしましょうか・・・・。    11/11


 audio-technica AT1503III

3型に進化して軸受けも大型化されているが、音質は今一歩気に入らない。
内部配線を純銀線に変更した影響により音場が豊かにひろがるのは良いが、高域がシャリ付いて低域の密度が薄くなる傾向にあるのが面白くない。どちらかと言うと内部配線が銅線と思われる2型の方が重心も低くて良いのかもしれない。こちらのショートアームではDENONやMC-30シリーズを使用する予定なので、トランスの組み合わせを替えながら好みの音質に持って行こうと考えている。上手くいかないようなら残念だが古い2型に戻すことにしましょう。より新しい方が良いとは限らないのがヴィンテージの世界の通例なのである。   11/14


■ フォノイコライザー


メインシステムの中核を成すプリアンプ Marantz#7 のフォノイコライザーは、2系統の接続が可能である。

これまではクラシックシステムの Thorensと POPS&ROCKシステムの Garrard に1系統ずつ使用していたが、アームを増設した為に新たなフォノイコライザーが必要となった。一度はEARのフォノイコを使ってみたいと常々考えていたが、今回は予算が足りないためお手頃な物がないか探していた。当然真空管式からの選択となる訳だが、プリアンプに続きTRIODEが最近まで販売していた現行品を選択する。

現在アームブラケットを製作中でまだロングアームが使用できないが、事前プランでは Marantz#7のフォノイコにロングアーム+SPU、TRIODEのフォノイコにショートアーム+その他カートリッジを組み合わせようと思いを馳せている。

3本の使用真空管はプリアンプと同じく曙光電子製の12AX7なので、当然ヴィンテージ高音質管に交換予定である。

 TRIODE TRV-EQ4SE

先日購入したサブシステムのプリアンプ同様、Marantz#7と比較するのは可哀想な話だが、このフォノイコに見合うカートリッジの組み合わせなどを探り出すのに年内一杯は掛かりそうだ。まずはじっくりと試聴を繰り返そうと考えている。

サブシステムの方は、TRIODEプリアンプの真空管やSPケーブルを交換したりして少しずつ音質が改善して来たが、今一歩これだと思える音質に到っていなかった。そんな時、電源ケーブルを少し古いS/A Labのケーブルに交換してみたところ、やっと満足の行く音質に近づいたようだ。低音が依然湿気を帯びているなどの不満はあるが、音楽を聴いていて楽しく気持ち良い気分になれるようになったのがとても嬉しい。オリジナルのケーブルはノンブランド(韓国製?)のものだが、このケーブルが良くも悪くも音質に大きな影響を与えているようだ。新たに調達したフォノイコにも同じケーブルが付属しているので、こちらも当然交換が必要となるだろう。      11/18

■ DECCA MarkV-EE

新しいショートアームのAT1503IIIは、ワイドレンジで落ち着いたクラシック向きの音質である。

これまで大切に保管していたDECCAのカートリッジがひょっとしたら生き返るかも知れないと思って、北海道のKeisさんにお願いして新たなリード線を製作してもらった。40年前のオーディオ雑誌で良く眺めていたSMEヘッドシャルとの組み合せを再現して試聴してみるが、残念ながらビビリ音が出てまともに鳴らない。同じ頃のEMPIRE 4000DIIIの方はこれまたKeisさん新作のリード線でなかなかふくよかな音質を提供してくれているが、VL型のDECCAは寿命となってしまったのだろうか。今度またマエストロ・ガレージの谷口さんに相談してみようかな〜。

DECCA/EMPIREの試聴で初めてTRIODEのフォノイコTRV-EQ4SEを使用してみたが、最初はなぜか右chからノイズが出る。いろいろ原因を探ってみたが判明せず、3本の真空管の位置を差し替えたら治まった。このフォノイコの真空管は右側が初段入力の左右chA中央が2段目の左右ch、左が出力の左右chを受け持っているとのことなので、片chだけノイズが出ることは無い筈だがどこか接触不良が起こっていたのであろうか。まあ結局はヴィンテージ管に交換するのだから、音質などについてはこれからじっくり検証していこうと思っている。    11/25


いよいよフォノイコの本格的な試聴に入る。

まず真空管をオリジナルの曙光電子製から、初段(テレフンケン/_マーク)、2段目(ムラード/ロングプレート)、出力(ムラード/ロングプレート)に交換する。デッカやエンパイヤなどMC型以外の古いカートリッジを試してみたが、さすがにまともな音が出て来ないのでDENONを使用することにする。このフォノイコは昇圧用にヘッドアンプを内蔵していてLOWインピーダンス用とHighインピーダンス用を切り替えて使用できるが、やはり音質の良いトランスを組み合せたいと考えていた。

カンノ/ノーザンエレクトリック/Js/パートリッジなど手持ちのトランスを次々と組み合せてみるが、ノーザンとJsは低音がまったく出ずに即アウト。期待していたパートリッジは、ハム音が出てこちらも相性が悪いようだ。カンノでは一番まともな音質を得られたが、低音がブーミーに膨らみ過ぎてこちらも理想の音にはほど遠い状態である。しかたなくトランスではなくヘッドアンプを使用すると、全体バランスは改善されて聴きやすくなるが、今一歩迫力の足りない音質となってしまう。

そんな訳でショートアームを元のAT-1503IIに戻すことにした。

3型に比べ音場は狭まるが、低域が締まって密度の高い音質に変わるので、POPS&ROCKなどではこちらの旧型の方が良いようだ。

いろいろ組み合わせを替えて試聴を続けるが、ここで初歩的な疑問にぶつかってしまう。これまでフォノイコだけを組み合せた接続経路は、ガラード→フォノイコ→マランツ7ライン段で問題はないと思われるが、MCトランスを使用する時にフォノイコの前後のどちらに入れるのかが分からなくなって来た。試聴した時はフォノイコとプリの間にMCトランスを挿入したが、フォノイコの前で使用することによってまともな音に変わるのではないだろうか。もう一度試してみることノしよう。   

まったくお恥ずかしい話で、フォノイコの前にトランスを挿入すると打って変わって潤いのある音が出て来た。予想通り内蔵のヘッドアンプと比べても、音の品位や生々しさなどが一歩も二歩も改善される。特にSPUとの組み合わせでは演出過剰気味だったノーザンエレクトリックが、少し色付けの薄いDL-103シリーズとの相性も良いのか、Marantz7のフォノイコと比較しても大きな音質の差を感じさせることもないようだ。しばらくこの組み合わせで楽しむことにしよう。 そろそろアームブラケットが完成する頃合いだな〜。      11/28  


■ 新たな美音体験


あれこれ試していたら、体験したことの無い美音に巡り合えた。

これまでクラシックについては Thorens126+MCH-II が最も安心して楽しめるものだった。今回、Garrard に搭載するショートアームの試聴を繰り返しているうちに、新たに導入したAT-1503IIIとDENON DL-103C1+ノーザンエレクトリックの組み合わせが、クラシックでも大変魅力的な音質で響くのを発見することができた。オルトフォン同様、ゆったりと響くMCH-IIに比べ、DENONは奥行きを伴ったよりリアルな響きが眼前に展開される。特に入力段にテレフンケン/_マークを使用した時に味わえる、ざっくりとした質感はこれまで体験したことの無い音質である。

このTRIODEのフォノイコは、初段、2段目、出力とそれぞれの真空管が左右chに対応しているため、3本とも別々の真空管を使用することが可能である。贅沢にも_マークに加え、ムラードCV4004やECC83ロングプレートなどの我が家にあるVintage高音質管を組み合せることによって、新たな世界を楽しむことが出来そうである。現在電源ケーブルについては適当なものがないため、shima2372さんにリーズナブルで使いやすいオリジナルケーブルを注文したところである。

昨今のウン十万もするような高額なカートリッジと比較して恐ろしく安価なのだが、それでもオリジナルDENON DL-103を購入しようか以前から悩んでいる。音質の良い派生モデルのC1で十分に楽しむことが出来る訳だが、やはりチャンスがあったら購入したい。   12/2

サブシステムの構築などもあってケーブル類が足りなくなって来たので、BELDENの8412と電源ケーブルを調達した。

最近新たに購入したサブシステムのプリアンプや、こちらのフォノイコ用真空管の取り替え試聴をする機会が増えて、とても楽しい時間を過ごしている。このフォノイコも電源ケーブルを交換した影響が大きいのか、全体的な音質のクオリティが向上したような感じである。いよいよ本格的な試聴を始めるが、音がクリアなジャーマントリオで統一することにした。初段は3枚マイカSIEMENS E83CC、2段目がSIEMENS ECC83(中身はテレフンケン◇マーク/スムースプレート)、出力段にTELEFUNKEN(◇マーク/スムースプレート)に決定した。

シーメンスは学生時代に秋葉原の太平洋で購入して以来一度も活用する機会がなかったが、今回の試聴では3枚マイカの音質の透明度が際立っていた。この組み合わせで聴く声楽やヴォーカルは、これまで経験の無い立体的な定位感で響き、思わず笑みが漏れて来るような幸せな気分にさせてくれる。

ロングアーム用ブラケットが未だ到着しない。

注文した製作会社は納期に3週間ほどかかるとのことだったが、前回アームウエイトを注文した時も1ヶ月を過ぎても送って来なかったので、文句をいった覚えがある。今年も早いもので残すところ1ヶ月を切ったが、最善な状態で年末を迎えたいものである。       12/5


■ ダブルアーム仕様

やっとアームブラケットが到着して念願のダブルアームが完成した。

ロングのaudio-technica AT1501IIとショートのAT1503IIIを組み合せて、シンプルな放送局仕様で仕上げることができた。久しぶりに聴くSPU MEISTER-GEは、重量感のある低音が豊かに響き渡ってまったく安心できる音質である。アームの違いのせいかAT1503IIIと比較すると音場が狭いように感じるが、以前使っていたショートのAT1503IIと同様中低域に重心を置いた聴き馴染んだ音質である。少し離れた位置から油絵の全景を眺めるようなSPUと、視線を近づけて精緻な水墨画を眺めているようなDENONの音質を曲種によって楽しむことが出来るようになった。

奥のロングアームではSPUのバリエーションを、手前のショートアームではDENONやMC-30シリーズをじっくり楽しんで行こうと考えている。お次は原器DL-103の調達を目指すことにしよう。


DENON DL-103C1用に、北海道のKeisさんから送られて来た新作のリード線を試している。

Ortofonの線材を使用したリード線を組み合せると、このカートリッジ特有のタイトな音質が更にパワフルに変身するが、少し緊張感を強いる音色となるのはエージングが足りないのかもしれない。理想から言えばリアルな音質を生かしながらもう一歩豊かな低域バランスとなるように、年末に向けていろいろなリード線を試して行こうと考えている。    12/9


■ 師走のメンテナンス

フォノイコの試聴などを繰り返していると、真空管アンプ特有のゴソゴソノイズや音が途切れるなどの症状が出始めた。

年末に差し掛かって丁度メンテナンスの時期でもあるので、アンプを中心に真空管のピンやソケットなどのクリーニングを念入りに実施する。左前にあるのはオヤイデのスパイクとインシュレーターだ。Garrard401を使って音楽を聴いていると、前を静かに歩いただけで振動を拾うために購入してみた。こんなに小さいもので効果があるのか疑問だったが、設置してみると以外としっかりしていた。

今年もいよいよあと半月ほどを残すのみとなったが、来週あたりには年末恒例の第九演奏会を独り寂しく開く予定である。昨年はベーム盤だったが、今年はシューリヒトの国内盤を既に購入済みである。 なんとなくあっと言う間の一年だったような気がする。    12/12


久しぶりに取得した週末の連休は、どっぷりオーディオ三昧で過ごした。
Garrard401で使うようになった新たなショートアームAT1503-IIIにDENON DL-103C1を組み合わせると、これまで弦楽器の質感が好みに合わずにあまり聴くことが無かった Harbeth HL-4 でも、クラシックをまずまずの音質で楽しむことができるようになった。

しかしやはり TANNOY IIILZ と MCH-IIの組み合わせを聴くと、クラシックに関してはやはりこの音質が我が家では最上のものと納得させられる。ロングアームを加えたダブルアーム仕様にして2種類のカートリッジを瞬時に聴き比べられるというのは便利だが、今のところショートアームとロングアームの音質の違いはそれほど感じられない。同じテクニカ製で長さが違うだけだから、そんなものなのかもしれない。

サブシステムの方はCDを中心にPOPSやヴォーカルなどを楽しんでいるが、ケーブルや真空管の交換などによってかなり満足の行く音質になって来たようだ。しかし依然として低域のこもったような音質の原因が特定できず、じっくり聴いているとドラムやベースなどの音質に不満が出て来る。CDPでもアナログを聴いてもこの音質傾向は変わらないから、パワーアンプ300Bシングルの限界なのかTRIODEのプリアンプの音質影響なのかがはっきりしない。

やはり細かいところは気にせずに、雰囲気で聴かせるような音質傾向のELEKITパワーアンプが原因ではないだろうか。来週はもう一度、現在使用しているエレハモの出力管を他の物と入れ替えて試してみようとも思うが、それほど大きな音質の変化は期待できずこれで駄目ならお手上げとなる。流石にメインシステムと同様の質感を求めるフは無理があるのかもしれない。    12/13

サブシステムの音質が今一歩の件だが、まったくお馬鹿な話である。

Harbeth HL-Compact のリアバッフルは、ご覧のようにバイワイヤリング端子となっている。こちらの画像ではシングルワイヤ接続となっているが、低域の音質が不自然だと感じたのは、なんのことはないバイワイヤリング接続をしていて高域側の端子のひとつが外れていたのである。

まったく我ながらお恥ずかしい話で、なんでこんなに注意力がなくなってしまったのだろうか。 エレキットよ疑って悪かった!!  安価な国産キットでありながらも、直熱3極管 300Bの音質の良さを気付かせてくれたのに本当にごめんなさい。頭に来たのでシングルワイヤの BELDENケーブルに交換したところ、嘘のように見通しの良い音色に生まれ変わったのである。(当たり前か!)

ちなみにこのジャンパーケーブルは Harbeth HL-4純正のものだが、HL-Compact に付いていたのはチープな金属の線材だったので、使わずに仕舞って置いたらどこかにいってしまった。

気を取り直して聴いてみたこのサブシステムの音質は音離れが良くキビキビとしたもので、メインシステムと比較すると流石にスケール感には乏しい恨みはあるが、これはこれで楽しく音楽を楽しめるシステムに仕上がったと喜んでいる。   12/15


■ アナログ復興


先日見たTVのニュース番組で、最近再ブームを迎えているアナログレコードについての話題があった。

国内で唯一レコード生産を続けていた会社もここ数年フル稼働を続けているとのことで、まことに喜ばしいことである。番組の中でこれまでレコードに縁がなかったCD世代の方々も、店員がレコードに針を落とす儀式を興味津々に眺めながら、流れて来る音楽に耳を傾けていた。

そんな内容に背中を押された訳でもないが、アナログ盤を調達するために初めて嫁殿と連れ立って神保町まで出かけることにした。有名どころの3軒の中古レコード店をハシゴして、久しぶりに10数枚のアナログ盤を購入する。中には発売されたばかりのビートルズのアルバム「ザ・ビートルズ1」も調達できたし、調子の上がって来たオーディオシステムで楽しみな年末を迎えられそうである。     12/19


いよいよ2015年の年末も押し迫って来たが、今年も何のことは無いアナログ三昧で終わろうとしている。

ロングアームに MC-30 SuperIIを装着して聴いてみるが、SPUと比較して腰高の音質が今一歩しっくり来ない。

昇圧トランスの方もいよいよこの年末に悪魔の囁きY下さんから WE-618B をお借りすることになっているので、事前に手持ちのパートリッジやカンノなどをいろいろ試してみている。やはり POPS&ROCK などの曲種では、奥行き感があり押し出しの強い音場を形成する UTC-2080が一番好みに合うことを確認した。高いから嫌いだが、圧倒的な評価の WE-618B とは一体どんな音なのだろうか。    12/25


■ 例のブツが・・・・!


年末、Y下さんから恐ろしい音楽の媚薬が届いた。

一度手にするとコカイン、ヘロイン、覚醒剤などの薬物と同様に依存症に陥りやすく、また依存症状が深刻になりやすい機器と言われている。そんな危ないブツに手を出すとは、オーディオ人生を滅ぼすことにならないであろうか。
http://my-vintage.music.coocan.jp/2015.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c6

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
7. 中川隆[-7631] koaQ7Jey 2017年5月31日 21:17:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ハーベス (Harbeth)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/harbeth.html

Harbeth Monitor HL 1980

1977年、BBCモニタースピーカーの開発技術者だったダッドリー・ハーウッドが引退後に立ち上げたブランドで、日本には モニターHLがタイプV以降のモデルになって入ってきました。

タイプW はウィーン・アコース ティックにも使われた透明のXPPと同じ系統の材料TPX材を着色した黒いコーンのウーファーで、ポリプロピレ ンに材料が移行したときの仕掛け人であるダッドリーがやはり開発に関わっていたものです。私が持っているのは最初に入ってきたタイプVの方で、 これはBBCモニターのLS5/8や5/9と同じく、ベクストレンに代わって導入された乳白色のポリプロピレン です。

エッジはゴム製のものが使われています。ツイーターはフランスのオーダックス HD12D25−8(手元の個体はHD12×9D25と印字)という1インチのシルクドームでした。他にも ハーベスはより小型のモニターである MLも出していました が、日本には恐らく入ってないのではないでしょうか。

 ハーベスモニターHLは私が聞いたイギリスのダイナミック型スピーカーシステムの中では最も気に入ったものです。

BBCの似たような構造のモニタースピーカー とは違い、のびのびした躍動感がありながらナチュラルな響きで、高域も繊細に伸びています。やや中域の張った独 特のバランスで明るく感じますが、特定周波数に音圧の凹凸があるわけではなさそうです。

一方で耳に痛いキンキンした帯域とその上のチンチラしたところ(4KHz以上7KHz以下)はフラットで嫌な癖がなく、さらにその上の 倍音成分を再現する帯域、細かな音の輪郭に影響する帯域はしっかりと出ています。BBCは伝統的に男性アナウンサーの声で音合わ せをしてきたのだそうですが、このスピーカーの音は生の弦楽器やその合奏の音色を知っている人の微妙な調節 によるのだと思えてきます。色づけを感じさせないながら、これほど音色の整えられたものはあまり聞いたことがあ りません。


BBC Monitor LS5/5

ハーベス社のダットリー・ ハーウッドが BBC 在籍時代に完成させたスタジオ・モニタースピーカー。紙に代わって樹脂のベ クストレンが振動板材料として用いられた。ツイーターは初代のモ ニタースピーカーである LS5/1と同じで、セレッションの HF1300。

 音色の善し悪しは各部の材質よりも作 り方に起因するのだと思いますが、とり あえずウーファーのコーン材料であるポリプロピレンは良いもののようです。

ポリプロピレンはダッドリー・ハーウッドと、彼 の下で働いていて後にチャートウェル社を興したデイヴィッド・ステッビングスがベクストレンに代わって着目した材料です。

同じマグネットで同じフレーム・バスケットに入ったベクストレンと比べてみたこともあるのですが、紙やベクストレンのコーンに比べて適度に歯切れがよくて透明な明るさを感じさせます。

LF8MKVというこのユニットのフレームはアル ミダイキャスト製で、 メイド・イン・イングランドながらロジャースの制作メーカーであるスイストーンのロゴが見えます。

ここではその 20センチのウーファーが十分な大きさのバスレフの箱に入れられていますが、実際、20セ ンチ・ウーファーに1インチ・ドームという組合せは2ウェイのシステムで最もバランスが良いのではないでしょうか。

重低音とは行きませんが、50ヘルツまでは フラットに出ているようで、スケール感も十分です。ポリプロピレンはその後チャート ウェルがパテントを譲り渡し、ロジャースを経て日本のメーカーが買ったらしいという話を聞いた後、スピーカー材 料としてはあまり見かけなくなってしまいました。残念なことです。

 
Audax HD12D25-8 tweeter


 ツイーターがまた素晴らしく、色々な1インチドーム型を聞いたなか、適度な湿り気と透明さがあったメリネックス製のKEF−T27(LS3/5aに使われたもの)も良かったですが、倍音が繊細で自然な艶が美しいHD12は今もって最高のユニットだと思いま す。


 BBC Monitor LS3/7 オーダックスの優れたツイータ、HD12が用いられた BBC のスタジオ・モニター。ハーベス・モニターHLは一般市場に 売り出されたものだが、BBC に納入されたものとして、モニターHLのルーツの一つだと言えるかもしれない。



Harbeth monitor HL crossover network


ネットワークもまた良くできてい るようで、調べた人によると、ツイーター側のコイルのコア剤にテープレコーダーのヘッドなどにも使われる大変 お金のかかった材料が用いられているのだそうで、 材料試験に出してそれがわかったという話です。私は確認してないので材料名は伏せておきます が、バラして見るとフェライトのように黒くはないメ タリック・シルバーの薄板をラ ミネートしたコアであり、目に見えないところに色々とこだわりがあるスピーカーのようです。

             schematic diagram

 回路はツイーター側18dB/oct、ウーファ側12dB/oct の組み合わせスロープ逆相接続で、ツイーター側にはレベル調整の抵抗が入っておらず、ウーファ側は極細の線で巻かれた鉄芯入りコイル(写真右上の青いもの ですが、私の測定器ではインダクタンス値が計れませんでした。)を加えた変則のインピーダ ンス上昇補正回路が用いられています。同時期のBBCモニターに用いられたネットワークよりも若干シンプルな回路に見えますが、面白いのはBBC系統には比較的珍しくウーファー側のコイルが空芯であること、また、ツ イーター側の フィルターを構成するコンデンサー3個にそれぞれ別の銘柄が使われていることです。とくに4.4uFの部分は 2.2uFのものが二つ、緑とベージュのITT製フィルムコンデンサーがパラッてあります。こういうことは新生 ハーベスの回路がメタライズド・ポリエステル・タイプによく見かける茶色いキャンディーのようなコンデンサーに すべて統一してあったりするのからすると、なんとも不思議な光景です。音色合わせのためにこうしたのでしょうか。

 キャビネットは薄めの合板で一見安物 に見えるながら、内部に黒いダンプ材が貼付けてあります。東急ハンズなどで売っているオトナシー トに似た外見のベタッとした薄いものです。吸音材はスポンジで、ユニットと端子はハンダ付けされています。音を 聞いて作ったと思われる職人の技が随所に見て取れ ます。

   
  HARBETH HLCompact 7ES-3 2006

 さて、このハーベスですが、HLで言 えばタイプWまで出たところでハーウッド氏は辞めてしまい、弟子のアラン・ショーに引き継がれました。それが現在商売的に成功している新生ハーベスです。その交代直後 のHLコンパクトはツイーターがアルミ系のハードドームに変わったものの、今でも人気があるようです。

ただ、私はこのハードドームに変わって以降のものは音色が好みではなくなってしまいました。

振動板を硬い金属で作ることのメリットは、周波数が高くなったときに分割振動が出ることが防げるということです。不規則 に振動板がたわんで部分的に違う周波数を再生するとな ると、歪みが生じて特定の音色を生み出しやすいですし、球面波の形も崩れてしまいます。

ただ、理論的にはそうであっても、うまく作らないと 金属の振動板は特定の金属的な鳴きの音を混じらせる場合が多いと思います。それを積極的に音として利用する場合と理論通りに排除する場合とがあると思いますが、 布を成形して弾性剤などを塗ったり靱性のあるプラスチックで作ったりするソフトドームは初めから分割振動を利用しつつも鳴きが耳につきにくい性質があり、耳で聞いてナチュラルな音を追求する場合はソフトドームの方 が作りやすいのかもしれません。

振動させないためにアルミ以外にもチタンやベリリウムなどの軽くて強い材料も ハードドームとして作られてきましたが、生楽器の 音を自然にやわらかく伝えるものは少なかった ように思います。それでも現在のモニター 7ES3 はなかなか艶めかしい音を出しているようで、モニター HLと並べて聞いてはいないですが、分割振動を可聴帯域外の高い周波数まで追いやった B&W805S と聞き比べてもよりしっとりしていながら色付けは同様に少なく、評価が高いわけがわかるような気がしました。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/harbeth.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c7

[リバイバル3] ハーベスで初代 HLコンパクト唯一つだけ人気が出た理由 中川隆
8. 中川隆[-7630] koaQ7Jey 2017年5月31日 21:22:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2015年1月14日
イギリス・Harbeth(ハーベス)から新型モデル『Super HL5 Plus』発表&値上げのお知らせ。

その穏やかな音色と、質感の高さから人気の、イギリスのスピーカーメーカー・Harbeth(ハーベス)から、 新型モデル『Super HL5 Plus』が発表されました。

Harbeth はイギリスの国営放送・BBC でモニタースピーカー等の開発を行っていた、ダッドリー・ハーウッド氏が1977年に設立しました。

Harbeth(ハーベス)という名前は、 氏のハーウッドという名前と、奥さんの名前エリザベスを合わせたものです。

Harbethの源流となるのが『Monitor HL』という、ハーウッド氏が開発した、20cmウーハー搭載の 2Wayスピーカーでした。

このモデルは、ハーウッド氏の手によりモデルチェンジがされ『HL Type4』まで続きます。


Harbeth が日本で有名になったのは、1980年代末。

1987年にハーウッド氏から Harbeth を引き継いだ、アラン・ショー氏が発表した、
『HL Type4』の後継モデル『HL5』と、新製品の弟モデル『HL Compact』の上陸からです。

ツィーターを、従来のソフトドームから、アルミドームに変更。

BBCモニター系の穏やかで充実した中域に、金属系のツィーターによる現代的な解像度感と明るさがプラスされた、名機となりました。


その後『HL Compact』は、『HL Compact7』、『HL Compact7ES-2』とモデルチェンジ。 現在は『HL Compact7ES-3』となっています。

その間にポリプロピレンとアルミを配合した『RADIALコーン』を採用したウーハーユニットや、BBCモニターを基本としたエンクロージャーの開発が進みました。

その間には現代的なエンクロージャーを採用した製品も開発しています。
また『RADIALコーン』は、『RADIAL2コーン』へと進化しています。

『RADIALコーン』は、中心部から周辺にかけて、配合量を変える事で共振点を分散、 分割振動の発生を低減させた、Harbethを代表する技術です。

それらの技術の総決算として開発された製品が、2004年発売の『Super HL5』です。
『HLシリーズ』として初めて、チタン製スーパーツィーターを搭載したモデルでした。


その『Super HL5』が10年ぶりにモデルチェンジ、『Super HL5 Plus』として登場します。


ウーハーは進化した『RADIAL2コーン』を採用。

エンクロージャーやネットワークも再見直しがされました。
特にエンクロージャー内部の背面部分に設置された吸音材は、これまでのほぼ倍の量に変更されているそうです。

発売は2015年2月18日となっています。

Harbeth(ハーベス) Super HL5 Plus
定価600,000円(ペア/税別)

形式 : 3ウェイ・フロント・バスレフ型
搭載ユニット
 ・中低域 : 200mm RADIAL2コンポジット・コーン型
 ・高域 : 25mm アルミニウム・ハードドーム型
 ・超高域 : 20mm チタニウム・ハードドーム型
周波数特性 : 40Hz〜20kHz(±3dB)
クロスオーバー周波数 : 3.5kHz、12kHz
インピーダンス : 6Ω
能率 : 86dB/W/m
サイズ : W322mm*H635mm*D300mm(最大316mm)
重量 : 15.8kg
入力端子 : バナナプラグ対応、バイワイヤリング接続可能SP端子

ゴールデンウィーク期間限定デモのお知らせ↓
http://nojima-audiosquare.blogspot.jp/2015/05/2.html


また、その他の製品が2015年3月1日受注分より、価格改定が行われます。

対象モデルと価格(ペア/税別)は以下の通りです。

HL-P3ESR 現価格240,000円 → 新価格290,000円
HL-Compact7ES-3 現価格330,000円 → 新価格396,000円
Monitor20.1HG 現価格240,000円 → 新価格320,000円
Monitor30.1 現価格460,000円 → 新価格540,000円
Monitor30.1HG 現価格460,000円 → 新価格600,000円
http://nojima-audiosquare.blogspot.jp/2015/01/harbethsuper-hl5-plus.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/687.html#c8

[経世済民121] アベノミクス、未曽有の異常な「停滞状況」突入…一斉に投資意欲喪失(Business Journal) 赤かぶ
1. 中川隆[-7629] koaQ7Jey 2017年6月01日 07:13:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
また見当外れの事言ってる、ド素人は引っ込んでろよ


さすがに売り越しを続けていた個人投資家の皆さんも、5月第3週の信用取引は1006億円の買い越しと、中小型株中心に買いに転じたようです。しかし、現物の売りは止まっていません。

先高観が見えないから、デフレなのでキャッシュ化のリスクが無いから、高齢化で終活の売りだ、などといろいろ言われていますが、筆者も考えて見ました。その結果有る事に気づきました。

 日経500種と言う株価指数をご存じだと思いますが、単純平均の日経平均以外は、TOPIXはもちろんの事JQやマザーズまで時価総額加重平均で計算されています。

ところがこの日経500種(225プラス275銘柄)は日経平均と同じ単純平均です。

日経平均の今は、史上最高値38915円に対してマイナス49.44%の位置にいますが、日経500の史上最高値(1989年12月)2406円47銭に対して今は1881円96銭でマイナス21.8%の位置です。

日経平均のマイナス21.8%の位置は3万431円です。つまり古くからの投資家でバブル崩壊以降長期塩漬けにしていた株が日経平均が3万円(2万円ではありません)に乗せたのでやれやれ売りを出していると言う感覚ではないかと思っています。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/851.html#c1

[経世済民121] アベノミクス、未曽有の異常な「停滞状況」突入…一斉に投資意欲喪失(Business Journal) 赤かぶ
2. 中川隆[-7628] koaQ7Jey 2017年6月01日 07:19:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

また見当外れの事言ってる、ド素人は引っ込んでろよ 2


2016年 12月 22日 4度目のバフェット指数1倍超え


株価は楽観的な見通しを織り込んだことで、すでにバブルの領域との見方も出ている。

著名投資家のウォーレン・バフェット氏は

その国の株式市場の時価総額が名目GDPを超えると危険サイン

ととらえ、持ち高調整を検討することで知られている。

名目GDPに対する株式市場の時価総額の倍率をバフェット指数と呼ぶが、

日本の2015年度名目GDP532兆円に対し、22日時点で東証上場の株式時価総額は580兆円強。バフェット指数は約1.1倍になっている。


日本で同指数が1倍を超えたのは、1980年代後半のバブル期、2007年リーマンショック前の米住宅バブル、2015年8月前後のアベノミクス期待のピークに続き、トランプラリーの今回は4度目になる。

変動の大きい期間利益をもとに算出されるPERと異なり、同指数は比較的ブレが少なく行き過ぎた株高を警告するサインとみられているが、今のところ市場で懸念する見方は少ない。


バブルは予測不能な面もあり、市場のコンセンサス通りなら短期の調整を交えて、少なくとも米新大統領就任後の蜜月期間が終わる来年5月頃まで株高が続くことになる。

「レーガノミクスのように大きなレジームチェンジが起きると景気拡大は長くなる」(みずほ証券投資情報部長の倉持靖彦氏)との指摘もある。
http://jp.reuters.com/article/vix-stock-idJPKBN14B0IY?sp=true

http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/851.html#c2

[経世済民121] アベノミクス、未曽有の異常な「停滞状況」突入…一斉に投資意欲喪失(Business Journal) 赤かぶ
3. 中川隆[-7627] koaQ7Jey 2017年6月01日 07:28:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

また見当外れの事言ってる、ド素人は引っ込んでろよ 3


近づく「官製ブラックマンデー」約束された急落のベストシナリオ=藤井まり子
2017年5月25日
http://www.mag2.com/p/money/233096

利上げによる米国株式市場の大幅調整は免れないでしょう。


押し目かトレンド転換か。アメリカ株式市場の来る大幅調整を読む

2018年春にリセッション入りの恐れ

4月にアメリカの失業率が10年ぶりに4.4ポイントもの低さを記録したこと、さらには、4月のアメリカ市場のVIX恐怖指数がこちらも同じく10年ぶりに10ポイント台を割り込んで9ポイント台をマークしたこと。この2つが、内外のマーケット関係者の間でかなり話題をさらっています。

結論から言えば、近いうちにイエレンFRBが金融緩和へと転換しない限りは、2017年秋にはアメリカの株式市場がピークアウト(=暴落)して、2018年春にはアメリカの実態経済の方もピークアウト、リセッション入りする可能性があります。

ただし、ここが重要なところですが、「イエレンFRBが金融緩和へ転換すれば」この限りではありません。「トランプノミックスの中間選挙までの成長戦略は、金融緩和にあり」と言われるゆえんは、ここらあたりにあります。


「失業率4.4%」の衝撃

4月の米雇用統計で、失業率が4.4ポイントを記録した「知らせ」を受けて、内外のマーケット関係者の間には衝撃が走りました。

「失業率4.4%」というのは、経験則的に、「景気循環的には、1年後あたりにアメリカ経済がピークアウトするかもしれない。すると、半年後あたりにはアメリカ株式市場は大幅調整か暴落を覚悟しなければならない?」ということです。

さらに、1年後の景気のピークアウトが本当ならば、イエレンFRBは「2016年12月の政策金利の引き上げ」を最後にすべきだったのではないか。3月と6月の利上げは、やはり余計だったのではないか。そう感じたのは、私だけではありませんでした。

年初にお伝えしておりますが、今年2017年は「7」の付く年です。「7」の付く年は、ブラックマンデーの起きた1987年、アジア通貨危機の起きた1997年、リーマンショックの前哨戦が始まった2007年と、暴落や危機の起きやすい年です。

そして、この「暴落」「危機」は、どういうわけか夏から秋にかけて起きています。

さらに、アメリカ経済は「金融立国(=資産立国、バブル立国)」を目指し始めた1990年代後半から、「ほぼ10年に1度のサイクルでバブルをつくっては消滅」させています。

私のブログの創刊時や「アベノミックスのロケットスタート」時にも、「景気循環的には、今の株高が続くのは、2017年から2018年あたりまでだろう」というざっくり予測は、皆様にくり返しお知らせしております。

http://www.mag2.com/p/money/233096


上記グラフに示したように、景気循環的には、「イエレンFRBが金融緩和へと転じない」限りにおいては、「そろそろ1年後あたりに米国経済はピークアウトし始めて、株価はそれに半年先行して天井を打つ」かもしれないのです。

(もちろん、イエレンFRBが近いうちに金融緩和へ転じれば、この限りではありません。繰り返しになりますが、クリントン政権時代の景気回復期が極めて長かったのは、当時のグリーンスパンFRB議長が1998年のロシア通貨危機をきっかけにアメリカの金融政策を緩和へと転換したからです)

もうちょっと詳しく解説すると、「失業率4.4%」というのは、前回サブプライムバブル期の最低水準です。この最低水準は、景気拡大期の頂点で出現しやすいのです。この「失業率4.4%」あたりが記録されると、およそ1年後には実体経済はピークアウト、その後リセッション入りすることが多いのです。

すると、今回の「失業率4.4%」が、今回の「サブプライム危機後の景気回復の最低水準」とするならば、「アメリカの実体経済は(イエレンFRBが金融緩和へと転換しなければ)、だいたいは2018年4月頃にはピークアウトして、その後リセッション入りする」と、ざっくりと予測されます。

株価は実体経済よりも半年早く反応しますから、「アメリカ株がピークアウトするのは、(イエレンFRBが金融緩和へ転換しなければ)、だいたい2017年10月〜11月頃」と、ざっくり予測できます。

そして、平たく言えば、セオリー通りの「秋の株価暴落、2018年のリセッション入り」が嫌だったから、トランプ政権が登場したわけです。


根拠無き楽観に支配されたアメリカ株式市場

「4月のアメリカVIX指数」は、4月後半からの朝鮮半島での地政学リスクの後退を受けて、一時期10ポイントを割り込みました。こちらも、なんと10年ぶりの低水準でした。このこともやはり、内外マーケット関係者には衝撃でした。

4月のアメリカ株式市場は、「ITバブル期同様の根拠無き熱狂」とまで言わなくても、まさしく10年ぶりの「根拠無き楽観」「シュガーハイ状態」の極みだったのかもしれないのです。

「VIX恐怖指数」が10ポイントを割り込んだのは、2006年12月〜2007年1月以来(10年ぶり)のことです。

サブプライムバブル時代の頂点にあった2006年〜2007年を振り帰ると、VIX恐怖指数が10ポイントを割り込んだ「2006年12月〜2007年1月」に遅れること2カ月の3月には、上海株式市場が暴落しています。そして、7月と10月にはアメリカ株が2度のピーク(ダブルトップ)を打って、その後続落していきます。

2006年12月〜2007年1月は、VIX恐怖指数は「シュガーハイの極み」である「9ポイント台」を記録してから、およそ半年後あたりに株式市場がピークアウトしたわけです。実体経済の方も、株式市場におよそ半年遅れて、2007年12月にはピークをつけ、2008年1月からリセッション入りしていきます。2008年にはサブプライム危機が起きたのは、皆様ご記憶の通り。

少なくとも、サブプライムバブルとその崩壊の過程の2007年前後では、「VIX恐怖指数」がシュガーハイの極みである9ポイント台を付けると、およそその半年後の7月に株価がピークを付けて、さらにその半年後の12月に、実体経済がピークアウトしてリセッション入りするという「サイクル」でした。

そして、時代は巡り巡って10年後の2017年。2017年4月に「VIX恐怖指数がシュガーハイの極みであるかもしれない9ポイント台」を記録しました。同時並行的に4月には、上海株式市場の10%下落が起きました。

これを「10年前のサブプライムバブル時のサイクル」で予測すれば、イエレンFRBが金融緩和へ転換しなければ、「半年後の2017年11月には株式市場がピークアウト、その半年後の2018年5月には実体経済のピークアウト」という予測が可能になります。

この予測は、「失業率4.4%」から予測した「2017年〜2018年の米国経済とアメリカ株式市場のざっくり予測」と、ぴたっと一致します。なにやらとても不気味です。

が、上述の「失業率:4.4%」から眺めても、「VIX恐怖指数:10ポイント割れ」から眺めても、イエレンFRBが金融緩和へと転換しなければ、「半年後の2017年10月から11月には株式市場がピークアウト、その半年後の2018年4月には実体経済のピークアウト」という「ざっくり予測」が成り立つことは、大いに注意すべき事柄でしょう。

そして、「そんなのは嫌だぁああああ〜!」「株価の暴落も景気のピークアウトも嫌だぁああああ〜!」「低金利が好きだぁああああ〜!」「2%成長なんて嫌だあああああ!バブルをつくって3%成長がした〜い!」と登場したのが、トランプ大統領だったのです!


2万円を超えられない日経平均

日本株式市場では、日経平均は上値を抑えられてなかなか2万円台に乗りません。

「何が日経平均の上値を抑えているのか?」といえば、その原因は、日本国内の要因というよりも海外要因でしょう。
http://www.mag2.com/p/money/233096

http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/851.html#c3

[経世済民121] アベノミクス、未曽有の異常な「停滞状況」突入…一斉に投資意欲喪失(Business Journal) 赤かぶ
4. 中川隆[-7626] koaQ7Jey 2017年6月01日 07:36:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

また見当外れの事言ってる、ド素人は引っ込んでろよ 4


5月第2週は「海外の買い越しvs個人、投信、自己、信託の売り越し」であった。

海外の買いの多くは持たざるリスクを感じての買いであり、ショートカバーも一部にはあった。株価が上がったことが最大の理由ではあるが、ファンダメンタルズの改善も忘れてはならない買いの背景である。

国内はほとんど総売りに近い状況であった。

何度も繰り返し書いているが、戻れば売りというのはヒステリシスである。

28年間右肩上がりでない相場が続いている。

こうした環境下では、株価が上昇した時に持たざるリスクを恐れて買うような投資家は、とっくの昔に大損して株式市場から退出ないしは追放されている。

国内投資家はごく一部の特殊な投資家を除けば、戻れば売るしか生き残る方法が存在しなかったのである。

5月第2週も過去と同じパターンで週間の日経平均株価は438円上昇して終えた。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/851.html#c4

[経世済民121] アベノミクス、未曽有の異常な「停滞状況」突入…一斉に投資意欲喪失(Business Journal) 赤かぶ
5. 中川隆[-7625] koaQ7Jey 2017年6月01日 07:54:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

また見当外れの事言ってる、ド素人は引っ込んでろよ 5


投資主体別売買動向日本株 - トレーダーズ・ウェブ(株式情報、FX情報)
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp


4月第4週は「海外の買い越しvs個人、投信、信託の売り越し」であった。

5月第1週は「海外の買い越しvs個人、投信の売り越し」であった。

5月第2週は「海外の買い越しvs個人、投信、自己、信託の売り越し」であった。

5月第3週は「自己、事法、個人の買い越しvs投信、海外の売り越し」であった。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/

一般則として

外人投資家が買って、個人投資家が売っている → 株価は上昇中
外人投資家が売って、個人投資家が買っている → 株価は下降中

外国人が買って、日本人が売っていたら上昇トレンド

日本人が売りから買いに変わったらピーク

外国人が売って、日本人が買っていたら下降トレンド

日本人が買いから売りに変わったらボトム



http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/851.html#c5

[番外地6] 米ネオコンとは? 中川隆
19. 中川隆[-7624] koaQ7Jey 2017年6月01日 09:24:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.06.01
朝鮮の弾道ミサイル対策と称し、中国を恫喝するため、韓国政府に無断で同国へTHAADを増設


朝鮮の弾道ミサイル攻撃に備えると称し、アメリカ軍はTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの機器を韓国へ持ち込みつつある。朝鮮のミサイル発射実験もアメリカにとってありがたいことだったはずだ。

スキャンダルで朴槿恵政権が機能不全の状態になっているのを利用してシステムを2基搬入したのだが、その後、新大統領の文在寅に知らせることなく、さらに4基を設置したことが判明した。新大統領の反対を予想し、勝手に持ち込んだということだ。そこで調査が開始されたようだ。

アメリカの好戦派を引っ張っているネオコンは1991年12月にソ連が消滅した段階でアメリカが唯一の超大国になったと信じ、翌年の2月に国防総省内でDPGの草案という形で世界制覇のプランを作成した。

ボリス・エリツィンを使ってロシアは属国化、中国はカネで懐柔済みで、自立した国は簡単に屈服させられると考えていたようだ。また西ヨーロッパ、アジア全域、旧ソ連圏を潜在的なライバルだとみなし、ライバルとして成長しないように押さえ込むことになっていた。

21世紀に入ってロシアではウラジミル・プーチンがロシアを再独立させたが、国力の回復は先だと推測していたようで、例えば、CFR/外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張している。アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通しているのだ。

そうした分析は間違っていることをロシア政府はさまざまな方法で示してきたが、ネオコンは後へ引けない状態。イスラエルと共にネオコンの同盟相手であるサウジアラビアはサラフィ主義者(ワッハーブ派、クフィール主義者)のスポンサー、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の黒幕。そのサウジアラビアの国王が3月、約1カ月に渡ってマレーシア、インドネシア、ブルネイ、日本、中国などを歴訪、アジアの東岸に戦乱を広めるつもりではないかと懸念する人は少なくなかった。

東南アジアではインドネシア、マレーシア、タイなどでサラフィ主義者が活発に動き始め、ミャンマーでアウン・サン・スー・チー派から弾圧されているロヒンギャと呼ばれるイスラム教徒の中へ潜り込み始めているようだが、5月23日にはフィリピン南部、ミンダナオ島のマラウィ市がダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に制圧されたと伝えられている。

安倍晋三政権の動きもこうした東アジア情勢と無関係ではないだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201706010000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/751.html#c19

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
35. 中川隆[-7623] koaQ7Jey 2017年6月01日 10:18:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年6月1日【島倉原】耐久財消費は格差問題の指標?
https://38news.jp/economy/10548


もう1カ月近く前のことになりますが、前々回の5月4日号では、 「GDP統計に見る、経済の衰退と家計の貧困化」と題して、 超長期的な傾向である「経済のサービス化」のこの10年ほどの停滞は、 日本経済の衰退と家計の貧困化が進んでいることの証であると論じました。
https://38news.jp/economy/10412

その際、議論の対象として取り上げなかった個人消費の大項目が、それなりに値段が張り、1年以上利用することが一般的な「耐久財」に対する支出。

自動車、家具、家電などが典型です。

その耐久財消費の個人消費全体に占める比率をたどってみると、サービス消費、非耐久財消費の超長期的な傾向とは、明らかに違った動きをしています。

しかも、同じ耐久財消費でも、日米の間では、これまた明らかな違いが見られます。

https://twitter.com/sima9ra/status/869842936468389889/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2F38news.jp%2Feconomy%2F10548


アメリカの耐久財消費比率は、第二次世界大戦後横ばいで推移した後、1973年以降、とりわけ1980年代に入ってから、低下傾向となり現在に至ります。

対する日本は、バブル経済が生じた1980年代後半から急上昇した後、1996年まで上昇が続き、その後は低下傾向を示しています。

実は、こうした耐久財消費比率の低下傾向の始まりは、トマ・ピケティの『21世紀の資本』で示された、 両国においてトップ0.1%の所得シェアが上昇を開始したタイミングとほぼ一致します。

http://amzn.to/2r96pgZ
http://piketty.pse.ens.fr/files/capital21c/en/pdf/F9.5.pdf
http://piketty.pse.ens.fr/files/capital21c/en/pdf/F9.6.pdf

また、拙著『積極財政宣言:なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』では、
就業環境の長期的動向を示す指標として、25〜54歳男性の就業率等を取り上げましたが、 同就業率が両国で低下傾向を示し始めたのも、ほぼ同じタイミングです。
http://amzn.to/1HF6UyO

現在に至る経済のグローバル化が本格化したのは1970年代以降。

その基盤となったのは、1960年代以降主要先進国で進められた国際資本移動の自由化。

主要先進国における1973年の変動為替相場制導入は、中でも画期的な出来事の1つでした。

そうしたグローバル化によって先進国労働者の就業環境が徐々に悪化し、それによって所得格差も拡大し、将来の所得見通しが立たない人々が増加する。

結果としてもたらされたのが、まとまった金額が必要な耐久財消費の比率低下であり、その典型が、世界経済の中心に位置するアメリカであったと考えられます。

対する日本は、1990年代半ばまでは国内経済、すなわち内需主導の成長を続けていたため、グローバル化時代以降も、終身雇用で賃金格差の少ない戦後の雇用制度が機能してきた。

ところが1990年代後半以降、国内経済すなわち名目GDPの成長が止まり、そうした制度が機能しなくなると共にグローバル化の悪影響が顕在化し、 格差拡大や耐久財消費比率の低下も生じています。

してみると、耐久財消費比率は格差問題の有力な指標と言えるのではないでしょうか。

政府が支出を切り詰める緊縮財政が、現在に至る国内経済の停滞の要因であることは、 従来から述べている通りです。

したがって政府が行うべきは本来、既に20年にも及ぶ緊縮財政路線から脱却すること。
しかしながら、国内経済の停滞でかえってグローバル化志向の影響力が強まったことで、 政府自らがその音頭を取り、国民経済を破壊しようとしている。
それが、「大胆な金融緩和によるデフレ脱却」という誤った処方せんを掲げた
安倍政権の下で進行している現実なのです。


経済の停滞により家計の貧困化や格差の拡大が進み、様々な社会問題が生じている
根幹には緊縮財政という経済政策の誤りがあること。
そのことを多面的、長期的な観点から理解されたい方のための一冊です。
↓『積極財政宣言:なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』
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2017年05月31日
アメリカ人の家計は火の車だった のしかかる住宅、医療、教育費

平均的なアメリカ人が一戸建てを買えたのは50年も前の話
引用:http://blog-imgs-54.fc2.com/g/l/o/globalproperty/MP900442184.jpg


アメリカ白人の苦悩

アメリカでは最近低学歴層や低所得層(ほとんど同じ意味だが)の寿命が短くなっている。

他の先進国や新興国ですらこうした数字は改善方向に向かっているが、アメリカでは逆に悪化している。

特に深刻なのが白人の低学歴、低収入層の短寿命化で、この20年ほどで急激に悪化していた。

          


NT紙によると高卒白人中年の年間死亡率は1999年から2014年までに、約3倍に上昇している。

では白人以外の人種はどうかというと、黒人の場合は最初からかなり高く、白人との比較では現在も高い。

ヒスパニック系中年の死亡率は白人や黒人よりもかなり低く、白人中年だけが悪化し続けていた。


白人の生存条件が急激に悪化するような変化が、この20年間でアメリカに起きているのを意味している。

高卒白人中年とわざわざ書いたのはアメリカでは高卒と大卒で社会が断絶しているからで、生涯収入で2倍から3倍の差がある。

アメリカの大卒は日本の大卒より高収入だが、アメリカの高卒は日本の高卒の半分以下の生涯収入だとされている。


高卒だと日本で言う「正社員」のような安定職業に就くのは不可能で、一生涯日雇い労働者から抜け出せない。

そして1990年代以降のアメリカでは競争や市場原理、IT化などで高卒の安定職業はますます減少し、ハンバーガーショップの店員すら液晶モニターに替わられてしまった。

高卒が自動車工場で働くとか、企業の社員になるなど、もはや親の世代の話になってしまった。


そして苦しんでいるのは白人だけではなかった。


プール付き一戸建ては幻になった

90年代以降のアメリカ経済は日本よりかなり良く、リーマンショック以降もいち早く立ち直り、羨ましいほど好調だった。

だが現実のアメリカ人は、生活がどんどん苦しくなり、「こんな馬鹿な」と思っているようです。

リーマンショックは元々2007年に「サブプライム住宅ローン」が破綻した住宅ローン問題から飛び火したのは、今は忘れ去られています。


アメリカ人の理想はプール付きの広い一戸建てを所有することで、政府や政治家もこれを実現すべく努めてきました。

その結果2007年には、ホームレスや無一文の移民にも高額の住宅ローンを貸付け、投資家には「絶対安心で高利回り」と言って出資させていました。

実態としてはもうアメリカの平均的夫婦がプール付き一戸建てを買うことなど不可能で、それどころか家賃すら払えなくなっている。


リーマンショックの乗り切るためにFRB(中央銀行)は空前の金融緩和を行って世界中にお金をばら撒きました。

日本の金融緩和はさっぱり効果が見えないが、アメリカでは不動産ブームが起きて住宅価格が高騰しました。

サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークのような街では住宅を買うどころか、家賃も払えないほど高騰してしまった。


これらの都市では平均的な1LDKの1ヶ月の家賃が30万円以上であり、労働者の1ヶ月の賃金に等しい。

ハワイでも同様に家賃は高騰し、都市の外側に出なければ住居を借りれなくなった。

年収10万ドル(1100万円)以上あっても日本で言うワンルームを借りる事ができずに、ホームレス状態になったという笑えない話もある。


のしかかる教育費と医療費

アメリカでは大学に行かないと年収が2倍か3倍違うと書いたが、大学に行くための学費はますます高騰し、社会に出る前に1000万円以上の借金を背負う。

仮に親が払うとしたら、子供が2人居れば4年間の費用は数千万円+人数分なので、やはり重く圧し掛かっている。

加えてアメリカでは医療費が飛び切り高く、医療費負担を減らすための医療保険も高い。


救急車(有料)は1キロ走るごとに1万円以上請求されるのが普通で、国土が広いのでヘリで搬送すると1回数百万円が掛かる。

ガーゼ1枚数千円、消毒も数千円、簡単な治療で数万円、手術なら確実に100万円単位が請求される。

それではと医療保険に加入するが、民間医療保険は結局保険会社が儲けるので、加入するとトータルの支払い金額が増えてしまう。


日本の国保、社保は健康な人が病気の人の医療費を払う制度なのだが、アメリカ人はそういう制度を嫌います。

アメリカで破産する人の最も多い原因が医療費で、しかも破産した人の多くは医療保険に加入していました。


こうしてアメリカ人の家計の借金は増え続け、2017年3月末の家計債務残高は約12.7兆ドルにもなりました。

リーマンショックの最悪期2008年9月に約12.6兆ドルだったが、これを上回りました。

最も急激に増えたのが学生ローンで、2000年ごろにはほぼゼロだったのが、2017年には1.4兆ドルに成っています。


アメリカでは自動車販売が好調だったが、自動車ローンも学生ローンに近い水準に増えていて、これは自動車販売が持続しないのを意味している。

つまりアメリカの平均家庭では収入以上に借金が増えてしまい、家計は火の車であり、羨ましいどころではありませんでした。

むろんこれも低学歴で低収入な人ほど、恩恵が少なく負担だけが重かったのです。
http://www.thutmosev.com/archives/71143793.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c35

[外国人参政権・外国人住民基本法01] トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか? 中川隆
76. 中川隆[-7622] koaQ7Jey 2017年6月01日 11:00:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

衝撃の『農業競争力強化支援法案』が通過!〜悪夢の日本未来予想図

まいりました。。国民に殆ど知らない(知らされない)まま参院本会議で通過した『農業競争力強化支援法案』を知ってますか?

法案名だけ聞いても、「ああ、農業の競争力強化を支援するのはいいことじゃない?」くらいにしか思わないですよね。

いや。いや。これは日本の食文化の悪夢のプロローグと言えるほど危険な要素が詰まった法案です。なぜ日本は行ってはいけない方向に舵を切るのか理解不能です。

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『農業競争力強化支援法案』によって始まる日本農業の悲劇

さて、この農業競争力強化支援法案について簡単におさらいしてみたいと思います。

こんな法案を読み込むは、農業オタクくらいですよね。一般国民に詳細は分かる訳もなく。。しかし、その条文にはとんでもない内容が・・・!!

まず、過去記事にある「農作物種子法廃止案」の衆議院通過の後だけにセット法案という事が明らかにわかる内容なのです。

Seabrook-Seeds-of-Time-1200.jpg
農業競争力強化支援法案にも種子について書いてあるんですが、そこには、

「民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産及び供給促進」

「都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供」

と、驚きの内容がしっかり明記されています。
この民間事業者が誰を想定してるか分かりますか?

それでは、衆議院本会議でのやりとりの一幕です。

畠山議員(日本共産党)が、この法案の指す民間事業者に国籍などの要件がないことから、外資参入も含むのかとの質問をしました。

農林水産大臣は、“ 事業者の国籍に関係はありません。外資企業が支援措置を活用することも可能 ” と、答弁しました。

!!つまり、この法案の意味するものはこういうことなんです。

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今まで都道府県の義務の下で研究、開発、管理されてきた米や麦なんかの種子についてたくさん溜まったノウハウ、知識はもう国内外の会社に解放しちゃいましょう。

そうしないと、いつまでも農業だけ鎖国してることになってモンサント社たち外国のアグリビジネス会社に日本の農業の知見を開示できない訳ですから。

国策はグローバルに向かってるのに、農業だけ守りに入ると外国からスゴイ圧力がかかる上に、補助金やらの予算もとらなくて済むので、国は一石二鳥。肩の荷が下りてありがたいんですよね。

モンサント社をはじめバイオ農業社の皆さん、これでやっと日本の農業に参入して公に遺伝子組み換え種子の農業ビジネスができるようになりますよ。

そうすれば、農業競争力上がるから国内の種子ビジネスの活性化になって良いでしょ?

もちろん今まで行政の管理下で価格も安定してたけど、これから種子マーケットの争いで価格高騰もありえるかもしれませんね。

国内の種子企業がグローバル企業に勝てないかもしれない?外資市場解放とはそういうことも含めて競争力がつくからグローバルなんでしょ。
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↑この状況分かりますか?
今まで公的に管理されてた日本人のライフラインである種子もついに外資の参入が始まるのです。

しかも、日本だけがもっている種子ノウハウも外国に渡すという大盤振る舞い法案。この国を誰のものにしたいのでしょうか。

そして、世界的大問題となっている遺伝子組み換え種子の日本国内流通や日本の食に対する安心安全の考え方の大変革が起こり、将来、日本の食卓はどうなってなっていくのでしょうか。

本当に真剣に考えていかないとマズイ状態の日本になってきていると切に思う話でした。
http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/450280234.html#more
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html#c76

[外国人参政権・外国人住民基本法01] トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか? 中川隆
77. 中川隆[-7621] koaQ7Jey 2017年6月01日 11:02:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『農協改革』恐怖のシナリオ 〜これから日本の食卓に並ぶもの


農業に携わっていないとあまり意識しませんが、実は日本の食文化が脅かされる恐ろしい状況へと外堀が埋められてきている状況をご存知でしょうか?

その名も『農協改革法』。

この真の狙いは多くの国民には理解されず、むしろ農業が儲かる為に旧態依然のJA農協はぶっ壊して変えていかねばならない、という自民党の風潮になんとなく乗っている人が多数ではないでしょうか。

このニュースをみると、かつて小泉元首相が国民の目を違う方へ持っていき選挙で大勝利を収めた郵政民営化を思い出します。これの本当の狙いと農協改革は同じなのです。

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利益を追うための株式会社に農協を変えていく真の狙い

2015年8月に「農業協同組合法等の一部を改正する等」の法律が国会を通過し2016年4月より施行されました。これは、JAからの激しい反発で名前の通り一部の改正に留まっています。

政府、自民党が推し進める 農協改革「規制改革会議」の100%勝利にはなりませんでしたが、ほとんどの全中グループは株式会社へ組織変更可能という「株式会社化」ができるようになったのです。

いいことじゃん、って思った人もいるかもしれませんが、実はこれがミソなんです。

まず、農協の持つ莫大な金融資産と日本の農業市場が株式会社化により扉が開きます。これで、農協は利益追求を第一義とすることになりますが、株式会社になってその会社の経営に口を出すことができるようになるのは…

cargill.jpg
カーギル。聞きなれない名前かと思いますが、世界の穀物市場で莫大な利益を上げ、世界的な影響力を持つ穀物メジャーの米国最大手会社です。

農家から穀物を買い付け、世界中に輸出し、米国人の口に入るもののほとんどはカーギルのものと言われており、あのモンサント社と持ちつ持たれつの関係です。いまでは世界穀物市場の半分をカーギルが握っており、政治的影響力さえ持つモンスター企業です。

この閉ざされた日本の農業市場を彼らは晴れて株式会社になった全農グループに対して買収し傘下に収めることが視野に入ってきたのです。また、当然ながらウォール街の1%の超富裕層たちが株を大量に買い占め大株主となることも可能になってきました。

なぜそんなことが言えるのか?それは、この農協改革に至った背景が、アメリカの圧力がかかった上での動きだからです。

日本がいまだに米国の属国であるという事実

その外圧の筆頭が「在日米国商工会議所」です。彼らは米国政府や米国商工会議所とも連携しており、ウォール街にガッチリ絡んでいる1,000社以上の米国企業で構成された経済団体です。

まあ、米国の経済に大きな影響を与えるそうそうたる企業集団ですから、当然ながら日本で米国企業が儲かるための働きかけを日本政府にしてくるわけです。

小泉政権時代、郵政民営化法により約300兆円にのぼる「郵政マネー」が外資に渡っていく準備をようやく終え、遂に2015年11月に上場を果たしました。
上場.jpg

小泉政権時代から現在まで在日米国商工会議所から明確な圧力「外圧」が掛かっていることが、日本共産党の調査で明るみになっています。(これはマスメディアで大きく取り上げられないだけで事実です)

まだ一部の株売却ですので、大半の株を日本政府が保有していますが、株主には既に外資金融界関係(ウォール街)がしっかりと名を連ねています。(「日本〜信託銀行」と名前の入った金融機関名ですが、日本の大手金融機関や大企業大株主の大半はウォール街系列の会社です。興味のある方はコチラ→「優待・配当株をひたすら増やしてみると」さんのサイト「日本マスター信託口」って何?日本の大企業に居座る謎の大株主。より)

日本政府は今後、株売却を進め保有率を下げることを発表しています。そうなると今後、必然的にどうなっていくか、、。

流れは全く同じなのです。農協改革法案は、この郵政民営化の様に米国黒船の外圧により、株式会社化によっていずれ上場をして外資が入る準備を着々と進めていることは明らかです。

しかし、もっとタチが悪いのは、カーギルの友、モンサント社の存在です。この農協株式会社化による日本農業市場の開放と農作物取引市場緩和は、モンサントの遺伝子組み換え作物、穀物をどんどん日本に入り込むための準備であることに繋がっています。

米国がTPPから離脱しても、カーギルやモンサントが日本市場参入しやすいような法案作りが進められています。

近い未来、日本の食卓には否応なしにモンサント社の遺伝子組み換え作物が多く並び、大半の食べ物には自分の意に反した食材を口にする世になっている可能性が高くなってきています。

ちなみに民主党政権時代にいったん凍結された郵政民営化法案を外圧により再び2015年に上場まで持って行ったのも、今回の農協改革を推し進めているのも現安倍政権と自民党です。

本当に日本人の文化、生活、財産、健康を守ることがこのようなグローバル化と称した政策(アグリビジネス)なのか、それともアメリカの属国故に仕方ないのか、国民ひとりひとりが真実を直視し、真剣に考えなくてはいけませんね。
http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/441962013.html
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html#c77

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
95. 中川隆[-7620] koaQ7Jey 2017年6月01日 12:40:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

住宅ローンの「後から固定金利に借り換えよう」が危ない2つの理由=梶原真由美
2017年5月30日



FPの私は、住宅購入を検討中の方から「変動金利と固定金利のどちらが良い?」とよく質問されますが、現在は「全期間固定金利」を推奨しています。もちろん、これには理由があります。

「変動金利から固定金利への途中借り換え」に見逃せない落とし穴

最悪、負債だけが残る

みなさんが弊社にご相談に来られるタイミングはいくつかあって、特に多いのが「結婚」「出産」「住宅購入」「リタイア」です。今回は「住宅購入」相談の時に必ず質問される、「変動金利と固定金利、どちらが良いでしょうか?」という質問に私がどのように回答しているかをシェアしたいと思います。

ズバリ回答としては、現在は「全期間固定金利」を推奨しています。今後の金利は上昇するか、このままの低金利が継続するかは、私にはわかりません。ただし、政策金利が下限に近い0.1%である今から、これ以上大きく金利が下がることは考えにくいです。

住宅ローンを組むうえでの大きなリスクは、変動金利でローンを組み、その後金利が上昇して返済金額が増加した結果、返済が計画通りできなくなってしまうことです。最悪の場合は家を手放すだけではなく、家を手放したうえで負債だけが残るなんてことにも。

最初から全期間固定金利で組んでおけば、そのリスクは排除することができるんです。

今後、金利がずっと上がらなければ「変動金利にしておけば良かったなぁ」と思うでしょう。この後悔が怖くてなのか、変動金利を組む人の割合は、住宅ローンを新規で借りる人全体の4割だそうです。

固定と変動の「金利差」は必要経費と考える

みなさんは生命保険(死亡保険)に加入していますか? 入っている人は、なぜ加入したのでしょうか?

万が一、自分が死んでしまったら…。「残された家族のために」と加入している方が多いのではないでしょうか。リスクヘッジの観点から考えたら、全期間固定金利を選ぶことと、生命保険の加入は、同じことだと思うのです。

生命保険には「万が一死亡したら…」と考え、そのリスクヘッジのために毎年数万円の保険料を支払います。結果何事もなく、ある程度の年齢まで人生を全うできた時に「生命保険に入らなきゃよかったなぁ」と後悔する人は、果たしてどれくらいいるでしょうか?

人生最大の買い物かもしれないマイホーム。変動金利の上昇リスクを保有し続けるのではなく全期間固定金利という選択をし、変動金利の上昇リスクを排除する。その「必要経費」として、変動金利と固定金利の金利差を考える。

このような考えから、全期間固定金利を推奨しています。

全期間固定金利では、毎月返済額の負担が大きすぎて…という方は、購入金額自体を見直す必要があるのではないでしょうか。

「金利が上昇してきてから固定に借り換える」のが難しい2つの理由

「最初は変動金利で借りて、金利が上昇してきたら固定に借り換えたらどうか?」。こういう提案をしてくる方がよくいます。

長引く低金利で借り換えブームの中、そのように考える方が多いのも納得なのですが、実際これを実行するのは非常に難しいと思っています。

その理由は2点あります。
1.日常的に金利動向に注目し続けられるのか?
2.そもそも変動金利と固定金利は連動していない

次項では、(2)について詳しく解説をします。

固定金利と変動金利の決まり方

「フラット35」の全期間固定金利は長期金利と連動しており、変動金利は短期金利と連動しています。短期金利と長期金利の決まり方には大きな違いがあります。

短期金利は政策金利とも呼ばれ、インターバンク市場と呼ばれる銀行同士のお金の貸し借りに使われる金利を主に指し、この金利は日本銀行がコントロールしています。

これに対し、長期金利は日本10年国債利回りを主に指し、金利は市場が決めています。将来の経済成長期待や物価上昇期待など、市場特有の要因が加味されて決定されるのです。

金利上昇。その時、固定金利と変動金利はどう動く?

日本は長い間低金利が続いており、参考となりそうな金利上昇局面がありません。ここでは、米国で過去の政策金利利上げ局面に長期金利と短期金利(政策金利)がどう動いたのかを見てみます。

米国では2004年6月から2006年6月まで、1%〜5.25%まで段階的に政策金利(短期金利)を利上げしました。

その時に長期金利はどう推移したのかを見てみると、政策金利の利上げ前に、市場で急速に物価上昇が進むと懸念され、数ヶ月で1%程上昇していました。そして利上げ開始後、これで物価上昇による懸念が抑えられたと市場が判断し、長期金利の急上昇は止まりました。

このように短期金利と長期金利はその仕組み上、連動していないのです。特に長期金利は市場の「期待」や「懸念」を要因として変動するものなので、予測が非常に難しいと思います。

このケースから推測されることは、将来日本で政策金利(短期金利)利上げ局面が来た時には、既に長期金利は上昇していることが考えられるので、「最初変動金利で借りて、金利が上昇してきたら固定に借り換える」という戦略はあまり意味がないことになります。
http://www.mag2.com/p/money/235438
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c95

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
36. 中川隆[-7619] koaQ7Jey 2017年6月01日 17:30:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

グローバル化の流れは終わりを迎える 水野和夫・法政大教授に聞く 2017年6月1日


英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)や「米国第一主義」を掲げるトランプ米大統領の誕生など、内向き志向を強める世界経済はどこに向かうのか。

独自の視点でグローバル経済を論じてきた水野和夫・法政大教授が

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』
https://www.amazon.co.jp/%E9%96%89%E3%81%98%E3%81%A6%E3%82%86%E3%81%8F%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%A8%E9%80%86%E8%AA%AC%E3%81%AE21%E4%B8%96%E7%B4%80%E7%B5%8C%E6%B8%88-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%B0%B4%E9%87%8E-%E5%92%8C%E5%A4%AB/dp/4087208834

を上梓した。

500年続いた近代システムが、800年の資本主義の歴史とともに終わりを迎えつつあると主張する水野氏は、どんな先行きを見通しているのか。(聞き手は浅松和海)

――タイトルにある「閉じてゆく」とはどういう意味でしょうか。

水野:世界の国々は産業革命や技術革新を経て、「より遠く」「より速く」というグローバリズムの動きを進めてきました。こうした動きに逆行し、ある一定規模の同盟という形に回帰したり、自国第一主義の方向に進んだりする動きを「閉じる」と呼んでいます。世界の流れは今、この「閉じる」方向に向かっています。

 グローバル化が進むと、例えばある特定の企業のパワーが大きくなり過ぎるなどの弊害が起こります。ペーパーカンパニーを作って税金を逃れるようなケースも出ています。欧州などでは増えすぎた移民に対し、国民の不満が募っています。これもグローバル化による弊害と言えるでしょう。

――「閉じる」方向へ進んでいるのは世界全体でしょうか。

水野:昨年は英国がEUを離脱し、米国では自国第一主義を抱えるトランプ氏が大統領に選ばれました。どちらもグローバリズムの流れに逆行した、国を「閉じる」動きです。

――米国が北朝鮮問題など外交面で積極性を強めています。これはグローバルな動きとも言えないでしょうか。

水野:確かに米国は外交面で積極性を強めている部分もありますが、外交政策については継続性があり、いきなりやめられるものではありません。ただ、司法と争っている入国禁止令などはひるまずにやっています。外交面では難しくても、内政面でできるところでは自国第一主義を進めている状況です。

 日本などから見ればおかしい政策という気もしますが、米国ではヒスパニック系の人口が増え、遠からず多数派になると見られています。入国禁止令に賛成する白人層などは、そうした現状に危機感をおぼえているのだと思います。グローバル化を進めた結果、金融やビジネスの面では、米国は世界を支配してきました。ただ、人の面では逆に「乗っ取られ」そうになっているのが現状なんです。

仏大統領選で浮かび上がった「二重構造」

――5月のフランス大統領選では親EU派のマクロン氏がEU離脱を掲げるルペン氏に勝利しました。これは「閉じる」動きに反するものではありませんか。

水野:これも基本的には昨年からの英米の流れを引き継いだものと見ています。マクロン氏が選ばれたことは、フランスは一国単位ではなくEUというある一定の規模で「閉じる」ことを選んだということです。

 マクロン氏とルペン氏の対立は、グローバリズムとナショナリズムの対立という世界の構図をより鮮明に映し出しました。4月の第一回投票ではマクロン氏、ルペン氏を含む各候補の得票が僅差でした。これはフランスでもナショナリズム、グローバリズム双方の考え方が綱引きをしていることを示しています。

 同じ状況は、「閉じる」選択をした英米にも言えることです。英国ではEU離脱に対する批判がかなりあります。米国でもトランプ大統領の支持率が低いことなどが、そのことを物語っています。大きく世界の流れをとらえれば「閉じる」流れにありますが、個別で見るとそれぞれの国内で双方が綱引きしている二重構造になっているのです。

――なぜ二重構造になっているのでしょうか。

水野:「閉じる」流れがまだ過渡期にあるからです。グローバリズムは、(米国がドルと金の交換を停止した)ニクソンショックや石油危機の発生した1970年代から退潮が始まり、徐々に過渡期に入っています。

第4次産業革命は救世主にならない

――世界が「閉じる」方向へ向かう背景には何があるのでしょうか。

水野:前述の通り、グローバリズムの弊害が表面化していることがあります。その背景には資本主義が限界を迎えつつあるということがあります。資本主義はモノやサービスが足りないのが前提です。しかし、例えば日本では、コンビニエンスストアは飽和状態ですし、住宅も空き家が出るほど足りている状態です。廃棄される食品ロスも大量に発生しているほどです。

――AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)に代表される第4次産業革命によって新たな市場が生まれ、飽和状態が解消される。そんなふうに資本主義が今後も力を持つという可能性はないのでしょうか。

水野:AIをはじめ、今の技術革新の原則は「より遠く」「より速く」というグローバリズムの延長線上に乗ったものです。どういう結果になるかといえば、例えばAIであればAIを所有している人間に富がどんどん集まっていきます。

 AIというのはディープラーニング(深層学習)によって常に競争が行われ、瞬時に新しくなっていくものです。ということは負け組がいっぱいできて、最後に残ったわずかの勝ち組が全財産を持つことになります。オール・オア・ナッシングの世界になっていくということです。AIはますます不平等を加速させていくでしょう。

――今後、日本も「閉じる」方向へ進んでいくべきなのでしょうか。

水野:日本でも企業が海外に進出しグローバリズムの流れに乗ってきた経緯があります。ただ、もうその制度自体が疲労していて、ちょっと柱一本で支えたくらいでは解決できません。どの道が正しいというのは分かりませんが、日本が世界の中心にはなかなかなりにくい以上、安全保障を考える上では強い国と同盟を組むというのが現実的です。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c36

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
392. 中川隆[-7618] koaQ7Jey 2017年6月01日 17:35:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年06月01日
野村証券、世界で告訴や批判が相次ぐ

新聞・テレビが野村のニュースに消極的なのは、広告費と関係があるのだろうか
引用:http://alternac.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/20160601_yumenichikarawo_a.jpg


野村證券の不正

国内証券大手の野村證券は国内外で様々な不正行為を行い、顧客や取引相手に損害を与えたと指摘されている。

多くは海外メディアの報道で、国内マスコミは報道しようとしないが、国内ではもっと直接的な犯罪も明るみに出ている。

日本でもっとも信頼されていた証券会社が実は「ブラック証券」だったという事実に、日本の投資家は気づくべきかも知れない。


          
まずブルームバーグが5月に掲載した記事によると、米連邦地検は野村はトレーダーに顧客を騙して損失を与えるよう教育していたと主張した。

野村は世界中で顧客に損失を与えたとして告訴されていて、アメリカでも何度も訴えられている。

記事ではロス・シャピロ、マイケル・グラミンス、タイラー・ピータースの3人の元野村トレーダーが顧客から告訴されているようです。


3人は先輩として若手トレーダーに「どうやったら顧客を騙して自分の利益を増やせるか」を教えていた。

フランク・ディヌッチという元野村トレーダーは、債券の売買価格について顧客に嘘の情報を伝ろと教えられたと証言した。

彼らは証券詐欺などの容疑で告訴されていて、有罪を認める代わりに減刑される取引を検察としたようです。


ケレブ・チャオという元野村傘下トレーダーは、モーゲージ債デスク勤務で「顧客を騙すよう」すぐに教育されたと証言した。

チャオ氏は「顧客のために働いていると感じさせながら、実際には顧客を裏切って自分の利益を増やしていた」と陪審員に説明した。

チャオ氏は大学を卒業してすぐに野村に雇われ、先輩ディーラーから「実務のコツ」を一から手ほどきされた。


先輩トレーダーたちは「そうした戦術は業界では”ありふれた事”であり、交渉のテクニックに過ぎない」と反論している。

たとば中古車を買い取る時にプロは「この車の相場は下落しているんですよ」など事実と違う事を言うが、それと同じらしい。

だがこれらはまだ序の口だった。

野村の不正その二

このような事は海外だけでなく日本国内でも行われていたようで、東京地裁は2017年5月27日、野村証券に1億4千万円の支払いを命じている。

新潟県と東京都の投資家に高リスクのオプション取引をリスク説明せずに販売し、リーマンショックで7億8千万円の損失を与えた。

野村の担当者は販売時にメリットだけを強調し、リスクはほとんど説明していなかった。


5月31日には野村証券元社員が顧客7人からキャッシュカードを騙し取り、口座から2億7千万円を引き出して逮捕されました。

普段から「客は騙せ。あいつらはカモだ」という教育をしているから、こうなるのではないかと想像します。

野村は2012年に金融庁からインサイダー容疑で、業務改善命令を受けていました。


1990年代には損失補てん事件、利益供与事件を起こし、最近ではブラック労働企業としても批判されていました。

インサイダー事件は野村證券が取引先企業の増資をいち早く知り、その情報を特定の大口顧客(財閥系など)だけに知らせ、見返りに証券取引を増やしていた。

一方で重要でない顧客にはその情報は秘匿され、一部顧客は空売りと買い増しで大儲けしたとされている。


2016年には「野村証券詐欺事件」というのも起きていて、過去の報道によると野村証券東京支店の営業マンが顧客から多額の金銭を騙し取ったとされている。

この営業マンは野村を通さず顧客が直接自分と取引するよう働きかけ、投資資金を預かっては着服していた。

同営業マンはフィナンシャルコンサルティング課の課長代理でフェラーリを乗り回し銀座で遊びまわっていたという。


野村証券は営業マンが個人として行っていたことで、わが社には無関係だと主張している。

野村の不正その三

南米の産油国ベネズエラは原油価格値下がりで破綻寸前、というより既に破産しているのだが、面倒なので国際社会は存続させて放置している。

国家破産を認めたら日米欧や中国の損失が表面化するし、色々と不都合だから「もっと破綻するまで見なかった事にしよう」という事です。

インフレ率は500%とも1000%ともいわれ、暴動が起きて武力鎮圧しているが、面倒だからと先進国は関わりを避けている。


その破産国家の国民は通貨の価値がなくなったので輸入が出来なくなり、輸入食料はむろんの事、医療品の輸入もできなくなっている。

このベネズエラで金儲けをしていると批判されているのが「金男」ことゴールドマンサックスと、野村證券です。

報道によると野村証券は先週、約1億ドル相当のベネズエラ国債を約3000万ドルで購入した。


満期に償還してくれるなら3倍以上になるわけで、これ自体は異常ではない。

日本国債も額面より安い価格で販売し、満期に買い取る事で投資家は儲かるので、同じ事だからです。

額面と販売価格の差が金利で、信用が高い国ほど差が小さく、信用が低い国ほど差が大きく投資家は儲かる。


だが信用の低い国は破綻する確率が高いので、購入した国債が紙切れになる場合があります。

ゴールドマンサックスは28億ドル相当のベネズエラ国債を、やはり額面の3分の1以下で購入したと報道されています。

これが非難される理由は一つには、破綻国家につけいる「ハゲタカ」や「ハイエナ」的行為というのと、ベネズエラの現政権を助けている事です。


ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は自分の失策で経済破綻させたが退陣する気はなく、抗議には武力鎮圧で対応している。

いっそのこと退陣して政権交代すれば良いのに、GSと野村が金を貸して助けているという批判です。

国債を買うのはその国を助けているが、大統領が独裁者で問題ある人物だった。
http://www.thutmosev.com/archives/71166996.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c392

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