日本国家は、国民の人権を守らず、監視下に置いてきた !
幕末・明治維新の深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2019/01/22より抜粋・転載)
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1)〜4)は前回投稿済みです。以下はその続きです。
5)捜査当局は、私生活に関する、膨大な情報を、
外部のチェックを経ずに、入手している可能性が高い !
捜査当局は、内部手続きの「捜査関係事項照会」を使い、どの店をどのような頻度で利用するかなど、私生活に関する、膨大な情報を、外部のチェックを経ずに、入手している可能性が高い。
警察や検察の内部資料によると、Tカードの
(1)会員情報(氏名、生年月日、住所など)
(2)ポイント履歴(付与日時、ポイント数、企業名)
(3)レンタル日、店舗、レンタル商品名
(4)防犯カメラの画像、などがCCCから提供されてきた模様である。
ポイント履歴やレンタル履歴は、13カ月間保存と記載されていた。二つの重大な問題がある。
6)顧客に対する背信行為であり、民事上の
損害賠償請求の対象になり得る !
第一は、民間事業会社が顧客に無断で個人情報ならびに取引情報を警察当局に提供していたという事実である。
事業会社の顧客に対する背信行為であり、民事上の損害賠償請求の対象になり得る事案である。
T会員の数は日本の人口の半分を超えている。半端な数ではないのである。
7)事業会社の捜査当局への「権力の犬」的な
行為は、容認されるわけがない !
事業会社が捜査当局に情報を提供するのは、刑事司法権力への迎合、すり寄りであり、民主主義社会において、このような「権力の犬」的な行為は容認されるわけがない。メディアがこの問題をどのように伝えるのかが注目されるが、民間企業の行動として許されざるものである。このような企業の存続を市民は許すべきでない。
8)刑事司法当局は、民間事業者から不正な方法で、情報を提供させていた !
第二の問題は刑事司法当局が民間事業者から不正な方法で情報を提供させていたことである。
プライバシーの保護は民主主義社会の根本原理である。
捜査当局が民間事業者に対して個人情報、プライバシー情報の提供を強要する構図が見える。
日本ではマイナンバーの制度が導入されたが、市民が警戒するのは、政治権力が権力を笠に着て個人情報を収集し、監視社会を構築することである。
9)日本では明治6年以降、人権に対する
国権の優越が支配してきた !
―この続きは次回投稿します―
(参考資料) 幕末維新革命の真相は ?
(欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐(南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、
加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、
山縣、大久保の日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者(鹿島 昇)は私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者は、かつて早大研究室で、刑法の研鑽を積み、研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に、聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。この著者の特性は、かつて、檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって、見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても、遺憾なく発揮されていることを知った。
☆幕末・明治時代の「官学合同の偽史シンジケート」
維新以降の「官学合同の偽史シンジケート」によってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壌され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
☆孝明天皇、その子睦仁、大室寅之祐の明治天皇の謎
本書のなかで著者が展開する史観は、三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子睦仁、及び実は大室寅之祐の明治天皇は、或いは明治維新を推進した岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保たちに暗殺され、或は裏切られた悲しい存在であったという事実である。
☆天皇親子を暗殺、身代わりを明治天皇に
すり替え、歴史を捏造 !
まず孝明天皇は、長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。そして、睦仁の身代わりになった明治天皇は実は南朝の末孫という長州力上隊の大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。