http://www.asyura2.com/acpn/k/kk/kkk/kkKQbIKqkKKSvIK1/100005.html
日経新聞が、無料の記事を掲載するときは、中身がどんなものか、おおよその想像がつく。
今回取り上げる本記事も、そういう視点で読むと、興味深い。
国家権力が行う「世論誘導」、「世論形成」は、こういう形でも行われると気付かされる。
ステルスプロパガンダとでも表現できようか。
どこからか出るかは想像するしかないが、経済的見返りは「しっかり」得ているのではないか。
そうでなければ、無料記事にする理由が分からない。
余談はこのくらいにして、以下、記事から箇条書き的に抜粋し、都度、私の考えるところを書き記したい。。
(記事全体の文脈は、下記URLに飛んで、記事そのもので確認願いたい。)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA204GF0Q2A221C2000000/
・「立憲民主党は20日の党会合で「外交・安全保障戦略の方向性」を決めた。ミサイルの長射程化など能力向上は必要だと明記した。」とある。
ミサイルの長射程を云々するが、中国、北朝鮮、ロシア等々、その領土まで届く長射程は必要ない。
「日本島しょ部などへの軍事的侵攻を抑止し、排除するため」としているのだから・・・。
日本の領土、領空、領海の外縁まで届けばよいということになる。
隣国の領土まで届く、そんな長射程のミサイルを保有することは、「専守防衛の理念」に反するし、近隣諸国に対しては、これまでの「専守防衛」という防衛方針を、かなぐり捨てたというメッセージになるだろう。
「専守防衛」の放棄。
このことは、近隣諸国にとっては、極めて重大な関心事となるに違いない。
日本のこの動きを、どう判断するかは、日本側がするのではなく、近隣諸国の主観に委ねるしかないことを忘れてはならない。
・「反撃能力は「自民党、公明党合意に基づく政府の反撃能力には賛同できない」と記した。」
・「政府が想定している「相手が攻撃に着手した段階の行使」に反対した。」
とも書かれている。
ここで、少し頭の体操のために、想像力を働かせてみよう。
戦争は、このようにして始まる・・・。
日本が、不穏な動きを示す「仮想敵」の動きを逐一監視する。
当然、「仮想敵」も日本の不穏な動きを監視しているはずだ。
日本が、仮想敵の動きを「相手が攻撃に着手した」と主観的に判断して、反撃能力の行使に着手し、かねてからの訓練通りの行動をし、速やかに準備を整える。
それを監視していた「仮想敵」は、「日本が攻撃に着手した」と主観的に判断し、ミサイルの発射ボタンを押す。
日本も遅れをとってはならないと、「敵基地攻撃能力(反撃力)」の発射ボタンを押す。
一瞬早く相手国がボタンを押した。
しかし、日本は、そのことを非難出来ない。
何故なら、日本政府は「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と世界に向けて発信している訳だから。
自国が認める屁理屈は、当然、他国にも認めなければならない。
このことは、今後、取り消しはきかないだろうし、取り返しもつかない・・・。
誤解を与えたとしたら訂正します、などと言っても、国際社会では、いまさらと、嘲笑されるばかりだ。
とんでもないことを、してくれたものだ。
さらに想像力を働かせてみよう・・・。
日本は、未だ敵国条項の対象国に載ったままだ。
従って、近隣諸国が、「日本が再び侵略行為を働く兆候を見せている」と、主観的に判断すれば、宣戦布告なしで、日本に対して武力で制裁を加えることが認められている。
この場合は、日本は「世界の敵」「国連の敵」となり、さすがの米国も「日本」を支援することは躊躇するだろう。
一方、日本は、憲法で戦争を放棄しているから、「仮想敵」に対して「宣戦布告」は出来ない。
つまるところ、日本の攻撃は、「反撃」と言っても、所詮は「宣戦布告」の無い、「奇襲」であり、「リメンバーパールハーバー」の合唱に押しつぶされる。
そして国際世論は、日本=悪魔、残虐な民族、となってしまうのだろう。
結論的には、日本は他国の領土で武力行使は出来ないということになる。
他国の領土にミサイルを撃ち込んだ瞬間に、日本が侵略戦争を始めたと、世界中から糾弾されるのが落ちだ。
日本国憲法も、そのことは厳に禁じているではないか。
・「米国など日本と密接な関係を持つ国・地域が攻撃され日本の存立が脅かされる「存立危機事態」になっても、集団的自衛権としての行使を認めないとの見解で一致した。」
・「長射程ミサイルに関しては反撃能力の具体的な手段になる。立民は今回、能力の保有の是非と書き分けた。ミサイル能力の向上の目的は「日本島しょ部などへの軍事的侵攻を抑止し、排除するため」と強調した。」
・「そのうえで反撃能力の保有に「政策的な必要性と合理性を満たし、憲法に基づく専守防衛と適合するものでなければならない」と条件をつけ、一部容認した。」
このあたりになると、なにやら怪しげな雰囲気になってしまう。
集団的自衛権としての行使を認めない、と言い切っていることは評価できる。
しかし、「反撃能力」に関しては腰が定まっていないことが、見え見えで、これでは、政府、自民党に付け入る隙を与えてしまうだろう。
・「玄葉光一郎党ネクスト外務・安全保障相が党内の議論を主導した。玄葉氏は会合後、記者団に「必ずしも保有、行使一般を否定しているものではない」と語った。」とある。
立憲民主党には、必ず、このように党内の乱れを公言し、足を引っ張る人間が現れる。
反撃能力の保有で党内を纏められず、逆に「賛同できない」と言わしめてしまった。
その負け惜しみが、「必ずしも保有、行使一般を否定しているものではない」と記者団に向かって敢えて言わしめるのだろう。
それを、日経新聞は、目ざとく取り上げる。
言ってみれば、絶妙の連係プレーとも言えよう。
・「▼反撃能力 相手のミサイル発射拠点などをたたく能力を指す。政府は相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する。「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもの」
・「笹川平和財団上席研究員・渡部恒雄氏が言う。」
・「立憲民主党が容認したミサイルの長射程化は結果的に反撃能力の保持にもつながる。反撃能力は政府の方針は認めないものの、野党として現実路線を打ち出したことは画期的で評価できる。」と
笹川財団に評価されるって、それはあっち側に阿り、擦り寄って行ったということの証ではないか。
何をやってるんだか・・・。
抑止力として「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、憲法に違反するという認識に立つことが大前提ではないか。
憲法9条では、
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と明記されている。
「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、相手を「武力により威嚇する」ことであり、「抑止力」と言う以上、相手に対して「敵基地攻撃能力(反撃能力)を行使すると表明することになる。
どのように屁理屈を言おうと、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と記した憲法に違反する。
憲法では、「永久に・・・」と強い言葉で禁じている。
立憲民主党の方針は、ぎりぎりのところで、「専守防衛の理念」を守ったように見えるが・・・。
今後の動き次第では、「危うさ」は否定できない。
玄葉氏は、「必ずしも保有、行使一般を否定しているものではない」と語り、
笹川平和財団上席研究員・渡部恒雄氏には、
「立憲民主党が容認したミサイルの長射程化は結果的に反撃能力の保持にもつながる。反撃能力は政府の方針は認めないものの、野党として現実路線を打ち出したことは画期的で評価できる。」
と言われ、
日経新聞に、「反撃能力一部容認」と書かれるようでは。
なんとも、心もとない。
立憲民主党の姿勢が、これまでと同様、「曖昧」だということを示している。
そして、その「曖昧さ」は、政府、自民党に、いいように利用されている。
さらに言えば、この「曖昧さ」が、立憲民主党の「分かりづらさ」であり、支持率低迷の一因でもあるのだろう。
「自民党、公明党合意に基づく政府の反撃能力には賛同できない」・・・ではなく、
毅然とした態度で、
「反撃能力の保有」には、絶対「反対!」だ。・・・だろう。
私も、「反撃能力の保有」には、じぇったい「反対!」だ。
だいたい、憲法に違反してるし・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html
https://mainichi.jp/articles/20221222/k00/00m/010/010000c
記事によれば、
「政府は22日、9月に行われた安倍晋三元首相の国葬に関する有識者の意見聴取結果と論点整理を公表した。・・・」
そうだ。
あくまでも、論点整理という事らしいが、
「・・・意見聴取は10月中旬から12月に行われ、主に、法的根拠と憲法との関係▽実施の意義▽国会との関係▽国民の理解▽対象者の選定基準▽経費や規模の妥当性――の6点について論点が整理された。憲法、行政法、政治学、外交などの学識経験者やマスコミ関係者ら約50人に打診したが、協力を得られたのは21人にとどまった。・・・」
というのが実態らしい。
いつものように、有識者会議みたいなもので、大した意味は無いのだろう。
そのことは、協力を得られたのが、打診した4割の21名という数字が物語っている。
恐らく協力したのは、安倍ヨイショな人達が多かったのではないか。
名前は公表されないだろうからと・・・。
打診したのが50人かどうかも、政府が、そう言っているということでしかない。
世論調査の回答率と似たようなもので、・・・。信じるか信じないかは、あなた次第というところだ。
記事から、発言の内容を拾えば、次のようになる。
「・・・安倍氏の葬儀を国葬とした意義について、坂元一哉・大阪大名誉教授は「日本が常識的な対応を行うことができることを世界に示せた。もし実施していなければ面目を失っただろう」と賛同。岩田温・日本学術機構代表理事は、安倍氏が参院選の遊説中に銃撃され亡くなったことを念頭に「暴力による言論封殺を絶対に許さないと内外に示したことが最も本質的意義だった」と評価した。・・・」
常識的な対応ができた、それを世界に示せた。・・・
暴力による言論封殺を絶対に許さないと内外に示した・・・
彼らに言わせれば、何かを世界に示すことが、国葬の意義だったらしい。
だとしたら、「日本の恥」を世界に晒したことになる。
自虐的に考えれば、それも確かに意義と言えなくもない。
そんなことにしか、国葬の意義を見出せないこと自体、「国葬」そのものの必要性が無かったということを公言するようなものだろう。
そして、当初から言われていた根拠法が無いことについては、どのような指摘なのかよく見えない。
記事では、
「・・・あらかじめ『国葬法』を制定することは不可能に近い」(武田真一郎・成蹊大法学部教授)などとルール化の難しさを指摘した。「人物の基準を設けるのは難しい。制度化するなら首相経験者全員にするしかない」(宮間氏)との意見もあった。・・・」
根拠法も作れない、そんな「国葬」を、「国葬偽」と国民を誤魔化して「閣議決定」なるものを悪用して、強行した、政府の対応を非難する声は書かれていない・・・。
国民の基本的人権を侵す危険がある「国葬」なんか、「やってはいけない」という指摘は無かったのだろうか。
当時の世論調査によれば、「国葬反対」が多数だったと記憶しているが。
このままでは、総理大臣経験者が亡くなるたびに、10億円もの大金が、溝に捨てられることになる。
そして、その大半は「中抜き」・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/112.html
40. 達人が世直し[1876] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月22日 17:34:33 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1117]
>>6 氏
>朝鮮半島やロシアの北方領土は日本国土から目視できるほど近くにあるんだけど。
>そこまで届かないミサイルって、なんか意味あるの?
本当だ、いいところに気が付いたね。
ミサイルなんて、「意味ないじゃん」・・・ねエ。
「ミサイルなんか必要ない」と、もっと言ってやれ〜。
>自衛隊は危険だから廃止せよと言われたら、
>ハイ、自衛隊は解散しますって言うわけ?
まともな反論が出来ないとき、人間・・・は論点をずらして、意味の無いことを言い出し、反論している風を装う。
ちょうど、氏のように。
そんな人間にはならない方がいい。
私は、
>「専守防衛」の放棄。
>このことは、近隣諸国にとっては、極めて重大な関心事となるに違いない。
>日本のこの動き、・・・
すなわち、「専守防衛」の放棄という、動きのことを言っているわけだ
総理大臣が、専守防衛を堅持と言っても、他国は全く信用しない。そのことを言っている。
論点ずらすな〜。
>なんでロシアは核ミサイル撃ち込まないの?
>日本に核ミサイルを撃ち込んでも、いいってこと?
こんなことで反論した気になっているとは・・・
氏の想像力は人間離れしている。
「日本が再び侵略行為を働く兆候を見せている」とプーチンが判断していないからではないの。
真意は分らないけど。
それは、プーチンに聞いてくれ〜。
I'm not Vladimir Vladimirovich Putin.
>くだらない屁理屈こいて、れいわカルトを正当化したいのだろうが
また出たね。
人格攻撃と、「れいわ」への誹謗中傷。
前にも言ったけど、罵詈雑言、人格攻撃は、劣等感の裏返し、意気地なしの虚勢、子猫のマウント。
見ている方が恥ずかしくなる。
少し前までは、「天才大石ちゃん」とまで言ってた人間が・・・今は、どよ?
まるでストーカーだわと、見ている方が恥ずかしかったけど。・・・ね。
そんな人間にはなりたくね〜。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c40
41. 達人が世直し[1877] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月22日 17:57:42 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1118]
>>9 氏
折角だけど、私に問いかけるなら、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
この考えを、改めてからにしてくんない?
時間の無駄でしかないから・・・。ね。
ついでに・・・
>9条には「戦争放棄」「戦力不保持」と書いてある。
そんなことは書いていないよ。
こう書いてあるんだよ。
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項
2項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
氏は、突然、あらぬことを口走る人だからね。
http://www.asyura2.com/22/senkyo288/msg/787.html#c36
>多摩散人です。
>私は、9条には「武力行使は放棄する」とは書いてないから、戦争と呼ばず武力行使なら先制武力行使だろうと核武力行使だろうと侵略武力行使だろうとOKだと思います。これなら護憲派も支持します。
と言っちゃう人だからね。
「詭弁」は勿論いかんけど、「嘘」はもっといかんよ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c41
50. 達人が世直し[1878] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月22日 19:59:13 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1119]
>>19 氏
「ルーピー」かぁ〜、響きはちょっと「かわいい」。
だけど〜、
ルーピーとか言わないといけないという所が、既に自信無さげだね。
それに、私は、バリバリの「専守防衛」論者だぞ〜。
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
と、かの孫子も言ったとか。
>専守防衛と反撃能力(相手と同じ事が出来る)これが大事。
これが間違い。
氏は、ちょっと、「頭がおかしい」
私がルーピーなら、氏は、「頭がおかしい」ひと。
>「お互いさまでしょ」
とは、こういうことだね。
戦争は、このようにして始まる・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c50
72. 達人が世直し[1879] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月23日 15:57:43 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1120]
>>55 氏
>なんの反論にもなっていないんだけど。
そうだね。反論の価値も無いから、ちょっと、揶揄ってるだけなんだけどね。
気が付いてくれないかなぁ〜。
揶揄られていることにも気が付かない・・・>知能レベル。
>まともな判断などできるわけないわなー。
>人格攻撃してるのはおまえなんだけど。
そう言う「オマエ」さんに、「人格攻撃は良くないぞ〜」と、意識して知らしめているわけよ。
自分のやってることは、棚に上げて、全く気が付かない、
>典型的な子ども思考。
>私は、誰であっても、その振る舞いが人間社会に資することであれば評価するし、反することであれば非難する。
大層立派な心掛けとは思うが、「オマエ」さんの言う「非難」は、ただの「誹謗」であり「中傷」。
そのことに、全く気付いていない・・。
ちょっとググれば、
「誹謗」とは、他人へ悪口を言ったり罵ったりする行為を、「中傷」とは、根拠のない嘘やでたらめを述べる行為を、それぞれ意味する。
「非難」とは、人の欠点や過失・誤った言動などを(具体的に)取り上げて責めること。
と知ることができる。
「オマエ」さんの場合、「その振舞」と言う、そのことに、具体的明示がないまま、「非難」する。
それを、悪口を言うだけの「誹謗」と言い、根拠を示さない「中傷」と言う。
そこで使われる「きたない言葉で、悪口を並べ立ててののしること。 また、その言葉。」を「罵詈雑言」と言う。
そのあとの書き込みは、根拠のない「誹謗・中傷」の羅列。
繰り返しになるので、ほっとこっと。
・・・・・・
このスレの趣旨と大分ズレてしまった。・・・戻そうっと。
ところで、この争いはどのようにして始まったか?
事の発端は、>>6 の以下のことばで始まる書き込み。
>相変わらずではあるが“達人が世直し”というアホは何が言いたいんだろう。
何故、突然こうなるのかは、私の理解を越える行動ではある・・・
他のスレで、ポコられたことの「遺恨」が、あるが故かとも思うが。
私は、私の主観で、これは「オマエ」さんが「私に対する攻撃に着手した」と判断し、 >>40 のコメントで反撃行動をとった。
それに対して、「オマエ」さんは 、「私に攻撃された」と主観的に判断し、>>55 の攻撃行動をとる。
この時すでに、どちらが先に手を出したか、どちらに非があるかは、そんなことは関係なくなる。
そして、どちらかが、疲れるか、馬鹿馬鹿しくなって、止めるまで、この争いは続く。
終わっても、後に残るのは・・・「不毛」
おそらく、
「戦争も、このようにして始まる・・・。」
そして、どちらかが、あるいは両方が、疲れ果てるまで続く。
終わっても、後に残るのは・・・「破滅」
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c72
73. 達人が世直し[1880] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月23日 16:17:52 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1121]
>>61 氏
折角だけど、私に問いかけるなら、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
この考えを、改めてからにしてくんない?
時間の無駄でしかないから・・・。ね。
じゃないと、また >>63 氏から言われる。
>多摩散人、達人が世直し、この御両人、「憲法9条」が3度の飯より好きと見える。w
私は、そんなの嫌だよ〜。
そう言いつつ、ついでだから一つだけ言っとくわ。
憲法9条は、侵略戦争、侵略行為を放棄すると言っている。
侵略行為の対極にある自衛権については記されていない。
従って、9条に絡めて防衛を語るのは、意味がない。
語れるとしたら、自衛を口実にした侵略行為、そして、その行為の放棄くらいだろう。
何度も言うが、自衛権は放棄できない。
憲法前文にも、こう記されている。
「・・・われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・」
繰り返すけど、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
この考えを、改めてからにしてくんない?
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c73
76. 達人が世直し[1881] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月23日 17:12:37 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1122]
>>66 氏
>アメリカの軍事力に守られている国こそ、日本だろ。
それは、どうかなぁ〜。
そう言うのは、政府、自民党のパシリが言う、下手なプロパガンダと同じだが・・・。
そう言うためには、>>68 楽老氏が言うように、これまで「守られてきた」という証拠を示すことが必要ではないかい。
>日米安保条約の下、アメリカは日本の防衛義務がある。日本は、アメリカの防衛義務はない。
氏が言う、このことも、条文で確認しなければならないのだろう。
日米安保条約第5条には
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
との規定がされている。
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
「義務」という言葉も、無い。
しかも、日本国の施政下にある領域における「在日米軍」が武力攻撃を受けた場合が含まれている。
>日本は、アメリカの防衛義務はない。
というのも、日米安保条約が「日本国の施政下にある領域における」ということで、アメリカ本土への攻撃は対象ではない、と言っているだけだろう。
しかし、日本国の施政下にある領域に居を構える「在日米軍」が武力攻撃を受けた場合は含まれている。
このことは、重大な危険を絡んでいることになる。
そもそもが、「義務」という、条文にない言葉を使って、国民を欺いていることになる。
NATO条約第5条は割愛するが、
NATO条約では全ての締約国が「・・・軍事力の使用を含んだ行動を直ちに取って被攻撃国を援助する」ことが明記されている。
これに対し、日米安保条約には「アメリカは、個別的自衛権または集団的自衛権を行使して、日本に対する軍事的支援を含んだ行動を直ちに取って日本を援助しなければならない」といった趣旨の文言は全く記されていない。
日米安保条約第5条発動に相当する事態が生起した場合には、米軍は、アメリカ合衆国憲法第2条(大統領の権限)ならびに「戦争権限決議」(日本では「戦争権限法」と呼ばれている)などに従って対処する、ということになる。
ということらしい。まどろっこしい。
いまのウクライナ戦争を見れば、「戦争権限決議」なるものが、相手国への経済制裁か、武器支援に留まるかもしれない、という可能性は排除できないだろう。
しかも、日本は国連憲章上は、いまだ敵国条項の対象国だ。
米国議会が、反対すれば、日本は「守ってもらう」どころか、支援すら受けられない。
そういう条約になっているということだ。
>日米安保条約の下、アメリカは日本の防衛義務がある。日本は、アメリカの防衛義務はない。
と言うが、かなり違っていないかい?
>日本は「アメリカに守ってもらってる対価として」日米地位協定や思いやり予算などでアメリカに便宜をはかっている訳だ。
そう言うのは、これもまた、政府、自民党のパシリの下手なプロパガンダと同じだが・・・。
日米安保条約第6条に、こう規定されている。
「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。・・・」
と。
在日米軍は、日本だけのために存在しているわけではなく、「極東」地域の安全保障にかかわっていることは、既に公知だろう。
従って、ひとたび朝鮮半島に戦争が勃発し、在日米軍も参戦すれば、真っ先に反撃を受けるのが、在日米軍基地となることは必定だ。
その時、日米安保条約では、「共通の危険に対処しましょう」と言うことで、たちまち、日本は戦争に巻き込まれることになる。、
他国の戦争に巻き込まれる、そのことをかろうじて阻止してきたのが、日本国憲法9条だ。
日本は、米軍に守られてきたのではなく、憲法9条によって守られてきたことが理解できるだろう。
在日米軍の存在が「憲法9条に違反する」という証でもある。
このどこが「安全保障」なのか。
このどこが、「日本は、アメリカに守ってもらってる」ことになるのか。
やっぱり、証拠を示すことが必要ではないかい。
ここまでくると、氏の存在は、政府、自民党の「パシリ」としか言いようがない。
後は、押して知るべしだな。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c76
82. 達人が世直し[1882] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月23日 20:59:20 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1123]
>>78 氏
>>63 氏は、ちょと横向いててね。目線が気になるから。
>9条のどこに「自衛権は放棄しない」と書いてあるんですか。
コメントを返す積りなら、人のコメントは、良く読むべきだ。
そして、理解してから、コメントを返すべきだろ。
>>73 の私のコメントに、書いてある通りだ。
>憲法9条は、侵略戦争、侵略行為を放棄すると言っている。
>侵略行為の対極にある自衛権については記されていない。
>従って、9条に絡めて防衛を語るのは、意味がない。
「憲法9条には自衛権について記されていない。」
そう言っている人に、
>9条のどこに「自衛権は放棄しない」と書いてあるんですか。
という質問は、いかにも間が抜けているだろ。
どうしても、気に入らないなら、「憲法9条で自衛権について、どう記しているか」言ってくれ。
それからだわ。
>>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。この考えを、改めてからにしてくんない?
>私の引用ではなく、私の解釈では、あなた自身が、自分たちの憲法を自分たちで破っているんだよ。
何時の間にか、私が言ったことにされちゃった。
マイッタ!わ。あ〜ぁ。
83. 達人が世直し[1883] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月23日 21:21:11 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1124]
>>80 氏
氏の言う
>敵基地攻撃に要するミサイルを保有すること自体は専守防衛に反しないと思う。
私は、それは間違いだと思う。
何故なら、本スレの本文でも書いたように、
「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、相手を「武力により威嚇する」ことであり、「抑止力」と言う以上、相手に対して「敵基地攻撃能力(反撃能力)を行使すると表明することになる。
どのように屁理屈を言おうと、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と記した憲法に違反する。
憲法では、「永久に・・・」と強い言葉で禁じている。
専守防衛の理念は、自衛隊の保有する武力の行使は、あくまでも、日本の主権の及ぶ範囲に限るというものであり、したがって日本の領土、領海、領空の外にある敵基地で、あるいはその周辺で、武力を行使できない。
自衛隊がその武力を行使できる根拠は、あくまでも、主権国家としての警察権の範囲に限定される。
侵略戦争を放棄した日本にあっては、自衛隊が、軍隊でないことの最大の意味はそこにあるとも言える。
>敵からミサイル攻撃を受けたら敵基地をミサイル攻撃していいわけだからね。
上記で説明した通り、そのことは、自衛隊には認められていない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c83
91. 達人が世直し[1884] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月24日 09:54:40 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1125]
>>84 氏
一般に、抑止とは、「相手が攻撃してきた場合、軍事的な対応を行って損害を与える姿勢を示すことで攻撃そのものを思いとどまらせる」軍事力の役割とされる。
抑止が機能するためには、抑止する側に、軍事的対応を実行する意図と能力があり、かつ、それが相手に正しく認識されることが必要であるとされる。
安全保障の分野では「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」の2種類に分けて議論される。
「拒否的抑止」は相手の攻撃を物理的に阻止する十分な能力を持ち、目的を達成できないと思わせて攻撃を断念させる。
ミサイル防衛システムなどが、これにあたる。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、反撃を受けるコストが大きいと思わせて断念させる。
「敵基地攻撃能力」などは、まさに、これにあたる。
従って、「敵基地攻撃能力」を言い換えて、「反撃能力」と言うのは、政府が国民を欺くための、「まやかし」でしかない。
相手からしてみれば、「我が領土への攻撃能力」に違いはない。
そのことは、事あらば、これを使うぞと「威嚇」しているということになる。
北朝鮮が、ミサイルを打つたびに、「威嚇しているな」と日本人が思うのと同じ。
>弾道ミサイルが主力兵器となった現在、敵基地攻撃能力はむしろ必須だと思う。
「戦争」をする気ならばね。
しかし、その結果は、お互いの「破滅」しかない。
地球上には、何千発もの核ミサイルが存在している。
これは、人類を何回滅亡させることができる能力なのか、想像もつかない。
懲罰的抑止力の保有は、「敵基地攻撃能力」の保有は、際限なく続く「軍拡競争」に他ならない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c91
94. 達人が世直し[1885] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月24日 11:25:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1126]
>>85 氏
>あなたとの議論は、波長が合ってきた感じがします。
マイッタ!わ。あ〜ぁ。
また、>>63 氏に何か言われそう。
>「あなた自身が、自分たちの憲法を自分たちで破っているんだよ。」と私は言っているんだよ。
>>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏が、言える「セリフ」じゃないだろう。
これなども、先の例を引くまでもなく、いかにも間が抜けている。
私としては、「何をか言わんや」。
>>85 のコメントは、明らかな「論点ずらし」だなぁ〜。
>「憲法9条で自衛権について、どう記しているか」
これに応えが無いということは、私が言うように、
「憲法9条には自衛権について記されていない。」
ということに同意したという事だね。
結論を避けて、「論点ずらし」するから、「無限ループ」と言われる。
改めて言っとくけど、
「あなた自身が、自分たちの憲法を自分たちで破っているんだよ。」
と、私を中傷するなら、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
この考えを、改めてからにしてくんない?
折角だから、ついでに・・・、、、
>「何時の間にか、私が言ったことにされちゃった。(達人が世直し)」というあなたの言葉は、は詭弁分類学の、何とか論法に該当すると思うけど。
「何時の間にか、私が言ったことにされちゃった。(達人が世直し)」
と言うのは、「中傷」されたと感じた私の「呆れてしまった気持ちの表現」
その周囲に、氏の言葉を「歪めて引用したもの」は無いでしょ。
もう一つ、ついでに >>90 で言う、
>サンタが、「麻薬の売人か、バカヤロー」という場面があります。ののちゃんは麻薬も売人も言っていないのに。このサンタの言葉、詭弁の「わら人形型」ですかね。
やっぱり何も分かってないね〜。
単に「麻薬の売人みたいな真似はやめろ〜、このバカヤロー」と、優しく注意したんじゃないの?
私はその漫画は見てないけど、風刺漫画ならもっと奥深いものがあるかもしれないかもね。
この場合は、
「こんなくだらない書き込みはやめろ〜、このバカヤロー」と同じようなものじゃないのかい。
この程度の、読解力、理解力で、「憲法9条を語るのは・・・〜、この・・・・・」
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c94
122. 達人が世直し[1886] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月25日 16:37:45 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1127]
>>98 氏
スレ主ですが、私の書いた、スレ本文の、
「・・・隣国の領土まで届く、そんな長射程のミサイルを保有することは、「専守防衛の理念」に反するし、近隣諸国に対しては、これまでの「専守防衛」という防衛方針を、かなぐり捨てたというメッセージになるだろう。
「専守防衛」の放棄。
このことは、近隣諸国にとっては、極めて重大な関心事となるに違いない。
日本のこの動きを、どう判断するかは、日本側がするのではなく、近隣諸国の主観に委ねるしかないことを忘れてはならない。・・・」
という文章に対して、少しコメントを追加しときます。
実は、あまり深く考えてはいなかった。
日本のこの動きを、相手国がどう判断するかは、日本側の思いはどうあれ、あくまでも相手国がすることだ。
その相手国の判断を、日本がどうこう出来るものでもなく、日本がとやかく言っても始まらない。という主旨で書いたもの。
もっと端的に言えば、敵基地攻撃能力(反撃能力)と、日本がいくら、(かっこ)を付けて、「反撃能力」と言っても、相手国が「敵基地攻撃能力」と判断し、とすれば、「専守防衛」を放棄したな、と判断することを、非難出来ない、と。
言いたかったのはそんなところ。
その判断が、客観的か、主観的か、を問うても、あまり意味がないのではと思う。
主観的とは、 自分の立場からの見方や、考え方
客観的とは、 第三者の立場からの見方や、考え方
当事者としての相手に、客観的な判断を求めることは無理があるし、
「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えること、そのものが日本の主観的な言い分でしかないと言えよう。
この場合の客観的な判断とは、
隣国の領土まで届く、そんな長射程のミサイルを保有することは、「敵基地攻撃能力の保有」ということではないか。
自国の主観を相手国に押し付けること、そのことがすでに争いに違いない。
相手国の主観が間違っていれば、客観的事実を示しながら、その誤りを指摘し、相手国の主観に誤解があれば、客観的事実を示しながら、その誤解を解く努力をする。
その結果として、互いの主観は、互いに納得のいく内容で、妥協することができる。
その努力を、話し合いと言い、国際政治においては「外交」と言う、と私は考えるのですが。
そういう意味で、
>>77 楽老氏の言う、
>これも、外交の基本だ。
に、同感です。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c122
124. 達人が世直し[1887] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月25日 19:59:01 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1128]
>>96 氏
「威嚇」という言葉について調べてみた。
威嚇は、実際の攻撃ではなく、それに似た姿や様子を見せることで対象を脅かすことである。往々にして自らの身を守るために自らの力を誇示する行為である。しかし、攻撃の糸口として威嚇が使われる場合もある。 カタツムリやカメにみられるような専守防衛とは違い、攻撃的な防衛手段として知られる。 ウィキペディア
この解説では、「威嚇」とは、相手に対する攻撃の一形態と捉えている。
この解説に従えば、氏の言う、攻撃的威嚇も防御的威嚇も、相手に対する「攻撃」であることには変わりはない。
9条の武力による「威嚇」も武力の行使も・・・という部分は、どちらも武力「攻撃」は放棄する、という意味だと、理解できる。
>「威嚇」というなら全て駄目というのはおかしい。
「威嚇」も「攻撃の一形態」と理解すれば、「敵基地攻撃能力」も駄目ということになる。
「・・・カタツムリやカメにみられるような専守防衛とは違い、攻撃的な防衛手段として知られる。」
攻撃的な防衛手段とは、まさに、敵基地攻撃能力、トマホークがそれにあたり、抑止力で言えば「懲罰的抑止力」がそれにあたる。
明らかに、「専守防衛の理念」に反する。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c124
125. 達人が世直し[1888] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月25日 20:44:30 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1129]
>>92 >>93 氏
私は、非武装論者ではないし、無抵抗主義者でもない。
私は、「専守防衛論者」とでも言おうか。
そんなわけで、
日本は、常に国際紛争を起こさないように、不断の「外交努力」を全力で実行することが求められている。
それが、日本国憲法を定めた、主権者たる日本国民の求めるものだ。
外交の努力も叶わず、武力による侵害を受けるという不安が払拭できない場合でも、日本において検討すべき「抑止力」は、「拒否的抑止」の範囲を逸脱することは許されない。
という考え方を持っている。
従って、相手国からミサイルが飛んできて、日本の領空に侵入して来たら、ミサイル迎撃システムに働いてもらうのだろう。
サイレンが鳴ったら、頭を抱えて、物陰に隠れて「しゃがむ」・・・かどうかは分らない。
その前に頭を抱えて、悩むのだろうことは予想できる。
ミサイル迎撃システムも完全ではない。
であればこそ、そういう事態になる前に、防衛が困難な、しかもそれ自体危険な「原発」は廃止すべきだと訴えている。
地下構造物を避難場所として活用する等の計画と準備も必要なのだろう。
一方で、ミサイル防衛システムが完璧ではないから、敵のミサイル発射基地を粉砕するということを口実に、敵基地攻撃能力の必要性を正当化しているが、そういう敵基地攻撃能力も、その効果は疑問視されている始末だ。
その存在位置が固定的でない、潜水艦、あるいは移動式の発射基地を的確に粉砕することは、ミサイルを撃ち落とすことよりも至難だろう。
そう考えると、最も確実な防衛手段は、何か?
最も確実な防衛手段は、「外交」と言うことになる。
「外交」が成功していれば、ミサイルが日本に向けて発射されることもなく、日本領土内に着弾する不安もない。
原発も、ミサイル攻撃の対象となることもない。
私が、
日本は、常に国際紛争を起こさないように、不断の「外交努力」を全力で実行することが求められている。
それが、日本国憲法を定めた、主権者たる日本国民の求めるものだ。
というのも、そういう考えをしているからに他ならない。
「外交」が一番確実な、「抑止力」であり、日本の「防衛の最強の手段」と言うことが出来よう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c125
136. 達人が世直し[1889] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 11:11:06 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1130]
>>135 氏
氏の言い分は、私が >>125 で指摘していることと同じ。
下記に書き出せば、
>一方で、ミサイル防衛システムが完璧ではないから、敵のミサイル発射基地を粉砕するということを口実に、敵基地攻撃能力の必要性を正当化しているが、・・・
そういう敵基地攻撃能力も、その効果は疑問視されている始末だ。
その存在位置が固定的でない、潜水艦、あるいは移動式の発射基地を的確に粉砕することは、ミサイルを撃ち落とすことよりも至難だろう。
氏は、ミサイル防衛システムを役に立たないと言い、もっと役に立たない「敵基地攻撃能力」を振りかざす。
敵ミサイル基地などは、当然「変幻自在」。
「トマホーク発射!」と命令しても、返事は「敵目標を見失いました!」
結局は、「そのあたりに撃ち込め!」
それは、もはや「盲撃ち」
最後は、「国中に打ち込め!」、そうすれば、「どこかで当たるだろう」となる。
しかし、潜水艦は、海中深くに健在・・・。
ここで、設問。
「敵基地攻撃能力」のトマホークの発射は誰が命令するのか?
「敵基地攻撃能力」のトマホークの発射ボタンは誰が押すのか?
日本国憲法は、他国の領土を武力攻撃することは禁じている。
従って、「敵基地攻撃能力」を運用する、法的根拠が無い。
それを、先人は「ガラクタの持ち腐れ」と言う。
「トマホークの発射ボタンは誰が押すのか?」
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c136
138. 達人が世直し[1890] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 11:38:02 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1131]
>>137 氏
それでも、
「トマホークの発射ボタンは誰が押すのか?」
そのくらいは、あらかじめ決めておかないと、いざという時に、役に立たない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c138
140. 達人が世直し[1891] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 12:33:05 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1132]
>>139 氏
>決まってるでしょ、
という根拠は?
内閣総理大臣は「シビリアン」だし・・・私は、違うと思うけど・・・。ね
日本には、「人を殺傷しても良い」と認められている人間はいない。
同様に、「相手国兵力の殺傷と破壊をしても良い」と認められている人間はいない。
「相手国兵力の殺傷と破壊」することは、憲法で認めていない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c140
143. 達人が世直し[1892] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 12:48:22 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1133]
>>141 氏
その自衛隊の中にも、「人を殺傷しても良い」と認められている人間はいない。
その自衛隊の中にも、「相手国兵力の殺傷と破壊をしても良い」と認められている人間はいない。
なので、自衛隊員は、「最高司令官」を含めて、「トマホークの発射ボタンを押す」、その権限は付与されていない。
「トマホークの発射ボタンを押す」ことは、すなわち、「相手国兵力の殺傷と破壊をする」ことだからね。
145. 達人が世直し[1893] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 13:18:36 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1134]
>>144 氏
少し論点がズレてきている。
「トマホークの発射ボタンは誰が押すのか?」「誰が押せるのか?」
その人を捜している。
氏も、その人を捜して。「内閣総理大臣」じゃないよ。
>“敵兵を仕方なく殺してしまった”、は認められるよね。w
「トマホークの発射ボタンを、間違って押しちゃった」は認められない。
敵が武力をもって、日本領土に侵入し、その敵を、自衛隊が武力で押し戻そうとした際に、“敵兵を仕方なく殺してしまった”は認められる可能性は否定しない。
それでも、その行為が、必要最小限のものであったかは、厳しく問われる。
警察官が、警察権の行使という行動の中で、時に、結果的に犯罪者を拳銃で殺害した場合と同じ。
その警察官の行動に職務違反は無かったか?
時々、ニュースにもなる。
「トマホークの発射ボタンは誰が押すのか?」「誰が押せるのか?」
その人を捜そう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c145
149. 達人が世直し[1894] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 13:42:54 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1135]
>>146 氏
氏の答えは、>>139 に戻っている。
ということは、私は >>140 のコメントを返すしかない。
何故そうなるか。
それは、氏が、私の、
>という根拠は?
の問いに、「答えを示していないから」。
それがない限、堂々巡りに陥る。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c149
151. 達人が世直し[1895] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 14:40:28 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1136]
>>150 氏
「根拠法」と言う名の法律は存在しないですよ、当たり前。w
「根拠法」と言う法律は無いということは、それを根拠にしている氏の言うことには、結局「根拠は無い」ということだね。
それが答えだな。
最初から、そう言えばいいのに。回り道した〜。
>「トマホーク」を発射する権限は内閣総理大臣にある、つまり内閣総理大臣がトマホークの発射ボタンを押せるただ一人の人、ね。w
こんなん、根拠は、いくら探したって無いよ。当たり前。w
>内閣総理大臣がトマホークの発射ボタンを押せるただ一人の人。
ただ一人の人が、否定されたら、答えは「誰もいない」。
結局、私が、>>136 で指摘したように、
「敵基地攻撃能力」を運用する、法的根拠が無い。
ということが分かったと思うけどね。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c151
153. 達人が世直し[1896] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 15:18:16 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1137]
>>152 氏
>内閣総理大臣がトマホークの発射ボタンを押せるただ一人の人。
と氏が言ってることに、
どう屁理屈を言おうと、結局は「根拠が無い」ということだね。
「これからは、いい加減なこと言っちゃ〜いかんよ」。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c153
158. 達人が世直し[1897] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 20:44:08 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1138]
>>154 氏
論点ずらしに忙しい人だ。
>>。ヨ根拠が無い」ということだね
>当たり前、トマホークはまだ無いし、根拠法もまだ無い。w
これなどは、
「根拠が無い」ということの根拠を「トマホークはまだ無いし、根拠法もまだ無い。w」と言っている訳だが、
論点を、「「根拠が無い」と言うことの根拠」にすり替えてしまっている。
上手いことを考えるものだと、言いたいところだが、一度発した言葉は、論点をずらしても、取り消しようがない。
しかも、その根拠とやらも、出鱈目だしな。
結局は、どのように論点をずらそうと、氏の言った、
>内閣総理大臣がトマホークの発射ボタンを押せるただ一人の人。
という「いい加減な言葉」は、取り消すことは出来ない。
「当たり前」を連呼することで、そのいい加減さを一層際立たせてしまう。
論点をずらすのは、まともな反論に窮した人が、何か言葉を発しなければと、反論を装うための、ごまかしの行動でしかない。
直近の論点は、
「トマホークの発射ボタンは誰が押すのか?」「誰が押せるのか?」
ということだろ。
それに対しての氏の答えが、
>内閣総理大臣がトマホークの発射ボタンを押せるただ一人の人。
という、根拠の無い「いい加減なもの」。
それなのに、根拠はない、「当たり前」など言っちゃったら、「いい加減なもの」であることを自ら吹聴するようなものだわ。、
「間違っちゃった」と気が付いたら、訂正すれば済む話なのに・・・。
変な人だ。
160. 達人が世直し[1898] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月26日 21:37:46 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1139]
>>159
>トマホークを配備する根拠法はまだ無いが、それができれば自衛隊の最高司令官たる内閣総理大臣が指揮権を発動しトマホークを発射できる、おわかりかな?。w
自分で「まだ無い」と言いつつ、よく言うわ。
またまた、根拠のない、「いい加減な」物言いじゃないか。
まるで、法律の中身を見てきたように「嘘を言う」、ってやつだ。
それに、氏が言うような法律では、「発射ボタンを押す」ことは出来ない。
その理由は、私が >>143 で指摘したとおり、
>その自衛隊の中にも、「人を殺傷しても良い」と認められている人間はいない。
>その自衛隊の中にも、「相手国兵力の殺傷と破壊をしても良い」と認められている人間はいない。
>なので、自衛隊員は、「最高司令官」を含めて、「トマホークの発射ボタンを押す」、その権限は付与されていない。
「トマホークの発射ボタンを押す」ことは、すなわち、「相手国兵力の殺傷と破壊をする」ことだからね。
自衛隊の最高司令官たる内閣総理大臣が指揮権を発動したところで、自衛隊員に、他国の領土にミサイルを撃ち込み、人を殺せ、と命令は出来んでしょ。
結論を言えば、「他国の領土にミサイルを撃ち込み、人を殺すことは」、憲法で禁止されているから。
憲法に違反する法令は作ることができないし、作っても、効力は発しない。
氏の言うことは、概ね、根拠のない、いい加減なものだと分かってきたし、
ということで、堂々巡りになりそうなので、私は、この辺でお開きにするわ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/111.html#c160
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20221226-OYT1T50190/
以下記事の抜粋
「防衛省が沖縄県・与那国島(与那国町)の陸上自衛隊与那国駐屯地を拡張し、地対空誘導弾部隊の配備を検討していることがわかった。台湾有事を見据え、台湾から約110キロの同島にミサイル部隊が配備されれば、南西地域の防衛体制強化がさらに進むことになる。・・・」
「・・・糸数健一・与那国町長は「国として、この小さな与那国も守る意思があると明確に示す必要がある」と述べ、ミサイル部隊受け入れに理解を示した。一方で、不安を抱く町民に対して「国が責任を持って説明すべきだ」と語った。・・・」
・・・・・(抜粋はこれだけ。記事本文も至って短い。)
「台湾有事」を見据え、同島にミサイル部隊を配備する目的は、ただ一つ。
沖縄の米軍基地から参戦した「在日米軍」との軍事連携、少なくとも、米軍支援、さらに言えば、「在日米軍」の防衛のため、なのだろう。
「台湾有事」と言って騒いでも、いくら国民の不安を煽っても、所詮は「他国の争い」。日本国憲法を守っていれば、日本は当事者にはなり得ない。
とすれば、「台湾有事」が、与那国にミサイルを配備することの正当な理由にはならない。
しかし、「台湾有事」に、日本がしゃしゃり出るようなことがあれば、そのまま「戦争」に巻き込まれることになる。
巻き込まれるというよりは、自ら「戦争」の泥沼に足を踏み入れることになる。
その時のための「緊急事態条項」も着々と準備されつつある。
台湾から約110キロの同島にミサイル部隊が配備されれば、「スタンドオフミサイル」の構想と大きな齟齬を生むことになる。
虎の子のミサイルを、敵正面に差し出し、「島ごと、島民ごと、どうぞ粉砕してください」と言っているようなものだ。
これでは、戦わずして、負ける。
日本政府は「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と世界に向けて、既に発信している。
このことは、取り消すことは出来ない。
それを監視していた「敵」は、「日本が攻撃に着手した」と主観的に判断し、ミサイルの発射ボタンを押すことを正当化できる。
誰が言い出したかは知らないが、「とんでもないことを言ってくれたもんだ」。
このことは、取り返しがきかない。万死に値するだろう。
与那国の町民にとって、もう一つ問題なのは、糸数健一・与那国町長の認識だろう。
「国として、この小さな与那国も守る意思があると明確に示す必要がある・・・」
と町長は言うが、
日本が、小さな与那国を守るために、ミサイル基地を作り、自衛隊を配備すると、本気で思っているとしたら、大馬鹿ではないか。
与那国に、ミサイル基地も無く、自衛隊基地も無ければ、「台湾有事」という大変な時に、そんな小さな与那国を「敵」が攻め込むことは無い。
与那国に、ミサイル基地を置き、自衛隊基地を建設することは、すなわち、「敵」の格好の「標的」になるということでしかない。、
そうならないための、「スタンドオフミサイルの保有」ではなかったのか。
敵ミサイルの射程距離の外に、我がミサイルを保有するのではなかったか。
言行不一致はいつものことだが・・・。
国としては、「この小さな与那国を犠牲にして、本土を守る、もっと言えば、在日米軍を守る」という行動の一貫だと知るべきだろう。
厳しい言い方をすれば、かっての沖縄と同じく、本土防衛のための、「餌」にされていると思うべきだ。
「・・・一方で、不安を抱く町民に対して「国が責任を持って説明すべきだ」と語った。・・・」
とあるが、・・・いかがなものか。
これまで、国が責任をもって「丁寧に説明」した例はあったか?。
どの総理大臣も、必死にプロンプターに目を凝らし、「これから丁寧な説明をする」と、「丁寧に読み上げる」ばかりだ。
丁寧な「説明」など、一度として聞いたためしがない。
糸数健一・与那国町長は、自分の口で、「与那国の安全と危険が、客観的にどうなっていくのか」、責任を持って、そのことを、町民に語るべきだろう。
「国が責任を持って説明すべきだ」と言うのは、その後ではないか。
どうせ、「責任を持った、丁寧な説明」など、期待できないのだから・・・。
町長の立場では、政府への「幻想」は捨てるべきだ。
ちなみに、与那国島はどの辺にあるのか。
沖縄本島から南西へ約509km、石垣島から約127km、東京から約1,900km。 周囲27.49km、面積28.95kuの日本最西端の地、
人口約1700人
別の記事によれば、
町は台湾有事も念頭に、国民保護法に基づく避難想定例を策定済みだが、対象範囲は島内にとどまる。地区ごとに学校などに集めた町民を、空港や港にバスなどで運ぶ想定だ。
その先の島外への避難は、主に国が責任を持つが、町は明確な回答を得られていない。糸数町長は焦りを隠さない。
と書かれてあった。
町民は、非難のために、一番危険な「空港」に集められる。
始まる前から、「人間の盾」とされている現実が、ここにある。
与那国島の島民は、政府への「幻想」は捨てるべきだろう。
現在の島民の決断が、将来の島民の生命を守るか、危険に晒すか、を決定することになる。
同じことは、日本国民全体にも言える。
日本国民は、政府への「幻想」は捨てるべきだろう。
現在の日本国民の決断が、将来の日本が「戦争をする国」となって、日本の若者を「戦場」で死なすのか、
「戦争をしない国」を堅持して、将来の若者に、「平和な国」を引き継ぐのか、を決することになる。
今の政府の動きは、単に米国からの要請を、唯々諾々と受け入れ、「ポチ」のごとく、言われるままに行動しているに過ぎない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/127.html
10. 達人が世直し[1899] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月27日 21:18:17 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1140]
>>8 氏
氏のコメントの全体の論旨には賛同しているものです。
一つ二つ気になる点があるので、私の考えを記しておきます。
一つは、「新防衛構想」という言葉。
>先制攻撃、攻撃的防衛能力可能な防衛体制に転換しようとしてる今回の新防衛構想。
と氏も書いているように、
実態は、先制攻撃も辞さず、敵基地攻撃能力の保有、というものであり、憲法9条で永久に放棄するとした「戦争」をする国に転換しようとしている。
「戦争をする国構想」というべきものであって、防衛の概念を逸脱しており、「新防衛」構想という言葉は「めくらまし」と考えるべきだと認識しているところです。
さらに言えば、「戦争をする国」にするための、憲法の変更は、永久に出来ない。
と憲法で規定されている、というのが私の認識。
二つ目は、
>それは従来の日米同盟における米国の攻撃役割「矛」に対して防衛の役目を持「盾」という関係・・・
という「認識」と言うか「前提」、について。
日米安保条約第5条には
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
との規定がされている。
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
一般的に、日本は、アメリカの防衛義務はない。
というのも、日米安保条約が「日本国の施政下にある領域における」ということで、アメリカ本土への攻撃は対象ではない、と言っているだけだろう。
しかし、日本国の施政下にある領域に居を構える「在日米軍」が武力攻撃を受けた場合は含まれている。
日米安保条約第5条発動に相当する事態が生起した場合には、米軍は、アメリカ合衆国憲法第2条(大統領の権限)ならびに「戦争権限決議」(日本では「戦争権限法」と呼ばれている)などに従って対処する、ということになる。
いまのウクライナ戦争を見れば、「戦争権限決議」なるものが、相手国への経済制裁か、日本への武器支援に留まるかもしれない、という可能性は排除できないだろう。
しかも、日本は国連憲章上は、いまだ敵国条項の対象国だ。
米国議会が、反対すれば、日本は「守ってもらう」どころか、支援すら受けられない。
そういう条約になっている。
>米国の攻撃役割「矛」に対して防衛の役目を持「盾」という関係
は、日米安保条約第5条の条文からは、到底読みとれない。
日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
>米国の攻撃役割「矛」に対して防衛の役目を持「盾」という関係
というのは、政府が国民に向けて行ってきた、「プロパガンダ」であり、中身は「虚偽」という物でしかない。
全体の文脈には影響するものではないが、この点は、見直しされたい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/127.html#c10
48. 達人が世直し[1900] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月28日 20:23:39 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1141]
>>21 氏
またまた、私のディスリかい?。
懲りない人だね〜。
ちょっとした変質者に付き纏われているようで、「キモイ」。
>ま、そもそも、
>“専守防衛ならデキル!”というもの自体、歴代自民党政権の解釈改憲の産物なので、・・・
と言う「アンタ」は、“専守防衛はデキナイ!”と言っているのかい?
どうなんだい?
相変わらず、自分の考えの「無い」人だな〜。
と言うよりは、“自分の頭で考えることがデキナイ!”人だな〜。
たまに、自分で考えたらしきことを言っても、
>アメリカの軍事力に守られている国こそ、日本だろ。
>日米安保条約の下、アメリカは日本の防衛義務がある。日本は、アメリカの防衛義務はない。
>日本は「アメリカに守ってもらってる対価として」日米地位協定や思いやり予算などでアメリカに便宜をはかっている訳だ。
という程度。
>>10 でも取り上げた日米安保条約第5条と同第6条を示して、誤りを指摘すれば、・・・そのまま「ダンマリ」。
「嘘」がバレて、ちょっと効いたかな。
守られているというなら、「やっぱり、証拠を示すことが必要ではないかい。」と指摘しても、、・・・そのまま「ダンマリ」。
「逃げ出す」のが、100歩だとしたら、「ダンマリ」は50歩といったところだね。
>相変わらず>>10はギャーギャー文句をほざいて“ボクノ解釈ガ正シイ!”と喚き散らしているが、
>この解釈でさえ「解釈改憲」によって産まれたものだ。
>自民党のやっている事と大差はない。
>かつて、社会党や共産党や憲法学者連中から非難轟々だった昔の自民党解釈を今になって持ってきている。
>言ってる事は昔の自民党と何も変わらん癖にね。
ま、そもそも、「アンタ」は、最初は、そうは言っていなかったけどね。
私の記憶では、「独自理論解釈」と絶賛していたのでは・・・。
「独自」と言われ、「理論」とまで言われちゃった。
私は「いや〜、それほどでも・・・」と思ったものだわ。
途中で、「素人の俗説」に変わっちゃったっけど、それでも、「自民党とは違う」素人の俗説ということだから、「まぁ〜、いっか〜」と・・・。
>コイツは自民党のアシストをしているのじゃないか?(笑)
とうとう「コイツ」にされちゃったけど、それって、この間、
「ここまでくると、氏の存在は、政府、自民党の「パシリ」としか言いようがない。」
と言われた、「腹いせ」かい?
しかし、政府、自民党の「パシリ」、それは「図星」だろ?
この辺でやめとくわ。
「アンタ」と「50歩100歩」と、それだけは言われたくないからね。
纏わりつくのも、常識の範囲で、ほどほどに頼むわ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/127.html#c48
3. 達人が世直し[1901] kkKQbIKqkKKSvIK1 2022年12月29日 11:20:55 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1142]
やはり、東京新聞の記事は読みごたえがある。
大袈裟に言えば、「社会の木鐸」の役割をしっかり果たしていると言えよう。
{・・・「敵」をつくることで「味方」から強固な支持を得る安倍氏の政治手法は社会の分断を助長した。・・・」
言ってみれば、小泉流のこの手法が通用する、これまでの日本の政治状況を変えていくしかない。
同様の手法を取っているのが、日本維新の会であり、地域政党大阪維新の会だろう。
何と言っても、維新の血は、公務員、労働者、労働組合を「敵」にして、特に公務員を叩くことで、一般市民の不満の受け皿を偽装し、のし上がってきた集団だ。
逆な言い方をすれば、公務員、労働者、労働組合の「敵」であり、そのことを自認し、利用してきた。
「敵を作って叩く」小泉流のやり方の模倣でしかない。
限られた、強固に固められた組織票を持つ政党に有利に働く「小選挙区制」を嘆いても仕方がない。
「・・・10年前に惨敗した民主党の流れをくむ勢力は、分裂と合併、協調と対立の歴史を刻む。憲法や安保などの主要政策の違いのほか、共産党も含めた「野党共闘」を巡る考え方に差があり、与党に対峙たいじする「大きな塊」になれずにいる。・・・国政選挙で批判票を取り込むことはできなかった。・・・」
政権党は「利権」で固まり、野党は「理念」で分裂する。
あの自民党ですら、公明党との連立政権を組む。
いくら一つの強い野党が誕生しても、「連立政権」を前提にしなければ、「政権奪取」は叶わないだろう。
そのことは、今や日本政治の常識ではないだろうか。
今の日本は、有権者の50%もの人が権利を行使していない現実がある。
こんな国は「先進国」では、他に見つけることができない。
何故だろうか。
一方で国民の大多数の人が、生活に不安を抱え、現状に満足している人は圧倒的に少ない。
「・・・強い自民に、さらに強力な組織をもった公明がつき、自公と対等に戦える勢力をつくることが難しくなり、政権選択型の国政選挙が機能しなくなった。複数の選択肢があるという実感が必要だ。自公の勝利が揺るがなければ、わざわざ投票に行く気にはならず、市民の政治への関心を弱めている側面もある。どう「二大勢力型」の政治にするかという課題が残されている。」
私もそう思う。
今、野党が有権者に対して訴え足りないのは「複数の選択肢があるという実感」、そのことではないか。
「実感」とは、「政権交代の可能性」そのことであり、政権が代わって、新たな日本が誕生するという、「夢」と「希望」そのことではないか。
そのことを有権者が「実感」することができれば、眠れる50%の有権者も目覚め、他の先進国並みの投票率を取り戻し、山が動き、政権交代を現実のものとして、「実感」することになるのでは・・・。
この書き込みをしながら思い出してきた。
民主党が政権交代を実現したあの時、私達は、「政権交代の可能性」を強く意識し、政権が代わって、新たな日本が誕生するという、「夢」と「希望」を胸に、投票所に足を運んだことを。
「政権交代の可能性」と、政権が代わって、新たな日本が誕生するという、「夢」と「希望」を有権者に訴えるとはどういう事だろうか。
単に「・・・国政選挙で批判票を取り込むこと・・・」ではないはずだ。
日本語には、「政権構想」という言葉がある。
この10年、野党から、「政権構想」という言葉は、まともに聞かれない。
有権者は、政権を取らなければ、どんな立派な政策も実現できないことを知っている。
野党は、「政権構想」を固め、その構想に従って行動し、有権者に訴えかけるべきではないか。
今の日本においては、その構想とは、「連立政権構想」になるのだろう。
そのことは、有権者の期待とも合致する。
政権党は「利権」で固まり、野党は「理念」で分裂する。
こんな「愚」をいつまでも繰り返していては、いけないのだろう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/135.html#c3
https://mainichi.jp/articles/20221228/k00/00m/010/189000c
記事によれば、
「岸田文雄首相は来年1月5日に東京都内で開かれる連合の新年交歓会に出席する調整に入った。・・・」
そうだ。
毎日新聞の見方はこうだ。
「・・・来年4月の統一地方選を見据え、労組票を切り崩す狙いがあるとみられる。・・・」
当然の見方だと思うが・・・、
当の「連合」が、どうして労働票を切り崩されるような行動をとるのか?
記事にもある通り、
「・・・連合は立憲と国民民主党の最大の支持団体だが、旧総評系が立憲を、旧同盟系が国民民主を支援する「股裂き」状態が続いている。・・・」
「・・・連合幹部は首相の出席について「連合に秋波を送ることで、野党分断を強めたいのだろう」と語った。・・・」
この連合幹部とは誰なのかは、記事では示していないが、事実だとしたら、噴飯ものではないか。
何をのんびりしたことを言っているのか。
世間の見方は、既に「連合」こそが自民党に「秋波」を送っているというのが、コンセンサスだろう。
分かっていてやっているということになる。
確信犯・・・。
ここに出てくる連合幹部とは、「ピンクのマスク」の「あの人」なのではないか。
言動を見るに、その方が、万人に納得がいく。
労働運動の理念も役割も忘れた「労働貴族」の姿が、そこにある。
もはや、労働運動も、連合内部からの再生は絶望的なのだろうか。
今や、労働運動の「癌」と言うに相応しい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/136.html
https://www.chunichi.co.jp/article/610645?rct=politics
以下は、昨年の大晦日の記事だが・・・。
防衛省は、反撃能力(敵基地攻撃能力)を巡り、2千キロ程度、3千キロ程度を飛行可能な長射程ミサイルをそれぞれ開発する方向で調整に入った。2030年代の配備を目標とする。同じ国産で、千キロ程度の射程を持つ12式地対艦誘導弾(地上発射)の能力向上型の配備は26年度。これに続く第2弾、第3弾と位置付ける。関係者が31日、明らかにした。実現すれば、ミサイルの長射程化による軍拡競争への懸念が強まる。憲法9条に基づく専守防衛の理念との整合性も改めて問われる。
射程2千キロは「島しょ防衛用高速滑空弾」の能力向上型。数百キロ程度の早期装備型の射程を延ばす。
以上は、記事の全文で、相変わらず短い。
しかし、内容は決して見過ごせないものだ。
少し前に、射程を千キロのミサイル開発をぶち上げたばかりの、その舌の根が乾かないうちから、今度は、2千キロ程度、3千キロ程度を飛行可能な長射程ミサイルをそれぞれ開発する方向を打ち出したんだと。
そして曰く、第2弾、第3弾と位置付ける。と。
この調子だと、来年の今頃は、第4弾、第5弾が聞けるのだろうか。
その時は、きっと、核ミサイル保有と、大陸間弾道ミサイル開発を、なんの抵抗もなく口にしていることだろう。
しかも、大晦日に隠れるように、「言っちゃった」そうだ。
なんと、防衛省の姑息なことよ。
日本の防衛を担うという、信念を持ち、気概にあふれた、そんな姿はそこにはない。
ただ、こそこそと・・・。
「敵基地攻撃能力」保有なるものが、憲法に違反していることを、誰もが自覚しているからこその行動でしかない。
記事にもあるように、あっと言う間に、既に軍拡競争のフェーズに入ってしまい、「専守防衛の理念」などは、「有って無きがごとし」の様相を呈し始めた。
「タガが外れる 」とは、こういうことを言う。
言い換えれば、政府、防衛省の「暴走」が始まったことを示している。
まさに、
「毒を食らわば皿まで」
「尾を踏まば頭まで」
「濡れぬ先こそ露をも厭え」
今の野党を見れば、開き直った政府に、怖いもの無しなのだろうか。
憲法違反の政府の行為が止められない。
事ここに至っては、
「毒をもって毒を制す」
に倣うしかないのか。
はたまた、衆議院選挙を待つしかないのか。
嗚呼。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/154.html
13. 達人が世直し[1902] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年1月05日 20:43:24 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1143]
日本有事の際に、アメリカは日本を守ってくれるのか?、守ってはくれないのか?
その疑問の答えは、日米安保条約第5条にある。
「守るとは言っていない、しかし、守らないとも言っていない」
というのが、その答え。
日米安保条約第5条には
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
との規定がされている。
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
https://www.asahi.com/articles/ASR155VWVR15UTFK00K.html
共産党・志位委員長の発言を取り上げた短い記事なので、以下に全文掲載する。
・・・・・
共産党・志位和夫・委員長(発言録)
(日本維新の会との通常国会での連携について問われて)超党派で取り組むべきテーマでは、協力はあると思っております。
ただ、国の政治の根本の問題では、日本維新の会の立場は自民党以上に強硬なタカ派です。核兵器の共有を言う、専守防衛はもうやめろと言う。自民党でも言えないことを言っている。自民党をより右に牽引(けんいん)する。この立場をとっているのが日本維新の会です。
野党であれば、正面から対決する立場をとるべきだ。私たちは、そういう立場で臨んでいる。(都内で記者団に)
・・・・・
志位委員長から見れば、日本維新の会などは、「極右」みたいなものだろう。
かつてドイツで、一般市民の敵を作り、より弱者な共産主義者、社会主義者、そして労働者を敵として攻撃し、市民を分断した上で、その市民の不安、不満の受け皿を偽装して、まんまと政権を奪取した「ナチス」の手口を彷彿とさせる。
日本維新の会は、大阪で、公務員を敵とし、労働組合と組合員を敵として叩き、それを市民の前に晒すことで、市民の喝采を浴び、のし上がってきた政党だ。
彼らは、決して労働者の側に立つことはない。
志位委員長の言う通り、
「核兵器の共有を言う、専守防衛はもうやめろと言う。」
そんな日本維新の会と、立憲民主党は、これから始まる通常国会で、共闘するという。
防衛増税に反対で、一致しているかららしい。
しかし、反対の理由に大きな相違がありはしないか。
片や、軍拡のための増税は「いかん」
もう片方は、増税は「今は遺憾」
恐らくだが、志位委員長は記者会見の場を借りて、立憲民主党の泉代表に語り掛けていたのではないか。
立憲民主党は、今はまだ野党第一党であり、最大の支援組織は労働組合を束ねる「連合」じゃないか、と・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/157.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/316880
適菜収氏が、日本はもはや「ゴミ屋敷」状態と警鐘を鳴らしている。
記事によれば、
「・・・たとえば昨年、自称国際政治学者の三浦瑠麗が統一教会(現・世界平和統一家庭連合)による霊感商法の被害について「あるいはそれを競馬でスったって同じじゃないですか」と言い放った。・・・これに同調するゴミが社会に紛れ込んでいるのである。バカも積もれば山となる。腐臭を放つので社会は荒んでいく。」
なるほど、自称「なにがし」という輩ばかりが、電波芸人よろしく、ワイドショーを席巻し、テレビが真っ先に「ゴミ屋敷」と化している。
さらに記事が続く。
「・・・岸田文雄は年頭所感を発表。戦後日本が積み残してきた「先送りできない問題」に、正面から立ち向かうという。
〈昨年決定した国家安全保障戦略も踏まえ、わが国自身の外交的努力をさらに強化し、さらには、その裏付けとなる防衛力の強化などにも全力で取り組みます〉
〈歴史上、日本は何度も国難とも呼ぶべき大きな困難に直面してきましたが、その都度、国民が一致団結し、自らの国を変化させることで、あらゆるピンチを乗り越えてきました〉
〈今、わが国が直面する困難も皆が力を合わせることで必ず乗り越えられると確信しています〉・・・」
そして、適菜収氏が記事で言う。
「・・・正月早々、悪い冗談だ。統一教会とのつながりを含め一連の安倍晋三事件の解明など「先送りできない問題」を先送りにしてきたのが岸田政権ではないか。
岸田は2027年度に防衛費と関連経費を国内総生産(GDP)比2%とするよう指示したが、これはもともとトランプ政権が安倍に押し付けたもの。敵基地攻撃能力を「反撃能力」とごまかし、軍拡のための増税を行うことが「国難」なのだ。これを我が事のように考えることができなければ国は滅びる。・・・」
以上は、記事の抜粋ということになるが、
改めて嚙みしめたい言葉がある。
それは、・・・
「敵基地攻撃能力を「反撃能力」とごまかし、軍拡のための増税を行うことが「国難」なのだ。」
「これを我が事のように考えることができなければ国は滅びる。」
戦争をしない日本を、将来の子供たち、孫たちに残し、引き継いでいく「責任」が私達「大人」にはある。
それが出来なければ、今の大人達は、ただの「粗大ゴミ」ということだ。
そこの「アンタ」は、どよ?。
こどもや孫たちに、顔向けできる生き方をしていますか?
そう言う私は、まだ、ちょっと、?。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/163.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230107-OYT1T50316/
以下は記事の抜粋だが、酷いものだ。
「日米両政府は、米ワシントンで13日に行う岸田首相とバイデン大統領との首脳会談後、安全保障分野を中心とした共同文書を発表する方向で調整に入った。日本政府が昨年12月に国家安全保障戦略など3文書を改定したことを踏まえ、日米同盟のさらなる深化や「自由で開かれたインド太平洋」の推進に向けた連携強化などが盛り込まれる見通しだ。
・・・
首相は昨年5月、東京都内での日米首脳会談で、防衛力の抜本強化や防衛費の相当な増額を実現する決意をバイデン氏に伝えた。今回の会談は、この間の日本政府の取り組みを説明する機会となる。
共同文書では、国家安保戦略に自衛目的で敵のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」の保有を明記したことなどを踏まえ、安全保障協力の深化を打ち出し、強固な日米同盟をアピールする方向だ。
沖縄県・尖閣諸島が対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であると改めて確認し、「台湾海峡の平和と安定」の重要性も強調する。・・・」
以上、記事の抜粋。
このところの、岸田総理の「敵基地攻撃能力の保有」に対する、異常なほどの前のめりな姿勢が、
「首相は昨年5月、東京都内での日米首脳会談で、防衛力の抜本強化や防衛費の相当な増額を実現する決意をバイデン氏に伝えた。」
その時から始まったことが記事に書かれている。
そして、
「今回の会談は、この間の日本政府の取り組みを説明する機会となる。」
と、「日本の総理大臣が、恥じらうこともなく、アメリカに媚びる姿」を、記事で晒して、読売新聞も恥じる様子もない。
「・・・国家安保戦略に自衛目的で敵のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」の保有を明記したことなどを踏まえ、・・・」
というくだりに至っては、まるで「政府の広報」ではないか。
日本が過去に「自衛権の発動」を口実にして、侵略戦争を拡大し、近隣諸国の国民の生命と財産を奪い、そればかりではなく、日本国民をも戦争の惨禍に巻き込み、300万人もの同胞の命を奪ったことを、よもや忘れはしまい。
適菜収氏は言う、
「敵基地攻撃能力を「反撃能力」とごまかし、軍拡のための増税を行うことが「国難」なのだ。」
同じ事実を前にして、読売新聞の言いぐさは、あまりにも、恥ずかしい。
「・・・沖縄県・尖閣諸島が対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であると改めて確認し、・・・」
本来は公器であるべき新聞が、「日米安全保障条約第5条」が、「対日防衛義務を定めた」と、公然と嘘を掲載し、国民に誤解を与えることは、決してあってはならないことではないのか。
これも、政府、防衛省が延々と続ける「世論工作」「プロパガンダ」の一環と考えれば、そのパシリが「読売新聞」と言うのは、ある意味、納得がいくのかも。
私も何度か「日米安全保障条約第5条」を取り上げたが、そこには、「対日防衛義務」などは、一切書かれていない。
「協力して、共通の危険に対処しましょう。」と書かれているに過ぎない。
参考に、「日米安全保障条約第5条」を書きに転載しておく。
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
一般的に、日本は、アメリカの防衛義務はない。
というのも、日米安保条約が「日本国の施政下にある領域における」ということで、アメリカ本土への攻撃は対象ではない、と言っているだけだろう。
しかし、日本国の施政下にある領域に居を構える「在日米軍」が武力攻撃を受けた場合は含まれている。
日米安保条約第5条発動に相当する事態が生起した場合には、米軍は、アメリカ合衆国憲法第2条(大統領の権限)ならびに「戦争権限決議」(日本では「戦争権限法」と呼ばれている)などに従って対処する、ということになる。
いまのウクライナ戦争を見れば、「戦争権限決議」なるものが、相手国への経済制裁か、日本への武器支援に留まるかもしれない、という可能性は排除できないだろう。
しかも、日本は国連憲章上は、いまだ敵国条項の対象国だ。
米国議会が、反対すれば、日本は「守ってもらう」どころか、支援すら受けられない。
日米安保条約とは、そういう条約になっている。
「対日防衛義務を定めた」と言うのは、日本側の一方的な「妄想」「願望」でしかない。
であるからこそ、何度も、確認しようと、むなしい努力を続けているわけだ。
しかも、口約束で・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/166.html
chunichi.co.jp/article/614267?rct=politics
短い記事なので全文掲載する。
「立憲民主党の泉健太代表と日本維新の会の馬場伸幸代表は8日のNHK番組で、政府による防衛費増額に伴う増税方針を批判し、さらなる行財政改革を求めた。一方、共産党の志位和夫委員長は「専守防衛をかなぐり捨てるやり方に断固反対だ」と非難、国家安全保障戦略など関連3文書の閣議決定撤回を要求した。
泉氏は防衛力整備は必要としながらも「増税ありきではなく、その前に歳出改革をやるべきだ」と強調した。
馬場氏は防衛費増額の財源について「もっと知恵を絞らなければ国民の理解は得られない」と指摘した。
志位氏は「長射程ミサイルを500発買い取るのは軍事大国そのもの」と問題視した。」
私は当番組を見ていないので、全体の文脈は分からない。
しかし、立憲民主党の泉代表にしても、日本維新の会の馬場代表にしても、防衛費拡大のための「増税」を問題にしている時点で、問題の本質を見失っていると言わざるを得ない。
この問題の本質は、共産党の志位和夫委員長が厳しく指摘しているように、
「専守防衛をかなぐり捨てるやり方に断固反対だ」
という言葉に象徴される。
ことの本質は、日本が「戦争をする国になるのか」ということなのだろう。
少し違う・・・日本を「戦争をする国にするのか」ということだ。
日本が専守防衛の理念を捨て、「敵基地攻撃能力」を反撃能力とごまかしてまで、軍拡競争に足を踏み入れようとするから、「増税」という話が持ち上がってくる。
「敵基地攻撃能力」の保有などと考えなければ、その分、社会保障を充実させることが出来る。
敵基地攻撃能力の保有のための「財源探し」に乗っかるのは、いかにも愚かでしかない。
そういう所は、国民は意外と良く見ているものだと知るべし・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/167.html
https://mainichi.jp/articles/20230110/k00/00m/030/019000c
今回の記事は、毎日新聞としては珍しい、無料記事だ。
どこかの組織の投げ込み記事なのだろうと想像している。
恐らくは、政府、防衛省か、自民党の筋といったところではないか。
台湾有事の恐怖を煽るものであり、その筋の狙いが透けて見える。
以下は記事の抜粋、
「米国のシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」は9日、中国人民解放軍が2026年に台湾への着上陸侵攻を図ると想定した机上演習(ウォー・ゲーム)の結果を公表した。・・・
日本が中立を保って米軍の参戦部隊の基地使用を認めなければ、台湾側が中国に敗れるという結果も出た。・・・
CSISの報告書は、台湾が中国の侵攻に屈しない条件として▽台湾陸軍の強化▽在日米軍基地の使用▽初期段階からの米軍の直接的関与▽米軍の長射程対艦巡航ミサイルの強化が「非常に重要だ」と指摘し、台湾への武器供与や日本との緊密な連携などを米国政府に提言した。・・・
演習を運営した安全保障研究者のマシュー・カンチアン氏は「中国は多くのシナリオで在日米軍や自衛隊の基地を攻撃した。日本は九州・沖縄の航空自衛隊基地の強靱(きょうじん)化など備えを進めるべきだ」と指摘した。・・・」
以上が記事の抜粋だが、読んでいて嫌になる。
台湾有事には、日本が参戦することが、大前提のごとくの結論であり、中国は、在日米軍や自衛隊の基地を確実に攻撃してくると結論付けている。
台湾有事→在日米軍参戦→在日米軍基地被弾→日米安保条約の発動→日本参戦
というシナリオなのだろう。
そういう意味では、在日米軍などは日本を守っている存在であろうはずもなく、むしろ、日本を危険にさらしているものと言えるだろう。
防衛省が沖縄県・与那国島(与那国町)の陸上自衛隊与那国駐屯地を拡張し、地対空誘導弾部隊の配備を検討していることも、無関係ではないはずだ。
日本国民からすれば、「台湾有事」といっても、所詮は他国の内政の問題でしかない訳で、紛争ぼっ発の前も、後も、どうすることも出来ない。
「台湾有事」と言って騒いでも、いくら国民の不安を煽っても、所詮は「他国の内政問題」だ。
そんな問題に、米国の戦争屋の都合に引きずられて、「戦争に巻き込まれる愚」だけは、避けねばならない。
当然ではないか。
日本は厳然とした「主権国家」のはずだ。
そもそも、「台湾有事」に日本が、日本の自衛隊が、参戦する「大義」は有りようもない。
しかして、日本国憲法を守っていれば、日本は当事者にはなり得ない。
と言いたいところだが、様子がおかしい。
日本国民は、国家、政府への「幻想」は捨てるべきなのだろうか。
同様に、国民は、実力組織たる自衛隊の振舞について、不断の監視を続けなければならない。
そのことについては、今まで以上に、我々国民の責任は重いと言えよう。
現在の日本国民の決断が、将来の日本が「戦争をする国」となって、日本の若者を「戦場」で死なすのか、
「戦争をしない国」を堅持して、将来の若者に、「平和な国」を引き継ぐのか、を決することになる。
今の政府の動きは、単に米国からの要請を、唯々諾々と受け入れ、「ポチ」のごとく、言われるままに行動しているに過ぎない。
そこに充満している「腐臭」は、「私利私欲」。
国民の生命財産を守るという、本来の「国家」は存在していない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/168.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/317002
記事の結論は以下の文章であり、私も異論は無い。
「・・・ところが、岸田首相は、最多の死者数や医療逼迫が眼中にないかのように、見て見ぬふり。国民の命を守れない首相はリーダー失格だ。」
記事では、
「新型コロナウイルスの死者数が急増している。8日に累計死者数が6万人を突破したが、5万人を超えてから1カ月余で1万人増えた。3万人から4万人になるのは3カ月かかったから“3倍速”である。発表される感染者数は第7波より少ないのに、第8波の死者数が最速ペースなのは、陽性者の全数把握ができていないからだ。実際には感染者数は第7波を超えている可能性が高い。このため死者数が急増していると考えられる。・・・」
と問題提起している。
しかし、第8波の死者数が最悪で、最速ペースなのは、記事が指摘するように、感染者数が7波を越えているから・・・ということだけだろうか。
岸田政権になってから以降、コロナ対策は行動制限の撤廃に象徴されるように、緩める一方で、ここまで来てしまった。
コロナの危険性は、高齢者と、基礎疾患を持つ人ほど高い事は、これまでの3年間の経験から、国民の誰もが認識しているところだろう。
これまでの3年間を振り返ると、訪れる波の都度、医療の逼迫が言われ、医療機関に電話してもつながらず、救急車を呼んでもきて貰えず、やっと来て貰えたと思ったら、今度は病院のたらい回し、と何かが改善されることもなく、医療にたどり着けない不安と、危険に翻弄されてきた。
問題なのは、同じことが繰り返されているということではないのか。
そのことは、目の前にある問題が、なんら解決、改善されていないことを示している。
ここ1か月の死者数が1万人を越えている。
慣らされてきたことで、感性が麻痺しているにも拘らず、この状況は異常と言うしかない。
この1万人の中で、まともな医療を受けることができた人はどれほどいるのだろうか。
家族が、手を尽くした医療に納得し、悲しみの中、愛する人の死を受け入れられただろうか。
開発された新薬も、適切なタイミングで患者に投与出来ているのだろう、国民の気持ちはは、コロナへの恐怖と、短期間に繰り返し行っているワクチン接種そのことへの不安のはざまで、揺れている。
いま政府が実現すべきは、すべての国民がコロナに感染ししても、当然のように医療を受けられる、、そんな体制、システムではないのか。
かつては、入院すべき患者が入院できずに苦しんだ。
そして今でも、医療機関に受診したくとも出来ずに苦しんでいる。
今は、医療機関に電話してもつながらないという、情けないことで苦しまされている。
コロナの特効薬がない、コロナの変異のスピードに負けて、効果的な治療薬も追いつかない。
そのことは、人間の科学、医学の限界として、希望を持ちながらも、少しは自分を納得させることは出来る。
しかし、もし、医療に辿り着けず、病状が悪化し、命を落とす人がこれほど多くなってきているとすれば、科学、医学の問題の前に、明らかに人災と言うことが出来よう。
そんな状況は、誰とても納得できるものではないだろう。
政府、行政のこれまでの不作為は、厳しく糾弾されるべきであり、
国民の命を守れない首相は、即刻、辞めるべきだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/169.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317009
「台湾有事」は“つくられた危機”
戦争屋たちに騙されちゃいけない。
今回投稿する記事は、そんな主旨の日刊ゲンダイの記事。
以下は記事の抜粋。
「米国の政治リスク調査会社「ユーラシアグループ」が発表した「今年の10大リスク」は、「ならず者国家ロシア」がトップ、「『絶対的権力者』習近平」が2番目だったことが先週ニュースになったが、このリポートには、10大リスクの他に「リスクもどき」という項目があるのをご存じか。
英語では「Red herrings」と記され、「人を惑わすような情報」「本題から目をそらさせる偽情報」という意味がある。つまり、リスクのように騒がれているが、騙されちゃいけない、という“警告”のようなもので、そのひとつとして「台湾危機」が挙げられている。・・・」
記事では、「「台湾危機」が「リスクもどき」である理由」が縷々書かれているので、興味のある人は、上記URLに飛んで、記事本文を確認願いたい。
記事は続く・・・
「・・・そんな中で「台湾有事は日本有事」と、明日にも起こるかのように大騒ぎしているのが岸田政権。台湾有事を理由に防衛費倍増に突き進むのは、明らかに国民騙しだ。・・・
・・・「『台湾有事は日本有事』の言い出しっぺは安倍元首相でした。安倍氏が軍需産業が求める大軍拡要請に応えて、緊張を煽ったのです。安倍氏亡き後は高市氏、そして安倍派後継争いの萩生田氏や世耕氏がそれを引き継いでいますが、米中関係は水面下では静かで、台湾有事は“つくられた危機”なのです」(政治評論家・本澤二郎氏)
戦争屋たちに騙されちゃいけない。」
以上が記事の抜粋なのだが・・・
英語では「Red herrings」と記されるような「台湾有事」によって、
日本が「戦争をする国になる」ということ、そのことは、紛れもなく「日本の有事」に違いない。
これこそが、政府、自民党によって「つくられた危機」だろう。
国民の不安を煽る「茶番」は、たいがいにしてもらいたい。
戦争屋たちに騙されちゃいけない。
政府、自民党に騙されちゃいけない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/170.html
https://dot.asahi.com/dot/2023011100017.html?page=1
今、岐阜で物議をかもしている、元立憲民主党の今井瑠々氏26歳の追っかけ記事。
立憲民主党から金を貰いながら、このままでは国会議員の芽はないと、自民党に鞍替えし、県会議員の毒まんじゅうを喰らうというお話。
本を正せば、ジェンダー平等を囃し立てていた、立憲民主党執行部の言うジェンダー平等には、「人物本位」という基本が欠けていたということになり、執行部にとっては二重の失態だろう。
以下、記事の抜粋を記しながら、コメントを付けていくことにしたい。。
従って、記事が結構長いが、全体の文脈等々は、上記URLで把握されたい。
記事中に、地元支援者の言葉が載っている。
「今井さんは若さを前面に出して目いっぱい戦う。そういう姿勢が年齢層を問わずに共感を得ていた。今、岐阜は衆参両院とも自民党に全敗して国会議員がいない。次の衆院選があれば、古屋氏に勝てると県連一丸で応援していたんです。まさに裏切りです。草の根のサポーターグループもあったけど、1月で解散するそうです」(今井氏の地元支援者)
25歳の若さで果敢にも政治の世界を志し、あえなく落選という挫折もあったからかもしれないが、1年も経たずして、理念が真逆の自民党に鞍替えし、県議の地位を求める。
政は、「信なくんば立たず」と言う。
その「信」を失ってしまった今、政治の世界で、彼女は何を志すというのだろうか。
記事には
「今井氏は、今回の発表の直前までSNSに、今年春の統一地方選に立憲民主党から出馬を、というチラシを持った写真をアップしていた。岡田克也幹事長とのツーショット写真もある。」
と書かれている。・・・
さらに、
「・・・多治見市長選では、県議を辞めて出馬する一人に自民党が推薦を出すことも決めている。実質、その後継として今井氏が自民党推薦で出馬すれば、『当選は間違いない』と誘ったということだ。今井氏もそれに応じてくれた」
と。・・・
「これまでの今井氏のSNSを見ると、
「国葬反対という4文字では到底語りきれない、極めて政治的な議論が必要な問題が、日本中を騒然とさせて今日を迎えました」
「私の国葬についての考えは、”内閣が独断で強行する”国葬には反対です」
などと自民党の考えとは相いれない内容が多く書き込まれていた。」
と、 今井瑠々氏の寝返りを、批判している。
記事の最後には、
「立憲民主党の幹部は、
「今井氏が自民党に、というニュースを見て泉代表も『今井氏は頑張っていける候補だと思っていた』と残念そうでした。岐阜県連からは『岐阜5区の今井氏は有力な候補なので党の重点選挙区として月額の活動費をアップしてほしい』との要望も寄せられ、その方向で検討していたばかりでした。ただ、評価が高い一方で、2021年の衆院選で大善戦し、最年少候補と持ち上げられて舞い上がり、傲慢(ごうまん)になっているという話も出ていました。今井氏は、政党交付金から支出されている党からの活動費を受け取りながら、自民党と裏で通じていたことになる」
と、虚しい「愚痴」が載っている。
立憲民主党執行部、岐阜県連の幹部たちは、自分達の人を見る目の無さ、あるいは若者をひきつけ、引き留める、そんな政治理念、あるいは政治家としての人間的魅力に欠けていることを、言い過ぎだというなら不足していることを、反省すべきではないか。
政治の「いろは」も知らないポット出の若者を、責めたところで仕方がないのではないだろうか、とも思う。
しかし、このことが、若者の間に蔓延する政治不信を、さらに助長しかねないことを危惧せずにはいられない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/171.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317065
「反撃能力」という言葉が使われるようになって、かなりの時間が経過している。
少し前までは、新聞での表記は「敵基地攻撃能力(反撃能力)」と言う書き方が主流であったが、最近の新聞、テレビでは「反撃能力」のみになり、あえて書いても「反撃能力(敵基地攻撃能力)」がほとんどという具合に、様相が変わってきているようだ。
政府、自民党あたりから、強く圧力がかかっているのだろうか・・・。
NHKなどは、「反撃能力」と言うときには、そこに力が込められている、という始末だ。
日刊ゲンダイの本記事は、高野孟氏が、「反撃能力」という言葉を使った「詭弁」を暴いた内容を取り上げている。
以下に記事の抜粋を記す。
「岸田文雄首相の言う「反撃能力」とは、一種の言葉遊び、もっと言えば、言葉の意味をズラしたり曖昧にして物事の本質を隠そうとする詭弁術で、彼の師匠は故安倍晋三である。
「反撃」というと、相手国が先制攻撃してきたのでそれに対抗し報復するためこちらも相手国を攻撃するという意味になる。・・・」
記事は続く・・・
「・・・そもそもこの議論の始まりは「敵基地先制攻撃」論で、例えば北朝鮮がミサイル発射準備を始めていて、それが明らかに日本を目標にしていると確信できた場合にミサイル発射前に先制攻撃して発射を阻止できるようにしようという話だった。・・・」
「・・・ しかし今では、固形燃料を積んだミサイルを自走車や列車に乗せ、地下要塞やトンネルから突然出てきて発射するとか、潜水艦に装備して海中から発射するという時代なので、事前の発射準備を察知すること自体が不可能である。ましてそれが日本向けであるかどうかなど推測することすらできない。
できもしないことをどうして防衛費を倍増させてもやろうとするのか。・・・」
記事の抜粋は以上だが・・・
過去に同じ「敵基地攻撃能力(反撃能力)」に関連した日経新聞の記事を投稿し、コメントしたことがある。
その時の日経新聞に載っていた「反撃能力」の解説は、次のようなものだった。
「▼反撃能力 相手のミサイル発射拠点などをたたく能力を指す。政府は相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する。「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもの」
その時の板は荒れ模様だったが、再掲したい。
本記事とは同様の意見と認識している。
以下、以前の投稿の再掲(長くなるので抜粋)。
・・・隣国の領土まで届く、そんな長射程のミサイルを保有することは、「専守防衛の理念」に反するし、近隣諸国に対しては、これまでの「専守防衛」という防衛方針を、かなぐり捨てたというメッセージになるだろう。
「専守防衛」の放棄。
このことは、近隣諸国にとっては、極めて重大な関心事となるに違いない。
日本のこの動きを、どう判断するかは、日本側がするのではなく、近隣諸国の主観に委ねるしかないことを忘れてはならない。・・・
・・・ここで、少し頭の体操のために、想像力を働かせてみよう。
戦争は、このようにして始まる・・・。
日本が、不穏な動きを示す「仮想敵」の動きを逐一監視する。
当然、「仮想敵」も日本の不穏な動きを監視しているはずだ。
日本が、仮想敵の動きを「相手が攻撃に着手した」と主観的に判断して、反撃能力の行使に着手し、かねてからの訓練通りの行動をし、速やかに準備を整える。
それを監視していた「仮想敵」は、「日本が攻撃に着手した」と主観的に判断し、ミサイルの発射ボタンを押す。
日本も遅れをとってはならないと、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の発射ボタンを押す。
一瞬早く相手国がボタンを押した。
しかし、日本は、そのことを非難出来ない。
何故なら、日本政府は「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と世界に向けて発信している訳だから。
自国が認める屁理屈は、当然、他国にも認めなければならない。
このことは、今後、取り消しはきかないだろうし、取り返しもつかない・・・。
誤解を与えたとしたら訂正します、などと言っても、国際社会では、いまさらと、嘲笑されるばかりだ。
とんでもないことを、してくれたものだ。
さらに想像力を働かせてみよう・・・。
日本は、未だ敵国条項の対象国に載ったままだ。
従って、近隣諸国が、「日本が再び侵略行為を働く兆候を見せている」と、主観的に判断すれば、宣戦布告なしで、日本に対して武力で制裁を加えることが認められている。
この場合は、日本は「世界の敵」「国連の敵」となり、さすがの米国も「日本」を支援することは躊躇するだろう。
一方、日本は、憲法で戦争を放棄しているから、「仮想敵」に対して「宣戦布告」は出来ない。
つまるところ、日本の攻撃は、「反撃」と言っても、所詮は「宣戦布告」の無い、「奇襲」であり、「リメンバーパールハーバー」の合唱に押しつぶされる。
そして国際世論は、日本=悪魔、残虐な民族、となってしまうのだろう。
結論的には、日本は他国の領土で武力行使は出来ないということになる。
他国の領土にミサイルを撃ち込んだ瞬間に、日本が侵略戦争を始めたと、世界中から糾弾されるのが落ちだ。
日本国憲法も、そのことは厳に禁じているではないか。・・・
・・・抑止力として「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、憲法に違反するという認識に立つことが大前提ではないか。
憲法9条では、
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と明記されている。
「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、相手を「武力により威嚇する」ことであり、「抑止力」と言う以上、相手に対して「敵基地攻撃能力(反撃能力)を行使すると表明することになる。
どのように屁理屈を言おうと、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と記した憲法に違反する。
憲法では、「永久に・・・」と強い言葉で禁じている。
再掲(抜粋)はここまで。
要するに、
記事で言うように、
「・・・できもしないことをどうして防衛費を倍増させてもやろうとする・・・」
から「反対」なのではなく、
「反撃能力の保有」は憲法違反!であり、
だからこそ、
「反撃能力の保有」には、じぇったい「反対!」なのだ。
さらに言えば
日本人の誰もが、他国の領土を侵し、他国民を殺傷する権利は与えられていない。
従って、他国の領土を侵し、他国民を殺傷することを目的とした「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の発射ボタンは、誰も押すことは出来ない。
仮に、押す人がいたとすれば、なんのことはない。
その人は、当然のように、大量殺人鬼として、歴史に記されることになる。
「・・・できもしないことをどうして防衛費を倍増させてもやろうとする・・・」
愚かと言うしかないではないか。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
とんでもないことを、言ってくれたもんだ。
相手国に対して、絶好の口実を与えたことになる。
国賊と言うしかないではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/176.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317143
室井氏は自身のコラムで、
元防衛庁出身で柳沢協二・元官房副長官補の以下の発言を引用している。
『敵基地攻撃能力を持って実際に戦争になれば、日本の国土にも確実にミサイルが撃たれる。国民に都合の悪い事実を伝えていない』(柳沢協二・国際地政学研究所理事長・自衛隊を活かす会代表)
記事によれば、
柳沢氏は、元防衛庁で、内閣官房副長官補として安全保障政策を担当していたそうだから、その発言の重みは、我々とは格段に違う。
室井氏が言うまでもなく「そういう人が、冒頭の発言をしたのは大きい。」
そして、室井氏は言う。
「敵基地攻撃能力を保有すれば、敵も躊躇せず先制攻撃で日本を叩きやすくなる。やられる前にやっただけ、という口実が成り立つわけだもん。」
その通りと言うしかない。
日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
相手には、先制攻撃の格好の口実を与え、
戦争を放棄した日本が実行すれば、宣戦布告の無い、あの「トラトラトラ」で始まる悪夢の再現ということになるのは必然の帰結。
これ一つで国賊ものではないか。
そんな奴を、自民党は、「国葬偽」で送った。
閻魔様に対して、己らの不明を恥じるべきだろう。
室井氏はコラムを以下の言葉で締めくくっている。
「・・・抑止をちょっとでも超えてしまったら大変なことになるのは、誰にでもわかることだろう。まず外交努力、最後まで外交努力。」
・・・・
誰にでもわかることなのに、分からない人が結構いるのよ・・・。
阿修羅掲示板にも・・・。ね。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/177.html
17. 達人が世直し[1903] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年1月13日 20:10:18 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1144]
>>8 氏
>トラトラトラは奇襲成功、ニイタカヤマノボレが作戦の号令じゃんねw
しか〜し、
文脈からすると、「奇襲成功」で調子にのっちゃったことがその後の悪夢の始まりということで、やっぱり、ここは「トラトラトラ」じゃんねw
真珠湾奇襲が失敗していれば、広島、長崎の悲劇は無かったかもしれないし・・・。
今更の「たられば」、だけどね。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/177.html#c17
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317181
ロシアのウクライナ侵攻開始から間もなく11カ月。クレムリンで不穏な動きだ。ショイグ国防相がロシア軍のゲラシモフ参謀総長を「特別軍事作戦」の総司令官に任命。昨年10月に着任した航空宇宙軍のスロビキン氏は降格し、副司令官の一人になった。・・・ロシア軍の苦境はアリアリだ。
開戦以降、総司令官の交代は少なくとも3人目。この3カ月で2度目となる上、制服組トップを据える異常事態だ。・・・
筑波大名誉教授の中村逸郎氏(ロシア政治)はこう言う。
「全ての責任をゲラシモフ氏におっかぶせようということ。ロシア軍が局面を打開するのはもはや困難。終戦を見据え、責任者を明確にしたとみています。・・・」
以上は記事の抜粋。
ウクライナ東部戦線での局地戦の勝敗はどうあれ、全体の戦局を見れば、ロシアの劣勢は明らかであり、さらに、NATOがウクライナに戦闘車両の提供を決断したことは、春から本格化するウクライナの反攻を大きく前進させるものになるのだろう。
戦車等、兵器の補充がままならないロシアにとっては、兵員の補充も焼け石に水の如し。
旧日本軍の様に、督戦隊に背中に銃を向けられ、歩兵銃をもって戦車に立ち向かう、そんな戦い方しか出来ない状況になることは、目に見えている。
そして、前線から遠く離れた「安全地帯」では、
「・・・全ての責任をゲラシモフ氏におっかぶせようということ。・・・」
というような、責任逃れの動きと、権力闘争が始まり、特別軍事作戦の目的すら見失っていく・・・。
前線では、人が、会ったこともない人を殺し、殺し合う、「地獄絵図」が繰り返されているのに・・・。
既に核兵器をもってしても、戦局の転換は不可能となった今、核兵器が使用されないことを祈るのみ。
そして、一刻も早い戦争終結を願う。
しかし、人の心に芽生えた「恨み」の解消には、気の遠くなるような時間と、相互の努力が必要になる。
「戦争に、勝者はいない。」
世界の指導者は、このことを、改めて噛みしめるべきだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/178.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230114-OYT1T50007/
記事によれば、
「立民の泉代表は13日の記者会見で、自身の東京・赤坂の乃木神社参拝を巡ってこう述べ、一部の批判は一般的な感覚から遊離していると訴えた。
泉氏はこの正月に、明治の軍人・乃木 希典まれすけ 大将を祭る乃木神社への参拝をツイッターに投稿した。これに対し、一部の支援者らから「軍人を神と 崇あが める行為」「軍国主義に追従すると批判されても仕方ない」などと批判が集中。泉氏は「何だか息苦しい。近所の神社で祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは」と反論した。・・・」
ということだ。
泉氏の参拝時の意識は、「私人」としての行動というものだったのだろうと推察するが、・・・
しかし、泉氏は、紛れもなく日本政界の野党第一党の代表に違いなく、その行動は「公人」のものとして捉えられることは当然だろう。
国民も、「公人」としての行動を期待しており、批判する人も、「公人」としての泉氏を批判しているのではないか。
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」
「公人」泉氏としては、不注意極まりない。
言い訳が、ネトウヨ並みというおまけ付きの「おそまつ」
人が泉氏を批判的に言う場合は、対象は「公人」泉氏であり、したがって、泉氏も批判されたと感じたときは、「公人」としての振舞について振り返るべきだろう。
記事は続く・・・。
「党内議論でも、左派系勢力の影響は無視できないのが実情だ。政府の「国家安全保障戦略」など3文書の改定に合わせ、昨年末に行われた党の外交・安保政策を決定するプロジェクトチームなどの合同会議では、「台湾有事にはリアリティーがない」などの主張が相次ぎ、政府が目指す敵のミサイル発射基地などを攻撃する「反撃能力」保有は容認しなかった。
また、党憲法調査会の議論では、「『改憲ありき』と映れば、党内がまとまらなくなる」として、昨年末を予定していた改憲に関する党見解の取りまとめが先送りされた。
泉氏や岡田幹事長は、支持層拡大のため、「もう少し真ん中に軸を移さなければいけない」(岡田氏)と中道路線を模索している。岡田氏周辺は「左に偏った姿勢のままでは、有権者から政権交代の受け皿と見てもらえない」と指摘している。」
記事は以上で終わっているが・・・
これなどは、党内のまとまりを欠いた現状の暴露記事に近くなってしまっているが、
それはそれとして、
泉氏や岡田幹事長が、未だに、「左だ」、「真ん中だ」と、言っているということについて、時代の流れに乗り遅れているというしかないのか・・・と残念に思う。
今の若者に、「左だ」、「真ん中だ」と言っても通じない。
もっと国民に通じる「分かり易い言葉」で語りかける意識が必要ではないかと、思うところだ。
ところで、
そこの「あんた・・・」
「あんた」は、「左?」「真ん中?」、それとも「右?」
私?
「わかんな〜い」
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/179.html
81. 達人が世直し[1904] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年1月14日 14:51:00 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1145]
>>56 氏
氏には、何度も言っているが、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
という考えを改めてからにしてくんないか。
しかも、今回は私への「誹謗中傷」が含まれているので、看過できない。
「誹謗中傷」とは特定の人に対して、言葉で侮辱や嫌がらせをしたりデマや嘘を触れ回ったりすること。
>そもそも、憲法9条なんて、達人が世直しさん自身が守ろうとしていない。達人が世直しさんは、「専守防衛の戦争は戦争ではないから、憲法9条の戦争放棄に抵触しない」と、訳の分からない主張をしている。
これを「誹謗中傷」と言わずして、なんと言おう。
語義曖昧論法といわれる「詭弁」がある。
一つの単語がもつ複数の意味を、ごちゃごちゃに使ってしまう誤謬。、実際は文脈によって定義が変わる単語を使い巧妙に弄する。
氏は、
>憲法9条の「戦争放棄」・・・
とは言うが
憲法9条の「国権の発動たる戦争の放棄」・・・
とは言わない。
何故なら、「国権の発動たる戦争」が意味するところを、宣戦布告によって始める能動的な戦闘行為、すなわち「侵略戦争」であることを理解したからだろう。
そして、「専守防衛」は「侵略戦争」の対極に位置づけられる戦闘行為であることを理解したからだろう。
そのうえで、「戦争放棄」としか言わないのは、語義曖昧論法といわれる「詭弁」でしかない。
一つの単語がもつ複数の意味を、ごちゃごちゃに使ってしまう誤謬。
誤謬と言うよりは、策を弄していると言うべきや。
氏の言っていることは、「国権の発動たる戦争」と言った瞬間に、支離滅裂となり、破綻する。
これも、氏には何度も説明しているが、
氏が「戦争放棄」と言うときの「戦争」は、軍事上の概念でいう所の、「戦争」であり、軍事力の実質的な戦闘行動が実行されている状態を指す。
一方、「国権の発動たる戦争」となれば、その「戦争」とは、国際法上の概念でいう所の「戦争」であり、宣戦布告により生起すると定義される。
軍事力の実質的な戦闘行動が実行されているかどうかは、関知しない。
氏の言っていることは、「国権の発動たる戦争」と言った瞬間に、支離滅裂となり、破綻する。
同じことを何度も言わせないでほしい。
「無限ループ」と揶揄されてしまう。
ちなみに、
>「専守防衛の戦争は戦争ではないから、憲法9条の戦争放棄に抵触しない」と、訳の分からない主張をしている。
これは、氏得意の「藁人形論法」。
典型的な「詭弁」だろ。
147. 達人が世直し[1905] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年1月15日 14:44:18 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1146]
>>137 氏
憲法9条で記されている「国権の発動たる戦争」の意味を問われて、
>国権、つまり日本国の権利の発動たる戦争・・・
これが答えとは・・・。トホホ。
どこから解説をすれば良いのやら。
改めて憲法9条を見てみよう。
氏が引用した憲法9条に次のように記されている。
>国権の発動たる戦争と、
>武力による威嚇又は武力の行使は、
これを見て分かるように、
「国権の発動たる」という文言は「戦争」という言葉にかかっている。
一方で、
「武力による威嚇又は武力の行使・・」
に対しては、
「国権の発動たる」という文言はかかっていない。
ということは、氏の言によれば、
>武力による威嚇又は武力の行使は、
とはどんなことを言っているのだろうか。
さらに言えば、同じ戦闘行為でありながら、「戦争」と「武力行使」をわざわざ分けて記しているのはなぜか?
氏は、
>国権、つまり日本国の権利の発動たる戦争・・・
の考え方で、
ここを説明できなければならない。
私は何度も説明しているので、今回は割愛する。
氏の説明を楽しみにしていよっと。
解説はそれからだね。
ところで、私に対する「誹謗中傷」は続ける積りのようだが・・・。
>私に言わせれば、あなたは9条を破って専守防衛の戦争をすることを主張している。つまり、9条を破ろうとしてると、私は考える。
氏がその乏しい理解力で、どう考えようと、それが間違いであったとしても、「考える。」だけなら、その自由は憲法で保障されている。
しか〜し、
特定の人に対して、・・・「デマや嘘を触れ回ったりする」ことは、「誹謗中傷」と言い、常識的に判断する能力を持った人の社会では、やってはいけないこととされている。
「誹謗中傷」は、決して「笑いごとではない」でしょう。
そんなことにも気が付かない。
そのことこそは、「お笑い種」でしょう。
氏は言う、
>9条が放棄しているのは「国権の発動たる戦争」であり、「国権の発動ではない戦争」は9条は放棄していないと、あなたは言うらしい。
>そして、「専守防衛の戦争は『国権の発動たる戦争』ではないから、9条違反ではない」と言うらしい。
>専守防衛の戦争は、国権の発動たる戦争ですよ。
と。
どうも、氏は分かっていない。
>9条が放棄しているのは「国権の発動たる戦争」であり、「国権の発動ではない戦争」は9条は放棄していないと、あなたは言うらしい。
>そして、「専守防衛の戦争は『国権の発動たる戦争』ではないから、9条違反ではない」と言うらしい。
のいずれも、私の考えを述べた、私の言葉ではなく、氏が勝手に、氏の頭で考えた「氏の考えであり、氏の言葉」になっていることに気が付かない。
>あなたは国権の発動たる専守防衛の戦争は、9条合憲だからしてもいい、と言うらしい。
これも、私の考えではなく、あなたの考え。
もう気が付いたと思うが、教科書にも載りそうな、典型的な「藁人形論法」という「詭弁」。
「・・・らしい。」と言っても、逃げられんよ。
私は、
「憲法9条では、自衛権については触れていない。」
と認識しており、
専守防衛の根拠を憲法9条に求める訳がない。・・・じゃないか。
そうだ、思い出した。
過去に氏には、憲法9条では、自衛権について、どう記されていると言うのか?
と質問したことがあった。
そう言えば、答えをまだもらっていない。
関係するから、こっちの答えも、楽しみにしていよっと。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317285
私の言いたいことを、すべて言ってくれている。
そういう意味で、喝采を送りたいコラム記事ということで、投稿した次第。
本コラム記事には、批判の対象となる若者の名前は出てこない。
小林氏の配慮が伺える。
小林氏はコラムで言う。
「ご本人いわく、「自民系の議員として地域密着で活動することで、いち早く子育て支援や地域活性化に関する予算・政策を実現させたいと思うようになった」。・・・
・・・国政における今の立憲民主党の役割は、まず、長年日本を統治してきた自民党政治の限界を突破して政策を転換するために、政権交代を実現することである。
・・・その立憲民主党の最年少候補、しかも女性として、「多様性が保障された社会」の実現を目指していたはずの若者が、「自民党の方が早く子育て支援や地域活性化に関する予算・政策を実現」できると考えたそうである。しかし、それは単なる学力と倫理性の不足としか評しようがない。・・・
・・・つまり、既存の利権構造を墨守して、自民党が自分と仲間だけを栄えさせて、国家と民衆を貧困に陥れたことはもはや明白である。・・・
・・・今は野党だから結果的に予算には介入できないが、それに耐えて世論を良導する戦いが今の立憲民主党の本務である。・・・
・・・ただの利権政治に参加したいという政治屋候補ではないか。」
以上がコラムの抜粋。
特に以下の言葉は、強く賛同したい。
「立憲民主党の役割は、・・・政策を転換するために、政権交代を実現することである。」
「それは単なる学力と倫理性の不足としか評しようがない。」
「ただの利権政治に参加したいという政治屋候補ではないか。」
本当に・・・呆れた話である。
一時とは言え、こんなバカ者を「ホープ」と持て囃した「大人」の責任も、問われなければならないところだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/185.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230116-OYT1T50277/
以下は記事の抜粋。
「政府は、通常の攻撃用に加え、敵の偵察、防空妨害用の計3種の弾頭を交換可能な新型巡航ミサイルを開発する方針を固めた。・・・
・・・新型は射程が1000キロ・メートル超で、機動性が高い移動式車両から発射する。防衛省が2018年からエンジンなどの一部パーツの研究に着手していた。
・・・有事に南西諸島を始めとする 島嶼とうしょ 部へ侵攻を図る敵艦船の撃破に用いることを主に想定している。軍事拠点などの対地攻撃への活用も検討しており、昨年末の国家安全保障戦略など3文書の改定で保有が明記された反撃能力の実行手段にもなる見通しだ。・・・
・・・防衛力の抜本的強化に向け、政府は複数の長射程巡航ミサイルの開発を進めている。・・・
・・・ミサイル攻撃は近年、敵の防空システムを突破しやすくするため、電磁波による妨害を事前に行うことが主流となっている。中国は電子戦機を東シナ海に頻繁に展開させており、有事には電磁波攻撃を仕掛けるとの見方がある。日本も同様の能力を確保し、対抗したい考えだ。」
以上が記事の抜粋だが・・・
記事によれば、
「・・・防衛省が2018年からエンジンなどの一部パーツの研究に着手していた。」
と、
今回の「敵基地攻撃能力」の保有、政府の言う「抜本的強化」は、少なくとも、2018年には、政策として進められていたことになる。
そんなことを、軍事オタクならいざ知らず、国民の誰が想像していただろうか?
国民の知らない所で、そら恐ろしいことが進んでいる証左だろう。
だからこそ、「国民の不断の監視」が必要なのだ。
そのことを、実効性のあるものにするために、「政権交代」が必要なのだ。
そう言わざるを得ない。
「・・・ミサイル攻撃は近年、敵の防空システムを突破しやすくするため、電磁波による妨害を事前に行うことが主流となっている。中国は電子戦機を東シナ海に頻繁に展開させており、有事には電磁波攻撃を仕掛けるとの見方がある。日本も同様の能力を確保し、対抗したい考えだ。」
これが、まさに「軍拡競争」の実態であり、その競争は、始めたら、人類が滅亡するまで終わりがない。
そんな軍拡闘争に足を踏み入れ、そのことにつぎ込む資金は、想像を絶するものになるに違いない。
現状ですら、防衛費増額の目処すら説明できずにいる。
消費税の増税しかない。と考えているのだろう。
しかし、今言い出すのは・・・「マズイ」と。
その前に、やることがある。
「歳出改革のポーズを取ることだ。」
国民は、「不都合な真実」から目を逸らさず、「危機」を認識すべきだ。
日本は確実に「戦争をする国に向かって進んでいる。」
政府、自衛隊は、暴走をしている。それも、爆走中だ!。
白バイくらいでは、止められない。
止められるのは、われわれ「国民」しかいない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/187.html
https://bunshun.jp/articles/-/60159
日本維新の会の国会議員の犯罪的「不祥事」には事欠かない、今日この頃、・・・
日本維新の会の前川清成 衆議院議員の公選法違反の有罪判決に続き、中条きよし参院議員に「年金750万円未納」疑惑が「文春」から報じられた。
しかし、それに対して、なんの驚きも湧いてこないということに、驚きを隠せない。
「文春」の記事によれば、・・・
「昨年7月の参院選比例代表で初当選した歌手で日本維新の会の中条きよし参院議員(76)に、年金未納の疑いがあることが「週刊文春」の取材でわかった。期間は数十年に及び、累積した未納額は約750万円になるとみられる。・・・
・・・「中条さんが当選した数日後、日本年金機構の職員が公的年金の未納分を支払うよう、事務所に連絡し、その後も督促したのですが、結局支払ってもらえなかった」・・・
・・・2022年度の老齢基礎年金の満額は77万7800円だが、「中条さんは未納の約750万円と天秤にかけ、『年金なんていらない。払わない』と主張しているというのです」(同前)・・・
・・・日本年金機構の担当者が解説する。
「国民年金法の第88条は、国民年金への加入を国民の義務と位置づけています。年金は個人が一定の積立を行い、それを老後に受け取るという趣旨のものではなく、現役世代が納付した保険料で、その時代の年金受給者の生活を支えていくという仕組みです」・・・
・・・事務所を通じて質問したところ、事務所担当者が「党本部の確認待ちです。党の担当者の確認がないとお答えしてはいけないと言われております」と答えた。そこで党本部に確認すると「党の許可や確認は必要ありませんし、回答を止めている事実はない。中条さんが個人で答えるべき問題なので、本人に聞いてほしい」と回答。結局、中条の事務所からは期日までに回答がなかった。・・・
・・・ だがその後、・・・代理人弁護士を通じてこう回答があった。・・・
「・・・年金未納があったとのご指摘については、現在、年金事務所に確認中です。なお、日本年金機構から未納の指摘を受けたとの点については、承知しておりません。」
記事の抜粋は以上のようなところだが、・・・
全くもって、酷い話じゃないか。
恐らく、
これまで一度も年金を支払ったことが無いのではないか。
数十年もの間、未払いだもんね。
ということは、督促状は何度も受け取っていたはずだな。
年金制度とは、記事にもあるように、
「国民年金法の第88条は、国民年金への加入を国民の義務と位置づけています。・・・、現役世代が納付した保険料で、その時代の年金受給者の生活を支えていくという仕組みです」
今回の中条きよし参院議員の場合は、確信犯であり、過去の国会議員の年金未納問題とは次元が違う。
俗に言う、「異次元」というやつだ。
「異次元の金融緩和」、「異次元の少子化対策」、そして「異次元の年金未納」
そんな奴でも、日本維新の会の票集めの役に立てば、国会議員になれるということか・・・。
そんな奴を公認した日本維新の会という「政党」の責任も厳しく問わねばならないだろう。
しかし、記事によれば、日本維新の会には、そんな気はさらさら無いようだ。
中条きよしにしてみたら、
「日本年金機構から未納の指摘を受けたとの点については、承知しておりません。」
と、まるで、「うそ」をリバイバルヒットさせようという魂胆なのか?
きっと、金づるに「誰かいいひと出来たのね・・・」
また一人、政治家をやってはいけない人を見付けてしまった。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/192.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317405
岸田首相が、バイデン大統領に「お会い」して、トマホークを500発も購入すると約束したそうだ。
朝貢外交と言うには聞こえが良すぎる。
こんなものは、外交とは言わない。単なる「ポチ」
しかも、そのトマホークは、古すぎて、「敵基地攻撃能力」としては、使い物にならないものらしい。
どうするんだろうね。
どうなってるんだろうね。
そんなことが、本記事に書かれていたので、取りあげてみた。
記事によれば、
「・・・現在はウクライナ戦争支援で米軍需企業は通常兵器の在庫が払底するほどの需要増に潤っているが、いずれこの戦争も終わる。その先に早くも日本の爆買いが確定するなら、軍需企業もそれに連なるバイデン以下、議会の軍事・外交族も大いに潤うことになるわけで、岸田が大歓迎されるのは当然だ。
しかし、このトマホークはどう使うのだろうか。
防衛担当記者に聞くと、「対地攻撃用のタイプを潜水艦や水上艦に搭載し、日本海から撃つが、時速880キロと遅いので目標まで20分かそこらかかる。高野さんが先週のコラム(本欄)で書いていたように、今のミサイルは移動式でパッと出てパッと撃ってパッと引っ込んでしまうから、先制攻撃して発射を阻止する『敵基地攻撃能力』には使えない」と言うではないか。・・・
えっ、では発射基地を先制攻撃するという構想は諦めたのか。
「高野さんが書いていたように、そもそもそんなことは不可能なんだから、その議論はやめようということだろう」・・・」
以上が記事の抜粋になるのだが・・・
なんのことはない。
「あの人」がアメリカの旧式武器の爆買いを約束したまま逝ってしまった後、証文を突き付けられて、取り敢えず、約束手形をお届けしたという図式だ。
なんとも、情けない。
しかも、数年先には国産のミサイルを開発するんだと。
トマホークは使い物にならない「張りぼて」と、自ら認めているようなものだ。
しかも、しかも、
トマホークの発射ボタンを押す人はいない、となれば・・・
なんなんだ。
どういうことなんだ。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
そう言って、爆買いしたトマホークは、標的に定めた敵基地に着弾するまで20分もかかると言う。
遊びじゃないなら、少しは、真面目に考えろや!。
大丈夫か?ニッポン。アチャチャチャ〜。
「だみだ、こりゃ。」
こんなものは、政治とは言わない。単なる「〇〇」
そもそもそんなことは不可能なんだから。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/193.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/317514/2
「皆さまのNHK」が「俺さまのNHK」になって久しいが、ここまで増長するか・・・という記事。
記事のよれば、
「4月から正当な理由もなく期限内に受信契約に応じない人に対し、NHKが「割増金」を課す制度を導入することになった。NHKは昨年12月に規約変更を申請し、総務省が今月18日付で認めた。」
そうだ。
「・・・耳をそろえて納めなければ3倍の「罰金」を払えーー。NHKの「N」は、いつから「ナニワ金融道」の頭文字になったのか。案の定、SNSは《まるで脅迫だよね。これが公共放送のやり方なの?》《それほど困っていないだろNHK》などと大荒れだ。・・・」
「・・・NHKは明らかに儲けすぎだ。・・・」
「・・・21年度決算の受信料収入約6801億円に対し、民放トップの日本テレビの放送収入は約2460億円(広告スポット+タイム)。テレビ朝日約1790億円、フジテレビ約1720億円、TBS約1660億円、テレビ東京約770億円と続く。・・・」
「元NHK政治部記者の川崎泰資氏が言う。
「今のNHKは受信料に見合うだけの番組を作っていますか。特に報道は政権側に忖度した姿勢が目立ち、罰金制度に世間が反発するのは当然。内部にいた人間からすると、とんでもない話です」・・・」
以上が記事の抜粋。
読んでいて腹が立つ。
外部にいる人間からすると、あり得ない話だ。
今でも、内部の人間は、「俺さまのNHK」になっていることに気が付かないのだろうか。
気が付かない筈はない。
にも拘らず、内部には、「あっ!、王様は裸だよ!」という人間がいない。
職員全員が、お仲間ということになろうか。
今の時代、「公共放送」が存在する意味はなく、時代錯誤な組織であり、「既得利権」の塊になってしまっている。
言ってみれば、国民に負担を強いる、・・・「お荷物」。
粗大ごみとして、処分が妥当だろう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/194.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/317464
今回の寄稿は、猿田佐世(新外交イニシアティブ(ND)代表)氏のものだ。
結構長いので、全体の文脈は、上記URLに飛んで、記事本文で確認されたい。
ここでは、各段落ごとにポイントを抜粋していきたい。
猿田氏は言う。
「・・・年末に閣議決定された安保3文書改定で、日本の敵基地攻撃能力の保有や年間防衛予算を5年後には従来の2倍とすることが決定されたが、これらに対し米国から強い歓迎の声が上がった。」
そのことを、「当然である。」と。
そう言う理由を次に述べている。
「力を落とす米国は、バイデン大統領の就任時から・・・統合抑止、すなわち、同盟国にも軍事力の強化を促し、米国の抑止に組み込む政策を打ち出している。」
「今回の日本の3文書改定は、日本の軍事力を増強し、自衛隊と米軍の一体化を急速に推し進めるものである。・・・米国が大歓迎しないはずはない。」
そうして、猿田氏は、我々に警鐘を鳴らす。
「忘れてはならないのは、日本1カ国では中国とも北朝鮮とも戦争になる理由も可能性もないということである。日本が戦争に巻き込まれるとすれば、唯一、米国の戦略の一部を担うが故に台湾有事に巻き込まれた場合のみである。・・・米軍は在日米軍基地から出撃し、反撃を受ければ民間人にも多くの死傷者が出るだろう。・・・」
猿田氏は続ける。
「米国と日本では地政学的位置も中国との関係も大きく異なることを理解しなければならない。・・・米国の世論調査において台湾防衛のための派兵を支持する人は40%と半分にも満たない。米軍の補完として自衛隊が台湾に派兵されながら、米軍は介入せず、という可能性すらありうるのである。」
「国の安保政策の最大の目的は、戦禍から国民を守ること、すなわち、戦争回避でなければならない。外交は一見「かったるい」ように見えるだろう。
しかし、日本の軍拡は相手のさらなる軍拡を招く。戦争を防ぐためには、相手が「戦争してでも守るべき利益」を脅かさないことによって戦争の動機をなくす「安心供与」が不可欠であり、そのためには外交が欠かせない。・・・」
と。
最後に
「対米外交のカギは、米軍基地使用についての事前協議だろう。・・・」
とまとめている。
以上が記事の抜粋になるのだが・・・。
「・・・米軍の補完として自衛隊が台湾に派兵されながら、米軍は介入せず、という可能性すらありうるのである。・・・」
というくだりは、まさに、当然の疑念であり、不安だろう。
我々は、日本有事の際には、アメリカが日本に対して「防衛「義務」を持つ」などという、誤った認識は捨て去るべきではないのか。
そんなものは現実の世界では起こり得ない「幻想」というものだ。
私も何度か「日米安全保障条約第5条」を取り上げたが、そこには、「対日防衛義務」などは、一切書かれていない。
「協力して、共通の危険に対処しましょう。」と書かれているに過ぎない。
参考に、「日米安全保障条約第5条」を下記に転載しておく。
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
猿田氏が言うところの、
「・・・日本の軍拡は相手のさらなる軍拡を招く。戦争を防ぐためには、相手が「戦争してでも守るべき利益」を脅かさないことによって戦争の動機をなくす「安心供与」が不可欠であり、そのためには外交が欠かせない。・・・」
このことは、日本が外交に不断の努力を続けなければならない所以だ。
そして、言葉は違えども、この考え方が、日本国憲法、憲法9条の理念であり、日本国憲法が教える「専守防衛」の理念と言うことができる。
猿田氏が最後に言う、
「対米外交のカギは、米軍基地使用についての事前協議だろう。・・・」
という言葉に対しては、一部反論しなければならない。
在日米軍が極東の安全保障を任務としている以上、在日米軍の存在は、の本国憲法9条に違反する、と認識しなければならない。
従って、在日米軍の廃止を主張するのが筋ではないか。
在日米軍が極東の安全保障を任務としている以上、事前協議などは、有名無実であり、国民のガス抜きのための虚言に過ぎない。
虚言と言えないなら、虚しい口約束でも言おうか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/195.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317530
「夜郎自大」という熟語を、この令和の時代に目にするとは思わなんだ。
今や情報処理が追い付かないほど、人間社会には情報が溢れ、また、その気になれば、情報を入手する手段にも事欠かない。
私も早速調べてみた。
「夜郎自大」
この記事の内容に相応しい解説を見付けた。
「実際に自分の価値や力量の小ささを知らず、勘違いしていしまっていることを指しています。」
これだわ。
そんな記事ではあるが、抜粋を以下に示す。
記事は次の文章から始まる。
「岸田文雄の欧米5カ国歴訪が示したものは、わが国が悲惨でぶざまで奴隷根性丸出しの属国であることだった。・・・」
宗主国アメリカで行われた猿芝居に声援を送る連中も登場。自民党の佐藤正久はテレビ番組で・・・(米政府は)岸田首相はここまでやるのかと非常に歓迎している」と発言。
また、同番組で橋下徹は「経済と安全保障を分けて考えて、安全保障面では米国と心中する気持ちがなければ、米国も心中してくれないのではないか。・・・」と発言。
アホにも限度がある。なぜ日本がアメリカと心中しなければならないのか。アメリカだって日本と心中する気はさらさらないだろう。当たり前の話だ。
「決断力がない」と言われ続けてきた岸田が敵基地攻撃能力保有や防衛費増額をフルスロットルで決めた理由は、単にアメリカの要求だからである。・・・
・・・「決心させられた」だけ。武器購入などの「お土産」をもらったバイデンは、卑屈な笑顔をつくる岸田の肩に手を置いた。茶番もいいところだ。・・・
・・・岸田は「国際社会を主導していく責任の重さと日本に対する期待の大きさを改めて強く感じる歴訪となった」とも発言。国際社会を主導? 何を高揚しているのかはわからないが、夜郎自大とはこのこと。
しまいには「私の大切な友人のジョー」「ジョーの協力に感謝を申し上げたい」だって。・・・」
抜粋は以上だが・・・。
どう?「夜郎自大」
「実際に自分の価値や力量の小ささを知らず、勘違いしていしまっていることを指しています。」
そのまんま・・・だわ。
しまいには、「あたしのジョー❤」だと・・・。うっ。
腐っても、日本の総理大臣なら、もっと、すること、言うことがあるのではないか。
何時から、バカの好き勝手が許される、この野郎の時代になったんだ。
「バカ野郎の事大主義」を世界に晒してきただけじゃないか。
調べる手間を省くために、以下 ウィキペディアから転載。
事大主義とは、明確な信念がなく、強いものや風潮に迎合することにより、自己実現を目指す行動様式である。 事大とは、大に事えること、つまり、強い勢力に付き従うことを意味し、その語源は『孟子』の「以小事大」の一節にある。 ウィキペディア
そのまんま・・・だわ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/197.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/317578
岸田首相がブチ上げた「異次元の少子化対策」の目玉は、児童手当の拡充なの?。
蓋を開けてみれば、「やっぱり看板倒れ」という「オチ」。
しかし、笑えない話には、違いない。
しかも、具体策は統一地方選の後になる・・・。んだと。
そんな記事が載っていた。
記事によれば、
「・・・児童手当は現在、中学生までの子ども1人当たり月1万〜1万5000円。政府は今後、増額や所得制限の見直しを検討する方針だが、肝心の財源論は4月の統一地方選後に先送りした。・・・
人口問題に詳しい日本総研上席主任研究員の藤波匠氏がこう指摘する。
「支援拡充などの方向性は良いと思いますが、それと並行して若い世代の経済状況も改善する必要があります。40代の大卒社員の実質年収は、10歳上の世代に比べて今は約150万円少ない。・・・」
少子化は、「合計特殊出生率が約2.1を下回る状態」と定義されている。・・・
・・・世界の中でも超少子化社会の日本なら、なおさら諸外国以上に大胆な政策が求められる。
「・・・少子化対策は思い切った取り組みを打ち出して終わりではなく、持続性も求められるのです」(藤波匠氏)
記事の内容は、ざっと以上のような感じだ。・・・
・・・・・・・・
岸田首相がブチ上げた「異次元の少子化対策」は少子化対策の体をなしていると言えるだろうか。
少子化を止め、「合計特殊出生率が約2.1を上回る状態」にするということを目指した対策になっているだろうか。
少なくとも、今の日本は、「子供を育てずらい」社会になってしまっている。
派遣労働の緩和により、非正規労働という不安定な状態で低賃金労働を強いられている人が労働人口の4割を占めるまでに膨れ上がってしまった。
結婚しても、経済的な余裕が無いから、必然的に共働きにならざるを得ない。
子供は多くほしいと願う気持ちはあっても、経済的にそれをは許さない状況にあるのが現実ではないか。
さらには、核家族化が極端に進み、幼子の世話を、じじ、ばばに頼るという期待すら持てない。
これらの問題は、すべてが構造的な問題であり、政治が見落としてきたために生じていると言える。
一朝一夕に起こった問題ではないがゆえに、「子供手当」といった対処療法では解決は出来ない。
結婚したいと願う誰もが、家庭を築き、望むだけの大勢の子供に囲まれて暮らしていける、やっていけるという「安心感」が、若者の間に生まれなければ、この問題は解決しない。
長い時間をかけて、日本はこうなってしまった。
従って、長い時間をかけて。この問題を解決するしかない。
根本の問題は分っている。
非正規労働という、生活の「不安定」さ、低賃金という経済的「不安定」さ。
要するに、現在の経済的余裕の無さ、と将来の生活に対する不安。
大都市一極集中型の経済圏、生活圏の偏りによる、核家族化の行き過ぎ。
これらは、問題と指摘されて久しい。
それでも、なんの対策も打たれていないというのは、自民党の政策の目指すところとは相反するものだったからに他ならない。
従って、自民党には、この問題を解決できない。
そうして、日本は衰退してきたし、これからも衰退していくことだろう。
この問題を解決するには、社会のあり様を変える「ビジョン」を持った、「政策の大転換」を必要とする。
それを求めるなら、「政権交代」しかない、という結論に至るのは、ある意味必然ではないだろうか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/198.html
https://www.chunichi.co.jp/article/621878?rct=politics
相変わらず記事は短い。
引用したら、結局全文でした〜。
「 政府は、防衛力の抜本的強化を柱とする新たな国家安全保障戦略を実施に移すため、世論説得に乗り出す。安保戦略では、中国の対外姿勢を「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と表現し、国防への「決意」を国民に求めた。野党は、挙国一致の下で戦争に突き進んだ歴史から「反省を忘れてはならない」(立憲民主党の泉健太代表)と懸念を強める。23日召集の通常国会で論戦の焦点の一つになりそうだ。
昨年12月に閣議決定された安保戦略は、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を盛り込み「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」と明記した。」
・・・・・
自衛隊の世論工作班に命令が下された。
と言ったところか。
「・・・国防への「決意」を国民に求めた。・・・」
とあるが、何のことはない
「進め一億火の玉だ」
の焼き直し。
「・・・「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」と明記した。」
国家の衰退は、バカな大将を放置することから始まる。
国家を滅ぼす「戦争」への足音が聞こえる。
それは軍靴の足音。
そして、軍歌という名のスローガン。
「進め一億火の玉だ」
大政翼賛の悪夢を再び見ることになるのか。
それは、あなた次第。私達国民次第。
私達の行動が、将来、私たちの、子供、孫たちを、戦場に送り、死なせる、そんな「戦争をする日本」を残すのか、あるいは「平和な日本」を引き継ぐことが出来るのかを決める。
平和を願う国民の力の発揮は、私たちの決意から始まる。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/199.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230123-OYT1T50008/
「台湾有事へ連携強化カギ」と題して、読売新聞が「日米の役割分担見直し」を報じた。
記事の内容を抜粋する前に、台湾有事へ日米が連携強化するという、その根拠を確認するために、「日米安保条約」を改めて確認しておきたい。
以下、日米安保条約の抜粋。
第一条(平和の維持のための努力)
1 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武器の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
第三条(自衛力の維持発展)
締約国は、個別的に及び相互に協力して、持続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
第五条(共同防衛)
1 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
第六条(基地の許与)
1 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
日米安保条約の抜粋は以上として、次に記事の抜粋を以下に記す。
「日米両政府は、日本の国家安全保障戦略など3文書の改定を踏まえ、役割分担の見直しや統合的な抑止力の整備に向け協議を加速する構えだ。米国が当面、日本に地上発射型中距離ミサイルを配備しない方針を固めたことで、日本の「反撃能力」保有は対中抑止の重要な役割を担うことになり、日米による統合能力の強化が抑止力向上のカギを握る。
これまでは、米軍が攻撃の「矛」、自衛隊が防御の「盾」という役割分担が想定されてきた。3文書改定で日本が反撃能力を導入したことを踏まえ、日本が「矛」の役割を一部担えるようになる。・・・
・・・日米首脳会談では、反撃能力保有を踏まえた同盟の「現代化」で合意した。
・・・同盟国との連携強化を通じて抑止力を高める「統合抑止」を掲げる米国としては好都合といえる。
・・・敵のミサイル発射拠点などの目標特定には、情報収集システムの構築が必要となる。日本側の衛星や無人機などの能力には限界があり、米軍による円滑な支援は欠かせず、・・・
・・・米軍が日本列島からフィリピンにつながる「第1列島線」上への中距離ミサイルの配備を目指すのは、台湾有事が現実味を帯びる中、ミサイル能力を強化している中国軍に対抗するためだ。・・・
・・・米軍が第1列島線の内側に入れなければ、中国軍はこの地域で優位に立つ。こうした事態を防ぐ役割を担うのが、日米のミサイルだ。・・・」
記事の抜粋は以上だ・・・が、
・・・・・
最初に理解しておかなければならないのは、記事で書いているような、
「米軍が攻撃の「矛」、自衛隊が防御の「盾」という役割分担」
そんなものは、今までも、これからも、「無い」ということだ。
そのことは、無意識だろうが、記事にも書かれている。
「米軍が攻撃の「矛」、自衛隊が防御の「盾」という担役割分担が想定されてきた。」
と。
日本側が勝手に「想定していた」だけに過ぎない。
誤解が無いように、「想定」の意味を確認しておこう。
想定とは、「こういう情況・条件だったらと、仮に考えてみること。」だ。
何のことはない、仮定の話でした〜。ってこと?
米国側にとって、「日米安保条約」の存在意義は、「第六条(基地の許与)」にある。
この6条こそが、片務の極みであり、不平等条約といってもいい。
しかも、憲法9条に違反している。
さらに、その米軍のために、「思いやり予算」という名の、「みかじめ料」まで支払うという、ヘタレ。
その事実を国民の眼から隠し、国民を欺くための方便が、
すなわち、
「米軍が攻撃の「矛」、自衛隊が防御の「盾」という担役割分担
そして、
米国は、日本の防衛義務を負っている
といったような言葉。
そのことが、誤った認識を国民に植え付けてきた。
犯罪的と言えるのではないか。
記事でも言うように、
「・・・米国が当面、日本に地上発射型中距離ミサイルを配備しない方針を固めたこと・・・」
も、日本に肩代わりを約束させたからに他ならない。
どこまで、むしり取られたら気が付くのか、気が済むのか。
このことは、次のことを暗示している。
日本の敵基地攻撃能力(反撃能力)の標的と、
米軍が、日本に配備しようとしていた地上発射型中距離ミサイルの標的は、
同じだということだ。
そして、記事が言う。
「・・・米軍が日本列島からフィリピンにつながる「第1列島線」上への中距離ミサイルの配備を目指すのは、台湾有事が現実味を帯びる中、ミサイル能力を強化している中国軍に対抗するためだ。・・・」
と。
「日米安保条約」第五条(共同防衛)では、
1 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、・・・
とあるように、想定する有事は、あくまでも、「日本国の施政の下にある領域」における有事を対象にしている。
だから「日本の有事」への対応とされているのが、「日米安保条約」の筈だが、・・・。
いつの間にか、「極東の有事」「台湾の有事」への対応となっている。
(蛇足だが、先日は宇宙空間の有事も「日米安保条約」の対象に「なり得る」と曖昧な表現ながら言っていたニュースに触れたが、そのうち地球の有事は日本の有事になりそうで、怖いわ。)
「・・・米軍が第1列島線の内側に入れなければ、中国軍はこの地域で優位に立つ。こうした事態を防ぐ役割を担うのが、日米のミサイルだ。・・・」
このくだりは、政府、自民党の本音でもあるのだろうが、・・・
今の日本政府のやっている、そのことは、専守防衛を逸脱している。
日本国憲法9条に明確に違反している。
もう一つ、看過できないことを、読売新聞は書いている。
「・・・敵のミサイル発射拠点などの目標特定には、情報収集システムの構築が必要となる。日本側の衛星や無人機などの能力には限界があり、米軍による円滑な支援は欠かせず、・・・」
と。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
そういう日本は、「相手が攻撃に着手した・・・」かどうかを判断する能力も無いし、敵のミサイル発射拠点などの目標特定も、満足にはできないんだと。
それで、
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
よく言えるわ。
何も考えず、何も分からず、何も判断できないから言える・・・としか言えない。
記事が言う、
「・・・米軍による円滑な支援は欠かせず、・・・」
もしかして、米軍なら分かるんけ?
日本は、米軍から「相手が攻撃に着手した・・・」と教えられたら、トマホークの発射ボタンを押すの?、
誰が〜?。
「台湾有事」が起ころうとも、「台湾」は日本の施政の下に非ず。
改めて言うまでもなく、日本の警察権は及ばない、及ぼせない。
日本の政府は、そんなこともわからんか。
同盟の「現代化」?・・・もう意味わからん。
頭がクラクラしてきて、訳わからん。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/204.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/317618
記事によれば、
「まず人は代わる。人事をしっかり決定した上で、国会に提示する」
4月に任期満了を迎える日銀・黒田総裁の後任人事について、岸田首相が22日のBS番組でこう発言。
したとある。
既に既定路線とは言え、日銀・黒田総裁に引導が渡された瞬間だ。
同時に、悪名高き「アベノミクス」は、ようやく終焉を迎えることになり、日本の歴史に、また一つ「失われた10年」「消せない10年」の墓標を立てることになる。
以下記事の抜粋を示す。
「・・・岸田首相は、約10年間も大規模緩和を続け、アベノミクスを支えてきた黒田氏を切り、政策転換を狙っているのは間違いない。・・・
・・・「候補に浮上しているのは、雨宮正佳副総裁、中曽宏前副総裁、山口広秀元副総裁の3人。誰が就いても『脱アベノミクス』にカジを切ることになるでしょう。・・・
・・・この状況にピリピリしているのが、自民党内最大派閥の安倍派(97人)だ。安倍元首相シンパだから、脱アベノミクスだけは許せないようで、文句をたれまくっているという。・・・
・・・安倍元首相亡き後、派閥は衆目の一致する会長候補が不在で、空中分解の可能性がささやかれてきた。日銀人事が“派内抗争”の引き金になるかもしれない。 」
以上が記事の抜粋になるが、あまり中身は濃くはない。
いずれにしても、日銀・黒田総裁の退任と同時に、「アベノミクス」も「愚策」の評価を冠して終わり、「アベノミクス」を囃してきた、安倍派の議員も、電波芸人も、自称リフレ派経済学者も、「無能」との罵声を背に、その居場所を失うことになる。
このような状況で、いつも思い浮かぶのが、平家物語の冒頭の一節。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
ひとへに風の前の塵に同じ
そして、必ずやらなければならないのが、「アベノミクス」の「総括」だろう。
その実体は「異次元緩和」と囃した、「円」の増刷。
国民の老後の支えであるべき年金にまで手を突っ込み、株価を粉飾し、金融市場をただの鉄火場に変えてしまった。
同時に、円の価値を棄損し、日本の富が海外のハイエナどもに吸い取られていった。
そんな10年を、国民は塗炭の苦しみのうちに過ごし、国力も大きく損耗して、現在がある。
日銀・黒田総裁のやってきたことは、ちょこまかした愚策を、あれこれ小出しにして、やってる感だけを演出した、「クロダノ ミックス」と形容できよう。
こんな歴史的「愚策」を10年も続けながら、何の反省もなく、次に進むことなど出来るわけがない。
結果だけを見れば、「犯罪的」と言える。
犯人捜しには、あまり時間はかからない。
未だに、言い訳じみたことしか言わないが、・・・
間違いなく、そいつは「クロ」だ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/205.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230123-OYT1T50158/
短い記事ではあるが、腹が立つ案件だ。
記事によれば、
「衆院議院運営委員会は23日の理事会で、与野党6党の代表者が自民党出身の細田衆院議長と24日に衆院議長公邸で面会し、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)との接点について説明を受けることを決めた。・・・」
そうだ。
「面会は冒頭部分のみを記者団に公開し、その後は非公開とする。」
などと、平常心でよく記事が書けるものだ。
怒りで、手が震えなければ「嘘」だろ。
「面会では質疑は行うものの、議事録は残さない非公式の「懇談形式」に位置づけた。」
何なんだ・・・「懇談形式」?
この案件、到底「茶飲み話で終わらせてね」とはいくまいよ。
「細田氏の記者会見も行われない見通しだ。野党は細田氏に記者会見など公開の場でも説明するよう求め、与野党間で調整が続いていた。」
この記事を書いた記者は、どうかしてるんじゃないの?
国権の最高意思決定機関のトップ、衆議院議長の記者会見を、どうして与野党で調整しなくてはならないのか?
そして、結果は、記者会見無しって・・・。
相手は、国権の最高意思決定機関のトップ、衆議院議長といえば、どこから見ても「公人」ではないか。
その「公人」に対して、記者会見を求め、その内容を国民に公にするのは、ジャーナリストの基本の務めではないのか。
記者の名刺を携えているなら、夜討ち朝駆けで、記者会見を求めるべきではないのか。
一記者、一新聞社では圧力が足りないなら、記者クラブの名において要求する方法もあるだろう。
国会議員は、国会で疑義を糺し、
記者は、取材や記者会見で、疑義を糺す。
国会議員は、国会議員の仕事をし、
記者は記者の仕事をしないと・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/206.html
https://www.asahi.com/articles/ASR1S54C5R1SUTFK009.html
朝日新聞デジタルは有料記事だったので、途中までの引用。
他の社の記事を寄せ集めても、何にも分からない。
結局は、細田衆院議長との「懇談」は懇親会で終わったようなものだ。
そんな様子が、記事の行間から読み取ることが出来る。
以下、記事を転載する。(朝日新聞と、FNN 以外は、記事も短いので全文を掲載。)
記事の中身の無さが、「懇談」の無意味さを際立たせているとも言える。
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASR1S54C5R1SUTFK009.html
教団との関係、説明避け続ける細田氏 公開の場で説明責任を果たせ
細田博之衆院議長は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係をめぐる再説明で、安倍晋三元首相と教団が昔から関係が深かったと証言した。しかし、具体的な関係性ははっきりしない。密室ではなく、記者会見など公開の場で堂々と説明しなければ、実態解明にはつながらない。
安倍元首相と旧統一教会は「大昔から関係が深い」 細田氏が認識示す
細田氏は、教団との関係の深さが指摘される自民党最大派閥の清和政策研究会(安倍派)の元会長。教団と自民党との関係を知りうる立場だ。この日、一定の説明をしたが、十分とはいえない。安倍氏と教団の関係も改めて問われることになる。・・・
読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230124-OYT1T50167/
細田衆院議長、派閥会長時代に旧統一教会票の差配「一切ない」…与野党6党代表者に説明
自民党出身の細田衆院議長は24日午後、与野党6党の代表者と衆院議長公邸で面会し、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)との接点について説明した。自民党の派閥会長時代に国政選挙で旧統一教会の票を差配していたかどうか問われ、「一切ない」と否定した。
面会は冒頭部分のみ公開され、質疑は非公開で行われた。
中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/623477?rct=politics
細田衆院議長、教団票差配を否定 野党、説明不透明と批判
細田博之衆院議長は24日、衆院議院運営委員会の与野党代表者らと議長公邸で会い、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との接点について説明した。自民党安倍派の前身である細田派の会長当時、国政選で教団の組織票を差配したかとの質問に「思い当たる事実はない」と否定。非公開での説明としたことに関し、今後も記者会見はしない考えを示した。出席者が明らかにした。立憲民主党の泉健太代表は党会合で「不透明の域を出ない。なぜ公の場で説明しないのか」と批判した。
細田氏は教団との関わりについて、公の場での説明を拒んでいる。与党は今回で幕引きを図る考え。
FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/articles/-/475643
【疑惑】旧統一教会と「やましい付き合いない」細田議長“ほぼ非公開”で説明終了…一部野党は「公の場で」の要求継続へ
以下抜粋・・・。
こうした中で、ようやく設けられたのが、今日の説明機会。細田議長は、与野党の代表者に対し約1時間、自ら説明した。
2019年の会議で安倍首相(当時)の名前をあげたことについては、こう話したという。
自民党・盛山議員:
「リップサービスでそういうふうに言った」と。それで「その後(安倍元首相に)報告はしていない』という発言があった。「やましいような付き合いではなかった」と。
また、「なぜ自分の言葉で語ってこなかったのか」と問われた際の答えはこうだった。
日本維新の会・中司議員:
「議長として公平中立を旨としてやっているのだから、そういうことに答えるのは、適当ではない、疑問があるんだ」というようなことをおっしゃっておりました。
立憲民主党の泉代表は、“非公開の場での説明”を批判した。
立憲民主党・泉代表:
結局不透明なものの域を出ないという状況でありまして、なぜ議長が公の場でしっかり説明をしないのか。
一部の野党は引き続き、記者会見など公の場での説明を求めていく方針だ。
・・・・・
以上が、報道機関の記事を集めたものだが・・・
報道機関の記事を集めても、何も分からない。
分かるような説明が無かったのだろう。
記事投稿者としてのコメントもしようがない。
衆議院議長をやっているから、答えられないというのであれば、衆議院議長を辞して、その上で洗いざらい告白すればいいだけのことではないか。
国民もそれを望んでいる。
「・・・一部の野党は引き続き、記者会見など公の場での説明を求めていく方針だ。」
説明を求めない「一部の野党」とは、何党だ?
そもそも、記者会見を要求すべきは、ジャーナリズムを標榜している、新聞社であり、、報道機関ではないか。
記者クラブ根性が染みついてはいないか?
こんな衆議院議長の下で、まともな国会審議など出来るはずもないではないか。
壮大な、税金の無駄遣いというものだ。
ことここに至っては、
野党は、すべての国会審議を拒否し、細田氏の辞任を要求すべきではないのか。
大多数の国民は、支持し、応援すると思うが。
ここで、尻すぼみになることの方が、僅かに残っている国民の信頼をも失うことになる。
そんな気がする。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/208.html
27. 達人が世直し[1906] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年1月25日 16:59:31 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1147]
">>>7 氏
>>10 氏
スレ主です。
私も、>1のコメントは見ていません。
私は、コメントを初期非表示にしたり、削除したりしていません。
したこともありません。
というか、出来ないのです。
HNは「達人」となっていますが、スレ建てに関しては「新人」なのです。
私は、ジャップランド中川隆という「古い人」を存じ上げません。
どんな「古人」なのですか。
>>16 氏
私は「モサド」ではありません。
私は私です。「ぼさっと」はしてるかも。
どうせなら・・・もう少し「可愛い」のがいい。
欲を言わせてもらえば、・・・
https://mainichi.jp/articles/20230125/k00/00m/010/127000c
少しずつではあるが、此度の「懇談」で細田氏が口にした言葉が活字になって、国民の前に披瀝されつつある。
しかし、結局は、内容は断片的であり、尚且つ「・・・と言っていた」の域を出るものではない。
聞かされ、読まされる国民にとっては、なんとももどかしく、じれったい。
今のままでは、この問題は終わらないし、終わらせない。
立憲・安住氏の決意表明といった内容の記事。
期待したい。
以下記事の抜粋。
「立憲民主党の安住淳国対委員長は25日、細田博之衆院議長が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍晋三元首相は「大昔から関係が深い」との認識を示したことに関し、安倍氏や祖父の岸信介元首相と、旧統一教会との関係を調べる必要があると強調した。・・・
細田氏は24日に与野党の代表者と非公開で面会し、改めて自身と教団との関係を説明した。その中で、教団の組織票の差配などを否定する一方、「安倍(元)首相は大昔から関係が深い。こちらは最近だから。(安倍氏と教団の関係について)長い間に実感していたが、誰から聞いたということではない」などと言及していた。・・・
安住氏は細田氏の説明を受け、「大昔から深い関係だったというのは、具体的にどういうことなのか。細田議長の知っている範囲で教えていただかないといけない。安倍元首相と教団の関係を次はぜひ聞かせていただきたい」と述べた。・・・
安住氏は「記者の質問に答えなければこの問題は終わらない」として記者会見での説明も求めた。
以上が記事の抜粋だが・・・
読んでいても、やはり良く分からない。
肝心なところは、何も語られていないのだろう。
安住氏は上手いことを言う。
「・・・安倍元首相と教団の関係を「次は」ぜひ聞かせていただきたい」
と。
さすがは、元NHK。記者に代わって「記者会見」を要求している。
取材した記者は、そこんところ、「気が付かないかな〜。」
記者の仕事は、「細田氏は何と言ってましたか?」と国会議員に尋ねるのではなく、自らセットした記者会見の場で、国民に成り代わって、細田氏に直接質問をぶつけることではないのか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/211.html
https://mainichi.jp/articles/20230126/k00/00m/010/077000c
記事の全文は短い。
上記URLに飛んで確認願いたい。
記事は、
「総理は絶対に戦争はしないという決意と確信はあるか。・・・」
という質問から始まる。
記事によれば、
「26日の参院本会議で立憲民主党の水岡俊一参院議員会長は、岸田文雄首相のかつての「政治の師」である古賀誠・元自民党幹事長がインタビューで語った「敵基地攻撃能力を持てば、完全に専守防衛を逸脱してしまうのではないか」との言葉を引用しつつ、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを決めた首相にただした。」
とある。
それに対する岸田首相の答えは、以下のようだったらしい。
「首相は水岡氏に対し、「私が戦争やむなしと考えていることはありません」と色をなして反論。「安保関連3文書に基づく取り組みは、平和国家としての歩みを維持することが前提だ。反撃能力は、必要最小限度の自衛の措置であり、専守防衛から逸脱するものではない」と述べたが、・・・」
・・・・・
この記事の核心は、
「・・・反撃能力は、必要最小限度の自衛の措置であり、専守防衛から逸脱するものではない・・・」
という言葉にある。
本当にそうか?
この言葉を正確に理解するために、最初に、「反撃能力」という言葉を元に戻すのが良いだろう。
過去に日経新聞が、ある記事の中で解説していた記述を引用し、私の「主観」ではないことを担保しておきたい。
「▼反撃能力 :相手のミサイル発射拠点などをたたく能力を指す。政府は相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する。「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもの」
「反撃能力」を「敵基地攻撃能力」と、元の言葉に戻して、岸田首相の言葉を書き直してみよう。
「・・・敵基地攻撃能力は、必要最小限度の自衛の措置であり、専守防衛から逸脱するものではない・・・」
さらに解説にある言葉を付け加えると、
「・・・日本政府が、相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する敵基地攻撃能力は、必要最小限度の自衛の措置であり、専守防衛から逸脱するものではない・・・」
となるが、
こう書けば、専守防衛から逸脱しているのは明らかだろう。
岸田首相は、唯一「自衛の措置」であることをもって、「専守防衛から逸脱するものではない」・・・と言っているに過ぎない。
しかし、「自衛の措置」とは言うものの、そのこと自体が岸田首相の「主観」に過ぎなく、近隣諸国からすれば、何ら意味を持たない。
過去の侵略戦争も、「自衛」という口実のもとで正当化し、実行されてきたことは、歴史が証明している。
旧日本軍においても、例えば、
盧溝橋事件
1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争の始まりとなった事件。
日本軍への発砲をきっかけに交戦状態となったが、誰が発砲したかについては現在も定説はない。
日本政府(近衛文麿内閣)および軍中枢は「自衛権の発動を口実」に陸海軍を増派、
事実上の戦争となったが、宣戦布告は行わず、当初は北支事変と称し、戦闘が上海に拡大した後の9月に支那事変と命名した。
(世界史の窓より抜粋)
過去のすべての侵略戦争が、「自衛」を口実に行われてきたと言っても過言ではない。
「専守防衛」という言葉に使われている「防衛」は、「侵略」の対極にある行動形態をあらわしており、客観的な言葉として使われている。
すなわち、「侵略」と「防衛」とは次のような関係にある。
軍事学において戦争はその作戦戦略の差異を主体別に見て、「侵略」と「防衛」の「二つの作用が衝突して」発生するものであると考えられる。
侵略には法的な定義も存在するが、軍事的な定義としては外敵または内敵によって「能動的」に軍事力が先制行使され、侵入、攻撃などの攻勢の作戦行動が実行されることであるとされる。
一方で防衛は狭義には、侵略に反応して、これを排除するために「受動的」に軍事力が使用され、防御や後退などの防勢の作戦行動が実行されることであり、広義には抑止活動をも含む。
「敵基地攻撃能力」は、まさに「能動的」に実行する、攻勢の作戦行動であり、受動的にする、防勢の作戦行動のなかでの軍事力の行使とは、相容れない。
明らかに、「専守防衛の理念」に反する。
「敵基地攻撃能力」の保有、トマホークの保有がそれにあたり、抑止力論で言えば「懲罰的抑止力」ということになる。
そして、そのことは、保有すること自体が、既に憲法9条に違反する。
適菜氏が先日言っていた、
「敵基地攻撃能力を「反撃能力」とごまかし、軍拡のための増税を行うことが「国難」なのだ。」
安保関連3文書に基づく取り組みは、平和を希求するどころか、
日本を
「戦争をする国にする」
ということだ。
岸田首相は、果たして、そういう「自覚」はあるのだろうか。
有るとすれば、恐ろしい。
無いとすれば、もっと恐ろしい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/217.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317931
「悪いのはロシア」・・・しかして、森喜朗元首相の発言は「狂気の沙汰」である。という記事。
(スレが荒れそうな予感・・・)
記事は以下の文章から始まっている。
(文脈の理解を誤らないために、上記URLに飛んで、記事を直接確認願いたい。)
「森喜朗元首相の発言が、また物議を醸している。・・・」
以下、記事の抜粋を記す。
「・・・ いわく、「(日本は)こんなにウクライナに力を入れてしまってよいのか。ロシアが負けることはまず考えられない」「ロシアのプーチン大統領だけが批判され、(ウクライナの)ゼレンスキー大統領は何も叱られないのはどういうことか。ゼレンスキーは多くのウクライナ人たちを苦しめている」。・・・
・・・しかし、今の問題は、「国際法に違反してウクライナに攻め込んできたロシア軍をウクライナ軍が国境まで押し返すことはあり得る」し、そうしなければ自由で民主的な国家が専制国家に征服される悪しき先例を許してしまう。・・・
・・・つまり、「ロシアが負ける」の意味であるが、それが、「ロシアが侵略に失敗する」という意味でなら、現に状況はそれに向かっているし、・・・
・・・また、「ゼレンスキーが多くのウクライナ人たちを苦しめている」という発言は、まさに「狂気の沙汰」である。国際法に違反して隣国に軍事侵攻してウクライナ国民に地獄の苦しみを与えているのはロシアのプーチン大統領である。これは世界周知の事実である。・・・
・・・重要な点は、だからといって軍事侵攻を始めてしまったらそれは国連憲章、不戦条約等の国際法に違反してしまう。だから、「ロシアが悪い」という前提は譲りようがない。
記事の抜粋は以上。
・・・・・
安全地帯に身を置いている者たちが、戦争の勝ち負けを論ずることほど、いかがわしいものはない。
戦争における「勝ち」とは何か、「負け」とは何か。
万民に等しく適用できる「定義」があるだろうか。
人は、戦争の勝ち負けを論ずるとき、自分の思い描く「勝ち」を語り、自分の頭の中の出来事としいて「負け」を語る。
少なくとも、その瞬間は、戦禍に苦しみ、命の危険にさらされて、戦場と化した街の中を逃げまどう、そういう人たちのことは、頭に浮かばない。
戦火の中を逃げまどう人たちにとっては、「死の恐怖」しかないのではないか。
家族の命を奪った「敵」に対する、消えることのない「恨み」しかないのではないか。
「勝ち負け」などは、およそ、サッカーのワールドカップの世界の話だろう。
戦争を勝ち負けで語るほど、馬鹿馬鹿しいことはない。
なぜなら、戦争は、敗者しか生まないからだ。
「ロシアは負けることはない」という森喜朗元首相の発言にしても、負けの定義には触れていない。
根拠も良く分からない。
ただ単に、ロシアという国は、無くなることはないと言っているのか。
そうだとしたら、ウクライナという国も無くなることは無いのだろう。
超大国アメリカはベトナム戦争で敗北した。
しかし、アメリカという超大国は今も存在している。
ベトナム戦争とは、一体何だったのか。
同様に、
「ウクライナ戦争とは一体何だったのか」
ということが問われる時代が必ず来る。
その時「ウクライナ戦争」は、どっちが勝ったのか、という問い掛けは、あまりに虚しい。
人類の科学、医学が進歩したとはいえ、命の原状回復の手段を人類は手にしていない。
これからも、手にすることは出来ないだろう。
だからこそ、「かけがえのない命」といわれる。
そんな「かけがえのない命」を、名も知らない、会ったこともない人間同士で奪い合っている。
それが「戦争」。
「狂気の沙汰」である。
狂気に、「勝つ」も、「負ける」もない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/219.html
18. 達人が世直し[1907] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年1月29日 21:05:01 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1148]
>>9 氏
氏の、このコメント投稿
>何言ってるのか 全く分からない!
>■この投稿
をしたスレ主です。
誤解があるようなので、コメントします。
この記事は、小林氏が、「コラム」の形で、御自身の見解を述べられているものです。
従って、日刊ゲンダイの記者の意見・見解が
ど〜こ〜述べている
部分はありません。
>投降者(と言われても・・・私は戦争に負けてはいません、私は戦争をしていません。私は戦争に反対しているのです・・・為念)自身は 小林・現代の言ってることの
>何それに 賛同とか反対とか・・・
>どれ一つとして
>読み取れない
と言うところを見ると、確かに読み取れていないのでしょう。
そうなってしまうのは、氏が、
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/317931
(文脈の理解を誤らないために、上記URLに飛んで、記事を直接確認願いたい。)
との記述を読み落としたか、無視したかで、結果的に、記事本文を読んでいないがためではないだろうか。
もし、記事の本文を読んでいれば、
>■この投稿・・・にある、
記事の抜粋は以上。
・・・・・
安全地帯に身を置いている者たちが、戦争の勝ち負けを論ずることほど、いかがわしいものはない。
という以降の記述が、私の意見であることは「読み取れた」・・
>・・・と私は思います!
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/219.html#c18
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/318018/2
ただただ不愉快になる、たんなるお騒がせ男の、そんな記事。
食事前には読まない方がいい。
以下記事の抜粋。
尾辻秀久参院議長(82)は30日、国会欠席を続けているNHK党のガーシー(本名・東谷義和)参院議員(51)に対し、出席を求める「招状」を発出した。・・・
・・・ガーシー氏が今後も欠席を続ければ、来週にも懲罰委に付託され、除名や一定期間の登院停止、公開議場での陳謝といった処分が検討される見通しだ。・・・
・・・「招状」発出の報道を受けたガーシー氏はこの日、SNSで、《不登校な子供に寄り添わず、形だけ出てこいとアピールする能力なしの先生らとかわらない》などと持論を展開。《また新しい歴史を刻んだ》、《悪名は無名に勝る》とも投稿していたが、この発信がさらなる反発を招く事態となっている。・・・
・・・ガーシー氏を巡っては、警視庁捜査2課が、動画投稿サイトで複数の著名人らを中傷、脅迫したとして、暴力行為法違反(常習的脅迫)や名誉毀損、威力業務妨害などの疑いで関係先を家宅捜索。・・・
・・・《海外にいながら、ネットなどを使って怪しい行為に手を染めているのではないか、なんて、フィリピンの入管施設に隠れて強盗を指示している人たちと根っこは同じでは》といった厳しい意見も出ている。
記事の抜粋は以上。
・・・・
怪しげな名前を聞くだけで不愉快になる。
放置しておけば、このまま何もせず、ただお騒がせ男を演じているだけで、6年で優に1億円を超える我らの血税が詐取されるわけだ。
まさに、国民を愚弄する行為ではないか。
国民に対する、背任であり、議員歳費を口実にした公金横領という犯罪と言えるだろう。
そんな奴が、既に、脅迫、中傷、名誉毀損、威力業務妨害などなど、パソコンの向こう側に引き籠りながらにして実行できる犯罪の限りを尽くしている、そんな状況ではないのか。
民主主義の脆さを改めて感じる。
その民主主義を体現する国会で進行中の犯罪・・・。
国会という組織で止められなければ、民主主義の崩壊につながるという危険を指摘しておかねばならない。
今となっては、むしろ、脅迫、中傷、名誉毀損、威力業務妨害などなど、そこらのチンピラ同様の犯罪を見逃さずに、逮捕収監、公訴し、国会議員の資格をはく奪することを考えた方が早いように思う。
こんなことを看過すれば、第2、第3と、必ず模倣犯が現れる。
ガーシーが既に模倣犯なのだろう。
お騒がせな、引き籠り男の、やりたい放題は、この辺で幕を引いてもらわないとね。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/220.html
chunichi.co.jp/article/627040?rct=politics
中日新聞の記事は短いので、どうやっても全文引用になってしまう。
ま〜、いっか〜。
以下は、記事の全文。
「岸田文雄首相は30日の衆院予算委員会で、集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。立憲民主党から想定しているかどうかを問われ「個別具体的な事案に即して考えなければいけない」と述べた。ただ、具体的な事例に関しては「細かく説明するのは手の内を明かすことになり、控えなければならない」と説明を拒否した。立民は反発を強めた。
首相は防衛費増額に伴う増税の開始前に衆院を解散する可能性に関し「解散時期は適切に判断する。増税の前に選挙がある可能性は理屈上、排除されない」と語った。」
以上が記事の全文。
短いが・・・。
しかしながら、内容は極めて重大なことに触れている。
少し時間を戻そう。
記事中に出てくる、耳慣れない、「存立危機事態」とは。
どんな事態のことを言っているのか。
岸田首相も、「具体例は説明せず」と記事にはあるが、実態は「説明できず」というのが正しいのだろう。
したり顔で説明をしようとしたら、たちまち矛盾が露呈し、集中砲火を浴びてしまうだろうからだ。
防衛白書の説明によれば、
「存立危機事態」とは、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
と書かれている。
要するに、「日本が直接、武力攻撃を受けた事態ではない」ということだけは分るが、それ以外のことは、何を言っているのか、よく分からない。
ちなみに、日本が直接武力攻撃を受けるような事態は、別に定義されている。
すなわち、
「武力攻撃事態」とは、わが国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は当該武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態。また、「武力攻撃予測事態」とは、武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態。両者を合わせて「武力攻撃事態等」と呼称。
「存立危機事態」に話を戻そう。
防衛白書の定義にある、
「わが国と密接な関係にある他国」とはどこの国を指しているのか。
「密接な関係」とは、どのような関係を言っているのか。
さらに、
「わが国の存立が脅かされ」とは、どういう状態を指しているのか。
「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」のはどういう事態を指しているのか。
「明白な危険がある」とは、どういう事態を言うのか。
こうして、切り出してみれば、全てが「曖昧」であり、その判断するところは「主観」に委ねるような、到底定義とは言えない、「無責任な定義」ではないか。
防衛省すら、まともな説明が出来ない。
それが、「存立危機事態」の正体であると言えるだろう。、
仮に、アメリカと中国が武力衝突したと仮定して、それを日本が「主観的」に「存立危機事態」と言い募り、宣戦布告なしに参戦したらどうなるか。
中国から見れば、明らかに日本側からの奇襲であり、先制攻撃でしかない。
自衛隊の武力行使三原則というものがあるらしい。
さぞかし、厳密に規制されているのだろうと、調べてみた。
「・・・防衛出動を命じられた自衛隊は「武力の行使」の三要件を満たす場合に限り武力の行使ができる。」とある。
自衛の措置としての武力の行使の新三要件
・我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
・これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
・必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
これなども、要するに、
日本の総理大臣が、あるいは、現地の指揮官が、自衛の名の下に、必要と判断すれば、必要なことは何でもやる。
と言っているに過ぎない。
「必要最小限度」という言葉も、なんの歯止めにもならない。
ただ虚しい響きしか残さない。
記事で言う、
「・・・集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、・・・」
とあるように、
「集団的自衛権行使」と言う以上、日米安保条約を念頭においた自衛隊への出動命令ということになる。
日米安保条約は、御承知の通り、
「日本国の施政の下にある領域おける」危険の対処を決めたものだ。
従って、仮に日本が集団的自衛権の行使を正当化し、武力行使を強行しようとしても、あくまでも、「日本の施政の下にある領域」内でのことであり、「日本の施政の下にある領域」の外の武力紛争に対して、集団的自衛権を主張し、権利行使を正当化できる条約は存在しないことになる。
先に指摘した防衛白書の定義の曖昧さの原因は、
「日本の施政の下にある領域」の外の武力紛争に対して、集団的自衛権を主張し、権利行使を正当化できる条約は存在しないことを、十分認識したうえで、その事実を日本国民の眼から逸らそうとする、
そのことを狙うが為としか言いようがない。
要するに、国民を愚弄しているということだ。分かり易く言うと、「バカにしている」。
そうこうしている間に、既成事実を積み上げていく。
為政者の常套手段と言える。
恐ろしいことが、密に進行していると認識するべきだろう。
改めて確認しておこう。
「日本の施政の下にある領域」の外で、どのような「存立危機事態」が生じようとも、日米安保条約を根拠とした集団的自衛権の行使は、その権利を持たないし、正当化も出来ない。
そもそも、日本の施政の下にある領域」の外で、自衛隊は、その武力を行使することは、憲法で禁じられている。
従って、岸田首相が言うような
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
そのことは、2重、3重の誤りであり、「とんでもない総理大臣」と、断罪できよう。
入れ代わり、立ち代わりの、バカな大将・・・。
「戦争をする国」、日本は、すぐそこまで来ている。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/224.html
https://www.chunichi.co.jp/article/627442?rct=politics
バカな大将、敵より怖〜い・・・という、恐ろしい記事。
短い記事なので、取り敢えず、記事の全文を下記に引用する。
「岸田文雄首相は31日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使が可能になる反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動するケースを巡り、戦闘機が飛来した場合に用いて相手国の敵基地を攻撃する可能性を排除しなかった。「本当に反撃能力しか手段がないのかどうか、厳密に考えた上で現実に対応しなければならない」と述べた。
集団的自衛権の行使が可能になる「存立危機事態」で反撃能力を発動する事例に関しては「分かりやすい例を示すことは考えられる」と答弁。個別事態に関する詳しい例示については「安全保障上、考えられない」と語った。
立憲民主党の玄葉光一郎氏の質問に答えた。」
・・・・・
記事はこれだけのものだが、内容は「恐ろしい」ものに違いない。
集団的自衛権の行使が可能になる「存立危機事態」と当然のように語っているが、・・・。
果たして、そうか?
私は、「存立危機事態」という言葉も、そのような事態も、政府の説明も、納得するものではない。
そして、現在の日本において、「集団的自衛権の行使は、憲法で認められていない」、というのが私の見解であることを最初に断ったうえで、
百歩譲って、仮にその権利があるとしても、その根拠は、「日米安保条約」に求めるしかない。
そして、その「日米安保条約」は、「日本国の施政の下にある領域における」危険への対処を取り決めたものだ。
従って、「存立危機事態」なるものが、「日本国の施政の下にある領域における」存立危機事態でなければ、「日米安保条約」5条の発動要件とはならず、「日米安保条約」を根拠とした集団的自衛権の権利行使は、正当性を持たないことになる。
従って、岸田首相の主張は、「不当」な主張であり、「誤り」と断定することが出来よう。
また、「存立危機事態」なるものが、「日本国の施政の下にある領域における」存立危機事態であるとすれば、そのことはまさに「武力攻撃事態」であり、その時は、集団的自衛権を持ちだすまでもなく、日本の主権に基づく「警察権」の発動によって、「存立危機事態」なるものを、否「武力攻撃事態」なるものを「排除」、「解消」する行動をとることになるというのが、「専守防衛」の理念として、これまでのコンセンサスであり、これからも、そうでなければならない。
岸田首相の言っていることは、簡単に言えば、次のようなことになろうか・・・。
「日本国の施政の下にある領域」ではない場所で、「台湾有事」が勃発したとし、米軍が台湾周辺に展開した場合、その米軍の行動をけん制すべく、中国の戦闘機が出動するだろう。
日本は、「米軍危うし」「米軍の危機は日本の危機」とばかりに、「存立危機事態」を宣言し、かねてより、敵基地攻撃能力(反撃能力)として、日本最西端の島、与那国島に配備済みの「ミサイル」を、中国の空軍基地に向けて、発射する。
そのことを排除しないと・・・。
その根拠は、「日本国の施政の下にある領域における」危険への対処を取り決めた「日米安保条約」なのだと。
矛盾していることに、気が付かなければならない筈だが。
そんな頭脳は持ち合わせていないようだ。
米軍が矛、自衛隊が盾と、何の疑問も持たずに、思い込んでいるのと訳が違う。
事はより重大だ。、
憲法に違反して、「日本を戦争をする国にする」と言っているわけだ。
絶対に認めるわけにはいかないだろう。
国会での、時の総理大臣の答弁としては、到底看過できるものではない。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
この発言は、既に世界に向けて発信されていて、今更取り消すことは叶わない。
そういう日本は、「相手が攻撃に着手した・・・」かどうかを判断する能力も無いし、敵のミサイル発射拠点などの目標特定も、満足にはできないんだと。
ということは、日本は、米軍から「相手が攻撃に着手した・・・」と教えられたら、トマホークの発射ボタンを押すということになるのだろう。、
本記事の岸田首相の答弁も、世界に向けて既に発信されていることだろう。
日本はそうするから、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
まさに、「戦争」への誘い。
しかし、重大な見落としがある。
日本には「軍隊」というものが無い。
従って、日本の主権の及ばない他国の領域で、たとえ相手が軍人さんといえども、その人たちをを殺傷することを認められた人間は、日本にはいない。
「憲法9条の凄さ」がわかるというものではないか。
これだけバカな大将が続く現状では、決して安閑とはしていられないのだが・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/229.html
13. 達人が世直し[1908] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月02日 15:58:32 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1149]
>>10 氏
相変わらずの愚問を、何度も投げつけるのではなく、少しは自分で調べたり、考えたらどうだい?
>もし日本を侵略する国が、その国の領域内の基地から日本本土をミサイルで攻撃して来たら、日本はどうすればいいんですか。
そんな質問は、防衛省か、自衛隊に電話でもして、聞いたらいいんじゃないかい?
防衛省の職員は、国家公務員だし、自衛隊員は、特別職の国家公務員だから、国民のために働く公僕の意識を持って、懇切、丁寧に答えてくれると思うけど・・・。
当然だが、「専守防衛」の理念に従ってさ。
ちなみに、法律にも少しは書いてあるようだけどね。
自衛隊法 第82条の3第1項
(弾道ミサイル等に対する破壊措置)
防衛大臣は、弾道ミサイル等(弾道ミサイルその他その落下により人命又は財産に対する重大な被害が生じると認められる物体であつて航空機以外のものをいう。以下同じ。)が我が国に飛来するおそれがあり、その落下による我が国領域における人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に対し、我が国に向けて現に飛来する弾道ミサイル等を我が国領域又は公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)の上空において破壊する措置をとるべき旨を命ずることができる。
大切なのは、
「・・・我が国領域又は公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)の上空において破壊する措置をとる・・・」
のくだり・・・。
法律ではダメかな〜。言葉が難しすぎるかも。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、恥ずかし気もなく言っている奴がいる。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
>日本国民誰一人として憲法9条を守ろうなんて人はいない。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
この発言は、どうあがいても、今更取り消すことは叶わない。
最近鼻につくのは、「おまえだって論法」。
そして、「みんながこう言っているから、こう」と言う、「お子様論法」。
これらは全て、「詭弁」らしいよ。
てなわけで、残された行動は、「詭弁」を弄しながらの、「開き直り」・・・今、ここ。
19. 達人が世直し[1909] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月02日 20:48:41 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1150]
>>14 氏
>出た!詭弁判定士!(笑)
なんか、今か今かと、待ってたようだね。
お待たせ〜。
他に、相手をしてくれる人もいなくなったか?
アンタの書き込みは、正直言って面白くないし、偏執狂を思わせる、しつこさがある。
そして、文字数はいたずらに多い割に、全く中身が無い。
役者は、いつも、誰だか名前も分からない「昔の人」、とバカ左翼という「藁人形」。
飾りは、虚ろな感じで・・・(笑)
正直言って、キモイ。
一番いけないのは、いつものことだが、「自分の考え」らしきものが皆無なこと。
自分で読み返してごらん。
老婆心から言えば、そこのあたりは、直すように心がけた方がいいよ。
私からの、暖かい忠告だよ。
>しかも、憲法9条に関する過去の議論をすべて無視して「素人の俗説」を開陳する痛いヤツ(笑)
「あんた」はそう言っても、
私にとっては、「あんた」に、「独自理論解釈」と絶賛されたという記憶が生々しい。
覚えてるよ〜。
それを「あんた」は、取り消すことが出来ずに、「解釈変更」して、「素人の俗説」と、ちょっとだけ評価を落としたつもりになっているだけ。
「あんた」こそ、記憶喪失しちゃった?
今となっては、「独自理論解釈」と絶賛したのが、・・・痛いね。
「あんた」の中身の無い書き込みに付き合うと、中身の無い書き込みになってしまった。。
「自分の考え」などというものは、どうせ無いんだろ?
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/229.html#c19
https://mainichi.jp/articles/20230201/k00/00m/040/103000c
あの中村哲さんへの追悼でもあるのだろうか。
真の「平和」とはこういうものなのだ、という記事。
以下に記事の抜粋を示すが、願わくば、上記URLで記事本文を確認された。
「農地は広がり、暮らしが水で潤っていた――。アフガニスタンで医療などの人道支援にあたる福岡市のNGO「ペシャワール会」のメンバーが2022年末、現地を訪れた。19年に現地代表で医師の中村哲さん(当時73歳)が凶弾に倒れた後、会の日本人メンバーが訪れるのは初めて。農地での収穫作業や新たな用水路建設を目指す場所などを視察した村上優会長は「水が流れるまちで人が暮らす光景は『平和』そのもの。中村哲のスピリッツ(精神)が息づいていることが感じられた」と語った。・・・
・・・村上会長は「集落に水が届き、子どもが走り回り、バザール(市場)が並ぶ様子を見て、随所で中村哲が言っていた通りの『平和』を感じることができた」と話す。用水路の開通で潤った集落を訪れると、長老から歓待されたという。・・・
・・・村上会長は「集落に水が届き、子どもが走り回り、バザール(市場)が並ぶ様子を見て、随所で中村哲が言っていた通りの『平和』を感じることができた」と話す。用水路の開通で潤った集落を訪れると、長老から歓待されたという。・・・
・・・村上会長は「現地との人的交流を増やし、事業を続けていこうという気持ちを改めて強くした。なかなか手が差し伸べられない地への支援をこれからも続けていきたい」と話している。」
記事の抜粋は以上。
その地域、その街、その国の平和を守ることは、簡単なことではないだろう。
厳に、ここでも、中村さんが、その道半ばで凶弾に倒れている。
そんな苦難はあろうとも、それでも、どの国の人々も、平和な生活を渇望している。
記事の写真は、どの顔も「笑み」に溢れている。
その笑顔の源泉は、「平和」。
その「平和」に日本人が貢献している。
凄いことが出来るものだと、尊敬する。
振り返って日本を見てみよう。
あろうことか、政府が率先してウクライナ戦争を奇禍とするかのようにして、国民の不安を煽り、「台湾有事」なるものを喧伝して、敵基地攻撃能力なるものの保有を正当化しようとする。
敵のミサイル攻撃から、国民の安全を守るという口実だが、国民からすれば。余計に戦争への不安を募らせるだけでしかない。
そのことが、近隣諸国のみならず、日本国民の疑心暗鬼を高ぶらせることになる。
軍事力の均衡による、一時の平安に、国民は「平和」を感じるだろうか。
記事の写真のような笑顔になれるだろうか。
何時「赤紙」が来て戦場に送られることになるのかという不安を抱えながらの平和はあり得ない。
そういう意識で、今の政府の行動を見れば、国民の命と日本の平和を守るということが、欺瞞でしかないことがわかる。
旧式のトマホークの大量購入に表れているのは、軍事産業と結託した軍産政の利権でしかあり得ず、極東の平和、日本の平和に貢献するところは、何も無い。
本記事で教えられるのは、本当の平和とは、人と人の心を通じ合わせることでしか手にすることができない、ということではないかと感じる。
そのことは、改めて「外交」の大切さを教えていることにもなる。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/236.html
48. 達人が世直し[1910] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月04日 16:04:02 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1151]
>>22 氏
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが、
>あなたはこの法律を改正しなくてもいいという考えですか。
(こういう問いかけは、反語を使った「詭弁」と言われる。前に説明したけど・・・。)
と言う所を見ると、他国の領土にある敵基地を攻撃することは、日本の法律に違反しているという認識があるわけだ、
そういう前提での反語を使ったコメントかな。
ということは、憲法にも違反しているという認識はあるということだな。
氏のコメントで使われる言葉は、不正確で、一つ一つ間違いを指摘せざるを得ない。
>これは現在の「敵基地反撃権の保持」が決まる前の規則ではないですか。
この短いコメントの中にも、すでに2つの間違いがある。
一つ目は、「敵基地反撃権」などという権利は無い。
過去に氏が言った、「専守攻撃」と同じ轍を踏むことになる。
もう一つは、
>自衛隊法 第82条の3第1項(弾道ミサイル等に対する破壊措置)
これは、「法律」であって、「規則」などという、そんな軽いものではない。
知らなかったとすれば、「無知」、知っていたとすれば、事を矮小化しようとする「詭弁」。
ちなみに、法令は、憲法・法律・政令・勅令・府省令・規則と分類される。
中学校の校則も、規則になるのかな?
>これじゃあ、敵基地から次々とミサイルが飛んで来ても、日本はただ迎撃するだけでやられっ放し。日本の迎撃網をくぐり抜けた敵のミサイルは、日本の基地や都市を破壊し放題・・・
このくだりは、スレ本文の
「そういう日本は、「相手が攻撃に着手した・・・」かどうかを判断する能力も無いし、敵のミサイル発射拠点などの目標特定も、満足にはできないんだと。」
という指摘に対する、「おまえだって論法」。
私達が認識しなければならないのは、相手国が撃ったミサイルは、そのすべてを撃ち落とすことは出来ない。
一方、相手国のミサイル基地を破壊すべく撃った、日本のミサイルも、敵基地に着弾する率も小さいばかりか、目標すら捕捉が難しい。
従って、どんなに射程の長い、高性能のミサイルをもってしても、相手の基地をすべて破壊することが出来ず、ミサイルの発射を止めることができない。
つまりは、ミサイルの撃ち合いが始まった瞬間から、日本の基地や都市は被害を免れない。
そのことは、いくら軍備を拡張しても、戦争になってしまえば、日本の安全は守れないということを示している。
そう考えると、最も確実な防衛手段は、何か?
最も確実な防衛手段は、「外交」と言うことになる。
「外交」が成功していれば、ミサイルが日本に向けて発射されることもなく、日本領土内に着弾する不安もない。
原発も、ミサイル攻撃の標的となることもない。
私が、
日本は、常に国際紛争を起こさないように、不断の「外交努力」を全力で実行することが求められている。
それが、日本国憲法を定めた、主権者たる日本国民の求めるものだ。
と言うのも、そういう考えをしているからに他ならない。
その上で、外交の努力にもかかわらず、他国からの武力攻撃の不安を払拭できない場合でも、日本が保有する抑止力は、あくまでも、他国を攻撃する意図を否定している、拒否的抑止の範囲を逸脱することは許されない。
それが、日本国憲法が教える、「専守防衛」の考え方ということになる。
「外交」が一番確実な、「抑止力」であり、日本の「防衛の最強の手段」と言うことが出来よう。
しかしながら、問題は、切迫している。
現在の日本の「大人」の決断が、将来の日本が「戦争をする国」となって、日本の若者を「戦場」で死なすのか、
「戦争をしない国」を堅持して、将来の若者に、「平和な国」を引き継ぐのか、を決することになる。
それは、私達「大人」の責任として、逃げることができない。
仮に、日本が「戦争をする国」になっても、私も、氏も、おそらく戦争に駆り出され、命を落とす可能性は、皆無だろう。
戦争に駆り出され、戦場という地獄の中で、命を危険にさらし、見知らぬ人間と命を奪い合う、そんな状況に追いやられるのは、今はまだ幼子か、これから生まれる新しい命、ということを考えなければならないのではないのか。
それでも、「敵基地攻撃能力なるものを保有」し、アメリカに引きずられるようにして、「戦争をする国」にすることになる政策を支持するというのか。
しかも、その政策たるや、憲法違反でしかないことを認識しつつ・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/229.html#c48
55. 達人が世直し[1911] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月05日 15:07:15 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1152]
>>49 氏
>建前だけ綺麗にして、本音を隠し続ける大噓つきだ。
このことを言いたくて、出てきたとすれば、最低ダ。
根拠も示さずに、人を「大噓つき」と「嘘」を言うことを、世間では「誹謗中傷」するといって、その人とともに、忌み嫌われている。
誹謗中傷とは根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つける行為である。
とググったら出てた。納得した。そのまんまだ。
>まず、ガイコウガイコウとかほざくならかつての社会党や憲法学者のように非武装中立やら無防備都市宣言やらを唱えるのが正当だろう。
ほほう。言い切ったね。
自分の考えが無いと言われて、プレッシャーになったかな?
これは、「あんた」が自分の頭で考えたものだ。と分かる。・・・レベルが低すぎる。
「外交」の重要性を言うにあたっては、なんら条件も、資格も要らない。・・・と、私は思うのだが。
「あんた」はそうではないらしい。
「かつての社会党や憲法学者のように非武装中立やら無防備都市宣言やらを唱えるのが正当だろう。」
と言うが、何故そうでなければならないのか、「あんた」がそう言う理由も根拠も分からない。
ぜひ説明願いたい。・・・出来なければ、出来ないと言ってもらうでも構わないけどね。
ただ、いつものようにダンマリというのは止めてほしいな。
ちなみに、私は、「専守防衛」の姿勢が正しいと考えているので、「非武装中立」論者ではないし、「無防備都市宣言とやら」の主張にも組するものでもない。
>日本にこれまで反撃能力がなかったのは、アメリカ軍が代わりにしてくれるからだよ。
これも、「あんた」が自分の頭で考えたことと分かる。
この件については、少し前に、日米安保条約5条を引用しながら、「あんた」の誤りを指摘したはずだ。
くどくなるが、再度引用しておこう。
日米安保条約第5条には
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
との規定がされている。
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
アメリカが日本を守る「義務」という言葉も、無い。
「矛」の役目を、アメリカ軍が、肩代わりするとも、書かれていない。
私に言わせれば、
>日本にこれまで反撃能力がなかったのは、アメリカ軍が代わりにしてくれるからだよ。
という言葉は、これまた根拠が無い、ただの妄想。
政府、自民党のプロパガンダの代弁者と言わざるを得ない。
>>>48の言うガイコウとは、「イザとなったら自衛隊やアメリカ軍に頼る」みたいな、結局軍事力頼みのガイコウではないのかい?(笑)
人は、自信が無いとき、反論を恐れる時に、よく「反語を使った詭弁」の罠にはまる。
>・・・結局軍事力頼みのガイコウではないのかい?(笑)
などは、「反語を使った詭弁」の見本になるような、「詭弁」
後ろに付いてる(笑)は、おそらく、引き攣った(笑)。
「あんた」も物知り顔で言う割には、知らないな。
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
日本国憲法は、威嚇のみであったとしても、武力を「外交の道具」にすることを、永久にこれを放棄すると宣言している。
憲法は守らないといけないでしょ。
総じてみれば、「あんた」の書き込みは、いずれも「根拠の無い」誹謗中傷と、妄想。
これからは、正しく根拠を示してカキコした方がいいと思うよ。
60. 達人が世直し[1912] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月06日 18:19:34 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1153]
>>57 氏
>私は最善策としては、日本は憲法を守るべきだと思う。
最善策も何も、憲法は守るべきものと決まっているだろ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
この言葉は、取り消しはきかんよ。
また、何を言い出すのかと思いきや、次はこれだ。
>9条を廃止すれば現状の「戦争不放棄・戦力保持」は合憲になる、というか、違憲にはならない。
これなどは、
刑法199条を廃止すれば、殺人も合法になる、というか、違法にはならない。
といっているようなものだ。
全く、話にならない。とんでもないことを言う奴がいる。
>あなたこそ憲法を破ってもいいと言っている。
私のことについて、そう言うのは、「藁人形論法」を使った、根拠の無い言いがかりで、「誹謗中傷」という。
私は憲法を守れと言っている。
憲法は守るべきものと決まってるだろ。と言っている。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と、「憲法を破ってもいいと言っている。」のは、他ならぬ「あんた」だ。
問題があるのは「あんた」だろ。
それを、私に問題があるがのごとく言うのは、「おまえだって論法」。詭弁だよ。
しかも、「嘘」をついてまで。
>私が自分たちの憲法を破ってもいいと言うのは、次善の策であり、あなた、つまり護憲派が9条を破って、「戦争不放棄・戦力保持・専守防衛の戦争」を肯定しているから、それを黙認しているという意味である。
ありゃりゃ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言ったのは、私のことを「思って」、私のことを「かばって」言ってくれていたと・・・。
しかも、黙認とは、黙って見過ごすこと、見逃すことなのに、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と、言っちゃってるし。
さすがに、それは、「ども」とは言えないな。
しかし、良く考えてみると、もしかして、私のせいにされてしまったか?。
これは黙認、いや看過きないな〜。
もう〜、「支離滅裂」とはこういうことを言う。
>あなたが大好きな「専守防衛」なんて、憲法のどこにも書いてない。憲法のどこをどう引用すれば「専守防衛の戦争は合憲だ」などと主張できるのか。
そういう氏は、同じ口で、「憲法9条を破って、「・・・専守防衛の戦争」を肯定しているから、・・・」と言う。
大きな矛盾ではないか。
誤解されると困るので、はっきりさせておくが、
「専守防衛の戦争は合憲だ」などとは言っていない。
憲法9条では、自衛権に触れていないと何度も言っている。
この辺からは、「無限ループ」の誘い。
繰り返しになるが、仕方がない。
かつて、氏に説明したことがある。
憲法9条は「侵略戦争」を禁じ、永久に「放棄」すると宣言したものだ。と。
従って、憲法9条では、「自衛権」については触れてはいない。と。
「自衛権」とは、所謂、自然権思想で言う「生存権」と「抵抗権」という「自然権」のうちの「抵抗権」を「自衛権」と言い換えたものだ。
「自然権」それは、人が生まれながらにして持っている権利であって、放棄したくても「放棄することはできない」。
そのことを確認しているのが、憲法前文の
「・・・われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・」
この言葉になる。
そして、
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
とも言っている訳だから、「自衛権」を否定する条文があっても、排除すると言っている。
「自衛権」の存在は、、憲法の条文で云々するまでもなく、自明だと・・・そういう思想をベースに憲法が組み立てられ、憲法前文でそのことが、憲法の理念として記されている。
そういう事さ。
そう考えれば、憲法9条で言う「国権の発動たる戦争」が、「宣戦布告によって生起する、国際法上の戦争」を指しており、言い換えると、「能動的」に攻撃を仕掛ける「侵略戦争」と言うことが、理解できる。
「自衛権」に触れない条文で、「防衛」を語る筈もない。
「専守防衛」とは、国と国民の「生存権」を守るための「防衛」を、「専守」という文字が示す通り、「守りに徹して」行うという、「防衛の考え方」を言い表したものだ。
氏が言う、「専守防衛の戦争」というのは、外敵から「能動的」な武力攻撃を受けたときの、その攻撃対して、武力をもって抗う「受動的」な防衛行動をとった結果の、「戦闘状況」を、、軍事上の概念で言う「戦争」と言っているに過ぎない。
軍事上の概念と、国際法上の概念では意味が異なる「戦争」という言葉を、敢えて混同して使うのも、「語義曖昧論法」という詭弁の一つだ。
説明によれば、「語義曖昧論法」とは、「一つの単語がもつ複数の意味を、ごちゃごちゃに使ってしまう誤謬。」とある。
そのまま当てはまる。
>・・・外交が失敗すれば、その反対ではないか。あなたの言う「外交」は必ず成功するのか。
これも、「おまえだって論法。」
>だからこそ、あなたも「他国からの武力攻撃の不安を払拭できない場合」もあることを想定しているではないか。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
そして、ここにも、
>9条を廃止すれば現状の「戦争不放棄・戦力保持」は合憲になる、というか、違憲にはならない。
と言う奴もいる。
同じような奴が、広い世界に、いないとも限らないからね。
そんな奴が武力を用いて攻撃を仕掛けてきたことを想定して、備えなければならいいので・・・。
これは、自衛権。いけなかったかな?
>・・・世界中の国がAは出来るが、日本だけは出来ない。不公平ではないか。
論点ずらしだね。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と言ってしまった、この言葉は取り消しがきかないのと同様、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
この言葉は、屁理屈をこねまわしても、取り消しはきかんよ。
このくらいで、分かってもらえたかな。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/229.html#c60
https://www.asahi.com/articles/ASR266WS5R26TIPE00X.html
自民党安倍派の議員にとっては、我が身の前途を象徴するような、記事。
朝日新聞記者の「渾身の嫌味」な記事と言えよう。
以下に記事の抜粋を記す。
「山口県下関市で5日に投開票された市議選(定数34)では、故・安倍晋三元首相に近い「安倍系」の現職候補が落選する一方、林芳正外相に近い「林系」の新顔候補が2人当選した。衆院小選挙区の「10増10減」問題に絡んだ「安倍系VS.林系」という勢力争いで明暗が分かれた形だ。
改選前、市議会の自民系会派は、安倍氏に近い「創世下関」(9人)と、林氏に近い議員らが所属する「みらい下関」(11人)に分かれていた。
今回の市議選では、創世の現職2人が立候補せず、さらに現職2人が落選した。また、創世幹部によると、安倍系の新顔3人が出馬したが、当選したのは1人にとどまったという。
一方、林系の市議らが所属するみらいは現職全員が当選した。さらに、林系の新顔4人のうち、2人が当選したという。・・・」
記事の抜粋は以上。
・・・・
下関という小さな市の、市議選挙戦の戦績でしかないのだが・・・。
安倍氏に群がって、市政の利権の甘い汁を吸い、そのおこぼれを狙って集っていた支援者らが、「金の切れ目は縁の切れ目」とばかりに、林陣営に寝返っているんだろうことは、想像に難くない。
どう転んでも、自民党利権の、椅子の取り合いでしかないわけだが、それにしても、安倍陣営の凋落の度合いは凄まじい。
そんな市議選の結果を見て、自民党安倍派の心中は、穏やかとはいくまい。
既に、安倍派は消滅し、烏合の衆と化した、残された下っ端議員の関心事は、この後、誰につけばいいか?。
今後、安倍氏の利権を多く手にするのは誰か?、
その鼻の利かせ方で、自分が、議員でいられるかどうかが決まる。
そんな、感じで、不安を募らせていた矢先の、下関の選挙結果。
自民党、安倍派が、「草刈り場」となることを、暗示する。
それほどの時間を要せず、
「夏草や兵どもが夢の跡」
といったところか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/245.html
https://mainichi.jp/articles/20230207/k00/00m/010/336000c
完全に箍(たが)が外れてしまった、「連合」という名の組織のトップ。
いけないこととは分かっているけど止められない、誰にも止められない。
カッパエビセンのコマーシャルみたいな、しょうもない記事だが・・・。
以下は記事の抜粋。
「26日開催予定の自民党大会に、連合の芳野友子会長が出席する意向を固めた。連合の構成労組の意向も確認したうえで最終決定するが、・・・複数の関係者が7日明らかにした。
連合は立憲民主党や国民民主党の有力支持団体だが、関係者によると、自民党側の招待を受け、芳野氏は出席する意向を周囲に伝えた。岸田文雄首相(自民党総裁)が掲げる構造的な賃上げ実現などに向け、距離を縮める狙いがあるとみられる。」
記事の抜粋は以上。
連合会長が本来やるべきは、連合傘下の労働組合員との距離を縮めることではないか。
連合幹部が「労働貴族」と言われ、各組合員からの組合費の上納金で安穏としている姿を長い間見せられてきたが、今の会長になってからの政権に媚びる姿は、一層見るに堪えない。
労働者のために、「資本と闘う」姿など、見せたことがあるだろうか。
いやしくも労働運動のナショナルセンターを自認する「連合」のトップが、資本側になびき、権力に阿る姿を、繰り返し見せられる労働者の心中を察するに。同情を越えて、哀れとすら思う。
それを改める自浄力も、改めようと声を上げる力すら、今の「連合」には無い。
まるで、「羊の群れ」のようだ。
日本では、「ストライキ」などという言葉も、今では歴史教科書でしか目にしなくなっているのではないか。
昔は、組合費とは、その大半がストライキを打つ際に減らされる給料を前提に、生活費の補填のために積み立てておくものと教えられていた。
決して、幹部の飲食費ではないと。
今は、組合費は、一体どこに消えているのだろうか。
不思議な組織、それは「連合」。
そして今も、実質賃金は下がり続けている。
しかも、日本だけ・・・。
不思議の国、それが「日本」。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/247.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230207-OYT1T50195/
一見、至極当たり前なことを言っているのだけれども、日頃の言動に照らしてみると、至極「手前味噌」な話をしているという、情けなくて、見過ごせない記事を見付けた。
以下は記事の全文。
「浜田防衛相は7日の閣議後記者会見で、米軍が中国の偵察用気球を撃墜したことに関し、「国民の生命、財産などを守るために必要と認める場合には所要の措置をとることが可能だ」と述べ、日本に同様の気球が侵入した場合、現行法でも状況次第で撃墜は可能との認識を示した。
浜田氏は「気球であっても日本の領空に許可なく侵入すれば領空侵犯となる」と指摘し、対処として「自衛隊法の規定では必要な措置として武器を使用することができる」と説明した。
一方、林外相は記者会見で「いかなる国であっても他国の主権を侵害することは許されない」と強調し、気球を撃墜した米政府の判断について「立場を十分に理解している」と語った。中国に対しては、「十分な説明責任を果たすことが重要だ」と注文をつけた。」
以上が記事の全文だが、・・・
「気球であっても日本の領空に許可なく侵入すれば領空侵犯となる」と指摘し、対処として「自衛隊法の規定では必要な措置として武器を使用することができる」
日本は、そう言いながら、
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と、とんでもないことを言う。
近隣諸国からすれば、
「ミサイルであっても我が国の領空に許可なく侵入すれば領空侵犯となる」と指摘し、対処として「我が国の法の規定では必要な措置として武器を使用することができる」
と、
そうなることに、想いが至らない。
さらに、
「いかなる国であっても他国の主権を侵害することは許されない」
と言いつつ、
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と言って、憚らない。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階」で相手国に、ミサイルを撃ち込み、領空侵犯し、相手国の基地を破壊し、人命を奪うことは、主権の侵害に他ならないと思うのだが。
どうだろうか。
日本の両大臣の言っていることは、全くの「手前味噌」な言。
日本国民と共に、近隣諸国に対しても、「十分な説明責任を果たすことが重要だ」。
到底、理解はしてはもらえないだろうが・・・。
それにしても、、少し想像力を働かせれば、すぐ自己の矛盾に気が付くと思うのだが。
それが出来ない。
情けない・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/248.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230208-OYT1T50123/
読売新聞も匙を投げたという記事。
新聞記者をもってしても、書くことがない。
記事は、これまで私が目にした記事で最も短い。
以下は記事の全文。これで、全文です。
「NHK党の立花党首は8日、尾辻参院議長と面会し、同日の本会議をガーシー(本名・東谷義和)参院議員が欠席する理由を記した文書を提出した。文書では、「日本に帰ってくると、不当な罪を着せられる恐れがある」とし、立花氏から帰国しないよう指示されているとした。」
たったこれだけだが、重大な「自白」が含まれている。
それは、ガーシー(本名・東谷義和)が海外から帰国しないのは、日本の司直の逮捕から逃れるために国外逃亡しているからだと。
「不当な犯罪」なとと言っても、所詮は、「容疑者」が否認しているだけに過ぎない。
逮捕に怯えるだけあって、不都合な真実に、自覚があると言っているわけだ。
「語るに落ちる」とは、このことだろう。
一番腹立たしいのは、そんな奴に、われらの血税が「詐取」されていることだ
そのことが分かっていながら、、指をくわえてみて居ろと言わんばかりの、日本の司法の不備だ。
これだけを見ても、明らかに、背任であり、公金横領。
歳費の支払い停止と没収を要求する。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/250.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/318430
以下は記事の抜粋。
「・・・岸田首相は「LGBT理解増進法案」の提出に向けてカジを切ったが“差別思想”が根強い自民党内から反対論が噴出し、成立にこぎつけるかは微妙な状況だ。
そもそも岸田内閣には差別思想の持ち主が居座っている。LGBT法案は、2年前に超党派議連が「成立」で合意したものの、自民党内の反発で国会提出は見送られた。・・・
・・・岸田首相自身、先週の国会で同性婚の合法化について「社会が変わってしまう」とアドリブ答弁していた。なぜ自民党はここまでLGBTを毛嫌いするのか。・・・」
記事によれば、
「・・・その背景にチラつくのが、自民党と蜜月関係にある旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の存在だ。「同性婚反対」は教団が掲げる重要な運動方針の一つなのである。・・・」
そうだ。
記事は続く。
「・・・旧統一教会系の政治団体「国際勝共連合」は公式HPに〈同性婚合法化、行き過ぎたLGBT人権運動に歯止めをかけ、正しい結婚観・家族観を追求する〉と明記。・・・」
そんな中で、
「・・・宗教法人法に基づく教団の解散命令請求も遅々として進まない。・・・、請求の可否判断に向けて4回目の質問権行使を示唆。調査はズルズルと長期化するばかりだ。・・・
・・・岸田首相は「教団との関係を断つ」と明言したが、本当に断絶できているのか。LGBT法案の成否が、教団との真の関係を見極める試金石になる。」
「・・・また法案提出を潰したら、旧統一教会問題の再燃は避けられない。」
記事はざっと、以上のようなものだが、・・・。
要するに、自民党は旧統一教会とズブズブであり、統一教会のおかげで、国会議員の地位を得た、そんな輩が、安倍派という最大派閥に群れて、その数の力によって、長期政権を維持してきたということだろう。
政権を奪取するにあたって、国民の半数の結集を成し遂げなくても可能だとの証左でもある。
特に、本当の意味での民主主義が定着していない日本においては、そのことが顕著であり、日本の民主主義は、一層脆弱であると、不断に警戒するべきと言える。
記事のタイトルにもあるように、これは差別「思想」であり、これを捨てることは、彼らにとっては自己否定につながる。
とすれば、「LGBT理解増進法案」なるものに彼らが仮に賛成したとしても、それは表面上のことであり、地下に潜っての差別は続くと思わなければならない。
ところで、かの衆院議長が、統一教会問題と、セクハラ問題で追及されていたが、進退問題はどうなったのか?
もう終わりましたという筈もあるまい。
それだけでも、旧統一教会問題の再燃は避けられない。
「LGBT理解増進法案」の帰趨がどうなろうとも、そのことには関係なく、旧統一教会問題は何度でも再燃させなければならない。
旧統一教会問題は、地下に潜らせて、終わりに出来る問題ではない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/251.html
22. 達人が世直し[1913] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月09日 20:18:05 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1154]
>>6 氏
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない、氏に言うのも、虚しい気がするが、
本スレの文脈で私が言いたいことを、全く理解していないと言うか、理解できていない。
私は、わざわざ結論を先に言っている。
「一見、至極当たり前なことを言っているのだけれども、日頃の言動に照らしてみると、至極「手前味噌」な話をしているという、情けなくて、見過ごせない記事を見付けた。」と。
浜田防衛相も、「自衛隊法の規定では必要な措置として武器を使用することができる」と、法律の規定に従って、対処する旨を表明している訳だから、そのことについて、非難する理由は無い。
自国の法律を守ると、「至極当たり前のこと」を言っている、ということではないのかい?
但し、その対処をする前に、そうなった原因は相手国に確認すべきだろうし、対処によって、人命に危険が及ばないことの担保も必要とは思うけどね。
そこは、「外交」のプロセスが求められるということになるのだろう。
氏には理解が難しいことかもしれないが・・・。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、なんとも、虚しい気がする。
日本が、自国の法律を守ることは、「至極当たり前のこと」だとの認識に立てば、近隣諸国の国民にしても、当然、「自国の法律を守ることは、「至極当たり前のこと」だと考えるのが当然だ。
しかし、日本の外務大臣が、
「いかなる国であっても他国の主権を侵害することは許されない」
と言う割には、その日本政府は、
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と言って、憚らない。
そう言って、専守防衛の理念を捨て去ったことを、世界に向かって喧伝する始末だ。
もう始末に負えない。取り消しも出来ない。どうする気なのか?
そこには、「外交」というプロセスも欠落している。
あるのは、日本の「主観」のみであり、そのような行動を指して、人は「独善」と言う。
分かり易く言うと、「手前味噌」。
私の問題の指摘はそこにある。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階」で相手国に、ミサイルを撃ち込み、領空侵犯し、相手国の基地を破壊し、人命を奪うことは、主権の侵害に他ならないと思うのだが。
そのことには、全く想い至らないようだ。
折角の機会だから、改めて氏に聞いてみよう。・・・「どうだろうか?」
答えられないとすれば、「情けない・・・」
>あなたは、Aの浜田防衛相の意見それ自体には賛成なんですか、反対なんですか。はっきり賛成か反対か、書いて下さい。
そう言う前に、人の書いた文章を、正しく理解してから、コメントを書いて下さい。ね。
問題の捉え方としては、「賛成か反対か」ではなく、「法律を守っているか、法律に違反しているか」ではないかい?。、
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/248.html#c22
74. 達人が世直し[1914] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月09日 21:02:51 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1155]
>>73 氏
氏は言う。
>私は9条は自衛権に触れていると思う。
氏が、「思う」だけでは、何の意味もない。
私に限らず、人の見解に反論するなら、それに値する、論拠を示すのが道理というものだ。
氏にはそれが無い。
>自衛権に触れない憲法なんて、気の抜けたサイダーみたいな間の抜けたものとしか思えない
というのが、その論拠だとしたら、そんな間の抜けたものはない。
私は、
>憲法9条では、自衛権に触れてい「ない」と何度も言っている。
従って、私には、そのことを「証明」は出来ない。それは、まさに「悪魔の証明」と言うことになる。
ということで、「憲法9条は自衛権に触れて「いる」という氏なら、触れて「いる」ことを証明できる立場にいる。
大役ではあるが、証明してもらおうじゃないか。
>自衛権に触れない憲法なんて、気の抜けたサイダーみたいな間の抜けたものとしか思えない
とか言うのは止めてくれ。
それでは証明したことにはならないぞ〜。
しかし、私は、日本国憲法においては、自衛権について、
>そのことを確認しているのが、憲法前文の
「・・・われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・」
この言葉になる。
と、その存在を「証明」している。
>「自衛権」の存在は、、憲法の条文で云々するまでもなく、自明だと・・・そういう思想をベースに憲法が組み立てられ、憲法前文でそのことが、憲法の理念として記されている。
>>60 で書いた通りだ。
>それはあなたのかって読み、勝手な解釈である。
と言うなら、上記憲法前文が、自衛権、生存権を確認したものではないと、根拠を示して反論しなければならない。
>こじつけ・・・
と言うだけなら、誰でも言える。
しかも、
>・・・読者の判断に任せよう。
などと言うに至っては、幼稚園児が「おまえの母ちゃん、でべそ〜。」と言って、逃げ出すようなもの。
憲法を云々する資格はない。
ちなみに、
>憲法のどこかに「第二章第9条の「戦争の放棄」の規定は侵略戦争に限る。自衛戦争についてはこの限りではない」とでも書いてあるのか。
これも、反語を使った詭弁。
何度指摘しても、治らない。全く、どうしようもない人だ。
そして、無限ループへの誘い。どうして、こうなるのかなぁ〜。
憲法にはそんなことは書いていない。
憲法9条には、こう書いてあるんだよ。
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項
2項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
氏が、侵略戦争、自衛戦争、専守防衛の戦争と言うときの「戦争」は、「軍事上の概念でいう「戦争」だと何度も指摘している。
つまりは、武力を使って行われている、「戦闘している状況」を表現したもの。
憲法9条では、「国権の発動たる戦争」と、「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄する、としている。
「国権の発動たる戦争」と、「武力による威嚇又は武力の行使」を異なるものとしていて、であるが故に、分けて記されている。
氏がいつまでも拘っている、「戦争」を、「戦闘している状況」を表現しているという意味に捉えると、「武力の行使」と重複することになり、説明が付かなくなる。
それこそ、間の抜けた文章になるのだろう。
氏は、この指摘に対して、根拠を示して、反論、説明できなければならない。
>侵略国が日本に対してミサイルで「敵地攻撃」をして、日本の国土が目茶目茶に破壊されているのに、日本はそれに対抗してミサイルで侵略国のミサイル基地を「敵地攻撃」をしてはいけないのか。
氏が問いかけに使う事象の状況設定は、いつも極端で、こういう設問は、「誘導尋問」と言われる「詭弁」に分類される。
意識して、答えの範囲を、自分の思惑にそったものとなるような、極端な状況設定をする手法だ。
思い当たるのではないか?。
突然「侵略国」という悪者が現れ、朝、目が覚めたら、敵のミサイルで、日本の国土が目茶目茶に破壊されている。・・・さあどうすると。
日本の国土が目茶目茶に破壊されていると言う割には、日本の敵基地攻撃能力は何故か残っていて、それを使ってはいけないのか、と。
日本の誇るミサイル迎撃システムは、役に立たずに、真っ先に破壊されてしまった・・・と。
しかし、という設定だけでは、答えは見い出せない。
普通に考えれば、ある日突然ミサイルが飛んでくることは、考えられない。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と言って、突然ミサイルを撃ち込むようなことをすると言っているのは、日本くらいだろう。
当然そこには、二国間の紛争、揉め事があると、仮定しなければならない。
相手国と、日本の間に、紛争があり、それを解決するための「外交」というプロセスがあって、それでも、解決せずに、日本を侵略する程の紛争とは、どんなものなのか。
そのことの説明があって、初めて、
敵国が、日本を侵略する理由は何か?
を理解し、それに備える準備が出来るというものではないか。
氏は、そのことを説明した上で、問いかけをしなければならないのだろう。
なので、「まず、そのことをやってください。ね。」
私の答えは、変わらないけどね。
それは、状況設定の説明の後ということにしようと思うが・・・。
「国権の発動たる戦争」と、「武力による威嚇又は武力の行使」が分けて記されている理由の説明も、忘れずに。
さて、楽しみではある。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/229.html#c74
26. 達人が世直し[1915] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月10日 16:56:04 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1156]
>>24 氏
>あなたは、Aの浜田防衛相の「意見」それ自体には賛成なんですか、反対なんですか。
以前、氏が使う言葉は、不正確だと指摘したことがあったが、今回もそうだ。
氏は、基本的に、言葉の意味が理解できていない。
ただ何となく、漠然と使っていると言える。
そんなことで、よくも投稿が出来るものだ。
ましてや、憲法を論ずるとは、笑止。
憲法9条を語る資格も能力も無いね。
今回は「意見」だ。こんな簡単な言葉すら・・・
意見とは、事実・認識に基づき主張したいこと。
「これらをハッキリ区別できないと、話が飛躍したり論点がずれたりして、考えや話し合いがまとまらないことになる。」とある。
今回のレスがまさにそれだ。
整理したところで、記事から引用した浜田防衛相の言葉を見てみよう。
>「気球であっても日本の領空に許可なく侵入すれば領空侵犯となる」
気球であっても日本の領空に許可なく侵入すれば・・・事実
領空侵犯となる・・・認識
>「自衛隊法の規定では必要な措置として武器を使用することができる」
これは、自衛隊法の規定に対しての・・・認識
引用した記事にもそのまま書いてある。
「・・・と述べ、日本に同様の気球が侵入した場合、現行法でも状況次第で撃墜は可能との「認識」を示した。・・・」
と。
もう分かったと思うが、
氏が言う、「浜田防衛相の「意見」それ自体」が無いのよ。
無いものに、「賛成」するも、「反対」するもない。
>あなたは、Aの浜田防衛相の「意見」それ自体には賛成なんですか、反対なんですか。
この質問自体があり得ないことが分かったと思うが・・・どうだろうか?
従って、私が>>22 で指摘した通り、
浜田防衛相の「認識」が、「法律を守っているか、法律に違反しているか」という捉え方が正しいことになる。
>賛成です。(達人が世直し) ???
>これでいいんですか。
それは、「藁人形論法」。何度言っても治らない。・・・だから・・・ダメでしょ。
>イエスが、ノーか。こっちゃあ、気が短けーんだよ。
「だみだこりゃ。」。そっちの、アタマが足りねーんだよ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/248.html#c26
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230210-OYT1T50088/
岸田政権になってから、これで何件目になるだろうか。
今回もまた、科学的根拠が無いことに加え、国民的議論も、合意も無く、選挙で民意を問うことも無く、なだただ「閣議」という儀式の名において、日本の前途に重大な影響を及ぼすことが明らかな政策が、こっそりと決められていく。
そのことを、ひっそりと、短い記事で伝える読売新聞というメディア。
以下に記事の前半を抜粋する。
「政府は10日、エネルギーの安定供給と脱炭素社会の実現に向けて原子力発電などを最大限活用するとした「GX(グリーントランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」を閣議決定した。次世代原発の開発・建設を進めるほか、既存原発の60年超の運転を認める。2011年の東京電力福島第一原発事故以降、原発の新増設や建て替えを「想定していない」としていた方針を転換した。
首相官邸
基本方針では「新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設に取り組む」とし、「廃炉を決定した原発の敷地内での建て替えを対象」に具体化を進めるとした。
また、現行制度で「最長60年」となっている原発の運転期間については、上限を維持しながら一定の停止期間について延長を認めるとした。・・・」
記事は長くはないが、抜粋は以上。
閣議決定なるものの、濫用が目に余る。
その決定を、メディアが、あたかも国の決定事項であるかのように報道する。
閣議決定の乱用に危機感を持って、国民へ警鐘を鳴らす責務を果たすどころか、政府をアシストするような記事を書いて、どうしようというのか。
「社会の木鐸」と、期待を持たれていた時代の面影はない。
そう感じていた時に、僅かな光明を感じさせる記事を目にした。
毎日新聞の記事で、下記URLで見ることができる。
https://mainichi.jp/articles/20230210/k00/00m/020/002000c
記事のタイトルは、「使用済み核燃料問題で迫る原発停止 原発推進は「絵に描いた餅」か」
「政府は10日、脱炭素社会への移行を進めるグリーントランスフォーメーション(GX)に向けた基本方針を閣議決定した。・・・東京電力福島第1原発事故以来の方針を転換し、原発の長期活用を目指す。しかし、その足元では、使用済み核燃料の処理問題がネックとなり、原発が運転停止に追い込まれる懸念が高まっている。・・・
・・・福井県は長年、「原発は引き受けたが、使用済み核燃料を引き受ける義務はない」として使用済み核燃料を一時貯蔵する「中間貯蔵施設」を県外に立地するよう求めてきた。・・・」
本記事は、有料記事につき、抜粋はここまで。
しかし、毎日新聞の記者が、解決の見通しの立たない、原発の根本的問題を鋭く指摘している。
政府の広報と化したような読売新聞との差は、歴然としていると言えよう。
国会は、国の最高意思決定機関であることは、今も、これからも変わらない。
国会議員たるもの、国民の代表との気概を持って、閣議決定なるものの、追認機関に堕している現状を変革してもらいたい。
特に野党の責務は重い。
それにしても、原発設置当初から、「トイレの無いマンション」と言われながら、未だに、使用済み核燃料の処置、方法が決まらない。
どうしたことか。
そして、そんな状況を知りながら、まだ原発を増やそうとする。
どうしたことか。
「狂気」としか、表現の言葉が見つからない。
既に、積みあがってしまった、使用済み核燃料の問題は、万年、10万年のオーダーで、後世まで、想像力を働かせ、10万年、20万年後の日本人の生活を守る、そのことを確固たるものにする、確信の持てる解決策を見出さなければならないのだろう。
今だけ良ければいい昨今の政治家には、所詮無理な芸当かもしれない。
だとすれば、科学に望みを託し、解決策を見出すことに、巨額の資金であろうと、投入すべきではないのか。
敵地攻撃能力の保有などと、世迷言を言っている余裕など、あるわけがない。
日本の安全保障を考えるなら、真っ先にやるべきことは、足元にたまった、危険極まりない「糞」の処理を考えるべきだろう。
毎日新聞の記者は、「溢れているよ〜」と木鐸を鳴らしている。
蛇足だが、「使用済み核燃料」とはどんなに危険なものか、下記に引用しておく。
「使用済み核燃料とは、ある期間原子炉内で使用したのちに取り出した核燃料を言う。日本においては、低濃縮ウランを核燃料として軽水炉で核反応させたあとのものを指す。 使用済み核燃料には超寿命核種である超ウラン核種や大量の核分裂生成物などが含まれており、その危険性と処理の困難さのため、その処理・処分が世界的な問題となっている。」 ウィキペディア
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/253.html
https://mainichi.jp/articles/20230210/k00/00m/010/280000c
政府の動きは鈍い。未だに、廃棄場所を探しているが、見つからない。
なので、これから、鉢巻を締め直して、頑張りま〜す、と出来の悪い浪人生のようなことを言っているよ。
という記事。
これまでの60年間は、何をやっていたのか。
以下は記事の抜粋だが、・・・内容は無い。
「みんなで渡れば、怖くない」的な、体よく地方自治体を巻き込み、政府のやってるふりだけ。
記事の抜粋
「原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分を巡って、政府は10日、関係閣僚会議を開き、「政府一丸となって、政府の責任で取り組む」と明記した基本方針の改定案を作成した。最終処分の候補地拡大に向け、国主導で全国の自治体への働きかけを強化する。・・・
改定案によると国は、経済産業省など関係省庁と地方の各出先機関に「関係府省庁連絡会議」「地方支分部局連絡会議」を設置する。各連絡会議は候補地拡大へ向け、電力会社や原子力発電環境整備機構(NUMO、ニューモ)と協力し、自治体などを個別に訪問して理解を求める。100以上の自治体訪問を想定する。・・・
・・・最終処分地の選定を巡っては、第1段階の文献調査が20年11月に北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村で始まったが、その後、受け入れを表明した自治体はない。西村康稔経産相は閣議後記者会見で、フィンランドなど先行する国々では10地域程度から絞り込みが進められているとして、「文献調査の実施地域を拡大させていくことが重要だ」と述べた。」
以上が記事の抜粋。
「核のごみ」とはいかにも軽い。実態は、「高レベル放射性廃棄物」
10万年も20万年も、放射能を出し続ける、危険極まりないものなのだが。
「核のごみ」と言えば、国民に、家庭から出る「生ごみ」と同じ扱いに出来る程度のものと思わせることが出来るとでも考えたか・・・。
国民も舐められたものだ。
いずれは、海に捨てるのが一番安上がりだと言って、海洋投棄が俎上に上って、議論にもならず、ひっそりと決まるのではないか。
地中に埋めるよりは、冷却されている分、安全だとかいって・・・。
それで思い出した。似たような「ごまかし」が、まだある。
よく言うわの「処理水」
上の空で聞いていると、水道水よりも、処理された分だけ「美味しそうな水」に聞こえる。
井戸水は美味しいと言われるが、これは、放射能たっぷりの「汚染された井戸水」だ。
これも、いかにも、放射能が除去されているかのような誤った認識を、国民に与える。
むしろ、そのことが目的で考え出されたものだから、世話が焼ける。
実体は、「放射能汚染水」であり、人体への危険は変わらないしろもの。
しかも、これも「処理水」とは言ってはみたものの、「核のごみ」同様、結局は「処理」に困って、とうとう、海に投げ出すと言い出した。
「処理水」なるものを海に放出する前に、目の前にある海水を汲んで、薄めてから、放出するからいいんだと、真面目な顔をして言う。
バケツに「処理水」なるものを入れ、そこに海水を加えて、薄めて、その後海の放出するのと、
「処理水」をそのまま海に放出するのと何が違うのか。
私には、幼稚園児にも分かるように説明することは出来ない。
「裸の王様」の寓話を思い出す。
しかも、その「汚染水」たるや、メルトダウンして地中に沈んでしまった、格燃料を取り出すことに失敗すれば、10万年も発生し続ける「放射能汚染水」となることを考えれば、とても正気な人間の考えることではないだろうと思うのだが。
そんなことを考える人間は、
人類を滅亡の危機に晒すことに、なんの躊躇もない「人非人」と言ってもいい。。
分かり易く言えば、「ひとでなし」だ。
さらに最近では、「反撃能力」という新語まで出てきた。
これも実態は「敵基地攻撃能力」であり、当初はそう言われていたもを、途中から言い換えた、そんな前科がある。
政府によれば、「相手が攻撃に着手したと日本側が主観的に判断すれば、先制攻撃も許される」という、プレミアム付きの、長射程で高性能なスタンドオフミサイルなんだとか。
こんな言葉の言い換えで、国民に降りかかる危険が、消滅するわけもない。
にも拘わらず、何度も同じ手口に騙される、独居高齢者の様に、国民は、いとも簡単に、受け入れてしまう。
政府、役人は、その成功体験に味をしめ、同じことを繰り返してきた。
そのような悪循環を断ち切らない限り、国民はこれからも、「舐められ続ける」ことになる。
何枚あるかも分からない「臭い舌」で舐められたら、私は生きていけそうもない。
何かしら、日本は、既に壊れて、世紀末の様相を呈しているような、暗い気持ちになる。
「王様は裸だよ!」と、声に出して言う勇気が求められている。・・・と思う。
そして、
「「核のごみ」を捨てる場所は、地球上のどこを探しても無いよ!。」
と、科学者は、声を上げるべきではないか。・・・とも思うのだが。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/254.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/318559/2
今スポットライトを浴びている「同性婚」について、そのことは、既に憲法が保障する、基本的人権であり、反対する理由は無いと、分かり易く解説してくれている。
一読すれば、本件に関して、論客になること、間違いなし。
記事の内容は、上記URLで、確認してもらうとして、
ここでは、
下記に小林先生の論拠を、箇条書き的に書き出すことにする。
私のコメントは、邪魔にしかならないので、遠慮したい。
以下は、主な論拠。
現在では、少数派の同性婚指向も多数派の異性婚指向と等価値な、各人の「先天的な個性」であることが証明されている。
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と明記している。これは人権総則と呼ばれるもので、人は全て個性的な存在であるが、それぞれの個性のままに生きることが、法的に保障されている……という意味である。だから、LGBTの人は各自の性的指向性に従った家庭生活が法的に認められているはずである。
憲法14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、差別されない」と明記している。従って、現在では、LGBTの人もLGBTであることを理由にして婚姻生活(つまり扶養、納税、相続等)について、法的に差別されないことが保障されている。
「婚姻は、『両性』の合意のみに基づいて成立する」と規定している憲法24条1項の読み方は次のようになる。つまり、ここで言う「両性」とは、まず制定時には「男女」であったことは明白である。しかし今日では、それを「男男」or「女女」と読んでも構わないはずである。なぜなら、これは、婚姻は「2人の成人の合意だけで成立する」という立法趣旨で、帝国憲法の下で存在した家制度(つまり親による拒否権)から婚姻制度を解放するものだからである。
結論は、
「同性婚制度を法制化するためには24条の改憲が必要だ」とする主張は、科学の進歩と人権の本質を理解しようとしない者による暴論以外の何ものでもない。
・・・・・・・
論拠を箇条書き的に書き出そうと、やっては見たものの、ほぼ記事の全文をコピーしたに等しい結果になってしまった。
これは、小林先生の言葉には、無駄が無かったという証左。
私が悪いわけではない。・・・と思っていただきたい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/260.html
11. 達人が世直し[1916] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月13日 18:10:59 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1157]
記事によれば、ジャーナリストの尾中 香尚里氏の認識は、
「・・・憲法改正や家庭教育支援法の制定への賛同を明記した「推薦確認書」を自民党国会議員に示し、署名を求めていたことを特報した。事実上の政策協定。・・・」
所謂、「政策協定」ということだが、
本質は、違うのではないか。
どういう理由かは知らないが、「推薦確認書」の全文が、記事になることが少ない。
仕方がないので、ググって、改めて、全文を目にすれば、最後の二行が、統一教会にとっては重要であり、議員に署名させる目的であること推察できる。
「推薦確認書」なるものの前段の「政策協定」もどきの文言は、カモフラージュであり、本質は、入会確認書、もっと言えば、ヤクザに差し出すごときの「念書」だろう。
そう捉えると、この問題の根の深さ、危険さが、よりよく見えてくるのではないか。、
以下は、画像検索で拾った「推薦確認書」(本物と信じるか信じないかはあなた次第)
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/257.html#c11
https://www.asahi.com/articles/ASR2B63RKR2BUTFK01R.html?iref=poltop_list_n
敵基地攻撃能力なるトマホークを大量に買ってもらうことになって、嬉しそうに見せびらかす、悪ガキのような姿を、恥ずかしげもなく国際社会に晒す、日本の防衛大臣のお話。
フィリピンとしては、「中国への先制攻撃は、お任せします。」と言ったところか。
歓迎されたらしい。
以下は記事の抜粋。
「浜田靖一防衛相は10日、来日中のフィリピンのガルベス国防相代行と防衛省で会談した。9日に両国政府が、フィリピン国内で同国軍と自衛隊が人道・災害支援訓練を行う際の手続きを簡略化する取り決めに署名したことを歓迎し、防衛協力をさらに進めていくことで一致した。
浜田氏は会談冒頭で、中国の海洋進出などを念頭に「両国とも力による一方的な現状変更やその試みに直面している」と指摘。「地域の平和と安定のため日本、米国、フィリピンの協力をさらに発展させていきたい」と述べた。・・・
浜田氏は、昨年12月の安全保障関連3文書の改定で、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決めたことなどを説明。ガルベス氏は歓迎する考えを示したという。」
記事の抜粋は以上。
・・・・・・・
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・と。
この発言は、既に世界に向けて発信されていて、今更取り消すことは叶わない。
そんな中、浜田氏も日本の防衛大臣として、そのことを、正式に、しかも自慢げに言ったのだろう。
「フィリピン」も、そうしたらいいよ・・・と。
しかも、記事によれば、
「・・・昨年12月の安全保障関連3文書の改定で、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決めたことなどを説明。・・・」
したとある。
国会審議が形骸化してしまってから、私たちは、長い時を経過させ、今尚、解決できていない。
この現状が、政府の暴走を許すことになった一因であることは間違いない。
安倍政権以降の政権の、正直な感覚なのだろう。
「閣議決定」なるものが、国の最高意思決定機関である「国会」の上に君臨するがごとき振舞、国の最高法規である「憲法」をも見下したような、「朕は国家なり」の態度。
到底、これ以上は、放置出来ないだろう。
放置すれば、日本は、「戦争をする国」にされてしまう。
私は、先制攻撃が許されていると、声高に叫ぶ為政者が現れるとは、これまで考えたことが無かった。
そして、国際法においても、国連憲章の敵国条項以外では、見たことも無かった。
そんな、バカな為政者を、他ならぬ日本が生みだしてしまうとは。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と、崇高な憲法を掲げている、その日本で・・・。
日本への信頼は地に落ち、信用失墜甚だしいことだろう。
今、日本は、立ち止まり、先の戦争の惨禍を思い起こし、日本国憲法の理念を尊重して、「戦争をしない国」という国際社会における名誉を堅持すべきだ。
そして、自衛のための抑止力を口実にして「敵基地攻撃能力を保有」すること、そのことが既に、憲法に違反するという認識に立つことが大前提ではないか。
「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
久し振りのショートコント。
「「フィリピン」も、そうしたらいいよ。」
「それって・・・。いや〜、私達は、ちょっと〜。」
「中国への先制攻撃は、日本にお任せします。」
「気を付けてね〜。」
「???・・・」
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/265.html
https://mainichi.jp/articles/20230213/k00/00m/010/199000c
「60年超(の審査)をどうするかが後回しで違和感を覚える」と言いながら、60年超の原発稼働を認めてしまう、不思議な原子力規制委員会の決定という記事。
自分には、何度読み返しても、理解できない。
記事の全文は、上記URLに飛んで、記事を直接読んでもらうものとして、ここでは、原子力規制委員会の委員の発言を取り上げている部分について引用したい。
それは、こんな感じになる。
「原発の運転期間を原則40年、最長60年とする「40年ルール」を改め60年超の運転を可能にする新規制制度を盛り込んだ原子炉等規制法(炉規法)の改正案について、原子力規制委員会は13日、多数決で5人の委員のうち4人が賛成、1人が反対し賛成多数で了承した。重要な決定事項で意見が一致しないのは異例。賛成委員からも「60年超(の審査)をどうするかが後回しで違和感を覚える」と拙速な決定を指摘する意見が出た。・・・
・・・規制委はこの見解を基に法改正の議論を進めてきたが、石渡明(いしわたりあきら)委員は「規制委の全体の意思として決定したものではなく、炉規法から40年ルールをなくしてもよいという議論にはならない」と根本から否定。・・・
・・・ただ、電事法の新規定では、さまざまな問題を抱えて審査が長引いている原発ほど、仮に審査を通過すれば、より長期間運転できることになってしまう。・・・
・・・8日の定例会で、地震・津波などの審査を担当する石渡明(いしわたりあきら)委員が指摘したのはこうした点だった。「審査が延びるほど、古い原発を動かすことになる」などとして、矛盾を意味する「二律背反になってしまう」と述べ、反対を表明していた。
・・・一方、他の委員は、たとえ運転期間の上限が延びても規制委が新たに10年ごとに安全性を審査、運転を認可する点に触れ、「(延長された期間が運転期間として)自動的に認められるものではない」(伴信彦委員)、「むしろ安全は強化される方向に向かう」(山中伸介委員長)などと述べ、見解が分かれていた。」
引用はここまで。
・・・・・
記事に取り上げられている各委員の発言を見る限り、言っている内容は、いずれも抽象的であり、科学者が、あるいは専門家が、自身のこれまでの知見、経験、学識、それらのすべてを出し尽くすような議論とは程遠いのではないかと感じてしまう。
しかも、対象としている原発を、設計し、製造し、品質保証した当人達は既にいない。
機械には、品質にバラツキが出ることが避けられない。
それは、設計品質のバラツキ、部品品質のバラツキ、材料の性能、強度のバラツキ、製造品質のバラツキ、そして、今回の議論の対象となる、「製品寿命」のバラツキ、などなど。
それらは、個々の原発で、それぞれ状況は違っているはずだ。
いまの原子力規制委員会の5名の委員が、個々の原発に作り込まれたであろう「製品寿命」の状況を把握しているとは、到底思えない。
我々が一つの原発の「製品寿命」は何年かを知るすべは、あくまでも「設計値」でしかない。
しかもその「設計値」も、決して保証値ではなく、色々な品質上のバラツキ考慮し、「安全係数」という概念を加えて、何とか安心して使える期間を導き出しているという代物だろう。
従って、その「設計値」でしかない「製品寿命」を設計者でもない人間が、勝手に延長するなど出来るはずが無いだろう。
それは単に設計書の改竄でしかない。
しかも、物が、原発であり、いったん事故が発生したときの重大な影響を考えれば、到底許されることではない。
ましてや、「検査中で実稼働していなかった期間は、寿命のカウントから外す」などは、「機械の寿命」も知らない、素人の戯言でしかない。
そんな「素人の戯言」を、「原子力規制委員会」の委員は追認すると言うのか。
原子力規制委員会の山中伸介委員長は
「むしろ安全は強化される方向に向かう」
と言ったそうだが、
どのような根拠をで、そう言ったのか、公人として、説明責任を果たしてもらわなければならないのではないか。
私には、到底理解できない。
「60年超(の審査)をどうするかが後回しで違和感を覚える」
との発言は、60年超の「安全審査」、「検査」をどうしていいか分からないと言っているに等しい。
当然だろう。
設計した人が保証していないんだから。
日本で原発が稼働して、50年余り。
その間、大小さまざまな事故を経験してきた。
そんな中で、原発はその寿命を、既に越え始めている。
日本は今や、
原発の寿命を越えて、40年を超え、さらに60年を越えて、稼働させるという、「未知の領域」に足を踏み入れようとしている。
しかも、「素人の戯言」によって。
原発の寿命を越えて稼働させたとき、此の先、何が起こるか、誰も分からない。
もしかしたら、何も起こらないかも知れない。
しかし、やっぱり、起きるかもしれない。
そのことは、「60年超(の審査)をどうするかが後回しで違和感を覚える」と言わしめるような、あての無い「検査」、「審査」では防ぎようがない。
寿命を越えて稼働させないという選択をする分には、新な危険の発生の可能性は無いわけだから、選択肢は、これしかないではないか。
日本は、原発の町に住む住民を、新たな危険に晒すような、「未知の領域」に足を踏み入れるべきではない。
紆余曲折はあろうとも、原発よりも、もっと優れた、そして安全な、再生可能エネルギーの活用に、方針を定めるべきではないのか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/272.html
11. 達人が世直し[1917] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月15日 16:58:27 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1158]
今回の日銀総裁選び騒動の裏で、悪あがきしていたらしい、自民党清和会の動きが、見苦しい。
総裁候補の名が、下馬評に上り、そして最後も国会提示前に事前に漏れてしまう。
こんなバカな情報管理はあり得ない。
しかも、メディアのインタビューまで受け、わざわざ、黒田日銀の異次元な金融緩和政策を了と言わしめ、電波に乗せる。
政府が、マスコミを利用して流した「観測気球」と見た方が納得がいくというものだ。
そのあたりの裏事情を、朝日新聞が喝破して、記事にしている。
下記URLで見ることができるが、残念ながら、有料記事で、途中まで・・・。
https://www.asahi.com/articles/ASR2G71TYR2GUTFK00P.html
記事のタイトルは、
「「間違うと安倍派と政局になりますよ」牽制された首相 日銀総裁人事」
記事を少し抜粋すると、
「日銀新総裁の人選をめぐっては、安倍派(清和会)の出方も焦点の一つだった。安倍晋三元首相の遺産ともいえる「アベノミクス」に、これからどう向き合うのか。岸田首相が対応を誤り最大派閥の反発を招けば、政権が不安定化する恐れもあった。・・・
・・・「日銀総裁人事で間違うと、清和会と政局になりますよ」。昨年11月下旬、岸田首相と会食した安倍派幹部はそう念を押した。「アベノミクスはまだ道半ばだ。金融政策を転換する状況にはない」。2月3日の記者会見で、同派の世耕弘成参院幹事長はそう強調した。派内からも「アベノミクスを否定する人を充てるなら、国会同意人事で造反して反対する」(中堅議員)との声も漏れた。
首相「アベノミクスの否定に見えないように」・・・
抜粋はここまで。
・・・・・
この後はなんと書いているのだろうか、興味が尽きない。
しかし、岸田首相の「アベノミクスの否定に見えないように」という言葉が、これまでの経過の全てを表していると言えよう。
こんな状況では、「日銀の独立性」を云々する気力も失せるが、・・・
「面従腹背」であることを、僅かではあるが、期待したい。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230214-OYT1T50286/
「敵基地攻撃能力としての要」であったはずが、いつの間にか、こっそりと、そしらぬ顔で「反撃能力の要」に宗旨替え。
そんな、いい加減な、そして日本にとって危険な「代物」を、日本各地にばら撒くんだという記事。
読売新聞が、政府広報の役目を立派にこなし、面目躍如といったところか。
以下に、記事の抜粋を示す。
「防衛省が2023年度に予定する弾薬庫の整備計画が明らかになった。「反撃能力」の要となる「スタンド・オフ・ミサイル」などを保管する大型弾薬庫について、大分県や青森県などの自衛隊施設で約10棟の整備に着手する。・・・
・・・これらの施設は、自衛隊の機動展開の拠点などに位置づけられ、有事の際には、ミサイルを前線に輸送する拠点にもなる。・・・
・・・大型弾薬庫は35年までに、全国で約130棟整備することを計画しており、新年度は第1弾となる。
保管するミサイルは、相手の射程圏外から発射できる長射程ミサイルで、26年度にも部隊配備が始まる陸自の12式地対艦誘導弾の改良型や 島嶼とうしょ 防衛用高速滑空弾などだ。取得を予定している米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の保管も想定している。・・・
・・・弾薬庫の整備には、地元の理解が不可欠なため、同省は自治体との調整や住民への説明を丁寧に行う考えだ。・・・」
記事の抜粋は以上。
・・・・・
「スタンド・オフ・ミサイル」とは、どんなミサイルなのか。
そもそも、スタンド・オフとは何ぞや・・・。
調べてみた。
英語から翻訳-スタンドオフ兵器は、攻撃要員が標的領域からの兵器または防御射撃の影響を回避するのに十分な距離から発射される可能性があるミサイルまたは爆弾です。通常、それらは攻撃作戦で陸上および海上の目標に対して使用されます。 ウィキペディア(英語)
明らかなのは、防御用ではなく、あくまでも「攻撃用」ということだろう。
相手からの防御用射撃の射程外から、撃ち込むという前提に立てば、一見無敵なミサイルに思われる。
だとすれば、敵の射程内に位置する日本全土のどこに配備するというのだろうか。
自己矛盾も甚だしい。
日本は、自ら、「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と世界に向かって、公言している。
「あんた方もそうしたらいいよ・・・」
と言われたからでもないだろうが、
いざ戦端が切られそうになったら、真っ先に攻撃を受けるのは、当然、虎の子の「スタンド・オフ・ミサイル」基地ということになるだろう。
子供でも、簡単にわかる。
すなわち、「スタンド・オフ・ミサイル」基地と、その周辺が、最も危険な地域となり、そこに住む住民は、生きた心地がしないだろう。
日本は「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と言っている。
今回の「スタンド・オフ・ミサイル」の配備を見て、近隣諸国は、「日本が攻撃に着手した」と考えない保障は無い・・・と。
「・・・自治体との調整や住民への説明を丁寧に行う考えだ。・・・」
どんなことを、「丁寧」に説明しようというのか?。
皆さんが、お国のため、日本のために、犠牲になって下さい、決して無駄にはしませんから・・・とか?
日本の為政者の意識は、相手の軍備に怯え、あるいは、怯えた振りをし、相手国の軍事的脅威を喧伝し、既に軍拡競争という「麻薬」に侵されているのではないか。
一時の「根拠のない安心を得るために、金を湯水のごとくつぎ込む」。
まさに、薬物に溺れた人間の有様ではないか。
日本は、先の侵略戦争の反省から、近隣諸国に対して、「軍事的脅威」を与えることは、放棄した筈ではなかったか。
そして、そのことを、「憲法に明記」し、「専守防衛の理念」を堅持し、それなりに国際社会から「戦争をしない国」との名誉を得ていたのではなかったか。
そんな、日本のこれまでの努力も、「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」という一言で、一瞬にして水泡に帰してしまった。
「スタンド・オフ・ミサイル」などというものは、解説にあるように「敵基地攻撃」用であり、どう言葉を変え、どう言い繕おうとも、近隣諸国にとっては、日本から受ける「軍事的脅威」そのものでしかない。
一度失った信頼は、簡単には取り戻せないだろう。
近隣諸国に「軍事的脅威」を与え、近隣諸国の信頼を失うこと、そのことは、、日本にとっても「軍事的脅威」しか生まない。
そんな、国民を危険に晒すようななものは、保有してはいけない。
憲法でも、厳しく、禁じているではないか。
日本は、永久に、「戦争をしない国」であり続けなければならない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/277.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/231351?rct=politics
岸田首相は「(安全規制での)新たな科学的、技術的知見の存在を踏まえ改正するものではない」と認めた上で「エネルギー需給の逼迫ひっぱくへの対応といった利用政策だ」と説明した。
福島第一原発事故の反省が、どこかに置き去りにされているという恐ろしさ。
今の政府の無知ぶり、無責任ぶりに震撼させられる。
そんな記事。
国会でのやり取りの記事なので、下記に記事の全文を記す。
「 岸田文雄首相は15日の衆院予算委員会で、政府が最長60年としてきた原発の運転期間延長を決定したことに関し「(安全規制での)新たな科学的、技術的知見の存在を踏まえ改正するものではない」と認めた上で「エネルギー需給の逼迫ひっぱくへの対応といった利用政策だ」と説明した。立憲民主党の枝野幸男前代表は「安全性よりも利用を優先した」と批判した。
【関連記事】原発運転60年超を石渡委員反対のまま多数決で決定 原子力規制委 独立性はどこへ…
首相は運転延長する原発の安全確保を巡り「運転期間がどうあっても、原子力規制委員会の基準に適合しなればならない」と強調。「安全性が大前提ということは全く変わらない」と正当性を主張した。
枝野氏は「首相の議論では、基準が満たされれば永遠に使い続けてよくなる」と反論。
原発の特殊性について「橋やトンネルと違い、近づいて内部を点検できない。だから最長期間は守らなければならない」と指摘し「運転期間を延長しても事故は起こらないというのは安全神話に戻っている」と断じた。
政府は10日に「原則40年、最長60年」としていた原発の運転期間を改める基本方針を閣議決定した。(市川千晴)
以上が、記事の全文。
・・・・・
東京新聞は、もう一つ記事を書いている。
こちらは、原子力規制委員会の出鱈目さに、腹が立つ。
怒りに任せて、これも全文引用する。
記事のタイトルは、
「規制委は意見を言わない」…原発運転期間見直しの検討チーム設置 また多数決で反対論置き去り
以下記事の全文。
「 原子力規制委員会は15日、定例会合を開き、原発の60年超運転に向けた新たな規制制度の詳細を決めるための検討チームを設置するかどうかについて議論した。13日の臨時会で制度変更に反対した石渡明委員は、チームの設置にも反対を貫いた。ただ、石渡委員以外の4人が賛成し、設置が決まった。規制委が反対論を置き去りにし、60年超運転に向けた議論を本格化させようとしている。
新たな規制制度は、原発の運転開始から30年後を起点に10年以内ごとに劣化を審査し、規制基準に適合していれば運転延長を認可する。検討チームは、設備の審査を担当する杉山智之委員と事務局職員で構成し、審査内容の詳細を検討する。
定例会で、石渡委員は「(規制制度の前提となる)法改正に反対なので、この提案にも反対する」と述べた。山中伸介委員長は「ほかの委員は了承で構わないか」と投げかけると異論は出ず、多数決で決定した。
また定例会では、法改正する際の手続きとして必要な政策評価についても議論。今回の運転期間を巡る規制見直しを「規制緩和ではない」と事務局が評価したことに対し、石渡委員は「『原則40年、最長60年』と書かれたものを法律から外すのに、なぜ規制緩和ではないと言えるのか。常識的には納得できない」と指摘した。山中委員長は「運転期間は安全規制ではないというのが大前提。規制委は運転期間について意見を言わない」と反論した。
定例会後の記者会見で、山中委員長は委員間の意見が割れたまま手続きが進むことについて「委員会は合議制であり、意見が割れることは問題ない。今後も議論を続けることで、認識を共有できればいいと思う」と話した。(小野沢健太)
記事の引用は以上。
・・・・・
二つの記事を読めばわかるが、
要するに、60年超の原発の安全性を、どう審査、検査するかについては、これから考えるんだと・・・。
その検討チームをこれから作ろかどうか議論し、多数決で決めた・・・と。
原子力規制委員会は・・・今はまだ、こんなところを彷徨している。
今までは、原発の60年超の稼働は誰も考えていなかったと告白しているのだが、そのことは、同時に、今稼働している原発は、60年超の稼働を想定して設計されていないことを、また、60年超の稼働を想定して製造されていないことを示してもいる。
そんな原発を、門外漢の総理が、
「エネルギー需給の逼迫ひっぱくへの対応といった利用政策だ」
と「エネルギー需給の逼迫」を口実に、強行する。
そして、口では、「安全性が大前提ということは全く変わらない」と「うそぶく」。
ウクライナ戦争を利用して、戦争の不安を煽り、「敵基地攻撃能力の保有」を正当化するのと、全く同じ手口ではないか。
そして、「専守防衛」の理念には、反しないと「うそぶく」。
山中委員長は
「運転期間は安全規制ではないというのが大前提。規制委は運転期間について意見を言わない」
といった、と記事にあるが、岸田首相の「・・・利用政策だ」と言ったことと符合する。
山中委員長は、裏では政府とつるんで、既に、口裏を合わせていることが伺える。
全ては、この時のために、委員長の職をあたえられたのだろう。
原子力委員会の独立性などは端から無く、政府にとって都合のいい結論を提供する、御用機関であることを、隠そうともしなくなった。
科学的知見を基に、一つの真実に迫ろうとするのが、科学者の姿勢であると思っていたが、日本の場合は、「多数決」で真実が決まるようだ。
まるで、現代の「天動説」を見る思いだ。
と思ったが、思い直した。
原子力委員会の議論も、政府の政策決定も、科学とは「無縁」だと。
「運転期間は安全規制ではないというのが大前提。」
この言葉には、誤魔化しがある。
こんなことは、科学とは「無縁」を自認する、素人衆でも、よう言わん。
「運転期間は原発の寿命が来る前まで、というのが大前提。」
そのうえで、安全規制を厳しく定めていくものではないのか。
寿命を越えた原発を稼働させたとき、何が起こるか、誰も分からないのだから・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/290.html
https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=637002&pid=3148580&rct=politics
言葉が命の政治家諸氏の間での、日本語の乱れが凄まじいという、情けない「永田町事情」を暴いた記事。
記事は短いので、全文を以下に引用する。
「松野博一官房長官は16日、衆院議院運営委員会理事会に出席し、次期日銀総裁に植田和男氏を充てる人事案が14日の国会提示前に報道された経緯を巡って陳謝した。「事前報道は遺憾だ。政府関係者に聴取した結果、情報漏えいの事実は確認できなかった。再発防止を徹底する」と述べた。
立憲民主党などの野党は、人事案の事前報道や、植田氏が提示前に記者団の取材に応じたことを問題視し、政府に説明を求めていた。
日銀総裁の任命には衆参両院の同意が必要。両院の議院運営委員長は2013年、人事案の事前報道があった場合は、政府に情報漏えいの有無を調査させると申し合わせた。」
記事はたったこれだけ。
次期日銀総裁に植田和男氏を充てる人事案が14日の国会提示前に報道された、その事実をもって、世間では「情報漏洩があった」と言う。
そういう前提に立って、野党は「情報漏洩があったという事実を前にして、その経緯の調査と、説明」を求めたのではないのか。
松野博一官房長官は、
「・・・情報漏えいの事実は確認できなかった。」と言う。
しかも、「確認」できなかった・・・と。
私:いやいや、そこは、「確認」するところではないでしょ。情報漏えいの事実があったから調査したのでは・・・。
「再発防止を徹底する」と述べた。
私:いやいや、情報漏えいの事実が無かったら、再発防止は必要ないでしょ・・・。
松野博一官房長官の報告に対する、野党の反応は記事に書かれていないが、どうだったんだろうね。
こんなんで、
「了解!、ごくろうさん。記事には陳謝したと書いといてもらおう。」
で終わったのかな?
「それじゃぁ、このまま「慰労会」といきましょうか。費用は官房機密何とかで・・・。ね!、官房長官!」
「ところで、マスクしていくの?」
「慰労会」に行かなくても、世間では、その前段までの芝居で、十分「茶番」と言う。
松野博一官房長官の「陳謝」などは、「猿芝居」よりも酷い。
誰が情報を漏らしたかは、
植田氏が提示される前に、取材に集まっていた記者団に尋ねれば、すぐわかることだと思うのだが・・・。
「ねぇ〜君。このことを誰から聞いたの?」
「お土産配ってた、あの人?」
犯人が、赤の他人の役人なら、「処分」すれば済むだけなのに〜。
永田町事情って、変なの。
日本語もままならない、永田町の田舎芝居は、これでもう「幕」なのかな?。
そういえば、細田衆議院議長との懇談会も、あれっ切りなのかな?
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/297.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/318821
「かつて共産党安保外交部長を務めた党員が、党内での議論を経ずに、出版という形で党の基本政策を外部から批判して、除名処分になった。」
この問題に対する、メディア各社の、判官贔屓的論調に、小林氏が警鐘を鳴らす。
「その背景として、憲法21条が保障している「結社の自由」に対する無理解がある。」
と指摘する。
以下記事の抜粋を記す。
「・・・「組織」である以上は当たり前のことであるが、・・・統一地方選を前にして、「共産党は異論を許さない怖い政党だ」というキャンペーンに発展しているように見える。・・・
・・・その背景として、憲法21条が保障している「結社の自由」に対する無理解がある。
私たちは、誰でも、意見の合う仲間と組織(結社)をつくる自由がある。結社には、誰を仲間にするかという会員資格や党議拘束などの内部規律について、それぞれに独自の規約を作り、必要に応じて除名を含む懲戒権も保障されている。これが結社の自由という人権の法的効果である。
「除名」について言えば、その結社の規約に従えない会員は、本来ならば組織内で文句を言った上で自ら退会する。それがその個人の結社の自由である。にもかかわらず、あえて組織内に残り故意に規約違反を行い反省しない者に対しては、懲戒しなければいかなる組織であれもたない。・・・
・・・「党首公選制」(これは当然に派閥活動を生む)の採用を党内で一度も提起しなかった党員が、時間をかけた出版物を外部で公刊して党を批判すれば、どの組織においてであれ、除名されて当然である。
その結果、「異論を封じる怖い共産党」だという、事実には反するが、その党員による見事な反党キャンペーンの成功ではある。」
記事の抜粋は以上。
・・・・・・
こうして解説されてみると、何やら、この騒動は、あらかじめ仕組まれていたと考えても、不思議はない。
除名されたジャーナリストにとっては、自分の著書の格好の宣伝となる。
反共産党な組織から見れば、言わずもがなだろう。
そんな、怪しげな騒動に、
「・・・憲法21条が保障している「結社の自由」に対する無理解・・・」
という自覚もなく、誤った正義感を振り回すメディアは、猛省が必要なのではないか。
しかしながら、結果は、メディアを巻き込んでの、「・・・その党員による見事な反党キャンペーンの成功ではある。」
一方で、志位委員長他、共産党の、メディアによる「謂れのない批判」に負けない、毅然とした態度、対応には、改めて感服したと、記しておきたい。
誰が、「表現の自由」をはき違えているか、小林氏の解説で明らかではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/299.html
16. 達人が世直し[1918] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月19日 17:29:05 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1159]
スレ主ですが、論点が、ずれているというか、問題のすり替えが起きているので、もう一度最初に立ち返るきっかけにしてほしい。
小林氏が言うように、
「その背景として、憲法21条が保障している「結社の自由」に対する無理解がある。」
との指摘は、ここ、阿修羅掲示板でも、そのまま当てはまりそうだ。
>>8 氏が引用している記者会見での志位委員長の言葉にある通り、
「異論を持っているから排除したわけではない・・・党の規約に違反したから」
というのが理由
松竹氏は、党のルールに従って、自身の意見を党に訴えたのであれば、いざ知らず、突然、出版物を通して、党の反論の機会もないままに、党員の名の下に異論を公表する行為は、どのような団体においても、処分の対象となるのは当然ではないのか。
この場合の処分の軽重は、問題ではない。
問題の本質は、松竹氏の「主張の内容」ではなく、「行動の内容」にあると捉えるべきでだろう。
そのことを、小林氏も、
「憲法21条が保障している「結社の自由」に対する無理解がある。」
と指摘しているということではないか。
ここで憲法21条を引用しておこう。
第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
たったこれだけなので、他の資料の力を借りる必要がある。
小林氏の言う、「結社の自由」を別の資料を引用して、確認しよう。
結社とは、
@多数の人々がある共同目的を達するために任意にかつ継続的に結合する行為であるとともに、
Aその結合によって構成された団体(社団)それ自体を意味する。
「結社の自由」とは、
@の場合、個人が国の干渉を受けることなく他人と結合しうること(個人的自由)をいい、その消極面として、団体への加入を強制されないことを含む。
Aの場合、団体の組織・運営が国の干渉を受けないこと(団体自治権)の保障を意味する。@の消極的結社の自由は、結社しない自由ともいいうる。
「結社」に対する国の干渉は、
(a)結社を組織する個人に対する処罰、
(b)団体の結成に関する事前抑制、
(c)団体の活動に対する事後規制などにあらわれる。
自由主義の原理は一般に、
(a)結社を組織する個人を刑罰から解放することを意味し、
(b)結社に関する許可制または届出制の禁止を要求し、
(c)必要かつ合理的な禁止・解散制度しか認めない。」
とされる。
引用はここまで。
・・・・・
「結社」は、目的を一にした、「任意」の人達の集まりであり、その組織の運営は「自治」ということが、重要な意味を持つ。(団体自治権)
そのことは、国は勿論、組織外からの、いかなる干渉も許されないことを示している。
当然、組織へ入ることは強制されないし、脱退も自由が保証される。そのことは、憲法の保障するところだろう。
纏めると、
結社の自由とは、任意に集まり、その組織のルール、運営に対しては、自治権が保証されている、そして、その構成員は入退会の自由が保障されているということになろうか。
志位委員長は勿論、小林氏が危機感を持っているのは、
「憲法21条が保障している「結社の自由」に対する無理解がある。」
その無理解によって、
国民が自らの行動で、「結社の自由」を失うことではないのか。
国民が自らの行動で、「表現の自由」という基本的人権を失うことではないのか。
65. 達人が世直し[1919] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月19日 22:19:31 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1160]
日本政府は、トマホークなるものを500発も購入して、どうやって使うつもりなのか。
しかも、一括購入という「大人買い」。
アメリカもビックリ、真っ青ではないか?
「本当に、いいの〜?。あんなものを・・・」
日本政府の説明によれば、日本がトマホークを導入する目的は、
「敵基地攻撃能力の要」に位置づけ、相手国が、「日本への攻撃に着手したと、日本が主観的に判断した時には、相手国よりもいち早く、トマホークを発射し、相手国の領土内に奥深く侵入し、ミサイル基地を破壊する」
ことにある、という事らしい。
その結果は、ミサイル基地の破壊に成功したとしても、同時に、基地を守備していた軍人はもとより、その周辺に暮らす多くの民間人を、老若男女を問わず、赤子、乳飲み子まで、無差別に殺傷することになる。
そのことは、少し想像力を働かせれば、誰もが思い付くことだろう。
すなわち、トマホークを発射することは、相手国の軍人、民間人問わず、「人を殺す」行為ということにしかならない。
日本には、殺人行為を認められている人間はいない。
そんな日本で、誰がトマホークの発射ボタンを「押す」だろうか。
発射ボタンを「押す」実行者は、殺人罪に問われ、
命令を下した上司は、殺人強要、または殺人教唆で、殺人の共犯。
しかし、良心に従って、命令を拒否すれば、公務員規定に従って、精々懲戒処分で終わる。
日本人は、どちらを選択するかは、明らかではないか。
日本人の良心を信じれば、トマホークは、その発射ボタンを押す人もなく、各地に新設した大型弾薬庫なるものの奥で、埃にまみれ、錆放題のまま、購入したことすら忘れられて、朽ち果てていく運命を辿ることになる。
壮大な無駄という以外に言葉が見つからない。
72. 達人が世直し[1920] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月20日 20:57:47 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1161]
>>71 氏
>日本は相手に「敵地攻撃」をしてはいけないんですか。
勿論、そんなことしちゃ、いけません。
憲法にも、そんなことは、永久にしません、と書いてあります。
日本人には殺人行為を認められている人がいないので、敵基地を攻撃して、軍人や、民間人を殺傷するトマホークの発射ボタンを押せる人がいないのです。
>>65 で書いた通りです。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが・・・
しかし、そういう事なのです。
何度も同じことを書き込むもんじゃないよ。
また、無限ループの誘いか?
この件と同じことに関する私のレスは、下記リンク先で確認できるが、
「首相、戦闘機飛来で敵基地攻撃も 反撃力発動排除せず(中日新聞)」
のタイトルで、私がスレ主になったスレッドで、いやというほど、説明したはずだが・・・
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/229.html#c74
そこでは、
自衛隊法 第82条の3第1項
(弾道ミサイル等に対する破壊措置)
という法律をを示しながら、さらに、こういう内容を書いていた。
普通に考えれば、ある日突然ミサイルが飛んでくることは、考えられない。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と言って、突然ミサイルを撃ち込むようなことをすると言っているのは、日本くらいだろう。
当然そこには、二国間の紛争、揉め事があると、仮定しなければならない。
相手国と、日本の間に、紛争があり、それを解決するための「外交」というプロセスがあって、それでも、解決せずに、日本を侵略する程の紛争とは、どんなものなのか。
そのことの説明があって、初めて、
敵国が、日本を侵略する理由は何か?
を理解し、それに備える準備が出来るというものではないか。
氏は、そのことを説明した上で、問いかけをしなければならないのだろう。
なので、「まず、そのことをやってください。ね。」
・・・・・
そう言ったはずだが、
それに対する氏のレスは、
>あなたの要求には答えられないと謝ることにしよう。
>>読者の判断に任せることとしよう。
だっただろ?
それは、つまりは、質問の拙さを認め、「負け犬」のごとく、尻尾を巻いて「逃げちゃった」ってことだろ?
それで、また「同じ質問をする?」
普通の感覚と理解力の持ち主なら、やらないだろう〜。
不審があれば、上記リンク先で確認してくれ。
自分で言ったことに対しては、責任を持ってくれないとな。
そんな姿勢だから、「無限ループ」と揶揄され続けるということに、そろそろ気付いたらどうだ?
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが・・・
「専守防衛」とは、文字通り、「守りに徹する」ということだろ?。
>日本は相手に「敵地攻撃」をしてはいけないんですか。
「敵地攻撃」、それは、「守りに徹している」とは言わないな〜。
ところで、この場合、日本はなんで「侵略」されてるんだっけ?。
74. 達人が世直し[1921] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月21日 20:28:37 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1162]
>>73 氏
藪から棒ならぬ、物陰から竹やりで突っつくか?。
しかも、言っていることは、概ね、投げやり。
そして、最後は、>・・・がね(笑)と、いつも、やり逃げ。
これまた、冒頭から、恒例行事になった「子猫のマウント」
しかも、それが「人格攻撃」という詭弁の見本であるとの、自覚も無い、ヘタレ。
>しっかし、バカ左翼も転向右傾化したよな。
しっかし、「アンタ」は、相変わらず言葉が的確ではないね。
バカ左翼が転向右傾化したら、「アホ右翼」じゃないか?。
そこまでいかなければ、「マヌケ中道」とか。
「転向」の意味すら理解できていない。
バカ左翼とは、バカな左翼ということで、左翼には違いない。
そんな矛盾に気が付かないのは、「アンタ」のように、転向右傾化した「アホ右翼」の証。
「アホ右翼」から見れば、自分達以外は、みんな「バカ左翼」に見えるの図、ってことだ。
いい加減、こんなバカげた書き込みをするのは、止めたらどうだ?
その方が「アンタ」の為でもある。
「自民党のパシリ」を暴かれたせいか、最近は「自民党のパシリ」振りを隠そうともしなくなったな。
>社会党とか共産党とか憲法学者とか平和団体とかが・・・
まただな、・・・社会党・・・学者、。今度は、平和団体まで、・・・。この次は何が出てくるか、楽しみではある。
>都合よく記憶喪失しているのだろうが、
>恥ずかしげもなく過去の記憶を失うのは呆れるというか…見てて苦笑いするね。
ここのくだりは、典型的な「藁人形論法」という詭弁、・・・な。
根拠もなく、相手を記憶喪失者に仕立て上げ、そのうえで、「恥ずかしげもなく」とか、「呆れる」とか、一方的にディスる。
最後は、「…見てて苦笑いするね。」・・・と、引きつった「笑い」で勝ち誇ったように、自己満足。
なんとも・・・哀れ〜。
私は、そんな「アンタ」の「子猫のマウント」を見て、またやってるわ、と高笑いだけどね。
それも、さすがに飽きたわ。
>どうせアンタの今の主張も、10年経てば投げ捨てられるんだろうな、という印象。(笑)
投げ捨てるということは、その前に拾った人がいるという事かな?
それもこれも、「アンタ」が「独自理論解釈」と絶賛してくれたおかげかもね。・・・いや〜。その節は「ども」
ところで、
>・・・政府の想定する反撃能力というのは、・・・
と解説し、
>・・・あくまで「我が国への武力攻撃の発生」が必要とされている。
と、弁護するあたりは、そのまんま「自民党のパシリ」でしかないね。
しかも、情報が古い。
日本政府は、今では、国際社会に向かって、こう公言している。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
「アンタ」が言うのとは、大分違うなぁ〜。
この違い、分かるかなぁ〜。分かんね〜んだろうなぁ〜。
>「武力攻撃」を都合よく認定するのは過去世界各国が幾度となく行ってきた。
その後に続く、世界史の講義も「物知り顔」ばかりが鼻について、辟易するものでしかない。
しかも、歴史に学んで、反省するのかと思いきや、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
などと。とんでもないことを言った奴を、擁護するに至っては、「自民党のパシリ」の証。
言い訳にもならない「晋ちゃんだって、やってるもん」というのと同じ、まるで、お子ちゃま論法。
「アンタ」が学ぶべきは、世界史の前に「日本史」だと思うぞ。
>都合よく記憶喪失しているのだろうが、
先の大東亜戦争で、日本軍は、大陸に進出し、各地で、自衛権の行使を口実に、侵略戦争の戦端を開き、拡大してきた。
そういう歴史的事実の反省に立って、憲法9条は、世界に向かって、「日本は、他国に対して、軍事的脅威にはならない、軍事的脅威を与えない。」と宣言したものだ。
一度戦端が開かれてしまったら、「アンタ」が言うように、
>お互いに、“先に攻めてきたのはアッチだ!”を叫ぶ。
そのことは、世界史を勉強しなくても、日本史を少しかじれば、日本がやってきたことだから、その例は枚挙にいとまがない。
だから、「戦争」はやっちゃいけないんだろ?
日本は他国に対して、「敵地攻撃」をしちゃ〜いけないんだろ?
日本は他国に対して、「軍事的脅威」を与えちゃ〜いけないんだろ?
折角歴史を勉強したなら、そういう結論に至らなきゃ。
戦後積み上げられて来た、日本国民の平和を願う努力が、アイツの言った、たった一言、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
このことを世界に向けて公言したことで、日本が、国際社会で得ていた「戦争をしない国」との栄誉が、日本に対する信頼とともに、崩れ去ってしまった。
そして、トマホークなる「敵基地攻撃」用のミサイルを保有するに至っては、近隣諸国への「軍事的脅威」でしかなく、その脅威はそのまま日本に跳ね返ってきて、日本人までもが、「軍事的」脅威を感じることになって、今や右往左往する始末ではないか。
相互に抱く「脅威の感情」は、必然的に「軍拡競争」の始まりを告げ、そのことは永久に続き、行き着く先は「核兵器」の保有、そして核戦争の引き金を「バカな誰か」が引き、人類が滅亡するまで、終わらない。
今、日本は、その入り口のドアを開け、一歩も二歩も足を踏み入れたところだ。
悪いことは言わない。今すぐ、引き返すことだ。
悪いことは言わない。「自民党のパシリ」などは、今すぐ、やめることだ。
悪いことは言わない。こんな意味の無い書き込みは、今すぐ、やめることだ。
ところで、結局「アンタ」は、>>73 の書き込みで、何を言いたかったんだい?
いつもの通り、自分の考えが無いのは分るんだが・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/300.html#c74
49. 達人が世直し[1922] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月22日 22:57:51 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1163]
第2次世界大戦の勃発とドイツの優勢は、日本とドイツとの提携の機運を高めた。
国内では近衛文麿の新体制運動が盛り上がりを見せ、昭和15(1940)年に各政党は解党し、大政翼賛会が成立する。
翼賛政治体制に批判的な議員もいたが、以後終戦まで、議会は戦争遂行に協力する機関となった。
当時の新聞各社も、戦争を賛美し、大本営の発表をそにまま記事にして国民を煽り、軍部の戦時政策を支える側に回った。
大政翼賛政治体制が、一般国民を巻き込んで、一種の集団催眠状態の中で、あの悲惨な戦争が進められ、日本人だけでも300万人あまりの死者を出す惨禍を招くことになった。
そのことを忘れていない人はまだ多い。
戦前、そんな社会情勢の中にあっても、戦争反対を叫んでいた政党は、共産党だけだった。
その事実は消すことは出来ない。
結果として、共産党は体制側から過酷な弾圧を受けることになったが、滅びることもなく、戦後見事に蘇って、今の共産党がある。
当時の新聞は、戦争を賛美し、こぞって共産党を叩く側に立っていたのではなかったか。
その事実も消すことは出来ない。
今の日本は、急激に、「戦争をする国」に変えられようとしている。
ヨーロッパの戦乱、戦況に大きく影響されているところも、先の大戦のときに状況が重なる。
そして、メディアが、「共産党」を謂れもないことで批判する今の状況も、大戦前夜の状況に良く似ているのではないか。
今回の共産党員の「除名」は、憲法で保障された「表現の自由」、その中の「結社の自由」を、メディアの誤った理解のまま、似非正義、似非民主主義を振りかざして「共産党」のみを批判する姿に、戦前を思い起こし、背筋が凍るような恐怖を覚え、危機感を強くする。
「共産党」の党員に対する懲戒処分は、結社に保障された「自治権」に基づいて、、組織のルールを決め、そのルールに従えない組織員に対して、組織のルールに則って対応しているに過ぎない。
何処に独裁の影が有り、どこが民主主義に反しているというのか。
組織のルールに従わないものを、組織のルールに則らないで放置する方が、よほど非民主主義的行動ではないのか。
放置すれば、「なんで、あいつだけが・・・」となるに違いない。
今、国会では、ガーシーと言う無法な議員の懲戒処分が発出されている。
そこでは、「除名」処分も取りざたされているではないか。
それは、民主的に決められた規則にそうあるからであり、皆も、民主的な行動と思っているのではないのか。
「共産党」の処分の動きと同様だとすれば、「共産党」が非難される謂れは、全く無いと言えよう。
代表公選制でないことをもって、独裁だとか、民主主義に反するといった意見も散見されるが、そのことも、結社した組織の自治権で、組織の構成員が「是」としていれば、なんの問題も無いことではないか。
それを部外者が、あれこれ干渉し、ましてや非難するに至っては、無知の極みと言わざるを得ない。
それこそが、「表現の自由」を、「結社の自由」を脅かすものと言えよう。
志位委員長が危惧しているのは、そこのところだろう。
憲法学者の小林氏も、同様な考えをコラムで書いていた。
他の政党に例を捜せば、自民党にしても、立憲民主党にしても、総裁、あるいは代表選に立候補するには、所定の推薦人の確保が必要とされているではないか。
党員と、議員と、サポータ等々の投票権も平等に一人一票ではないのではなかったか。
部外者から見れば、公平と言えるものではないだろう。
それが民主的だとか、非民主的だとか、胸を張って言える、部外者の人はいない。
しかし、そんなことも、組織の自治権によって、組織が決めたことだから、とやかく言っても無意味というものではないか。
外部からのいかなる干渉も受けないで、組織の構成員が、民主的と考える、組織運営が出来る、そんなルールを作って、活動できる。
そのことを保障しているのが、「結社に自由」の筈だが・・・
いま、「敵基地攻撃能力」の保有に対して、強く、明確に反対しているのは、「共産党」と「社民党」かな。「れいわ新選組」については失念していて不明。
そんな中での、「共産党」叩きと言ってもいい、不穏な動き。
きな臭さを感じないだろうか。
「戦争する国」に近づきつつあるのだろう。
このままでは、そう遠くない将来に、
若者が、自分の子供や孫たちが、否応なしに戦場に狩り出され、その多くが命を落とす、
そんな日本になってしまう。
それを止められるのは、戦場に狩り出されるかもしれない今の子供や、孫たちではなく、私達「大人」しかいない。
日本を「戦争をしない国」のまま、将来の若者たちに引き継いでゆくのが、私達「大人」の責任というものではないだろうか。
17. 達人が世直し[1923] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月24日 16:55:16 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1164]
岸田首相は、今「王様」気分を満喫中といった風情ではないか。
トマホークを頭に載せて、閣議という玉座に座り、「朕は国家なり」と言わんばかりに、「閣議決定」と書いた「紙っぺら」をかざす。
17世紀のフランスのように、
「そんな事をなさっては国民と国家の為になりません」
と諫める、最高司法機関高等法院も日本には無い。
私達は、主権者でありながら、高い税金を取られ、面白くもない三文喜劇の「観客」を強いられている。
横にいた小さな子供が、怪訝そうな顔をしながら、叫ぶ。
「あっ、王様は裸だよ!。」
私達は子供に頼るしかないのか?
「あっ、それは憲法違反だよ。」
日本の大人たちは、国民の代表たる国会議員は、声に出して、諫める勇気も理性も無いのか?
「防衛費の拡大」ということは、国民の意識から、問題の本質を逸らすための撒き餌に過ぎない。
問題の本質は、「政府のやってることは憲法違反だ」ということであり、「防衛費の拡大」といった、「税金の使い方」の妥当性云々という問題ではないのだ。
多くの日本人は、当然そのことに気付いている。
しかし、その問題を指摘する勇気がない。
国会審議が茶番に見えるのは、そのためだろう。
それは、厳しい現実から目を逸らしているということでしかない。
「不都合な真実」であるからこそ、見据え、逃げずに、阻止する行動につなげなければならないのではないか。
岸田首相が頭に戴くトマホークは「敵基地攻撃能力の要」なのだそうだ。
日本政府の説明によれば、日本がトマホークを導入する目的は、
「敵基地攻撃能力の要」に位置づけ、相手国が、「日本への攻撃に着手したと、日本が主観的に判断した時には、相手国よりもいち早く、トマホークを発射し、相手国の領土内に奥深く侵入し、ミサイル基地を破壊する」
ことにある、という事らしい。
その結果は、ミサイル基地の破壊に成功したとしても、同時に、基地を守備していた軍人はもとより、その周辺に暮らす多くの民間人を、老若男女を問わず、赤子、乳飲み子まで、無差別に殺傷することになる。
そのことは、少し想像力を働かせれば、誰もが思い付くことだろう。
すなわち、トマホークを発射することは、相手国の軍人、民間人問わず、「人を殺す」行為ということにしかならない。
日本には、殺人行為を認められている人間はいない。
そんな日本で、誰がトマホークの発射ボタンを「押す」だろうか。
発射ボタンを「押す」実行者は、殺人罪に問われ、
命令を下した上司は、殺人強要、または殺人教唆で、殺人の共犯。
しかし、良心に従って、命令を拒否すれば、公務員規定に従って、精々懲戒処分で終わる。
日本人は、どちらを選択するかは、明らかではないか。
そんな、誰も発射ボタンを押せないし、押さない「トマホーク」でも、近隣諸国から見れば、極めて由々しき「軍事的脅威」になることは間違いない。
なんと言っても、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって公言している日本のことだ。
我が日本国は、今後は「そうする」から、悔しかったら「あんたも、どうぞ!」と近隣諸国を挑発しているんだから・・・付ける薬が無い。
発射せずとも、まさに、近隣諸国に対する「武力による威嚇」であり、問答無用の「朕は国家なり」の意識の発露ではないか。
このような、「専守防衛」の理念をも放棄する日本の動きに、「脅威」を感じない近隣諸国は無い。
こういうことには、その豹変ぶりも含めて、昔から「キチガイに刃物」と言って、人々は恐れ慄いた。
日本には憲法9条がある。
そこにはこう記されている。
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
私達は、幼少より、憲法を守りなさい、法律は守りなさい、社会のルールは守りなさい、道徳は守りなさい、と教えられてきたのではないのか。
そして、子供たちにも、そう教えているのではないのか、
その子供たちは、
「あっ、王様は裸だよ。」
と言うだろう。
私達大人は、
「あっ、それは憲法違反だよ。」
と大きな声を出して、言わねばならないのではないか。
戦後、日本は国土が戦場になることもなく、日本人は誰一人、海外の戦場に赴いて人を殺傷することも無かった。
その事に、憲法9条が大きく寄与していることを否定する人はいないだろう。
憲法9条が、単なるお題目としか思われていなかったとしたら、こういう結果は望むべくもない。
そのことは、日本人が、「他国の軍事的脅威にはならない」と誓い、そのことを守ってきた、これまでの行動と努力を、諸外国に認められ、信頼を得たからこその結果なのだ言える。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
この言葉は、これまでの努力を無にし、この言葉だけで、日本人がこれまで得ていた諸外国からの信頼を一瞬にして失うことになった。
今更「反撃能力」などと言い換えても、「ごまかし」と見透かされてしまっている。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
は、単なるお題目だったか・・・と。
やっぱり、日本人は好戦的な民族であり、先の侵略戦争を再び始めないとも限らない、気をつけないといけない、二度と信用できない、怖い国民だ・・・と。
今、日本政府の暴走を阻止しなければ、早晩日本は「戦争をする国」に変貌する。
そうなったとしても、今の大人は、おそらく「戦争に狩り出される」ことはないだろう。
戦争に狩り出され、見知らぬ相手と殺し合いをすることになるのは、今は何も出来ない、何も知らない、無限の可能性に満ちた、無垢な、愛すべき子供たちであり、孫たちだ。
そして、同じように無限の可能性を持って生まれてくる「新しい生命」だ。
そんな無限の可能性の中に、「戦争に狩られる」可能性は相応しくない。
私達は、そんな「戦争をする国」を子供たち、孫たちに残すのか。
私達大人は、今、そのことを問われている。
私達には、「戦争をしない国」を引き継いでいく責任がある。
そして、胸を張って、「戦争をしない国を引き継いでいくんだよ」と子供たちに教える責任がある。
私達には、政府の暴走に対して、「あっ、それは憲法違反だよ。」と声に出して言い、阻止する責任がある。
異次元の「少子化対策」も、もしかしたら、人的な継戦能力を高めるための「産めよ増やせよ」でしかないかもしれない。
今の政府は、日本国民ですら信用できない。
況や近隣諸国の国民においてをやだ。
一度失った信用、信頼を取り戻すには、気の遠くなるような時間が必要になるのだろう。
困ったものだ。
8. 達人が世直し[1924] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月25日 15:13:46 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1165]
なんだかんだ言いながら、議員歳費はしっかりと詐取するガーシー。
既に2000万円近くは懐に入れただろうか?
その中には、少しではあるが、わしの税金も入っているのだが・・・。
耳をそろえて返してくれないか。
細かい話は、それからだろう。
日本は何時ごろから、こんなガラの悪い人間が議員バッジを付けて、高額の歳費を貰い、偉そうに出来る社会になってしまったのか。
俄かに思い出せないが、ということは、相当以前から。徐々に崩れてきたのだろう。
元々、日本には民主主義が根付いていないという問題を抱えていたが、今の日本の状況を見ると、民主主義が発達障害を起こし、「衆愚政治」に堕してしまっていると言えよう。
多くの民衆が参加して行われる民主主義なので、その政治家自体を選ぶ一般市民もしっかりする必要があるのは当然なのだが、現在の日本では、知名度だけで当選しているタレント議員や、看板だけの世襲議員、金だけで、勉強不足の議員があまりにも多過ぎやしないか。
まるで、「クズ」の見本市ではないか。
そんな中でも、こ奴は最悪だ。
こ奴自体が、誰ぞの模倣犯に違いないが、こんなことを許してしまえば、必ず、次々と模倣犯が現れ、収拾がつかなくなる。
極端な話、国会議員の多くが海外の有名リゾート地で、高額な歳費を使い放題しておきながら、
1.SNS上に殺害をほのめかす脅迫、攻撃的な書き込みも受けていることから、帰国しても果たして大丈夫なのか不安があること、
2.不当逮捕、不当勾留があるのではないか危惧していること、
などを理由に挙げておけば済むと言って、登院を拒否しているとしたら、国会が成り立たなくなるのは自明だ。
大勢なら駄目で、一人だけならいいという屁理屈もあり得ない。
第一、登院拒否の理由そのものが「盗人猛々しい」ものではないか。
そしてやってることは、パソコンの向こうから、ヤクザ顔負けの脅しや、誹謗中傷を喚き散らす、所謂「炎上商法」そのものだ。
人様に迷惑をかけない範囲で騒ぐのは構わないが、それでも、
詐取した議員歳費を、耳をそろえて返してからにしてくれないか。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230225-OYT1T50091/
記事は短いので全文を以下に転載する。
「国連安全保障理事会は24日午前(日本時間25日未明)、ロシアによるウクライナ侵略から1年となるのに合わせ、閣僚級会合を開催した。林外相はロシアを強く非難し、ウクライナへの連帯を示した。日米欧などの各国は、侵略を続けるロシアの責任追及を強める構えだ。
林外相は会合で、侵略について「平和と安全の維持に最も重い責任を負うべき安保理常任理事国による国際法の明白な違反だ」と述べ、ロシアを強く非難した。露軍がウクライナの重要インフラへの攻撃を繰り返していることに関し、「市民に対する無差別攻撃は国際人道法違反であり、戦争犯罪を構成するものだ」と指摘し、「国際法に従ってロシアの責任を問わねばならない」と訴えた。
また、林氏は、ウクライナに対して「我々は断固としてともにある」と述べ、強い連帯を示した。
会合には、安保理の理事国に加えて、紛争当事国のウクライナも出席した。」
記事は以上だが、・・・
・・・・・
林外相には、その「厚顔無恥」ぶりに気が付いているふしが無い。
「市民に対する無差別攻撃は国際人道法違反であり、戦争犯罪を構成するものだ」
という指摘は正しい。
戦争にも、自ずと「ルール」がある。
それは、人間の知恵によって、幾多の変遷を経ながら、生み出されてきたものだ。
それが、「戦時国際法」と呼ばれるものだ。
「戦時国際法」と呼ばれるものとしてハーグ陸戦法規やジュネーヴ条約などがあり、代表的なルールとして以下の8つがあげられる。
⑴ 軍事目標以外への攻撃禁止(降伏者、負傷者、民間人等の攻撃禁止)
⑵ 休戦旗を揚げながら戦闘する行為
⑶ 遭難信号を不正に発信する行為
⑶ 赤十字旗を揚げながらの軍事行動
⑷ 軍事的必要性を超える無差別な破壊・殺戮
⑸ 捕虜虐待の禁止
⑹ 対人地雷使用の制限
⑺ 化学生物兵器使用の制限
⑻ 開戦に先立つ宣戦布告義務
林外相が指摘しているのは、
ロシアが実行している無差別攻撃は。
「⑴ 軍事目標以外への攻撃禁止(降伏者、負傷者、民間人等の攻撃禁止)」
に違反する、ということで、それだけを見れば極めてまともな指摘であり、非難に違いない。
しかし、一方で、日本政府は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって公言している。
日本は「そうする」から、悔しかったら「あんたもどうぞ」と近隣諸国を挑発している。
上記の「戦時国際法」によれば、
「⑻ 開戦に先立つ宣戦布告義務」
を守らなければならない。
違反すれば、当然「戦争犯罪」として、国際社会から非難されるのは勿論、厳しく断罪されることになる。
日本は、憲法9条によって、「国権の発動たる戦争」すなわち「宣戦布告によって生起する戦争」を永久に放棄している。
従って、宣戦布告をして、他国の領土にミサイルを撃ち込むことは出来ない。
そんな日本国憲法を戴きながら、日本政府は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と公言している。
近隣諸国からしてみれば、これは、「先制攻撃も辞さない」との宣言でしかない。
そのことは、「宣戦布告」の無い、奇襲攻撃となり、明らかに「戦時国際法」に違反した「戦争犯罪」でしかないだろう。
そのことは、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えて、国際社会のみならず、日本国民を「誤魔化そう」としても無意味でしかない。。
入れ替えてみよう。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する反撃能力を行使できる」
言葉を入れ替えても、「宣戦布告」の無い、奇襲、先制攻撃となり、明らかに「戦時国際法」に違反した「戦争犯罪」であることには何の変化もない。
林外相が訴える。
「市民に対する無差別攻撃は国際人道法違反であり、戦争犯罪を構成するものだ」と指摘し、「国際法に従ってロシアの責任を問わねばならない」
一方で、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
とする日本。
そのことは、日本国憲法と、国際法に従って日本政府の責任を問わねばならない。
林外相は、そのことに責任を感じているふしがない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/359.html
12. 達人が世直し[1925] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月25日 22:07:10 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1166]
>>5 氏
>投稿文の内容に異論があるが、それは置いておいて。
冒頭から「論点ずらし」の詭弁の発揮。
異論があるなら、それは置いておいたら、駄目じゃないのか?
私の論旨は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と言って、行使するのは、
日本国憲法と、国際法に「違反する」というものだ。
同意なら同意と言えばいいし、
違うというなら、何故、どう違うのか、論拠を示しながら、反論しなければならないのではないか?。
まずは、そこのところの結論を得てからにしようよ。
重要なポイントなんだからさ。
その上で、氏がまだやりたいというにであれば・・・。、
氏が言う、
>もう一つ
の方については。・・・ね。
予告編として、言っておくが、
「藁人形」はいい加減捨てたら?。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/359.html#c12
25. 達人が世直し[1926] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月26日 11:11:46 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1167]
>>15 氏
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが、
>ただ、同意だから国際法を守ると言う意味ではありません。もちろん、同意だが国際法は守らないという意味でもありません。
>そこは私が分からない点なのです。
何を言ってるんだか。
犯罪を犯して捕らえられた者が、「法に触れるとは知りませんでした」と言っているようなものでしかない。
無知は免罪符にはならない。
>質問1.相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、(日本が)保有する敵基地攻撃能力を行使できない」と言って、行使しなければ、日本の主観が正しければ、日本は先制攻撃されて被害を受けてしまう。それは首都圏の壊滅かも知れないし、日本の壊滅かも知れない。それでいいのか。
この質問も、このままでは、「誘導尋問」といわれる詭弁にあたる。
そうしないためには、以下の言葉を追加しなければならない。
「日本の主観が誤っていれば、相手は先制攻撃されて被害を受けてしまう。それは首都圏の壊滅かも知れないし、相手国の壊滅かも知れない。それでいいのか。」
と。
>端的に言うと、相手は国際法を破って日本を先制攻撃することは出来るが、日本は国際法を破って先制攻撃は出来ない。それでいいのか。
この文章も、根本的に間違っている。
「相手は国際法を破って日本を先制攻撃することは出来るが、日本は国際法を破ることになる先制攻撃はやらない。」
>それでいいのか。
と聞かれれば・・・、「それでいいんじゃないの」。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言っても、「わたしは分からないんです」と言われるだけのようで、虚しい気がするが・・・。
>質問2.相手が攻撃に着手して、更に実行して日本が被害を受けた段階で、(日本が)保有する敵基地攻撃能力を行使するのは、あなたは賛成なんですか、反対なんですか。
賛成か反対かという問いかけがそもそも間違っている。
他国の領土に対して武力を行使したり、他国民に対して武力で威嚇したり、武力を行使して、彼らの主権と、生存権を脅かし、生命、財産を侵害することは日本国憲法で、厳しく、「永久に」禁じられている。
分からないと言うなら、教えてあげるが、・・・端的に言えば、
敵基地攻撃能力を行使するすることは勿論、保有することすら、憲法に違反する。
そう理解しなければならない。
>端的に言うと、相手は国際法を破って日本を先制攻撃することは出来るが、日本は国際法を守って敵基地攻撃能力を行使することは出来ないとあなたは考えるんですか。
ここにも、一つ間違いがある。
国際法では、敵基地攻撃能力の行使の仕方にルールを設けてはいるが、行使することを禁じてはいない。
上記しているように、敵基地攻撃能力を行使することは勿論、保有することも、日本国憲法が禁じている。
>日本は国際法を守って敵基地攻撃能力を行使することは出来ないとあなたは考えるんですか。
答えは、
日本は、「敵基地攻撃能力を行使することはやってはいけない」こととして、憲法で禁じられている。
私は憲法は守らなければならないと考えている。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが・・・、
ところで、
>相手が攻撃に着手して、更に実行して日本が被害を受けた段階で、・・・
との設定だが、なぜ相手は「日本を攻撃する」ことになったのか?
まさか、日本がトマホークを500発も配備したことを、日本が相手国への攻撃に着手したと(主観的に)判断して、反撃能力の行使をしたとか?
日本が「あんたもどうぞ、そうしたらいいよ」と言ったから・・・?。
そのあたりの説明は、いままで聞いたことがない。
そんなことで、いいかげんな質問を、人様にぶつけられるものだ、と思うわ。
40. 達人が世直し[1927] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月26日 20:18:59 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1168]
>>31 氏
スレ本文を引用しながら、説明します。
>林外相が訴える。
「市民に対する無差別攻撃は国際人道法違反であり、戦争犯罪を構成するものだ」と指摘し、「国際法に従ってロシアの責任を問わねばならない」
>という指摘は正しい。
と、私もそのことについて、何ら非難するものではないのです。
私が日本政府を非難するのは、
>一方で、
>「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
>とする日本。
の行動を非難しているのです。
スレ本文に書いてある通り、日本の行動は、どうあがいても、
「⑻ 開戦に先立つ宣戦布告義務」
でしかないことになり、国際法に違反することになると、考えるからです。
ロシアを国際法違反と非難するのは大いに結構。
その調子で、日本政府も、日本国憲法と、国際法を遵守しろ、と。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
としたうえで、トマホークを爆買いして、近隣諸国に対して「軍事的脅威」を与えている、
そのことについて、日本国憲法と、国際法に違反していることを指摘し、政府の責任を問うているという、スレのつもりだったのですが・・・。
65. 達人が世直し[1928] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月27日 20:24:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1169]
>>50 氏
まただ・・・、なんで、書き直すかなぁ〜。
頼んでもいないのに。
全く意味がない。
しかも、最後に、「・・・これでいいでしょうか」と聞かれても・・・。
私は、「どうかしましたか?」くらいしか答えようがない。
私の意見は、>>25 を見れば、即座に、そのまま確認できるのに.
何か、邪まな意図があるんじゃないのか?
そういう疑惑を持って見てみると、怪しげなところがあった。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏にとっては、私の文章の中に、不都合な言葉が含まれていたかな?
>故に、相手は国際法を破って日本を先制攻撃することは出来るが、日本は国際法を守って敵基地攻撃能力を行使することも保有することも出来ない。なぜなら、憲法がそれを禁じているからだ。
そして、それに続けるべき、私の考えを述べた言葉は、氏にとっては都合の悪いところなのだろう、・・・それとなく、抹消してある。
「私は憲法は守らなければならないと考えている。」
>ただ、同意だから国際法を守ると言う意味ではありません。もちろん、同意だが国際法は守らないという意味でもありません。そこは私が分からない点なのです。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
という考えを正せば、分かるようになるさ。
小学生が、「晋ちゃんは出来るのに、どうして僕ちゃんはやってはいけないの?」と言うのと同じレベルの話。
それは、晋ちゃんが「出来るん」ではなく、晋ちゃんは、「やってはいけないことをやっている」ということでしかない。
氏は、ここのところが理解できていない。
>「ところで、」以下7行は、今後に持ち越しましょう。
暇そうに、書き直しをしていながら、肝心の、こちらのほうは持ち越すと言う。
>そこは私が分からない点なのです。
これは、きっと新たに考え出された、答えに窮したときの「逃げ口上」だな。
そうして、この場を取り繕って、あとはほとぼりが冷めるのを待つ。
そして、何食わぬ顔で、
「・・・これでいいでしょうか」と。
そんなことで、いいかげんな質問を、人様にぶつけられるものだ、と思うわ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/359.html#c65
67. 達人が世直し[1929] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月27日 21:52:21 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1170]
>>54 氏
「アンタ」の病的とも言える「纏わりつき方」が、ドンドン悪化しているぞ。
気を付けな〜。
それと同期するように、書いている内容の、「妄想」度合いが酷い。
自分でも、何を書いているのか、グチャグチャになって、分からなくなっていないか?
書き込みの目的すら見失っているから、結論というものも無い。
そんなことだから、「アンタ」の場合は、自分が疲れ果てるまで、「ディスリ続ける。」
気の毒とは思うが、「自業自得」ってやつだわ。
偶には、新ネタでも探してくると、気分転換にいいかも知れないぞ。
ということで、「アンタ」が大絶賛した、「独自理論解釈」から、新ネタを一つ教えてあげる。
「アンタ」が言うように、日本国憲法に「自衛隊」のことは記されていない。
そのことは、何を意味してているかというと、「自衛隊」そのものは憲法とは関係ないということを示している。
言葉を換えれば、憲法は「自衛隊」については無関心だといってもいいか。
そのことは、憲法制定時に「自衛隊」という言葉すら無かったことを考えれば自明ではないか。
憲法9条は、武力による威嚇、あるいは武力の行使を放棄するとして、禁じている。
これは、政府あるいは、政府のどこかの組織が、「そういう行動」をすることを禁じているわけだ。
従って、自衛隊も「憲法9条」違反の「行動」をとれば、「自衛隊の行動」は憲法違反として断罪される。
そのことは、同じ実力組織の警察庁あるいは海上保安庁についても言えることだ。
海上保安庁を「憲法違反」と喚き散らす人にはお目にかからない。
しかし、海上保安庁も、「憲法9条」違反の「行動」をとれば、「海上保安庁の行動」は憲法違反として断罪される。
憲法違反になるかどうかは、その「行動」「振舞」が憲法に違反しているか、どうかによって決まる。
なので、「自衛隊」は合憲か、違憲かという議論は意味をなさず、「不毛」だということだ。
日本は、他国の領土の敵基地を攻撃することも、敵基地攻撃能力を保有し、他国を武力で威嚇することも憲法で禁じられている。
従って、「敵基地を攻撃するという行動」も、トマホークを配備して、文句あるなら撃ち込むぞとばかりに、「他国を武力で威嚇する行動」も憲法違反と断罪しなければならないわけだ。
「アンタ」は9条条文すら読んでないのかい?
「アンタ」は、「憲法9条は破って何が悪い」とか、「自衛隊は合憲だ」とか、自分の考えは無いのかい?。
79. 達人が世直し[1930] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年2月28日 20:50:34 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1171]
>>69 氏
>>この質問も、このままでは、「誘導尋問」といわれる詭弁にあたる。
>そうしないためには、以下の言葉を追加しなければならない。
これを、「親切なアドバイス」と受け取るか、
>と私に要求しているじゃないか。つまり私は頼まれたから質問1を書き直したのだ。
と、人に「責任転嫁」するかは、氏の「理解力」次第ということだ。
基本的に、日本語を使えていない。
そのことは自覚すべきだと思うのだが。
>「要求する」を「頼む」にすり替えるのは、詭弁すり替え型だ、ですか。
いやいや、私は「頼んでもいないのに。」と言っている。
どうして変えちゃうのかなぁ〜。
しかも、意味が真逆だわ。
>>71 氏
>質問2ーその2.に対するあなたの答えのまとめは、これでいいでしょうか。
私は >>65 で次のように書いた。
>>。ヨところで、」以下7行は、今後に持ち越しましょう。
>暇そうに、書き直しをしていながら、肝心の、こちらのほうは持ち越すと言う。
>>そこは私が分からない点なのです。
>これは、きっと新たに考え出された、答えに窮したときの「逃げ口上」だな。
>そうして、この場を取り繕って、あとはほとぼりが冷めるのを待つ。
>そして、何食わぬ顔で、
>「・・・これでいいでしょうか」と。
まだ、ほとぼりは覚めてないよ。
>>77 氏
憲法9条には、「武力の行使」も放棄すると書いてるよ。
ほら、
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
>かえって不明確になっちゃいますよね。
それは、不明確になっちゃったのではなく、氏には理解が出来ていないだけ。
責任転嫁してはいけない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/359.html#c79
15. 達人が世直し[1931] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月01日 11:46:59 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1172]
ロシアのウクライナ侵略で、顔も名前も知らない人間同士が殺し合う、そんなニュースを一年間も見続けて、「人が人を殺す」「人が人に殺される」そのことを異常と感じる正常な感覚が麻痺してしまってはいないか。
「戦争だから」ということで正当化は出来ない。
「戦争」そのものが異常でしかない。
少なくとも、私達日本人は、憲法前文で、
「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」
と、世界に向かって宣言し、これまでの70年あまりを、そうあり続けようと、親、子、孫と世代を繋いで、努力を積み重ねてきたのではなかったか。
そんな日本が、「近隣諸国の領土の奥深くに侵入し、人の命を奪う事しか能の無い「トマホーク」なるものを保有してどうしようというのか。
人の命を奪う事しか能の無い「トマホーク」の発射ボタンを押すということは、確信して「人を殺す」ということでしかない。
「憲法違反」云々と言うまでもない。
日本には、「人を殺す」ことを許されている人はいない。
岸田首相の言によれば、保有する「トマホーク」は最新型のものであり、相手国の迎撃を回避して目標を捉える能力にもすぐれているらしい。
日本には、軍人さんと言われる人はいない。
当然、憲兵もいないし、軍法会議も憲法で禁じられていて、存在しない。
ということは、「トマホーク」の発射ボタンを押した人は、ほぼ確実に「殺人者」となり、日本の優秀な「警察」によって逮捕、拘束され、「大量殺人鬼」として、「裁判員裁判」で、「おそらく死刑」判決を受ける。
日本人の良心を信じれば、「トマホーク」の発射ボタンを押す人は現れない。
そんな兵器庫のゴミにしかならない「トマホーク」を、400発も購入する無駄を指摘することも大切とは思う。
しかし、日本が「トマホークを保有する」そのことが、近隣諸国に対しては「重大な脅威」となり、その脅威はそのまま日本に跳ね返ってくることを忘れてはならない。
岸田首相は、口では、「専守防衛」の理念を逸脱するものではないと言う。
その言葉を信じる日本国民はいない。
ましてや、近隣諸国の国民にしてみれば、先の戦争の惨禍の記憶を呼び起こされ、やっぱり、日本は、日本人は信用に値しないと考えても、当然と言えよう。
日本は戦後「戦争をしない国」として、国際社会において名誉ある地位を保ってきていた。
多くの日本人は、今も、これからも、そうありたいと願っている。
しかし、今や近隣諸国の国民は「日本は戦争をする国」と認識を変えたのではないか。
この失った信用、信頼を取り戻すには、気の遠くなるような時間が必要になるのだろう。
その前に、どうすれば、この失った信用、信頼を取り戻すことが出来るのか分からない。
そうは言っても、日本は、国際社会の信用、信頼を取り戻さなければならない。
それまで、「戦争をする」ことは絶対に阻止しなければならない。
「戦争をしない国」を未来の日本人に引き継いでいかなければならない。
それこそが、今を生きる日本人の責任ではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/392.html#c15
21. 達人が世直し[1932] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月01日 13:31:34 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1173]
「・・・27日の衆院予算委理事会で、政府は専守防衛を逸脱する敵基地攻撃能力の行使例提示を拒否。「対抗的な措置を取られることにより、国の安全を害する恐れがある」とこれまで同様、詭弁を重ねた。岸田は22日の予算委で「分かりやすい説明は重要だ」とし、提示へ向けて調整していると説明していたが、一転してゼロ回答のゴマカシである。・・・」
岸田首相は22日の予算委で「分かりやすい説明は重要だ」と言っていた。
私は、楽しみで眠れない夜を過ごしてきた。
結果は、
「対抗的な措置を取られることにより、国の安全を害する恐れがある」と、敵基地攻撃能力の行使例提示を拒否。
確かに、「分かりやすい」が、これは「説明」とは言わない。
従って、岸田首相の言う「分かりやすい説明」責任は依然として残っている。
責任は果してもらわねばならない。
自民党と政府は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって、「専守防衛」の理念を「放棄」すると言ったも同然の宣言をした。
その上での、「敵基地攻撃能力の要」として導入するとしたトマホークだ。
一つの行使事例は分っている。それ以外にあるのかどうかは分からない。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、発射を阻止するために、先手を打って、トマホークの発射ボタンを押す。」
これまで日本政府が言ってきたことだ。
残念ながら、日本には、相手が攻撃に着手したかどうか、偵察する能力を持っていない。・・・らしい。
その能力は、米軍に頼ることになるのだろう。
その結果、行使事例の説明は少し変わらざるを得ない。
「相手が攻撃に着手した(と米軍から連絡を受けた)段階で、発射を阻止するために、先手を打って、トマホークの発射ボタンを押す。」
こんな、分かり易いけど、恥ずかしい「説明」など出来ようか。
というのが本音だろう。
日本は、既に国際社会に向かって公言してしまった。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
日本は「そうする」から、悔しかったら「あんたもどうぞ」と近隣諸国を挑発する。
これなどは、まさに、
「対抗的な措置を取られることにより、国の安全を害する恐れがある」
そのものであり、その分かり易い事例ではないのか。
岸田首相の言う「分かりやすい説明」責任は依然として残っている。
分かり易い説明をする、その時は、
誰がトマホーク発射の命令を下し、誰がトマホークの発射ボタンを押すのか、についても、分かり易い説明を求めたい。
まさかとは思うが、
「在日米軍司令官の命令で、岸田首相が押す」ことにならないことを祈りたい。
いくら役立たずでも、岸田首相を殺人罪で「裁判員裁判」にかけたいとは思わない、
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/391.html#c21
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230301-OYT1T50122/
予算審議が参議院入りした。
衆議院では、肝心なことは何も明らかにされることもなく、いつものように、いくつかの茶番を挟みながら、しかし、何事も無かったかのように、本会議も通過した。
しかも、目の前を「憲法違反の政策」が通過しているにも拘らず、防衛費予算増額、税金の使途の問題にすり替えられていることを承知で、あからさまな「論点ずらし」に乗ってしまう。
不甲斐ない野党と言うしかないか。
ここは一つ、参議院の野党の踏ん張りを期待し、参議院の審議を見守りたい。
そんな、重大な問題を積み残して、予算審議が参議院入りした。という記事。
タイトルは、「反撃能力・原発60年超巡り論戦」
読売新聞でなくても、国民の関心は、これだろう。
以下記事では、審議での岸田首相の発言を取り上げる形で、問題のありかを、誤った方向に誘導している。まさに政府の広報のごとし。
以下記事の抜粋。
「・・・首相は、敵のミサイル発射基地などを自衛目的で攻撃する「反撃能力」の行使について、「先制攻撃は国際法違反だ。そういった事態を招くことは絶対あってはならないと肝に銘じ、最終的には首相としてしっかりとした判断を行う」と強調した。
反撃能力を行使する具体的なケースに関しては、「現実問題として、相手のミサイル発射、特に第一撃を事前に察知し、攻撃を阻止することは難しい」との認識も示した。
原子力発電所の「60年超運転」を可能にする政府方針を巡っては、「安全性が最優先であることは変わらない」と理解を求めた。「世界エネルギー危機と言われる状況に直面している中、原子力を含め、あらゆる選択肢を確保しておけるよう努力する必要がある」とも語った。・・・」
以上が記事の抜粋。
・・・・・
日本政府は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって、「専守防衛」の理念を「放棄」すると言ったも同然の宣言をした。
よほど、都合が悪くなってきたのだろう。
最近は、その言葉をこっそりと封印し、「自衛のための反撃能力」と言い換え始めている。
しかし、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
という言葉は、既に「世界中を駆け巡り」、いまさら取り消すことは出来ない。
政府が、いくら「自衛のための反撃能力」と言い繕っても、文字通り信じる国は無いだろう。
それでも、政府は、今後も「自衛のための反撃能力」と言うしかないのだろう。
過去の戦争の歴史に学ぶまでもなく、「自衛のため・・・」という魔法の言葉が、今回も、万能の免罪符であるがごとくに、今の政府の唯一の拠り所となっているわけだ。
岸田首相は、取り繕うように、
「先制攻撃は国際法違反だ。」
と胸を張って言う。
しかし、他国の領土に、奥深く侵入し、他国の主権と、他国民の生命、財産を脅かし、人を殺すことしかやらない「トマホーク」が、日本国憲法に違反していることは、決して言わないし、触れることもしない。
ひたすら「自衛のため・・・」の「反撃能力」と呪文を唱えるのみ。
しかし、「自衛のため・・・」、「反撃能力」と言葉で誤魔化しても、
他国の領土に、奥深く侵入し、他国の主権と、他国民の生命、財産を脅かし、「人を殺す能力」しか持たないことは、変わろうはずもない。
喜劇なのは、そのことを、本人は勿論、日本国民ばかりではなく、世界中の人々が「分かっている」ことだろう。
にも拘らず、その「喜劇」は続く。
これは、国民にとっては、既に「悲劇」でしかない。
そして岸田首相は、いまさら言う。
「現実問題として、相手のミサイル発射、特に第一撃を事前に察知し、攻撃を阻止することは難しい」
と。
おいおい・・・。
何のためのトマホークだ、ということにならないか。
相手の基地の存在場所すら見失い、後は、ひたすら、他国の領土に「人殺し」のために撃ち込むことになると言っているに等しい。
「「最終的には首相としてしっかりとした判断を行う」と強調した。」
何時まで首相をやってるつもりですか?と聞いてやれ。
原子力発電所の「60年超運転」を可能にする政府方針を巡っても
「安全性が最優先であることは変わらない」
と理解を求めた。
とあるが、全く一国の首相の答弁としては、何も答えていないに等しい。
国民は、寿命を越えた原発は、今後何が起きるのか、誰も分からない事に不安を抱いている。
寿命を越えた原発の安全性とは何か、安全など存在するのか、そのことを科学的に説明するのが、国民の命を預かる首相の最低限の責務ではないのか。
「「最終的には首相としてしっかりとした判断を行う」と強調した。」
何時まで首相をやってるつもりですか?と聞いてやれ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/396.html
https://www.chunichi.co.jp/article/645385?rct=politics
何やら雲行きがおかしい。
400発のトマホークの使い方が、揺れている。
必要性も碌に検討しないで、アメリカに言われるまま、在庫処分品を割高で購入した
事が、見え見えの政府の答弁。
そんなのが、記事に載っていたので、記事の途中までを転載する。
以降は会員用なので、その部分は転載は止めにした。
「岸田文雄首相は一日の参院予算委員会で、最大四百発取得する米国製巡航ミサイル「トマホーク」に関し、反撃能力(敵基地攻撃能力)で相手国に多数を一斉発射する「飽和攻撃」に使うかどうかを問われ、明言を避けた。米軍は湾岸戦争の開戦時に飽和攻撃で使用しており、立憲民主党の辻元清美氏は「トマホークを現実に用いれば必要最小限度では使えない」と述べ、憲法九条に基づく専守防衛を逸脱すると批判した。
「湾岸戦争やイラク戦争の火ぶたを切ったのがトマホークだ」。辻元氏は米軍が開戦時、先に相手の軍事拠点をたたく目的で使用してきたと指摘し、四百発の大量購入を計画する日本も米国のように飽和攻撃で使うかを問いただした。
首相は、相手の射程圏外から攻撃する「スタンド・オフ防衛能力」の一環で購入すると繰り返すだけで、飽和攻撃で使うかどうかの質問に答えなかった。
浜田靖一防衛相はトマホークについて「わが国に侵攻してくる艦艇や上陸部隊を阻止、排除する一つの手段だ」と強調。飽和攻撃での使用は「日本がやろうとしていることにはそぐわないかもしれないが、使い方は工夫する。米国のように飽和攻撃できる装備は今のところ持っていない。・・・」
記事は、この後にも続くが、会員用のため、引用はここまで。
・・・・・
日本政府は、これまで、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
としたうえで、
「敵基地攻撃能力の要」と位置づけ、トマホークを400発も購入したと、説明してきた。
その答えが揺れ出した。
今回の首相の答弁は、
「相手の射程圏外から攻撃する「スタンド・オフ防衛能力」の一環で購入すると繰り返すだけで・・・」、
とあるように、「敵ミサイル基地」という「標的」に触れることすら逃げてしまっている。
敵ミサイル基地と言ってしまうと、その位置の捕捉は困難であり、捕捉できたとしても、移動し、隠れられてしまえば、標的は見失ってしまう。
そうであるとすれば、トマホークを発射しても、20分後に着弾するころには、その場所は「もぬけの空」と考えるのが、ほぼ常識ではないか。
「もぬけの空」なら、むしろ幸いなのだろうが、実際には、それまで、その周辺で平穏に生計を営んでいた、その国の民間人を老若男女を問わず、乳飲み子までをも殺傷するだけの、「殺人ミサイル」でしかなくなるだろう。
少し想像力を働かせれば、すぐに気が付く。
浜田靖一防衛相も答弁で、
トマホークについて「わが国に侵攻してくる艦艇や上陸部隊を阻止、排除する一つの手段だ」と強調。
ここでも、「敵基地」、すなわち「相手国の領土を攻撃する」としていた当初の「標的」を、こっそりと、「闇夜に紛れて、いつの間にか、密に日本に侵攻してきた、艦艇や上陸部隊」に変えてきた。
それでは、「敵基地攻撃能力の要」であるはずの、超高価なトマホークでは使い勝手が悪かろう。
浜田靖一防衛相も言っている。
「日本がやろうとしていることにはそぐわないかもしれないが、使い方は工夫する。」
と。
日本が唱える、「敵基地攻撃能力の保有」という構想は、緻密に計算された構想でも何でもなく、「あの人」が思い付きで口にし、アメリカに約束してしまったことを、糊塗する、屁理屈でしかないことがわかる。
まるで、森友事件の公文書改竄をはじめとした、政府を挙げて国民を「ごまかそうとする」、公務員の悪事の再現ではないのか。
姑息という他はない。
そのことによって国民が被る「被害」は森友事件の比ではないだろう。
われわれ国民の「生存権」が脅かされている。
そもそも、「他国の領土にミサイルを撃ち込む」ことは、憲法に違反する。
さらに言えば、「敵基地攻撃能力を保有」することすら、「武力をもって近隣諸国を威嚇」することでしかなく、このことも、明らかに憲法に違反する。
国会は、この「憲法違反の政策」を断罪し、絶対に阻止しなければならない。
辻本議員も、質問の中で「必要最小限・・・」という言葉は避けた方がよいだろう。
法律の条文で使われている言葉ではあるが、全く意味をなさない。
そのことは、使う人、聞く人で、「必要最小限」は「それぞれで全く違う」ことを考えれば、自明だろう。
それよりも、個人的には、
「敵基地攻撃能力の要であるトマホークの発射ボタンは一体誰が押すのか?」
そのことを問いかけてもらいたい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/414.html
20. 達人が世直し[1933] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月03日 18:05:37 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1174]
>>11 氏
>達人さんの拘りトピック
このフレーズ、案外気に入ったかも。・・・「ども」
早速「拘りトピック」本題に入る前に、お礼というほどのものではないけれども、認識誤りな点を優しく指摘しておくね。
>あれだけ北朝鮮が日本の領海にミサイル撃ってきてるのに・・・
というのは誤り。
「日本海」という名前を付けたからといって、その海が、「日本の海」ということではない。
先日には、日本のEEZ内に落下したというニュースが流れたが、そのEEZも領海を意味するものではない。
早速ググってみたら、こう書いてあった。
「排他的経済水域(EEZ)は、領海の基線からその外側200海里(約370km)の線までの海域(領海を除く。) 並びにその海底及びその下です。・・・ 領海は、領海の基線からその外側12海里(約22km)の線までの海域です。」
>日本のミサイル防衛はケシカランの達人が世直し氏。
私は、他国の領土、領海にミサイルを撃ち込むという行為は、日本国憲法に違反し、「専守防衛」を逸脱することになるから、ケシカランと言い続けている手前、「ケシカランの達人」の可能性を否定することは出来ないが、非抵抗主義者とか無抵抗主義者という者もない。
「専守防衛」とは、文字通り、「守りに徹し、攻撃に抗う」と言うことで、「無抵抗」とは無縁の考え方だ。
そんな日本には、実際、「専守防衛」の理念に則った、法律まで準備されている。
自衛隊法第八十二条の三(弾道ミサイル等に対する破壊措置)というものを一読することをお勧めしたい。
それによれば、
我が国に飛来するおそれがあり、その落下による「我が国領域における」人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるとき・・・
我が国に向けて現に飛来する弾道ミサイル等を「我が国領域又は公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)の上空において」破壊する措置をとるべき旨を命ずることができる。
>達人さんはというと反対ばかりの主張して何の対案も無く現状無視。
ん〜、対案を求めるあたりは、いかにも・・・という感じで、臭い。
対案も何も、「ケシカランの達人」も、政府が法を守って、「専守防衛」を逸脱していなければ、何も言うことはない、「きわめて大人しい人」でいいんじゃないかい?
法律でも、「・・・弾道ミサイル等を我が国領域又は公海の上空において破壊することが出来る」となっているが、他国の領土まで出向いて破壊することが出来るとは書いていない。
私は、「反対」しているのではなく、「法律に違反している」、「憲法に違反している」という事実を指摘し、「ケシカラン」と言っている。
>日本の領海使う北朝鮮ミサイル実験を直ちに止めさせる手立てを聞きたい。
それはちょっと・・・。
日本の領海を使ってはいないですけど・・・と言われそうだし。
それよりも、莫大な税金を使う「殺人ミサイル」でしかないトマホークの保有を直ちに止めさせる手立てを聞きたい。
軍拡競争は、一度足を踏み入れたら、止まらないのだから。
そほを放っておくなんて、「あっけらかん」な人だなぁ〜。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/414.html#c20
https://mainichi.jp/articles/20230303/k00/00m/010/125000c
立憲民主党と日本維新の会の国会内の「共闘」。
「呉越同舟」で自民党に対峙するのかと思いきや、単なる「同床異夢」だったという、つまらない記事。
記事は、日本維新の会の音喜多駿政調会長の話として書かれている。
以下に記事の内容を示す。
「日本維新の会の音喜多駿政調会長は3日、立憲民主党とのエネルギー政策に関する勉強会の活動を「凍結」する考えを明らかにした。国会内で記者団に「全てのものがご破算になることではないが、この分野については一旦棚上げさせていただきたいと(立憲の)長妻昭政調会長に申し入れた」と語った。両党は国会での「共闘」の一環としてエネルギー政策に関する勉強会を開いてきた。
音喜多氏は凍結理由について、両党が2日に参院に共同提出した歳費法改正案に言及し「提出1日前に(立憲側から)メディアに情報がリークされ、信頼関係に決定的なひびが入ってしまった」と述べた。勉強会で模索していた提言書の作成で、原発に関する記述を巡って意見が一致しなかったことも理由に挙げた。
音喜多氏によると、提言書では電気料金高騰への対策として「原発を早期に再稼働する」などの文言を入れるよう維新が主張したのに対し、立憲側は「受け入れられない」との認識を示したという。
立憲の泉健太代表は3日の記者会見で「まだ事情を聴いていない。コメントすることはない」と述べるにとどめた。・・・」
という記事で、中身はあまりない。
日本維新の会の音喜多駿政調会長が、立憲民主党に手柄を独り占めされたと、へそを曲げて、「共闘」がひび割れしたと、立憲民主党を悪者にし、自己保身に、走る走るの図。
元々「共闘」など上手くいくわけなない「水と油」な両党だ。
そのことに早く気が付いてよかったね、と言ったところか。
そして、ここで問題なのは、立憲民主党の泉代表の言葉。
「まだ事情を聴いていない。コメントすることはない」
これは、いかん。
この瞬間に、日本国民は、悪いのは「立憲民主党」という、ふわっとした評価が定着する。
こんな場合は、その場から関係者に確認を入れ、素早く「反論」しておくのが、リーダーの行動としての鉄則ではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/425.html
https://www.chunichi.co.jp/article/646637?rct=politics
いつものことではあるが、中日新聞の記事は短い。
取材し、記事を書いている記者の、問題認識はどうなのか。
読者に対して、何かを訴え、もっと警鐘を鳴らす、そんな内容で書けないものか。
物足りなさを払拭してほしいものだ。
記事が短いので、いつも全文の転載になってしまう。
記事には、こう書いてある。
「岸田文雄首相は3日の参院予算委員会で、東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出を開始する時期について「今年の春から夏を見込むことに変更はない」と述べた。廃炉を着実に進めるとした上で「福島の復興を実現するために、処理水の処分は先送りできない課題だ」と強調した。立憲民主党は、漁業関係者らの理解を得られていないと批判した。
首相は「地元の理解が得られるよう努力する。安全確保や風評被害対策に全力で取り組む」と説明。これに対し、立民の石垣のり子氏は「放出ありきだ」と指摘した。」
・・・・・
記事はこれだけのものだが、内容は決して軽いものではなく、看過できない。
東京電力福島第1原発の事故でメルトダウンした燃料デブリに触れた放射能汚染水を、処分に困り果て、政府、東電の当初の目論見通り、海洋に放出するらしい。
今年の夏ころらしいが、おそらく「海水浴シーズン」が終わったあたりから、試験的にと言いながら、開始することを狙っているのだろう。
なんとも姑息な。
いったい、誰が、どんな権限で、放射能汚染水を海洋に放出することを、決められるのか。
海洋は、一漁業組合の所有物ではないし、ましてや、漁業者の私有物でもない。
言うまでもなく、日本だけの物でもない。
海洋は、地球上に生きる、人類のみならず、全生物の命の源といえるほどの、貴重な、「青い地球」そのものではないか。
そんな貴重な海洋に、燃料デブリに触れた地下水が放射能汚染水となって、注ぎ込む。
一旦始めてしまえば、そんなことが、1号機、2号機、3号機の燃料デブリが完全に取り出されるまで、延々と続く。
そのことは間違いない。
政府は、いつまで、どのくらいの期間、放射能汚染水を海洋に放出する計画でいるのか。
燃料デブリを、完全に取り出すことが出来るという、確かな見通しを持っているのか。
もし燃料デブリの取り出しに失敗したときは、放射能汚染水の海洋放出は今後何年続くことになるのか。
もしかして、「万年」、「何十万年」も続くことになるのではないのか。
そんな疑問に政府も東電も答えていない。
答えているのは、
放射能を除去した「処理水」を捨てるのだから問題ない。
海洋に放出する前に、海水で「基準の何十倍に薄めて」から捨てるから問題ない。
くらいだ。
こんな「子供だまし」の対応で、「青い地球」を放射能で汚してしまうことが、どうして許されるだろうか。
政府の言う「処理水」にしても、放射性物質が政府の言う通りに除去されているということは、全く担保されていない。
海洋に捨てると言っている「処理水」を、捨てる前に「海水で薄める」と何か素晴らしい対策を施したような言い方をしているが、海洋に捨てるのに、海水で薄めてから捨てるのと、そのまま広い海洋に捨てるのと、どんな違いがあるというのか。
そんなことを、まことしやかに言い、なるほどと納得顔で聞いて「頷く」。
過去に、これほどの「茶番」があっただろうか。
「裸の王様」の寓話が、目のまえで繰り広げられているがごとし。
世界中の笑い者ではないか。
世界中からも非難の嵐が巻き起こるだろう。
当然だ。黙っていることの方が異常と言える。
岸田首相の答弁。
「廃炉を着実に進める・・・」
廃炉するためには、メルトダウンした燃料デブリを確実に取り出さねばならない。
このことは、人類にとっては、ほぼ「未知への挑戦」と言えるもので、今でも、全てが手探りで、しかも一向に進展が見られない。
「福島の復興を実現するために、処理水の処分は先送りできない」
処理水を海洋に放出するのは、福島の復興を実現するためである」かの如く言う。
処理水を海洋に放出することが、どうして福島の復興に繋がるのか、
処理水を海洋に放出しなければ、どうして福島の復興は出来ないのか。
「安全確保や風評被害対策に全力で取り組む」
ここでいう安全確保とは何ぞや、風評被害対策とは何ぞや。
あたかも、残された問題は風評被害対策のみであり、放射能による被害は無いかのような言い方で、国民を誤魔化すものでしかないだろう。、
政府、東電は、燃料デブリに地下水が触れないように凍土壁で地下水を遮断する対策を鳴り物入りで実施した。
その効果はどうなったのか、
依然として、地下水は流れ込み、燃料デブリに触れ、放射能汚染水となって、しかも、それを井戸から汲み上げきれずに、「処理」されることもないまま、「未処理水」として、海洋に駄々洩れというのが実態ではないのか。
そんな状況では、「処理水」は、「未処理水」の問題を隠すための「囮か撒き餌」でしかない。
「処理水」という言葉は、全てが解決されているかのような錯覚を誘う、「魔法の言葉」とも言えよう。
しかし、問題は何も解決しない。
この記事に出てくる岸田首相の答弁は、全てが、「論点ずらし」と「問題のすり替え」。
いわゆる「詭弁」でしかない。
人類は、未だ、放射能を制御できていない、核を扱う技術を手にしてはいない。
そのことを、自覚し、もっと謙虚になることが必要なのではないか。
そのためには、東京電力福島第1原発の現状を、客観的に事実を国民の前に、世界の人類の前に明らかにすべきなのだと思う。
嘘と願望で放射能は消すことは出来ない。
それが、人類がこれまでに得た、放射能に関する唯一の知識ではないか。
>立民の石垣のり子氏は「放出ありきだ」と指摘した。
放射能で「青い地球」を汚すことは、人類を滅亡へと押しやる「犯罪」と断言できる。
犯人は、「あいつ」だ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/433.html
https://www.yomiuri.co.jp/world/20230304-OYT1T50173/
21世紀の今、このようなタイトルの記事を読むことを誰が想像しただろうか。
しかし、ひとたび戦争を始めてしまえば、こういう悲劇が起きることは、むしろ当然と言えるのだろう。
だから戦争を始めてはいけないということなのだが、しかし、目を背けたくなるような記事ではないか。
最初に、以下に記事の抜粋を示す。
「ロシアの独立系調査報道専門メディア「インサイダー」は3日、ロシアの部分的動員でウクライナ東部ドネツク州の激戦地アウディーイウカに送られた部隊が「ほぼ全滅した」と報じた。露軍は東部で激しい消耗戦を行っている。
部隊は東シベリアで動員され、数百人規模とみられる。動員兵らは2月からSNSを通じ、プーチン露大統領に対して「1日で部隊が組織され、軍の支援もなく戦闘に送り込まれた」「我々は消耗品と呼ばれている」などと繰り返し訴えていた。
英国防省は2月26日、ドネツク州の別の前線でも、露海軍の歩兵部隊に「極めて多くの死傷者が出て」おり、戦闘経験の浅い動員兵が「穴埋め」に使われているとの見方を示した。・・・」
記事の抜粋は以上。
・・・・・
記事で言う、
「・・・露軍は東部で激しい消耗戦を行っている。」
しかし、消耗戦を戦っているのは、ウクライナ軍とて変わりはない。
戦況を報じるニュースを見聞きしても、ウクライナ軍の人的損耗は、ロシア軍と同等か、それ以上ではないだろうか。
彼我の戦力に大きな差がない限り、戦争を始めても、初期に電撃的勝利を得なければ、すぐさま膠着状態に陥り、以降、消耗戦となるのは戦争の必然と言えよう。
戦況が膠着状態に陥り、長期戦の様相を示しつつある今のウクライナ戦争で、数百人の部隊が「全滅」するなどということは、戦争の末期に、敗れる側に見られる「悲劇」なのだろうか。
ドネツク州での戦況は、近頃はロシア軍の大規模攻勢が伝えられ、ロシアの優勢が報じられていたが、これでは局地的にしても、どちらが勝利しているのかすら分からない。
「戦争に、勝者はいない。」とは、こういう事なのだろう。
「・・・動員兵らは2月からSNSを通じ、プーチン露大統領に対して・・・「我々は消耗品と呼ばれている」などと繰り返し訴えていた。・・・」
という。
プーチン大統領はどうしただろうか?。
「全滅」したということは、見捨てられたのだろうことは、想像に難くない。
彼らは恐らく、ウクライナ軍の名も知らぬ兵士達の正面で恐怖に震え、背後からはロシアの督戦隊に銃口を突き付けられ、生きる望みを絶たれて、絶望の中、命を落としたのだろう。
死者に鞭打つような言い方になるが、このままでは「犬死」と言うしかない。
そんな状況は、ウクライナ兵についても、多かれ少なかれ言えるのではないか。
古来、戦争とは、そういう悲劇を表現した言葉だったのだろう。
そんな悲劇を目の当たりにしながら、日本政府は、何を狂ったか、自ら進んで日本を「戦争をする国」に変えようとしている。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と言ったうえで、
その「敵基地攻撃能力の要」として、トマホークなる「殺人ミサイル」を400発も爆買いし、今後は、防衛費を倍増させて、世界3位の軍事大国を目指すとまで言い出した。
軍事力を強化し、それを抑止力として戦争を防止し、日本国民の生命と財産を守るんだと・・・。
そうするためには、相手の軍事力を圧倒的に凌ぐ「軍事力」を持たなければならないことになる。
そして、抑止力とするためには、その「軍事力の保有を誇示」し、相手に対して確実に知らしめなければ意味がないことになる。
そのことは、相手から見れば、「武力による威嚇」であり、「重大な軍事的脅威」そのものでしかない。
それは、すなわち際限の無い「軍拡競争の始まり」であり、行き着く先は、「核兵器の保有」となることは、結果を待たずとも自明ではないか。
そのことは、人類の滅亡、地球上のあらゆる生命の消滅を暗示するものだろう。
一度戦争が始まってしまえば、「国民の生命、財産を守ることは出来ない」ことはウクライナ戦争を例にしなくとも、歴史がそれを証明している。
軍拡競争も、戦争で勝利することを目指すものであることを考えれば、軍拡競争、抑止力競争で「国民の生命、財産を守ることは出来ない」ことは、これもまた明らかなことではないか。
誰もが、「武力で平和を守る」ということの矛盾に気が付いているはずなのに・・・
それでも、軍拡競争、戦争は、無くならない。
そのことは、自分は安全地帯に身を置きながら、戦争で利益を得る「輩」が少なからずいるということなのだろう。
「消耗品」と言われ、「穴埋め」にされて死んでいった、ロシア兵と、ウクライナ兵が地獄の戦場から上げた声を無駄にしてはならない。
無駄にしてしまえば、彼らの死が、本当に「犬死」になってしまう。
「戦争はやってはいけないこと」だということは、自明であり、誰もが知っているし、理解している。
そうであれば、
日本は「戦争をする国」になってはいけない、ということも、また自明ではないのか。
「戦争をしない国」を無くしてはいけない。
それが、私達日本人の使命ではないのか。
ウクライナ兵、ロシア兵の死を「犬死」にさせないためにも、
そうしなければ・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/444.html
11. 達人が世直し[1934] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月05日 20:35:03 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1175]
これは「犯罪」の臭いがする。
いや、「犯罪」の臭いしかしない。
犯罪以外に、こんなことは起こり得ない。
日本には憲兵はいないから、これは普通に特捜の出番だろう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/447.html#c11
23. 達人が世直し[1935] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月06日 20:39:44 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1176]
記事によれば、
「・・・だが、この提案に礒崎首相補佐官は怒り心頭。総務省の官僚たちをこう恫喝しはじめるのだ。
「何を言っているのか分かっているのか。これは高度に政治的な話。官房長官に話すかどうかは俺が決める話。局長ごときが言う話では無い。総理が(官房長官に相談しろと)仰るなら勿論話をする。この件は俺と総理が二人で決める話」
「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ。もうここにも来ることができないからな」
「俺を信頼しろ。役所のOBなんだし、ちゃんとやってくれれば、役所の悪いようにはしない。そちらも、官邸の構造論を分かっておくように」
と、恫喝の言葉を、細かく記録している。
人間というもの、どれほど記憶力を誇っていても、人の発した言葉をこれほど細かく記憶することは簡単ではない。
ましてや、「恫喝」されている最中においては、尚更ではないか。
今の時代、誰もが常に監視され、動画像を証拠として記録されている事は、そのことの良し悪しは別にして、既に常識ではないか。
ましてや、「音声の記録においておや。」と言うものだろう
今や、小さな会社でも、会議の議事録は、会議中は音声を録音し、会議後に文字お越しして、議事録の正確性をより高めようとする。
今回の80ページに上る公文書にしても、その大部分は音声記録から文字お越しされたものではないのか。
とすれば、登場人物が、自分の発言を否定しようとしても、音声データを消さない限り、言い分は通らない。
「・・・松本剛明総務相も「発言者に内容の確認を取っておらず、文書の記載について、かなりの方々が認識が異なると言っていることが判明した」・・・
と逃げても、
そう言うこと自体、公文書に登場するかなりの方々は、関りを否定していないと確認しているわけで、公文書の内容、打ち合わせ等の事象そのことは、確かな事実であると、自ら証言していることになるのだろう。
語るに落ちるとは、このことではないか。
今後、音声記録が公にされてしまえば、恥をかいただけに終わる、ということに止まらず、信用すら失うことになる。
今、彼女と政府は、文書を流出させた「犯人捜し」と、「音声記録」の発見と隠滅に躍起になっていることだろう。
岸田首相が言ったそうだ。
「報道の自由への介入との指摘は当たらない」
と。
すでに予防線を張り始めた兆候なのだろうか。
この言葉と、高市氏の虚勢と狼狽ぶりが、文書の内容の真実性を否が応でも高めている。
なんと言っても、確かな「公文書」に違いない。
この内容を「信じられない」、「捏造だ」と言ったら、国民は何を信じればいいのか。
こんな調子では、安倍政権時代に作成された公文書は、「改竄」されたか「捏造」されたものばかりなのだろう、ということになる。
安倍晋三「回顧録」なるものも、押して知るべしではないか。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230305-OYT1T50227/
首相は2月26日の自民党大会で、「安定的な皇位継承を確保する方策への対応も先送りの許されない課題で、国会における検討を進めていく」と強調した。
それに関連し、そのことに関する、政界の検討状況の記事が出た。
記事によれば、
「・・・政府は昨年1月、皇族数の確保策として、〈1〉皇族女子を結婚後も皇室に残す〈2〉旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる――の2案を軸とする有識者会議の報告書を国会に提出した。細田衆院議長は各党の議論に委ねたが、自民党は麻生副総裁を座長とする「懇談会」を1度開いただけで、議論はこの1年間、進んでいない。・・・
・・・皇位継承策の議論を深掘りすれば、保守派に反発が強い女性・女系天皇や女性宮家創設の是非も取り上げざるを得ず、4月の統一地方選などを前に「党内を二分するような議論は避けたい」というのが自民内の大勢だ。・・・
・・・他の党の議論も進展していない。公明党は昨年2月に検討委員会の初会合を開いたものの、政府側からの聴取にとどまっている。・・・」
記事の概略は以上のようなことであるが・・・
・・・・
皇位継承策の議論が進まない根本原因は、その問題を議論するにあたって「天皇制」のあり様についての議論が避けられないからだと、個人的には考えている。
他の人がどう考えているかはよく知らないが、個人的には、今の「天皇制」は、日本国憲法の根幹をなす、「自由」、「平等」、「基本的人権」等々の尊重という理念とは相反する制度であり、日本国憲法の抱える最大の「矛盾」であると考えるからだ。
「皇位の世襲制」しかり。
「男系」しかり。
「皇室、皇族の存続を維持しつつ、一方では、華族その他の貴族の制度は、これを認めない。とする。
日本の天皇制の肝は、
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」
ということに集約されている。
すなわち、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と国民が認めた人間を、「天皇」
と称することにしたということでしかない。
「日本国民統合の象徴」であるために必要な条件はただ一つ「国民の総意」だろう。
神話を持ちだしたりしてまでの「血筋」は何の意味も持たないし、男でなければならない理由は、聞くまでもなく笑止だ。
「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」を戴くために、皇室も皇族も必要条件ではあり得ない。
むしろ、憲法14条に明らかに矛盾する制度と言えよう。
素人の私でさえ、このような矛盾を感じる今の天皇制だ。
専門家が議論を始めたら、どういう事になるかは、簡単に想像がつく。
要するに、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」を必要とし、求めるにのであれば、今の天皇制に拘ることなく、政治的な地位ではなく、儀礼的な「元首」としての大統領であてもいいと思うし、その地位を「天皇」と呼ぶのもいいかも知れないと思う。
すなわち、その地位は、「世襲」のものではなく、常にその時代の「国民の総意」が反映されたものであることが日本国憲法の求めるところではないかと思う所だ。
いずれにしても、この問題に触れれば、「百家争鳴」「議論百出」「甲論乙駁」となることは、覚悟が必要だろう。
だから、なかなか議論が進まない。
私個人的には、当面「女系天皇」もオッケー。
将来的には、公選制かな。
とは言え、いずれにしても、国民の総意で決めることが寛容だ。
こんなこと書いたら荒れちゃうかな・・・?。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/464.html
1. 達人が世直し[1936] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月06日 22:26:53 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1177]
スレ主です。
国民の総意で決めることが寛容だ。→国民の総意で決めることが肝要だ。
訂正します。
寛容に・・・よろしく。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/464.html#c1
https://www.chunichi.co.jp/article/648449?rct=politics
参院予算委の質疑、答弁の模様を報じた、中日新聞の短い記事であるが、内容は極めて重要なことが書かれている。
以下記事の全文を示す。
「岸田首相は6日の参院予算委で、集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動するかどうかは日本が判断すると強調した。米国から要請があった場合に拒否できるのか問われ「イエスかノーかは日本が判断する。当然のことだ」と述べた。立憲民主党の石橋通宏氏は反撃能力に関し「他国防衛のために使えば、先制攻撃になるのではないか」と懸念を示した。
首相は「わが国の存立のために行使するものだ」と理解を求めた。台湾有事を巡っては、在日米軍の出撃を米側と事前協議する対応でも「わが国が自主的に判断し、諾否を決定する」と説明した。」
記事は以上で、相変わらず短いために、ともすれば見過ごしてしまいそうになる。
・・・・・
相変わらず「存立危機事態」という、なにやら曖昧な言葉が使われて、質疑がなされている。
「存立危機事態」とは、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
と、政府が説明しているが、所謂「造語」だ。
「存立」とは、存在し、成り立つこと。滅びたりつぶれたりせず立ちゆくこと。
簡単に言えば、米国に対する武力攻撃が発生し、そのことが、日本の滅亡に繋がるほどの危険がある事態と言うことになる。
そのような事態に対処するのが、集団的自衛権の行使だと言う。
その根拠は、日米安全保障条約によると言っているのだろう。
政府の言う「存立危機事態」は、地球上のどこで発生した危機についていうのかは、地理的限定についての説明が無いから分からない。
そのような事態は、宇宙空間でも発生すると言い出すかもしれない。
そんな説明を許せば、日本が「存立危機事態」と判断すれば、地球上のみならず、宇宙空間で発生した事態に対して、他国領域のミサイル基地などを破壊する「敵基地攻撃能力」の行使が許されることになる。
さすがにそれはないだろう。
しかし、地理的限定を求めなければ、無制限さは解消されない。
政府は、集団的自衛権の行使だという。
その根拠は、日米安全保障条約によると。
日米安全保障条約では、このあたりのことは、どう規定されているのか。
日米安全保障条約から抜粋する。
第五条(共同防衛)
1 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
第六条(基地の許与)
1 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
ここで分かることは、
日米安全保障条約は、「・・・日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、・・・」
とあるように、あくまでも、「日本の施政の下にある領域」で発生した共通の危機に対して、協力して対処するという条約だということだ。
それは、「日本の施政の下にある領域」で発生した危機でなければ、日米安全保障条約の第五条(共同防衛)は、発動されないということを示している。
一方で、政府は「武力攻撃事態」を別に定義している。
ここで言う武力攻撃とは、我が国に対する外部からの武力攻撃をいう。
すなわち、「日本の施政の下にある領域」への武力攻撃を定義した「武力攻撃事態」でしか、日米安全保障条約の第五条(共同防衛)は、発動されないということになる。
政府の説明の矛盾、齟齬が理解できたと思うが。
問題がもう一つある。
石橋通宏氏の「他国防衛のために使えば、先制攻撃になるのではないか」という質問に、
岸田首相は、「わが国の存立のために行使するものだ」と答弁する。
これは言い換えれば、「自衛のため」と言うことだろう。
「自衛のため」ということを「錦の御旗」にして侵略戦争を行ってきた、先の戦争の反省が微塵も感じられない。
先日、岸田首相は、先制攻撃は「国際法に違反する」から「やらない」と明言した。
ならば、先制攻撃にならないようにするために、「宣戦布告」をするのかと問うてもらいたい。
それこそが、日本に武力攻撃をしていない他国に対する「侵略戦争」だろう。
憲法9条を忘れたとは言わせない。
岸田首相が、
台湾有事を巡っては、在日米軍の出撃を米側と事前協議する対応でも「わが国が自主的に判断し、諾否を決定する」と説明した。
とあるが、
日米安全保障条約の第六条(基地の許与)にあるように、
「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、・・・」
とある以上、日本側に拒否する理由は見いだせないだろう。
唯々諾々と従うしかないということだ。
「わが国が自主的に判断し、諾否を決定する」
よく言えるわ・・・。恥知らず・・・。
それにしても、質疑は、記事が示す模様のままで終わってしまったのだろうか。
岸田首相は何も答えていないに等しいにも関わらず・・・。
岸田首相が不誠実なのか、野党の追及が甘いのか。
いずれにしても、
日本の「本当の存立危機事態」は今、国会で起きている、と言えるのではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/470.html
https://mainichi.jp/articles/20230306/k00/00m/010/295000c
ほ〜らほら。来た来た。
この際、好き勝手にやらせてもらいまっさ。
そんな開き直りを報じた記事。
可愛くない。
以下記事の抜粋。
「政府は7日、個人に割り振られた12桁のマイナンバーの利用範囲を拡大する関連法案を閣議決定した。マイナンバーを使う事務手続きは現在、社会保障と税、災害対策の3分野に限定されており、取り扱いができる行政機関、用途などが厳しく規定されている。マイナンバー法で規定されたマイナンバーの用途について「準ずる事務」を実施する際は、法改正ではなく省令の見直しだけで可能とする。
より簡素な変更を可能にすることでマイナンバーの利便性を向上させる狙いがある半面、行政の恣意(しい)的な用途拡大につながる恐れもある。
マイナンバーとひも付ける公金受取口座の登録を促進する新制度も創設。年金給付に関し行政機関が既に口座情報を把握している場合、本人に確認したうえでマイナンバーとひも付いた公金受取口座として登録する。・・・」
抜粋は以上。
・・・・・
法改正を必要としないということは、「国会での審議は必要ない」という事。
個人情報の塊が、行政の都合でその利用範囲を恣意的に決められ、そのことに意見を言うことも、抵抗する機会さえも与えられない、ということになる。
恐ろしか〜。
国会は何のためにあるんや。
国会議員は何のためにいるんや。
我々は、何のために国民の代表を国会に送っているんや。
我々は官僚の下僕なのかいな?
私の知識は、もはや古いのかいな?
頭が混乱してきたわいな。
緊急事態でもないのに、この調子だわ。
緊急事態条項が、憲法に書きこまれたら、一巻の終わりやわ。
国民の怒りは、いつになったら爆発するのか。
スマホばかり見てちゃダメだろ。
そこの、若者!。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/472.html
11. 達人が世直し[1937] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月09日 21:27:31 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1178]
国会を賑わしている「行政文書は捏造されたものか」という問題が、「行政文書の正確性の問題」へと、「問題のすり替え」が行われつつある。
気を付けねばなるまいよ。
高市氏は「ありもしないことを、あったかのように作ることを『捏造』と言うんじゃないか」と言っている。
「捏造」の言葉の定義としてはその通りだ。
そういう認識のもと、自身に関する記述の部分については、文書は「捏造」されたものだ、と断言している。
分かり易く言えば、「ありもしないことを、あったかのように、文書には書いてある。」と。
「ありもしないこと」だとすれば、正確にも、不正確にも書けないのが道理というものだ。
従って、この問題は、「行政文書の正確性の問題」ではなく、あくまでも「行政文書は捏造されたものか」を問い詰めなければならない。
行政文書に記されていることは、高市氏にとっては「不都合な真実」なのか、それとも「ありもしないことを捏造して」記されたものなのか。
高市経済安保担当相は言うまでもなく、内閣の一員だ。
その高市氏は、「文書は捏造だ」と断言する。
一方、松本総務相は、「捏造するとは考えられない」と言う。
同じ行政文書に対して、内閣の中でこれほどまでに、評価が真逆と言うのはあり得ない。
明らかに、「内閣不一致」であり、岸田首相の責任が問われて当然ではないか。
しかも、問題になっているのは、片方の言い分は、「報道の自由」に対する政治の圧力という「犯罪」を暴露するものであり、もう一方は、「公文書の捏造」という「犯罪」を声高に叫ぶものだ。
どちらに転んだとしても、そこには「犯罪」が存在することになる。
そんな行政文書に対して、評価が内閣不一致であっていいはずがない。
岸田首相は、他人事のような「涼し気な顔」をしているが、内閣不一致は内閣全体、内閣総理大臣の問題との認識は無いのだろうか。
今、世間の耳目は、高市氏の去就に集まっているが、本当に問題にすべきは、そこではない。
本当に問題にすべきは、第二次安倍政権以来、この10年間は、「報道に自由」への政治介入のみならず、霞が関、警察、司法、憲法、教育、学者、財界、労働組合等々、あらゆる方面への政治介入を、政府が国民の眼に触れないように断行してきたことではないか。
しかも、岸田政権においても、そのことは脈々と続いている。
今回の問題の「真実を明らかにする」ことは、本当に問題にすべき日本の現状を我々国民が正しく認識するための、ほんの一里塚でしかない。
願わくば、日本の政治が、どれほど腐敗しきっているか、明らかにしてもらいたい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/497.html#c11
5. 達人が世直し[1938] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月09日 22:13:23 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1179]
日本の原発、「寿命は設計上は30〜40年」
これに尽きるのではないか。
議論の余地は、全く無い。
個々の人間の寿命は分からない。
だから、人は死ぬまで生きなければならないとされ、そのことを天寿を全うするという。
しかし、原発であれ、何であれ、人間の作る物の寿命は、それを設計した人間、作った人間は分っている。
何故なら、製品寿命を設定し、そこから設計に取り掛かるからだ。
従って、設計者は、設定した「製品寿命」を越えて、使用されることを最初から想定していない。
想定したら、設計が出来ないことになる。
そのことは、設計上の寿命を越えて使い続けると、何が起こるのか、設計者はもとより、誰も分からない、ということを示している。
そして、設計寿命を越えた、そう遠くない、いつか、原発は想定もしない現象で「突然死」する。
設計上の寿命を無視したら、「寿命」の概念は無くなってしまう。
そして、科学も技術も無い、運否天賦の博打の世界に足を踏み入れることになる。
そこに残るのは、「突然死」が起こった時が寿命、という無責任のみ。
我々の人生は、「人間万事塞翁が馬」の如し。
要するに、明日をも知れない、不安な毎日を過ごすことになるという事。
これからは、大方の国民は、天寿を全うできないのか。・・・も知れない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/501.html#c5
https://www.chunichi.co.jp/article/651129?rct=politics
衆院外務委員会で、国の根幹を揺るがしかねない、恐ろしいことが語られているようだ。
語っているのは、井野俊郎防衛副大臣。
狂人に刃物を持たせてしまった、そんな恐怖を感じる。
以下記事の全文を転載する。
「井野俊郎防衛副大臣は10日の衆院外務委員会で、反撃能力(敵基地攻撃能力)行使の在り方を問われた際、多数のミサイルを同時に撃つ「飽和攻撃」を選択する可能性を排除しなかった。「個別具体的な状況において判断されるべきものだと考える」と指摘した。共産党の穀田恵二氏の質問に対する答弁。
飽和攻撃は、相手国の軍事基地だけでなく、周辺の民間施設などを破壊して多数の犠牲者を出す恐れが指摘される。政府が長射程ミサイルによる飽和攻撃を反撃能力行使の選択肢とした場合、戦力不保持を定めた憲法9条との整合性が厳しく問われそうだ。」
記事の転載は以上。
記事で言う「飽和攻撃」とは何ぞや。
飽和攻撃は、攻撃側が攻撃を仕掛ける際に、攻撃目標のもつ防御処理能力の限界を超えた時間当たりの量で攻撃すること。 ウィキペディア
「飽和攻撃」の定義に従えば、前提として、相手の防御処理能力を把握していなければ、飽和攻撃など出来るはずもなく、だとすれば、飽和攻撃で確実に敵を撃破するなどは、「机上の空論」でしかない。
結果、何が起きるかと言うと、ミサイルの数にものを言わせた「めくら撃ち」。
そんなことは軍事的合理性を求めるならば、普通のミサイルを打ち合う戦闘ではあり得ない。
しかも標的が、変幻自在に移動し、隠れるようなものに対しては、無駄撃ちでしかないのだろう。
飽和攻撃に関しては、核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルの迎撃システムの確立に頓挫した結果、そのことを糊塗するために考え出された言い訳に近いものでしかない。
すなわち、どんなに確実な迎撃システムを構築しても、飽和攻撃を実行されたら対処することが出来ないと。
これは、ミサイルの迎撃に失敗した結果として、数発の核ミサイルが国内に着弾した場合、その国が消滅するほどの被害が想定される場合に成り立つ攻撃方法と言えよう。
通常のミサイルでは、迎撃に失敗したとしても、被害を限定的にする方策はほかにもあることを考えれば、おそらく、軍事的合理性からすれば、通常戦闘では、取られない戦術といえるのではないか。
国会でこのようなやり取りをする場合、その大前提として、敵基地攻撃能力なるものを「行使する」ことも、「保有する」ことも、憲法に違反するとの認識に立つことが必要ではないか。
そこの認識に隔たりがあれば、議論が煮詰まるはずもないだろう。
井野俊郎防衛副大臣は、「個別具体的な状況において判断されるべきものだと考える」という逃げ口上の常套句を口にしているが、
「憲法に違反していませんか?」
と聞かれている、そのことに思いが至らない。
憲法違反と思いとどまるか、憲法違反を承知で断行するか、「個別具体的な状況において判断されるべきものだと考える」と言っているに等しい。
この一事をとっても、
「憲法などあって無しがごとし」という、傲慢不遜な態度であろうか。
まさに「朕は国家なり」ではないか。
この記事を書いた記者の認識にも問題がある。
「飽和攻撃は、相手国の軍事基地だけでなく、周辺の民間施設などを破壊して多数の犠牲者を出す恐れが指摘される。政府が長射程ミサイルによる飽和攻撃を反撃能力行使の選択肢とした場合、戦力不保持を定めた憲法9条との整合性が厳しく問われそうだ。」
と言うが、
相手国の領土に対して、ミサイルを撃ち込むことを、憲法9条は禁じている。
そのことは、攻撃の標的が軍事基地、軍事施設であろうと、民間施設であろうと関係はない。
憲法が教える日本の防衛の理念は
「専守防衛」
すなわち、
「守りに徹して、攻撃に抗う」
飽和攻撃などは、文字通り、「攻撃」でしかない。
国会でこのようなやり取りをする場合、その大前提として、敵基地攻撃能力なるものを「行使する」ことも、「保有する」ことも、「憲法に違反する」との認識に立つことが必要ではないか。
そのことの議論がないまま、そして結論を得ないまま、ただ何となく国会審議は時間が過ぎていき、防衛費予算の倍増といった「問題のすり替え」が行われてしまっているように思えてならない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/533.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230312-OYT1T50060/
国会は何時から「ルール無視」の無秩序な空間になってしまったのか。
安倍氏の「嘘答弁」、大臣、官僚の「記憶喪失」、ガーシーなる者の議員歳費詐取、等々。
そしてこれも・・・。
記事は短いので、全文を転載する。
「自民党の世耕弘成参院幹事長は12日のBSテレ東の番組で、岸田首相がウクライナを訪問する場合、国会の事前了承は不要との認識を示した。国会開会中の外遊には衆参両院の議院運営委員会理事会で了承を得るのが慣例だが、世耕氏は「安全の問題もある。我々(国会)にもぜひ秘密にしてもらい、事後的に報告すればいい」と述べた。
訪問時期については「躊躇なく適切なタイミングで行ってほしい。G7(先進7か国)議長国なのに、G7の中でゼレンスキー大統領と(対面で)会ってない唯一の首脳だ」と指摘し、5月に広島市で開かれるG7サミット前の実現を求めた。」
記事は以上の通り短い。
世耕氏の言っていることも中身がないので、記者泣かせだ。
岸田首相のウクライナ訪問の理由が、情けないというか、日本人としては恥ずかしい。
「・・・G7の中でゼレンスキー大統領と(対面で)会ってない唯一の首脳だ。」
日本だけ?、大いに結構ではないか。
日本は、「戦争をしない国」として、国際社会でその名誉を得るべく努力を続け、そして、その名誉を獲得してきた。
そんな日本は、ウクライナを支援する場合でも、NATO諸国とは一線を画することが求められるし、そうすることこそ望まれるのではないか。
NATOにも、G7にも、悪戯に同調するのではなく、わが道を進む、で良いではないか。
今年のG7の議長国の首相としての体面上、どうしてもゼレンスキー大統領と対面で会うことが必要であるならば、その理由を「丁寧に説明」した上で、国会開催前に「秘密裡」にウクライナを訪問すればよかったのだ。
いまさら押しかけて行っても、迷惑でしかないだろう。
毎日のように、ロシアからミサイル攻撃を受けている国だ、きっと忙しいと思うけど・・・。
そのことを、考えた方がいい。
日本は日本のやり方で、ウクライナの戦後を見据えた復興支援等に力を注ぐべきだし、そういう機会はこれからだ。
今、訪問を強行しても、「自身の見栄のため」と見透かされてしまっている。
止めた方がいい。
「国会開会中の外遊には衆参両院の議院運営委員会理事会で了承を得るのが慣例」
そういうルールがある中で、自らルール破りをすれば、国際法違反を恥じない国を非難する資格すら打ち捨てることになると、自覚すべきではないか。
「ルールは守るためにある」のではなかったか。
「憲法」しかり、だろう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/535.html
7. 達人が世直し[1939] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月12日 21:57:53 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1180]
>>2 氏
慌てて出てきたはいいが、バカ左翼という「アンタ」の藁人形、忘れてきたな。
>おそらく、政府が飽和攻撃の対象にするであろう目標は、空軍基地や海軍港湾などの固定目標になるかな。
ここで、わざわざ政府の代弁をするあたりは、「自民党のパシリ」を隠さなくなった証。
分かり易い。
しかしながら、折角「飽和攻撃」の意味を書いておいたのに、そのことが理解できていないらしい。
「飽和攻撃」とは、攻撃側が攻撃を仕掛ける際に、攻撃目標のもつ防御処理能力の限界を超えた時間当たりの量で攻撃すること。 ウィキペディア
「アンタ」の言うのは、先制攻撃か、開戦初期に、幅広く軍事施設を攻撃、撃滅をねらう、電撃攻撃というやつ。
これじゃ、コメントの返しようがない。
>>3 氏
と思ったら、慌てて、藁人形を取りにいって、戻ってきたか。
これまた定番の
>バカ左翼なので“9条ガ!9条ガ!”とまたギャーギャー騒いでいるが、
と、子猫のマウント。
>かつて、9条は自衛隊や日米安保を禁じている、とか言われていた。
そう言う「アンタ」はどう言ってたんだい?(ここ大事なところ・・・)
「アンタ」の持ちだしてきた井上達夫氏とは、「憲法9条削除論」を唱えている人のことだと思うが、あれは間違った考え方。
自衛隊は合憲か、違憲か、の議論にしても、日米安保は合憲か、違憲かの議論にしても、そのこと自体には、憲法は興味を示していない。
従って、その議論を、憲法9条の解釈で答えを見出そうとしても、無理がある。
にも拘らず、自衛隊の合憲、違憲の議論を憲法9条に根拠を求め、双方が都合よく隠れ蓑にしていると言い、
だからと言って、侵略戦争を放棄するとした憲法9条削除を唱える、とんでもない輩でしかない。
「アンタ」もその論に染まっているようだが、早々に見切りを付けた方がいい。
ということで、「アンタ」が大絶賛した、「独自理論解釈」から、新ネタを一つ教えてあげる。
前にも、「アンタ」宛てに書いたものだけどね。
「アンタ」が言うように、日本国憲法に「自衛隊」のことは記されていない。
そのことは、何を意味してているかというと、「自衛隊」そのものは憲法とは関係ないということを示している。
言葉を換えれば、憲法は「自衛隊」については無関心だといってもいいか。
そのことは、憲法制定時に「自衛隊」という言葉すら無かったことを考えれば自明ではないか。
憲法9条は、武力による威嚇、あるいは武力の行使を放棄するとして、禁じている。
これは、政府あるいは、政府のどこかの組織が、「そういう行動」をすることを禁じているわけだ。
従って、自衛隊も「憲法9条」違反の「行動」をとれば、「自衛隊の行動」は憲法違反として断罪される。
そのことは、同じ実力組織の警察庁あるいは海上保安庁についても言えることだ。
海上保安庁を「憲法違反」と喚き散らす人にはお目にかからない。
しかし、海上保安庁も、「憲法9条」違反の「行動」をとれば、「海上保安庁の行動」は憲法違反として断罪される。
憲法違反になるかどうかは、その「行動」「振舞」が憲法に違反しているか、どうかによって決まる。
なので、「自衛隊」は合憲か、違憲かという議論は意味をなさず、「不毛」だということだ。
日本は、他国の領土の敵基地を攻撃することも、敵基地攻撃能力を保有し、他国を武力で威嚇することも憲法で禁じられている。
従って、「敵基地を攻撃するという行動」も、トマホークを配備して、文句あるなら撃ち込むぞとばかりに、「他国を武力で威嚇する行動」も憲法違反と断罪しなければならないわけだ。
「アンタ」は9条条文すら読んでないのかい?
と、まあそんなことを書いたんだけれども、反論も出来ずに、「子猫のように」大人しかったじゃないか。
11. 達人が世直し[1940] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月13日 18:04:43 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1181]
>>8 氏
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが、
>戦争放棄、武力による威嚇、陸海空その他の戦力の保持を禁じると9条に書いてあるじゃないか。
と、あえて書き直して、自分にとって都合が悪いのだろう、「武力の行使」という言葉を隠してしまう。
以前、氏の言う「戦争」と「武力の行使」は、何がどう違うのか、問いかけても説明は無かったが、今でも説明できないのだろう。
だから・・・。
さらに言えば、2項の「前項の目的を達するため、」という言葉も、意味があるから落としては駄目だ。
これなども、氏の「文脈を無視した切り出し論法」。・・・常套手段なのだろうが、詭弁だよ。
憲法9条には、こう書いてあるんだよ。こんな短い文章を省略するな。書き直すな。
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
>あなたは、自衛隊の行為を、戦争ではない、武力による威嚇ではない、自衛隊そのものを、陸海空その他の戦力ではない、と誰にもわかる真っ赤な嘘を言っているのだ。
嘘つき呼ばわりは、心外だな。
私は、「敵基地攻撃能力の行使」は「武力の行使」であり、「敵基地攻撃能力の保有」は「武力による威嚇」であり、いずれも憲法9条に違反すると主張している。
自衛隊も、憲法9条2項でいう「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力」にあたらないと、日本には軍法もなく、軍法会議も憲法で禁じ、隊員は、公務員としての地位しか与えられておらず、人を殺傷する権限など、とんでもないとして与えられていない、と根拠を示して主張している。自衛隊に認められている行動と振舞を見れば、到底軍隊と言えるものではないだろう。
何処に「嘘」があるのか根拠を示してほしいものだ。誰にもわかる真っ赤なものなのだろう?。
>議論は無駄。読者の判断に任せましょう。
何を言っているのやら。
人を「嘘つき」呼ばわりした挙句に・・・、遁走とは。まさに敵前逃亡。
まるで始末に負えない「ピンポンダッシュ」じゃないか。
餓鬼じゃあるまいし、はた迷惑でしかない。
「軍隊」であれば、敵前逃亡は「死刑」が相当。
「自衛隊」では、敵前逃亡しても、せいぜい「懲戒処分」。
氏の場合は、せいぜい「嘲笑」されるのがオチ。
軍隊でなくてよかったね。
>もう一つ、何度も質問したが答えてもらえない質問。
>侵略国が日本に対してミサイルで「敵地攻撃」をして、日本の国土が目茶目茶に破壊されているのに、日本はそれに対抗してミサイルで侵略国のミサイル基地を「敵地攻撃」をしてはいけないのか。
繰り返しになる、何度も答えた「答え」
勿論、そんなこと、しちゃいけません。
憲法にも、そんなことは、永久にしません、と書いてあります。
日本人には殺人行為を認められている人がいないので、敵基地を攻撃して、軍人や、民間人を殺傷するトマホークの発射ボタンを押せる人がいないのです。
自衛隊法 第82条の3第1項(弾道ミサイル等に対する破壊措置)では、日本の領空で撃ち落とすことは、認められているようですよ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが・・・
しかし、そういう事なのです。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/300.html#c72
で書いた通りだ。
>侵略国が日本に対してミサイルで「敵地攻撃」をして、日本の国土が目茶目茶に破壊されているのに、日本はそれに対抗してミサイルで侵略国のミサイル基地を「敵地攻撃」をしてはいけないのか。
何度も質問したが答えてもらえない質問
ここで言う侵略国は、どうして日本を侵略するのか?、なぜ相手は「日本を攻撃する」ことになったのか?
そろそろ答えてもいいんじゃね。
12. 達人が世直し[1941] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月13日 19:49:43 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1182]
>>9 氏
相変わらずのアホ右翼の「子猫のマウント」だなあ。
>なぜ、アンタが飽和攻撃=先制攻撃!と早とちりするのか分からん…。
確かに分かっとらんわ。
「アンタ」が解説していることは、「飽和攻撃」ではなく、「・・・先制攻撃か、開戦初期に、幅広く軍事施設を攻撃、撃滅をねらう、電撃攻撃というやつ。」と指摘しているのは私だろ。
自分の理解力の無さにも気が付けない。
ちょっと見ててイタい。
>君の調べたウィキペディアには“先制攻撃のときのみを指す”とか書いてあったのかい?
>敵基地攻撃しないなら名前が日本軍でも合憲だとでも?(笑)
これらは、反語を使った「詭弁」だな。
長嶋茂雄が引退するときの言葉「我が巨人軍は永久に不滅です!」
球場で戦う「巨人軍」は違憲だとでも?
組織の中身、行動、振舞を無視して、ためにする議論は、永久に不毛です!。
>>10 氏
>9条条文には敵基地攻撃なんて一言も書かれていないので、これも結局解釈による。
他国の領土の敵基地を攻撃することも、敵基地攻撃能力を保有することも、憲法9条で放棄している「武力による威嚇」「武力の行使」にピタリと当てはまることを理解することは、特別難解な問題ではないと思うが。
「アンタ」の理解力では、そうではないの?
>これも結局解釈による。
とほざくなら、自分の解釈は「こうだ」と書けば済む話ではないか。
いつものように、それは無い。
>ここでは、政府解釈及び現在の野党では「自衛戦争は認められている」という解釈を取るが、果たして自衛戦争が敵基地攻撃をも含むかは憲法上分からない。
所で、「アンタ」の解釈はどうなんだい。
ここに出てくる「自衛戦争」という分類の仕方は、当事者の主観の入り込む余地が大きく、客観性に欠ける分類になる傾向があるため、使われることが少なくなってきている。
「戦争」を、目的による分類をしようとすれば、「侵略戦争」と「防衛戦争」とするのが一般的だろう。
「侵略戦争」は敵の領土に侵攻し、積極的に敵を求めてこれを攻撃、獲得した都市、領域を占領する攻勢作戦の方式をとった戦争である。戦術的には機動攻撃を行い、獲得した地域や拠点はこれを占領する。
「防衛戦争」は侵略してくる敵に対してこれを破砕し、自らの領土や財産などを守るための防勢作戦の方式をとった戦争である。戦術的には各種防御を行い、進攻する敵を排除する。
こうして整理すれば、「自衛戦争」という言葉の曖昧さ、不適切さがはっきりする。
「アンタ」が好き勝手に使われてきたと言う「自衛戦争」などという曖昧な言葉を使わずに、「防衛戦争」という言葉で思考すれば、疑問も解消すると思うけどね。
>なので、行動やら振舞やらとは関係なく、憲法に反する法律や命令そのものが認められない。
ここは、何を言いたいのか理解できないが、無理に付き合えば、
いやいや、法律とは、対象となる人の「行動規範」を示したものだ。
その「行動規範」が、憲法に違反していれば、法律はその効力を認められない。ということかな。
自衛隊法のどの条文が憲法違反だとか、安保条約のどの条文が憲法違反だとか・・・。
そういう議論にならなければという事かな。言いたいことは。
因みに、そういう見方をして、日米安保条約の6条は、憲法違反と言うのが私の認識なので、そこは同意してもらえるかな?
要するに、「名前」などではなく、中身を吟味して、是非を述べるべきではないのかということだ。
球場で戦う「巨人軍」は違憲だとでも?ほざくのか?
「自衛隊」が違憲だ、とほざく根拠は何?
「自衛隊」は軍隊だ、とほざくからには、「自衛隊員」は他国の領土にミサイルを撃ち込んで、人を殺傷できる権限を与えられていると?
どうなのよ。
ところで、「アンタ」の藁人形の「バカ左翼」は、もう見飽きたよ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/533.html#c12
16. 達人が世直し[1942] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月14日 20:42:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1183]
>>14 氏
改めて言うが、
「飽和攻撃」とは、、攻撃側が攻撃を仕掛ける際に、攻撃目標のもつ防御処理能力の限界を超えた時間当たりの量で攻撃すること。 ウィキペディア
「アンタ」の >>2 での説明は、「飽和攻撃」の説明にはなってないと指摘している、そのことが理解できない。
私のレスを一部しか読まんのか…、
能無しでも分かるように、分かり易く書いてあげたのに。
これだからアホ右翼は…。
まあ、>>14 では、少し説明を変えてきたという気配はあるが、やっと気が付いたというところかな。
しかし、ここでは「アンタ」の講釈は時間の無駄。
私が転載した、ウィキペディアの引用で十分。
一応言っとくが、「アンタ」は「解釈」という言葉を、でたらめに使っているようだ。
ちょちょっとググって、精選版 日本国語大辞典 で「解釈」と言う言葉を調べると、色々な説明が出てくる。
@ 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
A 語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
B 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。
「アンタ」が「解釈」と言うときは、概ね
@ 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
という意味の「解釈」。
しかし、憲法や法令の条文を解釈するという場合は、
B 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。
でなければならない。
そのためには、A語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
という努力を要求される。
「アンタ」の場合は、@ 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
この段階で、しかも躓いている。
>当然ながら9条では防衛戦争という用語は存在しないので、自衛戦争だの防衛戦争だの区別することすら解釈に過ぎない。
あるいは、
>>10 で言っている、
>なぜなら、自衛戦争というものを憲法上一言も言及していないので検討の余地が少ない。
>結局は解釈によるしかないからだ。
これなどは、「解釈」の意味を正しく理解して使用しているかどうかも、「怪しい」
>自衛戦争だの防衛戦争だの区別することすら解釈に過ぎない。
これは逃げだな。
>自衛と防衛って違うものなのかい?
「アンタ」は同じものだと言うのかい?
同じもので、区別する必要が無ければ、「防衛戦争」で良いんじゃないの。
それで、なんか文句あるの?
私は、 >>12 で書いた通り、
>ここに出てくる「自衛戦争」という分類の仕方は、当事者の主観の入り込む余地が大きく、客観性に欠ける分類になる傾向があるため、使われることが少なくなってきている。
と考えるから、「自衛戦争」ではなく、「防衛戦争」という言葉を使うのが適切だと言っている。
B 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。
を求めるならばね。
A 語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
このステップに相当するんじゃないか。
>自衛による敵基地攻撃は今まで何度も行われてきたし、・・・国際法上認められていると言われても違和感は無い。
これは「アンタ」がよくやる「問題のすり替え」だな。
いつの間にか。「「国際法の問題に・・・」
しかも、言い分は、あの人達もやっているから・・・
子供じゃあるまいし。
日本国憲法に違反していることを「問題」にしているのではなかったのか。
「アンタ」の言葉を借りれば、この70年余り、日本では自衛による敵基地攻撃は今まで一度も行われていないし・・・
>“ぼくのかんがえたさいきょうのていぎ”
これはこれは、再び「独自理論」の評価を戴き、光栄の至りと言いたいところだが・・・、
いや〜、その節は「ども」。しかし今回の評価はちょっと「的外れ」だな。
>自衛と防衛って違うものなのかい?それは今君が考えたのかい?(笑)
これが的外れ。これは「チミ」がやってるのと同じで、ちょこっとググってみたら、そう書いてあったのをコピペしただけ。。
「アンタ」は偉そうに知識をひけらかしているようだけど、今時ちょっとググってコピペすることは、いとも簡単なことだからね。
“ぼくのかんがえたさいきょうのていぎ”と言うのは、さすがに、評価高過ぎだと思うな。。
しかし、あの「独自理論解釈」と絶賛した「アンタ」の評価には、全く影響しないから、気にしなくていいよ。
>この点はまだ自民党の方がずっと説得力があり、
>「憲法が自衛戦争を禁止していないのなら、過去の世界で行われた“自衛”による敵基地攻撃も認められて然るべきだ」
>というのは筋が通っている。
ここは、自民党の解釈を書くのではなく、「チミ」の考えを書くべきところだろ。
例え、「チミ」の「解釈に過ぎない」としてもね。
もしかして、自民党を騙っているけど、それは今「チミ」が考えたのかい?
これなどは、「アンタ」流に言えば、所詮「アホ右翼」の「解釈に過ぎない」となるんじゃないの。
そうでないと、「アンタ」の言っていることは、「間違っている」ばかりではなく、「筋が通らない。」
「アンタ」の「解釈に過ぎない」も、自己都合でころころ変わる「いい加減なものに過ぎない」ということでしかないな。
>>15 氏
>「行動や振舞によって合憲違憲が決まるなら、実際に行動や振舞をするまで違憲とはみなされない」という事。
これも、「アンタ」流に言えば、「間違った解釈に過ぎない」という事。
この辺りは、自分の頭で考えたのだろう。コピペしたであろう他の文章とのレベルの落差が半端じゃない。
>例えば、「日本核武装法」なる法律をつくったとする。
>しかし、時の政権が“法律はつくりましたが、実際に核武装はしません”とか言い出したらどうする?
>実際に核武装していないのに、違憲だとか言えるのだろうか?
「バカ」じゃないのか、いや「アホ」だろう。
違憲に決まっているだろう。
「アンタ」の言う「日本核武装法」の内容は分からんが、文脈からすれば、「日本核武装法」そのものが違憲であり、そんな立法行為も違憲になるだろう。
「アンタ」自身、 >>10 で言っているだろう。
>なので、行動やら振舞やらとは関係なく、憲法に反する法律や命令そのものが認められない。
自分には、これという「定見」も無く、人様をディスるためだけに、その場の都合で、他人の言っていることを繋ぎ合わせていると、そういう自己矛盾に嵌っていく。
>名前にこだわるな…と言うなら
これは、「アンタ」が「バカ左翼」という藁人形に言わせた、いわゆる「藁人形論法」だな。
私は、「名前にこだわるな」とは一言も言っていない。
古来「名は体を現す」と言われているくらいだから、名前の重要さは、「アンタ」よりは認識しているつもりだ。
以下の「アンタ」の書き込みは、「藁人形論法」とはこういうものですよという、見本にしかならない。
>アンタの定義に照らせば、スイス軍もオーストリア軍も日本国憲法上は合憲になるな(笑)
スイスのことも、オーストリアのことも良く調べてはいないが、その国に、軍法があり、軍法会議があり、他国の領土にミサイルを撃ち込むなどして、所属する軍人に、他国の人を殺傷することが認められているとすれば、
日本国憲法上は違憲になるな。
「名前」などではなく、中身を吟味して、是非を述べるべき」と言うのは、このように吟味をしないといけないということだろ。
>最後に皮肉を言うが、>>12が必死で現在の自衛隊の合憲性を唱えているのはなかなか滑稽だな。
ここまでくると、「アンタ」につける薬は無いわ。
私が訴えているのは、「敵基地攻撃能力の保有」も、「敵基地攻撃能力の行使」も、国際法はどうあれ、日本国憲法に明らかに「違反」するものだと言うことだ。
「アンタ」にどんな都合と、事情があるのかは知らないが、私の主張を捻じ曲げてもらっては困る。
>アンタは多分、過去の自らの憲法解釈を投げ捨てて解釈改憲したニオイがプンプンするが、
>自民党の解釈改憲に文句をつける癖に自らの解釈改憲は見て見ぬふり、・・・
どうしても、最後はやっぱり「詭弁」になるか〜。。
「過去の自らの憲法解釈を投げ捨てて解釈改憲した」藁人形を作って、それを相手に、自民党に文句をつけるは、自らを見て見ぬふりをするはと、ディスる。
そして、いつものヒッヒッヒと引き攣った(笑)
本当にアホ右翼ぶりが現れていて気の毒になっちゃった。
「アンタ」の周りに漂っている、生き物が腐乱したときのようなニオイは、多分「アンタ」自身の「加齢臭」か、「アホ右翼の臭い」だろう。
こうして整理してみると、「・・・解釈に過ぎない」と、ギャーギャー喚き散らす前に、自分の解釈は「こうだ」と書けば済む話ではないか。・・・と思うのだが・・・。
今のところ、「アンタ」にはそれは無い。
もし、そんな機会があったら、その時は、「自分の解釈に過ぎないですけど・・・」と付け加えてな。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/533.html#c16
17. 達人が世直し[1943] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月14日 21:19:23 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1184]
何故か非表示なので再投稿。
>>14 氏
改めて言うが、
「飽和攻撃」とは、、攻撃側が攻撃を仕掛ける際に、攻撃目標のもつ防御処理能力の限界を超えた時間当たりの量で攻撃すること。 ウィキペディア
「アンタ」の >>2 での説明は、「飽和攻撃」の説明にはなってないと指摘している、そのことが理解できない。
私のレスを一部しか読まんのか…、
能無しでも分かるように、分かり易く書いてあげたのに。
これだからアホ右翼は…。
まあ、>>14 では、少し説明を変えてきたという気配はあるが、やっと気が付いたというところかな。
しかし、ここでは「アンタ」の講釈は時間の無駄。
私が転載した、ウィキペディアの引用で十分。
一応言っとくが、「アンタ」は「解釈」という言葉を、でたらめに使っているようだ。
ちょちょっとググって、精選版 日本国語大辞典 で「解釈」と言う言葉を調べると、色々な説明が出てくる。
@ 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
A 語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
B 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。
「アンタ」が「解釈」と言うときは、概ね
@ 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
という意味の「解釈」。
しかし、憲法や法令の条文を解釈するという場合は、
B 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。
でなければならない。
そのためには、A語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
という努力を要求される。
「アンタ」の場合は、@ 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること。
この段階で、しかも躓いている。
>当然ながら9条では防衛戦争という用語は存在しないので、自衛戦争だの防衛戦争だの区別することすら解釈に過ぎない。
あるいは、
>>10 で言っている、
>なぜなら、自衛戦争というものを憲法上一言も言及していないので検討の余地が少ない。
>結局は解釈によるしかないからだ。
これなどは、「解釈」の意味を正しく理解して使用しているかどうかも、「怪しい」
>自衛戦争だの防衛戦争だの区別することすら解釈に過ぎない。
これは逃げだな。
>自衛と防衛って違うものなのかい?
「アンタ」は同じものだと言うのかい?
同じもので、区別する必要が無ければ、「防衛戦争」で良いんじゃないの。
それで、なんか文句あるの?
私は、 >>12 で書いた通り、
>ここに出てくる「自衛戦争」という分類の仕方は、当事者の主観の入り込む余地が大きく、客観性に欠ける分類になる傾向があるため、使われることが少なくなってきている。
と考えるから、「自衛戦争」ではなく、「防衛戦争」という言葉を使うのが適切だと言っている。
B 法令の意味を明確にして、その内容が動かないように定めること。
を求めるならばね。
A 語句や物事の意味、内容などを説明すること。解き明かすこと。また、その解説。
このステップに相当するんじゃないか。
>自衛による敵基地攻撃は今まで何度も行われてきたし、・・・国際法上認められていると言われても違和感は無い。
これは「アンタ」がよくやる「問題のすり替え」だな。
いつの間にか。「「国際法の問題に・・・」
しかも、言い分は、あの人達もやっているから・・・
子供じゃあるまいし。
日本国憲法に違反していることを「問題」にしているのではなかったのか。
「アンタ」の言葉を借りれば、この70年余り、日本では自衛による敵基地攻撃は今まで一度も行われていないし・・・
>“ぼくのかんがえたさいきょうのていぎ”
これはこれは、再び「独自理論」の評価を戴き、光栄の至りと言いたいところだが・・・、
いや〜、その節は「ども」。しかし今回の評価はちょっと「的外れ」だな。
>自衛と防衛って違うものなのかい?それは今君が考えたのかい?(笑)
これが的外れ。これは「チミ」がやってるのと同じで、ちょこっとググってみたら、そう書いてあったのをコピペしただけ。。
「アンタ」は偉そうに知識をひけらかしているようだけど、今時ちょっとググってコピペすることは、いとも簡単なことだからね。
“ぼくのかんがえたさいきょうのていぎ”と言うのは、さすがに、評価高過ぎだと思うな。。
しかし、あの「独自理論解釈」と絶賛した「アンタ」の評価には、全く影響しないから、気にしなくていいよ。
>この点はまだ自民党の方がずっと説得力があり、
>「憲法が自衛戦争を禁止していないのなら、過去の世界で行われた“自衛”による敵基地攻撃も認められて然るべきだ」
>というのは筋が通っている。
ここは、自民党の解釈を書くのではなく、「チミ」の考えを書くべきところだろ。
例え、「チミ」の「解釈に過ぎない」としてもね。
もしかして、自民党を騙っているけど、それは今「チミ」が考えたのかい?
これなどは、「アンタ」流に言えば、所詮「アホ右翼」の「解釈に過ぎない」となるんじゃないの。
そうでないと、「アンタ」の言っていることは、「間違っている」ばかりではなく、「筋が通らない。」
「アンタ」の「解釈に過ぎない」も、自己都合でころころ変わる「いい加減なものに過ぎない」ということでしかないな。
18. 達人が世直し[1944] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月14日 21:22:02 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1185]
>>15 氏
>「行動や振舞によって合憲違憲が決まるなら、実際に行動や振舞をするまで違憲とはみなされない」という事。
これも、「アンタ」流に言えば、「間違った解釈に過ぎない」という事。
この辺りは、自分の頭で考えたのだろう。コピペしたであろう他の文章とのレベルの落差が半端じゃない。
>例えば、「日本核武装法」なる法律をつくったとする。
>しかし、時の政権が“法律はつくりましたが、実際に核武装はしません”とか言い出したらどうする?
>実際に核武装していないのに、違憲だとか言えるのだろうか?
「バカ」じゃないのか、いや「アホ」だろう。
違憲に決まっているだろう。
「アンタ」の言う「日本核武装法」の内容は分からんが、文脈からすれば、「日本核武装法」そのものが違憲であり、そんな立法行為も違憲になるだろう。
「アンタ」自身、 >>10 で言っているだろう。
>なので、行動やら振舞やらとは関係なく、憲法に反する法律や命令そのものが認められない。
自分には、これという「定見」も無く、人様をディスるためだけに、その場の都合で、他人の言っていることを繋ぎ合わせていると、そういう自己矛盾に嵌っていく。
>名前にこだわるな…と言うなら
これは、「アンタ」が「バカ左翼」という藁人形に言わせた、いわゆる「藁人形論法」だな。
私は、「名前にこだわるな」とは一言も言っていない。
古来「名は体を現す」と言われているくらいだから、名前の重要さは、「アンタ」よりは認識しているつもりだ。
以下の「アンタ」の書き込みは、「藁人形論法」とはこういうものですよという、見本にしかならない。
>アンタの定義に照らせば、スイス軍もオーストリア軍も日本国憲法上は合憲になるな(笑)
スイスのことも、オーストリアのことも良く調べてはいないが、その国に、軍法があり、軍法会議があり、他国の領土にミサイルを撃ち込むなどして、所属する軍人に、他国の人を殺傷することが認められているとすれば、
日本国憲法上は違憲になるな。
「名前」などではなく、中身を吟味して、是非を述べるべき」と言うのは、このように吟味をしないといけないということだろ。
>最後に皮肉を言うが、>>12が必死で現在の自衛隊の合憲性を唱えているのはなかなか滑稽だな。
ここまでくると、「アンタ」につける薬は無いわ。
私が訴えているのは、「敵基地攻撃能力の保有」も、「敵基地攻撃能力の行使」も、国際法はどうあれ、日本国憲法に明らかに「違反」するものだと言うことだ。
「アンタ」にどんな都合と、事情があるのかは知らないが、私の主張を捻じ曲げてもらっては困る。
>アンタは多分、過去の自らの憲法解釈を投げ捨てて解釈改憲したニオイがプンプンするが、
>自民党の解釈改憲に文句をつける癖に自らの解釈改憲は見て見ぬふり、・・・
どうしても、最後はやっぱり「詭弁」になるか〜。。
「過去の自らの憲法解釈を投げ捨てて解釈改憲した」藁人形を作って、それを相手に、自民党に文句をつけるは、自らを見て見ぬふりをするはと、ディスる。
そして、いつものヒッヒッヒと引き攣った(笑)
本当にアホ右翼ぶりが現れていて気の毒になっちゃった。
「アンタ」の周りに漂っている、生き物が腐乱したときのようなニオイは、多分「アンタ」自身の「加齢臭」か、「アホ右翼の臭い」だろう。
こうして整理してみると、「・・・解釈に過ぎない」と、ギャーギャー喚き散らす前に、自分の解釈は「こうだ」と書けば済む話ではないか。・・・と思うのだが・・・。
今のところ、「アンタ」にはそれは無い。
もし、そんな機会があったら、その時は、「自分の解釈に過ぎないですけど・・・」と付け加えてな。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230314/pol/00m/010/006000c
「防衛費拡大に一直線の日本」とサブタイトルを付けて、軍拡に前のめりな今の政府、自民党、さらには一部大手メディアの無責任な姿勢に警鐘を鳴らしている。
久しぶりに、「我が意を得たり」の、そんな記事を見付けた。
残念ながら有料記事ということなので、私には途中までしか読むことが叶わない。
何とか通信料を捻出するために、時に食事回数を減らすことも当たり前の生活をしている私には、「残念」ではあるが、昨今の狂乱物価を前にしては、節約を優先するしかない。
以下に記事を引用する。
ウクライナ戦争を止めるためにはウクライナへの武器支援を強化し、ロシアを追い込まないといけない、という議論をする人は多い。しかし、ロシアとの協議の場を設定し和平に向けて道筋を描くべきだと主張する人は少ない。・・・
防衛費拡大に一直線の日本
翻って日本を見れば、ロシアのウクライナへの侵攻が始まって以降、「今日のウクライナは明日の台湾」を叫び、防衛費の飛躍的拡大に向かった。
その間、日本の安全保障のあり方に関する真剣な議論なきまま、「国を守る覚悟」といった精神論をかざし軍備拡大に走る。
これまで低姿勢を保っていた自衛隊幹部など防衛関係者はここぞとばかりに、「ウクライナになりたくなければ防衛予算の飛躍的拡大を」と訴える。
理解しがたいのは「台湾有事」がすぐそこにあるかのようにあおりたてる右派政治家並びに大手メディアの存在だ。台湾有事になれば日本の犠牲が大きいことが公表されると、彼らは途端に黙り込む。
もちろん有事の備えは必要だが、日本が台湾有事の備えを作ったところで台湾有事を防げるものではない。それに台湾の人々が望むのは有事ではなく、間違いなく現状の維持なのだ。
防衛費で調達された武器は、日本への攻撃を抑止するためといわれる。膨大な武器の調達は米国には大いに裨益(ひえき)するだろうが、調達されたミサイルは演習で使われることはあっても実戦に使われることはあってはならない。
それは戦争を意味するからだ。…
・・・・・
これ以降は有料記事。
少しでも余裕のある方は、どうぞ。
因みに、記事中に「裨益(ひえき)」と、私には見慣れない熟語があったので、念のために調べた。
「裨益(ひえき)」とは、ある事の助け・補いとなり、利益となること。役に立つこと。
この記事の筆者が言いたいのは、日本の防衛費の倍増は、アメリカの利益にしかなっていないということだろうか。
日本は、使えもしない膨大な数の「敵基地攻撃能力の要」なるトマホークを、法外な金額で掴まされただけだと・・・。
まさに、現状の日米関係を喝破するものと言えるのではないか。
忘れてはならないことは、「作られた世論」があるということだろう。
現在の様に、テレビがあり、ネットにも大量の情報が溢れている社会では、正しい情報を見極めることは簡単ではない。
「今日のウクライナは明日の台湾」を叫び、防衛費の飛躍的拡大に向かった。」
「理解しがたいのは「台湾有事」がすぐそこにあるかのようにあおりたてる右派政治家並びに大手メディアの存在だ。台湾有事になれば日本の犠牲が大きいことが公表されると、彼らは途端に黙り込む。」
と、記事でも指摘されている。
そうしている間にも、防衛費倍増の動きは、既に既成事実化され、止まりそうもない。
これが、世論操作、プロパガンダ、大政翼賛な世相の「恐ろしさ」というものなのだろう。
「防衛費で調達された武器は、日本への攻撃を抑止するためといわれる。」
筆者は「・・・いわれる。」と皮肉を残し、
それは「欺瞞であり、戦争準備の口実」であると示唆して、
「それは戦争を意味する・・」と、警鐘を鳴らす。
「軍事、軍事」と騒ぎ立てることが、日本が「戦争をする国」になる「前夜祭」でないことを切に願う。
人の世の中、大きな変化、大きな出来事は、突然には起こらない。
それが起こる、ず〜っと前に、必ず「前兆」がある。
私たちは、その「兆候」を見逃さないように、神経を研ぎ澄ましていなければならないのだろう。
「戦争をする国」になってから騒いでも、それが「後の祭り」「後夜祭」とならないように・・・。
私には、「軍靴の足音」が聞こえる。
その足音が、私たちの息子、孫のものでないことを祈るしかないのだろうか。
祈っているだけでいいのだろうか。
私達、今の大人がやらねばならないことがある。
私達、今の大人しか出来ないことがある。
今やらねばならないこと。・・・
そのことをやらねば、将来「軍靴」を履くことになるかもしれない、今はまだ子供、これから生まれてくるであろう孫たちには、そのことは出来ない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/569.html
20. 達人が世直し[1939] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月15日 22:02:57 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1186]
>>19 氏
>新たに追加する武器が整ったとして専守防衛国として世界は認めるであろうか。
日本は、先の侵略戦争の反省から、近隣諸国に対して、「軍事的脅威」を与えることは、放棄した・・・筈。
そして、そのことを、「憲法に明記」し、「専守防衛の理念」を堅持し、それなりに国際社会から「戦争をしない国」との名誉を得ていた。
そんな、日本のこれまでの努力も、「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」という一言で、一瞬にして水泡に帰してしまった。
「敵基地攻撃能力の要」としてのトマホークは、「反撃能力」は勿論、どう言葉を変え、どう言い繕おうとも、近隣諸国にとっては、日本から受ける「軍事的脅威」そのものでしかない。
日本国内ですら、「防衛構想の大転換」と「どや顔」で吹聴するくらいだから、近隣諸国からすれば、明らかに「専守防衛の放棄」と捉えるのだろう。
立場を逆転させてみれば良く分かる。
当然ではないか。日本からミサイルが撃ち込まれることになるのだから。
そして言うだろう。
「それって、日本国憲法では永久に放棄する、とか言って、禁止されていたのではなかったのか?」
「永久にと書いてなかったか?」
と。
>そして自衛隊は憲法上認められるのでしょうか。
日本国憲法は、「自衛隊」を意識していない、というか、知らない。
日本国憲法は、国家権力が、「やってはいけないこと」、「やらねばならないこと」、を面々と綴っている。
そして、その基となる理念を憲法前文で表明している。
そのように捉えて、憲法を読んでいけば、
憲法前文で
・・・われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
と言い、
憲法9条では、
戦争も、武力による威嚇も、武力の行使も永久に放棄する。
として、近隣諸国は言うまでもなく、全世界に対して、「他国に住む人々の生命、財産を侵害することはしない」ことは勿論、「軍事的脅威ともならない」ことを、国際社会に向かって宣言し、日本の為政者に対しては、「他国の主権を侵害して、軍事的に攻撃すること」も、「軍事的脅威をあたえること」も、永久に「禁じた」。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」として、「敵基地攻撃能力を保有」することは、(自衛隊が有ろうと無かろうと)「そのこと」が「憲法に違反する。」と捉えるべきではないか。
「自衛隊」は装備された武器を扱う立場ではあるが、その装備を保有するのは、政府であり、最終的には「日本国民」となるわけだから。
「自衛隊」が合憲か、違憲かという設問が適切ではないのだと思う。
問うべきは、
「自衛隊にやらせようとしていることが、憲法に違反してはいないか?」
ということではないだろうか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/533.html#c20
26. 達人が世直し[1940] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月16日 17:25:34 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1187]
高市氏は「ありもしないことを、あったかのように作ることを『捏造』と言うんじゃないか」と言っていた。
「捏造」の言葉の定義としてはその通りだ。
そういう認識のもと、自身に関する記述の部分については、文書は「捏造」されたものだ、と断言していた。
分かり易く言えば、「ありもしないことを、あったかのように、文書には書いてある。」と。
・・・・・
中日新聞の記事によれば、
https://www.chunichi.co.jp/article/653936?rct=politics
高市早苗経済安全保障担当相は15日の参院予算委員会で、放送法の「政治的公平」に関する総務省文書が捏造されたとの認識に変わりはないか問われ「捏造というと言葉がきつすぎるので、あえて繰り返しは使わない」と述べた。
そうだ。
どうするんだろう。
「捏造」という言葉を「きつすぎる」からという理由で使わないとしたら、
「ありもしないことを、あったかのように、文書には書いてある。」
と、言い直すのだろうか。
それとも、
「あったことを、あったかのように、文書には書いてある。」
と言い直すのだろうか。
そして「正確性はちょっと・・・・と」
なんか、頭がクラクラしてきた。
「ありもしないことを、あったかのように作ることを『捏造』と言うんじゃないか」
やっぱりこれでいい。
「きつすぎる」のは
「あったことを、あったかのように、文書には書いてある。」
と言うべきところを、
「ありもしないことを、あったかのように、文書には書いてある。」
と言ってしまっことだ。
これを無かったことにするのは、さすがに「きつすぎる」。
「あったことを無かったことにすること」を「隠蔽」と言う。
大臣が、国民を代表している国会議員の質問に対して、
「質問するな」
は「きつすぎる」。
せめて
「次の質問をどうぞ」
くらいにしておくべきだった。
23. 達人が世直し[1941] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月16日 17:54:57 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1188]
>>21 氏
>前にも同じことが書いてあるね。
よく読んでくれてますね。・・・「ども」
しかし、残念ながらと言うか、勿体ないと言うか、理解が出来ていない。
所で、氏が言うところの、
>改憲論者の「9条棚上げ論」
なるものは聞いたことが無い。「棚に上げちゃうの?」
ちゃんとあったところに置いとかないと拙いんじゃないの。
憲法なんだから。
そればかりか、
>私の唱える「9条は破ってもよい」論と同じだが、・・・
とは、何を言っているんだか・・・。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言い、いつの間にか「・・論」に格上げまでして、憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが、
日本広しとはいえ、そんなことを言うのは、氏くらいのものだわ。
聞いた人は、きっと「ドン引き」だろうよ。
心優しい人は、「見てはいけないものを見たときの狼狽を隠し」、気が付かないふり。
私の言ってることが、氏と同じだとは・・・トホホ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と、私が言っているってかい?
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
こんなこと言っちゃって、後悔してるんじゃないの。
しかし、いまさら取り消しもきかないしね。
だからと言って、私を同類にしないでくれないか。
I`m not (ΦωΦ).
>「自衛隊」が合憲か、違憲かという設問が適切ではないのだと思う。
>問うべきは、
>「自衛隊にやらせようとしていることが、憲法に違反してはいないか?」
>ということではないだろうか。
と >>20 で書いたのを読んでないのかい。
>「要するに」と書くと、「全文引用しないのは歪曲するためで、詭弁歪曲型だ」とか言われそうだが、そんなこと知るか。
と開き直っているから、きっと、引用は部分的なのかと思いきや、
引用どころか、全文書き直しにもなっていない。
こんな駄文、どこから出てきたというのだろうかという酷さ。
しかも、「要するに」を3回使ったということは、3回にわたって表現を変えたということだろ?
それで、やっと、
>私の唱える「9条は破ってもよい」論と同じだが、
に辿り着いたわけだ。
ご苦労さんと労わってあげたいが、・・・全くの徒労だわ。
>それで日本と言う国家が存続できるのか。
先の大戦では、相手から「敵地攻撃」されていないのに、日本が「敵地攻撃」しても、最後は、大日本帝国という国家は存続できなかったのを知らないな。
>日本が「敵地攻撃」をされても、日本は「敵地攻撃」を「勿論、しちゃいけません」。これがあなたの考えだ。(考え・思想・理想。言葉遣いの問題は後回し)
>そんな不公平なことが普遍的な世界平和の原理なのか。
要するに、氏が言いたいことは、ミサイルを撃ち返さないのは「不公平だ・・・」ということかな。
以前にも書いたが、
「晋ちゃんがやっているのに、どうして僕ちゃんはやってはいけないの」とレベルは一緒だ。
お子ちゃま論法。
その疑問を解消するためには、>>11 でも言ったように、
>何度も質問したが答えてもらえない質問
>ここで言う侵略国は、どうして日本を侵略するのか?、なぜ相手は「日本を攻撃する」ことになったのか?
に対する答えを、書いてみれば、疑問は解消できると思うよ。
人の世話を焼くほどの暇があったら、
>そろそろ答えてもいいんじゃね。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/533.html#c23
25. 達人が世直し[1942] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月16日 20:09:10 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1189]
「軍事、軍事」と騒ぎ立てるのはもう終わりにしよう。
それは戦争を意味するからだ。
「バカ左翼、バカ左翼」と騒ぎ立てるのはもう終わりにしよう。
それは「アラシ」を意味するからだ。
スレ主からの忠告。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/569.html#c25
25. 達人が世直し[1943] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月17日 21:05:29 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1190]
>>24 氏
ここで言う侵略国は、どうして日本を侵略するのか?、なぜ相手は「日本を攻撃する」ことになったのか?
やっと出てきた氏の答えは?、
>対立している国同士は、お互いに強盗だと思えばいい。
へえ〜、強盗とはね、・・・日本も強盗と・・・。
笑うのを我慢して、もう少し付き合おう。
>侵略国が日本に対してミサイルで「敵地攻撃」をして、日本の国土が目茶目茶に破壊されているのに、日本はそれに対抗してミサイルで侵略国のミサイル基地を「敵地攻撃」をしてはいけないのか。
これを、氏の指導に従って、お互いに「強盗」だと思って読み直すと、
「強盗」が「強盗」に対してミサイルで「敵地攻撃」をして、「強盗」の国土が目茶目茶に破壊されているのに、「強盗」はそれに対抗してミサイルで「強盗」のミサイル基地を「敵地攻撃」をしてはいけないのか。
私が言ったように、書いてみて、疑問が解消しただろ?。
氏の頭の中は、無法地帯か?。
「強盗」の所業などを私に尋ねるのは、論外と言うしかない。・・・が、
答えはやっぱり、「勿論、そんなこと、しちゃいけません。」
そのことは、相手が「強盗」でも、自分が「強盗」でも変わらない。
「強盗」だからいけないのではなく、「「強盗」のとった行動」が、やっちゃいけないことだということなのだろ。
そうだ、・・・忘れてた。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言ってた人だった・・・。
ところで、この侵略国と日本は、どんな対立をしているんだっけ?。
27. 達人が世直し[1944] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月18日 11:09:02 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1191]
>>26 氏
>それで、日本と言う国家が滅びてもいいのか。
これは反語を使った「詭弁」。
しかも、「敵地攻撃」しなければ、日本が滅びると、根拠もなく結論付けているところも「詭弁」。
先の大戦では、相手から「敵地攻撃」されていないのに、日本が「敵地攻撃」して、最後は、大日本帝国という国家は存続できなかったのを知らないな。
知らない筈はないから、都合が悪いので、知らないふりをしているだけだな。
「敵地攻撃」しても、「敵地攻撃」したその国が滅びることもある。
「敵地攻撃」をしなかったからと言って、「敵地攻撃」をしなかったその国が滅びるとは言えない。
>なぜなら、何をやられても、やり返さないんだから。
これも、日本を非武装、無抵抗主義の国と思わしめる、レベルの低い、「詭弁」な。
日本の防衛の考え方は、「専守防衛」。
つまり、「守りに徹し、攻撃に抗う」
何もやらない訳じゃない。・・・ここは大事なところ。
法律でも、ミサイルが撃ち込まれてきたら、撃ち落とすことが出来ると記されている。
但し、日本の領空において。・・・ここも大事なところ。
>対立は、ある場合とない場合がある。日本から見ると竹島や尖閣は日本固有の領土だが、韓国や中国・台湾は反対のことを主張している。
>これはまあ、領土問題がある場合と言っていいんだろうね。
>北方領土は、多分領土問題はないのだろう。ソ連・ロシアは、戦争でとったものはオレのものだと言っているらしい。
それで、日本は、未だに侵略されてもいないし、ミサイルも雨あられと撃ち込まれていない。
>>ところで、この侵略国と日本は、どんな対立をしているんだっけ?。
この問いの説明にはなっていないということだね。
そうだ、・・・忘れてた。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言ってた人だった・・・。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/533.html#c27
84. 達人が世直し[1945] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月18日 21:07:21 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1192]
>>54 氏
最初に指摘しておきたいのは、この場合、毎日新聞や私が取り上げていることは、正しい日本語を使えば「警鐘を鳴らしている」と言う。
ウクライナ戦争を利用し、台湾有事を煽り、国民を戦争の不安に怯えさせ、戦争をするための、「敵基地攻撃能力」なるもの保有を正当化する。
その目的のために、ウクライナ戦争を利用し、台湾有事を煽り、「軍事、軍事」と騒ぎ立てているのは、政府であり、一部のメディアであることに間違いはない。
その振舞は、「騒ぎ立てている」という以外の表現は思いつかない。
従って、「騒ぎ立てている」ことに被害を感じている人がいるとすれば、加害者は「政府」と言うのが正しい問題の捉え方ということになる。
しかも、その加害者は、さらに、「日本を戦争をする国」にせんと目論み、日本国民を再び悲惨な戦火の中に放り込もうとするに至っては、看過できるものではない。
警鐘を鳴らさずして、なんとしようか。
>原因者はおマエさんだよというのが、最初の回答であり、結論だろうね。
それは〜「問題のすり替え」というものでないかい?
その意図するところは、あれしかないが・・・。
>>55 氏
>そのうえで“平和”って何だ? の疑問だ。
私のスレでは、記事の引用を含めて、「平和」という言葉は使っていない。
氏が、唐突に「平和”って何だ?」と言い出すのは、意図してする「論点ずらし」なのだろう。
しかも、氏自身が
>平和、平和と言っても、いささか広うござんす・・・
というように、「平和」という言葉は、どのような概念において使うかで、様々な意味を持つ。
氏は、そのことを悪用し、そのさまをいくつか触れることで、このスレが指摘している「戦争」の問題を「平和」の問題に「論点をずらしてい」るわけだ。
ここで、あえて「平和」に触れるとすれば、「戦争」の対極に位置する「平和」を論ずるべきだろう。
>>56 氏
>かん高い、緊張感あふれる叱咤激励に、このボ−ドの読者たちはどういう反応を示すのだろうか?
古来、鐘の音は「かん高い」ものと相場が決まっている。
氏が、私の文章に「かん高い」音を聞いたとすれば、大変結構。
取り敢えずは、氏の反応を見ると、氏に対しては「警鐘」となったという事かな。
>いったい、この文章は、どこから届いた召集令状なんだろうか?
それは、私が鳴らした「警鐘」。
召集令状からは、音は聞こえない。
>>57 氏
>メディアが「「軍事、軍事」と騒ぎ立てるのは、当りまえだし、・・・
これは、「嘘」か「間違い」
>むしろ、異論封殺、
これも、間違い。ネトウヨのよく使う「セリフ」
詳しくは言わないが、いわゆる「言論の自由」も、決して無制限のものではない、そのことだけは言っておこう。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/569.html#c84
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA191H10Z10C23A3000000/
日経新聞に気になる記事を見付けた。
プロパガンダとは、実際にはこういう形で、国民に、それとは気付かれないように行われるのだろう。
ニュース報道を装った、世論操作の一例。
記事は、以下のようなものだ。
防衛省は19日、航空自衛隊のF15戦闘機4機と米軍のB1B爆撃機2機、F16戦闘機4機の計10機が日本海上の空域で共同訓練をしたと発表した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)を含む弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮への事実上の対抗措置になる。
防衛省統合幕僚監部は「あらゆる事態に対処する日米の強い意思と自衛隊と米軍の即応態勢を確認した」とのコメントを出した。
日米が迅速に部隊を運用する能力を示し、日米同盟の抑止力と対処力を向上させる。米国が核兵器を含む戦力で日本を防衛する「拡大抑止」の信頼性を高める。
海上自衛隊と米軍のイージス艦計2隻も19日に日本海で共同訓練に臨んだ。海自の「あたご」と米軍の「ミリウス」が18日に続いて開催した。
北朝鮮は16日にICBMを撃ち、19日にも弾道ミサイルを発射した。自衛隊と米軍による共同訓練は3日連続になる。
・・・・・
記事はこれ程に短いものだ。
内容も、北朝鮮による弾道ミサイルの発射に対抗した、日本の自衛隊と、米軍の共同訓練を報じたものだ。
共同訓練自体は、特段ニュース性はない。
しかし、一見単なるニュース報道であるかのような記事の中に、巧みに、国民が錯誤を招くような記述を盛り込ませていることは、見逃すわけにはいかない。
それを確認するには、記事の中から、訓練の模様を報じている部分を消し去れば、残った記述は、ニュースとは関係の無い「記述」と言うことになる。
その結果、残った記述は、
「日米が迅速に部隊を運用する能力を示し、日米同盟の抑止力と対処力を向上させる。米国が核兵器を含む戦力で日本を防衛する「拡大抑止」の信頼性を高める。」
この記述は、ニュースで報じている日米の共同訓練の事象とは直接関係しない。
しかも、重大な「嘘」が含まれている。
「・・・米国が核兵器を含む戦力で日本を防衛する「拡大抑止」の信頼性を高める。」
あたかも、「拡大抑止」なる政策が確立しているがごとく言い、今回の共同訓練が、その信頼性を高めると「嘘ぶく」。
日米共同訓練が実施できる、している根拠は、言うまでもなく「日米安保条約」だろう。
しかし、その条約の5条によれば、
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。・・・」
と記述されているのみであり、
「・・・米国が核兵器を含む戦力で日本を防衛する・・・」
などと解釈できる、それらしき記述は全く見られない。
にも拘らず、大新聞の日経新聞は、
「・・・米国が核兵器を含む戦力で日本を防衛する「拡大抑止」の信頼性を高める。」
と書いて、恥じない。
しかも、この条約の1条にはこう書かれている。
「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。・・・」
抑止論で言えば、核兵器は勿論、戦略爆撃機にしても、日本が誇る「敵基地攻撃能力の要」としてのトマホークにしても、「懲罰的抑止力」を目指すものであり、「抑止力」とする以上、「保有を誇示」し、「その能力の行使を声高に叫ぶ」ことは、必然となる。
そのことは、日米安保条約の1条は勿論、その前に、日本国憲法に「違反」していることを、国民に知らしめることが「メディア」に課せられた「責務」の筈だ。
日経新聞の行為は、メディアの責務を放棄し、「国家権力に阿る」、恥ずべき行為として断罪されなければならない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/633.html
6. 達人が世直し[1946] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月20日 16:54:02 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1193]
>>5 氏
>ただ事実を伝えたふつうに読める記事にしか見えないけど。
ただ事実を伝えたふつうに読める記事というのは、朝日新聞の記事のような場合に言えるのではないだろうか。
以下は同件の朝日新聞の場合の報道記事。
https://www.asahi.com/articles/ASR3M6SJKR3MUTFK009.html?iref=poltop_list_n
「日米が海空で共同訓練「即応態勢を確認」 北朝鮮ミサイル踏まえ」
「空域それぞれで共同訓練を同日に行ったと発表した。北朝鮮による大陸間弾道ミサイル(ICBM)を含む相次ぐミサイル発射などを踏まえ、あらゆる事態に対処する日米の強い意思と自衛隊と米軍の即応態勢を確認したという。
防衛省によると、海上自衛隊の護衛艦「あたご」と米軍の駆逐艦「ミリウス」は日本海で、航空自衛隊のF15戦闘機4機、米軍のB1B爆撃機2機とF16戦闘機4機が日本海上の空域で、それぞれ共同訓練を実施したという。・・・」
防衛省のプレスをそのまま報道している、といった感じ。
日経新聞のように、
日米が迅速に部隊を運用する能力を示し、日米同盟の抑止力と対処力を向上させる。米国が核兵器を含む戦力で日本を防衛する「拡大抑止」の信頼性を高める。」
と言った、余計な文章は入っていない。
妄想だとは思わないが、私の「杞憂」であってほしいという気持ちは少しある・・・かな。
しかし、記事と記事の間に挟んで、隠すようにして・・・だからなぁ〜。
やっぱり、それをやっちゃ〜、駄目だろ〜。
https://www.asahi.com/articles/ASR3M7DLFR3JPTJB009.html
扱いは大きくはないが、朝日新聞に取り上げられた、地方からの動き。
このような動きが、「燎原の火のごとく」日本全国に広がり、日本が「戦争をする国」になることを、阻止しなければならない。
そして、このような運動を拡大、推進するためには、国会議員も地元に帰って、自ら運動の先頭に立って行動してもらいたい。
そう願いながら、記事を転載する。
以下、記事の転載。
「滋賀首長九条の会」(共同代表・嘉田由紀子元滋賀県知事ら5人)が3月16日、県庁で会見し、「『新しい戦前』にしないために今こそ憲法9条の出番です」とする声明を発表した。「9条を守り、その精神に基づいた外交努力が必要」と訴え、各地の市民活動との連携を強化していきたいとしている。
同会は、昨年9月に亡くなった武村正義元知事らが呼びかけ、同年5月に発足した。会員は現在19人。声明では、岸田政権による安全保障関連3文書の閣議決定や防衛費増額などに危機感を示し、「危険な動きにストップをかける壮大な運動を展開しよう」と呼びかけている。
会見で、共同代表の1人で愛荘町と米原町の元町長、村西俊雄さんは「9条の精神がないがしろにされている」、同じく元びわ町長の橋本健さんは「一歩間違えれば戦争になってしまう危険な状況。声を上げて反対したい」と話した。(武部真明)
記事は以上で、短い。
今や、高市騒動一色の国会の様相だが、仮に、高市氏の首を取ったところで、なんぼの物でしかない。
高市氏自身、自分の「嘘」で既に自滅しているし。
この問題の本質は、国家権力が、メディアに露骨に介入し、圧力を加え、結果として、報道に携わってきた人たちを委縮させ、「報道の自由」さらには「言論の自由」を妨害、棄損したことだろう。
国会での追及は、「国家権力の介入、圧力の存在」の事実を国民の前に明らかにし、二度とこのようなことが起こらないための再発防止策を、立法府の立場、責任で、講ずることに注力すべきではないだろうか。
そのことが、「新しい戦前」にしないために、絶対に必要なことだと思うし、「戦争をしない国」を守るために、絶対にやらねばならないことではないか。
日本の「報道の自由」の評価が、先進国で最悪な状況であることを、恥じるばかりではなく、もっと重大視すべきだろうし、なんと言っても、「報道の自由」を取り戻すための、大きな動き、流れを起こして行動していく必要があるだろう。
そんなこと、一つ一つについて、声を出して批判することだけで終わらせるのではなく、二度と起きないように対策されていることを「確認する」ことを怠ってきた。
そのことが、政府、自民党を、ここまでつけ上がらせてしまった、大きな原因と考え、私たちは、反省すべきだと思うところだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/648.html
https://www.chunichi.co.jp/article/657641?rct=politics
「共同通信」配信だろう、岸田首相のキーウ「電撃訪問」の中日新聞の記事。
【キーウ共同】白い花束をしゃがんで墓標に供えると、30秒以上頭を下げて黙とうした。多くの民間人が虐殺されたウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊ブチャを21日午後に訪れた岸田文雄首相。集団埋葬地がある聖アンドリー教会で「残虐な行為に強い憤りを感じる。命を落とされた方に国民を代表してお悔やみを申し上げたい」と口にした。
教会では、ブチャ市長の案内で侵攻を巡る展示写真を鑑賞。「市民の皆さまはつらい思いをされたと思う。勇気をもって、平和のために、町の再建のために努力されますことをお祈り申し上げる」とエールを送った。
ブチャでは、日本から提供された発電機も視察した。
これに先立つ正午過ぎ、ウクライナ国旗の青と黄色に塗り分けられた列車から、スーツ姿の岸田氏がキーウの駅に降り立った。銃を持つ警護役に守られながら、日本の首相としては異例の紛争地訪問を始めた。
プラットホームでは、松田邦紀駐ウクライナ大使やジャパロワ第1外務次官らが出迎えた。現場は立ち入りが規制され、列車の到着前から厳戒態勢が敷かれた。
記事は以上。
各社のニュース記事に、「電撃訪問」の活字が躍る、踊る。
しかして、その実体は如何に?
この場合の「電撃」とは、「いなずまのように前触れもなく衝撃を与えること。」という意味で言う「電撃」なのだろう。
しかし、「前触れ」は嫌と言うほど流れていたし、衝撃的な出来事と捉える人はいない。
私としては、次のことの方が気になるところだ。
3年ぶりにWBCでアメリカ軍を倒し、優勝した日本軍「侍ジャパン」のことではない。
今回の岸田首相の外遊は、インド訪問が主なのか、ウクライナ訪問が主なのか。
国内での取り上げ方を見れば、ウクライナ訪問が主というのが、正直なところなのだろう。
だとしたら、インド訪問は、「いきがけの駄賃」か電撃訪問を装うための「目くらまし」に利用したことになる。
「外交」としては、あるまじきことで、結果としては、インドに対しては大変礼を失したやり方だろう。
アメリカを真似て、インドを通して、ロシアには事前に知らせてもらっていたかも知れないが・・・。
そこは「外交の機微」。触れないでおこう。
岸田首相は、ブチャを訪問し、「残虐な行為に強い憤りを感じる。命を落とされた方に国民を代表してお悔やみを申し上げたい」と口にした。
と記事にある。
それはそれで、文句を言うべきところは無いが、
「ブチャでは、日本から提供された発電機も視察した。」と、こんなことしか書くことがないようでは、何をしに行ったの?と言われても仕方がないだろう。
岸田首相には、ロシアのミサイルで破壊された街並み、地下壕でおびえるウクライナ市民の目、目、目、そして顔、顔、顔、を自身の目に焼き付けて帰ってきてもらいたい。
そこで目にする現実に、「電撃」を受けるがごときの衝撃を感じてもらいたい。
そうすれば、文字通り「電撃を受けた訪問」となる。
ウクライナの現実は、「武力では国民の命を守り切ることは叶わないし、武力で平和を実現することは出来ない。」と、そのことを教えてくれているのではないか。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と「うそぶく」以上、トマホークを発射した結果の、相手国の市民の状況を想像しなければならない。
(ところで、日本の場合、トマホークの発射ボタンは誰が押すのだろうか。)
同時に、日本も「戦争をする国」になってしまったら、今日、目にした惨状が。「将来の日本の姿」との想像力を働かせてほしいものだ。
戦争ではいつも犠牲になるのは、「弱い者」と相場が決まっている。
それは、社会の下層で苦しむ者であり、女性であり、そして子供たちだ。
日本国民にとっては、今回の岸田首相のウクライナ「電撃訪問」の意義は皆無に近い。
しかし、せめて、今回のウクライナ訪問を契機に、「戦争をする国」に向かって驀進している日本丸の舵を「取り舵いっぱい」にとって、「専守防衛」の理念を逸脱する航路から離脱してもらいたいものだ。
もしも、岸田首相が、ウクライナ訪問の後に、ロシアを訪問してプーチン大統領と会談し、少なからず、和平と対話の糸口でも作ることが出来たとしたら、その時こそ、「電撃訪問」の言葉は相応しい。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/669.html
40. 達人が世直し[1947] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月23日 17:37:38 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1194]
>>2 氏
>ところが、あなたはそのウソを真に受けて、その上あろうことか、「物神化」つまり神と崇めて、「専守防衛の戦争、命!」。
>馬鹿げているとしか言えないよ。
私を、「専守防衛の戦争、命!」な人に仕立て上げ、その上で、あろうことか、「馬鹿げている」とディスる。
それ、「藁人形論法」という「詭弁」な。
何度言っても理解できない人だ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない、氏に言うのも、虚しさを越えて、煩わしいが・・・。
>それで、最悪の場合、日本と言う国家が滅びることもあり得るが、それでもいいのか。…A
こんな問いかけを、くどくどとと繰り返すことは、馬鹿げているとしか言えないよ。
日本と言う国家が滅びてもいいかと聞かれれば、それは「困る」と答えよう。
そのうえで、氏に問い掛けよう。
「氏の言う侵略国とミサイルを撃ち合ったあげく、第三次世界大戦となり、核戦争が勃発したら、日本はおろか、世界の国、地球上の人類が滅びることもあり得るが、それでもいいのか。」
答を求めることの「愚」を理解できると想うが・・・。
>そんな不公平なことが普遍的な世界平和の原理なのか。…B
>そんな不公平なことが憲法前文の世界平和の理念なのか。…C
(21 多摩散人)
前にも言ったが、「晋ちゃんがやってるのに、僕ちゃんはどうしてやっちゃあいけないの???」というお子ちゃまの言い分。
幼稚園児ではあるまいに、大の大人が、恥ずかしげも無く、良く言えるわ。
憲法前文で謳っている日本国憲法の理念は、一文字もないがしろには出来ない。
以下に、その憲法前文の全文を転載しよう。
日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。
以上だが、
特に重要なのは、
「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・」
のくだりだろう。
以前に何度も説明したが、多くの近代国家の憲法は、「自然権思想」をその理念の源としている。
日本国憲法もその例外ではない。
「自然権思想」の根幹をなすものは、人は誰しもが「自然権」を持つという考え方。
ここで言う「自然権」は、
@「生命,身体および財産」への権利であるとした「生存権」という自然権。
Aそれ(@)が侵害されたときの、「抵抗権」という自然権。
この二つの自然権は、表裏一体のものであり、どちらか一方を切り離しては、語れない。
我の自然権を侵すべからず、他人の自然権は同様に侵すべからず。
「自然権思想」においては、その行動が「抵抗権」の行使であったとしても、その行動の結果として、他者、他国の「生存権」という自然権を「侵してはならない」というものだ。
以前から何度も説明してきたことだが、氏の質問BとCに対する、私の答えだ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない、氏には、到底理解出来ないかもしれないが・・・。
だから、「虚しさを越えて、煩わしいが・・・」、となる。
今後は、「愚問」を繰り返すのは、止めてくれ。
https://mainichi.jp/articles/20230323/k00/00m/010/365000c
本来は「言論の府」として、国民から「正しい言葉の使い方、議論の仕方の手本」を示すべき立場にある「国会」での、先生方の「言葉の乱れ、議論の乱れ」」は、尋常ではない。
「嘘」あり。
「ご飯論法」あり。
「問題のすり替え」あり。
「論点ずらし」あり。
「記憶喪失」などは毎度のこと。
ここにきて新たに、私に「質問するな!」。
これには、さすがに、びっくりした。
今日も、岸田首相自ら、
「捏造という言葉の使い方については、高市氏から丁寧に説明させたい」と述べた。
と。
そんな情けない首相の記事。
記事は有料記事なので、途中まで抜粋する。
「岸田文雄首相は23日の参院予算委員会で、放送法の「政治的公平」に関する総務省の行政文書を捏造(ねつぞう)とする高市早苗経済安全保障担当相の主張を巡り「捏造という言葉の使い方については、高市氏から丁寧に説明させたい」と述べた。放送法文書の正確性に関し、高市氏や総務省の問題と位置付け、深入りを避ける思惑があるとみられる。松野博一官房長官は、内閣広報室がテレビの報道番組の記録を作成していると明らかにした。
文書は、2014〜15年に安倍政権下で放送法の事実上の解釈変更に至る経緯を記載。当時総務相だった高市氏に対し、15年2月に担当局長が解釈などを説明したと記している。総務省は22日に調査結果を発表し、捏造があったとは「考えていない」と表明。立憲民主党などが正確性を追及し、高市氏は「内容が不正確」と否定している。
この後に続く記事は有料会員向け・・・。
引用はここまで。
改めて、岸田首相のこの言葉。
「捏造という言葉の使い方については、高市氏から丁寧に説明させたい」
国民が固唾を飲んで注目しているのは、「放送法の解釈を変え、報道の内容に政府が干渉した事実があったことを証明する公文書」と国会で認定されるかどうかだ。
岸田首相の言いっぷりでは、「捏造」という言葉はどういう時に、どのように使うのが適切なのか、その説明を「丁寧に」させる、と言っているに等しい。
これでは、問題の所在を隠す、政府十八番の「ご飯論法」で答弁したことにするか、「問題のすり替え」でしかない。
そんなものはググれば済む話だ。
しかも同時並行的に、公文書の内容の「正確性」に「論点ずらし」が行われつつある。
役人は、何故「文書」を起こすのか。
政策の決定過程を克明に記述し、記録として大切に保管するのは、そのことがそのまま政治であり、行政に他ならないからだ。
人の記憶も、長い月日によって薄れることを、誰も否定しないだろう。
しかし、文書に起こし、保存することによって、人間の弱点は補完することができる。
今の国会の議論を聞いていると、役人が起こして文書よりも、8年も前の人の記憶の方が正確だ、と言っているに等しい。
そんな本末転倒な議論が、日本の「言論の府」で、まことしやかに行われている。
そして、やはり報道に対する監視は行われていたらしい。
「・・・松野博一官房長官は、内閣広報室がテレビの報道番組の記録を作成していると明らかにした。」
息苦しい「監視社会」がそこまで来ている。
ところで・・・、
岸田首相の好きそうな言葉「丁寧に説明」。
丁寧とは、
@「細かい部分に注意や気配りが行き届いているさま」
A「入念に丹精込めて行うさま」
B「礼儀に則り折り目正しく振る舞うさま」
説明とは、
@「物事がなぜこうなのかの根拠・理由を明らかにすること」
A「事柄の内容や意味を、よくわかるように解き明かすこと」
B「ある事柄について、よくわかるように述べること」
岸田首相の言う「丁寧」は、想像するにBだろうか。
不思議なことに、「説明」に至っては、該当する「説明」が見当たらない。
これまで「説明」など聞いたことが無いから、当然と言えば当然なのだが・・・。
困ったもんだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/682.html
10. 達人が世直し[1948] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月24日 21:17:09 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1195]
はっきり言って、笑いごとではない。
事は、日本の総理大臣が紛争地に入るのは初めて、しかも「電撃訪問」と世界に向けて、大々的に報じられている、その日本の総理大臣の振舞いの是非だ。
報じられている内容を見ると、まるで、広島の「観光大使」ではないか。
いや、それにすら劣ると言えよう。
招待を受けて訪問する以上、「手土産」の必要性は否定しないが、戦争の最中、極限状態にある、現在のウクライナと、ウクライナ大統領への手土産として、広島の「観光土産品」はあんまりだろう。
岸田首相の振舞いは、物見遊山の観光気分が隠しようも無く発散している。
不謹慎の誹りは、免れないのだろう。
帰国後、「公務」を主張できるように、日本が贈った「発電機」の稼働状況だけは視察したそうだ。
岸田首相は、手土産を渡しながら、きっと「丁寧に説明」したのだろう・・・か。
「私の地元の広島の観光地で、厳島神社で知られる宮島では「飯をとる」と「敵を召しとる」をかけて、「必勝」などの文字を書いた縁起物のしゃもじが特産品となっているんです。
折り鶴をモチーフにしたランプは、同神社の社殿下の砂を混ぜて焼いた特産品「宮島御砂焼」という伝統工芸品なんですよ。
これは特別にあつらえた、高価なものです・・・。」
ゼレンスキー大統領の反応や如何に。
この木のへら、もう少し早い、寒さの厳しい時期に貰えれば、薪ストーブの薪代わりとして、喜ばれたかもしれないですね。
このランプは、今度停電になった時に、有効に使わせてもらいます・・・。
豆電球じゃないですよね・・・。
ゼレンスキー大統領には、そんなこと話している暇など無いはずだから、
迷惑でしかなかっただろうと想像することは、それほど難しいことではない、という気がする。
その後のゼレンスキー大統領の姿は、東部の激戦地バフムト。
そして、わが日本の総理大臣の姿は、WBC優勝報告会。
ソーリ、あの「必勝しゃもじ」のおかげで、優勝出来ました・・・。
11. 達人が世直し[1949] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月25日 21:45:14 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1196]
侍Jの官邸表敬訪問は誰も止められなかったのか?
・・・帰国当日のムチャぶり強行軍に疑問噴出。
本件に関しては、官邸の対応は言わずもがなだが、日刊ゲンダイの問題の捉え方にも疑問を呈せざるを得ない。
侍Jのメンバーは、もともと野球が好きで、職業にしている稀有な人たちだ。
その稀有な人たちの中から、さらに選ばれて「侍Jのメンバー」という栄誉を手にし、さらに念願の優勝までしたのだから、多少の疲れなど、なんの問題も無いだろう。
岸田首相にしても、この機会を逃す筈も無く、むしろ強行軍であればあるほど、ニュース性が上がると、自ら望んで設定したのではないか。
問題は、「ムチャぶり」にではなく、その「はしゃぎぶり」にあるのではないか。
テレビカメラを入れて、これ見よがしな態度は、見ている者を不快にするものでしかない。
「興醒め」というヤツだろう。
何となく「白けて」しまい、気が付いたら、「お祝い気分」も消え失せてしまっていた。
テレビカメラも入れず、当事者だけで、思う存分祝うならまだしもだが・・・。
この「白けた気分」はどこから来るのだろうか。
日本で、
岸田首相が、多少とも疲れの残った栗山監督から、「メダル」を首に掛けてもらい、悦に入っている、その時、
岸田首相が「優勝トロフィー」を抱きかかえて、嬉しそうにほくそえんでいた、その時、
ウクライナでは、
ゼレンスキー大統領は、最前線に赴き、戦闘に疲れ果てた兵士をねぎらい、国民の感謝を伝える「勲章」を首に掛けていた。
激戦が続く戦場には、ウクライナの陸上選手や、サッカー選手、あるいはバレーボールの選手らも、兵士として戦っているのだろう。
そんな彼らの強靭だった肉体も、銃弾が足を貫き、砲弾の破片が腕をもぎ飛ばしていく。
多くの兵士が死んでいく中、命があったからと喜んでいられようか。
戦争が終わった後、再びスポーツ選手として生きる喜びも、希望も失ってしまった人がどれほどいるかを想像するだけで、暗澹たる気持ちが先になって、とても「はしゃぐ」気分になれないというのが、ふつうの感覚ではないだろうか。
そうした彼らは、どれほど疲れようと、自らの身が傷付こうと、銃弾や砲弾に倒れた戦友を「抱きかかえ」て、必死に安全なところへ避難させ、一つでも命を救おうと戦っているはずだ。
ほんの少しだけでも、想像力を働かせれば、そして、ウクライナの人々を思いやる気持ちがあれば、あんな「はしゃぎぶり」をテレビの前に晒すことは、恥ずかしくて出来ないだろう。
そんな、想いが「白けた気分」となったと思う。・・・多分。
私には、とても出来そうにない。
15. 達人が世直し[1950] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月27日 17:59:19 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1197]
この人は、外務大臣を経験していると思ったが・・・。
その時に「外交について」何も学ばなかったのだろうか。
「外交について」学ぶ能力すら持ち合わせていないのか。
何とも、ケツの穴の小っちゃい人だわ。
結果として、自身の「小物ぶり」を、国際社会に晒していることに、気が付かないのだろうか。
何とも、理解に苦しむわ。
「必勝しゃもじ」を持って、ウクライナへ「電撃訪問」するくらいだから、広島の観光大使が、身の丈にあっているんだろう。
日本で、
岸田首相が、多少とも疲れの残った栗山監督から、優勝「メダル」を首に掛けてもらい、悦に入っている、その時、
ウクライナでは、
ゼレンスキー大統領は、最前線に赴き、戦闘に疲れ果てた兵士をねぎらい、国民の感謝を伝える「勲章」を首に掛けていた。
国際社会は、この対照的な振舞いを、どう見て、どう評価しただろうか。
日本の首相、戦禍に苦しむウクライナ国民に寄り添うことも無く、WBC優勝の歓喜に溺れる。
日本の報道機関が少しでもまともなら、「バカ殿御乱心」の見出しが踊るところだろう。
ウクライナへの「電撃訪問」も単に功名心からのものでしかなかったのか。
何とも、恥ずかしいわ。
89. 達人が世直し[1951] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年3月28日 21:45:32 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1198]
このスレは、荒れていると言うか、荒らされていると言うか・・・。
折角の日刊ゲンダイ渾身の記事だ。
本題
「国全体が「戦争をする国」にまっしぐら 対立を煽り軍拡を急ぐ岸田政権の狂気」
に戻ろう。
「アラシ」も、そのうち諦めるだろう。
記事にある、「立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)はこう言った。」と。
「どのような理由であれ、憲法9条が厳然として残っている限り、軍事援助は許されません。日本が長年、国際紛争に巻き込まれてこなかったのは平和憲法の下、国土防衛に徹し、相手国に決して脅威を与えないと伝え、国際社会にも認められてきたからこそです。敵基地攻撃能力の保有で専守防衛を捨てた上、武器輸出の解禁に踏み切れば、いよいよ日本の平和国家像は崩れてしまう。」
今の日本の「危うい状況」を的確に言い表している言葉だ。
憲法9条が日本を「戦争をする国」になることを防いできた。
真実は、これに尽きるのではないか。
未だに、「日米安保条約が日本を守ってきた」、「日本は日米安保によるアメリカの庇護下に置かれていた」などと、寝言にもならないような、「バカ」は休み休み言え。
と言ったところか。
そして記事は言う。
「紛争当事国に殺傷能力のある武器を送れば、戦争に加担するも同然だ。9条で〈国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する〉とうたった憲法無視もはなはだしい。」
と。
さらに、記事によれば、
佐藤正久議員は今月6日の参院予算委で「台湾有事、日本有事で日本は兵器や弾薬を他の国に求めないと全然足りない」「他の国の危機の時はあげず、自分が危機の時は『くれ』というのは通じるか」と訴えた。
とある。
とんでもないことをいう奴だ。
これなどは、台湾有事では説得力に欠けると自覚しているのだろう、「日本有事」を勝手に作り出す始末ではないか。
この「日本有事」は「台湾有事」にかこつけて在日米軍が台湾近海に進出し、中国と武力衝突をすることで、当然在日米軍の出撃基地としての「沖縄」は真っ先に、その他の在日米軍基地も、中国ミサイルの標的になる、そのことを、思わず口走ったのだろう。
「語るに落ちる」とはまさにこのことではないか。
現在の日米安保条約では、第5条の発動は、あくまでも「日本の施政下にある領域での危機」でなければならない。
従って、「台湾有事」では、日米安保条約の第5条は発動されず、日米安保条約を根拠に、「存立危機事態」を理由とした自衛隊の出動もあり得ない。
今の政府が狙っているのは、「沖縄」を犠牲にして、「沖縄」に中国のミサイルを一発でも撃ち込ませることだ。
沖縄県民にしたら、いい迷惑であり、とんでもないことだろう。
在日米軍は、日本を守るどころか、日本を常に「戦争をする国」にする危険の元凶、日本国民にとっては、時限爆弾のような不気味さを持った、最も危険な存在と言えよう。
日本維新の会の浅田均議員が言う。
「戦地のところであるのに警護が現地の人でよいのか」「自衛隊が総理の警護をするのは当然のことではないか」
何を言っているのか。
戦地に行かなければいいだけの話ではないか。
過去に、自衛隊の行くところは安全地帯とうそぶいた首相がいたが、その理屈で言えば、首相が行くところは「安全地帯」。警護など不要だろう。
しかも首相を警護するのは、自衛隊ではなく、警察権を行使する「警察」の職務だ。
外国で日本の警察が、警察権を行使しようものなら、主権侵害と面罵されるのが落ちだ。
今、政府、自民党に蔓延しているのは、記事でも指摘しているように、
「戦後一貫して「平和外交」を掲げてきた国の矜持なんて「クソ食らえ」という発想だ。」
そんな輩は、この阿修羅掲示板にも、頻繁に出没する。
そして壊れかけたレコードの様に、
「バカ左翼・・・バカ左翼・・・、ヘイワケンポー・・・ヘイワケンポー・・・、ヘイワガイコウデ〜・・・ヘイワガイコウデ〜・・・、ギャーギャーギャー・・・ギャーギャーギャー・・・とほざいているが、・・・とほざいているが・・・、」
今、私達がやらなければならないことは、
将来に渡って、この日本に生きる人達のために、戦後70年余り、これまでそうだったような「戦争をしない国」をしっかり守り、引き継いでいくことではないのか。
その決意は、憲法9条の「・・・永久に・・・」という言葉で、示されている。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/733.html#c89
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230328-OYT1T50084/
最近の岸田首相の国会での答弁がおかしい。
笑いたくなるという「おかしさ」とは違う。
むしろ、聞いてるこちらが「泣きたくなる」・・・そんなおかしさだ。
分かり易くいえば・・・「御乱心」
以下に記事の抜粋を示す。
「2023年度予算案は28日午後の参院本会議で採決され、自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立する。少子化対策や防衛力の抜本的強化に向けた関係費などを計上し、一般会計総額は過去最大の114兆3812億円となる。本会議に先立ち、参院予算委員会は同日午前、岸田首相と全閣僚が出席して締めくくり質疑を行った。
首相は、敵のミサイル発射基地などを自衛目的で攻撃する「反撃能力」について、「ミサイル攻撃から国民の命を守る盾の能力だ」と述べ、改めて意義を強調した。日米は従来、自衛隊が迎撃などの「盾」に徹し、米国が攻撃の「矛」を担ってきた。首相は「日米の基本的な役割分担に変更はない」とも訴えた。・・・」
記事の抜粋は以上だが・・・。
皆さん、既にご承知の通り、政府、自民党は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって「公言」している。
その上で、「敵基地攻撃能力」が憲法に違反すると非難されると、まともな抗弁が出来ずに、結局「反撃能力」と言い換えた、という経緯がある。
この「反撃能力」も、実は「憲法に違反する」ことに気づき、最近では、枕詞の様に、「自衛のため」という「使い古された」言葉が必ず付くようになった。
この論理で行くと、「自衛の為なら何でもあり」となるのだろう。
先の大戦で、日本軍が「自衛の為に、兵員を増派・・・」と言って、侵略戦争を拡大してきたことの、反省、教訓、そういったものは持ち合わせていないといった態度だ。
そして、こんなとんでもないことまで言い出した。
「敵基地攻撃能力」を言い換えた「反撃能力」は、「ミサイル攻撃から国民の命を守る盾の能力だ」
ここまで言われると、「駄々をこねる、ガキの相手をしているような感覚」になる。
矛か、盾か、を言うならば、「矛は攻撃」「盾は防御」というのが常識だろう。
攻撃を止めることを、「矛を収める」と言う。
首相自身が、
「敵のミサイル発射基地などを自衛目的で「攻撃する」と言っている「反撃能力」は、相手を「攻撃する能力」であり、矛か、盾か、で言うならば「矛」でしかあり得ない。
このままでは、珍説な「矛盾」の語源が出来そうだ。
岸田首相が、
「ミサイル攻撃から国民の命を守る盾の能力だ」と言い募るのは、「自衛の為と言っていさいすれば、何でもあり」、を言い換えたに過ぎない。
改めて言えば、日本国憲法は、その「自衛の為なら何でもあり」を認めてはいない。
日本国民は、他国の領土を、他国民の生命、財産を武力で侵害し、他国民の生存権を脅かし、他国の主権を侵すことは、永久にしないと、日本国憲法でうたい、国際社会に誓っていることを忘れてはならないだろう。
読売新聞の認識にも問題がある。
「・・・日米は従来、自衛隊が迎撃などの「盾」に徹し、米国が攻撃の「矛」を担ってきた。・・・」
これは、根拠のない「妄想」「願望」の類いであり、日本の安全保障を考える時に、政府、自民党が勝手に設定した「仮定」でしかない。
「仮定」とは、不確かなことを仮にこうと定めること。また、仮に定めた事柄。
何度か取り上げたことがあるが、
日米安保条約第5条には
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
との規定がされている。
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
アメリカが日本を守る「義務」という言葉も、無い。
「矛」の役目を、アメリカ軍が、肩代わりするとも、書かれていない。
と岸田首相に教えてやってくれ。
首相は「日米の基本的な役割分担に変更はない」とも訴えた。・・・」
元々、役割分担など、決められていないし、決められるわけがない。
岸田首相が、そう言う様子を眼前に見て、誰も、何も指摘しないのだろうか。
「裸の王様」の寓話を読み直す必要がありそうだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/751.html
https://www.chunichi.co.jp/article/662616?rct=politics
「国会での審議を円滑にするため」との口実で、「質問の事前通告制度」を何年続けるつもりなのだろうか。
こんなことを、今後も続けるつもりなのだろうか。
そんな疑問を抱かせる記事が目にとまったので、紹介したい。
以下が、中日新聞の記事の全文。
「人事院は29日、国会質問への対応で残業が発生してしまう要因を省庁に初めてアンケートした結果、トップは「(国会議員の)質問通告が遅い」だったと発表した。2位は「質問通告の内容が不明確」で、長時間労働の是正に向け議員側の対応改善が求められそうだ。
人事院は、複数の残業要因を挙げた上で、影響の大きさを各省庁に4段階で評価してもらい、ポイントに換算(最大132ポイント)した。結果はトップの「質問通告が遅い」が111ポイントとなり、2位の「質問内容が不明確」は99ポイントだった。国会議員は審議を円滑にするため質問を事前通告し、省庁側は閣僚らの答弁を準備している。」
記事は以上。
記事が取り上げているのは、官僚の長時間残業は「何とかしてあげなければ」という問題提起。
しかし、その前に問題視し、問題提起しなければならないのは、国会での「質問の事前通告制度」ではないのか。
記事では、「国会の審議を円滑にするため」の制度のように書いているが、この「質問の事前通告制度」によって、国会審議が円滑になっているだろうか。
円滑になったというのは、大臣の「答弁」が、官僚の書いた文章を「棒読み」していることを指すのだろうか。
そうだとしたら、それは、答弁に立つ大臣が、立ち往生し、赤っ恥をかかないための安全弁なのか。
しかし。・・・実態は、そう「うまい話」にはなっていない。
官僚の書いた答弁書を「棒読み」したところで、内容を理解していなければ、「更問い」には到底堪えられない。
その後は、何を聞かれても、更問いされても、官僚から渡された「紙切れ」に書かれていることを、「呆けたよう」に、繰り返し「棒読み」するしかなくなる。
予算委員会等で、良く見かける光景ではないか。
その結果は、官僚の書いた文章を、「棒読みしている姿」を晒すことで、より不都合な「恥」を晒していることに、気が付かなければならないのだろう。
政治家としては、これ以上は無い「醜態」であり、「恥辱」の筈だ。
むしろ、開き直って、あまりにも細かい質問には「答えられない」と答える方がよほど真っ当ではないか。
そして、それが大臣の実力であるならば、控えている官僚にメモを入れさせるのではなく、「官僚に答弁させる」で良いではないか。
言論の府と言われる、国会の議論は、一瞬も気が抜けない、「言葉と言葉で火花を散らす」いわば、戦場ではなかったのか。
「こんな制度」が不合理なことは、与野党ともに以前から分かっていたはずだ。
にも拘らず、何の対応策も示されることなく、ただ、ダラダラとした、緊張感のない国会審議が続く様子は、外形的には予定調和だが、人はそのことを指して、「茶番」と言う。
「質問の事前通告制度」が引き起こしている弊害は、大臣が官僚の書いた文章を「棒読み」しているという実態。。
これを看過すれば、大臣などは、単なる「お飾り」に過ぎないし、大臣が「官僚の代弁者」に成り下がり、官僚の思惑が優先する「官僚政治」を許すことにつながる。
まさに、本末転倒ではないか。
「質問の事前通告制度」は官僚の保護制度であり、「官僚政治」を推進するための、官僚達にとっては、極めて使い勝手の良い「道具」でしかないのではないか。
「質問の事前通告制度」など、即刻止めてしまえ。
それでは審議が長引いて困るというならば、通年国会にすればいいだけの話ではないか。
我々国民は、全く困らない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/766.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230330-OYT1T50314/
読売新聞の記事としては短い。
その分、内容も希薄。
恐らく、シンポジウムそのものが「内容が希薄」だったのだろう。
なんとも記者泣かせな「催し」。
しかし、見逃せない。
記事は以下の通り。
「第22回安全保障シンポジウム(NPO法人ネットジャーナリスト協会主催、読売新聞社後援)が30日、「防衛力強化 魂をどう入れる―日米同盟から考える―」をテーマに東京都内で開かれた。
討論会で長島昭久・元防衛副大臣(自民党)は、敵のミサイル発射拠点などを自衛目的で攻撃する「反撃能力」に関し、「米軍との情報共有が不可欠だ」と述べた。佐藤正久・元外務副大臣(同)は、米国などと対中包囲網を築き、「日本に有利な国際環境を作る」ことの重要性を説いた。
渡辺周・元防衛副大臣(立憲民主党)は「国家安全保障会議(NSC)の機能を強化すべきだ」と指摘。杉山晋輔・前駐米大使と折木良一・元統合幕僚長は、台湾有事について議論した。
基調講演では、黒江哲郎・元防衛次官が「国力の全てを用いた安全保障を考えないといけない」と強調した。」
記事はこれで終わっている。
皆さん、既にご承知の通り、政府、自民党は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって「公言」している。
その上で、「敵基地攻撃能力」が憲法に違反すると非難されると、まともな抗弁が出来ずに、結局「反撃能力」と言い換えた、という経緯がある。
この「反撃能力」も、実は「憲法に違反する」ことに気づき、最近では、枕詞の様に、「自衛のため」という「使い古された」言葉が必ず付くようになった。
と、岸田首相の国会答弁を取り上げた一昨日の私のスレで書いた。
そして今回、安全保障シンポでの長島昭久・元防衛副大臣(自民党)の発言の記事。
「敵のミサイル発射拠点などを”自衛目的で攻撃する「反撃能力」”に関し、「米軍との情報共有が不可欠だ」と述べた。」
ここでも、壊れかけのレコードのように、執拗に「自衛目的」を強調する。
そもそも「反撃」とは、どういうことを言い表しているのか。
反撃とは、
軍事戦術の研究では、反撃は大規模な戦略的攻撃軍事作戦であり、通常、防御的な位置を占めている間に敵の攻撃を首尾よく阻止した軍隊によるものです。 反撃は、敵の最前線の軍隊を使い果たした後、敵の予備軍が戦闘に従事し、防御を破ることができないことが証明された後、しかし敵が新しい防御位置をとる機会を得る前に実行されます。 ウィキペディア
難しい話ではない。
これだけを読んでも、「専守防衛」の理念とは相容れない、「専守防衛」を逸脱した「戦争」そのものの姿でり、「攻撃」そのものであることがわかる。
「専守防衛」とは、文字通り「守りに徹して、攻撃に抗う」ことだ。
そのことから分かることは、彼らが語っていることは、「戦争をすること」そのことであり、能力については、「武力」であり、「戦争遂行能力」であり、「継戦能力」ということだ。
どうしても、日本を「戦争をする国」にしたいらしい。
長島昭久・元防衛副大臣(自民党)が「米軍との情報共有が不可欠だ」と言うのは、単に日本には、敵のミサイル基地すら探知する能力がないことを言っているに過ぎない。
それは、「無能」であることではない。
「専守防衛」の理念に則れば、敵ミサイル基地を攻撃することはあり得ない訳だから、その備えも不要だったということなのだろう。
彼は、日本には、単独では「戦争遂行能力」が無いと嘆いているわけだ。
米軍との情報共有と言っても、実際には、米軍の情報が頼りで、米軍が右へ行けと言えば右へ進み、米軍が「敵がミサイル発射準備に着手した」と言えば、トマホークの発射ボタンを押す。・・・という、ただ米軍に言われた通りに行動する、だけの関係。
「トマホーク」の発射ボタンを押す人、押せる人は、日本人にはいないことを考えもしない。
ところで、「本当に、誰がトマホークの発射ボタンを押すの?」
佐藤正久・元外務副大臣(同)に至っては、米国などと対中包囲網を築き、「日本に有利な国際環境を作る」ことの重要性を説いた。
とある。
日本にとって、中国は距離的にも、歴史的にも、経済的な関係においても、最も近しい隣人、隣国であるにも拘わらず、「包囲網」を築くと嘯く。
何故、包囲網を築かなければならないのか。
あの広い領土の、どこをどうすれば包囲出来ると言うのか。
そのことの説明は、おそらく無いのだろうし、出来ないのだろう。
ただ、威勢だけはいい戦争オタクな男。
シンポジウムのテーマが恐ろしい。
「防衛力強化 魂をどう入れる―日米同盟から考える―」
魂をどう入れる?
そして、
基調講演では、黒江哲郎・元防衛次官が「国力の全てを用いた安全保障を考えないといけない」と強調した。
今、防衛省は、盛んに、「継戦能力」という言葉を口にする。
ウクライナの戦況、既に消耗戦の様相を呈した戦闘状況を見れば、武器、弾薬の損耗、兵士の損耗は双方共に著しく、その補充が速やかに出来るかどうかが、勝敗の帰趨を決定することは明らかだ。
このことから導き出されることは、
日本での「人的継戦能力」を確実なものにするためには、いずれは「徴兵制」の制定が俎上に上る。
ということだろう。
彼らの動きを見れば、簡単に予想が付く。
今の日本は、「軍人さん」がいない。
従って、トマホークを何発保有しようと、撃つことが出来ない、張りぼてと同じ。
そこに「魂」を入れるということは、日本にも「軍隊」を作るということに他ならない。
そして「国力のすべて・・・」と言うと、当然「日本国民の全て」も含まれる。
すなわち、一億総軍隊化と言うのが、彼らの思い描く、「戦争をする国」日本の姿なのだろう。
そうは問屋が卸さない。
私達には、日本という国を「戦争をしない国」のまま、将来の日本国民に延々と引き継ぐ責任がある。
憲法9条にある「・・・永久に・・・」という言葉を忘れてはならない。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/779.html
17. 達人が世直し[1952] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月01日 16:27:24 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1199]
政府、自民党は、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって「公言」している。
日本はそうするので、「あんた方も、そうしたらいいよ」と言ってしまった。
この言葉は、将来とも、取り消すことは叶わないだろう。
そのことの重大性に気が付いて、慌てて「反撃能力」と言い換えても、そんな「子供だまし」は、日本国内はもとより、国際社会では通用する筈もない。
この一言で、国際社会における「戦争をしない国」日本の信頼は、灰塵に帰してしまったと言えよう。
「敵基地攻撃能力の要」と位置付けて、アメリカから爆買いする「トマホーク」は、攻撃用の武器、武力であり、その「行使」は言うまでもなく、そんなものを保有し、近隣諸国を「威嚇」することも、憲法に違反することは、議論の余地はない。
ここにきて、「反撃能力」と言い換えても、尻尾を隠しきれず、見透かされていると感じているのだろう、「自衛の為・・・」と枕詞を付けるようになってきている。
先の大戦で、日本軍が、「自衛の為に、兵員を増派・・・」と「自衛」を口実に侵略戦争を拡大していった、あの歴史を繰り返そうとしているかのように・・・。
侵略戦争を反省し、二度と侵略戦争はしないと誓った筈の日本が、侵略戦争遂行のために使った「自衛の為」という口実を、再び口にする。
どうしても日本を「戦争をする国」にしたいというわけか。
問題は、憲法違反が明らかな政策が、国の最高意思決定機関であるはずの「国会」で、まともな議論もされることなく、「閣議」という単なる「儀式」の場で「閣議決定」したことが、時間の経過とともに、既成事実化して、日本が「少しづつ」「戦争をする国」に作り替えられようとしていることだろう。
「・・・敵が攻撃に『着手』したとはどういうことなのか。野党が質問しても岸田首相は説明しない。・・・」
自分達では分かり様がないから、答えられるわけがない。
日本には、他国が攻撃に着手したことを知る術がない。
従って、
「敵が攻撃に着手した」とは、米軍から「敵が攻撃に着手した・・・ようだよ」と連絡を受けた、と同義になる。
こんなこと、恥ずかしくて、とても説明できるはずがない。
まさに「恥ずかしい、手の内を明かすことになる」。
「自衛隊基地があると、むしろ危険」
確かにそうだが、その前に認識しておかなければならないことがある。
それは、日本が戦争に巻き込まれる危険が生じるとしたら、その危険の元凶は「在日米軍の存在」だ。
今、日本政府が、盛んには囃し立て、危険を煽っている「台湾有事」。
この「台湾有事」の際には、おそらく、在日米軍は台湾近海に出動するのだろう。
しかし、日本の自衛隊は出動出来ない。
米軍が中国軍と抗戦し、米軍に危険が迫ったとしても、自衛隊は、出動出来ない。
いくら「存立危機事態」だからと言ったところで、部分的集団的自衛権を行使することは叶わない。
何故なら、「存立危機事態」に自衛隊が出動する、その根拠が日米安保条約である以上、その危機は、日本の施政下に起きたものでなければならないからだ。
元より台湾は日本の施政下にある筈もない。
従って、日本の米軍基地から出動した米軍が、台湾近海でどんな危機に陥ろうとも、日米安保条約第5条の発動要件とはならない。
しかし、「台湾有事」の際に、日本が戦争に巻き込まれる危険が無いわけではない。
それは、在日米軍に反撃する敵勢力が、在日米軍の出動拠点である、在日米軍基地を攻撃したときだ。
その時は、日米安保条約の発動を待つまでもなく、「武力攻撃事態」の発生が宣言され、自衛隊は「防衛出動」する。
その際、憲法に違反して「トマホーク」を撃ち返そうものなら、その瞬間から、日本主体の、紛れもない「戦争」となるのだろう。
日本国民は、在日米軍の「危険さ」を認識しなければならない。
日本国民は、日本政府の、日本を「戦争をする国」に作り替えようとする動きの「危険さ」を認識しなければならない。
日本国民は、憲法を軽んじ、蔑ろにする、今の風潮の「危険さ」を認識しなければならない。
https://www.chunichi.co.jp/article/664656?rct=politics
聞きなれない言葉がタイトルに使われている記事。
「同志国軍」
一体どういうことか?
気になったので転載した次第。
記事の内容は、以下の通り。
「政府は、日本の安全保障環境の改善に生かすため、民主主義や法の支配といった価値観を共有する「同志国」の軍に資機材などを提供し、能力向上を支援する無償資金協力の枠組みを新設する。非軍事分野に限定してきた政府開発援助(ODA)とは別枠で、4月中に国家安全保障会議(NSC)で制度を決定。夏ごろフィリピン軍への沿岸監視機材の供与に関して合意する方向で調整を進める。複数の政府関係者が1日、明らかにした。
東・南シナ海で軍事活動を活発化させる中国への対応を念頭に、東南アジアなどの途上国の軍を直接支援し、抑止力向上を図る狙いがある。ただ中国との関係が深い国も多く、思惑通りの効果を得られるかは不透明だ。
新制度の名称は「政府安全保障能力強化支援(OSA)」。政府は昨年12月に閣議決定した国家安全保障戦略に、同志国軍への協力枠組みの新設を明記しており、その具体化となる。
協力対象は、国際紛争に直接関わらない分野に限定される。」
記事の転載は以上。
どうもおかしい。
言っていることと、やっていることの「ちぐはぐ」感が半端じゃない。
相手を「同志」と呼ぶ場合は、文字通り、「志を同じくしている」と、互いに認め合っている場合にみられる。
「共通の価値観を持っている」ことを「志を同じくしている」とは普通は言わない。
ここでは、真っ先に、安全保障にかかわる日本の「志」とは何かが問われることになる。
それは何か?
憲法前文には、このように記されている。(一部を抜粋)
・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。・・・
抜粋はここまで。
日本の「志」とは、「恒久の平和」を希求することである。
従って、日本が「同志国」と呼び合う相手国も「恒久の平和」を追求する国であらねばならない。
「恒久の平和」を希求する、そんな日本が、「恒久の平和」を追求する国に、軍需品を提供する。
言っていることと、やっていることが「ちぐはぐ」と言うのはこういうことを指している。
本音は違う所に有るのだろう。
日本を「戦争をする国」にすることを「志」とする彼らにとって、今や、兵器の国産化は至上命題となっている。
国内で兵器産業を企業として維持しようとした場合、日本だけの需要では、とても採算が取れないことは明らかだろう。
そのことを解決するためには、、兵器の輸出は必要不可欠な絶対条件となる。
それでも、他国の兵器よりも優れたものでなければ売れるはずも無く、輸出なども叶わない。
その場合、どうすることになるだろうか。
結局は、余剰で困るほどに政府が買い上げ、余剰品の処分先として、発展途上国への協力を名目に、「戦争の道具」を無償提供するとの話が、そんな案が持ち上がる。
今回の記事で報じている「このこと」が、まさにそれだ。
国会で議論された形跡はない。
「・・・政府は昨年12月に閣議決定した国家安全保障戦略に、同志国軍への協力枠組みの新設を明記しており、その具体化となる。」
ここでも、「閣議決定」
「・・・協力対象は、国際紛争に直接関わらない分野に限定される。」
この文章が、何の歯止めにもなっていないことは明らかだ。
言っている方も、聞いている方も、何のことやら理解していないだろう。
理解していない者「同志」で「閣議決定」され、いつの間にか、日本は「戦争をする国」に変貌していく。
非軍事分野に限定してきた政府開発援助(ODA)を逸脱することは、憲法の理念からの逸脱を意味する。
それは、日本人としては、絶対にやってはいけないことだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/810.html
https://www.chunichi.co.jp/article/666199?rct=politics
自衛隊の最高指揮官が敵前逃亡の図。
その態度、みみっちさは、屋台での「食逃げ」にも劣るのではないか。
そんな衆議院本会議での、日本の安全を守るはずの自衛隊最高指揮官の「へっぴり腰な醜態」を取り上げた中日新聞の記事。
以下に転載する。
「岸田文雄首相は4日の衆院本会議で、防衛費増額に関し「歳出改革や税制措置など所要の措置を講ずる」と述べ、増税方針を重ねて強調した。他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)の行使事例を巡り「個別、具体的に判断する」と明示を避けた。防衛財源確保に向け、税外収入を活用する「防衛力強化資金」を新設する特別措置法案は6日に審議入り。立憲民主、共産両党は反対方針を確認。日本維新の会にも反対論があり、後半国会の論戦の焦点となる。
首相は本会議で、日本周辺でミサイル能力が増強されているとして「反撃能力を保有し、弾道ミサイル攻撃に対応することが不可欠だ」と指摘。反撃能力は「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合など武力行使3要件を満たす場合に行使しうる」と述べ、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」でも発動可能とした。
反撃能力行使が必要な場合は「首相として迅速、的確に判断する」と説明。運用を巡り「日米の統合司令部設置は考えていない」と説明した。」
記事は以上。
岸田首相は、「反撃能力」を、どういう場合に、どのように行使するのかを問われても、丁寧に説明するどころか、「一言も」説明が出来ない。
ひたすら、逃げの一手。
これだけをもってしても、日本の総理大臣、自衛隊の最高指揮官としては「情けない」「だらしがない」としか言いようがない。
にも拘らず、「反撃能力」を保有するために、増税することを強行しようとする。
国民に納得のいく説明も出来ないようなことに、巨額の血税を使うと言う。
何か、「勘違い」していないか?
まるで「朕は国家なり」ではないか。
我々は、時の内閣に、全てを白紙委任したわけではない。
用途も分からない予算を、国会でどうして「審議」できようか。
国会で「審議」も出来ない税金の支出を、どうして認められようか。
しかも、その支出先が憲法に違反しているのだから、猶更ではないか。
そんな支出を止めるのは「国会」しかできない、国民の代表が集まる「国会」の責務だ。
そうすることは、国の最高意思決定機関である「国会」の使命だろう。
憲法第83条の規定に明らかに反する態度と言えよう。
財政民主主義すら守られなければ、国会の存在意義も薄れ、政治の基本が成り立たなくなってしまう。
わが物顔で「閣議決定」なる妖怪が跋扈する、恐ろしい時代が訪れたものだ。
戦後、今ほどに憲法を「ないがしろ」にしている時代があっただろうか。
記事によれば、岸田首相は、
「・・・他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)の行使事例を巡り「個別、具体的に判断する」と明示を避けた。」
とある。
過去に同じ「敵基地攻撃能力(反撃能力)」に関連した日経新聞の記事を投稿し、コメントしたことがある。
その時の日経新聞に載っていた「反撃能力」の解説は、次のようなものだった。
「▼反撃能力 相手のミサイル発射拠点などをたたく能力を指す。政府は相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する。「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもの」
かように、日経新聞に取り上げられるほどに、
日本政府は「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向けて公言している。
「反撃能力」を、どういう場合に、どのように行使するのかについて、これまでに日本政府が説明してきた、唯一の具体的事例だ。
中日新聞の記事では、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
という言葉は欠落している。
しかし、このことは、今後、取り消しはきかないだろうし、取り返しもつかない・・・。
誤解を与えたとしたら訂正します、などと言っても、国際社会では、今更と、嘲笑されるばかりだ。
とんでもないことを、してくれたものだ。
自国に認める屁理屈は、当然、他国にも認めなければならない。
さらに想像力を働かせてみよう・・・。
日本は、未だ敵国条項の対象国に載ったままだ。
従って、近隣諸国が、「日本が再び侵略行為を働く兆候を見せている」と、主観的に判断すれば、宣戦布告なしで、日本に対して武力で制裁を加えることが認められている。
この場合は、日本は「世界の敵」「国連の敵」となり、さすがの米国も「日本」を支援することは躊躇するだろう。
一方、日本は、憲法で戦争を放棄しているから、「仮想敵」に対して「宣戦布告」は出来ない。
つまるところ、日本の攻撃は、「反撃」と言っても、所詮は「宣戦布告」の無い、「奇襲」であり、「リメンバーパールハーバー」の合唱に押しつぶされる。
そして国際世論は、日本=悪魔、残虐な民族、となってしまうのだろう。
結論的には、日本は他国の領土で武力行使は出来ない。
他国の領土にミサイルを撃ち込んだ瞬間に、日本が侵略戦争を始めたと、世界中から糾弾されるのが落ちだ。
日本国憲法も、そのことは厳に禁じているではないか。・・・
・・・抑止力として「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することも、憲法に違反するという認識に立つことは、大前提としなければならない。
憲法9条では、
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と明記されている。
「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、相手を「武力により威嚇する」ことであり、「抑止力」と言う以上、相手に対して「敵基地攻撃能力(反撃能力)を行使すると表明することになる。
どのように屁理屈を言おうと、どんな口実を弄そうとも、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と記した憲法に違反する。
憲法では、「永久に・・・」と強い言葉で禁じている。
さらに言えば
日本人の誰もが、他国の領土を侵し、他国民を殺傷する権利は与えられていない。
従って、他国の領土を侵し、他国民を殺傷することを目的とした「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の発射ボタンは、誰も押すことは出来ない。
仮に、押す日本人がいたとすれば、なんのことはない、
その日本人は、国際法に訴えるまでもなく、当然のように、「日本の法律」で裁かれ、大量殺人鬼として「死刑」に処され、忌まわしい事件として歴史に記されることになる。
「・・・できもしないことを、どうして防衛費を倍増させてもやろうとする・・・」
愚かと言うしかないではないか。
「相手が攻撃に着手した段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
とんでもないことを、言ってくれたもんだ。
相手国に対して、日本は「専守防衛」の理念を捨てたと、しかも、「先制攻撃を是とする」絶好の口実を与えたことになる。
国賊と言うしかないではないか。
岸田首相は、
「・・・反撃能力は「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合など武力行使3要件を満たす場合に行使しうる」と述べ、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」でも発動可能とした。・・・」
と言う。
相変わらず「存立危機事態」という、なにやら曖昧な言葉が使われて、答弁がなされている。
「存立危機事態」とは、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
と、政府が「仰々しく」説明しているが、所謂は「造語」だ。
「存立」とは、存在し、成り立つこと。滅びたりつぶれたりせず立ちゆくこと。
簡単に言えば、米国に対する武力攻撃が発生し、そのことが、日本の滅亡に繋がるほどの危険がある事態と言うことになる。
そのような事態に対処するのが、集団的自衛権の行使だと言う。
その根拠は、日米安全保障条約によると言っているのだろう。
政府の言う「存立危機事態」は、地球上のどこで発生した危機について言うのかは、地理的限定についての説明が無いから分からない。
そのような事態は、宇宙空間でも発生すると言い出すかもしれない。
そんな説明を許せば、日本が「存立危機事態」と主観的に判断すれば、地球上のみならず、宇宙空間で発生した事態に対して、他国領域のミサイル基地などを破壊する「敵基地攻撃能力」の行使が許されることになる。
さすがにそれはないだろう。
しかし、地理的限定を求めなければ、無制限さは解消されない。
政府は、集団的自衛権の行使だという。
その根拠は、日米安全保障条約によると。
日米安全保障条約では、このあたりのことは、どう規定されているのか。
日米安全保障条約から抜粋する。
第五条(共同防衛)
1 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
第六条(基地の許与)
1 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
ここで分かることは、
日米安全保障条約は、「・・・日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、・・・」
とあるように、あくまでも、「日本の施政の下にある領域」で発生した共通の危険に対して、協力して対処するという条約だということだ。
それは、「日本の施政の下にある領域」で発生した危険でなければ、日米安全保障条約の第五条(共同防衛)は、発動されないということを示している。
一方で、政府は「武力攻撃事態」を別に定義している。
そこで言う武力攻撃とは、我が国に対する外部からの武力攻撃をいう。
すなわち、「日本の施政の下にある領域」への武力攻撃を定義した「武力攻撃事態」でしか、日米安全保障条約の第五条(共同防衛)は、発動されないということになる。
と言うことは、「集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」は存在し得ないということだ。
政府の説明の矛盾、齟齬が理解できたと思うが・・・。
岸田首相の言う、
「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合など武力行使3要件を満たす場合に行使しうる」
という答弁、認識は「重大な誤り」だということだ。
そもそも。「反撃」とはどういう軍事行動なのか、
軍事戦術の研究では、「反撃」は大規模な戦略的攻撃軍事作戦であり、通常、防御的な位置を占めている間に敵の攻撃を首尾よく阻止した軍隊によるものです。 反撃は、敵の最前線の軍隊を使い果たした後、敵の予備軍が戦闘に従事し、防御を破ることができないことが証明された後、しかし敵が新しい防御位置をとる機会を得る前に実行されます。 ウィキペディア
この定義に従えば、
「・・・防御的な位置を占めている間に敵の攻撃を首尾よく阻止した・・・」
というフェーズまでが、「専守防衛」の行動ということになり、「反撃」はその次に起こし得る軍事行動であることが理解できる。
難しい話ではない。
「反撃能力の行使」は、「専守防衛」の理念とは相容れない、「専守防衛」を逸脱した「戦争」そのものの姿であり、「攻撃」そのものであることがわかる。
「専守防衛」とは、文字通り「守りに徹して、攻撃に抗う」ことだ。
「反撃能力の保有」も、その「行使」もは憲法違反!であり、
だからこそ、「反対!」なのだ。
岸田首相、・・・
「反撃能力行使が必要な場合は「首相として迅速、的確に判断する」と説明。」
そして、岸田首相は、恥ずかしげも無く「専守防衛」を逸脱するものではないと、言い繕う・・・。
バカな大将、敵より怖い。
日本の「本当の存立危機事態」は、今、国会で起きている、と言えるのではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/827.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230405-OYT1T50193/
小西氏の「サル」発言に対する、与党、ゆ党の非難が「姦しい」。
小西氏の発言は、敵に「付け入る隙」を見せたという意味で、軽率の誹りはまぬがれられないのだろう。・・・が、
とすれば、小西氏はどのように発言すれば良かったのか。
自民ヨイショなメディアも参戦し、いつまで引っ張るつもりか、楽しみではある。
読売新聞は、力が入って、連日の記事掲載だ。
以下に記事の抜粋を載せる。
参院憲法審査会が5日、今国会で初めて開催され、審査会の毎週開催を「サルがやること」などと発言して批判を浴びた立憲民主党の小西洋之氏も出席した。立民は小西氏を野党筆頭幹事から更迭したものの、毎週開催に消極的な姿勢を崩さず、与党は反発している。
参院憲法審査会を終え、与党幹事と言葉を交わして退席する立憲民主党の小西洋之氏(左奥、右は中曽根弘文会長)(5日午後、国会で)=源幸正倫撮影
「 真摯しんし に議論を行っている委員に極めて失礼。看過できない発言だ」
中曽根弘文会長は審査会の冒頭、小西氏に苦言を呈し、反省を促した。日本維新の会の音喜多政調会長も「審査会の場で謝罪、撤回を強く期待する」と迫り、自民党の松川るい氏も「断固抗議する」と述べた。
・・・小西氏は・・・審査会後も記者団の質問に応じず、・・・「参院らしい、いい議論だった」と一方的に述べて立ち去った。・・・」
記事の抜粋は以上。
小西氏はどのように発言すれば良かったのか。
「知恵のある人間のやることではない」とでも言えばよかったか。
議論が深まらないまま、「ただ時間を費やした」という空疎な実績をつくることが「自己目的化」してしまっている今の国会の姿を、痛烈に批判したものではないか。
本当は「サルにも劣る」と言いたかったのではないか。
国民は・・・、少なくとも私は、そう思うし、私なら「そう」言っているところだ。
今の国会の、その光景は、国民には群れた猿が餌欲しさにやってる「サル芝居」にしか見えない。
「サル芝居」とは、
・ 猿に衣装やかつらなどをつけさせて、芝居のまねをさせる、いわゆる「見世物」。
・ すぐ見すかされてしまうような、「浅はかなたくらみ」。
解説のいずれもが、ピタリと当てはまるではないか。
小西氏が言う。
「参院らしい、いい議論だった」
これは、小西流の痛烈な「嫌味」「批判」の表現だろう。
読売新聞の記者は、そのことに気が付いている様子は無い。
彼も又、知恵の無い「〇〇」なのか。
記事によれば、
「中曽根弘文会長は審査会の冒頭、小西氏に苦言を呈し、反省を促した。」
とある。
小西氏に反省を求めることを、とやかく言うつもりはないが、
その前に、国会議員が胸に手を当てて、国民の期待に応えられるような、言論の府に相応しい、審査会なのかどうかを、批判に真摯に耳を傾け、見直して貰いたいものだ。
「反省だけなら、サルでも出来るだろう。」
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/840.html
https://www.chunichi.co.jp/article/667530?rct=politics
岸田文雄首相は6日の衆院本会議で、台湾有事が起きた場合の対応を問われ、・・・再び、明言を避けた。
岸田首相は「丁寧に説明していく」と言いながら、何時まで答弁から逃げ続ける積りなのか。
記事を読んでいても、国会審議の今後の展開は容易に予想され、「日本は大丈夫か」と愕然とする思いを隠せない。
まるで「サルがすること」ではないか、と、どなたかが怒りを露わに指摘した。
そのことを「失礼だ」という人は、「人間がするんだから「サル真似」・・・」とでも言うのだろうか?
国会は近年、ボス猿がわが物顔で、好き放題の振舞をしても止められない、「モンキーセンター」化している。
そんな絶望的な日本を、改めて想像するしかない、悲しくなるような記事。
記事を以下に転載する。
「岸田文雄首相は6日の衆院本会議で、台湾有事が起きた場合の対応を問われ「憲法や国際法、国内法に従って個別具体的に行われることになる」と述べ、明言を避けた。他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)を巡り、集団的自衛権が行使可能となる「存立危機事態」でも発動できるとの認識を重ねて示した。
立憲民主党の末松義規氏は「台湾有事の際に米国から自衛隊が頼りにされ、戦争に巻き込まれるのではないか」と見解をただした。
首相は「台湾海峡の平和と安定は、わが国の安全保障、国際社会全体の安定にとって重要だ」と強調。「問題が対話により平和的に解決されることを期待する」と語った。」
記事の転載は以上。
そもそも「台湾有事」とは何ぞや。
「台湾有事」とは、中華民国への軍事侵攻や台湾における大規模自然災害の発生など緊急事態のこと。とくに中華人民共和国の人民解放軍が侵攻する事態を指す。 ウィキペディア
すなわち、想定している事案の本質は、「中国の内政問題」という認識に立って「台湾有事」を考える必要があるということだ。
政府は、「台湾有事」が、すなわち「日本の有事」とばかりに、国民に戦争の危機を煽り、敵基地攻撃能力の保有、そのための防衛予算の拡大を囃す。
反対する者がいたら、まるで国賊、非国民、売国奴であるかのような言いぐさで非難する。
「座して死を待つのか?」と。
このような世相、社会の雰囲気は、戦前に見られた「大政翼賛のそれ」と同じだ。
記事によれば、
「・・・立憲民主党の末松義規氏は「台湾有事の際に米国から自衛隊が頼りにされ、戦争に巻き込まれるのではないか」と見解をただした。・・・」
とある。
この質問は、国民が「直接、総理大臣の口から答えを聞きたいと思っている。」核心の質問だろうし、最大の不安だろう。
政府が「台湾有事」は「日本の有事」と煽る以上、岸田首相は、政府としてあらゆる場合を想定し、「日本の有事」にならない対策を講じる、そういう立場にある。
「台湾有事」に米軍と手を携えて、中国軍の台湾進攻を阻止したり、「存立危機事態」と称して、中国本土のミサイル基地にトマホークを撃ち込む、そんな権限は、どこを探しても、日本国には無い。
「台湾有事」の際に、それがキッカケで「日本の有事」にならないための対策が講じられているかどうかを問われている。
岸田首相は、懲りもせずこう言う。
「他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)を巡り、集団的自衛権が行使可能となる「存立危機事態」でも発動できるとの認識を重ねて示した。」
(この人は、本当に何も分かっていないのではないかと、不安に駆られる。)
(この人は、何を説明しても、理解する能力を持ち合わせていないのではないかと、恐怖すら覚える。まるで「何とかに刃物」、「岸田にトマホーク」。)
改めて「認識の誤り」を細かく指摘することは割愛するが、
日米安保条約は、日本の施政の下にある危機に対処するという条約。
政府は、日本の施政の下にある領域に武力攻撃を受けた場合は、「武力攻撃事態」と定義し、「存立危機事態」とは区別している。
集団的自衛権が行使可能となる「存立危機事態」でも発動できるとの認識は、誤りであるという事だけは重ねて指摘しておこう。
ましてや、「他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)」を行使することは勿論、保有することすら、憲法に違反するものだ。
そのトマホークの発射ボタンを押すことが許された(すなわち、他国の領域にミサイルを撃ち込み、街を破壊し、他国民を殺傷することを許された)日本人はいない。
誰が、トマホークのボタンを押せるだろうか?
政府が「台湾有事」は「日本の有事」と煽る以上、岸田首相は、政府としてあらゆる場合を想定し、「日本の有事」にならない対策を講じる、そういう立場にある。
国民の安全を言うなら、
例えば、ミサイル基地を建設した島に住む住民のために、「シェルター」は作っているのか?
沖縄はどうか?。まさか、在日米軍とその家族用には建設済み、などとはなるまい・・・よ。
台湾に住む2万人ともいわれる日本人は、どうやって日本に退避させるのか?
中国との間で武力衝突が起きてしまったとき、中国本土に住む日本人はどうなるのか、どうするのか?。
「台湾有事」を想定するなら、このくらいの疑問に答えたらどうだ。
会見を開き、国民に向かって「丁寧に説明」したらどうだ。
国民の安全を守る手立てに抜かりはないことを国民に示し、国民の不安を取り除くことが、総理大臣の「使命」ではないか。
「個別具体的に・・・」と言うのは、「何も考えていない」と同義でしかない。
「台湾有事」を自ら煽り、日本を「戦争をする国」に変貌させ、国民を戦争の危険に晒し、不安を与えることは、一国の総理大臣としては、最もやってはいけない「蛮行」「愚行」だろう。
それを強行する姿を、「国家権力の暴走」「殿、御乱心」と言う。
今の岸田首相には、「憲法9条」が「親の仇」にも見えるのではないか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/851.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230407-OYT1T50154/
読売新聞の「はしゃぎぶり」が見苦しい。
久しぶりの野党批判ネタながら、連日の記事掲載に弾は尽きたか、今度は、泉執行部の処分の遅さに矛先を換えての、ヤケクソ記事。
読売新聞としては、「重い処分」があるまで、「はしゃぎぶり」を収束させる気配はない・・・か。
記事の主張は「処分有りき」だが、立憲民主党にとっては、「迷惑なお節介」。
泉代表としては、既に「厳しく注意した」そうな・・・。
以下は短い記事の抜粋。
立憲民主党の執行部が、憲法審査会の毎週開催を「サルがやること」などと発言した小西洋之参院議員への処分にもたついている。泉代表は党内左派への配慮から、煮え切らない対応に終始している。
泉氏は7日の記者会見で、小西氏への処分について「党規約に基づいて幹事長が精査する段階に入っている」と述べたが、具体的な時期には言及しなかった。泉氏は発言直後の3月31日の記者会見で「厳しく注意した」と明かしたが、・・・指導力を発揮できていない。
なかなか処分が決められないのは、党内左派を中心に小西氏を擁護する声が一定数あるためだ。厳しい処分には反発が出る可能性があり、・・・
・・・日本維新の会は、立民の対応を「不十分」として国会での「共闘」を凍結しており、問題が収束する気配はない。・・・」
以上が記事の抜粋。
記事によれば、
「・・・日本維新の会は、立民の対応を「不十分」として国会での「共闘」を凍結しており、・・・」
とある。
笑止と言わザルを得ないだろう。
難しく言うと「猿の尻笑い」。
簡単に言うと、「よく言うわ」。
読売新聞記者も、抑えきれない歓喜に、期待を込めて、
「・・・問題が収束する気配はない。・・・」
「意馬心猿」の心境か。
何かしら、嬉しそうな気配を漂わせている・・・その姿にジャーナリズムは見えない。
そんな新聞記者の肩書は、「猿に烏帽子」のごとき・・・虚しさ。
今の場合、誰かを処分するも、しないも、立憲民主党の内部規定でどうなのかという話。
難しく言うと「猿に木登り」・・・。
簡単に言うと、「大きなお世話」。
国家権力に阿る新聞社に勤める不運を嘆くか。
それとも、宮仕えはやはり自由が無いのか。
「籠鳥檻猿」
とはよく言ったものだ。
そうしているうちにも、日本は「戦争をする国」に変えられようとしている。
「サルかに合戦」のような「おとぎ話」では済まない。
当時の飛び道具は「渋柿」だが、昨今では、技術も進歩して「重火器」のみならず、敵基地攻撃の要は「トマホーク」。
残念ながら、「トマホーク」の発射ボタンを押せる日本人はいない。
第一、ヘリコプターすら、まともに飛ばせない日本。
(事故に会われた自衛隊員の無事の生還を祈りながらも、どうして?の感情は払拭できない)
ジャイアンの影に隠れて、いくら勇ましいことを言っても、根っこのところでは「平和ボケ」してはいないか。
政府と防衛省、自衛隊が最も平和ボケしているのではないかとさえ思う。
師団の幹部がそろって一機のヘリに搭乗するがごときは、常在戦場の意識があれば、あり得ない。
これをもって「平和ボケ」と言わずして、何と言おう。
そんな頼りのない日本でも、これまでは、「憲法9条」のおかげで戦禍に巻き込まれることを避けられてきたことを忘れてはならない。
「憲法9条」には、足を向けて寝られないだろう。
日本は、これからも、「憲法9条」を護り、「憲法9条」に守ってもらうしか手立てはない。
憲法審査会は何を議論しているのか。
今の国会は、モンキーパークか、人間の猿芝居小屋になり果てたか。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/864.html
12. 達人が世直し[1953] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月10日 22:12:09 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1200]
横浜市内の事務所で、神妙な面持ちで会見に応じた。
「神奈川のプライドを傷つけてしまった。失った信頼を仕事でお返ししていきたい」
この言いぐさ、日本語としておかしくないかい?
笑う所じゃないよ。
黒岩が傷つけたのは、「奥さん」であり、「不倫相手の女性」ではないのか。
まるで、私の罪は、「神奈川のプライドを傷つけてしまった。」ことです、と言っているように聞こえるが・・・。
そうか〜?
「・・・失った信頼を仕事でお返ししていきたい。」?
「失った信頼」を返して貰っても、神奈川県民はどうすればいいか、迷うだけだろ〜。
一度失った信頼は、4年や5年じゃ回復できないよ。
甘いんじゃないか?
本当に申し訳ないという気持ちを表現するなら、知事を辞任するしかないと思うが・・・。
ここでも、危機管理が全くできていない。
今のままで、知事の仕事をまともに出来ると考えることが、既におかしいし、無責任としか言いようがない。
まともに仕事が出来ないのだから、「仕事でお返ししてもらえることは無い。」というのが道理ではないか。
それにしても、やりもやったり、11年か〜。
不倫相手の女性は結局、捨てられたということだろ〜。
私なら、お返しできるものは、「命」しかないね。
59. 達人が世直し[1954] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月10日 22:43:37 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1201]
「千里の道も一歩から」
「ローマは一日にして成らず」
「雨垂れ石を穿つ」
色々あるが、れいわ新選組には、この言葉を贈ろう。
「千里の道も一歩から」
まずは、各自治体に一人ずつ・・・でも候補者を出して、そしてしっかり根を張らせること。
野菜作りでも、根をしっかり育てることが大切。
根がしっかりしないまま、身丈が伸びることを「徒長」と言って、失敗事例に数えられることになる。
地方議会選挙の場合は、基本は、やはり「どぶ板」選挙。
代表の全国区の知名度だけでは、「戦」にならない。
「千里の道も一歩から」
大阪の知事選で落選した人が、「普通のおばちゃんに戻る」と言っていたが、端っから「志」など無かったと言っているようなもの。
そんなら立候補するな〜!と言いたいところだ。
れいわ新選組の候補者は、たとえ一度は落選したとしても、「大志」を持って、4年後の次の選挙を見据えて、日々の活動に邁進されたい。
これからも応援するつもりだ。
https://www.asahi.com/articles/ASR47625YR47UTFK00P.html?iref=poltop_list_n
4月1日の中日新聞の記事では、
「民主主義や法の支配といった価値観を共有する「同志国」の軍・・・」
と説明されていた「同志国」
そして、今日の朝日新聞では、
「外交目的などを共有する「同志国」の軍・・・」
という説明になっている。
どうして違うのか?。
どちらが正しいのか?。
どうしてこんなことになってしまうのか?。
以下、記事の全文。
「外交目的などを共有する「同志国」の軍に防衛装備品などを無償で提供する新たな枠組み「政府安全保障能力強化支援(OSA)」をめぐり、7日の参院政府開発援助(ODA)特別委員会で質疑があった。
立憲民主党の田島麻衣子氏は「OSAが紛争への介入や武力行使の後押しに使われることはないのか」と質問。外務省の担当者は「国際紛争との直接の関連が想定しがたい分野で支援すると定めている。日本の平和国家としての歩みを堅持する」と強調した。
政府はOSAの実施方針で「(海外への武器輸出を制限する)防衛装備移転三原則及び運用指針の枠内で協力を行う」と定めている。自民、公明両党は4月下旬にも殺傷能力のある武器の輸出解禁などを焦点に、三原則や運用指針の見直しに向けた協議を始める見通しだ。外務省の担当者は田島氏の質問に対し、「三原則及び運用指針の改定については、現段階で予断をもって申し上げることは困難だ」とした上で、「仮に改定された場合には、三原則及び運用指針に基づく制限は、それ(改定内容)にのっとって変更されていく」と答弁した。(高橋杏璃)
記事は以上。
記事にある「防衛装備移転三原則」とはどういうものなのか、確認しておこう。
これは、「法律ではない」ことは知っておく必要がある。
「閣議決定」された「指針」みたいな、「原則」というやつだ。
「防衛装備移転三原則」
政府が2014年に決めた防衛装備品の輸出や国際共同開発に関する原則。装備品や関連技術の輸出を原則禁じていた「武器輸出三原則」を改め、日本の安全保障に資する場合などの一定の条件下で輸出を認めるようにした。
現行の移転三原則は
@紛争当事国への移転などの禁止
A平和貢献や日本の安全保障などに資する場合は認める
B目的外使用や第三国移転は事前に日本の同意が必要
の3本柱だ。
そして、記事にもあるように、
「・・・自民、公明両党は4月下旬にも殺傷能力のある武器の輸出解禁などを焦点に、三原則や運用指針の見直しに向けた協議を始める見通しだ。・・・」
「見通し」と書いてはいるが、実態は、既にシナリオは出来上がっていると考えるのが、今の自公政権の姿勢からして、自然だろう。
その上で、
立憲民主党の田島麻衣子氏は「OSAが紛争への介入や武力行使の後押しに使われることはないのか」との質問に対して、
外務省の担当者は「国際紛争との直接の関連が想定しがたい分野で支援すると定めている。日本の平和国家としての歩みを堅持する」と強調した。
この外務省の答弁程白々しいものは無い。
他国の軍に防衛装備品などを無償で提供するその「防衛装備品」は、「内戦以外は、国際紛争に際して使用する「もの」であることは、議論を待たない。
しかも、これからは、殺傷能力の有り無に関係なくしようと目論んでいるわけだ。
「紛争への介入や武力行使の後押しに使われる・・・」
当然そうなる。それしか用途が無いものなのだから。
そして「同志国」
必死になって、準「同盟国」(アメリカ)の雰囲気を醸し出す言葉を探したものと推察される。
いわゆる「造語」の類い。
しかしながら、その意味は「安定」していないというよりも、説明ができない。
そのことは、今対象に挙がっている国々は「同志国」ではないからに他ならない。
「同志国」の意味を定義した瞬間に、対象国は存在しないことになってしまうのだろう。
「紛争当事国」は駄目でも、それが「同志国」ならいいだろう・・・ってか?。
まるで、「存立危機事態」の造語を作ったときの「軽さ」を彷彿とさせる。
国民は、こんなことを繰り返す、政府・自民党に「バカにされている」と自覚すべきだ。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/897.html
203. 達人が世直し[1955] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月12日 20:23:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1202]
>>194 氏
>読者の皆さんに、この事実だけは報告しておこう。
>「達人が世直しさん」に同じ質問をすれば、彼は躊躇なく、ウソ発見器の前で、「自衛隊は憲法9条に違反していない」と言うでしょう。
>こちらは、まったく処置無し、単純すぎてどうしようもないんです。
これは、氏が得意とする、いつもの詭弁、「藁人形論法」を使った、ただ悪質なだけの「誹謗中傷」だな〜。
しかも、「皆さん」に向かって・・・。しかも、しかも、真っ赤な「嘘」を「この事実」とまで付け加えて・・・。
世の中には、こんな人もいるんだな〜と、暗い気持ちにさせられる。
>デマ惨人は他人(ヒト)のコメントを勝手に改竄して隙あらば《他人を陥れようとする厭らしさ》がある。
>>195 楽老さんの言うとおりだわ。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが。
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言ってしまって、いまさら取り消すことも出来ない。
残る手立ては、「みんなで渡れば怖くない」とでも考えたか、誰も守っている人がいない・・・と来た。
言ってはみたものの、同調者が現れてくれずに・・・・虚しいだろ?。
その行動を「悪あがき」と言う。その結果は「徒労」と言う。
日本国憲法に「自衛隊」のことは記されていない。
そのことは、憲法制定時に「自衛隊」という言葉すら無かったことを考えれば自明ではないか。
憲法9条は、武力による威嚇、あるいは武力の行使を放棄するとして、禁じている。
これは、政府あるいは、政府のどこかの組織が、「そういう行動」をすることを禁じているわけだ。
従って、自衛隊も「憲法9条」違反の「行動」をとれば、「自衛隊の行動」は憲法違反として断罪される。
そのことは、同じ実力組織の警察庁あるいは海上保安庁についても言えることだ。
「海上保安庁」を「憲法違反」と喚き散らす人にはお目にかからない。
しかし、「海上保安庁」も、「憲法9条」違反の「行動」をとれば、「海上保安庁の行動」は憲法違反として断罪される。
憲法違反になるかどうかは、その「行動」「振舞」が憲法に違反しているか、どうかによって決まる。
従って、「自衛隊」は合憲か、違憲かという議論は意味をなさず、「不毛」だということだ。
言い換えれば、「自衛隊の、その行動」は、合憲か、違憲かという議論こそが意味がある。
日本は、他国の領土の敵基地を攻撃することも、敵基地攻撃能力を保有し、他国を武力で威嚇することも憲法で禁じられている。
従って、「敵基地を攻撃するという行動」も、トマホークを配備して、文句あるなら撃ち込むぞとばかりに、「他国を武力で威嚇する行動」も憲法違反と断罪しなければならないわけだ。
そういうわけで、私は「自衛隊は憲法9条に違反していない」とは言わない。
私は「自衛隊が、他国の領土の敵基地を攻撃することも、敵基地攻撃能力を保有し、他国を武力で威嚇することも、憲法で禁じられている。」と言う。
極めて「単純明快」ではないか。
ついでに言えば、
氏が、
>「あなたは、自衛隊は9条に違反しないと、ウソ発見器の前で言えますか。」
というのは、「反語を使った詭弁」。
氏が、140回くらい「質問」を繰り返したと言うように、「一見、問いかけている風を装う」。
何度も指摘しているが、理解できていないようなので、改めて、少し整理をしてあげよう。
【疑問形と反語形の違い】
疑問形…問いかけて答えを求める句法
反語形…問いかけの形をとるが、実はその反対の内容を強調するという句法
つまり、疑問形は相手に「問いかけるもの」、反語形は問いかけの形をとりながらも、その反対の意味が自然に強調される、「主張そのもの」。
そして、疑問形と反語形の見分け方は、基本的に「文脈によって判断する」のが鉄則。
「反語を使った詭弁」では、あくまで“疑問形”での問いかけなので、自分の意見の証明や説明の責任逃れが可能となる。
また、自分の主張を“暗示”することで「自分の意見こそが正しい」という主張をさりげなく押しつけたり、相手に「なぜそう思うのか」と質問することを封じ込めたりする効果がある。・・・らしい。
そんな詭弁を使う人たちは、後は、「俺の質問に答えろ」と言っていればいいと思っている。
まともな答えが返ってきた場合は、「聞いてみただけ」といった風情でスルーする。
そういうことを書いていたら、同じような「反語を使った詭弁」を見付けた。
>>193 氏の言っている、
>結局、わたしのこの質問には答えられない。
>それは「真似る以外にどんな道があったというのかね? 」だよ。
しかも、ある段階から「真似る以外にどんな道があったというのかね? 」とのフレーズのみを繰り返すことは、文脈を無視した「切り出し論法」という詭弁とも言える。
「真似る以外にどんな道があったというのかね? 」と、反語形で言われたら、
「罵愚さんはどうお考えですか」と聞いてあげるのが良いらしい。
さて、罵愚さんは何と答えるだろう?
「真似するしかなかった」なんて言ってるわけじゃぁないよ。
こう言ってしまうのが「反語形」だったことの証。これは答えになっていない。
こう「問い返す」方が分かり易いかな?
「真似ない道が無かったとでも言うのかね?」
最後に、氏にはこう「質問」しよう。
「自衛隊は憲法9条に違反しているとでも言うのかね?」
211. 達人が世直し[1956] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月13日 22:53:34 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1203]
>>210 氏
「読書百遍義自ずから見る(あらわる)。」
どんな難解な書物でも、何十回となくくり返し読むことにより、自然に意味が通じるようになることをいう。
楽老さんの博識に、遠く及ばないね。
くだらないことを言ってしまって、自ずから無知を晒しているようなもんだぞ。
それはそれとして、この辺が潮時であるとも言える。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/805.html#c211
https://mainichi.jp/articles/20230413/k00/00m/010/290000c
日本が「戦争をする国」に戻るのか、日本を「戦争をしない国」のまま、後世に引き継ぐのかの分水嶺にあるというのに、なんとも緊張感のない国会の審議会ではないか。
衆院憲法審査会で「自由討議」とは・・・。
こんなことだから、誰ぞに言われても仕方がないだろう。
参議院ばかりか、衆議院でも・・・。
日頃、上品な言葉を使うことを心掛けている私でも、こう言うだろう。
「おサルさんのすることですわ。」
こんなものは、何の必要性も無い「「自衛隊」の憲法への書き加え」を、議論の「俎上」に乗せるための「サル芝居」でしかない。
「「自衛隊」の憲法への書き加え」という案件が、憲法審査会の「自由討議」という名の場において議題に取り上げられれば、今後の憲法審査会の議題として認知される。・・・とでも考えたのだろう。
これで「自由討議」の役目は終わりだということになる。
これを「茶番」と言わずして、何と言う。
その審議会で「ガム」を噛み噛み、・・・「おサルさん」の呼び名がお似合いというものだ。
「サル芝居」で「茶番劇」を見せられる国民はたまったものではない。
以下に記事を転載する。
「 衆院憲法審査会は13日、自由討議を行い、自民党と日本維新の会が自衛隊を明記する9条改正を訴えたが、立憲民主党と共産党はこれに反対した。公明党と国民民主党は、9条以外に自衛隊を明記する改憲案を提起した。
自民、維新は9条1項(戦争放棄)、2項(戦力不保持)を残しつつ、自衛隊を明記する独自の憲法改正条文案をそれぞれまとめている。自民の新藤義孝与党筆頭幹事は条文案を説明した上で「自民が提案している国防規定と、自衛隊を明記する9条改正案は占領下で制定された憲法の欠落を補うものだ」と述べた。維新の岩谷良平氏も「自衛隊違憲論を解消すべきだ」と訴えた。」
記事の内容は以上。
自民党が説明した条文案は記事では把握しきれないが、過去の資料では次のようなものだ。
自衛隊明記案は,憲法9条1項及び2項をそのまま残した上で,9条の2として,「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく,「そのための実力組織として」「自衛隊を保持する」という条文を加えて自衛隊を日本国憲法に明記するという案だ。
この自民党の「案」の肝は、
「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく,
という文言にある。
自衛隊を明記するのは、あくまでも「口実」であり、注意をそらすための「撒き餌」に過ぎないと言えよう。
日本は、「憲法前文の理念」と「憲法9条」の規定により、国権の発動たる戦争は勿論、他国に対して「武力行使」も武力を背景とした「威嚇」も永久に放棄した。
そこから導き出されるのが「専守防衛」の理念だ。
他国領土、他国民に対して「武力攻撃」も「武力による威嚇」もしない、すなわち日本は他国に対する「軍事的脅威」にはならないと宣言した上で、
万が一に、我が国が、他国からの攻撃、侵略を受けた場合は、「専守防衛」を旨とし、文字通り「守りに徹し、攻撃に抗う」と宣言した。
そんな憲法9条に、
「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく,
との記述が追加されたら、どうなるのか。
結果は簡単に想像がつく。
政府が、主観的に「自衛の為の措置」と言えば、「憲法9条は無きに等しい」ものとなる。
自民党の自衛隊明記案は,
現在の「憲法9条」を骨抜きにし、「専守防衛の理念」を捨て去り、
その上で、現在の「憲法9条」に縛られない、「戦争をするための自衛隊」を創設するというに等しい。
憲法前文には、
「・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、・・・」
と、先の戦争に対する反省とともに、日本を「戦争をしない国」にするとの決意が記されている。
そこに出てくる「戦争」とは、「我が国の自衛の為・・・」という口実を付けて、拡大してきた「侵略戦争」であることを忘れてはいまいか。
そんな、憲法を持つ日本が、「自衛の為の措置」という言葉を付け加えることで、日本を再び「戦争をする国」にし、「専守防衛」の理念を放棄せんとする。
これは、「喜劇」なのか、「悲劇」なのか。
いやさ、「さる芝居」・・・「おサルさんのすること」
題名は
「「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなくなった憲法9条,」
傍観していれば、「喜劇のち悲劇」の結末が待っている。
私達は、日本を「戦争をしない国」のまま、後世に引き継ぐ、重い責任を背負っている。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html
11. 達人が世直し[1957] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月15日 11:18:53 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1204]
>>5 氏
>>8 氏
スレ主ですが・・・。
>戦争をするより他国の植民地になれ、という主張に変えても同じなんでしょうか?
氏はどうお考えですか?
私は、全く違うと考えますが。
「戦争をして、他国を植民地にする国になるな」という主張に変えるなら同じでしょうと答えられるかもしれない・・・。
>単純に、戦争をするより植民地になったほうが増しで良いのか、と聞いているのです。
本当に「単純」に聞いているだけですか?
「戦争をするより植民地になったほうが増し」とは誰が言っていることですか?
もしかして、単純に、「植民地になるくらいなら、戦争をする方がマシ」と主張しているのではないですか?
戦争はしちゃいけない。
植民地にもなっちゃいけない。
両方とも、「御免こうむりたい、あってはいけない事象」です。
どちらも、同じく「最悪」なのです。
憲法前文にも、こう記されています。
「・・・われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。・・・」
他国の主権を認めると同時に、日本も当然、自国の主権の維持を宣言しているのです。
自民党の改憲案は、日本をその「最悪」な道に引きずり込む、一歩なのです。
絶対に阻止しなければなりません。
「専守防衛」は「座して死を待つ」の対極に位置する、防衛思想なのです。
「守りに徹し、攻撃には果敢に立ち向かい、徹底的に抗う」
戦争はしちゃいけない。
他国を植民地にしちゃいけない。
日本も、植民地になっちゃいけない。
ということなのです。
13. 達人が世直し[1958] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月15日 11:47:55 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1205]
>>12 氏
そういうことであれば、
戦争はしちゃいけない。
植民地にもなっちゃいけない。
すなわち、
「守りに徹し、攻撃には果敢に立ち向かい、徹底的に抗う」
という答えでよろしいですね。
氏はどうお考えですか?
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c13
15. 達人が世直し[1959] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月15日 14:03:00 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1206]
>>14 氏
氏も、自分の考えを述べることなく、質問攻めですね。
時には「反語形」を織り交ぜ、主張を忍ばせるが、自分の意見を明確に述べなければ、自分の意見の証明や説明の責任逃れが可能となる。
最後には、聞いているだけ・・・。
そこに逃げ込むのは、良くないね。
その上で、氏の「聞いているだけ」に答えるとすれば、こうかな。
氏の最初の「聞いているだけ」は、
>戦争をするより他国の植民地になれ、という主張に変えても同じなんでしょうか?
それに対しては答たよね。
そして「氏はどうお考えですか?」と質問をした。
それに対しての答えは無いまま、
>単純に、戦争をするより植民地になったほうが増しで良いのか、と聞いているのです。
と質問が変わる。「ここは反語を使ってるね。」
それに対しては答たよね。
次の氏の「聞いているだけ」の質問は、
>たとえばウクライナ、ウクライナはロシア軍に抵抗せすにロシアの属国なり植民地なりになった方がよかったのか?、ということです。
ここでも、問いかけの形になっているが、疑問形を装った「反語形」を忍ばせる。
それに対しては、答えたよね。
戦争はしちゃいけない。
植民地にもなっちゃいけない。
すなわち、
「守りに徹し、攻撃には果敢に立ち向かい、徹底的に抗う」
そして「再度聞きますが・・・」と、あたかも何度も同じ質問をしているかのように言いつつ、質問を変える。
>ウクライナは戦争をしてますが、これはいいんですか良くないんですか?。
この質問も今回は最初だよね。
しかし、私の答えは変わらない。
「戦争はしちゃいけない。」
やってもいい「戦争」なんてある筈がない。
「愚問」というものでないかい。
ここで少し、「侵略と防衛」についてのお勉強。
「侵略と防衛」
軍事学において戦争はその作戦戦略の差異を主体別に見て「侵略」と「防衛」の二つの作用が衝突して発生するものであると考えられる。
まず「侵略」には法的な定義も存在するが、軍事的な定義としては外敵または内敵によって軍事力が先制行使され、侵入、攻撃などの攻勢の「能動的な」作戦行動が実行されることである
一方で「防衛」は「侵略」に反応してこれを排除するために軍事力が使用され、防御や後退などの防勢の「受動的な」作戦行動が実行されることである。
武力を用いた「戦闘行動」が起きていることをさして「戦争」という言葉を使う場合には、その戦闘行動が「能動的なもの」なのか、「受動的なもの」なのかで、大きく意味が異なってくる。
すなわち一般的には、能動的であれば、「侵略」であり、受動的であれば「防衛」といえよう。
「侵略」は能動的であるがゆえに、避けることは出来るが、「防衛」は受動的であるがゆえに、避けることが出来ない。
あえて深堀りした答えを見出そうとするならば、質問を変えなければならないのだろう。
ウクライナは「侵略」行動をしてますが、これはいいんですか良くないんですか?。
ウクライナは「防衛」行動をしてますが、これはいいんですか良くないんですか?。
このどちらの質問になるのかで、答えは明らかになるだろう。
氏は、
>ウクライナは戦争をしてますが、これはいいんですか良くないんですか?。
と質問するにあたって、
ウクライナの軍事行動をどう「捉えて」いるのですか?。
「氏はどうお考えですか?」
24. 達人が世直し[1960] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月15日 20:29:26 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1207]
>>16 氏
いつものように「論点ずらし」だわ。
>いつでも、どこでも、この話題の行き着く先は“自衛戦争の否定、自衛権の放棄”です。
>9条平和は、被侵略国に無抵抗の服従、座して死を待つ覚悟を強要しているのか?
憲法9条は、簡単に言えば、侵略戦争はしない、武力で他国の領土、他国民を攻撃しない、武力を背景に「威嚇」することもしない。「永久に・・・」
つまり、他国に対して「軍事的脅威」にはならないと宣言したということだ。
「無抵抗の服従」、「座して死を待つ覚悟」といったような事項については一言も触れていない。
ましてや、「自衛権」そのものにも触れていない。
そのことは氏も、他の誰もが分かるはずだと思うのだが・・・。
>抵抗権、自衛権は否定しない、しかし、それにはいくつかの条件があるという条件平和論者がいたように思える。
そんな条件を付けるような平和論者がいるとは俄かに信じられないが、間違いだけは指摘しておかねばならない。
抵抗権、自衛権という言葉を使うということは、これらの言葉が「自然権思想」に由来していることは知っていそうだが、
「自然権」とは、人間が持って生まれた権利であって、奪うことは勿論出来ないし、同様に放棄することも出来ない、そういう権利を指して「自然権」と呼んでいることも、少しは知っているのではないか。
そして、その「自然権」とは、「生存権」であり、その「生存権」が侵されたときの「抵抗権」であること知ったうえで「抵抗権」、その言い換えである「自衛権」という言葉を使っていなければならない。
従って、もしも誰かが、
>抵抗権、自衛権は否定しない、しかし、それにはいくつかの条件がある、
と言ったとしたら、それは明らかに間違いと断言できよう。
それは、抵抗権、自衛権という言葉が、「自然権」を指しているなら、説明は無用。
「自然権」は無条件に存在するから「自然権」と呼ぶ。
それは、奪うことも、放棄することも出来ない。
それを奪うことは、「命を奪うこと」であり、それを放棄するということは「自死」を意味する。
ここまで説明すれば、
>アンクル・トムの小屋(Uncle Tom's Cabin)での「奴隷の幸福の意味」
も、それとの関係も良く分からないのだが、
>いつでも、どこでも、この話題の行き着く先は“自衛戦争の否定、自衛権の放棄”です。
も間違いであることが理解できるのではないか。
「自衛権を放棄した」と言う人がいれば、「大馬鹿」か、「大嘘つき」と思って間違いはない。
>条件次第では抵抗運動も自衛戦争もあるというのが、大勢なんだが、この“条件次第”というのが曲者で、条件は千差万別の泥仕合になっちまうんだよね。
このフレーズも曲者で、「論点ずらし」になっちまうんだよね。
このスレの論点は、日本を「戦争をする国」にするのか、「戦争をしない国」のまま後世に引き継ぐのか・・・だ。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c24
25. 達人が世直し[1961] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月15日 20:55:47 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1208]
>>18 氏
氏に同感です。
私も、ウクライナの軍事行動は、受動的で必要悪な「防衛」行動であると考えています。
「守りに徹し、攻撃には果敢に立ち向かい、徹底的に抗う」
今のところは、日本の「専守防衛」の考えに近い行動と思います。
彼らの行動が、元の国境線までロシア軍を押し戻したところで止まることを願っています。
防衛のために武力を行使する範囲は、領土、領空、領海内というのが、日本の「専守防衛」の考え方だ。
そのことを担保するために、日本国憲法は軍隊を持つことを禁じている。
しかし、今の政府、自民党は、日本の領土、領空、領海の外で、つまりは、他国の領土、領空、領海にミサイルを撃ち込むことを、本気で考えている。
しかもそれは、アメリカ軍を支援するために・・・。
昔の様に、「自衛の為」と言えば何でもありの日本がそこまで来ていると言える。
41. 達人が世直し[1962] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月16日 16:14:56 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1209]
>>28 氏
氏は少し前に、こう言った。
>>平和、平和と言っても、いささか広うござんす・・・
その時、私は次の様に応じた。
氏が言うように、「平和」という言葉は、どのような概念において使うかで、様々な意味を持つ。・・・と。
「戦争」という言葉も、同じことが言える。
戦争、戦争と言っても、いささか広うござんす・・・
氏は、自衛戦争を例に挙げたが、侵略戦争あり、防衛戦争あり、経済戦争、宇宙戦争、宗教戦争、受験戦争、その他、あり、ありだ。
「戦争」という言葉も、どのような概念において使うかで、様々な意味を持つ。・・・ということを示している。
日本国憲法で使われている「戦争」は、どのような概念で使われているかを明らかにしなければ、条文の規定していることを正しく理解することは叶わない。
憲法9条では、「国権の発動たる戦争」という表現になっている。
また、似たような言葉として、「・・・武力による威嚇又は武力の行使・・・」
も出てくる。
ここでは「戦争」を取り上げる。
「戦争」という概念は国際法上の概念と軍事上の概念では差異があるため、区別して用いなければならない。
軍事的な観点からは、「戦争」は軍事力の実質的な戦闘行動が実行されている状態を指す。
国際法においては、戦争の当事者は一般的に国家であると考えられており、伝統的な慣習国際法の観点からは「宣戦布告によって始まり、講和によって終結するもの」であると考えられる。
すなわち、国際法上は、そこに戦闘行動の有る無しに関らず、「宣戦布告」が発せられた状態を「戦争」状態とする。
氏の取り上げた「自衛戦争」は、軍事的観点から言うところの「軍事力の実質的な戦闘行動が実行されている状態」をその目的別に分類したものの一つと言えよう。
侵略戦争、防衛戦争、自衛戦争などなど、いずれもその目的別に分類したものだ。
憲法9条では、「国権の発動たる戦争」と明確に表現していることから、国家の宣戦布告に始まる「戦争」であり、国際法上の概念に立っていることがわかる。
氏と同様、人が「自衛戦争」と言うときの「戦争」は、「軍事上の概念」で言う、自衛のため(として)実行されている実質的な「戦闘行動」の状態をいう。
自衛を理由にする以上、その行動は受動的であり、国権の発動たる(能動的な)「宣戦布告」は無い。
すなわち、憲法9条が放棄している「戦争」は、、国権の発動たる「宣戦布告」により生起する国際法上の概念に立った「戦争」。
その戦争は、「能動的」に「宣戦布告」し実行する戦争であるがゆえに「侵略戦争」を意味する。
自衛のため(として)「受動的」に実行せざるを得ない「戦闘行動」とは、まったく異質なものと言える。
さらに確認してみよう。
憲法9条の「戦争」が、氏が言うように、軍事的概念でいうところの「軍事力の実質的な戦闘行動が実行されている状態」と仮定して、「戦争」の代わりに「戦闘行動」という言葉に置き換えてみる。
結果は、
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる「戦闘行動」と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
こうしてみると、「戦闘行動」と「武力の行使」、同義の言葉をいたずらに繰り返していることにならないか?
憲法としてはあり得ないだろう。
私の様に、ダラダラと長文を書きつらねる余裕は無く、一文字たりとも、無駄にはしていないはずだ。
そう考えれば、書き換える前の「国権の発動たる戦争」でいう「戦争」は、「武力の行使」と同義の「戦闘行動」を意味しているものではないと理解出来よう。
現在の日本国憲法が制定された経緯に目を向ければ、憲法9条を素直に理解できる。
すなわち、
先の大東亜戦争、第二次世界大戦で、日本の権力者、為政者が列強からの「解放」を名目にして、あるいは「自衛」を錦の御旗にして、日本国民を徴兵で強制的に狩立て、アジア近隣諸国を「侵略」し、他国民の「生命・財産・生活」を奪い、同時に、日本国民を無謀な「侵略戦争」の地獄の中で、日本人だけでも、軍人、民間人、合わせて300万人もの犠牲者を出してしまった。
そんな悲劇を二度と起こさない、起こさせない、との「誓い」が、9条には込められている。
そういう認識に立てば、9条の規定は、時の権力者が暴走することがあっても、先の大戦のような「侵略戦争」を禁じ、放棄することを、宣言したものだということがわかる。
時の権力者、為政者に「侵略戦争」を起こさせないためのものであると解釈するのが正しい。
憲法9条の1項の記述の主語が、主権者である「日本国民」であることが、そのことの決意を示している。
「日本国民は、・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
一方、憲法9条の2項の記述はどうか。
1項の「戦争放棄」の宣言の実行を担保するために、国家権力、為政者に対しての権限、政策を制限しているものと解釈するのが正しいのではないか。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
ここでは「前項の目的を達するため、・・・」の言葉が極めて重要な意味を持っている。
「前項の目的」とは何か?。
私は、「時の権力者、為政者に「侵略戦争」を起こさせない」ことだと考えている。
つまり、主権者たる国民が、過去に「侵略戦争」につながった、「軍隊」と「戦争の遂行能力に繋がる戦力」を「持たない」、と宣言し、そのことにより、為政者に対して、それらを持つという政策は「認めない」とした。
さらに、国家権力に、国際法上規定されている、他国に戦争を仕掛ける権限、戦争を遂行する、もろもろの権限を「認めない」し、
国民を戦争に狩立てる権限も「認めない」。
と、法体系の頂点にある憲法に明記したということではないか。
そして、日本国憲法には、軍法も無いし、軍法会議も禁じられている。
日本に軍制も存在しない。
憲法9条2項で明確に禁じているからに他ならない。
氏は、9条2項に記されている「交戦権」に自衛権が包括されてるのは当然じゃぁないのかなぁ?
と言う。(自信は無さそうだが・・・)
氏の言う「交戦権」は「戦闘を交える権利」程度の認識のようだが、これも、国際法上に照らしてみれば、意味は違っている。
氏の認識に立てば、1項で「戦闘行動」を放棄し、「武力の行使」も放棄し、さらに、2項で「戦闘を交える権利」を認めないとしていることになる。
そうだとしたら、あまりにも駄文過ぎるだろう。
9条2項は、ただ単に、1項を強調、補強し、解説的に書かれたものではない。
1項には1項の存在意味があり、2項は2項で、書かずにはいられない重要な規定だ、
2項の対象は、時の為政者、国家権力に対して、1項の宣言を守らせるために書かれた
もの、すなわち「国家権力を縛るため」に書かれていると考えるのが正しい。
権力者の権力を縛るという憲法の、真骨頂と言えよう。
長くなるが、もう少し書こう。
憲法が国民の自然権たる生存権、抵抗権(それを言い換えた自衛権)を放棄することなどあるだろうか。
しかも「永久に・・・」だ。
憲法前文には、
「・・・われらとわれらの子孫のために、・・・この憲法を確定する。・・・」
と記されている。
そもそも憲法とは何か?
自然権思想とは、人は生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」を有するとする考え方のこと。
社会契約とは、自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、自然権保護を国家に委ねる契約。
纏めると、
自然権思想、考え方に基づいて、自然権保護を国家に委ねる社会契約をし、その国家が、やってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)。それが、憲法。
すなわち、自然権を守るために作られた国家、ゆだねられた権力が、やるべきことは、自然権を守る事。
そのことを記した憲法が、「自然権を放棄する。」とは、自己矛盾でしかない。
憲法9条は、国家権力がやってはいけないことを書いている。
それは、「侵略戦争」であり、「自然権の放棄」ではない。
>つまり平和憲法第9条は自死した日本の遺言状です。
それでも、平和憲法第9条は永久に変えられない。
「・・・永久に・・・変わらない、変えられない・・・それが日本国憲法9条」。
そう認識しているから、自民党の改憲案でも、憲法9条1項と、2項には手を付けられない。(そもまま残すと・・・。)
>「戦争のなかには自衛戦争は含まれないし、交戦のなかには自衛戦は含まれない」とでも教えられたのだろうか(笑)?
氏は、先生の話をきちんと聞いていなかったな・・・。
テストの点数も恐らく落第点。
そして先生に叱られる・・・。
「こんな点数を取って、ヘラヘラするんじゃない!・・・この罵愚〜。」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c41
43. 達人が世直し[1963] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月16日 21:38:38 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1210]
>>31 氏
>その自衛隊が自民党憲法改正案のように自衛隊を9条に明記された場合にはどの様な違いが出るのか。
私がスレの本文で書いたように、
「政府が、主観的に「自衛の為の措置」と言えば、「憲法9条は無きに等しい」ものとなる。」
ということです。
例えば、「存立危機事態」を宣言して、集団的自衛権を口実に、アメリカと戦争中の国に対して、その国のミサイル基地にトマホークを撃ち込むと仮定する。
この場合日本はアメリカと抗戦中の国に向かって、黙ってトマホークを撃ち込むのだろうか。
そんなことをしたら、「何だお前は?」となるだけだろう。
憲法9条が無かったとしても、それは国際法に違反する。
従って、「宣戦布告」をした上で、トマホークを撃ち込むことになるのだろう。
しかし、憲法9条では、国権の発動たる、「宣戦布告」による戦争を禁じている。
ということは、「宣戦布告」が出来ない日本は、
「存立危機事態」を宣言して、集団的自衛権を口実に、アメリカと戦争中の国に対して、その国のミサイル基地にトマホークを撃ち込むことは出来ない。
政府、自民党が憲法9条を亡き者にしようと必死になる理由が、これ一つを取っても分かろうというものではないだろうか。
今のままでは、アメリカに約束したことが守れない・・・どうしよう・・・。と。
そこには、国民の安全を、生命を、守るという視点、意識は微塵も無い。
自衛隊が合憲なのか?については、長くなるので、今回は割愛させてもらって、結論だけを言えば、
「自衛隊」が合憲か違憲かの議論は、憲法に「自衛隊」についての規定がない以上意味が無い。
そうではなくて、「自衛隊の行動、振舞」が憲法に違反してはいないかという議論をすべきだというのが私の見解です。
例えば、
自衛隊が他国領土にトマホークを撃ち込む行動は憲法に違反する。
自衛隊が敵基地攻撃能力としてトマホークを保有することは憲法に違反する。
自衛隊が「存立危機事態」と宣言して、台湾の近海まで進出し、武力を行使することは憲法に違反する。
等々。
自衛隊の装備は、日本の主権の及ぶ範囲、すなわち日本の領土、領海、領空内でしか行使は出来ないからです。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230415-OYT1T50289/
今は4年に一度の統一地方選挙の真っただ中。
そんな中で起こった今回の事件。
被害者が出なかったことは不幸中の幸いと言えよう。
映像を見る限りでは、爆弾と思しきものが岸田首相の足元に投げ込まれており、日本以外で同様の事が起これば、岸田首相は言うまでもなく、周りにいた大勢の市民が被害にあったであろうことは容易に想像がつく。
単なる模倣犯か、愉快犯か、何か背景があるのか、今のところは明らかではないが、
いずれにしても、暴力に訴えても、何も解決しないことは、昨年の安倍首相の銃撃事件の結果と、その後の政治状況を見れば、明らかだろう。
犯人は、まだ「24歳」という若さだという。
彼をこのような行動に走らせるまでに、彼を追い詰めたものは「何か」
今の日本の状況が、若者や、女性、生活弱者にとっては生きづらいものであることは、事実であり、否定のしようがない。
そのことが、今回の事件の遠因になっていないか、冷静になって検証が必要だろう。
若者のエネルギーが鬱積し、マグマが噴出してくる前兆でないことを祈る。
暴力では、ヒーローは生まれない。
そんな中で、報道各社は、政治家、あるいは今回の選挙の立候補者の声を報道する仕事に忙しい。
選挙期間中であることも影響して、さぞかし、「不偏不党」の姿勢を疑われることが無いように、細心の注意と配慮を伺わせるような報道なのだろうと思いきや、
期待は見事に裏切られてしまった。
政権に阿る姿勢は、今に始まったことではないが、それにしても読売新聞の報道が酷すぎる。
まるで、「政権与党」と「ゆ党」の選挙応援の如し。
以下に記事を抜粋する形で、記事に取り上げられている政治家の発言を紹介する。
発言の内容はどうでもよく、取り上げられている政党に注目されたい。
以下の通り。
自民党岸田派で事務総長を務める根本匠衆院議員
「とにかく岸田さんが無事で良かった。最初に聞いた時は、安倍さんの時のことが頭をよぎった」
世耕弘成・自民参院幹事長
「総理ご本人はもちろん、一行や聴衆にけがはなかったということで 安堵あんど している」
自民の萩生田政調会長
「断固として抗議する」
日本維新の会の馬場代表
「民主主義に対する挑戦であり、怒りを覚える」
公明党の山口代表
「動機などを速やかに究明してもらいたい」
「選挙活動に 萎縮いしゅく 効果を与えないよう、警備・警戒態勢を再確認してもらいたい」
国民民主党の玉木代表
「短期間に要人が2度も襲われ、未然に防げなかった点について、警備のあり方の不断の検証、見直しが必要だ」
自民の森山裕選挙対策委員長
「事件に屈しない。遊説日程が変わるとおかしくなる」
再び、馬場氏
「有権者を遠ざけるわけにはいかない。警察、政党、候補者が協力しなければならない」
(政党はもっとあったと思うんだけどなぁ〜、と思っていたら)
立憲民主党の泉代表
立憲民主党の泉代表の街頭演説の際、県警が「のぼり」を持つ選挙スタッフに対し、泉氏の周囲から離れるよう指示。泉氏側が県警に要請し、通常通りの対応に戻る一幕があった。
(泉代表のコメントは、な・無い・・・みたい)。
読売新聞記事の抜粋はここまで。
どう思いますか?
私は「依怙贔屓」だと思います。
調べたら、「不偏不党」の対義語は「依怙贔屓」でした。
「だみだ、こりゃ」
ちなみに、最低でも「こうでなくちゃ」という報道の仕方の参考例を朝日新聞の記事から抜粋。
https://www.asahi.com/articles/ASR4J6W0TR4JOXIE02R.html
・・・厳重な警備態勢が敷かれた。聴衆から戸惑いの声も漏れる中、弁士は「ひるまない」と訴え、
・・・小田急経堂駅前で16日午後、政党代表による区議選候補の応援演説会があり、歩道が埋まるほど混雑した。
・・・党代表は「民主主義の根本を爆弾で妨害するような行いは断じて許されない。ひるむことなく堂々と訴えを続けたい」と演説した。
・・・別の政党代表が参加した街頭演説会があった東京都北区のJR王子駅前でも同日午後、100人近くの聴衆が集まって、ごった返した。
以上は朝日新聞の記事から抜粋。
報道内容は違うが、報道姿勢の差は歴然と現れているのではないか。
私のコメント?
「な・無い」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/160.html
52. 達人が世直し[1964] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月17日 18:08:27 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1211]
>>46 氏
氏は相変わらず「詭弁を頼り」な人だわ。
>あなたのご主張は「憲法9条なんていらない。なんとなれば、侵略戦争は国際法で禁じられているから」ということですね?
私の主張を「捻じ曲げて書き出し」・・・(藁人形論法という詭弁)
その上で、
>・・・と言うことですね?
と、ここは「反語」を使って、確認を装う。・・・(反語を使った詭弁)
「反語を使った詭弁」では、あくまで“疑問形”での問いかけなので、自分の意見の証明や説明の責任逃れが可能となる。
といったところに、身を隠す。
反論されても、確認しただけです・・・と。
そういった場合は、「どうしてそう思うのですか?」と聞いてあげるのが良いそうだが・・・
あるいは、「罵愚さんはどうお考えですか」と聞いてあげるのが良いらしい。
私は興味が無いから聞いてあげないが・・・。
>長々と曲がりくねっているが、
それは、氏の根性がねじ曲がっている証。
今からでも、根性を叩き直す努力をお勧めする。・・・だけど〜、もう手遅れかなぁ〜。
私が思うに、氏は、「憲法9条なんていらない。」人を探している口ですね。
私は「憲法を守れ」の達人なので、誤解を招くようなことを言って、変な「汚名」を着せないでもらいたい。
結論を言えば、・・・私のコメントには「「愚〜」の音も出ない」ということですね?。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c52
70. 達人が世直し[1965] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月18日 20:06:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1212]
>>55 氏
長いから理解できないというのは、理由にもならないし、勿論自慢にもならない。
敢えて言うなら、人目を憚らずにする、責任転嫁。
普通の理解力があれば、難なく読み進め、理解できる、極めて安易な文章にまとめてある。
「読書千遍その義自ずから見る(あらわる)」
この間、教えてあげたと思うが・・・。
従って、氏は反論が出来ないから、「理解できない」と逃げているに過ぎない。
しかも、レスの出来の悪さを取り繕ったつもりなのか、「適当にレスっていただけです。」・・だと。
反論できないのは恥ずかしいので、反論している風を装うためにしたレスかい?
本当にそうだとしたら、氏には、今後レスる資格はないね。
>しんそこ参りました。
素直でよろし。
ねじ曲がった根性を叩き直す一歩になること願います。
>それは、もしかしたら自民党政権の9条解釈と同じじゃぁないのかなぁ? と想像したまでのことです。
これも反語の・・・。
そして、根拠を説明できないので、反論されるのをを恐れて、
>と想像したまでのことです。
と、逃げ道を作ることを忘れない。
私が思うに、氏は、「憲法9条なんていらない。」人を探している口ですね。
どうしても、自民党「ヨイショ」グループの仲間に引き入れたいらしい。
氏が何かを想像することは、「内心の自由」として、日本国憲法でも認められている基本的人権と言われる権利だが、そのことを口にしたり、書き出したりする場合は、当然「責任」というものが伴ってくる。
すなわち、書き出した以上は、〇〇と想像したまでのことです。とはならないのです。
日本語は、正しく使いましょう。
余りにも低レベルで、議論にはならないので、誤りを指摘したまでのことです。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c70
80. 達人が世直し[1966] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月19日 17:19:20 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1213]
>>73 氏
>日本の自衛隊が「盾」でアメリカ軍が「鉾」の役割を果たす。
これは、間違いです。
そう思っているなら、それは「幻想」です。
もう一つは、「専守防衛」に「鉾(矛)」は無用です。
何故なら、「専守防衛」とは文字通り「守りに徹し、攻撃に抗う」と言うことだからです。
「矛」が入り込むのは、それこそ文字通り自己「矛盾」に陥るのです。
日米安保条約第5条には
「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処することを宣言する」
との規定が記されている。
つまり、日本は日本の憲法上の規定および手続きに従って、米国は米国の憲法上の規定および手続きに従って、共通の危険に対処しましょう、と言っているに過ぎない。
当然、「盾」、「矛」の役割分担など、どこを探しても書かれていない。
「義務」という言葉も、無い。
しかも、日本国の施政下にある領域における「在日米軍」が武力攻撃を受けた場合が含まれている。
日本は、アメリカの防衛義務はない。と言うのも、
日米安保条約が「日本国の施政下にある領域における」ということで、アメリカ本土への攻撃は対象ではないはない、と言っているだけのこと。
しかし、日本国の施政下にある領域に構える「在日米軍」が武力攻撃を受けた場合は含まれている。
いまのウクライナ戦争を見れば、相手国への経済制裁か、武器支援に留まるかもしれない。
しかも、日本は国連憲章上は、いまだ敵国条項の対象国だ。
米国議会が、反対すれば、日本は「守ってもらう」どころか、支援すら受けられない。そういう条約になっているということだ。
>日本の政府は「日本の防衛は打撃力をアメリカ軍に負っている」
これは、日本がそう想定しているというだけのこと。
つまり、日本の防衛施策を考えるときに、「こういう情況・条件だったらと、仮に考えてみること。」の中で言っている「仮定」「想定」の一つに過ぎない。
そう言うのは、これもまた、政府、自民党の次のような下手なプロパガンダと同じ・・・。
日本は「アメリカに守ってもらってる対価として」日米地位協定や思いやり予算などでアメリカに便宜をはかっている
日本人は、アメリカに原爆を2発も落とされた記憶はあっても、アメリカに守ってもらったことの事例はないし、当然そんな記憶は無い。
守ってもらっているとの実感も無い。
日米安保条約第6条にこう記されている。
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
在日米軍は、日本のために存在しているわけではなく、「極東」地域の安全保障にかかわっていることは知っていなければならない。
在日米軍の存在が「憲法9条に違反する」という証左でもあるだろう。
「・・・アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」
そのことが「片務的」なのであって、不平等条約の極みと言えよう。
日米地位協定や思いやり予算などは、他国では、その例を見ない。
そんな「ヘタレ」な不平等条約であることを国民に隠し、取り繕っているのが、
>日本の自衛隊が「盾」でアメリカ軍が「鉾」の役割を果たす。
>日本の政府は「日本の防衛は打撃力をアメリカ軍に負っている」
日本は「アメリカに守ってもらってる対価として」日米地位協定や思いやり予算などでアメリカに便宜をはかっている
などなど、というプロパガンダなのです。
>トランプ前アメリカ大統領は、日本のアメリカへの依存状態を、「アメリカは日本の為に血を流すが日本はアメリカの為に血を流さない」と単純明快に述べている
それは、日米安保条約が「日本国の施政下にある領域における・・・」ということで、アメリカ本土への攻撃は対象ではないはない、と言っているだけのこと。
しかし、在日米軍が存在することで、例えば「台湾有事」の際に沖縄から在日米軍が出動し、中国が自衛の為の「反撃」と称して、沖縄にミサイルを撃ち込む事態が発生すれば、それは、意味も無く「日本はアメリカの為に血を流す」ことになるのです。
それは、日本がアメリカのする戦争に巻き込まれることを意味している。
日本は「戦争をする国」ではないのです。
日本を「戦争をする国」にしてはいけないのです。
そのことは、私達の為であり、私達の子孫の為なのです。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c80
81. 達人が世直し[1967] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月19日 17:58:04 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1214]
>>72 氏
またまた。
氏ほどのお方が、御謙遜を。
>ただ単純に、あなたの長文を読み下せない。
いやいや、金輪際、「適当なレス」を返してはいけない。
普通の理解力があれば、難なく読み進め、理解できる、極めて安易な文章にまとめてあるので、諦めずに。
「読書百遍その義自ずから見る(あらわる)」
それでもだめなら
「読書千遍その義自ずから見る(あらわる)」
物事、諦めたらあかん。黒飴舐めてでも・・・
今の氏は、反論が出来ないから、「理解できない。」、「読み下せない。」と逃げているに過ぎない。
そのことを自覚する必要がある。
>おそらくそれは自民党政権の9条解釈とおなじ「侵略戦争は禁止するが自衛戦争は放棄しない」じゃぁないのかなぁ? と想像したまでのことです。
>YeasともNoとも答えずに、あなたが逃散するなら、それはそれで仕方がない、
氏はつくづく「詭弁を頼り」なお人だわ。
「反語の詭弁」を使う人の言いっぷりは、大概以下の様になると、相場が決まっている。
詭弁である以上、そのことは避けようがない。
「反語を使った詭弁」では、あくまで“疑問形”での問いかけなので、自分の意見の証明や説明の責任逃れが可能となる。
また、自分の主張を“暗示”することで「自分の意見こそが正しい」という主張をさりげなく押しつけたり、相手に「なぜそう思うのか」と質問することを封じ込めたりする効果がある。・・・らしい。
すなわち、問いかけなどではなく、「主張そのもの。」
そのことが、詭弁と言われる所以だ。
そんな詭弁を使う人たちは、「問いかけ」を装った上で、、「俺の質問に答えろ」と言っていればいいと思っている。
あからさまな、「自分の主張」に対する説明責任からの逃避。
仮にまともな答えが返ってきた場合は、「聞いてみただけ」といった風情でスルーする。
さらに、氏は、
氏が自分で「・・・ と想像したまでのことです。」ということについて、私にYesかNoを「答えろ」と言う。
それに答えないと、「逃散」したことになるんだと・・・。
上記で示した、相場通りだわ。
反語を使った詭弁を持ちだすと、結末は概ねそうなる。
この辺で少し、お勉強。
想像、想像と言っても、いささか広うござんす・・・
想像とは、実際に体験したり、見たりしていない事柄を思い描くこと。
「空想」も「夢想」も「妄想」も「幻想」も、すべて想像の一種。
氏の言う「想像したまで」とは、このうちのどれでしょうか?。
言わんとするところは「妄想」と言うことですね??
(そう反語で言われたときは、どうしてそう思うのですか?と聞いてあげるのがいい・・・と言ったら)
おそらく「妄想」じゃぁないのかなぁ? と想像したまでのことです。
さあ、俺の質問に答えろよ。
>YeasともNoとも答えずに、あなたが「逃散」するなら、それはそれで仕方がない、・・・
(Yここのeasは氏が間違ったんだよ。こういうのは責任転嫁じゃないからね。引用は正確に、だ。)
ちなみに、この場合「逃散」という単語を使うのは適切とは言えない。
「逃散」とは、文字通り「逃げ散る様子を表している。」
一人では、逃げ「散る」ことは叶わない。
日本語を適当に使うのは止めよう。
「適当なレス」を返すのも慎もう。
愚にもつかない「適当なレス」に付き合わされて、すっかり論点がズレてしまったわ。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c81
83. 達人が世直し[1968] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月19日 20:35:54 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1215]
>>82 氏
>>80 で書いたように、
「盾」、「矛」の役割分担など、どこを探しても書かれていないのです。
これからどんな有事が起こるかも分からない時に、「盾」、「矛」の役割分担をきめることなど、意味がないことは明らかです。
>日本の自衛隊が専守防衛の「盾」、アメリカ軍が攻撃を担う「矛」、これが歴代日本政府の公式見解で・・・
そのことについての私の認識は、>>80 で書いたように、
>これは、日本がそう想定しているというだけのこと。
つまり、日本の防衛施策を考えるときに、「こういう情況・条件だったらと、仮に考えてみること。」の中で言っている「仮定」「想定」の一つに過ぎない。
その仮定、想定が、あたかも確固たる決定事項のごとくに「公式見解」として発表することは、
>「ヘタレ」な不平等条約であることを国民に隠し、取り取り繕うがための、
「悪質なプロパガンダ」なのだと考えているのです。
日本は、「敵基地攻撃能力を保有する」ことも、「行使する」ことも、憲法で禁じられているというのが私の認識です。
トマホークを相手の領土に撃ち込み、そこに住む他国民、老若男女、子供、乳飲み子、を差別なく殺傷して、罪に問われない日本人はいません。
「トマホークの発射ボタンを押せる日本人がいない」ことがすべてを物語っていると思いませんか。
それは、日本の憲法下では、無差別殺人でしかないからです。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/131.html#c83
37. 達人が世直し[1969] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月20日 22:23:36 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1216]
「・・・政府、東電は18年まで、原発敷地内のタンクに貯蔵されている汚染水の中にはトリチウム以外にも規制基準以上の放射性物質が残っていたことを公表しなかったばかりか、処理水の定義を「トリチウム以外の核種について、環境放出の際の規制基準を満たす水」とコッソリ修正。」
日本人は、どうしてこんなのばかりなのだろうか
そして、ドイツの大臣の姿勢と言葉。
「レムケ環境・原子力安全相が「処理水の放出を歓迎することはできない」と断じていたのも当たり前だ。」
人としては、子孫のことまで考える立場にある人としては、こちらが世界標準なのだろう。
「処理水」を上の空で聞いていると、水道水よりも、処理された分だけ「美味しそうな水」に聞こえる。
井戸水は美味しいと言われるが、これは、放射能たっぷりの「汚染された井戸水」だ。
しかも、井戸から汲み上げた汚染水は、地中に沈んだ燃料デブリに触れ、放射能をたっぷり含んだ地下水のほんの一部でしかない。
汚染水の大半は、地下水のまま、地中を通して日本の国土に広まり、日本の周辺の海底から海に染み出ている、あるいは染み出てくる、と考えるべきではないか。
汚染水が湧き水として地表に現れたり、海底から染み出したりするまでには、数十年の時間を要すると考えるべきなのだろう。
従って、今は汚染の痕跡を確認することは出来ないが、数十年後に地表に現れたときには、既に手が付けられない事態に陥ってしまうのではないか。
土も、水も、そこに生きる動物も、植物も、そして空気さえも、放射能に汚染されてしまいはしないか。
このことは、素人の杞憂であってほしいが、「危機管理」の観点からは、想像力を働かせ、想定外とすることも出いない。
そんな危険な放射能汚染水が、燃料デブリの取り出しに失敗すれば、数百年どころか数万年の間、継続して発生し、地下水として動き回る。
想像しただけでも、身の毛がよだつ「怪談」よりも恐ろしい。
いや、おそらく想像しきれていないだろう。
「・・・当初の声明案では「IAEAの安全基準と国際法と整合し、科学的根拠に基づいた海洋放出への取り組みを含めた廃炉の着実な進展を歓迎する」との文言が盛り込まれる予定だったという。・・・」
何とも、能天気な日本政府よ。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/186.html#c37
https://mainichi.jp/articles/20230420/k00/00m/010/261000c
さすがの公明党でも、これは「あかん」ということだろう。
以下は記事の全文。
公明党の北側一雄副代表は20日の衆院憲法審査会で、自民党の4項目の憲法改正条文案(たたき台)のうち、自衛隊を明記する9条改正案に「賛成できない」と述べた。公明が自民の条文案に明確に反対したのは初めて。今後の憲法審での議論に影響を与えそうだ。
自民は9条1項(戦争放棄)、2項(戦力不保持)をそのまま残し、「9条の2」を新設して自衛隊を明記する条文案をまとめている。「9条の2」に、9条の規定に関して「必要な自衛の措置をとることを妨げず」と記述している。
北側氏はこれについて「(自民側は)『妨げず』はあくまでも(戦力不保持の)9条2項の範囲内にあると述べているが、『妨げず』を例外規定として使用する法律は数多くある。9条2項の例外規定と読まれる余地を残すことになり、賛成できない」と主張した。公明は自民の条文案では、自衛隊の活動が際限なく拡大しかねないと警戒している。【加藤明子、畠山嵩】
記事は以上。
内容は、「公明が自民の条文案に明確に反対したのは初めて。」という事実を記事にしたもの。
「社会の木鐸」として、国民に向けた記者の「警鐘」、「叫び」といったものは無い。
その意味で、何とも、もの足りなく、歯がゆい・・・。
「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」
これまでも、「下駄の雪」と揶揄されてきた公明党も、さすがに、自民党の暴走する姿に、危険な「きな臭い臭い」を嗅ぎ取ったのだろう。
その臭いとは、「戦火に包まれた日本」の姿に違いない。
「(自民側は)『妨げず』はあくまでも(戦力不保持の)9条2項の範囲内にあると述べているが、『妨げず』を例外規定として使用する法律は数多くある。9条2項の例外規定と読まれる余地を残すことになり、賛成できない」
とした、北側氏の主張はその通りだろう。(疑問と不満は残るが・・・)
普通に日本語を理解する力があれば、当然の理解の仕方だ。
ここで自民党の改憲案を確認しておかねばならない。
自民党が説明した条文案は記事では把握しきれないが、過去の資料では次のようなものだ。
自衛隊明記案は,憲法9条1項及び2項をそのまま残した上で,9条の2として,「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく,「そのための実力組織として」「自衛隊を保持する」という条文を加えて自衛隊を日本国憲法に明記するという案だ。
「(自民側は)『妨げず』はあくまでも(戦力不保持の)9条2項の範囲内にあると述べているが、・・・」
と言う、自民党の説明に説得力は無く、誰も納得はしないだろう。
「敵基地攻撃能力」を保有し、「相手が攻撃に着手した(と主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と国際社会に向かって公言しておきながら、今尚「専守防衛」の理念から逸脱するものではない、と強弁する姿勢と同じで、見苦しい。
北側氏の懸念、「9条2項の例外規定と読まれる余地を残すことになり・・・」と言うのも、自民党が言う「・・・9条2項の範囲内にあると述べている・・・」、そのことに引きずられていて、全体を見失っていると言えよう。
9条2項の範囲内どころか、「・・・9条の規定に関して「必要な自衛の措置をとることを妨げず」・・・」
とすることは、「自衛の為」と主観的に主張しさえすれば、9条の埒外に位置することになり、憲法9条は無いに等しいことになる。
そのことを理解することは、難しいことではない。
この自民党の「案」の肝は、
「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく,
という文言にある。
この「必要な自衛の措置」も、彼らの頭の中では、「主観的に判断した必要な自衛の措置」なのだろう。
自衛隊を明記するのは、あくまでも「口実」であり、注意をそらすための「撒き餌」に過ぎないと言えよう。
要するに、「自衛の為と言えば何でも許される、ジョーカー」を手にしたいというわけだ。
日本は、「憲法前文の理念」と「憲法9条」の規定により、国権の発動たる戦争は勿論、他国に対して「武力行使」も武力を背景とした「威嚇」も永久に放棄した。
そこから導き出されるのが「専守防衛」の理念だ。
他国領土、他国民に対して「武力攻撃」も「武力による威嚇」もしない、すなわち日本は他国に対する「軍事的脅威」にはならないと宣言した上で、
万が一に、我が国が、他国からの攻撃、侵略を受けた場合は、「専守防衛」を旨とし、文字通り「守りに徹し、攻撃に抗う」と宣言した。
そんな憲法9条に、
「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく,
との記述が追加されたら、どうなるのか。
結果は簡単に想像がつく。
政府が、主観的に「自衛の為の措置」と言えば、「憲法9条は無きに等しい」ものとなる。
自民党の自衛隊明記案は,
現在の「憲法9条」を骨抜きにし、「専守防衛の理念」を捨て去り、
その上で、現在の「憲法9条」に縛られない、「戦争をするための自衛隊」を創設するというに等しい。
まさに、「ナチスに学べ」を地でいっていると言えよう。
憲法前文には、
「・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、・・・」
と、先の戦争に対する反省とともに、日本を「戦争をしない国」にするとの決意が記されている。
そこに出てくる「戦争」とは、「我が国の自衛の為・・・」という口実を付けて、拡大してきた「侵略戦争」であることを忘れてはならない。
「そんな憲法」を持つ日本が、「自衛の為の措置」という言葉を付け加えることで、日本を再び「戦争をする国」にし、「専守防衛」の理念を放棄せんとする。
それはある意味「喜劇」であり、その結末は「悲劇」でしかない。
日本は、「敵基地攻撃能力を保有する」ことも、「行使する」ことも、憲法で禁じられている。
政府が、いくら、主観的に「自衛の為の措置」と言っても、
トマホークを相手の領土に撃ち込み、そこに住む他国民、老若男女、子供、乳飲み子、を差別なく殺傷して、罪に問われない日本人はいない。
「トマホークの発射ボタンを押せる日本人がいない」ことがすべてを物語っている。
それは、日本の憲法下では、無差別殺人でしかないからだ。
私達は、日本を「戦争をしない国」のまま、後世に引き継ぐ、重い責任を背負っている。
憲法前文にある、「・・・われらの子孫のために・・・」ということばの重みを噛みしめる必要があるのではないだろうか。
政府、自民党の、このような不埒な行いを放置し、傍観することは許されない。
、
仮にそのようなことがあれば、私達ばかりではなく、私達の子孫に、赤い色をした「ババ」を掴ませることになってしまうだろう。
「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」
公明党は、これまでもたびたび、当初は反対の姿勢を示し、平和の党を演出しながら、最後は「下駄の雪」となって、国民を裏切ってきた。
今度ばかりは、「下駄の雪」の汚名を返上してもらいたい・・・。
と言いつつ、期待しきれない気持ちは、どうすることも出来ないのだが。
それにしても、
「前条(9条)の規定は」「必要な自衛の措置をとることを妨げる」ものではなく・・・
これはないわ・・・。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/203.html
https://www.asahi.com/articles/ASR4S7DG7R4STZNB00M.html
朝日新聞が、23日の山口2区と4区の衆議院補選の出口調査結果を記事にしている。
私の興味は、出口調査という、投票所に足を運んだ人の政党支持率と当日の投票率の関係から、何が見えてくるのかということについて。
以下記事の抜粋。(私の興味の関連部分のみ。)
岸信夫前防衛相の辞職による衆院山口2区、安倍晋三元首相の死去に伴う山口4区のダブル補選は23日に投開票され、いずれも自民公認で公明推薦の新顔が勝利した。朝日新聞社が実施した出口調査から、それぞれの選挙で「世襲」、「安倍政治」への是非が投票先を決める大きな要因となった構図が浮かび上がった。
信夫氏の長男の岸信千世氏(31)が無所属元職の平岡秀夫氏(69)を破った2区補選。30地点で調査し、計1206人から有効回答を得た。
・・・ 支持政党は自民が54%、立憲民主が10%で、公明4%、日本維新の会3%、共産2%と続き、「支持政党なし」「わからない」と答えた無党派層は24%だった。自民支持層の77%が岸氏に投票した一方、平岡氏が県連の顧問を務める立憲支持層の97%、無党派層の75%が平岡氏に票を投じたと答えた。
4区補選は、安倍氏後継の吉田真次氏(38)が、「安倍政治の検証」を掲げた立憲新顔の有田芳生氏(71)らを破った。選挙区内の30地点で1256人から有効回答を得た。
安倍元首相の実績をめぐり、「大いに」と「ある程度」を合わせて「評価する」と答えた人のうち、72%が吉田氏に投票。「あまり」「全く」を合わせた「評価しない」と回答した人のうち、62%は有田氏に投票し、吉田氏に投票したのは27%だった。
・・・投票に際して、旧統一教会の問題を「考慮した」と答えた人は54%。そのうち、旧統一教会と政治家の関わりを批判した有田氏に投票したのは39%。吉田氏に投票した57%を下回った。
支持政党は自民が61%、立憲12%で、無党派層は16%。自民支持層の89%が吉田氏に、立憲支持層の95%が有田氏に投票した。無党派層の投票先は、45%が有田氏、39%が吉田氏と分かれた。
岸田政権については、2区は63%が「支持する」、32%が「支持しない」と答え、4区では「支持する」が66%、「支持しない」が29%だった。(大室一也)
記事の抜粋は以上。
ちなみに、この日の投票率を以下に示す。
山口2区 42.41%
山口4区 34.71%
まず、補選とはいえ、この投票率の低さに愕然としてしまう。
補選ばかりでなく、4年に一度の統一地方選挙全体を通しても、過去最低を記録し、やはり40%台でしかない。
どこを見ても、過去最低レベルの低さだ。
世界の先進国と言われる国々の中にあって、日本の投票率の低さは突出しており、先進国、民主主義国家を自称することが憚られるような、お寒い状況と言えよう。
日本はどうしてこうなるのか、一体どうなっているのか、このままでは、これからどうなってしまうのか。
そんな投票率の低さが問題にされ、民主主義の危機と言われて既に久しい。
残念ながら、改善の兆しは一向に見えない。
悪化の一途を辿っていると言った方がいい。
官民あげて改善の努力はなされているのだろうか。
と問えば、答えは「NO!」だろう。
何となれば、全体の投票率の低さは、そのまま政府、自民党に、ひいては財界に有利に働くことを知っているからに他ならない。
ここに最大の問題がある。
自民党としては、組織力と「ウヨ」に阿ることで得てきた「鉄板支持者」が、確実に投票所に足を運んでくれればそれで良しなのだ。
自民党にとっては、無党派層は「寝ていてもらって、大いに結構」な人達でしかない。
ここで、今回投票所に足を運んだ人の政党支持の傾向を見るのも、参考になるだろう。
記事によれば、
2区では、
「・・・支持政党は自民が54%、立憲民主が10%で、公明4%、日本維新の会3%、共産2%と続き、「支持政党なし」「わからない」と答えた無党派層は24%だった。・・・」
4区では、
「・・・支持政党は自民が61%、立憲12%で、無党派層は16%。自民支持層の89%が吉田氏に、立憲支持層の95%が有田氏に投票した。無党派層の投票先は、45%が有田氏、39%が吉田氏と分かれた。・・・」
となっていて、投票所に足を運んだ人の50%〜60%の人が自民党支持者だと見て取れる。
全国平均では、有権者の半数が無党派と言われていることを考えれば、無党派層の20%前後と言う数字も出口調査(投票所に足を運んだ人が母集団)なるが故の数字だろう。
それにしても、いくら安倍王国と言われた山口2区、4区とはいえ、自民党支持者の率の高さには正直驚かざるを得ない。
ここで、投票率の低さに戻って、考察を加えれば、自民党支持者の投票率に比べて、野党支持者、とりわけ、無党派層ながら、これまでは選挙では野党に投票してきた人たちを含め、無党派層の投票率は、際立って低くなっていると言えるのではないだろうか。
最近では30%台の投票率でも驚かなくなっているが、負のスパイラルに陥っているのではないかとさえ思う。
鉄板の野党支持者といえども、「諦め」の気持ちを抑えかねているのか。
政府、自民党は、「利権」で固まり、支持者もそれなりに「利権」のおこぼれにあずかり、またはあずかりたいと願う者達なのだろう。
「利権」で結ばれた絆は、その「利権」が目に見えている間は、親子の絆よりも固い。
一方「野党」といえば、「理念」を守ろうとするがゆえに分裂し、かたまることができない。
立憲民主党などは、同じ党内で、違う意見に寛容になるどころか、「理念」を押し付け合っている始末だ。
これでは、「野党共闘」など覚束ないだろう。
政権を取れなければ、どんな立派な政策も実現が不可能なことは、自明なのだから・・・、
もう少し、柔軟になれないものだろうか。・・・といつも思うのだが。
今、無党派層と言われる人たちは、日々の暮らしに精一杯で、政治に関心を持つ余裕など無い人のほうが多い。
学校教育のあり様も、政治に無関心な若者を大量生産してきた。
働く者は、正規社員と非正規社員に分断され、
働く者の砦となるべき大企業の労働組合も、「ストライキ」すら化石語になるほど、戦い方を忘れ、戦う気持ちすら持たない、「羊の群れ」化してしまっている。
そんな人たちに、「理念」を説いたところで、振り向いてくれる訳もない。
炊き出しに並び、子供食堂に通う人たちの話を聞いてみるといい。
「理念」で空腹は満たされない。
「利権」には「利権」で対抗する必要があるのだろう。
自民党の「利権」の源泉が「金持ち優遇」だとすれば、野党の掲げる「利権」は「貧しい者優遇」が対立軸となる筈だ。
れいわ新選組の掲げる「消費税廃止」も、「貧しい者優遇」につながる。
そもそも、野党、とりわけ現在は野党第一党の立憲民主党の支持者に「支持の理由」を聞いても、明確な答えが返ってこないのではないかと思う。
政党を支持するということは、その政党が政権を取った暁に作り上げる「日本の姿」を支持するということではないか。
その政党が目指すところの日本の姿を表現するものが「政権構想」だと言えよう。
今の野党に、「政権構想」といったものは無い。
例え、現状の支持率が5%でろうと、1%であろうと、単独では無理と言うなら「連立政権」の形であろうと、目指す日本の姿を有権者に訴える為には、「政権構想」というものが必要不可欠ではないのか、と思う。
政党支持率が1%だから「政権構想」なるものを発表したところで・・・と思う節もあるかもしれないが、有権者が、その「政権構想」を支持するかどうかで、政党支持率が決まるとすれば、、支持率は「政権構想」の後についてくるものだと言える。
今の野党に、「政権構想」といったものが無い。
従って、支持するかと聞かれても、「答えようがない。」・・・というのが答えではないのか。
そういう人たちを「無党派層」と呼ぶのは、政党政治家の「責任転嫁」と言うものではないだろうか。
今、有権者が知りたいと思っているのは、野党の「政権構想」という名の「将来の日本の姿」の設計図。
今、野党に求められているのは、その「政権構想」だ。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/250.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/246272
選挙が終わった途端に、きな臭い動きが、またぞろ始まった。
「今夏をめどに一定の結論」を出すらしいが、結論ありきの与党協議に何の意味があろうか。
しかも、非公開だそうだ。
狙いは明らか、「防衛産業の保護・育成」のため。
当然、そこには膨大な「利権」が隠されている。
以下に記事の抜粋を記す。
(長い記事なので、出来るだけ抜粋をと取り掛かったものの、あえなく失敗。長いのはご容赦願いたし。)
「自民、公明両党は25日、防衛装備品の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」の見直しに向けた与党協議を始めた。ウクライナ支援や中国による台湾侵攻を念頭に、殺傷能力のある武器の輸出解禁に踏み切るかが焦点で、自民は前向きだが、公明は慎重だ。解禁なら敵基地攻撃能力(反撃能力)保有に続く安保政策の大転換となる。市民団体は「憲法9条で国際紛争に加担しないようにしてきたのに、他国に武器を輸出して日本が『殺す側の国』に変わっていいのか」と警鐘を鳴らす。(川田篤志)」
◆戦車やミサイルの輸出を解禁するか
・・・会合では両党議員や政府関係者が三原則の歴史的経緯などについて意見交換した。主な論点は(1)非殺傷の装備品のうち輸出可能なものを「救難」「輸送」などの5類型から拡大するか(2)日本と武器を共同開発した国が第三国へ輸出する手続きを明確化して認めるか(3)戦車やミサイルなど殺傷能力のある武器の輸出を容認するか—の3点だ。
特に問題となるのは、現在は三原則の運用指針で原則認められていない殺傷能力のある武器の輸出解禁。日本は憲法の平和主義に基づき、1960〜70年代に「武器輸出三原則」を確立し、全面禁輸措置を採用してきた。第2次安倍政権は2014年、「防衛装備移転三原則」に変更して一部認めたが、政府・自民党内では殺傷能力のある武器を含め、規制緩和を求める声が強まっている。
ウクライナのような国への支援や国内の防衛産業の振興のため、岸田政権は昨年末に改定した国家安全保障戦略で、装備品輸出を友好国との防衛協力強化に向けた「重要な手段」と位置付け、三原則の見直しを「検討する」と明記。この方針を受け、与党は今回の協議に着手した。・・・
◆自民はなぜ武器を積極的に輸出したいのか
・・・自民党が前向きな殺傷能力のある武器の輸出解禁が最大の論点になる。敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有に続く「力には力」の論理がちらつき、慎重な公明党の対応がカギを握る。(市川千晴、佐藤裕介)
自民党の与党協議メンバーの一人は会合後、記者団に「公明党の皆さんに言いたいが、韓国ですら毎年2兆円も武器を輸出している」と強調した。
自民党が目指すのは、ウクライナへの支援拡大の必要性を名目に「救難、輸送、警戒、監視および掃海」の5分野に限定している類型の拡大と、ミサイルや戦車など殺傷能力のある武器の輸出解禁だ。
理由の一つに挙げるのが、国内の防衛産業の維持。販路がほぼ自衛隊に限られ、防衛分野から撤退した国内企業は2003年以降で100社以上とされ、自民若手は「海外輸出の本格解禁が不可欠だ」と訴える。
・・・自民中堅議員は「対中国を踏まえれば、ウクライナ以外の同志国にも、ちゃんと輸出できるようにしなければいけない」と指摘。東南アジアの民主主義国などへの提供を念頭に、輸出できる装備品の範囲を広げる必要性を唱える。
◆「平和の党」を自任する公明は
公明党は、三原則を見直すことに全面的には反対していない。非殺傷能力の分野で、地雷除去や教育訓練などに拡大することは容認できるとの立場。・・・
・・・問題は、殺傷能力のある武器の輸出解禁。一貫して慎重な姿勢を見せ、・・・「公明党の見方だが、短時間で結論を出すのはかなり困難だ」とけん制した。過去には反対していた集団的自衛権の行使を一転して認めたこともあり、自任する「平和の党」の真価が試される。
国会など公の場でなく、与党協議という非公開の形式で議論が進んでいくことの妥当性も問われる。決定した大枠が、そのまま政府方針になる可能性が高いからだ。
日本は憲法に基づく平和主義のもと、日本の武器によって「国際紛争を助長しない」との大方針を継承してきた。殺傷能力のある武器輸出を認めれば大転換で、日本の武器が海外で使われ、紛争を拡大・助長することにもなりかねない。
日本経済新聞社の2月の世論調査では、ウクライナに「武器を提供する必要はない」との回答が76%に上った。重大な政策決定には、国民への重い説明責任が伴うのは言うまでもない。
記事の抜粋はここまで。
記事でも指摘しているように、「防衛装備移転三原則」見直しの狙いは、武器の国産化を拡大するための「国内の防衛産業育成」にあるのだろう。
日本で防衛産業を成り立たせるためには、武器輸出の市場を開拓することが必須条件となる。
自衛隊向けのみでは、需要が小さ過ぎて、利益を追求する企業は成り立たないのは明らかだ。
市場競争に勝てない間は、政府が高額で買い上げ、「同志国」という訳の分からない言葉で表現するしかない他国に「支援」と称して「在庫処分・廃棄処分」する。
そこには莫大な利益を手にする「利権」が存在する。
この見直しでは、既に「殺傷能力のある武器の輸出を認めること」は既定路線だろう。
その意味では、出来レースと言えよう。
いつものように、「平和の党」を演じ、「今は反対の」公明党が、賛成するための「こじつけ」捜しの、サル芝居でしかない。
最初は小火器、銃弾から始め、国民の抵抗感が薄れたころに、ミサイルをも輸出することを狙う。
「銃弾」と「ミサイル」の間に線引きは出来ない。
いずれも「弾薬」と分類され、一括りにされるのは目に見えている。
ここでも、「小さく生んで、大きく育てる」の既視感のある手口が垣間見える。
平和憲法を戴く日本が、戦争を煽り、人々を殺傷することにしか使い道のないの「人殺しの道具」を輸出する。
私達は、「武器を輸出する」ということは、「戦争を輸出」することと同義であると考えるべきなのではないか。
余りにも、人を食った話ではないか。
余りにも、身勝手な振舞いではないか。
それだけでは飽き足らず、自らも、他国に「敵基地攻撃能力」というミサイルを撃ち込み、そこに暮らす人々を殺傷する「戦争をする国」にしようとする。
言っておくけど、日本の場合は恐ろしい・・・よ。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって、既に公言しているんだから。
凄い!だろ〜。
仮に、日本が先制攻撃をしたとしても、
「この間、言ってあっただろ〜。聞いてなかったのか?。」
「無償支援だから有難く受け取れ・・・や。」
「この支援で、侵略や圧政に苦しむ他国民を解放するのじゃ〜。」
「いやさ、すわ!日本の「存立危機事態」だ!。日本国民の生命、財産を守る、「自衛の為」じゃ〜わい。」
「おい、もっと無いのか?」
「それじゃ〜、防衛費拡大のための増税問題に、「問題のすり替え」をやりましょう。」
「それじゃ、それじゃ〜」
余りにも、人を食った話ではないか。
防衛費拡大のための増税を問題視している間に、
日本は、「台湾有事」の際、台湾近海に展開したアメリカ軍を支援するため、中国の領土の奥深くに、「敵基地攻撃能力」というミサイルを撃ち込むことが出来ると、言っちゃってるし・・・。総理大臣が・・・。
「怖ろしか〜」
少し・・・、ほんの少し前までは、自衛隊は、その武器使用を、日本の主権の及ぶ領土、領海、領空内でしか認められていなかった。
それが「専守防衛」の考え方とされてきた。
しかも、「人々を殺傷することにしか使い道の無いの「人殺しの道具」」である武器の使用条件も極めて「抑制的」なものとなっていた。・・・のではなかったか。
岸田総理大臣によって「閣議決定」される前までは・・・。
そもそも「閣議決定」とは何ものぞ。
翻って、「憲法」とは何ぞや。
中国政府も、既に「日本は「専守防衛」を捨て去った」と言っているところを、テレビでやっていたわ(NHKじゃないけど・・・)。
ここまでやっておきながら、未だに「専守防衛を堅持している」などと世迷言を言っているのは、我らが大将くらいのものでないかい?
「怖いわ〜。」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/256.html
9. 達人が世直し[1970] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月27日 20:00:49 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1217]
まさに、
「百日の説法屁一つ」
逆立ちしても、「うな丼」を食えない「わし」が僻んで言っている訳じゃないよ。
尊い先人の教えだ。
この場合の正しい行動は、「うな丼」は食わず、考え得る最も短時間の移動方法で和歌山に向かうべきだったな。
どんな組織でも、そのトップにいる者の心得は、
「身をもって範を示す。」
だ。
国民は、「うな丼」という言葉に、公安トップの「緊張感の無さ」「気のゆるみ」を感じ取り、すぐそこまで来ているG7の「外国要人の警護に大きな不安を感じている」ということではないのか。
上から下まで「規律が緩み切っているのではないのか?}というわけだ。
こんなトップは、即刻罷免し、公安全体に緊張感を取り戻すべきだ、と立憲民主党は主張しているんだろ。
全く「その通りだわ。」
「口は災いの元」
と言うが、
「食べ物の恨み」も怖いよ〜。
公安ばかりでなく、政府も、国会も、緊張感が無さすぎる。
「うな丼」、何時頃だっただろうか・・・・食べたの。
覚えている訳、ねえ〜。
何故?。
7. 達人が世直し[1971] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月27日 21:35:40 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1218]
憲法前文にはこう記されている。
「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
凄いことが書かれているではないか。
「われらはこれに反する一切の憲法、・・・を排除する。」
日本国憲法を変更しようとしても、あるいは、何かの条文を書き加えようとしても、憲法前文を含む現在の日本国憲法に反するものは「排除する」と、強い言葉で断言している。
その認識に立って、
自民党が2012年に党議決定した緊急事態条項を見てみよう。
小林先生の言によれば、「要するに次のものである」、とある。
「首相が緊急事態を宣言したら、首相は、本務の行政権に加えて、国会から立法権と財政処分権を奪い、地方自治体に対する命令権も持つ。さらに、私たち国民は公の命令に従う義務を負う」
つまりは、「現在の憲法を停止させる」ということでしかない。
これ以上、現在の憲法に反することは無いだろうという代物だ。
こんなことは、まさに、「朕は国家なり」を地でいく蛮行に違いない。
憲法前文にも記されている、
「・・・その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、・・・」
ここで言う「福利」の最たるものが、「生存権の保障」であり、「基本的人権の保障」ということだ。
そして日本国憲法の条文を追えば、
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
この中で、この憲法が保障する人権が「永久の権利」として、現在の国民のみならず、「将来の国民」にも保障される、と謳っているのは、「この憲法が保障する人権」を制約するような憲法改正は認めない、という意味だ。
日本の憲法下では、自民党の目論む「緊急事態条項」など、「排除の対象」の見本のようなものと言えよう。
私達が今の憲法で保障されている「人権」は、天地がひっくり返ろうが、日本が沈没しようが、勿論どのような緊急事態が起きようが、首相が緊急事態発生と声を極めて喚こうが、一瞬たりとも途絶えることなく保障される「永久の権利」だ。
くどいようだが、緊急事態を口実に制限できるものではない。
自民党の目論む「緊急事態条項」は、憲法で保障された「侵すことのできない永久の権利」を侵すことになる。
これぞ「排除の対象の見本」だ。
11. 達人が世直し[1972] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月28日 21:36:16 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1219]
>>10 氏
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが。
>この憲法前文が間違っている
ということなので、初めての体験ということもあり、ついつい興味をそそられてしまったわ。
>現在の日本国憲法に反するものへの憲法改正は、憲法違反だからしてはいけないと日本国憲法に書いてある、という意味ですか。
いつものことだけど、どうして一々書き換えるかなぁ〜。
憲法前文にはこう記されている。
「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
「これに反する一切の憲法・・・」のくだりで言う「これ」とは「人類普遍の原理」を指している。
「人類普遍の原理」とは何か。
「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、・・・その福利は国民がこれを享受する。」
ということを指している。
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
「・・・してはいけない」ではなく、「排除する」と書いている。
>この憲法前文は間違っていると言わざるを得ない。
間違っていると言うなら、どこが間違っていて、正しい前文は「こうだ」と、書き出す責任を負うことになる・・・けど。
大丈夫なのかなぁ〜。
>なぜなら、日本国憲法は正当な手続きをとれば、自由に憲法改正をすることは出来るはずだ。
氏の言う「正当な手続き」というのは、憲法96条の改正手続き
のことを言っているのだと推察するが。
憲法96条の規定は
1 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
と記されている。
すなわち、憲法改正にあたっては、「その手続き」を憲法に定めておくから、そのことに従いなさいといっているわけだ。
>自由に憲法改正をすることは出来る(はずだ。)
などという規定は、どこをどうひっくり返しても出てきやしない。
憲法の条文に出てくる「永久に・・」の言葉は飾りじゃない。
>日本国民が自由意思で新しい憲法を作ることを、今の憲法が禁止することは出来ないはずだ。
「新しい憲法を作る」ことに論点をずらしたな。
そもそも「憲法」は「新しい憲法」を作ることを想定していない。
氏は、・・・はずだ。・・・はずだ。を連呼するが、肝心の「・・・はずだ。」の根拠が全く示されていない。
さすがに、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない人だけはある。
しかし、
「・・・はずだ。」、「・・・はずだ。」を書き並べる暇があったら、
「われらは・・・排除する。」
の意味を理解する努力をすることをお勧めする。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/267.html#c11
13. 達人が世直し[1973] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月29日 11:35:25 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1220]
>>12 氏
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏に言うのも、虚しい気がするが。
>この憲法前文が間違っている
ということなので、初めての体験ということもあり、ついつい興味をそそられてしまった・・・けど、やっぱり無駄だったわ。
>この憲法前文は間違っていると言わざるを得ない。
間違っていると言うなら、どこが間違っていて、正しい前文は「こうだ」と、書き出す責任を負うことになる・・・けど。
大丈夫なのかなぁ〜。
と、心配してたんだけど、いつものように、「スルー」する手があったか〜。
そこは、初めての体験ではないけど〜ね。言い換えると、いつものこと。
>いつものことだけど、どうして書き換えて質問しちゃあいけないのかなあ。
>私は勝手に解釈しました。
その勝手な解釈によって、人の「論旨」を「捻じ曲げてしまっている」から、書き換えて質問しちゃあいけない。
そのくらいのことは、分かるだろ?
それは、「藁人形論法の基本手口」。
いつものことだけど、今回も、・・・
>「現在の日本国憲法に反するものへの憲法改正は、憲法違反だからしてはいけないと日本国憲法に書いてある・・・。」
>であると、私は勝手に解釈しました。もし、あなたの答えが正しいなら、
>現憲法は改正ではなく、廃棄して、新しい憲法を作ることになるでしょう。
と、勝手に解釈したことを
>もし、あなたの答えが正しいなら、
と、「私の見解」の様に書き出したうえで、
>現憲法は改正ではなく、廃棄して、新しい憲法を作ることになるでしょう。
と、あたかも私の見解の誤りを指摘しているかのように印象操作し、結論付ける。
「藁人形論法の詭弁」の見本のような流れじゃないか。
>日本国民が自由意思で新しい憲法を作ることを、今の憲法が禁止することは出来ないはずだ。
と「新しい憲法を作る」ことに論点をずらし、
しかも、何をもって「新しい」と言うのかも不明だから、手がかかる。
氏は、・・・はずだ。・・・はずだ。を連呼するが、肝心の「・・・はずだ。」の根拠が全く示されていない。
と指摘すると、
>現憲法は廃棄してはいけない、と現憲法には書いてないし、憲法の上位にある自然法にも、憲法を廃棄してはいけないとは書かれていないと私は考えるが、ご意見はどうでしょう。
ここまでくると、小学生を相手にしているような錯覚に襲われ、頭がクラクラしてくる。
さすがに、
>自分たちの憲法を自分たちで破って、何が悪い。
と言って憚らない氏の考えそうなことだ。
そのうち、憲法を破ってはいけない、と憲法には書いていないと私は考えるが、ご意見はどうでしょう・・・言いそうで怖いわ。
憲法前文の最後には、こう記されている。
「・・・日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
>明治憲法は「不磨の大典」と呼ばれたが、今の新憲法が出来た。あれは多分改正ではなく、破棄だと思うが、その辺の法的論理付けはどうなるんでしょうか。
そんなことを私に聞いてどうするの?
また、論点ずらしかい?
しかし、これだけは言っておこう。
大日本帝国憲法と違い、自然権思想が、近代立憲主義憲法の大前提となっている。
「もちろん」日本国憲法も、「自然権思想」を大前提に作られたものだ。
自然権とは、思想、考え方。
自然権思想とは、人は生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」を有するとする考え方のこと。
社会契約とは、自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、自然権保護を国家に委ねる契約。
纏めると、
自然権思想、考え方に基づいて、自然権保護を国家に委ねる社会契約をし、その国家が、やってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)。それが、憲法。
すなわち、戦後の日本は、「自然権思想、考え方に基づいて」、「ここに主権が国民に存することを宣言し」た、大日本帝国とは対極に位置づけられるような、根本思想が全く違う、その意味で「新しい国」であり、
主権者である国民が、
「・・・国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。・・・」
との考えに立って、主権者である国民が「この憲法を確定した。」ものだ。
そのうえで、
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
とし、大日本帝国憲法のように、人類普遍の原理に反するような「憲法」、それらに基づいて発せられていた「法令」及び「詔勅」を「排除した。」
「新しい国」の建設に障害となるものを、国民の生存権、基本的人権を脅かすもの、それらを「排除」したということだろう。
そして、今後も、「国民の生存権、基本的人権を脅かす」、そんなものは「排除する。」と。
「・・・排除する。」と書いてあるのに、どうして「・・・あれは多分改正ではなく、廃棄だと思うが・・・」と書き換えるかなぁ〜。
ここで言う、「排除する」とは、自然権である「国民の生存権」を守るため「抵抗権」を行使すると言っているんだよ。
論点を戻していこう。
その前に、
>この憲法前文が間違っている
どこが?と聞かれて、スルーはいかん。
「・・・はずだ、・・・はずだ」と言う以上、その根拠はあるはずだ。
それは何?と聞かれて、スルーはいかん。
そのスルーが、「無限ループ」に繋がる。
これもスルーされるかも・・・。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/267.html#c13
11. 達人が世直し[1974] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年4月30日 10:41:33 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1221]
「憲法は権力者を縛るもの」だ
このことを理解している人は意外にも「多くはない」。
学校教育の重要さを痛感させられるが、いまさら教育勅語を学校教育に復活させようと企む輩が少なからず存在しうる、そんな世相にあっては、教師個人の力をもってしては、いかんともしがたい面があることも、否定できない。
そもそも、国家の基本法、最高法規、とされる「憲法」とは何ぞや。
そもそも、「国家」とは何ぞや。
近代立憲主義憲法といわれるものは、そのほとんどが「自然権思想」が根底にある。
日本国憲法も例外ではない。
日本国憲法を正しく理解するためには、この事実を認識し、「自然権思想」というものを理解する必要がある。
「自然権思想」とは、人は生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」(生存権)を有する、とする考え方のこと。
そして、同時に「それ」が侵害されたときの、「抵抗権」も自然権としている。
この自然権思想から生まれる「国家」とは、
自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、一定の権力を信託し、自然権保護を委ねるものが必要であり、そのために人々が社会契約を結ぶことで作ったものが「国家」だ。
従って、国家とは一義的に「人々の自然権を守る」ことを目的としている。
国民は、国家に一定の権力を信託するにあたり、その国家が、「やってはいけないこと」(またはやるべきこと)について、国民が決まりを定めた(最高法規)。
それが、憲法。
「憲法は権力者を縛るもの」だ、と言われる所以だ。
そのことは、日本国憲法前文で次のように記されている。
「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。・・・」
ここで言う「福利」の最たるものが、「生存権の保障」であり、「基本的人権の保障」ということだ。
そして日本国憲法の条文を追えば、
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
この中で、この憲法が保障する人権が「永久の権利」として、現在の国民のみならず、「将来の国民」にも保障される、と言っているのは、「この憲法が保障する人権」を制約するような憲法改正は認めない、という意味だ。
「自然権思想」に則れば、当然の帰結と言えよう。
そして、憲法前文には、重要なことが記されている。
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
「これに反する一切の憲法・・・」のくだりで言う「これ」とは「人類普遍の原理」を指している。
「人類普遍の原理」とは何か。
「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、・・・その福利は国民がこれを享受する。」
ということを指している。
そして、続けて書いている。
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
主権者である国民が、日本国憲法を確定するにあたり、大日本帝国憲法のように、人類普遍の原理に反するような「憲法」、それらに基づいて発せられていた「法令」及び「詔勅」を「排除した。」
「新しい国」の建設に障害となるもの、「国民の生存権、基本的人権を脅かすもの」、それらを「排除」したということだろう。
そして、今後も、「国民の生存権、基本的人権を脅かす」、そんなものは「排除する。」と。
ここで言う、「排除する」とは、自然権である「国民の生存権」を守るため「抵抗権」を行使すると言っていることになる。
自民党が2012年に党議決定した緊急事態条項を見てみよう。
小林先生の言によれば、「要するに次のものである」、とある。
「首相が緊急事態を宣言したら、首相は、本務の行政権に加えて、国会から立法権と財政処分権を奪い、地方自治体に対する命令権も持つ。さらに、私たち国民は公の命令に従う義務を負う」
詳しくは書かないが、
自民党の目論む「緊急事態条項」は、憲法で保障された「侵すことのできない永久の権利」を侵すことになる。
これこそ、排除の対象でしかない。
憲法前文の理念に従えば、
「緊急事態条項」を強行しようとするならば、禍根を断つために、その政権、政党も排除の対象としなければならないのだろ。
そのことは、
国家権力が暴走し、国民の生存権を脅かす存在になったとすれば、国家への権力の信託を解消し、われわれ国民が生まれながらにして持つ自然権(生存権)を自ら守るために、国民誰にも備わっている「抵抗権」の行使なのだから。
「・・・われらとわれらの子孫のために・・・」
19. 達人が世直し[1975] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月01日 22:12:17 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1222]
「・・・安倍政権からその解釈を変え、米軍とともに自衛隊は海外で戦えることになったし、外国の基地などを先制攻撃できることにもなりかねない。・・・」
このような認識をしているようでは、「だんな」に叱られるんじゃないか?
政府、自民党が「米軍とともに自衛隊は海外で戦えることになった」と「思わしめている」だけでしかない。
これは、政府が作り出した造語の「「存立危機事態」においては、集団的自衛権を部分的に行使できる」としたもののことを指しているのだろうが・・・。
防衛白書の説明によれば、
「存立危機事態」とは、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
と書かれている。
そして、集団的自衛権の行使の根拠としている「日米安全保障条約」には、次のように書かれている。
第五条(共同防衛)
1 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
と。
としか書かれていないと言ったほうがいいか。
重要な点は、
日米安保条約は、「日本国の施政の下にある領域における」、共通の「危険」に対して対処するよう行動する・・・。
すなわち、「日本国の施政の下にある領域における」事象が発動の第一要件となっていることだ。
政府は、日本国の施政の下、すなわち我が国の領土、領海、領空、で他国からの武力攻撃を受けた場合は、「存立危機事態」とは別に、「武力攻撃事態」と定義している。
「存立危機事態」とは、「日本国の施政の下以外の領域」において、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」た場合を想定していることになる。
従って、「存立危機事態」を日本政府が主観的にを認定し、仮に日本が集団的自衛権の行使を正当化し、海外で武力行使を強行しようとしても、「日本の施政の下にある領域」の外の武力紛争に対して、集団的自衛権を主張し、権利行使を正当化できる条約は存在しないことになる。
改めて確認しておこう。
「日本の施政の下にある領域の外」で、どのような「存立危機事態」が生じようとも、日米安保条約を根拠とした集団的自衛権の行使は、その権利を持たないし、正当化も出来ない。
そもそも、日本の施政の下にある領域の外」で、自衛隊は、その武力を行使することは、憲法で禁じられている。
岸田首相はこうも言っている。
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
「とんでもないこと」をいうヤツがまた出てきた。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・とまで言ったかどうかは知らん。
そして今度は、日本の首相として、
台湾有事」の際に、台湾近海に出動した米軍が、中国の攻撃にさらされたときに、「存立危機事態」と認定すれば、日本の自衛隊が、突然、中国の奥深くにあるミサイル基地に向けて「トマホーク」を撃ち込むことは出来る。
と言ってしまう。
日本は「国権の発動たる戦争」は放棄しているから、「宣戦布告」は出来ない。
だとしたら、こういうのは「奇襲攻撃」と言うのか、「先制攻撃」と言うのか?
相手からは、「何するんじゃ〜、ボケ〜!。」
わしは、もう〜知らんがな。
日本には「軍隊」というものが無い。
従って、日本の主権の及ばない他国の領域に「トマホーク」を撃ち込み、軍人ばかりではなく、そこに暮らす一般市民を、老若男女、子供、乳飲み子を問わず、無差別に殺傷することを認められた人間は、日本にはいない。
日本を「戦争をする国」にしてはいけない。
憲法前文に、こう記されている。
「・・・われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・」
日本政府が、「敵基地攻撃能力の要」と位置付ける「トマホーク」は、「人殺しの道具」でしかない。
25. 達人が世直し[1976] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月03日 16:23:13 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1223]
小林先生曰く。
「・・・自民党は何を改憲したがっているのか? が私には本当に理解できない。」
と。
そんなことは無いはずだ。
私にでさえ、はっきり分かる。
自民党が日本をどんな国にしようとしているのかを。
自民党は、日本を「戦争をする国」に戻そうとしている。
しかし、自民党が何故日本を「戦争をする国」に戻そうとしているのか?、その理由は私にも本当に理解できない。
普通に考えれば、これはもう「狂気の沙汰」でしかないからだ。
人間は権力を握ると、自分を見失い、「万能の神」をも超える存在との妄想に包まれる動物なのか。
その権力は、主権者たる国民から、一時「信託」されているに過ぎないことを理解していない。
自民党は、日本を「戦争をする国」に戻そうとし、その障壁となっている日本国憲法を変えようとしている。
そのことは、自民党の改憲草案を見れば、一目瞭然だ。
日本国憲法前文には、戦争についての反省が記されている。
「・・・、、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」
自民党の憲法改正草案(平成24年)ではどうなっているか。
「・・・我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており・・・」
となる。
「戦争の反省をする」どころか、戦争の負の部分を隠し、戦争の荒廃から復活し、再び世界の大国となったと、自画自賛する始末だ。
まさに、テレビでやってた、「日本人凄い!」というやつだ。
「戦争を反省する」ということは、「戦争はやってはいけないこと」とすることと同義であり、日本を「戦争をする国」に戻そうと企む輩からすれば、反省することは、極めて都合が悪いことに違いない。
まるで、小学生並みの、分かり易い行動ではないか。
自民党の憲法改正草案の前文は、
「・・・日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、・・・和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。・・・」
と続く。
小林先生の言う、「自由主義国家群」とは、「自然権思想」が根底にある近代立憲主義憲法を持った国家群ということだろう。
そして日本も、「自然権思想」を是とし、日本国憲法を「自然権思想」に則り、国民が確定した。
小林先生曰く。
「その結果、日本は、今の自由で民主的で豊かな国に変わることができた。その入り口が日本国憲法である。」
とは、こういうことを言っていると、理解しなければならないのだろう。
この「自然権思想」から生まれる「国家」とは、
自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、一定の権力を信託し、自然権保護を委ねるものが必要であり、そのために人々が社会契約を結ぶことで作ったものが「国家」だ。
従って、国家とは一義的に「人々の自然権を守る」ことを目的としている。
自民党の憲法改正草案では、国家とは、国民から一定の権力を「信託」されたとの認識は無く、権力者を国民を統治する立場に置き、国民には自助と共助を押し付ける。
そして注目すべき憲法9条。
驚くことに、自民党の憲法改正草案には、「第2章 戦争の放棄」が無い。
何処を探しても出てこない。
良く見ると、「第2章 安全保障」 となっていた。
日本を「戦争をする国」にしようと目論む輩からしたら、「第2章 戦争の放棄」は、在ってはならない文言に違いない。
そして、1項の「・・・武力の行使・・・永久にこれを放棄する。」との規定も、自民党案では、「・・・武力の行使・・・(これを)用いない。」
「永久に・・・」の規定も、いとも簡単に無かったように抹消されてしまう。
「永久に:::」と言うことは、未来永劫変えるなということだろうが、日本語が通じないのか。
そして、極めつけは、
「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。」
と追加し、「自衛」を口実にすれば、現行9条を埒外に置き、結果として9条を「無きもの」にせんと狙う。
さらに続く、・・・もう呆れるしかないのだが、「軍隊」を持つと言う。
自民党の憲法改正草案には、
「・・・内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。・・・」
とある。
「国防軍」は「国際的に協調して行われる活動」を行う事ができると記載され、「集団的自衛権」を認める規定を潜り込ませ、
さらには、国防軍に「軍事審判所の設置」も明記され、軍人等の職務の遂行上の犯罪などが通常の裁判所ではなく軍事審判所で裁かれるようになる。
日本国憲法では、76条で、特別裁判所の設置を禁じている。
それは、全ての国民は、最高裁判所、そしてその下級裁判所に与えられた司法権の下で、法の下の平等を旨とした裁判以外で裁かれることは無い、ということだろう。
そこで適用されるのは、一般法以外は想定されていない。
裁判官も、検事も、弁護士も、ことごとく軍法を見たことすらないわけだから、当然と言えば当然と言えよう。
自民党の改憲案では、「軍事審判所」と目くらましの名称で、軍法会議を設置するものに他ならない。
そして、日本に軍制を制定し、軍法を規定し、「軍事審判所」という名の軍法会議を設け、戦時国際法の下で、「戦争」をすることを責務とした、「軍人」さんを大量生産する。
ウクライナ戦争の実態がすでに消耗戦の様相を呈して長いが、そのことは兵器のみならず人的損耗に対する補充が、勝敗を決することになる現実を目にし、日本を「戦争をする国」に戻そうと画策する輩にとっては、兵員補充のシステムの構築が喫緊の課題として持ち上がっているに違いない。
そして、自民党の改憲案9条の3には「国民と協力して」とあり改憲案前文と共に国民に「国防義務」を課している。
これは、「徴兵制」の入り口に過ぎない。
アメリカの情報公開により、戦争時に自衛隊が米軍の指揮下に入る事が日米合同委員会で合意されている事が判明しているが、 国防軍も同様の合意で実質的に米軍の下部組織となることは疑いようがないのだろう。
こうして自民党の改憲案を追っていくと、そのハードルの高さに、気が沈む思いになるのも理解できるというものだが、アメリカは待ってくれない。
「台湾有事」が目前に迫っていると囃し立てる。
そこで、「ナチスに倣え」となり、日本国憲法すべてを停止することが可能となるような「緊急事態条項」の追加が、俎上に上ってきたということではないのか。
国政選挙が出来ない事象が発生したとしても、国会議員の任期延長など、2院制にあっては、大した問題ではない。
そんな、些細な課題に目を奪われて、政府、自民党の本当の狙いを、国民の眼から隠すことに、協力すべきではない。
全ての行動は、
日本を「戦争をする国」に戻す。
そのことに繋がっている。
自民党が何故日本を「戦争をする国」に戻そうとしているのか?、その理由は私にも本当に理解できない。
ただ一つ、あるとすれば、
そのことは、全てが、「アメリカの都合によるものである」ということではないのか。
そうだとしたら、唯々諾々と従う日本政府、自民党は「売国奴」「国賊」でしかない。
日本国憲法前文には、
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
と記されている。
主権者である国民が、日本国憲法を確定するにあたり、大日本帝国憲法のように、人類普遍の原理に反するような「憲法」、それらに基づいて発せられていた「法令」及び「詔勅」を「排除した。」
「新しい国」の建設に障害となるもの、「国民の生存権、基本的人権を脅かすもの」、それらを「排除」したということだろう。
そして、今後も、「国民の生存権、基本的人権を脅かす」、そんなものは「排除する。」と。
ここで言う、「排除する」とは、自然権である「国民の生存権」を守るため「抵抗権」を行使すると言っていることになる。
詳しくは書かないが、
自民党の目論む「緊急事態条項」は、憲法で保障された「侵すことのできない永久の権利」を侵すことになる。
これこそ、排除の対象でしかない。
そのことは、
国家権力が暴走し、国民の生存権を脅かす存在になったとすれば、国家への権力の信託を解消し、われわれ国民が生まれながらにして持つ自然権(生存権)を自ら守るために、国民誰にも備わっている「抵抗権」の行使なのだから。
「・・・これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
「人類普遍の原理」・・・人類が存続している間、例外なくあてはまる原理であり、言い換えれば、永久に変わることはない原理ということになる。
その人類普遍の原理に反する、自民党憲法改正案、そして、自民党の目論む「緊急事態条項」は、日本国憲法に従って、「排除」しなければならない。
そのことを、見過ごしたり、傍観したりすることも、すなわち日本国憲法に違反する行為と言えよう。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/247802
日本国憲法は3日、施行から76年の憲法記念日を迎えた。
そして、76年間、日本は戦争をせず、戦争にも巻き込まれることも無く、家族が戦地で命を落とすという悲しみを体験せずに、今日を迎えることができた。
そのことは、偏に日本国憲法で、「戦争をしない国になる」ことを誓い、「他国に軍事的脅威を与えない」と誓ったことを、国民が誠実に守ってきたからに他ならない。
そして、そのことを国際社会が評価し、日本国民の姿勢を信じ、信頼してくれてきたからに他ならない。
日本国憲法前文に記されている。
「・・・われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。・・・」
しかし、日本を再び「戦争をする国」に戻そうと企む輩は後を絶たない。
そんな中、「戦争をしない国を作った憲法」を守ろうと訴える集会が各地で開かれ、大規模デモが実施された。
そのことを報じた東京新聞の記事を転載し、改めて日本国憲法を守っていく「不断の努力」の「大切さ」と、「重要さ」、そして「難しさ」を考える貴重な時間としたい。
以下は記事の抜粋をと思ったが、日本国憲法の精神に則り、公正を期すために、全文転載とした。
日本国憲法は3日、施行から76年の憲法記念日を迎えた。岸田政権が敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有など安全保障政策を大きく転換する中、各地で集会が開かれ、護憲派は「憲法を無視している」と平和主義の形骸化を批判。対する岸田文雄首相(自民党総裁)は改憲派へのビデオメッセージで「憲法改正に向けた機運をこれまで以上に高めることが重要だ」と強調した。(加藤益丈、佐藤裕介)
護憲派は東京都江東区の有明防災公園で大規模集会を開催し、2万5000人(主催者発表)が参加した。
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」共同代表の高田健さんは「岸田政権は専守防衛を放棄し、敵基地攻撃能力保有など戦争準備をしている。任期中に改憲すると言っているが、絶対に止めないといけない」とアピール。室蘭工業大の清末愛砂教授(憲法学)は、敵基地攻撃能力を盛り込んだ安保関連3文書について「憲法を無視し、解釈改憲で大軍拡の道を開いた。『新たな戦前』を避けるため、つながりの輪を広げよう」と呼びかけた。
一方、首相は東京都内で開かれた改憲派の集会に寄せたメッセージで、自民党が掲げる@自衛隊の明記A緊急事態条項B教育の充実C参院「合区」解消―の改憲4項目に触れて「いずれも極めて現代的な早期の実現が求められる課題」と訴えた。
自衛隊の明記に関しては「力による一方的な現状変更の試みの深刻化や、北朝鮮の度重なる弾道ミサイルの発射など、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する中で、自衛隊を憲法にしっかりと位置付けることは極めて重要なことだ」と主張した。
以上が東京新聞の記事。
ここでは、日本を再び「戦争をする国」に戻そうと企む輩の主張が、「大義」も無く、子供騙しの「欺瞞に満ちたもの」であることを暴いていく方が、問題の本質を把握する上では手っ取り早いと考える。
すべての動きが、「日本を戦争をする国」に変えようとすることが、真の目的だということだ。
「日本を戦争をする国」にすることに「大義」などある筈もない。
「戦争させない・9条壊すな!」の叫びにこそ、大義がある。
首相は改憲派の集会に寄せたメッセージで、自民党が掲げる改憲4項目に触れたとある。
首相によれば、「現代的な・・・課題」なのだとか。
心ばかりか、言葉まで乱れまくっているわ。
@自衛隊の明記
普通に憲法を理解していれば、自衛隊を憲法に明記する必要性は、「全く無い」ことは明らかだ。
明記する理由が「自衛隊が憲法違反との誹りを解消するため」と子供みたいな理屈を述べていることからも、無理筋の言い分であることが分かろうというものだ。
現行憲法に記されている組織は、三権を担う、「国会」と、「内閣」と「裁判所」、そして、「会計検査院」だけだ。
憲法に、「自衛隊」が明記されるということは自衛隊が、国会、内閣、裁判所、会計検査院と同格の位置づけとされる危険があることも心しておくべきことだろう。
自衛隊の明記、これは今のところは、憲法9条に次の一文を追加するための、口実でしかない。
「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。」
たった、二十数文字の、この文言を追加することにより、「自衛」を口実にすれば、現行9条を埒外に置き、結果として9条を「無きもの」にせんと狙う。
そして、自民党の改憲案には、国防軍の創設と、軍制、軍法、軍法会議の施行、国民への国防の義務付け等が準備されていることも忘れてはならない。
日本を再び「戦争をする国」に戻そうと目論む輩の、本当の狙いを見誤ってはいけない。
A緊急事態条項
この「緊急事態条項の危険性」は、阿修羅のこの板でも多くの人が、様々な視点から指摘されてきた。
印象的なのは、危険性を指摘する数々の投稿に対して、「緊急事態条項の必要性」を主張する投稿は目にすることが無い。
見落としているのか、皆無なのか・・・。
このことは、「緊急事態条項の必要性」を理路整然と国民に訴えかけることが出来ないということの証左だろう。
自民党のパシリに対してすら、マニュアルが配布できていない・・・?
小林先生の言によれば、「要するに次のものである」、とある。
「首相が緊急事態を宣言したら、首相は、本務の行政権に加えて、国会から立法権と財政処分権を奪い、地方自治体に対する命令権も持つ。さらに、私たち国民は公の命令に従う義務を負う」
つまりは、「現在の憲法を停止させる」ということでしかない。
これ以上、現在の憲法に反することは無いだろうという代物だ。
憲法前文にも記されている、
「・・・その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、・・・」
ここで言う「福利」の最たるものが、「生存権の保障」であり、「基本的人権の保障」ということだ。
そして日本国憲法の条文を追えば、
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
この中で、この憲法が保障する人権が「永久の権利」として、現在の国民のみならず、「将来の国民」にも保障される、と記しているのは、「この憲法が保障する人権」を制約するような憲法改正は認めない、という意味だ。
日本の憲法下では、自民党の目論む「緊急事態条項」など、「排除の対象」の見本のようなものと言えよう。
繰り返すが、自民党の目論む「緊急事態条項」は、憲法で保障された「侵すことのできない永久の権利」を侵すことになる。
国政選挙が出来ない事象が発生したとしても、国会議員の任期延長など、2院制にあっては、大した問題ではない。
そんな、些細な課題に目を奪われて、政府、自民党の本当の狙いを、国民の眼から隠すことに、協力すべきではない。
B教育の充実
C参院「合区」解消
こんなものは、「枯れ木も山の賑わい」のごとし。
あるいは、「木を隠すなら森の中」、邪まな本音を隠すための付け足し。
慌ててやるようなことか?
山本太郎「れいわ新選組」代表の談話ではないが、
<今ある憲法を守れ 話はそれからだ>
日本国憲法前文には、
「・・・われらはこれ(人類普遍の原理)に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
と記されている。
そのことは、
国家権力が暴走し、国民の生存権を脅かす存在になったとすれば、国家への権力の信託を解消し、われわれ国民が生まれながらにして持つ自然権(生存権)を自ら守るために、国民誰にも備わっている「抵抗権」を行使したし、これからも行使するという宣言だろう。
その人類普遍の原理に反する、自民党憲法改正案、そして、自民党の目論む「緊急事態条項」は、日本国憲法に従って、「排除」しなければならない。
そのことを、見過ごしたり、傍観したりすることも、すなわち日本国憲法に違反する行為と言えよう。
私達には、日本を「戦争をしない国」のまま、私達の子孫に引き継いでいく、重たい責任がある。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/331.html
24. 達人が世直し[1977] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月06日 14:43:54 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1224]
「岸田内閣は軍拡・原発・増税を熱烈推進する。」
この言葉は事実を指摘している。
従って、これを否定は出来ない。
そのことに対峙すべき、今はまだ野党第一党の立憲民主党の不甲斐なさに憤慨しているのは、植草氏のみに非ず。
「岸田内閣は軍拡・原発・増税を熱烈推進する。」
そのことに対峙するとはどういうことか。
すなわち、
軍拡に反対し、のみならず、日本を「戦争をする国」にしようと企てる改憲を阻止する。
原発の廃止を訴える。寿命を越えた原発の即時廃炉を訴える。
消費税の廃止を訴え、次に富裕層の増税によって、適正な富の再配分を訴え、格差是正を実現する。
と言うことではないのか。
本来であれば、対立軸がこれほど明確に存在している状況は、政権奪取の千載一遇の機会と言えよう。
有権者から見た、立憲民主党の現在の態度、姿勢はどうか?。
敵基地攻撃用のミサイルは駄目だけど、対艦のスタンドオフミサイルくらいならいいよ、・・・みたいだし。
原発廃止も、電力組合と、連合の顔色をうかがうばかりで、言ったり、引っ込めたり、・・・みたいだし。
消費税の廃止は訴えたことも無い。言っても、精々期間限定の減税くらいで、それも今では封印している、・・・みたいだし。
それでいて、格差是正の政策を持っている節も無い・・・みたいだし。
今の立憲民主党の姿に、「国民のために闘う」という闘志も姿勢も見出すのは難しい。
今の立憲民主党の姿を見るにつけ、「何をしようとしているのか」分からない。
知事選で自民党と相乗りなど、有権者からすれば、軍門に降る姿にしか見えていない。
対立軸を示し、有権者に選択肢を示す、そんな気概を求めているのに・・・だ。
転んでも、ただでは起きないといった、貪欲さにも欠ける。
言い換えれば、「政権を奪取する」意思も、必要な気概も感じられない。
そのことが、有権者には「頼れない政党」にうつり、支持率低迷という結果に表れているのだろうと感じる。
今の立憲民主党に必要なのは、「ゆるぎない方針」と、結束して「闘う姿」、溢れんばかりの「闘志」ではないか。
現状、党勢で維新に迫られていることは、「敵を作って、やってる振り」の手法に後れを取っているだけ。
中身は無いから、維新は、いずれ馬脚を現し、頓挫する。
「悪名は無名に勝る」という現象にすぎない。
恐れる必要はない。
立憲民主党は、日本を「戦争をする国」にしようとする敵を倒す、その闘志と、姿勢を有権者に示し、その旗の下に、国民を糾合することを、国民は固唾を飲んで見守っていると思うのだが・・・。
国民に向かって、「われわれ立憲民主党と一緒に、闘おう」と言うべきだろ。
オリジナル民主党の実現した政権交代の実績に習う事は多々あるだろうし、立憲民主党の旗が立てられた時の有権者の高揚感と支持は、単なる「判官贔屓」とは思えない。
国民の心を掴めていない、その原因を理解し、次の行動につなげることが求められているのではなかろうか。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/248394?rct=politics
東京新聞の記事だが、内容は「共同通信社が実施した、安全保障に関する全国郵送世論調査の結果をまとめたもの。」
全国郵送世論調査というところが、RDD方式の電話調査と違って、落ち着いて回答することが出来そうで、結果に興味が惹かれる。
とは言うものの、これも、主に政治に関心を持つ人らが寄せた回答と考えれば、調査票の発送はランダムだったとしても、回答を寄せた人達の母集団は、政治に無関心な層、関心があっても、そこに時間を割く余裕のない層、の割合は少ないと考えて、結果を見るのが良いのだろう。
そんな意識を持って、以下、記事を掲載する。
共同通信社は6日、安全保障に関する全国郵送世論調査の結果をまとめた。岸田文雄首相が表明した防衛力強化のための増税方針について「支持する」は19%で「支持しない」が80%を占めた。2023年度から5年間の防衛費を従来の1・5倍超の43兆円に増やす方針は「適切ではない」が58%。中国が台湾に軍事行動を起こし有事となる可能性を「大いに懸念する」「ある程度懸念する」が計89%に上った。
他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有は賛成が61%で、反対は36%。これらの結果からは、安保環境の厳しさから一定の防衛力強化はやむを得ないが、大幅な防衛費増額や増税までは望まないとの心理がうかがえる。防衛力を巡る首相の説明は「十分ではない」が88%に達した。
増税を支持しない人に理由を聞くと「今以上の税負担に国民が耐えられない」が48%で最多。東日本大震災復興財源の一部を防衛費に転用する方針は反対が73%だった。
調査は3〜4月、全国の18歳以上の男女3千人を対象に実施した。
記事は以上。
記事のタイトルにもあるように、「防衛増税80%支持せず」。
このことは、多くの国民にとっての喫緊の課題は、この物価高騰の嵐の中、今日、明日をどう生きるかという問題であることが容易に伺える。
私も御多分に漏れず、少ない収入の中で、出費をどう抑えていくかが最重要課題となっている。
この投稿も、不要な外出は控えながらも、空腹を抱えながらなので、キーボードをたたく力も、いつもより弱く、遅い。
私のこの問題は、ウクライナ戦争の勃発で急に起こったことではなく、「アベノミクス」とやらに現を抜かし、黒田バズーカーなどと囃し立て、経済弱者に視線を合わせた、まともな経済政策を実施してこなかった、その膿がジワジワと、そしてここにきて一気に噴き出してきたということに他ならない。
そして、総理大臣が変わろうと、日銀総裁が変わろうと、これまでの「愚策」を反省するどころか、これからも続けるという。
総理大臣も、日銀総裁も、庶民の暮らしの実情を理解できていない。
得ている報酬があまりに高額であるが故に、庶民の苦境を理解することは、もはや不可能なのだろうか。
それとも、新しい政策を実施して失敗の責任を自ら被ることを恐れ、前任者に責任を押し付けたまま、悪戯に時を過ごし、任期を終える、そんな保身の気持ちを持つが故か・・・。
いずれにしても、庶民の実感は、
「今以上の税負担に国民が耐えられない」
というものに違いない。
ましてや、「人殺しの道具」を買い揃えるための増税など、もっての外ではないか。
一方で、
「中国が台湾に軍事行動を起こし有事となる可能性を「大いに懸念する」「ある程度懸念する」が計89%に上った。」
とあるが、
9割の日本人が「懸念」する理由は、おそらく漠然としたものか、または政府のプロパガンダの影響を受けた誤ったものだろう。
日本人が「台湾有事」を懸念しなければならない本当の理由は、「アメリカに引き摺られ、日本がアメリカの戦争に加担させられる。」ということだろう。
そして、その準備は着々と進められていると言えよう。
そもそも、日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
なので、「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・とまで言ったかどうかは知らん。
そして、その評判の悪さに、慌てて「反撃能力」と言い換えたことは、皆さん既に御承知のことだろう。
そんな衝撃的な言葉に、個人的には狼狽を隠せないでいたら、今度は、岸田首相がこう言い出した。
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
「とんでもないこと」をいうヤツがまた出てきた。
そして今度は、日本の首相として発言だから、「日本政府としての公式見解」として受け止められるのだろう。
自分の言っていることが理解できているのか。「とんでもないことを言うヤツだ。」
「台湾有事」の際に、台湾近海に出動した米軍が、中国の攻撃にさらされたときに、「存立危機事態」と認定すれば、日本の自衛隊が、突然、中国の奥深くにあるミサイル基地に向けて「トマホーク」を撃ち込むことは出来る。
と言ってしまう。
日本は「国権の発動たる戦争」は放棄しているから、「宣戦布告」は出来ない。
だとしたら、こういうのは「奇襲攻撃」と言うのか、「先制攻撃」と言うのか?
集団的自衛権を口実にしようにも、日米安保条約は「日本の施政の下における」危険が発動の第一要件になっていることから、「存立危機事態」での発動は出来ない。
にも拘らず・・・。
自分の言っていることが理解できているのか。「とんでもないことを言うヤツだ。」
相手からは、「何するんじゃ〜、ボケ〜!。」
そして、ドラマ風に洒落を聞かせて「反撃能力の行使!、10倍返しじゃ〜!。」と言いつつ、100倍のミサイルの返礼を浴びせる。
標的は、在日米軍基地のみならず、日本全国の自衛隊基地、そして、60数基ある原発・・・。
「あんた方」も、そうしたらいいよ・・・とまで言うかどうかは知らん。
当然、周辺住民の被害は免れない
記事にあるような、
「他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有は賛成が61%で、反対は36%。」
という数字は、
防衛力を巡る首相の説明は「十分ではない」が88%に達した、そのことが、理由の説明になるだろう。
そして、多くのメディアも、「台湾有事」が日本の有事となる「本当の危険」を報じることは無いことも理由の一つに挙げられるのではないか。
先に書いた、コントのような例を引くまでもなく、「台湾有事」が、そのまま「日本が戦争に巻き込まれ」、日本の国土にミサイルが雨あられと降り注ぐ「有事」を懸念しなければならない。
日本政府、自民党は、「台湾有事」を止めようと行動するどころか、自らの欲望で、「台湾有事」を日本を「戦争をする国」に変えるための絶好の機会と捉えて行動しているからだ。
これから起きるかもしれない「台湾有事」はあくまでも、中国の内政問題だ。
そのことに目を奪われている間に、足元で「日本の有事」が着実に進行していることを「大いに懸念」し、阻止しなければならない。
私達には、日本を「戦争をしない国」のまま、私達の子孫に引き継いでいく、重たい責任がある。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/349.html
6. 達人が世直し[1978] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月07日 18:00:02 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1225]
>>2 氏
>>一方で、「中国が台湾に軍事行動を起こし有事となる可能性を「大いに懸念する」「ある程度懸念する」が計89%に上った。」とあるが、9割の日本人が「懸念」する理由は、おそらく漠然としたものか、または政府のプロパガンダの影響を受けた誤ったものだろう。
この文は、東京新聞の記事ではなく、スレ主、すなわち私の見解を述べたものです。
東京新聞の名誉のために一筆追加。
ちなみに、私はどこの「プロパガンダ機関でもない」
文章は正しく理解してからカキコする心構えが必要だな。 笑
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230508-OYT1T50246/
立憲民主党の中堅、若手衆院議員は8日、次期衆院選で「200人以上」の小選挙区候補擁立を求める緊急提言を公表した。
というニュース記事。
対する執行部には、追い詰められて後が無い、との危機感、切迫感がない。
以下は取り敢えず、記事の全文転載。
立憲民主党内で、次期衆院選での候補者擁立に消極的な執行部に不満がくすぶっている。日本維新の会が積極擁立で議席を拡大し、野党第1党を目指すと公言していることが背景にある。
立民の中堅、若手衆院議員は8日、次期衆院選で「200人以上」の小選挙区候補擁立を求める緊急提言を公表した。党所属衆院議員97人中32人が名を連ね、記者会見を行った中谷一馬政調副会長は「(他党との)競合も辞さず、戦う覚悟を示すべきだ」と訴えた。
立民執行部は次期衆院選の目標として、「150小選挙区で与党と互角の戦いに持ち込む」と掲げていた。他党と選挙区ですみ分け協力を行う余地を残す狙いがあったが、連携を模索した維新は「全選挙区に立てる。その勢いがないと、野党第1党は夢のまた夢だ」(馬場代表)として、すみ分けを否定し、全面対決の構えを見せている。
野党第1党はかねて、政権交代の姿勢を示すために小選挙区で衆院総定数(465)の過半数擁立を目指してきており、枝野幸男・前代表も「総定数の半分以上の小選挙区候補者を立てるのが執行部の最低限の責任だ」と苦言を呈していた。
8日、若手らから緊急提言を受け取った泉代表は、「第1弾として掲げたのが150(小選挙区で与党と互角の戦いに持ち込むこと)だった。200(小選挙区)擁立に向け、まず頑張りたい」と、記者団に語った。
記事は以上。
泉代表は、第一弾として掲げた小選挙区150候補擁立だったと・・・。
そして、若手議員からの突き上げで、ようやく200(小選挙区)擁立に向け、「まず」頑張りたいと、記者団に語ったそうだ。
「まず・・・」だと。
「まず」とは、
ほかのより先。最初。
ほかは差し置くとして、とにかく。
という意味がある。
「まず」を使うなら、
「まずは、第一弾として掲げた小選挙区150候補擁立だったと・・・。」
とあるべきだ。
「まず頑張りたい」と言うと、「とにかく頑張りたい」と言っているだけで、見通しも何もないことが言葉に表れてしまっている。
野党第一党の代表としての言葉としては、落第点だ。
頑張るのは当然であり、目標ではない。
野党第一党としての矜持は、常に「政権交代」を目指し、いつでも受け皿になるという、心構えが備わっていることだろう。
従って、どのような選挙にあっても、常に、「政権交代」を目指し、政権党との対立軸を示し、有権者に「選択肢」を提供することが、野党第一党の「有権者に対しての責務」ではないのか。
有権者は、政権を取らなければ、どのような立派な政策も実現できないことを知っている。
選挙を戦う前から、立憲民主党が政権を取れないことが明確であるような「戦い方」を有権者に示したとしたら、有権者は立憲民主党の提案する、「マニュフェスト」も「公約」も、単なる「絵空事」として、興味を示すことが無くなるのは道理ではないのか。
本気で政権を取りに行く姿勢が見られない、そのことは、当然、政党支持率に跳ね返ってくる。
今はまだ野党第一党である以上は、289ある小選挙区すべてに候補者を擁立する姿勢で臨むのは当然のことではないか。
一つでも欠ければ、その選挙区の有権者へ示すべき「選択肢」を示さないという、無責任の誹りは免れない。
その上で、単独では無理だというなら、他党と「連立政権構想」を話し合い、当初から「連立政権構想」を旗印に闘うことが必要なのではないか。
小選挙区150候補擁立などで「第一弾」などと満足していてどうする。
小選挙区200候補擁立などで「まず頑張りたい」などと満足していてどうする。
目指すは、擁立候補者数などではなく「過半数の議席」獲得ではないか。
そのことは、野党第一党の責務だ。
そのために必要であれば、野党を糾合する責任が、今はまだ野党第一党の立憲民主党にある。
政権党は「利権」で固まり、野党は「理念」で分裂する。
何時まで、同じ「愚」を繰り返せば気が付くのか。
「理念」の大切さを否定するつもりは毛頭ないが、有権者は、「理念」では「今の空腹は満たされない」ことを知っている。
「理念」の優劣を競うのは、政権を取ってからでも遅くは無い。
その時こそ、「理念論争」に有権者は真摯に耳を傾けるだろう。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/369.html
3. 達人が世直し[1979] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月10日 17:31:43 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1226]
>“ヘタレなんで、世直しなんかできないモンモン”
から入るところが、いかにも氏らしい。
「敵意剥き出し」ほど、醜い姿を晒すことになることを知らない、ようだ。
お返しとしては、
“糞タレなんで、人間になんてなれないモンモン”、といったところか。
過去にポコられたことを、いつまでも根に持って、ただただ罵るだけのレスで私にイチャモンをつけるが、
なにが問題なのかを、具体的になにも説明できない。
これほど内容のない駄文レスもめずらしいが、
ここまでくると、これ以上は無い「クズ」といっても過言ではないだろう。
と、似たようなことを言っていた人もいるが・・・。
最初から最後まで、「藁人形論法という詭弁」なのだが、それがまた・・・下手くそ。
>野党を支持する風を装いながら、読売の記事に絶賛、賛同している
私の引用した読売新聞の記事は、
「・・・立民の中堅、若手衆院議員は8日、次期衆院選で「200人以上」の小選挙区候補擁立を求める緊急提言を公表した。・・・」
という、単なる報道記事。
絶賛するような、感動的な記者の言葉も無い。
賛同するような、記者の提言も無い。
この記事のどこを絶賛し、どこに賛同しているというのか。
具体的になにも説明がない。
そんな事実も無いから何も説明が出来ない。
絶賛も、賛同も無いわけだから、
>野党を支持する風を装いながら・・・
のフレーズも「嘘」と分かる。
ということは、ただただ「誹謗中傷」するための前振り、全く根拠も無いし、事実でもない、「架空」「妄想」で、私を貶め、
>れいわカルトのババカルト信者
に仕立て上げる。
そのうえで、
>れいわカルトの勢力を拡大するための布教にあるのだろう。
>この手のアホが、社会を歪め、生きづらい世の中をつくる元凶である。
と、いつの間にか、私は「れいわ」の宣教師にされ、私が世の悪の「元凶」にされてしまう。
これこそ「藁人形論法の詭弁」というものだが、普通はもう少し、詭弁とは気づかれないように、うまくやる。
氏にはそれすらままならない。
何か足りないのではないだろうか。
少し前までは、れいわ新選組を持ち上げ、「大石ちゃ〜ん❤」と連呼していた、氏の書き込みを、「きも〜い」と、呆れながら見ていた私にすれば、
>れいわカルトのバカルト信者である、このアホ・・・
と書き込む、心理を理解することはできない。
とはいえ、氏の正体が、よく分かる「罵詈雑言と誹謗中傷しかない、小汚いだけの書き込みだ」。
6. 達人が世直し[1980] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月10日 22:50:13 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1227]
抑止が機能するためには、抑止する側に、軍事的対応を実行する意図と能力があり、かつ、それが相手に正しく認識されることが必要であるとされる。
安全保障の分野では「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」の2種類に分けて議論される。
「拒否的抑止」は相手の攻撃を物理的に阻止する十分な能力を持ち、目的を達成できないと思わせて攻撃を断念させる。ミサイル防衛システムなどがこれにあたる。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、反撃を受けるコストが大きいと思わせて断念させる。
「敵基地攻撃能力の保有」とか、「核共有」などということが、抑止力という方便の下で語られるとき、そこで言う抑止力とは、先の分類に従うと、「懲罰的抑止」に違いない。
懲罰的抑止を成立させるためには、@相手に対する(堪え難い)報復能力の保持、A相手に対する報復意思の明示、B相手が@Aを理解すること、という3条件を満たすことが必要となる。
ここで、日本国憲法の9条を思い起こしてみよう。
「第9条 」
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
改めて言うこともないが、日本は、戦争を放棄すると同時に、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と誓った。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、そのための報復能力を保持し、相手に対する報復意思の明示することで、武力の行使を表明するものでしかない。
明らかに、、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という憲法9条に違反するものでしかない。
高野氏の言っていることは、こういうことだ。
それに対して、
・・・聞き返しても答えはない。
・・・畳み掛けても、答えはない。
その後どうなったのか、興味が湧くが、記事を読み直しても答えはない。
一方で、岸田首相がこう言い出した。
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
日本の首相として発言だから、「日本政府としての公式見解」として受け止められるのだろう。
つまりは、
「台湾有事」の際に、台湾近海に出動した米軍が、中国の攻撃にさらされたときに、「存立危機事態」と認定すれば、日本の自衛隊が、突然、中国の奥深くにあるミサイル基地に向けて「トマホーク」を撃ち込むことは出来る。
と言ったことになる。
「日本は戦争を放棄している」ことを忘れているがごとし。
そして、中国政府は、「日本は「専守防衛」を捨てた」と公式の場で言い始めた。
憲法審査会は、「おサルさんの集まり」か?
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/376.html#c6
27. 達人が世直し[1981] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月14日 16:35:11 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1228]
「・・・ところが、海外メディアに痛いところを突かれたからか、外務省が「見出しと中身が異なっている」と抗議すると、タイトルが<平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている>に差し替えられてしまったのだ。・・・」
しかし、外務省が抗議をしても、変えられなかった部分もある。
そこは、客観的真実であるからに違いない。
真実を曲げてまで報道をしない、タイム誌のジャーナリズムとしての「矜持」なのだろう。
強かと言えば、これほどの強かさは日本の報道機関にあるだろうか。
「平和主義だった日本・・・」
「平和主義だった・・・」
国際社会の認識では、日本の「平和主義」は過去のものとなっているのだろう。
今の日本の問題の本質はここにある。
76年間、日本は戦争をせず、戦争にも巻き込まれることも無く、家族が戦地で命を落とすという悲しみを体験せずに、今日を迎えることができた。
そのことは、偏に日本国憲法で、「戦争をしない国になる」ことを誓い、「他国に軍事的脅威を与えない」と誓ったことを、国民が誠実に守ってきたからに他ならない。
そして、そのことを国際社会が評価し、日本国民の姿勢を信じ、信頼してくれてきたからに他ならない。
しかし、
日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
その評判の悪さに、慌てて「反撃能力」と言い換えたことは、皆さん既に御承知のことだろう。
そして今度は、岸田首相がこう言い出した。
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
日本の首相として発言だから、「日本政府としての公式見解」として受け止められてしまうのだろう。
「台湾有事」の際に、台湾近海に出動した米軍が、中国の攻撃にさらされたときに、「存立危機事態」と認定すれば、日本の自衛隊が、突然、中国の奥深くにあるミサイル基地に向けて「トマホーク」を撃ち込むことは出来る。
と言ってしまう。
日本は「国権の発動たる戦争」は放棄しているから、「宣戦布告」は出来ない。
だとしたら、こういうのは「奇襲攻撃」と言うのか、「先制攻撃」と言うのか?
集団的自衛権を口実にしようにも、日米安保条約は「日本の施政の下における」危険が発動の第一要件になっていることから、「存立危機事態」での発動は出来ない。
そう言う岸田首相は、未だに、日本は「専守防衛」の考えを変えていないという。
中国政府は「日本は「専守防衛」を捨てた。」と公式の場で発言するようになった。
そして国際社会は、「平和主義だった日本・・・」と語る。
日本は、日本国憲法で、「戦争をしない国になる」ことを誓い、「他国に軍事的脅威を与えない」と誓ったことを、国民が誠実に守ってきた。
そのことを国際社会が評価し、日本国民の姿勢を信じ、信頼してくれてきた・・・はずだった。
その信頼も今は「過去」のもの。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
この言葉が、これまでの日本人の努力を台無しにしてしまった。
一度失ってしまった「信頼」を取り戻すには、これからどれほどの歳月と、どれほどの努力が必要になるのだろうか。
私には、想像もつかない。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230514-OYT1T50093/
「沖縄の離島村長は力なく笑い「まず無理でしょう」・・・」
一体何があったのか。
読売新聞の記事から拾う。
「夜は使えない空港、悪天候や海況の考慮なし
台湾有事となれば影響を受ける沖縄県・先島諸島の住民避難を巡り、より避難に時間のかかる小規模離島の自治体から国や県の想定の甘さを懸念する声が上がっている。空港・港湾施設が 脆弱ぜいじゃく な上、悪天候や海況の影響を受けやすいことが考慮されていないためだ。本土復帰から半世紀を経て「国境離島」が直面する新たな課題。専門家は「島民に避難を 躊躇ちゅうちょ させない方策が必要だ」と指摘する。(遠藤信葉)・・・
・・・台湾有事の懸念が高まる中、政府と県が国民保護法に基づき、住民避難を想定して初めて実施した図上訓練。・・・多良間村の 伊良皆光夫村長は、その想定に疑問を禁じ得なかった。・・・
・・・訓練で示されたのは、1日で全村民を宮古島に避難させ、その後、九州へと渡る計画。・・・「あまりに表面的。まず無理でしょう」。4月に取材に応じた伊良皆村長は力なく笑った。・・・
「実情が考慮されていない現実離れした訓練としか思えなかった」
・・・伊良皆村長は訓練後、自民党国防部会にオンラインで参加し、避難先や食料の確保などに対する不安を訴えた。「有事はいつあるか分からない。国と県は避難計画とともに避難先の整備も急いでほしい」と話す。・・・
・・・図上訓練でアドバイザーを務めた国士舘大の中林 啓修准教授(危機管理学)は、国民保護法が成立した2004年以降、武力攻撃を想定した検討ができていなかったと指摘し、「大きな一歩を踏み出せた」と訓練実施に一定の評価をする。・・・
・・・「国境離島で暮らす住民の命や生活を守る計画を早期に策定することが、国を守ることにもつながる」と指摘した。
記事の抜粋は以上。
この記事を読んでいて、原発周辺の自治体が実施する原発事故時の避難訓練を思い出した。
現実には出来もしない「避難」を、ただ「やってる振り」のために訓練する。
そして、訓練すればするほど、「避難」など、とても無理であることが実感され、実証される。
そのあたりのことが、全く一緒だ。
「「まず無理でしょう」・・・」と言う、地元村長の言葉は重い。
そして、「力なく笑う姿」は、痛々しい。
そのことが、今の多くの日本国民の姿と「ダブル」ところがなんとも「悲しく」思える。
「無力感」と言おうか、「諦め」と言おうか。
「台湾有事」による、日本の「存立危機事態」、「武力攻撃事態」も、「原発事故」も、人間の力では発生を避けることが出来ない「自然災害」とはわけが違う。
避難出来ないのだから、「避難しなくてもいい状況」を作ればいいではないか。
日本は「平和主義」を貫き、「専守防衛」に徹し、「台湾有事」に際して、アメリカに引き摺られて「戦争をする」国にならなければいい。
「原発」も持たなければ、事故を想定して30万人もの避難訓練など不要になるだろう。
これらは、人間のすることだから、人間が止めることが出来る。
日本は、70年余りを「戦争をしない国」であり続けてきた。
原発事故を起こしてもいないドイツが、ついに原発を停止し、全ての原発廃炉を決定した。
やれば出来ることをやらずに、やれもしないことを「訓練」する「愚」に気が付けないのだろうか。
住民の命や生活を守るのは、出来もしない「机上の避難計画」などではなく、戦後日本が守ってきた「平和主義」を貫き通すことではないのか、と思うのだが・・・。
今の自公政権では・・・「「まず無理でしょう」・・・」
と、力なく笑っている暇は、私達には無い。
私達は、日本を「戦争をしない国」のまま、私達の子孫に残し、引き継いでいく、重い責任がある。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/422.html
https://www.asahi.com/articles/ASR5J6G4JR5JUTFK010.html
立憲民主党も「やっと我に返ったか」と思いきや、「まだまだだなぁ〜」という、少し「嬉しい」、しかし、大分(だいぶ)「がっかり」なニュース。
以下記事の抜粋。(有料記事なので途中まで)
立憲民主党は16日、後半国会最大の対決法案と位置づける防衛費の財源確保法案について「安定財源を確保できない」として、鈴木俊一財務相の不信任決議案を提出した。この日の法案採決は見送りとなった。日本維新の会との「共闘」を終えることに伴い、政権を厳しく追及する路線を明確にした。(笹川翔平、筒井竜平、松山尚幹)
「身の丈を超える防衛費のため、困った人に渡さなければならないお金をかき集めることは容認できない。廃案とすべきで、あらゆる手段で採決を延ばす」
立憲の安住淳国会対策委員長は16日朝、不信任決議案を提出した理由を記者団に語った。・・・この日予定していた財確法案の採決は先送りとなった。
先週10日には塚田一郎・財務金融委員長(自民党)に対して解任決議案を提出。この際も法案の採決日程を先延ばしにしており、政権に厳しく対応する姿勢を繰り返す。・・・・
記事の抜粋は以上。
ほんの少し前までは、「提案型」と言っていたことを思えば、「政権を厳しく追及する路線を明確にした。」ということは、大いに結構なことに違いない。
「君子豹変、小人革面」
さて、今回の変化は、どちらだろうか。
結構なことではあるのだが、また裏切られるのではないかと「疑心暗鬼を生ず」の心境だ。
少し「嬉しい」とは、私のそのような気持ちの表現。
一方、
大分(だいぶ)「がっかり」とは次のような立憲民主党の姿勢に変化が無いことを感じた、私のそのような気持ちの表現。
立憲民主党は、「敵基地攻撃能力の保有」は憲法違反としているが、長射程のスタンドオフミサイルの保有は、「それくらいは、いいんじゃね」という態度だ。
しかし、スタンドオフミサイルも、その標的を他国の領土奥深くに有る「敵基地」に定め、そこを攻撃することになれば、トマホークよりも高性能な「敵基地攻撃能力」となる。
立憲民主党は、その「自己矛盾」に気が付いていない筈は無いから、気が付かない振りをしているということだろう。
はっきり言って、「卑怯」との誹りは免れない。
そんな姿勢だから、憲法違反を見逃し、論点が「防衛力の強化」に矮小化され、
「今般のウクライナ戦争の例を鑑みると、防衛力の強化は「仕方無いんじゃね。」
となって、
課題が、防衛費増大に対応するための「財源問題」にすり替えられてしまっている。
(いまここ)
国民から見れば、立憲民主党が、易々と政府、自民党の術中に嵌ってしまっているという所が、情けない。
立憲民主党には、長射程のスタンドオフミサイルの保有は、「それくらいは、いいんじゃね」という態度を反省し、決別すべきことが求められているのではないか。
そこが改められなければ、「政権を厳しく追及する路線」に変わったといわれても、俄かには信じられないのも、道理ではないかと思うのだが・・・。
立憲民主党は、「敵基地攻撃能力の保有」は憲法違反としている訳だから、そのことを強行しようとしている「岸田内閣」は明らかに不信任の対象でしかないだろう。
正々堂々と、憲法違反の政策を理路整然と暴き、「内閣不信任」を突き付ける
事が求められる。
そして、そのことが、数の力で否決されたとしても、引き続き、国民に「憲法違反」の事実を訴え、「国民運動」を巻き起こして、闘い続けるべきなのではないのか。
次の総選挙で、政権交代を目指し、政権交代が叶わないとしても、政府、自民党に「敵基地攻撃能力の保有」を断念させるくらいの大きなダメージを与えなければならないのだろう。
その為の「国民運動」を「燎原の火」のごとく、全国津々浦々に広げていくことができれば、「150議席獲得」の目標数字は「小さい、小さい」となるだろう。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/441.html
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230517-OYT1T50226/
立憲民主党泉代表の、政治に対する認識には基本的な誤りがあるのではないか。
そういう疑念を抱かせる、彼の行動の一風景としてのニュース。
共産党が駄目なら維新、維新が駄目なら国民民主党。
全く節操がないというか、定見が無いというか。
泉代表が「連携」を呼びかけ、「一緒に闘おう」と呼びかけるべき相手は、日本国民であり、有権者ではないか。
ここにきて、共に自民党に媚びを売り、すり寄って恥じない、「連合」と「国民民主党」に秋波を送って、立憲民主党をどうしようというのか。
まさか、彼らと共に自民党に媚びようとしているのか。
そんな行動は、私には理解出来ない。
そんな思いで、怒りを抑えられない、嫌なニュースを以下に転載する。
以下、読売新聞の記事から。
「立憲民主党の泉代表は17日、支持組織である連合の芳野友子会長と東京都内で会談し、次期衆院選で国民民主党と連携できるよう仲介を要請した。連合は立民、国民の両党を支援しており、芳野氏は会談後、記者団に「一枚岩に近づけていくようにやっていく」と述べた。
会談で泉氏は、日本維新の会や共産党とは選挙協力をしないと明言し、「国民との距離を縮められるよう協力してほしい」と頭を下げた。芳野氏は支援先が立民と国民で割れている状況について、「現場から非常に戦いにくいとの声が上がっている」と苦言を呈する一方、共産との「決別」に踏み込んだことは評価した。
泉氏が国民との接近を模索するのは、立民の党勢が低迷する中、かつての「同胞」との連携に活路を見いだしているためだ。
ただ、立民と国民の協力が深まるかは不透明だ。国民の玉木代表は16日の記者会見で安全保障政策などで隔たりが大きいと指摘し、「絶対野合だと言われる」と述べ、連携に否定的な考えを示した。
立民内にも「共産票がなければ選挙は戦えない」との声は少なくなく、共産側も共闘再構築を呼びかけている。維新幹部からは「立民は『立共』でやっていくしかない」との冷ややかな意見も聞かれる。」
記事は以上。
記事にある「かつての同胞」とは、「希望の党」で、同じ釜の飯を喰らったことを言っているのか。
今の立憲民主党は、かつての民主党の解党、そして維新の党と合流して民進党となり、間もなく「希望の党」の悲劇を迎える、といった歴史をなぞっているかのようだ。
岡田氏が幹事長になって以降、そのことが顕著になった気がする。
役者もそのままといったところなのも「可笑しい」。
笑うしかないのかもしれないが、全く「反省」が無いところは、救い難い。
「民進党」の名の由来は「民と共に進む」ことであったはずだが、その部分だけは置き去りにされてしまっているようだ。
そんな民進党ですら、最後は「絶望の党」と共に消滅した。
考え方の違う部分がある政党同士が、「国民のための政治」を実現するために協力しあうことは、自然な成り行きと言えよう。
国民民主党の玉木代表が「絶対野合だと言われる」というのは、求めているものが「党利党略」でしかないと、自ら告白しているも同然ではないか。
「国民のための政治」を実現するためには、政権を取らなければならない。
政権を奪取できなければ、すべては「画餅」で終わる。
野合と言われるのは、「党利党略」と見透かされているからに他ならない。
共産党が駄目なら維新、維新が駄目なら国民民主党。
こういうことを繰り返すたびに、国民の信頼は失われ、期待は萎んでいくしかない。
野党が協力して政権を取るということは、「連立政権」を樹立するということだ。
連立政権と言う以上は、「連立政権構想」がなくてはならない。
この「連立政権構想」を「旗」として、有権者に「一緒に闘おう」と呼びかけるべきなのではないか。
確固たる「連立政権構想」が示されれば、「絶対野合だとは言われない」
泉代表は、立憲民主党が150議席を取れなければ、代表を辞めると言った。
しかし、150議席では、単独では政権は取れない。
「連立政権」を考えているなら、「連合」などに「仲良しクラブ」の仲介を頼むのではなく、今はまだ野党第一党の責任として、「連立政権構想」を取りまとめ、一つの「旗」を立てるべきではないのか。
その上で、
「来るもの拒まず、去るもの追わず」
「国民のための政治」を目指す者が一同に会し、政権を奪取し、理想とする政策をを実現し、
日本を「戦争をしない国」のまま未来の子孫に残していく。
政治とは、「国民のため」のものであってほしい。
「国民の生活が第一」
この言葉は、今でも色あせることが無い。
最近は聞かなくなったが、かつて小沢氏が唱えた
「オリーブの木」構想
選挙戦術として捉えられがちだが、野党第一党が、「連立政権構想」に裏打ちされたものに纏められていれば、今頃は、「台湾有事」と不安を煽られることも無かったかもしれない。
あくまでも・・・かも知れないだが・・・。
残念ではある。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/452.html
9. 達人が世直し[1982] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月18日 20:59:00 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1229]
ここがおかしい 小林節「を」斬る!
小林先生が、「維新の案は現在の専守防衛という方針は守ることを前提にしている。」
と言っている、日本維新の会の9条改正案とは次のようなものだ。
〔自衛隊の保持〕
第9条の2 前条〔=9条1項・2項〕の範囲内で、法律の定めるところにより、行政各部の一として、自衛のための実力組織としての自衛隊を保持する。
小林先生の論説では、
「維新の案は現在の専守防衛という方針は守ることを前提にしている。」と小林先生が判断していることが前提になっている。
小林先生が言う場合は、「前条の範囲内」が「専守防衛」を守る、と同義であることは理解できても、
しかし、維新の言う「前条の範囲内」が「専守防衛」を守ることになるのか、そのことを担保するものは何も無い。
憲法9条は、権力者、時の為政者が、再び「侵略戦争」を引き起こさないように、また、近隣諸国に軍事的脅威を与えることがないように、主権者たる国民が、国家権力に縛りをかけたものだ。
近代立憲主義憲法の大前提となっている自然権思想では、
そもそも、主権者たる国民が、時の為政者に一定の権力を信託した「国家権力」とは「国民の生存権」を守るために必要なものとして生まれた。
そして、主権者である国民は、国家権力が「やってはいけないこと」、「やらねばならないこと」を最高法規たる憲法に定め、確定した。
そんな「国民の生存権」を憲法で放棄したり、否定することは、自己矛盾であり、全くもって、あり得ない。
従って、憲法9条は、国家の自衛権を放棄するものでもなく、国家の自衛権については一切触れていない、というのが正しい。
「そのような憲法9条の範囲内で、規定した自衛権とは何ぞや。」
ということになるのではないか。
「専守防衛」の考えは、自然権思想を基礎に、誰しもが持つ自然権(生存権と、それを脅かされたときの抵抗権)を認めた上で、憲法9条で「侵略戦争」と「侵略的軍事的脅威になること」を放棄した、そのことから「演繹的」に導き出される、唯一の「防衛方針」と言えるものだ。
当然ながら、憲法に「専守防衛」という言葉は無い。
小林先生が言うように
「維新の案は現在の専守防衛という方針は守ることを前提にしている。」
としていたとしても、
維新の案「自衛隊の保持」は、憲法9条に追加する意味は全くない。
しかも、憲法の条文としては、冗長度の高い「駄文」でしかない。
もう一つ言えば、日本には、同様の実力組織としては、「警察」があり、「海上保安庁」がある。
自衛隊のみを憲法に追加する理由が見当たらない。
憲法とは、「主権者たる国民が、国家権力に縛りをかけたものだ。」
そういう目で、維新の改正案を見れば、「ポピュリズムの塊」の「様(さま)」が見えて来るはずだ。
15. 達人が世直し[1983] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月19日 20:57:31 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1230]
相変わらずの「小汚い」書き込みだ。
自身の「誤り」にも、「醜悪さ」にも、気が付いていない。
>「希望の党」に反対した人たちが集まって出来たのが、
>立憲民主党なんだけど。
物知り顔で言っているが、間違いだ。
正しくは、「希望の党」に入れてもらえず、「排除」された枝野氏らが立ち上げたのが立憲民主党なんだけど。
運よく「希望の党」に入れてもらえた人たちは、その後の悲劇を予想だにせず、泡沫の「狂宴」に浸り、絵に描いたような「天国から地獄に堕ちるの図」。
飲んだ酒は辛酸だったということだ。
そんな辛酸を喰らった「同胞」ということを言っているのだろうさ。
希望して入った「希望の党」が亡くなった後の、彼らの行動は周知のとおり。
「羞恥」以外の何物でもない。
ここでも、事実に基づかないことを、妄想で作り上げるところは、
「糞たれなんで、人間になんてなれないモンモン」
らしいと言えば、それまでだが・・・。
大石ちゃんに振り向いてもらえず悶々としている、チミ〜。どこか悪いんじゃないのか?
>ところで、ヘタレ、おまえの目的はなんなんだ。
これなども、人にものを尋ねる態度ではないね。
常識とは無縁のお人だ。
「おまえ」と、敬語で呼びかけられちゃぁ、敬語で返すのが礼儀・・・。
ところで、「糞たれ」、貴様の病気は何なんだ。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/452.html#c15
46. 達人が世直し[1984] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月19日 22:45:39 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1231]
敵を作って叩くのは維新の常套手段。
しかも、その標的にされるのは、いつも「弱者」。
東京新聞の論説が厳しい。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/250961?rct=politics
筋道立たない強弁をかばいきれなくなったか。・・・日本維新の会が梅村みずほ参院議員を処分した。対応が遅れ、批判に耐えられなくなった格好だ。そもそも維新議員の問題発言は後を絶たない。・・・モラルと責任感はあるのか。(中沢佳子)・・・
・・・問題が起きてから既に約1週間。しかも音喜多氏は17日、(党としての)「問題提起だ。間違ったことはしていない」と記者団に語っている。・・・
以上、ざっくりと引用したが、詳しくは上記URLで確認されたい。
梅村議員のみならず、音喜多氏も全く信用が置けない。
2人に共通しているのは、ただ上昇志向が強いだけの食わせ物というところだ。
日本維新の会そのものが食わせ物ではあるが・・・。
問うまでもなく、「モラル」も「責任感」も無い。
11. 達人が世直し[1985] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月20日 20:33:23 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1232]
岸田首相は、こう繰り返していた。
犠牲者の写真や遺品などが並び、それを最も感じられる本館での展示品を見てもらうことが必要だとしていた。
見てもらえたのか。
見てもらえなかったのか。
最大の関心事はこれだ。
「被爆の実相」を見てもらい、知ってもらった上での、核軍縮、核廃絶の議論でなければならないからだ。
そのための、広島サミットで期待された唯一の行事であったはずだ。
「G7首脳に被爆の実相を見てもらうはずの」そのG7首脳が何を見たのか、何を思ったのか、「彼らの目で見た実相」を日本国民も、全世界の人類も、知ることは出来ない。
原爆資料館には、見てはいけないものが展示されているかのごとし。
原爆資料館の見学は完全非公開になり、G7首脳が、「歴史の真実」を直視せず、自ら「目を背けている」という疑念が、否が応でもクローズアップされるだけの行事で終わった。
歴史を直視出来ず、歴史に学ぼうとしない、そんな「世界の指導者」だったとしたら、彼らに何を期待できようか。
原爆資料館の見学は完全非公開にする一方で、原爆被害者の慰霊碑には恭しく「献花」する姿を大写しで電波に乗せる。
偽善か、欺瞞か。心からの哀悼の意か。
「彼らの目で見た被爆の実相」に対する答えが見えない以上、知る術はない。
核兵器が「絶対悪」であるとは、口が裂けても言えない「面々」。
5000発以上の核弾頭を保有し、今尚「戦争終結のために原爆投下は必要だった」とするアメリカ。
核兵器を「防衛の要」と位置付けるフランス。
片方で核兵器廃絶を謳い、もう片方では「核の傘」の必要を囃す日本。
これ以上、「彼らに期待するものは無い」、その事だけが明らかになった。
広島サミットの「唯一の成果」がこれでは・・・。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/251677?rct=politics
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーは、・・・「期待を裏切られた。怒りに震える」と失望感をあらわにした。
私は少しの期待もしてはいなかったが、それでも余りの酷さに「怒りに震え」、絶望感に圧し潰されそうな自分を必死で堪えている。
「核兵器廃絶」どころか、「自衛の為」、「抑止力のため」と言いさえすれば、核兵器を、その保有を正当化してしまうとは。
しかも、日本の、「ヒロシマ」で。
日本は唯一の被爆国であり、「ヒロシマ」は最初の被爆地であることを、あざ笑うかのような・・・。
こんな酷い結果を誰が想像できただろうか。
東京新聞が、その「怒り」を伝える。
以下記事の抜粋。
核の惨禍を踏まえた成果が注目された先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に関し、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーは、G7が核軍縮に関する共同文書「広島ビジョン」で核保有を正当化し、核抑止論を強調したなどとして「期待を裏切られた。怒りに震える」と失望感をあらわにした。一方、英国のスナク首相は帰国前の記者会見で原爆資料館の視察について「深く心を揺さぶられた」と語った。
被団協はサミット閉幕後の21日午後にオンラインで会見を開いた。・・・田中熙巳代表委員(91)は「(G7自身が核軍縮を)どう努力していくかくらいは出してほしかった。残念でならない」と吐露。木戸季市事務局長(83)も「核抑止論や核の傘の下で戦争をあおるような会議となって怒りを覚える。核兵器廃絶への希望を完全に打ち砕かれた」と厳しく批判した。
「広島で開催された意図はどこにあったのか」と疑問を呈したのは浜住はますみ治郎事務局次長(77)。共同文書は核兵器禁止条約に触れず、防衛目的での保有を容認する内容で「核抑止や核の傘を強調し、被爆者の一人として憤っている」と話した。和田征子まさこ事務局次長(79)も「核なき世界を目指すという文言はあるが、具体的なプロセスが一つもない」と失望した様子だった。
G7首脳の原爆資料館視察も内容が詳しく公表されず、田中さんは「大したことができなかったのでは」と首をかしげた。・・・
松野博一官房長官は22日の会見で、共同文書への批判に対して「核兵器のない世界の実現に向けたG7首脳の決意や、今後われわれが取るべき行動を示す力強い歴史的文書だ」と反論した。資料館視察も「世界のリーダーに被爆の実相に触れてもらい、粛然と胸に刻む時を共有した」と強調した。(山口哲人)
記事の抜粋は以上。
人々の「怒り」の言葉は、省略できなかった。
何故なら、私の言いたいこと、そのままだからだ。
岸田氏ほど、「ヒロシマ」を己のために政治利用してきた政治家はいない。
今回の広島サミットはその集大成といったところではないか。
まるで、安倍晋三元総理の「拉致問題」の如し。
利用するだけで、問題解決の意思が皆無なところは、全く同じだ。
日本政府は「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向けて公言している。
さらに、岸田首相は、
「・・・反撃能力は「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合など武力行使3要件を満たす場合に行使しうる」と述べ、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」でも発動可能とした。・・・」
と言う。
そして、今回の「ヒロシマ」サミット。
「自衛の為」、「抑止力のため」と言いさえすれば、核兵器を、その保有を正当化してしまう、そんな「広島ビジョン」なるものを、G7議長国として日本の岸田首相が主導させられた。
核兵器は「絶対悪」だと言えるのは、日本しかなかったはずなのに・・・。
日本は、世界に誇る「平和憲法」を持つ国だ。
憲法9条で、侵略戦争を放棄し、国際紛争を解決するための「武力の威嚇」も「武力の行使」も「永久に」放棄した。
日本は、「抑止力のため」だとしても、「核兵器」は勿論、「敵基地攻撃能力」も持てない筈の国だ。
なぜなら、憲法9条が、そのことを「永久に」禁じているからだ。
一般に、抑止とは、「相手が攻撃してきた場合、軍事的な対応を行って損害を与える姿勢を示すことで。攻撃そのものを思いとどまらせる」軍事力の役割とされる。
抑止が機能するためには、抑止する側に、軍事的対応を実行する意図と能力があり、かつ、それが相手に正しく認識されることが必要であるとされる。
安全保障の分野では「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」の2種類に分けて議論される。
「拒否的抑止」は相手の攻撃を物理的に阻止する十分な能力を持ち、目的を達成できないと思わせて攻撃を断念させる。ミサイル防衛システムなどがこれにあたる。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、反撃を受けるコストが大きいと思わせて断念させる。
「敵基地攻撃能力の保有」とか、「核保有」「核共有」などということが、抑止力という方便の下で語られるとき、そこで言う抑止力とは、先の分類に従うと、「懲罰的抑止」に違いない。
懲罰的抑止を成立させるためには、@相手に対する(堪え難い)報復能力の保持、A相手に対する報復意思の明示、B相手が@Aを理解すること、という3条件を満たすことが必要となる。
繰り返しになるが、日本は、戦争を放棄すると同時に、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と誓った。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると「威嚇」し、そのための報復能力を保持し、相手に対する報復意思の明示することで、「武力の行使を表明する」ものだ。
明らかに、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という憲法9条に違反するものでしかない。
岸田首相は、
「・・・反撃能力は「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合など武力行使3要件を満たす場合に行使しうる」と述べ、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」でも発動可能とした。・・・」
と言って、憲法違反を犯し、
今回の「広島ビジョン」で再び憲法違反を犯した。
このような憲法違反は、犯したその瞬間に指摘し、強く弾劾しなければならない。
時期を逸すれば、悪戯に憲法違反を見逃すことでは済まなくなり、間違えば、憲法違反が憲法違反でなくなる、既成事実化に悪用されかねない。
岸田内閣は、この憲法違反を犯した内閣として、「不信任」議決すべき国賊内閣と言えよう。
「内閣不信任」を突きつけることに、躊躇する理由は見当たらない。
憲法前文にも、こう記されている。
「・・・これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
憲法は我々主権者に、行動を起こすことを求めている。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/508.html
https://www.yomiuri.co.jp/world/20230526-OYT1T50043/
読売新聞らしい記事だと言える。
放射能汚染水を「処理水」だと言い、
韓国民の不安を背景に、安全と言うなら説明しろと言っている韓国の視察団とは「意見交換」だと言い、
安全性に納得がいく説明も無く、子供だましの説明しか受けられなかった視察団を前に「視察団は安全性評価への言及なし」と言い、
日本国内の批判と不安を無視し、あたかも日本では国民の納得を得られているかのように「批判と懸念が依然強い韓国内」と言う。
以下に読売新聞の記事を抜粋する。
東京電力福島第一原子力発電所の「処理水」の海洋放出を巡り、韓国の専門家らの視察団と日本政府などが25日、東京都内の外務省で意見交換した。視察団は26日に帰国する。韓国内では放出への批判と懸念が依然強く、 尹錫悦ユンソンニョル 政権は対応に苦慮しそうだ。
経済産業省によると、意見交換には日本側から、外務省と経産省、原子力規制庁、東電の担当者らが参加した。韓国側は、原子力規制庁による事前の審査や設備の点検内容などについて確認したとしている。
視察団団長を務める韓国原子力安全委員会の 劉国煕ユグクヒ 委員長は意見交換終了後、「視察で確認できたこともあれば、追加の資料を要請したものもある。可能な限り早く内容をまとめて結果を公開する」と記者団に述べた。具体的な時期は明らかにしなかった。処理水放出の安全性に対する評価への言及もなかった。
尹政権は「科学に基づいて(安全性を)判断」するとの立場で、視察団の調査結果と、6月にも発表される国際原子力機関(IAEA)の結論に基づき、対応を決めるとしている。・・・
・・・それでも韓国国民の懸念解消には至っていない。25日公表の世論調査会社4社の共同調査では、視察団に対する評価は問題解決の「助けになる」の回答が40%だったのに対し「助けにならない」が53%だった。
聯合ニュースによると、最大左派系野党「共に民主党」の重鎮議員は・・・視察団が尹政権寄りだとして「(調査)結果を国民は信用しない。与野党が参加した国会による視察団が必要だ」と野党が加わった再調査を主張した。・・・
以上が記事の抜粋。
よく言うわ・・・の「処理水」
上の空で聞いていると、水道水よりも、処理された分だけ「美味しそうな水」に聞こえる。
井戸水は美味しいと言われるが、これは、放射能たっぷりの「汚染された井戸水」だ。
これも、いかにも、放射能が除去されているかのような誤った認識を、国民に与える。
むしろ、そのことが目的で考え出されたものだから、世話が焼ける。
実体は、「放射能汚染水」であり、人体への危険は変わらない代物。
しかも、これも「処理水」とは言ってはみたものの、「核のごみ」同様、結局は「処理」に困って、とうとう、海に投げ出す(海洋投棄する)と言い出した。
「処理水」なるものを海に放出する前に、目の前にある海水を汲んで、薄めてから、放出するからいいんだと、真面目な顔をして言う。
バケツに「処理水」なるものを入れ、そこに海水を加えて、薄めて、その後海の放出するのと、
「処理水」をそのまま海に放出するのと何が違うのか。
大の大人が真面目な顔をして言うことか。
私には、幼稚園児にも分かるように説明することは出来ない。
韓国の視察団の人たちも、この説明を聞いて「困惑」し、そして「呆れた」のではないか。
{安全性評価への言及なし」とは、一言で言えば、「絶句した」ということだ。
しかも、その「汚染水」たるや、メルトダウンして地中に沈んでしまった、格燃料を取り出すことに失敗すれば、10万年も発生し続ける「放射能汚染水」となることを考えれば、とても正気な人間の考えることではないだろうと思うのだが・・・。
そもそも、
いったい、誰が、どんな権限で、放射能汚染水を海洋に放出することを、決められるのか。
海洋は、一漁業組合の所有物ではないし、ましてや、漁業者の私有物でもない。
言うまでもなく、日本だけの物でもない。
海洋は、地球上に生きる、人類のみならず、全生物の命の源といえるほどの、貴重な、「青い地球」そのものではないか。
そんな貴重な海洋に、燃料デブリに触れた地下水が放射能汚染水となって、注ぎ込む。
一旦始めてしまえば、そんなことが、1号機、2号機、3号機の燃料デブリが完全に取り出されるまで、延々と続く。
そのことは間違いない。
政府は、いつまで、どのくらいの期間、放射能汚染水を海洋に放出する計画でいるのか。
燃料デブリを、完全に取り出すことが出来るという、確かな見通しを持っているのか。
もし燃料デブリの取り出しに失敗したときは、放射能汚染水の海洋放出は今後何年続くことになるのか。
もしかして、「何万年」、「何十万年」も続くことになるのではないのか。
そんな疑問に政府も東電も答えていない。
当然、韓国の視察団にも説明があろうはずがない。
日本政府と東電が言っているのは、
放射能を、出来るだけ除去するよう努力した結果の「処理水」を捨てるのだから問題ない。
海洋に放出する前に、海水で「基準の何十倍に薄めて」から捨てるのだから問題ない。
くらいだ。
こんな「子供だまし」の対応で、「青い地球」を放射能で汚してしまうことが、どうして許されるだろうか。
政府の言う「処理水」にしても、放射性物質が政府の言う通りに除去されているということは、全く担保されていない。
「海洋投棄する」と言っている「処理水」を、海水で薄めてから捨てるのと、そのまま広い海洋に捨てるのと、どんな違いがあるというのか。
そんなことを、まことしやかに言い、なるほどと納得顔で聞いて「頷く」。
過去に、これほどの「茶番」があっただろうか。
世界中の笑い者ではないか。
世界中からも非難の嵐が巻き起こるだろう。
当然だ。黙っていることの方が異常と言える。
岸田首相は言う。
福島第一原発の「廃炉を着実に進める・・・」
廃炉するためには、メルトダウンした燃料デブリを確実に取り出さねばならない。
このことは、人類にとっては、ほぼ「未知への挑戦」と言えるもので、今でも、全てが手探りで、しかも一向に進展が見られない。
「福島の復興を実現するために、処理水の処分は先送りできない」
処理水を海洋に放出するのは、「福島の復興を実現するためである」かの如く言う。
処理水を海洋に放出することが、どうして福島の復興に繋がるのか、
処理水を海洋に放出しなければ、どうして福島の復興は出来ないのか。
「安全確保や風評被害対策に全力で取り組む」
ここでいう安全確保とは何ぞや、風評被害対策とは何ぞや。
あたかも、残された問題は風評被害対策のみであり、放射能による被害は無いかのような言い方で、国民を誤魔化すものでしかないだろう。
政府、東電は、燃料デブリに地下水が触れないように凍土壁で地下水を遮断する対策を鳴り物入りで実施した。
その効果はどうなったのか、
依然として、地下水は流れ込み、燃料デブリに触れ、放射能汚染水となって、しかも、それを井戸から汲み上げきれずに、「処理」されることもないまま、「未処理水」として、海洋に駄々洩れというのが実態ではないのか。
そんな状況では、「処理水」は、「未処理水」の問題を隠すための「囮か撒き餌」でしかない。
「処理水」という言葉は、全てが解決されているかのような錯覚を誘う。
しかし、問題は何も解決していない。
人類は、未だ、放射能を制御できていない、核を扱う技術を手にしてはいない。
そのことを、自覚し、もっと謙虚になることが必要なのではないか。
そのためには、東京電力福島第1原発の現状を、客観的に事実を国民の前に、世界の人類の前に明らかにすべきなのだと思う。
メルトダウンした燃料デブリに触れた地下水を、井戸からくみ上げ切れず、その大半が放射能汚染された地下水として日本列島の地下を縦横無尽に動き回っていることを。
そして、十数年後、あるいは数十年後、その放射能汚染された地下水が、地表に湧き水として、一部は海洋の海底から湧き水として・・・。
それは明らかに「未処理水」という名の「放射能汚染水」
嘘と願望で放射能は消すことは出来ない。
それが、人類がこれまでに得た、放射能に関する唯一の知識ではないか。
かつて、立憲民主党の石垣のり子氏は「放出ありきだ」と指摘した。
放射能で「青い地球」を汚すことは、人類を滅亡へと押しやる「犯罪」と断言できる。
犯人は、「あいつ」だ。
日本では「与野党が参加した国会による視察団が必要だ」と野党が加わった再調査を主張する政治家はいないのか。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/538.html
37. 達人が世直し[1986] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月27日 16:14:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1233]
>岸田事務所に質すと、こう回答があった。
>「公邸の居住については、決められたルールと手続きに基づき適正に使用しているところです」
公邸で親族が集まり「忘年会」、そのあげくに、親戚同士で大臣のように振る舞ったり、総理の演説台でポーズを決めるなどの大ハシャギ。
これを「適正」と言える、その強心臓には脱帽するしかない。
>25日、松野官房長官は記者会見でこの件について「報道の行為は適切さを欠くものであり、岸田総理から厳しく注意した」
と、あたかも見ていたかのように「嘘を言い」の図。
そこまで言うなら、ドラ息子の「反省の弁」くらいは紹介してほしいものだ。
その強心臓には脱帽するしかない。
この場合、誰もが期待する処罰は、
「泣いて馬謖を切る」
しかないだろう。
時代が時代なら、「斬首」では済まない。
岸田家断絶の危機だ。
中国では昔から「罪は九族に及ぶ」といわれ、1人が罪を犯すと九親等までの親族を皆殺しにするという刑罰制度が、清(1644−1912年)の時代まで続いていた。
それが出来ない岸田首相は、首相の器に非ず。
「暗愚な宰相」の汚名を歴史に刻むことになる。
しかも、首相本人が「忘年会」に顔を出していたことについては「反省の弁」も無い。
その強心臓には脱帽するしかない。
まるで、「忘年会」は問題ではないかのような態度は、首相としては「どよ」。
それにしても、これまでの岸田一族の「公私混同」振りには、いい加減辟易する。
しかも、やっていることの「貧乏臭さ」は同情すら催す。
11. 達人が世直し[1987] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月27日 20:51:01 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1234]
「反撃能力」については、日経新聞が解説していたことがある。
それによれば、
「▼反撃能力 相手のミサイル発射拠点などをたたく能力を指す。政府は相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する。「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもの」
立憲民主党は、
「反撃能力の行使は専守防衛を逸脱する可能性があるので賛同できない」と言っている。
何やら曖昧な、持って回った言い方ではないか。
この場合「敵基地攻撃能力」と元の表現に戻せば、「可能性」が「確定」に変わる。
やってみよう。
「敵基地攻撃能力の行使は専守防衛を逸脱する」
僅かの曖昧さも無い、完璧な日本語じゃないか。
>敵基地攻撃能力では「先制」攻撃をするかの印象を与えるのを避けるためだったが、・・・
「「先制」攻撃をするかの印象・・・」と言うのは事実誤認。
既に、日本政府は「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」と世界に向けて発信している訳だから。
宣戦布告の無い奇襲攻撃、宣戦布告の無い先制攻撃、と言う以外に、形容のしようもない。
>自民党側が仕掛けた「抑止力」という罠に見事に嵌ってしまっているからである。
自民党と言うよりは、立憲民主党の玄葉光一郎と言う男が、自ら進んで、立憲民主党内でのプロパガンダに「利用」していると言えるのではないか。
私にはそういう風にしか見えない。
確信犯でなければ、高野氏の言う
>・・・法理的に言っても「武力による威嚇」は国連憲章でも日本国憲法でも禁じられている違法・違憲行為である。・・・
との説明を理解しない、出来ない筈がない。
そういう玄葉氏は、「一定程度・・・」と言うのみで、その後は明確な言葉は出てこない。
・・・聞き返しても答えはない。
・・・畳み掛けても、答えはない。
「抑止力」と言う言葉が出てきたので、何度か私の投稿で取り上げた解説を少々。
一般に、抑止とは、「相手が攻撃してきた場合、軍事的な対応を行って損害を与える姿勢を示すことで攻撃そのものを思いとどまらせる」軍事力の役割とされる。
抑止が機能するためには、抑止する側に、軍事的対応を実行する意図と能力があり、かつ、それが相手に正しく認識されることが必要であるとされる。
安全保障の分野では「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」の2種類に分けて議論される。
「拒否的抑止」は相手の攻撃を物理的に阻止する十分な能力を持ち、目的を達成できないと思わせて攻撃を断念させる。ミサイル防衛システムなどがこれにあたる。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、反撃を受けるコストが大きいと思わせて断念させる。
「敵基地攻撃能力の保有」とか、「核保有」「核共有」などということが、抑止力という方便の下で語られるとき、そこで言う抑止力とは、先の分類に従うと、「懲罰的抑止」に違いない。
懲罰的抑止を成立させるためには、@相手に対する(堪え難い)報復能力の保持、A相手に対する報復意思の明示、B相手が@Aを理解すること、という3条件を満たすことが必要となる。
「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると威嚇し、そのための報復能力を保持し、相手に対する報復意思の明示することで、武力の行使を表明するものでしかない。
明らかに、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という憲法9条に違反するものでしかない。
36. 達人が世直し[1988] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年5月29日 11:18:32 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1235]
今では死語となった感のある「社会の木鐸」として、これぞ「新聞の品位」そのものを体現した記事と言えよう。
与野党が「議院の品位を傷つけた」と騒ぐ「議院の品位」とは何ぞや。
そもそも、今の国会に「議院の品位」があると思う事こそが「幻想」に過ぎないのではないか。
人としての「品位」の欠片も無い細田氏が、衆議院議長の席に座っている時点で、「議院の品位」などあろうはずもない。
記事で指摘しているように、
「・・・国会ではこの間、岸田政府がうち出した防衛予算の5年間で43兆円への膨張と、そのための増税を推進することを含む「安保三文書」関連2法案(防衛財源確保法、防衛産業基盤強化法)、稼働60年以上の老朽原発の運転を可能にすることも盛り込んだGX電源法案、健康保険証を廃してマイナンバーカードに一本化するマイナンバー法改正案など、社会の根幹を揺るがす重要法案が次々と審議入りし、まともな論戦もないまま粛々と衆院可決されてきた。・・・」
議会の大前提としては、住民に開かれた空間で、自由に発言できる議会であるべきだ。
議場でしっかり議論する姿勢こそが、「議会の品位」。
「・・・まともな論戦もないまま粛々と衆院可決されてきた。・・・」
そんな行動こそが、「議会の品位」を傷つけているのではないのか。
とらえ方が十人十色の「品位」という言葉。
どれだけ実を伴って、国民の付託に応える議論をしているのかかが問われるところだ。
そのように捉えれば、茶番としか言いようのない議会運営で、誰が「議会の品位」を傷つけているのかは、明らかではないのか。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230529-OYT1T50076/
「物言えば唇寒し秋の風」
そんな芭蕉の句を想起する、心寒い記事。
以下は、極めて短いが記事の全文。
読売新聞としての、何の論説、論評も無い。
そのことが、政府の対応の危うさを際立たせている。
読売新聞としては、「物言えば唇寒し秋の風」の心境か。
「岸田首相は29日午前、北朝鮮が「衛星」と称する弾道ミサイルを発射すると通報したことについて、「弾道ミサイル技術を用いた発射は国連安全保障理事会決議違反であり、国民の安全に関わる重大な問題だ」と述べた。首相官邸で記者団に語った。
浜田防衛相は同日、自衛隊に対し破壊措置命令を発出。首相は「情報収集、警戒監視に全力を挙げる」と強調し、日米、日米韓で緊密に連携を図る考えを示した。」
記事は以上で終わっている。
人工衛星打ち上げロケットと弾道ミサイルの技術は大半が一緒であることは周知のことだ。
北朝鮮が「「衛星」と称する弾道ミサイルを発射すると通報してきた」のならともかく、あくまでも「人工衛星打ち上げ」と称する以上、そのことを非難しても虚しい。
日本が北朝鮮のミサイル技術の進化に神経を尖らすのは、現在の日本と北朝鮮の関係において、そのことが、日本にとっての「軍事的脅威」となるからに他ならない。
一方、北朝鮮の言によれば、自国の自衛のための「抑止力」ということになる。
今や日本は、タイム誌に「平和主義だった日本・・・、」と過去形で書かれるように、
国際社会の認識では、日本の「平和主義」は過去のものとなっているのだろう。
今の日本の問題の本質はここにある。
76年間、日本は戦争をせず、戦争にも巻き込まれることも無く、家族が戦地で命を落とすという悲しみを体験せずに、今日を迎えることができた。
そのことは、偏に日本国憲法で、「戦争をしない国になる」ことを誓い、「他国に軍事的脅威を与えない」と誓ったことを、国民が誠実に守ってきたからだ。
そして、そのことを国際社会が評価し、日本国民の姿勢を信じ、信頼してくれてきたからに他ならない。
しかし、
日本には、「とんでもないこと」を、「世界に向けて」言った奴がいる。
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と。
その評判の悪さに、慌てて「反撃能力」と言い換えたことは、皆さん既に御承知のことだろう。
そして今度は、岸田首相がこう言い出した。
「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
日本の首相として発言だから、「日本政府としての公式見解」として受け止められてしまうのだろう。
「韓国有事」の際に、韓国、北朝鮮の近海に出動した米軍が、北朝鮮の攻撃に晒されたときに、「存立危機事態」と認定すれば、日本の自衛隊が、突然、北朝鮮の奥深くにあるミサイル基地に向けて「トマホーク」を撃ち込むことは出来る。
と言ってしまう、日本の首相。
日本は「国権の発動たる戦争」は放棄しているから、「宣戦布告」は出来ない。
だとしたら、こういうのは「奇襲攻撃」と言うのか、「先制攻撃」と言うのか?
集団的自衛権を口実にしようにも、日米安保条約は「日本の施政の下における」危険が発動の第一要件になっていることから、「存立危機事態」での発動は出来ない。
そう言う岸田首相は、未だに、日本は「専守防衛」の考えを変えていないという。
中国政府は「日本は「専守防衛」を捨てた。」と公式の場で発言するようになった。
そして国際社会は、「平和主義だった日本・・・」と語る。
日本は、日本国憲法で、「戦争をしない国になる」ことを誓い、「他国に軍事的脅威を与えない」と誓ったことを、国民が誠実に守ってきた。
そのことを国際社会が評価し、日本国民の姿勢を信じ、信頼してくれてきた・・・はずだった。
その信頼も今は「過去」のもの。
一度失ってしまった「信頼」を取り戻すには、これからどれほどの歳月と、どれほどの努力が必要になるのだろうか。
「弾道ミサイル技術を用いた発射は国連安全保障理事会決議違反であり、国民の安全に関わる重大な問題だ」
今の日本の「戦争をする国」に前のめりな姿勢を思えば、なんと「虚しく」響く非難か。
岸田首相は我が身を振り返ることを知らない。
「敵基地攻撃能力の保有も、「存立危機事態」での発動も憲法違反であり、国民の安全に関わる重大な問題だ」
「物言えば唇寒し秋の風」とはよく言ったものだ。
類似語に、「口は災いの元」がある。
私の今の心境も「物言えば唇寒し秋の風」。
芭蕉が教え諭すように、人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする。
しかし、言わずにはいられない。
憲法前文に、こう記されている。
「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
憲法は国民に勇気と責任をもって「行動する」ことを求めている。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/561.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/253500?rct=politics
「議院の品位を傷つけた」として出された櫛渕氏への懲罰動議。
登院停止10日間の懲罰を科すことになったそうだ。
自民党の丹羽秀樹氏は「自分の主張通りにいかないからと身勝手な手段を取るのは不適切だ」と非難。
「議院の品位」とやらは、どこぞのトイレにでも置き忘れてきたか。
そんなことは既にどうでもよくなってしまった感がある。
プラカードを掲げることを非難するのは、とんでもない「ブーメラン」だと、櫛渕氏に指摘されて、恐れ入ったか・・・。
一応以下に記事の全文を記すが、・・・・。
「衆院懲罰委員会は31日、本会議で与野党を批判する紙を掲げた、れいわ新選組の櫛渕万里共同代表に、登院停止10日間の懲罰を科す案を自民、日本維新の会、公明各党の賛成多数で可決した。6月1日の本会議で正式決定する。
懲罰は重い順に、除名、一定期間の登院停止、議場での陳謝、戒告の4種類。自民党の丹羽秀樹氏は「自分の主張通りにいかないからと身勝手な手段を取るのは不適切だ」と非難。櫛渕氏は謝罪し「増税と負担増に危機感を募らせる国民を代表した行為で、やむにやまれぬ思いだった」と弁明した。立憲民主党は戒告を求めた。
櫛渕氏は、5月18日の本会議で「与党も野党も茶番!」との紙を壇上で広げた。」
以上の様に記事は短い。
今回取り上げたのは、長州新聞が5月27日に掲載した、
「闘う野党の復活を」――なぜ壇上での抗議に至ったか れいわ新選組・櫛渕万里衆議院議員の演説(全文)
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/26710
を、改めて精読する機会を、阿修羅掲示板の住民の皆さんと共有したいと思ったからだ。
形は、「身上弁明」であるが、櫛渕氏の国民へ思い、その思いを原点にした政治への姿勢を縷々述べ、今の歪んだ国会の在り方を批判する、18分間の長い演説だったようだ。
全文を読むのも、理解しながらであれば、同様に18分は優に超えるだろう。
しかし、読み始めれば、時間を忘れ、一気に読み終わってしまうと思うので、まだ、読んでいない人には、是非一読をお勧めしたい。
櫛渕氏の血反吐を吐くような苦悩が伝わってくる。
櫛渕氏は演説の中で、憲法前文の一節を取り上げている。
「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
そして言う。
国会議員は、国民の代表者としてこの議場に臨んでいる。
国民の厳粛な信託に本当に応えているか。国民は福利を享受できているのか?。
私たちは、国会の中でも外でも、常に国民のことを念頭に置いて行動しなければならない。
さらに、
「個人の尊厳」や「健康で文化的な最低限度の生活」がすべての人々に保障されるよう国会は機能しているのか?
平和主義を掲げた憲法の規範に沿って、国会で徹底した議論がおこなわれているのか?
すべての国会議員は公務員として「全体の奉仕者」たりえているのか?
そのような自問に始まり、
現在までの自公政権の問題を暴き、
そして、国会議員に呼び掛ける。
「闘う野党を復活させ、苦しんでいる国民の生活と命を救おうではありませんか。」
「日本の民主主義を正常化させて、政治の暴走を止めようではありませんか。」
「議会のルールや秩序も重要だが、本当に応えるべきは国民の信託であるとの意識を呼び覚まし、「闘う野党の復活」に少しでもつながるのではないか。こうした考えに基づく行動だった。」
櫛渕氏は演説の中で、ケネディ大統領の次の言葉を紹介している。
「われわれは真に勇気ある人間であったか?『敵に対抗する』勇気のほかに、必要な場合には『自己の仲間に対しても抵抗する』だけの勇気を持っていたか?」
本文を読んでみたくなったでしょうか?。
「議会の品位」が失われていることを嘆く櫛渕氏を、「国会議員としての品位」も無い人たちが、「議院の品位を傷つけた」などと騒ぐ。
やはり、懲罰騒ぎそのものばかりではなく、今の国会の有り様を「茶番」と指摘するのは、
「正鵠を射た」ものと言えよう。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/583.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/253622
今世界で稼働している原発の「設計寿命」は40年〜60年とされている。
世界最初の原子力発電所は、1954年6月に運転を開始したソビエト連邦のオブニンスク原子力発電所。
そんな歴史的原発も、2002年4月に閉業している。
原発の「設計寿命」を超えて、なお稼働している原発は世界中を探しても無いのではないか。
同様に、
原発の「設計寿命」を超えて、なお稼働させようとしている国は、日本以外には無いのではないか。
何故なら、「設計寿命」を越えて稼働させたときに「原発」がどうなるかは、「原発」に何が起きるかは、設計者はもとより、誰一人考えていないからだ。
誰一人、分からないからだ。そんな恐ろしいことは無い。
すなわち、「未知の領域」で稼働させることになり。安全を口にすることは到底出来ない。
「設計寿命」を越えて稼働させた原発が事故を起こしたとき、その責任の所在はどこにある・・・ことになるのか。
設計者の設計不良を問うのか、
製造物責任法に従って、製造業者に損害賠償責任を問うのか。
原発の「設計寿命」を超えて稼働させた電力会社に責任を問うのか。
原発の「設計寿命」を越えて稼働することを認可した、国、あるいは規制委委員に責任を負う意思があるのか。
あるいは、再び自然災害に責任を転嫁するのか。
福島の例を引くまでもなく、そもそも、責任を負える人間などいるはずもない。
誰一人考えていない「設計寿命」を越えての原発稼働。
何が起きるか、誰一人分からない「設計寿命」を越えての原発稼働。
そして
誰でもがわかる、いつかは事故を起こす「設計寿命」を越えての原発稼働。
一度事故が起きたときの対策も、責任の所在も不明確なまま、
原発「60年超運転」法が成立した。
自公維国などが賛成
電力業界の主張丸のみ
福島事故の反省と教訓どこへ
法律の成立を急ぐ、不純な意思は隠しようもない。
そのことを、怒りを込めて報じ、国民の覚醒を促している、東京新聞の記事。
以下に、その抜粋として「解説」の部分を転載する。(本文は上記URLに飛んで確認されたい。)
◆選挙で問うこともなく 政策大転換を強行した岸田政権
【解説】国会が可決したエネルギー政策の束ね法案は、脱炭素社会の実現を名目にした原発産業の救済法だ。老朽原発の運転延長認可を巡り、規制当局の原子力規制委員会が原発推進官庁の経済産業省に権限を譲り渡した事実こそが、電力会社を保護する流れが強まったことを象徴する。東京電力福島第一原発事故で今も苦しむ被災者の思いをくみ取らず、事故の反省と教訓をないがしろにした。
法改正の中身は、電力業界の意向に沿った。事故の翌年に導入された「原則40年、最長60年」とする運転制限は、業界団体の要望通りに延長できることに。原子力基本法には、業界側の主張を丸のみして原発への投資環境の整備さえも盛り込まれた。
岸田文雄首相の検討指示からわずか10カ月。原発政策の大転換は今回の法改正でおおむね完成する。政府が想定していないとしてきた原発の建て替えにも踏み出す構えで、事故前の官民一体で原発を推進してきた構図に逆戻りしかねない。
原発依存は一時的にはエネルギー価格高騰の抑制策にはなるのかもしれないが、核のごみの最終処分は解決の見通しはなく、膨大なコストと事故リスクを国民がこれからも背負うことになる。岸田政権は原発のデメリットに背を向け、きちんと説明することがなく、選挙で問うこともなかった。一方的に強行する政策決定は将来に禍根を残す。(小野沢健太)
福島第一原発事故後の原子力政策
事故から1年半後の2012年9月、当時の民主党政権は「30年代の原発稼働ゼロ」の方針を掲げた。政権交代した自民党は、この方針を撤回。21年10月に閣議決定した第6次エネルギー基本計画では、30年度の原発比率20〜22%を目指すとした一方で、「可能な限り原発依存度を低減させる」と明記。原発の新増設、建て替え(リプレース)も盛り込まなかった。
記事の抜粋は以上。
政府、自民党にとって「原発の利権」は、よほどのものであるということの証左でもある。
「国民の安全、安心」など、「鴻毛より軽し」とし、歯牙にもかけない、傲慢不遜な態度に、強く怒りを覚えない人はいないだろう。
こんな政府に、主権者である私達国民は、権力を信託していることを恥じなければならない。
先日、懲罰動議に対する「身上弁明」の機会を与えられた櫛渕氏は、その演説の中で、憲法前文の一節を取り上げている。
「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
国家は、国民の生存権を守るために存在する。
国家、そして信託された権力を行使する政府にとっては、国民の命は、常に「泰山より重く」なければならない。
憲法前文には、櫛渕氏が引用した上記一節に続き、次の言葉が記されている。
「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
「排除する」という行動は、われわれ国民に「生存権」と共に備わっている「抵抗権」の行使に他ならない。
憲法は、国民が信託した権力の「暴走を防ぐ」ためにある。
権力の暴走を「監視」するのは、国民の責務であり、権力の暴走を認識した場合には、「われら」は、それらを排除することを、憲法前文で宣言している。
今や、私達国民は、憲法で宣言した「貴い」行動を起こす時ではないのか。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/595.html
28. 達人が世直し[1989] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月02日 20:26:14 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1236]
「公邸で開かれた一族の忘年会で、裕子夫人ら総勢18名と写真に収まる岸田首相。後列には翔太郎氏の姿も。」
このようなシチュエーションの場合、「宴の主催者」は写真の真ん中に収まる岸田首相夫妻と相場が決まっている。
そして、長男の映っている位置は、概ね「宴会幹事」の立ち位置。
そう考えると、この「宴」を総理公邸を私物化した「公私混同」という犯罪と捉えたとき、主犯は他ならぬ岸田氏であり、翔太郎氏は従犯となる。・・・のだが。
息子にすべての責任を負わせて、自分の保身に走る。・・・あまり見かけない親の姿。
一般的には、わが子の悪事は必死に庇い、自分の悪事は、秘書にその責任を負わせると思われていたが、ここでは珍しい「公私混同」も行われている。・・・ということかな?
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/602.html#c28
21. 達人が世直し[1990] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月03日 21:21:16 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1237]
これは、「市長」とか「首相」とかと聞き間違えることを避ける意味があるのだろう。
言ってみれば業界用語。
下種なものでは、「生保」を「ナマポ」と言った自民党議員もいたが、これなどは、弱者を見下した、差別用語の部類に入るもので、間違っても赦されない。
一般的にも、「化学」の方を「ばけガク」と呼んだり、「私立」と「市立」が紛らわしいので、「わたくしリツ」「いちリツ」と読み分けることは普通に行われている。
訓読みと音読みを混ぜた、いわゆる「湯桶(ゆとう)読み」という読み方なのだそうだ。
これらは、目的は「同じ読みによって生ずる誤解」を避けるために考え出された、人の知恵の産物。
最初に知恵を絞り、言いだした人が必ずいるわけだ。
というところで、田島麻衣子参院議員の場合の「テトウ」はどうか。
「手当」を、通常の意味で使うことを拒絶した結果ではないのかと推察してみた。
「手当」「手当て」「テアテ」の意味は幾つかある。
1 ある物事を予測して用意しておくこと。準備。 ·
2 病気やけがの処置を施すこと。また、その処置。 ·
3 労働の報酬として支払われる金銭。
岸田首相の長男を対象にした場合、3番が近いが「労働の報酬」といったところが引っかかる。
首相の長男とはいえ、彼のとってきたこれまでの行動は、果たして「労働」と言えるものであったかどうか、極めて大きな疑問が残る。
そんな疑問がある中で、不用意に「手当(テアテ)」と表現すると、彼の行動が「労働」であったことを認めることになりはしないか。
「労働の報酬を支払う」、そのことを「よし」としない意思表示として、あえて「手当(テトウ)」と言うことは、嫌みではあるが、欧米仕込みの、また、元国連職員らしい、ウイットに富んだ表現と言えるのではないか。
これからは、永田町界隈の業界用語として、正当な「労働の報酬」ではない、不当(フトウ)な報酬のことを、「テトウ」と呼ぶことになるのではないか。
ウィキペディアに「「テトウ」という言葉、最初に使ったのは、日本の政治家、田島麻衣子参院議員」と記される。
ちなみに、「ウイットに富んだ」とは、
知的で気の利いた発言が当意即妙に出てくるようなさま、思わず感心するような知的レベルの高い応答が咄嗟に出てくるさま、などを評していう表現。
自分でも、・・・
ちょっと、苦しか〜。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/254472?rct=politics
浜田靖一防衛相は3日、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で講演し、国際社会に向かって、日本は「他国に脅威を与える軍事力は目指さない」と、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有に触れることも無く、一方的に、身勝手な虚言をさらけだす醜態を見せた。
講演を聞いてもらえていたとしたら、会場には「白々しい空気」が漂ったことだろう。
「よく言うわ・・・」という、あれ。
これもまた、日本の平和主義を過去のものへと押しやり、日本国民のこれまでの努力を台無しにするものだ。
こんな人物が、日本の安全保障を担当する大臣とは・・・。
そんな気分になる記事を東京新聞から拾った。
以下は、取り敢えずの記事の抜粋。
浜田靖一防衛相は3日、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で講演し、インド太平洋地域で衝突を防ぐために、同盟国・同志国と結束して対応する方針を表明した。岸田政権が進める防衛力の抜本的強化も抑止力を高めるためで「他国に脅威を与える軍事力は目指さない」と訴えたが、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費の大幅増には触れなかった。中国など周辺国に軍事大国化を図っているとみなされることを懸念したとみられる。(川田篤志)
浜田氏は、北朝鮮や中国を念頭に「弾道ミサイル発射を含む威圧的な軍事活動の常態化や、東シナ海や南シナ海で一方的な現状変更の試みが進展している」と指摘。「まずは外交努力が追求されるべきだ」と対話の重要性に触れた上で、昨年末に国家安全保障戦略など安保3文書を改定したことを紹介した。
だが、長射程ミサイルで相手の軍事拠点を攻撃する敵基地攻撃能力の保有や、今後5年間で防衛費を関連予算と合わせて倍増させる方針など、日本の安保政策を大きく転換させた具体的内容には言及しなかった。浜田氏は「わが国の防衛力の抜本的強化は、国際法の範囲内で、専守防衛の下で行う」とも訴えた。・・・
・・・浜田氏の講演内容について、政府関係者は米誌タイム(電子版)が5月、日本が「平和主義を捨て、自国を真の軍事大国にすることを望む」と紹介したことを踏まえ、「国際社会に軍事大国になることが目的ではないと強調したかった」と説明。敵基地攻撃能力に触れなかったのは、国際法違反の先制攻撃とみなされる恐れがあることを念頭に「相手に誤解を生む可能性があるから」と明かした。
記事の抜粋はここまで。
何処から指摘していけばいいやら・・・。
浜田防衛相が、「・・・防衛力の抜本的強化も抑止力を高めるためで・・・」と言いつつ、抜本的強化の具体的内容に触れなかったのは、その具体的内容とは「敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有と。その為の防衛費の大幅増」であり、そのことに触れると「他国に脅威を与える軍事力は目指さない」との訴えが、「欺瞞」であり、「大嘘」であることが、その場で明らかになってしまうからに他ならない。
それはさすがに出来なかっただろう。
そして、
「・・・浜田氏は「わが国の防衛力の抜本的強化は、国際法の範囲内で、専守防衛の下で行う」とも訴えた。・・・」と記事にある。
浜田氏には、「日本国憲法」は既に眼中には無いのではないか、との疑念を持たざるを得ない。
明らかに「憲法9条に違反」しておきながら、「専守防衛」の下と「嘘を吐く」。
浜田氏は、「敵基地攻撃能力に触れなかったのは、国際法違反の先制攻撃とみなされる恐れがあることを念頭に「相手に誤解を生む可能性があるから」と明かした。」と記事は報じている。
しかし、国際社会の認識は、そのような姑息な方法では、変えようもない。
日本政府が「反撃能力」と言い換えようと、日経新聞が紙上で解説している。
「▼反撃能力 相手のミサイル発射拠点などをたたく能力を指す。政府は相手が攻撃に着手した段階で行使できると想定する。「敵基地攻撃能力」とも呼ばれてきたもの」
岸田首相は、
「・・・他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)の行使事例を巡り「個別、具体的に判断する」
と明示を避け続けている。
しかし、既に日本政府は
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向けて公言している。
この言葉に、誤解が入り込む余地は無い。
(なので、あんた方もそうしたらいいよ・・・と言ったか、言わなかったかは、知らん。)
「反撃能力(敵基地攻撃能力)」を、どういう場合に、どのように行使するのかについて、これまでに日本政府が説明してきた、唯一の具体的事例だ。
とんでもないことを、してくれたものだ。
とんでもないことを、言ってくれたものだ。
自国に認める屁理屈は、当然、他国にも認めなければならない。
浜田氏にとっては、「他国に脅威を与える軍事力・・・」とはどういうものなのか。
「敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有」することは、相手を「武力により威嚇する」ことであり、「抑止力」と言う以上、相手に対して「敵基地攻撃能力(反撃能力)を行使すると表明することになる。
他国に対して「武力で威嚇し」、他国の領土にトマホークを撃ち込むぞと「武力の行使を表明する」ことは、他国に軍事的脅威を与えていることだと、認識できないのか。
どのように屁理屈を言おうと、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と記した日本国憲法に違反する。
憲法では、「永久に・・・」と強い言葉で禁じている。
そもそも、「敵基地攻撃能力」を言い換えて、「反撃能力」と言うのは、政府が国民を欺くための、「まやかし」でしかない。
相手からしてみれば、「我が領土への攻撃能力」に違いはない。
そして、事あらば、これを使うぞと他国を「威嚇」しているということになる。
北朝鮮が、ミサイルを打つたびに、「威嚇している」と日本政府が言うのと同じことだ。
政府が言い換えた「反撃能力」も、実は「憲法に違反する」ことに気づき、最近では、枕詞の様に、「自衛のため」という「使い古された」言葉が必ず付くようになった。
そして、こんなとんでもないことまで言い出した。
「敵基地攻撃能力」を言い換えた「反撃能力」は、「ミサイル攻撃から国民の命を守る盾の能力だ」
岸田首相が、
「ミサイル攻撃から国民の命を守る盾の能力だ」と言い募るのは、「自衛の為と言っていさいすれば、何でもあり」、を言い換えたに過ぎない。
この論理で行くと、あらゆる局面で、「自衛の為なら何でもあり」となるのに、そんなに時間は要しない。
しかし、改めて言えば、日本国憲法は、その「自衛の為なら何でもあり」を認めてはいない。
「専守防衛」とは、文字通り「守りに徹して、攻撃に抗う」ことだ。
政府、自民党は、アメリカの言いつけに従って、どうしても、日本を「戦争をする国」にしたいらしい。
日本は、「敵基地攻撃能力を保有する」ことも、「行使する」ことも、憲法で禁じられている。
政府が、いくら、主観的に「自衛の為の措置」と言っても、
トマホークを相手の領土に撃ち込み、そこに住む他国民、老若男女、子供、乳飲み子、を差別なく殺傷して、罪に問われない日本人はいない。
「トマホークの発射ボタンを押せる日本人がいない」ことがすべてを物語っている。
それは、日本の憲法下では、無差別大量殺人でしかないからだ。
私達は、日本を「戦争をしない国」のまま、後世に引き継ぐ、重い責任を背負っている。
憲法前文にある、「・・・われらの子孫のために・・・」ということばの重みを噛みしめる必要があるのではないだろうか。
日本は、日本国憲法で、「戦争をしない国になる」ことを誓い、「他国に軍事的脅威を与えない」と誓ったことを、国民が誠実に守ってきた。
そのことを国際社会が評価し、日本国民の姿勢を信じ、信頼してくれてきた・・・はずだった。
「専守防衛」の下での「専守防衛」の放棄。
一見矛盾した言葉だが、やっていることが矛盾しているのだから、表現も当然そうなる。
このことは、近隣諸国にとっては、極めて重大な関心事となるに違いない。
日本のこの動きを、どう判断するかは、日本側がするのではなく、近隣諸国の主観(軍事的脅威を感じるか否か)に委ねるしかないことを忘れてはならない。
岸田首相は、未だに、日本は「専守防衛」の考えを変えていないという。
中国政府は「日本は「専守防衛」を捨てた。」と公式の場で発言するようになった。
そして国際社会は、「平和主義だった日本・・・」と、平和主義の日本を過去形で語る。
この感覚のズレは、いつの日か、日本を国際社会の孤児としてしまうのではないか。
日本を再び戦火で焼いてはいけない。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/625.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/254620?rct=politics
俄かには信じ難いが、
「立憲民主党で、野田佳彦元首相の党代表待望論が浮上している。」
そうだ。
自作自演だとすれば、発信元は蓮舫氏だろうか?。
そして自身は(ナンバー2の)幹事長でもいいと・・・。
こんな記事が出るのも、最近の彼女が、やけに姦しいのと無関係ではあるまい。
総選挙が近いと言われている今、また、足の引っ張り合いを繰り返す積りなのだろうか。
そうだとしたら、これはもう、救い難い。
東京新聞が以下の様に報じている。
立憲民主党で、野田佳彦元首相の党代表待望論が浮上している。次期衆院選の獲得議席が150未満なら辞任するとの泉健太代表の発言を契機に「ポスト泉」が党内の関心事になっているためだ。昨年の故安倍晋三元首相の追悼演説以降、野田氏の存在感が増しているものの「民主党政権を転落させた張本人」(ベテラン)との批判も根強く、反発が出そうだ。
野田氏は5月27日、茨城県土浦市の講演で「自民党のライバルになる政党をつくらなかったら、政治に緊張感が出ない」と強調。「残り少ない政治人生かもしれないが頑張りたい」と述べ、政権交代可能な体制構築に注力する決意を示した。
野田氏が首相在任時の2012年12月、民主党は衆院選で大敗し、下野した。その後、民進党幹事長を務めた以外は党の要職に就いていない。立民リベラル系議員は「大勢の仲間を失った過去は忘れない」と不信感を隠さない。
記事は以上。
野田氏は「自民党のライバルになる政党をつくらなかったら、政治に緊張感が出ない」と強調したそうだが、そう言いつつ自身が政党を作るとは言わない。
そんな新党を立ち上げるほどの甲斐性を持ち合わせている風でもない。
鳩山、小沢コンビでオリジナル民主党が自民党を倒して奪取した政権を、いとも簡単に放り出し、後事を若者に託すことも無く、無謀な解散に踏み切り、結果、大敗し、易々と政権を失ってしまった張本人であることは、政治に無関心な人でも周知のことだろう。
民主党を支持してくれた国民に対して、易々と政権を失ってしまった、そんな大事の責任を感じているのか、いないのか。
何故か、今も、立憲民主党の奥の院でのさばっている。
そのことは、責任あるものが責任を取らない、責任を厳しく追求する緊張感も無い、そんなダレた雰囲気、自分が良ければの性向が、蔓延っていることの証左だろう。
そもそも、野田氏が総理大臣になれたのも、国民の審判を経てのものではなく、当時の民主党内派閥力学の結果であり、俗に言う「棚ボタ」でしかなかった。
そんな自省を知らない、勘違い男。
誰が「待望する」と言うのか。
「民主党政権を転落させた張本人」
「大勢の仲間を失った過去は忘れない」
党内の野田氏に対する不信感は、決して消えることは無い。
そして、民主党を支持していた国民は、「裏切られた」ことを忘れてはいない。
「裏切り」を忘れていた国民も、野田氏の顔を見ると思い出す。
野田氏が民主党を下野させ、その後、彼は政治家として「国民のために」何かをやっただろうか。
彼は、何のために政治家を続けているのか?
そんな責任感に疑問符が付き、信用度を全く失っている野田氏を待望する気持ちは、私には決して湧くことは無い。
今は、次の総選挙を泉代表の体制で戦うことを決めた以上、立憲民主党が「完全勝利」とはいかなくとも、次の次の選挙では「政権奪取」を狙えると、希望が持てる程度の「勝利」を勝ち取るように、全員が汗をかいて、地元で活動すべきではないのか。
もしも、泉代表を換えなければ選挙を戦えないと言うなら、総選挙の前に代表を換え、新体制で選挙に臨むのが道理であり、有権者に対しての誠意でもあろう。
戦う前から、目標に届かないことを望むような輩が、選挙後を睨んで蠢くような政党だとしたら、そんな政党に、有権者の期待が集まるはずなど無いではないか。
今、立憲民主党がなすべきことは、全選挙区で候補を擁立し、「政権奪取を目指す」目標と意気込みを有権者に示すことではないのか。
そういう戦いの結果としての150議席獲得なら有権者も納得するのだろうと思うところだ。
そういう結果を求めるならば、「野党共闘は必然だ」、というのが有権者の認識であり、期待するところだと思っている。
立憲民主党の単独政権を望むべくもない現状にあっては、政権奪取を口にする以上「連立政権」を目指すことしか選択肢は無い。
その為には「野党共闘」が必然であり、「野党共闘の旗」としての「連立政権構想」が無くてはならない。
その「連立政権構想」は、今までの「野党共闘」では示されることが無かった。
自公に対して「野合」の批判が少ないのは、曲がりなりにも、「連立政権」として政権が運営されているからと言えよう。
「連立政権構想」がまとめられれば、「野合」の批判も封じることができるし、「野合」との批判に有権者も耳を貸さないだろう。
候補者の擁立も「連立政権構想」の中で、全選挙区に戦略的に候補者を立てることが叶う。
有権者が「立憲共産」との誹謗中傷に惑わされるのも、「連立政権構想」で国民に訴えていないからに他ならない。
「野党共闘の旗」としての「連立政権構想」が無ければ、いくら高い目標を掲げたところで、有権者を、支持者を、奮い立たすことは出来ない。
久しぶりに使う・・・。
頑張れ!「野党共闘!」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/635.html
19. 達人が世直し[1991] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月07日 21:43:08 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1238]
以下のコメントは、2022年2月15日に、私が投稿したものの再掲から。
スレのタイトルは以下の通りで、赤かぶさんの立てたもの。
[政治・選挙・NHK285] <毎日新聞スクープ!>「うるさい、静かにしろ!」 入管施設「制圧」の実態 映像入手 赤かぶ
以下は私のコメントの再掲。
「痛い、痛い」
この記事を見て、真っ先に思い出したのが、あの言葉。あの事件。
「息ができない・・・」。
2020年5月25日、中西部ミネソタ州ミネアポリスで、黒人のジョージ・フロイド氏(当時46歳)が元白人警官のデレク・ショービン被告に殺害された事件で、フロイド氏が、必死に命乞いをした、最後の言葉。
「息ができない・・・」。
正常な人間が、正常な心理のまま実行できる行為とは思われなかった。
殺人者の警察官の平然とした表情が、より一層、狂気を感じさせ、写真を見るだけでも、恐れおののき、恐怖に震撼させられたことを覚えている。
まさか、それと同じ、まさに同じ事件が、この日本で起きていたとは、信じられない。
しかも、公権力を使って「正義」の名の下に行われているところも、米国と同じではないか。、
アメリカの警察官は、当然の如く訴追され、殺人罪で有罪となった。
日本が、法治国家であろうとするならば、当然、訴追し、裁判での裁きを下し、そして、再発防止を誓わなければならないのだろう。
公権力を使った「正義」の名の下の、暴力と、犯罪行為は、一入管のみならず、沖縄辺野古の反対運動においても、日常的にやられていることを知らなければいけないし、忘れてはいけない。
日本でも、Black Lives Matter、「BLM」運動を起こさなければならない、そんな国だったとは。
目を覆いたくなる思いだ。
しかし、この現実は、目を見開いて、しっかり見届ける必要が有る。
コメントの再掲はここまで。
あれから、1年以上経っている今、再びこのようなスレが立てられ、同様の動画、画像を、この目で見ることになるとは、思いもよらなかった。
驚きと共に、「日本人が・・・」という悲しみが、「日本人なのに・・・」という、抑えきれない怒りがこみ上げてくる。
「日本人として・・・」恥ずかしい。
そして、今回も、被害に会うのは決まっているかのように、貧しい国の人たち、専制と隷従、圧迫と偏狭に苦しめられている国の人たち。
偏見と、差別が隠れてはいないか。
>>9 で指摘されているように、
憲法36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
と明文化されている。
国家権力が暴走し、末端の公務員までが権力を濫用することを固く禁じたものだ。
このような犯罪を見過ごせば、何れは国家権力は国民に牙をむいてくる。
いや、既にあらゆる局面で、国家権力は暴走を始めていると言っても過言ではない状況にある。
行き着く先は、「戦争をする国」、「特高警察」がわが物顔で国民を恫喝し、拷問する、「新しい戦前」。
公僕であるはずのお役人様が、主権者であるはずの国民を「おい、こら!」と呼ぶ、いつか見た日本。
日本国民は、憲法前文で、誓った。
「・・・われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
入管職員の行為は、犯罪以外の何ものでもない。
もう一度書く。
日本が、法治国家であろうとするならば、当然、訴追し、裁判での裁きを下し、そして、再発防止を誓わなければならないのだろう。
そうでなければ、今回の様に、過ちと、犯罪が、延々と繰り返されてしまう。
われら日本国民は、これを「外国人の災難」と看過してはいけない。
暴走した国家権力は、暴力の矛先を、真っ先に国民に向け、そして国民を黙らせようとする。
なぜなら、国家権力を縛る「憲法」を確定したのは、「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とした通り、私達国民だからだ。
国家権力が暴走した時、国民は、権力にとっては目障りであり、邪魔者でしかなくなる。
傍観は許されない。
看過することも許されない。
その災厄は、何れ我が身に降りかかってくることは、歴史が教えてくれている。
4. 達人が世直し[1992] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月07日 22:30:23 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1239]
{・・・いま永田町は解散の話題一色で、総理の息子や親族の忘年会の話は完全にフッ飛んでしまいましたね」(自民党関係者)
いやいや〜、そうは問屋が卸しませぬ。
いま国民は、総理の息子や親族の「建造物侵入罪」の話題一色で、「総理の証言」で息子や親族に「前科者の汚名」を着せるのかどうかを固唾を飲んで成り行きを注視している。
そういう意味では「忘年会の話は完全にフッ飛んでしまいましたね」と言うのは当たらずとも遠からずか。
立件され、裁判にでもなれば、総理も証人として召喚され、偽証は許されぬ。
今度の総選挙の争点は、
総理公邸への「建造物侵入罪」、真犯人は誰だ。偽証しているのは誰だ。
そして、「公私混同」主導しているのは誰だ。
でないかい。
「建造物侵入罪」は非親告罪らしい。
もう、警察は事情聴取済ませたのかな?
https://www.tokyo-np.co.jp/article/255313?rct=politics
参院憲法審査会は7日、「参院の緊急集会」を巡って各会派が意見表明した。
「緊急集会」は、衆院解散後の緊急時に参院が国会の権能を代行する制度。
記事本文は、上記URLを参考にしてもらうとして、ここでは、別に掲載されている
「参院憲法審査会の要旨(2023年6月7日)」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/255314
を参考にするのが良いと考える。
そこには、各会派代表の発言の要旨が、まとめて掲載されている。
例えば、
山本順三氏(自民)
一時的な衆院議員の不存在という意味では、衆院解散も任期満了も変わりなく、任期満了時にも参院の緊急集会による対応を認めうる。(期間について)70日間を大きく超えることは、憲法の想定外だ。緊急集会は有事の場合に活用できないものではないが、(憲法に)有事を想定した制度が十分に整備されているとは言えない。緊急集会に加え、緊急政令や緊急財政処分、議員任期延長について議論を深めるべきだ。
といった風だ。
論評を加える前に、私たち主権者たる国民が確定した憲法の「役割」を確認するのがよさそうだ。
「憲法は国家権力を縛るもの」
だと言われている。
その通りだ。
つまりは、
憲法は、「国家がやってはいけないこと」、あるいは「国家がやらねばならないこと」を国民が決めて、最高法規に記したものだ。
上記の山本順三氏の発言要旨で触れている緊急集会の期間について、「・・・70日間を大きく超えることは、憲法の想定外だ。・・・」
と言っているが、果たしてそういうことを謳っているのだろうか。
憲法54条
衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
A 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。 但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
そもそも衆議院の解散は、
憲法69条で、
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
と衆議院で不信任と議決されたときに、そのことを「了」とせず、国民に「信を問う」ために、衆議院を解散することが認められている。
内閣が衆議院を解散できる憲法の規定は、この場合しか見つけることは出来ない。
これまで乱発されている、所謂7条解散は、憲法にその根拠は無い。
憲法7条は、「天皇の国事行為」を項目別に列挙し、それとても、内閣の助言が必要であると規定しているに過ぎない。
したがって、7条を根拠に、主権者である国民が国民の代表を送り込んだ衆議院を解散するのは、明らかに憲法違反でしかない。
総理大臣と言えども、国民の代表として選ばれた国会議員の身分、権限をはく奪する権限は与えられていない。
それを認める憲法の規定は無いし、三権分立の考え方に照らしても、行政府が立法府の上位に有るがごとき「所謂7条解散」はあり得ない。
そう考えれば、内閣不信任が議決されての衆議院解散では、次の総選挙は可及的速やかに実施されないといけないことはすぐに理解できるし、国会も速やかに招集されないといけないという規定は当然のこととなる。
本来の趣旨に則れば、70日は短い方がよい。
衆議院が不存在の状況で、行政を動かす立法処置が滞るのは避けなければならないのは当然であり、そのための参議院の「緊急集会」の開催を要請することを、内閣に認めているということだ。
このような参議院の緊急集会制度には、政府の専断を排し、議会の統制なしには立法
や予算などの重要な決定をさせないよう、あくまでも国会中心主義を貫こうとする趣旨
が現れているとされる。
別の言い方をすれば、単独の国家機関の判断により講じられる緊急の措置は、「権力簒奪の危険」があり、これを極力回避するため、「内閣」に緊急集会の要求権と案件を定める権限を、「参議院」に審議・議決権を別に帰属させたということになる。
従って、憲法の趣旨は、「衆議院不存在の状況」における、緊急避難、暫定処置として、立法府の権限を参議院「緊急集会」に委ねることを認めたということだ。
整理すれば、70日という日数は、「緊急集会」を認める期間ではなく、解散から次の国会召集までの許される最大期間として、内閣に「やらねばならないこと」を明文化し、「縛り」をかけたものだ。
また、政府、自民党が緊急事態条項で目論む、山本順三氏の発言にもある「緊急政令や緊急財政処分」などの国会の機能を、緊急時を理由に一時的にでも内閣に集中させる危険を予測し、衆議院不存在の期間でも、立法府の権限を参議院「緊急集会」に委ねるよう配慮したものと言えよう。
そのことは、緊急事態を理由にして、立法府の権限を剥奪し、内閣がすべての権限を掌握するようなことは、「やってはいけないこと」として憲法に規定しているという事に他ならない。
政府、自民党が目論む「緊急事態条項」は、国民から主権を簒奪するための危険極まりないものあり、国民にとっては、「百害あって一利なし」の代物だ。
国民の基本的人権を、一瞬たりとも制限するような「緊急事態条項」を、憲法に書きこむようなことを、当の国民が望むはずもない。
「憲法は国家権力を縛るもの」、「国民を縛るものに非ず」。
憲法第11条には、
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。 この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」
として、この憲法を貫く最も基礎的な原理として記されている。
そして。憲法前文には、
「・・・この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」
とまで書かれている。
音喜多駿氏(維新)(抜粋)
緊急集会を行えるのは70日以内で、その限界を理由の一つとして、緊急事態条項が必要だ。・・・
これまでの説明で分かると思うが、音喜多氏の憲法に対する無知、解釈の幼稚さは、改めて指摘するまでもない。
注目すべきは、れいわ新選組の山本共同代表の発言。
「・・・非常事態だからこそ、制約はあっても国民に1票を投じる権利を保障することが重要で、非常事態への対応を含め政権は国民からの評価を受ける必要がある。・・・」
このような意識が、多くの国会議員に共有されていれば・・・と思わずにはいられない。
その他には、
杉尾秀哉氏(立憲民主)、西田実仁氏(公明)、大塚耕平氏(国民民主)、山添拓氏(共産)、の発言要旨も掲載されている。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/255314
で確認されたい。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/656.html
18. 達人が世直し[1993] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月11日 14:00:26 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1240]
「庇護申請国へ不法入国しまたは不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない」
と規定していることも、
「難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされる『おそれがある』国へ強制的に追放したり、帰還させてはいけない」
とまで明記していることも、至極当然のことと思う。
日本国民は、憲法前文でこう宣言し、誓ったではないか。
「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。・・・」
われら日本国民と同様に考え、かれら「難民となった人たち」の多くが、
「・・・・・・平和を愛する日本国民の公正と信義を信頼して、かれらの安全と生存を保持しようと決意した。」
として、日本に庇護を求めてきたのではないのか。
そのことを、拒否するのであれば、あまりにも身勝手な、日本国憲法での日本国民の宣言、誓いではないか。
そうだとしたら、世界の人々を欺いたことになり、その欺瞞性は万死に値するだろう。
「・・・われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認」
したはずだ。
日本人の良心は、数百人、数千人の「難民を騙った」犯罪者の逃亡に利用されることを悔やむより、一人でも多くの「恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する」ことを願って日本を選んだ「難民」の人たちを支援すべきと考えるべきであり、そんな人たちをみすみす危険な母国に追い立ててしまうことがあるかも知れないこを悔やむべきなのではないか。
小林先生の曰く、
「もうひとつ、出入国在留管理庁の組織としての人権軽視のような体質が気にかかる。」
「その「人を人とも思わない」組織の感覚が恐ろしいと気づくべきである。」
私としては、こちらの危惧の方が大きな問題だと考えている。
このような「体質」「感覚」は、その根底に「偏見」と「差別」の感情が内在しており、さらには「公権力の乱用」そして「公権力の暴走」を表すものだからだ。
そういう公権力は、「公」の暴力となって、いずれその矛先は国民に向けられる。
そのことは、歴史が証明している。
行き着く先は、「戦争をする国」であり、近隣諸国と「その国の人たち」ばかりではなく、日本国民をも、「隷従」させ「圧迫」する「悪しき日本」。
そこには、われら日本国民の「恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利」は無い。
山本太郎という若者を、体を張った行動に駆り立てる前に、
私たちは、そのことに、「気づくべきである。」
26. 達人が世直し[1994] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月11日 15:00:37 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1241]
そうだ!、維国両党は野党の仮面をかぶった“ゆ党”だ。
その“ゆ党”が屁理屈を述べて、不信任決議案の提出に難癖をつけて牽制している。
なぜなら、不信任案に賛成するのは憚られる。
かと言って、反対するのは“ゆ党”をみずから表明するものでしかない。
それは、今は避けたい。・・・
もう少しで連立政権の仲間に入れてもらえそうな大事な時期だ。・・・
と言ったところではないか。
そもそも衆議院の解散は、
憲法69条で、
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
とある。
今回の様に、“ゆ党”が不信任案の提出に賛同しないのなら、「信任の決議案」を提出するという手が有りそうだ。
そのうえで、“ゆ党”以外は「信任の決議案に反対」すればいい。
“ゆ党”はどうするか。
賛成すれば、現内閣を「信任」したことになる。
賛成か反対か旗幟をはっきり示さざるを得ない。
政府も、立憲民主党から出された「信任決議案」を「解散の大義」と考え得る、とはならないだろう。
「信任決議案」の提案理由の説明で、内閣の不正義を洗いざらい論い(あげつらい)、内閣を罵倒したうえで、最後に「褒め殺し」にしてしまえばいい。
ただし、解散を恐れているようでは、「何も出来ない」。
「与党を追い込み、解散を自ら勝ち取って、戦いの場に与党を引きずり出す。それが本来の野党第1党の姿でしょう」
総選挙の対立軸は山ほどある。
有権者に訴えが届けば、政権交代もあり得るかも知れない。
政治は一寸先が闇。
野党を支持する有権者は、「闘う野党」を待っている。
「信任決議案」、野党が提出することを禁じられてはいない。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/256055?rct=politics
11日のNHKの日曜討論の記事が載っていた。
東京新聞の記事のタイトル。
「不信任は解散大義―自民 衆院選受けて立つ―立民」
何か間違っていそうな予感。
記事の内容はタイトルの通りのようなので、間違ってているとしたら、自民党であり、立憲民主党であり、その他の党も同様で、いつも偉そうにしている議員さんたち。
古来、「センセー」でも間違う事ことはある。
その「センセー」たちの一番いけないところは、「間違いを正そうとしない」こと。
間違いに気が付いていないとしたら、それは「センセー」として最も「恥ずかしい」こと。
「過ちて改めざる是を過ちという」
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
そんな思いにさせられる記事を拾った。記事全文、以下の通り。
「与野党幹部は11日のNHK番組で、最終盤の国会対応を巡り討論した。自民党の井上信治幹事長代理は「衆院解散は岸田文雄首相の専権事項だが、野党が内閣不信任決議案を突き付けるなら、国民に信を問う大義になり得る」と述べた。立憲民主党の岡田克也幹事長は、解散には十分な大義が必要だとした上で「解散するなら受けて立つ」と強調。内閣不信任案を提出するか否かは泉健太代表が最終的に決めると説明した。
日本維新の会の藤田文武幹事長は、立民が内閣不信任案を提出しても賛同しない意向を表明。同時に「解散するならぜひしていただき、国民に信を問うべきだ」と主張した。
公明党の石井啓一幹事長は内閣不信任案への対応について「国民に信を問う課題がある場合、解散につながる可能性はある。そうでなければ粛々と否決する」との見通しを示した。
共産党の小池晃書記局長は「岸田政権は全く信任に値しない」と述べ、内閣不信任案が提出されれば賛成するとした。
国民民主党の伊藤孝恵副幹事長は内閣不信任案が提出されても「同調しない」と語った。」
以上が記事の全文。
憲法69条には、こう記されている。
「センセー」ともあれば、一度は読んだことはあるだろう。
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」
この憲法を信じるならば、「内閣に解散権が生じる」のは、「衆議院で不信任の決議案を可決した」場合か、もしくは、「信任の決議案を否決した」ときのいずれかの場合となる。
内閣は、その時に初めて、衆議院の解散権を得た上で、「衆議院の解散」か、「内閣の総辞職」の二者択一の選択を迫られることになる。
憲法はそのように記している。
従って、これまで乱発されている、所謂「7条解散」は、憲法にその根拠は無い。
政府は、内閣が衆議院の解散を決定することについて、憲法上これを制約する規定はないとして、そのことを所謂「7条解散」が適法との根拠にしている。
憲法7条は、「天皇の国事行為」を項目別に列挙し、それとても、内閣の助言が必要であると規定しているに過ぎない。
したがって、7条を根拠に、「主権者である国民が国民の代表を送り込んだ衆議院」を解散するのは、明らかに憲法違反でしかない。
総理大臣と言えども、国民の代表として選ばれた国会議員の身分、権限をはく奪する権限は与えられていない。
政府は、「内閣が衆議院の解散を決定することについて憲法上これを制約する規定はない」と言う。
この表現は明らかな誤りであろう。
憲法69条は、内閣に衆議院の解散を決定する権限を認めているのではなく、
内閣に、「衆議院の解散」か、「内閣の総辞職」の二者択一の選択をしなければならない。
と規定している、ということだ。
内閣は、そのどちらかを選ぶことが出来るという意味で、
「そのどちらを選ぶか」そのことが、内閣の「専権事項」と言えよう。
そして、「衆議院の解散」を選択した場合には、その後の手続きは、憲法7条に従って、天皇の国事行為として「衆議院の解散」を宣言するということになっていく。
もっと分かり易くいえば、首相には、常時「衆議院の解散」権があるのではなく、「衆議院で不信任の決議案を可決した」場合には「衆議院の解散」を選択する権限があるというのが正しい。
無条件で、内閣に衆議院の解散を決定する権限を認めている憲法の規定は無いし、三権分立の考え方に照らしても、行政府が立法府の上位に有るがごとき、所謂「7条解散」はあり得ない。
衆議院の解散権が立法府と行政府の均衡を保つ見地から、憲法が行政府に与えた国政上の重要な権能であるというならば、その権能が生ずるのは、内閣不信任案の可決または、内閣信任案の否決のいずれかの局面においてのみと考えるのが妥当だ。
何時までも、衆議院解散は「首相の専権事項」だとか、「伝家の宝刀」だとか、寝ぼけたことを言うのは止めたらどうか。
所謂「7条解散」は憲法に違反する。
このことを、国会で明らかにすべきではないのか。
自民党の井上信治幹事長代理は言う。
「・・・野党が内閣不信任決議案を突き付けるなら、国民に信を問う大義になり得る。」
日本語になっていないことがわかると思うが・・・。
ここで「大義」とはどういうことを言うのか、おさらいしておくのも意義が有る。
調べると、「大義」とは、
・人として守るべき道義。特に、国家・君主に対して尽くすべき道のこと。
・重要な意義。大切な事柄のこと。
の意味として用いられている。
とある。
現代風に書き直せば、
・人として守るべき道義。特に、国家・主権者たる国民に対して尽くすべき道のこと。
一方、「大儀名分」と言えば、意味がガラリと変わる。
「重大な行動を起こす際の名目・根拠・事由」をさす。
となる。
国会議員には、特に野党の国会議員には、政府の不正義を見過ごすことなく、また、政府が国民の信任に違えた政策を実施しようとしている場合は、国会で厳しく追求、批判し、政府の行動を改めさせる責務がある。
それでもなお、改善が見られなければ、躊躇なく「内閣不信任決議案」を提出し、内閣の「非」を広く国民に訴え、内閣を厳しく糾弾すべき立場にあることを忘れてはならないのだと思う。
そういう行動こそが「大儀」というものだ。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/695.html
1. 達人が世直し[1995] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月12日 22:40:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1242]
スレ主です。
肝心なところで間違ってしまった。
「大儀・・」→「大義・・」
訂正します。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
8. 達人が世直し[1996] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月13日 18:16:00 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1243]
スレ主ですが・・・。
私がこのスレを書いていて、改めて強く感じたのは、
日本国憲法では、そもそも衆議院を解散する「解散権」などというものは、誰かの権限として付与することを、想定していないのではないのか。
ということです。
「憲法は国家権力を縛るもの」
だと言われている。
何故か。
自然権思想が、近代立憲主義憲法の大前提となっていて、「もちろん」日本国憲法も、「自然権思想」を大前提に作られたものだ。
自然権思想とは、人は生まれながらにして自由かつ平等であり、生命や財産についての「自然権」を有するとする考え方のこと。
自然権とは、思想、考え方。
社会契約とは、自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、自然権保護を国家に委ねる契約。
纏めると、
自然権思想、考え方に基づいて、自然権保護を国家に委ねる社会契約をし、その国家が、やってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)。それが、憲法。
つまりは、
憲法は、国民の権利・自由を守るために、「国家がやってはいけないこと」、あるいは「国家がやらねばならないこと」を国民が決めて、最高法規に記したものだといえる。
ロックは、自然権を「生命,身体および財産」への権利であるとし、国家はこの「自然権」を保障するための組織であるから,いかなる国家権力も自然権を侵害することは許されず,そのような侵害に対して人民は「抵抗権」を持つと主張した。
衆議院が内閣不信任決議案を可決するということは、自然権思想で言う「抵抗権」の行使に他ならない。
国民の自然権を守るために一定の権力を信託したことを「解消する」という宣言と言えよう。
憲法69条においてすら、「解散権」という言葉が使われていない。
ただ、「・・・衆議院が解散されない限り、・・・」とあるだけだ。
憲法は、内閣不信任案の可決によって、その内閣に信託されていた「国家権力をはく奪する」という「抵抗権」を担保し、その場合の内閣の取りうる対応は、
「衆議院の解散」か、「内閣の総辞職」の二者択一だと記した。
このことから言えることは、内閣に与えられているのは、「衆議院の解散権」などというものではなく、憲法が示すところの、「衆議院の解散」か、「内閣の総辞職」の二者択一の「選択権」に過ぎないと言えよう。
国民から国家権力を一時(いっとき)信託されているに過ぎない内閣が、「主権者である国民が、国民の代表を送り込んだ衆議院」を解散することは、
「自然権思想」を大前提に作られた日本国憲法の理念から外れるものだ。
そう考えた時に、演繹的に導き出される結論は、
「日本国憲法では、そもそも衆議院を解散する「解散権」などというものは、誰かの権限として付与することを、想定していない。」
となる。
従って、憲法上からは「衆議院の解散権」という言葉は生じない。
「衆議院の解散権」というものが無ければ、憲法にそういう言葉が無いことは理解できる。
敢えて言うならば、「衆議院の解散」とは、
内閣不信任決議案の可決という想定された局面に対して、憲法が(すなわち主権者である国民が)「予め決めて」明記した、内閣の取りうる選択肢の一つと言えよう。
この場合、内閣が行使するのは、「選択権」ということになる。
日本国憲法に、「衆議院の解散権」というものは、規定されていない。
主権者が国民である日本において、国民の代表が集い、国の最高意思決定機関である国会(衆議院)の解散権を誰かに与えることを憲法が想定していないのは当然と言えば当然だろう。
憲法が自然権の放棄を想定していないことと、同じことだ。
従って、私の得た結論は、日本に「衆議院の解散権」なるものは無い、ましてや内閣にそんな大それた権限を付与するはずもない。
それを「ある」と言い募って「行使を始めた」のは、「権力」を信託された側であることが、すべてを物語っている。
10. 達人が世直し[1997] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月13日 23:10:58 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1244]
>>9 氏
丁寧な説明深謝。
氏が、69条の条文を引いて、
>解散を実行することが出来るのは内閣であることは分かります。
ということは、結局は、どの通説も「解散実行権」は、69条で言う
「・・・衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき・・・」
に、「衆議院の解散」か、「内閣の総辞職」の二者択一を内閣が迫られ、その際に「衆議院の解散」を選択した場合に、内閣に付与される権限、と言うことになりますね。
69条で、「・・・衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき・・・」と、明確に、限定的に規定されている以上、
氏が説明してくれている「その他の解釈」は、入り込む余地は無く、憲法解釈というよりは、後付けの「べき論」のきらいを拭えない。
そういう意味では、「・・・衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき・・・」
という、狭い規定は重たい。
あえて、「狭く」し、「広く解釈することを許すことで、権限の濫用が起こること」を防止しているとも言える。
氏も言う、
>しかし、現状では総理に次期総裁選を有利にするためなどと解散の趣旨に反する解散も行われてきてる。
これなどは、解散権の誤用、濫用以外の何物でもなく、憲法違反でしかないのでは。
15. 達人が世直し[1998] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月14日 17:33:36 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1245]
氏の言う、
>解散権(解散とすべきところと思うがそのまま引用)は行政と立法府の意見が相反するために正常な機能に戻すためのものであると解釈すれば、・・・
については、
>>12 氏の以下の説明が氏の誤りを指摘している。
>・・・納税義務を持つ国民が主権者として代表議員を出し、議員は公金資金の使途の優先順位を憲法に準じた国会決議で決定、その決定に対し粛々と瑕疵誤謬なきよう実務を行うのが行政機構だ。
12氏に同感です。。
そして、国会には、行政機構に瑕疵誤謬が無いかを監視する「行政監視機能」という重要な責務も与えられている。
氏が言うところの、
>・・・行政と立法府の意見が相反するため・・・
との一文は、議院内閣制の政治形態の中で、国会(立法府)内の与党と野党の意見の相違のことと混同しているのではないか。
国会で与野党の意見が相違し、対立することは別段異常では無い。
最後は多数決で決するというルールに従うことを前提にして、それでも、互いの意見を戦わせ、少数意見をも尊重し、相違を小さくする努力を尽くす、ということが国会議員に求められる「大義」というものではないか。
衆議院の解散とは、いみじくも、氏が>>6 で述べているように、
>・・・現議員の地位を剥奪する行為であり、
国会内の与野党の意見の相違を、正常では無いとした上で、それを
>正常な機能に戻すためのものであると解釈して
そのことを実行する「大義名分」は、行政府の長としての総理大臣にはあろうはずもない。
と言えますよね。
そして、
「日本国憲法では、そもそも衆議院を解散する「解散権」などというものは、誰かの権限として付与することを、想定していないのではないのか。」
という思いを、ますます強くしたところです。
「衆議院の解散権」があるとしたら、それを有するのは、「主権者たる国民」のみ。
そのことを「主権者たる国民が確定した憲法」の69条に、
衆議院で内閣不信任決議案が可決した「内閣」が取りうる対応の選択肢に、「衆議院の解散」と「内閣総辞職」のいずれかを認めると記した、そのことが国民の「衆議院解散権」の行使なのではないか。
今、私の認識はここ。
氏の言う、
>解散権は行政と立法府の意見が相反するために正常な機能に戻すためのものであると解釈すれば、解散は上記のような状況が起これば解散をして改めて国民の民意を問い正常に戻す権利と解釈できる。
と、読みとれる憲法条文は見つけることができていない。
やはり、「べき論」なのではないか。
17. 達人が世直し[1999] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月14日 20:53:50 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1246]
>>16 氏
憲法69条の規定に従えば、「衆議院の解散」という事象は、
「衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」
に「起こり得る」ことになる。
このことを逆な言い方をすれば、
衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき「以外」では、
「衆議院の解散」という事象は、「起こり得ない」ことになる。
すなわち、憲法では、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき「以外」では、「衆議院の解散」という事象は想定していないことを示している。
>・・・内閣に(大臣は民間人でも可能)解散権を持たせても・・・
というのは、氏の意見であり、「べき論」です。
「憲法の解釈」と、「べき論」は区別することが必要です。
堂々巡りになり始めたきらいがあるので、私はここまでにします。
今後も、私のスレを目にしたときは、時間の許す範囲でご意見ください。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/695.html#c17
https://www.asahi.com/articles/ASR6H53H9R6HUTFK00P.html
立憲民主党も「内閣不信任決議案の提出をする」と、いよいよ腹をくくったか?。
「ゆ党」どもからは、年中行事のごときとの、バカな中傷もあるが、意に介する必要は全くない。
当然、壇上に立つのは立憲民主党の泉代表、どのような「趣旨弁明」を行うのか、楽しみだ。
そんな期待を抱かせる、「防衛財源確保法案が委員会可決」の記事。
以下は記事抜粋。
歴史的な防衛費増額を裏付ける財源確保法(財確法)案は15日の参院財政金融委員会で、自民、公明両党の賛成多数で可決した。立憲は、政権運営全般の責任を問う内閣不信任決議案の提出を検討しており、同法案の採決は受け入れた。16日の参院本会議で可決、成立する見通しだ。
立憲は同法案を後半国会最大の「対決法案」と位置づけていた。日本維新の会や国民民主党を含む他の主要野党も「安易な増税につながる」と足並みをそろえて反対。立憲は、衆院審議で委員長解任決議案、財務相不信任決議案を次々提出して抵抗し、採決日程を遅らせてきた。・・・
・・・立憲の斎藤嘉隆・参院国会対策委員長は15日、記者団に「(採決は)時期尚早だという思いに変わりないが、様々な状況を総合的に勘案し、やむなく応じる」と説明。さらに、提出を検討する内閣不信任案に触れ、「1人の委員長、1人の大臣に責任を取れということが果たしてどうなのかといったことを考え合わせた上での判断」と語った。(楢崎貴司)
記事の抜粋はここまで。
現在の衆議院における与野党の勢力図を考えれば、野党が「内閣不信任決議案」を提出したとしても、残念ながら可決される可能性は無い。
従って、政府提出の立法を阻止することは出来ない。
しかし、「内閣不信任決議案」提出の効用を、「内閣不信任決議案を与党に否決させることによって、政府の政策的な責任の所在を明確にするという野党の態度表明・意思表示をするものである。」と捉えれば、その効果は絶大と言えよう。
提出された「内閣不信任決議案」が本会議に付されれば、最初に、「趣旨弁明」が行われる。
前回の枝野立憲民主党前代表の「趣旨弁明」も、その長さを感じさせないくらいに、聞きごたえがあったが、今回はそれに勝るとも劣らないものを期待したい。
24時間テレビの国会版を見てみたい気もする。
折角得る「趣旨弁明」の機会。
専守防衛の放棄、原発の60年超の稼働、マイナンバーカード関連の不祥事の数々、統一教会問題のやる気のない対応、防衛費確保のための増税、繰り返される公私混同の振舞、などなど、書き出したらきりがないが、これらを全て一つ一つ丁寧に取り上げ、国民に分かり易く問題点をつまびらかにしてもらいたい。
目の前にいるのは、国民。有権者。
国民は、今、物価高に生活の不安を募らせ、台湾有事を煽られて生命の危険を感じている。
そして、国民を無視した自民党政治、憲法違反の政策、閣議決定という独裁、政治家の利権漁りと公私混同の数々に、やり場のない怒りを感じ、爆発寸前。
近いうちに、その怒りは臨界点に達する。
そんな国民に向かって、岸田内閣の不正義を洗いざらい述べたて、ありったけの非難を浴びせ、罵倒してほしいものだ。
それらは全てが、総選挙での対立軸になりうるだろう。
この場合は、紳士を装うのは逆効果をもたらす。
腹の底から湧き上がる怒りを国民に訴えることで、初めて国民の思いとシンクロすることができる。
そして、「共振」し、その振幅、威力は大きくなる。
そこから先は、「政治は一瞬先は闇」。
政権交代が起こることを否定するものは何もない。
無党派層を引き付け、希望を持ってもらい、動かすことができれば、そのエネルギーで「山は意外と簡単に動く」かも・・・
泉代表は、自身の政治生命をかけ、日本の政治史に残るような「名演説」を目指し、来る解散総選挙での起死回生、乾坤一擲の戦いに備えてもらいたいと思うところだ。
但し、「野党共闘」の「旗」としての「連立政権構想」は必須だ。
そのあたりがちょっと心配というか、不安が残る・・・。
それでも叫ぼう・・・頑張れ!「野党共闘!」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/718.html
2. 達人が世直し[2000] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月17日 17:16:18 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1247]
「生ぬるい野党第一党による不信任案には「棄権」するものである。」
「棄権」したことを批判するつもりはないが、この理由説明は無意味であり、「潔し」としない。
党が違う以上、その戦い方は千差万別。
「しょうがない」というものではないか?
自党と闘い方が違うからと言って、野党同士が対立しているようでは、統一教会ではないが、「自民党の想う壺ならぬ 思う壺」でしかない。
政権党は「利権」で固まる。
野党は「理念」で離散する。
いつまで同じ過ちを繰り返し、過去の遺恨を引きずるつもりなのか。
淵節氏の懲罰動議に賛成した、そのことが、一つの要因としてあるとすれば、それでは、今の立憲民主党と何ら変わらない振舞ということになろう。
野党は「理念」で離散する。
間違いなく、そのことが「野党共闘」が政権奪取に手が届かない理由の一つだ。
「敵の敵は味方」くらいに、もう少し「ゆるく」構えるくらいでないと、人は集まらないと思うのだが。
野党は「共闘」しなければ、自公を倒せない。
あの自公ですら「共闘」しなければ、今の状況は無いと自覚して、東京で大騒ぎしているではないか。
野党が共闘するには、それぞれの党の理念、政策、方針の違いを認め合う、寛容さは絶対に必要だ。
政策や方針の、その一つでも違えれば、「死んでしまう病」でもなかろうに。
闘い方もしかりだろう。
その寛容さが無ければ、「野党共闘」を叫ぶ資格は無い。
泉立憲民主党代表は、
「他党との候補者調整について、「維新ともやらない。共産党さんとも、基本やっぱりやらない」と発言。野党候補の一本化路線と決別し、「選挙は独自でやる」とも言い切った。」(朝日新聞デジタル)
と新聞記事に取り上げられる始末だ。
今の泉氏では、「野党共闘」は出来ない。
従って、間違っても、政権交代は出来ない。
他者の批判に易々と惑わされ、寛容さもなく、懐も浅い。
反省を待つしかない。
そして、「小沢一郎」氏が動いた。
「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」
「現在の党に単独で(政権交代を)実現しうる十分な力量がないことは謙虚に真摯(しんし)に認めつつ、他の野党とも十分に連携すべきだ」。
小川淳也前政調会長は、国会内でそう訴えた。
泉氏にガン無視されようと、共産党は「野党共闘」の必要性を確信し、今でも協議の門戸を閉ざしてはいない。
むしろ、積極的に呼びかけている。
れいわ新選組も、「野党共闘」の接着剤になるくらいの役割を担え。
令和の亀山社中、令和の海援隊たれ。・・・「令和の龍馬たれ。」
れいわ新選組が「生ぬるい野党第一党」と批判する党の代表だが、それでも昨日の「趣旨弁明」の中で、「国民の生活が第一」という言葉を取り入れていた。
最後は、「まだまだ言いたいことはたくさんあるが、このくらいにしといてやるわ〜・・・」と趣旨弁明を終わってしまったが・・・。
演説時間は、たったの30分。
「おい、おい!まだあるなら、言いたいことは全部言えよ〜。」
と思って、ソファーの上でのけ反った。
共産党の宮本氏の10分間あまりの賛成討論の方が聞きごたえがあったなぁ〜。
「敵基地攻撃能力の保有」、「原発の60年超の稼働」等々、泉氏では触れることができない問題にも、しっかり切り込んで糾弾していた。
最後は、声もかすれて、ダイビングではないが、体を張った賛成討論ということが伝わってくる「名演説」だった。
そういう闘い方もあることを、容認しなければ・・・、「野党共闘」など、夢のまた夢。
これまでの「野党共闘」に欠けているものは、「連立政権構想」。
言い換えれば、「野党共闘の旗」。
既存の野党のそれぞれの政策集とは一味違う、それぞれの欠点を補完し合った、連立政権としての政策集、公約、マニュフェスト。
相容れない政策は、政権を奪取するまでは、封印するくらいの寛容、覚悟も必要だ。
間違っても、候補者調整が、単に、他党への立候補取り下げ要求に堕してはならないのだろう。
れいわ新選組の描く「新しい政府」の有り様を聞いてみたい気がする。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/734.html#c2
63. 達人が世直し[2001] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年6月18日 21:46:24 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1248]
要するに、政権交代を実現し、自分達の理想とする政策を実行したいと思っているかどうかによって、小沢氏ほかの呼びかけに賛同するか、しないかが決まる。
政権を取らなければ、どんな理想を語っても、夢物語で終わってしまう。
「国民の生活が第一」の政策も、政権を取ったればこそ、実現できる。
現在の選挙制度は、「小選挙区比例代表制」だ。
その小選挙区では得票率が「1番」でなければ駄目なのだ。
「2番」では負けは負けだ。
一票差の「2番」でも、最下位と同じ。
野党の候補者が、その小選挙区で2番になった、3番になったと、喜んでみたところで、候補者の比例復活がどうのこうのということに影響するくらいで、国民の生活は何も変わらない。
今の選挙制度は、中選挙区制ではない。
にも拘らず、政党のあり様も、選挙の戦い方も、中選挙区制の選挙制度の時代のままになっていはしないか?。
2番で当選するために、労働組合の組織票のみをあてにして、労働組合にしか心配りしてこなかった、のそ慣習のまま、選挙戦を戦っていないか?。
労働組合を頼るだけなら、地域に密着した活動を重視するよりも、「労働組合詣で」が主な活動になってしまう。
その頼みの労働組合にしても、日本の現在の労働者の労働組合組織率は下がり続け、今では10%台の半ばから、良くても10%台後半。
「連合」だけを大切にしたところで、政権を取れるはずもない。
しかも、その「連合」自体が労働者を大切にしていないとなれば、猶更ではないか。
地域に密着した「どぶ板」の活動で地域の市民に信頼され、自民党の候補に勝たなければ、その地域で一番になれないのは自明だ。
小選挙区で明らかに「1番」になれそうもない候補者が、明らかに「1番」になれそうもない選挙戦をして、有権者に自分への投票を呼び掛けるのは、有権者に「死に票」を投ずるために投票所へ足を運べと言っているに等しい。
有権者からすれば、そんな不誠実な話は無い。
そのことが、そのことの繰り返しが、有権者の半数を越えるほどの多くの国民を、無党派層へ、政治的無関心層へ追いやっていることに気が付くべきではないのか。
今の選挙制度は「小選挙区比例代表」制。
小選挙区では得票率が「1番」でなければ駄目なのだ。
小選挙区では、反政権党が一つになって、政権党と1対1で戦うしかないだろう。
小選挙区で勝利し、政権奪取を目指すならね。
有権者に「生きた票」の投票を呼び掛けるならね。
野党各党が、それぞれ比例区での当選の上積みを目指すだけでは、とても政権を奪取出来ない。
今も野党を支援する人も、今は無党派層の人も、今はまだ政治に無関心な人も、
「もしかしたら、政権交代が出来て、「国民の生活が第一」の政治に変わるかもしれない」
と感じることができれば、きっと投票所に足を運んでくれるはずだ。
投票所は僅か徒歩5分か10分の距離のところにある。
往復でも、30分とかからない。
投票所に足を運び、投票しないのは、時間が無いからでも、おっくうだからでもなく、「希望が持てない」からだと知るべきだ。
野党は、常に「政権交代可能」な体制、闘い方で、少なくとも有権者に「政権交代可能」と思ってもらえる体制、闘い方で選挙に臨むべきではないか。
「政権交代」を期待する有権者の前では、自党の党勢拡大、党利党略といった思惑など「スカッ屁」と同じで、匂わせてはいけない。
「野党候補一本化で政権交代実現」
絶対にやってはいけないことは、「候補者一本化」の名目で、他党に「立候補を取り下げるお願い」に堕することだ。
今までは、そうなって失敗した。
そのことについては、これまでの立憲民主党の責任は重い。
立憲民主党は、絶対に同じ過ちを繰り返してはいけない。
立憲民主党として、調整結果によっては、予定していた公認候補を取り下げることも辞さない覚悟もって、他党に呼びかけられるかが、満願成就の試金石となろう。
「立候補を取り下げるお願い」に堕することを防ぐためには、「野党共闘」の旗を一つにすることだ。
それは、「連立政権構想」であり、野党共闘の「共通政策集」であり、公約、マニュフェストになるのだろう。
同じ政策を掲げる集団に「野合」の批判は起こり得ない。
候補者の選定も、連立政権を意識した、戦略的、戦術的なものとすることができ、共闘する党が皆納得したものとなり得るのではないか。
選挙が近くなると繰り返されるが、それでも叫ぼう。
頑張れ!「野党共闘!」
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230621-OYT1T50261/
かつて、これほど「言葉の軽い」首相がいただろうか。
いつも「丁寧に説明する」と「ぞんざい」に言うばかりで、彼の口から丁寧な説明どころか「説明」というものを聞いたためしがない、というのが私の実感だ。
記事によれば、
「首相は記者会見で、相次ぐトラブルについて、「重く受け止めている」と繰り返し、信頼回復に向けて丁寧に対応する姿勢を示した。」
とある。
「重く受け止めている」と繰り返すばかり、
同様に、「丁寧に対応する」、「丁寧に説明する」と繰り返すばかり。
そんな岸田首相の「言葉」は、まさに、「鴻毛より軽し」の言葉が相応しい。
マイナ保険証のトラブルに対しても、どんなシステム的不具合も、ヒューマンエラーも、「人命にかかわる問題」との認識は微塵も感じられない。
岸田首相にとっては、国民の命、健康などは、「鴻毛より軽し」なのだろうか。
そんな絶望的な思いにさせられる、マイナカードに関する情けないニュースが続く昨今だが、改めて岸田首相の記者会見を報じる読売新聞の記事を取り上げた。
以下は、記事の抜粋。
岸田首相は21日、第211通常国会の閉会を受けた記者会見で、2024年秋に現在の健康保険証を廃止する政府方針について、国民の不安払拭が大前提だとの認識を示した。25年秋までは「猶予期間」として発行済みの保険証を使えることも説明し、トラブルの再発防止に向けた対策を急ぐ考えを強調した。
首相は記者会見で、相次ぐトラブルについて、「重く受け止めている」と繰り返し、信頼回復に向けて丁寧に対応する姿勢を示した。
今月成立した改正マイナンバー法などの関連法では、健康保険証とマイナンバーカードを「マイナ保険証」に一本化することに伴い、マイナカードを取得しない人には「資格確認書」を発行し、保険が使えるようにした。関連法施行後、最長1年間は発行済みの現行保険証を利用できる経過措置も設けている。
首相は「現行の保険証の全面的な廃止は、不安払拭のための措置の完了が大前提だ」と語り、トラブルが収束しない場合には廃止期限を延長する可能性も示唆した。・・・
・・・「国がデジタルによって地方を支える仕組み」を構築するとして、首相は、デジタル化の促進による「令和版デジタル行財政改革」を実施する考えを打ち出した。デジタル化を通じた行財政改革を優先課題の一つに位置づける考えを示したものだ。・・・
・・・通常国会は21日、150日間の会期を終えて閉会した。政府が最重要法案に位置づけた防衛費増額のための財源確保法や、外国人の長期収容解消を図る改正出入国管理・難民認定法などが成立した。一方、自民、立憲民主両党は21日、相次ぐマイナカードを巡るトラブルを受けて、閉会中審査を実施することで合意した。
記事の抜粋は以上。
本題に入る前に、日本の首相の記者会見の時の風物詩になった感のある、「プロンプターを見つめ、必死に文字を追い、棒読みする姿」は何とかならないものか。
と、つくづく思わされる。
その姿は、あまりにも見苦しく、見るからに「国民の姿は眼中にない」ことを際立たせることにしかなっていない。
時には、演出も必要だと思うのだが・・・。首相の周りに、そんな人材はいない。
不自然に、顔を右に、左に、交互に動かす様は、まさに下手な傀儡子に手繰られた操り人形の如し。
テレビを見ている私などは、そっちは非常口、こっちはトイレの入り口、どっちを向いて話してるんだ、と思わず言ってしまいそうになる。
首相の目線の先は、トイレか、非常口、そこには主権者「国民」はいない。
官房長官のように、下を向いたまま、ひたすらメモ紙を読む姿もいただけないが、それでも正面を向いている分まだマシとも言えようか。
一刻も早く気が付いてもらいたいものだ。
閑話休題。
「・・・健康保険証とマイナンバーカードを「マイナ保険証」に一本化することに伴い、マイナカードを取得しない人には「資格確認書」を発行し、保険が使えるようにした。・・・」
ここで言うところの「資格確認書」とはどんなものなのか。
被保険者「資格証明書」とも違うようだ。
今でも、初めて健康保険証を受け取る人は、受け取りまでに1〜2週間かかるので、その間に医療機関の受診が必要な人は、被保険者資格証明書を即日発効してもらっているはずだ。
これらは、健康保険証の代替として機能するためには、健康保険証に記されている情報はすべて記されているのだろう。
私の最大の疑問は、
「資格確認書」は、今使っている「健康保険証」と何が、どう違うのか?
「健康保険証」を廃止して、「資格確認書」を新設する意味はどこにあるのか。
「健康保険証」と同様、身分証明書として使用できるのか?。
具体的な、丁寧な説明は一切ない。
しかも有効期限は1年で、更新手続きも窓口に「来い!」だと。
今時、何にしても申請が無ければ、自動更新に慣らされている私としては、毎年更新漏れに泣かされることになりそうだ。
死ぬまでマイナ保険証を持つつもりが無い人には、「資格確認書」申請時に自動更新を選択できるようにならないものか。
ここのところ毎日日替わりで明らかにされているマイナンバーカードがらみの新たな問題の数々。
その対策に追われ、汲々とする姿は「モグラ叩き」の遊戯、それでしかない。
ここまで信用を失ったシステムは、再び信頼を取り戻すことは不可能だろう。
国民は、こんな信頼のおけないシステムの下で、個人情報のすべてを一枚のカードに託すほど、お人好しではない。
ましてや、早々に損害賠償が免責されているこのシステムで、今明らかになっている不具合も氷山のほんの一角に過ぎないとなれば、なおさらというものだ。
マイナンバーカードを保有しないのは、憲法で保障されている基本的人権、生存権を守るためのささやかな抵抗権の行使に過ぎない。
こんなものに、見直しに、改修にと、さらに巨額の税金を注ぎ込むのは、まさに「泥棒に追い銭」というものだろう。
日本の政府、官僚はどうして失敗を認め、立ち止まり、引き返すことが出来ないのか。
岸田首相はどや顔で言う。
{・・・マイナカードを取得しない人には「資格確認書」を発行し、保険が使えるようにした。関連法施行後、最長1年間は発行済みの現行保険証を利用できる経過措置も設けている。・・・」
「資格確認書」があれば済むという問題ではなく、マイナ保険証の運用を止めない限り、いつかは、人命にかかわる医療事故を起こすことが憂慮されるという、「国民の不安」を感じ取る感性も無い。
「・・・自民、立憲民主両党は21日、相次ぐマイナカードを巡るトラブルを受けて、閉会中審査を実施することで合意した。」
マイナー保険証の運用は今すぐ止めなければならないのではないのか。
言い訳程度の閉会中審査をするくらいなら、国会を通年国会としたらいいだろう。
今、国会がやらなければならないのは、マイナー保険証の運用停止。
医療事故で人命が失われてからでは手遅れになる。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/778.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/258483?rct=politics
バイデン米大統領が20日の演説で、日本の防衛費増額方針について自身が再三、(岸田委員長か、岸田大統領か分かんなくなっちゃったけど)岸田氏を説得した結果だと発言した。
そうバラされた日本側の、言い訳にもならない説明がおかしい。
情けない日米関係の一端が垣間見える。
多くの国民は、バイデン米大統領の発言を真実と思っているだろう。
以下は、松野官房長官の記者会見での発言の記事全文。
「バイデン米大統領が20日の演説で、日本の防衛費増額方針について自身が説得した結果だと発言したことが23日、分かった。松野博一官房長官は記者会見で「防衛費増額は日本自身の判断」とする政府の立場と相いれないとして異論を申し入れたと明らかにした。米側も日本の立場に理解を示したという。
松野氏は「大統領の発言の真意は明らかではないが、誤解を招き得るものだったとの日本の立場を説明した」と述べた。
記事は以上。
記事としては短いが、報じている内容は重要。
バイデン米大統領の発言が、「嘘」であるならば、日本側の対応としては「発言の撤回」と「謝罪」を要求しなければならないところだ。
にも拘らずの官房長官の言いっぷり。
「防衛費増額は日本自身の判断」とする政府の立場・・・
この言い回し、どこかおかしくないかい?
「防衛費増額は日本自身の判断」で実施したことにしてね、と頼んででもいたのかな?
「・・・政府の立場と相いれないとして異論を申し入れた・・・」
と言うが、本当に「申し入れた」のかどうか、そのこと自体が俄かには信じられない。
日本政府の立場からすれば、この場合は、異論を申し入れるのではなく、強く「抗議」をしなければならないだろう。
それが出来ないのは、
バイデン米大統領が、日本の防衛費増額方針について、再三、岸田氏を説得したことが事実であるからだ。
バイデン米大統領も罪の意識はあるのだろう。
命令もしくは強要を説得と言い換えているのは、日本政府への配慮なのか。
そして、岸田首相はその要求に唯々諾々と従い、国民の非難に耳を傾けることも無く、国内の反対を押し切って、防衛費増額を閣議決定した。
そして、成果報告のために、いそいそと訪米まで・・・。
バイデン米大統領のこの発言により、改めて、日本政府が何事も「アメリカの言いなりに事を進めている」ことが日本国民の知るところとなり、
「米側も(気まずい)日本政府の立場に理解を示したという。」
ことだろう。
「・・・誤解を招き得るものだったとの日本の立場を説明した」
ここの部分は、日本語になっていない。
「日本政府が、何事も、アメリカの言いなりに事を進めていること」については、誤解が入り込む余地は無い。
つくづく情けない・・・政府・・・首相・・・。
その結果が、
トマホークの爆買い。となり、
「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向かって公言することになり、
国会の場で、「集団的自衛権行使が可能となる「存立危機事態」の際、反撃能力(敵基地攻撃能力)を発動できるとの認識を示した。」
とまで答弁し、「台湾有事」、「韓国有事」の際には、中国あるいは北朝鮮の奥深くにあるミサイル基地にトマホークを撃ち込むと公言することになる。
これらは、日本はそうするから、あんた方もそうしたらいいよ・・・と近隣諸国に伝えているに等しい。
これまでも、政府、日銀は、円安誘導で国を売り、そして、アメリカに対しては朝貢外交を繰り返し、、挙句の果てに日本をアメリカの戦争に「アメリカに言われるままに参加する国」にしようとする。
金だけでは足りず、国民の命までも差し出す。・・・売国奴の振舞と言えよう。
そして、既に中国は「日本は専守防衛を放棄した」と公式に発言するようになった。
日本政府は一体何をやっているんだ!。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/792.html
https://mainichi.jp/articles/20230623/k00/00m/040/383000c
岸田首相の記者会見・・・官邸は未だ「緊急事態」なのか?、何故か制限中。
首相官邸報道室は「三つの密を避けるため」と説明。・・・しているようだが、
広さが問題だというなら、もっと広い場所を会見場とすれば済む話。
幼稚園児でも、思いつく。
「・・・平常に戻りつつある他の省の閣僚記者会見と対応の違いは明らかだ、として「取材の自由の観点からも制限をやめるべきだ・・・」との声が上がっている。・・・らしい。
国民はこれを傍観していては駄目だろう。
国民のそんな態度、反応が、政府をつけ上がらせる原因になっている。
「報道の自由」は「国民の知る権利に奉仕するもの」だとして、日本国憲法でも、基本的権利として保障されているものだ。
最高裁の判決でも、
報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、需要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するもの〜事実の報道の自由は憲法21条のもとにある
とされている。
そして、これが今の世界の常識。
しかし、国民の半数以上が政治的無関心という日本の、記者会見のあり様は、国際的には非常識。
以下記事の抜粋。
「・・・13日の岸田文雄首相の会見では、最大29席を最大48席とした。しかしコロナ禍前の114席と比べれば4割程度。首相官邸報道室は「三つの密を避けるため」と説明するが、平常に戻りつつある他の省の閣僚記者会見と対応の違いは明らかだ。「取材の自由の観点からも制限をやめるべきだ」との声が上がっている。【青島顕】・・・
・・・記者会所属の非常駐社、雑誌や専門紙、外国通信社、フリーの記者は首相記者会見になかなか出席できない状態が続いた。・・・
・・・今年4月には、全国の新聞社の労働組合でつくる新聞労連が石川昌義委員長名で声明を発表。「コロナ禍を理由に記者の質問権が制限される事態が常態化する懸念を多くの記者が共有している。5類移行に伴い、記者会見の人数制限を解除し、コロナ禍前の形式に戻すべきだ」と訴えた。・・・
・・・質問権の制限「常態化」
首相の記者会見には、コロナ禍以来の座席数制限以外にも、制約がある。
(有料記事の為、記事の抜粋はここまで。)
政府が、本当に解除したくないのは、質問権の制限。
これこそが、「国民の知る権利」を侵害している。
この際、徹底的に国家権力と戦い、「報道の自由」を取り戻すために、報道各社が一斉にキャンペーンを実施し、各社競ってマラソン社説を続け、ジャーナリズムの矜持を示すべきではないのか。
事実の「報道の自由」は「国民の知る権利に奉仕するもの」だ。
2023年「報道の自由度」日本は68位、G7で最下位。
報道各社は「恥を知れ!。」
報道各社は「怒れ!。」
報道各社は、「報道の自由」を取り戻せ!。
報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、需要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するもの。
忘れてはならない。
国民は「怒れ!。」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/813.html
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA282900Y3A620C2000000/
日経新聞が報じる。
「処理水には放射性物質のトリチウムが含まれる。現在の技術では除去できず、東電は処理水を大量の海水で希釈してトリチウムを国の基準の40分の1未満に薄めて原発の敷地から1キロほど先の沖合で放出する計画だ。」
しかし、処理水がトリチウム以外の核種も含まれる「放射能汚染水」であることには触れようともしない。
放射性物質のトリチウムは「現在の技術」では除去できないと言うばかり。
他の放射性物質は、完全に除去出来ているかのような誤解を与えることを狙う言い回しだ。
「不都合な真実」は報道しない。・・・そのことは許せない。
「報道の自由」とは、「事実の報道の自由」であり、
報道機関の報道は、「民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するもの。」
であればこそ、保障されている「報道の自由」であることを忘れてはならないのではないのか。
事実を報道しないことも、「国民の知る権利」を阻害することになるのであれば、許されるものではない。
そもそも、井戸から汲み上げられずに、高度に放射能に汚染された地下水の存在すら、無いかのような報道姿勢は看過しがたい。
以下に記事の抜粋を記す。
「政府が夏ごろの開始をめざす東京電力福島第1原子力発電所の処理水の海洋放出を巡り、原子力規制委員会は28日、放出設備の使用前検査を始めた。・・・
・・・処理水と海水を混ぜる希釈設備や緊急時の遮断弁などが問題なく動くかどうかを真水を使って確認する。・・・
東電は27日までに設備の試運転を終えて工事を完了した。国際原子力機関(IAEA)は近く包括的な報告書を公表する。放出に向けた準備は整いつつあるが、風評被害を懸念して地元の漁業者らは反対する。
処理水には放射性物質のトリチウムが含まれる。現在の技術では除去できず、東電は処理水を大量の海水で希釈してトリチウムを国の基準の40分の1未満に薄めて原発の敷地から1キロほど先の沖合で放出する計画だ。
記事の抜粋は以上。
TBS NEWSも以下の通り報じている。
今年夏ごろを予定している福島第一原発の処理水の海洋放出をめぐって、東京電力は株主総会で「廃炉作業を進めるために決して先送りのできないもの」と強調し、株主にも理解を求めました。・・・
株主
「賛成。風評被害はあるかもしれないけど、私なんかは全然問題にならないと思う。十分希釈しているから」
「処理水は絶対反対。流してほしくない。薄めれば良いという問題じゃないと思う」
東電と政府は「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」としていますが、漁業関係者は明確に反対していて、理解を得た上での放出ができるのか不透明な情勢です。
さらに
韓国聯合ニュースによれば、
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20230626003700882?input=1345r
韓国の革新系野党「正義党」は26日、ソウルの日本大使館前で、同党所属国会議員の訪日の結果に関する報告会を開き、東京電力福島第1原発の処理済み汚染水海洋放出を巡り、日本政府が五つの重大な違反を犯していることを確認したと主張した。
放射性物質の海洋投棄を禁ずる国際法、多核種除去設備(ALPS)で処理した汚染水の処分に関する日本国内法、処理水は敷地内タンクに貯蔵するとした東電の確約文書、汚染水を希釈しないという東電の方針、処理水は海洋放出できないとする日本の原子力安全委員会の計画にそれぞれ違反しているという。
また、福島第1原発で東電の関係者と面会し、漁業関係者への補償は日本国内に限定する計画との回答があったと説明した。
さらに、別記事で報じている。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20230627001800882?input=1345r
韓国の国会農林畜産食品海洋水産委員会は27日、東京電力福島第1原発の処理済み汚染水海洋放出計画の撤回や国際海洋法裁判所への提訴・暫定措置請求を促す決議案を同委の過半数を占める最大野党「共に民主党」が強行採決し、可決した。・・・
決議案は汚染水の海洋放出について国際海洋法裁判所への提訴・暫定措置請求を促すとともに、水産物に対する放射能検査の拡大などを求める内容が盛り込まれた。日本政府に対しては、汚染水の海洋放出計画を撤回するよう要求している。
各メディアの記事は以上。
日本国内の汚染水の海洋放出を阻止する運動は、今一つ全国的な盛り上がりに欠ける。
その原因は、一部を除き、報道機関がこの問題を大きく取り上げてこなかったからだ。
国会での、科学的な知見を基にしての真剣な議論も見られない。
日経新聞の報道だけを見れば、
「風評被害を懸念して地元の漁業者らは反対する。」
と報じるように、
反対しているのは、あたかも、「地元の漁業者のみ」で、しかも反対理由は「風評被害を懸念して」となる。
冷静になって考えれば、大きな疑問が湧く。
海洋に放射能汚染水を放出し、海洋を放射能で汚す事について、福島の地元の漁業者が了解すれば放出を決められると、
「誰が決めたのか。」
放射能汚染水を海洋に放出することの影響を考慮すれば、国連を巻き込み、もっと「世界的」に、そして「科学的」に論じられ、検証されなければならないはずだ。
大袈裟な言い方をすれば、「人類の存亡」がかかっている。
海洋が、日本の所有物ではなく、地球上の人類、生物の生命の源である以上、韓国が「汚染水海洋放出計画の撤回を求めて国際海洋法裁判所への提訴」することは当然の権利であり、それを止めることは出来ない。
むしろ、その他の国からも同様の非難を浴びることになるのだろう。
日本は、それを無視することはできない。
仮に無視した場合、その後、世界各国から巨額の賠償請求を突き付けられ、日本は国家として破綻することを運命付けられることになる。
世界はそのことを虎視眈々と狙っているかもしれない。
日本政府と東京電力は、放射能汚染水の海洋放出を始めたとして、いつまで続けるつもりなのだろうか。
その事を、誰も答えられない。
そのこと一つをとっても、到底、世界各国の理解を得られるとは思えない。
しかし、未来永劫と言うことはあり得ない。
何故なら、海洋放出を続ければ、何れは、地球上から、あらゆる生命が消滅することになるからだ。。
それでも、福島第一原発の地下に流れる地下水は、燃料デブリに触れ、放射能汚染地下水となって、未来永劫海洋を、地球を汚染し続ける。
皆さんは理解出来ているのだろうか?
放射能汚染水を海洋放出するにあたって、海洋から海水を汲み上げ、バケツの中で希釈し、それを海洋に放出することに、何か科学的意味があるのか?
国家的茶番ではないのか。
はたまた政治家の猿芝居か。
国民をバカにするのも、大概にせい!。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/829.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/260184?rct=politics
記事によれば、
与党協議の座長を務める自民党の小野寺五典元防衛相は6月、民放番組で次のように強調したそうだ。
「日本の技術で他国と一緒につくった戦闘機をほしいと言われても『日本には三原則があるので英国から買ってください』では日本として大損してしまう」
そして、他にも、「日本が「武器輸出大国」を目指すべきだと主張する議員もいる。」
口では、日本の安全保障を声高に叫ぶ政府、自民党だが、彼らの目に見えているのは、「金(かね)」と「利権」。
「語るに落ちる」とはこのことだろう。
かつての武器輸出三原則を基に「武器の供給源とならず、武器の売買で利益を得ない」としてきた平和国家の理念が崩れてしまっている。
そんな、自公政権の「日本を戦争をする国」に導く、きな臭い、そして、うさん臭い動きを報じる、東京新聞の記事。
一読に値する。
以下記事の抜粋。
「自民、公明両党は、防衛装備品の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」を巡る与党協議で、要件緩和にかじを切った。輸出拡大によって防衛産業を支援したい自民党側の要求を、公明党が条件付きで容認した形。・・・
◆「英国から買えば日本は大損」
日本の技術で他国と一緒につくった戦闘機をほしいと言われても『日本には三原則があるので英国から買ってください』では日本として大損してしまう」
与党協議の座長を務める自民党の小野寺五典元防衛相は6月、民放番組でそう強調した。自民党には「隣の韓国は(受注額)2兆円だ」と、日本が「武器輸出大国」を目指すべきだと主張する議員もいる。
自民党の輸出推進派は・・・提言で、日本の防衛産業が衰退の危機にあると指摘し「三原則という厳しい自己規制を課してきたことが原因だ」と主張。・・・
◆慎重な姿勢から一転した公明
公明党は、自民党の要求に押されて慎重から容認の姿勢に傾いた。次期戦闘機の第三国輸出について、北側一雄副代表は6月29日の記者会見で「国際開発に支障のないようにと思っている。移転の条件、環境をどう整備していくかが課題だ」と指摘。・・・
・・・だが、共同通信の5月の世論調査では、殺傷能力を持つ武器の輸出を「解禁すべきだ」と答えたのは20%にとどまった。「殺傷能力のない武器輸出にとどめるべきだ」が54%に上り「武器輸出は全面的に禁止すべきだ」の23%と合わせると、殺傷能力のある武器輸出に反対する意見は77%。・・・
公明党の石井啓一幹事長は6月30日の記者会見で「三原則は厳守し、その上で運用をどうするかだ。殺傷武器をどんどん輸出する方向にはなり得ない」と主張するが、解禁という点では足並みをそろえた。」
記事の抜粋は以上。
「慎重な姿勢から一転した公明」
というのは、いつものことであるから、驚きは無い。
毎度毎度、尻尾どころか真っ赤なケツ、いやさ、真っ赤な嘘がもろに見える、下手なサル芝居。
国民にはとっくに見透かされていることに、いい加減気付けよなぁ〜。・・・と思う。
見ているこちらが恥ずかしくなって、ともすれば、目を逸らしそうになる。
見てはいけないものを見てしまった、「あの感じ」
それにしても、自民党の議員は「酷い」。
無能な政治家と言うよりも「守銭奴」、「売国奴」
人の命よりも、「金、かね、金・・・そして、利権、利権、利権」
自民党は、殺傷能力のある武器輸出の解禁に向け、現在は限定的に輸出が認められるとしている「救難、輸送、警戒、監視、掃海」の5類型を撤廃すると言う。
公明党は、抑制的に「類型を追加する」との意見。
どちらも、「殺傷能力のある武器輸出を解禁」することに変わりはない。
ここにも、公明党の姑息さが表れている。
与党協議では、
移転の目的には「国際法に違反する侵略や武力の行使、威嚇を受けている国への支援」を追加する。
としている。
なんとも、笑止ではないか。
政府、自民党は、「敵基地攻撃能力を保有」することで「抑止力、対処力を向上」させるとして、バイデン大統領に「説得され」、アメリカから「トマホーク」を爆買いすることを決めた。
一般に、抑止とは、「相手が攻撃してきた場合、軍事的な対応を行って損害を与える姿勢を示すことで。攻撃そのものを思いとどまらせる」軍事力の役割とされる。
このうち、「懲罰的抑止」は攻撃されたら相手に耐えがたい打撃を与えると「威嚇」し、そのための報復能力を保持し、相手に対する報復意思の明示することで、「武力の行使を表明する」ものだ。
日本は、憲法9条で戦争を放棄すると同時に、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と誓った。
「敵基地攻撃能力を保有」することは、明らかに、憲法9条に違反するものでしかない。
そればかりではない。、
政府、自民党は「相手が攻撃に着手した(と日本が主観的に判断した)段階で、保有する敵基地攻撃能力を行使できる」
と国際社会に向けて公言し、
さらに、岸田首相は、
「・・・反撃能力(敵基地攻撃能力)は「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した場合など武力行使3要件を満たす場合に行使しうる」と述べ、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」でも発動可能・・・」
と言う。
「台湾有事」、「韓国有事」の際は、中国、あるいは、北朝鮮の領土奥深くにあるミサイル基地にトマホークを撃ち込むと、日本の首相の立場にある人間が国会の場で言ってしまう。
そして、今回の「ヒロシマ」サミット。
「核兵器廃絶」どころか、「自衛の為」、「抑止力のため」と言いさえすれば、核兵器を、その保有を正当化してしまう、そんな「広島ビジョン」なるものを、G7議長国として日本の岸田首相が主導させられた。
アメリカに言われるがままに、「抑止力、対処力を向上させる」として、「敵基地攻撃能力を保有」し、近隣諸国に「侵略の脅威」を与え、「保有した敵基地攻撃能力を行使するぞと威嚇」する日本が、
「・・・移転の目的には「国際法に違反する侵略や武力の行使、威嚇を受けている国への支援」を追加する。・・・」
としている。
やはり、笑止、・・・と言うしかない。
笑っていられないのは、
日本がまた一歩「戦争をする国」に近付いたということだ。
この動きを今の国会では止められない。
止めるには、心ある国民に訴えかけ、超党派の「国民運動」で、いまの「自公政権の暴走」を阻止するしかないのではないか。
第2次安倍政権以降、暗く、淀んだ大政翼賛的な空気が、ここに来て堰を切ったように、「戦争をする国」に向かって流れだしていると感じるのは、決して私だけではないだろう。
私たち大人には、日本を「戦争をしない国」のまま、私たちの子供に、そして子孫に引き継いでいく、大きな責任がある。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/856.html
3. 達人が世直し[2002] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月01日 16:57:11 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1249]
>>1 氏
どちらの関係の方か存じ上げませんが、・・・
私のスレに興味を持たれたようですね。
結構なことです。
しかし、この汚いコメントはよした方がいいと思います。
アンタの汚れた人間性を、自分で世間に晒しているようなものだから。
私としては、アンタのディスるだけのコメントに「興味ねえよ。」
句読点もまともに使えない、下手糞な日本語を読まされても、
「意味がわかんね。」
アンタの汚れた人間性には、多少興味を惹かれるが・・・。
世の中には、こんなお人もいるんだと・・・。
まともなコメントを書くつもりなら、句読点には気を配れ。
こんなディスるだけの汚いコメントを書くなら他でやれ、わかったな。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/856.html#c3
https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20230701-OYT1T50001/
ここのところの立憲民主党の泉代表が、これまで以上に揺れに揺れている。
換言すれば、彼の周りには、「甘言」あり、そして「諫言」あり、しかも、組織奥深くに「獅子身中の虫」が蠢いているとなれば、さもありなん。
しかも「内憂外患」後を絶たず。
心中を察するに「四面楚歌」「五里霧中」といったところか。
今の泉代表に必要なのは、公党のリーダーとして「泰然自若」とした態度を失わず、「寛厳よろしきを得る」ことができるよう心がけることだろう。
以下、記事の抜粋。
立憲民主党の泉代表は30日の記者会見で、次期衆院選での共産党との選挙協力を巡り、「各県の事情を踏まえて柔軟に考えたい」と述べた。・・・
・・・野党共闘を後押しする「市民連合」を仲介役として候補者調整を過去に実施した例があったと説明し、「政党と政党(の協力)とは違う形になるが、そういうものは十分あり得る」との認識も示した。
共産との選挙協力を巡って、泉氏は5月のBSフジ番組で「やらない」と明言した。反発した共産が公認候補予定者の擁立を加速させ、立民内では、小沢一郎衆院議員を中心に候補一本化を求める動きが出ていた。・・・
・・・ただ、党内外の圧力で方針転換を迫られる形となり、泉氏の指導力を疑問視する向きもある。
2021年衆院選では、立民と共産の「共闘」を自民党が「立憲共産党」などと批判していた。
記事の抜粋は以上。
泉代表の最もいけない所は、
「市民連合」を仲介役として候補者調整を過去に実施した例があったと説明し、「政党と政党(の協力)とは違う形になるが、そういうものは十分あり得る」
との言葉に表れている。
少し前には、かの「連合」に国民民主党との仲介を求め、そして今、「市民連合」に共産党との仲介役を求める。
共産党は、いつでも門戸は開いていると言っているにも拘らずだ。
そんな姿勢に、「今はまだ野党第一党」との矜持を感じることができない。
「野党共闘」を叫ぶ国民の多くは、立憲民主党が野党第一党を維持することを求めているわけではなく、「野党共闘」によって自公政権を倒し、「連立政権」を樹立して、「国民の生活が第一」の政策を実現することを願い、求めている。
その為には、「今はまだ野党第一党」の立憲民主党が、そしてその代表である泉氏がリーダシップを発揮することを、血反吐を吐くような思いで期待し、そのことを求めていることを片時も忘れてはならないだろう。
立憲民主党が主導し、主体性をもった協力となれば、「政党と政党の協力」以外にあり得ようか。
「一縷の望み」を託して、泉氏に贈る言葉があるとすれば、以下の言葉になるのだろうか。
「君子豹変、小人革面」
(くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ)
中国古書『易経・革卦』
徳の高い立派な人物は、自分が誤っていることが分かれば、きっぱりと言動を変える。過去のことにとらわれたり、アドバイスしてくれた人のことをうらんだりすることなく、スッキリした形で、変身することができる。
一方、小人は、上の人に従う顔つきだけはする。表面上だけ改める、また、それを受け入れる素振りをする。旧来のやり方やメンツにとらわれ、古いやり方や、いったん口にした自説にこだわってしまう。
・・・・
泉代表は「君子」に変身できるのか、はたまた「小人」のまま終わるのか。
日本国民の為にも、君子になって、豹変することを求められているのは間違いない。
「2021年衆院選では、立民と共産の「共闘」を自民党が「立憲共産党」などと批判していた。」
記事の最後のこの一行は、読売新聞が「自民党の広報」を自認しての、捨て台詞。
彼らにとっては、「不偏不党」の理念は、「糞喰らえ」なのだろう。
2021年衆院選を思い出したが、
「立憲共産党」
改めて聞くと「良い響き」じゃないか。
今にも「国民の生活が第一」の政治をやってくれそう。
「国民の生活が第一」の政治をやるための「連立政権」、それを目指した「野党共闘」。
是非実現してもらいたい。
「頑張れ!、野党共闘!」
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/867.html
2. 達人が世直し[2003] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月02日 17:47:52 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1250]
>>1 新共産主義クラブさんへ
重ね重ね心のこもったご助言、ありがとうございます。
私は、「赤かぶ」さんの投稿記事には、コメント投稿の形で参加させてもらっています。
従って、個人的には、二重投稿禁止のルールは問題視しておらず、むしろ、元の記事のタイトルをそのまま使うことで、チェックが掛かり、二重投稿を防止出来ている方が、安心できると考えています。
自分で独自のタイトルをつけると、二重投稿を防止出来なくなり、皆さんにも迷惑でしょうし、私自身、元記事のタイトルをつけることについて何ら不自由を感じているということはありません。
たまたま、同じ記事を引用して投稿しようとし、仮に「赤かぶ」さんが後になることがあったとしても、それは極々稀であり、そのことに対しての懸念は、新共産主義クラブさんの杞憂ではないでしょうか。
ご助言ありがとうございました。
これからも、ご指導お願いします。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/867.html#c2
9. 達人が世直し[2004] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月02日 21:17:30 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1251]
あの大きな体にして、優し気な語りかけと雰囲気。
リーダーとして、そばに佇むだけで、周りの人たちに安心感を与えてきたのではないか。
個人的には、西郷隆盛のイメージと重なる。
これは想像でしかないが、西郷隆盛という人物も、同じ様な人間的魅力に溢れていたのではないだろうか。
しかし、そんな立派なリーダーも終身ということはあり得ないのは自明。
組織が発展していくためには、世の中の変化を受け入れ、時々の世代交代、新陳代謝は必然となる。
それが何時かは、その組織の浮沈をかけて、その組織が決めること。
そのことを前提にして、
「田村智子委員長」、実現すれば、国民に共産党の変化をより印象付けられよう。
悪い要素は見当たらない。
実現させ、立憲民主党、れいわ新選組と力を合わせ、「令和のマドンナ旋風」を巻き起こしてほしいと思う。
これで「山は動く」、「やるっきゃない」
かつての土井たか子氏の再来と言われるような活躍を期待したい。
あるいは、日本のジャンヌダルクとなって国民の先頭に立ち、再び「戦争をする国」に向かって暴走する政府、自民党を倒し、日本を、日本国民を救ってほしい。
その時が来たら、叫ぼう!・・・「On les aura!(あいつらやっつけちまおうぜ!)」
「On les aura!」
「頑張れ!野党共闘!」
https://www.asahi.com/articles/ASR736755R73UTFK012.html
本記事は共産党・小池晃書記局長の記者会見での発言録なので、そのまま転載してもいいかな・・・。
記事を読めば、少しは溜飲をさげられますよ。
以下、記事全文。
共産党・小池晃書記局長(発言録)
(公明党の山口那津男代表が福島第一原発の処理水の海洋放出は海水浴シーズンを避けるべきだとの認識を示したことについて)政府は漁協などが強く反対してきたにもかかわらず、放出する方針を打ち出してきた。その際、「汚染水ではない、処理水だ」「安全性は証明されている」と言ってきたが、海水浴シーズンを避けるということは結局(処理水は)安全ではない、問題があるということを認めることになる。
しかも、魚は年がら年中泳いで、水をいっぱい摂取している。やっぱり汚染水の放出そのものをやっぱりやめるべきだ。魚は年がら年中海水浴しているわけですから。海水浴シーズンだけ避けても意味がない。(記者会見で)
記事は以上。
公明党の山口代表のこの発言を報じた朝日新聞の記事は以下の通り。
「公明・山口代表「海水浴期は避けるべき」 原発処理水の海洋放出に」
https://www.asahi.com/articles/ASR725HZ9R72UTFK004.html
こちらの記事によれば、
「・・・訪問先の福島市内で、記者団の取材に応じた。山口氏は「いたずらな不安を招かないように配慮があってしかるべきだ。(海水浴の)シーズンにわざわざ排出する理由も特にない」と主張。「科学的根拠に基づいて客観的に説明が尽くされることを期待したい。根拠なき批判を招かないような丁寧な対応のうえでタイミングを計っていくべきだ」とも語った。・・・」
「・・・その上で、政府側に「風評(被害)を招かないように、慌てないでしっかり説明を尽くしてほしい」と求めた。・・・」
記事では、
「・・・一方、放出には地元の漁業関係者や、中国や韓国などの海外の反発も根強い。」
とも報じている。
・・・・・
山口氏は言う。
「科学的根拠に基づいて客観的に説明が尽くされることを期待したい。」
と。
山口氏といえば、公明党の代表であり、公明党といえば。「下駄の雪」と言われながらも与党の一角を占めているわけだから、山口氏が直々に「科学的根拠に基づいて客観的に説明」しても不都合は無い。
むしろ折角福島を訪れたのであれば、山口氏の肉声で説明することが望まれるのではないか。
これまで、「汚染水」の海洋放出について、科学的根拠に基づいた説明は、政府、自民党からは勿論、公明党からも聞いた記憶は無い。
山口氏の認識では、
地元の漁業関係者や、日本国民ばかりではなく、中国や韓国など近隣諸国は勿論、世界各国が、将来に現れるであろう地球への壊滅的な悪影響を懸念し、不安に思う、・・・そんなものは、
科学的根拠を示さないまま、
「いたずらな不安」
だと言う。
「(海水浴の)シーズンにわざわざ排出する理由も特にない」
山口氏の言いっぷりでは、「わざわざ(海水浴の)シーズンを避けて排出する理由も特にない」ということにもなる。
どちらにしても、こちらの発言も、科学的根拠といったものは、どこにも見当たらない。
取材していた記者さん達は、もっと怒りを露わに、鋭い質問をぶつけるべきではなかったか。
国民の批判、近隣諸国の批判、世界各国の批判を、「根拠なき批判」と面罵されて、黙っていられる心理が理解できない。
共産党・小池晃書記局長が言う通り、山口氏自身も内心では、
「・・・結局(処理水は)安全ではない、問題があるということを認め」ているということだろう。
お魚さん、海水浴の邪魔をしてごめんなさい。
近年、日本近海で捕れる「サンマ」が激減し、距離を伸ばして遠洋まで出なければならなくなったそうだ。
やっとスーパーに並んでも、型も小さく、痩せていて、それでいて値段だけは高級魚となってしまっては、とうてい買う気にはならない。
サンマさん、ごめんなさい。
サンマさんも、生物の本能で、身に危険の及ぶ「放射能」を感じ取り、遠く外洋に退避してしまっているのではないかとさえ思う。
「汚染水」は、原発の沖合、僅か1Kmのところの海底に設けた排出口から海洋に排出する計画らしい。
1Kmと言えば、「ほんの目と鼻の先」。
ここにも、科学的根拠は無い。
一方、「汚染水」の発生源となっている、溶け落ちた「核燃料デブリ」は、事故から12年も経った今も、僅か1gどころか、全く取り出すことができていない。
政府は、人類の存亡にも関わる「この課題」に対して、どんな見通しを持っているのだろうか?。
「汚染水」の発生源となっている溶け落ちた「核燃料デブリ」を全て取り出さなければ、「汚染水」は発生し続ける。
その間、海洋放出も続くことになってしまうわけだ。
ということは、「核燃料デブリ」の取り出しに失敗すれば、「核燃料デブリ」の放射能が消失するまで「汚染水」は発生し続ける。
その間、海洋放出も続くことになってしまう。
それは、数万年、数百万年あるいは、何億年という、想像だに出来ない期間となるのだろうか。
政府は、どんな見通しを持っているのだろうか?。・・・何としても、聞いてみたい。
その見通しを表明することによって、海洋に放出される放射能の「総量」の議論が可能となるのではないか。
工場排水ですら、濃度と、総量の規制はあるだろう。
政府には、「核燃料デブリ」の取り出しの見通しを含め、「汚染水」排出の安全性について、科学的に、客観的に説明を求めていくべきだ。
その上で、最初から破綻している「今の方法」での対策を強行するのではなく、世界中の科学者の叡智を集め、「軍備増強」という「ドブ」に捨てる金があるなら、その金を「汚染水」の新たな処理方法の開発に、さらには福島原発の燃料デブリ取り出しと、確実な廃炉のための技術開発に投入し、そのことに心血を注ぐべきではないのか。
「汚染水」を、目の前の海から汲んだ海水をバケツに入れて希釈し、それを1Kmという目と鼻の先の海に捨てる。
この作業に、どのような意味、意義があるのか、・・・科学的に説明できるなら、ぜひ聞いてみたい。
私には、このことを幼稚園児には説明できない。・・・恥ずかしすぎて。
そんな対策しか取れない政府、与党が「科学」を口にする。
政府は、既に12年という貴重な時間を無駄にしている。
今も、福島第一原発の港湾内から捕れる魚は、セシウムに高濃度に汚染されているという。
その魚が、広い海洋に退避しないように、退避防止ネットを張り巡らしているそうだ。
今後は、さらに海面上にネットを伸ばし、ジャンプ一番の大脱走劇を阻止するんだと・・・。
逃がしていけないのは「汚染水」だろうと思うのだが、何をやっているんだか。
地球上の海と川は全てが一つに繋がっている。
本来ならば、自由気ままに、どこへでも行けるはずなのに・・・。
水になりたい「お魚さん」、ごめんなさい。
福島第一原発の事故、そして「汚染水」の海洋放出などなどに関連して「風評被害」という言葉が頻繁に使われている。
しかし、どうもすっきりしない。
原発事故に関連して言われている、現実に起きている被害、或いは将来起きると予想される被害、あるいは懸念される被害は、「風評被害」なのか?という疑問が解消しない。
既に、平成二十六年六月五日 山本太郎議員が「いわゆる「風評被害」に関する質問主意書」を起こし、問題点を指摘している。
その中で、山本氏はこう指摘している。
「・・・そもそも「風評被害」とは、辞書においては「事故や事件の後、根拠のない噂や憶測などで発生する経済的被害。」(大辞林第三版)と定義されている語である。一方、原子力損害賠償紛争審査会により公表された「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針」においては、「風評被害」は「報道等により広く知らされた事実によって、商品又はサービスに関する放射性物質による汚染の危険性を懸念した消費者又は取引先により当該商品又はサービスの買い控え、取引停止等をされたために生じた被害を意味するもの」と定義されているように、前記辞書による定義とは異なり、「事実」に基づく経済被害をも「風評被害」であるとしている。・・・
・・・この厳然たる「事実」に起因した経済的被害を、あたかも「根拠のない噂や憶測などで発生」していると一般的に捉えかねない「風評被害」という一語によって括ることは適切ではない。・・・」
皆さんは「風評被害」という言葉は、どちらの意味で理解していますか?
言葉の意味を正しく定義していくことは、相互の理解を深めていくうえで重要という、良い例ではないでしょうか。
原子力損害賠償紛争審査会の定義は、間違いであり、不適切。
「似て非なるもの」と言えよう。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/883.html
19. 達人が世直し[2005] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月06日 17:21:48 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1252]
「・・・マイナ保険証でオンライン資格確認を行えば、病院側が患者の薬剤情報や特定健診などを閲覧できるため、政府は「より良い医療につながる」とうたう・・・」
「医師の守秘義務」は、「糞ったれ」ということか。
「医師の守秘義務」とは、医師・患者関係において知り得た患者に関する秘密を他に漏洩してはならないという医師の義務のことである。
他者、他の医者が自分の患者の医療データを閲覧できるシステムであることを知った上で、たとえば薬の処方記録等を、オンラインで検索できるデータとして記録、保存するのは、「どよ?」。
今時、薬の処方記録を見れば、優秀な医者でなくても、その人の知られたくない病歴も明らかになるのだろう。
私なら、「医師の守秘義務」違反として、刑事告発までは勘弁するとしても、民事で損害賠償訴訟を起こすかも知れない・・・・よ。
ここでも、個人の秘密保持は担保されていない。
怖いですね〜。
http://jp.xinhuanet.com/20230705/c25879ccd8b24c5d990031b54e297189/c.html
福島第一原発事故により発生し続ける「汚染水」の海洋放出は、単に日本だけの問題なのか?、それでいいのか?、全地球的問題として捉えた対応が必須なのではないのか?。
そう思いつつ、これを書いている。
「汚染水の海洋放出」を、問題ないと判断する権限が、日本だけに与えられているとするかのような、傲慢不遜な姿勢ばかりが目立つ、それでいて利発な幼稚園児に馬鹿にされそうな非科学的な日本政府の対応。
新華社通信が、福島原発「汚染水」の海洋放出に対する、「中国外交部」の批判と抗議を報じている。
「中国外交部」は、日本の大手メディアが報じることができない視点で、「汚染水」の海洋放出の問題に対する日本政府と、IAEAと、その報告書が科学的ではなく、その欺瞞性を指摘し、日本政府が国際社会の懸念と反対を顧みず、「汚染水」の海洋放出を強行しようとする、不誠実な姿勢と対応を批判している。
以下は新華社通信の記事。誤解を招かないように、全文転載する。
【新華社北京7月5日】中国外交部の報道官は4日、国際原子力機関(IAEA)が東京電力福島第1原発の放射能汚染水の海洋放出計画を巡る包括報告書で、全体として国際安全基準に適合するとの認識を示し、放出後も長期的に監督・モニタリングを続けるとしたことについてコメントを求められ、次のように述べた。
中国は、IAEAが日本の放射能汚染水の海洋放出計画について公表した包括報告書に留意している。われわれの知る限りでは、報告書には評価に参画した各専門家の意見が十分に反映されておらず、関連の結論は各専門家の一致した承認を得ていない。中国はIAEAの報告書が性急に公表されたことに遺憾の意を表す。
われわれは報告書が日本の海洋放出の「護身符」や「通行証」にはなり得ないと考えている。IAEAは権限に制限があるため、日本の海洋放出計画の適法性を審査しておらず、日本の浄化装置の長期的な有効性も評価しておらず、日本の放射能汚染水データの信頼性や精度も確証していない。関連の結論には比較的大きな限界性と一面性が存在する。われわれはグロッシ事務局長が、日本政府の要請に応じてIAEAが審査・評価を実施することは日本の海洋放出の裏書きでは決してないと述べたことに留意している。
日本は経済的コストへの考慮から、国際社会の懸念と反対を顧みず、放射能汚染水の海洋放出に固執し、太平洋を「下水道」にしようとしている。報告書の内容がどうであれ、日本が今後30年間、百万トン以上の福島の放射能汚染水を太平洋に放出し続けることは変えられない。日本の浄化装置は長期的な有効性を維持できるのか。国際社会は基準超過の放出を迅速に把握できるのか。放射性核種の長期的な蓄積と濃縮は海洋の生態環境や食品安全、公衆の健康にどのような影響をもたらすのか。IAEAの報告書には、これらの問題に対する答えは一切なかった。
12年前、日本は福島原発事故で世界中から支援を受けた。12年後、日本は放射能汚染のリスクを全人類に転嫁することを選んだ。国連海洋法条約は海洋環境の保護・保全を義務付けており、1972年に採択されたロンドン条約は海上人工構造物を通じた放射性廃棄物の海洋投棄を禁止している。日本のやり方は国際的な道義・責任と国際法の義務に違反している。
中国は日本が放射能汚染水の海洋放出計画を停止し、科学的かつ安全で、透明性の高い方法で処理するよう改めて促す。日本が独断専行するなら、全ての責任は日本が負わなければならない。中国は日本がIAEAに協力し、日本の隣国など利害関係者が参画する長期的で国際的なモニタリングメカニズムを早急に構築するよう促す。
記事は以上。
記事中、
「・・・われわれはグロッシ事務局長が、日本政府の要請に応じてIAEAが審査・評価を実施することは日本の海洋放出の裏書きでは決してないと述べたことに留意している。・・・」
と述べているのは、どういう事なのか。
次の記事を参考として転載する。
「包括報告書は日本の汚染水海洋放出への「裏書き」ではない IAEA」
jp.xinhuanet.com/20230705/ee6de5c97aa442a88777d50b85087b26/c.html
【新華社東京7月5日】国際原子力機関(IAEA)は4日、日本の福島放射能汚染水海洋放出の安全性に関する包括報告書を発表し、放射能汚染水海洋放出に対する「推薦」や「裏書き」ではないと強調した。
IAEAのグロッシ事務局長は同日、東京で岸田文雄首相に包括報告書を手渡した。グロッシ氏は前文で、福島第一原発の処理水の海洋放出は日本政府の「国家的決定」だとし、「この報告書は政策の推薦でも、裏書きでもない」と強調した。
同報告書はまた、扉ページの声明で、報告書の提示した見解は必ずしもIAEA加盟国の見解を反映しているわけではなく、「IAEAとその加盟国は、この報告書の利用によって引き起こされるいかなる結果に対しても責任を負わない」と強調している。
グロッシ氏はその後行われた記者会見で、海洋放出の決定はあくまでも日本政府の決定だと重ねて表明し、IAEAは福島に現地事務所を設置し、長期的に海洋放出状態を監視するが、他国の監視参加を認めるかどうかは日本政府の決定にゆだねられていると述べた。
グロッシ氏は、日本外務省の招きで4日から7日まで日本を訪問し、福島第一原発も視察する予定。福島放射能汚染水の海洋放出問題における日本の独断的なやり方は、日本国内や太平洋沿岸地域、国際社会からの強い反対と疑問を引き起こしている。
記事は以上。
IAEAのグロッシ事務局長は、自身の無責任さを隠そうともせず、日本政府が、報告書を盾に強行しようとしている「汚染水の海洋放出」の決定には、一切関わりないとし、「汚染水の海洋放出」がもたらす、地球上の生命へ及ぼす「破滅的悪影響」にも一切責任は負わないと明言する。
何のための「報告書」なのかと言いたいが、IAEAのグロッシ事務局長の正直な思いなのだろう。
日本政府が、この報告書を「免罪符」あるいは「錦の御旗」にしようとしていることは、万人に見透かされている。
僅かの金で、「こんな悪事に加担して、責任を負わされてたまるか!」といったところだろう。
「だれも責任は取れない。」
にも拘らず、安全性に対する科学的根拠も示すことができない、そんな人類に対して許されない暴挙を、愚かな日本の指導者は、立ち止まる事さえせずに、ひたすら突き進む。
「誰も責任は取れない。」
「誰も責任を取るつもりもない。」
この暴挙の責任を、私たちは、誰に問えばいいのか。
記事中には、「・・・日本が今後30年間、百万トン以上の福島の放射能汚染水を太平洋に放出し続けることは変えられない。・・・」
と書かれている。
この30年という年数はどこから出ているのか。・・・良く分からない。
単に、日本政府と東京電力が福島第一原発から溶け落ちた燃料デブリを全て取り出し、廃炉を完了するまで30〜40年と見通す「夢物語」から出てきた数値だとすれば、日本政府と東京電力の欺瞞を糾弾しなければならないだろう。
事故からすでに12年が経過している。
これまで、一片の燃料デブリも取り出すことは出来ていない。
取り出す方法も皆目・・・。
今では誰も触れようとしないが、現場では既に「雲を掴むような話」になってはいないか。
半永久的に取り出せないことを考慮した危機管理と対応が必要ではないのか。
「危機管理の要諦」は、いまさら言うまでもない。
「汚染水」の海洋放出を強行すれば、何れは、世界各国が日本へ損害賠償を請求してくるに違いない。
そうなれば、天文学的な損害賠償請求額を前に、日本と言う国はあっという間に破綻するだろう。
この暴挙の責任を、私たちは、誰に問えばいいのか。
黙っていれば、この暴挙の責任は、結局私達日本国民が負わされることになる。
http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/893.html
17. 達人が世直し[2006] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月08日 17:55:52 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1253]
マイナ問題に対しては・・・個人情報保護委員会。
「汚染水」の海洋放出に対しては・・・IAEA。
原発再稼働、60年超稼働に対しては・・・原子力規制委員会。
コロナ問題に対しては・・・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議。
などなど。
いずれも、第三者機関の仮面をかぶった、政府方針の「追認機関」に堕した、食わせ物。
国民の批判を封じ込め、政府方針に根拠も無く「お墨付き」を与えるためだけに存在する。
そして、その「追認機関」も責任を取ることはない。
「誰も責任を取るつもりもない。」
無責任政治が、あっちでも、こっちでも・・・。
その被害は、いつも国民がかぶることになる。
そして政府は、「不都合な真実」を前にして、いつもほおかぶり。
おのおの方、油断召されるな!。
真夏の夜の「かぶりもの舞踏会」
かぶりものの下に隠れる真実を見極め、責任者を見逃すな!。
24. 達人が世直し[2007] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月09日 13:51:04 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1254]
〈私は、この状況を「妖怪に支配された自民党」と呼んでいる。“昭和の妖怪”と呼ばれた岸信介元首相。その孫が安倍晋三氏だから、安倍氏は“妖怪の孫”である。そして“妖怪の孫”亡き後もなお、得体のしれない安倍的なものが政界に漂っている。まさに妖怪は滅びずいまもなお自民党を支配しているのだ。〉
言っていることはもっともらしいが、まるで、古い空想漫画か怪談のようだ。
「昭和の妖怪」はとっくの昔に鬼籍に収まり、「妖怪の孫」も命を落として、既に1年。
にも拘わらず、その影響が消えないことを「妖怪」の存在に求めることは、文科系の議論であることを考慮しても、科学的ではない。
科学は妖怪の存在を否定する。
とすれば、これまで岸信介元首相の行動を手繰り、その孫安倍晋三氏を操作し、「・・・いまもなお自民党を支配している・・・」のは何か?。
皆さんもうお分かりだと思うが、それは「アメリカ」。
陰謀論的に言えば、「ディープステート」。
岸信介元首相にしても、安倍晋三氏にしても、そして岸田首相にしても、「彼ら」の「操り人形」でしかないと喝破すれば、戦後の不可解な日本の動きも、安倍氏よりさらに過激な政策を、岸田氏が異様な勢いで進めている最近の状況も、「不気味」なことではなく、「必然」であることが理解できる。
人は、これを「傀儡」と言う。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20230709-OYT1T50101/
読売新聞が、IAEAのグロッシ事務局長の韓国訪問を伝えている。
以下は、記事の抜粋。
【ソウル=溝田拓士】国際原子力機関(IAEA)のラファエル・グロッシ事務局長は訪問先のソウルで9日午前、東京電力福島第一原子力発電所の「処理水」海洋放出計画に反対する韓国最大野党「共に民主党」の国会議員らと会談した。
IAEAは日本の計画の妥当性を認める包括報告書を公表しており、・・・これに対し、同党議員らは処理水を「核廃棄物」と呼んで計画の危険性を主張し、「国際社会とともに代替案を検討することを要請する」などと述べた。
海洋放出計画を巡っては、・・・韓国内には心配する声が多い。来年4月の総選挙に向けて攻勢を強める野党が、不安をあおるように根拠の不明確な主張を続けている影響もあるようだ。与党は野党の主張を「非科学的な怪談」と批判している。
グロッシ氏は報告書について説明するため関係国を訪問中で、9日にニュージーランドへ移動する。
記事の抜粋は以上。
IAEAは日本の計画の妥当性を認める包括報告書を公表しているが、その無責任さを新華社通信が報じている。
先日投稿記事で取り上げたものだが、新華社の記事によれば、
【新華社東京7月5日】国際原子力機関(IAEA)は4日、日本の福島放射能汚染水海洋放出の安全性に関する包括報告書を発表し、放射能汚染水海洋放出に対する「推薦」や「裏書き」ではないと強調した。
IAEAのグロッシ事務局長は同日、東京で岸田文雄首相に包括報告書を手渡した。グロッシ氏は前文で、福島第一原発の処理水の海洋放出は日本政府の「国家的決定」だとし、「この報告書は政策の推薦でも、裏書きでもない」と強調した。
同報告書はまた、扉ページの声明で、報告書の提示した見解は必ずしもIAEA加盟国の見解を反映しているわけではなく、「IAEAとその加盟国は、この報告書の利用によって引き起こされるいかなる結果に対しても責任を負わない」と強調している。
グロッシ氏はその後行われた記者会見で、海洋放出の決定はあくまでも日本政府の決定だと重ねて表明し、IAEAは福島に現地事務所を設置し、長期的に海洋放出状態を監視するが、他国の監視参加を認めるかどうかは日本政府の決定にゆだねられていると述べた。
とある。
記事の通りであるとすれば、
IAEAのグロッシ事務局長は、自身の無責任さを隠そうともせず、自身は勿論、IAEAも、日本政府が、報告書を盾に強行しようとしている「汚染水の海洋放出」の決定には、一切関わりないとし、「汚染水の海洋放出」がもたらす、地球上の生命へ及ぼす「破滅的悪影響」にも一切責任は負わないと明言したことになる。
中国政府は、さらに指摘する。
「職能と権限でいえば、IAEAは核技術の安全で信頼できる平和的利用を促進する国際機関であり、放射能汚染水の海洋環境と生物の健康に対する長期的影響を評価するのに適した機関ではない。」
頷くしかない。
やんわりと「アンタの出る幕ではない」と言われても、IAEAのグロッシ事務局長からは、反論の言葉は一つも出ないだろう。
中国政府はこうも言って、日本政府の不誠実さを非難している。
https://jp.news.cn/20230708/d787ddfd38fd47d4b28416273a73d90d/c.html
日本の官僚が自国のトリチウム排出基準は他国よりはるかに厳しいと発言したことについては次のように述べた。
「日本は福島原発事故の汚染水と世界各地の原発の正常運転による排水を同列に論じている。これは概念のすり替えで、世論をミスリードするものだ。」
「・・・専門家だけでなく、一般市民でも想像に難しくないように、福島原発事故の溶解した原子炉炉心に接触した放射能汚染水と、正常運転している原発の炉心に直接接触していない排水は本質的に異なる。発生源、放射性核種、処理の難度が異なり、根本的に比較できない。」
と。
要するに、日本の官僚が言っていることは「詭弁」だと言っているんだね。
この趣旨の指摘は、阿修羅掲示板のこの板でも、多くの方が指摘している。
日本政府の「科学」に向き合う姿勢の不誠実さが際立った瞬間ではないか。
記事によれば、
「・・・グロッシ氏は報告書について説明するため関係国を訪問中で、9日にニュージーランドへ移動する。」
と言うことだが、グロッシ氏にとって、IAEAにとって、「関係国」とはどこと、どこの国を指しているのだろうか。
そして日本は、「関係国」はどことどこで、それらの国に「丁寧な説明」を繰り返しているのだろうか。
先日、福島で、市民団体の強い要求もあって、東電側からの説明会が開かれたそうだ。
ある市民が「東電が「関係者に丁寧に説明を続けていく」と答えていた」のに対して、
「関係者」とは誰と誰なのか?
と問われて、答えられなかったという、なんとも情けない東電の姿を報じた記事を目にした。
誰とも分からない「関係者」にどうやって説明しようというのか。
「嘘」を吐いてはいけない。
「汚染水」の海洋放出で影響を受けるのは、「世界各国全て」であり、「全人類」、「全生物」が気が付かないまま放射能汚染の危険に晒されることになる。
「関係国」は、地球上のすべての国であり、「関係者」は、地球上の全人類だろう。
日本政府は、今年の夏までに、どうやって、全世界に、全人類に「丁寧な説明」をし、「汚染水」の海洋放出について了解を取るつもりなのか。
中国政府は納得していない。
韓国市民も多くが不安を訴えている。
日本国民は言わずもがな。
そして、中国政府は日本政府を非難する。
「・・・日本がいかに正当化しようとしても、国際社会でごまかしは効かない。放射能汚染水は放射能汚染水だ。日本が何と言おうと、放射能汚染水を正常な水に変えることはできないし、海洋放出の強行がもたらす結果と責任を逃れることもできない。」
と。
IAEAは一切責任は負わないと言う。
日本政府は「誰も責任を取るつもりもない。」
私には、政府の「丁寧な説明」どころか、「説明」らしきものに接した記憶がない。
黙っていれば、この暴挙の責任は、結局私達日本国民が負わされることになる。
「汚染水」の海洋放出、「絶対 反対!」。
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/116.html
36. 達人が世直し[2008] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月10日 18:18:39 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1255]
文章の前後を入れ換えた方が、実態を正確に伝えられるし、理解し易いよ。
「・・・教団の関連団体が信者の動員を呼びかけ、信者が会場の設営をしていた集会に、岸田総理ら国会議員が参加していたことがわかりました。・・・」
「あ、この人!岸田総理です」
これまで、岸田総理は、統一教会とは「関係を断つ」と明言してきました。
韓鶴子総裁が厳重指導。
「政治家たち、岸田をここに呼びつけて教育を受けさせなさい! わかっているわね!」
「岸田」「鶴子」と呼び合う、親密な関係。いずれは「文雄」「鶴子」か。
これまで、岸田総理は、統一教会とは「関係を断つ」と明言してきました。
政府高官「何も言えね〜。」
「あ、この人!岸田総理です」
「え〜、この人!馬場代表です」
「わぉ〜、この人!玉木代表です」
統一教会の汚染は、その危険性を誤魔化すために、「希釈」というわけにはいかない。
福島の放射能汚染水よりも有害で深刻。
国民の監視の目から逃げるように、隠れるようにして地下に潜り、ますます広がっている。
井戸を掘って汲み上げ、投棄することも叶わない。
残るは、教団の「解散命令」。
しかし、それも出せないのだろう。意気地なし。
「あ、その人!岸田総理です」
ん?
「本当のこと言っちゃいけないですか?」
統一協会が社会的大問題になって1年。
問題は何一つ解決していない。(志位委員長)
早う〜、教団の「解散命令」出してや〜。
https://jp.news.cn/20230712/13143b01391c4bb6a906c79575978f65/c.html
やはり、日本はIAEAの報告書を海洋放出の「通行証」にすることはできない。
改めて、そう確信する。
IAEAの報告書が公表されたとき、中国政府は批判の中で、こう指摘していた。
「・・・放射性核種の長期的な蓄積と濃縮は海洋の生態環境や食品安全、公衆の健康にどのような影響をもたらすのか。IAEAの報告書には、これらの問題に対する答えは一切なかった。・・・」
その後、IAEAのグロッシ事務局長が触れ回っているそうだ。
「福島の放射能処理水は飲用や水泳が可能で他国の原発排水と同じく危険がない」
と。
中国政府がすでに指摘している通り、
「職能と権限でいえば、IAEAは核技術の安全で信頼できる平和的利用を促進する国際機関であり、放射能汚染水の海洋環境と生物の健康に対する長期的影響を評価するのに適した機関ではない。」
と認識すべきなのだろう。
以下、記事を全文転載する。
【新華社北京7月12日】中国外交部の汪文斌(おう・ぶんひん)報道官は11日の定例記者会見で、国際原子力機関(IAEA)の事務局長が韓国とニュージーランド訪問時に「福島の放射能処理水は飲用や水泳が可能で他国の原発排水と同じく危険がない」など物議を醸す発言を繰り返したことや、評価作業に参加した専門家を含む多くの原子力分野の専門家がこれに異なる見解を表明していることについてコメントを求められ、次のように述べた。
最近の報道に少し留意すれば、IAEAの総合評価報告書には異議があり、評価に参加した専門家も異なる見解を発表していることが容易に分かる。これは争う余地のない事実であり、IAEAが放射能汚染水の海洋放出という複雑な問題で結論を急ぎ過ぎたことや、結論に限界性と一面性があり、福島放射能汚染水の海洋放出計画に対する国際社会の懸念を解決していないことを改めて示している。日本はIAEAの報告書を海洋放出の「通行証」にすることはできない。
われわれは改めて指摘する。基準を満たせるか定かでない福島の汚染水を正常に稼働する原発の排水と単純に比較することは、科学の常識に反している。両者には本質的な違いがある。一つ目は由来が異なる。二つ目は含まれる放射性核種の種類が異なる。三つ目は処理の難度が異なる。福島の汚染水は、事故で破壊された原子炉の炉心に注入された冷却水と原子炉に浸入した地下水と雨水であり、溶融した炉心の各種放射性物質が含まれている。原子力発電所が正常に排出した水とは全く異なる。IAEAは日本の汚染水浄化設備の有効性と長期的信頼性を全く評価しておらず、今後30年ですべての汚染水処理が基準を満たす保証はない。長期的な海洋放出が海洋環境や食品安全に与える影響もIAEAが簡単に結論を出せるものではない。
福島の汚染水の飲用や水泳が可能だと考えている人がいるなら、われわれは日本に対し、汚染水を海に流して国際社会に懸念を持たせるのではなく、しっかりと利用し、その人たちの飲用や水泳に提供するよう提案する。」
記事は以上。
隣国の中国政府や、韓国の野党が、日本が「問答無用」で強行しようとしている「汚染水」の海洋放出を激しく批判し、抗議の声を上げている。
彼らの言っていることは、極めて「科学的」であり、「論理的」であり、そして「倫理的」な指摘だと思うのだが。
報道によれば、韓国では国民の8割の人が不安を訴えているそうだ。
翻って、日本では、本当のところは、どうなのか?・・・。
日本政府にとっては、日本国民は「理解を得る」対象となる「関係者」ではないのだろうか。
日本政府にとっては、関係者とは、「IAEA」のグロッシ事務局長だけなのだろうか。
元防衛大臣の小野寺氏がツイッターで言ったそうだ。
中国政府や、韓国野党の批判に対して、「誠意が通じない、説明、反論しても仕方ない相手にはやはり丁寧な無視ですね」・・・と。
語るに落ちるとは、このことだろう。
今の政府、自民党の国民に対する姿勢を隠そうともしない。
「丁寧な無視」
納得したわ。
しかし、これほど傲慢不遜で、相手をバカにした言葉は無い。
日本の主権者である、誠実な日本国民としては、ぞんざいに「無視」することは出来ない。
IAEAの報告書は前文で、「福島第一原発の処理水の海洋放出は日本政府の「国家的決定」だとし、「この報告書は政策の推薦でも、裏書きでもない」と強調しているそうだ。
同報告書はまた、扉ページの声明で、報告書の提示した見解は必ずしもIAEA加盟国の見解を反映しているわけではなく、「IAEAとその加盟国は、この報告書の利用によって引き起こされるいかなる結果に対しても責任を負わない」と強調しているという。
「IAEAとその加盟国」と言えば、当然「日本」が含まれる。
文面通りに理解すれば、
日本も、IAEAのグロッシ事務局長と同様に、
「この報告書の利用によって引き起こされるいかなる結果に対しても責任を負わない」
と宣言していることになる。
日本はIAEA加盟国だ。
「責任を負わない、そう言ってあったでしょ!」
と言う訳か。・・・マジか?!
日本政府にとっては、IAEAの報告書は海洋放出の「通行証」どころか、「免罪符」にしようとしているってことだわ。
とんでもねえ「奴ら」だ。
IAEAは一切責任は負わないと言う。
日本政府は「誰も責任を取るつもりもない。」
私には、日本政府の「丁寧な説明」どころか、「説明」らしきものに接した記憶がない。
日本政府にとっては、われわれ国民は、「説明しても仕方ない人たち」なのだろう。
「関係者の理解を得る」としている「関係者」も、今もって「誰か」が分からない。
しかも、官房長官の言によれば、理解を得たかどうかも、政府が「主観的に」判断することになるらしい。,
ほら、あの「閣議決定」とやら・・・。
国民は、「説明しても仕方ない人たち」であり、「ご丁寧に無視」されてきた、ということだけは分かった。
黙っていれば、この暴挙の責任は、結局私達日本国民が負わされることになる。
「汚染水」の海洋放出、「絶対 反対!」。
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/144.html
https://www.asahi.com/articles/ASR7C3VTBR7CUTFK007.html
私たちは、日本政府と東電が2015年に出した、
「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」
とした「証文」が、いとも簡単に紙屑になった瞬間を目撃することになった。
それは、松野博一官房長官の11日午前の記者会見で、最初に起こった。
以下、記事の抜粋。
政府が今夏にも始める東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出をめぐり、松野博一官房長官は11日午前の記者会見で、地元漁業者など関係者の理解を得るため「意思疎通を繰り返し、信頼関係を深めていくことが重要だ」と述べた。政府と東電は2015年に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と福島県漁業協同組合連合会に文書で伝えている。
松野氏はこの日の会見で「関係者の理解」について、「何をもって理解を得たかということについては、特定の指標によって理解の度合いを判断することは難しい」と指摘。そのうえで「引き続き懸念や要望にしっかり答えていくよう取り組んでいく」と述べ、意思疎通を続けていくことを強調した。
政府は地元の理解を得るため、・・・国際原子力機関(IAEA)が安全性に問題はないとする調査結果をまとめた報告書について、県漁連に初めて説明する。・・・政府が「夏ごろ」としている放出時期が焦点になっている。(笹川翔平)
記事の抜粋は以上。
記事によれば、松野博一官房長官は、
「・・・「関係者の理解」について、「何をもって理解を得たかということについては、特定の指標によって理解の度合いを判断することは難しい」と指摘。・・・」
したとある。
自分達が「証文」を出しておいて、他人事のように、「関係者の理解」の曖昧さ、意味不明さを今になって、「明かし」、
判断が難しいので「無視」すると宣言したに等しい。
普通の感覚を持っていれば、「これは犯罪的であり、今更これは無い」と思うだろう。
明らかに「詐欺の手口」そのものではないか。
時を同じくして、もう一つ起こった。
これはもう、用意周到に仕組まれていたとしか思えない。
朝日新聞の別記事によれば、
「・・・西村康稔経済産業相が11日、福島県いわき市で県漁連の理事会に出席した。
会談後の記者会見で西村氏は、県漁連と交わした「関係者の理解なしに処分しない」との約束について「約束は順守する」「漁業者は関係者」としながら、「理解の度合いは測れず、判断するのは難しい」と濁した。・・・」
これは、理解の度合いは、政府が「主観的に判断する」との宣言のつもりなのだろう。
「もう、あんた方の「理解」はどうでもいいのよ。」
ということだ。
さらに、別の記事では、
「岸田文雄首相は12日夜訪問先のリトアニアで記者団の取材に応じ、東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出の時期について、・・・「安全性の確保や風評対策の取り組みの状況を政府全体で確認をしたうえで判断したい」と述べた。」
とあった。
ここでも、判断の前提としての「関係者の理解」は、見事に消え去ってしまっている。
政府にとっては、県漁連の人たちは勿論、日本国民は、「説明しても仕方ない人たち」であり、「丁寧に無視」しますと言うことなのだ。
とんでもねぇ〜「奴ら」だ。
西村康稔経済産業相、「漁業者は関係者」・・・。
国民は「関係ない」ってか!。
ところで、IAEAの包括報告書なるものは、国民の代表たる国会議員に「丁寧に説明」したんだろうか?
ここでも、
「もう、あんた方の「理解」はどうでもいいのよ。」・・・ってか。
「汚染水」の海洋放出、「絶対 反対!」。
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/157.html
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/326037
ASEANと日中韓3カ国の外相会議で、福島第1原発の処理水をめぐり、中国が科学的根拠に基づかない主張を行い、林外相が反論したということの、日刊ゲンダイの検証記事。
中国外務省によると、王毅氏は「核汚染水」と発言したという。
「言葉」でもめるのも大人気ないと思うし、あまり本質的ではないのだが、騒ぎになっている以上、白黒を付けなければならない。
福島原発「処理水」と「汚染水」認識のズレ?。
少し違う、科学的にはどちらが正しいかだ。
今回のテーマはこれにしよう。
ちなみに、私は、これまで「汚染水」と言い続けている・・・。
日刊ゲンダイの記事の抜粋は以下の通り。
「国際基準と国際慣行にのっとり実施する」
ASEAN(東南アジア諸国連合)と日中韓の外相会議で、日本の福島第1原発「処理水」の海洋放出計画をめぐり、林芳正外相(62)が声を荒げる場面があった。林氏の発言は、会議に参加している中国外交トップの王毅政治局委員(69)が「汚染水」と発言。海洋放出に反対姿勢を示したことに対して抗議する意味もあったとみられる。・・・
「処理水」か「汚染水」か──認識のズレはどこにあるのか。
一つのヒントになるのは、2020年12月の衆院東日本大震災復興特別委員会の質疑だ。
立憲民主党の玄葉光一郎議員(59)は「ALPS(多核種除去設備)処理水というのは、他の原発から出ているトリチウムと同列に論じていいのかどうか」と質問。これに対し、当時の江島潔経産副大臣(66=自民党)は、ALPS処理水について、「溶融した核燃料に直接触れている水が由来であります。従いまして、核分裂で生じた核種を含んでいるということは事実」とした上で、「(核燃料の)再処理工場というものから出てくる排水には、同じく核分裂で生じた核種が含まれている」「トリチウムに加えまして、セシウム、放射性ヨウ素、それからカーボン14等々、福島第一原発のALPS処理水に含まれる核種と同じものが確認をされている」と答弁。
同委員会に出席していた東電副社長も、「損傷した燃料に触れた水という点では、通常の原子力発電所で発生いたします液体廃棄物に含まれない放射性物質が含まれております」と説明していた。
■政府や東電の二転三転した対応も近隣諸国の不信感に…
日本共産党の高橋千鶴子議員(63)は、処理タンクで液漏れやさび、硫化水素の発生などのトラブルが続いた事実を挙げ、「事故炉を通した水であること、トリチウム以外に62種の放射性物質があり、濃度や組成はタンクによって均一ではないこと、タンクの中で有機結合型トリチウムの発生も確認されていること、こうしたことから、通常運転時に放出されるトリチウムと同一視することはできない」と断言。さらに「そもそも、基準、基準と言いますけれども、事故炉に対して総量規制を取っ払ってしまっていること、再処理工場はもっと高いからという何かすごい答弁がございましたけれども、数万倍も高い濃度のトリチウムを放出すると言われている再処理工場には、濃度基準さえない」と指摘していた。
この時の質疑をそのまま受け取ると、福島原発の「処理水」をたどると、ネット上でみられる「他の原発の処理水と同じ」とは言い難く、再処理工場で粉砕された核燃料に触れるなどした「排水」に近いようだ。
もっとも、それでも政府や東電はALPSの処理を重ね、IAEA(国際原子力機関)のOKも得たから「処理水」と主張したいのだろう。ただ、一方で、この問題を振り返ると、もともとALPS処理後に残るのはトリチウムだけと言われていたはずが、その後、他にも放射性核種が含まれており、(排出)基準を上回るものも多い──ということが発覚して大騒ぎとなったのは記憶に新しい。
政府や東電のこうした二転三転した対応が、中国など近隣諸国の不信感を招く要因になった面は否めないのではないか。
記事の抜粋は以上。
福島事故原発由来の、海洋放出をしようとし、海水で希釈した「あの液体」は、「処理水」なのか「汚染水」なのか。
科学的にはどちらが正しい表現なのか。
参考までに記しておくと、「汚染」の対義語は「浄化」「洗浄」とある。
IAEAはどう捉えているのか。
国際基準に則ると言うなら、IAEAの定義ではどうなのかを調べるのが良さそうだ。
IAEAによる汚染(放射能汚染)の定義:(ウィキペディアから抜粋)
1. 表面上、または固体、液体、気体(人体を含む)内の放射性物質、または、それを生むプロセスで、その放射性物質の存在が意図しないか望ましくない場合。
2. ベータおよびガンマ線と低毒性(low toxicity)アルファ線の場合は0.4 Bq/cm2を超える量、または他のすべてのアルファ線の場合は0.04 Bq/cm2を超える量の放射性物質が表面に存在する場合。・・・
2. については、この定義は国際輸送規則上の定義であって、その数値以下であっても、1の科学的定義が考慮されなければならないとしている。
また特に、汚染の語には意図しないということを含意している場合があり、汚染の語は単に放射能の存在を示すにすぎず、関連する危険有害性の大きさを示すものではないとしている。
以上はウィキペディアから抜粋引用。
IAEAによる汚染(放射能汚染)の定義、特に1の科学的定義に従えば、「汚染水」をALPSによって一定量の放射性物質を除去したとしても、意図ぜずして混入した放射性物質が残っている以上は、その危険有害性の大きさに関らず「汚染」水と言うことになろうか。
ということで、
科学的には、「汚染」された水・・・「汚染水」
「処理水」と言おうとも、「汚染」された水・・・であるから「汚染水」
こうしてみると、「処理水」という表現は、恣意的に「汚染」を隠すために作られた悪質な造語と言える。
すなわち、プロセス的には「汚染」水に「浄化」処理を施した、いわば「浄化処理水」なのだろうが、除去できない放射性物質が残る以上「浄化水」あるいは「浄水」とは言えない。
結論的には、「汚染水」を浄化処理で放射性物質を除去しきれなかった「不完全浄化処理水」ということになる。
政府と東電は、「不完全浄化処理水」を(完全を装って)「処理水」と言っていることになる。
科学的には、「汚染された水」という実態は変わらない。
「汚染水」という表現こそが科学的であり、「処理水」と表現するのは、もはや科学とは無縁の「詭弁」の類いだろう。
政府や東電のこうした「人を騙そうとする」ような対応が、日本国民だけではなく、「中国など近隣諸国の不信感を招く要因になった面は否めないのではないか。」
「汚染水」にはトリチウム以外の核種が含まれていることは、日刊ゲンダイの本記事からも分かるとおり、政府、東電ともに認めている事実であり、正常に運転されている原発から排水される冷却水と同列で語ることは、明かに「非科学的」と言えよう。
林外相は、「国際基準と国際慣行にのっとり実施する」と言うが、
IAEAの報告書は前文で、「福島第一原発の処理水の海洋放出は日本政府の「国家的決定」だとし、「この報告書は政策の推薦でも、裏書きでもない」と強調しているという。
同報告書はまた、扉ページの声明で、報告書の提示した見解は必ずしもIAEA加盟国の見解を反映しているわけではなく、「IAEAとその加盟国は、この報告書の利用によって引き起こされるいかなる結果に対しても責任を負わない」と強調しているという。
さらには、
「福島の放射能処理水は飲用や水泳が可能で他国の原発排水と同じく危険がない」
などと言う、IAEAのグロッシ事務局長の提出する包括報告書を「科学的」として信用する、「非科学的」なその神経を疑う。
審査を依頼されて、「内容に責任を持ちません」という報告書を出す方も出す方だが、受け取る方も受け取る方だ。
中国政府から、
「飲めるんであれば、日本国内で飲料水として使ったらどうだ」。
と言われて、
「飲めるんじゃない」
と口をまげて言った奴がいるみたいだが、絶望的に情けなくなる。
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/171.html
https://dot.asahi.com/aera/2023071800018.html?page=1
「福島第一原発処理水の海洋放出が迫っている。」
という文章から始まる、批評家東浩紀氏の「AERA」巻頭エッセイ「eyes」
「科学的」議論と判断が求められている福島第一原発処理水の海洋放出問題に対して、残念ながら、「批評家」では荷が重すぎたのでは、という印象しか残らない。
知らないで書いているとすれば、「批評家」としては、あまりにも勉強不足ということになるし、知っていて読者を誤誘導する意識が働いているとすれば、「批評家」の風上にも置けない、政府御用達の人と言うことになろうか。
以下に記事の抜粋を記す。
福島第一原発処理水の海洋放出が迫っている。
原発事故から12年、跡地では冷却水と地下水が入り混じり毎日膨大な量の汚染水が発生し続けてきた。それを特殊な装置で浄化したのがいわゆる処理水で、微量のトリチウム(三重水素)が含まれる。トリチウムの放出自体は世界中で行われており、政府は健康への危険はないと判断している。・・・
それがここにきて外交問題になり始めた。中国は反対を表明。11日には香港政府が日本産海産物の禁輸を仄めかした。
韓国政府は理解を示しているが、野党主導による世論の反発が激しい。・・・呼応して日本国内でも反対論が高まっている。政府は地元の理解が必須とするが、福島県漁連が反対を表明するなど先行きが読めない。
とはいえ、日本には他の選択肢がない。・・・汚染水は溜まり続けている。敷地内はタンクで一杯で廃炉作業に支障が出ている。永遠に保存し続けるのは無理だ。だとすればいつかは海に流すほかない。・・・国際的な安全基準を満たすところまで浄化できたのであれば、よしとするべきではなかろうか。
むろん地元民には不安が残るだろう。・・・けれども事故処理を進めるとすれば、この痛みは潜り抜けるしかない。・・・政府による十分な補償を前提に、なんとか合意を作れないものか。
中韓はこの問題を政争の具にしている。彼らにとって原発事故は他国の出来事だ。だからいくらでも不安を煽ることができる。しかし日本にとってはそうではない。多少の不安はあっても廃炉は進めねばならないし、福島は復興せねばならない。日本の政治家やマスコミにはせめてその軸だけは見失わないでほしいと願う。
記事の抜粋は以上。
東浩紀氏の「非科学的な指摘」を論う(あげつらう)ことが目的ではないが、読者が誤解をしないように、間違いは間違いとして、指摘すべきは指摘しておかなければならない。
「・・・それを特殊な装置で浄化したのがいわゆる処理水で、・・・」
ALPSを通した、「不完全浄化処理水」と言うのが正しい。
「・・・微量のトリチウム(三重水素)が含まれる。・・・」
微量とはこれまた「微妙な」表現だこと・・・。
2020年12月の衆院東日本大震災復興特別委員会の質疑から拾う。
立憲民主党の玄葉光一郎議員(59)は「ALPS(多核種除去設備)処理水というのは、他の原発から出ているトリチウムと同列に論じていいのかどうか」と質問。これに対し、当時の江島潔経産副大臣(66=自民党)は、ALPS処理水について、「溶融した核燃料に直接触れている水が由来であります。従いまして、核分裂で生じた核種を含んでいるということは事実」とした上で、「(核燃料の)再処理工場というものから出てくる排水には、同じく核分裂で生じた核種が含まれている」「トリチウムに加えまして、セシウム、放射性ヨウ素、それからカーボン14等々、福島第一原発のALPS処理水に含まれる核種と同じものが確認をされている」と答弁。
同委員会に出席していた東電副社長も、「損傷した燃料に触れた水という点では、通常の原子力発電所で発生いたします液体廃棄物に含まれない放射性物質が含まれております」と説明していた。
また、東京新聞によれば、今年の3月に採水したタンク群の分析結果は6月22日に判明。
浄化設備で除去できないトリチウムの濃度は1リットル当たり14万ベクレル。政府方針の基準では、放出できるトリチウム濃度は同1500ベクレルで、海水を混ぜて約93倍に薄める必要がある。
「・・・微量のトリチウム(三重水素)が含まれる。・・・」
と言うのが、大きな誤りであることが分かろうというものだ。
「・・・トリチウムの放出自体は世界中で行われており・・・」
と言うのも、
同じく、2020年12月の衆院東日本大震災復興特別委員会の質疑の中で、
日本共産党の高橋千鶴子議員(63)は、処理タンクで液漏れやさび、硫化水素の発生などのトラブルが続いた事実を挙げ、「事故炉を通した水であること、トリチウム以外に62種の放射性物質があり、濃度や組成はタンクによって均一ではないこと、タンクの中で有機結合型トリチウムの発生も確認されていること、こうしたことから、通常運転時に放出されるトリチウムと同一視することはできない」と断言。さらに「そもそも、基準、基準と言いますけれども、事故炉に対して総量規制を取っ払ってしまっていること、再処理工場はもっと高いからという何かすごい答弁がございましたけれども、数万倍も高い濃度のトリチウムを放出すると言われている再処理工場には、濃度基準さえない」と指摘していた。
との指摘を前にしては、何の説得力も持たない。
しかも、政府の言う「処理水」も海洋放出するにあたっては、さらに「海水で100倍に薄める」必要があるという。
正常に運転されている原発からの排水を、排水する前に海水で薄めている例などあるのだろうか。
福島の「汚染水」の海洋放出にあたっては、「処理水」を海水で希釈して、それを1kmという目と鼻の先の海底から海洋に放出するということになっている。
そんな無駄で非科学的なことをやっている原発など福島以外には無い。
しかし、そうしなければならないということが、正常に運転されている原発からの排水と同列に語ることができない「代物」であることの証左だろう。
「・・・政府は健康への危険はないと判断している。・・・」
と言うに至っては、政府の雇われ者の言でしかない。
「・・・政府は地元の理解が必須とするが・・・」
今、ここが怪しくなってきている。
松野博一官房長官の11日午前の記者会見で、
「・・・「関係者の理解」について、「何をもって理解を得たかということについては、特定の指標によって理解の度合いを判断することは難しい」と指摘。・・・」
したとある。
自分達が「証文」を出しておいて、他人事のように、「関係者の理解」の曖昧さ、意味不明さを今になって、「明かし」、
判断が難しいので「無視」すると宣言したに等しい。
東浩紀氏の一番問題な文章は、
「・・・とはいえ、日本には他の選択肢がない。・・・」
と、何の前触れも無く、また根拠を示さず、「汚染水の海洋放出しか選択肢はない」と、結論じみたことを言っているところだろう。
日本国民は勿論、近隣諸国も、国際社会も、納得しいていないのは、まさにこの点だ。
日本政府が「汚染水の海洋放出」という対処法が、科学的に検討した結果、「取りうる唯一の方法」であると、国民に向かって、さらには国際社会に向かって説明したとは、寡聞にして存じ上げない。
「・・・永遠に保存し続けるのは無理だ。・・・」
と言うなら、「永遠に海洋に放出し続けるのも、同様に無理だ」と言わねばなるまい。
さらに
「・・・政府による十分な補償を前提に・・・」
と言うに至っては、「処理水」という名の「汚染水」は、海洋に放出することは「安全ではなく「問題あり」と言っているに等しい。
中国政府の言ではないが、「飲めるし、泳げるような水の放出なら、「補償」など必要ないではないか。」・・・ということになる。
「・・・廃炉は進めねばならないし、福島は復興せねばならない。・・・」
このくだりは、ここで東浩紀氏の書いていることは、「政府のこれまでの言い分をそのままなぞってきた」に過ぎないことを、如実に表している。
政府は「福島原発の廃炉」と「福島の復興」を人質にとって、「汚染水」の海洋放出を強行しようとしているが、「汚染水」の海洋放出の是非を科学的に議論することと、「福島原発の廃炉」と「福島の復興」を進めることとの間には、何の関連もないのは自明ではないか。
国民を脅してどうする・・・。
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/206.html
42. 達人が世直し[2009] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月19日 21:36:25 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1256]
「クソ野郎」と呼ばれた男が、伊藤詩織さんを毒牙にかけた「あの事件」。
刑事事件としては「不起訴処分」とされている。
しかし、不起訴処分後であっても、検察はいつでも独自の判断で再捜査を始めることができる。これを「再起」と呼ぶらしい。
関係者から新証言が出てきたとか、未発見の証拠物が発見されたといった場合には、事情の変化があったということで、再捜査を行うそうだ。
本事案の公訴時効完成は2025年なので、それまでは刑事事件として公訴も可能なのだ。
民事裁判では、最高裁まで「クソ野郎」と呼ばれた男の犯行を認定している。
これ以上の新たな証拠はないだろうし、関係者からの新証言も、民事裁判で得られているだろう。
これ以上の事情の変化は起こり得ないくらいのことが起こっているわけだ。
さらには、安倍氏も消え、中村格氏も警察庁長官の職を離れた。
つまりは、「邪魔する奴」はいなくなったという、大きな事情の変化も起こっている。
検察は過去を恥じ、汚名を雪ぐために、自らの意思で「再起」し、「クソ野郎」と呼ばれた男を公訴した上で、塀の向こう側に送ってほしいところだ。
大石あきこ氏から「クソ野郎」と呼ばれた男の「再起」を許してはならない。
あとは検察の「やる気」と「矜持」次第。
国民は検察の行動を意外と良く見ている。
国民から、「ヒラメ〇〇」とか、「クソ検事」とか言われるようなことがあってはいけない。
34. 達人が世直し[2010] kkKQbIKqkKKSvIK1 2023年7月20日 21:25:53 : vouZoQV3GI : cERhT0preFllVnc=[1257]
「・・・小沢は「解散は2025年参院選とダブル選挙」と見据える。・・・」
目指せ!、政権交代。
「二度あることは三度ある」と言う。
これまで、その三度目の政権交代を目指してやってきた「野党共闘」。
今度の総選挙は「野党共闘」としては「三度目の正直」。
「頑張れ! 野党共闘!」
しかし、小選挙区での候補者調整という小手先の選挙協力では満願成就は覚束ない。
それでは50%もの「眠れる有権者」は動かせられない。
やはり、政権奪取を狙うなら、「政権構想」を国民に訴えることが必要最小限の条件となろう。
単独政権が無理な状況にあっては、取るべき策は「連立政権」しかない。
国民に「連立政権」が目指す「新しい日本の姿」を「連立政権構想」の形にまとめて、有権者に訴え、審判を仰ぐ。
そのくらいの気概はないとね。
有権者は、「連立政権構想」で「連立政権」が目指す新しい日本の姿を知り、その社会の姿に希望と夢を感じ、「野党共闘」に賛同し、政権交代の実現の可能性を感じたときに、初めて無党派層の汚名を返上し、投票所に足を運んでくれる。
有権者の50%もの「眠れる一票」を動かすのは、野党共闘の「連立政権構想」。
「連立政権構想」で日本中を「アッ!」と言わせろ。
「頑張れ! 野党共闘!」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023072100835&g=pol
立憲民主党の泉代表は、何を言っているのか。
立憲民主党は、福島県民、漁協と共に闘うのではなかったのか?。
東電福島原発処理水の海洋放出に対して、全漁連会長が今も「反対は変わらず」と表明している。
政府側からは、あの手この手の強い圧力があるだろう事は、簡単に想像がつく。
にも拘らずの、全漁連会長の毅然とした態度を見ると、感動すら覚える。
全漁連会長が「反対」を表明しているにも拘らず、立憲民主党泉代表の「・・・漁協納得なら容認・・・」とは・・・一体何を言っているのか?。
穿った見方をすれば、「自分は既に容認しているから、漁協はぐずぐず言わずに納得してね。」とサインを送っているようなものではないか。
こんな「他人事」な発言を聞いたら、私でも、心が折れてしまいそうになるわ。
漁業に従事している人達は勿論、福島県民の怒りは「心頭に発して」いることだろう。
以下記事の全文転載。
立憲民主党の泉健太代表は21日の記者会見で、東京電力福島第1原発から出た処理水の海洋放出計画に関し、「漁業協同組合として一つの結論に至るのであれば、次のステップに入ることはあり得る」と述べ、漁協が納得すれば放出を容認する考えを示した。
泉氏は、放出による漁業への影響について「ゼロではないかもしれない」と指摘。同時に、放出計画は安全基準に合致するとした包括報告書を国際原子力機関(IAEA)がまとめたことにも言及した。政府には「福島や近隣の県民の思いに十分寄り添うべきだ」と改めて求めた。
記事は以上。
泉代表は、「政府には「福島や近隣の県民の思いに十分寄り添うべきだ」と改めて求めた。」
とあるが、そう言う前に、自分たち立憲民主党が、福島県民に寄り添い、共に闘うべきではないのか。
泉代表は、
「同時に、放出計画は安全基準に合致するとした包括報告書を国際原子力機関(IAEA)がまとめたことにも言及した。」
とあるが、
立憲民主党はIAEAの包括報告書を「是」とし、容認したのだろうか。
「IAEAの包括報告書」は「汚染水」海洋放出の「お墨付き」との政府の言い分を追認するつもりなのか。
中国政府によれば、
「IAEAの包括報告書」は「この報告書は政策の推薦でも、裏書きでもない」と強調しているというが、確認していないのだろうか。
同じく中国政府によれば、
同報告書はまた、扉ページの声明で、報告書の提示した見解は必ずしもIAEA加盟国の見解を反映しているわけではなく、「IAEAとその加盟国は、この報告書の利用によって引き起こされるいかなる結果に対しても責任を負わない」と強調しているというが、
泉代表は確認していないのだろうか。
立憲民主党は、
「福島の放射能処理水は飲用や水泳が可能で他国の原発排水と同じく危険がない」
などと言う、IAEAのグロッシ事務局長の提出する包括報告書を「科学的」として信用するということなのだろうか。
立憲民主党内で十分な議論がなされ、それこそ、提案型で「対案の検討」はしてこなかったのか。
立憲民主党としての統一見解はどうなっているのか。
そんな、あやふやな態度では、韓国で「汚染水」の海洋放出に反対する野党と共に、反対の意思表示をし、行動を起こした立憲民主党議員の行動を、批判する資格など無いだろう。
所で、泉代表も口に出して言う、
「放出計画は安全基準に合致するとした」
というIAEAのグロッシ事務局長の「言い回し」にも疑念を抱かずにはいられない。
ここで言う「安全基準」とは「何」に対する安全基準なのか。・・・ということだ。
少なくとも、
メルトダウンした燃料デブリを直接冷却するために放水され、地下水とも一体になって、放射能に汚染された「汚染水」を海洋に放出することは、事故前には考えられていなかったことだろう。
とすれば、燃料デブリに触れ、放射能に汚染された「汚染水」を海洋に放出する際の「安全基準」などあろうはずがない。
原発の「安全神話」の中にあっては、「メルトダウンを想定」することは、すなわち「原発」の否定に繋がる「タブー」であったはずだ。
「放出計画は安全基準に合致するとした」
この言い回しはどういうことか?
思いつくのが「ご飯論法」と言われる「詭弁」。
燃料デブリに触れた「汚染水」の海洋放出という行為によって、将来にわたって放射能の影響を受け続けることになる人類、生物、環境に対して、それらに与える「危険性」の有無、「安全性」への懸念を問われて、「放出計画の安全基準」で誤魔化してはいないか。
問われているのは「サイエンス」であり、「テクノロジー」ではないはずだ。
報道では、国際的な安全基準、IAEAの安全基準との言葉が躍っているが、明文化された「この基準」のこの条文と示した、具体的な「安全基準」を報じたものに未だ触れていない。
WHOの基準だろうか、日本の排水基準だろうか、それとも、ISO9000イメージのにわか仕立ての基準だろうか。
やはり、燃料デブリに触れ、放射能に汚染された「汚染水」を海洋に放出する際の「安全基準」などあろうはずがない。
安全を証明できないものに、安全基準など設けることは出来ない。
そんなものを設けることは、人間の驕りであり、傲慢不遜な態度と言えよう。
というのが、正しい認識の仕方なのではないだろうか。
その認識に立たなければ、この問題の正しい解決は望むべくもない。
「安全だろう」で「汚染水」を海洋放出されては困るのだ。
「安全ではないかもしれない」として、海洋放出は断念し、他の方策を真剣に検討すべきだろう。
「危機管理の要諦」は改めて書き出す必要もない。
話が少し逸れるが、先日この阿修羅掲示板のコメント投稿の中に、興味を惹かれた一つの書き込みを見付けた。
「楽老さん」の書き込みだが、一部を抜粋すると次のようなものだった。
>根本的問題は、汚染水タンクの水は放出するしかないと云うのが本当かどうか❓
>原発は電力を使用して永久に冷やさなければならない。
>フクシマのデブリも同じ
>汲み上げてアルプスを通した水が130万トンに達している。
>この処理水は長期保管で常温にまで冷えているだろう。
>これをもう一度冷却水として循環冷却すればよいのではないか❓知らんけど。
「これをもう一度冷却水として循環冷却すればよいのではないか❓」
今、このフレーズが私の頭から離れない。
人間の知恵は無限だと、改めて思う。
他にも、名案があるやもしれない。
政府、東電は努力が足りない。
世界中の科学者の知恵を借りることだ。
海洋は広しといえども、所詮は有限だ。
しかし、人間の知恵は無限だ。
「汚染水」の海洋放出、絶対反対!
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/241.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/264815?rct=politics
はっきり言って、「この人もう駄目だわ」という気持ちにさせられる、そんな記事。
東京新聞のごく短い記事の中から、立憲民主党の泉代表に関連した部分を以下に抜粋する。
「令和国民会議」(令和臨調)の対話集会で次期衆院選をにらみ、与野党党首から発言が相次いだ。立憲民主党の泉健太代表は国民民主党に連携の秋波を送った。・・・
・・・泉氏は、政権交代を果たした際の連立の枠組みに関し「中道リベラルの枠をはみ出るような勢力と政権を握るつもりはない。国民民主は共に政権を担う仲間だ」と明言した。泉氏が目指す野党間の候補者調整に拒否感を示す国民の玉木雄一郎代表にメッセージを打ち出した形だ。
泉氏は候補者調整について「候補者を1人にするに過ぎない」と述べ、各党が候補者を支援し合う選挙協力とは異なるとの考えも示した。
玉木氏は一部の野党間で自衛隊の在り方や原発を含むエネルギー政策などが合致していないとして「ずれているものを調整するのは大変だ」と連携に慎重姿勢を崩さなかった。・・・
記事の抜粋は以上。
私が「この人もう駄目だわ」と感じた発言は、
候補者調整について「候補者を1人にするに過ぎない」
と述べたところだ。
提案する政策が大小、あるいは少しづつでも異なっている政党があって、それぞれの政党を支持する有権者がそれぞれがいる。
そういう現実の中で、政党が政策のすり合わせをすることも無く、単純に「候補者を1人にするだけ」で、野党間の候補者調整が終わってしまったとしたら、支持する政党の候補が降りた選挙区の有権者はどうすればいいのか。
結局、投票に値するする候補者がいなくなったということになっただけで、目標を失った有権者は投票には行かない、ということになるのは「火を見るより明らか」ではないか。
これまで、各政党の各候補者は、有権者に政策の「選択肢」を、また自分たちの生きる日本の社会の姿の「選択肢」を提案し、有権者はそれを比較検討して、これはと思う政党あるいは候補に投票してきたのではないか。
泉氏の思い描く野党間の候補者調整が、「候補者を1人にするに過ぎない」ものだとするならば、「有権者から選択肢を奪う」だけのものであり、民主主義とは相容れない、有権者を無視か、或いは馬鹿にした、とんでもない事だと言わざるを得ない。
「・・・泉氏は、政権交代を果たした際の連立の枠組みに関し「中道リベラルの枠をはみ出るような勢力と政権を握るつもりはない。・・・」
と言うが、ここでも大きな勘違いをしている。
今時「中道リベラル」などと言う言葉などは有権者には受けない。
有権者が自分は「中道」だ、「リベラル」だ、いや「保守」だなどと意識している人などは極々稀な、希少人種ではないだろうか。
有権者は、「中道」とも「リベラル」とも「保守」とも、意識していないというか、分からないと思っているところへ、
「中道リベラルの枠をはみ出るような勢力と政権を握るつもりはない。・・・」
などと言えば、有権者は立憲民主党から離れていくばかりだと思うのだが・・・。
「候補者を1人にするに過ぎない」
そんなことしか言えない人が、代表に収まっているようでは、
「この政党もう駄目だわ」
という気持ちにさせられる。
今からでも遅くはない。
「君子豹変す、小人は面(おもて)を革(あらた)む」
という。
政権を奪取し、「国民の生活が第一」の政治を実現するためには、今は「野党共闘」で闘うしかないではないか。
「国民の生活が第一」の政治を実現するためには、「中道リベラル」の意識は必要ないし、むしろ邪魔でしかない。
「野党共闘」の「政権構想」を纏め、それを一つに旗として、国民にげきを飛ばし、「国民の生活が第一」の政治を望む国民を糾合してほしいものだ。
政権奪取後の日本の社会の姿を「国民の生活が第一の連立政権構想」で謳い上げ、「政権奪取の本気度と可能性」を有権者に感じて貰えるかどうかにかかっている。
その時、眠れる有権者も動き出すのではないか。・・・私はそう思う。
「頑張れ!、野党共闘!」
http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/256.html
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