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2017年09月15日 「ジャーナリスト同盟」通信
<新聞と電波の分離不可欠>
大事な電話をしている最中に玄関のベルが鳴った。妻が出たので、あとで様子を聞くと、なんとNHKだった。「お宅はアンテナがありませんね」と余計なことを聞いてきたらしい。「NHKは見たくもありませんからね」と答えて、渋る押しかけ客人を撃退したらしい。こんな場合、反NHKのプロは「帰ってください」と言えばいいのだという教えを思い出した。この機会に、NHKも関係する日本の電波行政の、深刻かつ重大な疑義と言論の自由を取り上げてみたい。福田赳夫元首相秘書との会話の中でも、強く指摘された点である。それは民主社会での「電波と新聞の分離」である。
<テレビはぼろ儲け>
日本の電波使用料は、年間747億円といい、米国の5兆円に比べると、破格の安さだという。このために、日本のテレビ局は、法外な利益を上げている。そのせいで、社員の給与は、べら棒に高い。高給取りだから、国民・弱者からの目線が不足している。結果、国民のテレビ離れに拍車をかけているのも当然である。
これは新聞にも言える。最近の朝日の論調は甘すぎて、読むに堪えなくなっている。知識人の多くが朝日講読を止めて、東京新聞などに乗り換えている。もう大分前からのことだ。
朝日の社説1本が100万円、150万円と聞いて腰を抜かしたことがあるが、これではいい記事は書けない。特に朝日政治部のそれは、はなはだ心もとない。せめて社会部が強ければいいのだが、例のTBS強姦魔事件もみ消しについてさえ、今も政府に遠慮して書いていないらしい。
朝日はテレ朝、読売は日テレ、毎日はTBS、産経はフジ、日経はテレビ東京と大手の民放は5紙に独占されている。言論の自由が規制され、全体主義を喜ばせる、こんな報道システムは、世界に日本だけである。
カルト(全体主義)・世論操作に好都合な報道体制である。安倍晋三は、官房機密費を使って5人か10人の社長と食事をすれば、もう心配なく暴政を強行することが出来る。現に、そうしてきたことで、日本は破滅に向かっている。
<テレビは総務省が許認可権で監視規制>
電波は国民のものである。しかし、電波の許認可権を政府・総務省が握って、わずかの民放に配分している。この権限を振り回すことで、言論の自由に釘をさすことが出来るだろう。
国家主義の政府を批判さえできない制度にしている。
それを水面下で行えば、国民がしらないまま、言論統制を強行することが可能だ。そうして安倍・自公内閣は、特定秘密・戦争法・共謀罪という世紀の悪法を強行した。これは明白な事実である。
<電通操作でも放送内容チェック>
同時に、電通が大手を振って言論の自由に規制を加えている、異様な日本を、多くの国民は理解できないでいる。新聞テレビの編集幹部であれば、電通による言論弾圧は、日常茶飯事であることを知っている。
民放のテレビ局は、企業広告で運営されている。したがって、スポンサー企業からの圧力は、ほぼ100%貫徹されている。茶の間のミーハー族には、その影を察知することが出来ない。いい番組を、民放が作ることが出来ないシステムになっている。
<NHKは会長人事と予算で政府操作>
ニュース報道で、最も影響力のあるNHKは公共放送である。政府の放送ではない。にもかかわらず、NHKが民意を反映する報道責任を果たしているわけではない。むしろ、その逆である。不信に思う向きは、英BBCの客観報道と比較すると、よく見えてくるだろう。
公正な政治評論をする、責任と義務を果たしているなどとはとても思えない。報道に携わるNHK解説委員が、首相と飲み食いすることが当たり前になっている。権力に屈しない、という大原則を貫くことは到底無理なことなのだ。
最近、判明したことであるが、安倍に癒着していることで有名な、岩田という女性記者は、実に15年もの間、安倍と飲食を共にしてきた、と見られている。NHKによる安倍批判は、この5年の間、なかったと断じても、誰からも異論が出ないだろう。
NHK会長人事は、首相の好みで決まる。NHK予算は政府の一存で決まっている。英BBCをNHKに期待するほうが、土台、無理なことなのだ。民放に期待できない。唯一期待されるNHKさえも、民意に沿うことが出来ない。日本の電波は、政府と電通に支配されているのである。言論の自由は、保障されていない。
<受信料で財政は豊富で高給食む>
NHKは国民から強制的に受信料を集めている。これも異常である。たとえば中国では、1か月わずか18元を払うと、NHKに相当する中央テレビをみることが出来る。払わないと、テレビが映らない。それでも無数の地方局のチャンネルを見ることが出来る。実に、合理的である。是非とも見習ってほしい。
筆者の周りでは、アンテナを取り付けないと、テレビを見ることが出来ない。周囲を見渡すと、アンテナのない家は、この不況下、何軒もある。NHKを見ない家庭は増えている。
それでもNHKは、受信料その他で財政は大きく膨らんでいる。豊富な取材費はあきれるばかりだ。やろうと思えば、いい報道をいくらでも生み出せる。右翼政府の圧力がなければ、いい番組ばかり提供できる。NHK職員の現在は、高給を懐にして、政府批判をしない、どころか、政府支援報道に徹している。これでは受信料を払う日本人は、売国奴と言われかねないだろう。
<言論の自由は形だけのテレビ>
日本国憲法は、高らかに言論の自由を謳い上げているものの、実際は以上指摘したような情けないありさまである。最近になって、特定秘密保護法や共謀罪が強行される中で、言論の自由は著しく低下したが、それを国際社会も認知している。
「自由と民主主義の日本」は眉唾物であることが、世界に知れ渡っている。
特に、森喜朗内閣から始動した「天皇中心の神の国」の日本は、小泉内閣へと引き継がれ、いま安倍内閣でさく裂している。墓に眠っていた死者が起き上がって悪いことをしている、いうところのZOMBIE POLITICSそのものである。それを読売・産経の新聞テレビは、宣伝して恥じない。形だけの言論の自由の日本なのだ。
<新聞もテレビも政府と電通が手玉>
以上でお分かりだろう。日本の5本の新聞テレビによって、簡単に世論操作の出来る日本なのだ。しかも、日本人は新聞テレビを信じる傾向が強い。
政府首脳が、新聞とテレビの10人の首脳と飲み食いすれば、政府批判を封じることが出来る。これは、いとも簡単な作業である。したがって、まともな言論人は、そうした首相接待を拒絶する。これが当然の姿である。だが、彼らは喜んで首相の宴席にはせ参じて恥じない。
ただでさえ個々の記事に対して、電通が跋扈して、封じ込めてしまう。これが日常的に行われている。かくして電通と政府工作で、民意を代表する報道が行われない日本の言論なのだ。
<新聞とテレビの分断不可欠>
地方新聞と地方テレビもまた一体である。これも重大な問題を提起している。
ともあれ、新聞とテレビの経営を分断することが、日本の言論の自由にとって、何としても必要なのである。これを、真の国民政党によって実現しなければ、日本の民主主義、明るい日本は到底訪れることはない。
不況下で、新聞テレビを読んだり、見ない若者が急増している。このことは、難題解決のシグナルかもしれない。日本の民主政治確立のために、避けて通ることは出来ない。
2017年9月15日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)