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[ペンネーム登録待ち板7] 『華氏119』が捉えたアメリカ 反響呼ぶマイケル・ムーア監督の最新作をめぐって (長州新聞)
 
2018年11月13日 長周新聞
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/9918

 マイケル・ムーア監督の映画『華氏119』が11月2日から全国各地で公開され、反響を呼んでいる。同監督といえば、イラク戦争に突入したブッシュ政権を暴露した『華氏911』や米国医療の現実を告発した『シッコ』など、米国社会の本質をえぐる数数の話題作を世に送り出してきたことで知られる。その最新作は、トランプ政権の誕生に至る過程や根拠をわかりやすく描いていると同時に、エスタブリッシュメント(支配層)の欺瞞が通用しないまでに階級矛盾が先鋭化していること、そのもとで行き詰まった資本主義社会を乗りこえようと葛藤し、抗う米国の民衆のたたかいや新しい力の胎動を描いている。世界的に広がるバックラッシュ現象や、足元から民主主義を求めていく政治行動の高まりと重なるものがあり、日本国内でも強い衝撃をともなって反響が広がっている。この作品はなにを捉え、米国社会の到達と現実からなにを問題提起しているのか、鑑賞した記者たちで論議した。

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マイケル・ムーア監督

 A 米国の中間選挙がおこなわれ、トランプ率いる共和党は、半数以上が非改選の上院でかろうじて現状(過半数)を維持したものの、真っ向勝負となった下院で大敗した。知事選でも大幅に勢力を後退させた。投票率は47・3%(推定)だが、前回比で10ポイント近くアップし、過去50年で最も高かった。投票人数が1億人をこえたのは初だという。トランプ政府にとっては足元を揺さぶられ大打撃となったが、躍進した民主党でも「造反組」といわれる新興勢力が牽引力となった。単純に「共和党vs民主党」の範疇ではとらえられない地殻変動を反映している。

 この中間選挙に向けてマイケル・ムーアが発した本作品は、米国内世論の動きを克明に伝えており、多くの日本人にとって「目から鱗」の情報に満ちている。いまの米国を知るうえで必見の映画だと思う。

 B 題名の『華氏119』は、トランプが大統領選の勝利宣言をした2016年11月9日を指している。ブッシュ政府を痛烈に暴露した旧作の『華氏911』と繋ぐ意味合いがこもっているようだが、単純なトランプ批判という代物ではない。トランプ大統領を生み出すに至った根拠を、米国の階級矛盾に焦点を当てながら考察していくドキュメンタリーだ。

 大手メディアがこぞってヒラリー・クリントンの勝利を予想し、誰もがそれを信じて疑わなかった大統領選の開票日から、映画ははじまる。著名人や芸能人の後押しを受けるヒラリー陣営が早くから祝賀ムードに沸くなか、民主党の地盤であった「ラストベルト」オハイオ州でのトランプ勝利の報が流れる。暗雲が立ち込めるなかで形勢は一気に逆転し、ついに直前まで勝率わずか15%(ニューヨーク・タイムズ)と予想されていたトランプが当選を確実にする。

 当時、日本のマスコミも含め、政治経験豊富な初の女性大統領vs政治経験ゼロで評判の悪い不動産王、ないしは既存のエリート主義vsポピュリズム(大衆迎合主義)という構図で報道し、表面上、トランプよりも「常識」をわきまえたヒラリーが選ばれるという見方が大方だった。翌年度に使う英語の教科書にはすでにヒラリーが大統領として印刷されていたといわれ、安倍首相に至っては選挙中にもかかわらずヒラリーを次期大統領と見なして陣中見舞いにまでいったほどだ。映画では、このような下馬評に高をくくっていた民主党陣営に衝撃が走る様子が、皮肉たっぷりに描写される。

 C 当初からトランプの勝利を予言していたムーアは、米国社会の深層で起きていた現実を挙げて、その必然性を解き明かしていく。もっとも力を込めるのが、二大政党において対極であるはずの民主党の腐敗堕落だ。労働者階級や下層大衆を代表するリベラル政党を標榜していたはずの民主党は、共和党への「譲歩」が常態化し、もはや政策や体質において両者にほとんど違いがなくなっている。映画では、90年代のクリントン政府時代から、NAFTAなど自由貿易協定による新自由主義政策に舵を切り、国内工場の海外移転に拍車をかけたことや、貧困層への救済策をうち切り、多国籍企業や富裕層だけを優遇する政策を実行してきた民主党の「功績」が列挙される。

 大統領選の民主党予備選でも、ヒラリーが大企業やウォール街と癒着して膨大な企業献金を受けることへの反発が高まり、大規模献金を拒否し、金融業界の規制(課税)や公立大学の無償化などを訴えた自称社会主義者のバーニー・サンダースが急速に支持を伸ばし、若者を中心に全米で一大旋風を巻き起こした。

 だが、リベラル紙を代表する『ニューヨーク・タイムズ』も、若者の支持が強いサンダースの主張を「年寄りには受けがいい」と報道するなど批判や妨害に明け暮れた。

 そしてウエストバージニア州の予備選では、州内の55郡すべてでサンダースが勝利したにもかかわらず、民主党中枢は「スーパー代議員制度」(古参の党員による特別投票)を使って票数を塗り替え、多数派のサンダースではなく、既定方針通りにヒラリーを大統領候補に選出した。「同じことがすべての州でおこなわれ、多くの人が党員を辞めた」とムーアは告発している。

 その結果、大統領選の本選では、投票率は史上最低レベルの55%に落ち込み、トランプに6300万人、ヒラリーに6600万人が投票し、棄権者は1億人にのぼった。有権者が示した意志と選挙での勝者はことごとく逆だ。ムーアは「大多数が望む方向に政治が進まないのは、大多数を代表するものが政治家になれないからだ」と、アメリカの選挙制度を痛烈に批判している。これが「民主主義のモデル国」の実際の姿だと。

 D 投票者数よりも代議員の票が重んじられる選挙制度について「200年前の奴隷制時代の都合で作られた制度が続いている」と解説していた。エスタブリッシュメント(支配層)の意に沿わないものが大統領にならないように最終段階で調整できる仕組みになっている。だから投票率も低い。その結果、全有権者のわずか4分の1程度の支持(得票)しか得ていないものが大統領になる。このようなアメリカの実態は日本ではほとんど知らされないが、日本に置き換えて見ても、全有権者の25%程度(小選挙区)の得票で自民党が衆議院の絶対安定多数を占めている。知れば知るほどウリ二つだ。民主党の裏切りやメディアの操作も含め、まるで日本のことじゃないかと映画を見ながら感じた。


住民の命脅かす民営化 ラストベルトの現実

 B さらに映画は、トランプが意識的に選挙戦の舞台にした五大湖周辺の工業地帯の人人の生活に密着する。デトロイトの財政破たんが象徴的だが、ゼネラルモーターズ(GM)をはじめ自動車や鉄鋼など重工業が密集するこの地域は、自由貿易で拍車がかかった工場の国外移転やIT化による産業構造の転換のなかでとり残され、「ラストベルト(さびついた工業地帯)」といわれるまで荒廃した。

 ムーアの故郷ミシガン州フリント市もその一つだ。ミシガン州では、トランプの支援を受けていた共和党のリック・スナイダー(IT企業ゲートウェイCEO)が州知事に就任し、「企業のように州を経営する」と宣言し、大企業優遇の税制改定をし、公共サービスを次次に民営化する。財政がひっ迫したフリントの自治権を停止して州が直接統治した。

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 水道も民営化のターゲットになり、州は「新公社」によって新たなパイプラインを民間資本に敷かせる事業を発案するが、高額な負担金を支払えないフリントは供給対象から除外され、水道の水源を従来のヒューロン湖から、市内を流れるフリント川に切り換えられる。川が汚染されていたうえに、水道には安価な鉛管を使ったため、家庭の蛇口から茶色く濁った水が出るようになり、鉛やバクテリア中毒による病人が続出する。子どもの知能や遺伝子に障害が生まれ、高齢者の死者まで出る。ところが、知事は権限を強化するために緊急事態宣言の管理下に置き、保健所の検査データを1年半以上も隠蔽して、水道水の安全性を主張し続けた。

 フリントはGMの創業地であり、汚染水の被害がGMの製品にも出たため、ようやく知事は対策に乗り出すが、改善されたのはGMに送る水だけだった。「私たちはGMのような大口献金者ではないからだ」と憤る市民。最も水の豊かな地域でありながら、安全な水を飲むことができず、ミネラルウォーターで凌がなければならない。外に引っ越そうにも家の買い手はない。フリントは黒人が人口の50%を占めており、汚れた水を飲んで死んでいくのはそうした貧困層の住民たちだ。

 市民は「単なる水問題ではなく住民虐殺だ!」と結束して立ち上がるが、事態は一向に動かない。ムーア自身も抗議集会に参加し、知事が「安全」というフリント市の水を知事の邸宅まで運んでホースでぶちまける。

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フリントの水をまくマイケル・ムーア監督(映画の一場面)

 フリント市の汚染水問題が社会問題として知れ渡るなかで、2016年5月、ついにオバマ大統領がフリント市にやってくる。「やっと大統領が動いてくれる!」「私たちの大統領だ!」と市民が大きな期待を膨らませて見守るなか、演題に立ったオバマは水道水をコップについでもってこさせ「飲む芝居」をする。改善のためではなく、水の安全性をアピールしに来ただけだったのだ。市民の期待が落胆に変わる会見の一部始終をカメラは捉えている。

 その後も市民の抗議がおさまらないフリントに対し、オバマは軍隊を派遣し、事前通告無しで実弾演習を開始する。いきなり市民の頭上を砲弾が飛び、昼夜を問わず激しい銃声が鳴り響く。「空きビルが多く、市街戦を想定した訓練に最適」というのが理由だが、明らかに市民弾圧を意図したものだ。自国民に銃口を向けてまで「黙れ!」というのが、黒人の代表であったはずのオバマのメッセージだった。「この街ではテロの定義がまったく変わった」と語られる。

 D 日本では報道されていないし、誰も知らないことだ。同じ時期に、オバマが広島を訪問し、メディアや平和団体も「平和を希求する大統領による歴史的な一歩」などと騒いでいたのだから錯誤も甚だしい。いまだにオバマが平和主義だとか、黒人や下層大衆の味方のように報じられるが、ブッシュにも劣らぬ凶暴な権力者であることが暴露されている。

 B リストラで職を失い、銀行によって家を差し押さえられ、家族は離散し、安全な水さえ奪われ、なにもかも失った人人に対して、民主党政府はなんの手も差し伸べず、大統領選ではこの地域でほとんど運動をしなかった。一方、国外移転を進める大企業経営者に「関税をかける」と脅し、ホワイトハウスをののしり、「忘れられた工業地帯を再興する」と叫ぶトランプの姿は、まるで既成の権威に投げつける「火焔瓶」のように映ったのだとムーアは語っている。かつて民主政治のモデルといわれながらヒトラーが登場したドイツと重ね、「ファシズムの台頭は、人人が希望を失い、無気力が支配したときに起きるのだ」と。その意味で、この映画の照準はトランプではなく、人人を裏切り続けた民主党にも批判の矛先が向いている。


立ち上がる教師や若者たち 行動は全米に波及

 B 同時に映画は、そのように「同じ穴のムジナ」と化した二大政党制の外側で渦巻く大衆の直接行動に光を当てている。アメリカ国民の苦難や葛藤がこれでもかと伝わってくるし、そのなかで諦めや敗北ではなく、また個個バラバラになるのではなく、下からみんなの力をつなげて、民主主義を求めて立ち上がっていることがわかる。

 ウェストバージニア州では、教師ですらフードスタンプ(食糧配給切符)に頼らなければいけないほど教育予算が低く、しかも当局は、教師に腕時計型のデバイスを着用させて健康状態をチェックし、規定の指数をオーバーすれば年度末に500㌦(約5万8000円)もの罰金を科すシステムを導入しようとしていた。

 ときには民生委員として、ときには親がわりになって子どもとかかわってきた教師たちは、結束してストライキに立ち上がる。アメリカでも公務員のストライキは違法だ。だが、教師たちは「子どもたちの教育環境を守るため」「この行動は必ず全州に広がる。私たちが勝利すれば、他の州も後に続く」と確信し、当初は50人ほどだったストライキは州全体の学校に波及する。一日の食事を給食だけに頼っている生徒も多いため、教師たちはストライキの間も子どもの給食だけは準備するなど、生徒も保護者も一緒になってたたかう光景は感動的だ。同じく低賃金に苦しむバス労働者、給食調理員たちもストライキに合流する。

 ストが広がるなかで、組合執行部は州当局と妥協して、教師だけの賃上げでことを収めようとするが、教師たちは分断政策に妥協せず、バス運転手や調理員の賃上げを合意させるまでストライキを続け、最後には要求を勝ちとる。健康チェックのデバイス導入も潰した。これを端緒に教師のストライキは全米に広がり、中間選挙で全米で1500人もの教師たちが立候補するにまで発展する。教師たちの「団結があれば誰も潰すことはできない。だからこそ、政治家は人人の団結を分断して支配しようとするのだ」という言葉は核心を突いている。

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教育予算の増額を求めて全州でストライキに立ち上がった教師たち(2月、ウェストバージニア州)

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銃規制を求めて行動を起こしたフロリダ州パークランドの高校生たち

 C さらにフロリダ州パークランドの高校生たちがはじめた銃規制を求める運動も全米に波及した。今年2月14日、同州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で元生徒が自動小銃を乱射し、教師を含む17人の死者を出す大惨事となる。

 同級生を目の前で失った生徒たちは、スーパーで誰でも簡単に銃が買えるような野放図な銃社会にメスを入れ、銃規制を訴えて行動をはじめる。授業の一斉ボイコットには中学生たちも参加し、教師たちが「戻りなさい」といっても「全校生徒が参加しているけど、みんな退学させる気?」と意に介さない。

 共和党の上院議員とのテレビ討論でも、言い訳を並べる議員に向かって高校生は「今後NRAからの献金は受けとりませんか?」とストレートに問い詰める。全米ライフル協会(NRA)の大口献金を貰っているため政治家は動かず、いつまでたっても銃規制が実現しないことを子どももみんな知っているのだ。インチキは全部見抜かれるし、国会でくり広げられるような茶番劇は通用しない。

 この高校生たちの呼びかけで、3月にはワシントンで80万人の大行進がおこなわれ、全米700カ所で100万人が参加する行動となった。中間選挙までには選挙権を持つ18歳になる高校生たちは「NRAと癒着した政治家を選挙で落とそう」という運動をはじめ、運動の先頭に立った女子高生を「スキンヘッドのレズビアン(同性愛者)」と侮蔑した現職議員の選挙区では、急きょ出馬した新人の女性候補の支持率が一気に伸び、現職議員は出馬を断念せざるを得なくなる。SNSを駆使する生徒たちが発信する情報は瞬時に全米に行き渡る。この若者たちの動きも、今回の中間選挙を下から揺さぶっている。

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銃規制の運動を起こした高校生たちと交流するマイケル・ムーア監督(映画の一場面)

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高校生が主催し、80万人が銃規制の実現を訴えた「命のための行進」(3月、ワシントン)


次の社会を展望する人々  先鋭化する階級矛盾

 A 中間選挙で躍進した民主党だが、その原動力となったのはこのような二大政党制の外側で巻き起こる大衆の直接行動だ。単純に民主党の政策が支持されたわけではない。リーマン・ショック後、若者を中心に「ウォール街を占拠せよ」をスローガンにオキュパイ(占拠)運動が広がり、大統領予備選では社会主義を標榜するサンダースが旋風を巻き起こした。その民意を民主党中枢が裏切るなかで、大衆運動がさらに鋭い政治意識をともなって広がっている。

 中間選挙に史上最年少の28歳で民主党の下院予備選に出馬し、20年安住していた民主党現職を破って注目を集めたオカシオ・コルテスは、プエルトリコ出身の元ウェイトレスだ。2016年の大統領予備選では有権者登録簿から名前が削除され、投票権がなかった若者の一人だ。そのため彼女はサンダース陣営の運営スタッフとして運動にかかわり、今回の中間選挙でも企業献金を拒否し、自分の足で住民の家を一軒ずつ回って小口献金を集めた。サンダースと同じ「アメリカ民主社会主義者(DSA)」のメンバーでもある。

 大統領予備選の直後から政治活動組織「私たちの革命(Our Revolution)」を立ち上げ、サンダースを筆頭に、難民キャンプ出身のイスラム教徒や女性教師、一般の労働者、イラクやアフガンから帰還した軍人など150人をこえる候補者を各地に送り込み、その多くが当選を果たしている。国民皆保険制度、公立大学の無料化、移民の家族を強制的に切り離す移民税関捜査局(ICE)の廃止などの政策とともに、米国の格差社会の根源である富裕層優遇の政策とたたかい、この国で圧倒的となった貧困層の救済や公共公益のためにその富を振り分けることを主張している。

 映画の中では、一般市民による民主党の「乗っ取り運動」と呼ばれていたが、このような女性や若手による「造反組」は、既得権益に浸りきった民主党中枢の方針にも公然と異を唱え、「私たちの民主政治のたたかいは性別や人種差別に対するとりくみだけでは不十分だ。核心は、階級の問題なのだ」(コルテス)と明確に訴えている。

 C 映画では、実際に予備選に立候補して民主党現職を脅かすほどの支持を集める新人候補に対し、民主党幹部が選挙資金の配分権限をチラつかせ、「党の既定方針だ。降りてくれ」と全力で潰しにかかるなまなましいやりとりも明かされる。予備選は「既得権益に執着し、敗北へと導く民主党上層部とのたたかい」(ムーア)となり、この前哨戦なくして中間選挙での民主党の躍進はなかったことがわかる。これもまた日本の野党勢力の現状と重ねて「よそごと」とは思えない。

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トランプ当選後、加盟者が5000人から5万8000人へと急伸した米民主社会主義者(DSA)

 B 民主党の大統領予備選でヒラリーを脅かしたサンダース現象は、拝金主義で政治を操ってきた金融資本や富裕層と、圧倒的多数の労働者、勤労人民との非和解的な矛盾を背景にしている。トランプ現象も同じく共和党の瓦解を示すもので、もはやアメリカの政局を二大政党の枠で捉えることなどできない。映画のなかでムーア自身や政治学者が「アメリカンドリームは、叶えられないからいつまでもドリーム(夢)なのだ」「アメリカ民主主義といっても、いつからが民主主義なのか。われわれが目指すのは未だ見ぬアメリカなのだ」と語っていた。

 「野党がいる、憲法がある、裁判所がある…と安心している間に、気がついたら独裁者が国の実権を握り、ひとたびミサイルが撃ち込まれたらたちまち戦争に引きずり込まれる。私たちに必要なのは漠然とした希望ではなく、行動だ」とムーアは呼びかける。日本を含む世界中が信奉していた「アメリカ民主主義」の欺瞞は崩れ、その枠をうち破る新たな政治勢力が下から突き上げている。そのようにたたかわなければ活路がないという意識は、アメリカに限らず世界的に渦巻いている。「資本主義の終わりのはじまり」にも見える。

 C 民主党の大会で、高校生が「私たちの世代は社会主義に抵抗はない。むしろ資本主義を受け入れることができない」というような発言をする場面もあったが、ミレニアル世代(2000年代に成人を迎える世代)といわれる若者たちには資本主義に対する幻想はない。また社会主義といっても、ソ連も中国もないわけで、外国の権威の受け売りをしたり、教条的な理論に陶酔しているわけでもない。彼らが目の当たりにしてきたのは、新自由主義のもとで1%の富裕層のぼろもうけのために大多数が貧困を強いられ、社会を利潤の具にしてきた資本主義の強欲な搾取だ。人も社会も資本の世話になるどころか、搾取の対象でしかないことを、親たちの生活や自分たちの将来を重ねて実感している。そうではなく、みんなが働いた富を社会のため、働く人人のために分配しろという現実に立脚した率直な要求だ。

 D 富裕層と繋がる民主党中枢も、リベラル系のメディアも、この若者たちを「急進派」「過激思想」などといって全力で弾圧するが通用しない。この点でも共和党と違いがない。そのたびに権威を失い、「リベラル」や「進歩派」といった欺瞞が剥がれていく。

 まるで既成の権威をぶっ潰すかのような装いで登場したトランプだが、このような背景を理解すれば、決して盤石な支持基盤をもっているわけでもなく、人人が「右傾化」しているわけでもないことがわかる。アメリカ国内で、民主党オバマ政権に代表されるような欺瞞が見透かされ、非常に鋭い政治意識が動いていることを確信させる。支配を維持するための「右・左」、この両刀使いによってアメリカ国内を統治してきたが、いまや保たないところまできていることを教えている。


世界各地で共通の変化  新しい政治勢力の台頭

 A 資本主義の総本山で政治も経済も行き詰まり、人人が下から繋がって政治の主導権をとり戻す運動がはじまっていることのインパクトは大きい。この政治的潮流は、金融資本に食い荒らされたヨーロッパでも共通しており、スペインのポデモス、イタリアの五つ星運動など、形骸化した「保守vs革新」という二大政党構図の外側から新しい政治勢力が台頭している。20代、30代の若者たちが中心を担っているのも特徴だ。

 アジアでは、歴史的な南北和解を推し進めている韓国の動きも、民族対立を生み出してきた戦時体制を終わらせ、政治や経済をコントロールしてきた異民族支配から独立を求める強力な大衆運動が主導している。沖縄における「オール沖縄」のたたかいが、いわゆる保守・革新の枠をこえたものになっているのも下からの力によるものだ。上からの号令によるものではない。既成の権威が崩れるなかで、バラバラにされていた大衆の団結が進み、政治を突き動かしている。

 B この映画が伝えているものは、メディアが評するような、単純に「棄権せずに投票に行けば時代は変わる」というようなものではない。トランプの批判に終始するだけだったり、野党を無条件に応援しようというものでもなく、カリスマ性をもった特定の個人や団体を称賛しているわけでもない。無名の大衆の団結した行動こそが社会を動かしていく原動力であること、実際そのように進行している米国社会の現実をそのまま伝えている。虚像のアメリカではなく、リアルなアメリカを認識させられる。日本国内にアメリカ社会の変貌ぶりや民衆のたたかいは、情報としてもほとんど入ってこない。だからこそ、「目から鱗」なのだ。

 D マイケル・ムーア監督の凄みは、これまでの作品群においてもそうだが、相手が軍産複合体であれ、時の権力者であれ、遠慮なしに切り込んでいくところだろう。時にはユーモアを交えて向かっていく。理不尽極まりない社会の現実に対して、批判して終わりというものではなく、なぜそのようになっているのか構造的な問題を解き明かし、歴史的、社会的に迫っていく。物事の断片だけでなく、その断片や人人の体験から出発して、客観世界や全局とつなげて提起していく技術はほかにないものがある。それは本来、ジャーナリズムの仕事だ。目前の現象のみに振り回され、「あのようになっています」「このようにのべました」と垂れ流すだけがメディアではない。

 A 苦難に置かれた民衆の側に確固として立脚している。この作品でも、あくまで人人の生活に密着し、そこから大胆に問題提起するマイケル・ムーア監督の卓越した力量が発揮されている。共和党なりトランプがけしからんから、「民主党がんばれ!」というようなものではなく、その民主党の裏切りにも正面からメスを入れ、アメリカ国民の苦難や葛藤を伝えている。欺瞞や虚像の世界に人人の認識を縛り付けるのではなく、解放しようとしていることがわかる。

 日本の政治風景と重ねてもそれはよそ事ではない。安倍自民がデタラメだから「野党がんばれ!」という向きもあるが、それら含めて国会を形作ってきた政党政治が腐敗堕落して信頼を失い、真に国民の受け皿となる政治勢力がいないという課題とも重なる。そこで諦めや絶望に身を委ねるのではなく、未来をかけて下から作っていくしかないのだというメッセージを映画から感じる。いわゆる左翼系や知識人のなかでも「アメリカでファッショが台頭している」「独裁者トランプが世界を破滅に導く」等等、浮き上がった世界で絶望的な評論をやり、嘆いている向きもあるが、たたかう大衆の力が見えているか? そこに確固として立脚しているのか? は重要な点だと思う。「弾圧される!」とことのほか脅えている者とか含めて、吹けば飛ぶようなことでは話にならない。マイケル・ムーアの凄みは、いつも思うが性根が据わっていることだと思う。

 D 映画は、北海道から沖縄まで全国の主要都市で公開されている。下関周辺では、シネプレックス小倉(チャチャタウン内)で公開中だ。ぜひ多くの人に見て貰いたいし、感想を論議してみたい。


※全国の上映中の劇場情報はこちら(『華氏119』公式サイト)
https://gaga.ne.jp/kashi119/theater/


http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/773.html

[ペンネーム登録待ち板7] 『華氏119』が捉えたアメリカ 反響呼ぶマイケル・ムーア監督の最新作をめぐって (長州新聞) 肝話窮題
1. 肝話窮題[1] isyYYouHkeg 2018年11月15日 17:43:01 : KzsKwpDjm2 : Tof0LXdTI@4[5]

投稿規定の3回音読完了しました。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/773.html#c1
[政治・選挙・NHK253] 『華氏119』が捉えたアメリカ 反響呼ぶマイケル・ムーア監督の最新作をめぐって (長周新聞)
 
当記事中の厳選フレーズ (ここは読み飛ばして下の記事本文へ進んで頂いて結構です)

(導入部)
・エスタブリッシュメント(支配層)の欺瞞が通用しないまでに階級矛盾が先鋭化
・行き詰まった資本主義社会を乗りこえようと葛藤し、抗う米国の民衆
・新しい力の胎動
・米国社会の深層で起きていた現実
・「共和党vs民主党」の範疇ではとらえられない地殻変動
・自称社会主義者のバーニー・サンダース
・大統領選の民主党予備選
・ウエストバージニア州の55郡すべてで勝利
・民主党中枢は「スーパー代議員制度」を使ってヒラリーを大統領候補に選出
・「同じことがすべての州でおこなわれ、多くの人が党員を辞めた」(ムーア)
・「大多数が望む方向に政治が進まないのは、大多数を代表するものが政治家になれないからだ」(ムーア)
・投票者数よりも代議員の票が重んじられる選挙制度
・エスタブリッシュメントの意に沿わないものが大統領にならないように調整できる仕組み
・200年前の奴隷制時代の都合で作られた制度

住民の命脅かす民営化 ラストベルトの現実
・ミシガン州では共和党のリック・スナイダー(IT企業ゲートウェイCEO)が州知事に就任
・大企業優遇の税制改定をし、公共サービスを次次に民営化
・水道も民営化のターゲットに
・高額な負担金を支払えないフリント市は供給対象から除外され
・家庭の蛇口から茶色く濁った水
・鉛やバクテリア中毒による病人が続出
・子どもの知能や遺伝子に障害が生まれ、高齢者の死者まで出る
・知事は権限を強化するために緊急事態宣言の管理下に
・保健所の検査データを1年半以上も隠蔽して、水道水の安全性を主張
・黒人が人口の50%
・貧困層の住民たち
・フリント市の汚染水問題が社会問題として知れ渡る
・オバマ大統領がフリント市にやってくる
・オバマのメッセージ
・人人を裏切り続けた民主党
・「ファシズムの台頭は、人人が希望を失い、無気力が支配したときに起きるのだ」(ムーア)

立ち上がる教師や若者たち 行動は全米に波及
・二大政党制の外側で渦巻く大衆の直接行動
・諦めや敗北ではなく、また個個バラバラになるのではなく、下からみんなの力をつなげて、民主主義を求めて立ち上がっている
・ウェストバージニア州では、教師ですらフードスタンプ(食糧配給切符)に頼らなければいけないほど教育予算が低く
・教師たちは、結束してストライキに立ち上がる
・アメリカでも公務員のストライキは違法
・当初は50人ほどだったストライキは州全体の学校に波及
・同じく低賃金に苦しむバス労働者、給食調理員たちもストライキに合流
・組合執行部は州当局と妥協して、教師だけの賃上げでことを収めようとする
・教師たちは分断政策に妥協せず
・バス運転手や調理員の賃上げを合意させるまでストライキ
・要求を勝ちとる
・教師のストライキは全米に
・中間選挙で全米で1500人もの教師たちが立候補するにまで発展
・「団結があれば誰も潰すことはできない。だからこそ、政治家は人人の団結を分断して支配しようとするのだ」(教師たち)
・フロリダ州パークランドの高校生たちがはじめた銃規制を求める運動も全米に波及した
・授業の一斉ボイコットには中学生たちも参加
・全米ライフル協会(NRA)の大口献金を貰っているため政治家は動かず、いつまでたっても銃規制が実現しないことを子どももみんな知っている
・国会でくり広げられるような茶番劇は通用しない
・「NRAと癒着した政治家を選挙で落とそう」という運動の先頭に立った女子高生を侮蔑した現職議員の選挙区
・急きょ出馬した新人の女性候補の支持率が一気に伸び、現職議員は出馬を断念
・SNSを駆使する生徒たち
・情報は瞬時に全米に行き渡る

次の社会を展望する人々 先鋭化する階級矛盾
・拝金主義で政治を操ってきた金融資本や富裕層と、圧倒的多数の労働者、勤労人民との非和解的な矛盾を背景に
・民主党の大統領予備選でヒラリーを脅かしたバーニー・サンダース現象
・民主党下院予備選で20年安住していた現職を破ったオカシオ・コルテス
・アメリカ民主社会主義者(DSA)
・150人をこえる候補者を各地に送り込み、その多くが当選
・「私たちの民主政治のたたかいは性別や人種差別に対するとりくみだけでは不十分だ。核心は、階級の問題なのだ」(コルテス)
・トランプ現象も同じく共和党の瓦解を示す
・人人が「右傾化」しているわけでもない
・アメリカ国内で、民主党オバマ政権に代表されるような欺瞞が見透かされ、非常に鋭い政治意識が動いている
・「野党がいる、憲法がある、裁判所がある…と安心している間に、気がついたら独裁者が国の実権を握り、ひとたびミサイルが撃ち込まれたらたちまち戦争に引きずり込まれる。私たちに必要なのは漠然とした希望ではなく、行動だ」(ムーア)

世界各地で共通の変化 新しい政治勢力の台頭
・この政治的潮流は、金融資本に食い荒らされたヨーロッパでも共通
・スペインのポデモス
・イタリアの五つ星運動
・20代、30代の若者たちが中心を担っているのも特徴
・アジアでは
・南北和解を推し進めている韓国の動きも
・強力な大衆運動が主導
・「オール沖縄」のたたかい
・いわゆる保守・革新の枠をこえ
・下からの力によるもの
・上からの号令ではない
・既成の権威が崩れるなかで、バラバラにされていた大衆の団結が進み、政治を突き動かしている
・無名の大衆の団結した行動こそが社会を動かしていく原動力
・実際そのように進行している米国社会の現実
・日本の政治風景
・真に国民の受け皿となる政治勢力がいないという課題とも重なる




『華氏119』が捉えたアメリカ 反響呼ぶマイケル・ムーア監督の最新作をめぐって
2018年11月13日 長周新聞
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/9918


 マイケル・ムーア監督の映画『華氏119』が11月2日から全国各地で公開され、反響を呼んでいる。同監督といえば、イラク戦争に突入したブッシュ政権を暴露した『華氏911』や米国医療の現実を告発した『シッコ』など、米国社会の本質をえぐる数数の話題作を世に送り出してきたことで知られる。その最新作は、トランプ政権の誕生に至る過程や根拠をわかりやすく描いていると同時に、エスタブリッシュメント(支配層)の欺瞞が通用しないまでに階級矛盾が先鋭化していること、そのもとで行き詰まった資本主義社会を乗りこえようと葛藤し、抗う米国の民衆のたたかいや新しい力の胎動を描いている。世界的に広がるバックラッシュ現象や、足元から民主主義を求めていく政治行動の高まりと重なるものがあり、日本国内でも強い衝撃をともなって反響が広がっている。この作品はなにを捉え、米国社会の到達と現実からなにを問題提起しているのか、鑑賞した記者たちで論議した。

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マイケル・ムーア監督

 A 米国の中間選挙がおこなわれ、トランプ率いる共和党は、半数以上が非改選の上院でかろうじて現状(過半数)を維持したものの、真っ向勝負となった下院で大敗した。知事選でも大幅に勢力を後退させた。投票率は47・3%(推定)だが、前回比で10ポイント近くアップし、過去50年で最も高かった。投票人数が1億人をこえたのは初だという。トランプ政府にとっては足元を揺さぶられ大打撃となったが、躍進した民主党でも「造反組」といわれる新興勢力が牽引力となった。単純に「共和党vs民主党」の範疇ではとらえられない地殻変動を反映している。

 この中間選挙に向けてマイケル・ムーアが発した本作品は、米国内世論の動きを克明に伝えており、多くの日本人にとって「目から鱗」の情報に満ちている。いまの米国を知るうえで必見の映画だと思う。

 B 題名の『華氏119』は、トランプが大統領選の勝利宣言をした2016年11月9日を指している。ブッシュ政府を痛烈に暴露した旧作の『華氏911』と繋ぐ意味合いがこもっているようだが、単純なトランプ批判という代物ではない。トランプ大統領を生み出すに至った根拠を、米国の階級矛盾に焦点を当てながら考察していくドキュメンタリーだ。

 大手メディアがこぞってヒラリー・クリントンの勝利を予想し、誰もがそれを信じて疑わなかった大統領選の開票日から、映画ははじまる。著名人や芸能人の後押しを受けるヒラリー陣営が早くから祝賀ムードに沸くなか、民主党の地盤であった「ラストベルト」オハイオ州でのトランプ勝利の報が流れる。暗雲が立ち込めるなかで形勢は一気に逆転し、ついに直前まで勝率わずか15%(ニューヨーク・タイムズ)と予想されていたトランプが当選を確実にする。

 当時、日本のマスコミも含め、政治経験豊富な初の女性大統領vs政治経験ゼロで評判の悪い不動産王、ないしは既存のエリート主義vsポピュリズム(大衆迎合主義)という構図で報道し、表面上、トランプよりも「常識」をわきまえたヒラリーが選ばれるという見方が大方だった。翌年度に使う英語の教科書にはすでにヒラリーが大統領として印刷されていたといわれ、安倍首相に至っては選挙中にもかかわらずヒラリーを次期大統領と見なして陣中見舞いにまでいったほどだ。映画では、このような下馬評に高をくくっていた民主党陣営に衝撃が走る様子が、皮肉たっぷりに描写される。

 C 当初からトランプの勝利を予言していたムーアは、米国社会の深層で起きていた現実を挙げて、その必然性を解き明かしていく。もっとも力を込めるのが、二大政党において対極であるはずの民主党の腐敗堕落だ。労働者階級や下層大衆を代表するリベラル政党を標榜していたはずの民主党は、共和党への「譲歩」が常態化し、もはや政策や体質において両者にほとんど違いがなくなっている。映画では、90年代のクリントン政府時代から、NAFTAなど自由貿易協定による新自由主義政策に舵を切り、国内工場の海外移転に拍車をかけたことや、貧困層への救済策をうち切り、多国籍企業や富裕層だけを優遇する政策を実行してきた民主党の「功績」が列挙される。

 大統領選の民主党予備選でも、ヒラリーが大企業やウォール街と癒着して膨大な企業献金を受けることへの反発が高まり、大規模献金を拒否し、金融業界の規制(課税)や公立大学の無償化などを訴えた自称社会主義者のバーニー・サンダースが急速に支持を伸ばし、若者を中心に全米で一大旋風を巻き起こした。

 だが、リベラル紙を代表する『ニューヨーク・タイムズ』も、若者の支持が強いサンダースの主張を「年寄りには受けがいい」と報道するなど批判や妨害に明け暮れた。

 そしてウエストバージニア州の予備選では、州内の55郡すべてでサンダースが勝利したにもかかわらず、民主党中枢は「スーパー代議員制度」(古参の党員による特別投票)を使って票数を塗り替え、多数派のサンダースではなく、既定方針通りにヒラリーを大統領候補に選出した。「同じことがすべての州でおこなわれ、多くの人が党員を辞めた」とムーアは告発している。

 その結果、大統領選の本選では、投票率は史上最低レベルの55%に落ち込み、トランプに6300万人、ヒラリーに6600万人が投票し、棄権者は1億人にのぼった。有権者が示した意志と選挙での勝者はことごとく逆だ。ムーアは「大多数が望む方向に政治が進まないのは、大多数を代表するものが政治家になれないからだ」と、アメリカの選挙制度を痛烈に批判している。これが「民主主義のモデル国」の実際の姿だと。

 D 投票者数よりも代議員の票が重んじられる選挙制度について「200年前の奴隷制時代の都合で作られた制度が続いている」と解説していた。エスタブリッシュメント(支配層)の意に沿わないものが大統領にならないように最終段階で調整できる仕組みになっている。だから投票率も低い。その結果、全有権者のわずか4分の1程度の支持(得票)しか得ていないものが大統領になる。このようなアメリカの実態は日本ではほとんど知らされないが、日本に置き換えて見ても、全有権者の25%程度(小選挙区)の得票で自民党が衆議院の絶対安定多数を占めている。知れば知るほどウリ二つだ。民主党の裏切りやメディアの操作も含め、まるで日本のことじゃないかと映画を見ながら感じた。


住民の命脅かす民営化 ラストベルトの現実

 B さらに映画は、トランプが意識的に選挙戦の舞台にした五大湖周辺の工業地帯の人人の生活に密着する。デトロイトの財政破たんが象徴的だが、ゼネラルモーターズ(GM)をはじめ自動車や鉄鋼など重工業が密集するこの地域は、自由貿易で拍車がかかった工場の国外移転やIT化による産業構造の転換のなかでとり残され、「ラストベルト(さびついた工業地帯)」といわれるまで荒廃した。

 ムーアの故郷ミシガン州フリント市もその一つだ。ミシガン州では、トランプの支援を受けていた共和党のリック・スナイダー(IT企業ゲートウェイCEO)が州知事に就任し、「企業のように州を経営する」と宣言し、大企業優遇の税制改定をし、公共サービスを次次に民営化する。財政がひっ迫したフリントの自治権を停止して州が直接統治した。

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 水道も民営化のターゲットになり、州は「新公社」によって新たなパイプラインを民間資本に敷かせる事業を発案するが、高額な負担金を支払えないフリントは供給対象から除外され、水道の水源を従来のヒューロン湖から、市内を流れるフリント川に切り換えられる。川が汚染されていたうえに、水道には安価な鉛管を使ったため、家庭の蛇口から茶色く濁った水が出るようになり、鉛やバクテリア中毒による病人が続出する。子どもの知能や遺伝子に障害が生まれ、高齢者の死者まで出る。ところが、知事は権限を強化するために緊急事態宣言の管理下に置き、保健所の検査データを1年半以上も隠蔽して、水道水の安全性を主張し続けた。

 フリントはGMの創業地であり、汚染水の被害がGMの製品にも出たため、ようやく知事は対策に乗り出すが、改善されたのはGMに送る水だけだった。「私たちはGMのような大口献金者ではないからだ」と憤る市民。最も水の豊かな地域でありながら、安全な水を飲むことができず、ミネラルウォーターで凌がなければならない。外に引っ越そうにも家の買い手はない。フリントは黒人が人口の50%を占めており、汚れた水を飲んで死んでいくのはそうした貧困層の住民たちだ。

 市民は「単なる水問題ではなく住民虐殺だ!」と結束して立ち上がるが、事態は一向に動かない。ムーア自身も抗議集会に参加し、知事が「安全」というフリント市の水を知事の邸宅まで運んでホースでぶちまける。

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フリントの水をまくマイケル・ムーア監督(映画の一場面)

 フリント市の汚染水問題が社会問題として知れ渡るなかで、2016年5月、ついにオバマ大統領がフリント市にやってくる。「やっと大統領が動いてくれる!」「私たちの大統領だ!」と市民が大きな期待を膨らませて見守るなか、演題に立ったオバマは水道水をコップについでもってこさせ「飲む芝居」をする。改善のためではなく、水の安全性をアピールしに来ただけだったのだ。市民の期待が落胆に変わる会見の一部始終をカメラは捉えている。

 その後も市民の抗議がおさまらないフリントに対し、オバマは軍隊を派遣し、事前通告無しで実弾演習を開始する。いきなり市民の頭上を砲弾が飛び、昼夜を問わず激しい銃声が鳴り響く。「空きビルが多く、市街戦を想定した訓練に最適」というのが理由だが、明らかに市民弾圧を意図したものだ。自国民に銃口を向けてまで「黙れ!」というのが、黒人の代表であったはずのオバマのメッセージだった。「この街ではテロの定義がまったく変わった」と語られる。

 D 日本では報道されていないし、誰も知らないことだ。同じ時期に、オバマが広島を訪問し、メディアや平和団体も「平和を希求する大統領による歴史的な一歩」などと騒いでいたのだから錯誤も甚だしい。いまだにオバマが平和主義だとか、黒人や下層大衆の味方のように報じられるが、ブッシュにも劣らぬ凶暴な権力者であることが暴露されている。

 B リストラで職を失い、銀行によって家を差し押さえられ、家族は離散し、安全な水さえ奪われ、なにもかも失った人人に対して、民主党政府はなんの手も差し伸べず、大統領選ではこの地域でほとんど運動をしなかった。一方、国外移転を進める大企業経営者に「関税をかける」と脅し、ホワイトハウスをののしり、「忘れられた工業地帯を再興する」と叫ぶトランプの姿は、まるで既成の権威に投げつける「火焔瓶」のように映ったのだとムーアは語っている。かつて民主政治のモデルといわれながらヒトラーが登場したドイツと重ね、「ファシズムの台頭は、人人が希望を失い、無気力が支配したときに起きるのだ」と。その意味で、この映画の照準はトランプではなく、人人を裏切り続けた民主党にも批判の矛先が向いている。


立ち上がる教師や若者たち 行動は全米に波及

 B 同時に映画は、そのように「同じ穴のムジナ」と化した二大政党制の外側で渦巻く大衆の直接行動に光を当てている。アメリカ国民の苦難や葛藤がこれでもかと伝わってくるし、そのなかで諦めや敗北ではなく、また個個バラバラになるのではなく、下からみんなの力をつなげて、民主主義を求めて立ち上がっていることがわかる。

 ウェストバージニア州では、教師ですらフードスタンプ(食糧配給切符)に頼らなければいけないほど教育予算が低く、しかも当局は、教師に腕時計型のデバイスを着用させて健康状態をチェックし、規定の指数をオーバーすれば年度末に500㌦(約5万8000円)もの罰金を科すシステムを導入しようとしていた。

 ときには民生委員として、ときには親がわりになって子どもとかかわってきた教師たちは、結束してストライキに立ち上がる。アメリカでも公務員のストライキは違法だ。だが、教師たちは「子どもたちの教育環境を守るため」「この行動は必ず全州に広がる。私たちが勝利すれば、他の州も後に続く」と確信し、当初は50人ほどだったストライキは州全体の学校に波及する。一日の食事を給食だけに頼っている生徒も多いため、教師たちはストライキの間も子どもの給食だけは準備するなど、生徒も保護者も一緒になってたたかう光景は感動的だ。同じく低賃金に苦しむバス労働者、給食調理員たちもストライキに合流する。

 ストが広がるなかで、組合執行部は州当局と妥協して、教師だけの賃上げでことを収めようとするが、教師たちは分断政策に妥協せず、バス運転手や調理員の賃上げを合意させるまでストライキを続け、最後には要求を勝ちとる。健康チェックのデバイス導入も潰した。これを端緒に教師のストライキは全米に広がり、中間選挙で全米で1500人もの教師たちが立候補するにまで発展する。教師たちの「団結があれば誰も潰すことはできない。だからこそ、政治家は人人の団結を分断して支配しようとするのだ」という言葉は核心を突いている。

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教育予算の増額を求めて全州でストライキに立ち上がった教師たち(2月、ウェストバージニア州)

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銃規制を求めて行動を起こしたフロリダ州パークランドの高校生たち

 C さらにフロリダ州パークランドの高校生たちがはじめた銃規制を求める運動も全米に波及した。今年2月14日、同州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で元生徒が自動小銃を乱射し、教師を含む17人の死者を出す大惨事となる。

 同級生を目の前で失った生徒たちは、スーパーで誰でも簡単に銃が買えるような野放図な銃社会にメスを入れ、銃規制を訴えて行動をはじめる。授業の一斉ボイコットには中学生たちも参加し、教師たちが「戻りなさい」といっても「全校生徒が参加しているけど、みんな退学させる気?」と意に介さない。

 共和党の上院議員とのテレビ討論でも、言い訳を並べる議員に向かって高校生は「今後NRAからの献金は受けとりませんか?」とストレートに問い詰める。全米ライフル協会(NRA)の大口献金を貰っているため政治家は動かず、いつまでたっても銃規制が実現しないことを子どももみんな知っているのだ。インチキは全部見抜かれるし、国会でくり広げられるような茶番劇は通用しない。

 この高校生たちの呼びかけで、3月にはワシントンで80万人の大行進がおこなわれ、全米700カ所で100万人が参加する行動となった。中間選挙までには選挙権を持つ18歳になる高校生たちは「NRAと癒着した政治家を選挙で落とそう」という運動をはじめ、運動の先頭に立った女子高生を「スキンヘッドのレズビアン(同性愛者)」と侮蔑した現職議員の選挙区では、急きょ出馬した新人の女性候補の支持率が一気に伸び、現職議員は出馬を断念せざるを得なくなる。SNSを駆使する生徒たちが発信する情報は瞬時に全米に行き渡る。この若者たちの動きも、今回の中間選挙を下から揺さぶっている。

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銃規制の運動を起こした高校生たちと交流するマイケル・ムーア監督(映画の一場面)

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高校生が主催し、80万人が銃規制の実現を訴えた「命のための行進」(3月、ワシントン)


次の社会を展望する人々  先鋭化する階級矛盾

 A 中間選挙で躍進した民主党だが、その原動力となったのはこのような二大政党制の外側で巻き起こる大衆の直接行動だ。単純に民主党の政策が支持されたわけではない。リーマン・ショック後、若者を中心に「ウォール街を占拠せよ」をスローガンにオキュパイ(占拠)運動が広がり、大統領予備選では社会主義を標榜するサンダースが旋風を巻き起こした。その民意を民主党中枢が裏切るなかで、大衆運動がさらに鋭い政治意識をともなって広がっている。

 中間選挙に史上最年少の28歳で民主党の下院予備選に出馬し、20年安住していた民主党現職を破って注目を集めたオカシオ・コルテスは、プエルトリコ出身の元ウェイトレスだ。2016年の大統領予備選では有権者登録簿から名前が削除され、投票権がなかった若者の一人だ。そのため彼女はサンダース陣営の運営スタッフとして運動にかかわり、今回の中間選挙でも企業献金を拒否し、自分の足で住民の家を一軒ずつ回って小口献金を集めた。サンダースと同じ「アメリカ民主社会主義者(DSA)」のメンバーでもある。

 大統領予備選の直後から政治活動組織「私たちの革命(Our Revolution)」を立ち上げ、サンダースを筆頭に、難民キャンプ出身のイスラム教徒や女性教師、一般の労働者、イラクやアフガンから帰還した軍人など150人をこえる候補者を各地に送り込み、その多くが当選を果たしている。国民皆保険制度、公立大学の無料化、移民の家族を強制的に切り離す移民税関捜査局(ICE)の廃止などの政策とともに、米国の格差社会の根源である富裕層優遇の政策とたたかい、この国で圧倒的となった貧困層の救済や公共公益のためにその富を振り分けることを主張している。

 映画の中では、一般市民による民主党の「乗っ取り運動」と呼ばれていたが、このような女性や若手による「造反組」は、既得権益に浸りきった民主党中枢の方針にも公然と異を唱え、「私たちの民主政治のたたかいは性別や人種差別に対するとりくみだけでは不十分だ。核心は、階級の問題なのだ」(コルテス)と明確に訴えている。

 C 映画では、実際に予備選に立候補して民主党現職を脅かすほどの支持を集める新人候補に対し、民主党幹部が選挙資金の配分権限をチラつかせ、「党の既定方針だ。降りてくれ」と全力で潰しにかかるなまなましいやりとりも明かされる。予備選は「既得権益に執着し、敗北へと導く民主党上層部とのたたかい」(ムーア)となり、この前哨戦なくして中間選挙での民主党の躍進はなかったことがわかる。これもまた日本の野党勢力の現状と重ねて「よそごと」とは思えない。

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トランプ当選後、加盟者が5000人から5万8000人へと急伸した米民主社会主義者(DSA)

 B 民主党の大統領予備選でヒラリーを脅かしたサンダース現象は、拝金主義で政治を操ってきた金融資本や富裕層と、圧倒的多数の労働者、勤労人民との非和解的な矛盾を背景にしている。トランプ現象も同じく共和党の瓦解を示すもので、もはやアメリカの政局を二大政党の枠で捉えることなどできない。映画のなかでムーア自身や政治学者が「アメリカンドリームは、叶えられないからいつまでもドリーム(夢)なのだ」「アメリカ民主主義といっても、いつからが民主主義なのか。われわれが目指すのは未だ見ぬアメリカなのだ」と語っていた。

 「野党がいる、憲法がある、裁判所がある…と安心している間に、気がついたら独裁者が国の実権を握り、ひとたびミサイルが撃ち込まれたらたちまち戦争に引きずり込まれる。私たちに必要なのは漠然とした希望ではなく、行動だ」とムーアは呼びかける。日本を含む世界中が信奉していた「アメリカ民主主義」の欺瞞は崩れ、その枠をうち破る新たな政治勢力が下から突き上げている。そのようにたたかわなければ活路がないという意識は、アメリカに限らず世界的に渦巻いている。「資本主義の終わりのはじまり」にも見える。

 C 民主党の大会で、高校生が「私たちの世代は社会主義に抵抗はない。むしろ資本主義を受け入れることができない」というような発言をする場面もあったが、ミレニアル世代(2000年代に成人を迎える世代)といわれる若者たちには資本主義に対する幻想はない。また社会主義といっても、ソ連も中国もないわけで、外国の権威の受け売りをしたり、教条的な理論に陶酔しているわけでもない。彼らが目の当たりにしてきたのは、新自由主義のもとで1%の富裕層のぼろもうけのために大多数が貧困を強いられ、社会を利潤の具にしてきた資本主義の強欲な搾取だ。人も社会も資本の世話になるどころか、搾取の対象でしかないことを、親たちの生活や自分たちの将来を重ねて実感している。そうではなく、みんなが働いた富を社会のため、働く人人のために分配しろという現実に立脚した率直な要求だ。

 D 富裕層と繋がる民主党中枢も、リベラル系のメディアも、この若者たちを「急進派」「過激思想」などといって全力で弾圧するが通用しない。この点でも共和党と違いがない。そのたびに権威を失い、「リベラル」や「進歩派」といった欺瞞が剥がれていく。

 まるで既成の権威をぶっ潰すかのような装いで登場したトランプだが、このような背景を理解すれば、決して盤石な支持基盤をもっているわけでもなく、人人が「右傾化」しているわけでもないことがわかる。アメリカ国内で、民主党オバマ政権に代表されるような欺瞞が見透かされ、非常に鋭い政治意識が動いていることを確信させる。支配を維持するための「右・左」、この両刀使いによってアメリカ国内を統治してきたが、いまや保たないところまできていることを教えている。


世界各地で共通の変化  新しい政治勢力の台頭

 A 資本主義の総本山で政治も経済も行き詰まり、人人が下から繋がって政治の主導権をとり戻す運動がはじまっていることのインパクトは大きい。この政治的潮流は、金融資本に食い荒らされたヨーロッパでも共通しており、スペインのポデモス、イタリアの五つ星運動など、形骸化した「保守vs革新」という二大政党構図の外側から新しい政治勢力が台頭している。20代、30代の若者たちが中心を担っているのも特徴だ。

 アジアでは、歴史的な南北和解を推し進めている韓国の動きも、民族対立を生み出してきた戦時体制を終わらせ、政治や経済をコントロールしてきた異民族支配から独立を求める強力な大衆運動が主導している。沖縄における「オール沖縄」のたたかいが、いわゆる保守・革新の枠をこえたものになっているのも下からの力によるものだ。上からの号令によるものではない。既成の権威が崩れるなかで、バラバラにされていた大衆の団結が進み、政治を突き動かしている。

 B この映画が伝えているものは、メディアが評するような、単純に「棄権せずに投票に行けば時代は変わる」というようなものではない。トランプの批判に終始するだけだったり、野党を無条件に応援しようというものでもなく、カリスマ性をもった特定の個人や団体を称賛しているわけでもない。無名の大衆の団結した行動こそが社会を動かしていく原動力であること、実際そのように進行している米国社会の現実をそのまま伝えている。虚像のアメリカではなく、リアルなアメリカを認識させられる。日本国内にアメリカ社会の変貌ぶりや民衆のたたかいは、情報としてもほとんど入ってこない。だからこそ、「目から鱗」なのだ。

 D マイケル・ムーア監督の凄みは、これまでの作品群においてもそうだが、相手が軍産複合体であれ、時の権力者であれ、遠慮なしに切り込んでいくところだろう。時にはユーモアを交えて向かっていく。理不尽極まりない社会の現実に対して、批判して終わりというものではなく、なぜそのようになっているのか構造的な問題を解き明かし、歴史的、社会的に迫っていく。物事の断片だけでなく、その断片や人人の体験から出発して、客観世界や全局とつなげて提起していく技術はほかにないものがある。それは本来、ジャーナリズムの仕事だ。目前の現象のみに振り回され、「あのようになっています」「このようにのべました」と垂れ流すだけがメディアではない。

 A 苦難に置かれた民衆の側に確固として立脚している。この作品でも、あくまで人人の生活に密着し、そこから大胆に問題提起するマイケル・ムーア監督の卓越した力量が発揮されている。共和党なりトランプがけしからんから、「民主党がんばれ!」というようなものではなく、その民主党の裏切りにも正面からメスを入れ、アメリカ国民の苦難や葛藤を伝えている。欺瞞や虚像の世界に人人の認識を縛り付けるのではなく、解放しようとしていることがわかる。

 日本の政治風景と重ねてもそれはよそ事ではない。安倍自民がデタラメだから「野党がんばれ!」という向きもあるが、それら含めて国会を形作ってきた政党政治が腐敗堕落して信頼を失い、真に国民の受け皿となる政治勢力がいないという課題とも重なる。そこで諦めや絶望に身を委ねるのではなく、未来をかけて下から作っていくしかないのだというメッセージを映画から感じる。いわゆる左翼系や知識人のなかでも「アメリカでファッショが台頭している」「独裁者トランプが世界を破滅に導く」等等、浮き上がった世界で絶望的な評論をやり、嘆いている向きもあるが、たたかう大衆の力が見えているか? そこに確固として立脚しているのか? は重要な点だと思う。「弾圧される!」とことのほか脅えている者とか含めて、吹けば飛ぶようなことでは話にならない。マイケル・ムーアの凄みは、いつも思うが性根が据わっていることだと思う。

 D 映画は、北海道から沖縄まで全国の主要都市で公開されている。下関周辺では、シネプレックス小倉(チャチャタウン内)で公開中だ。ぜひ多くの人に見て貰いたいし、感想を論議してみたい。


※全国の上映中の劇場情報はこちら(『華氏119』公式サイト)
https://gaga.ne.jp/kashi119/theater/

http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/717.html

[政治・選挙・NHK253] フェイクな「ダブルスピーク」にご用心!(Netizen College) 

Netizen College 
学長兼事務員 加藤哲郎
http://netizen.html.xdomain.jp/home.html


フェイクな「ダブルスピーク」にご用心!
2018.11.15
 
◆ アメリカ中間選挙結果の評価は、投票結果と同じように、分かれています。僅差ですが下院での 民主党の勝利、女性や人種的少数派、多様な宗教出自の候補の大量当選、下院議長と各種委員会委員長独占、それに総投票数での圧倒的勝利を見ると、トランプの敗北、アメリカ・リベラリズムの健全性を示したように見えます。
しかし、上院はトランプ与党の共和党の勝利、トランプ自身も「大成功」宣言、 大統領選なみの全国遊説とSNSを駆使した巨大なプロパガンダ、フェイクニュース戦略が成功して、宗教右翼や白人労働者ら4割の支持層を強固にかため、共和党内反対派を抑え込んで、2年後の大統領選再選の足がかりをつかんだという総括もありえます。
民主党内では、サンダース支持で「民主主義的社会主義者」を自負する若い候補者が、若者や女性、マイノリティの共感をよび議席を獲得しましたが、民主党全体をまとめる力になりうるかは未知数です。
「反トランプ」の根強い存在は示されましたが、トランプの排外主義・米国第一主義・独断政治を揺るがすかどうかは、これからです。早速トランプによるジャーナリスト差別やホワイトハウスの幹部更迭・人事刷新が始まりました。移民政策や貿易政策でも、「アメリカン・ファースト」は、ますます強まりそうです。
 
◆ そのアメリカからやってきたペンス副大統領に対して、日本の安倍首相は、とうとう「日米物品貿易協定(TAG)」という造語を使えず、サーヴィスを含む「自由貿易協定(FTA)」へと押し切られたようです。防衛省の装備をアメリカの言い値で過払いし、自動車追加関税を交渉中は課さないと引き延ばしてきましたが、自動車ばかりか金融や医薬品に及ぶのは時間の問題です。
中国の習近平主席とは、首相は「競争から協調へ」など「新3原則」で合意したと報じられましたが、中国側の記録ではどうやらこれも嘘で、中国側に希望を述べたが相手にされなかった、というのが真相のようです。ツイッターを使ったフェイクはトランプ並ですが、すぐに底が割れて、稚拙です。
ジョージ・オーウェル『1984』には、「ビッグ・ブラザー」の独裁下で蔓延する、有名な「ニュースピーク」「ダブルスピーク」が登場します。漢字もまともに読めないファシスト独裁者のもとで、いつのまにやら日常言語が単純化され、ねじまげられ、ついには「戦争は平和である」「2足す2は5である」と語り、信じなければ生きていけない世界。国会での「適材適所」大臣の答弁を見ると、遠い遠い先の話ではありません。
植民地朝鮮の「徴用工」を「労働者」に、「外国人低賃金労働者」を「国際貢献の技能実習生」に、米国の「有償軍事販売」を「有償軍事援助」と言い換え、公文書の改竄さえ責任を問われないこの国は、『1984』へと退行しつつあるのです。権力の分立と、権力に抵抗し監視するメディアが、切実に必要です。
 
◆ そして昨14日のプーチン大統領と安倍首相の首脳会談、「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速」「2島先行も選択肢、日ロ領土交渉 4島帰属が焦点」などと報じられていますが、これは、「安倍外交」の危険な賭であり、北朝鮮との「拉致問題」交渉と共に、安倍ファシスト支配の基礎を揺るがす可能性を持ちます。
表面的には、「固有の北方領土四島一括返還」を主張する日本会議等右翼勢力の期待に応えて在任中の領土問題解決をはかったように見えます。しかし、右の朝日新聞デジタル11月15日の図解した歴史的経緯(http://netizen.html.xdomain.jp/AS20181115000344_commL.jpg)を視野におくと、プーチン大統領の唐突な9月「前提条件無しの平和条約」 提案にあわてて、日本側が「前提条件無しは困難」と伝えてしぶしぶ出した回答が「1956年の日ソ共同宣言を基礎に」という話で、完全にプーチンペースです。官邸は、「4島の帰属問題」へと進む「二島先行」で方針変更ではないとしていますが、信用できません。明らかに、「4島一括から転換」です。
「二島返還論」にも、少なくとも3種類あります。ロシア側は4島一括返還は一貫して否定し、そもそも領土問題は存在しないというのが基本的立場ですから、日本側が頼ったのは、1956年宣言通りの「平和条約締結後の歯舞・色丹引き渡し」です。しかし、これは入口の変更にすぎません。
第二に、かつて鈴木宗男議員や外務省の一部に「二島先行・段階的返還論」がありました。しかし当時は、鈴木議員らは政治的謀略で失脚させられ、否定されました。経済支援をからめた今回のプーチン・安倍合意は、かつて否定されたこの「二島先行・段階的返還論」に、限りなく近いものです。
おまけに第三の「二島譲渡論」が、ロシア側の公式見解です。つまり、「引き渡し」とは「返還」ではなく「譲渡」というのが、旧ソ連以来のロシアの主張で、これには日ソ中立条約からヤルタ密約、サンフランシスコ講和条約にいたる現代史の両国での解釈・歴史認識が、深く関わっています。
そもそも1956年の日ソ共同宣言には「日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」とあって、「返還」など一言も書いておらず、ロシア側が「譲渡」と訳してきた「引き渡し」のみが入っているのです。それも、アメリカ・中国・韓国等当時の関係諸国の思惑もからんでいました。対米貿易の「TAG」と「FTA」 とよく似た問題が、これから「返還・譲渡」と世界向けと国内向けで使い分けられ、両国とも厳しい国内世論に向き合いながら、進んでいくことになります。
 
◆ ただし抵抗のメディアは、消えたわけではありません。増大する米国からの兵器購入の実態に迫る「東京新聞」の「 税を追う」シリーズ、旧優生保護法の強制赴任手術を先駆的に報じてきた「早稲田クロニカル」、アイヌ人骨の行方や核研究を系統的に追い続ける「京都新聞」連載「帝国の骨」「軍学共同の道」など。これらに共通するのは、単発の調査報道ではなく、日本の戦争・占領・冷戦の現代史に入り込み、近隣世界の眼を意識しながら、今日的な市民的歴史意識形成に加わっていることです。
最近出た石井暁『自衛隊の闇組織ーー秘密情報部隊「別班」の正体』(講談社現代新書)も、その長期の取材で、旧帝国陸軍を引き継いだ自衛隊「別班」の憲法違反の海外活動、米国インテリジェンスとの秘密の共働を暴いています。
私も、これらにも学びながら、「科学技術の軍事化」の問題を、731部隊の細菌戦と人体実験、旧優生保護法の強制不妊手術の問題などから追いかけて行きます(https://mainichi.jp/articles/20180412/ddl/k26/040/407000c)。西山勝夫編・731部隊『留守名簿』(不二出版)から見出した「長友浪男」軍医少佐の経歴の問題は、11月17日(土)の八王子講演から、12月16日(日)戦医研例会・東京大学講演 などいくつかの講演・研究会・シンポジウム報告で、問題提起していきます。
 
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/774.html

[政治・選挙・NHK254] 高額報酬得る外国人経営者 グローバル化で進んだ富の一極集中 カルロス・ゴーン逮捕を巡って (長周新聞)

当記事中の厳選フレーズ (ここは読み飛ばして下の記事本文へ進んで頂いて結構です)

(導入部)
(1) 大企業の資本を外資が握る ・・・ 海外からやってきた経営者が企業トップの座に ・・・ 報酬そのものも「グローバル・スタンダード(世界基準)」・・・ 高額化
(2) 日本市場が ・・・ 草刈り場に
(3) アベノミクスによって ・・・ 優良企業の株式は外資にとって格好の餌食
(4) 低賃金化を基本にした徹底したコストカット ・・・「低賃金労働力の不足」問題 ・・・ 国境をこえた労働力の流動化策 ・・・「足りないならよそから引っ張ってくればよい」・・・ 資本の都合 ・・・ 民族的な枠組みや社会の成り立ちそのものが改造を余儀なくされ
(5) 産業資本の上段に金融資本 ・・・ 「1%vs99%」・・・ むき出しの搾取構造 ・・・ 高額報酬を得ている経営者たちよりもはるかに財力を蓄えたスーパーリッチ

米国ではウォール街を占拠
(6) 米国でも70年代まではCEOの年間報酬も1億円程度で、労働者と経営者の賃金格差も30倍程度だった
(7) いまや企業によっては労働者と経営者の賃金格差は200~300倍
(8) オキュパイ運動 ・・・ サンダース現象 ・・・ 資本主義に成り代わる次なる時代を求める社会運動 ・・・ 強欲資本主義と一般大衆との非和解的な矛盾が激化

辛抱きかぬ強欲社会を壊す
(9) 社会がどうなろうが知ったことではなく、もっぱら自己の利益のみを追求 ・・・ 新自由主義イデオロギーの特徴
(10) 2万1000人の収入をゼロにすることによって、ゴーンの手に年間20億円
(11) ハゲタカ集団による食い漁り
(12) TPP、日米FTA、水道民営化、漁業権の民間開放 ・・・ 日本社会売り飛ばしの総仕上げ
(13) 教育や医療、介護、福祉、学問、インフラ ・・・ 人人が生活し、社会を維持していくために必要としてきた機能 ・・・ 金融資本の都合で切り捨て ・・・ ビジネスの具に
(14) 強欲な金融投機集団 ・・・ 行き着くところまで行き着いた資本主義社会 ・・・ 勤労大衆の側が意識的に対抗しなければ、強欲な側は遠慮なく陣地を広げ
(15) 金融資本が暴れる状況を強烈に規制して ・・・ みなが働いてまともに暮らしていける状況をつくりだす


高額報酬得る外国人経営者 グローバル化で進んだ富の一極集中 カルロス・ゴーン逮捕を巡って
2018年11月25日 長周新聞
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10037

 日産会長のカルロス・ゴーンが役員報酬を過少申告していた容疑で逮捕され、その金額が実は2倍の年間20億円近くだったことに衝撃が走っている。今回の事件は、有価証券報告書に記載された「役員報酬額」が異なっても、会社ぐるみで隠蔽してしまえばまかり通る仕組みになっていることや、海外資本も入り乱れた関係のなかで、国境をまたいで日仏間で暗闘がくり広げられていることを赤裸裸に暴露した。同時に多国籍化した大企業において、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)等の肩書きを持つ者や、社長、会長、役員たちがいかに法外な報酬を得ているかを知らしめるものとなった。表に出てくる報酬額の信憑(ぴょう)性が揺らいでいるとはいえ、日本の大企業や世界の大企業群の経営者たちは、いったいどれだけの報酬を得ているのか見てみた。

 東京商工リサーチの調べでは、日本国内で2018年3月期に1億円以上の報酬を得た役員の数は538人にのぼる。そのうち、上位30人【図参照】を見てみると、ソニーのCEOを退任した平井一夫の27億1300万円を筆頭に、上位10人の報酬は10億円をこえ、多くを外国人経営者たちが占めている。ルノーから送り込まれた18位(過少申告による順位。実際にはルノー、日産、三菱自動車の3社から19億円の報酬を得ていた)のカルロス・ゴーンに限らず、大企業の資本を外資が握る過程で、海外からやってきた経営者が企業トップの座につき、報酬そのものも「グローバル・スタンダード(世界基準)」を追う形で高額化してきた。グローバル化に日本市場がガッチリと組み込まれ、草刈り場にされていることを物語っている。

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2018/11/0f364b0a036aa6b3e7d7ff1c46a32fb9-768x927.jpg
上場企業の役員報酬(2018年)

 上場企業のなかでは、外資の株式保有比率が高まり、日産といっても仏ルノーの出資によって経営している外資系企業にほかならない。外国人の持ち株比率が50%をこえる企業としては、オリックス、ソニー、大東建託、新生銀行、レナウン、良品計画、三井不動産、日本マクドナルドHD、HOYA、シャープ、ドンキホーテHD、中外製薬、モノタロウ、ユニバーサルエンターテイメント、リーバイ・ストラウスジャパン、日本オラクルなど、見かけは日本企業と思うようなものも多い。しかし軒並み外資系企業と化しており、株を握る海外ファンドの存在感が高まっているのが実態だ。

とりわけ、アベノミクスによって日銀が異次元緩和で円安に誘導したり、株高演出の官製相場をつくりだしたことによって、この数年は優良企業の株式は外資にとって格好の餌食となった。そして実行を迫られるのは日産の「コストカッター」ことカルロス・ゴーンに負けず劣らずの大合理化をはじめ、低賃金化を基本にした徹底したコストカットであった。外国人労働者の増大、すなわち「低賃金労働力の不足」問題も、これら大企業群からの需要に応えるものとして進めている国境をこえた労働力の流動化策である。労働力としての人間が足りないので人口を増やすのではなく、「足りないならよそから引っ張ってくればよい」式で、資本の都合によって民族的な枠組みや社会の成り立ちそのものが改造を余儀なくされている関係だ。

 このようにして大企業が生み出した利益は外資ファンドをはじめとした株主に還元されるほか、そのために経営指揮をとったCEOやCOOといった役員たちには高額報酬が与えられ、この番頭役たちもより利益を叩き出すために尻を叩かれている関係にほかならない。産業資本の上段に金融資本が巣くい、「1%vs99%」といわれるむき出しの搾取構造が、以前にも増して露骨な形であらわれている。労働者の所得はさほど伸びていないにもかかわらず、経営者の報酬や金融資本の分け前だけは桁違いのものとなり、その所得格差は既に「日本型資本主義」などといわれていた時代とは比べものにならない。そして、高額報酬を得ている経営者たちよりもはるかに財力を蓄えたスーパーリッチといわれる超富裕層が、わずか80人で世界人口の半分にあたる下層三五億人の総資産をも上回るカネを握りしめ、タックスヘイブン(租税回避地)に隠匿するという、きわめて歪(いびつ)な構造がある。
 
 
米国ではウォール街を占拠
 5年で100億円を得たカルロス・ゴーンと比較して、世界はどうなっているのか。2016年の高額役員報酬の数値を見てみると、グーグルCEOのサンダー・ピチャイの210億円を筆頭に、ディスカバリーCEOのデイビット・ザスラフが165億円、ソフトバンク・グループの副社長に就任したニケシュ・アローラが同じく165億円、リバティ・グローバルCEOのマイク・フライズが118億円、ギャムコ・インベスターズCEOのマリオ・ガベリが93億円、マイクロソフトのサティア・ナデラが89億円、ゴープロ創設者のニック・ウッドマンが82億円、リバティ・メディアCEOのグレッグ・マッフェイが78億円、ブラックベリーCEOのジョン・チェンが74億円、オラクルCEOのラリー・エリソンが71億円と続き、上位20人は40億円超えを果たしている。税控除が有利であることから、固定の報酬に加えてストックオプションによって積み増す方式が主流といわれている。
 
 米国でも70年代まではCEOの年間報酬も1億円程度で、労働者と経営者の賃金格差も30倍程度だったとされている。
 
 これが、ニクソンショックをへて新自由主義へと転換し、金融自由化をテコにしたレーガノミクスがたけなわとなる80年代以降、富める者はますます富み、圧倒的国民には貧困が押しつけられるなかで、いまや企業によっては労働者と経営者の賃金格差は200~300倍という桁違いのものになっている。
 
 そして、日本社会と同じように、アメリカ国内も搾取する対象である国民に貧困を押しつけた結果、国内市場は頭打ちとなり、大企業群は新たな市場を求め、さらなる低賃金労働に寄生するために生産拠点その他を海外に移してしまい、ラストベルトに象徴される産業空洞化でますます貧困が深刻化する悪循環に見舞われた。
 
 そうした社会の歪みが近年では「1%vs99%」「ウォール街を占拠せよ!」を掲げたオキュパイ運動や、アメリカ大統領選であらわれたサンダース現象、その後も資本主義に成り代わる次なる時代を求める社会運動が台頭する根拠となり、強欲資本主義と一般大衆との非和解的な矛盾が激化している。
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ニューヨークで起こったウォール街占拠運動
 
 
辛抱きかぬ強欲社会を壊す
 「カリスマ経営者」のように持て囃されてきたカルロス・ゴーンの守銭奴ぶりがここにきてクローズアップされているものの、同じように強欲極まりない経営者たちは他にも山ほどいる。強欲資本主義といわれる時代にあって、世間一般から見て「そんなに独り占めして何に使うのだろうか?」と思うほど、遠慮のない資本の独占が蔓延(はびこ)っている。社会がどうなろうが知ったことではなく、もっぱら自己の利益のみを追求するところに新自由主義イデオロギーの特徴がある。
 
 日産は「再建」と称して2万1000人の労働者を解雇して路頭に迷わし、その運命を翻弄したが、競争力を高め、株価を上げるためにはリストラがもっとも手っとり早い手段だったというだけである。その冷徹さで2万1000人の収入をゼロにすることによって、ゴーンの手に年間20億円という高額報酬が転がり込んだ関係だ。
 
 産業資本は昔のように銀行から借金をして設備投資する形から、新株や社債発行によって資本を獲得する直接金融方式に変わり、株価が上がるか下がるかが最大の基準になってきた。こうして株価が下がればヘッジファンドなどに企業買収を仕掛けられ、リストラ合理化を経て上がったら、株主や役員がたくさん報酬をもらうのは当然という、ハゲタカ集団による食い漁りのようなことが常態化している。労働者に分配しないことによって、その法外な利益は保障されている。
 
 国内製造大手を見てみると、目先の利益を追い求めることに汲汲として、長期的展望に立った技術継承など切り捨ててきた。その結果、技術立国といわれてきた日本の大企業の凋落ぶりは著しく、アメリカの原発事業でババを引かされた東芝、台湾企業に買収されたシャープを筆頭に世界市場のなかで競り負け、技術者は中国や韓国の台頭する資本に引き抜かれるといった事態が進行してきた。外資に食い物にされた企業の末路は惨憺(たん)たるものがある。
 
 こうした金融支配のもとで、製造業だけでなく農漁業も破壊され、担い手である労働者や地方で第一次産業に従事する生産者の困窮度は以前にも増してはなはだしいものとなった。世界的に見ても異常なる少子高齢化、地方の急激な衰退は、こうした社会全体の構造的な変化の反映といえる。現在進んでいるTPP、日米FTA、水道民営化、漁業権の民間開放や諸諸の市場開放は、日本社会売り飛ばしの総仕上げを意味している。
 
 強烈な搾取社会の到来によって社会の存立基盤そのものが脅かされ、なおも社会的に保障すべき教育や医療、介護、福祉、学問、インフラにいたるまで、人人が生活し、社会を維持していくために必要としてきた機能を金融資本の都合で切り捨てたり、ビジネスの具にしていく方向が強まっている。
 
 世界を股にかけるこれら新自由主義イデオロギーの特徴の第一は、強欲な金融投機集団、金利生活者の利益を代表しているという点である。彼らの願望に社会的な現実も自然界の現実も従わせようという逆立ちした超観念論であるが、その欲望の実現のために社会的な規制をとり払い、金利生活者がもうけるために力尽くで世の中を従わせようとする。そのために叫んでいる「自由化」は、自分たちが銭もうけをするための自由というだけで、その他の圧倒的多数である社会の構成員の自由を奪い、カネも奪っている。
 
 このような行き着くところまで行き着いた資本主義社会の末期的な状況に対して、勤労大衆の側が意識的に対抗しなければ、強欲な側は遠慮なく陣地を広げていく関係だ。
 
 社会は市場原理ではなく生産原理で動いており、超富裕層や強欲な経営者たちがいるおかげでその他の人間が生きているわけではない。逆に彼らが寄生しているために、世界的には金余りであるにもかかわらず、マネーゲームだけが宙の上でくり広げられ、しかも欲深いが故にサブプライム等等で事あるごとに破裂し、貧困層は増えるばかりとなっている。
 
 生産活動が社会の活力の原動力であり、それと結びついて社会科学、自然科学、文学、芸術が豊かに発展すること、金融資本が暴れる状況を強烈に規制して、みなが働いてまともに暮らしていける状況をつくりだすことが求められている。

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/198.html

[国際24] メキシコ新大統領が就任 「政治体制を変革」   メキシコ、大統領官邸を一般公開 新大統領は使わず(日本経済新聞)

2018年12月2日(日)

メキシコ新大統領が就任 「政治体制を変革」
日本経済新聞 2018/12/2 5:01 

【メキシコシティ=丸山修一】メキシコで新興左派政党、国民再生運動のロペスオブラドール新大統領(65)が1日就任し、6年間の任期をスタートさせた。就任式では「今日は新政府の開始だけでなく、政治体制を変革させるスタートだ」と演説。従来の経済政策の失敗が格差や貧困を生み出したと批判したうえで新政府は汚職撲滅や新たな経済政策で「抜本的かつ急進的に変革を進める」と意気込みを示した。

演説では従来の政権による市場競争を強調する新自由主義的な経済政策の結果、産油国でありながらガソリンの大半は輸入に頼り、主食のトルティーヤの原料となるトウモロコシすら足りない状況だと批判。最低賃金は低いまま放置され、多くの国民が貧困状態に置かれて生活のために他国へ行くことを余儀なくされているなどとした。

新政府として東部ユカタン半島での観光鉄道の敷設や石油精製施設の能力増強といった大型インフラ投資のほか、年金拡充や若者向けの奨学金や就業支援の実施を約束した。金融市場や経済界を意識して、中央銀行の独立性の維持や予算案でも歳入以上の歳出はせずに財政規律を守っていくことも表明した。

就任式には米国からペンス副大統領やトランプ大統領の長女イバンカ大統領補佐官、中南米諸国からはキューバのディアスカネル国家評議会議長などが出席した。


メキシコ、大統領官邸を一般公開 新大統領は使わず
日本経済新聞 2018/12/2 5:56

【メキシコシティ=丸山修一】メキシコの歴代大統領が公邸としても使用してきた大統領官邸「ロス・ピノス」の一般公開が1日、始まった。同日に就任したロペスオブラドール大統領は「ぜいたくすぎる」として選挙期間中から官邸を使用しない方針を打ち出していた。自身は自宅から執務する国立宮殿に通うとし大統領官邸は文化施設として開放される。

ロペスオブラドール氏は「メキシコは貧乏なのに権力者はぜいたくをしている」とペニャニエト前政権を批判してきた。倹約が必要だとして大統領官邸を使わないだけでなく、大統領専用機の使用も中止して売却する方針だ。自らが受け取る給与も引き下げたほか、歴代大統領経験者に支払われている特別年金の廃止も打ち出している。
 
 
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/664.html
[国際24] 仏全土で燃え上がるデモ 新自由主義への反撃 調子付いたマクロン改革の結末 (長周新聞)
 
当記事中の厳選フレーズ (ここは読み飛ばして下の記事本文へ進んで頂いて結構です)
 
(導入部)
(1)「黄色いベスト(Gilets Jaunes)運動」
(2)メディアは一部の過激な行動のみに焦点をあてて「暴徒」と報じ
(3)国民の8割以上がこの運動を支持
(4)グローバル化にもとづく新自由主義改革への広範な反撃世論
(5)直接の要因は、マクロン政府による燃料税引き上げ
(6)抗議行動は、南部や北部の工業都市からパリなど大都市へも波及
(7)11月17日には全国2000カ所以上でおこなわれた集会に約28万人(内務省発表)が参加
(8)農村部では農業者によるトラクターデモ
(9)学生や中高校生たちも、教育改革や試験制度改革に反対する独自のデモ
(10)3回目となった今月1日の行動には、フランス全土で13万6000人が参加
(11)保守や革新を含む野党勢力や既存の政治団体とは別のところから行動が始まり、下から同時多発的に行動が広がって
(12)「保守・革新」の政治構造に対する国民の強い不信感
(13)参加者たちは・・・燃料課税の廃止にとどまらず、マクロン政府の退陣、政治への民主主義の実現、大企業が一手に握る富を再配分して国民の生活水準と購買力を向上させることを求め
(14)これほど大規模で長期に及ぶ政治行動は、1968年の学生らによる「5月革命」以来50年ぶり
(15)「現代版フランス革命」とも
 
「保守・革新」こえて 下から自発的に広がる
(16)組織に属さず、自発的に参加した労働者や自営業者、高齢者、主婦、若者たち
(17)底流には・・・新自由主義的政策よって深刻化した国民生活の窮乏化への怒り
(18)燃料課税は・・・直接行動を促した「導火線」
(19)同じくEUによる金融寡頭支配にさらされているギリシャ、イタリア、スペイン、イギリスなどでの反グローバリズムの社会運動と連動したもの
 
8日も全国的行動 増税凍結でも終わらず
(20)「貧困や格差の解消」を約束しながら国民を裏切り続ける社会党出身のマクロン政府への怒り
(21)これまで社会的な抗議活動とは縁遠い存在だった人人を行動に駆り立て
(22)世論が既存の議会政治の外皮を打ち破って表面化
(23)行動参加者たちは・・・「最低賃金や年金制度など国民の購買力向上につながる政策をせよ」「問題の先送りではなく富裕税を免除した大企業に課税するなどの抜本改革をせよ」との反発を強め、8日にも全国的な行動を呼びかけ
(24)金融寡頭政治に対する下からの強力な反撃機運
(25)わずか1%にも満たない富裕層の強欲な搾取・・・その道具と化して社会を崩壊させる統治・・・99%の連帯したたたかい
 
 
仏全土で燃え上がるデモ 新自由主義への反撃 調子付いたマクロン改革の結末
2018年12月8日 長周新聞
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10219
 
 フランス国内で、マクロン政府の退陣を求める大規模な抗議行動が広がっている。道路作業用の蛍光色のベストをシンボルに「黄色いベスト(Gilets Jaunes)運動」と呼ばれるこの政治行動は、11月半ばからフランス全土で40万人によるデモや道路占拠によって表面化し、毎週末ごとに数十万人規模でおこなわれている。メディアは一部の過激な行動のみに焦点をあてて「暴徒」と報じているが、最新の世論調査では国民の8割以上がこの運動を支持しており、底流にはグローバル化にもとづく新自由主義改革への広範な反撃世論がある。
 
https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2018/12/8793544f8279602c08226dbe4dda8aed-768x432.jpg
『ラ・マルセイエーズ』を歌いマクロン退陣を要求(1日、ニーム)
 
 抗議行動が始まった直接の要因は、マクロン政府による燃料税引き上げだ。フランス国内では今年、ガソリンが15%、ディーゼル燃料は25%値上がりしており、燃費の良さから運送業や低所得者層の間で普及率が高いディーゼル燃料(軽油)にも「炭素税」が導入され、1㍑あたり平均1・24ユーロ(約160円)から、今年10月には1・53ユーロ(197円)まで上昇した。フランスでのディーゼル車の普及率は高く、小型車も含めて国内の走行可能車全体の約6割を占めている。

 さらに来年1月にガソリンも含めた炭素税の増税をうち出すとともに、「温暖化対策」と称した新たな課税を進めるマクロン政府に対し、燃料高騰の直撃を受けるトラックやバスなどの運送業界、公共交通機関がなく車なしでは生活できない農村部や都市周辺からゲリラ的な抗議行動が始まった。インターネット上で呼びかけられた「燃料価格の引き下げを求める」署名には、現在までに130万人が署名しており、SNSで拡散される呼びかけに応じ、毎週末ごとに全国で大規模な行動が展開されている。

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2018/12/567447f44104814e7e285d1a97726d2c-768x424.jpg
農業者によるトラクター・デモ(1日、ニーム)

11月初旬から始まった抗議行動は、南部や北部の工業都市からパリなど大都市へも波及し、11月17日には全国2000カ所以上でおこなわれた集会に約28万人(内務省発表)が参加した。人人は作業用の黄色いベストを着て街頭に集まり、一般道や高速道路などを封鎖するとともに、大銀行の入口や大規模燃料貯蔵庫、鉄道の駅などを占拠し、「燃料価格を値下げしろ」「マクロンは退陣しろ」などの要求を叫んだ。

 農村部では農業者によるトラクターデモがおこなわれ、今月3日には国会前に数百台の救急車が集結して抗議のサイレンを鳴らした。マクロン政府が、これまで個人にあった救急車の選択権を医療機関だけに与え、中小企業を淘汰することへの抗議も含んでいる。また、学生や中高校生たちも、教育改革や試験制度改革に反対する独自のデモを展開している。

 3回目となった今月1日の行動には、フランス全土で13万6000人が参加した。首都パリでは、凱旋門を臨むシャンゼリゼ大通りを数万人の市民が埋め尽くした。政府は大統領公邸を守るために5000人規模の機動隊を送り込み、催涙ガスや警棒などで弾圧。現在までに約600人が逮捕されている。パリ中心部では、一部の過激派が商店や市民の車両にも危害を与え、「暴徒」のレッテルを貼って弾圧を正当化するマクロン政府を助けているが、世論調査では抗議運動への支持は当初よりも多い8割以上に及び、全土に広がった運動が沈静化する気配はない。

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2018/12/28312cd77431146248a30b443310bfb0-768x455.jpg
マルセイユでの抗議集会(1日)
 
 保守や革新を含む野党勢力や既存の政治団体とは別のところから行動が始まり、下から同時多発的に行動が広がっているのが特徴で、「EU離脱」を主張して大統領選でマクロンと争ったル・ペン率いる保守政党「国民連合」も、国政に議席を持つ左翼政党も直接関与していない。「保守・革新」の政治構造に対する国民の強い不信感があらわれており、参加者たちは市民の蜂起で帝政を終焉させたフランス革命で歌われた国歌「ラ・マルセイエーズ」を合唱し、燃料課税の廃止にとどまらず、マクロン政府の退陣、政治への民主主義の実現、大企業が一手に握る富を再配分して国民の生活水準と購買力を向上させることを求めている。
 
 いわゆる「代表者」が存在しないことから、マクロン政府は買収や妥協的な条件闘争に持ち込めず、政策を抜本的に変更するか、みずから退陣するかを迫られる事態となっている。これほど大規模で長期に及ぶ政治行動は、1968年の学生らによる「5月革命」以来50年ぶりといわれ、「現代版フランス革命」とも表現されている。
 
「保守・革新」こえて 下から自発的に広がる
 
 パリの行動参加者たちは、SNS上で「フランス政府は債務の利息として1979年から1兆4000億ユーロも払っているが、債務は返済されるどころか増え続けている。そのために国民は異常な税金を払わされている。私たちは市民革命によって1789年のフランス革命を終結させるべきだ。政治に民主主義を実現し、国民が権力を取り戻すために立ち上がっているのだ」「マクロン政府が政策の過ちに気づき、国民の声に耳を傾けるまでみなは行動を続けるだろう。ここには暴力的な壊し屋だけでなく、全社会階級の人人が集まっている」「月1200ユーロ(約15万円)で生活しているが、金持ちは口で励ますだけでなにもしない。国民は乳牛のように搾取されており、政府はアマゾンなどの大企業だけを優遇している」と怒りを込めて告発している。
 
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機動隊と衝突し、抗議する住民たち(1日、パリ)
 
「これ以上燃料価格が上がれば、私たちはどこにも行けない」「年金が削られ毎月の食費を削っているが、これ以上削るところはない」との声もあり、組織に属さず、自発的に参加した労働者や自営業者、高齢者、主婦、若者たちが大半を占めている。
 
 この世論の底流には、昨年5月の発足以来、マクロン政府が進めてきた公共インフラの民営化やリストラなどの緊縮政策、大企業や金融資本のみを優遇するグローバリズムにもとづく新自由主義的政策よって深刻化した国民生活の窮乏化への怒りがある。燃料課税はその一環であり、直接行動を促した「導火線」に過ぎない。同じくEUによる金融寡頭支配にさらされているギリシャ、イタリア、スペイン、イギリスなどでの反グローバリズムの社会運動と連動したものといえる。
 
 社会党(左派)のオランド大統領の後継として登場したマクロン大統領は、改革派としてEUでみずからの存在感を高めるために、EUが押しつける「財政赤字をGDP(国内)の3%以下に抑制する」という財政目標の達成を公言し、国内で大規模な歳出削減を実行する一方、各種増税、労働規制の緩和、公務員のリストラ、鉄道をはじめ公共インフラの民営化などの改革を矢継ぎ早に実行に移してきた。
 
 フランス国内の失業率は、近年9~10%で高止まりしており、若年層の失業率は22~24%とEU平均を上回っている。マクロン政府は、これを解決するための労働改革として大胆な規制緩和を実行した。だがその内容は、集団解雇の手続きの簡素化、グローバル企業の経済的理由による解雇規定の緩和、雇用維持協定の緩和、不当解雇のさいの補償金額の上限設定、解雇不服申し立ての期間の短縮など、ことごとく雇用者側に有利な改革ばかりだった。
 
 さらにマクロン政府は、年金受給開始年齢を2030年までに67歳へと引き上げることや、タバコ増税で一箱あたり10ユーロ(約1300円)へ引き上げること、社会保障増税、住宅手当の削減などの緊縮財政を進め、歳出削減の目玉としてフランス国有鉄道(SNCF)の事実上の民営化にも着手し、公務員の12万人削減もうち出した。
 
 一方、企業側に対しては、基本実効税率33%の法人税率を2022年までに25%まで段階的に引き下げるとともに、支払い給与の一定割合を法人税から控除する税額控除を、2019年から雇用主の社会保障負担の軽減制度へ改めることを発表。また、投資家への負担軽減措置として、総合課税されてきた金融所得(有価証券譲渡益や利子・配当)に対する税率を下げ、富裕層の保有資産にかかっていた「富裕税」を廃止し、不動産以外(金融資産など)を課税対象から除外する制度に変えるなど、富裕層への優遇措置を図ってきた。「企業や富裕層の負担を減らすことによって国内投資を呼び込む」との理由で進めてきたこれらの改革は、日本において安倍政府が推進してきた政策とも共通する。
 
 その結果、国内に外資が流入することによりGDPが上昇し、物価が高騰する一方で、賃金は下げ止まり、貧困化と格差の拡大に拍車がかかった。フランス当局は、1人当りの月収の中央値1692ユーロの6割以下にあたる1015ユーロ(約13万円)以下で生活している人を貧困層と定義しているが、その貧困層が全人口の14%(フランス国立統計経済研究所)を占めた。かつて工業地帯として栄えた南部、北部地域には移民の流入もあって貧困が深刻化し、都市部との格差が拡大した。今回の行動がこれらの地域から始まっていることも、富と労働力を吸い上げてきた金融資本のみを優遇することへの根強い反発を物語っている。
 
8日も全国的行動 増税凍結でも終わらず
 フランスでは今年4月にも、労組やCGT(労働総同盟)などの呼びかけで、3カ月にわたるストライキをおこなってきたフランス国有鉄道をはじめ、公務員、パイロット組合、エネルギー部門、公共放送、学校教職員、医療従事者、郵便局など、業種や企業の枠をこえて連帯し、全土で30万人規模の抗議行動がおこなわれた。
 
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知事公舎前の行動に合流したバイカーたち(1日、ニーム)
 
 マクロン政府が改革の目玉とする国鉄の民営化では、不採算部門や地方ローカル線の廃止をうち出しており、国鉄で働く75%の労働者が参加して国内全域でストライキによる実力闘争を展開してきた。日本における国鉄分割民営化や郵政民営化と同じように国鉄労働者の公務員待遇を「既得権」として憎悪の対象にして人員を大幅削減するとともに、貨物輸送の自由化などで市場競争を持ち込み、赤字を膨らませて民営化への地ならしを進めた。これにはフランスの労働組合のなかでも存在感の大きい国鉄労組を潰す意味合いも含んでおり、国鉄労働者に対する産業をこえた連帯意識から大規模なゼネストとなった。
 
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パリの学生たちとデモ行進する鉄道労働者(4月13日)
 
 さらに政府が2001年に廃止した徴兵制を復活させ、18歳から21歳までの男女に約1カ月の兵役義務を課そうとしていることや、教育分野でも、これまではバカロレア(試験)に合格して高卒資格をとれば誰でも希望する大学に入れた制度を、大学側が入学者を選別する制度へと「改革」することに学生の反発が強まり、各地の大学で学生らがキャンパスを占拠する行動が広がった。

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大学改革に反対する学生のデモ(4月19日、マルセイユ)
 
 燃料課税に端を発した「黄色いベスト運動」は、「貧困や格差の解消」を約束しながら国民を裏切り続ける社会党出身のマクロン政府への怒りが広範に波及し、これまで社会的な抗議活動とは縁遠い存在だった人人を行動に駆り立てている。フランス国内で渦巻く反グローバリズム、反金融寡頭政治の世論が既存の議会政治の外皮を打ち破って表面化している。
 
 マクロン退陣の世論拡大を怖れるフランス政府は4日、黄色いベスト運動から「国民の怒りのメッセージを受けとった」とし、発端となった燃料増税、来年1月に予定していた電気・ガス料金の値上げ、軽油とガソリンの均一化措置を6カ月間凍結することを発表した。
 
 だが、行動参加者たちは「われわれが求めているのは凍結ではなく廃止だ」「最低賃金や年金制度など国民の購買力向上につながる政策をせよ」「問題の先送りではなく富裕税を免除した大企業に課税するなどの抜本改革をせよ」との反発を強め、8日にも全国的な行動を呼びかけている。フランス政府は「凍結」から断念に譲歩したものの、デモは収束する気配を見せていない。
 
 マクロン政府は「非常事態宣言」の発令も視野に入れ、権力による鎮静化を図ろうとしているが、抗議行動ではマクロン体制をフランス革命を裏切って処刑されたルイ16世などと重ねて「大統領君主制」と呼んだり、バスチーユ広場にギロチンの模型が運び込まれるなど、国が弾圧を強めれば強めるほどフランス革命の伝統を否定するものとして国民の怒りを掻き立てている。調査会社BVAによれば、大統領の支持率は過去最低の26%となり、退陣前のオランド前大統領を下回るほどに落ち込んだ。
 
 旧来の「保守・革新」の政治構図が干からびたものとなるなかで、それらを使い分けながら社会全体の富を独占し、公的な社会機能をも利潤の具にしてきた金融寡頭政治に対する下からの強力な反撃機運が表面化している。この趨勢は欧米各国にとどまらず、同じグローバル化によって荒廃してきた日本社会への波及も避けられない。わずか1%にも満たない富裕層の強欲な搾取と、その道具と化して社会を崩壊させる統治に対し、99%の連帯したたたかいが国境をこえて噴き上がっている。
  

http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/715.html

[政治・選挙・NHK254] 辺野古:土砂を台船に移し替え 今後、陸揚げへ(沖縄タイムス)/ 玉城知事、政府に中止要請 防衛相らとあす面談(琉球新報)
 
辺野古:土砂を台船に移し替え 今後、陸揚げへ
2018年12月12日 12:38 沖縄タイムス+プラス

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、キャンプ・シュワブ沖に停泊していた運搬船から土砂を台船に移し替える作業が12日午前、確認された。政府は14日の土砂投入を予定しており、台船は今後「K9」護岸に接岸しダンプトラックで陸揚げする見通し。

https://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/f/3/-/img_f3943a9dcd6543fe9a8ee9fe470c0c3f48514.jpg
護岸に接岸した台船に土砂を積む作業が進んでいる=12日、名護市辺野古
 
 玉城デニー知事は12日に上京し、13日に岩屋毅防衛相と面談する予定。14日の土砂投入を前に新基地建設の中止をあらためて求める考え。
 
 12日午前9時半ごろ台船が船上のクレーンで土砂を運搬船から積み替える作業が始まった。海上では新基地建設に反対する市民がカヌーで制限区域内に入り、海上保安庁の職員に拘束された。
 

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玉城知事、政府に土砂投入中止要請 防衛相らとあす面談 断念求め対話
2018年12月12日 10:39 琉球新報
 
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設による新基地建設で、政府は14日に辺野古沿岸部への土砂投入を始める方針を堅持している。計画外だった名護市安和の琉球セメントの桟橋を使用して埋め立て用土砂の搬出を強行し、既に土砂を新基地建設予定海域に運び入れた。県は14日の土砂投入を阻止するため、行政指導など対抗策を打ち出す構えだ。玉城デニー知事は上京し、政権幹部に土砂投入を断念するよう求める。新基地建設を巡る情勢は、政府が宣言する土砂投入予定日を前に一層緊迫した局面を迎える。
 
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡り、政府が14日に辺野古沿岸部へ土砂を投入すると明言する中、玉城デニー知事は12日から上京し、13日に首相官邸や防衛省を訪ね、政府に対し土砂投入の中止を求める考えだ。県側から面談を申し入れており、13日に岩屋毅防衛相らと面談する見通し。

 玉城知事は11日、県議会一般質問で14日の土砂投入計画を念頭に「12日から上京する日程を立てている。官房長官や防衛相との面談を要請している」と答弁した。平良昭一氏(おきなわ)への答弁。玉城知事は13日午前、沖縄関係予算について話し合う自民党の沖縄振興調査会に出席する予定。
 
 岩屋防衛相は11日の記者会見で、玉城知事と会談する方向で調整していると明らかにした。
 
 「普天間飛行場の危険性を除去し、返還を実現することが原点だ。知事にも再度説明し、理解を頂きたい」と述べた。
 
 14日の土砂投入については「気象状況にもよるが、予定日に開始できるよう万全の準備をしたい」と実行の方針を重ねて示した。
 
 菅義偉官房長官は11日の会見で、県東京事務所を通じて首相への面会要請があったことを説明した上で、県が国地方係争処理委員会に申し立てたことや、国が辺野古移設を進めていることに触れ「このような経緯を踏まえて検討している」と述べるにとどめた。
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/802.html

[政治・選挙・NHK254] (嘆願署名)ホワイトハウスへ「 沖縄県民投票がなされるまで 大浦湾辺野古埋め立て作業の停止を」(戦いのノート)
 
Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa
沖縄県民投票がなされるまで 大浦湾辺野古埋め立て作業の停止を

2018/12/10 10:59 戦いのノート
 
背景
 アメリカでは、合衆国憲法修正第一条に定める権利に基づき、バラク・オバマ大統領の時代に「We The People(我ら人民は)」という、政府に直接嘆願(請願)を行う電子署名サイトが制作されました。13歳以上であれば誰でも(※合衆国市民でなくとも)Web嘆願書を作成でき、米国政府により利用規約に対するスクリーニングを経て公開されます。
 今回、「R.K. (Rob Kajiwara)」という米国ハワイ在住の方が、沖縄県名護市辺野古の大浦湾に建設予定の在日米軍海兵隊基地(同宜野湾市の海兵隊普天間飛行場 MCAS Futenmaからの移設)建設のために2018/12/14より開始される大浦湾の埋め立て作業について、米軍最高司令官のドナルド・トランプ大統領に対し、せめて来春に予定される「辺野古埋め立ての賛否」を問う県民投票の実施まで作業の停止を求める内容の嘆願を作成しました。
 
Rob Kajiwara @robkajiwara
URGENT: Please sign & share this petition to stop the landfill work that would destroy a beautiful natural coral reef filled w/ rare endangered species. It will be destroyed in 5 days. We need 100,000 signatures before then. #Okinawa #Henoko https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa
7:35 - 2018年12月9日
 
https://youtu.be/vhQaTBfhTgw
R.K.氏が請願提出を公表した動画(英語のみ)
 
期限と効果
 米国政府への請願ですが、13歳以上であれば誰でも署名できます。期限は2019年1月7日までの30日間。請願が10万筆集まると、ホワイトハウスは請願を検討し、60日以内に何らかのアクションを起こさなければなりません。公式サイトの説明によると、署名は最初の30日間のうちに150筆を超えると自動的に公開され、検索可能になります。10万通に達した請願の結果は、署名したすべての人の登録アドレスに、ホワイトハウスからの回答として通知されます。
 
嘆願署名サイト
https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa
 
請願の署名方法(スマホの場合)
 署名するには、Sign Now(いますぐ署名)ボタンをクリックして、入力画面になったらFirst Name(名)、Last Name(姓)とEmail Address(メールアドレス)を入力して、再度Sign Nowボタンをクリックします(※但し、PCでは必要事項を入力後一回だけクリックすれば済みます)。アカウントを作成する必要はありません。入力したメールアドレスに、本人確認(認証)のメールが届くので、そのメールにある最初の青字のリンク”Confirm your signature by clicking here.”(ここをクリックして署名を確認)をクリックして、本人確認を完了すると、署名が登録されたことを確認する「画面」が表示されます(確認メールは送信されません)。
 
https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/production/uploads/images/8891670/picture_pc_4c5aca4194ad31015fe47f31faaec07a.jpg
図解(「続・ひよこピョコピョ」さん作成・提供)
 
※注:Sign Nowをクリックするだけでは署名したことになりません。必ず届いたメールの”Confirm your signature by clicking here.”(ここをクリックして署名を確認)をクリックして、署名登録完了画面が表示されるのを確認してください。次の「画面」が表示されます。黄緑のフォント部分にはい以下のことが書かれています。尚、最初の確認メールが「受信」フォルダに届いていない場合は、「迷惑メール」フォルダを確認してみてください。
You've successfully signed the petition below. Your signature has been verified and counted.(下記請願の署名が完了しました。あなたの署名は認証され、かつ、計上されました。)
 

嘆願本文(和訳)
我ら人民は、連邦政府にたいし、下記について新たな政府方針を提示することを求めます。
We the people ask the federal government to Propose a new Administration policy:

沖縄で県民投票がなされるまで辺野古・大浦湾の埋め立て停止を
Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa

2018年12月8日にR.Kが作成
Created by R.K. on December 08, 2018

トランプ大統領:民主的な県民投票がなされるまで、沖縄での埋め立て作業を停止してください。今年、沖縄の人びとは、辺野古・大浦湾での建設工事を停止するという前提の下、圧倒的な支持により玉城デニーを知事に選出しました。この湾は、沖縄の生態系の重要な一部です。しかし、日本政府ならびに在日米軍は、玉城知事や沖縄の人びとの意思を無視してきました。不可逆的な建設工事が12月14日(日本標準時)に開始を予定されています。この実施を容認すれば、沖縄県民の反米感情は確実に高まり、米国と沖縄の関係は永久に損なわれるでしょう。民主主義を優先し、工事の停止を命じてください。沖縄の人びとに、アメリカが真に尊敬に値する偉大な国であることを示してください。
President Trump: Please STOP the landfill work in Okinawa until a democratic referendum can be held. Earlier this year the Okinawan people overwhelmingly elected Gov. Denny Tamaki on the premise of STOPPING the construction at Henoko / Oura Bay. The Bay is a CRUCIAL part of the Okinawan ecosystem. However the Japanese government & U.S. military have so far IGNORED the democratic will of Gov. Tamaki & the Okinawan people. The irreversible part of the construction is set to begin on Dec. 14 (JST). If this is allowed it will surely incur strong anti-U.S. sentiment among Okinawans & will forever strain U.S.-Okinawa relations. Please order a HALT to the construction & ensure that democracy prevails. Please show Okinawans that America is indeed an honorable and GREAT nation.
 
[最終更新日:2018/12/12]
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/809.html

[政治・選挙・NHK255] 14万筆の署名 (朝日新聞・天声人語) / 沖縄への思い実結ぶ 意見書可決、堺市 (朝日新聞)

 
(天声人語)14万筆の署名
2018年12月21日 朝日新聞
 
 沖縄で本格的に農耕がはじまったのは、かなり遅かったようだ。作家の仲村清司さんの『本音で語る沖縄史』によると、農耕以前の貝塚時代が10世紀前後まで続いた。本土では平安時代のころである▼両親が沖縄出身の仲村さんは、その理由について海の恵みに思いをはせる。「豊かな漁場が目の前にあった。その海か…
 
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タレントのローラさん
美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば、止めることができるかもしれないの
インターネット署名への呼びかけ
米ホワイトハウスに向けた嘆願書
14万筆を超える署名
青い海に茶色い土
映像
グロテスク
本当にグロテスク
民意を無視
基地を押しつけ
小金井市議会
意見書
可決
一つ一つの声
世の中を動かす大きなうねり
 
 
 
沖縄への思い実結ぶ 意見書可決、堺市
2018年12月21日14時31分 朝日新聞デジタル
 
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20181221002871.html
大阪府堺市役所前で、辺野古の新基地建設反対を訴える市民ら
 
 米軍基地建設に向け、沖縄県名護市辺野古での土砂投入を始めた政府に対し、地元との「誠実な対話」を求める意見書が20日、堺市議会で可決された。9千筆を超す署名を添えて請願していた市民らは「多くの人たちの沖縄への思いが実を結んだ」と喜んだ。
 
 市民団体「堺からも声を」のメンバー約20人は20日午前も市役所前に立ち、土砂投入を強行した国の対応を強く批判した。
 
 意見書の可決後に記者会見したメンバーの豆多敏紀(まめたとしき)さん(69)は「市議会の良識に心から敬意を表したい。どこの自治体でも『できる』ことを全国に発信していきたい」と話した。
 
 署名集めが始まったのは今年8月。3カ月で目標の5千筆を大きく超えた。
 
 メンバーの前田純一さん(68)は「街頭でも若い世代が自ら署名してくれた」と振り返り、「亡くなった翁長雄志・前沖縄県知事らの悲痛な叫びが人々の感性に響いたのだと思う」。豆多さんも「さらに多くの人に自分事と受け止めてもらえるよう、運動を続けたい」と語った。
 
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/330.html
[政治・選挙・NHK255] 辺野古中止 米請願 署名目標達成後も増加 米アーティスト協力 (琉球新報) 
辺野古中止 米請願 署名目標達成後も増加 米アーティスト協力
12/22(土) 5:34配信 琉球新報
 
 米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設工事に関し、県民投票まで工事を止めるよう求めるホワイトハウスの請願サイトの署名が、目標の10万筆を超えた18日以降も増え続けている。海外のアーティストもSNS(会員制交流サイト)などで署名への協力を求めるなど広がっている。
 
 1964年に音楽活動を始めた米ロック界の重鎮、ヴァン・ダイク・パークスさん(75)も自身のツイッターで署名したことを報告した。パークスさんは18日、日本人からのツイッターでの呼び掛けに応じ、「署名をした」と投稿。20日は土砂投入に対する抗議行動を報じたジャパンタイムズの記事を取り上げ、「日本は支持を得ない米軍基地を造るために、沖縄の辺野古湾に土砂投入を始めた」と紹介。「すみません。お疲れさまです。私は一緒に働かなければなりません」とローマ字でメッセージもつづった。
 
 日本の著名人では、脳科学者の茂木健一郎さんが公式ブログで署名を報告。日本政府に対し、「一切対話を拒否して進めているところがまったくよろしくない」と投稿した。タレントの松尾貴史さんは署名を呼び掛けるメッセージを再投稿(リツイート)した。
 
 署名は21日午後10時現在、14万9486筆で、目標達成以降も1日に1万筆以上署名が集まっている。
 
琉球新報社
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/335.html
[政治・選挙・NHK255] 「天皇制と調和する民主主義」とは、まがい物の民主主義でしかない。(澤藤統一郎の憲法日記)  
 
本日(1月3日)の各紙社説のうち、産経と毎日が天皇代替わりのテーマを取りあげている。極右路線で経営危機を乗り切ろうという産経の相変わらずの復古主義の論調には、今さら驚くこともない。言わば、「犬が人に噛みついた」程度のこと。仮に産経が国主権原理から天皇を論じることになれば、「人が犬に噛みついた」大ニュースとして注目を集めることになるだろうが。

産経主張の表題が、「御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものに」という時代がかった大袈裟なもの。産経はこれまでも「御代」「御代替わり」なる語彙をたびたび使用してきた。恐るべき時代錯誤の感覚である。そして恐るべき臣民根性の発露。
 
産経は、「天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である。」という。これはまさしく信仰の世界の呪文に過ぎない。天皇教という信仰を同じくする者の間でだけ通用する呪文。その信者以外には、まったく通じる言葉ではない。
 
天皇の代替わりとは、「天皇」という公務員職の担当者が交代するだけのこと。しかも何の国政に関する権能も持ってはならないとされている天皇の地位である。その地位にある者の交代が、「歴史的な」「重要事」ということは、日本国憲法の基本理念の理解を欠くことを表白するものにほかならない。
 
また、産経は、「長くお務めに精励されてきた上皇への感謝の念と、新しい天皇(第126代)への敬愛と期待の念を持ちながら、国民こぞって御代(みよ)替わりを寿(ことほ)ぎたい。」ともいう。
 
こういう、「感謝」「敬愛」「寿ぎたい」などの押しつけは、迷惑千万このうえない。このようなメディアの言説は、天皇にまつろわぬ人々を「非国民」として断罪した集団ヒステリーの時代を彷彿とさせる。
 
産経の論調の中で看過できないのは、「新天皇が国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る大嘗祭(だいじょうさい)を、天皇の私事とみなす議論が一部にある。これは「祈り」という天皇の本質を損なう考えといえる。大嘗祭が私事として行われたことは一度もない。」というくだり。
 
産経に限らず、「天皇の本質は『祈り』である」などと言ってはならない。それこそ、憲法が厳格に禁じたところなのだ。かつて天皇は、神の末裔であるとともに最高祭司でもあった。天子とは、天皇の宗教的権威に着目した呼称である。大日本帝国憲法は、天皇の宗教的権威を積極的に認めて、これを天皇主権の根拠とした。国民主権を宣言した日本国憲法は、天皇からいっさいの政治的権能を剥奪しただけでなく、その宗教的権威を認めてはならないことを明定した。それが政教分離の本質である。天皇は公に祈ってはならない。国民国家のために祈るなどは、天皇の越権行為であり、違憲行為なのだ。家内の行事として、私的に祈る以上のことをしてはならない。
 
毎日の社説には正直のところ驚いた。あらためて、「象徴天皇制の有害性恐るべし」の感を深くせざるを得ない。産経の主張は看過しても、毎日のこのような論調を看過してはならない。積極的批判の必要性を痛感する。
 
毎日社説の表題は、「次の扉へ ポスト平成の年に 象徴の意義を確かめ合う」というもの。天皇は国民が選挙によって選任する対象ではない。次の選挙で取り替えることも、弾劾裁判もリコールの制度もない。そのような天皇の存在に積極的な意味を与えてはならない。「象徴」とは、存在するだけで積極的な意味も内容もない地位を表しているに過ぎない。「平成からポスト平成へ」で何も変わることはないし、変わってはならない。「次の扉へ」などと、なにかが変わるような国民心理の誘導をしてはならない。
 
「戦後しばらくは、民主主義と天皇制との併存について疑問視する声が相当程度あった。だが、陛下は国民主権の憲法を重んじて行動し、天皇と国民の関係に、戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた。平成は民主主義と天皇制が調和した時代といえる」
 
これが、毎日社説のメインテーマであり最も罪深い世論の誘導である。産経のような一見バカげた論調ではないだけに影響力を無視し得ない。
 
毎日は、次のように時代を区分して、天皇制と国民の関係を整理して見せた。
1 戦前 天皇制と国民との関係は暗い時代
2 戦後しばらく 民主主義と天皇制との併存が疑問視された時代
3 平成 民主主義と天皇制が調和した時代
 
しかも、毎日は、「天皇が戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた」と評価する。
 
私には、「民主主義と天皇制」とは対立し矛盾するのみで、その両者が調和することは到底あり得ないと思われる。ましてや能動的に行動する象徴天皇においてをや、である。民主主義とは、自立した主権者の存在があってなり立つ政治制度ではないか。天皇の存在は、主権者の自立の精神を阻害する最大の敵対物にほかならない。
 
主権者の精神的自立を直接妨げるものが権威主義である。権威を批判しこれに逆らう生き方は困難であり、安易に権威を認めて権威に寄り掛かることこそが安楽な生き方である。したがって権威の存在する社会では個人の精神的自立が容易ではない。天皇の存在自体が権威であって、天皇を受容する精神が権威主義そのものである。天皇とは、この社会において敬語の使用が強制され、天皇への批判が封じられる。そのような天皇という権威の存在は、民主主義にとって一利もなく、百害あるのみと言わねばならない。「天皇制と調和する民主主義」とは、まがい物の民主主義でしかない。
 
(2019年1月3日) 
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/794.html
[政治・選挙・NHK255] ジャーナリストの死と、ジャーナリズムの沈黙(フォトジャーナリスト・安田菜津紀のツイッターより。COMEMO転載版) 
https://comemo.nikkei.com/n/nfa20a1975ba4
安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
2019/01/07 10:13
  
 国境なき記者団によると、昨年2018年に亡くなった記者は把握されているだけでも80人にのぼるという。戦闘や事故に巻き込まれた人々だけではなく、暴力や迫害によって亡くなったケースがとりわけ増えた年だったことが指摘されている。
https://www.cnn.co.jp/world/35130406.html
2018年は記者への暴力が急増、80人死亡 国際NGO調査 
 
 かつてバングラデシュで記者として活躍し、日本に難民として逃れてきたカビールさんを取材させてもらったことがある。彼は過激派組織の実態に問題提起を続けたことにより、殺害を予告する手紙が届くようになったため、警察に保護を求めた。ところが警察の汚職を摘発する記事を書くと、その警備がぴたりと止まったのだ。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018122000010.html
バングラデシュ流ビリヤニ 記者として迫害と対峙 - 安田菜津紀|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト
 
 恐らくカビールさんのように命がけで取材を続け、生死のはざますれすれで発信を続けている記者たちが、世界の至るところで孤独な闘いを続けているのだろう。
 
 2017年、「パナマ文書」の問題を報道していた女性記者ダフネ・カルアナガリチアさんが、地中海の島国マルタで爆弾で殺害される事件が起きた。その直後、「産経抄」に掲載された記事を読みながら、なんとも言えない気持ちがこみ上げてきた。
https://www.sankei.com/column/news/171019/clm1710190003-n1.html
【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせ 10月19日
 
以下、本文「からの抜粋だ。 
「日本の新聞記者でよかった、と思わずにはいられない。地中海の島国マルタで、地元の女性記者が殺害された。(中略)マルタとはどれほど恐ろしい国か。」
「今年4月に発表された「報道の自由度ランキング」では47位、なんと72位の日本よりはるかに上位だった。ランキングを作ったのは、パリに本部を置く国際ジャーナリスト組織である。日本に対する強い偏見がうかがえる。一部の日本人による日本の評判を落とすための活動が、さらにそれを助長する。」
 
 悼むでもなく、ジャーナリストへの迫害に声をあげるでもなく、安全なところから「日本の記者でよかった」とつぶやき、報道の自由度ランキングにただ「日本の評判を落とす」と怒りをあらわにすることで、何を生み出そうとしているのか、その意図をくみ取ることができなかった。
 
 対照的だったのはAP通信から配信されたこの記事だ。
https://www.apnews.com/c59b405a26224337af44a3fc2d693dee
Maltese reporter killed by bomb crusaded against corruption
 
 この記事の中で「Journalism colleagues」(ジャーナリズムの同僚)という言葉が使われていた。例え社が違っても、活動している国が別であっても、ジャーナリズムに携わる者としての姿勢を問われたように思う。
 
 昨年でいえば記者証を取り上げられたCNNがトランプ氏に起こした訴訟に対し、CNNの競合であり、政治的主張は異なることが多いFOXニュースなども支持を表明している。
https://www.cnn.co.jp/usa/35128701.html
「出入り禁止」裁判、FOXら10社以上がCNNを支持
 
 「ジャーナリストの死」に背を向け続ければ、行きつく先は”沈黙”という「ジャーナリズムの死」のはずだ。こうした権力側の動きに対し、日本でも、会社や思想の壁を超え、広く「ジャーナリズム」として連帯できるかが今、問われている。
 
https://twitter.com/NatsukiYasuda/status/1082101696510062592
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/817.html
[政治・選挙・NHK255] 「沖縄のためにありがとう」米大統領への嘆願17万人に 辺野古と結ぶテレビ電話(沖縄タイムス) 

2019年1月6日 05:00 沖縄タイムス+プラス
 
 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、オール沖縄会議は5日、キャンプ・シュワブのゲート前で毎月第1土曜日の県民大行動を開き、主催者発表で千人が「県民投票で辺野古反対の民意を示そう」と気勢を上げた。集会では辺野古埋め立ての一時停止をトランプ米大統領に求める請願活動を始めたロブ・カジワラさん(32)らハワイの県系人と市民がネットのテレビ電話を通してエールを交換した。
 https://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/7/3/-/img_73ab87f074efa95d7577fcfe917ac01d77593.jpg
辺野古埋め立て作業の一時停止を求める請願活動を始めたロブ・カジワラさん(右手スクリーン内)の声に耳を傾ける市民=5日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
 
◆埋め立て停止要望◆
 
 「ハイサイ、グスーヨー」。テント前に設置されたスクリーンに映ったカジワラさんの第一声はしまくとぅば。市民からは「ありがとう」と拍手が起こった。
 
 5日現在、17万筆以上の署名が集まっている請願についてカジワラさんは「世界中にどれだけ支援者がいるか示したかった」と説明。請願に加え、政府関係者にも直接手紙を送り、埋め立て停止を要望している。
 
 「みなさんが辺野古で活動してくれることが世界のウチナーンチュの励み。例え請願活動でいい結果が出なくてもあきらめない。なぜなら私たちはウチナーンチュだから」と強調した。
 
 抗議の座り込みを続ける市辺野古の島袋文子さん(90)はスクリーンに向かい、「沖縄のために頑張ってくれてありがとう。私は負けません」と感謝を伝えた。
 
◆「世界中にいる」◆
 
 ハワイからはエリック和多さん(53)も発言。「沖縄と世界の人が一緒に請願活動できることはすばらしい。沖縄の声を日米両政府に表明し、両政府が間違ったことをしていると世界に示そう」とアピールした。
 
 集会に参加した沖縄市の非常勤講師、玉城福子さん(33)は「沖縄を支援したい人が世界中にいることが実際に感じられ、心強かった」と笑顔。沖縄平和運動センターの山城博治議長は「ウチナーンチュのふるさとを思う心に感動した。彼らの熱い思いに県民も応え、世界中にウチナーンチュの団結を見せつけよう」とさらなる署名を呼び掛けた。
 
 山城議長は請願に関し、8日午後4時から在沖米軍司令部のあるキャンプ瑞慶覧石平ゲート前で米国との連帯集会を開くとした。
 
 昨年12月の辺野古への土砂投入後初となった県民大行動では共同代表や国会議員、県議らが次々とマイクを握って投入に抗議したほか、県民投票の全市町村での実施などを求めた。
 
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/367943
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/822.html
[政治・選挙・NHK255] <社説>首相サンゴ移植発言 フェイク発信許されない(琉球新報)
2019年1月9日 06:01 琉球新報社説

 安倍晋三首相がNHK番組「日曜討論」で、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の埋め立てについて「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移している」と、事実と異なる発言をした。一国の首相が自らフェイク(うそ)の発信者となることは許されない。

 NHK解説副委員長の質問に対して首相は、土砂を投入している区域のサンゴは移植しており、砂浜に生息する絶滅危惧種を砂ごと移す努力もしていると述べた。これらは事実ではない。
 
 現在土砂が投入されている区域ではサンゴの移植は行われていない。埋め立て海域全体で約7万4千群体の移植が必要で、終わっているのは別の区域の9群体のみだ。他のサンゴ移植は沖縄県が許可していない。砂ごと生物を移す事業も実施していない。
 
 首相の発言は準備されていたはずである。簡単に確認でき、すぐに間違いと指摘されることを、なぜ堂々と言うのだろうか。県民の意向を無視し違法を重ねて強行している工事の実態から国民の目をそらすため、意図的に印象操作を図っているのではないか。
 
 首相は「全く新しく辺野古に基地を造ることを進めている」との誤解が国民にあると述べ「誤解を解かなければいけない」として、危険な普天間飛行場を返還するために辺野古に基地を造るのだと強調した。
 
 この点についても多くの疑問や批判が沖縄側から出されてきた。移設先が県内でなければならない理由はないこと、普天間にない軍港や弾薬庫などの機能が備えられること、新基地の完成時期が見通せないこと、完成しても普天間が返還される保証がないことなどだ。
 
 これらに対する説明を避けたまま、政府は普天間固定化か新基地かという身勝手な二者択一論を押し付けてきた。それが今回も繰り返された。
 
 政府首脳による事実と異なる発言はこれまでも続いてきた。菅義偉官房長官は普天間飛行場返還合意のきっかけを、少女乱暴事件ではなく事故だったと強弁し続けた。
 
 普天間飛行場の5年以内の運用停止について首相は「最大限努力する」と約束していたが、実現の見通しのない空手形だった。これも意図的なうそだったのではないか。
 
 首相が頻繁に口にし、今回も最後に述べた「沖縄の皆さんの気持ちに寄り添っていく」「理解を得るようさらに努力する」という言葉も、フェイクにしか聞こえない。
 
 今回、もう一つ問題があった。事前収録インタビューであるにもかかわらず、間違いとの指摘も批判もないまま公共の電波でそのまま流されたことだ。いったん放映されると訂正や取り消しをしても影響は残る。放送前に事実を確認し適切に対応すべきだったのではないか。放置すれば、放送局が政府の印象操作に加担する形になるからだ。
 
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/877.html
[政治・選挙・NHK256] 山城被告の長期勾留は「恣意的」 国連部会 (共同) / 「県民投票つぶしだ」保守系資料に憤る市民 (沖縄タイムス) 

山城被告の長期勾留は「恣意的」 国連部会、見解を政府に通知

共同通信社
2019/01/13 16:37
https://this.kiji.is/457086369153500257?c=39546741839462401

 【ジュネーブ共同】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動に伴い、器物損壊罪などに問われた反対派リーダー、山城博治被告が長期勾留されたことについて、国連の作業部会が「恣意的な拘束」に当たり、国際人権規約違反だとする見解を日本政府に伝えたことが13日、分かった。山城被告の無条件の釈放や補償などの救済措置実施を要請している。

 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の担当者は「見解は一方的な意見に基づき問題がある。政府として受け入れられない」と反論した。見解に法的拘束力はない。

 山城被告は2016~17年に3回逮捕され約5カ月間勾留された。


*** *** *** *** ***

「県民投票つぶしだ」 保守系資料に憤る市民 「都合の悪い投票権は奪うのか」

沖縄タイムス+プラス プレミアム 
2019年1月13日 18:00
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/371232

 12日までに沖縄タイムスが入手した、名護市辺野古の新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票を巡る保守系議員の勉強会資料。有効署名約9万3千筆を集めて成立した県民投票の予算案について、否決する根拠となった可能性があり、市民は「県民投票つぶしだ」と憤った。

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http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/234.html

[政治・選挙・NHK256] [拡散希望] 米ホワイトハウスの請願署名に続こう! 「沖縄県民投票」にすべての沖縄県民が等しく参加できるよう ・ ・ ・
 
20万筆を超えた米ホワイトハウスの請願署名に続こう! 「沖縄県民投票」にすべての沖縄県民が等しく参加できるように、沖縄県内の全市町村で実施されることを求めます。

発信者:shoichiro eto 
宛先:沖縄県内の全市町村議会および首長
Change.org (署名はこちら↓から)
https://www.change.org/p/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E5%86%85%E3%81%AE%E5%85%A8%E5%B8%82%E7%94%BA%E6%9D%91%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E9%A6%96%E9%95%B7-20%E4%B8%87%E7%AD%86%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%9F%E7%B1%B3%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AB%8B%E9%A1%98%E7%BD%B2%E5%90%8D%E3%81%AB%E7%B6%9A%E3%81%93%E3%81%86-%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E6%B0%91%E3%81%AB%E7%9C%8C%E6%B0%91%E6%8A%95%E7%A5%A8%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9%E3%82%92%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84
 
 
米軍基地建設のために辺野古沿岸部を埋め立てていいのかの賛否を問うため、2月24日に行われることになった「沖縄県民投票」が、6市が投開票の事務を行う予算を認めず、実施が危ぶまれています。
 
県民投票の実施を求める9万2848人の署名が集まり、これを受けて県議会は条例を制定しました。ひとつひとつ手続きを重ねて実施が決まったのにもかかわらず、このままでは住んでいる場所によって、投票権を行使できる人とできない人とが生まれることになります。
 
選挙によって選ばれた首長と議会が自治の車の両輪で、それを補い、地方政治の重要事項に住民の意思を直接反映させるために、県民投票などの仕組みが用意されています。このことからも、実施が決まった県民投票の機会を首長と議会が奪うことは、住民の意思を反映させることを拒むようなもので、日本に暮らす国民として看過するわけにはいきません。
 
米ホワイトハウスの請願書サイトで、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事中止を求める請願書に賛同する署名が20万筆を超えました。署名運動は日本国内でタレントのローラさんらが賛同を表明したほか、海外でも英ロックバンド「クイーン」のギタリスト、ブライアン・メイさんが署名を呼び掛けるなどの盛り上がりを見せ、世界的な注目を集めようとしています。この盛り上がりに続き、民主主義と地方自治を守るため、「沖縄県民投票」にすべての沖縄県民が等しく参加できるように、沖縄県内の全市町村で実施されることを求めます。
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/260.html

[政治・選挙・NHK256] 「政治の都合で一票奪わないで」 「辺野古」県民投票の会、元山代表がハンガーストライキ (琉球新報)
 
「政治の都合で一票奪わないで」 「辺野古」県民投票の会、元山代表がハンガーストライキ 宜野湾市役所前で請願書の署名も集める

琉球新報 2019年1月15日 11:46
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-861374.html
 
 沖縄県内5市の首長が名護市辺野古の埋め立て賛否を問う県民投票の事務を実施しない、もしくは回答を保留していることを受け、「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表(27)が15日午前8時から、宜野湾市役所前の広場で各首長に投票事務の実施を求める「ハンガーストライキ」を開始した。

 水だけを摂取しながら座り込み、各首長が県民投票への参加を表明するまで続ける。投票事務の実施を要請する請願書への署名も集める。

 同日午前、登庁する職員に「署名に応じてくれた10万人もの沖縄の人びとの思いを無にしないため、市長が参加表明するまで抗議の意を示すこととしました」などと記した紙を配り、市役所前でのハンガーストライキに理解を求めた。

 「投票権は民主主義の根幹であり、その生命線を奪うことは断じて許されない」などと書いた請願書は投票事務の実施が確定していない5市の首長宛て。

 署名は5市の住民に限らないで受け付ける。ストの様子は、今後インターネット上での動画中継も考えている。

 自身も宜野湾市民である元山代表は「県民みんなが一票を持ってるのに、なぜそれを政治の都合で奪えるのか。一市民として投票できないのは悔しい。県民みんなで投票がしたい」と主張。その上で「沖縄は基地問題などでハンガーストライキによって権利を獲得していった歴史がある。できることをやっていきたい」と語った。【琉球新報電子版】

***
 
(参考)
Hunger Strike for the Henoko Referendum
「県民投票への参加を求めるハンガーストライキ」(「辺野古」県民投票の会)
https://hungryforvote.net/?fbclid=IwAR16hss9sMWvUe3X7zewyegL9sbI1Y2KnqraoHO7J44GG3Fu_InvwN9FLNE
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/287.html

[政治・選挙・NHK256] 市民集会 市長と議会に抗議決議(八重山毎日) / 辺野古、土砂投入作業進む(琉球新報/沖縄タイムス)
 
市民集会 市長と議会に抗議決議
 
八重山毎日新聞社 2019年01月15日
http://www.y-mainichi.co.jp/news/34806/
 
辺野古賛否 県民投票実施を要求 市長に執行権行使求める
 
 辺野古米軍基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票を求める石垣市民の会(次呂久成崇・高嶺善伸共同代表)は14日夜、市民集会を大浜公民館で開き、不参加を表明した中山義隆市長と投票経費を否決した市議会に「間接民主主義の欠陥を補完する直接民主主義を否定するものだ」と抗議し、市民一人一人の意思を県民投票で示す機会を確保するよう強く要求する決議案を採択した。近く中山市長らに提出する。

 集会には約120人が参加。次呂久代表は「投票は県民一人一人が自らの政治的意思を表明し、県の意思形成に参加する機会を提供するもので、地方自治や民主主義の観点からも重要な意義を持つ。居住地によって投票できる者とできない者が生じることは極めて不平等だ。投票に賛成できない人は白票、棄権という選択肢もある。投票実施の拒否は、投票したいという意思表明の権利を奪うもので、激しい憤りを感じる。投票実施を強く求めていこう」と呼び掛けた。

 決議では、市議会に対し「間接民主主義のみを肯定し、特定の問題を市民、県民に問う直接民主主義を否定することは、選良として恥ずべき蛮行」、中山市長には「市議会の決定を理由に、予算原案を執行する権限を行使しないことは『市民の投票による意思表示』より『議会との関係』を優先することとなり、市民の投票の機会を奪うことになる」と批判。

 また、中山市長が「県民投票の結果が辺野古ノーであっても移設工事は止まらない」と発言したことについて「工事を止める、止めないを決めることは国や中山市長ではなく、市民、県民、国民であるべきだ。地方の住民の意思を否定する見識や発言は自治体の長として現に慎むべきだ」と指摘した。

 その上で中山市長には投票経費の原案執行権の行使を求めている。
 
 
***
  
辺野古、12日も土砂投入進む カヌー12艇で抗議
  
琉球新報 2019/01/12 14:06 
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-860455.html
 
【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で沖縄防衛局は12日、埋め立て予定地への土砂投入を進めた。
 
 午前8時半ごろ、土砂を積んだ台船が「K9」護岸に接岸した。土砂はトラックに移し替えられ、埋め立て予定地へと投入された。建設に反対する市民らはカヌー12艇と船2隻で台船に近づき、抗議した。
 
 静岡県から訪れ、海上の抗議活動に参加した田中綾子さん(84)は「基地を造るためにこんなにきれいな海が壊されるのはやるせない。民意を無視する政府に声が届くような抗議の方法も考えていかないといけない」と話した。【琉球新報電子版】
 
 
***

市民がカヌー12艇、船2隻で抗議 一時拘束

沖縄タイムス+プラス 2019年1月12日 12:28
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/371114

 名護市辺野古への新基地建設で、沖縄防衛局は12日、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部の埋め立て工事を続けた。土砂を台船から陸揚げする「K9」護岸周辺では建設に反対する市民がカヌー12艇、船2隻で抗議した。台船の接岸を防ごうとカヌーがフロートを越えて接近したが、海上保安官に一時拘束された。シュワブゲート前では、陸路の資材搬入は確認されていない。
 
 
***

辺野古、土砂投入作業進む ゲート前で怒りの抗議
 
琉球新報 2019年1月11日 12:21
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-859953.html
 
【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は11日午前、埋め立て予定区域への土砂投入の作業を進めた。
  
 「K9」護岸では、台船に積まれた土砂が重機によってトラックに積み替えられ、次々と基地内に運ばれた。
 
 米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、早朝から新基地建設に反対する市民らが抗議の声を上げた。午後0時までに、ゲート前から資材の搬入などは確認されなかった。
 
 滋賀県から初めて名護市辺野古を訪れた児島克博さん(34)は「沖縄の歴史を学び、基地を押しつける状況を現地で知った。沖縄の人たちは不屈の戦いをしているが、このままではいけないと怒りを感じた」と話した。【琉球新報電子版】
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/300.html

[政治・選挙・NHK256] 仏大統領、「黄色いデモ」に巻き返し 双方が支持競う「宣伝戦」に (産経)
産経ニュース 2019.1.28 19:02
https://www.sankei.com/world/news/190128/wor1901280016-n1.html
 
【パリ=三井美奈】 フランスのマクロン大統領が「黄色いベスト」の抗議デモに対し、巻き返し攻勢に出ている。15日に始まった地方住民との「国民討論会」は全国に拡大。パリでは27日、大統領支持派の呼びかけで約1万人がデモ行進した。「黄色いベスト」は抗議続行の構えだが、分裂の兆しも出ている。
 
 27日のデモは、「黄色いベスト」デモの暴徒化に対する抗議表明。参加者は赤いスカーフを着用し、「暴力はやめろ」と連呼した。付近で「黄色いベスト」のデモ隊が「マクロン辞めろ」と叫んで対抗したが、双方の衝突はなかった。
 
 大統領は15日以降、北部ウール県など3カ所で国民討論会に臨んだ。税制や民主主義のあり方をめぐって3月まで各地で意見を集約し、政策に反映させると公約している。
 
 だが、討論会は事実上、経済改革への理解を求める「説得集会」と化している。大統領は生活苦や減税の訴えに対し、「減税したら、福祉への歳出は増やせない」と反論。「富裕層に対する資産税を復活させればよい」という要求には、「資産税廃止は投資拡大のために必要だ。産業を活性化させ、雇用創出につなげられる」と訴えた。
 
 それでも、大統領が3~7時間、住民と膝をつき合わせて熱弁する姿は、「庶民離れ」という批判払拭には一定の効果を上げた。先週の世論調査で大統領の支持率は31%。20%台だった昨年末より改善した。一方、27日発表の調査では、「大統領は経済・社会政策を転換すべき」の意見は78%にのぼった。
 
 26日、11回目となった「黄色いベスト」の週末デモには、全国で約6万9千人が参加した。デモ隊の一部は「エリート政治からの脱却」を掲げて、5月の欧州議会選に候補を擁立すると表明した。
 
 これに対し、「勝手にやるな」との反発が出て、内部対立も表面化している。また、大統領の討論会に参加したデモ隊もいる。国民からの支持獲得をめぐり、「黄色いベスト」とマクロン政権の「宣伝戦」が白熱している。
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/841.html
[国際25] 焦る米国のベネズエラ転覆策動 石油暴落による混乱に乗じて反米政権を攻撃(長周新聞)
長周新聞 2019年2月14日
 
 国内経済の混乱が続く南米ベネズエラで、トランプ米政府が軍事介入を示唆し、大統領をすげ替えるための内政干渉を強めている。長きにわたって米国の「裏庭」といわれ、欧米の植民地支配に晒されてきた中南米において、新自由主義改革による収奪を拒否して政治・経済の自立を目指した「ボリバル革命」の成果を潰し、ふたたび対米従属へと逆戻りさせる動きがあらわれている。自国に従わないものには問答無用の制裁を課し、みずから困窮状態を作りながら「人道」を掲げて政権転覆を謀るという手口であり、事態がどのように推移するにせよ、そのなりふり構わぬ内政干渉への南米諸国の反発と国際的な批判は強まらざるを得ない。
   
 ベネズエラでは、反植民地政策を実行したチャベス大統領が死去(2013年3月)して以降、後継者であるニコラス・マドゥロ大統領が「21世紀型の社会主義」を掲げて国政の舵をとってきたが、米国の経済制裁を受けて国内経済は悪化の一途をたどってきた。
    
 その大きな引き金になったのが原油価格の暴落だ。現在、ベネズエラの原油確認埋蔵量は、サウジアラビアを抜いて世界最大規模を誇っている【棒グラフ参照】。1920年、オリノコ油田が発見されたことによって石油資源は外貨を稼ぐうえでの中心産業となったが、その収益の多くはベネズエラ石油公社(PDVSA)を操る寡頭支配勢力とその周囲をとり巻く中間層が独占し、国内で75%を占める貧困層の生活は貧しいままに置かれた。改革によって米石油メジャーの直接支配は排除されたものの、その後も蔓延する汚職と利権の拡大に国民の反感は高まり、1998年、史上最高の得票で大統領に就任したチャベスは、この石油利権にたかる利権構造を一掃し、収益の多くを医療や教育の無償化、社会保障の拡充、農地改革などの貧困層対策に注ぐ政策を進めた。2007年には100㌦を超えて高騰する原油価格を追い風にして、石油メジャーが介入を狙ってきたPDVSAをはじめとする主要産業の国有化に踏み切った。
  
 国際的には、米国が覇権拡大の道具としてきた新自由主義にもとづく米州自由貿易地域(FTAA)や国際通貨基金(IMF)に対抗し、米州ボリバリアーナ対抗政策(ALBA)を中心にした経済協定をキューバやボリビアと結んで新たな貿易圏の確立を目指し、石油をキューバに好条件に輸出するかわりに医師や教師などの人材を導入して国内改革にも力を入れた。2000年代にはブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイなど中南米各国に続続と左派政権が生まれ、南米12カ国の政治統合を進める南米諸国連合の結成にも繋がった。
 
 経済力の弱いカリブ海と中米の国国との間で「カリブ石油協力体制」を発足し、2006年には、ブラジル・アルゼンチン・ボリビアとともに、ベネズエラの石油や天然ガスを将来的に南米南部にまで送るパイプライン建設計画を打ち出してエネルギー統合を進め、欧米の石油メジャーの支配から脱却する道を強めた。これらの改革は、キューバを除くほとんどの国で、植民地時代の寡頭支配が続いてきた中南米の歴史的な要求を反映して推し進められたものといえる。
 
 自国の覇権を脅かすこれらの動きを憎悪する米国は、ベネズエラ国内の旧支配勢力と結託して過去21年間に6回の大統領選挙に対抗馬を立てたものの一度も勝つことができず、2002年には軍の一部によるクーデターをけしかけてチャベスを拘束したり、石油公社のゼネストを仕掛けるなど干渉を強め、昨年8月にはドローン爆弾によるマドゥロ大統領の暗殺未遂事件まで起こした。
 
 現在、急激に進んでいる原油安【折れ線グラフ参照】も制裁措置の一環といえる。投機マネーが暴れ回る原油先物市場は、ベネズエラなどが加盟するOPEC(石油輸出国機構)の価格支配力はすでに失われ、その価格はエクソン・モービルをはじめ原油市場のシェアを寡占している石油メジャー(大手6社のうち3社が米企業)と巨額の余剰マネーを握る投機筋が操作するものとなっている。急激に進んだ原油安は、これらの投機マネーが原油市場から一斉に引き揚げられたことを意味しており、米国内でのシェールオイル増産とあわせて、ベネズエラや中東で反米の旗を振るイランなどの産油国経済を揺さぶるものとなった。
 
 石油収益に依存してきたベネズエラにとって原油価格の暴落は大打撃となり、デフォルト(債務不履行)寸前になるほど国内経済は危機に直面した。さらに米国政府は、ベネズエラへの制裁を強め、経済の支柱である国営石油公社PDVSAを標的にした経済制裁を発動。同社による石油の輸出を禁じ、米国内の資産を凍結した。それによってベネズエラは年間110億㌦(約1兆2000億円)の輸出収入を失い、70億㌦(約7700億円)もの資産が凍結された。ボルトン米大統領補佐官は、米国以外の第3国にもベネズエラ産の原油の取引をしないよう働きかけ、金融大手もあいついでPDVSA債権の取引停止に踏み切った。
 
 ベネズエラ産の原油は硫黄分の多い重質油であるため、米国から輸入するナフサを加えて希釈しなければ製品化できないが、米国内の資産凍結によって輸入できず石油生産そのものが滞る事態となった。ラテンアメリカ地政学戦略センターは、これら制裁によってベネズエラが受けた損失は、2013年~17年で3500億㌦(約38兆5000億円)に上ると発表している。制裁と同時に米国の石油メジャーが、ベネズエラが保有するカリブ海の石油精製施設や輸送施設をあいついで封鎖、買収したことも指摘されている。
 
 制裁による物資不足と、自国通貨の価値を裏付ける石油の生産ができないなかで、ベネズエラ国内では物価高騰にともなうハイパーインフレが進行し、1月の物価上昇率が268万%にまで上った。年内には1000万%を超えるといわれ、国民は食料や医療品などの生活必需品も手に入らず、300万人が国外に脱出する事態にもなっている。米国政府は、これをチャベスやマドゥロ政府が進めた「反米社会主義」政策や、貧困層を救済する「バラ撒き」の結果であるとして批判を画一化し、日本の商業メディアもこれに追従しているが、そこに追い込んだ米国の関与を見過ごすわけにはいかない。ベネズエラ国内で起きている抗議デモは、チャベス以来の改革を否定するものでも、米国の介入を支持するものでもなく、むしろマドゥロ政府がこのような外圧の介入に有効に対抗できていないことに対する反発が大勢を占めていると現地のジャーナリストがのべている。
 
§ 露骨きわまる内政干渉 
 
 みずから作り出した混乱につけ込んでさらに介入を強めるトランプ米政府は、一昨年来、軍の一部を使ったクーデターを幾度も仕掛けてきた。だが、昨年1月の大統領選でマドゥロ大統領が再選されたため、国会で多数を占める野党が「野党の有力者が不当に排除された」「正統性がない」として再選挙を要求。親米路線への回帰を主張するグアイド国会議長が「暫定大統領」に名乗りを上げると、すぐさま米国政府は承認したうえ追加制裁を発動し、マドゥロ政府の退陣を要求した。
     
 このグアイド国会議長と米国との背後関係が暴露されている。グアイドは、ベネズエラのベロ・カトリック大学で機械工学を専攻した後、ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学で政治学を専攻し、2005年から翌年にかけてセルビアに本部がある「非暴力行動応用戦略センター(CANVAS)」でトレーニングを受けた経歴を持つ。CANVASは、旧ユーゴのミロシェビッチ体制を倒すために1998年に作られた運動体「オトポール(抵抗)!」から派生した組織で、アメリカ開発援助庁(USAID)や共和党国際研究所(IRI)、投資家ジョージ・ソロスが設立にかかわる政府系NGOの全米民主主義基金(NED)などからの資金援助を受けている。民主化要求運動の活動家を養成することを目的としているが、米国務省やCIAの指令を受けて世界各地で活動し、中央アジアでの「カラー革命」や中東の「アラブの春」などで、米国政府の意図に従って反米的な政府の転覆に関与してきたことが広く知られている。
 
 米国やEUのうち17カ国がグアイドを大統領として承認しているものの、現状ではグアイド自身が国内で承認されたという実体はなにもなく、グアイドが主張する「大統領不在時は国会議長が職務を代行する」という憲法の規定もでっち上げであることが明らかになっている。
      
 グアイドは「私が大統領になれば欧米からの支援物資が得られる」と国民に支持を呼びかけているが、制裁によって経済的困難に追い込み、その苦しみを利用して政治的主導権を奪うという手法は、イラクをはじめ世界各地で米国が使ってきた常套手段である。
    
 米国自身も直接関与を隠そうとしない。ボルトン大統領補佐官(安全保障担当相)は、「ベネズエラの広大な未開発の石油埋蔵量のため、ワシントンはカラカス(首都)での政治的成果(クーデター)に大きな投資をしている」「アメリカの石油会社にベネズエラへの投資と石油生産を可能にすることができれば、それは経済的にアメリカにとって大きな利益をもたらす」と放言し、これに対してベネズエラのアレアサ外相は「もはやワシントンはクーデターの黒幕というよりも、攻撃の前線に立ち、暴力を煽って従順なベネズエラ野党に命令を出している。証拠はあからさま過ぎて米国内ですら疑う人はない」と反論している。
  
 この露骨な内政干渉に対して、ロシア、中国、イラン、シリア、トルコ、ニカラグア、キューバ、ボリビアなどは、「ベネズエラの権力簒奪(さんだつ)を正当化している」と批判を強め、メキシコ、ウルグアイ、ローマ法王庁、国連事務総長、EUは、米国協調とは距離を置いて対話を呼びかけているが、米国政府は「対話の時は終わった」と拒否し、ベネズエラの隣国コロンビアにある7つの軍事共用基地への兵力派遣も示唆している。兵糧攻めにするだけでなく、軍事介入の可能性までちらつかせて恐怖心を与え、ベネズエラ国軍と政権の分裂を促そうと躍起になっているものの、それは米国がベネズエラ国内で民主的な政権転覆ができるほどの影響力を持たず、依拠する基盤が極めて脆弱であることを物語っている。
 
 米国の常軌を逸したベネズエラ介入は、世界最大の埋蔵量を誇るベネズエラの石油資源への利権回復とともに、金、ボーキサイト、天然ガス、淡水などの豊富な資源を略奪すること、さらに中南米・カリブ地域を自国の「裏庭」としてきた「モンロー宣言」(米大陸を米国の単独覇権とする)を復権させ、社会主義キューバへの包囲を強化して反米勢力を抑えつけること、自国の覇権を脅かす中国・ロシア・イラン・トルコなどの関係を断ち切る意図を背景にしたものにほかならない。
 
 ベネズエラ国内の深刻な困窮を作り出したのは、自国への服従を目的にした米国による制裁であり、「人道」や「民主主義」を主張するのなら制裁を解除し、主権を踏みにじる内政干渉をやめることが筋といえる。軍事的、経済的な圧力を行使して主権を奪いとる凶暴さは、世界中で覇権が縮小しつつある米国の焦りの裏返しでもある。力ずくの略奪は植民地支配とたたかってきたベネズエラを含む中南米の反発を強め、国際的にも米国の孤立を一層深めることは疑いない。
 

https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10884
 
  
 
 

米欧メディア情報のフィルターを通して記事を作成すると下のようになる。比較参考用に供します。
  
(以下、参考記事)  
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ベネズエラで10万人デモ、政権支持の中ロに変化の兆候
朝日新聞デジタル サンパウロ=岡田玄 2019年2月14日16時53分 有料記事
 
 マドゥロ大統領の独裁への反発が広がる南米ベネズエラの各地で12日に開かれた大規模な反政府集会は、現地報道によると10万人以上に膨らんだ。反政権側の勢いは強まっており、マドゥロ氏支持を表明してきたロシアや中国は微妙に立場を変え始めている模様だ。
 
 「マドゥロ退陣までデモをし続ける」。カラカスでの集会に参加した大学生マルコ・ロルダンさん(19)は語った。病院の近くに住むが薬がなく、死んでいく人と家族を毎日のように見る。「悲劇が日常だ。国を変えなければいけない」
 
 国民は食料や医薬品の不足に直面する。だが、マドゥロ政権は「汚染されており、食べれば体を壊す」「支援を装った侵略だ」などと主張し、米国からの人道支援物資の搬入を拒んでいる。暫定大統領を宣言したグアイド国会議長は「23日に物資は国に入る」と演説。軍に協力を求めるとともに、人道物資を止める政権への圧力を強めている。
 
 グアイド氏側はこれまで、米国…

残り:476文字/全文:864文字(サンパウロ=岡田玄)

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http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/450.html

[国際25] 新自由主義に対抗 反米の牙城となったベネズエラ 歴史的背景を見る(長周新聞)
長周新聞 2019年2月14日
 
 ベネズエラを含むラテンアメリカは、16世紀にスペインやポルトガルによって征服され、カリブ海では先住民がほぼ全滅して、それに代わる労働力としてアフリカから黒人奴隷が連れてこられた歴史がある。19世紀以降はアメリカが米墨戦争でメキシコの半分を、米西戦争でキューバとプエルトリコを奪いとり、その後も軍事介入をくり返して「アメリカの裏庭」にしてきた。さらに1950年代からは、そのアメリカが世界最初の新自由主義の実験場にしようと策動してきた地域である。長年にわたって残酷な搾取と抑圧、軍事政権による弾圧を経験してきたラテンアメリカの人人は、アメリカからの独立と民主主義を求めて立ち上がり、2000年代には反米左翼政府を次次と誕生させた。
 
 新自由主義の実験場としての歴史は、1970年代のチリに始まる。
 
 1970年、チリの大統領選で人民連合のアジェンデが勝利し、それまでアメリカが支配していた世界一の規模の銅鉱業をはじめとして、同国の経済の主要部分を国有化する方針を打ち出した。権益の喪失を恐れたアメリカは、CIAを送り込んでチリの軍隊を訓練したうえ、1973年9月11日に将軍ピノチェットにクーデターを起こさせ、アジェンデを殺害し政権を掌握した。同時に数万人の市民を拘束し、そのうち数千人をサッカースタジアムなどでみせしめに処刑した。
 
 続いてピノチェットは、ミルトン・フリードマンらアメリカのシカゴ学派をチリに招いた。フリードマンらは、50年代からチリの留学生を教育しては新自由主義の伝道者としてラテンアメリカ全域に派遣して、政権転覆後の経済運営を周到に準備していた。
 
 フリードマンは「ショック療法が必要」といって、銀行をはじめ500の国営企業の民営化、外国からの輸入自由化、医療や教育を中心にした公共支出の削減、パンなど生活必需品の価格統制の撤廃などをおこなった。公立学校はバウチャーとチャーター・スクールにとってかわられ、医療費は利用の都度の現金払いに変わり、幼稚園も墓地も民営化された。軍事政権がおこなった最初の政策の一つが学校での牛乳の配給停止だったが、その結果、授業中に失神する子どもが増え、学校にまったく来なくなってしまう子どもも少なくなかったという。
 
 それでも新自由主義は「チリに奇跡をもたらした」ともてはやされ、フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞した。
 
 しかし、それから10年たった80年代半ば、チリの対外累積債務は140億㌦にまで膨れ上がり、超インフレが襲い、失業率はアジェンデ政府下の10倍となる30%に達してチリ経済は破綻した。1988年には45%の国民が貧困ライン以下の生活を強いられる一方、上位10%の富裕層の収入は83%も増大した。
 
 70年代にはチリに続いてアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにもアメリカの支援を受けた軍事政権が成立し、新自由主義の実験場となった。アルゼンチンで軍事政権がまずおこなったのは、ストライキの禁止と雇用主に労働者を自由に解雇できる権利を与えることだった。多国籍企業を歓迎するために外資の出資制限も撤廃し、何百社もの国営企業を売却した。
 
 これらの軍事政権が民衆の反抗を押さえつけるために共通してとったのが、反体制派を拉致して「行方不明」にするやり方で、その背後ではCIAが暗躍していた。アルゼンチンの軍事政権下で行方不明になった人は3万人にのぼり、そのうち8割以上が16~18歳の若者だったといわれる。
 
 そして軍政の下で、大量の輸入製品を国内市場にあふれさせ、賃金を低く抑え、都合のいいときに労働者を解雇し、上がった利益は何の規制も受けずに本国に送金できたので、もっとも恩恵を受けたのはGMやフォード、クライスラー、メルセデス・ベンツなどの多国籍企業だった。
 

 § 80年代の中南米 累積債務危機とIMF管理
 
 1980年代に入ると、1982年のメキシコの債務返済猶予宣言を皮切りに、ラテンアメリカでは累積債務危機が爆発した。地域全体の累積債務の総額は、1975年の685億㌦から、1982年には3184億㌦へと急膨張した。
 
 ここでIMF(国際通貨基金)や世界銀行がラテンアメリカ諸国に押しつけたのが、構造調整計画と呼ばれる新自由主義政策だった。それは債務返済を最優先にさせるため、国内産業保護、外資の規制、社会福祉政策などを撤廃させ、規制緩和、自由化、民営化を各国に強制した。公務員の削減や社会保障支出の削減、増税や公共料金引き上げがおこなわれた。公共企業の民営化・外資への売却や貿易の自由化が進められた。
 
 その結果、80年代にはほとんどの国で経済成長がマイナスになり、国民経済は破壊された。80年から89年の間に、この地域の一人当たりの所得は15%低下し、都市部での最低賃金はペルーで74%、メキシコで50%低下した。失業者の総数は全労働者の約44%に達した。
 
 「失われた10年」と呼ばれたこの80年代をへて、90年代に入って米ソ二極構造が崩壊するなか、アメリカはラテンアメリカへの新自由主義政策に拍車をかけた。1990年、米大統領ブッシュが米州イニシアチブ構想を打ち出し、94年には米州自由貿易圏構想を発表した。
 
 だが、厳しい緊縮政策と民営化によって失業者は増大する一方、対外債務は減るどころか増加の一途をたどり、ラテンアメリカ全体で7000億㌦をこえた。1999年、この地域の貧困人口は43・8%にのぼり、改革の恩恵は一握りの富裕層に偏り、植民地時代にさかのぼるきわめて不平等な社会構造があらわれた。
 
 ベネズエラを見てみると、ペレス政府(1989~1993年)は、累積債務問題の解決といってIMFと合意書を交わし、緊縮財政政策を実行した。公共料金の大幅引き上げ、各種補助金の縮小・廃止、基礎生活物資(コメ、小麦粉、粉ミルク、医薬品など)の価格統制の廃止・自由化、付加価値税の導入などが短期間に進められ、国民生活に打撃を与えた。
 
 ペレス政府は1990年、政府管理下にあった三つの銀行を売却し、91年にはVIASA航空と国営電気通信会社CANTVを民営化した。CANTVに対しては、米電機メーカーGTEや電話会社AT&Tなどが地元企業と連合をくみ、出資比率40%で経営権を獲得した。
 
 価格自由化によって物価が2~3倍に高騰する一方、所得税の最高税率や輸入自動車の関税を引き下げた。89~98年のインフレ率は年平均53%にのぼった。貧困層が1982年の33・5%から、99年の67・3%へ増大し、そのうち半数以上が極貧層だった。1989年のバス運賃の大幅引き上げをきっかけに国民の不満が爆発し、1000人をこえる犠牲者を出したといわれるカラカソ大暴動が発生した。
 

 §§ バス料金の大幅値上げを契機にしたカラカソ暴動
 
 こうして新自由主義に反対するたたかいがラテンアメリカ全域に広がるなかで、1999年2月のベネズエラを皮切りに、2003年にブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアで、2004年にはウルグアイで、新自由主義と米州自由貿易圏を支持する親米政府があいついで打倒され、反米左翼政府が誕生した。
 
 なかでもラテンアメリカにおける新自由主義反対のシンボル的な存在になったのが、1998年の大統領選で、40年続いた二大政党制を打ち破って誕生したベネズエラのチャベス政府である。
 
 チャベスは、腐敗した寡頭支配層を批判して、これまで政治から疎外されてきた大衆の政治参加を訴え、またアメリカの支配からの独立、新自由主義反対、富の平等な分配と貧困の撲滅を訴えて、広範な大衆の支持を獲得して大統領に当選した。チャベスはこの変革をスペインの植民地支配からのラテンアメリカの独立を訴えたシモン・ボリバルの名を冠して「ボリバル革命」と呼んだ。
 
 チャベスは大統領に就任すると、国民投票で憲法制定会議を設立し、ボリバル革命を掲げた新憲法を制定した。それによって政策決定の過程に国民が直接参加できるようになり、議員のリコール制が導入された。大企業や大地主の農地が農民に分配され、国民には食料、教育、医療、職業が保障された。石油資源は国家の管理下におかれ、領土内に外国軍隊が入ることは禁止された。
 
 ベネズエラの主要産業は石油であり、輸出総額の約80%、国庫収入の約50%、国内総生産の25%を占める。80年代以降、多くの基幹産業部門が民営化されるなか、ベネズエラ石油公社は国営企業として残ったものの、米多国籍企業と結びついた大企業が経営権を握っていた。チャベス政府は経営陣を刷新し、政府が管理運営権を完全に掌握した。
 
 チャベス政府は直接民主主義を制度化し、政治に国民を参加させることをめざした。全国各地に200~400世帯を単位とする共同評議会をもうけた。共同評議会は予算を持ち、条例をつくることができ、地元の事柄について決定を下すことができる。また、教育、医療、食料助成、社会サービス、土地改革、環境保護などの社会開発計画への住民参加を制度化した。低所得者向けの住宅建設や医師の派遣、安価な基礎食料品の供給、低所得者向けの無料の食堂の運営、識字教育、失業者の職業訓練などがとりくまれた。
 
 こうした改革によって、GDPは2002年の920億㌦から2006年には1700億㌦と、4年間で倍近い増加となった。財政赤字やインフレが大きく改善され、失業率も1999年の16%から2006年には9・6%へと下がった。
 

 §§§ 米国排除して地域的統合へ
 
 ラテンアメリカのたたかいは、アメリカがNAFTA(北米自由貿易協定)を南北アメリカ大陸に拡大しようとした米州自由貿易圏構想を各国の反対で頓挫させ、ラテンアメリカ諸国民自身の力による真の地域的統合に向けたとりくみを発展させた。
 
 チャベス政府は、加盟国がアメリカとFTA(自由貿易協定)を結んだ3国グループ(G3。他の2国はメキシコとコロンビア)やCAN(アンデス共同体。コロンビアとペルーが対米FTA調印)から脱退し、2007年に南部南米共同市場(メルコスル)に加盟した。
 
 チャベス政府は石油資金を外交の武器に使い、同盟国キューバには好条件で石油を輸出するとともに、キューバからは医師や教師などの人材を多数導入して国内改革の力にした。2006年にはブラジル、アルゼンチン、ボリビアとともに、ベネズエラの石油と、同国およびボリビアの天然ガスを南米南部まで送るパイプライン網建設計画を打ち出し、アメリカの石油メジャーに対抗してラテンアメリカのエネルギー統合をめざした。
 
 また、アメリカが牛耳る米州開発銀行に対抗して、南米開発銀行を創設する構想を打ち出した。こうしたラテンアメリカ自身の立場を内外に知らせるため、キューバ、アルゼンチン、ウルグアイなどに働きかけて、2005年7月に国際テレビ放送網「テレ・スル」を発足させた。こうしたことはアメリカの南北アメリカ大陸支配に大打撃を与えた。
 
 戦後、アメリカは主権を持つ独立国の内政に干渉し、カネと軍事力で政府を転覆させ、新自由主義政策を押しつけるというやり方をくり返してきたが、それはことごとく失敗している。独立と民主主義を求める人人のたたかいに、さまざまな紆余曲折は避けられないが、そのたびに力を増していくことを押しとどめることはできない。
 
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10894
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/451.html
[政治・選挙・NHK257] 分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち(4) 「沖縄をなめるな」に若者たちが見せた連鎖反応 (東洋経済オンライン)
アイデンティティーに目覚め、立ち上がった沖縄の若い世代は「対話」というボールを投げかけた
(写真:Siberian Photographer/iStock)


分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち
【第4回】 「沖縄をなめるな」に若者たちが見せた連鎖反応

東洋経済オンライン 2019/02/19 16:00
辰濃 哲郎 : ノンフィクション作家

いま沖縄では、若い世代の動向に注目が集まっている。アメリカ軍基地に翻弄される苦難を味わってきた戦後世代とは別に、生まれたときから基地と共存してきた世代ゆえの葛藤を抱えた若者たち。辺野古新基地建設の是非を問う県民投票にこぎ着けた彼らの胸中を追いながら、苦悩する沖縄のいまを探る。


 沖縄で若者の政治参加が注目されるきっかけとなったのは、アメリカ軍の新基地が建設される辺野古の地元で争われた2018年2月の名護市長選だった。

 基地建設反対を掲げて3期目を目指す稲嶺(いなみね)進氏は敗れ、当選したのは、基地建設への態度を明らかにしていなかった政権与党の推す渡具知(とぐち)武豊氏だった。その選挙対策本部の青年部長を担っていたのは、当時は琉球大学4年生だった会社員の嘉陽(かよう)宗一郎さん(24歳)だった。

 名護市に生まれ、幼いころから選挙のたびに基地の是非が争点となっていた。街は賛成・反対に分断され、ギスギスする大人の対立を見て育った。理想としては、辺野古新基地建設には反対だ。だが、一方では街を活性化させることも大切だ。「究極のリアリスト」を自認する嘉陽さんは、いわば基地容認派だ。

 故・翁長雄志前知事が辺野古に反対していた理屈はわかる。だが、長い歴史を振り返ったときに、どうやっても覆らない政府の方針に逆らうより、生活を守るという現実的な選択も必要だと考えた。沖縄本島の北部に位置する名護市は、中部と比べて産業は衰退し人口も減っていた。稲嶺市政の8年間で街には閉塞感が漂い、とても活性化したとは思えなかった。

 嘉陽さんの言う閉塞感には、2通りの意味がある。1つは、基地建設反対にこだわるあまり、市民生活に関わる行政が停滞すること。もう1つは、基地をめぐる分断で、モノが言いづらい環境にある。彼自身、基地容認派というレッテルが貼られ、素直に話を聞いてもらえないこともあった。

■基地容認の青年部長が駆使したSNS

 嘉陽さんは大学生のころに、学生を集めるイベントを企画する団体を立ち上げた。各界で成功している著名人を集めての講演会を開き、若い人の離職率が高い沖縄でも夢を追いかけてほしいという狙いだ。ネットでブログやツイッターで発信し、フォロワーが3000人近くいる。

 名護市長選で渡具知陣営から青年部長として招かれたのは、若手のオピニオンリーダーとしての才覚を認められたからだ。政治に興味があったわけではないが、社会と関わっていくうちに政治を避けては通れなくなっていた。

 青年部長として手がけたのは、住みやすい街づくりだ。保育園の利用料が高い。ごみの収集料金も高い。学校給食や高校生までの医療費の無償化など、さまざまなテーマが浮かぶ。

 若い高校生や大学生を集めては、閉塞感を解消するためには何が必要かを話し合った。Wi-Fi環境の整備や遊戯施設などの誘致。これらを公約に加え、LINE(ライン)などのSNSで発信していく。定型的な選挙用語ではなく、候補者の素顔を若者の言葉で動画や写真で拡散していく。いつの間にか若者の熱意がうねりとなって広がっていった。

 投票日4日前、青年部長として選挙カーでマイクを握る嘉陽さんのスピーチは、とても大学生とは思えないほど堂々としていた。

 「今日は皆さんのお手持ちのiPhone、これで動画や写真を撮っていただく。それをどんどんどんどん拡散してください。この思いをどんどん広げて新しい名護市をつくっちゃいましょうよ!  名護、変わりますよ!」

 ここでもSNSでの拡散を呼びかけた。

 選挙前は劣勢が伝えられていた渡具知氏だが、2月4日の投票日、約3500票の差をつけての当選が決まった。

 選挙後、稲嶺陣営で選挙を手伝っていた男性(68歳)が感想を漏らす。

 「チラシを配っていても、若い人の反応が鈍かった。稲嶺陣営にも若者はいたが、選挙対策本部の中枢がツイッターやLINEの重要性や効果を過小評価していた」

 翁長前知事の急逝に伴い昨年9月に実施された県知事選で、嘉陽さんは政府の推す佐喜眞淳候補の青年部長の要職に就いた。翁長氏の後継で辺野古新基地反対を掲げる玉城デニー現知事と一騎打ちだ。

■玉城デニー氏の勝利の要因は

 玉城陣営の若い世代の支援者の中心に、徳森りまさん(31歳)がいた。辺野古への土砂投入の日に風船を持っていき、「私たちは辺野古の海に愛を投入しまーす」と叫んだことを、この連載2回目で紹介した。8月まで海外で仕事をしていたが、帰国直後から玉城陣営の青年局を手伝った。

 玉城陣営の選対は急逝した翁長前知事の弔い合戦と、辺野古反対の2つを選挙戦の柱にしていた。だが、玉城陣営が用意した翁長氏の遺影は病気でやせ細り、むしろ痛々しい。翁長氏の急死でショックを受けている県民には、むしろ逆効果に思えた。

 辺野古をめぐる対立に辟易としている県民も少なくない。元からの支持者であれば、それもありだが、無党派層は取り込めないと彼女は考えた。集会や演説会に足を運んでくれない人たちの支持を獲得するためには、何が必要か。

 彼女は若い世代とともに、玉城候補とはどんな人か。何をしてくれるのか。信用できるのか、などの疑問に答える情報を発信することに専念した。クラブを借り切った若者の集会に参加した玉城氏や、ギターを抱えて歌う姿をSNSで拡散した。

 沖縄では、道路沿いに立って車の運転手に手を振るスタンディングという選挙戦術がある。年配者は「ストップ辺野古」「安倍政権を許さない」など直接的で硬いプラカードを掲げる人が多いが、そのたびに「沖縄の未来を明るく」などの柔らかい標語に替えてもらった。

 候補者の演説する場所も、従来は「ポイント演説」などと呼ばれていたが、SNSでは「トークライブが見られますよ」など、興味のない人でも出かけていきやすい表現に変えて発信した。幾度となく陣営の選挙プロと衝突したが、最後は任せてもらえるようになった。LINEのアカウントへの登録は9000人に達し、候補自身のツイッターには2万人のフォロワーがつくようになった。

 9月30日の投開票日。玉城氏は39万票を超える過去最多の票を獲得、自民党、公明党が推す候補に約8万票の大差をつけて当選した。地元紙の世論調査の結果からも、ほぼ互角の戦いとみられていたが、フタを開けてみれば浮動票が大量に流れ込んできたのは、若い世代の雰囲気づくりに負うところが大きい。

 徳森さんたち若い世代を取材していて、感じたことがある。政治に関わる若者も、そうでない若者も総じてウチナーンチュとしての誇りを持っていることだ。

 海外や県外で沖縄の置かれた理不尽な状況に思いをいたし、アイデンティティーに目覚めて声を上げ始めた。これは基地容認派の嘉陽さんとて同じだ。基地問題に引きずられるより、生活や経済をより重視するのは郷土を愛するがゆえだ。

 そして、戦後世代との大きな違いは、本土(ヤマト)の人間に対する意識だろう。戦後世代はヤマトに対し苦言を呈することを躊躇するのに対して、若い世代には、ためらいがない。

■「沖縄をなめんなよ!」と鼓舞

 徳森さんの分析には説得力がある。

 「それは、私たちがコンプレックスを知らない世代だからだと思う」

 シニア世代は長いこと、目に見える差別を受けてきた。沖縄戦では日本兵にスパイ扱いされたり、避難していた壕を追われたりした経験から、本土に対するトラウマがある。

 戦後もアメリカ軍基地がヤマトから移転してくるなど構造的な差別感を味わっただけでなく、ヤマトに行けば方言や島育ちということで侮蔑された経験を持つ世代だ。アメリカ軍基地を押し付けられることにあらがいながらも、その矛先はけっしてヤマトには向けない。

 その理由の1つには、アメリカ軍基地が他県に移設されたら、その土地の住民に自分たちと同じ思いさせてしまうことがはばかられたからだ。もう1つ、ヤマトに対してモノを言えない劣等感の裏返しでもあるというのだ。

 これに対して若い世代は標準語も使いこなせるし、安室奈美恵さんを筆頭とする県出身のアーティストらの出現で、「沖縄出身」が憧れの対象となり差別を受けた経験がない。ヤマトに向けても堂々と対話を持ちかけることができる素地につながっている。

 沖縄の保守の政治家で正面切って「ヤマト」に対する感情を直截に表現したのは、最近では前知事の翁長氏くらいかもしれない。保守対革新で争うより、ウチナーンチュの誇りで団結しようと「イデオロギーよりアイデンティティー」を呼びかけ、2015年の県民大会で辺野古新基地建設を推進する政府を非難するスピーチを繰り広げた。

 沖縄にアメリカ軍専用施設の7割が集中する。その一部を返還することが決まったら、その代わりを県内から探せという理不尽な要求に対して、翁長氏は「私はこのことを日本の政治の堕落だと言っているわけであります」と一刀両断に切り捨てた。そして、最後に右手のこぶしを上げ、こう叫んだ。

 「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」

 もちろん原稿にはなかった言葉だ。翁長氏は、その方言の意味合いについて「沖縄をないがしろにしてはいけない」と説明したが、年配のウチナーンチュに尋ねてみると、そんな生易しい言葉ではなかった。

 「沖縄をなめんなよ、という意味合いですよ」

 それがいまでも県民の間で語り継がれているのは、それだけ魂を揺さぶられるフレーズだったからだ。沖縄のプライドを表顕した「なめんなよ」は、実は政府に対してだけでなく、国民に向けたものでもある。それまで無関心を装ったり、諦めたりしていた沖縄の若い世代が政治に目を向け始めたきっかけともなったという話を、何人もの若者から聞いた。

■本土への怒り? 「あるよ」

 その翁長氏が那覇市長時代の2012年に始めたのが、ハイサイ運動推進計画だ。沖縄各地の方言である島言葉(シマクトゥバ)を大切に伝承することによって、ウチナーンチュとしての誇りを抱いてほしいという狙いだという。

 いま、それを実践しているのが徳森さんら若い世代だ。集会やイベントでマイクを握ったとき、必ず冒頭に方言で挨拶をする。

 「ワンネー 〇〇〇〇 ヤイビーン。 ユタサルグトゥ ウニゲーサビラ」(私は、〇〇〇〇と申します。よろしくお願い致します)

 その翁長氏の申し子たちが、ヤマトに向かって発信を始めている。

連載2回目「沖縄の若者が『戦後世代』との間に見る高い壁」(2019年2月3日配信)で紹介した三味線を弾く金城海斗さん(25歳、仮名)が、あの辺野古への土砂投入の晩、Facebookに投稿した文章だ。

 「沖縄で生きているおれらだって国と対峙したいわけじゃない。基地問題は沖縄の問題じゃなくて、日本全体の問題っていうあたりまえの話がしたいだけ。どういう手段で伝えていけばいいのかずっと考えてるけど、さすがに限界を超える。『沖縄に住んでいないから。当事者じゃないから』って理由で無意識に他人事としないでほしい。

 当事者は辺野古でも、名護市でも、沖縄県だけでもない。『安全保障のため』とうたって正当化するアメリカ軍基地は日本に住んでいる全ての人が当事者であって、考えなくちゃいけないことを忘れないで欲しい」(原文のママ)

 ヤマトの人たちに、思いをぶつける投稿をするのは初めてだ。政府が安全保障を理由に「辺野古」にこだわるなら、沖縄だけで考えるのは、あまりに理不尽だと思った。投稿に対するリアクションの1つに「沖縄、負けるなよ」というメッセージがあった。「負けるなよ?  違うだろ。日本全体の問題であることを、本土の人たちは忘れている」。

 その彼と宜野湾市内の中華料理屋で会ったとき、こう尋ねてみた。

 「本土に対する怒りはある?」

 ラーメンをすすりっていた彼は、顔を上げて少し考えてから答えた。

 「あるよ」

 彼の思いがヤマトに届くのか、逆に分断を深めてしまうのか。それは本土の受け止め方にかかっている。

 そして最後に、その「本土側」で、どうしても書いておきたい人物がいる。

 東京から2年半前に沖縄にやってきた大袈裟太郎さん(36歳)という男だ。

 大袈裟太郎は本名ではない。職業もジャーナリストと呼んでいいのか、私には判断できない。だがこの間、辺野古だけでなく、アメリカ軍のヘリパット建設への反対運動が起きている本島北部の東村(ひがしそん)の高江地区に通って、動画を撮り続けている。ツイッターやFacebookでレポートとともに拡散し、OOGESATAROjournalと題したブログも手掛けている。

 2月7日現在、ブログには1265回目の報告が掲載されていて、そのフォロワーは約1万2000人に達する。基地反対を掲げる運動家だけではなく、基地容認派にも知られた存在だ。

 かつて東京では、浅草で人力車を走らせて生計を立てるラッパーだった。政治に関心もなく、投票にも行ったことがなかった。

■「人力車引いている場合じゃない」

 東日本大震災のあった2011年3月11日、福島第1原子力発電所が爆発して放射線が東日本を覆った。「国は原発って安全って言ってたんじゃないのかよ」。

 無条件で信じてきた国の施策に疑問を持つようになったのは、それからだ。2016年の参院選でミュージシャンの仲間が東京選挙区に立候補した選挙を初めて手伝い、社会の矛盾に目を向けるようになった。直後に神奈川県相模原市の障がい者施設で45人が殺傷される事件が起きた。彼は当時を振り返ってブログにこう書いている。

 「時代が傾いていくのを痛切に感じた。ありふれた日常が奪われていくのを感じた。人力車をやっている場合じゃないと思った」

 社会のために何かできることは、と自問していたときに仲間から促されて高江に動画を撮りにいくことになった。初めの約束は10日間だったが、滞在は延びていく。高江の森で警察官に排除される住民を目の当たりにして、東京で報道されていることと現実との格差に驚く。

 第一に、高江のことなど大手新聞社はほとんど報じていないばかりか、ネット上では「地元の住民にとって抗議行動は迷惑だ」「左翼活動家が日当をもらって参加している」などのデマが横行していた。だが、そこに座り込みを続けて警察官に強制排除されているのは、ついさっきまで農作業をしていた地元のお年寄りなのだ。

 このギャップを埋めるために、動画を撮り続ける決意を固めた。そうしなければ、この場で起きていることが、ないことにされてしまう。そんな焦燥感に駆られた。その年の12月、名護市にアパートに住み始めた。

 2017年10月、高江近くの海岸にアメリカ軍ヘリが不時着して機体が大破する事故があったときも、いち早く駆け付けた。米兵に現場から離れろと怒鳴られながらも写真や動画を撮り続けた。その写真をSNSで拡散すると、後日、高江に住むおばぁと会ったとき、いきなり抱き締められた。拡散した写真をプリントアウトして持っていたのだ。そのときのおばぁの言葉が忘れられない。

 「フィルムを隠しておきなさい」

 フィルムなど存在しないのだが、それより、証拠写真を隠さねばならないという発想が悲しかった。この世代の人たちは、どれだけ抑圧されてきたのか。

 彼のブログにこんな動画があった。

 辺野古の座り込みの現場で、沖縄県警が強制排除に乗り出している。大勢の機動隊員が座り込んでいるお年寄りを取り囲み、緊迫した空気が漂っている。合図とともに、機動隊員が自分の親や祖父母くらいのお年寄りの手足を担いで移動させる。みんな無抵抗だ。ウチナーンチュ同士、お互いつらいに違いない。

 本当の加害者はそこにはいないのに、どこにもぶつけられない怒りが渦巻いていく。まさしく、分断を象徴する場面だった。大袈裟さんは頭に取り付けた小型カメラで撮影しながら、周囲の機動隊員一人ひとりに声を掛けて回る。

 「お巡りさん、やめましょう。こんなこと、やりたくないでしょう!」

 「仕事上の立場だからわかるけど、話し合いたい」

■機動隊員の涙に「あんただって泣いてる!」

 だが、どの機動隊員も返事ひとつ返さない。マスクとサングラスをした機動隊員が、ビデオカメラを回している。大袈裟さんの真ん前に立って至近距離から映している。大袈裟さんは、語り掛けた。「お巡りさんだって、いやでしょう」。相手は一言も発しない。正面から向かい合ってお互いを撮り続ける。次の瞬間だ。大袈裟さんが泣き声になる。

 「お巡りさん、泣いてるじゃないか!」

 機動隊員がサングラスの奥で涙を流しているのが見えたのだ。大袈裟さんの絶叫する声が聞こえる。

 「あんた、だって泣いてる!  うわーー、うわーー」

 嗚咽する声はしばらく続いた。

 県民に分断をさせている責任の一端は、本土の人間にあることを突きつけられる映像だ。

 彼の行為は、ジャーナリストであれば躊躇する一線をはるかに超えているだろう。だが、おじぃやおばぁ、それに運動体と一体となったからこそ撮れる映像があるのも確かだ。何より、彼ほど「現場」にこだわって撮り続けている人はいない。ネット社会が生んだ新しい形の市民派ジャーナリストなのかもしれない。

■新世代に負わされた課題

 撮り続ける原動力を、大袈裟さんに尋ねると、こう答えた。

 「本土の人間としての贖罪(しょくざい)ですかねえ。せめて本土との懸け橋になればと思って」

 その大袈裟さん、名護に移り住んで2年になる。当初、ネット空間で政治的な発言をしている若者は10人もいなかった。

 それが、名護市長選以降だろうか。次々とSNSで発信を始めている。ネトウヨの誹謗中傷に対して、これまで静観していた若者が、それに反旗を翻すことも増えてきた。県知事選では、彼らの動きが玉城氏のイメージをつくりあげ、新たなムーブメントで盛り上げて当選に導いたことを彼はレンズを通して見守ってきた。

 その代表格である「辺野古」県民の会の元山仁士郎さん(27歳)が今年1月15日、ハンガーストライキを宜野湾市役所前で始めた。大袈裟さんは連日通って撮り続けた。

 「彼ら新世代は、対立や分断化された社会を乗り越えなければならないという、旧世代にはない課題を背負わされている。それを打開するのには対話しかないことを彼らは知っている。その手始めが、このハンストでしょうかね」

 アイデンティティーに目覚め、立ち上がった若い世代は、まだまだ一握りでしかない。基地容認派と反対派、世代間、そして沖縄と本土といういくつもの分断を乗り越えるために、沖縄の若い世代は「対話」というボールを投げかけた。

https://toyokeizai.net/articles/-/266219


【第1回】 沖縄の彼女が波風立てても世に伝えたいこと (2019年1月30日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/262859
【第2回】 沖縄の若者が「戦後世代」との間に見る高い壁 (2019年2月3日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/263804
【第3回】 沖縄の世論を動かした若者たちの断固たる行動 (2019年2月10日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/264863
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/706.html

[政治・選挙・NHK257] 官邸の申し入れ9回 「質問制限」問題を東京新聞が検証 (朝日新聞)

官邸の申し入れ9回 「質問制限」問題を東京新聞が検証
朝日新聞デジタル 2019年2月20日21時05分

 官房長官会見での東京新聞記者の質問に事実誤認があるとして、首相官邸が記者クラブ「内閣記者会」に「問題意識の共有」を求めた問題で、東京新聞は20日朝刊に「検証と見解」とする1ページの特集を掲載。この記者の質問をめぐり、2017年8月から今年1月までの間に、官邸から9回の申し入れを受けたとし、その内容と回答の一部を明らかにした。

 検証記事によると、18年6月、記者が森友学園の国有地売却を巡る文書改ざん問題について「メモがあるかどうかの調査をしていただきたい」と尋ねた際、同社に「記者会見は官房長官に要請できる場と考えるか」と文書で質問があった。「記者は国民の代表として質問に臨んでいる。特に問題ない」などと回答すると、「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員。貴社は民間企業であり、会見に出る記者は貴社内の人事で定められている」と反論があった、という。

 同年11月には、改正出入国管理法の国会成立の際、「強行に採決が行われましたが」と記者が質問。これに対し、「採決は野党の議員も出席した上で行われたことから、『強行に採決』は明らかに事実に反する」と抗議を受けた。同社は回答しなかったという。検証記事では「他の新聞や通信社も『採決を強行した』と表現しており、過剰な反応と言わざるを得ない」と批判した。ただ、申し入れの一部には、記者に事実誤認や言い間違いがあった、との趣旨の回答をした、としている。

 また、一昨年秋以来、記者が質問中に進行役の報道室長から「簡潔にお願いします」などとせかされたとも指摘。今年1月に官邸側に「事務方の催促は最小限にしてほしい」と伝えたが、その後も同じ状況が続き、1月24日の会見では、1分半ほどの間に計7回遮られた、としている。

 特集では臼田信行・編集局長が署名記事で、「権力が認めた『事実』。それに基づく質問でなければ受け付けないというのなら、すでに取材規制だ」「記者会見は民主主義の根幹である国民の『知る権利』に応えるための重要な機会だ。だからこそ、権力が記者の質問を妨げたり規制したりすることなどあってはならない」などと訴えた。

 同紙は19日の社説でも「事実誤認と考えるなら、会見の場で事実関係を提示し、否定すれば済むだけの話だ」「権力を監視し、政府が隠そうとする事実を明らかにするのは報道機関の使命だ」などと主張した。

 菅義偉官房長官は20日の会見で、「申し入れをまとめたと思われる表の中で、両者の間のいくつかの重要なやりとりが掲載をされていないなど、個人的には違和感を覚える所もある」と述べた。「違和感」を覚えるとした箇所については「政府としていちいちコメントすることは控えたい。東京新聞側はよくお分かりになっているのではないか」と話した。

 東京新聞編集局は20日、朝日新聞の取材に「20日朝刊紙面で、概要を示しています。菅官房長官は『いくつかの重要なやり取り』が何であるかを示しておらず、何を言いたいのか理解に苦しみます」と回答した。

http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/740.html
[政治・選挙・NHK257] ベネズエラ情勢に関する有識者の緊急声明 「ベネズエラのための緊急声明2019」(長周新聞)
長周新聞 2019年2月25日

 ベネズエラ情勢が緊迫するなかで日本の有識者が「ベネズエラ情勢に関する有識者の緊急声明」を発表し、21日に記者会見をおこなった。「ベネズエラのための緊急声明2019」というホームページを立ち上げ賛同署名を募り、駐日ベネズエラ大使館に届けるという。以下、声明文を紹介する。

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ベネズエラ情勢に関する有識者の緊急声明
~国際社会に主権と国際規範の尊重を求める~
2019年2月21日  東京

ベネズエラ情勢が緊迫している。現マドゥーロ政権に反発するグアイドー国会議長が1月23日街頭デモ中に「暫定大統領」に名乗りを上げ、米国とEU諸国がただちにこれを承認するという異常事態が発生した。米国政府は軍事介入も仄めかしてマドゥーロ大統領に退陣を迫っている。世界の主要メディアはこうした事態を、「独裁」に対抗する「野党勢力」、それによる二重権力状況といった構図で伝えている。
 
見かけはそうなっている。だが、すでに干渉によって進められた国内分裂を口実に、一国の政権の転覆が目論まれているということではないのか。米国が主張する「人道支援」は前世紀末のコソボ紛争以来、軍事介入の露払いとなってきた。イラクやその後のシリアへの軍事介入も、結局は中東の広範な地域を無秩序の混迷に陥れ、地域の人びとの生活基盤を根こそぎ奪うことになり、今日の「難民問題」の主要な原因ともなってきた。
 
「民主化」や「人道支援」やの名の下での主権侵害が、ベネズエラの社会的亀裂を助長し増幅している。それは明らかに国際法違反であり国連憲章にも背馳している。ベネズエラへの「支援」は同国の自立を支える方向でなされるべきである。
 
この状況には既視感がある。1973年9月のチリのクーデターである。「裏庭」たる南米に社会主義の浸透を許さないとする米国は、チリの軍部を使嗾してアジェンデ政権を転覆し、その後20年にわたってチリ社会をピノチェト将軍の暗黒支配のもとに置くことになった。米国はその強権下に市場開放論者たちを送り込み、チリ社会を改造して新自由主義経済圏に組み込んだのである。
 
ベネズエラでは1999年に積年の「親米」体制からの自立を目指すチャベス政権が成立した。チャベス大統領は、欧米の石油メジャーの統制下にあった石油資源を国民に役立てるべきものとして、その収益で貧民層の生活改善に着手、無料医療制度を作り、土地を収用して農地改革を進めるなど、民衆基盤の社会改革を推進した。その政策に富裕層や既得権層は反発し、米国は彼らの「自由」が奪われているとして、チャベスを「独裁」だと批判し、2002年には財界人を押し立てた軍のクーデターを演出した。だがこれは、「チャベスを返せ」と呼号して首都の街頭を埋めた大群衆の前に、わずか2日で失敗に終わった。それでもこのとき、欧米メディアは「反政府デモの弾圧」(後で捏造と分かった)を批判したのが思い起こされる。
 
ここ数年の石油価格の下落と、米国や英国が主導する経済封鎖措置や既得権層の妨害活動のため、ベネズエラでは経済社会的困難が深刻化している。マドゥーロ政権はその対策に苦慮し、政府批判や反政府暴力の激化を抑えるため、ときに「強権的」手法に訴えざるを得なくなっている。米国は制裁を重ねてこの状況に追い打ちをかけ、過激な野党勢力に肩入れし「支援」を口実に介入しようとしている。だが、国際社会を巻き込むこの「支援介入」の下に透けて見えるのは、南米に「反米」政権の存在を許さないという、モンロー主義以来の合州国の一貫した勢力圏意志である。
 
対立はベネズエラ国内にあるが、それを根底で規定する対立はベネズエラと米国の間にある。チャベス路線(ボリバル主義)と米国の経済支配との対立である。数々の干渉と軍事介入が焦点化されるのはそのためだ。それを「独裁に抗する市民」といった構図にして国際世論を誘導するのはこの間の米国の常套手段であり、とりわけフェイク・ニュースがまかり通る時代を体現するトランプ米大統領の下、南米でこの手法があからさまに使われている。そのスローガンは「アメリカ・ファースト」ではなかったか。国際社会、とりわけそこで情報提供するメディアは、安易な図式に従うことなく、何が起きているのかを歴史的な事情を踏まえて評価すべきだろう。さもなければ、いま再び世界の一角に不幸と荒廃を招き寄せることになるだろう。
 
わたしたちは、本声明をもって日本の市民と政府、とりわけメディア関係者に以下を呼びかける。
 
▼ベネズエラの事態を注視し、独立国の主権の尊重と内政不干渉という国際規範に則った対応を求める。
▼国際社会は、ベネズエラが対話によって国内分断を克服するための支援をすることを求める。
(メキシコ、ウルグアイ、カリブ海諸国、アフリカ連合等の国々の仲介の姿勢を支持する)
▼ベネズエラの困難と分断を生み出している大国による経済封鎖・制裁の解除を求める。
▼メディア機関が大国の「語り」を検証しつつ事実に基づいた報道をすることを求める。


呼びかけ人

 伊高浩昭(ラテンアメリカ研究)
 市田良彦(社会思想・神戸大学)
 印鑰智哉(食・農アドバイザー)
 岡部廣治(ラテンアメリカ現代史・元津田塾大学教授)
 小倉英敬(ラテンアメリカ現代史・神奈川大学)
*勝俣誠(国際政治経済学・明治学院大学名誉教授)
 清宮美稚子(『世界』前編集長)
 黒沢惟昭(教育学・元東京学芸大学)
 後藤政子(ラテンアメリカ現代史・神奈川大学名誉教授)
*桜井均(元NHKプロデューサー)
*新藤通弘(ラテンアメリカ研究)
 高原孝生(国際政治学・明治学院大学教授)
 田中靖宏(AALA:日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会代表理事)
 中山智香子(経済思想、東京外国語大学)
 中野真紀子(デモクラシー・ナウ・ジャパン)
*西谷修(思想史、立教大学)
 乗松聡子(ピース・フィロゾフィーセンター)
 松村真澄(ピースボート国際部・ラテンアメリカ担当)
 武者小路公秀(元国連大学副学長)
 臺 宏士(元毎日新聞・ジャーナリスト)
 森広泰平(アジア記者クラブ代表委員)
 八木啓代(ラテン歌手、作家、ジャーナリスト)
 山田厚史(デモクラシー・タイムズ)
 吉岡達也(ピースボート共同代表)
 吉原功(社会学・明治学院大学名誉教授)
 六本木栄二(在南米ジャーナリスト・メディアコーディネーター) 

26名 *印は世話人

※以下で賛同署名を募っています。駐日ベネズエラ大使館に届けます。
http://for-venezuela-2019-jp.strikingly.com/

https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10988



(参考)

Statement English version

Emergency Statement on the Situation in Venezuela by Experts
- Calling on International Society to Respect for Sovereignty and International Norms
February 21, 2019 Tokyo

The situation in Venezuela is tense. The abnormal state occurred that Guaido, the head of the National Assembly, who opposes the current Maduro regime declared himself as "interim president” during the street demonstration on January 23, and the United States and the EU countries immediately approve this. The US government is pressing for President Maduro to retreat implying military intervention. The major media in the world reports such a situation as the schema of "opposition power forces" against "dictatorship" and the status of dual power caused by it.

Although it looks so, is not it that the subversion of a country's government is contemplated with the pretext of domestic division advanced by prior interference? Since the Kosovo conflict at the end of the last century, the "humanitarian assistance" claimed by the United States has led the way of military intervention. Military intervention in Iraq and later in Syria also eventually led to disorderly confusion in the wide region of the Middle East, depriving people living in the region of their life base, which is the major cause of today's "refugee problem”.

Violation of sovereignty under the name of "democratization" or "humanitarian assistance" is promoting and amplifying social cracks in Venezuela. It is clearly a violation of international law and is also inconsistent with the Charter of the United Nations. "Support" to Venezuela should be in the way to sustain independence of the country.

This situation gives us a sense of deja vu. It is the coup d'etat in Chile in September 1973. The United States did not allow the penetration of socialism in South America as the United States regarded South America as their “backyard”, and overthrew the Agende regime by using the military of Chile and put Chilean society under the dark rule of General Pinochet for the following 20 years. The United States sent advocates of market liberalization to Chile under the dictatorship and remodeled Chile society to incorporate it into neo-liberal economic zones.

In Venezuela the Chávez regime was established in 1999 aiming for the independent from the long-standing “pro-Amerian" orientation. President Chávez, believing that people should make use of oil resources, which had been under the control of European and American oil major, promoted social reform for people such as the improvement of the living conditions of the poor by the profit from oil, free medical system, and farmland reform by expropriation. The wealthy and the holders of vested right opposed to the policy and the United States criticized Chávez as "dictatorship" insisting that their "freedom" was deprived, and directed in 2002 the military coup to support the business persons. But it lasted only two days and ended up in failure by confronting the large crowd who filled the street of the capital and called "return Chávez”. It is recalled that Western media at that time criticized "repression of anti-government demonstrations" (later known as forged).

In recent years, economic and social difficulties are exacerbating in Venezuela due to declines in oil prices and economic blockade measures led by the United States and the UK and disturbance activities by the holders of vested interests. The Maduro regime is having trouble with its measures and is forced to appeal to the "despotic" approach sometimes in order to suppress government criticism and intensification of anti-government violence. The United States is trying to overthrow this situation by sanctioning repeatedly and is trying to intervene under the pretext of “support” by backing up he extreme opposition party forces. However, what can be seen under this "support intervention" involving the international community is the consistent will of influence area by the United States since the Monroe doctrine, that is, the existence of "anti-American" regime in South America is not allowed.

Conflict exists in Venezuela, but the conflict that underlies it is between Venezuela and the United States. It is the confrontation between the Chávez line (Bolivarianism) and the US economic rule. That's why numerous interventions and military interventions are focused. It is the usual practice of the United States during this time to induce international public opinion by using the plot of "citizens against dictatorship”. This method is now adopted in South America and used clearly under US President Trump who embodies the era in which fake news is accepted and whose slogan is "America First”. The international community, especially the media providing information there, should not follow an easy diagram but evaluate what is happening based on historical circumstances. Otherwise, misfortune and devastation would be incurred in a corner of the world again.

With this statement, we call on Japanese citizens and government, especially the media stakeholders:

▼We call to pay careful attention to the situation of Venezuela and conduct in accordance with international norms of respect for sovereignty of independent countries and noninterference of domestic affairs.
▼We call to the international community for providing assistance to Venezuela to overcome domestic divisions through dialogue.
(We support intermediary attitude of countries such as Mexico, Uruguay, Caribbean countries, African Union, etc.)
▼We call for the cancellation of economic blockade and sanctions by major powers that are producing Venezuelan difficulties and divisions.
▼We call to media agencies for fact-based report with verifying the "narration" of the major powers.

*the Promoters(26)

Hiroaki Idaka (Scholar of Latin America)
Yoshihiko Ichida(Social Thoughts, Kobe University)
Tomoya Inyaku(Meal and Agriculture Advisor)
Koji Okabe(Latin America Contemporary History, ex-Professor at Tsuda University)
Hidetaka Ogura(Latin America Contemporary History, Kanagawa University)
Makoto Katsumata*(International Political Economy, Professor Emeritus at Meiji Gakuin University)
Michiko Kiyomiya(ex-Chief Editor of “Sekai”)
Nobuaki Kurosawa(Education, former Professor at Tokyo Gakugei University)
Masako Goto(Latin America Contemporary History, Professor Emeritus at Kanagawa University)
Hitoshi Sakurai*(ex NHK producer)
Michihiro Shindo*(Researcher of Latin America)
Takao Takahara (International Politics, Professor at Meiji Gkuin University)
Yasuhiro Tanaka(Representative of Japan Asia Africa Latin America Solidarity Committee)
Chikako Nakayama (Economic Thoughts, Tokyo University of Foreign Studies)
Makiko Nakano (Democracy Now! Japan)
Osamu Nishitani*(History of Ideas, Rikkyo University)
Satoko Norimatsu(Peace Philosophy Centre)
Masumi Matsumura(person in charge of Latin America in International Division at Peace Boat)
Kinhide Mushakoji(ex-Vice President of United Nations University)
Hiroshi Dai(ex Mainichi Shinbun, Journalist)
Yasuhiro Morihira(Representative of Asia Press Club)
Nobuyo Yagi (Latin Singer, Writer, Journalist)
Atsushi Yamada (Democracy Times)
Tatsuya Yoshioka (joint representative of Peace Boat)
Isao Yoshihara(Professor Emeritus of Sociology at Maijo Gakuin University)
Eiji Roppongi(Journalist in South America, Media Coordinator)

http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/890.html

[政治・選挙・NHK258] <キャンペーン>東京望月衣塑子記者など特定の記者の質問を制限する言論統制をしないで下さい。(山本あすか・仮名)
  
東京望月衣塑子記者など特定の記者の質問を制限する言論統制をしないで下さい。
発信者:山本 あすか 
宛先:内閣記者会/記者クラブ、 安倍晋三/総理大臣、 菅義偉/官房長官
 
 
首相官邸記者クラブの内閣記者会に上村秀紀官邸報道室長名で申し入れがありました。官房長官会見で特定の記者の言動を内閣記者会として規制せよというものです。
 
ここで特定の記者とは望月衣塑子記者のことであることは、中学生の私でも理解できます。
 
菅官房長官、上村官邸報道室長がやっていることは、望月記者へのいじめではありませんか?
 
特定の記者の質問を制限する報道規制をやめてください。内閣記者会の皆さんは、官邸の報道支配に負けないで下さい。
 
今回の規制を受け入れたらさらに報道の自由が制限されていく可能性もあります。
 
首相官邸は、いじめをやめてください。よろしくお願いします。
 
政府や大人がいじめをやったり、いじめを傍観する共犯者になるから、
 
日本からいじめがなくならないんです。
 
記者が質問を制限されたら、次は一般人が自由を制限されるようになるでしょう。
 
また記者クラブのみなさんもフリーの記者さんが会見に参加を制限されている現状を改善してください。
 
このキャンペーンが私のように若い人たちが報道の自由について考えるきっかけになれば幸いです。
  
 
(署名受付期間:2019年2月5日~2月28日)
(賛同署名数:17,130筆)
 
   
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【2日で目標到達】

キャンペーン成功!
山本 あすか
日本・東京
2019年2月7日

キャンペーンを始めて約2日で賛同が1万を超えていました。

賛同下さった皆様にお礼申し上げます。
ありがとうございます。

望月記者が記者会見でいじめられたり、政権が特定の記者の質問を制限するのは、いけないことだ、報道の自由を大切にしたいと考える人達がたくさんいることを可視化出来ました。

官邸が特定の記者の質問を制限しようとすることや質問妨害について 新聞労連さんが抗議して、それを新聞や放送が取り上げていたので、報道の自由を守るために頑張っていらっしゃる記者さんがまだまだたくさんいるんだと、希望を感じました。私も会見や国会中継をみて新聞を読んで考えて行きます。

皆さんの賛同を内閣記者会と官邸に届けます。

賛同下さいました皆様、ありがとうございます。
 
 
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【キャンペーン再開】

再開します。
山本 あすか
日本・東京
2019年2月8日

キャンペーンを始めて2日間で目標の1万人を超えたので一旦成功宣言をしましたが、まだ会見で特定の記者いじめや質問妨害が毎日続いています。

酷いです。

この会見での質問妨害は、不公正です。

平成31年2月8日(金) 内閣官房長官記者会見(東京新聞望月記者、上村報道室長の質問妨害について) youtu.be/GNstnduBixc @YouTubeより

すでに1万超の賛同を頂きましたが、さらに賛同したかったという方のお知らせをいただきましたので、継続します。

また、フリーの記者さんたちの活動も制限しないでということを含めて、報道の自由を守って下さい。

気に食わない人には失礼な態度でいい、異論など聞かなくてもいいというやり方を、子どもたちが見てお手本にしていいのでしょうか。

この問題は、望月記者への個人攻撃に留まらず、すべての人へのモラハラです。

内閣記者会では、政権の人が気に食わない記者には、質問妨害をして質問に答えない論法を行い、スネ夫や赤シャツ的役割の公務員がいじめに加勢しています。

望月記者へのいじめを放置していると報道全体への規制が進み一般人も弾圧されるようになるでしょう。

このいじめを許したら、世の中にさらに、
学校や職場で同様のいじめを許すことになります。

いじめをやめて下さい。報道の自由を守りましょう。
 
 
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【15,000人達成】

15,400人超の皆様 ありがとうございます。
山本 あすか
日本・東京
2019年2月12日

15,400人を超える賛同をありがとうございます。

あの会見は酷い、いじめをやめて!

子供がみてるんだよ!

質問に答えないで質問を変に遮る行動は、あまりに酷い

報道の自由を守ろうフリー記者さんも排除しないで

という気持ちの人が日本にはたくさんいることが

社会にも広がっていっていると思います。

特定の記者の質問を制限しようとする政権の行動について、国会でも取り上げられました。

会見をみて、国会中継をみて、新聞を読んで、ニュースみて、メディアリテラシーを考えて

今の社会を考えていきましょう。
 
 
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【今日もまた】

今日もまた望月記者への質問妨害が続いています。
山本 あすか
日本・東京
2019年2月14日

15,800人の皆様の賛同をありがとうございます。

内閣記者会での会見では、今日もまた望月記者への質問妨害が続いています。

他の記者にはこの様な質問妨害はありません。

この様な状況を許していてもよいのでしょうか。

https://www.facebook.com/groups/1295178247269212/permalink/1995843840535979?sfns=mo
 
 
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【いじめを閣議決定。これで良いのでしょうか。】

もうすぐ16000です。

山本 あすか
日本・東京
2019年2月15日

賛同ありがとうございます。

政府は山本太郎参議院議員の『特定の記者への質問制限に関する質問主意書』に答えて、

「(望月衣塑子記者の)質問制限の意図はなく、円滑な進行に協力を求めた」だけで「知る権利の侵害には当たらない」と答弁しています。

これからも上村室長の質問妨害を、協力と称して堂々と継続すると閣議決定しました。

いじめを続けていくことを閣議決定しました。

これで良いのでしょうか。
 
 
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【私はキャンペーンを呼びかけることしか出来ません】

16200人の賛同ありがとうございます。

山本 あすか
日本・東京
2019年2月17日

私がこのキャンペーンをしていて、連絡を下さる記者さんや周り大人の人たちから

大人たちが頑張るから、中学生は無理しないで大丈夫だよと、声をかけていただいています。

より多くの人たちに今の報道の自由の危機は、普通の人たちの言論の自由の危機だと知っていただくために

私はキャンペーンを呼びかけることしか出来ませんが、新聞記者さんやいろいろな大人が今回の閣議決定に反対する行動を始めています。

以下の会見は、一般の人たちも参加出来ます。

https://twitter.com/product1954/status/1096670541883203584?s=12

から引用

【官邸による取材・報道の自由侵害に抗議する緊急声明】記者会見

◆2月19日17:30~参議院議員会館101会議室

梓澤和幸弁護士ら呼びかけ人、南彰新聞労連委員長、清水雅彦教授らが出席予定。賛同人として私も参加します。望月記者の問題に関心を寄せる一般の皆様もどうぞお越し下さい。
 
 
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【とても、怖いです。】

国家の底が抜けかけている

山本 あすか
日本・東京
2019年2月22日

こんばんは。

期末テストも無事終わりました。

たくさんの賛同をありがとうございます。

このキャンペーンは、2/28まででおしまいにして、このみなさんの思いを

内閣記事会と官邸に伝えにいくのですが、

とても、怖いです。

怖いことがおかしいんだと思います。

最後の5日間、賛同が増えますように。
 
 
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【国民への弾圧です。】

官房長官が望月記者への回答を拒否
山本 あすか
日本・東京
2019年2月26日

2/26(火) 21:17配信
共同通信

菅義偉官房長官は26日の記者会見で、東京新聞の記者から「この会見は一体何のための場だと思っているのか」と問われたのに対し「あなたに答える必要はない」と述べた。首相官邸側は同紙や記者クラブへの文書で、この記者は事実に基づかない質問を繰り返していると主張している。

記者の質問は「会見は政府のためでもメディアのためでもなく、国民の知る権利に応えるためにある」などとして、見解を尋ねる内容だった。

引用おわり

これは、暴力です。

国の中枢の人がいじめをしています。

私たち子供は、面前DVされているんです。

今日本では、学校でいじめが増えて

いじめを目の前で見せられた子どもたちが

面前DV、面前いじめの影響で不登校が増えています。

それと同じ状況です。

心ある皆さん、

心理学研究職、児童精神科、小児神経科、福祉職の皆さんからも

この面前いじめが国によって行われている状況に声を上がっています。

私は2/28にこのキャンペーンを終える予定で今後、大人の皆さんに言論の自由を守る活動を託します。

望月記者への弾圧は、国民への弾圧です。

最後まで、賛同よろしくお願いします。
 
 
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【あと2時間】

現在17100人超の賛同ありがとうございます。
山本 あすか
日本・東京
2019年2月28日

新聞社や放送局、フリー記者さん、ネットニュース、研究職、法律関係の方々からも

特定の記者への質問制限や妨害が、ハラスメントであり、いじめであり、

国家の中枢がいじめを率先して行うことはいけないという発信が増えています。

私たち子どもは、いじめを見せつけられ、面前DVを受けているのと同じです。

特定の記者の質問を制限したり、妨害することを許すことは、報道の自由の侵害です。

これは、一般の人の知る権利の剥奪であり、一般の人への言論統制に繋がります。

あと2時間ですが、

皆さんの声を内閣記者会、官邸に伝えましょう。
 
 
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【成功宣言】
 
キャンペーン成功!
山本 あすか
日本・東京
2019年2月28日

特定の記者の質問を制限しないでください、記者会見での妨害やいじめをやめてくださいというキャンペーンに17,000人を超える賛同を頂きました。最初、1万人を目標にしていたのですが、大きく上回りました。

賛同下さった皆さんありがとうございます。
たくさんのコメントも感謝申し上げます。

内閣記者会、官邸に皆さんの声を届けます。

大人がいじめをしていることを許していたら学校や社会からいじめはなくなりません。

特定の記者の排除を許してしまったら、
報道の自由は守れないし、
一般の人の知る権利や言論の自由も奪われてしまいます。

今、たくさんの大人の皆さんがこの問題に声を上げて来ています。

中学生の私は、キャンペーンの賛同を内閣記者会と官邸に届けて活動を終え、
これからも新聞を読んで国会中継をみて、
自分がやるべきことを考えて行きます。

子どもたちの未来を守るために、
心ある皆さん、この問題を一緒に考えていきましょう。

大人の皆さんもよろしくお願いします。
 
 
https://www.change.org/p/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E8%A8%98%E8%80%85%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%8B%E7%89%B9%E5%AE%9A%E3%81%AE%E8%A8%98%E8%80%85%E3%81%AE%E8%B3%AA%E5%95%8F%E3%82%92%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%8A%E5%88%B6%E9%99%90%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%81%84-%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/109.html

[政治・選挙・NHK258] 小沢一郎戦記~民主党政権の失敗(1)(朝日新聞社 WEBRONZA)
朝日新聞社 WEBRONZA 2019年03月04日

小沢一郎が明かす民主党政権失敗の本質
(1)三度目の政権交代を目指して始動した小沢に、私はインタビューを重ねた
佐藤章(ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長)
 
 
■ 小沢一郎の戦いを歴史に記す

 この人間の歩む道にはほとんど常に逆風が吹き付けている。

 風の中には飛礫や石が混ざり時には目を開けていられないほどの強さで吹き付けるが、この人間は歩みを止めない。歩みを止めればこの国の政治の進化も止まってしまう。そのような事態は、この人間の使命感が許さない。

 野党指導者であり稀代の政治家である小沢一郎は、背中から吹き付ける追い風に乗って自らの進む道を選んだことがない。道を選ぶ時、自らの心にあるのは自己の利害ではなくこの国の政治の進化を眼目に据えた使命感だ。

 政治が進化しようとする時、その進化を阻もうとする既得権益層が存在する。既得権益集団は自らの権益を守るために、進化を促す中心人物の行く手を塞ぎ、中傷し、妨害し、撥ねのけようとする。
前進する小沢に吹き付ける逆風の中に飛礫や石が混ざる由縁である。いきおい、その歩みはともすると戦いの様相を呈する。飛んでくる飛礫や石を時にはよけ、時にははね飛ばしながら進んでいく小沢の歩みを書き記すことは、ひとりの人間の戦いの記録、名付ければひとつの戦記である。

 この連載を『小沢一郎戦記』と名付けたのは、まさにそのような小沢の戦いの歴史を記す意味合いを込めたものだ。
 
■ 計12回、10時間超のロングインタビュー

 この連載を書くにあたって小沢に12回、合計10数時間のロング・インタビューをした。

 小沢は約束の時間に遅れたことがほとんどない。インタビューはすべて議員会館の小沢の部屋で行われた。

 インタビューの前には政界の記録を収めたドキュメントや新聞記事、政治家の回顧書籍、政治学者の分析本などを綿密に読み準備を整えていたが、過去を振り返る小沢の記憶力は確かだった。時には事前調査を進めていた私の指摘の方が合っていることもあったが、決定に至る裏話、エピソードはまさに当事者以外には知ることのできない貴重な話ばかりで、時によっては度肝を抜かれるに十分な奇矯な裏話もあった。

 常に政界の動きの中心にいた小沢が語る裏話、エピソードはこの連載『小沢一郎戦記』の中で紹介されていくが、恐らくは読者の高い関心を集めるにちがいない。

 エピソードを語る小沢の口調は興が乗ってくると素朴な故郷の方言混じりとなった。そこにはひとりの人間としての飾らない本音がのぞいていた。その一言の本音のうちにどれほどの政治的な重層的構造が隠されているか思考を重ねて探ってみたいと思わなくもなかったが、残念ながら能力が追いつかなかった。

 小沢は1942年、後に自民党の国会議員となる小沢佐重喜の長男として誕生、東京への空襲を避けるため父親の故郷・岩手県旧水沢市に疎開した。

 以後、地元水沢の小学校、中学校で学び、国会議員となって後は自らの力で支持者を集め、盤石の選挙地盤としている。支持を集めるにあたっては二世の威光はほとんど関係がない。
 
■ 真冬にコートを着用せずビールケースの上で

 2014年の総選挙の時には投票日前日の12月13日、その地元水沢での演説を聞きに行った。

 この年の7月には安倍内閣は集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更に踏み切り、10%への消費税増税を先送りすることを解散の大義名分に掲げて総選挙に打って出た。日本の憲法学者のほとんどが憲法違反と指摘し、解散の大義名分も極めて怪しいものだった。

 まさに小沢が生涯の使命とする日本政治の進運のための戦いの一日、それが2014年12月13日、容赦の無い寒風の吹きすさぶ東北の地方都市だった。

 岩手県奥州市水沢区の商業施設「水沢メイプル」前。真冬の東北地方に吹きつける北風はまるで錐のように身体に突き刺さってくる。厚いコートを着込んだ私自身あまりの寒さに耐えられず、水沢メイプルの正面出入り口を何度も出入りして一時の暖を求めざるをえなかった。

 しかし、ワンボックスカーから降り立った小沢は、コートひとつ羽織らず手袋もせずに、東京にいる時と同じいつものダークな色調のスーツ姿で、集まった数百人を相手にひとり一人と握手を始めた。農業従事者が多いのか作業服姿の高齢者が目立つ。寒空の下、小沢が立ち去るまで去っていく姿がない。

 この日、小沢は花巻市と北上市で演説して、水沢が最後の3箇所目だった。「キリン」の文字が見える黄色いビールケースの上に立った小沢は素手にマイクを握り演説を始めた。ビールケースの上に立って演説を続けるスタイルは小沢の定番だ。

「お寒いところをこうして大勢お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。――皆さん、アベノミクス、安倍政権によって国民の皆さんに一体何がもたらされたでしょうか。一部の人たち、一部の大企業は株が上がり円が安くなって莫大な利益を上げております。しかし、その一方、円安によって物価は日に日に上がっていく。それに反して収入は減る一方、実質賃金がずっと下がり続けているんです」

 耳を傾けていた聴衆の中から「そうだ」の声が上がった。

 円安による輸出企業の収益増加と物価高による実質賃金低下は現在に続く安倍政権の経済政策の宿命的失政と言える。小沢は一言で政策失敗の本質を突いた。

「アベノミクスの結果は、本当に国民の皆さんの生活を苦しくさせる一方であります。こういうような国民の生活を無視した政治は本当の政治ではない。本当の政治というのは、日本人である以上、どこに住んでいても、どんな仕事に就いていても、安心して安定した生活を送ることができる、それを考えていく。これが本当の政治じゃないでしょうか」

 人々が集まる商業施設前と小沢とはバス通り一本で隔てられている。バスの走り抜ける姿で時々小沢の姿が見えなくなるが、二つ重ねたマイクを両手で持つ小沢は、演説の要点にさしかかると右手を挙げて言葉に力を込めた。
 
■ 小沢に向けられる警戒と期待

 国政選挙はこの後2016年7月の参院選、2017年10月の解散総選挙を経るが、いずれも安倍自民党が圧勝した。野党側はいずれの選挙でもまとまらず2014年衆院選では自民党、公明党という与党側議席数だけで改憲発議に必要な3分の2を超えた。2016年参院選でも3分の2を超え、衆参両院で改憲発議に必要な与党議席数が揃った。

 前回の2017年10月の総選挙では、その前の東京都議選で自民党に圧勝した小池百合子都知事が希望の党を結成、最大の選挙波乱要因となったが、結局野党側の結束をかき乱す役割しか果たし得なかった。

 今年の夏には参院選を迎えるが、12年前の2007年の参院選では自民党は大敗を喫し参議院での第一党を当時の民主党に譲った。この大敗を大きな契機に第一次政権を握っていた当時の首相、安倍晋三は自民党総裁の座を辞すまでに追い込まれ、2009年の民主党政権への道につながった。

 干支がちょうど一回りした因縁の今年、同じ参院選がやって来る。

 野党第一党の立憲民主党代表、枝野幸男は同党の独自性を強調しながらも参院選一人区での野党一本化を打ち出している。自民党候補と野党候補との一騎打ちの構図を作らなければ勝負にならないからだ。この構えに対して安倍は衆参ダブル選挙を打って来るだろうとの予測が絶えない。と言うのも、安倍は憲法改正に執念を見せ、野党各党が生き残りに必死になる総選挙を参院選にぶつけることで野党側の協力態勢を粉砕しようと考えるはずだからだ。

 これに対して、安倍政権が続くことに日本政治の危機を見る小沢は逆に政権奪回の意欲をみなぎらせ、今年に入って国民民主党との合併を目指し精力的に動いている。衆参ダブル選挙になり野党側が粉々に砕け散った場合、小沢が目指してきた日本政治の進化は本当の危機を迎えてしまうからだ。小沢は安倍自民党に対抗できるような大きな受け皿を作ろうと構想を練り、動き続けている。

 そして、この動きに与野党の内外で警戒の念が強まり、また反面で期待の声が高まっている。小沢の動くところ常に本物の戦いがあり、過去に二度も自民党政権を転覆させているからだ。
 
■ 三度目の政権交代を目指しますか?

「前に二回、政権交代を実現させていますが、今度も三度目を目指しますか」

 いつだったか私のインタビューの中でこう問いかけた私に、小沢は大きく肯いた。そして、「やる」と力強く言い切った。インタビューではほとんど常に冷静に話し続ける小沢だったが、この問いかけに答える時だけは異様なほどの力強さがこもっていた。

 この連載『小沢一郎戦記』は私にとっても実に感懐の深いものだ。小沢へのロング・インタビューに備えるために小沢の関連本、民主党の関連本、政治改革の関連本など合わせて50冊以上は読み切っただろう。

 特に民主党政権が成立する前史には私自身、個人的に関わったところもあり、政権の失敗の原因については思い当たることがあった。小沢をはじめとする民主党関係者へのインタビューを執拗に重ねたのはそのためだ。

 小沢の他には元首相の鳩山由紀夫、菅直人、元内閣官房副長官の松井孝治、元参院議員で小沢の盟友である平野貞夫、元衆院議員で小沢の秘書だった石川知裕、そのほか旧民主党の政策スタッフたちへの補足インタビューを重ねた。

 なぜこれだけのインタビューを重ねたかと言うと、民主党関連本のどこにも書かれていない民主党政権の真の失敗の原因、構造が私には見えており、それを追跡してみたいと考えたからだ。


 『小沢一郎戦記』は、本格連載となる次回から二部構成にしたいと思っている。

 第一部『民主党政権の失敗』は、小沢をはじめ民主党政権を作った人々の証言による政権失敗の原因、構造を叙述する。

 そして第二部はまさに『小沢一郎戦記』の名にふさわしく、日本の現代政治の様相を中枢から目撃し続けてきた小沢自身に直接語ってもらい、その証言を忠実に記録したいと考えている。(つづく)
 
 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019022500008.html?page=1

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/149.html

[政治・選挙・NHK258] 国民と自由、 優等生とキャラ立ちの握手の意義(米山隆一)
朝日新聞社 WEBRONZA 2019年02月05日
より、無料公開部分のみ以下転載。

国民と自由、 優等生とキャラ立ちの握手の意義
選挙の季節を前に依然として勢いがでない野党陣営。立憲民主に期待されることは?
米山隆一(前新潟県知事。弁護士・医学博士)
 
 
■ 性格が違う二つの統一会派結成

 先月下旬、国民民主党(玉木雄一郎代表)と自由党(小沢一郎代表)が統一会派を組み、これに呼応して立憲民主党(枝野幸男代表)と社民党(又市征治党首)が参議院で統一会派を組みました。世間では、これを野党同士の潰しあいととらえる向きもあり、さして期待はされていないように見えます。

 もちろん二つの統一会派結成が、政局を一気に動かすというわけにはいかないでしょう。ですが、私はそれぞれの党の方々を知るものとして、多少なりとも期待するところがあります。

 まずもって、立憲民主党と社民党の統一会派結成そのものには、さしたる驚きはありません。この両党は「何より理念を大事にする」という姿勢で共通しており、かつ掲げている理念も近いからです。

 その一方で、国民民主党と自由党の統一会派の結成には、少なからぬ驚きを感じました。どうしてでしょうか?

■ 優等生グループとキャラの立った人気者たち

 国民民主党は、「支持率1%」と揶揄され、不人気にあえいではいるものの、クラスで言えば、いわゆる優等生タイプの常識人の集まりといってあまり間違いはないと思います(恐縮ながら代表の玉木さんがまさにその典型です)。これに対して自由党は、もちろん優秀ではありますが、たとえば山本太郎さんをみても森ゆうこさんをみても、「常識人」という範疇(はんちゅう)にとどまらないことは、おそらくご本人たちも自認しており、クラスで言うなら「キャラの立った人気者」という立ち位置だろうと思います。

 掲げている政策も、優等生で常識人の国民民主党は、よく言えば常識的、悪く言えば印象に残らない。かたやキャラの立った人気者の自由党は、良く言えばアピール力満点で面白いのですが、悪く言えば現実性に欠ける。ともにリベラルの範囲内にあるとはいえ、およそ対極にあります。

■ 与党の批判に臆する必要なし

 野党のこうした動きに対し、保守的な論客からは早速、「理念なき野合」だとか、「野党同士の潰しあい」といった批判が出ています。確かに、立憲民主と国民民主の両党は立ち位置も理念も違いますし、野党同士の数合わせやつばぜり合いも事実としてあります。

 ですが、それは保守・自民党にしても同じこと。外国人労働者への対応を見ても、北方領土への対応を見ても、保守は保守で理念の違う同士が集まり、互いにつばぜり合いを演じています。野党の皆さんも、そのような批判に臆することはないと思います。

 とはいえ、野党同士の数合わせやつばぜり合いが、数合わせやつばぜり合いのまま終わってしまうと、相変わらず保守は一つ、リベラルはもろもろ沢山といった構図の中で、「保守対リベラル」という選択が示されないまま、保守の圧勝に終わってしまうのは必然です。

■ キャラが立った森さんの応援で当選できた私

 ちなみになのですが、私が自分のことを語るのもなんですが、私自身は自民党から維新を経て民進党に入っており、人間のタイプとしては、実は国民民主党に近いと思っています(自分を優等生とか常識人とか言うつもりはないのですが、キャラの立った人気者では、まったくないと思いますので)。
 
 それが、キャラの立った人気者の森ゆうこさんの応援を得て、新潟知事選に当選したわけです(その後の顛末は、繰り返し本当に申しわけないと思います)。振り返ればこの選挙は、まさに選挙上手、アピール上手なキャラ立ちの人である森ゆうこさんが、私の常識人としての立場を尊重しつつ、見事に選挙を仕切り、それぞれの立ち位置が違うからこそ、それぞれの支持者から幅広く支持を得ることができた結果、当選できたのだと思います。

■ タイプの異なる人間がいてこそ支持が広がる

 政党にとって、理念の統一はもちろん重要なのですが、それにこだわると、どうしても同じタイプの人間ばかりが集まり、人材の幅が狭まってしまうのも事実です。現に野党は、先に述べた通り、優等生的常識人の国民民主党、キャラの立った人気者の自由党、強固な理念人の立憲民主党と、見事なまでに色分けがなされています。

 しかし残念ながら、それだけでは、私の知事選で見られたように(重ねてその後の顛末は非常に申し訳ないのですが)、理念が異なり、タイプの異なる人間同士がいてこその戦略の幅、支持の幅の広がりを持てないように思えてなりません。

 繰り返しますが、理念の統一は大事です。安易に足して二で割る的妥協をすると、理念はぼやけてしまいます。ですが、意外とそこは、「大きな旗印としての理念を共有したうえで、個別の政策レベルでは、それぞれの得意分野を生かすかたちで、分野ごとに譲り合う」(例えば「安全保障は国民民主党、原発政策は自由党」のように)という妥協はできるものです。

 そしてそれこそが、保守・自民党がやってきたことだと私は思います。

■ 立憲民主党の強みは「結党の神話」

 とすれば、まずはタイプの違う同士で握手をした国民民主党と自由党は、是非それぞれの利点を相互に行かせる形に、その握手を深めていただきたいと思います。

 そのうえで、やはりカギを握るのは、リベラル界で人気ナンバーワン、国民民主党の支持率1%の10倍以上の14%の支持率を得ている立憲民主党でしょう。

 立憲民主党の人気の秘密は、自他ともに認めるその明確な理念にあるのはもちろんですが、実のところ、その重要な部分の一つは、おそらく「結党の神話」ではないかと私は思います。

 国に「立国の神話」があるように、党にも「結党の神話」、ストーリーがあります。そして、実はそれは意外に重要なものです。残念なことに、 ・・・ログインして読む
(残り:約717文字/本文:約3173文字)
 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019020400003.html?page=1
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/158.html

[国際25] いかにメディアはベネズエラ報道で合意の捏造を続けているのか(アジア記者クラブ通信)
 
特集:いかにメディアはベネズエラ報道で合意の捏造を続けているのか
『アジア記者クラブ通信』2月(313)号
 
 
「経済制裁という名の大量破壊兵器:米国がべネズエラに仕掛けた戦争」
・米国の対ベネズエラ制裁は犯罪だ
・石油と米国の単独覇権
・原爆と経済制裁の起源
・石油ドル体制を脅かす国は潰す
・カダフィの挑戦と挫折
・ベネズエラは人民元で決済
・メディアの腐敗
・ベネズエラをネオリベ政権へ
(2019年1月30日付 globalresearch.ca 掲載記事)
 
「中南米諸国のクーデターは米国によって仕組まれ、N.Y.タイムズ紙によって正当化される」
・CIAと共に歩むNYT
・決まり文句、おなじみの筋書き
・チリの悲劇:再分配政策を破砕
・議論の的をすり替える
・1953年イランの教訓
・メディアは問題の核心を抉れ
(2019年1月29日付 truthdig.com 掲載記事)

[投稿者注1]
上記特集記事2本は下記URLで全文を読むことができます。
https://docs.google.com/viewerng/viewer?url=http://venezuela.or.jp/embassy_web/wp-content/uploads/2019/03/190302-articulo.pdf
 
[投稿者注2]
下はコラムの各記事名と編集部による梗概です。こちらも上記URLで全文を読むことができます。
 
■ベネズエラでボリバル革命20周年を祝賀
テレスール・スペイン語版

 ボリバル革命20周年の記念日にあたる2019年2月2日、革命の担い手は、ニコラス・マドゥーロ大統領を支援するために大規模な大衆動員でカラカスの大通りを埋め尽くした。ウーゴ・チャベスが20年前のこの日、大統領に就任して革命が始まった。写真8枚のルポ記事。(編集部)

■米国の対ベネズエラ戦争
民主主義でなく石油が目的  経済制裁は史上最悪の犯罪
ガリカイ・チェング(古代アフリカ史家、汎アフリカニスト)
 
 カリブ海、中米、南米地域の戦略的な交差点に位置するベネズエラ。欧米主流メディアとその転電を繰り返す邦字メディアによる同国を巡るネガティブキャンペーンを耳目にしない日はない。反米独裁、大統領選の不正、資源大国の経済破綻、国民の困窮と抗議デモが全国で発生しているなどがそれに当たる。今も真しやかに政権の腐敗話がネット空間を駆け巡っている。本稿は、暫定大統領を支持してベネズエラ情勢への介入を宣言したトランプ権の同国への戦争の目的が同国の民主主義のためではなく、同国の石油獲得が目的であることを論証した解説記事である。筆者は、ベネズエラの騒乱がイラク、リビア、イランなどと同様にペトロダラー体制を弱体化(決済通貨をドル以外の通貨にすること)させようとする国への米国の戦争であり、経済制裁の起源を理解することが情勢把握に必要不可欠だと説く。(編集部)

■ベネズエラで繰り返されるNYTとCIAの政権転覆クーデター関与完全ガイド
アダム・H・ジョンソン(メディアアナリスト)
 
 欧米主流メディア(MSM)は例外なくベネズエラのマドゥーロ政権を反米独裁政権だと決めつけ連日叩き続けている。ホワイトハウスで国内政策ではあれだけトランプ大統領と遣り合っていたMSMのエリート記者たちも、戦争につながる可能性の高いベネズエラへの介入政策ではトランプ政権と見事なまでに論調を軌を一にする。MSMの代表格ニューヨーク・タイムズ紙も例外ではない。本稿は、同紙が中南米で米国が支援したクーデターにこれまでいかに深く関与してきたのか、その完全ガイドである。筆者は、今日のベネズエラ情勢報道に至るまで、同紙がCIAに後押しされたクーデターを当該国の失政の責に帰すための決まり文句や議論の的のすり替え、おなじみの筋書で支援してきた手法を明らかにする。さらに筆者は、米国が気にくわない政権は追放しろと政権と一体化するNYT紙編集委員会の傲慢ぶりを批判した上で、既存メディアに実際に起きている情勢の本質を抉り出すジャーナリズムの原点に立ち返るべきだと促す。(編集部)

■中南米再編の標的にされるベネズエラ・ボリバル共和国 米軍事介入に民衆は武装化
Moon of Alabama
 
 2002年4月のチャベス大統領殺害を企てたクーデターの際のテレビ報道による情報操作は、政権転覆を成功寸前まで導いた。今日もそれに負けず劣らずの情報戦が繰り広げられている。本稿は、かってウォーターゲート事件報道でニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントンポスト紙が、ベネズエラ治安当局によるギャング摘発事件を民主化運動の弾圧と報じたように牽強付会も甚だしい情報工作に加担している実情に光を当てる。筆者は、米国によるラテンアメリカ再構築の第一弾としてベネズエラが標的にされ、暫定大統領を名乗るグアイド国会議長と現地の実情を歪める主流メディアの役回りを明かにする。その上で、軍事介入した米軍がベネズエラ軍を粉砕した場合でも、チャベス、マドゥーロ両政権下で権利獲得に奔走してきた民衆や労働者が武装して戦えば、その鎮圧は容易でないと説く。(編集部)

■ベネズエラの民営化促進 政変の背後に富裕層の復権 WSJがグアイドの役割代弁
ベン・ノートン(ジャーナリスト)
 
 本稿は、米国に暫定大統領に任命されたクーデター・リーダー、ファン・グアイドのベネズエラでのミッションを的確にWSJ紙が代弁する形で伝えた要約記事である。筆者は、石油産業と国有資産の民営化を軸にした民間部門の復活に加え、国際金融機関からの資金を借り入れた「構造調整」プログラムの採用にグアイドの政策の肝があることを明らかにする。その結果、富裕層と寡頭支配者の復権を招き、貧困と不平等の爆発的拡大へ導くことになると筆者は警告する。(編集部)

 
■フランス黄色いベスト運動2019  「市場」主義との対峙続く試練のフランス民主主義
ダイアナ・ジョンストン(米国人政治記者、在パリ)
 
 燃料税の値上げに端を発した黄色いベスト運動がフランスで瞬く間に拡大したのは昨年11月のことだった。下火になりながらも今も続くこの運動は新たな社会運動のモデルになるのか、革命につながるのか、様々な議論が彼の地で交わされている。本稿は、フランスでは左右どちらの陣営が政権を担っても「市場」に従属する政策を追求することから、人々がすべての既存政党や政治家を信頼しなくなった末に、それに代わる選択肢としてこの運動が街頭で拡散した側面を指摘する。いかに直接民主主義を組織するかについての実験にもなっているという。筆者はジャーナリスティックな視点から、黄色いベスト運動が暴動であるかのように世界のメディアに印象づけるために仏政府による様々な分断工作が間断なく続いている現状を踏まえ、西側主流メディアがマクロン政権の側にあり、外国メディアがフランス国内メディアの記事や放送をそのまま伝えているせいで運動の実体が見えないのだと説明する。この運動が「現行システム(体制)」の本質を曝露している点を肯定的に捉える一方で、フランス人が民主主義を実現できないのなら、民主主義は実現不能だと筆者は断を下す。(編集部)
  
 
【編集後記】
 米政府がベネズエラへの軍事介入も辞さないという政権打倒宣言を1月下旬に行ったことを受けて、それに迎合する邦字メディアの目に余る報道内容のデタラメさを座視できず、予定稿を差し替えて本特集を組むことにした。邦字メディアの記者も読者も全く関心と反応を示さないことが想定されるので、時間と労力を要するこのような特集を組むと徒労感に襲われるのだが、心を奮い立たせて、このベネズエラ報道がジャーナリズムに突きつける問題が何なのかを明らかにしたい。
 
▼テレスールの革命20周年の写真ルポは、チャベス前大統領(当時は中佐)が空挺部隊を率いて決起した1992年2月4日(4-F)と並んで重要な日を伝えた記事なのだが、この写真を見てお分かりいただけるように、政府支持者は人種的にはミックスの人ばかりだという点に注目していただきたい。チャベス前大統領も先住民とスペイン人とアフリカから連れて来られた黒人のミックスだった。彼の口癖は「ミックスとはいいものだ」。
 
▼欧米のテレビや動画、邦字メディアも同じなのだが、政府批判を述べる人の圧倒的多数が白人だという点。ベネズエラの人口の70%が貧困層で、その大部分が政府を支持している。邦字メディアのように富裕層が住む地区だけで取材すると現実と全く違った世界を報道することになる。APCのツイッターにRTされる「独裁国家だ」という説明動画に登場する人物もなぜか白人だった。
 
▼中南米は世界で最も貧富の差が激しい地域であることを見逃してはならない。地平線まで自分の土地だという大地主もいれば、トタン屋根のバラックに大人数の家族がひしめき合って暮らしている。この両者は生まれた瞬間にこうした人生が決まってしまう。こうした不公平な社会を潰して正義を体現した公正な社会の実現を唱えて大統領に当選したのがチャベス大統領だった。中南米の歴史の中で、悲惨な現実に目を瞑らなかった政治指導者の多くは米国が支援する軍事クーデターで葬られてきた。
 
▼2002年4月のクーデターの直前、ベネズエラのスラム街バリオに入ったCNNのライブ放送を見ていた時のことだ。記者が疲れきった表情の住民女性の一人に尋ねた。「あなたはベネズエラがキューバのような国になってもいいのですか」。女性「ここには電気も水道もきていません。子供を学校や病院にやることもできません。キューバのような国になって、電気と水道がきて、子供を学校や病院にやることができるのなら、その方がいいです」と言った途端に画面が真っ黒になってしまった。忘れもしない場面だ。このバリオの住民は政府を支持している。こうした欧米主流メディアの歪みが国際衛星放送局テレスール開設の大きな理由になった。ちなみにCNNは、中国が海外放送を遮断して画面が真っ黒になると今も非難している。
 
▼2月1日にプレスセンターで、堪りかねたのか、セイコウ・イシカワ駐日ベネズエラ大使が情勢について記者会見を開いた。主要メディアは在京の地方紙も含めて勢揃いした。1時間続いた質疑応答で在京全国紙の外信部編集委員が述べた質問が「石油資源も豊富な国で、なぜ経済危機と食料不足が起こるのか」。現地駐在の経験もあり、イスパニア語学科卒。なぜこうしたレベルの低い、素人同然の質問が出るのか。理由は2つ。ラテンアメリカに関心がないこと。バイアスの激しい欧米主流メディアの転電ばかりして自分の頭で考えてこなかったからだ。これは邦字メディア全体について言えることだ。
 
▼今般のベネズエラ情勢を巡る報道をどう考えるかという問題は、ジャーナリズムのあり方を根本から問いかけているのではないか。日ごろ調査報道の必要性を説く記者も全く関心を示さないばかりか、何が問題なんだという口調(問題意識)だ。本通信で指摘したように、邦字メディアの鏡、NYT紙とWP紙を頂点とした欧米主流メディアが米国やNATOの国益や戦争に関わる記事になると、いかに歪められ好戦的なのか、検証を迫っているからだ。在京全国紙の社説も無残であった。読者や視聴者のメディアリテラシー(情報判読能力)が確たる基準を満たしていれば、100%見放され信用を失うのではないか。
 
▼チャベス前大統領が陸軍士官学校生の1974年、ペルー左翼軍事政権のファン・ベラスコ・アルバラード将軍(大統領)と面談して、著作『ペルー革命』を贈られて、チャベスは座右の書にしてきた。小学校は素足で通ったほどの貧困家庭の出身ながら陸軍士官学校まで首席で通し、白人で構成された軍上層部で先住民の血を引きながら陸軍参謀総長まで上り詰めたアルバラードはクーデターで政権を握った。公表されなかったインカ計画は社会主義計画であった。国連児童基金(ユニセフ)に表彰され、後に武装闘争で名を馳せたペルー共産党からも支持された軍事政権を率いた。現在のペルーからは想像できない政治の時代だった。ベネズエラの軍と民衆の関係を考える上で重要なヒントがここにあると考えている。
 
▼米軍の軍事侵攻があった場合、ベネズエラは抗戦できるのか。2002年4月のクーデターが失敗した直後、軍関係者が多数関与したことで、大統領警護隊長らは軍の再編を訴え、この15年間、実行されてきた。チャベス前大統領の後輩ばかりになった。ムーン・オブ・アラバマは「腐敗した軍部」と辛辣だが、キューバ軍との交流、同国の軍事顧問団の影響がどこまで及んだのかは分からない。10万の民兵部隊にはカラシニコフの最新型AK103が配布され、チャビスタや労働者が武装することになれば文字通り革命軍となる。米軍も一筋縄ではいかないだろう。
 
▼ベネズエラ報道で最も深刻な問題は、ジョンソンの完全ガイドがNYT紙のケースで指摘しているように、加害者と被害者を逆転させていることだ。同じ米国とその為政者が日米同盟の重要性を説き、イラン制裁を実行し、中国に制裁を課し、北朝鮮との非核化交渉を担っている。日米同盟に矛盾はないのか。ベネズエラから日本の姿勢はどのように見えるのだろうか。
 
▼黄色いベスト運動のジョンストンの記事は唯一の予定稿です。永田町の政治、有権者の政治離れ、政治腐敗や汚職と社会運動の関係、直接民主主義を考える上で恰好のテキストだと判断しました。巻頭の吉野誠さんの報告とジョンストンの記事にもつながるストーリーを当初は考えていましたが差し替えました。今号の特集がメディアリテラシーの向上に寄与できるのならば幸いです。3月定例会は、3・1独立運動を取り上げたいと考えています。(森)


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[政治・選挙・NHK258] 高校新学習指導要領の危険な内容 青木茂雄 (「ちきゅう座」より転載)
高校新学習指導要領の危険な内容
2019年 3月 8日
<青木茂雄(あおきしげお):元都立高校教員・大学非常勤講師>

2018年3月に改定「告示」された高等学校の新学習指導要領は、2022年度から新入生から年次進行で順次本格実施されるのがこれまでの通例であるが、早くも2019年4月からその一部が先行実施される。とくに焦点となるのが、総則に記載された「道徳教育」と、主として地歴科と公民科における領土に関する事項である。

筆者はすでに当サイトに高校新学習指導要領の問題点について何回かにわたって掲載してきたところであるが、年度が改まり、一部が先行実施される時期を迎え、改めてその危険性を指摘したい。最初に強調しておきたいことは、2018年3月の改定「告示」は、第1次安倍政権による2016年の教育基本法改定(改悪)以後、2度目の学習指導要領改定であり、改定(改悪)のねらいがいよいよもって明らかになってきたことである。

◇ 改悪教育基本法が本格稼働し始めた

今改定の本質は、「愛国心条項」を「教育の目標」に挿入した2006年の改悪教育基本法が本格稼働し始めたということにあるが、表向きの謳い文句となっている「主体的・対話的で深い学び」という美辞に惑わされて、事の本質に目がむけられていない。とくに教育現場及び教育学関係者において著しい。問題点は大きく次の3点である。

第1に、「道徳教育」が柱に据えられ新科目「公共」が設置されたこと。

第2に、「愛国心条項」が具体的に教科目の「目標」と「内容」に入ったこと。とくに旧社会科「地歴科」と「公民科」が今回の焦点で、先にあげた「公共」に加え「歴史総合」が新設された。

第3に、学習指導要領はこれまでは教育の「内容」の大綱を示すものであったが、さらに一歩踏み込んで、教育の「方法」つまり授業や評価に関してまで示すものとなったこと。これが表看板の「主体的・対話的で深い学び」の意味であるが、これは、学習指導要領自体の性格を根本的に変えることであり、学習指導要領が始まって以来の大きな変更であって、かつ改悪である。この点を見間違えてはならない。

◇ 高校で「道徳教育」が行われる?

高校には「道徳」の時間はない。しかし、「総則」では道徳は各教科目の特質に応じて行えとしている。これだけなら現行と同じだが、改定後は小中学校に次いで、高校でも校長や「道徳推進教師」を中心として「全体計画」を作成することとしている。「公共」「倫理」「特別活動」がその「中核」となる。教科の専門領域にまで「道徳」が侵入し、その内容が歪められる危険が大である。

◇「基本的人権」と「日本国憲法」が消える「公共」は戦前の「公民科」の再現だ

「現代社会」に代わって新設される「公共」は「目標」から「人間尊重と科学的な探求の精神」が削除された。そして「内容」からは「基本的人権」や「日本国憲法」の文字が消え去り、憲法についての説明をする項目すら設けられていない。 憲法学習の大幅な後退が懸念される。

そして《遵法》と《参画》が強調される。これはもう学びの場ではなく、ただひたすらに「公共的なもの」への「参加」を求める精神修養の場となりかねない(いくら討議をしても結論は同じこと)。知識内容の「理解」だけが問題ではなく、「参加」への心構えと「態度」が問題とされる。「心構え」や「態度」、さらに「情意」までもが評価と直結する。「公共心」や「愛国心」が評価と直結する事態も十分に想定される。

「公共」は、大正末期から昭和の初年にかけて新設された「公民科」の焼き直しであり(内容的にかなり重なっている部分がある)、新たな国民総動員体制への準備科目であるとも言えるだろう。新学習指導要領を多少の想像力をもって少しでも丹念に読んで見れば明らかである。

「愛国心」はここでは“日本国民としての自覚”にまで高められるという仕組みになっている。「討論」や「参加」をいくら謳っても、大枠は定められている。最近の学校現場の状況を見れば、自由討論など絵空事である。教科目の「目標」と「内容」に侵入した「愛国心条項」は、さしあたってまず、教科書検定と採択で猛威を振るうだろう。

◇ 歴史修正どころか歴史抹殺の「歴史総合」

地歴科の新科目「歴史総合」は、「公共」と同様、知識内容よりも「資質・能力」の育成に力点が置かれている。「目標」に「日本国民としての自覚」に加えて「我が国の歴史に対する愛情」が入り、これが教科の内容を規定するという構造になっている。「内容」は「近代化」と「グローバル化」が大きな柱になっているが、「近代化」は日本の近代化に力点が置かれ、これを肯定的に評価している。近代化の途上における東アジア侵略についてはまったくふれられず、アジア太平洋戦争についても独立した項目がない。

「多面的・多角的」ということを口実にして日本が過去におこなってきた戦争に対する反省どころか歴史の事実の直視もできないようになっている。これでは歴史修正どころか歴史の抹殺である。あの「つくる会」教科書をはるかにしのぐとんでもない教科書ができかねない。大変に憂慮される。

◇ 「主体的・対話的で深い学び」を口実に授業点検が行われる

中教審答申の段階での「アクティブラーニング」が、抵抗のあることを配慮してこのような表現に落ち着いた。それが功を奏したのか、改定に批判的な人もこの部分についてだけは肯定的に見ている。しかし、私はこの部分が最悪であると筆者は考える。学習指導要領の根幹部分を変更したからである。学習指導要領はこれまでは学校が編成する教育課程の「内容」の基準であって「方法」については対象外であった。ところが今回の「総則」改定で、これまで現場の裁量の余地が辛うじて残されていた教育の「方法」、つまり授業の方法までが点検の対象となりかねない。

また、今回初めて「評価」にまで踏み込んでいる。これまで「評価」は制度的にはあくまで教育の内的事項であって「制度」の及ぶ範囲の外にあった。教育行政が学習指導要領を強制力のある「法規」とする解釈をしている以上、私は近い将来に国または地教委によって教員の教育活動のすべてに権力的な点検活動が行われるのではないかと危惧している。

◇ では、今後どうしたら良いのか

新学習指導要領は、2019年度から先行実施され、2022年年度入学者から年次進行で本格実施される。情勢次第で本格実施が早まることもある。残された時間は余りないが、まずは、各方面でこの学習指導要領の問題点、不当性を声を大にして訴え、大きな世論にしていくことが必須である。

とくに「公共」と「歴史総合」では、方法はどうあれ、1976年の旭川学力テスト事件最高裁判決が「不当な支配」として禁じている「一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを強制すること」が行われかねない。

各教科書会社はすでに新教科書の編集体制に入っている。執筆陣の人選を含めて、改定の悪影響を少しでも除去できるしっかりしたものにするためには、教科書の編集陣に頑張ってもらわなければならない。具体的には「公共」では「基本的人権」と「日本国憲法」をどれだけ書かせるか、「歴史総合」では戦争の反省と過去の植民地支配をどれだけ書かせるか、である。

新学習指導要領の執行停止を求める訴訟が起こっても当然の、そのくらい重大なことである。

(2019.3.6.)


〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8461:190308〕

http://chikyuza.net/archives/91937

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/304.html

[政治・選挙・NHK258] 福島の汚染土「再利用」を押しつける政府の狡猾(朝日新聞社WEBRONZA)

福島の汚染土「再利用」を押しつける政府の狡猾
二本松市・南相馬市の道路整備計画に反対する住民の思いとは
<青木美希 朝日新聞社会部記者>

WEBRONZA 2019年03月07日 より無料公開部分を転載

 
 国民が知らない間に大変な事態が進行している。福島から取り除いた汚染土は国が処理するとしていたが、処理しきれない量であるとして、全国の道路や農地造成などに汚染土を使えるようにする、というのだ。
 
 福島第一原発事故は広範囲に大地を放射性物質で汚染した。除染作業で取り除いた汚染土は、福島県内だけで1400万㎥を超えると政府は試算している。
 
 政府は、この土を福島第一原発周辺の中間貯蔵施設と名付けた場所に運び入れた後に県外に処分する、としている。だが、全量を県外に処分するのは「実現可能性に乏しい」として、1kgあたり8000Bq(ベクレル)以下の汚染土を全国の道路や農地造成などの公共事業に再利用する計画を進めている。
 
 汚染土を通常の土やアスファルトで覆えば、作業員や周辺住民の追加被曝は年1mSv(シーベルト)以下におさまるという説明だ。再利用の対象が全国であるうえに、環境省は岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の7県に計約33万㎥ある汚染土も再利用の対象になりえるとみている。
 
 原発事故から間もなく8年。事故のことを忘れ、復興が進んでいると思っている人たちの生活にもかかわる問題になりかねない。

■ 汚染土を使った市道の整備計画
 
 すでに福島県内では計画が進められており、飯舘村では汚染土で農地造成を行う土地の測量、設計が行われている。南相馬市では高速道路に汚染土を使う計画について、地元住民が反対運動を始めた。「反対の声を上げないと次々進められる」と、昨年12月には都内でも集会が行われ、各地でも声が上がりつつある。
 
 福島県の山間にある二本松市では昨年、汚染土を使って山間部の未舗装の市道を整え、舗装を行う計画が昨年実行されようとしていた。昨秋から道路工事を施工する予定だった。予定地の延長約200mの道路は行き止まりで、そばには民家がある。周囲にはキュウリ畑や田んぼが広がり、水も流れている。夏にはホタルも飛ぶ。典型的な日本の農村地帯だ。小学校も近くにある。
 
 住民たちは突然事態を知った。そばに住む牧師の金基順さん(52)は昨春、犬の散歩をしていた農家の高齢女性に「この辺に道路つくるらしいよ。汚染土を使って」と言われ、初めて知った。自宅から300〜400mほどの地点だ。びっくりした。
 
 4月中旬の住民説明会に顔を出すと、地域の21世帯すべてから参加者が来ているのが見えた。環境省や市の職員らも参加し、会場はいっぱい。担当者はそこで、「近くの仮置き場内に置かれた大型土嚢(どのう)約500袋を破って、異物を除去し、路床に使います。そのうえで舗装道路にする実験です」と説明した。土嚢には汚染土が入っている。
 
 「土砂崩れがあれば小学校近くまで流れていくかもしれない。せっかく除染で取り除いた土をどうして再び袋から出して使うのか。あり得ない。福島の農産物にまた影響が出て、福島から離れる人が増えてしまうかもしれません。各地で使われだしたら、海外でも『日本全国が汚染されている』と思われかねないのではないでしょうか。ここで止めなければ」
 
 この説明会からおよそ10日後、次の説明会があった。「農産物が売れなくなっても補償してくれるんだったらやってもいいよ」という声もあったし、反対意見に「そうよ、そうよ」と同調する声も上がったという。
 
 金さんは、「みんなでつくる二本松・市政の会」と「救援復興二本松市民共同センター」が進める署名活動に参加。SNSなどで反対の声は全国に広がり、約5000筆の署名が環境省に提出された。すると、同省は6月下旬、二本松市長に対し「複数回の説明会において、風評被害への懸念など多数のご意見をいただいた」として実験の再検討を伝達し、この件はひとまず中断した。
 
 しかし、ここで止められた、という金さんの思いは、打ち砕かれた。環境省は、別の計画を進めていたのだ。 ・・・ログインして読む
 
(残り:約2519文字/本文:約4122文字)
 
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019022800005.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/309.html

[国際25] 『エスタブリッシュメント』 彼らはこうして富と権力を独占する (長周新聞書評)
書評 『エスタブリッシュメント』 
オーウェン・ジョーンズ著、海と月社発行
(B6判・439ページ、定価2600円+税)

長周新聞 2019年3月21日
 
 イギリスのEU離脱をめぐり、日本のメディアは「合意なき離脱か」「離脱延期か」というだけで、いったい何と何が対立しているのか今ひとつわかりにくい。この本は1984年生まれのイギリスのコラムニストが、エスタブリッシュメントと呼ばれる人たちへの取材をもとに、新自由主義導入から30年あまりたってイギリス社会はどのように変貌したのか、英国人の意識はどう変わっているのかを描いたものだ。そこからEU離脱の背景も探ることができる。
 
 エスタブリッシュメントとは誰か? マルクス、エンゲルスが活動した19世紀のエスタブリッシュメント(一握りの特権階級)は、もし労働者階級に普通選挙権を与えたら富の平等な分配を要求するに違いないとおびえた。現代のエスタブリッシュメントは、世界を危機に陥らせながら最大のボーナスを要求する金融資本家やその代理人である政治家、特権階級の犯罪から庶民の目をそらすマスメディアなど、新自由主義を信奉する特権階級のネットワークのことで、同じように有権者を排除して自分たちの富と権力を守ろうとしている。それは保守党のサッチャー時代に生まれ、労働党ブレア時代に完成した、と著者は見ている。
 
 その先兵となったのは、新自由主義学派の祖であるフリードマンやハイエクの弟子たちだった。戦後、英国政府は社会主義国との対抗上、電力や鉄道の国有化や社会保障制度の整備を進めたが、彼らは金ドル交換停止を決めたニクソン・ショック(1971年)を奇貨として、民営化、規制緩和、富裕層の減税をメディアで拡散し始めた。もう一つの先兵が、無党派の草の根運動の姿をまとった「納税者同盟」などの民間団体で、政府の税金の無駄遣いを告発し、公共部門の支出の削減運動をやり始めた(削減した大部分が私企業に移された)。
 
 こうした団体には銀行や保険会社をはじめ大企業が資金を提供しており、そのメンバーが政治家になり内閣の一員になったりしている。著者によれば、右も左も財界とべったりになり、政界と財界のエリートは混合が進みすぎて区別がつかないほどになったという。
 
 その典型が、2001年に総選挙で「歴史的勝利」を収めたといわれるトニー・ブレアの労働党だった。ブレアは「富裕層への増税はしない」と誓い、法人税を減らし続け、反労働組合法を継続し、サッチャーを上回る規模で公共サービスの民営化を推進した。またアメリカのイラク戦争に参戦した。それはサッチャーをして「私たちの最大の功績はブレアを新自由主義者にしたことだ」といわしめたほどだった。
 
 その流れに乗って労働党の政治家たちが、多国籍企業の特別顧問になったり大企業の取締役に収まったりして荒稼ぎしまくったことを、本書は逐一暴露している。元共産青年同盟でブレアの政策の主要な推進者となったピーター・マンデルソンもその一人で、投資顧問企業の会長になったり、インドネシアの熱帯雨林の破壊で非難されたアジア・パルプ&ペーパー社のコンサルティングで大金を得、「大金持ちになる」夢を達成した。米ソ冷戦構造の崩壊で元からの性根が暴露されたわけだ。そして英国民は既成政党を見限った。
 

■ 富裕層千人が78兆円所有 大企業は納税拒否
 
 その結果、イギリスはどうなったか?
 
 最富裕層の1000人が5200億ポンド(約78兆円)の富を所有する一方で、何十万人の人がフードバンクで食べ物をもらう列に並んでいる。
 
 イギリスの大企業の5分の1がビッグ・フォー(四大会計事務所)の手ほどきで法人税を一切払っておらず、納税額が1000万ポンド(約15億円)を下回る企業が半数をこえている。大企業は国家に寄生しながら、租税回避地を使って納税を拒否している。
 
 一方労働者は、ゼロ時間契約(雇用主の必要があるときにだけ働く契約)を結んでいる者が550万人にのぼるなど、非正規化が進んでいる。自営業の英国人の収入は2006年以降、2割減り、リーマン・ショックの後で自営業になった10人中9人近くは週に30時間未満しか働いていない。
 
 たとえばブレアは2005年、障害者給付金の申請者を減らすのを目的にフランス企業アトスと契約を結んだ。給付を希望する者は、アトスに申し込んで就労能力審査を受けねばならないが、その審査というのがデタラメきわまりない。
 
 脳卒中で体が不自由な元警備員(57歳)が審査を受けたが、就労可能と判定されて給付金を止める通知がきて、その翌日に路上で心臓発作を起こして他界したという。そればかりか提出書類をそもそも受け付けてもらえない申請者が多く、アトスの医師による報告書の改ざんも見つかっており、審査した4割以上が否決となっている。
 
 こうした福祉削減のための委託金として、英国政府は年間40億ポンド(約6000億円)もの税金を民間企業に注ぎ込んでいる。英国メディアは生活保護受給者や障害者、移民などを「たかり屋」といってバッシングしているが、本当のたかり屋は彼ら民間企業にほかならない。
 
 そして、最大のたかり屋はリーマン・ショックのときの銀行だ。英国政府による銀行支援は、1兆1620億ポンド(約174兆3000億円)にものぼった。貧困者100万人が借金を返済できなくなっても政府による救済はないどころか、執行人が家財を差し押さえるため玄関口にあらわれる。ところが世界経済を大災害に巻き込んだ銀行には、国の「福祉」が救出にあらわれる。
 

■ 「右傾化」嘆く左翼の外側で新たな運動の息吹
 
 以上のような新自由主義・グローバリズムにNOを突きつけたのが、2016年のEU離脱国民投票だった。日本のメディアがいうような排外主義だけがそれをもたらしたのではない。右派ポピュリスト政党と報道されるUKIP(イギリス独立党)でさえ、七割以上の支持者は緊縮政策に反対し、電力や国鉄の国有化を求めていると著者はのべている。
 
 注目すべきは、既存の左翼がひたすら年長世代の右傾化と排外主義を嘆き、文句をいうだけなのに対して、著者が、それより先に自分たちが労働者階級の生活や共同体から遊離していることを直視すべきだ、とのべていることだ。左翼がアカデミック志向の人向けの仰仰しい学術書や、衰退していく左翼コミュニティーだけに読まれる本を出しているかぎり、自滅するしかないというのである。変化は、政治の外側にいる普通の人人が、集団の力を使って権力を圧倒することによって起こるものであり、それによってエスタブリッシュメントが私物化している富と権力を民衆の側に取り戻すのだ、と。
 
 新自由主義が破綻するなかで、欧米で巻き起こっている新しい運動の息吹を感じさせる一冊である。
 
https://www.chosyu-journal.jp/review/11231
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/768.html

[国際25] 黄色いベストとブラック・ブロックの危険な関係(朝日新聞社WEBRONZA)
 
黄色いベストとブラック・ブロックの危険な関係
暴力至上主義者との共同戦線で暴動化。「パリ炎上」で支持を失うパリのデモ
<山口昌子 在フランス・ジャーナリスト>

WEBRONZA 2019年03月22日 より無料公開部分を転載



■ 自滅に向かう「黄色いベスト」

 「黄色いベスト」が自滅に向かいつつある。

 3月16日の18回目デモは「パリ集中」「マクロンへの最後通牒」をかけ声に、パリ・シャンゼリゼ大通りで、老舗カフェや有名ブティックはもとより、新聞・雑誌が所狭しと並ぶキオスクまでもが放火、略奪されるという「過去最悪」の事態になった。暴動化の背後には、「黄色いベスト」の一部リーダーが手を組んだ暴力集団「ブロック・ブロック」の存在がある。

 暴動を予知、防備しなかったとして、パリ警視総監も更迭された。昨秋の発足当時は国民の高支持を得ていたが、暴力化と政治化によって、すでに支持率激減だったが、今回の「パリ炎上」で、「黄色いベスト」離れに、さらに拍車がかかりそうだ。


■ 名画の舞台の老舗カフェに放火
 
 シャンゼリゼ大通りの老舗カフェ「フーケツ」は、名画「凱旋門」の舞台になったことで知られるが、凱旋門や地下鉄の駅にも近く、週末は観光客に交じってパリっ子らが立ち寄る人気カフェ兼レストランだ。サルコジ元大統領が当選の夜、祝宴を開いたことでも知られる。建物の一部は超高級ホテルだ。

 そのカフェがデモ隊の襲撃で放火され、半焼した。周囲の有名ブティックや大手銀行の支店が入っている建物なども軒並みに放火され、略奪された。

 パリ市内の被害は約90件にのぼる。新聞社の特派員時代に毎日、立ち寄ったシャンゼリゼ大通りのキオスクは2件とも全焼だ。胸が痛い。

 なぜ、キオスクなのか?。デモ隊が標榜する、デモも含めた「表現の自由」のシンボルを放火することに、どんな意味があるのか。「黄色いベスト」の「暴力化」と「政治化」、さらに「反ユダヤ主義」への批判を強めているメディアに対する復讐のつもりで、その象徴的存在としてキオスクを襲撃したのか。
 

■ 極右・極左政党の支持で「政治化」が顕在化
 
 「政治化」は極右政党「国民連合」(RN、旧国民戦線=FN)党首のマリーヌ・ルペンや極左政党「服従しないフランス」のリーダーであるジャンリュック・メランションが「黄色いベスト」への支持を早々に表明したことで顕在化した。当初、国民の支持率が約70%と高かった「黄色いベスト」を5月の欧州議会選挙(比例代表制)に利用しようとした意図は明白だ。

 さらに、「黄色いベスト」の男性リーダーの1人が、イタリアのポピュリスト政党「五つ星運動」の人気議員ディマイオと密かに会っていたことも判明した。しかも、サルビニ伊内相(ナショナリスト政党「同盟」党首)が同議員の「黄色いベスト」支持を歓迎して支持したことから、駐ローマのフランス大使が一時、本国に召還されるなど、フランスとイタリアの関係も悪化した。

 こうした「政治化」への反発、嫌悪感を決定的にしたのが、「黄色いベスト」の参加者の一部に「反ユダヤ主義者」がいたことだ。

 パリ市内で2月中旬、ユダヤ系哲学者アラン・フィンケルクロートと遭遇したデモ参加者の一人が、「汚いユダヤ人!」などの差別用語で罵倒し、この衝撃的シーンがインターネットで大々的に流布された。「反ユダヤ主義」はナチ占領の経験があるフランスでは刑法で厳罰に処せられる。哲学者が告訴を見送ったので刑事事件に発展しなかったが、マクロン大統領が「反ユダヤ主義」に関する新たな強化法案の提出を公約するなど本格的な政治事件に発展した。
 

■ 暴力至上主義の「ブラック・ブロック」
 
 ところで3月16日、世界中に流れた「パリ炎上」のシーンをよく見ると、建物に突撃し、鉄棒などで窓ガラスなどを叩き割り、ドアを蹴破り、火を放ったのは、上から下まで黒装束に黒いヘルメット、黒い覆面で身を固めた集団である。その数、約1500人。大規模デモがあるたびに、パリ郊外などからやってくる暴力集団「キャサール(破壊屋)」とは雰囲気がまったく異なる。「キャサール」が単なるウサ晴らしが主たる目的である場合が多いのに対し、彼らの襲撃標的からは、明確な意図が読み取れる。

 その黒づくめの服装から、「ブラック・ブロック」と呼ばれる集団は、「極左集団」や「極右集団」、「アナーキスト」、「反グローバル化集団」、「反資本主義者」など様々に定義されているが、「暴力のみが自分たちの主張を通すことができる唯一の手段」とする、いわば「」だ。

 個人の参加が基本で、組織らしい組織もなく、全体を率いるリーダーもいないというところは、「黄色いベスト」と奇妙な一致点がある。だが、標的は明確で、「国家の象徴(警察、裁判所などの司法関係、行政府)」や「資本主義の象徴(銀行、大企業、高級レストラン、高級ブティックなど)」だ。

 起源は80年代初頭、東独で秘密警察に対抗するために生まれたとされるが、一般的に知られようになったのは、1991年の湾岸戦争の頃である。アメリカで「戦争反対」のデモを派手に展開した。ただし、この時はデモの性格上、「非暴力」だった。
 

■ 「黄色いベスト」と別物か?同じ穴のムジナか?
 
 その存在が国際的に知れ渡ったのは、99年11月に米シアトルであった世界貿易機関(WTO)閣僚会議の時だ。世界中から「反グロ―バル化」の運動家たちが参集し、激しいデモを展開した。01年の伊ジェノバの主要国首脳会議(G8。当時はまだロシアも参加)の際には、イタリア警察と激しく対峙(たいじ)。デモ隊に死者1人が出る惨劇に発展した。

 その後も、G8や北大西洋条約機構(NATO)首脳会議など国際的な大会議になると現れ、「反グロ―バル化」などのデモ隊に紛れ込んで「暴力デモ」を主導する。その異様な黒づくめの服装とともに、その存在が注視されるようになった。

 RNのルペン党首は「黄色いベスト」への支持を表明した手前、今回の「過去最悪」の暴力化に対し、「あれは『黄色いベスト』の狼藉(ろうぜき)ではない。『ブラック・ブロック』の仕業だ」と述べ、ふたつの集団の個別化を図ったうえで、「黄色いベスト」を擁護した。

 そもそも、「黄色いベスト」と「ブラック・ブロック」とは、ルペンの指摘するように、個別化ができるのだろうか? マクロン大統領は、デモ直後のツイッターで、「デモに参加した『黄色いベスト』は、(暴動、略奪、放火の)全員が共犯者だ」と断罪し、「黄色いベスト」と「ブラック・ブロック」は同じムジナとの判断を下した。

 今回のデモには仏全国で約3万2000人(仏内務省発表、「黄色いベスト」側発表で約24万人)、パリでは約1万人が参加した。「ブラック・ブロック」と一線を画したい「黄色いベスト」の一部はパリ・オペラ座付近で「暴力なし」のデモを展開したが、大多数はシャンゼリゼ大通りで、「ブラック・ブロック」とともに襲撃、放火に参加した。


■ 事前の“談合”も明らかに
 
 ふたつのグループが、事前に一種の“談合”をしたことも明らかになっている。「黄色いベスト」のメンバーが週刊誌「OBS」に証言したところによると、「ブラック・ブロック」が2月初旬に、「黄色いベスト」のリーダー格の男女2人に接触し、共同戦線を提案したという。

 この2人は「ブラック・ブロック」に質問状を送り、「目的」や「何を代表しているのか」「どこまでやるつもりか」、そして「戦術」などを質した。これに対し、「ブラック・ブロック」は、「目的は諸君と同じ」などと回答したという。2グループはすでに、「共同戦線」を張ることで合意していたわけだ。
 

■ 「暴動化に無策」と警視総監が更迭
 
 フィリップ首相は、「黄色いベスト」の暴動化に対し、なんら有効な対策、準備をしなかったとして、パリ警視総監のミシェル・デルピュック(66)の更迭を発表し、後任に仏南西部ヌーヴェル・アキテーヌ地方の警視総監ディディエ・ラルマン(62)が任命された。

 実はデルピュックは公務員の定年である65歳を過ぎているうえ、病気を抱えており、入退院を密かに繰り返していた。関係者の間では辞任は時間の問題とみられていた。「更迭」はデモの責任を誰かに取らせる必要があったためにあえて行われた、要するに「トカゲの尻尾切り」だった。

 首相は次回のデモが予定される3月23日には、シャンゼリゼ大通りなどでのデモを禁止し、覆面などしたデモ隊の身元を判明させるために、ドローンやビデオ撮影の使用を宣言した。さらに、「非許可」のデモに参加した場合の罰金を、38ユーロ(1ユーロ=約125円)から約4倍の135ユーロに引き上げると発表した。政府のこうした対策を、野党は「後手後手の対策」(野党最大の右派政党・共和党)と非難し、マクロン政権打倒に意気込んでいる。

 昨年11月17日から土曜日ごとに開催されてきた「黄色いベスト」のデモ(クリスマス休暇を除く)は3月16日で18回を数える。検挙は毎回200人前後にのぼり、今回は未成年やベルギー、オランダからの外国人を含めて230人が検挙された。

 フランスの刑法では、日本のゴーン逮捕にみられるように、勾留が100日間に及ぶことはなく、最高でも96時間だ。短期間で釈放されるうえ、証拠不十分などで無罪釈放になる場合が大半だ。今回もすぐに釈放された人が多く、97人が器物損害などの軽罪で起訴される見込みだ(3月20日現在)。


■ 警察は武装せず、丸腰同然
 
 一方、警察は過剰防衛への批判を恐れるため、武装せず、丸腰同然だ。「死者を出すな」を厳命されてもいる(左派系日刊紙『リベラシオン』)。もし、死者が出たら、死者が「神格化」され、デモがさらに過激化、正当化される恐れがあるからだ。

 警官は今年に入ってから、強力な防護弾(LBD)を使用して自衛しているが、 ・・・ログインして読む
 
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https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019032000003.html
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[自然災害22] 長崎市中心部を襲った大規模冠水 / 豊洲とそっくりな長崎都市改造(長周新聞)
長崎市中心部を襲った大規模冠水 海面が副振動(あびき)で急上昇
長周新聞 2019年3月26日

■最高潮位は238㎝を記録 九州で冬から春先にかけ頻発

 長崎市で21日午後8時半ごろ、海面が短周期で上下に変動する「副振動(あびき)」による海面上昇でJR長崎駅をはじめ市内中心部が大規模な冠水被害に見舞われた。
 
 長崎海洋気象台によると、「あびき」は東シナ海大陸棚上で発生した気象現象の擾乱による気圧の急変が原因で、それによって発生した長波が海低地形などの影響を受けて増幅していき、湾内に入ると共鳴現象などの影響を受けてさらに増幅し、湾奥で数㍍もの上下振動になる。九州西部から奄美地方において冬から春先にかけて頻発しているものの、予測することは「現在の技術では極めて困難」という。
 
 この日、長崎港では8時半に大潮の満潮を迎えており、そこにあびきの波が重なることによって、わずか30分間で1㍍5㌢も海面が上昇し、最高潮位は過去最高の238㌢を記録した。
 
 海抜の低いJR長崎駅周辺、宝町、茂里町近辺、さらに銅座町や松ヶ枝町でも道路が冠水し、住宅や店舗など数十軒が床下・床上浸水に見舞われた。国道206号線では、車のタイヤが完全に水に浸かるほどの潮が押し寄せ、川や排水溝からも逆流してきた水があふれ出した。道路がプール状態になったため動線が遮断され、電車やバスなどの交通網がまひし、市民生活に大きな混乱をもたらした。JR九州は、線路が冠水したため長崎駅~浦上駅で列車の運行を見合わせた。2本が運休、14本が最大で1時間40分遅れ、1600人に影響が出た。松ヶ枝町の住宅地や銅座・思案橋などの繁華街では膝上まで水に浸かったり、車が水没して使用不能になる被害もみられ、低地対策が喫緊の課題であることを突きつけるものとなった。
 
 移転新築した県庁(庁舎敷地のみ地盤かさ上げ)、長崎市が200億円かけて建設を計画しているコンベンション(MICE)施設予定地の周辺道路も海水に浸かり、高潮や津波など災害時における立地の脆弱性を改めて浮き彫りにした。
 
 周辺に住む市民は「雨も降っていないのに家の前の道路が川になっていて驚いた。午後10時くらいまで水が引かず、逆流してきた潮の圧力で下水管が破裂した地域もある。海抜の低い長崎市内では潮位が変動するこの時期によくあることではあるが、今年は特にひどい。近年は1時間に100㍉も降る集中豪雨も頻繁に起きているので、これが加わっていたらもっと被害が大きくなっていたのではないかと思う。県庁や県警もわざわざ高台から海岸沿いに移転したが、パトカーも浸水してブレーキがきかなくなっていたようだ。ハコモノ開発よりも優先すべきことが放置されている」と危機感を露わにした。
 
 別の市民は「銅座の飲み屋では、急に水が流れ込んできて客を全員窓から外に避難させたという。すり鉢状の街なので低地の中心部ほど高潮の被害が出やすい。県庁は市民の避難所に指定されているのに、海抜ゼロ地帯にあるため道路が冠水してたどり着けないし、一番危険な場所になってしまっている。市民生活の安全を第一に考える行政であってほしい」と語っていた。
 
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11268
 
 
豊洲とそっくりな長崎都市改造 暗躍し潤っているのは誰か?
長周新聞 2016年9月23日
 
 東京では築地市場のデタラメな豊洲移転問題、富山市議会では政務活動費の不正請求事件など、都会から地方に至るまで政治腐敗が深刻なものになっている。主権在民とか地方自治といった理念を投げ捨てて、本来公共の福祉に資するために存在している役所の私物化が横行し、その財政に利権集団が群がって寄生するのが当たり前のようになってしまっているのである。行政主導の大規模な都市改造が進められ、役所機能等等の移転とかかわって不動産利権が蠢いている長崎市内も、豊洲問題とそっくりの様相を呈している。市民の強い反対を押し切って強行した県庁舎移転計画につづき、今度は市役所の移転にともなう公会堂の解体計画が進もうとしており、再び反発が強まっている。豊洲と重なる地方政治の実態について、記者座談会をもって論議した。
 
■上層部が浮かれる不動産利権

 A 現在、長崎市民のなかで大きな関心事になっている公会堂問題の経緯を見てみたい。
 
 B 長崎市内では、市民が長年利用してきた公会堂の解体計画に対する反対運動が活発化している。長崎市公会堂(客席数1750)は、建設から50年にわたって市民の文化活動を支えてきた劇場施設だ。年間で約15万人が使用し、その9割が市内の文化芸術団体の利用だ。長崎駅からすぐアクセスでき、市役所や中心商店街に近い地の利の良さと、容量や料金面でも市民が使いやすい規模であるため、成人式をはじめ、民謡舞踊などの伝統文化、バレエ、歌謡、演劇の定期公演、コンサートなどの文化行事、プロの歌手や劇団の公演でも好んで使われてきた。そのため年間稼働率も60~70%という高水準だった。
 
 ところが5年前に田上市長が市庁舎の建て替え計画(事業費230億円)を表明し、その後、建設地を公会堂敷地内に決めた。積み立てた基金150億円では足りず、市債(借金)を発行してまで建設するというものだ。邪魔になる公会堂については「老朽化して危険」「耐震改修すれば33億円かかる」などの理由を並べて、今年11月までに解体する方針を打ち出した。市民の反発を抑えるために「県庁舎跡地に30億円で代替施設をつくる」といっているが、県との用地交渉は決着点をみない。さらに数十億円も借金を上積みすることになるし、そもそも発想の基点が新市庁舎の用地確保だから、代替え施設案は「空手形」と言わざるをえないのが現状だ。
 
 C 解体計画が具体化しはじめた2年前から、公会堂を利用する文化団体、建築家、近隣の自治会などあらゆる層の市民が解体中止と存続を求めてシンポジウムや署名活動を展開してきた。署名は昨年までに七万筆余りを市に提出している。それほど市民に愛されてきたし、なくては困る施設だからだ。
 
 ところが市は、昨年3月をもって公会堂の利用を廃止した。市内には、県が建てたブリックホール(2000席)、市民会館(900席)があるが、国際基準のブリックホールは大きすぎて基本料金が2倍になり、市民会館は小規模なうえに上階が体育館であるため音漏れがひどく、芸術鑑賞などには適さない。公会堂廃止後は、ブリックホールに利用者が集中して予約が取れないなど混乱が続き、演劇や舞踊など「公演日程が組めず、会結成以来の危機」という文化団体も出ている。「7万人の反対署名を前にして、なぜ早急に壊す必要があるのか。市民の文化を衰退させてまで、市役所新築が大事なのか」とみな憤慨している。
 
 D 公会堂の存続を求める市民団体は、幾度も市に陳情に出向いたり、署名を提出したりしてきたが、市長は「議論は積み重ねてきた」「何万人の署名を持ってきても方針は変わらない」と面会すら拒否し、ついに今年3月、解体予算2億2000万円を計上し、議会もこれを承認した。
 市民の側は、住民投票の実施を求める請求署名をはじめ、1カ月で必要署名数(7000筆)の2倍以上の1万7000筆を集めて市に提出した。市長が反対意見書をつけて議会に降ろし、管轄する環境経済委員会はそれに習ってあっさり否決した。6月に市庁舎建設計画の是非を問う3万人の住民投票請求を否決しており、今年に入って2度目だ。
 
■オール与党化の市議会 住民請求も2度否決
 
 B 市民が怒ったのはオール与党議会の対応だった。環境経済委の構成は、自民党系の「自由民主党」1人、「創生自民」1人、「公明党」2人、最大会派の「明政クラブ」3人、さらに社民・民進党系の「市民クラブ」3人だが、全会一致で否決した。本会議も含めて、野党である民進党議員が首を揃えて解体方針に賛成したのが特徴だった。そして、最大会派の明政クラブ(自民系)の議員は、「新しい代替え施設ができるまでの一時使用なのか、未来永劫使用するのか民意がわからない」と請求内容に難癖をつけた。市長の反対意見書の受け売りだ。
 
 だが、署名の請求要旨には「公会堂の解体中止と再使用することへの賛否を問う住民投票」とはっきり書いてある。「一時使用か、永久使用か?」という屁理屈でねじ曲げて10人の議員全員が同調し、市民1万7000人分の署名を葬った。なかには、参考人として呼びつけた市民団体代表者を恫喝するように「住民投票で負けたら、その費用1億円は住民側に請求できるのか?」と発言する議員もいて、みなを唖然とさせていた。
 
 長崎市議会は、議員報酬は年間約1000万円、それとは別に政務調査費として毎月15万円(年間180万円)が支給される。市民の平均所得(300万円)の4倍にあたる。高額な税金で養われながらろくに仕事をしていないから、市民が動いているという客観的な姿が見えていないようだ。「住民投票の費用が高いというが、解体費用は2億2000万円、新市庁舎は230億円ではないか」「まるでヤクザ集団だ」と市民は怒り心頭だ。40人も議員がいて7会派あるが、争うのは議会ポストなどの利権ばかりで、市民の切実な要求に対しては、自民だろうが民進だろうがオール与党で潰しにかかるという姿を見せつけた。「市民運動など無駄だから、あきらめろ」「黙って従え」というものだ。
 
 住民投票請求は本会議でも30対9で否決したが、解体業者の入札で市が勝手に条件を緩和していたことに議員がかみつき、再入札が必要になったため、11月の解体はひとまず2カ月先延ばしになっている。市民のなかでは「もう一回署名活動をやって市と議会を追い詰めよう」という熱気がある。
 
 C 反対署名の7万人といえば、市議1人あたりの平均得票(3000票程度)でみると23人分にあたる。10人の市議より明確な民意だ。それを難癖をつけて足蹴にし、「民意がわからない」ととぼけて踏みにじる。市は「85%が解体に賛成している」といっているが、その根拠である住民アンケートは市が選んだ2000人中回答したのは600人未満(回答率29%)に過ぎない。何を民意と見なすのかは曖昧にできないが、その民意を踏みにじった時にどのような反動が伴うのかは念頭にないようだ。そして、民意が届かない政治構造に余計でも批判が高まり、街中の熱気は増すばかりだ。
 
 「“市民への責務”というが、それならなぜ7万人の市民の声が聞けないのか。はじめから聞く気がないということだ」「市長選は無投票で、公会堂解体について民意が問われたことはない。誰のための街づくりなのか」と語られている。
 
■被爆復興象徴する建物 内外から存続要望
 
 B 公会堂の存続を求める運動は、建築家をはじめ、文化団体や近隣の自治会など幅広い市民の運動になっている。個別利害ではなく、「市民が利用している公有財産を大事に残して活用しよう」というものだ。その運動の過程では、公会堂が原爆によって壊滅させられた長崎の復興をめざす「長崎国際文化センター構想」(水族館、図書館、体育館、プール、美術館などを一体的に整備する計画)の一環として、全国、世界からの寄付金を集めて建設されたことや、建築に関する国際研究組織「DOCOMOMO」から日本の近代建築100選に選ばれるほど、建築学的にも貴重な歴史的建造物であることが明らかになった。同組織は「長崎の戦後復興を象徴し、郷土出身で日本の建築界を牽引した武基雄の代表作であり、戦後建築に大ききな足跡を残す地域資源」として保存・再生を求める要望書を提出し、それを市が受け取っている。また、長崎市内や東京を含め全国450人の建築家や専門家が連名で、存続を求める要望書を提出している。
 
 市は「建設には1銭も寄付は使っていない」といっているが関係者が出した当時の資料では、全国や海外から集まった3070万円の寄付金が充てられたことが明記されている。世界が評価する文化財を「価値が低い」と言い張る長崎市の対応に、全国や海外の人人までが心配しているのが実態のようだ。
 
 D 費用面でも、市は独自の試算で「耐震改修すれば33億9000万円かかる」というが、根拠となる図面も出していない。住民側は建築のプロが知恵を絞り、公会堂の構造計算書から改修図面、予算見積もりまで提示し、「解体する予算があれば、公会堂は維持・再生できる」「30億円で新築するくらいなら、24億円あれば音響などの設備更新も含めて十分にまかなえる」としている。
 
 分析してきた一級建築士は、「公会堂が建設された昭和30年代は、いまのようにミキサー車を使わず、生コンに大量の水を流し込まないのでコンクリの密度が濃く、中性化しにくい。だから最近の建物よりも格段に長持ちする。公会堂の耐震性は現在でも適法内で、これが危ないというのなら長崎市内の小学校の3分の2はさらに耐震性が低く、もっと危ない状況ということになる」と指摘していた。市民の粘り強い運動で、歴史問題においても、建築構造上の問題においても詭弁が暴かれてしまい、市長が面会を拒否したり、市議会も屁理屈をこねて逃げ回る状態になっている。
 
 A ことは公会堂問題だが、それ以上に、市長や市議会の願望のために適当なデータを寄せ集めて既成事実化し、大多数の市民の意見も専門家の提言もまったく聞かずに突っ走るという体質に市民みんなが怒っている。「このような政治が続くなら長崎に未来はない」「まさに長崎の豊洲問題だ」と。
 
■JR中心に都心大移動 1000億円を散財
 
 B 花開いているのは要するにハコモノ利権だ。公会堂を壊して喜ぶ市民などいないし、市役所が新しくなって税収や雇用が増えるわけでもない。全国でも5本の指を争うほどの人口減少率のなかで、豪華な庁舎を建てる以上にやらなければいけないことは山ほどあるはずだが、長崎市政を牛耳っている上層部の興味関心が、もっぱら都市開発や跡地を巡る不動産利権に向いていることを反映している。
 
 近年、長崎市内では、巨大公共事業のオンパレードだ。
 中心は、2022年開業予定の新幹線敷設にあわせて長崎駅周辺に都心を移動させる開発プロジェクトだ。09年に金子前知事が、商店街や自治会をはじめ全市的な住民の反対運動を無視して県庁舎の移転を強行した。江戸時代の長崎奉行所以来、町の「へそ」にあたり、長崎大水害の被害からも免れた高台に位置する県庁を、わざわざ潮の押し寄せる海沿い埋め立て地へ500億円かけて移転させる。リーマン・ショックが起きても、東日本大震災が起きても「安全だ」と強弁して押し通した。警察などの庁舎も駅付近に移転させる方針だ。
 
 さらに、長崎市も駅西側にMICE(大型コンベンション施設)を216億円かけて建設するといいはじめた。財源はほとんど起債(借金)だ。
 
 市長が議会承認も得ぬまま、土壌汚染疑惑がある駅隣接地をJR貨物から72億円という高値で買い取る約束をしていたり、「年度中に用地取得が進まない場合は年間2億円の借地料を払う」という約束まで結ばされていた。取得が決まると7億円アップして79億円になった。
 
 MICEは国際会議や学会などを誘致できる3000人規模のホールだが、市民には無縁の施設だ。黒字化の前提である年間60万人利用のメドはなく、維持費だけで年間数億円の赤字が膨らむことがわかっている。田上市長は、東京のイベント運営会社のもうけ話を根拠にして「長崎の標準装備」「最優先課題」と躍起になっており、ゴネ屋のような体質が定着している議会と二人三脚で進める構えだ。
 
 他にも、市が今後10年間のうちに進める巨大事業として、長崎駅周辺土地区画整理事業に約164億円、JR長崎本線連続立体交差事業負担金に約88億円、九州新幹線長崎ルート負担金約13億円、市道大黒町筑後町1号線(駅前開発に連動)に40億円、世界遺産候補の軍艦島の整備に50億円、公会堂の代替え施設の建設に30億円、PFI事業でスタートする市民病院に47億円、新西工場(ゴミ処分場)80億円など、すべて合計すれば1000億円に迫る。資材や工費は上がっているから、さらに10~20%は上昇する可能性だってある。
 
 C そうした都市改造の中心にあるのはJR利権のようだ。下関市でも、広島市でもJR奉仕の駅前開発に熱を上げているが、そこに行政の指定銀行が介在して税金で駅舎を建て替えさせ、「博多阪急」などの大型商業施設が乗り込んでくる。不要な土地を自治体に高値で買わせ駅周辺の不動産開発に奉仕させるというものだ。税金だけでなく、商業テナントを通じて消費購買力までJRが吸い上げる構造だ。浜町などの中心商業地区は打撃を受けるのは明白だし、都市構造が変わってしまうだろう。そして空白になった中心部にもJRや不動産業者が食い込み、マンション用地などで買収していく。
 JR九州の株式上場ともかかわって不動産開発に乗り出し、長崎の街づくりまで食い物にしていく。長崎版アベノミクスのような状態だ。
 
■地方の富吸上げる構図 外来資本に利益供与
 
 B 豊洲問題でも、移転させる新市場が汚染されていようがいまいが、使用目的にはゼネコンも行政上層部も関心がないことを暴露した。いかに抜いて利潤を得るかが最大の関心なわけだ。それで何が動いているのか見てみると、要するに銀座に近い都心の一等地である築地跡地の開発利権が大きな旨味になっている。東京都に豊洲の汚染地帯を押しつけた東京ガスも膨大な売却益を懐にしたが、何かが移転する際には必ず利害関係者がおり、公金が利権集団のために散財される。「街作り」「地方創生」「地域活性化」といって、もっとも活性化しているのがこうした上層部だ。都市改造というのは大きなカネが動く。長崎でも一等地の県庁跡地、市役所跡地、警察署跡地など中心地にできる空白地の利用計画は白紙だ。この開発利権も相当なものだろう。
 
 D 金融業界でも最近、長崎市で最大シェアをもっていた十八銀行を福岡銀行傘下の親和銀行が吸収することが決まり、一社独占体制となった。公共事業で自治体が発行する地方債(借金)は、銀行にとっては税金で保障された確実なもうけ口となる。巨大事業であればあるほど儲かるシステムだ。山口県では山口銀行が自治体の尻を叩いて公共事業をさせ、いまは九州にまで殴り込みをかけている。長崎の資産は実質、福銀が吸い上げていくことになる。
 
 C そして、県庁舎は鹿島建設、新市民病院は大成建設など、大型工事はゼネコンが全部取っていく。164億円の市民病院建設工事では地元発注は1割程度だったという。MICEの運営も東京のコンベンション事業者だ。外来資本が長崎を食い物にして、行政が率先してその略奪商売に利益を供与していく構図だ。これでは、現状でも人口減少等が著しいなかで、さらに地元経済が疲弊してしまうことは歴然としている。公共投資をいくらやっても都市部や大手企業に吸い上げられて、現金が循環しないからだ。
 
 自民党政府がアメリカの要求ではじめた430兆円の公共事業で、自民党政府は「あとから交付税で負担する」といって欺し、市町村財政を破たんさせ、市町村合併に追い込んだ。いまは国の交付税措置も最大で3割しかなく、大半が市民の負担になる。地方債残高(借金)はすでに2502億9000万円(昨年度)で、市予算の歳入額を超えている。財政破たんさせて地方を中央政府のいいなりにする中央集権制が動いており、長崎もその道を歩んでいる。
 
 B 全国の地方都市が同じような目にあっているが、長崎市は去年の国勢調査で4年前の前回調査から1万4000人減少し、北九州市に次いで人口減少数は全国ワースト2位だ。
 
 老齢人口が増えるなかで、生産年齢層は4年で1万7000人規模で、年少層も数千人単位で減少している。基幹産業の水産業をはじめとする産業振興や少子化対策、全国屈指の観光資源も市民の活力が奪われたらなんの魅力もなくなってしまう。三菱重工も何千人も外国人労働者を投入してもまともな船が作れなくなり、客船事業から撤退の趨勢にあり、地場産業の育成は喫緊の課題だ。土地転がしに熱を上げる以上に、市民生活の基盤である産業をどうするのか、この戦略こそが問われているはずなのだが…。目先の都市改造の利害に目を奪われている間に、実は全国屈指の衰退が進行している。表向きは様様な庁舎や建物が建設されて華やかに見えるが、足下では暗い影が忍び寄っている。これを多くの市民が危惧している。

■市政取り戻すたたかい 全国に誇る自治精神
 
 B 3期目になる田上市長の変貌ぶりも市民の語りぐさだ。9年前の伊藤一長市長が射殺された市長選の3日前に課長をやめて出馬し、「市政は相続財産ではなく、市民のものだ」と訴えて下馬評を覆して当選した。「さるく博」などお金をかけず長崎が持つ資源を生かした観光事業が成功した立役者としての実績も買われ、伊藤市長がやってきた市民密着型の市政を継承することが期待されていた。伊藤市長は、原爆を投下したアメリカを名指しで批判したり、地元商店をなぎ倒す大型店の出店拒否など、中央政界と対等に渡り合うことで全国市長会長候補に名前が挙がるほどだった。市長射殺事件は、まさに「暴力による民主主義の破壊」であったし、国策に従わぬ全国の首長への脅しという政治的な効果を与えた。うかつにものも言えないという抑圧を振り払い、下からの市民の力で無組織の田上市長を当選させたことは、長崎市民の自治精神の強さを全国に知らしめた。
 
 ところが、田上市長も3期目に入ると巨大ハコモノ事業に明け暮れ、あまりにも頑なに同じ答弁をくり返すので「後ろから拳銃でも突きつけられているのだろうか?」と真顔で心配する人もいる。「伊藤市長が殺されてから長崎はおかしくなった。殺人犯は暴力を商売にするプロで、個人的な恨みによる単独犯などではなく、雇った背後勢力がいる。まさにあれから9年経った長崎では民主主義がなくなっている。今長崎を食い物にしている連中こそ、その背後勢力ではないか」と語られている。市民の声を無視して市内の財産を外来資本に貢ぐことで立身出世が担保されるという歪な政治構造は、安倍首相お膝元の山口県でも常態化している。
 
 C 市長射殺事件と同年、長崎政界に君臨していた久間元防衛相が「原爆投下はしかたがなかった」と放言して辞任したが、長崎市内では戦後「原爆の恨みを忘れさせよ」というアメリカの圧力で被爆の経験やそれを乗り越えてきた市民の歴史を伝える遺構が次次に壊されてきた。今度壊そうとしている公会堂も被爆からの復興を象徴する数少ない建物の一つだ。中心街が空洞化すれば、市民主体で380年にわたって受け継がれてきた長崎を代表する「くんち」の存続も危ぶまれることになる。長崎市民の伝統や誇り、活力を奪い、中央のいいなり、外来資本に依存する衛星都市にするという力が働いている。
 
 A 長崎は歴史的にあらゆる困難に突き当たるたびに市民が結束して乗り越え、発展させてきた町であり、その住民主導の地方自治の力は全国に誇るべきものがあると思う。「このままでは長崎に未来がない」と市民は語っているが、上層部を取り込んだ略奪政治との対決になっている。民主主義を圧殺していく光景はまさに安倍晋三的だ。清和会所属の代議士もいるせいか、レッドキャベツなど下関の安倍系列資本も乗り込んでいたり、つながりは密接のようだ。山口銀行も目下“長崎問題”で大騒ぎしているという。長崎で何が動いているのだろうか? と山口県でも話題にされている。
 「地方創生」の実態として、全国的な注目を集めている。
 
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/656
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/669.html

[政治・選挙・NHK259] [小沢一郎戦記(5)] 小沢一郎「幻の大連立」を語る(朝日新聞社 WEBRONZA)
 
小沢一郎戦記

小沢一郎「幻の大連立」を語る
(5)大連立しても選挙には勝った。政権を取るには行政経験が必要だ

佐藤章(ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長)

朝日新聞社 WEBRONZA 2019年04月08日
より、無料公開部分を以下転載。

■幻の大連立
 
 歴史にイフ(もしも)はない、と人は言う。俗耳に入りやすい言葉だが、このことに関しては私は丸山眞男の考えの方が正しいと思う。歴史というものはたった一つなのではなく、いくつか異なった歩み方もあり得たし、そういう歩み方を様々に考察していた人がいたということの方が大切なんだ、と丸山は言っている。

 その貴重な例証のひとつをこの連載の主人公、小沢一郎に求めてみよう。

 干支が一回り遡る因縁の2007年参院選。第一次政権を率いていた安倍晋三総裁の自民党は37議席という歴史的な大敗を喫し、小沢代表の民主党が60議席を獲得して参院第一党に躍進した。この選挙結果による衆参ねじれが第一次安倍政権に与えた打撃は大きかった。

 2001年の9.11を受け、小泉純一郎政権はアフガニスタン攻撃の米軍を後方支援するため自衛隊艦船をインド洋に派遣していたが、その根拠法となるテロ特措法がちょうど2007年11月に失効することになっていた。インド洋でのこの自衛隊活動を続けようとすれば法改正が必要だが、参院がねじれてしまって改正は壁にぶつかっていた。

 小沢は当時の駐日米大使ジョン・トーマス・シーファーを党本部に迎え入れて会談、「日本は国連が認める平和維持活動には参加するが、米国を中心とした活動には残念ながら参加できない」と明言した。

 筋を通す小沢のこの姿勢に、対米外交を何よりも最優先する安倍もなすすべがなかった。2007年9月12日、体調不良もあって総理大臣の職を辞した。

 安倍の後を継いだ福田康夫にとってもテロ特措法の改正問題は喫緊の課題だった。

 10月30日と11月2日の2回、福田と小沢は会談した。会談の経過は、福田が法改正への協力を請い、小沢が拒絶、続けて福田が小沢の意向を全面的に受け容れて、自衛隊の海外派遣は国連総会の決議などを条件とするということで合意した。

 そして話し合いは進み、民主党が政権に参加する大連立構想を積極的に進めるところまで行き着いた。ところが、小沢がこの経過を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったところ猛烈な反対にあった。「戦前の大政翼賛会のようになってしまう」という批判があったが、わざわざ大連立をしなくとも、民主党単独で戦後初めて選挙による政権交代を近い将来成し遂げることができるという空気が強かった。

 選挙に勝って民意による民主党単独の政権交代という民主主義のカタルシスを得るのか、それとも爆発的なカタルシスを失っても政権参加による行政経験の習熟を得るのか。

 外野で見ていた私自身、その時の臨時役員会と同様、前者の民主主義カタルシスを支持した。戦後日本の政治史において、選挙による政権交代を経ることが国民の経験上重要だと私は考えていた。国民の多くもそう考えていたのではないだろうか。

■「大連立をしても選挙には勝った」
 
 しかし、3年余りの民主党政権の経過を振り返る時、この判断が果たして正しかったのかどうか、私には甚だ疑問に思えてくる。そして、小沢自身は臨時役員会の圧倒的な反対を受けて大連立構想を引っ込めるわけだが、ここで現在の人間がきちんと考えておかなければならないのは、歴史のもうひとつの歩み方を構想していた人間がその時存在したという事実だ。

 自らの力で政権を勝ち取ったという政治的達成感の経験も大事だが、それ以上に、現実的な行政経験を積み、官僚との協力の仕方を覚えることの方が将来の政権運営のためには重要なのではないか。小沢は独りそう考えていた。まさに丸山眞男の言う、いくつかの歴史の歩み方を読み、その中での軽重を比較判断できる能力と言ってもいいだろう。

 「大連立はやった方がよかった。それでも選挙は勝ったと思う」と小沢はいま振り返る。「それどころか余計に勝っただろう。とにかく当時は経験の少ない若い議員が多かったから、少し行政経験を踏んでおいた方がいいだろうと思った。政権を取った時にまるきり素人が行政に入るより多少行政経験を積んでおいた方がいいに決まっている」

 こう振り返る小沢の考え方は、自分自身の経験に基づいている。

 「自分だって最初からそんなに知っていたわけではない。長年かかっていろいろ経験し、勉強しているから行政のことはいまはよくわかっている。だから、官僚は私の前では生意気なことは言わない。こちらが何か提案すれば『その通りです。じゃあ、実際にそれをするにはどうしたらいいか』という話になるんだ。私は筋道の通らない話はしないし、天下国家のことで自分の利害でものを言ったことがない。だから、役人は反論のしようがない。政治家は自分で勉強しなければならないけれど、やはり経験を積まないと自分の主張に自信がつかないんだ」

 小沢のこの言葉は、民主党の政権運営にとっては実に重い意味を持っている。民主党政権の悪戦苦闘の日々を思い出すと、私はそういう感を深くする。
 
■仙谷由人からの連絡は途絶えた
 
 2009年8月30日、民主党は一政党としては戦後最多となる308議席を獲得して第45回総選挙に大勝、9月16日に鳩山由紀夫内閣が成立した。

 民主党内閣成立の数日前、私は、入閣するであろう仙谷由人から再び協力を要請された。1998年の金融国会で協力して以来しばらく離れていたが、政権運営にあたって金融経済方面で人脈を広げ、銀行経営についてより深い知識を得たいという相談だった。

 私は取材協力者一人を伴い、ホテルニューオータニに赴いた。ニューオータニクラブの会議室で久しぶりに仙谷に会った私の目には、政権獲得の喜びに浸っているようにはまったく見えなかった。

 「あれから10年か。ただ馬齢を重ねてきたような気がするな」

 当然謙遜もあっただろうが、その表情には懐かしさと真剣さの中に若干の不安が覗いているような気がした。恐らくは初めて政権を運営していく緊張感もあったのだろう。こんなことも口にしていた。

 「いまは干されているがやる気のある官僚もいるんだ。そういう官僚を味方に引き込むんだ」

 別れ際、私は仙谷と今後も連絡を取り合っていくことを確認し合った。しかし、鳩山政権が発足し、行政刷新担当相や内閣官房長官などを歴任していく日々の中で、私は仙谷と会うことはなかった。私にとっては意外なことだったが、秘書を通じて何度会見を申し入れても折り返しの連絡が来ることはなかった。

 その後生前に衆議院議員会館で偶然すれ違って二言三言言葉を交わしたのは、まさに民主党政権が終わろうとしていた日々の中のことだった。内閣の中枢で政権運営を担う重責は相当に厳しいものがあったのだろう。政権外の時に知り合った一記者などとわざわざ会見する余裕などはなかったのにちがいない。私はそう想像している。

 しかし、実を言えば同じころ、仙谷から同じような意外感を味わわされていたひとりの官僚が存在した。

■古賀茂明の登用は消えた

 第一次安倍内閣の時から公務員制度改革に取り組んでいた国家公務員制度改革推進本部事務局審議官の古賀茂明だった。公務員制度改革に積極的な民主党が政権に就けば、古賀の本格的な取り組みも前進するにちがいない。古賀は、誕生した民主党政権にこう期待を寄せていたが、その期待は当初当たった。

 その経緯を私に語った古賀によれば、鳩山内閣発足の前後3回、それまで面識のなかった仙谷に呼ばれ、大臣補佐官就任まで要請された。3回のうち前の2回の会合では、仙谷は、古賀が発信する改革の提案に大乗り気の様子だった。古賀は当時「干されて」いたわけではないが、強い正義感に貫かれた行動から古巣の経済産業省では異色の官僚と見られていた。仙谷が私にふと洩らしたように、新しい行政刷新担当相はそういう古賀を当初味方に引き入れようとしていた。

 しかし、古賀の記憶では9月のシルバーウィーク、つまり20日から23日の間の一日、3回目にホテルニューオータニに呼ばれた古賀は、すっかり消極的な姿に転じてしまった仙谷を見いだした。本格的な公務員改革をはじめとする古賀の改革案はほとんどここで潰えた。

 古賀はその後12月に公務員改革事務局幹部全員とともにその任を解かれ、官房付という閑職で経産省に戻された。仙谷の秘書からは「申し訳ありません、申し訳ありません」という謝罪の言葉ばかりで真相は明かされなかった。ただ、「事情は言えないが、こんなくやしい思いをしたのは自分の人生で初めてだ」と秘書は語っていた。

 一体、何が仙谷をしてこうまで消極姿勢に変貌させてしまったのか。 ・・・ログインして読む
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[政治・選挙・NHK259] 井上清(京都大学名誉教授)の元号制批判から見た歴史的背景(長周新聞)

井上清(京都大学名誉教授)の元号制批判から見た歴史的背景

長周新聞 2019年4月9日
 
 新しい元号が「令和」に決まった。商業マスコミは競ってこれを賛美し、元号制が「日本の美しい伝統」であり、天皇代替わりとそれにともなう元号の制定によって「新しい時代」が到来するかのように宣伝している。普段何気なく使っている元号だが、ちまたでは、「明治」「大正」「昭和」から「平成」に続く新たな年号が加わり、「西暦との換算がさらにややこしくなった」「改修実務がわずらわしい」などの声が飛び交っている。そもそも元号とは何だったのか、なぜ政府・マスコミがこれほど「元号フィーバー」を演出するのか。歴史を遡(さかのぼ)って冷静に検証する必要があるだろう。
 
 テレビや大手商業紙は元号問題を時間と紙面を割いて連日大きく扱い、中国古典ではなく日本の万葉集から採った「令和」がいかに美しい響きを持つか、どのように極秘で選定されたのか、元号制が世界で日本だけの誇るべき伝統でいかに国民から歓迎されているかなど、統一された報道に終始している。
 
 安倍首相は閣議決定後の談話で「万葉集は天皇や皇族・貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで幅広い階層の人人が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と強調した。さらに、「元号は皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに1400年近くにわたるわが国の歴史を紡いできた。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっている。新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活のなかに深く根差していくことを心から願っている」と語った。元号は「皇室の長い伝統」と「日本国民の精神的な一体感」を支えてきたのだから、新元号をもっと国民の生活に深く根ざすものにしたいという、はやる思いをにじませている。
 
 だが日本の歴史をたどるなら、元号と国民の関係がまるでそのようなものではなかったことを教えている。以下、歴史学者である井上清・京都大学名誉教授(故人)の著書をもとに、史実を整理してみた。
 
 
■中国を真似た元号制 律令制制定時に輸入
 
 元号の起源は、古代中国・漢の武帝(在位、紀元前141~87年)が定めた年を表記する方法に行き着く。中国古代の専制君主制のもとでは、皇帝は天の子(=天子)とされた。皇帝は国土(空間)を支配するのみでなく、時間をも支配するという思想にもとづき、皇帝自身が年を表記する起点(=元)を定めそれに名号をつけた年号が元号と呼ばれた。
 
 以後、歴代皇帝が即位すれば新たに元号を制定する時代が清朝まで続いた。元号は災害や革命に関する当時の迷信にもとづいて頻繁に改元されたが、それも時間を支配する皇帝を権威づける手段であった。中国で一代の皇帝につき一つの元号とする「一世一元制」となったのは、明朝からである。そのことで、皇帝を権威づけ被支配者にその年号を使用させ、服従を表明させるという元号制本来の機能は飛躍的に高まった。
 
 日本の元号制が公式には大宝律令(701年)以来、1300年ほど続いてきたことは確かである。しかし、それは古代統一国家の律令制を定めたもとで、天皇の権威を全国に知らしめ統合する目的をもって、中国の王朝(当時は唐)の専制君主制の思想理論をそっくりそのまま輸入、模倣したものであった。このことは、年号が中国の古典に根拠を持つ文字に限られてきたことに端的に示されている。
 
 ちなみに、「令和」が万葉集の序文(漢文)を根拠にした初の「和風元号」とされるが、多くの漢学者が指摘するように、その箇所も元をさぐれば中国の古典である詩文集「文選(もんぜん)」の一句「仲春令月、時和気清」にたどり着く。
 
 
■元号の存在知らぬ庶民 江戸時代まで干支中心
 
 日本の元号制はしたがって、中国の専制君主制を真似た天皇・宮廷、さらにはその権威を利用した幕府も交えた伝統として続いたが、1000年以上の歴史のなかで日本人の心情や精神的一体感を支えてきたというものではまったくなかった。事実、近代統一国家への革命をとげた「明治」まで、一般の民衆は元号の存在すら知らなかったのである。
 
 奈良・平安時代には、元号は天皇とそのまわりの貴族、そこから任命された地方官など、古代天皇制為政者の間の公文書で用いられただけである。それが次第に僧侶や知識人の間にも伝わり、使われるようになった。元号はもともと、時を記録する手段としては役に立たない。日本の国民に歴史的に根付いてきた紀年法は元号ではなく、日常生活では干支(えと)で年をあらわしてきた。庚午、戊辰など十干十二支(甲乙丙丁……、子丑寅卯……)の組み合わせで、その年が特定できたからである。
 
 実際に歴史を認識するうえでも、志士たちも含めて癸丑の黒船来航。庚午の戦争、戊午の大獄、戊辰の役などといっていた。嘉永6年、安政5年、元治元年、慶応4年などといえば、それぞれの大事件のどれが先でどれが後かさえわからず、ましてやこの四つの事件の間に何年たっているのかわからない。干支でいえば当時はすぐわかった。
 
 日本の元号制でも、政治的混乱や飢饉や天災、その他さまざまな理由をつけては頻繁に改元があった。しかしそのことが、元号が天皇の権威と結び付けて一般に広まるのとは逆方向に作用したといえる。江戸時代の事例としてあげられるのが、1772(明和9)年のことである。この年、浅間山の噴火や東北の大飢饉などが頻繁に起こったことから、「明和九」(めいわく)という年号が悪いとして、「安永」と改元された。江戸の人人はこれを、「年号は安く永しとかわれども諸式高直(物価が上がること)いまに迷惑」とからかうほどであった。
 
 それが、今日では日本人の生活のなかで元号が大きな位置を占めるようになっている。現代の日本人は天皇と結びついた年号を意識することなしに社会生活を営むことはできない。役所の公文書は元号を使うし、各個人も自分の生年月日から学業過程など元号とともに育ってきた。
 
 さらに結婚、子どもの出生、親族の死亡などの戸籍届けや納税、登記などあらゆる手続きが元号なしには受け付けられない。一般の書類でも、男(M)・女(W)の区別とともに、生年月日を記す部分には「明治」(M)、「大正」(T)、「昭和」(S)、「平成」(H)のいずれかにマルをするようになっている。
 
 また、「明治の気骨」「大正デモクラシー」「昭和歌謡」「平成世代」など、元号が時代をあらわす区分としてあたりまえのように流布されてきた。元号が代わったから社会が激変したわけではないし、「昭和」のように一つの元号の期間に社会の断絶があったにもかかわらずである。
 
 そのうえに、昨今の「新元号予想」など、若い世代をターゲットにした劇場型の「元号狂騒曲」への誘導がやられている。
 
 
■明治以後一世一元制に 国民を天皇の下に統合
 
 元号がこのように民衆の生活に浸透する決定的な転換点となったのは、「明治」以後の近代天皇制国家の確立と「一世一元制」の制度化であった。それを機に、「明治」「大正」「昭和」「平成」は日本人の日常生活と不可分なものとして定着するようになっていった。それは自然にそうなったのではなく国家の権力によって、元号を使わなければ生活ができないようになったからである。
 
 明治維新による近代統一国家への道は日本の封建制の特殊な条件のもとで、下級武士たちが指導して「尊王攘夷」を掲げた倒幕戦争を通じてなし遂げられた。それは天皇を「玉」としてその宗教的権威を利用するものであった。明治新政府は1868年4月11日(太陽暦1868年5月3日)、政府軍が江戸城入城を果たした時点で、天皇の即位礼をおこない、「慶応」から「明治」へ改元した。
 
 そのとき、副総理的地位にあった岩倉具視が中心になって早早と「一世一元制」を定めた。それは、天皇の権威を絶対化して国民を統合することで、富国強兵へと向かう最大の保証として位置づけられた。
 
 「一世一元」への元号制の変更も日本の伝統ではなく、中国(明朝)の後を追うもので、特定の天皇と特定の年号の関係を簡単明白にし、その年号の使用を国民に強制するためであった。国民が天皇と結びつけないでは時間を意識し表現することができず、したがって、自覚しないでも天皇から一日も離れていられないようにしていくことに、その狙いがあった。
 
 同一天皇の代に改元が頻繁におこなわれたのでは、特定の年号と特定の天皇とは誰にもすぐ結び付けて意識されるということはありえない。「慶応」以前は「元治」「文久」「万延」「安政」「嘉永」「弘化」とさかのぼるが、この七つの年号がみな孝明天皇の年号であることはわからない。しかし、「一世一元」なら「明治」「大正」「昭和」「平成」「令和」を特定の天皇と結びつけて年を数えることができる。
 
 明治天皇は「改元の詔」(漢文)で、朕は皇位を受け継ぎ万機を親しくおこなう、よって元を改め、全国民とともにすべてを更始一新しようと欲する、という趣旨をのべた。それは最後に「其レ慶応四年ヲ改メテ明治元年ト為ス、今ヨリ以後、旧制を革易シテ一制一元、以テ永式ト為セ。主者(担当官)施行セヨ」と締めくくられたように、「一世一元制」を永久の制度として、全国民を天皇のもとに統合するよう命じるものであった。
 
 しかし、当時の民衆は天皇の存在すら知らなかった。将軍よりも雲の上の存在として天子様、お内裏様と呼ばれる方がいるぐらいの認識が一般的であった。新政府はそこから中央や地方の政府機関に対して、「天子様は天照皇太神宮さまの御子孫であり、日本の真のご主人様である」「土地も水もみな天子様のもの、そこに成長する稲ももともとは天子様がくださったもの」などと、民衆に教え込むよう命じた。
 
 たとえば九州地方の幕府の直轄領長崎を接収し、九州地方の大名を新政権の味方に引きつけていくために九州鎮撫総督が民衆に出したおふれは、「この日本国には天照皇太神宮様からおつぎあそばされたところの天子様というものがござって、これが昔からちっともかわらぬ日本国のご主人様じゃ。どうだおそれいったか」という書き出しで始まっていた。
 
 明治政府はそれとともに、全国民を日常生活において常に天皇と結びつけるよう、祝祭日制度、神社制度をつくった。また、教育勅語による教育、「日の丸」「君が代」の強制、皇国史観の強要を通して、日本国民を天皇の臣民として統合する制度を固めていった。
 
 井上清は「新年号制は、これらの新祝祭日制、新神社制と一体となり、またすみからすみまで天皇主義の学校教育、軍隊教育、教育勅語等々と一体になり、天皇による国民統合が世界中に例のないほど強力に行われた。この中でも一世一元の年号制は、まったく目立たないで、また何ら強圧的な感じをいだかせないで、しかしきわめて強力に、国民を天皇にしばりつけていった」「この一連の制度改革の最初のそしてみごと成功したのが年号制度を一世一元としたことである」(『元号制批判』、1989年)と指摘している。
 
 
■米国の間接支配に利用された戦後の象徴天皇制
 
 第二次世界大戦における敗戦によって天皇制は危機に陥った。だが、「天皇は100万の軍隊に匹敵する」(マッカーサー)と見たアメリカに「象徴天皇」として庇護され、間接支配に利用されることになった。新しい日本国憲法と新皇室典範によって「昭和」という元号の法的根拠は消滅した。しかしアメリカは、元号をそのまま残すことを許し、売国的な為政者が国民に強制し続けることを保証した。
 
 そのもとで、「昭和」という戦争責任を免れた天皇の在位期間が戦前、戦後何の問題もなくつながった「時代」であるかのような欺瞞的な雰囲気を大大的につくり出してきたといえる。新憲法のもとで天皇大権から国民主権となったが、「昭和」という年号を連続させたことは、昭和天皇が最初から平和主義者であったという見せかけをはびこらせる重要な条件となった。
 
 ここに、元号制が歴史の理解、認識を破壊する最大の実例を見ることができる。戦後の一時期、天皇退位論とともに不合理な元号を廃止すべきだという民主主義の世論が高揚した。日本学術会議は1950年、「学術上の立場から元号を廃止し、西暦を採用すること」を決議した。
 
 元号制の不合理性については、歴史学者をはじめ近年では地震学者からも指摘、批判されてきた。東日本大震災では、「昭和三陸地震」や「貞観津波」という言葉が歴史的な警告として出されていたが、それが西暦の1933年、869年にあたることはすぐにはわからず、周年単位でくり返す意味が科学的に伝えにくいことが問題になった。それは、「1968年十勝沖地震」と公的に命名されていたものを、当時の佐藤首相が「昭和四三年十勝沖地震」と改めさせたことと重なってくる。
 
 それに続くアメリカの戦争の下請、日本の不沈空母化を推進する勢力が元号法制定の策動を続け、1979年に元号法を成立させて、天皇代替わりには政府が新元号を制定することを定めた。安倍政府の「皇室の長い伝統」に日本国民の精神を統合したいという思惑は、このたびの新元号制定にあたって神秘的権威を醸しつつ極秘のうちに選定するという進め方にも示されている。それが近年の、皇国史観や教育勅語の導入騒ぎと一つにつながっている。
 
 今年は平成31年というのと、2019年というのとは大きな違いがある。後者の西暦表記は国家や政治とは何の関連なく世界中に通用する単純な紀年だが、前者は平成天皇即位の第31年という政治・イデオロギー的意味のある日本にだけしか通用しない表記である。
 
 中国では2000年以上も続いた元号制も、孫文らの辛亥革命(1911年)によって中国最後の専制君主制・清朝の滅亡とともに廃止された。そうした専制君主制の名残が日本でまだ続いていることを「日本独自の美しい伝統」などといっているのである。
 
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11339
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/468.html

[政治・選挙・NHK259] 70年前に元号廃止と西暦採用求めた日本学術会議の決議 世界で日本のみの不合理性(長周新聞)
 
70年前に元号廃止と西暦採用求めた日本学術会議の決議 世界で日本のみの不合理性

長周新聞 2019年4月9日
 
 
■主権在民の立場から
 
 政府・マスメディアによる元号騒ぎを機に、歴史学者などから元号問題の原点に立ち返って冷静に論じるべきだという声が高まっている。日本学術会議は1950年4月26日の第6回総会で、「日本学術会議は、学術上の立場から、元号を廃止し、西暦を採用することを適当と認め、これを決議する」という決議を採択し、当時の亀山直人会長名で、衆参両院の議長と内閣総理大臣(吉田茂)にあて「元号廃止、西暦採用について」と題して申し入れていた。
 
 決議はその理由として、
 
 (1)科学と文化の立場から見て、元号は不合理であり、西暦を採用することが適当である。
 
 年を算える方法は、もっとも簡単であり、明瞭であり、かつ世界共通であることが最善である。これらの点で、西暦はもっとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に、現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれは、元号を用いるために、日本の歴史上の事実でも、今から何年前であるかを容易に知ることができず、世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく、天文、気象などは外国との連絡が緊密で、世界的な暦によらなくてはならない。したがって、能率の上からいっても、文化の交流の上からいっても、速かに西暦を採用することが適当である。
 
 (2)法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
 
 元号は、いままで皇室典範において規定され、法律上の根拠をもっていたが、終戦後における皇室典範の改正によって、右の規定が削除されたから、現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば、「昭和」の元号は自然に消滅し、その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは、全く事実上の堕性によるもので、法律上では理由のないことである。
 
 (3)新しい民主国家の立場からいっても元号は適当といえない。
 
 元号は天皇主権の一つのあらわれであり、天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し、統治者であってはじめて、天皇とともに元号を設け、天皇のかわるごとに元号を改めることは意味があった。新憲法の下に、天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では、元号を維持することは意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない。
 
 (4)あるいは、西暦はキリスト教と関係があるとか、西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが、これはいずれも十分な理由のないものである。
 
 西暦は起源においては、キリスト教と関係があったにしても、現在では、これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても、それは明白であろう。西暦に改めるとしても、本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば、あたかも本年末に改元があったと同じであって、今までの年にはかわりがないから、それがわからなくなるということはない。
 
 の4点をあげ、「以上の点から見て、元号を維持することは理由がなく、不合理であると認められるから、これを廃止して、西暦を採用することを適当と認め、それに必要な措置をとることを政府に勧告するものである」と通告していた。
 
 
■戦争許さぬ国民世論を反映
 
 日本学術会議は1949年に発足した日本の学術界を国の内外に代表する国家機関(内閣府の所管)である。この総会での決議は学界の多数意志を示すものであった。それはまた、天皇制のもとで真理真実がねじ曲げられ、肉親、家財を戦争で奪われた国民の民主主義への機運を鋭く反映していた。
 
 だがその後、昭和天皇の代替わりを前に「元号法」が制定(1979年)されたように、終戦直後の学会の提起を政府・マスメディアが一体となって抑圧する力が働いてきたといえる。
 
 ちなみに、歴史学者の滋賀秀三・東京大学名誉教授(東洋史専攻、故人)は1986年に書いた「随筆--元号のこと」で、元号法制定当時の日本学術会議の様子を次のように回想していた(『日本学術会議月報』第27巻第12号)。
 
 「周知のように、学術会議は発足間もない頃に、新憲法によって法的根拠のなくなった昭和という元号を慣性的に用いることを止めて、過去は問わず将来に向かって紀年法を西暦に一元化することを、政府に対する要望という形で提案している。かつ学術会議関係の文書にはすべて西暦を用いることを申し合わせ、実行してきた(この申し合わせは今期の初仕事、「日本学術会議の運営の細則に関する内規」制定の際に、他のあまたの申し合わせ等と一括して廃止されてしまったが)。これと逆行する立法の動きが出て来たことに対して黙してはおられないという気持ちが、相当数の会員の間に起こっていたのは無理からぬことである。他面、元号法の立法に当たるのは外ならぬ総理府であり、そのお膝下の学術会議から異論が出ては具合が悪いという事情のあったことも想像がつく」
 
 滋賀教授はさらに、「私は元来、元号を用いることに何か後ろめたさを感じる癖がついている」とのべ、それは旧制高校で世話になった校長から「元号で生活しているゆえに日本人は自国の歴史を絶対年代にのせて某事件は今から何年前と理解する知識が身につかない」という教えがあったからだとして、次のように続けていた。
 
 「学問・思想の自由委員会の肝煎で全会員に配布された、初期の大先輩達が物した元号御廃止の議の簡潔な文章を見て、私は得も言えぬ感動を覚えた。それは一点の曇りなき合理性の主張である。このように清冽な言葉が(しかも殆んど全会一致であったという)語られ得た時代があったのかという新鮮な驚きを感じた」
 
 「紀年法については、元号法の制定によって既に問題は決着したかに見える。しかし果たしてそれでよいのだろうか。元号で生活していたのでは歴史年代の正確な感覚が身につかないだけでなく、世界の動きの中に己を位置付けて見る眼、己もまた世界の中の普通の一員なのだという感覚が知らず知らずのうちに鈍磨してしまうのでなかろうか。……1億以上の人間が絶えず頭の中に換算する手間を積算すれば膨大な思考力の浪費と言うべきであろう」
 
 滋賀氏は、官公庁の文書を元号で統一し市民の日常生活をこれに従わせようとすることは、「精神的鎖国政策」とはいえないかと提起したうえで、「日本学術会議の元号御廃止の議も何時かまた省みられる日が来ると信じたい」との思いを記していた。
 
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11346
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/469.html

[政治・選挙・NHK259] 家計を襲う値上げラッシュ 増税前から消費を圧迫 食料品だけで800品目以上に(長周新聞)

家計を襲う値上げラッシュ 増税前から消費を圧迫 食料品だけで800品目以上に

長周新聞 2019年4月10日
 

■10円、20円が積み重なり…

 食品や飲料などの生活必需品から、医療費や保険料まで一斉値上げがはじまった。10月からはじまる消費税率10%を前にした駆け込み需要を先取りした駆け込み値上げともいえるもので、6カ月先と思っていた物価上昇の波が新年度とともにドッと押し寄せてきた印象だ。いくら「令和だ」「めでたい」といわれても、増税や値上げばかりでは和むどころの話ではない。世帯所得が低下するなかで、増税と値上げの二重の負担が家計を襲うことになり、消費購買力の低下にいっそう拍車がかかることになる。

 最も目立つのが、飲料や食料品の値上げだ。4月からの値上げ対象だけでも800品目をこえており、申し合わせたように各メーカーが消費税増税前の一斉値上げに踏み切った。公表されている値上げの理由は、慢性的な人手不足による人件費や物流コストの上昇、原料の高騰などさまざまだが、増税後に値上げをすると一気に消費者の負担感が増して買い控えを招くため、増税前のこの次期に値上げすることでカモフラージュしたい思惑が背景にある。10円、20円程度の値上げ幅でも、各種一斉であるため合わせればかなりの負担となる。出荷分の値上げのため、店頭価格に反映されるまでには若干のタイムラグがあるものの、1年を通じて値上げの波が押し寄せる。

 牛乳やヨーグルト、乳飲料、デザートなどの乳製品は、乳価引き上げによる主原料価格の上昇を理由に四月からあいつぎ値上げとなった。森永乳業は牛乳やカフェオレ、ヨーグルトなど35品目を3~7%の値上げ。雪印メグミルクも64品目で2・2~6・1%、明治は牛乳やヨーグルトなど計111品目で1・5~4・7%、江崎グリコも乳飲料からプリンまで9ブランド28品目で3~8%、オハヨー乳業は計20品目で5~20円の値上げとなった。1㍑の牛乳250円が260円になるなど、どれも10円、20円の値上げだが、消費量が多い分家計にとっては重い負担となる。

 あわせて目立つのはコカ・コーラなどの飲料で、27年ぶりに大容量ペットボトルを中心に値上げに踏み切った。コカ・コーラが16品目で一律20円の値上げに踏み切ったのを皮切りに、サントリーは30品目、キリンビバレッジは20品目、アサヒ飲料は24品目、ポッカサッポロは15品目、大塚食品は2品目で、歩調を合わせて20円値上げする。伊藤園は「お~いお茶」「充実野菜」など大型ペットボトル製品すべてを20~50円値上げする。コカ・コーラの1・5㍑のペットボトル1本320円が340円になる。

 スターバックスやドトールコーヒーなどのコーヒーチェーンも定番商品で10~30円値上げする。

 調味料や保存食類も値上げラッシュとなった。味の素は、コンソメや塩など13品目を7~11%値上げする。塩は1㌔あたり27円上がり、コンソメも「ビーフエキスなどの原料価格が高くなった」ため21個入り315円が343円に28円上がった。公益財団法人塩事業センターも「原料塩、包装材料費及び物流費等のコスト上昇を自助努力のみで吸収することが困難」として塩1㌔あたりの価格を17円値上げする。日清オイリオの食用油も5月20日納入分から1㌔あたり20円以上の値上げとなる。「製油時に発生し、飼料用などに販売している大豆ミール相場が低迷したことにより製造コストが上昇した」というのがその理由だ。同じく家庭用食用油を製造するJ―オイルミルズや昭和産業など各社も値上げに踏み切る。

 日清食品は、「カップヌードル」などの即席麺、即席米飯など250品目を4~8%値上げ。日清食品チルドも「小麦価格が高騰し、人件費、物流費などのコストの上昇」を理由に、生麺製品の価格を3~9%上げる。ハウス食品は「うまかっちゃん」など16品目で5・7%、東洋水産は「赤いきつね」などの即席麺200品目を5~8%、明星も「チャルメラ」「一平ちゃん焼きそば」など70品目で3~7%、まるか食品は「ペヤング」シリーズなど18品目を8~23円値上げする。

 人気が高まっているサバ缶などの缶詰類も上がる。マルハニチロは「国産サバの国内需要や輸出が拡大するなか、サバの取引価格が上昇しサバの調達が難しい」として、サバ缶32品目を一缶あたり20円値上げする。

 日本水産(ニッスイ)は、サバ缶11品目を7~10%値上げするとともに、ちくわなどの家庭用すり身商品全品を5~10%値上げする。漁獲高の低下による原料費の高騰に加え「国内外での人件費の増加」などを理由に挙げた。練り物では紀文が、魚肉練り製品や惣菜などを5~15%値上げした。冷凍食品でも、日本製粉(16品目)、ニチレイフーズ(全品目)、味の素冷凍食品(335品目)などがあいついで5~13%の値上げを発表している。

 その他、四期連続で値上がりしている小麦粉は1月から1~3%値上がりし、「大根の数年来の作柄不足、離農や転作で原料が上がった」として干系たくあんなどが10%、「白ごまの主産地インドの減産、中国の需要拡大で価格が上昇した」として市販・業務用ごま油などのごま製品の価格も5~12%上昇する。

 菓子類では、江崎グリコがアイスやプリンなど28品目を3・3~6・3%、カルビーは「ポテトチップス」など59品目を2・9~6・3%値上げする一方、「かっぱえびせん」「サッポロポテト」などは7月22日発売分から値段を変えずに内容量を4・4~6・3%減らす「ステルス値上げ」で対応する。

 一つ一つがわずかな値上がりであっても、家族分の食料を買えば10円、20円が100円、200円になり、月に換算すればたいへんな負担増になる。家計を預かる主婦たちは安売り商品を求めてスーパーを回ったり、5品買うところを3品に減らしたりして日日の出費をやりくりしなければならない。下関市内の大型スーパーでも、賞味期限が切れる食料品が3割引になる午後6時半や半額になる午後8時ごろになると、子どもを連れた親たちや高齢者が値引きシールを貼ってもらうために行列をつくっている光景が珍しくなくなった。人件費や製造コストの上昇が値上げの理由になっていても、値上げ分は海外の生産設備更新や為替相場の変動による損失穴埋めに消えているだけで、労働者の懐に還元されているわけではない。国民の収入は下がっているのに物価は上がり、「好景気」を標榜する政府による消費増税が値上げを誘発し、真綿で首を絞めるように暮らしを圧迫している。。
 
 
■食料品だけでない値上げ

 上がっていくのは食料品価格ばかりではない。

 自営業者や非正規雇用者などが加入する国民健康保険(国保)料も6月をメドに大幅な値上がりが想定されている。国保料は所得が高い世帯ほど高くなるが、年間所得が840万円をこえる場合は、保険料は上限として77万円(一昨年度までは73万円)に固定されてきた。今年度からは、上限を3万円アップの80万円に引き上げる。国は昨年度から、国保財政への公費の繰り入れを打ち切るため国保の財政管理の都道府県への移管を進めており、2018年度は激変緩和措置をとっているものの今年度からは保険料そのものも値上げが本格化するとみられている。

 介護保険料も4月分から値上げされる。サラリーマンの健康保険である「協会けんぽ」の19年度の保険料率は過去最高の1・73%(前年度比0・16%増)となり、月収32万円の場合は、年間約7000円の負担増となる。

 75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の保険料を最大9割軽減している特例措置も10月に廃止し、7割軽減へと引き下げる。9割軽減の対象者約380万人の保険料は、全国平均で月額380円から1140円へと跳ね上がり、年額9000円の負担増となる。

 毎年上がり続ける国民年金保険料は、月額1万6340円から、今年度は1万6410円へと月70円アップする。その一方、年金の給付額はわずか0・1%(満額で月67円)増額に留める。年金から天引きされる額は年年増えており、増額分よりも差し引かれる額の方が大きく、高齢者の家計を直撃している。

 10月からは増税するにもかかわらず、生活保護世帯への生活扶助費の支給額を最大で5%下げ、昨年10月に続く大幅引き下げとなる。

 医療費をめぐっては、昨年度から、かかりつけ医としての基準を満たした診療所などでの初診料が800円値上がりし、医療費3割負担の人は240円、1割負担の人でも80円の値上げとなった。在宅医療の往診費用は、24時間態勢であることなどの条件を満たした医療機関が診療費を加算できるようになったため、最大で月2000~4000円(1~3割が患者負担)値上げされた。今年10月からは初診料が60円増の2880円となり、再診料は10円増の730円(同)へとさらに引き上がる。

 さらに昨年8月からは、1カ月の上限をこえた医療費の自己負担分が返金される高額医療制度が変更された。年収156万~370万円の一般家庭の自己負担の上限(外来費用)が1万4000円から4000円増の1万8000円に引き上げられた。年収370万円以上の家庭は、外来・入院などの総医療費の上限約8万円が、収入に応じて段階的に引き上げられ、最大で月17万円増の約25万円にもなった。介護サービスの自己負担額の割合も、年収約340万円以上の世帯がこれまで自己負担額2割で利用できた介護サービスが3割負担に引き上げられた。政府は、75歳以上の低所得層を対象とした医療費1割負担も現役並みの3割負担に引き上げることを検討している。

 郵便局のサービス料金も変わる。4月1日からは、ゆうちょ銀行の通常払い込みの手数料が、窓口手続きで5万円未満が130円から200円になり、5万円以上が340円から410円に上がった。ATM利用でも、5万円未満が80円から150円に、5万円以上は290円から360円へとほぼ倍額に跳ね上がり、他行に比べて格安だったゆうちょ払込票を使って送金していた利用者を驚かせた。ATM電信振替も月3回までの無料が、月1回までに変更となった。さらに郵便料金は、消費増税にあわせて10月1日から手紙が82円から84円へ、はがきは62円から63円へと値上げされるなど、民営化後の郵便局は、作業拠点の集約化で配達が遅れる一方、料金の値上がりが続いている。

 値上がりを続ける電気やガス、ガソリンなどの光熱費や燃料費に加えて、食料品から各種税金まで生活にかかる負担が重くのしかかり、なかには便乗値上げともいえるものも少なくない。労働市場では非正規雇用が全体の4割以上を占め、外国人労働者の流入を促すことで低賃金化が進み、子を持つ世帯所得はこの20年間で年間約74万円(9%)も減少し、高齢者や単身世帯を含む全世帯の平均所得は104万円(19%)も減少している。IT化やAIなどでいかに技術革新が進んでも、社会が豊かになるどころか貧困化が進み、子を産み育てるという当たり前の生活がいっそう困難になっている現実がある。勤労統計を改ざんしてまでだまし討ちのような増税、値上げをはびこらせ、国民が身を削って納めた税金を湯水のように無意味な国策に注ぎ込む実態を問題にしないわけにはいかない。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11331
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/508.html

[政治・選挙・NHK259] 立憲への風がやんだ 「亥年」の統一地方選 (朝日新聞社 WEBRONZA)

立憲への風がやんだ 「亥年」の統一地方選
北海道知事選の惨敗から見えた「結党ストーリー」の終焉
 
山下剛 朝日新聞記者
 
WEBRONZA 2019年04月11日より、無料公開部分を以下転載。

 
■立憲民主惨敗、北海道で、大阪で
 
 気がつけば、風がやんでいた。

 1年半前の衆院選で野党第一党の民進党が分裂。ちりぢりになった野党勢力の中で唯一、期待されていたのは、野党第一党に躍り出た立憲の「勢い」だった。

 しかし、4月7日に投開票された統一地方選の前半戦、11道府県知事選のうち唯一、与野党対決の構図になった北海道知事選で、自民党、公明党、新党大地が推薦した前夕張市長の鈴木直道氏(38)が、立憲民主党など野党5党が推薦した元衆院議員の石川知裕氏(45)に圧勝したのだ。

 かつて「民主王国」と呼ばれ、いまでも立憲の国会議員が多い北海道でも、互角の戦いに持ち込むことさえできなかった。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041000002_1.jpeg
(キャプション)北海道知事選に立候補する石川知裕氏(右)とともに街頭演説をする立憲民主党の枝野幸男代表=2019年3月15日、北海道北斗市
 
 北海道知事選だけではない。

 同じ7日に投開票された41道府県議選と17政令指定市議選で、立憲は計217人が当選した。この数字は、国民民主党の116人を大きく上回っている。しかし、両党の当選者を合わせても、4年前の民主党の391人を下回っている。

 大阪維新の会が大阪府知事・市長のダブル選挙を制した大阪では、立憲は府議選で1議席にとどまり、市議選では0議席。惨敗と言ってもいい。

 地方議員は、国政選挙の際に候補者を実動部隊として支える存在でもある。その数は、その党の勢いを示すバロメーターとも言える。

 今年は、統一地方選と参院選が重なる12年に一度の「亥年」だ。12年前の「亥年」、2007年の参院選で自民党は歴史的大敗を喫したが、その直前の統一地方選の道府県議選と政令指定市議選で、自民党が議席を減らした一方、民主党は議席を大きく積み増していた。

 今回の統一地方選の結果から、今夏の参院選はどう見通せるのか。北海道知事選から読み解いてみたい。

■菅官房長官に近い自公候補に「北海道独立」で対抗したが…

 知事選には、鈴木氏と石川氏が立候補し、無所属の新人同士の一騎打ちとなった。開票結果は以下の通りだ。

鈴木直道 1621171票(得票率63%)
石川知裕  963942票(得票率37%)
投票総数 2613522人(投票率58.34%)

 石川氏は、いうまでもなく小沢一郎・自由党代表の元秘書だ。2007年に繰り上げ当選で民主党の衆院議員になったが、2010年に小沢氏の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で逮捕された。最高裁まで争ったものの、有罪判決を受けている。

 この事件の記憶が有権者の判断に影響しなかったとは考えにくい。

 とはいえ、故・中川昭一氏(自民)の強固な地盤だった北海道11区を掘り起こしてきただけあって、演説も巧み。地場産品や地域課題を採り上げながら政策を訴え、「相手候補はイケメン。私には子どもが2人いる。イケメンよりイクメンで」と笑いを取りつつPRした。

 掲げたのは、「北海道独立宣言」。「戦うときには戦う知事でないといけない」と訴えた。北海道民のアイデンティティを刺激しつつ、自民、公明の与党が推薦し、菅義偉官房長官との近さも指摘された鈴木氏との違いを強調するものだ。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041000002_2.jpeg
(キャプション)北海道知事選の鈴木直道候補(右)の応援に訪れた菅義偉官房長官=2019年4月6日、札幌市中央区
 
 「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、「オール沖縄」で与党系候補を破った昨年9月の沖縄県知事選が念頭にあったに違いない。公示日前日には玉城デニー沖縄県知事も石川氏の応援に入った。

 こうした動きに、鈴木氏は「国の力は頼らなくてもいいという意見もあるようだが、違うと思う。いまこそ国と北海道と市町村が一体となって、難局を乗り越える時代だ」と反論に追われた。「独立宣言」を争点化することに成功したのだ。

 では、何が欠けていたのか。
 
 
■小沢氏の「川上戦術」を継いだのは?

 それは、「川上戦術」だ。

 先に触れた前の亥年の2007年参院選。このとき当時民主党代表だった小沢氏がヘリやチャーター機を駆使してまで徹底して回ったのは、それまで自民の地盤で、民主の候補がほとんど回ることのなかった山間部や離島だった。

 川上の山間部で演説会を開けば、その評判が川下の都市部へと広がっていく――。川上戦術とは、そんな選挙戦術だ。

 財政再建団体に転落した北海道夕張市の財政問題に道筋をつけたという看板がある鈴木氏と違って、石川氏は政治資金事件のせいでマイナスイメージを抱いていた有権者も少なくない。その印象を覆すには、川上戦術しかなかったはずだ。

 ところが今回の北海道知事選で、この戦術を採ったのは小沢氏の元秘書の石川氏ではなく、皮肉にも鈴木氏だった。

 選挙戦終盤の4日。大票田の札幌市にいる石川氏を尻目に、鈴木氏は富良野町、美瑛町、旭川市などを回った。この日までに4000数百㌔を走行し、179市町村のうち149市町村を回って3万5千人に会って握手をした、という。そして、こう訴えた。

「『うちの町に知事候補が来たのは20何年ぶり』と言われた。『うちの町に来る時間があったら、札幌で演説した方が多くの人に会えるんだから』と。しかし、多くの人に会えるからと言って札幌で毎日訴えたら、その政治家の根っこが透けてみえる」
 

■色あせた立憲民主の「結党ストーリー」

 誰しも一度、成功すると、その成功体験からなかなか抜け出せないものだ。立憲民主党の枝野幸男代表にとっての成功体験は、 ・・・ログインして読む
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https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019041000002.html?page=1
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/609.html

[政治・選挙・NHK259] [小沢一郎戦記(6)] 政治主導の予算編成を目指した「国家戦略局」をめぐるすれ違いの始まり (朝日新聞社 論座)
小沢一郎戦記
小沢一郎「実は財源はいくらでもあるんだ」
(6)政治主導の予算編成を目指した「国家戦略局」をめぐるすれ違いの始まり

佐藤章(ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長)

論座 2019年04月15日
より、無料公開部分を以下転載。


■安倍が「悪夢」と呼んだ「コンクリートから人へ」
 
 3年余りの民主党政権の経験とは日本政治にとって何だったのだろうか。最近の出来事から、自民党政権と比較してわかりやすい事例をひとつひいてみよう。
 
「コンクリートから人というとんでもない内閣があった。安倍総理大臣は悪夢のようだと言ったが、まさにそのとおりだ」
 
 安倍内閣の国土交通副大臣である塚田一郎は、福岡県知事選の集会でこんな一連の発言をして4月5日に副大臣を辞任した。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019040800001_3.jpeg
(キャプション) 「安倍麻生道路」と言われる下関北九州道路のルートに想定される関門海峡。手前は北九州市、対岸が山口県下関市。中央奥には関門橋が見える=2019年4月1日

 俗に「安倍麻生道路」と言われる下関北九州道路について、首相の安倍晋三と副首相の麻生太郎の意思を忖度して、国直轄事業に格上げさせたと「情実予算」であることを堂々としゃべってしまった。塚田は、忖度した情実予算であることを後に否定したが、まさに国民の税金の使い道が有力者の意向によって決まってしまう自民党の公共事業予算の有り様をまざまざと国民に印象づけた。

 民主党政権の予算案が「コンクリートから人へ」の流れだとしたら、自民党政権のそれはまったく反対の「人からコンクリートへ」の流れであると言える。

 安倍が「悪夢のような民主党政権」と表現した民主党の政府予算への流れ、取り組みはどのようなものだっただろうか。
 
 
■生活保護の母子加算の復活
 
 2009年9月、民主党が総選挙に大勝し鳩山由紀夫内閣が成立する文字通りの前夜、私は民主党議員で厚生労働大臣政務官に就任する山井和則から電話を受けた。
 
「記事を読みました。生活保護の母子加算は民主党政権で復活させますから」
 
 この年の5月、私は4月に打ち切られていた生活保護の母子加算措置について北海道小樽市の母子家庭数軒を取材。「ママ、私高校行けないんでしょ」「修学旅行、行かなくてもいい」という経済面では珍しい見出しをつけて記事にしていた。
 
 取材した母親の一人は高血圧や自律神経失調症などの病気を抱えて生活費を切り詰め、食事はいつも夜だけ、おふろは浴槽に湯を半分だけにして週に2度という生活をしていた。小学校に入学したばかりの娘の机をリサイクルショップで買ったが、娘は高校には行けないものと小さい心で考えていた。
 
 山井は京都大学在学中に母子家庭を手助けするボランティア活動を経験しており、打ち切られた母子加算については心を痛めていた。
 
 この生活保護母子加算は現在の第2次安倍政権になって再び削減の対象となっているが、民主党政権時代には山井や長妻昭、川内博史らによって政権発足後すぐに復活した。記事を書いた私は、国民のための予算ということを真っ先に実感させてもらって大変心強い思いをしたことを覚えているが、これが、安倍や塚田によって「悪夢」とされた「コンクリートから人へ」という民主党の予算政策の第一号だった。
 
 そして、この「コンクリートから人へ」という予算案の太い流れを大本で形作っていたのは民主党幹事長の小沢一郎だった。
 

■小沢がバッサリ削った土地改良予算
 
 民主党が2009年8月の総選挙に大勝して政権交代を成し遂げ、曲がりなりにも初めて取り組んだ政府予算が2010年度当初予算案だった。その予算案では、それまでの自民党予算案を知っている人間には大変驚くべき変化があった。農水省の予算である土地改良予算が前年度に比べてわずか36.9%の2129億円に減額されたのだ。
 
 この土地改良予算はそのまま農家の水田整備に直結しているために、農家の票を動員しやすい。このため、土地改良の国の補助金は長年自民党候補者を育てるカネと言われており、必要性に疑問符がつけられながらも自民党政権下では削減の対象にはなっていなかった。
 
 小沢はこの土地改良予算をバッサリ削り、代わりに農産物自由化を視野に入れて、新しく導入した農家所得補償制度の財源に回すことにしていた。
 
「私は農産物の自由化は賛成なんだ。だけど、ノンルールでただ自由化だけさせてしまうと農家はみんな潰れてしまう。だから、きちんと自給態勢を作らないといけないというのは、イギリスの産業革命の歴史からわかっている。イギリスは自給率が相当下がってしまった。だから、自給態勢を作るためにはやっぱり最低限の再生産システムを作らなければだめなんだ。土地改良予算をバッサリやったのはただやったわけではない。財務省を説得するためなんだ。こういうことは闇雲に言ったって通らない。きちんとしたビジョンを持ってきちんとした論理を組み立てれば、財務省は賢明だからちゃんとやるんだよ」
 
 予算案編成をめぐって、政治の側は財務省に対してどう向き合うべきか。小沢のこの言葉は実に含蓄に富んだものだ。
 
 土地改良はすでに歴史的使命を終え、自民党候補の農家集票システムとして残っていた。その反面、農産物の自由化はいずれ日程に上ってこざるをえず、その時のための農家支援策が必要とされていた。
 
 農業政策をめぐるこの大きい二つの柱を考え、大所を論理立てて財務省に働きかける。
 
 この機能こそ、真に政治サイドに求められる働きだろう。首相と副首相の地盤同士を結びつける道路の予算をどうするというような次元をはるかに超えた、国民経済を眼目に据えた本来的な政治主導の予算編成と言える。
 
 しかし、政治主導の予算編成と一言で言っても簡単なものではなく、自民党政治を批判して終わりというものではない。小沢自身、この知識と行動力を得るには長年の経験と絶えざる学習が必要だった、と回顧している。
 
 民主党政権時代、小沢のような知識と行動力を持った政権幹部は何人いただろうか。私はここに率直に記すが、恐らく一人もいなかっただろう。
 
 
■子ども手当「本当は3万円て言ったんだ」
 
 民主党が初めて取り組んだ予算案の中で、毀誉褒貶の大きい論議を呼んだのは、土地改良や戸別所得補償予算にも増して子ども手当だろう。
 
 15歳以下の子どもを扶養する保護者などに対して月額1万3000円が支給された。実は当初、月額2万6000円を支給すると民主党のマニフェストで謳っていたが、財源不足を批判されて半分に減額した経緯がある。
 
 この2万6000円という額について、報道などでは小沢の一言で決まったというように伝えられている。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019040800001_1.jpeg
(キャプション) 民主党の小沢一郎幹事長は2009年12月16日、首相官邸に鳩山由紀夫首相を訪ね、来年度予算と税制に関する要望書を渡した。ガソリン税などの暫定税率分の維持と子ども手当への所得制限導入は総選挙で掲げた党のマニフェストの根幹部分を変更する内容だが、鳩山内閣は予算編成にそのまま反映した
 
 しかし、インタビューに答えた小沢の言葉は驚くべきものだった。
 
「本当は、私は3万円て言ったんだ」
 
 小沢の説明によれば、当時フランスは円換算で大体3万円支給し、このおかげで出生率が回復したという。
 
「財源は実はいくらでもあるんだ。財源がないとマスコミが言うのはいいけど、政治家が言うのはだめなんだ。いま自民党政権はどんどん使っているだろう。お金は天下の回りものという面がある。だから、お金は特別会計に入ってしまって相当眠っているだろう。私がそういうことを知っているものだから、財務省の役人は私の前ではお金がありませんとか絶対に言わない。いま日銀の実質的な国債買い入れをやっているが、政府というのはそういうことまでできるんだ」
 
 特別会計は、元財務相の故塩川正十郎が「母屋でお粥をすすりながら、離れではすき焼きを食っている」とわかりやすく皮肉ったことで有名になった。つまり、各省庁が表向きぶんどり合戦を演じている一般会計予算は「お粥」をすするほどの窮迫状態にあるが、官僚の隠しポケットと言われる特別会計ではいつも「すき焼き」が振る舞われているというブラックジョークだ。そして、特別会計全体の実態はよくわからない。
 
 日銀の国債買い入れというのは、簡単に言えば政府の借金の証文を日銀がそのまま引き受けるもので、健全財政を眼目にした財政法の明確な違反事項だ。しかし、日銀は金融緩和を名目に国債市場から少しでも流通したものを買い上げているから何とか同法違反を免れている状態だ。
 
 特別会計と日銀の国債買い入れに共通するのは、お金が大量に渦巻いている世界ではあるが、政治の手がなかなか届きにくいという側面だ。
 
 しかし、小沢はこの側面のことも理解している。財務省の官僚が小沢の前では沈黙を守るのはこのためだ。
 
 このことを十分に理解している小沢が、「子ども手当3万円」を打ち出していた。


■政治主導の予算編成を目指した「国家戦略局」
 
 確かに小沢の言うように、日銀の国債引き受けはともかく、特別会計の「闇」の部分については日本のジャーナリズムはまだほとんど解明していないと言っていいのではないだろうか。
 
 国会議員といえども十分に理解している人はまれだろう。このため、子ども手当についても、当初小沢の言った3万円から2万6000円、さらには1万3000円まで減額されて実施された。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019040800001_2.jpeg
(キャプション) 政府連立与党首脳会議にのぞむ小沢一郎民主党幹事長、福島瑞穂社民党党首、鳩山由紀夫首相、亀井静香国民新党代表、菅直人国家戦略相=2009年9月28日、首相官邸

 減額に際しては小沢は ・・・ログインして読む
(残り:約1951文字/本文:約5579文字
 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019040800001.html?page=1
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[政治・選挙・NHK259] 「100年の計」の森林管理を放棄 知らぬ間に進む戦後林政の大転換 (長周新聞)

「100年の計」の森林管理を放棄 知らぬ間に進む戦後林政の大転換
2019年4月17日付 長周新聞


 農業や水産業に続き林業をめぐっても、国民の知らないところで戦後林政の大転換が進行している。昨年5月に国会で成立し今月から施行となった民有林対象の「森林経営管理法」と、そのための財源づくりである「森林環境税」(3月に国会で成立。今月から施行)、そして現在国会に提出中の「国有林野管理経営法案」がそれである。森林科学者やジャーナリストが、これまでの「持続可能な森林管理」を放棄し、林業を外資をはじめとする民間企業に開放するものだとして警鐘を乱打している。どんな内容なのか調べてみた。

■公共性高い森林整備の役割
 
 森林経営管理法は、安倍政府の規制改革推進会議が主導して成立させたもので、「林業の成長産業化」を掲げ、「日本では意欲の低い小規模零細な森林所有者が多く、手入れが行き届きにくくなっている」といって森林所有者に経営管理権を手放させ、市町村に経営委託する。そして市町村が森林の集約を進めたうえで、もうかる森林は民間企業に再委託し、もうからない森林は市町村で管理するというものだ。
 
 これに対して愛媛大学名誉教授の泉英二氏(森林学)を委員長とする国民森林会議提言委員会が、「林政をこのような方向へ大転換させてよいのか」と題する提言を発表した。そのなかで泉氏は、「林業構造全体を、公共的な利益から経済性の追求に転換させるものだ。これまでの政策では、災害の防止を目的とした間伐に重点が置かれていた。しかし今後はもうけるために大量の木材を供給する主伐(皆伐)を主軸に据え、所有者から経営管理権を奪ってまで主伐しようとしている」と批判している。
 
 森林生態学では森林の発達段階を、「林分初期(幼齢)段階」=10年生ぐらいまで、「若齢段階」=50年生ぐらいまで、「成熟段階」=150年生ぐらいまで、「老齢段階」=150年生以上、と評価する。そして若齢段階までの森林は構造が単純で、生物多様性が乏しく、土壌構造は未熟で、水源涵養機能は低い。森林生態系は時が経つほど生物多様性が豊かになり、植物と動物の遺体(落葉、落枝、死骸、糞)の質量は増え、土壌生物の活動が活発化し、そうなると土壌孔隙など土壌構造が発達して保水機能は高まる。
 
 ところが森林経営管理法では、政府・林野庁は「日本の人工林は50年前後をもって主伐期に達した」と評価し、若齢段階で皆伐する短伐期皆伐・再造林方式を推進しようとしている。それは以上の自然法則に逆らい、災害に対して今以上に脆弱な森林をつくることにならざるをえない。また、一度にすべてを伐ってしまうと、苗木を食べ尽くすシカの被害のリスクも高まり、成林が困難になると指摘する研究者もいる。
 
 この法律でもうかるのは、大型木材産業とバイオマス発電業者である。2012年に再生可能エネルギーの固定価格買取制度が始まってから、各地で伐採量にこだわる大規模な皆伐が横行し、丸裸になる山が急増しているという。
 
 そして、この財源をひねり出すために新設されたのが森林環境税だ。2024年度から、住民税に国民一人当り一律1000円を上乗せして徴収し、それを国が都道府県と市町村に分配する。なぜ2024年かというと、その前年度に東日本大震災の復興特別税の1000円が終わるからで、追加負担をごまかすための姑息なやり方である。今年度から23年度までの自治体分配金は、国が税金で立て替える。
 
 それに加え、国有林野法を改定する国有林野管理経営法が国会に提出されている。ジャーナリストの橋本淳司氏はこの法律を、国有林を水道民営化と同じコンセッション方式で外資に売り飛ばすものだと批判している(『世界』5月号)。
 
 同法案は、農林水産大臣が外資を含む特定の林業経営者に、50年以内という長期間、国有林の樹木採取区に成育する樹木を伐採する権利(樹木採取権)を与える、というもの。その下敷きになったのが、未来投資戦略会議の「国有林について、民間事業者が長期・大ロットで使用収益を可能とする仕組みを整備し、コンセッションを強化する」という方針だった。
 
 日本の商社がコンセッション契約を結んだフィリピンやインドネシアの森林で、木材を大量伐採してはげ山にした後、同国に返還したという例もある。橋本氏は、現在国内では大規模なバイオマス発電の燃料用木材チップの需要が急増しており、企業が安価な木材の大量供給を国産材に求めていること、そこにこの法律を使って、成長の早い品種を用いて短期間に伐採して回転率を上げる企業が参入する可能性があることを指摘している。
 
■国土の7割が森林の日本
 
 「100年の計」といわれる森林経営に、短期的利益追求主義を持ち込むことがいかに危険かは明らかである。日本の国土の67%は森林であり、先進国のなかでこれほど豊かな森林率を持つ国はまれだ。日本の林業の成り立ちは3世紀ともいわれ、長い歴史を誇っている。
 
 だが、第二次大戦中は過伐が進み、戦後復興から高度成長期にも木材需要が拡大し続けた。この時期政府は、天然材を伐採してスギやヒノキなどの人工林にかえる拡大造林政策をとった。この人工林が成長して伐採可能になった1990年代以降、日本の木材供給量(生産量)は増大するはずだったがそうならず、60年代からの半世紀で3分の1に縮小した。原因は1961年の丸太の輸入完全自由化を手始めに、木材関連の関税を撤廃したからだ。安い外材が流入し、輸入自由化前に90%以上あった自給率が、今では36%に落ち込んでいる。
 
 一方、国内の人工林の多くが間伐されないまま放置されている。お互いもたれあうようにして立つヒョロ長い木の集団は、根系の支持力も弱く、強風や冠雪で一気に共倒れを起こすし、豪雨時には表層崩壊を起こしやすい。また、密集した人工林は非常に暗く、下層植生がきわめて乏しいため、雨水による土壌の浸食を招きやすい。それが、台風や集中豪雨のたびに大規模災害を引き起こす要因の一つになっている。
 
 森林科学者の藤森隆郎氏(元農林省林業試験場勤務)は、日本の自然を生かした第一次産業を軽視することは、日本社会の持続可能性を根底から危うくすると指摘している(築地書館『林業がつくる日本の森林』)。
 
 健全な森林は、それぞれの地域の気象緩和、水資源の保全、土壌保全、生物多様性の保全といった、国土保全に不可欠な機能を持っている。また木材は、光合成によって水と二酸化炭素をもとに生産し続けることができるし、木材は長期にわたって炭素を貯蔵し続け、使用後は燃焼や腐朽などによって二酸化炭素と水に還元される。この木材を、森林生態系の持続性を損なわない範囲でできるだけ多く生産し、有効に利用するなら、人間社会に利益をもたらす。
 
 林業先進国ドイツでは、林業は国の安全保障に欠かせないとして、林業従事者に所得補償や補助金を出し、林業の振興に努めているという。それとは対照的に、民間企業の利益を優先し、森林の国土保全、水源涵養機能は壊れるにまかせるという日本政府に、厳しい批判の声が巻き起こっている。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/11421
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/716.html

[政治・選挙・NHK259] 講演 「自伐型の林業に活路」 (長周新聞)

「自伐型の林業に活路」 
高知の林業推進協会代表が下関で講演
2018年1月29日付 長周新聞


■最適な環境の日本でなぜ衰退するのか

ドイツの生産額は日本の10倍

 下関市の菊川ふれあい会館(アブニール)で28日、下関市が主催する自伐型林業講演会「山林所有者や地域自ら森林経営・施業を行う自立自営の林業とは」があった。高知県いの町在住のNPO法人・自伐型林業推進協会の中嶋建造代表理事が基調講演をおこない、市内外の森林所有者や林業関係者、地域住民など約90人が参加した。総面積の6割超を森林が占める下関市においても、森林の荒廃は長年の課題で、シカやイノシシなどの行動範囲が拡大する一因とも指摘されており、林業に対する関心の高さをうかがわせた。

 中嶋氏は、日本は国土の7割を森林が占め、温帯で四季があり、雨が多いという樹木にとっては最適な環境で、スギ・ヒノキが大量にあるほか、広葉樹のケヤキやミズナラ、クリなど質・量ともに世界一だとのべ、「世界一の林業が展開されておかしくない日本で、林業が衰退産業の代名詞のようになっている」と現状への疑問をのべた。

 現行の林業を見ると山林所有者は赤字であり、国有林は約3兆円の赤字を積み上げ、県公林で破綻したところも多い。森林組合も経営の7割を補助金で補わなければ成り立たない現実がある。しかし国の政策が根本療法へと向かわず、大規模な事業体にのみ補助金を倍増するなど対症療法的政策にとどまっていることを指摘。その結果、林業生産額は約2000億円(日本のGDPの0・1%以下)と、補助金額(年間3000億円)を下回る産業となり、就業者はピーク時の10分の1まで減少しているとのべた。日本の四割の森林面積であるドイツは、自然環境は日本に劣るにもかかわらず、生産量は5倍、生産額は10倍で、就業者数は120万人と自動車産業より多いことも紹介した。

 日本の林業政策の問題点の一つとして、すべての作業を委託する「所有と経営の分離」をあげた。所有と経営の分離は、昭和40年頃から林野庁が推進してきたもので現在も進行しており、森林・林業再生プランも、多数の山主の山林を集約し、森林組合などが請け負う形が前提となっている。小規模な山林所有者を切り捨てる政策であり、山林所有者の林業離れはこうした政策の結果であると指摘した。

 また現行の材価では「皆伐施業」の手法は採算が合わないうえ、50年たった木材を皆伐すると、その後出荷する材がなくなる問題や、皆伐した山は土砂流出が激しく、災害が頻発するなどの問題をはらんでいることを指摘した。また大規模化は高性能機械の導入が必要で、1億円の機械投資に加えて作業員の人件費、修理費、燃料費などコストがかかるうえ、広い作業道の敷設が山林崩壊や土砂災害を頻発させているとのべた。

 大量生産・大量消費という皆伐を生む現行林業と反対に、自伐型林業は所有・経営・施業をできるだけ近づける形だという。小規模な作業道を高密度に敷設し、2㌧車などで作業をおこなうため、コストもかからず地域住民や山林所有者の参入も容易だとのべた。長期的な多間伐施業で、2割以下の間伐をくり返し、残った木が成長することで10年後の間伐時には材積が上がり、収入が増える仕組みだ。中嶋氏によると50年からが良質な材をつくるスタートで「50年で切ってしまうのはもったいない」という。現在ほとんどがB材として扱われているが、50年以上たてばA材として出荷できる。限られた山から継続的に収入を得るためには良好な森の維持が不可欠で、それが子や孫と多世代にわたる定住策ともなることを強調した。

 高知県をはじめ全国で自伐型林業に参入する若者も増えており、20歳前後の若者が年間500万円を稼ぎ出したり、ミカンと兼業で1000万円を稼ぐ4年目の参入者もあることを紹介。人が山に入ることでシカの被害も劇的に減ったとのべた。質疑では森林組合との関係や小規模所有者の多い下関の現状なども踏まえて質問が出されていた。現状放置では山林の荒廃や中山間地域の人口減少は進む一方であり、こうした他県の実践例を踏まえ、下関の実情に即した対策について議論を深めることが求められている。
 
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/6912
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/717.html

[政治・選挙・NHK259] 皆伐・都市化が招く豪雨災害の激甚化  (長周新聞)

皆伐・都市化が招く豪雨災害の激甚化 
ー『ウェブ論座』で専門家ら指摘ー
2017年9月7日付 長周新聞 


 7月に九州北部をおそった集中豪雨は、山の斜面を同時多発的に崩壊させ、濁流が大量の土砂や流木とともに集落に流れ込んだことで、河川流域に甚大な被害をもたらした。

 森林ジャーナリストの田中淳夫氏は『ウェブ論座』(8月30日)で、「水害の発生や被害の激甚化の一因に林業がある」という報道に対して、「水害と森林のかかわりについての長年の研究で積み重ねた科学的な知見」に反すると批判している。

 田中氏は、豪雨と土砂崩れの基本的メカニズムを明らかにしたうえで、専門家による現地調査の結果、「切り捨て間伐や山土場が流木を増やした」という説にはなんの根拠もなかったことを明らかにしている。そして、「(このたびの北部九州豪雨による)崩壊地直下の渓流に残る流木を調べると、ほとんど根がついていた。つまり流木は崩壊土砂とともに流された立木だと考えられる」とのべている。

 田中氏はそこから、問題は林業にあるのではなく、「近年林業地で進む皆伐」の方が大きいと指摘している。「山肌の木を全部伐ってしまう」ことで、本来、土砂崩れを防ぐ作用を果たす森林を破壊してきた。つまり林業を奪うことで、土砂崩れを引き起こしているのである。

 田中氏は「木材を必要とする人間社会に林業は欠かせない存在である。“不伐の森”がかならずしも水害を防ぐわけではないが、人は木材を収穫させてもらいつつ、少しでも減災につながる森林管理を模索すべきだろう」と訴えている。

 これに関連して、地球太陽系科学者の山内正敏氏(スウェーデン国立スペース物理研究所研究員)が同誌で、何回かにわたって、洪水対策に関連して別の側面から論じている。それは、水田や遊水池の減少とかかわった問題である。

 ■ダムより有効な水田の役割

 山内氏は、森林は、水田と並んで「重要な保水地」であると指摘する。とくに、「河川敷の樹木は流れを妨げるマイナス面があるが、深い土壌と森林活動で、多くの水を吸収するから、遊水池として機能する」ことを明らかにしたうえで、次のように続けている。

 「かつては、上流から流れ込む量を減らすべく、防災ダムの建設で水をせき止めるという発想が治水の根幹にあった。しかしダムよりもはるかに有効な遊水池を日本は昔から持っている。水田だ。収穫期の洪水こそ深刻な被害をもたらすが、他の季節なら、どの農産物よりも水稲が洪水に強い。ちなみに、WTO等で問題になる農業への補助金だが、水稲に関しては洪水対策費という面があり、そのついでに米を作っているのが日本の文化であって、そういう視点だと、日本の米は実質的に非常に安いとも言えるのである」と。

 山内氏は、「日本人の過去の知恵とも言える遊水池=水田」が、地方都市ですら住宅等に転用されてきたため、「同じ降雨量でも水位があがる」傾向にあることを明らかにしている。また、そうした「急速に都市化が進んだ場所」が、「氾濫で一番被害額が大きくなりそうなインフラが集中している」と指摘する。川の近くは「洪水リスクはあるけど地価が安い」ということで都市化が進んできたのである。

 山内氏は続けて、「都市部を中心に田んぼや森林は年々減り、その代わりとなる遊水池は一向に増えず、せいぜい小川に十分な河川敷を与え高い堤防で覆って川自体を遊水池としても活用している程度だ。そればかりかミニ開発で土の庭が減り、住宅地であっても地表がコンクリートで覆われて、都市型の鉄砲水が出やすくなっている」と懸念を示している。そして、「保水力を失ったはげ山で起こる鉄砲水の都市版である。この手の洪水は、集中豪雨というより人工構造物が原因と言っていいだろう」と警鐘を鳴らしている。

 山内氏はそこから、「ミニ開発の原因の一つは、田畑や木立など、遊水池・保水地としての公共的な役割を持つ土地が、相続税や固定資産税の制度に考慮されていないことにある。掛け声だけでなく、税制という面から遊水池を守らないと、都市型洪水はますます広範囲に広がるだろう」と警告している。さらに、「現在存在する堤防(自然堤防を含む)から一定距離以内での新築を禁じ、他の土地利用も許可制にすることだ」「川にむかう景色が良いからとマンションを建てるなどもっての他である。治水はまさに百年の計だ」と訴えている。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/4668
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/718.html

[政治・選挙・NHK259] 中西進さん、「令和」批判への反論・弁明は、お見苦しい。(澤藤統一郎の憲法日記)
 
中西進さん、「令和」批判への反論・弁明は、お見苦しい。
2019年4月13日付 「澤藤統一郎の憲法日記」


「世の中は三日見ぬまの桜かな」(寥太)という句がある。
作者の眼前には、満開の桜があるのだろうか。花はすっかり散った葉桜なのだろうか。三日見ぬ間に、花は咲いたのか、散ったのか。どちらとも解することが可能だ。

得意の人生を歩んできた者の眼前には満開の桜が見え、失意の人生を送った者には葉桜の句としか解せないのではなかろうか。句の解釈は、人それぞれである。また、人それぞれの立場やら人生経験が、解釈を決定することにもなろう。

さて、新元号「令和」である。私は、「令」も「和」も、いや~な漢字と繰り返し述べてきた。「令」は、命令・法令・勅令・訓令・威令・禁令・軍令・指令・家令・号令・布令…の令を連想させる。令とは、権力者から民衆に、お上から下々への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すまことに嫌みな漢字なのだ。

ところが昨日(4月12日)、これを正反対に解する人物の言が話題となった。その人の名は中西進。大阪女子大の元学長という肩書。万葉集の講座を東京都内で開いた。令和の「令」は発音が美しいと評価し、「命令」の「令」との指摘は当たらないと説明した。そして、こう言ったと報じられている。「命令の令との指摘は、こじつけだ。令嬢や令夫人などと同様に、和を形容する意味に取るのが普通だ」と強調した。

この元学長は、「中西進という人が(「令和」という元号の)考案者と言われているが、ここにいるの(自分のこと)は違う人間だ」とも述べたという。私は、中西進著「万葉の秀歌 上・下」(講談社新書)の愛読者である。これまでは尊敬もしていたが、中西進という人が「令和」の考案者だとしたら、実につまらぬことをしたものと興醒めだ。さらに、「令和」への批判を快しとせず再批判を試みる態度は見苦しい。「裁判官は弁明せず」という法諺がある。その美学を見習うべきだろう。

「令嬢や令夫人などと同様に、和を形容する意味に取るのが普通だ」という言語感覚にはなじめない。それこそ、こじつけではなかろうか。大多数の国民は、「令嬢や令夫人や令室」などという言葉とは無縁の生活圏で暮らしている。「令」と出てきたら、「令嬢や令夫人」を連想しろというのが、どだい無理な話だ。

「令和」と2字をならべて、「令」を修飾語、「和」を被修飾語と解して、「令なる和」と読めというのはさらに無理な話。「令嬢・令夫人・令室」など、人や物に付く「令」はともかく、「和」に修飾語が付くとは、普通の言語感覚では思いもよらない。「令」を修飾語とする例で思いつくのは、「令状」の令であり「巧言令色」の令くらいのもの。

少なくとも、両様の解釈が可能なことを、一方だけが正しくて、他を「こじつけ」という尊大さが、元号というものにまつわる権威主義的な雰囲気をよく表している。

さらに、令和の「レイ」は発音が美しいとの自画自賛の評価となると噴飯物である。高村薫は、「「れい」という音も冷たい響きで、長く使いたくなるような明るい語感ではない」と言った。こちらが常識的な言語感覚だろう。

令和のレイからは、冷血、冷酷、怜悧…、確かに冷たい響きしか聞こえてこない。

また、報道では「令和の典拠である万葉集に先行する漢籍「文選」に類似の文章があるとの指摘には『並ぶべくもない。冷静に見ると、万葉集が出典というのはいいと思う』と解説した。」とある。「並ぶべくもない」の意味が不明である。文選が万葉集に並ぶべくもないのか、あるいはその反対なのか。

中西進「万葉の秀歌 上」131~133頁に「巻五・822」の旅人の梅花の歌の解説があり、その中で中西先生はこう書いておられる。「旅人は、32首に先だって、漢文で当日の模様を書いて序文としているが、その書き方も中国の王羲之の名篇「蘭亭序」を真似たものであり、華麗な四六文によるものである」と。

「蘭亭序」の文中には、「天朗氣清、惠風和暢」という文書があるそうだ。中西説では、令和のネタ元である梅花の歌32首序はこの「蘭亭序」の真似ということなのだ。

また、中西説では指摘がないが、つとに話題となっているとおり、「文選」中に漢の張衡による「帰田賦」があり、その一節に「於是仲春令月、時和氣清」と「令和」がしっかり出てくるという。「冷静に見ると、万葉集が出典というのはいいと思う」などとがんばっても仕方なかろう。「万葉のどこを採っても、結局は漢籍に行き着くね」と、余裕で破顔一笑してみせれば、中西先生の風格と尊敬は保たれたのに。

中西進といえば、大先生。その道の権威である。だから、自分の解釈が正しい、他はこじつけという姿勢を露わにしたことが不愉快なのだ。天皇制も権威である。天皇という権威が、学問上の権威と一緒になって、「令和批判は間違っている」と言うその姿勢こそ、まちがっている。天皇制に対してのものにせよ、元号に対するものにせよ、批判があって当然なのだ。天皇に関わることだから、斯界の権威が言うことだから、と批判を躊躇してはならない。誰もが語り、読み書きする言葉のことだ。何が正しいか、何がまちがっているか、天皇も大先生も決める権利はない。天皇にも大先生にも恐れ入ってはならない。
(2019年4月13日)
 
http://article9.jp/wordpress/?p=12413
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/719.html

[政治・選挙・NHK259] 本日(4月20日)の東京新聞「こちら特報部」に、国旗国歌強制の是非を問う記事。(澤藤統一郎の憲法日記)
 
本日(4月20日)の東京新聞「こちら特報部」に、「進んだ愛国心強制」「日の丸・君が代 問われた平成」というタイトルの記事。都教委の「日の丸・君が代」強制と、それへの抵抗の運動と訴訟の記事がメインとなっている。もう一つのテーマが、ILOによる日本政府への国旗国歌強制改善勧告の件。

リードは、以下のとおり。

「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が学校教育で規
定された1989年の学習指導要領改定から30年。
平成の時代は教師らにとって、思想良心の自由に「踏
み絵」を迫られた時間でもあった。卒業式などで起立
せず、君が代を歌わなかったのは職務命令に反すると
して、処分を受けた教師らがその違憲性を訴えた裁判
は今春、終結。国際労働機関(ILO)は日本政府に
改善を促した。国旗国歌の強制問題は今、どこにある
のか。

「平成の時代は教師らにとって、思想良心の自由に「踏み絵」を迫られた時間でもあった。」という、「平成『踏み絵』時代論」、あるいは「思想良心受難時代論」である。「平成」という期間の区切り方にはなんの必然性もないが、なるほど、符合している。学習指導要領の国旗国歌条項の改定が1989年だった。それまで学校行事での国旗掲揚・国歌斉唱は「望ましい」とされていたに過ぎなかったものが、「国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導するものとする」と、義務条項に読める文言となった。あれから、ちょうど30年。平成と言われる時代は、愛国心教育が子どもたちに吹き込まれた時代と重なった。
 
おそらくは、愛国心教育というマインドコントロールの効果に染まった子どもたちが、大量のネトウヨ族に育ち、嫌韓反中本や「日本国紀」などの読者となっているのだろう。自分自身の自立した主体性をもたず、自分の頭でものを考えることなく、国家や民族に強いアイデンティティを感じて、自国・自民族の歴史を美化し、民族差別を当然のこととするその心根。それが、愛国心教育の赫々たる成果だ。

 これに抵抗する教員が少数派となり、抑圧の対象となり、権力的な制裁を受けてきたのが、なるほど「平成」という元号に重なる30年の時代だった。日の丸・君が代問題は、時代の空気の象徴である。こと、思想・良心の自由、あるいは教育の自由にとって、受難の時代として振り返るしかない。しかし、単なる受難一方の時代ではない。精一杯の抵抗の時代でもあった。

特報部記事の取材先は、5回の不起立で裁判を闘った田中聡史さん、やはり訴訟の原告だった、渡辺厚子さん。そして、弁護団の私、名古屋大学の愛敬浩二さん、東大の高橋哲哉さんなど。

良心的なメディアに、真面目な姿勢で取りあげていただいたことが、まことにありがたい。
 
ところで、東京新聞は、3月30日に、「ILO、政府に是正勧告」の記事を出している。これについては、同日に私のブログで紹介しているのでご覧いただきたい。
 
「ILOが日本政府に、「日の丸・君が代」強制の是正勧告」
http://article9.jp/wordpress/?p=12331
 
この東京新聞記事を検索すると、この記事に対する賛否の意見を読むことかできる。これが、興味深い。まことに真っ当なILO勧告への賛成意見(「日の丸・君が代」強制反対)と、まことに乱暴で真っ当ならざる反対意見(「日の丸・君が代」強制賛成)との対比が、絵に描いたごとくに明瞭なのだ。
 
いくつかの典型例をピックアップしてみよう。
 
侵略戦争のシンボルに拒否感を抱く人の思想・良心の
自由は保障されるべきであり、学校という公的な場で
こそ尊重が求められる。政府も国旗国歌法の審議で
「強制しない」としていた。懲戒処分を背景に強制な
どもってのほか。(山添拓)
 
学校現場での「日の丸掲揚・君が代斉唱」の強制(従
わない教職員らへの懲戒処分)を巡り、ILOが初め
て是正を求める勧告を出したとのこと。侵略戦争・植
民地支配のアンセムとして機能した「君が代」の斉唱
の強制は、内心の自由の侵害です。歌わない自由を認
めるべきです。(明日の自由を守る若手弁護士の会)
 
「君が代」「日の丸」はただの物ではなく、天皇主権
とその下での侵略戦争の歴史を背負っている。だから
良心的な教員であるほど、それらに敬意を表すること
はできないのだ。とにかく国旗掲揚や国歌斉唱を強制
する職務命令は、国際的には無効であることが示され
たわけだ
 
これ本当は独立の近代国家である(少なくともそう自
称している)我が国の裁判所が言わなきゃいかんこと
なのよ。ところが我が国の裁判所は正反対のことを言
いそういった我が国の現状に対してまたしても海外か
ら至極真っ当な苦言を呈されるという。いつまで続け
るのこんなこと。
 
また、「ILOは反日」と言い出す輩が現れるのだろ
う。国連も反日、ASEANも反日、世界中反日だらけ。
自分の方がおかしいとか思わないのかね。
 
強制賛成派は、こんな調子だ。
 
は?日本人じゃないんですか?
国家(ママ)歌いたくないとか、国旗掲揚したくないと
か、どこのダダっ子…(笑)
嫌なら教員辞めれば良いだけw
就業規則に従わない社員みないなものですよねw
 
ふざけるな!教師は国旗掲揚、国歌斉唱は義務です。
それが仕事だからです。いやなら、辞めればいいだけ
です。
 
↑なに大喜びで報道してんだよ
サヨクミニコミ誌か?
ホントどこの国の新聞なんだ?
 
「内心の自由」が無定量に認められると面白い世の中
になる。「気に入らない客」も「気に入らない上司」
も皆、憲法で認められた「内心の自由」で沈黙=無視
しておけばオケw  いんじゃない?
 
えぇ……(困惑)
教員は国家と契約して国民の血税で食ってるやんな、
国家に対して従うと宣誓してるワケ
なら、その国家の歌を儀式的な場で歌うというのは、
至極当然のことじゃないか?
 
少し誤解があるようだから、一言。訴訟での教員側の主張は、国旗・国歌(日の丸・君が代)強制は受け入れがたいとしているだけ。けっして、思想・良心の自由の外部的な表出行為について、無制限な自由を主張しているわけではない。教員の職務との関係で、思想・良心にもとづく行動にも当然に限界がある。
 
たとえば、仮に教員が天地創造説を信じていたとしても、教室では科学的な定説として進化論を教えなければならない。記紀神話の信仰者も、神話を史実として教えてはならない。その場面では、教員の思想・良心の自由という憲法価値が、子どもの真理を学ぶべき権利に席を譲るからだ。
 
しかし、国家と個人の関係に関わる問題についてはそうではない。優れて価値観に関わる問題として、国旗・国歌(日の丸・君が代)強制に対する態度には、科学や学問とは異なり、何が正しいかを決めることはできない。この局面では、教員は自らの思想・良心にしたがった行動をとればよく、子どもたちの教育のためとして、思想・良心を枉げる必要はない。
 
進化論を否定する子どもや、アマテラスの存在を史実だと信じる子どもを育ててはならない。国旗・国歌の強制を認める子どもを育てるべきか、国旗・国歌の強制を認めない子どもとなるよう教育すべきかは、一律に教育も教育行政も決することはできない。その分野では、教員は自分の信念に従ってよいのだ。
(2019年4月20日)
 
http://article9.jp/wordpress/?p=12463
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/832.html

[国際26] 仏「黄ベスト」23週目、パリで200人以上逮捕 ノートルダム大聖堂周辺はデモ禁止に(AFPBB News)
2019年4月21日 9:54

【4月21日 AFP】エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領の政策に抗議する「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」運動は20日、23週目を迎えた。この日も各地でデモが行われたが、パリではデモ隊と警官隊が衝突し、200人以上が逮捕された。

 エマニュエル・グレゴワール(Emmanuel Gregoire)パリ副市長がAFPに語ったところによると、バスチーユ広場(Place de la Bastille)とレピュブリック広場(Place de la Republique)を結ぶ道がかなりの被害を受けたという。

 内務省発表によると、20日のデモ参加者は仏全土で約2万7900人、うちパリでは9000人だった。政府側が発表する数字について、デモ主催者側は黄ベストデモの参加者数を大幅に少なく見せようとしていると主張し、一貫して異議を唱えており、20日のデモ参加者についても仏全土で10万人以上だったと主張している。

 シャンゼリゼ(Champs-Elysees)通り沿いに大損害をもたらした3月16日の暴動のように暴力がエスカレートする懸念を払拭(ふっしょく)すべく、仏全土に警察官と憲兵6万人以上が配備された。

 パリ警察は、デモ参加者227人を逮捕し、2万500人以上に職務質問を行ったと発表。パリ検察によると、夕方までに未成年者6人を含む178人が拘束された。20日のデモは、パリ以外では北部リール(Lille)や南西部のボルドー(Bordeaux)とトゥールーズ(Toulouse)などの都市でも行われた。

 15日に大火災に見舞われ、一部が封鎖されているノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)周辺へのデモ隊の立ち入りは禁止された。フランスの資産家らはノートルダム大聖堂のために大金を寄付すると約束したが、この行動にデモ隊の一部が不満を示している。

 仏作家のオリビエ・プリオル(Olivier Pourriol)氏は、仏作家ビクトル・ユゴー(Victor Hugo)の2つの作品を引き合いに出し、「ビクトル・ユゴーは、『ノートルダム・ド・パリ』への支援をいとわないこうした寛大な篤志家全員に感謝し、『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』にも同じことをしてはどうかと提案するだろう」とツイッター(Twitter)に投稿した。レ・ミゼラブルはパリの貧困層を描いた長編小説。(c)AFP/Anne LEC'HVIEN

(写真) 仏パリで行われた「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動のデモ。いずれも2019年4月20日撮影。
1/20 デモ隊と衝突する機動隊 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
2/20 デモ隊と衝突する機動隊 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
3/20 催涙ガスの中に立つデモ参加者 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
4/20 デモ隊と衝突する機動隊 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
5/20 レピュブリック広場でデモ隊とにらみ合う警官隊 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
6/20 レピュブリック広場で催涙ガスを使う警官隊 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
7/20 「TV」と書かれたヘルメットをかぶった男性を逮捕する機動隊 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
8/20 地面に横たわるデモ参加者 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
9/20 デモ参加者を引きずる機動隊 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
10/20 デモ参加者を引きずる機動隊 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
11/20 家具店の割られたウインドー (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
12/20 火を付けられたスクーター (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
13/20 シュプレヒコールを上げるデモ隊 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
14/20 店舗のウインドーから保護用の木板をはがすデモ隊 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
15/20 催涙ガスに巻き込まれた車いすのデモ参加者 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
16/20 燃えるごみ箱 (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
17/20 地面に横たわるデモ参加者 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
18/20 地面に横たわるデモ参加者 (c)Anne-Christine POUJOULAT / AFP
19/20 燃えるバリケード (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
20/20 燃えるスクーター (c)Zakaria ABDELKAFI / AFP
 
https://www.afpbb.com/articles/-/3221793
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/269.html

[マスコミ・電通批評15] 令和への期待を盛んに報じるメディアが陥った陥穽 (朝日新聞社 論座)
令和への期待を盛んに報じるメディアが陥った陥穽
とにかく「明るい」ニュースの氾濫で何が報じられていないかに思いをいたそう

西田亮介(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)

論座 2019年04月21日


■メディア総動員で期待感を演出

 公文書の改竄(かいざん)に統計不正、閣僚の失言など、平成末の政治の深刻さを覆い隠すかのように、「改元」は社会に華やいだ雰囲気をもたらしているようだ。

 浮かれた空気は新元号の発表前からあった。新聞やテレビでは、通行人や女子高生に面白おかしく新元号を予想させるなど、新元号をネタにするニュースが溢れた。本番の「令和」の発表にあたっては、官邸がInstagramの予告機能を使ったほか、TwitterやYouTubeといったSNSの首相官邸アカウントを通して、インターネットでライブ配信が行われた。もちろん伝統的なマスコミも「改元シフト」で手厚く報道した。

 かくして、新旧メディアが総動員で令和への期待感が賑々(にぎにぎ)しく演出されたのである。

■政権、メディアにとって好影響

 「成果」はどうだったか?

 2019年4月10日の読売新聞朝刊の「深読み視聴率 関東地区」欄は、
「多くの人々がテレビを通し、新元号の発表を見守ったに違いない。1日の各局のニュースが軒並み高視聴率だった。新元号発表の瞬間を中継した午前11時からの『ニュース』(NHK)が19.3%で、新元号を報じたこの日の番組で最も高かった」
と書いている。

 元号を公表した菅義偉官房長官がネットで人気とも報じられている。ネット配信も行われたので、令和を掲げて見せた菅官房長官は、若い世代の間でも「令和おじさん」として認知されるようになったようだ。菅官房長官が得たのは新しい愛称だけではない。直後の世論調査では、「ポスト安倍」の候補として浮上したと産経新聞は報じている。(【産経・FNN合同世論調査】令和おじさん「ポスト安倍」にも浮上 菅氏が存在感)

 また、令和公表直後に実施された各社の世論調査は、内閣支持率の大幅改善を伝えている。新元号の発表はメディアと政権の双方にとって好ましい影響を与えたといえそうだ。

■「政治ショー」をどうとらえるか?

 「国民生活への影響を最小限度に」と天皇が望んでいたはずの改元だが、新紙幣の図柄の公表、日本で初めてのG20首脳会談開催など、幾つかの「政治ショー」が重なっている。こうした政治ショーをわれわれはどのようにとらえればいいのだろうか。

 「たまたま」なのか、意図的か。 そもそも政治ショー化それ自体を批判する声もある。

 もちろん、ときの政権が、政策を分かりやすく示して周知をはかること、タイミングをみて施策を講じること自体は、非難されるべきものではない。また、政治ショー批判は道義的なものであり、もっと言えば、政治ショーかどうかも明確には割り切れない。

 だが、その一方で、現在の政治において、イベントとその日程、それに関する広報が専門性をもってデザインされているのも事実である。省庁再編とともに設置された政治任用の事務次官級ポストの内閣広報官と内閣広報室が中心となり、政府広報室も一体となった運用体制がつくられ、国際広報も含めて情報デザインは精緻(せいち)になる一方だ。

 現在の安倍晋三政権は選挙日程の管理と広報に明らかに長けている。この政権には、2000年代に小泉純一郎政権のもと、政府と党の広報に関する仕事を経験した人が、安倍首相を含めて多い。安倍首相は官房長官、官房副長官、自民党幹事長を歴任したが、小泉内閣が広報ツールとして導入した「官邸メールマガジン」の初代編集長は、当時の官房副長官だった安倍氏である。

 「たまたま」か否か(≒意図的かどうか)という問題に決着をつけるのは難しい。事実を列挙しながら、蓋然性を推測するしかない。ただ、政治ショーの背後に“プロ”の手が加わっている点は忘れるべきではない。

■平成、令和の初めの共通点は夏の参院選

 昭和が終わったとき、平成の終わりに平成後の元号が、今のような空気感で公表されるとは、誰も想像しなかったであろう。

 思い返せば、バブル経済の渦中にありながら、昭和天皇の体調不良と崩御で自粛ムードが社会を覆っていた昭和の終わり(平成の始まり)と、平成の「失われた30年」の痕跡を色濃く残しながらも、東京五輪を翌年に控えて漠然とだが華やいだ雰囲気が漂う現在の経済や世相とは、対照的である。

 ただ、このふたつには共通点がある。いずれも夏に参院選が行われることだ。

 平成元年、つまり1989年は、第15回参院選が実施された年だった。この参院選で自民党は大敗を喫した。前年に発覚したリクルート事件で自民党の腐敗体質が問われたこと、やはり平成元年に導入された消費税に世間が厳しい目を向けたためだった。参議院で過半数割れに陥った自民党では、その後、政治改革をめぐり党内対立が激化、非自民連立政権の誕生と55年体制の終焉を迎える。

 令和元年の2019年夏には第25回参議院選挙が実施される。今年は、朝日新聞社の政治記者だった石川真澄が「亥年選挙」と名付けた、統一地方選挙と参院選が同時実施される年にあたる。相次ぐ選挙に組織が疲弊するため、組織への依存度が高い与党が議席を減らしがちだという経験的知見が、選挙の世界ではよく知られている。

 今年の参院選はどうか。統一地方選の結果や政党間の現状を見ると、野党は厳しい状況におかれている。地方組織の整備も進まないうえ、政党としての主張も明確ではなく、平成元年参院選の再来は容易ではなさそうだ。

 そうであるにもかかわらず、与党自民党では「安倍4選」がまことしやかに語られ、政権末期のレームダック化を避けるためか、与党は参院選に向けて引き締めを強めている。負の時代を繰り替えさないという政権の思惑が伺える。

■明るいニュースが氾濫すると……

 そんな政治の動きや思惑を知ってか知らずか、メディアは改元や新通貨の図柄といった「明るい(しかし毒にも薬にもならない)ニュース」をしきりに流す。問題は、こうした「明るいニュース」はメディアの報道量を大きく消費することだ。

 とりわけ、演出力に長けるテレビ(その一方で、専門報道の体制は新聞に大きく劣る)は「ひとネタ」あるだけで、あっという間に視聴者が安心して楽しめる情報番組の企画をつくりあげる。そこに現れるのは、「女子高生が考えた改元案一覧」といったひと笑いはできる企画である(ちなみに筆者は今回、異なる放送局の複数の番組で似た企画を目にした)。

 テレビの企画力や演出は驚異的な職人技ではあるが、知性や理性の補完にはあまり貢献しない。そして、「毒にも薬にもならないが、ちょっと笑える企画」は、テレビから「その他のニュース」を報じるだけの時間(尺)を削っていく。

 よほど世間の関心を集める「重要ニュース」がなければ、多くの場合、コストの問題で報道番組の長さや紙面のベージ数は変わらない。つまり、各ニュースの報道量はそれぞれトレードオフに近い関係にある。紙幅の制約の大きい新聞、雑誌は言うまでもなく、忘れられがちだがネットニュースでさえ、多くの人が目を通すトップ画面の表示量には限界があるため、事実上の「紙幅による制約」は存在する。

 改元をめぐる報道や、その政治ショー化によって、メディアの一定量が消費される半面、何が報道されなかったのか。政治、とりわけ政権が、情報デザインに長けているだけに、そこに思いをはせる想像力が必要ではないか。

■「熟慮のメディア」が新聞の役割

 政治は国民の理性を涵養(かんよう)すべきだという立場から、「政治ショー」を道義的に批判することはもちろん可能だ。しかし、民間でも広報戦略や手法の高度化が進んでおり、政治に「民間並み」を求める風潮もあるから、政治のショー化を止めることは現実には難しい。かといって、「メディア・リテラシー」の向上もなかなか期待できない。一般の視聴者や読者にとっての利得は少なく、政党や政治家ほど政治に対する、体感しやすい利害関係を持たないからだ。

 そのなかにあって、相対的に新聞は「政治ショー」批判に向かっている。これはある意味正しい。テキストが媒体の中心で速報性の面で優位性を失っていくなかで、「熟慮のメディア」としての地位を模索するべきであろう。

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019041800011.html?page=1
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/497.html

[政治・選挙・NHK259] 繁茂する「草の根・天皇制」 内田 弘 (ちきゅう座)
 
繁茂する「草の根・天皇制」
2019年 4月 21日
<内田 弘(うちだ ひろし):専修大学名誉教授>
 
 
[1] 自然発生する天皇人気

[一木、一草にも天皇制] かつて竹内好(1910-1977)は、日本では「路傍の一木、一草にも政治(=天皇制)が感じる」と指摘した。いま、その指摘が正しいことが実証されている。
 誰が命令するのでもない。ひとびとは喜んで自発的につぎつぎと、列を成して天皇の行幸を出迎えている。自然と・自から、人々は次第に大勢になり、勢いになって、フクシマを忘れて、にこにこ笑いあう。竹内好によれば、天皇に関する日本人の類型は、思慕型・恐怖型・無関心型があるという。いま、無関心型から思慕型に再帰しているのではなかろうか。

[3・1独立運動百周年と新元号] 今年、2019年は朝鮮独立運動の1919年3月1日から百周年である。そのことに、ほとんどの日本人は無関心である。かつて日帝支配のころ、日本人は朝鮮の人々から母語を奪い、彼らに創氏改名を強制し、彼らの土地を奪い、「宮城」のある「東」に向かって遙拝させたことを全く教えず、知らせない、語らない。

[科学をせせら笑う神話] 新元号「令和」には歓喜の声をあげて「おめでたい」と反応する。天照大神(アマテラスオオミカミ)に退位の報告をするため、伊勢神宮に赴く天皇明仁と皇后美智子を、沿道で出迎える大勢の人々が「日の丸」の小旗をしきりに振って、長い列を成す。山々、野原から樹木草花が自生するように、人々は天皇の赤子に「成って」いる。
 米の原産地は中国の長江の上流であることを研究者が突き止めた。伊勢神宮の神官は、この発見を全く無視して、アマテラスオオミカミが日本に米を伝えた、とテレビ・インタビューでのべる(4月19日、BS3「風土記・伊勢」)。神話は科学的知識をせせら笑いする。これが現在の日本に露呈する天皇制の姿である。

[歴史意識の古層] 丸山眞男(1914-1996)は竹内好の友人であった。丸山は論文「歴史意識の古層」で、日本人の原思惟様式を「つぎつぎと・なりゆく・いきほひ」と図式化した。古来、日本では、どこからともなく、「つぎつぎと」連続的に、人間をふくめてすべてのものが生まれてくる。誰かが作為的に「作る」のではなく、自生的に生まれてくる。「成る」。その生成には「勢い」があって、個別的に抵抗しようがない。
 むしろ、この時の勢いに乗って流されるように生きる方が日本では生きやすいし、心地よい。自然な生き方に感じる。「世間から浮き上がるな。丸くなれ。周囲に合わせて生きよ」と言う、誰とも分からない声が日本では鳴り響く。これが過剰同調圧力の源泉である。これは、左・右の両方の組織を支配する「空気」である。
 竹内好と丸山眞男とは、日本人の物の見方、その見方にしたがった生き方の理解で、共通する。その共通する基盤は天皇制であろう。竹内好は明確に「一木、一草にも天皇制」と明言した。丸山眞男は古事記・日本書紀以来の「国書」の分析からその古層「つぎつぎと・なりゆく・いきほひ」を析出した。敗戦直後の天皇制論文が明らかにした日本人の思惟様式の深部に潜伏する古層を、後年解明したのである。

[『代替わり』のつぎは映画『空母いぶき』上映] 天皇明仁から天皇徳仁への「代替わり」のあと、注意しなければならないことが、すでに控えている。「代替わり」の月末、5月24日から、映画「空母いぶき」が全国で上映される。西村秀俊・佐々木蔵之介など、きまじめな風貌の人気俳優を主人公に、「平和を、終わらせない」ために、「命がけの任務に当たる自衛官」の防衛軍事行動を描く映画である。全国上映以前に、その映画の予告編が全国の映画館で上映されるだろう。
 映画を軽視してはならない。百の議論よりも、一本の映画の映像が、普通のひとの世界像を旋回する。代替わり=10日間の長期休暇で一体化し、沸きたつ心を、この映画で「遊び浮かれた心」を一喝して締める計画であろう。「代替わり」と「東京五輪」の間を映画「空母いぶき」が媒介する。さらに何かが、そのバトンを受け取るだろう。
 
 
[2] 「神話」(天皇人気)から「制度」(憲法改正)へ

[三木清の『構想力の論理』の現代性] 明仁から徳仁への代替わり、新元号「令和」制定を軸に、いま日本は天皇制が急激に露呈し、天皇制で充満している。
 「高度経済成長→バブル(1955~1991年)」から28年間の長期不況(1991年→2019年)を経て、いま日本の底の回転軸が「技術から神話へ」と旋回しているのではなかろうか。
 「神話→制度→技術→神話→…」という「自己に再帰する歴史循環」の曲面は「神話から制度へ」と続く。この歴史哲学は三木清の『構想力の論理』が説く日本の歴史循環である(内田弘『三木清-個性者の構想力』を参照)。
 「神話から制度へ」は、「天皇皇后人気」という「神話」から、「憲法改正」という「制度」の変換が具体的に対応する。新元号公表の時期は「天皇徳仁の即位の日(5月1日)」にすべきであるという主張を抱く保守派は、安倍首相の意見(4月1日公表)に異論があった。しかし、日本保守派は、「憲法改正」は安倍しかできないから、その異論を強く押し出さなかったと伝えられる(『東京新聞』(2019年4月19日朝刊6頁「検証・新元号『令和』(10)」)。三木清の歴史哲学の観点からは、天皇・皇后人気=「神話」沸騰をテコに憲法改正=「制度」改革を目論むという保守派戦略が観える。

[日本近現代史の《神話→制度→技術→神話→…》の循環] 日本近代史は、近代天皇制の「神話」から始まる。ついで明治憲法制定という「制度」へ移行し、その「制度」を引き継ぐのが、明治後期から大正時代末までの「産業革命」という「技術」である(神話→制度→技術)。
 その「技術」は昭和時代の天皇を現人神と仰ぐ「15年戦争」の「神話」に再帰する。「神話」に煽られた戦いに敗れ、「戦後改革」という「制度」へ移行する。その戦後体制からから高度成長という「技術」に移行し、それがバブル崩壊で行き詰まる。その隘路から、いま、天皇人気沸騰という「神話」が復活し、つぎに憲法改正という「制度」へ向かっている。
 このように、三木清の『構想力の論理』という歴史哲学は、日本近現代史の基本路線をぴたりと説明していないだろうか。三木清の歴史哲学は、《「神話・制度・技術」という三つの元(要素)を包含し自己再帰するする群》である。三木清のこの歴史哲学の群論は、西田幾多郞や田邊元に影響をあたえたのではなかろうか。

[天照大神への報告] 去る4月18日、天皇明仁と皇后美智子は、伊勢神宮に宿るという「アマテラスオオミカミ」に退位を報告するためにそこに赴いた。最寄りの駅から、沿道に日の丸の小旗を手にする人の列が連なる。
 日本史は神話に淵源するとは、歴史学上では誤謬である。しかし、現実の日本人の無視できない割合の人々は、《そんな真偽問題、お堅いことを持ち出すなんて、野暮ね》と退け、《神秘的でロマンティックじゃないですか》と魅了される。「日本史は神話から始まる」とは、特定の歴史家だけでなく、現在の日本人の無視できない数の人々の歴史像ではなかろうか。

[教養とは政治的教養] 21世紀の現代日本人は、いまも事実上その神話に生きている。生徒にとって、歴史は年表暗記に堕落されているから、大人になっても、神話の政治利用に無感覚である。歴史を学問的に教えようとする青年は教員になれるだろうか。特に教育学部には学生監視の眼が光っていないだろうか。
 「教養の核心は政治的教養である」という三木清を思い出す。「政治とは本来、未来形成活動である」からである。投票はその一端にすぎない。
 
 
[3] 無限の外来文化受容の構造

[無性にめでたい] とにかく、「おめでたい」のである。「おめでたい」とは、或るモダン・エコノミストの新元号「令和」への感慨であり、さらに最近、本稿筆者に手紙を寄せた旧友の感慨でもある。

[先進外来文化に弱い日本人] 「モダン」は外来文化である。外来文化を輸入する窓口は天皇である。その導入代理者が天皇の周囲に侍り、輸入代理業務を引き受けている。竹内好はそれを『現代中国論』で「無限の外来文化受容の構造」と命名した。
 とくかく、日本人は、左右を問わず、先進外来文化には、弱いのである。本稿筆者は、竹内好のいう「一木、一草の天皇制」・「無限の外来文化受容の構造」を軸に、竹内好論を、今から45年前に論じたことがある(内田弘『危機の文明と日本マルクス主義』田畑書店、1974年)。かつての竹内好論を思い出す機縁が、今日の《めでたいと陽気な風潮》にあると予想しなかった。

[視界に凱旋門デモは入らない] 《フランス》と聞いただけで、「セ・シ・ボン」と胸が熱くなる。あのシャンゼリセ・凱旋門でマクロン大統領を批判するフランスの人々など、念頭にまったく入らない。その人々が見えないフィルターを自から無意識に掛けている。実在すると夢想された「フランス市民社会」を憧憬する。イギリス王室の話題に胸がときめき、うっとりとする。そのような風潮をマスメディアが流布する。

[受容と排斥の二面文化の日本] したがって、日本の民族主義は決して一面的な排外主義ではない。いわゆる「ネットウヨ」はその一面にすぎない。頂点・天皇の文化権威を濾過紙にして、外来文化をつぎつぎと無限に導入する。竹内好が日本で「国民」概念の自立化を力説したとき、日本文化の分裂症気味なこの特性を念頭においている。
 外来文化を無限に受容する。か、と思えば、或る臨界点で急転し自閉する。外来思想をすべて無きものにしようとする「日本主義」(日本的キリスト教、日本的経済学など)が跋扈する。したがって、無原則に頻繁に英単語を使ってものをいう最近の日本の風潮は、或る臨界点に接近している徴候ではなかろうか。

[テキストは間違い、テクストが正しい] 「テキスト」は発音通りでない。「テクスト」が原語に近い発音である、という。しかし、textの発音表記は[tekst]であって、「テクスト(tekusuto)」の母音u,u,oは存在しないことに気づかない。この例などは、文化的強迫観念に襲われた喜悲劇の一例である。
 竹内好は、例えば、「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」という発音を日本語に導入することは、日本語の音韻体系を破壊するので反対し、それらを「バ、ビ、ブ、ベ、ボ」に変換することを主張した。日本の保守派は、竹内好のこのような主張に耳を傾けてきたのであろうか。

[なぜ日本制作でなく、フランス制作か] パリに定住しているという映画監督の渡辺謙一の作品「天皇と軍隊」を東京の「ポレポレ東中野」で観たことがある(近々、横浜シネマリンで再上映される予定)。「昭和天皇と自衛隊を正面から見据えたフランス制作ドキュメンタリー」とその映画の小冊子は宣伝する。
 しかし、なぜ「日本制作」ではないのか。日本固有の問題は、日本からよりもフランスから見ると、なぜよく見えるのであろうか。その映画を観ても、いっこうに不分明であった。《パリに住む・フランスで生活する》、ただそれだけのことで、何か優れた価値があるかのような価値観が支配していないだろうか。

[原武史の皇太后節子への関心] その映画上映の後、同じ会場で渡辺監督と原武史との対談がおこなわれた。そのときの原武史の議論に関心をもち、NHK講座「松本清張」を観た。『点と線』『砂の器』『昭和史発掘』『神々の乱心』の4作品が、その講座で論じられた松本の作品である。
 最期の『神々の乱心』は、完成間近に松本が死去したために、未完成になった著作である。おそらく、原武史の関心の焦点はこの『神々の乱心』にあると思われた。その事実上の主人公は、皇太后節子である。

[敗戦間近に戦勝祈願] 原武史は最近著作のひとつ、『天皇は宗教とどのように向き合ってきたか』(潮新書、2019年)で指摘されている、注目すべきことである。
 皇太后節子は、宮中祭祀に熱心でない昭和天皇裕仁よりも、それに熱心な秩父宮を愛したであろうと判断する。皇太后節子と秩父宮は1936年の「二・二六事件」のとき微妙な行動をとったことに、松本清張も原武史も注目している。
 皇太后節子の強い主張を受け入れて、天皇裕仁は、なんとポツダム宣言受諾の1945年8月10日の8日前の8月2日に、九州は福岡の香椎神社などに代理を送り、大東亜戦争勝利の祈願をさせている。ヒロシマ(8月6日)・ナガサキ(8月9日)の数日前である。
 
 
[4] 天皇の私事と公事とは、何が結合するのか

[天皇の私事が公事の根拠] 天皇明仁は日本国憲法第1条が規定する「天皇の象徴」とは、「祈り(宮中祭祀)という私事」と「国民への寄り添い(行幸)という公事」であると自ら定義し実践してきた。このことは、2016年8月の「おことば」でも明言されている。原武史は近著『平成の終焉』(岩波新書、2019年3月)で、この問題を詳細に検討している(つぎの本稿筆者の見解はその原武史の著著を参考にした部分がある)。
 第一に、日本国民は象徴天皇とはなにかについて戦後考えてこなかった。その空白を天皇明仁が自ら埋めた。しかし、天皇の公事は憲法で規定している。未規定の事柄については、天皇は内閣の指示を待たなければならない。安倍首相であっても、彼は合法的な首相である。安倍だから、安倍に相談なく、天皇明仁が勝手に天皇の公的な行為について自分だけで規定してはならない。すればそれは憲法違反行為である。

[原武史の実証天皇制研究] 天皇明仁によれば、天皇たる所以・根拠は、宮中における「祭祀」(祈り)である。原武史の近著『平成の終焉』には、「祭祀」についての極めて詳細なデータが掲載されている。天皇明仁・皇后美智子の「行幸啓」についてのデータも詳しく掲示されている。
 原武史の天皇制研究は、特筆すべき極めて詳細なデータによって根拠づけられている。天皇制論議はこれまでイデロギッシュであり、感情的政治的ではなかっただろうか。議論する左派も右派も、天皇制についての事実関係を宮中の行為事実にまで分け入って調べてきたわけでもない。その空白を原武史はしっかり埋めているのである。その上で、タブー視されてきたことがらにも、明確に議論している。本格的な天皇制論である。

[天皇の私事と公事の関連] 天皇明仁によれば、「私事」である「宮中祭祀」(祈り)が「公事」である「行幸」(国民への寄り添い)を根拠づける。通常は私事と公事とは分離している(私事≠公事)のに、「私事=公事」という不思議な方程式が象徴天皇制では成立しているのである。その解はなんであろうか。
 その解は、天照御神に祈願すること(私事)が日本国民のためになる(公事)という関連づけである。その方程式を不問にする日本人の原思惟は「公私の弁別」などは行わない。天皇個人の心身がその両者を統合すると思う。その統合観は、日本人が王政を撤廃し共和制(リパブリック)を自らの力で形成した経験が無いことによるのであろう。
 日本人にとって、「公(おおやけ)」とは、依然として「大(きな)家」をもつ支配者のもとに集合する民衆のことである。「市民」といわず「公民」というのも、大家支配の意図が隠されている。因みに、現代中国憲法でも、中国国民は「市民」でなく「公民」である。
 ただし、原武史が指摘するように、「新嘗祭などの大祭には首相をはじめとする三権の長や閣僚などが参列するから、完全に私的な行事となったわけではない」(前掲書『天皇は宗教とどのように向き合ってきたか』148頁)。この参列は、天皇の私的行事を公の代表が権威づけるとも理解できるので、公私混同であるとも判断できる。ここにも大家(古代的な公[おおやけ]である天皇家)は、別の近代的な公と結合して、それを飲み込んでいるのか、それに飲み込まれているのか、あいまいな関係となっている。
 
 
[5] 宮中祭祀のためのタブー

[汚れを忌み嫌うシャーマニズム] 月経や出産で血を流し、ひとが生まれる。このことは天皇制では「汚れ」である。その汚れを、日本列島を北から西南に連なる山脈から流れで出る水が日本の事物を清める。水は人間も清める。この山脈とそこから流れ出る清水が天皇制の母胎ではなかろうか。つまり、天皇が祈願する神は自然宗教の神、天皇はそれに仕えるシャーマンではなかろうか。
 「シャーマニズムとは、特別の訓練や修行によって、精霊や神仏など超人間的な存在と自由に交渉ができる霊力を身につけた人間(シャーマン)を中心とする宗教のありかたであり、その特別な霊力の保持者は、宗教的なカリスマである」。

[シャーマニズムと《神話》顕現] 上の引用文は、原武史が『平成の終焉』で紹介する、阿満和麿『日本精神史』(筑摩書房、2017年、203頁)のシャーマニズム・シャーマンについての規定である。阿満によれば、日本に伝来した仏教もシャーマン化してしまうという。仏教の神道化である。その融解力は底深い。神道的シャーマニズムは、近現代史の表層でなく、深層に潜流し、危機の曲面で三木清のいう「神話」という形態で顕現してくるのではなかろうか。

[徳仁の関心=水・自然・登山] 因みに、つぎの天皇となる徳仁は、「水・自然・登山」に強い関心をもっている。よく登山する。徳仁が好む登山は、モダンな活動、環境保護への関心である。しかし、それらは同時に、天皇制の中心・宮中祭祀で極度に重視される「汚れなき清らかさ」に連なることに注目したい。

[宮中祭祀を担う女官による清め] その汚れと清めは、極めて厳密にいまでも宮中祭祀に使える女官たちが守っている。この事実を、原武史が前掲書『平成の終焉』で紹介している。しかし、その内容には全く触れていない。その文献とは、高谷朝子『皇室の祭祀と生きて』(河出文庫、2017年)である。宮中祭殿が、いかに汚れを忌み嫌うか、汚れをいかに清めるかについて、詳しく紹介されている。

[手の平の清めの作法] たとえば、宮中の外から配達される郵便物を受け取った、宮中祭祀に仕える女官の手の平は「汚れている」。したがって、水道水で「清める」。しかしそのとき、水道の蛇口に掌(てのひら)をつけ指で蛇口をひねってはならない。なぜなら、汚れた掌を水道の水で清めたあと、水道を止めるときに、その清められた掌が触れる蛇口は、汚れているからである。それをさけるために、手の甲を巧みにつかって蛇口を開き、清めたあとは、締めなければならない。

[衣服を纏った下半身でも手で触れると汚れる] 同じ清めは、たとえ装束を纏っているとしても、その装束の上からでも下半身に触れてはならない。触れたならば、その手は汚れるからである。同じように、掌を清めなければならない。

[祈りの現場は生命活動を忌み嫌う] 日本国民のための「祈り」の現場は、このような「忌みを清めること」を極度に追求する場である。月経・出産の血は「汚れのなかの汚れ」である。人間生命の活動を「汚れ」であると規定する。汚れを極度に排除する禁忌は、神の存在する場がそれを要求するからと思念されている。
 そのようにしてまで汚れを避けた「純粋に清らかな空間」が、宮中祭祀での祈りの純粋性を担保する必須の条件である。天皇・皇后に祈られる「神」は、人間生命活動の対極に存在し、それを汚れと忌み嫌う「神」である。

[皇后となる雅子の適応障害は快癒するか] 従来、山岳は女人禁制であった。山岳信仰の特性をもつ神道は「血」を忌み嫌う「自然宗教」であろう。まもなく皇后雅子になる雅子皇太子妃が病む「適応障害」は、このような禁忌追求の生活環境への適応の難しさを示しているのではなかろうか。
 皇太子妃雅子が皇后になったからといって、楽観はできない。上皇・上皇后になった明仁・美智子が熱心な宮中祭祀に、皇后雅子は共に関わらざるを得ないだろう。皇后雅子の苦難は、なお持続するのではないかと懸念される。皇后美智子も一時、失声症を患った。
 天皇制を憧憬する国民は、そのような病いを宮中の人々に無意識に強制していることを自覚しなければならない。人権はその人々にも厳然と存在するのである。「めでたい」と浮かれていい時ではない。

[被差別の人々の人権] 辛淑玉(しん・すご)は野中広務との対談『差別と日本人』(角川新書、2009年)で、「天皇制により、部落の人々はより貶められていった」(同書126頁)と指摘している。天皇制は序列創造制度である。その頂点を目指して国民が殺到している。
 辛は、神武天皇が宿るとされる橿原神宮は1890年に明治政府が建立したとも指摘している(同書126頁)。この建立は神話の国家による人為的製造である。本稿筆者がかつてそこを訪れたとき、その神宮周囲は「日の丸」の旗で充満していた。

[被害者を忌み嫌う日本] 辛は、《日米安保条約があるから安心である》というのが、日本を取りまくアジアの人々の本音である。いつまた日本人が暴走するか心配であるという恐怖感が彼らに存在すると指摘している(同書142頁)。在日の人々、被差別の人々、チッソ・水俣の患者たち、ヒロシマ・ナガサキの被曝者たち。日本では、被害者が忌み嫌われる。しかし、彼らにも人権はあるのだ。こうして、日本の「頂点」も「底辺」も、人権蹂躙で共通する。

[楽天的な国民の無責任さ] そのような不合理な事柄を知らないで、それを知ろうともしないで、「おめでたい」と歓呼の声を張り上げる日本国民は、「主権者」にふさわしい行為主体であろうか。

[左右両派の皇道派] 原武史は前掲書『天皇は宗教にどう向き合ってきたか』で、つぎのように指摘している。
 「いわゆる『ネトウヨ』の人々の間で、『天皇・皇后は反日左翼だ』という、なんとも倒錯した言葉すら生まれています。[改行]一方、左派の人たちから見と、“天皇は安倍政権に対して距離を置いているらしいから、『天皇の敵は味方』で、我々の味方だ”というような考えになるかもしれません。しかし、これもまた“左派の皇道派”のような、ねじれた立ち位置と言えます」(同書188頁)。
 日本国民の天皇権威主義の頂点である天皇・皇后を擁護することで、天皇・皇后が国民に身を寄せることを模倣して、お返しに、天皇・皇后に身を寄せることで、自分(たち)の言動を守る者が日本の左右両派に存在する。この奇妙なシンメトリーこそ、権威主義への卑しい擦り寄りの産物ではなかろうか。 (以上)
 
 
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8586:190421〕

http://chikyuza.net/archives/93141
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/846.html

[政治・選挙・NHK259] [小沢一郎戦記(7)] 国家戦略局が沈み、小沢一郎幹事長が浮かんだ (朝日新聞社 論座)
 
小沢一郎戦記
国家戦略局が沈み、小沢一郎幹事長が浮かんだ
(7)予算か外交か、はたまた二重権力か。国家戦略局、合成の誤謬に沈む
佐藤章(ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長)

論座 2019年04月22日
より、無料公開部分を以下転載。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041500001_1.jpeg
(キャプション) 記者会見する小沢民主党代表と菅代表代行、鳩山幹事長=2006年4月8日、東京・永田町の民主党本部
 
 民主党が政権を取る3年余り前の2006年4月7日、小沢一郎が同党元代表だった菅直人を代表選で破り、新代表に就いた。小沢は選挙後、菅を代表代行に指名し、幹事長だった鳩山由紀夫とともに民主党の「トロイカ体制」を形成した。揃ってよく写真に収まり、民主党のテレビCMでも「共演」したトロイカは古い自民党政治を打ち破る清新さを国民に感じさせた。
 実際、この清新さを裏付ける「志」は三人に共通していた。三人の著書や対談記録などを読み込み、それぞれにロングインタビューした経験を持つ私は、そう考えている。しかし、その後トロイカは崩れて「志」は空回りし、清新さに対する国民の期待は萎えていった。
 
 
■菅の毀誉褒貶
 
 学生時代から現実的な政治改革を志していた菅直人は、イデオロギーに囚われない学生運動に携わっていた。1970年に東工大を卒業、72年には市川房枝や青木茂らを招いて土地問題の討論集会を開いている。その後、市川らが代表幹事を務める「理想選挙推進市民の会」から誘われて選挙運動を手伝った。74年には、政界からの引退宣言をしていた市川を担いで参院選に立候補させ、菅自身は選挙事務長として選挙運動を取り仕切り、市川を当選させた。
 
 1980年代後半、私自身、大蔵省(財務省)記者クラブに所属していたため、国会近くにある国会記者会館で審議記録をメモに取る仕事の手伝いをしていたが、衆議院議員3期目の菅が委員会で土地問題を詳細に論議していたことを記憶している。「地道によく勉強している。人気先行の人ではないな」という印象を抱いた。
 
 菅が国民的な政治家として広く認識されるようになったのは、1996年1月26日、自社さ政権、橋本龍太郎内閣の厚生大臣として薬害エイズ事件に取り組み、それまで存在を否定されていた厚生省内の同省エイズ研究班ファイルを発見した時からだろう。事件を省内の処理のみに終わらせず国民の前に引き出した。同2月9日、被害に遭った原告団に率直に謝罪した管の姿は、国民に開かれた政治の可能性を感じさせた。それまでの自民党政治ではほとんど見られなかった姿だった。
 
 2011年、未曾有の大震災が東日本を襲った3.11の時、首相の菅直人が記者会見で見せた落ち着きと、福島第一原子力発電所が最大の危機を迎えた3月15日未明に「撤退」を強く示唆した東京電力に果敢に乗り込み、「撤退はありえない」と東電幹部を面前で叱咤したことは記憶すべきことだろう。
 
 福島第一原発事故をめぐる菅の対応は毀誉褒貶に満ちている。しかし、チェルノブイリ級の過酷事故に遭遇した政権は菅の民主党内閣しか存在しない。また、平時の後講釈ならいくらでもできるが、国民全員の生活がかかったような衝撃的な大事故を前にして、菅は逃げることなく、悪戦苦闘しながら粘り強く対応を続けたことは事実だ。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)対応の拙さなど批判すべき点もあるが、私は率直に評価すべきだと思う。
 
 原発事故への対応もさることながら政治家としての菅自身についても毀誉褒貶がある。もちろん、どの世界でもハードワークを続ける人間には毀誉褒貶、敵と味方がつきまとうものだが、菅も例外ではない。首相になる前、菅と付き合いの長い法政大学教授の山口二郎は、政治家としての菅について、「いい意味で上昇志向が強い。これは政治家としては悪い資質ではない」という評価をしていた。山口に改めて確認したが、この評価は現在も変わっていない。
 
 しかし、この「上昇志向」は一般的にはしばしば裏目に出る。
 
 1974年の参院選で市川房枝を当選させた後、76年12月の衆院選に30歳で初めて立候補したが、「上昇志向」のなせる業か誤解が幾重にも絡んだものか、落選したうえに、市川との間に後味の悪い関係を残した。
 
「菅氏は昨年(1976年)12月5日の衆議院選挙の際、東京都第七区から無所属候補として立候補した。この時は立候補を内定してから私に応援を求めて来た」
 
 市川房枝は毎年1回発行していた「私の国会報告」1977年版で、菅の初立候補の事情についてこう記している。
 
「ところが選挙が始まると、私の名をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異っていた。(略)彼の大成のために惜しむ次第である」(以上『復刻私の国会報告』)
 
 もちろん、菅はその後民主党を率いて小沢や鳩山らと政権交代を成し遂げ、大成した。しかし、政権交代直後、国家予算を国民・政治の側に取り戻す大役を担った国家戦略局担当大臣となったにもかかわらず、その大役を果たしきれなかった。国家戦略局はその後、設置法案である政治主導確立法案が成立せず、実質的にはその姿を見せることがなかった。
 
 国家戦略局はなぜここで失敗してしまったのだろうか。

 私には、民主党が政権を取る11年前の金融国会の時、党代表だった菅が、大蔵省(財務省)改革を嚆矢に政と官の大改革構想を練り上げるべきだという私の提案を一蹴した言葉が思い出される。しかし、もちろんそのような単純な問題だけではない。
 
 
■鳩山は国家戦略局に「外交」を期待した
 
 「国家戦略局」。その強いネーミングは、国政を担う国会議員の間に様々な思いを抱かせる。抱くイメージは、その議員が「国家」という概念に孕ませる定義の数だけあるかもしれない。

 まず首相の鳩山由紀夫、それから国家戦略局構想を練った松井孝治のイメージ、考えを比較してみよう。松井はもちろん、国家予算の大所の編成機能を国民・政治の側に取り戻すことを第一に考えていた。しかし、松井に構想を練ることを命じた鳩山はもう少し別のところに重心を置いて考えていた。

 「私は仕組みよりも、何を目的とするかというところを強調したかった。何でも官僚に任せてきたものから、この国家戦略局で政策の大きな柱をきちっと作り上げていこうと思いました。そこには当然、外交戦略がトップクラスに入ってくるということを想像して、またそうなるべきだと考えました。外交の大きな戦略こそここで開くのだと思っていました。国内の予算の話だけだったらまったく意味がないとは言いませんが、本当の意味でこの国のあるべき姿を作ることはできない、と考えていました」

 鳩山のこの回想は考えようによっては深刻だ。松井自身も外交問題が国家戦略局に入ってくることは予想していたが、あくまで重心は予算・財政にあった。構想作成を命じた側と命じられた側が異なるところに重心を置いていたという事態は明らかに調整不足を露呈していると言える。鳩山自身、調整が不足していたことは率直に認めている。3か月余り前に代表になったばかりで時間が足りなかったことは事実だが、関係幹部は徹夜を続けてでも徹底的に話し合っておくべきだったろう。

 鳩山が国家戦略局に外交問題を入れ込む考えを持っていたために、今度は外相に就いた岡田克也とぶつかった。岡田は外交はあくまで外務省に一元化してほしいと要望した。
 
 
■国家戦略局のイメージがずれる
 
 そして、国家戦略局をめぐる最も深刻な断層は、構想を練った松井と、担当大臣となった菅の間に走っていた。その違いを一言で言えば、松井の描いていた構想では国家戦略局は国家予算編成の司令塔、菅が考えていたイメージでは国家予算を編成する際のブレーン、アドバイザー役といったところだった。

 この問題で私と会見した菅は、現在とは異なる政治情勢の時だったが野党間の協力関係に気を遣い、「取材を受けたわけではない」と断りながら言葉少なに話した。

 「国家戦略局長と党の政調会長が兼務で閣内に入っていく。そして党の政調会が引っ張って政策を決めていく。そう決まっていたのだが、実際は政調会をなくされてしまった。だから、私は整合性も考慮して、ポリシー・ユニットということを考えました。国家戦略局で予算を考えようなんて簡単にできるわけがないんです」

 「ポリシー・ユニット」というのは、 ・・・ログインして読む
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[政治・選挙・NHK259] [小沢一郎戦記(4)] 小沢一郎、金融国会の悔恨 (朝日新聞社 WEBRONZA)
 
小沢一郎戦記
小沢一郎、金融国会の悔恨
(4)民主党が政局回避した98年、小沢一郎はひたすら自民党との決戦を唱えていた
佐藤章(ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長)

WEBRONZA 019年04月01日
より、無料公開部分を以下転載。


■小沢一郎と菅直人の因縁
 
 ヘーゲルを思い出したマルクスは有名な歴史書の冒頭で、史上の出来事は「二度現れる」と言っている。「一度は悲劇として、二度目は茶番として」とまで記しているが、たしかに因縁というものはありそうだ。現代日本政治を振り返る者は、「一度は岸信介として、二度目は安倍晋三として」と指折る向きもあるだろうし、直近で言えば「一度は2007年の参院選自民党惨敗として、二度目は2019年参院選として」と語る者も出るかもしれない。

 2007年参院選での自民党大敗が第一次政権時代の安倍晋三首相を退陣に追い込み、2009年の民主党政権の誕生につながった。

 しかし、この政権交代の11年前にも、実は野党勢力が政権に近づいた時があった。菅直人が党代表に就いていた旧民主党、そして小沢一郎が率いていた旧自由党などの野党勢力だった。政権を眼前にして一度は離れ、そしてもう一度協力して政権を獲得した菅直人と小沢一郎の間にも因縁といったものがあるのかもしれない。

 20世紀も終わりに近づいた1997年から98年にかけて、日本経済が未曾有の金融危機に直面していたこの時期、政権の座にあった自民党は旧態依然とした銀行界の「護送船団」方式に囚われてほとんど打つ手がなかった。金融システム維持のための新しい政策を構想したのは、民主党の枝野幸男や自民党の石原伸晃ら「政策新人類」と呼ばれた若手国会議員たちだった。

 銀行が次々に金融大流砂にのみ込まれていく危機の中で、1998年7月参院選が告示され、自民党は単独過半数割れに追い込まれた。橋本龍太郎首相は退陣し、代わって小渕恵三首相が就任したが、新金融法案を掲げた民主党や自由党など野党側の勢いが強く、小渕内閣に不信任案が出された場合、政権交代もありうるのではないか、と予測されていた。

 しかし、この時、民主党の菅直人と自由党の小沢一郎の考えはまるで違うところにあった。このあたりの経緯には私も少し絡んでおり、因縁話めいた目撃談を語っておこう。
 
 
■仙谷由人からの電話
 
 大阪を中心とする関西の中小金融機関をなぎ倒した最初の金融激震が襲ってきた1995年後半、私は朝日新聞の大阪本社経済部でまさに金融取材チームのキャップの職にあり、木津信用組合と兵庫銀行の破綻に始まった破綻の嵐の真っ只中にいた。

 激震が大阪を離れるとほぼ同時に東京経済部に戻り、引き続いて日銀記者クラブのキャップとして日銀の独立性を高める日銀法改正の取材に当たった。しかし、その間も大手金融機関の存立の土台を掘り崩す金融流砂の流れは止まらなかった。

 1997年4月に3度目のAERA編集部に移った私は、危機的な金融界の実情を読者に伝える仕事に専心した。大手仕手筋に絡む都市銀行の不良融資や生命保険会社、証券会社の不祥事、ゼネコンやノンバンクの危機、そして長期信用銀行や都市銀行の危機という金融破綻の本丸へと取材の足とキーボードのタッチは近づいていった。

 私の不良債権報道の中で特に反響を呼んだのは当時の日本債券信用銀行と日本長期信用銀行に関する記事だった。

 大手銀行は、融資金の返ってこない不良債権をペーパーカンパニーに付け替えて隠匿する「飛ばし」という手法を多用していたが、私は日債銀のペーパーカンパニー群の貸借対照表を手に入れてひとつひとつカネの流れを跡づけ、日債銀がいかに不良債権を飛ばしているか暴露した。

 登記上のペーパーカンパニー群には可能な限り足繁く訪れてみた。古ぼけた無人ビルの閉ざされたドアに急造の名刺を会社数だけ張りつけた文字通りの「幽霊会社」を突き止めたこともあった。

 長銀については日本リースやエヌ・イーディー、日本ビルプロヂェクトなどの系列ノンバンクがいかに銀行本体の足を引っ張っているかを明るみに出した。

 これらの金融報道は一冊の本にまとめ、1998年11月に『ドキュメント金融破綻』というタイトルで岩波書店から出版したが、私に一本の電話がかかってきたのはそのような報道を続けている真っ只中の同年夏の頃だった。

「金融国会が始まる。あなたの記事はずっと読んでいるが、ぜひ力を貸してもらえないだろうか」

 低い声のトーンでこう話しかけてきたのは当時民主党幹事長代理を務めていた仙谷由人だった。仙谷は前年に幹事長代理に転じるまで党政策調査会長の職にあり、党内でも有数の政策通と言われていた。その仙谷がストレートに電話をかけてきて協力を乞うた。
 
 
■財金分離へのこだわり
 
 東京・永田町にある衆議院議員会館ビルはまだ改築前だった。地下の古い会議室のドアを開くと中高年の男性三人がまるで面接官のように並んで座り、私を待っていた。

 真正面に座っていたのが仙谷。正面に座った私から見て左側には当時民主党議員の横路孝弘がいた。若いころは「社会党のプリンス」と呼ばれ、衆院議員から北海道知事に転じ3期連続当選、その後1996年の総選挙で民主党から立候補、国政復帰を果たしていた。

 そして仙谷の右側にはやはり民主党議員の熊谷弘がいた。旧通商産業省の官僚出身で、自民党議員になってからは小沢一郎率いる改革フォーラム21に参加、小沢たちとともに自民党を離党した。その後細川護煕内閣の通産大臣、羽田孜内閣の内閣官房長官を務め、小沢から離れて後は小党を渡り歩いて、この時民主党にいた。

 通称「金融国会」と呼ばれる1998年7月からの第143回国会は、自民党が民主党などの金融再生法案を丸呑みした臨時国会だった。

 国会召集の前月、当時発刊されていた月刊『現代』に「長銀破綻」の記事が掲載され、長銀を発端に大手銀行の経営危機が一気に表面化した。自民党・財務省は、瀕死の長銀を住友信託銀行と合併させて救済しようとしたが、金融市場はもはや護送船団方式の古い救済策には欺されなかった。合併話は立ち消えとなり、本格的な金融再生法案を求めて第143回国会が始まった。

 民主党側からすれば直前の参議院選挙で自民党を単独過半数割れに追い込んでおり、金融国会は政権交代も視野に入れた絶好の機会だった。仙谷が私に電話をかけてきたのは、自民党を追い込むための協力要請が目的だった。

 単刀直入に要請の趣旨を話す仙谷に私は腹を決めた。もとより取材や報道の目的は日本経済や社会を危機から救い、将来に向かって少しでも向上させること以外にはない。その目的に資するためであれば取材倫理に反しない限り協力は惜しまない。

 しかし、この際ただひとつだけ条件があった。現在の財務省の前身である旧大蔵省はこの時まで財政部局と金融部局を両方抱え、無理な金融政策を金融部局に押しつけ、この弊害がバブル経済を生んだと盛んに指摘されていた。この弊害をなくすために旧大蔵省から金融部局を外すことが活発に議論され、民主党もその方針だった。

 私は報道倫理の許す限り民主党を全力で応援しよう。しかし、その前提としてただ一つ約束してほしいのは、この大蔵省分割の方針を最後まで貫くことだ。やり抜くことを約束しますか?

「財政金融分割の方針は問題ないだろう」

 左右を見渡して二言三言相談した仙谷は、分割方針を貫くことを約束した。結局、1998年6月には旧大蔵省の外に金融監督庁が設置され、さらに2000年7月に金融庁に改組されて財政機能と金融機能の分離はとりあえず貫徹された。

 
■菅直人「大蔵省の問題は10本のうちの1本にすぎない」
 
 私はこの一連の協力作業を通じて仙谷と特に親しくなり、特別に代表の菅直人に3回ほど長い時間を取ってもらった。会見の目的はただひとつ、手を伸ばせば届く政権の準備のためにその構想を十分に練っておくべきだと進言することだった。 ・・・ログインして読む
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[政治・選挙・NHK259] 地震から3年、ひどすぎる熊本の現実 綺麗事に包み隠され取り残される被災者(長周新聞)
地震から3年、ひどすぎる熊本の現実 綺麗事に包み隠され取り残される被災者
長周新聞 2019年4月23日


■五輪や兵器購入に数兆円が注がれる傍らで…

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/04/895f3be8e0e22b713e5470bbb939da46.jpg
いまだ2000人が暮らす益城町の仮設住宅
 
 熊本や大分両県で273人の犠牲者を出した熊本地震の発生から3年を迎えた。メディアから復興ムードが振りまかれる一方、熊本県内ではいまも1万6000人をこえる住民が仮設住宅などでの生活を強いられており、通常の生活をとり戻すにはほど遠い深刻な現実がある。生活再建が遅れるなかで家を失った高齢者たちがとり残されており、復興の遅れや放置によってコミュニティの存続が危ぶまれる地域も出ている。本紙は熊本に入り取材を進めてきた。被災3年を迎えた被災地の現実と解決課題について記者座談会で論議した。
 
 A 熊本県内で仮住まいで生活する人は、3月末現在で1万6519人(7304世帯)いる。3年前のピーク時(4万7800人)から6割程度減っているものの、3年が経過したとは思えない数だ。プレハブの建設型仮設住宅に4640人(1993世帯)、アパートなどの借り上げ型仮設住宅に1万1543人(5177戸)、公営住宅などに336人(125世帯)が暮らしている。公営災害住宅(復興住宅)の建設が追いついていなかったり、道路の拡幅計画や区画整理事業によって家が建てられず、3年経っても行き場がない。復興住宅は12市町村で1717戸が計画されたものの、完成は496戸にとどまっている。そのため、国は原則2年の仮設住宅の入居期限を4年に延長し、県はさらに1年間の延長を国に申し出ている。
 
 プレハブ仮設は、国の入居基準に従って耐用年数2年の簡易なものだ。東日本大震災から八年経ったいまもプレハブ生活が続いている東北3県でも、経年劣化による雨漏りやすきま風が問題になっていた。「雨露がしのげる」程度の住居に4年も5年も暮らすというのは、肉体的にも精神的にも相当に厳しい。高齢者にとっては健康悪化にも直結し、寿命を縮めることにもなりかねない。仮住まい先で誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」は計28人が確認されており、今後は孤立化が心配されている。

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仮設団地内の空き地で育てた野菜を収穫する仮設暮らしの住民(益城町)
 
 B 3年前の地震の震源地であり、住宅の6割が全半壊した益城町(人口3万3000人)では、仮住まい生活者はいまも約3500人いる。そのうちプレハブ仮設の入居者は約2000人で県内最多だ。町内18カ所の仮設団地では、家を失った高齢者たちが、次の住まいが決まるまでの忍従生活を強いられている。
 
 益城町でもっとも戸数の多い「テクノ仮設団地」では、いまも648人(272世帯)が生活しており、その多くが高齢者だ。当初は516世帯いたが、3年の間に家族持ちの現役世代はアパートなどの借り上げ住宅に転居したり、別の場所へ順次移り住んでいき、とり残された高齢者たちが肩を寄せ合うようにして生活している。町役場近くの仮設団地も平均年齢が75歳で、90代や100歳の人までいる。ほとんどが公営住宅の完成や自宅再建を待つ人たちだ。
 
 プレハブ仮設の間取りは、四畳半一間に台所、押し入れ、トイレ、風呂。一人暮らしでも家具は置けず、二人暮らしでは「身動きもとれない」と語られていた。屋外にロッカー程度の物置が一つずつあるものの容量不足で、家電や家具などの家財道具はみんな処分し、必要最低限の住環境で窮屈な生活を送っている。家族の多い世帯には2DKや3Kの部屋があてがわれるが、子育てするには狭すぎてほとんど他所に移っている。
 
 両隣が壁一枚で区切られているだけなので「夜九時以降は洗濯はしない。風呂もトイレも使わないようにしている」とか「孫が来ても、泣いたり、足音を立てないように気をつけている」といわれ、とにかく神経を使うようだ。買い物や病院に行くためのバスの本数も減って、車がなければ移動も難しい。
 
 これまで、車中やテント泊→学校や体育館での避難所生活→仮設住宅と、高齢者にとっては身に堪える移動生活が続いたが、そのたびに同じ境遇にあるもの同士で励まし合いながら窮状を乗りこえてきた。そのつどコミュニティを一からつくらなければならず、「せっかく顔見知りができたのに、この人間関係が復興住宅に行けばまたバラバラになる。うまく適応できるだろうか…」という不安も語られていた。
 
 国もメディアも二言目には「被災者に寄り添う」というが、一番大事に扱われなければいけない高齢者がどこでも過酷な環境に置き去りにされているのが現実だ。避難生活での体調悪化などを原因とする震災関連死は地震の直接死(50人)の人数をこえ、全体の約8割の218人にのぼっている。
 
 A 仮設住宅の運営は、公益財団法人YMCA(本部東京)に委託している。住民は「震災以前から役場の人員を減らしてきたので、民間委託せざるを得ないという条件もあるのだろうが、各団地の自治会によっては行政書類や救援物資等、団地の住民にうまく分配されなかったり、自治会長が仮設を出るときに、自治会費がどこにどう使われたかなども分からない状態の団地もあった。住民の一番身近に行政がいないなら、情報伝達や意思疎通が滞る。仮設住民の実際を町がしっかりと認識し、安心できる生活を保障する体制を考えてほしい」と話していた。
 
 B 被災者のための公営災害住宅(復興住宅)は、入居を希望する申請数に応じて戸数を決めて建設する。町営住宅の入居基準である所得制限はなく、希望すれば町営住宅と同じ家賃で入れる。ただ余分はなく、避難生活の長期化で状況が変化し、後から入居を希望した人はキャンセル待ちになる。
 
 益城町では昨年7月に申請を受け付け、21団地671戸の建設を計画したが、現在までに完成して住民が入居したのは36戸のみ。残りの多くは、来年3月末までの完成を目標にして計画を進めている段階だ。公営住宅ができなければ仮設からは出て行きようがなく、少なくともあと1年はプレハブ生活が続くことになる。
 
 町によると、人員が限られた町役場だけでは、ピーク時には1万6000人にのぼった避難者の避難所確保や仮設住宅建設などの対応に加えて、災害公営住宅の用地確保まで手が回らず、着工が遅れたという。全県的には、資材の高騰や業者不足の影響もある。数千人もの住宅の確保など、予算も人員も少ない町村レベルで対応できる話ではない。はじめから無理と分かっているのに「仮設の期限は2年」などという杓子定規の基準も含めて、国のバックアップ機能が乏しいのだ。
 
 倒壊した庁舎も「現地建て替え」でなければ国の助成が受けられないため、「また同じ断層の真上に建設している。バカげている」と語られていた。
 
 C 益城町だけで家を失った住民は1万人以上いるが、高齢者たちが残されるのは最初から分かっていながら「自助努力」「自立支援」といって年年補助を打ち切ってきた。家が全壊しても、収入を年金に頼るほかない高齢者はローンを組んで家を建てかえることはできない。持ち家だった人は新たに家賃支出が発生し、カーテンから家財道具までゼロから買い揃えなければならず、入居後の負担も大きい。それでも早く落ち着ける住居をみんなが求めている。
 
 首相が外遊するたびにODA(途上国支援)で数千億円をバラ撒いたり、東京五輪に3兆円、F35購入に1兆円などの予算が国会審議もなく決まっていくのとは対照的に、被災地救済には「税の公平性」などといって厳しい基準が押しつけられ、住民が難民のような生活を強いられている。

 
■「復興計画」が足かせに  道路拡幅や区画整理

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益城町のメイン通りでは、県道拡幅計画の看板が立てられ、住民の立ち退きが始まっている。
 
 A さらに住民の帰還や生活再建の足かせになっているのが、県や町行政が定めた復興計画だ。益城町では、町を貫く県道熊本高森線の4車線化を「復興の目玉」としていち早く決定したが、県の区画整理事業も加わって住民を翻弄している。住民の困難をよそに、災害に乗じた大規模公共事業が先行している。
 
 県道拡幅計画は、現在2車線(幅6~10㍍)の道路を3・5㌔㍍にわたって4車線(27~30㍍)に広げ、熊本市から熊本空港にアクセスするバイパス道路とすることで「慢性的な渋滞を緩和」し、沿道を「賑わいを創出する商業ゾーン」にするというものだ。そのために区域にかかる中心部商店街には建築制限がかかり、道路用地の網にかかった土地は県に売却譲渡しなければならず、家屋や店舗を解体して建て直しても立ち退かなければならない。「もともと歩道が狭く、住民から拡幅を求める要望はあったが、3倍に広げるような大規模化は地元の誰も望んでいない」と語られていた。
 
 道路沿いに店を持つ男性は「地震で得意先を250軒失い、道路沿いに構えていた事務所も解体した。収入を得るためには仕事をしなければならないが、元の場所に事務所を建てれば道路の拡幅工事でまた立ち退かなければならない。道路ができる10年後まで待っておれない。今は、いつでも移動できるようにコンテナ店舗で再開した。4車線化は新聞の報道で初めて知り、それまで話題になったことはなかった。どこから降ってきた話なのか」と語っていた。

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道路の完成は10年先。いつでも移動できるコンテナで営業する店舗(益城町)
 
 道路沿いの自営業者の男性は「倒壊家屋の解体が進み、見た目の変化はあるが、生活はまったく変わっていない。4車線化と区画整理で住民はがんじがらめにされ、身動きがとれない。自宅は全壊し、公費解体は一年経っても順番が決まらなかったので、結局自費で解体した。今すぐにでも自宅を建てられるよう更地にしているが、地震によって基点がずれているうえに、道路が拡幅されるとなるとスペースが確保できないので家を建てることができない」と窮状を語っていた。
 
 B 県道は益城町のメイン通りで、商店、事業所、斎場、病院などが立ち並ぶ地域コミュニティの中心だ。地震で崩れたのをいいことに、残った家や店舗まで立ち退かせる計画が被災住民を再び追い詰めている。10年計画の大規模道路のために、苦境に耐えながら生活を繋いでいる住民から土地を奪い、新たな負担を強いるのだからひどい話だ。しかも被災後の地価はガタ落ちしており、売却益で同じ面積の新たな土地を買うことは難しい。反発も強く、278人いる地権者のうち、現在までに代替地の契約者は22人にとどまっているという。この地を愛し、被災後も踏ん張ってきた人たちを追い出した後、誰がこの地で「賑わい」を創出するのだろうか?と思う。
 
 C 同じく「復興土地区画整理事業」も、中心部3地区の計28・3㌶を対象に県が進めている。「災害に強いまちづくり」のため、細く入り組んだ生活道路を拡幅し、整備する計画で、これも事業完了は10年先だ。

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新築した家が区画整理にかかり、敷地が大きく削られることを訴える男性(益城町)
 
 区画整理による一軒あたりの減歩率は平均14・7%で、減価補償金による先行買収をおこなった場合は9・9%の土地を県に提供しなければならない。地震で家がなくなり、補償対象が減った条件のもとで急きょ決定した。当初の計画は、再建した家を壊してまで新しい道路をつくるというものだったが、反発が出たため家を避けることになったという。
 
 計画決定前に自宅を再建した男性は「仮設住宅にいたが、区画整理の話を待っていたらいつまで経っても家が建てられなくなると思い、昨年末に再建した。昨年10月までが申請の締め切りだったが、それに間に合わなかった人たちは今から申請しても建築許可が下りるのは3年後になるという話だ。この地域で家を建てられずに仮設にいる高齢者もたくさんいる。県に指定された範囲であるため他人に売ることもできない」と話していた。
 
 道路拡幅と区画整理の両方に自宅敷地がかかる男性は「家の前の道幅も8㍍になるので、両側を1・5㍍削られることになる。せっかく建てた塀やフェンスも崩さなければならないかもしれない。県側は“費用は負担する”と口ではいうが、確証のとれる書類等はない。計画もコロコロ変わって何を信用していいのかわからない状態だ。区画整理の土地にも復興住宅が建つことになっており、区画整理が進まなければ建設も進まない。みんな自分の生活再建を描くことができず、疲れ果てて気力を削がれている」と話していた。
 
 A 泣く泣く土地を県に売った人も「地震前は坪20万円くらいだった土地だが、地震直後に県が提示した価格は坪3~5万円。それがいま11万円くらいまで上がっている。早く売った人ほど安く買い叩かれた」という話や、困窮している高齢者の足元を見るかのように「年率1・01%固定金利」などという貸し付け勧誘のFAXが県外の業者から送られてくることも語られていた。地震災害に乗じた公共事業のゴリ押しが被災者を追い詰めている。そのことへ強い憤りが渦巻いていた。
 
 B 熊本市のベッドタウンでもある益城町は、震災前の2016年まで人口は増加していたが、被災後は減少に転じ、この3年間の減少数は1600人をこえた。「創造的復興」といいながら、10年、20年計画の大規模開発が優先され、被災者の生活は後回しという本末転倒だ。

■メドが立たぬ営農再開  南阿蘇村

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再建が進む阿蘇大橋。手前の道路には橋の崩落で亡くなった犠牲者への献花も(南阿蘇村)
 
 A 同じく大きな被害を受けた南阿蘇村でも、震災後、急速に人口減少が進んだ。地震前に1万1619人いた人口は、今年3月末現在で1万513人。村人口の一割弱にあたる1106人も減少している。
 
 南阿蘇村では、村をとり巻く山裾の集落や田畑が崩落したのに加え、阿蘇地域全体の玄関口である立野地区が大きな被害を受け、立野黒川にかかる阿蘇大橋が崩落して交通網が寸断した。また、この谷間に走っていた熊本市から大分まで繋がる国道57号、宮崎まで続く国道325号、JR豊肥線という3つの幹線が土石流に押し流された。いずれも2020年度末(再来年の春)までの開通を目指して復旧作業が続いている。
 
 国鉄の分割民営化にともなって切り離され、第3セクターで運営してきた南阿蘇鉄道も、熊本方面半分の復旧メドが立っておらず、これら交通網の寸断が日常生活にとっても、観光にとっても大きな足かせになっている。公営災害住宅の建設が進み、仮設住宅の入居者は減っているが、いまも643人が仮設生活を送っている。
 
 B 東海大学農学部の南阿蘇キャンパスが地震被害を受け、大学機能を熊本市に移転したことで約1000人いた学生がいなくなり、アルバイトなどの労働力や、地域の活気が減退したことも語られていた。
 
 A 阿蘇山麓に位置し、農業が主産業の南阿蘇村にとって、稲作を中心とした農業の復興が大きな課題だ。あちこちで山肌が崩れて山裾の田畑を呑み込み、土砂で従来の水源がふさがれて別の所から湧き出したり、用水路が埋まったり崩れたりしたため田畑に水を供給できない状態が続いている。今年も含めて丸4年間作付けができない農家も多く、離農が進むことが懸念されている。
 
 C 阿蘇外輪山に挟まれた傾斜地にある立野地区は、水源地から生活や農業用の水を阿蘇大橋の橋梁に敷設された配水管を通じて供給していたが、この幹線水路が橋とともに崩落して地区全体のライフラインが断絶した。約130戸が全半壊したうえに山の崩落する危険もあり、347世帯(863人)すべてが避難する深刻な事態に陥った。3年たって避難指示が解除され、ボーリングによる井戸採掘で生活用水は使えるようになったものの、現在までに帰還した住民は四分の一(約200人)程度だという。「村外に避難した子育て世帯は、子どもの学校関係でそのまま住居を移したり、熊本市内に職場がある人たちも交通の便を考えて転居していった」と語られていた。
 
 そのうえ農業用水がいまだに復旧していないため稲作はできない。被災前に110戸あった稲作農家は、稲作を牧草や野菜に切り換え、荒れないように草刈りをしながら水の供給再開を待ち続けている状態だ。現在までに営農を再開しているのは、「木之内農園」と畜産農家1戸だけといわれ、「被災農家の99%が営農を再開した」という県の発表とは大きく乖離している。
  
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運休し、草が生い茂ったJR豊肥線の線路。水路にも土砂が堆積している(南阿蘇村立野地区)
 
 A 立野地区への農業用水について、村は幹線水路を別のルートから敷き、今月末にも試験通水する構想をアナウンスしている。だが、住民たちによると、集落上部を横に走る主水路が土砂やガレキで埋まっており、その水路から縦に山裾の耕作地へと幾筋も延びている支線水路も地震で破損し、さらに上段の田から下段の田へと水を運ぶために江戸時代に作られた「マブ」と呼ばれる地下水路(暗渠)もあちこちで陥没や崩落を起こしているため、これらを修復しなければ水は流せないのが実際だという。 
 
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田畑に水を供給する地下水路が陥没し、あちこちに大きな穴が空いている(南阿蘇村立野地区)
 
 稲作農家の男性は「3年も作付けをしなければ田は荒れていく。なにも作らなくても耕したり、草刈りをしているが、通水のメドが立たず作付け再開が見通せていない。用水路があちこちで詰まり、陥没もしている。破損箇所が多くて個人の手作業ではどうすることもできず、村や県に頼るほかないが、区長が村に陳情しても“お金がない”という返事だった。稲作を牧草やジャガイモなどに切り換えてやっていけるのは農業法人などの大規模農家だけで、零細農家は農業所得がまったくない状態だ。このままでは再開を諦める人が出て、立野地区は荒れ地になってしまう」と危機感を語っていた。田畑に水を流す用水路は個人の管理になっているため公的予算が注がれないが、この地域では大雨が降れば傾斜地の集落の水を下流に流す治水の役割も果たしている。農業が営めなければ田畑は荒れて土壌が緩み、さらなる災害を引き起こす可能性もある。公的な設備であり、復興予算を充てて修復することが切実に待ち望まれている。
 
 「2カ所のボーリングで井戸を採掘して生活用水が使えるようになったが、一カ所は農園のため、もう一カ所は国交省が震災前から進めていた立野ダム建設に使う生コン用の水を確保するために掘ったものだ。地下水を掘るには億単位の金がかかるため、零細農家のために国は新たな井戸を掘るようなことはしない。農家の担い手育成というが、法人化や大規模化のことであって零細農家は蚊帳の外なのだ」と憤りを込めて語っていた。
 
 B 人口減少にともなってシカやイノシシ、アナグマなどが縄張りを拡大し、せっかく作ったイモや野菜を片っ端から食べ漁ることも問題になっていた。観光用のイチゴ栽培をメインにしている木之内農園には、耕作ができない農家から栽培委託の依頼が増え、ジャガイモや牧草などを作っているが、植えたソバをイノシシが食べ尽くしたという。管理する田畑では、地割れや隆起、ビニールハウスの倒壊などの被害が大きく、イチゴ畑には一日4㌧もの水が必要だが、断水したため営業を中断した。今年ボーリングでやっと井戸水を確保できたのでこの冬にオープンするが、農作業を担う労働力の確保が課題だといっていた。
 
 農家の負担は大きく、全壊した家の解体・建て替えに加え、農機具も数百万円を要する。村からの見舞い金は一軒あたり30万円だという。農業基盤の復興は、村の予算規模ではとてもできることではない。県や国が前面に立って援助すべきことだ。阿蘇は故・松岡元農水相の地元だが、後継代議士は「陳情の類いはしてくれるな」と地元に伝達している有様で、「まるであてにならない」と語られていた。
 
 立野地区は、細川家が統治した江戸時代から交通の要衝であり、南阿蘇全体でもっとも人口が多かった地域だと誇りをもって語られていた。細かく張り巡らされた古い水路がその歴史を感じさせる。ある住民は「熊本は阿蘇山系の湧き水が豊富なことで知られるが、南阿蘇から流れる黒川と北阿蘇から流れる白川が合流し、白川水源として熊本平野全体に流れている。この水路を先祖たちが大事に整備してきたからこそ今がある。だから毎年4月には住民総出で水路の清掃活動をやってきたが、これも途絶えてしまいかねない。人口が少ないからといっておろそかにすると広範囲の地域全体に影響する問題だ。その重要さを理解して行政が機能してほしい」と切実に語っていた。 
 
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特産のあか牛を育てる畜産農家(南阿蘇村乙ヶ瀬地区)
 
 A また、被害が大きかった乙ヶ瀬地区でも、集落の上の山肌が崩れて多くの田畑が土砂や流木に埋まり、山裾の農地にも水が流せない状況にある。田が私有地であるため放置されてきたが、ようやく今年3月になって県が圃場整備に着手したという。
 
 益城町でも、田の地割れで水が張れなくなったり、用水路の取水ポンプが崩れたまま放置されて作付けができない農家も多数あるが、その窮状が公に伝えられることはない。国内有数の農業地帯である熊本で農業被害が放置され、まともに営農が再開できない問題は、TPPやFTAなどに応じた国内農業の集約化、企業参入などの動きとあわせて看過できない問題だ。
 
 B 取材できたのは被災地全体の一部に過ぎないが、3年たっても多くの高齢者が仮設暮らしを強いられ、生業の再開もできないという深刻な状況はどこも共通している。東北被災地と同じく、「頑張ろう熊本」などの復興の掛け声だけで肝心の国のバックアップ機能の乏しさ、無関心さが際立っている。地震、津波、豪雨災害など全国各地で被災地が増えるなかで日本中で被災者が仮設住宅にとり残され、数年たてば「自己責任」で路頭に放り出されるという構図だ。かたや「国土防衛」といって数兆円で高額兵器を買い、「被災地復興」を金集めのスローガンにして東京五輪に3兆円を注ぐ一方で、被災地では極めて冷酷な棄民政策がおこなわれている。
 
 「国民の生命と財産を守る」という統治機構の最低限の仕事すら果たさなくなり、政府や行政が機能しない。被災地がどこでも置き去りにされ、住民が二の次になっている問題について、もっと全国に知らせないといけない。 
 
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阿蘇大橋の崩落現場(南阿蘇村黒川地区)

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崩れたままの生活道も(益城町)

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店や民家がなくなり、道路拡幅のための更地が目立つ(益城町)

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11491
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/886.html

[政治・選挙・NHK259] 書評 『日本人が魚を食べ続けるために』(長周新聞)
書評『日本人が魚を食べ続けるために』 編著・秋道智彌、角南篤
長周新聞 2019年4月23日
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 本書は冒頭、「私たちはいつまで魚を食べ続けられるか」という問いを発している。といっても、漁獲量の減少、漁師や市場関係者の高齢化をあげつらう悲観論ではない。また、欧米から持ち込まれたIQ・ITQといった資源管理を安易に導入する必要はなく、生産者である漁民の知恵に配慮しないのは机上の空論であるとして、変動する海の生態と経済動向を柔軟にとらえ日本型の資源管理をめざせばよいという立場に立っている。そこから全国の研究者や水産業経営者らが13本の論文と9本のコラムを書いている。
 
 世界の天然魚の年間漁獲量は、1995年に8600万㌧のピークに達し、その後は少しずつ減って8000万㌧前後で推移している。これに対して世界の養殖・畜養生産量は、半世紀前にはわずかだったものが、2014年に漁獲量を上回って年年増加している。しかし大部分は内水面で、海産魚の生産の伸びは大きくない。
 
 世界的に魚の消費量が増大するなか、本書の中では、天然魚を増やすための人工湧昇(深海に溜まっている肥料を多く含んだ海水を生産層内に上昇させ、植物性プランクトンを増やす)の試みや、人工種苗による完全養殖の試みが紹介されている。ただし両者のバランスが重要で、天然の味を持った多様な魚を利用する漁獲と、人人の好みにあった限られた魚種を大量に生産できる養殖の双方の利点を生かすのが最良だという。それが畜産だけになってしまった食肉ではできないことだ、と。
 
 本書のなかでは、各地の漁業振興に向けた努力が目を引く。
 
 たとえば、静岡県駿河湾のサクラエビ漁業が紹介されている。富士川河口沖で、春(3月下旬から6月下旬)と秋(10月下旬から12月下旬)の年2回、夜間にエビが中層に上昇している間におこなう。一つの網を2隻が曳く船曳き網漁で、60カ統・120隻が創業している。加工業者も70社あるという。
 
 だがそれも、最盛期に年間3000㌧獲れていたものが、2000年代に入って2000㌧、1000㌧と減り、エビそのものの小型化も問題になった。そこで漁業者間で操業日数や時間、目標漁獲量、操業方式を決め、総水揚げ高の五%を市場手数料として控除したうえ、残りを120隻に均等分配するプール制を実施している。森・里・海の循環や海底湧水の役割を踏まえた沿岸域の整備も進めている。
 
 また、福井県小浜市は「地域資源を生かした豊かな町づくり」をめざし、その中心に“食”を掲げて、「身土不二」の理念にもとづく地産地消を実行している。すべての小中学校が地場産学校給食を実施しており、海辺の小学校ではコメや野菜に加えて若狭湾で水揚げされたタイやカレイが一匹丸ごと並ぶ。
 
 生産農家と栄養士や給食調理員で協議会を立ち上げ、前月に決まる献立表にもとづいて細かく出荷量を調整するしくみができた。子どもたちは給食の時間に校内放送で生産者の苦労を紹介し、給食感謝祭を開催して生産者や給食調理員に感謝の作文を手渡した。子どもたちの喜ぶ顔が生産者の何物にも代えがたい生きがいとなり、減農薬農業やそのための勉強会の開催にもつながっており、給食調理員も食べ残しが減っていることを喜び、常に地域の学校給食畑を見回るようになったという。
 
 さらに、大分県臼杵市はタチウオ漁が有名だが、水揚げされたタチウオはほとんどが福岡市に共同出荷されるため、市民が臼杵産の魚を購入でき、食べられるしくみづくりを始めた。
 
 大分県漁協臼杵支店が主体となり、毎週土曜日の競りが終わった午前7時半から始まる「うすき海鮮朝市」もその一つで、競り落とされたばかりの新鮮な魚を市民がその場で購入できる。来場者は40人程度と小規模ながら、毎週継続的におこなうことで市民のなかに定着してきた。漁師の奥さんによる捌きサービスが評判で、どんな料理にしたらおいしいかの魚食普及の場にもなっている。臼杵産の魚をふんだんに使ったワンコインの海鮮丼も好評だという。
 
 また、臼杵市以外ではあまり食べられないカマガリ(クログチ)を、カマガリ炙り丼やカマガリバーガーとして売り出している。身がほくほくしておいしいカマガリフライをパンではさみ、臼杵の醤油メーカー二社のソースと臼杵特産のかぼすをかけたバーガーは、大分県のB級グルメ・ナンバー1決定戦で3位に入賞した。
 
 本書のなかでは、大量生産、大量消費を前提にした大手中心の流通こそが資源の無駄な浪費そのものであり、それに対置して、そうした流通に乗らないサイズのふぞろいな、供給量の少ない地場の魚の有効利用も提起している。東京一極集中ではなく、地域から漁業、水産加工業、流通業を興し、地方が主体となって魚食文化を発信していくこと、それを本書の結論として提起している。

 (西日本出版社発行、A5判・262ページ、定価1600円+税)
 
https://www.chosyu-journal.jp/review/11494
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/887.html

[政治・選挙・NHK259] 「期待される人間像」に、象徴天皇制歪曲利用の原型を見る。(澤藤統一郎の憲法日記)
 
拝島に法律事務所を構え、基地問題をライフワークとしている盛岡暉道さんは、私と同期の弁護士である。出身は、盛岡ではなく福知山だと聞いている。司法修習の時代から活動を共にした仲だが、同輩という感じではない。先輩として、一目置き続けてきた。現天皇(明仁)より2歳年下という生まれの盛岡さんは、子どもの頃の戦争の記憶を人生の原体験としている世代なのだ。
 
普段はもの静かな盛岡さんだが、最近仲間内の通信に、天皇制についての考えを寄稿している。きっかけは、ある弁護士のこんな寄稿である。「安倍晋三内閣総理大臣はじめ国務大臣や国会議員がこの義務(憲法尊重擁護義務)に公然と反する行動をとっている現実を目にするにつけ、象徴天皇制こそ日本国憲法に埋め込まれた『護憲装置』だったと痛感する。」
 
私も仰天したが、反論は書かなかった。盛岡さんが、旬刊の次号にこれをたしなめる一文を認めている。「『護憲装置としての象徴天皇』におもう」として、「そんなに天皇を持ち上げたり、恐れいったりするなよ」という論調。「護憲装置としての象徴天皇制」などという寄稿には、どうしても黙ってはおられないのだ。
 
その盛岡さんが、その通信の最近号に、「『象徴天皇』は、必ず悪用される」というタイトルで寄稿している。天皇について、しっかりと言うべきことを言っておかなければならない、という気持が伝わってくる。
 
占領軍のマッカーサーに強いられて、天皇を主権者から
無権能の象徴に格下げするのだから、まあいいんじゃな
いかと納得していたら、やっぱり、人間を、しかも内外の
人権蹂躙の頭に祭り上げられてきた人物本人やその子孫
を、象徴の座に据えてしまったのは、取り返しのつかない
間違いだった。
間もなく、天皇の代替わりを利用して、時代離れのした、
国民の主権者意識を希薄にしてしまう行事が繰り広げら
れるが、それらがいかに憲法の精神に反したものである
かについて、多くの人々の間で、辛抱強く論議していくこ
とが必要であろう。
 
この盛岡さんの寄稿で注目したのは、1966年の中央教育審議会(中教審)の答申「期待される人間像」を引用していることである。当時ごうごうたる非難に曝された、「期待される人間像」は、「後期中等教育の拡充整備について」という、答申の「別表」に付されたもの。私は、もっぱらこれについて、ものを言いたい。
「期待される人間像」の章立ては以下のとおりである。
第1部 当面する日本人の課題
第2部 日本人にとくに期待されるもの
 第1章 個人として
 第2章 家庭人として
 第3章 社会人として
 第4章 国民として
各章のすべてが問題だらけだが、象徴天皇制との問題は、「第4章 国民として」にあり、
 1 正しい愛国心をもつこと
 2 象徴に敬愛の念をもつこと
 3 すぐれた国民性を伸ばすこと
の各項が立てられている。
第4章の、1~2項の全文を引用しておこう。
 
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第4章 国民として
1 正しい愛国心をもつこと
今日世界において,国家を構成せず国家に所属しないいかなる個人もなく,民族もない。国家は世界において最も有機的であり,強力な集団である。個人の幸福も安全も国家によるところがきわめて大きい。世界人類の発展に寄与する道も国家を通じて開かれているのが普通である。国家を正しく愛することが国家に対する忠誠である。正しい愛国心は人類愛に通ずる。
真の愛国心とは,自国の価値をいっそう高めようとする心がけであり,その努力である。自国の存在に無関心であり,その価値の向上に努めず,ましてその価値を無視しようとすることは,自国を憎むことともなろう。われわれは正しい愛国心をもたなければならない。
 
2 象徴に敬愛の念をもつこと
日本の歴史をふりかえるならば,天皇は日本国および日本国民統合の象徴として,ゆるがぬものをもっていたことが知られる。日本国憲法はそのことを,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」という表現で明確に規定したのである。もともと象徴とは象徴されるものが実体としてあってはじめて象徴としての意味をもつ。そしてこの際,象徴としての天皇の実体をなすものは,日本国および日本国民の統合ということである。しかも象徴するものは象徴されるものを表現する。もしそうであるならば,日本国を愛するものが,日本国の象徴を愛するということは,論理上当然である。
天皇への敬愛の念をつきつめていけば,それは日本国への敬愛の念に通ずる。けだし日本国の象徴たる天皇を敬愛することは,その実体たる日本国を敬愛することに通ずるからである。このような天皇を日本の象徴として自国の上にいただいてきたところに,日本国の独自な姿がある。
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なんとまあ、偏頗なイデオロギーに満ちていることだろうか。「正しい愛国心」論もさることながら、「象徴に敬愛の念をもつこと」がヒドイ。逐語的にコメントしておきたい。
 
日本の歴史をふりかえるならば,天皇は日本国
および日本国民統合の象徴として,ゆるがぬもの
をもっていたことが知られる。
 
そりゃウソだ。日本の歴史をふりかえるならば,古代の天皇とは覇権を争った武力闘争の偶々の勝者であったに過ぎない。武力による勝者は、その統治を強固なものとするために統治の正統性を権威付ける。どの権力者もやったことを天皇と名乗った者もした。宗教や説話や学問や芸術や詩歌や、つまりは文化と法制度を総動員して作りあげられたのが天皇の権威というものである。天皇の権力も権威も、支配者の支配者による支配のためのもので、「日本国および日本国民統合の象徴として,ゆるがぬものをもっていた」などとは、支配層のたわ言である。のみならず、天皇を象徴とする用語も概念も、歴史的に存在してはいない。
 
日本国憲法はそのことを,「天皇は,日本国の
象徴であり日本国民統合の象徴であって,この
地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」
という表現で明確に規定したのである。
 
日本国憲法第1条の文言はそのとおりである。しかし、その文言が「日本の歴史における天皇の地位を確認した」というのは大間違い。むしろ、この象徴規定は、天皇のすべての権力を剥ぎ取ったことの宣言として意味をもつ。言うまでもなく、憲法の構造上剥ぎ取ったのは主権者国民である。
 
主権者国民は、天皇という存在から権力を剥ぎ取ったが、天皇の地位までは剥ぎ取らずに残した。権力を剥ぎ取って残された天皇の地位を、日本国憲法は「象徴」という言葉で表現した。象徴とは、存在はするもののなんの法律効果も生じない地位を表現したものである。
 
大事なことは、「国民の総意に基づいて、象徴としての天皇の地位が確認された」ということである。論理の必然として、天皇の地位は国民の総意によって廃止することができる。そのとき、抑制された天皇の人権も復活することになる。
 
もともと象徴とは象徴されるものが実体として
あってはじめて象徴としての意味をもつ。そして
この際,象徴としての天皇の実体をなすものは,
日本国および日本国民の統合ということである。
しかも象徴するものは象徴されるものを表現する。
もしそうであるならば,日本国を愛するものが,日本
国の象徴を愛するということは,論理上当然である。
 
このレトリックが白眉である。ウソとごまかしは、今や安倍政権の専売特許だが、天皇制を支える「理屈」は、昔からウソとごまかしで塗り固められたものなのだ。

象徴という言葉をマジックワードとして、まずは「日本国=天皇」と結びつける。ならば、「日本を愛する」の『日本』に、『天皇』を代入することが論理上当然という。バカげた論理学。
 
日本も、日本国も、日本国民も、多様で多義である。無限の多面体と言ってよい。それぞれが多様なイメージで語るものなのだ。ところが、この「期待される人間像」のレトリックでは、天皇を措いての日本はなく、天皇を愛することのない愛国心はない、というのだ。恐るべきは、「象徴」というマジックワードの働きか。はたまた、高坂正顕・天野貞祐らの牽強付会ぶりか。
 
天皇への敬愛の念をつきつめていけば,それは
日本国への敬愛の念に通ずる。けだし日本国の
象徴たる天皇を敬愛することは,その実体たる
日本国を敬愛することに通ずるからである。この
ような天皇を日本の象徴として自国の上にいた
だいてきたところに,日本国の独自な姿がある。
 
「天皇への敬愛の念をつきつめていけば,それは日本国への敬愛の念に通ずる」とは、論理でも実証でも、法解釈でもない。良く言えば、天皇教信者の信仰告白である。「戦後20年を経て、われわれは、いまだに戦前の教育で刷り込まれた、天皇への敬愛を捨てきれません」「誰がなんと言おうとも、天皇あっての日本で、天皇なければ日本ではない」という、マインドコントロールから脱し得ない心情の告白である。
 
悪く言えば、愚民観に基づく天皇の再利用(リユース)である。明治維新時に天皇制を作りあげた藩閥政権の領袖のごとく、天皇を「玉」として手中にし、天皇の権威を最大限に利用し尽くした、あの再現である。戦後の支配層の立場において、象徴天皇制をどう再利用できるか、その試みであったろう。
 
保守政権にとって、資本にとって、そして旧体制の残滓全体にとって、象徴天皇制はどのように使えるかが追求された。その暫定結論が、「天皇を自国の上にいただいてきた」という「象徴天皇版國體論」である。その完成形を目指し、これを国民に刷り込もうという、うごめきは今なお、続いている。
 
盛岡さんの言うとおり、「間もなく、天皇の代替わりを利用して、時代離れのした、国民の主権者意識を希薄にしてしまう行事が繰り広げられる」ことになる。「それらがいかに憲法の精神に反したものであるか」について、私も多くの人々とともに、辛抱強く論議していくこととしよう。
(2019年4月23日)

http://article9.jp/wordpress/?p=12488
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/904.html

[政治・選挙・NHK259] 天皇制の謎と民主主義 (朝日新聞社 論座)
天皇制の謎と民主主義
「基盤装置」の危うい未来
大澤真幸 社会学者

論座 2019年04月23日
より、無料公開部分を以下転載。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041700005_2.JPEG
訪英先のバッキンガム宮殿で立ち話をする(左から)エリザベス女王、天皇、皇后両陛下と夫のフィリップ殿下=2007年5月
 
 
 天皇は――制度としての天皇は――謎である。外からこれを見ている者にとっても謎だが、それを維持している日本人にとっても深い謎だ。天皇制はなぜあるのか。何のためにあるのか。日本人は、それを明晰に説明することはできない。ヘーゲルに、「エジプト人についての謎は、エジプト人にとっても謎である」という格言めいた命題があるが、日本人は、天皇制に関して、まさにこのエジプト人である。
 
 
■なぜ続いてきたのか
 
 天皇制の歴史を振り返ると、謎はいくぶんかは小さくなるだろうか。逆である。謎は深まるばかりだ。最も大きな謎は、天皇制の継続性である。日本の歴史を振り返ってみると、その大半の期間において、天皇や朝廷は、たいした機能を果たしていないように見える。一見、ほとんど無用である。それどころか、ときの最高権力者にとって、天皇制は、ないほうがよい障害物だったのではないか、と推測したくなる期間が実に長い。日本の歴史の中には何度も、天皇制が廃棄されてもふしぎはないような局面があったのに、結局、天皇制は温存された。武家政権は、天皇制を完全に打倒し、撤廃することもできたように見えるのに、そうしなかった――そうできなかったのだ。武家政権は、互い同士では潰し合うこともあったのだが、それよりはるかに弱い朝廷を完全に廃棄することはなかった。どうしてなのか。

 とりあえず、最小限のこととして、次のように言うべきである。これほど無用に見えるのになお日本人がそれを棄てることができないのだとすれば、日本人は、天皇制をよほど必要としてきたのだ、と。しかし、日本人は、なぜ自分たちがそこまで天皇(制)に執着するのか、それを意識化できてはいない。

 天皇制の継続性は、「万世一系」という語によって表現されている。天皇の地位は、最初の天皇から今上天皇まで断絶することなく世襲されてきた……ことになっている。歴史上、世界各地にさまざまな王権が存在したし、現在でも存続してもいるが、しかし、日本の王権、つまり天皇制ほど継続性をもった王権は、ほかにない。万世一系であることの副産物は、天皇制には王朝の観念がない、ということである。中国の皇帝にも、またヨーロッパの王権にも、王朝という見方がある。たとえば、現在のイギリスの君主(エリザベス2世)は、ウィンザー朝――かつてハノーヴァー朝と名乗っていたこともある――に属している。ウィンザー朝=ハノーヴァー朝は、スチュアート朝の後に、イングランドに君臨した。だが、万世一系であれば、王朝によって、王の系列を区別する必要はない。王朝の観念の不在は、天皇が姓をもたない、ということを意味している。他の国の君主と違って、日本の天皇には姓がない。一般に、王朝は、「姓」によって区別されるからである。
 
 
■影響力の範囲・直属の軍事力
 
 日本の天皇制が特異なのは、こうした時間的な継続性に関してだけではない。その空間的な広がりに関しても、それは例外である。今しがたも示唆したように、王権自体は、一般的に見られる社会システムである。細部を省略して基本的なことだけを述べれば、天皇は、呪術や神話を権威の源泉とする、比較的原初的なタイプの王に属する。たとえば、『古事記』や『日本書紀』などのテクストのかたちで自身の正統性を公言している点では、天皇制は、最も原初的な王権や首長制よりも複雑なシステムだが、なお呪術王の系列に属している。このようなタイプの王権は、めずらしくはない。
 
 特異なのは、その影響力の範囲である。今、前近代の天皇制の影響力が、最終的には(北海道を除く)日本列島のほぼ全域にまで及んでいたと考えると、この広がりはやはり破格である。原初的な王権がその権力や影響力を及ぼしうる範囲は、一般にそれよりもはるかに狭い。人々が王の存在をありありと実感できる範囲を、大きく超えることができないからだ。たとえばもし天皇制の影響力の範囲が、せいぜい畿内に留まっていたとするならば、(原初的なテクストだけをもつ)呪術王が支配する領域としてごく普通だと見なされたであろう。しかし、曲がりなりにも天皇制を受け入れ、尊重していた社会的領域が、最終的には、日本列島のほぼ全域だったとすると――中国の皇帝の支配が及んでいた領域と比べれば著しく小さいとはいえ――、それは、呪術王の支配領域としては例外的に大きい。
 
 天皇制のもうひとつの顕著な特徴は、直属の軍隊をもたない、ということである。古代の天皇は、直接的に動員しうる軍事力をもっていた。しかし、ある時期(平安時代のごく初期)以降、天皇は軍事力とは切り離された。それゆえ、天皇や朝廷は軍事的にはきわめて弱かった。軍隊とのこのような(無)関係という伝統は、今日の天皇制にも受け継がれている。もちろん、現在の象徴天皇が、軍隊(自衛隊)から切り離されているのは、直接的には、大日本帝国憲法の下で天皇が統帥権をもっていたことに対する反省からである。が、今述べたように、むしろ、天皇自身が、軍隊の最高指揮権を握っていた明治以降の体制は、天皇制の歴史にとっては例外である。軍隊から切り離されている戦後の天皇は、天皇制の常態への復帰だと解釈することができる。
 
 これは、日本の天皇制とヨーロッパの王権との顕著な違いのひとつである。ヨーロッパの現代の君主は、すべて軍隊と直接的に結びついている。たとえば、イギリスの国王もスペインの国王も、軍の最高司令官である。単に形式的にそのような地位が与えられているだけではない。彼らは、正式に軍事教育を受け、軍の関係者と親密な関係にある。たとえば、イギリスの王室の男子は、軍事訓練を受けることになっている。ウィリアム王子もヘンリー王子も、サンドハースト王立陸軍士官学校を卒業しており、彼らの父チャールズ皇太子とともに、軍との間に強い紐帯を維持している。
 
 要するに、歴史的に見て天皇制はきわめて特殊な王権であり、多くの謎に満ちている。この謎を、ここで解くつもりはない。ただここでは、天皇制の独特の性質を銘記した上で、現代の天皇制について考えてみたいだけだ。
 
 
■戦後の左翼の目標
 
 天皇制はたいした機能を果たしていないように見えるのに、日本人はそれを放棄することができない、と述べてきた。この逆説が極大化したのが、戦後である。明治維新以降の政府は、天皇に、積極的で明示的な機能を与えようとした。戦後の政治と憲法は、これに対する反省と批判から始まっている。日本国憲法によれば、天皇は象徴である。「日本国」と「日本国民統合」の象徴だ、と。だが、これが何を意味しているのかは確定できない。どこにも明確に規定されていないからだ。憲法にある「象徴」は、消極的な概念である。「消極的な」というのは、「それが何であるか」ということよりも「何でないか」ということに力点が置かれている、という趣旨だ。日本国憲法において、「象徴」という観念は、天皇を政治的に無力化することを目的として活用された。そのため、戦後、天皇が何をする人なのか、何をするためにいるのかを積極的に規定しないまま、日本人は、天皇制を維持した。これが、GHQの、そしてアメリカの意志でもあったのだが、日本人は、これを喜んで受け入れた。
 
 しかし――先に結論を述べておけば――客観的に見れば、戦後、天皇制は、日本の政治に対して、ある重要な機能を果たしていた。天皇制が、民主主義が可能であるための最小限の条件を整えた、と言ってもよいほどである。これがどのような意味なのかを説明する前に、小さな回り道を通っておきたい。
 
 戦後、日本人は全員一致で天皇制の存続を望んだ……かのように論じてきた。しかし、敗戦後の半世紀近く――1980年代までは――、より率直にいえば昭和天皇が存命だったあいだは、左翼の大半は、天皇制に批判的であり、天皇制の廃止や打倒を政治目標にしていた。そして、知識人や大学生の多くは、左翼にシンパシーをもっていた。今日では、しかし、左翼やリベラルを自任する人でも、声高に天皇制の廃止を主張しない。仮に天皇制に批判的な目を向けていたとしても、天皇制の打倒こそが日本の政治における最も重要な課題であると思っている左翼は、今や皆無だと言ってもよい。
 
 振り返ってみると、敗戦後の半世紀弱は、天皇や天皇制に対する批判や反対を公然と主張できた、日本史上、唯一の期間であろう。日本史にはひとつの法則がある。天皇や朝廷の敵と見なされた者は、必ず、政治的な敗者になるのだ。天皇・朝廷の全面的な敵となりながら、なお政治的に生き延びたケースは、たったひとつしかない。承久の乱のときの関東武士――北条義時・泰時に率いられた鎌倉の武士勢力が、その唯一の例外である。このとき初めて武士は朝廷を全面的に敵にまわした。そして彼らは圧勝した。このときこそ、鎌倉の武家政権は、京都の天皇制を廃棄してもかまわなかった(ように見える)のだが、そうはしなかった。鎌倉幕府は、後鳥羽上皇をはじめとする皇室の主だった者を遠流にするなど、彼らに厳罰を科したが、しかし、制度としての天皇や朝廷は温存したのである。とまれ、繰り返せば、この奇妙な例外を除くと、天皇や朝廷に反抗して政治的に生き延びた者は、日本史の中には誰もいない。このことを考えると、敗戦後の半世紀弱は、天皇制の打倒を叫んでも政治的に排除されることがなかった、日本史上の唯一の期間だったことになる。
 
 だが、今日の目から反省してみると、こう問いたくなる。あのとき、日本の左翼は、本気で天皇制を打倒するつもりだったのだろうか。彼らは、天皇制の存続を前提にした上で、つまり天皇制が消え去ることがない限りで、天皇制への反対を唱えたかっただけなのではないか。
 
 
■天皇制廃止への本気度

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041700005_3.JPEG
成田空港反対運動で、抗議して道路に座り込むデモ隊=1978年7月、千葉県成田市三里塚
 
 極右と極左の両方のグループを渡り歩いた、見沢知廉という作家がいる。すでに故人となっているこの人物は、1995年に、獄中で書いた『天皇ごっこ』という小説を発表した。これは、天皇に関連した短篇をオムニバス形式で集めた作品である。

 この中に、次のようなシーンがある。これは、おそらく、見沢が実際に経験したことである。1978年の初夏、成田空港開港阻止のために千葉・三里塚に新左翼の活動家たちが集結した。赤、白、青等の色によって象徴される新左翼系諸セクトの活動家が一堂に会したのだ。しかし、1万数千人からなる全体集会は、まったく盛り上がらない。次々と各派のアジテーターが演説をするのだが、その度に、一部のセクトだけが喝采を送り、他は白けてしまうのである。戦略、闘争目的、それらの背後にある理論のすべてにおいて、各派の主張が異なっているからである。「インターナショナル」を合唱するにしても、セクトごとに歌詞の訳語が異なるために、歌も揃わない。

 最後に、アジテーションの名人とされている反対同盟委員長の戸川がマイクを握る。最初は、戸川の演説さえも、全体をまとめることはできない。だが戸川のある一言によって、情況が一変する。「さて」と一呼吸をおいてから、戸川は続ける。「そして何よりも――我々の唯一の目的は、天皇を、打倒することです……」。この言葉が吐かれた瞬間、オオオオという地鳴りのような叫びが参加者の全員からあがり、左翼系の諸団体が、一つになって共振した。「天皇を……殺すんです……」という戸川の呼びかけに対して、嵐のような絶叫が賛意を表明する……。

 これが見沢知廉の小説の一場面だ。このとき、左翼の活動家は、 ・・・ログインして読む
(残り:約4819文字/本文:約9721文字)
 
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2019041700005.html?page=1
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/905.html

[国際26] 伝えられないベネズエラの真実 吉原功 (放送レポート)
 
伝えられないベネズエラの真実
吉原功(明治学院大学名誉教授)

<「放送レポート」278号(2019.5-6)掲載>

 最近、しきりと1950年代のアメリカ西部劇を思い出す。昭和28年に開始された日本のテレビ放送は人々を魅了したが、戦後の空気がまだ漂っているなかでかつての軍国少年(=筆者)を惹きつけたのは、力道山を中心としたプロレスとともに「西部開拓時代」のフロンティア精神を謳歌する西部劇であった。そこでは強くて優しいヒーローが必ず悪者を退治し、美しい女性や善良な市民を助ける。悪者は白人のならず者である場合もあるが多くは野獣のように獰猛な「インディアン」である。少年は、これぞ民主主義の国アメリカだと思った。「強くて優しいマッカーサー」といういろはカルタもあった。

 「インディアン」とは、もともとそこに住んでいた人々であり、その先住民を蹴散らし殺しながら土地を奪い「私有地」としたのがフロンティアだったということを知ったのはだいぶ後のことである。60年代、すでに始まっていた公民権運動の高揚にともない、米国西部劇のないようも変わっていった。
  
 本年1月23日、ベネズエラのグアイドー国会議長が与党の集会で突然、暫定大統領になると宣言した。間髪を入れずトランプ米大統領が承認、ポンペイオ国務長官が同国憲法第233条に基づき「自由で公正な大統領選挙」を要請すると発表した。アルマグロ米州機構(OAS)議長、ブラジル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、など中南米の親米右翼政権やカナダも続き、やがてEU諸国、日本もこれにならった。
 
 この流れに沿うように、ベネズエラ・マドゥーロ政権を糾弾するキャンペーン報道が日本でも始まった(欧米では1998年のチャベス大統領当選以来続いている)。このキャンペーンが「西部劇」を想起させたのだ。
 
 現に大統領が在職しているのに、国会議長が突然、暫定大統領を自己宣言し、多くの外国政府とメディアがこれを支持するなどということは通常はありえないことだ。内政干渉であるし国際法違反でもある。にもかかわらず、マドゥーロは間違った経済政策で国民を困窮に陥れて、人権を侵害し反対勢力を弾圧している独裁者であり、権力を持つ資格がないと非難し続けている。獰猛な「インディアン」が民衆に襲いかかっているので助けに行かねばと言わんばかりだ。
 
 ベネズエラは石油埋蔵量世界一の国であり、レアメタルなどの地下資源も豊富な国である。長い間その利権は米国(企業)が握ってきた。国内でその恩恵にあずかるのはごくわずかな富裕層であり、国民の大多数はそこから排除され貧困にあえいできた。首都カラカスでいえば、富裕層は盆地の高い塀に囲まれた豪邸に住み、貧困層は盆地を取り囲む丘陵地帯に押し合いへし合いするバラックに住んで、昼は富裕層のために警備、清掃、家事、料理、アイロン掛けなどをして暮らしていた。
 
 この構造に根本的なメスを入れようとしたのがチャベス大統領である。石油産業などの国有化をすすめそれによる収入を、貧困層の食料、医療、教育の改善に投入した。その結果ある程度の中間層も育ってきた。一方特権を奪われた富裕層は米国とともに怒りに燃えた。2002年のクーデタは国民の圧倒的な批判を受け頓挫したが、その後もチャベス打倒の試みは様々になされる。
 
 米国はチャベス大統領の死亡(13年3月)を捉え、その後継であるマドゥーロ政権を打倒すべく「ベネズエラの人権及び市民社会擁護法」という制裁法を成立させた。14年12月にオバマ大統領が署名・発効したのでオバマ法ともいう。富裕層を中心とした野党の過激な運動、暴力行為(グアリンバス)はこの法律やつづく諸法・資金に支援されていることは間違いないだろう。不満を爆発させているのは富裕層であり、貧困層はじっと我慢をして米国をはじめとする経済制裁の解除を待っているというのが実情ではなかろうか。政府も食料配給カードを配ったり、インフレに見合う最低賃金を決めるなど努力している。
 
■暫定大統領の権限は?
 
 「ゲリラ宣伝・戦闘員は、われわれの運動が全ニカラグア人および世界の人々から見て偉大であり正しいものであるということを民衆に示すという使命を帯びる。民衆と一体になればわれわれの運動に対する賛同の度は高まる。これにより、政権の座にある体制に対する賛同は減り、住民は自由の奇襲部隊を最大限に支持することになろう」 
 
 これは80年代中頃のCIA(米中央情報局)によるニカラグア・サンディニスタ政権打倒のための手引書の一節である。ベネズエラでもこの手引書と類似した方法が実施されているように思える。
 
 しかしそれは失敗したようだ。野党諸党は民主団結会議MUDとして活動し2016年には一時50%の支持率を記録したが、過激な街頭行動、大統領選挙参加を巡っての分裂で19年1月には穏健野党を含め16%に急落しているからである。ちなみにグアイドーの大衆意志党は6%であった(政府系だが選挙予測などで結果ともっとも近い予測をしているインテルラセス世論調査社の調査)。
 
 米国などマドゥーロ追放を目指す諸政府は、18年の大統領選挙に正当性がないと主張し、メディアもそれを無批判に繰り返し報道している。この選挙を巡っては政府とMUDが対話を重ね合意に達していた。ところが署名する段になって米国ペンス副大統領からMUD代表に電話が入りMUDが署名できなかったという経緯がある。有力候補者を排除したというのも真実ではない。過激な街頭行動や破壊活動の中心人物として服役中のレオポルト・ロペス以外の野党指導者たちはいずれも自由に政治活動を展開している。
 
 ベネズエラでは政党がどの候補者を支持するかを表明し、有権者は政党に投票することによって大統領が決まる。その際、前回の全国選挙に参加しなかった政党は一定の手続きをしなければならない決まりだが、その手続きが遅れたり拒否したりした政党は18年大統領選に参加できなかった。しかしこれも合法である。米国などは当初からこの大統領選を認めないでマドゥーロ攻撃をする戦術だったと考える他はない。
 
 14年のオバマ法は経済制裁の法でもあった。これによりEU諸国もベネズエラ制裁に加わった。トランプはそれをさらに強化した。金融制裁のみならず食料、医薬品、医療サービスまで制裁を強化した。そのもっとも大きな被害者が貧困層であることは目に見えている。
 
 2月8日付のニューヨーク・タイムスはそのことを指摘したが、日本のメディアはこの点を無視し「人道危機」と煽っている。米国はコロンビア国境とブラジル国境から人道物資を運ぶとして強行突破を試みたが、日本のメディアは一様に、人道物資の中身も問わずにこの米国の行為を支持した。国境の背後に米軍が待機していたことも無視した。赤十字の人道支援の原則-一部に利益を与えない・独立・中立-に反していることにも触れていない。
 
 人道支援といえば、ユニセフが1月29日、紛争や自然災害により食料や水などの援助が必要な子どもは、世界五九ヵ国・地域で推計四一〇〇万人に上ると発表、各国に三九億ドルの緊急拠出を要請した。イエメンの六六〇万人、シリアの五五〇万人、アフガンの三八〇万人などであるが、これらを熱心に取材報道するという姿勢は見当たらない。米国要人は何回も軍事介入の可能性を発言してベネズエラを脅迫しているが、それに対する異議申し立てもない。
 
 3月19日、カラカスの本部がある南米の国際放送テレスールが興味深い映像を送信してきた。トランプ大統領がベネズエラ特任大使に任命したエリオット・アブラムスのホワイトハウスでの記者会見の模様である。グアイドー暫定大統領の期限は三〇日だから2月23日に期限が切れているのでは、との記者の問いに、「マドゥーロがまだいるからね。暫定大統領の期限は彼が去ってから始まるんだ」と答えたのである。これによるとグアイドーはまだ暫定大統領ではなく、何の権限もない人物ということになる。米政権の法解釈がいかにいい加減なものかを示す事例であろう。
 
■ネオリベラリズムの暴風 
 
 さて、米国はなぜ、このように強引にチャベス政権・マドゥーロ政権を潰そうとするのか。
 
 オバマ法ではベネズエラを米国の安全および外交にとって「極めて異常で危険な脅威」と規定している。軍事的にも経済的にも弱小国であるベネズエラをなぜこのように規定したのだろうか。無論、獰猛な「インディアン」としてではない。西部開拓時代、世界は初期資本主義の発達期であり、近代文明の発祥期であった。「西部劇」はそれがいかに多くの略奪と人間の犠牲を基に発展してきたかを物語っている。
 
 現在、その近代文明は政治経済社会そして人間そのものを危機的瀬戸際まで追い詰めている。ネオリベラリズムによるグローバル化がそれを象徴している。顧みれば中南米は初期ネオリベ経済の実験場であった。ベネズエラもその例外ではない。そしてチャベスはそのアンチテーゼとして登場したのであった。それは米国の利害と決定的に対立する。チャベスの試みが成功してはならないのだ。
 
 収監されているレオポルト・ロペスはネオリベの実験場として運用された石油産業のファミリーの一員であり、その学問的総本山シカゴ大学経済学部に学んだシカゴ・ボーイであった。その薫陶を受けていると思われるグアイドーは、パイロットと教師を両親とする中産階級の出とされるが、東欧革命の街頭行動を学ぶ学校で訓練を受けたという。中南米の青年将校を訓練するために第二次世界大戦直後に米軍内に設置された「米軍アメリカ学校」と同系列の学校と思われる。
 
 この二人がベネズエラ社会の権力を握ることになればアジェンデ政権がクーデタで倒された後のチリ社会のように人権・人命を無視した、ネオリベ経済の吹き荒れる社会となることが懸念される。
 
 メディアには歴史と世界構造を認識したうえでの現象把握を求めたい。
 
(追記)グアイドーの暫定大統領宣言とその後の経過に危機感を持った有志が集い、筆者も参加して、2月21日、緊急声明を発表した。その末尾に四つの提言をしている。国際規範に則った対応、対話による問題解決、経済封鎖・制裁の解除、メディアは大国の語りを検証しつつ事実に基づいた報道を-の四点である。次のサイトで生命その他を読めるので是非ご覧頂きたい。
http://for-venezuela-2019-jp.strikingly.com/
 
 
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投稿者より補足(1)
上の(追記)にある「緊急声明」を紹介した下記スレッドも併せて参照ください。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/890.html
 
投稿者より補足(2)
本稿が収められた「放送レポート」(メディア総合研究所・編、大月書店・発行)は全国の書店で購入できます。最新278号(2019年5月)の目次は以下の通り。

●官邸「質問妨害」 ここが問題だ/ 南 彰
●質問妨害は記者へのハラスメントだ/ 吉永磨美
●官邸vs東京新聞/ 臺 宏士
▼データルーム 官邸前抗議行動アピール
 「知る権利」を奪う首相官邸の記者弾圧に抗議する
●フクシマをどう伝えるか(下)~分断・対立を超えて~/ 小田桐誠
●韓国放送人たちのたたかい・その後 ~その2 Me Too運動で変化する性平等の取り組み~ /岡本有佳
●伝えられないベネズエラの真実/ 吉原 功
●連載11 沖縄で何が起きているのか/ 古木杜恵
●拝啓 沖縄より~全国のメディア関係歳の皆様へ~ 22/ 沖縄問題取材班
●制作者の素顔56 琉球放送 大盛伸二さん/ 古木杜恵
●スポーツとマスコミ169/ 谷口源太郎
●ドキュメンタリー台本 『葬られた危機~イラク日報問題の原点~/メ~テレ

http://mediasoken.org/broadcast_report/index.php

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/293.html

[マスコミ・電通批評15] 『記者たち 衝撃と畏怖の真実』 ロブ・ライナー監督 (長周新聞)

長周新聞 2019年4月25日

 ロブ・ライナー監督が制作したこの映画は、2001年9月11日、アメリカで発生した同時多発テロ以後、アフガニスタン、イラク戦争へと突き進むアメリカ政府の動きに疑問を持ったナイト・リッダー社の記者たちが粘り強い取材を重ね、「イラクが大量破壊兵器を保持している」という政府の大がかりな嘘を暴いていった実話だ。急激に戦争へと世論が煽られるなかで、記者たちが孤立し葛藤しながらも真実を報じ続けた様子を、当時の実際の報道映像をまじえながら描いている。9・11以後の米国メディアの検証を通じて、ジャーナリズムのあり方を投げかける作品だ。

 副題の「衝撃と畏怖」とはアメリカのイラク侵攻の作戦名である。同時多発テロ以後、アメリカ国内では貿易センタービルが崩落する映像がくり返し放映され、愛国心が称揚される異様な空気のなかでブッシュが発する「テロとの戦い」に向けて世論が急速につくられていった。首謀者としてイスラム系テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンが浮上し、テロ発生直後の10月7日にはビンラディンを匿っているアフガニスタンへの空爆を開始、同月26日には米国愛国者法が成立する。

 そうしたなかで、31の地方紙を傘下に持つナイト・リッダー社のワシントン支局長であるジョン・ウォルコットのもとに、ブッシュ政府がアフガンだけでなくイラクに侵攻しようとしているという情報が入る。事実を確認するため、取材を命じられた国家安全保障担当の記者ジョナサン・ランデーと外交担当の記者ウォーレン・ストロベルは、安全保障や中東問題の専門家、国務省、国防総省などの政府職員、外交員らに地道に取材を重ねる。丹念な取材を続けるなかで、ビンラディンとイラクのサダム・フセイン大統領がつながっている証拠はなく、むしろ専門家は否定していること、にもかかわらずアメリカ政府がイラクとの戦争を画策していることが明らかになっていく。

 ナイト・リッダー社はそれらを発信していくが、政府の思惑に乗ってニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど主要紙をはじめ多くのメディアで、9・11テロ事件の背後にイラクがいるとする報道や、大量破壊兵器を製造しているとする報道が急増していき、イラク戦争開戦前年の2002年秋にはニューヨーク・タイムズが、イラクが核製造部分の密輸を加速させているとするスクープを報じる。濃縮ウラン製造のためのアルミ管の密輸をヨルダンで食い止めたという政府高官の発言を報じたもの(後に「アルミ管記事」として物議を醸す)だ。新聞報道と同日朝にチェイニー副大統領補佐官がNBCの番組に登場し、続いてライス国家安全保障担当補佐官が同様にテレビ番組でこの報道を裏付ける発言をするなどし、「イラクが大量破壊兵器を保有している」という嘘が、真実としてアメリカを覆った。のちにこの情報は政府関係者がわざとリークしたものであることが明らかになった。

 大手メディアが政府情報を無批判に垂れ流し、怒濤のように嘘が氾濫するなかで、ナイト・リッダー社の記者たちは真実を探求して地道に取材を続け、記事を書き続ける。「われわれの読者は基地がある町にいる。もしすべてのメディアが政府の広報になるならやらせとけ。われわれは子どもを戦場に送る親たちの味方だ」「政府がなにかいったら必ずこう問え“それは真実か”」。そう檄を飛ばすウォルコット支局長。

■真実の報道を貫いたことで集まる重要告発

 政府を批判する記事を書き続けるナイト・リッダー社の記者たちは、政府中枢からの情報を得ることはできない。彼らが取材していったのは政府組織や軍の末端職員たちや専門家などだった。だが、そんな彼らのもとに、大義なき戦争に突き進もうとする政府に憤りを持つペンタゴンをはじめ政府組織の末端職員らから告発が寄せられる。秘密の戦略室があり、そこでは先に描いたシナリオに沿って都合のいい情報を集めてくるという、情報収集の原則に反した活動がなされていること、イラクの核査察では「駱駝(ラクダ)のケツの穴まで探した」が、大量破壊兵器など発見されなかったこと--。こうした義憤に燃える人人の告発にもとづいて取材を進め記事を発信し続ける。

 しかし、傘下の新聞社に記事の掲載を拒否されたナイト・リッダー社はなすすべを失い、しだいに孤立していく。身内からも裏切り者呼ばわりされ、「自分たちの報道は間違っているのか」と葛藤しながらも、4人は理解ある家族に支えられながら、記者魂を奮い起こして取材を続けていくのである。

 映画では実録映像をまじえて、当時のアメリカ国内がイラク侵攻一色に染まっていたわけではないことを伝えている。2002年10月に対イラク武力行使容認決議を採択した米議会では、ヒラリー・クリントンらが賛成演説をする一方で、民主党長老のロバート・バード議員が、嘘の情報で開戦したベトナム戦争で多くの命が犠牲になった悔恨から、渾身の反対演説をする様子や、イラク開戦に反対する大規模なデモがおこなわれた映像も映し出される。

■ジャーナリズムの役割を問う

 アメリカは2003年3月20日、イラク侵攻を開始した。「数日で終了する」とうそぶいて。だが、同年5月にブッシュ大統領が原子力空母エブラハム・リンカーン艦上で「任務完了」の横断幕を掲げ、イラク戦争の戦闘終結宣言をおこなった後もイラクの戦況は泥沼と化し、多くのイラク市民、アメリカ兵が犠牲になった。本作に登場する元陸軍兵士の若者も9・11後、愛国心から両親の反対を押し切って19歳で志願し、イラク派遣からわずか1週間で爆発物によって下半身が麻痺した。彼の「なぜ戦争を?」という問いかけは、この戦争で犠牲になったすべての人人の問いかけでもある。

 後にナイト・リッダー社が当時配信した内容はすべて事実であったことが明らかになり、ニューヨーク・タイムズなどメディア各社は謝罪することとなった。映画からは、政府の嘘を覆すことができず、イラク開戦を阻止できなかった一種の無力感も伝わってくるが、戦争という局面にさいしてジャーナリズムが真実にどう向き合うのかを改めて問いかけている。政府の広報機関になり下がったメディア各社が、「取材する」という基本的な作業すらせず根拠のない嘘情報を垂れ流していったさまは、権力者にいかに情報を与えてもらうかを競い、飼い慣らされている今日の日本の報道のあり方と重なる。

 映画のラストでいくつかの数字が示される。

▼現在までの戦費 2兆㌦
▼アメリカ兵の犠牲者 3万6000人
▼アメリカの攻撃で犠牲 になったイラク市民 100万人
▼大量破壊兵器 0

 地道にみずからの足を使って取材し、権力者の嘘を暴き、権力の横暴を批判するというジャーナリズムが果たすべき役割の重大さを投げかけている。

https://www.chosyu-journal.jp/review/11546


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[政治・選挙・NHK260] 選挙における左翼敗退の理由?わが村の場合 阿部治平 (ちきゅう座)
 
2019年 4月 25日
<阿部治平:もと高校教師>
 
 
――八ヶ岳山麓から(281)――

地方選挙の都道府県議・政令市議選は、保守派の勝利に終わった。
公明党が343から337と停滞したものの、自民党当選者は前回1459から1485へ増加したからである。立憲・国民両党は合わせても333人にとどまり、旧民主党の391人より大幅減少、共産党も247から214になって敗北、社民は34から26になって風前の灯火。

わが長野県議選でも、自民党は得票と得票率を大幅に伸ばし24人を当選させ、その後の多数派工作によって県議会57議席の過半29を獲得した。「県民クラブ・公明」は9人。改選前14人だった無所属・民進・社民系は新会派「改革・創造みらい」12人をつくった。
阿部守一県政唯一の野党共産党は8人から5人に後退し、交渉会派(所属議員6人以上)の資格を失った。
後半は市町村議選だが、無所属が多く、公明党と共産党、維新だけが党派を名乗るのが通例である。これで政治動向をうんぬんすることは難しい。長野県の場合、34市町村議選の党派別当選者は、共産党が前回選挙より6人減の44人、公明党は1人増の21人、立憲民主党は3人、無所属360人であった(信濃毎日2019・4・23)。

地方議会における保守派の勝利は、リベラル・左翼の自滅がもたらしたものだと私は思う。以下に、その一例として私の村の左翼の滅び方を述べる。

私は、マルクス主義がいうところの社会主義の実現を信じないが、これまでずっと共産党を支援してきた。わが村にはリベラルから左の政党では共産党しかないからである。だが浮世の義理もあった。共産党の地方活動家で親友のNが、生前「共産党を頼むぞよ」といったからである。私はこの遺言を守った。だから共産党の動向にはひとかたならぬ関心を持っている。

私の村は元来農業を主とする8集落であった。ところが経済急成長以後、村を横切る自動車道路よりも標高の高い山林に大都市圏から移住する人が増加した。ここを「みちうえ」といい、もともとの8集落は「みちした」と呼ぶ。共産党の支部はそれぞれにあるらしい。
2007年村会議員定員は11人に減少したが、「みちうえ」は定年退職者が多いので有権者は全村のほぼ25%に達し、村議2、3人を出すようになった。「みちした」は20年くらい前までは、村議は集落代表・名誉職だったが、いまや「やりてえ衆がやりゃいいら」という空気が強くなった。

前回の村議選では、共産党は「みちうえ」現職が再出馬、「みちした」には適当な人がいなかったため、移住して2年半という「みちうえ」の人を担ぎ出した。これで「みちうえ」の女性2人が選挙戦に臨み、274票と224票で当選した。
この選挙のあと、「みちした」の知人が「何もわからねえものを村会議員にして! 共産党は村をバカにしていりゃあしねえか」と私に不満をいった。親戚知人はたいてい私を共産党だと思っているから、こういうことが起きる。私は両村議をしっかりした人だと思ったので、「あの衆もこれから勉強すりゃわかるようになるら」と弁解した。

前回選挙から4年経った今年3月中頃、私は「みちうえ」「みちした」両方の共産党後援会に行った。「みちうえ」の後援会で、見知らぬ男性が「村議選に立候補するからよろしく」と挨拶をした。聞くと、彼は去年9月に移住したばかりで、党員も彼がどんな人かよく知らないというから驚いた。
さらに先に述べた「みちうえ」の現職村議は2人とも今回は立候補しなかった。彼女たちはそれぞれ2期と1期を務めて、ようやく村の様子がわかりかけたときなのになぜなのか、これについては説明すらなかった。
前回に引き続いて、今回も「村をバカにした」所業である。私は「適当な人物がいないなら空白でもしょうがねえ。今後地道に活動して、4年後誰かが立候補すりゃあいいに」と、2,3の党員に話した。これにあえて異論をとなえる人はいなかったが、「もう地区委員会も承認している」とのことだった。
自覚しているかどうかわからないが、「みちうえ」の人は「みちした」に対する優越意識を持っている、と「みちした」の人々は感じ、「みちうえ」の人々の振る舞いをじっと見ている。このことに「みちうえ」の共産党は深く思いを致すべきである。

わが村の共産党はこの4年間、農協前でのスダンディングなどを主導し、国政レベルの課題を叫ぶのに熱心だった。村議会では前・現村長のやり方に反対し、いくつかの課題に取組んだけれども、村人の印象に残ったのは、おもに老人医療費給付金制度の維持と、その改革に反対したことだった(注1)。
「みちした」には農業技術に通じた党員がいるのに、野菜栽培の直面するテンサイシスト線虫や高温障害、さらには農業後継者、休閑地など農業問題への関心はまことに薄かった(注2)。
去年の台風では、私の集落では倒木のため80数時間にわたる停電など深刻な被害が生じたが、党はとくに被害調査をすることもなく、対策を村役場に求めた形跡もなかった。わが友Nだったら、ただちに見舞いに歩き、村役場や中部電力と交渉を始めたはずだ。

(注1)
私の村には、全国唯一の65歳以上の老人の医療費を全額村が負担する制度があった。ところが2015年児童を含めた医療給付金が年1億円をこえた。このままでは制度そのものを維持できないとして、前村長は高齢者の給付年齢を65歳から毎年1歳ずつ延長して、5年後には70歳からとした。老齢化が確実に進む中、給付金が年々増えることは目に見えている。だから村人の多くは制度改革をやむを得ないものと考えている。
共産党は「給付金の額が膨大になったときはどうするのか」という問いに「村の各種基金を取り崩せばよい」と答えた。

(注2)
意外にも共産党本部は、昨年夏テンサイシスト線虫と異常高温の障害を調べるため、わが村に国会議員と職員とを2回も派遣していた。おそらくは危機に直面した「みちした」の農民党員がたまりかねて本部に直訴したものであろう。
だがこのとき、共産党村議が国会議員らの現場視察に同行しないという不可解なことがあった。これを問うと、「みちうえ」の党員は「連絡がなかったから」と弁解した。政党としてこんなタガの緩んだ話はない。

3月末信濃毎日新聞に、わが村の立候補予定者8人の名前が掲載された。私はそのうちの農家とわかる4人に、はがきで農業問題をどう考えるか質問した。4人ともしっかりした返事をよこした。なかでも現職女性村議は、医療給付金問題、災害対策の進捗状況、経営規模、外国人労働者の雇用の問題などを詳しくメールで送ってきた。
ことここに至って、天国のNには申し訳ないが、村政について何も知らない人を村議会に送る必要はないと思った。それで「今回は共産党の支援活動をしない」と2,3の党員に告げた。それかあらぬか、私のところには共産党の宣伝ビラが届かなかった。

わが村は有権者6500余、村議定員11人。今回の村議選では現職7人が引退し、新人が9人立候補して13人の争いとなり、村人の関心が高まり投票率も65%と高くなった。
結果、当選者はすべて無所属で、共産党新人は得票数227、最下位で落選した。「前回2人、今回1人だから当確」のはずだったが、前回得票498の半分もなく、さきの衆院選比例区の得票の36%しかなかった。ひところは村議4人を擁し、村政にゆるぎなき地位を築いたわが友Nの政治的遺産は、おそらくは誤った指導によって、すでに食いつぶされていたのだ。

共産党下部党員は、党中央の方針に従い、中央の政策を宣伝し、「しんぶん赤旗」の拡大に邁進してきた。そのため過労気味で自分の頭でものを考えるゆとりがない。各レベルの党指導者らは選挙で敗北しても負けと認めず退かない。自らが人民の支持を得、人民の声を代表していると思い込んでいるから、他人の批判や忠告を受け入れない。だから現地の事情にもとづいた政策を立案し実行するにいたらない。

ことは共産党にとどまらない。これはまた別個に論じなければならないことだろうが、国政レベルでは、立憲・国民両党もさほど上等の政策を出せないから、それにふさわしい支持しか得られず、日本国民の保守化に貢献しているのである。いったいわれわれはいつになったら極右安倍政治を終わらせることができるのだろうか。
(2019・04・23)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8595:190425〕

http://chikyuza.net/archives/93227
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/142.html

[政治・選挙・NHK260] 21世紀家父長制の悪夢 新天皇家の発する家族メッセージ (朝日新聞社 論座)
 
牟田和恵 大阪大学大学院人間科学研究科教授
論座 2019年04月25日
 
 
 「代替わり」が迫っている。2016年夏に始まった現天皇の生前退位の報道から足掛け4年、この国はずいぶんとこのことに振り回されてきた。その最たるものが元号で、コンピュータのシステム担当者からカレンダー業者まで(前者はまさに現在進行形で、だろう)苦労している。こうした面以外にも、「平成最後の」のイベントや表現があちこちで花盛り、新元号になったらなったで、「〇〇初の」が喧伝されるのだろう。2019年4月30日と5月1日は、ほかのどの日にちとも変わらずつながっていくのだが、この国ではあたかも截然(せつぜん)と時代が画されるかのような幻想を与える。今回は生前退位により4年にもわたってそれをしているわけだ。暦を新たにする元号とはまさに、権力が時間を支配することの象徴だが、民主主義国家となって70余年経過した21世紀の現在、それをこうして目の当たりにさせられることに忸怩たる思いがする。

■「家」制度の維持と継続
 
 もう一つ、皇室が民主主義に違背しつつ称揚までされているのは、家父長制、言い換えれば女性差別だ。男系の継承しか認められていないこと自体、女性差別が歴然だが、女性天皇を認める法改正も議論されていたのが、2006年に秋篠宮家に男子が生まれたとたんにその論議がストップしたのはあまりにあからさまだった。現在も、女性宮家創設に関する議論があるが、それもこのままでは天皇を支える皇族が先細りだから、という「家」第一の発想でしかない。

 敗戦によってもたらされた憲法改正で男女平等や個人の自由に反するとして民法の「家」制度が廃止されたなか、天皇家についてだけは男子継承が維持された。もともと、歴史上では古代から江戸時代まで女性天皇は存在したのに、明治になって皇室典範によって男子のみの継承が制度化された。国民全体のレベルでみても、そもそも「家」制度は武士階級のもので、近代以前は地域や階層によって女性による家継承は珍しくなかったのが、明治民法により男子継承が定められて女性差別が制度化されていった。新憲法でそれが廃止されたにもかかわらず、天皇家にのみ残り続けているのだ。

 度重なる国連女性差別撤廃委員会からの是正勧告や世論の変化にもかかわらず夫婦同姓を強制する民法改正の勧告を日本政府は放置し続けているが、保守派の夫婦別姓への強力な反対も、かつての「家」制度から続く男性家長中心の家族秩序を壊すわけにはいかないという意志の表れだ。国民統合の象徴とされている天皇家が、近代に創造された男性至上主義を堂々と実践している限り、保守派は主張を変えることはないだろう。女性天皇の反対者たちは、「万世一系の伝統が崩れる」とかDNAがどうとか、さまざまな理屈を論拠とするが、それは実はロジックが逆なのではないか。

 つまり彼らは、女性天皇が実現すれば、彼らが振りまき続けたい「男」が尊く女の上に立つものであるというイデオロギーの根幹が揺らぎかねないことを恐れているのではないだろうか。

■皇室と家族イメージ
 
 そうした制度面だけでなく、「インフォーマル」に見える家族の在り方についても、天皇一家の影響は測り知れない。

 現在われわれはメディアの発達により、天皇や皇族の「家族」の姿をTVや雑誌、さらにはネット上でもよく目にするが、「家族の姿」を見せることは、近代ヨーロッパの王室や皇帝に始まる、国民統治戦略の一つだ。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041900003_2.jpg
図1 アニメ「原始家族フリントストーン」 THE FLINTSTONES and all related characters and elements are trademarks of and c Hanna-Barbera.
 
 家族史や社会史の分野に「近代家族」という概念がある。夫・妻とその子が情愛で結ばれ外部からは独立したあたたかな「ホーム」を営む家族の在り方は、多くの人々が「自然」なものと思い込んでいるが、実は近代に至る社会経済構造の変化の中で生まれてきたものだ。人類史をはるかに遡る狩猟採集時代でも「男が狩りに出かけている間、女は洞窟で子を抱いて待つ」というイメージが疑いもなく信じられていたり、石器時代を舞台にした映画やアニメから「家族のために働くサラリーマンの父親、家で家事や育児をする妻、家にはペットがいる」といったストーリーが提供されていたりする(図1「原始家族フリントストーン」)が、これらは幻想にすぎない。後者はあくまでフィクション、とも思われようが、人類発祥から男女は前者のような役割分業をしていたという信念があるからこそこうしたフィクションが受け入れ可能なお話になるのだろう。しかしながら夫・妻・子の極小の単位で人類が生存しえたはずはなく、人はより広い共同体の中でこそ生きることが可能だった。それが、近代に至る産業化の中ではじめて「夫・妻・子」よりなる独立した単位としての「家族」を形成するようになったのだ。つまり私たちの自明とする家族は没歴史的なものでも「自然」なものでもないという認識から、「近代家族」と呼んでいる。

■「善き家族」の模範
 
 近代家族の登場の担い手となったのは、産業革命にいたる前後から勃興成長したブルジョワジー(有産市民階級)だ。ブルジョワは、日本語では(すでに死語に近い言葉になっているが)「金持ち階級」のようなニュアンスで使われるが、本来の意味は、出自は平民でありながら経済的に成功し立派な社会的地位を有する人々のことだ。ブルジョワジーは、生まれながらに「尊い」身分で(「ブルー・ブラッド」と言われるとおり「血」が異なる)莫大な土地や財産を有する王や貴族と違い、商工業に携わり、あるいは専門的な職業によって財を成し豊かな生活を築き上げた人々だ。したがって彼らにとって、自らの階層を再生産しその地位を維持するには、日々の勤勉努力、将来を見据えた計画的な生活態度、そして安定的な家族生活を維持し子供の教育を行っていくことが必須である。とりわけ女性は、そのために、子の教育に熱意を持ち健康にも配慮する、善き母でなければならないのだ。

 「勉強しなくては将来いい会社に入れない」と子供の成績や進学に腐心する現代の人々はまさにその末裔なのだが、近代に生まれたこうしたブルジョワ的価値観と家族の在り方は、その後、上下の階級に波及していく。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041900003_3.jpg
図2 「サンスーシ公園の皇帝一家」 1891年、ベルリン・ドイツ歴史博物館 c William Friedrich Georg Pape (1859?1920) [Public domain]
 
 王たちは、本来そうした「ブルジョワ」的価値観とは無縁で、贅沢や奢侈、性的放縦が許されていたのだが、絶対王政の時代が終わり、市民社会の時代がやってきたとき、次第にブルジョワの「道徳的に正しい」家族の在り方に倣う必要が出てくる。そしてやがて王室や皇帝一家が「善き家族」の模範を積極的に示して国民統治を図ろうとするのだ。彼らは、子供たちと妻を愛する善き夫(図2のドイツ皇帝)として、愛する夫との間に9人の子をなし続け愛情豊かな女王(イギリス・ビクトリア女王)として君臨した。とくにビクトリア女王は、イギリスが大英帝国として世界の覇権を握った時代の君主だが、善き妻・善き母として表象され、その「帝国の母」「慈愛」のイメージが大英帝国の維持・拡大の礎となったといわれている。
 
 こうした王家の家族の肖像は、数多く描かれ、国民に家族のモデルイメージを提供し続けた。そしてこうした家族像には、頑健で勇ましい男性(図2のように男は軍服や水兵服を身に着け)と優美でたおやかな女性(女は華やかではあるが清楚な白いドレスやワンピースをまとっている)という男女のありようを対称的・補完的に描くジェンダーステレオタイプが刻印されているのである(三成美保『ジェンダーの法史学―近代ドイツの家族とセクシュアリティ』勁草書房、2005年)。

■明治天皇の家族の表象
 
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図3 「皇室御団欒御真影」 明治32年、岡道孝コレクション、川崎市市民ミュージアム蔵
 
 欧米の先進国に並ぶ文明国となることを至上命題とした日本で、時を同じくして位についた明治天皇家も、こうしたヨーロッパの王室に見倣う必要からか、明治32(1899)年に「皇室御団欒御真影」(岡道孝コレクション・川崎市市民ミュージアム蔵)が描かれている(図3)。明治天皇・皇后(美子)と、皇太子(のちの大正天皇)および妃(節子)の若夫婦と子供たちが居並ぶ家族肖像図なのだが、男は軍服、女は華やかなドレス(さすがに女児にワンピースは着せていないが)というところは共通しているものの、実はこれらの人物の親子関係は複雑だ。子供たち7人のうち節子妃に抱かれている赤ん坊含め3人の男児(前列中央がのちの昭和天皇)は皇太子と妃の実子だが、同じくらいの年齢の少女4人は、明治天皇の子であり皇太子のきょうだいなのだ。つまりこれら幼い4人の女児たちは男児たちの叔母なのだ。
 
 このように年の離れたきょうだいはかつての多産の時代には珍しくはなかったが(サザエさんの母フネは多産ではないが、ワカメちゃんはフネさんの子で、サザエさんの子であるタラちゃんの叔母である)、皇太子と内親王たちの実母は異なる。明治天皇には5人の側室がいたが、図の女児たちの実母は明治天皇の最後(5番目)の権典侍(ごんのてんじ)(側室)であった園祥子(さちこ)であり、皇太子の実母は3番目の側室であった柳原愛子(なるこ)である。つまりこの「皇室御団欒御真影」で「母」として存在している美子皇后の実子は誰一人いないのだ。
 
 現在の感覚から言えば、「ドロドロ」とでも形容できそうな家族関係だが、 ・・・ログインして読む
(残り:約4044文字/本文:約7877文字)

https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2019041900003.html?page=1
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/143.html

[国際26] 現在のベネズエラ情勢に関して 駐日大使より日本の市民・メディアの皆さまへの2019年1月28日付公開書簡(駐日ベネズエラ大使館)
 
現在のベネズエラ・ボリバル共和国情勢に関して、 駐日ベネズエラ大使セイコウ・イシカワが、日本の市民及びメディアの皆さま への書簡を作成いたしました。 (書簡は、スペイン語原文の後に和訳がございます。) 2019/02/04
 
 
(大使館訳)
 
駐日べネズエラ ・ボリバル共和国大使セイコウ ・イシカワより
日本の市民・メディアの皆さまへの公開書簡
~べネズエラの平和と安定のために~

2019年1月28日、 東京にて
 
 
日本国民の皆さま
日本のメディア代表者の皆さま

 去る 1月 23 日、べネズエラの首都カラカスで開かれた野党派集会で、フアン・
グアイド国会議員が自ら「べネズエラの大続領代理」に就任すると宣言しまし
た。 日本では、さながらグアイド氏に国民の支持があり、国際社会に支援され
ているかのように報道されるケースが多くみられます。しかしこれは偏つた見
方であり、実態を伝えているとは言えません。
 
 この件に関する歪曲された報道は、 べネズエラの政治危機をあおり 、 最悪の
場合には米国の軍事介入をも招きかねないものです。

 そのため、 べネズエラで起きていることの真実を皆さまにお伝えする必要が
あると私たちは考えています。皆さま一人ひとりの眼差しがべネズエラに平和
をつくることに繋がり、 日本のメディアや友人の皆さまはその重要な要素にな
ると信じているからです。
 
 まず、 グアイ ド議員の暫定大統領就任宣言が憲法に反していることを理解す
る必要があります。グアイド議員は憲法233条等に基づき暫定大統領就任を宣
言しましたが、この条文は、大統領の欠缺とは大統領の死亡、辞任、最高裁判
所により命じられた罷免、 身体的又は精神的な障害、 職務放棄、 その任期につ
いての国民投票での取り消しであると明確に述べています。 これまで、 マドゥ
ーロ大統領がこの条件に該当したことはありません。
 
 マドゥーロ大統領は今年1月 10 日、法令に則つて大統領就任を宣言していま
す。この事実を否定することは、べネズエラの憲法を侵し、国際法及び国内法
を無視し、 国際関係において危険な前例を作ることにほかなりません。 それば
かりか、国内に暴力的な事態を引き起こし、米国の軍事介入を正当化する可能
性さえあります。
 
 べネズエラのこのような政治対立を前に、 メキシコ、 ウルグアイ、 カリブ共
同体 (CARICOM) 加盟国 (15カ国・地域) やバチカンは、べネズエラで対話
を実施し双方が合意する解決策を模索すべきであり、 それが平和と民主主義へ
の唯一の方法である と呼びかけています。
 
 マ ドゥーロ大統領はこれまでも、繰り返し対話の必要性を訴えてきました。
2017年末には、 ドミニカ共和国等の尽力を得て対話プロセスが実施されたこと
を忘れてはなりません。この時には事前合意に達しましたが、最終的に野党側
は署名しないことを決定しました。一方、マドゥーロ大統領は事前合意に含ま
れる内容を一つずつクリアし、そうして2018年5月20日の大統領選挙が行わ
れたのです。選挙には野党から2名が立候補し、9百万以上の有権者が投票しま
した。
 
 政治的な解決の道は、グアイド議員の就任宣言、並びに米国や米国の影響を
受けたラテンアメリカの複数国がグアイド議員を承認したことにより、壊され
てしまっています。対話に向けた努力が支持されるべきところ、このような行
為は地域に危険な前例を作るものです。
 
 メディアには国際社会がグアイ ド議員を支持しているかのよ う な報道パター
ンが見られますが、実際にグアイ ド議員支持を表明したのは米国の影響下に
ある一部の国家のみです。 一方、 マドゥーロ大続領をべネズエラの法令に則っ
た大統領だと明言している国だけでも30カ国以上あり、さらに多数の国々が、
内政不干渉、 主権・独立・民族自決の尊重などといった国際関係の原則を重視
して、双方の対話を支持するとしています。
 
 グアイ ド議長の宣言に関して各国の姿勢に差があることは、 1月 24 日の米州
機構(0AS)の会合でも明らかになりました。グアイド議長を大統領として受
け入れるとしたのは、加盟34か国中16か国のみだったのです。また、1月26
日にべネズエラ情勢をめぐって開催された国連安保理会合では、 べネズエラの
政権交代を試みる米国の孤立が浮き彫りになりました。
 
 なぜ国際社会は、グアイド氏の暫定大統領就任ではなく対話を支持する傾向
にあるのでしょうか? その背景には、 情勢の不安定化を図る米国の動きに対す
る警戒感があると指摘しなければなりません。
 
 べネズエラにおけるクーデターを公然と呼びかけたこ とでマ ドゥーロ大統領
が米国との断交を発表した際、 米国務省はすぐさま、 マ ドゥーロ政権を認めて
いないので断交に応じないと反発、そして有事の際には妥当な行動を取るだろ
うと宣言し、軍事的行動を匂わせました。
 
 グアイ ド議員の無責任な行動は、 べネズエラを政治危機に陥れるクーデター
の企てというべきものであり、米国の軍事介入を招く状況を引き起こしかねま
せん。このような例は、イラク、 リビア、シリア等、近年多数見られます。米
国南方軍の機密文書「マスターストローク」に読み取れるように、べネズエラ
はこれらに連なる新たな事例だといえるでしょう。
 
 改めて申 し上げます。 平和と安定をもたらす唯一の方法は、 包括的で根気強
い対話です。国際社会の大半が支持するのはこの対話の道であり、 メディアの
ーつ一つの記事が、 この道筋を後押しするのです。
 
 グアイ ド議員の宣言に関する一方的な報道の広がり は、べネズエラ国民や国
際社会が望んでいる対話への道を妨げる可能性があります。
 
 べネズエラにはマ ドゥーロ大統領の現政権に反対する人々 もおり、彼らはそ
の考えを表明する権利を行使してきました。 しかし一方で、6百万以上もの有権
者が大統領選挙で与党を支持したということも、忘れてはなりません。 もしク
ーデターが推進されれば、その後べネズエラの地には何がもたらされるでしょ
うか? 平和と安定はこのようにして達成されるのでしょうか?
 
 日本の市民の皆さまとメディアの皆さまには、 べネズエラが今直面する政治
の危機を乗り越えられるように、 真実、 そして責任ある報道の重要性をみつめ
続けていただきたいと思います。
 
敬具
 
 
 
 (署名)
セイコウ・イシカワ
大使
 
https://venezuela.or.jp/news/2138/
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/302.html

[国際26] 駐日ベネズエラ大使が今年2月1日に日本記者クラブで語ったこと(長周新聞)
 
駐日ベネズエラ大使が日本記者クラブで語ったこと 
~ベネズエラの平和と安定のために~
 
長周新聞 2019年2月27日

 
 ベネズエラ・ボリバル共和国で米国の介入による政権転覆の動きが緊迫化するなか、日本国内で伝えられる情報の多くは欧米メディアに依存したものに限られ、事態を正しく認識することを妨げている。2月1日、日本記者クラブで駐日ベネズエラ大使館のセイコウ・イシカワ大使がベネズエラで起きている一連の混乱の実情と原因、その平和と安定に向けた解決の道についての講演をおこなった。ベネズエラ情勢を巡って何が動いているのかを捉えるため、その講演内容を紹介したい。
 
◇-----◇-----◇-----◇

 1月23日にベネズエラの首都カラカスで野党派の集会がおこなわれ、その場でフアン・グアイド国会議長がみずからベネズエラの大統領代理に就任することを宣言した。現在、国際社会がこの件に広く注目しており、事態は刻一刻と変化している。
 
 多くのメディアの報道を見ると「グアイド氏に国民と国際社会の支持があり、憲法上の利がある」という印象を持つ。また、中国、米国、ロシアという主要国の利害やこれらの国国の関係という観点から語られるパターンも見受けられる。
 
 このグアイド議長にいわゆる正統性を認め、事実上の政府を樹立しようという米国の利害に基づいた見方は、ベネズエラの政治的危機を煽り、最悪の場合には米国の軍事介入を招き、それを正当化することになりかねない。今最も大切なことは、対話の条件を整えることだ。世界の国国や複数の国際機関がこれを提案している。例えばウルグアイとメキシコが、バチカンと国連事務総長とともに国際会議を招集しており、今月7日にモンテビデオで国際会議を催し、そこでは対話の条件を整えるイニシアチブが前進するものと思われる。
 
 この講演で、みなさんに事実を正しく捉えてもらい、そのことが私たちベネズエラ人がみずからの手で平和と安定を手にする力になるものと信じている。
 
 まずはじめに理解すべきことは、グアイド議員の暫定大統領就任宣言はベネズエラ憲法に違反している。従ってこれは政権転覆(クーデター)にあたるということだ。
 
 「国民がグアイド議員を支持している」という印象が広まっている。しかし、今年の1月7日から11日におこなわれた世論調査によると、回答者のうち81%もの人人がグアイド議員のことを認知していなかった。そもそもグアイド議員が国会議長になったというのも、野党の主要4党による合意に基づく輪番でその座に就いたに過ぎない。さらにグアイド議員が属する「大衆意志党」はその野党のなかでも最も少数勢力だ。しかも党のなかでさえグアイド議員はトップではなく、ナンバー3でしかない。そして、他の野党代表らもグアイド議員の暫定大統領就任を拒否している。
 
 ではなぜ、国民に認知されず、党のリーダーでもない人物が1日にして有名になり、国際社会の場に彗星の如くあらわれることになったのか?
 
 1月25日の『米ウォールストリートジャーナル』紙は、グアイド議員がみずから暫定大統領を宣言する前日の1月22日、米国のペンス副大統領がグアイド議員に電話し、「もし暫定大統領をみずから宣言すれば、米政府はあなたを支持する」と申し出たと伝えている。同じニュースはAP通信社も報じている。
 
 さらにグアイド議員自身が、これらの報道を裏付ける行動をしている。ベネズエラ通信情報相は、グアイド氏が暫定大統領就任を宣言する前夜、秘書とともにカラカス市内のホテルに入る映像を公開し、そこで政府与党幹部と会合を持ったことを発表している。その会合に出席した与党幹部のカベイジョ氏は「グアイド氏は、大統領はマドゥロだといい、米国のプレッシャーを受けて困惑していると話していた」と話している。グアイド氏には暫定大統領就任を宣言するように国内外を問わず世界のあらゆる場所から圧力がかかり、グアイド氏自身もそれを納得していなかったと報告した。着目すべきは、この内容についてグアイド氏自身が否定していないという事実だ。
 
 ではなぜ、ペンス米副大統領はグアイド議員に暫定大統領宣言をするよう圧力をかける必要があったのか。米国の目的は何だったのか。
 
 トランプ大統領の次の発言に着目してほしい。「ベネズエラで起きていることは看過できない。あらゆる選択肢がテーブルの上にある。“強力な選択肢”が何を意味するかわかりますね」(2018年9月)――おそらく説明する必要はないだろう。軍事介入を婉曲的に表現したものだ。
 
 トランプ大統領は2018年9月、平和な機関であるべき国連の場で軍事介入を示唆してベネズエラを恫喝した。その数カ月後にグアイド議員は暫定大統領を宣言するよう圧力を受けている。このように政治的危機を増大させたうえで、ボルトン大統領補佐官は1月28日に「米兵5000人をコロンビアへ送る」とする驚愕のメモを出した。コロンビアはベネズエラと2500㌔も国境を共有し、しかも国内に米軍基地が9つある。忘れてはならないのは、コロンビアは近年NATO(北大西洋条約機構)に加盟したばかりなのだ。私はグアイド氏を貶めたいとは思わない。そうではなく、国際法が定める「主権の尊重」の原則を顧みることなく、世界のあらゆる場所でくり広げられてきた介入を明るみに出したいと考える。

■経済制裁で締め上げ政権転覆をねらう米国
 
 思い起こしてもらいたいのは、チャベス前大統領が就任して以来、ベネズエラは何度もこのような介入やクーデター計画の標的となってきたことだ。昨年8月にはニコラス・マドゥロ大統領の暗殺未遂事件も起きている。
 
 2002年、チャベス大統領時代に起きたクーデターでも、米国の後押しを受けた石油企業の幹部が大統領を名乗るという、今とまったく同じ事態が起きた。さらにこうした事案にCIAが関与していたことを示す証拠も幅広く見つかっている。このときは、勇敢なベネズエラ国民が街頭に出て、民主主義の復活を要求し、彼ら自身の大統領――チャベス氏の大統領復活を勝ちとった。つまり、今回のグアイド氏による暫定大統領の就任宣言というのは、ベネズエラにおける2回目のクーデターにあたる。では、2002年から現在までに何があったのか。
 
 チャベス大統領の死後、米国は多くの制裁をベネズエラに科してきた。その目的はベネズエラ国民を締め上げ、経済に悪影響を与え、クーデターのための条件を整えるというものだ。今年はさらに犯罪的ともいうべき新たな制裁が加えられている。制裁対象者との交渉・取引の禁止。石油会社への90日超の融資を禁止。政府への30日超の融資を禁止。ベネズエラ政府の資産の購入、担保融資を禁止など。企業・金融機関のリスク回避により、制裁内容よりも影響が大きい融資の妨害、資産売却の妨害による影響は極めて大きい。
 
 これらの制裁はベネズエラの経済にさまざまな影響を及ぼしてきた。石油産業、その他の民間企業、金融取引、食料や医薬品の輸入に影響を及ぼし、この違法な制裁によって200億㌦(約2兆2000億円)もの損失をベネズエラにもたらした。2017年12月から1カ月間にわたりベネズエラ国内を調査した国連の人権独立専門家アルフレッド・デ・ゼイヤス氏は、調査報告書で「ベネズエラにおける現在の経済危機は人道危機ではない」「ベネズエラのハイパーインフレなど経済的な混乱の最大の原因は、米国の違法な経済制裁である」とのべている。インタビューでも「現在も続く、一連の経済制裁は“人道に対する罪”といえるものだ」とのべている。
 
 これらの内容をまとめると、米国にはクーデターによる政権転覆の意図があり、経済制裁を科すことによって国民を締め上げ、その目的に向けた条件を整えていった。そして、野党派と与党派の間に政治的な危機を煽り、軍事介入を正当化していく――という道筋をたどっている。
 
 いくつかの国は、ベネズエラでのクーデターを促進したいと考えているのは事実だ。これは国際法に違反し、国際関係の原則を踏みにじるものだが、これとは対照的に非常に有力な解決の道を追求する国国もある。つまり建設的な対話の道だ。
 
 2019年1月28日、ジャマイカなど15のカリブ諸国でつくる「カリコム」がグテーレス国連事務総長を訪ね、代表者らはベネズエラで平和的な解決を求め、事務総長はそれに支持を表明した。またウルグアイは2月7日、モンテビデオで国際会議を開催し、対話を促進することを発表した。
 
 ちょうど昨年の2月ごろ、それまで何カ月間にわたっておこなわれてきた政府と野党との対話が終わり、署名の時期を迎えていた。ところが米国の圧力を受けた野党派がてのひらを返して署名を拒否した。一方、ベネズエラ政府は、そこでの事前合意にあった内容を一つ一つ実行していくことを決めた。その合意には昨年5月20日に大統領選挙をおこなうというとり決めもあった。実際、選挙がおこなわれ、国内20の政党が参加し、900万人もの有権者が投票した。その結果、67%の得票を得てニコラス・マドゥロ大統領が再選されたという経緯がある。さらに、この選挙には150人もの国際立会人団が参加しており、立会人団は「今回の選挙で変わったものはなかった」とのべ、その正当性を裏付けている。
 
 ニコラス・マドゥロ大統領はこれまで何度も対話に向けた固い意志を表明し、今は野党がこの対話に参加してくるのを待っている状況だ。しかし、グアイド議員の暫定大統領就任宣言によってこの対話の道が閉ざされている状況にある。
 
 くり返しのべたいのは、ベネズエラに平和と安定をもたらす道は、クーデターでも、グアイド議員の暫定大統領就任宣言を正当化することのいずれでもない。唯一の道は、建設的な対話であり、憲法に基づいた対話であり、国際社会に求められるのは、平和に基づいた対話を支援していくことだ。ぜひその道への賛同をお願いしたい。私たちベネズエラ人は、強い意志と努力によって、平和を愛するというベネズエラ人の天性の資質を証明するだろう。
 
 
◇ 記者との質疑応答
 
[Q] 26日の国連安保理会合で、アフリカやアジア諸国は軍事行動ではなく対話を求めているが、これをどう捉えるか?
 
[大使] 1月24日に米州機構(OAS)の会合があり、この場でグアイド議員の大統領就任を正当と認めようという国国が動議したが、実際には多くの国からの反対を受けた。しかも暫定大統領賛成の国が以前よりも減っていた。つまり、ラテンアメリカ地域ですら合意がない。国連安保理で反対した国があったのは、それらの国国が「内政不干渉」の国際法の原則に違反するものであることをわかっているからだ。これはベネズエラだけの問題でも、ラテンアメリカ・カリブ地域だけの問題ではなく、私たちの世界自身がこれまでにないほどこの問題の危機にさらされているといえる。
 世界の平和を維持するためには、国際法を維持する必要がある。イラクのことを思い出してほしい。ある一部の国国が独立国に対して軍事的な行動を促進した。私たちが今行動しなければ、同じことがベネズエラに起こりかねない。
 
https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/02/65f0b346c8f5c970864bf83b3b16fd86.jpg
60カ国の国連代表がベネズエラへの内政干渉を非難(22日、ニューヨーク)
 
[Q] 危機を克服するための具体的な措置として、グアイド氏を支持する勢力が再選挙を求めていることをどう捉えるか? 内政介入はあってはならないが、国が抱える人権問題も改善を図るべきとの声もあるが?
 
[大使] 確かに国際社会から「再選挙をすべきだ」との声があることは理解している。しかし、その前に私は国内の国民間での同意があるべきだと考える。今回の政治的危機だけでなく、ベネズエラが直面してきたすべての問題について、そのベースとなる国民の同意があるべきだ。例えば、明日すぐに選挙をやるべきだという外国からの圧力があったとして、その直前の選挙で投票した約1000万人の有権者の意志はどうなるのか? 大統領に投票した600万人の意志はどうなるのか? 野党や他の国国が「選挙を認めない」という前に、国民のなかでそのベースがあるべきであり、そのうえで次のステップとして何をおこなうべきかが決められるべきだ。そのためには国民間で対話をし、議論を進めること、特に重要なのはお互いの意見を認め合うことだ。
 人権について指摘しておきたいのは、チャベス前大統領が就任したさいにベネズエラは新憲法を制定している。憲法では人権を拡大し、それを保障するという内容を新たに定めた。現に、国連の人権委員会がおこなう審査でベネズエラは常に合格に達している。人権を政治的道具として使うことはやめなければならない。
 
[Q] チャベス大統領が就任して20年になる。今回のハイパーインフレの責任は米国の制裁にあるといわれたが、マドゥロ政権に至る20年の経済政策に問題はなかったのか? 世界最大の石油埋蔵量を持ちながらなぜこれほど貧しくなったのか?
 
[大使] ベネズエラにそのような問題があることは否定はしない。マドゥロ大統領自身が1期目の就任後、最初にやったのは経済の立て直しだった。石油収入に頼る経済から脱し、新たな経済回復計画をつくることに尽力した。これまで政府が新しい経済モデルをつくるための努力をしてきた形跡は残っている。だが、その努力を進めるにあたって障壁や妨害があったのも事実だ。
 ベネズエラ国内の野党派も含めたすべてのセクターが同意していることは、経済制裁は停止されなくてはならず、この違法で犯罪的な制裁をやめることによって問題に対応することができるということだ。とくに金融取引を停止され、貿易を停止され、ベネズエラが保有する金で返済能力を高めることすら禁止されている状態で、いかなる経済再建が可能なのか考えてもらいたい。確かに制裁が経済危機の唯一の原因ではないが、主要な原因であることは疑いない。
 近近、大使館のホームページ(http://venezuela.or.jp/)でベネズエラに科されている制裁の一覧を掲載する。それを見れば、この制裁がいかに影響を与えているか理解できると思う。
 
[Q] 2015年以降に300万人が国外に脱出していること、野党側が昨年5月の大統領選では有力な野党候補者が拘束されていたことを理由に「選挙の無効」を訴えていることについてどう認識しているか?
 
[大使] 移民危機については、非常に遺憾なことである。ベネズエラ政府としてその責任を拒否するものでも、責任を回避するものでもない。この経済危機のなかでも、ベネズエラから他国に移住し、ふたたび国内に戻りたいとの意思を持つ人人に応える支援がおこなわれている。そして最近半年間のうちに約1万人がベネズエラに帰還している。
 ただし、移民の数については多少の操作がある。ベネズエラ政府は、移民の数を発表している機関に対してオフィシャル(公式)な裏付けを出してほしいと要求しているが、いまだいずれの回答も得られていない。象徴的な事例は、隣国コロンビアに向けて多くの国民が国境をこえているが、そのうち非常に多くの割合の人人が同日中にベネズエラに戻ってきている。これはコロンビア政府の調査によって明らかになっている。
 もう一つ示したいのは、国際移民機関の調査によると、ベネズエラは現状でも移民の数のプラスマイナスでいえば、プラスの数字が出ている。つまり、出て行く人よりも入ってくる人の方が多い。データを比較すると、人口密度の観点から見て、ベネズエラから出て行く移民は非常に割合として少ない。ただ、このようなデータによって、私は移民に対する政府の責任を回避しようとしているのではない。改めていいたいのは、国を出ざるを得ない状況の改善に向けて努力をしており、その最初のステップは制裁の停止にあるということだ。
 昨年5月の大統領選での野党の不参加については、野党自身の落ち度によってもたらされたものだ。昨年5月の大統領選は、ベネズエラの選挙管理委員会が定めた選挙制度によっておこなわれたが、それは2015年に野党が多数派を勝ちとった国会議員選挙のときとまったく同じ。くり返すが、まったく同じ選挙制度でおこなわれた。
 さらにベネズエラの選挙制度は世界で最も優れたものという発言もなされている。ベネズエラでは電子投票制度を採用しているが、選挙前、選挙中、選挙後を含めたすべての過程に16もの会計検査ステップがある。この16の会計検査ステップには、選挙に参加するすべての政党が確認に立ち会わなければならないことになっている。ラテンアメリカ選挙監視機構の代表は「5月の大統領選ではまったく何のイレギュラーな事故もおこらなかった。この大統領選が不正だという指摘は、政治的理由によるものだ」と発言している。
 これまで話した経緯を踏まえて考えてほしい。2018年5月の大統領選を否定することによって最も利益を得るのは一体誰だろうか?
 
[Q] 日本社会や日本政府に求めることはなにか?
 
[大使] グアイド議員の暫定大統領就任を正統化したいという意図を持つ国がある一方で、もっと建設的な道は対話の道だということを改めて強調したい。ベネズエラが直面している、とくに米国の軍事介入がおこりかねない緊迫した状況にさいして必要なのは対話だと思う。国際社会に求めるのは、国際法の原則、とくに「内政不干渉」の原則を尊重してもらいたい。ベネズエラ人自身の努力に基づいた解決の道をたどるというプロセスに、ぜひ伴走してもらいたい。
 
[Q] ベネズエラ国内で、フランス、スペイン、チリなどのジャーナリストが拘束されているというが、報道の自由の観点からどう思うか? 欧州議会がグアイド氏を暫定大統領として認める決をとったというが、米国だけでなく欧州からもグアイド氏が承認されている状態をどう思うか?
 
[大使] ベネズエラにいたことがあるすべての人が知っていることだが、ベネズエラには完全に報道の自由がある。それを示す事実として、政権に批判的なニュースは非常にたくさんあり、これは政権に好意的なニュースよりも圧倒的多数に及ぶ。これは報道の自由の幅をあらわしているものではないか。私たちも報道の自由を尊重してきたが、海外記者の拘束はベネズエラの基本的な規則によるものだ。免許や許可証がなければ外国から国内に入って仕事ができないのは各国共通のルールであり、拘束された記者たちは報道ビザを持っていなかったようだ。
 大使館のホームページにはベネズエラ憲法の日本語訳を載せている。そこでは、「国の主権は国民のみにある」と明確にしている。欧州とくにEUがおこなったことは、ベネズエラで人人が選んだ合法的な大統領を認めないということだ。しかも、憲法に規定のない「暫定大統領」というものをベネズエラに押しつけようとしている。しかも、選挙の実施日まで指定してきているという現状だ。建設的な役割を果たさなければならない機関がまったく逆のことをしている。世界にとって非常に危険なことだ。
 
[Q] 1月28日に米政府がベネズエラ石油公社PDVSAに制裁を科したが、国にとってどのようなインパクトがあり、今後どのような経済的影響が考え得るか?
 
[大使] ベネズエラは違法な制裁の対象になるだけでなく、さらに我が国の石油産業にも制裁が科された。これにも法的根拠はない。石油子会社CITGOや、国営PDVSAによる収入を奪うものであり、その額は実に110億㌦(約1兆1000億円)になるといわれている。米企業にとってこの制裁は好ましく、メリットがある。これはリビアの事案と酷似している。リビアへの軍事介入のプロセスが始まったとき、リビア政府に入る口座の凍結がおこなわれ、リビアに戻るべき収入が戻らなくなる措置がとられた。
 ベネズエラのPDVSAへの制裁を発表した同日の記者会見で、ボルトン米大統領補佐官は「米国企業がベネズエラにおける石油生産に参入していけることを期待する」と発言した。「米国経済に資することが必要だ」と。これをベネズエラは指をくわえて見守っているわけではなく、必要な行動をとり、ベネズエラの周囲には、唯一の大統領であるニコラス・マドゥロを承認する多くの国が、今後も経済取引を続けていくことを表明している。
 
[Q] チャベス前大統領就任後に始まった医療や教育の無償化などの貧困政策は現在どうなっているのか? ベネズエラの児童オーケストラ(エル・システマ)の訪日予定はあるのか?
 
[大使] ベネズエラとベネズエラ政府がおこなってきた社会政策は、現在の経済状態にあっても予算を割いて実施している。最も象徴的な例は、住宅計画(ミシオン・ビビエンダ)だ。これまでに240万戸の住宅を貧困層の人人に供給している。どれだけの予算と労力が割かれたかがおわかりかと思う。つい1週間前の政府発表では、キューバから数千人の医師がベネズエラに到着し、医療・福祉計画に則って人人に医療を提供することになっている。ベネズエラの社会政策は止まることなく前進し、貧しい人たちへの支援を続けていく意志をもっている。
 「エル・システマ」は、公的融資によって社会的運動を実施するという理念に基づいた音楽教育プログラムで、創設者のホセ・アントニオ・アブレオ博士は残念ながら昨年3月に亡くなった。博士の功績を讃えるセレモニーで、これまで100万人の子どもたちがこのプログラムに参加してきたことが発表された。エル・システマは音楽教育を通じて、さまざまな恵まれない環境にいる子どもたちの成長・発展を促していくプログラムであり、無料で提供されている。世界のどこにこれほど厳しい経済状況にありながら、これだけの規模で計画を続けている国があるだろうか。世界のみなさんに可能性があればこれを続けていく努力に加わっていただきたい。来年、ベネズエラの音楽家だけでなく、全国の子どもたちが幅広く参加するイベントが開かれることを間もなくお知らせできるだろう。そして、それは日本で開催される予定だ。
 
■「民主主義vs独裁」の図式は本当か
 
[Q] 日本や欧米など多くの主要メディアがベネズエラの混乱を「民主主義vs独裁」という図式で報じているが、メディアのかかわりについてどのような印象をもっているか?
 
[大使] このテーマについて論じるには2時間は必要だ。だが、このテーマはまさに今起きていることの核心だ。ベネズエラの解放者シモン・ボリバルの有名な言葉がある。「米国は、ラテンアメリカすべてを自由の名の下に、その惨めな状態に陥れるために存在しているようだ」--つまり「民主主義と自由」というものは、他国をひざまずかせるために使うことができる非常に有力な武器になるということだ。このなかでメディアの果たす役割は非常に大きい。つまり、社会のなかに良心を育むために果たす役割だ。そのためには「倫理が非常に重要だ」と、チャベス前大統領は政府メンバーだけでなく国民全体に呼びかけていた。
 よい例え話がある。いま世界はトランプ大統領をきっかけにしてフェイクニュースの旋風が吹き荒れているが、ベネズエラでは20年前からフェイクニュースの旋風が吹き荒れていたというものだ。
 象徴的なのは2002年のチャベス前大統領に対するクーデターだ。これはメディアによって計画され、メディア自身がおこなった史上初のクーデターだった。ぜひ見てほしいドキュメンタリーがある。スペイン語で 『LA REVOLUCIÓN NO SERÁ TELEVISADA (伝えられない革命)』 (邦題 『チャベス政権・クーデターの裏側』) というドキュメンタリーだが、これはクーデターがどのように実行されたかを内部から刻一刻と伝えている。
 
[Q] チャベス政権誕生後、クーデターや制裁を仕掛け続ける米国のベネズエラへの執着には、石油利権獲得の他に、ロシアや中国を睨んだ地政学的な狙い、米国内の内政絡みの狙いなど他の理由があるのか?
 
[大使] 米国の目的はこの20年間変わっていない。変わったのは方法だけだ。米国の狙いは、もちろん豊富な資源にある。ベネズエラは世界でも有数の石油埋蔵量を誇っており、その石油は米国の海岸まで船でたった4日で運ぶことができる。
 さらに金の埋蔵量は世界4位。加えて、天然ガス、コルタン、ボーキサイト、さらにラテンアメリカのなかでも随一の水資源を誇る。トランプ大統領はボルトン氏を通じて、その資源に対する野望を隠すことなく明確にしている。
 もう一つ、日本のメディアでは語られない要素がある。米国のティラーソン前国務長官が昨年語ったことは「モンロー主義」の再興を狙っているという意図だ。国防総省の教書では、米国にとっての主要な脅威を明確にしているが、その脅威は中国、ロシアであり、米国はラテンアメリカ地域のなかで早急にその影響力を回復する必要性があると考えている。まのあたりにしているのは「コンドル計画」(1975年に南米で起きた親米独裁政権によるテロ活動)の再来なのだ。今回は、もちろん新たな手法が加わっている。政治を司法を利用して変えていくという手法であり、ブラジルや中米でも同じことがあったが、司法を使った活動によって、より親米的な政権をつくるように促進していくという動きだ。
 ベネズエラとベネズエラ政府は高い倫理観を持っている。「主権擁護」を掲げ、独立した姿勢も強く、米国にとっては目障りな存在なのだ。それによって私たちは、これまで米国からあらゆる攻撃を受け続けてきた。それでも、私たちはこの状況を生き続けなければならない。これは米国だけでなく、世界で変化が起こるまで、よりバランスのとれた世界になるまで、この状況のなかを泳ぎ続けなければならない。必要なのは、私たち個人の考え方、心の持ち方を変えていくことだ。そのためにメディアの果たす役割は大変に重要なものだ。
 
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10999
 
 
 
(長周新聞の定期購読とカンパの訴え)

長周新聞は、いかなる権威に対しても書けない記事は一行もない人民の言論機関として1955年に創刊されました。

すっかり行き詰まった戦後社会の打開を求める幾千万大衆の願いを結びつけて力にしていくために、全国的な読者網、通信網を広げる努力を強めています。また真実の報道を貫くうえでは、経営の面で特定の企業や組織などのスポンサーに頼るわけにはいかず、一人一人の読者・支持者の皆さまの購読料とカンパに依拠して経営を成り立たせるほかはありません。

ホームページの愛読者の皆さまに本紙の定期購読とカンパによるご協力を訴えるものです。
  

http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/303.html

[国際26] マスターストローク:米国のベネズエラ政府転覆計画(インターナショナリスト360°)
 
米国によるベネズエラ政府転覆計画書の存在とその内容を、アルゼンチンのジャーナリスト・作家のステラ・カロニ氏がインターナショナリスト360°で明らかにしています。
5月13日付の記事の和訳を掲載します。
(駐日ベネズエラ大使館)


 
マスターストローク:米国のベネズエラ政府転覆計画
ステラ・カルロニ
インターナショナリスト 360°2018年5月13日
 

米国とその提携国は、「ベネズエラの独裁政権転覆計画:マスターストローク(大いなる成功作戦)」を密かに準備している。計画はすでに着手されており、その「前編」は間もなく実施されるベネズエラの大統領選挙の前に始まるだろう。「民主主義の防衛」を口実にした暴力に加え、有効なあらゆるプロパガンダとメディアの利用を含む、この新らたな攻撃で、ニコラス・マドゥロ大統領の打倒に成功しなければ、彼らは、幾つかの国で「多国籍軍」を立ち上げて、 軍事介入に踏み切る「計画B」を実行するだろう。米国防総省の指揮の下、パナマ、コロンビア、ブラジル、ガイアナが軍事作戦に参加する主だった国で、アルゼンチンや「他の友好国」がそれを支援する。彼らは、兵士のために病院や食糧備蓄センターを設け、すでにベネズエラと国境を接する国々に置かれた基地内で準備を整えている。

これらのすべては、アメリカ南方軍(SouthCom)の司令官クルト・ウォルター・テッド提督が署名した11ページからなる、決定的に重要な文書に明記されている。

この文書は、現状を分析し、ベネズエラに対して仕掛けている戦争に同意を取り付けようとしている。また、文書は、大衆に人気のある指導者の政治生命を断つだけでなく、中南米地域の人々を意のままに操るために使われる、迫害、嫌がらせ、不信、犯罪的なごまかしを正当化する、道義に反した心理戦プログラムを解析している。

ベネズエラの現状に言及し、この政府転覆計画書はこう記している。
「チャベス主義を標榜するベネズエラの独裁政権は、大量な食糧不足、国外資金源からの収入の枯渇、国際支援を減少させた、とどまるところを知らぬ腐敗の結果、破綻に瀕している。ベネズエラ政府はかつてペトロダラーズで上手くやっていたが、今やベネズエラ通貨は一貫して下落している」。

彼らは、身のすくむような罰を受けることなく、自身で作成したと認めるこのシナリオは変更されないと考えている。こうして、彼らは自らの行動を正当化し、ベネズエラ政府が権力を維持するために新らたな「ポピュリスト」政策に訴えると断言している。

「腐敗したマドゥロ政権は崩壊するが、残念なことに、ベネズエラの民主主義と人々の福祉を擁護する野党勢力は、彼ら自身の内紛と腐敗のために、ベネズエラの悪夢に終止符を打つに足る力量を有していない。野党勢力にはまた、左翼独裁政権がこの国を陥れた貧困状態を乗り越えるために、この状況を最大限に活用できる力量がない」。このように理解しながら、米国が自ら育てたベネズエラの野党勢力を動かし、助言し、資金供与しているのは驚くべきことだ。

決して近隣国に敵対したことがなく、中南米地域や世界規模で強固な連帯の輪を広げてきたベネズエラ政府に言及し、彼らは「この政権はラテンアメリカで犯罪を行っている」と考えている。これは恐るべきことである。

米国の計画書は次のように主張する。
「かつて過激なポピュリズムに支配されてきた南アメリカ大陸に、民主主義が広がっている。こうした例として、アルゼンチン、エクアドル、ブラジルが挙げられる。この民主主義の再建(彼らはこう呼んでいる)は、彼らに有利な地域条件によって支えられている。今や、米国にとって、ベネズエラの独裁政権の打倒が確実に決定的な転換をもたらすことを具体的な行動で証明する時となった」。

一方、彼らは、ドナルド・トランプ大統領に対し、「これはトランプ政権が民主主義と安全保障のビジョンを前進させる初めてのチャンスとなる」とみなして、行動を起こすよう促し、「大統領の積極的な関与は、米政府だけでなく、南アメリカ大陸と世界にとって非常に重大である。その時が来た」と説いている。
つまり、「チャベス主義を決定的に打倒し、その政治代表者を追放することに力を注ぎ、ベネズエラ政府への民衆の支持を弱め」、さらに「不安定化と物資不足の状況を深刻にすることによって民衆の不満をあおり」、「独裁者の力を不可逆的に確実に弱める」ということだ。

彼らがどのようにベネズエラ政府の暴動鎮圧活動を歪んで理解しているかを十分に知りたければ、文書がニコラス・マドゥロ大統領について言及し、「マドゥロを包囲し、冷笑し、無能の象徴として扱い、キューバの操り人形であることを暴露する」よう促している箇所を読めば足りる。

だが、この文書はまた、「ベネズエラ政府を構成するメンバーの間で生じた分裂を増幅させ、彼らとその部下たちの生活水準の格差を曝露すると同時に、これを拡大させ続けるよう促すべき」と示唆している。

この計画書は、ワシントンの米政府関係者、アルゼンチンのマウリシオ・マクリ大統領、ブラジルのミシェル・テメル大統領によって取られた措置のように、迅速かつ力強く実行するよう指示している。アルゼンチン、ブラジルの両大統領は、かつて汚職スキャンダルに見舞われたが、米帝国によって「気取らない、率直なリーダー」へと変身した。それは、非常に短期間に講じられた措置で、ミサイルの発射と同じ確実さで国民国家の破壊をもたらした。

アメリカ南方軍司令官が署名したこの文書は、マドゥロ大統領を、ごく短期間で、力ずくで政権放棄へと追い込み、交渉させるか国外退去させることによって、ベネズエラ政府を存続不能にするよう求めている。ベネズエラのいわゆる「独裁政権」を短期間で崩壊させようとするこの計画は、「新たなインフレを誘発させる措置を講じ、それによって国内の不安定化を限界にまで増幅させ、ベネズエラの資本形成を妨害し、外資を逃避させ、ベネズエラ通貨の価値を大幅に下落させるよう」求めている。

もう 1 つの目標は、 「輸入がまったくできないようにすると同時に、意欲のある外国人投資家の気持ちをくじかせ」、 「ベネズエラの民衆の生活状況をさらに危機的にするよう力を尽くす」ことである。米帝国の“美点”は実にここに見出せる。

また、計画書の 11 ページには、「ベネズエラ国内の協力者たちに対し、抗議活動、暴動、治安悪化、略奪、強盗、襲撃を引き起こし、船舶など輸送手段を押収し、国境全域でベネズエラへの物資の出入りをすべて封じ込め、近隣諸国の国家安全保障を危機にさらすことを狙った国家規模の騒乱計画に関与するようアピールすべきである」との記述がある。

計画書は、「被害者を生み出し」、その責任をベネズエラ政府に押し付けることが重要だと記している。責任を押し付けるには、「世界に向けて、ベネズエラが被っている人道危機を誇張し」、ベネズエラ政府が汚職まみれであるとの嘘を広め、「世界及び国内の政権支持者たちの信用を損なわせるために、政府が麻薬密売に関与している」との偽情報を流すべきとしている。計画書はまた、ベネズエラ統一社会主義党(PSUV)の党員たちに疲れを起こさせ、彼らの間に意見対立をあおり立て、党と政府との関係を切り裂き、さらには党員が統制に応じなくなり、彼らをベネズエラの野党勢力のように弱体化させ、PSUVと「ソモス・ベネズエラ(我々はベネズエラ)」運動との間に軋轢(あつれき)を生み出すことを重視している。

「ベネズエラで最も有能な専門家たちを国外退去させ、専門家がいなくなって国内情勢がさらに悪化し、それを政府の責任に転嫁する計画を作成する」。文書がこの箇所に差し掛かると、ベネズエラ政府転覆の提案はトーンを上げる。

■軍の手

「この危機が独裁体制を崩壊へと至らせない、あるいは独裁者が退陣を決断しない場合は、引き続き2018年末までにベネズエラ国軍内でクーデターを実行する条件を整え」、これを通じて、「軍人を最も確実な問題解決の代替手段として利用する」。計画書にはこのような記述がある。

上記のすべての提案には失敗があり得ること、さらにベネズエラの野党勢力が明らかに人々に軽く見られていることを念頭に置き、計画書は「コロンビアとの国境地帯で引き続き発砲を行い、物資の輸送を増やし、民兵組織の活動を促し、武力侵入と麻薬密売を拡大し、ベネズエラの国境地帯での治安部隊との武力衝突を誘発すべき」と呼び掛けている。このほか、「ベネズエラに移住したが、国境地域の治安悪化を逃れて現在帰還しているコロンビア人が広範囲に居住している、コロンビアのククタ、ラ・グアヒーラ及びノルテ・デ・サンタンデールに設けられた難民キャンプから大半の民兵を募集し、コロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)が残した空き地やガルフカルテル(民兵組織)の支配地域での活動を利用するよう」呼びかけている。

続いて、とどめを撃つ計画が次のように提起される。
「問題解決に向けた新たな取り組みが遅延した場合は、連合軍はベネズエラ軍将校の支援に関与するよう備え、ベネズエラの国内危機をコントロールしなければならない...4月の翌月に実施が決まった選挙前に行動することが必要となれば、独裁者が引き続き統治するのを阻止する迅速なスケジュールを設定しなければならない」。

実際、選挙は5月20日に実施される。米国とそれに従属する同盟国は、今後は選挙を認めないことを明らかにした。

次の記述は核心となる箇所だ。
「ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、パナマ、ガイアナといった友好的な同盟国政府の協力と支援を得る。パナマに部隊の提供、兵站(へいたん)や医療の支援を準備させる。電子機器を用いた情報収集施設やスマートシグナル(体温を感知して作動する信号機)、パナマの熱帯雨林地帯ダリエンに配備された病院や施設、プラン・コロンビアの無人機、さらにはパナマのハワードア旧米軍基地とアルバブロック旧米軍基地及びリオアト地域にある旧米軍施設を有効活用する。また、人道的な壊滅状態や緊急事態に備えて設けられた国連人道地域センターにも、航空機の離発着場があり、自前の倉庫が設けられている」。

このように、既に武力介入のシナリオは出来上がり、こう提起されている。
「戦闘機、ヘリコプター、装甲車、諜報拠点、特殊部隊及び警察部隊、軍隊、刑務所の配置を進める。『ラテンアメリカ軍会議(the Conference of LatinAmerican Armies)』に資金援助され、法律面やメディア対応で、米州機構(OAS)の保護とルイス・アルマグロOAS事務総長の監督を受け、国際的な旗を掲げて軍事作戦を展開する」。

さらに、文書はこう続ける。
「ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、パナマを団結させて、多数の部隊を派遣し、地理的な近接性を活かし、森林に覆われた、ジャングル地域での彼らの経験を活用する。米軍の戦闘部隊と前述の国々の部隊とが統合することで、その国際的地位は強化される。全部隊は、米国率いるアメリカ統合参謀本部に指揮される」。

驚くべきことに、すべてが人々の眼の届かないところで準備されており、何のとがめも受けることはない。この計画は、絶対に違法である。この対ベネズエラ軍事介入計画を念頭に置き、ベネズエラ、ペルー及びコロンビアと接するブラジルの国境沿い地域で、米国の軍事演習がこのほど実施された

文書はさらに続けて、「後方防衛のためにパナマ領土内の諸施設を使用し、港湾及び臨海地帯の安全確保のためにアルゼンチンの機能を利用する...」としている。

さらに、次のように記している。
「国家機関、非政府組織、国際機関からの貢献を得て、多国間運営の一環として、この取り組みへの国際的な参加を促し、適切な物流、情報、支援を提供する。とりわけコロンビアのアルバ、プエルト・カレニョ、イニリダ、マイカオ、バランキージャ及びシンセレホ、ブラジルのロライマ、マナウス及びボアヴィスタにある(敵の攻撃で)最もダメージを受けやすい地点を活用する」。

これは、公になった軍事介入についてのとんでもない案内図である。

■戦略的情報

計画書は、「チャベスがベネズエラの民衆にとって絶えることなく象徴的な存在であること、チャベスの意思を受け継ぐ政治代表者や彼らを民衆が支持していることには口を閉ざし」、「この国が陥っている危機を招いた唯一人の人物としてベネズエラの独裁者をしつこく悩ませ続けるべき」と記している。さらに、この危機を解決できないと非難されることになる独裁者の側近たちに対しても嫌がらせを続けるべきとしている。

もう一つのパラグラフではこう呼びかけている。
「マドゥロ政権に対する不満を募らせるため、...キューバとベネズエラの両政権が設けた統合メカニズム、とりわけ「米州ボリバル同盟(ALBA)」と「ペトロカリブ(ベネズエラの石油をカリブ諸国に優遇価格で供給する石油協力機構)」の機能不全を指摘すべきである」。

メディア対応に関して、米国の立案したこの計画は、内外のメディアを通じて、ベネズエラ国内から発信される証言や出版物からのメッセージを普及、増加させ、ソーシャルネットワークを含め、その機能を最大限活用するよう求めている。他方、計画は「ベネズエラの現状は、根本において維持できなっているため、メディアを介し、これに終止符を打つ必要性を呼びかけるべきだ」と訴えている。

文書の最終パラグラフの一つには、次のような記述がある。
「米国陸軍の心理戦争を遂行する能力」を最大限に活用し、国際的な支持を獲得するために、「独裁国家」が暴力的な手段を行使していることを示し、それを人々に「確信させる」。

言葉を換えれば、偽のニュース、偽の写真及びビデオ、さらには21世紀の植民地戦争でこれまで既に使われてきたすべての手段を用意して、同じ嘘のシナリオを繰り返し続けるということだ。

計画書は次のように結論する。
「米国は、米国を支持する米州機構(OAS)加盟国をその内側から支援すべきであり」、「地域問題を解決するための手段として、これらOAS加盟国及び南北アメリカ大陸にまたがる米州機構をはじめとする諸組織からなる多国間秩序のイメージを高めなければならず、ニコラス・マドゥロ率いる腐敗した独裁政権が打倒された暁(あかつき)には、ベネズエラの平和を力で維持するため、国連軍を派遣する必要性を宣伝しなければならない」。

翻訳:加治康男(独立ジャーナリスト)
出典:2018 年 5 月 13 日付 libya360.wordpress.com 掲載記事
Masterstroke: The US Plan to Overthrow the Venezuelan Government

https://libya360.wordpress.com/2018/05/13/masterstroke-the-us-plan-to-overthrow-the-venezuelan-government/
 
https://venezuela.or.jp/news/1897/
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/304.html

[政治・選挙・NHK260] 「フェイク」と「ヘイト」が結びついた現実に真っ向勝負を挑む ハーバード大学 VS フェイクニュース (朝日新聞社 論座) より 
 
ハーバード大学 VS フェイクニュース
「フェイク」と「ヘイト」が結びついた現実に真っ向勝負を挑む

松本一弥 朝日新聞東京本社編集局夕刊企画編集長、Journalist

論座 2019年04月26日 より
 

■正しい情報よりも速く、多くの人に伝わってしまう

 「フェイクニュース」。この言葉を目にしない日はないような時代を私たちは生きている。 ・・(中略)

 もちろんフェイクニュースに接したすべての人がその内容をそのまま信じるというわけではないが、偽の情報を信じ込んだ男性が発砲事件を起こしたり、デマに翻弄された人々が増えて結果的にコミュニティーの分断が進んだり、はたまた「サイバー攻撃」の一環としてフェイクニュースが国家によって利用されていると指摘されたりーーといった具合だ。利用者自身が自らの考えや情報を発信できるポジティブな側面をはるかに超える形で、ソーシャルメディア(SNS)のネガティブな影響は広がるばかりだ。 ・・(中略)

 「ネット上の誤情報は、正しい情報よりも速く、多くの人に伝わってしまう」

 そんな調査結果が米マサチューセッツ工科大学の研究チームによって報告された(注1)。 ・・(中略)

■「フェイク」と「ヘイト」が結びつく
 
 ただ、ネット空間にはびこっているのはフェイクニュースだけではない。人種や性的マイノリティー、国籍などに絡んで差別をあおる過激なヘイト(憎悪)表現も横行しているのが現状だ。

 ヘイトにまみれたフェイクニュースは、特定の個人の尊厳や人格を深く傷つけて苦しむ人々を具体的に生み出すとともに、自分たちにとって都合のよい偏狭なナショナリズムを使ってさらなる差別感情を煽りもする。 ・・(中略)
 
■「どんなデマでもまかり通ってしまう」
 
 ハーバード大学ショレンスタイン・センター所長のニッコ・ミリ(41)は「過去20年間、ジャーナリズムの質は低下し、ジャーナリストの数も激減した。この深刻な事態の発信源を突き止めようとする過程でフェイクニュースの問題にたどり着いたのです」と話す。

 政治学とコンピューターサイエンスを専攻していたミリがこの分野に関心を持ったのは、「バラク・オバマはイスラム教徒だ」といううわさが米国社会に広まり、それを多くの人々が真に受けて信じ込む様子を目の当たりにしたのがきっかけ。「こんなデマが信用されるのであれば、もうどんなウソでもまかり通ってしまう」と恐怖を覚えた。

 「ジャーナリストがファクトチェックをしてもかえってバックファイア(反発)を浴びるとの調査があります。いくら事実関係を確認してきちんとした答えを出しても、あとには間違ったフェイクニュースが生き延びるという現実がある」とミリ。最近20年間の米国社会の動きを見ると、「知性」に対する攻撃や専門家に対する攻撃が非常に顕著になってきたという。
 
 「医者や弁護士、大学教授ら、いわゆる知的エキスパートと呼ばれるような人たちは今まさに様々な方角から攻撃を受けています」。知的分野に対する攻撃という意味では、リベラルな社会では「ポリティカル・コレクトネス」(政治的正しさ)を重視するあまり、科学的論拠に基づいた「不都合な真実」が伝わらないーーなどと主張する「インテレクチュアル・ダークウェブ」も不穏な動きを見せているが、ミリは「前線で攻撃してくるパワーの一つ」と警戒する。

■「私たちが断罪するものは、私たちとは無縁であると考えたい」
 
 こうした一連の動きの背景には何があるのだろうか。

 アルゴリズム(計算方法)の進化によってネット上では「見たいものだけを見せる」精度が高まる中、いくつかの特徴ある動きが進行する。グループ内で似たような価値観や思考が響き合ってお互いの考えが強固になっていく「エコーチェンバー(反響室)」。自分好みのフィルターが自分の周囲を泡のように取り囲む「フィルターバブル」。自分に近い意見の人間がネット上で結びつく結果として議論が先鋭化し、他者の意見を排除するようになる「サイバーカスケード」……。

 現象につけられた名称はいろいろだが、要は、自分と異なる他者の考えと向き合ってその意見に耳を傾け、辛抱強く議論を積み重ねて合意点を見いだすような努力をするよりは、仲間内だけで集まって以心伝心の関係で過ごしたい。そんな欲求がフェイクニュース拡散の裏に張り付いていると見立てても大きく間違ってはいないだろう。

 意見が同じか、近い人たちの間では、たまたま目にした情報が自分の考えや思いを裏付けるようなものである場合、自分たちにとっては耳障りが良いそうした情報のみが選択的に受け入れられ、強化されていく。そんな心理的「確証バイアス」が働くとみられるからだ。他方、仲間内だけで構成する閉じた世界で楽しくやりたいという欲求そのものは否定されるべき対象とまではいえない。

 だが、仲間とのつながりを固めていく過程で嫌でも視界に入ってくる「目障りな他者」と「自分たち」との境界線をヘイトスピーチで際立たせ、他者を排除してしまいたいという暗い欲望が蠢いた末に「フェイク」と「ヘイト」が結合していくとしたら……。そんなやっかい極まりない難題に私たちは直面しているのだ。

 「私たちはつねに、私たちが断罪するものは、私たちとは全面的に無縁であると考えることを好んでいる。私たちが通常、忌み嫌う人々に私たちが似ているという考えはとても耐えがたいので、私たちは大急ぎで彼らと私たちのあいだに乗り越えがたいと思われる壁を建立しようとする」(注2)。

 ブルガリア生まれの思想家、ツヴェタン・トドロフが人間の本質のある部分を鋭く喝破したように、「退屈な真実よりも面白い」フェイクニュースを受け入れてしまう弱い心も、ヘイトスピーチに盛り込まれた憎悪の感情に感染してしまう精神のありようも、私たち一人ひとりが深部に抱える一面に他ならない。 ・・(中略)
 
■フェイクとヘイトには密接な関係がある
 
 「フェイクニュースとヘイトスピーチには非常に密接な関係がある」とミリは指摘する。

 「特にソーシャルメディアなどを使って感情に強く訴えかける最近のヘイト表現は本当にひどい。感情に強く訴えるといってもその内容はいろいろだが、『最も醜いヘイト表現が人間の感情にとって最も刺激が強い』ということがこの問題の背景にあります」

 他方、「その表現がヘイトスピーチにあたるかどうか」については個々のケースによって違い、またヘイトの度合いにも濃淡がある。

 「例えば『バラク・オバマは米国の外で生まれたイスラム教徒だ』という表現は必ずしもヘイトスピーチとはいえないが、そこには人種差別的なニュアンスが込められているとはいえるのではないか」とミリ。 ・・(中略)

 同時に、「フェイクニュース」という言葉自体は注意深く使うようにしているとミリは説明する。

 「なぜなら、問われている内容すべてがフェイクではなく、本当にフェイクなのはそのうちのわずかな部分で残りは正しいということもままあるからです。その場合、それを『フェイクニュース』と呼んでしまっては間違いになる。そういうケースでは『フェイクニュース』という言葉の代わりに『ディスインフォメーション』(歪曲情報)と呼んでいるのです」 ・・(中略)

■ナショナリストの動きを徹底ウォッチする
 
 ミリの同僚で、テクノロジーと社会変化についてリサーチするプログラムのディレクターをしているのがジョーン・ドノバンだ。

 ドノバンの研究者としての力量について、ミリは「ヘイトスピーチとフェイクニュースとインターネットについての世界的権威ですよ」と絶賛する。

 そんなドノバンが調査しているのは、ツイッターやフェイスブック、動画配信サイトなどを駆使しながら、非常に過激な人種差別的表現を盛り込んだメッセージを拡散させるやり方で自分たちの運動を推し進めているナショナリストたちの動向だ。

 「『ナショナリスト』と私がいう時、それはある特定の歴史を持った統一的な文化としての国の存在を信じるような人々を指しています」とドノバン。そうした保守派や右派の人々についての膨大な情報は、ニューヨークにいる15人のスタッフやドノバンの周囲にいる人々を軸に、さらに多くの仲間のネットワークの力を総結集して網羅的に集めた上で調べているため「ものすごい時間と労力がかかってる」という。

 「とにかくすごい量なので、少しずつ、少しずつやっています。メンバーにはリサーチャーもいれば大学の教師もいます。私がこんな研究をしているというのをみなさん知っているので、『こんな情報知ってる?』とか「これは参考になる?」というふうにみんなどんどん情報を提供してくれてほんとうに助かっています」

 ナショナリストたちの動向をウォッチしていて気づくのは、「訴えたいはずのナショナリスティックな内容よりも(他者を攻撃する)ヘイトメッセージのほうが異常なまでに膨れ上がっている」ことだという。その周辺には様々な人間が絡んでいるとドノバンはみる。

 「何しろ今はインターネットやテクノロジーが発達したことで、だれでもジャーナリストとして発信できるようになりました。そうした『にわかジャーナリスト』たちがわざとフェイクニュースをつくって拡散しようと動き回っているし、そこには『troll』といってもっとたちの悪い荒らし屋たちもいて、さらにロシア人もその中に入ってきています」

■一つのパターンが見えてきた
 
 「過去5年ほどのナショナリストたちの動きを観察してみると、一つのパターンが見えてきた」とドノバンはいう。

 過激なヘイト表現を使ったフェイクニュースや「陰謀論」をでっちあげたナショナリストたちはまず、最初はいくつかの「ネタ」をネットに出して人々の反応をチェック。「これはウケがいい」と判断したら今度はそれを「釣り」として自分たちのブログに載せ、「もっといける」と思ったら、動画配信サイトや地上波のテレビで大量拡散を図っているという。「一番拡散されるのはやはりユーチューブのような映像です」。そうした行動パターンが存在するということをドノバンは膨大なデータの中から突き止めたのだ。

 「最初にインターネットに載せるというのは、つまりマーケットリサーチ(市場調査)をしているということです。いろいろな『陰謀論』をばらまいておいて、その中から生き残ってブログという次のステップにいけるものと、そのまま死んでいくのとがあるのですが、後からその『死んだ』ほうの内容を精査してみると、『いや、こんな内容ではもう誰も信じないだろう』というぐらいにお粗末な内容なんですね」

 「もう一点注意すべきは、『陰謀論』やフェイクニュースを拡散させていく一方で、例えばブログに書き込んだ話のもととなっているネット上の情報を、ブログに載せた時点で意図的に消してしまうということもナショナリストたちはやっています。ブログ上の情報の信憑性を高めるために、もとのデータをあえて消去するという手法が使われているのです」

■「『DNAテスト』には裏がある」
 
 米国では今、「DNA検査を通して自分のルーツを知ろう」という「自分探し」が流行している。そんな趣旨のテレビ番組もヒットした。もともと移民社会であり、養子縁組も多い社会で「このような現象が起こること自体は自然なこと」と人々は受けとめているようだ。

 DNAテストには例えばこんなサイトもある。

 その宣伝文句は「オンラインでつながった世界で最も膨大な記録の集積があなたを何世代も前に誘うことが可能です」「正確で詳細な地理的情報と歴史的に明確な洞察力で、あなたのストーリーが始まった場所にあなたを導くのです」などといった具合で、読んだ人をテストに誘(いざな)っている。

 また、テストの種類は多様で、例えばこのサイトでは無料から300ドル近くまで様々な選択肢が用意されている。何種類もの選択肢が興味をもった人たちを惹き付けているのだ。

 だが、ドノバンは「こうした動きには裏がある」と警鐘を鳴らす。

 「DNAテストを使って、右派の人々は、白人が他の人種に比べて優位に立つという『白人至上主義』の方向に人々を引っ張っていこうとしている。その点を私たちはいま徹底的に調べています」

 ドノバンが特に注目しているのは、「こうしたDNAテストがものすごい人気を博して全米中に広がっていく過程と、極右勢力が台頭していく経過が、並行した、非常に似通った動きを示しているという点」だ。最初は散発的で単独の動きかと思われたDNAテストの背後に、急激な拡大を見せる右派の動きがあることに気づき、両者の相関関係などを突っ込んで調べながら隠れたファクトをあぶり出していこうとしているのだ。

 「私たちは調査に取り組むのが仕事。ジャーナリストのみなさんには私たちが突き止めたことを広めていってほしいと思っています」とドノバンは話す。

■人々は大きな恐れと不安の中に放り込まれている

 国の違いを越えて「フェイク」と「ヘイト」が結びつき、「事実かどうかはどうでもいい、面白ければそれでいい」といった安直な風潮が社会に広がっていくのは、その誘惑に勝てないという意味において、大げさにいえば人類がその内側に抱える「脆弱さ」がそのまま露呈しているのだとはいえないだろうか。私たちはそういう大きな社会変化と向き合い、闘っているのではないか――そんな質問を、取材後、ドノバンにメールで尋ねてみた。

 「それは非常にいい理解の仕方だと思います」。そう記した後、ドノバンの文面はこう続いた。

 「人々は今、非常に大きな恐れと不安の中に放り込まれています。職業がなかなか安定しないとか、いろいろな資源が枯渇し始めているとか、ふだんの生活を脅かすような材料は無数にあります。そんな時、人々は、ほんとうはそうしたものにきちんと向き合い、事実を受け入れていかなければいけない。でもなかなかそうはできず、真実を直視できないまま、自分の感情に強く訴えかけてくるもの、自分が信じたいものに飛びついてしまう。でもその行為こそがヘイトを助長させることにつながっていくのです」 ・・(以下略)

 
(注1)Soroush Vosoughi,Deb Roy,Sinan Arai, The spread of true and false news online.Science,359,1146 (2018)
(注2)ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』(みすず書房、大谷尚文訳、2016年)、221頁

https://webronza.asahi.com/business/articles/2019040100004.html?page=1
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/195.html

[政治・選挙・NHK260] 望月衣塑子の質問(1) 質問制限の発端  新聞凋落、マスコミ不信、安倍政権長期化。その中で起きている「望月現象」を追う (朝日新聞社 論座)
 
望月衣塑子の質問(1) 質問制限の発端
新聞凋落、マスコミ不信、安倍政権長期化。その中で起きている「望月現象」を追う

臺宏士 フリーランス・ライター

論座 2019年04月25日


■「望月質問」とは何か
 
 新聞記者の存在が近年これほど注目を集めたことがあっただろうか。

 毎週末のように開かれる講演会は政治家をしのぐ盛況ぶり。著書の『新聞記者』は版を重ね、ついには同名の映画が制作されて今年6月に劇場公開されるまでになった。

 いわずと知れた東京(中日)新聞社会部の望月衣塑子記者のことである。

 2年ほど前の2017年6月に菅義偉・官房長官の記者会見場に姿を現し、報道各社の政治部記者に囲まれる中で臆することなく舌鋒鋭く追及する姿勢は「反安倍」層を中心に支持を集めている。

 一方、首相官邸は質問内容を「事実誤認だ」として、これまで9回も東京新聞に申し入れ、質問の回数を制限したり、質問途中で司会がせかしたりするなど異例の対応を続けてきた。これに対して、東京新聞は特集紙面を掲載するなどして反論した。

 新聞産業の凋落、そして既存のマスメディアへの不信の広がりという逆風下と、長期化する安倍政権下で起きている「望月現象」。応援団も批判派も誰もが話題にしたくなる「望月質問」とは何か。まずは「事実誤認」とされた質問の内容について調べてみた。
 
■指名はいつも最後、質問は2回まで
 
 晴れ間が広がる4月13日の昼下がり。土曜日ということもあってJR横浜駅構内は、大勢の買い物客でごった返していた。人波にはき出されるように高島屋の構える西口を目指した。地上に続く階段を上りきると、路上に置かれたモニターに映った男の顔が飛び込んできた。

 不機嫌な表情を露骨に浮かべているのは、自民党内で「ポスト安倍」を巡る有力候補として急浮上している内閣官房長官の菅義偉氏だ。

 モニターに張られたチラシには「頑張る記者さんを応援! 知る権利を守ろう」との文字が印刷されている。映し出されているのは、首相官邸で平日の午前と午後、1日に計2回行われている官房長官の記者会見の様子だ。質問しているのは、もちろん、東京新聞の望月衣塑子記者だ。甲高い特徴的な声ですぐに分かった。

 2018年12月14日。沖縄県名護市辺野古で防衛省が進める米軍新基地建設工事のために土砂が投入されると、海面には赤茶色の濁りが広がっていった。本来、埋め立て用に使用するはずの岩ずりは黒っぽい。

 このため、沖縄県では赤土の大量混入を疑う声がすぐに上がった。粘土性の赤土は、水に溶けるとヘドロ状になり、サンゴなどの生育環境に悪い影響を及ぼす恐れがある。

 望月記者はこの疑問を記者会見で菅長官にぶつけた。

望月衣塑子記者 沖縄・辺野古についてお聞きします。民間業
者の仕様書には沖縄産の黒石岩ずりとあるのに、埋め立ての現
場では今赤土が広がっております
 
(上村秀紀・官邸報道室長(司会) 質問、簡潔にお願いしま
す)
 
望月記者 琉球セメントは県の調査を拒否してまして防衛省、
沖縄防衛局は実態把握できていないとしております。埋め立て
が適法に進んでいるか確認ができておりません。
 
(上村室長 結論、お願いします)
 
望月記者 これ、政府としてどう対処するおつもりなんでしょ
うか。
 
菅義偉官房長官 法的に基づいてしっかり行っております。
 
上村室長 この後日程がありますので次の質問、最後でお願い
します。
 
望月記者 関連で、適法かどうかの確認をしてないということ
を聞いてるんですね。粘分を含む赤土の可能性が……。
 
(上村室長 質問、簡潔にお願いします)
 
望月記者 ……これ、指摘されているにもかかわらず、発注者
のこの国が事実確認をしないのは、これ、行政の不作為に当た
るのではないでしょうか。
 
菅長官 そんなことありません
 
望月記者 それであれば、じゃあ、政府としてですね、防衛局
にしっかり確認をさせ、仮に赤土の割合が高いのなら……。
 
(上村室長 質問、簡潔にお願いします)
 
望月記者 ……改めさせる必要があるんじゃないですか。
 
菅長官 今答えたとおりです。
 
 望月記者が菅長官から質問を指名されるのは常に最後で、しかも本来、官房長官の記者会見は他の大臣会見と異なり、回数制限はないとされているのに2問と限られる。いつもの光景らしい。

 質問時間は約1分。文字にすると、二つの質問を合わせても330字ほどの質問の途中、上村報道室長はそれぞれ2回も割り込んでせかした。さらに2日後の12月28日に官邸は、「事実誤認だ」として、望月記者が所属する東京新聞の編集局長宛に抗議する申し入れと、記者会見を主催する内閣記者会には「問題意識の共有」を求めたというのである。

 「頑張る記者さん応援パブリックビューイング」と名付けられたこの企画は、こうした記者個人を狙い撃ちにした政府による報道への圧力に危機感を抱いた武井由起子弁護士が、菅長官が市議として政治家人生を歩み始めた横浜市から抗議の声を上げようと呼びかけたという。市民だけでなく、現役の記者たちも次々にマイクを握った。

 「官房長官会見は今までは質問制限もなく、政府に対して疑問が出た時にはどんなことでも聞けた。いまは政府に不都合な質問を、煩わしいということで制限している。一つは質問の順番を後回しにする。二つ目は記者の質問の数を1、2問に制限する。しかも質問をしている最中に繰り返し妨害する行為もある。極めつけは、質問は事実誤認だというレッテル貼りをして排除しようとした。黒を白と政府の都合で記者の質問にまで(政府の)違った見解を当てはめようとする。こんなことを許してしまっては大本営発表が横行した不幸な歴史を繰り返してしまう」

 そう訴えたのは、南彰・日本新聞労働組合連合(新聞労連)委員長だ。南委員長は朝日新聞政治部出身。2018年9月、委員長に就任するまでは望月記者とともに記者会見で、安倍政権を大きく揺さぶった森友・加計学園問題などを追及した記者の一人だった。

 この日は、大阪日日新聞の相澤冬樹論説委員も駆けつけた。NHK記者時代に森友学園問題でスクープを出したが、直後に内勤部門に異動となって18年8月に退社し、翌9月、放送記者から新聞記者になった人物だ。

 相澤氏は「NHKにいられなくなった時に手を差し伸べてくれたのが望月記者と南記者だった。私が置かれた状況に共感してくれたからだと感謝している。私もいま望月記者に共感を示して応援したい。望月記者の質問の仕方には官邸クラブの他の記者もほとんどが批判的だと思う。しかし、取材させない、質問させないということはけしからんことなのだという1点では共有してほしい」と述べた。

 武井弁護士は「頑張っている記者さんたちを私たち市民が応援することは、私たちの自由や民主主義、平和や生活を守ることにつながるのだと思う」と語った。

 市民や記者たちまでも街頭での行動に駆り立てた、望月記者に対する質問制限問題だが、官邸と東京新聞の間でいったい何が起きていたのか。

 東京新聞は2月20日朝刊でこの問題を取り上げた特集記事「検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ」を掲載した。この中で、過去に官邸から申し入れを受けた9件の内容について報告し、同時に官邸への反論内容も明かした。紙面からは、官邸と東京新聞が水面下で繰り広げた激しい攻防の一端が浮かび上がってくる。

 まずは9件の内容の検討から始めたい。
 
■スクープで証明
 
 「何回となく事実と異なる発言があったということも事実でありますので、実は新聞社には抗議をしています。かつて、たしか9回ほど。そして、今回は、これは、記者会見の主催はまさに記者会でありますから、何回となく続いているものでありますから、記者会に申し上げたということです」

 菅官房長官は2月12日、衆院予算委員会で奥野総一郎氏(国民民主)の質問に対して申し入れは9回に及ぶことを明らかにした。東京新聞は一部の幹部だけで対応に当たっていたようで、社内でも菅官房長官が明かした申し入れの回数の多さに驚きを隠さない社員は少なくなかったという。

 「検証と見解」によると、今回の質問制限問題の発端となったのは、2018年12月26日の質問だった。

 沖縄・辺野古での米軍新基地建設に向けた埋め立て工事の土砂投入が12月14日に始まると、県の担当者を含めて現場では何人もが海水が茶色く濁っていることを目撃した。赤土の大量混入を疑うのは自然で、県が沖縄防衛局に立ち入り検査を求めたのは、工事の承認を与えた県として当然の措置だろう。

 ところが、官邸は県の立ち入り検査を受け入れたり、内部調査を始めるどころか、「事実に反する」として疑問を呈する質問を問題視した。官邸は長谷川栄一・内閣広報官名で臼田信行・東京新聞編集局長に宛てた文書で抗議するとともに、内閣記者会にも上村報道室長名で「事実誤認等があり、問題意識の共有」を求める文書を出した(文書は2019年4月に入り3カ月以上たった今も内閣記者会内に掲示されているらしいが、記者会幹事社は官邸側に「記者の質問を制限することはできない」と口頭で述べ、文書は受け取っていないという立場という)。東京新聞に対する申し入れはこれで8件目だった。

 内閣記者会宛の申し入れ文書に記された、「東京新聞の特定の記者による質問について、事実誤認等がありました」とする官邸の主張は次のような内容だった。

① 沖縄防衛局は、埋立工事前に埋立材が仕様書どおりの材料
であることを確認しており、また、沖縄県に対し、要請に基づ
き確認文書を提出しており、明らかに事実に反する。
② 琉球セメントは、県による立入調査を受けており、これら
は、明らかに事実に反する。
③ 現場では埋立区域外の水域への汚濁防止措置を講じた上で
の工事を行っており、あたかも現場で赤土による汚濁が広がっ
ているかのような表現は適切ではない。
 
 ①と②は事実関係を争うものだが、③は表現内容を問うものである。だから「事実誤認等」となったのだろう。

 官邸側は東京新聞に「事実に反する」と抗議したあとも質問した根拠を明らかにするよう執拗に迫ったらしい。こうした官邸による一連の異様な態度を一変させたのは、望月記者と中沢誠記者の二人が今年1月11日朝刊の1面トップで書いたスクープだったと言えるかもしれない。

<辺野古工事で防衛省 県に無断 土砂割合変更 環境に悪影
響の恐れ>
防衛省が、埋め立て用の土砂について、県の承認を得ずに岩石
以外の細かな砂などの割合を増やした仕様に変更し、業者に発
注していたことが、県への取材で分かった――。
 
 この記事には海水が、投入された土砂によって赤茶色に濁った様子を空撮した写真も掲載されている。このような前文で始まるスクープ記事は、沖縄防衛局が2013年3月に沖縄県に提出した埋め立て願書に添付された環境保全図書には岩石以外の砕石や砂などの細粒分含有率は「概ね10%前後と考えられる」と記載されていた。それが2017年11月に作成された、工事業者に発注する際に行う入札仕様書では「40%以下」と変更されていたことを明るみにした(入札は2018年2月)。

 しかも、沖縄県には無断で。

 記事によれば、2013年12月に仲井真弘多県知事(当時)が、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の代替施設として辺野古での新たな基地の建設を承認した際に国と交わした公有水面埋立法に基づく留意事項には「環境保全図書を変更して実施する場合は、承認を受けること」と明記されてもいるというのだ。土砂投入によって、赤土の広がりによる環境への影響を憂慮し、沖縄県は防衛省に現場への立ち入り検査を求めているが、防衛省はこれを、「調査を求める法的根拠を示せ」と反発し、拒否する事態に陥っているというのである。

 翌12日朝刊では、沖縄県は、沖縄防衛局が県に提出した検査報告書が工事契約前に実施されたものだったと、スクープを掲載した同じ11日に明らかにしたことを報じている。そして、特報から1週間がたった18日、防衛省はようやく望月記者らの取材に対して県に無断で埋め立て土砂の成分比率を変更していたことを認めた。同省は「県の承認を必要とするものではない」と回答したという。
 
■菅官房長官こそ事実誤認
 
 東京新聞は「検証と見解」で「官邸側の『事実誤認』との指摘は当たらない」と反論し、臼田編集局長は4月6日に掲載された同紙の外部識者らによる第三者委員会「新聞報道のあり方委員会」の報告特集の中で「1月11日の紙面で、質問は事実に基づかないものではなかったと間接的に証明する記事を掲載し」たと記事の狙いを明かした。

 整理すると、①については、東京新聞が記事で反論したように、防衛省が仕様書どおりの材料であることを確認したというのは、沖縄県に無断で「10%」から「40%」に変えたものであった。また、県の要請に基づいて防衛省沖縄防衛局が出した確認文書(検査報告書)も工事契約前のもので県が求めたものではなかったのである。

 ②の琉球セメントに対する県による立ち入り検査だが、菅長官は「琉球セメントは、12月11日、そして12月14日に、沖縄県の立入検査、これを受けています。拒否はしておりません」(19年3月8日参院予算委員会)と答弁している。しかし、この立ち入り検査は、土砂の積み込みに使用する桟橋が、届け出通りに設置されているかどうかを主に確認するためだったのではないか。

 繰り返しになるが、海水が赤茶色に染まった原因となった土砂の投入が始まったのは12月14日だ。沖縄県の玉城康裕(デニー)知事は、「実際に投入された土砂は明らかに粘土分を含むと見受けられるにもかかわらず、当該検査結果では粘土分をほとんど含まないとされる」として沖縄防衛局から提出を受けた埋め立て用土砂の性状検査の結果に疑問を抱き、「既に投入された土砂と同一のものかにつき、重大な疑義が生じている」と指摘して、中嶋浩一郎・沖縄防衛局長宛てに▽工事の即時中止と土砂の撤去▽赤土が含まれているかどうかを確認するための土砂の性状試験の実施や県による立ち入り検査▽検査のための土砂の提供--に応じるよう18年12月21日付の文書で行政指導した。

 ③については、望月記者はそもそも埋立区域外の水域に限定して、赤土による汚濁の疑いを指摘しているわけでないことは質問内容から明らかなのではないか。

--埋め立ての現場では、今、赤土が広がっております
--埋め立てが適法に進んでいるか確認ができておりません

 これらは先に紹介した、望月記者が12月26日に菅官房長官にぶつけた質問だが、十分根拠のあったことがわかる。そして、何よりも12月28日に抗議をした後も官邸から続いていたという質問の根拠についての説明の求めも、「(1月11日の)記事が出た後、官邸から説明を求められることは全くなくなりました」(望月記者)という事実こそが、どちらに軍配が上がったのかを証明しているのではあるまいか。

 事実経過を丹念にたどると、むしろ、菅官房長官の方こそ事実誤認のように思える。意図的かどうかはわからないが、官邸の指摘内容自体が的を外していると言わざるを得ない。

 ところで、1月22日の記者会見で、岩屋毅防衛相は望月記者の「一体何を根拠にこの数字(40%)を防衛省、防衛局として出してきたのか」との質問に次のように答えている。

<岩ずりの細粒分含有率について、埋立承認願書の添付図書で
ある、環境保全図書に、「概ね10パーセント前後」との記述が
あるということですが、護岸で閉め切る前に埋め立てを実施す
る場面を想定したものでございます。今進めておりますのは、
濁りが外海へ直接拡散しないように、閉鎖的な水域を作って実
施をしているものでございます。そもそも前提が異なることで
ございますので、齟齬があるとの指摘には当たらないものと考
えております>
<今回の埋め立て工事における、特記仕様書は他事業、例えば
那覇空港などの事業を参考としつつ、所要の地盤強度を確保す
る等の観点から、岩ずりの細粒分含有率を40パーセント以下と
記載をしているものでございます。>
 
 沖縄県は「外周護岸により閉鎖的な水域をつくらない場合の土砂投入に限って細粒分含有率が10%前後の岩ずりを投入するようなことは、環境保全図書には全く記載されていない」と反論し、「違法な行為」と断じた文書を1月25日に沖縄防衛局に提出している。

 そもそも前提となる工事の手順が異なるというわけだ。岩屋防衛相の理屈で言えば、2013年12月に当時の仲井真弘多県知事が辺野古での新基地建設を承認した前提こそ異なることにならないのだろうか。

 次回は2018年1月16日の「ドタキャン質問」について取り上げる。(「望月衣塑子の質問(2)」につづく)
 
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019042300008.html?page=1

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/198.html

[政治・選挙・NHK260] 必要なことは全野党の結集です。今回の合流はその始まりに過ぎません。(小沢一郎)
 
自由党解散にあたり

 このたび自由党は、国民民主党と正式に合流することになりました。先の統一会派の結成の後、逐次同党と政策協議を進めてまいり、最終的には「今後全野党が一丸となって安倍政権と対峙していくためには、ここでまず二党が一緒になることが不可欠である」との認識に至り、このような決断となりました。
 
 必要なことは全野党の結集です。今回の合流はその始まりに過ぎません。「強大な権力」の暴走には「強力な結集」で臨むほかありません。何としても「結集」を実現し、政権交代を実現したいと考えております。今後につきましては、我々が新しく参画する「国民民主党」に対し、これまでと変わらぬご指導・ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

2019年4月26日
自由党代表 小沢一郎
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/201.html

[政治・選挙・NHK260] 「元号さよなら声明」に、ご賛同のネット署名を。(澤藤統一郎の憲法日記)

「元号さよなら声明」に、ご賛同のネット署名を。
本日(4月27日)、「元号さよなら声明」への賛同署名運動を開始しました。

署名は、下記のURLから。
http://chng.it/7DNFn7sCfz

目標は10000人。是非とも、拡散のご協力をお願いいたします。

**************************************************************************

「元号さよなら声明」
もう使わない、使わされない!
元号の強制、元号への誘導、押し付けはごめんです。

また元号が変えられます。私たちは、一生の間にいったいいくつの元号を使わされるのでしょうか?

いま多くの人が元号はもう使いたくないと感じています。グローバル化が進んだ今日、日本国内にしか通用せず、また国内でも複数の年の間の年数をかぞえるにも元号は実に不便です。

日本の手帳には年齢早見表がついています。いくつもの元号にまたがって年数を数えるのは厄介だからです。グローバル化の時代に日本でしか通用しない元号は不便です。

それだけではありません。公的機関が元号だけを使っているため、改元の度に必要となる情報システムの改修には莫大な費用がかかり、IT社会は絶えずこのシステムの不安定性に振り回されます。

元号を使うことは義務ではありません。しかし現実には、それが当然であるかのように元号を使うことを求められたりします。

元号を使いたくない人、元号を知らない人に元号を使うよう「協力を求め」たり、無理強いをしないでください。また、誰もが使ったり見たりする公的な文書や手続き書類は、元号を使いたくない人でも困らない、元号を知らない人でも分かるものにして下さい。

私たちは元号を使いたい人が元号を使うことを妨げようとしているのではありません。ただ私たちは、次の三つのことを求めたいのです。

1.届出や申し込みの用紙、Web上のページなどにおける年の記載は、利用者が元号を用いなくても済むものとし、また利用者に元号への書き直しを求めないこと。

2.公の機関が発する一切の公文書、公示における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。

3.不特定多数を対象とする商品における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。

* 上記の1・2は、衆参両院議長、内閣府、最高裁判所事務総局、地方自治体に要請します。また同じく3は、元号表示しかしていない金融機関や企業などに対して、各地の賛同者の皆さんと共に要請します。

**************************************************************************
下記URLの拡散をよろしくお願いします。
http://chng.it/7DNFn7sCfz

また、下記のURLもご利用ください。
https://sayonaragengou.blogspot.com/p/httpssayonaragengou.html

https://www.facebook.com/gen5no/?modal=admin_todo_tour

よろしくお願いします!

(2019年4月27日)

http://article9.jp/wordpress/?m=201904
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/208.html

[政治・選挙・NHK260] 本日(4月28日)沖縄『屈辱の日』に、国家・国民・天皇を考える。(澤藤統一郎の憲法日記)
 
一国の国民は、栄光と屈辱、歓喜と無念、慶事と凶事を共有する。それであればこその国民国家であり、国民である。もちろん、これはタテマエであって現実ではない。しかし、統治をする側がこのタテマエを壊しては、国民国家はなり立たない。本日、4月28日は、厳粛にそのことを噛みしめるべき日である。しかも、天皇代替わりを目前にしての、国民統合に天皇利用が目に余るこの時期の4月28日。国家と天皇と国民の関係を考えさせる素材提供の日である。

本日の琉球新報に、「きょう『4・28』 沖縄『屈辱の日』を知ってますか?」という解説記事。同紙の本日の社説は、「4・28『屈辱の日』 沖縄の切り捨て許されぬ」というタイトル。さらに、「皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 『屈辱の日』67年」という、沖縄への天皇の関わりに触れた署名記事も掲載している。また、沖縄タイムスの社説も、「きょう『4・28』今も続く『構造的差別』」である。

1952年の今日・4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して、敗戦後連合国軍の占領下にあった日本は「独立」した。しかし同時に、沖縄や奄美は日本から切り離されて、米軍の施政権下におかれた。沖縄の本土復帰には、さらに20年という年月を要した。この間、沖縄に日本国憲法の適用はなく、米軍基地が集中し、過重な基地負担の既成事実が積み上げられた。だから、この日は沖縄県民にとって「屈辱の日」と記憶される日なのだ。しかも、このアメリカへの沖縄売り渡しを主導したのが、既に主権者ではなくなっていた、天皇(裕仁)である。

2013年4月28日には、安倍政権がこの日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を挙行した。当然のこととして、沖縄からは強い反発の声が上がった。この間の事情を、本日の琉球新報「皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 ― 『屈辱の日』67年」の記事から抜粋する。

 沖縄にとって4月28日は「屈辱の日」として深く刻ま
れている。
 2013年4月28日には、安倍政権が主催し「主権回
復の日」式典が開かれた。式典には首相、衆参両議長、最
高裁長官の三権の長とともに天皇皇后両陛下も臨席され
た。
 サンフランシスコ講和条約を巡り、昭和天皇が米軍によ
る沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年の「天皇メ
ッセージ」が沖縄の米統治につながるきっかけになったと
も言われる。
 昭和天皇の「戦争責任」と講和条約による「戦後責任」
を感じている県民の間には、皇室に対して複雑な感情もあ
る。「4月28日を巡る式典は、沖縄と皇室の在り方をあ
らためて問い掛ける出来事となった。
   ◇    ◇    ◇
 「天皇陛下、バンザーイ」「バンザーイ」
 2013年4月28日、東京都の憲政記念館で開かれ
た政府主催の「主権回復の日」式典。天皇皇后両陛下が退
席される中、会場前方から突然、掛け声が上がった。つら
れるように、万歳三唱は会場中にこだまし、広がった。
 だが、講和条約締結を巡っては昭和天皇による「天皇
メッセージ」が沖縄の米統治に大きな影響を与えたといわ
れる。沖縄戦で悲惨な戦禍を受け、その後も日本から切り
離された沖縄にとって、皇室への複雑な感情は今もくすぶ
っている。
 こうした中で開かれた式典に、県内の反発は激しかっ
た。一部の与党国会議員からも異論の声が上がった。「主
権回復の日」式典と同日・同時刻に政府式典に抗議する
「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は
結集し怒りの拳を上げた。「万歳」と「拳」。本土と沖縄
の温度差が際だっていた。

琉球新報の社説は、あらためて沖縄地上戦の凄惨な犠牲を思い起こし、平和な沖縄を願うものとなっている。

<社説>4・28「屈辱の日」 沖縄の切り捨て許されぬ

 この「屈辱の日」を決して忘れてはならない。沖縄は去
る大戦で本土防衛の時間稼ぎに利用され、日本で唯一、お
びただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ
た。戦いは凄惨を極め、日米合わせて20万人余が犠牲に
なった。このうち9万4千人が一般人で、現地召集などを
含めると12万2千人余の県出身者が亡くなった。民間人
の死者が際だって多いことが沖縄戦の特徴である。

 激戦のさなか、日本軍はしばしば住民を避難壕から追い
出したり、食糧を奪ったりした。スパイの嫌疑をかけられて
殺された人もいる。戦後は米統治下に置かれ、大切な
土地が強制的に接収された。米国は、講和条約の下で、軍事
基地を自由に使用することができた。

 72年に日本に復帰したものの、多くの県民の願いを踏
みにじる形で米軍基地は存在し続けた。沖縄戦で「捨て
石」にされたうえ、日本から切り離された沖縄は、今に至
るまで本土の安寧、本土の利益を守るために利用されてき
たと言っていい。

 そのことを象徴するのが、名護市辺野古の海を埋め立て
て進められている新基地の建設だ。2月24日の県民投票
で「反対」票が有効投票の72・15%に達したが、政府は
民意を黙殺した。

 1879年の琉球併合(琉球処分)から140年にな
る。沖縄はいまだに従属の対象としか見なされていない。
基地から派生する凶悪事件、米軍機の墜落といった重大事
故が繰り返され、軍用機がまき散らす騒音は我慢の限度を
超える。有事の際に攻撃目標になるのが基地だ。この上、
新たな米軍基地を造るなど到底、受け入れ難い。そう考え
るのは当然ではないか。

 これまで繰り返し指摘してきた通り、県民が切望するの
は平和な沖縄だ。政府はいいかげん、「切り捨て」の発想
から脱却してほしい。

そして、沖縄タイムス社説
 講和条約第3条が、基地の沖縄集中を可能にしたのであ
る。「構造的差別」の源流は、ここにあると言っていい。
「4・28」は、決して過ぎ去った過去の話ではない。
 安倍政権は講和条約が発効した4月28日を「主権回復
の日」と定め、2013年、沖縄側の強い反対を押し切っ
て、政府主催の記念式典を開いた。
 ここに安倍政権の沖縄に対する向き合い方が象徴的に示
されていると言っていい。講和・安保によって形成された
のは「沖縄基地の固定化」と「本土・沖縄の分断」であ
る。それが今も沖縄の人びとの上に重くのしかかってい
る。

安倍政権は、沖縄を切り捨てた日を、式典で祝ったのだ。たいへんな神経である。そこには、三権の長だけでなく天皇も参加させ、「テンノーヘイカ、バンザーイ」となったのだ。一方の沖縄では、同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。東京では、「テンノーヘイカ、バンザーイ」であり、沖縄はこれに抗議の「拳」を挙げた。

琉球新報の「皇室に県民思い複雑」は、ずいぶんと遠慮した物言いではないか。アメリカへの沖縄売り渡しを提案した裕仁の「天皇メッセージ」は、明白な違憲行為であり、天皇という存在の危険性を如実に露呈するものである。これこそが、現在の県民の重荷の元兇なのだから。

そして、沖縄屈辱の日の政府式典において、現天皇への「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、別の意味での天皇の危険性をよく表している。天皇は式典出席で、安倍政権の沖縄切り捨て策に利用され加担したのだ。もとより、天皇は憲法の許す範囲で政権の手駒として、政権の指示のとおりに行動するしかない。けっして、ひとり歩きは許されない。沖縄切り捨てを含意する祝賀の式典での「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、政権に対する、県民・国民の批判を天皇の式典出席が回避する役割をはたしたことを物語っている。

民主主義にとって天皇はないに越したことはない。直ちに、憲法改正が困難であれば、その役割を可能な限り縮小すべきである。そのためには、天皇や、政権の天皇利用に、批判の声を挙げ続けなければならない。
(2019年4月28日)

http://article9.jp/wordpress/?p=12516
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/242.html

[政治・選挙・NHK260] [小沢一郎戦記(8)] 小沢一郎が構想した予算編成 小沢は裏の国家戦略局長となり、与党・政府一体化の政治システムが現出していた (朝日新聞社 論座)

小沢一郎戦記
小沢一郎が構想した予算編成
(8)小沢は裏の国家戦略局長となり、与党・政府一体化の政治システムが現出していた
 
佐藤章(ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長)
 
論座 2019年04月29日
より、無料公開部分を以下転載。
 
 
■安倍政権で消えた「政と官」の議論
 
 歴史の時間に退化ということはあるのだろうか。常識的に考えれば政治制度の歴史は少しずつ進化していくと考えられるが、民主党政権以後の自民党政治のありようを観察する限り退化という事態もありそうである。時代を象徴する固有名詞で言えば、小沢一郎と菅直人の時代から安倍晋三の時代へ、という下降線は思い描いてみる必要がある。

 ある種の深海魚や真っ暗闇の洞窟に棲息する魚などは目が退化して存在しなくなっている。同じように、民主党政権までは議論され考究されてきた政治的論題が、第2次安倍政権になってからはほぼ完全に議論のテーブルに乗らず、その論題自体が忘れ去られてしまったようなことがあるのではないだろうか。

 その通り。第2次安倍政権になって誰もが言わなくなってしまった重要な政治問題がひとつある。このために日本の政治を見る大切な「目」がひとつ退化してしまって、いまや真っ暗闇の洞窟の中をあてもなく泳いでいるだけである。

 その退化した「目」というのは、「政」と「官」の関係を見極め、正しい位置関係に置き直していくという視角だ。

 小沢一郎と菅直人の時代、この「目」は爛々と輝き、日本の政治を語る人間は政治構造改革の視角を大なり小なり携えていた。

 しかし、安倍晋三の時代にはこのような「目」は失われ、人々の口の端に上るのは、政治問題としてははるかに原初的な立憲主義や情実予算、情実人事、あるいは前近代的なヘイト感情に溢れた「嫌韓、嫌中」といったようなことだ。日本政治を語る視角としては何とも情けないほどの退化だ。

■時代を先取りした『日本改造計画』
 
 「政」と「官」のありうべき関係を考察し、本格的に世に問うた政治家は小沢一郎が最初だろう。

 1993年5月、小沢は一冊の本を講談社から出版した。日本政治に関する小沢の考えをまとめたこの著作、『日本改造計画』はたちまちベストセラーとなり、最終的には70万部を突破した。現役政治家の著書としてはほとんど最大の売れ行きとなった。

 この著書を出すために、北岡伸一や御厨貴ら当時新進気鋭の政治経済学者ら10人ほどを集め、1、2週間に1回勉強会を開いた。会合は60回ほどにも及び、国内政策や外交、経済政策について小沢との間で議論を詰めていった。

 それぞれの政策については小沢の考えを踏まえた上で気鋭の学者たちが執筆していったが、小沢自身が他に譲らない箇所があった。目次からその大きな項目を挙げると、「首相官邸の機能を強化」「与党と内閣の一体化」「なぜ小選挙区制がいいか」という三つだった。まさに政官関係と、政治改革の中核となった小選挙区制だった。

 小沢はまず第一に首相のリーダーシップを強化すべきことを考え、そのために首相補佐官や内閣審議室の改革を提案する。次に、与党と内閣を一体化させ首相を支えることを考える。省庁ごとに2、3人の政務次官と4~6人の政務審議官ポストをつくり与党議員を割り振る。この時に党の政策担当機関を内閣の下に編成し直し、閣僚を含めて160人ほどの与党議員が政府に入っていく。

 また与党幹事長を閣僚にして、内閣と与党をトップレベルで一体化させる。それぞれの省庁の方針は政治家チームが官僚の助言を受けながら決定していく。また、特定の問題については関係閣僚による閣僚懇談会を設け、実のある議論を進めていく。

 小沢が政治改革のモデルとして考えていたのは、議院内閣制の長い歴史を持つイギリスだった。選挙制度についても、イギリスのような二大政党制に移行しやすい小選挙区制を第一に考え、中選挙区制からの急激な変化を避けるために比例代表制的な要素を加えた小選挙区比例代表並立制の採用を次善の策として考えていた。

 『日本改造計画』から要点を書き出してみると、紆余曲折はありながらも日本の政治制度はほとんど小沢が思い描いていた線をなぞって進歩してきた感がある。

 「英国の議会制度を模範とすべきだという意識はずっと持っています」と小沢は説明した。

 「日本というのは官僚がお上、政府と思われているから、国会議員自身が自分の政府なのにそうは思っていないんだ。だから、予算なんかでも政府と交渉してこれだけ自分たちは取ったというようなことをやっているでしょう。その時の政府というのは官僚のことなんだ。しかも、大臣は官僚の単なる操り人形に過ぎない。本当におかしな話なんだ。与党と内閣とが掛け合い漫才をやっているようなものだ。そんな馬鹿なことはやめるべきで、自分たちの政府なんだから、自分たちで責任を持って決めなければならない。だから政調会が与党にあるなんてこともおかしいんです。基本を言えば日本人の意識改革をしなければいけないんだけど、まずは形から改めていこうということです。選挙制度もそうです。小選挙区制に変えることで意識を転換させていくしかないんです」

 小沢が小選挙区制をはじめとする政治改革を考え始めたのは実に早く、父親の小沢佐重喜がなくなり、初めての選挙に立候補する27歳より以前のころだった。

 実を言えば保守政治家である小沢佐重喜自身も小選挙区制論者で、1962年には自民党の「党近代化のための脱皮」を目指した調査会(三木武夫会長)の副会長として選挙制度改革の調査にあたっている。

 『日本改造計画』が出た1993年5月、当時北海道大学教授だった山口二郎・現法政大学教授が岩波新書から『政治改革』という本を出している。やはりイギリスの議院内閣制に範を取り、「議会の多数派のもとで立法権と行政権の二つの権力が融合するところに議院内閣制の特徴がある。議院内閣制は権力分立よりも権力融合という帰結をもたらすことが重要な教訓である」と考え方を説明している。小沢と同様、与党と内閣の一体化、あるいは立法権と行政権の融合ということだ。奇しくもまったく同じタイミングで同趣旨の政治改革の議論を提示している。

 そして、政治改革の土壌からはもうひとり特筆すべき人物が自らを養っていった。
 
■『大臣』に描かれた菅直人の官僚との闘い
 
 菅直人は東工大時代、マルクス主義とは距離を置いた学生運動に携わっていたが、大学卒業の前後を通じて市民運動に参加、政治学者の松下圭一・法政大学教授らを招いて勉強会を開いていた。松下は『市民自治の憲法理論』や『シビル・ミニマムの思想』などの著書があるが、イギリスの議院内閣制についても研究を進め、正確な知識を持っていた。

 岩波書店が発行する総合月刊誌『世界』の1997年8月号に「行政権とは何か」と題する鼎談が掲載されている。鼎談者は菅と松下、五十嵐敬喜・法政大学教授の3人だ。

 鼎談の中で、松下は、戦前型の「行政権中心」の三権分立と、文字通り国民主権を眼目にしたイギリス型の三権分立のちがいをわかりやすく説明している。簡単に言えば、戦前型は国会と内閣と裁判所を羊羹のように三つに切り、お互いに干渉し合わないようにさせるという考え方。松下によれば、これは現在の官僚も囚われている「講壇法学」あるいは「官僚法学」だ。

 一方、イギリス型の国民主権の三権分立というのは、国民が選んだ国会が内閣をつくり、この内閣が行政すべてを支配するという形になる。つまり、山口二郎が説明していた「立法権と行政権の融合」、小沢一郎が主張していた「与党と内閣の一体化」だ。松下も、山口や小沢も「官僚法学」に欺されず、本来の議院内閣制をきちんと思考していた。

 松下のこの考え方になじんでいた菅直人は1996年1月、橋本龍太郎内閣の厚生大臣に就任するとほぼ同時に「官僚法学」との闘いを始めざるをえなかった。当時大きな問題となっていた薬害エイズ事件について省内に調査委員会をつくろうとしたが、厚生官僚たちは「前例がない」と言って同意しなかった。その時の言い訳として「知りたいことがあるのなら、大臣には何でも教えますから」ということまで言われた。

 そんなエピソードが菅の著書『大臣』(岩波新書)に書かれている。つまり、大臣はたまたま行政側に入ってきたお飾り的存在、だから特別の行為であなたには教えてあげますよ、という感覚がこの時の厚生官僚のものなのだ。

 薬害エイズ事件の経験を振り返ったこの著書では、大臣として官庁に入った議員はまさに孤独なお飾り的存在でしかなく、力を発揮できない事情が説明されている。

 この事件では、現在の枝野幸男・立憲民主党代表が若手議員として菅の片腕となり厚生省の追及に力のあったことが記されている。枝野のような副大臣や政務次官など政治家チーム10人くらいが大臣の周りに帯同できれば、かなりちがった状況になる。経験に基づいた政治任用をめぐる菅の率直な感想だ。
 
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厚生大臣当時の菅直人氏=1996年10月0日
 
■財務省が握ってきた予算編成権
 
 2009年9月、民主党政権が成立し、菅は新政権の要、国家戦略局の担当国務相となった。

 では、菅は過去の経験、思考内容を生かすことができただろうか。結論を先に記せば、残念ながらそれはできなかった。なぜだろうか。

 まず考えられることは、国家戦略局の考案者、松井孝治の政権設計スキームと菅のそれが一致しなかったという点だ。イギリス型の与党・内閣一体スキームを考えていた菅にとって、大所の予算編成を一手に握る国家戦略局の考え方は唐突なものに映った可能性がある。

 第二に考えられることは、菅が手足として考えていた党政策調査会がなくなってしまい、国家戦略局に帯同していく議員の調達が難しくなったということだ。

 だが、この二つの可能性は懸命に突破しようと思えば突破できないような問題ではなかったと考えられる。イギリス型の与党・内閣一体スキームでも、特定の問題については関係閣僚だけが議論する閣僚懇談会の制度がある。国家戦略局について、予算と財政問題を担当する重要な閣僚懇談会と読み替え、財務相ら経済関係閣僚と有意な各省副大臣、政務官クラスを集めれば、かなり踏み込んだ議論ができたのではないだろうか。

 この問題について話を聞きに行った時、菅は「国家戦略局で予算を考えようなんて簡単にできるわけがないんです」と語っていた。

 確かに限られた人数の政治家だけで国家予算のすべてを考えていくことは、不可能なことにちがいない。しかし、政官関係を考える時、「官」の問題の中心に座るのは常に財務省であり、予算編成を真に国民本位のものに据えることが最も重要な政治問題だった。

 現に民主党政権が成立した2009年9月下旬、一時期仙谷由人から改革官僚として期待されていた古賀茂明が反対に政権構想から外されてしまったのは、「予算の越年編成」という財務省による警告があったのではないか、と古賀自身に推測されている。

 「私の唱える改革を快く思わない霞ヶ関の猛反発に屈したにちがいない。そうした一連のやりとりが、その後の民主党の路線変更につながったのは間違いないと思う」

 古賀はその著書『官僚の責任』(PHP新書)でこのように言及している。
 
■小沢が主導した予算編成
 
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陳情について検討する会議に臨む民主党の小沢一郎幹事長(中央)ら=2009年12月2日、国会
 
 しかし、2009年の秋から冬にかけて、看板の国家戦略局が沈んでいく一方で、民主党政権内では驚くような動きが始まっていた。民主党幹事長室をダイナモとして、まさに政治主導の予算編成が始動したのだ。その中心にいて差配していたのは、党幹事長の小沢一郎だった。
 
 党と内閣を一体化させるために族議員を生みやすい政策調査会をなくし、地方などからの予算陳情を党幹事長室と各都道府県連に一本化させたことは前回の小沢一郎戦記(7)『国家戦略局が沈み、小沢一郎幹事長が浮かんだ』で触れたが、2009年12月16日、小沢は幹事長室など党の議員約20人とともに首相官邸に鳩山由紀夫を訪ねた。2010年度予算案などに関する要望書を手渡すためだった。

 要望書の中では、マニフェストに掲げていたガソリン税の暫定税率廃止について「現在、石油価格は安定しているので、ガソリンなどの暫定税率は現在の租税水準を維持する」と書かれていた。民主党は2008年1月に「ガソリン値下げ隊」をつくり、暫定税率の廃止キャンペーンを繰り広げていたため、この方針変更については強い批判を受けた。

 「あの時は本当に苦しかった」

 鳩山由紀夫はこの時の経緯を振り返って、こう回顧した。

「自分としては、政権を取る時に、こういった暫定税率はもうやめにしようと話をしていたわけですから。しかし、財務省からはいろいろと資料を見せられて、また、暫定税率をなくすとガソリンがたくさん使われて環境に悪いというメッセージもたくさん流れてきて、私はここは非常に迷いました。その時に、小沢さんが ・・・ログインして読む
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[政治・選挙・NHK260] 福島原発廃炉に外国人労働者、「使い捨て」の声 構内はほとんどが放射線管理対象区域、人手不足解消に新しい在留資格を利用 (朝日新聞社 論座)

福島原発廃炉に外国人労働者、「使い捨て」の声
構内はほとんどが放射線管理対象区域、人手不足解消に新しい在留資格を利用

青木美希 朝日新聞社会部記者
論座 2019年04月30日
 
 
 「貧しいから出稼ぎに来ているのに、ここで働いて持って帰る金は、その後の治療費にも満たないだろう」

 あるベトナム人男性はネットに書き込んだ。東京電力が福島第一原発の廃炉作業に特定技能の外国人労働者を受け入れると決めたことに対してだ。ベトナム人らからは「使い捨てにされる」との声が上がっている。

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朝日新聞2019年4月18日付、朝刊1面

 東電の決定について、私は4月18日、朝日新聞の朝刊1面で報じた。これまでの取材で原発労働者や外国人労働者支援者、専門家がそれぞれの経験から懸念を示した。問題意識を投げかけたかった。

 外国人労働者の受け入れを拡大するため、政府は技能実習生から移行できる新たな在留資格「特定技能」を4月に始めた。外国人労働者の廃炉作業は、2つの大きな問題をはらんでいる。

 一つは、技能実習生が置かれている最低賃金割れや不当な残業、外出制限などの劣悪な環境が、そのまま特定技能に移行して引き継がれる恐れがあることだ。廃炉作業の現場は、ゼネコンの多重下請けによって下請け作業員が搾取される構図にある。53%の業者が労働関係法令に違反しているという調査結果が出ている。もともと日本語で声を上げづらい人たちが、さらにつらい立場におかれかねない。

 もう一つは、廃炉作業の安全性だ。1日約4千人が働く現場だが、全面マスクをつけた上での高線量の現場がある。昨年9月の東電のアンケートでは1185人が「全面マスクで見にくい、聞こえにくい」と回答した。日本語が母国語の人同士ですら会話が難しいのに、言葉が不十分な外国人に的確な指示を伝えられるかどうか。4月24日には衆議院で「安全管理教育が多言語化対応できていない」と指摘された。帰国後に被曝の影響でがんを発症しても、労災申請のハードルは高い。医療が整っていない国も多い。

■技能実習生が知らずに除染

 ベトナムの20代の男性が「建設機械・解体・土木」を学ぶために、盛岡市の建設会社に技能実習生として来たが、福島県郡山市で除染と知らずに作業につかされた。2015?16年のことだ。その後、川俣町や飯舘村など住民が立ち入れない線量の高い現場で解体工事に従事し、危険手当1日2千円が渡されるようになったという。「自分は危険な仕事をしているんですか」と尋ねたところ、こう言われたという。「いやなら帰れ」

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廃炉作業が続く福島第一原発の4号機建屋=2019年2月13日、代表撮影

 男性ら実習生を支援してきた労働組合書記長の佐々木史朗さんは「危険手当は6600円あったが本人には2千円しか渡らず、放射線管理手帳も渡されていなかった。実習生たちからは『残業代未払い』『長時間労働』『休憩がとれない』『暴言暴力』『労災隠し』『強制帰国の脅かしにあった』という相談ばかり。人権が守られていない」と訴える。法務省はこの業者を実習生受け入れ停止5年の処分とした。

 ほかにも3社が実習生に除染作業をさせていたことが明らかになり、うち1社を受け入れ停止3年とした。鉄筋施工や型枠施工の名目で実習生を受け入れながら除染地域の表土のはぎ取りなどをさせていたという。佐々木さんは福島第一原発について、「一瞬で高線量を被曝する可能性があり、除染よりさらに過酷な現場だと思う。被曝限度は法で決められ、いつまで働けるかもわからない」と警鐘を鳴らす。

 無試験で「特定技能」へ移行するのは3年の技能実習を終えた外国人だが、「日本語学習の援助はなく、『ものいわぬ労働者』としかみられていない。3年たっても具体的な指示を理解できるレベルにない人が多い」と佐々木さんは言う。

■政府が「勤務可能」の判断

 福島第一原発では18年5月、敷地内の焼却炉工事に実習生6人が従事していたと東電が明らかにした。放射線管理対象区域外だったものの、確認が不十分だったという。法務省はこのとき、第一原発内で東電が発注する事業について「全て廃炉に関するもので、一般的に海外で発生しうるものではない」とし、国際貢献を目的とする技能実習生が従事することはできないと発表した。

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廃炉作業が続く東京電力福島第一原子力発電所

 だが特定技能について東電が法務省に問い合わせた結果、「新資格は受け入れ可能。日本人が働いている場所は分け隔てなく働いてもらうことができる」(東電広報担当)と判断したという。法務省は「建設など特定技能の対象職種14種に該当すれば問題ない」としている。構内は現在、ほとんどが放射線管理対象区域だ。
 
 技能実習制度は「人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識の移転による国際協力」(技能実習法)が目的だが、特定技能は日本の労働者不足の解消が目的とされる。東電は、第一原発への受け入れは主に建設分野としている。政府は建設分野では5年間で最大4万人の受け入れを見込み、その9割が技能実習生からの移行と見込んでいる。同じ人物が技能実習から無試験で移行可能な制度なのに、ずいぶんと立場が変わる。佐々木さんは「除染も廃炉作業もできない実習生の方が、まだ守られていた」という。

■下請け作業経験者の懸念

 ではいま、福島第一原発の現状はどうなっているのか。

 4月14日、安倍晋三首相は東京電力福島第一原発を約5年半ぶりに視察した。記者団に対し「現場の皆さんの大変な御努力によって廃炉作業が一歩一歩着実に進んでいます」と語った。「スーツ姿でマスク無し」の姿がテレビや新聞写真に登場し、「初めて防護服やマスクを着けずに視察」「廃炉に向けた作業が進んでいることを国内外にアピール」と報じられた。

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東京電力福島第1原発構内を視察し、説明を受ける安倍晋三首相=2019年4月14日

 しかし東電によると、首相がマスク無しでいたのは、見学や移動の際にマスクを不要とした一部地域。構内の大部分は使い捨て防塵マスク以上の装備が必要で、作業が多い建屋内や建屋周辺の高線量の現場は半面マスクや全面マスクとなっている。
 
 2014年から15年まで下請け作業員として廃炉作業に従事し、「福島原発作業員の記」の著書がある池田実さん(66)は「いろいろ心配です」と話す。最初は建屋の中のごみを集める作業だった。そのあと消火器の解体やごみを小さくする作業と次々にかわった。その都度、紙で説明があった。「装備が作業のたびに変わる。エプロンをつけたり、化学防護手袋をつけたり。紙の説明を理解できるか、ですよね」

 雇用条件についても心配だという。池田さんはハローワークから申し込んだ。求人票には「健康保険、厚生年金加入」とあったが、社長に「社会保険はどうなっていますか」とおそるおそる尋ねると「給料が多い方がいいでしょう」と加入しないことを告げられた。それまでは除染作業の二次下請けで1日1万7千円(危険手当1万円)を得ていた。第一原発では三次下請けで、1日1万4千円(危険手当4千円)と少なかった。池田さんは「どうしてより線量の高い現場で危険手当が減るんだろう」と疑問に思った。上の会社の人に給料を言うと驚かれ、「よほど中抜きされているんだと思った」。

 池田さんが働いていた現場について、ある元請け社員は私に「その現場は東電が危険手当は1日2万円というモデルを示している」と明かした。元請けから一次下請け、二次下請け、三次下請けと中抜きされた結果、2万円が4千円に減ってしまった、ということだろうか。社員は言った。「作業員がどれだけの給料をもらっているか元請けはわからない。手当は東電が直接作業員に払うようにするべきだ」

■がんで6人が労災認定

 被曝によるがんの労災基準は、白血病で年5mSv(ミリシーベルト)以上となっている。池田さんは7mSv以上を浴びた。仕事をやめてからも健康が心配だ。東京電力は昨年9月、福島第1原発の作業員約5千人にアンケートを実施。42%が第1原発で働くことに「不安を感じている」と回答した。健康への影響や収入の不安定さを挙げた人が多い。福島労働局が昨年、廃炉作業をする290業者を調べたところ、賃金の支払いや労働条件の明示などの違反が53%にあった。被曝量を遅滞なく知らせていなかった違反もあった。

 2018年度に第一原発で放射線業務に従事した作業者は1万1306人。この期間に876人が10~20mSv、939人が5~10mSvの被曝をしている。1年の平均線量は東電社員が1.04mSvなのに対し、下請けを含む協力企業は2.64mSvと2.5倍多く被曝していた。原発労働者の被曝限度は「5年で100mSvかつ年間50mSv」と法令で定められている。これまで第一原発で働いた作業員6人が被曝によるがんで労災認定された。昨年は肺がんで死亡した男性が労災認定されている。

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下請け作業員として働いた池田実さんが示す除染作業の写真

 外国人労働者が帰国後に発症して亡くなった場合、遺族が日本語をまったくわからなくても労災申請ができるのか。政府は被曝による労災について伝えるリーフレットを日本語版しか作成していない。

 筆者は、3年間の技能実習生を終えて昨年9月に帰国したベトナム人女性、グエン・タン・ディエップさん(33)に聞いた。「真実ならば、ベトナムの実習生にとって恐ろしいことだと思います。ベトナム人労働者の安全が保障されるかわかりません。帰国後に健康被害が出た場合はどうしますか? 白血病や肺がんなどベトナムの治療法はまだまだです。何もできないと思います」

 菅義偉官房長官は「政府としては、法制度の適切な運用を含め、安全で着実な廃炉作業が進むよう、経済産業省から東京電力に対し、必要な指導・監督をしっかりと行っていきたい」と述べた。東電は「適切に対応したい」(福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表)としているが、政府としてどう労働者を守るのか、多方向から多くの目で見ていかなければならない。

https://webronza.asahi.com/national/articles/2019042600003.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/273.html

[政治・選挙・NHK260] 沖縄県民投票と基地問題を世界はどう見ているのか  安全保障だけでなく民主主義、環境、人権といった世界の「共通語」で語られる沖縄問題 (朝日新聞社 論座)
 
沖縄県民投票と基地問題を世界はどう見ているのか
安全保障だけでなく民主主義、環境、人権といった世界の「共通語」で語られる沖縄問題

星野英一 琉球大学名誉教授 同大島嶼地域科学研究所客員研究員
論座 2019年04月30日 より無料公開部分を以下転載。 

 
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辺野古移転に抗議し、 「ジュゴンを守れ、海を守れ」と書かれた横断幕を掲げて声をあげる参加者=2019年4月22日、ニューヨーク
 
■ハッキリ聞こえた辺野古反対の沖縄の声
 
 玉城デニー知事が抜けた穴を埋める衆院3区補選(4月21日投開票)では、玉城知事を支える「オール沖縄」の後継候補屋良朝博氏が、自民公認、公明・維新の推薦で、元沖縄北方担当相の島尻安伊子氏を、7万7千票対5万9千票で破り、初当選した。玉城知事の誕生(昨年9月)、県民投票の結果(今年2月)の流れに乗ったうえでの勝利といえる。

 紆余曲折の末、実現した辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票には、有権者の52.5%(60万5千人)が参加し、投票総数の約72%が反対票だった。この43万4273票は、玉城デニー知事を誕生させた39万6632票を上回っており、知事選で玉城知事に投票しなかった人たちも「反対」に「マル」をつけたかたちだ。さらに全市町村で反対が多数となった。沖縄の声は誰の耳にもハッキリと聞こえたはずだ。

 だが、安倍晋三首相は「全力で対話を」と言いながら、「粛々」と工事を強行し、駐日米大使も「辺野古が唯一」を繰り返す。沖縄の声が聞こえないふりをするのに懸命だ。本土のメディアも、もう県民投票のことなど忘れ去ってしまったかのようだ。

 本稿では、まずこの県民投票を海外のメディアがどう報じたのか振り返ることで、辺野古米軍基地をはじめとする沖縄の基地問題について、国際社会がどうみているかをつまびらかにしたい。さらに、世界の有識者やNGO、国連がこの問題をどう見ているかも概括したい。辺野古基地推進・反対の対立のなかで、硬直化しているようにみえる辺野古の基地問題への視点を広げ、世界共通の言葉で考え直す契機になればうれしい。

■「民意が明示された」と報じたワシントンポスト

 県民投票に関する海外メディアの報道について、沖縄タイムスの米国特約記者・平安名純代氏は、「埋め立てに反対する民意が明示されたなどと報じるメディアがある一方、新基地建設を進める日本政府の方針を強調する報道も目立った」と要約している。
 
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Eugene Ga/shutterstock.com
 
 「民意が明示された」の代表は米紙「ワシントン・ポスト」(2月24日、In Japan’s Okinawa, voters deliver a resounding no to new U.S. military base)だろう。沖縄への基地の集中と騒音、事故、犯罪などの基地被害にも言及する一方、基地建設の環境への負荷にも触れ、安倍政権が示された民意に耳を傾けていないと指摘している。
 
 1996年の県民投票や今回の県民投票の実施や選択肢など細かな点も押さえて、「沖縄の有権者は県民投票で新たな米軍基地の建設に明確な拒否を示し、日本政府と在日米軍に新たな頭痛の種をもたらした」とし、最後は菅官房長官のフラストレーションで締めくくっている。

 「民意が示された」とまでは述べていないが、米軍準機関紙「星条旗」(2月24日、Okinawa voters say no to US base relocation plan in prefecture-wide referendum)は、日本政府が沖縄の一貫した反対にも拘わらず、このプロジェクトを推し進めていることを指摘し、投票結果が日本政府にとって問題をさらに複雑なものにしたと述べている。

 安倍首相の「我々は長い間沖縄の人びとと対話してきたし、これからも理解を求めていく」との発言を引用しているが、海兵隊事務所や沖縄防衛局からはコメントを得られなかったとの記述を並べているためか、首相発言が軽々しく聞こえてくる。岩屋防衛相の戦略的重要性の指摘を紹介しつつも、玉城知事の「辺野古が唯一の選択肢との考えを再検討すべきだ」との発言で締めくくっているため、それが全体の論調に影響を与えている。

■日本政府の方針を強調した英「BBC」
 
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住宅街に囲まれた米軍普天間飛行場=2019年3月12日、沖縄県
 
 「日本政府の方針を強調する報道」の代表はイギリスのTV「BBC」(2月25日、Okinawa: Tokyo to overrule referendum on US base)だ。日本政府の方針を中心に据えた編集で、安倍首相の言い分をタップリ紹介している。「米国が辺野古を望んでいる」のような議論の余地のある記述もあり、沖縄への米軍基地の集中に言及してはいるもの、被害については1995年の集団レイプと2016年の暴行殺人のみが取り上げられている。全体として、政府の方針は変わらないという日本政府寄りの中味になっている。
 
 事実誤認というか、厳密ではない情報が気になったのが、ロイター通信の記事による米紙「ニューヨーク・タイムズ」(4月8日、Outnumbered and Elderly, Okinawa Protesters Oppose U.S. Military Runway)の報道だ。「基地は5年以内に完成する」「多くの日本人は海兵隊全部に出て言って欲しいと思っている」など根拠の怪しい記述もあるが、中国の脅威があるため、米軍はすぐには出て行かないし、日本政府は県民投票の結果にかかわらず工事を続けるという風に読める。若い人にとっては騒音が深刻な問題だ(野球をしていても球を打った音が聞こえない!)という締めくくり方は、基地被害のほんとうの深刻さを和らげている印象だ。
 
■沖縄の「NIMBY」を強調?英紙「ガーディアン」
 
 AP通信による英紙「フィナンシャル・タイムズ」の記事(2月25日、Referendum highlights attempt by US and Japan to push base through with no local consent)は玉城知事を「反基地闘争のリーダー」と形容するなど心配な記述もあるが、県民投票の目的が「政府が地域の声を無視している」ことを照らし出すところにあると、的確に指摘している。新基地建設の問題点は書かれてはいるが、投票結果が中国を利することになるおそれがあるとし、「結果にかかわらず方針は変わらない」という県民投票以前の菅義偉官房長官の言葉で締めている。
 
 英紙「ガーディアン」の記事(2月22日、Okinawa referendum: everything you need to know、Residents of Japanese island will vote on Sunday about controversial plan to move US military base)は投票前のものだ。辺野古の新基地建設に対する批判の概要が書かれているが、絶滅危惧種であるジュゴンと2千人の住民の安全に焦点があたっている印象で、「多くの沖縄人は普天間を閉鎖し、代替施設は日本のどこか他所に作ることを望んでいる」との書きぶりは、沖縄の「NIMBY」(他所ならいいがウチの裏庭にはごめんこうむる)が強調されているようにも感じられる。
 
 基地が沖縄に集中していることについても書いているが、南シナ海・東シナ海での緊急事態や北朝鮮の核にも言及していて、安全保障の方が重要だと言っているようにも聞こえる。最後は菅官房長官の「沖縄の人びとにはっきりわかる仕方での負担軽減を」という言葉で締めくられており、日本政府寄りの記事だと言える。
 
■日本政府の対応に批判的?なアジアのメディア
 
 アジアの報道はどうだろう。

 シンガポール紙「ストレイツ・タイムズ」は投票前の記事(2月22日、Abe to ignore controversial Okinawa referendum on US base move)だが、安倍政権が裁判にまで持ち込んで沖縄に言うことを聞かせようとしている点にふれ、日本政府が県民投票の結果を無視しようとしているとも伝えている。

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ホワイトハウス前で辺野古移設に対し抗議運動をするロバート・カジワラ氏=2019年1月7日、ワシントン
 
 オンライン請願署名を始めたハワイ在住で沖縄出身者の血を引く日系四世の作曲家ロバート・カジワラ氏のことや、カジワラ氏が成田空港で身柄拘束されたことにも言及し、基地の危険(犯罪、事件、事故)、辺野古新基地の環境負荷、沖縄の過去の軍事的重荷、基地の集中など幅広い記述があるので、最後の「もし県民の多くが反対票を投じても、政府がこれを強行すると、ある意味とても非民主的に見えるだろう」という安全保障専門家の政府擁護の発言が、政府批判のように読める。
 
 マレーシア紙「ザ・スター」はAFP通信による記事(2月24日、Japan's Okinawa votes on controversial US base move)だが、「これは日本の民主主義が機能しているかどうかのテストケースだ」との専門家の発言を紹介している。最後は、日米安保と沖縄の地政学的な重要性にふれて締めくくっているが、「政府は沖縄をバカにしている」との発言や、朝日新聞の世論調査で「政府は県民投票の結果を尊重せよ」が80%にのぼるとの結果も紹介している。香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」(2月24日、Okinawa votes ‘no’ in referendum on US military base move)やカタールの国営TV「アルジャジーラ」(2月24日、'Test of democracy': Okinawa votes in referendum on US base)も基本的に同じ内容だ。

 話がそれるが、「アルジャジーラ」が紹介している在日米軍報道官の発言、「我々は沖縄の人々と良い関係を維持しようと努力している。毎日、彼らの関心事と我々の準備態勢を維持する必要とのバランスをとるようできる限りのことをしている」は、中東の人々にどう受け止められるか気になった。イラクやアフガニスタンの米軍に対して人々がそうは見えないと感じるなら、沖縄における米軍の対応も大同小異だろうと、報道官の言葉を眉につばを付けて聞くのではないだろうか。

■普天間が返還されぬ可能性に触れた「チャイナーデイリー」
 
 話を戻す。

 中国の英字紙「チャイナ・デイリー」(2月24日、Okinawa votes in referendum on US military base relocation)はAP通信によるニュースだが、その扱いに特色がみられた。まず、県民投票に対し、日本本土だけでなく世界の平和運動家からも関心が寄せられているとの記述があり、新基地建設についても建設費用が膨らみ続けていること、滑走路が短いため普天間が返還されないかもしれない可能性にもふれている。さらに、県外移設の話が出ては消えることについて、沖縄の人々に差別(second-class treatment)されているとの思いを持たせているとも書いている。

 以上、県民投票をめぐる海外のメディアを渉猟してみると、「民意は示されたが、政府は建設を進める方針である」という「筋」の話だけでなく、沖縄の基地問題にからみ、「沖縄の人々が民主主義のテストケースを提供している」「政府が非民主的であることを照らし出している」「沖縄の人々は差別され、バカにされている」「沖縄のNIMBY的主張もある」など、さまざまな見方が示されていることがわかる。この問題をめぐっては、米軍基地の事情、沖縄の主張、民主主義のあり方など、重層的な論点があることが、あらためて浮かび上がって興味深い。

 ついでなので、アメリカのメディアに限るが、昨秋の玉城デニー知事誕生に関わる記事もみておこう。
 
■玉城知事誕生に関する米メディアの論調
 
 米紙「ワシントン・ポスト」(2018年9月29日、Whatever the result in Okinawa election, US troops are there to stay)は、安全保障上の理由での新基地建設とそれへの沖縄の反発を紹介し、玉城知事が誕生すれば両政府にはさらなる頭痛の種だが、いずれにせよ、基地は存続すると報じている。

 対立候補だった佐喜真氏については、政府からの資金が建設業などを潤すことを示唆していると指摘する一方で、高齢者が多い玉城支持者たちの文化的・歴史的背景(deeper cultural, historical sentiments)にも言及している。玉城知事の父親が海兵隊員であること、沖縄の人々の声に耳を傾けることが民主主義だとの信念を知事が持っていることを紹介し、「私の父の国の民主主義が、その息子の言っていることを拒否できるはずがありません」との知事の言葉も引用している。

 この記事は、香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」でも紹介されているが、日本政府は安全保障問題は国が決めることだとし、新基地建設を前に進める決意であると締めている。

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衆院沖縄3区補選で当選した屋良朝博氏(中央)とカチャーシーを踊る玉城デニー沖縄県知事(右)=2019年4月21日、沖縄県沖縄市
 
 米紙「ニューヨーク・タイムズ」(2018年9月30日、U.S. Marine’s Son Wins Okinawa Election on Promise to Oppose Military Base)は、玉城知事の誕生が政府の基地「移転」計画に待ったをかける可能性を指摘し、これに対して政府がお金で言うことを聞かそうとしているという専門家の意見を紹介する。沖縄に米軍基地が集中する背景などにも触れているが、玉城知事が日本で最初の「混血(mixed-race)」の国会議員であり、知事であると説明し、日本社会が多様性を受け入れる方向に変化していくのではないかという予測を織り交ぜている。
 
 翌日の社説「沖縄の負担軽減に向けて(Toward a Smaller American Footprint on Okinawa)」では、沖縄の拒否は明確であり、この不公平な安全保障負担は、国家の安全保障といえどもこれを正当化できないとしたうえで、日米両政府は立ち止まって妥協点を探すべきだと主張した。

 米誌「ネーション」(2018年12月13日)は、「米国は地元の圧倒的な反対にも拘わらず新基地建設を進めている(The United States Is Building a New Military Base in Okinawa, Despite Overwhelming Local Opposition)」との見出しで、これは民主主義の問題であると指摘する。さらに一歩進め、もしアメリカが民主主義を尊重しないのであれば、「日米同盟は脆弱なものになる」とする玉城新知事の発言も紹介している。
 
■「軍事植民地状況」の終結を訴える著名人
 
 次に、世界の著名人の沖縄に関する発信をみてみよう。彼らが繰り返し、沖縄の状況を世界に発信し、沖縄の「軍事植民地的状況」を終わらせるよう訴えていることは、沖縄に住む者としては心強い。

 2014年1月の最初の有識者声明は、前年末の仲井真弘多知事による埋め立て承認を受けて、オリバー・ストーン、ノーム・チョムスキー、ジョン・ダワーら103人が、新基地建設の中止と普天間飛行場の返還を訴えたものだ。

 昨年2018年9月の4回目の声明は、「(最初の声明の)当時懸念していた状況は良くなるどころか悪化しているので、今再び私たちは声を上げる」として、ヨハン・ガルトゥング、シンシア・エンローらも含む133人が、沖縄の平和、人権、環境保護のための闘いと、県の埋め立て承認撤回への支持を表明し、日米両政府は新基地建設を中止するよう主張している。この声明を取り上げた「琉球新報」社説(2018年9月8日)は「米国の独立宣言や公民権運動を沖縄に重ねたことは、新鮮な驚きだった」と、沖縄の運動が普遍的な理念に結び付いていることを強調している。

■ジュゴンの死で工事の一時中止を求めた自然保護団体
 
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死んで引き揚げられたジュゴン=2019年3月19日、沖縄県今帰仁村の運天漁港
 
 日米の環境NGOは、米国の国家歴史保存法(NHPA)に基づいて、絶滅危惧種であるジュゴンの保護のため、辺野古での基地建設を中止するよう求める裁判を起こしている。また、3月に沖縄本島周辺で生息していた国の天然記念物ジュゴンの死骸が発見されたことを受けて、米国の12の自然保護団体が、米下院軍事委員会に対し、工事の一時中止を求める書簡を送付した。生物多様性センター(CBD)のピーター・ガルビン氏は「裁判所は絶滅回避のため工事を強制的に止めるべきだ」とも訴えている(「沖縄タイムス」3月23日)。
 県民投票との関連では、県民投票が実施されるまでの間、工事を停止するよう求めるオンライン署名の活動が注目を浴びた。「We the People」というホワイトハウスの請願サイトで昨年12月8日にオンライン署名を始めたのは、先述のロブ・カジワラ氏だが、タレントのローラさんや、いま日本でも話題の「Queen」のブライアン・メイさんが署名に賛同したこともあり、1カ月で約20万筆が集まった。

 ただ、米誌「ネイション」の記者のティム・ショロック氏はこの署名活動について、「アメリカでは話題になっておらず、米市民は知らない。工事が進む状況下で、どんな効果が見込めるかは未知数だ」と語った。(『沖縄タイムス』1月9日)

 アジアの市民運動の受け止めはどうだろうか。新崎盛暉氏はかつて、沖縄にとってはアジア、特に韓国との関係が重要だと言っていた。

 「1995年以降の沖縄の反戦反基地闘争に非常に関心を持っていたのは、まず韓国だったんですね。(中略)現在では、普天間、高江の問題と、済州島の江汀村の基地建設問題が、一緒に語られる場面も出てきている」(注)と、「若い人たちの国境を越える感覚」が政府の基地押し付け政策との闘いを切り開く手がかりになるのではないかと指摘している。実際、名護市辺野古の新基地建設に抗議してキャンプシュワブのゲート前に座り込む市民を、韓国の平和団体「平和の風」の沖縄訪問団が激励したり(『沖縄タイムス』2018年2月20日)、北東アジアの平和や軍事基地について考えるシンポジウム「沖縄・韓国民衆会議」が開かれたりしている(『琉球新報』2月11日)。

(注)大田昌秀、新川明、稲嶺恵一、新崎盛暉「座談会 沖縄の自立と日本の自立を考える」大田昌秀他『沖縄の自立と日本:「復帰」40年の問いかけ』岩波書店、2013年、208~209頁。
 
■国連の人権理事会での議論にも反映
 
 市民社会の領域でのこれら一つ一つの事例は、単体としては大きなインパクトを持っていないかもしれないし、注目されていないかもしれない。だが、先の「琉球新報」社説にあったように、沖縄の基地問題に携わる人々の運動が普遍的な理念に結び付いていることは、国連の人権理事会での議論にも反映している。
 
 たとえば2018年8月、人種差別撤廃委員会は、 ・・・ログインして読む
(残り:約1254文字/本文:約9150文字) 
 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019042900007.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/274.html

[政治・選挙・NHK260] 昭和天皇とダブルファンタジー  昭和天皇の戦争責任と「言葉のアヤ」発言の論理 (朝日新聞社 論座)

昭和天皇とダブルファンタジー 
昭和天皇の戦争責任と「言葉のアヤ」発言の論理
 
菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師
論座 2019年04月30日 より無料公開部分を以下転載。 

1https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_1.jpeg
1988年4月、87歳の誕生日に=提供・宮内庁
 

連載 昭和天皇とダブルファンタジー

■天皇のリアリズム
 
 昭和天皇とマッカーサーの会談は回を重ねていった。日本国憲法施行から3日目、1947(昭和22)年5月6日に開催された第4回会見では、「象徴」になったばかりの天皇がマッカーサーに向かって自らの外交・軍事方針を強く主張したという。豊下楢彦は、通訳・奥村勝三のメモを見た松井明の記録に基づき、憲法第9条をめぐって両者が活発な議論を交わしたと述べている。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_2.JPEG
1945年9月、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥を訪問した昭和天皇=撮影・GHQ写真班
 
 天皇は、完全に軍備を撤廃するには、国連恃(だの)みでは心もとないこと、米国による安全保障が不可欠と述べた。対してマッカーサーは、軍備をいっさい持たないことが日本にとって最大の安全保障であり、将来の国連強化に期待すべしと説いた。しかし、天皇は納得しない。マッカーサーは天皇のリアリズムの前に屈し、半ば折れるように防衛協力を約束している。
 
 こうした天皇のアメリカ傾斜が、長期の米軍駐留を認める「沖縄メッセージ」(1947/昭和22年)、そして1952(昭和27)年の講和条約と安全保障条約・行政協定へつながっていったことは比較的よく知られている。

 今、これら「天皇外交」の詳細を論じる余力はないが、ひとつつけ加えておきたいのは、リアリズムとは二つ以上の戦略を常に作動可能な状態に保つことだという下世話な命題である。天皇はそうした戦略の実相によく通じていた。戦時中の一元化された「国体」に沈黙を守った天皇が、戦後は封印を破ったように、平和と復興を語り、津々浦々を巡ったのは、天皇の日本とマッカーサーのアメリカという二元的な戦略空間の中でなら、聖なる無頓着が許されると判断したからだろう。

■因縁深い肉親の死と、消えた「天皇退位」の可能性
 
 1951(昭和26)年5月、貞明皇后が大宮御所で急死した。モンペをはいて、奉仕団の人々への挨拶に出たところだったという。享年66歳、死因は狭心症だった。知らせを受けて、高松宮や三笠宮ら、療養中の秩父宮を除く兄弟はすぐに駆けつけたが、昭和天皇は連絡がうまくつかなかったのか、かなり遅れて到着したもようである。

 天皇はこの年、亡くなった「母」をいくつかの歌に詠んでいる。

母宮のめででみましし薯畑ことしの夏はいかにかあるらむ
あつき日にこもりてふとも母宮のそのの畑をおもひうかべつ

 一時は近づくことさえ怖れた強烈な人物を「母」と呼ぶことができるようになったのは、敗戦後のことである。その母が自らつくった畑を思いやる息子の、安堵にも似た哀悼が穏やかな調べをつくり出している。「母に嫌われる子」の悲哀を知った日はすでに遠くへ去ろうとしていた。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_3.JPEG
秩父宮雍仁(やすひと)親王の逝去に、鵠沼の別邸へ駆けつけた昭和天皇と香淳皇后。左後ろは高松宮=1953年1月
 
 1953(昭和28)年1月には、秩父宮も亡くなった。享年50歳。1940(昭和15)年に肺結核と診断され、翌年より静岡県御殿場で療養生活を送っていたが、死の前年には神奈川県藤沢市の鵠沼別邸に移っていた。秩父宮は、亡くなる前に、自身の病理解剖と無宗教の葬儀と火葬を望んだ。いずれも皇族の死において前例のないことだったが、天皇は承諾した。兄は、発病から13年間、一度も弟を見舞うことはなかった。歌を詠んだのは、40日後の2月12日だった。
 
鉢の梅その香もきよくにほへどもわが弟のすがたは見えず

 二人の因縁深い肉親の死をはさんで、1952(昭和27)年11月には、皇太子明仁の成年式と立太子礼が行われ、皇太子が次代の天皇であることが明確になった。またその前日には、翌年行われるエリザベス女王の戴冠式に天皇の名代として出席することも発表された。メディアは皇太子を「日本のホープ」と呼び、戦後復興のうねりと共に、ロイヤルファミリーの世代交代が進んでいくことを寿いだ。

 そしてこの年、天皇の退位という「もうひとつの可能性」が消えた。

 「退位」への意向は敗戦後、3度示されたと言われている。1度目は連合軍の進駐直後。木戸幸一内大臣に対し、自身の退位によって戦争責任者の引き渡しを避けえないかと相談したという記録がある。木戸はこれに反対している。2度目は、1948(昭和23)年10月から11月にかけて、東京裁判の判決の前後である。宮中・政府内でも退位問題は頻繁に論議されたが、次第に沈静化した。退位によって高松宮や貞明皇后が浮上する可能性を天皇が警戒したためともいわれる。

 3度目が講和条約の発効した1952(昭和27)年4月28日だった。天皇は吉田茂首相にその意向をもらしたが、吉田はとりあわなかった。また退位に代えて皇祖皇宗と国民に対する「謝罪」の言葉を述べるという案もあったようだが、吉田はこれにも反対した。

 以後、天皇が「退位」について語ることはなかった。
 
■「転向」をやり遂げた昭和天皇とファミリー
 
 昭和天皇は1950年代の半ばには、自ら思い描いた「安定軌道」を手に入れたように見える。憲法による身分保証と米国による安全保障によって、天皇がもっとも重視していた皇統の維持・継続の道が確保されたからだ。
 
 占領の全期間にわたって、天皇はこの至上命題のためにあらゆる努力を惜しまなかった。上に述べたように、その努力はときに果敢なリアリストの相貌を天皇に与えた。彼が影響力を行使した相手はマッカーサーや吉田茂だけではない。驚くべきことに、講和条約が日程に上った1950(昭和25)年、天皇はその二人を“バイパスして”ワシントンに直接つながるパイプさえ模索していた。
 
 トルーマン大統領から対日講和問題の担当を命ぜられたダレスは、6月に来日すると、のらりくらりと再軍備問題をはぐらかす吉田に呆れ、激怒した。これを知って天皇の危機感は募った。吉田に講和や安全保障の問題を任せておくわけにはいかない。対米交渉の最強の切り札である基地の提供は日本から持ち出すべきカードである――この意向は、宮中の側近と米国ジャーナリストを通じてダレスに届いた。サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約のセットは、ここをひとつの起点としてデザインされていったのである。
 
 惨めな敗戦を乗り越え、天皇制が戦後に生き残ったのは、天皇とそのファミリーがみごとな「転向」をやり遂げたからだ、と私は考えている。鶴見俊輔をまた引けば、「敗戦は、日本人全体にとって普遍的な転向体験をもたらした」(久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』、1956)が、天皇はその先陣を切って、「転向」こそ「国体」の生命力となることを示した。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_4.JPEG
新憲法公布記念の祝賀都民大会で、群衆に囲まれて歓呼に応える昭和天皇と香淳皇后=1946年11月3日、皇居前広場
 
 天皇はまず民主主義を受け入れた。1946(昭和21)年11月3日、日本国憲法公布記念式典の勅語で、戦争放棄・世界平和・人権尊重・民主主義の実現に向け、「国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたい」と宣言した。
 
 もうひとつの未遂の「転向」は ・・・ログインして読む
(残り:約3725文字/本文:約6589文字)
 
 

連載 昭和天皇とダブルファンタジー
1 1945年のツーショット――勝者と敗者の表情 2019年01月15日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019011500006.html
2 昭和天皇はマッカーサーに戦争責任を認めたのか? 2019年01月23日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019012300004.html
3 「東条にだまされた。しかし…」という天皇の論理 2019年02月05日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019020400005.html
4 「昭和天皇の力になる」マッカーサーへの眼差し 2019年02月15日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019021400008.html
5 昭和天皇の巡幸が巻き起こした熱狂 2019年02月18日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019021800006.html
6 見える天皇と見えない司令官の密かな共演 2019年02月25日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019022500005.html
7 昭和天皇はどこから来たか――日露戦後と乃木希典 2019年03月18日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019031800005.html
8 昭和天皇の欧州への親近感と大正デモクラシー 2019年04月05日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019040500004.html
9 昭和天皇がヒドロゾアと粘菌にのめりこんだ理由 2019年04月09日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019040900005.html
10 昭和天皇と母との不仲、弟たちとの対立関係 2019年04月11日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019041100008.html
11 昭和天皇の根拠なき「逆接のメッセージ」 2019年04月29日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019042500015.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/276.html

[政治・選挙・NHK260] 本日退位する天皇夫妻が客観的に果たした役割とは (澤藤統一郎の憲法日記)

本日(4月30日)をもって天皇(明仁)が退位する。明治につくられた制度を伝統という保守派からみれば、明らかに伝統に背いての退位である。憲法尊重派からみれば、国政に関する権能を一切有しないはずの天皇が、自らの意思で皇室典範特例法を制定せしめるという越権行為を行っての退位である。

旧皇室典範(1889年2月11日制定)第2章「踐祚即位」は、下記の3ケ条からなる。
 10条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク
 11条 即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ
 12条 踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ

これが、天皇の生前退位を認めず、一世一元の法的根拠だった。なお、「明治元年ノ定制」とは、1868年「行政布告第1条」のことだという。

現行皇室典範(1947年1月16日制定)ではこうなっている。
 第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
 第24条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。

皇位承継の要件は、旧皇室典範と同様、天皇の死のみである。したがって、天皇生前の、退位も皇位承継も想定されていない。

にもかかわらず、現天皇は生前の退位を希望し、内閣と国会を動かして生前退位を実現した。いわば、ロボットが自らの意思をもってロボット操縦者を逆に操ってしまったのだ。これは、由々しき事態と言わねばならない。

この2代目象徴天皇が高齢を理由とする生前退位の意向を表明したのは、2016年8月8日。NHKテレビに、ビデオメッセージを放映するという異例の手段によってである。「玉音放送」を彷彿とさせる。

天皇はそのビデオで、「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」と語っている。

天皇自らが、「象徴の努め」の内容を定義することは明らかに越権である。しかも、国事行為ではなく「象徴の努め」こそが、天皇の存在意義であるかのごとき発言には、忌憚のない批判が必要だ。憲法学のオーソドックスは、天皇の行為を「憲法が限定列挙する国事行為」と、「純粋に私的な行為」とに2分して、その間にある曖昧な、「公的行為」の範疇を認めないか、認めるにしても可及的に狭小とすべく腐心してきた経緯がある。さらに、法改正を必要とする、天皇の「8・8メッセージ」が、内閣の助言と承認のないまま発せられていることには驚かざるを得ない。

ところが世の反応の大方は、憲法的視点からの天皇発言批判とはならなかった。「陛下おいたわしや」「天皇の意向に沿うべし」の類の言論が跋扈した。リベラルと思しき言論人までが、反安倍の立場も交えて、天皇への親近感や敬愛の念を表白している現実がある。憲法を超越する天皇という存在の危険性を見せつけられた感を禁じえない。

象徴としての行為を積極的に行う天皇」とは、客観的にどのような役割を担うことになるのだろうか。本日(4月30日)の「沖縄タイムス」社説の次の一節が示唆的である。

「陛下は皇太子時代に5回、天皇に即位してから6回、こ
れまでに計11回、沖縄を訪問している。沖縄の文化にも
深い関心を示してきた。行動の持続と考え方の一貫性、沖
縄に向きあってきた真摯な姿勢は疑う余地がない。
 沖縄タイムス社と琉球放送が27、28の両日、実施し
た県民意識調査によると、天皇の印象について「好感が持
てる」と答えたのは87・7%に達した。沖縄の人々のわ
だかまりが溶けつつあるともいえる。両陛下の「国民に寄
り添う姿勢」は、沖縄においても好感を持って受け入れら
れている。
 被災地を訪ね、ひざをついて被災者を励ます姿は、悲し
みや憂いを共有する思いがにじみ出ていて、忘れがたい印
象を残した。「好感が持てる」と答えた人が9割近くもい
たということは、こうした行動の全体が評価されていると
みるべきだろう。」

天皇が沖縄を11回訪問して、沖縄の現実は何か改善しただろうか。沖縄タイムス社説の表現を借りれば、「依然として戦後が清算されず、民意に反して辺野古埋め立てが進み、基地被害が絶えない」という現実なのだ。これに続く言葉が意味深である。「だからこそ、沖縄にとって、(天皇夫妻の)寄り添う姿勢が身にしみる-という側面もあるのではないか。」

同社説は、「状況の悪化を肌で感じていることと、天皇評価の好転とは、別の問題である。」と結んでいるが、もっとはっきり言わねばならない。

天皇夫妻の沖縄訪問が果たした客観的役割とは、こういうものだ。

「沖縄の矛盾を覆い隠し、県民の怒りや不満を、なんの解決もせぬまま宥和するだけのものであった。沖縄を捨て石にした本土政府は、戦後も一貫して沖縄に基地負担を押し付け続けてきた。平和を願う県民は、本土政府やその背後のアメリカ政府に、果敢に抗議の闘いを挑み続けてきたが、天皇夫妻の役割は、その闘いを励ますものではなく、反対に県民の抗議の行動を封じ込める安全弁として機能してきたのだ。客観的には、政権の沖縄政策の貫徹を補完するものに過ぎなかった」

沖縄に限らない。天皇夫妻は、取り残された地域や人々を訪問して、言葉をかけ祈るという行為によって、格差や分断という社会の矛盾を覆い隠し、底辺の人々の不満をなんの解決もせぬままに宥和して、政権への要求行動に立ち上がろうとする人々を制し、失政に対する国民の追及や政権に対する抗議の行動を起こさぬように封じ込める安全弁として機能してきたのだ。

明日(5月1日)から、新しい天皇が、現天皇と同じ行動を続けることになるだろう。「祈る天皇」や「寄り添う天皇」を、ありがたがってはならない。むしろ、厳しく警戒しなければならない。けっして褒めそやしてはならない。
(2019年4月30日)

http://article9.jp/wordpress/?m=201904
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/286.html

[政治・選挙・NHK260] テレビ、新聞の報道管制(自主規制、忖度、あるいは強制)に断固抗議する!(ちきゅう座)

2019年5月1日
<山川 哲(やまかわ てつ):ちきゅう座会員>

昨日、今日の新聞紙面、テレビ(特にNHK)の放送予定欄を見て「ゾッと」した。これではまるで、戦時中の「大本営発表」ではないか。

言わずと知れた「天皇報道」である。

NHKはほぼ一日中、民放も日頃の「おちゃらけ番組」の頭に「平成」だの「令和」だのをくっつけて、にぎにぎしく「お祭り騒ぎ」をしている。

これには日本人(日本人は決して単一民族ではなく、アイヌの人や沖縄の人たちも、あるいは中国、朝鮮半島から来た人も入り混じって住んでいる)は、すべからく「天皇の儀式を祝うべきだ」という強制が働いていることが明らかに見て取れる。そのために、否応なしに全てのメディアに協力させているとしか思えない。「国策」であり、それ自体が「特定の政治、心情の押し付け」を禁じた憲法違反である。

何人かの友人、知人に意見を聴いてみた。一様にあまりのひどさに呆れ果てていた。ほとんどの友人らが、テレビは見たくない、新聞はそれ以外の記事を読むだけだという。

メディア報道からすれば、大半の日本人がこのセレモニーを喜び、歓迎しているかのように報じられている。本当であろうか?大いに疑問をもつ。

沖縄では、住民の7割以上が反対している「辺野古基地建設・移転」が「日米地位協定」を固守したまま(つまり、占領支配体制が維持されたままで)強行されようとしている。

福島原発事故は、8年間が過ぎても未だに十分な調査、補償がなされないまま、また当時子供であった人々への健康管理なども不十分なままに、上っ面だけの「事故処理完了」「帰還オーケー」という誠に無責任な「見切り発車」の号令が出されている。

事故を起こした当事者の東電は、ここ数年は黒字経営だというから驚きだ。

今日の日本社会は、格差の拡大から来るひずみ(犯罪や事故などに端的に現れている)がますます顕著である。親が子を殺し、子が親を殺すという、実におぞましい出来事がひんぱんに起きている。ダンテの『神曲』の「地獄篇」や仏画に現れる「地獄」の物語、否それ以上の「地獄絵図」が実際に展開されている。児童の6人に一人が貧困だとも言われている。こういうことを書き始めると収拾がつかないほどだ。

のんびり休暇を楽しんでいるのは、国民全体のほんの一部だけとも言われている。日本国の大臣と呼ばれている輩は、国会での「居眠り」から解放されて、今度は外国旅行で贅沢三昧(国税を使って)を決め込んでいる。

本当に天皇報道以外にわれわれが知るべきニュースはないのだろうか?世界はどうなっているのか?のんびり外遊している輩には何も分からない。

この危うい「報道管制」が将来的に何を意味するかをもっと真剣に考えるべきではないのか。次に来るのは「憲法改悪」へ向けた政治宣伝である。

一元的な「天皇報道」はそのための下準備である。

故安丸良夫先生(一橋大学名誉教授)が、かつて言われていた。 「天皇が平和主義者であるとか、民主主義者であるとか、庶民の味方であるとか言って喜んでいるが、その地位の維持のために年間何十億円もの税金が使われていることを忘れてはならない。天皇一家にしても、今の地位保全のためには、その程度のサービスは当然のことと思っているはずだ」

確かに、安倍政権による「天皇の政治利用」もありうる。しかし、もっと根本的に考えるべきなのは、「天皇制」が、高額の国税を使って維持され、さらに今回のような「憲法違反」を犯してまで「天皇家の私的行事」の「国事行為化」が強行されること、この事をわれわれは見過ごすべきではないだろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/ 
〔opinion8606:190501〕

http://chikyuza.net/archives/93366
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/310.html

[政治・選挙・NHK260] 「令和」初の参院選を「春の陣」から展望すると  「勝者なき」統一地方選から見えてきた与野党それぞれの弱点と可能性  (朝日新聞社 論座)
  
「令和」初の参院選を「春の陣」から展望すると 
「勝者なき」統一地方選から見えてきた与野党それぞれの弱点と可能性
 
前田直人 朝日新聞世論調査部長
論座 2019年05月01日 より無料公開部分を以下転載。 
 
 
■行き場の定まらない気流が渦巻いている
 
 勝者はいったいどの政党なのか、判然としない。一つの方向に何かの強い風が吹いているわけでもなければ、完全無風とも言い切れない。行き場の定まらない奇妙な気流が、渦巻いているような感じがする。

 それが、12年に一度、統一地方選と参院選が重なる2019年、「亥年選挙」イヤーの「春の陣」を振り返っての印象である。

 自民党は統一地方選前半戦で行われた知事選で、唯一の与野党全面対決の構図となった北海道知事選を制したかと思えば、後半戦と重なった衆院大阪12区・沖縄3区補選はいずれも敗北。大阪府知事・大阪市長の「大阪ダブル選」や大阪12区補選に連勝し、脚光を浴びた維新だが、関西以外ではいまひとつ存在感を示せず、地域限定政党としての性格をいっそう強めたという見方もできる。

 一方、安倍政権に対抗する野党は、野党共闘の枠組みを築いた北海道知事選で大敗。沖縄3区補選は野党系が勝利して面目を保ったが、立憲民主党と国民民主党に分かれた旧民進系の見せ場は乏しかった。議会選では、首都圏などの大都市部を中心に立憲の躍進がみられる一方、地方では民進組織を引き継いだ国民の底堅さが目を引き、2017年の党分裂の後遺症をきわだたせた観もある。

 地方選や単発の国政補選は地域事情に左右されやすいのは事実だ。しかし、政党が有権者の支持動向にどのような影響を与えることができたのかを分析することは、各党ともに国政の一大決戦となる「夏の陣」に向けて戦略を練るうえでの必須の作業となろう。

 「春は、どの政党にとっての『勝ち』なのか、よくわからない結果になる。すべては連休明けの状況次第だ」。選挙前に旧知の自民党関係者が予言していた通りの結果となった勝者なき「春の陣」。亥年の参院選は、統一地方選で地方組織が力を使い切り、自民が苦戦するというジンクスもある。地力にまさる与党も、油断は禁物というところだろう。

 予断を持たないように意識しつつ、この間の調査データをながめながら、与野党のアキレス腱と可能性について探りたい。

■有権者の関心が低かった「春の陣」
 
 「春の陣」の結果を検討するうえで、留意すべきポイントがある。それは、総じて有権者の関心が低く、投票率が過去最低を更新する選挙が相次いだという点だ。
 
 投票率が低くなれば、当然、組織化されていない無党派層の影響力は限定的になる。政党の地力、すなわち「岩盤」の厚みを測るには適しているが、いまや全体の半数近くを占める最大勢力に発達した無党派層の重みが枠外に多く存在することは、常に意識しておかなければならない。

 そこで、その無党派層がこの春の決戦でどう動いたかを、注目度が高かった北海道知事選、沖縄3区補選、大阪12区補選で朝日新聞社が行った出口調査の結果からピックアップしてみよう。

▽北海道知事選(投票率58.34%)
無党派層の59%が自公推薦の鈴木直道・前夕張市長へ、41%が野党系の石川知裕・元衆院議員へ→自公系・鈴木氏に軍配。

▽衆院沖縄3区補選(投票率43.99%)
無党派層の79%が無所属で野党系の屋良朝博氏へ、21%が自民の島尻安伊子・元参院議員へ→野党系・屋良氏に軍配。

▽衆院大阪12区補選(投票率47.00%)
無党派層の35%が無所属の樽床伸二・前衆院議員(旧民進党出身)へ、34%が維新の藤田文武氏へ、22%が自民の北川晋平氏へ、9%が「野党共闘」をアピールした無所属の宮本岳志・前衆院議員(共産党出身)へ→維新・藤田氏に軍配。

■勝負を決めた無党派層の動向

 この三つの選挙で、当日の出口調査での投票者に占める無党派層の割合は、北海道が2割、沖縄3区が4割、大阪12区が2割だった。沖縄は国政野党系が県政与党、大阪は維新が府政与党という独特な地域事情はあるが、無党派層の動向がそれぞれに決め手となっていることがわかる。
 
 北海道は立憲の地力が比較的しっかりしていることで知られるが、道内の政党支持率をみると、それでも与野党の差は大きい。知事選の情勢調査にあわせて行った道内世論調査では、自民党27%、立憲9%、公明4%、共産4%。無党派層は5割超に及んでいた。
 
 世論調査は投票に行かない有権者も対象に含むため、選挙結果とは隔たりがあるものだが、野党が自公を崩すためには、野党支持層を固めきり、自公支持層にも一部食い込み、無党派層を引きつけて投票所に足を運んでもらうしかない。しかし、今回の知事選で野党勢力はそれぞれの支持層すら十分に固められず、頼みの綱の無党派層でも後れをとった。

 対照的なのは沖縄3区補選である。沖縄県内でも政党支持率のナンバーワンは自民党。ただ、沖縄3区内の世論調査では、自民16%、共産4%、社民4%、公明3%、立憲1%、国民1%、自由1%と既成政党支持層がかなり薄く、かわりに無党派層が7割と大きなかたまりを形成していた。

 しかも、沖縄の無党派層は積極的に投票に行っていた。自民と公明がいくら自らの支持層を固められたとしても、これだけボリュームのある無党派層で差をつけられたら、ひとたまりもない。しかも争点は明確で、世論調査でも出口調査でも、投票の際に重視したのは「基地問題」が最多だった。自公にとっては、抜け出そうにも抜け出せない「アリ地獄」のような状態である。

■鉄壁に見える「自公共闘」にももろさ
 
 北海道や沖縄とはまた違う独特な趣が感じられたのが、混戦となった大阪12区補選である。維新の強さは言を俟(ま)たないが、与野党ともに参院選では必須となる「自公共闘」と「野党共闘」における課題を抱えていると思う。

 この補選は、大阪12区を制してきた自民党の北川知克氏の死去に伴うもので、北川氏の甥・晋平氏が立候補。自民は「弔い合戦」で議席死守を狙ったが、統一地方選前半戦の大阪府知事・大阪市長ダブル選挙で圧勝した維新の勢いに押され、手痛い敗北を喫した。
 
 大阪で自公は府政野党である。全国の多くの地域で、野党が自公に勝つには、無党派層で優位に立つ必要があるのと同じように、大阪で維新に自公が打ち勝つためには、無党派層の獲得が不可欠な条件だった。もともと大阪の無党派層は、やや反維新よりの傾向があるからだ。

 だが、自公×維新×旧民進出身×共 産出身の野党系という複雑な構図となったことで、反維新票は分散。自公候補が無党派層を味方に付けることができなかったことで、勝機は断たれた。それどころか、当日の出口調査をみると、自公支持層すらも7割に満たない歩留まりに終わっていた。

 無党派層を奪われた勢いを受け、自らの支持層も崩れていくという現象は、自公が敗北するときの定型パターンである。大阪も沖縄も「地域の特殊事情」と総括する向きもあるが、鉄壁にみえる自公協力も、逆風にさらされるともろくも崩れていくということを示す事例として、一定の普遍性をもっているととらえた方がよいだろう。

■課題だらけの「野党共闘」
 
 だが、より大きな課題を突きつけられたと感じるのは、野党共闘のあり方である。そもそも大阪12区補選では、自公VS維新の激突にはじかれ、入り込む隙間も見つけられないまま、ゲームオーバーとなった。

 「野党統一候補」をめざした宮本氏は衆院議員を辞職し、共産党公認ではなく無所属で立候補して、選挙運動でも「ホンキの共闘」をアピール。共産と自由が推薦したほか、自主投票を決めていた立憲や国民の国会議員、幹部らも応援や激励に駆けつけた。しかし、結果は最下位で、相対得票率は一桁にとどまった。

 当日の出口調査では、野党支持層は少なからず旧民進出身の樽床氏に流出し、無党派層の支持は1割足らず。とりわけ目を引いたのは、夏の参院選で野党共闘を「進めるべきだ」と答えた層が5割超に達していたのに、そのうち宮本氏に投票したとの回答が10%にとどまったことだ。

 これまでの世論調査をみても、野党は協力すべきだと考えている有権者は少なくない。ただ、決してそれが最優先というわけではない。有権者が選挙で重視するのは、一貫して社会保障と経済政策が不動のツートップ。野党共闘という「手段」を対外的にアピールしたところで、多数の有権者の心に響くわけでもない。
 
 今回の「春の陣」で見えてきたそれぞれの弱点は、「夏の陣」に続く共闘戦略の課題となる。国政野党が前面に立たずに、政策的争点を前面に掲げて、裏方として候補者を押し上げていく衆院沖縄3区補選をひとつの「共闘モデル」にしようとの呼びかけが、立憲や国民の幹部らから出ているのは、そうした問題意識の表れだろう。

 夏の参院選のカギを握るのは、32ある1人区である。ここを与野党どちらがとるかで、「オセロゲーム」よろしく様相は一変する。ただ、自公にせよ、野党にせよ、共闘は勝つために必要な手段には違いないが、それだけで勝てるわけではない。無党派層の心をどうつかむのか。そのための政策とメッセージを練り上げ、それをどのように効果的に打ち出していくか。そこが、大型連休明けの大きな課題となる。

■「野党的無党派層」を引きつけられない野党
 
 「カギを握るのは無党派層」。これは、平成時代の選挙を通じてずっと指摘されてきたことではある。しかし、ここでそれをあらためて強調するのは、野党第一党の支持率がかつてないほど低迷していることの裏返しとして、無党派層が過去最大級のレベルで高止まりしているからだ。

 その無党派層における内閣支持率をみてみよう。

 統一選前半戦直後に朝日新聞が行った4月の全国世論調査の内閣支持率は、支持44%、不支持32%。これを無党派層に限ってみると、支持23%、不支持39%と逆転する。財務省の公文書改ざんが発覚し、支持率が大幅に下落した2018年3月の調査にさかのぼると、全体では支持31%、不支持48%だったが、無党派層では支持12%、不支持58%と大きな差が開いた。

 無党派層の性格として、全体よりも政権に厳しい視線を送る人が多いということができるだろう。野党のかわりに、無党派層のほうが「野党化」の傾向を強めているのだ。

 だが、今のところ、 ・・・ログインして読む
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https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019042500009.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/311.html

[政治・選挙・NHK260] 見たくなかった安倍訪米~甘すぎる対米貿易交渉 (朝日新聞社 論座)
  
見たくなかった安倍訪米~甘すぎる対米貿易交渉
お土産をどっさり持って行く、与えるだけの外交。トランプに近すぎるのは危険だ

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
論座 2019年05月01日 より無料公開部分を以下転載。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000007_4.jpeg
両陛下、最後の皇居外公務=2019年4月26日、東京都千代田区の憲政記念館
 
■平成への肯定感
 
 平成が終わった。

 昭和という時代については、国民は肯定と否定の相混ざった複雑な気持ちを持っていたはずである。戦後の焼け跡から復興し、高度成長を実現した経済的な繁栄があった半面、戦争で多くの人が命を落としたり、親兄弟や家・財産を失ったり、悲惨な思いをしたからである。

 平成にも、バブル崩壊やリーマンショックなどの経済危機に加え、雲仙・普賢岳噴火、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨など多くの自然災害に見舞われた。しかし、国民の多くは、平成に対して肯定的な見方をしているようだ。

 それは、平成の天皇・皇后両陛下が、平和・不戦への思いを強く持たれ、沖縄・サイパンという先の大戦で大きな悲劇を生んだ地域を訪問され、哀悼の意を表明されたことや、災害の被災地には真っ先に訪問され、住民を励まされたことなど、言葉だけではなく行動によって示されたことに、国民は感謝しているからである。

 「両陛下には長い期間国民に寄り添っていただいて感謝ばかりです」という4月30日皇居を訪れた人の言葉に、多くの国民は同じ思いを共有するに違いない。
 
■見たくなかった安倍訪米

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000007_1.jpg
首相官邸のホームページより
 
 その一方で、今度の連休初めには、あまり見たくない光景を目にした。安倍総理の訪米である。
 
 朝日新聞は、安倍総理がともにゴルフをするなどトランプ大統領にべったりくっつくさまを、抱き付き外交と形容した。

 その一方で、短い期間に日米の首脳が3度も会合することを、日米関係が良好なことを示すものだと手放しで評価している人もいる。

 しかし、頻繁に会うことは、外交関係が良好であることを示すものではない。むしろ、問題が生じているほうが、頻度は高くなる。ブレグジット問題で危機に陥ったイギリスのメイ首相は、EUのユンケル欧州委員会委員長やトゥスク大統領とたびたび会合を持たざるを得なかった。

 トランプ大統領も、安倍総理の訪米で、ことのほか上機嫌になったようである。

 先ほど公表された報告書で、2016年大統領選のロシア介入疑惑を捜査してきたムラー特別検察官を解雇するよう関係者に圧力をかけたなど、司法妨害をしたのではないかという疑いがもたれ、民主党内からは大統領を弾劾すべきだという声もでてきている。そのなかで、安倍総理によいしょされたことは、ひさびさに嬉しい出来事だったに違いない。

■どっさり持って行ったお土産
 
 しかし、安倍・トランプの仲が良くなって、日本に何か良いことがあるのだろうか?

 かつて中国がアジアの大国だったころ、中国は周辺国からの朝貢外交を「薄く来りて厚く帰る」と表現していた。中国は周辺国が持ってくるお土産をはるかに上回る価値のお土産を持たせて、帰国させるというのである。

 安倍総理の訪米を朝貢外交と呼ぶのは適切ではないかもしれない。アメリカは世界一の経済大国である。昔の中国なら、日本が持っていったお土産を上回るお土産を安倍総理に与えて帰国させたはずである。

 しかし、報道に接する限り、安倍総理はたくさんのお土産を持って行ったのに、ほとんど何も持たずに帰ったようである。

 記者会見でトランプは日米の貿易交渉は5月にも終了するといって、最低限参議院選挙後に妥結させたい安倍総理を慌てさせた。しかし、こうした発言をするには、その前提として安倍総理から相当な譲歩・言質を得ているに違いない。

 また、その直後に開かれた集会では、トランプは支持者に対して、安倍総理はトヨタなどの日本企業がアメリカの自動車工場に400憶ドル(4兆6千億円相当)の対米投資を行うと約束したと発言している。本当なら、かなりのお土産である。

 世界一の金持ち国家に与えるだけ与えて、自らは何ももらわずに帰るというのでは、金持ちアメリカがますます金持ちになって、日本はますます貧乏になるだけではないだろうか。これでは、昔の中国のほうがはるかにましだ。
 
■与えるだけの日米貿易交渉
 
 日米の貿易交渉では、首脳間で交渉の加速を合意したり、茂木担当大臣は日米両国の「ウィン・ウィンとなる成果の早期実現」を目指すなどと発言したりしている。

 TPP11や日EU自由貿易協定の発効で、農産物関税で不利になっているアメリカとしては、交渉を加速して早期に妥結することで、カナダ、オーストラリア、EUなどとの競争条件の不利性を一刻も早く是正したいのは、当然である。

 しかし、日本としては交渉を急ぐ必要は全くない。それどころか、この交渉をしなくても今まで通りアメリカに自動車などを輸出できる。日本としては交渉自体行う必要がなかったのである。

 また、今行われている交渉の、どこが「ウィン・ウィン」の関係なのだろうか?

 日本がアメリカの農家のために農産物関税を引き下げることは、アメリカにとって「ウィン」である。しかし、アメリカが安全保障を理由として自動車の関税をWTOに約束した以上に引き上げることは、日本もEUもWTO違反であるという考えである。これをアメリカがやらないといったとしても、それはWTO違反のことはしないという当然のことであり、日本にとって何の「ウィン」でもない。また、アメリカは金融政策を縛りかねない為替条項の導入も要求している。

 これに対して、日本側が、自動車関税(通常車2.5%、トラック25%)の即時撤廃や鉄鋼やアルミに対して安全保障を理由として行った関税引き上げの撤回を要求したという話は、一切聞かない。つまり、日本としては与えるだけで、見返りを全く要求しない交渉となっている。

 交渉はギブアンドテイクだが、今回の交渉は日本のギブアンドギブ、アメリカのテイクアンドテイクとなる。もちろん、アメリカにとって「ウィン・ウィン」であり、日本にとって「ルーズ・ルーズ」である。

 アメリカの元通商代表部関係者による驚くべき分析を読んだ。アメリカ連邦議会は、農業だけとか物品だけとかの協定ではなく、サービス等も含めた包括的な自由貿易協定を要求している。そうでないと承認しないというのである。しかし、この元通商代表部関係者によれば、議会承認を得ない道も可能だというのである。

 アメリカの関税を下げるというのであれば、連邦議会の承認は必要となる。しかし、日本が一方的に日本の農産物の関税を引き下げるだけなら、アメリカの政策に変更はないので、連邦議会の承認は要らないというのである。つまり、日本だけが譲歩するなら、可能だというのだ。

 もちろん、日本が関税を下げることについては、日本の国会の承認が必要となる。彼は、日米の双務的な協定ではなく、日本だけが義務を負担する片務的な協定なら議会承認が不要だと言っているのである。これほど日本を馬鹿にした分析はない。

 私はこのような分析に怒りを覚えた。しかし、今の交渉の図式はこの分析のとおりであり、そのような分析を行う土壌を日本政府が提供しているのだ。


https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000007_3.jpeg
トランプ米大統領(右)との首脳会談に臨む安倍晋三首相=2019年4月26日、ワシントンのホワイトハウス
 
■アメリカに甘すぎる日本政府
 
 日本の政府関係者は、農産物でTPP以上の譲歩をアメリカが求めないことにしたことを、交渉上の勝利だと考えているようだ。

 しかし、これは「負け犬根性」から抜けきれないことを示すものに他ならない。すでに、何度も指摘しているように、今回の日米交渉では、日本が圧倒的に有利な立場にある。アメリカがTPP以上の譲歩を求めることは絶対にありえない。

 日本が受け入れられない要求をして、交渉が長引けば長引くほど、カナダ、オーストラリア、EUなどとの関税格差は拡大してしまう。また、早く合意しないと、来年に迫ったアメリカ大統領選挙でトランプは中西部を失い、落選する。連邦議会の承認手続きなどを考慮すると、今年中に合意しなければならない。

 土下座してでも交渉を早くまとめたいと切羽詰まっているのは、アメリカである。

 TPP水準の関税をアメリカに認めるのも、日本がアメリカに関税を下げるのであり、日本にとって譲歩である。これを、よくぞTPP水準で納めてくれた、アメリカが日本に譲歩してくれたと受け止めているなら、日本政府は、とんでもないお人好しである。

■TPP参加国に顔向けできるのか?
 
 そもそも、勝手にTPPから離脱して、自ら苦しい状況になっているのは、トランプである。

 また、これによって日本はTPP11交渉をやり直すという手間もかけさせられた。カナダ、オーストラリア、ベトナムなどのTPP参加国は、日本に付き合ってTPP11を締結してくれた。

 これらの国と同じ条件をアメリカに認めてよいのだろうか? 

 TPP参加国の代表として、アメリカにペナルティを課すくらいのことは、すべきではないだろうか?

 それだけではない。もし日米の貿易協定が結ばれ、アメリカ産農産物の日本市場での不利性がなくなれば、アメリカがTPPに復帰するインセンティブはなくなってしまう。

 ベトナムはアメリカの繊維市場でのアクセス拡大を見返りとしてTPP協定での国有企業への規律導入を受け入れた。日本はTPP11にベトナムを参加させるために、いずれアメリカもTPPに復帰しアメリカの繊維市場でのアクセスが得られるはずだと、ベトナムを説得したはずである。

 TPP離脱という問題行動を起こしたトランプには媚びへつらい、日本の説得には応じてくれたベトナムの利益は無視するという態度を日本国民はとってよいのだろうか。
 
■トランプに近すぎる危険

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000007_2.jpg
首相官邸のホームページより
 
 日本にとってもっと危険なことは、日本の総理がトランプと近すぎる関係を持つことである。
 
 日米貿易協定の早期妥結は、トランプにアメリカ大統領選挙で死活的に重要な中西部の農民票を獲得させるために、有利な材料を提供するということに他ならない。アメリカが日米貿易交渉を要求したのは、トランプの選挙対策として重要だったからである。

 これは民主党からすれば、敵対行為である。日本政府は、トランプが選挙で必ず勝つと考えているのかもしれない。

 民主党は多数の候補者の乱立で混乱しているように見える。しかし、 ・・・ログインして読む
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https://webronza.asahi.com/business/articles/2019043000007.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/314.html

[政治・選挙・NHK260] 「ニュース女子」問題は終わっていない 「フェイク」と「ヘイト」が結びついたテレビ番組が問いかけるもの (朝日新聞社 論座)

「ニュース女子」問題は終わっていない
「フェイク」と「ヘイト」が結びついたテレビ番組が問いかけるもの

松本一弥 朝日新聞東京本社編集局夕刊企画編集長、Journalist
論座 2019年04月30日 より無料公開部分を以下転載。


 哲学者の鶴見俊輔はかつてこう書いた。今、鶴見のことばを改めて思い起こしておきたい。

 すべて人間として生まれた者は、差別の対象とされてはなら
ない。これは、憲法起草委員会に最年少の委員として加わった
二十二歳のベアテ・シロタが書いた草案である。この草案は、
日本国憲法の最終案には活(い)かされていない。この欠落
は、日本の戦後史に残ったさまざまの差別を温存させ、また加
速させた。(注1)
 
■「重大な放送倫理違反があった」と認定された番組
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019040600002_1.jpg
東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が放映した番組「ニュース女子」に抗議する市民たち=2017年6月、東京都内、撮影 ふぇみん婦人民主新聞
 
 「フェイク」(偽)と「ヘイト」(憎悪表現)が結びつくケースは何も米国などだけで見られる現象ではない。日本でも数多くの事例が確認されているが、中でも沖縄の米軍基地反対運動を題材に地上波のテレビ局で放送された番組「ニュース女子」は多くの批判にさらされ、テレビ放送が抱える課題をいくつも露呈させる結果となった。一体、何が起き、何が問われたのか。問題点を改めて振り返り、検証してみたい。

 沖縄県東村(ひがしそん)高江の米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に反対する人々などを取り上げた番組「ニュース女子」(2017年1月2日放送)をめぐり、東京ローカルの地上波テレビ局である東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)は、「ウソを公共の放送で流した」「沖縄で基地建設に反対する人々の名誉や信用を傷つけて偏見をあおった」と厳しい批判を受け、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会からは「重大な放送倫理違反があった」と認定された末に2018年3月、番組の放送終了を発表した。番組の司会は当時東京新聞の論説副主幹だった長谷川幸洋氏が務めていた。

 さらに、BPOの放送人権委員会は同年3月、「ニュース女子」の中で人権団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)さんを「反対派の黒幕」と表現するなど、辛さんに対する名誉毀損(きそん)の人権侵害があったと認定した。番組放送後、辛さんのもとには脅迫メールや手紙などが相次ぎ、辛さんはドイツへの移住を余儀なくされた。

 東京メトロポリタンテレビジョンは辛さんに謝罪したが、番組を制作したDHCテレビジョンはBPOの意見を「言論弾圧」などとはねのけたため、辛さんは同年8月、番組を製作したDHCテレビジョンと司会を務めた長谷川氏を相手取り、計1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした(現在係争中)。他方、長谷川氏は「原告の不合理な個人攻撃によるジャーナリストとしての名誉信用毀損及び業務妨害等の被害に耐えてきたが、原告の行為はもはや許容しがたいもの」だとして2019年1月、辛さんを東京地裁に反訴した(同)。

■持ち込み番組を考査しなかったテレビ局
 
 「ニュース女子」は、有名な歌手を起用したテレビCMなどで知られる化粧品大手ディーエイチシーのグループ会社「DHCシアター(現・DHCテレビジョン)」などが取材・制作したものだ。東京メトロポリタンテレビジョンは制作には関与せず、DHC側から完成版の納品を受けるいわゆる「持ち込み番組」だった。東京メトロポリタンテレビジョンはその番組内容を放送前に適正に考査する必要があったにもかかわらず、それを怠った。他方、制作会社のDHCテレビジョンはその後も「ニュース女子」の制作を続け、放送を継続している。
 
 2017年1月2日に問題の「ニュース女子」が放送された直後から、市民有志とともに訂正と謝罪を東京メトロポリタンテレビジョンに求めて抗議活動を続けてきたフリーの雑誌編集者、川名真理さん(55)は「東京メトロポリタンテレビジョンは反省とおわびの見解を発表したが、DHCテレビジョンは裁判の中で依然として自らの正しさを主張している。番組も放送を継続中だ。『ニュース女子』問題はまだ終わっていない」と訴えている。
 
■「マスコミが報道しない真実」
 
 「ニュース女子」はどんな番組だったのか。

 まずはこの番組を審議したBPOの放送倫理検証委員会が2017年12月14日付でまとめた報告書「東京メトロポリタンテレビジョン『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に対する意見」や実際の映像をもとに番組の概要を振り返っておこう。

 CMを含め約19分間の番組は、取材VTRの冒頭、登場した「軍事ジャーナリスト」のこんな言葉で始まる。

 「実はですね、今大変話題になっております高江ヘリパッドの建設現場で、過激な反対運動が行われているということで、ちょっとこの現場ですね、どのようになっているのか、取材をするためにやってまいりました」。その後、画面には「軍事ジャーナリスト」の名前とともに「緊急調査 マスコミが報道しない真実」とのスーパーが流れる。そして映像は「いきなりデモ発見」とのナレーションとともに、抗議活動に参加している人々を映し出す。

 「軍事ジャーナリスト」は「いました、いました。反対運動の連中がですね、カメラを向けていると、もうあいつ、あいつだみたいな感じで、こっちの方を見ています」「このへんの運動家の人たちが襲撃をしに来るということをいっているんですよね」といいながら、抗議活動に参加する人々の方に近づいていく。画面には、「軍事ジャーナリスト」は「反対派にとって有名人」のスーパーが表示される。そして「このまま突っ込んで襲撃されないですか?」とのナレーションの後、「近く行く?」「これ近づいたら危ない危ない」というスタッフの声が入る。

■「反対派の暴力行為により、地元住民でさえ近寄れない」
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019040600002_3.jpg
沖縄県名護市の二見杉田トンネル
 
 続いて画面に「取材交渉」というスーパーが表示され、「自ら取材交渉へ」とのスーパーが出るが、「しかし、このままだと危険と判断し、いったん撤収」というナレーションが流れてスタジオは爆笑に包まれた。司会者が「なあんだ、情けないじゃん」というと、「軍事ジャーナリスト」は「もう近づくとね、1人、2人と立ち上がって、敵意をむき出しにしてきてかなり緊迫した感じになりますんで、ちょっとこのあたりでやめておきます」と語った。

 その後、番組は名護市内の米軍キャンプ・シュワブのゲート前付近などを映してから、名護市の二見杉田トンネルへ。その入り口に立った「軍事ジャーナリスト」は「このトンネルをくぐっていきますと、米軍基地の高江ヘリパッドの建設現場ということになります」と説明。

 その後、「地元関係者から、高江ヘリパッド建設現場が緊迫してトラブルに巻き込む可能性があるので、今回の撮影を中止すべきだとの要請があり、残念だがロケを断念してもらうことに」とのナレーションが入る。「軍事ジャーナリスト」は「私ははるばる羽田から飛んできたんですけれど、足止めを食っているという状況なんですよ」と語る。「反対派の暴力行為により、地元の住民でさえ高江に近寄れない状況」。ナレーションにはそう書かれていた。
 
■「足止めをくらった」トンネルから建設現場までの間にあるもの
 
 あたかも二見杉田トンネルから先が「地元住民でさえ近寄れない」ほど非常に危険なエリアになっているかのようなリポートだが、事実はどうか。

 「軍事ジャーナリスト」が「足止めをくらった」というこの二見杉田トンネルから高江のヘリパッドの建設現場までは約40キロ、直線距離にして約25キロ、自動車で1時間ほどの距離だ。この位置関係を、東京駅を起点に置き換えて考えてみれば、リポートのでたらめさが際立つ。フリージャーナリストの安田浩一氏が指摘するように「東京駅を起点とすれば、西は八王子、東は千葉までの距離に相当する。都心で起きた事件を千葉で〝立ちリポ〟する記者などいない。それでも同番組にかかれば『現場取材』となる」からだ(注2)。

 私も2回、現場に足を運んで取材した。

 二見杉田トンネルから高江のヘリパッド建設現場まではいくつものトンネルを通り抜けるが、その途中で目にするものを列記してみよう。道の両側を樹木が鬱蒼(うっそう)と生い茂る中、現れるのは多くの民家、リゾート施設、トレーニングセンター、学校、地区会館、飲食店、診療所、公民館、鮮魚店、そば屋、コーヒー園、ペンション、墓地など。要は地元の人々が穏やかに暮らすごくふつうの生活圏であることがわかる。

■テレビを見てその場でおかしさに気づけるか
 
 では、番組リポートのために取材したとされる2016年12月当時、「高江のデモは過激化」していて反対派が「何をしてくるかわからない」状況がほんとうにあったのか。

 この点について、現地で聞き取り調査を行ったBPOは、反対派から「おまえ誰や」「何しに来た」と罵声を浴びせられたとする番組制作会社の書面回答に触れ、結論として「取材目的・経緯からみて、あってしかるべき映像や音声の裏付けがない」と認定。取材VTRで「軍事ジャーナリスト」が述べている「『もう近づくとね、1人、2人と立ち上がって』『敵意をむき出しにしてきてかなり緊迫した感じになりますんで』という放送内容には、その裏付けとなるような客観的な事実が認められない」と判断した。

 BPOはまた、抗議活動に参加していて映像に映っていた3名を割り出し、全員に事実関係を確認した。その結果、3人は「抗議活動を批判するメディアが自分たちを撮影しに来たことがあったので、トラブルを避けるため仮に声をかけられてもむやみに応答しないことにしていた」と証言。また3人とも「撮影スタッフは自分たちに近づいて来ていない。取材交渉にも来ていない。軍人ジャーナリストは沖縄では有名ではなく、自分たちも軍事ジャーナリストのことを知らず、軍事ジャーナリストが近づいてきたことに気づかなかった」と話したという。

 この問題がやっかいなのは、このリポートを地上波テレビの画面でいきなり見せられた視聴者が「これは虚偽の内容ではないか」とその場で真偽を見抜くのは極めて難しいと思われる点だ。なぜなら「現場からのリポート」をうたう番組がこんな内容で構成されているとは、通常はなかなか考えにくいことだからだ。
 
■「重大な放送倫理違反があった」
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019040600002_2.jpg
東京メトロポリタンテレビジョン前で行われた第6回目の抗議風景=2017年2月、東京都内、写真 mkimpo
 
 BPOは、関係者らへの聴き取り調査などを実施した結果、以下のような結論をまとめた(一部を抜粋)。

●抗議活動を行う側に対する取材の欠如を問題としなかった
・番組制作者が〝抗議活動に日当を出している疑いのある組
織〟として指摘する人権団体およびその共同代表に対して取材
を行った形跡はまったく見受けられない
●「救急車を止めた」との放送内容の裏付けを確認しなかった
・本件放送が、抗議活動に参加する人々は反社会的な人々であ
るとする重要な根拠としているのは、地元住民のB氏による
「防衛局、機動隊の人が暴力をふるわれているので、その救急
車を止めて、現場に急行できない事態が、しばらく、ずーっと
続いていたんです」とのインタビュー内容である。しかし、本
件放送では、制作会社が消防や警察に対し、抗議活動に参加し
ていた人々による救急車の通行妨害の事実の有無を確認した形
跡はうかがえない。
●「日当」という表現の裏付けを確認しなかった
・本件放送では、基地建設反対運動に参加する人々が抗議活動
に対する手当としての「日当」をもらっているのではないかと
表現する根拠として、人権団体のチラシと2枚の茶封筒のカ
ラーコピーが用いられているが、(中略)このチラシと茶封筒
だけでは、基地建設反対運動に参加する人々が「日当」をも
らって運動しているのではないかと報じる十分な裏付けとなら
ないことは明らかである。
●「基地の外の」とのスーパーを放置した(略)
●侮蔑的表現のチェックを怠った(略)
●完パケでの考査を行わなかった
・本件放送に関してTOKYO MXが完パケでの考査を行わなかっ
たことは、大きな問題である。(中略)・本件放送では、スタ
ジオ収録部分のスーパーは考査後につけられ、考査担当者は
まったくチェックしていない。
 
 以上の内容から、BPOはこう結論づけた。

●委員会の判断~重大な放送倫理違反があった
・本件放送には複数の放送倫理上の問題が含まれており、その
ような番組を適正な考査を行うことなく放送した点において、
TOKYO MXには重大な放送倫理違反があったと委員会は判断
する。
 
■東京メトロポリタンテレビジョンがまとめた「主な反省点」
 
 他方、東京メトロポリタンテレビジョンは2018年8月、「主な反省点」をまとめた「当社見解」を公表。反省点として以下の点を挙げた(一部抜粋)。

◆「沖縄県における基地反対運動に携わる方は多岐にわたるに
もかかわらず、平和的に基地反対運動を行う方々までも包括し
て過激で暴力的な運動を行っているかのような印象を与える部
分など、視聴者に誤解を招く内容を含む部分について改稿の要
請を行わなかった点」
◆「事実関係について一部に裏付けが不十分な箇所があり、番
組の性格や種別に関係なく、放送局として、制作会社への再確
認など、裏付けに向けた努力を尽くさなかった点」
◆「放送用のテロップ等が挿入されたいわゆる『完パケチェッ
ク』を、時事ネタを冷めないうちに放送するために組まれた放
送までのスケジュールを優先し、省略した点などを挙げた。
 
 今後の態勢としては「考査体制を改め、テロップが入った『完パケ』考査の徹底を図るなどの確認方法・内容の見直しを行ったほか、組織・人員も強化しました。更に、全社員を対象に研修を行い、放送法、放送基準に対する理解を深めてきました。今後は、定期的に研修を行い、社員のスキルの維持・向上に努めてまいります」との考えを表明した。

 ちなみに、東京メトロポリタンテレビジョンは「放送番組の基準」の本文でこう宣言している。

 「放送を通じてすべての人の人権を守り、人格を尊重する。個
人、団体の名誉、信用を傷つけない。差別・偏見の解消に努め、あ
らゆる立場の弱者、少数者の意見に配慮する」
 
■「相手のことを思いやりながら説得する」

 川名さんら市民有志が東京メトロポリタンテレビジョンに対する抗議活動を同社前で始めたのは、「ニュース女子」が放送された10日後の2017年1月12日からで、2018年3月まで計34回に及んだ。

 「最も多い時で180人、少ないときも40人を下らない市民が集まってくれました。でも、当初は3回ぐらい抗議して終わりにするつもりでした。東京メトロポリタンテレビジョンがついうっかり考査をしなかっただけで、抗議をすればすぐに訂正してくれると考えていたからです」と話す。

 抗議活動を始める1回目が「一番しんどかった」と川名さん。「でも、思った以上に協力してくれる人たちがいたので助けられました。東京メトロポリタンテレビジョンに抗議するために集まっているのだけれど、それだけじゃなくて、 ・・・ログインして読む
(残り:約3074文字/本文:約9293文字)
 
https://webronza.asahi.com/business/articles/2019040600002.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/316.html

[政治・選挙・NHK260] 政党の立ち位置(その10) ポスト・グローバリズム (id:ySatoshiの文化領域論)
 
山川 哲 (id:ySatoshi)
2019年4月25日

■いつの間にか、世の中、こうなっていた

Wikipediaには、「グローバリズムとは、地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想」と定義されています。一見、良さそうに思えます。しかし、人類は既にこのチャレンジに失敗している。第1次世界大戦が起こり、人類は、国際連盟を創設しましたが、第2次世界大戦の勃発を防ぐことができませんでした。そして、第2次世界大戦の後、国際連合を作りましたが、これもうまくいかない。第2次世界大戦の戦勝国が常任理事国となり、各常任理事国が拒否権を持っている。国連憲章には未だに敵国条項があり、日本などは差別されている。国連はアフリカの内戦を鎮圧しようと介入を試みましたが、結局、先進諸国の利害が絡み、うまくいかなかった。

様々な基準を統一しようとする動きがありましたが、これも進展しているようには見えません。例えば、日本はメトリック(メートル法)ですが、アメリカはインチを採用している。狂牛病が流行した時、アメリカは日本に牛肉の輸入を強く求めましたが、日本人はそんな牛肉を食べたいとは思わなかった。吉野家から牛丼が消えた、あの頃の話です。

グローバリズムだから、言語も英語に統一しようという意見がありますが、私は、日本語の中で生きてきたし、これからも他の選択肢はありません。

ちょっと調べてみますと、まず、1970年頃、新自由主義という考え方が登場した。これは、政府は小さい方がいい、規制は緩和して市場原理に委ねるべきだ、民営化を進めろ、という考え方です。鉄の女と呼ばれたイギリスのサッチャー。アメリカのレーガン大統領。日本では中曽根康弘元総理らが、この考え方を採用したようです。

そして、グローバリズムという考え方が登場したのは、1992年だったようです。経済に関するルールを統一して、企業が国境を越えてビジネスを進められるようにしよう、ということになった。1995年にはWindows 95が登場し、グローバル化は一気に進んだ。電子メールというコミュニケーション手段は、時差の壁を超えた。やがて、ヒト、モノ、カネの全てが、やすやすと国境を超える時代になった。

そこで、グローバリズムの恩恵を被ることができるのは誰か、ということになります。例えば、一般の個人で複雑な国際手続の全てをこなし、複数の国の間でヒト、モノ、カネを動かして利潤を稼ぎ出すのは、ほぼ、不可能だと思います。すると、グローバルで活躍のできるプレイヤーというのは、大規模な多国籍企業に限定されることになる。

多国籍企業は、異口同音にこう言います。最適の地域で商品を開発し、最適の国で商品を製造し、最適なマーケットで商品を販売する。そして、彼らがまず注目するのは人件費の安さということになります。しばらく前に、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)が注目されましたが、言うまでもなくこれらの国々においては、人件費が安かった。しかしその後、中国よりもベトナムの方が安いなどと言われたように、多国籍企業は一貫して、賃金の安い国や地域を探し続けている。

表だっては言いませんが、多国籍企業がもう一つ判断基準としているのは、税金です。法人税の安い国で活動したい。彼らはそう考えている訳です。それにもあきたらない企業は、タックス・ヘイブンと呼ばれる税金の極めて安い国にペーパーカンパニーを作り、そこへ多額の資金を移動し、税逃れをしている訳です。

また、投資家も黙ってはいません。投資をするには、当然、その見返りを望んでいる訳で、1つには株価が上昇すること、2つ目としては、株式配当を受領することです。すると彼らは、自らの利益を確保するために妙案を思いつく。ストック・オプションです。例えば、A社の株価が千円だったとします。すると、千円でA社の株式を購入できる権利をA社の役員に付与する。そして、仮に1年後にA社の株価が1200円になったとすると、A社の役員は当該株式を1200円で売却できる。すなわち、一株当たり200円の利ザヤを稼ぐことができるのです。すると、ストック・オプションを付与された役員は、その会社の株価を上げることに血まなこになります。投資家と企業経営者の利害が一致するのです。当然、株式配当を上げると株価も上がるので、配当金も上昇する傾向となります。加えて、ストック・オプションを付与された役員は、往々にして、短期的な利益を目指す。自分が退任した後の10年後の業績なんて、関係がなくなる。

いつの間にか、世の中、こうなっていたんですね。これがグローバリズムの実態だと思います。


■これがグローバリズム
 
そして、多国籍企業や投資家たちは、以下の事柄を政府に要求するようになります。

・法人税を下げろ。
・(法人税を下げるために)消費税を上げろ。
・労働者の賃金を下げろ。
・(外資が参入するために)民営化を推進しろ。
・規制を撤廃しろ。
・株式配当を上げろ。

では、彼らはどうやって政府に圧力を掛けるのでしょうか。1つのパターンとして、こんな例が考えられます。例えばアメリカのカジノ王が、トランプ大統領に莫大な額の政治献金を行う。安倍総理が訪米すると、トランプ大統領からカジノ王を紹介される。「シンゾー、宜しくね!」という訳です。そして、日本の国会ではIR(Integrated Resort)などという聞こえの良い言葉と共に、カジノが解禁される。

多国籍企業と競争している日本の大企業は、できれば日本の工場を稼働し続けたい。日本で営業を続けたいと思っている。すると、価格競争で多国籍企業に勝つ必要がある。そこで、例えば経団連のような組織が、自民党に多額の献金を行った上で、多国籍企業と同じことを要求する。すなわち、法人税を下げろ、消費税を上げろ、人件費を下げろ、ということです。移民を解禁しろ、というのもつまる所は労働者の賃金を下げろということだと思います。

このように考えますと、安倍政権がやって来たことの理由が分かります。実際、安倍政権は多国籍企業、投資家、経団連の要求に従って、政権を運営してきたに違いありません。法人税の税率は下がり、同時に消費税率が上がって来た。労働者の4割は非正規となり、実質賃金は下がり続けている。国民は貧しくなり、若い人たちは結婚しにくくなり、少子化が進み、結果として、私のような高齢者が受給する年金も減少の一途を辿っている。

これがグローバリズムです! 


■世界の潮流がポスト・グローバリズムに
 
しかし、問題はそこに留まらない。それでは、多国籍企業や巨大な投資家たちが利益をあげ続けているかと言えば、実はそうではない。すなわち、どこの国でも貧富の格差が広がり、総じて国民が貧しくなった。個人消費が冷え込む。結局、多国籍企業も儲からなくなってきている。

今、ネットを見たところ野村ホールディングスが1004億円の赤字を出したとの記事がありました。

結局、一部の多国籍企業や投資家の手元にマネーが集中した。それらのマネーは行き場を失う。日本で言えば、長期に渡る低金利/マイナス金利政策によって、銀行をはじめとする金融機関は利益を得る術を失った。勢い、ハイリスク・ハイリターンの金融商品に手を出さざるを得ない。リーマンショックの時には、サブ・プライム・ローンが引き金となった訳ですが、これはアメリカの貧困層に対する住宅ローン債権を見えにくい形で織り込んだ投資信託だった。そして、デフォルトが発生し、その影響が一気に世界を駆け巡ったのです。再び、同じことが起こらないという保証は、どこにもありません。

経団連会長の発言を聞いておりますと、以前は、「大金持ちが暴利をむさぼろうとしている」というように見えていたのですが、どうも最近はそうでもない。本当に困った人が懇願しているように見える。「日本国内に原発を新設しろ」というのは、政府の指導に従って原発のプラント輸出を準備してきたにも関わらず、商談が一件もまとまらない。それでは企業がもたない、外国がダメなら日本国内に作らせてくれ、ということでしょう。「もう終身雇用制など維持できない」という発言も、本音なのだろうと思います。流石に「今後は福島の廃炉作業に外国人労働者も使う」という発言には首肯できませんが、経団連会長も、自ら好んで悪役になりたいと思っている訳ではない。

ちなみに、日本最大のトヨタでさえ、世界の時価総額ランキングでは35位まで落ちてしまった。(2018年)グローバリズム全体が困難に直面しているのは明らかですが、中でも日本の落ち込みが酷い。先進諸国の中では、ほとんど日本の一人負けが続いている。

多国籍企業と言っても、国境を超えた資本の移動というのは、結局、難しいと思います。日産自動車の例を見れば、それは明らかです。ルノーは日産の43.4%の株式を保有しています。株式会社における重要な意思決定は、株主総会において下されますが、実際には全ての株主が議決権を行使する訳ではありません。従って、43.4%というのは、事実上、日産の経営権をルノーが掌握しているに等しい。今更、ルノーに統合されるのは嫌だと言っても、それは無理な話なのではないでしょうか。既に、勝負はついている。それが、資本の論理というものです。結局何をもめているかと言えば、ルノーとしては株主のフランス政府の意向に従って、儲かる車種の製造工場をフランスに作りたがっており、日本人がこれに抵抗しているという構図だと思います。日産の一般従業員にしても、自分は誰のために働いているのか、という課題を抱えざるを得ない。自分のためか、日産のためか、日本のためか、フランスのためか。

グローバリズムというのは、各国に同じような弊害をもたらした。そこで、ポスト・グローバリズムということになる。トランプ大統領が登場し、反移民政策、自国第一主義、減税を行ったことには、確かに意味がある。イギリスのEU離脱やフランスのイエロー・ベスト運動も、直接的な主張は反移民ですが、もう少し大きな目で見ますと、反グローバリズムということだと思います。

世界の潮流がポスト・グローバリズムになっている今日、何故、日本政府は未だに消費増税、緊縮財政などと言っているのか。理由の1つには、対米従属という問題があると思います。トランプ大統領がAmerica Firstと言っているのだから、安倍総理もJapan Firstと言えば良さそうなものですが、そんなことを言うとアメリカからどんなしっぺ返しがあるか分からない。そこで知恵を絞って戦略を練るのが政治家の勤めだと思うのですが。

さて、率直にグローバリズムを批判して来ましたが、それではどうすれば良いのか、という点について、考えてみましょう。端的に言って、国家主義に戻れということです。天皇陛下万歳とか、日の丸掲揚というような国家主義ではありません。自立した国民が、民主的な手法によって運営する国家、という意味です。そして、このような考え方の起爆剤が、先に述べましたMMT(Modern Monetary Theory)の中に秘められていると思うのです。
 
http://ysatoshi.hatenadiary.jp/entry/2019/04/25/193903
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/318.html

[政治・選挙・NHK260] 元号を否定しない私が令和の使用を拒否するワケ 平成の危機的状況は何も変わらないのに「バンザイ!」を叫ぶお手軽な社会でいいのか (朝日新聞社 論座)
 
元号を否定しない私が令和の使用を拒否するワケ
平成の危機的状況は何も変わらないのに「バンザイ!」を叫ぶお手軽な社会でいいのか

斎藤貴男 ジャーナリスト
論座 2019年05月02日

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050100003_1.jpg
新天皇陛下の即位を伝える号外を求める人たち=2019年5月1日、東京都千代田区

 
■「令和バンザイ!」テレビも新聞も
  
 テレビも新聞も「令和バンザイ!」の大合唱だ。実際、4月30日の深夜は全国各地でカウントダウンのお祭り騒ぎ。何かと言えば「平成最後の「令和最初の」の形容が連発され、“新時代”なる認識が喧伝され続けたこの間の日々を、改めて思う。
 
 私は呆れ果てている。元号廃止を叫びたいのではない。いや、アメリカには存在しないものだという理由だけでも、私は元号を否定したくない、むしろこの制度を維持したいと努めている立場だと書いたら、読者は意外だと受け止められるだろうか。
 
 ただ、世の中総出で“新しい時代”が叫ばれ、手放しで慶ばない者はいないかのように演出されていく現実が情けなく、悲しい。なぜなら新時代など訪れていないからだ。
  
■元号は変わっても危機的状況は変わらず
 
 元号が変わったことは事実でも、そんなものは日本国内だけの取り決め以上でも以下でもなく、第一、私たちが置かれている危機的状況が、これっぽっちも改められたわけではないのである。
 
 沖縄の米軍基地。徹底的な大企業中心社会。“働き方改革”“一億総活躍プラン”“女性の活躍促進”“人づくり革命”等々、人間を経済成長の道具として動員していく国策の数々。権力の正当性が疑われるモリ・カケ事件。国の存立を左右しかねない統計偽装。消費税増税。被曝者たちの人生を狂わせ続けている福島第一原発事故と、それでも止まない原発推進。
 
 対米隷属と対をなす憲法改正スケジュール。戦争の可能性。ネトウヨ差別主義者らの跳梁跋扈。国民をどこまで嘲笑できるかを競い合ってでもいるかのように、暴言しか吐けない与党政治家たち。トランプ大統領の恐怖。安倍晋三首相・・・。
 
 ありとあらゆる困難のどれもこれもが、何の問題もないことにされていく。チャラにされる。こうまでお手軽な社会が、この世にあってよいものなのだろうか。 
 
■地続きの歴史を勝手にリセットする元号
 
 元号にはもともと、そのような機能が備わっているように思われる。地続きの歴史を、多くの人々が、元号が変わったという一点だけを以て、勝手にリセットしてしまう。
 
 くどいようだが、私は元号廃止論者ではない。日頃は地続きを地続きとして表現しやすい西暦を使っているが、これとて所詮はキリスト教暦でしかないのであって、欧米列強の世界支配とともに広げられたカレンダーなのである。元号だけを非難して、西暦を普遍的な真理と思い込むのは筋が通らない。元号のある国ならではの理想も希望も私にはあるけれど、それについての詳細は機会を改めるとして――。
 
 元号には、リセット機能という心理的陥穽が付き纏う。維持する以上は、これを克服してこその人間の知性ではないかと私は考えるが、この陥穽は半世紀前にかえって正当化され、定着してしまっていた。
 
■罪深かった「司馬史観」
 
 罪深かったのは、いわゆる「司馬史観」だ。後に国民作家の異名を恣にすることになる司馬遼太郎氏は、政府が“明治100年”の大キャンペーンを展開していた1968年、サンケイ新聞(現、産経新聞)紙上で大河小説『坂の上の雲』を連載。秋山好古・真之兄弟に託して日本近現代史上における日露戦争の意義を礼賛する一方、太平洋戦争による破滅へと突き進んだその後を批判して、“明るい明治・暗い昭和”などといった、時代を元号で区切って評価する手法を流行させた。
 
 どれほど面白く、売れた作品でも、「小説イコール史実」であるはずもない。明治期に端を発した大日本帝国への野望が、昭和前期の悲劇に直結したのだから、両者を対立させた議論が不可能なのは明白である。そもそも、朝鮮半島をはじめとするアジア侵略のただ中にあった時期の日本を、人間の成長譚における少年期のように描くこと自体が不遜で独善に過ぎていた。
 
 にもかかわらず、司馬ファンの多く、あるいは指導的立場にいる人々が、こうした歴史認識をそのまま我がものとしていった。“明るい明治”のイメージは、負けない戦争と帝国主義の美化に通じる。いずれかの時点でそのことに気づいたらしい司馬氏本人が拒否し続けた『坂の上の雲』の映像化も、彼の死後、2009年11月からから11年12月まで、NHKのスペシャル大河ドラマとなって実現するに至った。 
 
■国威発揚イベントとしての「令和」フィーバー
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050100003_3.jpg
明治150年記念式典で式辞を述べる安倍晋三首相=2018年10月23日、東京都千代田区の憲政記念館
 
 そして今、司馬史観を最も己に都合よく活用した代表的な人物が、政権を担っている。彼は国会での演説や答弁、年頭所感などで幾度となく、明治礼賛とセットで“強い日本”をと訴える号令を繰り返し、昨年の“明治150年”キャンペーンに、“明治100年”ではさほどでもなかった帝国主義の称揚めいた企図を漂わせた。
 
 今回の「令和」フィーバーもまた、その延長線上にある国威発揚イベントであると断じて差し支えない。
 
 1979年に施行された元号法では、元号は政令(内閣が制定する命令)によって定められることになっている。「昭和」が「平成」となった際、だからといって前面には出ようとしなかった竹下登首相(当時)とは対照的に、安倍首相は改元を政治的に利用し尽くした。
 
 新元号の発表直後に行った記者会見で、「令和」は日本の「万葉集」から採られたと特に強調。近年の中国人や韓国人に向けられる差別や憎悪に満ちた言説と表裏一体の“日本スゴイ”アピールばかりを述べた後の質疑では、元号の話題がいつの間にか“働き方改革”や“一億総活躍社会”など、自らの政策の自画自賛にすり替えられていた無惨が記憶に新しい。
 
■「令和」決定に深く関与した安倍首相
 
 元号は中国の古典を典拠とするのが伝統だ。国書(和書)からの採用は史上初だが、そう仕向けたのは安倍氏に他ならなかった。かねて「国書からが望ましい」とする旨の発言を重ねていたのは周知の事実で、その線に沿った案がいくつも出されていたが、最近の報道によると、安倍氏の関与は、そんなことだけで済んではいなかったようである。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050100003_4.jpg
中西進さん=2019年3月24日
 
 4月30日付の朝日新聞朝刊が、新元号決定まで1カ月余に迫った2月末、政府の要領に基づき菅義偉官房長官の下で進められていた絞り込み作業に安倍氏が加わり、十数案あった候補のいずれにも難色を示したエピソード。および、彼の指示を受けた官房副長官が、万葉集研究の第一人者である国文学者の中西進氏に考案を依頼し、かくて提案された「令和」を安倍氏が「万葉集っていうのがいいよね」と気に入ったため、これを本命とする議論に移ったという経緯を報じた。
 
 見事なスクープだと舌を巻いた。「令和」が安倍氏の肝いりで、有識者会議「元号に関する懇談会」でも誘導が行われたらしいという、すでに広く流布された情報を考え合わせると、私自身の「令和」に対する態度はおのずと決まってくる。
 
■「“令を下す”の令です」と言い換えたNHKラジオ
 
 しばしば指摘されているように、「令」の字が「命令」の「令」であることも決定的だ。「令」には「うるわしい」の意味もあると言われても、目下の政治や社会であれば、「命令」の「令」が真っ先に連想されるのは自然の成り行きで、にもかかわらず「令」を持ち出した神経が許せない。
 
 海外のメディアでも取り沙汰されているようだが、NHK第一ラジオが当初は「年令の令」と伝えておきながら、「齢」の字との誤解を避けようとしたのか、7分半ほどしてからわざわざ「正しくは“令を下す”の令です。“命令”などの令です」と言い換えていたのが印象深い。
 
 友人に教えられて放送内容を確認したが、近年におけるNHKの報道姿勢に照らせば、これは単なる言葉の綾ではない。NHKはリスナーに、政権の意向を忠実に“下げ渡した”のに違いないと理解せざるを得なかった。
 
 安倍氏個人に私物化され、あまつさえ「命令」の「令」を構成要素とする元号など、絶対に認められない。などと一人で吠えたところでどうしようもないにせよ、ともあれ私は、「令和」の使用を全面的かつ永久に拒否することを、ここに誓う。
  
■私が元号を否定しなくなったワケ
 
 実は私が元号を否定しなくなったのは、「平成」の後半になってからのことである。構造改革の美名の下、政府の主導でアメリカへの同化が進められていく構造に関する取材を重ねていた日常と、過去の戦争への反省を行動で示し、これからの戦争も許すまいとする明仁上皇の振る舞いを、素直に嬉しく感じたためだった。
 
 現代の日本で民主主義が機能していないのは、差別がまかり通っているのは、しかも、天皇制のせいではない。歴史をとことん遡ればそうなってしまうのだとしても、少なくとも直接の元凶はアメリカであり、彼らのスタンダードとしての新自由主義であり、彼らの命令を丸呑みし、私たちを奴隷のように扱ってやまない政治体制であり、何よりも、そんなものどもに抵抗もせず、諾々と服従することにためらいがない私たち大衆自身であるはずだ。
  
 だから私は、たとえば銀行や病院で何かの書類に年月日を記入する際も、印刷された「平成」の二文字を二本線で消しては西暦に書き直す作業をしなくなっていた。旧知の編集者に求められるまま、この3月には平成史をテーマにした書籍を上梓したりもした(『平成とは何だったのか』秀和システム)。
 
 日頃の反権力的な表現活動を評価してくださる読者の間には、少なからぬ批判があるらしいことも承知しているが、嘘は言えないので仕方がない。自分自身が身を置いているジャーナリズムの世界の内部でさえも、時に周り中が敵に見えてくるような孤独を味わっていたので、余計に救いが欲しかった。
 
■「新しい時代」を叫ぶのはいつの日か
 
 今度の天皇がどのような人物で、どう行動するつもりなのかを、私はまだ知らない。明仁上皇にもまして素晴らしい天皇であったとしても、私には「令和」を使うつもりが金輪際ないけれど、ともすれば絶望を余儀なくされそうにも思えてくる政治や社会にあって、せめて救いではあってほしいと願う。
 
 私たちはあまりに愚かである。権力者やその周辺にいる仕掛け人たちにいいように操られて恥だとも感じず、ただ唯々諾々と従い、お祭り騒ぎに酔い痴れている。だから、平成の次の天皇には、先代に引き続いて時間稼ぎをしてもらいたいと思うのだ。甘えすぎているのは承知している。しかし、もう少しの時間があれば……。
 
 やがていつの日か、私たち自身の手で、天皇はあくまでも象徴としながら、この国を大日本帝国のくびきから解き放ち、近現代史の負の遺産を清算する時代を導いた暁にこそ、私は「新しい時代」を叫びたい。もちろん、歴史は地続きであることを忘れずに、心の中だけで。 
  
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050100003.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/352.html

[国際26] フランス「黄色いベスト」運動が総会 「資本主義からの脱却が必要」 (長周新聞)
長周新聞 2019年5月2日

 新自由主義のマクロン改革と対決するフランス人民の「黄色いベスト」運動は昨年11月以来、5カ月にわたってたたかわれている。このなかで各地での「黄色いべスト」の運動の代表が一堂に会する第2回総会が4月5日~7日まで、フランス西部の港湾都市サン・ナゼールで開かれた。

 第1回の総会は1月下旬にコメルシーで開かれ、75地域から200人が参加した。今回は運動の発展を反映して、200地域から800人が参加した。サン・ナゼールの市長は「黄色いベスト」運動を「過激派」とみなし、公共施設の利用を拒否したことから、総会は占拠中の「人民の家」で開催され、地元の人たちが炊き出しなどによって総会を支えた。

 総会に各地から参加した代表は、運動の経験を交流し、「黄色いべスト」運動を既存の運動や政治勢力と一線を画した新しい運動としてどのように発展させていくか、その課題や方向性について、分科会にわかれて活発に論議した。

 この論議のなかで「黄色いベスト」が「人民による、人民のための力」であり、「自由、平等、友愛」(フランス革命のスローガン)を実現するためには、「資本主義からの脱却」が必要であり、資本主義にかわる新しい時代の入口に立っているとの意見がかわされた。総会は討議の「まとめ」を全体で採決し、各地域にもどって論議し、確認・採決していくことを決めた。以下は「まとめ」の要旨である。

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 各地から集まった「黄色いベスト」は、全国民に訴える。最初の総会以後、自由、平等、友愛のたたかいを続けてきた。政府による弾圧がエスカレートし、私たちの生活条件を悪化させ、私たちの権利や自由を破壊する法律が積み重なっている。それに対する抗議行動は、マクロン改革に示されたシステムの変革をめざしている。この5カ月間、フランスのいたるところで、デモや集会、討議をおこないたたかっている。私たちは最低限生活を確保できる賃金、年金、社会的給付の増加、そしてすべての人人への公共事業を要求する。私たちの闘争での連帯は、とくに貧困ライン以下で暮らす900万人に向けられている。気候の緊急事態も意識している。

 特権的な一握りの層に奉仕する(国民を代表しない)政府のもとで、私たちは新しい形態の直接民主主義をとる。総会は政党や労組に対する独立性を再確認し、いわゆる「指導者」を認めない。

 3日間の討議をまとめ、提案をおこなっている。すべての「黄色いベスト」の運動がこの総会の結論を広めるよう訴える。各地で行動と総括に貢献するだろう。

 政府の弾圧や投獄、有罪判決について世界に訴える必要がある。まだ立ち上がっていない人たちに理解を求めるために、働きかけを強める。5月1日からは1週間にわたる「黄色いベスト」の行動を呼びかけている。闘争の激増は、行動の統一を追求するよう私たちに求めている。

 私たちは社会的、経済的、環境的、そして民主的な要求を満たすために、あらゆるレベルで、地域でともにたたかうことを求める。私たちはグローバルなシステムとたたかう必要があることを認識している。そして私たちは資本主義からぬけだす必要があると思う。

 私たちを見ているのではなく、私たちに加わってほしい。人民による、人民のための、人民の力だ。
 
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/11621
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/330.html
[政治・選挙・NHK260] 5月1日はやっぱりメーデー、天皇制民主主義と国際連帯を考える時!(ちきゅう座)
2019年5月2日
<加藤哲郎(かとうてつろう):一橋大学名誉教授>
  
 二つの理由から、今回更新は、前回のマイナーチェンジにとどめます。一つは、世界史上の5月1日=メーデーを考え、日本でのみ仕切られた「新元号」の狂騒曲と、安倍首相と日本会議演出による神話復活の神道儀式に乗らないため。いまひとつは、ようやく更新できたドメインサイトへのFTPが、あいかわらず不具合なため。
 
 天皇と天皇制についてのみ一言。
 wikipedia日本語版にもありますが、不正確なものも含まれています。むしろ、英語版wilipediaの方が、世界史的な理解ができます。21世紀の初めに、岩波講座『天皇と王権を考える』全10巻が出ています。「天皇を広く世界史的連関のもとに置き、多角的な考察と問題提起」をしたもので、その第1巻で、故網野善彦・安丸良夫らが述べていたことが、今日の「象徴天皇制」「平成→令和」論議でも、出発点になりうるでしょう。
  「日本」という国号と王の称号「天皇」は異なります。共に7世紀に確定されたとはいえ、中国の朝貢・冊封体制の中にありました。日常語では「天皇」は「オオキミ」で、「天皇」の和訓にあたる「スメラミコト」は万葉集では一度も用いられていないようです。中世・近世でも、天皇号はほとんど用いられませんでした(安丸良夫)。つまり、「権威としての天皇」さえ、伝統ではありません。幕末以降の政治的産物で、神話でした。
  「天皇制」にいたっては、1928年以降の日本共産党の「君主制打倒」のための政治スローガンで、それが1945年以降に学術用語として定着し、左右両派により使われるようになったものです。それも、日米戦争期に米国側が「天皇を平和のシンボルとして利用する」戦略を確立し、占領支配をスムーズに進めるために、「象徴天皇制」を残し利用したためでした。 こうした天皇と天皇制を歴史的に考えるためにこそ、連休を使いたいものです。

 政治的に作られた神話の暦を離れれば、5月1日はメーデー、世界的には労働者の祭典です。
 ウィキには、「労働者の日」としてのメーデーは、「1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源で、1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行われた。1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、1890年5月1日にゼネラル・ストライキを行うことを決定したが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)といわれる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行された」とあります。
 8時間労働制は、1919年の国際労働機関(ILO)創設などで、世界中に広がり、定着しました。

 そうです。今年はメーデーを世界に広めた第2インターナショナル結成130年、8時間労働制100年です。第2インターナショナルは、ヨーロッパの社会党・労働党・社会民主党、それに各国労働組合の代表がパリに集まり、完成したばかりのエッフェル塔の下で、国境を越えた労働者の団結と連帯を決議しました。
 エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念したパリ万国博覧会のために建てられた鉄塔で、夜には、三色のアーク灯によるサーチライトでライトアップされ、エジソン発明の白熱電灯で光を放っていました。つまり、20世紀の科学技術の発展を、天まで届く300メートルの鉄塔と電気で象徴し、そうした工業文化を担う労働者階級が、国境を越えて多数派・主権者になると見通されていました。
 第二インター結成大会は、20ヵ国400名で7月14日、パリ祭の日に開かれました。会場で歌われたのは、フランス革命行進曲「ラ・マルセイエーズ」でした。第3共和制下のフランス国歌でしたが、同時に、労働者の国際連帯でフランス革命の理念「自由・平等・友愛」が世界に広まる時代を夢見ていました。
 
 その第2インターナショナルのなかの急進派が、ILOと同じ1919年、第3インターナショナル=コミンテルンを創設しました。レーニンの指導するロシア革命の勝利を受けて、共産主義を信奉する各国のグループが、「鉄の規律」で結ばれた各国支部=各国共産党をつくり、「プロレタリア独裁」の計画経済による労働者国家樹立を目指しました。
 創立大会で歌われたのは、もともとフランスの1871年パリ・コミューン時に作られた革命歌「インターナショナル」、アカデミー賞受賞のハリウッド映画「レッズ」が、時代の雰囲気を伝えています。
 もっとも「インターナショナル」がソ連国歌になって、レーニン死後にスターリンが指導者になって以降、労働時間短縮・8時間労働制は、第2インターナショナルを継承した社会民主主義の労働社会主義インター、戦後社会主義インターをも通じて世界に定着しますが、第3インター=コミンテルンの方は、ソ連共産党とその指導者を頂点とするピラミッド型の組織となりました。労働組合ばかりでなく農民・女性・青年などの国際組織が作られましたが、事実上ソ連の衛星機関・外交的道具となって、戦後の各国共産党と系列下の伝導ベルト型大衆運動組織に受け継がれました。
 30年前の1989年東欧革命・91年ソ連解体で、コミンテルン型国際連帯は崩壊し、多くの国の共産党は解党して、戦後欧州各国で政権につきケインズ主義的福祉国家を広めてきた社会民主主義の社会主義インターナショナルに、再吸収されました。国際連帯歌「インターナショナル」も、コミンテルンの残滓を受け継ぐ中国や北朝鮮などでは生きていますが、21世紀の世界では、ほとんど歌われなくなりました。

 20世紀の「自由・平等・友愛」理念と8時間労働制の定着のもとで、世界では環境運動・女性運動・人権運動・平和運動・市民運動も広がり、21世紀に入ると、新自由主義的グローバリゼーションに抵抗する、新たな水平的・ネットワーク型国際連帯が生まれました。
 イラク戦争に反対する世界社会フォーラムなどで、国籍・宗教・言語・人種民族を越えて歌われるようになったのは、ジョン・レノンの「イマジン」でした。19世紀「ラ・マルセイエーズ」の「暴君を倒せ」「武器をとれ」でも、20世紀「インターナショナル」の「起て飢えたる者よ」でもなく、「国境なんてないと思ってごらん」「Imagine all the people Living life in peace」というバラードでした。9.11同時多発テロの時期には、それがインターネットでつながり、世界同時キャンドルデモなどで歌われました。

 ただし、こうした世界の歩みと、時間的・空間的に区切られた島国日本の歩みは、大筋では似ていても、やや異なるものでした。1922年に政労使でILOに加入した日本の労働側要求は、8時間労働以前の「労働者の人格承認」、まずは人間として扱ってほしいというものでした。その年第3回メーデーから長く歌われたメーデー歌「聞け万国の労働者」は、軍歌「アムール河の流血や」の替え歌でした。
 ソ連・コミンテルン型「インターナショナル」が崩壊した頃、「大正生まれ」の長時間労働で経済成長を成し遂げ「過労死」を世界語にした日本で流行ったのは、「24時間たたかえますか」というCMソングでした。そして、「失われた30年」を経た今日でも、日本は、国際労働機関(ILO)条約の1号条約(1日8時間・週48時間労働)も、47号(週40時間制)、132号(最低2週間以上の連続した年次有給休暇)・140号(有給教育休暇)」など労働時間の国際基準条約を批准していません。
 他国では「セブン・イレブン」なのに24時間営業のコンビニが常態化し、この4月に始まった「働き方改革」でも残業や職種による労働時間規制が抜け穴だらけの、異様な国なのです。そこに、外国人単純労働者を引き入れようとしています。
 つまり、世界で130年近いメーデーには、まずは厳格な8時間労働制と労働時間短縮・最低賃金底上げ・実質賃金引上げが必要なのに、この国の労働組合は、新たな日本固有の時間的・空間的仕切りの年号ができる5月1日をはずして、4月末に第90回メーデーを開催し、「新元号フィーバー」の連休に突入しました。
 その10連休をまともにとれるのは、働く人びとの3分の1だけ、非正規の日給が減って収入減の人たち、保育所が休みでも働かざるをえないワーキングママ。労働者の国際連帯からも、「イマジン」型社会運動からも隔離され、遠ざかる、悲しい現実です。

 世界とつながるメーデーに、新元号などいりません。せめて連休用に、「ファシズムの初期症候」に抵抗する各種イベントへの参加や、自分の労働についてのまとまった学習・読書を準備しましょう。
 4月18日(木)に東京神田・如水会館で新三木会講演会「日本の社会主義ーー戦前日本の思想・運動と群像」、4月27日(土)早稲田大学戸山キャンパスで桑野塾「731部隊と戦後日本ーー民族優生思想から『不幸な子供を産まない運動』へ」、5月3日(金)岐阜市長良川国際会議場で「731部隊と戦後日本ーー東アジアの平和のために」を、それぞれ公開で講演します。後2者は、 you tube に入っている「731部隊と旧優生保護法強制不妊手術を結ぶ優生思想」と関連する「イマジン」型社会運動の一部です。ご関心の向きは、ぜひどうぞ。
 昨年から毎日新聞や朝日新聞で大きく報じられている、国会図書館憲政資料室「太田耐造関係文書」のゾルゲ事件関係新資料については、6月8日(土)午後、専修大学での大きな講演会が予定されています。

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html

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[政治・選挙・NHK260] 改元の狂騒の中で~「寄り添う」という言葉のうらおもてを考える (ちきゅう座)
2019年5月1日
<内野光子:歌人>

 きょう、4月30日の朝日新聞は、異様な紙面構成だった。これは丸ごと保存しておかねばならない!
 一面トップと二面とにおいて、新元号に安倍首相が関与したことを示す記事と「退位の日『象徴』と『統合』模索は続く」と題した社説で一見バランスをとるかのようではあるが、1面からテレビ番組欄の32頁まで、天皇の退位・即位、改元関連記事で埋まる。わが家の他の購読紙3種と比べても、力の入れようが違っていた。今回の新元号関連記事は他に突出して多かったように思う。
 どう扱っても、祝賀ムードからは逃れられないのが、この種の記事である。今日のNHKもしかりで、読者や視聴者の関心は、もはやそんなところにはなく、復旧もままならない被災者は住まいや生計自体の不安を抱え、多くの国民は、連休の間の生活の備えは大丈夫か、消費税増税はやりきれない、公共料金・保険料や物価の値上げは続くのか、高齢者には、医療や医薬品、介護にかかる経費が心配でしかたない、というのが本音に近く、報道に登場するような、天皇の姿を見て涙したり、天皇に感謝したりするゆとりなどないのが大方ではないか。
 
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2019年4月30日『朝日新聞』朝刊一面

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2019年4月30日『朝日新聞」テレビ欄も・・・。

元号が替われば<新しい時代>が来るかのような幻想を振りまいているのは誰なのか。過去の不正を、犯罪をなかったことにしたい政治家や官僚たち、商機と捉える人々、それに踊らされている一部の人たちにすぎない。
 10日の連休とて、満足に休暇とれる労働者は3割程度ということだし、時給で働いている人たちの減収、保育を要する子供たち、治療や介護を要する人々の多くが半ば置き去りにされる状況もあるなか、閣僚たちの<海外視察>が目白押しという。
 
 天皇が代わっても、当然のことながら、日本の安全保障環境の対米依存は揺るがず改元の狂騒に紛れてのトランプ大統領の来日は、アメリカからの武器爆買いを確固たるものにし、沖縄の辺野古基地新設工事は進んでしまう。労働者の正規と非正規の格差は広がるし、家庭内、教育やスポーツ界の現場における暴力問題は見えにくくなるだろう。
 そして何よりも恐ろしいのは、情報があふれるネット社会とは逆行するように、必要な情報が入手しにくくなる情報環境の格差・隠蔽、政府や企業、メデイアによる情報操作が助長されることなのではないか。
 
 今、私は、太平洋戦争下の雑誌を見ているのだが、たまたま、以下のような雑誌や新聞のコピーを見出して、妙な感覚にとらわれている。以下は、<紀元2600年>と喧伝された1940年の新聞と雑誌のコピーである。たしかに、<紀元2600年>をうたわないことには、紙も来ないし、検閲も厳しくなる時代であったと思う。しかし、メディアが競うように、積極的に体制に順応していった側面を見るような思いがする。現代も権力による情報統制は、悔しいながら、見えないところでがんじがらめになっていて、その不自由さは察しられる。
 
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1940年1月『婦人画報』グラビア
 
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1940年1月1日『東京朝日新聞』「紀元二千六百年本社の新事業」の社告
 
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1940年1月1日『東京朝日新聞』の「誰ぞ”紀元”の生みの親」の記事。朝日新聞は「紀元」や「新元号」をたどるのが、よほど得意なのか。少なくとも庶民にとっては、天皇も元号も、政治や企業が利用するものにしかうつらない。

  しかし、現代は、戦時下やGHQ占領下のような暴力的な検閲に比べれば、ある程度の自由は確保されているように思われる。それは、紙面や記者たちの書きぶりからもうかがわれる。そして何より、現在のところは、インターネット上の表現の自由は、ある程度確保されているので、NHKや大手メディアが報じない情報も浮上する。もちろん無責任な虚報もあり、玉石混交なので、そのリスクも負わねばならない。

 さらに、いまは手元の資料だけになるが、昭和天皇の死去と改元報道の一端を振り返ってみたい。
 
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左が1989年1月7日『読売新聞』夕刊、右が『毎日新聞』夕刊。「ドキュメント『昭和』の終わり全報道記録」(マスコミ市民編1989年3月1日)
 
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1989年1が7日『毎日新聞』夕刊、中央に新元号「平成」の識者のコメントが並んでいた。『新聞紙面で見る20世紀の歩み』(毎日新聞社編刊 1998年7月)より。

 そして、いま、「平成」を振り返る報道が氾濫しているが、その解説には、頻繁に登場するのが、「寄り添う」という言葉だろう。天皇が国民の統合の象徴として、国民に「寄り添って」来たことが強調されている。
 象徴である天皇が国民に「寄り添う」ということはどういう意味なのか。寄り添い、寄り添われるという関係が「象徴」を介在して成り立つのだろうかと。家族や友人や仲間として、あるいは職業、報酬を伴うサービスとして成り立つものではないかと考えている。
 とすると、天皇と国民の関係に置き換えたとき、寄り添われた国民に生じる感情は、励まされた、ありがたい、うれしかったというレベルから尊敬の念にまで至るようなのだが、この関係が、本来「寄り添われる」べき、多くは、さまざまな意味での弱者であって、そこに届くべき政策や施策の脆弱さを覆い隠していなかったか、との思いがぬぐい切れない。
 その効用を天皇・政府サイドがともに了解し合っての行動にも思えてくる。まさに、天皇の政治的な行為となるであろう。

 さらには、11月に行われる大嘗祭はもちろんだが、改元前後の神道にのっとっての儀式、報じられる姿を見ているだけでも、「国民統合の象徴」とはとても思えない。こんな宗教的な儀式で、退位・即位する天皇が「象徴」ではありえない姿ではないのか。生身の人間が象徴になることはもはや不可能に近く、次にあげるような主な宮中祭祀をみただけでも、これらの宗教的儀式をおこなう以上、もはや国民の統合の象徴とはなり得ず、憲法の基本的人権を奪われた人間を前提にした「象徴天皇制」だったのである。
 庶民には異様な光景にしか思えない儀式ではないか。不平等を前提に特別扱いすることはすべての差別につながることから、憲法との整合性が問われ、直ちに見直さなければならない、と考えている。
 
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1989年2月24日、昭和天皇大喪の礼
 
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1990年2月23日、即位礼正殿の儀。宮内庁のホームページより。
 
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主要祭儀一覧 (宮内庁ホームページ)より
http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html
 
 
初出:「内野光子のブログ」2019.4.30より許可を得て転載

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[政治・選挙・NHK260] 書評 『値段と価値』 著・ラジ・パテル (長周新聞)
長周新聞 2019年5月2日
 
 1972年生まれの著者は、米国在住のジャーナリストであり、テキサス大学教授でエコノミストであるとともに、WTO(世界貿易機関)に反対する市民の抗議行動を組織するなど、新自由主義的なグローバル化に抗う運動組織者の1人である。
 
 マクドナルドの「ビッグ・マック」は、日本で390円、スイスでは728円、エジプトでは195円で販売されているが、実は環境保全や社会的コストを加えると原価だけでも2万円をこえるという試算がある。加えて、ハンバーガーの牛肉はトウモロコシを飼料とする牛の肉だが、トウモロコシは米国でもっとも助成金が投入されている農作物だ。さらにフルタイムで働くファストフードの非正規労働者の多くは貧困ラインにあり、メディケア(公的医療保険)や食料配給券、子どもの栄養プログラムなどを政府から補助されている。
 
 「無料」をエサに市場を拡大する商法も多い。乳児の栄養摂取には母乳より優れたものはないという研究は数多いが、ネスレなどベビーフード会社は発展途上国でウソの情報を流して、母乳のかわりに乳幼児用の粉ミルクを無料で配布した。粉ミルクを与える母親は母乳をやらなくなり、そうすると母乳が出なくなり、粉ミルクに頼らざるをえなくなるという戦略だった。だがその結果、質の悪い粉ミルクの影響で多数の乳児の死者まで出す一方、企業は莫大な利益を上げた。
 
 衣食住などの物質的な富の生産より、株や土地などへの投機という、それ自体何らの価値も生み出さないマネーゲームが最大の価値を持つかのように見なされる。その商品が持つ社会的有用性(価値)が消費者に選ばれる基準であるはずが、社会的有用性は顧みられなくなり、グローバル企業は手段を選ばず最大限利潤を追求し、国家はさまざまな規制緩和でこれを支援する。著者は、値段と価値の乖離(かいり)がこうした今の時代を象徴している、という問題提起を本書でおこなっている。
 
 その矛盾が露呈したのが2008年のリーマン・ショックだった。FRB議長だったグリーンスパンは翌年末、米国議会の証言台に立ち、「デリバティブ金融商品の拡大モデルが発見され、ノーベル賞が贈られたが、根拠となるデータはわずか20年間の好景気だけしか網羅していなかった」とのべた。そもそも景気拡大策のデータがインチキだったのだ。
 
 ところがその結果、貧困層は家も職も失う一方、政府は大銀行や大企業を救済し、金持ちたちはそのツケを全世界に支払わせた。ゴールドマン・サックスがこの年に支給した賞与は、同社140年の歴史で最高額だった。投資家ジョージ・ソロスは「危機さまさまだ」と豪語した。危機を乗り切ると称したオバマ政府のメンバーは、「ウォールストリート出身者が乗っ取った」といわれたほどだった。
 
 資本主義の「自由市場」は経済をみずから合理的、効率的に調整するという理論は都合のいいウソだった。だがこの理論は、現在まで続く略奪経済を支えている。
 
 本書の後半では、この新自由主義を規制する国境をこえた新しい運動が起こっていることを伝えている。
  
■国境こえた闘いの息吹
 
 一つの例が国際的な農民運動ビア・カンペシーナである。メンバーはすべて、みずから食料を生産したいと考える小作農、農民、農場労働者、土地のない人人だ。1993年に結成され、今では69カ国、148の農民組織、2億5000万人のメンバーを抱える。
 
 発起人の一人はボリビア大統領エボ・モラレスで、米国やEUの不介入や土地、水、種苗、文化などの「食の主権」を掲げ、ボリビアやマリ、ネパールなどで政府の政策に影響を与えている。
 
 背景には1980年代以降、世界銀行が発展途上国に新自由主義を持ち込もうとし、それまで何世代にもわたってその国の小作農が育ててきた種苗の遺伝子情報を、多国籍企業がカネのなる木になると奪い去ろうとしたことにあるという。これに対抗して各国で暴動や抗議行動が続発したが、それがビア・カンペシーナに結実した。2008年、彼らは途上国の飢餓の原因を、何世紀も続いてきた欧米の支配と搾取にあると宣言し、食料の生産者と取次業者、消費者の団結を訴えている。
 
 その運動の一環に、米国のフロリダ州のトマト農民たちによる「奴隷解放のたたかい」がある。
 
 フロリダ州では、米国で冬に消費されるトマトの90%を生産しており、その労働はメキシコやハイチ、グアテマラからの移民労働者が担っている。しかしその生活は、同州イカモリーの農業労働者を見ても、ホームレスのシェルターから連れてこられ、低賃金のうえに不衛生なトレーラーに押し込められて半ば奴隷のようなものだった。
 
 その後、彼らはイカモリー労働連合(CIW)を結成し、ハンガーストライキやデモをやり、農業労働者の搾取に加担するマクドナルドやタコ・ベルなどの企業をボイコットするなどして、正当な報酬や団結権を認めさせている。上院議員のバーニー・サンダースに働きかけ、全国的な問題にもしていった。
 
 CIWのメンバーたちが、本書のなかで語る言葉--「私たちは労働者だ。先生方に指導してもらう必要はない」「私たちが求めているのは、最高経営責任者と同じ報酬じゃない。人間としての尊厳だ」--は、自身の祖国での経験もふまえ、人間をモノ扱いして奴隷労働を強いる新自由主義に対して、生産者が国籍をこえて団結し反撃を開始していることを伺わせる。
 
 本書のなかでは何度も「アントン症候群」という言葉が出てくる。それは、脳卒中などで目が見えなくなるのだが、本人は目が見えていると思い込んでいる病気のことだ。読者が「アントン症候群」から脱して、新自由主義、金融資本主義がもたらす狂気をありのままに直視することを訴えている。
    
https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/kati-419x600.jpg
(作品社発行、B6判・254ページ、定価2600円+税)
 
https://www.chosyu-journal.jp/review/11615
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/379.html
[政治・選挙・NHK260] 「いまの改憲論はフェイク」 憲法学者・樋口陽一氏の危惧 (朝日新聞)
朝日新聞デジタル 2019年5月3日15時18分
 
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20190424001305_comm.jpg
憲法学者の樋口陽一さん=2019年4月17日午後3時50分、東京都港区、江口和貴撮影
  
 新天皇の即位から3日目で迎えた憲法記念日。日本国憲法の第1章が定めた象徴天皇制とは、政府と国民にどのような態度を求める制度なのか。また、9条に自衛隊を明記する憲法改正が必要だと訴えている安倍晋三首相の問題提起は妥当なのか。憲法が直面する課題について、日本を代表する憲法学者・樋口陽一さんに聞いた。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
 
     ◇
 
 ――この国では今、憲法改正にこだわる首相が長期政権を維持しています。安倍晋三首相は今度は、自衛隊を憲法に明記する改憲が必要だと訴え始めました。
  
 「今ある自衛隊の存在を書き加えるだけなら大きな変更ではないのではないかという意見も聞きます。書き加えるという行為の持つ法的な意味について理解が足りないと感じますね。基本的な法原則の一つに『後(のち)の法は先の法を破る』があります。ある法規範にそれまでと違うことを書き加えたら、前からあるルールは失効するか意味を変えるという原則です」
 
 「憲法9条の条文は削らないまま単純に自衛隊の存在を書き足したら、場合によっては残った現在の条項は失効する恐れがあるのです。戦争放棄をうたった1項と、戦力不保持を定めた2項です」
 
 ――今ある平和憲法の原則を手放す改憲をするのと、同様の行為になりかねないのですか。
 
 「そうです。軍備拡大への歯止めがなくなり、あらゆる戦争を遂行できることになりかねません。そういう認識をきちんと共有しないまま提起されている今回の改憲論は『政治的な主張』と呼べるレベルのものではありません。フェイク(虚偽)です」
 
 ――自衛隊を書き込むタイプの改憲案が、もしフェイクでなく、政治的な主張になりえるとしたら、その条件とは何でしょう。
 
 「たとえば、専守防衛を原則として集団的自衛権の行使には厳格な制限をかけた自衛隊であることをきちんと明示する。そんな改憲案を提示すれば、私自身は賛成しませんが、一応フェイクではなく一つの政治的主張にはなるでしょう。しかしそんなことを書き込もうという姿勢はうかがえません」
 
 ――自衛隊を書き込む改正について国民投票が行われたら、賛否はどうなると見ますか。
 
 「予測はしませんが、単なる個人的な見方を言うならば、現政権の下、安倍晋三氏とその周辺が旗を振る形での改憲ということであれば、幅広い支持には至らず挫折するでしょうね。言葉を積み重ねることで公共社会に共通の枠組みを築き続けていく――そういった文明社会の約束事をあまりに軽んじる政治家たちだからです」
 
 ――日本社会は新しい天皇を迎えました。国民主権の日本国憲法下では2回目の経験になります。憲法と天皇制についていま気になっていることは何ですか。
 
 「元号は元々は中国の伝統です…
 
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https://www.asahi.com/articles/ASM4C5TC1M4CUPQJ00R.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/382.html
[政治・選挙・NHK260] 記号化された天皇、一体化に利用する「われら」 井上達夫 (朝日新聞)
朝日新聞デジタル 2019年5月3日08時00分
 
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法哲学者の井上達夫さん=東京都文京区、高久潤撮影

 改元後初めての憲法記念日を迎えた。日本国憲法が明記した天皇の地位「象徴」の具体像は、平成を通じて大きく変わった。独自のリベラリズム論を展開してきた法哲学者の井上達夫・東大教授は、天皇に依存し続ける日本の今のあり方にリベラルな理念の欠如が読み取れるという。どういうことなのか。(聞き手 文化くらし報道部兼オピニオン編集部記者・高久潤)

 ――日本国憲法で2度目の天皇の代替わりになりました。
 
 「昭和から平成の時とは大きな違いを感じます。昭和天皇の体調が悪化してから社会に蔓延(まんえん)したのは『自粛』という名の同調圧力です。テレビCMで井上陽水さんの『お元気ですか?』という言葉は口パクにされ、多くの行事も自粛された。天皇の戦争責任に言及した当時の長崎市長本島等さんが後に銃撃されるなど、私は社会が狂気に陥っていると思いました。ですが、今回は穏やかな歓迎ムードが広がっている。死去と生前退位の違いはありますが、天皇の存在の変化もあるでしょう」
 
 「昭和天皇は『人間宣言』以降も象徴になりましたが、やはり戦争の『影』を引きずり続けた。日本国憲法は、天皇の地位が『主権の存する日本国民の総意に基く』と定めます。前天皇はこの憲法の下で即位した初めての天皇です。自らの地位の正統性の根拠である『国民の総意』による支持を日々得る責任が自分にある、というのが彼の信念だったように思います。その自覚ゆえに、国事行為を超え、慰霊の旅などを繰り返した」
 
 「特に強く印象に残っているのはハンセン病患者への慰問です。家族とも切り離された人たちのもとに足を運ぶ。こうした『忘れ去られた』人たちを社会的に包摂しようとした振る舞いの蓄積ゆえに、天皇制への高い支持を可能にし、暗さのない代替わりにつながった」
 
 ――象徴天皇制が多様な人の生を社会に包摂していく。つまり平成を通じてリベラルな社会になっていった、と。
 
 「私はリベラリズムを、『異質な他者との共生』の思想として捉えています。確かに天皇個人はリベラルな考えを重視した人物だったと思います。国旗国歌法が施行された後の2004年の園遊会で、都教育委員(当時)で将棋棋士の米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事』と言うと、強制にならないように、と答えた。さらに、『国民の総意』により受容されるために、国民と日々直に接し続ける責任を加齢で果たせなくなったと判断すると、保守派の反発に抗して生前退位を求めた。憲法上の天皇の国事行為は明記されていますが、それ以外に踏み込むことはリスクを伴う。政治的な行為・発言は禁じられ、実際に米長氏への発言、生前退位の意思を明らかにした『おことば』には、批判の声も上がった。それでもリスクをとったのはリベラルな考えゆえでしょう」
 
 「ただ天皇個人と天皇制は区別して考えないとならない。私は象徴天皇制を、日本に残った最後の『奴隷制』だと考えます」
 
 ――奴隷制、で…
 
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[政治・選挙・NHK260] 安倍君、これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい! (澤藤統一郎の憲法日記)

本日は、1947年5月3日に日本国憲法が施行されてから、72回目の憲法施行記念日。もとより、この憲法が理想の憲法というわけではない。一字一句、永遠に手を付けてはならないとする「不磨の大典」でもありえない。旧憲法の残滓を多分に引き継いで、改正を要する部分もあることは当然である。

しかし、72年前に実定憲法となった日本国憲法の主要部分は、人類の叡智の結実というべき近代憲法として、現代日本に有用で貴重なものと言わねばならない。憲法規範とは、社会の現実をリードすべきものであるのだから、社会が憲法に追いついていない以上、規範としての日本国憲法その貴重な存在価値を失わないのだ。

憲法にはコアの部分の体系とは相容れない大きな例外領域を残している。それが象徴天皇制という憲法の飛び地とも、番外地とも、ブラックホールともいうべき制度。憲法本来の体系とはなじまないこの夾雑物を廃絶することは、真の意味での「憲法改正」である。

政治勢力を革新と保守に二分すれば、日本国憲法制定以来、革新の側は憲法を理想の方向に「改正」する力量を持ちえなかった。いま、天皇制廃絶の「壊憲」を提起する実力をもっていない。将来の課題としておくほかはない実情なのだ。

さりとて、保守勢力による「憲法改悪」を許さないだけの力量は、革新が身につけてきたところである。現にこの72年間、保守ないし右翼勢力の改憲策動を封じて、日本国憲法は一字一句変えられていない。

革新陣営に憲法改正を実現する力量なく、さりとて保守勢力にも憲法改悪の実力を欠くことが、長く憲法を改正のないまま推移させてきた。

今また、憲法は、保守ないし右翼の側からの攻撃に曝されて試練の時にある。が、けっして改憲実現が容易な事態ではない。改憲を阻止し憲法を擁護しようという市民の力量には侮りがたいものがある。

本日、この憲法を擁護しようという護憲派の市民集会が、全国の各地でもたれた。東京有明では、その中央集会が開催され、盛会だった。

「2019 平和といのちと人権を! 5・3憲法集会 -許すな!安倍改憲発議-」の会場は人の波で埋まった。主催者の発表で6万5000人の集会だった。
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集会のスローガンは、以下のととおりである。

 私たちは
 安倍政権のもとでの9条改憲発議は許しません
 日本国憲法を守り生かし、不戦と民主主義の心豊かな社会をめざします
 二度と戦争の惨禍を繰り返さないという誓いを胸に、「戦争法」の廃止を求めます
 沖縄の民意を踏みにじる辺野古新基地建設の即時中止を求めます
 被災者の思いに寄りそい、原発のない社会をめざします
 人間の平等を基本に、貧困のない社会をめざします
 人間の尊厳をかかげ、差別のない社会をめざします
 思想信条の自由を侵し、監視社会を強化する「共謀罪」の廃止を求めます
 これらを実現するために行動し、安倍政権の暴走にストップをかけます

メインステージでのスピーチは、耳を傾けるに値する気合いのはいったものだった。沖縄・原発・格差・貧困・教育・外国人・差別、そして選挙共闘が話題となった。中でも、永田浩三さんと本田由紀さんの発言は出色だった。東京朝鮮学校生徒の訴えとコーラスも胸に響くものだった。

永田浩三さんのやや長いスピーチを産経が全文文字に起こしている。「こんな怪しからんことを言っている」という趣旨なのかも知れないがありがたい。主要なところを抜粋して、紹介させていただく。これで、会場の雰囲気を感じていただきたい。

「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。今は大学の教員として若者とともにドキュメンタリーを作ったりしています。今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません。

 私と安倍君は同じ1954年生まれです。同じ学年には志位和夫君、前川喜平君、ドイツの首相、メルケルさんがいます。安倍君は福島原発事故の後、すぐに原発をやめると決めたメルケルさんとは相性が良くないみたいですし、加計学園の獣医学部を作るのが、いかに無理筋だったかを証拠立てて語る前川君が苦手なようです。あと志位和夫君も苦手みたいです。

 私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした。

 小学校4年生のとき、東京五輪がありました。オリンピックは参加することにこそ意義がある。日の丸が上がるかどうかは関係ない。優れた競技やすごい記録に拍手を送るんだ。アベベ、チャフラフスカ、ショランダー…。柔道で神永昭夫がオランダのヘーシンクに負けたときも、ショックはなくて、ヘーシンクに私は拍手を送りました。『日本を、取り戻す。』『がんばれ! ニッポン!』。その旗を振る安倍君、少し了見が狭すぎませんか」

「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています。私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」

「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」

「安倍君の話に戻ります。君が以前アメリカを訪問したとき、キャロルキングの『You’ve Got a Friend』という曲が好きだと言いましたね。『どんなに苦しいときでも友達でいようよ』。僕も大好きですし、その感覚はわかります。でも、残念だけど、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」

「友情とはもっと気高く素晴らしいものです。君は実力以上に大事にされました。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!』

「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」「今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」

(2019年5月3日)

http://article9.jp/wordpress/?p=12533
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/391.html

[政治・選挙・NHK260] (社説)憲法と日米地位協定 理念の「穴」を埋める時 (朝日新聞)
2019年5月4日

 
 安倍首相はきのう、憲法改正を求める集会にメッセージを寄せ、改めて改憲への強い意欲を示した。

 「国民こぞって歴史的な皇位継承を寿(ことほ)ぐ中、令和初の憲法記念日に」と切り出し、「令和元年という新たな時代のスタートラインに立って、この国の未来像について、真正面から議論を行うべきときに来ている」と語った。

 言うまでもなく、改元と改憲には何の関係もない。祝賀ムードを利用して改憲機運をあおるのは厳に慎むべきだ。

 憲法は国の骨格であり、それを改める議論は、主権者である国民が主導し、幅広い理解を得ながら進めねばならない。

 特にこの憲法は、内外に大きな惨禍をもたらした先の大戦の反省を踏まえ、敗戦国・日本が新たな国として再出発した原点である。「昭和」から「平成」「令和」へと元号は移っても、変わらぬ重みを持つ。

 ■沖縄の重い問いかけ

 一方で、戦後日本の安全保障には、日米安全保障条約というもうひとつの柱がある。憲法の下、専守防衛を基本とする日本を米国が補完する構図だ。

 憲法と安保。両者は矛盾を抱えながら、日本の針路に大きな影響を与えてきた。

 その安保条約に基づき、在日米軍にさまざまな特権を認めているのが日米地位協定だ。日本が独立を回復する直前に結んだ日米行政協定をほぼ引き継ぎ、基地の自由使用を最大限保障した。1960年の締結から一度も改正されていない。

 「沖縄では憲法の上に日米地位協定がある」。昨年夏に急逝した沖縄県の翁長雄志(おながたけし)前知事は生前、そう語っていた。

 在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄では、米軍人・軍属による殺人・強姦(ごうかん)などの事件や事故が後を絶たない。ところが地位協定によって日本側の捜査には厚い壁がある。騒音被害や環境汚染にも、有効な手立てを打つことができない。

 翁長氏は、16年6月の沖縄慰霊の日の平和宣言で、こう訴えたことがある。

 「沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか」

 沖縄を訪ねた菅官房長官に「『戦後レジームからの脱却』とよく言うが沖縄では『戦後レジームの死守』をしている」と怒りをぶつけたこともあった。

 重い問いかけである。

 憲法の理念に、地位協定が「穴」をあけているように見える。変えるべき戦後レジームは憲法ではなく、むしろ地位協定ではないのか。

 ■首都上空の「空の壁」

 日本の主権や憲法の保障する人権に制約があるのは、沖縄だけのことではない。

 首都圏の西側に日本列島を横切る巨大な「空の壁」がある。横田基地の米軍が管制権を握る「横田空域」である。

 東京、神奈川、埼玉、新潟、静岡など1都9県にまたがり、羽田や成田に発着する民間機は米軍の許可なく通過できない。20年の東京五輪・パラリンピックに向け、羽田発着の国際便を増やすための飛行ルートの新設にも米軍の了解が必要だった。

 広大な空の主権を米国に明け渡し、今もそれが続くのは正常な姿とは言いがたい。

 山あいを縫うように飛ぶ米軍機の低空飛行訓練も、北海道から沖縄まで日本全土に設けられたルートで日常的に行われている。日本政府への連絡もなく、やりたい放題だ。

 実際、高知県の早明浦(さめうら)ダムや岩手県釜石市の山中で、低空飛行していた米軍機が墜落事故を起こしたこともある。高知県は先月、低空飛行の目撃情報を踏まえ、訓練の中止と、事前の情報提供を河野外相、岩屋防衛相に要請した。

 ■原則国内法の適用を

 日米安保体制の意義は認めるが、地位協定によって住民の権利が脅かされている現状はこれ以上見過ごせない――。

 そんな意識は、沖縄にとどまらず、全国47都道府県知事が共有するまでになった。

 全国知事会は昨年夏、協定の抜本見直しを求める提言をまとめた。航空法や環境法令などの国内法を原則として米軍にも適用させる。事件・事故時の自治体職員の立ち入りを保障する。いずれも、住民の暮らしに責任を持つ自治体の首長として、当然の求めだろう。

 昨年、公明党や国民民主党も改定案を示した。だが安倍政権は、あくまで運用改善で対応できるとし、米軍の特権を奪う協定改定には後ろ向きだ。

 沖縄県の調査によると、日本と同じ敗戦国であるドイツ、イタリアは80年代以降、自国民の権利を守る観点から、米軍の活動に原則、国内法を適用するなどの見直しを実現している。

 同じことが、なぜ日本政府にはできないのか。

 同盟強化だけが日米関係ではない。住民の立場にたって憲法理念の穴を埋めていく。その作業に取り組む時だ。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14000632.html?iref=editorial_backnumber
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/396.html

[社会問題10] アメトークの西成ネタを考える  「やばい」「こわい」という言説はどこから来て、どこへいくのか。(朝日新聞社 論座)
アメトークの西成ネタを考える
「やばい」「こわい」という言説はどこから来て、どこへいくのか。

武田緑 教育コーディネーター
論座 2019年05月02日


 4月18日に放送されたテレビ朝日の人気バラエティー番組「アメトーーク!」の最後に謝罪文が映し出された。2月に放送された「高校中退芸人」の特集についてだ。
 
 その特集では、芸人のソノヘンノ女・ともが、自らが通っていた大阪府立西成高校について「椅子が机と繫がっている理由は投げられないようにするため」「窓がガラス素材でない理由はガラスだと割る人が多いから」などと話した。それに続いてMCの宮迫が、西成について「行かないほうがいい地域」とコメントした。これらの発言は事実誤認・差別表現であるとして、西成高校、大阪府教育委員会、部落解放大阪府民共闘会議などから抗議があったという。(詳細はこちらの記事で) https://www.asahi.com/articles/ASM4M05FXM4LUCLV00V.html

 地元いじりや自虐ネタとして笑いにしてしまうことで、自分の過去や自分にくっついてるアイデンティティ(今回で言えば、西成高校出身であることや、高校中退組であること)を肯定し昇華しようとすることはあるだろう。私自身にも心当たりがある。彼女のスタンスは理解できるところもある。同じような環境にいた人間同士でそんな会話をして“身内トーク”として盛り上がることもあると思う。

 社会的にネガティブなイメージを持たれる属性を背負ってる人たちが、それを跳ね返そうとしたり、同様の経験を共有する人たちとの仲間意識を強めようしたりする場合に、その独特の体験や環境をユーモアと共に語ることも、よくある。

 しかし、今回はそれをテレビという公共の電波に乗せて、「西成高校」という固有名詞を出し、しかも「行かないほうがいい地域」という差別表現とともに発信してしまったわけで、やはり問題だったと言わざるを得ない。

 実際の高校名を具体的に出してしまったことは、西成高校への新たな、さらなるレッテル貼りを生み出し、生徒に実害がある。校長が異議申し立てをするのは当然だ。編集できるのだから、編集すべきだった。

 一方で、渦中にいる西成高校中退の彼女が、今どんな気持ちでいるのかも気がかりだ。

 彼女があえて具体的な高校名を出したのは、西成にくっついているマイナスイメージを逆手にとってインパクトを持たせたかったのだろう。

 キャバクラで働きながら芸人をしているという彼女にとって、西成高校ネタは多分、これまでもサバイバルツールだったのではないだろうか。

 そう思うと、非常に複雑な気持ちになってしまう。

 Twitterでは、今回の一件について、たくさんのつぶやきが書き込まれている。

 「実際やばいところじゃん」「西成でこんな事件あったんだって」「行った時怖い目にあったよ」などなど……。

 私はネット上の反応などを見ていて、もう少し、社会一般の共通理解、常識になればいいなと思ったことがあり、ここにまとめたい。

❶「社会的スティグマ」というものが差別を正当化する。
 
社会によって、個人や特定の集団に対するネガティブなレッテル、烙印のことを「社会的スティグマ」と言う。西成の街や西成高校には、まさにこの社会的スティグマがへばりついていると言える。

スティグマを背負った人たちを蔑み、差別することが正当化され、「当たり前のこと」とされていく。西成高校の生徒たちも、西成に暮らす人たちも、嫌な思いをたくさんしてきた。

例えば、バイトの面接で履歴書を見た雇用主に眉をひそめられる。「彼氏は西成に住んでいる」というと親から「大丈夫なの?」と耳打ちされる。そんな中で、出自や母校を隠している人も少なくない。

今回の報道はスティグマの表出であると同時に、スティグマをさらに強化するもの。「こんなの普通にOKでしょ」というスタンスは、生きづらい人を増やすことにこと他ならない。

❷貧困と差別によって困難な状況が世代を越えて連鎖する。
 
差別が貧困を産み、貧困が差別を産み、負の連鎖が続いていく。

これは図で説明する方が分かりやすいと思うので、見てもらいたい。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019042400002_2.jpg
 
貧困と差別がその人たちから機会を奪い、力を奪い、非社会化・反社会化するリスクが高まっていく。

これは、いわばある属性の人たちの生活の実態として立ち現れた"もう一つの差別の姿"とも言えると思う。そして、実態として現れた差別は、新たな差別と偏見を産む。

「やっぱり西成の人ってこわいじゃないか」「治安が悪いのは事実だ」「行かない方がいい」といった、まさに今回の件でTwitterに溢れているような無数の声。それがまた西成の人や西成高校の生徒をしんどい状況に追いやっていく。

生徒に「いくら頑張っても、私ら所詮、西成高校やもん」と、言わせているのは一体誰なのか、考えてみてほしい。

西成高校は、今"荒れている"というような状況ではないと私は認識している。また、たとえ当時"荒れて"いたとしても、それは社会的に厳しい状況に置かれている子どもたちのしんどさの表現であり、SOSでもある。これは大人でも同様で、"困った人"は実際は困っている人だ、というのは福祉や教育の世界では普通に認識されていることだと思う。

西成高校は、そのような生徒のSOSにも、ずっと向き合ってきた学校だ。この負の連鎖に楔を打つような人権学習・反貧困学習や、生活指導や、仲間づくりをしてきた。学校自体が、強固なスティグマを背負わされながらも、子どもたちと地域の抱えるしんどさを、どうにかしようとしてきた。

その人、その子、その家族、その地域に現れている問題は、その個人やその地域の問題でのみあると考えるのは不十分だと思う。その問題を生み出す社会的背景や社会構造を見つめたり、そこに考えを向けられる人が増えてほしい。

❸「不当な一般化」がさらなる排除を生む。
 
例えば一件の自転車盗難が起きたとする。大阪市の北区で起これば「たまたま」「北区でもこんなことあるんだねえ」となることが、西成区で起これば「やっぱ西成はやばい街だ」と言われる。

日本人が犯罪を犯しても「そういう日本人もそりゃいるよね」という話になるけれど、外国人が犯罪を犯したら「やっぱり外国人を受け入れると治安が悪化する!」というような反応になる。これを「不当な一般化」と言う。

普通に想像できると思うが、これは、上記の社会的スティグマを負う人や集団・地域に対して、すごく起きやすい。

割合は違うかもしれないが、どこの地域にもいろんな人がいる。どこの地域でもいろんな事件が起きる。

Twitterには「西成でこんな事件があったんだって」とか「西成でこんな目にあった」と言う書き込みが溢れていたが、二次情報で信ぴょう性の疑わしいものもたくさんある。個人の経験を書き込んでいるものにしても、それって1回の出来事を「西成だから起きた」と不当に一般化している側面はないだろうか。

私の友人は、先日家族旅行で西成の安宿に泊まったのだそう。地元のおっちゃんに「どこ行くねん?!」と声をかけられて、そのまま町案内をしてもらい、「気取らなくて面白い町だなぁ」と子ども共々大いに楽しんだそうだ。怖い町だという偏見を持っていたら、声をかけたられたこと自体も恐怖に感じたかもしれない。

私たち人間は、簡単にフィルターを通して世界を見てしまうのだ。その自覚が一人ひとりに必要ではないだろうか。

■踏ん張っている人がたくさんいる
 
 西成は確かに、しんどさを抱える人が多く暮らす地域だろう。

 でも、それを乗り越えよう、状況を変えようと頑張っている、踏ん張っている人がたくさんいる地域でもある。

 そして、 ・・・ログインして読む
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https://webronza.asahi.com/national/articles/2019042400002.html
http://www.asyura2.com/18/social10/msg/199.html

[政治・選挙・NHK260] 「改憲を急ぐ安倍政権を打倒しよう」 - 東京の憲法集会にこれまで最高の65,000人 - (ちきゅう座)
2019年 5月 4日
<岩垂 弘(いわだれひろし):ジャーナリスト>
 
 
 「改憲を急ぐ安倍政権を打倒しよう」。憲法記念日の5月3日(祝日)、東京・江東区有明の東京臨海広域防災公園で、「平和といのちと人権を!―許すな!安倍改憲発議―5・3憲法集会」が開かれた。護憲関係団体が憲法記念日に統一して開く恒例の集会で、今年で5回目だったが、主催者発表で6万5000人が集まった。前年より5000人多く、これまでで最も参加者数の多い集会となった。2020年に新憲法施行を目指す安倍政権の改憲作業が、市民の間に危機感をもたらし、それがこの日の盛り上がりにつながったようだ。
 
 集会を主催したのは「平和といのちと人権を!5・3憲法集会実行委員会」。実行委を構成するのは、戦争をさせない1000人委員会、憲法9条を壊すな!実行委員会、戦争する国づくりストップ!憲法をまもり・いかす共同センター、九条の会などだ。
 
 集会は午後1時から始まったが、開会前から、りんかい線国際展示場駅、ゆりかもめ有明駅から降りてきたおびただしい人たちが会場につめかけた。海から吹きつける風に、林立する色鮮やかな組合旗や団体旗、のぼりがはためいた。
 旗やのぼりから見て、労組、脱原発団体、護憲団体、宗教団体、女性団体などからの参加者と分かった。何も持たず、ゼッケンも着けない、いわゆる一般市民とみられる人たちも多かった。1人でやってきた人も少なくなかった。
 
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憲法集会の会場を埋めた集会参加者
 
 主催者を代表して開会あいさつをした実行委員会の高田健さんは「安倍政権は昨年の臨時国会での改憲発議を図ったが、できなかった。私たちの運動の成果だ。安倍政権は今の通常国会で発議をやろうとしているが、国会会期はあとわずかだから無理だろう。そこで、夏の参院選挙において改憲派で3分の2を獲得し、秋の臨時国会で改憲発議にこぎつけようとしている」と述べ、「参院選挙では、何としても護憲派を3分の1以上にしなくてはならない。そのためにも、32の1人区で野党統一候補を当選させなくては。市民が野党に働きかけ、野党統一候補をなんとしても実現させよう」と呼びかけた。
 
 メインスピーカーとして登壇した音楽評論家の湯川れい子さんは「音楽のあるところに戦争はない。対立のあるところに戦争がある。だから、大いに音楽を楽しみましょう」「私たちが生きている世界では、人間が人間を殺す。が、動物は同種の動物を殺さない。人間が人間を殺すなんてまことに恥ずかしい行為。で、人間として人間を殺さないと宣言したのが日本国憲法第9条です。9条は日本の宝、世界の宝です。憲法を守るために残りの人生を賭けたい」と話した。
 
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9条堅持を訴える人たち
 
 続いて登壇した「辺野古」県民投票の会代表の元山仁士郎さんは「米軍基地の辺野古移設についての県民投票で沖縄県民の民意は明らかになった。なのに、政府は建設工事を強行している。日本国憲法は民主主義を保障している。でも、沖縄ではその憲法が守られていない。こんなことがあっていいのか。本土の人も、この問題では自分が問われている、と気付いてほしい」
 
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沖縄の米軍・辺野古基地の建設に反対するプラカードも目についた
 
 「政党からのあいさつ」では、立憲民主、国民民主、共産、社民の4党党首が登壇した。そして、口々に「自民党は改憲項目に4点をあげているが、狙いは9条の改定だ」「安倍首相は、9条に自衛隊を明記してもこれまでと何ら変わることがないと言っているが、これはとんでもないウソ。安倍政権はすでに、憲法上疑義がある集団的自衛権行使の容認を閣議決定し、これを安保関連法という形で法制化したが、自衛隊を9条に明記することで、集団的自衛権行使を憲法上でも認めさせようとしているのだ。そうなれば、自衛隊は堂々と海外に出てゆき、外国の軍隊と共に戦うことになるだろう。まことに危険極まる改定だから、だまされてはいけない」「憲法には、内閣という文字はあるが、厚労省とか国交省とかいった省庁の文字はない。自衛隊が9条に明記されるとなると、自衛隊が省庁の上に立つことになる」などと演説し、改憲阻止のために全力を上げると決意を表明した。
 
 登壇者の1人が「この集会のキャッチコピーは『いま、変えるべきは、憲法でしょうか?』ですね。これをこう変えたらどうでしょう、『いま、代えるべきは安倍さんですね』と」と叫ぶと、会場から拍手がわき起こった。
 そういえば、この日は、集会会場にこれまでになく「安倍政権退陣」「安倍内閣打倒」の文字や言葉がはんらんしていたように思われた。
  
 集会後、参加者は2コースに分かれてデモ行進した。
 
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集会のスローガンを書いたプラカードを自転車の荷台にくくりつけた青年

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4600 :190503〕
 
http://chikyuza.net/archives/93457
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[政治・選挙・NHK260] NAJAT2019年憲法記念日声明 「大軍拡をやめさせ、憲法の理念を活かす政治を」(ちきゅう座)
2019年 5月 4日
<杉原浩司(すぎはらこうじ):武器取引反対ネットワーク(NAJAT)>
 

本日5月3日、憲法記念日。私たちNAJATメンバーも参加した東京・有明防災公園での「平和といのちと人権を!5・3憲法集会 -許すな!安倍改憲発議-」は、昨年を上回る約6万5千人の参加でした。この底力で、改憲発議も、「先取り壊憲」も食い止め、安倍政権を一日も早く退陣に追い込みたいと思います。
 
NAJATでは、2019年の憲法記念日にあたって、以下の声明を発表しました。
ぜひご一読いただき、広めていただけるとありがたいです。
 
<関連>
憲法巡り各地で集会 それぞれの思い語る 憲法記念日(5月3日、毎日)
https://mainichi.jp/articles/20190503/k00/00m/040/148000c
 
こちらの産経に憲法記念日の様々な発言(詳報)が並んでいて便利です。
https://www.sankei.com/main/topics/main-33392-t.html
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【声明】
 
大軍拡をやめさせ、憲法の理念を活かす政治を
~2019年憲法記念日にあたって~
https://kosugihara.exblog.jp/239247780/
 
軍隊を持たず、武力による紛争解決の放棄を誓った日本国憲法。
植民地支配と侵略によって「列強」の仲間入りを追求した果ての惨状。その深甚なる反省から生まれた平和憲法は今日、施行から72年を迎えました。
私たちはしっかりとこの国の現状を捉え、憲法の目指した国家像や世界の未来の姿に照らして、何をすべきかを見定めなければならないでしょう。
 
最高額を更新している防衛費5兆2,574億円を含む2019年度の国家予算101兆4,571億円は既に成立してしまいました。2018年度の第2次補正予算にも3,998億円もの防衛費が含まれており、実際の単年度あたりの軍事費は5兆6,500億円にも達しています。これは、文部科学省予算5兆5,87億円を超えています。
中でも、アメリカ国防総省によるFMS(有償軍事援助制度)によって、武器メーカーから直接ではなく、米政府を通して言い値で買う高額兵器が急増しています。アメリカとの「貿易摩擦の緩和」を名目に、イージス・アショア、F35戦闘機、長距離巡航ミサイル、無人偵察機などの導入や、既存のイージス艦の弾道ミサイル対応改修等が行われています。一方、驚くべきことに、政府の給付型奨学金の予算は、2018年度で105億円とF35A戦闘機1機分(116億円)以下です。また、今年3月に打ち切られた原発事故での区域外避難者への福島県からの住居支援の額は、さらに少ない約80億円に過ぎません。
 
この「武器爆買い」状況のもとで、圧迫される財政を背景に、調達費支払いの延期や開発をめぐり、政府と日本の軍需産業との間に「きしみ」さえ生じています。
このように、日本政府は、中国の海軍力増強など「安全保障環境が一層厳しい」ということを大義名分に、これまでの中期防衛力整備計画とも合致しない武器購入を官邸主導で決定し、限りある財源を注ぎ込んでいます。
これは、海外での権益保護をうたって正当化された、戦前の陸海軍の歯止めなき拡大による財政圧迫と、産業の軍需化を連想させます。
裏工作までして獲得した1940年の「東京オリンピック」開催を、中国侵略の収拾ができなくなったために返上したことも、大いなる教訓として思い起こすべきでしょう。
 
今年は、日本が植民地支配していた朝鮮半島全土で独立宣言が叫ばれ、民衆が街頭に繰り出した「2.8独立宣言」「3.1独立運動」から100年でもあります。植民地支配の歴史を忘れ、民族差別がいまだに横行する中、日本では、歴史的な南北首脳会談や米朝首脳会談の流れを冷笑するばかりか、政府でさえ「同盟国」韓国との軍事緊張まで演出し、朝鮮民主主義人民共和国の脅威を言上げしているありさまです。政治・外交の劣化と停滞は既に大きな損失を生んでいます。
 
その中で、武器爆買いや辺野古新基地建設強行をはじめとする大軍拡は、社会保障や教育を切り捨て、市民生活を圧迫し、貧困を「自己責任」として押し付けていこうとしています。さらに「ミサイル要塞化」が進む南西諸島(与那国島・石垣島・宮古島・奄美大島)では、沖縄戦の悲惨な記憶をあざ笑うかのように軍事が市民生活を浸蝕しつつあります。
 
私たちは歴史から何も学ばなかったのでしょうか。
 
私たちはかくもたやすく対外危機に煽られて平和の資産を手放そうとするのでしょうか。
硝煙が漂い始めた現在、しかしまだ憲法の条文には手が付いていません。ここから私たちは、大軍拡にストップをかけ、安倍晋三政権が目指す明文改憲はもちろん「先取り壊憲」をも食い止めたいと思います。予算を武器より暮らしに振り向けることのできる代表を議会に送り込み、周回遅れでも東アジアの平和構築のために積極的に参加していきたいと思います。
ともに力を尽くしましょう。

2019年5月3日     武器取引反対ネットワーク(NAJAT)

東京都新宿区下宮比町3-12 明成ビル302 3・11市民プラザ気付

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8617:190504〕
 
http://chikyuza.net/archives/93453
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/404.html

[政治・選挙・NHK260] 〈コラム狙撃兵〉 将軍様万歳と重なる光景 (長周新聞)
2019年5月4日

 月が変わるまでは「平成最後の○○」ばかりを連呼し、月が変われば「令和最初の○○」をメディアが延々と騒いでいる。少々鬱陶しいと感じるのは、こぞって饅頭や食い物に「令和」の刻印を入れたり、年越しそばならぬ「年号越しそば」を食べてみたり、商売繁盛のために便乗していたり、「めでたい、めでたい」の垂れ流しが軽薄極まりないからだろう。天皇制とは何か、元号とは何かといった思慮や深掘りは放棄して、もっぱら劇場型で世の中の空気を「天皇陛下万歳」で統一し、メディアの腕力によって祝賀ムード一色に染め上げているのである。「天皇陛下のおかげで平成は平和な時代だった」「天皇陛下に感謝いたします」等等、アナウンサーやコメンテーターたちは競うように人柄を讃えて感謝感激の思いを重ねている。2019年はいったい何時代なのだろうか? と思うほど宗教的である。というより、もともと国家神道の頂点に君臨する天皇及び天皇制はそれ自体が宗教である。
 
 明治以後に絶対的権威として祭り上げ、その後徹底した軍国主義教育によって国民に叩き込んだそれは、320万人の国民の生命を奪った第二次大戦を経て、象徴へと切り替わった。国家としての独立をアメリカに明け渡すことによって戦争犯罪の責を免れ、「昭和」の継続を許されたのが2代前の昭和天皇だった。フセインやカダフィが惨殺されたのとは違い、その絶対的権威を「100万の軍隊に匹敵する」(マッカーサー)と見なして戦後支配に利用したのがアメリカだった。日本の単独占領がモデルとされるのは、それら統治の構造を丸ごと傀儡として従え、武装解除から占領までをやり遂げたことにある。世界で唯一、無抵抗による占領が可能となったのは、天皇制の継続とその利用抜きには考えられないことであり、国民に塗炭の苦しみを強いた支配者の屈服と隷属によって成し遂げられたのである。
 
 そして、74年が経って絶対主義天皇制の時代から国民主権に変わっているのに、なお天子様のもとに国民を統合し、異論を挟むものは非国民扱いされそうな勢いすら見せているのが今日の改元騒動である。天子様のおかげで下々の赤子たちが存在するという考えは、絶対主義天皇制の時代から尾を引いたものであり、「天皇陛下のために死んでこい!」と言われたら、「天皇陛下万歳!」と叫んで死ににいきそうな熱量とでも言おうか、その残渣を感じさせるものがある。天皇の性格や人柄の善し悪しなどとは関係なく、引き戻す力が強力かつ意図的に働いているのである。
 
 戦争を知らない子どもたちの世代から孫やひ孫たちの時代になり、天皇制とは何か、元号制とは何かを深く考えたりすることなく、染め上げられた祝賀ムードのなかで、ポップでカジュアルなノリで同化したり、あるいはどう反応して良いかわからないという戸惑いみたいなものも漂っている。そして、安倍晋三の選挙区でもある下関市長の前田晋太郎あたりになると、日頃は議場でも寝てばかりいるのに、日付けが変わった0時5分に張り切って「天皇陛下万歳」とツイートしたものだから有権者を驚かせた。その時間まで起きていたことへではなく、かつて戦場にかり出された兵士たちが死んでいく時に叫べと叩き込まれていた言葉を、実に軽いノリでツイートする時代になったことへの驚きである。そして、少子化で軍人が足りない折、下関市は街の子どもたちの個人情報を名簿にして自衛隊に差し出すのだという。その軍隊は昔天皇、今アメリカで、今度はアメリカの身代わりになって戦場にかり出される運命にある。天皇制や独立国家としての体裁をどのように欺瞞しようと本質は属国であり、情けないものである。天皇制もまた飾り物にすぎず、植民地支配のための一ピースとして利用され、キリスト色に染まりながら今日に引き継がれているのである。
 
 ところで、天皇陛下万歳騒動を見ていてふと思ったのは、北の将軍様に「マンセー(万歳)」といって感涙している人々に見せたら、恐らく「日本もワシらと一緒じゃないか」と思うのではないか? という点だった。元号の由来は中国の皇帝が時を支配するために用いたことにあるが、そうした王政の名残や特定の一族を神のように崇め奉る文化が東アジアの片隅で灯を点していることについて、宗教的な部分も含めて興味深く考察する価値があるように思う。吉田充春

https://www.chosyu-journal.jp/column/11624
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/406.html
[政治・選挙・NHK260] 礒永秀雄の詩・エッセイから迫る天皇制 戦争を体験した者しかわからぬ思い (長周新聞)
2019年5月4日
 
 
◇ 十年目の秋に  礒永秀雄

近道なら
あなただ
あなたの声だ
あなたの良識だ
あなたの人間としての訴えだ
さらに私たちの良心としてのあなたの登場だ
天皇―
あなたが富士よりも輝かしい方であるなら
あなたは誰憚らず言えるはずだ
あなたが誰よりも日本を愛する方であるなら
あなたはきつとこう言われるはずだ
―私の願う恒久の平和は
  戦争を放棄する固い約束の
   上に立つています と
 
かつてあなたの願つた平和は
選んだいくさの火の中で燃え尽きたけれど
あなたがあの夏の日に願い
私たちもともに誓つた平和は
厚いケロイドとともに
胸を離れぬ金輪際崩れてはならぬ
大きな平和だ
 
私は覚えている
菊の紋章を削り落した銃を異邦人たちが海に捨てた八月
日本の山河に憧れながら
異国の土と消えた復員前の幾多戦友
広島駅頭で泣くようなさようならを言つて立ちつくしていた生き残つた戦友
屈辱と白い髪の霜だけをみやげに
外地から引揚げていた父と母
「殺された友を見殺しにするな」と
壕の内そとで誓い合つていてくれたという学友の便り
しかも久々に見る日本の山河は
切ないほど美しい青さで
私の眼にしみた 胸にこたえた
 
しかし
私は日本に残つた人々の苦労を知らない
その人たちは生きのびていてくれたから
私は自分たちの苦労を言わない
そうして更に私は不幸にしてあの日のあなたの声を耳にしていない
一億の人々がこうべを垂れ
狂おしい感動の中で聞き入つたという
あのしめやかな声を耳にしてはいない
その日から南の風は草の香をはこび
その夜から虫の音は静かな秋を告げはじめたという
あのあなたの声を耳にしていない
 
私の耳にあるあなたの声は
部隊長があなたに代つて伝えた
あなたの心にもなかつたという
〈玉砕命令〉
呪いのように耳もとに灼きついている
そのはじめのことば
おわりのことば
〈朕 汝 股肱ノ臣ニ告グ〉
〈チン ナンジ ココウノシンニツグ ………〉
私たちは片唾をのんで聞いた
真暗な思いで聞きとどけた
そのおわりのことばを
私は今 あなたにかえす
〈スイサイニオイテ
テキヲヨウゲキシ〉
〈水際ニオイテ
敵ヲ邀撃シ……〉
〈テキヲヨウゲキシ〉
〈スイサイニオイテ……〉
〈ギヨクサイセヨ〉
〈玉砕セヨ!〉
ああ いまわしいその声とはきつとちがう
あなたのほんとうの声を
私は聞きたい
生きた声を にんげんの声を
 
―私の願う恒久の平和は
  戦争を放棄する固い約束の
   上に立つています と
せめてこれだけでもよい
言つていただきたい あなたに
あの奢つた選良たちの眠りをさまし
まつとうな人間の世にかえすために
十円紙幣の鎖の中
ユダヤ十字にしばられた
賭博場にもまがうあの建物の奥の
いまだ隅々までその声は水を打つという席に立つて
あなたがこうはつきりとおつしやることを
万に一つの夢に 思う
派閥もない私たちと同じように
党派を越えたあなた
平和を願うあなた
そして誰よりも日本人であるはずのあなたに
汚された富士のかなしみをこめ
かえらぬ人々の願いをもこめて
私は希う 私は求める
この声があなたに届くかどうかを
私は知らない
しかし私は知つている
平和の願いが必ずいくさを退けうることを
真実の道を掩う雑草をたんねんに
抜きつづけることが
私たちの永遠の仕事でなければならぬことを
「右 近道」と新しい矢印のある
立札の立つあたり
私は 今
一つの願いを
衣を脱ぎ捨てるように
しかしきちんと畳んだものを
あなたへの悔いない切札として
置いてゆきます
捨ててゆきます
 
(1955年8月22日朝)
 
 
https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/7f8b34f1784823cb6cb1f2c0b3ff0684.jpg
学徒出陣壮行会の後街頭を行進する学生(1943年)

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/94dac7c6eabfcbbec2a08e9e72cf2a35.jpg
少年兵に志願した学友を送る大壮行会(1944年)

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/c267ae4cdbdc8f5d4ba4958f86ed7e58.jpg
傷ついた兵は続々と後送された(1939年)

◇ 遅すぎた目覚め(抄)  礒永秀雄
 

-戦争のあったころ-
 
 人にはそれぞれぬきさしならぬ体験がある。説明しても説明しきれぬ実感がある。それは当人にとって人生の一つの節となることもあるのだ。その体験が人生の上に支配的な影を落としているとき、われわれはそれを原体験と呼ぶ。
 
 ぼくの場合、それは戦争であり、死に直面させられたことであった。
 
 昭和十八年十二月、学徒臨時徴集で、文科系の学生の大半は駆り立てられた。「大君に召される」ことを光栄と受けとめ、「醜(しこ)の御盾」として出陣することが日本男子の誇りである時代であった。「死んで還れ」が合言葉であり、敗戦の兆しのようやく見えはじめたそのころ、出陣はすなわち死を意味していた。「身を鴻毛の軽きに置いて」いさぎよく戦って死ぬことは「悠久の大義に生きる」ことで、決して「死」を意味することではないと言い聞かされていた。そこにはいっさいの「なぜ?」は許されなかった。こうした死の美学をあえて否定する者は、非国民の名で糾弾される時代であった。
 
 「ああ、立ったまんまで死んでいくんだ」
 
 灰色の青春には、なに一つ楽しい思い出もなく、閉ざされた未来の前に立ちつくしているぼくには、言い知れぬ倦怠感だけがあった。ぼくは生まれてはじめて詩を書いた。
 
  孤絶
 
 雪の夜をわたしの歌はどこえやら
 
 雪の夜をわたしの歌があったとて
 
 雪の夜を雪の夜を
 
 榾火のあかく立ちて崩るる……
 
 そのぼくにも、一つだけ救いがあった。出陣の決まった十月、大学の壮行会で、文学部長はこう言ってくれた。
 
 「きみたちは不幸にして学途半ばで出征するが、きみたちのあとには、講師がおり、助教授がおり、教授がいて学問の灯はしっかり護りつづけているから、後顧の憂いなく大学の門を後にしてほしい。しかし、きみたちは学途半ばで出征するのだから、どんなことがあっても必ず生きて還ってきてほしい……」と。
 
 ぼくは感動した。当時タブーである「生きて還れ」という言葉で励まされたことは、ぼくを勇気づけて十分だった。
 
 「よし、生きて還ろう。死んでたまるか」
 
 
-生の美学-
 
 大学の軍事教練を拒否したのは入学当初のことである。運動場では退役将校の号令の下、銃剣で藁束を突き刺す、いわゆる刺突の訓練が行われていた。中学生のころから、あれを何年やらされてきたことだろう。ぼくは唖然とした。「大学よ、おまえもか」   ぼくはそのとき以来、教練の授業を放棄した。たといそのことによって卒業証書が与えられぬとしても、ぼくは人殺しの練習を拒んだことを誇りに思ってもいい、と思いながら。
 
 その大学で、ぼくは美学を専攻した。そこで学んだものは「死の美学」ではなく「生の美学」であった。カントの門を叩いた詩人シラーが「美しい魂」として教えてくれたもので、それはざっとつぎのような譬話が中心である。
 
 --雪の中に行き倒れた男がいた。彼は歩く力も起き上がる力もなく雪に埋もれていた。通りかかった一人の旅人は、男の倒れているのを見て見ぬふりをして通り過ぎた。つぎに通りかかった男は、倒れた男の傍に寄ったが、隣の町まで彼の道づれをしたのでは自分の命も危うくなると思い、「しばらくの辛抱だ。隣の町に着いたらすぐ救助の人びとをよこすから」と言い残して立ち去った。ところがつぎに通りかかった第三の男は、病人の傍に寄るといきなり彼をかつぎ上げ、彼を背負ったまま雪の中を隣町まで歩いていった。そして病院に男を預けて治療を頼み、名前も告げずに立ち去っていった。この第三の男の行動の中にこそ美があり、彼の美しい魂が、愛と奉仕の果敢な行動を支えているのである、と。
 
 「聖書」の「よきサマリア人」に似た話であるが、無条件に人の生命を救いきっていくこの行動の美学は、ぼくを捉えて離さなかった。
 
 「おのれを生かし、人を生かすためにこの世はあるのではないか」
 
 裏返せば「おのれを殺し、人を殺すためにこの世はあるのではない」ということである。
 
 
-死を待つだけの戦場-
 
 軍隊では一兵卒で通すことにした。幹部候補生の列外である。死ぬのはごめんであり、人殺しはなおさらお断りである。もし将校にでもなれば、いつどこで人殺しの命令を下すことがあるかもしれぬではないか。
 
 フィリッピンで「モノノ用ニ立チウベシトモ思ワレヌ」兵士たちが寄せ集められ、新しい一個聯隊が編成された。そしてそのまま南の孤島に追いやられた。ニューギニアの西北、赤道に近いハルマヘラという島である。船舶工兵とは言いながら、舟艇をアメリカ軍の爆撃でやられてしまい、生き残り組は、短い騎兵銃を持ったまま、もと関東軍の歩兵の師団に転属させられ、連日にわたる敵機の猛爆撃の下で、トカゲの鳴き声まで学んだ斬込隊のゲリラの特訓を受けたりすることになり、食うや食わずの一年有半が続いた。
 
 ぼくはやがて中隊から四十キロも離れた山中の兵器監視小舎に取り残され、労役だけは免れたものの、密林の中の自給自足生活で、ただ死んでいくだけの毎日を送った。
 
 人が死ぬ。つぎつぎにいとも簡単に死んでいく。機関部に魚雷を受けた輸送船はまたたく間に沈む。その渦に巻きこまれ、海の藻屑と消えた生命はどれだけおびただしい数にのぼったろう。戦わなくても殺されるのだ。その島でも、極度の重労働と栄養失調で戦友はばたばた殪れた。たった今、手を振って監視小舎を立ち去った友は、ものの三十メートルもいかぬうちに敵戦闘機の銃弾であえない最期を遂げた。密林の中でゲリラに毒矢で殺された斥候兵。点火していないと思って湿った導火索に息を吹きかけたとたん、ダイナマイトが爆発して木っ葉になった下士官。飲まず食わずのところへ食糧が届き、流動食にしなかったばかりに飯を食って死んだ召集兵。郷里の沖縄の敗戦を知って気が狂い、脱走し、銃殺された初年兵、病苦のあまり、みずから命を絶った学生兵。まだある。まだまだある、みんな「テンノウヘイカバンザイ」とも言わず、「オカアサン」とも叫ばず、南海の孤島にひっそりと朽ちていった。
 
 どうしようもない。しかたのないことなのだ、死は。それにはなにか順番のようなものがあって、みんな早晩そこへ追いやられるのである。
 
 
-飢えの中で-
 
 食糧がない。だから植物から虫にいたるまで手あたりしだい採っては食べ、下痢をすれば止すのである。ようかんに似ているところから、黄色火薬まで食べた。激しい腹痛を起こしたことはいうまでもない。餓鬼の世界である。
 
 ぼくは射撃に自信があった。密林の中で、見通しの悪い梢にとまる鷲は射てなかったが、山鳩やオウムは比較的低い枝にとまるので目標にしやすかった。飢えをしのぐために、ぼくはあえて殺生をはじめた。
 
 ある日一羽の白いオウムを射ち落とした。それをオトリに、つれあいのもう一羽を招き寄せようとした。しかし寄りつかないのである。「仲のよい鳥の中でも、やはり薄情なつれあいというのはいるんだな」と思ったりした。ところがその夜のことである。激しい鳴き声と羽搏きで、たしかにつれあいを求めて生き残った一羽が宿舎のほとりを飛びまわった。夜、眼のみえるはずはない。あちらの木にぶっつかり、こちらの宿舎の屋根にあたり、それはまさしく壮絶ということばでしか形容のできない不気味な羽搏きと鳴き声が夜っぴて続いた。やりきれなかった。ぼくはそれ以来、鳥は射たないことにした。
  
 
-人を焼く-
 
 山の向うの谷に野戦病院があり、マラリアで病死した戦友の遺体受領に来るようにと連絡を受けた。大男だった戦友は、痩せ細って死んでいた。軍医は戦友の右手首から先を、メスで切り取ると、パラフィン紙にくるみ、飯盒の中に無造作に抛りこんでぼくに渡してくれた。遺体は毛布にくるみバナナ林の中に穴を掘って埋葬するように、右の手は焼いて遺骨を取るようにという指示であった。衛生兵の手を借りて埋葬を終え、右の手は持ち帰って湿った密林の奧で荼毘に付した。銃の手入用のスピンドル油をふりかけ、消えそうになる火をかき立てながら、半日近くかかって焼いた。くすぶりつづける肉の臭いは、毛やラシャを焼くあの臭いである。やっと残った小さな骨を拾い、携帯燃料の空き缶に入れて持ち帰ったが、屍臭は半裸のぼくの毛穴という毛穴にしみこんで、何度水を浴びても、なかなか消えなかった。
 
 バナナ畑には墓標を立てに行った。なじみの薄い戦友で召集兵だったが、急に親しい想いでおもかげが浮んできた。ぼくは瞑目して合掌しながら、死者の冥福を祈る経文の一つでも習っておけばよかったものをと、なすすべを知らぬ自分がなさけなかった。今にして思えば、それは同時にみずからへの鎮魂歌を求めていたゆえとも思われる。
 
 
-生き永らえて-
 
 さいわいぼくは生き永らえて四年ぶりに故国の土を踏むことができた。昭和二十一年六月、敗戦後十か月目である。久びさに見る日本の野山と水の色は、さわやかな美しさでぼくに迫った。ぼくはそのときはっきり詩人を志した。奪われた青春は奪回すべく、それは永遠の青春につながるものでなければならなかった。死線を越えてたどり着いた処は、つねに出発点であり、同時に帰着点でなくてはなるまい。生死とともにあり、かつ生死を超えた一点が、ぼくにとっては詩であった。「詩を生きる」―ぼくはただ猛烈に生きたかった。あらゆるまやかしを拒否し、絶望を乗り越え、生涯青春につながるまっとうな生き方をしていこうと思った。
 
 高校時代の友人たちは、出征したまま消息を絶ち、敗戦後一年たっても音沙汰のないぼくを、てっきり戦死したものと思い、寄り集まってはぼくの死を無駄にすまいと誓い合っているということであった。ぼくは心から感動した。
 
 復員後は、年老いた引き揚げの両親を養いながら、さらには妻子を抱えながら、激しく詩を人生を生きようとした。しかし厳しい現実の前に幾度か夢がみじんに砕かれたとき、きまって還ってくるのは、死んだ戦友たちに対するうしろめたさであり、ぶざまな生き方しかできないおのれのさがの拙なさであった。
 
 しかしぼくは詩を、ドラマを、童話を、小説を書きまくった。書いたものはすべて背後に捨てて、いつもただ出発だけがあり、戦いだけがあった。
 
 
-用意していた墓碑銘-
 
 南の孤島に生きていたころ、山の木の間から海を眺めては口ずさむ詩があった。ぼくの生命を捧げるのは、はたして何に、そして誰に、という自問自答だった。ぼくはひそかにそれを「絶唱」と呼び、ぼくの墓碑銘にと心組んでいた。
 
 
-絶唱-
 
 海原の
 うしおの果てに咲く花の
 白きを
 今日は
 誰に捧げん
 
 戦友の誰彼たちは死んでいった。ぼくは生き残ったからには、ぼくは彼等の分を含めて、凋まない白い花を、日々咲かしつづけていかねば済まぬ気がした。
 
 ぼくは死んだ戦友に語りかけるかのように、おのれの生きざまを問いつづけ、生存のあかしを詩に刻み、まやかしには真向から対決せずにはおれなかった。
 

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/3190f24a17f83935b2b59a49d057d798.jpg
ガダルカナルの戦いで戦死した日本兵(1942年)

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/94b764803987068f30c6ac58de9fa213.jpg
被爆してやけどの治療を受ける女性(1945年10月、広島)

https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/11626
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/407.html

[政治・選挙・NHK260] 憲法集会に参集の人々と、一般参賀に列を作る人々と。(澤藤統一郎の憲法日記)

このところの「天皇交代報道」の異常さに、半ばは呆れ、半ばは空恐ろしさを感じてきた。戦前、神権天皇制の煽動に、理性を失った民草たちが、あのようにいとも易々と操られたことが理解し難かった。しかし、今は実感としてよく分かる。この国の多くの人は、あの頃と変わってはいない。あの頃も今も、天皇の赤子たちは、自ら社会的同調圧力を作り出し、これに酔いしれたいのだ。

自立してものを考えることは、面倒だし苦しくもある。人と違う考えをもてば、孤立を余儀なくされるリスクも覚悟しなければならない。それよりは、社会の多数に追随することが、楽で、安全で、無難な生き方ではないか。メディアがそう教え煽っている。欺しの主犯は政権だが、メディアは欺しに加担した積極的共犯者となっており、さらにこれに追随する多くの人々が、消極的共犯者となっている。

私には本当に分からない。天皇の交代が、何ゆえに祝意を表さねばならないことなのか。税金を拠出して優雅な暮らしをさせてやっている一族に、国民がなぜ旗を振ったり「感謝」したりしているのか。天皇の交代が、何ゆえに時代の変わり目となるのか。こんな不便で面倒な元号の押しつけを、どうして有り難がっているのか。

昨日(5月3日)の憲法集会で、印象に残るこんな一場面があった。
野党各党の党首が発言した。それぞれに力のこもった良い発言だった。立憲民主党の枝野幸男さんがトップで、国民民主党の玉木雄一郎代表が続いた。登壇して、開口一番が、「令和初めての憲法記念日に…」というものだった。

とたんに、大会参加者から失笑が巻きおこった。「えっ?」「なんだって?」「れいわ?」「なぜ、れいわ?」「こんな場で、れいわ?」。明らかに、異様な言葉を聞かされたというどよめきと失笑だった。産経の報道では、「聴衆から『令和って言うな!』『そうだ!』『令和はいらねえぞ!』などと怒声が飛んだ」というが、私にはそこまでの声は聞き取れなかった。

私は、比較的ステージに近い位置にいた。聴衆の多くは、せっかく来てもらった野党党首に失礼あってはならないという雰囲気。あからさまに非難するという感じではなかった。しかし、「憲法集会で、令和」は、不意を突かれたような違和感。思いもかけない発言に、どよめきが生じ、失笑が洩れたのだ。

これも産経の報道によるが、玉木さんの挨拶の冒頭部分は、次のとおりだった。
「令和初めての憲法記念日に(聴衆から『令和って言うな!』などのやじ)こうして多くの皆さんがお集まりになって集会が開催されることを心からおよろこび申し上げたいと思います。安倍政権の最大の問題は何だと思いますか(聴衆から『令和だ』とやじ)。嘘をつくことだと思います。何度も予算委員会や国会で議論をしましたが、聞いたことに答えない、聞いていないことをいっぱいしゃべる。これではまともな議会制民主主義が成り立ちません」

玉木さんには気の毒だったが、あの集会参加者は、みな一様に「代替わり報道」に辟易しているのだ。憲法集会に令和は似合わない、不釣り合いだと思っている。玉木さんの「令和発言」で、集会参加者の一体感が明らかに増した。

有明の憲法集会に集まった人々と対極にあるのが、本日の「一般参賀」に列を作った14万の人々。いったい何のために、何を求めて、皇居にやってきたのか。

天皇の権威なんてものは、もともと何の実体もない。人々があると思う限りであるように見えるだけのもの。無自覚な14万の人々が作る列の長さだけが、天皇の権威なのだ。「王様は裸だ」と、曇りない目が看破すれば、たちまちにして破れる催眠術みたいなもの。

私は、この14万人に、半ばは呆れ、半ばは空恐ろしさを感じざるを得ない。この人たちが、天皇追随の同調圧力をつくるのだ。政権に躍らされ、その共犯者となる人々の群。

過熱報道も長くは続かない。あんなに、天皇交代フィーバーを演出してきたメディア各社もそろそろ息切れである。読者も明らかに食傷なのだ。いい加減に元に戻らねばならない。たとえば、本日の毎日新聞。紙面からは、天皇も令和も片隅に追いやられ、代わって社会面のトップは、「改元祝賀関係なし」「困窮者 おにぎりに列」という真っ当な報道。一面には、「削られる美ら海 辺野古」の記事も。

メディアで働く諸君に訴える。正気を取りもどせ。そして、もうこんなバカ騒ぎはやめようではないか。自立した主権者として、自覚的な曇りない目をもった人々も、少なくないのだから。

(2019年5月4日)

http://article9.jp/wordpress/?p=12541
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/429.html

[政治・選挙・NHK260] 「天皇の短歌」と代替わり~憲法記念日に考えたい (ちきゅう座)
2019年 5月 5日
<内野光子:歌人>

 近頃は「来たァ~」なんて言うのは、すでに古い?! 代替わりの前日4月30日の新聞、わが家の購読紙のうちの二紙に、やはり天皇・皇后の歌が出たのである。
 
 『朝日新聞』は、一頁全面の上半分に「天皇陛下の歌」、下半分に「皇后美智子さまの歌」として、数枚の写真とともに各二十首が配されている。「世のうつろい見つめ筆とり」と題して、リードには「戦争の記憶、平和への願い、国民と家族への深い思い。天皇皇后陛下は日々、移り変わる社会を見つめ、率直な気持ちを歌に込めてきた」とある。そして5月1日には同じ一頁全面に「世を思い詠む 令和へ続く歌」と題して「新天皇陛下の歌」「新皇后、雅子さまの歌」と各二十首が載っていた。そのリードには「外国訪問先での交流、震災被災地への思い、長女愛子様の成長。新天皇、皇后両陛下は折々の出来事を歌にしたためてきた」とある。誰の選択の結果なのかはわからないが、解説がないのがせめてもの救いだった。最近、宮内庁では、マス・メディア向けなのか、歌会始の歌に、天皇夫妻はじめ一部の皇族の歌に解説をつけているのだ。
 
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朝日新聞、2019年4月30日
 
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朝日新聞、2019年5月1日
 
 『東京新聞』は、1頁の3分の2を使って、「心映す歌」と題して右側に「被災地へ」として天皇と皇后の歌を2首づつ、左側に「戦没者へ」として、天皇・皇后の歌を2首づつならべている。歌の背景には、「阪神大震災からの復興の象徴として皇居で育てられた『はるかのひまわり』」の写真と「大戦中、追い詰められた民間人が次々と身を投げたサイパン島北部のバンザイクリフ」の写真があしらわれている。そして各歌の下には、80字前後の解説が付せられている。そのリードには、「天皇、皇后両陛下は、折に触れて数多くの歌を詠まれてきた。陛下が模索されてきた象徴天皇像とはどのようなものであったのか。象徴天皇のとしての活動の核心部分ともいえる被災地お見舞いや戦没者慰霊を詠んだ歌の中から平成という時代を表す八首を二〇〇四年から歌会始の選者を務める永田和宏さん(七一)に選んでもらった」とある。永田は、この『東京新聞』に一年以上前から「象徴のうた 平成という時代」と題して天皇夫妻、皇太子夫妻の歌を中心に、毎週1首、その背景とともに解釈と鑑賞を続けてきた歌人でもある。4月23日、第63回をもって連載は終了した。いわば永田和宏による「謹解集」といってもよく、その集大成が、この日の「八首謹解」ともいえるのではないか。
 
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東京新聞、2019年4月30日
 
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東京新聞、2019年4月16日、第62回は、皇后の今年の歌会始の「今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく」が取り上げられ、このシリーズの最終回の4月23日、第63回は天皇の「贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」であった。記事本体はカラーである。後掲の写真「短歌研究」4月号のグラビアもこの2首が見える。
 
 日本国憲法上の象徴天皇制において、とくに国民統合の象徴としての天皇の地位は世襲であり、多くの基本的人権を奪われた存在は、国民主権、基本的人権とくに平等という基本条項との齟齬は明白で、今回の代替わりで、少しは注目され始めた。しかし、政府・政党、メディア・企業と一部の国民が、憲法自体が持つ矛盾について、多くは自覚的に目をつむり、触れようとはしない。1945年敗戦後の占領軍アメリカと日本政府による政治的妥協の産物として残された制度であったことを、いま、思い返すチャンスでありながら、古来の伝統や文化にことよせ、新・旧天皇の足跡や人柄への最上級の礼賛を重ね、代替わりの慶祝ムードを盛り上げているのである。 新しい元号になったからといって、「新しい時代」が来るわけもなく、そんな幻想を率先して振りまいているのが、大方のメディアである。
 
 そうしたムードづくりに大きな役割を果たしているのが、憲法に規定のない宮中祭祀と行幸啓であったのではないか。国事行為ではありえないから、いずれも、公的行為として、執り行われてきた。「宮中祭祀」といえば基本的には宗教的儀式で、国民にとっては、いかにも異様で、ときにはグロテスクにも思える姿をさらすことになる。そこは、控えめにと、秋篠宮による「大嘗祭は身の丈で」発言につながったのではないか。行幸啓については、国民に「寄り添う」、戦争や災害の犠牲者へ「祈る」という見える形で、年々「拡充」してきたのが、平成天皇夫妻だったといえないか。その「務め」が身体的にも果たせなくなったからと「生前退位」表明になった。

 私が冒頭にあげた「天皇の短歌」は、先のムードづくり、しかも文化的な香りのする手段の一つとして、これまでもしばしば登場した。毎年一月の「歌会始」を舞台として、国民を巻き込んだイベントに、現代歌人や「文化人」たちも「ひそかに」呼応し続けている。

 今の制度の中で、短歌を詠むのが好きな皇族たちが、歌を詠むのもいいだろう、歌会を開いたり、指導者を招いたりするのもよいとしよう。しかし、国民を巻き込まないでほしい。「歌会始」を皇室と国民を結ぶ文化の懸け橋のような言い方をする歌人たちもいる。開かれた皇室の典型のようにありがたがる人々がいる。短歌コンクールの一つ考えればいいという歌人もいた。しかし、国民が応募する歌は、天皇に捧げる「詠進歌」なのである。天皇が国民統合の象徴であることを貫徹するならば、上下の関係はあり得ないのではないか。

 今回の退位・即位の儀式での「おことば」の受け渡しの光景を見ても、その内容を見ても、多くの国民から見れば、異様な言葉遣いでありながら、あまりにも当たり前のことを述べているにすぎない。退位の儀式では、天皇の「おことば」に先立って、安倍首相は、国民の代表として感謝と敬愛の意を述べ、即位の儀式での首相の言葉は、新天皇のあとに、毎日新聞では「安倍首相発言」、朝日では「首相国民代表の辞」を述べたとして、その要旨が記事に見られ、東京新聞は「首相発言全文」が掲載されていた。その扱いがバラけているのにも注目する。

 『毎日新聞』では今のところ、平成天皇夫妻の歌をまとめたという記事は見られないのだが、4月23日には、毎日歌壇の選者で、2006年から歌会始の選者である篠弘が、今年の歌会始の天皇夫妻の歌を引用して、「歌のご相談で御所にうかがいました」とも述べる「両陛下とわたし」という連載コラムに登場している。4月8日の「余禄」では、天皇の昨年の歌会始の歌「語りつつあしたの苑を歩みゆけば林の中のきんらんの咲く」を引用、天皇夫妻の絆をたたえている。

 そういえば、けさの『東京新聞』で、長谷部恭男が日本国憲法において封建制秩序が残っている天皇制は、国民一般の保障が及ばない「身分制の飛び地」だとしていた(「天皇・皇族に基本的人権は」)。また、沢藤統一郎弁護士の「憲法日記」(2019年4月29日)によれば、「天皇制は、憲法体系の番外地」だと講演で述べたという。「飛び地」や「番外地」であるならば、私たち国民は、まず日本国憲法の基本的条項から大きく外れる、その「番外地」や「飛び地」をなくすよう、みずから努力しなければならないのではないか。

 また、短歌雑誌なども、この代替わりを商機と見たのか、万葉集特集、御製・御歌特集だとか、ざわついているのだが、短歌の愛好者や愛読者の心をとらえるのだろうか。
 
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短歌研究、2019年4月。グラビアから
 
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短歌研究、2019年5月、表紙及び広告より
 
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短歌、2019年5月。広告より

初出:「内野光子のブログ」2019.05.03より許可を得て転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8618:190505〕

http://chikyuza.net/archives/93487
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/445.html

[政治・選挙・NHK260] 生きていた民社党、保守運動をオルグする  日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか (朝日新聞社 論座)
生きていた民社党、保守運動をオルグする
日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか <1>

藤生 明 朝日新聞編集委員
論座 2019年05月05日


 国民運動団体「日本会議」。新宗教「生長の家」脱会者たちと神社本庁・神道政治連盟がタッグを組んで、憲法、教育、防衛などの課題に取り組んできたことは知られている。
 
 ただ、見落としてはいけない勢力がある。かつての「民社党・同盟」だ。党は1994年、同盟は87年に政界再編、労働戦線統一の渦の中に消えたが、そこにもここにも旧民社系の人がいる。それも日本会議会長だったりする。彼らはどんな経緯で、日本会議などの運動と共闘するようになったのだろうか。旧民社党・同盟の人々の今を取材し、成り立ちをさぐっていきたい。
 
■河合栄治郎の門下生集団「社会思想研究会」
 
 国会そばの砂防会館で5月3日、日本会議系「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(三好達、田久保忠衛、櫻井よしこ共同代表)と「民間憲法臨調」(櫻井代表)が共催する改憲派集会があった。田久保忠衛・日本会議会長は結びのあいさつにたち、憲法改正の早期実現を呼びかけた。
 
 「去年の集会よりも、政治家の先生方の一歩進んだ発言が多かった。みなさま方の力が先生方をここまで動かした。最後には、日本を動かすのは我々だという決意をもちましてひとつ前進したい」
 
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改憲派の集会であいさつする田久保忠衛・日本会議会長=2019年5月3日、東京・平河町の砂防会館、筆者撮影
 
 田久保氏は1956年に時事通信社に入社。ワシントン支局長、外信部長を務め、84年に杏林大学に転じた国際政治学者だ。文化人、労組幹部らが集った「民主社会主義研究会議」(民社研)の中枢で活動し、平成のはじめ、民社党新綱領づくりにも携わった。それからしばらくして、民社研が現在の「政策研究フォーラム」(理事長=谷藤悦史早大教授)に改称・組織がえした直後には常務理事に就任。機関誌『改革者』の誌面を刷新、編集・発行人を務めたこともあった。
 
 そもそも民社研とはどんな組織か。社会党が左右に分かれていた時代、学者らがつくった右派の応援団「民主社会主義連盟」(民社連)が源流の一つだ。社会党は統一をへて、再び分裂。西尾末広らが民社党を結成した1960年、お茶の水女子大学長を務めた政治学者、蠟山政道氏らの呼びかけで民社研は結成された。
 
 民社党、同盟(全日本労働総同盟)、民社研で三位一体をなした民社ブロックの一角で、前出の民社連に加え、戦時中の軍部批判、学内対立で東大教授の職を追われた自由主義者、河合栄治郎(1891—1944)の門下生集団「社会思想研究会」(社思研)のかなりの部分が合流。電力、鉄鋼といった大企業、後の同盟である全労会議系労組が賛助会員として加わった。
 
 田久保氏は早大法学部在学中から、河合ゼミOBらの社思研に参加している。中心メンバーの経済評論家、土屋清氏が主宰した読書会に通い、記者を志望したという。社思研、民社研、政策研究フォーラムのいずれもで活動した田久保氏は、まごうことなき旧民社系言論人と言える。
 
 半生記『激流世界を生きて』(2007年)で民社と自民の政治家を比べ、こう記している。「(民社党歴代委員長は)日本の政治家の水準から言えば自民党の有力政治家よりもイデオロギー的にしっかりしたものがあったように思う」
 
 さらに、有事の際の自衛隊の超法規的行動について発言し辞職に追い込まれた栗栖弘臣・元統合幕僚会議議長の問題を引き、こうも続けた。「だらしのない自民党に活を入れてやると、栗栖元統幕議長を参院選候補に担いで一戦交えた春日一幸・民社党委員長の気迫を自民党の政治家たちはどう受け取っていたか」
 
■保守のなかで絶妙の立ち位置
  
 田久保氏が日本会議会長に就いたのは2015年4月、三好達・最高裁元長官の後を受けてだ。菅野完氏著『日本会議の研究』を嚆矢に日本会議への疑問が集中した16年には、現職会長として「日本会議への批判報道を糾す」との論考を発表。火の粉を振り払う役回りを演じている。そこにこんな一文があった。
 
 《私が日本会議の会長になったのは昨年で、それまでは代表委員として事実上、名前をお貸ししていたに過ぎない。日本会議は、一九九七年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が統合する形で発足した。「国民会議」には私も講師として入っていたが、そこでもたいしたことはしていなかった》
 
 自分が日本会議を牛耳っているかのように新聞に報じられたことへ反論している場面なのだが、会長になる以前の立ち位置がうがいしれて興味深い。というのも、総保守化も指摘されるこのご時世だ。日本会議が標榜する「草の根保守運動」の中枢から4代会長が選ばれてよさそうなものだが、保守には保守の複雑な人間模様があり、路線対立やさまざまな系譜もあって、どの人も収まりがつきづらいと判断されたのだろう。
  
 その点、田久保氏は絶妙の位置に立つ、実にすわりのよい人物だったと聞く。広範な組織、個人にウィングを広げるうえでも、田久保氏の原籍である「旧民社系」をさらに運動に引き込む効果もある。民社協会の地方議員ネットワークやUAゼンセンのような活発な労働組合の存在は戦力として魅力的に映ったに違いない。
  
■塚本元委員長ら「明治の日」訴え
  
 憲法記念日の4日前、4月29日には、東京・明治神宮の神宮会館で「昭和の日をお祝いする集い」があった。実行委員会を組織するのは、「みどりの日」を昭和天皇誕生日由来の「昭和の日」に改める祝日法改正を実現した人々だ。
 
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拡大昭和の日実現に奔走した人々の「お祝いする集い」。明治の日制定運動とも深くかかわっている=2019年4月29日、東京・明治神宮会館、筆者撮影
  
 その人々の多くはいま、11月3日の「文化の日」を明治節(明治天皇誕生日、戦前の祝日)にちなんで、「明治の日」へと改める運動に奔走している。団体名は「明治の日推進協議会」。会長は塚本三郎・元民社党委員長が務める。協議会を取り仕切る高池勝彦・事務総長は「新しい歴史教科書をつくる会」会長で、旧同盟系の労働弁護士として広く知られている。最近では、神社本庁(全国8万社)の正常化を求める「神社本庁の自浄を願う会」代表となり話題になった。
  
 その高池氏もまた、田久保氏と同じく早大法学部時代からの社思研メンバー。研究会には同じ頃、のちに産経新聞社社長に就く住田良能氏、河合栄治郎の評伝などがある湯浅博・元産経新聞論説委員やロシア政治の木村汎・北大名誉教授、民社党中央執行委員になる梅澤昇平・尚美学園大名誉教授らがいた。補足するなら、この人々にもう一点、ほぼ共通するのが櫻井よしこ理事長の国家基本問題研究所(国基研)との深い関わりだ。国基研は櫻井氏が構想し、田久保・高池両氏が設立時から賛同者集めなどに深く関わった政策集団。現在、両氏は副理事長、梅澤氏は評議員長の任にある。
 
 設立集会(2008年)時点の名簿をみると、理事に石原慎太郎・元東京都知事、歴史学者の伊藤隆・東大名誉教授、塚本三郎氏や、高池氏が「南京事件の裁判を一緒にしませんか」と勧誘したという弁護士、稲田朋美・元防衛相らの名がある。さらに続けると、当時の評議員長は日本経済新聞のコラムニストだった井尻千男・元拓殖大日本文化研究所長。 評議員に作曲家のすぎやまこういち氏、「特定失踪者問題調査会」の荒木和博代表、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長の西岡力・元東京基督教大学教授らが名を連ねている。
 
■拉致問題に取り組み
  
 今年1月中旬、東京・芝の友愛会館で民社党OB会・結党60年を祝う集いがあり、前出の特定失踪者問題調査会代表、荒木和博・拓殖大学教授も姿をみせた。荒木氏は慶大法学部を卒業、民社党職員になった人物。ゼミの指導教授は、民社研の主要メンバー、政治学者の中村菊男氏だった
  
 荒木氏にとって、転機は民社解党。新進党への移籍を断り、独立した。北朝鮮による拉致問題に取り組み、国民運動を組織した。運動の先頭に立った「民社人権会議」の代表幹事は田久保氏が今も務める。荒木氏とともに拉致問題に取り組んできた元民社党職員、眞鍋貞樹氏は解党時、東京都小平市議。現在は拓殖大教授として教壇に立つ。解党の前後、独立した党職員には、党広報部長を務めた評論家、遠藤浩一・元拓殖大教授もいた。
 
 詳細は別稿で後述するとして、拓殖大は旧民社系の人々と関係が深い。社思研・民社研の重鎮だった矢部貞治・元東大教授は反共の論客で、1955年から64年まで第10代拓殖大総長。東大新人会幹事長や日本共産青年同盟委員長を務め、獄中で転向した民社研の竪山利忠氏も戦後、拓殖大で教授となった。また、17代総長の藤渡(ふじと)辰信氏はもともと民社党職員だった。
 
 党消滅後の政治家はどうか。民社系政治家の「現住所」は自民党から立憲民主党までさまざまだが、荒木氏らが切り開いた拉致問題への熱心さは共通している。
 
 山谷えり子参院議員(自民)の初陣は1989年の参院選で、民社党比例代表区の候補者17人のうち名簿登載は5番目。当選は2人どまりで山谷氏は落選した。その11年後、民主党から衆院選に出て当選。保守新党で落選した後、自民党参院議員として3度の当選を重ねている。山谷氏は2014年から1年間、拉致問題担当相を務めた。
 
 民社党で初当選した現・国民民主党の柳田稔参院議員は菅直人内閣の法相・拉致担当相。UAゼンセン出身の川合孝典氏は国民民主党拉致問題対策本部長代理、民社党職員だった村上史好・衆院議員は立憲民主党拉致対策本部事務局長。同じく民社党職員だった高木啓衆院議員(自民党)も最近、拉致問題がらみで委員会質問に立った。いち早く拉致問題を取り上げた西村真悟氏は1993年の総選挙で民社党から初当選。新進、自由、民主、日本維新の会で当選を重ねたが、現在議席を失っている。父は西村栄一・民社党委員長。
 
■元号の法制化を求めて
 
 平成から令和へ。おのずと元号法への注目が高まった。実は、この法律の制定には旧民社党・同盟が深く関わっている。
 
 1970年代後半、元号法制化実現運動という保守国民運動があった。新憲法下、法的な裏付けを失った元号について根拠法を早期に制定すべし、との世論が急速に高まった。そこで組織された元号法制化実現国民会議(議長=石田和外元最高裁長官)の実務を取り仕切ったのが、若き日の日本会議事務総長、椛島有三氏らのグループ「日本青年協議会」(日青協)だ。
 
 元号法は79年に制定・施行され、同国民会議は2年後、看板を「日本を守る国民会議」に掛けかえて再出発。97年に「日本を守る会」と統合して、日本会議へと発展、今日に至っている。元号法制化運動は「草の根保守」の成功モデルとして後々語り継がれることになるのだが、民社・同盟勢力にとっても、当時「民族派」を自称していた人々との共闘は画期だったのではないか。
 
 運動の最中、元号法制化実現国民会議の総決起大会が78年10月、日本武道館であった。日青協の機関誌「祖国と青年」によると、来場者は2万人。石田議長の主催者あいさつなどに続いて、3人の意見発表があり、社会学者の清水幾太郎・元学習院大教授、「美容体操」の竹腰美代子氏に続いて、同盟の天池清次会長が運動への決意を語っている。「祖国と青年」は前振りにこうつづっている。
 
 《次に労働界を代表して天池清次同盟会長が登壇した。本大会のような民族法案を実現せんとする大会に労働界の代表が出席し発言することは初めてのことだけに満場の参加者が一斉に耳を傾けた》
 
 天池氏は「同盟の天池でございます。まず最初に、同盟は元号制定につきまして、法律化する必要があるということをここに表明します」と組織の決定を明らかにしたうえで、①元号は国民生活の中に溶け込んでいること、②元号は日本の歴史の中から生まれたもので、歴史を尊重しない民族は滅ぶこと、などを訴えた。会場は割れんばかりの拍手で包まれたのだという。同誌はこう結んでいる。
 
 《労働運動のリーダーと言えば、とかく左翼的だと思われがちだが、天池会長は「歴史を尊重しない民族は滅びる」との歴史認識にしっかりと立って力強く法制化の決意を述べた。この一事をもってしても、いかに元号法制化運動が全国民的な運動であるかが理解できる》
 
■「建国記念の日」式典での万歳三唱
  
 国政側からは民社党が後押した。超党派「元号法制化促進国会議員連盟」(西村尚治会長=自民党)の事務局長は、のちの民社党書記長、中野寛成氏。結成大会で議連の設立趣旨と経過報告をしたのも和田春生・元民社党副書記長で、大事な役回りを同党が果たした。
 
 国民運動を標榜している以上、民社党・同盟を運動に巻き込んだことは大金星だったにちがいない。「祖国と青年」は議連結成時、こう書いた。
 
 《地方において『草の根』的な国民運動が展開され、その声が中央政界に反映して国会議員を動かしめたことは、戦後の民族運動史上の快挙と言ってもよいだろう》
 
 中曽根政権の1985年、歴代首相として初めて「建国記念の日」の式典に現職首相が出席することになった。憲法の政教分離規定をクリアすべく、主催団体として政府肝いりの新団体を設立。宗教色が薄くなることに批判的だった神社や保守団体が強くこだわったのが、聖寿万歳(皇室の弥栄をお祈りするとの意味)の履行だった。
 
 「建国を祝し、天皇陛下のご長寿を祈って」。式典当日、万歳三唱の先導役を引き受けたのはこれも同盟の宇佐美忠信会長だった。宇佐美氏の回想『和して同ぜず 私と労働運動』によれば、保守運動の世話役、末次一郎氏らによるすすめと、自民党国民運動本部長だった中山正暉氏からの強い要請があり、自らの信念で応じたという。  
  
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019042700002.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/450.html

[国際26] ベネズエラ 親米野党のクーデター失敗 メーデーは40万人が祝賀デモ (長周新聞)
長周新聞 2019年5月7日

https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2019/05/1ce26dc29b25c55359f45e286d568635.jpg
クーデターを粉砕し勝利に沸く群衆
 
 ベネズエラではアメリカの後押しで暫定大統領を宣言し、現マドゥロ政府転覆の先頭に立つ野党指導者・グアイドが4月30日早朝、カラカスの空軍基地で「メーデーの1日にベネズエラ全土で権力奪取に向けた蜂起」を展開するよう呼びかけたが、失敗に終わった。マドゥロ大統領は同日午後、テレビ演説で「反乱首謀者による小競り合いだった」「少数の反乱軍人を鎮圧した」と説明、「勝利宣言」をおこなった。
 
 4月30日夜、マドゥロ大統領はクーデターの企みを阻止したことを宣言するとともに、5月1日のメーデーを労働者階級の力強いデモによって祝おうと訴えた。またインターネットをつうじても「ベネズエラの労働者階級は、その成果を防衛するために、クーデターとアメリカの干渉にノーをつきつける大規模なデモ行進」を呼びかけた。
 
 メーデー当日、首都カラカスの中心街は約40万人の労働者の隊列によって埋めつくされた。労働者とともに各地から集まったボリバル民兵も行進した。
 
 集会のなかでは、「クーデターの阻止でアメリカ帝国主義は大きな打撃を受けたが、反革命の企みをあきらめず、警戒を続けなければならない」と語られた。マドゥロ大統領は「ボクサーのようにたたかう必要がある。一方の拳で外部の脅威から祖国を守り、もう一方の拳で新しい段階へ革命を進める」と表明した。ベネズエラの今年のメーデーは、アメリカとその手先によるクーデターの企みを労働者をはじめ、圧倒する国民の力によってうち砕いた真っ只中で開かれた。
 
 アメリカのトランプ政府は、今年1月末にベネズエラ野党の国会議長グアイドに「暫定大統領」を宣言させ、ベネズエラ政府の転覆、軍事介入の策動をおこなってきたが、失敗をくり返している。
 
 このなかで4月30日朝、グアイドは野党の党首レオポルド・ロペス(クーデター未遂で有罪となり拘禁中だった)と25人の政府軍兵士とともにインターネットに登場し、「ベネズエラ政府軍は自分の支配下に入った」といい、政府打倒の「自由作戦の最終段階に入った」と宣伝した。そして首都カラカス近郊の空軍基地の前で、政府軍の幹部や兵士に対し政府に反対して立ち上がるよう促した。アメリカのトランプ政府はこれを支援し、「マドゥロがキューバに亡命しようとしたがロシアに止められた」などのデマを流した。
 
 だがベネズエラ政府軍はあらためてマドゥロ政府と国民への忠誠を表明し、グアイド側には与しなかった。また数万人の国民が大統領官邸周辺にかけつけ、マドゥロ政府と革命防衛のためのスクラムを組んだ。ベネズエラ各地でも「クーデター」の呼びかけはまったく効果がなかった。グアイドが呼びかけた「ゼネスト」に同調する者もいなかった。グアイド派のデモ参加者は数百人規模にとどまり、北東部バルキシメトのデモは治安部隊が催涙ガスを噴射して排除した。
 
 グアイドはアメリカの傀儡(かいらい)であり、ベネズエラの労働者、勤労人民のなかに足場がないことをあらためてさらけ出した。午後にはロペスがチリ大使館に家族とともに逃げ込んだ(その後、スペイン大使館に移動)。今回の動きに同調した25人の軍人も逃亡し、ブラジル大使館に身を寄せている。
 
 ベネズエラのアレアサ外相は4月30日、「暫定大統領就任を宣言したグアイド国会議長はアメリカの命令で動いている」「軍がクーデターを企てているのではない。ワシントンや米国防総省、国務省でボルトン米大統領補佐官(国家安全保障担当)が直接この計画を練っている」との見解を示した。
 
 マドゥロ大統領は4日、約5000人の兵士らを前に演説し「アメリカ帝国主義がわれわれの領土に干渉し、神聖なる地に触れようとする日に備えて、武器を手にとり、母国を守る用意をするように」と指示した。
 
 野党陣営がこうした行動に踏み切った背景にはアメリカ・グアイド陣営の焦りがある。1月に暫定大統領への就任を宣言し、トランプ政府の後ろ盾を得て、日本を含む50カ国以上から支持を集めたが、ベネズエラ国内では大半の軍や政府高官はマドゥロ政府を支持する姿勢を崩していない。
 
 マドゥロ政府は3月にグアイド側近を逮捕したほか、4月には制憲議会がグアイドの不逮捕特権を剥奪し、「グアイドの逮捕の準備を進めている」という情報が流れていたなかで、グアイドは軍の支持を得られるかどうかもわからないまま、一か八かの「蜂起」を呼びかけたが失敗した。
 
 なお日本政府はトランプ政府に追随してグアイド支持を表明している。河野外相が2月19日「我が国としてグアイド暫定大統領を明確に支持する」と表明した。
 
 これに対し駐日ベネズエラ大使は翌日の2月20日、遺憾の意を表明し「一番必要なのは政府側と野党側の対話だが、そのとりくみに水を差す動きだ。誤った認識に基づいており(グアイド氏就任宣言の)法的根拠は何もない」と非難した。
 
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/11650
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/369.html

[政治・選挙・NHK260] 検証「戦後民主主義」  わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか 田中利幸 (三一書房)

検証「戦後民主主義」  わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか
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田中 利幸 (著)
発行:三一書房
単行本: 360ページ(四六判ソフトカバー 18.8 x 12.7 x 2.3 cm) 
ISBN978-4-380-19003-2 C0036
定価:本体2800円+税
2019年5月14日発売予定(予約受付中)
 
◎本書の目的
 いわゆる「慰安婦(=日本軍性奴隷)」や「徴用工」の問題で日韓関係が最近ひじょうに険悪化していることからも明らかなように、戦後74年も経つというのに、なぜ日本は「戦争責任問題」を解決できないのであろうか。この疑問について考えるためには、単に日本の「戦争責任意識の欠落」だけに視点を当てるのでは解決にはならない。日本の「戦争責任問題」は、最初から、米国の自国ならびに日本の「戦争責任」に対する姿勢と複雑に絡み合っていることを知る必要がある。さらには、その絡み合いが日本の「戦後民主主義」を深く歪め、強く性格づけてきたのであり、そうした歴史的経緯の結果として、多くの日本人の「戦争責任意識の欠落」と現在の日本政府の「戦争責任否定」があることを明確にする必要がある。
 本書の目的は、そのような日米の「戦争責任問題」の取り扱い方の絡み合いを、空爆、原爆、平和憲法の3点に絞って分析し、どのようにそれが絡み合っているのかを分析することにある。さらには、その絡み合いの最も重要な要素の一つとしての「記憶」にも焦点を当て、日米の公的「戦争記憶」がいかにして作られ今も操持されているのか、その「公的記憶」に対して、我々市民が自分たち独自の「歴史克服のための記憶」の方法を創造していくにはどうすべきかについても議論する。

◎「あとがき」からの抜粋
 2015年3月末の定年退職をひかえ、その一ヶ月ほど前に、広島の平和活動仲間のみなさんに「さよなら講演」と題する講演会を広島市内で開いていただいた。本書の第5章は、そのときに準備した講演ノートを修正し、かつ大幅に加筆したものである。
 13年間暮らした広島を離れたとはいえ、その後も毎年8月6日前後の数週間は広島に戻り、いまも市民活動に参加させてもらっている。そのうえに、少なくとも毎年もう1回は広島に戻っているため、いつも私の頭から「広島、原爆、戦争責任」という問題が離れることはない。
 実は、「さよなら講演」のあと、広島の原爆問題をめぐる歴史、政治社会問題、文化問題を総合的に分析するような著作を、時間をたっぷりかけて書いてみたいと思い、まず書き始めたのが本書の第2章の元になる原稿であった。書き始めて、自分の構想がいかに自分の力量を超える能力を必要とするものであるかに、遅まきながら気がついた。しかし同時に、「天皇の戦争責任」問題が、戦後の日本の「民主主義」のあり方にひじょうに深い影響を及ぼしており、現在の日本の政治・社会問題を考えるうえでも、この問題を問わずには、いま我々が直面している様々な問題の根本的な原因を理解できないのではないかと考えるようになった。
 そこで天皇制に関する様々な資料を読みだしたのであるが、奇しくも、それが天皇明仁の「生前退位」発表と重なり、そのため、にわかに関連する出版物が増え、それらに目を通すことで私自身もいろいろ思考を重ねた。
………… (省略)
 本書の表紙には、私の大好きな広島の画家・四國五郎さん(1924-2014年)が残された数多くの秀れた作品のなかの一枚、「相生橋」を使わせていただいた。この絵が表しているように、戦後間もなくから1970年代末まで、広島には太田川に沿って原爆スラムと呼ばれるバラック街があった。親族を失って生き残った被爆者だけではなく、引揚者や在日の人たちなど、差別され貧困に苦しむ多くの人たちが住んだこの街は、戦後日本の「民主主義」の深い歪みを象徴的に表している一つであると私は考えている。
 
<もくじ>
 
序文:アジア太平洋戦争と「戦後民主主義」
○日清・日露戦争から「満州事変」まで
○日中戦争から「武力南進」政策の開始まで
○三国同盟調印から太平洋戦争開始まで
○太平洋戦争期における日本軍の残虐行為
○日米軍事同盟の原点としての日米「原爆正当化」共同謀議
 
第1章:米軍による日本無差別空爆と天皇制ファシズム国家の「防空体制」
○日本の「防空法」と「防空体制」の実態
○太平洋戦争期の「防空」と「防空壕」の実情
○「御真影」と「御文庫」の絶対守護命令に表れている天皇制の本質
○東京大空襲と「吹上防空室」補強作戦
○米軍日本本土無差別空爆の実相 通常戦略爆撃の一貫として理解された原爆無差別大量殺戮
○「加害・被害両責任の隠蔽」の絡み合い
 
第2章:「招爆責任」と「招爆画策責任」の隠蔽 - 日米両国による原爆神話化 -
○広島・長崎原爆攻撃の隠された政治的意図とポツダム会談
○原爆攻撃と「国体護持」をめぐる日米政府の駆け引き
○国体護持、統帥権とポツダム宣言受諾の関連性
○日米両国の原爆利用 - 米国の無差別大量殺戮「正当化」と日本の原爆被害の「終戦利用」
○原爆責任隠蔽と矛盾にみち屈折した「戦後日本民主主義」
 
第3章:「平和憲法」に埋め込まれた「戦争責任隠蔽」の内在的矛盾 - 前文と9条活用への展望に向けて -
○天皇裕仁の免罪・免責を目的とした憲法第1章と2章9条の設定
○戦争責任意識の希薄性がもたらした憲法9条「非戦・非武装」の抜け道
○「戦争責任」の自覚に基づく憲法前文と9条の一体的相互関連性
○「主権国家」観念を超える「国家悪」論 - 大熊信行と小田実
○市民の「抵抗権」としての9条活用と民主精神確立に向けて
 
第4章:象徴天皇の隠された政治的影響力と「天皇人間化」を目指した闘い
○「国体」観念を継承する憲法第1章 ? 宗教的権威と非人間的「象徴」
○「象徴権威」の政治的役割 - その歴史的背景
○戦後「象徴権威」の活用 - 天皇に見る「加害と被害の逆転」と「一億総被害意識」の創出
○「象徴権威」の現代的活用 - あらゆる政治社会問題を隠蔽する幻想効果と戦争責任のさらなる隠蔽
○天皇裕仁の戦争責任追求を通して「天皇人間化」を目指した労働運動家、学生と元日本兵
 
第5章:「記憶」の日米共同謀議の打破に向けて - ドイツの「文化的記憶」に学ぶ
○罪と責任の忘却 - ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問
○広島の「記憶の伝承」方法の精神的貧困性
○葬り去られた記憶の復活 - 「ノイエ・ヴァッヘ」と「空中に浮かぶ天使」
○ドイツ「過去の克服」運動の歴史と「記憶と継承」としての追悼施設運動
○「コミュニケーション的記憶」から「文化的記憶」へ - ドイツ個別の記憶から人類の普遍的記憶への止揚
○日本独自の文化的記憶による「歴史克服」を目指して

◎著者プロフィール
田中利幸(たなか・としゆき Yuki Tanaka)
歴史学者(専攻は戦争犯罪史、戦争史)。「8・6ヒロシマ平和への集い」代表。
著書に『空の戦争史』(講談社現代新書)、『知られざる戦争犯罪』(大月書店)、Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Second edition, Rowman & Littlefield)。
共著に『原発とヒロシマ 「原子力平和利用の真相」』 (岩波ブックレット)。
編著に『戦争犯罪の構造』(大月書店)、共編著に『再論 東京裁判』(大月書店)。翻訳書にジョン・ダワー著 『アメリカ 暴力の世紀 - 第二次大戦以降の戦争とテロ』(岩波書店)、ハワード・ジン著 『テロリズムと戦争』(大月書店)など。

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/497.html

[政治・選挙・NHK260] 厚労省の民営化ガイドライン案 水質管理の丸投げや料金値上げの自由を盛り込む (長周新聞)
長周新聞 2019年5月7日
 
 水道民営化を促進する改定水道法の10月施行に向け、安倍政府が「水道施設運営権の設定に係る許可に関するガイドライン案」を明らかにした。改定水道法は昨年12月に強行成立させたが、料金高騰や水質悪化を招いた海外の事例もあり、全国で批判が噴出した。だが厚生労働省は2月に第1回水道施設運営等事業の実施に関する検討会を開始した。そして先月24日に開いた第3回目の検討会でガイドライン案を示した。そこには水質管理など水道事業の重要業務をみな営利企業に丸投げし、自由な料金値上げを認める内容を盛り込んでいる。
 
 厚労省主導の検討会は大学教授や日本政策投資銀行関係者など8人で構成し、オブザーバーには内閣府民間資金活用事業推進室参事官も入っている。改定水道法は水道施設を自治体が保有したまま民間事業者に運営権を売りとばす「コンセッション方式」の導入が柱だ。だが「コンセッション方式」導入時に必要な「厚労相の許可」の基準はまだ決まっていない。その基準を具体化するのが検討会の役目である。
 
 「コンセッション方式」は「業務委託」や「JR型の民営化」とは異なる。「業務委託」は水道施設は自治体が所有し、自治体が委託料を払って部分的な業務を民間企業に任せる方式で、民間企業が得る利益は制約される。また施設ごと所有する「JR型の民営化」は、自然災害で施設が破損すれば巨額な復旧費が避けられないというリスクがつきものである。
 
 こうした営利企業が参入を渋る要因をとり除いたのが「コンセッション方式」だった。それは水道施設を使って自由にもうけることを参入企業に認め(水道料金はみな企業の収入になる)、大規模災害で水道施設が破損してもその復旧費は地方自治体(税金)に被せる仕組みである。それは「全国民に安全な水を供給する」ことを要にしていた水道法の規制を瓦解させ、日本の水道事業を営利企業、とりわけ外資の草刈り場に変貌させる性質を持っている。
 
 厚労省が第3回目の検討会で示したガイドライン案は、コンセッション方式について「地方公共団体が水道事業者」という位置づけを維持したまま「水道施設運営権」のみ民間事業者に「設定できる」と明記した。そして自治体側が担当する任務として「経営方針の決定、議会への対応、認可の申請・届け出、供給規定の策定、給水契約の締結、国庫補助の申請、水利使用許可の申請」等をあげた。他方、営利企業が実施可能な事業としては「水道施設の整備(施設更新、修繕)、施設管理(水道施設の運転・管理、水道施設の維持・点検、給水装置の管理、水質検査)、営業・サービス(料金設定・徴収)、水道の開栓・閉栓、危機管理(応急給水、被災水道事業者への応援)」等を示している。
 
 コンセッション導入後の水道料金設定関連では原価について「人件費、薬品費、動力費、修繕費、受水費、減価償却費、資産消耗費、公租公課、その他営業費用の合算額」を列記した。原価には役員報酬や株主配当を含んでおり、無制限の水道料金値上げを野放しにする内容である。
 
 さらに料金は3~5年ごとに見直し、物価変動分や人口減少(水道料金を規定する分母となる)もその都度、水道料金に転嫁する方向である。改定水道法は水道料金について「健全な経営を確保することができる公正妥当な料金」と規定し、改定前の「適正な原価に照らし公正妥当な料金」という規定を変えている。
 
 さらに「費用分担」の項では「被害が大規模で事業運営へ多大な影響がある等、水道施設運営権者が合理的な経営努力を行ってもなお負担しきれないと考えられるものは原則として水道事業者等」と規定している。これは大規模な災害が起きれば水道事業者である自治体が復旧費を負担すると定める内容だ。こうして日ごろは民間営利企業が水道施設を使って着実に利益を上げる体制を保障したうえ、大規模災害が起きれば、その復旧費はみな自治体に負担(税金)をかぶせる方針が露わになっている。
 
 厚労省は5月15日に開く第4回目の検討会でこのガイドライン案の論議をおこない、パブリックコメントをへて決定する青写真を描いている。
 
 しかし国が強引に改定水道法を成立させ、コンセッション導入の基準策定を進めても、地方自治体レベルで具体化が進まなければ水道民営化はできない。すでに県議会が反対決議をした県も出ている。熊本、神戸、青森、秋田などのように市長が水道民営化反対を表明した自治体もある。安全で安価な水道事業を守るためには全国各地での世論喚起と行動が重要になっている。
 
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11659
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/523.html
[国際26] タコス店にいた29歳、米で旋風 「左のトランプ」賛否(朝日新聞デジタル)
ニューヨーク=江渕崇 2019年5月8日16時00分
 
 
 つい1年ほど前まで米ニューヨークのタコス店でバーテンダーをしていた29歳のヒスパニック女性が、米政界に旋風を巻き起こしている。史上最年少の連邦下院議員、アレクサンドリア・オカシオコルテス氏(民主党)。早くも「AOC」の略称が知れ渡った彼女は、急進左派的な政策を連打しつつ、SNSを駆使して若者の心をつかむ。「左のトランプ」とも呼ばれる若きスターの出現に、ほくそ笑む人がいる。ほかならぬ、あの人だ。

■2千人の会場が満杯
 
 世界中から起業やITの関係者が集う「サウスバイ・サウスウェスト」(SXSW)。テキサス州オースティンで3月に開かれたこの巨大イベントで、とりわけ注目を集めたのは有名起業家でも大物政治家でもなく、「民主社会主義者」を自ら任じるオカシオコルテス氏のトークショーだった。

 2千人超を収容する最大会場に観衆が入りきらず、スクリーン中継の別会場ももうけられた。ステージ下では数十人のカメラマンが押し合いへし合いして彼女の登場を待ち構えた。

 「政府が民間を乗っ取るぞ、と民主社会主義への恐怖があおられています。しかし、いま私たちが本当に恐れるべきなのは、企業が私たちの政府を乗っ取ってしまったことです」

 沸き上がる大歓声と拍手。終了直後にスタンディングオベーションが起こったのは、記者が参加したSXSWの20以上のセッションでこれだけだった。
 
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起業家らが集まる「サウスバイ・サウスウェスト」に登場したオカシオコルテス下院議員=2019年3月9日、テキサス州オースティン、江渕崇撮影
 
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起業家らが集まるイベント「サウスバイ・サウスウェスト(SXSW)」に登場したオカシオコルテス下院議員(右)=2019年3月9日、テキサス州オースティン、江渕崇撮影


 「僕らの世代がみんな考えていることを、政治の場に初めて届けてくれたのがAOCなんです」

 記者の隣に座っていた工業デザイナー、リズワン・ザキさん(23)は興奮を抑え切れない様子だった。30歳ぐらいだろうか、斜め後ろの席の女性は、ハンカチで目をぬぐっていた。

■一夜にして全米にとどろいた名前
 
 ベルリンの壁が崩れる1カ月前、ニューヨーク郊外でプエルトリコ系の母と零細企業を営む父の元に生まれたオカシオコルテス氏。ボストン大在学中に父を亡くし、経済や国際関係を学んで卒業した後はニューヨークに戻り、NPOやレストランで働いて家計を助けていた。満足な医療保険もなく、ギリギリの暮らしぶりだった。
 
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オカシオコルテス氏がバーテンダーをしていた米ニューヨーク・ユニオンスクエア近くのタコスレストラン=2019年4月15日、江渕崇撮影

 2016年の大統領選で、やはり民主社会主義者であるサンダース陣営の運動に加わった。弟の推薦をきっかけに昨年6月、民主党の連邦下院議員予備選(ニューヨーク14区)に出馬。米国都市部の若い層に広がる「プログレッシブ」(革新派)の波に乗り、次の下院議長候補だった当選10回の重鎮議員を破る大番狂わせを演じた。その名は一夜にして全米にとどろいた。

 翌7月、サンダース氏とそろって演壇に立った彼女の「全米デビュー」をカンザス州ウィチタまで見に行った。
 
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サンダース上院議員(左)と初めて一緒に演説会に登場したオカシオコルテス氏=2018年7月、カンザス州、江渕崇撮影

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サンダース上院議員と肩を組むオカシオコルテス氏=2018年7月、カンザス州、江渕崇撮影

 中心街にある定員1500人ほどの劇場が会場だったが、前夕になって突然、郊外の大型国際会議場に変更になったと連絡が入った。彼女の登壇がわかって申し込みが殺到し、収容しきれなくなったためだという。
 
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オカシオコルテス氏の似顔絵を掲げる女性=2018年7月、カンザス州、江渕崇撮影

 カンザスといえば、保守的な土地柄で知られる米国のど真ん中である。サンダース氏やオカシオコルテス氏の人気も、ニューヨークほどではないだろうと私は高をくくっていた。

 しかし、2人を迎えたのは、ざ…

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https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190508001258_comm.jpg
自身の選挙区があるニューヨーク・クイーンズで住民と交流するオカシオコルテス下院議員(左)=2019年4月6日、江渕崇撮影


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自身の選挙区があるニューヨーク・クイーンズで住民と交流するオカシオコルテス下院議員=2019年4月6日、江渕崇撮影

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190508002200_comm.jpg
自身の選挙区があるニューヨーク・クイーンズで有権者の相談に応じるオカシオコルテス下院議員=2019年4月6日、江渕崇撮影
 
https://www.asahi.com/articles/ASM4K2TN3M4KUHBI00Z.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/376.html

[政治・選挙・NHK260] 安倍首相と明仁上皇(上) 明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった 佐藤章 (朝日新聞社 論座より)
安倍首相と明仁上皇(上)
明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった

佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長
論座(無料公開部分) 2019年05月09日

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_3.jpeg
「退位礼正殿の儀」で天皇陛下(当時)に国民代表の辞を述べる安倍晋三首相=2019年4月30日、皇居・宮殿「松の間」

■ 明仁上皇と安倍首相の軋み
 
 右翼団体「一水会」が安倍首相に対して怒りを表明している。「一水会」の公式ツイッターからその言葉をまず引用しよう。
 
安倍総理が、4月30日の天皇陛下の退位礼正殿の儀で「天皇皇
后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を願って已み
ません・・あらせられます事を願って(已)いません」とやっ
てしまった。これでは意味が逆。問題は、官邸HPから映像削除
したこと。潔く字を間違えたこと認め不見識を謝罪せよ。
 
 次のツイートでこう言葉を継いでいる。

安倍総理の国民を代表しての挨拶だが、確かに滑舌の問題もあ
ろう。しかし、一世一代の大厳粛なお役目を努める立場であ
る。間違いがあってはならない。本来、自身が心情を込めた代
表文を作成して準備万端にしておく。それが叶わなかったなら
ば、一度、二度と確認は必要だ。慢心が不見識を招いている。
 
 安倍首相が、退位する天皇と皇后の前で「国民を代表して」あいさつしたが、その際に「已みません」という文字を読めなかったのかどうか「いません」と発音してしまった。

 これでは「お健やか」であることを願わないことになってしまい、戦前ならば「不敬」なこととして大きい騒ぎになっただろう。

 さすがに「一水会」は「慢心が不見識を招いている」として「不見識を謝罪せよ」と糾弾しているが、明仁上皇に対する安倍首相の「慢心」、「不見識」はこれにとどまるものではない。「生前退位」を打ち出した明仁上皇がまさに退位するまで、安倍政権のほとんど礼を失するような対応が進行していた。

 なぜ、このような事態が起こるのか。

 憲法の第1章に置かれた「天皇」は神や現人神ではない。人間である。この日本で、「天皇」と呼ばれるただひとりの人間として、85年の人生をかけて「国民統合の象徴」(憲法第1条)の意味をひとり実直に考え続け、その地位からの「生前退位」の考えを初めて強く打ち出した。その明仁上皇の歴史認識、社会観、さらには人間観と、安倍政権のそれらとはあまりに深い逆断層を形成している。

 自らの存在基盤である憲法の意味を考え続け、まさに「国民統合の象徴」として立ち続けてきた明仁上皇と、憲法の精神を省みず何度も違憲の疑いをかけられている安倍首相とでは、互いに相互理解の理路が欠けている。上皇関係者への取材なども踏まえて、その逆断層の構造を報告しよう。

 明仁上皇の基本的な歴史認識と安倍政権のそれとが、深い地表下で人知れぬ激しいきしみを生じさせた事例をまず見てみよう。

■ 「主権回復の日」のパプニング
 
 2013年4月28日午前、それは、東京・永田町の憲政記念館のホールで起きた。

 第2次安倍政権が発足してほぼ4カ月が経ったこの日、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」(主権回復の日)が開かれた。1952年の同日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本政府に主権が戻ってきたことを祝う式典だ。

 現在ユーチューブでもその様子を見ることができるが、登壇した上皇夫妻を取り囲んだ安倍晋三首相や麻生太郎財務相らが力強く「君が代」を斉唱した。

 その後、式典が終了し退席しようとしたその時、ハプニングが起きた。突然「天皇陛下、万歳」の声がかかり、会場は「万歳」の大声の渦となった。安倍首相も壇上で万歳三唱に加わったが、上皇夫妻の表情は硬く、沈黙したまま会場を後にした。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_2.jpeg
「主権回復」式典に参列した天皇、皇后両陛下(当時)。式典が終わり退席する際、「天皇陛下、万歳!」の声が上がった=2013年4月28日、東京都千代田区
 
 突然の万歳三唱、そして硬い表情の裏には、実は明仁上皇の人知れぬ苦悩があった。

 万歳三唱どころではない。この式典に出席するべきかどうか思い悩んでいたのだ。

 式典出席の要請を受けて、明仁上皇は参与会議の議題にかけた。参与というのは天皇の相談役だが、この時、明仁上皇の疑問と苦悩に応えてくれる相談役はいなかった。

 「日本が講和条約を締結した時、沖縄はその中に入っていないじゃないか。沖縄が独立の中に入っていない状況で、それを記念するというのはどういうものだろうか」

 出席者の記憶では、明仁上皇の疑問は、このような言葉で表現された。

 疑問の背景には沖縄の歴史がある。1945年3月から6月にかけて悲惨きわまる地上戦が繰り広げられ、沖縄住民の約3分の1が犠牲になった。集団自決の例も数多く報告されている。

 そして戦後、講和条約からひとり取り残され、1972年まで米軍に統治され続けた。以来、沖縄県民は、米軍基地のために土地を奪われ、米兵の犯罪や米軍用機の事故に悩まされ続けた。県内では4月28日は「屈辱の日」と呼ばれ、2013年のこの日も、政府主催の記念式典と同時刻に、宜野湾市で「屈辱の日」大会が開かれた。

 つまり、この日付をめぐる明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった。

 しかし、政府主催の式典への出席要請を断るとなれば、政権との対立を深めることになる。参与会議は深刻な空気に支配されたが、政権との衝突を回避する意見が大勢を占めた。

 出席を承諾した明仁上皇はやむなく、出席にあたって自身の意見を述べる意思を示したが、これも「おやめになった方がいい」という反対意見に阻まれた。沖縄県民の苦難の歴史に添いたいという心情は、ことごとく政権の意思を忖度する参与会議の壁に跳ね返された。コメントや挨拶なしの明仁上皇の沈黙の裏にはこのような事情があったのだ。

■ 天皇家と安倍政権の沖縄を巡る落差
 
 さらに、沖縄が「日本独立」からひとり取り残された裏には、昭和天皇をめぐるもうひとつ複雑な事情が隠されていた。

 1947年9月19日、側近の寺崎英成を使って連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交顧問を訪ねさせた。「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」(1947年9月20日付マッカーサーあてシーボルト公文書、同22日付マーシャル国務長官あて同公文書)というメッセージを伝えさせたのだ。

 昭和天皇のまさに冷徹な意思を貫徹させたものと言えるが、様々な歴史資料をも渉猟する明仁上皇は、このような裏の秘史をも恐らくは熟知しているだろう。

 沖縄県民の側に立って、苦悩しつつ政府主催の式典に出席した上皇は、さらに「天皇陛下、万歳」の唱和に直面し、硬い沈黙の表情の裏で苦悩を味わっていたにちがいない。

 「沖縄問題に対する現政権の処し方と天皇陛下(明仁上皇)の見方とは全然違うんですよ」

 この時会議で相談を受けた参与の一人は、安倍政権と上皇の間に横たわる深刻な断層を指摘した。

 この記念式典が開かれる直前、私は、沖縄本島の米軍北部訓練場に接する東村高江地区を訪ねていた。オスプレイの着陸帯であるヘリパッドの建設地帯だ。現在、激しい建設反対運動が展開されている。

 その建設地帯にほど近い「土地」を訪ね、私は衝撃を受けた。平らな赤土が楕円形状に広がっているが、ほとんど植生がないのだ。太陽の光を浴びた赤土の上に、ぽつぽつとまばらな影を落としていたのは高さ30センチほどの小さな松だけ。まるで人工的に造られた空き地のようだった。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_4.jpg
ほぼ50年もの間、盆栽のような松しか生えていない土地。100人を超える米軍元将兵が沖縄での枯れ葉剤被害の救済を米政府に訴え、何人かは枯れ葉剤散布などを自ら証言。米陸軍の元高官は沖縄タイムズの取材に、1960年から2年間、北部訓練場内と周辺一帯で強力な枯れ葉剤「オレンジ剤」の試験散布を証言した。沖縄の施政権は1972年に日本に返還されたが、当時の佐藤栄作政権は、本来米国が負担すべき土地の原状回復費用を日本が肩代わりしてやり、さらにその事実を最後まで隠し通そうとした=沖縄県東村高江
 
 この北部訓練場は、これまでに部分的に返還されてきている。私が衝撃を受けた土地は、1960年代に米軍から返還されて以来、そのままの状態だった。つまり、ほぼ50年もの間、沖縄の太陽と雨の恩恵を受けながら、この土地だけはなぜかほとんど不毛の状態にあった。

 ベトナム戦争で使われ、先天的な奇形など重い障害と悲劇を生み出した枯れ葉剤がここで貯蔵されていたのではないか――。

 住民はそう疑っている。

■ 沖縄を天皇即位後5回訪問した明仁上皇
 
 さらにこの高江地区の住民には、消しがたい強烈な記憶がある。1960年代のベトナム戦争時の体験だ。

 1964年8月26日、沖縄の北部訓練場内の「ベトナム村」を舞台に実施された軍事演習の写真を見ていただきたい。

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住民たちがベトナム人役に仕立てられた『ベトナム村』。左方の畑を米海兵隊が進むのが小さく見える。海兵隊員たちが、村に隠れていたベトコン役の沖縄の住民を捉えて演習終了というシナリオだった。貴賓席のような高台から当時のワトソン高等弁務官ら米軍幹部たちが見学している。=1964年8月26日、沖縄北部訓練場・東村高江(写真・沖縄県公文書館)
 
 貴賓席のような場所から眺めているのは当時のワトソン高等弁務官を中心とする米軍幹部たちだ。海兵隊員たちが、ベトコン役の住民をとらえるという演習だった。

 役柄とはいえ、住民たちは文字通り標的以外の何者でもなかった。現在予定されているオスプレイのヘリパッドがすべて完成すれば、高江地区は囲まれる形になる。住宅の上を飛び回るオスプレイや化学物質の貯蔵も、結局実戦前の標的訓練や準備なのではないか。「ベトナム村」の歴史的記憶を抱える住民たちの深刻な懸念だ。

 戦争最終盤で悲劇的な地上戦が繰り広げられた沖縄。日本の主権回復にあたってはひとり取り残すメッセージを発した昭和天皇は、この沖縄の地をついに踏むことがなかった。

 それに対して、明仁上皇は天皇即位後5回訪問している。皇太子時代に初めて訪れた1975年7月17日には、糸満市のひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられたが、その日の夜には談話を発表した。

 「過去に多くの苦難を経験しながらも、常に平和を願望し続けてきた沖縄が、さきの大戦で、わが国では唯一の、住民を巻き込む戦場と化し、幾多の悲惨な犠牲を払い今日にいたったことは忘れることのできない大きな不幸であり、犠牲者や遺族の方がたのことを思うとき、悲しみと痛恨の思いにひたされます」

 身体に危険の迫った初めての事件だったが、その後も沖縄訪問をやめることはなかった。

 人々の記憶に残る上皇の戦跡慰霊の訪問は沖縄だけではない。

 戦後50年の前年にあたる1994年2月、太平洋戦争最大の激戦地と言われた硫黄島を訪問、次いで1995年7月に長崎県と広島県を訪れて原爆犠牲者を慰霊、8月には沖縄県糸満市の国立沖縄戦没者墓苑に礼拝、さらに東京都墨田区の東京都慰霊堂で東京大空襲の犠牲者を追悼した。

 戦後60年の2005年には、激戦地のサイパン島を訪れ、崖際に追い詰められた多数の日本人兵士や民間人が「天皇陛下、万歳」などと叫びながら断崖から身を投げたバンザイクリフに向かって深々と頭を下げ、黙祷した。

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サイパン島バンザイクリフに向かって深々と黙礼する上皇夫妻=2005年6月28日
 
 戦後70年の2015年には、やはり日本軍が壊滅したパラオのアンガウル島に向かって深々と頭を下げた。

 明仁上皇が慰霊の対象としたのは兵士だけではない。長崎や広島の原爆犠牲者や東京大空襲の犠牲者は先に触れたが、サイパン島では、沖縄出身者のおきなわの塔、韓国人慰霊塔にも向かい、黙祷を捧げた。

 2014年6月には、沖縄県那覇市の対馬丸記念館を訪問、遺族らと懇談した。戦時中の1944年8月、沖縄から九州に向かっていた学童疎開船の対馬丸は鹿児島県沖で米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人の子どもたちが犠牲となった。この年、10歳だった明仁上皇は、千葉県成田から静岡県沼津、栃木県日光へと疎開先を転々としている。同じように疎開しようとした同年代の子どもたちの犠牲に強い衝撃を受けたようだ。

 対馬丸や沖縄、長崎、広島、そしてサイパンやパラオ慰霊訪問にうかがわれるように、上皇の旅は、悲劇の歴史に対するひとりの人間としての深い感情と洞察に由来しているようだ。

■ 象徴天皇制と戦争放棄の取引
 
 明仁上皇は、日本人として忘れてはならない四つの日付を挙げている。

 6月23日 沖縄慰霊の日
 8月6日 広島原爆の日
 8月9日 長崎原爆の日
 8月15日 戦争の終わった日
 
 そこには、安倍首相らが万歳三唱をした4月28日「主権回復の日」は存在しない。明仁上皇にとっては、日本人にとって最大の悲劇となった日々の記憶こそ忘れるべきではないのだ。

 しかし一方で、最大の悲劇の日々をもたらした戦前日本の中心に存在していたのが ・・・ログインして読む
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https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050700008.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/563.html

[政治・選挙・NHK260] 原武史「平成は天皇制を強固にした」(朝日新聞社 論座)
原武史「平成は天皇制を強固にした」
奉祝ムードに染まった日本社会。国民は「平成流」を支持し、天皇の求心力は増大した
 
石川智也 朝日新聞記者
論座 2019年05月10日

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橿原神宮前駅に到着した上皇、上皇后=2019年3月26日、奈良県橿原市
 
 たったひとりの老人の引退劇が、過去を洪水のように押し流し、人々に時代の転換を強烈に印象づけるとともに、過去をよりいっそう刻みつける――この奇妙な磁場と時間軸を抱えた空間は、いったいどのようにできあがったのか。
 
 「平成最後」との合言葉が乱舞し、天皇への感謝親愛と新時代への「期待」の声が吹き荒れたこの1カ月。喧噪から遠く引いた視点で、「象徴」と「国民」の政治的関係性を読み解いてきたのが原武史・放送大教授だ。3年前の「おことば」表明から退位特例法成立、そして代替わりに至る一連の流れに異を唱え続けてきた数少ない専門家でもある。
 
 このところメディアに引っ張りだこだが、その発言は大方マイルドに編集されている。あらためて、この国最大の禁忌である天皇というシステムの今後の姿について、タブーを超えて語ってもらった。
(ちなみに、原教授は天皇について語る際、敬称や敬語をいっさい用いない。客観的、学術的に対象を扱うためだ。敬語使用と批判、批評は両立が難しいものであり、こうした姿勢は本来ジャーナリズムにも求められていた。だが敗戦後の1947年、主要メディアは宮内府(当時)と「普通のことばの範囲内(「玉体」は「おからだ」、「宸襟」は「お考え」に)で最上級の敬語を使う」という方針で合意。この考えは国語審議会にも受け継がれた)

原武史(はら・たけし) 1962年生まれ。専門は日本政治思想史。『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『皇后考』など著書多数。近著に『平成の終焉――退位と天皇・皇后』(岩波新書)


■ 「奉祝」ムード一色、極めて異様

 ――昭和が終わる際には不健全な「自粛」が世を覆う一方で、天皇の戦争責任や政教分離など直球の議論も盛り上がり、自粛に抗う催しも各地で開かれました。今回は逝去が伴わない改元ということもあってか、祝賀を強いるような「右ならえ」の空気をより濃厚に感じます。

 まさに「奉祝」ムード一色で、極めて異様だと思います。言論状態が閉塞していますね。「おことば」に批判的なことを言ってきた僕が日本のメディアで長いコメントを求められるのは、ほとんどネットメディア。そういうところでしかタブーをぶつけることができなくなっている。むしろ海外メディアの方が客観的で、こちらの意図を汲んで本質的なことをきちんと質問し、報じています。

 一番の問題は、このお祝いムードと新上皇への「ありがとう陛下」という感情の渦のなかで、「おことば」によって露わになった天皇制の問題と今後のあり方を、国民がまったく議論しようとしていないことです。言うまでもなく、憲法第1条に明記されているように、象徴とされている天皇の地位は、主権者である国民が論じて決めていくべきものです。

 ――「おことば」から退位までの経緯は、日本国憲法で規定された象徴天皇制の矩を超えた疑いがありますが、国民の圧倒的支持でかき消された感がありますね。

 「おことば」は象徴天皇制が抱える様々な問題を噴出させたし、その内容も大きな問題を抱えたものでした。

 現憲法下で、天皇は国政に関する権能を有しません。にもかかわらず、2016年のあの「おことば」は、事前に「8月8日の午後3時から」と放送日時を指定した上で、天皇自らがビデオメッセージで11分にもわたって、政府や国会を通さずに国民にダイレクトに語りかけました。そこから急に政府が動きだし、国会が議論を始め、特例法が成立した。結果として法の上に天皇が立ち、露骨に国政を動かしたのです。

 戦後、このように天皇が意思を公に表し、それを受けて法律が作られたり改正されたりしたことはありません。

 さらに言えば、明治憲法下で「大権」を持っていた明治天皇や大正天皇、戦前の昭和天皇の時も、こんなことはありませんでした。もはや権威どころか、はっきりと「権力を持っている」と認めなければならない事態です。

 にもかかわらず、この「おことば」に対する世の反応は、「厳粛な気持ちになった」とか「陛下の決断を温かく見守ろう」という受け止めが大半でした。天皇が持つ政治性や権力について突き詰めて考えようという姿勢があまりに欠けていました。結果、「一代限りの例外」ということで問題を先送りし、主権者として吟味すべき本質に触れぬまま、代替わりを迎えた。そしてそのことへの反省すらない状況です。

 しかも、特例法の第1条には「おことば」への言及はなく、あたかも国民が高齢の天皇の気持ちを理解し気遣って立法したかのように構成されている。憲法との整合性を気遣って、あたかも「民意」が反映しているかのように取り繕っている。でも、これはあきらかにまやかしです。

■ 「おことば」にはもっと疑義が呈されてしかるべきだった
 
 ――明仁上皇は以前から退位の意思を示していたものの政治がその声にこたえず、「おことば」はやむをえず意向をにじませたものとされていますね。日本の超高齢社会の問題にも触れ、あらためて国民への相互の信頼と敬愛を示したということで、「第二の人間宣言」と評価する人もいます。

 それは、政府内にも国民にも「天皇に退位をすすめるのは畏れ多い」というタブー意識がいまだに根強く残り、天皇制について自由に意見を言える空気自体がないからです。

 あの「おことば」は、1946年元日に昭和天皇が「現御神」であることを否定したいわゆる「人間宣言」よりもむしろ、1945年8月15日の「終戦の詔書」つまり「玉音放送」に類比できるものです。

 当時の鈴木貫太郎内閣は終戦に向けて政府をまとめることができず、非常手段として「ご聖断」を仰ぎ、ようやくポツダム宣言受諾に至った。玉音放送が流れるまでは、たとえこの戦争は負けると思っていても、公然と言える空気ではありませんでした。

 ところが、天皇が肉声で臣民に直接語りかけたあの放送が流れるや、絶大な効果によって、圧倒的多数が敗戦を受け入れました。その流れは、今回の退位をめぐる動きとよく似ています。

 終戦の詔書には「常ニ爾臣民ト共ニ在リ」「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」との言葉がありましたが、「おことば」にも「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり」「国民の理解を得られることを、切に願っています」という、よく似た言い回しがあります。

 上皇明仁が玉音放送を意識していたことは明らかだと思います。でも、それが天皇の持つ強大な権力が端的に現れたものだということを、どこまで自覚していたでしょうか。

 もう一つ着目すべきは、東日本大震災から5日後に天皇がテレビで述べた「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」です。震災に続いて津波や原発事故が起こり、人心が極度に動揺する最中に発せられたこの「おことば」は、人々の不安を和らげる絶大な効果を発揮しました。天皇が首相よりも大きな影響力をもっていることが明らかになったのです。

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JP東京駅で、安倍晋三首相の見送りを受ける上皇、上皇后=2019年4月17日
 
 2016年8月8日の「おことば」は、この前例を多分に意識しつつ、退位に向けて国民の圧倒的支持を獲得するために発せられたと見ることもできます。

 こうして見ると、「おことば」に対しては憲法学者や政治学者たちからもっと疑義が呈されてしかるべきですが、一部の左派以外に問題提起する人がほとんどいない。それどころか「天皇が個人、当事者として発言することは憲法上許容される」という趣旨の発言をした学者もいました。驚きです。

 ――「おことば」の内容で重要な点はもう一つ、「象徴としてのお務め」の内容に具体的に触れている点です。これについても、憲法に規定された国民主権の原則との矛盾を指摘していますね。

 憲法は「象徴」の定義についてなんら触れていません。一方、第4条は、天皇は憲法が定める国事行為のみを行うと定めている。実際にはそれ以外に様々な「公務」を行っており、この公務の位置づけをどうするかについては、ながらく議論されてきました。

 ところが、天皇明仁は「おことば」のなかで、「象徴としてのお務め」について自ら定義づけを行い、「国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を、二本柱として位置づけました。

 これは、宮中祭祀と行幸を指しています。ご存じのとおり、上皇明仁と上皇后美智子は天皇皇后時代、いや皇太子と皇太子妃時代から、この二つにまさに「全身全霊をもって」取り組んできました。

 特にこの行幸啓は、昭和天皇がほぼ手をつけなかった被災地訪問と慰霊の旅を通じて国民に寄り添う姿勢を印象づけ、天皇制の新たなスタイルを確立しました。全国津々浦々をくまなく歩き、避難所に作業着姿で分け入って自らひざまずき、目線を下げ、被災者一人ひとりの顔を見てじっくりと言葉をかける。これが「平成流」と呼ばれるもので、明治大正昭和にはあり得なかったものです。

 かつての行幸は、イデオロギー教育を施したうえで、多くの人々を動員して君が代斉唱や万歳や分列行進などをさせるものでした。天皇は抽象的なマスとしての臣民あるいは国民にのみ対し、具体的な一人ひとりの顔を見ていません。しかし平成の天皇皇后は、個々の国民との関係性をつくろうと努力してきたように見えます。

 このスタイルは、カトリック的な教育の背景を持つ上皇后美智子が皇太子妃時代から方向性を形作ってきたものだと僕はみています。

 ただ、そこに本当の意味での「交流」はない。声をかけるのは常に天皇の側からであり、国民が天皇に向かって意見を表明することはあり得ません。そのことじたい、象徴の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した憲法第1条と矛盾しています。その矛盾が、天皇が象徴の振る舞いとは何かを自ら定義してしまった「おことば」に表れています。

■ 国民は「平成流」を支持し、天皇の求心力は増大した

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東日本大震災直後、7週連続で被災者を見舞った=2011年4月、宮城県南三陸町歌津
 
 ――しかも、この新たな行幸啓のスタイルは、また別の意味で、天皇がダイレクトに国民とつながるチャンネルを開いてしまった。
 そうです。北は宗谷岬から南は与那国島まで、かつてないほどの数の地方訪問を通じて、戦前とは違うかたちで天皇・皇后が国民一人ひとりと結びついた。行幸啓を記念する石碑が全国各地に建てられ「聖蹟」化し、新たな「国体」が国民のなかで内面化されていく。僕は「国体のミクロ化」と呼んでいますが、その意味では、天皇制はより強固になったのです。

 そして、これは一朝一夕に成立したものではありません。1959年の結婚直後から60年間にわたって積み上げられてきたものです。

 現上皇・上皇后のふたりが災害直後にそろって被災地入りしたのは、平成の幕開け間もない1991年の雲仙普賢岳の大火砕流のときです。被災者が避難する体育館でふたりは二手に分かれてひざまずき、被災者と同じ目の高さで一人ひとりに語りかけた。その姿が繰り返しニュースで流されました。

 その後、北海道南西沖地震、阪神・淡路大震災、中越地震と大災害のたびに同じ行動が繰り返されます。

 右派にとって、こうした姿はあってはならないものでした。天皇は人々が仰ぎ見るべき神格化された存在でなければならない。皇后美智子が存在感を示し、ミッチーブーム以来の天皇を上回る人気を背景に、昭和とは異なるスタイルを築いていったことも、受け入れがたかったでしょう。

 江藤淳は阪神・淡路大震災後、「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない」と、その行動を批判しています。また、新聞にも「天皇訪問よりも仮設住宅を早く造ることに政府は全力をあげろ」「被災地に警備の負担をかけ、迷惑」といった声が載っていました。

 しかしそうした疑問の声は、東日本大震災を機にいっさい消えます。

 発生から5日後の3月16日午後4時35分、前述した「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」がテレビで放映されました。人心が激しく動揺するなかで、テレビを通じて直接国民に語りかけ被災者や防災関係者を励ましたそのメッセージは、人々の心に強く響きました。

 天皇はこの「おことば」を自ら実践するかのように、その後7週間連続で皇后とともに被災地を訪問し続けます。都知事の石原慎太郎が「皇太子や秋篠宮を名代にしては」と進言したものの天皇明仁はそれを断り、強い意志で被災地に赴いたといわれています。

 実際には皇太子や秋篠宮も被災地を訪れましたし、政治家や宗教者も数多く行っています。にもかかわらず、メディアは天皇皇后が被災者の前でひざまずく姿を繰り返し流しました。ふたりの存在感が突出し、「国民に寄り添う」天皇のイメージが強く国民に刻印されたのです。

 「陛下がいらっしゃる限りはこの国は大丈夫」といった空気が社会に広がっていく様子は、ある意味で、世俗権力が持たない宗教的な力、天皇の「聖性」が発揮されたとすら感じさせるものでした。

 以来、ふたりの行動には右派からの批判も消え、称賛一辺倒になります。国民は「平成流」を支持し、天皇の求心力は増大しました。

■ 皇室の政治的発言に、国民とメディアの受け止め方が甘くなった
 
 ――平成流のあらたな「国体」をつくるのに、メディアが大きく貢献したということですね。

 上皇明仁本人も宮内庁も、それに自覚的だったと思います。「平成流」の象徴天皇像が国民に浸透しているという確信があった。それは、東日本大震災のときのビデオメッセージのインパクトという「成功体験」があったからです。

 この第一の「おことば」が、2016年8月8日の「おことば」につながっている。政府や国会をとびこえて国民にダイレクトに語りかければ、その手法も含めて国民は確実に支持する。そう十分予測したうえでやったと思います。結果そのとおりになって、「民意」がつくられたのです。

 こうした流れは、秋篠宮の「大嘗祭は皇室の私費で」発言にもつながっています。あの宮内庁批判は、明らかに国民を意識し政治的意図を持ったものだと言えます。皇室の政治的発言に対し、国民とメディアの受け止め方が非常に甘くなったのです。

 ――明仁上皇はむしろ、統治権の総覧者として明治以降に強大化した天皇制を否定し、権力が極小化されていた江戸以前の姿に立ち返ろうとしてきたように見えます。一方で、権威が高まった明治以降のあり方や方法を踏襲しているとも指摘していますね。

 上皇明仁が天皇の象徴の務めの二大柱に位置づけた宮中祭祀と行幸は、いずれも明治以降になって新たにつくられたり大々的に復活したりしたものです。つまり「つくられた伝統」です。

 明治天皇は京都から東京に移ると、江戸期には京都とその周辺以外にはほとんど忘れられていると言ってもよい存在だった天皇の威光と新時代の到来を臣民に知らしめるため、北海道から九州まで全国を巡幸します。これは9世紀初めの桓武天皇以来途絶えていた古代・上代の天皇巡幸を復活させたものです。昭和初期には、宮中祭祀も行幸も新聞などで大きく報道されることで、天皇の神格化が強まりました。

 敗戦で皇室祭祀令は廃止されたものの宮中祭祀そのものは私的行為としてほぼ残り、行幸も昭和天皇の戦後巡幸として復活します。そして平成になると、天皇と皇后がセットで動く行幸啓が、かつてないほど盛んに行われます。

 上皇明仁は退位することを通して天皇の権力が弱かった江戸期以前への回帰を目指しながら、実は強大な天皇制の残滓を受け継ぎ、天皇の務めの中核にしたのです。その矛盾に気づいているでしょうか。

*『原武史「米国は皇室に深く入り込んでいる」』へ続きます。5月11日公開予定です。
  
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050500002.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/584.html

[政治・選挙・NHK260] 原武史「米国は皇室に深く入り込んでいる」(朝日新聞社 論座)
原武史「米国は皇室に深く入り込んでいる」
男女差別、血統重視、米国傾倒…皇室の矛盾はますます露呈していく

石川智也 朝日新聞記者
論座 2019年05月11日

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一般参賀に集まった人たちに手を振る天皇、皇后=2019年5月4日、皇居・宮殿
 
 「令和」の英訳は beautiful harmony (美しい調和)なのだという。聖徳太子の憲法十七条冒頭には「和をもって貴しとなす さからうなきを宗となす」とあるが、この「和」こそ日本人にとって、個の突出を抑え争いの顕在化を鎮める知恵であり続けた。首都東京のど真ん中にはそんな集団主義と同質性の象徴的空間があるが、もはや様々な文化と利害が衝突し分断の亀裂や断層が走る社会で、この禁域が発する磁力はどこまで通用するのだろうか。
 
 平成の時代に生じた国民と天皇との関係が新たな「国体」をつくりだした、と分析する原武史・放送大教授に、前回記事『原武史「平成は天皇制を強固にした」』に引き続き、「象徴」の未来について聞いた。

 
■大正天皇の方が人間的だった

 ――右派や保守派は天皇の明確な元首化を求めていますが、新右翼や民族派の一部には、むしろ天皇は政治的権力から遠のき京都に帰って呪術の頂点、国民の守り神たる存在に回帰すべきだとの主張があります。昭和後期の皇太子時代から始まっていた「平成流」は、ある意味でその文化天皇制的なものが実現したものとは言えませんか。

 大元帥や統治権の総覧者としての天皇は変則的なもので、平安から江戸期のあり方こそ天皇制の本質という指摘でしょうが、平安から江戸期の天皇は南朝のような例外を除き、ほぼ京都に籠もっていた存在でした。大規模な行幸を繰り返してきたこととは、まったく矛盾します。先ほど(前回記事『原武史「平成は天皇制を強固にした」』で)述べたように、こうしたあり方は、むしろ平安よりも前の時代への「復古」です。

 それと、「第二の人間宣言」の話が出ましたが、「人間」というなら、大正天皇の方がむしろ人間的だったと言えます。

 明治天皇は後期になると基本的に軍事行幸しかやらなくなり、一般の臣民の前には姿を表さなくなります。「御真影」に描かれたような畏れ多い「大帝」のイメージが広がっていくわけですが、その代わりに沖縄県を除く全道府県を回ったのが皇太子嘉仁、つまり後の大正天皇です。

 これは明治天皇とはまったくキャラクターが違う。行啓の途中で学習院時代の級友の家を突然訪ねたり蕎麦屋に立ち寄ったりと、軽妙で、スケジュールも順路も平気で破る。そしてとにかくよく喋る(笑)。「この馬の血統はサラブレットかアラブレットか」とか冗談のようなことを次から次に。そのスタイルは天皇になってもなお続きました。

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大正天皇嘉仁と貞明皇后節子の肖像画

 1913(大正2)年に皇后とともに伏見桃山陵に参拝に赴いた際に、大阪朝日新聞の記者が天皇と皇后の姿をこっそり撮影して掲載し、問題になったことがありました。内務大臣の原敬が監督不行き届きをお詫びに行くと、大正天皇は「是れには内務大臣も困るならん」(『原敬日記』)と一笑に付したといいます。
 こうした「大正流」がそのまま続いていたら、まったく違う天皇像ができていた可能性もあります。もっと軽い、現在の北欧の君主のようなスタイルになっていたかもしれない。でもこれでは、祭り上げようとしている下の者たちからしてみれば、あまりに権威がない。

 大正天皇は明治天皇と同じようなスタイルを強制され、自由を奪われていくうちに、だんだん体調を崩し脳の病気にもなり、最後には幽閉に近いかたちで事実上引退させられます。政府は皇太子裕仁を摂政に立てるため、活動写真などを通してその若くはつらつとしたイメージをアピールし、昭和になるとふたたび明治期のような天皇の権威化、神格化を進めていきます。1930年代から40年代にかけては、戦時体制への適合という要請もあり、また「重い」天皇像が復活するわけです。

 ――「平成流」は明治期や昭和初期の「復古」的天皇像を引きずっているという指摘は分かりましたが、それに気付いたとしても問題視できない空気がすでに形成されてしまっているのではないでしょうか。被災地をまわるその姿はメディアを通じて誰もが称賛しなければならないものと映るようになり、タブーや息苦しさを強めているようにも思えます。

 先ほどの大正天皇の話はもちろん、園遊会で山下泰裕に「柔道は骨が折れますか」と尋ねた晩年の昭和天皇と比べても、ユーモアが消えてしまいましたね。たとえ親しみを持たれてはいても、特に東日本大震災以降の仰がれ方は、やはりそれ以上のものを感じないわけにはいきません。

 古代・上代の行幸は君主の徳を四方八方に及ぼすという王土思想に基づくものですが、明治天皇の侍講となった元田永孚も昭和天皇の侍講の杉浦重剛も、儒教で普遍的な愛情を意味する「仁」を重視し、帝王学としてそれを天皇に講じます。理想の君主は民に等しく愛情を注ぐべきだとしたのです。

 そういう意味では、戦後に民主主義の教育を受けたはずの上皇明仁こそ、その理想を貫徹した最も儒教的な天皇とも言えます。

 でも、繰り返しますが、それは「人間的」なあり方でしょうか。人間であれば、大正天皇のように自由な行動がなければならない。そして、外出のたびに「神」とされた時代と変わらない過剰なまでの警備と規制が敷かれることも、ないはずです。

■「リベラル」が天皇に期待するのは筋違いも甚だしい
 
 ――政府は新天皇の即位儀式に際して恩赦の実施を検討しています。明治憲法下では天皇の恩恵的行為とされましたが、国民主権となった戦後も昭和天皇の大喪や徳仁天皇の結婚時に実施されています。

 国家的慶弔という理論的、法的根拠をいくら示しても説明がつかない。皇位継承時に一律の恩赦を実施する意味合いは、けっきょく戦前とまったく変わっていないと思います。背景にあるのは、先ほど述べた儒教的な仁慈という考えで、恩赦はいまだに先帝の遺徳あるいは新天皇の徳を示すための装置ということです。現行憲法下でこうした慣習が続いていることに、法学者はなぜもっと声をあげないのでしょうか。

 ――多くの日本人が天皇に求めているものは「人間的」なものではなく、むしろ聖性を帯びた超越論的な存在ということですか。

 宗教学者の阿満利麿は「天皇は現人神でなくなっても、日常の延長に非日常的な存在を保っておきたいという現世主義的願望に支えられ、生き神であり続けている」という趣旨のことを述べています。日本人が天皇に対し、人としての親愛の情を超えた非日常的な作用を求めている限り、天皇が「人間」になることは今後もないということでしょう。

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2018年11月27日、JR掛川駅
 
 ――少し別の角度から、天皇が果たしてきた役割を考えたいと思います。明仁上皇と美智子上皇后は日本国憲法の遵守の姿勢を明確にし、戦後民主主義とともに歩んできたとの印象が国民に共有されています。いわゆる「リベラル」側の人たちにもふたりへの共感は広がり、安倍政権の横暴を抑制するために、あるいは改憲を阻止するために、その防波堤機能を期待する声すらあります。

 ふたりの行動にはイデオロギーが希薄ですが、発言は寛容性を備えており、リベラルな知識人からもおおむね好感と称賛をもって迎えられています。知識人のなかにも、いまの皇室を民主主義の守護者のように思っている人は多い。

 しかし、民主主義を機能させるという本来政治が果たすべき役割を天皇や上皇にしか期待できなくなっているとすれば、極めて危うい状況です。内閣や国会を介さずに現在の政治のアンチと天皇がつながるのは、昭和初期の青年将校が抱いた超国家主義の理想に近い。「リベラル」が天皇にそうした権力や権威を期待するのは筋違いも甚だしい。

 ――明治政府は日本に国民国家らしきものをつくる際、統合の原理として天皇をもってきて、近代化に成功したとされています。GHQも敗戦時、安定した占領統治のために天皇を利用しましたね。それをさらに敷衍し、天皇制こそこの国で民主主義を可能にする条件だったとして積極的に評価する識者もいます。

 それは、明治以降の天皇制の歩みを単線的に捉えた不正確な認識だと思っています。

 近代天皇制を支える正統性はもっと多層的で複雑です。「万世一系」という血のフィクションにしても、南朝と北朝のどちらを正統にするかというやっかいな問題がありましたし、歴代の天皇は大正末期まで確定していませんでした。イデオロギーに見合う実態は、その段階まで未完成だったわけです。

 天皇の体調が悪化する大正後期からは、歴代天皇から外された神功皇后に思い入れをもつ貞明皇后の権力も無視できないものになっていきます。天皇の存在が常に社会や国家の中心や上位にあって、政治や国民を統合する機能を果たしてきたというわけではないんですよ。

 「みんな同じ日本人」という共同性も天皇がいなければ成立しなかったかといえば、必ずしもそうとは言えません。

 聖的な権威という意味でも、天皇が歴史の表舞台に登場した明治初期には、東西本願寺の法主や出雲国造など、それこそ「生き神」「生き仏」と拝まれるような巨大な宗教的カリスマが並立していました。出雲国造の千家尊福は西日本各地を巡教し、人々の崇拝の対象になっています。

 ――そのなかで天皇の権威だけが大きく広がったのは、形骸化していたとはいえ律令制の頂点にいたからですね。

 でも、それに関係した人はごくわずか。一般の人々にはほとんど存在感がなかったために、維新後に全国をまわってアピールする必要があったわけです。天皇が他と比べて特異だったのは、法主や国造が人々に説法したり積極的に語りかけたりするスタイルだったのに対し、基本的に無言でまわってときに御下賜金を与えるという方法をとった。つまり仁という徳で人々を感化するという儒教的なスタイルで、これが結果としてうまくいった。幕藩体制が崩壊して天皇がでてきてそこに権威が一気に一元化されたという単純な話ではありません。

 のちに「天皇制国家」と呼ばれるものは、行幸や教育やメディアによって紆余曲折を経ながら徐々にできていったものです。僕は、メディアが果たした役割が非常に大きいと考えています。

■アメリカは皇室に深く入り込んでいる
 
 ――今年出版された赤坂真理の『箱の中の天皇』は、天皇を、あらゆるものを容れられる「空っぽの箱」に見立てています。これはロラン・バルトが『表象の帝国』で論じた「空虚な中心」とほぼ同じですね。ゼロ記号だから何をあてはめても機能する存在だった、といった意味ですが、1970年代から80年代にかけて、こうした記号論的、文化人類学的な天皇論が流行りました。でもこれは国内モデルを前提にしたもので、外国という「他者」の視点を欠いた内向きな分析だと思うんです。

 そのとおりです。しかも、天皇制を歴史的に見ず、極めてスタティック(静態的)に捉えたものですね。システムが不変のものとして存在しているイメージです。でも天皇が身体性を備えた人間である以上、天皇制は明治大正昭和平成と、代替わりを経るたびに大きく変わっています。

 ――平成の天皇論の多くも、「和をもって貴しとなす」を地で行った天皇の振る舞いに注目した内向きのものだったと言えるかもしれません。しかし実際には、天皇は海外では相変わらず先の戦争の清算の問題と切り離しては見られていない。そのことに自覚的だったのはむしろ現上皇かもしれません。

 行幸のもう一つの柱である「慰霊の旅」ですね。国外の目という視点では、僕が注目しているのはその訪問地です。上皇明仁は確かに言葉では植民地支配や戦争への反省に踏み込んでいます。でも国外で訪れた激戦地は沖縄、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンと、1944年以降に日本が米軍と戦い負け続けた島々ばかりです。柳条湖、盧溝橋、南京、武漢、重慶、パールハーバー、コタバルといった、1931年以降に日本軍が軍事行動を起こしたり奇襲攻撃を仕掛けたりした所には行っていないんです。

 日本の戦争の全体がむしろ隠蔽されていると僕は思っている。

 ――それは、対アメリカという要素が突出しているということですか。

 そういうことです。上皇と上皇后が結婚後の1960年9月に最初に訪問した国はアメリカですが、これはアイゼンハワー大統領が来日できなかった代わりです。最初からアメリカとの関係が重視されている。

 上皇明仁は戦後、アメリカからやってきたヴァイニング夫人に教育を受けましたが、「アメリカ」は皇室に深く入り込んでいるわけです。それは言うまでもなく、戦争放棄とセットで天皇制を温存した憲法の設計者だからです。

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1945年9月、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥を訪問した昭和天皇。敗戦の現実を国民に実感させた写真として知られる 。GHQ写真班(米軍)撮影
 
 ――東京裁判の起訴状は昭和天皇誕生日に提出され、A級戦犯7人の処刑は1948年12月23日、つまり皇太子明仁の15歳の誕生日に執行されています。これは戦勝国アメリカが天皇制に刻んだプログラムと言われています。
 昭和天皇はアメリカによって免責された自分の代わりに7人が犠牲になったことに、強い罪の意識を植えつけられていたと思います。確かに占領期の昭和天皇はカトリックに接近するなど、アメリカとは別のチャンネルを模索しましたが、結局は封じられた。つまりアメリカが新たな庇護者となり、日本の運命が牛耳られていくことを強く意識せざるを得なかった。

 そしてそれは上皇明仁も引き継がれた。沖縄を11回も訪問したのは、父である昭和天皇が終戦直後に長期占領を認めるメッセージをアメリカに送っていたことへの負債感、贖罪意識もあったのではないでしょうか。

■時代に合わない男女差別で成り立っている
 
 ――今後の天皇制について伺いたいと思います。「おことば」で明仁上皇は「これからも皇室がどのよう時にも国民とともにあり」、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的につづいていくことをひとえに念じ」ると述べました。自ら定義した象徴の務めを新天皇にも望んでいるということですね。

 でも、それには無理があると僕は思っています。新天皇徳仁が同じスタイルで同じことをやっても、国民の広範な支持を得られるかどうかはわかりません。代替わりということは、人間が交代するということです。人間は具体的な身体を持っている。クローンではない。それぞれのあり方や考えがあるし、上皇明仁も昭和のスタイルを大きく変えたわけです。

 同様に皇后雅子も、上皇后美智子と同じ人間ではない。平成流スタイルを実行できたとしても、受け手の捉え方は変わる可能性がある。

 右派は代替わりを機に、明治や昭和のような天皇の権威化を望んでいるでしょう。皇后が常に天皇の横にいてカリスマ性を相対化していた平成流は、彼らにとって不本意なものだった。そのためには皇后雅子の体調が回復しない方がいいと思っているかもしれません。

 仮にそうなっても、天皇徳仁が右派のもくろみに対抗するかのように、大正天皇のような「人間的」な存在を目指すなら、平成とはまた明らかに違った天皇像ができあがります。

 ただ、どちらに向かうにしても、それ以上に、日本社会の方が大きく変わっていきます。在留外国人や外国人観光客が増え、多様なルーツをもつ人々が国内に増えていく。すでにそういう時代に入っています。

 上皇明仁は「おことば」で「国民」と「象徴」のあるべき関係を述べましたが、ここでの「国民」とは、いったい誰のことを指しているのでしょう。例えば在日韓国朝鮮人や、天皇・皇后の行幸啓前に公園や路上から排除されるホームレスなどは、含まれているのでしょうか。

 ――近代国家が想定している「国民」はそもそも血統や民族ではなく社会契約論的なものです。しかし、万世一系と「血」の純粋性を拠にする以上、天皇は多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ず、逆に排除の論理になりかねません。

 そうです。言葉を交わさなくてもお互いに「日本人」と確認し合える存在、伊勢神宮で剣璽とともに動く天皇を見るだけで、沿道で涙する人たちにしか通用しない。そういう「生き神」を社会統合の原理にしてしまえば、外国をルーツとする人たちは閉め出されてしまいます。

 ――そもそも、血統による天皇制が持続する条件はどんどん悪くなっています。皇位継承資格のある皇族男子は83歳の常陸宮、53歳の秋篠宮と12歳の悠仁親王の3人だけ。悠仁親王に将来男子が生まれなければ、男系男子の皇統は絶えます。

 早晩立ちゆかなくなることは目に見えているのに、政府は女性・女系天皇の議論をやめてしまいました。

 この点について右派の考えは完全にふたつに割れています。天皇制をなにがなんでも存続させることを優先し、女系も認める必要がある、というのが一方。他方は、万世一系という皇統こそがまさに日本の日本たる所以であり、それを破って女系を認めれば皇室はもはや皇室ではなく、その瞬間に天皇制はなくなる、という考えです。

 旧宮家の男子をもう一度皇族に復帰させる案を主張する人もいますが、これには反対が根強く、国民の理解も得られないでしょう。

 ――重要な事実ですが、昭和天皇から10代遡ると、皇后から生まれた天皇は昭和天皇以外一人もいません。昭和天皇は訪欧後に女官制度を改革し、一夫一婦制にこだわりましたが、明仁上皇は第五子でようやく生まれた男子だった。男系は侍妾や側室を持つことで成り立っていたとも言えます。でも、側室制度など旧宮家の皇族復帰以上にあり得ないオプションですね。

 つまり、そこまでして存続させる必要があるのかということなんです。

 男系男子が絶えれば天皇制は廃止、という結論と似ていますが、いまの天皇のシステムは、男性皇族よりも女性皇族に大きな負荷をかけて成り立っているものです。血のケガレを避けるための宮中の過酷なしきたりもそうですが、なにより、必ず男子を産むことを求められる。仮に女系が認められても、血統で存続させる以上は子を産まなければ存在意味がなくなる。そういう状況で、悠仁親王の結婚相手にすすんでなろうとする人が、どれくらい現れるでしょう。

 女性・女系が認められていないことも含め、時代に合わない大きな男女差別によって成り立っているものを、どんな正当的な理由で「存続させなければならない」と主張するのでしょうか。

■天皇制の矛盾はもっと露呈していく

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一般参賀に集まった人たちに手を振る天皇、皇后、秋篠宮夫妻、眞子妃、佳子妃=2019年5月4日、皇居・宮殿
 
 ――退位が認められるなら即位拒否もあり得る、という議論が一部にはありますね。天皇には基本権が認められていない、だからその地位を離脱してふつうの人になる権利が認められてしかるべきだ、という憲法学者奥平康弘の問題提起も注目されています。
 天皇の人権が奪われていることだけを強調する人がいますが、僕には違和感があります。天皇は天皇の地位につかなければならないという義務はありますが、憲法に規定された行為は極めて限られており、その一方でさまざまな特権を持っています。東京の真ん中で自然に恵まれた広い家に住み、巨大な別荘が3つあり、御料牧場まであるなど、一般の人間が一生味わえない待遇を受けている存在です。

 天皇の人権を言いだすと問題が途端に抽象化され、先ほど指摘したようなジェンダーや女性皇族の人権の問題がどこかに飛んでしまう。

 ――天皇制は憲法の平等原則の例外で、身分制の飛び地と言われています。現実の民主制と共存できても、人権と自由と平等という理念を思想的に突き詰めれば、世襲による君主制と民主主義は相いれないはずですね。

 それを指摘している人はほとんどいませんね。共和制への移行を主張する人も、なぜか天皇に人権がないという問題に矮小化させ、「陛下を我慢と犠牲から解放しなければ」「本当の意味で天皇を敬うためだ」という留保を必ずつけた言い方をする。

 天皇をめぐる言論には、依然としてタブーが存在するのです。

 ――メディアの「開かれた皇室」というキーワードは、キッチンで子どもに弁当をつくる昭和の美智子流か、国民の中へ分け入っていく平成流、あるいは秋篠宮眞子妃の婚約者をめぐるワイドショー的世界でせいぜい落ち着いてしまっています。でも本当に天皇制を「開いて」しまったらどうなるのか。

 天皇制の矛盾は、これからもっと露呈していくと思います。新聞報道の一部は代替わり儀式に伴う政教分離や皇族減少の課題について指摘していますが、もっと根源的な問題には触れない。メディアがもっと多様な視点を提供しなければ、天皇のあり方を決めるべき主権者の国民のなかに議論は育たないし、タブーはいつまでも残ったままです。

原武史(はら・たけし) 1962年生まれ。専門は日本政治思想史。『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『皇后考』など著書多数。近著に『平成の終焉――退位と天皇・皇后』(岩波新書)

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050600003.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/607.html

[政治・選挙・NHK260] 山本太郎を守れ 『僕にもできた! 国会議員』(山本太郎=著 雨宮処凛=取材・構成)書評 島田雅彦 (webちくま)
2019年5月8日更新

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 理想主義者の代名詞に「ドン・キホーテ」というのがあるが、山本太郎ほどこの称号にふさわしい男はいない。通例、揶揄のニュアンスが付いて回るが、徒手空拳で巨悪に突撃してゆく蛮勇こそ現在の政治家に最も必要とされる素質である。その理想は憲法に忠実で、あるべき政治道徳に則り、国民に安全で健康な生活を確保しようとする高潔なものだ。国会には七百人以上の議員がいるが、山本太郎と何人かの例外を除けば、ほとんどの議員が多数派の頭数合わせと己が既得権益を守ることしか頭にない。山本太郎が理想主義者として浮いてしまうこと自体が政治の退廃、劣化の証左になっている。
 
 山本太郎の六年間の議員活動はちょうど安倍政権の悪政と重なるが、この間に悪政があまりに自明のことになってしまい、有権者のあいだに諦めムードが広がり出した。もちろん、野党議員たちは国会や委員会で政府の対応を批判し、数々の疑惑に対する真相究明を続けているが、首相はじめ政権担当者たちは呼吸するように嘘をつき、公文書の改竄と偽造は当たり前、幽体離脱したかのように当事者意識を欠き、一様に記憶喪失に陥っている。もう少し道理を知っているはずの男たちも、破綻の予感を抱きながら、傍観している。政府は実質、自分で何かを決めたことも、率先して対策を練ったこともない人々の吹き溜まりである。
 
 結果、財政破綻は秒読み、廃炉への道は遠く、放射能はアウト・オブ・コントロール、外交、安全保障政策も全て裏目に出た。無為無策の首相や子どもの使いの外相を置き去りにして、国際政治の謀略は容赦なく進行する。相手の厳しい次の一手には対応できそうもない。貧困問題もいよいよ深刻になり、生活苦を強いられた庶民のあいだから、怨嗟の声が上がる。純粋な理想主義者がムチを入れなければ、政府はピクリとも動かない。
 
 首相とその不愉快な仲間たちは官房機密費を使って、マスメディアを籠絡し、世論操作することも、内閣人事局を通じて、官僚を丸め込むことも、首相権限を振りかざして警察や司法に圧力をかけることもできるが、その絶大な権力を使って、やることといったら、自分たちの不正、失策を隠すこと、アメリカ大統領のパシリとして貢ぎ、日米安全保障条約および日米地位協定を憲法の上に置き、この国の占領状態を維持し、その利権で私腹を肥やすことだけだ。山本太郎は活動資金も限られ、官僚やマスメディアを操ることはできないが、彼には有能なブレーンがついていて、ボランティア的に彼をサポートし、戦略を授けてくれるので、国家権力を私的に濫用する極右政権相手のゲリラ戦はかなり奏功しているといっていい。そのゲリラ戦の主戦場は国会中継で、政府側が誤魔化しと嘘でしどろもどろになる中、舌鋒鋭く切り込んでゆく様子はまさに「山本太郎劇場」だ。山本太郎は質問を通じて、被災者支援等で政府に善処を促すことに成功している。
 
 有権者が無知で無関心でいる限り、悪政は続く。礼儀正しく、おとなしく、他人を攻撃せず、空気を読む。そんな人々の沈黙の同意によって、不正が見逃される。右でも左でもない中立の立場でいる限り、極右の専横は容認される。そうした「無関心な人々の共謀」をいかに打破するか、それが問題だ。もし、それに成功すれば、政権にとっては致命傷になる。待望されるのは政治の不毛を笑い飛ばしつつ、常識を覆すリベラルのトリックスターである。
 
 六年前に俳優から政治家に転身した時、彼自身が一般の無関心層と変わらない素人だった。だが、謙虚に勉強を続けるうちに堂々と無能な為政者たちに正論を突きつける市民視線の政治家になった。ここ六年間の山本太郎の軌跡は、「王様は裸だ」といえる正直者の素人にしかこの国は変えられないということを如実に示している。「山本太郎が首相になる」と聞いて、「まさか」という人は政治の本質をまだわかっていない。実際、極右マフィア政権が六年も続くという「まさか」を見てきたのだから、その反動から山本太郎首相の誕生は十分あり得ると考えなければ、やってられない
 
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1710
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/651.html

[政治・選挙・NHK260] [小沢一郎戦記(9)] 小沢一郎の改革を妨げた検察の根拠なき捜査 (朝日新聞社 論座)
小沢一郎戦記
小沢一郎の改革を妨げた検察の根拠なき捜査
(9)「陸山会事件」は単なる記載ミス。検察捜査の跡に政治改革の残骸だけが残った

佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長
論座 2019年05月13日
より無料公開部分を以下転載。
 
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東京地検の事情聴取後の記者会見で質問を受ける民主党の小沢一郎幹事長=0210年1月23日、東京都千代田区
 
 
■「小沢改革」を阻んだ東京地検特捜部

 一体、この日本はいつになったらまともな国になるのだろうか。そして国民はいつになったら事実に対して曇りのない目を開き、その事実に基づいてまっすぐに考えをめぐらすことができるのだろうか。

 この連載の主人公、小沢一郎は憎しみに近い敵意に満ちた曇りだらけの目に囲まれ、政治人生の頂点に近い3年間をほとんど空費した。日本政治の改革にかける小沢はそれでもおのれの使命感を捨てず、3度目の政権交代に向けて異様なほどの闘志を燃やしている。

 しかし、小沢の目指した改革が中途半端に終わらざるをえなかったために、国民が被った損害は限りなく大きい。

 小沢と国民の行く手を阻んだものは一体どんな姿をしていたのか。いま冷静になって顧みてみれば信じがたいことだが、そこには何もない。ただ、張り子の虎のような幻だけがおどろおどろしく踊り、小さい自己保身と上昇志向だけを頼りとする無知な人々が口々に騒ぎ立てていただけのことだった。

 前回の小沢一郎戦記『小沢一郎が構想した予算編成』では、小沢が事実上の国家戦略局担当として変則的な形ながらも政治主導の国家予算編成を成し遂げていた事実を記した。いったんは断念しかけた政治主導だったが、小沢の識見と人脈のおかげで、当初構想されていた形とは違うものの、貴重な政治主導による画期的な予算編成だった。

 その時期は2009年12月。しかし、年が明けた2010年1月15日、ひとりの国会議員が予想外の悲劇に襲われた。東京地方検察庁の特捜部に前々日から呼び出しを受け、この日逮捕されてしまったのだ。

 「最初、逮捕された時、何だろうと思ったんですね」

 この時国会議員だった石川知裕は、私のインタビューに答え、最初の感想を率直にこう話した。

 私が石川から話を聞いたのは北海道知事選よりかなり前のことになるが、細かいことにまで立ち至った私の質問にひとつひとつ丁寧に答え、インタビューは3時間近くに及んだ。

 インタビューの前にはいわゆる「陸山会事件」に関する本を10冊以上読み込み、補足取材もしていたため、質問と答えはかなり突っ込んだものになったと私は思う。答えにくい質問にも懸命に答えようとする姿勢は、石川本来の誠実な人柄をうかがわせた。

 この石川の話を中心に、「陸山会事件」とはどんなことだったのか、まずは事実だけを淡々と記しておこう。
 
■石川知裕が明かす小沢事務所の当時の事情

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北海道知事選への出馬を表明した元衆院議員の石川知裕氏=2019年2月8日、札幌市中央区

 石川は早稻田大学卒業後に小沢の私設秘書となり、その後国会議員に当選したが、秘書時代の経理処理をめぐって政治資金規正法違反に問われた。結果的には、検察が根拠なく無謀にも狙いをつけた小沢は無罪確定。石川は、禁錮2年執行猶予3年の有罪判決が確定したが、実態としては単なる形式犯、私が法務に詳しい金融関係者や経理処理に詳しい会社経営者に確認したところでは、とても罪に問えるようなものではなかった。

 北海道の真ん中近くにある旧足寄町出身の石川は函館ラ・サール高校時代、一時期医師になることを目指していたが、国際政治にも関心を持つようになり、進んでいく足寄町の過疎化問題を考え政治の道を志すようになった。

 早大の政治サークル「鵬志会」に入り、2年生になった1993年に細川護煕連立政権が誕生した。その中心で政権を支える小沢に関心を持ち、「小沢一郎研究会」も自分で立ち上げた。留年が決まっていた4年生の時、小沢の秘書だった南裕史に声をかけられ、そのまま小沢事務所に入っていった。

 陸山会の経理処理のシステムを作ったのがこの南だった。石川の推測では、小沢の考えも十分に踏まえて、間違いの起こらないように厳格な処理システムを考案した。後ほど説明するが、確かに厳格で透明な方法だった。南の後、このシステムを引き継いだのは樋高剛で、さらに樋高を継いだのが石川だった。

 2003年9月に小沢が率いる自由党と菅直人が代表の民主党が合併、同12月に小沢が合併民主党の代表代行に就いて迎えた翌2004年から、小沢事務所は増える秘書で膨れ上がり始めた。石川の記憶では2004年~2010年くらいまでが多く、最大の時は20人近かった。かつて取材した私も記憶しているが、民主党政権を目指していた小沢は、初めて立候補した新人のために自ら秘書を派遣し選挙運動を指導していた。

 「政治家にとって秘書の数は支持を広げるのと比例しています。そもそも政治資金を集めるのは秘書を雇うためだと言っても過言ではないです。政治団体の人件費の割合はもう半分以上だと思います。その支出が多いのは小沢さんにとっては政権を取るために当たり前のことだったと言えるんです」

 小沢は韓国人や台湾人、イギリス人の秘書も雇っていた。政権を取った後の通訳として必要だろうという小沢の考えだったが、非常に優秀な人材だったという。

 石川のざっとした記憶では、これらの外国人秘書も含めて秘書一人の平均年収は300万円から350万円。これに住居費や光熱費、食事代などをプラスして一人当たり500万円近い人件費となる。最大20人とすれば、毎年の経費2億円のうち半分近い1億円弱が人件費だった。

 このため、収入の多い年は確かにあったが、均せばそれほど大きい余裕があったわけではない。
 
■「小沢一郎」と「小澤一郎」

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初公判後の記者会見の最中に、目を手で押さえる小沢一郎・民主党元代表=2011年10月6日、東京・永田町

 このような秘書の増加に対応するために、この際、個人個人が各部屋に分かれたアパート形式の寮を建てた方がいい。小沢の自宅に近い世田谷区深沢に土地を求めたのは、これが発端だった。

 土地代金は3億4000万円余り。経理担当の石川は小沢に相談して、小沢から陸山会に4億円を借り受けた。ここで南らが考えた従来の経理システムだと、この4億円を銀行の定期預金に入れ、陸山会の代表である小沢が改めて銀行から4億円の預金担保融資を受けることにしていた。あとは、陸山会代表の小沢がこの融資金の中から不動産代金を支払って終わりである。

 なぜこのような手数をかけるかと言うと、陸山会が買う秘書の住居用土地は小沢個人のものではなく、あくまで陸山会という政治団体のものだからである。ここのところは会社員や公務員などにはわかりづらいが、個人事業主ならピンと来るという。あくまでプライベートと会社の経理は分けておきたいという潔癖さから来ている。

 特に小沢の場合は、政治家個人としては「小沢一郎」、陸山会代表としては「小澤一郎」と漢字の字体まで変えている。ここに名前を挙げることはあえてしないが、政治家の中には政治家個人と政治団体代表が同一人物であることを隠れ蓑にして政治資金で個人住宅などを買っている者もいるという。つまり、字体まで変えて預金担保融資を受ける小沢の手法は、政治家の中では珍しいほどに清潔で潔癖なものなのだ。
 
■預金担保融資と支払いの手順は狂ったが…

 しかし、石川がこの取引の経理を担当した2004年10月は都合の悪い事情がいくつか重なった。

 ひとつは、石川自身がこの手法にそれほど深くは習熟しておらず、前任者の樋高に教えを請いに行ったが、国会議員の樋高も多忙のためあまり時間が取れなかった。

 二つ目には、このころ石川は民主党の候補者公募に応募することにしており、実を言えば小沢自身の反対に遭っていた。小沢にしてみれば、新人に対して経理システムをまた一から教えなければならず、政権交代を目指して忙殺されている折り、そういうことは避けたかった。

 そして三つ目は、仲介に入った不動産会社の度重なる入金催促だった。このため、石川は10月29日午前、預金担保融資を経ることなく、小沢から陸山会が借りた資金の中から直接3億4000万円余りを不動産会社に支払った。石川が陸山会の預金などをかき集め、りそな銀行から4億円の預金担保融資を受けることができたのは同日の午後になってしまった。

 「小沢さんは基本的にちゃんとやれよということしか言わない人ですから、具体的にりそなでこうやってという指示は受けていません。ただ定期預金をする時に印鑑が必要ですから、こういうようにしますと概要だけ説明して、押してもらいました」

 石川をはじめとする関係者が全員多忙の時、おまけに不動産会社の支払い催促が重なって、預金担保融資と支払いの手順が狂ってしまった。後に検察はこの部分に不自然さを見い出すが、もうひとつ、樋高のアドバイスもあって、土地入手の日付を実際の代金支払いの日ではなく本登記の2005年1月にしたことも検察の追及するところとなった。

 しかし、前に説明したように預金担保融資は何ら珍しいものではない。土地入手の日付にしても、実際に代金を支払った日付にすべきだという現金主義と、本登記の日まで待つべきだとする考え方と二つある。石川は不動産会社の司法書士にまで相談して後者を選択している。

 いずれにしても、問題は単なる政治資金収支報告書の書き方の相違にあるだけで、現職の国会議員を逮捕して、さらに政権党の前幹事長を強制起訴するほどの話ではまったくない。
 
■事件化に執着した検察

 しかしそれにもかかわらず、検察は執拗に事件化に執着した。なぜだろうか。

 その最大の要因は、小沢が最初に陸山会に貸し付けた4億円の出所に疑問を抱いたからだ。政治資金収支報告書の記載ミスや認識の相違などで国会議員に対してここまで執拗な強制捜査を続けることができないことは検察もわかっている。この問題に関しては検察庁内部でも捜査積極派と消極派に分かれていたことが、検察に強いとされる村山治の著作『小沢一郎vs.特捜検察20年戦争』(朝日新聞出版)に書かれている。

 積極派の最右翼は実際に捜査に当たった東京地検特捜部だった。

 その動機の大半は、事の経緯を丹念にたどる限り、正義や社会的使命といったところにはない。検察の暴走を正そうと法相時代に指揮権発動まで考えた検察出身の現立憲民主党参院議員、小川敏夫の次の言葉が動機の要点を言い当てているだろう(『指揮権発動 検察の正義は失われた』)。

 検察の世界では、特捜部はエリートコースである。/検察
トップの検事総長が何代も輩出している。そうしたトップに立
つ検事は「誰々を挙げた検事」だとか「何々事件を仕上げた検
事」という勲章をぶらさげている。仕上げた相手が大物である
ほど勲章も大きい。/金メダルが閣僚、銀メダルが国会議員か
都道府県知事、銅メダルが事務次官などキャリア官僚
――(略)小沢氏は、政界における実力と存在感からいって、
優に金メダル級である。

 しかし、金メダルがそれほど欲しいからと言って、確証もなしに強制捜査に着手することはできない。検察内部でメダルに逸る特捜部を脇目に上層部が消極的だったのは事態を冷静に捉えていたからだ。実際にあったのはせいぜい収支報告書の虚偽記載であり、石川ら秘書の在宅起訴で終わりの事件だろう、と踏んでいた。

 それでも石川をはじめとする強制捜査を認めたのは、前記村山の著書によると当時の特捜部長、佐久間達哉ら「現場のガス抜き」だった。

 「ガス抜き」で強制捜査を受ける側はたまったものではないが、小沢は、石川が逮捕されたほぼ1週間後の1月23日に検察の事情聴取に応じ、聴取後記者会見を開いた。会見でまず小沢が明らかにしたのは4億円の原資だった。

 原資は、まず①東京都文京区の湯島にあった自宅を売却して深沢の自宅を建設した時の差額の2億円、②銀行の家族名義の口座から引き出した3億円、③別の銀行の家族名義の口座から引き出した6000万円。これらを赤坂の事務所の金庫に保管していたが、2004年10月には金庫に4億数千万円が残っており、この中から4億円を陸山会に貸し付けた。

 疑いをかけられた者がここまで具体的に説明した場合、本来は捜査は終わるはずだったが、特捜部は金メダルに固執した。特捜部は脱税で服役中の水谷建設元会長の水谷功に目をつけ、建設業界の裏事情を聞き出した。さらに同社の社長、川村尚らから事情聴取し、岩手県奥州市の胆沢ダム建設工事の下請け受注に絡んで赤坂の全日空ホテルで石川に5000万円を手渡したという供述を得た。特捜部はこの5000万円が小沢の4億円の原資の一部だと見なした。

 これが事実なら政治資金収支報告書の記載ミスも単なるミスではなく、悪質な隠蔽工作となる。しかし、小沢はもちろん石川も最初から最後まで否認を貫いた。実現しなかったが、石川は、川村と並んでの対質尋問まで要求した。特捜部はむしろこの対質尋問を恐れているように見えた。

 特捜部は最後までこの川村の供述を裏付けることができなかった。検察審査会への捜査報告書など、その後次々に明らかになる特捜部の極めてずさんな捜査資料の作成事情を見ると、この川村供述も巷間様々に言われているように信頼性が薄い。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019042900005_2.jpeg
罪状認否で手元の原稿を読み上げる衆院議員石川知裕(中央)被告ら=2011年2月7日、東京地裁、絵と構成・小柳景義
 
■石川に頼み込む特捜検事

 最終的に検察は小沢を起訴できず、舞台は検察審査会に移った。その検審への捜査報告書を作成するために、特捜部は再度石川を任意で呼び出した。石川はこの時、個人的に強く支援してくれる佐藤優に知恵を授けられ、内密にICレコーダーを忍ばせていた。 ・・・ログインして読む
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https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019042900005.html
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[国際26] イラン攻撃をしたいトランプ - 空母、B52、地上兵力5千人の臨戦態勢 - (ちきゅう座)
2019年 5月13日
<坂井定雄(さかいさだお):龍谷大学名誉教授>

トランプ大統領の密命によって5月上旬、初期的な米軍のイラン攻撃態勢ができあがった。B52戦略爆撃機部隊(機数不明)がペルシャ湾のカタールにも移駐、地中海から空母エイブラハム・リンカーン以下の空母打撃軍がスエズ運河を通ってペルシャ湾近海に移動、トランプの懐刀のポンぺオ国務長官が他国訪問の予定を急遽変更してイラクの首都バグダッドを電撃訪問した。イラクには、米軍5千人が駐留している。ポンぺオ長官はバグダッドで「イランによる差し迫った(米軍)攻撃の情報がある」と急なイラン訪問の意図を説明したと報道されたが、イランが在イラク米軍を攻撃する意図などあるはずがない。在イラク米軍を対イラン攻撃の一翼を担わせる計画を協議したに違いない。

米軍のイラン攻撃態勢を脅しだけだと軽視することはできない。

今すぐにでも、イランを挑発するために、停止中あるいは厳しく制限された核燃料施設や研究施設を爆撃するかもしれない。一方イラン側もロウハニ大統領が8日、昨年5月に米国が核合意から離脱したことへの報復措置として、核合意の履行の一部を即時停止すると宣言した。他の加盟国はイランに合意履行を継続するよう強く働きかけており、実際にイランが報復措置を実行するかどうかは予測できないが、トランプ政権のイラン攻撃実施に口実をあたえる。

トランプ大統領の対イラン政策は、現在最もホットな問題である対中国の関税大幅引き上げ(10%→25%)はじめ同政権の様々な国際協定脱退の中でも、異常に一方的だ。

トランプ政権は2018年5月、オバマ前政権下の2015年7月に米、英、仏、独、ロ、中6か国とイランが結び、その後も国際原子力機関(IAEA)が定期的な監査でイランが忠実に実施していることを確認してきた核合意から、一方的に脱退した。他の5か国は加盟を維持し、イランからの原油取引を継続しようとしたが、米国が取引の大部分を占めるドル代金支払いルートを全面的に遮断したため、取引量が大幅に減少。2018年1月には産出日量380万バレル、輸出230万バレルに達していたイランの原油輸出量が、今年3月には産出日量270万バレルに縮小。トランプ政権はイラン原油への依存度が高かった中国、インド、日本など8か国に制裁適用除外期間を与えて、従来の代金支払いルートの使用を妨げなかったが、今月、制裁適用除外を解除。その間にイラン以外に輸入源を広げた日本でもガソリンの値上げが起こった。

米国の制裁による原油輸出の減少は、イランに大きな打撃を与えた。国際通貨基金(IMF)の資料によると、イランの経済成長率(GDP)は、2016年4月にはプラス13%程度に上がったが、2018年4月3.9%,19年4月にはマイナス6%程度に低下した。その国民生活に及ぼす影響は大きい。

これだけでも、トランプ政権の“イランいじめ”は1千万イラン国民を苦しめてきた。なぜトランプと一部の米国民が、これほどイラン嫌いなのか。その理由を列挙してみよう。

(1) 1978年1月の、ホメイニ師に率いられるイスラム革命によって、米国の中東最大・
  最強の親米拠点だったイラン王政が打倒された。翌79年11月、反米派の学生団が
  首都テヘランの米大使館を占拠、大使館員らを人質にして、米国に亡命したパーレビ
  国王の引き渡しを求めた。米政府は拒否。80年4月、米軍による人質救出作戦が失敗。
  81年1月、アルジェリアの仲介で、人質は解放されたが、米政府と米軍にとって大きな
  屈辱となった。
 
(2)イスラム革命後のイラン政権は、パレスチナ紛争で、一貫してパレスチナ解放勢力を
  支援し、イスラエルの拡張政策を非難してきた。歴代米政府は、米国主導で47年に成
  立した国連パレスチナ分割決議に基づき、イスラエルが67年戦争で占領したエルサレ
  ムとヨルダン川西岸地区、シリア領ゴラン高原の領土化を公式には認めなかった。 し
  かしトランプ政権はエルサレムはじめ67年戦争でのイスラエル占領地の領土化を事
  実上認め、米大使館を第2の都市テルアビブからエルサレムに移転。
  4月のイスラエル選挙では、苦戦していたネタニヤフ首相の選挙運動支援するため、
  ゴラン高原領土化への祝辞まで送った。
 
(3)サウジアラビアとイランは、ペルシャ湾一帯の覇権を競う巨大産油国だが、トランプ
  政権は発足直後からサウジアラビアを全面的に支持し、イランを敵視してきた。トラ
  ンプ政権発足直後、トランプはサウジアラビアを訪問、反イランの立場を鮮明にし、
  サウジ側は巨額の兵器購入の約束で応えた。
 
―ほかにも、シリア内戦、イエメン内戦など米国とイランが対立する勢力に分かれて支援しており、トランプ政権の対イラン敵意は深まるばかりで、危険だ。 (了)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8637:190513〕

http://chikyuza.net/archives/93665
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/402.html

[国際26] ベネズエラにおけるクーデター未遂事件報道について:大使から報道関係者へのお願い(駐日ベネズエラ大使館HP)
2019/05/08
 
ベネズエラにおけるクーデター未遂事件報道について
 
駐日ベネズエラ大使から報道関係者へのお願い


報道に携わる皆様へ

2019年4月30日に発生した、アメリカの後押しを受けたファン・グアイドー氏らを首謀者とするクーデターは、ベネズエラ国軍のみならず、市民からも支持を得られず発生から 24時間の内に、収束させられました。国軍はあらためて揺るぎない憲法の遵守と現政権を断固として支持すると表明しています。

今回のクーデター未遂事件をめぐっては、あたかも、クーデターが「正当」なもので、「政権転覆の可能性」があるかのように伝える、事実誤認や偏見にもとづいたメディア報道が散見されました。

ここに改めて、公正なる報道の一助になればと考え、事実の経緯を共有させていただきたく存じます。
 
 
<経緯>
 
▼4月30日の早朝から少数の軍兵士が、ベネズエラの首都カラカス市のアルタミラのインターチェンジに集合。フアン・グアイドーと反対派の指導者、レオポルド・ロペス氏がニコラス・マドゥーロ大統領の立憲政府を打倒する目的で「自由作戦」と実行するとクーデターを呼びかけた。
 
▼一時、情報の混乱があったものの、上記の呼びかけは、クーデター首謀者らが、民主主義の制度内での反政府運動に展望が持てず、追い詰められたあげくの呼びかけであったことが周知となるや、一時、集まりかけた軍人グループも相手にせず、散発的な衝突で事態はまもなく収束した。
 
▼ニコラス・マドゥーロ大統領は、同日夜、国民に向かってクーデター未遂事件の経緯を報告、つよく非難した。大統領に加え、共和国副大統領、国防大臣、外務大臣なども、今回の未遂事件はアメリカ政府とベネズエラ極右勢力が共謀した暴挙であるとして非難した。
 
▼ブラディミール・パドリーノ国防大臣は、国軍は引き続き国の憲法と合法的な政府諸機関を断固擁護すると表明。カラカスのラ・カルロタ空軍基地を含め、全国のすべての軍の部隊は、中央政府が掌握しており、正常な状態にあると報告。
 
▼同日深夜から翌日にかけて、ミラフローレスの大統領宮殿前に10万人を超える市民が集まり、ニコラス・マドゥーロ大統領への支持を表明した。公的機関と軍の慎重な行動により、事態は鎮静化し、首都カラカスは平静に戻っている。今回の事件については、特別の調査委員会により、事態の詳細があきらかにされ次第、関係者は、すべて、司法のプロセスで、裁かれることとなる。
 
  
今回のクーデター未遂事件は、グアイドー氏ら極右勢力が、国内で支持を得られず、追い詰められ結果、起こしたものと言えますが、同時に、アメリカ政府や、それに追随する国々が、公然と国軍に対してクーデータの呼びかけに応じるようにと発言しており、事件の全体の構造を国際的な侵略行為のひとつとして認識することが必要です。

アメリカの内政干渉の度は限度を越しています。マイク・ポンペオ国務長官は、「マドゥーロ大統領がベネズエラから去ろうとしている」など全くの虚偽の言説を弄し、クーデターを後押ししようとし、ジョン・ボルトン大統領補佐官及びマルコ・ルビオ共和党上院議員らも、明らかなフェイク・ニュースを用いて、ベネズエラ政府を攻撃し続けています。

現在、世界の公的な機関や、メディアでは、民主主義を踏みにじる「暴力」「テロ行為」については、一致して、厳しく指弾するのがいわば公理となっております。事実、今回のクーデター未遂事件についてEU政府は、それを支持せず、平和的な解決を促すアピールを発し、メディアも慎重な報道姿勢をみせてきました。

ベネズエラでおきている事態は、アメリカを中心とするグループが一国の民主主義を踏みにじる間接的な侵略であることをあらためて、認識していただき、今後の取材、ニュース配信については、慎重かつ、バランスを考慮しておこなっていただけますようお願いを申し上げます。

セイコウ・イシカワ
駐日ベネズエラ・ボリバル共和国大使

https://venezuela.or.jp/news/2181/
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/418.html

[政治・選挙・NHK260] 安倍首相と明仁上皇(下) 「国民統合の象徴」を問う上皇のメッセージを封印した安倍政権の有識者会議 (朝日新聞社 論座)
安倍首相と明仁上皇(下) 
「国民統合の象徴」を問う上皇のメッセージを封印した安倍政権の有識者会議
 
佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長
論座 2019年05月17日 より無料公開部分を転載。
 
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019051500001_2.jpeg
象徴としてのお務めについて、お言葉を述べる明仁上皇=2016年8月8日、宮内庁提供
  
 明仁上皇と安倍晋三首相の間に走る深い溝、逆断層の構造を理解するには、憲法第1条に謳われた「日本国民統合の象徴」の意味を実直に追究してきた明仁上皇の生涯と、その生涯の意味を破壊するにも等しい安倍首相の政治活動とを考え合わせてみることが必要だ。

 「日本国民統合の象徴」とは何か? 

 「日本国民統合の象徴」として生きるとはどういう生き方なのだろうか?

 内外ともに破壊し尽くし、破壊し尽くされた戦争の惨禍の後、日本国民はどのような構想の下に統合されていくのだろうか? 

 そして、その国民統合の「象徴」として生きていくということは?

 皇太子、そして天皇として自分ただ一人に突きつけられたこれらの問いに生涯を捧げた明仁上皇の孤独な旅は、様々な意味でいま終わりつつある。

 国民はその旅の局面を折に触れてしばしば目撃してきた。いま、旅の到達地点から逆にたどってみて、まずは「日本国民統合の象徴」の意味を探ってみよう。

■「私は80歳で皇太子に譲位したい」
 
 明仁上皇が「生前退位」を初めて口にしたのは2010年7月22日の参与会議だった。

 午後7時、皇居の中にある天皇の住居、御所。そこには、長いテーブルに置かれた弁当に箸を運ぶ10人ほどの人々の姿があった。

 テーブルの中央に、まだ退位していない上皇、つまり明仁天皇(上皇)と美智子皇后(上皇后)夫妻がいた。ほぼひと月に1回開く恒例の会議だったが、この夜はとんでもない衝撃と緊張が参与たちの間に走った。

 私は、この衝撃を味わった参与の一人からこの夜の様子をつぶさに聞いた。

 「私は80歳で皇太子に譲位したい」

 この時76歳の明仁上皇の口から出た言葉は、心の準備をしていなかった参与たちを驚かせた。

 皇室典範では生前退位の制度がなく、摂政を置くことだけが定められている。しかも、天皇の意思だけでは摂政を置くことはできない。このため、明仁上皇の意思を尊重すれば、皇室典範を改正して、現状でも摂政を置けるようにすればいい。

 あまりに衝撃的な発言だったため、参与たちは挙って「生前退位」に反対し、摂政に公務を肩代わりしてもらうことを口々に述べ立てた。

 しかし、明仁上皇の意思は固かった。

 「摂政では天皇の代わりはできません」

 明仁上皇はこう断言し、母にあたる香淳皇后(当時)の事例も挙げた。外国からの賓客を招いた晩餐会の折、高齢の皇后の会話は滞りがちだった。通訳が取り繕う場面もあったが、近くで会話を耳にした皇太子時代の明仁上皇はいたたまれない思いをした、とのことだった。

 衝撃発言が続く間、明仁上皇の隣に座っていた美智子上皇后は、当初、生前退位に反対していた。しかし、明仁上皇の言葉と論理に耳を傾けるうちに反対論から少しずつ転じ始めた。

 出席者のひとりが、大正天皇の摂政を務めた皇太子時代の昭和天皇の事例を挙げ、「天皇への道としては好例にあたるのではないでしょうか」と指摘したところ、美智子上皇后は「摂政を経なければ天皇の務めをまっとうできないとは思えません」という趣旨の反論をした。

 美智子上皇后は常に明仁上皇の最大の理解者であり、この場でも明仁上皇の言葉の真意を真っ先に理解したようだ。

 しかし、参与たちは明仁上皇の考えをなかなか理解できなかった。会議は深夜の12時を回っても続いた。結論は見えず、最後は上皇自身立ち上がったまま議論を続けた。生前退位にかける明仁上皇の思いはそれほど強かった。
 
■政治学者、岡義武の『近代日本政治史Ⅰ』

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019051500001_3.jpeg
「退位礼正殿の儀」でおことばを述べる明仁上皇=2019年4月30日、皇居・宮殿「松の間」
 
 「国民統合の象徴」の意味を追い求める旅の最終到達地点の近くに来て、生前退位を思う明仁上皇の強い意志はどこから来ていたのだろうか。
 
 前回の『安倍首相と明仁上皇(上)』で記したように、明仁上皇は、日本人として忘れてはならない日付として四つ挙げている。6月23日・沖縄慰霊の日、8月6日・広島原爆の日、同9日・長崎原爆の日、同15日・戦争の終わった日だ。

 そして、何度も訪れた沖縄や長崎、広島、サイパンやパラオなどの激戦地慰霊訪問、沈没して約1500人の子どもたちが犠牲となった那覇市の対馬丸記念館訪問にうかがわれるように、明仁上皇の旅は、悲劇の歴史に対するひとりの人間としての深い感情と洞察に由来している。

 平和への強いメッセージを発し、戦争の犠牲者への慰霊の旅を黙々と続けてきた明仁上皇が思い描く「国民統合の象徴」の像はここに来ておのずと明らかだろう。そして、憲法の最大の柱のひとつである平和主義への旅を公務として続けられなくなってきた高齢の段階になって、その「象徴」の役割は次の世代に引き継がれなければならない。これが、生前退位にかける明仁上皇の真意だった。

 明仁上皇のこの真意は自らどのように養い、どのように醸成されてきたのだろうか。その由って来たる場所をもう少し探索してみたい。

 その探索作業の過程で見えてくるものは何だろうか。明治以降の近代天皇制に対する客観的な理解と、戦争に急傾斜していく戦前政治への正確な知識を自ら身につけたことによって深い歴史的な洞察力を獲得した明仁上皇の姿だ。

 2014年10月、東京・高島屋日本橋店で「天皇皇后両陛下の80年」特別展が催された。そこに展示された明仁上皇の愛読書の中に、皇太子時代、常時参与の小泉信三とともに読んだ『ジョージ五世伝』の原書と並んで、政治学者、岡義武の『近代日本政治史Ⅰ』(創文社)が置いてあった。

 「教科書で使ったとかという意味で並べたんじゃありません。自分が影響を受けた本として陳列したんです」

 この時、明仁上皇と会話を交わした関係者が聞いた上皇の言葉だ。

 幕末以降、大日本帝国憲法が制定されるころまでの明治期の政治史を叙述したこの本には、藩閥勢力による天皇制官僚国家の成立と、教育勅語発布による天皇制ナショナリズムの萌芽が明瞭に指摘されている。

 前回の『安倍首相と明仁上皇(上)』で紹介したが、丸山眞男とアーネスト・ゲルナーは天皇制官僚国家とナショナリズムの明治以来の原初的な構造をそれぞれに追究した。この構造について、明仁上皇は深く理解していたと言えるだろう。
 
■明治期の講義を希望した皇太子を容れなかった上皇
 
 明仁上皇は、皇太子時代の11歳の時に敗戦の日を迎えた。

 昭和天皇の望みによって米国人家庭教師、ヴァイニング夫人の下につき、皇太子といえども特別視しない教育を受けた。ヴァイニング夫人は、ひとりの人間として主体的に考える力を養成する教育を施したという。

 同時に、常時参与の小泉が『ジョージ五世伝』とともに、福沢諭吉の『帝室論』や『尊王論』の講義をし、岡義武が明治以降の日本政治史の教鞭を執った。

 岡は、大正デモクラシーの中心人物のひとりだった吉野作造に師事しており、東京帝大の教授となってからは、大学に入りたての丸山を教えた。丸山自身、岡に対する大学1年時の味わい深い思い出を語っている。

 時代や年齢にちがいはあるが、明仁上皇と丸山は、吉野の流れをくむ同じ師の薫陶を受けた、とも言える。

 岡は、現在の天皇、徳仁皇太子が英国オックスフォード大学に留学する1983年に、日本近代史について留学前に特別講義を受けさせるべく、明仁上皇から相談を受けた。

 この時、徳仁皇太子は、関心の強い明治期の講義を希望したが、明仁上皇自身はあえてこの希望を容れなかった。

 「いや、そういう時期のものは適当な文献を読めばいい。なぜ戦争が起きたのかという講義をしてもらうことが重要だ」

 明仁上皇のこの一言で講義のテーマが決まった。

 この時、岡自身が直接講義したわけではないが、満州事変以降の戦前史が徳仁皇太子への特別講義となった。次代を託す次の天皇はどのような素養を特に身につけなければならないか、明仁上皇の深い認識がわかるエピソードだ。
 
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「退位礼正殿の儀」を終え、「松の間」を出る明仁上皇=2019年4月30日
 
 明仁上皇は、これまでに天皇即位後の会見のほか即位10年と20年に際しての会見、結婚50年に際しての会見など計11回にわたって、「天皇は憲法に従って務めを果たす」という趣旨の発言をしている、という。(山本雅人『天皇陛下の本心 25万字の「おことば」を読む』新潮新書による)

 自らの根拠法であるため、憲法を最大限尊重することは当然のことだが、前述のように公務として取り組み続けてきた戦跡慰霊訪問、広島や長崎の原爆慰霊などを併せ考える時、憲法の柱である平和主義へのきわめて強い信念といったものを想起することができる。

 日本の憲法学者のほとんどが憲法9条違反と断じた安倍政権の集団的自衛権導入は、明仁上皇の目にどう映っただろうか。

 2016年8月8日、明仁上皇は、天皇退位に関する自身の考えを初めて国民に語りかけた。

 その中で明仁上皇は、「国民統合の象徴としての役割」を特に強調し、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と述べている。

 ここではっきりしていることは、明仁上皇の考える「国民統合の象徴」とは、皇居の奥まった御所に座り続け、祭祀だけを司る天皇ではないということだ。

 平和主義という憲法の理念を体現し、積極的に心と体の旅を続ける天皇だ。ひとりの人間として平和主義を体現し続ける天皇像。これが現代の「国民統合の象徴」でなくて何であろうか。
 
■上皇のメッセージを封印した安倍政権の有識者会議
 
 ここでひるがえって、明仁上皇の言葉を聞いた1か月半後、2016年9月23日に安倍首相が決済した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を見てみよう。

 まず、「有識者」として選ばれた6人の顔ぶれを見た時、メンバーたちは明仁上皇の考えに深く思いをいたした発言なり論考なりを公にした例があったのだろうか、という疑念にかられる。

 6人のメンバーのうちただ一人、近現代の日本政治史を専攻する御厨貴・東大名誉教授だけが「天皇」に関する著作を刊行している。残りの5人は「天皇」に関する問題領域とはほとんど関係がない。5人はいわゆる「素人」と言っていい。

 特定のイデオロギー色の強い専門家を選ばなかったという観点もあるかもしれないが、御厨のような中立的な専門家を揃える方法もあったはずだ。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019051500001_5.jpeg
「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に臨む有識者ら=2017年4月13日、首相官邸
 
 そして、最大の疑念はこの会議の名称にある。一体、いかなる根拠に基づいてこのような名称の会議になったのだろうか。明仁上皇が1か月半前に国民に向かって発したメッセージのどこを見ても、「公務の負担軽減」などを訴えた箇所は存在しない。

 それどころか、こう語っていた。 ・・・ログインして読む
(残り:約1976文字/本文:約6458文字)
 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500001.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/819.html

[政治・選挙・NHK260] 神がかった儀式に覆われた不況の国 (ちきゅう座)
2019年5月17日
<加藤哲郎(かとうてつろう):一橋大学名誉教授>

 憂鬱な2週間でした。どう考えても安倍首相による象徴天皇制の政治利用としか思えない元号フィーバー、神道儀式・儀礼のオンパレードで、メディアは埋め尽くされていました。
そうした喧噪から逃れて読んでいたのが、戦時1940年に提唱され真剣に議論された「日本法理研究会」の諸文献。昨年から毎日新聞や朝日新聞で大きく報じられている国会図書館憲政資料室「太田耐造関係文書」のゾルゲ事件関係新資料を解読し、史料集を編纂・解説するための仕事ですが、「三種の神器」から「亀の甲羅占い」まで復活した巷の喧噪と神道儀式のテレビ中継は、「日本国憲法」ではなく「17条憲法」の時代の「象徴」を想起させるものでした。「天皇機関説」事件・「国体明徴」から「国体の本義」「国民精神総動員」「大東亜共栄圏」「八紘一宇」へと突きすすむ時代の「空気」と、ダブって見えました。

 日中戦争から日米戦争に拡大するにあたって、「大日本帝国憲法」のもとにあった日本の「法治国家」は、「法の支配」ならぬ「法治主義」の運用の根拠を、「17条憲法」を貫く「国体の本義」「日本精神」に求めました。
「国体の本義に則り、国民の思想、感情及び生活の基調を討えて、日本法理を闡明し、以て新日本法の確立及び其の実践に資し、延いて大東亜法秩序の建設並びに世界法律文化の展開に貢献する」が、日本法理研究会の「目的」でした。
当代日本の帝大教授等が総動員され、憲法・公法学では筧克彦の「かみながらの道」、神道にもとづく「祭政一致」が、刑法・治安法では小野清一郎の「日本法理の自覚的展開」で、天皇の命令である「みことのり」「のり」「むすび」が唱えられました。その主体的直観「さとり」こそ、「西洋法」に対抗する「日本法理」「日本精神」で、その法源を「聖徳太子の17条憲法」に求め、それを植民地から「大東亜法秩序」にまで拡げることが、真剣に議論されていました。

 太田耐造は、この時期の「思想検察」を指揮した司法省官僚で「思想検事」でした。ゾルゲ事件の被告たちに適用された治安維持法(1925年制定、1928年及び41年3月10日改正)、国防保安法(1941年5月10日施行)、軍機保護法(1899年施行、1937年及び41年3月10日改正)、軍用資源秘密保護法(1939年3月25日施行)という4つの法律の制定及び直近の改正に加わり、同時に、その解釈・運用を総指揮しました。その太田耐造が蒐集し2017年に国会図書館で公開された「太田耐造関係文書」のなかに、「日本法理研究会」の史資料が、大量に含まれていました(史料番号90以下)。ちょうど「紀元2600年」で、天皇制と元号による神話的時間・空間支配、欧米とは異なる「日本的なるもの」の礼賛が最高潮に達した時期でした。当然、治安弾圧法規の制定・解釈・運用にも「日本法理」が用いられました。典型的には治安維持法の28年改正「目的遂行罪」を更に改悪した1941年法です。その「精神」は、今日の「特定秘密保護法」にも受け継がれています。

 「日本国憲法」があるので象徴天皇制は民主主義と両立する、先代象徴天皇は「戦後民主主義」の護り手であった、という類の議論があります。しかし、歴史の教訓は、天皇個人ではなく制度としての天皇制、民衆への天皇の象徴性とその「権威」の時の権力による政治的利用にあります。君主主権の「大日本帝国憲法」さえ、それが「17条憲法」「日本法理」まで遡って解釈・運用されると、それまで長く通説だった「天皇機関説」など簡単に排除され、新聞・ラジオと帝大教授等が総動員されて、戦時体制に突入しました。丸山真男のいう歴史意識の古層「つぎつぎとなりゆくいきほい」が想起されます。
いよいよ深刻化する長期不況、「失われた30年」による世界経済の「中心」からの脱落、米国にすがるしかない国際外交秩序の中での孤立、「ファシズムの初期症候」指標に照らした政治と社会の閉塞からすると、すでに、「いつか来た道」に大きく踏み込んでいるのかもしれません。

上述「太田耐造関係文書」のゾルゲ事件関係新史料については、6月8日(土)午後、専修大学での大きな講演会があり、私も「昭和天皇へのゾルゲ事件上奏文」について報告します。

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4604:190517〕
 
http://chikyuza.net/archives/93783
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/820.html

[政治・選挙・NHK260] 日米開戦直後に作成されていた天皇利用の間接統治計画: 書評 『9条入門』 著・加藤典洋 (長周新聞)
長周新聞 2019年5月16日

 5月3日の憲法記念日、安倍首相が日本会議系の改憲集会などにビデオメッセージを送り、「令和元年という新たな時代のスタートライン」に立って改憲議論を進め、「憲法を改正して来年に施行」すると意気込んだ。一方護憲勢力はおもに「憲法9条への自衛隊明記」を批判する集会を全国各地でおこない「平和憲法を護れ」と訴えた。天皇代替わりと改元直後の憲法論議ではあるが、「憲法第一章」(象徴天皇制)は争点になっていない。この点で目につくのは、おもに「護憲派」「進歩派」といわれる著名人のなかから、「平成天皇は、憲法9条を護るために努力し、象徴天皇としての務めを果たした」と称賛する声が聞こえることである。 
 
 『朝日新聞』(5月3日付)は、「安保法制」や憲法への自衛隊明記を批判してきた憲法学者の樋口陽一氏が「元号とは、国民がその名で天皇を歴史の中に記憶すること」だから、「無責任な介入」をすべきではなかったとして安倍首相を批判する発言を大きくとりあげた。象徴天皇制を主権在民の要として、平和と民主主義のために尽くす「名君」(優れた天皇)を護ることの重要性を強調するものである。 
 
 文芸評論家の加藤典洋(早稲田大学名誉教授)は、最近出版した『9条入門』(創元社)で、「戦争放棄」を定めた憲法9条は「ただすばらしいもの、手をふれてはいけないもの」といって「有り難がるだけ」では、「憲法9条に負けてしまう」という観点をうち出している。それは9条が「アメリカの占領政策のなかから誕生した」ものであり、第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という規定とともに、GHQの天皇免罪政策の帰結であったことを明確にする立場からである。 
 
 戦後の憲法論争では、改憲勢力が「押しつけられた憲法」といって「自主憲法」をとなえるのに対して、護憲論の多くが「押しつけられたものではない」といって九条の成立過程に立ち入ることを拒むという構図が形成されてきた。それがアメリカの対日占領政策、さらには「安保条約」下の対米従属社会について、踏み込んで論議し平和運動を強めることを妨げる要因になってきたといえる。 
 
 加藤は本書で、憲法の成立過程から「たしかに憲法9条は押しつけられた」といえることを史実に即して明確にしている。 
 
 マッカーサーは、厚木に到着する以前から、「天皇の権威を利用した間接統治による占領管理をめざしていた」。また、「終戦時に天皇の指令のもと、ほぼ乱れることなく国内外の数百万の日本軍がいっせいに武装解除に応じるのを見て、天皇の力というものに強い印象を受けていた」。 
 
 1945年9月2日の降伏文書調印式以降、マッカーサーが真っ先にとりかかったのは、「天皇を使った間接占領にむけての助命・免罪工作」であった。GHQの天皇免罪工作は、まず敗戦翌年(1946年)1月1日の「人間宣言」として実現した。しかし、当時の国際情勢においては、昭和天皇の戦争犯罪を糾弾する世論が圧倒的であった。マッカーサーはこの困難を克服する決定打として、日本政府に「天皇から政治権力を奪い(第1条)、軍事力も放棄(第9条)する、新しい憲法の制定」を超法規的な力で要求(押しつけ)した。 
 
 GHQが憲法草案を日本側に渡すさい、「これを受け入れれば、天皇の立場は安泰(アナシーラブル)になる」と説得した。GHQとしては、天皇を護りたいのだが、護りきれないかもしれない。この天皇の主権剥奪、日本の戦争放棄の2点を明記した憲法が受け入れられれば、「これを盾にして、国際社会の天皇糾弾者たちの要求をはねのけ、権力をもたない、象徴としての天皇を護ることができるだろう」と。そのため、「国体護持」(天皇制・皇室の存続)を第一に懇願していた日本政府は「昭和天皇を護るため」の憲法改正案をやむなく受け入れることになった。 
 
■押しつけ憲法を平和の糧に 問われる主体性 
 
 加藤は一方で、「国家主権の放棄」という側面を持つ憲法九条は、戦争で肉親、家財を失い塗炭の苦しみを強いられた日本国民に支持されたとして、次のように書いている。 
 
 「国にだまされ、戦場に送られ、あるいは家族を戦場に駆り出され、あるいは国内で空襲に逃げまどうことになったこれら多くの人びとの経験が、国の要職につく人とははっきりと違う、新しい受けとめ方を生み出した」 
 
 「こうして憲法9条は、これを国の主権制限条項と考えて否定的に受けとめる人びとと、国の平和追求の原理を定めたものと考えて肯定的に受けとめる人びととの間で戦後の日本人を二分する大問題になっていく」 
 
 加藤は、そこからこの間たたかわれてきた「押しつけ憲法」論とかかわって、「“押しつけられた”原理を、押しつけた側と押しつけられた側のどちらが、より必要としているか。わがものとしているか」が問われているという。 
 
 「そこに(憲法9条に)埋め込まれた可能性を十全に受けとめ、発揮できるのは、これを押しつけたマッカーサー、占領軍(GHQ)、アメリカ(米国)の側ではなく、これを押しつけられ、その押しつけられたものを、自分たちに必要なものとして学びとろうとしている自分たちのほうなのだ」 
 
 加藤典洋はこうして、憲法九条の草案者の野望と意図を見抜くとともに、9条に内在する可能性を、恒久平和を真に願う国民が主体的に発揮しみずからの力を強大にしていく糧にしていくことの大切さを強調している。  
 
■間接支配の為天皇を保護 明白な歴史真実 
 
 本書が明らかにしているアメリカによる天皇制をめぐる戦後処理と憲法制定過程については、すでに幾多の歴史学者が先行して発表してきたものである。 
 
 中村政則(一橋大学名誉教授)は『象徴天皇制への道』(岩波新書、1989年)で、「天皇制を残せば日本がふたたび天皇を中心として、軍国主義を復活させ、世界支配の野望に立ち上がるかもしれないと危惧する国際世論からの不安」をとり除く保証として、「考案されたのが憲法九条の戦争放棄規定であった。いわば第1条と第9条はワンセットの関係にあった」とのべていた。 
 
 また、マッカーサーが天皇の「人間宣言」後に大統領にあてた機密電報で、「天皇を廃除すれば、占領軍の大幅増強は絶対不可欠となり、最小限にみても百万の軍隊が必要となり、無期限にこれを維持しなければならない」という理由で、天皇を東京裁判に付すことに反対する強い意志を示していたことを明らかにしている。 
 
 さらに、スチムソン米陸軍長官が戦後、日本に対する「天皇制保持による間接統治」を達成するために「二枚の切り札を持っていた」と回想している事実もとりあげている。スチムソンは「(切り札の)一つは、日本皇軍にたいして威力をもつ天皇であり、もう一つは原爆であった。この原爆によって、天皇およびその側近たちをして、無条件降伏をよぎないものと感じさせ、天皇の日本国民に対する測りしれない力をもって、日本軍部をしてわれわれの命令に従わせるということを達成すべきだと考えた」と書いていた。 
 
 このように、マッカーサーやスチムソンらは早くから、「天皇を日本国民統合の象徴として利用し間接支配する」という日本占領政策を共有していた。加藤哲郎(一橋大学名誉教授)は『象徴天皇制の起源』(平凡社新書、2005年)で、アメリカが日米開戦(真珠湾攻撃)直後から、天皇制を利用して、日本の軍部を排除した立憲君主制資本主義国家とし再建する計画(「日本計画」)を作成しており、その半年後には天皇を「平和のシンボル(象徴)として利用する」との最終草稿をまとめていたことを明らかにしている。 
 
 アメリカがこのような対日戦略をもって、「真珠湾攻撃」を機に第二次世界大戦に参入し、当初から天皇を「平和主義者」として軍部と区別し、東京大空襲でも皇居の攻撃を避けたことにも示された。その一方で、沖縄戦、全国空襲から広島・長崎への原爆投下によって何の罪もない一般市民を大量に虐殺したのである。昭和天皇はそれを理由に、アメリカにひれ伏すことを正当化することができた。 
 
 「“令和”改元を機に自主憲法の制定を」と叫ぶ勢力が国民的な支持基盤を持たないのは、また、アメリカ型の民主主義を賛美する「護憲勢力」が力を欠いているのは、両者ともこうした厳然たる歴史的事実と向き合うことができないからだといえる。

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この一冊で、すべての憲法論議は終わる
あらゆる政治的立場から離れた本当の9条の物語 その「出生の秘密」から「昭和天皇」「日米安保」との相克まで
(創元社発行、「戦後再発見」双書、B6判・348ページ、1500円)

https://www.chosyu-journal.jp/review/11737
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/860.html

[政治・選挙・NHK260] 沖縄から米国へ ジャーナリスト大矢英代のこと 初監督作品のドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」で受賞 (朝日新聞社 論座)
〈シリーズ:フェイクニュースに抗う〉
沖縄から米国へ ジャーナリスト大矢英代のこと 
初監督作品のドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」で受賞
 
松本一弥 朝日新聞東京本社編集局夕刊企画編集長、Journalist
論座 2019年05月18日 より無料公開部分を転載。
  
■共同監督作品で数々の賞に輝く
 
 米国カリフォルニア在住のフリージャーナリストでドキュメンタリー映画監督、大矢英代(はなよ、32)は2018年、一躍脚光を浴びた。初監督作品のドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」が第92回キネマ旬報文化映画第1位や平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞、浦安ドキュメンタリー映画大賞2018映画大賞、全国映連賞監督賞、第36回日本映画平和賞を受賞するなど数々の賞に輝いたからだ。

 琉球朝日放送(QAB)の元同僚でジャーナリスト三上智恵との共同監督作品で、二人で「戦争マラリア」や「少年ゲリラ兵」、そして陸軍中野学校が沖縄で行ったことなど「沖縄戦の闇」に鋭く迫った。

 大矢は沖縄問題を始め、経済的理由からやむを得ず入隊する米軍の「経済的徴兵」、軍隊内部の性暴力をテーマに取材に取り組むなど「国家と暴力」という重いテーマに正面から向き合う気鋭のジャーナリストだ。大矢はまたカリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院調査報道プログラムのフルブライトフェローという肩書も持つ。

 大学では、同大教授でアメリカのジャーナリズム界では「伝説の人物」でもあるローウェル・バーグマンの教え子の一人。そんな大矢に今日に至るまでの道のりと、フェイクニュースが吹き荒れる米国で「ジャーナリストであること」への思いと覚悟を聞いた。

■「戦争マラリア」の惨劇をテーマに
 
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2005年5月に琉球新報が出した沖縄戦新聞の1面
 
 2005年、明治学院大学文学部英文学科に入学した大矢は、米国の大学に交換留学したことをきっかけに米軍が抱える問題に関心を持ち、ジャーナリストを志すようになった。2009年には早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースへ進学。その過程で「ドキュメンタリーを作ろう」と2010年から1年間大学院を休学し、沖縄の最南端、波照間島に向かった。

 選んだテーマは「戦争マラリア」。太平洋戦争末期、波照間島など八重山諸島の住民が、当時マラリアにかかる恐れのある西表(いりおもて)島などに日本軍の命令で強制移住させられ、多くの人が命を落とした惨劇として知られる。このうち波照間島では約1600人の住民が移住を強いられた。西表島でマラリアが猛威をふるっていることをすでに知っていた島の古老らは「島に残って戦争で死んだ方がまし」として移住を断ろうとしたが、逆らうことは許されなかった。その結果、移住した島民の約3分の1にあたる約500人が死亡したとされる。

 なぜ、こんなことが起きたのか。当時の状況について、朝日新聞はこう報じている。

「ろくな受け入れ準備もなしに、軍はなぜ、強引に住民疎開を
迫ったのか。表向きの理由は『戦火からの保護』とされるが、
実際は連合軍の上陸を想定し、住民がその支配下に入った場合
の情報漏れを警戒した、というのが沖縄戦研究者の定説だ」
「地元には、軍のための食肉確保も、強制疎開の一因だった、
とする見方も根強い」(1989年12月7日付朝日新聞)
 
 「何とか真相に迫りたい」。大矢は「戦争マラリア」を体験した島のおじいやおばあと一緒に一つ屋根の下で暮らしながら、時間をかけて取材を重ねた。この時の取材では十分に謎を解き明かせなかったと感じた大矢だが、歴史的な「闇」についてはその後、ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」作りを通して再トライすることになる。

 大学院生の大矢は波照間島で撮影した取材結果をドキュメンタリー作品「ぱいぱてぃぬうるま?南の果ての珊瑚の島?」にまとめ、修士論文プロジェクトとして大学院に提出した(修士論文のタイトルは「沖縄県八重山諸島の戦争マラリアにおける歴史の継承?ドキュメンタリー映画制作を本論として?」)。作品の編集に追われる間は「卒業後の進路はどうしよう」と不安にかられることもあったが、「今しかできないことを優先する」との意思は固く、就職活動はしなかった。「私は複数のことを同時並行でこなせるほど器用な性格じゃないので、一つずつしか集中できないんです」と大矢は笑う。

■沖縄が再軍備化されていくことへの恐怖
 
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戦闘機や哨戒機が次々と離着陸する米軍嘉手納基地=2018年9月、沖縄県嘉手納町
 
 大学院は卒業したものの、さてこの先の人生をどうしよう? そのころの大矢は「フリーランスのドキュメンタリストとして生きていけたら」と思っていたと振り返る。「一生、映像を撮り続けていたい。でも同時にひたすら沖縄にいたかった。波照間のおじいやおばあたちと少しでも長く一緒に過ごしたかったんです」。それとともに、「戦争マラリア」を調べる中で現在の沖縄が再軍備化されていくことへの恐怖があったという。
 
 「歴史を調べれば調べるほど、現在の沖縄と沖縄戦が『一本の線』でつながっていくような危機感を覚えました。それは理由のないばくぜんとした不安などではなく、戦争体験者への取材や沖縄戦の歴史的事実を検証することによって得た具体的な危機感でした。事実を知った者、学んだ者として、それをしっかり社会に伝えなければいけない。そんな責任を感じていましたから、この気持ちを抱えたまま沖縄を離れて別のテーマの取材を始めることはできませんでした」

■波照間島から応募した「報道記者募集」
 
 そんなころ、たまたま琉球朝日放送(QAB)のウェブサイトで「報道記者募集」の案内を見つけ、波照間島から応募書類を送った結果、「契約記者」として合格した。契約記者は3年の期限付きで1年ごとの更新。「当時は報道記者になりたい、テレビ局に就職したいと思っていたわけではありませんでした。雇用期限の3年後にはフリーランスになろう、だからQABに入ったらそこで学べることやできることを精いっぱいやって旅立つんだと思っていました」。その後、大矢の仕事ぶりが評価され、沖縄のマスコミ労組の応援もあって2014年に正社員になった。

 当時のQABの態勢は、記者は大矢を含め7~8人。「アナウンサーもディレクターも(時にはデスクも)現場取材に行く」というスタイルだった。担当などあってなきがごとしで、1年目はフリー、2~3年目は事件事故に司法担当、4年目は県政担当だったが、その間にも米軍基地や教育福祉、行政、経済など様々な取材案件が降ってきて対応、番組ディレクターとしても3本の番組を作るなど多忙な日々を送った。
 
■最も思い出に残った米軍示談書問題
 
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沖縄県知事選告示日の朝、米軍キャンプ・シュワブのゲート前では強い日差しの下、基地移設反対の座り込みが続いていた=2018年9月、沖縄県名護市
 
 報道記者として最も思い出に残ったのは、入社2カ月後に担当した米軍示談書問題だ。

 沖縄県国頭郡金武町の専門学校駐車場で、泥酔した米兵が学生の車約10台を壊した器物損壊事件だ。だが、被害者である学生たちを地元の交番に呼び出した米軍の弁護士は、警察に届け出た被害額が書かれた示談書を学生に提示し「これ以上損害賠償を請求しません」などという文言にサインをさせていた。損害賠償(民事)を解決しておくことで、刑事裁判の判決を軽くする手段として当時ひそかに行われていたことだった。「示談書」の存在とそれについての米軍の処理方法については、米軍絡みの事件事故が多発する沖縄でもほとんど知られていなかったという。

 この事件の数日後、加害者である米兵が専門学校に謝罪に来るという情報があり、大矢は取材に出かけた。当初、米軍はメディアが取材に来ることを嫌がり「今日は謝罪に行かない」などと言い出したため、学校側が「メディアは冒頭のアタマ撮りのみ」という妥協案を提示して米軍側を説得。米軍はその条件をのみ、学校側との会話が終わると報道陣に対し「では退席をして下さい」といってきた。

 「いや、出ません」。その時、大矢はきっぱりと拒否した。「示談書を持っているのであれば、また自分たちに問題がないというのであれば、メディアの前で書面を見せて説明して下さい」。退席する代わりに米軍にそう要求した。これに対し米軍側は「アタマ撮りだけのはずだ」と怒ったが、琉球新報や沖縄タイムスの記者たちも「示談書を見せろ」「ちゃんと説明せよ」といって大矢に加勢してくれ、その結果として大矢らは示談書の現物を撮影でき、また米軍がどのようなやり方でこれまで事件を「処理」してきたかを県民に伝えることができた。
 
■日米地位協定の問題に直面
 
 大矢にとってはこの問題を取材したことが米軍絡みの事件事故を取材する第一歩となったが、その後米軍関係の事件事故を取材するたびに日米地位協定の問題が立ちはだかった。様々な事件処理とそれに伴う損害賠償請求についても、日米地位協定があるために被害者が苦しむという構造が続き、現在に至る。「今、私が米国で米軍の事件や事故の問題を追いかけるのも、やはり沖縄の現場で『日米地位協定に支えられた日米の負の関係性』を学んだからです」と大矢は語る。

 番組作りで思い出に残っているのは、2016年に放送した「テロリストは僕だった~沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~」というドキュメンタリー。沖縄の米軍基地に駐留し、イラク戦争に参戦した元海兵隊員を主人公にした番組で、「日本人に対し、元海兵隊員のストーリーを通じて、米軍基地を抱えることで『他ならぬ自分たちが戦争に加担している』ということへの責任を問いたかった」。

 当時を振り返って大矢は語る。

 「徹底的な現場主義と、県民のための報道機関であること。それはQABで学び、骨身にしみついた姿勢です。そして取材を通じて、沖縄がこれまで歩んできた米軍基地との生活やその背後にある沖縄戦、社会の貧困と格差、本土と沖縄の間に横たわる大きな壁を知るほどに、現場に立つことの重要性と『報道を守る』ということがどれほど大事なのかを学びました」
 
■鏡のように見えてきた「日本という国」
 
 沖縄で取材経験を重ねた大矢はこう話す。

 「沖縄を見つめるほどに、日本という国の姿が鏡のように見えてきました。残念ながらそれは、主権なき国、米国の属国としての日本の姿でした。おそらくこれは本土からは見えにくいでしょう。でも、沖縄県民も、沖縄県民ではない日本国民も、本来であれば問うべき問題は同じであるはずです」

 「つまり、私たちの頭上高く、安全な場所から日本を見下ろしている、米国という国家の問題です。ところが、現実には沖縄にある米軍基地問題がいつも『本土VS沖縄』という構造で物事が語られてしまう。そしてそのことで問題の本質を見誤ってきたように思うのです」

 そんな問題意識を持つ大矢が目指してきたものとは何か。

 「その意味では、私が自分の報道を通じて目指していたのは、そうした『常識』の壁に、たとえどんなに小さくてもいいから『針の穴』を開けることだったのだろうと思います。沖縄から離れ、米国で暮らす今、そう感じるのです。思考停止に陥った人たちの思考スイッチを『オン』にするにはどうしたらいいのか、私はいつもそういうことを考えて報道してきました。『本土VS沖縄』の対立構造ではなく、『とにかくすべて日本政府が悪い』でもなく、この社会構造を生み出している根底にあるものを、現場取材を通じてとらえようとしてきたのです」

■「沖縄からでは伝えられないことの大きさ」に気づく
 
 沖縄の取材現場に立つたびに、大矢は沖縄で伝え続けることがどれほど大事なのかを感じると同時に、「沖縄からでは伝えられないことの大きさ」にも気づかされ、自分の中で矛盾する思いが大きくなっていった。

 それは主に米軍基地問題についてだった。取材を重ねるたびに、問題の根源は沖縄にはないということ、米国のホワイトハウスや日本の霞が関のように、沖縄からはどこか遠い「安全な場所」で生み出される決定によって沖縄県民が翻弄され続けてきたという構造に気づかされたと大矢はいう。「沖縄で起きている現実を知るべきなのは、沖縄から離れて暮らす人たちなのに、沖縄の現場にいると、伝える対象は沖縄県民で、本当に知らなければいけないはずの人たちに届かない」。そんな壁にぶち当たる日々だった。

 「もちろん、沖縄の放送局から全国へ発信し続けることが一番大事ですし、これまでも先輩の三上さんを始めQAB報道部はそれを実践し続けてきました。でも、沖縄の声を番組として伝えるためには、系列のキー局のドキュメンタリー番組枠を確保する必要があるのですが、放送されたとしても早朝の時間帯です。現場の実態がなかなか全国に届かない現状の中で、沖縄の報道現場に立たせてもらった記者として、『沖縄のためにも沖縄から出なければいけないのではないか』と思うようになりました」

 「テロリストは僕だった」の放送が終わった2016年12月、大矢は上司に退職の意思を伝えた。「沖縄のためには『次のステージに行かないといけない』。大矢はそんな思いに突き動かされていた。
 
■「次のステージ」としての米国
 
 「次のステージ」として米国を選んだのは、「テロリストは僕だった」の取材で約3週間、米国取材をしたことがきっかけだった。

 この取材の過程で、日本からは見えない米軍の姿を見ることが出来たと大矢は感じた。「米軍に入隊した人間はなぜ、どのようにして他者に危害を加えることができるようになるか」をめぐって心理学者や元兵士たちに話を聞いたり、若い兵士たちにインタビューを行ったりして、暴力を生み出す軍隊の思考やシステム、そして入隊する若者たちの背景に貧困と経済的困窮があることがわかってきた。

 そして何よりも衝撃だったのが、米軍の内部で起きている性犯罪の問題だったと大矢はいう。「テロリストは僕だった」の中でも米兵による性暴力の被害にあった元女性兵士がインタビューに答えてくれたが、元女性兵士に出会った時、大矢は沖縄で出会った性暴力の被害者のことを思い出したという。

 「それまで沖縄で取材をしていた時は、『米軍絡みの性犯罪は沖縄だから起きている』『基地の外だから起きている』と考えていました。つまり、米軍問題の背景には沖縄に対する差別や植民地支配の意識があると思っていたのですが、元女性兵士と知り合ったことで『米軍の性暴力の問題はフェンスの内外を問わない』と気づかされたのです。だからこの問題を深く考察するためには、米国に行って、米軍内部で何が起きているか、そこに切り込まなければならないと考えました」

 同時に大矢は「沖縄の問題を解決するためには、米国市民に訴えないとだめだと思った」という。

 「沖縄県民、日本国民に訴える報道は、沖縄と日本の記者たちに任せられますが、米国市民に沖縄のことを伝える報道は、沖縄の現場取材を重ね、英語ができる私がすすんでやるべきことじゃないかと考えたんです。おこがましいですが、微力でも、自分にできることをしたい」。また、大学生時代に米国への短期留学をした経験から「もう一度この国で学びたい」という気持ちも持ち続けていたと大矢。そうした理由からフルブライト奨学金制度に応募した。

■カリフォルニア大学バークレー校へ
 
 QABを退職する前、大矢は友人に会うためサンフランシスコに行った。その際、「せっかくだからカリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院に行ってみようと思いウェブサイトを調べたところ、調査報道プログラムの存在を知った。

 たまたま調査報道の授業があったので「聴講したい」とメールを出したところ、認められて受講できた。その時の授業の担当者が今の指導教授のローウェル・バーグマンだった。

 「二つ返事で快諾してくれたので、とてもきさくで良い方なんだと感じました。でもその方が実はワシントン・ポストやフロントラインなどの調査報道の第一線で活躍してきた方で、たばこ産業の不正を告発したテレビプロデューサーとして映画「インサイダー」のモデルになったことでも知られる伝説のジャーナリスト、ローウェル・バーグマンだとは知らなかったため、後から知ってものすごく驚きました」

 それがバーグマン(73)と調査報道プログラムとの最初の出会いとなった。

 2018年、フルブライト奨学金の候補生になった時点で大矢は「所属先はバークレーの調査報道プログラムしかない」と決めていた。「やりたいテーマがテーマだけに、米国で信頼できるジャーナリストの元でないとこの取材はできない」と考えていたからだ。「信頼できる人と一緒に、安全な環境で取材できること」、それが第一条件だったという。
 
■大学で今取り組んでいること
 
 大学では今、次作のドキュメンタリー映画の制作に取り組む日々だ。テーマはやはり米軍と経済的徴兵、そして米軍の性暴力の問題だ。ただ今回はインタビュー主体の作品ではなく調査報道が柱となるため、ドキュメンタリーの撮影に実際に入る前に英文の膨大な資料や映像と向き合っている。その過程で同じテーマに関心を持つジャーナリストにも出会ったため、「彼らとの共同作業で取材を進めている」という。

 「沖縄で取材をしてきた私にとって『あたりまえ』のことが、米国人ジャーナリストたちにとっては『驚き』であり、その逆もそうなんです。そのように互いに新鮮なまなざしをもって国を超えてジャーナリスト同士がつながることで、これまでになかった視点で米軍問題を浮き彫りにするのが狙い」と大矢は話す。

 「火事の時には消防士が必要。病人がいたら医者が必要。それと同じように、ジャーナリストも社会にとって不可欠だ」。バーグマンはそんな言葉をよく使う。「これは私にとってもとても大事な言葉です。日本のメディアの中にいると、ジャーナリストは何のために存在しているのかを忘れがちだからです」。

 そう考える大矢はいう。

 「ジャーナリストは何のためにペンを持つのか。その力を誰のために、何のために使うのか。その『基本のき』をバーグマンから改めて学んでいると思っています。そして『何があってもブレない強さ』をもらってもいる。これからの私の人生のためにも、一人のジャーナリストとして自分を鍛え上げることが今は一番大事だと思っています」

 またこうも話す。

 「バーグマンやこの調査報道プログラムに集まっている人たちからは『英代は何歳なの?』と年齢を聞かれたこともありません。そうでなく、世界をどう読み解くのか、何をどう取材するのかをたずねられる。そういう『個』としての行動がここでの判断基準になっているのだと感じます。その意味で、一人のジャーナリストとして互いを尊重しあうここの環境は私にはとても居心地がいい」
 
■名コンビのバーグマンとテンプル
 
 そんなバーグマンはジャーナリストとしての仕事を1960年代の終わりにスタートさせた。今はカリフォルニア大学バークレー校でジャーナリズム大学院調査報道プログラムを主導しているバーグマンに、授業に臨む姿勢を聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「学生たちには本当のナマの報道というものを勉強してほしいと思っています。スマートフォンと対話するのではなく、本当の生身の人間の話を聞いて、そして学んでほしい。だから授業ではいろいろな人をゲストスピーカーとしてお呼びします。例えば無実の罪で長年牢屋につながれていた人とか、トランプのビジネスパートナーとか、ジャーナリストが『あの人にインタビューしたいな』と思うような人を招き、ここに連れて来て学生の前で話をしていただくんです」

 ジャーナリストとして豊富な経験を積んできたバーグマンは根っからの「現場主義」だ。
 
 「ちょっと古くさいやり方かもしれませんが、スマートフォンやデジタルの機器はみんな捨てて、『現場へ行け』と教えています。現場にまずは行って、きちんとその現場を見よ。あるいは裁判所に足を運んで、裁判所の記録を読みなさいということです。百聞は一見にしかず。ネット上に書かれていることと現実が違うということはけっこう多いのですから。十分に時間をかけて現場を見よということです」

 バーグマンの良き同僚で、マルチメディアを使ったプログラムを指導している元ジャーナリスト、ジョン・テンプル(66)の考え方は少し違う。

 「もちろん、バーグマンのいうようにまずは現場に行って、いろいろなものをしっかり直接自分の目で見ろということ自体は大賛成です。ただ自分たちが作ったニュースをどのように発信するかという段になると、デジタルテクノロジーは欠かせないものですし、それをうまく使いこなせるかどうかが大きなカギとなってきます」

 そんなテンプルは同大学で大学院の2年生を対象に教えているという。「グループごとにそれぞれお題を与えるのですが、そのテーマについての発表をするにあたっては、様々な異なるメディアを駆使することを求めます。オーディオもビジュアルもビデオも、もちろん記事も書かなければなりません。様々なメディア媒体を使いこなした報道を身につけてもらうためのワークショップをしているのです」

■自分の弱点や限界もさらけ出すジャーナリスト像
 
 ジャーナリストのあり方も昔とは変わってきたとテンプルは指摘する。

 「ジャーナリストになろうと私が勉強していた時にいわれたのは、『自分の考えや自分の意見ではなく、事実を報道しなさい』ということでした。ところが、その後テクノロジーが発達してポッドキャスティングのようなものが出てきて、ニュースを伝える人のパーソナリティーやものの話し方とか、言い間違いやミスも全部含めて、視聴者が『ああ、この人のいうことなら信用する』といった方向に今はなってきています。その意味で、読み手や聞き手とのコミュニケーションの仕方というものが、私が学生だったころと今とはずいぶん変わってきている」

 目指すべき「ジャーナリスト像」も時代によって変化してきているのかもしれない。

 「これまでのジャーナリストというものは、それこそ神様じゃないけれど『すべてを私は知っています』というスタンスでやってきました。でも、それが逆に読者や視聴者のメディア不信を募らせているのだとしたら、『自分はこのことについてはよく知りません』とか『この点については私は間違っているかもしれません』というところまで出してしまった上で『そんな自分はこう考えるのです』といったやり方のほうが透明性があると受け取られるのかもしれません。自分の限界をさらけ出した上で、オーディエンスをもっと自分のほうに来てもらい、お互いに築いていくといったようなあり方ですね」
 
■「市民のためのジャーナリズム」が確立されていない?日本
 
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報道の自由を訴え、トランプ米政権に抗議する人たち=2017年2月、ニューヨーク
 
 話を大矢に戻そう。

 ジャーナリズムをめぐる日米の違いにも思うところがあると大矢はいう。「私の少ない経験から、あくまで私の主観で感じたことですが」。そう前置きした上で大矢はこう話す。

 「まず米国のジャーナリズムは日本のそれとはまったく違うのではないかと思うのです。一番の違いはジャーナリストたちの意識です。米国のジャーナリストたちにとって、彼らの存在理由は明確で、それを民衆が支えていることが日本との最も大きな違いだと思っています。会社のためではなく、言論の自由、人権、市民の命を守るためにペンやカメラを持つ。〝Public interest〟という英語は、日本語に訳された「公益」よりも、もっと尊大[投稿者注:ママ]なものであり、絶対的な価値観のあるものとして認識されているように感じます。その〝Public interest〟を守るためのジャーナリストたちの存在意義、彼らの意識と使命感は、日本のメディアとは天と地の差があるように感じます」

 なぜそこまで違うと大矢は思うのか。

 大矢は「この根底には『ファーストアメンドメント』と呼ばれる米国合衆国憲法修正第1条の存在が大きいのではないか」と考えている。

 「これは、宗教の自由、言論・報道の自由などを政府が市民から剥奪することを禁止するものです。これを基盤とした「報道は権力を監視するのが使命だ」という理念をジャーナリストたちが認識し、共有しているのだと思いますし、その背景には、権利と自由を勝ち取ってきた長く、苦しい、市民の闘いがあり、今現在もそれは続いています」

 「そういう意味では、日本にはまだ『市民のためのジャーナリズム』は確立されていないのではないでしょうか。戦後、言論の自由を勝ち取った、民主主義を勝ち取った経験を、国民がもっていないからです。唯一、国内で、その経験をもっているのは、地上戦と米国施政権下を経験した沖縄だと思います。沖縄の報道に、市民のためのジャーナリズムが存在するのは、やはり長きにわたる苦難の歴史と『勝ち取った経験』に基づくものであり、簡単に壊れるようなものではないと私は思っています」

■「Equality」と「Equity」
 
 大矢はさらに続けていう。

 「日本と米国のジャーナリズムの違いとしてもう一つ象徴的なものがあるとすれば、米国のジャーナリズムの柱には『平等』があると思う。日本では平等=〝イクオリティー(Equality)〟と訳される場合が多いですが、同じ『平等』でも米国のジャーナリズムにあるのは〝イクイティー(Equity)〟だと思います。どちらも『平等』という意味ですが、同意語ではありません」

 大矢の説明によると、両者の違いはこうだ。

 「Equality」 は、異なる特性の人たちが、同じ条件に置かれること。一方、「Equity」 は、その人の特性に合わせて、公平な条件を作ること。

 例えば、身長180センチの人と、身長100センチの人が、高さ2メートルのところにあるボールを取ろうとする時、同じ高さの踏台(10センチ)を与えられること、これは「Equality」。でも、前者はボールを取れるけど、後者は取れない。他方、「Equity」の場合は、身長180センチの人には10センチの踏台を、身長100センチの人には90センチの踏台を、どちらも190センチという同じ条件にした上で、ボールを取る。同じ条件のもとで、ボールを取れるか、取れないか、はその人の能力次第。これが「Equity」だという。

 「貧富の差、人種差別が根深いアメリカだからこそ、『Equity』の精神を持った報道が重視されているように感じます。一方で、日本にはこの考えは一般的ではありません。私は、沖縄の基地問題、辺野古の問題は、沖縄が歩んできた歴史を鑑みると、まさに『Equity』の問題だと思うのですが、それが日本人に共有されないのは、日本人にとって『平等』という考えは、やはり国民が自ら権力側から勝ち取ったものではなく、1945年の敗戦とともに突然空から降ってきたような、まだまだ教科書の中の理想でしかないからかもしれません」
 
■米国のジャーナリズムがすべて正しいわけではない
 
 ただ、だからといって「米国のジャーナリズムが100%正しく、日本人が全部見習うべきだ」とは思わないと大矢は考えている。それはなぜか。

 「そもそも、米国の『市民』と日本の『市民』を形成する社会背景が根底から異なるのだと思います。米国は自由と民主主義という理念の元に国家が形成されていることもあって、よくも悪くも『自由』『民主主義』と聞くと、米国人たちの中の得体のしれない愛国心のスイッチがオンになってしまうようで、国民がそろってあっという間に戦争に転がり落ちてしまう危険性を常にはらんでいる。まさに9.11後のアメリカが顕著な例です。そしてそれにはメディアが加担をした。でも、その反省は今日に至るまでまだ十分にはなされていないと思うのです」

 大矢は強調する。

 「米国という国家の根底にある、自由と民主主義の皮の下に潜む暴力のメカニズムや、差別や貧困を生み出す根底にあるもの、そういう米国社会の出しきれぬ「膿」を、どこまで米国人ジャーナリストたちが見ようとしているのか、理解しているのか、私にはまだわかりません。それはジャーナリズムの世界を担っている大半が、白人男性だからかもしれません」

 「彼らにとって『戦うべき敵』は国家や政府、政治家、企業など、権力を持つ者です。もちろん、それは正しい考えです。しかし、トランプのような人間を大統領に選んだ背景には、米国社会の病みがあります。差別され、貧困に苦しむ米国市民の存在、特に白人男性たちの貧困、それを生み出す米国の『負の構造』そのものに斬り込む報道、それこそ平等や自由などという米国人が大好きな美しい言葉でデコレーションしない、『病んだ米国』を直視する報道がいよいよ必要なのだと思います」

■米国の調査報道について思うこと
 
 「『ファクト』の重要性、徹底したファクトを追求する米国のジャーナリストたちには、大変刺激を受けています。何よりも、それを支える市民の存在には希望を抱きます」と大矢は話す。

 例えば、東京の街頭で「調査報道についてどう思うか」などとインタビューをすれば、きっと多くの人たちは「調査報道」という言葉すら知らないだろうと大矢は考える。「調査報道」の存在とその重要性が認知されているということは日本との大きな違いだという。

 そんな米国社会と米国の調査報道にも「盲点」があると大矢は考える。 ・・・ログインして読む
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[政治・選挙・NHK260] [小沢一郎戦記(10)] 小沢一郎と鳩山由紀夫、それぞれの「辺野古」 (朝日新聞社 論座)
小沢一郎戦記
小沢一郎と鳩山由紀夫、それぞれの「辺野古」
(10)小沢一郎、普天間移設問題のポイント・米軍再編の要点を捉えていた
 
佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長
論座 2019年05月20日 より無料公開部分を転載。
 
 
■消費増税を突然打ち上げた菅直人
 
 戦後初めて選挙による政権交代を成し遂げた民主党政権は、一体いつ終わったのだろうか。

 民主党3人目の首相、野田佳彦が衆院解散を明言して大惨敗を食らい、第2次安倍内閣が発足した2012年12月26日だろうか。年代記的にはそうだろう。

 しかし、野田政権は果たして、自民党に代わる新政権として国民が待ち望んだような政治を進めたのか。この設問には恐らく大方の人が首を傾げるだろう。

 それと同じことを考えるならば、民主党政権の初代首相、鳩山由紀夫が辞任した後、その同じ年、2010年9月14日に行われた同党代表選で小沢一郎が菅直人に敗れ去ったその日が、実質的な民主党政治の退場の日付だろうと私は考える。

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拡大民主党代表に再選された菅直人首相(左)と握手する小沢一郎氏=2010年9月14日、東京都港区
 
 菅は鳩山が辞任した後を受けて、2010年6月4日に代表選に立候補、対抗の樽床伸二を破って首相となったが、そのほぼ2週間後の17日の記者会見で、消費税率をその時の税率5%から10%に引き上げることを突然口にした。

 消費税増税のことは、民主党が政権を獲得した2009年のマニフェストには一言も書かれていなかったために非常な驚きをもって迎えられた。

 マニフェストには、「民主党の5つの約束」の最初の項目として「税金は、官僚と一部政治家のものではありません。国民の税金を、国民の手に取り戻します」と謳い、その下に大きい活字で「国の総予算207兆円を全面組み替え」と書かれていた。

 国の財政状況を考えればいずれ消費増税は日程に上って来るかもしれないが、その前に国の総予算を「全面組み替え」するくらいの荒療治を施すことが必要だ、と一般には思われていた。

 たしかに仙谷由人率いる行政刷新会議が行政仕分けを手がけ、予算改革に手をつけ始めたかにも見えたが、民主党議員の派手なパフォーマンスの割には予算圧縮の数字は上がらず、「全面組み替え」にはほど遠い状況だった。

 おまけに消費税増税を打ち出した翌6月18日には、菅内閣は「強い経済」を標榜する「新成長戦略」を閣議決定した。この「戦略」は明確に法人税減税を打ち出しており、自民党時代の税制戦略と何一つ変わるところがなかった。

 消費税増税と法人税減税は歴史的にセットで実施されており、大企業の減税は自民党時代と同様、消費者が面倒を見る構造は、そのまま温存された形となった。当然ながら、この「新成長戦略」の裏には経団連や経済産業省の存在があり、「国民の税金を、国民の手に取り戻します」と謳ったマニフェストに違反することははっきりしていた。

 菅直人が打ち出したこの消費税増税路線が翌7月の参院選での民主党惨敗につながるが、最終的には、マニフェスト違反を訴える小沢らが党を割る大きい要因となっていく。
 
■「辺野古」を蒸し返した小沢一郎
 
 2010年9月14日の民主党代表選は、このような「経団連返り」の菅に対して、国民が政権選択をした初心を訴える小沢が挑戦する最後の機会だった。

 代表選は、東京・芝公園にあるザ・プリンスパークタワー東京で行われた。参院選で惨敗し過半数を割ったとはいえ、衆参411人の議員数はやはり圧倒的だった。議員の後ろに設けられた記者席からは菅、小沢の姿が小さく見えた。

 菅は、いわゆる「二世議員」が比較的少ない民主党の長所を挙げ、自身がその代表に当たる点を訴えたが、参院選直前に消費税増税を打ち出した残念な政治観を見せられた後ではかなり色褪せた文句に聞こえた。

 私は明確に記憶しているが、一方の小沢は朴訥な調子で米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を取り上げた。首相だった鳩山が当初「国外、最低でも県外(移設)」と打ち出しながら結局は辺野古に持って来ざるをえないと結論を出した後だけに、一般的には「辺野古で決まりか」と思われていた。

 しかし、その空気の中で小沢は再度、辺野古問題を取り上げ、「まだ話し合いの余地はある」と訴えた。

 「日本政府は、まだ米国と本当には話し合っていない。だから、米国とはまだ話し合いの余地はある。沖縄県ともまだまだ十分に話し合っていかなければいけない」

 私は朴訥に訴え続ける小沢の声がいまだに耳に残っている。そして、短い言葉ながらも問題の本質を突いた本物の「政治の声」だと直感した。小沢に首相を任せれば、本当に普天間問題は解決の糸口が見えてくるかもしれない。そんな考えに支配された。

 代表選の結果は、議員票が僅差で菅の勝利、地方票が意外にも大差で菅勝利に終わった。私はこの代表選に合わせて、その時所属していた「AERA」に記事を執筆すべく、小沢と普天間・辺野古問題に焦点を絞って取材を進めていた。首相の菅はこの問題については実質的に匙を投げており、解決の道を探るには小沢が首相になるしかなかった。

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那覇市内のアーケード街を練り歩く民主党の小沢一郎代表(右)、鳩山由紀夫幹事長(中央)、菅直人代表代行(左)=2007年4月15日
 
■「沖縄の米海兵隊は日本防衛の任務を担ってはいない」
 
 代表選のほぼ1週間前の9月8日、東京・永田町の衆院第2議員会館の大会議室で小沢の記者会見が開かれた。

 「海兵隊をはじめ実戦部隊を前線にはりつけておく必要はない、ということが米軍再編の戦略です。最終的には日米合意になったが、話し合いの余地はある。沖縄の県民のみなさんが理解しないとできない。強制執行などできないわけです」

 会見で述べたこの言葉が、小沢の考えを要約している。

 私はまず、元外務官僚で普天間・辺野古問題に詳しい佐藤優に話を聞きに行った。佐藤は、外交・民族問題、宗教問題などに該博な知識を持っているが、母親が沖縄県久米島出身のためもあって、沖縄問題については実に的確かつ深い指摘をしていた。

 「小沢さんは正しいですよ。結論から言えば、県外移設は可能です」

 佐藤は私を事務所に迎え入れるなり単刀直入にこう断言した。

 佐藤によると、米軍の実態を知る外務官僚たちの本音は「県外移設は可能」ということだった。佐藤がまず指摘したのは、沖縄にいる米海兵隊は米国本土や中東、東南アジア、オーストラリアを次々に移転するローテーション部隊だという事実だった。

 今年3月31日付の朝日新聞は1面トップで、沖縄に駐留する米海兵隊の中核を担う「第31海兵遠征部隊」(31MEU)の実態を報道した。部隊の動向を記録したコマンドクロノロジー(部隊年報)の情報公開を米海兵隊に求めていたが、1992年の配備から2017年までの年報や関連資料など約3600ページが開示された。

 それによると、ほとんどの年で100日以上沖縄を離れて日本国外に出ていた。2009年の年報を見ると、1月沖縄、2月タイ、沖縄、4~5月フィリピン、沖縄、7月オーストラリア、沖縄、10月フィリピン・インドネシア、11月沖縄、というローテーションで、この年は少なくとも約160日海外で訓練などをしていた。しかも歩兵を中心に半年ごとに交代するため、主に米国本土から隊員が来るたびに訓練を繰り返している。

 つまり、沖縄駐留の米海兵隊は必ずしも日本防衛の任務を担ってはいない。佐藤とは別だが、米軍の任務に詳しい自衛隊関係者はこう解説した。

 「これを言うとみんなびっくりするんだけれども、海兵隊のミッションは2つなんです。日本に限らないが、まずひとつは、その国におけるアメリカの要人の保護救出。これはファースト・プライオリティ。そのリストの一番目は駐日アメリカ大使です。だけど、これはたびたび問題になるんだけど、その大使の配偶者というのは番号が低いらしい」

 これはむしろ想定内で、それほど「びっくり」するような話ではないが、本当に驚くのは二つ目の任務だろう。

 「そして、第2のミッションというのは、当地におけるアメリカ政府に対する敵対的政権が誕生した時、その政権を力によって排除する部隊が海兵隊なんです。以上です。はっきり言って他のミッションはないです。オスプレイの飛行ルートを記録しているジャーナリストがいるかどうかわからないが、オスプレイは市街地上空を飛んでいる。なぜか。まさしく飛行訓練です。何かあった時に日本を再占領するための訓練なんです」

 にわかには信じがたい任務ではあるが、米軍と日米地位協定の問題が集約された沖縄の歴史と現状を見ると、その話は異様な現実感を持って迫ってくる。

■「演習の標的」にされる日本

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高台に設えられた「貴賓席」から演習を見守る米軍将校たち。演習にはベトナム人役として乳幼児などを連れた女性を含む約20人が徴用された。写真左側から海兵隊が一列になって近づいて来るのが見える。最終的にベトコン役の二人が捉えられて演習は終わった。1964年8月26日、東村・高江(写真・沖縄県公文書館)
 
 上の写真をご覧いただきたい。

 1964年8月26日、現在オスプレイのヘリパッド建設予定地として激しい反対運動の起こっている沖縄・東村高江の写真だ。

 ベトナムで激戦が続いている時代で、高江の住民たちはベトナム人やベトコン役をさせられて、海兵隊の襲撃を受ける役割を演じさせられた。仮に作られた「ベトナム村」を見下ろしているのは、当時のワトソン高等弁務官をはじめとする米軍の将校たちだ。

 オスプレイの複数のヘリパッドは高江の集落を囲む形になっており、この「ベトナム村」の歴史的記憶が住民に甦っている。

 日米地位協定問題を追及してきた沖縄国際大学大学院教授の前泊博盛はその著書『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)で、数々の事例を挙げながら、沖縄だけでなく日本全体が米軍の演習の標的になっている、と指摘している。

 例えば1958年9月7日には、ロングプリー事件という出来事があった。西武池袋線に乗っていた当時の武蔵野音大生(21)が米軍基地内のロングプリー三等航空兵(19)にカービン銃で狙撃され死亡した。ロングプリーは「カラ撃ちの練習をしたところ実弾が入っているのを忘れて射ってしまった」と供述、形だけの裁判の上、禁錮10か月という極めて軽い刑で終わった。

 もうひとつ、1957年8月3日、茨城県内で自転車に乗っていた女性(63)が超低空飛行で近づいてきた米軍機の後方車輪にひっかけられ、「首と胴体を真っ二つに切断されて即死」したという事件。地元市議会は、米軍機の低空飛行が通行人をしばしば驚かせていたことなどから操縦士の故意のいたずらと断定したが、これは日米地位協定に基づいて日本側の裁判権が放棄されて捜査終了となった。

 前泊の挙げる実例はまだまだあるが、米海兵隊の任務は必ずしも日本防衛にあるのではなく、米軍全体の日本を見る目も、前泊の指摘するように「演習の標的」という面が多分にあるということだ。

■「米国の軍人は辺野古を望んでも、米国の政治家には大したことではない」
 
 小沢の話に戻ろう。

 「米国とはまだ話し合いの余地はある」という小沢の言葉を受けて、私は佐藤優の次に、当時立教大学教授だった李鍾元(現早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)に話を聞きに行った。米国内政治を視野に入れた東アジアの安全保障体制を研究する李は、菅や鳩山とは食事などをともにする仲だったが、小沢とは会ったことがなかった。しかし、小沢の著作などを読み、その考え方を高く評価していた。

 「小沢さんは、大枠の戦略的思考のできる人で、国際政治のパワーポリティクスを理解している人だと思います」

 米国の軍事力は、第2次世界大戦以降、太平洋を東へ展開し、冷戦から熱戦に転化しがちなアジア大陸近くに前方展開していった。しかし、20世紀後半から軍の輸送能力が格段に高まったため、必ずしも前方展開しておく必要がなくなってきた。

 かつては大陸近くの海を米空母が遊弋していたが、現在は航空機で軽戦車や数千人単位の旅団を輸送できるようになった。このため、有事の際には米本土とグアムの基地から出撃すれば十分間に合う。

 米国の有力な防衛問題ジャーナリスト、「影のCIA」とも呼ばれるロバート・カプランは、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の2010年6月号で、中国の海軍力増強に対抗する米海軍力の拠点として、アジア大陸近くではなく、オセアニア地域を挙げている。

 李は、米国内のこうした有力な議論や、前方展開から後方へ退きつつある米軍再編の大きい動きを見据えながら、日米間の戦略協議が必要だと説明した。

 「米国や日本が、軍や官僚主導ではなく、経済の分野も考慮に入れた政治主導の戦略協議を始め、アジアの望ましい政治、軍事、外交秩序を構築する。その中で沖縄問題の位置づけをしなければ、沖縄の基地の問題は出口が見えないのです」

 しかし、李が言及したような本格的な日米協議は鳩山政権や菅政権では一度も開かれていなかった。

 「小沢さんは、体系的に肉付けして話していないのでわかりづらいが、考えていることは、日米の大枠を変えることで基地問題の出口を見つける、ということだと思う。正しい考え方です。小沢さんは、こういう構造を見ながら、まだ完全には決着したわけではない、政治主導の議論はまだ交わされていないとみているわけです」

 このような日米協議においては、かつて日本の建設市場開放問題をめぐる日米交渉や、日米電気通信交渉で日本側代表となった小沢の経験と知識が非常に重要な鍵を握っている。米国内の情勢にも目を光らせている李は、こうも指摘していた。

 李は小沢と話し合ったわけではないが、小沢が考えていることを実に正確に解説してくれた。

 しかし、とは言っても現実には小沢は代表選に敗れ、その高い見識と経験を生かすことなく、菅、野田、安倍の各政権を経て辺野古の海には大量の土砂が投入され、国の天然記念物で絶滅危惧種のジュゴンは死んでいった。

 この件で小沢に改めて話を聞いてみると、李の解説がいかに正確だったかがよくわかった。

 「アメリカは本当は辺野古にこだわっていない。今だってそう思いますよ。アメリカの基本的な世界戦略、軍事戦略を考えれば当然、辺野古にあのようなものは要らない。たしかに海兵隊は欲しがります。しかし、軍人は欲しがるかもしれないが、政治的に言ったら大したことではない。むしろ、沖縄で摩擦や紛争が起きれば政治的にマイナスになるだけだ。そんなことは政治家ならすぐにわかることです。しかも、海兵隊は事実上沖縄にいない。ほんの少ししか沖縄にいないんです。それで、土地は他にもある。あんな綺麗なところは埋め立てる必要はないんです」

 普天間・辺野古問題に関する小沢の知識は実に正確であり、小沢が首相になっていた場合には、もう一つ別の歴史の歩み方を目にしていただろうと思う時、実に無念の気分に陥る。
 
■鳩山が明かす「小沢との溝」
 
 しかし、党内にこれだけの眼力と勢力のある味方が存在しながら、辺野古問題で追い詰められていった鳩山は、なぜ援軍なり後方支援なりを小沢に頼まなかったのだろうか。

 「もっと私の方から積極的に助けを求めて、小沢さんどう考えておられるのですかという話をすればよかったのでしょう。しかし、そのチャンスがなかったですね、あの時。本当に任せていいんだなと小沢さんがおっしゃっていたことはあったので、その時にこちらも、いや大変苦しんでいるので力を貸してくださいと申し上げていれば、そこで変わっていた可能性はあります。アメリカの考え方はもっと柔軟であるということは小沢さんはわかっておられたと思うのですよ。そこで突破口を開いて穴を開けることが小沢さんならできたかもしれません」

 この問題に関しては、鳩山の口から後悔の言葉がほとばしり出た。

 「今から思えば、1週間に二度でも三度でも相談をさせていただいて、小沢さんはどうお考えになっているかというようなことを伺う機会をもっと頻繁に作っておけばよかったと思っています。今から思えば失敗でした。小沢さんも私以上に割と訥々としておられて、二人の時にもそんなにべらべらお話しをされる方ではないので、本当に普天間のことは政府の方に任せているからそれでいいんだなと言われると、任せておいてくださいと私も答えてしまうわけです。いや、助けてくださいという話をすれば、もっと胸襟を開いていろいろとお話しができたと思うのです。しかし、政務、政策はこちらからは口を出さないからそれでいいんだな、とおっしゃられると、こちらもその通りです、私どもが責任を持ってやりますというふうになってしまった。多分、お互いにそれで満足していないのだろうと思いながら、溝が出来てしまったような気がしました」

 鳩山の回想は実にいろいろなことを語っているが、鳩山が記憶する「政務、政策はこちらからは口を出さないからそれでいいんだな」という小沢の言葉は何を意味しているのだろうか。実は、この言葉の裏に鳩山と小沢の間にできた「溝」の発端がある。

 2009年9月16日の鳩山内閣発足前、小沢は鳩山と党本部の代表室で向かい合っていた。この会談で鳩山は小沢に党幹事長への就任を依頼し、党務全般を任せることを伝えた。しかし、その際に、政策のことは内閣に任せてほしいと釘を刺した。

 このことが小沢に響いたようだ。小沢は、これまでの「小沢一郎戦記」(『小沢一郎「実は財源はいくらでもあるんだ」』『国家戦略局が沈み、小沢一郎幹事長が浮かんだ』『小沢一郎が構想した予算編成』)で見てきたように実に政策に精通し、民主党が初めて取り組んだ2010年度予算案編成では、日本史上初めてと言っていいような政治主導の予算案を作り上げた。曲がりなりにも進んできた政治改革も、小沢が『日本改造計画』で素描してきた跡をほぼたどっていると言っていい。小沢は幹事長職にありながらも入閣して、「与党と内閣の一体化」(『日本改造計画』)の一翼を担うものと考えていた。

 菅代表の時の2003年民主党マニフェストには、脱官僚、国益追求の政府を作るために政府と与党の一体化を目指して党幹事長も入閣することが明確に記されている。小沢は、このマニフェスト通りのことを考えていたが、なぜかここで翼を折られてしまった。小沢がなかばかたくなに「政務、政策はこちらからは口を出さないからそれでいいんだな」と繰り返したのは、ここにその理由がある。

 「私は、幹事長を小沢さんと決めた時、あの時期に小沢さんに入閣してもらった場合、集中攻撃を受けるのではないか、と恐れました」

 小沢の入閣を回避した理由について、鳩山はこう答えた。

 「もちろん小沢さんは無罪でしたが、当時はメディアを含めて小沢さんに対する攻撃は本当にひどかった。私に対してもひどかった。私の方は受けざるをえなかったのはわかっていましたけれども」

 鳩山の場合、母親からの資金提供やすでに亡くなっているはずの故人名義からの献金の問題が発覚していた。これらに加えて前回の『小沢一郎の改革を妨げた検察の根拠なき捜査』で報告したような小沢冤罪の「陸山会事件」が加わった場合、「内閣が持たないのではないか」と鳩山は恐れた。これが小沢入閣回避の理由だと鳩山は説明している。
 
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民主党両院議員総会で辞任のあいさつを終え、小沢一郎幹事長(左)と握手を交わす鳩山由紀夫首相=2010年6月2日、国会内

■鳩山、往時を悔やむ
 
 小沢が無任所大臣として入閣していれば、普天間・辺野古問題は現在とはまったく違う展望の下に新たな光が差していた可能性が多分にある。小沢の識見と経験、そしてどんな相手にも正しいと信じる主張を貫く胆力。恐らくは当時のヒラリー・クリントン国務長官やオバマ大統領を動かして、いまごろ辺野古の海はそのまま美しい日々を過ごしていただろう。

 前回『小沢一郎の改革を妨げた検察の根拠なき捜査』で指摘したが、当時の東京地検特捜部が国民生活に犯した罪は限りなく重い。

 鳩山は、本来得るべき最大の援軍を失ったまま孤立を深めていった。 ・・・ログインして読む
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[政治・選挙・NHK261] 前途は悪材料ばかり。元号を変えて世間が良くなるなら苦労はない: 平成と令和の狭間に考える ― 「平成流」は持続可能だろうか ― (ちきゅう座)
2019年 5月 20日
<半澤健市(はんざわけんいち):元金融機関勤務>

 4月30日の天皇譲位と5月1日改元の報道が少しは落ち着いてきた。
この時点で明仁・美智子夫妻の「平成流」とその前途について書いておきたい。
話を三つほどに分けて考える。
一つは、明仁夫妻が完成した「平成流」の凄さである。
二つは、回路の欠如または「菊のカーテン」の存在である。
三つは、「平成流」の危うい前途についてである。

 
《明仁夫妻が開発した「平成流」》
 
 テレビ画面では結婚式パレードや、被災者に膝を折って声をかける二人の姿を断片的に見るにすぎない。その背景・実態について、原武史の『平成の終焉』(19年・岩波新書)の見事な実証分析によって私は多くの情報を得た。同書巻末の皇太子時代と天皇になってからの行幸啓の一覧表を仔細に見て、私はある種の感動を覚えた。二人は結婚から退位までの60年間に、全国都道府県をくまなく三回もまわった。皇太子時代に一巡、天皇時代に二巡している。原は二人の巡行回数、範囲、国民への視線を、昭和天皇のそれと大きく異なるものとして、「平成流」と名付けている。一言でいえば国民との対話と寄り添いである。なかでも1960~70年の皇太子時代に行われた地方住民との「懇談会」や、原爆資料館での表情、沖縄への頻繁な訪問に、共感をもって「戦後民主主義者」をみている。

一体、行幸啓は何に基づいて行われるのか。
日本国憲法は、第四条で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とうたっており、第七条で10項目の国事行為が列挙されている。憲法学者の長谷部恭男は、「象徴としての公的行為を想定することができるという見解がある」という客観的な表現のあとにこう書いている。(『日本国憲法』、19年・岩波文庫)
■国会の開会式で「おことば」を述べ、外国の元首と親書を交換し、第二次大戦の激戦地におもむいて戦没者を慰霊し、大災害の被災地におもむいて被災者と懇談する。これらは、憲法の列挙する国事行為として理解することも、全くの私的行為として理解することも困難である。宮内庁を経て最終的は政府が責任を負うべき公的行為として理解すべきだとの見解である。

原は、前掲書にこう書いている。
■宮中祭祀と行幸は、国事行為と違って憲法に規定されていませんし、皇室祭祀令のような法律もありませんので、天皇の意思を反映させる形で増やしたり減らしたりすることができます。しかしそもそも、「象徴天皇の務めとは何か」という問題は、天皇が決めるべき問題ではなく、主権者である国民が考えるべき問題のはずです。憲法学者の渡辺治は、「天皇の退位をめぐる議論でもっとも欠けているのは、天皇がそれを『全身全霊をもって』果たせなくなることを最大の理由にしている『象徴としての行為』とは何かを国民が議論することではないでしょうか」と述べています(『朝日新聞』二〇一七年四月二二日)。

 
《国民を阻む菊のカーテンは健在》
 
 「退位論議に欠けているのは象徴としての行為とは何かの議論である」という渡辺治や原武史の意見に私は賛成である。今までの憲法論議は九条論議であった。「象徴天皇の務め」など人々の視野になかった。
議論好きなインテリもこのテーマを敬遠し、庶民大衆はそれは「お上」が決めることだと思っていた。インテリは、特に敗戦直後には、天皇制廃止を主張していた。日本資本主義はフランス革命前の絶対王政と同じ段階だとする分析がまかり通っていたのである。
天皇制を前提としてその在りようを論ずるなんて恥ずかしい。それが往事の潮流であり今に続いている。戦争犠牲者の慰霊を「革新勢力」が先取りすべきだという意見―たとえば臼井吉見の―は少数派であった。後知恵になるが、これは日本の知識人の知的怠慢だったといえる。

権力を持ち復古を望む者たちは怠慢ではなかった。彼らは明仁夫妻の「民主的」行幸啓を阻止できなかったものの警備強化、提灯奉迎の日常化、懇談会の消失で行幸啓の形式化を図った。
 
 
《「令和」時代にも平和が続くだろうか》
 
 祭祀と行幸は憲法に明示的な規定がない。
「それだからこそ」明仁夫妻は、自ら開発した「平成流」を自由にやれたのである。
しかしそれは、「だからこそ」自由にやれない状況にならないであろうか。
安倍政治は、日銀総裁・法制局長官・中央官庁幹部・NHK会長選任の慣行を破った。エリートたちは忖度し隷従する者たちとなった。集団的自衛権の行使すら可能とする法律を作った。本来なら天地が逆転するような話である。

徳仁天皇の「即位後朝見の儀」における発言の先帝との表現の違いが気になると指摘したのはノンフィクション作家保阪正康である。
平成元年(1989年)1月9日に明仁天皇は、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」と述べた。
令和元年(2019年)5月1日に、徳仁天皇は、「憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します」と述べた。
二つの文章は、似たものに見えるが、保坂によれば「日本国憲法を守り」と「憲法にのっとり」はちがうのであり、また徳仁の「そして世界の平和を切に希望します」への文章のつながり方も明仁の表現と微妙にちがうのだという。超ミクロな議論だが確かにこの意味も大きい。
 
 
《日本最大の危機は令和の御代に》
 
 目を外に向けよう。汎世界的なポピュリズムの猖獗、その論理的帰結としての日米同盟の空洞化、貿易戦争の覇権戦争への転化、それが世界恐慌につながる危険、五輪・万博後の日本経済の崩落。何をとっても前途は悪材料ばかりである。元号を変えて世間が良くなるなら苦労はない。戦後最大の危機が日本に訪れるのは「令和の御代」においてであろう。平成と令和の狭間に考えた悲観的な感想である。(2019/05/17)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4606:190520〕
 
http://chikyuza.net/archives/93882
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/121.html

[国際26] 下層の人人が、「エリート支配」に立ち向かう: 書評『黄色いベスト運動』 ele-king臨時増刊号 (長周新聞)
長周新聞 2019年5月21日

 昨年11月17日、フランス全国の2000箇所以上の交通要所で、自動車の運転手に携帯が義務化されている黄色いベストを着た人人が、燃料税に反対してピケを張る行動が始まった。以後この半年の間、週末にはパリ中心部や各地郊外のロータリーにつどい、さまざまな政治的要求もまじえて数万人規模のデモが続いている。この運動は政党や労働組合と一線を画し、知識人やマスメディアと距離を置き、代議制民主主義の欺まんを批判し直接的な民主主義を模索している。

 この大規模で力強い運動については当初、フランス国内ですら「想像もつかない運動」とみなされ、極右や極左との関係が取りざたされるなど、知識人の間でも評価が定まらないできた。日本では「暴動」「暴力」が強調されてきた。今年に入って、この運動がこれまで新自由主義下で支配層はもとより「左派」といわれる勢力から見向きもされずに来た下層の人人が、「エリート支配」に立ち向かう「新たなタイプの階級闘争」であるとの見方が飛びかうようになった。

 本書は、日本におけるフランス文学・思想の研究者、経済学者、ジャーナリストら十余人の専門家へのインタビューや論考による、最新の情報をもとにした黄色いベスト運動に対する評価・見解を集めたものである。

 フランス文学者の堀茂樹氏(慶應義塾大学教授)は、フランスでも想定外の黄色いベスト運動に驚きが走り、ジャーナリストや地理学者、人類学者までがくわしく調べるなかで、立ち上がっている人人が「声なき大衆」であり、「田舎の普通のさまざまな職業の中高年が立ち上がった穏健な運動」であることが明らかになったとして、次のようにのべている。

 フランスでの通説によればベスト運動の担い手は、社会階層的に見ると「中間層の下の方」で、「いつも月末を乗り切るのが大変で、クリスマスに孫のプレゼントを買えないのが悲しいと話す、そういう人びと」である。地理的にいえば、おもには大都市やその近郊でもない、「人口1万以下の地方都市やその周囲の田園都市--田舎と言っていい地域の住民」「自家用車がなければ仕事にも買い物にも行けず生活できない地域の人たち」である。産業空洞化で廃れた工業地帯のようなところで苦しんでいる「おじさん・おばさんたちによるエスタブリッシュメントへの反撃」だとみている。

 黄色いベスト運動では、地方の田舎町から中央につながる幹線道路にあるロータリー(「ロン・ポワン」)が、「公共空間としての広場」の役割を果たしている。この広場における交流で、お互いにバラバラにされ境遇が似た人人が、親密になり仲間を見つけることができた。論議を通して社会性、政治性を高めあっている。

 堀氏は、黄色いベスト運動におけるそうした社会的な絆を形成する側面に着目している。歴史的にフランスの庶民をつないでいた社会のネットワークはカトリック教会と共産党だった。この二つが80年代を通じて衰弱してしまった。戦後フランスでは共産党は比率でいえば第一党になるほど強かった。対独レジスタンスでいちばんたくさん死者を出したこともあり、社会的行事も大大的で、それが庶民のネットワークになっていた。しかし新自由主義のもと、こうした庶民層の「誇りの源泉」としてのネットワークが失われてきた。

 堀氏はさらに、黄色いベストに対してルペン、メランションなどの政党が支持を表明しているが、「特定の政党とくっつくようなことになっていない」「右翼左翼はあまり関係ない」ことを強調している。そこでは、従来強かったはずの社会党系がほとんどマクロンに飲み込まれ、一種の「文化左翼」になってしまい、かつての「階級的な、下層の味方」だという側面をなくしていることがある。「高学歴の文化左翼が同性愛問題だとか女性差別のようなアイデンティティ問題に流れてしまった」からだという。

 またこのような運動に対して、マクロン政府による弾圧が尋常ではなく、フランスの歴史上でもまれなことを強調している。すでに2000人以上が逮捕され、ゴム弾で撃たれて失明した人が20人近く出ている(執筆当時)。さらに、フランスの主要マスコミは『ル・モンド』や『リベラシオン』のようなものを含めて全部大企業に握られており、真実を伝えていないことに注意を喚起している。
 
 「選挙のときだけいい顔されて、あとで裏切られる。もううんざりだ、という思いが中下層の民衆には強い」「なぜエリートが言っていることだけがいつも正しいといえるのか」「自分たちの主権を返せと怒る人が増えてきている」

■エリート化した左翼乗越え 主権取戻す闘い

 そこから、黄色いベストは究極の要求として、「市民発議の国民投票制度」(「RIC」)をあげている。イギリスの国民投票は諮問型で議会か国民投票で決めることになっているが、現在は五〇万筆、百万筆の署名を集めても市民だけの要求では国民投票はできない。RICができれば、フランスではいろんなことを主権者である国民自身がコントロールできるという考えからである。

 堀氏は、世界で十指に入るほどの金持ちが「階級闘争は現実だ。そして君たちは負けたのだ。私たち富裕層が勝ったのだ」という意味のことをいったことをあげ、次のようにのべている。

 「新自由主義経済は富裕層による階級闘争で、彼等はずっと勝利してきた。黄色いベスト運動はそれに対してやっと出てきた反発でしょう。これはマイノリティの運動とかアイデンティティの政治というものとは違うタイプの、社会経済的な階級闘争なのではないでしょうか。だから既成の左翼、労働組合が以外に冷たい。エリートになってしまった左翼は、素朴な庶民の気持ちと一体化できないのでしょう」

 そして最後に、「18世紀のフランス革命はブルジョワジーを押し上げた革命」であったが、黄色いベストは「個人主義一辺倒の新自由主義」によって社会を奪われた声なき大衆が「自己決定権を求め、主権者としての誇りを取り戻そうとしている闘いだ」と結んでいる。

 本書には、フランスの国際評論紙『ル・モンド・ディプロマティーク』紙からの翻訳記事や、フランスの推理小説作家・批評家であるセルジュ・カドリュッパニとフランス文学者・鵜飼哲(一橋大学言語社会研究科特任教授)の「緊急対論」も収めている。

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(株式会社Pヴァイン発行、A5判・160ページ、1660円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/11768
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/451.html

[国際26] グローバル資本主義の歪み、格差が広がる日本もまた無縁ではない: ele-king臨時増刊号 黄色いベスト運動──エリート支配に立ち向かう普通の人びと ele-king編集部(編) (ele-king.net)
http://www.ele-king.net/upimgs/img/3680.jpg
2019/3/22 
本体 1,660円+税 
ISBN:978-4-909483-25-6

地方に暮らす “お じ さ ん ・ お ば さ ん” が起こした 奇 跡 の ム ー ヴ メ ン ト
エ ス タ ブ リ ッ シ ュ メ ン ト へ の 反 撃

いま何が問題なのかを私たちにも教えてくれる
今世紀もっとも重要な社会運動の真相に迫る!

インタヴュー:堀茂樹、松尾匡、國分功一郎

21 世 紀 の 階 級 闘 争 が は じ ま っ た──

トランプ政権やブレグジットに体現されるグローバル資本主義の歪み、
格差が広がる日本もまた無縁ではない、その現実を解きあかす


目次

INTERVIEW
・堀茂樹
 〈黄色いベスト〉を着てロン・ポワンで会おう!
 ──新自由主義経済下で置き去りにされた「声なき大衆」が求めたもの
・松尾匡
 もう「ポピュリズム」は罵倒ではない! エスタブリッシュメントに奪われた主権を取り戻せ
 ──反緊縮ムーヴメントとしての〈黄色いベスト〉
・國分功一郎
 皆で皆を統治するという民主主義の基本を何としてでも死守しなければならない
 ──〈黄色いベスト〉が日本の私たちに教えてくれること

黄色いベスト運動の軌跡(2018年5月~2019年2月)

CRITIQUE
・デモの暴力性、その後のマクロン大統領の対応 (山田蓉子)
・「周縁」からの声──フランス左派の消滅から〈黄色いベスト〉へ (須納瀬淳)
・黄色いベスト運動の行方──フランス社会の〈革命的〉地殻変動 (コリン・コバヤシ)

LE MONDE diplomatique
『ル・モンド・ディプロマティーク』より
【解題】
・怒れ!  憤れ!  暴れろ!──蜂起の時がやってきた! (土田修)
【黄色いベスト特集】
・なぜ今なのか? (ロラン・ボネリ/土田修訳)
・フランスの蜂起──すべてが浮上する時 (セルジュ・アリミ/土田修訳)
・今ではこんなに仲間がいる──ロン・ポワンを封鎖する人たち(ピエール・スション/川端聡子訳)
・女性労働者たちが秘めてきた力──「第二人民戦線」への夢(ピエール・ランベール/村上好古訳)
【アルカイーヴ記事】
・庶民階層と税の不公平──税に対する怒りの根源(アレクシス・スピール/生野雄一訳)
・労働法を根本から問い直す──その名にふさわしい真の「改革」のために(アラン・シュピオ/村松恭平訳)
・庶民階層の変容──統計から見える欧州とフランス(セドリック・ユグレー/エティエンヌ・ペニッサ/アレクシス・スピール/福田正知訳)
・ニュイ・ドゥブ──フランスの新しい民主主義の実践 (レア・デュクレ/村松恭平訳)

COLUMN
・為政者に丁寧すぎるこの社会で (武田砂鉄)
・「暴力的な田舎者」は実在するか? (陣野俊史)
・EU離脱直前の英主要メディアはGJをいかに報じたのか (坂本麻里子)
・「暴動」と新自由主義的グローバリズムの終焉──排他主義的極右勢力の台頭か、新しいコミュニズムか (毛利嘉孝)
・蜂起する田舎/緊急討論・フランス「黄色いベスト」運動はどこに向かうのか?(平井玄/鵜飼哲×セルジュ・カドリュッパニ)
・黄色いベストはやさしい──問われているのは資本主義ではなく国家的なものである(栗原康×白石嘉治)

ブックガイド


(ご注文は最寄の書店でもお取り寄せが可能です。また、バックナンバー、お取り扱い店、募集中です!)

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[政治・選挙・NHK261] 世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本市場で溢れかえる ―遺伝子組換え作物輸入とセットで広がる― (長周新聞)
長周新聞 2019年5月23日

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モンサント社に抗議するスイスのデモ(18日、バーゼル)

 毎年5月には「反モンサント・デー」(現在は「反バイエル・モンサントデー」)と称して、世界中の農民や労働者など広範な人人が一斉に抗議行動をおこなっている。今年も18日にフランスやスイス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど数百の都市で一斉にデモ行進をおこなった。行動の主眼はモンサントが開発したラウンドアップを含む除草剤への抗議だ。ラウンドアップの発がん性や遺伝子への影響が問題になり、2013年に始まった「反モンサント・デー」は今年で7回目を迎える。抗議行動の高まりのなかで世界各国ではラウンドアップの使用禁止や販売中止、輸入禁止が主な流れになっている。ところがそれに逆行して日本では内閣府食品安全委員会が「ラウンドアップは安全」と承認し、農協が使用を推奨し、ホームセンターなどでも販売合戦に拍車がかかっている。世界中で規制が強化され販売先を失ったラウンドアップが日本市場になだれ込んでいるといえる。ラウンドアップとはどういう除草剤で、なぜ世界各国で使用禁止になっているのかを見てみたい。

 フランスでは18日、「反バイエル・モンサント」デモに世界中から数千人が参加した。この行動に参加したのち、「黄色いベスト」運動のデモにも合流している。フランスは世界第3位の農薬消費国で、ラウンドアップに対して関心が高い。世界中で200万人以上が参加した第1回目の2013年の行動以来、2015年のデモには世界40カ国以上、約400都市で行動がおこなわれるなど、年年規模が大きくなっている。

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フランスのロリアンでの抗議デモ(18日)

 今年1月、フランス当局は安全性に問題があるとして、ラウンドアップ除草剤とその関連商品の販売を禁止した。ラウンドアップはベトナム戦争で使われた「枯葉剤」をつくったモンサントが1974年に発売した除草剤で、グリホサートを主成分としている。このグリホサートが猛毒を含んでおり、2015年に世界保健機関(WHO)の下部組織「国際がん研究機関」が「おそらく発がん性がある」と発表し、17年には米国政府の研究で急性骨髄性白血病との関連が発表された。発表したのは米国の国立がん研究所、国立環境健康科学研究所、環境保護庁、国立職業安全健康研究所の共同プロジェクト。急性骨髄性白血病は急速に発達するがんで、5年の生存確率は27%とした。

 同年にはカリフォルニア州がラウンドアップを発がん性物質のリストに載せた。今年2月にはワシントン大学の研究チームが「グリホサートにさらされると発がんリスクが41%増大する」との研究結果を発表した。

 グリホサートは発がん性はもちろん、植物を枯れ死させてしまうが、同様に土壌細菌や腸内細菌も損なう。腸内環境を破壊することでアレルギーなど自己免疫疾患などの原因になったり、神経毒として自閉症や認知症を誘発する可能性が指摘されている。また、生殖に与える影響も懸念されている。精子の数の激減、胎児の発育に影響を与える可能性だけでなく、世代をこえて影響する危険を指摘する研究結果も発表されている。ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤によってつくられたダイオキシンは三代にわたって影響を与えるといわれるが、グリホサートにも同様に世代をこえた影響が出る可能性も指摘されている。

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ホームセンターで販売されているラウンドアップ

 ラウンドアップの危険性が問題にされた歴史は古く、1996年にはモンサントが「食卓塩より安全」「飲んでも大丈夫」「動物にも鳥にも魚にも“事実上毒ではない”」と宣伝していたことに対し、ニューヨークの弁護士が訴訟を起こした。2001年にはフランスでも消費者の権利を守る運動をおこなっている活動家が訴訟を起こした。争点になったのはグリホサート使用による土壌の汚染問題で、EUは「環境に危険であり、水生動物にとって毒である」とした。2007年にモンサントは「嘘の広告」で有罪判決を受け、2009年に判決が認められた。

 2003年にはデンマークがラウンドアップの散布を禁止した。グリホサートが土壌を通り抜けて地下水を汚染していることが明らかになったことによるものだ。

 2008年の科学的研究では、ラウンドアップ製剤とその代謝産物が試験管の中でかなり低い濃度であっても、人間の胚、胎盤、へその緒の細胞に死をもたらすことが明らかになった。代謝産物とは、分解されて除草剤の役目をしなくなった状態のもので、分解されても動物には同じように死をもたらすことが明らかになった。

 2009年のネズミの実験では、思春期の時期にラウンドアップにさらされると生殖の発達に障害を起こす「内分泌腺撹乱」の可能性が発見された。「内分泌腺の撹乱」とは、脳内ホルモンのバランスを崩すことで、体が思うように動かなくなったり、気分を自分でコントロールすることが難しくなることをいう。

 カナダでは2012年末までに全州で芝生や庭での使用を禁止した。

 アメリカでは、長年にわたるラウンドアップの使用によるがん発生が広く問題になり、昨年8月、今年3月と5月の3回にわたってラウンドアップを使用してがんになったとしてモンサント社を訴えていた原告が勝訴した。同様の訴訟は1万3000件以上も起こされている。

 直近の5月13日には、カリフォルニア州の夫婦が「ラウンドアップが原因でがんを発症した」として賠償を求めた訴訟で、州裁判所の陪審はモンサントに対し約20億㌦(約2200億円)の支払いを命じた。原告1人につき10億㌦という懲罰的賠償額は、2017年にモンサントが農薬部門で得た利益8億9200万㌦にもとづくとしている。この評決を歓迎してアメリカの市民団体は、「何十年もの間、モンサントはグリホサートが無害であると農民、農場従事者、農薬散布者、住宅所有者に思わせていた。世論は明らかに変化している。発がん性のある農薬を市場から閉め出し、生態系を守る農業に移行しつつある農家を支援するときが来た」との声明を発表した。

 なお昨年8月の裁判では2億㌦(後に約8000万㌦に減額)、今年3月にも8000万㌦の賠償をバイエル・モンサント側に命ずる判決が下されている。

 こうしたなかで、アメリカではすべての州でラウンドアップの全面禁止を求める運動が開始されている。ニューヨーク州ではラウンドアップを「安全な農薬」と宣伝することが禁止されている。
 
■次々モンサントを告訴 判決は賠償命じる

 フランスでも今年4月、控訴裁判所がモンサントのラウンドアップの一世代前の農薬ラッソーによって農民に神経損傷の被害を与えたとして、モンサントに有罪判決を下した。

 ちなみにラッソーは1980年代にアメリカでもっとも多く売られていた農薬だったが、危険性が問題になり米国環境保護局が発がん性の可能性を認め、フランスを含むEUでは2007年に禁止した。だがアメリカと日本では使われ続けている。日本では日産化学が「日産ラッソー乳剤」として現在も販売している。

 フランスはラウンドアップに対しても、今年1月に個人向けの販売を禁止した。政府は今後3年をめどに農家向けにも禁止すると公表している。フランスではまた、1700人の医師がつくる連合体がラウンドアップの市場からの一掃を求めて運動を展開している。

 さらに養蜂農家の協同組合がラウンドアップに汚染されたとしてバイエル・モンサントを訴えている。ラウンドアップを多く使用してきたぶどう園などでは、農薬への依存を減らす動きが活発化しており、条件のいい所では100%使用を減らし、条件の厳しい所でも70%農薬の使用を減らす計画であり、ラウンドアップの命運はほぼつきている状況だ。

 2014年にはスウェーデンやノルウェーがラウンドアップの使用を禁止した。オランダ議会は2015年末でグリホサートの使用禁止を決めた。ブラジルでも2015年連邦検察官が司法省にグリホサートを暫定的に使用禁止にするよう求めた。ドイツ、イタリア、オーストリアなど33カ国は2~3年後には禁止すると表明している。

 スリランカ政府は2014年、ラウンドアップの販売を禁止し、翌2015年にグリホサートの輸入を禁止した。これはカドミウムとヒ素を含む土壌でラウンドアップを使用した場合、飲料水やコメを通して重い慢性腎不全の原因となるとの研究報告を受けてのことだ。

 ロシアも2014年4月、ラウンドアップ耐性遺伝子組み換え食品の輸入を禁止した。アラブ6カ国も使用禁止に踏み切っており、ベトナムなどアジア5カ国やマラウィはグリホサートの輸入禁止を決定している。エルサルバドルやチリ、南アフリカ共和国などもラウンドアップの販売を禁止するか禁止に向けて動いている。

 流通業界では、昨年8月のアメリカでの判決を受けて、イギリスの流通大手がラウンドアップの販売禁止の検討を始めた。アメリカに本社を置くスーパー・コストコも今年4月、ラウンドアップの仕入れと販売をすべて中止することを発表した。コストコは世界に約768の大型店舗があり、日本にも26店舗ある。

■別名で店頭に並ぶ日本 政府が「安全」とお墨付き

 このようにラウンドアップの危険性への認識は世界的に拡散されており、店頭でラウンドアップが簡単に手に入るのは先進国では日本ぐらいになっている。

 世界中からはじき出され行き場を失ったラウンドアップが日本市場に一気になだれ込んできており、除草剤では売上トップの座を占めている。日本では日産化学工業が2002年5月にモンサントの日本での農薬除草剤事業を買収し、ラウンドアップの日本での販売権を引き継ぎ、「優れた効力と環境に優しい除草剤」などと宣伝してきた。

 日本政府はすでに世界的に危険性が明確になっていた2016年に「グリホサートの安全性を確認した」との評価書を公表した。この評価書を前提に2017年12月には、グリホサートの残留農薬基準を大幅に緩和した。小麦で6倍、ソバで150倍、ゴマで200倍、ベニバナの種子で400倍というけた違いの大幅緩和だ。しかもこのことをマスコミは一切報道しなかった。これによってグリホサートの残留基準は中国の基準の150倍になった。中国からの輸入野菜が農薬まみれで危険だと問題にしていたが、その中国産野菜の方がまだましという殺人的な状況になっている。

 また、ラウンドアップの主成分であるグリホサート剤はすでに成分特許が切れており、さまざまな名前で同剤が販売されている。そのなかには住友化学園芸の「草退治」などがある。

 ラウンドアップは日本の店頭では「もっとも安全な除草剤」とか「驚異の除草力」とかいった宣伝文句で販売されている。農協の販売ルートにも乗っており、ホームセンターやドラッグストア、100均などでも大大的に扱っている。またテレビCMや新聞広告もされ、危険性についての説明は一切なく、警戒心なしに購入し使用しているのが現状だ。

 モンサント社が遺伝子組み換え作物を開発したのは、ラウンドアップに耐性のある農作物をつくり、セットで販売するためだった。ラウンドアップの販売促進は遺伝子組み換え作物導入とセットでもある。日本は世界で最大級の遺伝子組み換え作物輸入国で、日本の遺伝子組み換え食品表示は世界の制度のなかでも緩いため、日本の消費者は知らないうちに大量の遺伝子組み換え食品を食べさせられている。

 モンサントのホームページでは「日本は海外から大量のトウモロコシ、大豆など穀物を輸入しており、その数量は合計で年間約3100万㌧に及ぶ。その半分以上(1600万~1700万㌧=日本のコメの生産量の約2倍)は遺伝子組み換え作物」で「日本の食生活安定に大きく貢献している」とし、ラウンドアップとともに「是非、遺伝子組み換え作物の効果やメリットを目で見て、肌で感じて」ほしいと豪語している。

 こうしたモンサントの要求に応えて、日本政府はモンサントの遺伝子組み換え作物をアメリカ政府以上に承認していることも明らかになっている。TPP11の発効や今後の日米貿易協定などを通じて、今まで以上に遺伝子組み換え作物輸入の圧力がかかってくることは必至だ。

 モンサント社(昨年ドイツのバイエル社が買収)はアメリカのミズーリ州に本社を構える多国籍バイオ化学メーカー。除草剤ラウンドアップが主力商品で、遺伝子組み換え種子の世界シェアは90%であり、世界の食料市場をほぼ独占している巨大なグローバル企業だ。同社は、人間の健康および環境の両方に脅威を与えているという理由から健康情報サイトでは2011年の世界最悪の企業にも選ばれている。

 ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサントの救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサントという一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。
 
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/180.html

[政治・選挙・NHK261] 若者を借金奴隷にする奨学金 大卒から20年返済の道のり… ― まるでサラ金 前途を摘んでいるのは誰か? ― (長周新聞)
 
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日本学生支援機構(本部:横浜市、市谷事務所:東京都新宿区、青海事務所:東京都江東区、駒場事務所:東京都目黒区、文部科学省内:東京都千代田区、日本語教育センター:東京都新宿区、大阪日本語教育センター:大阪市、北海道支部:札幌市、東北支部:仙台市、関東甲信越支部:東京都目黒区、東海北陸支部:名古屋市、近畿支部:大阪市、中国四国支部:広島市、九州支部:福岡市)


本記事の骨子(文責投稿者)
 
(1) 政府は2004年の国立大学の独立行政法人化以降、国の運営費交付金を毎年削減して競争的資金を拡大し、大企業、さらには防衛省や米軍などから資金を得て研究を進める産学協同、軍学共同へと誘導しようとしてきた。

(2) その結果、国の予算に占める教育分野の割合は先進国中最低レベルにまで落ち込み、その一方で授業料は異常な値上がりを続け学費高騰を引き起こした。

(3) しかも、これと軌を一にして労働の規制緩和に伴い終身雇用・年功序列賃金制度が解体され、親たちの収入が減少していく中で、親たちの仕送り額も年年減少していった。

(4) 物価上昇をはるかにしのぐ学費の高騰と家庭の貧困化は、学生たちに奨学金への依存を高めさせた。

(5) その最大の借入先が独立行政法人日本学生支援機構(JASSO、旧日本育英会)である。2017年度には学生348万人のうち129万人(37・2%)がJASSOの奨学金を利用しており、その割合は学生の2.7人に1人にのぼる(10年前の2007年度でさえ3.4人に1人と高かったが、その割合はさらに上昇)。

(6) 問題は、世界的には返さなくてよい給付型奨学金が一般的であるのに対して、日本の奨学金のほとんどは返済が義務づけられた貸与型奨学金だということ。しかも貸与型のなかでも有利子である第二種奨学金の割合が、人数・金額ともに約6割を占めており、事実上の教育ローンとなっている。
 
(7) JASSOは、奨学金の返済が滞ると滞納1~3カ月で本人や保証人に督促を開始し、滞納が3カ月を過ぎた時点で奨学生の個人情報を個人信用情報機関(ブラックリスト)に登録する。延滞が解消しても5年間はローンやクレジットカードの審査が通りにくくなる。
 滞納4カ月目に入るとサービサー(債権回収専門会社)による取り立てが始まり、9カ月をこえると一括で元本が請求され、裁判を起こされる。奨学生が2週間以内に意義を申し立てて裁判を起こさないかぎり、サービサーは給料差し押さえなどの法的措置をとる。

(8) 2015年にJASSOがとった法的措置は8713件にも達し、2011~2016年の5年間で奨学金にかかわる自己破産者は1万1223人にのぼった。本人6300人、連帯保証人と保証人が5700人である。
 
(9) 奨学金の返済が滞ると、利子率をはるかに上回る年率5%の延滞金が加算され、年とともに増えていく。しかも返済を開始したとしても延滞金、利子の順に充当されていくため、元本が減らない「借金地獄」に追いやられるのだ。
 
(10) JASSOの2017年度決算を見ると、奨学生からの取り立てによって手にした利益は、利息収入349億5000万円、延滞金収入40億5300万円にのぼっている。

(11) これらでばく大なもうけをあげているのは民間の銀行や投資家だ。たとえば三井住友銀行は1861億円を年利0・465%でJASSOに貸しており、これだけで約87億円の利息収入を得ている。

(12) こうして多額の借金を抱えて社会に出る若者たちは、20~40代の期間にこれらの返済をしなければならず、それが結婚や出産を躊躇する大きな要因になっている。奨学金の存在が少子化を加速させていることは明白だ。

(13) 国際的に見ても、北欧やヨーロッパの先進国ではそもそも学費が無料で、そのうえに生活費として給付型奨学金が支給されている国が多い。欧州では教育によって利益を得るのは学生本人だけでなく社会全体だという考え方から、「社会が税金で負担するのが当たり前」ということが社会的な合意となっている。
 
(14) 北欧諸国やドイツなどは低授業料・高補助。アメリカ・イギリス・オーストラリア・カナダ・オランダ・ニュージーランドなどは高授業料・高補助。オーストリアやフランス、イタリア、スペイン、チェコ、ポーランド、ポルトガルなどは低授業料・低補助に分類される。
 
(15) 日本以外の主要国で高授業料・低補助の国は韓国ぐらいしかない。(日本と比べて経済的に困難な状態にあるチリでさえ、学生たちの運動の高まりを受けて、2015年12月に高等教育無償化に向けた法案が可決され、家庭の所得水準が下位50%までの学生の学費が無料となった。チリ政府は今後も無償化の対象を広げようとしている。)

 
(以下、記事全文)

若者を借金奴隷にする奨学金 大卒から20年返済の道のり… 
― まるでサラ金 前途を摘んでいるのは誰か? ―
長周新聞 2019年5月25日
 
 日本は先進国のなかでも教育にあてている国の予算の割合は最低レベルで、とりわけ高等教育(大学・大学院等の教育)の負担は家庭に重くのしかかっている。そのもとで学生たちは「奨学金」という名の多額の借金を背負って社会に出て行かざるを得ない状況が蔓延している。日本学生支援機構による苛烈な取り立てによって家族もろとも破産に追い込まれたりといった事態も頻発してきた。参議院選を前に安倍政府は「大学無償化法」を成立させたが、対象者は住民税非課税世帯に限定されているうえ、国が指定した教育機関に通うことが条件というもので、無償化とはほど遠い内容だ。日本の将来を担う若者を借金漬けにして食い潰す構造が学生たちの人生のみならず、日本社会をもむしばんでいる。
 
 日本では高等教育機関で学ぶ学生のうち約半数が何らかの奨学金を借りて学生生活を送っている。そのうち独立行政法人日本学生支援機構(JASSO、旧日本育英会)の奨学金を受けている学生が大多数だ。日本学生支援機構によると2017年度には学生348万人のうち129万人(37・2%)が同機構の奨学金を利用しており、その割合は学生の2・7人に1人にのぼる。10年前の2007年度が3・4人に1人だったのと比較しても、その割合は上昇し続けている。
 
 奨学金を借りなければならない学生が増加しているもっとも大きな原因は、大学の授業料が異常なほどに値上がりしていることにある。「安い」というイメージのある国立大学の授業料は、1971年までは年間1万2000円、月にするとわずか1000円というものだった。それが1980年代に入ると新自由主義にもとづく大学改革が実行され、「受益者負担」を掲げて国立大学の入学金と授業料が交互に値上げされるようになった。
 
 こうして現在では53万5800円と、当時の約45倍にまで高騰している。入学金を含む初年度納付金は1969年の1万6000円から81万7800円と約50倍である。1960年代~70年代のように国立大学の学費が私立大学と比べて格安だった時期は、国立大学に合格すれば下宿をしてもかなり安く大学に通うことができた。しかし、今では仕送りとアルバイトだけでまかなえる水準ではなくなっている。さらに日本の場合、国立大学は全国に86校しかなく、学部学生のおよそ7割が、学費が国立大学の1・6倍の私立大学に通っている。私立大学の授業料は平均で86万4384円、私立大医学部になると初年度納付金(平均)は約756万円で、6年間の授業料総額(平均)は3321万円にもなる。
 
■学費は高騰 仕送りは減 経済的理由の中退も
 
 政府は2004年の国立大学の独立行政法人化以降、国の運営費交付金を毎年削減して競争的資金を拡大し、大企業、さらには防衛省や米軍などから資金を得て研究を進める産学協同、軍学共同へと誘導しようとしてきた。財務省は2015年に運営費交付金の削減とそれに対応した授業料値上げを求める方針をうち出したが、それが実行されれば2031年には授業料が約93万円になるという試算もある。
 
 70年代以降、国立・私立ともに学費は上昇し続けたが、バブル崩壊以前はそれらの費用がまかなえるだけの経済状況にある層が一定数存在し、また年功序列賃金のもとで、子どもが成長するに従って親の収入が増加していたため、奨学金を借りる学生は少数派だった。さらに大学を卒業すれば正規雇用の職に就けていたため、かりに奨学金を借りて大学に通ったとしても返済は比較的可能だったことから、学費の値上げが現在ほど問題になることはなかった。
 
 しかし、バブルが崩壊するとその状況は大きく変化していった。大卒者の就職は困難となる一方で大学進学率は上昇を続けた。その背景には高卒者の就職が大卒者にも増して厳しくなっていたことがあるといわれている。高卒求人はピークの1992年に167万6001人あったものから急速に減少し、1995年には約半分の64万人台に、2011年には19万4635人へと、わずか19年で約9割減となった。少子化のなかで求人倍率の上昇が喧伝されている今年3月末を見ても求人数は42万人台であり、ピーク時の2割超に過ぎない。高卒者の就職が厳しいことから、大学は「高等教育を受ける」というより、進路や就職先を確保するツールという色合いを強め、無理をしてでも大学に通わせる親たちも多くなっていった。
 
 高等教育に対する公的支出が極端に少ない日本では、その費用は家計負担でまかなわれている。しかし、この期間に労働の規制緩和によって終身雇用・年功序列賃金制度が解体され、親たちの収入は減少していった。非正規雇用が働く人の4割を占めるまでになるなかで、「子どもが大学に通うころには賃金が上がる」保証のある家庭はむしろ少なくなり、親たちの仕送りは年年減っている(グラフ参照)。

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 全国大学生活協同組合連合会の学生生活実態調査によると、下宿生のうち月の仕送り額が10万円以上の学生は1995年には62・4%いたが、2018年度には33・5%へと半分にまで減少した。一方で、仕送り0円の学生は95年の2・0%から18年は7%へ、5万円以下(0円を含む)も7・3%から23%へと増加している。18年度の支出を見ると、食費が2万6230円、住居費が5万2560円となっており、たとえ10万円の仕送りを得てもその大半が消えてしまう関係だ。
 
 東京私大教連が私立大学の新入生を対象におこなっている調査でも、昨年度の月平均仕送り額(初年度の出費の多い時期を過ぎた6月以降)は8万3100円と過去最低を更新している。1994年度の12万4900円と比較すると33・5%もの減少だ。一方で家賃の平均は前年度から1200円上がって6万2800円となり、仕送り額平均(6月以降)に占める家賃の割合は75・6%にのぼった。仕送り額から家賃を除いた生活費は2万300円で、1日当り677円と過去最低水準となっている。親たちの生活がいかに困難になっているかがここから浮き彫りになる。
 
 こうしたなかで学生たちは、家賃や食費、生活費、書籍や教科書代、通信費など、大学に通ううえで必要な経費を自分で稼ぎ出さなければならない。かつて学生のアルバイトは自身の趣味やサークルなど自由に使うお金を稼ぐためにおこなわれていたが、親からの仕送りを十分に得られない学生が増加するなかで、それは大学生活を継続するために必要な資金を稼ぐものへと変化している。アルバイトをやめたくてもやめられない、アルバイトのために学業がおろそかになるという事例が蔓延しているのも、こうした家計の事情からだ。経済的な理由で大学を中退する学生は年間2万人に迫る。下宿代が高いため片道3時間以上かけて自宅通学する学生が珍しくないといわれ、首都圏の主要大学は首都圏の高校出身者が6~7割を占めるまでになった。
 
■6割が有利子の奨学金 返済総額600万超も
 
 物価上昇をはるかにしのぐ学費の高騰と家庭の貧困化--。現在の大学生をとりまく環境は、一昔前のそれと大きく異なっている。
 
 こうしたなかで学生たちは大学を卒業するために奨学金に頼らざるを得ない。独立行政法人日本学生支援機構の奨学金を借りる学生は90年代の20%から急増しておよそ4割にまでなっている。1人の学生が借りる額で見ると、4年間の平均貸与額は学部生で無利子の第一種奨学金は237万円、有利子の第二種奨学金は343万円にのぼっている(グラフ参照)。

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 問題は、世界的には返さなくてよい給付型奨学金が一般的であるのに対して、日本の奨学金のほとんどは返済が義務づけられた貸与型奨学金だということだ。しかも貸与型のなかでも有利子である第二種奨学金の割合が、人数・金額ともに約6割を占めており、事実上の教育ローンとなっている。近年、奨学金問題がクローズアップされ、第一種の割合が増加傾向にあるが、半数以上の若者は借り入れた額に上乗せして金融機関のもうけになる利子分まで返還しなければならない。
 
 奨学金返済について具体例で見てみると、国立大学で自宅通学の学生が無利子の第一種奨学金を受けた場合、毎月4万5000円借りることができ、4年間の貸与総額は216万円になる。それを毎月1万2857円ずつ168カ月(14年)かけて返還することになる。有利子の第二種奨学金の場合、国立・私立関係なく毎月12万円借りたとすると4年間の貸与総額は576万円となり、利子を年利0・63%の固定金利(2016年3月貸与終了者の場合)としても毎月2万5624円ずつ240カ月(20年)かけて返済しなければならない。返済総額は614万9683円にふくれあがる。
 
 通常、借金なりローンを組む場合、年収や返済計画など厳格に資格審査がおこなわれるが、将来の職業も決まっておらず、安定した収入を得られるかも分からない若者たちに巨額の借金をかぶせ、しかも金融機関の利子分までを背負わせる異様な仕組みだ。また、小・中・高校の教員になれば奨学金の返済が免除される制度も、1998年3月に廃止された。
 
■給料差し押え等9000件 自己破産者も急増
 
 さらに社会問題となってきたのはJASSOの教育的配慮があるとは思えない「サラ金以上」ともいわれる取り立てである。非正規雇用化と、若者を使い捨てにする労働環境が広がるなかで、大学を卒業しても奨学金を返済しうるだけの収入を得られなかったり、正規雇用として就職しても過重労働などで体調を崩し、離職せざるを得ないといった事情でも、返済が滞ると容赦ない取り立てが待っている。特別の事情があって収入がゼロでも、返済猶予は10年間しか認められず、10年をこえれば収入がゼロのままであっても返済しなければならない。
 
 JASSOは、奨学金の返済が滞ると滞納1~3カ月で本人や保証人に督促を開始し、滞納が3カ月を過ぎた時点で奨学生の個人情報を個人信用情報機関(ブラックリスト)に登録する。延滞が解消しても5年間はローンやクレジットカードの審査が通りにくくなる。滞納4カ月目に入るとサービサー(債権回収専門会社)による取り立てが始まり、9カ月をこえると一括で元本が請求され、裁判を起こされる。奨学生が2週間以内に意義を申し立てて裁判を起こさないかぎり、サービサーは給料差し押さえなどの法的措置をとる。2015年にJASSOがとった法的措置は8713件にも達し、2011~2016年の5年間で奨学金にかかわる自己破産者は1万1223人にのぼった。本人6300人、連帯保証人と保証人が5700人である。
 
 さらに延滞金の問題がある。奨学金の返済が滞ると、利子率をはるかに上回る年率5%の延滞金が加算され、年とともに増えていく。しかも返済を開始したとしても延滞金、利子の順に充当されていくため、元本が減らない「借金地獄」に追いやられるのだ。
 
 JASSOは「我が国の大学等において学ぶ学生等に対する適切な修学の環境を整備し、もって次世代の社会を担う豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成に資する」ことを目的に掲げている。しかし次世代の育成どころか奨学金事業が銀行や投資家の「優良投資先」となる金融事業に変質しており、さらに利益率を高めようとするJASSOによって強硬な回収策がとられていることを、奨学金問題にとりくむ研究者らは指摘している。
 
 JASSOの2017年度決算を見ると、奨学生からの取り立てによって手にした利益は、利息収入349億5000万円、延滞金収入40億5300万円にのぼっている。JASSOは投資家向けに第一種97・8%、第二種96・6%(当年度分)という高い回収率をアピールし、さらなる回収率向上に向けて、債権回収会社への回収の委託、個人信用情報機関の活用、法的措置の強化を掲げている。
 
 これらでばく大なもうけをあげているのは民間の銀行や投資家だ。たとえば三井住友銀行は1861億円を年利0・465%でJASSOに貸しており、これだけで約87億円の利息収入を得ている。奨学金返済の問題が社会問題化する前まで、利子付きの第二種奨学金ばかりが拡大し、本来無利子で借りられるはずの成績優秀者まで利子付き奨学金しか受けられなかったケースも相当数にのぼる。それを含め、若者が無理を重ねて返済しているものが利益となって金融機関に還流する仕組みとなっている。
 
 こうした金融機関のために多額の借金を抱えて社会に出る若者たちは、20~40代の期間にこれらの返済をしなければならず、それが結婚や出産を躊躇する大きな要因になっている。奨学金の存在が少子化を加速させていることは明白だ。
 
■世界に逆行する日本の奨学金制度
 
 国際的に見ても日本の教育に対する公的支出は最低水準だ。北欧やヨーロッパの先進国ではそもそも学費が無料で、そのうえに生活費として給付型奨学金が支給されている国が多い。欧州では教育によって利益を得るのは学生本人だけでなく社会全体だという考え方から、「社会が税金で負担するのが当たり前」ということが社会的な合意となっている。
 
 北欧諸国やドイツなどは低授業料・高補助で、アメリカ・イギリス・オーストラリア・カナダ・オランダ・ニュージーランドなどは高授業料・高補助、低授業料・低補助の国がオーストリアやフランス、イタリア、スペイン、チェコ、ポーランド、ポルトガルなどだ。そして高授業料・低補助の国は日本、韓国、チリのみとなっている。しかし日本と比べて経済的に困難な状態にあるチリでも学生たちの運動が高まり、2015年12月に高等教育無償化に向けた法案が可決され、家庭の所得水準が下位50%までの学生の学費が無料となっており、チリ政府は今後も無償化の対象を広げようとしている。
 
 一方アメリカではハーバード大学など有名私立大学の学費はこの20年ほどで3倍近くまではね上がっており、年間の学費が4万㌦(約500万円)以上、生活費込で6万㌦(約750万円)を下らない。比較的学費が安いとされている公立の州立大学でも学費は生活費込みで約5万5000㌦だ。
 
 約46万人の学生を擁し、全米最大のカリフォルニア州立大学が委託した調査によると、同大学では10人に1人にあたる約5万人の学生が特定の住所を持たないホームレス状態にあり、さらに4~5人に1人にあたる10万人が食べ物の確保ができていない。路上や施設で暮らしたり、定住先を持たないため友人や知人などの家を渡り歩いたり、「カウチ・サーフィン(インターネット上で提供される無料民泊)」で日日をしのいでいるという。
 
 アメリカでは高校を卒業していない人の年収は大卒の半分以下で、失業率は3倍近くにのぼる格差がある。そのため将来、高収入の職に就くことを前提として高利子の学生ローンを組んで進学することが一般的となっている。しかし近年可処分所得を上回るペースで大学費用が高騰する一方で、不景気によって大学を卒業してもウエイターや小売販売など一般的に低所得の職に就く人が増えている。そのため大学を卒業しても学生ローンの返済が困難になるケースが増加しているのだ。
 
 最近、アメリカの富豪が卒業生約400人分の学生ローンを肩代わりすると表明し話題となったが、その金額は4000万㌦(約44億円)にのぼる。つまり、大学卒業時に1人当り約1100万円もの借金を抱えているということになる。
 
 現在アメリカで学生ローンを借りている人は4400万人をこえ、負債額はトータルで1兆5000億㌦(約169兆6800億円)にのぼる。2016年を見ると、学生ローンの平均借入額は3万7172㌦(約420万円)だが、2017年には4万㌦(約452万円)近くになっている。アメリカの消費者が抱える借金の種目別ランキングでは、1位の住宅ローンに次いで学生ローンが2位にランクインしており、自動車ローンやクレジットカードローンを上回るまでになっている。学生ローンの借金は2007年以降3倍となっており、2013年と比べても5000億㌦(約56兆5600億円)も増加している。
 
 アメリカでは2010年にオバマ政府が、学生ローンの一部を民間が提供する制度を廃止し連邦政府が全額融資するようにした。しかしその結果、大学側が学費の値上げに踏み切るようになり、政府から学生への貸し付けは2010年以降、約2000億㌦から約9000億㌦以上に膨らんでいる。学生ローンの増加分のうち、70%は借入額が増えたことに起因するという。
 
 政府の救済プログラムである「所得連動型返済プラン」では月月の返済額が所得に応じて抑制され、返済期間も通常の10年から最大20~25年へと延長される。しかしその分金利負担が増し、負債総額は膨れあがる。ニューヨーク連銀によると、2014年末に返済が予定通りに進捗している借り入れは全体の37%しかなく、17%がデフォルトか返済が遅延(30日以上)している。残りの46%は金利しか払っていないのが現状となっている。
 
 学生ローン債務を抱える60歳以上の人口は、過去10年間で70万人から280万人へと4倍にも増加している。その債務額は10年前の80億㌦から670億㌦にもなり、債務者の多くは、公的年金から支払いをしている。
 
 「奨学金」と銘打った日本の教育ローンはアメリカの後追いをしているともいえる。日本の未来を発展させるうえでも、高い学費を大幅に値下げすること、学生の時期から金融機関の餌食にして食い潰すような奨学金制度を是正することが緊急の課題となっている。
 
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/11799
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