1. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2020年3月25日 09:54:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1566]
フルトヴェングラーとカラヤン
フルトヴェングラーは過大評価だよね?
1 :名無しの笛の踊り:2010/02/28(日) 17:59:08 ID:NBZERu3V
悪い指揮者ではないが、崇められすぎだ
カラヤンやショルティ、アバドラのほうがいい指揮者だろう
9 :名無しの笛の踊り:2010/03/03(水) 00:12:20 ID:vkIoeWU4
知らん奴はホントにほっとけばいいと思う。
そして或る日突然目覚めてそれまでの無知の日々を激しく後悔すると...
ざまあwである(笑)
11 :名無しの笛の踊り:2010/03/03(水) 00:23:27 ID:vtxcfQiE
昔は過大評価だったが今は正当評価だと思うぞ
「過大評価だよね?」などということすら憚られた時代があったから。
そして過大評価だと言えるようになって久しい今こんな旬過ぎたネタ持ってくるあたりがしょーもない。
ざっと言えばフルトヴェングラーは20世紀の形而上学の崩壊期における最後の徒花。
奇もてらうがあらゆる音に意味付けしたがる。そういうのが好きな人もいる。
意味付けから脱却して美しければいいとしたのがカラヤンで、美しさって甘ったるいことじゃないだろ、もっとはきはきしろよ、ってな感じのアバド。
美しさの基準は時代によって異なるからなんとも言えない。
31 :名無しの笛の踊り:2010/04/24(土) 22:39:49 ID:pWYw84Tg
フルトヴェングラーが解らない=音楽が解らない
だったよな、昔…
58 :名無しの笛の踊り:2010/05/20(木) 21:40:31 ID:jy5Ed3Vo
フルトヴェングラーのベートーヴェンこそ人類の至宝と崇めて未発表の録音を血眼で捜索していた時代が懐かしいです
78 :名無しの笛の踊り:2010/06/10(木) 00:40:06 ID:r7iCCYP7
フルヴェンは我儘な指揮者だった。
初めてVPOに客演したとき、「もっとはっきりと振ってもらわなければ分かりません」と言われて
怒って帰ってしまったというエピソードが残っている。
売り出し中のカラヤンという若手指揮者を潰しにかかったという点でフルヴェンは肝っ玉の小さな奴だった。 ナチに協力して指揮活動を停止された時期、BPOを救ったチェルビダッケにも嫉妬したものな。 そんなだからロクな死に方をしなかったんだ。
93 :寝言:2010/08/18(水) 04:56:45 ID:U9paKfnL
フルベンは、モーツァルトとかバッハの演奏がとてつもなく下手くそ
比較的ブラームスが上手い
あと合唱曲も苦手だったらしい。
ミサソレの依頼があったが「振れない」と正直に断ったそうだ。
謙虚だね。
95 :sage:2010/08/18(水) 22:26:43 ID:NFdD7+Wt
だからマタイの依頼も返事保留したのか。
96 :名無しの笛の踊り:2010/08/18(水) 22:32:20 ID:clgjjKYV
>>93
新潮文庫版「音と言葉」の訳者芳賀檀の訳者解説によると、
芳賀はフルトヴェングラー指揮の「ミサ・ソレムニス」を現地で実際に聴いて、
生涯忘れがたい感銘を受けた、と書いているが・・・
97 :名無しの笛の踊り:2010/08/18(水) 22:39:33 ID:2j9ZjaJ/
まあ偽物には間違いないがカラヤンよりは分を弁えてたようだな。
110 :名無しの笛の踊り:2010/09/23(木) 03:07:16 ID:DhL9JogD
29 July 1951 Bayreuth Fes. Orc. The last rehearsal & Live(EMI=Legge)
Beethoven:Sym.No.9
そろそろこの演奏の神格化は考えた方が良い。
第一楽章のテンポは断じてベートーベンが想定したものではないし、
第三楽章も遅すぎ。音については時代を考えれば十分であり、
些細な向上が毎回製作者の金づるになっているだけ。
上級者向けにはぜひ備えたい演奏だが、初心者に勧められる演奏ではない。
ベートーベンの第九を元にしたフルトヴェングラーによる自由なファンタジーであり、興行としてのお祭り、祭典として歴史の証言である。
こういう表現もありだし、これはこれで素晴らしい名演である。
第九をここまで想像力により、原曲を改編し、聴き栄えのある形に仕上げたフルトヴェングラーの力量は大したものである。
しかしベートーベンの設定はもっとテンポが速いのである。
勿論作曲者の意図だけが唯一ではないことも事実である。
フルトヴェングラーがベートーベンを上回る天才と信じる方には、このバイロイトが唯一最高の演奏となろう。その気持ちも解らぬではない。
ベートーベンの残された楽譜を忠実に再現するだけという制約を課していては、フルトヴェングラーの時代の指揮者では不可能だった早いテンポによるベートーベンの感動的な再現が その後記録された。
その指揮者は フルトヴェングラーがいずれは自分を抜いていく才能と看破し、抜かれる前に潰してやろうと嫉妬心を燃やし、徹底的に活動を妨害したヘルベルト・フォン・カラヤンである。
カラヤンの記録では1968年のDVDにより 最高の結実を見ることができる。
そしてカラヤンは見事にフルトヴェングラーを抜き去ったのはご存知の通りである
111 :名無しの笛の踊り:2010/09/23(木) 22:28:12 ID:14fKkTfj
カラヤンの才能に嫉妬し、カラヤン潰しに奔走したフルヴェンはじつに見苦しい音楽家だった
実力も人気もかなわないとこういう醜い行動に出るフルヴェンは最低な指揮者
こんなのを神格化した日本の評論家はクソ、その批評を鵜呑みにしてディスクを買いあさった側もアホ
280 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/23(木) 12:33:39 ID:ufzijpbj
なんでフルヴェンは第九のゴーダをいつもあのやたら早いテンポにしたのか?
初期はいいとしても晩年に至るまでずっとやってたね。
282 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/23(木) 14:27:03 ID:jBaClGoi
>>280
コーダで加速すると、一回聴くだけなら非常に興奮した演奏ができる。 しかし、レコードでその演奏を何回か聴いていくと興ざめするんだよな。
レコードが一定程度普及したときの演奏のあり方に、フルベンは最後まで答えをだせなかったな。当時としては偉大な指揮者だったとは思うが。
聴衆が「来るぞ、来るぞ」と期待してたから?
112 :名無しの笛の踊り:2010/09/24(金) 02:07:18 ID:JDM8LXv0
フルトヴェングラーも若い内から称賛されてた天才型指揮者だからカラヤンの台頭には穏やかではいられなかっんじゃないか。2人共初期のナチスの思想に共感してたし(まあ当時のドイツ人の大半はそうだけど) 演奏スタイルは違うけどどちらも典型的なドイツ系のナルシストだよね
才能も自信もあるけど意外とめめしい。
113 :中川隆:2010/09/24(金) 22:53:54 ID:HkFA5snx
カラヤンは誰が見ても三流なのに人気だけあるのが気に入らなかったんだろ。
カラヤンはアルメニア系ギリシャ人でゲルマン人の血は入っていない。
だからカラヤンがゲルマン音楽をやるとムード音楽になるのさ。
115 :名無しの笛の踊り:2010/09/24(金) 23:04:08 ID:0F0ijqR8
フルヴェンが当時だから通用した(ただし欧州だけで)指揮者、アメリカでは受け入れられなかった
今ではあのような演奏スタイルは支持されない、ようするに時代遅れ
常に先を見ていたカラヤンに嫉妬したのもそのためだ
116 :中川隆:2010/09/24(金) 23:49:33 ID:HkFA5snx
アメリカ人には音楽は理解できないだけさ。
アメリカに亡命したバルトーク、ブルーノワルター、アドルフ・ブッシュすべて駄目になった。
そもそもマーラーやメンゲルベルクよりトスカニーニを選んだアメリカ人って。
118 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 02:29:16 ID:Swf5Rqyj
http://www.muzieklijstjes.nl/100conductors.htm
カラヤンが1位だな。
フルベンも3位か、意外と高評価だな。
119 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 09:18:07 ID:w7HuGZqG
カラヤン、トスカニーニ、フルヴェンか
まあ順当だな、と思ったら2位(バルビローリ)が予想外でした
120 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 09:48:21 ID:7CoEbseq
>>117
アメリカ人は、過去の栄光にすがり、惰性で仕事する奴より、日夜努力する改革者が好きなのさ。
>>119
普通ならその3人だろう、順番は異論があってもかまわない
と思うがな。
121 :中川隆:2010/09/25(土) 10:30:52 ID:qoJ7IzLk
アメリカ人に音楽がわからない理由
この「聖」と「毒」が一緒に存在する世界・・・
このようなワーグナーの世界は、ある意味において、ヨーロッパの精神世界そのものと言えるでしょう。
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じラース・フォン・トリアー監督の「キングダム」という作品の冒頭のモノローグは
「この魑魅魍魎の渦巻く沼地の上に建てられた、近代科学の粋を集めた病院」
という言葉でしたが、この言葉はヨーロッパの精神の比喩そのものでしょ?
「神」による「聖」なるもの、それに対する「毒」、あるいは「近代科学」・・・
すべてあってこそヨーロッパと言えるのだとフォン・トリアー監督は考えているようですね。
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の冒頭の、全く光のない劇場に弦楽器とホルンによって立ち上ってくる音響は、ワーグナーの引用であり、この映画が「聖なるもの」と「毒々しいもの」を含んだ「ヨーロッパの精神」をテーマにした作品であることを聴き手?に印象つけるわけです。
しかし、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に舞台はアメリカですよね?
つまり、この作品の設定は、「アメリカの中のヨーロッパ人」そして「アメリカ文化?の中のヨーロッパ精神」になっているわけです。
ヨーロッパには「聖」と「毒」がある。 では、アメリカ精神には何があるの?
それは「正義」と「悪」ですね。
アメリカにはこの世を越えた「聖」はなくても、この世の規範である「正義」はあるでしょ?
自らを蝕む「毒」はない代わりに、他者を裁く「悪」がある。
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、そのようなヨーロッパの「聖」と「毒」が明確に描かれています。
「聖」なるものの代表例は言うまでもなく、教会です。 この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では不思議なくらいに教会が出てこない。 死刑のシーンにつきものの、聖職者(牧師とか神父)がいないでしょ?
映画における普通の死刑のシーンでは、刑の執行される前に聖職者と会話するシーンがつきものです。 一番感動するシーンですからね。では、どうしてないの?
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、このような「聖」を思い起こすような人物は注意深く避けられているわけです。 キリスト教関係でいうと、セルマが刑務所のダクトから聞こえる賛美歌と、囚人の部屋にある1枚のキリストの肖像くらいです。
ダクトから聞こえる賛美歌・・・この賛美歌は一体どこから聞こえるのでしょうか?
他の人には聞こえない賛美歌・・・セルマの心にしか聞こえない音楽・・・
これはヨーロッパから聞こえる・・・と言えるでしょう。 勿論、物理的には無理ですが、心では聴こえているわけ。
つまり賛美歌を喜んで聴くセルマにもかかわらず、死刑において神父の立会いもない・・・
これくらいアメリカには「聖」から距離がある・・・とフォン・トリアー監督は言っているわけです。
では、ヨーロッパの「毒」とは?
それはまさにこの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、遺伝性の病気として示されているわけです。
「遺伝することがわかっているのに、何故に子供を作ったのか?」という疑問は、
「毒に満ちて閉塞感の漂うヨーロッパ文化を伝承することに、価値や意味があるのか?」
という、監督のフォン・トリアーの自問でもあるわけです。
毒に満ちた文化を伝承することによって、その「毒」も伝承される。 その価値と覚悟・・・
ヨーロッパの持っている出口のない状況と、未来一杯のアメリカ。
シリアスなヨーロッパの表現と、能天気なミュージカル仕立てのアメリカ風表現。
精神主義のヨーロッパと、商業主義から抜け出せないアメリカ家族。
約束を守るヨーロッパ人と、約束を無視するアメリカ家族。
例の事件のあった家族の庭に星条旗がはためいているのは偶然ではないわけ。 あの家族がアメリカ人の典型だ!とフォン・トリアー監督は言っているわけです。
あるいは、あの家における知性の欠落は、本棚を見ればスグわかるようになっています。 何かの全集ものがキレイに並んでいるんですね。 本棚の本がズラーと並んでいて、外見上もキレイなのは、本を読んでいない証拠。
フォン・トリアー監督がアメリカの単純さに距離を置く人であることは明白ですね。 まあ、「あんなに単純で生きられたらラクだろうなぁ・・・」と思っているのかな?
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-12/03-12-16.htm
まあ、アメリカ人にフルトヴェングラーが理解できる訳ないわな(嘲笑い)。
126 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 23:31:08 ID:u3q9lZsw
いまどき、フルヴェンを崇拝してる輩なんていないだろ?
昔はイカサマ評論家に騙されて、LPを買いあさった単細胞がいたけどCD時代になってからは耳が肥えてきたリスナーが増えたんだから あんな時代遅れの駄演盤を買う奴なんているわけねえよな
285 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/25(土) 13:58:27 ID:QKA/pZAT
フルヴェン聞いてる自分が好きなんだ、おれ。
127 :中川隆:2010/09/25(土) 23:43:53 ID:qoJ7IzLk
演奏がどうこう言う前に、音そのものがカラヤンなんかとは比較にならないよ。
128 :名無しの笛の踊り:2010/09/26(日) 06:14:42 ID:XLcQnO3j
確かに比較にならんな
フルヴェンは異常に芝居がかった演奏をするし、表現するのがちっぽけな人間的感情だけ
はっきり言って、曲を矮小化させてると思う。気持ち悪いし
129 :中川隆:2010/09/26(日) 09:50:01 ID:EBOV+P7W
芝居がからない演奏 = ムード音楽
132 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 02:31:10 ID:HM57NYyB
何度も聞くと鬱陶しい。
本人もそれわかってたみたいだし。
133 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 03:24:30 ID:OrFxSTLH
俺はシューマンの4番がフルヴェンの最高傑作と信じて疑わん!
134 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 06:37:26 ID:MX7WlJNi
俺のCDの棚にはそう言えばフルトヴェングラーのCDは少ないな。 ベートーベンの第9バイロイト、その他2〜3枚程度
人生は短いから、音の良い演奏で色々な曲や演奏を聞きたいとなると避けがちになる
135 :愛撫 先:2010/10/02(土) 07:38:01 ID:jUW+8RAO
不思議なのは、古楽器演奏や演奏法によるベートーヴェンが主流になってもフルトヴェングラーのベートーヴェンを第一とする人があまりに多い。 評論家もリスナーも。
トスカニーニだって楽譜に手を入れてるし、フルトヴェングラーはいわずもがな。 古楽器演奏や演奏法の是非はともかくとして、これを基準にするとフルトヴェングラーは演歌になってしまう。
粘るところはとことん粘り、盛り上げる部分はオケが崩壊しても突っ走る。 自分も中2のころは、「第5」の復帰演奏を毎日聴いてたが今聴くと…
「今、フルトヴェングラーの解釈をするとオケの団員からバカにされる。 今や誰も出来ないコトを(時代が違うとはいえ)やっていたフルトヴェングラーに価値を見出しているにだろう」 と思う。
136 :中川隆:2010/10/02(土) 08:44:27 ID:hSQXWzjT
ブルーノワルターもヨーロッパ時代は
粘るところはとことん粘り、盛り上げる部分はオケが崩壊しても突っ走る
だった。 メンゲルベルクも同じ様なもんだし。 これが19世紀の標準スタイル。
137 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 09:09:05 ID:b/j4ReU6
フルベンは、一回目聴くといい演奏と思うこともあるのだが、何回も聴くと本当に鼻についてしまう。
聴衆が聴きに来る曲をほとんどレコード等で聴いたことがない時代ならこの演奏方法は価値があったのだが、今となっては明らかに時代遅れとなっている。
実演では偉大な指揮者として考えるけど、正しいレコードの残し方は死ぬまで分からなかったのではないか。1954年に無くなったが、ステレオ時代まで生きていたら、おそらく評価が急落したと思う。
138 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 10:12:11 ID:z4+7UHYM
>>136
>これが19世紀の標準スタイル
19世紀って・・・せいぜい世紀末に彼らが幼少期、青年期を過ごしたってだけじゃん。
100年間もあれば演奏様式も技術も楽器の性能も変わるだろうし、ベートーヴェンからマーラーまで録音なんか残ってないのに、よくそういう見てきたような嘘をつけるね。
139 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 10:42:36 ID:bnuyrT5v
後期ロマン派スタイルだわな
それに最後のロマン派リヒャルトの演奏はまったく違うわけだし、フルヴェン流が演奏の主流だったのってほんの一瞬だったと思う
140 :中川隆:2010/10/02(土) 10:47:05 ID:hSQXWzjT
少年時代の音楽教育でその後のスタイルがすべて決まるもんだろ。
インテンポは20世紀のスタイルだよ。
楽器で進歩したのはピアノだけだろ。 19世紀のオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント奏法
それに合った指揮をしてただけだろ。
フルヴェン流 = テンポが遅い
ヨーロッパ時代のワルターもリヒャルトシュトラウスもシューリヒトもテンポが極端に速く、演奏が軽い。
これがヨーロッパ標準
142 :中川隆:2010/10/02(土) 11:23:42 ID:hSQXWzjT
20世紀最高の指揮者はワインガルトナーだというのが昔の常識だったみたいですね。
本物の貴族
テンポが極端に速く、演奏が軽い
ノンヴィブラート・ポルタメント奏法の奥義を極めた天才
143 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 11:27:12 ID:bnuyrT5v
>フルヴェン流 = テンポが遅い
すげえ、こんなの初めて知った
144 :中川隆:2010/10/02(土) 11:50:26 ID:hSQXWzjT
こういうことさ
演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。
現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。
この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。
アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。
また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。
第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。
ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。
おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。
本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。
しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。
つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html
146 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 12:03:30 ID:Dz7Mu4tB
他人のサイトの意見を鵜呑みにして「こういうことさ」って恥ずかしくないの?
147 :中川隆:2010/10/02(土) 12:22:48 ID:hSQXWzjT
これは常識だからね。
ワーグナー出現以前のスタイルというのはカペー四重奏団の演奏そのものだろ。
フルヴェンはロマンティックスタイルの代表
ノンヴィブラート・ポルタメント奏法に戻るのはもう不可能だから、フルヴェンを否定したら未来は無いのさ。
148 :中川隆:2010/10/02(土) 12:33:50 ID:hSQXWzjT
もうこんな演奏は無理だもんね
カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。
カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。
そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。
しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。
クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。 云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。
第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。
第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。 この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。
このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。
これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html
19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。
例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)
上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。
※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。
そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです
「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。
http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm
ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。
しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。
ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音は ただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。 私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。
20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。 フリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、グラマーなビブラートを始めたように思われます。
1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。 しかし、ごく徐々になのです。高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。
ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、
ウィーン・フィルは1940年までありません。
ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html
151 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 14:09:02 ID:lXJZscod
>>136,>>140
で、結局「標準」って何だ?
152 :中川隆:2010/10/02(土) 15:01:23 ID:hSQXWzjT
1.本来のヨーロッパ標準
ノンヴィブラート・ポルタメント奏法の甘味で純粋・透明な音色
インテンポ、テンポは極端に速く、演奏が軽い
ワインガルトナーとカペーSQがそのとう尾を飾った。
2.ロマンティック・スタイル
テンポの極端な変化やダイナミックレンジの広さ、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラート
テンパニの強打、金管楽器の強調
音楽の文学的な解釈、ドラマチックな盛り上げ
フルヴェンとメンゲルベルクが代表
3.現代的演奏
ムード音楽と変わらない
カラヤンが代表
153 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:07:20 ID:ydGg4Bll
そういえば何かの文献にワインガルトナーの演奏はアンチ・ビューロー
ということが書いてあった。
(ビューローの面前で「カルメン」指揮した際に逆鱗に触れたエエピソードあり)
154 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:14:03 ID:bnuyrT5v
>>136ではヨーロッパ時代のワルターをメンゲルベルクと同じスタイルだとし
>>141ではシューリヒトやRシュトラウスと並べてる。矛盾してるぞ
他にも突っ込みどころがありすぎる。かわいそうな人だ
156 :中川隆:2010/10/02(土) 15:23:46 ID:hSQXWzjT
20世紀初めは本来のヨーロッパ標準とロマンティック・スタイが共存していただけさ。
1930年代のウイーンフィルは本来のヨーロッパ標準に近かったから、ワルターのウイーン録音はヨーロッパ標準
ウイーンフィル以外のオーケストラは自由に振れたからロマンティック・スタイル
になった。
シューリヒトやRシュトラウスはヨーロッパ標準の指揮者に近いが、ポルタメント奏法が無くなった時代だからインテンポの所だけ標準に近い。
157 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:28:43 ID:HM57NYyB
>>152
ムード音楽の指揮者ってあとどの辺の人?
158 :中川隆:2010/10/02(土) 15:30:31 ID:hSQXWzjT
バーンスタイン
159 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:44:24 ID:HM57NYyB
たったそんだけ?
じゃ別にそんな大きな勢力じゃないじゃん。
160 :中川隆:2010/10/02(土) 15:57:48 ID:hSQXWzjT
オーケストラが全部ムード音楽専用オケになったという事。 今、フルヴェンが生まれてきても、もうああいう演奏はできないもんね。
161 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 16:08:06 ID:HM57NYyB
わかった、君が最近の音楽を聞いてないことはわかった。 だって聞くに値しないだろうからね。
162 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 20:39:49 ID:lXJZscod
実証も反証もしようがないから言ったもんがちだな
163 :中川隆:2010/10/02(土) 21:58:14 ID:hSQXWzjT
20世紀初頭と19世紀中頃はそんなに変わっていない。
20世紀初頭の状況はSP録音の歴史から推測できる。
従って、19世紀中頃の演奏スタイルはノンヴィブラート・ポルタメント奏法しか考えられない。
当時は早いテンポで小さい音で上品で甘い音で演奏していたんだ。
だから、フルヴェンの前にフルヴェンは無く、フルヴェンの後にフルヴェンは居ないというのは厳然たる事実だね。
165 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 09:04:04 ID:DGWEGJvm
>>160
なぜムード音楽専用オケばかりになったの?
なぜフルヴェンが今指揮してもああいう演奏できないの?
大指揮者なんだから出来るに決まってるだろ?
メンゲルベルクの第9のエンディングは「ドラマチックな盛り上げ」なの?
音楽になんで文学的解釈が必要なの?
167 :中川隆:2010/10/03(日) 09:23:17 ID:trtEv+0L
(なぜフルヴェンが今指揮してもああいう演奏できないの?)
昔はレコード会社自体がフルヴェンに輪を掛けたアレだったからできたのさ:
ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
フルトヴェングラー・センターから会員向けにバイロイトの「第九」が発売された。
それも、編集がない、正真正銘のライブ盤だとか。
この「センター盤」が出現したことで、EMI盤が当時のプロデューサー、ウォルター・レッグによる編集を経て作られたことがほぼ明らかになりました。
例えば、EMI盤にあった「vor Gott」のクレッシェンドは「センター盤」にはありません。
というより、「センター盤」は全体的に音楽の流れがとても自然です。
つぎはぎをされたらとてもこのように自然な流れにならないでしょう。
気になったのは第4楽章の終結部です。もしかすると普通のテンポになっていないかと興味津々で聴いたのですが、猛烈なスピードで畳みかけるのは一緒ですが、音はよく揃っていて「ハチャメチャ」な感じは全くしません。 見事に最後の音に着地しています。
こうなるとますます奇妙です。レッグはわざわざハチャメチャな方を編集材料に選んだことになります。
また、「vor Gott」にクレッシェンドをつけて強力に厚化粧をしています。
ライブ盤と銘打って発売するからにはこれくらいのことをしておいた方がインパクトがあると考えたのでしょうか。
実際に多くのファンに強烈な印象を与え続けたわけですから、レッグの目論見は完全に成功したと言えます。
http://www.kapelle.jp/classic/9th_symphony/beethoven.html
「EMI盤は、全体の4分の3が編集したものではないか。 EMI盤の憶測がいくつか明らかになった。
第4楽章中間あたり、”vor Gott"と合唱がフォルテで歌い、声を長く伸ばす、有名な箇所があるが、最後、瞬間的に合唱、トランペットのレベル(音量)が上がる。
これは、レコード制作時にわざとレベルを上げて、演出したのではないかという疑問だ。
バイエルン放送局盤はそのような音量の変化はない。 したがって作られたものだと判った。
______
要するに、楽員もレコード会社も聴衆も全員狂ってないとああいう演奏はできない:
何度も繰り返し再生され、なおも愛好家を増やしつつあるEMIバイロイト盤の「レコード芸術」としての歴史に、残念ながらセンター盤「真正実況盤」は敵わないように思う。
あれほどまでに聴きたいと思いつづけてきた「真正実況」だが、「今まで以上に優れたものではなかった」というレッグの実演に対する評価が、大きな実感としてshin-pの胸にのしかかった−(07/07/19)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/comp03.htm
169 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 11:16:41 ID:mm5Di51H
いまだにムード音楽なんて引き合いに出す爺がいるのか
170 :中川隆:2010/10/03(日) 12:31:39 ID:trtEv+0L
カラヤンやバーンスタイン、ショルティ、クライバーの時代はムード音楽の全盛期だったから、彼らもその真似をしたのさ:
その場に快適な雰囲気をかもし出してくれる音楽、あるいは快適な雰囲気そのもののような音楽を、かつてムード音楽と呼んでいた。
太平洋戦争がおこなわれていた時代からアメリカで開発され、戦後の40年代後半から50年代なかばにかけて、完成の頂点を迎えた、おそらくもっとも贅沢な音楽が、ムード音楽だった。
日本では軽く扱われたが、もっとも豊かでしかも若かった時代のアメリカで、多くの天才的な才能と経費そして時間を惜しみなく注ぎ込んで、ムード音楽のLPが大量に作り出された。
1965年ごろから“ムード音楽”という言葉がもてはやされ、色々なオーケストラが出てきた。
マント・ヴァーニ、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、
パーシ・フェイス、ボストン・ポップス、アンドレ・プレヴィン、
カーメン・キャバレロ、カラベリ、ニニ・ロッソ、サム・テーラー、シル・オースティン等など。
http://kouji-trumpet.hp.infoseek.co.jp/moodmusic.htm
上にベルリンフィルやNYフィルも加えて欲しかった。
172 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 13:28:32 ID:trtEv+0L
(音楽になんで文学的解釈が必要なの?)
フルヴェンが表現したかったのはこういうのだから:
 ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
'~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i
ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
__,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
/^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
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ヽ
173 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 13:37:55 ID:7sTH8MA/
>>170
ムード音楽っていうけどさバッハの管弦楽組曲やモーツァルトのディベルティメントなんかも目的は似たようなもんだよ
それに19世紀にはコンサートオケというのはむしろ少数派でオケといえばウィーンやドレスデンのように本来はオペラが本職、そしてほとんどのオペラは芸術鑑賞と言うより社交の一環だよ
その点はどう考えるんだ?
174 :中川隆:2010/10/03(日) 14:03:07 ID:trtEv+0L
1.本来のヨーロッパ標準
貴族や大金持ち向けのサロン音楽から生まれたもの
2. ロマンティック・スタイル
インテリの中産階級を対象として生まれたもの。
3.ムード音楽
レコードを買える一般大衆向け
要するに、レコード文化と共に生まれたのがムード音楽やカラヤンの演奏
177 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 17:26:48 ID:VcxWNf3D
ID:trtEv+0Lって他所のリンク貼り付けてるばかりだな
受け売りばっかで自分の意見がないなら邪魔だから止めてくれ
178 :中川隆:2010/10/03(日) 17:36:54 ID:trtEv+0L
真実は既に知られているけど、君達がそれを知らないというだけの事さ。
179 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 17:49:36 ID:iIY0Bhgl
>>173
なかなか鋭い突っ込みだね。
>>174
その3つのカテゴリーだと、トスカニーニはどこに分類されるんだ。
毎週一千万人が聴取するラジオ放送をやっていたから、1や2でないことは明白だが。
180 :中川隆:2010/10/03(日) 18:06:20 ID:trtEv+0L
トスカニーニもインテリの中産階級が対象だからロマンティック・スタイル
ロマンティック・スタイル というのは別に演奏がロマン的という意味ではなく、伝統を否定する演奏様式なら該当する。
181 :179:2010/10/03(日) 18:29:55 ID:iIY0Bhgl
>>180
回答サンクス
なるほどね。
まあそれなら3つの分類も有りかなと思った。
182 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 18:56:29 ID:7Aw9y7+s
せっかくだからオペラ指揮についてもどうぞ
ここまでクラシック最重要ジャンルの話がまったくでないので
183 :中川隆:2010/10/03(日) 19:22:12 ID:trtEv+0L
ポッペアの戴冠が理解できたる天才と理解できないアホ
天才は
ヤーコプス&コンチェルト・ヴォカーレ、ボルス、ロランス、他(1990 ステレオ)(3CD)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3891140
アホは
ガーディナー&EBS、マクネアー、オッター、他 輸入盤 〔C
http://store.shopping.yahoo.co.jp/hmv/790492.html
天才のヤーコプスはロマンティック・スタイル
アホのガーディナーはヨーロッパ標準
ネロを悪役としているのがヨーロッパ標準のアホ演奏
モンテヴェルディが表現したかったのはこれだからね:
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醴醴醴靈詬I;(i:.:、 . .('゙(}}}}}笏'゙'... . .'.:ii゙(I}|||回>. .'.、.(,(II||朋醴「...
醴醴醴醴齟|IIi'。::. . . `' `'゙'.'` . 、'.:.(.(泪屈Iiン. . .、::.'_(.(II泪讃置
醴醴醴醴鑿||II,(>:、.. 丶.'_(i゙(I泪窗||Ii:、.. .、.:.'_(.(.(,(II屈醴歡
ネロが大人になる為の自立の闘いを描いているだけなのに、アホは勧善懲悪の話にしてしまうんだ。
救いようがない馬鹿。
それからこれがムード音楽
・モンテヴェルディ:『ポッペアの戴冠』 セーナ・ユリナッチ(S ポッペア)
ゲルハルト・シュトルツェ(T ネローネ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ウィーン国立歌劇場管弦楽団
録音:1963年4月1日,ウィーン国立歌劇場(ライヴ)
http://artist.cdjournal.com/d/lincoronazione-di-poppea/1398040114
幾らなんでも趣味が悪すぎる(という話を聞いた)。
アホのヨーロッパ標準スタイルの方がまだまし。
186 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 19:58:05 ID:DGWEGJvm
ムード歌謡最高!
187 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 21:15:37 ID:YiwaLXSO
>>185
カラヤンはな、アンタみたいなコピペジジイなんかが太刀打ちできる相手じゃないんだよ。てか、いいCD持ってるじゃないか?
それ売ってくれよ。 もう廃盤なんだよな。
188 :中川隆:2010/10/03(日) 21:27:45 ID:trtEv+0L
確かにカラヤンを誉めてた大指揮者もいたね:
クレンペラー「悪くないぞぉ、カラヤン。みんなが言ってる程悪くないぞ。」
189 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 23:40:36 ID:7sTH8MA/
>>180
>ロマンティック・スタイル というのは別に演奏がロマン的という意味ではなく、伝統を否定する演奏様式なら該当する。
>>152 >>2.ロマンティック・スタイル
>
>テンポの極端な変化やダイナミックレンジの広さ、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラート
>テンパニの強打、金管楽器の強調
>
>音楽の文学的な解釈、ドラマチックな盛り上げ
これ、どう折り合いつけるの?
190 :中川隆:2010/10/03(日) 23:47:35 ID:trtEv+0L
トスカニーニはティンパニを強打してるし、ドイツの伝統を無視してドイツ音楽を演奏してるからね。
ムラヴィンスキーも金管を強奏してるし、低弦のバランスが異常だし、
チャイコフスキーみたいにドイツ音楽を演奏してるからロマンティック・スタイル
カルロスクライバーはカラヤンのファンだし、カッコ付けてるだけだからムード音楽
191 :中川隆:2010/10/04(月) 00:13:04 ID:aJwK12JL
ここにアホ・カラヤンファンが居るから教えといてやるけど、
カラヤンの凄さは stax の静電型ヘッドフォン(最上級機)で聴かないと絶対にわからない。
カラヤンは聴覚能力が異常に発達していたから、凡人とは音の聞こえ方が全然違うのさ。
超高音が練り絹の様にレガートで繋がっていくのを再現できる装置でないと、カラヤンの意図は再現できない。
ここのアホファンにはカラヤンの本当の凄さはわからないのさ。
まあ、これ買ってからカラヤンの評価しようね:
SR-007A 定価 210,000円(税込)
STAXイヤースピーカーのフラグシップ機。
コンデンサタイプらしからぬ量感たっぷりの低域、滑らかな中域、
繊細無比の高域をお楽しみください。
http://www.airy.co.jp/sub_stax.htm
194 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 10:28:16 ID:isR28n0L
売れないメーカーの必死の宣伝か。。。
こんなの使ったら難聴になるのにな。
あ、そうか、難聴の爺さん向けの宣伝だったか。
でもなんだか哀れで同情を誘うぜ。 ま、がんばれや。
195 :中川隆:2010/10/04(月) 11:18:55 ID:aJwK12JL
良く知ってんね(感心)
俺は stax を使ってて耳痛くなったからカラヤンを聴くの止めたのさ。
カラヤンは確かに凄いんだけど、それは音楽としての凄さではなく、
音そのものの生理的な快感なんだよね。
197 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 12:42:06 ID:omalygRl
>>196
生理的な快感を起こせる指揮者ってすごいよな。
aJwK12JLとは親友になれそうだ。
198 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 13:02:02 ID:UGA8ddCn
カラヤンの凄さはスピーカーでは再現できないのか、ヘッドホンて嫌いなんだよね。
199 :中川隆:2010/10/04(月) 13:29:07 ID:aJwK12JL
Quad ESL57 か ESL63プロにチェロかゴールドムントの超高級アンプを使えば Stax に近くはなるみたいだけど。
ESLは振動板が3年で劣化するし、交換に何十万円もかかる。
100万円以下のアンプではいい音にならない
安いのもあるけど振動板が劣化してるとあの音にならない:
QUAD ESL57(3ペアー在庫あり、金、黒、ベージュ)ペアー¥18万
QUAD ESL63(3ペアー在庫あり、茶、黒)ペアー¥25万
QUAD ESL63PRO ペアー¥28万
ESLは全て整備済み。
http://homepage2.nifty.com/soundpoint55/newpage3.html
サウンドボックス
ESL57 22+II ESL63の復刻・再生品 新発売
http://www.soundbox.co.jp/quad.htm
5 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/24(日) 13:01
チェロはオーディオスィート、パレット、パフォーマンスが圧倒的に良くて、他はそれ程でもないと思う。アンコールシリーズは日本では売れたけど、音は今三。
61 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/08/08(水) 22:47
>>60
チェロはアンコールはそんなに良く無いよ。
スィートとは較べものにならないと思う。
どうせ買うなら、スィートだ。今ならヴィオラオーディオでアップグレードも出来る。
中古で見掛けたら即ゲットだね。
3 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/07 12:20 ID:8J/ZIr7M
リモコンは使えないが、スィートの音は今でも最高だろ。
アンコールは駄目だが。
39 :AI ◆4wBVGeQHPA :03/04/26 00:41 ID:???
>>38
何度も言っているけど、チェロの場合スィート以外のプリはダメだよ。
チェロの神髄はスィートを聴いて語ってね。
http://mimizun.com/log/2ch/pav/1049683747/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html#c1