182. 中川隆[-9890] koaQ7Jey 2019年6月01日 09:53:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2465]
余計な操作は一切しないのが正しい
コメント数を見て読む記事を探すアホにまで協力する必要は無い
アホの相手はするだけ無駄だ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c182
★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100045
|
g検索 dGhQLjRSQk5RSlE= |
|
コメント数を見て読む記事を探すアホにまで協力する必要は無い
アホの相手はするだけ無駄だ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c182
粋音舎 ドイツ古典フルレンジシステム
良質なヴィンテージこそ最先端
粋音舎 TDA1541A 搭載 DAコンバーター SAA-DAC2
http://www.soundstage.jp/DAC.html
デジタルにも、再訪すべき時代があり、ヴィンテージと呼ぶに相応しい名品があります。
TDA1541は、当時のPhilips社が、デジタル・アナログ変換の基本に最も忠実に設計したチップです。
対応フォーマットは、16bit 44.1kHzのみのノーマルCD専用仕様。
このシンプルさが、余計な信号処理に起因するノイズや信号劣化からの解放を可能にします。
後代のチップは、多機能化とコスト削減のために高集積化を推し進め、どんどん音が悪くなって行きます。
一方、TDA1541には、メーカーが手慣れる前の贅沢な設計と誠実な製造努力が注ぎ込まれています。
超低ジッタークロックの搭載を始めとして、超低ESR電解コンデンサー、超低ノイズ抵抗等々、21世紀水準のハイグレードパーツで周囲を固めることにより、TDA1541Aの潜在力を最大限に引き出したのが本機です。
このDACを通るとき、お手持ちの全てのCDソフトが新たな輝きを得て生まれ変わります。
限られた音源のために高解像フォーマットへ移行するよりも、遥かに手軽で大きな感動を、お約束いたします。
本DAC製品は、アナログ部を全面リファインした新規モデル、SAA-DAC2となりました。
標準仕様
型式:SAA-DAC2
デジタル入力:RCA同軸
アナログ出力: RCAアンバランス
対応フォーマット:16bit, 44.1KHz
寸法:220×320×83mm(幅×奥行×高さ)
標準価格 \140,000円(税込)
http://www.soundstage.jp/DAC.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c67
DACを考える 2015.11.30
http://ybn-okayama.jugem.jp/?eid=63
暫く前までは、ん倍オーバーサンプリングの何ビットとかを競い合うような宣伝文句ばかりでしたが、最近はオーバーサンプリングに関しての記述はあまり見なくなってきました、今では192K24ビットが当たり前で32ビットもチラホラ、オーバーサンプリングの表記の影の薄い事・・・・
外付けICは無くなって、DAC自体に標準で8倍が搭載されているので、DACメーカー名が前面に出て、一体何を基準にするのか?ICメーカーで判断しろという事なんでしょうか?もっとも回路はそのICメーカーの推奨回路をそのままなので、ある意味ではメーカー名で判断する事も確かかもしれません。
雑誌の記事を見るとオーバーサンプリングをさせないNOS-DAC(ノンオーバーサンプリングダック)の記事もチラホラ・・・
出始めの頃は、CDの音は耳に良くないとまで言われていましたが、それもこれもフィルターの問題からでした。
企業としては44.1kHzダイレクトのDACだとフィルター特性を確保しようとすれば、10KHzからダラ落ちになるし、甘くすれば最悪はトゥーイーターの破損も有り得るので、やはりフィルターは急峻とせざるを得なくなり、結果的につまらない音になる事なってしまいます。
そこで現れたのがオーバーサンプリング技法で(NECは第一世代の803から2倍を搭載し、他社の度肝を冷やした)オーバーサンプリングICを入れることで、帯域の確保は楽になって、フィルターもラフな物で十分となり、企業はその成果だけを前面に押し出したが、演算まるめ誤差から来る空気感的ものが無くなって、レコードの方が良く聞こえてしまったりして、いつの間にか、オーバーサンプリングが音質劣化の音楽知らずの根源のように思われていたようです。(録音現場も同じで、アップサンプラーを使えば何でも可能とばかりに、音楽知らずの編集者が増えた事も起因しています。技に溺れたということです)
(注意:今とは精度も速度もぜんぜん違うので、現行品との比較は出来ないです、過去の話です。)
オーバーサンプリングも精々2倍まででしょうか?自分はそう考えますが、NOSはチョッと怖いです。
DACの製作の打診が有って、ICを何にしようかと資料を眺めつつ、自作で出来る範疇でしかもDSDダイレクト(SACD)も繋げるようにとなると、種類も限定されてきます。
DACのモードをソフトで制御するタイプではどうしても通信制御にマイコンが必要になってしまい、自作としてはハード制御が可能なICを選択せざるを得ない、と考えています。
話は変わりますが、DSDとPCMの言葉が当たり前のように記述されていますが、DSDはPDMと書くべきでは?と自分なりに考えつつも、DSDが一人歩きしているのでそれも時代の流れかなぁ、と考えてますが、何と無く合点がいきません。
さて、自作が可能なハード制御のDACとなると、WofsonのWM8741か、BBのPCM1794に落ち着きました。
ソフト制御が出来るならば、ESSのES9018Sが、高評価を貰っています。値段の問題とその入手手段(資料自体の詳細は公表されてなく、代理店に書類提出が必要)に難点がありましたので、もし、顧客がES9018Sを指定するならば、既製品の基板を買って箱に収めるという事になります、が、それでは自分として面白く有りません。
SACDプレーヤーではデジタルデータは出ていません、稀に出て行く機種も有りますが、大半はPCM変換されているので正しいDSD(PDM)の復調を外部DACでは出来ない事になります。
では、どうするか、SACDプレーヤー自体から、DSD(PDM)信号を外部に取り出すための端子をつける必要が有ります。
PDM信号はL/Rの2線とビットクロックの3本が有れば復調出来ます。その際、CDのデータも取り出す事を考えれば、更に1本のクロックライン、とDSD/PCMのモード切替線があれば、DSD/PCM共に外部に出せます。
端子はHDMI端子とすれば、その規格からデータ、クロックを差動伝送は出来そうです。
個人的に好きなDACはフィリップスのTDA1541A、このDACの音が一番好きですが、残念ながらDSD(PDM)の復調は出来ませんので、依頼にはそぐわない事になります。
故長岡さんが、NECに作らせたCD−10の音は今でも忘れられない音です。
Wolfsonは買収されて、今はシーラスロジックからの供給ですが、シーラスロジックからは、いつの間にか見れなくなりましたが、閲覧は他でも出来るのでダウンロードしました。
WM8741の面白い所は、そのフィルター特性が切り替えできる事(3種)変わったところでは、出力が電流ではなく電圧で出ている事でした。BBのPCM1794は様々なページで製作記事も出ているし、作るなら一番楽では無いかと思えます。
来年の話になるでしょうが、WM8741を使ったDACの製作紹介が出来る事になるでしょう。もっとも、正式な依頼があればの話ですがね。いきなり本番仕様(L/R独立モノラル仕様)で材料を揃えるとそれなりのコストが掛かるので、お試し的な製作で実験はやってみます。(意外とこれが本番になったりして・・・)
http://ybn-okayama.jugem.jp/?eid=63
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c68
シロクマ TDC-2000 2017年12月23日
https://blog.goo.ne.jp/gikyusan/e/0af83bab6036eb8c93fa9c1f683f196d
戯休「今日はシロクマのUSB-DAC内蔵アンプ『TDC-2000』のお話をしましょう。」
TDC-2000 USB NOS-DAC デジタルアンプ 爽やかで自然な音のスピーカー タイムドメイン
https://www.shirokuma.co.jp/timedomain/product/TDC-2000N/
侍「シロクマの商品は何度か取り上げましたよね。 タイムドメイン関係のを扱ってて。」
戯休「そうそう。 タイムドメイン理論系の中で、筒系で小型の物を売ってくれてるから、有難い。」
旗本「本家は小型になると卵系だからな・・・。」
戯休「卵系は卵系で良さがあるけど、筒系は筒系の良さがあるわけで。 それについては俺如きが語るまでもないでしょう。」
侍「でも、今回はスピーカーではなくアンプなんですね。」
戯休「元々アクティブだけでなくパッシブタイプも売ってたから、アンプは取り扱ってはいたよ。 ただ、今回はUSB-DAC内蔵ということで、本家にもない仕様の商品になるね。」
旗本「ふむ・・・。 それも時代の流れということになるか・・・。」
戯休「開発についてはどういう流れかは判らんけど、まぁ本家の正規品みたいに思っていいと思うし、その意味では出来も期待していいんじゃなかろうか。」
侍「成程・・。 そうなると、シロクマのこれを買って、スピーカーはタイムドメイン本家の物、という事も可能になるわけですね。」
戯休「そだね。 Yoshii9もMk2になってから単品販売始めてるし、場合によってはそれも可能だね。」
旗本「値段差はあるのか? 多少であればそれを狙うのも悪くは無さそうだが。」
戯休「これが税抜78000円。 Yoshii9Mk2スピーカー単品が税抜250000円。 アンプとセットで税抜300000円。 税抜価格換算だと、差額28000円かな。」
侍「うーん・・・それだったら全然こっちの組合せでも悪くないような・・?」
戯休「気になるとするなら、Yoshii9Mk2のアンプ単品が税抜90000円することかなぁ・・。 セット割引なのか単品購入を割に合わなくしてるのかは判らないけど。」
旗本「可能性として、アンプ部分だけの比較であれば、純正に劣る可能性があるということか?」
戯休「こっちのほうがパワーは上回ってるんだけどね・・・。 個人的にはセット割引なんだと思うけど。」
侍「Yoshii9Mk2にも最初からこのアンプを組み合わせることが出来れば良いんですけどね。」
戯休「そういう流れはどこかで期待したいもんだね・・・。 で、ここからちょいと蛇足な話になるけど・・・このアンプ、USB NOS-DACという言葉が使われてもいるですよ。」
旗本「ぬ・・? USB-DAC位なら儂も判らんでもなくなったが、また横文字が加わっておるのか?」
戯休「NOSはノンオーバーサンプリングの略で、要は最近のDACみたいにオーバーサンプリング処理を行わないという意らしい。」
侍「あ、そういえばどこぞの高級プレーヤーにもありましたよね。 CD再生時にはハイレゾ非対応のCD専用チップで再生するとか。」
戯休「うん。 個人的にはそういうのは大好きなんだよね。 だから今回もそういう採用をされたのは実に歓迎すべき事なんだよ。」
旗本「CD相当の音源しか再生できぬという弱点はあるが・・・仕方がなかろうな。」
戯休「そうすることで余韻が生まれるとか空気感が正確に再現されたりするんだそうだけど・・・逆にもうどうしたらいいのか判らなくもなるよねぇ・・・。」
侍「余韻とか空気感って、オーバーサンプリングも含めたハイレゾ音源の常套句ですしね。 した方が良いのかしない方が良いのか、迷う部分はあります。」
戯休「CD音源に限った話として、それを最近のDACチップで手を加えるから拙いのであって、最初からハイレゾで録音されてて、それをそのまま再生する分には問題ない・・・と思えば良いんだろうか?」
旗本「うむ・・・。 どちらの言い分も満たすには、その解釈が真っ当だとは思うが・・。」
戯休「そうなると、各社の高級CDプレーヤーも、SACDやUSB-DACを考えなければ少し前のDACチップを使ったほうが良いってことになるのかなぁ・・・?」
侍「少し前のプレーヤーを愛好する方々は多いですし、それも否定は出来ませんね。」
戯休「・・・粋音舎さんのこういったDAC
TDA1541A搭載DAコンバーター SAA-DAC2
http://www.soundstage.jp/DAC.html
とか前から気になってtけど、こうなってくると更に存在感増すなぁ・・・。」
旗本「読み取るメカについては最近の機種のほうが正確故、それらと組み合わせる事で良い結果も出るやもしれぬな。」
戯休「CDそのものがハイレゾに劣っているというより、ハイレゾの土俵でCDを戦わせるから不利な条件で負ける・・・そんな話になるなら・・・・それはそれで面白いよね。」
https://blog.goo.ne.jp/gikyusan/e/0af83bab6036eb8c93fa9c1f683f196d
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c69
ドイツ SABA のフルレンジ SPユニット
https://vintage-audio.jp/?p=390
メーカー:SABA
モデル名:Permadyn 5298U8
生産国:ドイツ
生産時期:1952〜1958年
型式:シングルコーン
口径:8inインピーダンス:5Ω
マグネット:アルニコV
鮮やかなグリーン色のコーン紙が特徴のドイツ名門SABAのフルレンジSPユニットです。
超軽量コーン紙に小型の磁気回路、ペラペラのプレスフレーム・・・
1950年代の家庭用ドイツ製ユニットの特徴なのですが、これを上手に鳴らすと、英国やアメリカのユニットでは出すことの出来ない、ナチュラルで透明度の高く、繊細で分解能が高いサウンドを奏でるので、見た目じゃ判断できないのです。
そして、これらドイツのユニットを研究すると非常に合理的に作られている事に気が付きます。
超軽量なコーン紙を使用している為に、それを駆動する磁気回路は小さくでき、よってフレームもダイキャスト等大掛かりでなくプレスフレームで十分な強度が取れる訳です。
実に合理的でしょ!
しかも、超軽量コーンはユニットの設計だけでなく、サウンドにも大きなメリットがあります。
軽量だから信号に対しての反応が圧倒的に速いのです。
これにより、全帯域で分解能が高く、小音量時に音が潰れないのです。
小口径・軽量コーンのユニットは、家庭用(家庭用HiFi)ユニットに分類されますので、ドイツ業務用と混同して考えては駄目です。
また、構造上ハイパワーユニットではありませんから、駆動するパワーアンプも、2〜3Wのシングル(またはP-P)管球アンプが適当です。音量が足りないからといって、ハイパワーなアンプを繋いだりしてはいけません、音量を稼ぐ場合は、ユニットを複数個使用します。そして、適度な音量で鳴らすことで、超軽量コーンユニットのメリットが最大限発揮できます。
この事を踏まえてシステムを構築します。
まず、特徴である軽量コーンにあまりプレッシャーを掛けずに使用したい為、平面バッフルか後面開放型が適当だと思います。
密閉型、バスレフ型になるとバックプレッシャーのコントロールが難しくなる事とエンクロージャーの影響を受けやすくなりますので、今回は1940年代の米PHLCO社のAMラジオのキャビネットを利用することにしました。
後面開放型になります。
バッフル板をキャビネットに合わせて製作します。適度な鳴りを考え、9mm厚のフィンランドバーチ合板を使用しました。ユニットのインピーダンスは5Ωなので、2本をシリーズに接続し、トータルインピーダンス10Ωで使用します。それを組み込んで完成です。
そのサウンドですが・・・ユニットの特徴を上手く活かせたシステムになったと思います。決してワイドレンジではありませんが、全帯域に渡って癖がなく明瞭度が高いサウンドです。長時間聴いても聴き疲れすることもなく、部屋の中に音楽が自然に広がっていきます。これ1本で十分か?と言われると、私の場合はそうはいきませんがサブシステムとして、または音楽鑑賞用としてなら十分な能力があります。
ドイツ家庭用シングルユニットは、見た目ではなく実質的な能力の高さを、国内の皆さんも評価して欲しいと思います。
このユニットは、ドイツ(ライプチッヒ)のコレクターからの出物で大変状態の良いユニットでした。同等ユニットも多数ありますので、これらSPユニットをお探しの方は下記までお問い合せ下さい。
https://vintage-audio.jp/?p=390
ドイツ古典フルレンジユニット
http://www.soundstage.jp/Full_Range.html
1950年代のドイツ製フルレンジは、超軽量コーンを強力アルニコマグネットでドライブ。
96〜97dB/W/mの高能率を得ています。
コーンの実効質量は、何と5〜6g!
(fostex FE203等の代表的な軽量ユニットに比べても半分以下です)
*この時代のユニットは同一モデルでもロットの違いによるバリエーションがございます。磁石、フレーム形状等が写真の物と一致しない場合がございますが予めご了承ください。同一品質基準、同一工場で生産されたコーン紙の優秀性は、全てのユニットに共通です。
声、木管がリアルなことは、ドイツヴィンテージユニットに共通の特徴と思いますので、以下の個別ユニットの説明では省略させて頂きました。
____
Telefunken 20cmフルレンジユニット
同社Opusシリーズの大型ラジオ、コンソールに多用されたユニットで、この時代のドイツの情感を伝えてくれる代表的ユニットと言えばこれでしょう。
弾むような低音にクリアな中域と少し華やかな高域を乗せ、
どこまでも楽しく音楽を聴かせてくれます。
特性の暴れが上手く高域のレンジ感に結びついている一面がありますため、
単体で十分楽しめるユニットである反面、ツィータの追加で大幅にグレードアップいたします。特に弦楽の倍音の豊かさ、艶等が顕著に改善され、どなたにも安心してお勧めできるシステムになります。
____
Telefunken 楕円フルレンジユニット
背面放射音が華やかな傾向がありますので、後面開放キャビネットに用いるにはデッドニング等のチューニングが必要ですが、
コーンの材質、面積が同じなので最終的には円形20cmユニットと同じ音色傾向にまとめることが可能です。
ツィータの追加で本領発揮となるのも同じです。
円形20cmユニットより新しい時代のものなので全般に保存状態がよいのも利点かと思います。
_____
SABA 22cmフルレンジユニット Permadyn25
ほぼ20cm口径ながら一回り大きいSABA製のユニットです。
帯域バランスが実に巧みで、 造り手のセンスと技術の高さをうかがい知ることができる HiFi指向の正統派ユニットです。
ハッタリの無い落ち着いた雰囲気の再生音は、
小編成のジャズや男性ボーカルにマッチするかと思いますが、
クラシックでしたらピアノソロもありだと思います。
SABA(Schwarzwälder Apparate-Bau-Anstalt)社は現存しませんが、
Telefunkenの対向メーカーとして一時代を画した総合電機メーカーです。
____
ラーヴェオプタ(LoeweOpta) 20cmフルレンジユニット
ややプレスの効いたコーン紙による張りのある明晰な鳴りっぷりが特徴です。中域を基軸とする表現のためレンジ感は今ひとつですが、その分、弦楽の切れ込み感や、金管の輝き、ピアノのアタック感等が小気味よく出るユニットかと思います。
勿論レンジ感についてはツィータの追加で改善されますので、
最終的なシステムの完成度は他の兄弟銘柄(Graetz、 Telefunken 、 Grundig、 等々)に全く引けを取りません。
_____
ローレンツ(Lorenz) 20cmフルレンジユニット
下手なツィータなら付けない方が良いくらいよく伸びて歪の少ない高域を持ち、それが躍動感溢れる中低域と見事に一体化しています。
ヴィンテージの味わいは薄いかも知れませんが、
音源を選ばないオールマイティなユニットで、
この時代のフルレンジユニットの最高傑作の一つでしょう。
_____
グルンディヒ(Grundig) 20cmフルレンジユニット
ベークダンパならではの硬質でハイスピードな音のユニットです。
帯域は上下に若干狭い傾向がありますので、これをセッテイングで補う工夫が求められます。具体的には、高音をよく反射する硬質の壁面(窓ガラス等)を背にすることや、 部屋のコーナー近くに配置して低音を増強すること、等の工夫になります。
鳴らすのが難しいユニットではありますが、
セッテイングが決まった時には背面音を最大限に利用した後面開放キャビネットの理想形が完成しています。
特にピアノ曲などでは、他のシステムでは得られない生々しい説得力や典雅な余韻表現が可能です。
_____
グレーツ(Graetz) 20cmフルレンジユニット
コルゲーション補強されたコーン紙にNT4クラスの大型マグネットを組み合わせた強力ユニットです。
中域以下に厚みがありチェロのゴリッとしたところの表現などは秀逸です。
高域は出ませんが元々低域がよく伸びていますので、アドオンツィータとの組み合わせで最もワイドレンジなシステムが完成します。
フルオケ再生も迫力十分です。
http://www.soundstage.jp/Full_Range.html
▲△▽▼
粋音舎 ドイツ古典フルレンジユニット用の後面開放型エンクロージャー
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html
ヴィンテージの味わい
この時代のドイツ製ユニットを鳴らすということは、単に昔の音を甦らせるということではありません。
その枯れて乾いた音色は、約60年の歳月をかけた熟成の結果でもあるからです。
歳月という試練に耐える素材、構造、
それを現実の姿にする優れた製造技術、
そして熟成という時間の魔法・・・
全てが結集された再生音は、60年貯蔵の美酒を開封するが如く、今この時のために流れ出すのです。
現代の代表的な軽量ユニットに比べても半分以下という超軽量のコーン紙は空気との親和性が極めて高く、録音マイクがスタジオやステージの空気と交わした会話を
まるでリスニングルームの空気に口移しするように、優しく、熱く、伝えてくれます。
裏板のない開放型キャビネットとの組み合わせは、超軽量振動板の軽快な動きを妨げないための工夫。
最新のハイレゾ音源をも活かす音楽再生の完成形が、60年前のドイツで既に極められていたのです。
______
粋音舎 ドイツ古典フルレンジシステム(受注生産品)
ユニット
口径 20センチ
搭載数 1個
形式 コーン型フルレンジユニット
能率 96dB/W・m
耐入力 5ワット
製造国 ドイツ
キャビネット
寸法 幅38cm×高さ58cm×奥行30cm
形式 後面開放型
材質 フィンランドバーチ材
( 前面グリルは別売となります。)
※ユニット製造元は、テレフンケン、グルンディッヒ、ローレンツ等々の銘柄を取り揃えています。
※ステレオの片側に2個または4個のユニットを用いたタンデム仕様の大型システムも特注製作承ります。
(注記)
本製品は、背後の壁による反射を利用いたします。このため壁との間に50センチ以上の距離が必要です。
壁の材質も反射音の音質に大きく影響しますが、一般的な木質の建築内装材であれば良好な結果が得られます。背後が石膏ボードやガラス板などの場合には、薄手(6ミリ前後)の合板を壁に立て掛けて設置することをお薦めいたします。
本製品に搭載のユニットは、1950年前後にドイツで製造された家庭用ラジオから取り出した使用済みのヴィンテージユニットです。動作良好なユニットを検査厳選の上、 極力外見を揃えてステレオ左右のペアを組んで おりますが、モノラル再生が主流だった当時のラジオ1台からは1つのユニットしか取り出せないため、製造年や保存環境の違いにより細部の形状や色合いが微妙に不揃いな場合があります。
本製品は極めて高能率なため、数ワット程度の小出力真空管アンプとの組み合わせを推奨いたします。 大出力アンプとの組み合わせでは、誤入力等により破損する場合があります。
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html
▲△▽▼
合同会社 粋音舎(すいおんしゃ)
E-mail suion@soundstage.jp
TEL 03- 6271- 5760
所在地 東京都練馬区
事業内容 音響機器の企画、製造および販売
製造委託先 株式会社 サカエ工芸
株式会社 サカエ工芸
http://www012.upp.so-net.ne.jp/strata/SAKAE.html
▲△▽▼
4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。
あの手の8pほどのスピーカーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。
スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。
ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。
指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。
尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。
そして、JBLやアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。
回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。
だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。
この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。
タンノイ然り、JBL,アルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。
古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。
件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。
僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。
その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。
ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34
▲△▽▼
VINTAGE AUDIO
ドイツ製のAUDIOを中心に紹介及び販売を致します。
https://vintage-audio.jp/?cat=8
Q&A
Q1: ドイツのヴィンテージスピーカーの特長は何ですか?
音の違いから言いますと、まず聴きやすい、聴き疲れしにくい音だと思います。
決してつまらない音では有りません。多くのスピーカーはかまぼこ型の特性になっており高域と低域を欲張っておりません。音楽や人の声などの核となる中域重視となっております。
構造の違いから言いますと、まず軽いコーン紙にて能率が高いユニットがほとんどです。
レスポンスが大変良く、真空管アンプとの相性も抜群です。またコーンの素材であります紙の質がダントツ的にすばらしいという事でしょう。タンノイなども古いユニットはドイツのコーン紙を使用しております。このコーン紙が最大の特徴です。
Q2: 古いスピーカー達のコンディション、また使用していて壊れないですか?
エッジに関しましては年間にして100ペア以上のユニットを見て来ておりますが、アメリカや日本のユニットのようにエッジがボロボロという物は見たことが有りません。約40〜50年以上前の物ですが有っても故意によるものや縦方向の切れが殆どです。一部のユニットにはガスケットと一緒に外れて切れてしまった物、
Grundigなどはガスケットにスポンジが使われている物がありスポンジを貼り付けていた
接着剤と一緒に硬化してボロボロになっている物も見られます。いずれにしろ
エッジ素材そのものによる劣化ではりません。ウーハーの一部には布エッジも見られますがほとんがフィックスドエッジであり問題なく使用出来ており、よほどの事がなければこれからも問題ないでしょう。
ボイスコイルの擦れに関しましては、やはり物によっては見られます。
保存状態が悪く、錆による物、ゴミが入ってしまった物などです。
ドイツのユニットはボイスコイルとマグネットとの隙間が非常に狭く出来ております。よってレスポンスの良いサウンドを奏でます。日本やアメリカのユニット達はアロワンスをみて広めにとっております。当時のドイツの基本的な技術力、精度の確実さを裏つけております。
Grundigに多く見られるセンターキャップにスポンジを使っている物はスポンジがボロボロになっている物がほとんで要注意でも有ります。ボロボロになっていたら取ってしまった方が安心です。
また蝶ダンパーの物はボイスコイル擦れの物も布ダンパーに比べると多いようです。
音の良いとされている蝶ダンパーから布に変わった点からも布の方が長期間の安定
が望めるからだと思われます。一部の蝶ダンパーはネジの調整によりセンター位置を変える事が可能になっておりますので、簡単に直す事も出来ます。
使用に関しましては、よほどの事がなければまず壊れないでしょう。
これからもずっと使えるスピーカーだと理解しております。
Q3: 最近のAMPに繋げることは可能ですか?
まず,入力インピーダンスになりますが、ドイツのユニットは殆どが4〜6Ωとなっております。
最近のAMPには4Ω端子も付くようになって来ましたが、殆どのトランジスタアンプは4Ω以上であれば問題なく繋げる事が可能です。真空管AMPの場合も出力端子がついていれば問題ありませんが8Ωに繋げても大きな問題はなく、普通に聴く事が可能です。厳密に言うと動作位置が多少狂い、定格より多少パワーが入ります。
スピーカーの最大入力パワーですが、ヴィンテージの物はユニット本体にて10W以下、システムにて25W以下の物が殆どでしょう。50W,100Wのアンプにて聴いていてユニットが壊れるかというと普通に使用している限りでは問題なく使用出来ます。通常、オーディオショップでの音量にて5W程のパワーを使用していると言われますので、自宅でしたら5Wも出せないでしょう。
Q4: どのようなAMPと相性が良いのですか?
真空管AMPかトランジスタなど使用するAMPにてサウンドは変わります。
基本的にはどのAMPでも十分な表現力にて楽しめるかと思いますが当方のシステムでの比較にて参照下さい。
真空管AMPはドイツのBraun EL84PP,2A3シングルを試聴室では使用しておりますが
やはり年代的にも実際に当時も真空管にて鳴らしていたことでしょうから相性は良いと思います。能率が良いので1WクラスのシングルECL82でも十分に鳴ってくれます。
トランジスタはテクにクスのSU-V7を使用しておりますが、低域特性がやはり真空管AMPよりは良いので低音の出方がかなり違います。サイズの割には低域が出ますので
驚ろかれる事でしょう。サウンドも古臭くはあまり感じないでしょう。
https://vintage-audio.jp/?cat=8
▲△▽▼
アシダボックスに一番近いのは当時のドイツの家庭用スピーカーですね _ 2:
1950年代のドイツ製音響機器
1950年代のドイツのオーディオ機器に目を向けると、意外にシンプルなシステム構成であることに気付く
そもそも100dB/W/m の高能率スピーカーを鳴らすことを前提としているので、家庭用はおろか、小規模PA装置でさえも5W〜10Wで十分な音圧が得られた
そしてスピーカーはフィックスド・エッジでベークライト製のスパイラル・ダンパーを用いているため、小音量でも反応スピードが早く、EL84やEL82(6BM8)のシングルで十分に鳴るし、そもそも大入力を入れることはできない。
当時のほとんどの人は、AM放送規格に適合した8kHzまでが限界のフルレンジ・スピーカーで十分だと感じていただろうし、実際にドイツ製フルレンジは、ドイツ語の発音の特性から4〜8kHzが強く出るように調整されているので、高域の不足はほとんど感じないだろう。
以下は戦前のスピーカーの特性であるが、最初の2way化によるワイドレンジ化からはじまり、1930年代にはシングルコーンのフルレンジで十分な高域特性が得られている。
Siemens&Halske社の2way特性(1928年)
Isophon P25の周波数特性
これを普通のフラットな特性で聞く場合は、ヴァイオリンとピアノの音色の違いが気になるだろう。
ヴァイオリンは中高域が強いのに、ピアノは高域の落ちたカマボコ型である。
このことの原因も、ドイツ製スーピカーの 2kHzの落ち込みと 4〜8kHzの盛り上がりで説明できる。この強く出るのは単純に音圧が強いだけでなく、反応も早い特徴がある。なのでイコライザーで上げて調整してもどこか不自然なところが残るため、あくまでもスピーカーの機能で補うべきものである。
これにEL84やEL34などのビーム管を合わせることで、帯域が狭くても切れ込みの強いサウンドが得られる。
また当時に良く行われたレコード鑑賞会というのも注目して良いと思っている。ようするに公民館の映画鑑賞会の延長のようなもので、そのときに使われたのはオイロダインのような立派な劇場用スピーカーではなく、スーツケースに入れた25cm程度のフルレンジスピーカーで、アンプもEL84プッシュプルで十分な音量が得られた。
フルレンジでも10kHzまでの再生周波数でサービスエリアが約50度得られることから、ちょっとしたホールでも十分に鳴り渡る。必要な機能を絞った現実主義から学ぶべき点は多いように思う。
Klangfilm社の移動式映画館
Siemens社 スーツケース・スピーカー
2000型映写機用
当時のドイツでは、小学校などを巡回する移動映画館やレコードコンサートがよく行われ、LPレコードはそうしたところで使われる教育的な用途もあったと思われる。
そもそもドイツ・グラモフォンはジーメンス社の傘下にあり、レコード・コンサートは当然ジーメンス社のPAシステムで行われたと考えられる。もちろんKlangfilmも擁する大企業であるため、高級オーディオ機器の製造もあるにはあったが、戦後霹靂としたドイツ人が新たにオーディオを購入できるわけもなく、こうしたサービスを通じて新しいHi-Fi機器を知ってもらおうという意図も感じられる。
巡回用の簡易PAは、25cm程度のフルレンジスピーカーをスーツケースに治めたものを、10W程度のEL84アンプで鳴らしていた。50名強の人数なら、これで十分な音響が得られた。
注意したいのは、ドイツ・グラモフォンのLP発売は1952年からで、それ以前はVARIABLE GRADE という78rpmのシェラック盤だったことである。
1941年からテープ録音を実用化していたドイツにおいて、意外に思えるかもしれないが、
テープ録音 → ラッカー盤
という工程を終えるとテープが破棄されることもしばしばあった。その後、LP用にテープにダビングされ保存されたものもある。例えば、フルトヴェングラーの1951年セッション録音、ケンプのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集のうち1951年録音は本来ラッカー原盤だとされる。
逆に戦中からテープ録音での放送を楽しんでいたドイツ家庭において、Hi-Fiという文字はあまり意味がなかったらしく、LPの表示は「LANGSPIELPALTTE 33」という規格を示すのみである。このことからも、ドイツの放送規格とのグレーゾーンを辿っていたことも十分に考えられる。
このラジオ音源も曲者で、最近オリジナル・テープからリマスターされた、ベルリンのRIASやウィーンのRot-Weiss-Rotの録音は、1940年代でも驚くほど鮮明である。マイクの生音に近いので、人によっては高域がうるさいと感じるだろう。要は一般に流布する媒体に、これまで該当するものがなかっただけなのである。
15. 2013年9月05日 11:24:58 : W18zBTaIM6
家庭用オーディオについては、当時のドイツの状況からすると、以下の3タイプに分かれよう。
1.ほとんどの庶民はラジオで試聴し、LPを聴く機会はレコード鑑賞会も多かったと思われる。また一体型コンソール(Kombination:コンポ)も多数あった。これらの場合、ほとんどの場合フルレンジのみが基本である。
2.海外向けの高級オーディオ機器では、高域拡散用にコーン・ツイーターが幾つも付いているタイプが多い。これは1950年代のドイツにしかみられない様式である。
3.スタジオモニターで有名なLorenz社のポリエチレン製ツイーターは、英米のスタジオ機器で持て囃されたことから一目置かれているが、強烈な高域特性で、いわばF1レーシングカーのようなものである。
このように当時のどのような立場で試聴するのかでも、録音に対する印象が違うと思う。それほどに、1950年代のドイツ・グラモフォンの録音は評価が定まりにくいのである。
はっきり言えることは、高能率だからと1970年代以降の重たいウーハーをEL156で鳴らすことはあり得ないと思うし、高域が足らないからと10kHz以上の再生周波数を無闇に伸ばす必要もない。
モノラル期のドイツ・グラモフォンは、もっと広い階層のユーザーに開かれた再生方法があるのだと思う。 ここでは個人的なプランで組んだ低予算システムを以下に示す。
1.95dB/W/m以上の高能率で、高域の4〜8kHzが落ちないフルレンジ・スピーカー1本
2.EL84(6BQ8)、EL82(6BM8)などの小型ビーム管のシングルアンプ
3.録音品質のばらつきが大きいためイコライザーは必須
4.CD再生の場合は古いライントランスで微妙な味付け
フルレンジスピーカーでは、私の所有しているのは米Electro Voice社のSP8Bという20cmユニットをBaronetというコーナー型バックロードホーンに納めている。
当時のエレクトロボイス社はPatricianという4wayシステムを筆頭にHi-Fi再生の先端を行っており、アメリカ製でクラシック再生ではトップを行くメーカーと考えていいと思う。
一方で、Baronetのような小型システムでは、小音量で快適に聴けるように高域の扱いを変えていて、SP8Bはアメリカ製では珍しくダブルコーンを使い4〜8kHzを持ち上げている。
これはテープ録音がドイツから移入された初期の、Hi-Fiらしさを演出する工夫であり、このことが1950年代の家庭用システムを知る鍵であるように思われる。
これと同じ傾向の音では、サブコーンが付いたイギリスのLowther PM6、最近の製品ではイタリアのSICA社のPA用フルレンジも同様の特性を持っていて有用だと思う。
1950年代のエレクトロボイス社がドイツ的なサウンドポリシーを持っていたと言える理由のもうひとつは、同時代のIsophon社のカタログとの比較でも明らかになる。
当時はモニタースピーカーとして開発され、テレフンケンのスタジオ等で用いられたOrchesterスピーカーには、姉妹品のPH2132/25/11があり、2つのユニットの特性の違いは、エレクトロボイス社の説明と同じとみられる。また小型スピーカー"Cabinet"のインストール方法にも類似性が指摘できよう。SP8Bも1960年代初頭の第3世代となると、フラット志向に集約されるので、Hi-Fiの過度期におけるビンテージ・オーディオの一断面である。
アンプはあえてキット製品で使われるようなEL84シングルアンプを使ってみた。実際、高能率スピーカーをつないだ場合、普通の家庭用であれば1Wもあれば十分である。小型ビーム管のほうが、低音は弾むように鳴るし、中高域のほのかなツヤが美音を演出する。
ただし、録音品質にばらつきが大きいためイコライザーは必須である。グラフィック・イコライザーのように仰々しいものではなく、3バンドあれば十分で、BEHRINGER社の製品が安くてカッチリした音で相性も良い。
古いライントランスでは、10kHz以上を落としてあげたほうが響きが澄んで聞こえるという逆転現象もみられる。多分、トランスの磁気ヒステリシスで中域にコクと粘りが出るのと、ビーム管特有の高域のツヤ(小さいリンギング)が純粋に乗るからだと思う。
ちなみに私の所有しているのは、1950年代の米UTC社の軍用マイク・トランスで、50Hz〜10kHzがフラットというナロウレンジであるが、レンジ感はピタリと納まってビロードのような肌触りがでてくる。
裏技として1920年代の英国製ラジオ用インターステージ・トランスを使ってみると、5kHz以上が丸まって上品なHMVの音に変わる
これもイコライザーでハイ・カットした音とは違う伸びやかさが出るので不思議だ。こうしたアナログ時代には存在した電気的なトラップを重ねていくことで音の熟成度が増すと思われる
http://quwa.fc2web.com/Audio-105.html#deutche
▲△▽▼
>>26
>件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
>僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。
>言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
という事で
後面開放型ボックスや平面バッフル板を
粋音舎(すいおんしゃ)
ttp://www.soundstage.jp
株式会社 サカエ工芸
ttp://www012.upp.so-net.ne.jp/strata/SAKAE.html
ユートピア製エンクロージャー
ttp://www.utopianet.co.jp/product/import.html
に作って貰って、アシダボックスの世界最高のフルレンジユニットやテレフンケンの伝説の名器を取り付けても、まともな音は出ないのですね。
____
結論
アシダボックスの世界最高のフルレンジユニットが売れなかった理由
アシダボックスのフルレンジユニット(販売期間 1957-1984)
8P-HF1 2950円 : 20cmフルレンジユニット
6P-HF1 1000円 : 16cmフルレンジユニット
・当時のナショナル、コラール、三菱の20cmフルレンジの半分の値段だからハイレベルのオーディオマニアは買おうとすらしなかった
・貧乏人がアシダボックスを買ってもダンボール箱や安物の小型ボックスに取り付けたのでまともな音にならなかった
・ステレオサウンド等のオーディオ評論家はリベートを貰えるメーカーの製品以外は、どんな名機であっても取り上げない。
・アシダボックスのフルレンジユニットを作っていた職人の技術の継承ができなかった。
▲△▽▼
6P-HF1 2013/10/20
https://blogs.yahoo.co.jp/kei94211/47627120.html
エッジの部分が分かりますか?薄くなっているでしょ?。
古くなって薄くなったのではありません。
このユニットの特徴はMRコーンという名前のコーン紙を使用しております。
取扱説明書には“MRコーン”の素晴らしさが「これでもか!」と
言う位紹介されております。
さて、先日 結婚式の席でアシダ音響の御曹司とお話出来る機会がありました。
僕よりも20歳位若い彼にデジカメのこの写真を見せましたら
彼は・・・「これは、美濃和紙なんですよ」・・・・。
・・・「ユニットの再発の要望がありますが金型は何とかなっても
(紙を漉く)職人がいません」・・・・・。
と言っておりました。職人はとっくの昔に他界されていて、
手漉きで生産していたと思われるこのMRコーン、
中心から徐々に薄くなってエッジの部分は光が透けて来る位に
薄く仕上げる・・・まさしく職人技です。
僕は淡い希望を抱きながら、彼に「会社にデッドストックがありませんか?」と
聞きましたが「残念ながらございません」との返事が返ってきました。
まあ、当然と言えば当然の返事に僅かな望みはいとも簡単に打ち砕かれました。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c107
ドイツ SABA のフルレンジ SPユニット
https://vintage-audio.jp/?p=390
メーカー:SABA
モデル名:Permadyn 5298U8
生産国:ドイツ
生産時期:1952〜1958年
型式:シングルコーン
口径:8inインピーダンス:5Ω
マグネット:アルニコV
鮮やかなグリーン色のコーン紙が特徴のドイツ名門SABAのフルレンジSPユニットです。
超軽量コーン紙に小型の磁気回路、ペラペラのプレスフレーム・・・
1950年代の家庭用ドイツ製ユニットの特徴なのですが、これを上手に鳴らすと、英国やアメリカのユニットでは出すことの出来ない、ナチュラルで透明度の高く、繊細で分解能が高いサウンドを奏でるので、見た目じゃ判断できないのです。
そして、これらドイツのユニットを研究すると非常に合理的に作られている事に気が付きます。
超軽量なコーン紙を使用している為に、それを駆動する磁気回路は小さくでき、よってフレームもダイキャスト等大掛かりでなくプレスフレームで十分な強度が取れる訳です。
実に合理的でしょ!
しかも、超軽量コーンはユニットの設計だけでなく、サウンドにも大きなメリットがあります。
軽量だから信号に対しての反応が圧倒的に速いのです。
これにより、全帯域で分解能が高く、小音量時に音が潰れないのです。
小口径・軽量コーンのユニットは、家庭用(家庭用HiFi)ユニットに分類されますので、ドイツ業務用と混同して考えては駄目です。
また、構造上ハイパワーユニットではありませんから、駆動するパワーアンプも、2〜3Wのシングル(またはP-P)管球アンプが適当です。音量が足りないからといって、ハイパワーなアンプを繋いだりしてはいけません、音量を稼ぐ場合は、ユニットを複数個使用します。そして、適度な音量で鳴らすことで、超軽量コーンユニットのメリットが最大限発揮できます。
この事を踏まえてシステムを構築します。
まず、特徴である軽量コーンにあまりプレッシャーを掛けずに使用したい為、平面バッフルか後面開放型が適当だと思います。
密閉型、バスレフ型になるとバックプレッシャーのコントロールが難しくなる事とエンクロージャーの影響を受けやすくなりますので、今回は1940年代の米PHLCO社のAMラジオのキャビネットを利用することにしました。
後面開放型になります。
バッフル板をキャビネットに合わせて製作します。適度な鳴りを考え、9mm厚のフィンランドバーチ合板を使用しました。ユニットのインピーダンスは5Ωなので、2本をシリーズに接続し、トータルインピーダンス10Ωで使用します。それを組み込んで完成です。
そのサウンドですが・・・ユニットの特徴を上手く活かせたシステムになったと思います。決してワイドレンジではありませんが、全帯域に渡って癖がなく明瞭度が高いサウンドです。長時間聴いても聴き疲れすることもなく、部屋の中に音楽が自然に広がっていきます。これ1本で十分か?と言われると、私の場合はそうはいきませんがサブシステムとして、または音楽鑑賞用としてなら十分な能力があります。
ドイツ家庭用シングルユニットは、見た目ではなく実質的な能力の高さを、国内の皆さんも評価して欲しいと思います。
このユニットは、ドイツ(ライプチッヒ)のコレクターからの出物で大変状態の良いユニットでした。同等ユニットも多数ありますので、これらSPユニットをお探しの方は下記までお問い合せ下さい。
https://vintage-audio.jp/?p=390
ドイツ古典フルレンジユニット
http://www.soundstage.jp/Full_Range.html
1950年代のドイツ製フルレンジは、超軽量コーンを強力アルニコマグネットでドライブ。
96〜97dB/W/mの高能率を得ています。
コーンの実効質量は、何と5〜6g!
(fostex FE203等の代表的な軽量ユニットに比べても半分以下です)
*この時代のユニットは同一モデルでもロットの違いによるバリエーションがございます。磁石、フレーム形状等が写真の物と一致しない場合がございますが予めご了承ください。同一品質基準、同一工場で生産されたコーン紙の優秀性は、全てのユニットに共通です。
声、木管がリアルなことは、ドイツヴィンテージユニットに共通の特徴と思いますので、以下の個別ユニットの説明では省略させて頂きました。
____
Telefunken 20cmフルレンジユニット
同社Opusシリーズの大型ラジオ、コンソールに多用されたユニットで、この時代のドイツの情感を伝えてくれる代表的ユニットと言えばこれでしょう。
弾むような低音にクリアな中域と少し華やかな高域を乗せ、
どこまでも楽しく音楽を聴かせてくれます。
特性の暴れが上手く高域のレンジ感に結びついている一面がありますため、
単体で十分楽しめるユニットである反面、ツィータの追加で大幅にグレードアップいたします。特に弦楽の倍音の豊かさ、艶等が顕著に改善され、どなたにも安心してお勧めできるシステムになります。
____
Telefunken 楕円フルレンジユニット
背面放射音が華やかな傾向がありますので、後面開放キャビネットに用いるにはデッドニング等のチューニングが必要ですが、
コーンの材質、面積が同じなので最終的には円形20cmユニットと同じ音色傾向にまとめることが可能です。
ツィータの追加で本領発揮となるのも同じです。
円形20cmユニットより新しい時代のものなので全般に保存状態がよいのも利点かと思います。
_____
SABA 22cmフルレンジユニット Permadyn25
ほぼ20cm口径ながら一回り大きいSABA製のユニットです。
帯域バランスが実に巧みで、 造り手のセンスと技術の高さをうかがい知ることができる HiFi指向の正統派ユニットです。
ハッタリの無い落ち着いた雰囲気の再生音は、
小編成のジャズや男性ボーカルにマッチするかと思いますが、
クラシックでしたらピアノソロもありだと思います。
SABA(Schwarzwälder Apparate-Bau-Anstalt)社は現存しませんが、
Telefunkenの対向メーカーとして一時代を画した総合電機メーカーです。
____
ラーヴェオプタ(LoeweOpta) 20cmフルレンジユニット
ややプレスの効いたコーン紙による張りのある明晰な鳴りっぷりが特徴です。中域を基軸とする表現のためレンジ感は今ひとつですが、その分、弦楽の切れ込み感や、金管の輝き、ピアノのアタック感等が小気味よく出るユニットかと思います。
勿論レンジ感についてはツィータの追加で改善されますので、
最終的なシステムの完成度は他の兄弟銘柄(Graetz、 Telefunken 、 Grundig、 等々)に全く引けを取りません。
_____
ローレンツ(Lorenz) 20cmフルレンジユニット
下手なツィータなら付けない方が良いくらいよく伸びて歪の少ない高域を持ち、それが躍動感溢れる中低域と見事に一体化しています。
ヴィンテージの味わいは薄いかも知れませんが、
音源を選ばないオールマイティなユニットで、
この時代のフルレンジユニットの最高傑作の一つでしょう。
_____
グルンディヒ(Grundig) 20cmフルレンジユニット
ベークダンパならではの硬質でハイスピードな音のユニットです。
帯域は上下に若干狭い傾向がありますので、これをセッテイングで補う工夫が求められます。具体的には、高音をよく反射する硬質の壁面(窓ガラス等)を背にすることや、 部屋のコーナー近くに配置して低音を増強すること、等の工夫になります。
鳴らすのが難しいユニットではありますが、
セッテイングが決まった時には背面音を最大限に利用した後面開放キャビネットの理想形が完成しています。
特にピアノ曲などでは、他のシステムでは得られない生々しい説得力や典雅な余韻表現が可能です。
_____
グレーツ(Graetz) 20cmフルレンジユニット
コルゲーション補強されたコーン紙にNT4クラスの大型マグネットを組み合わせた強力ユニットです。
中域以下に厚みがありチェロのゴリッとしたところの表現などは秀逸です。
高域は出ませんが元々低域がよく伸びていますので、アドオンツィータとの組み合わせで最もワイドレンジなシステムが完成します。
フルオケ再生も迫力十分です。
http://www.soundstage.jp/Full_Range.html
▲△▽▼
粋音舎 ドイツ古典フルレンジユニット用の後面開放型エンクロージャー
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html
ヴィンテージの味わい
この時代のドイツ製ユニットを鳴らすということは、単に昔の音を甦らせるということではありません。
その枯れて乾いた音色は、約60年の歳月をかけた熟成の結果でもあるからです。
歳月という試練に耐える素材、構造、
それを現実の姿にする優れた製造技術、
そして熟成という時間の魔法・・・
全てが結集された再生音は、60年貯蔵の美酒を開封するが如く、今この時のために流れ出すのです。
現代の代表的な軽量ユニットに比べても半分以下という超軽量のコーン紙は空気との親和性が極めて高く、録音マイクがスタジオやステージの空気と交わした会話を
まるでリスニングルームの空気に口移しするように、優しく、熱く、伝えてくれます。
裏板のない開放型キャビネットとの組み合わせは、超軽量振動板の軽快な動きを妨げないための工夫。
最新のハイレゾ音源をも活かす音楽再生の完成形が、60年前のドイツで既に極められていたのです。
______
粋音舎 ドイツ古典フルレンジシステム(受注生産品)
ユニット
口径 20センチ
搭載数 1個
形式 コーン型フルレンジユニット
能率 96dB/W・m
耐入力 5ワット
製造国 ドイツ
キャビネット
寸法 幅38cm×高さ58cm×奥行30cm
形式 後面開放型
材質 フィンランドバーチ材
( 前面グリルは別売となります。)
※ユニット製造元は、テレフンケン、グルンディッヒ、ローレンツ等々の銘柄を取り揃えています。
※ステレオの片側に2個または4個のユニットを用いたタンデム仕様の大型システムも特注製作承ります。
(注記)
本製品は、背後の壁による反射を利用いたします。このため壁との間に50センチ以上の距離が必要です。
壁の材質も反射音の音質に大きく影響しますが、一般的な木質の建築内装材であれば良好な結果が得られます。背後が石膏ボードやガラス板などの場合には、薄手(6ミリ前後)の合板を壁に立て掛けて設置することをお薦めいたします。
本製品に搭載のユニットは、1950年前後にドイツで製造された家庭用ラジオから取り出した使用済みのヴィンテージユニットです。動作良好なユニットを検査厳選の上、 極力外見を揃えてステレオ左右のペアを組んで おりますが、モノラル再生が主流だった当時のラジオ1台からは1つのユニットしか取り出せないため、製造年や保存環境の違いにより細部の形状や色合いが微妙に不揃いな場合があります。
本製品は極めて高能率なため、数ワット程度の小出力真空管アンプとの組み合わせを推奨いたします。 大出力アンプとの組み合わせでは、誤入力等により破損する場合があります。
http://www.soundstage.jp/OpenBack.html
▲△▽▼
合同会社 粋音舎(すいおんしゃ)
E-mail suion@soundstage.jp
TEL 03- 6271- 5760
所在地 東京都練馬区
事業内容 音響機器の企画、製造および販売
製造委託先 株式会社 サカエ工芸
株式会社 サカエ工芸
http://www012.upp.so-net.ne.jp/strata/SAKAE.html
▲△▽▼
4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。
あの手の8pほどのスピーカーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。
スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。
ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。
指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。
尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。
そして、JBLやアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。
回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。
だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。
この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。
タンノイ然り、JBL,アルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。
古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。
件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。
僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。
その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。
ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34
▲△▽▼
VINTAGE AUDIO
ドイツ製のAUDIOを中心に紹介及び販売を致します。
https://vintage-audio.jp/?cat=8
Q&A
Q1: ドイツのヴィンテージスピーカーの特長は何ですか?
音の違いから言いますと、まず聴きやすい、聴き疲れしにくい音だと思います。
決してつまらない音では有りません。多くのスピーカーはかまぼこ型の特性になっており高域と低域を欲張っておりません。音楽や人の声などの核となる中域重視となっております。
構造の違いから言いますと、まず軽いコーン紙にて能率が高いユニットがほとんどです。
レスポンスが大変良く、真空管アンプとの相性も抜群です。またコーンの素材であります紙の質がダントツ的にすばらしいという事でしょう。タンノイなども古いユニットはドイツのコーン紙を使用しております。このコーン紙が最大の特徴です。
Q2: 古いスピーカー達のコンディション、また使用していて壊れないですか?
エッジに関しましては年間にして100ペア以上のユニットを見て来ておりますが、アメリカや日本のユニットのようにエッジがボロボロという物は見たことが有りません。約40〜50年以上前の物ですが有っても故意によるものや縦方向の切れが殆どです。一部のユニットにはガスケットと一緒に外れて切れてしまった物、
Grundigなどはガスケットにスポンジが使われている物がありスポンジを貼り付けていた
接着剤と一緒に硬化してボロボロになっている物も見られます。いずれにしろ
エッジ素材そのものによる劣化ではりません。ウーハーの一部には布エッジも見られますがほとんがフィックスドエッジであり問題なく使用出来ており、よほどの事がなければこれからも問題ないでしょう。
ボイスコイルの擦れに関しましては、やはり物によっては見られます。
保存状態が悪く、錆による物、ゴミが入ってしまった物などです。
ドイツのユニットはボイスコイルとマグネットとの隙間が非常に狭く出来ております。よってレスポンスの良いサウンドを奏でます。日本やアメリカのユニット達はアロワンスをみて広めにとっております。当時のドイツの基本的な技術力、精度の確実さを裏つけております。
Grundigに多く見られるセンターキャップにスポンジを使っている物はスポンジがボロボロになっている物がほとんで要注意でも有ります。ボロボロになっていたら取ってしまった方が安心です。
また蝶ダンパーの物はボイスコイル擦れの物も布ダンパーに比べると多いようです。
音の良いとされている蝶ダンパーから布に変わった点からも布の方が長期間の安定
が望めるからだと思われます。一部の蝶ダンパーはネジの調整によりセンター位置を変える事が可能になっておりますので、簡単に直す事も出来ます。
使用に関しましては、よほどの事がなければまず壊れないでしょう。
これからもずっと使えるスピーカーだと理解しております。
Q3: 最近のAMPに繋げることは可能ですか?
まず,入力インピーダンスになりますが、ドイツのユニットは殆どが4〜6Ωとなっております。
最近のAMPには4Ω端子も付くようになって来ましたが、殆どのトランジスタアンプは4Ω以上であれば問題なく繋げる事が可能です。真空管AMPの場合も出力端子がついていれば問題ありませんが8Ωに繋げても大きな問題はなく、普通に聴く事が可能です。厳密に言うと動作位置が多少狂い、定格より多少パワーが入ります。
スピーカーの最大入力パワーですが、ヴィンテージの物はユニット本体にて10W以下、システムにて25W以下の物が殆どでしょう。50W,100Wのアンプにて聴いていてユニットが壊れるかというと普通に使用している限りでは問題なく使用出来ます。通常、オーディオショップでの音量にて5W程のパワーを使用していると言われますので、自宅でしたら5Wも出せないでしょう。
Q4: どのようなAMPと相性が良いのですか?
真空管AMPかトランジスタなど使用するAMPにてサウンドは変わります。
基本的にはどのAMPでも十分な表現力にて楽しめるかと思いますが当方のシステムでの比較にて参照下さい。
真空管AMPはドイツのBraun EL84PP,2A3シングルを試聴室では使用しておりますが
やはり年代的にも実際に当時も真空管にて鳴らしていたことでしょうから相性は良いと思います。能率が良いので1WクラスのシングルECL82でも十分に鳴ってくれます。
トランジスタはテクにクスのSU-V7を使用しておりますが、低域特性がやはり真空管AMPよりは良いので低音の出方がかなり違います。サイズの割には低域が出ますので
驚ろかれる事でしょう。サウンドも古臭くはあまり感じないでしょう。
https://vintage-audio.jp/?cat=8
▲△▽▼
アシダボックスに一番近いのは当時のドイツの家庭用スピーカーですね _ 2:
1950年代のドイツ製音響機器
1950年代のドイツのオーディオ機器に目を向けると、意外にシンプルなシステム構成であることに気付く
そもそも100dB/W/m の高能率スピーカーを鳴らすことを前提としているので、家庭用はおろか、小規模PA装置でさえも5W〜10Wで十分な音圧が得られた
そしてスピーカーはフィックスド・エッジでベークライト製のスパイラル・ダンパーを用いているため、小音量でも反応スピードが早く、EL84やEL82(6BM8)のシングルで十分に鳴るし、そもそも大入力を入れることはできない。
当時のほとんどの人は、AM放送規格に適合した8kHzまでが限界のフルレンジ・スピーカーで十分だと感じていただろうし、実際にドイツ製フルレンジは、ドイツ語の発音の特性から4〜8kHzが強く出るように調整されているので、高域の不足はほとんど感じないだろう。
以下は戦前のスピーカーの特性であるが、最初の2way化によるワイドレンジ化からはじまり、1930年代にはシングルコーンのフルレンジで十分な高域特性が得られている。
Siemens&Halske社の2way特性(1928年)
Isophon P25の周波数特性
これを普通のフラットな特性で聞く場合は、ヴァイオリンとピアノの音色の違いが気になるだろう。
ヴァイオリンは中高域が強いのに、ピアノは高域の落ちたカマボコ型である。
このことの原因も、ドイツ製スーピカーの 2kHzの落ち込みと 4〜8kHzの盛り上がりで説明できる。この強く出るのは単純に音圧が強いだけでなく、反応も早い特徴がある。なのでイコライザーで上げて調整してもどこか不自然なところが残るため、あくまでもスピーカーの機能で補うべきものである。
これにEL84やEL34などのビーム管を合わせることで、帯域が狭くても切れ込みの強いサウンドが得られる。
また当時に良く行われたレコード鑑賞会というのも注目して良いと思っている。ようするに公民館の映画鑑賞会の延長のようなもので、そのときに使われたのはオイロダインのような立派な劇場用スピーカーではなく、スーツケースに入れた25cm程度のフルレンジスピーカーで、アンプもEL84プッシュプルで十分な音量が得られた。
フルレンジでも10kHzまでの再生周波数でサービスエリアが約50度得られることから、ちょっとしたホールでも十分に鳴り渡る。必要な機能を絞った現実主義から学ぶべき点は多いように思う。
Klangfilm社の移動式映画館
Siemens社 スーツケース・スピーカー
2000型映写機用
当時のドイツでは、小学校などを巡回する移動映画館やレコードコンサートがよく行われ、LPレコードはそうしたところで使われる教育的な用途もあったと思われる。
そもそもドイツ・グラモフォンはジーメンス社の傘下にあり、レコード・コンサートは当然ジーメンス社のPAシステムで行われたと考えられる。もちろんKlangfilmも擁する大企業であるため、高級オーディオ機器の製造もあるにはあったが、戦後霹靂としたドイツ人が新たにオーディオを購入できるわけもなく、こうしたサービスを通じて新しいHi-Fi機器を知ってもらおうという意図も感じられる。
巡回用の簡易PAは、25cm程度のフルレンジスピーカーをスーツケースに治めたものを、10W程度のEL84アンプで鳴らしていた。50名強の人数なら、これで十分な音響が得られた。
注意したいのは、ドイツ・グラモフォンのLP発売は1952年からで、それ以前はVARIABLE GRADE という78rpmのシェラック盤だったことである。
1941年からテープ録音を実用化していたドイツにおいて、意外に思えるかもしれないが、
テープ録音 → ラッカー盤
という工程を終えるとテープが破棄されることもしばしばあった。その後、LP用にテープにダビングされ保存されたものもある。例えば、フルトヴェングラーの1951年セッション録音、ケンプのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集のうち1951年録音は本来ラッカー原盤だとされる。
逆に戦中からテープ録音での放送を楽しんでいたドイツ家庭において、Hi-Fiという文字はあまり意味がなかったらしく、LPの表示は「LANGSPIELPALTTE 33」という規格を示すのみである。このことからも、ドイツの放送規格とのグレーゾーンを辿っていたことも十分に考えられる。
このラジオ音源も曲者で、最近オリジナル・テープからリマスターされた、ベルリンのRIASやウィーンのRot-Weiss-Rotの録音は、1940年代でも驚くほど鮮明である。マイクの生音に近いので、人によっては高域がうるさいと感じるだろう。要は一般に流布する媒体に、これまで該当するものがなかっただけなのである。
15. 2013年9月05日 11:24:58 : W18zBTaIM6
家庭用オーディオについては、当時のドイツの状況からすると、以下の3タイプに分かれよう。
1.ほとんどの庶民はラジオで試聴し、LPを聴く機会はレコード鑑賞会も多かったと思われる。また一体型コンソール(Kombination:コンポ)も多数あった。これらの場合、ほとんどの場合フルレンジのみが基本である。
2.海外向けの高級オーディオ機器では、高域拡散用にコーン・ツイーターが幾つも付いているタイプが多い。これは1950年代のドイツにしかみられない様式である。
3.スタジオモニターで有名なLorenz社のポリエチレン製ツイーターは、英米のスタジオ機器で持て囃されたことから一目置かれているが、強烈な高域特性で、いわばF1レーシングカーのようなものである。
このように当時のどのような立場で試聴するのかでも、録音に対する印象が違うと思う。それほどに、1950年代のドイツ・グラモフォンの録音は評価が定まりにくいのである。
はっきり言えることは、高能率だからと1970年代以降の重たいウーハーをEL156で鳴らすことはあり得ないと思うし、高域が足らないからと10kHz以上の再生周波数を無闇に伸ばす必要もない。
モノラル期のドイツ・グラモフォンは、もっと広い階層のユーザーに開かれた再生方法があるのだと思う。 ここでは個人的なプランで組んだ低予算システムを以下に示す。
1.95dB/W/m以上の高能率で、高域の4〜8kHzが落ちないフルレンジ・スピーカー1本
2.EL84(6BQ8)、EL82(6BM8)などの小型ビーム管のシングルアンプ
3.録音品質のばらつきが大きいためイコライザーは必須
4.CD再生の場合は古いライントランスで微妙な味付け
フルレンジスピーカーでは、私の所有しているのは米Electro Voice社のSP8Bという20cmユニットをBaronetというコーナー型バックロードホーンに納めている。
当時のエレクトロボイス社はPatricianという4wayシステムを筆頭にHi-Fi再生の先端を行っており、アメリカ製でクラシック再生ではトップを行くメーカーと考えていいと思う。
一方で、Baronetのような小型システムでは、小音量で快適に聴けるように高域の扱いを変えていて、SP8Bはアメリカ製では珍しくダブルコーンを使い4〜8kHzを持ち上げている。
これはテープ録音がドイツから移入された初期の、Hi-Fiらしさを演出する工夫であり、このことが1950年代の家庭用システムを知る鍵であるように思われる。
これと同じ傾向の音では、サブコーンが付いたイギリスのLowther PM6、最近の製品ではイタリアのSICA社のPA用フルレンジも同様の特性を持っていて有用だと思う。
1950年代のエレクトロボイス社がドイツ的なサウンドポリシーを持っていたと言える理由のもうひとつは、同時代のIsophon社のカタログとの比較でも明らかになる。
当時はモニタースピーカーとして開発され、テレフンケンのスタジオ等で用いられたOrchesterスピーカーには、姉妹品のPH2132/25/11があり、2つのユニットの特性の違いは、エレクトロボイス社の説明と同じとみられる。また小型スピーカー"Cabinet"のインストール方法にも類似性が指摘できよう。SP8Bも1960年代初頭の第3世代となると、フラット志向に集約されるので、Hi-Fiの過度期におけるビンテージ・オーディオの一断面である。
アンプはあえてキット製品で使われるようなEL84シングルアンプを使ってみた。実際、高能率スピーカーをつないだ場合、普通の家庭用であれば1Wもあれば十分である。小型ビーム管のほうが、低音は弾むように鳴るし、中高域のほのかなツヤが美音を演出する。
ただし、録音品質にばらつきが大きいためイコライザーは必須である。グラフィック・イコライザーのように仰々しいものではなく、3バンドあれば十分で、BEHRINGER社の製品が安くてカッチリした音で相性も良い。
古いライントランスでは、10kHz以上を落としてあげたほうが響きが澄んで聞こえるという逆転現象もみられる。多分、トランスの磁気ヒステリシスで中域にコクと粘りが出るのと、ビーム管特有の高域のツヤ(小さいリンギング)が純粋に乗るからだと思う。
ちなみに私の所有しているのは、1950年代の米UTC社の軍用マイク・トランスで、50Hz〜10kHzがフラットというナロウレンジであるが、レンジ感はピタリと納まってビロードのような肌触りがでてくる。
裏技として1920年代の英国製ラジオ用インターステージ・トランスを使ってみると、5kHz以上が丸まって上品なHMVの音に変わる
これもイコライザーでハイ・カットした音とは違う伸びやかさが出るので不思議だ。こうしたアナログ時代には存在した電気的なトラップを重ねていくことで音の熟成度が増すと思われる
http://quwa.fc2web.com/Audio-105.html#deutche
▲△▽▼
>>26
>件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
>僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。
>言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
という事で
後面開放型ボックスや平面バッフル板を
粋音舎(すいおんしゃ)
ttp://www.soundstage.jp
株式会社 サカエ工芸
ttp://www012.upp.so-net.ne.jp/strata/SAKAE.html
ユートピア製エンクロージャー
ttp://www.utopianet.co.jp/product/import.html
に作って貰って、アシダボックスの世界最高のフルレンジユニットやテレフンケンの伝説の名器を取り付けても、まともな音は出ないのですね。
____
結論
アシダボックスの世界最高のフルレンジユニットが売れなかった理由
アシダボックスのフルレンジユニット(販売期間 1957-1984)
8P-HF1 2950円 : 20cmフルレンジユニット
6P-HF1 1000円 : 16cmフルレンジユニット
・当時のナショナル、コラール、三菱の20cmフルレンジの半分の値段だからハイレベルのオーディオマニアは買おうとすらしなかった
・貧乏人がアシダボックスを買ってもダンボール箱や安物の小型ボックスに取り付けたのでまともな音にならなかった
・ステレオサウンド等のオーディオ評論家はリベートを貰えるメーカーの製品以外は、どんな名機であっても取り上げない。
・アシダボックスのフルレンジユニットを作っていた職人の技術の継承ができなかった。
▲△▽▼
6P-HF1 2013/10/20
https://blogs.yahoo.co.jp/kei94211/47627120.html
エッジの部分が分かりますか?薄くなっているでしょ?。
古くなって薄くなったのではありません。
このユニットの特徴はMRコーンという名前のコーン紙を使用しております。
取扱説明書には“MRコーン”の素晴らしさが「これでもか!」と
言う位紹介されております。
さて、先日 結婚式の席でアシダ音響の御曹司とお話出来る機会がありました。
僕よりも20歳位若い彼にデジカメのこの写真を見せましたら
彼は・・・「これは、美濃和紙なんですよ」・・・・。
・・・「ユニットの再発の要望がありますが金型は何とかなっても
(紙を漉く)職人がいません」・・・・・。
と言っておりました。職人はとっくの昔に他界されていて、
手漉きで生産していたと思われるこのMRコーン、
中心から徐々に薄くなってエッジの部分は光が透けて来る位に
薄く仕上げる・・・まさしく職人技です。
僕は淡い希望を抱きながら、彼に「会社にデッドストックがありませんか?」と
聞きましたが「残念ながらございません」との返事が返ってきました。
まあ、当然と言えば当然の返事に僅かな望みはいとも簡単に打ち砕かれました。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c118
前の独身時代、会社の同僚が ポータ ブルのCDプレ ーヤーを持ち込んできたの がCDとの初遭遇です。
当時 、ラジオ技術誌の紙上で、デジタルマスターと各種カートリッジ の試聴試験が行われ、ダイナベクター社のカラットシリーズの評価が最も高かった為、早速、価格の安い方のカラットルビーを購入し愛用しておりまして、ターンテーブル・トーンアームもそれなりのものを使用しておりましたが、CDからの音が、わたくしが満足していたレコードの音 とさほど遜色がなく、大変な衝撃を受けました。
その後ソニーのCDプレーヤーを購入し、CDプレーヤーから出る音に、それなり に満足したのですが、どういう訳か1カ月もするとCDの音がつまらなくなり、レコードに逆戻り。
その時は、原因も考えすらしなかったのですが、その後、ラジオ技術誌でフィデリックスの中川さんが開発した、「ハーモネーター」の紹介記事が載り、失われた 20KHz 以上の重要性を認識した次第。 詳細は後述
「ハーモネーター」の価格は当時9万円と高額であった為、購入するまでには至りませんでしたが。
その後、CD とは暫くお さらばしていましたが、オーディオユニオンに行った時、パイオニアにレガートリンクと言う失われた高音域を電気的に付加する回路のついたCDプレーヤーが有ると聞いて、「 PD HL5 」を思い切って購入。
ところが、 橋真梨子 のハスキー ボイスが、ハスキーを通り越して、歪だらけのザラツキボイス。弦の音もうるさ過 ぎて聴けやしない。
どうしたものかと、思い悩んでいたときに、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、サトームセンのオーディオフロアーの名物販売員だった茂木さん(現オーディオもてぎの社長)が、 エレプトン新潟精密社の高音域拡張機能を備えたDAコン
バータ「 FDA1241 」を一押ししており、更に、たまたま人間ドッグの待ち時間に立ち寄った千葉市のオーディオショップ「オンケン」でも「F DA1241 」とCECのCDトランスポート「 TL5100 」の 組み合わせ がベストとの話を受け、女房を拝み倒して購入。
結婚して以来、小遣い以外でオーディオ機器を購入したのは、この時が最初で最後
ところが、これが我がオーディオ人生の中で最大のがっかり。
橋真梨子も弦の音も、 「 PD HL5 」となんら変わらず。この日から、10数年に渡る、デジタル信号との長い長い闘いの日々が始まった訳です。
手始めに、PCM の理論も全く判らない人間が、秋葉原を彷徨い出会った海神無線で勧められるままに抵抗・ コンデンサー を購入し、無謀にも DAC やトランスポートの基板で使用の部品と交換。
効果は認められるが、目的には程遠く。その後、ネットの情報を頼りに DAC 基板の組み立てから始まり、 CMOS ・ DAC 等の IC チップをいじくりまわすようになり、ネット上で見つかった音質改良効果が有ると言う方法はオカルトめいた内容でも悉く試験。少しずつは良くなったかな。
劇的に改良効果をもたらしたのが、「ハーモネーター」を開発したフィデリ ックスのホームページの中で書かれた技術情報で見つけた2つの技術。
@一つは、「低ジッター水晶発振器」の情報中に書かれた、 FET を基準電圧とする 低雑 音 3 端子レギュレータで、雑音が通常の 3 端子レギュレータの数10分の 1 まで減 るとのこと。どうも、デジタルIC作動用の基準電圧を作る3端子レ
ギュレータ( 殆どのデジタル機器で使用)は雑音が多い為、どんなに供給電源をクリーン化しても、機器中で 3 端子レギュレータを使用する限り、電源由来の雑音は減らない為、ジッターも減らす事は出来ないようです。
これは効果が有りました。
Aもう一つは、 FET を使用したディスクリート水晶発振器
「低ジッター水晶発振器」の技術情報中には回路の詳細が書かれていなかった為、適 当に FET 使用の発振回路を見つけて、組んで見たところ甚だしい効果が有りました。
右図
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf
その後、中川さんの特許中の回路を見つけて組んでみると、更に改良効果あり
中川さんが測定したところでは、この手の水晶発振器の中では最もジッターが低い物の一つとの事
中川さんの技術力の高さが窺われる次第です。
2つとも部品代は数100 円で済む事から、大手メーカーの技術陣が中川さんレベルの開発を行ってくれていれば 、安価な CDプレーヤーでも、飛躍的な音質改良を行う事が出来たと思います。そうすれば、現在のオーディオ産業の衰退が少しでも防ぐ事が出来たのではないかと思うと、メーカーの技術者の怠慢に甚だしい憤りを感じる次第です。
※上記、2つの回路は MJ2016 年の 6月号に載っていますので、ご興味のある方はどうぞお試しを 。
尚、水晶発振器の回路は、特許申請されていますのでご注意を(特許技術の個人使用に違法性はありませんが)
先にも書きましたが、CD はジッターの問題以上の 20KHz 以上の超音波域をカットしたと言う致命的な欠陥が有ります。
テレビの番組で 2 回ほど
一つは「所さんの目がテン」、もう一つは番組名を忘れました
レコードと CD と聴き比べた際の脳波の違いを扱っていましたが、両番組とも、殆どの被験者はレコードを聴いた際にα波が発生するのに対し、同じ曲をCDで聴いた場合はβ波ばかりでα波は発生しないという結果でした。
20KHz 以上の超音波域が、 20KHz 以下の可聴帯域と連動して耳に入るとα波が発生するすると言う事 が、近年「ハイパーソニック・エフェクト 」と言う名で証明されています。
「ハイパーソニッ ク・エフェクト 」が得られる要因は
@ 20KHz 以上の超音波域が、 20KHz 以下の可聴領域と連動して出ている。
A 20KHz 以上の超音波域は、楽器の倍音である必要はなく、ランダムノイズで構わない。(レコードのスクラッチノイズ、テープのヒスノイズも効果が有るかもしれません)
※楽器で 20KHz 以上の倍音が出るのは、「チェンバロ」と「チター」のみで、他の楽器は、擦れた音とか、息漏れとか、楽器の倍音とは凡そかけ離れたランダムノイズが中心とのこと。
※「ハーモネーター」は超音波域として、熱雑音を使用しており、それを理由に「ハーモネーター」を否定される方がいますが、全くの的外れと言う事になります。
B 人間の耳は、構造的には 100kHz 以上の超音波域も感じる構造になっており、それが脳幹まで伝わり20KHz 以上の超音波域を感じてα波が発生するとのこと。
耳だけではなく、体全体で超音波域を感じているという説もあります。
※音として聞こえないのは、単に聴覚ネットワークが衰えた為で、脳はちゃんと感じているとの事。
C 最近の研究では、超音波域を聞くと、脳の老化も防げる とのこと。
※超音波域の倍音を含むチェンバロ
勿論生演奏のは、ピアノに比べ脳の活性化に効果が有るとの事
端的に言うと、
何らかの高音域拡張(補間)装置が無い場合は、
CD を聞いてもα波は出ない
CDを聴いても、レコードを聴いたときの様な感動は得られない
と言う事になります。
最近、ハイレゾが流行りだしたのは、これが原因です。
尚、経験上この手の装置を使う場合、充分なジッター対策を怠ると、単なる歪感増強装置になってしまいかねませんので注意が必要です。
※高音域拡張(補間)装置の例
フィデリックス ハーモネーター SH 20K (オークションで 2 万円以下で入手可)
ビクター K2 プロセッシング
パイオニア レガートリンクコンバージョン
テクニクス デジタルマスタープロセシング
新潟精密
フルエンシ DAC チップ( FN1241 FN1242A
ESOTERIC の X 30 や LUXMAN の D 80 で使用
PC オーディオ用再生ソ フト Frieve Audio
わたくし が在籍した会社の開発部門の人間に(食品の開発担当でオーディオの知識を持つ者はいません)に Frieve Audio を使用して、超音波域を付加した場合と、しない場合で聴き比べを行いましたが、 1 0人 が 10 人とも、超音波域を付加した方が、実際に音楽を聞いているような感じで良いとの答えでした。
※因みに、スピーカーはパソコンのUSB端子に直接接続するタイプのおもちゃの様なUSBスピーカーを使用しています
酒の席で、これもオーディオに縁のない連中に聴かせたところ、殆ど皆が超音波域を付加した方が生っぽくて良いとの答えでした。
*オーディオファンは、左脳で音楽を聴くきら いがあるとの事ですので、意外と違いが判らないという方が多かったりする恐れはあります。
アナログで聴いていたころは、アイデンのユニットとフォステックスのツィーターで充分満足していましたが、デジタルを音源にすると、音の濁りが気になり、何とかならないかと血迷い本来関係が無い筈のスピーカーの低音・中音・高音用の全
てのユニ ット を交換する事になり大変な出費となってしまいました。
アンプの部品も、金属皮膜かカーボン抵抗で間に合っていたものを高価な巻線抵抗に交換するなど、デジタルは全くの銭食い虫です。
今考えると、音の入口(DAC 周り) を改良すれば済んだ事ですが、当時は DAC の改良がどこまで出来るのか未知数で、ついついアンプ・スピーカーの方まで手を染めてしまった次第です。
アナログの時代は、安い装置でもそれなりの音が出てくれましたが。デジタルはジッター対策や高音域の補間対策を怠るとまともな音が出ないという、全くマニア泣かせの問題児で、メーカーもデジタルを世に送り込んだ以上、責任を持ってまともな音の出る機器を開発しろと叫びたい気持ちでいっぱいです。
「PC オーディオ」との出会い
秋葉原の「アポロ電子」と言う真空管販売店を訪れた際、店主が年配のお客さんと談笑しながら、こちらを向いて、
「デジタルは CDプレーヤーで聴くより、 iPad で聴いた方が音が良いよ」
と話し掛けてきました。
iPad や iPhone に全く縁のない わたくしには、何の事か意味も判らずポカンとして相槌を打つだけでしたが。
その後、PC オーディオなるものがボチボチと世の中に姿を見せるようになり 試
してみるかと USB の信号の一本を DAC のデジタル入力に繋いだのですが、当
然音は出ず見事に撃沈 。
調べてみると、 USB DAC なるもの が必要とのことで、キットを購入し、自作の DAC に組み込んで試聴。 CDプレーヤー独特の賑やかさが抑えられ、落ち着いた音が出て、ひょっとしたらと期待を抱かせました。
試聴に使用したパソコンは、物置に仕舞い込んだ 2000 年に購入した低スペック品。高スペックのPCを使用すれば、更に音が良くなるかと Core 2 Duo モデルをオークシ ョンで入手 。ところが、音がこもって 前に出てこない。またまた、オカルトめいた話になりますが、ネットで見るとどうもスペックの低い PC の方が音が良いという書き込みがボチボチと。
低スペックのノートパソコンは、オークションで 2,000 円程度で入手できるため、試験用に何台入手した事か。 やはり低スペックのパソコンの方が、音に躍動感が有るようです。
ネットを見ると、再生ソ フトでも音が変わると何種もの再生ソフト が紹介されており、何せ無料で再生ソフトが入手できる ので、色々 と試 しました。
OS は Windows より Mac の方が音が良い とか 、Linux は更に音が良いとか。
出張中に Linux の案内書を購入 もちろん自費で
恐る恐るネットのブログを参考にしながらインストール。それがなんと、インストールに成功しただけでなく、意外にも音出しにも成功。ほんと、良いおもちゃです。
Linux は Windows に比べ OS 自体が軽いせいか、音も快調。
何せ Linux の OS は無料で入手できますから、色々な OSを試す事が出来てそれはそれは楽しい事。
Linux には、マニアの間では一番音が良いとされる Voyage Mpd なる音楽再生に特化した超軽量の O S(他のパソコンでリモートコントロールして音を出すタイプ)などもあり、まるでカートリッジ を交換するような楽しみが有ります。
わたくしが試験した中では、 Puppy linux と言う超軽量タイプの OS (メモリに OS 自体をコピーして使用するので動作がきわめて速い)の音が一番良いかなという印象です。
Puppy linux を音楽用に特化した MpdPup なる OS の様に、 Voyage Mpd を遥かに超えたOS もあり、暇つぶしにはもってこいです。
USB DAC 本体も大分改良が進んで音の方も改善されて、 CDプレーヤーと比較しても甲乙つけがたく、音が落ち着いている分 PC オーディオの方が聴きやすいかなと言った印象です。
勿論、気分や ソース によって、 CD の方が好ましいと感じる時もあります。
この辺は、 カート リッジの交換と同じような感覚です。
PC で音楽再生をと言うと眉をひそめる向きもありますが、考えてみると、 CD プレーヤーは CD のデーターをその場で必死にエラーを補正しながら読み取りますが、PC は既に取り込んだ音楽ファイルのデジタルデーターを DAC に流し込むだけですから、無駄な労力を使わない分、余裕で再生が出来るのかもしれません。何せ CD 作成時はパソコンで音源を 編集するとの 事ですので、 PC オーディオは元来 CD プレーヤーと兄弟のような関係にあるのかもしれません。
http://www.aafc.jp/Essay/2016/Turedure/20160907Turedure-02.pdf
▲△▽▼
粋音舎 ドイツ古典フルレンジシステム
良質なヴィンテージこそ最先端
粋音舎 TDA1541A 搭載 DAコンバーター SAA-DAC2
http://www.soundstage.jp/DAC.html
デジタルにも、再訪すべき時代があり、ヴィンテージと呼ぶに相応しい名品があります。
TDA1541は、当時のPhilips社が、デジタル・アナログ変換の基本に最も忠実に設計したチップです。
対応フォーマットは、16bit 44.1kHzのみのノーマルCD専用仕様。
このシンプルさが、余計な信号処理に起因するノイズや信号劣化からの解放を可能にします。
後代のチップは、多機能化とコスト削減のために高集積化を推し進め、どんどん音が悪くなって行きます。
一方、TDA1541には、メーカーが手慣れる前の贅沢な設計と誠実な製造努力が注ぎ込まれています。
超低ジッタークロックの搭載を始めとして、超低ESR電解コンデンサー、超低ノイズ抵抗等々、21世紀水準のハイグレードパーツで周囲を固めることにより、TDA1541Aの潜在力を最大限に引き出したのが本機です。
このDACを通るとき、お手持ちの全てのCDソフトが新たな輝きを得て生まれ変わります。
限られた音源のために高解像フォーマットへ移行するよりも、遥かに手軽で大きな感動を、お約束いたします。
本DAC製品は、アナログ部を全面リファインした新規モデル、SAA-DAC2となりました。
標準仕様
型式:SAA-DAC2
デジタル入力:RCA同軸
アナログ出力: RCAアンバランス
対応フォーマット:16bit, 44.1KHz
寸法:220×320×83mm(幅×奥行×高さ)
標準価格 \140,000円(税込)
http://www.soundstage.jp/DAC.html
▲△▽▼
DACを考える 2015.11.30
http://ybn-okayama.jugem.jp/?eid=63
暫く前までは、ん倍オーバーサンプリングの何ビットとかを競い合うような宣伝文句ばかりでしたが、最近はオーバーサンプリングに関しての記述はあまり見なくなってきました、今では192K24ビットが当たり前で32ビットもチラホラ、オーバーサンプリングの表記の影の薄い事・・・・
外付けICは無くなって、DAC自体に標準で8倍が搭載されているので、DACメーカー名が前面に出て、一体何を基準にするのか?ICメーカーで判断しろという事なんでしょうか?もっとも回路はそのICメーカーの推奨回路をそのままなので、ある意味ではメーカー名で判断する事も確かかもしれません。
雑誌の記事を見るとオーバーサンプリングをさせないNOS-DAC(ノンオーバーサンプリングダック)の記事もチラホラ・・・
出始めの頃は、CDの音は耳に良くないとまで言われていましたが、それもこれもフィルターの問題からでした。
企業としては44.1kHzダイレクトのDACだとフィルター特性を確保しようとすれば、10KHzからダラ落ちになるし、甘くすれば最悪はトゥーイーターの破損も有り得るので、やはりフィルターは急峻とせざるを得なくなり、結果的につまらない音になる事なってしまいます。
そこで現れたのがオーバーサンプリング技法で(NECは第一世代の803から2倍を搭載し、他社の度肝を冷やした)オーバーサンプリングICを入れることで、帯域の確保は楽になって、フィルターもラフな物で十分となり、企業はその成果だけを前面に押し出したが、演算まるめ誤差から来る空気感的ものが無くなって、レコードの方が良く聞こえてしまったりして、いつの間にか、オーバーサンプリングが音質劣化の音楽知らずの根源のように思われていたようです。(録音現場も同じで、アップサンプラーを使えば何でも可能とばかりに、音楽知らずの編集者が増えた事も起因しています。技に溺れたということです)
(注意:今とは精度も速度もぜんぜん違うので、現行品との比較は出来ないです、過去の話です。)
オーバーサンプリングも精々2倍まででしょうか?自分はそう考えますが、NOSはチョッと怖いです。
DACの製作の打診が有って、ICを何にしようかと資料を眺めつつ、自作で出来る範疇でしかもDSDダイレクト(SACD)も繋げるようにとなると、種類も限定されてきます。
DACのモードをソフトで制御するタイプではどうしても通信制御にマイコンが必要になってしまい、自作としてはハード制御が可能なICを選択せざるを得ない、と考えています。
話は変わりますが、DSDとPCMの言葉が当たり前のように記述されていますが、DSDはPDMと書くべきでは?と自分なりに考えつつも、DSDが一人歩きしているのでそれも時代の流れかなぁ、と考えてますが、何と無く合点がいきません。
さて、自作が可能なハード制御のDACとなると、WofsonのWM8741か、BBのPCM1794に落ち着きました。
ソフト制御が出来るならば、ESSのES9018Sが、高評価を貰っています。値段の問題とその入手手段(資料自体の詳細は公表されてなく、代理店に書類提出が必要)に難点がありましたので、もし、顧客がES9018Sを指定するならば、既製品の基板を買って箱に収めるという事になります、が、それでは自分として面白く有りません。
SACDプレーヤーではデジタルデータは出ていません、稀に出て行く機種も有りますが、大半はPCM変換されているので正しいDSD(PDM)の復調を外部DACでは出来ない事になります。
では、どうするか、SACDプレーヤー自体から、DSD(PDM)信号を外部に取り出すための端子をつける必要が有ります。
PDM信号はL/Rの2線とビットクロックの3本が有れば復調出来ます。その際、CDのデータも取り出す事を考えれば、更に1本のクロックライン、とDSD/PCMのモード切替線があれば、DSD/PCM共に外部に出せます。
端子はHDMI端子とすれば、その規格からデータ、クロックを差動伝送は出来そうです。
個人的に好きなDACはフィリップスのTDA1541A、このDACの音が一番好きですが、残念ながらDSD(PDM)の復調は出来ませんので、依頼にはそぐわない事になります。
故長岡さんが、NECに作らせたCD−10の音は今でも忘れられない音です。
Wolfsonは買収されて、今はシーラスロジックからの供給ですが、シーラスロジックからは、いつの間にか見れなくなりましたが、閲覧は他でも出来るのでダウンロードしました。
WM8741の面白い所は、そのフィルター特性が切り替えできる事(3種)変わったところでは、出力が電流ではなく電圧で出ている事でした。BBのPCM1794は様々なページで製作記事も出ているし、作るなら一番楽では無いかと思えます。
来年の話になるでしょうが、WM8741を使ったDACの製作紹介が出来る事になるでしょう。もっとも、正式な依頼があればの話ですがね。いきなり本番仕様(L/R独立モノラル仕様)で材料を揃えるとそれなりのコストが掛かるので、お試し的な製作で実験はやってみます。(意外とこれが本番になったりして・・・)
http://ybn-okayama.jugem.jp/?eid=63
▲△▽▼
シロクマ TDC-2000 2017年12月23日
https://blog.goo.ne.jp/gikyusan/e/0af83bab6036eb8c93fa9c1f683f196d
戯休「今日はシロクマのUSB-DAC内蔵アンプ『TDC-2000』のお話をしましょう。」
TDC-2000 USB NOS-DAC デジタルアンプ 爽やかで自然な音のスピーカー タイムドメイン
https://www.shirokuma.co.jp/timedomain/product/TDC-2000N/
侍「シロクマの商品は何度か取り上げましたよね。 タイムドメイン関係のを扱ってて。」
戯休「そうそう。 タイムドメイン理論系の中で、筒系で小型の物を売ってくれてるから、有難い。」
旗本「本家は小型になると卵系だからな・・・。」
戯休「卵系は卵系で良さがあるけど、筒系は筒系の良さがあるわけで。 それについては俺如きが語るまでもないでしょう。」
侍「でも、今回はスピーカーではなくアンプなんですね。」
戯休「元々アクティブだけでなくパッシブタイプも売ってたから、アンプは取り扱ってはいたよ。 ただ、今回はUSB-DAC内蔵ということで、本家にもない仕様の商品になるね。」
旗本「ふむ・・・。 それも時代の流れということになるか・・・。」
戯休「開発についてはどういう流れかは判らんけど、まぁ本家の正規品みたいに思っていいと思うし、その意味では出来も期待していいんじゃなかろうか。」
侍「成程・・。 そうなると、シロクマのこれを買って、スピーカーはタイムドメイン本家の物、という事も可能になるわけですね。」
戯休「そだね。 Yoshii9もMk2になってから単品販売始めてるし、場合によってはそれも可能だね。」
旗本「値段差はあるのか? 多少であればそれを狙うのも悪くは無さそうだが。」
戯休「これが税抜78000円。 Yoshii9Mk2スピーカー単品が税抜250000円。 アンプとセットで税抜300000円。 税抜価格換算だと、差額28000円かな。」
侍「うーん・・・それだったら全然こっちの組合せでも悪くないような・・?」
戯休「気になるとするなら、Yoshii9Mk2のアンプ単品が税抜90000円することかなぁ・・。 セット割引なのか単品購入を割に合わなくしてるのかは判らないけど。」
旗本「可能性として、アンプ部分だけの比較であれば、純正に劣る可能性があるということか?」
戯休「こっちのほうがパワーは上回ってるんだけどね・・・。 個人的にはセット割引なんだと思うけど。」
侍「Yoshii9Mk2にも最初からこのアンプを組み合わせることが出来れば良いんですけどね。」
戯休「そういう流れはどこかで期待したいもんだね・・・。 で、ここからちょいと蛇足な話になるけど・・・このアンプ、USB NOS-DACという言葉が使われてもいるですよ。」
旗本「ぬ・・? USB-DAC位なら儂も判らんでもなくなったが、また横文字が加わっておるのか?」
戯休「NOSはノンオーバーサンプリングの略で、要は最近のDACみたいにオーバーサンプリング処理を行わないという意らしい。」
侍「あ、そういえばどこぞの高級プレーヤーにもありましたよね。 CD再生時にはハイレゾ非対応のCD専用チップで再生するとか。」
戯休「うん。 個人的にはそういうのは大好きなんだよね。 だから今回もそういう採用をされたのは実に歓迎すべき事なんだよ。」
旗本「CD相当の音源しか再生できぬという弱点はあるが・・・仕方がなかろうな。」
戯休「そうすることで余韻が生まれるとか空気感が正確に再現されたりするんだそうだけど・・・逆にもうどうしたらいいのか判らなくもなるよねぇ・・・。」
侍「余韻とか空気感って、オーバーサンプリングも含めたハイレゾ音源の常套句ですしね。 した方が良いのかしない方が良いのか、迷う部分はあります。」
戯休「CD音源に限った話として、それを最近のDACチップで手を加えるから拙いのであって、最初からハイレゾで録音されてて、それをそのまま再生する分には問題ない・・・と思えば良いんだろうか?」
旗本「うむ・・・。 どちらの言い分も満たすには、その解釈が真っ当だとは思うが・・。」
戯休「そうなると、各社の高級CDプレーヤーも、SACDやUSB-DACを考えなければ少し前のDACチップを使ったほうが良いってことになるのかなぁ・・・?」
侍「少し前のプレーヤーを愛好する方々は多いですし、それも否定は出来ませんね。」
戯休「・・・粋音舎さんのこういったDAC
TDA1541A搭載DAコンバーター SAA-DAC2
http://www.soundstage.jp/DAC.html
とか前から気になってtけど、こうなってくると更に存在感増すなぁ・・・。」
旗本「読み取るメカについては最近の機種のほうが正確故、それらと組み合わせる事で良い結果も出るやもしれぬな。」
戯休「CDそのものがハイレゾに劣っているというより、ハイレゾの土俵でCDを戦わせるから不利な条件で負ける・・・そんな話になるなら・・・・それはそれで面白いよね。」
https://blog.goo.ne.jp/gikyusan/e/0af83bab6036eb8c93fa9c1f683f196d
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c108
秋篠宮家の崩壊
かつて週刊誌や論壇誌は、雅子さまとそのご実家・小和田家をそれこそ袋叩きにしました。
雅子さまの父・小和田恆さんはリベラル的な立場の方だったため、小和田王朝によって皇室が乗っ取られるとか妄想めいた記事までありました。週刊誌の雄『週刊文春』もこれに漏れず、雅子さまを袋叩きに。バックナンバーを図書館などで読めば、その酷さが解るはずです。
しかし令和の時代となり、今上陛下と雅子さまが即位されると評価は一転。ようやくバッシングも終わりを告げようとしています。しかし、もちろんこの背後には秋篠宮家の自爆プレイが連続したことも忘れてはなりません。
眞子さまと小室圭さんの結婚延期問題、佳子さまの自爆発言などなど。秋篠宮殿下はクスリとアルコールが手放せない状態だと報道が続いていますが、多くの国民は自業自得だと思っていることでしょう。
秋篠宮家の研究
こんな逆風が吹き荒れる中、『週刊文春』(2019.6.6号)が「“秋篠宮家”研究」の第一弾と称して「「これ以上、公務はできない」紀子さまの自信喪失」という記事を掲載。おそらくこれからしばらく秋篠宮家の問題点を指摘する記事を掲載していくのでしょう。
恐るべし。
第一弾は、紀子さまの哀愁について。秋篠宮家といえば、先帝ご夫妻よろしく、鬼のように公務をこなす(そして宮家特権のお車代をもらう)ことがお得意でしたが、今やなんと「もうムリ」と宣言されているようです。
昨年の夏。紀子さまは、ある秋篠宮家関係者に苦悶の表情を浮かべて胸の内を明かされていた。
「私はもう駄目かもしれない……」
昨夏と言えば、小室さんが米フォーダム大学へと留学することが報じられた時期と重なる。母親の佳代さんと、元婚約者X氏との借金トラブルを解決しないままでの、突然の留学発表に世間は騒然となった。
さらに紀子さまは、こうも漏らされたという。
「もうこれ以上、公務はできません」
力無く呟かれる紀子さまの脳裏に、眞子さまの結婚問題があったことは想像に難くない。
『週刊文春』(2019.6.6号)
このまま紀子さまは「長期療養」にでも入りそうな勢い…。
過剰適応
このように紀子さまが「公務は、もうムリ」と仰った背景に、小室圭問題が大きく横たわっていることは間違いないでしょう。
しかし紀子さまが秋篠宮殿下と結婚され、29年ものあいだ公務マニアであった事実を振り返ると、この発言の背後にはより大きな苦悩が渦巻いていることが解ります。雅子さまが「適応障害」と診断されたのとは対照的に、紀子さまは「過剰適応」とも評されてきました。
ともかく紀子さまは、皇室内で「上手く立ち回っている」というイメージが強くありました。紀子さまのご結婚当時宮内庁職員だった、皇室ジャーナリストの山下晋司氏は次のように語っています。
「紀子妃殿下は、ご結婚前から東宮御所によく遊びに来られていて、礼宮殿下とは、ご両親の皇太子同妃両殿下も公認の仲でした。
浩宮殿下も紀宮殿下も含めた当時の東宮ご一家皆が『キコちゃん』と呼んで、とても親しくされていたようです。父親の川嶋辰彦さんが、学習院大学教授だったことも大きかったのでしょう。一方で、現皇后陛下が『雅子ちゃん』などと呼ばれたことはないでしょう」
同上
紀子さまと皇室
このように美智子さまとも蜜月関係で、公務に邁進していた紀子さま。そもそも皇族になりたかったという願望が強かったようです。
紀子さまは、皇室への強い憧れも持たれていたようだ。ご結婚前から紀子さまを取材していた新聞記者が「美智子さまに似ていますね」と言うと、「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑んだという。
学習院大学時代の友人が振り返る。
「宮さまの同級生が、『紀子さんはお妃に憧れているんだよ』と言うのを聞いて、最初はディズニー映画にあるようなファンタジーの世界への憧れかな、と思っていました。
ところが後に、本気で『皇室のお妃になりたい』と望んでいたと知らされて、驚きました」
同上
また宮内庁関係者によれば、紀子さまは、美智子さまの昔の映像を取り寄せて、表情やお手振りの仕方、言葉遣いなどを研究し、それを真似ていたそうです…💦
セーラームーンの真似をする子供の亜種みたいなものでしょうか💦
ちょっと想像するだけでも怖いんですが(笑)
紀子さまは努力家
自らの道を開拓するのではなく、ひたすら美智子さまの真似を追及していった紀子さま。ある秋篠宮家OBは、そんな紀子さまを「努力家」と評しているそうです、そのOBは次のように。
「式典の挨拶の準備にも余念が無く、職員を観客に見立てて自分の前に立たせては、何度もリハーサルされるんです。
学術や芸術作品の表彰式の際には、受賞者一人一人の著書を全て読み込み、具体的にどこが良かったか感想まで仰います。
美智子さまのように、各受賞者がどこに座っているかも把握され、そちらの方を向いてお話しになるのです」
同上
美智子さまを真似る努力をすることも重要だと思いますが、ちょっとベクトルがちょっと違うような(笑)
陛下のように時代にあった皇室のありかたを模索してこそ、象徴にふさわしいのではないでしょうか?
皇太子出産まで美智子さまの真似?
美智子さまになり切ってしまった紀子さま。
なんと美智子さまの真似をして、皇太子まで産もうと決意された模様…。
「(紀子さまは)皇太子ご一家に男子が産まれず、天皇皇后は皇統の存続に強い危機感を持っていた。
事態の重大さを感じた秋篠宮は『お世継ぎを作る』と天皇皇后に確認を取りに行っています」(同前)
同上
天皇・皇后に許可を取る事なのかな…。
と思ってしまいますが、きっと兄宮に配慮してのことでしょう。まさに美智子さまと紀子さまは相思相愛の関係です。
雅子さまが「適応障害」に苦しまれたのは、こういう美智子さまと紀子さまの関係に割り込めず、陰口を叩かれていたからではないのかな? と思ったりします。
キツイ紀子さま
そんなこんなで美智子さまを真似しまくる紀子さま。
そんな紀子さまは凄まじく職員に対して厳しく、
一方で、そうした重圧の反動なのか、紀子さまが職員を叱り付けるという話もしばしば報じられる。辞める職員が後を絶たず、秋篠宮家は「ご難所」と呼ばれているともいう。
「お金がない。お金がない。花を飾ることもできない」
職員に対して紀子さまはこう漏らされるそうだ。
同上
このキツさとの因果関係は不明であるものの、秋篠宮家(紀子さま)界隈では複数の宮内庁職員が自殺までしています。
このように職員に厳しいのも、美智子さまを真似されたのでしょうか? 美智子さまが雅子さまに厳しかった話は時折耳にしますが…。
関連記事
秋篠宮家付き職員(19)も拳銃で自殺! 小室家と並ぶ「3名」の不審死 2019年4月30日
https://rondan.net/21383
関連記事
紀子さま“パワハラ”で職員2人「自殺」の闇 小室佳代とお似合い家族?2019年4月29日
https://rondan.net/21294
切っ掛けはやはり小室圭
このように、ただひたすらに美智子さまをコピペし、その信頼を勝ち得た紀子さま。しかしその蜜月も終わりを告げます。やはりきっけは小室圭さん問題…。
「眞子さまは嘘や建前がお嫌いな方です。だから、(小室圭さんとの婚約決定)延期発表の文書もご自身で率直なお考えを書かれた。ただ、最終的に文書を発表して延期にする判断は、紀子さま主導でなされたと聞いています。
背景には、初孫を思う美智子さまのお気持ちもあった。紀子さまは美智子さまから『あなたの家の教育はどうなっているの』と、問われたこともあったと思います」
(同前)
同上
小室圭問題は、秋篠宮家に親子間に家庭不和を呼び、さらに殿下はアルコールにクスリ漬けで「うつ病」状態、悠仁さまは「ぼっち&ヒステリー」だというのでから笑えません。
関連記事
悠仁さま「ぼっち&ヒステリー」、秋篠宮殿下「うつ病」、紀子さま「どん底」 令和の皇統問題 2019年5月3日
https://rondan.net/21621
美智子さまのご指名
小室圭問題を挟んで紀子さまの凋落は加速度的に進みます。それを象徴するのは、日本赤十字社の大会です。
御代替わりを前にした2018年5月に開かれた日本赤十字社全国大会で、美智子さまは、15年ぶりに参加された雅子さまを後継者に「指名」されるシーンがありました。
これについて『女性セブン』は次のように解説。
「雅子さまが十五年間も休まれていたのに対し、紀子さまはほとんど欠席されなかった。それは、公務に全身全霊で取り組まれる美智子さまを見倣ってのことでしょう。四七年に皇淳皇后が名誉総裁に就かれて以来、日赤の定款も『名誉総裁は皇后』と規定しています。
それでも紀子さまの心の中には『もしかしたら自分が名誉総裁に』という淡い期待のお気持ちがあったのではないでしょうか。それだけに美智子さまが雅子さまの腕を取った場面には、ショックを受けられたに違いありません」(同前)
同上
確かに左手後ろで苦虫を噛みしめる表情の紀子さまが印象的です。
紀子さま完全敗北
美智子さまから雅子さまへの「ロイヤル・バトンタッチ」を目の前で見せつけられた紀子さま。
代替わり後に開催された日本赤十字全国大会では、溌剌とした雅子さまに比して、紀子さまの表情はすぐれず「完全敗北」の香りが漂っています。
紀子さま(あの場所は私が…)
ここまで雅子さまと差をつけれては、「公務」に出るのも辛いと嘆かれるのも致し方ないかもしれません。どうぞゆっくり休んでいただければと思います。
どうして差がついたのか…慢心、環境の違い…。
紀子さまの苦難は続く。
https://rondan.net/23545
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c60
川崎市で51歳の男が、スクールバスを待つ小学生たちに背後から2本の包丁を持って襲いかかり、小学校6年生の女の子と39歳の男性を死亡させ、子どもたち16人と母親1人に重軽傷を負わせた事件が世間を震撼させている。金が目的でも、個人的な恨みをはらすことが目的でもなく、何の関係もない人たちを襲って殺傷するこうした無差別大量殺人は、20年前のJR下関駅通り魔事件を契機にして池田小学校襲撃事件、秋葉原大量殺人事件、やまゆり園襲撃事件と何度もくり返されてきた。ある日突然、理不尽にも生命を奪われるというのは、本人にとっても肉親を奪われた家族にとっても許しがたいことである。そしてその残虐さや反社会性は、アメリカで頻発する銃乱射事件とも共通するものがある。なぜこうした悲惨な事件がくり返されるのか、社会的背景もあわせて記者たちで論議してみた。
A 事件があったのは28日午前7時40分頃で、川崎市多摩区登戸新町の路上に小学生たちが並んでスクールバスを待ち、親たちが見送りにきていた。そこに2本の包丁を持った男が無言で近づき、背後から切りつけた。死亡したり重軽傷を負ったのは、2人の親のほかは小学校1年生から6年生までの17人だった。男に包丁で顔や首、肩、あごを切りつけられた子が多いという。付近は血の海になっていたようだ。突然のことで恐怖から泣き叫んだと思うが、それでもパニックになる友だちを「頑張ろうね」といって励ます小学生もいたという。その後、男は現場で自分の首を刺して自殺した。
「死ぬんだったら1人で死ねばいいのに」とか、「まったく関係のない子どもを巻き込んで、親や家族はどんな気持ちだろうか」といたたまれない気持ちでみながこのニュースに怒り、釘付けになった。無抵抗の子どもたちが集まるところを狙った犯行で、包丁も4本準備し、すべらないように作業用手袋をつけていたというのだから、相当計画的だ。精神を病んでいたにせよ、いかなる理由があっても許されるものではない。子どもを失った親はやりきれない。外務省職員の家族だってそうだ。
B 下関市の小中学生の子どもを持つ父親は、事件後にネットで「殺した男が悪いのではない」という書き込みがあったことに怒っていた。「親からしたら、朝、いってらっしゃいと送り出し、夕方には帰ってきて勉強や友だちのことを話し合う日常が突然断たれたのだから、理屈なんかどうでもいい。うちの子を返してくれと思う。しかも子どもを殺しておいて自殺したので、親は怒りをぶつける相手もいない。その気持ちはどれほどだろうか」といっていた。
C 犯人の岩崎隆一(51歳)は、両親が離婚したあとは現在80代になる伯父、伯母の家で暮らしていたようだが、長期間にわたって働くこともなく、家の中に閉じこもるひきこもり状態だったという。同居する伯父や伯母とはほとんど会話がなく、手紙でやりとりするぐらいで、伯父や伯母が自宅に介護サービスを入れるときに心配して市に14回も相談するほど、腫れ物に触るように接していたようだ。一方当人は、伯父や伯母から食事や小遣いを与えられて生活している身分なのに、「ひきこもりじゃない」といって腹を立てたり、近所の人とトラブルを起こしたりしていたことが報道されている。
中学校の同級生が「ささいなことでイライラし、腹を立てるが、自分より強い者にはけっして手を出さず、弱い者を狙う卑劣なところがあった」といっているのも気になる。直接の犯行の動機はよくわからないけれど、病気で動けないわけでもないのに50代にもなって自活する努力をするわけでもなく、それでも暮らしていけていた。社会的にはきわめて非力で軟弱な存在だったことがうかがえる。そこから人生に絶望して社会に腹を立てたのか、やっていることはきわめて凶暴で、他人の人生を平気で奪っていく傍若無人さがある。依存していた伯父伯母に介護が必要なまでになったということは、ひきこもり生活もそう長くは続けられないことを自覚していたかもしれない。
D 殺された女の子と同じ6年生の子どもを持つ母親は、1人で死ぬのは嫌なので子どもたちを巻き添えにし、そうやって自殺してでも鬱憤を晴らして目立ちたいという自己顕示欲を問題にしていた。事件後、同じ川崎市内の子どもを対象に「次はお前たちをめった切りにしてやる」とSNSに書き込みがあったことも同じ性質だ。世間一般が嫌悪する反社会的なこと、無差別大量殺人をやってでも自分の内に秘めた怒りや鬱憤をぶちまけたい、目立ちたいというのは、まともな感覚ではない。あと、事件の数日前にも名古屋の繁華街であった殺人事件で、鉄パイプや刃物で何度も殴ったり刺したりする画像や、被害者の腹に刃物を突き立てている写真をネット上に投稿していた者がいた。助けに行くわけでもなく、携帯で動画を撮って傍観していたり、それをネットに配信して目立とうとしたり、世も末だなと思わせる。
無差別殺人が蔓延する社会へと変貌
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11854
C 振り返ってみると、こうした無差別殺人事件が世間の注目を集めるようになったのは、1999年9月に上部康明(当時35歳)が起こした下関駅通り魔事件からではないか。上部は車で下関駅構内に突入し、ボンネットに人を跳ね上げ、倒れた人をひき、さらに停まった車から降りて包丁を手にホームを駆け上がりながら、すれ違う人を次次と切りつけた。死者5人、重軽傷者10人が出た。あのときは下関中が震撼した。当時、自分は高校生だったが、駅構内で必死に走って逃げた友人たちは学校でそのときの恐怖を語っていた。本当に信じられないような事件だった。
上部は地元の進学高校を出て九州大学に進んだが、卒業後は人間関係が結べず、なかなか就職できなかった。その後、一級建築士になって設計事務所も開設したが、しだいに営業不振になり事務所を閉鎖。妻には離婚を迫られ、親には援助を断られ、ローンだけが残ると、「なにをやってもうまくいかない」「それは周囲に責任がある」「社会にダメージを与えてから死んでやろう」と思うようになり、大量殺人計画を立てた。下関の事件の3週間前に池袋通り魔殺人事件が起こっていたが、「池袋の事件のようにナイフを使ったのでは大量に殺せないので車を使った」「社会に不満があり、誰でもいいから殺してやろうと思った」と犯行後にのべている。両親ともに教師で、高学歴の自負もあるが、現実社会とかみ合わず、挫折の末に暴発した事件だった。
E 次に社会に衝撃を与えたのが池田小事件(2001年6月)で、それまでの日本では例のない小学校での無差別殺人事件だった。宅間守(当時37歳)が、大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持って侵入し、校舎一階にあった低学年の教室に押し入って子どもたちを次次に刺した。1、2年生の児童8人が死亡し、教員2人も含めた15人が重軽傷を負った。その後の裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」というなど、何の反省もなかった。
宅間は父親が荒れ狂って母親に暴力を振るう家庭環境で育ち、工業高校中退後に自衛隊に入ったがこれもやめ、バス運転手、小学校用務員、トラック運転手、タクシー運転手と仕事を転転とした。その間、婦女暴行、暴行傷害、高速道路逆走、薬物混入などで15回逮捕されている。つまり仕事が長続きしないのは、社会の最低限のルールを守らず、他者への配慮がきわめて乏しいことが原因だったと、当時を知る人は語っている。
死刑になる前、事件について「仕事を失い、働く気力もなくなって、どうせ死ぬなら無茶苦茶やったろう、同じやるんやったらエリート校や、と」「(子どもたちを殺傷している)途中で、もうやったらいかん、やめないかんと思ったが、勢いがあって止まらんかった。誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっとこれで終われるとほっとした」といっている。理性で感情を抑えることができないほどの精神状態で、医師は「問題を解決する能力は小学3年生レベル」だとのべている。きわめて幼稚であり、動物的で刹那的なのだ。高校の同級生も「教室のロッカー内に小便したり、突拍子もないことをやっていた。小学生がそのまま大きくなった感じで、わがままで自己中心的な男」といっている。
D そして2008年6月の秋葉原事件だ。加藤智大(当時25歳)は2dトラックで日曜日の歩行者天国に突っ込み、歩行者5人をはね飛ばしたうえ、トラックを降りて、被害者の救護にかけつけた通行人ら17人を持っていたダガーナイフで次次と襲った。7人が死亡し10人が重軽傷を負った。
加藤は携帯のサイトに「秋葉原で人を殺します。車で突っ込んで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」と予告の書き込みをし、以後分刻みで計画の進捗状況をサイトに記録していった。幼稚だが自己顕示欲だけは強い。彼の心象風景はこの書き込みを見ればよくわかる。
「どうして俺だけ1人なんだろ。望まれずに生まれて 望まれて死んで。待っている人なんか居ない 俺が死ぬのを待っている人はたくさんいるけど。みんな俺を敵視している 味方は1人もいない この先も現れない」「どーせおれなんて、中年になっても六畳一間のボロアパートで1人暮らしでしょう。勝ち組はみんな死んでしまえ。トラックのタイヤが外れてカップルに直撃すればいいのに。やっぱり他人の幸せを受け入れることはできません 知ってる奴ならなおさら。やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」
教育熱心だった母親の下で育った加藤は、中学までは成績が常にトップクラスだったが、青森県で屈指の進学校に入ってからは成績が落ち、母が望む北大への進学を断念。その後、自動車整備士の資格もとれず、勤めていた警備会社もやめ、派遣社員として自動車工場を転転とした。職場で人間関係を結ぶことができず、無断欠勤、職場放棄、そしてそのまま退職、というのをくり返していたようだ。
B 最近のことで強烈な印象を残したのが、2016年7月、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった無差別殺傷事件だ。26歳の植松聖が、社会的弱者である無抵抗の知的障害者を次次とナイフで襲い、19人を死亡させ、26人に重傷を負わせた。
この事件が他の事件と違って特異なのは、植松が犯行の前に衆議院議長公邸を訪れ、「生きていても意味がない障害者を殺傷することは日本国と世界のためであり、正義の行動」だとして、犯行後の身分の保証と金銭的支援5億円を求め、「安倍晋三様にお伝えください」などとしたためた手紙を渡していたことだ。植松は小学校の教員をめざしたが挫折し、大学卒業後は運送業など複数の職場を転転として「やまゆり園」に行き着いた。苦労の多い障害者施設のなかで耐えきれず、入所者に暴力を振るうなどさまざまなトラブルを起こしていたというが、その植松が障害者や高齢者、あるいは貧困層をお荷物とみなす、自己責任、弱者切り捨てという支配の側のイデオロギーを真に受けて、それで自己の凶暴な犯行を正当化し、挫折した鬱憤を晴らして悪びれていないところに異常さを感じる。
社会の犠牲者か? 荒んだ精神世界を肯定してよいか
F こうした事件はどれも特異で、まさに気狂い沙汰の行為だ。しかし「精神異常」ということだけではすまないし、社会的な背景と無縁ではない。犯罪は社会を映し出す鏡であるといわれるが、身も知らぬ人間を皆殺しにしていくような凶暴な事件が身近なものになっている。極めて身勝手であり、未来ある子どもだろうが虫けらくらいにしか見なしていない。「自分だけ死んだらいいではないか、などといわないで」という主張もあるようだが、社会的に許容できるものでは断じてない。自分の恨みや鬱屈した感情を、手当たり次第に社会にぶちまけ、他人の生命を奪うような行為はいかなる社会であっても許されない。「社会が荒廃しているから仕方がない」という問題ではない。
かつて高度成長期の日本には「一億総中流」という言葉があった。しかし今では、一部の大企業や富裕層への富の集中と大多数の貧困化という二極分化が顕著だ。非正規雇用は就業労働者の4割にのぼるが、そのうち平均年収が186万円の貧困層が930万人おり、この層が急速に拡大しているという。80年代にメディアが「自由な生き方」と持ち上げたフリーターはいまや50歳前後になり、続く就職氷河期にはさらに新卒者の非正規雇用が拡大し、正社員並みの長時間労働に駆り立てられるが賃金は少なく、結婚も子育てもままならない層が増えている。
こうして働く者がきわめて生きづらい社会になっているのは事実だ。だが、そうした悪すぎる環境のなかでも、みんながみんな殺人鬼にはなっていない。両親が離婚したり貧乏だったりしても、多くの者は弱い者に襲いかかったりなどしない。こうした自己中心的な犯行に及んでいる者たちのイデオロギーに共通するのは、現実世界で挫折したり困難に直面したとき、自己の弱点を直視して克服するよう努力するのでなく、そうした厳しい社会の現実に打ちのめされ、逃避しながらもはけ口を弱者や社会全体に求め、何の関係もない人たちの人生を奪ってでも鬱憤を晴らすという反社会性だ。孤立してしまい、ひ弱で幼稚だが、己の思いは強く凶暴なのだ。強烈な自己中心イデオロギーが根底にある。この殺人イデオロギーが蔓延し始めていることについて社会全体が認識しないといけない。
D 新幹線の中で注意されると逆ギレして相手を刺し殺したり、注意されたのにカッとなって煽り運転をしたあげく相手を事故死させたりする。社会的に自分の鬱憤を晴らすために他者を殺めるというのが大量殺人に限らず蔓延している。非常に動物的で短絡的で、刹那的だ。その幼稚版がバイトテロにも通底している。反社会的である、すなわち社会性が備わっておらず、人を殺すことへの躊躇がなくなっている。厳しい社会現実のなかで虫けらのように扱われた者が、今度は他者を虫けらの如く見なし、手を掛けていく攻撃性について、もっと突っ込んでイデオロギー的にも解明しないといけない。弱い者がさらに弱い者を叩く社会構造のなかで、精神世界の荒廃や崩壊はエスカレートしている。
A この20年近くで頻発し始めた無差別大量殺人は、アメリカの銃乱射事件を彷彿とさせる。日本に先行して社会が荒廃するアメリカでは、学校を舞台にした銃乱射事件があいついでいる。1999年、コロラド州のコロンバイン高校で2人の高校生が銃を無差別に乱射して13人の高校生を殺し、直後に自殺した事件は、その後、銃規制をとりくまないブッシュ政府(当時)を追及する映画にもなり日本でも話題になった。昨年2月にはフロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、19歳の卒業生が半自動ライフルで無差別に発砲し、17人の高校生を死亡させた事件が起こり、それを契機に銃規制を政治家に要求する高校生たちの全米規模の行動に発展した。
それでも共和党も民主党も、犯人の精神疾患は問題にしても、銃規制に進もうとしない。全米ライフル協会をはじめとする軍産複合体が最大のロビー団体になっているからだ。銃乱射事件はここ数年、年間300件をこし、死者は1万5000人にもなっている。アメリカでは戦争や殺人を渇望する勢力と、高校生や米国民との激突になっている。
C 銃乱射と日本国内で頻発しはじめた無差別大量殺人も同質のものだ。日本社会が抱える病巣について、アメリカそっくりな事態が進行していることについて考えないわけにはいかない。
B 今回の事件で、ある落語家が子どもや父親を殺した犯人に「死にたいなら1人で死んでくれ」と発言したことに対して、ある学者が「その言葉は控えてほしい。社会はあなたを大事にしているというメッセージを発するべき」と発信したことが物議を醸した。秋葉原事件のときも、犯人が非正規労働者だったことから「自殺と同じで、社会全体から追い詰められた彼の怒りだ」などと大企業の犠牲者と見る意見があった。こうした意見はどちらかといえば進歩派といわれる部分に多い。荒廃した社会の犠牲者なのだから、彼らを責めてはならないという響きをともなって拡散される。しかし、社会がどのように荒廃して汚泥にまみれていようと、そのなかから他者を思いやりまっとうな人間として一人一人が生きていかなければどうしようもない。苦しいならなおさら抗うしかない。社会が腐っているから仕方がない…、僕がダメなのは社会がダメだからだ…といって敗北した末に、他人を殺めてもよいのか。よいわけがない。何をいっているのかと思う。社会的な問題はそれとしてあるが、よりよい社会を望むのであれば、無差別大量殺人のような身勝手な犯罪にはきっぱりとした立場をとらなければならない。腐った社会ではあるが、「社会が悪い」といえば何をしても正当化されるということにはならない。それで自分まで精神的に腐ってどうするのかと。
F 世の中、人と人とが助け合って成り立っているし、幼児や高齢者はみんなで支え、相手を思いやることで成り立っている。だが、今のあらわれはきわめて凶暴で、動物的、刹那的であり、自分の感情の抑えがきかない。戦後はアメリカ型個人主義が持ち込まれたが、80年代から市場原理が徹底されるのにともなって、「今だけ、金だけ、自分だけ」のより強烈な個人主義イデオロギーが強まった。このなかで、一つには攻撃性が強まっているのが特徴だ。他者がどうなろうが知ったことではないし、自分の思いや感情が第一。気に入らなければ執拗に攻撃を加えたり、のぼりつめていくようなケースも珍しくない。それぞれが孤立した状況のなかで自己防御意識だけは高まり、同時に攻撃性が備わっている。
A 今回の事件に対して、警備体制を強化したりするだけで解決にならないことははっきりしている。人を殺人者に駆り立てる凶暴なイデオロギーと、その社会的背景を明らかにして、まともな社会をとりもどす力を強める以外にない。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11854
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c13
粋音舎 TDA1541A 搭載 DAコンバーター SAA-DAC2
http://www.soundstage.jp/DAC.html
デジタルにも、再訪すべき時代があり、ヴィンテージと呼ぶに相応しい名品があります。
TDA1541は、当時のPhilips社が、デジタル・アナログ変換の基本に最も忠実に設計したチップです。
対応フォーマットは、16bit 44.1kHzのみのノーマルCD専用仕様。
このシンプルさが、余計な信号処理に起因するノイズや信号劣化からの解放を可能にします。
後代のチップは、多機能化とコスト削減のために高集積化を推し進め、どんどん音が悪くなって行きます。
一方、TDA1541には、メーカーが手慣れる前の贅沢な設計と誠実な製造努力が注ぎ込まれています。
超低ジッタークロックの搭載を始めとして、超低ESR電解コンデンサー、超低ノイズ抵抗等々、21世紀水準のハイグレードパーツで周囲を固めることにより、TDA1541Aの潜在力を最大限に引き出したのが本機です。
このDACを通るとき、お手持ちの全てのCDソフトが新たな輝きを得て生まれ変わります。
限られた音源のために高解像フォーマットへ移行するよりも、遥かに手軽で大きな感動を、お約束いたします。
本DAC製品は、アナログ部を全面リファインした新規モデル、SAA-DAC2となりました。
標準仕様
型式:SAA-DAC2
デジタル入力:RCA同軸
アナログ出力: RCAアンバランス
対応フォーマット:16bit, 44.1KHz
寸法:220×320×83mm(幅×奥行×高さ)
標準価格 \140,000円(税込)
http://www.soundstage.jp/DAC.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html#c1
VINTAGE AUDIO
ドイツ製のAUDIOを中心に紹介及び販売を致します。
https://vintage-audio.jp/?cat=8
Q&A
Q1: ドイツのヴィンテージスピーカーの特長は何ですか?
音の違いから言いますと、まず聴きやすい、聴き疲れしにくい音だと思います。
決してつまらない音では有りません。多くのスピーカーはかまぼこ型の特性になっており高域と低域を欲張っておりません。音楽や人の声などの核となる中域重視となっております。
構造の違いから言いますと、まず軽いコーン紙にて能率が高いユニットがほとんどです。
レスポンスが大変良く、真空管アンプとの相性も抜群です。またコーンの素材であります紙の質がダントツ的にすばらしいという事でしょう。タンノイなども古いユニットはドイツのコーン紙を使用しております。このコーン紙が最大の特徴です。
Q2: 古いスピーカー達のコンディション、また使用していて壊れないですか?
エッジに関しましては年間にして100ペア以上のユニットを見て来ておりますが、アメリカや日本のユニットのようにエッジがボロボロという物は見たことが有りません。約40〜50年以上前の物ですが有っても故意によるものや縦方向の切れが殆どです。一部のユニットにはガスケットと一緒に外れて切れてしまった物、
Grundigなどはガスケットにスポンジが使われている物がありスポンジを貼り付けていた
接着剤と一緒に硬化してボロボロになっている物も見られます。いずれにしろ
エッジ素材そのものによる劣化ではりません。ウーハーの一部には布エッジも見られますがほとんがフィックスドエッジであり問題なく使用出来ており、よほどの事がなければこれからも問題ないでしょう。
ボイスコイルの擦れに関しましては、やはり物によっては見られます。
保存状態が悪く、錆による物、ゴミが入ってしまった物などです。
ドイツのユニットはボイスコイルとマグネットとの隙間が非常に狭く出来ております。よってレスポンスの良いサウンドを奏でます。日本やアメリカのユニット達はアロワンスをみて広めにとっております。当時のドイツの基本的な技術力、精度の確実さを裏つけております。
Grundigに多く見られるセンターキャップにスポンジを使っている物はスポンジがボロボロになっている物がほとんで要注意でも有ります。ボロボロになっていたら取ってしまった方が安心です。
また蝶ダンパーの物はボイスコイル擦れの物も布ダンパーに比べると多いようです。
音の良いとされている蝶ダンパーから布に変わった点からも布の方が長期間の安定
が望めるからだと思われます。一部の蝶ダンパーはネジの調整によりセンター位置を変える事が可能になっておりますので、簡単に直す事も出来ます。
使用に関しましては、よほどの事がなければまず壊れないでしょう。
これからもずっと使えるスピーカーだと理解しております。
Q3: 最近のAMPに繋げることは可能ですか?
まず,入力インピーダンスになりますが、ドイツのユニットは殆どが4〜6Ωとなっております。
最近のAMPには4Ω端子も付くようになって来ましたが、殆どのトランジスタアンプは4Ω以上であれば問題なく繋げる事が可能です。真空管AMPの場合も出力端子がついていれば問題ありませんが8Ωに繋げても大きな問題はなく、普通に聴く事が可能です。厳密に言うと動作位置が多少狂い、定格より多少パワーが入ります。
スピーカーの最大入力パワーですが、ヴィンテージの物はユニット本体にて10W以下、システムにて25W以下の物が殆どでしょう。50W,100Wのアンプにて聴いていてユニットが壊れるかというと普通に使用している限りでは問題なく使用出来ます。通常、オーディオショップでの音量にて5W程のパワーを使用していると言われますので、自宅でしたら5Wも出せないでしょう。
Q4: どのようなAMPと相性が良いのですか?
真空管AMPかトランジスタなど使用するAMPにてサウンドは変わります。
基本的にはどのAMPでも十分な表現力にて楽しめるかと思いますが当方のシステムでの比較にて参照下さい。
真空管AMPはドイツのBraun EL84PP,2A3シングルを試聴室では使用しておりますが
やはり年代的にも実際に当時も真空管にて鳴らしていたことでしょうから相性は良いと思います。能率が良いので1WクラスのシングルECL82でも十分に鳴ってくれます。
トランジスタはテクにクスのSU-V7を使用しておりますが、低域特性がやはり真空管AMPよりは良いので低音の出方がかなり違います。サイズの割には低域が出ますので
驚ろかれる事でしょう。サウンドも古臭くはあまり感じないでしょう。
https://vintage-audio.jp/?cat=8
▲△▽▼
ドイツ SABA のフルレンジ SPユニット
https://vintage-audio.jp/?p=390
メーカー:SABA
モデル名:Permadyn 5298U8
生産国:ドイツ
生産時期:1952〜1958年
型式:シングルコーン
口径:8inインピーダンス:5Ω
マグネット:アルニコV
鮮やかなグリーン色のコーン紙が特徴のドイツ名門SABAのフルレンジSPユニットです。
超軽量コーン紙に小型の磁気回路、ペラペラのプレスフレーム・・・
1950年代の家庭用ドイツ製ユニットの特徴なのですが、これを上手に鳴らすと、英国やアメリカのユニットでは出すことの出来ない、ナチュラルで透明度の高く、繊細で分解能が高いサウンドを奏でるので、見た目じゃ判断できないのです。
そして、これらドイツのユニットを研究すると非常に合理的に作られている事に気が付きます。
超軽量なコーン紙を使用している為に、それを駆動する磁気回路は小さくでき、よってフレームもダイキャスト等大掛かりでなくプレスフレームで十分な強度が取れる訳です。
実に合理的でしょ!
しかも、超軽量コーンはユニットの設計だけでなく、サウンドにも大きなメリットがあります。
軽量だから信号に対しての反応が圧倒的に速いのです。
これにより、全帯域で分解能が高く、小音量時に音が潰れないのです。
小口径・軽量コーンのユニットは、家庭用(家庭用HiFi)ユニットに分類されますので、ドイツ業務用と混同して考えては駄目です。
また、構造上ハイパワーユニットではありませんから、駆動するパワーアンプも、2〜3Wのシングル(またはP-P)管球アンプが適当です。音量が足りないからといって、ハイパワーなアンプを繋いだりしてはいけません、音量を稼ぐ場合は、ユニットを複数個使用します。そして、適度な音量で鳴らすことで、超軽量コーンユニットのメリットが最大限発揮できます。
この事を踏まえてシステムを構築します。
まず、特徴である軽量コーンにあまりプレッシャーを掛けずに使用したい為、平面バッフルか後面開放型が適当だと思います。
密閉型、バスレフ型になるとバックプレッシャーのコントロールが難しくなる事とエンクロージャーの影響を受けやすくなりますので、今回は1940年代の米PHLCO社のAMラジオのキャビネットを利用することにしました。
後面開放型になります。
バッフル板をキャビネットに合わせて製作します。適度な鳴りを考え、9mm厚のフィンランドバーチ合板を使用しました。ユニットのインピーダンスは5Ωなので、2本をシリーズに接続し、トータルインピーダンス10Ωで使用します。それを組み込んで完成です。
そのサウンドですが・・・ユニットの特徴を上手く活かせたシステムになったと思います。決してワイドレンジではありませんが、全帯域に渡って癖がなく明瞭度が高いサウンドです。長時間聴いても聴き疲れすることもなく、部屋の中に音楽が自然に広がっていきます。これ1本で十分か?と言われると、私の場合はそうはいきませんがサブシステムとして、または音楽鑑賞用としてなら十分な能力があります。
ドイツ家庭用シングルユニットは、見た目ではなく実質的な能力の高さを、国内の皆さんも評価して欲しいと思います。
このユニットは、ドイツ(ライプチッヒ)のコレクターからの出物で大変状態の良いユニットでした。同等ユニットも多数ありますので、これらSPユニットをお探しの方は下記までお問い合せ下さい。
https://vintage-audio.jp/?p=390
▲△▽▼
▲△▽▼
1950年代のドイツ製音響機器
1950年代のドイツのオーディオ機器に目を向けると、意外にシンプルなシステム構成であることに気付く
そもそも100dB/W/m の高能率スピーカーを鳴らすことを前提としているので、家庭用はおろか、小規模PA装置でさえも5W〜10Wで十分な音圧が得られた
そしてスピーカーはフィックスド・エッジでベークライト製のスパイラル・ダンパーを用いているため、小音量でも反応スピードが早く、EL84やEL82(6BM8)のシングルで十分に鳴るし、そもそも大入力を入れることはできない。
当時のほとんどの人は、AM放送規格に適合した8kHzまでが限界のフルレンジ・スピーカーで十分だと感じていただろうし、実際にドイツ製フルレンジは、ドイツ語の発音の特性から4〜8kHzが強く出るように調整されているので、高域の不足はほとんど感じないだろう。
以下は戦前のスピーカーの特性であるが、最初の2way化によるワイドレンジ化からはじまり、1930年代にはシングルコーンのフルレンジで十分な高域特性が得られている。
Siemens&Halske社の2way特性(1928年)
Isophon P25の周波数特性
これを普通のフラットな特性で聞く場合は、ヴァイオリンとピアノの音色の違いが気になるだろう。
ヴァイオリンは中高域が強いのに、ピアノは高域の落ちたカマボコ型である。
このことの原因も、ドイツ製スーピカーの 2kHzの落ち込みと 4〜8kHzの盛り上がりで説明できる。この強く出るのは単純に音圧が強いだけでなく、反応も早い特徴がある。なのでイコライザーで上げて調整してもどこか不自然なところが残るため、あくまでもスピーカーの機能で補うべきものである。
これにEL84やEL34などのビーム管を合わせることで、帯域が狭くても切れ込みの強いサウンドが得られる。
また当時に良く行われたレコード鑑賞会というのも注目して良いと思っている。ようするに公民館の映画鑑賞会の延長のようなもので、そのときに使われたのはオイロダインのような立派な劇場用スピーカーではなく、スーツケースに入れた25cm程度のフルレンジスピーカーで、アンプもEL84プッシュプルで十分な音量が得られた。
フルレンジでも10kHzまでの再生周波数でサービスエリアが約50度得られることから、ちょっとしたホールでも十分に鳴り渡る。必要な機能を絞った現実主義から学ぶべき点は多いように思う。
Klangfilm社の移動式映画館
Siemens社 スーツケース・スピーカー
2000型映写機用
当時のドイツでは、小学校などを巡回する移動映画館やレコードコンサートがよく行われ、LPレコードはそうしたところで使われる教育的な用途もあったと思われる。
そもそもドイツ・グラモフォンはジーメンス社の傘下にあり、レコード・コンサートは当然ジーメンス社のPAシステムで行われたと考えられる。もちろんKlangfilmも擁する大企業であるため、高級オーディオ機器の製造もあるにはあったが、戦後霹靂としたドイツ人が新たにオーディオを購入できるわけもなく、こうしたサービスを通じて新しいHi-Fi機器を知ってもらおうという意図も感じられる。
巡回用の簡易PAは、25cm程度のフルレンジスピーカーをスーツケースに治めたものを、10W程度のEL84アンプで鳴らしていた。50名強の人数なら、これで十分な音響が得られた。
注意したいのは、ドイツ・グラモフォンのLP発売は1952年からで、それ以前はVARIABLE GRADE という78rpmのシェラック盤だったことである。
1941年からテープ録音を実用化していたドイツにおいて、意外に思えるかもしれないが、
テープ録音 → ラッカー盤
という工程を終えるとテープが破棄されることもしばしばあった。その後、LP用にテープにダビングされ保存されたものもある。例えば、フルトヴェングラーの1951年セッション録音、ケンプのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集のうち1951年録音は本来ラッカー原盤だとされる。
逆に戦中からテープ録音での放送を楽しんでいたドイツ家庭において、Hi-Fiという文字はあまり意味がなかったらしく、LPの表示は「LANGSPIELPALTTE 33」という規格を示すのみである。このことからも、ドイツの放送規格とのグレーゾーンを辿っていたことも十分に考えられる。
このラジオ音源も曲者で、最近オリジナル・テープからリマスターされた、ベルリンのRIASやウィーンのRot-Weiss-Rotの録音は、1940年代でも驚くほど鮮明である。マイクの生音に近いので、人によっては高域がうるさいと感じるだろう。要は一般に流布する媒体に、これまで該当するものがなかっただけなのである。
家庭用オーディオについては、当時のドイツの状況からすると、以下の3タイプに分かれよう。
1.ほとんどの庶民はラジオで試聴し、LPを聴く機会はレコード鑑賞会も多かったと思われる。また一体型コンソール(Kombination:コンポ)も多数あった。これらの場合、ほとんどの場合フルレンジのみが基本である。
2.海外向けの高級オーディオ機器では、高域拡散用にコーン・ツイーターが幾つも付いているタイプが多い。これは1950年代のドイツにしかみられない様式である。
3.スタジオモニターで有名なLorenz社のポリエチレン製ツイーターは、英米のスタジオ機器で持て囃されたことから一目置かれているが、強烈な高域特性で、いわばF1レーシングカーのようなものである。
このように当時のどのような立場で試聴するのかでも、録音に対する印象が違うと思う。それほどに、1950年代のドイツ・グラモフォンの録音は評価が定まりにくいのである。
はっきり言えることは、高能率だからと1970年代以降の重たいウーハーをEL156で鳴らすことはあり得ないと思うし、高域が足らないからと10kHz以上の再生周波数を無闇に伸ばす必要もない。
モノラル期のドイツ・グラモフォンは、もっと広い階層のユーザーに開かれた再生方法があるのだと思う。 ここでは個人的なプランで組んだ低予算システムを以下に示す。
1.95dB/W/m以上の高能率で、高域の4〜8kHzが落ちないフルレンジ・スピーカー1本
2.EL84(6BQ8)、EL82(6BM8)などの小型ビーム管のシングルアンプ
3.録音品質のばらつきが大きいためイコライザーは必須
4.CD再生の場合は古いライントランスで微妙な味付け
フルレンジスピーカーでは、私の所有しているのは米Electro Voice社のSP8Bという20cmユニットをBaronetというコーナー型バックロードホーンに納めている。
当時のエレクトロボイス社はPatricianという4wayシステムを筆頭にHi-Fi再生の先端を行っており、アメリカ製でクラシック再生ではトップを行くメーカーと考えていいと思う。
一方で、Baronetのような小型システムでは、小音量で快適に聴けるように高域の扱いを変えていて、SP8Bはアメリカ製では珍しくダブルコーンを使い4〜8kHzを持ち上げている。
これはテープ録音がドイツから移入された初期の、Hi-Fiらしさを演出する工夫であり、このことが1950年代の家庭用システムを知る鍵であるように思われる。
これと同じ傾向の音では、サブコーンが付いたイギリスのLowther PM6、最近の製品ではイタリアのSICA社のPA用フルレンジも同様の特性を持っていて有用だと思う。
1950年代のエレクトロボイス社がドイツ的なサウンドポリシーを持っていたと言える理由のもうひとつは、同時代のIsophon社のカタログとの比較でも明らかになる。
当時はモニタースピーカーとして開発され、テレフンケンのスタジオ等で用いられたOrchesterスピーカーには、姉妹品のPH2132/25/11があり、2つのユニットの特性の違いは、エレクトロボイス社の説明と同じとみられる。また小型スピーカー"Cabinet"のインストール方法にも類似性が指摘できよう。SP8Bも1960年代初頭の第3世代となると、フラット志向に集約されるので、Hi-Fiの過度期におけるビンテージ・オーディオの一断面である。
アンプはあえてキット製品で使われるようなEL84シングルアンプを使ってみた。実際、高能率スピーカーをつないだ場合、普通の家庭用であれば1Wもあれば十分である。小型ビーム管のほうが、低音は弾むように鳴るし、中高域のほのかなツヤが美音を演出する。
ただし、録音品質にばらつきが大きいためイコライザーは必須である。グラフィック・イコライザーのように仰々しいものではなく、3バンドあれば十分で、BEHRINGER社の製品が安くてカッチリした音で相性も良い。
古いライントランスでは、10kHz以上を落としてあげたほうが響きが澄んで聞こえるという逆転現象もみられる。多分、トランスの磁気ヒステリシスで中域にコクと粘りが出るのと、ビーム管特有の高域のツヤ(小さいリンギング)が純粋に乗るからだと思う。
ちなみに私の所有しているのは、1950年代の米UTC社の軍用マイク・トランスで、50Hz〜10kHzがフラットというナロウレンジであるが、レンジ感はピタリと納まってビロードのような肌触りがでてくる。
裏技として1920年代の英国製ラジオ用インターステージ・トランスを使ってみると、5kHz以上が丸まって上品なHMVの音に変わる
これもイコライザーでハイ・カットした音とは違う伸びやかさが出るので不思議だ。こうしたアナログ時代には存在した電気的なトラップを重ねていくことで音の熟成度が増すと思われる
http://quwa.fc2web.com/Audio-105.html#deutche
オーディオに興味を持ち始めてから約40年程経つが、当初最も欲しかったスピーカーにクラングフィルム、(後にシーメンス)オイロダインがある。
引き出しを整理していたらシーメンス当時のカタログが出てきて、オイロダインのスペックが載っていた。オイロダイン
ちょっと驚くのは再生周波数で、何と50Hz〜15,000Hzとあった。
今時数万円のスピーカーだって人間の可聴範囲20Hz〜20,000Hz付近をカバーしている。
そこで、スピーカーの再生周波数に付いて一寸調べてみたら、どうやらこういう事らしい。
スペックがどの様な数字であるかは兎も角、
「実際にスピーカーから出る低音の60Hz以下は音というよりも風圧として肌で感じるもので、強烈なドラムやベースの唸りの様な低音は大概80Hz〜100Hzくらいである」
という。だから、60Hzが出れば通常僕らが聴いているオーディオの低音に何ら不足を感じるものではなく、まして50Hzが出るなら映画館などの大鉄桟を巨大な大砲の発射音や炸裂音で揺るがすに実は充分な低音が出る事をオイロダインのスペックから読み取る事が出来るのだそうだ。
そして高音は「4KHz〜6KHz以上の純音の音色を判別する事は非常に難しく」この辺りで音程に対する判断は鈍って来るものらしい。
僕らが聴く「スピーカーの音(無論録音前の原音も)を決定づけるのは純音ではなく倍音であって、倍音は整数倍で膨らんで、大体13〜14KHzほど先からは殆ど聴こえてこない」ものらしい。
だから、オイロダインの50Hz〜15KHzという周波数帯域はこれらの条件を低音で10Hz、高音で1KHzばかり其々上回っており、従ってオイロダインで聴けない音は無いといってもよいという事になるらしい。
だから、2〜3万ながら矢鱈に周波数帯域の優秀なスピーカーが量販店などに出回っているのは、要するに僕ら消費者が悪いという事になるようだ。
_つまり、食紅で真っ赤な蛸しか買わないとか、胡瓜や大根や長芋も真直ぐなものしか買わないとか、そうした次元と同じ事で、本質よりも見た目を重視する発想と同じ理屈になると考えてよいだろう。
_生産者は売れなければ困るから、食紅が体に毒だろうが薬だろうが兎も角真赤っかに塗りたてちまう。流石に近頃では暮れの御徒町でもこんな蛸は滅多に見掛けないが、一昔前は真っ赤っかが常識だった。
_食の安全が叫ばれる現在でも、野菜などは相当にいかがわしい色付けや型の細工、或は遺伝子の組み換え、延命処置などをしてあるものが出回っているようだ。
そういうものでなければ、僕らが買わないから、言い換えるなら、音が良かろうが悪かろうが最低でも20Hz〜20KHz出る事にしなければ買う人が居ないから、メーカーは無理してでもこういうものを造るし、測定の仕方で再生周波数表示などどうとでも云える事でもあるから、何が何でもこれ以下の数字は発表すまいとする。
_基より、こんな数字は音質には何の係わりもない事で、それは曲った胡瓜も真っ直ぐな胡瓜も味や栄養価に変わりが無いどころか寧ろひん曲った胡瓜の方が(自然栽培)数段勝るというのと同じ事であるようだ。
_従って周波数50Hz〜15KHzのオイロダインのスペックは、実質的に巨大空間における再生音に何の不足もないということを示しているのだが、既に各メーカーの宣伝文句に毒されてしまっている僕らは、この数字に目を疑い「そんな程度のものか」と吃驚して「大したこと無い」と見下してしまう。
_でも評判は最高だから、それを僕らが住むマッチ箱の中の更に小さな書斎で鳴らそうと思う人もいる。結果的に手にはしなかったが自分がそうだった。
マッチ箱の中で鳴らすオイロダイン、実際は劇場の体積分の部屋の体積程度の実力も出せないのではあるまいか。
第一天井高が違い過ぎる。一般的な家庭用のスピーカーだって100%の実力を発揮させるには本当は5メートル以上の天井高を必要とするが、我々の住むマッチ箱の天井高は多寡だか2m半程度が通常の高さである。
単なる大音響ならば出そうと思えば出せるのかもしれないが、音楽としてはとても聴けたものではあるまい。今更ながらこんなものを買わなくてよかったと再度カタログを見直してそう思った。
オーディオ関係者の誰もが口をつぐんで決して口外しないのは部屋と音響の関係に付いてである事は知っておいた方が良いだろう。
本当の事を言ってしまうと、メーカーも評論家も雑誌も売れなくなって都合が悪いから口外しないのである。当時本気で購入を考えていた事が「阿呆なことだった」とはそれを知った今だから言うことが出来る。
「クラングフィルム」、ただの社名だそうだが何とも響きがいい。これだけで部屋中に心地よい音楽が広がってくるような錯覚すら覚える素敵な名称である。
僕はドイツの映画館で映画を見た事が無いから、オイロダインの本当の実力は知らない。
旧日劇には確かWEの巨大なホーンが入っていて、解体時に誰がかっぱらうかと話題になったらしいから、日劇で観劇した人達は知らぬ間にWEの劇場音を聴いていた事になるが、クラングフィルムを使っていた劇場や映画館となるとまず聴いた事がない。少なくとも僕は知らない。
そのオイロダインを今頃になって某所で聴いた。
まあ、一般家庭ではあまり望めない広さの部屋にデンと置かれたオイロダインは壮観であり、愛想もこそもない如何にもドイツ的な武骨さが却って、変な例えだがローライの写りの良さの様な、カメラの武骨さとは真逆の効果を期待させるのと同様、見ているだけで素晴らしい音が聞こえてくるような気さえしたものだ。
期待に胸を膨らませていざ鳴りだしたこの時の落胆はだから筆舌に尽くしがたい。
音はか細く、妙に高音ばかりがガラスを引っ掻くような音でキーキー鳴りだした。
おそらく原因はオイロダインそのものではなく他に有ったのだろう。配線間違いとか、プレイヤー周辺、或いは真空管・コンデンサー不良、等々、そして何よりも部屋。
それにしても酷かった。
ドイツスピーカーが如何に優れたものかは日常聴いているつもりだから、その遥か上位機種のオイロダインがこのていたらくである筈が無い。いや、このような音で許される筈が無いと思ったが、これはオイロダインが悪いのではなくて、映画館の大空間に向けて、且つスクリーンの後ろに置いて鳴らすように出来ているスピーカーを書斎に持ち込むこと自体が間違いだと云うべきなのだろう。
ここで聴いたか細い音を完璧主義のドイツ人が母国の映画館で鳴らして、経営者も観客もそれで満足する筈はなかろうとも思った。
あの若かった頃、首尾よく入手出来ていたら僕のオーディオ人生は悲惨なものに変わっていたことだろう。
何時か本当のオイロダインの音を聴いてみたいが、何処で聴く事が出来るのか今のところ当てが無い。
一昔前FMファンという雑誌があった。その創刊号のグラビアに野口さんという方のオーディオルームが掲載されていたが、この人は桁違いな人でコンサートホール程の広さのオーディオルームに有名どころのスピーカーがごろごろしており、壁にオイロダインが嵌めこんであったと記憶している。もしかしたら此処で聴く事が出来るかもしれないと思うが、とっくに物故されたのでどうにもならない。
カタログでオイロダインには2m×2mという平面バッフルを指定しているがこのサイズはどう考えても「最低これだけ必要ですよ」ということであって、何に依らず無限大を理想とするのが平面バッフルならば、オイロダインのバッフルが2メートル四方で充分というものではないにまっている。
然るに、その最低限の寸法だって家庭に持ち込むにはかなりの無理がある事が容易に想像できる。バッフルを左右の隙間なくピッタリくっ付けて置いても横幅4メートル必要である。
勿論これでは何かと不便だから実際は最低でも5メートル必要になるし、天井高は通常2.3メートルと考えて、部屋に入れるだけなら何とかなるだろうが、これもぎりぎりでは何かと苦しいだろうから少し余裕を持たせるとして3メートルほどは必要になるだろう。そしてバッフルの後ろにも最低2mほどの空間が必要になるし、今度はスピーカーから何メートル離れたところで聴くかを考えなければならない。最低でも8mほど必要とすれば、部屋の縦方向は10メートル以上必要になるだろう。長手10メートル、横幅5メートル、天井高3メートルが、オイロダインの最低条件のバッフルを置くスペースとして必要という事になる。
そしてこれは最低条件だから此処までやったからといって満足に鳴ってくれる保証はないのである。
メーカーも発売元も売れるものなら売りたいから、家庭用として組み上げる最低限の規格を無理やり発表した事を恰も証明するように、某所の音は再度云うが酷い音だった。低音など出てこなかった。
オイロダインはドイツスピーカーの代表格だから、ドイツスピーカーは劃して、つまりこういう物を家庭に持ち込ませようとしたから評判を落とし、我が国で普及しなかったのではないかと思われる。これは実に残念なことだ。
シーメンスにはコアキシャルという25センチウーハーの同軸上に9センチツイーターを装備した小劇場用のスピーカーがあるがこれを1メートル四方の平面バッフルに付けたものも他所で聴いた事があるが、オイロダイン同様Tメートル四方のバッフルでは音にならないのだろう、これも酷いものだった。
カタログにはもう一つスタジオモニターの「オイロフォン」とかいうスピーカーも載っていた。
W460,H1050,D310、2WEY,7スピーカー、アンプ内蔵密閉箱。
中高音は口径の記載はないが8pほどの物を拡散方向を変えて4個、低域用も口径の記載はないが20センチ程のコーンスピーカーを3個、という構成である。
「透明な音質は苛酷なまでに音源の判断を可能にします」
とあるから、音という音は細大漏らさず再現しますよ、と云っているわけで、だからこそアンプ内蔵なのかと推察するが、
「高域、低域共3db、6ステップの調整が可能」とあるし、
「壁面に接近して使用できます」
とあるから、敢えて業務用のスピーカーを家庭に持ち込もうというなら、大空間を要しないスタジオモニターの此方の方が扱いやすいかもしれない。尤も今でも発売しているかどうかは知らないが、カタログに記載されているくらいだから日本の何処かに存在するものと思われるので、何方か探してみられては如何だろう。
ヴァイオリンを弾く友人T君はELACの何とかいうスピーカーを使っているが素晴らしいとべた誉めである。僕は聴いていないから何とも言えないが、ELACのSTS322というMMカートリッジを愛用しているので、同様の音造りであればべた誉めも当然かと推察する。ドイツの音造りにはイギリス、アメリカとはまた違った如何にもドイツらしい堅めの哲学の様なものを感じさせる。
WEに代表され、JBLやアルテックで一般化したアメリカスピーカーも僕らを魅了するに充分な魅力を持っているが、イギリスのタンノイやヴァイタボックスは音の品性に於いて遥かにアメリカ系を上回る。全てそうだという訳ではないが、概してアメリカ系のスピーカーはジャズ、ロック系の音楽に適しており、其れ程の品性を必要としないのは云ってみればお国柄かもしれない。
どうあれ、ドイツスピーカーの胸を張ったようながっちりした、且つ繊細な音造りの魅力が正しく紹介されていない事は、オーディオ大国日本として画竜点睛を欠くと云うべきだろう。
4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。
あの手の8pほどのスピーカーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。
スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。
ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。
指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。
尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。
そして、JBLやアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。
回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。
だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。
この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。
タンノイ然り、JBL,アルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。
古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。
件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。
僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。
その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。
ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34
今までスピーカー遊びをしてきてわかったのはスピーカーこそボックスとボックスに使われる木の材質が決め手と痛切に感じた、
スピーカーボックスはユニット以上にコストがかかるから安く済ませるには平面バッフルが一般的、私も色々やってきたが
平面バッフルの場合は16〜20cmクラスのユニットだと効果があるが
30cm以上を平面バッフルで使う場合は相当大きな板が必要になる。
最低でも2m×2mぐらいのバッフル板を使わないとユニットの裏側から音が前に回り込んで低域が減少して中高域が喧しくなる。低音が出ているように聞こえるだけで本当に出ているならピラミッドバランスになるはずだが残念ながら本当の低音は出ていない、
平面バッフルで聴くのなら16〜20cmクラスだと大きなバッフル板も必要なく楽しめるはずだ、勿論バッフルも振動していますから良い素材の板を使いたいものだ、
ネットのユーチューブでスピーカーを検索してみると色んな方が見える。例えばユニットをボックスに入れずに単体で鳴らしているがこんなのまったくもって意味を持たない、裸で鳴らして何を聴かせたいのかこんな鳴らし方なら5球スーパーのスピーカーのが良い音で鳴る。
_____
7月の23日私のコラムをお読みになった方が一度お会いして音を聴かせてほしいと連絡がありました。倉敷にお住まいのK原氏と兵庫県はたつの市のM田氏のお二人が新幹線に乗らず外来線を乗り継いでわざわざ電車でお越しになりました、
K原氏、M田氏とも百戦錬磨のオーディオ歴をお持ちでK原氏の現在はアメリカのボザークを使いクラシックがメインで聴いておられます。
昔は五味氏と同じタンノイのオートグラフのモニターレッド、マッキントッシュC−22とMC275を使ってこられたオーディオに関しての西方の強者である。
もう一人の強者は兵庫県たつの市にお住まいのM田氏でK原氏とは大変仲が良くお互いオーディオ理論をお持ちでこの方もオーディオに関しては恐ろしいほどの感性とスキルがありスピーカーはアルテック、JBLのダブルウーファ―と蜂の巣ホーン、アメリカタンノイを使っている歴戦の強者でリスニングルームは50畳の部屋とのこと、
私のシステムはお二人の方に比較して大変お粗末なシステムでお聴かせするには恥ずかしいですがわざわざ遠方より来られる以上がっかりされないように大切なお客様用に再度システムの変更をしました、
PCオーディオは昇圧トランスWE−618Cを使いアンプは最近製作したウェスタンのパーツを使ったアンプと前回紹介したWEの真空管でVT52刻印武蔵アンプ、
スピーカーは来客用のヴァイタボックス、DU−120コアキシャルをゲンコツから外してユニット交換した、(DU−120はお客様用)
早速、自宅に招いてシステムのラインナップを説明した後に音出し開始である。こちらとしては遠路遥々来ていただいて聴いて頂く以上戦々恐々だがCDをトレーに入れてPCオーディオの開始である。
最初にバイオリンとチェロをお聴かせすると百戦錬磨の耳で一言「こんな音」は聴いた事がない、CDが奥行を伴って空気感のあるサウンド、その後バッハのピアノでG線上のアリア、バッハのチェロを聴いて頂いた、
音を聴いている間はお二人の方は終始無言であったが曲が終わると一言「参った!奥行を伴った空気感のあるサウンド」は初めて聴いた、このような音なら生の演奏会に行かなくても自宅で味わえる素晴らしいとお褒めの言葉を頂いた、
最後にキースジャレットのケルンコンサートのPCオーディオとアナログレコードの比較試聴はキースジャレットではアナログに軍配が上がったが私が聴いてほしかったのは一般的なCDPで聴くデジタルとは違いWE−618Cを介したPCオーディオはアナログに負けない素晴らしさを納得して頂けたと思う、
帰りがけにK原氏が今まで有名なマニア宅を沢山聴いてきたがこの音は日本でもトップクラスと絶賛して頂いたのとこの音を聴いていたら演奏会にお金を払って足を運ぶ必要がないとも言って頂いたが社交辞令かも?遠方からわざわざ名古屋まで来ていただき有難うございました。私も秋になったらご訪問させて頂く予定です。
前回紹介しましたプロ用ヤマハフォノモーターを集成材を使いプレーヤーケースを製作、縞黒檀の突板を貼りました、アームはグレースのG−565と米国の放送局で使われていたマイクロトラックのウッドアーム、このアームは管球王国の評論家で篠田先生が使用しているものと同じです。
ナショナル EAS−20PW55
このゲンコツスピーカーは昔からのクラフトマニアなら知らない方はいないと云われているナショナルのEAS−20PW55の試聴を兼ねてご報告します。ゲンコツは私も使った経験もあり日本の名器の一つに挙げられています。
ゲンコツの初期モデルは8PW1で1954年に発売されたユニットでインチからセンチに型番がEAS−20PW09に変わった、
その後ゲンコツシリーズはアルニコからフェライトタイプに変わり1980年代に生産中止になりました。
ゲンコツの中で一番人気は大型のアルニコマグネットを採用したEAS−20PW55が最上位機種でこのユニットは状態が良ければ7万〜8万ぐらいで取引されている。
EAS−20PW55はGOODMANSのAXIOM80やAXIOM22などのユニットとよく似た真っ赤なアルニコマグネットが印象的です。
果たして本当にこのユニットは日本の名器なのか以前にGOODMANSのAXIOM80やワーフェデールのスーパー8RS/DDなど試聴した経験もありますが多少自分の好みからは外れていた、今回は記憶をもとに比較検証してみますがこれが絶対評価ではないことをご了承して頂きたい、
松下電器のEAS−20PW55(ゲンコツ)の正面と真っ赤なアルニコマグネットが魅力的なユニットで重量は結構あります。
当時の思い出
このユニットを使ったのはかれこれ52年前になります。当時はまだステレオに関して超が付く初心者ですから本当に良い音がしていたのかは覚えていない、当時のマニアは高いスピーカーシステムなど買えずもっぱらユニットのみ購入して楽しんだものですがユニットを買ったのはよいがこれを入れるボックスがなくみかん箱やリンゴ箱に丸い穴を開けて鳴らしていたと思う、
当時人気のあるユニットはパイオニアのPAX−20F、コーラルの8CX−50がありましたがこのユニットは確か1本5千円ぐらいした記憶があります。私の様な貧乏人にはとても手が出なかったがこの2機種はツィーターにホーンタイプが採用されて大変カッコよかった、
買えてもコーラルの6CX−50ぐらいですが16cmでは物足りなくもないがやはり20cmクラスだと低域も出てくるような気がした、
今では38cmクラスが当たり前だが当時は部屋の事情や金銭面の問題で買えなかった、
スピーカーユニットをなけなしのお金で買ったのはよいがこれを入れるボックスを作らなくてはなりません。
当時のボックスはユニットを買ったときに付いていた段ボールに穴を開けて聴いていたがこの時の音は感動ものであった、
5球スーパーや電蓄の音しか知らないので段ボール箱でもHi−Fiサウンドが楽しめたがその後ラワンの単板で指定箱を作り楽しんだ、その時の音は低音がずっしり来てメリハリの利いた音だった、
当時ナショナルの8PW1の価格は1本3200円でぺアだと6400円私は貧乏人ですからこれでも上等だと思った、
オーディオは感性とノウハウと叩き上げのスキルだ!
今まで沢山のユニットを使ってきました、フルレンジで特に印象が残るのはGOODMANSのAxiom80、ヴァイタボックスDU−120、パイオニアPAX−30B、ワーフェデールのスーパー8RS/DD、コーラルのべーター10と大変個性のあるユニットばかりだがその中でAxiom80は超が付く名器ですが私の好みとは多少違っていた記憶が残っている、
オーディオで一番難しいのはスピーカーです。これが上手く鳴らなければいくらWE−300Bアンプを繋いでも良い音は望めない、
今までスピーカー遊びをしてきてわかったのはスピーカーこそボックスとボックスに使われる木の材質が決め手と痛切に感じた、
スピーカーボックスはユニット以上にコストがかかるから安く済ませるには平面バッフルが一般的、私も色々やってきたが平面バッフルの場合は16〜20cmクラスのユニットだと効果があるが30cm以上を平面バッフルで使う場合は相当大きな板が必要になる。最低でも2m×2mぐらいのバッフル板を使わないとユニットの裏側から音が前に回り込んで低域が減少して中高域が喧しくなる。低音が出ているように聞こえるだけで本当に出ているならピラミッドバランスになるはずだが残念ながら本当の低音は出ていない、平面バッフルで聴くのなら16〜20cmクラスだと大きなバッフル板も必要なく楽しめるはずだ、勿論バッフルも振動していますから良い素材の板を使いたいものだ、
ネットのユーチューブでスピーカーを検索してみると色んな方が見える。例えばユニットをボックスに入れずに単体で鳴らしているがこんなのまったくもって意味を持たない、裸で鳴らして何を聴かせたいのかこんな鳴らし方なら5球スーパーのスピーカーのが良い音で鳴る。
日本の名器ゲンコツを上手く鳴らすには「感性とノウハウと叩き上げのスキル」ドクターXのセリフで「私失敗しないので」こんなセリフが自作オーディオで言えたらなぁ
たかが20cmされど20cm
JBLやアルテック、タンノイが今のスピーカーの主流でメインに使っている方が沢山いるがアルテック党やJBL党は国産のスピーカーには見向きもしない、スピーカーは海外製に限ると自負しているマニアは日本製のスピーカーと聞いただけで見下げて相手にもされない、
私は20cmクラスのユニットで聴いていると云うと頭からバカにした態度と上から目線で相手にもしない、
国産のユニットを真剣に聴いた事もないくせにスピーカーに関しては師匠や博士になったつもりだろうが私に言わせるなら有名な外国スピーカーすらまともに鳴らせないくせにと声を大にして言いたい、
このような連中に国産の20cmクラスのフルレンジを真剣に試聴したことがあるのだろうか、海外製ユニットでもこのクラスはコンパクトで大変人気がある。アルテックの755EパンケーキやJBLのLE8T、ラウザのPM−6辺りは人気の的だがこのレベルに匹敵するのが「マネシタデンキ」の8PW1である。このユニットもアメリカへ沢山輸出され好評だったらしい、アメリカには755EやLE8Tなど有名なユニットがあるのにゲンコツスピーカーが沢山売れたとはひょっとしてアメリカのユニットよりゲンコツのが音が良かったのかも知れない、
果たしてゲンコツスピーカーの実力はどの程度なのか大変興味が出てくるのだがゲンコツクラスだとボックスは適当、アンプは何でもよい考えで聴いているはず、例えは悪いが美人にボロボロの服を着せるのと同じでゲンコツは哀れだ、
アルテック、JBL、タンノイ、ハーベスなら拘りを持って楽しんでいるがましてや国産の20cmのゲンコツスピーカーなどメインスピーカーにはなれずサブシステムのスピーカーでしかないから多分出番は回ってこないのではなかろうか、
今回テスト的に現在使用している300リッターのボックスに入れたらどんな音の変化が出てくるのだろうか、ネットで検索するとゲンコツスピーカーを沢山の方が評価をしていますがほとんど50〜60リッターのボックスが多いが評価としてはどれも正しいと思う、大型ボックスに入れたゲンコツスピーカーは面白くなりそうだ、
たかが20cmされど20cmを300リッターのボックスに入れ材質はフィンランドバーチと真空管アンプで奏でた音、これは楽しみだ、
ゲンコツスピーカーを鳴らすシステム
デジタル
PCオーディオでの試聴
ノートパソコン
音楽ソフト Foobar 2000
昇圧トランス ウェスタンエレクトリック 618C
DAC ラステーム UDAC32R
アナログ
プレーヤー フォノモーターはプロ用ヤマハアイドラータイプ
トーンアーム マイクロトラック303ウッドアーム と GraceのG−565ロングアーム
カートリッジ オルトフォン SL−15E、GraceのF7M
昇圧トランス ウェスタンの618C
プリアンプ マランツ#7
メインアンプ ウェスタン VT52刻印シングルアンプ、
整流管はWE−274B刻印 最新作の英国直熱三極管アンプ
ウエスタンの618C昇圧トランス、
今回完成したアンプでゲンコツを鳴らしました、
世界の名器に対抗できるのだろうか
以前のコラムでご紹介したワーフェデールのスーパー8RS/DDも20cmユニット、コーラルのベーター10、GOODMANSのAXIOM80は25cmどちらもフルレンジユニットだったが国産の名器と謳われるナショナルゲンコツスピーカーはこれらの名器に対抗できるのだろうか、
ゲンコツスピーカーは過去に鳴らした記憶しかないからほとんど未知数な音、皆さんもゲンコツスピーカーは知ってはいるが聴かれた方は少ないはず、
今回使用するのは真っ赤なアルニコマグネットを使ったEAS−20PW55である。
このユニットに関して詳しくはオーディオの足跡に詳しく紹介されていますから参考にしてください。 試聴開始
いくら日本の名器と云えども所詮20cmのフルレンジだが300リッターのボックスだと今までの評価を覆す音が出るのか、早速バッフルを外して予めサブバッフルに取り付けたゲンコツを実装したが大変な作業でもあった、
最初にCDを使いPCオーディオでの試聴になる。リファレンスCDは一番のお気に入りの豊田裕子が弾く癒し系の「スローバッハ」ピアノとバイオリン、小鳥のさえずり、川のせせらぎが入っている癒し系のCDだ、
聴く曲目はバッハのG線上のアリア、CDをトレーに入れて出てきた音はピアノの響きが素晴らしいサウンドだ、ピアノの音には余分な付帯音もなく切れ込みの良い響きでどちらかと云えばGOODMASのAXIOM80に近い鳴り方でしっとり感と押し出しの良さが何とも心地よく聞こえる。特にピアノは絶品だ
CDをPCオーディオで鳴らすと今までのCDPで聴いてきた音とは全く異りマスターテープに近い鳴り方には驚いたがDACの後に付けたWE−618Cの実力は大変素晴らしくアナログを超えたようなサウンドになり何時までも聴いていたい癒し系のサウンド、耳障りのない上手く纏めた鳴り方である。
バイオリンに関しては多少音痩せしたように聞こえるがこれが20cmとは思えない量感とスケール感のあるサウンドには参った!
AXIOM80の時は低音不足であったがゲンコツは20cmなのに十分出ているのには凄い、1960年代の時に使ったゲンコツとはまったく違うサウンド、やはり300リッターのボックスと材質はフィンランドバーチが威力を発揮しているように思える。
またゲンコツスピーカーをマランツ#7、ウェスタンのVT52で鳴らされている方は多分いないと思うのでこのような評価になった、
ゲンコツスピーカーをトランジスターアンプで鳴らすと5球スーパーや並4ラジオのスピーカーの音になってしまう、ここは是非良質な真空管アンプで聴かないとゲンコツが可哀想だ、
このサウンドを聴くとゲンコツスピーカーは十分世界に通用できる名ユニットの一つに加えてもおかしくないがゲンコツに限らずフルレンジはどうしても高域がやや不足する部分があるがそこはフルレンジの良さで音楽を聴かせるのが魅力だ、
次に聴いたのは流行歌で春日八郎の別れの一本杉、春日八郎は以前千葉県に所要で行ったときブログで有名なこばさん宅に寄って聴かされた名曲中の名曲だ、GOODMANSのAXIOM22とWE−101アンプも素晴らしかったが、ゲンコツの場合は違った意味での良さもある。ゲンコツで昭和の歌謡曲を聴くと時代の雰囲気が良く出てレトロなサウンドになるが最近雑誌に載っている名ばかりの海外スピーカーではHi−Fi調になってこの哀愁に満ちた春日八郎の歌声はなかなか出てこない、
ゲンコツスピーカーを使っている方は多分50〜60リッターのボックスでサブスピーカーやセカンドスピーカーとして聴いていると思うがマランツ#7やWEのVT52、WE−618Cを使って300リッターで聴くゲンコツは一般的なゲンコツとは違う評価になる。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-041
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html#c4
i氏山荘のオーディオ部屋の出来事を中心に綴ります。16cmや20cmのSPユニットを取り付けた平面バッフルの音場感、自然な広がり感、臨場感、目の前で演(や)ってる感など、再現される音響空間が感動的です。
頼りない感じの16cmから、耳を圧する大音量が飛び出すことに驚き、それでも破綻しない再生音の品位に感激です。平面バッフルのすばらしさを、さらに追求していきます。
(1)i氏山荘オーディオ訪遊記(第1話) http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2013-10-14
**激安ダイドーボイス16cmSPのよさを発見**
(2)i氏山荘オーディオ訪遊記(第2話) http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2013-10-14-1
**箱型では得難い平面バッフルの感動的な音場**。
(3)i氏山荘(第3話)改造! 背面開放型ウーハー http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2013-10-19
**密閉型ウーハーの大胆改造**
(4)i氏山荘(4)755E、Golden8T新設、訪問雪解け待ち編 http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-03-28 **往年の20cmSP、755E・New Golden 8T・8P-HF1が加わり、高まる期待**
(5)i氏山荘(5)圧巻ASHIDAVOX、755E GOLDEN8 CD408 403A 他を圧倒 http://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/2014-05-26 **「美濃和紙」の超軽量コーンASHIDAVOX 20cmが往年の内外著名SPを圧倒**
https://801a-4242a.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304761631-1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html#c5
最大の特徴はエッジがコーン紙の延長でできているフィックスド・エッジである
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である
極めて大事なことなので再度言います
「エッジが音を決める!」
このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
それだけではない
ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい
これが最強無敵で抜群の音質の根拠である
製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい
昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う
プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである
この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった
スイス デュアル 西ドイツ工場製 完全オリジナル 楕円フルレンジ・スピーカー・システム
音質:
極めて質の高い本格的な音を聴くことができる
この音質こそが本物の真の音楽を聴くことができる音である
ずば抜けた音楽表現力がある
これは薄っぺらい安物の音ではない
例えると、特上の にぎりやサーロイン・ステーキである
並みとは旨さや旨味の密度がまるで違うのである
旨いものを食べたとき 旨味が口いぱいに広がるような
そういう音である
クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜならフィックスド・エッジだからである
ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生でき、実に楽しく音楽が聴ける
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン はあまりにも生々しい真実音である
シンバルはツイーターがついているかのような鳴り方である
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
低音の量感は申し分なく、質も極上である
目の前で自分のために唱ってくれているような、そして、演奏をしてくれているかのようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力が抜群に優れている
ときには あたかも美しい女性の瞳が潤んでいるかのような表現力にウットリする
愛を燃やし、心を溶かし、綿みたいな雲の乗って深い感動の世界で時を忘れて朝まで聴いてしまう
心に染み入り夢心地の幸せに満たされる
とくにジャズはノリノリとなり、跳ね、踊り スイングし、エネルギーが爆発する
声は張りがあってよく通り生のような真実音
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る
これが最も大事なことである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」
フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである
こうゆう音は聴いていて気持がよい
それだけではない
微弱信号が楽々再生できることである
これが最も重要であり大事なことである
では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。言葉で正しく伝えるのは難しく
これは体験してみないと分からない音かもしれない
WE(Western Electric) や Siemens の劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない
1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが
これがまったく音が飛ばない
プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである
当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった
瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ
Accuphase の M100 500W×2 で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった
この飛ばない柔なアンプが100万円したのである
この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった
60万円のスピーカーも100万円のアンプもまったく飛ばなかったのである
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった
あゝ160万円の授業料である
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである
では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった
こんな低音ならないほうがましだ
いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない
ボリュウームの問題ではないからだ
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである
単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり
大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない
『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる』
一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う
例えばこの盤では:
ジャズ・ヴォーカルの名盤「ヘレン・メリル ウイズ クリフォード・ブラウン」(米Emarcy)
ヘレン・メリルのハスキーで洗練されたセンスとしっとりした情感やデリケートな表現が心に伝わって
自分のために唱ってくれているようで、手を伸ばすと届きそうな感じさえする
昔小さなライブ・ハウスでまじかで聴いたことがあるが、そのときを彷彿とさせるリアルさである
フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088
▲△▽▼
ヤフオク 独 SIEMENS COAXIAL
過去3ヶ月の「 COAXIAL 」の統計データ情報
「COAXIAL」 に関する落札商品は全部で 98 件あります。
平均落札価格 9,532 円
最高落札価格 146,000 円
最低落札価格 100 円
独 SIEMENS COAXIAL/シーメンス コアキシャル 25cm 同軸2ウエイ・スピーカー・システム 平面バッフルの完動中古品のペアです。
コアキシャルは上級者の間で あまりにも有名である。
この音を聴くと他のスピーカーは雑魚(ざこ)同然に思うであろう。
コアキシャルは終生の伴侶≠ニなりうるスピーカーである。
コアキシャルはオイロダインと同じフィックスド・エッジである。
このエッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
これが本物のプロ用である
昔使用していた 38cm・4way の JBL 4343 はわずか10数年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
今となっては ただの箱であり下駄箱にもならない
これは本当にスピーカーであったのであろうかと思う。
プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである。
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンで46歳という若さでアッという間に旅立ってしまった
あゝ無常 哀れなり
SIEMENS COAXIAL の音質:
まるで次元の違う別世界の音である
この劇場用の音はいくら言葉で説明しても実際に聴かないと分からないかもしれない
この音を聴くと他はあまりにも柔(やわ)で聴くに耐えないであろう
生々しい真実音、圧倒的リアリティー、高解像力、高音楽表現力、超ハイ・スピードである
抜群の高音楽表現力により、実に楽しく音楽が聴ける
聴き手の心を揺さぶり感動の世界で幸福感に満たされる
これらは他のいかなるスピーカーとも大きく異なっている
クラシックだろうがジャズだろうがボーカルであろうが抜群によく鳴ります
なぜなら、音の立ち上がりや立ち下がり のことを過渡特性というが これが抜群によいからです
過渡特性のよくないスピーカーからいい音を引き出すことは不可能と言ってもよい
ライブ盤では部屋いっぱいに音が広がり あたかもその会場にいるようだ
演奏者の息使い、ライブ会場の空気感まで明瞭に再生できる
ヴォーカル、ピアノ、ベース、ヴァイオリン は生々しくあまりのリアルさにゾクッとする
バスドラやベース、チェロは踊るようによく弾み、ふくよかでありながらよく締まって、ボケずに音の輪郭や音程が明瞭に聴き取れて気持ちがよい
ヴォーカルは目の前で自分のために唱ってくれているようで手を伸ばすと届きそうな感じさえする
声は張りがあってよく通り生のような真実音
この盤はどう鳴るだろう、あの盤はどうだろうと、次々音楽が聴きたくなる音です
音の品位がよく、格調高く、彫りの深い美しい音です
音楽の歓びや哀しみ、心を熱くする音楽表現力に極めて優れている
音楽の感情表現力が凄いのである 他のスピーカーではこうはとても行くまい
ヴァイオリンもピアノも響きがキリッとしていて、しなやかでリアリティがある
ジャズは「水を得た魚」のようであり、エネルギーが爆発する すさまじさがある
オーケストラは立体感があり、トゥッティにも優れていて生を彷彿とさせる 堂々たる鳴りっぷりである
フォルティッシモでは部屋の空気を揺るがす強烈なパワーに本当に鳥肌が立つ
最も大事なことは、
本当にいいスピーカーは必ずかすかな音や演奏者の息使い、会場の空気感まで明瞭に再生できる
音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴るのが本当に優れたいいスピーカーである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」
こうゆう音は聴いていて気持がよい。
では「飛ぶ音」 とは一体どんな音なのか。
言葉で正しく伝えるのは難しく、これは体験してみないと分からない音かもしれない。
ウエスタンやシーメンスの劇場用スピーカーは まず音が矢のように飛ばなければ使い物にならない。
なぜなら、最後部の客席まで 例えば大地を揺るがす大砲のとどろきから 恋人のささやきや 虫の音(ね)まで かすかな音も明瞭に届けなければならない。
1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが、これがまったく音が飛ばない。
プロ用と称しながら玩具同然である。
Accuphase の M100 500W×2(この超弩級ハイパワー・アンプは100万円した)で鳴らしていたが これまた、まったく音が飛ばないアンプであった。
玩具同然のアンプであったと言わざるを得ない。 100万円の玩具である。
この時「音が飛ばない」スピーカーとアンプがあることが分かった。
飛ばない同士の組み合わせは最悪であった。
この当時のコンポーネントとしては最高級の組み合わせであったが、バカなことをしていたものである。
では一体「飛ばない音」とはどんな音なのか。
それは、スピーカーのまわりに音がまとわりつき 、聴き手に音が矢のように飛んでこない。
そして、たいてい低音が引きずるように重く、特にドスン ドスンというような質のよくない低音は気分が悪くなり 聴くに耐えない。JBL4343 がこのような低音であった。
こんな低音ならないほうがましだ。
いくらボリュームを上げても飛ばない音は絶対に飛ぶことはない。
ボリュウームの問題ではないからだ。
例え小さな部屋で小音量で聴く場合であっても この「飛ぶ音」はがぜん威力を発揮する。
優れた 「音が飛ぶ」スピーカーは音量を絞っても「つまらない音」とはならない。
なぜなら、音楽の旨味成分である微細なニュアンスや倍音等の微弱信号も楽々再生できるからである。
単なる大音量なら大抵のスピーカーは鳴る。
ところが、微弱信号はどんなスピーカーでも再生できる訳ではない。ここが一番重要なところである。
出来のよくないスピーカーほど微弱信号の再生が不可能となるため「つまらない おおざっぱな音」となり、大事なニュアンスが伝わらなく音楽にならないため面白くも何ともない。
『スピーカーの優劣を判定するには音量を絞って微弱信号の再生ができるかどうかを聴くとすぐ分かる。』
一度「飛ぶ音」を経験すると飛ばない音はもう聴く気がしないであろう。
それにしても、JBL4343 も Accuphase も高価なだけに あゝ本当に「罪深い」と思う。
https://aucfree.com/items/u190943639
詳細は
どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html#c6
エッジの材質が音質の大半を決めてしまう非常に重要な要素である
極めて大事なことなので再度言います
「エッジが音を決める!」
このフィックスド・エッジならウレタンやゴム系のように経年変化でボロボロに朽ち果てることは無い
それだけではない
ウレタンやゴム・エッジより能率が高く、最も重要な過渡特性(音の立ち上がりと立ち下がりのこと)が抜群によい
これが最強無敵で抜群の音質の根拠である
製造後およそ40年以上が経過しているというのにエッジ、コーン紙、フレーム、マグネットすべて新品のようにとてもきれい
昔使用していた 38cm・4wayの JBL4343 はわずか10年でエッジはボロボロに朽ち果ててしまった
フィックスド・エッジのため音量を絞ってもつまらない音にならず いい音で鳴る
これが最も大事なことである
そして、「音が矢のように飛ぶ!」
フィックスド・エッジの音の特徴は超ハイ・スピードに音が飛ぶことである
こうゆう音は聴いていて気持がよい
それだけではない
微弱信号が楽々再生できることである
これが最も重要であり大事なことである
フィックスド・エッジによりずば抜けた美しい音質となっているのが大きな歓びである
あゝ深い感動の世界だ!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o237764088
▲△▽▼
リムエッジの種類
ハイファイ堂メールマガジン第710号 日本橋店
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html
真空管アンプで鳴らすスピーカーですが、やはり定説として高能率のスピーカーとの相性が良しとされています。
しかしながら、真空管アンプにはその構造からトランジスタアンプと比べて中低域の太さが持ち味の一つとしてあります。
低域が鳴りにくい低能率のスピーカーをあえて真空管で駆動してみると思いがけない相性を生み出す時があります。是非一度お試しを。
また、低域が鳴りにくいというご要望はお客様からよく聞くことがあります。
箱(エンクロージャー)の構造や、ネットワーク、ユニット、色々な要因があると思います。
そんな中、今回はウーファーユニットのストロークを補助するリムエッジの種類について調べてみました。
____
[ウレタンエッジ]
JBLやTANNOYに代表される発泡ウレタン整形によるエッジ。非常に動きが良い上に負荷が少なくしっかりと固定出来ます。音質重視でストロークもあるので小音量からしっかりと仕事します。
唯一の欠点は劣化素材で約10年周期で張り替えなければなりません。
____
[布エッジ]
国産スピーカーでよく見られるベーシックなエッジ素材。
繊維にダンプ材を入れてストロークさせています。
圧倒的な耐久性から密閉型のスピーカーに適した素材。
ゴム系ダンプ材の為、長期にわたる使用で硬化してしまう難点があります。
もしご自宅のユニットがガチガチに硬くなっている場合は是非ご相談下さい。修理で豊かな低域が取り戻せます。
____
[ゴムエッジ]
今やもっともポピュラーなエッジ素材。
昔からある素材ですが、国内外問わず採用される事が増えたエッジです。耐久性の高さ、バリエーションの豊富さ等魅力満載。
素材自体にやや重量がありウレタンに比べると初動作が重いですが、近年のものは随分と改善が進んでいます。
____
[フェルトエッジ]
純正としてはもう見かけなくなったマニアック素材。
簡単に入手でき加工も容易、品質に大きなバラつきがないので自作派の方が使う事がほとんど。
エッジとしての仕事はこなしますが、エア抜けやほころび等性能はそれほど高くありません。
____
[革エッジ]
セーム革に代表される割とポピュラーなエッジ素材。素材を薄く出来るのでユニットの動きはピカイチ!しっかりと低域を出したい方にオススメです。
しかしながら、薄手で柔らかい素材ですのでうまく張ったユニットでなければすぐにセンターずれを起こしてしまいます。あまり大きなユニットにはおすすめ出来ません。
右記DIATONE610のような小径ユニットにおすすめ。
____
[エッジレス]
分類分けとして属さない気もしますが、その名の通りエッジのない作り。ストロークの大きいウーファーユニットには向きませんが中域・高域用のユニットに見られます。
とは言ってもユニット自体ある一定量はストロークしますのでコーン部分の柔軟性が必要になります。
左記B&Wユニットですとケブラーコーン(繊維の折り込み素材)でしなってエッジの役割の肩代わりをしています。
____
[コルゲーテッドエッジ]
エッジ部分をコルゲーション形状にしストロークを確保した形状。ギザギザに折り目を入れているものが主流ですが、フラットエッジ、コルゲーテッドエッジ、アップロールエッジ、ダウンロールエッジ、Vエッジ、切れ目付きエッジ等たくさんの折り方があります。
____
[フィックスドエッジ]
コーン紙の延長上をコルゲーション状にしてエッジにしたものです。繋ぎがないのでズレにくく高耐久。コルゲーションを増したもの、ウレタンフォームを上からかぶせたもの、ダンピング材を塗布したもの、コルゲーションに角度をつけたものなど様々なものがあります。PA等思いっきりパワーをかけて鳴らせる形状です。
____
色々な素材、手法によって考え出されたユニットエッジですが、一概にこれが一番と決めきれるものではありません。
ご紹介させて頂いた様にそれぞれに特徴があり長所・短所があります。
またエンクロージャーやユニットとの相性もあります。
なかなかすっと決めれるものではありませんが、自分の音探しの参考にして頂ければ幸いです。
株式会社 ハイファイ堂 日本橋店 東 貴之
http://www.hifido.co.jp/merumaga/nihon/170908/index.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html#c7
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c306
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c169
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html#c22
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/193.html#c6
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html#c10
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/137.html#c3
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html#c2
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/134.html#c11
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html#c7
2018-11-08
死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。
武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。
殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。
この点については、自説を撤回しなければならない。
といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。
1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。
1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]
(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。
日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。
闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]
まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]
(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。
典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。
「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。
[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/11/08/230042
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html#c2
他の国はレアアース採掘の環境破壊(の対策コスト)が酷いので採掘しないだけで、埋蔵量そのものはある
画像引用:http://images.china.cn/attachement/jpg/site1004/20101229/000cf1bdd0480e8528f302.jpg
中国の2つの対米報復手段
中国はアメリカの関税制裁やIT企業排除措置によって経済崩壊しようとしているが、2つの報復を検討中とされている。
一つは保有する米国債を売却してアメリカに打撃を与える事で、もう一つはレアアースの輸出禁止です。
2つとも以前実行した事があり、2度とも失敗したのだが次は成功するでしょうか?
中国の米国債保有高は19年3月時点で1.12兆ドル(約123兆円)、日本は1兆800億ドル(約119兆円)でした。
外国の米国債保有高は6兆4700億ドルで過去最高だが、比率としては17.3%で2006年以来最低になった。
中国による米国債保有比率は2011年に14%だったが、現在は7%と半減している。
米中央銀行FRBが米国債の13.5%を保有し、その他の7割近くを米国内の民間機関や個人が保有している。
いわゆる「アメリカは外国に借金まみれ」とか「中国に米国債を買ってもらわないと破産する」などは事実ではない。
アメリカ自身が外国や中国に金を貸しているので、差し引きゼロか逆にアメリカが中国に貸している金額が大きい。
仮に中国が米国債を売り払って絶縁したら、アメリカも中国に金を貸さなくなり、中国はドルの入手ができなくなります。
中国の国際取引のほとんどはドルや外国通貨で決済しているので、破産するのは中国であってアメリカではない。
米国債を売って暴落するのは人民元のほう
中国は2015年のチャイナショック前後に実際米国債を少し売却したが、人民元が下落したので辞めた。
人民元を買い支えるために米国債を売ったのだが、「中国はやばいらしい」と逆に人民元が安くなってしまった。
中国が世界でもっとも米国債を購入しているのは、為替介入で人民元を売ってドルを買っていたからです。
買ったドルの行き先で最も確実なのは米国債購入で、日本政府も為替介入で増えたドルで米国債を買っている。
米国債=外貨準備なのだが、この外貨準備を売ると信用不安が起きて人民元は暴落してしまいます。
本当に中国が米国債を売り払って通貨崩壊すればおもしろいのだが、失敗するのが分かっているのでそんな事はしないでしょう。
米国としてはもし中国が米国債を売るなら、日本やドイツに買ってもらえば良いだけです。
日本としては日銀が円を発行してドルを買い、元手ゼロで円安に誘導して米国債をタダでもらえる美味しい話です。
ドイツなども通貨安は貿易が有利になり歓迎なので、多くの国が喜んで米国債を購入するでしょう。
中国レアアース禁輸で豪ロが喜ぶ
一方のレアアースですが2012年頃に対日輸出制限したことがありました。
当時世界の9割以上のレアアースを中国が輸出していて、日本は当初打撃を受けました。
だが輸出制限で中国ではレアアースのゴーストタウンがいつくもでき、食べるために密かに採掘して日本以外に輸出しました。
東南アジアに輸出されたレアアースは日本に迂回輸出され、まもなくレアアース不足は解消された。
また日本など先進国は中国産レアアースに依存しない技術を開発したので、当時ほど重要ではなくなっている。
全世界のレアアース埋蔵量の3割が中国にあり、人件費の安さや採掘の容易さから、中国産が8割のシェアを持っています。
中国産が8割のシェアなのでレアアースの加工施設が整っていて、外国のレアアース鉱も一度中国に運ばれて加工されています。
この状況でもし中国がレアアースを制限したり禁輸したら、中国以外の7割のレアアースは利益を出せるようになります。
今まではコストの問題で採掘されなかったが、中国が勝手に引っ込んでくれたら利益を出せるようになる。
他のレアアース産出国は中国に感謝し、ブラジルやロシアやオーストラリア産が出回るようになる。
もっと高騰すると日本周辺の海底レアアースも採掘できるのだが、そこまで高くならないでしょう。
ここでも中国は自分で自分の首を絞めてしまう可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/79991862.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c11
他の国はレアアース採掘の環境破壊(の対策コスト)が酷いので採掘しないだけで、埋蔵量そのものはある
画像引用:http://images.china.cn/attachement/jpg/site1004/20101229/000cf1bdd0480e8528f302.jpg
中国の2つの対米報復手段
中国はアメリカの関税制裁やIT企業排除措置によって経済崩壊しようとしているが、2つの報復を検討中とされている。
一つは保有する米国債を売却してアメリカに打撃を与える事で、もう一つはレアアースの輸出禁止です。
2つとも以前実行した事があり、2度とも失敗したのだが次は成功するでしょうか?
中国の米国債保有高は19年3月時点で1.12兆ドル(約123兆円)、日本は1兆800億ドル(約119兆円)でした。
外国の米国債保有高は6兆4700億ドルで過去最高だが、比率としては17.3%で2006年以来最低になった。
中国による米国債保有比率は2011年に14%だったが、現在は7%と半減している。
米中央銀行FRBが米国債の13.5%を保有し、その他の7割近くを米国内の民間機関や個人が保有している。
いわゆる「アメリカは外国に借金まみれ」とか「中国に米国債を買ってもらわないと破産する」などは事実ではない。
アメリカ自身が外国や中国に金を貸しているので、差し引きゼロか逆にアメリカが中国に貸している金額が大きい。
仮に中国が米国債を売り払って絶縁したら、アメリカも中国に金を貸さなくなり、中国はドルの入手ができなくなります。
中国の国際取引のほとんどはドルや外国通貨で決済しているので、破産するのは中国であってアメリカではない。
米国債を売って暴落するのは人民元のほう
中国は2015年のチャイナショック前後に実際米国債を少し売却したが、人民元が下落したので辞めた。
人民元を買い支えるために米国債を売ったのだが、「中国はやばいらしい」と逆に人民元が安くなってしまった。
中国が世界でもっとも米国債を購入しているのは、為替介入で人民元を売ってドルを買っていたからです。
買ったドルの行き先で最も確実なのは米国債購入で、日本政府も為替介入で増えたドルで米国債を買っている。
米国債=外貨準備なのだが、この外貨準備を売ると信用不安が起きて人民元は暴落してしまいます。
本当に中国が米国債を売り払って通貨崩壊すればおもしろいのだが、失敗するのが分かっているのでそんな事はしないでしょう。
米国としてはもし中国が米国債を売るなら、日本やドイツに買ってもらえば良いだけです。
日本としては日銀が円を発行してドルを買い、元手ゼロで円安に誘導して米国債をタダでもらえる美味しい話です。
ドイツなども通貨安は貿易が有利になり歓迎なので、多くの国が喜んで米国債を購入するでしょう。
中国レアアース禁輸で豪ロが喜ぶ
一方のレアアースですが2012年頃に対日輸出制限したことがありました。
当時世界の9割以上のレアアースを中国が輸出していて、日本は当初打撃を受けました。
だが輸出制限で中国ではレアアースのゴーストタウンがいつくもでき、食べるために密かに採掘して日本以外に輸出しました。
東南アジアに輸出されたレアアースは日本に迂回輸出され、まもなくレアアース不足は解消された。
また日本など先進国は中国産レアアースに依存しない技術を開発したので、当時ほど重要ではなくなっている。
全世界のレアアース埋蔵量の3割が中国にあり、人件費の安さや採掘の容易さから、中国産が8割のシェアを持っています。
中国産が8割のシェアなのでレアアースの加工施設が整っていて、外国のレアアース鉱も一度中国に運ばれて加工されています。
この状況でもし中国がレアアースを制限したり禁輸したら、中国以外の7割のレアアースは利益を出せるようになります。
今まではコストの問題で採掘されなかったが、中国が勝手に引っ込んでくれたら利益を出せるようになる。
他のレアアース産出国は中国に感謝し、ブラジルやロシアやオーストラリア産が出回るようになる。
もっと高騰すると日本周辺の海底レアアースも採掘できるのだが、そこまで高くならないでしょう。
ここでも中国は自分で自分の首を絞めてしまう可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/79991862.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c32
他の国はレアアース採掘の環境破壊(の対策コスト)が酷いので採掘しないだけで、埋蔵量そのものはある
画像引用:http://images.china.cn/attachement/jpg/site1004/20101229/000cf1bdd0480e8528f302.jpg
中国の2つの対米報復手段
中国はアメリカの関税制裁やIT企業排除措置によって経済崩壊しようとしているが、2つの報復を検討中とされている。
一つは保有する米国債を売却してアメリカに打撃を与える事で、もう一つはレアアースの輸出禁止です。
2つとも以前実行した事があり、2度とも失敗したのだが次は成功するでしょうか?
中国の米国債保有高は19年3月時点で1.12兆ドル(約123兆円)、日本は1兆800億ドル(約119兆円)でした。
外国の米国債保有高は6兆4700億ドルで過去最高だが、比率としては17.3%で2006年以来最低になった。
中国による米国債保有比率は2011年に14%だったが、現在は7%と半減している。
米中央銀行FRBが米国債の13.5%を保有し、その他の7割近くを米国内の民間機関や個人が保有している。
いわゆる「アメリカは外国に借金まみれ」とか「中国に米国債を買ってもらわないと破産する」などは事実ではない。
アメリカ自身が外国や中国に金を貸しているので、差し引きゼロか逆にアメリカが中国に貸している金額が大きい。
仮に中国が米国債を売り払って絶縁したら、アメリカも中国に金を貸さなくなり、中国はドルの入手ができなくなります。
中国の国際取引のほとんどはドルや外国通貨で決済しているので、破産するのは中国であってアメリカではない。
米国債を売って暴落するのは人民元のほう
中国は2015年のチャイナショック前後に実際米国債を少し売却したが、人民元が下落したので辞めた。
人民元を買い支えるために米国債を売ったのだが、「中国はやばいらしい」と逆に人民元が安くなってしまった。
中国が世界でもっとも米国債を購入しているのは、為替介入で人民元を売ってドルを買っていたからです。
買ったドルの行き先で最も確実なのは米国債購入で、日本政府も為替介入で増えたドルで米国債を買っている。
米国債=外貨準備なのだが、この外貨準備を売ると信用不安が起きて人民元は暴落してしまいます。
本当に中国が米国債を売り払って通貨崩壊すればおもしろいのだが、失敗するのが分かっているのでそんな事はしないでしょう。
米国としてはもし中国が米国債を売るなら、日本やドイツに買ってもらえば良いだけです。
日本としては日銀が円を発行してドルを買い、元手ゼロで円安に誘導して米国債をタダでもらえる美味しい話です。
ドイツなども通貨安は貿易が有利になり歓迎なので、多くの国が喜んで米国債を購入するでしょう。
中国レアアース禁輸で豪ロが喜ぶ
一方のレアアースですが2012年頃に対日輸出制限したことがありました。
当時世界の9割以上のレアアースを中国が輸出していて、日本は当初打撃を受けました。
だが輸出制限で中国ではレアアースのゴーストタウンがいつくもでき、食べるために密かに採掘して日本以外に輸出しました。
東南アジアに輸出されたレアアースは日本に迂回輸出され、まもなくレアアース不足は解消された。
また日本など先進国は中国産レアアースに依存しない技術を開発したので、当時ほど重要ではなくなっている。
全世界のレアアース埋蔵量の3割が中国にあり、人件費の安さや採掘の容易さから、中国産が8割のシェアを持っています。
中国産が8割のシェアなのでレアアースの加工施設が整っていて、外国のレアアース鉱も一度中国に運ばれて加工されています。
この状況でもし中国がレアアースを制限したり禁輸したら、中国以外の7割のレアアースは利益を出せるようになります。
今まではコストの問題で採掘されなかったが、中国が勝手に引っ込んでくれたら利益を出せるようになる。
他のレアアース産出国は中国に感謝し、ブラジルやロシアやオーストラリア産が出回るようになる。
もっと高騰すると日本周辺の海底レアアースも採掘できるのだが、そこまで高くならないでしょう。
ここでも中国は自分で自分の首を絞めてしまう可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/79991862.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c44
日本の真相1 明治天皇すりかえ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=igJ12gwRtvQ&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4
日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=6
日本の真相7 超天才の悪魔 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=7
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=8
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=9
偽天皇と田布施システム【The False Emperor】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BNLdWvMNSuU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=10
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c1
【我那覇真子「おおきなわ」#70】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
【我那覇真子「おおきなわ」#71】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
戦争の黒幕「国際金融資本」とは?[桜R1-5-31] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
ゲスト:林千勝(戦史研究家)
▲△▽▼
鬼塚英昭 昭和天皇と国際金融資本による日米戦争策謀論
日本の真相1 明治天皇すりかえ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=igJ12gwRtvQ&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4
日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=6
日本の真相7 超天才の悪魔 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=7
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=8
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=9
偽天皇と田布施システム【The False Emperor】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BNLdWvMNSuU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=10
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c33
日米戦争も国際金融資本が策謀した
日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か?
【我那覇真子「おおきなわ」#70】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
【我那覇真子「おおきなわ」#71】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
戦争の黒幕「国際金融資本」とは?[桜R1-5-31] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
ゲスト:林千勝(戦史研究家)
▲△▽▼
「陸軍の勝算」秋丸機関の真実 林千勝 偕行社 平成27年11月29日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=om_F35kgO3w
https://www.youtube.com/watch?v=ddMi4D8N8-w
https://www.youtube.com/watch?v=eMrNOsVgtLc
▲△▽▼
林千勝氏(戦史研究家・つくる会東京支部幹事)
『 国を護るにはリーダーが大事!−近衛文麿にみる大日本帝国敗北(崩壊)の教訓−』
2017.6.25〈歴史・公民〉新東京塾・第3回講演会 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cjBdtLIX-O0
▲△▽▼
林 千勝・講演会【日米開戦・陸軍の勝算!日本の勝算と敗北ー現代への教訓】
広島原爆の日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fVUFNGm_Qv0
▲△▽▼
林千勝先生講演「日本の勝算と敗北 - 現代への教訓 – 近衛文麿の野望と挫折 」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yQKdjoLZxQ0
https://www.youtube.com/watch?v=-DXJpXr-T38
https://www.youtube.com/watch?v=gwc-DEka1N4
▲△▽▼
近衛は自殺したのではない!近衛の野望と挫折 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5f17npsMuG0
▲△▽▼
▲△▽▼
鬼塚英昭 昭和天皇と国際金融資本による日米戦争策謀論
日本の真相1 明治天皇すりかえ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=igJ12gwRtvQ&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4
日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=6
日本の真相7 超天才の悪魔 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=7
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=8
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=9
偽天皇と田布施システム【The False Emperor】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BNLdWvMNSuU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=10
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c170
日米戦争も国際金融資本が策謀した
日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か?
【我那覇真子「おおきなわ」#70】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
【我那覇真子「おおきなわ」#71】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
戦争の黒幕「国際金融資本」とは?[桜R1-5-31] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
ゲスト:林千勝(戦史研究家)
▲△▽▼
「陸軍の勝算」秋丸機関の真実 林千勝 偕行社 平成27年11月29日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=om_F35kgO3w
https://www.youtube.com/watch?v=ddMi4D8N8-w
https://www.youtube.com/watch?v=eMrNOsVgtLc
▲△▽▼
林千勝氏(戦史研究家・つくる会東京支部幹事)
『 国を護るにはリーダーが大事!−近衛文麿にみる大日本帝国敗北(崩壊)の教訓−』
2017.6.25〈歴史・公民〉新東京塾・第3回講演会 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cjBdtLIX-O0
▲△▽▼
林 千勝・講演会【日米開戦・陸軍の勝算!日本の勝算と敗北ー現代への教訓】
広島原爆の日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fVUFNGm_Qv0
▲△▽▼
林千勝先生講演「日本の勝算と敗北 - 現代への教訓 – 近衛文麿の野望と挫折 」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yQKdjoLZxQ0
https://www.youtube.com/watch?v=-DXJpXr-T38
https://www.youtube.com/watch?v=gwc-DEka1N4
▲△▽▼
近衛は自殺したのではない!近衛の野望と挫折 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5f17npsMuG0
▲△▽▼
▲△▽▼
鬼塚英昭 昭和天皇と国際金融資本による日米戦争策謀論
日本の真相1 明治天皇すりかえ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=igJ12gwRtvQ&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=2
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=3
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=4
日本の真相5 すべての戦争は八百長である - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=5
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=6
日本の真相7 超天才の悪魔 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=7
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=8
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=9
偽天皇と田布施システム【The False Emperor】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BNLdWvMNSuU&list=PLQcBveb2LtREtx1jTiOfvc9exEExht8J-&index=10
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c52
天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ著 松崎元 訳
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm#mokuji
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E9%99%B0%E8%AC%80+%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%9F%E3%83%8B&i=stripbooks&adgrpid=52019632743&gclid=EAIaIQobChMIssrhk7DJ4gIVCwYqCh2RjwzYEAAYASAAEgIyRvD_BwE&hvadid=338580746102&hvdev=c&hvlocphy=20638&hvnetw=g&hvpos=1t1&hvqmt=b&hvrand=831006335091229886&hvtargid=kwd-334760778916&hydadcr=4073_10899429&jp-ad-ap=0&tag=googhydr-22&ref=pd_sl_3otvhjudwd_b
ある60才代の風変わりな華族は、私に英語で以下のように告げた。
「もちろん、貴君は私をたぶらかそうとしていると思う。貴君は私に何を言わせたいのかね。
私は裕仁を子供の頃から存じている。
彼は、戦争好きの馬鹿ロマンチストだったし、たぶん今でもそうだと思う。
しかし、もう数十年もご無沙汰している。私は、自分の古い時代に乱されたくはない。もし、貴君が私の名前をあげるなら、私が貴君には会ったこともないことにする。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm
▲△▽▼
私が会った皇室家族の二人は、私との会話に、1926年からの日本の支配者、裕仁天皇についての、いくつもの物語を滑り込ませていた。こうした物語は、印刷物として報じられたことはなく、私は最初、皇室内のゴシップとして聞き流した。
しかし、後にその全体の文脈で見ると、そこには取り上げるべき重要さが潜んでいた。
たとえば、真珠湾攻撃の夜、裕仁がマラヤからの短波放送を聞いていたとか、
彼はかって、息子をもつため、人工授精による出産をおこなっていたとか、
彼の誕生は、一般に言われているより一年早かったとのうわさがある、などなどである。
こうした話から私が確信することは、裕仁が、少なくとも、そのように見せようとしているような、素直な歴史の被造物なぞでは決してないということである。
彼の侍従の話では、彼は、強力な独裁制の主唱者として登場してきたという。
彼は、卓越した知性の持ち主とも言われている。
1945年までは、彼は、政府のあらゆる詳細に明るく、すべての分野の官吏と逐一協議しており、常時、世界情勢についての全体的視野を保持していたという。
彼の、民事、軍事、宗教上の力は、絶対的なものと受け止められておりながら、
彼はそれをただ儀礼的に、かつ国務大臣の推奨を追認するのみで執行していたとも言われている。
また、どの話の中でも、彼は常に大臣の構想に遅れを取らずに助言を与え、
そして、彼が受け入れられるような推奨案へと舵取りしていたことが次々と語られている。
また、時には、反対する見解をも採用し、少数意見も受け入れ、あるいは、
ひとつの推薦案を丸々無視したとすらも認められていた。
裕仁天皇は、米国との戦争の布告に署名をしていた。それは、彼の意思にはそわずにされたものと言われていたが、戦争開始数ヶ月後の、近衛首相の退陣までに作成された記録には、そうした記述は残されていない。また、もし彼が戦争を差し止めようとしたならば、暗殺されたかもしれないとも言われている。しかし、こうした主張は、こじつけのようである。というのは、兵士も将校もすべて、天皇のために死ぬ備えをしており、彼を暗殺するほどにかけ離れた日本人は、戦争に反対の西洋化した銀行家や外交官だけであったからである。
裕仁天皇は、1937年、軍隊を華北へ送る命令に判を押した。これも後に、意思にそわずに行われたものと言われ、また、その二ヵ月後には、華中、華南へ出兵する命令にも判を押した。
彼は参謀本部の躊躇した「軍国主義者」の忠告に従い、華南の命令の執行を不本意に延期した。彼は、戦局を自ら掌握できるよう、皇居のなかに、大本営を設置した。
当時の首相が天皇のあまりな傾倒に苦言を呈しているように、彼は戦争計画に没頭するようになった。
そして遂に、彼の伯父は、中国の首都、南京攻撃の命令を引き受け、南京のあるホテルに居を移し、彼の軍隊が、10万人を超える無防備の軍民双方の捕虜を殺しているのを傍観していた。それは、第二次大戦でおこなわれた最初の集団虐殺で、この伯父が東京に戻った時、裕仁は、自らでかけて、伯父への名誉の勲章を与えた。
それをさかのぼる1931年から32年、裕仁は、満州領有に許可を与えた。これも後になって、不承々々のものとされたが、彼は、自らが代表する天皇の統帥機関により生じた企ての全的責任を負うことに躊躇していた、と当時の記録は明確に記録している。そしてふたたび、この領有が完了した時、彼はその実行者たちに勲章をあたえ、その大将を自分の侍従武官兼軍事輔弼〔ほひつ:天皇への助言者〕の主席にさせている。
こうした明白な諸事実より、天皇裕仁の行為と、後年、彼について語られた言葉との間には、大きな食い違いがあると結論付けうる。
私は、資料文献を読みながら書き留めたノートのすべてを見直しかつ再考察し、日本の近世の歴史は、第二次大戦以来提起されているように、一部、参謀本部の逆諜報専門家や、一部、皇室取巻きの上層部によって、戦争末期に捏造された幻想に巧に由来している、と確信するようになった。
こうした日本の表向きの物語は、何度も、すでに生じていたことがその結果にように引き合いに出され、論理的に逆転している。偶然な出来事や自然発生した大衆行動が、高官レベルで、それに先立つ数ヶ月あるいは数年前に、実際に議論されていたことを、その時々の資料は、一度となく示している。天皇の主席政治輔弼、内大臣(訳注)は、慣例のように次期首相を任命し、現職首相の職が危ういような政府の危機の際には、それに先立つ数週間ないし数ヶ月間は、「彼の特務期間」と呼ばれた。そのやり取りは記録として残されてもおり、その中で内大臣は、続く二代の政府の組閣構成やその成果を、正確に見通している。
終戦時、オーストラリア、ニュージーランドそして中国の高官はすべて、裕仁天皇は日本の君主であり、日本の戦争責任者のリストの先頭におかれるべきであることに同意していたことを、キャンベラの書庫で発見して、私には心をやわらげられるものがあった。彼らは、その後、マッカーサー将軍の決定――天皇を国際法の下の戦争犯罪人とするより日本の復興のために用いる――(私自身、これは賢明な決定と思う)に従った。
私の調べた確証から浮かび上がる天皇の姿は、公式の伝記にあらわれる姿とは、まるで写真のネガとポジのように異なっていた。
私の見方では、裕仁は、献身的で、衰えを知らず、利巧かつ細心で、そして忍耐力を備えた、卓越した戦争指導者だった。
彼は、アジアから白人を追放するというその使命を、大祖父から引き継いでいた。だが、国民は無関心かつ後進的であったので、人々をそうした役務にかりだすため、戦争の20年前から、心理的、軍事的に準備を重ね、巧みにあやつっていった。
公式の人物像は、これとは逆に、裕仁を、魅力に乏しいところの多い、文化的な隠居した生物学者で、自らの公務は将官や総督にゆだね、そのすべてのエネルギーをおだやかに、きのこや小さな海洋生物につぎこむ人、と描いていた。
その年の一月、私の調査が終わろうとしていた時、原書房という東京の小さな出版社が、戦時中の陸軍参謀総長、杉山元〔はじめ〕大将が1940年から44年に書きとめた備忘録〔『杉山メモ』〕を出版した。これは、日本国家の最高位の軍事将校による歴然たる手書き資料である。杉山は日本が降伏した1945年に自殺しており、彼の記録を装飾する機会はなかった。記録のほとんどは、無味乾燥な軍事的詳細か、さらに単調な軍事用語で満たされていた。しかし、そのうちのいくつかは、裕仁との会話の言葉どおりの記述である。
それらは、裕仁が、真珠湾攻撃の数ヶ月前、軍事的、経済的計画について、詳細な質問をしていることを記していた。
それは、マッカーサー将軍が語ったという、裕仁が戦後将軍に告白した――1941年にはすべての軍事的、経済的事柄については無知であった――という発言と真っ向から食い違っていた。
最も驚くべきことは、1941年1月、対米戦勃発の11ヶ月前、裕仁が独自に、真珠湾への奇襲攻撃のフィジビリティー調査を命じていることを、『杉山メモ』が記録していることである。
それ以前では、欧米の歴史家は、少なくとも1941年11月までは、裕仁は真珠湾奇襲攻撃計画については何も知らなかった、と信じていた。1941年当時の侍従長、鈴木貫太郎は、戦後、裕仁は真珠湾攻撃計画については、それが実行されるまでは知らなかった、とはばかることすらなく記している。
『杉山メモ』はまた、裕仁は、真珠湾計画に、彼の公式軍事輔弼がそれを告知される丸六ヶ月前の段階で、参加していたことを明らかにしている。極東国際軍事法廷の連合軍判事たちに提示され、また、宣誓のもとでの目撃証言や緻密な調査によって検証された証拠は、裕仁を戦争にまで引きずり込んだとされる「軍国主義者」の誰もが、1941年8月まで、真珠湾計画を知らなかったと結論ずけている。
国際軍事法廷は、日本人指導者に「侵略戦争への陰謀」との判決を下し、1928年から1936年の間の日本を運命付けた少なくとも八件の主要陰謀を明白とさせた。また、陰謀は、日本文化においては、古くから、由緒ある地位に置かれてきた。戦前の日本の領土軍〔植民地配属軍のことか〕は、公式に「謀略部」と称する参謀チームを設けていた。
私は、その連合国判事が判明させたリストに、さらに六件の陰謀を加え、それらのすべてを、裕仁を中心とする皇室がからむ陰謀とした。裕仁は、秘密裏に少数派に働きかけ、最初は日本を欧米との戦争に導き、そしてそれに敗北すると、その記録を隠蔽した。
欧米の歴史家は、日本人をえがくにあたって、集団ヒステリーの産物という考えでもってあまりに懲り固まっているようだった。
日本経済の記録は、そうした思い込みが誤りであることを示している。わずか一世紀昔の1868年、日本の経済発展は、1485年にヘンリー七世が王座にあった英国に相当すると見られていた。
過去一世紀の変貌は、常軌を逸した不可解な人々によって成し遂げられたのではなく、もっとも勤勉で知的な人々によってなされたのである。
私は、これまでの生涯、日本人に畏敬とそれを知ることの喜びを感じてきた。日本の指導者たちが、欧米の指導者たちと同様に、極めて賢い人たちであるということは、この著作の基本的前提である。
1945年、連合軍がドイツを制圧した際、何百万ページもの国家文書が発見された。これに対し、連合軍が取り決められた日本の占領を始めた時、戦争終結からまだ2週間しかたっていないにもかかわらず、アメリカ人の手に入ったもので、何らかの重要性をもつ文書は、日本人によって自発的に提供されたものであった。
1937年より1945年まで皇居において天皇が議長を勤めて行なわれた天皇本部の会議議事録は、すべて焼却されたと言われている。陸軍参謀本部、海軍参謀本部、特高警察のファイル類の大半も、同様であった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm
櫻井ジャーナル2019.05.02
日本で天皇の代替わり儀式が行われる中、米政府はベネズエラでクーデターに失敗
日本のマスコミは天皇が退位する、即位すると騒いでいる。彼らにとって天皇とは「至高の存在」なのだろう。日本は第2次世界大戦で降伏する前と同じように天皇制官僚国家であり、その元首は天皇だということである。
しかし、徳川時代の天皇は忘れ去られた存在だった。当時の天皇は生活に困窮し、短歌を売っていたという話を聞いたこともある。徳川の拠点である江戸に住む人びとが「公方様」として意識していたのは徳川家だ。
その忘れられた天皇を発掘し、徳川に代わる体制の象徴にしようとした人びとがいた。その人びとによって現在の天皇制、明治王朝が誕生した。その後ろ盾がイギリスの支配層だ。
徳川から明治へ移行する時期、つまり明治維新の頃、イギリスはビクトリア女王が君臨していた。心霊術にのめり込んでいた人物として知られている。
女王は夫のアルバート(ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男で、夫妻はいとこの関係)からアドバイスを受けていたとされているが、それ以上に影響力を持っていたと思われるのがネイサン・ロスチャイルド、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)など。
言うまでもなくロスチャイルドは強大な金融資本の支配者でローズのスポンサー。ステッドはジャーナリストで、ブレッドはビクトリア女王の相談相手だ。後にブレッドはエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。
当時のイギリスはいわゆる産業革命で生産力が上がったものの、商品が思うように売れない。国内では貧富の差が拡大、民の貧困化が深刻になる。そこで始めたのが麻薬取引と侵略戦争。中国(清)の富を奪うためにアヘン戦争を始めたのが1840年。その年にビクトリア女王とアルバートが結婚している。イギリスが「世界経済の覇者」と呼ばれるようになるのはそれ以降だ。大英帝国とは侵略と略奪で成り立っていた。
中国より前にイギリスが植民地化していたインドでは1857年に傭兵(セポイ)が武装蜂起、一般のインド人を巻き込んで大反乱になった。鎮圧されたのは1859年。その年にアヘンと武器の取り引きで大儲けしていたジャーディン・マセソンは日本へふたりのエージェントを送り込む。ひとりは歴史小説で有名なトーマス・グラバーで、赴任地は長崎。もうひとりはジャーディン・マセソンの創設者一族に属すウィリアム・ケズウィックで、赴任地は横浜。
明治政府は1872年の琉球併合から台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争というように東アジア侵略を開始、その背後にはイギリスが存在していた。日本人はイギリスの支配者に操られていたと言える。
そのイギリスは1899年からボーア戦争(南アフリカ戦争)を開始、金やダイヤモンドを産出する南アフリカを制圧する。その直前に南アフリカではダイヤモンドが発見され、その利権に目をつけたイギリスの支配者たちが引き起こした戦争だった。後に首相となるウィンストン・チャーチルもこの戦争で頭角を現している。この戦争で世界の金をイギリスが支配するようになり、金本位制を採用する国々の通貨も支配できるようになった。
ちなみにチャーチルは貴族階級の家に生まれたが、父親のランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。
生前、ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたことでも知られ、その額は現在の価値に換算すると数百万ポンド、つまり数億円。いくらでも借りられたという。ランドルフがロスチャイルドを裏切らない限り、借金は返済する必要がなかったようだ。
ネイサン・ロスチャイルドと親しい関係にあったジョージ・ピーボディーは銀行を経営していたが、そのパートナーがジュニアス・モルガン。その息子がジョン・ピアポント・モルガンだ。ネイサンはこの若者をアメリカにおけるビジネスの責任者にしている。そして巨大銀行のJPモルガンが生まれる。関東大震災以降の日本に大きな影響力を及ぼすことになるのはこのJPモルガン。
この銀行が中心になり、アメリカでは1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制を樹立させようというクーデターが計画されている。
そのJPモルガンが駐日大使として日本へ送り込んできたのがジョセフ・グルー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、グルーと親しかった日本人には秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右などが含まれる。中でも親しかったのは松岡。戦争が始まり、離日する直前にグルーがゴルフした相手は岸だ
要するにイギリスとアメリカの金融資本はつながっているのだが、その金融資本を中心とする支配層がベネズエラの石油を狙っている。
4月30日にもクーデターが試みられたが失敗、フアン・グアイドと反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペス(2014年のクーデター未遂で自宅軟禁中だったが、クーデター派によって解放されていた)はスペイン大使館へ逃げ込み、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んだ。
クーデタの失敗を受け、アメリカのマイク・ポンペオ国務長官はメディアに対し、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は航空機でキューバへ逃げようとしていたが、ロシアの説得で留まったと主張している。実際はごく狭い地域で混乱があっただけで、基本的に国内は安定、逃亡するような状況ではなかった。ポンペオは失笑を買っただけ。
アメリカ支配層が発する嘘の質が急速に劣悪化している。アメリカを中心とする支配システムの崩壊は早いかもしれない。アメリカの支配システムが崩れれば、日本の天皇制官僚制も維持できなくなる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905010001/
櫻井ジャーナル 2019.04.24
米支配層が維持しようとした天皇制官僚体制の恥部がひとつ明らかに
インドネシアのバンカ島で日本軍の兵士は1942年2月、22名のオーストラリア人看護師を銃殺したという。海の中を行進させ、機関銃で射撃、ひとりを除いて殺害したのだが、その前に看護師は兵士から性的暴行を受けていたことを示す証拠の存在が明らかにされた。(英語、日本語)証拠を隠滅し、なかったことにするという手法は今でも使われている。NGT48のケースもその一例だが、隠しきれないこともある。
日本のアジア侵略は1872年の琉球併合から始まるが、アメリカとの戦争は1941年12月7日の真珠湾攻撃から。1942年6月のミッドウェー海戦で日本の艦隊が敗北するまで日本側は勝ち戦だと考えていたようだ。そうした中、バンカ島での虐殺は引き起こされたことになる。
外国へ攻め込んだ軍隊の兵士が女性に性的に暴行するという話はしばしば聞く。日本軍に限った話ではない。日本軍の特徴はブレーキがきかなくなることにあると言えるだろう。性的暴行への対策として日本軍が作り上げたのが慰安婦の仕組みだ。戦争経験者は次のような文章を残している。
「日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。」(高見順著『敗戦日記』)
「あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)
「そこで、出てきたのが『慰安婦』というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書)
「女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。」(前掲書)
「何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書)
敗戦後、日本の将兵が戦場で行ったことを批判的に語るおとなもいたが、多くの「元兵士」にとって身に覚えのある話であり、口にすることはできなかっただろう。勿論、事実を否定することもできない。1945年に20歳代だった人は1975年でも50歳代だ。日本社会には戦場の記憶が鮮明に残っていた。荒唐無稽な話はできない。
戦争経験者が少なくなるに連れ、妄想を平然と口にする人が増えてくる。メディアもそうした妄想の拡散に協力した。
それでも慰安婦の存在を否定できないため、商売として行っているのだから問題がないと言う人もいるが、その考え方は日本人の堕落、退廃を示している。
第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用され、庶民の生活水準は悪化し、東北地方では娘の身売りが増えた。欠食児童、争議なども社会問題になっている。こうした貧富の差を拡大させる政策を推進したのが浜口雄幸内閣だ。
そうした政策に反発する人も少なくなかった。その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。井上は当時、日本でも最もJPモルガンに近いとされていた人物。団もウォール街と緊密な関係にあった。
その年の5月には五・一五事件が引き起こされ、1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはある。
井上が殺された1932年に駐日アメリカ大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。このことは本ブログで繰り返し書いてきた。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかもグルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーである。
グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。
戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあったわけだが、1933年から45年4月にかけての期間はウォール街と敵対関係にあったニューディール派がホワイトハウスで主導権を握った。ニューディール派の中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領だ。
ルーズベルトが急死するとウォール街がホワイトハウスを奪還、ドイツのナチは救出され、日本の天皇制官僚システムは存続することになる。戦争責任も曖昧なまま幕引きになった。
しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる
大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
ウォール街は日本を支配するシステムとして大戦前から天皇制官僚システムを使っていた。それを戦後も存続させるため、戦争責任の追及と民主化の推進という儀式を早く終わらせる必要があった。
そこで1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)を設立、48年11月に判決が言い渡されている。その年の12月23日に東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎない。本来なら処罰されて当然であるにもかかわらず被告席にいない人がいた。
そして新たな憲法が制定される。その憲法は第1条から第8条で天皇制の存続を定めている。「象徴」という修飾語をつけてはいるが、天皇制の存続を謳っている。「戦争の放棄」を定めたその後、第9条だ。
戦後日本の進む方向を決めたジャパンロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。内務官僚、思想検察、特別高等警察といった戦前日本の治安体制の中枢は戦後も要職に就いている。「国体」は護持されたのだ。
バンカ島での出来事をオーストラリア政府が封印したのは日本の「国体護持」を望むウォール街の意向に沿った行動だと言えるだろう。その国体に関わる儀式が近く行われる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904230000/
アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。
だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。
国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。
米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。
アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」
日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。
三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。
こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/2902
対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。
あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。
アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。
あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。
マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。
「戦後の方が食糧がなかった」というのが実態だが、占領軍が食糧を持ち去ってないような状況にして、「食糧援助」と称して恩義を売る。飢餓作戦をやっていた。
占領期の検閲問題なども暴露されていない。きれいにマインドコントロールされるようになっている。マッカーサーは45(昭和20)年9月15日、「プレスコード」(新聞紙法)を発したが、アメリカ占領軍の「検閲」の名による言論統制を四五年秋から非公然に開始した。検閲要員は1万人近くいた。その対象は、新聞・雑誌、放送・演劇脚本・映画、紙芝居・幻灯などのすべてにわたり、国民の手紙や葉書などの郵便物、電話の盗聴までやっていた。
そういうことについても、一切知らせてはならないと、徹底した検閲をやった。日本のメディアは、自分らで自主検閲するようにするし、朝日新聞なんかは自主検閲要領というのをプレスコードの線に沿ってつくっていた。それはいまでも続いているしもっとひどくなっている。一方で、GHQは新聞やラジオなどを直接にも利用して、宣伝していった。第2次大戦についてのアメリカ軍を美化する心理作戦でも、商業新聞に直接GHQが原稿を書いていたり、NHKの「真相はこうだ」という特集などもそうだ。
米軍について悪くいうことを徹底して封じた。だから原爆の実態や空襲実態についても徹底し隠した。沖縄戦なども典型的で、日本軍がみんな殺したようなイメージをつくり出す。マニラとか長沙などへのアメリカ軍の爆撃もみんな隠蔽していた。安岡の戦争体験者が長沙へのアメリカの空襲を近年朝日新聞に投稿したら、ボツにされたといっていた。
戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm
真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った.
天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった。満州事変のまえの2・26事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も2000件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった. ソ連や中国に負けるわけにはいかなかった、どうしてもアメリカに負けなければならなかった
そうした背景があって青年将校が事件を起こした。事件そのものは鎮圧したが、天皇や上のものは、共産革命が日本でも起こることを念頭においていただろうし、それをもっとも恐れただろう。
太平洋戦争でアメリカに負けたというが、そのまえに中国でさんざんにやられている。それが日本の敗戦を決定的にしたのだ。
日本軍は中国人や朝鮮人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた。創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた。中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/utunomiyamutuo.htm
負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。
天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。
日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。
天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/2873
大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった
まともな戦争ではなかった――ほとんどが餓死か病死だった
武器も食糧も持たせず死ぬとわかった輸送船に乗せて送り出した
敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚、政治家も平和主義者のような顔をした
そして日本はアメリカの属国になった
あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。
日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。
だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。精神主義とかいっているが、その気じゃないのだ。マッカーサーが日本に上陸するのが8月15日から2週間後の30日だ。司令官がすぐ乗り込めるのだ。
丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る
占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。
あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。
マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。
ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。
ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。
アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/2907
日本は海外に巨大な権益を持つ帝国主義国であるがアメリカの屈辱的な植民地的隷属下にあるという特質を持っている。
このような日本社会のさんざんな崩壊状況は第二次大戦に根源がある。
あの戦争では320万人が犠牲となった。あらゆる家族で親類に戦死者がいないところはないというほど殺された。
あの戦争は天皇を頭とする独占資本集団が、国内をさんざんに搾取収奪して、
狭隘な国内市場から海外に求めて侵略につぐ侵略、戦争につぐ戦争を繰り返し、
最後に中国への全面侵略戦争を引き起こし、米英仏蘭列強の植民地争奪戦に突入して敗戦となったものであった。
ところがアメリカの対日参戦は、アジアをファシズム国の侵略から解放するためでも、社会主義ソ連とともに日独伊ファシズムとたたかって民主主義の世界を実現するためでもなかった。
アメリカは中国市場を奪う野望とともに、日本をたたきつぶし単独で占領するという明確な計画を持って臨んだものであった。
そして天皇をはじめとする独占資本集団、政治家や官僚、大新聞など、戦争を指導してきた支配層は、人人には「鬼畜米英」「一億総玉砕」などとあおり立てながら、実際には「国体の変革」すなわち人民の革命を恐れ、米英に救いを求めていった。
自らすすんでアメリカによる日本支配を担うこと、日本の民族的な利益のすべてを売り飛ばすことによって、自分たちの支配の地位を守ってもらう道を進んだ。
現在むき出しにあらわれた日本社会の植民地的隷属状態は、日本の政財官界から新聞界などあらゆる支配勢力が、アメリカの利益のために自ら進んで日本の民族的利益を根こそぎ売り飛ばしてきたことによって進行した。
かつて旧満州を統治するのに六〇万余の軍隊を必要とした。
かつてマッカーサーは「天皇は一〇〇万の軍隊に匹敵する」といったが、
四万人ほどの米軍で日本を隷属支配しているのは、アメリカの意向をくんで自分から進んで働いて地位を得るという売国的な支配勢力の存在があるからである。
https://www.chosyu-journal.jp/column/11624
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c4
戦後60年をへたいま、戦争体験者のあいだで当時の苦しかった経験、目撃したほんとうのことを語りつがねばならないという思いはつのる一方である。下関で開催中の「原爆と下関空襲展」(主催・下関原爆被害者の会)では、これまで子どもや孫にも語ったことがなかったなまなましい体験が、堰(せき)を切ったように語られている。論議は、これまで疑問に思っていたことやおおいかくされてきた真実を明るみにしつつ発展している。こうしたなかで、戦争中から、戦後の今日にいたるまで一貫して、あの戦争で体験したほんとうのことを語らせぬ力が働いてきたことが浮き彫りにされている。
米軍にも大本営にもつのる疑問
「原爆と下関空襲展」のとりくみをとおして、市内各所で埋もれていた体験が掘り起こされ、米軍の関門海峡への機雷投下にはじまる下関空襲の全貌(ぼう)がより鮮明にされてきたことが、市民に歓迎されている。日本の軍事力が壊滅状態に追いこまれ、敗戦がすでに決定的であったときに、米軍が機雷による海上封鎖で日本全土を飢餓状態に追いこむ必要がなぜあったのか。なぜ米軍は軍事施設や軍需工場は温存して、一般市民を焼き殺す作戦を計画的に強行したのか。こうした疑問は、戦地に兵隊として動員され生死の境をくぐって帰還した体験者のいまわしい記憶とも響きあい、「あの戦争はいったいなんだったのか」の問題意識をともなって論議が発展している。
そのなかで、これまでかくされてきた事実、「おかしな戦争だった」という体験者の特徴的な声を、いくつか上げてみたい。
「真珠湾攻撃のとき、日本を北上して真珠湾にむかったが、すでにアメリカは日本が攻撃に来ることを知っていて、カナダの沖で潜水艦を二隻沈めた。そんなことは戦後かくしてきた」
「海軍は一年しかたたかえないとわかっていた。そのとおり一年は戦果があったがその後海軍の母艦は四隻とも南方で沈められていた。もう戦地に行けば死ぬことはわかりきっていた」
「ガダルカナルの海戦でも日本海軍は壊滅させられたが、アメリカは沈没して海に投げ出された兵隊たちにむかって機銃掃射して皆殺しにした」
「硫黄島付近では、一隻に200人の兵隊を乗せて十数隻の船で移動したが、グラマンが機銃掃射し、助かったのは一隻だけだった。その一隻に80機のグラマンが集中攻撃してきた。必死で逃げてやっと助かった」
「後田から石神町にかけて、民家の一軒に3、4人ずつのフィリピンにむかう兵隊を出港までのあいだ、泊めたことがあった。子ども心に表情が暗かったのを覚えている」
「あのころは空で守る戦斗機も、護衛する戦艦もなかった。輸送船が丸裸で南方にむかうが、バシー海峡にかくれていたアメリカの潜水艦にみなやられて沈没させられた。大本営はなぜあんなことをしたのか」
「戦艦大和に出撃命令が出たときに乗り組んだが、徳山港を出るときは片道の石油しか積まなかった。海上特攻隊と命名されて生きては帰れぬといいわたされた。豊後水道にさしかかるころには、すでに米軍の偵察機に発見され、種子島のところでアメリカの航空機500機以上が襲いかかって爆弾や魚雷の雨を降らせた。護衛艦もなく、迎え撃つ飛行機は一機も飛ばなかった。沈没して油と炎が漂うなかをたくさんの日本兵が必死に泳いで助けを求めていた。米軍機が海上に浮かんでいる一人一人を狙って機銃で撃ってきた。あれは人間のやることではない」
「山口の連隊に召集され、昭和20年はじめに中国に渡った。ほんとうの銃を持たされたのは5人に一人だけで、あとの4人は木製の銃だった。短剣は竹だった。腰に巻く弾倉の中身は空だった。戦斗訓練もないまま貨車に乗って、B29の空襲をさけて、昼は動かず夜だけの行動だった。米軍は中国でも焼夷弾や機銃掃射を毎日のようにやっていた。日本軍は中国人に顔を覚えられるのを恐れて、顔に墨を塗って行軍していた」
「中国に召集されて湖南省の長沙にいたとき、米軍のB29の編隊が来て、25万都市を一夜にして焼け野原にしたことを目のまえで見た。中国人に聞くと“日本軍がいるから、アメリカは都市をみんな焼いていく”といっていた。日本は中国に侵略したが、アメリカも蒋介石をおして中国を占領しようとしていたのだ」
「兄は関東軍だったのでシベリア送りにならずに帰ってきた。満蒙開拓団や、一般の兵隊はやられたのに、すぐ帰ってきたのはうれしかったが、おかしいと思ってきた」
このような体験はなにをものがたるか。
体験は何を、物語るか 気脈通じた日米支配層
1941(昭和16)年12月の日米開戦は、日露戦争以後、中国を中心にしたアジアの広大な権益をめぐって対立していた日本とアメリカの確執が行き着いた結果であった。当時、アメリカは日本への経済封鎖による戦争挑発を強め、天皇制軍国主義は、中国侵略戦争で抗日勢力が強大化するなかで、ようやく点と線を維持するのに精一杯で面を確保することはおよびもつかず、その打開にむけて右往左往する状況であった。当時、中国本土に投入された陸軍兵力は138万人。陸軍動員総兵力の65%に達していた。
のちに原爆投下計画の中心を担ったスチムソン米陸軍長官が40年6月までにニューヨークタイムズに送った手紙のなかで、「日本は中国戦線で泥沼に入りはじめた」と記しており、アメリカは日本政府が「中国側に有利」な和平提案をおこなっていることを公式に認めていた。
こうしたなかで、天皇制政府は1940(昭和15)年、南進政策を強行。日独伊三国同盟を結んだが、これはアメリカとの戦争に窮余の一策を求めるものであった。だが、このとき昭和天皇は、「アメリカに対しても打つ手がないというならば、致し方あるまい。……自分はこの時局がまことに心配であるが、万一日本が敗戦国となったときに、一体どうだろうか。この如き場合が到来した時は、総理も自分と労苦を共にしてくれるだろうか」(『木戸幸一日記』)と、敗戦を想定する状況であった。
海軍の永野修身・軍令部総長は、天皇から対米戦争で「日本海海戦の如き大勝は困難なるべし」と問われたのにたいして、「日本海海戦の如き大勝は勿論、勝ち得るや否やも覚束なし」と答える状況で、敗戦は必至とみなしていた。
一方アメリカは、日本の奇襲を待って日本との戦争に乗り出した直後には、「天皇を象徴として利用」することを対日占領政策として公式に定め、空襲において皇居の攻撃を禁止することを厳命。元駐日大使・グルーらが吉田茂、近衛文麿ら日本の「和平派」とされる人脈をつうじて、その方向を貫いた。
1942年6月のミッドウェー海戦の敗北後、日本の戦局は加速度的に悪化の一途をたどった。1944(昭和19)年6月、サイパンで日本軍守備隊3万人が玉砕、住民約一万人が犠牲となった。これにつづくマリアナ沖海戦でも、日本海軍は空母3隻、航空機430機を失う大敗北。日本の航空機動部隊は壊滅状態となっていた。
中国戦線では、44年4月から40万の大軍を動員して開始した大陸打通作戦が鉄道の主要駅とその付近を一時的に占領するだけで、補給はつづかず、伸びきった戦線はいたるところで反撃にあい、守備軍をひいたあとには、たちまち八路軍、新四軍と遊撃隊が進出、解放するという状況であった。7月には、ビルマからインドへの侵攻作戦であるインパール作戦に失敗。死者3万人と戦傷病者4万5000人を出し、作戦の中止をよぎなくされた。
こうして「大東亜戦争」の象徴的存在として一時、幅をきかせた東条内閣が倒壊するにいたった。近衛文麿は「サイパン戦以来、海軍当局は連合艦隊はすでに無力化せりといい、陸軍当局もまた戦局全体として好転の見込み絶対なしというに一致せる者の如し。即ち、敗戦必死なりとは陸海軍当局の斉(ひと)しく到達せる結論にして、只今日はこれを公言する勇気なしという現状なり」(『近衛日記』)と記し、東条内閣のすげ替えを国外に示すことで終戦工作を有利にすすめる算段を示すまでになっていた。
こうして45年2月、吉田茂が起草した近衛の上奏文が天皇に届けられた。「敗戦よりも敗戦によって起こりうる共産革命」を恐れ、アメリカが「国体護持」を保障していることを断定的に記したこの上奏は、近衛がグルーの名を出して天皇に説明したように明らかにアメリカの支配層と気脈をつうじたものであった。
攻撃の対象は人民、軍部ではなかった
制海権、制空権を確保したアメリカは潜水艦による日本の輸送船をことごとく撃沈する方針をとると同時に、マリアナ基地からB29による日本本土への空襲を開始。45年3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋などの大都市から全土の中小都市あわせて94都市の家屋・家財を焼き払い、広島・長崎への原爆投下を頂点に70万人を殺傷した。さらに、機雷1万1000個を日本の主要湾岸に投下し、内航・外航の大小の船舶をことごとく撃沈、日本国民を徹底的に飢餓状態に追いこむ作戦を強行するにいたった。
アメリカの攻撃の対象は、「戦争の勝敗を決めるのは軍人ではなく、国民全体が“この戦争は負けだ”と思わないかぎり戦いは終わらない」という米軍将校の訓辞に見るように、すでに日本の軍部ではなく、無辜(こ)の非戦斗の人民大衆であった。人民を抑えつけなければ占領支配ができないという意味であった。
日本は飛び立つ飛行機も軍艦も失い、武器もない状態で反撃能力を完全に喪失していた。B29は日本本土への空襲で世界の戦史上まれにみる低い損失率を誇り、七月段階では、ハルゼー提督の艦隊が日本の沿岸を自由に遊弋(よく)し、艦砲射撃と艦載機による機銃掃射など勝手気ままにふるまった。
この時期、日本から和平打診の情報がアメリカの新聞で報道され、沖縄戦のさなかの5月には降服の打診がおこなわれたが、アメリカ政府が公式に拒否した事実も明らかにされている。
当時、アメリカにとっては、なによりも戦後のソ連の影響力を排除し、日本を単独占領支配すること、そのために日本の人民の反米的要素、革命的な気力を喪失させることが最大の眼目となっていた。45年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗北後の3カ月後にソ連が参戦することが約束されたことは、アメリカ支配層がそれまでに計画的に日本を制圧することを至上命令とした。そのために、原爆の開発と日本への投下計画「マンハッタン計画」をおしすすめ、広島・長崎への投下を強行したのである。
「国体護持」が狙い、原爆投下も感謝
天皇制政府は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。
海軍大臣であった米内光政は広島・長崎に原爆が投下されてすぐの8月12日、つぎのように語っている。
「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである」
こうして、戦後のアメリカによる占領支配への道が開かれた。
占領後は言論弾圧、記録映画も写真も没収
戦争体験者はこれまで、体験が語れなかった状況について、「子どもからなんで戦争に反対しなかったのかとつめ寄られ、それから絶対に話さないようになった。戦時中は思っていても口に出していえば監獄に送られる時代だった」「戦後は、戦争のせの字でもいうとまわりから白い目で見られてきた。だからしゃべってこなかった」と共通して語っている。
ここには、天皇制軍国主義の弾圧とともに、戦後の「民主主義」の装いをしたアメリカ賛美の風潮のもとで、ほんとうのことを語ることがはばかられてきたことが示唆(さ)されている。
マッカーサーが厚木に到着してただちに敷いたプレスコード(新聞紙法)は、「連合国占領軍について破壊的な批判は一切してはならないし、また、これらの軍隊に対して不信や憤慨を招く恐れがあることはなにも書いてはならない」というもので、ほんとうのことをいってはならないという徹頭徹尾の言論弾圧であった。
アメリカはその理由として、「日本の軍国的国家主義の根絶」と「自由主義傾向の奨励」をあげ、これに反対するものは、反動的であるかのように宣伝。なによりもまず、原爆の被害にかんする資料を、医学資料から日本人が撮影した記録映画、写真にいたるまでことごとく没収して持ち去り、それにかんする報道をいっさい禁止し、天皇制軍国主義を上回る検閲をおこなった。
プレスコードの「禁止項目」には、「占領軍・占領政策・アメリカ批判」「占領軍将兵と日本人女性との親密な関係描写」「左翼宣伝」などとともに、「飢餓の誇張」などがあり、高度の機密兵器である機雷投下についてふれることは御法度とされた。
これには新聞・雑誌・刊行物、放送、演劇脚本・映画・紙芝居・幻灯など、言論・文化のあらゆるものが対象とされ、一般市民の手紙・葉書などの郵便物、電報・電話の傍受にいたるまで徹底したものであった。しかも、「民主主義」のたてまえから「検閲が知られるようなことが絶対にないように、それを暗示することもふくめて、残してはならない」ことまで指示。違反したものには、沖縄送りなどのきびしい刑罰を設定していたことも、明らかとなっている。
日本の商業マスコミ、「共産党」中央指導部、社会民主主義の政治勢力はおしなべて、こうした占領政策を賛美し、人民が戦争体験の真実を語ることを抑圧する支配構造が形成されてきた。この構図は今日まで生きて作用してきたといえる。
新たな戦争の危険がさし迫るいま、戦争の犠牲になった肉親、知人、友人の死をむだにしないために、日本の真の平和を実現するために、ほんとうのことを語り伝えることは、なににも増して重要になっている。
戦後60年をへたいま、戦争体験者のあいだで当時の苦しかった経験、目撃したほんとうのことを語りつがねばならないという思いはつのる一方である。下関で開催中の「原爆と下関空襲展」(主催・下関原爆被害者の会)では、これまで子どもや孫にも語ったことがなかったなまなましい体験が、堰(せき)を切ったように語られている。論議は、これまで疑問に思っていたことやおおいかくされてきた真実を明るみにしつつ発展している。こうしたなかで、戦争中から、戦後の今日にいたるまで一貫して、あの戦争で体験したほんとうのことを語らせぬ力が働いてきたことが浮き彫りにされている。
米軍にも大本営にもつのる疑問
「原爆と下関空襲展」のとりくみをとおして、市内各所で埋もれていた体験が掘り起こされ、米軍の関門海峡への機雷投下にはじまる下関空襲の全貌(ぼう)がより鮮明にされてきたことが、市民に歓迎されている。日本の軍事力が壊滅状態に追いこまれ、敗戦がすでに決定的であったときに、米軍が機雷による海上封鎖で日本全土を飢餓状態に追いこむ必要がなぜあったのか。なぜ米軍は軍事施設や軍需工場は温存して、一般市民を焼き殺す作戦を計画的に強行したのか。こうした疑問は、戦地に兵隊として動員され生死の境をくぐって帰還した体験者のいまわしい記憶とも響きあい、「あの戦争はいったいなんだったのか」の問題意識をともなって論議が発展している。
そのなかで、これまでかくされてきた事実、「おかしな戦争だった」という体験者の特徴的な声を、いくつか上げてみたい。
「真珠湾攻撃のとき、日本を北上して真珠湾にむかったが、すでにアメリカは日本が攻撃に来ることを知っていて、カナダの沖で潜水艦を二隻沈めた。そんなことは戦後かくしてきた」
「海軍は一年しかたたかえないとわかっていた。そのとおり一年は戦果があったがその後海軍の母艦は四隻とも南方で沈められていた。もう戦地に行けば死ぬことはわかりきっていた」
「ガダルカナルの海戦でも日本海軍は壊滅させられたが、アメリカは沈没して海に投げ出された兵隊たちにむかって機銃掃射して皆殺しにした」
「硫黄島付近では、一隻に200人の兵隊を乗せて十数隻の船で移動したが、グラマンが機銃掃射し、助かったのは一隻だけだった。その一隻に80機のグラマンが集中攻撃してきた。必死で逃げてやっと助かった」
「後田から石神町にかけて、民家の一軒に3、4人ずつのフィリピンにむかう兵隊を出港までのあいだ、泊めたことがあった。子ども心に表情が暗かったのを覚えている」
「あのころは空で守る戦斗機も、護衛する戦艦もなかった。輸送船が丸裸で南方にむかうが、バシー海峡にかくれていたアメリカの潜水艦にみなやられて沈没させられた。大本営はなぜあんなことをしたのか」
「戦艦大和に出撃命令が出たときに乗り組んだが、徳山港を出るときは片道の石油しか積まなかった。海上特攻隊と命名されて生きては帰れぬといいわたされた。豊後水道にさしかかるころには、すでに米軍の偵察機に発見され、種子島のところでアメリカの航空機500機以上が襲いかかって爆弾や魚雷の雨を降らせた。護衛艦もなく、迎え撃つ飛行機は一機も飛ばなかった。沈没して油と炎が漂うなかをたくさんの日本兵が必死に泳いで助けを求めていた。米軍機が海上に浮かんでいる一人一人を狙って機銃で撃ってきた。あれは人間のやることではない」
「山口の連隊に召集され、昭和20年はじめに中国に渡った。ほんとうの銃を持たされたのは5人に一人だけで、あとの4人は木製の銃だった。短剣は竹だった。腰に巻く弾倉の中身は空だった。戦斗訓練もないまま貨車に乗って、B29の空襲をさけて、昼は動かず夜だけの行動だった。米軍は中国でも焼夷弾や機銃掃射を毎日のようにやっていた。日本軍は中国人に顔を覚えられるのを恐れて、顔に墨を塗って行軍していた」
「中国に召集されて湖南省の長沙にいたとき、米軍のB29の編隊が来て、25万都市を一夜にして焼け野原にしたことを目のまえで見た。中国人に聞くと“日本軍がいるから、アメリカは都市をみんな焼いていく”といっていた。日本は中国に侵略したが、アメリカも蒋介石をおして中国を占領しようとしていたのだ」
「兄は関東軍だったのでシベリア送りにならずに帰ってきた。満蒙開拓団や、一般の兵隊はやられたのに、すぐ帰ってきたのはうれしかったが、おかしいと思ってきた」
このような体験はなにをものがたるか。
体験は何を、物語るか 気脈通じた日米支配層
1941(昭和16)年12月の日米開戦は、日露戦争以後、中国を中心にしたアジアの広大な権益をめぐって対立していた日本とアメリカの確執が行き着いた結果であった。当時、アメリカは日本への経済封鎖による戦争挑発を強め、天皇制軍国主義は、中国侵略戦争で抗日勢力が強大化するなかで、ようやく点と線を維持するのに精一杯で面を確保することはおよびもつかず、その打開にむけて右往左往する状況であった。当時、中国本土に投入された陸軍兵力は138万人。陸軍動員総兵力の65%に達していた。
のちに原爆投下計画の中心を担ったスチムソン米陸軍長官が40年6月までにニューヨークタイムズに送った手紙のなかで、「日本は中国戦線で泥沼に入りはじめた」と記しており、アメリカは日本政府が「中国側に有利」な和平提案をおこなっていることを公式に認めていた。
こうしたなかで、天皇制政府は1940(昭和15)年、南進政策を強行。日独伊三国同盟を結んだが、これはアメリカとの戦争に窮余の一策を求めるものであった。だが、このとき昭和天皇は、「アメリカに対しても打つ手がないというならば、致し方あるまい。……自分はこの時局がまことに心配であるが、万一日本が敗戦国となったときに、一体どうだろうか。この如き場合が到来した時は、総理も自分と労苦を共にしてくれるだろうか」(『木戸幸一日記』)と、敗戦を想定する状況であった。
海軍の永野修身・軍令部総長は、天皇から対米戦争で「日本海海戦の如き大勝は困難なるべし」と問われたのにたいして、「日本海海戦の如き大勝は勿論、勝ち得るや否やも覚束なし」と答える状況で、敗戦は必至とみなしていた。
一方アメリカは、日本の奇襲を待って日本との戦争に乗り出した直後には、「天皇を象徴として利用」することを対日占領政策として公式に定め、空襲において皇居の攻撃を禁止することを厳命。元駐日大使・グルーらが吉田茂、近衛文麿ら日本の「和平派」とされる人脈をつうじて、その方向を貫いた。
1942年6月のミッドウェー海戦の敗北後、日本の戦局は加速度的に悪化の一途をたどった。1944(昭和19)年6月、サイパンで日本軍守備隊3万人が玉砕、住民約一万人が犠牲となった。これにつづくマリアナ沖海戦でも、日本海軍は空母3隻、航空機430機を失う大敗北。日本の航空機動部隊は壊滅状態となっていた。
中国戦線では、44年4月から40万の大軍を動員して開始した大陸打通作戦が鉄道の主要駅とその付近を一時的に占領するだけで、補給はつづかず、伸びきった戦線はいたるところで反撃にあい、守備軍をひいたあとには、たちまち八路軍、新四軍と遊撃隊が進出、解放するという状況であった。7月には、ビルマからインドへの侵攻作戦であるインパール作戦に失敗。死者3万人と戦傷病者4万5000人を出し、作戦の中止をよぎなくされた。
こうして「大東亜戦争」の象徴的存在として一時、幅をきかせた東条内閣が倒壊するにいたった。近衛文麿は「サイパン戦以来、海軍当局は連合艦隊はすでに無力化せりといい、陸軍当局もまた戦局全体として好転の見込み絶対なしというに一致せる者の如し。即ち、敗戦必死なりとは陸海軍当局の斉(ひと)しく到達せる結論にして、只今日はこれを公言する勇気なしという現状なり」(『近衛日記』)と記し、東条内閣のすげ替えを国外に示すことで終戦工作を有利にすすめる算段を示すまでになっていた。
こうして45年2月、吉田茂が起草した近衛の上奏文が天皇に届けられた。「敗戦よりも敗戦によって起こりうる共産革命」を恐れ、アメリカが「国体護持」を保障していることを断定的に記したこの上奏は、近衛がグルーの名を出して天皇に説明したように明らかにアメリカの支配層と気脈をつうじたものであった。
攻撃の対象は人民、軍部ではなかった
制海権、制空権を確保したアメリカは潜水艦による日本の輸送船をことごとく撃沈する方針をとると同時に、マリアナ基地からB29による日本本土への空襲を開始。45年3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋などの大都市から全土の中小都市あわせて94都市の家屋・家財を焼き払い、広島・長崎への原爆投下を頂点に70万人を殺傷した。さらに、機雷1万1000個を日本の主要湾岸に投下し、内航・外航の大小の船舶をことごとく撃沈、日本国民を徹底的に飢餓状態に追いこむ作戦を強行するにいたった。
アメリカの攻撃の対象は、「戦争の勝敗を決めるのは軍人ではなく、国民全体が“この戦争は負けだ”と思わないかぎり戦いは終わらない」という米軍将校の訓辞に見るように、すでに日本の軍部ではなく、無辜(こ)の非戦斗の人民大衆であった。人民を抑えつけなければ占領支配ができないという意味であった。
日本は飛び立つ飛行機も軍艦も失い、武器もない状態で反撃能力を完全に喪失していた。B29は日本本土への空襲で世界の戦史上まれにみる低い損失率を誇り、七月段階では、ハルゼー提督の艦隊が日本の沿岸を自由に遊弋(よく)し、艦砲射撃と艦載機による機銃掃射など勝手気ままにふるまった。
この時期、日本から和平打診の情報がアメリカの新聞で報道され、沖縄戦のさなかの5月には降服の打診がおこなわれたが、アメリカ政府が公式に拒否した事実も明らかにされている。
当時、アメリカにとっては、なによりも戦後のソ連の影響力を排除し、日本を単独占領支配すること、そのために日本の人民の反米的要素、革命的な気力を喪失させることが最大の眼目となっていた。45年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗北後の3カ月後にソ連が参戦することが約束されたことは、アメリカ支配層がそれまでに計画的に日本を制圧することを至上命令とした。そのために、原爆の開発と日本への投下計画「マンハッタン計画」をおしすすめ、広島・長崎への投下を強行したのである。
「国体護持」が狙い、原爆投下も感謝
天皇制政府は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。
海軍大臣であった米内光政は広島・長崎に原爆が投下されてすぐの8月12日、つぎのように語っている。
「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである」
こうして、戦後のアメリカによる占領支配への道が開かれた。
占領後は言論弾圧、記録映画も写真も没収
戦争体験者はこれまで、体験が語れなかった状況について、「子どもからなんで戦争に反対しなかったのかとつめ寄られ、それから絶対に話さないようになった。戦時中は思っていても口に出していえば監獄に送られる時代だった」「戦後は、戦争のせの字でもいうとまわりから白い目で見られてきた。だからしゃべってこなかった」と共通して語っている。
ここには、天皇制軍国主義の弾圧とともに、戦後の「民主主義」の装いをしたアメリカ賛美の風潮のもとで、ほんとうのことを語ることがはばかられてきたことが示唆(さ)されている。
マッカーサーが厚木に到着してただちに敷いたプレスコード(新聞紙法)は、「連合国占領軍について破壊的な批判は一切してはならないし、また、これらの軍隊に対して不信や憤慨を招く恐れがあることはなにも書いてはならない」というもので、ほんとうのことをいってはならないという徹頭徹尾の言論弾圧であった。
アメリカはその理由として、「日本の軍国的国家主義の根絶」と「自由主義傾向の奨励」をあげ、これに反対するものは、反動的であるかのように宣伝。なによりもまず、原爆の被害にかんする資料を、医学資料から日本人が撮影した記録映画、写真にいたるまでことごとく没収して持ち去り、それにかんする報道をいっさい禁止し、天皇制軍国主義を上回る検閲をおこなった。
プレスコードの「禁止項目」には、「占領軍・占領政策・アメリカ批判」「占領軍将兵と日本人女性との親密な関係描写」「左翼宣伝」などとともに、「飢餓の誇張」などがあり、高度の機密兵器である機雷投下についてふれることは御法度とされた。
これには新聞・雑誌・刊行物、放送、演劇脚本・映画・紙芝居・幻灯など、言論・文化のあらゆるものが対象とされ、一般市民の手紙・葉書などの郵便物、電報・電話の傍受にいたるまで徹底したものであった。しかも、「民主主義」のたてまえから「検閲が知られるようなことが絶対にないように、それを暗示することもふくめて、残してはならない」ことまで指示。違反したものには、沖縄送りなどのきびしい刑罰を設定していたことも、明らかとなっている。
日本の商業マスコミ、「共産党」中央指導部、社会民主主義の政治勢力はおしなべて、こうした占領政策を賛美し、人民が戦争体験の真実を語ることを抑圧する支配構造が形成されてきた。この構図は今日まで生きて作用してきたといえる。
新たな戦争の危険がさし迫るいま、戦争の犠牲になった肉親、知人、友人の死をむだにしないために、日本の真の平和を実現するために、ほんとうのことを語り伝えることは、なににも増して重要になっている。
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/3064
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c5
自民党「大物」政治家の資金源
「小泉総理の父、祖父が、第二次大戦中、中国侵略を進めた大政翼賛会の政治家であり、安倍晋三官房長官の祖父が、中国侵略の中心人物、岸信介であり、麻生太郎外務大臣の祖父が、中国侵略軍の中核に居た吉田茂である」という家系の意味するもの。
1939年4月、陸軍省軍事課長、岩畔豪雄を中心に、三井、三菱、大倉財閥の出資で満州に「昭和通商」という商社が作られた。
主な業務はアヘン密売であり、実働部隊として岸信介、佐藤栄作、池田勇人、吉田茂がアヘン密売に関与し、満州国の運営資金をアヘン売買で調達した。
これは、1894年の日清戦争で勝利した日本の内務省衛生局長、後藤新平が、「満州経営の資金調達のため、アヘンを国策として売買すべし」と主張して以来の日本の国策だった。後藤は、後に満鉄初代総裁になっている。
戦後、自民党から出て首相になった4人の人物が、膨大な部署のある軍部の、しかも満州の、たった1つの部署に集中していた、というのは偶然にしては余りに不自然である。
4人の首相は、全員麻薬売買を中心的に担い、右翼の「大物」と言われる児玉誉士夫等は、むしろアヘン売買では「小物」であり、4人の首相が麻薬売買の中心に居た。
中国における麻薬の売人が、戦後4人も日本で首相になった、その理由としては、アヘン売買の利益が敗戦とともに日本に持ち帰られ、自民党「大物」政治家の権力獲得資金源になって行った可能性が、極めて高い確率で考えられる。
侵略戦争の中核に居た人物等の末裔が、現在、政治権力の中枢に居るのは偶然ではなく、彼等の活動資金の源に理由がある。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49243912.html
狂人達の世界帝国建設の夢
1932年、中国に侵略を続ける日本軍は満州帝国を建国する。満州の運営資金は、事実上アヘン密売業者里見甫が全て出資し、表側の満州帝国総裁が後藤新平であれば、裏側の総裁が里見であった。
里見は中国大陸全土に及ぶ自分のアヘン密売網を侵害する者がいれば、直ちに惨殺する殺人鬼であり、アヘン密売の利益を全て満州建国に注ぎ込む私利私欲の無い指導者として、日本軍部の軍人皆の恐怖と尊敬の的となった。
また関東大震災の混乱に乗じ、戦争に反対するアナキスト大杉栄とその妻を絞殺した警察官甘粕正彦も、満州帝国の治安維持責任者となり、里見と共に帝国の治安を乱す者を容赦無く惨殺する殺人鬼として二人三脚で活躍した。
一方、甘粕は満州鉄道映画製作部を指導し、「中国大陸の新しい帝国を舞台にしたロマンチックな映画」を製作する「ひ弱」でロマンチックな映画青年でもあった。
甘粕と里見には、新しい大帝国に賭けるロマンチックな夢、情熱が巨大であればあるほど、その夢の障害になる者に対して凶暴な殺人鬼となる点が共通していた。
大帝国建設、世界制覇という政治・経済的ロマンティシズムが大量殺戮を生み出す点は、里見、甘粕、ヒトラー、ジョージ・ブッシュあるいはロックフェラー、ロスチャイルド全員に共通する人間的欠陥である。彼等は全員世界制覇という「自分の夢」の中の住人であり、「現実世界」に生きてはいない。自分の行う大量殺戮の「現実」が見えず、見ようとしない。そのような「現実逃避型」の人間に政治を行う資格は無い。
しかし、世界制覇、世界統一というロマンチックな夢は、最も一般市民、庶民に熱烈な支持を受ける。帝国建設というロマンチックな夢の実現の障害物を大量殺戮する殺人鬼ほど、民衆の絶大な支持を得、絶対的権力者となる。ナポレオン、ヒトラー、スターリン等への民衆の熱狂的支持はそれを物語っている。
世界帝国実現のロマンチックな夢には、冷静な計算が必要になる。石油も鉄鉱石もなく戦争に突入する日本軍部には冷静な計算が無かった。三流の夢である。
1つ1つの企業、地域、国を順次支配下に置き、その経営、運営を成功させて行くロスチャイルド、ロックフェラー、ブッシュ一族には一流の計算能力がある。
ロマンチックな夢、狂人のような殺人鬼、冷静な実務家は1人の人間の中で共存し得る。カミソリのように頭脳の切れる優秀な天才こそ狂人になる。彼等は一流の狂人である。
実務に優秀でロマンチックで壮大な夢を語り得る政治家ほど魅力的ではないか?政治的ロマンティシズムの行き着く先はヒトラーである。
ナチスへの反省から生み出されたこの政治学の基本は、最近全く議論されなくなってしまった。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49604157.html
1897年、日清戦争に勝利した日本は中国を支配するチャンスを手に入れる。
当時内務省衛生局長であった後藤新平は、中国に日本の支配下にある大帝国を作るべきであると強く主張し、帝国運営に中国大陸でのアヘン売買の利益を充てるべきであると主張する。
これは、日本国内の食品、薬品の安全管理の総責任者、内務省衛生局長がアヘン売買を全面的に推進する意向を示したものであり、日本の暴力団は一斉に中国でのアヘン売買に乗り出す。
後に中国大陸のアヘン売買を独占する、アヘン帝国を作り上げる里見甫もその一人であった。里見は、東条英機内閣成立の最大資金源となり、東条が日本を第二次世界大戦に本格的に突入させて行く。
広島、長崎への原爆投下という悲惨な結果を生み出した戦争は、里見のアヘン資金が引き起こしたものであり、それを推進したのが後藤新平であった。
後藤は後に初代満州帝国総裁となり、アヘン売買による満州帝国建国という国策は決定的になる。
里見のアヘン帝国は、中国とベトナム、ラオス国境にまで及び、ゴールデン・トライアングルと呼ばれる、戦後一貫して世界最大の麻薬生産地帯であったこの地域は、まさに後藤の国策と里見の活動によって形成される事になる。(アフガン戦争後はアフガニスタンが世界最大の麻薬生産地帯となっている。)
また里見のアヘン・ビジネスのパートナーとなるイスラエルのアイゼンベルグは、中国共産党に深い人脈を作り、一貫して中国共産党のアヘン売買の実働部隊となるイスラエルのアイゼンベルグ社を戦後、設立する。
世界の麻薬ビジネスの礎石を、まさに里見と後藤が築いた事になる。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49600765.html
1842年、アヘン戦争に敗北した中国清王朝は統治能力を失い、事実上アヘン売買を仕切る宗財閥と、それを支えるイラクのサスーン財閥に中国の経済的支配権が移る。
上海の古式豊かな外灘(バンド)と呼ばれる街並、建築物は、全てサスーンが建造した物であり、上海の街を作ったのはまさにサスーン財閥だった。
サスーンは上海を起点に中国中部から南部=華中・華南を結び、さらにフランス領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)を結ぶ中南支横断鉄道建設を計画し、中国北部を支配する日本の満州鉄道と連結し、中国全土と東南アジアを鉄道で統一しようとしていた。
第二次大戦中、日本の諜報組織はアヘン売買を手掛け、中国においてはフランス諜報組織、宗財閥、アヘン売買組織サスーンと協力関係にあった(協力しなければアヘンは入手できない)。サスーンは英国諜報組織MI6と協力し、中国全土に「キングス・サービス」という諜報組織のネットワークを張り巡らせた。
中国北部の日本の諜報組織、東南アジアのフランス諜報組織は、鉄道で統一される「大アジア」の中核、サスーンの諜報組織の補完物であった。
現在の中国の中央銀行、香港上海銀行はサスーンの銀行に店舗を間借りして設立された。中国国民党・蒋介石の最大資金源がサスーンであった。このサスーンと宗財閥の実働部隊であったアジア全域に及ぶ李一族は、現在も中国の李鵬首相(元)、李承全国家主席、台湾の李登輝総統、シンガポールのリー・クアンユー首相(注)等を結ぶ李一族の地下経済ネットワークとして、共産主義中国の崩壊後を担うアジアの統一政権の基盤を着々と準備しつつある。
アジア全域を支配したサスーン財閥に優秀な後継者が育たなかったため、壮絶な縄張り抗争と殺し合いの末、アジア全域のアヘン密売を握ったのがイスラエル最大の軍事産業アイゼンベルグ社であった。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49431165.html
日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。
生活に困った日本人は、日清戦争以後、半ば日本と世界各国の植民地のようになった中国に渡り、莫大な利益を求めて中国でビジネスを行った。
その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業であった。里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。アヘンを扱う暴力団のフロント企業に、三井、三菱といった大財閥が出資していた事になる。
中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降イラク出身のサスーン財閥の独占市場であったが、英国軍部と結び付いたサスーンは、中国大陸とアヘンの供給地東南アジアにおいて、フランス軍が勢力を伸ばし、さらに日本軍が中国大陸において大規模な侵略を始めると、少しずつその勢力範囲を狭めて行った。
中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。
この世代交代につけ込んだのが里見であった。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。
その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。米国全土の麻薬組織、マフィアの「統一」を果たした「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグと、日本の大物右翼、三井、三菱財閥が連携していた。この日米マフィア連合が英国麻薬業者の追い出しを行っていた。麻薬争奪戦争であった。
アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。後進国の日本がどのようにして産業を育成したかは、これからイスラエルを建国しようとするアイゼンベルグにとって、一つのモデルとなる。
日本政府が国営で八幡製鉄所を作り、経営が軌道に乗り、一定の時期が来ると民間に企業を「払い下げ」、民間企業、新日鉄としたその手法はアイゼンベルグによって十分に研究、吸収され、戦後イスラエルの産業復興の手法として、アイゼンベルグによって生かされる。
米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。アイゼンベルグの経営者ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。そこから日本の産業界のイスラエル人脈は延々と続く事になる。現在の麻生外務大臣の経営する、麻生セメントの親会社ラファルジュ(フランスのセメント会社)のさらに親会社がアイゼンベルグである。
この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。
これは、戦後の日本で自民党の総理大臣になる面々が「偶然」にも昭和通商で麻薬売買を行っていたという事ではなく、中国のアヘン売買で「荒稼ぎ」した里見甫とイスラエル、アイゼンベルグの資金が、戦後の日本の権力者を生み出して来た事を意味する。
日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成であった。野党までが戦争賛成なる「挙国一致」体制の成立で、野党による与党のチェック、戦争反対の声が完全に抹殺されてしまった。
東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49599920.html
1941年、上海のプロテスタント教会を次々と日本軍のスパイ組織、上海海軍武官府・特別調査部の兵士達が急襲する。日本の諜報組織は、プロテスタント教会が麻薬組織サスーンの事務所になっているとの情報を得て、教会を急襲した。
元々、中国の小さな地方都市に過ぎなかった上海を開発し、租界と呼ばれる街路を整備したのは、麻薬業者のサスーンであった。
第二次大戦中までは、上海の街並みの全ての建築物が、サスーンによって建造されたと言われる程、上海はサスーンの街であった。
しかし満州帝国を建設し、さらに南下しようとする日本軍にとって、敵国・英国と一体化したサスーンの上海支配を壊滅させる事は必要不可欠であった。そこにはサスーンの麻薬組織を破壊し、日本軍部の資金源である里見甫の昭和通商に、アヘン売買を独占させる目的もあった。
教会を急襲した当時の上海海軍武官府・特別調査部の記録によると、教会の地下にはサスーンの事務所が置かれ、そこからは英国諜報組織MI6の中国エージェントの名簿、秘密結社フリーメーソンの祭壇、おどろおどろしいフリーメーソンの儀式の用具が発見されたと言う。
日本の軍部は、このフリーメーソンの祭壇を見て、「頭のおかしなカルト」が関わっているといった程度の認識しか持たなかった。その事が、後に日本の太平洋戦争における壊滅的敗北という事態を招く、諜報上の大失敗になるとは全く予想もしていなかった。
当時、日本軍は東南アジアに侵攻していたフランス軍と協力関係にあった(注)。中国の中部、南部を支配する英国に対し、北部を支配する日本軍と東南アジアのフランス軍で挟み撃ちにする戦略であった。
フランスは日本にとって敵国であったが、敵の中に「協力者」を作るのは諜報の常識であり里見に協力するアイゼンベルグは、フランス軍と日常的に連絡を取っていた。アイゼンベルグは日本に到達する前に、イスラエル国家建設を目指して、世界各国のユダヤ人街を巡り、各国の財閥に支援を仰いでいた。
当時、フランスの統治下にあったアルジェリアの経済界は、ユダヤ人街が独占支配しており、アイゼンベルグはアルジェリア支配のため、ユダヤ財閥と一体化していたフランス諜報部に深い関わりをもっていた。
東南アジアを支配するフランス軍の実態は、そこでゴムや米作の大農園を経営するフランスの穀物商社ドレフュスであったが、後にドレフュスはアイゼンベルグ社の子会社になる。
このパイプでフランス軍と日本軍は密通していた。
しかしアイゼンベルグは単に日本で技術を学び、中国で麻薬売買を行い、利益を得るためだけにアジアに来ていたのであろうか?
1935年、ロンドンでは国際ユダヤ財閥会議が開かれ、サスーンの街である上海から東南アジアに至る中南支横断鉄道の建設と、それを要とした南アジア大帝国の建設、その地域の資源開発が決議されていた。その出資者は、アイゼンベルグとサスーン、ドイツのオットー・ウルフ財閥、ロスチャイルドであった。
アイゼンベルグは日本と協力しながら、同時に日本の敵国・英国サスーンとも協力し、中国中部、南部、東南アジアに渡る南アジア大帝国を作り上げようとしていた。アイゼンベルグは、そこにイスラエルを建国しようとしていたのだ。
そのアイゼンベルグが日本に「協力」する意図は、アイゼンベルグの南アジア大帝国により、中国北部の日本の満州帝国を「飲み込み」、アジア統一大帝国イスラエルを建国する事にあった。
稚拙な諜報能力しか持たない日本政府が、夢にも想像出来ない戦略であった。
そしてアイゼンベルグは、麻薬売買において自分と対立するサスーンとも結び、日本、英国、フランスのどの国が戦争に勝利しても、そこにイスラエル建国の可能性を確保する戦略を取っていた。
そこには、米国の過酷なマフィア戦争を勝ち抜いてきた、戦略家アイゼンベルグの才覚が見事に発揮されていた。
石油も鉄鉱石もなく米国との戦争に突入してゆく、粗末な外交能力しか持たない日本、ロンドンのユダヤ財閥会議の動きさえ察知出来ていない稚拙な日本の諜報能力、これが日本を壊滅に導く。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49600090.html
1941年、創立と同時にCIA(当時はOSS)は、中国において急速に勢力を伸ばしつつあった中国共産党の実態調査に取りかかる。
中国に全くコネクション(つながり)の無かったCIAは、ボスである英国諜報組織MI6に依頼し、MI6の中国における出先機関であった麻薬密売組織サスーン財閥に協力を要請する。しかし中国国民党と連携し中国南部に帝国を作ろうとしていたサスーンは、共産党とは関係が険悪であり、結局中国南部の帝国建設でサスーンに協力していたアイゼンベルグをCIAに紹介する。
アイゼンベルグと共に満州建国資金をアヘン売買で稼ぎ出していた里見甫の元に、CIA局長ワイルド・ドノヴァンから派遣されて来たのは、ドノヴァンの親友で部下でもあるウィリス・バード中佐と北京語の通訳としてパレット大佐であった。
アイゼンベルグと里見は、後にCIAの中国支部の事務所が設置される延安にバードを連れて行き、中国共産党の諜報組織の代表、恵生に引き合わせる。後に中国共産党の諜報組織、中国特務機関(中国のCIAに該当する)の長官として戦後長く君臨し、中国共産党の秘密警察、暗殺部隊の指揮官として中国の政治家・官僚達に恐れられる事になる中国共産党の「影の実力者」恵生である。
結局パレットの通訳では時間がかかり過ぎるため、英語の出来る通訳として、この会談には江青女史が同席する事になった。毛沢東夫人の江青である。
会談では、日本軍と戦闘を繰り返す中国共産党に米軍とCIAが全面的に協力する事が決定される。
(山極晃著「米戦時情報局の延安報告と日本人民解放連盟」大月書店)
米軍にとっても日本軍は敵であり、CIAと中国共産党は利害が一致していた。
世界の動きが見えていた里見は、石油も鉄鉱石もなく米国との戦争に突入して行く日本政府の無能さに軽蔑しか感じていなかった。日本の国の枠から飛び出し、アイゼンベルグと共に英仏と協力しながらアヘンを売買していた里見は、もはや日本人ではなく「帰るべき故郷」の無い国際人になっていた。
満州は里見にとって自分の作った芸術作品であり、日本国家とは何ら関係が無かった。無能な日本国家が滅亡する事を里見は嘲笑していた。
そしてこの時に始まった中国共産党とイスラエル・アイゼンベルグ、CIAの協力関係は、2007年現在まで絶える事なく継続し続けている。
71年の米国、中国の国交回復、CIA出身のヘンリー・キッシンジャーによる米国、中国の経済協力関係等は、この諜報における中国と米国、イスラエルとの一体化のごく一部が表に出たものに過ぎない。米国が中国にミサイル技術を供与してきたイスラエル・ルートがこれである。(売ったのはCIA放送局と異名を持つCBSTV社長ウィリアム・ペリーである。)戦後、中国共産党の核兵器開発を担って来たのはアイゼンベルグ社である。事実上、中国をボスとしている北朝鮮の核兵器開発の技術はパキスタンから学んだものであったが、パキスタンの核兵器開発を担ってきたのがアイゼンベルグであり、そこに北朝鮮を同席させて「学ばせた」のはアイゼンベルグである。
特に軍事面では、中国共産党とはアイゼンベルグの事である。
この中国共産党、CIA、アイゼンベルグの協力関係は41年に始まっていた。
恵生、アイゼンベルグ、CIAの会談では、中国共産党がその活動拠点の山間部、農村でアヘンを生産し、CIAとアイゼンベルグ、里見がそれを売り捌く事で一致を見る。この会談後、中国共産党は特に福建省南部、江西省の井崗山地域でアヘンを大々的に生産し始める。その利益は中国共産党、イスラエル・アイゼンベルグ、CIAの間で折半される。
この構造は2007年現在まで変わらない。アヘン販売ルートを支配しているアイゼンベルグとCIAは、中国共産党には無くてはならない協力者である。
このアヘン取引を基本に、イスラエル・アイゼンベルグは核兵器技術と最新鋭の通常兵器を中国共産党に販売し、CIAも中国に兵器を販売し続けて来た。
中国共産党は、アヘン売買の利益を兵器購入代金に充てて来た。中国共産党、イスラエル・アイゼンベルグ、CIAは皆「同じ商売仲間」である。
70年代初頭、ベトナム戦争により中国政府と米国政府が対立していた時も、中国特務機関とCIAのビジネス・パートナーには何ら変化は無かった。
敵と結ぶ、それが諜報である。
国家同士が激しく対立する時、諜報機関同士も激しく対立するならそのような諜報機関は三流四流である。国家同士が激しく対立する時、敵国と今までにも増して親密な友好関係と利害の一致を裏側で作り出す、その事によって戦争は回避され自国民の生命が守られる、それが諜報の仕事である。国家にとっての敵国と利害の一致を作り出し、戦争を回避し国民の命を守る・・諜報の本質は自分の国家を裏切り、自分の愛する国家の国民の命を守る事にある。自分の愛する国家の国民の命を守り、自国を裏切り、敵国にも睨まれ、孤立して犬死にする事が諜報員の仕事である。誰も気付かず評価もされず、しかし自分の愛する自国民の命が戦争の回避で救われ、その事を唯一自分の勲章として名誉を感じ、犬死にして行くのが一流の諜報員の仕事である。
第二次世界大戦中は、中国アヘン売買の利益は3等分され、一方では満州帝国を壊滅させようとする中国共産党とCIAの武器購入費用となり、他方では里見の満州帝国を守るための武器購入費用となった。敵国同士の資金源が同一である矛盾など、中国共産党もアイゼンベルグもCIAも里見も誰も問題にせず、矛盾などとは考えない。それが諜報というものであり戦争というものである。これが「当然の常識」であるという認識がないと、「世界の実相」は 遂に最後まで見えて来ない。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49603529.html
1932年、満州帝国初代総裁に就任した後藤新平は、同盟国ドイツでヒトラーの兵器を独占的に製造するクルップ社の重役ゲハイムラート・ウィーネフェルトを顧問に採用する。やがてウィーネフェルトがヒトラーの命令で駐米ドイツ大使に転出すると、その秘書フリードリッヒ・ハックがそのまま満州帝国総裁顧問に就任する。
ハックは当時、ベルリン日本領事館の名誉領事であったドイツ軍のアドルフ・シンツィンガー元陸軍少佐と「シンツィンガー・ハック社」という兵器商社を経営する武器商人であった。ハック社は日本軍、特に日本海軍御用達の大型機械、
戦艦用部品専門の商社であり、ハック社が無ければ日本が中国侵略に使用する武器、食料、軍需物資を運搬する船舶が動かなかった。
このハック社のもう一人の共同経営者で、日本と欧州を行き来し、日本が中国侵略に使用する兵器、太平洋戦争に使用する軍艦部品、その工作機械を日本、満州に運び込んでいたのがポール・ブルームというアイゼンベルグの親友であった。
ブルームがヨーロッパで買い付けて来る兵器と軍艦部品は、アイゼンベルグと里見甫が行う中国でのアヘン密売の利益で支払われた。日本の中国侵略戦争は、アヘン密売人アイゼンベルグとその親友・武器密輸商ブルームが陰で支えていた。
このハック社の創業資金は、南アフリカの金塊業者オッペンハイマー一族から出ていた。ブルームは第二次世界大戦後、CIAの初代日本支局長になり、吉田茂首相を連日呼び付け、戦後日本の国家政策を全て決定して行く。
軍人で政策には精通していないダグラス・マッカーサーが、表向きの日本の支配者であれば、 ブルームは国会で通過する法案の細部まで細かな命令を出す「裏側の支配者」となる。
かつて吉田茂首相は、満州で里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」の社員、里見の部下としてアヘン密売に従事、日本の中国侵略資金の捻出を担当していた。そのアヘンの利益で吉田茂、里見からブルームは満州帝国に納入する兵器の代金を得ていた。満州帝国をアヘン密売と武器密売で支えた吉田茂とブルームが、首相とCIA日本支局長として、事実上、戦後の日本の進路を独裁的に決定して行く。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49604875.html
第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた岸信介は、戦後、戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監される。
巣鴨から釈放されると岸は、満州帝国の日本語新聞「大陸新報」の社長であった福家俊一と密談を重ね、日本に新しい政党を作る準備を始める。
福家は満州時代、アヘン密売を巡り里見の情報屋として、新聞「大陸新報」の情報ネットワークを駆使し他のアヘン密売組織を「摘発」し、里見は福家の情報の下、他の密売人を次々に殺害して行った。
福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉東京都知事の選挙資金を拠出する「政界仕掛け人」と呼ばれる事になる。
53年、自由党から出馬し国会議員となった岸は、54年、米国で「2大政党制」を強く主張するロックフェラーの民主党に習い、日本民主党を旗揚げし幹事長となる。この日本民主党には社会党等の労働運動勢力も含まれていた。
岸のその行動は2007年現在の小沢一郎と極めて類似している。(小沢の著書には、ロックフェラーが推薦文を書いている)
岸の政界資金は福家を通し里見から出ていた。
52年4月25日付の日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、「要監視、注意」と報告を出している。
55年8月、日本ではまだ無名であった岸は、重光葵外相と共に訪米しダレス国務長官と会談し、雑誌「ニューズウィーク」の表紙を飾る。重光外相は一切報道されず、無名の岸が「次期日本の総理大臣」と報道され、一躍米国で有名になったのである。
満州帝国に武器を納入していた武器商人ポール・ブルームは、OSS(CIA)の欧州責任者アレン・ダレスの部下であり、ブルームの納入する兵器代金は中国でのアヘン売買の利益で支払われ、実際に支払っていたのは里見であった。
この資金が欧州での米国スパイ組織ダレス機関の活動資金として役立っていた。岸はその里見の部下であった。岸は訪米し満州時代からのビジネス・パートナー、ダレス兄弟の1人と会談しただけであった。
ニューズウィークはダレスのボス、ブッシュ大統領一族の経営するハリマン銀行会長エイブリル・ ハリマンが創立した雑誌であった。
ブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、岸はボスの里見から教えられていた。
ロックフェラーのコピーを日本で行うよう、岸は里見から指示されていたとも言える。
岸は訪米中、ニューズウィークの編集長オットー・カーンの紹介で、戦後日本の政治家としては初めてロックフェラー三世と会談する。岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来たのである。
日本に帰国すると岸には24時間、ロックフェラーとブッシュの子分、ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムが「英語語学教師」として付き従う事になる。岸は24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。
57年、岸は里見のアヘン資金で首相となると、6月、即座に訪米しアイゼンハワー大統領、ロックフェラー三世と会談し、日本に永久的に米軍を駐留させる事で同意する。
ゴルフ好きであった岸を会談の合間にゴルフに誘い出し、一緒にゴルフコースを回ったのは、常に祖父プレスコット・ブッシュであった。
ブッシュと岸がゴルフをしている間に、ブッシュの経営する軍事産業専門の投資会社カーライルの子会社、デュロン銀行社長ダグラス・デュロン国務次官が、日本に米軍を常駐させる日米安保条約の素案をタイプし、また日本の自衛隊に売り付ける兵器の見積もりを計算していた。
65年、里見が亡くなると、岸は恩師の死に涙を流しながら達筆な毛筆で「里見甫」と大書する。その文字がそのまま里見の墓標に刻印される事になる。
里見の資金を引き継ぐ後継者が、岸信介である事を遺族全員が認めていたからである。その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605010.html
現代日本を作った男ブルーム
第二次世界大戦後、初代CIA日本支局長となり、日本の主要官庁責任者、大臣、首相を連日呼び付け、政策、法律の細部に渡り細かな指示を与え、事実上戦後日本の「運営者」となるポール・ブルームは、1898年、日本の横浜に生まれた。
南アフリカの金塊生産を独占するオッペンハイマー一族の末裔であるブルームの父母は、横浜で金塊取引業を営んでいた。
1897年の日清戦争に勝利した日本は、中国大陸での資源開発や投機ビジネスに乗り出し、続々と富裕層とビジネスマンが中国へ渡航して行った。
また後に満州帝国総裁になる内務省官僚、後藤新平の「中国でのアヘン密売を奨励し、その利益で中国に大帝国を建設すべし」という主張に合わせ、日本の暴力団、右翼組織が続々と中国での麻薬ビジネスに乗り出して行った。
そして崩壊寸前であった中国の清王朝の発行する紙幣など誰も信用せず、当然、中国満州でのアヘン取引は金塊で決済されていた。その金塊を供給していたのが南アフリカのオッペンハイマー一族であり、その日本支部ブルーム一族であった。
1842年のアヘン戦争以来、中国で行われる米国のアヘン貿易を独占して来たのは、ブッシュ大統領一族のラッセル社であった。中国大陸でブッシュ一族の行うアヘン貿易の決済も、ケミカル銀行を窓口としてオッペンハイマー一族の提供する金塊で行われていた。
ケミカル銀行は、シティバンクの経営者でもあるジェームズ・ベーカー一族の経営する銀行である。
1991年、父ブッシュがイラクと湾岸戦争を行った時の国務長官ベーカー、2007年現在のイラク戦争に協力するように、ドイツ、フランスを説得して回った子ブッシュの欧州特使ベーカー、その一族はアヘン戦争時代から、ブッシュ一族のアヘン密売のマネージャーとなっていた。
かつては、ブッシュの行うアヘン密売の決済をベーカーがケミカル銀行でマネジメントし、現在はブッシュの行う湾岸戦争とイラク戦争を、相変わらずベーカーが閣僚、特使としてマネジメントしている。
現在でも世界各地で行われる麻薬密売の決済には、南アフリカのオッペンハイマー一族が提供する金塊が使用されている。その代表的窓口となっているのが、 決して警察が立ち入る事の出来ないオフショアである、英国領バミューダの投資会社ミノルコの口座であるが、この麻薬密売の決済企業ミノルコは、ベーカー一族の経営するシティバンクの代表取締役ウォルター・リストン、シティバンクの顧問弁護士ロバート・クレアが経営している。
アヘン戦争の昔も現在も、麻薬密売の決済は、ブッシュ大統領、そしてベーカー一族の銀行シティバンクとケミカル銀行が行っている。
また現在でも、麻薬密売に使われる金塊はオッペンハイマー一族が提供しているが、カナダの金塊生産を独占するオッペンハイマーの子会社、バリック・ゴールド社の経営者が父ブッシュである。
アヘン密売人ブッシュが、オッペンハイマー一族の「子分」である事は、今も昔も変化が無い。
1900年代初頭、続々と中国大陸での麻薬密売に乗り出した里見甫など、日本の暴力団の麻薬「決済」を担ったオッペンハイマー日本支部が、横浜のブルーム一族であった。そのブルームが、つまり南アフリカのオッペンハイマー一族が、戦後日本の進路の全てを細部に渡り決定して来た。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605378.html
1945年、第2次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来ると、日本の政治は米軍の命令通りに行われ米軍の指揮下に入る。日本の総理大臣を毎日呼び付け、連日細かい指示を与えたのがCIA日本支局長ポール・ブルームであった。
ブルームが2007年現在の日本の出発点を決めていた。
ブルームは1898年、日本の横浜に生まれた。世界の金塊GOLD、ダイアモンドを独占支配する南アフリカのオッペンハイマー一族にブルームは属していた。父母は横浜で貴金属商を営み、中国に金塊を輸出していた。
当時、日本は中国へ軍隊を送り込み侵略戦争を行っていた。日本の軍隊に必要な武器、弾薬、ジープ、戦車等の購入費用に困った日本政府は、中国で麻薬、アヘンの密売を命令し、その利益で武器を購入していた。
当時、中国は国家が崩壊状態であり、国の印刷する紙幣というものが無かった。
日本政府の麻薬密売と武器購入は金塊で支払いが行われていた。ブルーム一族はその金塊を提供していた。
中国での戦争が拡大すればするほど、武器はたくさん必要となり、支払いのための金塊もたくさん必要となった。貴金属商のブルーム=オッペンハイマーにとって、戦争によって商売が拡大した。オッペンハイマー一族は、商売の拡大と共に優秀な営業マンを必要とした。
オッペンハイマー一族が目を付けたのが、日本育ちのポール・ブルームである。
中学卒業と同時に、ブルームは本家のオッペンハイマーに呼び寄せられ、ジュネーブのハイスクールに入学する。その時ブルームは、米国のCIAヨーロッパ支局長アレン・ダレスの下で諜報員(スパイ)としての訓練を開始する。
現在のブッシュ大統領一族は、オッペンハイマーのカナダ支部であるバリックゴールド社の経営者であり、オッペンハイマーの提供するダイアモンドを使った
ドリル製造会社ドレッサー社の経営者である。石油を掘り出しダイアモンドを鉱山から掘り出すためのダイアモンド・ドリルのメーカーである。
ブッシュ大統領一族は、オッペンハイマー一族の下請け人一族であり、CIAの創立資金を提供していたのが、このブッシュ大統領一族であった。
オッペンハイマーの優秀な営業マンとしての教育を、オッペンハイマーの下請け人ブッシュ一族=CIAが請け負った事になる。
当時、ヨーロッパではナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を大量に殺害しその財産を奪っていた。ヒトラーがユダヤ人から奪った貴金属、金塊の販売を担当していたのが、ブッシュ一族の経営するユニオン銀行であり、ユニオン銀行のヨーロッパ支店長が後にCIA長官になるアレン・ダレスであった。
ブッシュ一族のユニオン銀行のヨーロッパ支店長ダレスが、そのままCIAのヨーロッパ支局長であった点にブッシュ=オッペンハイマー一族とCIAの一体化が読み取れる。ブルームはこのダレスによって育てられ、後にCIA日本支局長となる。
こうして見ると、CIAがブッシュ=オッペンハイマー一族の「私的」な情報収集組織=スパイ組織として発足している事が分かる。
当時、CIAヨーロッパ支局長のダレスの下には、ブルームの他に同じオッペンハイマー一族のヘンリー・キッシンジャーがいた。
ブルームは日本へのCIA工作員=スパイであり、キッシンジャーはソ連(ロシア)に対するCIA工作員(スパイ)であった。同じダレスの部下として、同じオッペンハイマー一族として、ブルームとキッシンジャーはジュネーブの地で、しばしば共に食事や個人的交友をしたであろう事が想像される。(資料が残っていないため、この点は想像である。)
スパイを養成するには子供の頃から訓練しなければならない事は、高校時代からダレスに教育されたブルームが一番知っていた。1945年、CIA日本支局長となったブルームは、日本人のCIA工作員(スパイ)となる人材を探し始める。
ブルームは、当時、日本の吉田茂首相を毎日呼び付け、日本の政治に様々な命令を下していた。ブルームはしばしば吉田茂の自宅を訪問もし、深夜まで吉田首相と会談した。その時ブルームが目を付けたのが吉田茂首相の孫であった。
ブルームは吉田首相の孫を自分の家に引き取り、子供の頃から工作員(スパイ)として徹底的に教育し育て上げる。
この吉田首相の孫が、2007年現在の麻生太郎外務大臣本人であり、日本の次期首相候補の最有力者である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49607501.html
第二次世界大戦後、日本に進駐して来た米軍GHQには、冶金(やきん)課という部署が設けられた。金塊を生産する国ではない日本に、金塊、貴金属を扱う専門部署が設けられた事は、極めて奇妙であった。
日本軍は第二次大戦中、中国大陸や朝鮮半島で中国、朝鮮の人々を多数殺害し、その財産を略奪し、また中国においてアヘンを密売し、その莫大な利益を蓄積していた。
戦争終結間際、日本軍はその莫大な利益を金塊、プラチナ、ダイヤモンドに代えて飛行機で日本本国に持ち帰っていた。その莫大な貴金属は日本各地に隠され、また日銀の地下金庫に保管されていた。
その隠された財産を摘発、没収するため、GHQには貴金属担当の専門部署が設けられていた。
戦後GHQは、日本軍の隠した貴金属を次々と発見していくが、発見されたものは米国政府の命令で米国本土に送り、米国の財産としなければならなかった。
しかし、日本軍部が自己所有として記録に残した貴金属と、実際に米国本土に送還された貴金属の量には圧倒的な「差」があった。日本軍の隠した貴金属摘発を担当したのは、GHQのマッカート少将であったが、実際に実務を仕切ったのは冶金課長のジョージ・パーディであった。
なおパーディがGHQから貴金属を奪うに当たっては、オッペンハイマー一族のポール・ブルームCIA日本支局長が当然大いに協力した。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605569.html
第二次世界大戦後、CIA日本支局長として日本に米軍基地を常駐させる等、現在の日本の政治路線を事実上決定し、また2007年現在の麻生太郎外務大臣を育てたポール・ブルーム。第二次大戦中、CIAにおけるブルームの上司は、後にCIA長官となるCIAヨーロッパ支局長アレン・ダレスであった。
当時CIAの活動資金は、ブッシュ大統領一族の経営するユニオン銀行から出ており、ダレスはユニオン銀行ヨーロッパ支店長でもあった。
ブッシュ=ダレス=ブルームは、第二次大戦中における日本の軍事力増強に全面的に協力していた。ブルームの経営する(つまりブッシュの経営する)武器密輸商「シンツィンガー・ハック」社は、日本海軍の軍艦建造に必要な軍艦部品、金属を専門に輸出していた。敵であるはずの米国が日本の軍事力の増強の中心にいた。日米戦争=日本と米国の対立・戦争は「茶番劇」であった。
一方、1930年代、米国議会に日本との戦争実行を強く働きかけていたのはブッシュの経営するハリマン銀行社長エイブリル・ハリマンであり、日本との戦争に備え米軍が兵器を大量に購入し始めると、その兵器を製造し「金儲け」に専念し始めたのもブッシュのハリマン銀行の支配下にある軍事産業であった。
日米戦争・・米国政府に武器を売り付け「金儲け」するブッシュ一族は、同時に部下のブルームを使い、日本に兵器と軍事物資(鉄鋼製品、ニッケル、チタン等の希少金属)を販売し利益を上げていた。
また、日本に鉄輸出を禁止し、米国国内での「日本との開戦論」をアオった悪名高い「ハル・ノート」の起草者コーデル・ハル国務長官は、ブッシュの顧問弁護士だった。
第二次世界大戦で日本人と米国人が戦争で殺し合う、その兵器は日米両方ともブッシュ一族が製造し、殺し合えば殺し合う程、ブッシュ一族に大金が転がり込む仕組みになっていた。
日本との戦争を開始したルーズベルト大統領の大統領選挙資金は、バーナート・バルークが大部分出資し、バルークがルーズベルトの閣僚人事の全てを単独で決定していた。この「ルーズベルト政権の独裁者」バルークは、ブッシュのハリマン銀行の社員であった。
日本への鉄輸出を禁止し、他の業者を排除し、日本への軍事用鉄鋼輸出の独占体制を作ったのがブッシュであり、その実働部隊がブルームである。
このブルームの弟子・麻生太郎が、2007現在の日本の次期首相候補である。
戦争が誰の自作自演であるか明らかである。
ブルームが日本軍に納入した兵器、軍事物資の代金は、日本政府直属の麻薬密売人、里見甫(はじめ)が全額支払っていた。日本が中国に侵略し建国した満州帝国で麻薬密売を担当し、日本の戦争資金を作っていたのが里見であった。
ブルームがブッシュの命令で日本軍に兵器を運び込み、里見が支払う。里見はブッシュ=CIA=ブルームのパートナーであった。
米国との戦争を開始した日本の東条英機内閣。その東条が総理大臣となった時の選挙資金を出していたのが、ブッシュのパートナー里見であった。
日本と戦争を始めたルーズベルトの大統領選挙資金を出していたのもブッシュ一族であった。戦争で日米に兵器を売り「金儲け」したのもブッシュであった。
戦争が誰の自作自演であるか、極めて明確に出ている。
1840年、アヘン戦争で英国が勝利すると、中国での麻薬売買が急速に拡大する。この麻薬密売を担当したのが青パンと呼ばれる中国マフィアである。不思議な事に、この青パンは麻薬代金を手形で支払っていた。手形は支払期限が来るまで現金に出来ない。しかしインド等から麻薬を密輸してきた船舶会社、密輸人は、すぐに手形を現金化して再び出航したい。そこで、この手形を支払期限前に買い取り現金化し、手数料を取る(手形の割引)銀行が必要になる。しかし相手は中国マフィアであり、手形の支払日に中国奥地に逃亡し、または暴力で支払いに抵抗して来る可能性がある。従って、この手形を現金化する銀行は中国マフィアのボスとして中国全土を監視下に置き、マフィアの逃亡を許さず、しかも「力づく」でマフィアに支払いを強制出来る中国マフィアの支配者=帝王でなければその任務は務まらない。この手形銀行がブッシュ一族のハリマン銀行であった。
ブッシュ一族は、中国の闇社会の帝王として君臨する独裁者一族であった。
日本の満州帝国の支配人=資金の元締めである里見は、このブッシュ一族の麻薬ネットワークの一部を担っていた。中国麻薬密売におけるブッシュのパートナー里見。そしてCIA経営者ブッシュの部下ブルーム。この2人が日本軍の軍事力を作り上げていた。
そして里見の麻薬ビジネスのパートナーには、後にイスラエルを建国し、世界最強のスパイ組織モサドを創立するショール・アイゼンベルグがいた。
2007年現在、ブッシュ大統領が「イスラエルを中心に世界を統一する」=NWOニューワールドオーダー=新世界秩序を作ると主張する理由がここにある。
また、里見の部下には右翼の大物で、後に中曽根康弘元首相の総理大臣選挙資金源となる児玉誉士夫がいた。児玉は戦後CIA日本エージェント=工作員となる。従って国鉄を民営化しJRを作った中曽根元首相は、CIAの対日本工作資金で首相になった事になる。
また、児玉は自民党の創立資金を出資した人物であり、自民党がCIAの対日本工作として、CIAの下部組織として創立された事が分かる。
また、里見の麻薬密売組織の部下には、吉田茂(後に自民党総理大臣、2007年現在の外務大臣麻生太郎の祖父)、佐藤栄作(後に自民党総理大臣)、池田勇人(後に自民党総理大臣)、岸信介(後に自民党総理大臣、2007年現在の安倍晋三首相の祖父)がいた。
日本の自民党と歴代総理大臣がCIAの対・日本工作として「作り出され」て来た歴史が、この中国麻薬密売組織の中に明確に浮かび上がって来る。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49607677.html
「1944年1月、昭和天皇は参謀総長と軍令部総長から結論として太平洋戦争に勝機はないと報告され、木戸内大臣に和平計画を立てるよう指示した。
木戸は当然のことながら、この指示の意味は皇室財産を守ることが第一であり、日本を平時の状態にする準備は二番目であると理解したのである。
二番目の状況を達成するには時期尚早だったができた。木戸は皇室の財政顧問でもある主要銀行の経営者たちを招集し、会議を開いた。彼らの提案で、天皇の現金が東京から銀行間無線でスイスに送金されたのである。東京にある天皇の銀行口座の残高が事実上ゼロになったが、スイスの銀行の番号口座残高が急激に増加したのだった。横浜正金銀行のスイスの支店は次に、天皇の仮名による銀行投資にドイツの信用を付け、天皇の流動資産の換金能力をさらに高めた。他の財閥の大企業経営者たちも天皇の現金の流出に気づき、アフガニスタン、トルコ、スペイン、ポルトガル、スウェーデン、朝鮮、香港、満州、フランス、ドイツなどに預金していた現金を引き出し、スイスの銀行へ送金した。彼らはまた、ブエノスアイレスにある銀行の法人や個人口座の数も増やしたのである。
占領期間中、日本銀行が横浜正金銀行の業務を引き受けることになり、この結果、皇室財産の財務上の秘密が継続して保証されたのである。」
私が書いた赤十字と天皇の秘密は、このマニングの本で真実であることが理解できよう。
日本赤十字社は、現在でも、皇室が支配的立場にあることを知らねばならない。この赤十字組織が、世界を支配する勢力の一支部なのだ。マニングの本には、天皇がいかに金塊をアルゼンチンに運んだかの詳細な内容も書かれている。
もう少し具体的に、赤十字国際委員会(ICRA、本部ジュネーブ)について書くことにしよう。では、アダム・レポーの『ヒットラーの秘密銀行』から引用する。
「赤十字国際委員会が各国諜報機関から、スパイを潜入させる標的として狙われたのは当然のことだった。大戦中でも枢軸国、連合国を問わず自由に越境して、救援活動ができる国際的組織だったからだ。また、情報収集も任務のひとつで、職員たちは双方の捕虜や軍指導者たちに対する質問権を与えられていた。」
『ヒットラーの秘密銀行』から、もう一つ引用したい。ナチス資産について書かれているが、ドイツの枢軸国日本の姿もみえてくる。
「英米仏三国は1945年8月、スイスに預けられているナチスの資産の所有権を主張するもスイス政府の対応ぶりは相変わらずのものだった。三国の主張はどんな法律を根拠とするものか理解に苦しみ、また連合国によるドイツ占拠の事実は『ドイツ国境を越えて法的効力を持つことはほとんどない』という言い逃れに終始した、とSNBの報告書は記している。
「スイスに預けられたナチス資金」を「スイスに預けられた天皇の秘密資金」と置き換えるならば、私が書いてきたことが事実であることが理解できよう。『ヒットラーの秘密銀行』には、スイスの銀行について書かれている。日本に関係する記事に触れておこう。国際決済銀行(BIS)がスイスにある。この銀行が、ナチスと日本と戦争中も取引を続けた。では引用する。
「BISの総裁はアメリカ人トーマス・マッキトリック、ゼネラル・マネージャーはフランス人ロジェ・オボワン、ゼネラル・マネージャー代理はドイツナチ党員のパウル・ヘクラーだった。大戦中の理事には、ライヒスバンク副総裁で後に戦死とされたエミール・プール、同総裁のヴァンター・フンク、その他ロンドン、ブリュッセル、ローマ、日本から派遣された銀行家たちが顔を揃えていた。(略)ベルリンにとっては好都合なことに、戦時中のBIS総裁は、ナチスの略奪金塊の主要ルートだったスイス国立銀行の総裁エルンスト・ウェーバーだった。(略)第一次世界大戦の敗戦国ドイツが連合国に対して負っていた賠償金をヤング案に基づいて回収することを目的に、数カ国の中央銀行が1930年5月に設立した銀行だったのである。ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行など世界の主要金融機関が共同出資し、これらの国々および日本が理事を送り込んだ。(略)BISの設立資本金は五億スイスフランで、ベルギー国立銀行、イングランド銀行、フランス銀行、ライヒス・バンクという中央銀行五行によって保証されることになった。これに日本の代理を務める日本銀行団、およびモルガン銀行、ファースト・ニューヨーク銀行、ファースト・シカゴ銀行から成る米国銀行団も参加した。」
ここまで書いてきて、戦争というものが、金融と深く結びついていることが理解できたはずである。BISとスイス国立銀行は深く結びついている。私の推測の域を出ないが、
天皇はスイス国立銀行に「皇后名」で、BISに「天皇名または仮名」で、最低二口の秘密口座を持っていたと思われる。マニングの推定「35億ドル」以上ではなかろうか。35億ドルでは少な過ぎる。
<中略>
日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の『神々の軍隊』がでた。この本の中で濱田は天皇の秘密資金に触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。
「皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などスイス、バチカン、スウェーデンの銀行などに預けられていた。(略)中でも国際決済銀行、通称“バーゼルクラブ”は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。(略)
内大臣木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和十九年一月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃がすよう指示した。
そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに戦争協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。(略)皇室とバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界の闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産を戦後の日本復興に使ったからなのかも知れない。M資金の闇は深い。」
濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産を戦後の日本復興に使ったからなのかも知れない」には全く賛成できない。私は昭和天皇が戦後も、マニングが書いているように蓄財作戦に熱中していたと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人々を悩ませたのである。
計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的数字がクローズアップされる。
それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」木下道雄(元侍従次長)の『側近日記』が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。
「ところで終戦直後の天皇家の財産は37億5000万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7912億円である。」
この数字の十数倍近くをスイス銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100億円を切っていた。
天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。
天皇の「キリスト教入信」対策は、この二つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。
これが大東亜戦争を天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。
それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも、広田弘毅のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060828
天皇一族は売春業者
19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。
英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。
マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。
日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。
しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。
貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。
天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。
天皇一族の財産はこうして作られた。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html
日本の天皇家は古代からただひとつの家系がつながってきた。これは世界に類を見ない。また昭和天皇は敗戦の時にマッカーサーに対して、「全ての私財と自分の命をも放棄する。国民を救って欲しい。」と言い、マッカーサーはこれに感動したと学校では習ってきた。
ところがこれらは全くの創作のおとぎ話であった。私達は米軍の策略にまんまと騙されてきたのだ。
昭和天皇が終戦時に国民を配慮した気配は全くない。ひたすら私財の保全にだけ心血を注いだ。それを米軍は日本支配の道具として位置づけることで国民の洗脳に成功した。
結局、学校教育は米軍の指図による創作だ。さらに右翼などは天皇システムを保護する事で米軍の日本支配に貢献してきたのだ。見事な策略と言うほかは無い。
立ち直る見込みのない、無能そして国賊的日本政府のていたらくは、殺人総合商社アメリカの商売の成功を示すものである。
1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社
日本郵船が創立される。
明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、
欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、
欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。
そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを
公然許可すべき」という指示を天皇に与える。
賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に
「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、
天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。
(福沢諭吉全集 第15巻)
1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い
仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で
大々的に行われた。
日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は
天皇の言葉を信じた。
天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」
日本人女性の数は数十万人。
大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は
「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の
売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。
その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族の
サギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。
その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。
天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性を
だまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。
天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の
売春業者であった。
天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」
された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に
売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。
初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。
これが従軍慰安婦の原型である。
日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、
三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、
全額三菱財閥の出資で建設する。
渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の
新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を
「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する
「売春業参加のお礼」として建設された。
(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。
また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と
協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。
こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が
蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた
米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で
1億ドルを超えると記録されている。
国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、
女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、
ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。
戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で
「無給」で重労働を行っていた。
そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって
戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく
自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。
また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し
略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に
運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」
という巨大な壷に蓄財された。
中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争
は天皇の個人的蓄財のために行われていた。
この問題を調査したエドワード・ベアは、
「天皇一族は金銭ギャングである」
と吐き棄てるように語っている。
(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)
1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は
この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、
海外に蓄財を「逃し」始める。
天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、
スイスに850万ポンド、
ラテンアメリカに1004万ポンド等、
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、
天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した
蓄財は累計で5〜10億ドルに上るとしている。
(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。
広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本を
どのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、
天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金
を繰り返していた。
日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が
日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そして
スイス銀行まで遠路運搬されていた。
中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた
日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されて
いる最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路
アルゼンチン、スイス等に運び出していた。
天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など
何も考えていない事は明白である。
(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」
マルジュ社)。
なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた
商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の
対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは
何故なのか?
敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が
「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員
であったのか?
天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を
借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、
港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、
莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の
金融ビジネスマンである。
そしてここでも「何故か」CIAと天皇は
「共同経営者」である。
天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を
「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが
虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのも
スイス銀行であった。
天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に
「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族
の蓄財を隠していた。
天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪
ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。
(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」
ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。
1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い
女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が
社会問題化し、それを禁止した法律であった。
天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」
(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の
「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、
1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。
「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、
日本を憤慨させるに十分なものであった。」
この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。
日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇
の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し
米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。
天皇一族は神でも「象徴」でも無く、
人間のクズの集団である。
追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語る
のがジャーナリストの仕事である。
天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の
無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607
1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。
『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。
1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。
実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。
同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人【原文では”tairiki ronin”となっているが明らかに音訳のミスと思われる:訳者】、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。
実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。 いずれここから笹川良一(1)と児玉誉士夫(2)が、戦後に自由民主党の絶対権力を作る財源に供した莫大な財産をひねり出すことになる。
効率の良い手段を使って犯罪を行うこれらの集団のトップには岸信介とその一党がおり、また東条英機(秘密警察の長であり将来の戦時政府の首相)、星野直樹(アヘン独占販売の長)、松岡洋介(満鉄の総裁)そして鮎川義介(日産の統括者)【本文では”Aikawa Gisuke”となっているが音訳のミスと思われる:訳者】なども加わり、天皇の承認の元で略奪作戦の計画を立てた。
彼らは満州重工業会社を創設したが、それは工業の発展を促し軍隊とヤクザが地元民から様々な手段(身代金の要求、ゆすり、銀行強盗など)でむしり取った戦利品を集約した。大日本帝国の皇族たちの指揮の下に行われたこれらの略奪が「黄金の百合作戦」である。
その侵略熱は西側指導者をいらつかせた。彼らは日本が彼らの植民地と利権に干渉してくるのを恐れた。1936年に朝鮮半島での完全な略奪の中で、日本の戦略は二つの選択肢の間でためらった。その一つは、ソビエト連邦との国境防衛地帯を作るために、あくまでも天然資源の豊かなシベリアの支配権を手に入れようとするものである。
この『反共』戦略は一部の西側の大国を満足させるというメリットを持っていただろう。この目的のために駐ロンドン大使である吉田は、クリヴェデン(Cliveden)グループの協力を得て、英国との同盟関係を固めようとした。米国では、ハーヴァード・フーヴァーやナチの飛行士チャールズ・リンドバーグ、マッカーサー将軍の取り巻きたちなどの大勢の超保守派が、この帝国の良き理解者であった。
裕仁の弟である秩父宮は1936年に可能性のある英国と日本の同盟を準備するためにロンドンへ向かった。反共戦線という見通しはひょっとすると英国外交を口説き落としたのかもしれない。しかしアジアでの日本の軍備拡張はヨーロッパの大国の植民地を脅かしていた。すぐに秩父宮はあらゆる交渉の手段を失った。
中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統(3)と会談するためにニュルンベルグへ向かった。
米国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿【原文ではel príncipe Konoeつまり近衛殿下となっており皇族であることを表現している:訳者】は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。【朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。:訳者】
この最後の者【朝香宮を指す:訳者】はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。
婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。(4)
軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。(5)
1941年にフィリップ・ペタン内閣は日本がインドシナ半島北部を占領することを認めた。近衛文麿は『交渉による平和』を望んだが裕仁の説得に失敗し、辞意を表明した。宣戦布告の決意をし、天皇は東条将軍を首相に指名した。彼は満州で組織的な略奪を行った岸の一党【原文ではclanつまり悪党集団:訳者】の手下であった。
パールハーヴァーの『だまし討ち』(6)は、東南アジアにおける日本の好戦性を解き放つシグナルであった。日本はタイ、スマトラ、ビルマに侵攻し、グアムとホンコンをその手にした。さらにマッカーサー将軍をフィリピンの領地から追い出した。新たに付け加えられた領地は憲兵隊によって組織的に略奪された。秩父宮はシンガポールに黄金の百合の総合本部を置いた。専門家たちが目録をつくるためにそこにすべての分捕り品が集められた。
フィリピンでは欧米の銀行が黄金の百合のエキスパートたちの第一目標であったが、彼らはフィリピンの財宝を奪い取って、筆頭株主が裕仁その人である横浜正金銀行【原文は英語Yokohama Specie Bank:訳者】、台湾銀行、そして他の国有銀行の財産にしたのである。その黄金の一部は戦争の経費に充てられた。スイス、ポルトガル、アルゼンチン、そしてチリの銀行が洗浄に使われた。
憲兵隊と黄金の百合の実行者たちが奪った富はシンガポールの集中させられ、最終目的地である日本に輸送されるためにマニラに運ばれた。
[黄金の百合からブラックホールの資金へ]
ミッドウエイの戦いの後、東南アジアにおける軍事的な力関係は米国に有利に傾いた。日本は海上輸送の支配権を失った。裕仁と帝国の第一人者たちは帝国の敗北を予想し始めた。
それ以来、公式には富士山麓で結核療養中であることになっていた秩父宮に率いられてきた黄金の百合作戦は、マニラで足止めを食らっている戦争の分捕り品を救うことに必死になった。秩父宮はまず病院船を使って金を輸送し、その後その金を日本の山地に作られた地下壕に溜め込んだ。
1943年には、米国が効果的な海上封鎖体制を確立したため、そのような方法は取れなくなった。財宝はマニラの波止場で山のようになりだした。秩父宮はそこで地下壕建設のための特殊な技師の集団を作り、分捕り品を地下に隠す作業を始めた。マニラではかつてスペインの町であったイントラムロスの地下が使用され、巨大な収容能力を持つ場所を提供できた。
品物を慎重に移送できる一つの通路が波止場とイントラムロスの間を直接に結びつけた。秩父宮は歴史的な場所や教会、大学など、爆撃がほとんど無いあらゆる場所をつなぐように選んでいった。
マニラの北で竹田宮が洞窟を使って地下壕の網の建設を監督した。専門家たちが恐ろしいほど効果的な大量のワナの兵器を仕掛けた。爆発物、毒ガスのカプセル、水や砂を使ったワナ。南京虐殺の実行者の息子であるもう一人の皇族の朝香宮孚彦【原文ではTakahitoとなっているが「たかひこ」の誤り:訳者】親王と、シンガポールのヒーローであり差し迫った米軍の攻撃に立ち向かうためにフィリピンに派遣された山下将軍が、この地下での作戦に加わった。技師たちと奴隷たちは組織的に生きながら地下に埋められた。
マッカーサーがフィリピンを再征服し始めたとき、皇族たちは急いで未だ地下に入れることができなかった財宝を隠そうとした。黄金を積んだ船が船員を乗せたまま沈没させられた。日本の敗戦はマニラ市民の虐殺と占領を終わらせたが、その後に皇族たちは潜水艦で逃亡した。
1945年から米国の諜報機関が黄金の百合の存在に気付いた。諜報員であるジョン・バリンジャー(John Ballinger)は、漁民に変装して黄金をいっぱいに入れた箱が病院船に積み込まれるのを観察することができた。マッカーサーは彼のライバルである山下を逮捕し、彼の腹心をこの日本の将軍のお抱え運転手である小島老人に対する尋問官とした。
そのセベリノ・ガルシア・サンタ・ロマナは山下の行動に関する膨大な情報を手に入れ、隠匿場所の正確な数をつきとめることができた。『サンティ』【サンタ・ロマナの別称と思われる:訳者】はこうして『山下の財宝』の守り手となった。彼は、OSSの元局員であり最近までウイロウビィ(Willoughby)将軍(8)の特務機関G−2と協力していた謎の男エドワード・ランドセイル(Edward Landsale)(7)が作戦の指揮をとるまでは、ずっとマッカーサーの命令の下にとどまった。
トルーマン大統領にこの件が任されて以来、掘り出された分捕り品はブラック・ホールと呼ばれる対共産主義の戦いの資金として使用されることになった。あるロウズベルトの顧問に認知されたこの計画は、ドイツ、イタリア、日本によって盗まれた黄金を親米政権の財源として使い、次に、『危険なアカ』の脅威にさらされる多くの『民主国家』の深奥でこの資金により選挙を操作することから成り立っていた。
ロバート・アンダーソンの助けを受けてあるスペシャリストが資金を洗浄した。サンティが探し出した黄金は42カ国の170の口座に納められた。CIAの銀行口座ネットは、東南アジアから盗まれた富を隠し、金の値段を米国の経済的利益にとって都合の良いあるレベルで維持することを可能にした。(9)
財産は日本に戻ってくる
米国当局によって押収された分捕り品は当初3つの異なった財源を潤した。四谷資金は、マッカーサーの秘密の右腕であるG-2の長官チャールズ・ウイロウビィの活動を支えた。彼はフランコ将軍とファシスト警察の手法の賛美者である。第2の資金は、日本におけるニュルンベルグ裁判に匹敵する東京裁判の判事ジョセフ・ケーナンの名前が付けられたのだが、非常に明確な機能を持っていた。共産主義に対するマッカーサーの戦いの同盟者へと変身した帝国のメンバーを免責するために証人たちを買収することだった。
東京裁判は、スケープゴートを絞首刑に処することで終わった、全くのペテンである。南京の虐殺の首謀者である朝香宮は、松井将軍が加わってもいない犯罪のために絞首刑台に送られた一方で、起訴すらされなかったのだ。
マッカーサーの偉大なライバルである山下も、マニラ市民の虐殺の罪を問われて同様の運命をたどった。東条将軍は戦争の第一責任者の罪を負わされて天皇裕仁の代わりに責任を取らされた。最も戦略的な資金は、疑いも無くM資金である。それは日本で共産主義者や社会主義者が権力を握ることを妨げる戦いのために運用された。戦後、つかの間の社会主義政権は、M資金投下のおかげで米国好みの吉田茂によって、失墜させられたようである。この資金は敗戦日本の公式な歴史に出資するためにも利用された。
児玉誉士夫が「私は敗北した」という文章を出版したのはこれである。この本は、CIAを通してM資金をつぎ込まれたものであるが、笹川良一や岸信介などの将来の日本の大物、つまりマッカーサーによって称揚された国粋主義者たちを免責するのに役立った。
1951年に講和条約が締結された。その第14条で、日本はその犠牲者に対して補償するための必要な手段を整える必要のないことが規定された。ブラックホールへと転換された黄金の百合は秘密のままにしておかねばならなかった。
1952年以来、CIAと日本の特務機関に率いられた一つの組織がM資金を担当した。この資金は、満州での略奪の責任者であり東条の戦争内閣の閣僚であった岸信介の首相選出を許した。アイゼンハワー政府はこの極端な反共主義者である戦犯を好んだ。
M資金は、田中角栄、竹下登、中曽根康弘、宮沢喜一などの多くの首相に財源を提供した。田中は、ニクソンがM資金の引出権を彼に約束したのだが、これを選挙資金と汚い工作のために頻繁に運用した。
黄金の百合の一部は日本でこのように投資され、自由民主党の母胎から誰が将来の首相になるのかを決める者たちによって浪費させられた。
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html
日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、占領地の宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。そして一般人からも奪った。
一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。
略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であった.
どこから、このすべての財宝は来たのか? 今まで、アジアからの日本の略奪は、酔っ払った兵士による盗みと暴力による、散発的なバラバラな活動として無視されてきた。しかし、これは偽情報である。
戦争の拡大による略奪は何も新しくはない。 しかし,日本が一八九五年から一九四五年の間に行ったことは、質的に異なっていた。これは酔っぱらいの略奪や打ち壊しではなかった。
日本人は真面目で、しらふで、計画的だった。彼らは普通の泥棒や歩兵たちには無視されるような、価値のある書籍や写本に特別に注意を向けていた。彼らはアジアの三合会や暴力団やギャングたちなどの暗黒世界から略奪することに、特に注目し専心していた。
日本は麻薬を持って中国へどっと押し寄せた。その麻薬をギャングたちに与え、交換に黄金を得た。麻薬は各々の隠された場所から財宝を吸い上げた。個人のレベルでは、拷問は巨頭、部族の長老、銀行家、企業家を含む金持ちの個人を襲うときには当たり前に使われた。
日本に持ち帰られた最も価値ある物品の中に、美術品と歴史的な遺物があった。今日まで、この世襲財産のごく一部しか盗まれた国や個人に返却されていないという記録がある。それが問題である。黄金でできた仏像を含む幾つかの主な美術品は、フィリピンの地下に隠されていたが、最近見つかった。しかし、ほとんどの芸術品と美術品は依然として、日本で個人的に隠匿されているか、東京で皇室の蒐集物となっている。なぜ、日本がこれを持っていることが許されているのか?
公的には、日本の戦時中のエリート(皇室、財閥、ヤクザ、「いい」官僚たち)は一握りの「悪い」熱狂的な軍人を生け贄にして、戦争を終えた。読者がお気づきのように、これは真実ではない。天皇裕仁を含む日本のエリートたちは、戦争が終わったときには、戦争が始まった時よりはるかに金持ちになっていた。ある者は終戦前後に、数十億ドルの資産をつくり出した。
日本はひどく痛めつけられ、戦争が終わったときには、かろうじてどうにか食っていける状態だったと、わたしたちは告げられる。事実は、驚くほど少ない工場と住宅しか破壊されておらず、それもひどい損傷を受けていなかった。そして、インフラストラクチャーの損害はわずかだった。広く世間に知られている損害のほとんどは、普通の日本人が住んでいた数百万軒の紙と木でできたマッチ箱のような家だった。彼らの苦悩は大君主たちの見解には加えられていなかった。
日本を共産主義に対する防波堤にしようという切迫した必要性に取り憑かれていたので、ワシントンは戦時の指導者たちと皇室のメンバーと金融のエリートたちが、十二のアジアの国々を破壊し、窮乏状態に陥れたことに関して、いかなる責任からも免責した。
わずかに日本の戦争中のエリートたちがスケープゴートとして死刑に処せられた。幾人かは指導者たちの安らぎのために、責めを負って強制されたり、濡れ衣を着せられた。戦後の占領の終わりの頃には、すべての日本の戦犯は自由の身になった。
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html
日本の昭和天皇ヒロヒトは、敵国であった米国の兵器を日本に輸入し日本軍部に売り付け、その利益を私的に「着服」し、スイス銀行に隠し蓄財していた。そのスイス銀行の口座はヒトラーと天皇ヒロヒトの「共同名義」の口座であった。
ヒトラーと昭和天皇ヒロヒトは、戦争を起こし兵器を密売し、共に「私腹を太らせていた」。
ディロン社の代理人として、米国製兵器の密売を行っていたのが昭和天皇ヒロヒトである。ドイツにおけるヒトラー、日本における昭和天皇ヒロヒトの役割は同一であり、従って兵器密売のスイス銀行の「決済口座」がヒトラーと昭和天皇ヒロヒトの「共同名義」になっていた。
第二次世界大戦末期、ヒトラーは自分の資産と部下を続々とアルゼンチンに逃し始める。天皇ヒロヒトも戦争末期、長年の武器密売の利益を金塊の形で、アルゼンチンの銀行に大量に密かに輸送し隠し預け始める。
戦争末期、中国に残された日本人の多くは、日本に帰る船が無く中国、朝鮮で殺害され、女性は強姦され殺害され続けていた。天皇はその日本人を全員「見殺し」にし、船舶を「独占」し、武器密売の利益を金塊の形でアルゼンチンへ大量輸送し続けた。
http://alternativereport1.seesaa.net/
1945年.日本の敗戦が決定的になると.天皇一族は.この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ.海外に蓄財を「逃し」始める。
天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて.スイスに850万ポンド.ラテンアメリカに1004万ポンド等.広島.長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中.天皇は自分の蓄財を海外に次々と.逃がす事に専念する。
この問題を調査したマーク・ゲインは.海外に天皇が逃した蓄財は.累計で5〜10億ドルに上る.としている(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。
広島.長崎に原爆が落とされ.膨大な死傷者が出.戦後.日本を.どのように再出発させるか.を考えなくてはならない時期に.天皇は.ひたすら自分の蓄財を守るため.数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。
日銀の地下金庫からは.莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され.アルゼンチンの銀行.そしてスイス銀行まで遠路.運搬されていた。中国では.日本に逃げ戻るための船舶が無く.逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数.強姦殺人され.子供が殺害されている最中.天皇は貴重な船舶を独占し.自分の金塊を遠路.アルゼンチン.スイス等に運び出していた。
天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く.日本人の事など.何も考えていない事は.明白である(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」 マルジュ社)。
なお.天皇が.第2次大戦中.「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の.天皇の共同経営者が.CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは.何故なのか?
敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?
天皇は戦後.このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り.CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に.港区の不動産を次々に買収し.またハイテク産業に投資し.莫大な蓄財を.さらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく.単なる金儲け主義の.金融ビジネスマンである。
そして.ここでも.「何故か」.CIAと天皇は「共同経営者」である。
天皇は.1940年代初頭から.スイス銀行に少しづつ蓄財を「移し」始めるが.ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが.虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。
天皇はヒトラーに請願し.ナチス・ヒトラーの口座の中に.「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい.そこに天皇一族の蓄財を隠していた。天皇と.ヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する.略奪ビジネスのパートナーであり.ナチスと天皇は一体であった(アダム・レボー「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ・・また.濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。
1924年.米国は「排日移民法」という法律を成立させる。日米関係は.まだ険悪ではなく.日本から.余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し.それを禁止した法律であった。
天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の.「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に.1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。
「米国のカリフォルニア州への移民拒否については日本を憤慨させるに十分なものであった。」
この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。
日本人女性を.だまし.売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した.それに憤慨.激怒し.米国と戦争を始めた.と天皇自身が独白しているのである。
天皇一族は.神でも.「象徴」でも無く.人間のクズの集団である。
http://alternativereport1.seesaa.net/
1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。
今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人(後に首相)の部下、渡辺武であった。
渡辺の自伝である「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」(東洋経済新報社)によると、渡辺と米軍の最初の「大きな交渉テーマ」は、米国の銀行ディロン・リードに
対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。
明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「代理人」である事を良く示している。
しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていたのだ。さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に
戦争資金を貸し付けていた。
ディロンの親会社が、現在のブッシュ大統領一族の経営する軍事産業専門投資会社カーライルであり、そのブッシュの経営するハリマン銀行の取締役ロバート・ ラヴェットが、戦争省次官として自分の経営する兵器会社から米軍に武器を納入していた。米軍の兵器と日本軍の兵器購入資金は、同一のハリマン=カーライル=ディロンから出ていた。
日本軍と米軍が「殺し合えば殺し合う程」この銀行が儲かる「仕組み」になっていた。この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「殺し合い」をした。
この金儲けシステムの米国側にドレーパーがおり、日本側に天皇が居た。
ドレーパーの銀行ディロンは、戦争で莫大な利益を得た。
天皇も日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積した。天皇が戦争責任を問われなかったのは当然である。
日本人と米国人に「殺し合い」を行わせ金儲けする、ディロン=ハリマン銀行の日本支店長が天皇であった。最初から天皇は「日本と日本人の命」を「敵国に売り渡して」いた。
なお天皇は、スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、「敵国の戦争指揮官」ドレーパーに勲一等瑞宝章を与え表彰している。
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/517.html
カーママン社は、カーママンと昭和天皇ヒロヒトが共同で設立した兵器商社である。
天皇はこの商社を通じ、日本軍の使用する兵器を敵国・米国から密輸し、その販売利益を「天皇個人の財産」として、スイス銀行の口座に密かに蓄財し続けていた。
天皇はディロン社の日本代理人であり、第二次世界大戦の武器密売で利益を蓄積した武器密売人であった。
天皇と同じ会社ディロンで「働く」カーママン。商社カーママン社を天皇と共同経営する「天皇の同僚」カーママンが、広島、長崎へ投下された原爆の製造担当者であった。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/59498275.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c7
関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その1)
1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲った。死者/行方不明者は10万5000人以上、その損害総額は55億円から100億円だという。当然のことながら金融機関もダメージを受けた。
そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引したのだが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したため、手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。
そうした中、復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断し、森賢吾財務官が責任者に選ばれた。交渉相手に選ばれた金融機関がアメリカのJPモルガン。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。
当時、JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。
日本に対して大きな影響力を持ったラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争で世界の金を支配することにイギリスは成功、金本位制を最小した国々の通貨を支配できる立場になった。JPモルガンはイギリスの巨大金融資本の影響下にあった金融機関だ。
金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする考え方をする人物だった。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。
その1932年にアメリカでは大統領選挙があり、巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破って当選する。
そのルーズベルトは大統領に就任する17日前、つまり1933年2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会で銃撃事件に巻き込まれた。ジュゼッペ・ザンガラの撃った弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。
次期大統領を狙っていた可能性があるわけで、背後関係などをきちんと捜査する必要があったのだが、何も事情を聞き出せない、あるいは聞き出さないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809010000/
▲△▽▼
関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)
本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。
その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。
バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。
バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。
バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。
クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。
1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。
一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。
1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。
グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/
▲△▽▼
2018.09.13
米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その1)
ロシアのウラジオストックで2015年から毎年開催されているEEF(東方経済フォーラム)はウラジミル・プーチンの外交戦略において重要な意味を持っている。アメリカは東アジアの軍事的な緊張を高めようとしているが、それに対抗してロシアは緊張を緩和、地域の経済発展につなげようとしているのだ。プーチンの戦略に中国や韓国は賛成、連携している。この3カ国に朝鮮も加わった。
今年のEEFは9月11日から13日に開かれているが、そこで朝鮮は自国の鉄道と韓国に鉄道を結びつけることに前向きな姿勢を見せた。ロシアには以前からシベリア横断鉄道を延長して朝鮮半島を南下させようという計画がある。その計画とリンクしていることは間違いないだろう。
この鉄道計画はロシアから天然ガスや石油を輸送するパイプラインの建設計画、そして中国の一帯一路とも関係している。大英帝国の時代からアングロ・サクソンの基本戦略はユーラシア大陸の周辺部分から内陸部を締め上げていくというもの。物資の輸送が海運中心だった時代は効果的な戦略だったが、そうした戦略を高速鉄道やパイプラインは揺るがせている。
現在、東アジアでアメリカの戦略に従っている数少ない国のひとつが日本。その日本に対し、プーチンは前提条件なしで平和条約を結ぼうと日本側へ提案したという。ソ連/ロシアと中国の制圧を長期戦略の中心に据えているアメリカは日本がソ連/ロシアや中国と友好関係を結ぶことを許さない。プーチンも当然、そうしたことを熟知している。アメリカの政策で疲弊している日本へのちょっとしたメッセージだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809120000/
米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その2)
アメリカは東アジアでも軍事的な緊張を高めようとしてきた。2009年に総理大臣となった鳩山由紀夫は東シナ海を「友愛の海」にしようと提案したが、これはアメリカ支配層を激怒させたことだろう。その後、日本ではマスコミが鳩山を攻撃、鳩山は2010年に首相の座から引きずり下ろされた。
そして登場した菅直人内閣は中国との関係を破壊する。2010年に「日中漁業協定」を無視して石垣海上保安部は中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まったのだ。それ以降、日本は中国に敵対する国になった。
こうした政策は日本の企業に打撃を与える。中国は日本企業にとって重要なマーケットだったからだ。アメリカの中東政策は石油価格を暴騰させる可能性があるのだが、これも日本にとっては大問題。ロシアという中東より低コストで安定的なエネルギー資源の供給源が日本の近くに存在するが、ロシアとの関係を深めることをアメリカ支配層は許さないだろう。
こうしたアメリカの政策は一貫したもの。1955年6月に鳩山一郎内閣はソ連と国交正常化の交渉を始めた。その一方、重光葵外務大臣(副総理)は同年8月に訪米してジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談、「相互防衛条約」の試案を提示した。
その試案の中で「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始」、「アメリカ合衆国の陸軍及び海軍の一切の地上部隊は、日本国の防衛6箇年計画の完遂年度の終了後おそくとも90日以内に、日本国よりの撤退を完了するものとする」としている。
日本とソ連は「歯舞、色丹返還」で領土問題を解決させる方向で動き始めたのだが、ダレス米国務長官は激怒、2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝したという。沖縄は歴史的に独立国であり、その意味でもアメリカの姿勢は傲慢だ。
こうした恫喝はあったが、鳩山首相は1956年10月、河野一郎農相をともなってモスクワを訪問、鳩山首相とニコライ・ブルガーニン首相(ソ連閣僚会議議長)は日ソ共同宣言に署名して12月に発効した。それにタイミングを合わせるように鳩山は引退する。
鳩山一郎の辞任を受けて行われた自民党総裁選でアメリカは岸信介を後押しするが、中国やソ連との交流を促進しようとしていた石橋湛山が勝つ。その石橋は2カ月後に病気で倒れ、首相臨時代理を務めることになったのが岸。翌年の2月に岸は首相に選ばれた。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130000/
米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)
明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。
その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。
しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。
イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。
このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。
このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。
このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。
1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。
ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。
そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。
この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。
グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。
それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。その演習に中国軍は3200名を参加させている。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。
明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130001/
▲△▽▼
2018.09.21 自民党総裁選という茶番
自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。
アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。
ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。
アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。
その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)
1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。
このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。
唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。
安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。
1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。
グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。
グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。
松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/
▲△▽▼
元徴用工への損害賠償を認めた韓国での判決が日本軍による略奪へ波及するか?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201811040000/
2018.11.05 櫻井ジャーナル
元徴用工が新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟で、韓国の大法院は10月30日に同社への支払を命じた。大法院は日本の最高裁に相当、これで合計4億ウォンの支払いを命じたソウル高裁の判決が確定した。日本政府は徴用工の問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決している」という立場だが、個人の請求権は消滅していないと大法院は判断したのだ。かつて、日本政府もこの事実を認めていた。1965年当時の韓国大統領は1961年5月の軍事クーデターを指揮した朴正熙である。
第2次世界大戦後、韓国も日本と同じようにアメリカ支配層の影響下にあったが、イギリスの戦略を引き継いだアメリカの目は中国、そしてソ連/ロシアに向けられている。イギリスの基本戦略とも言うべきハルフォード・マッキンダーの論文が発表されたのは1904年だが、侵略して略奪するという基本方針はその遙か前から行われてきた。
イギリスが侵略の手を東アジアまで伸ばしてきたのは19世紀。1840年から42年にかけてのアヘン戦争、56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)は象徴的な出来事だった。
こうした戦争でイギリスは中国(清)に勝利したが、内陸部を制圧する力はなかった。当時の主な輸送集団は船であり、主要な港を押さえられたことは清にとって大きな痛手だったが、占領されたわけではない。
占領のための地上軍として機能したのは日本軍だ。現在の中東でアル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)が果たしている役割と似ている。だからこそ、米英の支配層は戦費を融資、技術的な支援をした。外交的にも助けている。あの強欲な米英支配層がこうしたことを行ったのは、その先に自分たちの利権があったからにほかならない。
日本は東アジアを侵略した際、組織的に財宝を略奪している。その財宝の多くはフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれるが、戦況が悪化してフィリピンから日本へ運べなくなると、フィリピンに隠す工作を始めた。その隠された財宝は後に山下兵団の財宝と呼ばれるようになる。
もっとも、山下奉文が日本軍第14方面軍の司令官に就任したのは1944年9月のことで、財宝の集積作業は終盤にさしかかっていた。作業を指揮していたのは本間雅晴、田中静壱、は黒田重徳のころだ。ちなみに、田中静壱は関東軍憲兵隊の司令官だったことがあるが、そのときに細菌戦用兵器を開発するための生体実験にかかわっている。
1945年8月当時、田中の副官だった塚本清(素山)は略奪したダイヤモンドを日本へ運んだひとりと言われ、敗戦後はアメリカ軍と緊密な関係を持っていた。1961年には創価学会の顧問に就任している。
日本が降伏した後、その隠された財宝のありかを調べる責任者がエドワード・ランズデール。表面的には軍人だが、実際はOSS、戦後はCIAの幹部だ。朝鮮戦争が休戦になった直後にジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成、その団長をランズデールが務めている。その後、キューバに対する破壊活動などを指揮した。
ランズデールの下で日本人に対する取り調べを行っていたのが情報将校だったサンタ・ロマーナ。このロマーナが親しくしていた女性がイメルダ。ロマーナはイメルダをフェルディナンド・マルコスに紹介、ふたりは結婚する。マルコスは財宝の一部を掘り出して大金持ちになり、大統領になったといわれている。
そのマルコスのライバルだったベニグノ・アキノ元上院議員が1983年8月にマニラ国際空港で射殺され、社会が不安定化する。アキノへはNEDを通じてCIAのカネが流れ込んでいた。
アメリカ軍は1986年2月にマルコスを拉致して国外へ連れ出した。その背後ではCIAが蠢いていたのだが、その工作で中心的な役割を果たしたと言われているのがアドナン・カショーギ、リチャード・アーミテージ、ポール・ウォルフォウィッツなど。アドナン・カショーギはジャマル・カショーギの伯父にあたる。
フィリピン国外へマルコスが連れ出されると、財宝の分け前をよこせという裁判が起こされる。弁護士がでっち上げ事件で攻撃されたりしたが、それでも裁判の過程で財宝に関する情報が明るみに出てきた。
日本軍が盗んだ財宝は金の百合と呼ばれているが、これとドイツがヨーロッパで盗んだ金塊、いわゆるナチ・ゴールドをアメリカ支配層は一体化させた。いわゆるブラック・イーグルだ。その一部は1960年頃から日本の支配層が運用しているとも言われている。
この秘密資金は日本やドイツが盗み、アメリカが横取りしたものである。個人の請求権は存在するということになると、この秘密資金を返せという個人の要求が出てきても不思議ではない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c8
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。
また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。
http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_3bbd.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c9
日本海軍をこのようにみれば大戦中の不可解な作戦もわざと負けるための意図があったと見れば納得がいく。ミッドウェイ海戦も戦力から言えば互角以上の戦力であり負けるはずのない戦闘で負けた。日本側の秘密情報が筒抜けであり、ミッドウェイ作戦も全く意味のない作戦であり、ミッドウェイを占領しても補給がつかない。
ソ連型の敗戦革命は、北進論の放棄と支那戦線の拡大が両輪だった。対ソ戦のみちを封じたうえで、日支を消耗戦にひきこみ、共倒れになったところで、「敗戦から内乱」のセオリーにしたがって、陸軍の一部と革新官僚が、革命軍・ソ連を迎え入れるという筋書きである。
これを、海軍にあてはめると、西方戦略の放棄が、北進論の放棄にあたり、支那戦線の消耗戦が、真珠湾攻撃から南太平洋海戦にいたる海軍の不可解なたたかいに該当する。ちがうのは、敗れた日本を支配するのが、ソ連ではなく、アメリカということだけである。
日米開戦の直前まで、日本の対米戦略は「漸減邀撃作戦」だった。
これは、マリアナ諸島やパラオなど、日本の委任統治領だった赤道以北の島々をまもり、遠路はるばるやってくる米艦隊を、漸次、痛めつけておいて、日本近海で全滅させようというもので、戦略目的は、本土と海路の防衛である。
世界一の戦艦大和と武蔵、質量とも、アメリカ艦隊を上回る空母艦隊と艦上機は、そのためのもので、背後に航空基地をもつ島喚防衛戦で、日本海軍が、遠方からはるばる航海してくるアメリカ海軍に負けるわけはなかった。
真珠湾攻撃も南太平洋の艦隊決戦も、日本が、わざわざ、負けにいったたたかいだった。海軍が、そんな戦略をとったのは、陸軍の親ソ派(統制派)が、支那戦線を拡大させてソ連を救ったようなもので、イギリス仕込みの海軍内部に、チャーチルにつうじるルートがあったとしか考えられない。奇想天外だが、想像をこえているからこそ、敗戦革命は、だれにも気づかれることなく潜行して、あとからふり返っても、歴史的必然としか見えないのである。
日米戦争を指導した海軍の上層部は、すべて英米派であった.
敗戦をとおして、日本は、アメリカの属国のような国になった。戦時中、英米派として憲兵隊に捕らえられ、戦後、首相になった吉田茂は、それを勝利とよび、憲法改正や国防に、いっさい、関心をしめさなかった。
強国の庇護の下にはいることが、長期的には、日本のためになるのだという敗戦革命の思想が、ニューマ(空気)として、国際派や海軍に浸透していたのであれば、海戦前夜から真珠湾攻撃、南太平洋における壊滅的敗北までの、日本海軍の不可解なうごきに、一応の説明がつくのである。
真珠湾攻撃を計画させたのも、ルーズベルトー永野修身のラインがさせた可能性が強い。ルーズベルトと永野修身とはハーバード大学で二つ違いの同窓生だった。山本五十六もハーバードの同窓生でありこの三人が共謀すれば真珠湾攻撃は成功間違いなしだ。まさにハーバードは日本にとって疫病神であり、竹中平蔵も榊原英資もハーバード出で、まさに対日スパイ工作員の養成所なのだ。
海軍は三国同盟が結ばれるまでは開戦に反対していましたが、それが主戦論になってからは、御前会議などでも陸軍の思惑とは反対に超楽観的な見通しを述べて戦争へ突き進んだ。しかしシュミレーションでは日本海軍が連戦連勝でも二年もすれば燃料がなくなり軍艦は鉄の棺桶になってしまう。海軍が正直にアメリカと戦争しても勝てないと言ってくれれば開戦は防げた可能性が強い。
このように海軍の最高幹部が無責任極まりない発言を繰り返した背景には、永野や米内などはアメリカと共謀して「敗戦革命」を企んでいた可能性すら伺えるのだ。もちろん海軍だけではなく、外務省の吉田茂や白洲次郎や尾崎秀美など近衛のブレーンとなっているメンバーは「敗戦革命」を企んでいたのかもしれない。
確かに日本は大陸にずるずると深みに嵌って抜け出せなくなり、陸軍は陸軍で身動きが出来ない状況になり中国からの撤兵の目処が立たなくなってしまった。内閣はクルクルと総理大臣が変わり、5,15事件や2、26事件などで政府が軍部を統制することも出来なくなってしまっていた。しかし当時の軍人に当時の世界情勢が分かるわけではなく、海外からの謀略に引っ掛けられて戦争に突き進んでしまった。
このような情勢になれば「敗戦革命」を企むグループが出来てもおかしくないのであり、海軍の中にも米内、永野、山本、井上などのグループが敗戦を承知でルーズベルトと共謀した可能性がある。あるいは知らずに操られたのかもしれない。それほど真珠湾攻撃はアメリカにとっては都合が良かった作戦なのだ。
日本海軍をこのようにみれば大戦中の不可解な作戦もわざと負けるための意図があったと見れば納得がいく。ミッドウェイ海戦も戦力から言えば互角以上の戦力であり負けるはずのない戦闘で負けた。日本側の秘密情報が筒抜けであり、ミッドウェイ作戦も全く意味のない作戦であり、ミッドウェイを占領しても補給がつかない。
「日本は勝てる戦争になぜ負けたのか」という本に書いてある通りに、海軍の戦略や作戦には不可解な事が多く、このような疑問は最近になって指摘されるようになった。アメリカとの開戦は避けてインド洋に進む戦略をとれば、ドイツとの連携で勝てる見込みもあったと考える。開戦理由が石油の確保というのならばインドネシアはもとより中東の油田地帯の占領も考えるべきだったが、そのような作戦は全く検討されなかった。
山本五十六を海軍航空本部長から海軍次官に抜擢したのが永野海軍大臣で、山本海軍次官を連合艦隊司令長官に送りこんだのは、当時、海軍大臣だった米内である。
軍人である艦隊司令長官に、日米開戦の責任をおしつけるのは、筋違いである。真珠湾攻撃は、責任者が永野で、実行者が山本、陰であやつったのが、米内だった。戦後、GHQの協力者となった米内光政を、平和主義者として立てる論調が、とくに、親米保守派や文壇の大御所周辺でつよくなったため、そのことを、だれもいわなくなっただけの話である。
支那戦線拡大論者でもあった米内が、根回しして、対米主戦論者の永野が号令をかけたからこそ、対米非戦論者だった山本が、「ーこうなったら」と、掌を返したように真珠湾攻撃へつきすすんでいったのである。
ハーバード大学留学組で、長年の駐米武官を経験して、アメリカに友人や知已が多かった永野が、なぜ、やみくもに、アメリカと戦争をしたがったのであろうか。
戦後、だれも、真珠湾攻撃のふしぜんさを口にしない。真珠湾を攻撃しなければ、日本は、日米戦争に勝てた、ということも。それが、永野の怪死によって封じられた、日米戦争最大のタブーだったからである
当時、海軍内には、対米非戦派を中心に、山本五十六を海軍大臣に立てて、日米たたかわずの姿勢をはっきりとうちだすべき、という空気がつよかった。このとき、米内が、とつぜん「陸軍や右翼に狙われているので、海上勤務にする」と、山本を連合艦隊司令長官に任命、旗艦長門に送りこみ、真珠湾攻撃のプランを練らせる。
ルーズベルトも、二つ年下の永野が留学していたハーバード大学の卒業で、二人のあいだに、同窓会パーティなどで、接触がなかったと思うほうがふしぜんだろう。
日本にとって、百害あって一利もなく、アメリカにとって、参戦の切り札になる真珠湾攻撃について、永野とルーズベルトのあいだに、密約があったとすれば、戦後、アメリカが、永野を生かしておくだろうか。
戦後、GHQから、「なぜ、自決しなかったのか」と問われて、「陸軍の真似(阿南の切腹)と思われるのが不本意だったから」とのべた永野が、戦犯で収監中、巣鴨プリズンで風邪を引き、治療のために収容された米陸軍病院で、急死した。
当時、だれも謀殺の疑いをもたず、たとえ、もったとしても、口にはだせなかったろう。東京裁判で、ルーズベルトとのあいだに密約があったと、永野が証言したら、ルーズベルトが、真珠湾攻撃をあらかじめ知っていたどころの騒ぎではない。東京裁判で、日本側の被告は全員無罪になり、アメリカの原爆投下、都市空襲の非人道性が、あらためて、問われることになったはずである。
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/405.html
山本五十六を海軍航空本部長から海軍次官に抜擢したのが永野海軍大臣で、山本海軍次官を連合艦隊司令長官に送りこんだのは、当時、海軍大臣だった米内である。
真珠湾攻撃は、責任者が永野で、実行者が山本、陰であやつったのが、米内だった。支那戦線拡大論者でもあった米内が、根回しして、対米主戦論者の永野が号令をかけたからこそ、対米非戦論者だった山本が、「ーこうなったら」と、掌を返したように真珠湾攻撃へつきすすんでいったのである。
ハーバード大学留学組で、長年の駐米武官を経験して、アメリカに友人や知已が多かった永野が、なぜ、やみくもに、アメリカと戦争をしたがったのであろうか。
戦後、だれも、真珠湾攻撃のふしぜんさを口にしない。真珠湾を攻撃しなければ、日本は、日米戦争に勝てた、ということも。それが、永野の怪死によって封じられた、日米戦争最大のタブーだったからである
当時、海軍内には、対米非戦派を中心に、山本五十六を海軍大臣に立てて、日米たたかわずの姿勢をはっきりとうちだすべき、という空気がつよかった。このとき、米内が、とつぜん「陸軍や右翼に狙われているので、海上勤務にする」と、山本を連合艦隊司令長官に任命、旗艦長門に送りこみ、真珠湾攻撃のプランを練らせる。
ルーズベルトも、二つ年下の永野が留学していたハーバード大学の卒業で、二人のあいだに、同窓会パーティなどで、接触がなかったと思うほうがふしぜんだろう。
日本にとって、百害あって一利もなく、アメリカにとって、参戦の切り札になる真珠湾攻撃について、永野とルーズベルトのあいだに、密約があったとすれば、戦後、アメリカが、永野を生かしておくだろうか。
戦後、GHQから、「なぜ、自決しなかったのか」と問われて、「陸軍の真似(阿南の切腹)と思われるのが不本意だったから」とのべた永野が、戦犯で収監中、巣鴨プリズンで風邪を引き、治療のために収容された米陸軍病院で、急死した。
日本は、国家としてあろうことか、日本軍閥の中には、利敵行為を働く買国奴を戦争指導者と仰(あお)ぎ、太平洋戦争を戦わねばならなかったのです。
各々の局面は、日本軍はいつも決定的な失策を犯し、戦局が次第に暗転していきます。
こうした失策を犯すのは、ある特定の人物ばかりであり、これを詳しく調べると、その人物の指導によって、日本軍は決まって壊滅的な打撃を受けているのです。
かつての旧陸海軍の兵隊の士気、下士官教育の優秀さ、空母や戦艦の造船技術を以てしても、あるいは航空機にしても、兵器や物量の所有数においても、日本はアメリカを凌駕(りょうが)出来るくらいの物を持っていたのです。
そうであるにもかかわらず、このような悲惨な負け方をして、広島・長崎に人類初の原子爆弾が落とされると言う非人道的な行為を頭上に受け、最後までズルズルと負け戦を強(し)いられねばならなかったのでしょうか。
このような負け方をする理由は唯一つ、それは戦略や作戦に携わった司令官や参謀達が無能であったという以上に、陸海軍の中枢に敵と通じ、日本が敗北する事を望んだ奸計(かんけい)を働く者が居たからです。日本は、日米開戦を戦う前から敗れていたのです。
▲米内光政。早々と日本を敗戦に導いた大戦末期の海軍大臣。日本軍敗北には必ず絡んでいた。
▲連合艦隊司令長官・山本五十六。ミッドウェー海戦で、白村江の鬪い以降の大負けをし、日本海軍を大敗北に導いた。
▲服部卓四郎。陸軍のあらゆる重大な作戦に関与し、利敵行為を働いて、敵軍に塩を送り、日本軍を敗北に導いた。
▲陸大出身のエリート・辻政信も、大いに利敵行為を働いたが、連合軍のBC戦犯容疑で指名されなかったのは米軍に恩を売った為か。
▲第一機動部隊参謀長・草鹿龍之介海軍中将。南雲・草鹿コンビで、負け戦を展開した。
▲第二艦隊司令長官・栗田健男海軍中将。レイテ湾突撃を目前にして、戦艦「榛名」麾下艦隊を、謎の北への反転を命令した。
http://www.daitouryu.com/iyashi/shinizama/shinizama29.html
山本五十六は日本海軍を壊滅させた大功労者
山本五十六は軍国主義化した日本を是正し、民主主義国家にすべく、アメリカと手を握った。 なぜハーバード大学まで出た彼があのような痴呆のような作戦を立て続けたのか? 帝国海軍か゛まけるよう負けるよう仕組んだとしか考えられない
そして、連合艦隊司令長官として「わざと負けるように」作戦指導をした。
真珠湾で空母を逃したのも、強引にミッドウェー作戦を進めたのも、
日本を劣勢にするためである。
その後、山本の思惑通りに海軍は壊滅。日本は敗戦を迎える。
宇垣も山本五十六の有力な協力者で、彼の「作戦」が成功するよう参謀長として尽力しており、まさしくその「作戦」は大成功を収めたのである。
スパイといっていいすぎなら間違いなく国賊だ。 あのでたらめな作戦を見ろ ミッドゥェ−の時だって空母にほとんど護衛をつけてないじゃないか
沈めてくれと言っているようなものだ
又自分でガダルカナルまで戦線を拡大しながら自分は一度も救援にいってない。 トラック島という安全地帯で毎晩クーラーのきいた超ゴージャスな戦艦大和の最上階で部下の死闘もなんのその毎晩英国料理をたらふく食って太ってしまったというてはないか
真珠湾攻撃の計画はもともと「世界支配層」およびアメリカ、それに山本長官の深慮遠謀から生まれた計画であった。
山本五十六は、連合艦隊司令長官にあるずっと以前、恐らくは海軍次官の頃からアメリカ側と連絡をとり、もし日米が開戦になった時は先ず真珠湾を奇襲し、アメリカの対独戦を合理化させると同時に、日本へのアメリカ国民の参戦気分を一気に高揚させるという計画を練り上げたに違いない。
アメリカ側でこの計画を推進したのはもちろんフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領であった。そしてこの計画にはヘンリー・スチムソン陸軍長官、フランク・ノックス海軍長官、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長、ハロルド・スターク海軍作戦部長、そしてコーデル・ハル国務長官が加わっていた。
日本側でこの計画を知っていたのは、山本五十六以外にはほんのひと握りの人間であろう。それはもと首相や海軍大臣、そして外務省の高官たちなど最高度の機密を保てる者に限られていた。
山本長官はこの計画を実現させるためにいろいろな手を打った。開戦の年昭和16年(1941年)夏の時点では、真珠湾攻撃で使用する予定の軽魚雷はまだ開発中であったし、9月初旬においても攻撃用の直接部隊は不足していた。山本長官は画策の末、こうした戦術面での問題を11月の末にはすべて解決した。
ところが肝心の永野修身軍令部総長ら海軍首脳部はこぞって反対であった。海軍上層部はまだ日米開戦に躊躇し、真珠湾攻撃が実際にどれだけ効果をあげられるか疑問を持っていたのである。日本がアメリカを仮想敵国としたのは明治40年(1907年)4月に「帝国国防方針」が制定されてからであるが、日本の陸海軍が立案した正式な作戦計画の中にはハワイ攻略は含まれていない。攻略の対象はせいぜいグアム島どまりだったのである。
昭和15年(1940年)ルーズヴェルト大統領は米海軍首脳の反対を押し切って、それまで西海岸カリフォルニア州のサンディエゴ軍港にあった太平洋艦隊を年次演習の目的でハワイの真珠湾に進出させた。第2次大戦が勃発し、山本五十六が連合艦隊司令長官として対米戦を計画している最中であった。ルーズヴェルトは山本長官と共謀して、日本側に格好の攻撃目標を提供したのである。
日本を敗戦に導いた山本の謀略とは [TOP]
山本五十六連合艦隊司令長官が3年8カ月に及ぶ太平洋戦争の中で、実際に艦隊を指揮したのは真珠湾攻撃の始まった昭和16年12月8日からブーゲンビル島上空で「戦死」する昭和18年4月18日までの1年4カ月である。
この間に山本長官は偉大なる貢献を「世界支配層」陣営に行なった。その貢献とは何であったかである。山本長官は太平洋戦争が日本の敗北で終わることを望んでいた。日本を敗北させることが山本五十六の役目だったのである。
そのためには日本が圧倒的優位を誇る連合艦隊を速やかに壊滅させる必要があった。そしてもう1つは、アメリカの太平洋艦隊に対し常に手ごころを加え、その戦力を温存させることであった。このため山本長官が取った手段は次の通りであった。
● 海軍軍令部の強い反対を押しきって真珠湾攻撃を強行。
ただしその攻撃は不徹底なものとする。
忠実なる配下の指揮官 南雲忠一中将(第一航空艦隊司令長官)
草鹿龍之前少将(第一航空艦隊参謀長)
源田実中佐(第一航空艦隊参謀)
● 珊瑚海海戦で米海軍に手ごころを加える。米空母「ヨークタウン」撃沈せず。
忠実なる配下の指揮官 井上成美中将(第四艦隊司令長官)
原忠一少将(第四艦隊空母指揮官)
● ミッドウェー海戦で連合艦隊大敗北を画策。
忠実なる配下の指揮官 南雲忠一中将(機動部隊司令長官)
草鹿龍之肋少将(機動部隊参謀長)
● ソロモン海戦でガダルカナル大敗北の原因を作る。
忠実なる配下の指揮言 三川軍一中将(第八艦隊司令長官)
南雲忠一中将(機動部隊司令長官)
草鹿龍之助少将(機動部隊参謀長)
原忠一少将(軽空母「龍驤」指揮官)
● 「い」号作戦で日本の南東方面航空兵力を潰滅させた。
いずれの海戦においても忠実なる配下の凡将、愚将、怯将である南雲中将、草鹿少将、源田参謀、井上中将、原中将、三川中将などを長期にわたって使い続け、「攻撃の不徹底」ないしは「手ごころ」を加えさせている。
さらに大事なポイントは、海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側に筒抜けにさせていたことであろう。山本長官はアメリカが日本海軍の暗号電報をすでに解読し、連合艦隊のあらゆる作戦行動を見抜いていたこともあらかじめ承知の上で、作戦を強行したふしがある。
真珠湾攻撃のときもそうであるし、モレスビー攻略作戦(MO作戦)における珊瑚海海戦は不充分な戦果に終わった。ミッドウェー海戦(MI作戦)の時も、アメリカ側に充分な情報と対応のための準備期間を与えていたと考えられる。
長期間に及んだソロモン海戦のときも日本の艦隊や輸送船、飛行隊の動きはすべてアメリカによって把握されていた。結局日本海軍は山本五十六の意図によってその初期戦力を激滅させていたのである。
この偉大なる「功績」により山本長官の役目は一通り終った。そして姿を消す時期がやってきたのである。ブーゲンビル島上空における「戦死」がそれである。アメリカが暗号解読をしていることを承知の山本五十六は、前線視察と称して連合艦隊司令部から一式陸攻に搭乗してブーゲンビル島のブイン飛行場に向かったのである。
山本五十六連合艦隊司令長官はこうして戦線から姿を消すのであるが、山本長官とともに1年4カ月の海戦を戦った将官たちは、その極度な無能ぶりにもかかわらず戦後さまざまな戦記作家によっていずれも名将、名参謀としてたたえられている。
日本が開戦したときのアメリカとの国力は1対10の比率であったと言われる。 このために日本が戦争したのは無謀であったとか、やがては負ける運命であったなどという意見があることも事実だ。だが、日本があらゆる海戦で勝利をおさめていれば(それは可能であった)アメリカの戦意が喪失し、休戦、和平交渉の道も可能だったのである。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/105.html
●真珠湾奇襲攻撃でルーズヴェルトに協力
連合軍隊司令長官に就任した山本五十六は日米開戦は最早避けられない物として何時の間にか「真珠湾攻撃」を口にする様になる。
欧州では既に昭和14(1939)年9月3日、第二次世界大戦が勃発して独国が破竹の進撃を続けていた。欧州で苦戦を続ける英仏を救済し米国を参戦させる事は米国大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの基本戦略であった。ルーズヴェルトは英首相チャーチルと共謀して日本を追い込み、先に攻撃を仕掛けさせて米国の世論を激Vさせ、其の怒りで対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。
山本五十六はルーズベルトとチャーチルに協力してハワイ奇襲の構想を練ったのである。 山本五十六が連合艦隊司令長官に就任して半年余り経った昭和15年3月、真珠湾攻撃を想定した実戦さながらの電撃訓練が行われた。
五十六の乗る連合艦隊旗艦「長門」そして「陸奥」及び空母「蒼龍」を目標に艦上攻撃機、双発陸上攻撃機、急降下爆撃を行う艦上爆撃機等81機が上空低空から襲いかかり模擬魚雷等を撃ち込んで三隻とも撃沈間違い無しの戦果を上げたのである。山本長官は此の時「飛行機でハワイを叩けないものか」と呟いたと云う。山本五十六は昭和16年1月、及川古志郎海軍大臣に宛てた私信の中で次の如く述べている。
「日米戦争に於て我の第一に遂行せざるべからざる要項は、開戦劈頭
敵主力艦隊を猛撃撃破して、米国海軍及米国民をして救ふ可かざる程
度に、其の士気を阻喪せしむ事是なり。此の如くにして、初めて東亜
の要衝に占居して不敗の地歩を確保し、依て以て東亜共栄圏も建設維
持し得べし」
五十六の計画の中には、既に機動部隊に依る真珠湾攻撃の具体的構想があったのである。
1月下旬、連合艦隊司令部は真珠湾攻撃の研究を開始、第11航空艦隊参謀長の大西瀧治郎少将に極秘で此の研究を依頼した。大西は五十六と同じ思想を持つ航空主兵、艦隊無用論者であった。
ハワイ奇襲攻撃の猛訓練は鹿児島県志布志湾を中心に行われた。
斯うして訓練に訓練に重ねた第一航空艦隊(空母6隻を中心とした機動部隊。司令長官は南雲忠一中将)は択捉島単冠湾に集結、昭和16(1941)年11月26日秘かにハワイに向けて出航した。日本時間12月8日午前3時25分、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の6隻の日本空母から発進した第一次攻撃隊183機はハワイ・オアツ島パール・ハーバーにある米国太平洋艦隊の基地を奇襲した。
ハワイ真珠湾攻撃を米国大統領ルーズヴェルトは事前に知っていた。日本の外務省が使用していた『紫暗号(パープル)』は盡く米国に筒抜けであったが、此のあには日本に暗号解読の協力者がいたと見なければならぬ。
真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は主な物で戦艦アリゾナ、オクラホマ、ウェスト・ヴァージニア、カリフォルニア、ネバダ、テネシー、メリーランド、ペンシルヴェニアの8隻、重巡ニューオルリンズ、軽巡ローリ、ホノルル、ヘレナの3隻そして駆逐艦ショー、カシン、ダウンズ、オグララ、ドックの5隻総計17隻である。
ところが不思議な事に空母レキシントンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはウェーキに矢張り飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガは米国本土西海岸にいた為に無事であった。
被害を受けた戦艦は何れも1910〜20年代に就任した旧式艦であり、しかも真珠湾に沿って態々攻撃し易い様に一列に並べて停泊してあった。戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破等の被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等は何れも引き上げが容易で短期間の内に修理、再就役し太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。
斯うして見ると真珠湾攻撃と云うのは一種の茶番劇であった事が分かる。山本五十六は真珠湾攻撃の「大成功」に依り英雄視されているが、其の結果残った物は「日本の卑怯な欺し討ち」と云う非難と米国の対日積極参戦の意識高揚そして今も観光地ハワイの真珠湾海底に沈む戦艦アリゾナの残骸だけである。此の時死んだ米国兵2403名は今でも米国人にとって対日憎悪の対象と為っている。
●最終通牒を遅らせた大使館員は戦後大出世
真珠湾攻撃には幾つかの不可解な事が起こっている。一つは宣戦布告の通知が遅れた事、そしてもう一つは攻撃の不徹底さである。通知が遅れた件に関しては此れは最初からそう仕組まれたものであったと云う他は無い。
日本から発せられた最後通牒は時間的にも充分間に合う物であった。東郷外相の訓令は対米宣戦布告の最後通牒の手交をワシントン時間、12月7日、午後1時に行うものであっス。ところが野村、栗栖大使が実際に其れをハル国務長官に手交したのは午後2時であり、其の時真珠湾は既に猛火と黒煙に包まれていた。最後通牒の手交が何故遅れたかに就いては尤もらしい説明が付けられている。
対米最後通牒の電報は14通から成り、其の内の13通は米国の12月6日中に日本大使館に到着し、既に電信課に依って暗号解読され、其の日の内に書記官に提出されていた。残り、即ち最後の14通目は翌7日早朝(ワシントン時間)に大使館に到着、同時に最後通牒の覚書を7日午後1時に手交すべく訓令した電報も大使館には届いていた。
其の時の大使館員の様子は次の如くであったとされる
◆14通の電報は2種類の暗号を重ねた2重暗号であり、最初の13通は
12月6日午後1時から入電を開始、粗同時に専門の電信官に依って暗
号解読が始まった。午後8時半あ事務総括の井口貞夫参事官が解読作業
中の若手外交官達を誘って行き付けの中華料理店”チャイニーズ・ラン
ターン”の一室で夕食会を開く。此れは寺崎英成1等書記官の中南米転
任送別会を兼ねていた。
◆7日、早朝13通分の電文タイプを開始、寺崎一等書記官は妻グエンと娘のマリコ、及び妻の母と共に郊外に車旅行、連絡も付かない状況であった。
◆7日の朝、大使館の電信課宿泊員で若い熱心な基督教徒である藤山楢一
は14通目の電報ともう一通の「最後通牒」の手交時間訓令の電報を入
手したが、其の日は日曜日であった為、教会の礼拝に出掛け、電信課の
責任者であり前夜宿直していた奥村勝蔵首席一等書記官及び松平康東一
等書記官に対し連絡を怠った。
14通目の電報が7日の何時から暗号解読され始めたかの公式記録は無い。だが前日に受信した13通の電報が既に解読されており、事の重大性に大使館全員が気付かぬ筈は無い。重大であればこそ大使館員全員が待機して14通目の到来を待ち、其れ以前の13通分に就いても事前にタイプを済ませて何時でもハル国務長官に提出出来る様にして置くのが当然であったろう。だが実際にタイプが始まったのは7日午前7時半あからであり、14通目の暗号解読が終ったと推定される午前10時あ迄は奥村一等書記官に依るのんびりした調子(ペース)であった。
ところが午前11時過ぎに最後通牒の手交時間が午後1時である事が解り、大使館は騒然と成った。だが日本の外務省から秘密保持の為タイピストを使わぬ様指示されていた日本大使館では慣れない奥村がタイプを打ち続け、終了したのが真珠湾攻撃開始後の1時25分、ハル長官に野村、栗栖大使が手交しスのは1時55分であった。
此の外務省、日本大使館の動きは全く理解に苦しむのである。
先ず外務省であるが、僅か残り数行に過ぎない14通目と最後通牒文である第901号電を何故態々其れ迄の13通より遥かに遅れて発信したのか。更に此の重要な時期に何故寺崎一等書記官を転任させる処置を取ったのか。又何故秘密保持と称して専門のタイピストを使用禁止にしたのか等である。
大使館側にも深い疑惑は残る。大使館員十数人全員が丸で事の重大性を弁えぬ無神経、且つ怠慢な動きを取っている事である。此れは一体何を物語るものであろうか。答は二つ、外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、差もなくば確信犯であったと云う事である。真相は恐らく後者であろう。
戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が帰国するなり吉田茂外相に此の最後通牒手交遅延の責任を明らかにする様進言したが、吉田は結局此の件をうやむやに葬り去ってしまった。吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶の一人フリーメーソンであった。当時の日本大使館員達は戦後何れも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。
日米開戦の最後通牒が遅れ真珠湾攻撃が”卑怯な欺し討ち”になった事で米国人の世論は開戦派が以前の3%から90%に跳ね上がっている。日本の外務省と大使館の責任はまことに大きいと言わざるを得ない。
●不徹底な攻撃で米国を助ける
ところで「攻撃の不徹底」であるが其れには二つの意味がある。
一つは真珠湾上の米国海軍艦船に対するものであり、もう一つはハワイ太平洋艦隊海軍基地の陸上軍事施設に対するものである。
真珠湾攻撃で受けた米国太平洋艦隊の実際の被害状況は当初発表された膨大きなものはではなかった。戦艦八隻の内アリゾナとオクラホマを除き残りの6隻は其の後全て水深15mと云う浅い海底から引き上げられ修理、復旧した後何れも戦線へ復帰して大活躍しているのである。
又陸上施設に就いては南雲第一航空艦隊司令長官による第一次、第二次攻撃隊は全く手を触れておらず、第三次攻撃隊を出す事も中止している。第三次攻撃に関しては殆どの艦隊幕僚が実行の提案をし、現に第二航空艦隊司令長官の山口多聞少将は第三波攻撃準備を完了していたが、南雲中将や草鹿第一航空艦隊参謀長や源田参謀は愚か、遥か後方の戦艦「長門」で高見の見物をしていた山本五十六連合艦隊司令長官迄が其の必要性を認めていないのである。
若し、此の時第三次攻撃を敢行し、艦隊に対するもっと徹底した攻撃と、陸上のハワイ空軍基地の格納庫、補給庫、給油施設、武器弾薬貯あ庫、更には米国海軍基地の補給、修理施設、工場郡、燃料タンク郡を破壊しておれば太平洋の戦局は大いに変ったものとなったであろう。
ハワイが米国の太平洋艦隊の最も重要な海軍基地であった事を考えるならば、此の攻撃不徹底はいかにも奇異な物であると言わなければならない。ハワイの燃料タンクに貯あされていた重油450万バレルを爆撃しておれば米国本土からの補給は数カ月間に亙って不可能となり、米国の太平洋艦隊は身動きが取れなかったのである。
更にもう一つ付け加えるばらば、ハワイ攻撃の日が何故12月8日であったかと云う事だ。勿論日米交渉の行き詰まり、最後通牒の日程上此の日になったと云うのは一つの説明であるが、山本長官が此の日は真珠湾に米国空母がいない事を予め知っていたからであろう。
山本五十六はハワイを徹底攻撃する気は最初から無かった。日本が米国を奇襲攻撃し、「卑怯な日本」と云う既成事実を作れば其れで良かったのである。
4、日本兵を大量に無駄死にさせた山本の作戦
●日本の連合艦隊の撃滅が山本の目的
昭和17年5月、帝国陸海軍はニューギニア進攻作戦を実行する。此の作戦の主目的はニューギニアのポートモレスビーを攻略して此処に強固な前進基地を構築し、米国とオーストラリアの分断を計り、オーストラリアを孤立させる事だった。
此のあ、大本営では陸海軍の戦略思想の対立が再び深刻化、陸・海軍省及び参謀本部・軍令部で戦争指導計画の再検討が行われ、「今後採ルベキ指導ノ大綱」が妥協に依って3月7日に成立した。そして「戦況の許す限り、出来るだけ早く占領或いは撃滅する必要のある地域」として次の3部に分けられた。
(1)ソロモン諸島のツラギ、及びニューギニア南岸のポートモレスビー
の基地を占領し、珊瑚礁とオーストラリア北部の支配あを確立する
(2)ハワイ北西の太平洋上に広がるミッドウェー環礁を一挙に水陸両面
作戦により撃破する
(3)フィジー、サモア、ニューカレドニアを結ぶ線を確保し、米国合衆
国とオーストラリアとの直接連絡を断つ
此の内(1)と(2)は山本長官の発案だった。計画(1)の暗号名は「MO」計画(2)は「MI」とされ、此の二作戦が失敗した場合、計画(3)は中止すると云う物だった。斯うして先ず「MO作戦」が山本長官の強い意志で実行されたのであるが、其の真の意図は此の作戦により米国太平洋艦隊を此の海域におびき出して決戦を挑み、日本の連合艦隊を撃滅させる事だった。
@驚くなかれ、山本長官の狙いは米国の太平洋艦隊を撃破する事では無く、其の逆だったのである。ニューギニア進攻作戦そのものは米豪連合軍の激しい反撃に遭って挫折、ポートモレスビーの陸路進攻も失敗するが、進路から此の地を攻略する為井上成美中将の指揮する第4艦隊は珊瑚礁に於て5月7日、8日の両日、米国太平洋艦隊(司令長官チャスター・W・ニミッツ大将)と激突するのである。
此の海戦で日本粗互角の叩き合いとなり、7日の戦闘で日本側は空母「祥鳳」一隻を失い、米側は駆逐艦と油槽艦各一隻、続いて8日は日本側は空母「翔鶴」が被弾、米側は空席「レキシントン」が沈没、「ヨークタウン」は大破した。
だが此の時井上中将は何故か「ヨークタウン」に止めを指す事をせず、攻撃を中止して北上するのである。此の「ヨークタウン」がハワイの海軍基地に帰り僅か2日間で修理されて2カ月後に起こったミッドウェー海戦に参加、彼の連合艦隊撃滅の立役者となるのである。
此の珊瑚海海戦で井上成美第4艦隊司令長官の果たした役割は一体何であろうか。其れは「手緩い攻撃」に依って引き起こされた戦術的勝利戦略的大敗北に他ならない。
しかも真珠湾攻撃同様、暗号は盡く米軍に依って解読されていた。ニミッツに依る空母2隻の急派も日本海軍のMO作戦を全て事前に知っていたからであった。結果として日本軍はポートモレスビーの攻略に失敗、南太平洋の戦局は厳しい物となり、日本軍の限界を示すものとなった。
昭和17年4月P8日、空母「ホーネット」を発進したドーリットル中佐率いる双発爆撃機B25十六機が日本に向かい、東京、川崎、横浜、横須賀、名古屋、神戸の各都市を爆撃した。此れに依って日本側は死者45名、重傷者153名、家屋全焼160戸、全壊21戸の被害を出した。
此の「ドーリットル空襲」に大きな衝撃を受けた陸軍部は太平洋に於ける制海あの確保、防空作戦上の見地から太平洋海域に於ける重要拠点の確保詰まり島嶼の領有を検討し始める。
海軍が主導するミッドウェー(MI)、アリューシャン(AL)両作戦に当初反対であった陸軍は、4月20日此の太平洋方面作戦で海軍と同一歩調を取る事を決定したのである。
元々太平洋戦争開始に際し、海軍が取って来た戦争指導は早期撃破、戦果拡大であるのに対し、陸軍は長期持久であり、守勢思想の重視であった。「ドーリットル空襲」は結果的に往来の陸軍の作戦指導を変更させる事になった。
●真珠湾もミッドウェーも山本が強引に決行
真珠湾攻撃の時もそうであったが、ミッドウェー攻略作戦も又山本長官の強引な主張に依って計画されたものであった。山本長官の主張とは昭和17(1942)年中に米太平洋艦隊を誘き出して此れを撃滅する。其の為の餌としてはミッドウェーが最適であり、此処を占領してハワイに脅威を与えれば米国の戦意は著しく衰え、其れに依って和平交渉への道が開かれると云う物であった。
だが此の計画に対して東京の海軍軍令部は強い反対論を唱えた。其の第一の理由は占領後のミッドウェーの戦略的価値が疑わしいと云う物である。ミッドウェーはハワイから僅か千八百キロしか離れていない上にハワイの陸上基地から攻撃機が殺到し、直ぐに奪還されるに違いないし、ミッドウェーを占領しても奇襲以来基地を強化し続けていた米軍への脅威にはならず、米国民の志気に影響を与える事は無く、従って米国が和平交渉を提案する事は有り得ないと云うのである。
又日本の偵察機の行動半径は1120キロ(ハワイに届かない!忍)に過ぎないので広大な太平洋の真ん中で有効なる偵察任務は果たせないと反論した。
其れよりもニューカレドニア、フィージー、サモア諸島に対する攻撃を強め、オーストラリアとの分断を謀る方が戦略的価値は高く、米国艦隊も本国基地から強く離れているので、補給困難に陥るだろうとし、米艦隊を誘き出す目的であれば、オーストラリアが自国の海岸線を脅かされる為米国に救援を頼むのは確実である、と強く反駁したのである。
ところが山本長官は敵の空母勢力を撃破すれば自ら米豪間は分断されるので、先ずミッドウェーで敵の空母を誘き出し此れを必ず撃破して見せると豪語したのである。山本長官の主張は頑なにミッドウェー攻撃一点張りであった。
ミッドウェーが米国最大の海軍基地ハワイの近くであり、戦略的に日本が不利な事は一目瞭然である。にも関わらず、山本長官がミッドウェーに固執し一歩も譲らなかったのはルーズベルトとの間に秘密の協定があり、日本の連合艦隊を此処で破滅させる約束をしていたからに違いない。
そもそもハワイ真珠湾でq空機による奇襲攻撃を実施し、航空機の持つ破壊力と重要性を態々米国に教えた事のみならず、生産力では圧倒的に勝る米国が此の事を教訓に大量生産の下、航空戦力の飛躍増大を図った事は山本長官の決定的間違い(実は陰謀)ではなかろうか。以後米国はあらゆる戦局で航空戦を挑み、日本を圧倒していくのである。
ミッドウェー作戦自体も真珠湾攻撃同様山本長官が立案したものであるが、山本長官の表向きの主張はミッドウェー島の攻略と米空母部隊を誘き出した上で、此れと決戦すると云う二つの目的であり、首尾よく米空母部隊を撃滅出来た場合は続いて10月あハワイを攻略すると云う物であったが、真の隠された狙いは日本の連合艦隊を破滅に導く事であった。
米国は充分に航空戦の練習を積み、山本長官の差し出した獲物に向かって殺到したのである。山本長官の作戦に対し大本営海軍部は大反対であった。だが山本長官は其の反対には全く耳を貸そうとしなかった。最後は山本長官とは腐れ縁であった永野修身軍令部総長の決裁でミッドウェー作戦は認可された。
http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/413.html
http://www.asyura2.com/08/wara4/msg/253.html
源田実先生も日本海軍を壊滅させた大功労者
[源田]:は真珠湾攻撃時の戦闘機隊総指揮官だった。
映画「トラトラトラ」での源田は、男らしく清清しいキャラクターとして描かれていたが、実際は *中国での海軍用軍需品調達のからみで、あの児玉誉士夫と臭い仲* であった。参議院偽員に何度も当選、贋右翼諸団体のカリスマであったらしい。
源田実は何故上層部にこれ以上空母を作らない様に進言した:
日本は第二次大戦で真珠湾攻撃で米太平洋艦隊の戦艦を、航空機攻撃によってすべて葬り去ったということがありました。
アメリカはこの敗北体験から、戦艦建造を止め、素早く空母中心に艦隊を、
再編成したのです。一方,日本はどうしたのかというと、その後も戦艦大和、武蔵などを相次いで建造し、宝物のように温存し続けたのです。
戦後、この点を不思議に思った一橋大学の野中教授が、元航空参謀で、戦後参議院議員を務めた源田実氏に、直接疑問としてぶつけたときの話が同書に紹介されています。何と!源田実元航空参謀の答えは、
「長年苦労させてきた水兵たちに対して、『もう君らの時代終わった、これからは飛行機乗りの時代だ』とは言えなかったというものであった」
源田によって零戦の防御は軽視された
ゼロ戦の開発に際し、ともに戦闘機パイロットであった、故源田実 (軽量・旋回性能重視の名人向き戦闘機推奨) と故柴田武雄 (速度・航続距離重視) の大論争があったが、スタンドプレイに勝った源田案が重視されたことが、その後のゼロ戦の悲劇の原因になった。
太平洋の島礁で航空機の戦いでした。 日本機は燃料タンクが防弾構造になっていません。 燃料はガソリンですからすぐ発火します。 熟練パイロットを次々と失う結果になります。 現地から防弾構造燃料タンクの要望があがります。 結果は源田実(海軍・戦後参議院議員)が、がたがた云うな!!。一機でも多く生産しようでチョン。 彼の馬鹿さを書くと私が悶絶発狂しそうです。
この非論理的発言で防弾燃料タンク開発を封じ込めたその当人が、昭和50年(1975)に発売された「別冊週間読売」のコラムで海軍では、論理の通っている議論が尊重され ・・・・ 云々。と述べている。 勝手で都合のよいことを書くな!!。
極めつけは、昭和19年9月、海軍は大森仙太郎海軍中将を特攻部長に任命し、同13日軍令部参謀源田実は一通の電報を発した。 「神風攻撃隊ノ発表ハ全軍ノ志気高揚竝ニ国民戦意ノ振作ニ至大ノ関係アル処、各攻撃実施ノ都度、純忠ノ至誠ニ報ヒ攻撃隊名(敷島隊、朝日隊) ヲモ併セ適当ノ時期ニ発表ノコトニ取計ヒ度・・・・・」 すなわち、特攻部長を決め、特攻隊名まで決めて人間爆弾となる人選を行っている。 そして突入は10月25日。
この事実をどう説明するのか。 あくまで指導部は特攻隊を「志願」であったという詭弁を弄する。志願ならなぜ1名を除いて佐官の特攻隊員はいないのか。なぜ将官の特攻隊員はいないのか。なぜ、皇室関係者はいないのか。特攻を知らなかったとでも言うのだろうか。単座1名の航空機以外に、艦攻、艦爆の副座にご丁寧にもペアを乗せて特攻させた。佐官、将官が操縦できなくてもペアは組めたはずだ。志願が聞いて呆れる。愚弄するにも程がある。
殉国の至情に基づく先に航空特攻があった。と公言して憚らない連中に聞きたい。
彼、源田はこの特攻について戦後、片言隻語触れなかった。 馬鹿らしいのでこれで終わり。 この先は、半藤一利氏著:昭和史(上・下)を読んで知って下さい。 それでないとあなたが馬鹿にみえますよ。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/entrance/entrance.htm
源田実「 レイテ沖海戦で武蔵(戦艦)が沈んだのは、特攻機の出し惜しみが原因だ 」
http://ch05028.kitaguni.tv/c9474_2.html
山本五十六が航空の先駆者だなんて大嘘です。 日本海軍戦闘機の進捗を阻害したのが山本五十六。その土台となる提案をしたのが源田実。結局、山本五十六につながる連中はおべっか使いのおっちょこちょいばかりそろっている。それらが日本海軍の中枢にいたわけです。あの大戦中に零戦がいかに優秀であったとしても、昭和15年に出まして、小手先のモデル・チェンジだけで、太平洋戦争の第一線の戦闘を6年間もず〜っと使った。そんな文明国があるか。これほど馬鹿なんです。
源田部隊が始まった時に、私は、その時の副長からぜひ来てくれということで、呼ばれていったんです。現場は、もう惨憺たる状況。紫電改の操縦法と紫電の空戦法を指導してくれと。
差しつかえるから、ほんとのことはあまりいえませんけれどね。惨憺たるものでした。源田が指揮すると、ばったばったとやられていく。冗談じゃない、あんなに戦死者・犠牲者の出た部隊はないんですよ。聞いていたのとまったく違う場合が、軍に関する限り、あまりにも多すぎる
http://www.takjapan.com/newsmakerssakai.htm
源田実先生は戦後も売国を続けてるね
ポンコツ戦闘機 F104Jを自衛隊に買わせてアメリカから勲章を貰ったんだね:
あの東京大空襲の首謀者、カーティスルメイに勲章を与える運動をしてまで、アメリカに出向き防衛庁が決定していたグラマンG98スーパータイガーをチャブ台返ししてまで大騒動になった「悪夢のような戦闘機」なのである。
その時期、機種選定にF−X選定調査団を率いた人こそ、あの源田実だった。源田実航空幕僚長(自衛隊内の呼称を旧軍でいえば「空軍大将」とでも言うところだろうか)230機、国産されているがこの受注は、御存知三菱重工である。
当時、一機4億円。総額1000億円もの高額の買い物だ。喫茶店で珈琲が20円ぐらいの時代だから今の物価ならば80億円ぐらいなのだろうか。当時防衛庁が、購買の段階でさらに価格が高騰して、青くなったという風聞だ。
笑えるのは、殺人鬼カーティスルメイに勲章をやってまで導入した源田実ご推奨なる冒頭のF104Jは、長距離攻撃大好き米戦略空軍には嫌われて、、、実は、空軍用兵思想には合致しないと、あっというまに蔑視されて早期退役させられたポンコツ戦闘機なのである。
軽制空戦闘機を、あてがわれたのはアメリカの豚が食べたがらなかった、危険なまでの不健康な飼料だったあの脱脂粉乳を、こともあろうに捨てるのが勿体無いと日本の小学生の学校給食に輸出した食糧マフィアらと発想は同じだ。
その片棒をかついだのがポチの頭目のひとり、源田実というのが真相だろう。
F104Jは、その後日本で迎撃専用機に仕立て上げられたが、機体が小さくその機体内部に、全天候レーダーやAAMを装備組み込みするのに大難儀したことが語りつたえられている。飛行機は、購入して飛ばせば良いというものではないのだ。低空をとられれば、操縦不能になりやすいF104は、世界中でよく墜落したものだ。つまり、日本の国防はこのような隙だらけの戦闘機に託されていたのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/200612300002/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c10
第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。
天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。
戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。
戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。
天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。
これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。
http://alternativereport1.seesaa.net/
昭和天皇に入れ知恵した(?)ジョセフ・グルーの正体
アメリカのジョセフ・グルーは1941年日米開戦までの駐日大使であったが、在任中10年間の間に牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔らと深く関わって、牧野らから御前会議の内容や日本政府の極秘事項をスパイさせていた。白洲次郎もその一味である。
ジョセフ・グルーは、外交史ではよく平和主義者で、戦争末期には天皇制を認めて早期に終戦を図るべき努力したとなっているが、大ウソである。
以下は、おおむね鬼塚英昭氏の『原爆の秘密(国外編)』(成甲書房)から教わったものだ。
グルーはアメリカのモルガン財閥の血族の一人である。つまりモルガン財閥が対日工作のために送り込んだエージェントであった。戦争に反対した平和主義者とは、アメリカの走狗となり果てていた当時の(今も)マスゴミによって宣伝された顔なのである。鬼塚氏はグルーを、トルーマン大統領に代わってから実質的な国務長官として、原爆投下に向けてスティムソン陸軍長官と共同歩調をとったえげつない人物として描いている。
鬼塚氏によれば、原爆は国際金融資本グループが第二次世界大戦後の世界で、核兵器で大儲けをする計画でなされた実験であったと述べている。それが長崎に投下されたプルトニウム爆弾であった。広島に投下されたウラン型の原子爆弾はとうに完成していたが、プルトニウムでの原爆は完成に時間がかかった。だからプルトニウム爆弾が完成するまで日本が降伏しないように指示をだしたのはグルーであり、それを日本側の吉田茂、牧野伸顕、樺山愛輔ら(おそらく海軍の米内光政も)に伝える役割を担ったのが白洲次郎であった。
憲兵隊もそれを掴んでいて、吉田茂とその反戦グループの意味で彼らを「ヨハンセン・グループ」と呼んだ。ヨハンセン・グループは、アメリカのユダヤ国際金融勢力の意を受けたグルーの指示で日本の降伏を引き延ばしていた。
鬼塚氏は、白洲次郎を「スティムソン陸軍長官(原爆の責任者)とヨハンセンに操られた“プリンシプルのない男”」と称している。
白洲次郎の父・文平は綿貿易商「白洲商店」を興して巨万の富を築いた人物である。明治時代にハーヴァード大学を卒業しているから、このときすでにイルミナティあるいはユダヤ財閥と関係を持った(工作員となった)はずである。後にドイツのボンに学んだ折、白洲の妻となる正子の父・樺山愛輔と面識を得たということになっているが、次郎も正子も幼少のころから(イルミナティによって)結婚させられる手筈が整っていたと思われる。
次郎はケンブリッジ大に留学する。学者を目指したとされるがウソだろう。神戸でチンピラやっていて、英国に行っても高級車を乗り回すしか能がない男が学問だなんて笑わせるんじゃない。イルミナティの工作員として教育されるためにケンブリッジ大学に呼ばれたと見るべきであろう。白洲次郎も本格的にイルミナティに取り込まれて、終世ドレイ的契約を交わしたのであろう。
そのうち親元の「白洲商店」が昭和2年の金融恐慌で倒産して帰国せざるを得なくなる。一方で樺山愛輔も金融恐慌のあおりで理事をしていた十五銀行が閉鎖に追い込まれる。そのせいで米国に留学していた娘の正子も帰国させられ、そこで次郎と正子が出会ったことにされて、結婚に至るのだ。
次郎はいきなり日本水産の取締に就任する。これも誰かの手が働いたのだろう。鯨油の輸出に携わり、以後毎年、イギリスに赴く。ロンドンでは駐英大使・吉田茂と親交を深め、日本大使館の2階が定宿となる。いくら知り合いだからといっても、吉田が白洲を日本大使館に住まわせてやるとは…。ここにもイルミナティ関連の工作が効いているのだ。
白洲次郎は日水時代に、近衞文麿の政策ブレーンも務め始める。ゾルゲ事件のあの尾崎秀実とともに、だ。いったい実業家とは名ばかりで、政治の勉強をしたわけでもなく、政治家を目指したわけでもない遊び人の男が、どうして近衛文麿首相の側近に食い込んでいけたというのか。白洲は情報を収集しては米英の工作機関に渡し、また指示を受けて近衛首相を操作したと思われる。日本を泥沼の支那事変に没入させ、勝算のない日米戦争に引き込まれたのは、直接的には白洲らの工作によるのである。
ソ連の工作員だった朝日新聞の記者、尾崎秀実はゾルゲ事件に連座して死刑になったが、おそらく同じような工作を担当していた米英側の工作員・白洲次郎は生き延びて、さらに戦後GHQの手先まで務めたのである。アメリカ側が戦時中に白洲に手を出すなと日本の官憲に厳命した可能性はある。それは白洲も尾崎も同じイルミナティの手先であったが、戦後は冷戦構造を演出しなければならなかったから、イルミナティとしては日本をアメリカの統治下におくので、ソ連系の尾崎は邪魔になったのだろう。尾崎は日米戦を実現させた意味で、勲一等ではあったが、アメリカ系スパイの白洲と組んでいたことがわかれば、まずいからではなかったか。
ちなみに朝日新聞は、尾崎秀実を「信念の記者」と今もって褒めている。朝日のコラムニスト早野透がそう言っている。尾崎がスパイとして日本を支那事変の泥沼に陥れる工作に加担し、やがては敗戦直前にソ連軍に侵入させて多くの満州・朝鮮にいた日本人を陵辱させた、その人でなし尾崎を朝日は絶賛する。
鬼塚氏は『原爆の秘密(国外編)』で「白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう」と書いている。
鬼塚氏はよく調べたと思うが、しょせん戦争はすべてユダヤ・イルミナティが仕組む八百長であることが十分わかっていない。八百長には演出家も俳優も必要なだけで、白洲はただの小間使いである。
Wikipedia にはこうある。
1950(昭和25)年、講和問題で池田勇人蔵相・宮澤喜一蔵相秘書官と共に渡米しジョン・フォスター・ダレスと会談、平和条約の準備を開始した。
1951(昭和26)年9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ英語から毛筆による日本語に書き直し、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせた。昭和27年(1952年)11月19日から昭和29年(1954年)12月9日まで外務省顧問を務めた。
よく言うわ。講和交渉もサンフランシスコ条約も、本来、政治家でもない白洲ごときが口をだせるものではない。全部イルミナティの指示によって白州がお目付役となって随行したにすぎまい。まるで最近の小泉劇場を演出した秘書官みたいだ。
鬼塚英昭氏は『原爆の秘密』で、日本の敗戦時のポツダム宣言受諾「黙殺」と原爆投下がセットになっていると述べている。これはポツダム宣言が出た直後に、ときの総理・鈴木寛太郎が「黙殺」という言葉を使い、そのため米英国民世論が激昂し、それを受けてトルーマンが原爆投下を決断したとされる一連の動きに関してである。
鈴木首相が「黙殺」と言ったから、原爆投下の正義、口実が確保されたということになっている。これは、スティムソン陸軍長官からヨハンセン・グループに「黙殺」という言葉を使えと指示が行き、それを受けて鈴木首相が「黙殺」と言わされたのだ、という。
その「黙殺」という言葉を当時の同盟通信社が「ignore」と訳して世界に発信した。つまりわざわざ人騒がせな刺激的な言葉を選んで、アメリカに原爆投下の口実を与えるよう工作したのである。
その同盟通信社はヨハンセン・グループの樺山愛輔の父・資輔が設立したものであった。樺山愛輔が天皇の意向を受けて「ignore」と訳して返事としたと、鬼塚氏は説いている。そこに樺山の娘婿の白洲次郎が一枚かんでいるかもしれない、と。
白洲次郎は日本に原爆を投下させる役割を担った悪魔というべきチンピラでしかない。
http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/cat5132966/index.html
日本の軍事力が壊滅状態に追いこまれ、敗戦がすでに決定的であったときに、米軍が機雷による海上封鎖で日本全土を飢餓状態に追いこむ必要がなぜあったのか。
なぜ米軍は軍事施設や軍需工場は温存して、一般市民を焼き殺す作戦を計画的に強行したのか。
こうした疑問は、戦地に兵隊として動員され生死の境をくぐって帰還した体験者のいまわしい記憶とも響きあい、「あの戦争はいったいなんだったのか」の問題意識をともなって論議が発展している
攻撃の対象は日本の一般民であって、軍部ではなかった
制海権、制空権を確保したアメリカは潜水艦による日本の輸送船をことごとく撃沈する方針をとると同時に、マリアナ基地からB29による日本本土への空襲を開始。45年3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋などの大都市から全土の中小都市あわせて94都市の家屋・家財を焼き払い、広島・長崎への原爆投下を頂点に70万人を殺傷した。さらに、機雷1万1000個を日本の主要湾岸に投下し、内航・外航の大小の船舶をことごとく撃沈、日本国民を徹底的に飢餓状態に追いこむ作戦を強行するにいたった。
アメリカの攻撃の対象は、「戦争の勝敗を決めるのは軍人ではなく、国民全体が“この戦争は負けだ”と思わないかぎり戦いは終わらない」という米軍将校の訓辞に見るように、すでに日本の軍部ではなく、無辜(こ)の非戦斗の人民大衆であった。人民を抑えつけなければ占領支配ができないという意味であった。
昭和天皇にとっては「国体護持」だけが狙いで,アメリカが原爆を投下してくれた事にも感謝していた
天皇制政府は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。
この時期、日本から和平打診の情報がアメリカの新聞で報道され、沖縄戦のさなかの5月には降服の打診がおこなわれたが、アメリカ政府が公式に拒否した事実も明らかにされている。
当時、アメリカにとっては、なによりも戦後のソ連の影響力を排除し、日本を単独占領支配すること、そのために日本の人民の反米的要素、革命的な気力を喪失させることが最大の眼目となっていた。45年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗北後の3カ月後にソ連が参戦することが約束されたことは、アメリカ支配層がそれまでに計画的に日本を制圧することを至上命令とした。そのために、原爆の開発と日本への投下計画「マンハッタン計画」をおしすすめ、広島・長崎への投下を強行したのである。
昭和天皇は、ただみずからの支配的地位の温存、「国体護持」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。
アメリカはその理由として、「日本の軍国的国家主義の根絶」と「自由主義傾向の奨励」をあげ、これに反対するものは、反動的であるかのように宣伝。なによりもまず、原爆の被害にかんする資料を、医学資料から日本人が撮影した記録映画、写真にいたるまでことごとく没収して持ち去り、それにかんする報道をいっさい禁止し、天皇制軍国主義を上回る検閲をおこなった。
プレスコードの「禁止項目」には、「占領軍・占領政策・アメリカ批判」「占領軍将兵と日本人女性との親密な関係描写」「左翼宣伝」などとともに、「飢餓の誇張」などがあり、高度の機密兵器である機雷投下についてふれることは御法度とされた。
これには新聞・雑誌・刊行物、放送、演劇脚本・映画・紙芝居・幻灯など、言論・文化のあらゆるものが対象とされ、一般市民の手紙・葉書などの郵便物、電報・電話の傍受にいたるまで徹底したものであった。しかも、「民主主義」のたてまえから「検閲が知られるようなことが絶対にないように、それを暗示することもふくめて、残してはならない」ことまで指示。違反したものには、沖縄送りなどのきびしい刑罰を設定していたことも、明らかとなっている。
日本の商業マスコミ、「共産党」中央指導部、社会民主主義の政治勢力はおしなべて、こうした占領政策を賛美し、人民が戦争体験の真実を語ることを抑圧する支配構造が形成されてきた。この構図は今日まで生きて作用してきたといえる。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/okasinasennsoudaltuta.htm
1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告に直面し、海軍大臣米内光政大将は、1945年8月12日、次のように語った。
「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢[国民の厭戦気分の蔓延と政府・軍首脳への反感]を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」(『海軍大将米内光政覚書』:ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫 引用)
原爆投下が、昭和天皇の終戦の聖断をもたらしたのではない。敗北続きの軍、国難・生活難に陥れた日本の指導者たちへの国民の反感という世論が、共産主義革命・国体変革という未曾有卯の危機を予感させた。日本の指導者たちは、広島・長崎への原爆投下を、終戦(降伏)する口実としたが、核兵器の恐ろしさや戦後世界の核戦略は理解できなかった。
ソ連は、国体・天皇に敵対する共産主義者の集まりであり、ドイツを打倒した強大な軍事力が日本に向けば、日本は占領され,国体も変革されるであろう。このようなソ連による国体変革の脅威を目前にして、米国への降伏、国体護持を請うたのが、終戦の聖断である。
http://suyap.exblog.jp/5842042
・ロスチャイルド財閥を中心とする国際金融同盟は、原子力に注目し、これに莫大な資金を投資し、ウラン鉱の買収を大戦中に始めていた。原爆の実験はそのために是非とも必要だった。日本がその標的にされた。スティムソン陸軍長官が(このことを)6月8日直前に天皇宛の文書でヨハンセン・グループのルートで送ったとみられる。P511
・あれだけの大惨事を見て、米内海軍大臣は“天佑”だと叫んだのである。天皇も「終戦の詔書」の中で一回触れたが、それからは一言も非難の声をあげなかった。その時だけが例外ではない。P521
・日本にとって、天皇にとって都合のよいことが原爆投下によってもたらされた。
天皇はこの直後に、アメリカから“天皇制護持”の約束を与えられていることだ。
そして、御前会議を開き、ポッダム宣言受諾を決定する。
間違いなく、原爆投下と交換条件である。
アメリカは、アメリカ国内よりも日本での非難を恐れていたと思う。…国際金融同盟の連中は、「さすが、スティムソン、よくやってくれた!」と快哉をあげたことであろう。「これで日本は、永遠に俺たちの奴隷の国になったぞ」と。P522
・天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ではどうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理をつけられる見通しがたったからである。
この広島の原爆で、第二総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。8月6日8時ごろに、多数の第二総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。この日、間違いなく、第二総軍の全員は、8時ごろに集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第二総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが、この総司令部に行っていないのである。P524-528
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/230.html
21、マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。
@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。
A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。
ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。
http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html
天皇の原爆しょうがない発言
昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。
この会見の場で、
「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」
と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html#c11
台所用合成洗剤の生産量2019.05.30
スキンケア増加量2019.05.30
欧米の精子減少グラフ2019.05.30
フランスの精子減少グラフ2019.05.30
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2019/05/3992.html
※画像は下記よりお借りしました。
[上段左]台所用洗剤の出荷量グラフ
[上段右](化粧品など)スキンケア・アイテムの出荷量グラフ、
[下段左]西欧の精子数の減少グラフ、
[下段右]フランスの精子数の減少グラフ
日本は世界の中でも人工物質が野放し状態ですが、上記の合成洗剤・(化粧品など)スキンケアの使用量と精子数の年代推移グラフ重ねると、精子の激減は人工物質の増加と相関関係にあります。
その要因として、洗剤や化粧品などの人工物質が皮膚から体内に入る「経皮皮吸収」があります。
「合成洗剤の経皮吸収によって精子が減少する」という記事を紹介します。
化学物質の吸収率2019.05.29
※画像はコチラからお借りしました。
以下、「るいネット『合成洗剤と精子激減』」より引用。
にほんブログ村 環境ブログへ
■合成洗剤の動物実験結果
★マウスでの実験
大型マウス10匹の背中の毛を剃り、合成洗剤の主成分LAS、AES,AOSを2cm×3cm範囲に2,5mgづつ塗布し、水を塗った対象群と比較したところ、水を塗布したマウスは何も問題はなく、LAS、AES、AOS(アルキルベン・スルホン酸ナトリウム)を塗ったマウスの精子のDNAとミトコンドリアが切られ、鞭毛が溶けた。
ミトコンドリアは人間の生きる上で必要なATPを生産している。ATPが生産されなくなると細胞の死であり、人間の生命を維持できなくなる。
★人体へ塗布した場合
人体の下肢部に、ABSを塗ると、5時間後には尿から排泄されると報告されている。 これはABSが皮膚から体内に入ることの実証であり、各内臓をパスして、各細胞内にも入っているということになる。「中性洗剤が肝臓の細胞内に入ると1000万分の2グラム量でミトコンドリアの活性を阻害する」という報告もある。
■皮膚から吸収される合成洗剤
皮膚の表面には角質層というバリアがあり、大きな分子は通過できない。しかし、シャンプーや洗剤などに含まれる界面活性剤をはじめ、日用品に含まれる化学物質は極めて分子が小さいため、簡単に皮膚を通り抜ける。
口から体内へ入った成分はすべてが肝臓に運ばれて、そこで分解され胆汁から腸へ排泄、または腎臓を通って90%が排泄される。( 一次代謝)他方、皮膚から浸透した成分はそのまま体内の脂肪組織に蓄積されるので、肝臓などの代謝を受けることなく、体内に溜まってしまう。 体の部位では皮下脂肪 ・ 内臓脂肪だけでなく、脳( 60%が油脂) ・ 精巣 ・ 卵巣 ・ 乳房などの脂肪の高い組織に多く溜まる。
身体の部位によって経皮吸収されやすいところと、そうでないところがあり。腕の内側を1とすると、額では6倍、背中は17倍、生殖器は42倍。
このように合成洗剤はあらゆる細胞にATP阻害という悪影響を及ぼすが、とりわけ吸収されやすく脂肪蓄積されやすい生殖器への影響が大きい。とりわけ鞭毛運動で大量のATPを消費する精子への影響が甚大ということのようだ
しかも人の健康や生態系に有害なおそれがある化学物質について、全都道府県における指定物質の排出量上位10物質のうち、4位と7位に合成界面活性剤(POE・RとLAS)が入っており、家庭からの排出量を見ると、全体の半分以上が合成界面活性剤で占められているのだ。
ちなみに合成化学物質全体(合成洗剤に限らず)で体に悪影響があり危険とみなされているものは、日本約100種類、アメリカ 約800種類、EU約4000種類。合成物質は、日本においては野放し状態に近い。
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2019/05/3992.html
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c95
あれは2週間ほど前のことだったろうか。
「東北地方に地震」とのテロップがテレビに流れたのでさっそく「北国の真空管博士」に電話して安否をご確認。
「御無事でしたか?」「ハイ、それほど揺れた感じはありませんでしたよ」
「貴重な真空管は大丈夫でしたかね?」「アハハ、被害はありませんでした」
笑われたところをみると、ホンネがバレたかな(笑)。
博士の所蔵される古典管は極めて珍しい希少管ばかりだし程度のいいものが”わんさ”とあるので地震と聞くと気になって仕方がない。
ものはついでと「何か目新しい情報はありませんか」とお訊ねすると、
「はい、このところ古典管が品薄になってきているので、比較的手に入りやすい球で代用できるものがないか、もっぱらチェックしています。
アッ、そうそう、チューブ・オーディオ・ラボさんが新しいアンプを作られたそうですよ。出力管は6AR6です。
〇〇さんにはなじみの薄い球でしょうが、3極管接続にすると「PP3/250=PX4」そっくりの特性になります。あなたが大好きなブリティッシュサウンドに変身しますよ。」
「ほう、それはぜひ試聴してみたいですね!」「それなら連絡をとってみましょう」
そして、すぐに博士から出力管「6AR6」についてメールが届いた。
「6AR6は1945年にベル研究所(WE)によってWE350Bの後継管として開発されたようです。 当時WE350Bはその信頼性の高さからレーダーの掃引用として使われていました。
しかしWE350Bは大型のため機器の小型化には問題が有りバルブを小型化した特殊なWE350B互換球を使用していたようです。
そこでレーダーに最適なコンパクトかつ信頼性の高い球として6AR6が開発されたわけです。 6AR6は極初期にWEが少量生産したのみでその後はTungsolに引き継がれました。
数社が製造したようですが圧倒的にTungsol製が多いです。 ビーム管として極めて優秀な6AR6ですが、私が検証したところ三極管接続にすると英国を代表する古典管の銘管PP3/250とほぼ同じ動作をするのです。
今回のチューブ・オーディオ・ラボさんによる6AR6シングルアンプは6FD7アンプ同様極力シンプルな構成として6AR6の素顔を存分に堪能できる内容となっています。
良質なインターステージトランスを使用して古典に倣った回路構成とすれば米系出力管でありながらブリティッシュ・サウンドが聴けるかもしれませんので今後の発展が楽しみです。」
とのことだった。
文中の「PP3/250」(英国マツダ)だが、めったにオークションに出てくることも無く古典管マニア垂涎の球としてつとに知られている希少管である。
我が家では英国系の出力管として「PX25=PP5/400」を愛用しているが、人によっては「PP3/250=PX4」の方が好きという方もいるほどで実力伯仲といったところだろう。
古典管の泰山北斗「博士」折り紙付きの「6AR6」アンプなので期待に胸を膨らませていたところ、昨日(20日)になって新アンプが我が家に到着した。
構成は初段管が「6SL7」、出力管が「6AR6」、整流管が「6BY5GA」。出力トランスは今どき珍しい「手巻き」で知られる「TSM Products」製。
さっそくスピーカーをJBLの「D123+075」で聴いてみたところ、ウ〜ン、これは素晴らしい!(笑)
パワー感、情報量、透明感、分解能など何ら不足を感じない。欠点のないアンプとはこういうアンプを指すのだろうか。
取り分け「PP3/250」と同じ動作をするという「6AR6」の中高音域の艶は流石で、アメリカ球なのにイギリス系のほのかな色香を感じさせるのが不思議。
これまで「PP3/250」アンプを聴いたことがないが、おそらく同等か、いやもしかしてそれ以上ではなかろうかと思わず夢が膨らんだ。
次にスピーカーを「AXIOM80」にして聴いてみた。
すると中高音域の情報量が多いせいかやや暴れ気味の感じがしたので取り付けている「AXIOM80」(復刻版)から「最初期版」への変更の必要性を感じたが、念のためにと前段管(6SL7)を「シルヴァニア」から手持ちの「STC」の「CV569=ECC35=6SL7」に代えてみたところ見事に暴れが収まって心地よい響きになったのには驚いた。
左がシルヴァニア(アメリカ)、右がSTC(英国)。
いずれにしても、JBLシステムもAXIOM80も気が遠くなるほどうまく鳴ってくれる!(我が家の試聴環境ではという条件付きです)
さあ、あとは購入するかどうか大いに心が揺れ動くが決め手は「懐」次第といったところですね。とりあえず「予約1号」として登録しておくことにしよう(笑)。
最後に、出来るだけ多くの方に聴いていただきたい(製作者)とのことなので、貸出しOKのようですよ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/688.html#cbtm
▲△▽▼
チューブオーディオラボ
http://shinkuukan2.web.fc2.com/
「チューブオーディオラボ」の真空管アンプ販売代理店 理想のオーディオ研究所
http://www.arisan58.com/
チューブオーディオラボ 6AV5GAシングルステレオアンプの製作
【更新 5/6】紆余曲折・・・完成です。
さて、紆余曲折・・・6AV5GAから6AR6WAアンプに・・・
6AV5GAでのトラブルは、球個体が原因かも知れません。
変更は正解か・・・ご視聴いただき評価を頂きたいと思います。
当工房としては、よい選択(管球交換)だったと思います。
http://shinkuukan2.web.fc2.com/2019/11/2019_11.html#NEW
▲△▽▼
武者修行の旅〜タンノイ・オートグラフ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年05月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7934a92e2749eaf1f95735b28092329d
前回からの続きです。
正直言って「期待度7割ぐらい」の気持ちで待ち受けていた新しい「6AR6」アンプだったが、想像以上に我が家のシステムにピッタリくるアンプだった。
北国の真空管博士に「とても素晴らしいアンプですね!とりわけ低音域が充実していますよ」と情報交換するうちにこのアンプ開発の全貌が見えてきた。
希少化し、高騰の一途を辿る古典管の代わりに比較的手に入りやすい球で「古典管の音を再現する」というのが今回の新アンプの狙いだったそうだ。
また非常にシンプルな構成になっているのは「素性のいい真空管」だからこそあまり弄らずに素材を素直に生かしたい。逆の言い方をすれば真空管の素性が悪ければ回路が余計に複雑になる(笑)。
さらに低音域が充実している理由は画像をご覧のとおり「大型の電源トランス」と、しっかりとした能力を持つ「整流管」の効果によるものだそうだ。なんやかや言ってみても真空管アンプの低音域はこの二つで運命がおおかた決まるみたいですよ。
なお、初めは出力管 6AV5GA を予定していたがどうしてもうまく鳴ってくれず、博士のご提案で「6AR6」の三極管接続で最終的に功を奏したとのこと。
これまで幾多の真空管が生産されてきたが、まだまだ「音のいい球」って使い方次第でどこに転がっているかわかりませんねえ。
真空管の世界はとても奥が深いです。有名ではないけれど、こういう埋もれた球が次々に発掘されて古典管の優雅な世界を楽しめるのはとてもいいことです!
じっくりと腰を据えて半日ほど聴かせてもらううちにこのアンプをぜひ「タンノイ・オートグラフ」で聴いてみたい衝動にかられた。
そこでオーディオ仲間のMさん(大分市)に電話してみた。
「試聴用の新しい真空管アンプが来ましたので鳴らしてみたところとてもいい具合です。力強くて豊かな音を出すのでオートグラフで聴いてみたくなりました。よろしかったらアンプを持参しますので聴かせてもらえませんか?」
「ハイ、明日(21日)は午後3時から運動ジムに行きますのでそれまでならいいですよ。」と一つ返事だった。
Mさんは市内中心部で旅館業を営まれており比較的自由時間も豊富なので話が早い。
ご自宅には2種類のスピーカーがあって「オートグラフ」と「クリプッシュホーン」。
大のレコード党で3台のプレイヤーを駆使されておりイコライザーアンプもカンノのアンプをはじめ数知れず。
21日(火)は前日までの梅雨を思わせるような雨がすっかり上がってからりとした好天気に恵まれた。
クルマで30分ほどできっかり13時に到着。
持ち運びに便利な比較的小型のアンプなので実に助かる。この歳になるとどんなに音がいいアンプでも「大きくて重たい」アンプは「使う気になれないっ!」。
どこかのCMで「字が小さすぎて読めないっ!」というのがありましたね(笑)。
さっそく新藤ラボの「KT88プッシュプル」(モノ×2台)を外してセッティング完了。
システムの概要はカートリッジがEMT、イコライザーアンプは「カンノ」プリアンプはマランツ7、スピーカーはオートグラフ。
レコードばかりでバッハをはじめとしてピアノ、バイオリンソロ、ボーカルを次々と聴かせてもらった。
オートグラフの持ち味は何といっても豊かなホールトーンだろう。低音域を深々と、しかも締りよくしっかりと出せるアンプが必須だが見事に期待に応えてくれた。
「なかなかパワー感がありますね」とMさん。
取り分けピアノの豊かな響きは流石にオートグラフの世界で、我が家ではまず聴けない音だった。その反面、高音域の抜けとなるとこればかりは無い物ねだりかなあ〜。まあ、クラシック向きのスピーカーだからこれでいいんでしょう。
次に向きを変えて部屋の横に置いてある「クリプッシュホーン」の試聴に移った。
今度は「マランツ8B」アンプを外しての試聴となった。レコードプレイヤーのカートリッジとイコライザーアンプは「ピッカリング」。
主にジャズ用として使用されているスピーカーだが、これも過不足なく鳴ってくれたが、欲を言えばシンバルの繊細さと輝きがもっと欲しい気がした。
我が家ではまったく不足を感じなかったのでもうこればかりは「相性」としか言いようがないが、まあ、いきなりのセッティングだから相性のいいカートリッジなどの選択など、もっとチューニングが進めば解決できる問題だろう。
わずか2時間ほどの試聴だったが好評のうちに試聴会が完了した。
「6AR6」アンプの出力は5ワット程度だそうだが、オートグラフの低音域をあれだけたっぷり鳴らすことができればまずは合格でしょう(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7934a92e2749eaf1f95735b28092329d
▲△▽▼
真空管「6SL7」の球転がし - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年06月02日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/256cc1ec60469778b4edb6d10d0819b8
忘れもしない先月の5月20日に我が家にやってきた「6AR6」アンプ。
詳細は以前のブログ「地震情報が取り持った新しい真空管アンプ」(2019・5・21)に記載した通りで、試聴用としてお借りしたアンプだが早くも2週間が経った。
じっくりと腰を据えて聴かせてもらっているが、何よりも音の鮮度が高いのが魅力的。
「真空管式のパワーアンプはインターステージトランスが入ったものじゃないとダメ」というのがこれまでのポリシーだったが、このアンプならむしろ音の鮮度が落ちそうなので現状通りの無い方がいい。
「音がいいことで知られる名管「PX4」(英国)の特性にそっくりです」という麻薬みたいな台詞(北国の真空管博士)も相当効いているのもたしかだ(笑)。
今のところ、どこといって欠点が見当たらないアンプなのがどうも”癪”に障るので耳が変われば違った意見が聞けるかもと近くのオーディオ仲間に来てもらった。
スピーカーを「AXIOM80」にしていろんなCDを聴いてもらったが、これがまあ絶賛また絶賛。
「既存のアンプでは出せない音質です。AXIOM80を鳴らすのならこのアンプがベストじゃないでしょうか」。
やっぱり誰が聴いても同じですかねえ・・・。
現在、貸し出し中を含めて8台のパワーアンプを持っているが、そろそろ整理して財源を捻出しようかという切実感がふつふつと湧き起こってきた(笑)。
それはさておき、このアンプには初段管として「6SL7」(電圧増幅管)が使ってある。その昔、「6SL7」に凝った時期があるのでこの球に関してはいろんなブランドを所持しているので「球転がし」をやってみた。
左から「CV569」(英国STC)、「ECC35」(英国ムラード)、「6SL7」(シルヴァニア)、「6SL7」(GE)、「6SL7」(RCA)
これら5本を差し換えながらブランドでどう音質が変わるか、これはもう真空管アンプの醍醐味ですよね。
「初段管でこんなに音が変わるんですか!」とは仲間の率直な驚きの言葉だった。
クラシック好きの観点からすると、自分の心の中ではテストする前からイギリス系の「CV569」「ECC35」が優勢だが、仲間の意見も大いに参考にしたい。
それでは、こまめに差し換えた結果は次のとおり。仲間と自分の意見を総合したものである。
☆「ECC35」(ZAREX:ザイレックス)
「ZAREX」ブランドだがこれは商社の名前なので、おそらくムラード製ではないかと思う。ネクタイを締めた紳士のような「かしこまった音」だが品の良さは流石に英国製だ。
「品って何?」と問われても困るが「奥ゆかしくて想像力というかロマンを掻き立てるような音」といえばいいのだろうか。
音楽を鑑賞するうえで「ロマン」がとても重要な要素になるのはもう「言わずもがな」ですよね。
☆「6SL7」(シルヴァニア)
一言でいえば「あっけらかんとした」音としか言いようがない。いかにも陽気なアメリカ人といったところだがもっと深みが欲しいなあ。
☆ 「6SL7」(GE)
「μ(ミュー)=増幅率」がひときわ高いようで元気がいい。鮮度も高いしはつらつとした音だがやや腰高になる。「AXIOM80」にサブウーファーが欲しくなったのはこの球だけだった。
☆ 「6SL7」(RCA)
GEの後で聴いたせいかとてもバランスが取れている気がした。ボーカルでは艶があるし音の切れや鮮度も申し分なし。ジャズだけ聴くならこれで十分。
☆ 「CV569」(STC)
「ホールトーンの響きはこれが一番ですね」とは仲間の言葉だが、とにかく「品がいい」に尽きる。さすがはSTC(ロンドン・ウェスタン)。
ただ、STCブランドの球の共通点は中高音域の比類ない美しさに比べて低音域がどうも薄目のような気がして仕方がない。今回もその例に漏れなかった。
以前、北国の真空管博士にこの疑問を率直にぶつけてみたところ「いいえ、規格通りの設定をきちんとしてあげればそういうことはありませんよ。STCはウェスタンと互角、あるいはそれ以上のメーカーですからね」とのことだったので自分に限っての現象だろう。
いずれにしても、以上のことから自分なりにベスト3を上げると、「ECC35」、「6SL7」(RCA)、「CV569」(STC)となる。
とにかく、このアンプは回路がシンプルなので真空管の個性がもろに出るところが楽しいし、音もたいへん魅力的だし、まったく手放す気になれない(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/256cc1ec60469778b4edb6d10d0819b8
チューブ・オーディオ・ラボではアンプ以外にも各種スピーカーの作成も行っております。
トランスから真空管・ライン(RCAケーブル)そして、その先の出口「スピーカー」まで、すべての相性にこだわりながら、真空管とのベストマッチなスピーカー作成にこだわっております。
そんなスピーカー紹介のページです。
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/Speaker.html
▲△▽▼
チューブオーディオラボ スピーカーコーナー No.5 ☆2013/12/27
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/05/Speaker05.html
今回ご紹介するスピーカーは 《LOWTHER_》
歌姫・・・ローサーから2タイプご紹介いたします。 LOWTHER_ DX3&PM2A
◇ LOWTHER_ DX3
20cmのフルレンジですが・・・
他のスピーカーでは聴けない音が出るのですよ・・・
其れなりの箱が必要ですけどね・・・
◇ LOWTHER_ DX3
裏側、強力な・・・マグネット
◇ LOWTHER_ PM2A
DX3との違いはマグネット・・・
クリックして大きな画像へ
◇ LOWTHER_ PM2A
コーン紙は同じ・・・
◇ LOWTHER_ PM2A
でも・・・・このアルニコマグネット・・・
強力なマグネット・・・・心して掛からなければ・・・・
マトモナ音なんて・・・出ないだろう・・・
◇ LOWTHER_ PM2A
殆どが此のアルニコマグネットのお値段です。
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/05/Speaker05.html
4. 中川隆[-11417] koaQ7Jey 2019年3月17日 09:19:42: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[580] 報告
▲△▽▼
チューブオーディオラボ スピーカーコーナー No.1 ☆2012/10/20更新版
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/01/Speaker01.html
ローサー
● Lowther
自称ローサークラブ(六日町)会長を自認しております。
これからどんな姿にするか・・・
P6M
● Lowther P6M
後ろから出すか・前から出すか・・・
オリジナルに近づけようか・・・
PM6A
● Lowther P6MA
とりあえず・・・
第一弾・・・
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/01/Speaker01.html
▲△▽▼
スピーカーコーナー No.9 ☆2019/02版
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/09/Speaker09.html
◇◇◇◇◇ 2019/2/13 〜 3/16 【更新】 ◇◇◇◇◇
2/13 久しぶりにスピーカー紹介。一本増えました、ローサーのPM7です。
3/16 ようやくバックロードの箱が出来上がりました。
◇ 革のエッジ
ローサーのエッジが無いリペア用スピーカーを英国から格安で・・・
北国のドクターM氏にエッジとダンパーを柔らかい革に張り替えて貰いました。
◇ PM7
PM7の張り替えが終り・・・送られてきましたので、取りあえずの後面解放の箱に入れて・・・
手前がPM7です・・・後ろは同じくローサーのPM6・・・
バックロードホーンが出来上がるまでの間エージングを兼ねての試聴です。
◇ 裏側
スピーカーのフレームと大きなアルニコマグネットは塗装して無いです・・・
コーン紙の補強の入れ方も手持ちのローサーとは違います・・・色々有る様ですネ
では試聴です。
アンプは2A3シングルプレートで・・・
平面バッフルでの感想ですが、以外に低音が出ています。
◇3/16 製作工程
バックロードホーンは、とても素人では出来ない話ですので(上手にお作りに成る方もいらっしゃいますが)・・・ 此処はアッサリプロの家具屋さんにお願いしました。
写真(作成途中の様子を頂きました、ありがとうございます)を見ると・・・ヤッパリ任せて良かった・・・と思います。
◇3/16 吸音材
箱が出来上がって来ましたので・・・先ずは吸音材をユニットの後ろ部分だけ取り付けて・・・ 音出しです。
ううん・・・ローサーの豪放さが失われて聴きやすいのですが、ローサーの音では無いな・・・
◇3/16 ユニット
箱との接触部分に緑色のフェルトを貼りました・・・ PM3のイメージです、此処は見え無いのですが・・・ネ 吸音材を取り払って、ユニットを付けます。
◇ 埃よけ
◇3/16 埃よけ
ユニットの前にスケスケの埃よけを付けました。
昔・・・こんな感じのクライスラーのスピーカーがありましたね・・・ご存じの方はオーディオの大ベテランです。
◇3/16 正面
大きさもほどほどですので、オーディオフェアにも持ってゆけます。
塗装色は赤茶色の半艶・・・時間と共に落ち着いた渋さが出てくると思います。
◇3/16 PM7
全体の響きの豊かさは、後ろの箱にかないませんが・・・中々善戦しています。
直熱三極管で聴くボーカル、弦楽器・・・ 防熱五極管で聴くコンチェルト、JAZZ・・・アンプとの相性も有り組み合わせを楽しんでいます。
----------------------------------------------------------------------------------
2/13・・・このままでも良い感じです、フリーエッジの効果でしょうか・・・
3/16・・・バックロードホーンもまたいい感じです。追加のテストも・・・有るかも・・・
http://shinkuukan2.web.fc2.com/Speaker/09/Speaker09.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/459.html#c2
魔性の歌姫 Lowther
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/685.html
生より悪かったら、なんでオーディオやるの? _ 佐久間 駿 _ 失われた音を求めて
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/210.html
英国の気品 PX4 シングルアンプ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/443.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/459.html#c4
「地震情報」が取り持った新しい真空管アンプ -
「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年05月21日
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/688.html#cbtm
あれは2週間ほど前のことだったろうか。
「東北地方に地震」とのテロップがテレビに流れたのでさっそく「北国の真空管博士」に電話して安否をご確認。
「御無事でしたか?」「ハイ、それほど揺れた感じはありませんでしたよ」
「貴重な真空管は大丈夫でしたかね?」「アハハ、被害はありませんでした」
笑われたところをみると、ホンネがバレたかな(笑)。
博士の所蔵される古典管は極めて珍しい希少管ばかりだし程度のいいものが”わんさ”とあるので地震と聞くと気になって仕方がない。
ものはついでと「何か目新しい情報はありませんか」とお訊ねすると、
「はい、このところ古典管が品薄になってきているので、比較的手に入りやすい球で代用できるものがないか、もっぱらチェックしています。
アッ、そうそう、チューブ・オーディオ・ラボさんが新しいアンプを作られたそうですよ。出力管は6AR6です。
〇〇さんにはなじみの薄い球でしょうが、3極管接続にすると「PP3/250=PX4」そっくりの特性になります。あなたが大好きなブリティッシュサウンドに変身しますよ。」
「ほう、それはぜひ試聴してみたいですね!」「それなら連絡をとってみましょう」
そして、すぐに博士から出力管「6AR6」についてメールが届いた。
「6AR6は1945年にベル研究所(WE)によってWE350Bの後継管として開発されたようです。 当時WE350Bはその信頼性の高さからレーダーの掃引用として使われていました。
しかしWE350Bは大型のため機器の小型化には問題が有りバルブを小型化した特殊なWE350B互換球を使用していたようです。
そこでレーダーに最適なコンパクトかつ信頼性の高い球として6AR6が開発されたわけです。 6AR6は極初期にWEが少量生産したのみでその後はTungsolに引き継がれました。
数社が製造したようですが圧倒的にTungsol製が多いです。 ビーム管として極めて優秀な6AR6ですが、私が検証したところ三極管接続にすると英国を代表する古典管の銘管PP3/250とほぼ同じ動作をするのです。
今回のチューブ・オーディオ・ラボさんによる6AR6シングルアンプは6FD7アンプ同様極力シンプルな構成として6AR6の素顔を存分に堪能できる内容となっています。
良質なインターステージトランスを使用して古典に倣った回路構成とすれば米系出力管でありながらブリティッシュ・サウンドが聴けるかもしれませんので今後の発展が楽しみです。」
とのことだった。
文中の「PP3/250」(英国マツダ)だが、めったにオークションに出てくることも無く古典管マニア垂涎の球としてつとに知られている希少管である。
我が家では英国系の出力管として「PX25=PP5/400」を愛用しているが、人によっては「PP3/250=PX4」の方が好きという方もいるほどで実力伯仲といったところだろう。
古典管の泰山北斗「博士」折り紙付きの「6AR6」アンプなので期待に胸を膨らませていたところ、昨日(20日)になって新アンプが我が家に到着した。
構成は初段管が「6SL7」、出力管が「6AR6」、整流管が「6BY5GA」。出力トランスは今どき珍しい「手巻き」で知られる「TSM Products」製。
さっそくスピーカーをJBLの「D123+075」で聴いてみたところ、ウ〜ン、これは素晴らしい!(笑)
パワー感、情報量、透明感、分解能など何ら不足を感じない。欠点のないアンプとはこういうアンプを指すのだろうか。
取り分け「PP3/250」と同じ動作をするという「6AR6」の中高音域の艶は流石で、アメリカ球なのにイギリス系のほのかな色香を感じさせるのが不思議。
これまで「PP3/250」アンプを聴いたことがないが、おそらく同等か、いやもしかしてそれ以上ではなかろうかと思わず夢が膨らんだ。
次にスピーカーを「AXIOM80」にして聴いてみた。
すると中高音域の情報量が多いせいかやや暴れ気味の感じがしたので取り付けている「AXIOM80」(復刻版)から「最初期版」への変更の必要性を感じたが、念のためにと前段管(6SL7)を「シルヴァニア」から手持ちの「STC」の「CV569=ECC35=6SL7」に代えてみたところ見事に暴れが収まって心地よい響きになったのには驚いた。
左がシルヴァニア(アメリカ)、右がSTC(英国)。
いずれにしても、JBLシステムもAXIOM80も気が遠くなるほどうまく鳴ってくれる!(我が家の試聴環境ではという条件付きです)
さあ、あとは購入するかどうか大いに心が揺れ動くが決め手は「懐」次第といったところですね。とりあえず「予約1号」として登録しておくことにしよう(笑)。
最後に、出来るだけ多くの方に聴いていただきたい(製作者)とのことなので、貸出しOKのようですよ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/688.html#cbtm
▲△▽▼
チューブオーディオラボ
http://shinkuukan2.web.fc2.com/
「チューブオーディオラボ」の真空管アンプ販売代理店 理想のオーディオ研究所
http://www.arisan58.com/
チューブオーディオラボ 6AV5GAシングルステレオアンプの製作
【更新 5/6】紆余曲折・・・完成です。
さて、紆余曲折・・・6AV5GAから6AR6WAアンプに・・・
6AV5GAでのトラブルは、球個体が原因かも知れません。
変更は正解か・・・ご視聴いただき評価を頂きたいと思います。
当工房としては、よい選択(管球交換)だったと思います。
http://shinkuukan2.web.fc2.com/2019/11/2019_11.html#NEW
▲△▽▼
武者修行の旅〜タンノイ・オートグラフ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年05月23日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7934a92e2749eaf1f95735b28092329d
前回からの続きです。
正直言って「期待度7割ぐらい」の気持ちで待ち受けていた新しい「6AR6」アンプだったが、想像以上に我が家のシステムにピッタリくるアンプだった。
北国の真空管博士に「とても素晴らしいアンプですね!とりわけ低音域が充実していますよ」と情報交換するうちにこのアンプ開発の全貌が見えてきた。
希少化し、高騰の一途を辿る古典管の代わりに比較的手に入りやすい球で「古典管の音を再現する」というのが今回の新アンプの狙いだったそうだ。
また非常にシンプルな構成になっているのは「素性のいい真空管」だからこそあまり弄らずに素材を素直に生かしたい。逆の言い方をすれば真空管の素性が悪ければ回路が余計に複雑になる(笑)。
さらに低音域が充実している理由は画像をご覧のとおり「大型の電源トランス」と、しっかりとした能力を持つ「整流管」の効果によるものだそうだ。なんやかや言ってみても真空管アンプの低音域はこの二つで運命がおおかた決まるみたいですよ。
なお、初めは出力管 6AV5GA を予定していたがどうしてもうまく鳴ってくれず、博士のご提案で「6AR6」の三極管接続で最終的に功を奏したとのこと。
これまで幾多の真空管が生産されてきたが、まだまだ「音のいい球」って使い方次第でどこに転がっているかわかりませんねえ。
真空管の世界はとても奥が深いです。有名ではないけれど、こういう埋もれた球が次々に発掘されて古典管の優雅な世界を楽しめるのはとてもいいことです!
じっくりと腰を据えて半日ほど聴かせてもらううちにこのアンプをぜひ「タンノイ・オートグラフ」で聴いてみたい衝動にかられた。
そこでオーディオ仲間のMさん(大分市)に電話してみた。
「試聴用の新しい真空管アンプが来ましたので鳴らしてみたところとてもいい具合です。力強くて豊かな音を出すのでオートグラフで聴いてみたくなりました。よろしかったらアンプを持参しますので聴かせてもらえませんか?」
「ハイ、明日(21日)は午後3時から運動ジムに行きますのでそれまでならいいですよ。」と一つ返事だった。
Mさんは市内中心部で旅館業を営まれており比較的自由時間も豊富なので話が早い。
ご自宅には2種類のスピーカーがあって「オートグラフ」と「クリプッシュホーン」。
大のレコード党で3台のプレイヤーを駆使されておりイコライザーアンプもカンノのアンプをはじめ数知れず。
21日(火)は前日までの梅雨を思わせるような雨がすっかり上がってからりとした好天気に恵まれた。
クルマで30分ほどできっかり13時に到着。
持ち運びに便利な比較的小型のアンプなので実に助かる。この歳になるとどんなに音がいいアンプでも「大きくて重たい」アンプは「使う気になれないっ!」。
どこかのCMで「字が小さすぎて読めないっ!」というのがありましたね(笑)。
さっそく新藤ラボの「KT88プッシュプル」(モノ×2台)を外してセッティング完了。
システムの概要はカートリッジがEMT、イコライザーアンプは「カンノ」プリアンプはマランツ7、スピーカーはオートグラフ。
レコードばかりでバッハをはじめとしてピアノ、バイオリンソロ、ボーカルを次々と聴かせてもらった。
オートグラフの持ち味は何といっても豊かなホールトーンだろう。低音域を深々と、しかも締りよくしっかりと出せるアンプが必須だが見事に期待に応えてくれた。
「なかなかパワー感がありますね」とMさん。
取り分けピアノの豊かな響きは流石にオートグラフの世界で、我が家ではまず聴けない音だった。その反面、高音域の抜けとなるとこればかりは無い物ねだりかなあ〜。まあ、クラシック向きのスピーカーだからこれでいいんでしょう。
次に向きを変えて部屋の横に置いてある「クリプッシュホーン」の試聴に移った。
今度は「マランツ8B」アンプを外しての試聴となった。レコードプレイヤーのカートリッジとイコライザーアンプは「ピッカリング」。
主にジャズ用として使用されているスピーカーだが、これも過不足なく鳴ってくれたが、欲を言えばシンバルの繊細さと輝きがもっと欲しい気がした。
我が家ではまったく不足を感じなかったのでもうこればかりは「相性」としか言いようがないが、まあ、いきなりのセッティングだから相性のいいカートリッジなどの選択など、もっとチューニングが進めば解決できる問題だろう。
わずか2時間ほどの試聴だったが好評のうちに試聴会が完了した。
「6AR6」アンプの出力は5ワット程度だそうだが、オートグラフの低音域をあれだけたっぷり鳴らすことができればまずは合格でしょう(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7934a92e2749eaf1f95735b28092329d
▲△▽▼
真空管「6SL7」の球転がし - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2019年06月02日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/256cc1ec60469778b4edb6d10d0819b8
忘れもしない先月の5月20日に我が家にやってきた「6AR6」アンプ。
詳細は以前のブログ「地震情報が取り持った新しい真空管アンプ」(2019・5・21)に記載した通りで、試聴用としてお借りしたアンプだが早くも2週間が経った。
じっくりと腰を据えて聴かせてもらっているが、何よりも音の鮮度が高いのが魅力的。
「真空管式のパワーアンプはインターステージトランスが入ったものじゃないとダメ」というのがこれまでのポリシーだったが、このアンプならむしろ音の鮮度が落ちそうなので現状通りの無い方がいい。
「音がいいことで知られる名管「PX4」(英国)の特性にそっくりです」という麻薬みたいな台詞(北国の真空管博士)も相当効いているのもたしかだ(笑)。
今のところ、どこといって欠点が見当たらないアンプなのがどうも”癪”に障るので耳が変われば違った意見が聞けるかもと近くのオーディオ仲間に来てもらった。
スピーカーを「AXIOM80」にしていろんなCDを聴いてもらったが、これがまあ絶賛また絶賛。
「既存のアンプでは出せない音質です。AXIOM80を鳴らすのならこのアンプがベストじゃないでしょうか」。
やっぱり誰が聴いても同じですかねえ・・・。
現在、貸し出し中を含めて8台のパワーアンプを持っているが、そろそろ整理して財源を捻出しようかという切実感がふつふつと湧き起こってきた(笑)。
それはさておき、このアンプには初段管として「6SL7」(電圧増幅管)が使ってある。その昔、「6SL7」に凝った時期があるのでこの球に関してはいろんなブランドを所持しているので「球転がし」をやってみた。
左から「CV569」(英国STC)、「ECC35」(英国ムラード)、「6SL7」(シルヴァニア)、「6SL7」(GE)、「6SL7」(RCA)
これら5本を差し換えながらブランドでどう音質が変わるか、これはもう真空管アンプの醍醐味ですよね。
「初段管でこんなに音が変わるんですか!」とは仲間の率直な驚きの言葉だった。
クラシック好きの観点からすると、自分の心の中ではテストする前からイギリス系の「CV569」「ECC35」が優勢だが、仲間の意見も大いに参考にしたい。
それでは、こまめに差し換えた結果は次のとおり。仲間と自分の意見を総合したものである。
☆「ECC35」(ZAREX:ザイレックス)
「ZAREX」ブランドだがこれは商社の名前なので、おそらくムラード製ではないかと思う。ネクタイを締めた紳士のような「かしこまった音」だが品の良さは流石に英国製だ。
「品って何?」と問われても困るが「奥ゆかしくて想像力というかロマンを掻き立てるような音」といえばいいのだろうか。
音楽を鑑賞するうえで「ロマン」がとても重要な要素になるのはもう「言わずもがな」ですよね。
☆「6SL7」(シルヴァニア)
一言でいえば「あっけらかんとした」音としか言いようがない。いかにも陽気なアメリカ人といったところだがもっと深みが欲しいなあ。
☆ 「6SL7」(GE)
「μ(ミュー)=増幅率」がひときわ高いようで元気がいい。鮮度も高いしはつらつとした音だがやや腰高になる。「AXIOM80」にサブウーファーが欲しくなったのはこの球だけだった。
☆ 「6SL7」(RCA)
GEの後で聴いたせいかとてもバランスが取れている気がした。ボーカルでは艶があるし音の切れや鮮度も申し分なし。ジャズだけ聴くならこれで十分。
☆ 「CV569」(STC)
「ホールトーンの響きはこれが一番ですね」とは仲間の言葉だが、とにかく「品がいい」に尽きる。さすがはSTC(ロンドン・ウェスタン)。
ただ、STCブランドの球の共通点は中高音域の比類ない美しさに比べて低音域がどうも薄目のような気がして仕方がない。今回もその例に漏れなかった。
以前、北国の真空管博士にこの疑問を率直にぶつけてみたところ「いいえ、規格通りの設定をきちんとしてあげればそういうことはありませんよ。STCはウェスタンと互角、あるいはそれ以上のメーカーですからね」とのことだったので自分に限っての現象だろう。
いずれにしても、以上のことから自分なりにベスト3を上げると、「ECC35」、「6SL7」(RCA)、「CV569」(STC)となる。
とにかく、このアンプは回路がシンプルなので真空管の個性がもろに出るところが楽しいし、音もたいへん魅力的だし、まったく手放す気になれない(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/256cc1ec60469778b4edb6d10d0819b8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/443.html#c10
桜井春彦
1955年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。
株式新聞社記者等のジャーナリズムを経て、雑誌「軍事研究」(ジャパン・ミリタリー・レビュー)で、米情報機関の秘密工作に関する十数本のレポートを執筆。
現在の状況に酷似している、1930年代の米国でファシズム政権の樹立を目指すクーデター計画が存在した事実を9・11事件の直前に紹介した。
雑誌「世界」(岩波書店)に、「ブッシュ政権の内幕」実態レポートを発表。著書には「テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない」(三一書房)。
http://worldforum.jp/report/2007/06.html
amazon.co.jp 桜井春彦 著書
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E6%A1%9C%E4%BA%95%E6%98%A5%E5%BD%A6&i=stripbooks&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss
▲△▽▼
アメリカ帝国はイランで墓穴を掘る (Yosensha Paperbacks 26) – 2007/3
桜井 春彦 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
アルカイダのオサマ・ビンラディン、反カストロのルイス・ポサダ―。皆CIAが生み出したテロリストだ。実はアメリカこそテロ支援国家なのである!
アメリカやイギリス、イスラエルの情報機関であるCIAやSIS、モサドとテロリズムは密接につながっている。
中東、中米で行ってきた彼らの工作活動を知らずして、中東情勢、そしてイラン問題は語れない。
カスタマーレビュー
罵詈雑言アラメンド 5つ星のうち1.0
かなりひどいトンデモ本です。 2007年3月27日
本屋で前書き部分を立ち読みし、シオニスト批判やネオコン批判が載っていたので、「お、結構いけるかも」と思い買いましたが....
「フリーメーソン世界征服のシナリオ!」のような本と同じレベルのトンデモ本でした。
著者は電波を出している人で、著者の言いたいことが理解できる人は、たぶん電波を受信できる人だと思います。
善良な方は、本書を読まない方が良いと思います。
本書全体的にいえるヘンテコなところとして、やたらめったら人物名を出して読者を煙に巻く、というものがある。重要な人物も重要でない人物も関係なく、とにかく登場する人物数が多い。これは著者が「俺はこんなにいろんな人物を知っているのだ、貴様ら平凡な読者はその人物相関関係など知るまい、貴様ら愚民読者どもは俺様の意見を拝聴すれば良いのだ、俺様は正しいのだ、俺様の書くとことは絶対なのだ」という思想を持って書いているようなニュアンスに読み取れます。
例として、【第5章 イスラム帝国】にどれだけの人物が登場するのか記してみます。
第5章は170ページから220ページまでの51ページです。
P170
ムハマド・レサ・パーレビ(イラン国王)
アヤトラ・ホメイニ(シーア派指導者)
デイビッド・ロックフェラー(チェースマンハッタン銀行)
ジミー・カーター(アメリカ大統領)
ゲイリー・シック(NSC=国家安全保障会議スタッフ)
P171
森詠(日本人ジャーナリスト)
モシェ・ダヤン(イラン国防大臣)
P172は写真
P173
ウリ・ルブラニ(在テヘラン非公式イスラエル大使)
P174
ロナルド・レーガン(アメリカ大統領候補)
ジェームズ・ボウト(少将)
チャールズ・ベックウィズ(デルタフォース創設者・大佐)
P175
ジョン・K・シングローブ(少将)
オリバー・ノース(中佐)
P176
キルス・ハシェミ(武器商人)
ウォーレン・クリストファー(国務長官・どこの国の?)
レザ(ハシェミの兄)
ジャムシド(ハシェミの兄)
アーマド・マダニ(イラン海軍少将)
P177
アリ・アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニ(イラン国民議会議長)
イラン・ナジド・ランクニ(ハシェミ兄弟の連絡相手でラフサンジャニの義理の息子)
アーメド・ホメイニ(アヤト・ホメイニの息子)
ドナルド・マクヘンリー(国連大使)
ラムゼー・クラーク(もと司法長官)
P178
ウィリアム・ケーシー(レーガン政権時のCIA長官)
メーディ・カルビ(イランの宗教指導者)
ジョン・シャヒーン(ケーシーの友人)
ヤセル・アラファト(PLO議長)
アブデラジス・ボウテフリカ(アルジェリア外相)
アリ・ベンメナシェ(イスラエルの軍事機密を入手できる立場にあった人物)
P179
マイルズ・コープランド(元CIAオフィサー)
スタンフィールド・ターナー(CIA長官)
ロバート・マクファーレン(海兵隊元大佐)
カーミット・ルーズベルト(?)
アール・ブライアン(カリフォルニア州保険福祉局長)
メーディ・バザルガン(イスラム革命後の首相)
P180
ジョン・タワー(上院軍事委員会委員長)
ロバート・ゲーツ(?)
ジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)
P181
ラファエル・エイタン(LAKAM指揮)
アドルフ・アイヒマン(ナチ親衛隊)
....すいません、P220まで全部抽出しようと思ったのですが、もう面倒なのでやめます。
この傾向はこの章に限った話じゃなくて、本書全編にわたってこんな感じです。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%A7%E5%A2%93%E7%A9%B4%E3%82%92%E6%8E%98%E3%82%8B-Yosensha-Paperbacks-26-%E6%A1%9C%E4%BA%95/dp/4862481302/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E6%A1%9C%E4%BA%95%E6%98%A5%E5%BD%A6&qid=1559453608&s=books&sr=1-2
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c1
出力 1.8W×2(真空管含む、税抜き150,000円)
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/index.html
http://shinkukan.happy-cruiser.com/6fd7s/k6fd7s.html
「音楽&オーディオ」の小部屋 6FD7 シングルステレオアンプ シリ〜ズ
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/c/45d6e4b9b842f142d7022ba9f57e4c44
魅惑の真空管アンプ〜その1〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2016年10月18日
1か月ほど前からちらほら耳にはしていた。
「1970年前後のカラーテレビ(アメリカ)に使用されていた球を使ったアンプを作って楽しんでいる方がいる。テレビ用の真空管ともなると誰も見向きもしないのでお値段は格安だが、信じられないほどいい音が出るらしい。」
この話題の出力管は「6FD7」という、ドライバー機能と出力機能が一体化した珍しい複合管でこれまで聞いたこともない球だが、こういう稀少球の出所となると例によって北国の真空管博士にトドメをさす(笑)。
博士に詳しくお伺いしたところ、近隣にお住いのウェスタンの名管「205D」に精通した名うてのアンプ・ビルダー(Hさん)が、博士のお薦めで子供さん用にとこの球を使ったアンプを作ってみたところあまりの音の良さに驚かれたとのこと。
その話を聞きつけられたのが新潟県で老舗の真空管オーディオショップを経営されるKさん。この方もまた百戦錬磨のアンプ・ビルダーさんだ。「名人は名人を知る」で、博士とはご昵懇の仲である。
先日(10月9日〜10日)開催された「第22回真空管オーディオ・フェア」(東京)で、この「6FD7シングルアンプ」を製作し出品したところ、こんな小さなアンプからこれほど力強い音が出るのかと、注目の的だったそう。
こういう話を聞きつけて黙って見逃す手はない。このアンプをお借りしてぜひ我が家で試聴させてもらおう!
「真空管アンプはパワーとお金をかければかけるほど音が悪くなる」という通説があるが(笑)、「誰にも手が届く価格帯で音がいいアンプこそあるべき姿だ」と思っているので、(博士のご紹介のもとに)Kさん(新潟県)にお願いした。
「6FD7アンプにたいへん興味がありますので是非試聴してみたいです。よろしかったら真空管オーディオ・フェアの終了後に我が家に送付していただけませんでしょうか?」
すると「ハイ、いいですよ。じっくり試聴してください。期間は来年の春ごろまでOKです。その頃にはエージングも済んで一段とレベルアップした音で戻ってくることでしょうから。」とご快諾。
いやあ、厚かましいお願いに対してありがたいことです!心構えとして球もコンデンサー類も何もかも新品なのでエージングが完全に済んでいないことを念頭に置きながら聴いたほうが良さそうだ。
そして、間髪を入れず真空管オーディオ・フェア終了後の11日に「6FD7」アンプが新潟県を出発。別府到着は13日(木)。
さっそくオーディオ仲間のKさん(福岡)に連絡した。
「噂の6FD7アンプが13日に我が家に到着予定です。クロネコに問い合わせたところ、通常の配達なら夕方になるそうですが、営業所まで取りに来てくれれば14時頃にはお渡しできるとのことですがどうされますか?」
「ハイ、是非試聴させてください。もう今から胸がワクワクしています。」(笑)
さあ、当日は朝からの曇り空だったが暑からず、寒からず、「オーディオ三昧」にはもってこいの日だった。
いつものように10時半ごろにお見えになったKさんと、とりあえず我が家のシステムを試聴。
前回と変わったところはグッドマンの「AXIOM110」(ウェストミンスターの箱入り)の導入と、前段管に「LS7」(GEC)を導入した「PX25シングルアンプ」だった。
最初にクラシックを聴いていただいたがジャズの方が音の変化が分かりやすいので試聴に選んだCD盤はシェリー・マンの「マイ・フェア・レディ」。
すると「クラシックもジャズも両方うまく鳴ってくれますねえ。音を聴くのならともかく、音楽を聴くのであればスピーカーはやっぱりグッドマンですよ。」と、ご満悦。
ちなみに、オーディオシステムの音をクラシックで調整するか、それともジャズで調整するか、なかなか興味深いテーマだと思う。
オーディオの世界では「その道の権威だ!」と自称される方がたくさんいらっしゃるので、「物言えば 唇寒し 秋の風」だが(笑)、自分の拙い経験で述べさせてもらうと「クラシックで調整したシステムはジャズがうまく鳴らないことが多い」、その一方、「ジャズで調整したシステムはクラシックもうまく鳴ることが多い」というのが正直な感想だ。
つい先日、ジャズマニアの「I」さん(東海地方)からメールが来て「いつもジャズで調整したままでクラシックを聴きます。」とあったので、思わず頷いたことだった。ジャズを聴くときのスピード感(音の立ち上がり)重視とクラシックを聴くときの量感重視について優先すべきはどちら?答えは自ずとわかるだろう。
ま、各人の好みの問題だが(笑)。
さて、そうこうするうちに待望の14時近くになったので、クルマで15分ほどのクロネコさんの営業所にアンプを受け取りに出かけた。
予定の定刻通り到着して取り置きされていたのでひと安心。図体もコンパクトだし重量もそれほどではないので腰を傷めなくて済む。年寄りに優しいアンプだ(笑)。
すぐに我が家に持ち帰って梱包を解いて設置しケーブル類を繋いだ。最初の試聴スピーカーは「AXIOM110」で、材料代がたかだか5万円程度というこの破格の小型アンプがウェストミンスターのバックロードホーンをどう鳴らすのか、半信半疑ながらKさんともども固唾を呑んで耳を澄ました。
そして「こんな小さな球から・・・」と、二人ともビックリ仰天(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/eff103f223032ff3489fb626398240ae
魅惑の真空管アンプ〜その2〜 2016年10月20日
真空管オーディオに嵌り込んで40年以上になるが、ときどき真空管(出力管)の種類っていったいどのくらいあるんだろうと考えることがある。同種の球でもプレート電圧などいろんな仕様の違いがあり、おそらく気が遠くなるほど夥しい数があるに違いない。
そういう中から実際に使われてみてクチコミで段々と評判が伝わっていき「WE300B」や「PP5/400」などの名管伝説が生まれていくのだろうが、実は秘めたる実力を有しながら誰も知らない、使わない、そして注目されない球だってきっとあるに違いない。ましてやテレビ用の球なんて「オーディオ用には無理」とハナから無視されてもちっとも不思議ではない。
こういう市井の中に埋もれてしまい一顧だにされない球の中から「回路などの工夫次第でいい音が出る」球を発掘することは、まるで砂浜の中から一粒のダイヤモンドを見つけるようなもので、これこそ真空管を愛好する人間の醍醐味だといっても過言ではあるまい。
北国の真空管博士が掘り出された「6FD7」はまさにそういう球だった。
再掲画像左側の2本がそうだが、ミニチュア管を一回り大きくしてふっくらさせたような可愛らしい図体だ。用途は1970年前後のカラーテレビ用(アメリカ)で、家庭で長時間点けっぱなしという酷使される環境を前提として作られた丈夫さと、アメリカにおける長きにわたる古典管製造のノウハウを併せ持った球だという。
ドライバー機能と出力機能が一体化した複合管のため、きわめてシンプルな回路が持つ優位性が存分に発揮されたアンプというのが第一印象だった。
試聴しながら「低音域の制動力が見事です。ウェストミンスターのバックロードホーンを苦もなくコントロールしてますよ。アンプがスピーカーを牛耳ってます。こんな小さな球からこれほど力感の溢れるサウンドが聴けるなんてとても信じられません。これは凄いアンプですよ。」
一緒に聴かれていたKさんも「いやあ、これほどとは思いませんでした。(ジャズの)ベースの音はこれが一番ですね。周波数レンジも広くて録音された音声信号をそのまま出してくれる感じです。回路がシンプルな分、音のスピード感も申し分ありません。たしかに、これは凄いアンプです。」
二人でひたすら、凄い、凄いを連発(笑)。
「お値段が安い割には音がいい」という次元を明らかに突き抜けており、目隠しでこの音を聴いたらどなたもこんな小さなアンプから出てくる音とは信じられないに違いない。
無論、人によって評価が左右されることは否めない。どちらかといえばアメリカ系サウンドで「音声信号をいっさいの装飾なしにそのまま出す」ところにプラス面とマイナス面が同居していて、その辺が好き嫌いが分かれるところだろう。
自分の場合は「音の粒立ちとエネルギー感」が圧倒的に買いで(笑)、現用の「PX25」アンプや「171」アンプには求められない持ち味があるので、ぜひこのアンプをメイン・アンプの一角として戦列に加えようと決心した。
ただし、この「6FD7」は国内では製造されなかったし、オークションにも出品されることはまずない。したがってアメリカからの直輸入品に頼らざるを得ないのが実状だ。
また、独自の工夫が為された回路、個人が手巻きした出力トランス(これがたいへんな優れもの!)、小粒だけどピリッと辛い整流管(6BW4)、配線材はウェスタン製、使用ハンダはナッソといった「絶妙なバランス」のもとに成り立っているので、この球を使いさえすれば誰が作ってもいい音が出るという保証はない。
アンプ製作者のKさん(新潟県)によると、ヒアリングテストでは片チャンネルにはオートグラフを、もう片方にはローサーを繋いで最後の音質調整をされた由。
「低音が出過ぎて困るほどで対策に苦労しました。」とのことで、通常のアンプとは真逆なのがユニークだ。
こんな凄いアンプを独り占めするのは勿体ないし、いろんなスピーカーを試したい気が湧き起こったので、さっそく武者修行の旅に出ることにした。
行く先は大分市内のMさん、Nさん宅でこのアンプによる試聴テストの申し込みをしたところ両者とも一言のもとにご快諾(笑)。
対戦相手はタンノイ「オートグラフ」、「クリプッシュホーン」(アメリカ)そして「アルテックA5」という強敵たち。
相手にとってまったく不足なしだが、この一騎打ちの結果やいかに〜。
以下、続く。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/e1f919d2572a7fabe7b23fedd7051a69
「いやあ、これは素晴らしい!この音はわたしの大好きなブリティッシュ・サウンドそのものです。
6FD7アンプは私も是非欲しいですね。
それに出力管もさることながら出力トランスの優秀性が際立っていると思います。」
広い帯域を身上とするこの出力トランスに目を付けられたSさんの慧眼には驚いた。
「市販されている機械巻きのトランスと違って個人の丁寧な手巻きによる出力トランスですからその効果は歴然としています。
それこそ製作者は福岡市近郊の方だそうですよ。
北国の博士が優秀性に着目され実際に使用されていますので折り紙つきです。
このトランスの存在なしに、この音は語れないでしょう。」と、自分。
さあ、ここから我が家の手持ちのアンプテストに入った。このDAコンバーター直結状態のもとで次々にアンプを取り代えて試聴した。何しろアンプの個性が一目瞭然に分かるのだからこたえられない。
そして「171シングル」「71Aシングル」「71Aプッシュプル」「2A3シングル」がいずれも枕を並べて討ち死に〜。何も比較してやらなければ誇り高く生き残れたものを・・・、無念(笑)。
それにしても、このチビちゃんアンプ「6FD7」は出力トランスが出力管を生かしているのか、出力管が出力トランスを生かしているのか、どうも両者の主従関係がよく分からない。いい真空管アンプとはそういうものだろう。もちろん、独特の回路も良質な整流管も陰の主役だ。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/53675333c7f218bf6cb681177029cc3c
「いやあ、こんな小さなアンプから出てくる音とはとても信じられませんよ。
カーテンをして聴いたら、大型アンプで駆動しているみたいです。
ヒラリー・ハーンのヴァイオリンはこれまで聴いた中では最高です。
音のスピードが信じられないほど早いです。
大規模編成の曲でも破綻がありません。
このアンプぜひ欲しいですねえ。
〇〇さんと同タイプのもので結構ですからさっそく注文をお願いします。」
「この出力管6FD7は複合管のためドライバー機能と出力機能が一体化していますのでスピードが並外れて早いのでしょう。たいへんなメリットですよ。
アンプ発注の件は製作者にすぐに連絡しておきます。いくらアメリカからの直輸入ルートがあるといっても、スペア管などのことも考え合わせると本数に限度が有りますので早い者勝ちです。なかなか評判が良くて注文が舞い込んでいるようですが、まだ間に合うと思います。」と、自分。
実際に試聴してみての注文だから説得力がある。これまでこのアンプを実際に聴いた人間は自分も含めて7名。そのうち実際に注文したのは3名。保留が1名だから確率は50%だ。高いか低いかは読者のご判断に任せよう。
とにかく、お値段がリーズナブルだし、軽いので持ち運びに便利だし、音もいいし、シンプルな回路で球も丈夫だし、こういう四拍子そろったアンプはなかなかお目にかかれない。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0300248068bcfcd68fe3e68a0bb0f773
魅惑の真空管アンプ〜その11〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年01月12日
テレビ用の真空管「6FD7」を使ったアンプについては
「魅惑の真空管アンプ」シリ〜ズ
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/c/45d6e4b9b842f142d7022ba9f57e4c44
として、新たにカテゴリーを設けて連載しているが、次から次に話題が出てくるのでオーディオをますます楽しませてくれる。
このアンプを「デモ用として使っていいですよ。」と「チューブ・オーディオ・ラボ」さん(新潟県)から預かったのは「真空管オーディオフェア」(東京都)が終了した10月上旬のことだった。
音質が我が家のシステムにマッチしていたのですぐに注文したところ、よそ様からの注文が相次いだため「お馴染みさんは後回し」の原則(?)のもとに待たされること3か月、ようやくこのほど待望の完成品が届いた。
舌なめずりしながら、さっそく試聴してみたところ「デモ用アンプ」をさらに上回る出来栄えだった。
左側がデモ用アンプで右側が完成品だが基本的な部品の配置は変わっていないものの、いろんなところが改良されている。
列挙してみると、
☆ 電源供給の要となる電源トランスが容量の大きいものに変更され、それに応じて「6FD7」のプレートにかける電圧が190Vから220Vへアップ、また電解コンデンサー(2本)も300Vから500Vへと大幅にアップされている。
☆ デモ用アンプはグッドマン(能率97db)のときには目立たなかったが、フィリップス(能率100db)のときに微かな残留雑音(ハムノイズ)が感じられてやや気になっていたのだが今回のアンプでは完璧に抑えられていた。つまりSN比が大幅に向上している。
☆ SPターミナルがネジ式からバナナプラグ式に変更されてSPコードが接続しやすくなった。
さらに肝心の音質だが、周波数レンジの拡大は言うに及ばず、スピード感、透明感から音のゆとり感までまったくケチのつけようがない。
我が家ではこれまで「PX25」アンプが王様として君臨してきたが、その牙城に迫らんとする勢いがある(笑)。
「6FD7」はドライバー管機能と出力管機能が一体化しているので信号の伝達にロスが無く、その辺のメリットが音のスピード感に寄与しているのだろう。我が家のジャジャ馬的な存在の「AXIOM80」(最初期版)との相性では、弱点である中低音域の量感を増やし、鋭すぎる高音域を抑え気味にするなど、このアンプが今のところベストの組み合わせといっていい。
さっそく製造元様に次のように申し上げた。
「完成品は素晴らしい仕上がりぶりです。デモ用アンプとはかなり違います。もし、デモ用アンプを借りて試聴したいという申し出があっても、むしろ悪い印象を持たれるとまずいので貸さない方がいいかもしれません。完成品を新たにデモ用としたほうがいいので早急に(完成品を)送付していただくわけにはいきませんか。」
すると、製造元様から
「それは分かりますけどフル稼働してもチョット追いつかない状況です。もし希望者がありましたら、おおよその音の傾向とか自宅のシステムとの相性の具合とか、大まかな範囲でよろしければという条件付きで貸していただくわけにはいきませんか。」
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/e018447070a10a242503af255c9b7a6c
真空管アンプはハンダで音が変わる! - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年01月27日
我が家に真空管アンプ「6FD7」の完成品がやってきてからおよそ1か月。
今ではエース級として八面六臂の大活躍で、「グッドマンAXIOM150マークU・イン・ウェストミンスター」を鳴らすときには欠かせない存在になっている。
これまで主にPX25シングルアンプを使ってきたが、弦楽器はいいもののピアノの再生に難があって時折り甲高い音にヒヤリとすることがあったが、それがこの「6FD7」アンプだと弦楽器もピアノもボーカルも「何でもござれ」で、まずはひと安心。
たかがテレビ用の小さな真空管が大型の古典管に対して互角以上の勝負をするのが不思議でたまらないが、改めてその主な理由を3点ほど列挙してみると、
☆ 出力管がドライバー機能と出力機能とを併せ持っているため信号の伝達ロスが極めて少ない
☆ 個人の手巻きによる優秀な出力トランス(周波数の再生帯域が7〜5万ヘルツを誇る)が利いている
☆ 百戦錬磨のアンプビルダーたちが知恵を振り絞った独自の回路
ところが、これらに加えてほかにも大切な秘密があったんですよねえ(笑)。
結論から言うと、それは真空管アンプを製作する時に欠かせない「ハンダ」のブランドにあったのだ!
判りやすいように、このアンプの製作者様(Kさん)との問答を再現してみよう。
Kさん「使用するハンダの種類で音は随分変わりますよ。端的な例を挙げるとエレキ・ギターですね。ギターの内部配線のハンダを変えるだけで音が一変するので、(ハンダの種類に)拘るエレキ奏者がとても多いです。
真空管アンプにしても以前古いウェスタン製のアンプを修繕したことがありますがソックリそのまま復元したのに肝心の音の方が蘇りません。原因は使うハンダにありました。爾来、古いアンプを修繕するときは可能な限り使用されているハンダを吸い取ってそのまま使用することにしています。」
「ほう〜、たかがハンダごときでそんなに音が変わりますか!ちなみにこの6FD7アンプはどのくらいハンダ付けの箇所があるんでしょう?」
Kさん「そうですねえ。手元に回路図があるので数えてみましょうか。1,2,3・・・・。全体で65か所ぐらいですかねえ。」
「そんなに沢山ありますか!そのうち音声信号系統と電源系統に分けるとすると、どのくらいの比率になりますかね。」
Kさん「音声信号系統のハンダ付けの箇所となりますとおよそ35か所ぐらいになります。」
「ハンダは一種の抵抗素材ともいえますから35か所もの関所があればハンダの種類によって音が変わるというのは十分納得できますね。ちなみにこれまで使用された中で一番音のいいハンダのブランドは何ですか?」
話はいよいよ核心に迫っていく(笑)。
Kさん「それは〇〇〇です。もう市販はされていませんので昔買い込んだものを大切に使っています。古いアンプでも回路はそのままで結線の箇所をこのハンダに入れ替えるだけで音が激変しますよ。」
「そうですか!この6FD7アンプにもそのハンダを使っていただいているんでしょうね?」
Kさん「もちろんです!」
ああ、良かったあ(笑)。
世にアマチュアのアンプ・ビルダーさんは数多いが、どうしてもプロに及ばないのはこういうところに一因があるのかもしれない。
血なまぐさい激動の幕末期に、「新選組」が「勤王の志士」たちを襲撃したあの有名な「池田屋騒動」事件で当時現場で死亡したのはなまじ剣術の腕に心得のある連中ばかりだったという。腕に覚えのない面々はハナから逃亡したおかげで命が助かった。
「生兵法は大怪我の基」ということを言いたいわけだが、ほんとうに家庭で音楽をいい音で聴きたいと思ったら、つまらないプライドは捨てて(よほどのプロ級は別だが)、ハナからプロが作ったアンプを使った方がいいと思うが、これはちょっと言い過ぎかなあ(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/268f28bacb0f04cf1c580a3ace03d11e
チューブ オーディオ ラボ
ナッソ : 今回使用するハンダです・・・
作業効率は最低のハンダです・・・
体にも良くないです・・・が・・・音は良い
http://shinkuukan2.web.fc2.com/2015/repair2015_06/repair_2015_06.html
ウェスタンエレクトリック伝説
真空管アンプはハンダで音が変わる! _ 伝説のヴィンテージハンダ NASSAU
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c70
223 : 名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/04(土) 19:51:48.62 ID:3YD1PxpE
あのキースターは70s
その隣は恐らくだが50〜60年台のNassauだろう。
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1486390425/
テレビ用出力管「6FD7」
6FD7/13FD7 はTV用垂直発振回路に開発され、内部抵抗の低い(2A3並)3極管です。
「6FD7」 - Google 画像検索
https://www.google.co.jp/search?q=%EF%BC%96%EF%BC%A6%EF%BC%A4%EF%BC%97&hl=ja&biw=1066&bih=635&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwiLrKWoyN3RAhWKvrwKHf7vCxwQsAQIIA&dpr=1
「6FD7」規格表データベース
http://tubedata.jp/index.php?M=search&word=6FD7
6FD7 - 球球コレクション 2012/3/3
掘り出し球の第1号は6FD7です。
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/GALLERY/show_image.html?id=3363254&no=0
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/GALLERY/show_image.html?id=3363254&no=1
2A3並みの出力三極管と6SL7相当の電圧増幅用三極管の不等双三極管です。
これは9T9というMT9ピンでバルブの太さがGT管並みという中々バランスの取れたスタイルをしていて結構お気に入りです。
ITTの元箱入り新品で入手しましたが、製造はシルバニアあたりのようです。
コレ1本でロフチンホワイトアンプが作れます。
4本でPPステレオが可能でコンパクトアンプに最適です。
コンパクトアンプ用の球の代名詞と言えば6BM8ですが、純三極管でコンパクトに作ろうと思えば6FD7が最右翼と思います。
球のピンに近い部分のガラスが絞られていて不恰好な6FD7もあるので要注意です。
アメリカの業者から@5ドルで入手。
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/3363254.html
6FD7その2 - 球球コレクション 2016/11/24
以前掘り出し球の書庫で6FD7を紹介したが、今回改めて6FD7を取り上げようと思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/GALLERY/show_image.html?id=13453588&no=0
前回はSYLVANIA製6FD7の写真を掲載したが、今回はRCA製の写真を掲載します。
6FD7アンプの製作例はWEBで数件見られますが、球の入手に難があるためか思ったほど普及していません。
6FD7のGTバージョンの6EM7/6EA7の方が知名度が高いためこちらの方が普及していると思いきやそうでもないようです。
古典管でなければオーディオ用には不向きとの固定観念が蔓延しているようで、テレビ球は一部の愛好家を除いて不遇の身を囲っている。
そんな中、新潟のチューブオーディオラボさんが真空管オーディオフェアに6FD7シングルアンプを出展したことをきっかけに密かなブームを呼びつつあるようだ。
この6FD7アンプは、古典管オンリーの現状に一石を投じようとチューブオーディオラボさんに私が持ちかけて製作されたものです。
極めて単純な2段増幅アンプですが、その単純さがこのアンプの最大の良さでもあります。
6FD7の入手は少々困難ですが、同じような規格の同類球が多数存在しますので追試は容易です。
次回の真空管オーディオフェアには別のテレビ球で挑戦すべく構想を練り始めています。
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/13453588.html
6FD7その3 - 球球コレクション 2016/11/27
今回は6FD7のグレープレートの写真を掲載しよう
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/GALLERY/show_image.html?id=13457811&no=0
RCA製のようです。
6FD7はシングル動作でもPPアンプを凌駕するほど低音再生に優れた球なのですが、そのために帯域バランスが低域に寄りになりがちです。
この辺をうまく料理できれば300Bを凌駕することも可能です。
夜な夜な回路定数を変更して好みの音にチューニングするのは楽しいものです。
一方、ローサー、AXIOM80等の低域ダラ下がりの中高域寄りのスピーカーには6FD7の低域寄りのバランスが功を奏します。
現在、真空管オーディオフェアに出展された6FD7アンプは、チューブオーディオラボ様のご好意により試聴貸し出しされているのですが、低域の再生に問題を抱えている方には特に好評のようです。
ご自分でアンプの定数を変更してチューニングが出来る人にはイジリ甲斐のある球ですが、工房等に依頼して制作してもらう人は、御使用の再生環境に合わてチューニングしてもらえる所(チューニングスキルを持っている)を選びましょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/13457811.html
6FD7その4 ( オーディオ ) - 球球コレクション 2016/11/28
6FD7のメーカー純正フェイクチューブを紹介しよう
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/GALLERY/show_image.html?id=13461735&no=0
写真の6FD7はRCAが6DR7を6FD7とマーキングして出荷したもので細管と呼ばれているタイプです。
6DR7は6FD7の出力部ユニットを小型にしたような球で、6FD7で設計したアンプに挿入すると6FD7より内部抵抗が高いため設計どおりにIpが流れず出力が小さく歪が大きくなります。
なぜこのような事が罷り通るのかといいますと、垂直偏向管として用いる場合寿命を考えなければ問題なくリプレイスできるのです。
垂直偏向管は差し替えた場合必ず振幅と直線性の調整を行いますので、多少特性が異なっても調整範囲に収まれば使用可能なのです。
真空管式カラーテレビの末期には保守用球の製造合理化を行い、安価に供給するためにこのような事が行われたものと想像しています。
オーディオ用として6FD7の真価を堪能したい方には、是非ともオリジナル(太管)の6FD7をオススメします。
http://blogs.yahoo.co.jp/d404f203/13461735.html
真空管 Matched Pair 6BM8 と 6FD7 のヒーター電圧違い!2016-08-17
http://blog.goo.ne.jp/44gs/e/02bdf2f13782b54fc1470355a6493d18
今回作る真空管アンプは格安の真空管 6FD7 のヒーター電圧違いの13FD7!
ヒーター電圧が違うだけで激安!
初めて見る 13FD7 はMT管でありながら太さがGT管並で見た目が良いです、こんなMT管が有ったとは知りませんでした。
2A3並みの出力三極管と6SL7相当の電圧増幅用三極管の不等双三極管これ1本でOK。
ペアーの球を2セットと後で作り替えで楽しむために人気の6BM8のこれまたヒーター電圧違いの8B8も2セット入手しました、箱はくたびれていますがいずれも未使用ストック品です。
秋葉原で求めれば8本で1万円は下らない価格も地方の通販球屋さんで求め半額くらいか?
メーカは13FD7がGE、8B8がアンペックスです。
http://blog.goo.ne.jp/44gs/e/02bdf2f13782b54fc1470355a6493d18
▲△▽▼
「音楽&オーディオ」の小部屋 2016年10月25日
レコードと違ってCDオンリーの愛好家の場合「プリアンプ不要論」は延々と続く「古くて新しいテーマ」である。
何ごとも「シンプル・イズ・ベスト」なので、プリアンプ無しでいい音が出ればそれに越したことはない。
「プリアンプは必要悪だ」という思いはずっと変わらない。
このテーマに対する(現時点の)じぶんの結論は「結局、相性の問題に尽きる」と考えている。
つまりDAコンバーター、メインアンプ、スピーカーがそれぞれの長所と欠点を補い合い「三位一体」として、うまく調和してくれればそれでヨシ、もし、そうじゃないときはプリアンプを介入させた方がマシ。
もちろんDAコンバーターにボリューム調整機能が付いていることが前提条件である。
プリアンプの代わりにアッテネーターを使うなんてのは論外だ(笑)。
今回の実験では
DAコンバーターに「27ixVer3.0」(ワディア)
メインアンプに「6FD7シングル」
スピーカーに「AXIOM110」(グッドマン:箱はウェストミンスター)
という組み合わせだった。
ちなみにこのDAコンバーターは初めからプリアンプを使用しなくてもいいような仕様になっており、出力インピーダンスは「1Ω以下」となっている。
胸をワクワクさせながら聴いてみたところ、これぞこれまで聴いた中でベストのサウンドだと唸ったねえ!(笑)。
周波数レンジの広さ、音の立ち上がりの早さ、低音域の力感と制動力も申し分なし。しかもDAコンバーターのボリュームが「60/100」あたりで十分な音量が確保できるのでエネルギー感にも余裕がある。
さらにプリアンプを入れていた時よりも明らかに高音域が素直になっている!
これなら「WE300B」アンプや「PX25」アンプの出番はもうないと一瞬思ったが、瞬間風速での感想は危険だし、後々ブログが書きづらくなるので、断言するのは止めておこう(笑)。
このアンプの生みの親の「北国の博士」にこの状況をぶつけてみると
「ケース・バイ・ケースですがプリアンプを入れると、どうしてもレンジが狭くなりがちです。その点この6FD7アンプは低音域から高音域までレンジの広さが持ち味なのでたしかに直結の方がいいかもしれませんね。」
そういうわけで、これからこのアンプを持っていって他流試合をする場合、プリアンプを使わなくて済むように予備のワディアのDAコンバーターも携帯してセットにして試聴しようと決めた。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/8869b0b4de316e64d7cfb05ee27048e4
「音楽&オーディオ」の小部屋 2016年11月01日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/53675333c7f218bf6cb681177029cc3c
新たに導入を決定したデモ用アンプ「6FD7」の試聴
チューブ オーディオ ラボ 6FD7シングルステレオアンプ
http://shinkuukan2.web.fc2.com/2016/Audiofair2016_2/fair2016_2.html
http://shinkuukan2.web.fc2.com/
システムの構成は次のとおり。
CDトランスポート「ラ ヴェルディ スカラ」(dCS)
→ DAコンバーター「エルガー プラス」(dCS)
→ プリアンプ「大西式プリ」
→ パワーアンプ「6FD7シングル」
→ スピーカー「AXIOM110+ワーフェデールのコーン型ユニット+JBL075ツィーター」3ウェイシステム
はじめに、女性ボーカルを聴いていただいたが、Sさんの第一声は
「低音域のエネルギー感は目を見張るものがありますが、中高音域の透明感というか抜けは今一つですね〜。」
「プリアンプを外してDAコンバーターのエルガー・プラスから直結にして聴かせていただけませんか。」
そういえば、ワディアとの直結はしょっちゅうやっているが、エルガーとの直結は滅多に試したことがない。これもボリューム調整機能が付いているので可能だ。RCAコードを差し替えるだけだから簡単そのもので1分で完了。
「いやあ、これは素晴らしい!何よりも気になっていた中高音域に透明感が出てきました。
やっぱりプリアンプが邪魔していたんですねえ。
この音はわたしの大好きなブリティッシュ・サウンドそのものです。
6FD7アンプは私も是非欲しいですね。それに出力管もさることながら出力トランスの優秀性が際立っていると思います。」
広い帯域を身上とするこの出力トランスに目を付けられたSさんの慧眼には驚いた。
「市販されている機械巻きのトランスと違って個人の丁寧な手巻きによる出力トランスですからその効果は歴然としています。それこそ製作者は福岡市近郊の方だそうですよ。北国の博士が優秀性に着目され実際に使用されていますので折り紙つきです。このトランスの存在なしに、この音は語れないでしょう。」と、自分。
それにしても、Sさんは絶対的なプリアンプ使用派だと思っていたので「プリアンプを外す」というご提案は意外だった。
「ケースバイケースでプリアンプの程度次第ですよ。
中途半端なものなら入れない方がいいです。
この6FD7の特徴は無色透明なところにあるようですからスピーカーの個性をそっくり活かすならプリアンプ無しの方がいいと思いました。」
さあ、ここから我が家の手持ちのアンプテストに入った。このDAコンバーター直結状態のもとで次々にアンプを取り代えて試聴した。何しろアンプの個性が一目瞭然に分かるのだからこたえられない。
そして「171シングル」「71Aシングル」「71Aプッシュプル」「2A3シングル」がいずれも枕を並べて討ち死に〜。何も比較してやらなければ誇り高く生き残れたものを・・・、無念(笑)。
それにしても、このチビちゃんアンプ「6FD7」は出力トランスが出力管を生かしているのか、出力管が出力トランスを生かしているのか、どうも両者の主従関係がよく分からない。いい真空管アンプとはそういうものだろう。もちろん、独特の回路も良質な整流管も陰の主役だ。
なお、併せて2のテストもしたわけだが、この“にわか作り”の3ウェイシステムは十分鑑賞に耐え得るものだった。自画自賛になるがフルレンジのときよりもずっと広帯域になってハーモニーにも違和感はない。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/53675333c7f218bf6cb681177029cc3c
▲△▽▼
手を抜けないオーディオの小物類 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年02月23日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/663273090b3d0605baad524a222138a6
さて、今回はオーディオの小物類について二題ほど提供してみよう。
☆ ヒューズについて
オーディオ・システムの中でヒューズの存在を意識している方はどのくらいいるのだろうか。
スピーカーを除いて、アンプ系ではまずほとんどの機器に装備されているといってよいが、ヒューズは電気回路に過剰な電流が流れるなど不測の事態が起きたときに、大事に至らないように即座に断線して電流を遮断する役割を担っているのだが、まったくの縁の下の力持ち的存在で、むしろ必要悪といってもいい。
このヒューズはCD関係機器、DVDレコーダーなどはケースの奥深く内蔵されているので外側から見ることは出来ないが、アンプ類たとえばプリアンプ、パワーアンプなどは簡単に交換がしやすい位置に取り付けされているので分かりやすい。
このヒューズ、実はその材質によって音質にいろんな影響を及ぼしていて、なかなかデリケートな存在だ。回路の電流は必ずヒューズを経由するのだから必然的に音質に影響があって当然なのだが、はじめから装着されているメーカー付属のものはほとんどがガラス管のありふれたヒューズだがこれを速断ヒューズに取り替えると音質が見違えるほど良くなるという。
その理由の第一は、速断ヒューズは品質のいい銅線が使ってあるが、通常のガラス菅ヒューズは銅以外の音質に好ましくない材質が使ってあって磁気を帯びるなどの弊害が考えられるから。
ヒューズが飛ぶなんてことはまず大事件に相当する事態なのであってはならないことだが、万一に備えて予備を持っておこうとネットで注文したところ、在庫なしでガッカリ。「入荷次第連絡します。」とのことで、それがたしか2年前ぐらいのことだった。
時の過ぎるままに、すっかり忘れてしまっていたところ、1週間ほど前に「ようやく入荷しました。どうされますか?」とのメールが入った。
今さら言われても「興醒め」だが、相手方があまり儲けにならないヒューズなどを取り扱う個人商店なのでつい仏心(?)を起こして「着払いの代引きで送ってください」。
あまりガラス管ヒューズとは変わらないようだが「ま、いっか」。
ふと、話題の「6FD7アンプ」(新潟県:チューブ・オーディオ・ラボ)はどういうヒューズを使ってあるんだろうかと、アンプから引き抜いて調べてみた。
凄いですねえ!比べてみると一目瞭然でこんな太い線を使った立派なヒューズを見たことがない。
さっそく代表のKさんに連絡したところ「わが社の真空管アンプはいっさい手を抜いてませんよ!」との自信に満ちた言葉に納得。
「しまった、Kさんからヒューズを購入すればよかった。」と思ったが、もう後の祭り(笑)。
次に二題目。
☆ ハンダについて
手作りに勤しむマニアにとってなくてはならない必需品がハンダ。このところSP周りの作業をやっているとやたらにハンダ付けが多くなった。SPコードの延長やユニットへの取り付け、コイルやコンデンサーなどのネットワークへの接着など枚挙にいとまがない。
1か月ほど前のブログにも登載したとおり「真空管アンプはハンダで音が変わる!」ので、ハンダの材質はユメユメおろそかにできず吟味して使っているが、在庫が乏しくなったので今度ばかりはKさんにお願いした。
「一番音のいいハンダとやらを購入したいのですが分けていただけますか?」
すると「とても使いにくいですよ〜。ある程度ノウハウが必要ですからとりあえず試験用として送ってみますので試してみてください。」
すぐに送っていただいたのがこれ。
左側の曲がった棒みたいなのがメチャ音がいいとされる該当のハンダだが、見るからに大きくて溶かすのに大変そう。右側がケスターのハンダで「もう使わないので進呈します。」とのこと。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/663273090b3d0605baad524a222138a6
▲△▽▼
先般このブログで絶賛したテレビ用の真空管「6FD7」アンプだが、現在はSさん宅で大活躍中だ。
それも使い方にノウハウがあって、
プリアンプやマッチングトランスを通すとまったくダメだそうで、
CDプレイヤーから直結してアンプ付属のボリュームで調節して「AXIOM80」を駆動すると、これまでで一番良くAXIOM80が鳴っていますよと大満足のご様子。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/75f62fa1381eec2b0b4094c3ffe2b100
超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html
粋音舎 _ ドイツ古典フルレンジシステム販売
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html
酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html
魔性の歌姫 Lowther
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/685.html
昭和の日本のスピーカー・ユニットの音質はイギリスやドイツに劣らなかった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/953.html
竹下雅敏氏からの情報です。
道徳が義務付けられるようになるようで、この曽野綾子なる人物は、なんでも道徳の教科書で取り上げられ、どうも模範的人物として扱われるという冗談のような話があります。あべぴょんの関係者なのだから、同じタイプの人間だということは明らかで、この記事の内容は実に納得出来ます。
驚いたのは、文末の彼女の夫である三浦朱門氏の言葉です。これを読むと、ゆとり教育は失敗ではなくて、完全に成功したのだとわかります。ゆとり教育の目的は学力の低下だったわけです。要するに、庶民に対しては“余計なことを考える力をつけさせたくない”ということだったようです。
(竹下雅敏)
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
————————————————————————
経済問題を民族問題にすり替え、貧困の深刻化で支配/被支配階級を作り上げたいらしい曽野綾子
転載元より抜粋) 櫻井ジャーナル 15/2/18
曽野綾子なる人物が産経新聞に書いたコラムの内容が問題になっているようだ。
「若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならない」ということだ。違法にしろ合法にしろ、移民が増えている欧米では賃金水準の引き下げや労働環境の悪化が問題になっている。支配層にとって労働移民は労働者の力を削ぐ手段のひとつで、だからこそEUでは移民を規制すべきだという政党への支持が増えているのだ。
介護の現場で問題になっているのは労働力の不足ではなく、低賃金で劣悪な環境で働く若者を集められないことにあり、適切な対価を事業者や労働者へ支払えば解決される。この問題の根は非正規雇用の増大や残業代ゼロ法案と一緒だ。
非正規雇用の問題でも支配層は働き方の多様化というようなことを宣伝していたが、ならば、賃金だけでなく保険や年金についても同一条件にしなければならない。勿論、実際は違うわけで、本音は賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を推進したいということにほかならない。
曽野のコラムを読むと、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ」と主張している。「優しければそれでいいのだ」という。
介護のためには専門的な知識が必要なのであり、「孫」が面倒を見るにしても、知識を得るために専門家からアドバイスを受ける必要がある。運動能力を維持させるだけでも専門家と施設が必要だ。こうした知識がなく、経済的な余裕もないことから悲劇が起こってきた。
コミュニケーション能力を無視しているということは、介護者だけでなく、介護を受ける必要のある高齢者の人格を考慮していないということでもある。「姥捨て」の発想だ。
曽野が想定している労働移民は、賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を意味している。当然、貧困問題が深刻化し、犯罪も増えるだろう。これは「他民族の心情や文化」の問題ではなく、経済の問題だ。
貧富の差が拡大していけば、アメリカのように居住地域は所得/経済力によって色分けされてくる。経済力による棲み分けが起こるのが先だ。「高級住宅地」に低所得者は住めない。曽野綾子は原因と結果を取り違えている。アメリカでは歴史的な背景から人種と経済力に相関関係があり、人種の問題のように見えるが、実際は経済問題。
南アフリカでも同じことが言える。ヨーロッパ系の人びとが先住の人びとを支配するアパルトヘイトと戦ったネルソン・マンデラは1993年にノーベル平和賞を受賞したが、批判の声はある。彼は政治的な平等を実現するために努力したものの、経済の仕組みが温存されたため、貧富の格差は解消されず、そうした格差に基づく社会不安は解決されなかったからだ。南アフリカの問題も「他民族の心情や文化」ではなく、経済に根ざしている。
アメリカでは貧困を犯罪にしようという動きもあるが、アパルトヘイトは特定の地域を収容所にするという制度であり、問題を力で封じ込めるという政策だ。現在、イスラエルで導入されている。「他民族の心情や文化」を強調するのは、被支配者を分断したいからにほかならない。
本来、居住をともにするために理解し合う努力をしなければならないのであり、交流すれば、自然と理解は進む。そうした理解が進むことを恐れるのは支配層だ。フランス国王ルイ11世は「分割して支配せよ」と言ったそうだが、互いに反目させ、争わせ、統一的な反対勢力を形成させないようにするのは支配者たちの常套手段である。
ところで、曽野の結婚相手で教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は「ゆとり教育」について次のように語っている:
「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』文藝春秋、2004年)
被支配階級である庶民には「実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」ということだ。余計なことを考える力をつけさせたくないということだろう。介護者は「優しければそれでいいのだ」という曽野の主張と共鳴し合っている。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=85324
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c193
【討論】天安門30年と習近平の行方[桜R1-6-1] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z8e6o4Vxo3k
◆天安門30年と習近平の行方
パネリスト:
古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
石平(評論家)
坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
福島香織(ジャーナリスト)
ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・チベット文化研究所名誉所長)
矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c7
素人判断なんだな。
プロの意見は
【ダウ工業株平均・S&P500】
5 月1 日には一時2954 まで上昇し、18 年9 月に付けた過去最高値(2940)を上回った。ダウ平均を除き、ほとんどの主要インデックスが最高値を更新したわけである。
(S&P500 は第(ii)波調整は終わったか?)
S&P500 は09 年安値(666)以来、サイクル第T波の上昇局面にあるとみている。第T波はプライマリー級の5波構成─(1)-(2)-(3)-(4)-(5)─となる。
18 年12 月26 日安値(2346)以来プライマリー第(5)波が進行中。
そして、S&P500 の5 月1 日高値(2954)からの調整は第(ii)波に位置づけられる。
下値模索が続く場合には2722 付近が下値メドである。2722 というのは、第(i)波のレッサーディグリー第iv波安値(3/8)であると同時に、第(i)波の上昇に対する38.2%押し水準でもある。
29 日のS&P500 は一時2766 まで下落した。ダウ平均は一時24,938 ドルと、18 年12 月からの上昇に対する38.2%押し(24,792 ドル)に近づいた。S&P500、ダウ平均、いずれもこの日のローソク足は下ヒゲの長い「たくり」となり、底入れ機運が高まりやすい形で終わった。
加えてこの日、SOX 指数がプラスとなった点は目を引いた。足元のSOX 指数は2 月8 日以来の安値水準にあり、既に週足一目均衡表の雲上限に達している。SOX 指数の第(ii)波調整は終わったか、終わりつつある。
米国株は底入れしたか、しつつあり、まもなく上昇トレンドに戻る可能性がある。そうであれば、S&P500は初の3,000 乗せを目指すだろう。
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/519.html#c1
【ダウ工業株平均・S&P500】
5 月1 日には一時2954 まで上昇し、18 年9 月に付けた過去最高値(2940)を上回った。ダウ平均を除き、ほとんどの主要インデックスが最高値を更新したわけである。
(S&P500 は第(ii)波調整は終わったか?)
S&P500 は09 年安値(666)以来、サイクル第T波の上昇局面にあるとみている。第T波はプライマリー級の5波構成─(1)-(2)-(3)-(4)-(5)─となる。
18 年12 月26 日安値(2346)以来プライマリー第(5)波が進行中。
そして、S&P500 の5 月1 日高値(2954)からの調整は第(ii)波に位置づけられる。
下値模索が続く場合には2722 付近が下値メドである。2722 というのは、第(i)波のレッサーディグリー第iv波安値(3/8)であると同時に、第(i)波の上昇に対する38.2%押し水準でもある。
29 日のS&P500 は一時2766 まで下落した。ダウ平均は一時24,938 ドルと、18 年12 月からの上昇に対する38.2%押し(24,792 ドル)に近づいた。S&P500、ダウ平均、いずれもこの日のローソク足は下ヒゲの長い「たくり」となり、底入れ機運が高まりやすい形で終わった。
加えてこの日、SOX 指数がプラスとなった点は目を引いた。足元のSOX 指数は2 月8 日以来の安値水準にあり、既に週足一目均衡表の雲上限に達している。SOX 指数の第(ii)波調整は終わったか、終わりつつある。
米国株は底入れしたか、しつつあり、まもなく上昇トレンドに戻る可能性がある。そうであれば、S&P500は初の3,000 乗せを目指すだろう。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c205
交流点火の刻印300BとPP5-400を差し替えで聞くことの出来るアンプを制作しました。
WE製の球で作りました
トランスドライブでキャノン入力です。初段はSTCの310を使用しました。
刻印の300B と PP5-400
元祖300BとPX-25の元祖PP5-400と究極の球で交流点火でオーダー品を作りました。
http://www.cattlea.jp/news/info.php?id=149
▲△▽▼
「新大陸」300Bの交流点火シングルアンプ
http://www.cattlea.jp/product/?no=71
価 格 330,000円
サイズ W430*D280*H200 17kg
回路構成 ダブルチョーク回路
入力感度 1.5V
出 力 8W+8W
使用真空管 プスパン300B 6SL7 GZ-34
シャーシー カリン材の無垢
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月
図面
http://www.cattlea.jp/up_img/amp/71/f_01.PDF
「新大陸」300Bの交流点方式を使用し、銅パイプのアースライン、ルンダールのアウトトランス、チョークはダブルとここまで拘り、実用新案の回路を載せて(登録第3193415号)究極の300Bアンプを作りました。
別バージョンでさらに電源トランスを大型し電源回路を2回路にした新大陸デラックスも作れます、プラス6万円。
http://www.cattlea.jp/product/?no=71
▲△▽▼
KR PX-25 「the・ヨーロッパ V 」
http://www.cattlea.jp/product/?no=11
価 格 360,000円
サイズ W440 x D270 x H220
回路構成
CR結合 交流点火
入力感度
1.5V 100KΩ
出 力 7W + 7W
使用真空管 6C8G 5R4
シャーシー マホガニー材
B電源回路 独立二回路
NFB回路 なし
納 期 1ヶ月
図面
http://www.cattlea.jp/up_img/amp/11/f_01.pdf
さらに進化したステップ15の交流点火回路を使用しました。カトレア美学を追究して完成させた「the・ヨーロッパ」ヨーロッパトーンの音質と木目の美しい形にKR製のPX-25とスエーデンのルンダールトランスで鳴らし重心の低い安心感の高い音質になりました。回路的には電源回路が前段と終段と二回路に分け強力にドライブしています。また貴重な球の寿命を少しでも延ばすためとPX-25の音質を最大限に発揮できるよう交流点火で作りました、交流点火で音楽を楽しめるのはカトレア製だけです。
高級パーツやオリジナルの電源トランス等こだわりのアンプに仕上げています。外見は無垢のマホガニーの木製シャーシーを使用し音質と同じように外見も暖かみのあるデザインにしました。球なしで販売していますので お好きなPX−25で聞いて下さい。 また別売りで KR PX−25ペア70,000円で販売もしています ※SPは8Ωオンリー
写真2はオシロスコープの最大感度時のノイズ波形です。
カトレア回路がバージョン20へステップアップしました。ハムノイズは0.7mV以下です
http://www.cattlea.jp/product/?no=11
▲△▽▼
KR PX−25 トランスドライブ
http://www.cattlea.jp/product/?no=57
価 格 430,000円
サイズ W440 x D290
回路構成 トランスドライブ
入力感度 1V 100KΩ
出 力 6W + 6W
使用真空管 6SN7 KR PX-25 5R4
シャーシー カリン材
B電源回路 独立二回路
NFB回路 ナシ
納 期 1ヶ月
PX-25 回路図
http://www.cattlea.jp/up_img/amp/57/f_01.pdf
KRの真空管はとても作りが良く 音質もなかなかの物が多く今回 日本の代理店が変わり 新規入荷が始まりました これを記念し ヨーロッパトーンの音質にこだわり タムラのパーマロイトランスで柔らかく立体感の有る音質を楽しんで下さい。回路的には電源回路が前段と終段と二回路に分け強力にトランスドライブしています。
また、最近生産し始めたKRのPX-25も挿せるように定電圧ヒーター回路で動作させ高級パーツやオリジナルの電源トランス等こだわりのアンプに仕上げています。外見は無垢のカリンの木製シャーシーを使用し音質と同じように外見も暖かみのあるデザインにしました。
特別にヨーロッパの古典球のPX-25を使用したアンプも作れます。
※古典球のPX-25の場合 プラス75,000円です
http://www.cattlea.jp/product/?no=57
▲△▽▼
▲△▽▼
「PP5/400」 VS 「WE300B」 新春早々の「夢の対決」 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2018年01月04日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3f995616c61aae0662c30a23b5137a9f
我が家の顔ともいえる「PX25シングル」アンプだが、前段管を希少管の「GSXー112」にしたのはいつぞやのブログに掲載したとおりだが、いよいよ組み合わせる出力管を「PX25」から大本命の「PP5/400」(英国マツダ)に換えてみた。
この球の登場はおよそ1年ぶりぐらいかな〜。お値段のことを持ち出すのは少々はしたないがPX25の2倍ほどは軽くいく(笑)。
ちなみに「数ある出力管の中で最も音がいい球となるとPP5/400でしょうねえ。」と回答されたベテランのアンプ製作者を2名ほど存じ上げている。
しかも我が家の「PP5/400は画像でご覧のとおりトップマイカが長方形をしており、印字がきちんと残っていることからして、あまり使用されていない最初期の製造品であることがわかる。
いわゆる古典管は最初期に製造された球がツクリ、そして音質的にもベストされており、それ以後に二期、三期以降とわたって製造された球はメーカー側が戦略的にコストダウンを計って開発費を回収していくのが相場と決まっている。
つまり古典管に限っては性能が時の流れと逆行しているのが現実で、代表的な例が「WE300B刻印」であり、また「2A3の一枚プレート」だろう。
この「PP5/400」は3年ほど前のオークションで大晦日のどさくさに紛れて相場よりも格安で手に入れたものだが、当時、「PP5/400」を愛する「S」さん(福岡)を大いに悔しがらせた思い出がある。
(以上、何を書こうが作者の自由とはいえ「自慢たらたら」と受け取られるかもしれませんね。どうかお気を悪くされませんように〜。笑)
使う前にまずは「整流管」を引き抜いて2時間ほどエージングした。
古典管の泰山北斗「北国の真空管博士」によると、新品の場合はゆっくり一晩かけてのエージングをお奨めだったが、一度使ったものであれば2時間もやれば十分でしょうとのこと。
さあ、いよいよ緊張の音出し。どんな音が飛び出してくるか、ハラハラ、ワクワク、ドキドキ〜。試聴盤はウィントン・マルサリスの「バロック・デュオ」。
何だか悲しくなってきてしまった。長年愛用してきた「PX25」への信頼が急に色褪せてしまったのである。
低音域から高音域まで全帯域に亘ってまったく情報量が違うし、音の透明感、奥行き感、色艶などがさらに追い打ちをかける。レベルでいえばプロ野球と高校野球との差ぐらいある。
以前に両者を聴いて比較したときはこれほどの差はなかったので、結局、「PP5/400」と前段管「GSXー112」とのマッチングが絶妙だったのだろう。
これなら「WE300B」(1951年製)シングルアンプときっといい勝負を展開するに違いない。
毎回、お見えになるたびに「WE300B」アンプを絶賛されるYさんならこの「PP5/400」アンプを聴いてどういうご感想を述べられるのだろうか・・。
つまり、「PP5/400」(最初期版) VS 「WE300B」(1951年製)の一騎打ちである。
こういうときの自分の耳はいろいろバイアスがかかっているのであまりあてにならない(笑)。
そこで、冒頭のシーンに戻って、Yさんに来ていただくことになったわけだが、その後まったく予想だにしない展開が待っていようとは、そのときは知る由もなかった。
以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/3f995616c61aae0662c30a23b5137a9f
「PP5/400」 VS 「WE300B」 「音楽&オーディオ」の小部屋 2018年01月06日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af6ed2e133ff2dd917c983941c492049
3日(水)の午後1時半きっかりにお見えになったYさんに本日来ていただいた目的を申し上げた。
「実はPX25真空管を大本命のPP5/400真空管に換えましてね。ガラッと音が変わった気がしますが、自分の耳はバイアスがかかっていてあまり当てにできません。そこで、今回はぜひYさんに試聴していただき、お気に入りのWE300Bアンプと比較をしていただきたいと思います。どうかよろしくお願いしますよ。」
すると、ちょっと首を傾げられたYさんだが、きっぱりとこう申された。
「分かりました。しかし、〇〇さんのお宅ではWE300BアンプとAXIOM80との組み合わせの音が耳に焼き付いています。よろしかったらスピーカーをAXIOM80で試聴させていただきたいのですが。」
お客様からこうまで言われると、交代させざるを得ない。まったく予想外の展開となってしまった(笑)。
このAXIOM80 (最初期版)の我が家での位置づけを率直に言うと、あまりに音が良すぎて(弄るところが無いため)可愛げのないスピーカーという感じ。ほら、「手がかかる子供ほど可愛い」という言葉があるでしょうが(笑)。
冗談はさておき、どんなに高級なスピーカーと対峙しても必ず部分的にしろ秀でたところがあるスピーカーであることは間違いない。エッジレスなど巧緻極まりないツクリは他のスピーカーの追随を許さない。
我が家の場合、他家と違うところはユニットのフレームの歪を避けるためバッフルへのねじ止め(4か所)を止めてウッドホーンに固定していることぐらい。
さあ、いよいよ乾坤一擲の大勝負である。
左側がWE300B(1951年製)アンプ、右側が「PP5/400」(最初期版)アンプ。前段管はそれぞれ「171」と「GSー112」でともに希少なトリタン・フィラメントの持ち主である。
両機とも鬼才「北国の真空管博士」から改造していただいたもので似たもの同士ともいえるが、一方では「アメリカを代表する出力管」であり片方は「イギリスを代表する出力管」なので米英の対決ともいえる。
実はこの両国のお国柄の違いが後々重要な意味を持ってこようとは、その時は知る由もなかった。
初めにWE300Bシングルアンプから試聴に入った。試聴盤はYさんがテスト盤として愛聴されている優秀録音の「ソナス」(女性ボーカル)の第3トラック。
「いつ聴いても素晴らしい音ですね。この組み合わせ一つあればもう他は要らない気がしますよ。」と、相変わらず絶賛されるYさん。
1トラックに11分近くもかかるボーカルをひとしきり聴いてから、今度は同じ曲目を「PP5/400」アンプに切り替えて試聴した。
「これも素晴らしい音ですねえ!PX25のときよりも明らかにグレードアップしてますよ。まるで、手を伸ばすと歌手の顔に触れそうなほどクリヤーです。細かい音もよく拾いますし、録音現場の雰囲気感の再現力はWE300Bより上かもしれませんね。」と、これまた大絶賛(笑)。
さあ、いよいよ核心に入ろう。
「この二つのアンプのどちらがお気に召しましたか?」と、お尋ねしたところ次のような回答が戻ってきた。
「ダイナミック感はWE300Bの方が上ですね。開放的というのか音響空間が広くなった印象を受けます。一方、PP5/400は箱庭的な美しさの極致というのか、とても品が良くて人間の内面を深く抉ってくるような感じです。
この両者にはアメリカとイギリスのお国柄の差が如実に出ているような気がします。どちらがいいとか悪いとか 、私にはちょっとおこがましくて判断できません。」
そうですよねえ、つい順番を決めたがるのが私の悪い癖なんです(笑)。
これで本日のメイン行事は終了した感じで、新調した「ワーフェデール+メロンホルン」への関心が急に色褪せてしまったのは仕方がない。
それでも1時間ほど割いて一緒にこのシステムを聴いたが取り立てての感想はないままだった。あまりご興味はなさそうだった。
AXIOM80と比べるのはあまりにも酷だったかもしれないが、自分にとってはまだまだ弄る楽しみがあるので、可愛くてたまらないシステムである。
よしッ、きっとYさんを振り向かせてみせるぞ(笑)〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/af6ed2e133ff2dd917c983941c492049
▲△▽▼
Club SUNVALLEY - 私のオーディオ人生-第26回 300Bの交流点火 by Y下
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-026
今回は真空管の王様と云われる300Bの交流点火方式のコラムになります。
外装をステンレスパネルに合うように黒色塗装を施したSV−91Bアンプ
SV-91B - SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋)
\ 290,000 〜 \ 464,000 +税
https://www.kit-ya.jp/products/detail/597
300Bの本当の音
名出力管の王様と云えば皆さんもご存じの鳴く子も黙るWE−300Bになります。刻印タイプのWE−300B、オールド管のプリントタイプ、最近まで生産されていたWE−300Bその他に中国製やロシア製、日本製の300Bが沢山あります。
巷で云われている300Bアンプはフィラメントへの供給は直流点火がほとんどで交流点火の300Bは一部を除いてありません。また再生産のWE−300B、中国製、ロシア製の300Bは音が悪いとケチを付ける真空管マニアの方が沢山いますがその様なマニアは直流点火でしか聴いた事の無い音を判断して評価しているのではないだろうか、
オールウェスタンを愛用しているスーパーマニアで小松市にお住まいの中氏に言わせると本来の300Bは交流点火で動作するのが本物の音と力説していますが、この件に関しては私も同感ですが残念ながら交流点火の音を一度も聴いた事がありませんから正直わかりません。
大橋氏の店主日記にヒーターの交流音と直流音の違いの日記が載っていた記憶がある。直流点火は音痩せするが交流点火の場合はゾリゾリ感のある音になるらしい、またハムノイズを嫌ってバッテリー電源でフィラメントを供給すると確かに残留雑音は低下しますが痩せ細った音になるらしい、またすべての300Bアンプを交流点火に変更すれば良いとは云えない、
雑誌の記事で発表している先生方、俺こそは自作アンプの師匠とか達人と豪語しているマニアでも残留雑音の多さに悩まされるのを避けて直流点火の300Bアンプで製作されるのがほとんどだ、
その昔、故浅野勇氏が設計された75−76−300B−274B、伊藤喜多雄先生が発表された6SH7−6SH7−300B−274Bはすべてオール交流点火のアンプです。
かの有名なウェスタンの91Bアンプも交流点火である。確かに300Bアンプを安易に交流点火にすれば膨大なハムに悩まされるのは間違いないと思うが製作の基本を守ってきちんとセオリー通りに組み立てればそれなりに上手くいくのではないだろうか、
私の聴いた300Bはすべて直流点火になりますから交流点火の300Bは聴いたことがありません。一度自分で組立ながら交流点火の音と直流点火の音の比較をこの耳で確かめてみたい好奇心がある。
交流点火の残留雑音
300Bをプッシュプルにして交流点火で行うとハムの打ち消しで残留雑音は少なくなりますがシングルの場合は打ち消しがありませんから一つ間違えるととんでもないハム音に悩まされます。
また直流点火方式は上手く作れば残留雑音は0.5mmV以下に抑えることは可能だが交流点火の場合は下手をすると10mmV以上の膨大なハムに悩まされ音楽を聴くどころの騒ぎではなくなるから自作アンプマニアはハムに悩まされるのを嫌がって簡単な直流点火で逃げてしまう、またこのWE−300Bに限ってと思うがこの球はフィラメントノイズの多い球であるのがわかったのとフィラメント電圧が5Vであるがため難しさが先に来る。回路図も読めない、修理や回路変更、改造も出来ないマニアには絶対無理であるから簡単に交流点火方式に改造することは望ましくない、
今回は自分のノウハウを注ぎ込んでこのWE−300Bを交流点火にして実験を兼ねて挑戦することにした、もし上手く行かなければダイオード、3端子レギュレターを残して何時でも直流点火に戻せば失敗しても気にはならないはずだ、目標としている残留雑音は3mmV以内に抑えれば成功と思う。また比較対象にしているPP5−400シングルアンプは全段交流点火に係わらず残留雑音は1.3mmVに抑えてあるアンプですからこの91Bアンプも全段交流点火方式にすれば完成後に交流点火同士の音の違いを十分比較することができる。
テスター1本と耳だけで作る91Bアンプ
本来は周波数発振器、ミリバル、オシロ、歪率計等の測定器を駆使して調整しながら1台のアンプを仕上げるが91Bの回路は決まっていますから今回は測定器にご厄介にならずテスター1本と永年のノウハウと耳だけで作ることにした、
お医者様なら聴診器と永年の感だけで病気を当てて治すようなものと良く似ている。また折角今迄使用してきた91Bアンプだが皆さんは自分で完成されたアンプを再度オーバーホールして作り直す阿呆な方はまずいない、完全にオーバーホールするのには勇気がいるがY下は異端者ですからAC点火のためならオーバーホールも苦にならない、
91B回路の変更点
今回は自分の納得のいくパーツを使うことにした、例えば抵抗器はアーレンブラッドレーに統一、カップリングコンデンサーはスプラグのバンブルビー、カソードパスコンは銀タンタルコンデンサー等である。また配線色は多色を使えば誤配線は少なくなるのをあえて同一の線色にして製作したが誤配線の元になる恐れがあるから真似をしないでほしい、
問題となるフィラメントの供給電圧はSV−91Bの場合は300Bのトランスのタップは7Vですからダイオードブリッジを使って直流に変換後3端子レギュレターで5Vにして供給していますが交流点火にする場合は7Vタップからドロッパー抵抗を入れて5Vに下げないと使えない、また310Aのフィラメント供給電圧は10Vですからこの部分もドロッパー抵抗が必要になってくる。91Bのヒーターのタップはセンタータップが出ていませんからハムバランサーを使わなくてはならないのが少し不利な条件になってくるのと91Bのシャーシースペースが直流点火用の設計であるがため製作は大変困難を要するからパーツ配置、引き回し配線等を十分考慮しないと改造することは難しい、
7回も作り直した91Bアンプ
SV−91Bアンプの回路を変更してフィラメントを交流点火にするのはシャーシースペースが不足しているので無理のような気がする。本来は交流点火にする場合はモノラル2台で作るのが正しいと思う、特に電源部からのノイズの影響もあるので対策を施さずに製作すると失敗してしまう、今回は直流点火に戻したり再度交流点火に変更したり試行錯誤を繰り返して7回も作り直したため人には見せたくない汚い中身になってしまったのだが交流点火には限界があるような気がしてきたがこれが最後と思い電源回路を手配線からプリント基板に作り直すと今迄悩んだハム音が少なくなってきた、
もう少し抑えれば完璧である。最後は皆さんには教えられないマル秘テクニックを使ってテストをしてみたら自分でも納得のいく雑音レベルまで下げる事に成功した、
直流点火方式に戻しても91Bアンプはこの状態で聴いているのには何ら不満はない、スピーカーのそばに耳を近づけても微かなノイズしか聞えない、直流点火の場合は残留雑音の少ない優秀なアンプに仕上がるが交流点火方式にすると確かにスピーカーの近くで微かにブーンとハム音が聞こえてくるが2〜3mぐらい離れたポジションで音楽を聴くにはほとんど気にならないぐらい小さいが今回ほど悪戦苦闘するアンプには苦労を通り越して嫌気が刺したのは偽らざる事実だ、
最後の確認でミリバルを使って雑音レベルの測定をしましたらLチャンネル側は20mmVでRチャンネル側は2.4mmVであった、Rチャンネル側の雑音レベルが高いのは多分電源トランスの磁気の誘導の影響と思われるがこのレベルなら合格である。
電源回路はパターン設計を行い基板で実装、ダイオードが4本実装されているが失敗を考慮して直流点火でも動作させる予定であった、
全体の内部配線と部品実装、7回も改造をしたSV−91B
今回は作り直しが多かったため引き回し配線等は納得いかない
使用機器と音源
同じ300Bでも交流点火にしたプッシュプルとシングルとは根本的に出音の表現力が違いますから一概に絶対この音とは云えないのをご理解して頂きたい、
早速スピーカーに接続して音出しを確認した、使用機器と音源は以下の通りです。
アナログ系は カートリッジELAC EMC−1 MCカートリッジデジタル系 CDプレーヤーCEC TL51XD/Aコンバーター Model2ライントランスUTC A−21
プリアンプマランツ#7(改)スピーカーGOODMANS 3Wayのホーンタイプ、ネットワークは自作、ボックスは米松合板を使った特注品使用音源はアナログ盤
ナタリーコール Still Unforgettabie デジタルCD
マイスキー バッハ無伴奏ソナタ
以上のシステムと音源を使って試聴
≪試聴ソース≫
ナタリーコールの名盤Still UnforgettabieのLPレコードで録音は大変良く一番のお気に入りだ、CDとは違う温かみのあるアナログらしい音、
いつものリファレンス用マイスキーのバッハのチェロ
交流点火と直流点火の音の違い
まずはテスト的に交流点火と直流点火のフィラメントの切り換えは配線を少し変えるだけで分かるように全段交流点火と全段直流点火にした、全段直流点火の音ですが、まったく問題なくいつも聴くWE−300Bらしい音色で中域の厚みと抜けと味わい深い音で油の乗りきった素晴らしいサウンドだ、ナタリーコールの歌声は色気満点で心地よいサウンドでさすがアナログレコードらしく心に響く、
デジタルCDはマイスキーのチェロの胴鳴りが大変心地よく聴かせてくれる。もうこれ以上は望まないと云えるぐらい良い、自分で納得しながら電源を落としてすぐに配線を変更して再度投入、投入後はブーンとハムが聞こえ始めたが時間の経過と共に無くなっていく、15分後に早速マイスキーの無伴奏チェロをトレーに入れて音出し開始である。不安と期待でこの時ほど緊張した事はなかった、
チェロが鳴り始めると先程の音とは別な音質と音色を持っているのがわかる。今迄聴いてきたチェロの響きや音色が違うのが一目瞭然で何とも云えない心地よくゾリゾリ感にふくよかさと奥行き感を伴ってしかも不思議と先程の直流点火と違って暖かい響きが特徴だ、
ナタリーコールは濡れ色的な甘い囁きのある声で男心を燻ぶるのには参った、これがWE−300Bの音なのか今迄聴いてきた音とは違う、直流点火のWE−300Bを交流点火にすると別の300Bに聞こえて来る。WE−300Bの音は交流音と直流音の2種類の系統を持ち合わせている新しい発見でもあった、
直流点火でも不満はないがマニアの間で評価されているWE−300Bや他の300Bの音は直流点火の音を聴いて良い悪いと評価しているが交流点火の音は言葉では言い表せないもっと奥が深い音に変わるがこれこそ本当の300Bの音なのかも知れない、
ヨーロッパの名球PP5/400対WE−300B
PP5/400はイギリスのEdiswan Mazdaが1920年〜30年代ごろに製造されたオーディオ用の直熱三極管になります。同等管は有名なPX−25があります。このPP5/400も全段交流点火を採用したアンプですからWE−300Bなら相手にとって不足はありません。早速鳴き比べを行いました。使用音源はナタリーコールとマイスキーのバッハのチェロソナタです。
先にPP5/400を聴いてからWE−300Bに切り換えて聴き比べしました。
PP5/400は高域の抜け具合、中域の瑞々しい爽やかな透明感のある素直な音質は大変好感が持てて特にマイスキーのチェロの響きは直熱三極管らしくさすが英国の名出力管の面目躍如で音の押し出し感は見事です。次に300Bと比較しますと300Bは高域の抜けも然ることながら音に粘りがあり低域の安定感のある土台のしっかりした音作りと味のあるサウンドになっている。此処まで来ると正直好みの世界になる。
最近のWE−300Bはオールド管でも新しいタイプでもあまりにも高価になってしまったのでどうしても中国球に頼らざるを得ないが上手く作れば中国球でも十分使えるはずだ、今回はWE−300Bで行ったが中国球で交流点火すれば今迄とは違う顔の表情が出ると思うから一度テストしてみたいものである。PP5/400はウェスタンに負けないヨーロッパの名球の一つでもあるが音質音色これは好みと云えば好みですがこの球も大変希少価値があるのと非常に高価になってしまった、
WE−300Bと比較に使用した自作のPP5/400アンプ
左側がヨーロッパの名出力管PP5/400ナス管、右側はウェスタンのWE−300Bになります。
あとがき
今回のコラムはWE−300B交流点火の音を題材にしましたがWE−310Aを含むすべて交流点火方式を採用した為一概にこれが300B交流点火の音とは断言できないのと前段とドライバー管の310Aのみ直流点火にすれば残留雑音は少なくなるような気がします。
今回は交流点火を試みたが決して直流点火は悪いとは思っていない、300Bは直流点火のSN比の良さで比較すると点交流点火は惨敗だが暖かみのある特徴もあるからこのコラムを鵜呑みにして無闇に改造しないで頂きたい、一つ間違えるとトランスや大切な球を壊す恐れもあります。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-026
真空管アンプ「カトレア」 新着・お知らせ情報
http://cattlea.jp/news/
カトレアの回路が実用新案登録されました。
この回路の特徴は、
1.音質面から広がりと脈動感が上がります。
2.球の寿命が長くなります。
3.フルパワーで残留ノイズ0.9mV以下です。
直熱管を使用したアンプはすべてこの回路を使用してより完成度の高いアンプ作りをします。
日本では845ほか大型管の交流点火で音楽鑑賞が出来るアンプ(シングルアンプ)はカトレア製のアンプしか有りません。
シングルアンプに拘るカトレアだから完成した画期的な回路です。
http://www.cattlea.jp/welcome/
▲△▽▼
2013年から交流点火に拘るカトレアアンプの世界 2018年12月04日
http://cattlea.jp/news/info.php?id=152
2013年に845、300Bを管球王国に交流点火方式で発表し
211,DA30、DA-100、PX-4、VT-52、MC1-60、50、3X−75B、PX-25,GM-70
と全て交流点火シングルアンプの世界を楽しんで来ました。
2014年実用新案 登録番号3193415、約40回の実験と改良を加えて、2018年特許申請 出願番号2018-221529 確実に追従型交流点火回路が完成に至りました。
交流点火回路特徴1
NO1 AC100V波形ノイズ
NO2 ヒラメント波形
追従型交流点火回路のため電源に変化する高調波が載っている電源でもつ追従しながら電源ノイズを消してくれます。この画期的な回路は特許申請中です。NO1 AC100V波形で第10高調波まで載っています。 NO2 ヒラメント波形はハムバランサーでバランスをとった波形です。写真は300Bです。音楽を聴きながら電源ノイズだけを追従しながら消してくれます。
交流点火回路特徴2
合成後の波形
出力の値
追従型の回路で出力管のグリットにキャンセル信号を合成すると、綺麗にヒーターハムが消えます。カソードで合成すると電流帰還が掛かり音質が落ちます。(実験済み)この完成度を聞いて下さい。(オシロスコープは最大感度です)
高圧遅延回路
高圧遅延回路を使用すると電源系にリレーなどを使用しないので接点が有りません。この回路にモスFETを取り付けてB電源がソフトスタートでコンデンサーほか球に優しい動作となり、ラッシュ等も防止出来ます。これもカトレアオリジナル回路です。
http://cattlea.jp/news/info.php?id=152
▲△▽▼
2019年01月11日
交流点火に拘るカトレアアンプの新世界V お様の感想です
http://cattlea.jp/news/info.php?id=153
実用新案に続いて完成回路を特許申請に進化しました。完成度も上がり。世界初の4Vから20V管で全て交流点火が可能になりました。ここでお客様の声を紹介します。(特別に直流点火式のアンプを交流点火方式に改良したアンプの感想です、新しい球の世界を聞いて下さい)
完成の交流点火用基板
特許申請中のヒーターハムキャンセル回路です。ほぼ全ての球を交流点火で動作が可能にしました。又 追従型の回路ですから音楽を聴きながら変化する高調波ノイズに対応していますので消すことが出来ます。2013年から開発してきた集大成です。
お客様の声 1 球はAT-20 ヒーター6V
自作のAT-20シングルアンプを「交流点火」に変更した。
私の思いとしては、交流点火は先ず直流点火よりも真空管にとってやさしく、球の動作も自然なものになるだろう。音はともかく、真空管を自然な状態で動作させたい。また私のまわりにいるオーディオマニアの古老のみなさんは、ハムノイズがあっても、交流点火での再生音を求めていた。音楽への思いの強い先輩諸氏がここまでこだわる交流点火のサウンドの魅力はそれ相応の深いものがあるだろうと理解してきた。しかし、そうは思ってもppの緊張感の中でのあのハムノイズには耐えられず、「直流点火」を選択してきた。
正月あけ、出来上がったアンプが自宅で試聴できる運びになった。いよいよ交流点火のサウンドをノイズ無しで、静寂の中で再生できる。期待がふくらむ中でスイッチオン、ブーンというノイズの後、動作に入り、いわゆる6v管のAT-20のノイズが続く、すぐにすーっとノイズが消え、アルテック38pウーハに静寂がくる。
先ずはcdでピアノトリオで女性ボーカルから、一聴してこれまでの音とは異なる。一段とクォリティアップしたサウンドに驚いた。自分の慣れ親しんだオーディオシステムで聴く、アンプの変化に明確な違いを感じた。
低域の厚み、広がり、それでいて芯のしっかりとしたベースの音の頭、立ち上がりも一段と鮮明になっている。何よりも大きな変化は弦バスのしっとりとした弦の質感が出ている。ピアノもそれぞれの音の厚みを感じる。速いパッセージでも輪郭のしっかりした動きである。ボーカルもしっとりした質感を感じさせる。ドラムスと管のリズムの縦の線がきっちり出て小気味よく、ブレーヤーの息の合った表現の意図が読み取れる。これはラテン音楽の試聴でも管楽器の息づかいとパーカッションのリズムの切れのよさを感じた。シェラザードのバイオリンのソロ部分では音の艶、スピード感の変化がくっきりと伝わってくる。弱音までしっかりと再生されていると感じた。
このように感じることは、全体として音が静かになり、VRの位置が自然に上がっていることに気付いた。それを音量としてではなく、サウンドのダイナミクスとして感じる。ちなみにこのアンプはクラーフ結合(パラフィード結合)で、真空管アンプとしては帯域は広い。その良さも交流点火でさらに生きてくる。オーディオマニアは良質な音を求めて、各種のケーブルや部品等の選択をしている方も少なくないと思うが、交流点火のような回路の基本的な所での改善は、部分の改善だけではなく、音楽再生の本質的な変化を生み出していると感じた。
お客様の声 2 球は845 ヒーター10V
3年程前に845を直流点火動作したアンプを作り今回交流点火方式に改良しましたので交流点火方式の良さが聴けたと思います参考にして下さい。(有名オーケストラの演奏家です)交流点火、凄く良いです。低音が床下から鳴るようになりました。
実際、防音室の床が振動します。全体の響き、音楽感が別物と思うくらい良くなりました。オーケストラはもちろん素晴らしいのですが、大好きな女性シンガーUruさんの声も変わりました。口や顔の筋肉の動きまで判るような気がします。
先日、ノイズが聞こえると電話でお話ししましたが、最近全く聞こえなくなりました。(アルテック604)耳が慣れたのではなく、実際にスピーカーに耳を近づけなければ、聞こえないレベルになりました。「交流点火は音が良い」という話はオカルトの世界かも?と半信半疑でしたが、本当だったのですね!感激です。(THE富士山845アンプ)
高圧遅延回路
1000V用の遅延回路が完成です。この回路を使用するとコンデンサー・出力管等を保護するように約2秒を掛けてソフトスタートしますのでラッシュ等も防止出来ます。リレー等を使用していませんので音質劣化を防ぎます。
http://cattlea.jp/news/info.php?id=153
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/461.html#c2
バイタボックス 価格:80万円
イギリスの名門 劇場用のバイタボックス
1932年創業の英国名門「VITAVOX」社BITONE MAJORです。この珍しいスピーカーシステムを是非聴きに来て下さい。アメリカのアルテックより約3dbも能率が良く、反応が良く、音の広がりが最高です。
スピーカーボックスはオリジナル設計のもので バスレフ方式(44L)に小さいバックロード(中域音用)を足した物で、広がりが有りとてもおもしろいです。
ボックスの表面は、チークの着き板を一枚づつ貼り合わせたとてもキレイな作りになっています。
http://www.cattlea.jp/welcome/
▲△▽▼
ドイツ戦前のフィールド型スピーカー
http://www.cattlea.jp/product/speaker.php
サイズ W78 D66 H1360
私が3年間をかけて築いたスピーカーシステムです。
音質はリアル感とスピード感が有る音で、立体感も有るので空間再現性が最高です。
ウーハーは40CMのドイツの戦前に作られたフィールド型スピーカーで190V掛けています。
ドライバーはバイタボックスのS3にバイタボックス製のホーン。
ツィイーターはヤマハのアルニコホーン型のベリリュームです。
ネットワークは大型カットコアとオイルコンで自作しました。
フィールド電源は球の整流でチャンネルごとのモノラル構成です。
この拘り一品を聴いて下さい。※ドイツ製の励磁型は二度と手に入れることは難しいユニットです。箱はベイマツにカリン突き板仕上げのチークオイル仕上げです。値段はステレオの2台分です
http://www.cattlea.jp/product/speaker.php
ヴァイタボックスについては
本当のブリティッシュ・サウンドはタンノイではなくヴァイタボックス
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/710.html
赤坂見附 BAR 真空管
http://www.barshinkukan.com/test/access.html
http://cattlea.jp/news/info.php?id=83
BAR真空管
【営業時間】19:00〜4:00 (金曜19:00〜5:00)
【定休日】日曜・祝日
〒 107-0052 東京都港区赤坂3-20-9 千切屋ビル2F
TEL03-5545-5444
BAR 真空管の店内システムはカトレア製のお勧めシステムで球の音色が楽しめます
東京の方 一杯飲みながらカトレア球アンプの音を聞きに行って下さい
アナログレコードが沢山有ります
アナログに拘るとこのように成ります アナログ派にお勧めです プレイヤー機器も放送局で活躍したモノが動いています
カウンターバーコーナーも有ります
あなたはビール派 カクテル派 すべて楽しめます サントリープレミアムモルツ 650円から カクテル 800円から 楽しめます
このカトレア球アンプ
イギリスの劇場用バイタホックスのシステムも聞くことが出来 サブとして戦後まもないドイツスピーカーも鳴っています 今は300Bアンプで聞くことが出来ますが こんどは845アンプが鳴り始めます
バイタボックス バイトンメジャー
オーデォマニアがあこがれる世界の名器バイタボックス聞かなきゃ損しますよ!!
http://cattlea.jp/news/info.php?id=83
BAR真空管
1【メインアンプ】 THE富士山V
http://www.cattlea.jp/product/?no=18
BAR真空管で使用のメインアンプ。
カトレア製アンプ共通の電源回路が前段と終段と別々に整流し、レギレーションを良くし、大パワーを安定的に出します。 電源回路のコンデンサーはドイツ製を使用し、パーツも吟味し、電源トランスなどはオリジナル仕様です。 845のヒーター回路はFETを使用した定電圧ヒーター回路を作り、ヒーターノイズにも強いです。
2【サブアンプ】300B ※サブスピーカーSABA用アンプ
http://www.cattlea.jp/product/?no=71
真空管アンプの標準的な存在の球300Bです。 また世界で互換性の有る球が作られそれぞれのお国柄の音が楽しめます。カトレア300B はシンプルに二段アンプで電源回路も独立二回路動作でしっかりした音が聞けます。 世界標準の球世界を楽しんで下さい。
出力トランスは オリエントコアで手巻きで作るオリジナルトランスで振動吸収力の高い人工大理石 デュポンコーリア製のケースに入れ 澄んだ音を求めまし た。300Bの球は劇場用のアンプで使用されていました。
3【バッファアンプ】プルメリア
http://www.cattlea.jp/product/?no=64
ドイツの直熱三極管Cas「プルメリア」。ヨーロッパの球は音楽性と空気感が違います。 是非、楽器を演奏する方に一度聞いていただきたいアンプです。 透明度、繊細度、ともに自信のアンプです。 音楽の香りを楽しんでいただくためという意味で「プルメリア」と名付けられました。
4【メインスピーカー】VITABOX
http://www.cattlea.jp/welcome/
イギリスの名門 劇場用のバイタボックス 1932年創業の英国名門「VITAVOX」社BITONE MAJORです。
この珍しいスピーカーシステム、アメリカのアルテックより約3dbも能率が良く、反応が良く、音の広がりが最高です。
S-2ドライバー・ユニットとCN-157ホーンがNW-500 ネットワークにより500Hz以上をAK-154ウーファーが500Hz 以下を受け持つ2way方式のこのBITONE MAJORは、劇 場、ホール、映画館等 に採用されている大型システムですが家庭用としても多く愛用されています。
明かるく輝くハイエンド、渋く重厚な低域、品位高い音色や臨場感等伝統のVITAVOXを代表するにふさわしい風格と音色を備えています。
5【サブスピーカー】ドイツ製スピーカー「SABA」
鮮やかなグリーン色のコーン紙が特徴のドイツ名門SABAのフルレンジSPユニットです。
超軽量コーン紙に小型の 磁気回路、ペラペラのプレスフレーム・・
1950年代の家庭用ドイツ製ユニットの特徴なのですが、これを上手に鳴らすと、英国やアメリカのユニットでは出すことの出来ない、ナチュラルで透明度の高く、繊細で分解能が高いサウンドを奏でるので、見た目じゃ判断できない代物です。
そして、これらドイツのユニットを研究すると非常に合理的に作られている事に気が付きます。
超軽量 なコーン紙を使用している為に、それを駆動する磁 気回路は小さくでき、よってフレームもダイキャスト等大掛かりでなくプレスフレームで十分な強度が取れる訳です。実に合理的な創りとなっています。
しかも、超軽量コーンはユニットの設計だけでなく、サウンドにも大きなメリットがあります。
軽量だから信号に対しての反応が圧倒的に速いのです。
これにより、全帯域で分解能が高く、小音量時に音が潰れないのです。
小口径・軽量コーンのユニットは、家庭用( 家庭用HiFi)ユニットに分類されますので、ドイツ業務用と混同して 考えては駄目です。
また、構造上ハイパワーユニットではありませんから、駆動するパワーアンプも、2〜 3Wのシングル(またはP-P)管球アンプが適当です。音量が足りないからといって、ハイパワーなアンプを繋いだりしてはいけません、音量を稼ぐ場合は、ユニットを複数個使用します。そ して、適度な音量で鳴らすことで、超軽量コーンユニットのメリットが最大限発揮できます。
フルレンジとして聞ける数少ないドイツ製のユニットです。
有名な所でヒットラーが国民に演説を聴かせるためにラジオ用を含めて作られたスピーカーが多く、人の声はよく通る音質です。シーメンス テレフンケンが特に有名です。
http://www.barshinkukan.com/test/kizai.html
ドイツ製スピーカー「SABA」については
粋音舎 _ ドイツ古典フルレンジシステム販売
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/456.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/461.html#c4
赤かぶみたいな中国の工作員が必死でデマを拡散してるだけだよ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c10
アメリカ帝国はイランで墓穴を掘る (Yosensha Paperbacks 26) – 2007/3
桜井 春彦 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
アルカイダのオサマ・ビンラディン、反カストロのルイス・ポサダ―。皆CIAが生み出したテロリストだ。実はアメリカこそテロ支援国家なのである!
アメリカやイギリス、イスラエルの情報機関であるCIAやSIS、モサドとテロリズムは密接につながっている。
中東、中米で行ってきた彼らの工作活動を知らずして、中東情勢、そしてイラン問題は語れない。
カスタマーレビュー
罵詈雑言アラメンド 5つ星のうち1.0
かなりひどいトンデモ本です。 2007年3月27日
本屋で前書き部分を立ち読みし、シオニスト批判やネオコン批判が載っていたので、「お、結構いけるかも」と思い買いましたが....
「フリーメーソン世界征服のシナリオ!」のような本と同じレベルのトンデモ本でした。
著者は電波を出している人で、著者の言いたいことが理解できる人は、たぶん電波を受信できる人だと思います。
善良な方は、本書を読まない方が良いと思います。
本書全体的にいえるヘンテコなところとして、やたらめったら人物名を出して読者を煙に巻く、というものがある。重要な人物も重要でない人物も関係なく、とにかく登場する人物数が多い。これは著者が「俺はこんなにいろんな人物を知っているのだ、貴様ら平凡な読者はその人物相関関係など知るまい、貴様ら愚民読者どもは俺様の意見を拝聴すれば良いのだ、俺様は正しいのだ、俺様の書くとことは絶対なのだ」という思想を持って書いているようなニュアンスに読み取れます。
例として、【第5章 イスラム帝国】にどれだけの人物が登場するのか記してみます。
第5章は170ページから220ページまでの51ページです。
P170
ムハマド・レサ・パーレビ(イラン国王)
アヤトラ・ホメイニ(シーア派指導者)
デイビッド・ロックフェラー(チェースマンハッタン銀行)
ジミー・カーター(アメリカ大統領)
ゲイリー・シック(NSC=国家安全保障会議スタッフ)
P171
森詠(日本人ジャーナリスト)
モシェ・ダヤン(イラン国防大臣)
P172は写真
P173
ウリ・ルブラニ(在テヘラン非公式イスラエル大使)
P174
ロナルド・レーガン(アメリカ大統領候補)
ジェームズ・ボウト(少将)
チャールズ・ベックウィズ(デルタフォース創設者・大佐)
P175
ジョン・K・シングローブ(少将)
オリバー・ノース(中佐)
P176
キルス・ハシェミ(武器商人)
ウォーレン・クリストファー(国務長官・どこの国の?)
レザ(ハシェミの兄)
ジャムシド(ハシェミの兄)
アーマド・マダニ(イラン海軍少将)
P177
アリ・アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニ(イラン国民議会議長)
イラン・ナジド・ランクニ(ハシェミ兄弟の連絡相手でラフサンジャニの義理の息子)
アーメド・ホメイニ(アヤト・ホメイニの息子)
ドナルド・マクヘンリー(国連大使)
ラムゼー・クラーク(もと司法長官)
P178
ウィリアム・ケーシー(レーガン政権時のCIA長官)
メーディ・カルビ(イランの宗教指導者)
ジョン・シャヒーン(ケーシーの友人)
ヤセル・アラファト(PLO議長)
アブデラジス・ボウテフリカ(アルジェリア外相)
アリ・ベンメナシェ(イスラエルの軍事機密を入手できる立場にあった人物)
P179
マイルズ・コープランド(元CIAオフィサー)
スタンフィールド・ターナー(CIA長官)
ロバート・マクファーレン(海兵隊元大佐)
カーミット・ルーズベルト(?)
アール・ブライアン(カリフォルニア州保険福祉局長)
メーディ・バザルガン(イスラム革命後の首相)
P180
ジョン・タワー(上院軍事委員会委員長)
ロバート・ゲーツ(?)
ジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)
P181
ラファエル・エイタン(LAKAM指揮)
アドルフ・アイヒマン(ナチ親衛隊)
....すいません、P220まで全部抽出しようと思ったのですが、もう面倒なのでやめます。
この傾向はこの章に限った話じゃなくて、本書全編にわたってこんな感じです。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%A7%E5%A2%93%E7%A9%B4%E3%82%92%E6%8E%98%E3%82%8B-Yosensha-Paperbacks-26-%E6%A1%9C%E4%BA%95/dp/4862481302/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E6%A1%9C%E4%BA%95%E6%98%A5%E5%BD%A6&qid=1559453608&s=books&sr=1-2
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c11
エレクトリ以外からの輸入品はすべてゴミなので絶対に買っちゃダメだよ:
株式会社エレクトリ|音響機器・映像機器の輸入商社
https://www.electori.co.jp/
エレクトリ取扱いブランド
AMPZILLA(アンプジラ):プリアンプ、パワーアンプ
Atacama(アタカマ):オーディオラック
ATC(エーティーシー):スピーカーシステム、プリアンプ、パワーアンプ
EMT(イーエムティー):カートリッジ、シェル、プリアンプ
FIRST WATT(ファーストワット):パワーアンプ
HEGEL(ヘーゲル):アンプ、CDプレーヤー、DAコンバーター
MAGICO(マジコ):スピーカーシステム
McIntosh(マッキントッシュ):プリアンプ、パワーアンプ、インテグレーテッドアンプ
MERGING(マージング):DAコンバーター
METRONOME(メトロノーム):CDプレーヤー、DAコンバーター、アンプ
NORDOST(ノードスト):AVケーブル
PASS(パス):プリアンプ、パワーアンプ、フォノEQ、スピーカーシステム
stst(エスティーエスティー):アナログプレーヤー
WesternElectric(ウェスタン・エレクトリック)):プリアンプ、パワーアンプ、CDプレーヤー、真空管
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/462.html#c1
買ってはいけない 300B ダメ・アンプ _ SUNVALLEY AUDIO(旧キット屋) SV-91B
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/124.html
乗鞍高原 ペンション ウインズ _ ザ・キット屋の詐欺商法の片棒担いだのが運の尽き?
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/328.html
JBLのスピーカーの値段について
http://sdroxx.com/jbl_price/
かつて、JBLのスピーカーは高値の花というよりも、あこがれの対象で終わるものでした。スタジオモニターの4310が日本で販売が開始されたのが1971年ですが、価格は1台17万5000円でした。ペアだと35万円です。当時の大卒初任給が5万円くらいですから、その7ヶ月分になります。それが日本で入手できるもっとも安価なJBLのスピーカーでした。
当時は山水電気がJBLの日本総代理店で、山水を通して日JBLの全製品を購入することができました。最上位機「パラゴン」は約160万円、大卒初任給の32ヶ月分です。「オリンパス」は同じ時期で1台43万円、1ペアで86万円しました。
「パラゴン」は本国アメリカでは約1、800ドルで販売されていました。当時の円・ドル為替レートは1ドル308円ですから、日本円に換算すると55万円ほど。これに関税と諸経費を加えても、160万円は高すぎるという非難を山水電気は浴びました。
そういう批判に応えるためか、山水電気は輸入したJBLのスピーカーユニットを国内でキャビネットに組み込んだスピーカー、「SP−LE8T」を1973年に発売します。それでも1台の値段は約6万円、大卒初任給1ヶ月分以上、1ペアなら2ヶ月分以上でした。
1980年以降になるとJBLの機種の幅が増えてきました。1980年には最も安価なスタジオモニター4301が発売されました。価格は1台7万5000円。1ペアで当時の大卒1ヶ月半分でした。
現在、JBLの現行機種でホームユースのスピーカーの最高価格はS3900で、1ペアで62万7000円です。大卒初任給は24万円ですから、2ヶ月と半月分です。為替レートの大きな変化があるので単純に安くなったとは言うことはできませんが、昔とは雲泥の差です。
現在、市販されているもっとも高価なスピーカーはというと,,,諸説ありますが、知名度があるメーカーに限ると、KEFが発売した「MUON」の1ペア2.000万円ということになるようです。
http://sdroxx.com/jbl_price/
▲△▽▼
オーディオの足跡 JBL Paragon
D44000(初期):日本未販売(1957年発売)
D44000(中期):¥1,680,000(1965年)
¥1,552,700(1973年)
¥1,690,000(1975年)
¥1,600,000(1980年)
D44000WXA(後期):¥2,200,000(1980年〜1981年)
¥2,800,000(1983年)
¥3,500,000(1984年〜1988年)
JBLを代表するスピーカーシステムの1つ。
正式名称は"The JBL-Ranger Paragon Integrated Stereophonic Reproductor"。
Paragonは、当時レンジャートーン・コーポレーション(Rangertone Corporation)のオーナーであったリチャード・レンジャー(RichardRanger)の原案をもとに、アーノルド・ウォルフ(Arnold Wolf)がインダストリアル・デザインを担当し、開発されました。
日本国内では、1965年に山水電気がJBL製品の輸入を始め、本格的に流通しました。
パラゴンには大きく分けて3種類のバリエーションがあります。
初期のD44000は、低域に35cmコーン型ウーファーである150-4C、中域にドライバー375とH5038Pホーン、高域に075を搭載しており、ネットワーク部にはN500HとN7000が使用されていました。そして、1964年以降の中期D44000では低域が150-4CからLE15Aに変更されるとともに、エンクロージャーの素材も合板からパーティクルボードに変更されました。
後期のD44000WXAでは、ウーファーはアルニコマグネットを使用していたLE15Aからフェライトマグネットを使用していたLE15Hに変更され、中域のドライバーユニットも375からエッジにダイアモンドパターンを用いた376に変更されています。
エンクロージャーの内部は2組のスピーカーシステムが一体になった構造をしており、左右に3ウェイユニットを配すると共に中央に半円形の反射パネルを設けることで、リスニングエリアの拡大を図っています。このエンクロージャーは低域用にフロントローディングホーンを採用しています。
また、初期のエンクロージャーの背面にはエナジェイザーSE-408S用のマウントスペースが設けられていました。
外観の仕上げは中期には数種類のものがあったようです。
1965年の山水のカタログでは"黒いマホガニー、焦茶色のウォルナット、オイル仕上げのウォルナット、黒檀"の4種類のバリエーションが記載されており、1967年頃の山水のカタログでは"オイルドウォルナットまたはトーニーウォルナット"と記載されていました。
パラゴンは1957年から1983年までに約1,000台が製造され、在庫の最後の1台が売れた1988年まで販売されていました。
https://audio-heritage.jp/JBL/speaker/paragon.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/462.html#c3
なかなか良い品物が手に入らないローサーだが、佐久間アンプを造ったうえは、ぜひ、ローサーで鳴らしたいと言う方も多いと思う。
もし、これからローサーを買おうという方は、くれぐれ もお店を選んだほうがいい。
壊れたPM3のいれもの(PM3はTP1専用で、アルミで作られたいれものと一体になっている。ユニット自体がすでに、ホーンのはじまりになる構造である)だけを取り出し、PM6のフェライトを強引にビスで付けてのPM3といつわって売っていたりする、とんでもないところもあるようだ。
ただ、どの時点でPM6が3に化けたかは分からないのでお店ばかりを責めることはもちろんできないが。
私のオーディオベクター新型(現在は旧型を所有)はMJの「ゆずります」のコーナーで譲っていただいたものだが、ローサーのロゴが金色のマジックで塗られていた。
前の持ち主によれば、店にあったときはどうもなかったのに、家に配達されたときには、全色に塗ってあったと嘆いておられた。私はおおさわぎをして、もとのホワイトに戻したのだが、オーディオショップにはくれぐれも用心しなくてはいけない。
ここで、イギリスでの値段を紹介すると、PM6アルニコで65ポンド、PM2で145ポンド、PM4で295ポンドである⊃(4年前)1ポンド260円くらいとしてPM4で76000円。大体、日本では3倍くらいの値段で売られているのではなかろうか。
こういうことを書くとオーディオ店からよい顔はされないだろうが、真空管でも、どこか別の会社の製品にRCAのスタンプを押したり、刻印を打ったりして高く販売するのが当たり前のようになってしまった今日、オーディオファンがスピーカーの原価を知っておく必要があるかもしれない。
話がそれたが、お店が3倍の値段で売るのは暴利だと思われる方は、イギリスで買って来るか、個人で輸人するか、ということになる。旅行ついでにイギリスにいっても買うのなら、あらかじめローサーを売っているオーディオショップを見つけておかなくてはいけないだろう。
イギリスにも秋葉原のような通りがあるが、ここでは現在日本製品が反乱している。電話帖で調べてもロンドンにはLOWTHERはなかった。私はイギリスの友人に、売っている店を探してもらっているのだが、末だに発見できないでいるようだ。パック旅行のついでに、などというのはほとんど不可能に近いようである。
なお、最近はカナダ等を経由して入ってくるローサーもあるようだが、私は詳しいことを知らない。
意地でもローサーが欲しい方へ
日本でもイギリスでも手に入らないのなら、直接木社から買うしかない。いわゆる個人輸入だが、私は今まで直接買ったことが二回ある。
一回目はPM6を注文したのだが、送金しても1年近く昔沙汰がなく、送金の確認、間い合わせの手紙を数度書いて送ってもらちがあかず、あげくの果てにイギリス領事館に手紙を書いてもらったが、結局これも無視された。
あきらめて、さらに1年以上たったころ、やっと届いた。宛先はまるでむちゃくちゃで、よく届いたもの、と感心してしまった。もしかすると、地球上をあちこち巡っていたのかもしれない。薄いダンボールの箱に入れられており箱の中の発泡スチロールは粉々に砕けていたが、ユニットは無事であった。
普通ならこれにこりるところだが、運が悪かったんだということにして、もう一度注文した。
PM2とPM4を佐久間さんの分もあわせて、合計4個である。
なんのことはない、二回目も同様で1年以上音沙汰なし。手紙を書いても、前回とまったく同じこと、送金するまではものすごく丁寧な返事が返ってくるのに、送金をしたとたん音沙汰なしである。ローサー社が詐欺をやっているのでなかったら、品物を送る部署がとんでもない連中の巣窟ということになるだろう。
しかし、最近、イギリスのヒースロー空港で、日本からの膨大な量の郵便物が配達されないまま発見されたとの新聞報道があったが、このようなことになっていたのかもしれない。なにもローサー社だけが悪いとは言えないだろうが。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:yXHcTT4M9dIJ:www10.big.or.jp/~dh/magazine/lowther/l4.html+%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC&cd=9&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
▲△▽▼
LOWTHER スピーカーシステム一覧
https://audio-heritage.jp/LOWTHER/speaker/index.html
Lowther スピーカー ユートピア輸入製品一覧
http://www.utopianet.co.jp/product/import.html
▲△▽▼
ローサーのスピーカーについては
魔性の歌姫 Lowther
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/685.html
生より悪かったら、なんでオーディオやるの? _ 佐久間 駿 _ 失われた音を求めて
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/210.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/462.html#c4
日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格
日本に来る外人観光客が増えたのは日本の物価が先進国で一番安いからだった
外国人観光客が、なぜ日本に殺到するのか。
それは、良い品質やサービスが異様に安いからです。
はっきり言いますが、一部のサービスについて、日本はすでに東南アジアよりも安いのです(しかも、品質は良い)。
日本国は、デフレにより貧国化しました。ところが、確かに「日本人の優秀性」というものは存在し、低価格の製品やサービスであっても、相対的に品質は高いのです。それはまあ、外国人観光客が、 「安く良いものが手に入る」と、日本国に殺到するわけです。
我が国は97年の橋本緊縮財政により経済がデフレ化し、「ヒトが買い叩かれる時代」が始まりました。
経営者は設備投資をせず、資本装備率はだだ下がり。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「ヒトの根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至ります。
とはいえ、少子高齢化、生産年齢人口比率の低下を受け、すでに「優秀で真面目な日本人を安く買い叩ける」時代は終了しました。
ところが、経営者は未だにデフレマインドのままで、「ヒトを安く買い叩く」ことのみを求め、資本主義に必須の「リスクを伴う生産性向上のための投資」に乗り出そうとしません。
とはいえ、生産年齢人口の縮小という「巨大な圧力」は、企業経営者に否応なしに「生産性向上のための投資」を迫ります。つまりは、政府が人手不足の問題を「放置」しておけば、企業は生産性向上のための投資に乗り出さざるを得なかったはずなのです(実際には、始まっていますが)。
それにも関わらず、安倍政権はどう動いたか。
「人手不足ならば、移民(外国人労働者)を入れよう」
と、日本人の生産性向上ではなく、移民受入で人手不足を埋めようと図る。
これ以上、最悪の選択は、思いつきません。
こんな国は、普通に亡びます。むしろ、亡ばない理由を教えて欲しいです。
何しろ、少子化で日本人が少なくなっていく反対側で、出生率が高い移民受入を拡大しようとしているわけです。半世紀後には、日本列島に住む日本人は少数派になっていることでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12410850852.html
▲△▽▼
「東京」が初のトップに!英国人にとってお得な長距離旅行先―英メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年9月21日(木) 15時50分
英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。
英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。
この「長距離旅行報告」という名の年度調査はコーヒー1杯、ドリンク1本、コーラ1缶、ワイン1杯、カクテル1杯、板チョコレート1枚、ミネラルウォーター1本、日焼け止めクリーム、虫よけスプレー及びペアのコース料理の10項目のコストにより調査を行っている。
英「デイリーテレグラフ」による調査結果の報道では、東京は10項目の合計が48.9英ポンド(1英ポンドは約151円)で、旅行先30都市のうちトップだった。同調査が開始されてから10年目になるが、東京は初のトップで10項目の費用は去年より23%安くなっており、2012年と比べると60%安くなっている。
トップ10は東京に続き、南アフリカのケープタウン、ケニアのモンバサ、スリランカのコロンボ、ベトナムのハノイ、インドネシアのバリ島、コスタリカのタマリンド、米国のオーランド、マレーシアのペナン島、ドミニカのプンタカナの順となっている。
一方で最も高い旅行先はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで10項目合計160英ポンドという結果になった。ペアのコース料理が1食につき107.85英ポンドかかり、ドリンクは1本は平均で4.07英ポンドとなっている。(提供/人民網日本語版・編集TK)
_________
世界各国のビックマック価格
購買力平価という考え方がある。
世界各国の物価水準は摩擦が無く貿易されれば同じ物なら同じ価格になるように為替水準は調整されるはず、という理論だ。
そして世界中で売られているマクドナルドのビックマックを基準に購買力平価を計算したものが「ビックマック指数」だ。
以下の一覧は2015年1月時点で円換算した際の価格だ(1ドル117.77円 56か国)。
1位 スイス 888円 2.4倍
2位 ノルウェー 742円 2.01倍
6位 アメリカ 564円 1.52倍
15位 オーストラリア 509円 1.38倍
18位 ドイツ 501円 1.35倍
38位 日本 370円
※ルクセンブルクは調査対象外
(世界のビッグマック価格ランキング 世界経済のネタ帳)
http://blogos.com/article/110634/
500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。
私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。
私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。
しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
http://blogos.com/article/187248/
食事も旅の楽しみの1つですが、スイスでは持ち帰り用のデリでも2,000〜3,000円かかります。
レストランでの食事は、場所にもよりますが、ファミレスのような場所で約2,500円、
雰囲気のよい店舗では最低6,000円は見積もらないといけないでしょう。
さらに良いサービスを受けたときは、10%ほどのチップを支払うのがマナーですので、それも勘定にプラスしなければなりません。
スイスのビックマックセットは12スイスフラン(1,440円)。
ポテトチップスは1袋700円以上します。
物価の高い理由、それはずばり人件費が高いからです。
スイスではファーストフード店でアルバイトした場合でも、時給は2,500円ももらえます。人件費がかかる分、商品の価格が高くなってしまうのです。
http://www.spintheearth.net/travel_switzerland_price/
スイスのチューリッヒは、世界の中でも物価の高い都市として知られる。
駅でミネラルウォーターを買えば4フラン、トイレの使用料に2フラン、つまり水を飲んで用を足すだけで6フラン(約600円)もかかる計算になる。
一説には、高技能職の移民以外は受け入れないために、あえて物価を高くしているとの説もあるほどだ。
一方、スイスの最低賃金は、毎月3500フラン(約35万円)にも上る。
これほどの高賃金だから物価が高くても生活できるわけだが、一般的な経済原則に反して、高賃金にも関わらず失業率も低い。
http://media.yucasee.jp/offshore-news/posts/index/646
▲△▽▼
マカオ転職で給料4倍! このままでは日本の賃金が危ない! 2018年10月23日
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/23/news046.html#utm_source=yahoo_v3&utm_medium=feed&utm_campaign=20181112-013&utm_term=zdn_mkt-bus_all&utm_content=rel1-1
日本で働いていた料理人がマカオのレストランに転職が決まり、年収が4倍になったという話がネットで話題となっている。
中国の都市圏における経済発展は日本の想像をはるかに超えており、日本はアジアの中でも賃金が安い国となりつつある。日本人が仕送りなどを目的にアジアに出稼ぎに行くようになる日はそう遠くないのかもしれない。
アジアと日本の賃金の差が浮き彫りに。写真はマカオの繁華街(写真提供:ゲッティイメージズ)
アジアの賃金は想像以上に上がっている
Twitterで情報発信している和食の料理人が、マカオのレストランへの転職が決まったとつぶやいたところ、日本とのあまりの待遇差にネット上でちょっとした話題となった。年収が4倍になり、医療費(歯科通院含む)も会社が100%負担してくれるという。
現地レストランでのポストは副料理長ということなので、能力が高い人物の話ではあるが、同じスキルの人物でここまで年収に差が付くというのは少々驚きである。
2017年における日本の1人あたりGDP(国内総生産)は3万8000ドル(430万円)だったが、マカオは7万7000ドル(約870万円)と日本の2倍以上もある。1人あたりのGDPは、その国の平均賃金と考えて差し支えないので、マカオでは平均的なビジネスマンが800万円以上の年収を稼ぐことは特に不思議なことではない。
マカオは大規模なカジノが軒を連ねており、世界でも有数の豊かな地域として知られている。一方、日本ではサービス業に従事する人の賃金が異様に低いという事情もある。今回のケースはやや特殊な部類に入るかもしれないが、アジア全域で人件費が高騰しているのは事実である。
マカオのお隣、香港の1人当たりGDPは4万6000ドル、シンガポールの1人あたりGDPは5万7000ドルといずれも日本より多い。中国は国土が広く、内陸部には貧しい地域もあるので全体の平均値は低いが、上海や深センなど沿岸都市部におけるホワイトカラー層の収入は、マカオや香港、シンガポールに近づきつつある。
こうした地域でちょっとしたお店で夕食を食べると、料金が1万円近くになるのはごく普通のことなので、日本が相対的に貧しくなっているのは間違いない。
日本で携帯電話の料金が高く感じるのは経済力低下が原因
こうした傾向は大卒の初任給にも如実に表われている。17年、中国の通信機器メーカー・華為技術(ファーウェイ)の日本法人が大卒初任給として40万円以上を提示したことが大きな話題となった。同社が就職情報誌で提示した新卒の初任給は、学部卒が約40万円、修士修了で約43万円。日本企業の大卒初任給は20万円程度、比較的給料が高い企業でも25万円程度なので、ファーウェイが圧倒的に高給であることは明らかだ。
大卒の初任給が高いと話題になったファーウェイだが……
大卒の初任給が高いと話題になったファーウェイだが……
しかしファーウェイは日本人向けに特に高い年収を提示しているわけではない。
近年はグローバル化の進展で、企業活動の標準化が全世界レベルで進んでおり、一定水準以上の企業の場合、社員の待遇についても、地域間での格差が縮小している。欧米企業における技術系社員の初任給は50万円台というところが多いので、ファーウェイ日本法人の初任給が特別高いというわけではない。
日本では携帯電話の料金引き下げが政治問題となっている。携帯料金が高すぎるという政府の見解は半分間違っているが、半分は当たっている。
携帯電話は典型的な設備産業であり、どの企業も同じような設備投資を行っている。規制料金が設定されていない限り、地域によって極端に通信料金に差が出ることはなく、総務省の比較調査でも日本だけが突出して料金が高いという結果にはなっていない。
だが日本人の所得が相対的に下がっている現状では、同じ通信料金でも生活に与えるインパクトは違ってくる。通信料金が月1万円だったとして、大卒初任給が40万円の国と20万円の国では、料金に対する印象が異なるのは当然の結果といってよいだろう。
「中抜き」のビジネス慣習を見直すだけでも効果あり
こうした事態を根本的に打開するためには、日本がもっと経済成長するしか方法はないのだが、ビジネスの慣習を見直すだけでもそれなりの効果がある。
日本は現在、深刻な人手不足に陥っているが、その理由は人口減少だけではない。企業が過剰に人員を抱え込んでおり、本来は1人でできる仕事を1.5人あるいは2人で行っているというケースが多いのだ。業務をスリム化すれば、人手不足の一部は解消できる。
例えば、日本で住宅設備の取り付けや修理といった各種作業を依頼した場合、顧客が支払った料金に対して、実際に作業をしている労働者が受け取る賃金はかなり少ない。仕事を仲介する事務的な作業に過剰なホワイトカラーが従事しており、これが全体の生産性を著しく下げている。
欧米に行くと、それほど単価が高くない仕事をしている労働者が、大きなマイホームを購入していて驚かされることがある。こうした生活が実現できているのは、日本のような「中抜き」が少なく、労働者に代金の多くが渡っているからである。
肥大化した事務部門が中間搾取する事業構造を見直さないと、賃金は上昇しないし、人手不足はますます深刻になるばかりだ。高いスキルを持った人ほど、海外で就労するチャンスを見出す結果となってしまうだろう。日本人がアジアに出稼ぎに行く時代の到来を懸念する前に、やるべきことはたくさんあるはずだ。
▲△▽▼
日本を選んで"貧困"に落ちた中国人の後悔 上海のお手伝いさんより月給が安い
https://president.jp/articles/-/26878
2018.12.10 フリージャーナリスト 姫田 小夏 PRESIDENT Online
「中国は日本よりも生活水準が低い」というのは過去の話だ。都内の大手メーカーに勤務する永住者の中国人女性は「上海の友人のお手伝いさんは、自分よりも月給が高い」と嘆く。また埼玉県に住む50代の中国人男性は「“全身エルメス尽くし”の知人を満足にもてなす余裕がない」と話す。日本で働く中国人たちの本音とは――。
日本のパスポートは憧れ“だった”
10年ほど前、上海である商談に臨席したときのことだ。同行させてもらった男性が、日本の名前を刷り込んだ名刺を渡そうとした瞬間、客先の中国人女性からこんな言葉が口をついてでた。
「あなた本当に日本人なの?」
その質問に対し、「いえ、帰化したんです」と男性が答えると、中国人女性はすかさずこう言ったのだ。
「なーんだ、ニセの日本人か」
その物言いは確かに皮肉たっぷりだった。だが、名刺を渡した男性も、そして筆者も彼女がその言葉を発した根底に嫉妬心があることを知っていた。当時、「日本のパスポート」を持つことは中国の人々の憧れでもあったからだ。
日本の暮らしを選んだ中国人は満足しているか
日本で生計を営む中国出身の人々は少なくない。法務省によれば、2017年末の在留外国人数は約256万人、そのうち中国を祖国に持つ人たちは全体の3割を占め73万人にものぼる。永住者や留学生、日本人を配偶者にした人たちなどがこの日本で生活しているのだ。他方、日本には中国籍を捨て日本に帰化した人たちもいる。1952年〜2017年の統計(法務省民事局)を累計すると、その数は14万1668人を数える。だが、日本での暮らしを選んだ彼らは今、その生活に本当に満足しているのだろうか。
朱麗さん(仮名)は永住者として都内の大手メーカーに勤務する20代の女性だ。筆者はこの中国人の朱さんと池袋の喫茶店でお茶をした。よもやま話が続いた後、朱さんはおもむろにスマホの画像を差し出してこう切り出した。
「これね、すごく高級な茶葉なの。誰からもらったと思います? 幼なじみの家のアーイーからもらったんです」
アーイー(阿姨)とはお手伝いさんを意味する中国語だ。聞けば、朱さんが上海に一時帰国した際に訪れた幼なじみの家で、お手伝いさんからお土産として高級茶葉を渡されたのだという。
筆者からすれば耳を疑う話だ。お手伝いさんは主(あるじ)に雇われる低賃金労働者であり、「低賃金でこき使われている」というのがその典型だからだ。たまに理解のある雇用主が、気を遣って便宜を図ることがあっても、外省出身のお手伝いさんが「(上海人の)主の友人にお土産を直接渡す」なんて考えられない。
お手伝いさんの月給は32万円
朱さんはこのお手伝いさんについてこう語り始めた。
「幼なじみの友人はそのアーイーに2万元(約32万円)の月給を渡しているそうなんです。最近、上海ではアーイーの需要がすごくて、まれに1万元(約16万円)を超える月給をもらう人も出てきました。確かにこのアーイーは学歴があるようなんですが、だからと言って2万元はあり得ない。私の日本の月給を超えているんですよ!」
“お手伝いさんからもらった高級茶葉”は、「あなたより私のほうが上」という無言のメッセージだったのか。茶葉は朱さんに大きなショックを与えた。さらに朱さんのショックは、「2万元」をポンと払える幼なじみ夫婦にも向けられていた。
幼なじみ夫婦はともに上海の外資系勤務。その暮らしぶりのよさは、自宅マンションの立地や室内の家具からも伝わってきた。朱さんによれば、「早晩子どもが生まれる予定の幼なじみは、この学歴あるアーイーを家庭教師にさせるつもりで、今から高給で囲い込んでいるのではないか」と語る。
一方の朱さんは、新卒採用で都内の有名大手企業に入社した上海出身者だ。今の職場には不満はない。人間関係もいいし、仕事の内容も充実している。だが、ひとつだけ気に食わない点があった。それは「日本企業の給料の低さ」だった。
「上海に帰ってお手伝いさんでもやろうかな」
「私は家族と同居だから家賃や光熱費は考えなくてもいいけど、そうでない場合は大変です。母国との往復もしなければならない外国人にとって、手取り十数万円なんかじゃ生きていけないのです」
そしてこう本音を訴えた。
「日本って本当に魅力ある国なんでしょうか。魅力があるのは、日本の風景や日本の製品だけなのでは? 生活するにしても働くにしても、この国で生きていくのは結構キツイです」
確かに、今の上海の生活は日本以上に便利かもしれない。スマホのアプリをダウンロードすれば、ありとあらゆるサービスを享受できる。上海の街の至る所に掲げられるのは「共産党スローガン」であっても、それを見れば、なぜか「明るい未来」が到来するかのような錯覚に陥る。少子高齢化で先細る日本のような悲壮感はない。朱さんは別れ際に、冗談交じりにこう言った。
「私も上海に帰ってお手伝いさんでもやろうかなー」
日本と中国の生活水準は逆転していた
気が付けば、日中の生活水準は逆転していた。もちろん、中国から貧困問題が消えたわけではないが、とりわけ沿海部の大都市・上海と日本の生活水準を比べれば、その差は決して小さいものではない。
そもそも、なぜ彼らはそんなにカネを持っているのか。その答えは簡単だ。彼らは“事業用不動産”を持っているからだ。上海では多くの人が、住宅の転売や賃料収入で富裕になった。かつての国営工場(上海は工場の街だった)の“労働者階級”ですら、払い下げてもらった住宅を事業用不動産として運用し、不労所得に浴している。
税金面においては、個人所得税や事業税なども、その課税は日本ほど厳密なものではなく、固定資産税や相続税などは本格的な制度整備には至っていない。また、株式をはじめとする各種の理財(投資)商品は、乱高下がありながらも、経済成長を背景に確実に上昇した。激しい物価上昇といっても、農産物の値段は都市部の割には低く据え置かれている。
全身エルメス尽くしの友人に「敵わない」
こうした状況下で、彼らの貯蓄はあっという間に膨れ上がった。持てる中国人と持たざる日本人――この差が広がる今、日本に帰化した中国人は複雑な思いを抱えている。
埼玉県在住で日本名を持つ東島勇さん(仮名、50歳代)にとって、「大陸の中国人とどう向き合うか」は切実な問題だ。
「大陸の友人は貯蓄もたっぷりあって、年金もいい。そんな友人が私に同情してくれるんです。『支払いはいいよ、俺が払うから』と。しかも、豪華なレストランでの支払いです。今度は私がお返しをする番ですが、正直、このクラスの飲食店で彼を招待することなど、私のような“小さな貿易会社社長”の経済力なんかではできません」
エルメスが好みで“全身エルメス尽くし”。そのブランド品すら飽きが来れば使い捨て。移動は常にビジネスクラスで、この10年で世界各国隅々まで旅行した――そんな中国の友人は「もはや敵わない相手」(同)だという。東島さんは心中をこう吐露した。
「今の中国では、カネで地位が決まります。“成金中国人”はカネのない人間を軽視し、それを言葉や態度に表します。どんなに優秀でも、どんなにすばらしい思想の持ち主でも、カネがなければ発言権はないも同然なのです」
“中国よりも貧しい”中間層
貧乏人に発言権なし――それが現代中国の流儀だと東島さんは嘆くが、翻せば、これは国家間にも当てはめることができるだろう。日本という国家に経済力がなければ、あるいは国民一人ひとりに十分な資金力がなければ、いずれ中国から見下されてしまうのだ。
東島さんは一時期、悶々としていた。15年前、中国から日本に飛び出したまではよかったが、まさかこの短期間で中国経済が日本経済を凌駕しようとは、想像もしなかったからだ。中間層の生活を比べれば、日本は“中国よりも貧しい国”になってしまい、自分自身もまた中国の友人たちより質素な生活を送るようになってしまった。
東島さんは“金持ち中国人”とどう付き合うか、二者択一を真剣に悩んだと打ち明けた。ひとつは「まったく関わらないようにすること」、そしてもうひとつは「それでも付き合う」ということだった。東島さんの出した結論は後者だった。「中国から仕事をもらう身だから」というのがその理由だった。
「一生の幸せ」を考えると日本
ある日、その東島さんの表情はすがすがしいものになっていた。
「富を得るために私が今の中国に戻りたいかと問われれば、答えは『ノー』です。出版規制や情報コントロールなど、表現の自由があまりにひどい。政府にとって都合の悪い情報はホームページからすぐ消され、たかが通信アプリでのチャットでも国民は発言に気を遣う。私は思想をコントロールされてまで中国でカネ儲けをしたいとは思いません」
振り返れば、東島さんにとって中国籍を手放すのは乾坤一擲(けんこんいってき)の一大決断でもあっただろう。ひとたび、これを喪失すれば、中国での財産の相続権を失うことになる。また、彼は外国人になるわけだから、不動産投資含む中国での財テクが難しくなる。中国籍の喪失は、すなわち「富」から遠ざかることを覚悟しなければできない決断だったのだ。だが祖国中国に、人間が人間らしくあるための「自由」はない。東島さんはこの反目する2つの価値にようやくケリをつけたのだった。
日本を選び、日本企業で働くことが果たして正しい選択だったといえるのか――これを反芻する在日の中国人は少なくない。お金をためる、お金を儲けるという側面のみで見るならば、確かに日本は精彩を欠いているとも言えるだろう。
だが、その一方で、今の中国に見切りをつけて日本に住みたいと思う中国人もいる。友人が上海の街の画像を送ってきて、「今日も空気が悪い」とつぶやくように、日本には中国にない価値がある。「人の一生の幸せ」を考えたとき、やはり日本を選択してよかったと思う中国人も存在するのだ。
姫田 小夏(ひめだ・こなつ)
フリージャーナリスト
アジア・ビズ・フォーラム主宰。1997年から上海、日本語情報誌を創刊し、日本企業の対中ビジネス動向や中国の不動産事情を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、語学留学を経て上海財経大学公共経済管理学院に入学、修士課程(専攻は土地資源管理)を修了。14年以降は東京を拠点にインバウンドを追う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)、『インバウンドの罠』(時事通信出版局)ほか。
▲△▽▼
サンフランシスコでは年収1800万円でも「かろうじて食いつないでいけるレベル」の生活
Melia RobinsonMar. 26, 2017
https://www.businessinsider.jp/post-1135?utm_source=yahoo&utm_medium=news&utm_campaign=201812
サンフランシスコのベイエリアで暮らしていると、年収が1000万円を超えても貧乏と感じてしまうようだ。
Twitterの従業員が、匿名を条件にThe Guardianの取材に応じた。40代前半、サンフランシスコ在住のこの男性は、年収16万ドル(約1800万円)。だが、かろうじて暮らしていけるレベルだと語った。翌月まで「食いつなぐ」ために借金をしたこともある。
「ソフトウェア・エンジニアになったのに、家計に苦労することになるとは」。そう語る男性は、このエリアで家族と暮らしていくためには自分の収入は「かなり低い」と考えている。
家計のもっとも大きな支出は家賃。毎月3000ドル(約34万円)かかる。妻と2人の子ども。場所を考えるとこの家賃でも「ものすごく安い」と彼は言う。
サンフランシスコのベイエリアは、アメリカでもっとも人気が高いエリア。不動産サイト「Trulia」によると、家賃は平均月4200ドル(約48万円)。Google、Uber、Airbnb、Twitterなどに勤める中堅以上のエンジニアは、給料の40%〜50%を勤務先の近くに住居を借りるために使っているという研究結果もある。
サンフランシスコの人口のおよそ30%を占めるミレニアル世代が家賃を高騰させている。節約のために大勢のルームメイトと一緒に暮らしている者も多く、住宅市場の競争を加速させている。
同エリアでフルタイムで働く18歳〜34歳の人々の平均収入は、2013年に5万9000ドル(約671万円)だったと米国勢調査局のデータが伝えている。
[原文:A Twitter employee making $160,000 a year says he's only scraping by in San Francisco]
▲△▽▼
大学崩壊? 授業料高騰と人文系学問の消滅…すでにアメリカが迎えている危機とは 2018.12.5
https://dot.asahi.com/dot/2018120400028.html?page=1
連日多くの観光客が訪れるハーバード大学の授業料は年間600万円近くにも上る (c)朝日新聞社
アメリカではすでに問題となっている、大学の授業料高騰。日本の大学も危機的状況にあると、現役のアメリカ大学教授であり、竹内洋・関西大学名誉教授との共著『アメリカの大学の裏側』(朝日新書)を出版したアキ・ロバーツさんは警鐘を鳴らす。授業料値上げが引き起こす問題とは? ロバーツさんにご寄稿いただいた。
* * *
先日、日本のテレビ局の取材スタッフがアメリカに住む私のところにやってきた。12月5日放送の『緊急! 池上彰と考えるニュース総決算! 2018ニッポンが“危ない”』(TBS系)で日本の未来にかかわる危機的状況をいくつか取り上げるようで、高等教育がそのひとつだという。
特に大学の授業料の値上げが近い将来起こることが懸念されているという。日本の大学のモデルとなってきたアメリカの大学での授業料の高騰とその弊害について質問を受けた。昨年刊行した拙著『アメリカの大学の裏側』でアメリカの大学の影の部分にフォーカスしたからか、他の問題点についても聞かれた。
日本では大学の授業料の高騰はまだ未来の心配かもしれないが、アメリカではすでに起こっている現実問題だ。アメリカの大学の授業料は数十年かけて上がり続け、四年制私立大学の平均年間授業料は3万ドル(約340万円)以上にもなってしまった。これは日本の四年制私立の約4倍にもなる。ハーバードなどの有名私立では、年間600万円近くになるところもある。日本の国立や公立大学にあたる州立大学でも有名大学は授業料が高い傾向にある。例えば、カリフォルニア大学バークレー校の州外学生の年間授業料は400万円以上だ。
授業料の値上げはさらなる問題を引き起こしている。一番深刻なのは「教育の市場化」である。大学は学生を高額の支払いをしてくれる「お客様」と扱いだし、彼らを満足させることに必死になっている。例えば良い成績の大判振る舞いである。アメリカの成績はA、B、C、D、F(Fは不合格)と上から五段階だが、四年制の大学では半分近くの成績がAであり、授業料の高い大学ほど成績インフレはひどい。
学生募集のために大学は教育とまったく関係のないアメニティーの強化を競い合うようにもなった。1980年以降に生まれたミレニアルズと呼ばれる若い世代は物質的な豊かさに慣れているので、設備の豪華さや快適さを大学選びの基準にしがちだからである。流れるプールつきのスポーツセンターを何十億円もかけて建てる大学もあるし、スキーリゾートが大学内にあるところもある。大学の寮や食堂というと質素なイメージだろうが、アメリカの大学では高級ホテルのようなところが多い。コンシェルジュを備える大学もある。
大学スポーツ観戦が人気のアメリカでは、スポーツの強豪大学であるというのも大学選びの決め手になる。そのため大学はスポーツの強化にも莫大な資金をつぎ込むようにもなった。このような試みは授業料のさらなる値上げにつながり、結果的に学生にしわ寄せがいく。アメリカの学生ローンは年々増え続けていてついに100兆円を超えてしまった。70パーセント以上の大学生が負債を抱えて卒業するというのが現実である。
日本でも取り上げられる人文系学問の消滅の危機も、アメリカの大学ではもうすでに深刻化している。これも授業料高騰の弊害のひとつといっていいだろう。卒業後のローンの支払いのために、学生は幅広い教養をつけることより、就職に直結する知識やスキルを学ぶことを要求する。近年ではアメリカの大学の専攻の半分以上が特定の職業につくための実用的な分野で、卒業後の職業が明確にできない伝統的なリベラルアーツの専攻をする学生は年々減っている。
この他にも入試の点数だけでなく人物の全体像を審査するホリスティック入試の不公正さ、非常勤講師の多量採用など色々な問題が山積みとなっている。学生を惹きつける「売り」のない大学は、新入生が定員に満たず閉校するというケースも増えている。
日本の大学でも少子化が進むにつれ授業料の値上げや学生争奪戦、それにともなう学生消費者主義の深刻化は避けられないだろう。日本の大学が近い将来直面するであろう「危機」は、日本の大学がモデルとしてきたアメリカの大学の現状を見るとよくわかるのではないか。しかしアメリカの大学の抱えている問題のほとんどが解決の糸口さえ見えていない。日本の大学は何をお手本として高等教育の危機を回避したらいいのだろうか。
▲△▽▼
2018年12月26日
アメリカの子育て費用 高校まで2600万円、大学で2倍
アメリカで「中間層」より下だとまともな子育ては難しい
アメリカの子育て費用の高さ
日本は子育てに費用が掛かり国は無理解だとされ、比較対象として欧米先進国が理想的に語られることが多い。
先進国の中もアメリカはそうでもないという話があり、2015に誕生した子供が17歳になるまでに2600万円かかる。
この数字は”2012年に生まれた子供”の時は2300万円だったので、3年で300万円増えている。(1ドル110円程度として)
米農務省が2017年に発表した数字は前年より3%増加し、中間所得者層で約23万ドルが必要と書かれている。
米国では中間層の水準がかなり高く総額5万9200から10万7400ドル、日本円で年収650万円から1200万円になる。
実態とかけ離れている気もするが、年収600万円以下の世帯はアメリカでは貧困者扱いになっている。
年収600万円以下の”低所得者”世帯でも子育て費用はあまり安くならず、17歳までに17万ドル以上(約1900万円)もかかる
これは高校までの費用だが、かなり良い大学に通わせるなら17歳までと同額程度の費用がかかる。
日本では大学まで私立だと総額2600万円、ずっと公立だと1300万円ほどとされるがこれは教育費のみです。
アメリカの計算では住居費、食費、交通費、洋服費、医療費まですべて合計している。
純粋な育児教育費だけだと1割か2割にすぎず、半分以上は住居・食費・洋服でかかっている。
日本も育児教育費の他に子供のための住居や食費、洋服代や医療費などで2倍は支出している筈です。
日本の子育て費用も安くない
するとアメリカでは大学卒業まで5000万円以上、日本はずっと私立だとやはり5000万円、ずっと公立で倹約生活なら3000万円程度でしょう。
日本で有名医学部に通って医師になるには4年間で2000万円程度かかり、どのレベルの教育を受けさせるかで大きく違う。
日本で大学に進学せず高卒で働けば2000万円程度ですみ、18年間で割ると年間110万円前後になります。
アメリカでは子供でもアルバイトでお金を稼ぐのが普通だが、日本は大学でも費用をすべて親に払ってもらう人が多い。
しかもアメリカでは大学費用は奨学金(という名の高利貸し)で自分で支払うが、日本では親が払っている。
このように考えると特に日本では、大学進学に伴う親の負担が大きい。
アメリカで「低所得者」として切り捨てられる年収600万円以下世帯では、大学進学は困難だろうと思われます。
それどころかニューヨークの小学生の1割がホームレスで、充分な食事がなく支援を受けている子供が多い。
ちなみにアメリカでは親戚に預けられたり施設に保護されていてもホームレスで、日本とは基準が違う。
アメリカでは高校まで義務教育で、公立だと授業料が無料で自宅学習でも卒業できる。
従って高校までの進学率は高く大学への進学率も高いのだが、低所得者や貧困層は相当ひどいことになっている。
結局アメリカでは年収600万円以下は貧困者とされ、統計すら取って貰えないのです。
http://www.thutmosev.com/archives/78535267.html
拍手はせず、拍手一覧を見る
コメント
▲△▽▼
日本円はいくらなんでも安過ぎる (1ドル=50円 程度が適正価格)
2018年02月25日
ドル円相場はいくらが適正か 100円から70円まで
同じ為替レートでも日本のデフレでどんどん円安になっていく
このため日米の物価上昇率分だけ、円高になる
引用:https://moneyzine.jp/static/images/article/212170/01.png
購買力平価では1ドル105円以下
2018年に入って為替市場はドル安円高方向にふれていて、どこまで円高になるかが議論になっています。
この手の議論には正解がないのできりがなく、結果を見てみないと分からない。
将来ドル円がいくらになるか予想するためには、まず「いくらなら適正なのか」を知る必要があります。
大きく分けて為替の適正相場を知る方法は3つほどあり、一つは購買力平価から算出する方法です。
2つ目は日銀が公表している実質実効レートから判断する方法、3つ目はビッグマック価格から判断するビッグマック指数です。
まず購買力平価は各国の物価の違いを調整して、A国とB国の物価が同じになる為替レートを算出する方法です。
例えば日本の物価がアメリカより2割高いなら、ドル円レートを2割円高にすれば「正しいレート」になります。
細かい計算は省略して結論だけを書くと、1ドル95円から110円、その中でも100円から105円程度が適正になります。
2月後半は1ドル107円前後で推移しているので、購買力平価ではもう少し円高になれば適性になります。
実質実効レートでは90円台
実質実効レート(実効為替レート)も日本と外国の物価上昇率の違いを調整して、客観的な数値にしたものです。
日本はデフレで物価下落、アメリカはインフレで物価上昇なので、同じ1ドル100円でも日本の物価はどんどん安くなっていきます。
すると同じ為替レートでは日本では100円で買えるものがアメリカでは110円になってしまい、この分は為替が円高になることで物価が調整されます。
これも計算を省略して結論だけを書くと、現在の1ドル120円は1970年代の1ドル280円に等しい「超円安」になっていました。
日銀は実質実効為替レートは90前後で安定すると見ていて、現在は75前後なので1割か2割は円高になる余地がある。
すると実質実効レートから見たドル円の適正レートは、1ドル90円台という事になる。
ずいぶん円高のように思えるが、日米の物価上昇率の影響で、現在の90円台は20年前の1ドル110円台でしかない。
最後にビッグマック指数だが、これはビッグマック価格を基準に、各国の価格が同じになる為替レートを算出する方法です。
現在日本のビッグマックは390円でアメリカでは5ドルなので、ずばり1ドル78円が適正レートになる。
因みにリーマンショック前のビッグマック指数では1ドル90円台が適正だったが、最終的に1ドル70円台まで下落していました。
http://www.thutmosev.com/archives/75059779.html
▲△▽▼
日本円はいくらなんでも安過ぎる (1ドル=50円 程度が適正価格)
ドル-円は絶対に「黒田シーリング」124円台後半〜125円より円安にはならない
実質実効為替レートについて 2014年1月17日
http://www.central-tanshifx.com/market/market-view/sf-20140117-01.html
2013年のマーケットのキーワードとなっていた【アベノミクス相場】も、ここにきて最大の踊り場局面を迎えており、安部政権発足以来進行していた円安・株高がもたつきはじめてきました。
国策とも言われている【円安・株高】が滞ってしまえば、今まで相場の主役であった円が脇役に押し戻され、マーケットは次の主役探しに走ることも十分に考えられます。
今週に入り、ルー米財務長官は
「日本の長期的経済成長は(内需拡大により成されるべきであり)、為替水準の恩恵に過度に依存すべきではないし、それは不公平である。」
という主旨の発言をしました。15年以上に及ぶデフレから脱却し、世界経済の牽引役として重宝されてきた日本ですが、さすがにここにきて「為替依存症」が目に付いてきたのかもしれません。
果たして、現在の円安は行き過ぎなのか?
過去の円相場と比較して、アメリカなどの諸外国の逆鱗に触れる水準まで来てしまっているのか?
それについて、実効レートを通して考えてみたいと思います。
通貨の実力は実効レートで測る
日本では『実効レート』という物差しでマーケットを見る参加者が、今でも非常に少なく残念に思っています。
私自身も、最初にFXのディーラー・アシスタントとして東京でスタートした時には、この言葉を知らずに仕事をし、何の不都合も生じませんでした。
その後、1989年にFXの本場:ロンドンで仕事をはじめてからというもの、事あるごとに『実効レート』という単語を耳にし、「なんだろう?」と疑問を持ち始めたのです。特に英国中央銀行(BOE)は政策金利決定の判断材料として、実効レートを参考にしていると知ってから、必死で勉強しました。
日本で実効レートを知らずに仕事が出来る理由のひとつとして、日本の中央銀行である日銀が、他の主要国の中央銀行とは違い、レート自体を発表していないことが挙げられると思います。
英国・欧州・米国それぞれの中央銀行は、毎日自国通貨の実効レートを公表していますが、日銀は国際決済銀行(BIS Bank for International Settlements)が毎月一度発表している世界各国別の実効レートをそのまま使用しているに留まっています。
日本銀行 「実効為替レート(名目・実質)」の解説
http://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/exrate02.htm/
日本銀行 円の実効為替レート 月足
http://www.stat-search.boj.or.jp/
日銀はBISのデータをそのまま使用しているため、円実効レートは1ヶ月遅れで月に一度だけ発表されます。
これは1980年から2013年11月末までの円実効レート、月足チャートです。
これを見て、私はハッとしました。というのは、最近の円相場を語る時、ドル円のレベルだけを見て「まだまだここからの円安余地はある」と感じておりましたが、実効レートを見た途端、【究極の円安レベル】に達しているのが、わかったからです。
この円実効レートのチャートは、日本が変動相場制に移行した1973年から数年後の1980年から現在に至るまで、30年以上に渡り全ての数字が載っています。
リーマン・ショックが起きた2008年9月の円実効レートは、85.89。
そして最新の2013年11月のデータを見ると、実効レート: 77.61/東京市場ドル・円 スポット17時時点/月中平均: 100円04銭
と書いてありました。
その後、ドル円は105円をうかがう展開となりましたので、実効レートのレベルは当然11月の77.61よりも低い=円安色の強い数字になっていると想像されます。
過去に80を下回ったのは、いつなのか?と調べてみると、
一番最近では円キャリートレード全盛期の2007年(120円台)となっており、
それより以前では1980年代までさかのぼることになり、その当時のドル円は200〜250円台となっていました。
アベノミクス効果で、「3桁のドル円」に目が慣れてしまったせいか、なんとも思わなくなっていましたが、こうして実効レートで『本当の円の実力』を検証してみると、変動相場制以降、3番目か4番目に円実効レートが低い(=円安)『異常事態』とも言えるようです。
ここではじめて【為替相場をターゲットとしない内需拡大による持続的成長】を要請してきたルー米財務長官の言葉がやっと理解出来た気がします。
アメリカ財務省が年に2回提出する為替政策報告書は、例年5月頃と10〜11月頃の発表となっています。さすがに日本を名指しで非難しないとは思いますが、為替市場に従事する人間としては、「アメリカ政府の堪忍袋の緒が切れた」のかどうかを占う上でも、為替動向とアメリカ側からの発言内容やタイミングをきちんと把握すべきでしょう。
http://www.central-tanshifx.com/market/market-view/sf-20140117-01.html
止まらない円の価値下落… 2016/05/02
1ドル106円でも「超円安」のワケ 実質実効為替レートで読み解く円相場
https://zuuonline.com/archives/105338
4月29日のNY外国為替市場の円相場は、約1年半ぶりの水準となる1ドル106円28銭をつけた。これを聞いたら驚かれるかもしれないが、それでもなお、現在は「超円安圏」にあるのだ。
どういうことなのか、詳しく見ていこう。
続く「超円安」水準
「黒田シーリング」、それは、昨年初夏に市場参加者らにより設定された、ドル円為替での124円台後半〜125円に覆いかぶさり一段の円安進行を阻止せんとした「天井」のことである。
黒田日銀総裁は、衆議院予算委員会で
「実質実効為替レートがここまで来ているということは、ここからさらに円安に振れるということは、普通に考えればありそうにない」
と発言、ある種の「口先介入」とも捉えられ、上記シーリングの根拠となっていた。
中国ショックや原油価格崩落等に端を発した世界同時株安を経たドル円相場は現在110円をも大きく割り込み、振り返ってみると、確かにその天井は重要な節目となった。
わざわざ強調して用いられた「実質実効為替レート」なる表現。
当時、円の実質実効為替レートは、変動相場制移行以降では、なんと「史上最安値(円安)」に達してしていた。
具体的に過去を振り返る前に、実質実効為替レートについて簡単に解説しておこう。
円がドルに対して上昇していても、ユーロに対しては下落しているような時、すぐには円高なのか円安なのか分からない。そこで円の複数の通貨に対する総合的な為替レートとして貿易相手国との貿易取引量で加重平均して算出する値が実効為替レート。
さらにその数値にインフレ等の物価調整を施した後のものが実質実効為替レートである。
つまり、「一国の通貨の対外競争力を総合的に捉えるための単一の指標」と言い換えられよう。
止まらない円の価値下落
下図は、
「ドル円直物為替レート(赤線。 以下、ドル円)と、
円の実質実効為替レート(青線。単位:2010年=100。 以下、R)」
の1971年以降の推移であり、それに歴史上の重要なトピックスを補記したものである。
@1973年2月:変動相場制移行当時のドル円は300円程度。
Rは71.93と、基準値である100対比、約28%の円安水準。
A1985年9月:G5が協調してドル高是正を取り決めたプラザ合意当時のドル円は240円程度。
Rは84.47。
B1995年4月:史上初めて80円割れを示現したドル円。
Rは149.87へと価値急騰。
C1998年8月:日本金融危機・アジア通貨危機等を背景にドル円は145円へと急反発。
Rは95.73へと減価した。
D2008年9月:リーマンショック勃発直前のドル円は107円。
Rは85.84。
E2011年10月:ドル円は史上最安値75円32銭まで暴落。
Rは105.66。
F2015年6月:「黒田シーリング」設定。ドル円は125円手前。
Rは67.80。
水準比較で分析してみると・・・、
BとE時点ではドル円は70円台までの急落をみたが、 Rは149.87vs105.66と、期間も長く深い円高局面となった2011年の方が、逆に円の価値上昇がマイルドであった。
@とF時点の Rは70前後であるが、ドル円は300円vs125円と約58%円高水準となっている。
これは逆の見方をすれば、円の対外競争力としての価値は、1ドル300円当時以上に減価してしまっていることを意味するわけで、黒田総裁はじめ金融当局者らがかなり危機的意識を持ってマーケットを注視していたことも頷ける。
なお、1973年〜1995年までのドル円と Rは共に右肩下がり、つまり円高方向のトレンドを形成している。
ところが、1995年を境にドル円は概ね横ばいである一方で、Rは右肩上がりの軌跡を描き、両者は大きく乖離した状態で現在に至っている。
日本がデフレ状態にあったことなど様々な要因を挙げることができようが、筆者はIT革命によるグローバリゼーション加速の恩恵にあずかった新興国台頭の影響が最も大きかったとみている。
日本が貿易取引量を拡大させるのと時期を同じくして、新興諸国は輸出財において国際競争力をつけ、また資源・原材料価格の継続的な上昇を追い風にした。結果、著しい経済成長を遂げ、それが更に次の投資を呼び込むという好循環に繋がったことでそれらの通貨価値は上昇して行った。
交易条件は芳しくない状態
実質実効為替レートは、一国の通貨の対外競争力を総合的に捉えるための単一の指標であると述べた。それは即ち、国外の財やサービスを購買する力に他ならず、国力の現れのひとつでもある。今、その力が「歴史的にも最弱の領域」に達しているのだ。
また同時に、その様な状況下、日本の貿易収支は2011年06月あたりから頻繁に貿易赤字を記録しており、それはもはや円安をテコに輸出を大きく伸ばすことができないほどに、グローバル型製造販売体制として産業構造が変容してしまっていることをも意味している。
望まれる円の価値安定
現在、円の実質実効為替レートは、75前後となっている。
過去に照らせば、第2次オイルショック後期(1982年)と同程度の超円安水準だ。
円の実質実効為替レートの下落が、交易条件の好転に結び付かない構造となっているのであれば、円安がもたらすメリットをディスカウントして捉える必要があるだろうし、底値圏から反発局面にある原油価格に一段の上昇がみられた場合、交易条件の更なる悪化は免れない。
トリクル・ダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちるという経済理論)が不十分であれば、家計部門は一層痛むことにもなろう。
筆者はそれらをも踏まえ、円の価値を更に「人為的に」減価させ経済成長のテコとして用いるとの戦術を好ましく思わない立場だ。
更に言えば実質実効為替レートを80〜100に安定的に収まるような金融・為替政策を採って行くべきとの見解に立っている。
https://zuuonline.com/archives/105338
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/462.html#c5
南京大虐殺は無かった
従軍慰安婦は売春婦だった
と同じ類の妄想だな
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c14
>>7 で紹介済だけど、死体が沢山写ってるよ:
【討論】天安門30年と習近平の行方[桜R1-6-1] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z8e6o4Vxo3k
◆天安門30年と習近平の行方
パネリスト:
古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
石平(評論家)
坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
福島香織(ジャーナリスト)
ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・チベット文化研究所名誉所長)
矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総
2019.06.02 文=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事 Business Journal
魚を食べるメリットとデメリット
そんななか、食肉の消費量は相変わらず増えています。独立行政法人・農畜産業振興機構の調べによると、日本人1人当たりの食肉(牛肉・豚肉・鶏肉)年間消費量は、1960年に3.5kgだったのが、2013年にはその約10倍近くの30 kgにまで増えているそうです。一方で、日本人の主食であったはずの米は115kgから 57 kgに減少。同時に魚介類の消費量も減少しているそうです。
そもそも、動物性たんぱく質をそれほどたくさん摂る必要はなく(食事全体の10%でよい)、また現代の食肉生産はさまざまな問題を孕んでいるということは、本連載で繰り返し述べてきたので、ここでは触れませんが、同じ動物性たんぱく質を摂るなら、獣肉よりも魚肉のほうがいいとは、よくいわれることです。特に妊娠中の女性には積極的に食べていただきたい食品のひとつが魚です。それは、お魚に含まれるオメガ3脂肪酸系列のEPAやDHAなどの脂肪酸が胎児の脳の発達に良い影響を与えるからです。スペインの環境疫学研究センターの調査で、妊娠中に魚を多く食べた女性が産んだ子供は、認知機能テストで高得点を記録し、発達障害の発生も少ないことがわかっています。
ほかにも、魚を食べることのメリットはたくさんありますが、逆にデメリットはといえば、魚に毒性のある重金属類が含まれていることです。近海で獲れる魚より、遠洋で獲れる魚のほうが、より危険度が高いとされています。
養殖魚は、すべてとはいいませんが、危険なものが多いと思います。特に養殖のサーモンは要注意です。エサとしてトウモロコシ、大豆などの安価な穀物が使われ、加えて豚肉や鶏肉を加工したものや、大豆油やキャノーラ油などの植物油脂も使われています。もともと鮭がそのようなものを好んで食べていたとは到底考えられないので、鮭に合わないものを無理やり食べさせているわけで、当然、病気にもなります。それを未然に防ぐために、エサには感染症などを防ぐための抗生物質や合成ビタミン、もともと白身魚であるサーモンの身を鮮やかなピンク色にするために加えられる合成の着色料(アスタキサンチン)なども添加されています。
そして、さらに憂慮すべきは、養殖のサーモンには、ダイオキシン類やPCB(ポリ塩化ビフェニル)などの環境汚染物質も大量に含まれていることです。天然の鮭と比べて、ダイオキシンは11倍、PCBは16倍も多く検出されたという報告もあります。エサとして使われた穀物が含む農薬成分も魚の中に取り込まれてしまいます。
このような養殖のサーモンは、本来、魚を食べる場合のメリットのひとつである、オメガ3脂肪酸は極端に減少し、オメガ6脂肪酸が増大する傾向にあります。それが、食べた人の体内での脂肪酸バランスを狂わせ、不健康な状態をもたらすということに、早く、多くの方に気づいていただきたいものです。
■食生活の改善が不可欠
しかし、養殖魚の生産に携わっている方々のなかには、本当に素晴らしい技術をもって、安全性を第一に考えて一生懸命努力されている方もいらっしゃるので、そういう方々が生産したものと、劣悪な養殖魚をきちんと区別する、いわば「目利き」みたいなことが、これからは必要になってくるのかもしれません。
天然の魚も、遠洋のものには水銀などの有害重金属類が含まれています。これは、ご存じのように、胎児の脳の発達に悪影響を与えます。胎児のみならず、子供も大人も食べた人すべてに悪影響を与えることもわかっています。なぜ、遠洋のもののほうが危険度が高いかというと、食物連鎖の果てに体内濃縮が起こり、大型のものであればあるほど、その汚染度が濃縮されていくからなのです。それを食べるということは、食物連鎖の頂点に立つことを意味しますが、そこに問題の根幹があるのです。
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c96
2019.06.02 文=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事 Business Journal
魚を食べるメリットとデメリット
そんななか、食肉の消費量は相変わらず増えています。独立行政法人・農畜産業振興機構の調べによると、日本人1人当たりの食肉(牛肉・豚肉・鶏肉)年間消費量は、1960年に3.5kgだったのが、2013年にはその約10倍近くの30 kgにまで増えているそうです。一方で、日本人の主食であったはずの米は115kgから 57 kgに減少。同時に魚介類の消費量も減少しているそうです。
そもそも、動物性たんぱく質をそれほどたくさん摂る必要はなく(食事全体の10%でよい)、また現代の食肉生産はさまざまな問題を孕んでいるということは、本連載で繰り返し述べてきたので、ここでは触れませんが、同じ動物性たんぱく質を摂るなら、獣肉よりも魚肉のほうがいいとは、よくいわれることです。特に妊娠中の女性には積極的に食べていただきたい食品のひとつが魚です。それは、お魚に含まれるオメガ3脂肪酸系列のEPAやDHAなどの脂肪酸が胎児の脳の発達に良い影響を与えるからです。スペインの環境疫学研究センターの調査で、妊娠中に魚を多く食べた女性が産んだ子供は、認知機能テストで高得点を記録し、発達障害の発生も少ないことがわかっています。
ほかにも、魚を食べることのメリットはたくさんありますが、逆にデメリットはといえば、魚に毒性のある重金属類が含まれていることです。近海で獲れる魚より、遠洋で獲れる魚のほうが、より危険度が高いとされています。
養殖魚は、すべてとはいいませんが、危険なものが多いと思います。特に養殖のサーモンは要注意です。エサとしてトウモロコシ、大豆などの安価な穀物が使われ、加えて豚肉や鶏肉を加工したものや、大豆油やキャノーラ油などの植物油脂も使われています。もともと鮭がそのようなものを好んで食べていたとは到底考えられないので、鮭に合わないものを無理やり食べさせているわけで、当然、病気にもなります。それを未然に防ぐために、エサには感染症などを防ぐための抗生物質や合成ビタミン、もともと白身魚であるサーモンの身を鮮やかなピンク色にするために加えられる合成の着色料(アスタキサンチン)なども添加されています。
そして、さらに憂慮すべきは、養殖のサーモンには、ダイオキシン類やPCB(ポリ塩化ビフェニル)などの環境汚染物質も大量に含まれていることです。天然の鮭と比べて、ダイオキシンは11倍、PCBは16倍も多く検出されたという報告もあります。エサとして使われた穀物が含む農薬成分も魚の中に取り込まれてしまいます。
このような養殖のサーモンは、本来、魚を食べる場合のメリットのひとつである、オメガ3脂肪酸は極端に減少し、オメガ6脂肪酸が増大する傾向にあります。それが、食べた人の体内での脂肪酸バランスを狂わせ、不健康な状態をもたらすということに、早く、多くの方に気づいていただきたいものです。
■食生活の改善が不可欠
しかし、養殖魚の生産に携わっている方々のなかには、本当に素晴らしい技術をもって、安全性を第一に考えて一生懸命努力されている方もいらっしゃるので、そういう方々が生産したものと、劣悪な養殖魚をきちんと区別する、いわば「目利き」みたいなことが、これからは必要になってくるのかもしれません。
天然の魚も、遠洋のものには水銀などの有害重金属類が含まれています。これは、ご存じのように、胎児の脳の発達に悪影響を与えます。胎児のみならず、子供も大人も食べた人すべてに悪影響を与えることもわかっています。なぜ、遠洋のもののほうが危険度が高いかというと、食物連鎖の果てに体内濃縮が起こり、大型のものであればあるほど、その汚染度が濃縮されていくからなのです。それを食べるということは、食物連鎖の頂点に立つことを意味しますが、そこに問題の根幹があるのです。
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c291
「勝手に親の都合で産んだ」と毒づく息子を殺す。引きこもり問題は広がる2019.06.03
https://blackasia.net/?p=13091
日本では、ここのところ刺殺事件が続いている。名古屋の路上でひとりの男が知人を執拗に殴打して最後にドスを突き立てる事件も起きていたし、新宿のマンションで女性がホストを刺して血まみれにする事件も起きた。
このどちらの事件も現場の生々しい動画や写真が撮られていて、インターネットに出回った。(ブラックアジア:名古屋で起きた刺殺事件と新宿で起きた刺傷事件でリアルを知る日本人)
さらに、間髪を入れずに川崎市登戸でひとりの男がスクールバスを待っていた小学生らを包丁で次々と刺さしていくという事件も起きた。犯人は「引きこもり」の男だった。(ブラックアジア:川崎連続殺傷事件。岩崎隆一の起こした凄惨な殺人は社会に対する復讐か?)
その興奮が覚めやらぬうちに、今度は東京都練馬区の住宅街で、76歳の父親が同居する44歳の息子を刺殺するという事件が起きている。
父親は熊澤英昭という農水省元次官であり、日本のエリートであると言えるが、その子供は家に引きこもってゲームばかりしており、とがめられると家庭内暴力を引き起こしていた。(鈴木傾城)
死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持て?
「引きこもり」の問題が次々と表面化している。引きこもりは、親の死、親への虐待、親の子供殺害、子供の自殺、子供の衝動殺人、遺体放置、ホームレス化……等々、ありとあらゆる問題を引き起こす。
それは、引きこもりの子供の面倒を見る親が高齢化して、いよいよ引きこもりをしている子供が「終わり」を意識するようになっているからでもある。
引きこもりになってしまった子供を何もしないで放置していると、子供はもう自立することは不可能になってしまう。「社会が悪い、時代が悪い、親が悪い」とつぶやきながら、意味もなくずっと引きこもって出てこなくなってしまうのだ。
人生は自分の思う通りにいかず、誰もが何らかのハンディを持って生きなければならない。しかし、社会で挫折して引きこもりになってしまう人間もいる。
普通の人は、自分の食い扶持は自分で稼がなければならないので、否が応でも働いて稼ぐしかない。いつまでも打ちのめされている暇はない。
ところが、親が自分の子供を「一時的な措置」と思って自宅の一室に引きこもるのを許してしまうと、子供はその状況に依存する。このまま何もしなくても食べていけると思うようになるのだ。
そして、親の無償の援助に慣れていくに従って、引きこもりになった人間はそこから完全に抜け出せなくなってしまう。自ら「無力であり続けること」を選んでしまうのである。
すべての親は子供が自立し、自分の手で夢や希望や自分らしい生き方をつかみ取って欲しいと願っている。しかし、「一時的に」と思った援助に子供が依存し、それに慣れすぎてしまうと、すっかり自立する気持ちは失せる。
熊澤英昭が殺した引きこもりの息子は、ツイッターでこのように毒づいていた。
「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
図らずも、この息子の父親は、死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持ったことになる。
「援助を受け続ける」方向に最適化
ボディービルダーは、筋肉を強靱なものにするためには、筋肉に負荷をかけなければならないことを知っている。逆に筋肉を使わなければどうなるのか。
たとえば交通事故で半年寝たきりになった人は、うまく歩けなくなってしまう。うまく歩けないどころか、まったく歩けなくなってしまう人すらもいる。
なぜなら、半年も歩かなくなることで身体はその筋肉が無用であると判断して、足の筋肉が極度に衰えてしまうのである。
片足にギブスが入った人は、数ヶ月後にそれを取り外したとき、左右で足の太ささえも違ってしまうことに気付くだろう。ギブスで固められて使えなくなった筋肉は、明らかに退化して細くなってしまうのである。
リハビリをしなければ、二度と歩くことができなくなることすらもある。
「援助を受け続けると無力化する」というのは、言って見れば社会的に「寝たきりになっている」のと同じ状況である。
あまりにその状況が長く続くと心身は無意識に「何もしなくても生きていける」と判断するようになり、「援助を受け続ける」方向に最適化してしまう。
「援助を受け続ける方向に最適化する」というのは、要するに自立しない方向に最適化するという意味でもある。
自分がこうなったのはすべて「他者のせい」にして、「自分はその犠牲者や被害者である」と訴えることで自立しない方向が成し遂げられる。
「自分がこうなったのは親が悪い、学校が悪い、まわりにいる人が悪い、社会が悪い、国が悪い、環境が悪い、時代が悪いので、自分はその犠牲者であり被害者だ」
引きこもりが犠牲者や被害者になることに成功したら、このように続ける。
「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
100万人以上の引きこもりが路頭に迷う
外部からの援助に寄生して自立をしない方向を決意した引きこもりは、徹底的に自分を弱者に見立ててそれを強調する。そして、自立を強制する親や社会に「理解がない」と攻撃する。
そうやって自立することを忘れると、最後には完全に自立できない人間になっていく。社会性を忘れると、社会に戻れなくなってしまうのである。自分で自分をそこに追いやってしまうのだ。
人間は、本来は自分の望む生き方を誰かに与えてもらうのではなく、自分でつかみ取らなければならない。つかみ取ろうと必死になって這い回り、泥の中でもがくのが人生だ。
しかし、親に依存し、寄生することに成功してしまうと、そうした本来の自分の可能性を自分で封じ込め、ただ無為に暮らして自分の可能性を自分で腐らせてしまう。
問題を抱えた子供を思いやり、支援し、援助するというのは、親にとっては「良かれ」と思ってする自然な行為だ。子供が食べていけなければ、ひとまず自分の家で傷が癒えるまで保護しようと思う。
子供の引きこもりが長引いても「しばらくは、そっとして上げよう」と考える。しかし、子供をいつまでもだらだらと引きこもらせて自立を喪失させてしまうのは、最終的には子供を台なしにしてしまう危険な行為でもある。
引きこもりを許すことによって当人の自立を奪い取るというのは大きな罪であり、社会的損失でもある。そうした状況は今すぐ打ち切って、自立に向けて対処すべきだ。
良かれと思って続けた行為が子供の将来を奪い取るというのであれば、親にも責任がある。
子供が自立できていた時、もしかしたら素晴らしい貢献が社会に対して為されたのかもしれない。しかし、子供が親の過剰な援助によって無気力化されると、その貢献は失われる。
そろそろ日本は引きこもりを生み出さない環境を整備すべきだ。たとえば、1年以上の引きこもりは行政が親から問題を引き継ぐような措置等を考えるべき時期に来ている。
これから親の経済的体力が消失していき、100万人以上の引きこもりが路頭に迷う時代がやってくるのだから……。(written by 鈴木傾城)
熊澤英昭。引きこもりの息子を殺して逮捕された。引きこもりの息子は、ツイッターでこのように毒づいていた。「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
https://blackasia.net/?p=13091
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c14
桜井春彦は悪質な詐欺師
で間違いない。
世の中には180度違った物も含めて無数の意見や証言が有って、すべて網羅して総合判断しないと真実はわからない。
しかし、桜井春彦はその無数の中から自分に都合のいい話だけを選別して
それ自分が発見した隠された真実みたいに書いているんだな。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c20
桜井春彦は悪質な詐欺師
で間違いない。
世の中には、意図的に流された嘘やデマも含めて、180度違った無数の意見や証言が有って、すべてを網羅して総合判断しない限り真実はわからない。
しかし、桜井春彦はその無数の信頼度が低い話の中から自分に都合のいい話だけを選別して、あたかも自分が誰も知らない隠された真実を発見した様に書いているんだな。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c2
不景気になると株価は暴落する
新唐人テレビの六四天安門事件についての番組
1989 06 04中共在天安门屠杀大学生 - YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=2tD7UP631W4
北京公演で天安門事件の写真、1万5千人ぼう然
【広州=吉田健一】17日付の香港紙「明報」などによると、世界的なパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」が今月北京で行った公演で、中国本土では公開が禁止されている1989年の天安門事件に関する写真が巨大スクリーンに映し出された。
シルク・ドゥ・ソレイユ側は、公演内容はすべて中国当局の事前審査を経たとしている。中国政府は天安門事件に関して厳しい言論統制を敷いており、審査時に当局が見落とした可能性がある。
写真が登場したのは、9〜11日に行われた公演の初演。米歌手の故マイケル・ジャクソンさんの「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」という曲に合わせ、天安門事件で戦車の前に一人の男性が立ちはだかる有名な写真が舞台上に約4秒間映し出された。その瞬間、会場内の約1万5000人の観客は驚き、ぼう然となったという。
●中共の指導者、ケ小平は次のように言った。
「中国には10億の人間がいる。100万人、200万人死のうが、ものの数ではない。」
このようにして大虐殺を行い、民主化を求める市民を弾圧したのである。これは人間のすることではない。ナチス以上の悪魔だ。そりゃそうだ。反右派闘争、大躍進の失敗、文化大革命における文化人の大虐殺。人を殺すのが大好きな悪魔勢力、それが中共だ。
投稿主様の勇気ある投稿に敬意を表します。中共を撃滅しなければ人類の未来はない。
1989 06 04中共在天安门屠杀大学生 - YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=2tD7UP631W4
北京公演で天安門事件の写真、1万5千人ぼう然
【広州=吉田健一】17日付の香港紙「明報」などによると、世界的なパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」が今月北京で行った公演で、中国本土では公開が禁止されている1989年の天安門事件に関する写真が巨大スクリーンに映し出された。
シルク・ドゥ・ソレイユ側は、公演内容はすべて中国当局の事前審査を経たとしている。中国政府は天安門事件に関して厳しい言論統制を敷いており、審査時に当局が見落とした可能性がある。
写真が登場したのは、9〜11日に行われた公演の初演。米歌手の故マイケル・ジャクソンさんの「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」という曲に合わせ、天安門事件で戦車の前に一人の男性が立ちはだかる有名な写真が舞台上に約4秒間映し出された。その瞬間、会場内の約1万5000人の観客は驚き、ぼう然となったという。
●中共の指導者、ケ小平は次のように言った。
「中国には10億の人間がいる。100万人、200万人死のうが、ものの数ではない。」
このようにして大虐殺を行い、民主化を求める市民を弾圧したのである。これは人間のすることではない。ナチス以上の悪魔だ。そりゃそうだ。反右派闘争、大躍進の失敗、文化大革命における文化人の大虐殺。人を殺すのが大好きな悪魔勢力、それが中共だ。
投稿主様の勇気ある投稿に敬意を表します。中共を撃滅しなければ人類の未来はない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c3
まあ、知恵遅れの櫻井春彦の嘘にコロッと騙される阿修羅の住民の方がもっとIQ低いんだけど(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c22
原発関係妄想板
に名称変更した方がいいですね。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/558.html#c10
MMT 対 主流派経済学(後編) 2019-06-03 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12465897701.html
日本の報道では「異端 異端」繰り返されているため、MMT(現代貨幣理論)は「ぽっとでの新興経済学」と誤解されていますが、そんなことはありません。
MMTはケインズ、シュンペーター、ラーナー、ハイマン・ミンスキー、ガルブレイスなど、錚々たる「知の巨人」たちの後継なのです。レイ教授やケルトン教授は、かつては「主流派」だったケインズ系の経済学の意志を継ぐ者です。
世界大恐慌に端を発する超デフレーションを解決できなかった、当時に主流派「古典派経済学」が失墜し、代わりにケインズ的な考え方が主流になりました。戦後から70年代まで、西側先進国はケインズ的な経済政策、つまりは政府が「国民の財政主権」に基づき、需要をコントロールし、完全雇用を目指す政策により大発展。
日本をはじめ、西側先進国の経済規模は一気に拡大しました。
つまりは、新古典派など現在の主流派は、当時は「傍流」あるいは「異端」だったのです。
ジェームズ・M・ブキャナンの著作である「赤字財政の政治経済学―ケインズの政治的遺産」を読むと、当時の非ケインズ派経済学者たちが、財政政策の拡大を「嫌悪していた」のが理解できます。
ブキャナンは、政府をまるで財政赤字を垂れ流す「怪物」のごとく描いています。
ブキャナンの「赤字財政の政治経済学 ケインズの政治的遺産(文眞堂)」から引用します。いきなり、冒頭から、
『アメリカの独立宣言の年(1776年)に、アダム・スミスは「すべての個人家庭の管理にみられる思慮分別が、大帝国の管理運営にとって愚行であるはずがない」ことをみてとった。今世紀中頃の「ケインズ革命」の到来までは、アメリカ共和国の財政運営は、このようなスミス流の財政責任原則によって特徴づけられていた。すなわち政府は、課税せずに支出してはならないし、また一時的で短命な便益の供給をもくろむ公共支出を赤字財政によって賄い将来の世代を束縛してはならない、とされた』
と、ケインズ「革命」への憎悪から始まります。
現代の日本に蔓延る「財政赤字は悪である」「国の借金で破綻する」「公共支出の効果は一時的で短命」といった財政否定論、あるいは財政破綻論は、ブキャナンら20世紀後半の主流派経済学者に端を発しているのです。
ケインズは、国家(中央政府)の財政を家計簿と同一視することを否定しました。政府に通貨発行権や徴税権といった強大な権力がある以上、「家計簿で財政を語る」ことは明確に間違っています。
とはいえ、ブキャナンは財政責任原則を唱え、当時のアメリカは「持続的かつ増大する予算の赤字」「急速に膨張する政府部門」「高い失業率」「慢性的かつ上昇気味のインフレ率」に苦しめられているとして、ケインズ主義を否定したのです。70年代後半以降、アメリカは「高インフレ+高失業率」というスタグフレーションに悩まされることになり、ブキャナンの考え方は説得力を帯び、その後の「経済学」に大きな影響を与えました。
ブキャナンやフリードマンら、(現代の)主流派経済学者たちが「カネ」を求めていたとは思いません。とはいえ、彼らの財政均衡主義、緊縮財政、サプライサイド経済学、マネタリズムが、
「自らの利益最大化を目指すビジネス」
により利用されたのは間違いありません。
デフレ化政策により、税収が減ると、行政の「財政的」な維持が不可能になる(もしくは「不可能」と喧伝する)。ならば、民営化です、自由化です。規制緩和です。ついでに、外国の供給能力にも頼りましょう。自由貿易です。国境開放です。移民拡大です。もはや、国境や国籍にこだわる時代は過ぎました。
というわけで、「緊縮財政」「規制緩和」「自由貿易」のグローバリズムのトリニティが進み、国民貧困化、安全保障崩壊と引き換えに、一部の政商、レント・シーカー、ビジネスが利益を得る。
主流派経済学の「インフレ嫌悪症」は、デフレ化政策の推進を容易にし、結果的に「儲けるビジネス」が出てくるわけでございます。だからこそ、主流派経済学は常に「強い」のです。
例えば、
「日本の公務員の給料は高すぎる! 財政破綻するんだから、公務員を削れ!」
と、ルサンチマンにまみれた国民が緊縮財政を支持すると、派遣会社最大手パソナの会長が、
「ならば、公務員も規制緩和ということで、派遣社員を可能にしよう」
と、構造改革。今や、公務員の「五人に一人が非正規雇用」という恐ろしい状況になっています。
さらには、財政均衡主義に染まった財務省のデフレ化政策、21世紀に入って以降、パソナ会長の竹中平蔵氏が主導した構造改革により、若者がまともな職に就けず、氷河期世代、失われた世代と化したと思ったら、就業支援を「人材派遣会社」に委託する。またもや、パソナが大儲け。
『就職氷河期世代、国が就業支援 不安定な仕事から脱却を
「就職氷河期世代」とされる30代半ばから40代半ばの世代が安定した仕事につくための支援策を29日、厚生労働省がとりまとめた。今後3年間を集中的な支援期間とし、正社員として雇った企業への助成金の拡充や企業や自治体と連携しての職業訓練などが柱。政府は今夏にまとめる「骨太の方針」に盛り込み、数値目標を設けて達成をめざす。(中略)
対策の柱として、人手不足の建設や運輸などの業界団体を通じ、短期間で就職に結びつく資格を得るための訓練コースをつくる。また、正社員に採用した企業には最大60万円の助成金を支払う制度の条件を緩めるほか、氷河期世代を対象にしたキャリア教育や職業訓練を人材派遣会社などに委託し、就職に結びついた成果に応じて委託費を払う。厚労省は今後、全国の労働局を通じて都道府県や地元の経済団体などと連携。具体的な支援の計画づくりを進める。(後略)』
デフレ、国民貧困化、安全保障崩壊で大儲けした企業の政治力は高まり、さらに主流派経済学が力を増し、デフレ化政策が推進される。
財政拡大派や、MMTなど、国民を豊かにすることを目指す考え方は無視されるか、潰される。
そして、ついに「生産性向上」をスルーする主流派経済学の影響もあり、移民の本格的な受け入れが始まった。
これが日本の現状なのです。
MMTにより、歴史的な「主流派経済学」と「国民のための経済学」の争いが激化している。
いわゆるリフレ派も、主流派経済学の一派で、インフレ嫌悪症に変わりはない。
上記を理解して初めて、今の日本で起きていること、これから起きることが正しく見えてくるのです。
とりあえず、我が国はデフレ脱却う実現しなければ話になりません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12465897701.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/298.html#c23
熱いお茶で飲酒・喫煙者の食道がんリスク増大、中国で研究
2018.02.06 Tue posted at 14:54 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35114311.html
熱すぎる飲み物、がんの原因に?
(CNN) たばこを吸ったりお酒を飲んだりする人が熱いお茶を飲むと、食道がんにかかる危険性が高くなるとの研究結果を、中国のチームが新たに発表した。
北京大学の研究者らが50万人近い中国の成人を平均9年半にわたって追跡し、結果を内科専門誌の最新号に発表した。この分野の研究としては過去最大の規模とされる。
お茶を毎週飲むと答えた人に、その温度を「温かい」「熱い」「非常に熱い」の中から選ぶよう指示したところ、「熱い」もしくは「非常に熱い」お茶を飲むこと自体に食道がんとの相関はみられなかった。
しかし1日にたばこを1本以上吸う人や、アルコールを15グラム(グラス約1杯のビールに相当)以上を摂取する人は、「熱い」または「非常に熱い」お茶を飲んでいると食道がんのリスクが2〜5倍に増大することが分かった。
喫煙や飲酒はもともと食道がんのリスク要因として知られている。専門家によれば、食道の表面を刺激すると炎症がひどくなり、細胞の入れ替わりが加速してがんを誘発する可能性や、熱い飲み物で食道壁にある細胞のバリア機能が損なわれ、発がん物質による悪影響が大きくなる可能性が考えられる。
この研究ではお茶の温度が客観的な数字で示されていないが、過去の研究では65度以上の飲み物で食道がんの危険が増すとの結果も報告されている。
ただしこれまでの研究で、お茶の葉は抗酸化作用を持ち、結腸がんや前立腺がんを予防する可能性があるとの説や、緑茶はがん予防、紅茶は循環器系疾患に効果があるとの説も報告されてきた。
研究チームの責任者は、食道がんを防ぐにはお茶をやめることでなく、喫煙や飲酒を控えることが重要だと強調している。
_____
減量やがん、認知症予防には? 緑茶の健康効果を探る
2019.06.02 Sun posted at 10:02 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35137743.html
(CNN) 緑茶が健康に良いという説を聞いて、毎朝のコーヒーを緑茶に切り替えようと考えている人がいるかもしれない。緑茶の効果をめぐって、これまで報告された研究結果を振り返る。
緑茶と紅茶は同じ種類の木から摘んだ葉で作られるが、製法が違う。緑茶の葉はすぐに加熱して乾燥させるため、十分に発酵させる紅茶と比べて工程が短く、植物由来の抗酸化物質フラボノイドの一種であるカテキンという成分が酸化せずにそのまま残っている。
ハーバード大学でフラボノイドの健康効果を研究するハワード・D・セッソ准教授によると、カテキンの中でも特に抗酸化作用の強いエピガロカテキンガレート(EGCG)は、緑茶特有の成分とされる。
緑茶の減量効果については、緑茶を飲んだりカプセルで摂取したりした結果を統合している「メタ分析」がある。アジア人を中心にわずかな体重減少がみられるものの、人種による違いや、緑茶中のEGCGとカフェインによる作用の区別などははっきりしなかった。
別の研究では確かに減量効果が確認されたが、対象者はお茶そのものを飲んだわけではなく、緑茶15杯分に相当するエキスを摂取していた。それでも体重の減少幅は小さく、心血管系の健康状態を改善するのに必要な5〜10%には達しなかった。
がん予防の効果をめぐっては、2009年の系統的レビューで十分な根拠がないとの結論が出された。前がん状態の病変の進行を遅らせるようだとの報告もあったが、がんのリスクが低減するかどうかは確認されていない。このレビューの後、前立腺がんや大腸がんなどについての研究も発表されたが、予防効果を立証するには至っていない。
緑茶が脂質の吸収や血圧を抑え、心臓病のリスクを下げる可能性も指摘されている。ただしこれまでの研究は規模が小さく期間も短かったため、予防効果を断定することはできないという。
一方で日本のある研究は、緑茶が認知症のリスク低減にかかわっていると結論付けた。紅茶やコーヒーにこの効果はみられない。ただ、この研究の対象者は緑茶を長年飲み続けた人々で、生活習慣が全般的に健康的だった可能性もあるという。
緑茶の健康効果を立証するには、今後さらに長期的な対照試験が必要だ。対象者が毎日緑茶を飲み続けるという指示にしっかりと従ってくれるかどうか、という問題もある。
だがセッソ氏によると、緑茶を飲んで害になることはなさそうだ。野菜中心の健康的な食事とともに1〜2杯の緑茶を飲むのはとても良いことだと、同氏は強調する。とはいえ、本人は緑茶もコーヒーも飲む習慣がないという。
_____
因みに、緑茶より麦茶の方がはるかに健康効果が高いです。
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c97
熱いお茶で飲酒・喫煙者の食道がんリスク増大、中国で研究
2018.02.06 Tue posted at 14:54 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35114311.html
熱すぎる飲み物、がんの原因に?
(CNN) たばこを吸ったりお酒を飲んだりする人が熱いお茶を飲むと、食道がんにかかる危険性が高くなるとの研究結果を、中国のチームが新たに発表した。
北京大学の研究者らが50万人近い中国の成人を平均9年半にわたって追跡し、結果を内科専門誌の最新号に発表した。この分野の研究としては過去最大の規模とされる。
お茶を毎週飲むと答えた人に、その温度を「温かい」「熱い」「非常に熱い」の中から選ぶよう指示したところ、「熱い」もしくは「非常に熱い」お茶を飲むこと自体に食道がんとの相関はみられなかった。
しかし1日にたばこを1本以上吸う人や、アルコールを15グラム(グラス約1杯のビールに相当)以上を摂取する人は、「熱い」または「非常に熱い」お茶を飲んでいると食道がんのリスクが2〜5倍に増大することが分かった。
喫煙や飲酒はもともと食道がんのリスク要因として知られている。専門家によれば、食道の表面を刺激すると炎症がひどくなり、細胞の入れ替わりが加速してがんを誘発する可能性や、熱い飲み物で食道壁にある細胞のバリア機能が損なわれ、発がん物質による悪影響が大きくなる可能性が考えられる。
この研究ではお茶の温度が客観的な数字で示されていないが、過去の研究では65度以上の飲み物で食道がんの危険が増すとの結果も報告されている。
ただしこれまでの研究で、お茶の葉は抗酸化作用を持ち、結腸がんや前立腺がんを予防する可能性があるとの説や、緑茶はがん予防、紅茶は循環器系疾患に効果があるとの説も報告されてきた。
研究チームの責任者は、食道がんを防ぐにはお茶をやめることでなく、喫煙や飲酒を控えることが重要だと強調している。
_____
減量やがん、認知症予防には? 緑茶の健康効果を探る
2019.06.02 Sun posted at 10:02 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35137743.html
(CNN) 緑茶が健康に良いという説を聞いて、毎朝のコーヒーを緑茶に切り替えようと考えている人がいるかもしれない。緑茶の効果をめぐって、これまで報告された研究結果を振り返る。
緑茶と紅茶は同じ種類の木から摘んだ葉で作られるが、製法が違う。緑茶の葉はすぐに加熱して乾燥させるため、十分に発酵させる紅茶と比べて工程が短く、植物由来の抗酸化物質フラボノイドの一種であるカテキンという成分が酸化せずにそのまま残っている。
ハーバード大学でフラボノイドの健康効果を研究するハワード・D・セッソ准教授によると、カテキンの中でも特に抗酸化作用の強いエピガロカテキンガレート(EGCG)は、緑茶特有の成分とされる。
緑茶の減量効果については、緑茶を飲んだりカプセルで摂取したりした結果を統合している「メタ分析」がある。アジア人を中心にわずかな体重減少がみられるものの、人種による違いや、緑茶中のEGCGとカフェインによる作用の区別などははっきりしなかった。
別の研究では確かに減量効果が確認されたが、対象者はお茶そのものを飲んだわけではなく、緑茶15杯分に相当するエキスを摂取していた。それでも体重の減少幅は小さく、心血管系の健康状態を改善するのに必要な5〜10%には達しなかった。
がん予防の効果をめぐっては、2009年の系統的レビューで十分な根拠がないとの結論が出された。前がん状態の病変の進行を遅らせるようだとの報告もあったが、がんのリスクが低減するかどうかは確認されていない。このレビューの後、前立腺がんや大腸がんなどについての研究も発表されたが、予防効果を立証するには至っていない。
緑茶が脂質の吸収や血圧を抑え、心臓病のリスクを下げる可能性も指摘されている。ただしこれまでの研究は規模が小さく期間も短かったため、予防効果を断定することはできないという。
一方で日本のある研究は、緑茶が認知症のリスク低減にかかわっていると結論付けた。紅茶やコーヒーにこの効果はみられない。ただ、この研究の対象者は緑茶を長年飲み続けた人々で、生活習慣が全般的に健康的だった可能性もあるという。
緑茶の健康効果を立証するには、今後さらに長期的な対照試験が必要だ。対象者が毎日緑茶を飲み続けるという指示にしっかりと従ってくれるかどうか、という問題もある。
だがセッソ氏によると、緑茶を飲んで害になることはなさそうだ。野菜中心の健康的な食事とともに1〜2杯の緑茶を飲むのはとても良いことだと、同氏は強調する。とはいえ、本人は緑茶もコーヒーも飲む習慣がないという。
_____
因みに、緑茶より麦茶の方がはるかに健康効果が高いです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/731.html#c20
国際派日本人養成講座 No.1115 天安門事件は「もう終わったもの」か? 2019/05/25
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201905/article_4.html
この30年、中国共産党政権は巧みな手口で、天安門事件を「もう終わったもの」と糊塗してきたが、、、
■1.「居酒屋のテーブルに顔を伏せて嗚咽を漏らし続ける石平氏」
「この人の本当の人生は、実は一九八九年六月四日に終わっているのではないか? ・・・居酒屋のテーブルに顔を伏せて嗚咽を漏らし続ける石平氏を見て、私はそんな思いが頭から離れなかった」[1, p216]
1989(平成元)年6月に起きた天安門事件[a]から30年。民主化を求めて立ち上がった学生や民衆を戦車と銃で鎮圧し、数千とも万とも言われる犠牲者が出たとされる。当時、石平氏は日本留学中だったが、この事件で何人かの知人を失った。[b,c]
__________
石平 私は彼らの名前も出身地も、当時の学年も所属学科も、一緒に未来を語り合ったときの雰囲気も握手したときの手のぬくもりも、すべて明確に覚えている。でも、どんなに頑張っても彼らの顔を思い出せない。……なぜか、本当に思い出せない。おそらく思い出したら私の精神はもたないんです。[1, p95]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
自分の精神を守るために、本能が記憶の一部を封印してしまう事があるそうな。石平氏にとって、天安門事件で失った知人たちの顔はこのケースなのだろう。
天安門事件の詳細なルポ『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した安田峰俊氏と石平氏が語り合った『天安門30年 中国はどうなる?』[1]の一コマである。天安門は石平氏にとって、いまだ直視し得ない事件であった。
一方、安田氏はこう言う。
__________
安田 私は仕事でもプライベートでもさまざまな中国人に会うわけですが、事件をリアルタイムで知る世代と知らない世代では、世界観や自国(=中国)観が根本的に違う。政府や権力に対する怖(こわ)がり方や、社会への信頼感の持ちようが明確に違うんです。[1, p16]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「その謎を解きたい」と安田氏は、石平氏との会談に臨んだ。
■2.トウ小平と知識人たちとの「契約」
二人の対話は、「そもそも天安門に至る民主化運動の本質はなんだったのか」から始まって、「現在の習近平政権とその後の展望」にまで広がっているが、その中で筆者にとって最も印象的だったのが、中国共産党政権が事件を巧みに封印した手口だった。
天安門事件の直後から中国は3年ほど迷走の期間があったと、安田氏は指摘する。
__________
安田 八〇年代の自由な雰囲気の中で育った学生が反抗したので、陳雲(ちんうん)なんかの保守派の長老にしてみれば「それ見たことか」となった。
この時期は東欧の社会主義国に加えて、一九九一年にはついに社会主義の大親分であるソ連まで崩壊してしまいましたので、西側陣営が中国国内の世論に介入して体制転覆をはかっているとする「和平演変(えんぺん)」を警戒する声が強まった。・・・
当時の中国の社会は、沈黙の中にあったようです。天安門事件を機に海外からの投資がいっせいに引き揚げて経済が停滞し、中国へ旅行に行こうと考える外国人もいなくなります。実際に当時を知っている人たちの話でも、社会はピリピリし続けていたといいます。そんな、死んだ沈黙の時代が、三年続いた。[1, p88]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
石平 では、そんな天安門事件の後遺症をどうすれば克服できるのか。党の側が出した一つの答えが「南巡講話(なんじゅんこうわ)」で、一九九二年、トウ小平が打ち出した市場経済の大幅な容認政策です。実は中国共産党が市場経済化、すなわち社会主義市場経済を認めたのは九〇年代からのことです。[1, p70]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
石平氏は「中国の経済発展は、天安門事件から始まったといえる」と言う。
__________
石平 つまりトウ小平は、天安門事件の後遺症を克服するために、政権と敵対するエリート階層、知識人たちとの間で「契約」を結んだわけです。その契約の内容とは、「市場経済による金儲けのチャンスを与える」です。日本で「金儲けのチャンス」というと普通に聞こえますが、中国人にとっては一九四九年以来初めてのことなんです。
自分の努力次第で(もちろん悪いほうの努力も含めて)お金持ちになれるというのは、中国人にとっては衝撃です。そうなると大半のエリートたちがいっせいに市場に参入します。しかしこの契約にはもう一つ、「その代わり二度と反政府的な言動をするな、二度と政治に関心を持つな」という意味もありました。[1, p72]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■3.「この契約を受け入れて金儲けすれば、、、」
その「契約」に乗ったのが、たとえば石平氏の友人E君。北京大学でよく酒を飲みながら、中国の未来について激論を交わしていた。天安門の当時は、出身地の東北(旧満洲)地方で大学講師をやっていたが、北京へ戻ってきて最後まで戦い、しかも生き延びた。
その後、しばらく東北に潜伏していたが、やがて南巡講話によって市場経済化が始まると、地方にある国有銀行の副頭取だった叔父に融資してもらい、不動産開発を始めて大金持ちになった。
__________
石平 彼は開発のために共産党の幹部にたくさん賄賂を渡したと公言していました。しかし彼には彼の論理があって、「自分は昔、共産党との闘いで敗れたが、今度こそ勝つ。共産党幹部は俺のカネの力の前に跪(ひざま)ずいた。カネの力で共産党を変える」というわけです。[1, p75]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
石平氏はこの発言を聞いて、E君が心の底でまだ反骨心を持っていたことに、少しは嬉しかったという。
__________
ただ、おそらく周囲の人間の大部分は彼の心の底に何があるかを知らず、「金持ち」というアイコンしか認識していない。政権側からすれば、やはり彼のような人間の登場はしてやったりでしょう。
「権力に対して反抗的な人間、天安門事件で絶望して共産党政権に敵意を抱く人間、あるいはそれでもまだ中国を変えようとしている人間──。そうした連中がみんな、この契約を受け入れて金儲けすれば彼のように大金持ちになって成功するじゃないか」というわけです。[1, p76]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■4.西洋式「デモクラシー」と中国式「民主」の認識の「ズレ」
トウ小平が亡くなったのは1997年だが、その後、江沢民、胡錦濤と2代の後継者を通じて、その方針は20年以上も継続された。安田氏は「天安門の学生運動の性質を、実は共産党はよく理解していた」という。
__________
安田 天安門の運動で若者たちを動かした動機には、民主化要求以外にもいくつかのレイヤー(層)が存在していました。それが「愛国」や「自由」です。江沢民政権は「天安門」で爆発した若者のパッションから「民主化」を注意深く除去し、「愛国」と「(経済的な)自由」のみを拡大して提示し、国民を慰撫(いぶ)することに成功した。・・・
愛国に関しては「中国が好き」という気持ちですから、すごく明確です。自由に関しても、自由が何かを知らなくても何となく想像がつく。つまりは、自分のお金で好きなものを買って、好きな人間と交際して、好きな本を読んで好きなことを喋(しゃべ)ることですからね。しかし「民主」は漠然としていて想像がつきにくいものだった。[1, p80]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この「民主」が、西洋のデモクラシーとはやや意味がズレている可能性がある、と安田氏は指摘する。安田氏は天安門事件のルポを書く過程で多くの人の話を聞いたが、その中に事件当時26歳で北京大学の講師だった人がいた。一日中立ちっぱなしでデモをやっている熱血青年が、今は「牙を抜かれて会社の社長」におさまっている。天安門OBにはよくあるパターンだという。
__________
安田 彼が「(現在、似たようなデモが起きても)参加するかは微妙」「(自分の娘が仮に参加するとすれば)感心しない」と言ったので、その理由を尋ねると、「今は昔よりもずっと『民主』になったじゃないか」と言う(笑)。
「民主」になったとはどういうことか尋ねると、「新聞は昔よりも面白いことをたくさん書くようになったし、話せる話題も増えた。こういう商売でもちゃんとできる。『民主』じゃないか」と。そこからはもう深くは突っ込みませんでしたが、これぞまさに中国式の「民主」理解です。[1, p82]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
本来の「民主」とは国民が政治的な自由と国政の決定権を持つことだが、中国では孟子の「民本」思想、すなわち「名君のよき統治のもとで民心が安定した状態」という中国人の伝統思想に置き換えられてしまった。この「ズレ」に、共産党政権は上手に乗っかっていると、安田氏は指摘する。石平氏もこう賛同する。
__________
石平 まことに腹立たしくもどかしい限りですが、そういうことですな。天安門事件後、中国共産党は「愛国」と「(経済的な)自由」だけを残し、「民主」を中国的民主に読み替えたのです。[1, p83]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■5.「運動はなかったかのようにみんな自分の人生を歩み始めました」
中国政府の工作の手は、事件当時、海外で活動していた留学生たちにも伸びた。
__________
石平 最初は「運動にかかわった人は帰国できない」とみんな覚悟を決めていましたが、中国政府も上手なもので、しばらくしてから「一切おとがめなし」と『人民日報』で宣言しました。それでみんな安心して帰国するようになった。
そして、帰国した中国の変化を目の当たりにして、運動はなかったかのようにみんな自分の人生を歩み始めました。人はそういうものですから、彼らを責める理由はないでしょう。[1, p116]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
それでも帰国しない活動家たちには、中国政府のプロパガンダが浴びせられた。内ゲバや銭ゲバを取り上げられて「海外で民主主義運動をやっている連中は自分さえよければいいというようなとんでもない人間だ。理想や理念以前に人間としてダメなやつだ」というイメージが作られた。
また、中国国内で一国一城の大企業の経営者だったのに、その地位をなげうって運動に参加した万潤南という人物は、今はニューヨークでタクシーの運転手をしながら生計を立てている。それを『人民日報』傘下の『環球時報』が「昔の民主化運動のリーダーは今このような悲惨な状況です」と底意地の悪い報道をする。
■6.「あの運動はもう終わったことにしたほうが」
現体制に不満を抱く中国人エリートにとっては、もう一つの逃げ道ができた。海外に高飛びすることである。
__________
安田 極論、民主化運動をしなくても、シリコンバレーに行けば才能は発揮できるわけです。GAFA(Google, Amazon, Facebook,Apple)をはじめとした最先端のグローバル大企業に高給で雇われれば、デモをしなくても、中国どころか世界を変えることができる。
そうなってくると、中国の体制に不満を持つ層の中でも知的に優れた層は、デモをして逮捕されて人生がご破算になるようなリスクを背負わなくていいわけです。チケットを一枚買って外国に行けばそれでハッピーですから。[1, p203]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
石平 結局、大きな環境変化の中で、ごく自然に大半の人々がそれぞれの生活に戻り、運動はあっという間に歴史になってしまった。
私も神戸大学で修士課程・博士課程を取りましたが、天安門事件後には留学生のほとんど誰もこの話には触れなくなりました。意図的に触れない。それは一種の集団的共謀であって、あの運動はもう終わったことにしたほうがみんなにとって都合がよかったからです。[1, p117]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■7.「劉暁波という灯火」
しかし、中国政府の巧みな工作に乗らなかった人物がいた。その一人が作家・劉暁波(りゅうぎょうは)氏だった。1989年に民主化運動が勃発した際、劉はアメリカ・コロンビア大学の客員研究員の立場をなげうって帰国し、運動に身を投じた。天安門事件では学生たちに武器を捨てるよう説得する一方、軍と交渉して衝突を防ごうとした。
事件後「反革命罪」で投獄され、多くの政治リーダーが欧米からの中国政府への圧力で出国許可されるなかで、あえて国内に留まり、事件の殉難者の名誉回復と人権保障などを呼びかけて、さらに二度の投獄や強制労働を受けた。
2008年には中国の大幅な民主化を求める「〇八憲章」を300名以上の知識人とともに実名で発表した。この発表により、「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年の判決を受け、2010年にノーベル平和賞を受賞したが、17年には獄中にて病死した。
天安門事件そのものは、共産党政権の巧みな手口で、あたかも「もう終わったもの」にされてしまったが、その中で唯一、劉暁波の足跡が共産党にも消せない現実として残っている。石平氏は言う。「劉暁波という灯火が最後まで輝いたことが、我々にとって唯一の救いです。」[1, p136]
中国共産党政権は国内では完璧な言論・報道統制を敷いているが、いまや多くの中国国民が海外に移住したり旅行したりして、政治的自由と民主主義を体感できる時代となった。
中国共産党独裁政権の巨大な闇は世界を覆う大きさに拡大しつつある。その闇を中国国民が「劉暁波という灯火」を高く掲げて駆逐することができるかどうか。石平氏の思いは、日本国民全体にとっても他人事ではない。
(文責 伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(162) 天安門の地獄絵
天安門広場に集まって自由と民主化を要求する100万の群衆に人民解放軍が襲いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog162.html
b. JOG(487) 中国の覚醒(上) 〜 中国共産党の嘘との戦い
「毛主席の小戦士」から「民主派闘士」へ、そして「反日」打破の論客へ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog487.html
c. JOG(488) 中国の覚醒(下) 〜 日本で再発見した中国の理想
中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog488.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
。
1. 石平、安田 峰俊『「天安門」三十年 中国はどうなる?』★★★、育鵬社、R01
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594082297/japanontheg01-22/
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201905/article_4.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c24
措置入院要だな:
アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html
阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
南京大虐殺は無かったとか、アウシュビッツの虐殺は無かったという嘘話と全く同じだよ
世の中には、意図的に流された嘘やデマも含めて、180度違った無数の意見や証言が有って、すべてを網羅して総合判断しない限り真実はわからない。
しかし、桜井春彦はその無数の信頼度が低い話の中から自分に都合のいい話だけを選別して、あたかも自分が誰も知らない隠された真実を発見した様に書いているんだな。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c29
とか有り得ないんだよ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c31
歴史上の有名な事件で証拠が有るものなんか一つも無いよ
すべて伝聞だ
史記なんか細部はすべて創作だろ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c32
チベットの虐殺もダライ・ラマの虐殺を中国に押し付けているのはネットの世界では普通の常識ですよ。
中国の工作員が流したデマが常識になってるだけだろ
南京大虐殺が無かったという常識と同じ類だな
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c34
朝鮮進駐軍の話とか、
デマが常識になって流布してるだけさ
世の中の人間の99%はアホだから、騙すのは簡単なんだな
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c36
南京大虐殺も天安門の虐殺も歴史学では定説になっているからね
学会の定説を否定したかったらそれだけの調査研究が必要なんだ
桜井春彦はそういう地道な努力を一切せず、無数の信頼度が低い話の中から自分に都合のいい話だけを選別して、あたかも自分が誰も知らない隠された真実を発見した様に書いているんだ。
そういう いい加減で無責任な人間の事を世の中では詐欺師と言ってるのさ。
それが典型的なパラノイアの妄想なんだな
妄想には伝染性が有って他の人に伝染して広まっていくんだ
繰り返すけど
アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html
阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
アメリカのハイスクールや大学で使っている歴史教科書に書かれているのが学会の定説だろ。
例えば、
アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、
最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。
さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。
逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。
この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
___
新証拠無しで こういう定説を覆すのは無理なんだよ
キチガイだと判断されるだけさ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c41
チャンネル桜に出ている専門家が出した話だから一応信用しただけさ。
【討論】天安門30年と習近平の行方[桜R1-6-1] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z8e6o4Vxo3k
◆天安門30年と習近平の行方
パネリスト:
古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
石平(評論家)
坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
福島香織(ジャーナリスト)
ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・チベット文化研究所名誉所長)
矢板明夫(産経新聞外信部次長)
司会:水島総
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c43
Dissidents in the 1989 Tiananmen Square protests - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Dissidents_in_the_1989_Tiananmen_Square_protests
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c46
アホの相手をする研究者は一人もいないだけだろ
みんな忙しいからな
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c47
人前に出てはいけないアホだ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c50
学会の定説=引用回数の多い論文・文書
だよ
wiki に有名な論文・文書が沢山引用されていれば、それが学会の定説だ
を書くしかない
しかし、櫻井春彦はそんなのは書いた事ないだろ。
アホしか読まない櫻井ジャーナルに何を書こうが価値は無い
は常識だろ。 レフェリーの居ない専門雑誌に書いても誰も評価しない
櫻井春彦は基礎学力ゼロの知恵遅れの詐欺師
という結論は動きそうもないな
櫻井ジャーナルを読んでるのはこういうバカばかりなんだ(納得)
バカはバカ同志で仲良くやってくれ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c57
天安門広場近くで燃える装甲兵員輸送車 (1989年6月4日)
英国で新たに公開された外交文書によると、中国当局が民主化運動を弾圧した1989年の天安門事件で、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが明らかになった。
「1万人」という人数は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した。大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた情報を伝えてきた」人物から入手した数字だと説明している。
国務院は中国の内閣に相当 し、首相が議長を務める。
天安門事件の死者数はこれまで、数百人〜1000人以上と、様々に推計されていた。
中国は1989年6月末に声明で、1989年6月4日の「反革命暴動」を弾圧した、北京では市民200人と治安部隊数十人が死亡したと発表していた。
民主化を求める大勢の学生が天安門広場でハンガーストライキを続けた(1989年5月14日撮影)Image copyright AFP
Image caption
一連の光電はこれまでロンドンの英国立公文書館で保管されていた。10月に機密指定が解除され、香港のニュースサイト「香港01 」が閲覧した。
ドナルド大使によると、情報源は事件以前から信頼できていた人物で、「事実と憶測と噂を慎重に区別」していたという。
大使は当時、「学生たちは広場退去まで1時間の猶予を与えられたつもりでいた。しかし、5分後に装甲兵員輸送車(APC)が攻撃を開始した」と書いている。
「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった。そしてAPCは何度も何度も遺体をひき、『パイ』を作り、ブルドーザーが遺体を集めていった。遺体は焼却され、ホースで排水溝に流されていった」
「負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺されてしまった」
ドナルド氏は、「国務院委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた」と付け加えている。
天安門広場の抗議デモは、軍の派遣まで7週間続いた。共産主義国家・中国にとって、史上最大規模のデモだった。
天安門事件は、今なお中国では極めてデリケートな問題として位置付けられている。
中国は活動家の追悼行事を一切禁止し、政府批判の検閲を含め、天安門事件に関するオンラインでの議論を厳しく規制している。しかし活動家たちは毎年6月には、特に香港や台湾などに集まり、天安門での犠牲を追悼してきた。
(英語記事 Tiananmen Square protest death toll 'was 10,000')
https://www.bbc.com/japanese/42482642
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c59
天安門広場近くで燃える装甲兵員輸送車 (1989年6月4日)
英国で新たに公開された外交文書によると、中国当局が民主化運動を弾圧した1989年の天安門事件で、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが明らかになった。
「1万人」という人数は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した。大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた情報を伝えてきた」人物から入手した数字だと説明している。
国務院は中国の内閣に相当 し、首相が議長を務める。
天安門事件の死者数はこれまで、数百人〜1000人以上と、様々に推計されていた。
中国は1989年6月末に声明で、1989年6月4日の「反革命暴動」を弾圧した、北京では市民200人と治安部隊数十人が死亡したと発表していた。
民主化を求める大勢の学生が天安門広場でハンガーストライキを続けた(1989年5月14日撮影)Image copyright AFP
Image caption
一連の光電はこれまでロンドンの英国立公文書館で保管されていた。10月に機密指定が解除され、香港のニュースサイト「香港01 」が閲覧した。
ドナルド大使によると、情報源は事件以前から信頼できていた人物で、「事実と憶測と噂を慎重に区別」していたという。
大使は当時、「学生たちは広場退去まで1時間の猶予を与えられたつもりでいた。しかし、5分後に装甲兵員輸送車(APC)が攻撃を開始した」と書いている。
「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった。そしてAPCは何度も何度も遺体をひき、『パイ』を作り、ブルドーザーが遺体を集めていった。遺体は焼却され、ホースで排水溝に流されていった」
「負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺されてしまった」
ドナルド氏は、「国務院委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた」と付け加えている。
天安門広場の抗議デモは、軍の派遣まで7週間続いた。共産主義国家・中国にとって、史上最大規模のデモだった。
天安門事件は、今なお中国では極めてデリケートな問題として位置付けられている。
中国は活動家の追悼行事を一切禁止し、政府批判の検閲を含め、天安門事件に関するオンラインでの議論を厳しく規制している。しかし活動家たちは毎年6月には、特に香港や台湾などに集まり、天安門での犠牲を追悼してきた。
(英語記事 Tiananmen Square protest death toll 'was 10,000')
https://www.bbc.com/japanese/42482642
新唐人テレビの六四天安門事件についての番組
1989 06 04中共在天安门屠杀大学生 - YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=2tD7UP631W4
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c4
1989年6月、北京・天安門広場に民主化を求める大勢の市民が集まった
中国で起きた天安門事件から6月4日で30年を迎えるのを前に、同国の魏鳳和(ウェイ・フォンホー)国防相が2日、軍による民主化運動の鎮圧は「正しい」方針だったと、同事件について異例の言及をした。多数の死傷者を出した天安門事件は、中国ではタブーになっている。
魏氏はシンガポールで開かれた会合で、聴衆から天安門事件について質問を受けた。
中国の対応は不適切だったとする意見が今もあることに疑問を投げかけた魏氏は、「あの出来事は政治的な騒乱であり、中央政府は騒乱を収束するために対応した。正しい方針だ」と述べた。
そして、「この30年間で中国は大きく変わった」と主張。天安門事件に当時の政府があのように対応したからこそ、「中国は安定と発展を享受している」との考えを示した。
当時、何が起きた?
1989年4月、100万人を超える学生や労働者たちが民主化を求め、北京の天安門広場を占拠。約1カ月半にわたって抗議デモを繰り広げた。
このデモは中国各他の都市や大学に拡大。共産党による独裁体制の打倒やインフレ対策、賃金の上昇、住宅事情の改善などを求めた。
自由や民主主義を要求して天安門広場に集まった学生たち
6月3日夜、天安門広場に軍の戦車と部隊が出動。4日朝にかけて、武器を持たないデモ参加者たちに向けて発砲し、多数を殺傷した。
当局は後日、発砲による死者はゼロだと説明した。
中国政府はこれまで、デモ参加者の死者数を明らかにしていない。だが、天安門事件の死者は数百〜数千人に上ったと言われている。
<関連記事>
◾天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書
◾劉暁波氏――中国が消せなかった人
https://www.bbc.com/japanese/48493511
新唐人テレビの六四天安門事件についての番組
1989 06 04中共在天安门屠杀大学生 - YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=2tD7UP631W4
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c60
1989年6月、北京・天安門広場に民主化を求める大勢の市民が集まった
中国で起きた天安門事件から6月4日で30年を迎えるのを前に、同国の魏鳳和(ウェイ・フォンホー)国防相が2日、軍による民主化運動の鎮圧は「正しい」方針だったと、同事件について異例の言及をした。多数の死傷者を出した天安門事件は、中国ではタブーになっている。
魏氏はシンガポールで開かれた会合で、聴衆から天安門事件について質問を受けた。
中国の対応は不適切だったとする意見が今もあることに疑問を投げかけた魏氏は、「あの出来事は政治的な騒乱であり、中央政府は騒乱を収束するために対応した。正しい方針だ」と述べた。
そして、「この30年間で中国は大きく変わった」と主張。天安門事件に当時の政府があのように対応したからこそ、「中国は安定と発展を享受している」との考えを示した。
当時、何が起きた?
1989年4月、100万人を超える学生や労働者たちが民主化を求め、北京の天安門広場を占拠。約1カ月半にわたって抗議デモを繰り広げた。
このデモは中国各他の都市や大学に拡大。共産党による独裁体制の打倒やインフレ対策、賃金の上昇、住宅事情の改善などを求めた。
自由や民主主義を要求して天安門広場に集まった学生たち
6月3日夜、天安門広場に軍の戦車と部隊が出動。4日朝にかけて、武器を持たないデモ参加者たちに向けて発砲し、多数を殺傷した。
当局は後日、発砲による死者はゼロだと説明した。
中国政府はこれまで、デモ参加者の死者数を明らかにしていない。だが、天安門事件の死者は数百〜数千人に上ったと言われている。
<関連記事>
◾天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書
◾劉暁波氏――中国が消せなかった人
https://www.bbc.com/japanese/48493511
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c5
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5469.html
抜粋
NHKクローズアップ現代「天安門事件で大きな虐殺は無かった」と大嘘
1989年の「天安門事件」の後、国際社会は、学生ら市民を大虐殺した支那に対して、投資を激減させるなどの制裁措置をとった。
支那は、その後何年間も、国際社会による制裁措置にあえいだ。
この支那の窮地に、いち早く手を差し伸べたのは、日本だった。
まず、1991年8月、竹下登元首相の強い働きかけもあり、海部俊樹首相が支那を訪問し、対支制裁を全面解除した。
しかし、日本が支那への制裁を解除しても、日本を除く世界は、支那への制裁を続行した!
次に、翌1992年、海部の後任となった宮沢喜一は、国際社会による支那への制裁も、何とかして解除させようとした!!
そこで、日本政府(宮沢内閣)は、日本国民の強い反対論を押し切って、天皇陛下の支那ご訪問を閣議決定し、世界による対支制裁措置解除の突破口にしようとした。
明らかな、日本政府(宮沢内閣)による天皇陛下の政治利用だった!
現実問題として、前年日本が真っ先に支那への経済制裁解除をしたものの、他の西側諸国はまだまだ支那に厳しい態度で臨んでいたが、天皇陛下の支那ご訪問は、そのような西側の制裁を解除させる決定打となった。
実際に支那の銭其シン元外相は、回想録で、天皇陛下の支那ご訪問について「中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口となった」と書いている。
支那と、その手下である宮沢喜一や加藤紘一らは、天皇陛下を支那の広告塔として利用したのだ。
天皇陛下ご訪支の翌年1993年3月に、江沢民が国家主席に就任した。
ちなみにNHKは、このタイミング(1993年6月)で、『クローズアップ現代』において「天安門広場では虐殺はなかった!広場では一人も死んでいない」と放送した。
https://blog.goo.ne.jp/hosizorajp/e/f5f3aca8c963b5eda061a6cc7e63758a
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c62
◆ (死体グロ画像注意)
NHKクローズアップ現代「天安門事件で大きな虐殺は無かった」と大嘘! 日本政府、天皇陛下を政治利用! 2019年06月01日
https://blog.goo.ne.jp/hosizorajp/e/f5f3aca8c963b5eda061a6cc7e63758a
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5469.html
抜粋
NHKクローズアップ現代「天安門事件で大きな虐殺は無かった」と大嘘
1989年の「天安門事件」の後、国際社会は、学生ら市民を大虐殺した支那に対して、投資を激減させるなどの制裁措置をとった。
支那は、その後何年間も、国際社会による制裁措置にあえいだ。
この支那の窮地に、いち早く手を差し伸べたのは、日本だった。
まず、1991年8月、竹下登元首相の強い働きかけもあり、海部俊樹首相が支那を訪問し、対支制裁を全面解除した。
しかし、日本が支那への制裁を解除しても、日本を除く世界は、支那への制裁を続行した!
次に、翌1992年、海部の後任となった宮沢喜一は、国際社会による支那への制裁も、何とかして解除させようとした!!
そこで、日本政府(宮沢内閣)は、日本国民の強い反対論を押し切って、天皇陛下の支那ご訪問を閣議決定し、世界による対支制裁措置解除の突破口にしようとした。
明らかな、日本政府(宮沢内閣)による天皇陛下の政治利用だった!
現実問題として、前年日本が真っ先に支那への経済制裁解除をしたものの、他の西側諸国はまだまだ支那に厳しい態度で臨んでいたが、天皇陛下の支那ご訪問は、そのような西側の制裁を解除させる決定打となった。
実際に支那の銭其シン元外相は、回想録で、天皇陛下の支那ご訪問について「中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口となった」と書いている。
支那と、その手下である宮沢喜一や加藤紘一らは、天皇陛下を支那の広告塔として利用したのだ。
天皇陛下ご訪支の翌年1993年3月に、江沢民が国家主席に就任した。
ちなみにNHKは、このタイミング(1993年6月)で、『クローズアップ現代』において「天安門広場では虐殺はなかった!広場では一人も死んでいない」と放送した。
https://blog.goo.ne.jp/hosizorajp/e/f5f3aca8c963b5eda061a6cc7e63758a
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c6
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c63
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c7
これ読んで自分自身を客観的に見てね:
アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html
阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c67
そもそも僕は論証なんかした事ないだろ
専門家でもないのにそんな事やっても意味ないからね
僕は信頼度が高そうな記事をコピペしてるだけだ
桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないで信頼度ゼロだから
引用してはいけないというのはわかる
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c71
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/525.html#c1
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/516.html#c4
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/511.html#c3
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/502.html#c3
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/674.html#c4
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/487.html#c6
そもそも中共を作ったのはアメリカで、資金援助したのはユダヤ資本だろ
西側首脳陣は中共を擁護するに決まってるだろ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c73
アメリカがソ連を核攻撃する
というのは有り得ないんだよ
ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。
馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html
右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c75
因みに、桜井春彦が何時も言ってる様にアメリカがソ連を核攻撃するというのは有り得ないんですね。
ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。
桜井春彦が何時も言ってる事がすべてデタラメなのはこれを読めばわかります:
馬渕睦夫 米国が作った中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html
右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html
馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html
GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html
馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html
早くキチガイ病院に行った方がいいよ(真心からの忠告)
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c78
アメリカは世界 No.2になった段階で潰すんだよ
ドイツが世界 No.2になったら第二次大戦で潰した
日本が世界 No.2になったら円高にして、平成バブルを作って潰した
今度は中国が世界 No.2になったので経済戦争で潰す事にしたんだ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c82
ドイツが世界 No.2になったら第二次大戦で潰した
ソ連が世界 No.2になったらココムと経済封鎖、原油安で潰した
日本が世界 No.2になったら円高にして、平成バブルを作って潰した
今度は中国が世界 No.2になったので経済戦争で潰す事にしたのです
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c9
ユダヤ資本は 0.01% : 99.9% の階級社会を作るのが最終目標だからね
ユダヤのエージェントの竹中平蔵も、非正規社員と正規社員の格差については大騒ぎするけど、 0.01% : 99.9% の格差については一切触れないだろ
ソ連や中共は社会旗主義国だけど 0.01% : 99.9% の格差だけはちゃんとのこしていたんだ。 もちろんユダヤ人が 0.01% の方で、99.9%は全員奴隷で、奴隷間では完全平等だ。
社会主義というのはユダヤ人が 0.01% になる為に考えた体制だ
しかし、社会主義国では経済が成長しないのに気付いて、今度は
国境間の人・金・物の移動を完全自由化、言葉や生活習慣も民族によらず共通なグロ−バル経済を作る方針に変えたのさ。
そうするとソ連や中共みたいな国民国家の共産国は困るんだ。
それで旧共産国家を解体する事にしたのさ。
解体が最後になったのが中国なのさ。
ユダヤのエージェントの竹中平蔵も、非正規社員と正規社員の格差については大騒ぎするけど、 0.01% : 99.9% の格差については一切触れないだろ
ソ連や中共は社会主義国だけど 0.01% : 99.9% の格差だけはちゃんと残していたんだ。 もちろんユダヤ人が 0.01% の方で、99.9%は全員奴隷で、奴隷間では完全平等だ。
社会主義というのはユダヤ人が 0.01% になる為に考えた体制だ
しかし、社会主義国では経済が成長しないのに気付いて、今度は
国境間の人・金・物の移動を完全自由化、言葉や生活習慣も民族によらず共通なグロ−バル経済を作る方針に変えたのさ。
そうするとソ連や中共みたいな国民国家の共産国は困るんだ。
それで旧共産国家を解体する事にしたのさ。
解体が最後になったのが中国なのさ。
中国の農民籍の人間は権利が全く無い完全な奴隷で賃金が只同然なので、今迄世界の工場労働者として扱き使っていたんだ。最近は農民籍の人間も賃金が上がって来て旨みが無くなったからもう不要になったんだな。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c10
2007年12月10日
ウォール街金融資本が作り出す歴史構造 アントニー サットン 〜左翼右翼の対立、戦争etc〜
大きな対立・戦争を起こしながら動いてきた現代史。その背後にある共通した動きについて詳しく調べた人がいるので紹介したい。
アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)、彼は事実を追求し、徹底した調査に基づいた注目すべき数々の本を出している。特に注目すべきは以下。
1.America’s Secret Establishment –
2. Wall Street and the Rise of Hitler –
(ウォール街がナチスヒトラーを勃興させた。)
3. Wall Street & the Bolshevik Revolution –
(ウォール街がレーニン、トロツキーなどに資金供与してロシア革命を成功させた。)
4 The Federal Reserve Conspiracy
(連邦準備銀行の陰謀)
アントニー サットンについて、 阿修羅 より(一部略)
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ−バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。
本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。
徹底した調査によって以下のことが判明した。
1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。
2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。
3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。
4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。
(分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。)
彼は、スカボンのような秘密結社は確たる存在であり、彼らの活動の実態を理解することによって19世紀と20世紀の正確な歴史理解が初めて可能になるという認識に至った。つまり、われわれが学校で教わってきている歴史理解と、実際に進行していた事態とはおよそまったく異なるということなのである。
彼は外との関係を一切絶ち、孤独に隠遁隠棲しながら調査と執筆に専念した。尋ねてくる人間はすべて政府関係者ばかりで、かれらは何をどうしても居場所を突き止めてくるのだという。当初米国内から出版はできず(出版拒否、大手取り次ぎ会社から拒否)オーストラリアで出版していたが、米国のパパま2人でやっている小さな出版社が見るにみかねて、彼の本を出版するに至り、彼の本はほとんどここからでている。現在はアマゾンドットコム等を通じほとんど彼の本は時間がかかるが入手できるようになっている。1999年のインタビューで74才の彼は自分はキャリア的には不遇を託ったが、このような本質的な問題に挑戦でき26冊の本を世に送りだすことができた。執筆内容に一切妥協はなく真実のみを書いた、これは私の誇りとするところである、という主旨のことを語っている。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
(引用以上)
サットンの業績は、秘密のベールに包まれていた金融資本家のネットワークを徹底的に調査し、あぶりだしてくれたことだと思う。従来“陰謀論”として、よく検証されずに葬られていた分野を科学的に検証した。
彼の業績によってロシア革命やナチス、そしてベトナム戦争の背後にある真実が見えてきた。おおよそ、現代史(戦争や革命恐慌、バブル)の背後には彼らウォール街金融資本の触手があり、彼らが何らかの狙いをもって特定の集団に資金提供して、育て上げる。それらの集団は、主義思想や愛国心に沿って動き、対立や戦争を起こしていく。その過程で莫大な投資や消費が行われ、金融資本は莫大な利益を手に入れることになる。
背後からこれらの対立を操縦することで、金融資本家は世界秩序を維持してきた。サットンは、金融資本家の支配方法について以下のように言っている。
>世界秩序は、分断して攻略するという単純なテクニックによる支配で成り立っている。
>・・・世界秩序は、世界を実体とみなすヘーゲル弁証法を採用した。これはそのほかのあらゆる力と実体を否定している。テーゼ(正)−アンチテーゼー(反)−ジンテーゼ(合)の原則に基いて機能し、前もって決められた結論(合)に向けてテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)が対立して終わる。
>世界秩序はユダヤ人グループを組織して資金を提供する。次に、反ユダヤグループを組織して資金を提供する。また、共産主義グループを組織してこれに資金提供し、反共産主義グループを組織して資金を提供する。必ずしも世界秩序がこういうグループ同士の対立を煽る必要はない。彼らは赤外線追跡ミサイルのように相手を見つけ出し、確実に破壊しようとする。それぞれのグループの規模と資源を調節することで、世界秩序は常に前もって結果を決めておけるのだ・・・・ サットン 『連邦準備銀行の陰謀』より
※ここで世界秩序とは、金融資本による世界秩序のことをさす。
★このように見てくると、主義や主張をかざし、あるいは小さな国益をかざして、対立している人間・勢力というのは、支配者(コントローラー)である金融資本にとっては、非常に都合がよく操作しやすい。
日本でも、
・戦前スターリンとアメリカの圧迫→危機感高まった国内で右翼が台頭、陸軍と結んで戦争への道を突っ走った。
・戦後自民党に結党資金を与えたのはCIAであり、自民党の結党により左右社会党が合同し、二大政党という対立構造が生まれた。
そして現在的にも
アメリカ財閥が中国を急成長させている
アメリカの撤退が始まり中国が台頭する
中国の台頭により日本の(特に右の)危機感が高まっている。しかし、中国を急速に台頭させているのはウォール街金融資本である。僕も危機感には共感する。しかしいたずらに敵対し相手を挑発するより、真の意図を探り可能性を探る必要があると思う。
“日本を守るのに右も左もない”では、見えにくい敵、対立を煽り、歴史を操作している連中=国際金融資本(金貸し)も、徹底的に事実追求の立場から解明していきたい。サットンができなかったより深い分析(人々の意識潮流や可能性)まで含めて。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/12/000553.html
▲△▽▼
60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。_ 2
アントニー・C・サットン
アントニー・C・サットン(Antony Cyril Sutton、1925年2月14日 - 2002年6月17日)は、イギリス生まれのアメリカの経済学者、歴史学者、作家。
サットンはロンドン大学、ゲッティンゲン大学とカリフォルニア州立大学で学びし、英国サウサンプトン大学にてD.Sc.を取得した。
米国ロサンゼルスにあるカリフォルニア州立大学で経済学部教授として働き、1968年から1973年までスタンフォード大学フーヴァー研究所の研究員であった。
当機関に所属している間、欧米技術とソ連経済発展の関連について "Western Technology and Soviet Economic Development"(全3巻)を出版し、ソ連発足初期から欧米諸国もその発展に深く関与したことを証明した。
またサットンはソ連が持つ技術的能力や製造能力も多数の米企業の支援と、米国民が納める税から融資を受けたことも指摘した。
鉄鋼業やフォードの子会社であったGAZ自動車工場など, 複数のソ連企業は米からの技術によって作られたことや、さらにはソ連がMIRVミサイル技術を手に入れたのも、高性能ベアリング製造に必要な(米からの)工作機械によって可能となったとしている。
1973年に3冊目の原稿から軍事技術関連部分を別編として "Military Aid to the Soviet Union" のタイトルで出版し、その結果フーヴァー研究員の仕事を辞任することになった[1]。 上記問題の研究成果として、
冷戦が生んだ様々な対立が「共産主義を制覇するため」続けられたのではなく、数十億ドル規模の軍事需要を意図的に維持するためだったと強調した。
少なくとも朝鮮戦争とベトナム戦争の場合、対立の両側も直接的・間接的に米国によって武装されていた[2]。
続編として、軍事技術転写の役割について論じた"The Best Enemy Money Can Buy" を書いた。
▲△▽▼
ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/819.html
アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)博士が昨年6月になくなった。77才だった。英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ−バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。
68年の刊行物で、融資と技術の流れを突き止めたものの、彼は、なぜ敵対する国に、あるいは自国のカネと技術で自国の戦士たちがしななければならないのか、一体どうなっているのか、全く理解できなかったという。ところが80年代の初頭、彼に一通の手紙が届いた。もしあなたが興味があるなら、スカル&ボーンズという秘密結社のメンバーリストを24時間だけ供与するがどうか、と記されていた。この組織のメンバーの家族が、身内が入会していてうんざりで、実態を知って欲しいと思ってのことだったという。送付して欲しい、と了承。黒革製の2巻からなる本は一冊は故人リスト、もう一冊は現在のリストだった。この時点までかれはこの秘密結社のことなど聞いたことも思ったこともなかったという。しかし、これらのリストの人物を綿密に調査したところ、この組織はただ者ではない、と驚愕。68年刊行物で疑問に思っていたことが氷解したという。つまり、この組織の連中のネットワークが米国政策決定過程を導き、このような売国的なことが行われていることを突き止めるに及んだという。
彼は、スカル&ボンズは、ドイツを発祥とする秘密結社イル皆ティーの連動組織である、という。徹底した調査によって以下のことが判明したという。
1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。
2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。
3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。
4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。
Divide&Conquer (分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。
超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。いわゆる現今のポチ保守はこの左右対立の見方を徹底して利用し、自分たちの富裕的支配性の隠れみのにしてきた可能性がある。多くの一般日本人が、あるいは貧乏な日本人同士がやれ、お前は右だろ左だろどうせ土井支持者だろなどと滑稽にののしりあっている図が見える。これが彼らの思うツボなのだ。実際馬鹿げている。)
彼は、スカボンのような秘密結社は確たる存在であり、彼らの活動の実態を理解することによって19世紀と20世紀の正確な歴史理解が初めて可能になるという認識に至った。つまり、われわれが学校で教わってきている歴史理解と、実際に進行していた事態とはおよそまったく異なるということなのである。
彼は外との関係を一切絶ち、孤独に隠遁隠棲しながら調査と執筆に専念した。尋ねてくる人間はすべて政府関係者ばかりで、かれらは何をどうしても居場所を突き止めてくるのだという。当初米国内から出版はできず(出版拒否、大手取り次ぎ会社から拒否)オーストラリアで出版していたが、米国のパパま2人でやっている小さな出版社が見るにみかねて、彼の本を出版するに至り、彼の本はほとんどここからでている。現在はアマゾンドットコム等を通じほとんど彼の本は時間がかかるが入手できるようになっている。1999年のインタビューで74才の彼は自分はキャリア的には不遇を託ったが、このような本質的な問題に挑戦でき26冊の本を世に送りだすことができた。執筆内容に一切妥協はなく真実のみを書いた、これは私の誇りとするところである、という主旨のことを語っている。
スカボンは現在約600名がアクティブであるという。エール大学内で毎年25名が組織に入るしきたり。生涯を通じて、支配層中心メンバーとして機能するようだ。エール大学で、この組織の余りの無気味さに、排斥運動が起きた経緯もあるという。
"My senior year, I jointed Skull& Bones, a secret society, so secret I can't say anything more."
「わたしは大学4年のときスカボンに入ったんです。それは秘密結社でして、秘密であるが故に、わたしはこれ以上この組織について何もお話はできないんです。」
現大統領が最近の記者の質問にこのように答えている(これはサットンのホームページにも掲載されている。オリジナルはUSAToday紙の記事(非常に勇気ある女性ライターで当時大学生か学校出たてだったと思う。)この発言から分かることは、彼は、スカボンが1 秘密結社であり、2それが現時点で存在しており、3しかも自分がメンバーであり、4 内部情報を明かさないことがその組織の掟であること。この4点までを認めているのである。彼の、エール出身の父もこの組織のメンバーであることはよく知られており、すくなくとも父はメンバーとしては非常にアクティブだったという。ちなみにエール大学というような大学は、基本的にはアメリカの中産階層の子弟がはいれるところではまったくない。富裕層のための大学である。米国中央情報局の上層部は露骨にエール大学閥であることが知られている。
サットンのホームページ:
彼が受けた最後のインタビュー:
http://www.antonysutton.com/suttoninterview.html
彼の代表作の一つ(スカボン本”America's Secret Establishment)
http://www.cia-drugs.com/Merchant2/merchant.mv?Screen=SFNT&Store_Code=CS&Affiliate=ctrl
1.America's Secret Establishment --
2. Wall Street and the Rise of Hitler --
ウォールストリートがナチスヒトラーを勃興させたことを証明した本。
3. Wall Street & the Bolshevik Revolution --
ウォールストリートがトロツキーなどいもふくめ資金を与え、ソ連を成立させた経緯がかかれている。
上記1についてのアマゾン書店で寄せられる読者評は以下のように最高度の星を獲得している。
http://www.amazon.com/exec/obidos/search-handle-form/002-3984047-1859263
読者のコメントをいちいち読むと非常に支持されていることがわかる。
彼の本は日本で一冊も翻訳されていないが、少なくとも
上記の3冊、最悪でも上記1について、翻訳出版されることが非常に望ましい。アメリカ理解、近現代史理解にこれらの報告書は絶対不可欠なのだ。
最高度の頭脳と調査能力を持つ彼は20世紀の知的巨人の一人であり、彼のすべての著書は近現代史を真に理解したいすべての人々、あるいは新しい歴史形成を担いたいすべての人々への贈り物であり、21世紀の知的遺産だといえる。
彼の真摯な知的営為、屈せず戦い抜いた態度に真の知識人の模範をみるものであり、最高度の敬意を払いたい。最近朝日新聞論壇で投稿されていたpublic intellectuals 公的知識人=一般人のための知識人という概念は米国由来のものであり、最近某大学でこの名前を冠する博士号Ph.D.を授与するところがでてきた。それほど、米国のいわゆる知識人は権力の走狗であることの批判からおきている現象だ。サットンこそこの敬称にふさわしい人物はいないだろう。
自分が知らない、聞いたこともない説であるゆえトンデモ本だ、などと決めつけるタイプの人々にはこれらは高踏すぎて無縁な著作郡であることは確かである。学問的訓練を経た読者に最も向くものといえる。
近現代史を専門とする人々は必読であることを強調していきたい。
大きな対立・戦争を起こしながら動いてきた現代史。その背後にある共通した動きについて詳しく調べた人がいるので紹介したい。
アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)、彼は事実を追求し、徹底した調査に基づいた注目すべき数々の本を出している。特に注目すべきは以下。
1.America’s Secret Establishment –
2. Wall Street and the Rise of Hitler –
(ウォール街がナチスヒトラーを勃興させた。)
3. Wall Street & the Bolshevik Revolution –
(ウォール街がレーニン、トロツキーなどに資金供与してロシア革命を成功させた。)
4 The Federal Reserve Conspiracy
(連邦準備銀行の陰謀)
アントニー サットンについて、 阿修羅 より(一部略)
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ−バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。
本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。
徹底した調査によって以下のことが判明した。
1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。
2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。
3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。
4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。
(分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。)
彼は、スカボンのような秘密結社は確たる存在であり、彼らの活動の実態を理解することによって19世紀と20世紀の正確な歴史理解が初めて可能になるという認識に至った。つまり、われわれが学校で教わってきている歴史理解と、実際に進行していた事態とはおよそまったく異なるということなのである。
彼は外との関係を一切絶ち、孤独に隠遁隠棲しながら調査と執筆に専念した。尋ねてくる人間はすべて政府関係者ばかりで、かれらは何をどうしても居場所を突き止めてくるのだという。当初米国内から出版はできず(出版拒否、大手取り次ぎ会社から拒否)オーストラリアで出版していたが、米国のパパま2人でやっている小さな出版社が見るにみかねて、彼の本を出版するに至り、彼の本はほとんどここからでている。現在はアマゾンドットコム等を通じほとんど彼の本は時間がかかるが入手できるようになっている。1999年のインタビューで74才の彼は自分はキャリア的には不遇を託ったが、このような本質的な問題に挑戦でき26冊の本を世に送りだすことができた。執筆内容に一切妥協はなく真実のみを書いた、これは私の誇りとするところである、という主旨のことを語っている。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
(引用以上)
サットンの業績は、秘密のベールに包まれていた金融資本家のネットワークを徹底的に調査し、あぶりだしてくれたことだと思う。従来“陰謀論”として、よく検証されずに葬られていた分野を科学的に検証した。
彼の業績によってロシア革命やナチス、そしてベトナム戦争の背後にある真実が見えてきた。おおよそ、現代史(戦争や革命恐慌、バブル)の背後には彼らウォール街金融資本の触手があり、彼らが何らかの狙いをもって特定の集団に資金提供して、育て上げる。それらの集団は、主義思想や愛国心に沿って動き、対立や戦争を起こしていく。その過程で莫大な投資や消費が行われ、金融資本は莫大な利益を手に入れることになる。
背後からこれらの対立を操縦することで、金融資本家は世界秩序を維持してきた。サットンは、金融資本家の支配方法について以下のように言っている。
>世界秩序は、分断して攻略するという単純なテクニックによる支配で成り立っている。
>・・・世界秩序は、世界を実体とみなすヘーゲル弁証法を採用した。これはそのほかのあらゆる力と実体を否定している。テーゼ(正)−アンチテーゼー(反)−ジンテーゼ(合)の原則に基いて機能し、前もって決められた結論(合)に向けてテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)が対立して終わる。
>世界秩序はユダヤ人グループを組織して資金を提供する。次に、反ユダヤグループを組織して資金を提供する。また、共産主義グループを組織してこれに資金提供し、反共産主義グループを組織して資金を提供する。必ずしも世界秩序がこういうグループ同士の対立を煽る必要はない。彼らは赤外線追跡ミサイルのように相手を見つけ出し、確実に破壊しようとする。それぞれのグループの規模と資源を調節することで、世界秩序は常に前もって結果を決めておけるのだ・・・・ サットン 『連邦準備銀行の陰謀』より
※ここで世界秩序とは、金融資本による世界秩序のことをさす。
★このように見てくると、主義や主張をかざし、あるいは小さな国益をかざして、対立している人間・勢力というのは、支配者(コントローラー)である金融資本にとっては、非常に都合がよく操作しやすい。
日本でも、
・戦前スターリンとアメリカの圧迫→危機感高まった国内で右翼が台頭、陸軍と結んで戦争への道を突っ走った。
・戦後自民党に結党資金を与えたのはCIAであり、自民党の結党により左右社会党が合同し、二大政党という対立構造が生まれた。
そして現在的にも
アメリカ財閥が中国を急成長させている
アメリカの撤退が始まり中国が台頭する
中国の台頭により日本の(特に右の)危機感が高まっている。しかし、中国を急速に台頭させているのはウォール街金融資本である。僕も危機感には共感する。しかしいたずらに敵対し相手を挑発するより、真の意図を探り可能性を探る必要があると思う。
“日本を守るのに右も左もない”では、見えにくい敵、対立を煽り、歴史を操作している連中=国際金融資本(金貸し)も、徹底的に事実追求の立場から解明していきたい。サットンができなかったより深い分析(人々の意識潮流や可能性)まで含めて。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/12/000553.html
▲△▽▼
60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。_ 2
アントニー・C・サットン
アントニー・C・サットン(Antony Cyril Sutton、1925年2月14日 - 2002年6月17日)は、イギリス生まれのアメリカの経済学者、歴史学者、作家。
サットンはロンドン大学、ゲッティンゲン大学とカリフォルニア州立大学で学びし、英国サウサンプトン大学にてD.Sc.を取得した。
米国ロサンゼルスにあるカリフォルニア州立大学で経済学部教授として働き、1968年から1973年までスタンフォード大学フーヴァー研究所の研究員であった。
当機関に所属している間、欧米技術とソ連経済発展の関連について "Western Technology and Soviet Economic Development"(全3巻)を出版し、ソ連発足初期から欧米諸国もその発展に深く関与したことを証明した。
またサットンはソ連が持つ技術的能力や製造能力も多数の米企業の支援と、米国民が納める税から融資を受けたことも指摘した。
鉄鋼業やフォードの子会社であったGAZ自動車工場など, 複数のソ連企業は米からの技術によって作られたことや、さらにはソ連がMIRVミサイル技術を手に入れたのも、高性能ベアリング製造に必要な(米からの)工作機械によって可能となったとしている。
1973年に3冊目の原稿から軍事技術関連部分を別編として "Military Aid to the Soviet Union" のタイトルで出版し、その結果フーヴァー研究員の仕事を辞任することになった[1]。 上記問題の研究成果として、
冷戦が生んだ様々な対立が「共産主義を制覇するため」続けられたのではなく、数十億ドル規模の軍事需要を意図的に維持するためだったと強調した。
少なくとも朝鮮戦争とベトナム戦争の場合、対立の両側も直接的・間接的に米国によって武装されていた[2]。
続編として、軍事技術転写の役割について論じた"The Best Enemy Money Can Buy" を書いた。
▲△▽▼
ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/819.html
アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)博士が昨年6月になくなった。77才だった。英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ−バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。
68年の刊行物で、融資と技術の流れを突き止めたものの、彼は、なぜ敵対する国に、あるいは自国のカネと技術で自国の戦士たちがしななければならないのか、一体どうなっているのか、全く理解できなかったという。ところが80年代の初頭、彼に一通の手紙が届いた。もしあなたが興味があるなら、スカル&ボーンズという秘密結社のメンバーリストを24時間だけ供与するがどうか、と記されていた。この組織のメンバーの家族が、身内が入会していてうんざりで、実態を知って欲しいと思ってのことだったという。送付して欲しい、と了承。黒革製の2巻からなる本は一冊は故人リスト、もう一冊は現在のリストだった。この時点までかれはこの秘密結社のことなど聞いたことも思ったこともなかったという。しかし、これらのリストの人物を綿密に調査したところ、この組織はただ者ではない、と驚愕。68年刊行物で疑問に思っていたことが氷解したという。つまり、この組織の連中のネットワークが米国政策決定過程を導き、このような売国的なことが行われていることを突き止めるに及んだという。
彼は、スカル&ボンズは、ドイツを発祥とする秘密結社イル皆ティーの連動組織である、という。徹底した調査によって以下のことが判明したという。
1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。
2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。
3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。
4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。
Divide&Conquer (分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。
超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。いわゆる現今のポチ保守はこの左右対立の見方を徹底して利用し、自分たちの富裕的支配性の隠れみのにしてきた可能性がある。多くの一般日本人が、あるいは貧乏な日本人同士がやれ、お前は右だろ左だろどうせ土井支持者だろなどと滑稽にののしりあっている図が見える。これが彼らの思うツボなのだ。実際馬鹿げている。)
彼は、スカボンのような秘密結社は確たる存在であり、彼らの活動の実態を理解することによって19世紀と20世紀の正確な歴史理解が初めて可能になるという認識に至った。つまり、われわれが学校で教わってきている歴史理解と、実際に進行していた事態とはおよそまったく異なるということなのである。
彼は外との関係を一切絶ち、孤独に隠遁隠棲しながら調査と執筆に専念した。尋ねてくる人間はすべて政府関係者ばかりで、かれらは何をどうしても居場所を突き止めてくるのだという。当初米国内から出版はできず(出版拒否、大手取り次ぎ会社から拒否)オーストラリアで出版していたが、米国のパパま2人でやっている小さな出版社が見るにみかねて、彼の本を出版するに至り、彼の本はほとんどここからでている。現在はアマゾンドットコム等を通じほとんど彼の本は時間がかかるが入手できるようになっている。1999年のインタビューで74才の彼は自分はキャリア的には不遇を託ったが、このような本質的な問題に挑戦でき26冊の本を世に送りだすことができた。執筆内容に一切妥協はなく真実のみを書いた、これは私の誇りとするところである、という主旨のことを語っている。
スカボンは現在約600名がアクティブであるという。エール大学内で毎年25名が組織に入るしきたり。生涯を通じて、支配層中心メンバーとして機能するようだ。エール大学で、この組織の余りの無気味さに、排斥運動が起きた経緯もあるという。
"My senior year, I jointed Skull& Bones, a secret society, so secret I can't say anything more."
「わたしは大学4年のときスカボンに入ったんです。それは秘密結社でして、秘密であるが故に、わたしはこれ以上この組織について何もお話はできないんです。」
現大統領が最近の記者の質問にこのように答えている(これはサットンのホームページにも掲載されている。オリジナルはUSAToday紙の記事(非常に勇気ある女性ライターで当時大学生か学校出たてだったと思う。)この発言から分かることは、彼は、スカボンが1 秘密結社であり、2それが現時点で存在しており、3しかも自分がメンバーであり、4 内部情報を明かさないことがその組織の掟であること。この4点までを認めているのである。彼の、エール出身の父もこの組織のメンバーであることはよく知られており、すくなくとも父はメンバーとしては非常にアクティブだったという。ちなみにエール大学というような大学は、基本的にはアメリカの中産階層の子弟がはいれるところではまったくない。富裕層のための大学である。米国中央情報局の上層部は露骨にエール大学閥であることが知られている。
サットンのホームページ:
彼が受けた最後のインタビュー:
http://www.antonysutton.com/suttoninterview.html
彼の代表作の一つ(スカボン本”America's Secret Establishment)
http://www.cia-drugs.com/Merchant2/merchant.mv?Screen=SFNT&Store_Code=CS&Affiliate=ctrl
1.America's Secret Establishment --
2. Wall Street and the Rise of Hitler --
ウォールストリートがナチスヒトラーを勃興させたことを証明した本。
3. Wall Street & the Bolshevik Revolution --
ウォールストリートがトロツキーなどいもふくめ資金を与え、ソ連を成立させた経緯がかかれている。
上記1についてのアマゾン書店で寄せられる読者評は以下のように最高度の星を獲得している。
http://www.amazon.com/exec/obidos/search-handle-form/002-3984047-1859263
読者のコメントをいちいち読むと非常に支持されていることがわかる。
彼の本は日本で一冊も翻訳されていないが、少なくとも
上記の3冊、最悪でも上記1について、翻訳出版されることが非常に望ましい。アメリカ理解、近現代史理解にこれらの報告書は絶対不可欠なのだ。
最高度の頭脳と調査能力を持つ彼は20世紀の知的巨人の一人であり、彼のすべての著書は近現代史を真に理解したいすべての人々、あるいは新しい歴史形成を担いたいすべての人々への贈り物であり、21世紀の知的遺産だといえる。
彼の真摯な知的営為、屈せず戦い抜いた態度に真の知識人の模範をみるものであり、最高度の敬意を払いたい。最近朝日新聞論壇で投稿されていたpublic intellectuals 公的知識人=一般人のための知識人という概念は米国由来のものであり、最近某大学でこの名前を冠する博士号Ph.D.を授与するところがでてきた。それほど、米国のいわゆる知識人は権力の走狗であることの批判からおきている現象だ。サットンこそこの敬称にふさわしい人物はいないだろう。
自分が知らない、聞いたこともない説であるゆえトンデモ本だ、などと決めつけるタイプの人々にはこれらは高踏すぎて無縁な著作郡であることは確かである。学問的訓練を経た読者に最も向くものといえる。
近現代史を専門とする人々は必読であることを強調していきたい。
http://www.asyura2.com/2003/dispute8/msg/819.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c11
【我那覇真子「おおきなわ」#70】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
【我那覇真子「おおきなわ」#71】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
戦争の黒幕「国際金融資本」とは?[桜R1-5-31] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
ゲスト:林千勝(戦史研究家)
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c88
林千勝もサットン理論に基づいて日米戦争の背景を説明していますね:
【我那覇真子「おおきなわ」#70】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
【我那覇真子「おおきなわ」#71】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
戦争の黒幕「国際金融資本」とは?[桜R1-5-31] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
ゲスト:林千勝(戦史研究家)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c12
おまいは IQ が低過ぎて理解できないだけだろ
知恵遅れは漫画でも読んでればいいんだよ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c91
世の中は日進月歩だからな
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c93
忙しいのにアホの相手しても仕方ないからなあ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c95
誰が力を持つか時々刻々変化してるのさ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c97
100字 10万円でどう?
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c99
それを合図にどの国も天安門の事を口に出さなくなったろ
全部、ユダヤの計画通りさ
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c101
アリババのクレジット信用スコア、こうした情報は公安と共有されている
画像引用:https://cdn-images-1.medium.com/max/1600/1*trFbuddFp3smKipMSkV4sA.jpeg
八方ふさがりの中国
中国とアメリカの貿易対立が深まり、このところ中国では貿易戦争という言葉が多用されるようになった。
中国では新聞記者や報道は国家資格なので、フリーのジャーナリストが自由に記事を書いたりしない。
一見そう見える記事でも、その記者が生きて中国の空気を吸っているという事は、政府の指揮下にあるという事です。
以前中国政府は貿易「戦争」という言葉を禁止していたが、最近では政府関係者が使うようになった。
アメリカは中国から年5000億ドルを輸入しているが、これに関税を掛けて輸入制限をしている。
加えて危険な中国企業(ファーウェイなど)と米国企業の取引を禁止し、今後ファーウェイと取引する外国企業も規制対象になるでしょう。
米国の要求は中国が国際ルールを守る事と、不公正貿易を辞める事の2点でした。
これに中国は反発して報復関税を課したが、中国はアメリカから1000億ドルしか輸入していないので効果は望めない。
中国のGDPはアメリカの6割で対米輸出額はアメリカの5倍なので、相互に同じ制裁をすると中国側は米側の8倍もダメージを受ける。
アメリカは中国と貿易できなくなり「少しかゆい」くらいだが、中国側は経済崩壊しかねない。
中国はレアアース禁輸と米国債売却をちらつかせているが、どちらも効果はないと予想されます。
レアアースの中国の埋蔵量は世界の3割にすぎず、中国の人件費が安く採掘しやすいから中国産が多く流通しているだけです。
ブラジルやロシアやオーストラリアにもレアアースは存在するので、少し価格が上がれば代替品はあるのです。
米国債については中国が売った分を日本などが買えば良いだけで、FRBが引き受ける方法もあります。
日銀が日本国債を買うのと同じで、FRBが米国債を買えば何も問題はありません。
中国の監視と統制
中国はアメリカに手も足も出ず軍事力でもかなわないので、国内の統制強化で不満を抑え込もうとしています。
中国ではインターネットは自由ではなく、実名登録して政府の許可を得る必要があります。
ネット上のSNSや掲示板に氏名は公開されないが、公安は13億人をIDで管理している。
中国では2年ほど前から「信用スコア制度」が始まり、すべての国民がポイント評価されるようになった。
日本の交通違反点数とほぼ同じものだが、違うのは社会のあらゆる行為が点数で評価されたり減点される。
交通違反、ネット上の政府批判、犯罪、家賃滞納、多重債務、年収、学歴、就学情況など全て点数で評価される。
この結果「赤信号を無視したからネット書き込み禁止」とか、「家賃滞納でバスへの乗車拒否」などが現実に起きている。
中国はチベットやウイグルなど少数民族を弾圧しているが、これらの地域住民のIT機器には政府が配布した監視ソフトが義務化されている。
街で歩行者を検問し監視ソフトなしのスマホを携帯していると、逮捕され収容所に収容される。
こうした人の信用スコアは最低ランクになるので、あらゆる交通機関で乗車拒否され、就職やまともな賃貸契約もできず運転免許も没収される。
災いは家族にも及び、少数民族の子供は幼稚園や保育園、小学校への就学を拒否され、社会から隔離されている。
またチベットやウイグルでは学校で「だ液」を採集していて、13億人全員のDNA登録を進めている。
学校では生徒の服にチップを装着させ、健康管理や防犯と称して行動を監視することも行われている。
中国では国民一人当たり1台、13億台以上の監視カメラが稼働しており、全世界の監視カメラの半数が中国にある。(日本は人口10人に1台以下)
その技術は日々進歩し、個人の顔を識別する顔認証技術と結びつき、信用スコア制度と連動している。
信用スコアが低い人が駅に来ると防犯カメラが人物を特定し、連絡を受けた公安が拘束する。
こうした事が現実になっている国で経済破綻が発生すると、政府を維持するため住民弾圧へと進むでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80009657.html
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c261
アリババのクレジット信用スコア、こうした情報は公安と共有されている
画像引用:https://cdn-images-1.medium.com/max/1600/1*trFbuddFp3smKipMSkV4sA.jpeg
八方ふさがりの中国
中国とアメリカの貿易対立が深まり、このところ中国では貿易戦争という言葉が多用されるようになった。
中国では新聞記者や報道は国家資格なので、フリーのジャーナリストが自由に記事を書いたりしない。
一見そう見える記事でも、その記者が生きて中国の空気を吸っているという事は、政府の指揮下にあるという事です。
以前中国政府は貿易「戦争」という言葉を禁止していたが、最近では政府関係者が使うようになった。
アメリカは中国から年5000億ドルを輸入しているが、これに関税を掛けて輸入制限をしている。
加えて危険な中国企業(ファーウェイなど)と米国企業の取引を禁止し、今後ファーウェイと取引する外国企業も規制対象になるでしょう。
米国の要求は中国が国際ルールを守る事と、不公正貿易を辞める事の2点でした。
これに中国は反発して報復関税を課したが、中国はアメリカから1000億ドルしか輸入していないので効果は望めない。
中国のGDPはアメリカの6割で対米輸出額はアメリカの5倍なので、相互に同じ制裁をすると中国側は米側の8倍もダメージを受ける。
アメリカは中国と貿易できなくなり「少しかゆい」くらいだが、中国側は経済崩壊しかねない。
中国はレアアース禁輸と米国債売却をちらつかせているが、どちらも効果はないと予想されます。
レアアースの中国の埋蔵量は世界の3割にすぎず、中国の人件費が安く採掘しやすいから中国産が多く流通しているだけです。
ブラジルやロシアやオーストラリアにもレアアースは存在するので、少し価格が上がれば代替品はあるのです。
米国債については中国が売った分を日本などが買えば良いだけで、FRBが引き受ける方法もあります。
日銀が日本国債を買うのと同じで、FRBが米国債を買えば何も問題はありません。
中国の監視と統制
中国はアメリカに手も足も出ず軍事力でもかなわないので、国内の統制強化で不満を抑え込もうとしています。
中国ではインターネットは自由ではなく、実名登録して政府の許可を得る必要があります。
ネット上のSNSや掲示板に氏名は公開されないが、公安は13億人をIDで管理している。
中国では2年ほど前から「信用スコア制度」が始まり、すべての国民がポイント評価されるようになった。
日本の交通違反点数とほぼ同じものだが、違うのは社会のあらゆる行為が点数で評価されたり減点される。
交通違反、ネット上の政府批判、犯罪、家賃滞納、多重債務、年収、学歴、就学情況など全て点数で評価される。
この結果「赤信号を無視したからネット書き込み禁止」とか、「家賃滞納でバスへの乗車拒否」などが現実に起きている。
中国はチベットやウイグルなど少数民族を弾圧しているが、これらの地域住民のIT機器には政府が配布した監視ソフトが義務化されている。
街で歩行者を検問し監視ソフトなしのスマホを携帯していると、逮捕され収容所に収容される。
こうした人の信用スコアは最低ランクになるので、あらゆる交通機関で乗車拒否され、就職やまともな賃貸契約もできず運転免許も没収される。
災いは家族にも及び、少数民族の子供は幼稚園や保育園、小学校への就学を拒否され、社会から隔離されている。
またチベットやウイグルでは学校で「だ液」を採集していて、13億人全員のDNA登録を進めている。
学校では生徒の服にチップを装着させ、健康管理や防犯と称して行動を監視することも行われている。
中国では国民一人当たり1台、13億台以上の監視カメラが稼働しており、全世界の監視カメラの半数が中国にある。(日本は人口10人に1台以下)
その技術は日々進歩し、個人の顔を識別する顔認証技術と結びつき、信用スコア制度と連動している。
信用スコアが低い人が駅に来ると防犯カメラが人物を特定し、連絡を受けた公安が拘束する。
こうした事が現実になっている国で経済破綻が発生すると、政府を維持するため住民弾圧へと進むでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80009657.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html#c13
アリババのクレジット信用スコア、こうした情報は公安と共有されている
画像引用:https://cdn-images-1.medium.com/max/1600/1*trFbuddFp3smKipMSkV4sA.jpeg
八方ふさがりの中国
中国とアメリカの貿易対立が深まり、このところ中国では貿易戦争という言葉が多用されるようになった。
中国では新聞記者や報道は国家資格なので、フリーのジャーナリストが自由に記事を書いたりしない。
一見そう見える記事でも、その記者が生きて中国の空気を吸っているという事は、政府の指揮下にあるという事です。
以前中国政府は貿易「戦争」という言葉を禁止していたが、最近では政府関係者が使うようになった。
アメリカは中国から年5000億ドルを輸入しているが、これに関税を掛けて輸入制限をしている。
加えて危険な中国企業(ファーウェイなど)と米国企業の取引を禁止し、今後ファーウェイと取引する外国企業も規制対象になるでしょう。
米国の要求は中国が国際ルールを守る事と、不公正貿易を辞める事の2点でした。
これに中国は反発して報復関税を課したが、中国はアメリカから1000億ドルしか輸入していないので効果は望めない。
中国のGDPはアメリカの6割で対米輸出額はアメリカの5倍なので、相互に同じ制裁をすると中国側は米側の8倍もダメージを受ける。
アメリカは中国と貿易できなくなり「少しかゆい」くらいだが、中国側は経済崩壊しかねない。
中国はレアアース禁輸と米国債売却をちらつかせているが、どちらも効果はないと予想されます。
レアアースの中国の埋蔵量は世界の3割にすぎず、中国の人件費が安く採掘しやすいから中国産が多く流通しているだけです。
ブラジルやロシアやオーストラリアにもレアアースは存在するので、少し価格が上がれば代替品はあるのです。
米国債については中国が売った分を日本などが買えば良いだけで、FRBが引き受ける方法もあります。
日銀が日本国債を買うのと同じで、FRBが米国債を買えば何も問題はありません。
中国の監視と統制
中国はアメリカに手も足も出ず軍事力でもかなわないので、国内の統制強化で不満を抑え込もうとしています。
中国ではインターネットは自由ではなく、実名登録して政府の許可を得る必要があります。
ネット上のSNSや掲示板に氏名は公開されないが、公安は13億人をIDで管理している。
中国では2年ほど前から「信用スコア制度」が始まり、すべての国民がポイント評価されるようになった。
日本の交通違反点数とほぼ同じものだが、違うのは社会のあらゆる行為が点数で評価されたり減点される。
交通違反、ネット上の政府批判、犯罪、家賃滞納、多重債務、年収、学歴、就学情況など全て点数で評価される。
この結果「赤信号を無視したからネット書き込み禁止」とか、「家賃滞納でバスへの乗車拒否」などが現実に起きている。
中国はチベットやウイグルなど少数民族を弾圧しているが、これらの地域住民のIT機器には政府が配布した監視ソフトが義務化されている。
街で歩行者を検問し監視ソフトなしのスマホを携帯していると、逮捕され収容所に収容される。
こうした人の信用スコアは最低ランクになるので、あらゆる交通機関で乗車拒否され、就職やまともな賃貸契約もできず運転免許も没収される。
災いは家族にも及び、少数民族の子供は幼稚園や保育園、小学校への就学を拒否され、社会から隔離されている。
またチベットやウイグルでは学校で「だ液」を採集していて、13億人全員のDNA登録を進めている。
学校では生徒の服にチップを装着させ、健康管理や防犯と称して行動を監視することも行われている。
中国では国民一人当たり1台、13億台以上の監視カメラが稼働しており、全世界の監視カメラの半数が中国にある。(日本は人口10人に1台以下)
その技術は日々進歩し、個人の顔を識別する顔認証技術と結びつき、信用スコア制度と連動している。
信用スコアが低い人が駅に来ると防犯カメラが人物を特定し、連絡を受けた公安が拘束する。
こうした事が現実になっている国で経済破綻が発生すると、政府を維持するため住民弾圧へと進むでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80009657.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html#c30
文献学の基礎も知らないから文献批判の能力がゼロなんだ
従って、本当かどうかに関わらず、桜井氏の書いたものは一切信用できない。
たまにマグレで正しい事を言った場合でも意味ないからね
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c106
専門家でないからその真偽はわからない
しかし、詐欺師の桜井より信用できるのはわかる
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c108
そもそも僅か1ページで天安門事件がデマだと証明できる訳ないだろ
否定するには天安門の虐殺について書かれている資料をすべて現地に行って確認して、何が嘘かを調査しないといけない
その調査だけで最低 2年、3年はかかる。
桜井氏はそういう必要最低限の作業すらしていない。
従って桜井氏は誇大妄想の詐欺師で間違いない
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c110
そもそも僅か1ページで天安門事件がデマだと証明できる訳ないだろ
否定するには天安門の虐殺について書かれている資料をすべて現地に行って確認して、何が嘘かを調査しないといけない
その調査だけで最低 2年、3年はかかる。
桜井氏はそういう必要最低限の作業すらしていない。
従って桜井氏は誇大妄想の詐欺師で間違いない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c13
天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書 2017年12月26日
https://www.bbc.com/japanese/42482642
天安門広場近くで燃える装甲兵員輸送車 (1989年6月4日)
英国で新たに公開された外交文書によると、中国当局が民主化運動を弾圧した1989年の天安門事件で、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが明らかになった。
「1万人」という人数は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した。大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた情報を伝えてきた」人物から入手した数字だと説明している。
国務院は中国の内閣に相当 し、首相が議長を務める。
天安門事件の死者数はこれまで、数百人〜1000人以上と、様々に推計されていた。
中国は1989年6月末に声明で、1989年6月4日の「反革命暴動」を弾圧した、北京では市民200人と治安部隊数十人が死亡したと発表していた。
民主化を求める大勢の学生が天安門広場でハンガーストライキを続けた(1989年5月14日撮影)Image copyright AFP
Image caption
一連の光電はこれまでロンドンの英国立公文書館で保管されていた。10月に機密指定が解除され、香港のニュースサイト「香港01 」が閲覧した。
ドナルド大使によると、情報源は事件以前から信頼できていた人物で、「事実と憶測と噂を慎重に区別」していたという。
大使は当時、「学生たちは広場退去まで1時間の猶予を与えられたつもりでいた。しかし、5分後に装甲兵員輸送車(APC)が攻撃を開始した」と書いている。
「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった。そしてAPCは何度も何度も遺体をひき、『パイ』を作り、ブルドーザーが遺体を集めていった。遺体は焼却され、ホースで排水溝に流されていった」
「負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺されてしまった」
ドナルド氏は、「国務院委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた」と付け加えている。
天安門広場の抗議デモは、軍の派遣まで7週間続いた。共産主義国家・中国にとって、史上最大規模のデモだった。
天安門事件は、今なお中国では極めてデリケートな問題として位置付けられている。
中国は活動家の追悼行事を一切禁止し、政府批判の検閲を含め、天安門事件に関するオンラインでの議論を厳しく規制している。しかし活動家たちは毎年6月には、特に香港や台湾などに集まり、天安門での犠牲を追悼してきた。
(英語記事 Tiananmen Square protest death toll 'was 10,000')
https://www.bbc.com/japanese/42482642
天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書 2017年12月26日
https://www.bbc.com/japanese/42482642
天安門広場近くで燃える装甲兵員輸送車 (1989年6月4日)
英国で新たに公開された外交文書によると、中国当局が民主化運動を弾圧した1989年の天安門事件で、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが明らかになった。
「1万人」という人数は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した。大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた情報を伝えてきた」人物から入手した数字だと説明している。
国務院は中国の内閣に相当 し、首相が議長を務める。
天安門事件の死者数はこれまで、数百人〜1000人以上と、様々に推計されていた。
中国は1989年6月末に声明で、1989年6月4日の「反革命暴動」を弾圧した、北京では市民200人と治安部隊数十人が死亡したと発表していた。
民主化を求める大勢の学生が天安門広場でハンガーストライキを続けた(1989年5月14日撮影)Image copyright AFP
Image caption
一連の光電はこれまでロンドンの英国立公文書館で保管されていた。10月に機密指定が解除され、香港のニュースサイト「香港01 」が閲覧した。
ドナルド大使によると、情報源は事件以前から信頼できていた人物で、「事実と憶測と噂を慎重に区別」していたという。
大使は当時、「学生たちは広場退去まで1時間の猶予を与えられたつもりでいた。しかし、5分後に装甲兵員輸送車(APC)が攻撃を開始した」と書いている。
「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった。そしてAPCは何度も何度も遺体をひき、『パイ』を作り、ブルドーザーが遺体を集めていった。遺体は焼却され、ホースで排水溝に流されていった」
「負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺されてしまった」
ドナルド氏は、「国務院委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた」と付け加えている。
天安門広場の抗議デモは、軍の派遣まで7週間続いた。共産主義国家・中国にとって、史上最大規模のデモだった。
天安門事件は、今なお中国では極めてデリケートな問題として位置付けられている。
中国は活動家の追悼行事を一切禁止し、政府批判の検閲を含め、天安門事件に関するオンラインでの議論を厳しく規制している。しかし活動家たちは毎年6月には、特に香港や台湾などに集まり、天安門での犠牲を追悼してきた。
(英語記事 Tiananmen Square protest death toll 'was 10,000')
https://www.bbc.com/japanese/42482642
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c14
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c113
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 桜井春彦に騙されない様に注意して下さい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c15
Dissidents in the 1989 Tiananmen Square protests - Wikipedia
The number of civilian deaths was internally estimated by the Chinese government to be near or above 10,000.[1][2]
https://en.wikipedia.org/wiki/Dissidents_in_the_1989_Tiananmen_Square_protests
これが定説だから、それを否定するには何年も現地調査しないといけないな。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c115
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
wiki にまで書かれているので、世間では天安門事件で1万人以上虐殺されたと思われているのですね:
Dissidents in the 1989 Tiananmen Square protests - Wikipedia
The number of civilian deaths was internally estimated by the Chinese government to be near or above 10,000.[1][2]
https://en.wikipedia.org/wiki/Dissidents_in_the_1989_Tiananmen_Square_protests
これが定説なので、それを否定するには何年も現地調査しないといけないでしょう。
その調査だけで最低 2年、3年は掛ります。
しかし、桜井氏はそういう必要最低限の作業すらしていない。
従って桜井氏は誇大妄想の詐欺師で間違いないです。
だからそれが中国政府の流したデマなんだろ
文献批判というのはそれがデマかどうかを判断する事だ
桜井氏はその程度の文献批判すらできない知恵遅れだという事だ。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c120
(死体グロ画像注意)
NHKクローズアップ現代「天安門事件で大きな虐殺は無かった」と大嘘! 日本政府、天皇陛下を政治利用! 2019年06月01日
https://blog.goo.ne.jp/hosizorajp/e/f5f3aca8c963b5eda061a6cc7e63758a
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5469.html
抜粋
NHKクローズアップ現代「天安門事件で大きな虐殺は無かった」と大嘘
1989年の「天安門事件」の後、国際社会は、学生ら市民を大虐殺した支那に対して、投資を激減させるなどの制裁措置をとった。
支那は、その後何年間も、国際社会による制裁措置にあえいだ。
この支那の窮地に、いち早く手を差し伸べたのは、日本だった。
まず、1991年8月、竹下登元首相の強い働きかけもあり、海部俊樹首相が支那を訪問し、対支制裁を全面解除した。
しかし、日本が支那への制裁を解除しても、日本を除く世界は、支那への制裁を続行した!
次に、翌1992年、海部の後任となった宮沢喜一は、国際社会による支那への制裁も、何とかして解除させようとした!!
そこで、日本政府(宮沢内閣)は、日本国民の強い反対論を押し切って、天皇陛下の支那ご訪問を閣議決定し、世界による対支制裁措置解除の突破口にしようとした。
明らかな、日本政府(宮沢内閣)による天皇陛下の政治利用だった!
現実問題として、前年日本が真っ先に支那への経済制裁解除をしたものの、他の西側諸国はまだまだ支那に厳しい態度で臨んでいたが、天皇陛下の支那ご訪問は、そのような西側の制裁を解除させる決定打となった。
実際に支那の銭其シン元外相は、回想録で、天皇陛下の支那ご訪問について「中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口となった」と書いている。
支那と、その手下である宮沢喜一や加藤紘一らは、天皇陛下を支那の広告塔として利用したのだ。
天皇陛下ご訪支の翌年1993年3月に、江沢民が国家主席に就任した。
ちなみにNHKは、このタイミング(1993年6月)で、『クローズアップ現代』において「天安門広場では虐殺はなかった!広場では一人も死んでいない」と放送した。
https://blog.goo.ne.jp/hosizorajp/e/f5f3aca8c963b5eda061a6cc7e63758a
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c121
櫻井ジャーナルの記事は天安門事件に限らず、すべてデマの可能性が高くなりました。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c122
真実を知られると困る人が沢山いるんだね
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/523.html#c124
そもそも桜井氏は噂話を書いてるだけで、何一つ論証をしていないから取り上げる価値は無いのです。
そもそも桜井氏は論証した事が一度も無いのですね。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もがゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。
従って、それが本当かどうかに関わらず、桜井氏の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで正しい事を言った場合でも意味ないですからね
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に
アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた
というのは絶対に有り得ないです。
そもそも、
ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。
そういう事情は、こういう話を聞けば誰でも納得できます:
林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
調査でなく、中国政府の公式見解を繰り返しただけだ
それ自体が嘘八百のデマだ
櫻井ジャーナルに騙されるな
櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま書いてるだけで、何一つ論証も調査もしていないので取り上げる価値は無いのです。
そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのですね。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。
従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、桜井氏の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が正しかったとしても意味無いです。
櫻井春彦のデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に
アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた
というのは絶対に有り得ないです。
そもそも、
ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。
そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:
馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc
林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。
そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。
従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が正しかったとしても意味無いです。
因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に
アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた
というのは絶対に有り得ないです。
そもそも、
ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。
そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:
馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc
林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html#c19
櫻井ジャーナルの記事はすべて嘘八百のデマの可能性が高いです。
詐欺師 櫻井春彦に騙されない様に注意して下さい。
櫻井春彦は街で聞いた本当かどうか全くわからない噂話をそのまま垂れ流しているだけで、何一つ論証も調査もしていないので読む価値は無いのです。
そもそも櫻井春彦は論証した事が一度も無いのです。
文献学の基礎を知らないので文献批判の能力もゼロ
何がデマで、何が信頼度が高いかを全く判断できないのです。
従って、その噂話が本当かどうかに関わらず、櫻井春彦の書いたものは一切信用できません。
たまたまマグレで その噂話が本当だったとしても意味は無いのです。
櫻井春彦の無責任なデタラメぶりはこのデマ記事を見れば良くわかります:
櫻井春彦「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
因みに、櫻井春彦が何時も言ってる様に
アメリカがソ連を核攻撃しようと計画していた
というのは絶対に有り得ないです。
そもそも、
ソ連は西側が援助してユダヤ人が建国した国だし
ソ連に核技術を指導したのはアメリカだし
ベトナム戦争の時もアメリカはソ連に資金援助していた。
そういう事情は、こういう講演を聞けば誰でも納得できます:
馬渕睦夫沖縄講演
「2019年の国難をどう乗り切るか」〜世界の情報操作と金融支配の本質を見抜く[H31-1-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7cE_4kQATvc
林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[2019-5-24] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/332.html#c1
エリート人生を歩んでいた農林水産省の元事務次官である熊澤英昭容疑者が自分の長男である熊澤英一郎さんを包丁で刺し殺したとして現行犯逮捕をされました。
そんななんとも驚きの事件ですが、加害者よりも被害者の熊澤英一郎さんに注目が集まっています。
障害持ちで引きこもりニート噂が耐えないようですが、その熊澤英一郎さんが母親から受けてきた教育方法が「酷い」ということが言われているようです。
事件の概要や長男である熊澤英一郎さんの学歴などの情報、熊澤英昭容疑者の犯行動機などについてご紹介させていただきます。
熊澤英昭が殺害された熊澤英昭容疑者の事件について
農林水産省の元事務次官が同居している44歳の長男を包丁で刺したとして逮捕された事件で、死亡した長男は布団の上で胸などを複数回刺されていたことが分かりました。
この事件は1日午後、東京・練馬区の住宅で、この家に住む農林水産省の元事務次官、熊沢英昭容疑者(76)が同居している長男で無職の英一郎さん(44)を包丁で刺して殺害しようとしたとして現行犯逮捕されたものです。
英一郎さんは搬送先の病院で死亡しましたが、その後の捜査関係者への取材で、自宅1階の和室の布団の上で、胸などを複数回刺されていたことが分かりました。取り調べに対し、熊沢容疑者は容疑を認めているということです。
警視庁は、熊沢容疑者と長男の英一郎さんとの間にトラブルがあったとみて動機について詳しく調べています。(02日10:59)
殺害された熊澤英一郎さんの顔画像
こちらの熊澤英一郎さんの画像は19歳位のときの顔画像だということです。
逮捕された熊澤英昭容疑者について
熊澤英昭容疑者の顔画像
熊澤英昭の学歴や経歴がエリートすぎる
名前:熊澤英昭(読み方:くまざわひであき)
・年齢:76才
・出身地:岐阜県出身
・住所:東京都練馬区早宮4
・職業:元農林水産省事務次官
・家族構成:嫁と息子の3人家族
家族構成としては、長男の熊澤英一郎さんと長女、そして嫁の4人家族だったようです。
熊沢英昭容疑者は高学歴な超エリートです。
元次官の経歴としては、1967年に当時の農林省に入省した「エリート官僚」。
そして、農水省経済局長などを経て2001年に事務次官に就任しましたが2001年9月に狂牛病のBSE問題が発生し責任をとる形で2002年1月に事務次官を退官されています。
その後もチェコの大使館にも勤められていました。熊澤英昭容疑者の最終学歴は「東京大学法学部」です。
熊澤英昭容疑者は迷惑をかけたくなかった?川崎殺傷事件と関連?
エリート官僚でもあった熊澤英昭容疑者はどうしてこのような事件を起こしてしまったのか気になるところですが、「川崎殺傷事件」について供述をしていることがわかっています。
元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京都練馬区の自宅で長男(44)を殺害したとされる事件で、熊沢容疑者が警視庁の調べに対し、「長男は引きこもりがちで、家庭内で暴力を振るうこともあった」という趣旨の供述をしていることが同庁への取材でわかった。「周囲に迷惑をかけたくないと思った」とも話しているという。
元農水次官、自宅で長男刺した疑い 殺人未遂容疑で逮捕
事件前には「小学校の運動会の音がうるさい」と言う長男を注意した、と説明していることも判明。当日は朝から隣接する区立小で運動会が開かれていた。同庁は事件に至る経緯を詳しく調べている。
練馬署によると、熊沢容疑者は1日午後3時半ごろ、自宅で長男の無職英一郎さんの胸などを包丁で複数回刺したとして、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。英一郎さんは搬送先の病院で死亡が確認された。一家はこの2人と熊沢容疑者の妻の3人暮らし。妻は当時不在だったという。
東京都練馬区の民家で起きた殺人事件で、無職の長男(44)を刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕された元農林水産省事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が調べに対し、川崎市で私立カリタス小学校の児童ら20人が殺傷された事件を挙げ、「長男も児童らに危害を加えるのではないかと心配した」という趣旨の供述をしていることが警視庁幹部への取材でわかった。警視庁練馬署は、川崎の事件が長男を刺したきっかけの一つになったとみている。
捜査関係者によると、長男は約30年前の中学2年の時から家庭内暴力をふるっていた。実家を離れた時期もあったが、5月下旬に実家に戻ると再び、両親への暴力を繰り返すようになった。仕事はせず、家にひきこもって長時間、インターネットをしていたという。
事件前には、自宅に隣接する小学校の運動会の音がうるさいと騒ぎ出し、熊沢容疑者と口論になった。熊沢容疑者はその後、自宅にあった包丁で長男を刺したとされる。1階和室で倒れていた長男は胸や首など上半身を中心に10か所以上の刺し傷があり、搬送先の病院で死亡した。
殺害された熊澤英一郎さんのツイートなど
ツイッターでの熊澤英一郎さんのツイートが何とも恐ろしいという声が多くあがっています。
そんなツイートまとめについてです。
熊澤英一郎さんのツイートは「愚母」に対しての殺意とも受け取れる内容、そして周りの人間と自分を比較したような発言が目立ちます。
仕事をせず引きこもりとしてドラクエに没頭していたということが分かっています。
熊澤英一郎さんについて
名前:熊澤英一郎(くまざわえいいちろう)
ハンドルネーム:神崎弘海(かんざきひろみ)
生年月日:1975年3月20日
年齢:44歳
住所:東京都練馬区早宮4
学歴:代々木アニメーション学院アニメーター科卒HAL東京
職歴:元社会復帰指導員、パン職人(パン製造技能士2級取得済み)元ビジネスコンサルタント事務所職員
このようにプロフィールが判明しており、またドラゴンクエスト10の有名プレイヤーでもあったようです。
熊澤英一郎さんの学歴について
熊澤英一郎さんの詳しい学歴については現在情報がありませんが、「聖殻の神殿」というサイトには
代々木アニメーション学院アニメーター学科を卒業後、「HAL東京校を中退」というようになっているようです。
ネットではHAL東京校を卒業しているという情報もあり、どちらが正しいかは定かではありません。
また高校に関しては情報がありませんが、大学には進学せずにアニメ専門学校を転々としていたようです。
ドラゴンクエスト10の有名プレイヤー?廃人?
熊澤英一郎さんは人気RPG作品「ドラゴンクエスト10」の超有名プレイヤーだったことがわかっています。
ドラゴンクエスト10とはオンラインにも対応したゲームでインターネットで様々な人と繋がれるというものです。
今度の最新作は、オンライン対応!
ネットワークにつなげれば、そこにはあなたと同じ、冒険者たちがいる世界です!
これまでにも、「ドラゴンクエスト」に登場してきた町の人たちは、本当に生きている人間のように、あなたに話しかけてくれました。
今度の「ドラゴンクエストX」では、なんとそれが本物の人間に!
まさに、みんなが”ドラゴンクエストの世界”の住人となって自由に遊ぶことができます。
このドラゴンクエスト10にステラ神として毎日のようにログインをしていたようです。
サービスが始まったときから毎日ログインをしており、亡くなった2019年6月1日にもログインをしています。
そして自分で熊澤英昭容疑者の息子だということを豪語していることからドラゴンクエスト10のステラ神が熊澤英一郎さんだと発覚をしたのです。
ニート?稼ぎはあった?
本人の話しによれば神崎弘海として「聖殻の神殿」というサイトでイラストを制作して数カ月に一度3万円ほどの収入があったようです。
月32万円も課金!
ドラゴンクエスト10はゲームプレイをするためには利用券というものが必要で、課金も必須となってきます。
そんなゲームに、月に32万円も課金をしていたことをツイッターで報告をされています。
熊澤英一郎さんは病気だった?
熊澤英一郎さんは自身のツイッターで「アスペルガー症候群」であることそして「統合失調症」であるということを告白されています。
アスペルガー症候群とは?
アスペルガー症候群は、広い意味での「自閉症」のひとつのタイプです。最初に症例を報告したハンス・アスペルガーというオーストリアの小児科医の名前にちなんでつけられました。アスペルガー症候群は、自閉症の3つの特徴のうち「対人関係の障害」と「パターン化した興味や活動」の2つの特徴を有し、コミュニケーションの目立った障害がないとされている障害です。言葉の発達の遅れがないというところが自閉症と違うところです。知的発達に遅れのある人はほとんどいません。
広い意味でのアスペルガー症候群
高機能自閉症・非定型自閉症などは、厳密にはアスペルガー症候群と区別されますが、「知的発達に明らかな遅れがないが、自閉症の特徴を有している」という点では共通しています。そのため一般的には「アスペルガー症候群」は、それらの人たちも含めて広い意味で使用される傾向があります。以下で述べる特徴等は、それらの障害にも当てはまります。
また「高機能」というのは「知的発達に明らかな遅れがない」ことを表し、自閉症状の程度(現れ方)とは無関係な用語です。「高機能」でも自閉症状の強い人々もいますので、決して支援が少なくていいわけではなく個人にあった支援が必要です。
アスペルガー症候群の特徴
アスペルガー症候群の人々には、「表情や身振り、声の抑揚、姿勢などが独特」「親しい友人関係を築けない」「慣習的な暗黙のルールが分からない」「会話で、冗談や比喩・皮肉が分からない」「興味の対象が独特で変わっている(特殊な物の収集癖があるなど)」といった特徴があります。このほかに身体の使い方がぎこちなく「不器用」な場合が多くみられます。
統合失調症とは?
統合失調症は、およそ100人に1人弱がかかる頻度の高い病気です。「普通の話も通じなくなる」「不治の病」という誤ったイメージがありますが、こころの働きの多くの部分は保たれ、多くの患者さんが回復していきます。
高血圧や糖尿病などの生活習慣病と同じように、早期発見や早期治療、薬物療法と本人・家族の協力の組み合わせ、再発予防のための治療の継続が大切です。脳の構造や働きの微妙な異常が原因と考えられるようになってきています。
熊澤英一郎の母親は?教育環境が悪かった?
今回、逮捕された熊澤英昭の妻であり、英一郎さんの母親である人はどのような人物だったのでしょうか?
中学校のときから家庭内暴力があったということが報道などでは明らかとなっており、また熊澤英一郎さんはツイッター上で母親のことを「愚母」と呼んでいます。
熊澤英一郎さんはこのようにツイートをされています。
勉強をしたくないのに、勉強をしていた。
そして勉強をしなければ愚母、つまり母親におもちゃを壊されるという教育を受けていたという旨の内容になっています。
またこれまでには勉強をしなかったことでおもちゃを壊されたことも告白されています。
「エルガイムMK-U」とは重戦機エルガイムの後期主人公となったA級ヘビーメタルのことです。
この「エルガイムMK-U」が壊されてしまったということですが、勉強をしなければおもちゃを壊されるという教育方法にも疑問がありますね。
教育環境に問題があった?
エリート官僚でもあった父親を持つ家庭に生まれた熊澤英一郎さん。
父親のその偉大さなどから世間体からもプレッシャーが大きかったのではないでしょうか?
「賢い親の子は賢いはずだ」「エリートの家庭の子供はエリートになるはずだ」と世間体の思い込みなどがプレッシャーとなり、また親自身も実際に間違った教育をしてしまうこともあるものです。
今回熊澤英一郎さんの両親がどのような教育をしていたかは不明ですが、勉強をしなければおもちゃを壊すというツイートを見る限り「毒親」ともとれてしまうでしょう。
もしかすると引きこもりで様々な噂をさらている熊澤英一郎さんだけでなく、両親にも問題があったかもしれません。
神崎ひろみ!pixivで特定!
まとめ
エリート人生を歩んでいた農林水産省の元事務次官である熊澤英昭容疑者が自分の長男である熊澤英一郎さんを包丁で刺し殺したとして現行犯逮捕をされました。
ドラゴンクエスト10の廃人であったことや、つぶやきなどを見ると被害者の方の情報が今後気になりますね。
http://trend-journal.online/kyoiku
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/120.html#c15
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100045
g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=