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[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
51. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月10日 10:25:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]

従軍慰安婦・南京大虐殺等の戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮


敗戦時の公文書大量焼却事件の主犯は奥野誠亮である。

2016-11-27
史上最悪の証拠隠滅犯の死
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/27/141537


16日、奥野誠亮(元内務官僚・衆院議員・文相・法相)が死んだ。103歳だという。よくもしぶとく生き延びたものである。


朝日新聞(11/18):

奥野誠亮さん死去 文相・法相を歴任

(略)1963年、自治事務次官を経て、旧奈良全県区から衆院議員に初当選した。衆院議員を13期務めた後、2003年に90歳で引退した。国土庁長官だった88年、日中戦争について「日本に中国侵略の意図はなかった」と発言し、国内外で批判を浴び、同長官を辞任した。

毎日新聞(11/17):

奥野誠亮さん死去 筋金入りの保守派、ミスター内務省

(略)1938(昭和13)年入省。地方局事務官として戦争終結方針策定に当たり、内務省解体も体験し、自治事務次官から政界入り。連続当選13回で文相、法相、国土庁長官を歴任し、卒寿(90歳)で引退した。

 閣僚としての歴史認識をめぐる発言で時に物議をかもしたこともあったが、真骨頂は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長としての活動と、自主憲法制定を求める運動。自著の回顧録のタイトル「派に頼らず、義を忘れず」をそのままモットーに万事に生涯無派閥を貫き「保守のバックボーン」ともいわれた。

 大いに存在感を発揮し筋金入りの右派だったが、決して硬直した右派ではなく、リベラルにも寛容な議論好きだった。(略)

 
朝日も毎日も、訃報でこの男の最も重大な「業績」を伝えていない。こちらは歴史を作ってきたどころか、貴重な歴史史料を抹殺し、正しい歴史認識の構築を妨害し続けてきた証拠隠滅犯なのだ。

読売新聞(2015/8/11):

占領前文書焼却を指示…元法相 奥野誠亮さん 102

(略)

 「総理(鈴木貫太郎首相)は戦争の終結を固く決意している。ついては内務省で戦争終結処理方針をまとめてもらいたい」。1945年8月10日朝、迫水久常・内閣書記官長から、内務省に極秘の要請があった。

 そこで、灘尾弘吉内務次官の命を受け、内務省地方局戦時業務課の事務官(現在の課長補佐クラス)だった私が各省の官房長を内務省に集め、終戦に向けた会議をひそかに開いた。

(略)

 もう一つ決めたことは、公文書の焼却だ。ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう」と言った。犯罪人を出さないためにね。

 会議を終え、公文書焼却の指令書を書いた。ポツダム宣言受諾のラジオ放送が15日にあることも聞いていたので、その前に指令書を発するわけにはいかないが、準備は整っていた。

(略)

 15日は、正午の玉音放送の直後、私を含む内務省の4人で分担し、全国の地方総監府に公文書焼却の指令書を持って行った。

(略)

 奥野さんは鹿児島で特別高等警察(特高)課長などを務め、内務省に戻ると、公文書焼却の極秘作業に深くかかわるなどして終戦を迎えた。32歳だった。

 強く印象に残っているのは、自身が時折敬愛の念を込めて「天皇さん」と呼ぶ、昭和天皇の姿だという。

 「天皇さんはマッカーサー(連合国軍最高司令官)に対し、飢えた国民を救ってくれと求めた。そして、全国を歩き回り、我慢してくれと国民に呼びかけた。あの行動が、日本が再起する機会の一つになった」

 戦後は保守政治家になり、1世紀余を生きてきた奥野さん。「二度と戦争をしないのは大事なことだ」と平和の尊さを訴えている。

この国では、国家的重大犯罪の証拠を大量に抹殺した隠滅犯がそれをまるで手柄のように自慢げに語るばかりか、御用マスコミが当たり前のようにそれを紙面に載せて疑問も示さない。

奥野はさらに具体的な内容を1960年の座談会で語っている。


高文研 @koubunken
奥野誠亮死去。奥野ら旧内務官僚が1960年、総務省の自治大学校史料編集室で行った、8月15日・16日前後の公文書焼却をはじめとする敗戦処理について語り合った座談会の一部抜粋。(『ドキュメント 横浜事件』高文研刊から転載) pic.twitter.com/37kkqb2ddC
14:22 - 2016年11月18日

奥野 僕が思い出すのは、十五日の何日か前に、終戦処理の方針をきめなければいけないので……これは入江さんから伺ったのです、終戦になるのだと。(略)

 そのほか公文書は焼却するとかといった事柄が決定になり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通じて下部に通知する。海軍は海軍の系統を通じて下部に通知する。内政関係は地方総監、府県知事、市町村の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。十五日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもしれないので、その際にそういう文書を見られてもまずいから、一部は文書に記載しておくが、その他は口頭連絡にしようということで、小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたのです。それが何日に出発したかは覚えていないのですが……。

入江 十六日だと思います。

奥野 そのときわざわざ運輸省からパスまでもらって、上陸してきたのとぶつかったらこうこうしろということまで話し合いをして、各人が地域を分担して出かけていった。その結果軍の持っている物資が流され、文書は焼いてしまうということになった。(略)

奥野が主導したこの焼却決定の結果、ありとあらゆる犯罪の証拠が闇に葬られた。


能川元一 @nogawam
奥野誠亮が「焼いたw」と(いまだに)自慢話として証言している敗戦時の公文書隠滅だが、隠滅された文書の中には、日本軍「慰安婦」の総数や南京事件での捕虜殺害規模をいまよりは正確に推定する材料となったはずの文書が含まれていた可能性が極めて高い。
17:15 - 2015年10月19日


昼寝猫 @tcv2catnap
霞ヶ関のみならず中国、満州でも書類焼きまくった。特に東條内閣機密費や関東軍謀略の原資となった、アヘンな。大日本帝国最大級の外道官業の実態が闇に。
2:11 - 2016年11月19日

堀家康弘 @kounodanwawoma1
朝鮮総督府では敗戦直後に一週間もかけて、念入りに証拠文書が燃やされている。奥野元法相によれば「犯罪者を出さないため」
つまり、犯罪行為の隠滅がなされたのである。
14:36 - 2016年1月5日

ワイド師匠 @feedback515
朝鮮でも焼いた。僕の曽祖父が当時、朝鮮で手広く商売をしており、その中に大きなケシ畑もあった。今考えるとそれはアヘンの原料。大伯母(祖母の妹)の話では8/15の午後に大量の書類を焼却したという。ただその書類が何であったのか詳細は不明。https://twitter.com/tcv2catnap/status/799661247448784896


昼寝猫‏ @tcv2catnap
霞ヶ関のみならず中国、満州でも書類焼きまくった。特に東條内閣機密費や関東軍謀略の原資となった、アヘンな。大日本帝国最大級の外道官業の実態が闇に。
9:11 - 2016年11月18日

 
戦争犯罪を隠蔽し、戦争責任を否定することで日本を再び「戦争ができる国」にしようと画策し続けてきた奥野が「平和の尊さを訴えている」とはいったい何の冗談か。こんな男が何十年も国会議員をやり、文相や法相を歴任するのだから、国策企業も政治家も、何をやらかしても責任を取ろうとしないのは当たり前である。


名前は秘密 @assami7154
こういう歴史のうやむやが、結局、誰も責任を取らない体質となり、ひいては東電を生み、フクシマを招き、同じ構図で東京オリンピックや豊洲市場があるのです。結局は奥野がやった事は小さな縄張りの保守で国益の多大な損出、歴史的汚点
20:33 - 2016年11月17日

奥野は結局何ひとつ反省せず、どのような犯罪の証拠を焼かせたのかも白状しないまま死んだ。こういう者たちがのさばるのを許し続けてきた結果が今なのだ。
 
【2016/11/28追記】99さんからコメント経由で頂いたTV番組の画像の一部を貼っておきます。

奥野誠亮

70年経ってこの言い草。この無反省、傲岸不遜は、怪物的とでも形容するしかないですね。【追記終り】
 
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/27/141537


▲△▽▼

2018-05-04
日本政府の公文書隠蔽・廃棄・改ざん(要するに嘘つき)体質はあまりに根が深い
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222

■ 安倍政権だけの問題ではない日本政府の嘘つき体質

森友・加計学園問題や自衛隊のイラク・南スーダン日報問題が示すように、日本政府の公文書隠蔽・廃棄・改ざん体質は、安倍政権の下で極まっているように見える。

確かに、国会答弁で平然と見えすいた嘘をつき、嘘だという証拠を突きつけられてもまた別の嘘をついて誤魔化そうとする安倍政権の虚言癖体質は異常としか言いようがない。しかし、日本政府(単に自民党政権というだけでなく、中央官庁の高給官僚たちをも含めた行政府全体)の嘘つき体質は、安倍政権などよりはるかに以前からのものではないのか。

2001年に情報公開法が制定されて以来、開示請求した文書がことごとく全面黒塗りの「海苔弁」状態で出されてうんざりさせられた例は枚挙にいとまがない。

民主党・鳩山政権時には、沖縄の普天間基地問題をめぐって、外務省が県外移設は不可能とする「極秘文書」を捏造し、鳩山首相を騙して移設を諦めさせるという事件が発生している[1]。(結局この方針転換が原因となって鳩山内閣は総辞職に追い込まれた。)


 民主党政権時の2010年4月19日、防衛、外務の官僚たちが、官邸に鳩山首相を訪ねた。
 前年夏の総選挙で鳩山が唱えていた「米軍基地の沖縄県外への移設」についてレクチャーするためだ。

 官僚の一人は「アメリカ大使館と交渉した結果こうなった」と言って、3枚つづりの文書を鳩山に差し出した。

 文書のタイトルは「普天間移設問題に関する米側からの説明」。右肩には『極秘』の判が麗々しく押されている。

 “極秘文書”には米軍のマニュアルとして次のように書かれていた ―

 「航空部隊と陸上部隊の訓練の一体性を考えると、移転先は普天間から65マイル(105km)以内に限る」。

 沖縄全島は70マイル。沖縄以外はダメということだ。(移転先の候補にあがっていた)徳之島はあきらめろという内容である。

 「アメリカがそういう条件であれば、沖縄以外に持って行くことは不可能」。鳩山は県外移設を断念した。

(略)

 鳩山は決定打となった米軍マニュアルについて琉球新報に調べてもらったが、そんなマニュアルはどこにもなかった。

 極秘の指定期間は2015年4月18日。極秘が解除されたため、鳩山側近の川内博元衆院議員が外務省に問い合わせた。

 文書を扱う大臣官房総務課は「公文書ではない。外務省が作成したものかどうか分からない」と回答した。“極秘文書”はガセだったのである。

中曽根政権時代の1987年には、核兵器持ち込みに関する密約文書を公開しないよう、外務省が米側に要請するという事件も起っている[2]。


 【ワシントン山崎健】日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。

(略)

 文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。

 日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府が裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。

この密約について、当然歴代首相や外相は承知しており、事実を知りながら嘘の答弁を繰り返してきた[3]。


岡田克也外相は9日、日米の密約に関する外務省調査結果と有識者委員会の検証報告書を公表した。併せて公開された機密文書から、政府が1968年に核兵器搭載の疑いのある米艦船の寄港・通過を黙認する立場を固め、その後の歴代首相や外相らも了承していたことが判明。寄港の可能性を知りながら、「事前協議がないので核搭載艦船の寄港はない」と虚偽の政府答弁を繰り返していた。非核三原則は佐藤栄作首相の67年の表明直後から空洞化していたことになる。見つからなかった重要文書も多く、有識者委は破棄の可能性など経緯調査の必要を指摘した。

(略)

 この文書は歴代首相や外相への説明に用いられており、余白には当時の佐藤首相が読んだことや、田中角栄、中曽根康弘、竹下登の各氏らが首相在任時に説明を受けたことを示す記載がある。また、添付された89年のメモには、首相就任直後の海部俊樹氏に説明したと記されている。

(略)

 朝鮮半島有事の際に、在日米軍が事前協議なしに出撃できるとの密約についても、根拠とされてきた非公開の議事録の写しが見つかり、有識者委は「密約」と位置づけた。

■ 敗戦時の文書大量焼却以来の「伝統」か?

このような隠蔽・嘘つき体質の元をたどっていくと、まずは敗戦時の公文書大量焼却事件に行き当たる。主犯は奥野誠亮である。


能川元一 @nogawam
奥野誠亮が「焼いたw」と(いまだに)自慢話として証言している敗戦時の公文書隠滅だが、隠滅された文書の中には、日本軍「慰安婦」の総数や南京事件での捕虜殺害規模をいまよりは正確に推定する材料となったはずの文書が含まれていた可能性が極めて高い。17:15 - 2015年10月19日


堀家康弘 @kounodanwawoma1
朝鮮総督府では敗戦直後に一週間もかけて、念入りに証拠文書が燃やされている。
奥野元法相によれば「犯罪者を出さないため」
つまり、犯罪行為の隠滅がなされたのである。
14:36 - 2016年1月5日


この奥野誠亮は鈴木善幸内閣で法相を勤めている。
重大犯罪の証拠隠滅犯が司法行政のトップとなったわけだ。


■ 実は明治維新までさかのぼる?

とはいえ、日本政府のこうした嘘つき体質は敗戦前後から始まったものではない。戦前戦中はもっとひどく、政府はすべてを知りながら「臣民」には嘘ばかり吹き込んでいた。歴史の転機をなした重大事件について、たとえば1928年の張作霖爆殺事件が関東軍の河本大佐らによる犯行だったことも、1932年の柳条湖での満鉄線爆破が関東軍による自作自演の謀略だったことも、一般人民がその真相を知り得たのは敗戦後である。

南京大虐殺についても、政府首脳部は当然その事実を知っていた。当時外務省東亜局長だった石射猪太郎は次のように書いている[4]。


 南京は暮れの十三日に陥落した。わが軍のあとを追って、南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。昭和十三年一月六日の日記にいう。

 ◯上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。

(略)
 私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量な暴行なので、手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した、国際安全委員なるものから、日本側に提出された報告書には、昭和十三年一月末、数日間の出来事として、七十余件の暴虐行為が記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、臨月の女も容捨されなかったという記述は、殆ど読むに堪えないものであった。(略)
 日本新聞は、記事差止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直に千里を走って海外に大センセーションを引起した。あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼賛するのみであった。

そもそも、この国を不正義かつ無謀な戦争に引きずり込んだ政治家や官僚連中がまともな処罰もされずに復活を遂げたことが戦後の嘘つき政府の始まりなのだ。周知のとおり、東条内閣の商工大臣だった岸信介は敗戦からわずか12年で首相となった。その孫が安倍晋三である。

で、この戦前の嘘も、昭和になって急に始まったというわけではない。明治維新以来、政府の体質などずっと変わらなかったのだから、当然最初から嘘だらけだったのだ。

明治維新は、幕府を支持していた孝明天皇の不可解な「病死」(毒殺の疑いが濃厚)の後、15歳の若さで即位した明治天皇による「討幕の密勅」によって本格的に始動する。しかし、この密勅は偽造されたものだった[5]。


 これが慶応三(一八六七)年十月十三日のこと。十四日には前さきの権ごんの大納言正親町おおぎまち三条実愛さねなるが右の二人を召し、薩長両藩への「討幕の密勅」を下した(薩摩島津家宛ては十三日付)。これは慶喜が大政奉還の上表を提出した日でもあるから、奉還の動きと密勅降下の請願は舞台の表と裏で同時に進行し、ゴールに同着した形となった。
 これによって薩長は挙兵の大義名分を得た、と思う向きもあろうが、幕末史最大の問題点がここにある。討幕の密勅二通は同文で「詔みことのりす」と始まり、「賊臣慶喜を殄戮てんりく(誅殺)し速かに回天の偉勲を奏し」とつづいてゆく(原文は和風漢文)。「詔す」とあるからには天皇の発した詔書らしいが、辰筆しんぴつの日付もないし辰裁した印の「可」の字もない。摂政・大臣以下の連署もなければ「天皇御璽」も捺されていない、ないない尽くしの代物で、その写真版を見ると本文の次行最下部に「奉」とあり、三人の署名が並んでいる。
 正二位藤原(中山)忠能、正二位藤原(正親町三条)実愛、権中納言藤原(中御門)経之。「奉」とあれば天皇の意志を奉じた綸旨りんじのようだが、ならば文は三人称になるべきなのに「朕」という一人称が使われているので綸旨でもない(石井孝『維新の内乱』参照)。しかも三人の署名は同じ筆であり、今日、これらは岩倉が国学者玉松操に書かせたものと知れている。要するに岩倉と右の三人は大久保らから「相当の宣旨」がほしいとせっつかれ、偽文書を捏造して不敵にも密勅と騙ったのだ。

天皇の命令を記した詔書といえば、まさに公文書中の公文書である。明治政府の成立を可能にしたその公文書第一号がそもそも偽造だったのだ。そんなやり方で権力を握った連中やその後継者たちが隠蔽捏造にまったく躊躇しなかったのは当然と言えるだろう。

■ 明治維新どころではない。日本の歴史はその始まりから嘘だらけ

では、幕末維新期の「志士」たちが嘘つき日本政府の元祖・元凶なのか。

確かに、直接的にはそう言っていいだろう。しかし、公的記録を改ざんし、あるいは捏造するという手口自体はもっとはるかに古く、この国の歴史の黎明期から始まっている。

現存する日本最古の歴史書である古事記は712年、次の日本書紀は720年に成立している。ほぼ同時代に二種類の史書が作られた理由が不明である上、古事記は後の史書にその成立が記載されていないことから偽書説が唱えられたこともあるが、現在ではほぼ否定されている。

この古事記と日本書紀の内容は、全体としてはよく似ているが、いくつか重大な違いがある。

たとえば、景行天皇ことオホタラシヒコオシロワケ(12代)の九州大遠征。日本書紀によれば、景行は軍を率いて九州に渡り、ほぼ時計回りに九州を一周しながら多くの敵を打ち破る大遠征を行っている。日本書紀の記載のとおりなら、このときヤマト王権は初めて九州全土を支配下に収めたことになり、まさに赫々たる大戦果と言える。

図版出典:[6]

ところが、景行のこの重大な事績が、古事記には一切現れないのだ。古事記に出てくる景行の事績といえば、「田部たべを定め、また東あづまの淡あはの水門みなとを定め、また膳かしはでの大伴部おほともべを定め、また倭やまとの屯家みやけを定めたまひ、また坂手さかての池を作りて、すなはちその堤に竹を値ゑしめたまひき」という程度でしかない[7]。池を作って竹を植えたなど、どう考えても九州大遠征より優先して書くべきことではないだろう。

これは一体どういうことなのか。古田武彦氏が説明するとおり、実際に行われた大遠征を天皇家の史書である古事記が無視することなどあり得ない以上、日本書紀が話をでっち上げた(あるいは天皇家以外の史書から剽窃した)と考えるしかない[8]。


 (六)一番肝要の点、それはこの華麗な景行の九州大遠征譚が『古事記』に全く出現しないことである。これは記紀間の大矛盾だ。
 以上、この矛盾をいかに解くべきか。その根本は(六)にある。記紀いずれが原形、いずれが改変形か、という問題である。これに対するわたしの基本の立場は次のようだ。“記紀ともに、近畿天皇家内の成立である以上、天皇家にとって有利に加削することはあっても、不利に加削することはありえない”――この公理だ。
 そして右の有利、不利とは、もってまわった考察や、一部のインテりにのみ通じるような、うがった見方の類からではなく、万人に通ずる明々白々たる印象にもとづくものでなければならぬ。
 このような立場から見るとき、問題の景行の九州大遠征譚が、近畿天皇家にとって赫々たる大勝利譚であり、光栄ある大親征譚の形をとっていることは、疑いを容れない。
 これを記載した『書紀』の方が原形であるとすると、『古事記』の作者(伝承者・記録者等)がこれを削除したこととなる。これは先の公理によってみると、ありうることではない。
 これに対して『古事記』の方が原形とした場合、『書紀』はこれを付加・挿入したこととなろう。この方が、先の公理から見ると、ありうるケースである。
 以上の吟味によってみれば、景行の九州大遠征譚は、他からの挿入によるもの、そのように見なすほかはないのである。

この他にも、ヤマトタケルことヲウス(景行の子)による東北地方の蝦夷征伐、神功皇后ことオキナガタラシヒメ(14代仲哀の妻の一人)による九州筑後での征伐など、古事記には現れず日本書紀にだけ書かれている征伐譚が存在する。

私は、古事記は日本書紀の「ボツになった試作品」だと考えている。なぜボツになったかといえば、天皇家の支配を正当化するための嘘の程度が足りず、当時の権力者を満足させることができなかったからだろう。

千数百年の時を経ても、時の権力者の都合に合わせて記録を改ざんし、あるいは継ぎ合わせて辻褄を合わせる官僚たちの心根は大して変わっていないのではないか。まさに骨絡みの嘘つき体質と言うしかない。

[1] 『外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた』 田中龍作ジャーナル 2016/2/4
[2] 『外務省 核密約 米に非公開要請 「際限ない」米側不快感』 西日本新聞 2017/1/3
[3] 『核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開』 朝日新聞 2010/3/10
[4] 石射猪太郎 『外交官の一生』 読売新聞社 1950年 P.305-306
[5] 中村彰彦 『幕末・明治の残照 86』 東京新聞 2017/10/1
[6] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.118
[7] 武田祐吉訳注 『新訂 古事記』 角川文庫 1987年 P.110
[8] 古田 P.120-121

http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222  

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c51

[政治・選挙・NHK260] 「憲法にのっとり責務果たす」上皇陛下を継承された新天皇 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月10日 10:26:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]
東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?
天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。

天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね:


▲△▽▼


昭和天皇とダブルファンタジー  昭和天皇の戦争責任と「言葉のアヤ」発言の論理 (朝日新聞社 論座)
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/276.html
   
菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師 2019年04月30日 

 
 昭和天皇とマッカーサーの会談は回を重ねていった。日本国憲法施行から3日目、1947(昭和22)年5月6日に開催された第4回会見では、「象徴」になったばかりの天皇がマッカーサーに向かって自らの外交・軍事方針を強く主張したという。豊下楢彦は、通訳・奥村勝三のメモを見た松井明の記録に基づき、憲法第9条をめぐって両者が活発な議論を交わしたと述べている。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_2.JPEG
1945年9月、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥を訪問した昭和天皇=撮影・GHQ写真班
 
 天皇は、完全に軍備を撤廃するには、国連恃(だの)みでは心もとないこと、米国による安全保障が不可欠と述べた。対してマッカーサーは、軍備をいっさい持たないことが日本にとって最大の安全保障であり、将来の国連強化に期待すべしと説いた。しかし、天皇は納得しない。マッカーサーは天皇のリアリズムの前に屈し、半ば折れるように防衛協力を約束している。
 
 こうした天皇のアメリカ傾斜が、長期の米軍駐留を認める「沖縄メッセージ」(1947/昭和22年)、そして1952(昭和27)年の講和条約と安全保障条約・行政協定へつながっていったことは比較的よく知られている。

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/574.html#c4

[リバイバル3] 中川隆 _ 医療・健康関係投稿リンク 中川隆
161. 2019年5月10日 11:21:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]
2016年には「被爆原因」で物凄い数の人たちがバタバタ死に始める
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/414.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/454.html#c161
[近代史3] 2016年には「被爆原因」で物凄い数の人たちがバタバタ死に始める 中川隆
1. 中川隆[-10365] koaQ7Jey 2019年5月10日 11:24:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]

阿修羅掲示板のアクセス数が減ったり、Google で阿修羅のスレを検索できなくなったのは、原発板にアクセスさせない為だった:


東海アマブログ  

Author:tokaiama
ツイッターのアカウントは、原発運転による健康被害をとりあげた途端に永久凍結されました


 私も含めて、たくさんの反原発派が、福島第一原発の放射能がもたらした凄まじい被害を連日連夜糾弾しているにもかかわらず、ネットの検索機能さえ押さえられ、ツイッターから追放され、我々の主張は、ネットのごく一部にしか届いていない。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-708.html
 


▲△▽▼

東海アマブログ
テレビや新聞がつまらない。ネットでもYouTubeに登場する言論は体制派右翼ばかり
2019年05月04日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-732.html

 YouTubeを見ていると、自分が選んだわけでもないのに勝手に表示されるのは、安倍政権ヨイショ、右翼系のコンテンツばかりである。

 その大半が、チャンネル桜と、虎ノ門ニュースであるが、いずれも強力な安倍政権応援、正当化メディアとなっている。

 YouTubeを見ているうちに、勝手に、この種の動画ばかりが目に入ることで、自然に右翼的洗脳を受ける仕組みになっている。

 これはYouTubeやグーグルが意図的に、安倍政権と共謀して行っている政治的作為であろう。

 頼んだわけでもなく勝手に掲示されるコンテンツとはどのようなものか?

 まずは反中国論陣である。私自身は、数十年前まで毛沢東思想にシンパシーを感じていたのだが、その後、クメールルージュのジェノサイドや文革、天安事件のジェノサイドを見て、完全に反中国に鞍替えしたのだが、YouTubeに出てくる反中国論者は、自民党の政治的思惑に沿った安倍信者ばかりである。
 おそらく日本会議の思惑なのだろう。

 最近、人気が出て有名になっている妙佛は、上海帰りの名古屋居住日本人という触れ込みで、内容が非常に面白いのだが、思想的基礎は、明らかに自民党安倍政権支持の新自由主義者のように見えるので、右より姿勢を評価され、優遇されているように思える。
https://www.youtube.com/watch?v=32euRq7Brs4


 ほんのわずかではあるが、上に紹介したのは右翼系メディアのスターたちである。彼らのコンテンツは、頼んでもいないのに、勝手にYouTubeの先頭に表示されるのである。

 私としては、金子勝や青木理。武田砂鉄などを視聴したいのだが、彼らはYouTubeから嫌われているようで、名前を直接、検索窓に入れない限り決して表示されない。

 これは、グーグルの検索でも同じことだ。

 このようなメディアの洗脳工作が、安倍のような阿呆政権を維持する上で、非常に大切な役割を果たしている。

 YouTube・グーグル・フェイスブック・ツイッターなどのSNSは、CIA・NSAと関係していると、スノーデンもアサンジも何度も暴露している。

 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/cia-ceb8.html
 https://wired.jp/2010/07/30/google%E3%81%A8cia%E3%81%8C%E6%8A%95%E8%B3%87%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%9B%A3%E8%A6%96%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%80%8D/

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49507?page=3

 なお、ヤフーは、グーグル以上に体制=自民党べったりで、私のブログが連絡もないまま勝手に削除されることが続いたのでFC2に移転することにした。
 ライブドアやはてな、mixiも、自民党の支持機関のようだ。

 こうしたメディアによる若者たちの右傾化洗脳工作がなければ、安倍政権など、とっくの昔に吹き飛んでいるのだ。

 NHKや読売・産経などの自民党宣伝メディアが体制維持にとって、これほど重要な意味を持っている時代はない。

 もちろん、私のような言論も、大半の人々にとって、わざわざ検索しなければ出てこないようなブログでは、ほとんど社会的な意味を持たない。

 少しずつ、読者が増えることに期待をかけてはいるが、7万近くあったツイッターのアカウントを、まったく不可解に(5年前のツイートが自殺幇助と決めつけられて)永久凍結とされ、復活させてもらえないことで、私の力は極めて小さくなってしまった。
 
 ネットは、1995年頃から発信しているから、すでに24年、下手な鉄砲数打ちゃ当たると、たくさんの情報を発信するなかで、少しは知名度もあった。
 しかし、ツイッターのように反応速度が早くないので、原発事故時などに、有効な発言はできないのが残念だ。

 そこで、我々はCIAの作為を受けない、独自の反体制メディアを作らなければならないのだが、そもそも組織とは縁遠い、裏庭メディアの我々では組織力も資金力もなくて、個人力だけが頼りの現状である。

 まとまった金を工面する能力もないし、組織力もないので、当分は、このブログで細々と声を上げていくしかないと考えている。

 それでも、金に余裕がある人がいたなら、ぜひとも総合的な反体制メディアの確立に協力をお願いしたい。ツイッターのような機能があれば、非常時での情報提供の対応も的確に行えると思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-732.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/414.html#c1

[政治・選挙・NHK260] 「憲法にのっとり責務果たす」上皇陛下を継承された新天皇 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 11:53:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]
>新しい天皇皇后両陛下は、知性と教養という点でも、上皇及び美智子陛下を引き継がれた


二人共 知恵遅れだよ


美智子様の実子は1人だけ???
ベルギー大使館のパーティーに行った時にイスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。

ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確率は高い。

美智子様の子供は一人だけ? とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは
秋篠宮の父親が違うという驚きの情報だった。

と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供でしかも父親は天皇陛下ではないと言う話になる。

そして、究極的に私が見つけた2チャンネル的なサイトには、なんと、秋篠宮自身が

「だれか、私の父を知りませんか?」

というページだった。そこには

「何回も母に聞きましたが、母は頑として口を開こうとしません。
私は、父親が違うという事で、養父や兄弟にも、散々、いじめられて育ちました。だれか、私の父を知っている人がいましたならご連絡ください。」

というものだった。

その秋篠宮の実父は、もしかして殺されてしまった可能性もあるのではないのだろうか。

ウワサによると、秋篠宮の実父は宮内庁の警備員だったらしい。美智子様に赤ちゃんができてしまってから堕胎しろとは宮内庁もいえず、次男として育てられたという話だ。

この話は、英国のハリー王子とだぶる。彼もダイアナ妃とポロ教師のボーイフレンドとの間にできた子供で、チャールズ皇太子の子供ではない


http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/574.html#c6

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
88. 2019年5月10日 12:09:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]
財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c88
[政治・選挙・NHK260] 「憲法にのっとり責務果たす」上皇陛下を継承された新天皇 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 中川隆[-10366] koaQ7Jey 2019年5月10日 12:53:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]
CIA と創価学会は

どうしても愛子を天皇にしたい、
秋篠宮家を うさん臭く思わせたい

のでしょうね。

天皇裕仁が、金の百合で実行した、内情を知る者や自分たちに不都合な者たちを、その忠誠心や功績に関係なく、口封じのために、すべて情け容赦なく殺した伝統は、天皇明仁の代まで、続いていたことは、衝撃的である。
戦後に、自死したとされる近衛文麿が、殺されたと証言したのは、裕仁の側近でもあった、木戸幸一が、最初である。
多分、奥参事官と小和田雅子さんは、恋人同士であったのだろう。

当時、奥参事官の銃撃事件は、米軍によるものと確信していたけれど、その動機までは分からなかった。

> 「銃撃直後に米軍車列」の重大証言 ◆

 しかも、この店主の証言として共同通信が驚愕すべき内容を送っているのだ。

 「畑に突っ込んだ車のすぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」
 この証言は重要だ。

 だだっ広い4車線の道路で銃撃があったのに米軍車両はそのまま通過したことになる。
しかも、現地警察によれば、畑に突っ込んだ車や遺留品はすべて米軍が回収してしまったという。

 また、外務省によれば紛失した奥参事官らのパスポートは後になって米軍が「地元有力者から取り返した」と言って返却したという。

暗殺が真相であったならば、相当な人数と手間、それに費用がかかっているはずだ。

米軍と言っても、関わっているのは、この暗殺だけの特殊任務を行うコマンドであろう。

日本人も、関わっていたのは、確実だ。

天皇の深い闇は、アングロサクソンの深い闇とつながっている。

近衛が失敗したのは、その闇の深さを読み違えたことにある。

奥参事官の暗殺を計画し実行した張本人は、だれであろう?

考えただけで、身震いがして、嫌悪感が止まらない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/574.html#c8

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
1. 中川隆[-10368] koaQ7Jey 2019年5月10日 13:36:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1736]

2018年12月27日
日米独で太陽光発電に逆風 巨額政府負担や電気代高騰

人々は電気代や税金が2倍になるのを容認しない


太陽光に逆風


再生エネルギーを増やすとすぐに電気代が2倍になるのはドイツが実証しています。

再生エネルギーの先進国といえばドイツですが、メルケル首相は最近「再生エネルギー100%」のような目標を言わなくなっている。


ドイツの再生エネルギー比率は現在35%ですが、電気料金は既に2倍に上昇していて、国民からはメルケルへの憎悪が広まっている。


しかも35%のうち8%は木を伐採して燃焼させるバイオマス発電で、実際には再生可能ではなく、3%は既存の水力発電です。


ドイツの正味の再生可能エネルギー比率は24%にすぎないが、高騰する電気料金で国民は値を上げている。


ドイツは北部が発電地帯で南部は工業地帯なのだが、日本と同じで送電網がつながっておらず、完全な整備には数百兆円必要になる。

太陽光論者が言うように、すべての家庭で発電した電力を国中で共有するには、その国のGDPに匹敵する設備投資が必要になる。


実際には不可能であり、太陽光や風力がこれ以上増えると、家庭や工業用電力も高騰してしまう。

なのでドイツは最近安価な「石炭発電」を増やしていて、一方でCO2を減らしてもう一方で増やしている。

このように再生可能エネルギーはコストという壁にぶつかって跳ね返されようとしている。


欧米では太陽光や風力のコストが火力より低いという主張を見かけるが、それは補助金を差し引いた入札金額でしかなく「発電コスト」ではない。
http://www.thutmosev.com/archives/78535742.html


World Energy Watch 2018年11月16日
世界中で捨てられる再エネからの電気
山本隆三(常葉大学経営学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14511


 9月に起こった北海道大停電により、電力供給では常に需要と供給が一致しなければ、停電することを多くの人が学んだ。通常の品物と異なり電気は大量に安価に貯めることができないため瞬時に需給をバランスさせることが必要になる。供給量が少なくても、多くなりすぎても停電する。

 10月の九州での再生可能エネルギーの出力制御により、原子力、火力発電所の大半は一度停止すると再立ち上げに時間とコストが掛かるため、再エネからの発電量が増えた時に他の電源の発電量を大きく落とし調整することが簡単ではないことも知られることになった。

 電力需要量が多くない時に再エネからの発電量が増えると供給過剰になるので、出力制御が必要になることは、以上の二つの理由から明らかだが、再エネの発電量が増加している国と地域では、供給量が需要量を超えた時に日本の出力制御と比較できないほどの大量の再エネからの電気を送電線に接続できず制御する、簡単に言えば電気を捨てることがしばしば起こっている。需要がある他地域への送電能力が不足する、あるいは他地域でも需要がないために発生するもったいない現象だが、再エネの導入量が増えれば避けることができず、欧州主要国、中国、米国などで発生している。

ドイツも中国も米国も捨てる再エネからの電気

 日本列島は細長い形状から他地域との連携線に限りがあるが、多くの国と連携線が繋がり9カ国と電気の輸出入を行っているドイツですら、国内需要が落ち込む時に再エネからの発電量が増えると全ての電気を消費、輸出することが叶わず、最優先で系統に接続されるべき再エネを年間数十億kW時捨てている。捨てるのもただではない。再エネからの発電量が天候により事前の予測から変動するため、送電管理者は発電事業者に対する給電指令を作り直す必要に迫られ、追加の費用が発生する。ドイツの消費者が負担するその金額は、いま年間約1000億円だ。

 電力需要急増に悩んだ中国政府は発電設備増強に力を入れ、風力、太陽光発電設備導入に関する有利な政策を導入した。この結果、日照時間が長く、風量が大きく、土地に余裕がある北西部を中心に太陽光、風力発電設備の導入が進んだ。あまりに急激な再エネ設備の導入により、政府の再エネ買取額の負担が増えたこと、さらに電力需要が少ない北西部から需要地の沿岸部への送電能力が不足し、再エネの発電量を捨てることが増えたため、昨年中国政府は送電能力が不足する地区での再エネ設備新設を規制し、さらに、今年5月固定価格買取制度の適用中止を突然発表した(「中国太陽光バブルついに終焉へ、世界の太陽光発電市場は曲がり角に」)。

 この政府の取り組みにより捨てられる再エネ発電量の比率は減少しているものの、相変わらず風力を中心に再エネからの発電量が大量に捨てられる状況が続いている。その量は日本の風力発電量の4倍を超えている。再エネからの発電量の増加に悩んでいるのは欧州、中国ばかりではない。米国カリフォルニア州も再エネから発電された電気を捨てている。日本でも、このまま再エネ導入が進むと大量の電気を捨てることになりもったいないが、解決のためにはコストが高い蓄電池くらいしか、今のところ手はない。再エネ主力化の道は遠い。


再エネからの電力管理に悩むドイツ

 ドイツは、主要国中、最も早く1990年に固定価格買取制度による再エネ支援策を導入した。当初は買取価格が低く設定され再エネ設備導入が進まなかったため、2000年ドイツ政府は買取価格を大きく上昇させた。結果、太陽光、風力発電設備の導入が進んだが、消費者が負担する買取価格、電気料金が大きく上昇することになった。2000年代後半にはドイツ政府は買取価格見直しなどを通し電気料金抑制に乗り出したが、2014年夫婦と子供一人の標準家庭(年間電力消費量3500kW時)の再エネ買取負担額は、年間3万円に達した。

 電気料金抑制のため、ドイツ政府は、2014年小規模電源を除きFITを廃止し市場価格にプレミアを支払うFIP制度を導入した。これにより太陽光発電設備導入量のスピードは減速したが、相対的に競争力がある風力発電設備は、洋上風力を中心に図-1(棒グラフ)の通り増加を続けている。その結果、風力発電量は図-1(折れ線グラフ)の通り増えている。2017年の太陽光の発電量は日本の事業用の約4倍、風力は日本の19倍に達し、それぞれドイツの総発電量の6.1%と16.2%のシェアを占めている。


http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14511?page=2

 この結果、送電できない再エネ発電量は増加している。ドイツの風力発電設備の70%は風量が大きい北部に建設されている。一方、電力を多く必要とする自動車産業を中心とした工業地帯は南部にある。2011年の脱原発政策により、ドイツ政府は操業していた原発17基のうち建設時期が早かった8基の閉鎖を決めたが、そのうち5基は南部にあった。電気が不足することになった南部に北部の風力発電設備からの電気を送ることが必要になった。

 原発が操業していた時点では、北部から南部に大量の電力を送る事態は想定されておらず、送電能力は不足している。ドイツ政府は総延長4650キロメートル(km)の送電線建設と3050kmの送電線設備の更新を2025年までに行う計画を立てたが、住民の反対にあったため2015年政府は新設送電線を地下に埋設することを決定した。しかし、それでも未だ合計7700kmのうち950kmしか建設は進んでいない。

 2022年には南部にある今稼働している原発7基が全て廃止される予定だ。その時には、さらに北部の電気を南部に送る必要が生じるが、送電能力の不足により、南部では電力不足が生じる可能性もある。さらに、北部の再エネから発電された電気が隣国に勝手に流れることがあり、周辺国の送電管理を困難にすることもある。ポーランドの送電管理者は2016年に発生したブラウンアウト(電圧低下)は、ドイツから電気が流れ込んできたため引き起こされたとしている。

再エネからの電気を捨てるドイツ

 再エネから発電される電気は天候次第で変動し、そのため余分な費用を発生させる。自由化されているドイツの電力市場では、需要予測に基づき前日に発電事業者が発電量と価格を入札し送電管理者が各事業者の発電量を給電指令として決定する。しかし、再エネからの発電量は、しばしば変動する。再エネからの電気は優先して引き取る必要があり、送電管理者は他の電源の事業者に対し前日決定された発電量とは異なる発電量を指示することが必要になる。

 例えば、北部の風力発電量が増加し、火力などをあわせた全発電量が送電能力を超えてしまうと、送電管理者は再給電指令として火力発電所に発電量を減らすように要請する必要がある。要請された発電事業者は、想定していた利益が得られず補填を受けることになる。さらに、最優先で引き取られる再エネの電気をどこにも送れないことも発生する。この場合には再エネ事業者に出力制御を行うが、再エネ事業者は得られたはずの利益の補填を受ける。補填を含め再給電指令に係る費用は全て消費者が負担することになる。

 2016年引き取りができなかった再エネからの発電量は37億4300万kW時、風力、太陽光発電量の2.3%、捨てられた電気のうち、風力からの電気が95%、太陽光が5%となっている。再エネ事業者に補填として支払われた3億7300万ユーロを含め送電線管理に追加で発生した費用は8億5900万ユーロだった。今後、北部の風力発電設備が増えるためドイツはさらに多くの電気を捨てることになるが、既にドイツ以上に再エネからの電気を捨てているのは中国だ。

____


営利優先で電力不安定化招く本末転倒 再エネビジネスが引き金となるブラックアウト 2018年11月27日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10143

原発を減らし風力や太陽光を爆発的に増やしたドイツでは、雲のかかり具合、風の吹き具合によって電気が頻繁に足りなくなるため、バックアップのための火力がドイツ国内だけでは足りず、オーストリアにも待機させており、そのため年間で莫大な補償金を隣国に支払っている。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c1

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
2. 中川隆[-10367] koaQ7Jey 2019年5月10日 13:47:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1737]
2015年09月23日 食肉にされた白人少女? / 楽しいレイプはやめられない
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html


難民を刺戟してはいけない社会

我々は難民で溢れるドイツやEU諸国を目にしている。前世紀の冷戦時代に、社会主義で国家を転覆できなかった左翼は、得体の知れない異邦人を国内に引き入れることで、民族浄化(ethnic cleansing)を合法的に行っているのだ。難民の流入はたとえ不愉快でも、砲弾が撃ち込まれる有事ではないから、一般国民は指をくわえて侵掠行為を眺めるしかない。無力な庶民が講じる対策は些細なものだ。

ここで、日本のマスコミが報道しなかった例を挙げたい。

バヴァリア地方にあるドイツの高校で、馬鹿馬鹿しいある難民対策が行われたという。シリア難民が押し寄せた頃、学校側が生徒の父兄に注意事項が記された書類を配った。月曜日に郵送された通知の中で、マーチン・タルハマー校長は、学校の体育館に200名のシリア難民が収容されているので、生徒は学校にいる間、校庭や建物内に近づかぬよう注意されたという。

さらに、その通知には父兄に対して要望が書かれていた。それは何かというと、子供達が肌の透けて見えるようなトップスやブラウス、ミニ・スカートなどを着て登校せぬように指導してくれ、という内容であった。(Polina Garaev, Fearing Syrian erfugees, German school bans miniskirks, i24News, June 28, 2015) つまり、シリア難民の男どもを刺戟する「セクシーな服装」は慎んでほしいというお願いである。率直な警告ができない校長先生は暗に、シリア難民の中に強姦魔が居るかも知れないと仄めかしていたのだ。


(写真/禁止されてしまう服装の具体例)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68445796.html

  何とかして難民を大量に導きたいマスコミは、自国民に被害が出ても平気である。難民を規制しようとする保守派の政治家や、異邦人を嫌う一般国民は彼らの敵だから、難民が事件を起こしても騒がない。今月、ドイツのケムニッツ(Chemnitz)にある公園で、7歳の少女が北アフリカ系の男に強姦されるという事件が起きた。

彼女は母親に連れられて公園で遊んでいたところ、突然アフリカ系の男に攫われ、草むらの中に引きずり込まれたという。公園にいた母親は娘が強姦されていることに気づかず、娘が泣きながら脚にしがみついてきた時に初めて分かったらしい。30歳くらいのアフリカ系容疑者は、強姦のあと駅の方向に逃げていったそうだ。子供の証言だから確実ではないだろうが、ヨーロッパ系の白人ではなく、アフリカ系の黒人に犯されたことだけは確かだろう。

移民や難民を受け容れると、親は至る所で子供の安全を図らねばならない。今まで気楽に公園で遊ばせていた親は、性犯罪者を警戒するようにから、子供を連れて行くことを躊躇(ためら)うようになる。左翼議員や難民支援組織のせいで、平穏な日々を送っていた一般家庭は、予測もできない悲劇を心配する毎日になってしまうのだ。どうして異邦人を望まぬ一般国民が、税金を取られたうえ窮屈で不安な生活を強いられるのか、移民・難民支援者は答える義務がある。

____

2016年02月10日 こんなドイツに誰がした !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68512502.html

責任者がいない移民政策

tumblr_mr1lxeAngela Merkel 1

左: ゲルマン系女性
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/5/4/54216f4e.jpg

右: メルケル首相)

  かつて、夫婦(めおと)漫才師の人生幸朗(じんせい・こうろ)のギャグに、「責任者出てこい !」という“ぼやき”があった。移民政策を進めた者に責任を取らせたいが、当事者は既に引退しているか、あの世へ旅立ってしまった者がほとんど。綺麗事を口にした者は、手厚い議員年金で快適生活。ところが、失敗のツケは、いつも庶民に降りかかる。シャンパンの泡なら良いけれど、重税の請求書じゃたまらない。現在、ドイツはシリアのみならず、他の中東アジアやアフリカからの難民でごった返している。ケルン経済研究所の試算によると、今年度ドイツが負担する移民へのシェルター供給、福祉予算、社会的統合への費用は、220億ユーロと見込まれ、来年度は276億ユーロになるという。(Migrant crisis to cost Germany €50 billion by 2017, U.K. Telegraph, 2 February 2016) これならメルケル首相の株が急落するわけだ。

  移民が来れば治安が乱れ、犯罪が増えるであろう事は火を見るより明らかだ。第三世界から潜り込んできた有色人にとって、ヨーロッパの白人女性は格好のターゲットになる。彼らの祖国では白人娘の売春婦は高嶺の花で、大金持ちしか買うことが出来ない。アラブの石油成金なら、高級コールガールを手にできるが、貧乏な一般人には絶対無理。ところが、ヨーロッパに来ると、道端に無料の白人女が転がっている。失う物が何も無い移民や難民は、スケベ心をくすぐられ、ついつい現地の女性を強姦したくな.。どうせ、異教徒で異邦人の女だ。強姦魔の良心は痛まない。それに、被害者の家族から、「血の復讐」は無いから安心。かくて、西歐人女性はいつでも性的暴力の犠牲者になり得る。

Muslim Rapits 2
(左写真/アジア人性犯罪者)

  現実の世界では時折、あべこべの事態が起こるものだ。事件はデンマークで発生した。17歳になるデイン人の娘が、難民申請者センターの近くで強姦されそうになったらしい。英語を話す男が突然彼女を襲い、地面に押し倒し服を脱がせようとしたそうだ。そこで彼女は強姦魔に抵抗すべく、ペッパー・スプレーを取り出し、男の顔に目がけて吹き付けてやったという。反撃を喰らった男はその場から逃げ出し、未だに逮捕されていないそうだ。事件現場は難民センターがあるソンダーボルクであった。ただし、加害者が難民かどうかは定かではない。それよりも、問題は犯人ではなく、被害者にあったのだ。何と、強姦されそうになった女性が処罰されるという事態になったのである。デンマークでは、ペッパー・スプレーを使用することは違法で、これに違反すると500クローネ(約5,500円)の罰金が科せられるという。(Jennifer Newton, Danish 17-year-old girl who used a pepper spray to fight off a rapist near migrant asylum centre, Daily Mail, 27 January 2016)

  そんな馬鹿な、と言いたくなるが、頭が狂ったリベラル人権派が多数を占める西欧では、筋違いの論理がまかり通っている。左翼にとって大切なのは、被害者の白人より、加害者の有色人種なのだ。アジアやアフリカの有色人は弱者だから、強者のヨーロッパ人から守ってやらねば、と考えているのだろう。彼らの「社会正義」とは第三世界に根ざすものだから、帝国主義の前科を持つ西歐人には適用されぬものであ。日本も同じで、強姦された日本人女性よりも、「弱者」の在日朝鮮人や帰化支那人の方が大切にされているのはご存じの通り。普段は女性の権利を云々するマスコミは、彼らを徹底的に糾弾しないのだ。本名や顔写真を公開せず、ほんの1、2分の報道で済ませてしまう。しかも、たった1回の報道で終わり。三回も四回も繰り返さない。ましてや、特番なんか絶対ないだろう。

Pakistan 2arabic man 6Jalen WatsonLebanon 2
(左: パキスタン人 / アラブ人 / アフリカ人 / 右: レバノン人)

  歐洲の女性は年齢を問わず危険にさらされている。強姦されるのは、何も若い女性とは限らない。「えっ !」と言葉に詰まる日本人は、まだまだ甘いぞ。世の中は広いんだ。蓼(たで)喰う虫も好き好き、と言うじゃないか。幼女が好きな変態もいれば、婆さんが好きな強姦魔がいても不思議じゃないだろう。アメリカでは80歳や90歳近い老婆が、南米からの不法移民に強姦されるという事件も起きている。人生の晩年に屈辱を受ける老人には同情を禁じ得ない。こうしたアメリカの強姦事件は酷いの一言だが、オーストリアで起きたレイプ事件も許せない。アフガニスタンからやって来て、難民申請を行ったワハブ(Wahab)・Mという18歳の少年が、72歳のドイツ人女性を強姦したそうだ。このアフガン人はたった20ヶ月の懲役と、€5,000の罰金を科せられただけである。オーストリアの法律では、最高で五年の懲役刑が下されるそうだから、本件はとても軽い処罰と言えよう。それというのも、加害者が未成年で初犯だったことが、裁判所の判決で考慮されたらしい。

  犯行現場はまたもや難民施設の近くであった。事件は昨年九月に発生し、当日は暑かったそうで、年金暮らしのクリスチーナ・Fというオバはんが、川の近くを歩いていたそうだ。川では二人の男が泳いでおり、そのうちの一人が土手に上がりたいので彼女に手助けを求め、親切なクリスチーナは手を貸したそうだ。すると、背後から一撃を喰らい、彼女は倒れてしまった。殴った男は彼女を引き摺り、片手で彼女の口を蔽うと、彼女の服を剝ぎ取ったという。小柄なクリスチーナは強姦魔をどうすることもできなかった。強姦されてあざを負ったまま、彼女は帰宅したという。彼女のあざを発見した友人のヴェスリーが、クリスチーナを問い詰め強姦の件を聞き出したらしい。

  一方、犯人の少年は強姦の後、こそ泥をはたらいて警察に捕まり、DNAを採取されるや、クリスチーナを強姦した犯人である、と判明したそうだ。普通の国民なら、こんな野郎は重罪で刑務所に送るか、処罰を加えて追放してしまえ、と思うだろう。しかし、このワハブはアフガニスタンに強制送還されないというのだ。またもや「人権」の尊重らしい。危ないアフガニスタンに追い返すのは可哀想なんだって。あ〜ぁ、ヨーロッパ人ってどこまで馬鹿なんだろう ? 日本人なら怒りが爆発するんじゃないか。もし、自分の母親が移民や難民に強姦されたら、犯人を半殺しにしたくなるだろう。撲殺したくなるのが正常な人間の反応である。難民だから許してあげる、なんて馬鹿はいないよね ?いや、いるかな ? もしかしたら、人権教育のせいで、いるかもね。いずれにせよ、難民を入国させなければ発生しなかった事件である。もし、アフガニスタンが危険なら、避難民はパキスタンやインド、ペルシアに移住すればいいじゃないか。何故ヨーロッパなんだ ? 要は、どうせ難民になるなら豊かな国が良い、ということだろう。計算ずくの難民申請なら拒絶すべきだ。今回の強姦事件で皮肉なのは、クリスチーナの娘であるシルヴィアが、難民申請者の為に働いていたことだ。(Austria won't deport Afgan asylum seeker who raped 72 yo woman, RT, 29 January 2016) 善意で難民を助けていたシルヴィアにとって、目が眩むような難民の仕打ちである。左翼教育を受けた馬鹿娘は、家族に起きた現実をしっかりと噛みしめるべし、と言いたい。強姦されて別人になってしまった母親の前で、彼女はどんな言葉を掛けるのか? たぶん涙が溢れて、何も言えないんじゃないか。

移民はプールを禁止

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(写真/狙われやすい西歐人女性)
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  ドイツでは「ネオ・ナチ」の台頭が顕著になっている、とマスコミは騒ぐが、これは兇暴な人間が出現したのではなく、移民・難民の弊害を自覚した一般人が目覚めたということだ。ドイツへの選択肢(Alternative for Deutschland/AfD)という政党が現れ、移民・難民に反対する国民の支持を集めている。2013に結成されたこの政党は、11.5パーセントの得票率があるらしい。日本のマスコミは「ペギーダ(Pegida)」でさえ「極右集団」として扱っているが、ドイツの悲惨な現状に敢えて目をつむっているだけだろう。ドイツの未来を心配する国民なら、ペギーダに賛成するのが普通だ。祖国が異邦人の侵掠に晒されているのだから、子孫のためにも立ち上がるのが当然だろう。歐米や日本のマスコミは、スキンヘッドで黒革のジャケットやアーミー・ブーツを履いた若者ばかり映すが、本来取材すべき対象は、移民を引きずり込む移民・難民支援団体と高級住宅地に住むテレビ局の重役やスポンサー企業の経営者であるはずだ。

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左: 犠牲者になり得る西歐人女性
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右: アジア系性犯罪者)

  アフガニスタンやシリア、チュニジア、エリトリアからの移民・難民による性的辱めや強姦が頻発しているのに、人権団体が移民・難民の排斥に賛成しないのはどう考えてもおかしい。ソマリアからの難民が10歳の白人少女を強姦したり、若い白人女性が街角でアフリカ黒人などから、下品でイヤらしい声を掛けられるのは日常茶飯事である。ドイツではペッパー・スプレーの売れ行きがうなぎ登りらしい。全国で600パーセントの売上げ増であるそうだ。(Sue Reid, The backlash: Neo-Nazis on the rampage, Daily Mail, 15 January 2016) KHセキリュティー社によると、毎日200缶のスプレーが売れるそうで、過去25年間で最高であるという。ドイツでは正月にケルンで組織的な集団強姦が発生し、移民に怯えたドイツ人女性が、急に購入し始めたことが原因らしい。ボディー・ガードを雇える富豪の娘ならともかく、平民の女性なら銃は無理でも、「ペッパー・スプレーくらいは持たなくちゃ」と思うだろう。

  移民・難民による被害は、婦女強姦だけではない。公共施設などでも被害が起こっている。ドイツのボルンハイムでは、水泳プールに通う11歳と13歳のドイツ人少女が、19歳のアフガン人によって触られるという事件が起きた。(Olver J.J. Lane, German Swiming Pool Lifts Migrant Bather Ban After Leftist Pressure, Just 24 Hours After Four Children Molested, Breitbart, 19 January 2016) 彼女たちの父親が知ったらナイフを持って怒鳴り込むだろう。今回は肌に触っただけだが、もし、子供が体育館の片隅で強姦されたらどうするのか? 日本国民は移民による性犯罪が増えることを考えていない。もし、自分の娘が強姦または輪姦されたら、日本人の父親だって、ご先祖様受け継いだ名刀を抜くはずだ。時代劇の破れ傘刀舟(とうしゅう)みたいに、「てめえたちゃ人間じゃねぇ、たたっ斬ってやる !」と激怒するに違いない。

  中東アジア移民による被害はまだある。ドレスデンのプールでは、移民による幼児への性的事件を受けて、移民の入館を禁止したという。ミュンヘンのプールでも同様の性的事件が起きており、14歳と17歳の少女が、移民の男により水着の上から体を揉まれたそうだ。どうも背後には、ギャングの集団がいるらしい。こうした性的事件が頻発しているのに、難民支援団体はプールの運営者へ政治的圧力を掛け、禁止の解除を要求したという。難民への偏見はいけないそうだ。ばぁ〜か。アホ。難民よりドイツ人の子供を守れ。難民の分際で何が水泳プールでエクスサイズだ。そんな奴らはさっさと出身国へ追放しろ。どうして左翼どもは、こうも同胞に対して冷酷なか? たぶん、自分の子供だけ安全ならば、他人の子供がどうなってもいいのだろう。

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左と中央: 西欧系の少女たち
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右: ムスリム移民の男性)

  だいたい左翼どもは自国民と難民を同等に見る癖がある。異国で生まれ育った難民は、受容国の習慣や思考を持っていないのだ。この当り前の事実を彼らは無視する。“哀れな”難民だから「大目に見ろよ」とでも言いたいのだろう。ちょっと気持ちの悪い出来事だが、実際に発生したので率直に述べてみたい。ザクセン地方にある水泳プールで、移民の男女グループが“とんでもない”行為をしでかし、それが監視カメラに録画されていた。彼らはジャクージの中でマスターベーションをしたり、子供用プールの中でウンコをして水を汚し、他の水泳客に性的嫌がらせを行っていたのだ。(Oliver J.J. Lane, Local Fled Pool After Migrants Masterbated Into Zacuzzi, Breitbart, 22 January 2016) 湯船で屁をするくらいなら許せるが、脱糞したら誰だった怒るだろう。プールでの小便さえ許せないのに、ウンコをするなんて常軌を逸している。たぶんドイツ人への嫌がらせを積極的に行う愉快犯なのだろう。


  こんな事をする外人は即刻国外追放にすべきだ。こんな連中を寛大に扱ったら、自国民が公共施設を使えなくなるだろう。つまり、ドイツ国民は移民や難民の有色人と一緒に泳ぐことを嫌がり、安く使えるはずの公共施設を回避し、ドイツ人がいなくなった施設を外人が堂々と使うという事態になる。税金で運営されたり、公的補助で経営されるプールなのにドイツ人が利用できず、福祉目当てにドイツに来た移民や難民が税金の恩恵に与るなんて言語道断である。日本人はドイツ人を横目で見て澄ましているが、支那人や朝鮮人の移民や帰化人が増えている日本でも同じ事が起きるに違いない。特に、支那人が公営プールに殺到したら、水の中で小便はもちろんのこと、痰を吐くし、鼻水鼻糞は垂れ流しである。また、想像するのも嫌だが、肛門にこびりついたウンコを水中で洗うだろうし、水虫だらけの足で入ってくるのを覚悟せねばならない。つまり、彼らは体の垢をプールで洗い流すということだ。まぁ、気にしない人はいいけど、女子高生の日本人少女は嫌がるだろうなぁ。支那人のマナー違反は想像を超えているから、彼らの所行を目撃したら悲鳴を上げてしまうだろう。泳いでいる最中に、プールの水を間違って飲み込んだら、胃袋の辺りが妙な感じになるかも。何か塩っぱいような味が楽しめるかも知れない。

____


70件の殺人の請け負った殺しのプロがヨーロッパへの移民集団の中に発見され逮捕される2017年10月26日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6950


久々にヨーロッパ移民問題に関連したニュースだが、AFPによると、オーストリアに密入国しようとしていた移民のグループ(もはやメディアも難民とは言わない)がハンガリーで拘束され、その中にインターポールから国際指名手配されていた「パキスタンの虐殺者」と呼ばれる35歳のパキスタン人男性が紛れ込んでいたため、ハンガリーの警察によって逮捕された。

オーストリア当局によればこの男性は70件の殺人を請け負った疑いのあるプロの殺し屋だという。目的のオーストリアに入った後、彼は一体何をするつもりだったのだろうか?

移民の中に一定のテロリストやその他有害な人物が紛れ込んでいることは今や周知の事実だが、「プロの殺し屋」という漫画のような響きに思わず笑ってしまった。しかし安易な移民政策を推進したヨーロッパでは、これが笑い事ではなく実際のニュースなのである。安倍首相にはこの辺りをしっかり考えて移民政策を実行してもらいたいものである。

•安倍首相がシリア難民150人受け入れを発表、日本の治安と文化は終焉へ

•大晦日に移民が集団でヨーロッパ人女性に性的暴行、ドイツ、スイス、フィンランドで

そして、この問題ある人物を引き受けたのはまたしても哀れなハンガリーである。ハンガリー人は最初から移民政策に反対していたが、それをドイツ人が押し切った。そもそもドイツ人は他国の声など聞いてはいなかった。

•移民を歓迎するドイツの本音と哀れなハンガリーの受難

ドイツはこの責任をどう取るのか。どうもしないのである。それがドイツ人だからである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6950


移民亡国ドイツ
https://www.youtube.com/watch?v=Rvb-7KfKPwA

多文化主義の失敗例 ドイツの学級崩壊
https://www.youtube.com/watch?v=RxhIamUjBA0

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c2

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
3. 中川隆[-10366] koaQ7Jey 2019年5月10日 13:50:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1738]
ドイツで働く女性医師が世界に警告 2017/10/15
https://www.newshonyaku.com/europe/archive/2017101501

WORLD NEWS A Female Doctor Working In Germany Warns The World - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=PLf1kpCtCk8


2015年に世界中でニュースになったドイツの女性医師の手紙を紹介いたします。
この投稿は、当サイトがブログだった頃、2017年2月21日に掲載されたものです。
Post 2017/2/21 ♣update 2017/10/15 8:48


「昨日、私が勤務しているドイツの病院で、中東からのイスラム教徒の難民のどのくらい受入れが不可能であるかミーティングを行いました。診療所では、深刻な救急患者の多さに対応することができません。彼らは、すべてを病院に送り始めています。」

多くのイスラム教徒は、ここドイツでの女性スタッフの治療を拒否しています。

イスラム教徒の男性は、女性のスタッフに、下品な言葉や要求をします。

なぜなら、彼らにとって非イスラム教徒の女性は、売春婦か未来の奴隷だからです。

これらの容赦ない、残忍でサディスティックな女性蔑視が発覚し、我々(女性)は、それらの動物(特にアフリカからのイスラム教徒の男性)の間を行くことを拒否しています。

病院の女性スタッフとイスラム教徒難民の関係は、ますますひどくなっています。

先週末、病院に運ばれたドイツ人女性への暴行が起き、報告されていない難民によるレイプの対策とし、警察とK-9部隊(警察犬)が一緒についていかなければなりません。

非常に多くの難民には、エイズ、梅毒、結核、多くの外来性疾患をもっています。

ヨーロッパでは、その治療法はあまり知られていません。

彼らが薬局で処方箋を受け取った場合、代金を支払わなければならないことを知ると、彼らは暴力的になります。

彼らは中東でドイツではすべてがただであると聞いているらしい。

全てお膳立てされていると思っています。

彼らが特定のものを支払わなければならないことを知ると、特にそれが子供のための薬についてであるとき、大声で暴力的な暴動をおこします。

これらのイスラム教の多くは社会的利益を得るため子供を誘拐しました。

ドイツに上陸すると社会的利益はより高くなるからです。

彼らが子供たちの薬の代金を払わなければならないとわかると、騙すことをあきらめ、

「ここで治療しろ」と子供を薬局に放置します。

現在、警察は診療所や病院だけでなく、大規模な薬局の警備を行っています。

私たちは公然と事実を言います。

「駅のTVカメラで歓迎のしるしをした人々は皆どこにいるんですか?」

はい、今のところ、国境は閉鎖されました。

しかし、すでに100万人の難民がここにおり、我々は絶対に彼らを追い払うことができません。

これまでのドイツの失業者数は220万人です。

今後少なくとも350万人以上になるでしょう。

彼らのほとんどは完全に失業しています。

微力の最小限でも彼らほとんどが教育受けることができます。

さらに、難民の女性は通常、まったく働きません。

私は10人中1人が多くの子供を妊娠していると推定しています。

数十万人が幼児と6歳未満の子供を連れてきました。

多くの子供は衰弱し、ネグレクトされていました。

もし、このことが続き、ドイツ国境が再開すれば、私はチェコ共和国に帰る予定です。

誰もこの状況で私をここに置いておくことはできません。

私はドイツにきました。アフリカや中東には行きませんでした。

私たちの部門を率いる教授さえ、毎月800ユーロで毎日清掃している掃除婦を見るのがどんなに悲しいか教えてくれました。

彼女は、イスラム教徒の男性が捨てるゴミを拾わなければなりません。

廊下で手を伸ばしてそこに立ち、無料ですべてを要求する若いイスラム教徒の男性に彼女は奉仕しなければなりません。

そして、彼らは思い通りにならないと激怒します。

彼らは、ドイツ国民は非常に文明的だということを知っています。

世界が見ていることに加え、これらの悪質で怠惰なイスラム教徒の若者たちは、どうやって叫び声を上げて暴力を脅かすかを知っていいます。

ドイツ人は屈服するでしょう。

私は、アフリカからのイスラム難民がどんな種類の動物か、どのようにイスラム教徒の男女がキリスト教徒より優れた行動をしているかどうかわかりません。

彼らは、私たちを軽蔑し、言葉でキリスト教の価値を馬鹿にし、彼らの全ての希望がすぐに認めれれるよう要求します。

今のところ、地元の病院のスタッフは、彼らがここに持ち込んだ病気にかかっていませんが、毎日何百人もの患者さんがきます。

これ(彼らの持ち込んだ病気にかかるだろうこと)は時間の問題です。

ライン川近くの病院では、難民が8ヶ月の瀕死の乳児を渡した後、ナイフでスタッフを攻撃しました。その乳児は、診察を受ける前、3ヶ月間ヨーロッパの半分を引き連られていました。

この乳児は、ドイツで最も優れた小児診療所の1つで最高のケアを受けたにもかかわらず、2日間で死亡しました。

おそわれた医師は手術を受けなければならず、2人の看護師がいまもICUにいます。

このことで誰も処罰されません。

地元の記者はそれについて書くことを禁じられています!

====================

【追記】2017/03/19 2017/10/15追記

この記事については、発信した当時、外務省関係者という方から真偽についてお問い合わせをいただきました。それで、当時、当サイトとしては、検証サイトからの記事をアップいたしました。

その後、当サイトでも色々と調べましたが、2015年には、ExpressUKを始め色々なヨーロッパのメディアが報じていてその後世界中に広がったということははっきりしました。

2015年10月28日の、Express UKの記事によると、この事象についての世界保健機関(WHO)のスポークスマに問い合わせたことが載っていました。その記事の一部は次のとおりです。

"
しかし、ドイツの病院が難民の数に対処するために苦戦していると主張しているという主張を世界保健機構(WHO)のスポークスマンは論破した。
彼は以下のように述べた。
「難民を受けている国はWHOに支援を求めたり、バックアップを求めたりしていない。彼らは彼らのシステムがこれに対応しており、すべてがうまくいっていると我々に伝えている」「WHOは状況を注意深く監視している。必要なときに支援を提供する。」
WHOのスポークスマンはまた、イラクとシリアの難民から西側で発生したコレラについてはいくらかの懸念があると述べた。しかし、通常、西側の都市は、下水道と飲料水管が完全に分離して安全な供給が行われるためこれらは大きな問題ではないと述べた。
"
しかし、難民を多く受け入れたヨーロッパの各地からSNSで、似たような細かい事件が今でも時々投稿されています。(ごみ問題とか、レイプとか)

当時掲載した、検証記事自体も信ぴょう性があるかどうかを問われると厳密に確信は持てないことは事実です。しかしながら、この警告が世界中でとりあげられているということにおいて当サイトでは紹介する意味があると考えています。そして、このことがどういうことなのか考える機会になると言う意味で掲載いたしました。ご自身での判断の材料になれば幸いです。
https://www.newshonyaku.com/europe/archive/2017101501

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c3

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
4. 中川隆[-10365] koaQ7Jey 2019年5月10日 13:52:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]

2018年06月02日
後悔を準備したドイツ人 / 認識が甘かったスウェーデン人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718853.html

「こんなはずじゃなかった !」と悔やむ馬鹿
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移民・難民に怯えるドイツ人女性
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  ナチズムの後遺症に苦しむドイツでは、人権思想に染まった「カモ」が実に多い。内戦が続くソマリアとかアフガニスタンの男からすれば、美しい白人がごまんと居るドイツは楽園としか言いようがなく、道端にトリプルAの松坂牛や神戸牛が落ちているようなものである。ドイツ人には高学歴の馬鹿が多くて、現実の危険を知りながら決して対決しようとはしないのだ。それでも少しは気付く者がおり、ジャーナリストのアナベル・シャンク(Anabel Schunke)はその内の一人である。彼女は大学で政治学と歴史を専攻し、ドイツの移民政策を批判したことでちょいと有名になった。しかも、美人モデルで歯切れの良いコメンテイターときているから、世間が注目したのもうなづけよう。やはり、美人は得だ。同じ努力を重ねるにしても、醜女は100日かかり、美女は1日で済む。

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(左: アナベル・シャンク / 右: 強姦に怯えるスウェーデン人女性)

  アナベルのメッセージは簡潔だが力強い。すなわち、今のドイツはもはや「以前のドイツではない !」ということだ。そして、人々の話題は「移民危機」という一言に尽きる。白色のゲルマン人が主流の国家に、アフリカの黒人や中東アジアからの褐色人種が大量に雪崩れ込み、チュートン種族が大切にしてきた遺伝子プールは台無しになった。ところが、民衆を守るはずの政治家や官僚は、人権思想に汚染され、ドイツ民族の国土と肉体が犯されても知らんプリ。自分とその家族が安全なら、他人がどうなろうとお構いなし。移民や難民を受け容れたツケは一般国民に押しつけ、自分は人道主義者と正義の味方を気取っていれば、たんまりと給料が入ってくる。これなら、「移民反対」という主張は火中の栗を拾うようなもので、何の見返りも無く、ただ非難されるだけなのでアホらしい。

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(左: 新しいタイプのヨーロッパ人女性 / 右: 少数派になる古いタイプのヨーロッパ人女性)

  こうした議員と役人が大半を占めれば、経済的利益を求める偽装難民や不法移民が跋扈(ばっこ)するのも当然だ。リベラル思想に毒されたドイツ人は、如何にして不愉快な外人を防ぎ、速やかに侵入者を排除するかではなく、どんな善意を以て受け容れるのか、という歓迎策を議論している。アナベルの話によれば、ドイツ国民はイスラム教徒が被る頭巾(スカーフ)を考慮したり、料理に使われる豚肉を禁止にしようとか、学校でイスラム教をカリキュラムにいれようとか、移民優先の議論をしているという。そもそも、ドイツという国家はドイツ人のために存在するんだから、ドイツの政治家が優先すべきはドイツ人の生活だ。それなのに、リベラル派を気取る政治家どもは、ドイツ人の方が移民に譲歩し、彼らの文化を受け容れ、ドイツ社会に不慣れな異民族を配慮せよ、と説く。また、ドイツでは人道主義が金科玉条となっているから、連邦政府はドイツ人から税金を巻き上げ、それをふてぶてしい難民に与え、もらった方の外人はそれを当然の如く考える。遙か昔、ドイツはカトリック教会からお金を搾取されたので、「ローマの雌牛」と揶揄されたが、今では「ムスリムの雌牛」になっている。近年、キリスト教会は目に見えて凋落しているが、イスラム教徒のモスクはドンドン増えているから、「ドイツ」という国名はイスラム教徒が唱える「我々の土地」を意味するんじゃないか。

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(左: ヨーロッパにやって来たムスリム移民 / 右: ヨーロッパで暮らすムスリムの女性)

  ドイツ人女性のアナベルは、実感を込めて日頃の危険を訴えている。ドイツ人にとり、移民というのは「後ろ向きのビジネス」であるという。これらの異邦人はドイツ国家を分断し、明るい未来ではなく、陰惨な過去に引き摺り戻そうとする動きにしか見えない。ドイツの議会と政府は、チュートン系ドイツ人の福祉ではなく、移民が如何に幸せになれるのか、という点に関心を向けている。教育方針も然り。先祖代々のドイツ人が生んだ子供ではなく、移民の子供が明るい将来を築けるように教育プログラムを作成し、ドイツ人の子供がそれに合わせ、外人との共存を学ぶことになるのだ。ドイツ民族を称讃するナショナリズムなんて,ネオナチの運動にしか思えない。幼いドイツ人はドイツ人教師から、嫌な事でも我慢するという「寛容の精神」を植え付けられ、異質な肉体を持つクラスメートを進んで受け容れようとする。しかし、生理的に顔を背けてしまうので、調教された精神と拒絶する心理の板挟みになって悩む場合が多い。ドイツ人に病的なリベラル派が多数存在するのは、こうした洗脳教育の後遺症が治っていないからだ。

  ジャーナリストになったアナベルは、率直に自分の気持ちを打ち明けていた。「他のドイツ人も同じだけど、私はもうドイツで安全とは思えない」と。確かに、そうだ。例えば、ドイツの都市部で新年を祝うイベントがあったけど、ケルンでの集団強姦事件が起きてからというもの、アラブ系の男に怯える女性が増えてしまい、イベント会場に女性の姿が少なくなってしまったそうだ。ハンブルクでも新年を祝う女性の数が激減し、イベント会場に来る人が前年より減ってしまった。ベルリンのような大都市では、「女性用安全エリア」が設けられ、危険を察知したり、怖い目に遭った人はテントに避難できるそうだ。でも、そんな事態を予想できる女性は、最初からイベント会場に来ないだろう。元旦のお祭りに来たのに、強姦魔の生け贄じゃ洒落にならない。アラブ人やアフリカ人にしたら、白いお餅より、白い肉、すなわち「白人女の肉体」の方が美味しい。ちなみに、日本じゃ坊主が忙しい12月を師走と呼ぶが、ドイツでは若い娘が逃げ回る月を指すんじゃないか。

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(左: ヨーロッパにやって来た移民 / 中央: 映画での強姦シーン / 右: スウェーデンの一般女性)

  毎回ドイツを見ていると、「後悔先に立たず」という言葉を思い出す。「カッパえびせん」なら「やめられない、とまらない」でいいけど、移民・難民の流入が止まらないとくれば、訪れる事態は深刻だ。しかし、ドイツ人は移民を排除できない。第二次大戦の勝者であるアメリカ人とイギリス人から、たっぷりと仕置きされ、二度とゲルマン人優位の国家を口に出来なくなってしまったからだ。ところが、ドイツ人を激しく折檻(せっかん)した英米も、人種問題でのたうち回り、ナチズムの心情を理解するようになった。でも、彼らの国家には鬼のようなユダヤ人がいるから、アングロ・サクソン同盟なんて端っから無理。異民族で溢れる人種混淆の共和国こそ、ユダヤ人の理想郷だ。ユダヤ人は歐米の政治家を札束で引っぱたいて忠実な下僕をつくり、それを拒む者に対してはマスメディアを使って総攻撃を加える。「言論の自由」を自慢するアメリカ人やイギリス人が、なぜ「ユダヤ人は出て行け!」と叫べないのか? 歐米諸国は自由主義を謳っているのに、「選択の自由」に基づく「排除の権利」や「幸福の追求」から派生する「快適さの享受」が無い。なぜなら、これらの自由の上に「忍耐の義務」が君臨しているからだ。彼らはいくら経済的に豊かでも心情的には哀れである。自分の家には好きな人だけを呼べるのに、自分の祖国だと「嫌いな人でも我慢すべし」、とは・・・。昔、明石家さんまがTV広告で「幸せって、何だっけ、何だっけ」と唄っていた。移民問題では「ポン酢醤油」が正解じゃないよ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718853.

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c4

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
5. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 13:55:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]

コーランでは異教徒の女性を性奴隷にすることは合法です。(4:3, 4:24, 23:1-6, 33:50, 70:30)

だからイスラム教徒だとわかるようにベールを被りなさいと言っているのです。そうすれば(性的な)嫌がらせを受けないと言っています。 (33:59)

イスラム教スンナ派が『コーラン』に次いで重視する、ハディースには、こういうことが書いてあります。

夫が妻を誘いそれを妻が拒んだために夫が怒りの中で眠る時、天使は朝まで妻を呪う(Bukhari 4.54.460).

女性はラクダの鞍の上にいても拒んではいけない (Ibn Majah 1854)

クリップドイツ:中東・アフリカ難民対象に、ドイツ人女性をナンパ+彼女たちとの性行為の手引き講習会を開く⁈
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c5

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
6. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月10日 14:11:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]

ドイツ政府は過去の贖罪の為に移民を大量に受け入れた

ナチス・ドイツはユダヤ人だけでなく、ポーランド人、チェコ人、ハンガリー人、ロシア人、ウクライナ人をすべて強制労働+餓死 させて、代わりにドイツ人移民を送り込む計画だった。

ナチス・ドイツはユダヤ人とスラブ人を全員餓死させて、その後にドイツ人移民を入れる計画だった:


ナチスドイツのユダヤ人絶滅政策は、経済学と一体不可分であった。一体どれほどのユダヤ人を労働力として活用し、1日に与える食事量はどの程度で、平均してどのぐらいの期間働かせたのち餓死させ、最終的にいついつまでに何人殺すのか……

このような狂気の経済学を日夜考え、そろばんをはじき、実践するために各省庁に協力を仰ぎ……ドイツ人の官僚的気質がこれ以上上等に発揮された機会はなかった。

飢餓実験はいわば、このようないわば「虐殺の経済学」とも呼べるものの産物だった。

慢性的な食糧不良に苦しむドイツで、何百万、ともすれば一千万以上にも及んだソビエト兵捕虜やユダヤ人、障害者、ジプシー、同性愛者に与える食糧はなかった。与えるとしたら、元を取るために働かせるためだった。

ナチ親衛隊上層部とドイツ医師会は結託し、下等人種や民族の宿敵たちを、無駄なく効率よく餓死させる方法を考えあい、実験を繰り返した。

いかにすれば、働かせながら餓死させることができるだろうか。どのくらいのカロリーを与えれば良いのだろう。どのような食事のメニューにすれば良いのだろう。どのような栄養素を継続的に断ち、代わりに何を摂取させれば良いのだろうか。

ナチの飢餓実験が、実を結んだ結論は、囚人に決してタンパク質を与えないことだった。代わりにジャガイモやパンなど、少量の炭水化物を摂取させる。このようにしてゆっくりと確実に餓死させることができるのだ。これは一見食糧を与えているようにも見えるため、諸外国からの批判を交わすためにも有効な方法だった。

知的障害者に対する飢餓実験

ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。エグルフイングの施設長、ヘルマン・プファンミュラー博士は、ナチ・イデオロギーが掲げる「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。

彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。

1939年に心理学の学生がエグルフイングの施設内に見学実習に来た。プファンミューラーはその際学生を小児病棟へ案内した。その時に学生が目にしたものとは・・


15〜25人の1歳〜5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた。


エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。

被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。

彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。

ソビエト兵捕虜に対する飢餓実験

1941年の秋、ハンブルク大学の講師ハインリヒ・ベルニング博士は、軍衛生局総監督部より「水腫病の医学研究」を委託された。実験の材料に使われるのはソ連兵捕虜で、そのための専門施設がハンブルク=ヴァンツベックに設置された。

ベルニングによれば、飢餓水腫が発生するためには、かなり長期にわたって1日のたんぱく質摂取量が、30gを下回るようにせねばならない、とされた。ベルニングは本物の飢餓水腫を実験によって作り出し、それを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少して行き、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまを記録していた。

また、彼は捕虜の下腹部が膨張する様子を観察している。寒さや労働が水腫を強めた。

ベルニングは餓死した捕虜の胃や腸の形態変化を観察して記録。彼は戦後も偉大な博士として活躍、ナチ時代の実験を裁かれることはなかった。

なぜこんなことが起こったか

ナチ占領地が拡大すると同時に、彼らは大量の劣等人種を獲得した。未曽有の総力戦により、ドイツ人は兵士も銃後も含めて、皆命がけの戦争を戦い、窮乏を耐え忍んでいた。占領地ではお互いの全存在を抹消し尽すほどの殺戮と憎悪の応酬が続いていた。

そんな時世の中、「民族の宿敵」や「足手まとい」が、安全圏で食糧を与えられ、何もせずに安穏と暮らす、なんことを決して許さない人々がいた。それがナチの医学界や、上層部、とりわけハインリヒ・ヒムラーであった。

大量の実験サンプルが入手でき、彼らを一箇所にまとめて閉じ込めることができる今、戦争の勝利のために人体実験を行うのは、ナチ上層部にとっては「当然のこと」であった。

そして、人体実験は激しい人種偏見の賜物であった。ユダヤ人やスラブ人、ジプシーは人間とはみなされなかった。ジプシーを実験材料にすることを拒否する科学者はいたが、それは「人間」と比較することが難しい、という理由だった。

http://3rdkz.net/?p=250&page=4



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ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405


筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。


ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。


独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

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ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。


しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

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ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。


抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4



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詳細は


ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった! 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html

『ヒトラー思想』とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html

アフター・ヒトラー - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC&sp=mAEB

ワイダ 地下水道 Kanał (1957年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/364.html

ワイダ 世代 Pokolenie (1955年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/372.html

ワイダ カティンの森 Katyń (2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/375.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c6

[近代史3] もうすぐ氷河時代が来る証拠 中川隆
14. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月10日 15:27:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

2019年5月8日
16歳の少女はノーベル平和賞に相応しいのか?
山本隆三(常葉大学経営学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16130


 今年のノーベル平和賞候補者の推薦は2月末に締め切られたが、78の団体と223名の個人が推薦されたと発表されている。ノーベル財団は候補者名を明らかにしていないが、最有力候補は、スウェーデンの16歳の女生徒グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunbergのスウェーデン語読み)と見られている。


ストックホルムの議事堂前に「School strike for the climate」看板を手に立つグレタ・トゥーンベリさん(TT News Agency/AFLO)

 何でも賭けの対象にするロンドンのブックメーカの今年の平和賞受賞予想の掛け率を見ると、彼女が2倍から2.25倍でトップ。次はジャシンダ・アーダーン・ニュージーランド首相の6倍、3位はトランプ大統領の9倍から10倍だ。トゥーンベリが受賞すると史上最年少になる。

 トゥーンベリは、昨年8月15歳の時にストックホルムの議事堂前で、気候変動問題への取り組みを求め座り込みを始めたことで一躍時の人となり、昨年12月ポーランドで開催された第24回気候変動枠組み条約締約国会議(COP24)、その後も、世界経済フォーラム(ダボス会議)、EU議会、イタリア上院、英国議事堂と様々な場に招待されスピーチを行っている。 

 ローマ法皇にも拝謁しているが、気候変動問題に取り組むためとして飛行機に乗らず、いつも列車で移動しているので日本に来ることは難しそうだ。香港紙のインタビューでは香港に招待されればシベリア鉄道を利用し出かけると答えているので、船を乗り継いで日本に来るかもしれないが。

16歳少女の行動力

 彼女が注目を浴びた最大の理由は、議事堂前の座り込みのため学校ストライキとして授業をボイコットし、過激な言葉で気候変動問題への取り組みを呼びかけたからだろう。多くの生徒、学生が彼女の行動を模倣し、学校ストライキ運動は世界に広がり、今年3月15日には欧州のみならず日本、北米など122カ国において学校ストライキ運動と気候変動問題への取り組みを呼びかける行進が行われた。


 今も、毎週金曜日、世界各地で生徒による気候変動への取り組みを求める行進が行われている。4月22日にはオバマ前米大統領が、彼女の行動が切っ掛けで気候変動問題への取り組みを求め100万人以上の学生が3月にストライキを行ったとツイートした。

 英国では、彼女の行動に刺激を受けたのか、「絶滅に抵抗」と名乗る組織が昨年10月結成され、絶滅を避けるためとして気候変動問題への喫緊の取組を呼びかけ、4月にはロンドンを中心に道路閉鎖、列車運行妨害などの大規模な抗議行動を起こした。ロンドンだけで1000名以上の逮捕者を出している。彼女もロンドンに駆けつけスピーチを行い、その後国会議員との面談に出席している。

 その行動力、影響力には目を見張るものがあるが、ノーベル平和賞と言われると首を傾げざるを得ない。15歳でなく20歳の大学生が同じことをしても注目を浴びただろうか。彼女は過激な発言で気候変動問題に注目を集めることに成功したが、その陰で重要なことから関心が薄れていないだろうか。

 それよりも、彼女の発言を聞く限り、気候変動問題の科学を正確に理解せずに発言している節がある。学校よりも大切なこともあるに違いないが、多くのことをもう少し学んでから行動してはどうだろうか。ノーベル平和賞授与の前に考えるべきことは多い。

始まりは議会前座り込み

 昨年9月9日に行われたスウェーデン総選挙の3週間前、夏休み明けの8月20日から「気候のための学校ストライキ」との看板を持ち当時15歳のグレタ・トゥーンベリが学校のある時間帯に毎日ストックホルムの議事堂前で座り込みを始めた。彼女は、「政治家が科学者に耳を傾けない時に、なぜ私は勉強しないといけないの」と主張し、気候変動対策への取り組みを求めた。

 総選挙後は、毎週金曜日に座り込みを続けた。この行動が注目を浴び、座り込み開始日にスウェーデンで報道され、1週間以内には欧州主要6紙が報道し、スウェーデンとデンマークのテレビ局がインタビューを放映した。他国でも彼女の行動を真似る生徒が現れ、さらに、ドイツ、スイス、豪州などにおいて金曜日に学校ストライキを行う動きが始まり、世界の多くの国に拡大した。

 彼女は、多くのマスメディアのインタビューに答えているので、インタビューから彼女の考えを知ることができる。彼女の母親は著名なオペラ歌手だが、その著書の中で彼女がA.D.H.D.(発達障害)、アスペルガー症候群と診断されていることを明らかにしている。

 また彼女自身もインタビューの中でアスペルガーに触れている「そのため、世界を少し異なる視点で見ることができる。また、アスペルガーの人は、一つのことに特に関心を持つことが普通」と説明している。

 彼女は9歳(インタビューによっては8歳)から気候変動問題に関心を持ち、アスペルガー故に一つのことを何時間も、何年間も行うことができると説明している。

 彼女は、肉食も、無駄なものを買うことも止め、2015年には航空機の利用を止めた。翌年には母親も航空機の利用を止め、国際公演を諦めることになった。家に太陽光発電と蓄電池を導入し、郊外の家庭菜園で野菜を育てることにした。電気自動車はあるが、利用することは少なく、自転車で出かけるのが普通らしい。

 「スウェーデンは温暖化に先進的に取り組み、豊かな国は年15%排出量を削減すべきと科学者が同意しているにもかかわらず、2018年の第1四半期スウェーデンの排出量は3.6%増加している。気候変動による破滅を防ぐ政策が必要。いま戦争状態の危機にあるとしてシステムを変える必要がある」と彼女は主張している。


広がる行動


 この行動は大きな広がりを見せているが、彼女も様々な場で発信を続けている。1月のダボス会議には32時間列車に揺られ参加し、ホテルではなく零下12度の屋外のテントで宿泊している。「一部の人たち、企業、政策決定者は、想像できない多額のお金を作るためお金には代えられないものを犠牲にしてきたことを正に知っている。この部屋にいる多くの人たちはそちら側だと思う」と世界のリーダーを前にスピーチしている。

 彼女の行動に触発されたのは、生徒、学生ばかりではない。英国では「絶滅に抵抗」(略称XR)が昨年10月発足した。気候変動による絶滅を防ぐことが目的とし平和的不服従運動を進めるとしている。


 世界の多くの地に広まり、XRによると日本でも東京と京都にグループがあるようだ。今年4月15日からは世界各地で不服従運動を開始するとし、33カ国80都市で実行されたが、その中心となったロンドンでは大混乱が発生した。

 ロンドン中心部のオックスフォード・サーカス、ウォータールー橋、鉄道駅などで、道路を塞ぐ、客車の上によじ登る、接着剤で客車あるいはフェンスに体を貼り付けるなどの交通妨害を行った。

 4月21日、運動の中心となっているマーブルアーチにトゥーンベリが現れスピーチを行っている。行動は4月26日に終結したが、ロンドンでの逮捕者は1088名と発表されている。

 英国の環境大臣も彼女の行動を支持するなど多くの政治家にも支持の広がりがあるが、テリーザ・メイ英首相は、トゥーンベリの行動を評価していないようだ。2月に首相の広報官は英国で行われた学校ストライキを批判している。

 「ボイコットにより教員の仕事量は増加しているし、教員が時間を掛け用意した授業時間を無駄にしている」。議会でトゥーンベリの訪英が紹介された際にはメイ首相は歓迎と答えているが、英国議事堂に招かれ昼食を挟み議員と会談した際には、メイ首相は欠席したと報道されている。

 メイ首相は、学校をボイコットすることに良い感情を持っていないように思われるが、トゥーンベリの主張そのものも、我々は良く考える必要があるようだ。

気候変動問題と世界の課題

 トゥーンベリは、政治家は科学に耳を傾けないと主張しているが、気候変動の科学は地球の気温が2度上昇すれば壊滅的な影響が発生するとは言っていない。気候変動の問題については分からない点も多く、温室効果ガス、二酸化炭素濃度がどこまで上昇すれば地球の気温が何度上昇するか、さらにその影響として何が起こるか、シナリオは様々だ。

 温室効果ガスの濃度が上昇すれば地球の気温が上昇することは、気候変動に係る大多数の科学者は同意するが、具体的な上昇温度、その影響についての断定はない。一致点は2度上昇すれば大きな影響が生じる可能性が高いということだけだろう。可能性が高いリスクに我々は、どこまで対策資金を投入できるのだろうか。何かを達成しようとすれば何かが失われるトレードオフの関係も考える必要がある。

 米国の研究機関ピューセンターが昨年春世界各地で行った「今日世界の脅威は何か」との調査によると、フランス人の最大の関心事はイスラム国(87%)だが、次いで気候変動(83%)にも高い関心を示している。フランスでは、気候変動対策としてガソリン、軽油への課税が行われているが、その値上げに多くの国民が反対し「黄色ベスト運動」が発生した。気候変動を脅威と感じていても、その対策により日々の生活に影響があるとなれば、多くの国民は納得しない。

 生活水準が高い先進国においても、気候変動対策を進めるためのトレードオフに国民の理解を得ることは難しいが、生活水準が低い途上国において化石燃料の消費抑制、温室効果ガス削減を進めるとなると生活水準の向上を国民は諦めることを強いられる。例えば、まだ無電化地区を多く抱えるアフリカの多くの途上国政府が進められる政策ではないだろう。

 このトレードオフの問題をどのように乗り越えるのか、世界の多くの国は悩んでいると言える。直ちに対策をしないと絶滅するとの主張だが、対策を進めた結果世界全体が貧しくなることも大きな問題だ。給与も、生活水準も下がることには多くの人は反対だろう。

 学校ストライキとして授業をボイコットしているが、ユネスコによると世界には学校に行けない子供が2億6300万人、行きたくても小学校に行けない子供だけでも6100万人いる。気候変動問題も大切だが、世界の生活水準と教育水準を引き上げることは、もっと重要ではないのだろうか。全てを達成する魔法はないことを良く考える必要がある。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16130


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html#c14

[政治・選挙・NHK260] 原武史「平成は天皇制を強固にした」(朝日新聞社 論座) 肝話窮題
1. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月10日 16:21:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]

美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイだった

私が学生の時だが、友人は、

[美智子妃殿下は皇太子が知的障害があるので、それに絶望して自殺未遂を二回した]

と言い張っていたよ。


[皇太子(今上天皇)は知的障害なのは公然の秘密]と言っていたな。

理由は[近親婚]を繰り返したから。

____

匿名 より: 2019年5月8日 4:47 PM


ガールズちゃんねる からの引用

35624. 匿名 2019/05/07(火) 17:51:11

知り合いがかなり中の仕事していたんだけど

上皇はまるで会話が成り立たないので
美智子さん頼みだったみたい

それで窓口が全部美智子になり
牛耳られたし女帝と化した


____


美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?

2016年03月10日
やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1983268.html

BBの覚醒記録。さんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5

<転載開始>

今回の記事は、何かあった時のために先の稿と共に、それぞれできる形で
永久保存扱いにしておいたほうがよいかもしれません。皇后陛下とGHQとの
癒着の根っこが明らかになりました。現代の日本における、あらゆる国家弱体化・破壊要素は全て、在日さえ含めてGHQ発です。皇后陛下はGHQ施策の
極めて具体的な体現者です。


要保存◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

↑ 国会で美智子さんの出自と、成婚の陰謀、そして皇太子(今上)の不出来ぶりが、厳しく追求された極めつけの史料です。

要保存◆なんと、社会党が支援していた美智子さま 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1

要保存◆皇后陛下は「アカ」でした 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c1d3f5e7a9593118391c92ad90752bac


かねてより、拙ブログでは正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室
弱体化施策の一環であることを、推論として検証してきました。

また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために
日清製粉と結びついたことも。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教を
そのツールに使ったことは事実です。

そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を
次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、
愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の
擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。

他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より
高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って
歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の
低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは
自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、
GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との
親交他。


20150203.館林の日清製粉ミュージアムと正田記念館内外部CX-535


こちらに正田家と、GHQ派遣のアップルトン女史との密着ぶりが
残っています。女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。


当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。

正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから
追放されていた時代です。
外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに
反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。

雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。因縁めくことには、お二方とも日本人の健康破壊に関与した第一第二水俣病に、つながっていらっしゃいます。現代では日清製粉の遺伝子組み換え小麦粉が、日本人の健康破壊。皇后は敗戦時から今まで、日本人の健康破壊者とご縁があります。


野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)

正田文右衛門は、正田醤油の創業者です。文右衛門も日本人としては
相当に高身長。正田一族、それと母の冨美さんも当時としては図抜けた背の高さ、兄妹共に。ただ一人美智子さんだけが小柄。(当時の日本人としては、
平均ですが正田の中では、一人だけ極端に小さい)

日本本来のものである醤油から、小麦粉への新たな進出。
敗戦国から戦勝国アメリカへの擦り寄りが日清製粉です。

美智子様の入内直前に、国会でその入内ぶりの不可解な動きを
追求されています。その一つが新平民、つまり部落出身ということの
ほのめかしです。拙ブログではその点は断定していず、保留状態です。
ただ、正田家が新平民ではなくても、母方はどうでしょうね。
正田家が、部落と密着した存在であったことは事実。

美術館には正田家の、家系図まで麗々しく掲げられています。

1873 明治6年12月
・正田文右衛門(三代)醤油醸造創業 ※1
1891 明治24年7月
・帳簿組織を改め複式簿記を採用
1900 明治33年1月
・合名会社正田文右衛門商店設立
1908 明治41年10月
・正田式麦煎機特許取得
1910 明治43年2月
・正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社

この年譜で目を引くのは、「正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社」

「正田稲荷神社」とは?

これは稲荷神社ではなく、白山神社ではなかったかと思うのですが?
なぜ稲荷と書くのでしょう? 白山神社は、部落の人々の信仰対象でした。
(信仰者即穢多非人というわけではありません。)

「目車町」は、皇后を部落の出として書いた被差別部落出身作家の上原善広氏によれば非差別地区だということです。


⇒ 調べました


http://www.shoda.co.jp/knowledg/bunkazai.htm

正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。

 そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。

【正田稲荷神社】
 もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。
  以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。

  ・・・・・・・・・・・・ここまで

画像二枚目の神社さんがネットでは「白山神社」として、認識されている
祠だと思われますが、いったいなぜ稲荷が白山神社に変貌?

仮説が一つあるとすれば、目車という被差別部落にあった神社さんの
移転なので、穢多非人という人たちに多く信仰されていた
白山神社さんと勘違いされた? 

念のため、白山神社さんの ご神体を調べましたがお狐さんではありません。

更に白山神社は全国に散らばっていますが、そこが全部被差別部落だという
ことではありません。穢多非人の人たちだけの信仰対象でもありません、念のため。

由緒正しいお家柄なら、なぜわざわざ穢多非人村に越していらしたのか?
醤油製造に穢多非人を使った?

しかし「正田神社」と呼ばれるほどの厚き稲荷信仰のお家が、一族根こそぎカトリックに改宗?
何か不穏な気がするのは考えすぎでしょうか。

・・・・・・と書いて、ふと思い出したのですが・・・・


先入観を与えるといけないので、この画像を見て見える人だけどうぞ。
更にオカルト的な話が嫌な人や認めない人は、スルーして下さい。


皇后陛下に現れた数少ない・・・・・皇太子夫妻に比べると少ない・・・・
霊画像に、霊眼が多少ある人が見えるのは、



九尾の狐です。

誰でも視える形ではなく、視える人だけに限定で、むしろよかったです。
わかりやすいと、合成とか気のせいとか言われてうざったらしいので。
なぜ皇后に狐? と霊写真に気づいた時には不思議だったのですが、
お狐信仰のお家でしたか・・・・。
皇后に憑いた霊体の、九尾の狐は瞋恚(怒り)の形相ですが・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d4caf989f1ec33423082307330b824

とはいえ、BBの霊眼もさしてあてになるレベルではないので、視える知人に
再チェックしていただいたら・・・


こんな感じで、美智子さまの背後にいるそう。BBはこんなに判然と視えるわけではありません。
帽子のデザインも、狐っぽいのは偶然でもないのかもしれません。

霊眼のある知人が更に示してくれたのは、皇后陛下の内面が
こういうふうである、と。


一説に半島出自だとも言われる小和田家のように下賤なことはしない・・・・のが正田家だと長いこと言われてきましたが・・・・


もっと下品でした。

美智子さまのご両親様の胸像でございます・・・・


日清製粉会社の歴史を展示している「製粉ミユージアム」内に展示。何の事はない、皇后陛下を間接的にCMガールとして、日清製粉の宣伝ですね。
普通、妻の銅像まで置きませんが。日清製粉にとっては夫妻の
娘が皇后陛下だってことで、莫大なメリットです。
こういうところからも商売人の娘は本来、忌避されたのでしょう。
小和田は小和田で、娘の入内を最大限に活用、外務省機密費流用疑惑は
不問にされるし、とうとうハーグの判事にまで上り詰めました。

◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。

以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。


http://www.wikiwand.com/zh-yue/%E7%AC%AC25%E5%B1%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9C%BE%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B8%BD%E9%81%B8%E8%88%89

若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。
5期連続当選のベテラン議員が。


中央が平井義一氏。


1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。
国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが
その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。


1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより

国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。

没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか?
気色の悪い・・・・。⇒ コメント欄に・・・・ご存命だそうです。Wikiの「没年不明」記述はなぜに?

⇒更にコメ欄に。衆議院の広報課に訊いたら、平成19年9月6日にご逝去。

平井議員とは違う意味で、履歴の一部がすっぽり消されているのは、
美智子さん入内に直接動いたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックです。
足跡はかなり詳しくWiki他にまとめがあるのに、部落布教のために
群馬は館林に向かい、そこで布教していた事実だけ全部、
過去から抜き取られ、なかったことになっています。

ご本人が著した書物まで焚書されたら、ジョセフ・フロジャック神父が
美智子さんの父方祖母、正田きぬさんを一番目の布教者として、
それから次々に正田一家をカトリックに改宗させたことも、
「なかったこと」にさせられるのかもしれません。

正田家とGHQの癒着、それにからんだ美智子さんの入内について
発信し始めたのは、ひょっとして拙ブログが始発だったかもしれませんが
(始発信は誰でもいいのですが)これまで推論の域を出なかったことが
更に今回の記事で一歩進めたかもしれません。


朝鮮髪飾り ペッシテンギ


国連女子差別撤廃委が女性天皇を認めよ、そのために皇室典範改正をと、言ってきましたが、もともと現行の皇室典範も戦前のそれから様変わりしたのはGHQ関与だと思います。憲法をいじった彼らが皇室典範放置はないですね。

それまでは皇太子が不出来であったり人望が無かったり、ふさわしからぬ行為があった時は、長男であろうと排除、ふさわしい人物が天皇になっていました。
皇后も目論む女系天皇は論外ですが、どんなアホでも長男なら即位というのも、考えてみればGHQのやりそうなことです。当時の皇太子(今上)はさんざん、GHQによる恫喝と洗脳教育で自虐史観左翼に仕立てていたので、そのまま
即位させないと、計画が成就しないわけです。


いまだ日本を敵国としてみなす「敵国条項」のある反日国連とその事務総長、
潘基文と癒着している皇太子。そのさぼり妻は国連大学通学には熱心で、
個室が与えられたほど。またその父はGHQの意向に忠実で、要するに
反日姿勢で出世階段を駆け上がっています。妹も国連関係。

池田 (小和田)礼子国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。
そして、売国の宮高円宮の長女と同じく、あの中抜き日本ユニセフに
母親と妹が関与。小和田は真っ黒。反日一家です。出自はほぼ間違いなく半島。


そして国連といえば美智子皇后の盟友、ブサヨフェミの緒方貞子。
皇后の、女性宮家の創設で皇后の助っ人をし、一方で
すでに在日という難民に苦しめられている日本に、更に
難民受け入れを迫る左翼女がいます。

皇后陛下が主張なさり、天皇陛下がそれに追随なさっている
「皇太子の系譜の女性天皇」を立てたら、皇統に朝鮮人の血が
入り込みます。

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/584.html#c1

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
13. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月10日 16:46:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]
財政赤字を容認する「MMT理論」は一理あるが、やはり危険な理由
https://diamond.jp/articles/-/201833
2019.5.10 塚崎公義:久留米大学商学部教授 ダイヤモンド・オンライン


「財政赤字=悪」という常識を真っ向から否定する今話題のMMT理論は危うさも秘めています(写真はイメージです) Photo:PIXTA


米国で「Modern Monetary Theory(MMT、現代金融理論)」と呼ばれる理論が話題になっている。「自国通貨で借りている財政赤字は紙幣を印刷すれば返せるのだから巨額でも構わない」というものだ。筆者は日本政府の財政赤字について「日本政府が破綻するはずはないので、性急な財政再建で景気の腰を折るようなことはすべきではない」という財政赤字容認派であるが、それでも無条件の財政赤字容認論には危うさを感じている。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)

「財政赤字は悪ではない」という新理論

「財政赤字、政府の借金が膨らむことは、様々な問題を引き起こすので悪いことだ」というのが常識的な経済学理論だが、MMTはこれに真っ向から挑戦している。

 その意味で、MMTは全くの異端であり「非常織」だ。しかし、米国の民主党左派が財政出動を正当化する「理論」として用いていることから話題になっている。

 正統派経済学の巨頭たちが「MMTはトンデモ経済学である」などと反論しているところを見ると、彼らが無視できないほど存在感を増しているのだろう。

 内容は「自国通貨建ての借金は紙幣を印刷すれば返済できるのだから、財政赤字は気にする必要がない。もっとも、財政赤字が膨らんでインフレになると困るから、インフレ対策としての緊縮財政が必要になることはあり得る」というものだ。

 筆者は、「非常識である」という理由だけでMMTを批判することは控えている。ガリレオの地動説も、当時は今のMMT以上に非常識であったはずだが、結局は正しかったのだから。したがって、以下では「非常識である」ことを除いて、筆者がMMTに賛同できない理由を示していく。

日本はMMTの正しさの根拠?

 日本の財政赤字は巨額で、政府の債務も拡大し続けているが、特に困ったことが今現実に起きているわけではない。これをもって彼らは、「日本でMMTの正しさが実証された」としているようである。

 これに対して、筆者は「日本でこれからひどいことが起きるかもしれない」「日本は諸外国と事情が異なるから、仮に日本で正しくても他国で正しいとは限らない」という2点から反論したい。

 日本でも、今後インフレ懸念が高まった場合には、財政赤字による政府の借金がインフレ懸念という火種に油を注ぐ役割をするかもしれないし、政府が破産するといううわさが国債を暴落させるかもしれない。「今まで悪いことが起こらなかったから今後も大丈夫だ」とはいえないのだ。

 とはいえ、確かに日本はMMT向きの国である。国民性からも過去のデフレの経験からも、国民がインフレ懸念を持ちにくいからである。日本よりインフレ懸念が持たれやすい国で同じことをやったら、悪性インフレが容易に発生する可能性は十分にある。

インフレ懸念に脆弱なMMT

 財政赤字が続き、政府の借金が巨額になっている日本で、インフレ懸念が高まったらどうなるだろうか。人々は、急いで銀行預金を引き出して物を買いに走るだろう。そして、銀行は預金者に紙幣を渡すため、準備預金を引き出したり国債を日銀に売却したりして紙幣を手に入れるだろう。

 瞬時にして世の中に大量の紙幣が出回り、それが人々の「買い急ぎ」に使われるわけだから、激しいインフレになるはずだ。もちろん政府と日銀がインフレ対策を講じるため、インフレに歯止めが利かなくなるわけではないが、インフレ対策の厳しい引き締めなどによって経済に大きな打撃が加わるだろう。

 一方、もしも日本政府が健全財政を貫いていれば、銀行は巨額の準備預金も国債も保有しておらず、瞬時に大量の紙幣が出回ることはないかも知れない。

 それ以前に、政府が従来巨額の増税によって財政を再建していたら、人々は今ほど多額の銀行預金を持っていなかったであろう。

 人々は預金を引き出して納税していただろうから、預金残高は減っており、買い急ぎの原資となる預金は限られた金額になっていたはずなのだ。

 したがって、日本でも「財政赤字が大きいがゆえのひどいこと」は起き得る。その契機は、石油ショックのようなもの、大地震による復興資材の価格高騰、あるいは「政府が破産しそうだから日本銀行券を実物資産に換えよう」という動きなど、様々な可能性が考えられよう。

 ここで問題なのは、財政赤字や政府の借金の大きさとインフレ率が連動していないことだ。

 もしも「財政赤字が10%増えたらインフレ率が1%高まる」というような関係があれば、MMTも採用可能かもしれない。「インフレにさえならなければ財政赤字は問題ない。インフレが始まったら直ちに緊縮財政を始めればいい」といえるからだ。

 しかし、実際にはインフレは地震のようなもの。地震は、地殻の変動によってエネルギーが徐々に溜まっていき、ある時突然にそれが地震として解き放たれるが、MMTでも「財政赤字によって徐々にインフレの潜在的なエネルギーが溜まっていき、ある時突然にそれがインフレとして解き放たれる」のである。

 したがって、財政赤字が続き、政府の借金が膨らむほど「万が一の場合の被害」が大きくなり得る。もっとも、地震と異なり、日本の財政赤字の場合は永遠に何も起きない(つまり結果としてMMTが正しかった)可能性もゼロではないが。

緊縮財政するリスクとしないリスクの比較が必要

 筆者は、MMTを無条件に肯定しないが、かといって「財政赤字は何としても縮小すべきだ」と考えているわけでもない。

 日本の場合、財政赤字を続けてもインフレ懸念が買い急ぎを誘発して、インフレが自律的に加速していく可能性はそれほど高くない。一方で、緊縮財政を採用した場合には、景気が腰折れして景気対策が必要となり、かえって財政赤字が増えてしまう恐れがある。

 したがって筆者は「日本の場合、10年待てば労働力不足が進展し、増税しても失業が増えない時代が来る(拙稿『令和が日本経済の「黄金期」になる理由』をご参照)のであるから、それを待ってから増税すればいい」と考えている。

 このように、日本についての結論だけを見ると「緊縮財政に反対」というMMTと似たようになっている。しかし、決して「財政赤字は全く気にする必要がない」などと考えているわけではない。

 日本以外の多くの国については、日本と比べて「インフレが自律的に加速していく可能性が高い」ため、MMTは危険である。仮に日本でのMMTの「実験」が成功しているからといって、他国でも成功するとは限らないのだ。

米国のMMTはやめてほしい

 特に、米国のMMTは肯定できない。1つには米国自身のために、そしてもう1つには米国以外の経済のために。

 米国は、日本よりインフレ体質の国である。「物価が上がると賃金が上がり、それが物価をさらに押し上げる」サイクルが日本より働きやすい。日本の正社員は終身雇用かつ年功序列なのでインフレ時に賃上げしなくても会社を辞めないが、米国はそうではないからだ。

 加えて、米国人消費者はインフレになると「買い急ぎ」をするため、インフレが加速しやすいだろう。日本人消費者はインフレになると「老後のための蓄えが目減りしてしまったから節約しなければ」と考える人が多いが、それとは事情が異なるからだ。

 米国人は日本人ほど将来のことを不安視しないという国民性に加え、米国人の金融資産はインフレでも目減りしない株式等のウエートが高いからだ。

 最近、先進国ではインフレが起きていないので、次にインフレがきた時にそうなるか否かは何ともいえないが、そうなる可能性は決して低くなさそうだ。

 したがって、米国の財政赤字拡大は日本より危険であるから、MMTは米国自身のためにも採用すべきではないだろう。

基軸通貨の混乱は世界に迷惑

 日本がMMTを採用しても、メリットとデメリットは主に国内に限られるが、米国がMMTを採用する場合にはそれにとどまらない。メリットは主に国内に限られるが、デメリットは世界中に及びかねないのだ。

 例えば、米国が激しいインフレに見舞われて金融が大幅に引き締められた場合、世界中で貿易や投資や融資に使われている米ドルが不足したり、金利が高騰したりする。米国以外の国にとっては大迷惑である。

「米国が受けるメリットと米国が受けるかもしれないデメリットだけを比べればMMTは良い物であるが、諸外国の受ける迷惑の可能性まで考えればMMTは悪いものである」という場合に、米国はどうするのであろうか。

「米国ファースト」の発想で他国の迷惑を顧みずMMTを導入するようなことは、ぜひともやめてもらいたいものである。もっとも、諸外国としては米国ファーストを止める手段を持たないので、祈ったり頼み込んだりするしかないのだが。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c13

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
186. 中川隆[-10359] koaQ7Jey 2019年5月10日 18:11:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]


小学校教員の採用試験の倍率低下について - 内田樹の研究室 2019-05-10
http://blog.tatsuru.com/2019/05/10_1501.html

 2018年度の全国の公立小学校の教員採用試験の倍率は平均3・2倍で過去最低となった。7年連続の減少で、就職氷河期に公務員が人気だった00年度(12・5倍)の4分の1。

 倍率3倍を切ると教員の質の維持が難しく、「危険水域」に近づいている。

 文科省によれば、倍率低下の原因は80年代に大量採用した教員が一斉退職を迎えたための採用数増、民間企業の採用の活発化、教員免許を出せる大学の減少である。

 しかし、最大の理由は、小学校教員が魅力のある職業ではなくなったせいだろう。

 2016年に文科省が実施した調査によると、小学校教員の平均週勤務時間は57時間25分。10年前より4時間9分増え、3割が「過労死ライン」を超えた。にもかかわらず、学習指導要領の改訂に伴い、これから英語やプログラミングが必修化され、教員の負荷はますます増大する。この後、仮に教員定員を満たすことができなくなれば、定員以下で現場を回さなければならない教員の負担は耐え難いレベルに達し、次々と教員たちが「バーンアウト」して脱落した後、教育現場は制御不能のカオスと化すだろう。
 
 教員の確保のために何が必要なのかは誰にでもわかる。
 それは教員の負担軽減と、給与の増額である。
 でも、政府はそれをしなかった。

 財源がなかったのだという言い訳はわかる。だが、それでも「教員の負担をどうすれば軽減できるか?」ということを問うくらいのことはできたはずである。

 過去四半世紀、文科省の役人はそう自問したことはあるのか。
 私はないと思う。

 少なくとも、私が大学教員をしていた29年の間に「文科省の通達があって、これまでしていた仕事をしなくてよくなった」ということは一度もなかった。

 私の在職中、大学が果たすべき仕事はひたすら増え続け、提出すべき書類はひたすら増え続け、開かなければならない会議はひたすら増え続けた。

 「教育改善」のために提出を義務づけらたれ膨大な書類作成と会議のために、教員たちは実際の教育活動に割くべき時間を犠牲にしなければならなかった。自己評価だとかシラバス作成だとかPDCAサイクルだとかいう工学的タスクのために、教員たちの研究時間は容赦なく削り取られた。そうして、日本の高等教育の学術的発信力は劇的に低下した。

 文科省は何か根本的な勘違いをしているのではないか。

 学校教育をうまく進めるための効果的な方法は一つしかない。それは現場の教員が機嫌よく教育活動に専念できることである。

 そして、教育方法上の創意工夫を凝らし、子どもたちの発する微細なシグナルを感知するためには、教師の側に「余裕」がなければ話にならない。

 けれども、日本の教育行政の政策立案者たちは「どうすれば教員たちが機嫌よく働けるようになるのか?」という問いをたぶん過去に一度も立てたことがない。反対に、教員たちを管理し、恫喝し、査定し、無意味な労働を強い、屈辱感を与えることに政策的努力の過半を投じて来た。

 確かに、そういうプレッシャーを与え続ければ、最終的には上位者が命じる無意味なタスクに抵抗しない「イエスマン教員」だけが生き残り、教育現場に政府や自治体が政治的に介入することはきわめて容易になるだろう。

 組織の効率的な管理ということを優先すれば、これは正しい政策である。
 そして、たしかにこの教育政策は「大成功」を収めたのである。
 文科省はそのことを認めるべきだろう。

 これは政府が自覚的に進めて来た政策の帰結なのである。それが所期の成果をあげた姿なのである。

 問題は「こんなことをずっと続けていたら、いずれ教師になりたがる若者がいなくなり、学校に行きたがる子どもがいなくなり、学校が知的活動の場ではなくなるのではないか?」というリアルな疑念が教育政策の立案者たちの脳裏に一瞬も浮かばなかったということである。
http://blog.tatsuru.com/2019/05/10_1501.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c186

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
165. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月10日 18:24:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]

オーストラリアが日本の戦争責任に厳しかった理由
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/04/28/101747

■ オーストラリア人看護婦たちを殺す前に強姦していた日本軍

1942年2月、インドネシア西部のバンカ島で、数十名のイギリス人およびオーストラリア人の捕虜と民間人、さらに21名のオーストラリア人看護婦が日本軍に虐殺された。

このとき、看護婦たちは単に殺害されただけでなく、その前に日本兵により強姦されていたことが明らかになった。BBCが次のように報道している。


www.bbc.com


「この真実を発掘し、ついに公表するには、複数の女性の力が必要だった」

軍事史を研究するリネット・シルヴァーさんがこう言う「真実」とは、1942年2月にインドネシア・バンカ島で、海の中へ歩かされ、機関銃で銃撃されたオーストラリア人看護師22人の身に起きたことを指す。看護師たちは1人を除いて全員殺された。

「それだけでぞっとした。でも、殺害前に強姦されていたなんて、語るにはむご過ぎる真実だった」。シルヴァーさんは、新著で詳しく書いた証言について、こう話す。

「オーストラリア軍の高官たちは、悲しみに暮れる遺族たちに、家族が強姦されていたという不名誉を与えたくなかった。恥ずべきことだと思われていたので。レイプは死よりもひどい運命と考えられ、ニュー・サウス・ウェールズ州では1955年まで(加害者が)絞首刑による極刑で処罰されていた」


唯一の生存者

看護師のヴィヴィアン・ブルウィンクルさんは、虐殺事件で体に銃弾を受けたが、死んだふりをして生き延びた。ジャングルに身を隠し、やがて戦争捕虜となり、のちにオーストラリアへ帰国した。


第2次世界大戦後に開かれた東京裁判では、ブルウィンクルさんは強姦について「話すのを禁じられた」と、シルヴァーさんは言う。ブルウィンクルさんは2000年に死去したが、何があったのか、テレビキャスターに伝え残していた。シルヴァーさんが今回調べたのは、その内容だ。

「ヴィヴィアンは命令に従っていた」とシルヴァーさんは言う。「(強姦被害について黙ったのは)タブーというのもあったし、オーストラリア政府には多少の罪悪感があったのだろう。政府高官は、1942年の香港侵攻の際、日本兵がイギリス人看護師たちをレイプし、殺害したのを知っていた。それなのに、オーストラリア人看護師をシンガポールからなかなか避難させなかった」

オーストラリア政府によれば、虐殺の実行者は今も特定されず、「罪について何も処罰されていない」。

(略)


シルヴァーさんのほかにも複数の女性が、看護師たちへの性的暴行の証拠を発掘した。テレビキャスターのテス・ローレンスさんと、伝記作家のバーバラ・エンジェルさんだ。

(略)

ローレンスさんは2017年、ブルウィンクルさんから生前に打ち明けられたという話を報じた。それは、「ほとんどの」看護師が銃殺される前に「暴行された」という内容で、ブルウィンクルさんは、そのことを公表したかったができず、秘密はブルウィンクルさんを「苦しめた」と言っていたという。


シルヴァーさんはこのほか、バンカ島でマラリアの手当てを受けていた日本兵の証言にも言及している。その兵士はオーストラリアの調査官に、当時、悲鳴を聞いたと話した。また、兵士たちが「海岸で楽しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」と聞かされたと証言していた。

■ 生存率 0.24%!! 地獄の捕虜収容所

もちろん、オーストラリア人が被害者となった虐殺・虐待はこれだけではない。

たとえば、日本軍の捕虜となった連合軍兵士の死亡率が、ナチスドイツに捕らえられた場合より遥かに高かったことは、よく知られている。[1]


ナチスより残虐な日本軍


 アジア太平洋戦争では、約三五万の連合軍将兵が日本軍の捕虜となった。そのうち、本国軍の将兵は約一五万、その国籍はイギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの六カ国であった。


(略)

 この間、連合国捕虜が、当時存在していた戦時国際法にのっとった人道的待遇を受けることはまれであった。連合国捕虜は常に精神的屈辱、肉体的暴力、奴隷労働、過酷な移動、飢餓、医薬品の不足、傷病、衣類の剥奪、友軍による攻撃に悩まされた。彼らを取り巻く状況がいかに過酷であったかは、日本軍の捕虜となった連合国将兵の死亡率に歴然とあらわれている(次頁表)。


 極東国際軍事裁判(東京裁判)の速記録によればナチス・ドイツの捕虜となった英米将兵の死亡率は七%であるのに対して、日本の捕虜となった二国の将兵の平均死亡率は二七%と非常に高い。国と収容地域によって若干の差異はあるものの、ドイツ軍もまた、必ずしも常にこれらの捕窪虜を国際法にのっとって取り扱ったわけではないので日本軍の捕虜がいかに過酷な状況下にあったかが推察できよう。


 後にくわしく述べる「泰緬たいめん鉄道」の建設にあたって、日本軍から奴隷労働を強制させられたオーストラリア人元捕虜トマス・ユーレン(元副首相)は、当時を次のように回想している。


 日本の兵隊や技師たちの残虐さとサディズムに満ちた捕虜時代の体験は、私の魂に深く刻みこまれた。私はもともと人を憎悪するような人間ではない。しかし、当時は、地球上の全ての日本人をみな殺しにしたいと思った……(杉本良夫『オーストラリア六〇〇〇日』)

平均死亡率27%はそれだけでも異常な高さだが、これはあくまで平均値であって、アンボン収容所では生存率(死亡率ではない)23%、サンダカン収容所では、なんと生存率0.24%だった。もともと頑健な若い兵士たちが、わずか三年半ほどの間にほぼ根絶されてしまったのだから、その間に行われた虐待や強制労働、飢餓がどれほどのものだったか、およそ想像できる限界を超えている。[2]


 オーストラリアの人たちにとっても、「サンダカン」という地名にはあまりなじみがない。ここの捕虜収容所に抑留された数多くの豪州軍捕虜が、どれほど苦しい経験をしたのかを知るオーストラリア人はさらに少ない。実はこの捕虜収容所には、一九四三年九月時点では約一八〇〇名のオーストラリア軍捕虜と七〇〇名のイギリス軍捕虜が収容されていたが、戦後まで生き延びたのはこのうちわずか六名であった。生存率はなんと〇・二四パーセント、この六人はほとんど奇跡的に生き延びたと言っても過言ではない。数年前日本でも上映されたオーストラリアの映画『アンボンで何が裁かれたのか』で日本人にも少し知られるようになった悪名高いアンボン収容所でさえ、五二八名のオーストラリア軍捕虜のうち終戦まで生き延びたのは三三名、生存率二三パーセントであった。また、過酷な強制労働に従事させられた連合軍捕虜六万五〇〇名のうち一万二〇〇〇という大量の死亡者をだした泰緬鉄道建設は、絶対数のえではサンダカン収容所の捕虜の死亡数と比較にならないが、捕虜の生存率から見れば八〇パーセントという高い数字を残している。この泰緬鉄道建設に送り込まれたオーストラリア軍捕虜の場合は、総数九五〇〇名のうち死亡者は二六四六名、生存率七二パーセントであった。

 サンダカンの場合、それほど徹底的に捕虜が虐待、虐殺された収容所であったにもかかわらず、オーストラリアにおいてすらも「サンダカン」の地名すらよく知られていないのはなぜであろうか。「捕虜虐待」という言葉を耳にするとき、オーストラリア人はほとんど反射的に「泰緬鉄道建設」を想起し、「サンダカン」という地名を頭に浮かべる人はほとんどいない。これはおそらく、泰緬鉄道建設の場合は生存者が多く、戦後帰還した捕虜たちによって過酷な強制労働の実態が語られ、また彼らの多くが自叙伝を書くことによって国民に広く知られるようになったのに対し、サンダカンの場合はほとんど生存者がおらず、なんとか生き延びた六人にとっては、最後まで生き抜くために言葉ではとても表現できないような凄まじい経験をさせられたため、その精神的傷痕があまりにも深くて、他人に語ったり文章にしたりすることがきわめて困難であったからだと思われる。この六人のうち三人が今も健在であるが、彼らが自分たちの経験を公けの場で語り始めたのは一九八〇年代に入ってからのことである。


■ 日本の戦争責任追求において最強硬派だったオーストラリア

戦後の日本統治に天皇を利用しようという思惑から、早い段階で裕仁の免責を決めていたアメリカなどとは異なり、オーストラリアは連合国の中でも日本の戦争責任追求に関して強硬だった。東京裁判に向けての国際検察局による戦犯容疑者の選定作業において、オーストラリアは最も多くのA級戦犯容疑者をリストアップし、天皇の訴追をも正式に提議している。[3]


アメリカの検察陣が作成したA級戦犯容疑者リストには30人の名前が記されていたが、イギリスのリストには11人しか記載されていない。いずれのリストにも天皇の名前はなかった。しかし、オーストラリアが示した起訴可能な「100人の暫定リスト」には、「平和に対する罪と人道に対する罪」の容疑で天皇が含まれていた。さらにオーストラリアは、天皇に対する容疑を裏づける詳細な覚書を提出した。覚書はこう強調している。「いかなる時点においても」裕仁が侵略的な軍事行動について「強要によって承認の文書を書かされた」ことはない。そして覚書は修辞的に問いかけている。「彼の犯罪は、彼が是としなかったことを承認したがゆえに、いっそう重大なのではなかろうか」と。


オーストラリアがこのように戦争責任の追求に関して強硬(言い方を変えればまとも)だった背景には、アメリカなどとは異なり東西冷戦の主役ではなかったこと、地理的にも相対的な軍事力から言っても南方に侵攻してきた日本の脅威が死活的に深刻だったことに加え、同胞が犠牲となったこうした残虐行為に対する憤りもあったのではないだろうか。


[1] 油井大三郎・小菅信子 『連合軍捕虜虐待と戦後責任』 岩波ブックレット 1993年 P.8
[2] 田中利幸 『知られざる戦争犯罪 ― 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』 大月書店 1993年 P.18
[3] ハーバート・ビックス 『昭和天皇(下)』 講談社学術文庫 2005年 P.290
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/04/28/101747
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c165

[近代史3] 「万世一系」の虚妄 _ 日本はなぜ「万世一系」を必要としたか 中川隆
1. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月10日 18:29:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]


2019-05-04
紀元前の中国農民ですら喝破していた血統の無意味さを理解できない日本人
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/05/04/213333

マスコミが煽る「令和」「令和」の奉祝ムードに流されて、何一つ解決していないこの社会の問題をあっさりスルーする「普通の日本人」たち。実際、世界的に見ても、支配層にとってこれほど「ちょろい」民族は珍しいだろう。

■ 皇室が最古の王朝だから日本はすごい?w

そんな彼らが「日本は特別ですごい国(だから日本人のオレもそれだけですごい)」と考える根拠は、世界一長く続く《とされる》天皇家の血統であるらしい。


future-of-japan.xyz


皇室は、現存する最古の王朝であり、
現存する唯一の皇帝であり、
現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統です。

神話によると2675年前に
初代の神武天皇が即位され、
現在でなんと125代目になります。

さらに、男系で継承されており、
家系図で父親を辿っていくと
初代神武天皇に行き当たります。

これほど長く1つの系譜で続いている
王朝というのは世界のどこにもありません。

世界で最も歴史の古い王家の血脈を今に伝える
文化的にも価値の高い存在なのです。


まあ、そもそもこれ自体が嘘なのだが。


「万世一系」とか言うが、天皇家に限らずいま生きている人間は、誰でも太古の昔から親から子へと連綿と命をつないで生きてきたではないか。そのどこに違いがあるというのか。

■ 王侯将相いずくんぞ種あらんや

こんなことは、人権や平等の概念を学んだ現代人だけでなく、古代の中国農民ですら理解していた。

秦末の農民反乱である「陳勝・呉広の乱」(紀元前209-208年)で、貧農出身の反乱軍リーダー陳勝は「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉を残している。これは「国王や諸侯、将軍や丞相などといっても、そのような人種が最初からいたわけではない」という意味であり、身分や血統を否定して人間の平等を主張したものだ[1]。実際、陳勝自身は反乱に失敗したが、次の漢帝国を樹立した劉邦も村役人レベルの庶民の出身だった。

それ以前に、中国古代の伝説的帝王である堯ぎょう舜しゅん禹う三代には血縁関係はなく、禅譲により帝位が受け継がれたとされている。堯舜禹が実在したかどうかは不明だが、重要なのは、統治者の地位は血統ではなく、最も徳の高い(人格・能力の優れた)人物に受け継がれるべきだというその思想だ。このような徳治思想を含む堯舜禹の伝説は、既に春秋時代末(前5世紀頃)には成立していたと考えられている。

日本の「愛国者」様たちは、古代からこのような思想を持っていた中国を引き合いに出して、「万世一系」の天皇陛下がいる我が国はすごいとかイキっているのだから、もう笑うしかない。

■ 天皇陛下にさゝぐる言葉

中国人の思想など認め(たく)ない、と言うのなら、こちらはどうか。敗戦から2年半ほど後に作家・坂口安吾が書いた「天皇陛下にさゝぐる言葉」だ。[2]


 人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものゝ真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下が生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということゝは関係がない。況いわんや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。

 天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない。

 名門の子供には優秀な人物が現れ易い、というのは嘘で、過去の日本が、名門の子供を優秀にした、つまり、近衛とか木戸という子供は、すぐ貴族院議員となり、日本の枢機にたずさわり、やがて総理大臣にもなるような仕組みで、それが日本の今日の貧困をまねいた原因であった。つまり、実質なきものが自然に枢機を握る仕組みであったのだ。

日本人は、敗戦という実物教育で学んだこの当然の理を、もうすっかり忘れたのだろうか。

[1] 世界史の窓 「陳勝・呉広の乱」
[2] 坂口安吾 「天皇陛下にさゝぐる言葉」 青空文庫
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/05/04/213333
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/411.html#c1

[戦争b22] ユダヤ人女性をソ連軍から守った日本の外交官たち    西岡昌紀 西岡昌紀
6. 中川隆[-10359] koaQ7Jey 2019年5月10日 18:39:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]
昭和天皇が守れと指示したのはユダヤ人とユダヤ資本関係者だけだった


オーストラリアが日本の戦争責任に厳しかった理由
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/04/28/101747


■ オーストラリア人看護婦たちを殺す前に強姦していた日本軍

1942年2月、インドネシア西部のバンカ島で、数十名のイギリス人およびオーストラリア人の捕虜と民間人、さらに21名のオーストラリア人看護婦が日本軍に虐殺された。

このとき、看護婦たちは単に殺害されただけでなく、その前に日本兵により強姦されていたことが明らかになった。BBCが次のように報道している。


www.bbc.com


「この真実を発掘し、ついに公表するには、複数の女性の力が必要だった」

軍事史を研究するリネット・シルヴァーさんがこう言う「真実」とは、1942年2月にインドネシア・バンカ島で、海の中へ歩かされ、機関銃で銃撃されたオーストラリア人看護師22人の身に起きたことを指す。看護師たちは1人を除いて全員殺された。

「それだけでぞっとした。でも、殺害前に強姦されていたなんて、語るにはむご過ぎる真実だった」。シルヴァーさんは、新著で詳しく書いた証言について、こう話す。

「オーストラリア軍の高官たちは、悲しみに暮れる遺族たちに、家族が強姦されていたという不名誉を与えたくなかった。恥ずべきことだと思われていたので。レイプは死よりもひどい運命と考えられ、ニュー・サウス・ウェールズ州では1955年まで(加害者が)絞首刑による極刑で処罰されていた」


唯一の生存者

看護師のヴィヴィアン・ブルウィンクルさんは、虐殺事件で体に銃弾を受けたが、死んだふりをして生き延びた。ジャングルに身を隠し、やがて戦争捕虜となり、のちにオーストラリアへ帰国した。


第2次世界大戦後に開かれた東京裁判では、ブルウィンクルさんは強姦について「話すのを禁じられた」と、シルヴァーさんは言う。ブルウィンクルさんは2000年に死去したが、何があったのか、テレビキャスターに伝え残していた。シルヴァーさんが今回調べたのは、その内容だ。

「ヴィヴィアンは命令に従っていた」とシルヴァーさんは言う。「(強姦被害について黙ったのは)タブーというのもあったし、オーストラリア政府には多少の罪悪感があったのだろう。政府高官は、1942年の香港侵攻の際、日本兵がイギリス人看護師たちをレイプし、殺害したのを知っていた。それなのに、オーストラリア人看護師をシンガポールからなかなか避難させなかった」

オーストラリア政府によれば、虐殺の実行者は今も特定されず、「罪について何も処罰されていない」。

(略)


シルヴァーさんのほかにも複数の女性が、看護師たちへの性的暴行の証拠を発掘した。テレビキャスターのテス・ローレンスさんと、伝記作家のバーバラ・エンジェルさんだ。

(略)

ローレンスさんは2017年、ブルウィンクルさんから生前に打ち明けられたという話を報じた。それは、「ほとんどの」看護師が銃殺される前に「暴行された」という内容で、ブルウィンクルさんは、そのことを公表したかったができず、秘密はブルウィンクルさんを「苦しめた」と言っていたという。


シルヴァーさんはこのほか、バンカ島でマラリアの手当てを受けていた日本兵の証言にも言及している。その兵士はオーストラリアの調査官に、当時、悲鳴を聞いたと話した。また、兵士たちが「海岸で楽しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」と聞かされたと証言していた。

■ 生存率 0.24%!! 地獄の捕虜収容所

もちろん、オーストラリア人が被害者となった虐殺・虐待はこれだけではない。

たとえば、日本軍の捕虜となった連合軍兵士の死亡率が、ナチスドイツに捕らえられた場合より遥かに高かったことは、よく知られている。[1]


ナチスより残虐な日本軍


 アジア太平洋戦争では、約三五万の連合軍将兵が日本軍の捕虜となった。そのうち、本国軍の将兵は約一五万、その国籍はイギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの六カ国であった。


(略)

 この間、連合国捕虜が、当時存在していた戦時国際法にのっとった人道的待遇を受けることはまれであった。連合国捕虜は常に精神的屈辱、肉体的暴力、奴隷労働、過酷な移動、飢餓、医薬品の不足、傷病、衣類の剥奪、友軍による攻撃に悩まされた。彼らを取り巻く状況がいかに過酷であったかは、日本軍の捕虜となった連合国将兵の死亡率に歴然とあらわれている(次頁表)。


 極東国際軍事裁判(東京裁判)の速記録によればナチス・ドイツの捕虜となった英米将兵の死亡率は七%であるのに対して、日本の捕虜となった二国の将兵の平均死亡率は二七%と非常に高い。国と収容地域によって若干の差異はあるものの、ドイツ軍もまた、必ずしも常にこれらの捕窪虜を国際法にのっとって取り扱ったわけではないので日本軍の捕虜がいかに過酷な状況下にあったかが推察できよう。


 後にくわしく述べる「泰緬たいめん鉄道」の建設にあたって、日本軍から奴隷労働を強制させられたオーストラリア人元捕虜トマス・ユーレン(元副首相)は、当時を次のように回想している。


 日本の兵隊や技師たちの残虐さとサディズムに満ちた捕虜時代の体験は、私の魂に深く刻みこまれた。私はもともと人を憎悪するような人間ではない。しかし、当時は、地球上の全ての日本人をみな殺しにしたいと思った……(杉本良夫『オーストラリア六〇〇〇日』)

平均死亡率27%はそれだけでも異常な高さだが、これはあくまで平均値であって、アンボン収容所では生存率(死亡率ではない)23%、サンダカン収容所では、なんと生存率0.24%だった。もともと頑健な若い兵士たちが、わずか三年半ほどの間にほぼ根絶されてしまったのだから、その間に行われた虐待や強制労働、飢餓がどれほどのものだったか、およそ想像できる限界を超えている。[2]

 オーストラリアの人たちにとっても、「サンダカン」という地名にはあまりなじみがない。ここの捕虜収容所に抑留された数多くの豪州軍捕虜が、どれほど苦しい経験をしたのかを知るオーストラリア人はさらに少ない。実はこの捕虜収容所には、一九四三年九月時点では約一八〇〇名のオーストラリア軍捕虜と七〇〇名のイギリス軍捕虜が収容されていたが、戦後まで生き延びたのはこのうちわずか六名であった。生存率はなんと〇・二四パーセント、この六人はほとんど奇跡的に生き延びたと言っても過言ではない。数年前日本でも上映されたオーストラリアの映画『アンボンで何が裁かれたのか』で日本人にも少し知られるようになった悪名高いアンボン収容所でさえ、五二八名のオーストラリア軍捕虜のうち終戦まで生き延びたのは三三名、生存率二三パーセントであった。また、過酷な強制労働に従事させられた連合軍捕虜六万五〇〇名のうち一万二〇〇〇という大量の死亡者をだした泰緬鉄道建設は、絶対数のえではサンダカン収容所の捕虜の死亡数と比較にならないが、捕虜の生存率から見れば八〇パーセントという高い数字を残している。この泰緬鉄道建設に送り込まれたオーストラリア軍捕虜の場合は、総数九五〇〇名のうち死亡者は二六四六名、生存率七二パーセントであった。

 サンダカンの場合、それほど徹底的に捕虜が虐待、虐殺された収容所であったにもかかわらず、オーストラリアにおいてすらも「サンダカン」の地名すらよく知られていないのはなぜであろうか。「捕虜虐待」という言葉を耳にするとき、オーストラリア人はほとんど反射的に「泰緬鉄道建設」を想起し、「サンダカン」という地名を頭に浮かべる人はほとんどいない。これはおそらく、泰緬鉄道建設の場合は生存者が多く、戦後帰還した捕虜たちによって過酷な強制労働の実態が語られ、また彼らの多くが自叙伝を書くことによって国民に広く知られるようになったのに対し、サンダカンの場合はほとんど生存者がおらず、なんとか生き延びた六人にとっては、最後まで生き抜くために言葉ではとても表現できないような凄まじい経験をさせられたため、その精神的傷痕があまりにも深くて、他人に語ったり文章にしたりすることがきわめて困難であったからだと思われる。この六人のうち三人が今も健在であるが、彼らが自分たちの経験を公けの場で語り始めたのは一九八〇年代に入ってからのことである。

■ 日本の戦争責任追求において最強硬派だったオーストラリア

戦後の日本統治に天皇を利用しようという思惑から、早い段階で裕仁の免責を決めていたアメリカなどとは異なり、オーストラリアは連合国の中でも日本の戦争責任追求に関して強硬だった。東京裁判に向けての国際検察局による戦犯容疑者の選定作業において、オーストラリアは最も多くのA級戦犯容疑者をリストアップし、天皇の訴追をも正式に提議している。[3]


アメリカの検察陣が作成したA級戦犯容疑者リストには30人の名前が記されていたが、イギリスのリストには11人しか記載されていない。いずれのリストにも天皇の名前はなかった。しかし、オーストラリアが示した起訴可能な「100人の暫定リスト」には、「平和に対する罪と人道に対する罪」の容疑で天皇が含まれていた。さらにオーストラリアは、天皇に対する容疑を裏づける詳細な覚書を提出した。覚書はこう強調している。「いかなる時点においても」裕仁が侵略的な軍事行動について「強要によって承認の文書を書かされた」ことはない。そして覚書は修辞的に問いかけている。「彼の犯罪は、彼が是としなかったことを承認したがゆえに、いっそう重大なのではなかろうか」と。


オーストラリアがこのように戦争責任の追求に関して強硬(言い方を変えればまとも)だった背景には、アメリカなどとは異なり東西冷戦の主役ではなかったこと、地理的にも相対的な軍事力から言っても南方に侵攻してきた日本の脅威が死活的に深刻だったことに加え、同胞が犠牲となったこうした残虐行為に対する憤りもあったのではないだろうか。


[1] 油井大三郎・小菅信子 『連合軍捕虜虐待と戦後責任』 岩波ブックレット 1993年 P.8
[2] 田中利幸 『知られざる戦争犯罪 ― 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』 大月書店 1993年 P.18
[3] ハーバート・ビックス 『昭和天皇(下)』 講談社学術文庫 2005年 P.290
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/04/28/101747

http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/650.html#c6

[近代史3] 「万世一系」の虚妄 _ 日本はなぜ「万世一系」を必要としたか 中川隆
2. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月10日 19:02:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]

2016-02-27 「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」 正解は「そんな天皇はいない」
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/27/215256

「しらべぇ」というサイトが、今年の「建国記念の日」に、「【悲報】7割の国民が『建国記念日に即位した天皇』を知らない」という記事を掲載した。


しらべぇ編集部が全国の男女1331人に「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」と調査を行ったところ、もっとも多かったのが明治天皇で40.4%。以下、その他が28.8%、昭和天皇が20.4%、大正天皇が7.2%、今上(平成)天皇が3.2%と続いた。(略)じつはこのアンケート、ひっかけ問題である。正解はその他に含まれていたのだ。

(略)

じつは建国記念日は神武天皇の即位日が由来となっている。神武天皇は日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代の天皇とされている。

その即位日である旧暦紀元前660年1月1日を、明治に入ってから新暦に換算、1967年(昭和42年)に制定されたというわけ。

紀元前660年の旧暦1月1日に神武天皇が即位し、それを新暦に換算すると2月11日に当たるから、この日が「建国記念の日」になったと言うわけだが、この話は少なくとも二重におかしい。

まず、神武の即位に関する日本書紀の記述は、次のとおりである[1]。


辛酉かのととり年の春正月の庚辰かのえたつの朔ついたちに、天皇、橿原宮かしはらのみやに即帝位あまつひつぎしろしめす。是歳を天皇の元年とす。

「辛酉」は60年に1回やってくるので、これだけではいつのことか分からない。そこで、ずっと後の、年代の確定できる時点から出発して、歴代天皇の在位年数などを手がかりに時代を遡り、紀元前660年にあたる「辛酉」に辿り着いたわけだ。

だが、日本書紀に記された初期の天皇たちの在位年数は、まったく信用できない。それは次の表を見れば明らかだろう。

天皇 在位年数 死亡年齢
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/27/215256

神武をはじめ、古代ではおよそあり得ない長寿の天皇が連続している。死亡時の年齢が信用できないとなれば、当然在位年数も信用できない。つまり、神武が即位したとされている「辛酉」年が紀元前660年だとは考えられないのだ。年が違うのだから、「春正月の庚辰の朔」が新暦の2月11日に当たるとする根拠もないことになる。

第二に、私は記紀に「神武天皇」として説話が記載されている人物は実在した歴史上の人物(弥生後期、3世紀頃の人)と考えているが、しかしその人物は到底「天皇」などと呼べるような存在ではなかった。こちらの記事にも書いたとおり、後に「神武」という諡号を贈られることになるこのイワレビコという男は、九州から出てきて近畿に侵入し、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、ようやく奈良盆地の一角に拠点を確保した一豪族に過ぎない。客観的に見れば、「天皇」どころか「王」と呼ぶのさえ無理である。後の近畿天皇家の祖先に当たる人物ではあったとしても、この男自身は「天皇」などではあり得ず、従って「即位」などしているはずがないのだ。

これは、次の事例と比べてみれば分かりやすい。

中国最初の皇帝である秦の始皇帝は、列国を滅ぼして中国全土を統一して初めて「始皇帝」を名乗った。それ以前の彼は単なる「秦王政」である。また、彼は秦国の初代でもない。始皇帝は紀元前3世紀の人だが、諸侯の一つとしての秦国の始まりは前8世紀の襄公、更にその祖先は初めて秦の地に領地を得た前10世紀頃の非子までたどれるという。

要するに、後に日本を支配した大和朝廷の祖先だからといってイワレビコを初代の「天皇」だなどと言うのは、非子を最初の中国皇帝だと言うのと同程度のこじつけ、極端な誇張なのだ。仰々しい記紀の記述は、大和朝廷絶対化のイデオロギーに基づく歴史の捏造、古代的歴史修正主義と言ってもいい。

まあ、客観的に見れば、実質的に「天皇」と呼んでいいのは、坂上田村麻呂の遠征によって初めて東北地方まで支配を広げた桓武(50代)あたりからだろう。

「建国記念の日」が、「神武天皇が即位した」とされている日(紀元前660年の2月11日)に由来しているのは事実だが、神武は「天皇」などではなかったし、従って「即位」もしていない。さらに、神武紀の言う「辛酉年」は紀元前660年ではないので「春正月の庚辰の朔」を新暦2月11日とする根拠もない。要するに、すべてが架空の作り事なのだ。だから、「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」という問いへの正解は、「そんな天皇はいない」なのである。

[1] 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』 岩波文庫 1994年 P.240
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/27/215256



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2013-02-11 神武って何した人?
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130211/1360564621


今日は「建国記念の日」。敗戦までの「紀元節」の名前だけ変えて価値中立性を装った、戦後日本の偽装記念日の一つである。

紀元節が2月11日なのは、日本書紀で神武が「辛酉年春正月 庚辰朔」(辛酉の年の1月1日)に即位したと書かれており、これが西暦紀元前660年の2月11日に当たると、明治初期に机上の計算をしたためだ。

では、天皇家の初代であり、建国の祖とされるこの神武なる人物はいったいどんなことをした人なのだろうか。

テキストは『古事記』、ガイドに古田武彦『盗まれた神話』『古代は輝いていた』を使って、具体的に見てみよう。

(「神武天皇」というのは後代になってつけられた諡号で、生きていたときの名は「神倭伊波礼毘古(カム・ヤマト・イワレビコ)」ほか、いろいろな名があるのだが、ここでは「神武」で統一する。)

さて、古事記の「神武記」は、いきなり神武とその兄(五瀬)との謀議シーンから始まる。


神倭伊波礼毘古の命、その同母兄五瀬の命と二柱、高千穂の宮にましまして議りたまはく、「いづれの地にまさば、天の下の政を平けく聞しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向より発たして、筑紫に幸行でましき。

青年だった五瀬と神武は、このまま九州の高千穂の地にいても自分たちの思うようにならない、つまり将来の展望が開けないから、東方に新たな支配地を得ようと、侵略行を決意するわけです。


かれ豊国の宇沙うさに到りましし時に、その土人くにびと名は宇沙都比古うさつひこ、宇沙都比売うさつひめ二人、足一騰あしひとつあがりの宮を作りて、大御饗おほみあへ献りき。其地より遷移りまして、竺紫の岡田の宮に一年ましましき。またその国より上り幸でまして、阿岐の国の多祁理たけりの宮に七年ましましき。またその国よ遷り上り幸でまして、吉備の高島の宮に八年ましましき。

決意はしたものの、大王でも何でもない五瀬と神武には、いきなり大遠征を行えるような力はない。そこで、十数年かけて九州や瀬戸内海各地の豪族たちからの支援を獲得し、徐々に実力を蓄えていきます。


かれその国より上り行でます時に、浪速なみはやの渡を経て、青雲の白肩の津に泊てたまひき。この時に、登美とみの那賀須泥毘古ながすねびこ、軍を興して、待ち向へて戦ふ。ここに、御船に入れたる楯を取りて、下り立ちたまひき。かれ其地に号けて楯津たてづといふ。今には日下くさかの蓼津たでづといふ。ここに登美毘古と戦ひたまひし時に、五瀬の命、御手に登美毘古が病矢串いたやぐしを負はしき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良はず。かれ賎奴が痛手を負ひつ。今よは行き廻りて、日を背に負ひて撃たむ」と、期ちぎりたまひて、南の方より廻り幸でます時に、血沼ちぬの海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。其地より廻り幸でまして、紀の国の男をの水門みなとに到りまして、詔りたまはく、「賎奴が手を負ひてや、命すぎなむ」と男建おたけびして崩りましき。かれその水門に名づけて男の水門といふ。陵みはかは紀の国の竈山かまやまにあり。

そしていよいよ近畿(河内国)に突入。しかし、当然この地は無主の地などではありません。長らくこの地を統治してきたナガスネビコとの戦闘になります。

結果、おそらく侵略軍の総大将だったであろう五瀬は矢を受けて重傷を負い、死んでしまいます。大敗です。

ナガスネビコと正面から戦っても勝てないと覚った神武は作戦を変更。大きく紀伊半島を迂回し、背後にあたる熊野方面から奈良盆地への侵入を図ります。また、敵方に内通者を作り、その手引きで相手を陥れたり、和平を装って騙し討ちにする、といった手口を駆使していきます。


かれここに宇陀に、兄宇迦斯えうかし弟宇迦斯おとうかしと二人あり。(略)ここに兄宇迦斯、(略)「待ち撃たむ」といひて、軍を聚あつめしかども、軍をえ聚めざりしかぱ、仕へまつらむと欺陽いつはりて、大殿を作りて、その殿内に押機おしを作りて待つ時に、弟宇迦斯まづまゐ向へて、拝みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれぱ、殿を作り、その内に押機を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顕はしまをす」とまをしき。ここに大伴の連等が祖道の臣の命、久米の直等が祖大久米の命二人、兄宇迦斯を召びて、罵言のりていはく、「伊いが作り仕へまつれる大殿内には、おれまづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、横刀たちの手上握り、矛ゆけ矢刺して、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる押に打たれて死にき。ここに控ひき出して斬り散はふりき。かれ其地を宇陀の血原といふ。然してその弟宇迦斯が献れる大饗をぱ、悉にその御軍みいくさに賜ひき。

奈良県宇陀郡の豪族エウカシは、その弟オトウカシの裏切りを利用して惨殺。


其地より幸行でまして、忍坂おさかの大室に到りたまふ時に、尾ある土雲八十建やそたけるその室にありて待ちいなる。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗を八十建に賜ひき。ここに八十建に充てて、八十膳夫かしわでを設けて、人ごとに刀佩けてその膳夫どもに、誨をしへたまはく、「歌を聞かば、一時共もろともに斬れ」とののりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを明して歌よみしたまひしく、

 忍坂の 大室屋に
 人多さはに来入り居り。
 人多に 入り居りとも、
 みつみつし 久米の子が、
 頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち
 撃ちてしやまむ。
 みつみつし久米の子らが、
 頭椎い 石椎いもち
 今撃たぱ善らし。

かく歌ひて、刀を抜きて、一時に打ち殺しつ。

奈良県桜井市忍坂では、和解の宴会をするからと言ってその地の族長たちを集めておいて、給仕に化けた兵隊に合図して一斉に斬り殺させる。


かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏まつろはぬ人どもを退け撥はらひて、畝火の白梼原かしはらの宮にましまして、天の下治らしめしき。

このように、何の道理もなくいきなり軍を率いて他人様の土地に侵入し、血みどろの殺戮を繰り広げた末に、奈良県橿原市付近に拠点を築き、周辺一帯を支配する豪族となったわけです。

もちろん、実態としては奈良盆地の一部を支配しているだけであっても、記紀のイデオロギーによれば、それは「天の下治らしめしき」ということになります。

いやぁ、実に立派な初代天皇ですね。

※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)による。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130211/1360564621



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2016-04-12 神武天皇没後2600年式年祭という差別の祭典
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/12/220842

4月3日、奈良県橿原市の「神武天皇陵」で、神武の没後2600年を祭るという宮中祭祀「式年祭」が行われ、当代天皇・皇后もこれに参列した。

朝日新聞(4/3):


 奈良県を訪問中の天皇、皇后両陛下は3日、初代天皇とされる神武天皇の没後2600年にあたり、橿原市の神武天皇山陵に参拝した。天皇家の行事「宮中祭祀(さいし)」の一つで、秋篠宮ご夫妻も同行。皇太子ご夫妻は両陛下の名代として、皇居・宮中三殿の皇霊殿に参拝した。

産経新聞(4/3):


 初代天皇である神武天皇の式年祭が、大正5年以来100年ぶりに行われた。皇祖の命日に御霊を慰める式年祭は、宮中祭祀(さいし)の中でも「大祭」に位置付けられる重要な儀式。天皇、皇后両陛下は大正天皇、貞明皇后の前例にならい、奈良県橿原市の神武天皇陵まで赴き、厳かに拝礼された。

(略)

神武天皇 (略)日本書紀によると、太子となって九州から東遷し、大和を平定。紀元前660年に橿原宮で即位し、初代天皇となった。紀元前584年に127歳で崩御したとされる。(略)

後に「神武」という漢風諡号を贈られたこの男が何者で、何をしたのかについては、既に何度か書いてきた。
•神武って何した人?
•神武は結局ナガスネビコには勝てなかった
•「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」 正解は「そんな天皇はいない」
•GoogleMapで「欠史八代」を歩く

かいつまんで言えば、弥生後期(3世紀頃)、地元九州では大した出世の望めない傍流の血筋だった男が手勢を率いて近畿に攻め込み、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、かろうじて奈良盆地の一角(橿原市付近)に拠点を築き、周辺一帯(せいぜい10キロ四方程度)を支配する地方豪族となり、大和の人々の怨嗟と憎悪に取り囲まれながらそこで死んだ。これが、同時代頃にはサノ、ワカミケヌ、ヒコホホデミ、イワレビコなどと呼ばれていたこの男の実像である。時代も何百年も違うので「没後2600年」などお笑い種だし、そもそも神武は「天皇」などと呼べるような存在ではなかった。

しかし、この「式年祭」なるものの愚劣さはそれだけにとどまらない。祭祀の場となった「神武天皇陵」自体、問題大ありなのだ。

まず、神武の埋葬地について、記紀はそれぞれ次のように記載している。

古事記(神武記):


およそこの神倭伊波礼毘古の天皇、御年壹佰參拾漆137歳、御陵は畝火山の北の方白檮かしの尾の上にあり。

日本書紀(神武紀):


七十有六年の春三月の甲午の朔甲辰に、天皇、橿原宮に崩りましぬ。時に年一百二十七歳。

明年の秋九月の乙卯の朔丙寅に、畝傍山東北陵に葬りまつる。

この埋葬地が具体的にどこだったのかは、既に室町時代頃には分からなくなっていた。いったん、元禄期に四条村の福塚と呼ばれていた高さ3mほどの塚が神武稜とされたが、位置的に「畝傍山東北陵」と言うには離れすぎていることから後に否定され、候補地として次の二箇所が残った。
1.畝傍山の東北山麓に位置する丸山古墳

2.畝傍山山麓から北東に300mほど離れた小字ミサンザイ(別名神武田じぶでん)


畝傍山と両者の位置関係は次のようになる[1]。


丸山は畝傍山の北側に張り出した尾根のほとりにあり、「畝火山の北の方白檮の尾の上」という古事記の記述に良く適合し、日本書紀の言う「畝傍山東北陵」という呼称にもふさわしい。実際、ここが神武陵の候補地としては最有力だったのだが、幕末の文久2(1862)年、こちらではなく、田の中に孤立した小塚であるミサンザイのほうが神武陵と決定された。その理由は、次のようなものだった[2]。


 問題となるのは,神武陵の候補地の丸山が被差別部落である洞に隣接していたことである。鈴木良が採集した言い伝えによると,神武陵探索の勅使を迎えるのに,200余戸の部落を「ムシロ」で囲い,部落の上手に一夜づくりの新道をつくったという(「天皇制と部落差別」) 。また陵墓の治定(決定)に発言力をもった国学者の谷森善臣は,朝廷に提出した「神武天皇御陵考」(『谷森家旧蔵関係史料』上,宮内庁書陵部所蔵,谷函249号)のなかで,

   然るに洞村之穢多治兵衛と申者,威霊なる地之由虚言申者有之ニ付き,
   近年神武帝殯殿之跡抔と申立候儀も出来候得共難心得儀ニ御座候

 「洞村の穢多治兵衛」という者が,丸山を「威霊なる地」であると虚言していると,治定にもっとも影響力のあった谷森は非難している。最有力地の丸山は,洞部落に隣接するゆえに,排除されたのである。

かくして神武陵は、差別ゆえに神武の埋葬地ではない可能性の高いミサンザイに誤って決定された。

いや、これは単なる「誤り」ではないのかもしれない。この「文久の治定」に約半世紀先立って儒学者蒲生君平(1768-1813)が行った天皇陵調査で、洞村について「相傳つたうるに、その民故もと神武陵の守戸しくなり。凡およそ守陵の戸はみな賎種。本もと罪隷をもって没入したる者は郷に歯ならばず」と報告されていた[3]。このことを、神武陵の治定に関わるほどの学者たちはみな知っていたはずである。彼らは、墓守集団としての洞村を従える丸山こそが神武陵に違いないと薄々感じていながら、被差別部落に隣接する古墳を天皇陵とすることを嫌って、あえてミサンザイを選んだのではないか。

ちなみに、この洞村は、後にさらなる悲劇に見舞われる。「神武御陵兆域※1ヲ眼下ニ見ルノ地位ニアリテ恐懼ニ堪ヘサルコト」[4]という理由で、1917年から20年にかけて強制的に移転させられたのである。この事件を小説『橋のない川』で描いた住井すゑは、次のように語っている[5]。


住井 あのう部落の移転なんかはね許されることじゃないですよね。

古田 ええ、ほんとほんと。

住井 その神武天皇の御陵にしたのが明治。出来上がったのが明治四年でしょ。それで大正の始めになって部落がそこにいるのは畏れ多いからって強制立ち退き食わすんですから、そんならそこに御陵作らなければいいんですよね。ところが大正になるともうみな忘れちゃって、昔っからその御陵はそこにあって部落は後で住んだような話に変わってんですよね。そいで強制立ち退きさされて近鉄の沿線にもう乞食小屋みたいに何百戸か住んでたわけです。今まあそれなりの家を建てて住んでますけどね。

  しばし沈黙


洞村は、丸山を「眼下に見る」位置にあるわけではない。部落差別の結果、間違った場所に神武陵が作られ、今度はそれを見下ろす位置に部落があるのはけしからんといって移転させられたわけである。いま、旧洞村は、丸山古墳とともに、「神武天皇陵」の周囲に人工的に作られた深い森の中に埋もれている。


                   神武天皇陵付近 -- Google Mapより


「天皇」などではなかった一地方豪族の墓を、差別ゆえに間違った場所に仰々しくでっち上げ、差別ゆえに墓守の民をその住処から追い払い、デタラメな年代比定に基いて「没後2600年」と称する祭祀を行う。まさに、天皇制というものの愚劣さを象徴する差別の祭典である。

【2016/4/17追記】
『皇陵史稿』という、洞村強制移転のほんの数年前の1913年に出版された天皇陵問題の研究書がある。
この本の中で著者は、洞村についてこう書いている[6]。重大な内容なので、全文引用する。


畝傍山は、なつかしい山である。
理屈は知らず、唯何となく、恋しく、懐つかしい「何事のおはしますかは知らねども」である。
理屈から云へば、畝傍山は何でも無いものかも知れん、畝傍山の宮居、畝傍山の御陵、と云ふのも、畝傍山を目安に取つただげて、畝傍山それ自身は何でも無かつたかも知れん。
が、かやうな切つても血の出ん、冷酷な、三百的な理屈は、此聖祖開国の地に、適用したく無い「畝傍山みればかしこし」と、宣長の吟じたのは、誠に国民の代表的讃嘆の言葉であると思ふ、吾等は、窮天極地、此山の尊厳を持続して、以て天壌無窮に、日東大帝国開創の記念としたいと思ふ。
驚く可し。神地、聖蹟、この畝傍山は、甚しく、無上、極点の汚辱を受けて居る。
知るや、知らずや、政府も、人民も、平気な顔で澄まして居る。
事実は、こうである。
畝傍山の一角、しかも神武御陵に面した山脚に、御陵に面して、新平民の墓がある、それが古いのでは無い、今現に埋葬しつつある、しかもそれが土葬で、新平民の醜骸はそのまま此神山に埋められ、霊土の中に、爛れ、腐れ、そして千萬世に白骨を残すのである。
士臺、神山と、御陵との間に、新平民の一団を住はせるのが、不都合此上なきに、之に許して、神山の一部を埋葬地となすは、事ここに到りて言語同断なり。
聖蹟図志には、此穢多村、戸数百二十と記す、五十余年にして、今や殆ど倍数に達す、こんな速度で進行したら、今に霊山と、御陵との間は、穢多の家で充填され、そして醜骸は、おひおひ霊山の全部を侵蝕する。
              (予が大和紀行中の一節)

学者でさえこれほど露骨な内容を書くのである。当時、被差別部落がどれほどの侮辱と蔑みに晒されていたかがよく分かる。洞村が強制移転させられたとき、特にこの墓地は、「一片の骨さえも残してはならない」と徹底的に掘り返された[7]という。

[6] 後藤秀穂 『皇陵史稿』 木本事務所 1913年 P.198
[7] まれびと 「おおくぼまちづくり館と洞村跡地」
【追記終り】

※1 墓域のこと。
[1] 高木博志 『近代における神話的古代の創造』 京都大学人文科学研究所 人文学報 2000年3月 P.19
[2] 高木 P.23
[3] 蒲生君平 『山陵志』 1803年または1822年
[4] 高木 P.33
[5] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一新書 1994年 P.73
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/12/220842


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神武は結局ナガスネビコには勝てなかった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/11/07/161559

先日、TLにこういうツイートが流れてきた。兄の五瀬とともに九州からやってきたイワレビコ(神武)が近畿に侵入したとき、最大の敵として立ちふさがった(トミノ)ナガスネビコ(記:登美能那賀須泥毘古 紀:長髄彦)についての話である。

天孫饒速日命を奉じて神武天皇の東征に抵抗した大和の豪族長髄彦は、神武側に寝返った饒速日に殺されてしまう。饒速日は河内の石切劔箭神社に祀られているが、生駒山中腹にある上之社の境内地が、昭和末期の近鉄新生駒トンネル工事の落盤で大陥没(続


国譲り神話にしろ「天つ神」以前からあった日本の信仰を「国つ神」と呼び変え、ルーツも実は天つ神にあったかのように語り、歓迎されながら受け入れられたように語ってるだけには見れる。そう考えるとキリスト教による異教の悪魔化や聖人信仰に取り入れての布教とさして変わりはしない。


確かに、日本書紀には、ニギハヤヒ(記:邇藝速日 紀:饒速日)がナガスネビコを殺して神武に降ったと書かれている。

日本書紀(神武即位前紀):


饒速日命、本より天神あまつかみ慇懃ねむごろにしたまはくは、唯天孫のみかといふことを知れり。且また夫かの長髄彦の禀性ひととなり愎佷いすかしまにもとりて(ねじけていて)、教ふるに天人きみたみの際あひだを以てすべからざることを見て、乃ち殺しつ。其の衆もろびとを帥ひきゐて帰順まつろふ。天皇、素もとより饒速日命は、是天より降れりといふことを聞しめせり。而して今果して忠効を立つ。則ち褒ほめて寵めぐみたまふ。此物部氏の遠祖なり。


しかし、古事記ではだいぶ様子が違っているのだ。

古事記(神武記):


 然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、

  みつみつし 久米の子らが

  粟生あはふには 臭韮かみち一茎もと、

  そねが茎 そね芽繋ぎて

  撃ちてしやまむ。(歌謡番号12)

 また、歌よみしたまひしく、

  みつみつし 久米の子らが

  垣下に 植ゑし山淑はじかみ、

  口ひひく 吾は忘れじ。

  撃ちてしやまむ。(歌謡番号13)

 また、歌よみしたまひしく、

  神風の 伊勢の海の

  大石に はひもとほろふ

  細螺しただみの、いはひもとほり

  撃ちてしやまむ。(歌謡番号14)

(別の豪族兄師木えしき弟師木おとしきについての歌謡 -- 略)

 かれここに邇藝速日の命まゐ赴むきて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子天降りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り来つ」とまをして、天つ瑞しるしを献りて仕へまつりき。かれ邇藝速日の命、登美毘古が妹登美夜毘売とみやびめに娶ひて生める子、宇摩志麻遅うましまぢの命。こは物部の連、穂積の臣、婇臣が祖なり。かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏まつろはぬ人どもを退そけ撥はらひて、畝火うねびの白檮原かしはらの宮にましまして、天の下治らしめしき。

「撃ちたまはむとする時」というのは、これから戦いを始めようとする時、である。登美毘古(ナガスネビコ)との開戦を前に「撃ちてしやまむ」と歌って盛んに気勢を上げているわけだが、そこからいきなり、戦いの描写もなく、「勝った」も「殺した」もなく、ニギハヤヒの帰順の話になっている。これはどういうことなのか。

普通に考えれば、それは「勝てなかったから」だろう[1]。


 その三が、もっとも重要だ。冒頭に「将撃登美毘古之時」とあり、「対、登美毘古戦」の開始前の歌だ。そしてその後の歌はない。つまり、「勝利の歌」もしくは「勝利後の歌」を欠いているのである。地の文でも、「登美毘古を斃した」とは記していないのだ。これは何を意味するか。

 わたしには、その答えは一つだと思われる。「神武は敗けた」、あるいは「勝てなかった」のだ。なぜなら、実際は勝ったのに、その事実をカットする、あるいは書き忘れる、そんな史書があるだろうか。ありはしない。『古事記』が天皇家側の史書である以上、これは不可避の判断である。

 歌の問題も同じだ。もしこれが後代の「造作」、もしくは挿入なら、なぜ勝利の歌を偽作、もしくは偽入しなかったのだろう。簡単なことだ。勝利前の歌は作れても、勝利後の歌は作れない。そんな不器用な「造作」者、あるいは半端な「挿入」者など、わたしには想像できない。

 以上の考察の意味するところ、それは何か。神武は大和盆地に侵入した。それには確かに成功した。しかし、外部(大和盆地外)の勢力たる登美の長髄彦たちには勝ちえなかった。これがありていな状況だ。したがって、

   故、此の如く、荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひ、

   畝火の白檮原の宮に坐して、天の下を治らしき。(『古事記』神武記)

という、有名な一文も、この盆地内の支配を宣言したものにすぎなかったのである。

仮に神武がナガスネビコを倒していたなら、神武は河内をはじめとするナガスネビコの支配領域を手に入れていたはずである。しかし実際には、神武どころかその後も8代にわたって近畿天皇家は奈良盆地外に勢力を広げることができなかった。この点から見ても、神武がナガスネビコに勝てなかったのは明らかだろう。ニギハヤヒがナガスネビコを殺して投降したという日本書紀の記述は、神武の事蹟を誇張するために付加された作り話なのだ。

ちなみに、ニギハヤヒに関する記述は、これ以外にも古事記と日本書紀とで大きな違いがある。日本書紀では、まずニギハヤヒが先に天降り、ナガスネビコはこれに臣従していたことになっている。

日本書紀(神武即位前紀):


 時に長髄彦、乃ち行人つかひを遣して、天皇に曰さく、「嘗むかし、天神の子有ましまして、天磐船に乗りて、天より降り止いでませり。号なづけて櫛玉饒速日命(略)と曰す。是吾が妹三炊屋媛みかしきやひめ(略)を娶りて、遂に児息みこ有り。(略)故かれ、吾、饒速日命を以て、君として奉つかへまつる。夫それ天神の子、豈あに両種ふたはしら有まさむや。奈何いかにぞ更に天神の子と称なのりて、人の地くにを奪はむ。吾心に推おしはかるに、未必為信いつはりならむ」とまうす。

一方古事記では、上で引用したとおり、ニギハヤヒが「天降った」のは神武より後で、またナガスネビコがこれに臣従したという記述もない。恐らくニギハヤヒは神武と違ってナガスネビコと敵対せず、妻と土地を与えられて共存していたのだろう。記紀ともにニギハヤヒが神武に帰順したことになっているのは、その子孫である物部氏などの有力豪族を天皇家に結びつけるために、先祖の代から天皇家に仕えていたことにしたのではないだろうか。

[1] 古田武彦 『古代は輝いていた(2) 日本列島の大王たち』 朝日新聞社 1985年 P.27

※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。

※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/11/07/161559


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ではこの機会に「神武天皇の偉業」wを振り返ってみようか
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/03/091039

「文化の日(=日本国憲法公布の日)」である今日11月3日をかつての「明治節」に戻したい反動議員たちが集会を開いたそうだ。民の生活を良くするための努力は何一つしないくせに、旧大日本帝国の正当化にだけは実に熱心だ。このような者たちを国会議員でいさせておくことこそ国家的損失、税金の無駄使いというものだろう。

中でも我らが防衛大臣、稲田朋美氏の発言は傑作である。(朝日新聞 11/2)


 稲田朋美防衛相も「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と語った。

 
「神武天皇の偉業」ww

私は、後に「神武」と呼ばれることになる人物は3世紀頃に実在したと考えているが、この男がやったことは、『古事記』を素直に読み解けば以下のとおりである。

1.野心だけは満々だが九州では出世の望めない傍系の兄弟が、
2.各地の豪族たちから支援を獲得して軍勢を整え、大阪湾から近畿に突入
3.しかし待ち受けていたナガスネビコに敗れて総大将の兄は討ち死に
4.生き残った弟(神武)が紀伊半島を迂回して熊野方面から奈良盆地に侵入
5.だまし討ちと虐殺を繰り返したあげく、ようやく奈良盆地の一角を占拠
6.しかし結局そこから一歩も出られず、大和の人々の憎悪に囲まれたまま、一地方豪族として死んだ

もちろん、天皇に即位したなどというのは、後世の作り話である。


21世紀にもなって、いまだにこんなものを「偉業」だの「日本のよき伝統」だのと妄想する者たちが政権を握っているのだから、なんとも恐ろしい。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/03/091039



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初期天皇家の引っ越し事情w
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452

今日は紀元前660年のこの日に「神武天皇」が即位したという大嘘を根拠に明治クーデター政権が勝手に決めた「建国記念の日」なので、神武と初期天皇家に関するデタラメを一通り指摘しておくことにしよう。

■ 「神武天皇」などいなかった

まず初代の「神武」。

私は、記紀の神武説話のもととなった歴史上の人物は恐らく実在した(3世紀頃)と考えているが、この男は到底「天皇」などと呼べる存在ではなかった。記紀の説話を皇国史観イデオロギーに囚われずに読めば、この男は軍勢を引き連れて九州から近畿に攻め込み、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、ようやく奈良盆地の一角に拠点を確保した侵入者に過ぎない。

支配領域の広さから言っても、この男は当時の近畿にたくさんいた地方豪族の一人に過ぎず、天皇に「即位」したなどというのは大嘘である。


ついでに言うと、「神武」というのは後世になってつけられた諡おくりな(漢風諡号)であり、当時こんな名で呼ばれていたわけではない。本来の名前は「サヌ」だろう。

要約するとこんな感じだ。

1.野心だけは満々だが九州では出世の望めない傍系の兄弟が、
2.各地の豪族たちから支援を獲得して軍勢を整え、大阪湾から近畿に突入
3.しかし待ち構えていたナガスネビコに敗れて総大将の兄(イツセ)は討ち死に
4.生き残った弟(サヌ)が紀伊半島を迂回して熊野方面から奈良盆地に侵入
5.だまし討ちと虐殺を繰り返したあげく、ようやく奈良盆地の一角を占拠
6.しかし結局そこから一歩も出られず、大和の人々の憎悪に囲まれたまま、一地方豪族として死んだ


■ 初期天皇家の「非常に規模の小さな歴史」

サヌに続く8代の「天皇」については、ほとんど説話が伝えられていないが、各「天皇」がどこに拠点(宮)を置き、どこに葬られたかについては記紀に記載があるので、そこから彼らの足跡を辿ることができる。

この点に関して、評論家・哲学者の山田宗睦氏が興味深いことを述べている。戦前の皇国史観教育を受けて育った氏は、教えられたことをそのまま信じていたが、大学に入って『古事記』を手に実際に各「天皇」の「都」の地を訪ね歩いたところ、初期天皇家の歴史が「非常に規模の小さな」ものだったことに気がついたというのだ。[1]


山田 皇紀二千六百年のようなことに対して私は当時中学生だけれども、受けていた教育が教育だから何も疑問は持たなかったね。(略)神武天皇は実在していたと思っているし、綏靖・安寧全部いて、万世一系で昭和天皇まで来ているんだということも信じていた。(略)昭和18年10月に京都大学に入った時から、古事記を手にして古事記に書いてある通りに歩いて行くわけね。
林 そういう点では非常に身近かに古事記・日本書紀はマスターしているわけですね。
山田 そうだ。本当にあったことだと思っているから、初代の神武天皇から始めて次の天皇はどこへ都したのか、どこそこと書いてあるのを見てそこへ行ってね、なんだ、ほんのちょっとこの部落から次の部落へ、都を遷したなんて、こんな……。
林 (笑)。
山田 自分で歩いてみて初めてね、なんていうか非常に規模の小さな歴史なんだっていうことが、分かる。大学へ入ってもまだ書いた通り信じているわけだから、それが実際にそうやって歩いてみることで崩れていくわけですよ。
林 うーん。
山田 ああいうのはどういう体験かなあ。古事記そのものじゃなくて、古事記を読んで作られた天皇制イデオロギーを教えられているわけでしょう。だから古事記を読むことによってかえって習ったのとは違うじゃないか、という意識が出るわけですよ。何で女を奪い合って天皇がケンカをするんだとかね、何かそういうことが疑問になって出てくる。イデオロギーのこわさというか、古事記に書いてあることとも違うことを建て前として教えられていたのが、旧制高校で古事記を読んで少し違うんじゃないかと思いだす。そして京都大学へ入って、古事記を持って歩いてみたら、何だ日本の歴史ってのは何か引越し位の、都を遷したなんてのと違うじゃないかというふうに思い始めた。
一同 (笑)。

では、実際にその歴史の規模を確認してみよう。

サヌ(神武)からオホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)までの各「天皇」の「宮」の位置は、『古事記』[2]によれば次のようになる。


代 名前 宮 比定地(奈良県)


1 サヌ(神武) 畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮 橿原市畝傍山東南

2 カムヌマカワミミ(綏靖) 葛城(かづらき)の高岡(たかをか)の宮 御所市森脇

3 シキツヒコタマテミ(安寧) 片塩(かたしほ)の浮穴(うきあな)の宮 大和高田市三倉堂付近

4 オホヤマトヒコスキトモ(懿徳) 軽(かる)の境丘(さかひをか)の宮 橿原市大軽町見瀬付近

5 ミマツヒコカヱシネ(孝昭) 葛城(かづらき)の掖上(わきがみ)の宮 御所市池之内付近

6 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安) 葛城(かづらき)の室(むろ)の秋津島(あきつしま)の宮 御所市室


■ Google Mapで根拠地の移動を確認してみる

これをGoogle Map上にプロットしてみると、各世代ごとの根拠地の移動は次のようになる。


http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452


サヌ(神武)→ カムヌマカワミミ(綏靖)

カムヌマカワミミ(綏靖)→ シキツヒコタマテミ(安寧)

シキツヒコタマテミ(安寧)→ オホヤマトヒコスキトモ(懿徳)

オホヤマトヒコスキトモ(懿徳)→ ミマツヒコカヱシネ(孝昭)

ミマツヒコカヱシネ(孝昭)→ オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)

全体をまとめてみても、縦横7〜8キロ程度の範囲を行ったり来たりしているだけである。

山田氏の言うとおり、ナントカ天皇が「◯◯の宮にましまして、天の下治しらしめしき」などと大仰に書かれている初期天皇家の歴史が、実際にはいかに規模の小さいものだったかがよく分かる。

[1] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一書房 1994年 P.132-133
[2] 武田祐吉・中村啓信 『新訂 古事記』 角川文庫 1982年 P.83-89
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452



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大和には天皇家より古い「万世一系」の家があった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219

「神武天皇陵」問題の記事でも引用した住井すゑ氏と古田武彦氏の対談本の中に、非常に面白いエピソードが書かれている[1]。


古田 そうですか。いやァあのね、私吉野でね、古事記に案内した人出て来ますね、あの子孫だっていう材木問屋の社長さんいましてね、額にかけて非常に自慢しとられた。ところでその後帰って来てからね、私のところへ知らぬある人から手紙が来まして、その人は京都大学の工学部へ入ったんだけど、例の学園闘争かなんかでね、途中でやめて材木会社に入ったと。そして木材の買付けで吉野へ行ったと。そしてある農家の家に泊ったと。でその農家の主人と酒飲んで話してるうちにその農家の主人が泣き始めるわけ、なんでかというたら「私の先祖は神武天皇が入って来た時に特に撃退してこれを食い止めた家なんだ」と、「そういうことをね、近所は皆知っとるよ、だからもう本当にね、戦争中はつらかった」と。

住井 はあァ。

古田 あれは逆賊の家や。それが敗戦になってやっとほっとしたけど、今でもつらい、と言ってね酒飲んでさめざめと泣くんだそうですよ。もう徹夜で語ってくれたそうです。ところがね、その聞いた方の人は、神武天皇は架空だと思ってるわけ、津田左右吉のあれで。だから、何この人言ってんだろうと思うてね……。

住井 ワハハハ……。

古田 私の本『盗まれた神話』というのを読んだわけです。そしてさっきのような神武はリアルだというのを読んでね、ああそうかと、それならあのおやっさんの気持もわかる、というんで私に調査に行ってほしいというお手紙をいただいたんです。だからなんか、そういうね、大和っていうのはいまだにそういうの生き残ってるんですね。

住井 残ってますね、ええ。

この農家のご先祖は、外来の侵略者であるイワレビコ(神武)たちと戦い、愛する郷土の土地と人々を守ったわけである。実際、古事記を見ると、吉野は神武の侵入経路上に名は出てくるが、神武が橿原に拠点を築いた後は地名として出てこない。次に「吉野」が現れるのは、ずっと後の応神天皇(15代)の時代である。少なくとも神武から数世代の初期の頃は、吉野はまだ近畿天皇家の支配領域には入っていなかったと思われる。

近畿天皇家の始祖は神武と言われているが、実際には仲哀(14代)→応神(15代)、武烈(25代)→継体(26代)と王朝交替を繰り返しており、実態としては決して「万世一系」などとは言えない。一方、この農家のご先祖は、はるか昔から大和に根付いて暮らし、侵略者神武と戦って郷土を守り、その後もずっとこの土地で代を重ねてきた。これこそが、誇るべき真の「万世一系」ではないだろうか。

[1] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一新書 1994年 P.91-93
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/411.html#c2

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
130. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月10日 19:06:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]

「万世一系」の虚妄 _ 日本はなぜ「万世一系」を必要としたか

2013-05-05
「万世一系」の虚妄
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130505/1367721385


天皇といえば、枕詞のようについてくる形容が「万世一系」。

ある種の人々にとって、天皇家が「万世一系」であることは、何物にも代えがたい至上の価値であり、日本という国を、他国より優れた特別な存在にするものであるらしい。

…バカじゃなかろうか。

当たり前だが、親から生まれて来なかった人間はいない。

皇族であろうがなかろうが、また日本人であろうがなかろうが、人間である以上、誰でも親、その親と辿っていけば、必ず悠久の過去の人類発祥までたどり着く。途中一世代どころか一瞬でも断絶があれば、その人間はいま生きてはいない。人間であれば誰でも、現生人類の誕生以来約25万年と言われる歴史の中を、連綿と命を受け継いで来たのだ。その中で、高々2千年程前のある男が祖先だと称する一族だけが「万世一系」で尊いなどということがあるわけがない。そんなものを崇め奉るのは愚の骨頂である。

「万世一系」など下らぬ妄想。

以上、終わり。

…ということにしてもいいのだが、せっかくなのでもう少しこれに関連する言説を見てみることにする。

一口に「万世一系」と言っても、その考え方は一つではないようだ。中でもとりわけバカバカしいのはこれあたりだろうか。

平沼赳夫オフィシャルホームページ:(強調部は引用者による)


 つまり、男系継承とは「男性天皇が血統の出発点であること」を意味し、反対に女系継承とは「女性から始まる継承」をいう。愛子内親王が天皇となり、その配偶者が皇族でないかぎり、その子が天皇になると「女系継承」が始まるのである。

 「万世一系」というと本家の血筋が永遠に続くことと誤解する人がいるが、それでは「真の一系」にはならないのだ。時には分家からも継承者が現れ、男系で継承が維持されていくことが「万世一系」の本質的意味である。

 飛鳥より遥かに時代をさかのぼった第16代仁徳天皇の男系血筋は、約80年後の武烈天皇(25)で血統が途絶えたため、家系をさかのぼって分家の男系子孫を見つけだし、継体天皇(26)が誕生したという例もある。

 では次にこの男系継承を遺伝子学的に見てみよう。

 人間の男性の染色体はXYであるのに対して、女性のそれはXXであり、それぞれ46対ある。男女が結婚して男の子ができた場合、母の23対のX染色体と父の23対のY染色体をもらう。女の子の場合は、母の23対の×染色体と父の23対のX染色体をもらう。よって男系の子孫にのみにオリジナルのY染色体が引き継がれ、女系の子孫には引き継がれない。女系では「皇統」が護持されないのである。(参考図参照)

 つまり、皇位が男系継承で引き継がれていく限り、男性天皇には間違いなく初代神武天皇のY因子が継承されるのに対し、女性天皇ではY因子の保持は約束されないのである。

 男系継承を護持することは、神武天皇だけでなく、更に遡って二二ギノミコトのオリジナルのY因子を継承することにもなり、このY因子こそ「皇位継承」の必要要件であり「万世一系」の本当の意昧なのである。

平沼によると、「万世一系」の本質とは、天皇家の父から息子へと受け継がれていくY染色体上の遺伝子のことなのだそうだ。代々の天皇(天皇にはなれなかった傍系の男も含む)の肉体は、単なる遺伝子を運搬するための器に過ぎず、息子に「Y因子」を受渡してしまえばもう用済みなのである。もちろん、個々の天皇の人格などどうでもいいわけだ。なんだか、利己的遺伝子仮説の出来の悪い焼き直しみたいな話だ。

これほど歴代天皇を侮辱した言説もないのではなかろうか。

ついでに指摘しておくと、古事記に名前が出てくる各地の豪族のうち、88%は「皇系」、つまり何代目かの天皇の子孫ということになっている。平沼の言うように「Y因子」さえ受け継いでいればいいのなら、男系で続いてさえいれば、そうした豪族たちの誰がどんな手段で天皇になっても構わないことになる。とんだ「万世一系」もあったものだ。

より穏当というか、一般的な説は、日本では歴史の初めから王朝の交代がなく、同じ王統がずっと続いているから「万世一系」だ、というものだ。

しかし、こちらの説も極めて怪しい。

例えば、平沼も言及している武烈(25代)から継体(26代)への代替わりなど、まず王朝交代と見て間違いない。

武烈には子がなく、次の天皇となった継体は、古事記によれば応神天皇(15代)の五世の孫、日本書紀によれば六世の孫、とされている。確かに一応過去の天皇の子孫ということになってはいるが、これほど世代の隔絶した継承は異常だ。それは、以下の系譜と比べてみれば分かる。


桓武天皇

葛原親王1

高見王2

平高望3

平良持4

平将門5

平将門は桓武天皇の五世の孫。継体が天皇になったというのは、平将門が天皇になったのと同じようなものなのだ。

しかも、三国(現在の福井県坂井郡付近)の出身とされている継体の、応神以来の系譜は、古事記にも日本書紀にも書かれていない。(日本書紀は父の名のみ記載。)


 これは記紀の編者が、それらを知らなかったためではなく、それらを書くことが必ずしも名誉とならない、そういう事情を配慮したからではないであろうか。なぜなら、それらの人名は、北志賀(滋賀県)や三国(福井県)の諸豪族にとって、同僚や時として下僚に当る人物として熟知されていた人名だったであろうから。

 このように考えてみると、継体即位の問題性、さらに不法性、それを疑うことは困難なのではなかろうか。

という古田武彦氏の推測(『古代は輝いていた』2)は妥当なものと思われる。実際、応神―継体間の系譜は、鎌倉末期に書かれた日本書紀の注釈書「釈日本紀」に、今では失われた「上宮記」という史書からの引用という形で記載されている。上宮記は7世紀頃に成立したと考えられており、古事記・日本書紀より古い。当然、記紀の編者が知らなかったはずはないのだ。

要するに、武烈死後の混乱に乗じて、出自もはっきりしない、しかし武力や経済力は十分に備えた地方の大豪族が大和に進出してきて次の天皇となったのだ。「万世一系」説に毒されていない常識では、これを王朝交代と呼ぶ。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130505/1367721385

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日本はなぜ「万世一系」を必要としたか
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130602/1370174878


歴代天皇のいわゆる「万世一系」について、真に問わなければならない問題とは何か?

それは、「万世一系」の定義とか、それは事実かどうか、といったことではなく、なぜ天皇は「万世一系」ということになっていなければならないのか、そもそもなぜそんなものが必要だったのか、という問題だと私は考えている。

「万世一系」の天皇を戴く大和民族の一員であることにしか自尊感情の源泉を見いだせないある種の人々(「特定日本人」とでも呼ぶべきか?w)は、幾多の王朝が興亡を繰り返した中国と比較することで自国の優位性を言いたがる。

なので、ここでも中国との比較を通してこの問題を考えてみることにしよう。

■ 疑問1

前回の記事では、武烈―継体間の王統断絶を取り上げた。ここで、日本書紀は、前王朝最後の王武烈を、悪逆非道の暴君として描き出している。


武烈2年: 妊婦の腹を割いて胎児を見た。

武烈3年: 人の生爪を抜き、その手で芋を掘らせた。

武烈4年: 人の頭髪を抜き、木の頂に登らせ、その木を切り倒して、

      登らせた者が落ちて死ぬのを楽しんだ。

武烈5年: 人を池の水を流す樋に伏せ入らせ、外に流れ出てきたところを

      三叉の矛で刺し殺して楽しんだ。

武烈7年: 人を木に登らせておき、弓で射落として笑った。

武烈8年: 女を裸にして板の上に据え、馬を引いてきて交尾させた。

      そして女の性器が濡れていれば殺し、濡れていなければ官婢とした。

これとよく似た例が、中国の史書にも見られる。有名なのは殷に亡ぼされた夏王朝最後の王「桀」、そして周に亡ぼされた殷王朝最後の王「紂」に関する暴虐記事だろう。

『史記』夏本紀34:


桀、徳に務めずして百姓を武傷す。百姓堪えず。

『史記』殷本紀29-30:


(紂は)酒を好み淫を楽しみ、婦人を嬖(へい)す。

妲己(だっき)を愛し、妲己の言に是れ従ふ。

賦税(ふぜい)を厚くして以て鹿台(ろくだい)の銭を実たし、而して鉅橋(きょきょう)の粟(あわ)を盈(み)つ。

(人々を)大いに最(あつ)め沙丘に楽戯す。

酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸(ら)し其の間に相ひ逐(お)はしめ、長夜の飲を為す。


武烈紀の暴虐記事は、これら中国の先例に倣ったものと思われる。

こうした記事の内容が本当だったのかどうか、それは分からない。しかし、確実に言えるのは、前王朝に取って代わった新権力者にとって、先王の暴虐を宣伝するのは、自らの権力奪取の正当性を主張する上で大変役に立つ、ということだ。

殷の湯王や周の武王と、継体はよく似た立場にいたといえる。ではなぜ、湯王や武王が堂々と新王朝の樹立を宣言したのに対して、継体はあたかも穏当に武烈の後を継いだかのように振舞ったのだろうか?

別の言い方をすれば、継体から始まる新王朝の正史である日本書紀は、なぜ継体を自王朝の始祖として描かず、神武以来の王朝がそのまま継続したかのように描いているのだろうか?

■ 疑問2

武王が樹立した周王朝は、その後しだいに衰退し、やがて形式的な権威を担うだけの有名無実の存在となっていった。鎌倉時代以降、実質的権力を失い、衰退していった京都朝廷とよく似ている。

両者の違いは、周王朝が数百年続いた後、最終的に秦に滅ぼされたのに対して、京都朝廷は曲がりなりにも近代に至るまで存続したことだ。

何がこの両者の運命を分けたのだろうか?

■ 答え

周王朝を廃した秦の始皇帝は、泰山で「封禅の儀」を行い、天と地を祭って、中国全土を統治する皇帝としての自らの権威を誇示した。

この例が示すように、古来中国には「天」の思想がある。そもそも王や皇帝とは、天の命令(天命)を受けて、「天子」として天下を統治するものなのだ。

だから、皇帝が徳を失い、天子にふさわしい存在でなくなれば、他の者が代わって天命を受け、新たな天子となることができる。桀のように、「徳に務めず」民を虐待するような権力者は、倒されても仕方がないとされるのだ。

これが、天命が革(あらたま)ること、すなわち「革命」である。

一方の日本はどうだろうか。

日本には、権力の正当性を主張するための基準となる、このような普遍的原理がない。記紀神話を通して見ても、地上の権力者にその権力の正統性を与える根拠は、天照大神が自らの孫ニニギに対して言ったという言葉、


葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是(これ)、吾が子孫の王たるべき地なり。爾(いまし)皇孫、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ。

―いわゆる「天壌無窮の神勅」(日本書紀 神代下 第九段)―しかない。

ちなみにこの「神勅」、いかに荘重な漢文調で飾って見せたところで、中身を見れば、自分の子孫だけが可愛いという身内びいきの塊みたいなものであって、そこには普遍性のカケラもない。

このように、権力の正統性を支える普遍的原理がなく、頼れる権威が天照の子孫とされる一族の血筋だけとなれば、どうしても天皇には(内実はどうあれ)「万世一系」でいてもらわなければならないことになる。

この国で新興の実力者が権力の頂点に立つには、継体のように王朝内での順当な継承を偽装するか、そうでなければ天皇から権力の行使を委託される(例えば「征夷大将軍」として)という形式を取るしかなかった。だから、天皇家はいくら落ちぶれても、とりあえず権威を示すそれらしい儀式を行える程度の状態で存続を許された、というよりむしろ、存続させられてきたのである。

結論。天皇が「万世一系」ということになっているのは、日本には権力の正統性を支える基盤としての普遍的原理がなく、権威として頼れるものが神の子孫だという天皇家の血筋しかなかったからである。


※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)による。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130602/1370174878

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仲哀→応神も王朝交代
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/08/24/122313

記事《「万世一系」の虚妄》の中で、武烈(25代)から継体(26代)への代替わりが王朝交代に他ならないことを説明した。しかし、明治以来常識化されてきた「万世一系」を否定する反例はこれだけではない。

次は、仲哀(14代)から応神(15代)への代替わりを見てみよう。

仲哀は、実に奇妙な死に方をしている。

古事記(仲哀記):


 その太后息長帯日売の命(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)は、当時神帰よせしたまひき。かれ天皇筑紫の詞志比かしひの宮にましまして熊曾の国を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を控ひかして、建内タケシウチの宿禰の大臣沙庭さにはに居て、神の命を請ひまつりき。ここに太后、神帰よせして、言教へ覚さとし詔りたまひつらくは、「西の方に国あり。金・銀を本はじめて、目の炎耀かかやく種々の珍宝その国に多さはなるを、吾あれ今その国を帰よせ賜はむ」と詔りたまひつ。ここに天皇、答へ白したまはく、「高き地に登りて西の方を見れば、国土くには見えず、ただ大海のみあり」と白して、詐いつわりせす神と思ほして、御琴を押し退けて、控ひきたまはず、黙もだしたましき。ここにその神いたく忿いかりて、詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝いましの知らすべき国にあらず、汝は一道ひとみちに向ひたまへ(=黄泉の国へ行ってしまえ)」と詔りたまひき。ここに建内の宿禰の大臣白さく、「恐かしこし、我が天皇。なほその大御琴あそばせ」とまをす。ここにややにその御琴を取り依せて、なまなまに(=しぶしぶ)控ひきいます。かれ、幾久いくだもあらずて、御琴の音聞えずなりぬ。すなはち火を挙げて見まつれば、既に崩かむあがりたまひつ。

仲哀は、西方の国(新羅)を与えてやろうという神の言葉を信じなかったために、神罰を受けて死んだというのである。このとき本当は何があったのか。伊藤浩士氏がブログで次のように書いているが、私も同感である。


仲哀天皇と神功皇后と竹内宿禰は熊襲征伐のために筑紫にきていて、そこで神功皇后が新羅を攻めると言い出します。仲哀天皇は反対します。仲哀天皇と神功皇后、竹内宿禰の3人だけがいて、気が付くと神の罰が当たって仲哀天皇が死んでいたと記されています。ふつうに考えれば、神功皇后と竹内宿禰の共謀による殺害です。

このとき、仲哀は軍を率いて九州まで遠征していた。仲哀には既に別の后(大中津比売の命)との間に香坂かごさかの王、忍熊おしくまの王という二人の息子がいたのだが、この遠征には同行していない。建内以外の有力な臣下もついてきていない。暗殺には絶好のシチュエーションと言っていいだろう。

そしてこの「神」は、香坂・忍熊を押しのけて、息長帯日売が産む子を次の天皇にする、と決めてしまうのである。

古事記(仲哀記):


また建内の宿禰沙庭に居て、神の命みことを請ひまつりき。ここに教へ覚したまふ状、つぶさに先の日の如くありて、「およそこの国は、汝命いましみことの御腹にます御子の知らさむ国なり」とのりたまひき。ここに建内の宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の御腹にます御子は、何の子ぞも」とまをせぱ、答へて詔りたまはく、「男子なり」とのりたまひき。ここにつぶさに請ひまつらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかぱ、答へ詔りたまはく、「こは天照らす大神の御心なり。また底筒の男そこつつのを、中筒の男なかつつのを、上筒の男うはつつのを三柱の大神なり。この時にその三柱の大神の御名は顕したまへり。

天照大神の神意だ、というわけだが、それを聞いたのは建内宿禰だけなのだから、要するに建内がそう決めた、ということである。

この後、息長帯日売はいわゆる「神功皇后の三韓征伐」(それが征伐などと呼べる代物でないことは別途書く予定)を行い、九州に帰ってきてから息子を産む。これが後の応神天皇である。この応神の出生についても、不可解なエピソードが書かれている。

古事記(仲哀記):


かれその政(三韓征伐のこと)いまだ寛をへざる間に、懐妊ませるが、産れまさむとしつ。すなはち御腹を鎮いはひたまはむとして、石を取らして、御裳みもの腰に纏まかして、竺紫つくしの国に渡りましてぞ、その御子は生あれましつる。かれその御子の生れましし地に号なづけて、宇美といふ。またその御裳に纏かしし石は、筑紫の国の伊斗いとの村にあり。

「三韓征伐」が終わらないうちに子どもが産まれそうになってしまったため、石を腰紐にはさんで押さえ、神に祈って出産を遅らせたというのである。これも普通に考えれば、応神の出生が仲哀の子とするにはあまりに遅すぎたため、つじつまを合わせるための説話を創作したのである。

では応神の父親は誰か? 史料的根拠には欠けるが、建内宿禰とするのが最も自然ではないだろうか。

そして、息長帯日売と建内は九州から大和に攻め上り、忍熊王の軍を破ってこれを滅ぼしてしまう。(香坂王はその前に事故死。)もちろん、「万世一系」説に毒されていない常識では、これを王朝交代と呼ぶ。

※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/08/24/122313


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「神功皇后の三韓征伐」という大嘘
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/09/09/204858

仲哀(14代)から応神(15代)への代替わりが、単なる代替わりではなく王朝交代であったことについては既に説明した。このとき、仲哀の九州遠征に同行せず大和に残っていた息子たちを滅ぼして権力を奪ったのが、神功皇后こと息長帯日売(オキナガタラシヒメ)と建内宿禰(タケシウチノスクネ)である。

そして神功皇后といえば、いわゆる「三韓征伐」が必ずセットとなって語られる。

この「三韓征伐」とは実際にはどんな事件だったのか。まず、古事記の記述を見てみよう。


 かれつぶさに教へ覚したまへる如くに、軍を整へ、船双なめて、度り幸でます時に、海原の魚ども、大きも小きも、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風おひかぜいたく起り、御船浪のまにまにゆきつ。かれその御船の波瀾なみ、新羅の国に押し騰あがりて、既に国半なからまで到りき。ここにその国王、畏おぢ惶かしこみて奏まをして言まをさく、「今よ後、天皇の命のまにまに、御馬甘みまかひとして、年の毎に船双めて船腹乾さず、棹楫さをかぢ乾さず、天地のむた、退しぞきなく仕へまつらむ」とまをしき。かれここを以ちて、新羅の国をぱ、御馬甘と定めたまひ、百済の国をぱ、渡わたの屯家みやけと定めたまひき。ここにその御杖を新羅の国主の門に衝き立てたまひ、すなはち墨江すみのえの大神の荒御魂あらみたまを、国守ります神と祭り鎮めて還り渡りたまひき。

しかし、これは果たして「征伐」などと呼べるものだろうか。神功が軍船を整えて新羅に行ったら、一戦も交えることなく、向こうが勝手に恐れをなして降伏してしまったというのだ。(日本書紀にもほぼ同じ内容の説話が記されているが、こちらは新羅だけでなく、接触すらしていない高句麗と百済まで降伏してしまったことになっている。)こんなことはあり得ない。

いや、実際この後、新羅は日本に朝貢しているではないか、と言う人がいるかもしれない。しかし、記紀に朝貢記事があるからといって、それが服属の証拠にはならないのだ。古田武彦氏が次のように指摘している[1]。


わたしは『記・紀』を見る場合、つぎの二つの原則を大前提とする。

(1) 『記・紀』は、天皇家中心の「大義名分」に貫かれた本である。

(2) したがって『記・紀』は古来の伝承に対して、天皇家に「有利」に改削・新加(新しく付加)することはあっても、「不利」に加削することはない。

まず、(1)について説明しよう。

すでに前の本で詳しくのべたように、“天皇家は永遠の昔から、この日本列島の中心の存在だったのだ”という「大義名分」が『記・紀』を貫いている。それは「歴史事実の実証」以前の、いわば「観念」としての大前提なのである。それは国内問題だけではない。たとえば、


  冬十月に、呉国、高麗国、並に朝貢す。    〈仁徳紀五十八年〉

  夏四月に、呉国、使を遣して貢献す。      〈雄略紀六年〉


とあるように、中国(や高麗)との通交さえ、あちらが日本の天皇家に臣従し、朝貢してきたように書いてあるのだ。だから、これは「朝貢」の事実を示す記事ではない。『記・紀』の大義名分に立った筆法なのである。

中国の皇帝が「東夷」の蛮族と見なしていた日本に朝貢してくるはずがないことは、常識として理解できるだろう。

つまり、記紀の「三韓征伐」記事が示しているのは、神功が新羅を訪問して王と交渉し、このときから近畿天皇家と新羅との間の国交が始まった、という出来事なのだ。これは新羅との国交開始に関する説話なのである[2]。新羅王が服従を誓ったとか、新羅の国を「御馬甘」に定めたとかいうのは、魚たちが神功の船を背負って海を渡った、船が波に乗って新羅の中央部まで押し上がった、などと書いてあるのと同じ、何も知らない国内人民向けのほら話に過ぎない。

しかし、ではなぜ、新羅との国交が必要だったのか?

ここで、そもそも神功と建内は、仲哀の熊襲征伐に従って九州まで来ていたことを思い出していただきたい。仲哀をうまく始末したのはいいが、次は大和に戻って仲哀の息子たちを討ち滅ぼさなければ自分たちに未来はない。しかし、まだ熊襲との戦争は続いているのだ。こちらの事情が変わったからといって、簡単に敵に背を向けて帰るわけにはいかない。追撃を避けるには、熊襲との和平、最低でも休戦が必要だ。

日本書紀では、神功を通じて仲哀に新羅征伐を勧めた「神」は、次のように語っている。


時に、神有まして、皇后に託かかりて誨おしへまつりて曰はく、「天皇、何ぞ熊襲の服まつろはざることを憂へたまふ。是これ、膂宍そししの空国むなくにぞ。豈あに、兵を挙げて伐つに足らむや。玆この国に愈まさりて宝有る国、警たとへば処女をとめの睩まよびきの如くにして、津に向へる国有り。眼炎まかかやく金・銀・彩色、多さはに其の国に在り。是を衾たくぶすま新羅国しらきのくにと謂いふ。若もし能よく吾を祭りたまはば、曾かつて刃に血ちぬらずして、其の国必ず自おのづから服まつろひしたがひなむ。復また、熊襲も為服まつろひなむ。

自分を良く祭れば新羅は従い、また熊襲も自ら従うだろう、と言っているのだ。この両者の間には何らかの強い結びつきがあり、新羅との友好は熊襲との関係改善にもつながることを示唆している。

だから神功は、熊襲との戦争状態を終わらせて大和での権力奪取に集中するため、熊襲のバックに控えている新羅との友好関係を確立しようと海を渡ったのである。それは、「征伐」とは正反対の、友好を求める外交交渉だったのだ。

[1] 古田武彦 『盗まれた神話』 朝日文庫 1994年 P.63-64
[2] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.131

※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(二)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/09/09/204858


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皇位継承


7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,

16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,

仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。

応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。
しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。

また,記紀にみえる天皇の名称をみると,

7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,

10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,

12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),

15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,

27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシ


という称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると

7〜9代の名称は持統以下の名称を手本に,
12〜14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られた

と推定される。

これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。

10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10〜12代の天皇は大和を根拠としていたが,15〜25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。

同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。

これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。

しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。
→王朝交替論
[直木 孝次郎]

皇嗣の冊定

大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。

そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。

しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。

ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。

皇位継承の資格

皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。

推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。

継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。

平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。

皇位継承の原因

上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。

天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。

また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。

なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。

81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。

また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。

35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=128

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c130

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
131. 中川隆[-10359] koaQ7Jey 2019年5月10日 19:08:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]
2019-05-04
紀元前の中国農民ですら喝破していた血統の無意味さを理解できない日本人
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/05/04/213333


マスコミが煽る「令和」「令和」の奉祝ムードに流されて、何一つ解決していないこの社会の問題をあっさりスルーする「普通の日本人」たち。実際、世界的に見ても、支配層にとってこれほど「ちょろい」民族は珍しいだろう。

■ 皇室が最古の王朝だから日本はすごい?w

そんな彼らが「日本は特別ですごい国(だから日本人のオレもそれだけですごい)」と考える根拠は、世界一長く続く《とされる》天皇家の血統であるらしい。


future-of-japan.xyz


皇室は、現存する最古の王朝であり、
現存する唯一の皇帝であり、
現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統です。

神話によると2675年前に
初代の神武天皇が即位され、
現在でなんと125代目になります。

さらに、男系で継承されており、
家系図で父親を辿っていくと
初代神武天皇に行き当たります。

これほど長く1つの系譜で続いている
王朝というのは世界のどこにもありません。

世界で最も歴史の古い王家の血脈を今に伝える
文化的にも価値の高い存在なのです。


まあ、そもそもこれ自体が嘘なのだが。


「万世一系」とか言うが、天皇家に限らずいま生きている人間は、誰でも太古の昔から親から子へと連綿と命をつないで生きてきたではないか。そのどこに違いがあるというのか。

■ 王侯将相いずくんぞ種あらんや

こんなことは、人権や平等の概念を学んだ現代人だけでなく、古代の中国農民ですら理解していた。

秦末の農民反乱である「陳勝・呉広の乱」(紀元前209-208年)で、貧農出身の反乱軍リーダー陳勝は「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉を残している。これは「国王や諸侯、将軍や丞相などといっても、そのような人種が最初からいたわけではない」という意味であり、身分や血統を否定して人間の平等を主張したものだ[1]。実際、陳勝自身は反乱に失敗したが、次の漢帝国を樹立した劉邦も村役人レベルの庶民の出身だった。

それ以前に、中国古代の伝説的帝王である堯ぎょう舜しゅん禹う三代には血縁関係はなく、禅譲により帝位が受け継がれたとされている。堯舜禹が実在したかどうかは不明だが、重要なのは、統治者の地位は血統ではなく、最も徳の高い(人格・能力の優れた)人物に受け継がれるべきだというその思想だ。このような徳治思想を含む堯舜禹の伝説は、既に春秋時代末(前5世紀頃)には成立していたと考えられている。

日本の「愛国者」様たちは、古代からこのような思想を持っていた中国を引き合いに出して、「万世一系」の天皇陛下がいる我が国はすごいとかイキっているのだから、もう笑うしかない。


■ 天皇陛下にさゝぐる言葉

中国人の思想など認め(たく)ない、と言うのなら、こちらはどうか。敗戦から2年半ほど後に作家・坂口安吾が書いた「天皇陛下にさゝぐる言葉」だ。[2]


 人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものゝ真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下が生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということゝは関係がない。況いわんや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。

 天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない。

 名門の子供には優秀な人物が現れ易い、というのは嘘で、過去の日本が、名門の子供を優秀にした、つまり、近衛とか木戸という子供は、すぐ貴族院議員となり、日本の枢機にたずさわり、やがて総理大臣にもなるような仕組みで、それが日本の今日の貧困をまねいた原因であった。つまり、実質なきものが自然に枢機を握る仕組みであったのだ。


日本人は、敗戦という実物教育で学んだこの当然の理を、もうすっかり忘れたのだろうか。

[1] 世界史の窓 「陳勝・呉広の乱」
[2] 坂口安吾 「天皇陛下にさゝぐる言葉」 青空文庫
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/05/04/213333

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2016-02-27 「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」 正解は「そんな天皇はいない」
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/27/215256
「しらべぇ」というサイトが、今年の「建国記念の日」に、「【悲報】7割の国民が『建国記念日に即位した天皇』を知らない」という記事を掲載した。


しらべぇ編集部が全国の男女1331人に「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」と調査を行ったところ、もっとも多かったのが明治天皇で40.4%。以下、その他が28.8%、昭和天皇が20.4%、大正天皇が7.2%、今上(平成)天皇が3.2%と続いた。(略)じつはこのアンケート、ひっかけ問題である。正解はその他に含まれていたのだ。

(略)

じつは建国記念日は神武天皇の即位日が由来となっている。神武天皇は日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代の天皇とされている。

その即位日である旧暦紀元前660年1月1日を、明治に入ってから新暦に換算、1967年(昭和42年)に制定されたというわけ。

紀元前660年の旧暦1月1日に神武天皇が即位し、それを新暦に換算すると2月11日に当たるから、この日が「建国記念の日」になったと言うわけだが、この話は少なくとも二重におかしい。

まず、神武の即位に関する日本書紀の記述は、次のとおりである[1]。


辛酉かのととり年の春正月の庚辰かのえたつの朔ついたちに、天皇、橿原宮かしはらのみやに即帝位あまつひつぎしろしめす。是歳を天皇の元年とす。

「辛酉」は60年に1回やってくるので、これだけではいつのことか分からない。そこで、ずっと後の、年代の確定できる時点から出発して、歴代天皇の在位年数などを手がかりに時代を遡り、紀元前660年にあたる「辛酉」に辿り着いたわけだ。

だが、日本書紀に記された初期の天皇たちの在位年数は、まったく信用できない。それは次の表を見れば明らかだろう。

天皇 在位年数 死亡年齢
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/27/215256


神武をはじめ、古代ではおよそあり得ない長寿の天皇が連続している。死亡時の年齢が信用できないとなれば、当然在位年数も信用できない。つまり、神武が即位したとされている「辛酉」年が紀元前660年だとは考えられないのだ。年が違うのだから、「春正月の庚辰の朔」が新暦の2月11日に当たるとする根拠もないことになる。

第二に、私は記紀に「神武天皇」として説話が記載されている人物は実在した歴史上の人物(弥生後期、3世紀頃の人)と考えているが、しかしその人物は到底「天皇」などと呼べるような存在ではなかった。こちらの記事にも書いたとおり、後に「神武」という諡号を贈られることになるこのイワレビコという男は、九州から出てきて近畿に侵入し、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、ようやく奈良盆地の一角に拠点を確保した一豪族に過ぎない。客観的に見れば、「天皇」どころか「王」と呼ぶのさえ無理である。後の近畿天皇家の祖先に当たる人物ではあったとしても、この男自身は「天皇」などではあり得ず、従って「即位」などしているはずがないのだ。

これは、次の事例と比べてみれば分かりやすい。

中国最初の皇帝である秦の始皇帝は、列国を滅ぼして中国全土を統一して初めて「始皇帝」を名乗った。それ以前の彼は単なる「秦王政」である。また、彼は秦国の初代でもない。始皇帝は紀元前3世紀の人だが、諸侯の一つとしての秦国の始まりは前8世紀の襄公、更にその祖先は初めて秦の地に領地を得た前10世紀頃の非子までたどれるという。

要するに、後に日本を支配した大和朝廷の祖先だからといってイワレビコを初代の「天皇」だなどと言うのは、非子を最初の中国皇帝だと言うのと同程度のこじつけ、極端な誇張なのだ。仰々しい記紀の記述は、大和朝廷絶対化のイデオロギーに基づく歴史の捏造、古代的歴史修正主義と言ってもいい。

まあ、客観的に見れば、実質的に「天皇」と呼んでいいのは、坂上田村麻呂の遠征によって初めて東北地方まで支配を広げた桓武(50代)あたりからだろう。

「建国記念の日」が、「神武天皇が即位した」とされている日(紀元前660年の2月11日)に由来しているのは事実だが、神武は「天皇」などではなかったし、従って「即位」もしていない。さらに、神武紀の言う「辛酉年」は紀元前660年ではないので「春正月の庚辰の朔」を新暦2月11日とする根拠もない。要するに、すべてが架空の作り事なのだ。だから、「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」という問いへの正解は、「そんな天皇はいない」なのである。

[1] 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』 岩波文庫 1994年 P.240
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/27/215256

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2013-02-11 神武って何した人?
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130211/1360564621


今日は「建国記念の日」。敗戦までの「紀元節」の名前だけ変えて価値中立性を装った、戦後日本の偽装記念日の一つである。

紀元節が2月11日なのは、日本書紀で神武が「辛酉年春正月 庚辰朔」(辛酉の年の1月1日)に即位したと書かれており、これが西暦紀元前660年の2月11日に当たると、明治初期に机上の計算をしたためだ。

では、天皇家の初代であり、建国の祖とされるこの神武なる人物はいったいどんなことをした人なのだろうか。

テキストは『古事記』、ガイドに古田武彦『盗まれた神話』『古代は輝いていた』を使って、具体的に見てみよう。

(「神武天皇」というのは後代になってつけられた諡号で、生きていたときの名は「神倭伊波礼毘古(カム・ヤマト・イワレビコ)」ほか、いろいろな名があるのだが、ここでは「神武」で統一する。)


さて、古事記の「神武記」は、いきなり神武とその兄(五瀬)との謀議シーンから始まる。


神倭伊波礼毘古の命、その同母兄五瀬の命と二柱、高千穂の宮にましまして議りたまはく、「いづれの地にまさば、天の下の政を平けく聞しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向より発たして、筑紫に幸行でましき。

青年だった五瀬と神武は、このまま九州の高千穂の地にいても自分たちの思うようにならない、つまり将来の展望が開けないから、東方に新たな支配地を得ようと、侵略行を決意するわけです。


かれ豊国の宇沙うさに到りましし時に、その土人くにびと名は宇沙都比古うさつひこ、宇沙都比売うさつひめ二人、足一騰あしひとつあがりの宮を作りて、大御饗おほみあへ献りき。其地より遷移りまして、竺紫の岡田の宮に一年ましましき。またその国より上り幸でまして、阿岐の国の多祁理たけりの宮に七年ましましき。またその国よ遷り上り幸でまして、吉備の高島の宮に八年ましましき。

決意はしたものの、大王でも何でもない五瀬と神武には、いきなり大遠征を行えるような力はない。そこで、十数年かけて九州や瀬戸内海各地の豪族たちからの支援を獲得し、徐々に実力を蓄えていきます。


かれその国より上り行でます時に、浪速なみはやの渡を経て、青雲の白肩の津に泊てたまひき。この時に、登美とみの那賀須泥毘古ながすねびこ、軍を興して、待ち向へて戦ふ。ここに、御船に入れたる楯を取りて、下り立ちたまひき。かれ其地に号けて楯津たてづといふ。今には日下くさかの蓼津たでづといふ。ここに登美毘古と戦ひたまひし時に、五瀬の命、御手に登美毘古が病矢串いたやぐしを負はしき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良はず。かれ賎奴が痛手を負ひつ。今よは行き廻りて、日を背に負ひて撃たむ」と、期ちぎりたまひて、南の方より廻り幸でます時に、血沼ちぬの海に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。其地より廻り幸でまして、紀の国の男をの水門みなとに到りまして、詔りたまはく、「賎奴が手を負ひてや、命すぎなむ」と男建おたけびして崩りましき。かれその水門に名づけて男の水門といふ。陵みはかは紀の国の竈山かまやまにあり。

そしていよいよ近畿(河内国)に突入。しかし、当然この地は無主の地などではありません。長らくこの地を統治してきたナガスネビコとの戦闘になります。

結果、おそらく侵略軍の総大将だったであろう五瀬は矢を受けて重傷を負い、死んでしまいます。大敗です。

ナガスネビコと正面から戦っても勝てないと覚った神武は作戦を変更。大きく紀伊半島を迂回し、背後にあたる熊野方面から奈良盆地への侵入を図ります。また、敵方に内通者を作り、その手引きで相手を陥れたり、和平を装って騙し討ちにする、といった手口を駆使していきます。


かれここに宇陀に、兄宇迦斯えうかし弟宇迦斯おとうかしと二人あり。(略)ここに兄宇迦斯、(略)「待ち撃たむ」といひて、軍を聚あつめしかども、軍をえ聚めざりしかぱ、仕へまつらむと欺陽いつはりて、大殿を作りて、その殿内に押機おしを作りて待つ時に、弟宇迦斯まづまゐ向へて、拝みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれぱ、殿を作り、その内に押機を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顕はしまをす」とまをしき。ここに大伴の連等が祖道の臣の命、久米の直等が祖大久米の命二人、兄宇迦斯を召びて、罵言のりていはく、「伊いが作り仕へまつれる大殿内には、おれまづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、横刀たちの手上握り、矛ゆけ矢刺して、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる押に打たれて死にき。ここに控ひき出して斬り散はふりき。かれ其地を宇陀の血原といふ。然してその弟宇迦斯が献れる大饗をぱ、悉にその御軍みいくさに賜ひき。

奈良県宇陀郡の豪族エウカシは、その弟オトウカシの裏切りを利用して惨殺。


其地より幸行でまして、忍坂おさかの大室に到りたまふ時に、尾ある土雲八十建やそたけるその室にありて待ちいなる。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗を八十建に賜ひき。ここに八十建に充てて、八十膳夫かしわでを設けて、人ごとに刀佩けてその膳夫どもに、誨をしへたまはく、「歌を聞かば、一時共もろともに斬れ」とののりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを明して歌よみしたまひしく、


 忍坂の 大室屋に
 人多さはに来入り居り。
 人多に 入り居りとも、
 みつみつし 久米の子が、
 頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち
 撃ちてしやまむ。
 みつみつし久米の子らが、
 頭椎い 石椎いもち
 今撃たぱ善らし。


かく歌ひて、刀を抜きて、一時に打ち殺しつ。

奈良県桜井市忍坂では、和解の宴会をするからと言ってその地の族長たちを集めておいて、給仕に化けた兵隊に合図して一斉に斬り殺させる。


かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏まつろはぬ人どもを退け撥はらひて、畝火の白梼原かしはらの宮にましまして、天の下治らしめしき。

このように、何の道理もなくいきなり軍を率いて他人様の土地に侵入し、血みどろの殺戮を繰り広げた末に、奈良県橿原市付近に拠点を築き、周辺一帯を支配する豪族となったわけです。

もちろん、実態としては奈良盆地の一部を支配しているだけであっても、記紀のイデオロギーによれば、それは「天の下治らしめしき」ということになります。

いやぁ、実に立派な初代天皇ですね。


※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)による。
http://vergil.hateblo.jp/entry/20130211/1360564621

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2016-04-12 神武天皇没後2600年式年祭という差別の祭典
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/12/220842

4月3日、奈良県橿原市の「神武天皇陵」で、神武の没後2600年を祭るという宮中祭祀「式年祭」が行われ、当代天皇・皇后もこれに参列した。

朝日新聞(4/3):


 奈良県を訪問中の天皇、皇后両陛下は3日、初代天皇とされる神武天皇の没後2600年にあたり、橿原市の神武天皇山陵に参拝した。天皇家の行事「宮中祭祀(さいし)」の一つで、秋篠宮ご夫妻も同行。皇太子ご夫妻は両陛下の名代として、皇居・宮中三殿の皇霊殿に参拝した。

産経新聞(4/3):


 初代天皇である神武天皇の式年祭が、大正5年以来100年ぶりに行われた。皇祖の命日に御霊を慰める式年祭は、宮中祭祀(さいし)の中でも「大祭」に位置付けられる重要な儀式。天皇、皇后両陛下は大正天皇、貞明皇后の前例にならい、奈良県橿原市の神武天皇陵まで赴き、厳かに拝礼された。

(略)

神武天皇 (略)日本書紀によると、太子となって九州から東遷し、大和を平定。紀元前660年に橿原宮で即位し、初代天皇となった。紀元前584年に127歳で崩御したとされる。(略)


後に「神武」という漢風諡号を贈られたこの男が何者で、何をしたのかについては、既に何度か書いてきた。
•神武って何した人?
•神武は結局ナガスネビコには勝てなかった
•「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」 正解は「そんな天皇はいない」
•GoogleMapで「欠史八代」を歩く

かいつまんで言えば、弥生後期(3世紀頃)、地元九州では大した出世の望めない傍流の血筋だった男が手勢を率いて近畿に攻め込み、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、かろうじて奈良盆地の一角(橿原市付近)に拠点を築き、周辺一帯(せいぜい10キロ四方程度)を支配する地方豪族となり、大和の人々の怨嗟と憎悪に取り囲まれながらそこで死んだ。これが、同時代頃にはサノ、ワカミケヌ、ヒコホホデミ、イワレビコなどと呼ばれていたこの男の実像である。時代も何百年も違うので「没後2600年」などお笑い種だし、そもそも神武は「天皇」などと呼べるような存在ではなかった。

しかし、この「式年祭」なるものの愚劣さはそれだけにとどまらない。祭祀の場となった「神武天皇陵」自体、問題大ありなのだ。

まず、神武の埋葬地について、記紀はそれぞれ次のように記載している。

古事記(神武記):


およそこの神倭伊波礼毘古の天皇、御年壹佰參拾漆137歳、御陵は畝火山の北の方白檮かしの尾の上にあり。

日本書紀(神武紀):


七十有六年の春三月の甲午の朔甲辰に、天皇、橿原宮に崩りましぬ。時に年一百二十七歳。

明年の秋九月の乙卯の朔丙寅に、畝傍山東北陵に葬りまつる。

この埋葬地が具体的にどこだったのかは、既に室町時代頃には分からなくなっていた。いったん、元禄期に四条村の福塚と呼ばれていた高さ3mほどの塚が神武稜とされたが、位置的に「畝傍山東北陵」と言うには離れすぎていることから後に否定され、候補地として次の二箇所が残った。
1.畝傍山の東北山麓に位置する丸山古墳

2.畝傍山山麓から北東に300mほど離れた小字ミサンザイ(別名神武田じぶでん)


畝傍山と両者の位置関係は次のようになる[1]。


丸山は畝傍山の北側に張り出した尾根のほとりにあり、「畝火山の北の方白檮の尾の上」という古事記の記述に良く適合し、日本書紀の言う「畝傍山東北陵」という呼称にもふさわしい。実際、ここが神武陵の候補地としては最有力だったのだが、幕末の文久2(1862)年、こちらではなく、田の中に孤立した小塚であるミサンザイのほうが神武陵と決定された。その理由は、次のようなものだった[2]。


 問題となるのは,神武陵の候補地の丸山が被差別部落である洞に隣接していたことである。鈴木良が採集した言い伝えによると,神武陵探索の勅使を迎えるのに,200余戸の部落を「ムシロ」で囲い,部落の上手に一夜づくりの新道をつくったという(「天皇制と部落差別」) 。また陵墓の治定(決定)に発言力をもった国学者の谷森善臣は,朝廷に提出した「神武天皇御陵考」(『谷森家旧蔵関係史料』上,宮内庁書陵部所蔵,谷函249号)のなかで,

   然るに洞村之穢多治兵衛と申者,威霊なる地之由虚言申者有之ニ付き,
   近年神武帝殯殿之跡抔と申立候儀も出来候得共難心得儀ニ御座候

 「洞村の穢多治兵衛」という者が,丸山を「威霊なる地」であると虚言していると,治定にもっとも影響力のあった谷森は非難している。最有力地の丸山は,洞部落に隣接するゆえに,排除されたのである。

かくして神武陵は、差別ゆえに神武の埋葬地ではない可能性の高いミサンザイに誤って決定された。

いや、これは単なる「誤り」ではないのかもしれない。この「文久の治定」に約半世紀先立って儒学者蒲生君平(1768-1813)が行った天皇陵調査で、洞村について「相傳つたうるに、その民故もと神武陵の守戸しくなり。凡およそ守陵の戸はみな賎種。本もと罪隷をもって没入したる者は郷に歯ならばず」と報告されていた[3]。このことを、神武陵の治定に関わるほどの学者たちはみな知っていたはずである。彼らは、墓守集団としての洞村を従える丸山こそが神武陵に違いないと薄々感じていながら、被差別部落に隣接する古墳を天皇陵とすることを嫌って、あえてミサンザイを選んだのではないか。

ちなみに、この洞村は、後にさらなる悲劇に見舞われる。「神武御陵兆域※1ヲ眼下ニ見ルノ地位ニアリテ恐懼ニ堪ヘサルコト」[4]という理由で、1917年から20年にかけて強制的に移転させられたのである。この事件を小説『橋のない川』で描いた住井すゑは、次のように語っている[5]。


住井 あのう部落の移転なんかはね許されることじゃないですよね。

古田 ええ、ほんとほんと。

住井 その神武天皇の御陵にしたのが明治。出来上がったのが明治四年でしょ。それで大正の始めになって部落がそこにいるのは畏れ多いからって強制立ち退き食わすんですから、そんならそこに御陵作らなければいいんですよね。ところが大正になるともうみな忘れちゃって、昔っからその御陵はそこにあって部落は後で住んだような話に変わってんですよね。そいで強制立ち退きさされて近鉄の沿線にもう乞食小屋みたいに何百戸か住んでたわけです。今まあそれなりの家を建てて住んでますけどね。

  しばし沈黙


洞村は、丸山を「眼下に見る」位置にあるわけではない。部落差別の結果、間違った場所に神武陵が作られ、今度はそれを見下ろす位置に部落があるのはけしからんといって移転させられたわけである。いま、旧洞村は、丸山古墳とともに、「神武天皇陵」の周囲に人工的に作られた深い森の中に埋もれている。


                   神武天皇陵付近 -- Google Mapより


「天皇」などではなかった一地方豪族の墓を、差別ゆえに間違った場所に仰々しくでっち上げ、差別ゆえに墓守の民をその住処から追い払い、デタラメな年代比定に基いて「没後2600年」と称する祭祀を行う。まさに、天皇制というものの愚劣さを象徴する差別の祭典である。

【2016/4/17追記】
『皇陵史稿』という、洞村強制移転のほんの数年前の1913年に出版された天皇陵問題の研究書がある。
この本の中で著者は、洞村についてこう書いている[6]。重大な内容なので、全文引用する。


畝傍山は、なつかしい山である。
理屈は知らず、唯何となく、恋しく、懐つかしい「何事のおはしますかは知らねども」である。
理屈から云へば、畝傍山は何でも無いものかも知れん、畝傍山の宮居、畝傍山の御陵、と云ふのも、畝傍山を目安に取つただげて、畝傍山それ自身は何でも無かつたかも知れん。
が、かやうな切つても血の出ん、冷酷な、三百的な理屈は、此聖祖開国の地に、適用したく無い「畝傍山みればかしこし」と、宣長の吟じたのは、誠に国民の代表的讃嘆の言葉であると思ふ、吾等は、窮天極地、此山の尊厳を持続して、以て天壌無窮に、日東大帝国開創の記念としたいと思ふ。
驚く可し。神地、聖蹟、この畝傍山は、甚しく、無上、極点の汚辱を受けて居る。
知るや、知らずや、政府も、人民も、平気な顔で澄まして居る。
事実は、こうである。
畝傍山の一角、しかも神武御陵に面した山脚に、御陵に面して、新平民の墓がある、それが古いのでは無い、今現に埋葬しつつある、しかもそれが土葬で、新平民の醜骸はそのまま此神山に埋められ、霊土の中に、爛れ、腐れ、そして千萬世に白骨を残すのである。
士臺、神山と、御陵との間に、新平民の一団を住はせるのが、不都合此上なきに、之に許して、神山の一部を埋葬地となすは、事ここに到りて言語同断なり。
聖蹟図志には、此穢多村、戸数百二十と記す、五十余年にして、今や殆ど倍数に達す、こんな速度で進行したら、今に霊山と、御陵との間は、穢多の家で充填され、そして醜骸は、おひおひ霊山の全部を侵蝕する。
              (予が大和紀行中の一節)

学者でさえこれほど露骨な内容を書くのである。当時、被差別部落がどれほどの侮辱と蔑みに晒されていたかがよく分かる。洞村が強制移転させられたとき、特にこの墓地は、「一片の骨さえも残してはならない」と徹底的に掘り返された[7]という。

[6] 後藤秀穂 『皇陵史稿』 木本事務所 1913年 P.198
[7] まれびと 「おおくぼまちづくり館と洞村跡地」
【追記終り】

※1 墓域のこと。
[1] 高木博志 『近代における神話的古代の創造』 京都大学人文科学研究所 人文学報 2000年3月 P.19
[2] 高木 P.23
[3] 蒲生君平 『山陵志』 1803年または1822年
[4] 高木 P.33
[5] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一新書 1994年 P.73
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/12/220842

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神武は結局ナガスネビコには勝てなかった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/11/07/161559

先日、TLにこういうツイートが流れてきた。兄の五瀬とともに九州からやってきたイワレビコ(神武)が近畿に侵入したとき、最大の敵として立ちふさがった(トミノ)ナガスネビコ(記:登美能那賀須泥毘古 紀:長髄彦)についての話である。


天孫饒速日命を奉じて神武天皇の東征に抵抗した大和の豪族長髄彦は、神武側に寝返った饒速日に殺されてしまう。饒速日は河内の石切劔箭神社に祀られているが、生駒山中腹にある上之社の境内地が、昭和末期の近鉄新生駒トンネル工事の落盤で大陥没(続


国譲り神話にしろ「天つ神」以前からあった日本の信仰を「国つ神」と呼び変え、ルーツも実は天つ神にあったかのように語り、歓迎されながら受け入れられたように語ってるだけには見れる。そう考えるとキリスト教による異教の悪魔化や聖人信仰に取り入れての布教とさして変わりはしない。

確かに、日本書紀には、ニギハヤヒ(記:邇藝速日 紀:饒速日)がナガスネビコを殺して神武に降ったと書かれている。

日本書紀(神武即位前紀):


饒速日命、本より天神あまつかみ慇懃ねむごろにしたまはくは、唯天孫のみかといふことを知れり。且また夫かの長髄彦の禀性ひととなり愎佷いすかしまにもとりて(ねじけていて)、教ふるに天人きみたみの際あひだを以てすべからざることを見て、乃ち殺しつ。其の衆もろびとを帥ひきゐて帰順まつろふ。天皇、素もとより饒速日命は、是天より降れりといふことを聞しめせり。而して今果して忠効を立つ。則ち褒ほめて寵めぐみたまふ。此物部氏の遠祖なり。


しかし、古事記ではだいぶ様子が違っているのだ。

古事記(神武記):


 然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、

  みつみつし 久米の子らが

  粟生あはふには 臭韮かみち一茎もと、

  そねが茎 そね芽繋ぎて

  撃ちてしやまむ。(歌謡番号12)

 また、歌よみしたまひしく、

  みつみつし 久米の子らが

  垣下に 植ゑし山淑はじかみ、

  口ひひく 吾は忘れじ。

  撃ちてしやまむ。(歌謡番号13)

 また、歌よみしたまひしく、

  神風の 伊勢の海の

  大石に はひもとほろふ

  細螺しただみの、いはひもとほり

  撃ちてしやまむ。(歌謡番号14)

(別の豪族兄師木えしき弟師木おとしきについての歌謡 -- 略)

 かれここに邇藝速日の命まゐ赴むきて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子天降りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り来つ」とまをして、天つ瑞しるしを献りて仕へまつりき。かれ邇藝速日の命、登美毘古が妹登美夜毘売とみやびめに娶ひて生める子、宇摩志麻遅うましまぢの命。こは物部の連、穂積の臣、婇臣が祖なり。かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏まつろはぬ人どもを退そけ撥はらひて、畝火うねびの白檮原かしはらの宮にましまして、天の下治らしめしき。

「撃ちたまはむとする時」というのは、これから戦いを始めようとする時、である。登美毘古(ナガスネビコ)との開戦を前に「撃ちてしやまむ」と歌って盛んに気勢を上げているわけだが、そこからいきなり、戦いの描写もなく、「勝った」も「殺した」もなく、ニギハヤヒの帰順の話になっている。これはどういうことなのか。

普通に考えれば、それは「勝てなかったから」だろう[1]。


 その三が、もっとも重要だ。冒頭に「将撃登美毘古之時」とあり、「対、登美毘古戦」の開始前の歌だ。そしてその後の歌はない。つまり、「勝利の歌」もしくは「勝利後の歌」を欠いているのである。地の文でも、「登美毘古を斃した」とは記していないのだ。これは何を意味するか。

 わたしには、その答えは一つだと思われる。「神武は敗けた」、あるいは「勝てなかった」のだ。なぜなら、実際は勝ったのに、その事実をカットする、あるいは書き忘れる、そんな史書があるだろうか。ありはしない。『古事記』が天皇家側の史書である以上、これは不可避の判断である。

 歌の問題も同じだ。もしこれが後代の「造作」、もしくは挿入なら、なぜ勝利の歌を偽作、もしくは偽入しなかったのだろう。簡単なことだ。勝利前の歌は作れても、勝利後の歌は作れない。そんな不器用な「造作」者、あるいは半端な「挿入」者など、わたしには想像できない。

 以上の考察の意味するところ、それは何か。神武は大和盆地に侵入した。それには確かに成功した。しかし、外部(大和盆地外)の勢力たる登美の長髄彦たちには勝ちえなかった。これがありていな状況だ。したがって、

   故、此の如く、荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひ、

   畝火の白檮原の宮に坐して、天の下を治らしき。(『古事記』神武記)

という、有名な一文も、この盆地内の支配を宣言したものにすぎなかったのである。

仮に神武がナガスネビコを倒していたなら、神武は河内をはじめとするナガスネビコの支配領域を手に入れていたはずである。しかし実際には、神武どころかその後も8代にわたって近畿天皇家は奈良盆地外に勢力を広げることができなかった。この点から見ても、神武がナガスネビコに勝てなかったのは明らかだろう。ニギハヤヒがナガスネビコを殺して投降したという日本書紀の記述は、神武の事蹟を誇張するために付加された作り話なのだ。

ちなみに、ニギハヤヒに関する記述は、これ以外にも古事記と日本書紀とで大きな違いがある。日本書紀では、まずニギハヤヒが先に天降り、ナガスネビコはこれに臣従していたことになっている。

日本書紀(神武即位前紀):


 時に長髄彦、乃ち行人つかひを遣して、天皇に曰さく、「嘗むかし、天神の子有ましまして、天磐船に乗りて、天より降り止いでませり。号なづけて櫛玉饒速日命(略)と曰す。是吾が妹三炊屋媛みかしきやひめ(略)を娶りて、遂に児息みこ有り。(略)故かれ、吾、饒速日命を以て、君として奉つかへまつる。夫それ天神の子、豈あに両種ふたはしら有まさむや。奈何いかにぞ更に天神の子と称なのりて、人の地くにを奪はむ。吾心に推おしはかるに、未必為信いつはりならむ」とまうす。

一方古事記では、上で引用したとおり、ニギハヤヒが「天降った」のは神武より後で、またナガスネビコがこれに臣従したという記述もない。恐らくニギハヤヒは神武と違ってナガスネビコと敵対せず、妻と土地を与えられて共存していたのだろう。記紀ともにニギハヤヒが神武に帰順したことになっているのは、その子孫である物部氏などの有力豪族を天皇家に結びつけるために、先祖の代から天皇家に仕えていたことにしたのではないだろうか。

[1] 古田武彦 『古代は輝いていた(2) 日本列島の大王たち』 朝日新聞社 1985年 P.27

※本記事中に引用した古事記の読み下し文は、武田祐吉訳注・中村啓信補訂解説 『新訂 古事記』(角川文庫 1987年)に基き、一部変更・補足している。

※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/11/07/161559

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ではこの機会に「神武天皇の偉業」wを振り返ってみようか
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/03/091039

「文化の日(=日本国憲法公布の日)」である今日11月3日をかつての「明治節」に戻したい反動議員たちが集会を開いたそうだ。民の生活を良くするための努力は何一つしないくせに、旧大日本帝国の正当化にだけは実に熱心だ。このような者たちを国会議員でいさせておくことこそ国家的損失、税金の無駄使いというものだろう。

中でも我らが防衛大臣、稲田朋美氏の発言は傑作である。(朝日新聞 11/2)


 稲田朋美防衛相も「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と語った。

 
「神武天皇の偉業」ww

私は、後に「神武」と呼ばれることになる人物は3世紀頃に実在したと考えているが、この男がやったことは、『古事記』を素直に読み解けば以下のとおりである。

1.野心だけは満々だが九州では出世の望めない傍系の兄弟が、
2.各地の豪族たちから支援を獲得して軍勢を整え、大阪湾から近畿に突入
3.しかし待ち受けていたナガスネビコに敗れて総大将の兄は討ち死に
4.生き残った弟(神武)が紀伊半島を迂回して熊野方面から奈良盆地に侵入
5.だまし討ちと虐殺を繰り返したあげく、ようやく奈良盆地の一角を占拠
6.しかし結局そこから一歩も出られず、大和の人々の憎悪に囲まれたまま、一地方豪族として死んだ

もちろん、天皇に即位したなどというのは、後世の作り話である。


21世紀にもなって、いまだにこんなものを「偉業」だの「日本のよき伝統」だのと妄想する者たちが政権を握っているのだから、なんとも恐ろしい。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/11/03/091039

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初期天皇家の引っ越し事情w
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452

今日は紀元前660年のこの日に「神武天皇」が即位したという大嘘を根拠に明治クーデター政権が勝手に決めた「建国記念の日」なので、神武と初期天皇家に関するデタラメを一通り指摘しておくことにしよう。

■ 「神武天皇」などいなかった

まず初代の「神武」。

私は、記紀の神武説話のもととなった歴史上の人物は恐らく実在した(3世紀頃)と考えているが、この男は到底「天皇」などと呼べる存在ではなかった。記紀の説話を皇国史観イデオロギーに囚われずに読めば、この男は軍勢を引き連れて九州から近畿に攻め込み、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、ようやく奈良盆地の一角に拠点を確保した侵入者に過ぎない。


支配領域の広さから言っても、この男は当時の近畿にたくさんいた地方豪族の一人に過ぎず、天皇に「即位」したなどというのは大嘘である。


ついでに言うと、「神武」というのは後世になってつけられた諡おくりな(漢風諡号)であり、当時こんな名で呼ばれていたわけではない。本来の名前は「サヌ」だろう。

要約するとこんな感じだ。

1.野心だけは満々だが九州では出世の望めない傍系の兄弟が、
2.各地の豪族たちから支援を獲得して軍勢を整え、大阪湾から近畿に突入
3.しかし待ち構えていたナガスネビコに敗れて総大将の兄(イツセ)は討ち死に
4.生き残った弟(サヌ)が紀伊半島を迂回して熊野方面から奈良盆地に侵入
5.だまし討ちと虐殺を繰り返したあげく、ようやく奈良盆地の一角を占拠
6.しかし結局そこから一歩も出られず、大和の人々の憎悪に囲まれたまま、一地方豪族として死んだ


■ 初期天皇家の「非常に規模の小さな歴史」

サヌに続く8代の「天皇」については、ほとんど説話が伝えられていないが、各「天皇」がどこに拠点(宮)を置き、どこに葬られたかについては記紀に記載があるので、そこから彼らの足跡を辿ることができる。

この点に関して、評論家・哲学者の山田宗睦氏が興味深いことを述べている。戦前の皇国史観教育を受けて育った氏は、教えられたことをそのまま信じていたが、大学に入って『古事記』を手に実際に各「天皇」の「都」の地を訪ね歩いたところ、初期天皇家の歴史が「非常に規模の小さな」ものだったことに気がついたというのだ。[1]


山田 皇紀二千六百年のようなことに対して私は当時中学生だけれども、受けていた教育が教育だから何も疑問は持たなかったね。(略)神武天皇は実在していたと思っているし、綏靖・安寧全部いて、万世一系で昭和天皇まで来ているんだということも信じていた。(略)昭和18年10月に京都大学に入った時から、古事記を手にして古事記に書いてある通りに歩いて行くわけね。
林 そういう点では非常に身近かに古事記・日本書紀はマスターしているわけですね。
山田 そうだ。本当にあったことだと思っているから、初代の神武天皇から始めて次の天皇はどこへ都したのか、どこそこと書いてあるのを見てそこへ行ってね、なんだ、ほんのちょっとこの部落から次の部落へ、都を遷したなんて、こんな……。
林 (笑)。
山田 自分で歩いてみて初めてね、なんていうか非常に規模の小さな歴史なんだっていうことが、分かる。大学へ入ってもまだ書いた通り信じているわけだから、それが実際にそうやって歩いてみることで崩れていくわけですよ。
林 うーん。
山田 ああいうのはどういう体験かなあ。古事記そのものじゃなくて、古事記を読んで作られた天皇制イデオロギーを教えられているわけでしょう。だから古事記を読むことによってかえって習ったのとは違うじゃないか、という意識が出るわけですよ。何で女を奪い合って天皇がケンカをするんだとかね、何かそういうことが疑問になって出てくる。イデオロギーのこわさというか、古事記に書いてあることとも違うことを建て前として教えられていたのが、旧制高校で古事記を読んで少し違うんじゃないかと思いだす。そして京都大学へ入って、古事記を持って歩いてみたら、何だ日本の歴史ってのは何か引越し位の、都を遷したなんてのと違うじゃないかというふうに思い始めた。
一同 (笑)。

では、実際にその歴史の規模を確認してみよう。

サヌ(神武)からオホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)までの各「天皇」の「宮」の位置は、『古事記』[2]によれば次のようになる。


代 名前 宮 比定地(奈良県)


1 サヌ(神武) 畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮 橿原市畝傍山東南

2 カムヌマカワミミ(綏靖) 葛城(かづらき)の高岡(たかをか)の宮 御所市森脇

3 シキツヒコタマテミ(安寧) 片塩(かたしほ)の浮穴(うきあな)の宮 大和高田市三倉堂付近

4 オホヤマトヒコスキトモ(懿徳) 軽(かる)の境丘(さかひをか)の宮 橿原市大軽町見瀬付近

5 ミマツヒコカヱシネ(孝昭) 葛城(かづらき)の掖上(わきがみ)の宮 御所市池之内付近

6 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安) 葛城(かづらき)の室(むろ)の秋津島(あきつしま)の宮 御所市室


■ Google Mapで根拠地の移動を確認してみる

これをGoogle Map上にプロットしてみると、各世代ごとの根拠地の移動は次のようになる。


http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452


サヌ(神武)→ カムヌマカワミミ(綏靖)


カムヌマカワミミ(綏靖)→ シキツヒコタマテミ(安寧)


シキツヒコタマテミ(安寧)→ オホヤマトヒコスキトモ(懿徳)


オホヤマトヒコスキトモ(懿徳)→ ミマツヒコカヱシネ(孝昭)


ミマツヒコカヱシネ(孝昭)→ オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)


全体をまとめてみても、縦横7〜8キロ程度の範囲を行ったり来たりしているだけである。

山田氏の言うとおり、ナントカ天皇が「◯◯の宮にましまして、天の下治しらしめしき」などと大仰に書かれている初期天皇家の歴史が、実際にはいかに規模の小さいものだったかがよく分かる。

[1] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一書房 1994年 P.132-133
[2] 武田祐吉・中村啓信 『新訂 古事記』 角川文庫 1982年 P.83-89
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/02/11/122452


▲△▽▼

大和には天皇家より古い「万世一系」の家があった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219

「神武天皇陵」問題の記事でも引用した住井すゑ氏と古田武彦氏の対談本の中に、非常に面白いエピソードが書かれている[1]。

古田 そうですか。いやァあのね、私吉野でね、古事記に案内した人出て来ますね、あの子孫だっていう材木問屋の社長さんいましてね、額にかけて非常に自慢しとられた。ところでその後帰って来てからね、私のところへ知らぬある人から手紙が来まして、その人は京都大学の工学部へ入ったんだけど、例の学園闘争かなんかでね、途中でやめて材木会社に入ったと。そして木材の買付けで吉野へ行ったと。そしてある農家の家に泊ったと。でその農家の主人と酒飲んで話してるうちにその農家の主人が泣き始めるわけ、なんでかというたら「私の先祖は神武天皇が入って来た時に特に撃退してこれを食い止めた家なんだ」と、「そういうことをね、近所は皆知っとるよ、だからもう本当にね、戦争中はつらかった」と。

住井 はあァ。

古田 あれは逆賊の家や。それが敗戦になってやっとほっとしたけど、今でもつらい、と言ってね酒飲んでさめざめと泣くんだそうですよ。もう徹夜で語ってくれたそうです。ところがね、その聞いた方の人は、神武天皇は架空だと思ってるわけ、津田左右吉のあれで。だから、何この人言ってんだろうと思うてね……。

住井 ワハハハ……。

古田 私の本『盗まれた神話』というのを読んだわけです。そしてさっきのような神武はリアルだというのを読んでね、ああそうかと、それならあのおやっさんの気持もわかる、というんで私に調査に行ってほしいというお手紙をいただいたんです。だからなんか、そういうね、大和っていうのはいまだにそういうの生き残ってるんですね。

住井 残ってますね、ええ。


この農家のご先祖は、外来の侵略者であるイワレビコ(神武)たちと戦い、愛する郷土の土地と人々を守ったわけである。実際、古事記を見ると、吉野は神武の侵入経路上に名は出てくるが、神武が橿原に拠点を築いた後は地名として出てこない。次に「吉野」が現れるのは、ずっと後の応神天皇(15代)の時代である。少なくとも神武から数世代の初期の頃は、吉野はまだ近畿天皇家の支配領域には入っていなかったと思われる。

近畿天皇家の始祖は神武と言われているが、実際には仲哀(14代)→応神(15代)、武烈(25代)→継体(26代)と王朝交替を繰り返しており、実態としては決して「万世一系」などとは言えない。一方、この農家のご先祖は、はるか昔から大和に根付いて暮らし、侵略者神武と戦って郷土を守り、その後もずっとこの土地で代を重ねてきた。これこそが、誇るべき真の「万世一系」ではないだろうか。


[1] 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 『天皇陵の真相』 三一新書 1994年 P.91-93
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c131

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
132. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 19:24:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]

日本の歴史はその始まりから嘘だらけ


公的記録を改ざんし、あるいは捏造するという手口自体はもっとはるかに古く、この国の歴史の黎明期から始まっている。

現存する日本最古の歴史書である古事記は712年、次の日本書紀は720年に成立している。ほぼ同時代に二種類の史書が作られた理由が不明である上、古事記は後の史書にその成立が記載されていないことから偽書説が唱えられたこともあるが、現在ではほぼ否定されている。

この古事記と日本書紀の内容は、全体としてはよく似ているが、いくつか重大な違いがある。

たとえば、景行天皇ことオホタラシヒコオシロワケ(12代)の九州大遠征。日本書紀によれば、景行は軍を率いて九州に渡り、ほぼ時計回りに九州を一周しながら多くの敵を打ち破る大遠征を行っている。日本書紀の記載のとおりなら、このときヤマト王権は初めて九州全土を支配下に収めたことになり、まさに赫々たる大戦果と言える。

図版出典:[6]

ところが、景行のこの重大な事績が、古事記には一切現れないのだ。古事記に出てくる景行の事績といえば、「田部たべを定め、また東あづまの淡あはの水門みなとを定め、また膳かしはでの大伴部おほともべを定め、また倭やまとの屯家みやけを定めたまひ、また坂手さかての池を作りて、すなはちその堤に竹を値ゑしめたまひき」という程度でしかない[7]。池を作って竹を植えたなど、どう考えても九州大遠征より優先して書くべきことではないだろう。

これは一体どういうことなのか。古田武彦氏が説明するとおり、実際に行われた大遠征を天皇家の史書である古事記が無視することなどあり得ない以上、日本書紀が話をでっち上げた(あるいは天皇家以外の史書から剽窃した)と考えるしかない[8]。


 (六)一番肝要の点、それはこの華麗な景行の九州大遠征譚が『古事記』に全く出現しないことである。これは記紀間の大矛盾だ。

 以上、この矛盾をいかに解くべきか。その根本は(六)にある。記紀いずれが原形、いずれが改変形か、という問題である。これに対するわたしの基本の立場は次のようだ。“記紀ともに、近畿天皇家内の成立である以上、天皇家にとって有利に加削することはあっても、不利に加削することはありえない”――この公理だ。

 そして右の有利、不利とは、もってまわった考察や、一部のインテりにのみ通じるような、うがった見方の類からではなく、万人に通ずる明々白々たる印象にもとづくものでなければならぬ。

 このような立場から見るとき、問題の景行の九州大遠征譚が、近畿天皇家にとって赫々たる大勝利譚であり、光栄ある大親征譚の形をとっていることは、疑いを容れない。

 これを記載した『書紀』の方が原形であるとすると、『古事記』の作者(伝承者・記録者等)がこれを削除したこととなる。これは先の公理によってみると、ありうることではない。

 これに対して『古事記』の方が原形とした場合、『書紀』はこれを付加・挿入したこととなろう。この方が、先の公理から見ると、ありうるケースである。

 以上の吟味によってみれば、景行の九州大遠征譚は、他からの挿入によるもの、そのように見なすほかはないのである。

この他にも、ヤマトタケルことヲウス(景行の子)による東北地方の蝦夷征伐、神功皇后ことオキナガタラシヒメ(14代仲哀の妻の一人)による九州筑後での征伐など、古事記には現れず日本書紀にだけ書かれている征伐譚が存在する。

私は、古事記は日本書紀の「ボツになった試作品」だと考えている。なぜボツになったかといえば、天皇家の支配を正当化するための嘘の程度が足りず、当時の権力者を満足させることができなかったからだろう。

千数百年の時を経ても、時の権力者の都合に合わせて記録を改ざんし、あるいは継ぎ合わせて辻褄を合わせる官僚たちの心根は大して変わっていないのではないか。まさに骨絡みの嘘つき体質と言うしかない。


[6] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.118
[7] 武田祐吉訳注 『新訂 古事記』 角川文庫 1987年 P.110
[8] 古田 P.120-121
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c132

[近代史3] 天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統 中川隆
26. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月10日 19:25:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]

日本の歴史はその始まりから嘘だらけ


公的記録を改ざんし、あるいは捏造するという手口自体はもっとはるかに古く、この国の歴史の黎明期から始まっている。

現存する日本最古の歴史書である古事記は712年、次の日本書紀は720年に成立している。ほぼ同時代に二種類の史書が作られた理由が不明である上、古事記は後の史書にその成立が記載されていないことから偽書説が唱えられたこともあるが、現在ではほぼ否定されている。

この古事記と日本書紀の内容は、全体としてはよく似ているが、いくつか重大な違いがある。

たとえば、景行天皇ことオホタラシヒコオシロワケ(12代)の九州大遠征。日本書紀によれば、景行は軍を率いて九州に渡り、ほぼ時計回りに九州を一周しながら多くの敵を打ち破る大遠征を行っている。日本書紀の記載のとおりなら、このときヤマト王権は初めて九州全土を支配下に収めたことになり、まさに赫々たる大戦果と言える。

図版出典:[6]

ところが、景行のこの重大な事績が、古事記には一切現れないのだ。古事記に出てくる景行の事績といえば、「田部たべを定め、また東あづまの淡あはの水門みなとを定め、また膳かしはでの大伴部おほともべを定め、また倭やまとの屯家みやけを定めたまひ、また坂手さかての池を作りて、すなはちその堤に竹を値ゑしめたまひき」という程度でしかない[7]。池を作って竹を植えたなど、どう考えても九州大遠征より優先して書くべきことではないだろう。

これは一体どういうことなのか。古田武彦氏が説明するとおり、実際に行われた大遠征を天皇家の史書である古事記が無視することなどあり得ない以上、日本書紀が話をでっち上げた(あるいは天皇家以外の史書から剽窃した)と考えるしかない[8]。


 (六)一番肝要の点、それはこの華麗な景行の九州大遠征譚が『古事記』に全く出現しないことである。これは記紀間の大矛盾だ。

 以上、この矛盾をいかに解くべきか。その根本は(六)にある。記紀いずれが原形、いずれが改変形か、という問題である。これに対するわたしの基本の立場は次のようだ。“記紀ともに、近畿天皇家内の成立である以上、天皇家にとって有利に加削することはあっても、不利に加削することはありえない”――この公理だ。

 そして右の有利、不利とは、もってまわった考察や、一部のインテりにのみ通じるような、うがった見方の類からではなく、万人に通ずる明々白々たる印象にもとづくものでなければならぬ。

 このような立場から見るとき、問題の景行の九州大遠征譚が、近畿天皇家にとって赫々たる大勝利譚であり、光栄ある大親征譚の形をとっていることは、疑いを容れない。

 これを記載した『書紀』の方が原形であるとすると、『古事記』の作者(伝承者・記録者等)がこれを削除したこととなる。これは先の公理によってみると、ありうることではない。

 これに対して『古事記』の方が原形とした場合、『書紀』はこれを付加・挿入したこととなろう。この方が、先の公理から見ると、ありうるケースである。

 以上の吟味によってみれば、景行の九州大遠征譚は、他からの挿入によるもの、そのように見なすほかはないのである。

この他にも、ヤマトタケルことヲウス(景行の子)による東北地方の蝦夷征伐、神功皇后ことオキナガタラシヒメ(14代仲哀の妻の一人)による九州筑後での征伐など、古事記には現れず日本書紀にだけ書かれている征伐譚が存在する。

私は、古事記は日本書紀の「ボツになった試作品」だと考えている。なぜボツになったかといえば、天皇家の支配を正当化するための嘘の程度が足りず、当時の権力者を満足させることができなかったからだろう。

千数百年の時を経ても、時の権力者の都合に合わせて記録を改ざんし、あるいは継ぎ合わせて辻褄を合わせる官僚たちの心根は大して変わっていないのではないか。まさに骨絡みの嘘つき体質と言うしかない。


[6] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.118
[7] 武田祐吉訳注 『新訂 古事記』 角川文庫 1987年 P.110
[8] 古田 P.120-121
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/316.html#c26

[近代史3] 「万世一系」の虚妄 _ 日本はなぜ「万世一系」を必要としたか 中川隆
3. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月10日 19:25:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

日本の歴史はその始まりから嘘だらけ


公的記録を改ざんし、あるいは捏造するという手口自体はもっとはるかに古く、この国の歴史の黎明期から始まっている。

現存する日本最古の歴史書である古事記は712年、次の日本書紀は720年に成立している。ほぼ同時代に二種類の史書が作られた理由が不明である上、古事記は後の史書にその成立が記載されていないことから偽書説が唱えられたこともあるが、現在ではほぼ否定されている。

この古事記と日本書紀の内容は、全体としてはよく似ているが、いくつか重大な違いがある。

たとえば、景行天皇ことオホタラシヒコオシロワケ(12代)の九州大遠征。日本書紀によれば、景行は軍を率いて九州に渡り、ほぼ時計回りに九州を一周しながら多くの敵を打ち破る大遠征を行っている。日本書紀の記載のとおりなら、このときヤマト王権は初めて九州全土を支配下に収めたことになり、まさに赫々たる大戦果と言える。

図版出典:[6]

ところが、景行のこの重大な事績が、古事記には一切現れないのだ。古事記に出てくる景行の事績といえば、「田部たべを定め、また東あづまの淡あはの水門みなとを定め、また膳かしはでの大伴部おほともべを定め、また倭やまとの屯家みやけを定めたまひ、また坂手さかての池を作りて、すなはちその堤に竹を値ゑしめたまひき」という程度でしかない[7]。池を作って竹を植えたなど、どう考えても九州大遠征より優先して書くべきことではないだろう。

これは一体どういうことなのか。古田武彦氏が説明するとおり、実際に行われた大遠征を天皇家の史書である古事記が無視することなどあり得ない以上、日本書紀が話をでっち上げた(あるいは天皇家以外の史書から剽窃した)と考えるしかない[8]。


 (六)一番肝要の点、それはこの華麗な景行の九州大遠征譚が『古事記』に全く出現しないことである。これは記紀間の大矛盾だ。

 以上、この矛盾をいかに解くべきか。その根本は(六)にある。記紀いずれが原形、いずれが改変形か、という問題である。これに対するわたしの基本の立場は次のようだ。“記紀ともに、近畿天皇家内の成立である以上、天皇家にとって有利に加削することはあっても、不利に加削することはありえない”――この公理だ。

 そして右の有利、不利とは、もってまわった考察や、一部のインテりにのみ通じるような、うがった見方の類からではなく、万人に通ずる明々白々たる印象にもとづくものでなければならぬ。

 このような立場から見るとき、問題の景行の九州大遠征譚が、近畿天皇家にとって赫々たる大勝利譚であり、光栄ある大親征譚の形をとっていることは、疑いを容れない。

 これを記載した『書紀』の方が原形であるとすると、『古事記』の作者(伝承者・記録者等)がこれを削除したこととなる。これは先の公理によってみると、ありうることではない。

 これに対して『古事記』の方が原形とした場合、『書紀』はこれを付加・挿入したこととなろう。この方が、先の公理から見ると、ありうるケースである。

 以上の吟味によってみれば、景行の九州大遠征譚は、他からの挿入によるもの、そのように見なすほかはないのである。

この他にも、ヤマトタケルことヲウス(景行の子)による東北地方の蝦夷征伐、神功皇后ことオキナガタラシヒメ(14代仲哀の妻の一人)による九州筑後での征伐など、古事記には現れず日本書紀にだけ書かれている征伐譚が存在する。

私は、古事記は日本書紀の「ボツになった試作品」だと考えている。なぜボツになったかといえば、天皇家の支配を正当化するための嘘の程度が足りず、当時の権力者を満足させることができなかったからだろう。

千数百年の時を経ても、時の権力者の都合に合わせて記録を改ざんし、あるいは継ぎ合わせて辻褄を合わせる官僚たちの心根は大して変わっていないのではないか。まさに骨絡みの嘘つき体質と言うしかない。


[6] 古田武彦 『古代は輝いていた(2)』 朝日新聞社 1985年 P.118
[7] 武田祐吉訳注 『新訂 古事記』 角川文庫 1987年 P.110
[8] 古田 P.120-121
http://vergil.hateblo.jp/entry/2018/05/04/222222

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/411.html#c3

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
75. 2019年5月10日 19:37:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]
ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c75
[近代史3] 施 光恒 : 「グローバル化」とは「多国籍企業中心主義化」 中川隆
1. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 20:01:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]


2019年5月10日 令和と「日本語のこころ」
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/economy/13601


「令和」とは、外務省の対外的説明によれば「beautiful harmony」、つまり「美しい調和」を表すそうです。「令和」時代は、その理念を国内的にも国際的にも実現するような時代にするよう努めたいものだというような内容です。

「令和」の典拠は万葉集ですが、それも「美しい調和」を表していますよね。私は、もうだいぶ以前の本メルマガですが、評論家の故・渡部昇一氏の議論を引きつつ、次のような文章を書いたことがあります。

【施 光恒】「日本の平等」(『「新」経世済民新聞』2013年2月22日)
https://38news.jp/archives/01383

渡部氏は、『日本語のこころ』(講談社現代新書、1974年)という著書の中で、日本文化には「和歌の前の平等」という感覚が伝統的にあるとかつて論じました。

西洋の平等観の基礎には、「神の前の平等」や「法の前の平等」といった理念があると言われます。他方、渡部氏によれば、日本人の平等の感覚の基礎にあるのは、神や法の前での平等ではなく「和歌の前の平等」です。

それがよく表れているのが万葉集です。万葉集には、皇族や貴族だけではなく、農民や防人や遊女の歌も収められています。

渡部氏は次のように書いています。少し長いですが引用します。

「……誰でもしっているように、『万葉集』全二十巻、長歌や短歌など合わせて約四千五百首、その作者たちは上は天皇、大氏族の長から、下は兵士、農民、乞食、遊女まで含み、男女の差別もない。地域的にいっても中央に限らず、東国、北陸、中国、九州の各地方にまたがっており、まごうことなき国民歌集である。

このように全国民が身分や性別に関係なく参加できるものとしては、近代になっての選挙、あるいは義務教育による学校制度ぐらいのものであろう。その選挙ですら最初は貴族や上流階級にしか参加権はなく、国民一般に及んだのは十九世紀末、しかも女性に及んだのは第一次大戦後である。日本では第二次大戦後である。そこでようやく「法の前に平等」ということから、女性も投票や立候補ができるようになった。

しかし八世紀の『万葉集』には下層階級の女性も参加しているのだから、これはどうしても日本人は「和歌の前に平等」であると言わなければなるまい」(同書、50頁)。

渡部氏は、『日本語のこころ』のなかでさらに興味深い点についても触れています。
万葉集も、それよりも時代が後になりますが古今集などの勅撰和歌集も、ほぼ大和言葉だけで書かれています。外来語である漢語はほとんど出てこないのです。

古今集の時代(おそらく万葉集の時代も)、当時の貴族などの上層階級には、漢文の素養のある人々はたくさんいました。

例えば、小野篁(おののたかむら、802〜853年)は、当代きっての漢学者として知られた人物でした。もちろん、漢詩もたくさん残しています。

ですが、古今集に収められている小野篁の和歌にはやはり漢語はひとつもでてこないのです。例えば、以下の歌です。

花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだににほへ 人の知るべく
(白い梅の花は雪にまじって見分けがつかないけれども、香りだけでも放ってほしいものだ、どこに咲いているかわかるように)

渡部氏は、このような和歌は当時の上層階級、知識階級の者たちだけではなく、一般庶民でも(たとえ文字の読めない人々であっても)、わかったのではないかと指摘しています。漢籍に通じた学者でも、和歌には漢語を使わなかったというのは、日本人ならだれでもわかるということを重視したからではないかと述べるのです。

私もそうではないかと思います。古今集のような勅撰和歌集、あるいは万葉集のような和歌集が編纂されたのは、やはり当時の日本の人々の連帯意識の表明という側面があったのではないでしょうか。

つまり、貴族だろうが、庶民だろうが、大和言葉を話す我々は、皆、仲間である。身分の差、貧富の差、男女の別などがあったとしても、もののあはれを知るという根本的な面では、同じなのである。そういういわば国民的連帯の表明が、万葉集には込められていたのでしょう。

ちなみに、小野篁の上記の歌は、約1200年も後の時代に生きる私にもわかります。おそらく、中学生以上ぐらいであれば、現代の日本人のほとんどの人がわかるでしょう。大和言葉を用いた和歌は、世代を超える力を持つと言えます。世代を超えた連帯の表明でもあるといえるかもしれません。

「上級国民」「老害」といった国民の分断、世代の分断を表す嫌な言葉が最近、よく使われるようになっています。

「令和」は、こういう言葉が生まれてこないまさに「美しい調和」が日本で回復される時代になってほしいものです。
https://38news.jp/economy/13601
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/397.html#c1

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
6. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月10日 21:55:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

【「ボブ・ディラン」の変人伝説】 
経歴詐称でデビュー、ビートルズにマリファナ指南、日本の担当者との面会は18年間でわずか30秒、歌詞の無断引用も 2018/10/19
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181019-10000013-shinchos-ent


 2016年10年「ノーベル文学賞」を受賞したボブ・ディラン。12月に行われた受賞式を「先約のため」欠席するなど話題を呼んだが、この人の遍歴を見ればむべなるかな。「常識」では計り知れない、シャイで気まぐれな天才シンガーの「変人伝説」を紹介する。

 ***

 ノーベル賞の歴史で、辞退を申し出たのは4人だけである。哲学者のサルトル(文学賞)もその1人だが、「神聖化されるのを望まない」というのが、断った理由のひとつだった。

 10月13日、ボブ・ディラン(75)に対するノーベル文学賞授与を発表したスウェーデン・アカデミーは、「5人目」が出るかも知れないと心配したに違いない。なにしろ、受賞を告げようにも連絡が取れたのはディランのエージェントとツアーマネージャーだけ。本人とは話ができずじまいで、なにより、ディランから歓迎のメッセージが発表されなかったからだ。

 受賞のニュースが流れたその時間、ディランはラスベガスのホテル「ザ・コスモポリタン・オブ・ラスベガス」にいた。1988年から続けている「ネバー・エンディング・ツアー」に出演するためだ。

 この時、ホテルの外の巨大スクリーンに〈受賞おめでとう! 〉との映像が流れたが、直前までチケットが売れ残っていたという。

 午後8時、会場に現れたディランは普段より上気しているように見えた。

「薄いグレーのタキシードに紐ネクタイ姿でディランがステージに現れると観客は、一斉に立ち上がって拍手で迎えました。そして、最初の曲を歌い終えるとまた拍手の嵐。彼は、何か話したそうに見えましたが、結局、マイクに向かって歌い続けたのです」(コンサート会場にいたジャーナリスト)――。

(「週刊新潮」2016年10月27日掲載。※データは全て当時のもの)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181019-10000013-shinchos-ent
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c6

[政治・選挙・NHK260] An Open Letter to Emperor Akihito退位する明仁天皇への公開書簡:
 For establishing a genuine democracy in Japan日本… 赤とんぼ
1. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月10日 21:58:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]
私が学生の時だが、友人は、

[美智子妃殿下は皇太子が知的障害があるので、それに絶望して自殺未遂を二回した]

と言い張っていたよ。


[皇太子(今上天皇)は知的障害なのは公然の秘密]と言っていたな。

理由は[近親婚]を繰り返したから。

____


匿名 より: 2019年5月8日 4:47 PM


ガールズちゃんねる からの引用

35624. 匿名 2019/05/07(火) 17:51:11

知り合いがかなり中の仕事していたんだけど

上皇はまるで会話が成り立たないので
美智子さん頼みだったみたい

それで窓口が全部美智子になり
牛耳られたし女帝と化した
https://rondan.net/21900


▲△▽▼


皇太子さまは、学校での授業についていくのに大きな努力をされていたので、お友達との交友を深める時間や余裕がなかったという記事を目にしたことがあります。

学業にかなりの努力がいったことにより、社会的コミュニケーションが極めて偏狭な殻に閉じこもった状態のまま、周囲がなんでも手配してくれる環境におられたことで、奥さんのご実家文化や気性とぴったり合って、固まってしまったのかもしれません。今、医師も誰も寄せ付けない状況で、ご行楽に励むのが嬉しいのであれば、国民にとっては「手立てなし」を、クールにみるしかないと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1493213639

▲△▽▼


秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でないという噂は、関係各位に根強く伝承されている。

遡ること四十数年、昭和天皇の后や、后の取り巻き女官たちから陰湿なイジメを受けた美智子妃殿下 (当時) は、精神に深いダメージを受け、那須の御用邸で一人寂しい静養生活を送っていた。


生まれついての貴種である前の皇后にとって、平民出身の美智子妃殿下の一挙一動作がしゃくの種。 子供 (浩宮) の育て方に始まって、手袋の持ち方一つにもアヤをつけたのである。

悩み多き貴婦人の警護を担当していたのが、若き偉丈夫の皇宮警察官。 深い同情が恋情に変わり、いつしか二人は恋に落ちたというのが、まことしやかな警察物語である。

そして、皇太子 (当時) と没交渉の筈の妃殿下に、懐妊のニュースが流れることになる。 

道ならぬ恋の噂は、宮内庁首脳にも届いている。 だからと言って、出産を止める手だてなどあろう筈もない。 そこで代々の宮内庁長官に、一つの言葉が引き継がれることになった。 

「皇位継承者は浩宮の血脈から ・・・」 と、である。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060208-3.html


2018.08.18
美智子皇后の正体|F氏の手紙・入内、出産後の信じられない女帝の奔放
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/22/2016102220161022120000/
コメント欄に、国民が緊急に知っておくべき重要な情報提供が有りましたので記事としました。一部は私も耳にしていた情報ですが、多くの謎の鍵を説く決定的証言が有りました。

・・・・以下転載です・・・・・

コメント欄

ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。

表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。

ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。

真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

昭和帝のご長女様が若くしてガンで亡くなった直後にミテ子は一家でリゾートに旅行し、あろうことか長女を亡くしてふさぎ込む香淳皇后に皇室のクレームをつけています。

盗宮を生んだミテ子さんは調子に乗りすぎて香淳皇后をないがしろにする態度がひどく目に余るようになり、昭和帝はリンチを命じたのだろうと伝わっています。

その後ミテ子さんは甲状腺の病気を発症してどんどん痩せて…顰蹙を買いながら昭和帝が亡くなるのを待って自分らの代になり…今に至るところでしょう。

旧宮家関係もミテ子さんのカッコウや別腹説やリンチは知っているでしょうが内々でしか話さない。

ミテ子は面倒なキャラクターだから。闘争か何だか知りませんが、清浄な中に土足で入って行って何もされないのがどうかしています。皇室を舐めてかかったミテ子さんと取り巻きが甘かったのでしょう。排除されても仕方がない事です。

≪私の返事≫

貴重な情報有難うございました。驚くべきことがあったんですね。

美智子が、徳仁ばかり可愛がって、文仁親王や、清子様に冷たい意味がよくわかりましたよ。自分の産んだ子が徳仁だけだから、愛子を女帝にと固執するのがよくわかりまし

た。たとえ東宮は自分の腹を痛めた子でも、東宮ほど両親にも、兄弟にも、祖父母にも、母方の祖父母や叔父叔母にも似ていないのが昔から不思議でした。

ただ、読者様から情報提供のあった、朝日新聞の皇太子妃正田家担当で、入内後も浩

宮担当をした。佐伯晋が浩宮にそっくりですね。

佐伯は、婚約が決まったころ、ある夜、正田美智子を連れ出して、朝帰りしたそうです。その時の美智子の言い訳は「昨晩のことはよく覚えていない」だそうです。許嫁のいる娘を、新聞記者とデートに出す、母親の富美子も富美子だと思いますが、あの「大陸夫人」ならやりかねませんね。

≪FXさんのコメント≫

その噂、私も聞いたことがあります。

美智子夫人の産んだ子供は、ナル殿下お一人、

実は文仁親王は、某女優(加◯さくら)の子、正田冨美さんは宮中に伺う時、お土産をナル殿下の分しか用意しなかったという・・・、都市伝説のようなものかと、その時は、笑って聞いていましたが・・・(怖っ)。


≪私のコメント≫

私が、一部知っていたのは「美智子さんが、流産し、その時誰かから嫌みを言われたので、狂乱状態になり、拘禁服を着せられて、葉山の御用邸にいかれ、2,3か月療養されたとのこと。

何故流産ぐらいで発狂し、拘禁服を着させられたかが疑問でしたが、F氏の証言で腑に落ちました。侍従らに折檻されて、「石女(うまずめ)」にされたんですね。びっくりしましたが、表面に出ないだけで、皇室内の折檻というのは、昔からあったのではないでしょうか?

江戸時代、武家の家では妻が浮気すると、間男を捕まえ、二人を裸にして、女を上に乗せ、一太刀で真っ二つにしたそうです。

「姦婦姦夫の重ね斬り」と言います。普通の武家の家でそうですからね。

2800年続く、世界最古の王家で、しかも世界最高権威をもつ日本の天皇家に、史上初めて民間から入内した嫁が、人の良い皇太子を騙して、東宮出産後も間男と「昼下がりの情事」を楽しむなんて、戦前は大日本帝国の大元帥のヒロヒトとして、世界から恐れられた、気性の激しい昭和天皇を激怒させたのです。

「殺されなかっただけ感謝しろ」の話ですよ。

ロミオとジュリエットの様に、皇太子が熟睡した深夜、東宮御所の外の森で、逢引するぐらいなら未だ可愛げがありますが。白昼堂々ですからね。婚約交渉の時、母親の富美子が、昭和天皇に散々の悪態をつき、記者のカメラが向くと決まって不機嫌な表情をする。母親のこうした「日本人離れした」態度を見て、美智子も横着になったんでしょう。

ある皇室ブロガーさんの豊富な写真を見ると、ナルへの溢れんばかりの愛を隠さない美智子さんと、無視された無念さをかみ殺す文仁親王と複雑な表情の清子内親王の対照的な姿。

★お土産をなるの分しか用意しなかった用意しなかった正田富美、用意がいいですね(笑)ある意味、托卵を積極的に仕組んだのはこの母親です。朝日新聞の佐伯晋との子であることも知っていたでしょう。娘が折檻されることも計算のうちだったかもしれません。

正田富美(旧姓副島、上海生まれの佐賀人;本籍多久市)のこの天皇家に対するあくなき敵意、婚約交渉中の昭和天皇に対する発言、天皇家を「あちらよばわり」「婚約はストラングル(闘争)です」、婚約後の会見で不機嫌そうに「最良の結婚と最適な結婚は違うんですよ」等々、

少なくとも武家の家柄(副島氏は多久藩2万石の下級武士)では口を裂かれても言えない言動です。どうさかさまから見ても朝鮮人です。しかも夫の正田英三郎は出自は部落民です。

石高2万石と言えば、旧日本陸軍の研究では、1万石で兵士250人、2万石だから、武士階級は500人いるかいないかの超小藩です。特に本藩の佐賀藩は、支藩に対する搾取がきつく、特に多久は、鍋島家の元主家竜造寺家(家老鍋島直茂は主人の竜造

寺家を乗っ取った)の藩ですから、搾取はより一層きつかったらしいです。

ですから、多久の下級武士は相当生活が苦しかったはずです。維新後、副島家からは、ブラジル移民も出ましたが、普通の武士階級では海外移民などいきませんよ。平民以下の人が多かったのです。

加えて戦中上海生まれとする自称日本人には在日朝鮮人がいます。

元総理の鳩山由紀夫の妻、鳩山幸が両親とも在日朝鮮人でした。なんせ、戦前は各国の租界が有り、列強の謀略戦が繰り広げられ「魔都」と呼ばれた上海ですから、日本人と

言っても疑ってかかるのが正解です。

昭和天皇は嫁が産んだ男子が、長男の子ではない、浮気相手の男の子だという事を直観的に感ずいていたのでしょう。

カッコウの雛鳥には「徳仁」の「徳」という、最も不吉な文字を付けました。

私はこれは昭和天皇が行った一種の呪詛だと思います。徳仁の即位を絶対に阻止するつもりだったのでしょう。

ご自分の死後、皇太子妃の美智子が【皇室を破壊すること】を読んでいたと思います。カッコウの雄鳥の朝日新聞記者の佐伯晋は、そのご、旧宮家、家族周辺から噂が広まり、上司の追及を受け、「美智子との関係をげろったそうです」

とっくに朝日は退職してますが、顔を見ると東宮と瓜二つです。

東宮は両親に似ていない、弟、妹とも似ていない、祖父母、従姉とも似ていない。正田家の祖父母とも似ていない。叔父叔母とも似ていない。従姉とも似ていない。

似ているのが佐伯だけだという皮肉。

英国、初め世界の人気者だった故ダイアナ妃は夫のチャールズがカミラ夫人との浮気を知ると、騎兵で馬術のインストラクターであったジェームズ・ヒューイットと5年間不倫しました。

英国王室の法律では、皇太子の妃を寝取った男は、死刑だそうです。未だにヒューイットは刑死していませんが、これは、チャールズも離婚後、人妻カミラと再婚した負い目もあるでしょう。

DNA鑑定やって、佐伯との「親子関係」が確認されれば、東宮は皇位継承権を失うし、前代未聞とは言え、佐伯はイギリス並みに死刑相当だと思います。そして、ここでまた朝日新聞だ。50年以上前とは言え、社員が犯してはいけない罪を犯した。

戦前は「大逆罪」というのが有りましたら、「慰安婦捏造」に続いてこれですからね〜雇用者責任と慰謝料として10兆円程度は皇室に払わせて、倒産させるのがベストだと思います。

≪甲状腺障害が怪我の功名となった女帝≫

甲状腺を患ってから、痩せとやつれが目立つようになりました。

しかし、「お花畑の人」特に私のような、皇室情報が入らない、地方居住者にとっては、それが、反射的に「美智子妃」への同情と根拠のない共感に変わったのです。

何故かというと、入内後数年は、美智子妃と懇意な皇室ジャーナリスト達がフレームアップ(捏造)した【美智子妃いじめ伝説】がマスメディアや商業雑誌の成長とともに、嘘が事実となって国民の共通認識となって下地となっていたからです。

事実は、皇室の伝統を無視して、どんどん露骨に破壊してゆく美智子さんに、周囲の皇族たちが呆れ、勝気な美智子さんにてこずり、最終的に無視するようになったのだと思います。「無視」を「いじめ」と取らえて【美智子さまいじめの妄想】を事実を知らない一般国民の常識にしてしまったんですよ。その時悪役にされるのは、決まって、入内に反対した学習院常磐会と古手の女官たち。

聖心女子大では、大きな顔と態度をしていた自称優等生が、お茶の水女子大に編入したら、成績不振、大きな態度取らせてくれない。そのうち女学生たちから「何あの子」と言われて無視されるようになる。それを「苛めだ!」と叫んで、フィクション小説を書き始めるようなものです。

嗜好が朝鮮人に似ていますね。上司から、ミスを指摘され注意されたら、「差別ニダ!」と叫ぶ。実際はこんな程度のものだと思います。

当時高校生の私も騙されて「美智子さま、また皇室内で苛められているんだ、可愛そうにな〜」と見事に騙されました。

★すべては、今の様にネットのない、TV、女性雑誌全盛時代の影響力です。

当時の我々はマスゴミに見事に洗脳されていたんですよね。それでも私の学生時代の下宿、大田区久が原の旧家の奥さんたちは、美智子さんの本性を知っていまし

たよ。特に東京23区内のお屋敷町の住人は、家族から、また、親戚から、皇居や東宮御所に女官を出している旧家が多く。その人たちは【美智子さまの苦労と栄光の物語】は、鼻から相手にしていませんでした。旧皇族、華族の人達も一緒

だと思います。女帝の耳に届かないようにこっそり悪口を言っていると思います。

★1959年の入内以降、美智子皇后で一番稼がしてもらったのは、女性誌です。

良く知りませんが「女性自身」とか「女性セブン」とか。当時の「開かれた皇室」の風潮の中で、女性誌の被写体になるビジュアルを持っていたのが美智子さ

んだけでした。私は、常陸宮華子さんの方が、本当の意味で上品でお美しいと思いますが、華子様は、オファーが来ても受けなかったでしょう。

そして、皇后になると、あの甲状腺でやつれたしわくちゃの顔が【民間初の皇太子妃で苦労された方】という事実と異なるイメージを女性にアピールして、雑誌を購読させるのです。

ところが、この2年、状況が全く逆転してしまいました。

秋篠宮家の2内親王、眞子様と佳子様が成人され、特に一瞬にして佳子様が国民的アイドル皇族になり、女性誌も佳子様の公務やキャンパスライフを競って取り上げるようになりました。

だって、佳子様を取り上げたら売り上げが伸びるんですから。その代り、女帝の露出が減りました。「アテクシこそが元祖女性誌のアイドルなのよ」80超えた老婆が20歳そこそこの孫娘に嫉妬全開です。

学園祭参加禁止、園遊会も禁止、これって立派な【人権侵害】じゃないですか?

もしかしたら女帝は佳子さま○○も企んでいるかもしれない。心配です。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/10/22/2016102220161022120000/

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/599.html#c1

[政治・選挙・NHK260] 小室圭氏「圭殿下」で皇族入りなら年間4575万円支給(東スポ) 完璧帰趙
1. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 22:03:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]

秋篠宮の悪行として流布してるのはすべて高円宮と外務省創価グループが流したデマ。
最近のマスコミ・ネットでの秋篠宮家叩きは雅子と小和田家、外務省創価グループがやっている可能性が高い。どうしても愛子を天皇にしたいんだな。
創価学会はネット・マスコミを通してデマを拡散するから始末が悪いんだ。

自殺に見せ掛けた殺しは 創価学会 のお家芸だから、秋篠宮家での三件の不審死も創価ヤクザがやった可能性が有るね。 秋篠宮家をうさん臭く思わせたかったんだろうね


秋篠宮がプチエンジェル事件の顧客名簿に載っていたとか
宮内庁が秋篠宮が眞子と近親相姦している「パパだーいすき」という動画を探しているとか

の話も秋篠宮家を うさん臭く思わせようとしてでっち上げた話でしょう。

昔、皇太子妃候補 No.1 だった柏原芳恵がバイブレーター所持していたというデマを流した のも外務省創価グループだと言われているしね。

要するに、CIA と創価学会は

どうしても愛子を天皇にしたい、
秋篠宮家を うさん臭く思わせたい

のでしょうね。


高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから小和田恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。

承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)


▲△▽▼

最近のマスコミ・ネットでの秋篠宮家叩きは雅子と小和田家、外務省創価グループがやっている可能性が高いですね。どうしても愛子を天皇にしたいのでしょう。
因みに、秋篠宮の悪行として流布してるのはすべて高円宮と外務省創価グループが流したデマの様です。

創価学会はネット・マスコミを通してデマを拡散するので始末が悪いんですね。

自殺に見せ掛けた殺しは 創価学会 のお家芸なので、秋篠宮家付き職員の三件の不審死も創価ヤクザがやった可能性が有ります。 秋篠宮家をうさん臭く思わせたかったんでしょう。


紀子様の堕胎説や、川嶋教授の怒鳴り込み説なども創価ともう一つ、自分の上にある秋篠宮家を憎んでいた高円宮家が名誉会長を務めていたワールドメイトの信者が手分けして広めたデマです。

堕胎など医師の守秘義務を破ってもらす医療関係者が、全国津津浦浦に隈なく存在しているあり得なさを考えてみればよいのです。やれどこそこの院長が言っていた、婦長がここだけの話として教えてくれた、などなど冷静に考えてみればあり得ないことを信じ込まされている人達がいます。

創価大学の学生には、「東宮夫妻お出まし」のための歓迎サクラ要員募集記事がHPに載っていました。(スクショと共に記事にしました)。毎度報道されるお迎えの集団が本物なら、動員の必要はないでしょうに。

創価婦人部は複数名が一組となって電車の中で、周りに聞こえる程度のひそひそ話で「ねえ、聞いた?」「紀子さまってば」「秋篠宮殿下って実はね」として、秋篠宮家の貶め作戦を行って来ました。
同じ女たちが、別の電車で同じ芝居をしている所を目撃したというコメントを、コメ欄にかつて頂きました。

秋篠宮がプチエンジェル事件の顧客名簿に載っていたとか
宮内庁が秋篠宮が眞子と近親相姦している「パパだーいすき」という動画を探しているとか

の話も秋篠宮家を うさん臭く思わせようとしてでっち上げた話でしょう。

昔、皇太子妃候補 No.1 だった柏原芳恵がバイブレーター所持していたというデマを流した のも外務省創価グループだと言われているしね。

要するに、CIA と創価学会は

どうしても愛子を天皇にしたい、
秋篠宮家を うさん臭く思わせたい

のでしょうね。


しかし、今上天皇が精神薄弱、雅子皇后は精神異常
こんなんで皇室はこれからどうなるのでしょうね? :

小和田家は、雅子さまの外務省時代の不倫も、その近い家系に精神病院に入院したきりの精神病者がいることも隠して、入内させていますね。

大阪の病院に、雅子妃のいとこ様が見舞客もなく、打ち捨てられた形で長期入院中。双子の妹、節子さんも精神の不調が伝えられ、また雅子妃は時折、ギャーッと叫ばれていること、

「雅子さまがお 具合が悪い時は、国民に見せられないお姿になる」

と、至近にいた人物に言われています

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/600.html#c1

[お知らせ・管理21] 2019年05月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
87. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月10日 22:06:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

僕は 1コメント200円貰ってるよ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c87
[お知らせ・管理21] 2019年05月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
89. 中川隆[-10365] koaQ7Jey 2019年5月10日 22:45:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]
>>88
電通パブリックリレーションズ
http://www.dentsu-pr.co.jp/
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c89
[近代史3] (三橋貴明×山本太郎) 絶対にTVでカットされる国債の真実 中川隆
14. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月10日 23:30:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]
【Front Japan 桜】均衡財政期の不都合な真実
- MMT VS 財務省[桜R1-5-10] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Nx43e_XJotU


キャスター:佐藤健志・三橋貴明
■ 均衡財政期の不都合な真実
■ MMT VS 財務省
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/298.html#c14

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
14. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月10日 23:30:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]
【Front Japan 桜】均衡財政期の不都合な真実
- MMT VS 財務省[桜R1-5-10] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Nx43e_XJotU


キャスター:佐藤健志・三橋貴明
■ 均衡財政期の不都合な真実
■ MMT VS 財務省
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c14

[戦争b22] ユダヤ人女性をソ連軍から守った日本の外交官たち    西岡昌紀 西岡昌紀
8. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月10日 23:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]
>>7
>300万人のユダヤ人の記録が保存されているけれど、彼らの大部分の死亡原因は病死とされている。


死んだのはユダヤ人だけじゃないからね。

病気で1400万人も死ぬ訳ないよ



http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/650.html#c8

[政治・選挙・NHK260] 原武史「米国は皇室に深く入り込んでいる」(朝日新聞社 論座) 肝話窮題
2. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月11日 08:12:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]
美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイだった


2016年03月10日
やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1983268.html

BBの覚醒記録。さんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5

<転載開始>

今回の記事は、何かあった時のために先の稿と共に、それぞれできる形で
永久保存扱いにしておいたほうがよいかもしれません。皇后陛下とGHQとの
癒着の根っこが明らかになりました。現代の日本における、あらゆる国家弱体化・破壊要素は全て、在日さえ含めてGHQ発です。皇后陛下はGHQ施策の
極めて具体的な体現者です。


要保存◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

↑ 国会で美智子さんの出自と、成婚の陰謀、そして皇太子(今上)の不出来ぶりが、厳しく追求された極めつけの史料です。

要保存◆なんと、社会党が支援していた美智子さま 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1

要保存◆皇后陛下は「アカ」でした 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c1d3f5e7a9593118391c92ad90752bac


かねてより、拙ブログでは正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室
弱体化施策の一環であることを、推論として検証してきました。

また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために
日清製粉と結びついたことも。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教を
そのツールに使ったことは事実です。

そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を
次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、
愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の
擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。

他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より
高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って
歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の
低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは
自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、
GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との
親交他。


20150203.館林の日清製粉ミュージアムと正田記念館内外部CX-535


こちらに正田家と、GHQ派遣のアップルトン女史との密着ぶりが
残っています。女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。


当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。

正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから
追放されていた時代です。
外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに
反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。

雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。因縁めくことには、お二方とも日本人の健康破壊に関与した第一第二水俣病に、つながっていらっしゃいます。現代では日清製粉の遺伝子組み換え小麦粉が、日本人の健康破壊。皇后は敗戦時から今まで、日本人の健康破壊者とご縁があります。


野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)

正田文右衛門は、正田醤油の創業者です。文右衛門も日本人としては
相当に高身長。正田一族、それと母の冨美さんも当時としては図抜けた背の高さ、兄妹共に。ただ一人美智子さんだけが小柄。(当時の日本人としては、
平均ですが正田の中では、一人だけ極端に小さい)

日本本来のものである醤油から、小麦粉への新たな進出。
敗戦国から戦勝国アメリカへの擦り寄りが日清製粉です。

美智子様の入内直前に、国会でその入内ぶりの不可解な動きを
追求されています。その一つが新平民、つまり部落出身ということの
ほのめかしです。拙ブログではその点は断定していず、保留状態です。
ただ、正田家が新平民ではなくても、母方はどうでしょうね。
正田家が、部落と密着した存在であったことは事実。

美術館には正田家の、家系図まで麗々しく掲げられています。

1873 明治6年12月
・正田文右衛門(三代)醤油醸造創業 ※1
1891 明治24年7月
・帳簿組織を改め複式簿記を採用
1900 明治33年1月
・合名会社正田文右衛門商店設立
1908 明治41年10月
・正田式麦煎機特許取得
1910 明治43年2月
・正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社

この年譜で目を引くのは、「正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社」

「正田稲荷神社」とは?

これは稲荷神社ではなく、白山神社ではなかったかと思うのですが?
なぜ稲荷と書くのでしょう? 白山神社は、部落の人々の信仰対象でした。
(信仰者即穢多非人というわけではありません。)

「目車町」は、皇后を部落の出として書いた被差別部落出身作家の上原善広氏によれば非差別地区だということです。


⇒ 調べました


http://www.shoda.co.jp/knowledg/bunkazai.htm

正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。

 そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。

【正田稲荷神社】
 もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。
  以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。

  ・・・・・・・・・・・・ここまで

画像二枚目の神社さんがネットでは「白山神社」として、認識されている
祠だと思われますが、いったいなぜ稲荷が白山神社に変貌?

仮説が一つあるとすれば、目車という被差別部落にあった神社さんの
移転なので、穢多非人という人たちに多く信仰されていた
白山神社さんと勘違いされた? 

念のため、白山神社さんの ご神体を調べましたがお狐さんではありません。

更に白山神社は全国に散らばっていますが、そこが全部被差別部落だという
ことではありません。穢多非人の人たちだけの信仰対象でもありません、念のため。

由緒正しいお家柄なら、なぜわざわざ穢多非人村に越していらしたのか?
醤油製造に穢多非人を使った?

しかし「正田神社」と呼ばれるほどの厚き稲荷信仰のお家が、一族根こそぎカトリックに改宗?
何か不穏な気がするのは考えすぎでしょうか。

・・・・・・と書いて、ふと思い出したのですが・・・・


先入観を与えるといけないので、この画像を見て見える人だけどうぞ。
更にオカルト的な話が嫌な人や認めない人は、スルーして下さい。


皇后陛下に現れた数少ない・・・・・皇太子夫妻に比べると少ない・・・・
霊画像に、霊眼が多少ある人が見えるのは、



九尾の狐です。

誰でも視える形ではなく、視える人だけに限定で、むしろよかったです。
わかりやすいと、合成とか気のせいとか言われてうざったらしいので。
なぜ皇后に狐? と霊写真に気づいた時には不思議だったのですが、
お狐信仰のお家でしたか・・・・。
皇后に憑いた霊体の、九尾の狐は瞋恚(怒り)の形相ですが・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d4caf989f1ec33423082307330b824

とはいえ、BBの霊眼もさしてあてになるレベルではないので、視える知人に
再チェックしていただいたら・・・


こんな感じで、美智子さまの背後にいるそう。BBはこんなに判然と視えるわけではありません。
帽子のデザインも、狐っぽいのは偶然でもないのかもしれません。

霊眼のある知人が更に示してくれたのは、皇后陛下の内面が
こういうふうである、と。


一説に半島出自だとも言われる小和田家のように下賤なことはしない・・・・のが正田家だと長いこと言われてきましたが・・・・


もっと下品でした。

美智子さまのご両親様の胸像でございます・・・・


日清製粉会社の歴史を展示している「製粉ミユージアム」内に展示。何の事はない、皇后陛下を間接的にCMガールとして、日清製粉の宣伝ですね。
普通、妻の銅像まで置きませんが。日清製粉にとっては夫妻の
娘が皇后陛下だってことで、莫大なメリットです。
こういうところからも商売人の娘は本来、忌避されたのでしょう。
小和田は小和田で、娘の入内を最大限に活用、外務省機密費流用疑惑は
不問にされるし、とうとうハーグの判事にまで上り詰めました。

◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。

以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。


http://www.wikiwand.com/zh-yue/%E7%AC%AC25%E5%B1%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9C%BE%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B8%BD%E9%81%B8%E8%88%89

若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。
5期連続当選のベテラン議員が。


中央が平井義一氏。


1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。
国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが
その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。


1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより

国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。

没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか?
気色の悪い・・・・。⇒ コメント欄に・・・・ご存命だそうです。Wikiの「没年不明」記述はなぜに?

⇒更にコメ欄に。衆議院の広報課に訊いたら、平成19年9月6日にご逝去。

平井議員とは違う意味で、履歴の一部がすっぽり消されているのは、
美智子さん入内に直接動いたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックです。
足跡はかなり詳しくWiki他にまとめがあるのに、部落布教のために
群馬は館林に向かい、そこで布教していた事実だけ全部、
過去から抜き取られ、なかったことになっています。

ご本人が著した書物まで焚書されたら、ジョセフ・フロジャック神父が
美智子さんの父方祖母、正田きぬさんを一番目の布教者として、
それから次々に正田一家をカトリックに改宗させたことも、
「なかったこと」にさせられるのかもしれません。

正田家とGHQの癒着、それにからんだ美智子さんの入内について
発信し始めたのは、ひょっとして拙ブログが始発だったかもしれませんが
(始発信は誰でもいいのですが)これまで推論の域を出なかったことが
更に今回の記事で一歩進めたかもしれません。


朝鮮髪飾り ペッシテンギ


国連女子差別撤廃委が女性天皇を認めよ、そのために皇室典範改正をと、言ってきましたが、もともと現行の皇室典範も戦前のそれから様変わりしたのはGHQ関与だと思います。憲法をいじった彼らが皇室典範放置はないですね。

それまでは皇太子が不出来であったり人望が無かったり、ふさわしからぬ行為があった時は、長男であろうと排除、ふさわしい人物が天皇になっていました。
皇后も目論む女系天皇は論外ですが、どんなアホでも長男なら即位というのも、考えてみればGHQのやりそうなことです。当時の皇太子(今上)はさんざん、GHQによる恫喝と洗脳教育で自虐史観左翼に仕立てていたので、そのまま
即位させないと、計画が成就しないわけです。


いまだ日本を敵国としてみなす「敵国条項」のある反日国連とその事務総長、
潘基文と癒着している皇太子。そのさぼり妻は国連大学通学には熱心で、
個室が与えられたほど。またその父はGHQの意向に忠実で、要するに
反日姿勢で出世階段を駆け上がっています。妹も国連関係。

池田 (小和田)礼子国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。
そして、売国の宮高円宮の長女と同じく、あの中抜き日本ユニセフに
母親と妹が関与。小和田は真っ黒。反日一家です。出自はほぼ間違いなく半島。


そして国連といえば美智子皇后の盟友、ブサヨフェミの緒方貞子。
皇后の、女性宮家の創設で皇后の助っ人をし、一方で
すでに在日という難民に苦しめられている日本に、更に
難民受け入れを迫る左翼女がいます。

皇后陛下が主張なさり、天皇陛下がそれに追随なさっている
「皇太子の系譜の女性天皇」を立てたら、皇統に朝鮮人の血が
入り込みます。

以下はBB参考過去記事です

◆皇后陛下の“実家”日清製粉という売国企業  《転載ご自由に》


http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5c63283c17c5264c4a373df1e9eccd11

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ついに小和田家【出自】の秘密 《水間氏の意向により全文掲載条件でネット転載可》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77810d5d792b9b41f51b837fb20648db

◆天皇陛下に国辱謝罪させた「皇室使い」の国賊/小和田恒 【保存・拡散希望】

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ec86f08a22b5d6d8c431e44bd6a4c7b5

久々にアクセスレポート

3月8日のアクセス数


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*再三繰り返していますが、お名前欄の空白Unknownや、文章の一部を名前にしたもの、「あ」や「ん」などのいかにも、やっつけ的なHNは、読まぬまま削除しています。「通りすがり」も同じく。発言には最後まで責任を持つという意思表明を兼ねて、他とダブらないような常設のお名前を工夫の上、お入りください。


必然性のない「非公開」指定もお控えくださいませ。公開非公開段階では、
文を熟読して選り分けているわけではないので
「非公開」ないしは「非表示」については

【タイトル欄に】

【非公開】と強調して表示なさってください。

長めのコメント内に書かれると見落として
表示することがあります。常連の嫌がらせさんたちも読まず即ハネています。HNを騙っても変えても解るので無駄です、念のため。


反論は大いに歓迎しますが、但し記事の「どの箇所が」「いかなる理由で」間違いなのか、「論拠を示して」ご提示くださいね。知能が一定レベルに達してない方へのコメント返しは不毛なので、ご遠慮ください。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1983268.html


▲△▽▼


皇后さま82歳「生前退位」に衝撃 お可哀想な美智子様!
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/442970102.html


皇后さまが82歳にもなって、
衝撃をお受けなさる。

なんてお可哀想な美智子様!

て、報道を額面通りに受け取る人が、
おそらく国民の99%だろ。

あとの1%て120万人。

いやいや、皇室ブログ読んでる人が
そんなに居る訳がない!

そう考えたら、恐ろしくなった。
皇后さまの後ろ盾は、無知な国民なんだから。


皇后さまの出自

皇后さまは、どういうお人なのか?
これ、基本中の基本。

母は大陸夫人いわれた、正田富美子。
朝鮮系の中国人。

父は正田と思いきゃ、
在日の堤康次郎。西武の創立者。

そう、不倫の子です。皇后さま!

写真を見れば一目瞭然。
皇室ブログをググって見て!

そして、正田家は部落民の出。

ために、皇后さま15歳から婚活するも
二十数回見合いして、すべて断られる。

これ、当時の国会でも問題になりました。 

加えて、カトリック信者!
耶蘇教を隠しての入内です。

なぜこう言う事になったのか?


日本を弱体化したかったアメリカの意向がありました。
それと、小麦粉。日清製粉とGHQつるんでました。

ですから、結婚の報は米国が先なんです。

ええとこの娘とはいいながら、
皇后さま、お茶もお花も知りません。

御徒町をうろつくヤンキーでした。
"やばい"が口癖だったそうです。

もひとつ、15歳で婚活パーティーいうことは
男知ってるてこと。

パーティーはダンスが付きもの。
男はズボンのポケットにバナナ入れたりします。

これが佐伯晋に繋がります!


皇后さまの入内

テニス場の恋とかなんとか、
GHQの嘘とカトリック信者総出のたくらみで、

みごと入内した皇后さま。
これ見て下さい。

欧州王室の報道の有様です。

今上;Emperor Akihito and  Michiko Syouda
東宮;Prince Naruhito and Masako Owada
秋篠宮;Prince Akisino and Princess Kiko
皇后さまと股子は、妾扱いなんです。

卑賤の出と、欧州王室は全てお見通しなのね。
皇后さまは、欧州では末席に座らせられます。

報復に皇后様、ロイヤルブルー着用も
他の女王と同色衣装の使用も好きなままにしてます。

個人ならかまいません。
皇后さま、日本を背負ってます。

と、しかし、皇后さま入内の最大の罪・害悪は、
佐伯晋の子種を宿していたということです。

皇太子のDNA鑑定、必須です。

皇后さま、入内の年に里帰り10回。
これ、佐伯晋との逢引でしょう。

昭和天皇に注意されました。

当然皇族間の評判は悪くて、 
立后会議は見送られます。

入内はしたけれど、
皇后さまは、皇后陛下ではないのです。


 
しかし、佐伯晋の朝日新聞が援護します。

「昭和天皇が、即位したときから、
側妾(そくしょう)制度が廃止されたのだから、
天皇の奥さんは一人しかいない。
だから、【立后会議】は必要ないんじゃないか」と。

日本では、なし崩し、今も皇后さまではない
皇后さまを皇后陛下と看做しております。


皇后さまがヤったこと これからヤる事

皇后さまがヤっことは、
欧州王室との信頼関係をズタズタにした。
だけではありません。

昭和天皇が崩御されると、
すぐに、
"災害のあった時には、国民がテントを張れるように..。"
と天皇が丹精込めた昭和の森を伐採。

更地にして、56億円で宮殿を建てる。

バレて非難されると、
"失語症"になったと嘘ついて引きこもり。

香淳皇太后への復讐。
御所にPC70台配備。
秋篠宮家に10年間の産児制限。
悠仁様誕生祝に、暗殺示唆するベビーシューズ片方。
朝鮮飾りの皿帽子。
法王に見立てたマント服。
祭祀の簡素化、廃止。
天皇と並んで歩く。或いは前を。
マスゴミ使っての、アテクシ上げ。


いま、天皇を操って"生前退位"表明。

愛子天皇推進。
自虐史観拡散。
無用の慰霊の旅。サイパンで朝鮮人慰霊碑にぬかずく。
無用の災害地訪問。
股子を入内させる!

ま、上げたら切りがないか。
皇后さまは、鬼婆です!

ミテコといい股子といい
つくづく嘘つきチョンとは
関るべきでないなと、オモフ。
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/442970102.html

▲△▽▼


ツッコミどころだらけだよ!『美智子皇后物語』 その1
http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-925.html?sp


『美智子皇后物語』
2015/08/2719:45


さーて、今日はこの本を紹介します。

美智子皇后物語

(鎌倉市の図書館を通じて横須賀市の図書館から取り寄せてもらった。昭和天皇と徳仁皇太子ご一家ならガンガン買いまくってますが、平成4人組の本はたとえ中古でも買いたくないので取り寄せになった)

文月今日子先生は面白い作品を描く漫画家なので大好きですが、この本の原作者が美智子教信者の河原敏明氏なので、平成皇室ウォッチャーのヘカテーと看過できない所がめちゃくちゃあった。

なのでカテゴリーを独立させました。

じゃあ突っ込んしゃうぞー!

@美智子さまは優秀な成績だった

正田美智子嬢 父正田英三郎氏は

ヘカテ―も美智子さまは主席だと信じていました。
いや、美智子さまの聖心女子大学時代の成績表が公開されていますが、BどころかCもあるよ。
はっきり言って普通です。
卒業生代表に選ばれたものプレジデント(要するに生徒会長のような地位)だったから。
ガチで成績優秀だったのは雅子さまですね。

A明仁皇太子と正田美智子嬢は恋愛結婚

美智子さまと明仁皇太子は恋愛結婚と言われていますが、違います。
佐伯 晋氏はこう仰っています。

恋愛関係はなかったと、公式の場で、少なくとも2回、当時の最高責任者である宇佐美宮内庁長官は、言い切っています。
一つは、婚約発表のときの公式会見ですね。皇室会議で宇佐美さんは、自分の方から「皇太子様が、正田嬢とテニスコートで数回お会いになったことはあります。しかし、世上で一部に噂されたような、恋愛関係はない。」と、はっきり言っています。あの結婚は公式的には、恋愛関係ではなかったことになっているわけです。
それからもう一つ、これは、婚約が発表されて、ご成婚になるまでの間、昭和34年2月6日衆議院の内閣委員会、ここで自民党の平井義一代議士が、宇佐美宮内庁長官に向かって「新憲法のもとで、恋愛は自由だ。皇太子も人間だから恋をする、とおっしゃる。しかし国民の象徴が、自分のしたいことをしても、国民は尊敬するでしょうか。いろいろ探したが無かった、民間からもらっていただきたい。」と。さらに平井代議士は「あなたから進言されたのならいいが、伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニスコートで見初めて、自分からいいというようなことであったとするならば、我々の子どもと変わりはないではないか。そういうことで、国民の象徴として尊敬されると思っているのか。」と質問。
それに対して宇佐美長官は、「殿下は非常に慎重な方で、ご自身の義務については、はっきりした考えをお持ちだ。世上、一昨年(昭和32年)あたりから、軽井沢で恋愛が始まったように伝えられているが、その事実は全くなく、テニスを一、二度なさった程度のことです。昨年(昭和33年)の春頃から、いよいよ何人かの候補者に絞り、そのうちから我々もご推薦申し上げ、殿下もご冷静に観察なさって、ご決心になさった。世上に伝わるような浮ついた態度というのは、実際に全然、認めることはできません。」と、こう答えていますね。
要するに、恋愛関係はなかったと、ここでも断言しているわけです。この世間一般に長らく信じられている「恋愛結婚だった」ということは、公式の場で、二度にわたって、責任者である宮内庁長官が否定しています。


そもそも皇太子妃候補がどんどん結婚してしまったというのも大きかった。
常磐会がご推薦しなければ決まるはずありませんのにね

自由がない身分の皇太子妃になりたくないという理由もありますが、
最大の理由は明仁皇太子に魅力がなかった。
根性と性格が悪いと言う話は華族社会では周知だったから、みんな皇太子妃になりたがらなかった。

C正田家は皇太子妃にさせたくなかった

どうかこの話はなかったもの 

藤島泰輔が暴露してます。
軽井沢の上流社会は狭いので偶然出会ったとは考えられない。
要するに正田家側も計算していた。
正田家って美智子さまが結婚してめちゃくちゃおいしい思いをしています。
美智子さまのお兄さんは婚約していましたが、妹が皇太子妃になると決まったら「お宅とうちじゃ家格が違うから婚約は解消します」と宣告しました。そして浜口雄幸首相の孫と結婚しました。そして弟は大原家から嫁をとり、妹は安西家に嫁ぎました。いずれも皇太子妃の実家でなければ本来なら正田家は相手にしてもらえない家です。

D良子皇后筆頭に女性皇族みんなが美智子さまを反対していた

わたくしは北白川さんと思いますわ
ばかばかしい

松平信子さんは東宮参与として皇太子妃選びという大役を背負っていました。
まー、とにかく大変だった。
甘やかされて育った明仁皇太子と結婚したくないと皆嫌がった。
ようやく旧皇族の北白川肇子さんで決まり松平さんもホッとしていました。
しかし小泉侍従らは正田美智子嬢がいいとこっそり動いていました。
正田美智子嬢が皇太子妃に決まっても、まだ松平さんに報告しなかった。
「皇后さま勢津子さま喜久子さまそれに松平に言ったら絶対反対するよね〜。ギリギリまで黙ってよーぜ」と皇室会議の数日前まで秘密にしておいたのです。
北白川さんで決まりと新聞記者まで思っていたことから上流社会の人は全員北白川肇子さんが皇太子妃になると疑うことなく信じていました。それが違ったんだから、北白川さんはさぞ恥ずかしかったろうね。平民に負けたと世間には思われたんだから。
北白川さんのことを考えたら、そりゃ松平さんだって激怒するよ。何と言ってお詫びしたらいいのか真っ青になったでしょうね。

高松宮妃も

喜久子さまの反対理由は平民だったら宮中の難しい決まり事を理解することが難しいというものでした。
喜久子さまの心配通り結局美智子さまは皇室の伝統を破壊しましたね。


「 ツッコミどころだらけだよ!『美智子皇后物語』 その1」のコメント一覧


まるさん

美智子妃神話はこうして作られた
いやー、笑っちゃいますね。
昭和の皇太子、美化しすぎ。
それに引き換え、松平信子さんは不細工な意地悪婆に書かれて酷い扱いですね。
鍋島の殿様のお姫様によくもまあこんな仕打ちが出来ましたねぇ。
(で、なぜ妃殿下方含めて皆さん着物なんだろう)

あ、最後のコマに出てきた黒木さん。
お昼休みにとても恥ずかしいところに行って、とても恥ずかしい亡くなり方をしました(チーン)。
どこかの宮家の変態宮務官の元祖みたいな方です。
2015/08/2720:44 URL 編集


タヌキそばさん

美智子さんの成績表を見たら、首席とは言えない。
正田美智子さんの聖心女子大学での成績表はネットで見ることができる。

美智子さんは首席だから卒業生代表としてスピーチしたと言われているけれど、あの成績表を見たら首席とは思えない。

首席ならオールAと思うけれど、美智子さんはBもCもあった。

よくそれで首席と言えると呆れてしまう。

卒業式でスピーチしたのは首席だからではなく、プレジデントだったからでしょうね。

もし正田美智子の成績で首席だと言うなら、聖心女子大学のレベルはかなり低い大学です。


2015/08/2721:37 URL 編集


原さん

へぇ…
まだ生きてるのにこんなのあるんですか。
本当すごいですね、コーゴーサマって。
2015/08/2722:25 URL 編集


おばちゃんママさん

昔、子供の頃に私の毒舌ハハが話してましたが、戦後皇室に新しいものを入れなければ!状態だったから、それが美智子さんなんだと。
この時代に大学出てるってだけで、皆の憧れになったのよ。
ある程度の家の子は、大学出てるけどまだまだ貧しい時代だから、そう言う人達の憧れになっただけと…
この人、普通にしとけばいいのに様子するからね…と、相変わらずの母でしたが、様子する姿は今も昔も変わりませんね。
今日も、軽井沢でピアノピアノでした。

2015/08/2723:34 URL 編集


Oakleyさん

北白川肇子さん
うちの母は東京から遠く離れた田舎の主婦でしたが、美智子さんの前に北白川肇子さんと言う人がお妃に決まっていたというようなことを言ってましたので、それらしい報道をされていたことがあるんじゃないでしょうか。

私は美智子さんよりもう一世代後での見合い結婚ですが、それでも間に入ってくれている人の顔をつぶすようなことはご法度です。
当時の美智子さんの決まり方は、松平女史をはじめ、いろんな人に恥をかかせているわけで、女史が怒るのは当たり前だと思いました。
2015/08/2723:52 URL 編集


名無しさん@美談にお腹いっぱいさん

その本を少し読みました
この本はどこかの食堂に置いてあって、待ってる間に一部読みました。
当時はまだミテコさまファンだったからミテコさまの描き方はまだしも、チャブがまさに少女漫画チックな二枚目に描かれてるのには苦笑しました。

それから外国からの要人たちが英語が堪能なミテコ様の前に群れをなし、宮妃たちがハンカチ咥えてキーッとなるシーンがあったような。
探してみてください。
でも宮妃のどなたか、ヨーロッパ育ちでミテコ様より遥かに堪能ではなかったっけ。
今聞くと、ミテコさんの英語、あくまで日本仕込みですよね。
だから「留学したことが無い」と言い訳された。教員免状まで出された。
当時の日本では十分な語学力。「私の力はこの程度。それ以上でも以下でもありません」と自然体でいられないのでしょうか。

この本は作者が独自の取材をしたわけでなく、当時のマスゴミが作り上げた幻影の美智子さま…健気で美しく、周りの虐めに耐え抜いたヒロインとしての美智子さまを、漫画仕立てにしただけ。
ご本人も自分をそう認識されていたのでしょうね。
2015/08/2808:14 URL 編集


射手座さん

少女漫画家は今。
少女漫画家のほとんど全員が、仕事なくて大変なんざんす。
大ヒットを飛ばした代表作持ち少女漫画家にしても、仕事はあれど原稿料は20年以上据え置き。青池保子が嘆いていたくらいだから、相当なんでしょう。今の少女は楽しみいっぱいでマンガに執着しない。
あすか組描いた人や美女姫描いた人も、仕事なくて大変なんだよ。ミチコサマ物語の先生も、要するに金欲しくて引き受けたんでしょ。
2015/08/2809:42 URL 編集


ペリドットさん

文月今日子すきだったのにな
こんな仕事を引き受けるようになっちゃって。涙。

しかし、画ってこわい。
善人、素晴らしい人のように描けばそう見えるし、悪役(太って怖い顔)に画けばそう見えちゃう。

これ、実際の写真で描けばかなり違った印象になると思う。

昭和の皇太子妃、気が強くてでしゃばりの顔。
昭和の皇太子、ぼやーっとした、アホぼんの顔。

だからこそ、漫画家に画かせたんでしょうが。
文月今日子さんも仕事選んで欲しかったなあ。
2015/08/2810:02 URL 編集


blugirlさん

うーん
チャブとミテコ様があまりに美化されすぎて、爆笑しきりwww
正にミテコ様は悲劇のヒロイン調、皇族のお方々が全て敵キャラって、何だかなあと思ってしまいました。
確か、雅子様のご婚約やご結婚の時だったかに記事で読んだ気がしたのですが、ミテコ様は皇室会議だったかで問題点というか、懸念事項として唯一上げられたのが「キリスト教信者である」ことではなくて、「気が強い」ことという記事で、未だによーく覚えているのです。何で見たんだろ・・・未だにソースがつかめないのです。申し訳ありません。
2015/08/2818:35 URL 編集


アメジストさん

No title
こんばんは。
美智子さんて、「感謝の塩揉みレタス」といい、ヘカテー様が紹介して下さったこの漫画といい、公開ピアノレッスンといい、いつも注目を浴びて賞賛され続けなければ気が済まないのですね。いつでしたか、美智子さん夫婦が結婚50年、天皇即位20年の年に、ある地方新聞の記者が、このような記事を書いたという噂を聞いたことがあります。

「天皇皇后、特に皇后は、なんて素晴らしい人なのだろうと褒められたい人。結婚50年即位20年を祝う記念式典は、2人の意向もあって、この1年は続くだろう」

そんな美智子さんの欲望が、聞こえてきそうです。

「ワタクシへの注目と賞賛は、まだまだ足りないわ。もっともっと、注目と賞賛を浴びたいの。次は、どうやって、注目と賞賛を浴びようかしら」
2015/08/28 23:28
http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-925.html?sp


▲△▽▼


ツッコミどころだらけだよ!『美智子皇后物語』 その2
http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-926.html?sp&m2=res


『美智子皇后物語』
2015/08/2720:11 5 -

じゃあ、PART2もいっちゃうよ。

@お前らより美智子の方が偉くなるんだよ!


東宮さんが何と言われようと

おばさま方の上位に位するのですよ

けんか腰だ!

これたぶん美智子さまにも言ったんじゃないかな?
「美智子、気にすんなよ。お前あのババアたちより立場上なんだからさ」

喜久子さまの偉い所はこんなアホの花嫁のためにクリスチャンディオールのドレスを用意してくれたこと。

仮縫いは高松宮邸で行われました。

雅子さまを喜久子さまがかわいがってくれたのって単純に花婿の態度があったのかもね。
皇太子殿下ならこんな態度絶対にとらないもの。

Aミッチーは感情が高ぶるとすぐに倒れる

正田さん 平気です

どうも美智子さまって感情が高ぶるとすぐ倒れる体質みたいですね。
あーだから平成初期のバッシングの時に倒れたんだ。

B正田家と美智子さまは疎遠

美智子はもう皇室の人になった

列外派をご覧の方々はもうご存知の通り、美智子さまと正田家は疎遠になっていません。
小和田家に比べたらべったりと言っていいほどです。
明仁皇太子夫妻が正田邸にお忍びでしょっちゅう帰ってたし、軽井沢静養中は正田家の別荘に行きまくってたし。
美智子さまは実家と交流しまくってたのに、海外に住む小和田家の両親と会ったらバッシングするんだもの。
本当に平成って昭和を無理矢理なかったことにしてるよね。

C結婚当初は大変でしたと全国民にアピール

ご成婚一年をむかえられた

これもよくよく考えてみるとかなり感じ悪いよね。

国民は「美智子さまかわいそー」と思うもん。

良子さま、先輩宮妃、女官さんを「私をいじめる」と言っているようなものだからね。

D英語が話せるのは美智子さまだけじゃない

ご自分だけ英語ができると思って

秩父宮妃勢津子さまは帰国子女です。
ですから、英語でスピーチできるくらいに英語ペラペラ。
ぶっちゃけ美智子さまよりも英語が上手です。
そもそも宮中の外国語はフランス語だから女性皇族は旧皇族も含めてフランス語ペラペラです。


「 ツッコミどころだらけだよ!『美智子皇后物語』 その2」のコメント一覧


まるさん

舐めたらいかんぜよ
あ、ヘカテーさまに「お仕事お疲れさまです」と書くのを忘れていました。
無理をなさらないでくださいね。

>秩父宮妃勢津子さまは帰国子女です。
>ですから、英語でスピーチできるくらいに英語ペラペラ。

不細工意地悪婆にされた松平信子さんのお父さま、鍋島直大侯爵もイギリス留学経験者です。
信子さんのお姉さまの梨本宮妃伊都子さまは、侯爵が公使時代のイタリアのローマで生まれてらっしゃいます。
(この方は美人で有名)
「伊太利亜の都の子」で伊都子。
2015/08/2720:56 URL 編集


原さん

つまらない感想を立て続けにすみません
あのイケメン誰ですか?
え?昭和の皇太子サマ?
ご冗談を!

みたいな美化ですね、いやはや。
2015/08/2722:39 URL 編集


大江春Dさん

漫画とはいえ
この上品で穏やかなお顔で老婦人と美しいご婦人は
正田夫人と美智子様です・・・ね
知的で二枚目の男性はもしかして今上陛下ですか
(誰やねんと言いたいレベルの美化)
ここまで悪者にされた他の宮妃の方がお気の毒です
個人的には山岸凉子先生にリアル今上陛下夫妻、野望の秋篠宮夫妻を描いて頂きたいです
夜怖くて寝られない絵柄とお話になるでしょう


2015/08/2821:11 URL 編集


ベアトリスさん

知らないと思って
他の方もあげられていますが、勢津子さまもそうですし、梨本伊都子さまも英語やフランス語に堪能だったと思います。
この時代の日本人なんて大半は英語しゃべれないですし、美智子さんでも一応しゃべれる部類だったんでしょうけど。
それにしても、結婚したらあんたらより立場は上ですって、どう贔屓目に見ても失礼だと思うんだけどなぁ。
2015/08/2911:10 URL 編集


ライブラリーさん

美智子さんの語学力
美智子さんって、これまで2度、IBBY(国際児童図書評議会)において、英語で演説をしています
私が初めて美智子さんが英語で話すのをじっくり見たのは、このIBBYのニューデリー大会(1998年)で流されたビデオメッセージでした(ネットでも見られます)。

メッセージと言っても、全文予め用意した原稿をただ読み上げるだけのもので、ところどころ指で原稿をなぞりながら読み進めてました。
我々が学生時代、英語の授業で先生に指されて、テキストを音読したのと全く同じです。

出だしをちょっと聞いて、この程度じゃ、おそらく大してしゃべれないな、英語に堪能というのは明らかにお世辞だな、と思いました。

事前に専門家から指導を受けて、発音や文節の区切り方、抑揚のつけ方、どこで区切ってカメラ目線にするかなど、おそらく入念に練習を重ねたのでしょうが、それぐらいやれば、誰でもこの程度の読み上げはできるでしょう。
先刻、米国議会で演説した安倍首相よりはマシ、といったところでしょうか。

この時の原稿を読む様子からすると、英語での自由な会話において、自在に言葉を駆使して外国人と深くコミュニケーションをとるといったレベルには達していないと思われます。
この当時ですでに入内して約40年、語学の先生もいただろうと思うのですが。

美智子さんが切望してやまない、欧州王族とのプライベートでの親密な交際が困難なのは、こうしたことがネックになっているのでしょう。
若いころからあれほど外国に行きまくっているというのに。

雅子さまを絶対に欧米諸国に出したがらない最大の理由がこの点にあることは、多くの人が想像するとおりでしょう。

かつて昭和のころ、当時の東宮御所を訪れた欧州王族の接遇で、昭和の東宮一家にまじって、どういうわけか少々場違いな感じで秩父宮妃勢津子さまが同席しておられたのは(ちょっと見つけられませんでしたが、確か写真があったはず)、明仁・美智子夫妻では英語での会話がもたないことを考慮してのものだったという話があります。

先日、こちらに久子さまのスピーチがアップされているのを見ましたが、日本語と英語を自在に操り、原稿も見ずに聴衆に向かってどんどん話を展開していく久子さま、美智子さんなんかとはそれこそ雲泥の差があり、比較するのも失礼なほどです。
美智子さんにとって久子さまはさぞかし目障りな存在でしょうね。

ちなみに美智子さん、日本の詩の英訳本も出してますが、直訳の英作文と言った感じで、これってどうなのかなぁといった代物です。

英語でこの程度だと、「造詣が深い」(笑)と持ち上げられているフランス語ではどんな話し方をしているのか、恐ろしくなります。

聖心時代の大して良いとは思われない成績表と同様、演説映像の公開や翻訳本の出版、(それに草津でのピアノレッスンも)出せば出すほど、この方の「程度」が露わになっていきます。ご本人は得意顔ですが。

美智子さんの語学力、おそらく今の皇室では、秋篠宮夫妻よりちょっとましという程度で、底辺グループであることは間違いないでしょうね。
2015/08/3116:25
http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-926.html?sp&m2=res

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/607.html#c2

[お知らせ・管理21] (再掲)いまだ執拗にイスラムヘイトを繰り返すナチスの信奉者 HIMAZIN
29. 中川隆[-10366] koaQ7Jey 2019年5月11日 08:19:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1739]

コーランでは異教徒の女性を性奴隷にすることは合法です。(4:3, 4:24, 23:1-6, 33:50, 70:30)
だからイスラム教徒だとわかるようにベールを被りなさいと言っているのです。そうすれば(性的な)嫌がらせを受けないと言っています。 (33:59)

イスラム教スンナ派が『コーラン』に次いで重視する、ハディースには、こういうことが書いてあります。

夫が妻を誘いそれを妻が拒んだために夫が怒りの中で眠る時、天使は朝まで妻を呪う(Bukhari 4.54.460).

女性はラクダの鞍の上にいても拒んではいけない (Ibn Majah 1854)

クリップドイツ:中東・アフリカ難民対象に、ドイツ人女性をナンパ+彼女たちとの性行為の手引き講習会を開く⁈
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12425901478.html

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/556.html#c29

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
7. 中川隆[-10365] koaQ7Jey 2019年5月11日 08:34:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]

変わらないドイツの悪い癖 (Stein) 2015-10-10 22:03:44


フォルクスワーゲンの不正問題はニュースによれば一部の従業員の責任で全体の責任ではないと主張してきました。

これって戦争責任の全てはナチスのせいにして責任回避をしたかつてのドイツの姿ではないでしょうかね。責任を責任として認めて自らの大義を最後まで貫き通せなくなったドイツは過った点を認めて変わらない限り没落でしょう。

ヒトラーは選挙で選ばれた国家元首です。ユダヤ人迫害だけを訴えただけでは我侭なドイツ人の支持など得られなかったでしょう。明日のパンを約束し、文化レベルの高い生活を送る事ができたからこそ、終戦までナチスは支持を得られたわけです。

敗戦の責任、フォルクスワーゲンの問題の責任も一部に擦り付けようとするドイツの姿は本当に見苦しいです。
http://blog.goo.ne.jp/yamahafx/e/08f2c4b4c95b9f1a765058646cbf464c  

▲△▽▼

ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。

彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


▲△▽▼

ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html


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ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった! 


電撃作戦 ポーランド侵攻 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=KZtU0l6w9g8


【ヨーロッパの戦い】こうして始まった! 
「開戦(ドイツ国防軍の電撃戦)」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=rdktSBDeAto  

【第二次世界大戦】 WWU in Color (BBC)
(全13回:内、第09、11、13回は欠番)
https://www.youtube.com/watch?v=Au6y9Ukvvy0&list=PLBjWXHGDgc8ah3CwUVvVBpE8kKYVYlrCQ
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%80%91+WW%E2%85%A1+in+Color+%28BBC%29&sp=mAEB

HITLER (DC)(全06回)
HITLER (DC) 01|THE OPPORTUNIST イメージ戦略の秘密 - YouTube
HITLER (DC) 02|THE ACTOR 救世主の誕生 - YouTube
HITLER (DC) 03|THE FUHRER 人種差別への道 - YouTube
HITLER (DC) 04|THE VICTOR 勝利の陰で - YouTube
HITLER (DC) 05|THE MONSTER 挫折と堕落 - YouTube
HITLER (DC) 06|THE DOWNFALL 破滅へのカウントダウン - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bTZJE9Ijl4I&list=PLBjWXHGDgc8YGJdoDHkBXhMGtKWlEn7Yu&index=1
https://www.youtube.com/results?search_query=HITLER+%28DC%29+&sp=mAEB

▲△▽▼

すべて天才ヒトラーの演技と演出に騙されたドイツ人の自己責任だった:

アウシュビッツ裁判 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=RcMf2W_5wF4


ニュルンベルク裁判=ナチスの戦争犯罪を裁く - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oHvlif112rg


ヒトラーと6人の側近たち 第1回 「ヨーゼフ・ゲッベルス」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1zZ2RctGP2s
https://www.youtube.com/watch?v=PNZ_jaQxZ4w
https://www.youtube.com/watch?v=_R4QvU3y2zE


ヒトラーと6人の側近たちU 第3回 「マルティン・ボルマン」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dQxQaCQTL2M
https://www.youtube.com/watch?v=ZLAOmmrq3do
https://www.youtube.com/watch?v=EV_0tmN1F5E


ヒトラーと6人の側近たち 第3回 「ルドルフ・ヘス」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=04MW0fwLMVE
https://www.youtube.com/watch?v=xk05qbC9brg
https://www.youtube.com/watch?v=zRuECyuTohM


ヒトラーと6人の側近たち 第2回 「ヘルマン・ゲーリング」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s69UVGkUohM
https://www.youtube.com/watch?v=wraaO0iuzVo
https://www.youtube.com/watch?v=eWXLXasUA_g


ヒトラーと6人の側近たち 第5回 「カール・デーニッツ」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nPMYejrhLFQ
https://www.youtube.com/watch?v=Y8dt1Rbfw00
https://www.youtube.com/watch?v=zs_nRkjOoCQ


ヒトラーと6人の側近たち 第6回 「アルベルト・シュペーア」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MyNm8amqY5E
https://www.youtube.com/watch?v=af4QmPD_SlU
https://www.youtube.com/watch?v=udA_4PhqLaY


ヒトラーと6人の側近たちU 第1回 「アドルフ・アイヒマン」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NywuaqlyTwM
https://www.youtube.com/watch?v=LDg3iTLeVJU
https://www.youtube.com/watch?v=_5OxGVOlWFk


ヒトラーと6人の側近たち 第4回 「ハインリヒ・ヒムラー」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDdJSgUOlZM
https://www.youtube.com/watch?v=b20mQhYvtrk
https://www.youtube.com/watch?v=8yPk1HiKGIc


ヒトラーと6人の側近たちU 第2回 「ヨーゼフ・メンゲレ」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Cpvlu5x61zg
https://www.youtube.com/watch?v=sL0qQAgzlKQ
https://www.youtube.com/watch?v=VJ0MY-Zh7_Q


ヒトラーと将軍たち マンシュタイン元帥 Hitlers general Manstein - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E5%B0%86%E8%BB%8D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%85%83%E5%B8%A5%E3%80%80&sp=mAEB  


ヒトラーと将軍達 パウルス Hitlers General The 6th Army Paulus - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E5%B0%86%E8%BB%8D%E9%81%94%E3%80%80%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9+&sp=mAEB


ヒトラーと将軍たち ロンメル Hitlers Generals Rommel - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E5%B0%86%E8%BB%8D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%80%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AB+Hitlers+Generals+Rommel+&sp=mAEB  


ヒトラーと将軍たち カナリス提督 Hitler's Generals Canalis - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%8F%90%E7%9D%A3&sp=mAEB

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c7

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
8. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月11日 08:35:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]

2017年01月19日
イギリスがEU市場からの離脱発表 ドイツと縁切り決定

EUは加盟国が利益を得るものだったが、今はドイツが他国を罰する制度に変化した
引用:http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol53/img/53_map.jpg


ドイツ第4帝国とイギリス

2017年1月17日、イギリスのメイ首相はEU単一市場から離脱すると初めて発表しました。

一部にあったEU市場に留まりながら「特別な立場に就く」という考えは否定された事になります。

単一市場に留まり、関税や人の移動に制限を受けず、イギリスだけは移民(難民)を拒否できるという考え方はEU(ドイツ)から否定されたようです。

代わりにイギリスは離脱した後でEUと自由貿易協定交渉を行い、新たな自由貿易協定を締結する考えを示した。

EUは建前上EU議会や委員会の合議制になっているが、実際には上位の国が決定権を握っていて、特にドイツの発言力は強い。

ドイツの意向によって多くの方針が決定され、フランスは口を挟むことが出来るが、イタリアなどは何の影響力も持たない。


イギリスのEU離脱でドイツの独裁ぶりはさらに強化され、ソビエト連邦や中華人民共和国の制度に近づいている。

ドイツは移民受け入れを強硬に主張しており、2015年には300万人もの移民(難民を含む)を受け入れ、そのうち半分以上を他のEU諸国に「横流し」した。

2015年8月にメルケル首相が「無制限に難民を受け入れる」と発表したが、到底受け入れられないほど押し寄せたので、周辺国やイギリスに難民を押し付けました。


EUの独裁国家ドイツに逆らう国は一つもなく、フランスは何万人、イギリスは何万人などと「難民ノルマ」を強要した。

難民達は各国でテロや犯罪を繰り返したので、イギリス人は頭にきてEU離脱に投票したという経緯でした。

イギリス以外の各国はドイツを恨みながらも、EUから離脱することで受ける打撃を恐れて、今後もドイツに服従し続けます。

EUがイギリスを拒絶する理由

今まで欧州は何度となく「大陸VSイギリス」という構図になってきたが、時を越えてまた同じような歴史を繰り返しつつある。

EUはもともとアメリカ合衆国から経済の主導権を取り戻す為に創設され、欧州合衆国を目指していました。

各国が利益を得る為に始めたのに、現在では「参加しない国に罰を与える制度」に変化しました。


例えばEUは様々な理由をつけてトルコのユーロ参加を拒否していて、表向きは第一次大戦の戦争犯罪などを理由にしている。

だが100年前の事件など本当はどうでも良く、欧州(ドイツとフランス)はイスラム国家のトルコに罰を与え支配したいだけだと思われます。

イギリスに対しても罰を与えることで優位に立ち、日本にもなんやかやと難癖をつけてくるのが恒例行事です。


さてEUから離脱するイギリスが当面困るのは、今まで関税や手続き無しで輸出していたものが、これからは高い関税を掛けられます。

EUが自由貿易なのは参加国だけで、域外の国に対しては明確な差別貿易、あるいは閉鎖貿易を行っています。

例えばEUは日本に関税無しで自動車を輸出しているが、EUは日本車に高い関税を科して「侵略」しないようにしています。


輸出だけでなく日本メーカーがEU域内に工場を建設しても「輸出関税」を掛けるので、多くの日本メーカーが挑んでは惨敗してきました。

これからはイギリスで生産されるロールスロイスや日産車に高額関税が科せられるので、ドイツメーカー(VW)とメルケルは大喜びしています。

日本やアメリカの企業の多くがイギリスに進出して、EUに迂回輸出をしていて、ドイツなどは非難していました。

イギリスが脱税請け負いを始める

イギリスが「外国」になると今まで港でフリーパスだった日産車は港で足止めされて、検査された上に関税を徴収されます。

国内貿易だったのが外国との貿易に変わるので、品目によって税関で1週間とか一ヶ月足止めされることも出てくるでしょう。

事務処理も非常に煩雑になり、例えばEUとスイス間をトラックで宅急便一個運ぶのにも、多くの書類や検査が必要なので運転手は嫌がるそうです。


イギリスはこれから大変なようだが、そうでもないという指摘があり、例えば3%関税が増えるならポンドを3%下げれば良い。

EUから離脱すると経済政策や通貨政策を自由に決められるので、価格競争力は少し通貨を下げれば解決するでしょう。

国境の煩雑な手続きは不利になるが、EUに加盟していない北欧やスイスは痛みを感じてはいないようです。


そしてイギリスには秘策があり、パナマ諸島からタックスヘイブンを移転して、イギリスを租税回避地にする案が浮上している。

実はタックスヘイブンの元締めは最初からイギリスで、ダミー国家としてカリブ海の島々を利用していました。

それをイギリス本国に呼び戻すということで、いわば商社の海外支店を本国に呼び戻すような事です。


タックスヘイブンは富裕層や企業が税金逃れに利用するが、イギリスが富裕層や企業を税制で優遇すれば世界から集まってくるでしょう。

最近孫正義のソフトバンクはイギリスの会社を買収したり、イギリスへの本社移転を検討していたが、やはり税金逃れのためと言われています。

アップルやアマゾンなど税金を払いたくない巨大企業はいくらでもあり、そうした企業を誘致すればイギリスにも利点があるでしょう。
http://thutmose.blog.jp/archives/68784970.html#more.
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c8

[近代史3] 財政の優等生だったドイツ、財政赤字に転落 中川隆
9. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月11日 08:41:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]

2015•07•02

ギリシャ危機の原因はドイツ


ここ最近、またギリシャ危機が騒がれ始めました。

私のブログのアクセス解析でも、【ギリシャ人 働かない】なんて検索ワードで訪れてくださる方がチラホラと。

しかし、前にも投稿で書いたことが有るのですが、今回のギリシャ危機の主な要因は、ドイツに代表されるEU内の先進国です。

ユーロという枠組みは、通貨を統合して政治的には統合しないという不思議な枠組み。
このシステムで一番得をしたのが、ドイツです。

そもそもドイツは、国際競争力の高い高級車等が主力商品の工業国。
売っている商品のジャンルこそ違えど、日本と同じ様な貿易黒字国です。
貿易黒字国の宿命として存在するのが、通貨高。
通貨高になってしまうと、優れた商品を作っても他国から見れば割高な商品となってしまう為、競争力は失われてしまう。

ではどうすれば良いのかといえば、そもそも通貨が変動しなければ良い。
ユーロという枠組みを作って、ヨーロッパ圏内の通貨を統一してしまえば、通貨変動によって競争力が変化しない。
よって、ドイツがどれだけ黒字を出そうが、ヨーロッパという市場では競争力が変化しない事になる。

またこの枠組みを作ることで、ドイツにとってもうひとつ有利な点が生まれる。
それは、通貨安。
ドイツが貿易黒字を出すと、通貨高の要因になるのは先ほど書きました。
では、ユーロという枠組みを作り、貿易赤字を垂れ流している国を引き込めばどうなるでしょうか。
赤字と黒字がユーロ経済圏内で相殺し合い、上手く行けば通貨安に誘導できる。

ユーロという通貨が安くなれば、世界市場で販売しているドイツ車の国際競争力は更に増し、ドイツ経済にとって良い影響を与える。
つまりユーロという枠組みは、ドイツのような貿易黒字国にとっては良いことづくめと言える。


しかし、経済だけを統一して国を統一しないと、問題が起こってきます。
それは、一部の都市のみが発展し、地方が衰退してしまうという現象です。

ヨーロッパという地域で考えると、イマイチ『ピンッ!』と来ないという方は、日本という枠組みで考えれば分かりやすいでしょう。
日本も、東京一極集中で、地方が衰退しています。
しかし日本の地方は、むかし夕張等で破綻が起こりましたが、それ以外は比較的安定しています。
何故かと言うと、国が地域差を是正する為に再分配を行っているからです。
具体的には、東京で稼いだ税金を吸い上げて、地方交付税という形で再分配をする。

もし、この日本の中で東京が
『地方は怠け者で働かないから発展してないだけだ。
何故自分達の税金が、関係のない地方に配られるんだ!
東京で稼いだ税収は東京のためだけに使うべき!』

と言い出したらどうでしょうか。
東京都地方の格差は、更に拡大することになります。


潤沢な資金が有る東京は、有り余る資金で最新設備を設けた大学などを何個も創ることが出来ます。
そうなれば、日本中の優秀な若者は、地方から東京に移住することになります。
東京という地域には人が流入し、経済的にも更に発展。
更に増額した税収で、住民サービスは良くなります。
すると、地方の引っ越しが出来る程の財力が有る人達は、発展していて住民サービスも良い東京に移住した方が得になるので、また、住民の移動が起こってしまう。

結果として、経済的・学力的に東京の大学に行けない若者と、引っ越す財力のない人達が地方に取り残されることになる。
この様な人たちは収入も少ない為、地方の税収は更に下がる。
財政を維持する為には、緊縮政策を取らなければならない。
つまりは、住民税の増額と公共サービスの削減・低下につながる。

簡単に表現すると
富める者はより裕福に。
貧しい者はより貧しくなってしまう。

この流れを避ける為に行われるのが、同じ経済共同体内での再分配です。
しかし、EUはこのが機能していない。

ドイツ人達は、『何故ギリシャ人の為に、自分達の税金が使われなければならないんだ!』と主張し、ギリシャに金を貸すことはあっても、再分配という形で分け合うことはしていない。
もしEUの要求通りに、ギリシャで緊縮財政が起こればどうなるのか。
先程日本で例えた際の、【東京】と【地方】の関係と同じようなる。
やる気があってまじめに勉強をしているギリシャ人の学生は、ドイツの大学に進学してドイツの会社に入社する。
当然、税金もドイツで支払い、ドイツはより潤う事になる。

その一方でギリシャは、公共サービスが低下して、税金も上昇。
EU国内では国民は移住が自由である為、余裕のある人はサッサとドイツに移住してしまう為、主な収入源の富裕層が国を出て行くことになる。
こうなると、更に税収は激減する。
つまり、ギリシャにとっては緊縮財政を採用しても借金を踏み倒しても、どちらにしても地獄ということ。

これは、ギリシャが悪いというわけではなく、EUという制度に致命的なエラーが存在するということ。

因みにこの話は、私が考えた机上の空論では有りません。
この話を、日本に留学で来ているスエーデン人の方に話した所、大きく頷き、ドイツに全て搾取されているといった事を話されていました。
その方の話によると、ドイツは経済状態も良く、物も大量に消費される為、物価自体が安いそうです。
どれぐらい安いのかというと、スエーデンでビールを購入するより、ガソリンを使ってデンマーク経由で陸路でドイツに渡り、トランクに詰めるだけ積んでスエーデンに戻った方が安いそうです。

ここまでモノが安いと、ドイツ周辺国の人は皆、ドイツで買物をすることになり、ドイツの税収が上がる一方で周辺地域は疲弊してしまう。

これが成り立つのも、再分配が行われていないからです。

今回のギリシャ危機は、どのような形で処理するかによって、EUという枠組みそのものが存続できるかどうかという重要な問題です。

ギリシャの意見を聞き入れ、再分配を真面目に考える事ができれば、存続できる可能性はあるでしょう。

しかし、ギリシャを切り捨てた時点で、EUという枠組みは近いうちに空中分解することでしょう。
http://kimniy8.hatenablog.com/entry/2015/07/02/193000  



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ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと
http://jp.wsj.com/articles/SB10468926462754674708104581085121389238598


ギリシャ人たちが危機に陥っているのは、彼らが怠け者で借金を踏み倒す連中だからだ、というのは正しいか?

 結局のところ、彼らは1年に10カ月間しか働かず、14カ月分の支払いを受け取っている。25歳で引退し、カフェにたむろしてウーゾ(アニスの香りがするギリシャの蒸留酒)をあおっている。ドイツからの施しで生活し、税金をごまかす。欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)のトロイカが繰り返し支援しようとしたが、彼らは聞く耳をもたない。そして今や、極端なリベラルに走り、借り入れたカネをびた一文返そうとしない。

 それは正しいか?

 全く正しくない。

 ギリシャ危機について皆さんが教えられているほとんどあらゆるものは、完全なたわごとである。以下はその理由だ。

 1.ギリシャ人は既に要請されている以上に緊縮している。5年前の救済取り決め以降、ギリシャ政府は支出を削減し、増税し、そして基礎的財政収支(プライマリーバランス)を240億ユーロの赤字から30億ユーロの黒字に転換した。同国は実際には救済側の要求以上に債務を削減した。IMF自体が緊縮対策は「どんな基準でみても異例だ」と述べ、改革面での彼らの「重要な進展」を称賛したのも無理はない。

 2.本当の問題はトロイカの薬が効かなかったということだ。IMFは当初、緊縮政策を採用すれば、ギリシャは2011年から「V字型」の経済回復に入ると予測していた。「信頼感の効果と、市場アクセス再開」が期待されたのだ。だが、現実にはそうではなかった。これらは10年の救済文書から引用したものだ。IMFは、14年までに経済成長率が3%を超え、「失業率は12年までに15%近くでピークになるだろう」と予測した。何たることだろう。つまるところ、ギリシャ政府が債務を削減する間、経済は一段と縮小しただけだった。

 3.引用される「専門家」の発言は、皆バイアスがかかっている。確かに、TVやインターネット上では大勢の賢人たちがあれこれ非難したり警告したりしている。問題はどこにあるか。彼らがおおむね金融部門で働いている点だ。したがってその関心事は株式、債券、その他の金融資産であって、アテネやテッサロニキのような諸都市の雇用や世帯収入など日常生活の実態ではない。金融は実際に大切かもしれないが、それがすべてではないことは確かだ。

 4.ギリシャは既に破局している。わたしにとって開いた口がふさがらないのは、ギリシャはトロイカへの返済を停止したり、ユーロから離脱したりすれば、経済的な災厄に直面すると別の専門家が主張する時だ。国内総生産(GDP)は8年間で25%減少した。輸入は40%減少した。公式の失業率は25%だ。災厄だって?それは既に発生している。

 5.国というものは、財政緊縮でマネーを「創出」できない。ギリシャとトロイカの話し合いは、ギリシャ政府がどれほど増税ないし支出削減すべきかをめぐって決裂した。これは「単式簿記」システムの誤りに基づいている。それでも、広い範囲(尊敬すべき報道機関をも含む)で繰り返されている。ある国が増税ないし支出削減しても、全体としてマネーを創出しない。それは、一つの手から別の手にマネーが移動するだけだ。

 6.本当は、ギリシャのドラクマ再導入は極めて容易だ。容易でないとする恨み言は、全く偽りだ。この種の措置は以前にも実行されたことがある。例えば、ベルリンの壁崩壊後の多くの東欧諸国がそうだ。当時、IMFとその他国際機関は手を差し伸べたし、新通貨への移行は成功し、比較的痛みも少なかった。彼らがギリシャを助けるのを拒否するなら、それは意図的な悪意ある行為だろう。

 7.本当は、ユーロ無しでもギリシャはやっていける。英国がそうだし、ポーランドがそうだし、スカンジナビア諸国がそうだ。アイスランドは自国通貨の管理ができることもあって、2008年の通貨危機から回復した。実際、IMFは、ギリシャが今もドラクマを使っていてそれを切り下げてさえいれば、このような不況を回避できた可能性があると認めている。ギリシャがユーロを必要とするという考えはくだらないのだ。

 8.ギリシャだけがこの危機の原因だったのではない。非は「ダボスの寵児たち」にある。彼らはお気に入りの「ユーロ」構想を誰にでも売り込んだ。その中にはユーロは不釣り合いなギリシャなどの国も含まれていた。これが過去10年間の膨大な債務バブルを膨らませる一因になった。それ以降、ダボスの寵児たちは自分たちの専売特許のパンと水と粥(かゆ)という治療食を強く勧めた。だが、効果は全くなかった。皆さんは、ダボスの寵児たちが自分たちのこの治療法を自分で試そうとするほど間抜けでないことに気づくだろう。ブリュッセル、フランクフルト、ロンドン、ワシントンでは、食事のメニューはこのような治療食ではなく、ロブスター・テルミドール、オイスター・ロックフェラー、そしてシャトー・ディケムだ。


 9.パニックになるな。今回のギリシャ危機は他の世界にとって大きな問題にならないはずだ。ギリシャ経済の規模は米アラバマ州のそれと同じくらいだ。市場は既にギリシャの金融資産の大半を償却している。ギリシャ危機が「伝染」するのは、海外の政策担当者がそれを放置した場合だけだろう。わたしは良いパニックを好む人がいることは評価しているが、彼らは気持ちを落ち着かせる必要がある。


 10.トロイカの提案する「治療薬」は無意味だ。トロイカが提案するように、ギリシャは年金制度を改革すべきか?課税基盤を広げて簡素化すべきか?港湾を民営化すべきか?確かに。よろしい。しかし、これらはどれも100万人規模の人々を職に復帰させ、カネを稼がせ、消費させるのに全く助けにならない。弾丸による負傷を「食事と定期的な運動」で治療しようとするようなものだ。それらの処方が悪いのではない。完全に的外れなのだ。


(筆者のブレット・アレンズはマーケットウォッチのコラムニスト)

原文:Opinion: 10 things they’re not telling you about the Greek crisis
http://www.marketwatch.com/story/10-things-theyre-not-telling-you-about-the-greek-crisis-2015-07-01

http://jp.wsj.com/articles/SB10468926462754674708104581085121389238598



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“ギリシャは犠牲者”
クルーグマンから擁護の声 ユーロの構造的問題を指摘 2015年6月29日

深刻な財政危機に直面しているギリシャは、EUが求めている財政緊縮案を受け入れるかどうかを問う国民投票を7月5日に実施することを決定し、ユーロ圏離脱の可能性も出て来た。ギリシャを非難する意見は多いが、責任はギリシャだけにあるのではないという見方もある。

◆資本規制発表で国内は混乱。影響は国外にも

 27日に、ギリシャへの金融支援延長は債権団によって拒否され、28日には欧州中央銀行が、ギリシャの銀行に対する資金援助枠の引き上げを見送った。これにより、ギリシャには銀行の営業を停止させ、資本規制を導入するという選択しかなくなったとロイターは報じる。

 資本規制の発表を受け、ギリシャの市民は銀行のATMに長蛇の列を作った。また、29日の日経平均もギリシャ混乱のニュースを受け、今年最大の下げ幅を記録。他のアジアの国々でも、為替や株式に影響が広がった。

◆押し付けの緊縮策こそ問題

 このような状況のもと、ビジネス・インサイダー誌のヘンリー・ブロジェット編集長は、皆が悪者探しをしていると指摘。多くがギリシャのチプラス首相を無責任だと責めているが、経済学者のポール・クルーグマン氏は、これに異議を唱えていると述べている。

クルーグマン氏は、過去7年間、欧州はギリシャ経済の首を絞めてきたと主張。欧州が金を貸すたびに、ギリシャは歳出カットで応えており、緊縮財政こそが、ギリシャ経済にダメージを与えてきたと説明する。同氏は、危機に陥るたびに譲歩したことで、ギリシャは不況に苦しむ経済上の奴隷国になり果てたとし、ギリシャが持続可能な方法で負債を減らして現状から脱却することを欧州が認めないならば、ギリシャに残された道は債務不履行とEU離脱しかないと述べる(ビジネス・インサイダー誌)。

 ブロジェット氏は、支出は各国政府がそれぞれの裁量で行うが、借り入れは単一通貨で行う現在のユーロの仕組みは、豊かな国が貧しい国を助成しない限りは、長期的にうまくいくはずはないと指摘。欧州の「中心」の国々は、この考え方を受け入れそうもないため、ギリシャや他の弱小国は、ユーロ圏を離れた方がおそらく幸せなのではないか、と述べている。

◆富に負けた民主主義

 英ガーディアン紙のコラムニスト、ゾーイ・ウィリアムズ氏も、ユーロのあり方に批判的だ。同氏は、国民投票の選択肢は、終わりなき緊縮か今すぐの大混乱だとし、どちらもギリシャ国民は望んでいないと説明。失業率は25%に達し、若者に至っては、ほぼ半分が職を持たず、40%の子供の生活レベルが貧困ラインを割っている現状では、EUがギリシャに求める緊縮案では、何も変わらないと主張する。

 同氏は、単一通貨の導入で、自分たちの通貨のコントロールを失ってしまったとたんに、一国の政府は、その力を制限されてしまうと指摘。結局、強者が支配するのだと述べ、最も富めるドイツのやり方に従うことになると述べる。通貨管理は政治とは切り離すというユーロ創設時の神話は崩れ、民主主義はそれとともに降ろされたのだと同氏は主張。ギリシャはわれわれすべての力を弱める、間違った考えを維持するために犠牲になっていると述べている。


◆ユーロ自体が悪?

 英テレグラフ紙で執筆する政治コメンテーターのイアン・マーティン氏は、ギリシャのチプラス首相は、EU加盟国との慎重な話し合いを選ばず国民投票実施を決めたことで、欧州の政治家や官僚たちからは完全に狂っていると思われている、と述べる。しかし、狂っているのはチプラス首相ではなく、ユーロを作った側だと同氏は主張。彼らこそが、必要なセーフガードなしに、広大な大陸に通貨同盟を作ることで、政治的な夢と虚栄心が、経済感覚や文化、国の違いに打ち勝つと信じていたと断じる。

 同氏は、ユーロ圏からギリシャが去り多大な影響が出れば、ユーロのエリートたちは、彼らのアプローチが機能していないことに、ようやく気づくかもしれないと述べている。
http://newsphere.jp/world-report/20150629-2/



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日本より長い労働時間 「ギリシャ人=怠け者」は大ウソだった 2015年7月8日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/161509


「緊縮財政計画」を拒否したギリシャに対し、EU各国は呆れ果てている。もともと、ギリシャ人を「怠け者」と軽蔑していることもあって、「あいつら働きもしないで」と怒りを強めているようだ。

 しかし、本当にギリシャ人は怠け者なのか。意外にもギリシャ人の労働時間は、日本人より長いという。ギリシャ人の労働実態について「東短リサーチ」が詳細にまとめている。チーフエコノミストの加藤出氏がこう言う。

「ギリシャ人が怠け者というのは、勝手な思い込みです。OECDの2013年の調査では、ギリシャ人の年間労働時間は、2037時間と世界2位。

1位は2237時間のメキシコ。日本は1735時間で16位でした。

この調査結果を疑った英BBC News Magazineが、フルタイムやパートなどさまざまな切り口で統計を見直したのですが、やはりギリシャの長時間労働は事実でした。

賃金の水準が低いため1つの仕事だけでは生活ができず、2つ、3つと仕事を掛け持ちしている人が多い。労働時間が長いという統計は、ギリシャ人の間で浸透している。だから“怠け者”と決めつけるドイツに対して猛烈に反発しています」


■楽天的な国民性でイメージ定着

 実際、1950年代、ドイツに移住したギリシャ人の勤勉ぶりは、よく知られている。

 しかし、どうして「ギリシャ人は怠け者」というイメージが定着してしまったのか。

「公務員があまりにも恵まれているため、ギリシャ人は働かない、というイメージがついてしまったのでしょう。ステレオタイプの報道が多いのも原因です。

ドイツのテレビ局は、ヨットハーバーを映して〈経済危機でもギリシャ人はヨットを保有している〉と報じています。でも、実際にはヨット所有者の多くは裕福なドイツ人でした。

ギリシャ人が楽天的だということも大きいでしょう。気候が良いためか、“まぁ、しょうがないか”と深刻にならない。北ヨーロッパの国からすると、そうした態度が怠け者に見えるのでしょう」(加藤出氏)

 怠け者ではないらしいが、あまりの楽観主義が、ここまで債務を膨らませてしまったのは確かだ。




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100年前の「ユーロ」とギリシャ 2015-07-10

ギリシャのこれからが問題になっているが、実は、ギリシャが欧州通貨連合を抜けそうになったのはこれで2回目なのである。

そのことはこのBBCニュースの記事(2012年)で知ったのだが、150年前にラテン通貨同盟という欧州の通貨同盟(各国の通貨は残して、交換レートを固定化して、交易の便を図る試み)が生まれた。

「ラテン通貨同盟の発足は1866年8月で、当初の加盟国はフランス、ベルギー、イタリア、スイスでした。

4カ国は、各国の通貨を標準化し、交換可能にすることに合意しました。

2年後、当初の4カ国にスペインとギリシャが新たに加入し、1889年には、ルーマニア、ブルガリア、ベネズエラ、セルビア、サンマリノが加盟し、さらに拡大しました。」(BBCニュースから引用)

ということなのだが、ドイツはこれには当初から入っていない(ドイツは各州の通貨がまだ別だったので、ドイツ通貨統合でそれを固定化していた)。また英国は迷ったが加入しなかったというのも、ユーロの場合と同様だ。
 
そして、その後の歴史はこうだ。BBCから引用すると
 
「1832年、苦闘の末にオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取って以来、ギリシャは度重なる財政危機や債務不履行に悩まされ、長い間、国際資本市場から事実上締め出されてきました。そしてラテン通貨同盟の草創期に加盟しましたが、やがてその存在は歓迎されなくなり、懸念の的となっていきました。 

 無責任で容認できない行動をとり続けたギリシャは、1908年にラテン通貨同盟から正式に除名されました。その結果、ギリシャは通貨政策を見直し、2年後に再び同盟に加入することができました。」

と、「無責任で容認できない(ギリシャ)」と、まるで現在と同じようなことが書いてあるのには驚く。しかし、その結末は、こうだった。

「しかし、その頃には同盟全体がますます脆弱になり、将来の見通しも次第に不確かになり、わずか4年後には第一次世界大戦が勃発しました。」

ここで実質的にラテン通貨同盟は終わりを迎えたのである。100年前にも、ギリシャ問題がきっかけで崩壊した通貨統合。これはやはりギリシャという地域が、通貨統合によって「財政危機」になりやすいということを示しているのだろう。そもそも、ギリシャを入れるべきではなかったのである。今回は、最後の結末だけは、繰り返して欲しくないと願うばかりである。
http://blog.goo.ne.jp/yamahafx/e/99bb684872164ef1517359030c4a8434


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繰り返される共通通貨の歴史 BBCニュースサイト


ギリシャは共通通貨を巡って、隣国とうまくいかなくなっています。

 約1世紀前と同じことが繰り返されているわけですが、共通通貨を媒介とした親密な関係は、ほとんど長続きすることがないと、歴史学者デイヴィッド・キャナダインは言います。

 ギリシャ経済の長引く低迷と、それが欧州経済通貨統合(EMU)に与える悪影響への懸念は、どちらも目新しく前例のないことのように見えますが、実はいくつかの重要な点において、何度も繰り返されてきたことなのです。通貨統合は、近年の革新的な発想のようですが、通貨そのものと同じくらい長い歴史があります。しかし2500年の歴史の中で、さまざまな共通通貨が生まれたものの、長く続いたものはほとんどありません。そのため、多くの人が、その存在をいとも簡単に忘れてしまっているのです。

 初期の通貨統合でも、ギリシャは重要な役割を担っていました。時にはよい意味で、時には悪い意味で。そして近年、歴史はまた繰り返しています。英国がヨーロッパの枠組みとしての現在の統一通貨を敬遠するのは、今回が初めてではないのです。

 ヨーロッパの歴史は、通貨統合の失敗の歴史と言っても過言ではありません。EMUの前には、19世紀のラテン通貨同盟がありました。最も多く流通している硬貨がまだ金や銀でできていた当時、ヨーロッパのいくつかの通貨を統一しようという試みがなされたのです。

 ラテン通貨同盟の発足は1866年8月で、当初の加盟国はフランス、ベルギー、イタリア、スイスでした。4カ国は、各国の通貨を標準化し、交換可能にすることに合意しました。

 共通の単一法定通貨は作られませんでしたが、加盟国の通貨が互いに定率で固定されたのです。

2年後、当初の4カ国にスペインとギリシャが新たに加入し、1889年には、ルーマニア、ブルガリア、ベネズエラ、セルビア、サンマリノが加盟し、さらに拡大しました。こうして大きくなったラテン通貨同盟は、第一次世界大戦まで続きました。

 しかし、戦争の勃発で、金本位制の国際金融制度が突然終わり、その結果、ラテン通貨同盟は1927年の正式解散まで法人としては存続したものの、1914年には事実上終焉を迎えました。

 ラテン通貨同盟の実現に向けての交渉が始まったのは1865年で、初めは英国も話し合いに参加していました。しかし、2つの提案が大きな障壁となりました。1つ目は、英国が、1ポンド硬貨をフランスの25フランと全く同等にするため、ごく少量ではありますが、硬貨に含まれる金の量を減らさなければならないというものでした。2つ目は、英国が、ほかのヨーロッパ通貨と同じ10進制の貨幣制度にするため、シリングとペンスを廃止しなければならないというものでした。どちらの提案も受け入れられないということになり、1999年の時と同じように、英国は同盟を離れ、ヨーロッパ大陸の国々だけで共通通貨の仕組みを作ることになりました。

 1867年にフランスが提案した、フランス、英国、アメリカが同等の金貨を発行するという、さらに壮大な「世界貨幣」の構想にも、英国は興味を示しませんでした。

 ここに、英国の最近の態度や行動の兆候が、はっきりと表れています。

 『エコノミスト』紙のコラムニストで編集者でもあったウォルター・バジョットは、1860年代後半に、次のように深刻な危機の訪れを警告しました。

 「遠くない将来、英国以外のヨーロッパ全体が、統一の通貨を持つようになり、英国だけが独自の通貨に固執して取り残されるだろう」バジョットの警告は続きます。「俗な言い方をすれば、我々は『仲間はずれにされる』だろう。もし、この通貨制度を導入するのに重大な不都合がないのなら、私個人としては、是非そうするべきだと考えている」

 しかしバジョットは、それを実行に移すには、「どうしても乗り越えられない」困難があると考えていました。そして総合的には「統一通貨を導入する試みは、現時点では不可能」であると危惧していました。彼のその懸念は、のちのラテン通貨同盟の不運な結末によって、裏づけられることになりました。 
  
 それでも、20世紀末の欧州経済通貨統合の設立により、バジョットがかつて予想し恐れていた状態が、実現に大きく近づいたのです。2001年にギリシャが欧州経済通貨統合に加盟し、あとは、ご存じの通りの史実となりました。しかもその歴史は、まだとても終わったとは言えないのです。

 1832年、苦闘の末にオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取って以来、ギリシャは度重なる財政危機や債務不履行に悩まされ、長い間、国際資本市場から事実上締め出されてきました。そしてラテン通貨同盟の草創期に加盟しましたが、やがてその存在は歓迎されなくなり、懸念の的となっていきました。 

 慢性的な経済の低迷で、ギリシャ政府が何代にもわたって硬貨の金含有量を減らしたため、他の加盟国の硬貨と比べてギリシャ通貨の価値が下がった為です。またそれは、当初の合意に反する行為でもありました。

 無責任で容認できない行動をとり続けたギリシャは、1908年にラテン通貨同盟から正式に除名されました。その結果、ギリシャは通貨政策を見直し、2年後に再び同盟に加入することができました。

 しかし、その頃には同盟全体がますます脆弱になり、将来の見通しも次第に不確かになり、わずか4年後には第一次世界大戦が勃発しました。

 19世紀のヨーロッパでは、ラテン通貨同盟以外にも、同様の試みが行われていました。

 1857年に結成されたドイツ通貨統合は、ドイツ各州で流通していたさまざまな通貨を統一しようというもので、北部ドイツのターレルと南部ドイツのグルデンの2本建てでした。

 この制度は、このような試みの中ではまれな成功例で、1870年のドイツ統一まで続きました。

 ドイツ統一で政治と共に通貨制度も事実上統合され、5年後には2つの通貨に代わってライヒスマルクが公式通貨になりました。

 ドイツほど成功はしませんでしたが、1873年にデンマークとスウェーデンがスカンディナヴィア通貨統合を結成し、2年後にはノルウェーも加わりました。その目的は、ラテン通貨同盟がヨーロッパ全体でより広範に行おうとしていたことを、スカンジナビアでも実現することでしたが、第一次世界大戦の勃発で事実上その機能を失い、1924年に正式に解散しました。

 19世紀と20世紀に行われたこのような共通通貨の試みは、通貨制度そのものが生まれて以来何度も繰り返されてきた努力のうちの、ごく最近の例に過ぎません。このような試みの先駆者の中に、ほかならぬ古代ギリシャ人がいたことは、何とも興味深い歴史の皮肉です。

 通貨統合の最も初期の試みの一つは、紀元前400年頃に小アジア西岸地域で行われました。ギリシャの7カ国が同盟を組み、貨幣制度を作ったことは、のちの欧州通貨統合の先駆けともいえるでしょう。 

 硬貨の表には赤ん坊のヘラクレスが蛇を絞め殺している絵と、ギリシャ語で同盟を意味する言葉の最初の3文字が共通して描かれています。硬貨の裏には、それぞれの国が独自のデザインを施しました。硬貨はすべて同じ重さに鋳造され、統一通貨となり、7カ国による経済同盟の具体的な象徴となりました。

 この初期の通貨統合が、いつ、どのような理由で崩壊したかは定かではありませんが、200年後に、古代ギリシャでは別の試みが行われました。アカイア同盟として知られるこの試みは、ペロポネソス半島一帯の地域や都市国家が参加して、紀元前280年ごろに形成されました。

 ここでも、共通通貨の表には共通デザインであるゼウスの頭部が描かれ、裏側にはそれぞれの発行当局が独自に考案した図案が施されていました。

 歴史家ポリュビオスによると、このアカイア同盟により、ギリシャ人は「友好的な同盟地域を構築しただけでなく、共通の法律、度量衡単位、通貨制度も導入し、役人や議会、裁判所まで共有した」といいます。これほど高いレベルの統合が実現したことは、現代の熱心で野心的な欧州官僚にしてみれば羨ましい限りでしょうが、ラテン通貨同盟やスカンディナヴィア通貨統合と違って、アカイア同盟が100年以上続いた理由は、そこにあるのでしょう。

 アカイア同盟は紀元前146年に消滅しましたが、その原因は、通貨などの問題に関して加盟国同士の意見が食い違ったからではなく、コリントスの戦いでローマ軍に惨敗したという外的要因でした。

 このように歴史をひもといてみると、私たちには次のようなパラドックスが見えてきます。

 古代ギリシャ人は通貨統合のパイオニアであり、それを持続させることに努力を惜しまなかったということです。一方、現代のギリシャ人は、通貨統合に参加するたびにその組織を脅かし、危機に陥れているのです。
https://www.bbcworldnews-japan.com/uk_topics/view/0000162



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ギリシャの真実 2015-07-09
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12048360210.html


相も変わらずといえば、日本国内のギリシャ問題に関する報道が相も変わらず、

「ギリシャ人は怠け者で、公務員だらけで、財政赤字を膨らませたから破綻した!」

 といった嘘八百が流れておりますので、訂正しておきたいと思います。


 ギリシャ人の労働時間は、OECD諸国の中では最長です。ドイツ人はもちろんのこと、日本人よりも多いのです。

 そして、2014年のギリシャ政府はプライマリーバランス(基礎的財政収支)が黒字化していました。

 さらに、パパンドレウ政権までのギリシャの公務員数が妙に多かったのは確かですが、今は激減し、主要先進国の中では「日本に次いで」少なくなっています。


【主要先進国の公務員対労働人口比率(%)】
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/image-12048360210-13360844829.html
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_50.html#OECD

 ギリシャ問題については、当ブログ以外では以下の記事がかなり適切かと存じます。

『【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと
http://jp.wsj.com/articles/SB1046892646275467470810458108512138


 ギリシャ人たちが危機に陥っているのは、彼らが怠け者で借金を踏み倒す連中だからだ、というのは正しいか?

 結局のところ、彼らは1年に10カ月間しか働かず、14カ月分の支払いを受け取っている。

25歳で引退し、カフェにたむろしてウーゾ(アニスの香りがするギリシャの蒸留酒)をあおっている。

ドイツからの施しで生活し、税金をごまかす。

欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)のトロイカが繰り返し支援しようとしたが、彼らは聞く耳をもたない。そして今や、極端なリベラルに走り、借り入れたカネをびた一文返そうとしない。


 それは正しいか?

 全く正しくない。

 ギリシャ危機について皆さんが教えられているほとんどあらゆるものは、完全なたわごとである。以下はその理由だ。

1.ギリシャ人は既に要請されている以上に緊縮している。(後略)』9238598


 WSJの記事でブレット・アレンズは「1」以外にも、以下のポイントを挙げていました。


2.本当の問題はトロイカの薬が効かなかったということだ。

3.引用される「専門家」の発言は、皆バイアスがかかっている。

4.ギリシャは既に破局している。

5.国というものは、財政緊縮でマネーを「創出」できない。

6.本当は、ギリシャのドラクマ再導入は極めて容易だ。

7.本当は、ユーロ無しでもギリシャはやっていける。

8.ギリシャだけがこの危機の原因だったのではない。

9.パニックになるな。

10.トロイカの提案する「治療薬」は無意味だ。

 全て、正しいと思います。


 上記が「事実」であるにも関わらず、なぜ、

「ギリシャ人は怠け者で、公務員だらけで、財政赤字を膨らませたから破綻した!」

 のようなウソが蔓延するのか。

もちろん、緊縮財政を正当化するためです。日本の場合は、

「ギリシャは破綻した。日本も破綻する。だから、緊縮財政」

 という、陳腐なレトリックが相も変わらず報道されています。

この手の「ウソ」からいい加減に目覚めなければ、日本もギリシャも経済の縮小と国民の貧困化から逃れられません。


 というわけで、皆様もギリシャについて「ウソ」を語っていたり、書いたりしている人を見かけたら、容赦なく「ギリシャの真実」を教えて差し上げて下さいませ。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12048360210.html

昨日のギリシャに関するレトリックは、実に「理不尽」でございますが、その上、問題解決を不可能とします。

ギリシャが財政破綻したのは、生産性が低い状況で関税自主権や通貨発行権を手放し、さらに国債発行に際し、共通通貨で国際金融市場から政府が資金調達しなければならなくなったためです。

ギリシャ政府は、国債を発行する際にドイツ政府やフランス政府と「競争」を強いられたわけでございます。


 結果、ギリシャの金利は高止まりし(現在の長期金利は18.9%)、しかも関税と為替レートという「盾」を失っている状況で、生産性向上のための投資が困難な構造に置かれました。ギリシャの問題こそが、構造問題なのです。


 ギリシャの構造というよりは、ユーロの構造ですが、ユーロという構造問題を解決するためには、結局は「ユーロという構造」を壊すしかありません。正しい解決策である「ユーロの構造を壊す」ことを防ぐためにも、全てを「ステレオタイプなギリシャ国民の印象」に押し付け、

「ギリシャ人は怠け者で、公務員だらけで、財政赤字を膨らませたから破綻した!」

 などと、嘘つきたちが蔓延する結果になったのだと思います。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12048719130.html



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【青木泰樹】ギリシャ危機は対岸の火事ではない 2015/07/11


ギリシャ危機は対岸の火事ではない。

この手の論評が目に付くようになりました。

確かに、私もそう思います。

しかし、ギリシャ危機から何を教訓として学ぶのでしょうか。そこが問題です。

財務省シンパと思われるマスコミの論調は、概ね一致していますね。

一言で言えば、「身から出た錆(さび)」。

ギリシャ危機を招いたのは他ならぬギリシャ自身の放漫財政の結果であると。

放漫財政のツケは必ず払わなくてはならない。まさに今のギリシャ危機がそれを物語っているのだと。


そして例によって、「翻って、日本の場合はどうなのか」というお決まりのパターンが続くわけです。

今回驚いたのは、ギリシャが2014年度に基礎的収支(プライマリーバランス:PB)を黒字化していたことでした(三橋先生が前にブログで指摘されて初めて知りました)。

「我が意を得たり」と思ったかどうかはわかりませんが、マスコミの論調もヒートアップします。

曰く、「ギリシャは日本より財政は健全であったにもかかわらず破綻寸前。ましてや日本は危機目前。早急に財政再建を」となるわけです。

確かに、ギリシャの政府債務対GDP比は180%くらいで、日本のそれは200%を超えています(もちろん幾つかある政府債務の定義のうちの一つの場合ですが)。

また日本は2020年度のPB赤字解消さえ危ぶまれているとマスコミは報じていますから、国民の危機感を煽るにはギリシャ財政との比較は格好の材料なのでしょう。

「消費税再増税も歳出削減も、日本のためなのだ。財政出動などもっての外だ」と言いたいために。

しかし、財政健全化の指標とされる政府債務対GDP比の国際間比較は、実はほとんど意味はありません。

外国と比較して多い少ないではなく、その比率が中長期的に一定の枠内に収まっていれば問題ないのです。

以前、サラリーマンの住宅ローンを組む時の目安は、年収の五倍程度までと言われておりました。

つまり住宅ローン対年収比率は500%までが健全ということです。

もちろん、まだまだ債務を膨張させられると言いたいのではありません。
あまり目くじらを立てるほど神経質になる必要はないと言っているのです。

以前からお話ししているように、国債問題とは民間保有の国債残高が累増し、利払い費が膨張することです。

本年中に日銀は国債発行残高の3割を保有することになるでしょうから、国債問題は事実上解決したのも同然なのです。

後は適当な時期に政府と日銀間で、すなわち広義の政府部門内で処理すれば良いだけの話です。

政府が新しい債券(例えば長期のゼロクーポン債)を発行し、それと日銀保有の国債を交換すれば済むことです(そうすれば、万一金利が上がっても日銀のバランスシートは痛まない)。

それによって民間の債権債務関係が変更するわけではないので、民間経済に悪影響は及びません。

政府債務対GDP比の国際間比較以上に意味がないというか、逆に経済成長にとって最悪なのが「PB目標」、すなわち基礎的収支を単年度で均衡させる財政目標です。

財務省、そのシンパのマスコミ、経済学者、評論家、政治家たちはギリシャ危機から財政再建の重要性を学ばねばならないと考えているのでしょう。

日本も、2020年度のプライマリー赤字解消に向けて9.4兆円歳出削減をしなければならないと息巻いていた自民党の政調会長もいましたね。

その方たちに是非、ギリシャ危機の本質を学んでいただきたい。
まさに対岸の火事ではないのです。
なぜギリシャ危機が生じたのか。その原因は何なのかを。


それは財政均衡主義がもたらした災厄なのです。

まさしく経済思想が現実経済を潰した事例なのです。

欧州委員会(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)という三者、いわゆるトロイカに押し付けられたPB目標を達成しようとして、ギリシャは忠実に増税と歳出削減を履行し、結果的に経済を破綻させました。

5年間でGDPは25%減少しました(日本に置き換えて考えるなら、日本の名目GDPは約490兆円ですから、120兆円以上が消し飛んだことになります)。
失業率も平均で26%超、若年層に至っては60%超です。

若者が希望の持てない、未来のない国にしてしまったのです。
万死に値する所業です。

ここまで経済を破壊して得たものは何か。

若干のPB黒字だけです。

それによって財政再建はかなったのでしょうか、財政破綻の危機は去ったのでしょうか。

とんでもない、PBを黒字化しても財政破綻寸前です。

PB目標の達成は、国家の安寧も財政再建も、何ももたらさなかったという歴史的事実が残ったのです。

これを教訓とせずして、何を教訓とすべきでしょうや。


PB目標の達成のためには、増税と歳出削減しかありません。

しかし、公的支出を削減すれば、総需要が減り、名目GDPが減り、税収も減る。
増税分を国内で使えばまだしも、対外債務の返済に充てれば、ますます名目GDPは減る。

民需か外需が公需の減少した分を補てんするだけ増加しなければ、国民経済は縮小する。

ただの足し算引き算です。


この誰にでもわかることを財務省も、トロイカも、特にドイツのメルケル首相はわからないのです。

それは、「入を量りて、出を制す」という財政均衡主義の原点である個人の経済感覚に根ざすものなのでしょう。

部分だけを見て全体を顧みない。
財政を均衡させれば、万事うまくいくと思っている。
救いのない頑固脳。

そうした経済通念から脱却しない限り、為政者の思い込みによる経済破壊が続くのです。これは本当に人災です。


果たして、財政均衡主義の犠牲となったギリシャはどうなるのでしょうか。
トロイカは、金融支援の替わりにより厳しい緊縮策をギリシャに要求しております。

増税(付加価値税における軽減税率廃止)によってGDP1%分の増収を、そして歳出削減策(年金制度変更)によってもGDP1%分の増収を目指せと言っています。

他に軍事費も4億ユーロ削減せよと要求しております。
ギリシャの国防にまで口を出してきています。

到底、声は届かないでしょうがギリシャのチプラス首相に二つ助言を送っておきましょう。


先ず財政支援に関して。


歳入=税収+国債収入(国債を中心とする借入金)。

歳出=一般歳出(国債費を除く政策経費)+国債費(利払い費および償還費等)


ですね。財政赤字は「税収<歳出」です。


他方、プライマリー均衡は、「税収=一般歳出」です。


ギリシャはプライマリー黒字の状況ですから、問題は国債収入が確保できない(金融支援=借金ができない)ということです。

それゆえ借金の返済(国債費)ができずにトロイカに支援を仰いでいるわけです。
この状況を打開するためにチプラス首相はこう言えばいいのです。

「私が金融支援を仰ぐのは(追加の借金したいのは)、あなたたちに借金を返すためだ。」と。

さらに、あなたの右のポケットにあるカネを貸してくれ。すぐにあなたの左のポケットにそれを入れるから」と言えばよいのです。

つまり、トロイカのカネはギリシャ政府経由でトロイカに戻るのです。
トロイカに損はない。

これによってギリシャの銀行は救われ、実体経済をこれ以上毀損することなく、問題を先送りできるのです。

先送りが大切なのです。

世の中には、先送りを嫌悪する人達が一定数おりますが、それは物事の二面性を理解していないことを表明するに等しい。

先送りの対語は、拙速です。

拙速にならずに、じっくりと時間をかけて解決することが適切な場合も多々あるのです。今回のギリシャのケースがまさにそれです。

経済を立て直して、ユーロからドラクマに移行する時間稼ぎが必要なのです。


もう一つ、チプラス首相は緊縮策を受け容れないほうが良いのです。
これ以上、ギリシャ国民に貧困の淵を覗かせてはならないのです。
メルケルに従って、若者の失業を増やしてはなりません。

その代り、次のように逆提案すればよいのです。

「ギリシャは経済成長を成し遂げることによって、トロイカに債務を返済することを約束する。ついては、成長のための資金を融資してくれ。

これまで、トロイカの要求に素直に従ってきたが、結果は最悪だった。経済を潰してしまった。あなたたちの論理でギリシャを救えないことが分かった。

あなたたちもわかっただろう。成長によってのみ、ギリシャは救われ、ユーロも命脈を保つことができる(ただし、一時的ですが)。ギリシャには世界に誇れる観光資源がある。それを中心にギリシャ強靭化計画を実施することで再生を図りたいのだ」と。

もちろん、なかなか難しいでしょう。

ギリシャはユーロ通貨を導入したことで、先の見えない将来を自ら造ってしまいました。

以前の通貨ドラクマのままでいれば、現況以上に再生は可能であったと思います。
厳しい時期が到来しようと、未来に希望が持てれば生きていけるものですから。
ユーロ圏に留まる限り、ひとたび金融支援が滞るとギリシャの銀行システムは破壊されます。

今後も繰り返し、そうした状況が続きます。
それが実体経済にとって最も厳しいことなのです。決済ができないと商売が成り立たないからです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/



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緊縮財政の犠牲者 週刊実話 2015年7月23日 特大号


 2015年7月1日、ギリシャがIMF融資15億ユーロ(約2000億円)の返済不能となり、デフォルト(債務不履行)した。すなわち、財政破綻である。

 6月末時点で、ギリシャ議会は欧州連合(EU)などが金融支援の条件として示した構造改革案の是非を問う国民投票を、7月5日に実施することを賛成多数で承認。ギリシャのチプラス首相は6月27日にテレビで演説し、

 「ギリシャは緊縮策の継続をEUなどから強要されている。国民の意思に逆らう要求に対して回答を迫られている」

 「国民は(EU案による)脅迫から自由に決断すべきだ」

 と、発言。EU側は激怒し、ユーロ圏19カ国財務相会合がギリシャ側の支援要請を拒否することを決断。ギリシャはついに、デフォルトに至った。

 現在のギリシャは、国内の銀行を営業停止とし、資本規制導入も決定している。

 何しろ、ユーロ加盟国であるギリシャは自国の「通貨発行」が不可能であるため、銀行を営業させると、確実に取り付け騒ぎになる。昭和金融恐慌時の日本のように、紙幣を印刷して銀行に積み上げるといった沈静化もできない。

 ギリシャ国内の銀行が、片っ端から倒産していく状況になりかねない。

 国民投票の結果がどうなるか、本稿執筆時点では不明だが、とりあえず「なぜ、ギリシャが財政破綻に至ったのか」について、日本国民は正しく知るべきだ。

 とにかく、日本には“家計簿脳”の自称識者や政治家が少なくない。

 「ギリシャは放漫財政を続け、財政赤字が膨らんだから財政破綻した。日本も増税や歳出削減でプライマリーバランス(政府の基礎的財政収支のこと。以下、PB)を黒字化しないと、財政破綻する」

 などと、もっともらしく語る“無知な論者”が、溢れかえるほど存在するのだ。

 信じられないかも知れないが、昨年のギリシャはPBが「黒字」だった。ギリシャの、地方政府分を合わせた2014年のPBは、国内総生産(GDP)比0.4%の黒字だったのである。

 なぜ、ギリシャはPBが黒字であるにもかかわらず、財政破綻したのだろうか。話はまるで「逆」で、ギリシャはPBを黒字化するほど緊縮財政(主に支出削減)を実施したからこそ、デフレが悪化し、税収が減り、財政破綻に追い込まれたのだ。

 日本のエコノミストと自称する連中や、

 「PBを黒字化しないと破産する」

 などと発言した自民党の政調会長をはじめとする無知な政治家には、是非とも以下の事実を理解してほしい。

 ギリシャはPBが赤字だから財政破綻したのではない。PBが黒字化するほど緊縮財政を実施し、デフレが悪化し、税収が減り、財政破綻したのだ。

 ギリシャは「緊縮財政の犠牲者」なのである。

 アメリカのノーベル経済学者であるポール・クルーグマン教授は、ビジネス・インサイダー誌のインタビューで、

 「過去7年間、欧州はギリシャ経済の首を絞めてきた。欧州が金を貸すたびに、ギリシャは歳出カットで応えており、緊縮財政こそが、ギリシャ経済にダメージを与えてきた。危機に陥るたびに譲歩したことで、ギリシャは不況に苦しむ経済上の奴隷国になり果てた。ギリシャが持続可能な方法で負債を減らして現状から脱却することを欧州が認めないならば、ギリシャに残された道は債務不履行とEU離脱しかない」

 と、語っている。

 その通りだ。ギリシャはカネをEUなどから借りるたびに、きちんと「緊縮財政」を実施してきた。だからこそ、こんな事態に至ってしまったのだ。

 デフレ期に緊縮財政を続けた結果、ギリシャはGDPがピークから26%も減ってしまった。戦争でもなければ、普通はこれほどまでのGDP減少は起きない。

 デフレとは、戦争並みに(あるいは戦争以上に)経済にダメージを与えるのだ。

 GDPが縮小すると、税収も減る。GDPとは国民が働き、モノやサービスという付加価値を生産することで獲得する「所得」の合計だ。

 そして、国民は所得から税金を支払っている。所得の合計である名目GDPが縮小すると、税金の「源」が小さくなるという話になってしまう。当然ながら、政府の租税収入も減る。

 通貨発行権がないギリシャ政府は、緊縮財政で税収が減り続ける中、結局は対外負債の返済不能となりデフォルトに至ったのだ。

 翻って我が国を見ると、6月30日に安倍(晋三)政権は「骨太の方針」を閣議決定し、2020年度までのPB黒字化と、'18年度のPB赤字対GDP比半減という「緊縮財政」の目標が設定された。

 本来、財政健全化の定義は「政府の負債対GDP比率の低下」だ。財政健全化の目標を設定したいならば、当然ながら政府の負債対GDP比率の引き下げ目標を立てるべきなのだ。

 それにもかかわらず、安倍政権は財政健全化の手段の一つにすぎないPBをことさらにクローズアップし、黒字化目標を立ててしまった。 
 PB黒字化を短期で「主体的に」達成しようとすると、税収が増えない場合(2015年度は対前年比で減収になるだろう)、政府の歳出削減以外にやれることがない。

 というわけで、政府が支出を削り、日本を再デフレ化させ、GDPを減らし、税収が減り、さらなる歳出削減、という悪循環に突っ込んでいくことになってしまう。

 我々もまた、緊縮財政の犠牲者であるという「現実」を、日本国民はいい加減に理解するべきなのだ。
http://wjn.jp/article/detail/1252119/

 




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万死に値する所業 2015-07-12
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12049464532.html

   


  ギリシャ議会が、アテネで市民が反緊縮のデモ行進をする中、EUと債権者側が示した120億ユーロの緊縮財政を承認しました。


 国民投票は、何だったんだという話で、これでチプラス政権は支持率を失い、早急に退陣という運びになると予想します。

 というか、自分の首を賭けて緊縮を受け入れるなら、別に国民投票に打って出る必要はなかったでしょうに・・・。

『ギリシャ議会:譲歩案を賛成多数で承認
http://mainichi.jp/select/news/20150711k0000e030166000c.html


 ギリシャ議会(1院制、定数300)は11日未明(日本時間同日午前)、チプラス政権が欧州連合(EU)など債権者側に示した120億ユーロ(約1兆6000億円)規模の財政改革案を賛成多数で承認した。ロイター通信によると賛成251、反対32、棄権8で9人が採決を欠席した。ギリシャが改革実行への決意を示し、EUなど債権者側も改革案を肯定的に評価しており、11日のユーロ圏財務相会合でのEU側との支援交渉開始に向け大きく前進したことになる。

 改革案は、総額535億ユーロ(約7兆2000億円)の金融支援をEU側から受けるための条件。EU側が要求した緊縮策をほぼ受け入れる内容のため、5日の国民投票で緊縮反対を訴えた与党・急進左派連合(149議席)の一部から強い反発が出て、審議が長時間にわたった。

 だが、最大野党の中道右派・新民主主義党(76議席)など野党の大半はユーロ圏残留を最優先すべきだと主張し、賛成に回った。

 チプラス首相は採決を前に「国家としての責任を問う選択だ。私たちには国民を守る義務がある」と、賛成投票を促した。改革案について「公約とはかけ離れている」と認めたが「EU側の提案よりは少なくとも良い」と主張した。(後略)』


 朝日新聞の記事「私たちの国民投票どこへ? ギリシャで緊縮反対デモ(7月11日)」で、興味深いインタビューが載っていました。アテネで街頭インタビューに答えた元数学教師のステリオス・マリーニヌさん(65)が、

「EUのせいでギリシャは生産性を失い、外国から製品を買わされるばかりになった。緊縮財政には最後まで『ノー』を貫き、EUを離脱すべきだ」

 と、語っているのです。


 本質を突いています。結局のところ、ギリシャ問題とは、

「生産性が異なる国同士が国際協定で統一市場、統一通貨を構築し、フェアに競争すると何が起きるのか?」

 という実験の結果を、典型的に示してくれたという話なのです。


 経常収支のインバランスが発生し、さらに国債発行まで「フェアに競争」ることになり、負け組は金利が高くなり、生産性向上のための投資が困難になります。さらに、関税や為替レートで自国市場を保護することもできない。


 最終的には、経常収支の赤字(対外純負債の増加)が限界に達し、政府が財政破綻するわけです。


 ちなみに、ギリシャのGDPは1790億ユーロであるため、120億ユーロの緊縮とは対GDP比6.7%のマイナスのインパクトが生じます。


 すでにして、ギリシャのGDPはピークから26%減り、失業率は全体で26%、若年層失業率は60%超。この上、更なる緊縮財政。


 失業者たちは、現在の所得を得られないのはもちろんのこと、自身の中に仕事の経験、ノウハウ、スキル、技能等を蓄積する機会を奪われ、将来的に「人材」に成長することがありません。すなわち、先のステリオス・マリーニヌさんではないですが、ギリシャは高失業率に対する対策を打てない時点で、生産性向上が不可能な環境に置かれているのです。


 将来的に(「近い」将来的に)、ギリシャは発展途上国に舞い戻ることになるでしょう。これまでにギリシャが先進国だったのかという議論は置いておいて(わたくしは、そうは思っていません)、更なる発展途上国化が進むという話です。


 一つ、世界にとっていいことがあるとしたら、今回のギリシャ議会の決定により、緊縮財政が国民経済にどれほど凄まじい「害」を与えるか、さらに世界に示す結果になること確実、という点です。その分、ギリシャ国民が悲惨なことになってしまうわけですが。


 青木先生は、


【青木泰樹】ギリシャ危機は対岸の火事ではない
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/07/11/aoki-16/


 において、EUやユーロがギリシャにやってきたことについて、

「欧州委員会(EU)、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)という三者、いわゆるトロイカに押し付けられたPB目標を達成しようとして、ギリシャは忠実に増税と歳出削減を履行し、結果的に経済を破綻させました。

 5年間でGDPは25%減少しました(日本に置き換えて考えるなら、日本の名目GDPは約490兆円ですから、120兆円以上が消し飛んだことになります)。

 失業率も平均で26%超、若年層に至っては60%超です。
 若者が希望の持てない、未来のない国にしてしまったのです。

 万死に値する所業です。
 ここまで経済を破壊して得たものは何か。
 若干のPB黒字だけです。」
 
 と、書いてらっしゃいますが、まさに「万死に値する所業」をギリシャは継続することになるわけです。若者が働く機会を得ることができない国家に、未来はありません。何しろ、しつこく書きますが、真の意味における「経済力」とは、


「国民のモノやサービスに対する需要を、国民の供給能力で満たすこと」


 なのです。そして、国民の供給能力は、国民が働くことによってしか蓄積されません。EUやギリシャ議会は、ギリシャの未来を奪いました。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12049464532.html





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ギリシャ危機の原因についてメディアが嘘を並べています。 2015年07月06日

日本でもネット上でギリシャはヨーロッパの韓国だなんて、ギリシャをお荷物のように扱っていますが。。。メディアの報道に騙されている人々はギリシャと韓国を結び付けたがるのでしょうね。

ギリシャは、年金受給額も良いし、受給開始年齢も若いし、公務員の数もかなり多いのは確かですが。。。

以下の記事にて、ギリシャ経済がここまで悪くなったのは、金融エリートやグローバル企業(イルミナティ=ハザールマフィア)がギリシャを騙したからだということが分かります。なぜ、彼らはギリシャを騙してギリシャの財政を破綻させたのでしょうか。。。

彼らはギリシャの民営化を強要し、ギリシャの重要なインフラや遺産や資産を安く買い取ってしまったのです。そしてギリシャ政府をも乗っ取ったのです。ギリシャは彼らの支配下となり、完全に荒されてしまいました。その目的は。。。ギリシャの富を奪うためです。

彼らは世界の国々から資源や資産を奪うことしか頭にありません。そのためには、あらゆる手段を講じて国を破壊し乗っ取ります。また、その国の国民がどうなってもかまわないと考えています。大量虐殺さえします。このような欲深く汚らしい獣たちが世界を支配している限り、世界は常に彼らによってコントロールされてしまいます。

今回の投票で、ギリシャ国民は緊縮財政にNOを突き付けました。ギリシャはユーロ離脱をすることになるのかもしれません。しかしギリシャが次に頼る国は残念ながら中国とロシアでしょう。そしてギリシャはロシアの中国の支配下になってしまいます。ギリシャがたとえユーロを離脱しても、ロシアと中国に頼り、BRICSの仲間になるなら、ギリシャは永遠に独立国になることはないでしょう。

ギリシャはロシアと中国に頼らず主権を取り戻すことができるのでしょうか。それとも、欧米と同じようにイルミナティ(ハザールマフィア、バチカン)が支配しているロシアと中国に助けを求め、ロシアや中国の命令に従う国家になってしまうのでしょうか。

最も気の毒なのはギリシャ国民です。どの国も一般国民が犠牲となります。


http://beforeitsnews.com/eu/2015/07/greece-the-one-biggest-lie-you-are-being-told-by-the-media-2585602.html
(概要)
7月5日付け:Greece — The One Biggest Lie You Are Being Told By The Media


No to blackmail and austerity

By Truth and Satire

ギリシャ危機に関して、どこのメディアもギリシャが悪いと批判をしています。例えば、ギリシャ政府は巨額の財政支出を行ってきたために破たんしたとか、寛大な金融機関が彼らにお金をあげたのにギリシャはお金の管理がきちんとできなかったため返済不能になったとか。。。このような批判はいかにも筋の通っ手いるように見えます。

しかしメディアのギリシャ批判は全くの嘘に基づいています。ギリシャだけでなくスペイン、ポルトガル、イタリア、アイルランドもギリシャと同じように様々な種類の緊縮財政を強いられています。

また、ラテンアメリカ、アジア、アフリカ諸国に関しても、数十年前から金融機関や企業体は大きな嘘をついてきました。
つまり、ギリシャは自ら破たんしたのではありません。破たんさせられたのです。
グローバル金融機関がギリシャ政府をつぶし意図的に持続不可能な債務を押し付けたのです。

しかも、収益を創出する公有資産はオルガルキーとグローバル企業に売却されました。

例えば、マフィアが流行っているレストランを乗っ取る時には、まず、レストランの営業を妨害し、レストランで殺人事件を起こすか放火をします。

レストランの経営が悪化すると、ゴッドファーザーはレストラン側に寛大にも大金を与えます。その代り、マフィアはレストランの経営権を奪います。

このようにマフィアはレストランのオーナーに窮乏の連鎖を与え、オーナーを一文無しにさせます。オーナーが殺されずに済むならかなり運が良いということです。

では、グローバル金融機関のやり方はどうでしょうか。

彼らは4段階に分けて対象国を破綻させます。


第一段階: ウォール街とグローバル銀行が仕組んだ2008年の金融恐慌により、ギリシャの経済がかなり悪化しました。金融機関は、金融恐慌を起こすために、サブプライム・ローンを誰にでも貸しつけ、それらを証券パッケージにして売りさばき世界中の金融機関に大きな利益をもたらしたのです。

金融エリートらは、このような恐ろしい構想を実行に移しました。そして、サブプライムローンを使った犯罪活動の実行部隊は金融エリートらが支配するS&P、フィッチアンドムーディーズなどの格付け機関です。彼らは初めから国家を破たんさせるために作り出した金融商品に対し、意図的に素晴らしい評価をしたのです。

恥知らずな政治家のトニー・ブレア英首相はゴールドマンサックスと共謀しサブプライムローン関連の証券をヨーロッパ諸国の政府、年金基金、地方自治体に売りさばきました。その結果、金融機関やウォール街の権威者たちは何千億ドルもの利益を得ました。

しかし第二段階に移ると、彼らはさらに巨額の富を得たのです。


第二段階:彼らは適時にサブプライムローンを崩壊させました。世界中の金融機関がたった数週間で破たんしてしまいました。そして各国の政府(地方政府?)の投資資金や資産が消滅しました。世界中がカオス状態となりました。
一方、ゴールドマンサックスなどのハゲワシは以下の3つの方法で巨額の富を得ました。


1)彼らはリーマンブラザーズやワシントン・ミューチュアルを通常よりもかなり安い価格で買収したのです。

2)ゴールドマンサックスやジョン・ポールソンなどのインサイダーらは、サブプライム証券が破たんすると賭けました。もちろんポールソンは賭けに勝ち、メディアは彼らの洞察力の良さを賞賛しました。これは9.11のテロリストが9.11が起こることに賭け、巨額の利益を得た場合と同じです。

3)厚かましい大手金融機関は、傷口を塩で擦るために、彼らによって生活が破壊された国民が納めた税金を金融機関の緊急支援にまわせと要請したのです。

アメリカの大手金融機関は納税者が納めた何千億ドルもの税金を強奪しました。また金融エリートらの偽装団体であるFRBからも何兆ドルもの緊急支援を得ました。
ギリシャでは、国内の金融機関がギリシャ国民が納めた税金のうち300億ドルの緊急支援を得ました。


第三段階:グローバル金融機関は対象国の政府に巨額の債務を無理やり受け入れさせました。

寄生虫の金融エリートらが使ったテクニックとは。。。2009年末から、対象国の国債を格下げしました。その直後に国債利回りが上昇しました。そして対象国はこれ以上借金をすることが難しくなり。。。既存の国債をロールオーバー?することも難しい状況になりました。

2009年から2010年中旬にかけて、ギリシャの10年国債の利回りが3倍に上昇しました。このような残酷な金融テロ攻撃を行った金融エリートらは、次に、ギリシャ政府を服従させ、ギリシャとの最初の協議では1100億ユーロを勝ち取りました。

さらに彼らは、破たんした国の政治家をも支配するようになりました。当時のギリシャ首相は2回目の巨額の緊急支援を断ったとき、彼らはギリシャ首相を即退任させ、欧州中央銀行の副総裁をギリシャ首相に任命しました。(選挙は行われませんでした。)

この時、金融エリートらはギリシャの民主主義を破壊しました。

そして新首相は、金融エリートらが用意した書類に署名するだけのパペットでした。

翌日にはイタリアでも全く同じことが起きたのです。イタリアの首相が辞任し、金融エリートらのパペットが新首相になりました。

その10日後にスペインで早すぎる選挙が行われ、スペインでも金融エリートらのパペットが新首相となりました。

2012年には、金融エリートらは証券市場の操作を行い、ギリシャの国債の利回りを50%まで引き上げました。彼らによるギリシャに対する金融テロはすぐに効果が表れました。

それは。。。ギリシャ国会が金融エリートらが押し付ける2回目の巨額の緊急支援(一回目よりもはるかに多い額)を受け入れることになったのです。

このようにギリシャが2回の緊急支援を受け巨額の債務を抱えた時に金融エリートらはギリシャに対して国の資産の民営化を強要しました。


第四段階:ギリシャは強制的に押し付けられた債務により、国が所有する様々な重要資産をオルガルキーやグローバル企業に売却しなければならなくなりました。
民営化は無慈悲です。有益な国の資産が全て民営化されてしまいました。ギリシャの民営化は水道、電気、郵便、航空サービス、国営銀行、テレコミュニケーション、港湾管理(ギリシャは世界有数の海運国家でした。)、その他の施設にまでおよびました。

さらに、金融界の暴君たちは、ギリシャ政府の予算を全て決定しました。つまり政府が予算を決めることができなくなったのです。

ギリシャの民営化後に金融エリートらによる独裁政治が始まると、政府の歳入が減り、借金が増えていきました。そうなると、緊縮財政を受け入れざるを得なくなります。

公務員の大量リストラ、最低賃金の引き下げ、社会福祉のカット、年金の引き下げ、そしてギリシャ人口の99%の人々(1%の富裕層には影響しない)の生活に影響を及ぼす増税が断行されました。

このような緊縮財政策が実施された結果、ギリシャは1930年代にアメリカで起きた大恐慌よりも酷い状態となってしまいました。

もちろん、金融エリートらは、ただちにギリシャのメディアの民営化を断行したため(彼らがギリシャのメディアを乗っ取った)、ギリシャ国民は金融エリートらにとって最も都合のよい報道やプロパガンダしか耳にすることができなくなりました。ギリシャのメディアは「金融機関はギリシャを救おうとしており、彼らが提案する緊縮財政が最も効果的な方法だ」と伝え続けたのです。

もし、緊縮財政の恐ろしさについてギリシャの全国民が理解していたなら、このような状況には陥らなかったでしょう。そして同じく緊縮財政を強いられたスペイン、イタリア、ポルトガル、アイルランド、その他の国々も同じなのです。

このような残酷な政策は今に始まったことではありません。第二次世界大戦以降、アジア、ラテンアメリカ、アフリカでIMFと世界銀行により緊縮財政が断行されたのです。

これこそ、ニューワールドオーダーの本質なのです。世界はほんの一握りのエリートらによって支配されています。

今まさに、ギリシャの素晴らしい人々がゼウスのように立ち上がるべきときがきました。ギリシャ国民は欲深いパペットマスターや国賊のオルガルキー、寄生虫の金融エリート、腐敗した政治家にNOを、そして彼らが押し付ける緊縮財政にNOを突き付けましょう。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51963097.html




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2015年7月23日 木曜日
緊縮財政のギリシャで 軍事予算だけは削られない理由
ジャーナリスト 堤未果


二〇一五年六月三十日。ギリシャはIMFへの返済が出来ず、事実上債務不履行に陥った。七月五日には、EUからの要望である緊縮策の賛否を問う国民投票が実施された。

ここまで財政赤字が膨れ上がった原因は、高すぎる年金、公務員優遇だなどと報道されているが、何故か触れられないもうひとつの重要要素についてはあまり知られていない。

債務の半分以上を占めるといわれる、防衛予算だ。

NATO同盟国28か国の中で、ギリシャの軍事支出はトップのアメリカに次いで2位と突出している。金融危機から5年たった2015年においても、財政赤字がGDPの175%だった前年よりも軍事費は1%増やし、GDP比2.4%というEU最大規模を維持し続けているのだ。

この問題について、欧州外交政策財団のサノス・ドコス所長はガーディアン紙のインタビューでこう答えている。

「1300車両という、イギリスの二倍以上の数の戦車が本当に必要なのかどうかは議論が分かれるところだろう。だがトルコの軍事的脅威に対しバランスをとるためには、やむを得ない措置なのだ」

トルコの脅威。だが本当にそれだけだろうか?

奇妙なことに、危機に陥ってからこの間、IMFやEU、欧州中央銀行から提示された緊縮財政メニューの中に、軍事費削減はのっていない。

ギリシャへの財政支援条件として最も強く緊縮財政を要求していた債権国のドイツも、ギリシャに軍事費を半減させ、ドイツと同じGDPの1%台に抑える事でIMFへの当座の支払いをさせるという現実的な要求は決してしなかった。代わりにメルケル首相は、救済金の大半を国内経済の立て直しではなく軍事支出に振り分けるよう、ギリシャ政府に圧力をかけている。

だがメルケル首相にはそうするだけの理由があった。ドイツは武器輸入大国ギリシャから、アメリカに次いで最も恩恵を受けている国の一つだからだ。ちなみに三位は、ドイツ同様長年ギリシャ政府に軍事費増の政治的圧力をかけてきた、

やはり債権国のフランス。2010年から2014年までの5年間、ギリシャ政府は5億5100万ドル分の武器をドイツから、1億3600万ドルの武器をフランスから購入している。

二〇一二年に金融支援の条件としてギリシャ政府が課された20%もの最低賃金引き下げや、公務員の給与凍結は一体何のためだったのか?IMFに言われるままに、障害者の自己負担を高騰させ、医師数を大幅に減らし、病院を閉鎖させ、国家にとって最大の財産である筈の国民を公衆衛生上の危機に陥れた対価は、更なる財政赤字となってギリシャ政府にのしかかった。

二〇一〇年に、メルケル首相とサルコジ大統領が、借入金が入る前に武器輸入契約の維持をギリシャ政府に約束させた事実や、二〇一三年にドイツの防衛産業からの収賄が暴露されたギリシャの元防衛大臣他政府高官らの逮捕など、次々に暴露される腐敗劇に国民の怒りは爆発寸前だ。

百万人の失業者、ホームレス人口の急増、若者の二人に一人が職を失い、二十万人もの国民が国外へ逃げ、貧困層の間で感染症が拡大しているギリシャ。

欧米の商業 マスコミが描く公務員天国の自堕落なギリシャ像の裏で、笑いが止まらない勝ち組たちの姿が、私たちに見えるだろうか?

(週刊現代「ジャーナリストの目」2015年7月掲載記事)
http://www.mikatsutsumi.org/blog/?p=98


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ジョージ・ソロス氏: ギリシャ経済はユーロ圏にいる限り決して回復しない2016年1月10日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/2277


引き続き、ドイツの週刊ビジネス誌Wirtschaftsによるジョージ・ソロス氏のインタビュー(原文ドイツ語)の翻訳である。今回はギリシャ問題の先行きについてである。

先ず、ユーロ圏における緊縮財政に対するソロス氏の意見は以前より一貫している。ドイツのメルケル首相がTIME誌の「Person of the Year」に選ばれたことについて、これは過大な評価かと聞かれ、ソロス氏はこう答えた。


とんでもない。メルケル氏がヨーロッパに押し付けている緊縮財政はどうしようもなく間違っているが、彼女が長らくヨーロッパの指導者として、そして間接的には自由を尊重する世界全体の旗手として、疑いようのない活躍をしていることは確かだ。

移民受け入れはオープンな社会を望むソロス氏の政治的立場と一致している。しかし今回の主題は経済である。ユーロ圏の盟主としてのドイツの立場について、彼はこう語る。


ドイツはメルケル氏のリーダーシップのもとヨーロッパの覇権国(訳注:経済学の術語、ウィキペディア)となったが、しかしドイツは覇権国として得られる利益に対し対価を払わなければならない。

ドイツ人が負債についてどれほどギリシャ人を責めようとも、対価を払うべきなのはドイツなのだ。覇権国には覇権国に委ねられた他国の利害というものがある。ドイツは1945年以後のアメリカのように義務を果たすのかどうか、決めるべき時が来ている。

読者にも周知のように、わたしもこれに同意する。というよりは、これに同意しない人間は経済学に明るくない人々とドイツ人だけである。経済学には以下の等式がある。
•政府貯蓄 = 貿易収支 + 投資 – 民間貯蓄

つまりは貿易収支が増えれば政府の赤字は減り、貿易収支が減れば政府の赤字は増える。ユーロという通貨がドイツにとって非常に安く、ギリシャにとって非常に高いという事実を思い出そう。この事実は長年ドイツの政府債務を軽減し、ギリシャの政府債務を肥大化させてきた。

したがってドイツ人が勤勉でギリシャ人が怠惰であるというのは、上記の経済的事実から生じた全くのまやかしである。両方の国を知る人間は、ドイツ人の仕事ぶりが評判に反して案外に適当で無責任であり、ギリシャ人がとりわけ怠惰ではないということを知っている。

ギリシャはどうなるだろうか? ソロス氏はこう予想する。


2009年後半にギリシャで債務危機が生じた時、ドイツの率いるEUは支援の手を差し伸べた。だが要求した対価が大きすぎた。彼らはあまりに高い利子を負債に課したため、ギリシャは負債を返せなくなってしまった。残念ながら、ドイツは最近の交渉で同じ誤りを犯した。ドイツの強制した条件はギリシャを更に深刻な債務危機へと陥れるだろう。ギリシャの負債が返済されることはない。

ギリシャは投資先としてどうかと聞かれると、ソロス氏はこう答えた。


ギリシャがユーロ圏に留まる限り、魅力的な投資先にはなりえない。ユーロ圏のなかではギリシャは決して回復することはない。通貨レートが高すぎるからだ。

もう一度例の等式を思い出そう。彼も単純にこの式を想定しているはずである。
•政府貯蓄 = 貿易収支 + 投資 – 民間貯蓄

ドイツ人にまともな経済学の知識さえあればユーロ圏の悲劇は起きなかったのだが、彼らは自分に都合の悪い事実は見ようとしない。彼らの財政黒字が自分たちの勤勉さの結果だと信じたいのだ。

彼らの主題は常に、自分を誇ることができるかどうかにある。そしてドイツの振る舞いのために南欧諸国の貧困層が子供にスリや売春を押し付ける生活を送ろうとも、ドイツ人は決して気に留めることがない。
•ヨーロッパには移民受け入れ能力はない: イタリアで邂逅した少女の話とドイツの欺瞞

ドイツ人が自己中心的な国民性を形成した歴史的、文化的背景については以下の記事に詳しく書いたので、そちらを参考にしてほしい。
•移民を歓迎するドイツの本音と哀れなハンガリーの受難

ヨーロッパの今後については、個人的にはもう諦めつつある。あまりに多くの悲劇が既に起こってしまった。本当に行くところまで行かなければ、彼らは気付かないのだろう。
•パリ同時多発テロの犠牲者130人はドイツが殺した
•大晦日に移民が集団でヨーロッパ人女性に性的暴行、ドイツ、スイス、フィンランドで




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ユーロ圏がドイツの植民地だと一目で分かる各加盟国の貿易収支比較2017年1月29日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5343

ユーロ圏は崩壊寸前である。2010年には欧州債務危機が起こり、南欧諸国の財政は破綻の危機に瀕した。ユーロ圏の失業率はいまだ10%近い水準であり、イタリアやフランスにはユーロ圏やEUからの離脱の兆候が見られる。


•イタリア改憲国民投票否決はユーロ圏離脱の始まり

•フランス大統領候補ル・ペン氏: EUは死んだ、変化なければフランスはEU離脱を


しかし何故ユーロ圏はこれほどに混乱しているのか? 移民問題などの理由もあるが、経済的な混乱の原因は、一つの経済指標を調べれば非常に端的に理解できる。それはユーロ加盟国の貿易収支である。


為替レートと貿易収支

ここの読者にはお馴染みの話となるが、先ずは為替レートと貿易収支にどういう関係があるのかから説明したい。

アベノミクスが量的緩和で紙幣を印刷し、日本円の価値を意図的に引き下げたのは、通貨安になれば国内の輸出企業にとって利益となるからである。自国の通貨が安ければ、自国通貨建てでは同じ値段の輸出品であったとしても、外国の買い手から見れば安くなるため、輸出品が売れやすくなるわけである。

では、ユーロ圏の場合にはこの理屈はどう作用しているか? ユーロは元々別の通貨を使っていた複数の国がその通貨を統一したものである。元々、ドイツにはマルク、フランスにはフラン、イタリアにはリラという通貨があったが、これがすべてユーロという一つの通貨に統一されたのである。

ユーロ採用以前にはそれぞれの通貨がそれぞれの通貨に対して為替レートを変動させていた。イタリアの輸出が振るわない場合、景気刺激のために金融緩和をすれば、イタリアのリラはドイツのマルクに対して下落し、イタリアの輸出業は通貨安による一時的な底上げを得ることが出来た。変動通貨制においてはその国の産業の好調不調に対してこのように自動の調整機能が働くのである。

しかし、いまやヨーロッパの大部分はユーロを採用した。つまり、複数の国が一つの為替レートを使用していることになるわけだが、ではその一つの為替レートはどのように決まっているのか?

それは、非常に大まかに例えとして言えば、すべての加盟国の為替レートの平均となる。ユーロ圏内で豊かな国は先ずドイツであり、輸出で外貨を稼ぎ、金融緩和も南欧諸国ほど必要としないドイツのマルクは強かった。一方で、ドイツ経済より弱く、失業率がドイツほど低くないイタリアのリラは、一般論で言えばマルクより弱い通貨であった。それがユーロという一つの通貨に統一されるのだから、ユーロの為替レートはある意味その間を取ったものになるわけである。


矛盾をはらんだ共通通貨ユーロ

この「平均的な」ユーロこそが問題の元凶であった。大国ドイツが入ったユーロという通貨は、当然イタリアのリラよりも高くなった。結果、イタリアの輸出は振るわず、ユーロ圏加盟前にはGDP比で5%近くあったイタリアの貿易黒字は、1998年のユーロへの段階的移行を境に瞬く間に減少してゆき、ついには貿易赤字の状態まで転落してゆく。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/italys-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


その悪化は10年以上続き、ようやく改善されたのは2010年に欧州債務危機が表出してECB(欧州中央銀行)が事後的に対策に乗り出してからである。それまでの間にイタリアの債務は膨れ上がり、経済は瀕死の状態まで追い込まれてしまった。

輸出が振るわないということは、外貨を稼ぐことが出来ないということである。マクロ経済学上、稼いだ外貨は政府と民間で分け合う(つまり輸出の利益は税金と企業利益に分割される)ことになるため、外貨を稼ぐことが出来なければ、輸出企業の利益が減少するだけでなく、税金を得られない政府の財政も急激に悪化してゆくことになる。これこそが欧州債務危機の真実なのである。


他国の状況

「高すぎるユーロ」の犠牲となったのはイタリアだけではない。スペインの貿易収支も1998年辺りを境に同じような下落トレンドを辿っている。その悪化速度はもはや見事なほどである。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/spains-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


ユーロ圏で一番状態の悪いギリシャの貿易赤字は一時GDPの10%を超えるところまで悪化した。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/greeces-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


ニュースになったギリシャの債務危機は、高すぎるユーロのために外貨が稼げなくなったことが理由であり、南欧諸国の財政が悪化してゆく理由はこうしたグラフを眺めれば素人でも分かるものだったにもかかわらず、明らかに必要とされていた金融緩和をドイツが自分に必要がないからという理由で頑なに拒否し続けたために起こった悲劇である。

それでもドイツ人はギリシャ人を怠惰だと罵り続けた。しかし経済学の知識のある人々は全員、その原因がユーロにあると知っていた。
•ジョージ・ソロス氏: ギリシャ経済はユーロ圏にいる限り決して回復しない

因みに興味深いことに、こうした貿易収支の悪化を経験しているのは南欧諸国だけではない。以下はユーロ圏で二番目に大きいフランス経済の貿易収支である。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/frances-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png

天秤の反対側

さて、加盟国の通貨レートの「平均」であるユーロがこうした国々にとって高すぎるということは、その天秤の反対側にはユーロが自国にとって安すぎる状態となっている国があるはずである。そしてその国の貿易収支は、上記の国々の貿易収支が悪化した分、凄まじい改善を見せているはずである。

その国はドイツである。以下はドイツの貿易収支のチャートである。もう笑うしか無いだろう。

http://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2017/01/germanys-net-exports-to-gdp-after-joining-euro.png


これがドイツ人が他のユーロ加盟国の犠牲をもとに稼いだ外貨の総量である。GDPの7%分にも達している。ドイツ人はこれらの外貨を自分の政府の財政状態の改善のために使い、その結果実現したドイツの財政黒字をドイツ人が勤勉である証拠だと誇っている。そしてイタリア人やギリシャ人を怠惰だと馬鹿にしているのである。


結論

しかし他国人はそうは見ていない。こうしたユーロ圏の狂気を知っていたイギリス人は2016年に何を決断したのだったか? イギリスのEU離脱を主導したジョンソン外相の言葉をもう一度眺めたい。


•元ロンドン市長: EU統一を目指すドイツの目的はヒトラーと同じヨーロッパ支配だ


EUの悲惨な失敗は加盟国間の緊張をもたらし、そしてドイツにヨーロッパにおける過大な権力を与え、彼らがイタリア経済を乗っ取り、ギリシャを破壊することを許す結果となった。

イタリア人はかつて優れた自動車製造業を誇っていたが、これはユーロによって完全に破壊されてしまった。ドイツ人が望んだ通りにである。

ユーロはドイツの生産力がユーロ圏の他の地域に対して不可侵の優位性を得るための道具となってしまった。これはわれわれイギリス人にとって、節度と常識の声としてヨーロッパの救世主となり、目の前で繰り広げられる無秩序を止めるためのチャンスなのだ。

このように、経済的に完全にドイツの植民地となったヨーロッパの現状を詳細に理解しながら、イタリア人とフランス人が2017年にどういう政治的決断を行うのかについてもう一度思いを巡らせてみたい。ル・ペン氏の言葉通り、EUは既に死んでいるのである。

•イタリア改憲国民投票否決はユーロ圏離脱の始まり

•フランス大統領候補ル・ペン氏: EUは死んだ、変化なければフランスはEU離脱を


http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/5343



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2017年02月25日
ドイツの植民地と化したギリシャ、緊縮財政の末路

ドイツはギリシャを騙して財政悪化させて支配下に置いた
引用:http://mandiner.hu/attachment/0122/121638_merkel_ciprasz.jpg


経済植民地になったギリシャ

2010年のギリシャ危機から早くも7年が経ったが、あれからギリシャがどうなったのか報道されなくなりました。

IMFの管理下に入って支援を受け、ドイツなどEUからも支援を受けたが、悪くなる一方だと言われています。

IMFが僅かな金融支援の代わりにギリシャに求めたのは破壊的な緊縮財政で、実行すればギリシャ経済が破綻するのは予想できた。

       

IMFおよび欧州議会は「今すぐに」財政黒字化を達成するようギリシャに迫り、その手段は国家予算をカットする以外に無い。

例えば日本の政府予算は年100兆円だが、他にも地方予算が100兆円ほどあるので、合計200兆円くらいの規模になっている。

日本のGDPは500兆円なので、そのうち4割の税金を徴収すれば財政赤字にはならないが、税収額が下回っているので赤字です。


これを例えば「明日財政黒字にしろ」と指示されて政府と地方予算を半減したら、経済活動が縮小して不況になります。

その代わりにIMFとドイツが「はした金」を援助してくれるが、結果は支援を受けないのと変わらない気がします。

このような経済政策は下の下で、第一次大戦後にドイツを経済破綻させたフランスの手口と同じです。


フランスも当時のドイツに緊縮財政を要求して、はした金を出し、事実上ドイツを植民地支配する事にしました。

国民生活が破綻したドイツでは「フランス野郎をぶちのめせ!」と主張するナチス党が大人気になり、後に公約は実行されました。

戦争に勝ったからといって調子に乗りすぎたフランス人が悪いので、自業自得というところです。


ドイツがギリシャにした事

ギリシャの財政危機が表面化したときに、ドイツのメルケル首相は「ギリシャ人は怠け者だからこうなった」と露骨にギリシャ人を見下す発言をしました。

実際その通りなら仕方がないが、ギリシャはEUに加盟するまで欧州でもっと健全財政で、怠け者でも浪費家でもありませんでした。

ギリシャはGDP2422億ドル(約27兆円)で政府債務は計約3200億ユーロ(約43兆円)だったが、最初からこんなに酷かったのではなかった。


ギリシャは1981年にEU加盟し、1990年にEU統合し、2002年にユーロを導入しました。

1990年のギリシャ政府債務はGDP比50%以下と健全だったが、ユーロ加盟条件は単年度赤字GDP3%以下、政府債務残高はGDP60%以下でした。

2002年時点でEUの財政規律を守っている国は一カ国も無かったが、ギリシャはEUの勧告に従って緊縮財政に転換しました。


財政が健全だった国が緊縮財政をすると経済成長率が低下し税収も少なくなるが、運が良ければ財政赤字が減少します。

たとえば日本は1990年時点での財政は(今よりも)健全だったが、やはりIMFや欧米の勧告に従って緊縮財政に転換しました。

消費税のように増税して支出を減らしたのだが、それ以上に景気悪化で税収が減ったので、財政赤字は悪化しました。


ギリシャでも同じ事が起きて財政破綻してしまい、EUとドイツ、IMFなどに従ったせいで国が破産してしまいました。

1990年に健全財政だったギリシャだが、ドイツの口車に乗って緊縮財政にした結果、2002年にGDP比98%になっていました。

2011年には170%に達したが、またドイツとEU、IMFに従って緊縮財政した結果、GDP比180%以上に増えています。

「ギリシャ人は怠け者だ」とメルケルは言ったが、実際はギリシャの労働時間はドイツよりもずっと長いのが分かっている。


食い物にされていく日本とギリシャ

結局緊縮財政で政府が支出を減らすと、経済活動が縮小して節約した以上に税収が減るという、戦前の経済理論をおさらいしただけでした。

アメリカは1929年に大恐慌で経済破綻しやはり緊縮財政したが、節約すればするほど財政が悪化してしまいました。

この間違った政策を正したのが教科書に出てきたニューディール政策で、ルーズベルト大統領は逆に公共事業でお金をばら撒いて経済と財政を好転させました。


つまり緊縮財政すると財政悪化して最終的に経済破綻するのは、70年も前に分かっていた事で、ドイツ人はギリシャが破産するのを承知でやらせていました。

日本の緊縮政策も全く同じで、緊縮財政すれば経済破綻するのを最初から知りながら、財務省は緊縮と増税に突っ走っています。

財務省がそうする理由は増税すれば出世するからで、アメリカが緊縮財政と消費増税を指示しているからでもある。


ドイツやアメリカが自分では浪費しておいて、なんで日本とギリシャに緊縮を迫るのかは、敵国を破産させる為です。

アメリカは1980年代に財政赤字で破産しかけましたが、レーガンは軍拡と浪費政策を取り、90年には日米逆転していました。

当たり前のことで政府がお金を使えば経済が拡大して税収が増え、政府が緊縮すればするほど財政赤字が拡大していきます。


アメリカにとっては日本経済が好転して良い事は一つも無く、ライバルは落ちていったほうが良いに決まっています。

その口車にまんまと乗せられているのが財務省の無能官僚たち、そして財務官僚に経済を教えてもらって「経済通」を自認しているのが麻生財務大臣と自民党政治家です。

この構図が続く限り、アベノミクスがどうなろうと日本の再生はありえず、ギリシャと同じになるでしょう。
http://thutmose.blog.jp/archives/69556428.html



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2017年03月01日
ドイツはなぜ難民が溢れても財政黒字なのか

メルケルはドイツが繁栄した時期に首相を務めた
引用:https://jp.sputniknews.com/images/149/31/1493178.jpg


ドイツはなぜ財政黒字なのか

ドイツを巡って2つのニュースが2017年2月に世界へ伝わり、一つは良いことで、もう一つは悪いことだった。

良いほうはドイツの財政黒字が統一後最大になり、お金が余って使い道に困っているという話でした。

悪いほうはドイツで排他主義が勢力を増し、難民施設襲撃が過去最多になったという話題でした。

まずドイツの財政黒字については本当に黒字なのか、黒字に見せかけているだけなのかを慎重に見極める必要がある。

というのは国家の「借金」は国家の「資産」と同額であり、ドイツの資産の分だけ必ずどこかに借金が存在するからです。

日本の財務省は毎日24回は「日本は世界最大の借金を抱えている」と1000兆円の借金を誇示しているが、半分本当で半分は嘘です。


まず日本政府の借金が仮に1000兆円だとしても、世界最大はアメリカか中国のどちらかです。

両国ともGDPが日本より大きいので金額で政府債務が上回っているのは当然として、対GDP比政府債務でも日本を上回っています。

アメリカは合衆国制なので「連邦債務」だけを公表し「公的債務」全体を公表しておらず、州や自治体、民間公的機関の債務は非公開にしています。


アメリカ全体の公的債務の合計は3500兆円とも5500兆円とも言われているが、建国以来一回も計算していないので大統領すら知らない。

アメリカのGDPは約1600兆円(1ドル100円として)なので公的債務3500兆円だとしても日本より良いという事はありません。

中国も省と国家は別々に経営されている上に、GDPも債務総額の数字も信憑性に乏しい。


なぜドイツだけが繁栄するのか

欧米の大手金融機関や情報機関の推測によると、中国の公的債務はGDP比200%から300%の間とされています。

ドイツも連邦制度でドイツ連邦とそれぞれの州は独立していて、連邦政府が発表した数字がドイツ国家の合計である訳ではない。

日本はどうかというと北海道から沖縄まで「日本政府」が配る予算で経営されていて、民間の公的機関の借金も政府債務に含めて発表しています。


ざっくりいうとアメリカ、中国、ドイツのような連邦制国家は、国全体の公的債務の2分の1か3分の1だけが「政府債務」で他は関係ないのです。

というわけでドイツの財政黒字もそれが本当なのかは、大いに疑って掛かる必要があるのです。

ドイツは2015年に300万人の移民を一旦は受け入れて、そのうち200万人を送り返したり他のEU諸国に押し付けて100万人を受け入れた。


2015年に約90万人の難民申請があり、2016年にも28万人の難民申請があり、さぞや財政負担で苦しんでいるだろうと思いきや、儲かりすぎて困っています。

ドイツは日本よりは遅いが高齢化と少子化が進んでいて、移民の負担もあるのに財政黒字になっている。

消費拡大と就業者数増加で税収が増えたが、メルケル首相は「黒字幅が小さすぎるので支出は増やさない」と言っています。


ドイツ経済を支えているのは輸出で、EU統一通貨ユーロのおかげで、いくら輸出しても絶対に「円高不況」はおきません。

1ドル360円で輸出し放題だった頃の日本と同じと言ってよく、特にEU域内で関税なしの無制限で輸出できます。

その犠牲になっているのはドイツ以外のEU加盟国で、貿易黒字はほぼドイツだけで、他は全て貿易赤字に近い。


ドイツの春はいつまで続く

ギリシャが経済破綻したのもドイツのせいだし、他のEU諸国が不況なのもドイツのせいと言い切っても良いほどです。

EU域外への輸出でも、ギリシャやイタリアなど他の国の貿易赤字のおかげで、ユーロは安いままなので、ドイツの輸出は止まりません。

自動車王国の日本でも輸入車が10%を超え、大半をドイツ車が占めているのも、ユーロ安のお陰です。


財政黒字もユーロ安による無制限輸出のお陰で、この状況が続けばドイツはアメリカに匹敵する「超大国」になるかも知れません。

だがドイツの黒字を負担させられている他のEU諸国は、ずっとドイツ人の言いなりになるのかは分かりません。

イギリスのように「ドイツに支配されるのはごめんだ」と言ってEUから出て行くかもしれません。


ドイツでは実は「ドイツ人」つまり昔からのドイツ民族が急激に国外に移住し、変わって外国人がドイツに移住しています。

このためドイツの2割超が既に移民で占められていて、難民受け入れ後はさらに急速に移民が増加しています。

そうなると反発も強くなり、ナチズムを支持する人が増えたり、難民排斥を主張して襲撃する事件が多発しています。


12年に渡ってドイツ首相を勤めてきたメルケルは、難民政策の失敗でどうやら今年で交代する可能性が高い。

ドイツには日本の自民党やアメリカの2大政党のようなものがなく、少数政党が乱立して連立政権をつくっています。

メルケル交代をきっかけに、ドイツをめぐる情勢も変化していくと考えられます。
http://thutmose.blog.jp/archives/69641007.html




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ギリシャ国民の集団大虐殺
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-87b7.html
2018年8月24日 マスコミに載らない海外記事

2018年8月21日 Paul Craig Roberts

 欧州連合や他の政治声明が、ギリシャ危機は終わったと発表し、ギリシャ国民集団大虐殺の政治とマスコミによる隠蔽が、昨日(8月20日)始まった。 それが意味するのは、ギリシャはもう終わりで、死んで、おしまいだということだ。ギリシャは限界まで搾取され、死骸が犬に投げ与えられたのだ。

 350,000人のギリシャ人、主に若い専門職の人々がギリシャから去った。出生率は、残った人口を支えるのに必要な率より遥かに低い。EUやIMFやギリシャ政府によってギリシャ国民に課された緊縮政策が、ギリシャ経済の25%もの縮小をもたらした。減少はアメリカ大恐慌にも等しいが、ギリシャでの結果は最悪だ。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、社会保障法や、預金保険や公共事業計画など社会福祉の他の手段で、大量失業の影響を緩和したが、ギリシャ政府は、IMFとEUの命令に従って社会福祉手段を剥奪し、大量失業の影響を悪化させた。

 伝統的に、腐敗、誤った運営、不運、予想できない出来事なりのいずれかで、主権国家が、債務を返済できなくなった場合、その国の債権者たちは、債務を負った国が返済できる水準まで債務の帳簿価格を切り下げる。

 ギリシャの場合、状況が一転した。ジャン-クロード・トリシェ率いる欧州中央銀行と国際通貨基金が、ドイツやオランダやフランスやイタリアの銀行が保有しているギリシャ政府国債の利子と元金の全額を、ギリシャは支払わなければならないと裁定したのだ。

 一体どうして、こういうことが実現したのだろう?

 いずれも危機を悪化させた二つの理由が、現在のギリシャを、ほぼ十年前の危機の始めにそうであったより遙かに酷い立場におくことになったのだ。

 “危機”の始めなら、ギリシャ債務はギリシャ国内総生産129%で、債務金額の一部を切り下げることで、容易に解決できていたはずなのだ。現在、ギリシャ債務はGDPの180%だ。

 一体なぜだろう?

 債務者が一セントたりとも失わずに済ませるため、ギリシャの債権者に利子を支払うべく、ギリシャは更に融資を受けたのだ。売女経済マスコミが“緊急救済措置”と呼んだ追加融資はギリシャにとっての緊急救済措置ではなかった。ギリシャの債権者にとっての緊急救済措置だったのだ。

 緊急救済措置を期待して、ギリシャ債務のクレジット・デフォルト・スワップをアメリカの銀行が売っていたため、オバマ政権は、この緊急救済措置を奨励した。緊急救済措置が無ければ、アメリカの銀行は賭けに負け、ギリシャ国債のデフォールト保険を支払っていたはずなのだ。

 更にギリシャは、外国人への公共資産売却や、例えば、最低限の生活以下への年金引き下げや、病人が治療を受ける前に亡くなるほどになった実に劇的な医療引き下げなど、ギリシャの社会福祉削減を要求された。

 記憶が正しければ、中国はギリシャの港を買収した。ドイツは空港を買収した。様々なドイツやヨーロッパの企業がギリシャ各都市の水道会社を買収した。不動産投機家連中が、ギリシャの保護された島々を不動産開発のために購入した。

 このギリシャ公共財産略奪は、ギリシャが負っている債務を減らす方向には向かわない。あらたな融資と同様、利子の支払いに使われたのだ。

 かつてない膨大な債務はそのままだ。債務を負っているギリシャ国民同様、経済は、かつてないほど小さい。

 ギリシャ危機が終わったという宣言は、外国銀行の儲けのために、ギリシャ国民から搾り取れるものはもはや何もないという声明にすぎない。ギリシャは急速に沈没しつつある。港や空港や都市公益事業や強制的に民営化された他の公共財産にまつわる収入は今や外国人のものとなり、彼らがお金をギリシャから奪い取り、更にギリシャ経済を悪化させる。

 ギリシャ人は彼らの経済的な未来を奪われてしまっただけではない。彼らは主権も失ってしまったのだ。ギリシャは主権国家ではない。EUとIMFに支配されている。2013年の私の著書、The Failure of Laissez Faire Capitalism第III部、“The End of Sovereignty”で、これがいかにして行われたかを私はご説明した。

 ギリシャ国民はツィプラス政権に裏切られたのだ。ギリシャ国民には自分たちを国際銀行家連中に売り渡した政府に反乱し、暴力的に打倒するという選択肢があった。そうはせずに、ギリシャ国民は自らの破滅を受け入れ、何もしなかった。ギリシャ国民は本質的に集団自殺したのだ。

 2008年の世界金融危機は終わっていない。アメリカやEUやイギリスや日本の中央銀行による膨大な貨幣の創造によって、隠されているだけだ。貨幣の創造は実際の生産の成長を遙かにしのいでおり、“実際の条件”が維持可能なものを超えて、金融資産の価値を押し上げている。

 この危機が一体どういう展開になるかは、見ていなければわからない。欧米文明の崩壊という結果をもたらしかねない。食うか食われるかなのだろうか? ギリシャの後はイタリアやスペインやポルトガルやフランスやベルギーやオーストラリアやカナダで、最後は誰もいなくなるのだろうか?

 欧米世界丸ごと、自分たちの権益に役立つよう強力な既得権益経済集団が醸成するウソの中で暮らしている。オンラインのものを除き、自立したメディアはなく、そうした独立メディアは悪者扱いされ、アクセスできないようにされつつある。情報が管理されている世界に暮らしている人々は、自分たちに一体何が起きているのか全くわからずにいる。それで、彼らは自分の利益のためにある行動ができずにいるのだ。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

記事原文のurl:https://www.paulcraigroberts.org/2018/08/21/genocide-of-the-greek-nation/



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/415.html#c9

[近代史3] (三橋貴明×山本太郎) 絶対にTVでカットされる国債の真実 中川隆
15. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月11日 09:50:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]

本邦初公開(恐らく)統合政府のバランスシート! 2019-05-11
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12460453329.html


 まずは、本日の日刊MMT。

2019.5.10
財政赤字を容認する「MMT理論」は一理あるが、やはり危険な理由
塚崎公義:久留米大学商学部教授+ 
https://diamond.jp/articles/-/201833

米国で「Modern Monetary Theory(MMT、現代金融理論)」と呼ばれる理論が話題になっている。「自国通貨で借りている財政赤字は紙幣を印刷すれば返せるのだから巨額でも構わない」というものだ。筆者は日本政府の財政赤字について「日本政府が破綻するはずはないので、性急な財政再建で景気の腰を折るようなことはすべきではない」という財政赤字容認派であるが、それでも無条件の財政赤字容認論には危うさを感じている。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)

(中略)

 財政赤字が続き、政府の借金が巨額になっている日本で、インフレ懸念が高まったらどうなるだろうか。人々は、急いで銀行預金を引き出して物を買いに走るだろう。そして、銀行は預金者に紙幣を渡すため、準備預金を引き出したり国債を日銀に売却したりして紙幣を手に入れるだろう。

 瞬時にして世の中に大量の紙幣が出回り、それが人々の「買い急ぎ」に使われるわけだから、激しいインフレになるはずだ。もちろん政府と日銀がインフレ対策を講じるため、インフレに歯止めが利かなくなるわけではないが、インフレ対策の厳しい引き締めなどによって経済に大きな打撃が加わるだろう。(後略)』
https://diamond.jp/articles/-/201833

 突っ込みどころ満載の記事ですが、とりあえず「数字」を全く使っていないことが注目点です。現在の現金紙幣の額は115兆円ですが、「瞬時(ゼロ秒!)に、世の中に大量の(いくら?)の紙幣が回り、「激しいインフレ(だから、何パーセント?)」になるのでしょう。

 こんな書き方が許されるならば、わたくしも断言しますよ。いつの日か、月が日本列島に落ちてきて、日本国は滅亡します。

 というか、現金紙幣がたくさん引き出されたら「インフレになる」という発想が意味不明です。現金紙幣が引き出されて「いくら、使われた(需要が増えた)」ならばインフレになるのか、数値を示すべきです。それ以前に、我々は銀行振り込みで買い物しないんですかね?

 また、塚崎の頭の中では、

「現金紙幣は、使ったらこの世から消える」

 という設定になっているのでしょうか。店に移った現金紙幣は、そこでそのまま退蔵されるのでしょうか。バカバカしい。銀行に持ち込まれるに決まっているでしょうに。


 というか、MMTは別に「無条件の財政赤字容認」などとは一言も言っていません。


 もう、声が枯れるほどに繰り返しましたが、財政赤字や政府の負債拡大、あるいは財政拡大の限界は供給能力、インフレ率です。いい加減に、この「事実」を無視するのはやめて欲しいです。


 ここまで繰り返しても、「無条件の〜」などと書くということは、嘘つきか、頭が弱いか、頭が弱い嘘つきのいずれかでしょう。


 つまりは、例により「頭が弱い嘘つき」がMMT叩きのために「数字を使わず」「印象論」「抽象用語」で「それっぽい批判」をしているだけなのでございますが、この手のプロパガンダが続くのでしょう、こちらがギブアップするまで。(しないけどね)


 さて、恐らく本邦初公開。昨日のチャンネル桜でも使った、日本の統合政府のバランスシート。(2018年末 速報値版)

【2018年末時点 日本の統合政府のバランスシート(兆円)】
http://mtdata.jp/data_63.html#tougouseihu

 日本の一般政府と日銀のバランスシートを統合し、「統合政府のバランスシート」と作りました。(詳しくはリンク先を)


 財務省は、例の「反論資料」で、

『日本銀行の国債保有について
○政府と日本銀行を統合して考えれば政府の負債(国債)と日本銀行が保有する資産(国債)が相殺されるとの指摘があるが、仮に政府と日本銀行のB/Sを統合したとしても、日銀の保有する国債の額だけ政府の債務が見かけ上減少するだけであり、当座預金等の日銀の債務が負債に計上されるため、負債超過の状態は変わらない。』

 と、「自国通貨建て国債のデフォルトはあり得ない」の根拠である統合政府に反論してきています(そのくせ、「自国通貨建ての国債のデフォルトはあり得ない」はスルーしていますが)。


 財務省が言う通り、一般政府と日銀を統合した相殺される国債は、日銀保有分(466兆円)のみで、統合政府のBSでも「国債・財投債」は442兆円分ります。もっとも、負債の半分程度は、元々は日銀の負債として計上されていた現金(115兆円)、日銀当座預金(405兆円)に姿を転じました。


 財務省は、

「当座預金等の日銀の債務が負債に計上される」

 と書いています。それはその通りというか「当たり前の話」なのですが、ということは、財務省は、

「現金や日銀当座預金といった【国の借金】が原因で、日本は財政破綻する!」

 と、言いたいのでしょうか。


 あるいは、統合政府にしたところで、日銀の純資産(27兆円)の金額分、政府の純負債が消えるだけであるため、財務省のいう「負債超過」は711兆円で計上されています(=739−28)。この一般政府や統合政府の負債超過、純負債が問題であり、711兆円を「ゼロにする必要がある」と財務省は主張しているのでしょうか(そうとしか読めませんが)。


 誰かの資産は、誰かの負債。あるいは、誰かの純資産は、誰かの純負債。


 政府の純負債を縮小し、ゼロにするということは、その分、我々国民の「純資産」を削るという話になってしまいます。つまりは、財務省には我々の資産を減らそうという魂胆があるとしか思えないのです。


 つまりは、財務省に問いただしたいのは、二つ。

1.財務省は「現金や日銀当座預金」といった「負債」が理由で財政破綻する!と、言いたいのか?

2.財務省は統合政府の純負債(負債超過)を削り、我々一般国民の純資産を奪い取ることを目的とした省庁なのか?

 財務省から主権を取り戻すためには、件の塚崎の寄稿のような抽象的な論評ではなく、数字を用い、具体的に議論する必要があると思うのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12460453329.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/298.html#c15

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
15. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月11日 09:51:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]

本邦初公開(恐らく)統合政府のバランスシート! 2019-05-11
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12460453329.html


 まずは、本日の日刊MMT。

2019.5.10
財政赤字を容認する「MMT理論」は一理あるが、やはり危険な理由
塚崎公義:久留米大学商学部教授+ 
https://diamond.jp/articles/-/201833

米国で「Modern Monetary Theory(MMT、現代金融理論)」と呼ばれる理論が話題になっている。「自国通貨で借りている財政赤字は紙幣を印刷すれば返せるのだから巨額でも構わない」というものだ。筆者は日本政府の財政赤字について「日本政府が破綻するはずはないので、性急な財政再建で景気の腰を折るようなことはすべきではない」という財政赤字容認派であるが、それでも無条件の財政赤字容認論には危うさを感じている。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)

(中略)

 財政赤字が続き、政府の借金が巨額になっている日本で、インフレ懸念が高まったらどうなるだろうか。人々は、急いで銀行預金を引き出して物を買いに走るだろう。そして、銀行は預金者に紙幣を渡すため、準備預金を引き出したり国債を日銀に売却したりして紙幣を手に入れるだろう。

 瞬時にして世の中に大量の紙幣が出回り、それが人々の「買い急ぎ」に使われるわけだから、激しいインフレになるはずだ。もちろん政府と日銀がインフレ対策を講じるため、インフレに歯止めが利かなくなるわけではないが、インフレ対策の厳しい引き締めなどによって経済に大きな打撃が加わるだろう。(後略)』
https://diamond.jp/articles/-/201833

 突っ込みどころ満載の記事ですが、とりあえず「数字」を全く使っていないことが注目点です。現在の現金紙幣の額は115兆円ですが、「瞬時(ゼロ秒!)に、世の中に大量の(いくら?)の紙幣が回り、「激しいインフレ(だから、何パーセント?)」になるのでしょう。

 こんな書き方が許されるならば、わたくしも断言しますよ。いつの日か、月が日本列島に落ちてきて、日本国は滅亡します。

 というか、現金紙幣がたくさん引き出されたら「インフレになる」という発想が意味不明です。現金紙幣が引き出されて「いくら、使われた(需要が増えた)」ならばインフレになるのか、数値を示すべきです。それ以前に、我々は銀行振り込みで買い物しないんですかね?

 また、塚崎の頭の中では、

「現金紙幣は、使ったらこの世から消える」

 という設定になっているのでしょうか。店に移った現金紙幣は、そこでそのまま退蔵されるのでしょうか。バカバカしい。銀行に持ち込まれるに決まっているでしょうに。


 というか、MMTは別に「無条件の財政赤字容認」などとは一言も言っていません。


 もう、声が枯れるほどに繰り返しましたが、財政赤字や政府の負債拡大、あるいは財政拡大の限界は供給能力、インフレ率です。いい加減に、この「事実」を無視するのはやめて欲しいです。


 ここまで繰り返しても、「無条件の〜」などと書くということは、嘘つきか、頭が弱いか、頭が弱い嘘つきのいずれかでしょう。


 つまりは、例により「頭が弱い嘘つき」がMMT叩きのために「数字を使わず」「印象論」「抽象用語」で「それっぽい批判」をしているだけなのでございますが、この手のプロパガンダが続くのでしょう、こちらがギブアップするまで。(しないけどね)


 さて、恐らく本邦初公開。昨日のチャンネル桜でも使った、日本の統合政府のバランスシート。(2018年末 速報値版)

【2018年末時点 日本の統合政府のバランスシート(兆円)】
http://mtdata.jp/data_63.html#tougouseihu

 日本の一般政府と日銀のバランスシートを統合し、「統合政府のバランスシート」と作りました。(詳しくはリンク先を)


 財務省は、例の「反論資料」で、

『日本銀行の国債保有について
○政府と日本銀行を統合して考えれば政府の負債(国債)と日本銀行が保有する資産(国債)が相殺されるとの指摘があるが、仮に政府と日本銀行のB/Sを統合したとしても、日銀の保有する国債の額だけ政府の債務が見かけ上減少するだけであり、当座預金等の日銀の債務が負債に計上されるため、負債超過の状態は変わらない。』

 と、「自国通貨建て国債のデフォルトはあり得ない」の根拠である統合政府に反論してきています(そのくせ、「自国通貨建ての国債のデフォルトはあり得ない」はスルーしていますが)。


 財務省が言う通り、一般政府と日銀を統合した相殺される国債は、日銀保有分(466兆円)のみで、統合政府のBSでも「国債・財投債」は442兆円分ります。もっとも、負債の半分程度は、元々は日銀の負債として計上されていた現金(115兆円)、日銀当座預金(405兆円)に姿を転じました。


 財務省は、

「当座預金等の日銀の債務が負債に計上される」

 と書いています。それはその通りというか「当たり前の話」なのですが、ということは、財務省は、

「現金や日銀当座預金といった【国の借金】が原因で、日本は財政破綻する!」

 と、言いたいのでしょうか。


 あるいは、統合政府にしたところで、日銀の純資産(27兆円)の金額分、政府の純負債が消えるだけであるため、財務省のいう「負債超過」は711兆円で計上されています(=739−28)。この一般政府や統合政府の負債超過、純負債が問題であり、711兆円を「ゼロにする必要がある」と財務省は主張しているのでしょうか(そうとしか読めませんが)。


 誰かの資産は、誰かの負債。あるいは、誰かの純資産は、誰かの純負債。


 政府の純負債を縮小し、ゼロにするということは、その分、我々国民の「純資産」を削るという話になってしまいます。つまりは、財務省には我々の資産を減らそうという魂胆があるとしか思えないのです。


 つまりは、財務省に問いただしたいのは、二つ。

1.財務省は「現金や日銀当座預金」といった「負債」が理由で財政破綻する!と、言いたいのか?

2.財務省は統合政府の純負債(負債超過)を削り、我々一般国民の純資産を奪い取ることを目的とした省庁なのか?

 財務省から主権を取り戻すためには、件の塚崎の寄稿のような抽象的な論評ではなく、数字を用い、具体的に議論する必要があると思うのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12460453329.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c15

[近代史02] アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説 sagakara
60. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月11日 09:59:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]
日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
「ディズニー、トランプ、GAFA」に熱狂するDNA 2019/01/18
塩野 誠 : 経営共創基盤 取締役マネージングディレクター
https://toyokeizai.net/articles/-/260849


歴史をひもとくと「トランプ支持」が広がってしまう理由がわかるといいます(写真:AFP/アフロ)

全米話題のベストセラー

『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』(上・下)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444521/toyokeizaia-22?p=TK


がついに日本でも刊行された。

「世界でいちばん偉大な国」だったアメリカはなぜ、トランプ政権やフェイクニュースに象徴されるような「不可解な国」に変貌してしまったのか。現代アメリカを覆う社会病理の起源を語った本書を、経営共創基盤の塩野誠氏にいち早く読み解いてもらった。

現代アメリカを語る必読書

「アメリカ人の3分の2は『天使や悪魔がこの世界で活躍している』と信じている」

冒頭から、こんないぶかしい言葉が本書には並ぶ。


『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』


本書は、これまでにない視点で歴史をひもとき、現在のアメリカを語る試みである。アメリカを語る者や研究者の必読書となる可能性のある大作だ。

日本人はアメリカが好きである。正確に言えば、日本人がアメリカについて語る機会は、他国について語るよりも圧倒的に多い。

日本とアメリカがかつては戦争で対峙し、現在は同盟関係にあるという歴史的経緯に加え、高度成長期の政治・経済においてもかの国から多大な影響を受けたことは言うに及ばない。

加えて日本人は彼らのライフスタイルやポップカルチャーからも多大な影響を受け、それを語る。

その昔、日本の若者がアメリカにあると信じていたファッションやライフスタイルは、「UCLAの学生の着ている服は」「古きよきアメリカは」といった断片的な記号で語られた。

ディズニーランドは、聖地のような扱いを受けている。


少し前のビジネスシーンでは、「ニューヨークの投資銀行では」「ウォールストリートでは」「シリコンバレーでは」と、日本人は「アメリカでは」という想像によるイメージを繰り返し語ってきた。

むろん日本人は、「アメリカ」という言葉がさまざまなものを包含した雑な入れ物であることに気づいている。サンフランシスコとデトロイトは異なり、中西部の名も知れぬ街とニューヨークでは国さえも違うかのようである。

2018年に出演俳優らがアカデミー賞を受賞した問題作『スリー・ビルボード』を見た私たちは、同作の舞台となった閉塞感ある片田舎とニューヨークが異なることを知っている。

不可解なアメリカの起源とは

アメリカを語る日本人は、トランプ大統領の登場以降、説明のつかない不可解なアメリカに対してもやもやとした感情を抱いているのではないか。

特に「アメリカは」の後に「合理的」とか「ロジカル」と続ける人々にすればそうだろう。メディアの報道を「フェイクニュース」と切って捨てる大統領の登場と、それに熱狂する支持者たちは、彼らにとって理解しがたい存在に映っている。

そしてニューヨークやボストン以外にもたくさんの「アメリカ人」が住んでいることに気づき、ラストベルト(中西部などのさびれた旧工業地帯)のトランプ支持層について納得しようとする。

しかし本当のところ、現在のアメリカを形づくっているものはいったい何なのか? 本書はそこを掘り下げる。『狂気と幻想のアメリカ500年史』とタイトルにあるように、幻想によって創られた「ファンタジーランド」としてのアメリカを膨大な資料を基にひもといていく。

アメリカは1776年に独立宣言を採択した国であり、500年の歴史を持つとはもちろん言えない。

本書では、イングランドで初めてのプロテスタントの君主だったエリザベス女王、その後を継ぎ聖書の公式英語訳を命じたジェームス1世(1566年生)が与えたアメリカでの植民地建設の勅許の中に、その起源を見る。

この勅許の中に福音伝道の使命が含まれており、著者が「常軌を逸したカルト教団」と表現しているピューリタン急進派が、アメリカ建国の「ピルグリム・ファーザーズ」になったとするのだ。

著者はこう主張する。

16世紀に誕生したプロテスタントは、自分たちの妄想が嘲笑されない場所(=アメリカ)を探し、そのプロテスタントからアメリカのもととなる考え方が生まれ、情熱的で空想的な信念こそ最も重要とされる「ファンタジーランド」の足場が完成したと。


一般的にプロテスタントは資本主義を醸成する土壌をつくったとされるが、これについての著者の見方はこうだ。

アメリカはたった1世紀のうちに普通の人が荒野から国を造り出した初めての国であり、そもそも、ゴールドラッシュのような一攫千金やユートピアなどの幻想を受け入れる空っぽの容器として始まった。

著者は読者を圧倒する膨大な事例を用いて、「アメリカ人は、自分が望むことならどんなにばかばかしいことでも信じられる。自分の信念には、ほかの人の信念と同等かそれ以上の価値があり、専門家にとやかく言われる筋合いはないと思っている」という思想の源泉を解き明かしていこうとする。その思想は、現在のフェイクニュースにもつながる。

そこは事実を目前にしてもなお「現実は相対的なものだ」と考え、公正であれ不正であれ、自分の野心を追求するチャンスを楽しみ、良ければ起業家、悪ければ詐欺師、最悪の場合は「狂信的な反知性主義」が覆う世界である。

日本人にとって興味深いのは、漠然とキリスト教の国と捉えているアメリカが、実際には「誰でも説教師になれる、好きなように説教ができる」というキリスト教のプロテスタントをベースにした数限りない新興宗教の勃興と争いの歴史を持っていることだろう。

アメリカを覆う宗教観は、夢や幻覚、超自然的印象と強固に結びついた、自分が信じれば何でもありの個人主義的な宗教(的なるもの)の寄せ集めとも言える。

アメリカの南北戦争を、両軍とも聖戦と捉え、神の計画の中でどちらを神が罰するのかと考えたのは、当時の人々の自然な考え方であろう。

「幻想・産業複合体」としてのアメリカ

宗教(的なるもの)と幻想、個人主義から生まれたアメリカは、メディアなどのテクノロジーの発達とともに、幻想を産業化する「幻想・産業複合体」となっていく。

中世では教会こそが舞台装置を備えたメディアであったといえるので、これもまた興味深い進化である。

1835年にはすでに金儲けのためのフェイクニュースが登場していた。新聞のニューヨーク・サン紙が、知的な文体で書かれた1万6000字の文章によって、月面上に生物(菜食のコウモリ人間)を発見したことを報じたのだ。

人々はその報道を信じ、名門大学のイェールでも疑いを抱いたものは誰もいなかったという。こうした「稼げるフェイク産業」が勃興し、サルと魚の剥製を組み合わせた「人魚」は、存在を信じさえすればそれは実在すると考える人々に好評を博したのだった。

時とともにアメリカ人の中で、「正しいと信じる権利がある」と考える気質は強化されていった。

そしてアメリカ人が信じたいものを見せる舞台装置は、ここ100年の間にテクノロジーによって加速されていった。VR(仮想現実)もない時代の仮想現実は映画だった。映画は当時の人々にとっては魔法であり「真実」だったのだ。まさに幻想・産業複合体の誕生である。


だが真実と幻想の区別がつかなくなったとき、日常に起こるさまざまな事象は陰謀説が絡みやすい。賢明な読者ならすぐに想像がつくように、アメリカはハリウッドでの「赤狩り」の時代に入り、共産主義者という隠れたスパイが民衆の知らないうちに映画やテレビでプロパガンダを行っているという幻想が爆発し、罪のない人々を追い詰めていった。

また近年に至っても、ケネディ暗殺に関する新しい真実や陰謀論を報じる映画やドキュメンタリーが創られ続けていることを私たちは知っている。

「中二病」の先駆者としてのアメリカ

本書で詳述される「幻想・産業複合体」はいつまでも子どもでいたいベビーブーマー世代以降に完全に定着した。

真実とうその優雅な混合であるプロレスWWEに登場し、WWEのオーナーだったマクマホンに平手打ちした(フリをした)、後の大統領トランプ氏から、スラム街の悪党を名乗るギャングスタ・ラップまで、ある意味で日本の「中二病」の先駆者たちが、ずっと子どもでいたい消費者たちと一緒になって、「ごっこ」の産業を拡大していったのだ。

存在しなかった過去への郷愁の具現化ともいえるディズニーランドに人々は熱狂した。もしかしたら「古きよきアメリカ」を語る日本人は「ごっこ」の「ごっこ」をしている可能性がある。

先述した、寄せ集めでつくられたアメリカの宗教観は、日本の『エヴァンゲリオン』を思い起こすかもしれない。ずっと子どもでいたかったポップカルチャーの帝王マイケル・ジャクソンが、自らつくったネバーランドに子どもたちを招きスキャンダルを起こしたことを記憶する人もいるだろう。

一般的に、国家が先進国となっていく過程で宗教性は薄れるものだが、アメリカは例外的にそうはならなかった。アメリカを事実に基づいた思考をする合理的な国だと考えるなら、再考の必要がある。

アメリカは『Xファイル』化しており、それが日常となったとき、子どもたちが次々に誘拐されるという事件や多重人格障害を妄想から根拠なくつくり出していったと本書は言う。

なぜ学校であれほど銃の乱射事件が起きても、アメリカ人は銃を手放さないのか。

銃のない世界に住む日本人にとって非常に不可解なことも、いつの日か「高圧的な政府の悪党」が市民を攻撃する際に武器をとって立ち向かうためだとすれば、納得がいくだろうか。

本書はアメリカという国を500年という歴史で捉え、現代における「自分が信じればそれが真実」という世界観を理解するための貴重な資料となるだろう。

英『エコノミスト』誌はトランプ大統領の言動は「むしろ権力に立ち向かう意思を証明するものと受け取られている」と指摘する。本書に登場する哲学教授の言葉に問題の深さが現れている。

「繰り返し矛盾に接すると、事実そのものを重視する感覚が鈍ってくる」

今のアメリカを語るのなら、本書は必読だろう。

 



▲△▽▼

今こそ合州国の正体直視を  本多勝一 週間金曜日 2003年 3月14日号「風速計」

この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。

 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。

 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。

 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。

米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。


合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。

戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。

これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451


ウンデッドニー以来…… (本多勝一)

 アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。

 合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである(注1)。合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。

 ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する(注2)。

 息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。

 その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。

 朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。

 ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。

 ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」


<注1>たとえばラス=カサスの『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(石原保徳訳・現代企画室)などに詳しい。

<注2>詳細は拙著『アメリカ合州国』(著作集12巻=朝日新聞社)収録の「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」参照。

<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386




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回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達
アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html


キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造  投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒


旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。


この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。

「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。


元々、ヨーロッパ自体が

「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205

により、選民思想も登場してきているという背景があります。


ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。


以下、

『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

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■アメリカを新しいエルサレムの地にする

イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。

ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。


彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。

ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。


いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。

彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。


ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。

ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。

彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。


そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。

西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。

このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。


■宗教国家のアメリカには「妥協」がない

現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。


彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。


神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。


建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。


ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。


宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。


ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。

アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。


第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。

今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html




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John Anderson - Freedom Isn't Free (Houston 02.08.14) HD - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZMTD9IVcYMc


「自由はただではない」という言葉の裏には何があるのか?
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180128T0257490900.html


ドナルド・トランプが大統領になって、アメリカの言動は荒々しさと暴力傾向を増している。しかし、アメリカはもともと「暴力的な国家」でもある。ドナルド・トランプが大統領になって、アメリカの言動は荒々しさと暴力傾向を増している。しかし、アメリカはもともと「暴力的な国家」でもある。

アメリカ大陸に白人が上陸した時、この大陸はもちろん無人の大地ではなかった。そこにはネイティブ・インディアンたちが営々と長い文化と伝統を紡いで生きてきたのだ。アメリカ大陸に白人が上陸した時、この大陸はもちろん無人の大地ではなかった。そこにはネイティブ・インディアンたちが営々と長い文化と伝統を紡いで生きてきたのだ。

それを白人たちは苛烈な暴力で奪ってアメリカを「建国」した。暴力こそがアメリカの建国史なのだ。だから、アメリカは暴力で世界に君臨する傾向が今もある。それを白人たちは苛烈な暴力で奪ってアメリカを「建国」した。暴力こそがアメリカの建国史なのだ。だから、アメリカは暴力で世界に君臨する傾向が今もある。

暴力と成功体験がリンクしている。暴力と成功体験がリンクしている。

そのため、根本的なところで暴力的であることが悪いとは思っていない。アメリカは特に建国史から暴力にまみれており、暴力的な色彩が際立っている。そのため、根本的なところで暴力的であることが悪いとは思っていない。アメリカは特に建国史から暴力にまみれており、暴力的な色彩が際立っている。

もちろん、暴力的であることが世界に支持されるとは今のアメリカは誰も思っていない。もちろん、暴力的であることが世界に支持されるとは今のアメリカは誰も思っていない。

そこで、アメリカが振る錦の御旗が「自由と正義」である。どこかの国を「悪」に仕立て上げて「悪を倒す」という名目で暴力を振るう。そして何を得るのか。「自由」である。そこで、アメリカが振る錦の御旗が「自由と正義」である。どこかの国を「悪」に仕立て上げて「悪を倒す」という名目で暴力を振るう。そして何を得るのか。「自由」である。


歴史を見ていくと、アメリカの正体が浮かび上がる

アメリカが関与した歴史の一覧がある。

(アメリカ合衆国が関与した戦争一覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%8C%E9%96%A2%E4%B8%8E%E3%81%97%E3%81%9F%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7


アメリカ独立戦争から始まって、チカマウガ戦争、北西インディアン戦争、シェイズの反乱、ウィスキー税反乱、擬似戦争、第一次バーバリ戦争、テカムセの戦争、テカムセの戦争、米英戦争、クリーク戦争、第二次バーバリ戦争……。アメリカ独立戦争から始まって、チカマウガ戦争、北西インディアン戦争、シェイズの反乱、ウィスキー税反乱、擬似戦争、第一次バーバリ戦争、テカムセの戦争、テカムセの戦争、米英戦争、クリーク戦争、第二次バーバリ戦争……。

そして、第1次セミノール戦争、テキサスのインディアン戦争、アリカラ戦争、エーゲ海の海賊掃討作戦、ウィネベーゴ戦争、第一次スマトラ遠征、ブラック・ホーク戦争、第2次セミノール戦争、第二次スマトラ遠征、米墨戦争、カイユース戦争、アパッチ戦争……と挙げても挙げても挙げきれない戦争が続く。そして、第1次セミノール戦争、テキサスのインディアン戦争、アリカラ戦争、エーゲ海の海賊掃討作戦、ウィネベーゴ戦争、第一次スマトラ遠征、ブラック・ホーク戦争、第2次セミノール戦争、第二次スマトラ遠征、米墨戦争、カイユース戦争、アパッチ戦争……と挙げても挙げても挙げきれない戦争が続く。

さらに第一次世界大戦以後も、ロシア内戦、Posey戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、レバノン危機、ピッグス湾事件、シンバの反乱、ドミニカ内戦、ベトナム戦争、第二次シャバ紛争、レバノン多国籍軍、グレナダ侵攻、リビア爆撃、パナマ侵攻、湾岸戦争、ソマリア内戦、ハイチ介入、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争、リビア内戦……と続いていく。さらに第一次世界大戦以後も、ロシア内戦、Posey戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、レバノン危機、ピッグス湾事件、シンバの反乱、ドミニカ内戦、ベトナム戦争、第二次シャバ紛争、レバノン多国籍軍、グレナダ侵攻、リビア爆撃、パナマ侵攻、湾岸戦争、ソマリア内戦、ハイチ介入、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争、リビア内戦……と続いていく。

ここで挙げた戦争・紛争・内乱の介入は、一瞬で勝負がついたものもあれば、何年もかかって泥沼の戦争を繰り広げたものもある。ここで挙げた戦争・紛争・内乱の介入は、一瞬で勝負がついたものもあれば、何年もかかって泥沼の戦争を繰り広げたものもある。

アメリカが建国されたのは1776年だが、それから今日までの242年で、アメリカは90%以上もの年月を戦争しながら過ごしてきたのである。アメリカが建国されたのは1776年だが、それから今日までの242年で、アメリカは90%以上もの年月を戦争しながら過ごしてきたのである。

このように歴史を見ていくと、アメリカという国の「正体」が鮮明に浮かび上がってくるはずだ。アメリカがもともと「暴力的な国家」であるというのは、そういう意味だ。このように歴史を見ていくと、アメリカという国の「正体」が鮮明に浮かび上がってくるはずだ。アメリカがもともと「暴力的な国家」であるというのは、そういう意味だ。

しかし、この暴力性をアメリカ人は正当化できている。これらの戦争はすべて「正義と自由のために必要だった」というものである。しかし、この暴力性をアメリカ人は正当化できている。これらの戦争はすべて「正義と自由のために必要だった」というものである。

「悪い指導者が強圧的に国民を弾圧している。だからアメリカは悪い指導者を倒して民衆に自由を与える。それは正義だ。だから、暴力で悪い指導者を倒すアメリカは正義の味方なのだ」「悪い指導者が強圧的に国民を弾圧している。だからアメリカは悪い指導者を倒して民衆に自由を与える。それは正義だ。だから、暴力で悪い指導者を倒すアメリカは正義の味方なのだ」

これが戦争に邁進するアメリカ人の論理だ。これが戦争に邁進するアメリカ人の論理だ。


リビアに君臨していたカダフィ大佐。「悪い指導者が強圧的に国民を弾圧している。だからアメリカは悪い指導者を倒して民衆に自由を与える。それは正義だ」という論理で、葬り去られた。


「自由はただではない。これまでも、これからも」

「自由は尊い。しかし、自由はただではない。それは血と暴力で勝ち取らなければならない」とアメリカ人は考える。尊い自由は、暴力で勝ち取らなければならないのだ。「自由は尊い。しかし、自由はただではない。それは血と暴力で勝ち取らなければならない」とアメリカ人は考える。尊い自由は、暴力で勝ち取らなければならないのだ。

アメリカは国家戦略の中に暴力を埋め込んでいる。アメリカは国家戦略の中に暴力を埋め込んでいる。

米軍も、CIAも、アメリカ政府も、みんな暴力を否定しない。「言うことを聞かない国は叩きつぶせ」と米軍が言うと、「相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪になれ」とCIAは説く。米軍も、CIAも、アメリカ政府も、みんな暴力を否定しない。「言うことを聞かない国は叩きつぶせ」と米軍が言うと、「相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪になれ」とCIAは説く。

アメリカの暴力哲学は歴史上、ほぼ一貫して行われていることは誰でも知っている。そもそも世界最大の軍需産業はすべてアメリカに集中している。アメリカの暴力哲学は歴史上、ほぼ一貫して行われていることは誰でも知っている。そもそも世界最大の軍需産業はすべてアメリカに集中している。

ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオンを筆頭として、そこにぶら下がる無数の企業がアメリカを支えている。ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオンを筆頭として、そこにぶら下がる無数の企業がアメリカを支えている。

ノースロップ・グラマン、ユナイテッド・テクノロジー、ゼネラル・ダイナミックス、ハネウェル、アライアント、ロックウェル・コリンズ、L3コミュニケーションズ。ノースロップ・グラマン、ユナイテッド・テクノロジー、ゼネラル・ダイナミックス、ハネウェル、アライアント、ロックウェル・コリンズ、L3コミュニケーションズ。

これらの企業はアメリカの雇用を支えると同時に、多くの政治家を輩出して、アメリカの国防を支えている。だから、アメリカの政治が暴力と縁が切れないのは当然のことである。これらの企業はアメリカの雇用を支えると同時に、多くの政治家を輩出して、アメリカの国防を支えている。だから、アメリカの政治が暴力と縁が切れないのは当然のことである。

雇用を支える必要があるから、そういった意味でも暴力は正当化される。暴力の正当化の歴史が長かったので、それがアメリカのDNAになっている。雇用を支える必要があるから、そういった意味でも暴力は正当化される。暴力の正当化の歴史が長かったので、それがアメリカのDNAになっている。

フロリダ州出身のアメリカのカントリー歌手ジョン・D・アンダーソンは、このように歌う。フロリダ州出身のアメリカのカントリー歌手ジョン・D・アンダーソンは、このように歌う。


俺は祖国アメリカに誇りを持っている。自由の大地と勇者の家だ。それは完璧じゃないさ。だけど俺はいつもそれを取る。しかし、いつまでホーク(軍用ヘリ)は飛ぶんだ。それに、どれだけの母が泣くのか。たくさんの息子や娘が死んでしまった。それが、俺たちの辿ってきた道だった。自由はただではない。これまでも、そしてこれからも。しかし、それは払い続ける価値がある。自由はただではない。そのようにあんたや俺に伝えられてきた。ずっとそうなんだ。自由はただではない。自由はただではない。俺は祖国アメリカに誇りを持っている。自由の大地と勇者の家だ。それは完璧じゃないさ。だけど俺はいつもそれを取る。しかし、いつまでホーク(軍用ヘリ)は飛ぶんだ。それに、どれだけの母が泣くのか。たくさんの息子や娘が死んでしまった。それが、俺たちの辿ってきた道だった。自由はただではない。これまでも、そしてこれからも。しかし、それは払い続ける価値がある。自由はただではない。そのようにあんたや俺に伝えられてきた。ずっとそうなんだ。自由はただではない。自由はただではない。

「暴力の時代」は、まだまだこれからも続いていく

アメリカは自分たちの暴力を「正義と自由のためである」と正当化する。そして、国民に「相手を倒すのが正義と自由のためである」というコンセンサスが立った時、容赦ない軍事作戦に踏み出していく。アメリカは自分たちの暴力を「正義と自由のためである」と正当化する。そして、国民に「相手を倒すのが正義と自由のためである」というコンセンサスが立った時、容赦ない軍事作戦に踏み出していく。

ベトナムではナパーム弾、絨毯爆撃、枯葉剤と、おおよそ考えられる非人道的な皆殺し作戦を実行していたが、これもアメリカ国内では正当化されている。ベトナムではナパーム弾、絨毯爆撃、枯葉剤と、おおよそ考えられる非人道的な皆殺し作戦を実行していたが、これもアメリカ国内では正当化されている。

湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用して現地を放射能まみれにした。アフガニスタンでの激しい空爆、パキスタンでの無人機攻撃もすべて「正当化」された。湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用して現地を放射能まみれにした。アフガニスタンでの激しい空爆、パキスタンでの無人機攻撃もすべて「正当化」された。

カダフィ大佐の死も、アメリカの正義戦略の中で行われて目的が達成され、正当化された。カダフィが死んだ時、時の国務長官だったヒラリー・クリントンは、満面の笑顔を浮かべて喜んでこのように言った。カダフィ大佐の死も、アメリカの正義戦略の中で行われて目的が達成され、正当化された。カダフィが死んだ時、時の国務長官だったヒラリー・クリントンは、満面の笑顔を浮かべて喜んでこのように言った。

「アメリカは来た、見た、カダフィは死んだ」「アメリカは来た、見た、カダフィは死んだ」

このヒラリー・クリントンの満面の笑みは、実はアメリカ人の多くが共有したものであった。このヒラリー・クリントンの満面の笑みは、実はアメリカ人の多くが共有したものであった。

どういうことか。それは「カダフィ大佐という国民に暴政を振るう独裁者が殺されることによって、リビア国民は自由になった」という暗黙知がアメリカ人にあったのである。どういうことか。それは「カダフィ大佐という国民に暴政を振るう独裁者が殺されることによって、リビア国民は自由になった」という暗黙知がアメリカ人にあったのである。

カダフィ大佐の死は、アメリカ式の「正義と自由が達成された」ことの象徴であり、だからカダフィ大佐の死にヒラリー・クリントンは満面の笑みを浮かべたのである。カダフィ大佐の死は、アメリカ式の「正義と自由が達成された」ことの象徴であり、だからカダフィ大佐の死にヒラリー・クリントンは満面の笑みを浮かべたのである。

自由はただではない。自由を手に入れるには戦って勝ち取らなければならず、そのためには多くの血が流れる。しかし、その血と暴力は「払う価値がある」とアメリカ人は考えている。自由はただではない。自由を手に入れるには戦って勝ち取らなければならず、そのためには多くの血が流れる。しかし、その血と暴力は「払う価値がある」とアメリカ人は考えている。

「自由はただではない。これまでも、そしてこれからも」とジョン・D・アンダーソンはメッセージを歌っている。「自由はこれからもただではない」と言っているのだ。「自由はただではない。これまでも、そしてこれからも」とジョン・D・アンダーソンはメッセージを歌っている。「自由はこれからもただではない」と言っているのだ。

つまり、アメリカはいつでも自分たちが考える「正義と自由」のために戦って血を流す覚悟をしているということだ。つまり、アメリカはいつでも自分たちが考える「正義と自由」のために戦って血を流す覚悟をしているということだ。

こういった状況を見ると、「暴力の時代」はまだまだこれからも続いていくというのが分かる。アメリカの歴史が暴力の歴史であることは、昔も今もこれからも変わることがない。どういうことなのか。端的に言えばこうだ。こういった状況を見ると、「暴力の時代」はまだまだこれからも続いていくというのが分かる。アメリカの歴史が暴力の歴史であることは、昔も今もこれからも変わることがない。どういうことなのか。端的に言えばこうだ。

「アメリカは、再び戦争をする」「アメリカは、再び戦争をする」


アメリカはいつでも自分たちが考える「正義と自由」のために戦って血を流す覚悟をしている。こういった状況を見ると、「暴力の時代」はまだまだこれからも続いていくというのが分かる。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180128T0257490900.html

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2018.01.15
戦争で金儲けしようと考える企業は多そうだが、それを可能にする仕組みを守ることも戦争の目的


兵器産業や傭兵会社にとって戦争はビジネスチャンスにほかならず、そうした企業に融資したり投資している金融機関にとっても同じことが言えるだろう。国の機関では軍、情報機関、治安機関の権益が拡大する。アメリカが戦争を続ける理由をここに求める人がいても不思議ではない。

しかし、戦場になった国では破壊と殺戮が繰り広げられて悲惨なことになる。軍需産業が「死の商人」と呼ばれるのはそのためだ。それに対し、そうした企業を儲けさせる、つまり戦費を負担する庶民は困窮、国は疲弊して衰退する。

アメリカが戦争を続けられるのは、世界が不換紙幣であるドルを基軸通貨として受け入れてきたからだ。アメリカ支配層は必要なだけドルを発行できる。が、勿論、発行されたドルを放置しておけばハイパーインフレになってしまう。

本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカ経済は1970年頃までに破綻している。そこで1971年にリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表した。ドルを兌換紙幣から不換紙幣に切り替えたわけだ。1973年から世界の主要国は変動相場制へ移行する。

そうした状況でドルの貨幣価値を維持するための仕組みが考えられている。そのひとつがペトロダラー。つまり産油国に対して石油取引の決済をドルで行うように求め、世界がドルを集める環境を作った。集まったドルはアメリカの財務省証券を買ったり、1970年代にロンドンのシティを中心に整備されたオフショア市場へ沈めたり、金融規制の大幅な緩和で準備された投機市場へ流れ込んでいく。投機市場はバブルになり、相場は暴騰、評価益で巨大資本や富豪たちの資産は飛躍的に膨らむ。その資産力は支配力につながった。

日本にもペトロダラーと同じ仕組みが存在しているように見える。企業がアメリカで売った商品の代価として受け取ったドルを日本はアメリカへ還流させなければならないが、企業は利益を確保したい。そこで日本政府は庶民のカネでドルを買い、アメリカへ還流させてきた。もし日本政府が保有するアメリカの財務省証券を売却したなら、その責任者は社会的な地位、資産、収入を失うことになるだろう。いや、そうなる前に処分されるに違いない。

この仕組みは世界がドルを基軸通貨として認め、投機市場へ資金が流入し続けることが前提になっている。ドルが基軸通貨の地位から陥落、相場が天井を打つと加速度的にアメリカの支配体制は崩壊していく。

アメリカの傀儡である安倍晋三首相は黒田東彦日銀総裁と組んで「量的・質的金融緩和」を実施してきたが、それによって流れ出た資金も投機市場へ向かう。そうした道筋ができあがっているわけで、安倍や黒田もその程度のことは認識しているだろう。投機市場の縮小を防ぐため、ETF(上場投資信託)やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も利用されている。こうした政策で彼らが日本経済を回復させようとしているわけではない。アメリカの支配システムを支えようとしているのだ。

資金の流れ以上に深刻な問題がドルの立場。すでにロシアや中国を中心としてドル決済を放棄する動きが広がっているのだ。つまり、ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうになっている。中国が創設したAIIB(アジアインフラ投資銀行)やNDB(新開発銀行)、あるいは推進中のプロジェクト「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」は不気味だろう。

アメリカやイギリスは遅くとも20世紀の初頭から世界制覇、つまり世界帝国の建設を目指すプロジェクトが存在する。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、その三日月帯でロシアを締め上げ、最終的には制圧しようとしている。その三日月帯の東端部に中国、朝鮮半島、そして日本がある。ジョージ・ケナンにしろ、ズビグネフ・ブレジンスキーにしろ、そのベースにはこの戦略があった。

アメリカが戦争をカネ儲けのために使っていることは事実だろうが、それは短期的な目的にすぎない。米英支配層には中期的、そして長期的なプランがある。その中長期的なプランを支えている仕組みが今、揺らいでいるのだ。その原因である中国やロシアを制圧、あるいは破壊しない限り、米英中心の支配システムは崩壊するだろう。世界規模で軍事的な緊張が高まり、ロシアとの関係改善を訴えたドナルド・トランプが有力メディアから激しく攻撃された理由はそこにある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801150001/


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2018.01.17
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(前)

ドナルド・トランプ大統領が批判されているひとつの理由に彼の差別的な言動がある。そのトランプは2016年の大統領選挙、あるいはその選挙で当選した直後はロシアとの関係を修復しようとしていた。その政策は彼を当選させた一因だが、有力メディアはそれが許せずに「ロシアゲート」なる話を作り上げ、特別検察官を任命させることに成功した。大統領選挙でライバルだった民主党のヒラリー・クリントンは戦争ビジネスや巨大金融資本を後ろ盾にする人物だ。

1929年1月15日に生まれたマーチン・ルーサー・キング牧師は人種差別と戦い、ベトナム戦争に反対、そして50年間の1968年4月4日に暗殺された。キングと親しくしていたロバート・ケネディは同じ年の6月6日に殺されている。ロバートの兄で大統領だったジョン・F・ケネディと同じように公式見解は単独の個人的な犯行だが、「政府機関」が暗殺に関与したと疑う人は少なくない。

1968年2月、アメリカがベトナム戦争で負けていると印象づける出来事があった。解放戦線が南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)や古都のユエなどで攻勢、北爆の停止とパリ和平会談の開催へとつながったのだ。アメリカ支配層は大きく揺れていた。

アメリカはドワイト・アイゼンハワー政権の時代にベトナムへ軍事介入を始めていたが、ケネディ政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラの回顧録によると、大統領は1963年10月にアメリカ軍をベトナムから撤退させる決断をしていた。(Robert McNamara, “In Restrospect”, Random House, 2005)そのために出されたのがNSAM(国家安全保障行動覚書)263だが、これは副大統領から昇格したリンドン・ジョンソン大統領が取り消し、本格的な軍事介入へと進んだ。

軍事介入を正当化するために使われたのが1964年8月の「トンキン湾事件」。アメリカの駆逐艦マドックスが8月2日に、また4日にマドックスと僚艦のC・ターナー・ジョイが北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたとジョンソン大統領は宣伝、7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したのだ。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)そして1965年2月には報復と称し、北ベトナムに対する本格的な空爆「ローリング・サンダー作戦」を始めた。

このトンキン湾事件はOPLAN34Aと名づけられた計画が関係していた。この計画をジョンソン大統領は1964年1月に承認、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOG(特別作戦グループ、後に研究監視グループに名称変更)が編成された。そのメンバーは陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊から集められ、司令官は陸軍大佐が務めている。(John L. Plaster, "SOG," Simon & Schuster, 1997)

この作戦の一環として1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃、北ベトナムは高速艇を派遣して対抗した。攻撃した哨戒艇は姿を消してしまうが、そこではアメリカの駆逐艦、マドックスが情報収集活動をしていたのだ。31日にはSEALsのふたりが20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くのレーダー施設を襲撃している。この襲撃に対する報復として北ベトナムは8月2日にマドックスを攻撃したと言われている。なお、マドックスを攻撃した北ベトナムの艦船はアメリカ軍機などの攻撃で撃沈された。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801160000/

2018.01.17
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(中)

こうして始められたベトナム戦争は泥沼化、1965年10月にはアメリカ国内で組織的な反戦運動が始まり、67年にはマクナマラ国防長官の指示で「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」が作成されている。この報告書の要旨、つまり好戦派にとって都合の悪い部分を削除したものをニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月に公表する。これがいわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」だ。

この報告書を有力メディアへ渡したダニエル・エルズバーグはその後、宣誓供述書の中でキング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたことを明らかにしている。

エルズバーグは1964年からマクナマラ国防長官の下で特別次官補を務め、2年間を南ベトナムで過ごしている。その時の上司はCIAの破壊工作部門に所属し、旧日本軍の略奪物資を回収するプロジェクトに参加していたエドワード・ランズデール少佐(後に少将)。その後、ランズデールはCIAのキューバに対する秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる。

ベトナム戦争でCIAは軍の特殊部隊と手を組み、反米色が強いと見られる地域の住民を皆殺しにする秘密作戦、フェニックス・プログラムが1967年から始められた。「解放戦線と関わりを持つと殺される」という恐怖心をベトナム人に植えつけるための一種の心理戦だったと見る人もいる。似た戦略をCIAはその後も繰り返す。例えばラテン・アメリカにおける「死の部隊」、そして中東におけるアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。

フェニックス・プログラムを提案したNSC(国家安全保障会議)のロバート・コマーは1967年5月にDEPCORDS(民間工作と革命的開発支援担当のMACV副官)としてサイゴン入りし、MACVとCIAは共同でICEXを6月に始動させている。本ブログで何度か言及しているジェドバラにその人脈はつながる。ICEXはすぐ、フェニックス・プログラムと呼ばれるようになるが、それを現地で指揮したひとりが後のCIA長官、ウイリアム・コルビーだ。このコルビーがエルズバーグにペンタゴン・ペーパーズを明らかにするよう命令したとも言われている。CIA長官時代、コルビーは議会で情報機関の秘密工作の一端を明らかにし、支配層の逆鱗に触れることになった。

1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民がウィリアム・カリー大尉の率いる部隊に虐殺されている。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。この虐殺もフェニックス・プログラムの一環だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801170001/


2018.01.18
差別反対は許されても戦争反対は許されないアメリカという国(後)

ソンミ村での虐殺が広く知られるようになったのは1969年11月のこと。この事件に関するシーモア・ハーシュの記事が報道されたのだが、虐殺の直後に従軍していた記者やカメラマンはその事実を知っていたにもかかわらず報道していない。後の国務長官、コリン・パウエルは少佐としてベトナムへ派遣されているが、彼もこの事件について知ったいたことを明らかにしている。(長くなるのでこの話はこれ以上深入りしない。)

ところで、エルズバーグにキング牧師を暗殺したのはFBIのチームだと話したのはブラディ・タイソンなる人物。アンドリュー・ヤング国連大使の側近で、エルズバーグは1978年に開かれた国連の軍縮特別総会で親しくなったという。タイソンは下院暗殺特別委員会に所属していたウォルター・ファウントロイ下院議員から説明を受けたとしているが、ファウントロイ議員はその話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)

キング牧師が人種差別と戦う切っ掛けになる出来事が引き起こされたのは1955年12月。アラバマ州モンゴメリーで公営バスで白人に席を譲ることを拒み、ジム・クロウ法(人種分離法)違反の容疑でローザ・パークスが逮捕された事件を切っ掛けだ。その後、キング牧師は公民権運動の指導者として知られるようになり、FBIの監視対象になる。

しかし、この段階では要注意人物にすぎない。危険人物と見なされるようになるのは1967年4月4日だと考える人もいる。この日、キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると宣言したのだ。

ロン・ポール元下院議員によると、当時、​キング牧師の顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していた​という。そうした発言はジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視した。その結果、支配層の中でリベラル派とされる人々と対立することになる。差別反対は許されても戦争反対は許されないとポール元議員は考えている。

FBIは1950年代に国民監視プロジェクトのCOINTELPROを開始、CIAは1967年8月にMHケイアスという監視するプログラムを始めている。当初、COINTELPROはコミュニストをターゲットにしていたが、途中でその矛先を平和運動に向ける。CIAも監視対象は戦争に反対する人々だ。デタント(緊張緩和)に政策を切り替えようとしたリチャード・ニクソンがスキャンダルで排除され、ロシアとの関係修復を訴えたトランプが激しく攻撃されたことも偶然とは言えないだろう。

キング牧師暗殺から2カ月後、次の大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員はカリフォルニア州ロサンゼルスのホテルで殺された。上院議員を暗殺したのは60センチ以上前を歩いていたサーハン・サーハンだとされているが、検死をしたトーマス・ノグチによると、議員の右耳後方2.5センチ以内の距離から発射された3発の銃弾で殺されたのだという。この結果は現場にいた目撃者の証言とも合致する。サーハン・サーハンが犯人だとするならば、議員の前にいた人物の発射した銃弾が議員の後ろから命中したことになる。

(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801180000/





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伊藤貫氏に聞く _ 日本人は何故アメリカの犬になりたがるのか


【平成30年 年末特別対談】伊藤貫氏に聞く[桜H30-12-30] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=0bwlpoETjxQ


2018/12/30 に公開

多くの災害に見舞われ、国際情勢も大きく動いた平成30年を振り返りながら、これからの道標となり得るような達見を伊藤貫氏に伺う年末特別対談をお送りします。

ゲスト:伊藤貫(国際政治アナリスト)
聞き手:水島総
 


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3S 政策より:
https://ja.wikipedia.org/wiki/3S%E6%94%BF%E7%AD%96

「・・・戦略家のガブリエル・コルコはアメリカがベトナム戦争での失敗を契機に、大規模な戦闘という事態を避ける為に低強度紛争としてソフト・パワーを用いた情報戦を軍事戦略の中枢に置くようになる課程を紹介。この戦略が最も成功した例が日本であり、各種の工作は日本支配のための「軍事戦略であり戦争であった」と述べた。


1. アメリカを無条件に支持し、アメリカに服従する政党と政権を他国に成立させ、そのための資金をアメリカが提供する。

2. この買収資金は、アメリカの税金ではなく、他国でアメリカが麻薬を密売した利益を提供し、アメリカが経済的負担を負わない方策を取る。

3. マスコミ操作を通じアメリカが常に「善」であると他国の市民を洗脳し、アメリカを批判する言論をマスコミに「登場」させない。アメリカ映画、音楽を大量に流し、アメリカが「すばらしい」国だと連日宣伝する。

4. 学校教育においては、丸暗記中心の学校教育で思考能力を奪い、アメリカへの批判能力を奪う。

5. 教師への絶対服従を学校教育で叩き込み、「強い者=アメリカへの絶対服従」を「子供の頃から身に付けさせる」。

6. 逆らう言論人、ジャーナリストは、そのジャーナリストのセックス・スキャンダル等をマスコミに流し失脚させ、必要であれば軍の諜報組織を用い、事故に見せかけ殺害する。

7. 他国の食料、エネルギー自給を破壊し、米国に依存しなければ食料、エネルギーが入手出来ないようにシステム化し「米国に逆らえないシステム」を作る・・・」

関連情報:

一億総白痴化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E7%99%BD%E7%97%B4%E5%8C%96

愚民政策
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E6%B0%91%E6%94%BF%E7%AD%96

反知性主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%9F%A5%E6%80%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9

パンとサーカス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9

ディストピア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2

etc.



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終戦後、アメリカはわざと日本人を飢えさせた


醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達
引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg


アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。

          
こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。


経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
enjo
引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg


美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。
http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html


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2017年05月04日
安倍首相、2020年まで憲法改正表明 日本国憲法の暗黒面

マッカーサーは尿漏れしながらタラップを降り、独裁者になった
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引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0


憲法改正の日程

安倍首相は憲法記念日の5月3日、憲法改正推進のフォーラムにビデオメッセージを寄せて改憲を訴えました。

首相はメッセージで、新憲法が2020年に施行されるようにしたいと具体的な年限を示した。

また憲法9条について、自衛隊の存在が明記されるように追加し、位置づけを明確にしたいと語った。


自民党総裁の任期は3年で2回まで続けて就任できるので2018年までだったが、3回に延長されたので2021年9月まで可能になった。

日本国総理大臣には期限がないので、理論上は自民党の総裁でなくなっても、総理を続けることは出来る。

改正には衆議院参議院が別々に3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。


国民投票の過半数は憲法の日本語で定義されておらず、護憲派は有権者の過半数だと主張していたが、これだと絶対に憲法改正はできない。

日本国憲法は英語で書いた文章を日本語に翻訳したので英語の原文が存在し、一応「日本語から翻訳した」事にしている。

GHQの原文では「投票者の過半数」と書かれているので、日本人の半分しか投票に行かなくても改正可能だという解釈になった。


2020年に改正憲法施行とすると1年前には国民投票が必要で、その1年前には衆参両院の法案審議を始める必要がある。

その前に改正憲法の条文を明確に決定して国民に示す必要があり、2017年か遅くとも2018年には示されなくてはならない。

2012年に自民党から示された憲法改正案は、はっきり言えば稚拙の印象があり、架空戦記小説に似ている。


日本国憲法の根本的矛盾

2012年自民党案は改正内容が多岐に渡っていて、個別の議論だけで数年を要し、その間に政権が交代したら白紙になってしまう。

緊急に必要なのは「戦争の権利」あるいはもっと穏やかに「自衛権の明記」、それと憲法改正手続きの簡素化の2点だけです。

衆参両院でそれぞれ3分の2が必要なのは、当時のアメリカ軍が日本を敵国と見なしていたため、憲法を改正できないようにしたのです。


世界のどの国でも多数決の原則に基づいて議会の過半数で改正できるのが当たり前で、両院それぞれの3分の2としているのは全世界で日本だけです。

この制度では衆議院で100%の議員が改正賛成でも、参議院の3分の1の議員が反対したら憲法改正はできません。

少数意見が通り多数意見が排除される仕組みで、こういう制度を「独裁政治」と言います。


なぜ独裁を奨励するのかといえば、日本国憲法が成立した1946年の日本は、1人の軍人が全ての権限を握る「独裁国家」だったからです。

この軍人とは東条英機ではなく米軍人のダグラス・マッカーサーで、公式な資格がないのに勝手に憲法を作って議会に承認させました。

誰もこれを指摘しないので自分で書くが、マッカーサーは連合軍総司令官で、トルーマン大統領から日本占領を命じられた。


だが一体何故、「ただのアメリカ軍人」が日本を占領して議会や政府に命令し、憲法を勝手に作り変える権限を。アメリカ大統領が与えるのだろうか?

連合国(=国連)が任命したというが、日本は国連加盟国ではないので、そいつらに指図される筋合いがない。

1945年8月に日本が受け入れたのはポツダム宣言だけであって、米軍の日本占領に合意しても居ない。

トルーマン大統領は「天皇の処遇」「憲法を自由に作る」「戦争裁判を開く」などの権限を与えたが、なぜアメリカ大統領にこうした権利があると考えるのかも謎です。


独裁者になった尿漏れ男

1945年8月28日、帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーがパイプを咥えて降り立った。

マッカーサーは写真にはこだわりがあり、硫黄島の有名な写真や、厚木に降り立った写真など、すべて演出させた「やらせ写真」でした。

厚木の輸送機から降りるマッカーサーは、日本軍人から襲撃される恐怖から、尿を漏らしながらタラップを降りました。


マッカーサーは開戦時にフィリピンにいたが、部下を置き去りに逃げ出し、沖縄や本土では民間人への空襲を命令した、そんな人間でした。

マッカーサーは軍事法廷や天皇の処罰などをチラつかせながら憲法(帝国憲法)改正を命じ、帝国議会は現行憲法(帝国憲法)の改正案を示した。

1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、日本側はマッカーサーの命令を拒否し、時間を掛けて改正すると回答しました。


1946年1月、日本政府はGHQに憲法改正案を提出したが、GHQは却下し独自の憲法を作成する事にした。

特にマッカーサーを激怒させたのが天皇の身分を存続させる点で、彼は天皇を「犯罪者」として定義させたがった。

イラクやアルカイダの首謀者をアメリカは犯罪者と定義したが、あれと同じ事を日本でもやりたかったようです。


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html





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アメリカ人の原爆観
 
 フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間戻らなかった。
もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映された「ヒロシマ」という題の映画で、被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/428.html


トルーマンは自分の行動を正当化するために、「原爆投下により100万のアメリカ兵の生命が救われた」とする「原爆神話」を積極的に広めた張本人でもある。

トルーマン大統領は原爆の惨状についての報道を一切禁止し、被爆治療を徹底的に妨害した。

そして、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように観察する組織「ABCC」(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog099.html

広島・長崎への原爆 米で「実験」と記載

【ラスベガス(米ネバダ州)4日=杉本宏】ネバダ核実験場を管轄している米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中に、太平洋戦争末期に実施された広島、長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されていることが4日、明らかになった。

この刊行物は同事務所が毎年、編集・発行しており、昨年5月に出された第12版が最新のもの。米国が1945年7月から91年12月までの間、同実験場などで実施した843回の核実験(英国との共同実験も含む)について、103ページにわたり実施時期、場所、爆弾の威力などを記載している。

この中で、米国の手による核爆発はすべて「公表された米核実験」としてくくられている。広島、長崎のケースは「第2次世界大戦、実戦使用──広島」などと表記され、その目的も「実戦」と書かれているが、時期別、実験名別のいずれの区分でも「公表された米核実験」の欄の中に分類・記載されている。


原爆の対日使用は「人体実験」だった。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の 橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。

「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。私たちは焼け跡の草を
むしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありません
でした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


ビキニ核実験も広島・長崎の人体実験の続きだった:


 @米側は、気象変化について気象学者らの警告を事前に受けながら無視し、実験を強行した。

 A死の灰が出ることが予測されていたうえ、過去の実験から居住地域に向かうことがわかっていた。

 Bロンゲラツプなど風下の4環礁の住民に対し、意図的に事前警告をせず、避難措置もとらなかった。

 C米兵は34時間以内に救出されたのに、住民の救出には最大4日かかった。同程度被ばくしたアイルツク環礁には避難措置はなく汚染した水や食料でさらに被ばくした。

 D汚染の残るロンゲラツプ環礁に対する安全宣言を出して避難した住民を帰還させ、人体への放射能の長期的影響を調べた。

 E全島が被ばくしたにもかかわらず、人体研究の対象となった環礁以外では、医療援助や総合的な検診がない―などだ。

マーシャル住民らに実施した人体研究「プロジェクト4・1」は、これまで 「医療ケア」プログラムとして知られていた。同研究の存在が明るみに出たことで、「ケア」の裏側で「放射能が人体に長期的に及ぼす影響」についての徹底的なデータ収集を進めていたことが判明した。現在も研究はエネルギー省の手で続けられており、特定の被ばく者集団を対象に40年以上にわたって追跡調査されたデータは、原爆傷害調査委員会(ABCC、放射線影響研究所の前身)が集めた広島、長崎の被爆者データとともに同省健康研究室で一括して管理されている。

 セリグマン同省次官補代理(同室長)は、一連の資料を「完全なデータセツト」と呼び、放射能の人体への影響を調べるうえでの基本資料であることを隠さない。マーシャル側が「モルモット扱いだ」と批判してきたのも調査目的の「二面性」とかかわる。

 これまでの調査から、「医療ケア」では説明できない事例も判明している。赤血球の追跡調査目的で、放射性クロムを注射した事例と、主として被ばく直後に放射性物質の除去のために使われるエチレンジアミン四酢酸(EDTA)という物質を被ばくから七週間たってから投与した例だ。

 米軍による一連の「放射能人体実験」について調査した米大統領諮問委員会は95年、「全体が人体実験だったとはいえない」としながらも、二例は患者の治療目的を逸脱した研究だったと結論づけた。
 こうした事例について、米政府は当時、マーシャル住民への説明や同意を得ずに実施したうえ、現在も「担当医師のプライバシー」などを理由に、対象にした住民らの氏名公表に応じていない。

マーシャル側は、独自調査で少なくとも20人以上が放射性物質を注射されたことを突き止め、うち生存者5人も特定した。ロンゲラツプ環礁の議員ナビ・クンさんの母アトミネさん(58)もその一人で、乳がんや脳しゅように苦しんでいる。クン議員は、「本人への情報開示がないため、『実験』との因果関係を調べることが難しい」と話す。

これに対し、研究にかかわった医師らは現在でも「ケアのために必要な措置だった」と強弁する。エネルギー省当局者はマーシャル側に「注射は、X線検査のようなもので害はない」と説明したという。

放射能実験にかかわる人権問題に詳しい米国人弁護士クーパー・ブラウン氏によると、米側が実施した被ばく者の甲状せん摘出手術についても、「摘出する必要がないのに、放射能以外の原因のがんや肥大との比較研究のために摘出された疑いがある」という。

ブラウン氏は同時に、当時の米原子力委について、

「(マーシャル住民は)文明化されていないがネズミよりは我々に近いと公言する幹部もいた」

と述べ、人体実験の対象になったアラスカ先住民らと同様、「人種差別的」な要素が合まれていた疑いを提起する。
http://www.ask.ne.jp/~hankaku/html/bikininews.html


米国防総省 広島、長崎の原爆被爆者データ 核戦争研究に利用
ABCC収集解禁文書で「モルモット説」裏付け

【ワシントン30日共同】米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島、長崎の被爆者から収集した医学データを、国防総省が将来の核戦争を想定した軍事目的の研究にも利用していた事実がこのほど、同省や全米科学アカデミーなどの解禁文書で確認された。

国防総省は、核使用の際の医療対策に収集データが役立つと期待。広島、長崎のデータとビキニ環礁での原水爆実験の資料を比較し、爆心周辺で放射線から身を守るには服装をどうするか、などといった分野も研究していた。
ABCC設立当初から被爆者が抱いていた「モルモット扱いしているのでは」という疑いを裏付けるものだ。

また日本で「ABCCの研究は非人道的」との非難が強まることを恐れた米側が、病理標本やデータを重要機密資料として、その保護に極度に配慮していたことを示す文書も見つかった。

1946年11月26日、トルーマン大統領は「原爆が人間に与える長期的影響の研究を継続すべきだ」との陸、海両軍医務総監の勧告を承認。これを受けて全米科学アカデミー研究評議会に原爆傷害委員会(CAC)が設置され、現場機関として広島、長崎にABCCが発足した。

CAC議事録によると、47年3月のCAC第1回会議で海軍の代表が「防御的措置」と「攻撃的措置」の両面で被爆者データを利用することを提案した。またパターソン陸軍長官は同月、ジュエット科学アカデミー総裁に送った書簡で被爆者研究の「軍事的重要性」を強調し、極東司令部による協力を約束した。

翌48年6月に「特殊兵器プロジェクト」(国防総省国防核兵器局の前身)のハズブルック参謀長がまとめたメモは、被爆者データは「放射能戦争研究に非常に重要」だとして、核攻撃の際の死傷者数や負傷者の治療などに関する情報への利用に期待を表明した。

ABCCで収集されたデータや生検、解剖標本はこうして同プロジェクトや陸軍病理研究所で保管され、47−49年にまとめられた核戦争防護の各種研究に生かされた。
同プロジェクトのワイナント放射線防衛局長の論文は広島、長崎より良い防護施設がなければ「米国の大都市では10万人以上の死傷者が出る」と核シェルターの重要性を強調。ホートン同局医療部長の論文は、広島の被爆者の生殖能力や遺伝的影響などのデータを引用した。

さらにクーニー原子力委員会軍事応用局放射部長の論文は、広島、長崎でのデータとビキニ実験との比較から身体器官への影響を分析。「爆心から1.5キロ離れた地点なら軍服、シャツの着用でも防護になる」などと指摘した。
今さら驚かないが…

近藤幸四郎・広島県被団協事務局次長の話 中学生の時、先生に(調査のためABCCへ)行ってくれんか、と言われた。アメリカにはとても協力する気になれず断った。モルモット扱いは、我々は前々から言っていて今さら驚かない。50年たって、ようやく証明されたかという感慨が強い。

<ABCC> 原爆放射線の長期的な医学影響調査を主な任務として1946年11月、トルーマン大統領が設立を指示した。47年から広島、長崎で調査を開始、予算は米国原子力委員会などから出された。日本からは国立予防衛生研究所が参加。約12万人を対象に寿命(死亡)調査、成人健康調査、病理学的(解剖)調査、遺伝的調査などを実施した。(共同)(毎日新聞 1995/07/30)

核戦略用に設置? 米の研究所、治療はせず

米国は47年、原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立。広島、長崎に研究所をつくり、原爆が人体に与えた影響を調べ始めた。75年からは、米国エネルギー省と日本の厚生省が費用を折半する財団法人の放影研が調査を引き継いでいる。
87年から全米に散らばるABCC関連の文書を探し集め、ABCCの元所員らにインタビューして被爆者研究の歴史を調べているペンシルベニア大のスーザン・リンディー教授に尋ねた。

──ABCCの研究は軍事目的だったのですか。

「研究は、核兵器が人類にとってどんな意味を持つかを決めるためのもので、冷戦戦略の一部だった。米国の将来の核戦争に備えるためだったことは疑いの余地がない。ニューヨークに原爆が落とされたら社会的にどうなるか、人問がどうなるか、というモデルでもあった」

──ABCCは調査だけで治療はしないといわれてきました。なぜでしょう。

「治療すれば、原爆投下の謝罪につながると考えていたようだ」
ABCCは、多い時は1000人を超える職員を抱えていた。16万の被爆者を選び、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて1人ひとりにインタビューし、亡くなった7500人を解剖した。

現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し、2万人を2年に1度健康診断する。8万人の被爆2世、そして2800人の胎内被爆者の調査も継続中だ。放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれる。

被爆者をモルモット扱いしたと言われるABCCの姿勢は、放影研にも引き継がれてはいないだろうか。

占領史研究者、笹本征男さん(54)は、今年末に発行される「通史日本の科学技術〈国際期〉I・II」(学陽書房)の中で、ABCCの研究を引き継ぐ放影研の設立目的にも不明確さが残る、と指摘している。

財団法人の目的には「被爆者の健康保持及び福祉に貢献する」ことをうたっている。一方、両国政府が74年に交わした公式の外交文書では、目的は「放射線が人に及ぼす影響の調査研究活動」とされ、「被爆者のため」という文言はどこにもないのだ。


■年20億円の投入

6月末に訪れたワシントン郊外のエネルギー省で、「シーダ」という名前のデータベースを見た。

ハンフォード、ロスアラモス、オークリッジといった核兵器製造現場で働いた人たちの健康状況を1人ひとり追跡するデータベースだ。その中に「JALSSA01」というファイルがあった。

ABCC、放影研が集めた被爆者7万5991人の被ばく線量、性別、死因などの関連がオンラインで分析できる。利用するにはエネルギー省の許可が必要だという。

被爆者のデータは、実は原爆をつくり、落とした国の、核兵器をつくる省に管理されていた。

同省のセリグマン次官補代代理は「放射線の人体への影響を知るには、日本の被爆者の研究が最も基本となる」と話す。被爆者のデータは、核兵器、原子力関係の労働者から得られたデータと違い、一挙に放射線を浴びせられた子供から老人までの男女多数が、長期にわたって追跡されているからだ。

米国が今も年間約20億円を広島・長崎の研究に投じ、威力の見直しなども進めているのは、データの重要性が極めて大きいからと思えば納得できる。原子力発電、X線などの医療分野、そして核兵器工場でも、放射線をどれだけ浴びると有害かという基準づくりに、被爆者を追跡したデータは必要不可欠となっている。


被爆者治療せず 50年代の米公文書

原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。

原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に位置づけられていた」とみている。

朝日新聞が米国立公文書館に対し、ABCCに関する複数の公文書の閲覧を請求した。いずれも50年代に作成された当時は機密扱いで、機密期間が過ぎた80年代以降に開示対象になった。

ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。

50年代になって日本の報道機関も取り上げるようになっていた。
今回閲覧したうち、パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(54年2月)には、治療しない理由について「ABCCには日本での医療資格がない」ことなどを列挙。さらに重要なこととして「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持することになる」と説明した。「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」とも指摘した。

また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(同年1月)の中で、北東アジア部の担当者は米政府の公式見解として「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別することはできない」と述べている。

こうした考え方の背景について、核問題を研究する米ジョージタウン大歴史学部博士課程の樋口敏広さん(28)は「旧ソ連とにらみ合った冷戦下で、米国は原爆を使用可能な兵器と位置付ける必要があった。ABCCが被爆者を治療しなかった理由は核戦略と結びついていた」とみている。(朝日新聞 2007/08/06)

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html


●「マンハッタン計画」の舞台裏については、まだまだいろいろな情報がある。

「原爆の製造には、原料のウランが必要だった。ロスアラモス研究所では原爆製造のために、アフリカのコンゴ(現ザイール)からウランを調達していた。コンゴは当時最大のウランの産地であり、この鉱山利権を握っていたのがロスチャイルド財閥であった。そのためウラン原料を調達する監督官として国際的な役割を果たしたのがチャールズ・ハンブローであり、彼は戦時中にスパイ組織OSS(CIAの前身組織)を設立した大物でもあった。のちに『ハンブローズ銀行』の会長となり、イングランド銀行と南アフリカの大鉱山利権を支配した男である。」

「第二次世界大戦はユダヤ人にとってホロコーストの悪夢の時代であった。そのユダヤ人であるヴィクター・ロスチャイルド男爵、チャールズ・ハンブロー、ロバート・オッペンハイマーは、〈系図〉をみてお分かりのように、血のつながりを持つ一族だったのである。イギリスのロスチャイルド・ファミリーは金融王ネイサン・ロスチャイルドに源を発する一族だが、ちょうどその5世代ファミリーに、彼らが同じ血族として記録されているのである。オッペンハイマーは突然にニューメキシコ州の砂漠に現れた科学者ではなかった。

そしてここに、世界史の大きな謎がある。1989年にベルリンの壁が崩壊するまで続いた米ソの東西対立が、事実危険な対立であったか、それとも半ば両者が示し合わせた人為的な対立だったかという謎である。」

「ヴィクター・ロスチャイルド男爵の再従妹にナオミ・ロスチャイルドがいるが、その夫はベルトラン・ゴールドシュミットというフランス人だった。後に国際原子力機関IAEAの議長となるのだが、この男は『マンハッタン計画』の指導的立場にいた。その『マンハッタン計画』に物理学者として参加していたユダヤ人、クラウス・フックスは、原爆に関する極秘資料をせっせと旧ソ連政府に流し、旧ソ連の原爆第1号が製造される。(フックスはスパイ容疑で逮捕され、1950年に懲役14年の判決を受けたが、1959年に釈放された)。

このクラウス・フックスを操っていたのがイギリス内部に深く根差した『ケンブリッジ・サークル』という組織だった。共にケンブリッジ大学出身のイギリス諜報機関MI5、MI6の最高幹部4人が、この組織を通じてソ連に核ミサイルに関する極秘情報を流していたのだった。そしてその中にMI5のソ連担当官アンソニー・ブラントという人物がいた。ブラントは女王陛下の美術鑑定家としても名高くナイトの称号を与えられていたが、実はソ連の二重スパイとして女王陛下を裏切っていたのだった。そしてこのブラントはアーサー・ブラントという父を持ち、その血縁者エディス・ボンソワを通じてハンブロー・ファミリーと結ばれている。」

「先にオッペンハイマーの一族として示した〈系図〉のヴィクター・ロスチャイルド男爵は、1990年にこの世を去るまで、このソ連の原爆スパイとして有名なイギリスの『ケンブリッジ・サークル』の最大の黒幕とみなされてきたのである。」

「このように東西を密かに流通する大きなパイプが走っていたのだ。しかも、パイプの東側ではシベリアの原爆開発が進められ、西側では彼らが全世界のウラン鉱山を支配して、今日まで人類史上最大のカルテルを形成してきた。南アフリカから生まれた利権は、想像できないほど天文学的なものだったのだ。」

「核実験は、2つの目的を持っていた。1つは、高度で破壊力のある兵器を作るための軍事的開発である。しかしもう1つは、核爆弾を1発爆発させるごとに大量の札束を吹き飛ばす利権であった。東西の緊張が高まれば高まるほど、核兵器の開発は容易になったのである。」

「そして次に彼らに必要となったのは、原子力の平和利用へ移っていくなかでの“放射能の安全論”であった。ここで数々の生体実験を行なってきた科学者たちが所有しているデータに目がつけられたのだ。『マンハッタン計画』の命令系統には、大きく分けて2つの部門があった。第1が広島・長崎への原爆投下を実行した『原爆開発班』である。世界有数の科学者が集められ、核分裂を実用化した著名なグループだ。しかしそこに第2の部門として『医学班』が存在していたのである。放射能の危険性を研究した最高責任者がスタッフォード・ウォーレンであり、彼自身が生体実験を認可した当人であった。 〈後略〉」

「1947年にアメリカで『原子力委員会(AEC)』という国家機関が創設され、『マンハッタン計画』が受け継がれた。引き継ぎの際、明らかになったことは、過去7年間に原爆生産に投下された経費が22億ドルの巨額に達していたということである。その後、冷戦が展開されるに及んで、原子力予算は、まず年額10億ドル台になり、ついで20億ドルを超えた。

『1つの新しい産業が突如出現した。それは、初めてベールを脱いだその時からすでに巨体であったが、やがて体全体が成長し、単一の産業としては現代最大の産業になっている』と、1948年末、当時のAECの委員W・W・ウェイマックは原子力産業の巨大なスケールについて述べている。

原子力産業は、『死の商人』にとっては、もっともすばらしい活動分野であった。何しろ、その規模がどえらく大きい。年額20億ドルもの巨費が建設や運営のためにばらまかれる。その設備はといえば、『USスティール』『GM』 『フォード社』 『クライスラー社』の4つの巨大会社を合わせたよりも大きく、数十万の技術者、労働者を擁している。

この土地、建物、機械などの固定設備はむろん、AEC、つまり国家がまかなうが、その建設、運営は『デュポン社』だとか、『ユニオン・カーバイド社』(ロックフェラー財閥系)や、『GE』(モルガン財閥系)のような巨大企業にまかせられる。建設、運営をひきうける会社は自社製品を優先的に売りこみ、すえつける特権があり、また、運営の代償として『生産費プラス手数料』の原則でAECに請求して支払いをうけるが、この『手数料』は純然たる利潤だとAEC担当官さえ認めている。このほか、運営に当たっていれば、科学技術上の機密が自然入手できるが、これらの機密は、将来原子力産業が民間に解放される場合には、ごっそりいただくことができる。

『死の商人』にとって、こんなボロもうけの分野がかつてあったであろうか。
ジェイムズ・アレンが『原爆崇拝のかげで景気のいい一つの商売がおこなわれている。それは、国家の権威をまとい、えせ愛国主義の霊気に包まれているが、いうなれば“ボロもうけの商売”である。しかも、この事業の目的たるや、大量殺人でしかない』と慨歎しているのも当然である。」


■■冷戦で肥大化していった「軍産複合体(MIC)」

●陸・海・空・海兵隊・予備を含めて350万人以上の人間を擁し、あらゆる近代兵器を持ったアメリカ軍部は、そのメカニズムと力において他に類を見ない組織である。しかもその軍は、2万以上の企業と組んで、巨大な「軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)」を形成している。

●軍産複合体の根幹を成しているのが「ウォー・エコノミー(戦争経済)」である。そもそも軍産複合体は第二次世界大戦と、それに勝つために必要であった複雑な兵器とともに起こったものであった。「軍事省」や「戦時生産局」は、航空機・大砲・戦車などを作り出すためには産業に頼らざるをえなかった。電子工学や原子力が兵器となるとともに、頭脳力を供給するために大学が選ばれた。大学は、戦争に勝ち、民主主義を救うための必要な協力者であった。

●そしてこの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産複合体制)を生み出す大きなきっかけとなったのは、軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」である。冒頭でも触れたように、「マンハッタン計画」では、5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。

ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。
  
●そして第二次世界大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発を求めてきた。

そこで得た研究成果は、「ダウケミカル社」「デュポン社」「ロッキード社」「ダグラス社」などに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産。大学の研究室と産業と政府ががっちり手を結び、冷戦という獲物を手にして巨大な怪物へと成長した。

●この「軍産複合体」の中核に位置するのが、ペンタゴンとCIAである。1947年に「国家安全法」に基づいて、それまで独立機関であったアメリカ4軍を一元的にコントロールするために設けられたのが「国防総省(ペンタゴン)」で、更に同じ「国家安全法」に基づいて作られたのが「中央情報局(CIA)」であった。

このペンタゴンとCIAの誕生により、軍産複合体は一つのガッチリした“中央集権的組織”となって、アメリカに根を下ろしたと言えよう。 
 
●軍産複合体は年々肥大化し、ペンタゴンから発せられる莫大な「軍需注文」は、2万2000社もある「プライム・コントラクター(ペンタゴンと直接契約する会社)」と呼ばれる巨大な航空機メーカーやエレクトロニクス企業に一括して流されている。

更に、その周辺に彼らの下請け・孫請け会社1万2000社、彼らの金融面を司る多国籍銀行団、スタンフォードやハーバードなどの大学研究室が70以上、ランド研究所、フーバー研究所などペンタゴンと契約している「シンク・タンク」が16……などといったように、何百何千万人もの労働者や科学者、研究家、政治家、退役軍人、ロビイストたちが張り付いているのである。

●ちなみに、ペンタゴンと直接契約している企業は、まだ兵器を製造している段階で、多額の「推奨金(無利子の貸金)」を受け取ることができる。

例えば「ロッキード社」は、1968年12月の12億7800万ドルという支払い済み経費に対して、12億700万ドルの「推奨金」を与えられた。15億ドル近くの経費や設備を含む取引に対して、同社が調達しなければならなかったのは、7100万ドルの自己資金だけであった。

●ペンタゴンからの退役軍人の天下りの多さも無視できないものがある。

プロクスマイア上院議員のいうところによると、1968年財政年度には、主要軍需業の3分の2以上をやっていた100社は、その給与名簿に「2072人の大佐もしくは艦長以上の階級の退役軍人」を抱えていたという。トップは「ロッキード社」の210人で、その次に「ボーイング社」の169人、「マクダネル・ダグラス社」の141人、「ジェネラル・エレクトリック社」の89人と続くという。ペンタゴンの制服を着ていた時に、民間企業との多額の取引の交渉をやっていたその同じ人間の多くの者が、退役後は、その影響力や内部の知識を国防会社の利益のために行使していたわけだ。


●「軍産複合体」がアメリカ経済に対し、依然として強い影響力を持っていることに関し、国防産業協会の会長J・M・ライル元提督は以下のように言っている。

「もしも我々が軍産複合体を持っていなかったとするならば、我々はそれを考え出さねばならなかったであろう。というのは、今日の複雑な兵器を考案し、生産し、そして維持することは、必然的に、それを要求する軍部とそれを供給する産業との間の、最も緊密な協力と連携を伴うからである。」

●「ディロン・リード社」のジェイムス・フォレスタルや「ジェネラル・エレクトリック社」のチャールス・ウィルソンなどは、以下のような率直な見解を示している。

「アメリカが必要としているのは、永久的な“戦争経済”である。」

●ベトナムのある高官は以下のような告発をしている。

「……結局、一番もうかるのは、より性能のいい兵器により高い値札をつけてどんどん売りさばくことのできる“ビッグ5(国連常任理事国)”の兵器産業である。」
「ベトナム戦争ひとつを振り返ってみても、本当の“死の商人”が誰であったか一目瞭然だろう。まず、フランスが膨大な兵器を流し込み、その後をアメリカが引き継いだ。もちろん、そうなるとソ連も放っておけないから、北ベトナムやベトコンにどんどん新兵器を与え、やがては中国も介入していった。そうやって戦争がエスカレートして行きさえすれば、それぞれの国の兵器産業を中心とした軍産複合体もまたどんどん肥え太っていくわけだ。」





▲△▽▼

1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976


ここに1971年7月、米国キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領特別補佐官が中国周恩来と交わした秘密会談の内容がある。2002年7月公開された外交文書である。40年近くも以前から米国と中国は裏で繋がっていたことは周知の事実ではあるが、今の日本の立場を見極める意味からも大変重要である。

二人の秘密会談の内容の1/4は日本に関することであったという。当時より経済大成長した日本に対し、米中とも非常に警戒心をもっていた。

 米中の日本に対する見方は今も昔も同じである。この事を踏まえて、対米、対中外交方針を決定しないと、何時まで経っても日本は米中の「お財布さん」でしかない。また、両国が一番恐れているのは日本の再軍備であり、日本の核保有である。相手の嫌がることをし、カードとするのが外交の基本である。日本のある首相は、「相手の嫌がることはしない」で通したが・・・。

 北朝鮮の核保有を米中が嫌がるのは、これを認めると日本の核武装化を止められないからで、6ヵ国協議と称して北朝鮮をなだめるのに必死のふりであるが、真の目的は日本の核保有を阻止する為に他ならない。

 以下の会談の一部を見ると、この流れがここ40年間、めんめんと流れていることがよく理解できる。いつまでも米国に頼っていると大変なことになることを、我々は自覚しなければならない。

(「敵国になり得る国米国」青木直人著より)


日本人観

周恩来 「ものの見方が狭く、とても変わっている。島国の国民だ。」

キッシンジャー「中国は伝統的に普遍的な視野があるが、日本は部族的な視野しかない。日本人はほかの国民がどう感じるかに何の感受性もない。日本には何の幻想ももっていない。」


日本経済

周恩来 日本は第2次大戦の賠償も払わず、戦争から利益を得た。経済拡大は軍事拡大につながる。米国は日本を今の状態に太らせた。」

キッシンジャー「日本を経済的に発展させたことをいまでは後悔している。」


日本の防衛政策

周恩来 「日本は過去二十五年あまり、防衛に必要以上の金を使ってきた。いまや羽が生え、飛び立とうとしている。一度日本が軍事拡大に走れば、どこまでいくかわからない。」

キッシンジャー「日本が米軍撤退を希望すればいつでも出てゆく。日本が自主防衛すれば周辺の国にとって危険だ。米国が日本のために核兵器を使う可能性は実際には小さい。米軍が撤退すれば、日本は平和利用計画で得た充分なプルトニウムで核兵器を作ることが出来る。日本が大規模な再軍備に走るような事態になれば、伝統的な米中関係が再びものをいう。米国は日本の拡張を抑えるために、他国と協調できることをする。日本について我々は同じ方向の利害を持っている。」
http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/977743/


そして米中が組んでやった事は:

中国は当面は軍事力よりも外交で影響力を強めてきている。PKO活動もその一環ですが、日本は金だけ出して自衛隊の活動には消極的だ。米中の見えない同盟関係は日本に対するものであり、アメリカは日本の円は360円から80円にまで4倍に吊り上げて、中国の元は1ドル=2元から8元にまで4分の1に引き下げを認めた。これは対ドル相場なのだからアメリカが認めなければ出来ない事だ。

アメリカの90年代からの中国に対する経済的支援は、日本の弱体化と中国の台頭を促した。80年代の日本経済はアメリカに脅威を与えるほどになったからですが、日本の弱体化はアメリカにとって国益になったのだろうか? 普通ならば中国が世界一の黒字大国になったのだから人民元が上がるのが常識だ。しかしアメリカはそれ元安を容認してきた。

この事によって中国は西村眞悟氏が言うように世界に「失業」を輸出しているのであり、世界的に労働者の賃金を引き下げさせてきた。それに対して日本は人民元の安さに対抗する為に中国に工場を進出させて雇用を輸出している。職を失った日本の若者は結婚も出来なくなり少子化が進むようになった。これらは米中の思惑通りの結果なのでしょうが、アメリカは同盟国の日本の弱体化はプラスであるとどうして考えたのだろうか?

それに対して日本の政治家は見えない米中同盟に気がつくのが遅すぎた。アメリカは露骨に日本に対しては政治介入してくるのに、中国の人権問題や人民元安には口を出さずに寛容だ。アメリカ自身の国力の衰退がそうさせていると見えますが、その穴を中国が埋めている。そうなれば日本には小沢一郎のような政治家が出てきて、アメリカと距離を置いて中国の属国になろうという政治家が出て来る。そうなる事はアメリカの利益なのだろうか?
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu208.htm


米中同盟

中国は当面は軍事力よりも外交で影響力を強めてきている。PKO活動もその一環ですが、日本は金だけ出して自衛隊の活動には消極的だ。米中の見えない同盟関係は日本に対するものであり、アメリカは日本の円は360円から80円にまで4倍に吊り上げて、中国の元は1ドル=2元から8元にまで4分の1に引き下げを認めた。これは対ドル相場なのだからアメリカが認めなければ出来ない事だ。

アメリカの90年代からの中国に対する経済的支援は、日本の弱体化と中国の台頭を促した。80年代の日本経済はアメリカに脅威を与えるほどになったからですが、日本の弱体化はアメリカにとって国益になったのだろうか? 普通ならば中国が世界一の黒字大国になったのだから人民元が上がるのが常識だ。しかしアメリカはそれ元安を容認してきた。

この事によって中国は西村眞悟氏が言うように世界に「失業」を輸出しているのであり、世界的に労働者の賃金を引き下げさせてきた。それに対して日本は人民元の安さに対抗する為に中国に工場を進出させて雇用を輸出している。職を失った日本の若者は結婚も出来なくなり少子化が進むようになった。これらは米中の思惑通りの結果なのでしょうが、アメリカは同盟国の日本の弱体化はプラスであるとどうして考えたのだろうか?

それに対して日本の政治家は見えない米中同盟に気がつくのが遅すぎた。アメリカは露骨に日本に対しては政治介入してくるのに、中国の人権問題や人民元安には口を出さずに寛容だ。アメリカ自身の国力の衰退がそうさせていると見えますが、その穴を中国が埋めている。そうなれば日本には小沢一郎のような政治家が出てきて、アメリカと距離を置いて中国の属国になろうという政治家が出て来る。そうなる事はアメリカの利益なのだろうか?
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu208.htm


1995年 オーストラリアを訪問した李鵬は、豪首相との首脳会談中に、 「 日本など20年も経てば地球上から消えてなくなる 」と発言
李鵬の発言はまるでオカルトのようにも聞こえるが、平成9年当時の国会でも取り上げられた発言である。

武藤国務大臣

「そのオーストラリアへ参りましたときに、オーストラリアの当時のキーティング首相から言われた一つの言葉が、日本はもうつぶれるのじゃないかと。

実は、この間中国の李鵬首相と会ったら、李鵬首相いわく、

君、オーストラリアは日本を大変頼りにしているようだけれども、まああと三十年もしたら大体あの国はつぶれるだろう、こういうことを李鵬首相がキーティングさんに言ったと。

非常にキーティングさんはショックを受けながらも、私がちょうど行ったものですから、おまえはどう思うか、こういう話だったのです。」
http://hanzibakuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/20-ea32.html




▲△▽▼

アメリカはソ連崩壊後に NO.2 になった日本をどうやって叩き潰したのか

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

1989年当時、日本人エコノミスト達は「デリバティブ」という「先物」の実体を知りませんでした。経済や金融の専門家でも、この実体が何なのか、未だに分からず仕舞いでした。またこの事が、バブル崩壊の悲劇を大きくし、当時の日本経済界は全く無防備であったと言えます。


ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。
 彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価(日本経済新聞社が、東京証券取引所一部上場の代表的な225銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価)が単純平均(相加平均のことで、算術平均ともいわれ、n個の数を加えた和をnで除して得る平均値のこと)で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。

 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。
 その頃、日本の話題はベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉(しゅうえん)を迎えれば、世界市場に進出できる等と、日本人経営者の多くが高を括(くく)っていた頃で、日本人の思い上がりの裏側では、こうした巧妙な仕掛けが、水面下で仕掛けられていたのです。
 大蔵官僚も、エコノミストも、この仕掛けには全く気付いていなかったのです。

ソロモン・ブラザーズの真の狙い

 当時の多くの日本人投資家は、「日経平均株価は10万円に到達する」と信じて疑わない人が多くいました。誰もが強気で、今こそ、この好景気に乗って、買いに転じる時機(とき)だと確信していたのです。その結果、バブルは急速な加速度をつけて、瞬く間に膨らみ始めました。
 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。
 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。

 『プット・ワラント』とは、「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という新商品であり、この商品をアメリカの大口機関投資家に大量売り込みを図っていたのです。また、これには大口投資家も飛びついたのです。
 彼等の新商品に対するキャッチ・フレーズは「年末から年始に掛けて、日本の株式は大暴落するから、60年前の《1929年10月24日の暗黒の木曜日》の時と同じくらいの大儲けが出来ますよ」でした。

1990年1月2日、ニューヨーク・ウォール街では、日本とは逆に、信じられない現象が起こっていました。突然、為替が円安へと向かったのです。この円安はソロモン・ブラザーズが『プット・ワラント』販売に因(ちな)み、債券や為替や株価の「トリプル安」を企てたものでした。
 そして1月が過ぎ、2月に入り、その月は既に中旬に入っていました。この頃、日経株価はジリ安でしたが、大暴落の兆しは現われていませんでした。

 日本人はまだ、この時にも何も気付いていなかったのです。そして日本経済が、瀕死(ひんし)の重傷に陥っている自覚症状すら、エコノミスト達は感じ取ることが出来なかったのです。

 当時の政治背景としては、自民党の政治家は2月中旬の衆議院選挙で大勝したことに祝杯を上げていた頃で、政界も財界も危機管理意識はなく、全く無防備でした。
 日本人は、まさに「ライオンに、餌を差し出す為に手を伸す呑気(のんき)な兎」でした。腕ごと食いちぎられるか、体ごと丸呑みされるかの、こうした危険すら感じる事もなく、呑気な行動をとっていたのです。
 日本人投資家が、株を買いに奔走している頃、アメリカの金融の裏側ではソロモン・ブラザーズの売り攻勢が激化を極め、これまでジリ安で状態であった株価は、一挙に大暴落へと転じました。バブル崩壊の引き金はこの時に引かれたのです。

ついに1990年2月末には、膨らむだけ膨らんだバブルは、日経平均15,000円台を大幅に割れ込みました。一挙に大暴落が起こったのです。

 ソロモン・ブラザーズの秘密兵器はデリバティブでした。
 デリバティブは説明の通り、現物と先物との価格差を狙った「サヤ取り」であり、「裁定取引」と「オプション」で、日本の株価は下落したら大儲けという派生商品です。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。バブル崩壊の大暴落は証券会社のみならず、大蔵省までを翻弄(ほんろう)の渦に巻き込んだのです。

 この巧妙な仕掛けでソロモン・ブラザーズは、僅か三年の研究とその実行で、一兆円にも昇る莫大な利益を手にしたのです。
 そしてこの後、日本では更に悲惨な状態が続くことになります。
 日経平均株価の大暴落は、株式市場の株価下落だけに止まらず、不動産の分野にも悪影響が及びます。この悪影響は、政府が不動産融資へのマネー供給を停止するという事から始まり、今まで高騰(こうとう)を見せていた大都市の不動産の資産価値が急速に下落したことでした。

 この現象は大都会だけに止まらず、地方にまで波及していきます。不動産の資産価値が下落するとは、それを担保にしていた金融機関の担保価値も大幅に減少したということになります。こうして不良債権の波及が表面化するのです。

 これに対して政府の後手政策は、次から次へと傷口を広げ、日本の資産とマネーの急速な収縮は、今日に見る不景気と連動し始めることになります。
 昇り詰めたものは、いずれ落ちる。これは物事の道理です。この道理に随(したが)い、ソロモン・ブラザーズは、次のプロセスへと準備にかかります。

ソロモン・ブラザーズの真の目的は、ただ単に、日経平均株価を下落させて大儲けすることだけではなかったのです。彼等の真の目的は、日本人の個人金融資産の1300兆円にも上る郵貯(郵便局で取り扱う国営の貯金事業で、元金・利子の支払いは国によって保証される)の食い潰しでした。日本のエコノミスト達は、この事すらも見抜けなかったのです。

 ソロモン・ブラザーズが研究の末に計画した事は、こうした下落が生じた時、政治家はもとより、財界人を始めとして、証券会社等が「これを何とかしろ」と、政府に詰め寄り、殺到することを計算に入れていたのでした。これこそ彼等の真の目的であり、ここに「日本発世界大恐慌」を画策した真の狙いが、ここにあったのです。
http://www.daitouryu.com/iyashi/shinizama/shinizama20.html


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その昔、日本は国民総ででバブルに踊った時代がありますたね。
バブルを起こして潰す。奴らの詐欺手口の最たるものですた。
バブルがはじけて今では失われた10年と言われていますが、今だに日本経済はその後遺症を引きずっています。自殺者はバブル崩壊から毎年3万人。今だにその数は変わっていません。

その手口を見れば分かるのですがいつもワンパターンです。
最初は甘い話でカモを釣る。こうやれば儲かりますよ。おいしい話でカモを誘います。

そしてころ合いを見計らって真っ逆さまに突き落とす。詐欺師の典型的なパターンです。

最初に奴らはバカスカ札束を刷って、バブルを引き起こす。銀行は貸して貸して貸しまくる。株に投資すれば儲かるよ。土地を買えば儲かるよ。そしてカモが罠にかかったころ合いで急に蛇口を閉める。貸し渋りをやるわけです。
これをやられたら投資家はいきなり資金難に陥ります。そして、資金難に陥ったカモ達から担保として株、土地、あらゆる資産を奪い取るのです。昔からやっていることは同じです。
いい加減気付いたらどうかと思うのですが、今だに引っ掛かっている人がいます。

その当時の日銀総裁であった澄田智(すみださとし)と言う方をご存じでしょうか。日銀退官後は日本ユニセフ協会の会長などをやっていた方です。

澄田さんがバブル潰しの張本人と言われています。
プラザ合意以降、5%だった金利を2.5%に下げ、銀行は貸して貸して貸しまくった。その当時は、黙ってても銀行が頭を下げて貸しに来たという話は誰でも覚えているはずです。そういうジャブジャブ溢れた資金が株や不動産に流れ込んだ。借金しても金利は安いし土地や株を買えば値上がりするしで猛烈なバブルが起きたのですた。

そしてバブルが膨らみきったころ合いを図って、澄田さんはいきなり公定歩合を8%、長期金利は 10%まで引き揚げた。蛇口を閉めたのですた。借金すると金利が高い。値下がりリスクのある株や不動産よりも安全な銀行預金の方が良いということで投資家は一斉に株と不動産から資金を引き上げた。土地や株は一気に値下がり=バブル崩壊と言われています。

バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからブルを破裂させる。
その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。
それを二束三文で奴らが買い叩く。
昔からの手口。ばればれの三文シナリオだったのですた。

さて、それにしても、そのバブル潰しの張本人澄田さんはどのような経歴の持ち主だったのでしょうか。
澄田さんと言えばフランスに留学した留学組で、その後ベルギー大使館、フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートしたエリート官僚ですた。
そしてその後は、順調に大蔵省で出世して日銀総裁になっています。
澄田さんとフランス財界のつながりはお父様の代から囁かれていますた。


澄田智さんは、日銀総裁を辞めた後、ロス茶イルドフランスの旗艦、投資銀行ラザール・不レールに最高顧問として天下りしています。
ちっとはカモフラージュでもして隠せと思うのですが、親子二代に渡って奴らの充実な部下だったという、そのまんまの経歴の持ち主ですた。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/


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アメリカの日本叩き落とし戦略  

アメリカではFRB議長グリーンスパンの超低金利政策の結果住宅産業バブルが起こり、これが今日まで消費を支えてきたが、ここへ来て住宅バブルに「ローソクの最後の炎現象」が見えてきた。前述のようにアメリカには日本のような「潜在消費・投資力」の備蓄がないから解決策を他国に求めるしかなくなる。

そこでアメリカに狙われたのが日本、つまり竹中平蔵大臣である。

実は竹中平蔵氏は1980年から90年のJapan as No.1(「日本の世紀」と言われるほど日本経済が世界を制覇した)時代にハーバード大の客員研究員や准教授をしていた。日本の銀行が世界ランキング1位から10位を占める事態に危機感を抱いたアメリカはハーバード大等の叡智を結集して「日本叩き落とし戦略」を打ち出して見事に成功し、その結果日本の大不況はまだ続いている。竹中氏(当時、大蔵省財政金融研究所主任研究官)は日本の大蔵情報提供者として重要な働きをしたと考えられる。

だから現在のブッシュ政権の経済担当責任者とも親交が深い。異例とも言われた経済財政・金融担当の二つの経済ポストが竹中に与えられた時、グレン・ハバード米大統領経済諮問委員長は「竹中氏は申し分のない改革論者で、ブッシュ政権は竹中氏を全面的に支持している」との見解を発表すると同時に「不良債権処理と日銀の金融緩和の必要性」を強調した。

竹中大臣が10月に訪米した時、「大手銀行だからといって容赦しないぞ!」と言わんばかりの不見識な「大失言」(竹中ショック)のためニッケイは大暴落となり日本は時価総額で約50兆円の資産を失った。この時ハバード委員長をはじめ、バウチャー米国務省報道官、テーラー米財務次官らは必死になって竹中大臣をかばった。アメリカが日本に経済高官を送り込んでまでの竹中支援ぶりは異常。ここでまた経済の基本に戻るが、不良債権処理が日本経済の現況下では不要であることは再三解説したのでご理解いただいたと思う。

日本企業は現在リストラ中であり、総需要も資金需要もマイナスだから特に銀行機能を求める環境にない。こうした時、銀行の脆弱な財務体質を目の敵にするのは不自然である。しかも国会でもマスコミでも世を挙げて不況の結果である不良債権処理とデフレ対策に議論が集中し、不況の真の原因から目を避けている。異常ではないか。何故竹中大臣とアメリカはこの時期に不良債権処理と金融緩和を急ぐのか。

それはアメリカの国益の立場になって考えればすぐ分る。自ら打つ手がなくなったアメリカは日本の「打つ手」(現金備蓄)を奪うしか手が無いのである。竹中大臣はアメリカの国益の立場に立っているのである。不良債権で金融機関のパイプが詰まったままの状態で金融緩和をすると緩和された資金はアメリカに流れず、資金需要がない日本の資本市場で浮遊資金の増大となる。資金は当然土地と株にヘッジし、地価と株価を押し上げる結果となる。これこそ日本経済再生の道だが、アメリカにとっては許し難いこと。すなわち日本の土地と株が上がりだすとアメリカから資金が逃避し日本市場に向かうからである。

今アメリカは戦争と言う無駄な公共投資を前倒しで実行しているが(前述のごとく)潜在的財源が無い。どんなことをしても日本の「備蓄資金」をアメリカへ還流させなくてはならない。住宅バブルが弾けるのも時間の問題。

不良債権処理を急ぎ、日本の国民に痛みを与え、デフレをさらにスパイラル化し、大銀行や大企業を破綻に追い込んでまでもアメリカの国益の為に尽くす竹中平蔵。さらなる「詭弁」で小泉首相と国民を騙し続ける竹中大臣。まるで邪教の亡者のごとき竹中大臣の強烈な意志と情熱は、多分1980年代に洗脳された「日本叩き落とし精神」の具現だろう。今日本は「気違いに刃物」を与えてしまった。


竹中平蔵は、もともと日本からハーバード大学に留学していった。米国では世界各国から来るエリートを選び、その人物に、洗脳教育を施していると聞く。つまり、「国際金融資本に、すべて任せることがよい」という洗脳である。

○ 竹中の推し進めてきた政策を振り返るとあることに気づく。それは、すべて日本の企業を倒産させて、米国の企業に買い取らせるという結果になっている政策ばかりであり、しかも竹中はこれを「すばらしい」と表現している。

○ここでハーバードまで留学して、結局、「すべて国際金融資本に任せるべきだ」という思想を植えつけられているとする。


<竹中の破壊の歴史>

振り返ってみれば、日本は世界最強の銀行として、誇っていたのを台無しにしたのは自己資本比率規制の導入であった。これを導入することを熱心にやっていたのが竹中であり、金融ビッグバンも竹中の提案であり、不良債権処理も竹中路線であり、就任以来54もの金融機関を次から次へと倒産させてきたのは彼の政策のためである。

小泉内閣になってついに、竹中金融担当大臣が就任した。
周囲は、机上の空論の大臣だといって猛烈に反対していたが、小泉は、
「すぐれた頭脳で貢献していただく」といって任命した。
竹中はそれまでやっていた慶応大学教授からいきなり金融大臣となった。

それでは竹中がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

竹中が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも最強を誇って
いた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行うようになった。
そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10バンクに日本の銀行が
6行も入るすごい状態にいたのだった。

竹中がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

竹中が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも
最強を誇っていた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行うようになった。そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10バンクに日本の銀行が6行も入るすごい状態にいたのだった。

○竹中が時の橋本首相に「金融ビッグバンをやるべきです」と進言して、
それをやった。すると山一證券は自主廃業となり、メリルリンチ証券となり、
長期信 用銀行はf経営が傾き、一時国有化し、リップルウッドに買収された。東
邦生命は、買収されてGEキャピタル生命となり、日興證券は、 これも経営が傾き、外資に助けを求め、外資の傘下にはいった。
日興コーデイアル証券となった。
倒産は続出して、金融恐慌の一歩手前までいった。時の橋本政権は選挙で大負けした。日本経済にとって致命傷となった。

竹中金融大臣が、「不良債権処理をやるべきです」といい、それを強化すべ きだといった。すると、銀行は貸しだしを抑制するためさらに不況となる。不良債権
と認定された企業は次から次へと倒産していくため小泉政権の自殺者数や、倒産件数は歴代1位である。

この竹中金融担当大臣が就任している間、UFJ銀行は経営不安に陥り、54も
の金融機関が倒産した。足利銀行も倒産した。建設会社が倒産したときに、竹中
金融担当大臣は、とてもよろこんだ。 「これが構造改革の進展している証拠だ」

そして、竹中金融担当大臣は、4月1日からペイオフを唱えている。
ペイオフは世界各国でどこもやっていない政策である。ところが、竹中が「どこもやっている」とテレビでいうことで、このとんでもない破壊的な政策をやる流れ
になっている。

そしてこの数年間、日本を痛めつける政策をずっと立案してきた人物の竹中が郵政を解体してしまおうとしている。 というわけだ。
http://ime.nu/www.asyura2.com/0505/hasan41/msg/915.html


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私達は洗脳されていました。不良債権の処理こそが構造改革だと。。。

彼等のやり口はこうでした。

一、株式は自己資本の半分以下にすること。
二、不良債権は二年で半減すること。不良債権処理に充てた資金には税金を課す ただし繰り延べ資産として7年間分認める

私達は国の命令で株式の売却を始めました。株の暴落が始まり長銀は国有化され長銀の株券は一夜で紙くずとなりました。数兆円の血税をつぎ込み身奇麗にした 長銀は瑕疵担保条項までつけて外資の手に渡りました。その後私達は恐ろしい光景を目にすることとなりました。

瑕疵担保条項によって死ななくても良い企業まで次々と息の根を止められて行きました。 その時つぶせばつぶすほど外資がもうかる条約だった事に私達は気づきました。

そんな時あの竹中が金融中枢に入ってきたのです。
そしていきなり繰り延べ資産は認めないと言い出したのです。税金は取っておきながら、です。人々はパニックに落ちました。株価は大暴落し、旧額面で80円を割り込んだ時、外資の増資申し入れを受け入れました。
四大メガバンクすべてが外資に自社株を叩き売ったとき、りそな銀行の国有化が決まり、長銀の時と同じく数兆円の国民の税金がつぎ込まれましたが、驚いたことに減資なし、株主責任は問わないという寛大な措置でした
あれほど株主責任を厳しく追及していた竹中 木○コンビの豹変でした。

その翌日から外資の数千億単位の株式購入が連日のように続きました。
日本の国富が外資の手に落ちて行くのを私達は茫然と見ているしかありませんでした・・・。

私達は竹中によって株式をもっと売り払えと指導されていたからです。





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日本の官僚の上司が日本の大臣や政治家ではなくアメリカ軍人である理由

「「日米合同委員会」「国会を関与させないための仕掛けだったんです」吉田敏浩氏インタビュー:岩上安身氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/21239.html
2016/12/6 晴耕雨読

https://twitter.com/iwakamiyasumi

12月2日(金)「岩上安身による『日米合同委員会の研究』著者・吉田敏浩氏インタビュー」の実況を行います。

戦後日本社会における最大のタブーとも言える「日米合同委員会」の実態について、岩上安身が吉田氏にお話をお聞きします。

岩上「吉田さんは今はフリーのジャーナリストですけれど、どういった所から取材を始めましたんですか?」

吉田氏「大学在学中からビルマ(現・ミャンマー)のことを取材を始めました。これまでに新聞社などの社員になったことはなく、ずっとフリーです」

岩上「まず、そもそも日米合同委員会とはいったい何か?といったところから入っていきたいと思います。日米合同委員会は、港区南麻布のニューサンノー米軍センターというところで開催されているんですね」

吉田氏「最寄り駅では地下鉄広尾駅です」

吉田氏「日米合同委員会について本格的に調査した記事や本はほとんどありません。ここで密約を作り、国会での審議を通すことなく、米軍に有利な取り決めが次々と作られているのです」

吉田氏「ニューサンノー米軍センターには、銃を持った日本人警備員がいます。本来は日本人は銃刀法違反になるので銃を持ってはいけないんです。しかし、日米合同委員会での密約で持ってよいことになっているんですね」

岩上「米国と日本の関係というよりも、在日米軍と日本の関係になっているんですね。日本は米軍の下部組織にすぎないと」

吉田氏「日米合同委員会で話し合われている内容は、在日米軍から本国の統合参謀本部まで上がっています」

岩上「基本的には、在日米軍の利益を図ることが最優先になっているんですね」

吉田氏「辺野古新基地建設について、キャンプ・シュワブの水域を立ち入り禁止にしたのも、日米合同委員会での決定によります。しかし、どう話しあわれたかは分からないのです」

吉田氏「既存大手メディアの中でこの日米合同委員会について報じたのは、1957年の読売新聞の記事くらいです。やはり文書が出てこないということと、メディアまでもが日米同盟を神聖不可侵なものと捉えているからではないでしょうか」

岩上「この、黒塗りになっている『日米合同委員会議事録インデックス』とは何ですか?」

吉田氏「私の開示請求に対して、表紙だけが出されました。つまり表紙があるということは、中身があるということですよね。しかし、肝心のその中身はすべて不開示です」

岩上「さて、次のチャプターに移りたいと思います。なぜ、在日米軍兵士は正当に裁かれないのか。その背景には、日米合同委員会で合意された『裁判権放棄密約』『身柄引き渡し密約』『民事裁判権密約』がある、と」

吉田氏「『裁判権放棄密約』とは、米軍兵士の公務外の犯罪を日本が裁くな、というものです。その理由は『兵士の士気の維持』と『部隊の人員充足』というもの」

岩上「ちょっと、呆れ返るような理由なんですけど」

吉田氏「米兵犯罪者は、不起訴が多いんです。その一件一件の報告書が存在するはずです。しかしこれを法務省に情報開示請求をしても、文書が出てこないし、出てきたとしても黒く塗りつぶされているんです。これでは、検証のしようがありません」

吉田氏「民主党政権の時、岡田克也外相のもとで外務省の密約調査が行われました。その時に、この『裁判権放棄密約』に関する文書が部分的に出てきたんですね」

岩上「しかしこういうことがあったため、民主党政権はつぶされたのだとも言えるでしょう」

吉田氏「この『裁判権放棄密約』に関しては、法務省から『米軍関係者を特別扱いしますよ』という通達が出されています」

岩上「日本の司法が在日米軍に完全に従属してしまっている、ということですね」

岩上「その結果、日本の裁判が今どうなっているか、ということです。この密約は今も生き続けている、と」

吉田氏「公務外の米軍人・軍属の刑法犯は起訴率17.4%。一方で、全国の一般刑法犯は起訴率45.4%です。明らかな違いがあるのです」

岩上「さらなる驚きの事実です!なんと最高裁にも在日米軍のための裏マニュアルがあったと」

吉田氏「これは、最高裁判所の事務総局が作成したものです。民事裁判で、米軍は証拠提出も証人出頭もしなくてもよい、という内容です」

吉田氏「日米合同委員会での密約文書には、『合衆国の利益を害すると認められる場合には、かかる情報を公表し、又は使用に供することができない』と書かれています。これが、最高裁判所の裏マニュアルに書かれているのです」

岩上「これはショックです」

岩上「この『民事裁判権密約』が事件の真相解明を阻んだ事例が、1977年9月27日の横浜米軍機墜落事件なんですね」

吉田氏「この裁判では、米軍関係者は最後まで出廷せず、事故調査報告書の提供も行われませんでした」

岩上「さて、次のチャプターが米軍による航空管制の問題です。米軍の横田基地上空は『横田ラプコン』と呼ばれ、日本の民間航空機が入れないようになっていますね」

吉田氏「はい、これもまた日米合同委員会での密約にもとづいています」

吉田氏「これも密約文書そのものは不開示なのですが、外務省の裏マニュアル『日米地位協定の考え方』からその内容は分かります。それによると横田空域について『合同委員会の合意のみしかなく、航空法上積極的な根拠規定はない』などと書いてあります」

吉田氏「日米合同委員会の密約文書では『事実上の問題として委任した』となっています。つまり法的根拠はなにもないけれど、既成事実を合同委員会が追認する、ということなんです」

岩上「つまり占領体制が、今も既成事実として今も続いているということですね」

岩上「こうした空域は、横田だけではなく沖縄にもありますね。それが嘉手納ラプコンです。これは一応、2010年に日本側に移管されました。しかし実態は、新たに『アライバル・セクター』というものが設置されていたと」

岩上「密約というものは、1950年代に生まれたものだと思われてきました。ところがこの嘉手納ラプコンの問題でも分かるように、今も日米合同委員会の中でドンドン密約が生まれているんですね!? これは本当に驚きです」

岩上「ここまでは沖縄の空域に関する話だったんですけど、実はこうした空域制限は全国に拡大されていると。それが『アルトラブ』ということだというのですが」

吉田氏「移動型と固定型がありますが、日本列島を縦断するかたちで米軍専用に設定されています」

岩上「さて、最後のチャプターです。いったい、この日米合同委員会はそもそも何のために作られたのか、という点です」

吉田氏「日米合同委員会の前身に予備作業班というものがありました。これが、国会を関与させないための仕掛けだったんです」

吉田氏「そしてその上で、米軍の特権を保障するための国内立法措置が次々と講じられていくことになります。例えば国有財産管理法では、米軍基地のために国有地を無償で提供できることになっています。他にも土地等使用特別措置法では、民有地の強制収用も」

吉田氏「なんでこんなことになってしまっているかというと、日本には『安保法体系』と『憲法体系』の2つが存在しているからだと思います。そして、前者が後者を侵食している。そのことを可能にする装置として機能しているのが日米合同委員会なのです」

岩上「そしてこの、『安保法体系』の前身が『占領管理法体系』であると。天皇による勅令のうえに、連合国最高司令官(マッカーサー)の指令や覚書が位置していたと」

岩上「長時間となりましたが、最後にまとめをお願いします」

吉田氏「戦後の日本には、『憲法体系』の外に『安保法体系』と日米合同委員会の『密約体系』がある。そしてそれが、今も米軍の占領体制を継続させているのではないでしょうか」

以上で「岩上安身による『日米合同委員会の研究』著者・吉田敏浩氏インタビュー」

の実況を終了します。動画アーカイブは準備が整い次第、IWJのホームページ(http://iwj.co.jp/ )にアップいたします。


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「米側の代表者が軍人であることは、現在も日本がGHQの占領継続下にあることの象徴です:兵頭正俊氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/21257.html
2016/12/9 晴耕雨読

https://twitter.com/hyodo_masatoshi

日米合同委員会。


米側の代表者が軍人であることは、現在も日本がGHQの占領継続下にあることの象徴です。


日本もいずれ「制服組」がこの場に出席することになるでしょう。


日本には、すでに文官統制も文民統制(シビリアンコントロール)も、ありません。


観念の「制服組」(安倍晋三)が、武器輸出を可能にしました。


集団的自衛権行使を可能にし、これからアフリカ・中東に参戦し、改憲もやるでしょう。


制服を着ているか否かの違いだけであって、この国の軍事は「背広を着た制服組」(安倍政権)にすでにとって代わられています。


日米合同委員会。


米日1%は、植民地を永続化するために、日本を軍事国家に変えます。


軍人の権力を拡大し、最終的には日米合同委員会を、宗主国の軍人と植民地の軍人とで仕切ることになるでしょうね。


>矢部宏治日米合同委員会を特集した報道ステーションに拍手。こうした形でジワジワと事実が国民に広まっていく。しかしなぜメイン・コメンテーターに、安保村代表の後藤謙次などを使っているのか。「日米合同委員会は単なる手続き機関」というコメントは全くの虚偽。それなら協議内容を完全非公開にする筈がない 


日米合同委員会。


米側代表は在日米軍司令部副司令官。


これは戦勝国にして宗主国の軍人が、まだ占領の延長上であることを威圧的に示していますね。


同時に、実際の政治的な権力者が出席しているのだと思います。


軍人の位置づけが米国は高いですからね。


>Tad #報ステ 日米合同委員会 鳩山元総理「日本側は高級官僚が出席しても、アメリカ側は高級官僚ではなく軍人が出席する。まさに占領されているのに等しいと思います」


日米合同委員会からは多くの検事総長を出しています。


つまり、日米合同委員会には官僚の最高のエリートが出席しています。


実質的な日本の重要な政策はここで決められます。


ここで決められたことが官僚によって法案化され、政府に降ろされるのです。


>萩原 一彦 見てない人は見たほうがいい。今の日米政府がとっても不均衡な力関係にあることがわかる。国民の代表ではない日本の高級官僚と、米国民の代表ではなく高級官僚ですらない米軍人が日本の運命を決める。→報ステ特集「日米合同委員会と日米地位協定」憲法を越える存在!?非公開の日米合同委員会20161206houdoustation @gomizeromirai より - http://www.dailymotion.com/video/x54jwia_%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81

日本の現実は、上位法として、日米合同委員会で作る不可視の「密約法体系」があります。


続いて安保法体系が存在しています。


その後に下位法として憲法が存在しているのです。


これが植民地日本の現実です。


>徳永みちお 官僚が服従を誓う相手は国民でもなく、政治家でもなく、日米合同委員会だ。日本の政治、行政、司法の歪さの原因の一端は日米合同委員会という存在にある。


実は、自民党がいくら気張って新しい憲法を作ったとしてもあまり意味はないのです。


憲法の上に安保法体系が存在し、さらにその上位に日米合同委員会などの不可視の密約法体系が存在するからです。


日本は大きな虚妄の上に成り立った国家なのです。


>よーすけ 鳩山由紀夫のこの証言により日本の基本政策が、日米合同委員会で決められてる事が明らかになったと言える。いわばGHQの延長がこれである。これに逆らったために鳩山氏も嘗ての田中角栄も総理の座を追われたとも言える。許しがたい仕組みである。


安倍晋三が、極端なまでに軍事国家建設に走っています。


これは、背広を着た制服組(安倍晋三)が、背広組のトップに立っているのと同じです。


すでに文民統制(シビリアンコントロール)は、実質的な制服組(安倍晋三)に奪われているのです。


いずれ日米合同委員会に、自衛隊の幹部が出席するようになるでしょうね。


つまり植民地を永続化するために、日本を軍事国家に変える。


軍人の権力を拡大し、日米合同委員会を、宗主国の軍人と植民地の軍人とで仕切る。


その可能性が強くなっています。


安倍晋三は、12月の26、27両日、ハワイでオバマに会うが、プレゼントに「カジノ法案」を強行採決する。


宗主国でのカジノが斜陽になった現在、自国にうじゃうじゃといるギャンブル依存症には目をつぶり、わずか6時間の審議で衆議院可決させた。


安倍晋三が真珠湾を訪れる。


保守の反発を恐れて、首相周辺は、首相は訪問に際して謝罪は予定していない、と必死だ。


「犠牲者の慰霊のための訪問だ」。


バカである。


戦争のできる国へと日本を堕落させ、軍拡に努め、南スーダンにも派兵している。


矛盾したその場しのぎを平気で口にする。


安倍晋三がハワイの米国記者たちに「謝罪はしない」といえるかといえば、とてもおぼつかない。


しかし、こういうことは明確にいわねば、米国では一方的に謝罪にきた、と喧伝され、その見方が定着するだろう。


相手がどう受け取るか。


これが、かれの世界では一貫して欠如している。


「主観の嘘」ばかりだ。


太平洋戦争は、米国に開戦へと追い込まれた、強いられた戦争であった。


真珠湾攻撃も、事前に米国は知っており、参戦の大義を得るために、あえて日本に奇襲させたのである。


このことは米国ばかりか、すでに世界の共通理解になっている。


日本国民だけが米日1%に都合の悪い歴史を知らされていないのだ。


@米国の言い分は、太平洋戦争は日本の宣戦布告なしのパールハーバー急襲から始まり、広島・長崎への原爆投下によって終わった、というものだ。


原爆投下は、戦争を終わらせるためにやむを得ないものであった、とする。


オバマの広島見物はこのストーリー強化の第一幕だった。


A卑怯な真珠湾奇襲、のストーリーを完成させるためには、第二幕として日本の首相にパールハーバーを訪問させ謝罪させなければならない。


そこで初めて米国は太平洋戦争の贖罪意識を払拭できるのだ。


パールハーバーによって広島・長崎を相対化するのだ。


広島とパールハーバーを両国の首脳が相互訪問する戦略は、 1 米国の広島・長崎への贖罪意識の払拭 2 米日軍事同盟の強化 の2点から成っている。


行き着く果ては米日軍事同盟の強化なのだ。


第一幕はすでに上がった。


オバマの広島見物で日本が失ったものは大きい。


相当に国民の暮らしが苦しくなり、生活保護の受給者が増えてきています。


「死ね死ね団」安倍晋三の悪政が、追い詰めているのです。


結局は社会コストの増大になって跳ね返っています。


安倍には自分のやっていることの意味がわかっていませんね。

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なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟 内閣改造でも絶対に変わらないこと
2017.08.05 矢部 宏治  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html


私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

■事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。

<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

■北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

■「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

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なぜ、日本では国会議員が地方議員の仕事をしているのか 2015年6月15日
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991


日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。

それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。


ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。


日本はなぜ帰途と原発を止められないか


「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」

日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。

日米合同委員会1日米合同委員会2

下記の参考資料を読んでいただければ、総理になった人間ですら、日米合同委員会のことを知らなかったことがわかる。日本の政治は見事なまでに空洞化しているのである。


<参考資料>

(*週プレNews 2014年12月16日より)

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!

矢部宏治

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論


<民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E3%80%8C%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%9F%A2%E9%83%A8-%E5%AE%8F%E6%B2%BB/dp/4797672897


の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。
そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。

このふたりが、辺野古移設反対派の圧勝に終わった11月の沖縄県知事選や総選挙を踏まえ、事実上、今も米軍の占領状態が続いているこの国の姿と、日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩んでいくためにはどうすればいいのか、その方法を考えた!>


首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体

―まずは鳩山さんに、矢部さんの本を読まれた率直な感想から伺いたいのですが?


鳩山  正直申し上げて“ぶったまげた”というか、矢部さんがここまで勇気を持って取材され、この本を書かれたことに敬服しました。先にこの本を読んでいれば、私も総理を辞めずに済んだかもしれない、と(笑)。

もちろん、私は自分の非力について言い訳する気はありません。総理として一度は沖縄県民に期待感を与えながら(県外移設を)実現できなかったのは私に大きな責任があります。

ただ、この本を読んで、当時、自分がもっと政治の裏側にある仕組みを深く理解していれば、結果が違っていた部分もあるのかなとは思いました。それだけに、自分が総理という立場にありながら、この本に書かれているような現実を知らなかったことを恥じなきゃいかんと感じるわけです。


矢部  鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?


鳩山  物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。

 しかし、矢部さんのこの本はもっと深いところで米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながって一体となった姿を見事に解き明かしてくれて、いろんなことが腑(ふ)に落ちました。この本を読んで、目からうろこが何枚落ちたかわからないくらい落ちましたね。


矢部  在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?


鳩山  お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。

 私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。


矢部  日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。

 なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。

 しかも、在日米軍基地の違憲性をめぐって争われた1959年の砂川裁判で、当時の駐日米国大使だったダグラス・マッカーサー2世が裁判に不当な形で介入し、「日米安保条約のような高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判例を残してしまった。ですから日米合同委員会の合意事項が仮に憲法違反であっても、日本国民にはそれを覆(くつがえ)す法的手段がない。


鳩山  それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。


矢部  ですから、鳩山さんの言う「官僚たちが忠誠を誓っていた何か別のもの」、つまり鳩山政権を潰(つぶ)したのは、この60年続く日米合同委員会という米軍と官僚の共同体であり、そこで決められた安保法体系だというのが現時点での私の結論ですね。


―そうした仕組みの存在を知った今、鳩山さんはどのような思いなのでしょうか。

鳩山  日米合同委員会に乗り込んでいきたいぐらいだね。「何をやってるんだ、おまえら!」みたいな感じで。

 ただ、そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。

矢部  このような「見えない力」の存在は、政権内にいないと、野党の立場ではまったく知り得ないものなのでしょうか?


鳩山  私も自民党時代がありましたので、8年は政権党にいたわけですが、当選1回や2回の新人議員の間は、官邸内部で何が動いているか知りようもありませんでした。でも与党の一員としては扱ってもらっていたと思います。

 それが野党となると、与党、特に与党の中枢の方々とは情報量が圧倒的に違う。官僚も野党に話す場合と与党に説明に行く場合では、丁寧さも説明に来る人の役職も全然違う。そのぐらい野党に対しては、官僚は区別し、冷たい対応をしていました。

 つまり、自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

 この先、特定秘密保護法によって、ますます国民には何も知らせない国になるわけで、非常に恐ろしいことだと思います。

日本全土が「米軍の基地」という現実

矢部  「横田空域」という、1都8県の上に米軍が管理している広大な空域がありまして、日本の飛行機はここを飛べない。これなんか典型的な「米軍が自由に日本の国土を使える」事例ですね。


鳩山  私も横田空域のせいで、日本の航空会社が非常に不自然な飛行ルートで飛ばされていることは知っていましたが、「沖縄と同じように、米軍の優位性というのが東京や関東周辺にもあるんだな」という程度にしか理解していなかった。

 しかし、具体的に図を見ると、関東上空がこれほど広範囲に米軍に「占領」されているという事実に仰天しますよね。沖縄だけではなくて、実は日本全体がアメリカに今でも支配されているも同然ですから。


矢部  飛行ルートの阻害もありますが、それより問題なのは、米軍やCIAの関係者が日本の国境に関係なく、この空域から自由に出入りできる、入国の「裏口(バックドア)」が存在することです。これはどう考えてもおかしな話で、こんなことは普通の主権国家ではあり得ません。

 この問題なんて国際社会にアピールしたら、みんなすごく驚くと思うんです。これは今、日本で起きているほかの問題、特に原発の問題にも絡んでくる話ですが、日本という国が置かれている状況の歪(ゆが)みやおかしさを伝えるいい事例になると思っています。

 結局、日米安保条約とは、米軍が「日本の基地」を使う権利ではなく、「日本全土」を基地として使う権利を定めたものなのです。

 旧安保条約の第1条で米軍にその権利が認められ、60年の安保条約で文言は変わっていますが、その権利は残されている。これを「全土基地方式」というのですが、これはなんとしても国際社会にアピールして変えていかないといけない

鳩山  矢部さんの本だと、米軍がそんなことをできる根拠は、敗戦国である日本を今でも「敵国」と見なした、国連憲章の「敵国条項」があるから、という話でしたが。


矢部  そこの説明は少し複雑で、旧安保条約第1条には、そうしたメチャクチャな軍事利用のあり方は、日本側が望み、アメリカ側がそれに応えたものだということが書かれている。そうした戦後処理を日本が望んだ以上、日本の主権や国民の人権がいくら侵害されていても、国連は口を出せないというロジックになっているんです。一種の法的トリックと言ってもいい。

 ですから、日本にちゃんとした政権が誕生して、国際社会で堂々と議論し、「全土基地方式はやめてくれ」と言ったら「それは敵国条項があるから無理だ」とは絶対ならないと思います。

米軍の占領状況を米国民に訴えろ!

鳩山  矢部さんのような方の努力もあって、私もようやく目隠しが外れて真実が見えてきたわけですが、問題はそこから先をどうするかです。やはり一部の人たちだけが目隠しを外すんじゃなくて、日本の国民の多くに触れられるPR戦術というか、日本の戦後の背後には何があるのかをきちんと解き明かす手段が必要だと思いますね。

 それと、日米関係に関わっている米軍関係者を除けば、アメリカの議会や国民は日米合同委員会なるものがどういう役割を果たしてきたのか、それが今も日本の主権をさまざまな形で侵害している事実も知らないと思います。しかし、こうした状況はアメリカの国民から見ても「異常なこと」だと映るはずですから、われわれが海外、特にアメリカの議会や国民に対して「日本は今も事実上、米軍に占領されているけれど、本当にこれでいいのか?」と訴えることが重要です。


矢部  情報発信という意味では、今、ドイツなど多くの国が日本の原発汚染に対して「何を考えてるんだ!」って相当に怒っている。基地の問題だけだと「勝手にやっててくれ」となるかもしれないけれど、原発の問題はそうはいかない。全地球的な問題です。

 あれだけ深刻な原発事故を起こした日本がなぜ、今再び原発推進への道を進もうとしているのか? その背景には「日米原子力協定」という、自国のエネルギー政策すらアメリカの同意なしには決められないという、客観的に見ても非常に歪(いびつ)な構造がある。それをうまく国際社会にアピールできたら、こうした日本の歪んだシステムに世界の光が当たる可能性はあります。

鳩山  そうですね、日本のメディアも完全に取り込まれてしまっているのであれば、基地の問題だけではなく、原発も併せて海外に訴えるほうが、圧倒的に意義があると思います。

ただし、そうした「外圧」に頼るだけでなく、結局はこの国の政治を変えない限り、そして多数派にならない限り、こうした流れは大きく変えられません。

*2015.03.16 NEWSポストセブンより

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」


東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。


※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。


「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」


 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。


 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。


「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決め(※注2)になっているからです。」


※注2/1996年2月に、日米両政府は日米地位協定の9項目についての運用改善で合意。「日米合同委員会の公表」もそこに含まれた。しかし、結果的に「合意内容」の公表こそ一部改善はされたものの、会合内容が公表されることはなかった。


 「基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい」


 必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。(終わり)
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991  




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アメリカが中南米を支配する方法

CIAがリリースした1950年代から1970年代にかけての機密文書「家族の宝石」の中には、1970年代にヘンリー・キッシンジャーが関与したキプロスとチリのクーデターについても書かれている。

1974年、キッシンジャーは、ギリシアのキプロスへの介入を推進したこと、また1970年、チリの総選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選しそうになっていた時、キッシンジャーが中心となって「反アジェンデ」のプロパガンダを開始し、チリにおける左翼政権の誕生を妨害。

クーデターでアジェンデは射殺され、ピノチェトの軍事政権が成立したが、このことを促進し、ピノチェトを強くサポートしたのも彼であったこと、なども今回公開された文書には書かれている。
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/591.html

2019.01.06
ブラジル新大統領が米軍基地の建設を目論む(1/2)


 ブラジルの新大統領、ジャイール・ボルソナーロは同国にアメリカ軍の基地を建設する意向を示している。


 ​この人物はチリの独裁者だったオーグスト・ピノチェトを信奉​、つまり表面的な手法はともかく、巨大資本に奉仕するという政治経済的な立場はドナルド・トランプよりヒラリー・クリントンに近い。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領とは正反対の立場だ。軍事政権時代に拷問を行ったことで悪名高いカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラも彼は褒め称えている。軍事政権時代に政治犯だったルセフも拷問されているが、その責任者でもあった。


 ピノチェトは1973年9月11日、軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒した。アメリカの巨大資本がクーデターの資金を提供していたが、政権転覆に命令は大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー。その命令でCIAの秘密工作(テロ)部門が動いたのである。


 アジェンデは国民の大多数である庶民の立場から政策を推進しようとしたが、これはラテン・アメリカに利権を持つアメリカの巨大資本やその代理人である現地の支配層にとって許しがたいことだった。


 選挙期間中、CIAは新聞、ラジオ、映画、パンフレット、リーフレット、ポスター、郵便物、壁へのペインティングなどを総動員してプロパガンダを展開したが、アジェンデが勝利する。


 それに対してチリの支配層は生産活動を妨害、アメリカの巨大金融機関はチリへの融資をストップ、世界銀行も同国への新たな融資を止め、1972年になるとトラックの運転手がストライキを実施、商店主、工場経営者、銀行なども同調して全国的なロックアウトに発展した。


 こうした揺さぶりはNSC(国家安全保障会議)の「オペレーション40」が指揮していたが、キッシンジャーは軍事クーデターを計画する。CIA長官だったリチャード・ヘルムズの下、秘密工作(テロ)部門が動いた。


 この計画はCIAの内部でも秘密にされていたが、それでも計画の一端は外部に漏れてしまう。例えば、ワシントン・ポスト紙のコラムニストだったジャック・アンダーソンが1972年3月にコラムで多国籍企業のITTがチリで秘密工作を実行していると暴露したのである。フランク・チャーチ上院議員を委員長とする「多国籍企業小委員会」はこの件に関する聴聞会を実施した。


 それでも工作は続き、キッシンジャーたちはチリ軍を支配するために護憲派だった陸軍総司令官を暗殺、その後任も憲法を遵守する立場だったために排除した。


 アジェンデは1973年8月にオーグスト・ピノチェトを陸軍総司令官に任命する。ピノチェトも護憲派だと判断したのだが、これが致命傷になった。


 クーデター後、ピノチェトはシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授の政策、つまり新自由主義を世界に先駆けて導入する。その政策を実際に実行したのがフリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授の弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060001/


ブラジル新大統領が米軍基地の建設を目論む(2/2)


 軍事クーデターで実権を握ったオーグスト・ピノチェトは1979年に健康管理から年金、教育まで全てを私有化しようと試み、関税を撤廃、資本や売買の規制を緩和、交換レートを固定した。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)


 一連の規制緩和でチリの民間部門は外国の金融機関から多額の資金を調達、1980年代に入ると債務額は倍増。債務危機が起こると外国の金融機関は銀行の国有化を求め。国有化された彼らの債権は私有化された国有企業の株券と交換することが許された。その結果、チリの年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになる。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)


 当然のことながら、こうした政策で庶民は貧困化、その子供は教育を受けるチャンスを奪われ、さまざまな不平等を再生産することになった。これが「チリの奇跡」だ。


 新自由主義が庶民に塗炭の苦しみを強いることは事前に予測されていたことで、そのためには反対勢力を殲滅する必要があった。そうした意味でもピノチェトの軍事クーデターは重要な意味を持っている。


 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は「少なくとも2025名」だというが、実際の犠牲者はそれを上回り、一説によると約2万人が虐殺されている。ブラジルの新大統領、​ボルソナーロに言わせると、「ピノチェトはもっと多くの人間を殺すべきだった」​。

 21世紀に入った直後、ブラジルはアメリカから自立する動きを見せていた。その当時の指導者、ルイス・シルバやジルマ・ルセフをアメリカは議会を使って排除する。


 議会でシルバやルセフの政治的な抹殺を先導していたのはブルーノ・アラウージョやエドアルド・クーニャだが、前者は巨大建設会社から違法な資金を受け取った容疑をかけられ、後者はスイスの秘密口座に数百万ドルを隠し持っていることが発覚した。


 ブラジルを再び植民地化するためにアメリカ支配層が使った組織としてMBL(自由ブラジル運動)やEPL(自由を求める学生)が知られている。両団体を創設したキム・カタグイリはミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉する「活動家」。MBLを率いているジュリアーノ・トレスとファビオ・オステルマンが学んだアトラス・リーダーシップ・アカデミーはアメリカの富豪、チャールズとデイビッドのコーク兄弟から資金が出ている。EPLのスポンサーもコーク兄弟だ。


 シルバやルセフを支えていた人々はアメリカ巨大資本の支配システムを壊さなかった。資金力、情報力、軍事力で圧倒しているアメリカ支配層が反撃してくるのは必然だったと言える。


 そのアメリカ支配層は邪魔な存在を皆殺しにしてきた。チリもそうだが、1965年のインドネシアは悪名高い。現在のインドネシアをカルト国家と呼ぶ人もいるが、確かに欧米権力層はカルトを支配の道具として使っている。その一例がワッハーブ派だ。


 アメリカ支配層は支配の仕組みとしてNATOや日米安保のような軍事同盟も利用している。ボルソナーロがブラジルにアメリカ軍の基地を建設すると言っている意味もそこにあるはずだが、そうした事態になるとブラジル軍はアメリカ軍の支配下に入ることになる。それをブラジル軍が受け入れるかどうかが問題になってくるだろう。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060001/



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2017年01月17日 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html

ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。

ヘンリー・キッシンジャー、サイラス・バンス、ジェームズ・ベイカーが国務長官だったときに副次官補を務めたスティーブ・パチェニクはWikiLeaksについて、クーデターを阻止しようとしている情報機関内のグループが作り上げたのではないかと推測している。

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非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。

この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。

日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。
激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。


http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/

(一部のみ)

1月14日付け


EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters


世界を支配しているCIAの3派


By the Anonymous Patriots

The Millennium Report Exclusive


(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)

CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。

大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。
現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。
このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。


CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。
大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。

現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。


オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。

更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。


CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。
CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する


組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。


DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。


1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。


国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。


クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。
クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。


クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。
つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。
一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。

法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。


クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。

彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。


オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。
CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。

ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。
クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。


オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。


スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。


CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。

CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。
NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。


CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。
クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。

CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。

現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。

CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。


オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。

CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。
アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。
CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。


CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex−CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。


GB-CIA:Gold backed CIA

元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。

GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。

GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。
GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。


GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。
ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。


また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。
彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。


Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):


パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。


パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。

パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。
ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。
パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。


ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。
オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。


ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。
ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。


パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。

ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。


ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。
当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。
当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。


パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。

最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。


パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の
金(ゴールド)を盗んだ。
そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。


Ex-CIA:


既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。
政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。

Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。


Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。
弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。
CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。


コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。


ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。


これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。

アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。
それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。

クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。


トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。


トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。


CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。


トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。
トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。

トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。
愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。


CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。


ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。

以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html




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2016.08.20
ハッキングされたメールからヒラリー・クリントンがジョージ・ソロスの助言に従っていることが判明、侵略やTPPに執着か

電子メールのハッキングが続いている。今回は投機家で体制転覆に多額の資金を提供してきたジョージ・ソロスだ。彼がターゲット国の体制を転覆させるために使っているオープン・ソサエティ基金もハッキングされたという。そうした電子メールの中には、ソロスがヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイスするものがある。そのメールが書かれたのは2011年1月24日で、国務長官だったクリントンはソロスのアドバイスに従って動いたようだ。

 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、マデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いているが、その背後にソロスがいたということだろう。国務長官に就任したオルブライトが主導する形で1999年3月にNATO軍は偽情報で環境作りをしながらユーゴスラビアを先制攻撃、ひとつの国を破壊した。

 2003年11月にはジョージア(グルジア)で「バラ革命」、04年から05年にかけてはウクライナで「オレンジ革命」があり、新自由主義体制になった。当然、一部のグループが不正な手段で国民の財産を奪って莫大な富を築き、その後ろ盾になっていた西側の巨大資本も利益や利権を手にした。こうした「革命」でもソロスはスポンサーとしての役割を果たしていた。

 言うまでもなく両国の庶民は貧困化、そうした状況への怒りからソロスたち西側の富豪や巨大資本にとって好ましくない方向へ動いた。そこで仕掛けられたのがキエフのクーデター。2014年2月22日、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とするグループがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除している。そのクーデターを現場で指揮していたのがヌランド国務次官補だった。クリントンは2013年2月に国務長官を辞めているが、ヌランドは彼女の同志だ。

 クリントンが長官に就任したのはバラク・オバマが大統領に就任した2009年1月のことだが、その年の6月にホンジュラスで実行されたクーデターでクリントンは黒幕的な役割を果たしたと言われている。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、マヌエル・セラヤ大統領を拉致され、コスタ・リカへ連れ去られている。

 現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クーデター政権には正当性がないと明言した。このクーデター政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したとも報告されている。そのクーデターの背後にクリントン長官がいたということだ。

 2011年にアメリカはサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国やイスラエルと新たな侵略戦争を始める。2月からはリビア、3月からはシリアだ。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、その時にカダフィが惨殺されている。その事実をCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンは「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいる。

 カダフィ体制が倒された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされた。その事実をイギリスのデイリー・メイル紙でさえ、伝えている。リビアを侵略した軍隊は空がNATO軍、地上はアル・カイダ系のLIFGだった。

 リビアを破壊した後、侵略軍はリビア軍の倉庫から武器/兵器を持ち出してトルコへ運んでいる。勿論、戦闘員も同じように移動した。

 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、シリアへ軍事介入する口実にしようとしたと言われている。

 そうした武器や戦闘員の輸送をアメリカ国務省は黙認した。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたヒラリー・クリントンもこの工作を知っていたはず。しかも、クリントンの部下にあたるクリストファー・スティーブンス大使は2012年9月10日、CIAの武器輸送担当者と会談、その翌日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。勿論、武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。

 その9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃されてスティーブンス大使が殺されている。議会が首相を指名する前日だ。その2カ月後にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。

 クリントンは戦争犯罪人と言われても仕方のないようなことをしてきたわけだが、欧米の支配層はクリントンを支持してきた。ソロスも支援者のひとり。この支配層は軍事的に世界制覇を進めるだけでなく、巨大資本が国や国際機関を支配する仕組みを作り上げようとしている。それがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、そしてTiSA(新サービス貿易協定)の3点セットだ。

 世界的に見ると、その実態を多くの人が知るようになり、抵抗が強まっている。アメリカ大統領選では共和党の候補者であるドナルド・トランプや民主党の候補者選びに参加していたバーニー・サンダースもこうした協定に反対している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、これらはファシズム化を目指すものだ。

 そうした中、クリントンは若干の手直しをするだけで協定を実現しようと目論んできたのだが、サンダース支持者の民主党幹部やクリントンに対する反発が強く、自分も反対だと言わざるをえなくなっている。

 しかし、クリントンは弁護士である。契約や法律に違反することなく約束を破る方法を考えることを商売にしている人物だ。先送りと言うことはありえるだろうが、ファシズム化という方針をアメリカの支配層が放棄するとは思えない。ソロスもクリントンに何らかの悪知恵を授けているのだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608200000/  


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ヒラリーの戦争犯罪 Paul Craig Roberts 2016年10月20日

2016年10月20日の今日は、アメリカのオバマ大統領と、ヒラリー・クリントン国務長官が組織し、解き放った勢力によるムアマル・カダフィ虐殺五周年だ。 CBS“ニュース”での大喜びで笑いながらの殺人女の振る舞いを思い出して頂きたい。“来た、見た、彼は死んだ。”
https://www.youtube.com/watch?v=Fgcd1ghag5Y


ムアマル・カダフィは、世界で最も進歩的な指導者だった。カダフィは、リビアの石油の富を、リビア国民のために使っていた。彼は、宮殿ではなく、立派なテントではあるが、テントで暮らしており、アメリカ政府の中東同盟国である、サウジアラビアや、産油首長国支配者一族につきもののヨーロッパ高級車や他のあらゆる身の回り品のコレクションを持っていなかった。

リビアでは、教育、医療と、電力は無料だった。ガソリンは事実上無料で、一リットル、14セントで売られていた。子どもを産んだ女性は、現金の助成金を貰い、カップルが結婚すると現金の助成金が貰えた。リビアの国営銀行は、無利子で融資し、農民には無償で開業資金を供与した。http://www.globalresearch.ca/libya-ten-things-about-gaddafi-they-dont-want-you-to-know/5414289 連中が、人々に知って欲しくないカダフィに関する10のことがら(英文)

カダフィがアメリカ政府から自立していたことが彼の没落をもたらしたのだ。若い頃のカダフィの目標は、アラブを、欧米の略奪に抵抗できる一つの圏に組織することだった。いらだった彼は、汎アフリカ主義に向かい、アメリカのアフリカ軍に参加するのを拒否した。彼は、アフリカ人をアメリカの金融覇権から解放するはずの、金本位のアフリカ通貨を導入したがっていた。

カダフィは、中国のエネルギー企業に、リビアのエネルギー資源を開発させており。、地中海でのロシアの存在で、既に腹を立てているアメリカ政府は、今や中国の存在にまで直面することになったのだ。アメリカ政府は、カダフィは、まずい連中と付き合っているので、退陣させるべきだと結論を出した。

アメリカ政府は、傭兵を編成し、連中を、シリアでと同様“反政府派”と名付け、リビア政府にけしかけた。カダフィ軍が勝っていることが明らかになると、アメリカ政府は、うぶでだまされやすいロシアと中国の政府を騙し、国連で、NATOによって、リビア領空に飛行禁止空域を設定することを認めさせた。飛行禁止空域の建前の目的は、やってもいなかった、カダフィによる民間人攻撃を防ぐためということだった。本当の理由は、主権国家のリビア空軍が、地上の軍隊を支援するため、自分の領空を使えなくするためだった。Onceだまされやすいロシアと中国が、安全保障理事会の議決で拒否権を行使そこねると、アメリカとNATO自身が決議に違反して、カダフィの軍隊を攻撃するために欧米の空軍力を用いて、紛争を、CIAが組織した傭兵に有利にした。カダフィは捕らわれ、残虐に殺害された。かつて繁栄し、成功していた社会だったリビアが、それ以来、混乱状態にあるが、それは、オバマ政権が望んでいたものだ。

サダム・フセインについて語られ、現在、シリアとロシアについて語られているウソと同様に、カダフィとリビアについては、あらゆるウソが語られた。イギリス議会報告は、欧米の人々は、リビア破壊に対する支持を得るためのウソを各国政府から吹き込まれ、リビアは、カダフィが欧米の覇権にとっての障害と見なされていたがゆえに破壊されたと、明白に結論付けている。
http://www.globalresearch.ca/libya-war-was-based-on-lies-bogus-intelligence-nato-supported-and-armed-the-rebels-british-parliamentary-report/5547356?utm_campaign=magnet&utm_source=article_page&utm_medium=related_articles

彼女の監督下で準備されたこの戦争犯罪のかどで、ニュルンベルク裁判時の法律において、彼女が有罪であることについて、殺人女に質問した売女マスコミは皆無だ。殺人女を支配している巨大な政治力を持ったひと握りの集団と、連中の手先の売女マスコミは、この戦犯を次期アメリカ大統領にするつもりなのだ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-5564.html


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一枚の写真から分かる悪魔の手先ヒラリーの本性 自身は脳血栓で自滅 溺愛のリビア米大使も報復で死亡 アベノミクスにも陰り 
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/167.html


上の写真は、アメリカ軍の兵隊と一緒にピースサインを出す、最高の笑顔を浮かべたヒラリーという印象である。
しかし、事実を知るヒラリーの本性が分かる。


実は、写真は、カダフィが惨殺される2日前の2011年10月18日に撮影された。
彼女の周りの男たちは、アメリカ軍の兵隊はひとりもいない。マフィアのような男たちは、リビア人やアラブ人ではない。彼らは、アフガニスタン人であり、アメリカの特殊部隊に雇われている傭兵(マーシナリー)である。この男たちが首にかけている認識カードは、背後の米軍輸送機に乗れる資格証である。


当日ヒラリーは、カダフィー暗殺部隊最高司令官として着任した。まるでマッカサーのように、思いのままに、防諜作戦を遂行し、その成果如何で次期大統領の椅子が約束されていることを確信しての満願の笑顔だったのだ。


しかし、ヒラリーと一緒に映っている彼らは、カダフィを殺した後、処分された。
彼らは、故郷のアフガニスタンに凱旋(がいせん)しようとして、首都カブールの空港に着陸しようとしたとき、タリバーンの反政府ゲリラ(笑)のロケット弾で撃墜され、全員、死亡。アメリカによる実行犯たちのáÄ口封じ”である。


その“巨大なワル女”のヒラリー・クリントンが、ついに脳血栓(のうけっせん)で倒れた。
失神してゲロを吐いて倒れて(始めはウイルス性腹痛と発表。安倍晋三も近いかな?)、緊急入院後に、脳血栓が見つかった。それは、日本では総選挙の当日の12月16日(アメリカでは15日)のことだった。 これでヒラリーはおしまいだ。 彼女が、次の米大統領になる可能性は突然、消えたのだった。


その前に、ヒラリー(の脳)を死ぬほど苦しめる大事件が、リビアで起きていた。


事件はアメリカ政界を揺さぶる巨大な事件になる可能性があった。その後、10月22日の第3回のオバマと、ロムニー共和党候補者のディベートの確か、前日に、ヒラリーが、 “ I am responsible for Libya .” 「私にリビアで起きた事件について(大きな)責任がある」 記者会見で発言した。


このことで、リビア米大使館襲撃(された)事件の責任が、オバマにはない、ということになって、外交問題を巡る共和党系国民からの、オバマへの激しい非難を、オバマは回避することができた。出来た、ということにアメリカ国内の国論として決まったのである。


(転載貼り付け始め)


●「駐リビア米大使死亡か 領事館襲撃事件」
2012年9月12日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120912/mds12091219240002-n1.htm

ロイター通信などは9月12日、リビア当局者の話として、同国北東部ベンガジの米領事館が11日に群衆に襲撃された事件で、米国のクリストファー・ スティーブンズ駐リビア大使を含む計4人が死亡したと伝えた。

米国務省は襲撃で職員1人が死亡したとしているが、詳細は明らかにしていない。中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、大使は出張でベンガ ジを訪れていたという。ほかの3人も大使館職員としている。

群衆はロケット砲も使用、領事館は放火され、略奪もあったという。リビアでは、昨年8月にカダフィ政権が崩壊したが、内戦時に大量に出回った武 器の回収が進まず、貧弱な治安体制が浮き彫りとなった。(共同通信)

(転載貼り付け終わり)


一体、どういう大事件がこの時、起きていたのか。今に至るも、日本国民は、指導者層を含めて、この「9月11日、リビア米領事館襲撃、そして、米大使以下4人の死亡」という事件の真実と大きな波紋のことを誰も知らない。この私でさえ、11月に入ってからようよくその全体像を知った。


それは、ヒラリーが、その前年の2011年10月20日に、リビアの最高指導者のカダフィを、ヒラリーが送り込んだ殺し屋部隊に惨殺させたからである。 その報復、仕返し、復讐の事件が、だから、その翌年の9月11日に、リビア第二都市であるベンガジ(首都トリポリに次ぐ)で起きたからだ。


相手を殺してやる、というほどの、復讐の気持ちほど、恐ろしいものはない。自分の身はどうなってもいいから、自分の体に爆弾を巻きつけて、敵の陣地にまで、自殺攻撃(スーサイダル・ボミング)を仕掛けるほどの 深い憎しみ、憎悪、怨念こそは、 私たち人間(人類)を突き動かす本当の、時代の変化のモーメンタム(動因)である。決心して人を殺しにゆくほどの深い憎しみを双方が持つことが日常的にならなければ戦争にはならない。


ここに、殺されて、その死体を地面に引き釣り回される、リビア駐在米大使であった、アメリカの国務省キャリア外交官で、人殺し部隊の司令官であった クリストファー・スティーブンスの 画像写真を貼り付ける。 謀略国家 アメリカ の手先を今もやり続ける者たちは、人にあまりにもひどいことをしたら、自分もこういう目に遭うのだ、という戒めの為にまざまざと見つめるがいい。

↑ 駐リビア米大使クリストファー・ スティーブンス の死体。民衆にひきづり回されている。

この アメリカの人殺し部隊の司令官であった クリス・スティーブンスに哀悼の気持ちなど抱かない。リビアや中東の人々にあまりにも残虐なことばかりしてきた人間の末路だと、自業自得なのだ。


今でも、虐殺されて血だらけで横たわっているカダフィの死体の写真を、自分の家の通路の壁に飾って、時々、拝んでいる人間だ。リビア国民はカダフィ政権が、無理やり、フランス・ユーロファイターの爆撃隊とアメリカのグローバル・ホーク(無人偵察殺人機。プレデター)と 「アルカイーダ」や反政府勢力と称するイスラエルとアメリカの特殊軍が育てた人殺し専門のならず者たちによって計画的に打ち倒されたことを知っている。


1994年のソマリアのモガデシオで起きた米海兵隊のブラック・ホーク撃墜と、ソマリア民衆による米兵士の死体引き釣り回し(裸にして縄にかけて地面をひきづる)の事件とは少し違うのだ。なぜなら襲撃されて殺されて死体を引き釣り回されたのは、今回は軍人ではないアメリカのキャリア外交官で大使(アンバサダー)だったからだ。大使はその国家を対外的に代表する。


大使というのは、元々は王様(国王)のお友達のような人間で、白い手袋を脱いで相手国に投げつけたら、それは宣戦布告を意味する。日本でも大使は今は認証官(にんしょうかん)というが、昔は、天皇の勅任官(ちょくにんかん)である。


そして、このクリストファー・スティーブンス J. Christopher Stevens は、ヒラリー国務長官の信頼の厚い、直属の家来だった。スティーブンスは、自分たちのカダフィ殺しの一周年記念のパーティをベンガジの米領事館で開こうと有頂天になって準備していたのだ。


そして、ヒラリーが大統領になるだろうから、その時は、自分もホワイトハウスの別室をもらって、ネオコン派としての凶暴な世界軍事制圧計画のプランナー、戦略家になれる、と本当に信じ込んでいたようだ。


このクリストファー・スティーブンスの横にいて、「日本食い尽くし極悪人」のアーミテージとそっくりのタコ入道の男が、情報管理担当官のショーン・スミスSean Smithである。死んだあとのふたりは、米海軍の特殊部隊のアザラシ部隊 Seals の隊員だった者たちだ。自分たちが人殺し、暗殺部隊だから、自分たちも同じように殺されたのだ。


このことが、ヒラリーにとっての痛恨の事態となった。 この 死体ひきづり回しの画像がネット上に公開された9月11日から、アメリカ政界は大騒ぎになった。そして、それが今も「リビア米領事館襲撃(された)事件の責任問題」として、日本の新聞記事にもチラチラ、前後の真実の説明もなく 書かれているのである。 


以下は、このアメリカ大使殺しのことを記したものある。


(転載貼り付け始め)


ここでひとつ重要な事件が起きた。 オバマが11 月4日の大統領選挙で再選される、その2週間前の対論(ディベート)で、オバマが共和党のロムニーの追撃をかわして逃げきったとされるシーンがあった。


日本人にはほんの瞬間のことだったのでよくわからなかった。外交問題を巡る議論の最中でのことだ。アメリカ政治分析の専門家であるこの私にも、この瞬間の重要性がはっきりと理解できるのにその後1ヵ月かかった。どうやらアメリカ国民の間で、大統領選挙戦の最中のこの9月、10 月にひとつの大きな山場があったのだ。


それはアメリカの金融・経済や雇用や景気回復の話ではなかった。
問題は、リビアのベンガジ(首都トリポリに次ぐ都市)で、2012年9月11日に起きていてた駐リビア・アメリカ大使が殺された事件である。この時に殺されたアメリカ国務省の外交官は駐リビア大使だったクリス・スティーブンスである。・・・・


2012年9月11日に、リビアのベンガジで、アメリカ領事のクリス・スティーブンスが、リビアの民衆に殺され、遺体が引きずり回された。この事件は、前年2011年2月からの「アラブの春」で、カダフィ大佐が、アメリカ主導の「仕組まれた民主化運動」によって、悲惨な殺され方をしたことへの、リビア民衆の報復であった。
スティーブンスは、エリート外交官である。アメリカ領事館が民衆に襲撃されて殺されて、なんとその死体は路上で引きずり回されたのである。そのときの写真がインターネット上に流れてしまった。これでアメリカ国民の多くの顔がひきつったのである。
 何故なら、リビアで米外交官が殺されたのは、一年前の2011年10 月20 日にリビア中部の町で殺された指導者カダフィの惨殺に対する報復、復讐劇だったからだ。


多くのアメリカ国民がこのことをすぐに悟った。「ヒラリーに忠実なテロ対策特殊部隊を指揮している外交官を、リビア人のカダフィ派の残党たちが、命がけで襲撃して殺したのだ。このクリス・スティーブンスはカダフィ惨殺の現地の責任者だ」と。
アメリカ国内の新聞記事には、どこにもあからさまにこの真実は書かれていない。しかしアメリカ国民ならこのことが空気 でわかる。だから、この直後からこの事件の責任問題が議会で騒がれた。


前述したスーザン・ライス(米国連大使)が早々と、「リビアの米領事館襲撃は、突発的な民衆の暴動によるものだ」とウソの発表をしてしまった。これで更に大騒ぎとなり、議会で、スーザン・ライスとヒラリー・クリントン国務長官を非難する声が大きくなった。
だから12 月中旬の今の今でもまだ、「次の国務長官はスーザン・ライスにする」とオバマ大統領が言っている。しかしオバマがいくら言っても、議会の共和党(筆頭 ジョン・マケイン議員)が「ウソつきの就任を認めない」と強固に反対している。


だからこの事件についてヒラリーが、ついに「私に責任がある。私は国務長官を辞める」と10月21日に 発言した。これで、オバマ自身に事件の責任が及ぶことがなくなった。これで、オバマはロムニーとの大統領戦のディベイト論戦で、この苦境から逃げきったのだ。
ヒラリーにしてみれば、「アラブの春」という凶悪で「安上がり」のテロ攻撃路線( アメリカとアラブ過激派の、一体どっちがテロリストなのか分からない)で、正規の米軍を使わないで、中小国の政権転覆をやってきたことへのしっぺ返しが起きたのだ。人にひどいことをした者は必ず自分もひどい目に合うのだ。

(転載貼り付け終わり)


以上の経緯である。3年前から、オバマの次は、オバマが病気で倒れて次は、狂暴なヒラリーが大統領になる、と予測(予言)してきた。しかし、ゲロを吐いて脳震盪を起こして先に倒れたのはヒラリーの方であった。これで“ワル女“(中国人は皆、ヒラリーが嫌いである。中国に戦争を、アメリカの属国群を使って仕掛けてくるからだ)は終わった。 だから、あとはオバマが倒れて、副大統領のバイデン(CFR派)が後をやる、ということだ。


その時、凶暴なネオコン派が誰を副大統領に送り込むか、である。 それでも、 アメリカの 軍人たちと 教員たち、公務員たちすべての給料を払う原資ががないので、日本の安倍晋三に、「50兆円分の 米国債を買います。それで日本を更に円安と 株高にしてください」 この2月はじめの訪米で言わせるのだ。


それでも この秋から、スペインで再び金融危機が起きる。ユーロは暴落する(今は、1ユーロ=114円まで上がった。今のうちに、ユーロ建てのファンドなどは解約するように) 。 ヨーロッパの国家債務危機が再発して、それはアメリカの財政危機と連動する。その時に、日本国債の暴落の危機が、この秋から生まれる。


この年末12月23日に放映されたNHKの 「日本国債がやがて暴落する」(利回り1%から3・8%への金利暴騰を、米ヘッジファンドどもが仕組んでいる、とする。投資家のジム・ロジャーズを最期の場面で利用していた) の 日本国民を恐怖に陥(おとしい)れ、脅迫している番組は、あれは日本財務省が仕組んで、NHKに作らせた“やらせ番組“である。
 
このことを私たちは鋭い警戒心と共に見抜かなければならない。あの番組に出てきた 幸田真音(こうだまいん)という性悪女(しょうわるおんな)は、日本の国税庁のキャリア上がりの謀略評論家である。私たち日本国民を脅して、財務省に屈服させようとするのだ。
 
軍産複合体企業の取り巻きたちは、こんな瀕死のヒラリーを、2016年の大統領選に担ぎ出そうと躍起だ。日本でのボケ老人「石原」をヨイショする輩と似ている気がする。
●Rested-looking Hillary Clinton dodges 2016 talk and says she just wants to relax at first paid speech since leaving office





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2019.01.21
不正行為で潤う支配層は内部告発を嫌い、報復する

 CIAによるクーデター、要人暗殺、住民皆殺し作戦、電子情報機関の存在などがアメリカ議会で明らかにされたのは1970年代だった。政府機関による犯罪的な行為が明るみに出る過程で内部告発が果たした役割は小さくない。そこで1970年代の後半から内部告発を難しくするようにシステムは変更され、「民営化」も進められた。そして、メディアの内部からは気骨あるジャーナリストが排除されていく。


 それでも抵抗は消えず、内部告発を支援するウィキリークスも作られた。創設者のひとりであるジュリアン・アッサンジはアメリカの支配層に狙われ、2010年にスウェーデン当局が逮捕令状を発行したことからロンドンにあるエクアドル大使館から外へ出られなくなった。


 話はふたりの女性がスウェーデンの警察でアッサンジにHIVの検査を受けさせられるかと相談したことから始まる。この訴えで逮捕令状が出され、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道して騒動が始まるのだが、翌日には主任検事が令状を取り消す。レイプした疑いがあるとは認めなかったからだ。


 しかし、その決定を検事局長が翻して捜査の再開を決める。その直後にアッサンジはスウェーデンを離れた。逮捕令状の請求はその2カ月後のこと。


 2017年にスウェーデン当局は捜査を中止、逮捕令状を取り消すのだが、​11年にアメリカは秘密裏にアッサンジを起訴していた​。これは裁判所へ提出された文書の中に記載されている。


 アッサンジに逮捕令状が出る半年ほど前、ウィキリークスはブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵から提供された映像を公開している。


 その中には2007年7月、バグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍のヘリコプターが銃撃、殺害する場面を撮影したものも含まれていた。ヘリコプターの兵士は口頭で戦闘員を攻撃しているように報告しているが、映像を見れば非武装の人間だとわかる。


 だからこそマニングは内部告発したのだろうが、彼は2010年5月、アメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕され、17年5月まで収監された。


 マニング以外にも政府機関の不正行為を告発した人たちはいる。例えば電磁情報機関NSAの不正を明らかにしたウィリアム・ビーニーやエドワード・スノーデン、イランへ核兵器に関する資料を渡してイラン侵略の口実を作るというCIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアクだ。


 カルピンスキーはイラクのアブ・グレイブ刑務所で所長を務めていたが、所内での拷問が明らかになった後、2004年1月に停職となる。それに対して彼女はその年の6月、BBCに対して刑務所内で拷問が行われていたセクションを管理していたのは軍の情報部であり、彼女は実態を把握していなかったと主張した。


 刑務所内で撮影された写真については、兵士が独断で撮影することはありえないとも指摘した。カルピンスキー本人も命令していない。


 彼女によると、グアンタナモから来ていたジェオフリー・ミラー少将は拘束されている人々を犬のようなものだと表現、そうした人々が自分を犬以下の存在だと信じさせることでコントロールが容易になると主張していたという。2004年7月には、刑務所にイスラエル人の尋問官がいたとも話している。


 後にカルピンスキーは准将から大佐へ降格になった。


 キリアクはCIAの元分析官。2007年12月にABCニュースのインタビューで、CIAの同僚から聞いた話として、ウォーターボーディングと呼ばれる拷問が行われていると語っている。それが問題になり、結局、2013年に懲役30カ月の判決を受けた。


 スノーデンはロシアへ逃げ込む形になった。


 権力者は庶民に知られたくない情報を隠す。その口実として安全保障がしばしば使われるが、実態は犯罪的な行為の隠蔽。日本で成立した特定秘密保護法の目的もそこにある。権力者が内部告発を厳しく取り締まるのは自らの悪事が露見することを防ぐためにほかならない。そこで、「一罰百戒」ということで内部告発者を痛い目に遭わせるわけだ。


 かつて雪印食品の牛肉偽装を内部告発した西宮冷蔵の社長は事業の継続が困難な状況になったというが、その理由は不正を告発するような会社とは取り引きできないという会社が多かったからだ。AKSだけでなく、マスコミ、警察、検察の闇に光を当てることになった女性も厳しい状況に陥っている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901200000/



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2019.01.23
イギリスの軍と情報機関によるロシアを悪魔化して描く極秘の心理作戦が発覚
 ​アノニマス(匿名)を名乗るハッカー集団​が昨年(2018年)11月、あるNGOに関する文書を公開した。そのNGOはインテグリティ・イニシアティブ。イギリスの軍と情報機関による極秘の心理作戦を実行、その活動範囲はアメリカにも拡大し、同国の国務省、FBI、DHS(国土安全保障省)、あるいは有力シンクタンクに強力な同盟者を育成していることが明らかになった。原資の200万ドルはイギリスの外務省が出したという。


 プロジェクトの内容は第2次世界大戦が終わって間もない頃にアメリカで始まった情報操作プロジェクト、モッキンバードに似ていると言われている。


 モッキンバードで中心的な役割を果たしたのは4名。ウォール街の弁護士でOSSやCIAに君臨していたアレン・ダレス、やはりウォール街の弁護士でアレンの側近として破壊工作を指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で国際決済銀行初代頭取の孫であるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。


 フィリップ・グラハムの妻、キャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。フィリップはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺している。キャサリンの父は世界銀行の初代総裁だ。ニクソン辞任で副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領時代、政府内からデタント派が粛清されてネオコンが台頭したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。


 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近い。事実上、取材はバーンスタインが行ったようだ。


 そのバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)


 当然のことながら、CIAの工作は国境を越える。​フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテ​は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。


 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。出版されたはずの英語版は市場に出てこなかった。


 インテグリティ・イニシアティブも人びとがロシアに敵意を持つように誘導する。そのネットワーク内に含まれるウィリアム・ブラウダーはアメリカ支配層の対ロシア戦争で重要な役割を果たしている。


 この人物はボリス・エリツィン時代のロシアでクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築いたひとり。不正な手段で手に入れた資産をロシアから持ち出すために使われた銀行のひとつ、リパブリック・ナショナル銀行ニューヨークを創設した人物とヘルミテージ・キャピタル・マネージメントなる会社を共同で創設したのがプラウダーだ。


 この金融ネットワークでマネーロンダリングしていたとロシア当局はにらみ、ブラウダーが雇っていたセルゲイ・マグニツキーが2008年に逮捕される。マグニツキーを弁護士だとする人もいるが、実際は会計士。経済犯罪の鍵を握る人物だったと言われている。


 そのマグニツキーは取調中に死亡、西側では拷問で殺されたと宣伝されてきた。この人物は心臓病を抱えていたことから病死だと考える人が少なくないが、口封じされたと疑っている人もいる。ブラウダーは2013年に欠席裁判で懲役9年の判決を受けているが、ロシアの逮捕令状要請はインターポールが拒否している。


 インテグリティ・イニシアティブが重要視しているのはドイツだが、その矛先はイギリス労働党のジェレミー・コービン党首やドナルド・トランプ米大統領にも向けられている。西側の有力メディアやアメリカの民主党が盛んに宣伝しているロシアゲートの発端になった根拠薄弱で信頼度の低い報告書を作った元MI6オフィサーのクリストファー・スティールはブラウダーにも雇われていた。


 日本のマスコミが権力者の走狗にすぎないことは言うまでもないが、日本で崇拝者が少なくないアメリカやイギリスをはじめとする西側の有力メディアも同類だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901230000/



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2019.01.31
セルビアでCIAの訓練を受けた学生が始めたベネズエラの反政府運動

 アメリカ支配層は1999年からベネズエラの政権転覆を目論んできた。この年の大統領選挙で当選したウゴ・チャベスが自国をアメリカから独立させた、つまりアメリカの巨大資本から石油をはじめとする利権を取り戻したからだ。このときのアメリカ大統領はビル・クリントン。


 ​2002年にアメリカ政府はクーデターを試みた​。計画の中心グループにはエリオット・エイブラムズ、オットー・ライヒ、そしてジョン・ネグロポンテがいた。その際、アメリカ海軍の艦船がベネズエラ沖に待機していたとも言われている。


 2009年にはフランス人のフレデリク・ローレン・ブーケが3名のドミニカ人とチャベス大統領を暗殺しようとしたとして逮捕されている。


 ブーケのアパートにはプラスチック爆弾C4が500グラム、突撃銃14丁、マシンガン3丁、拳銃4丁、ショットガン5丁、さまざまな口径のカートリッジが2万近く、さらに電子起爆装置、ウォーキートーキー、防弾チョッキ、ガスマスクなどが保管されていたという。


 裁判の過程でブーケは自身がフランスの情報機関DGSEのエージェントであり、イスラエルで訓練を受けたことを認めたと伝えられている。


 そのほか何度も暗殺が試みられたと言われているが、そのターゲットになったチャベスは2013年3月に癌で58歳の若さで死亡した。


 生前、​チャベスはアメリカ政府が南アメリカの指導者を癌にしているのではないかと発言​している。実際、癌を誘発する物質や発癌性ウイルスは存在する。


 この発言の背景には、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ元大統領、そしてパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領が相次いで癌になった事実がある。


 アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領も甲状腺癌だとされて手術したが、後に癌でなかったとされている。なお、キルチネル大統領の夫、ネストル・カルロス・キルチネル元大統領は2010年に心臓病のため、60歳で死亡した。


 チャベスの後継者として大統領に選ばれたのがニコラス・マドゥロ。チェベスのようなカリスマ性のない人物だったことからアメリカ支配層はベネズエラの植民地化は容易だと考えたかもしれないが、そうした展開にはならなかった。そして2014年5月、マドゥロ暗殺計画が明らかにされる。


 その直前、2014年2月から5月にかけてベネズエラでは大規模な反政府行動があったが、その指導者のひとりがフアン・グアイドだと言われている。


 ​ジャーナリストのダン・コーエンとマクス・ブルメンタールによると​、グアイドはカラカスの大学を卒業した2007年にアメリカのジョージ・ワシントン大学へ留学している。


 その頃にアメリカ支配層はベネズエラの体制を転覆させるために「2007年世代」を創設、2009年には挑発的な反政府運動を行った。こうしたベネズエラの反政府組織に対し、NEDやUSAIDを介し、毎年4000万ドルから5000万ドルを提供してきた。言うまでもなく、この資金の出所はCIAだ。


 2007年世代が組織される2年前、つまり2005年にアメリカ支配層は配下のベネズエラ人学生5名をセルビアへ送り込んだ。そこにはCIAから資金の提供を受けているCANVASと呼ばれる組織が存在、そこで学生は訓練を受けている。


 CANVASを生み出したオトポール(抵抗)!はスロボダン・ミロシェビッチの体制を倒すため、1998年に作られた組織。ジーン・シャープの理論に基づいて運動していたと言われている。


 ユーゴスラビアの破壊に成功したオトポール!/CANVASは体制転覆の「輸出」を始める。その輸出先のひとつがベネズエラだったわけだ。


 そして今年(2019年)1月に入るとアメリカのマイク・ペンス副大統領がグアイドに電話、その直後にグアイドは自らが大統領だと宣言、アメリカ政府はグアイドを「暫定大統領」だと承認した。昨年、アメリカ政府はベネズエラ軍の幹部に接触してクーデターを実行しようとしたが、説得に失敗したと言われている。そこでカラー革命方式を採用したのだろうが、これも順調には進んでいないようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901310000/




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2019.01.28
米国務長官はベネズエラの政権転覆工作の責任者としてネオコンの大物を任命

 アメリカのマイク・ポンペオ国務長官は今年(2019年)1月25日、ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を転覆させる工作を指揮する特使としてエリオット・エイブラムズを任命した。エイブラムズは現在、CFR(外交問題評議会)の上級特別会員だが、イラン・コントラ事件に連座したことで知られている。


 ベネズエラの政権を転覆させる工作をアメリカ支配層が始めた最大の理由はウゴ・チャベスが1999年の選挙で大統領に選ばれたことにある。チャベスはベネズエラを独立国にしようとしたのだ。


 2001年から2期目に入るが、​その翌年にジョージ・W・ブッシュ政権はクーデターを試みている​。その計画の中心グループにはエイブラムズも含まれていた。そのほかのメンバーはオットー・ライヒやジョン・ネグロポンテだ。作戦の一環としてアメリカ海軍の艦船がベネズエラ沖に待機していたとも言われている。


 ライヒはキューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務め、ネグロポンテは1981年から85年までのホンジュラス駐在大使を務めてニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、2001年から04年までは国連大使、04年から05年にかけてイラク大使を務めた。


 このクーデターは失敗に終わるのだが、最大の理由は事前にチャベスへ計画に関する情報が伝えられていたことにある。当時、OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスが知らせていたのだ。


 ブッシュ・ジュニア政権は2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒し、破壊と殺戮で「石器時代」にすることには成功するが、親イスラエルの傀儡政権を樹立させることには失敗した。


 フセイン体制の破壊はネオコンの戦略に基づく。ネオコンは遅くとも1980年代からイラクのフセイン体制を倒し、親イスラエル政権を自立させてシリアとイランを分断、中東全域を支配するという計画を立てた。


 1991年12月にソ連が消滅するとアメリカ支配層は自分たちが唯一の超大国になったと考え、世界の覇者になるときが来たと考える。その戦略は1992年2月、国防総省のDPG草案という形で文書化された。


 このときの大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はリチャード・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツ次官が中心になって作成されたことからこのDPG草案はウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。


 イラクを親イスラエル体制にすることに失敗したネオコンだが、イラクに続いてシリアとイランを殲滅するというプランは放棄しない。(​ココ​や​ココ​)


 ​ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いた記事​によると、ジョージ・W・ブッシュ政権は中東における最優先課題をイランの体制転覆におき、レバノンで活動しているイラン系のヒズボラ、イランの同盟国であるシリアを殲滅、そしてイランを倒すという計画を立てる。その手先としてスンニ派を使おうということだ。その中にはフセイン派も含まれた。


 この工作の中心人物は副大統領のリチャード・チェイニー、国家安全保障副補佐官のエリオット・エイブラムズ、そして2007年4月までイラク駐在アメリカ大使を務め、国連大使に内定していたザルメイ・ハリルザドだ。


 エイブラムズを特使に任命したポンペオは2017年7月、アスペン治安フォーラムでベネズエラの「移行」が期待できると語っている。当時、ポンペオはCIA長官だった。


 ベネズエラの政権転覆作戦の一環としてアメリカのドナルド・トランプ政権はジョージ・ワシントン大学で学んだフアン・グアイド国民議会議長を「暫定大統領」として承認した。他国の大統領をアメリカ大統領が決めようとしているわけだ。


 ベネズエラの石油利権を狙っていることは間違いないだろうが、例によってIMFもアメリカに協力、グアイドへ資金を提供していると伝えられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901270000/



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2019.02.04
アメリカ支配層に破壊された多くの民主的政権

 アメリカの支配層は少なからぬ民主的に選ばれた政権を破壊してきた。そして今、彼らはそのリストにベネズエラを書き込もうとしている。アメリカは民主主義を押しつけているのでなく、民主主義を破壊してきたのだ。


 第2次世界大戦後にアメリカが行った最初の内政干渉はイタリアに対して行われた。戦争中、ヨーロッパで国としてドイツ軍と戦ったのはソ連だけ。西側でドイツ軍と戦ったのは市民で編成されたレジスタンスだった。


 その中心メンバーがコミュニストだったこともあり、大戦後のフランスやイタリアではコミュニストが強く、その勢力をアメリカやイギリスを支配する人びとは潰そうとしたのだ。そうした戦略に基づいてNATOは作られ、破壊工作(テロ)部隊がNATOの内部で活動することになる。


 イタリアで1960年代から80年代にかけ、極左を装って「爆弾テロ」を繰り返したグラディオはそのひとつだが、1962年8月にシャルル・ド・ゴールを暗殺しようとしたジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐の背景も同じだった。


 この人物が所属したOAS(秘密軍事機構)という秘密組織は1961年、ド・ゴールに反発する軍人らによって構成されたが、その黒幕はCIAの破壊工作部門だったのである。


 OASは1961年4月にクーデターを計画するが、これをアメリカの新大統領、ジョン・F・ケネディが阻止した。クーデター軍がパリへ侵攻したならアメリカ軍を投入するという意思を明らかにしたのだ。CIAは驚愕した。1962年にOASの一派はド・ゴール大統領の暗殺を試みたものの失敗、ド・ゴールを救ったケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。


 アメリカは1953年にイランで合法政権をクーデターで倒している。大戦後、イラン政府はイランを食い物してきたAIOCの国有化を決める。クーデター後、1954年にAIOCは社名をBPへ変更した。


 AIOCが生み出す収入で支配システムを維持していたイギリス支配層は激怒、アメリカ支配層を巻き込んでクーデターを実行しようとしたのだ。このクーデターはアメリカ側が主導権を握ることになった。


 まずアメリカは反政府デモを開始、その際にコミュニストを装ったグループに暴れさせる。反政府デモの一部はモサデク支持の新聞社や政党、政府施設などを襲撃、CIAのエージェントがテヘラン・ラジオを制圧、首相だったモハマド・「モサデク解任の命令が国王から出され、ファジオラー・ザヘディが新首相に就任した」とする情報を流してクーデターは終わる。モサデクの支持派と反対派の衝突で約300名が死亡たと言われている。


 イランの民主的な体制をクーデターで倒したアメリカ支配層は中央アメリカのグアテマラの政権を倒しにかかる。1950年に行われた総選挙で勝利、翌年に大統領となったヤコボ・アルベンス・グスマンが農地改革法を公布して国有地を分配、大地主の土地買い上げを実施、アメリカの巨大資本、ユナイテッド・フルーツの利権を脅かした。


 そして1953年にアメリカ政府はクーデターを計画、CIAの破壊工作部門が指揮することになる。CIA配下の軍人が軍事蜂起するが、一般国民はクーデター軍と戦う意思を示した。それをアルベンス大統領は押しとどめ、1954年にに大統領官邸を離れる。流血の事態を避けたかったという。


 クーデター政権は労働組合の結成を禁止、ユナイテッド・フルーツでは組合活動の中心にいた7名の従業員が変死、コミュニストの疑いをかけられた数千名が逮捕され、その多くが拷問を受けたうえで殺害されたとされている。その後40年の間に軍事政権が殺した人の数は25万人に達するという。クーデターを間近で見ていたひとりがエルネスト・チェ・ゲバラだった。


 1973年9月11日にはチリでアメリカ政府を後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトが、軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒した。アメリカ政府でクーデターを指揮していたのは大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー。その命令でCIAの破壊工作部門が動いている。


 まずCIAは選挙に介入した。メディアや映画だけでなく、パンフレット、リーフレット、ポスター、郵便物、壁へのペインティングなどを総動員したのだが、アジェンデが勝利する。


 一方、アメリカ資本と結びついていたチリの支配層は生産活動を妨害、アメリカの巨大金融機関はチリへの融資をストップ、世界銀行も同国への新たな融資を止めた。1972年になるとトラックの運転手がストライキを実施、商店主、工場経営者、銀行なども同調して全国的なロックアウトに発展する。アメリカ自身を含めてCIAは労働組合の幹部をコントロール、自分たちの手先として使ってきた。


 クーデターの結果、アメリカの巨大資本に盾突く勢力は潰滅、新自由主義が導入される。シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。その政策を実際に実行したのがいわゆるシカゴ・ボーイズ。フリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授といった経済学者の弟子たちだ。


 現在、ベネズエラの大統領は2018年5月の選挙で選ばれたニコラス・マドゥロだが、アメリカやEUは勝手に大統領を名乗っているフアン・グアイドを支持している。その直前、2月にアメリカの国務長官だったレックス・ティラーソンはベネズエラでのクーデターを示唆、ラテン・アメリカ諸国を歴訪してベネズエラへの経済戦争に協力するように要請している。それでもマドゥロは勝利した。


 ドナルド・トランプ政権はベネズエラに経済戦争を仕掛け、石油の輸出を止めようとしている。イランの石油も買うなと各国を恫喝、猶予期間は過ぎ去ろうとしている。アメリカの命令に従う人びとはどのようにエネルギー資源を確保するつもりなのだろうか?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902040000/

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2019.02.05
トランプ政権が行うベネズエラの内政干渉に反対する議員をメディアが中傷

 ベネズエラには選挙で選ばれたニコラス・マドゥロという大統領が存在する。その大統領が気に入らない人びとはフアン・グアイドなる勝手に大統領を名乗っている人物への支持を表明、そうした動きを西側の有力メディアは煽っている。


 アメリカの支配層は自分たちの利益にかなう場合、その国の政権を正当だと認める。アメリカの巨大資本に搾り取られることを拒否したなら、「独裁者」や「コミュニスト」といったタグをつけられ、否定されてきた。アメリカ支配層から認められるには、グアイド支持を打ち出さなければならない。


 アメリカへの従属を拒否するウゴ・チャベスが大統領選挙に勝利した1998年からアメリカ支配層はベネズエラの政権を転覆させようと試みてきた。その間、アメリカ大統領はビル・クリントン、ジョージ・H・W・ブッシュ、バラク・オバマ、そしてドナルド・トランプへと交代してきたが、ベネズエラに対する姿勢に大差はない。


 今年(2019年)1月にマイク・ペンス副大統領がグアイドに電話、その直後にグアイドは自らが大統領だと宣言、アメリカ政府はグアイドを「暫定大統領」だと承認した。アメリカ支配層に従う人びとは同調する。


 しかし、ベネズエラ国内での工作は失敗したようだ。ここにきてベネズエラ空軍の幹部がグアイド支持を表明したが、アメリカ政府は昨年、ベネズエラ軍の幹部に接触してクーデターを持ちかけて説得に失敗したと言われている。特殊部隊は侵略軍に対するレジスタンスの準備をしているという。


 クーデターが成功した場合、国営石油会社のPDVSAはエクソンモービルやシェブロンへ叩き売られると言われているが、石油は儲かる商品というだけでなく、ドル体制を維持する重要な柱でもある。


 選挙で選ばれたわけでもない人物を勝手に「暫定大統領」として支持するような行為は内政干渉以外の何ものでもない。その内政干渉を打ち出したのは共和党のドナルド・トランプ政権だが、民主党の大半の議員は沈黙している。例外はロ・カンナ下院議員、タルシ・ガッバード下院議員、イルハン・オマール下院議員、そしてバーニー・サンダース上院議員。有力メディアから誹謗中傷のターゲットにされている。


 2016年の大統領選挙で有力視されていたヒラリー・クリントンを失速させた一因はウィキリークスが公表したヒラリー・クリントンらの電子メールだった。その中にはサンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものがあり、サンダースの支持者を怒らせたのである。民主党幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールもあった。


 怒ったサンダース支持者の相当部分はヒラリーへ投票せず、ロシアとの関係修復を訴えていたトランプに敗北する大きな要素になったと言われている。有力メディアはその事実に触れず、ロシア政府が選挙に介入したとする話を証拠もなしに宣伝してきた。それがいわゆる「ロシアゲート」だ。このスキャンダルがでっち上げである可能性が極めて高いことは本ブログでも繰り返し書いてきた。


 グアイドを暫定大統領と認めることに反対した議員のひとりがこのサンダース。ガッバード議員はシリアへの軍事介入にも反対している。カンナはサンダース旋風が巻き起こった2016年の選挙で当選、オマールは昨年の中間選挙で選ばれた議員。ヒラリー・クリントンを担いでいた支配層に反発した人びとの支援を受けて当選したと言えるだろう。


 本ブログでは何度も書いてきたように、西側の有力メディアの内部にはCIAのネットワークが張り巡らされている。CIAは歴史的にウォール街の機関である。有力メディアが巨大資本の意向に従って動き、「偽報道」をまき散らすのは必然だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902040000/

2019.02.06
民主的政権を倒して新自由主義体制へ「平和的に移行」しようと主張する人びと


 アメリカ政府はベネズエラの民主的な政権をクーデターで潰そうとしている。これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。


 アメリカ支配層が潰そうとしているニコラス・マドゥロ大統領は昨年(2018年)5月に実施された大統領選挙において67.8%の得票率でアメリカ支配層を後ろ盾とする候補者に圧勝した。マドゥロ政権は民意によって成立したのだ。


 このマドゥロ政権を倒そうとしているアメリカ支配層にEUや「リマ・グループ」も従っている。この「リマ・グループ」は「平和的な移行プロセス」を求めている。その主張を垂れ流す人たちもいるが、それは民意の否定にほかならない。


 アメリカ政府は昨年、ベネズエラ軍の幹部に接触してクーデターに協力するように求めたが、説得に失敗したと言われている。特殊部隊は侵略軍に対するレジスタンスの準備をしているともいう。ロシアの存在もあり、「軍事的な移行プロセス」は難しい状況なのだ。


 しかし、フアン・グアイドなる自称大統領へ権力を移行させるとする意思に変化はない。グアイドは2007年にアメリカのジョージ・ワシントン大学へ留学、新自由主義を信奉している。政権を奪取した暁には私有化を推進、国営石油会社のPDVSAをエクソンモービルやシェブロンへ叩き売るつもりだと言われている。


 グアイドがアメリカへ留学する2年前、アメリカ支配層は配下のベネズエラ人学生5名をセルビアへ送り込んだことは本ブログでも書いた通り。セルビアにはCIAから資金が流れ込んでいるCANVASと呼ばれる組織が存在、そこでベネズエラの学生は訓練を受けた。CANVASを生み出したオトポール(抵抗)!はスロボダン・ミロシェビッチの体制を倒すため、1998年に作られた組織で、ジーン・シャープの理論に基づいて運動していたと言われている。運動の目的は富の略奪だ。


 ベネズエラに限らず、アメリカの支配層は民主的な政権を潰してきた。例えば1953年のイラン、54年のグアテマラ、60年のコンゴ、73年のチリなどで民主的な政権をクーデターで倒している。


 1965年のインドネシアで実行したクーデターではスカルノを排除しただけでなくアメリカ支配層に刃向かいそうな人びとを大量殺戮、カルト化が進められ、その影響は今も続く。


 2011年3月にはシリアへジハード傭兵が送り込まれて戦争が始まるが、シリアのバシャール・アル・アサド大統領は選挙で選ばれている。その前の月にはリビアでも体制転覆作戦が本格化しているが、この国の生活水準はEU並み、あるいはそれ以上だった。


 2014年にアメリカ支配層はウクライナでクーデターを実行、やはり民主的に選ばれた政権を倒している。その手先になったのはネオ・ナチのグループで、このグループは今でもウクライナで大きな影響力を持っている。


 アメリカの巨大金融資本は1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選するとクーデターを計画した。ファシズム体制の樹立を目指したのだが、これはアメリカ軍の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将によって阻止され、その議会証言が記録に残っている。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の背後にアメリカ支配層が暗躍していたと信じる人は少なくない。それを示す事実も明らかにされてきた。

 そのアメリカ支配層は体制転覆を正当化する口実として「民主化」や「人道」などを掲げる。そうした手法を政策として採用したのはロナルド・レーガン時代。「プロジェクト・デモクラシー」だ。アメリカ国内では偽情報で庶民を騙す目的で「プロジェクト・トゥルース」が始められている。こうした心理操作は効果的だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902060000/



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2019.02.09
米支配層は傭兵を使ってベネズエラの体制転覆を狙っているとの説が流れている

 アメリカの支配層はベネズエラに対して経済戦争を仕掛けているが、これまでの手口を振り返ると、同時にメディアなどを使ったプロパガンダを展開、配下の労働組合、最近ではNGOを使った抗議活動で社会を不安定化させ、さらに暴力的な手段へ移行することが多い。


 軍事クーデターも多用されてきたが、ターゲット国の内部に対立する勢力が存在すればそれを利用する。そうした対立がなければ外部から傭兵を投入する。リビアやシリアではサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵が投入された。


 ラテン・アメリカでは軍事クーデターが繰り返されてきた。その黒幕はアメリカの巨大資本だが、今回、ベネズエラではクーデターの主体となる軍人を確保することに失敗したようだ。特殊部隊は侵略軍に対するレジスタンスの準備をしているともいう。


 そこでアメリカの支配層はベネズエラ政府の資産を押さえ、傭兵を雇うという話が流れている。その傭兵でニコラス・マドゥロ政権を倒し、フアン・グアイドを中心とする傀儡政権を作るつもりではないかというわけだ。


 アメリカ支配層はラテン・アメリカを支配する仕組みの一部として配下の軍人を訓練する施設を作った。1946年にパナマで設立したSOAだ。ここでは対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを教え込んだ。


 しかし、この施設は1984年にパナマから追い出され、アメリカのジョージア州フォート・ベニングへ移動、名称は2001年からWHISC(またはWHINSEC)へ変更されている。訓練内容は基本的に変化していないようだ。そのネットワークを使えば容易に傭兵は集まるだろう。


 戦争が始まることを想定してなのか、マドゥロ政権は保有する金を売却しているが、その仲介をしたのが2018年に設立されたトルコの業者だという。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902090000/



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2019.02.12
米軍が国際金融機関を戦争の道具に使っていることを示す文書

 国際金融機関、つまりWB(世界銀行)、IMF(国際通貨機関)、OECD(経済協力開発機構)、BIS(国際決済銀行)などがアメリカ支配層の影響下にあるが、そうした支配関係をアメリカが戦争の道具として使っていることを示す文書をウィキリークスが公表した。先月28日のことだ。

 こうした国際機関は欧米の私的金融機関と連携して弱小国の富を収奪してきた。私的な金融機関がターゲット国の腐敗勢力(買収されたエリート)と手を組んでターゲット国を借金漬けにしたり、買収に失敗した場合は融資をストップするなどして揺さぶりをかける。これは常套手段だ。融資された資金を腐敗勢力はオフショア市場にある自分の口座へ沈める。


 そうした工作と並行してメディアなどを使ったプロパガンダを展開、上層部を配下に納めた労働組合を使った抗議活動を始めるなどして社会を不安定化、その上で暴力も使われることも少なくない。例えばウクライナではネオ・ナチ、リビアやシリアではジハード傭兵だ。軍事クーデターも行われてきた。


 そもそもイギリスのMI6はシティ、アメリカのCIAはウォール街、つまり両機関とも金融機関と歴史的に深く結びついている。アメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラーがかつて語ったように、軍隊は巨大資本の金儲けのために働いてきた。


 軍隊、情報機関、金融機関は連携して侵略戦争を実行してきたが、本ブログでも繰り返し書いてきたように、1990年代から宣伝会社の役割が大きくなっている。支配層にとって望ましいイメージを庶民に埋め込み、操ろうということだ。そうした役割を戯画化した映画が「マトリックス」だろう。


 アメリカ支配層は第2次世界大戦の直後、モッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトを始めた。イギリスで2009年に始動した政治的手腕研究所、その団体が始めたインテグリティ・イニシアティブなるプロジェクトの目的も情報操作。その手先が有力メディアだ。


 モッキンバードが開始された当時の中心メンバーはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしフィリップ・グラハム。ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズの母方の祖父は国際決済銀行の初代頭取。グラハムはワシントン・ポスト紙のオーナーだったが、義理の父親(つまりキャサリンの父親)は世界銀行の初代総裁だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902120000/


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新自由主義に対抗 反米の牙城となったベネズエラ 歴史的背景を見る 2019年2月14日
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/10894


 ベネズエラを含むラテンアメリカは、16世紀にスペインやポルトガルによって征服され、カリブ海では先住民がほぼ全滅して、それに代わる労働力としてアフリカから黒人奴隷が連れてこられた歴史がある。19世紀以降はアメリカが米墨戦争でメキシコの半分を、米西戦争でキューバとプエルトリコを奪いとり、その後も軍事介入をくり返して「アメリカの裏庭」にしてきた。さらに1950年代からは、そのアメリカが世界最初の新自由主義の実験場にしようと策動してきた地域である。長年にわたって残酷な搾取と抑圧、軍事政権による弾圧を経験してきたラテンアメリカの人人は、アメリカからの独立と民主主義を求めて立ち上がり、2000年代には反米左翼政府を次次と誕生させた。

 新自由主義の実験場としての歴史は、1970年代のチリに始まる。

 1970年、チリの大統領選で人民連合のアジェンデが勝利し、それまでアメリカが支配していた世界一の規模の銅鉱業をはじめとして、同国の経済の主要部分を国有化する方針を打ち出した。権益の喪失を恐れたアメリカは、CIAを送り込んでチリの軍隊を訓練したうえ、1973年9月11日に将軍ピノチェットにクーデターを起こさせ、アジェンデを殺害し政権を掌握した。同時に数万人の市民を拘束し、そのうち数千人をサッカースタジアムなどでみせしめに処刑した。

 続いてピノチェットは、ミルトン・フリードマンらアメリカのシカゴ学派をチリに招いた。フリードマンらは、50年代からチリの留学生を教育しては新自由主義の伝道者としてラテンアメリカ全域に派遣して、政権転覆後の経済運営を周到に準備していた。


フリードマン

 フリードマンは「ショック療法が必要」といって、銀行をはじめ500の国営企業の民営化、外国からの輸入自由化、医療や教育を中心にした公共支出の削減、パンなど生活必需品の価格統制の撤廃などをおこなった。公立学校はバウチャーとチャーター・スクールにとってかわられ、医療費は利用の都度の現金払いに変わり、幼稚園も墓地も民営化された。軍事政権がおこなった最初の政策の一つが学校での牛乳の配給停止だったが、その結果、授業中に失神する子どもが増え、学校にまったく来なくなってしまう子どもも少なくなかったという。

 それでも新自由主義は「チリに奇跡をもたらした」ともてはやされ、フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞した。

 しかし、それから10年たった80年代半ば、チリの対外累積債務は140億jにまで膨れ上がり、超インフレが襲い、失業率はアジェンデ政府下の10倍となる30%に達してチリ経済は破綻した。1988年には45%の国民が貧困ライン以下の生活を強いられる一方、上位10%の富裕層の収入は83%も増大した。

 70年代にはチリに続いてアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにもアメリカの支援を受けた軍事政権が成立し、新自由主義の実験場となった。アルゼンチンで軍事政権がまずおこなったのは、ストライキの禁止と雇用主に労働者を自由に解雇できる権利を与えることだった。多国籍企業を歓迎するために外資の出資制限も撤廃し、何百社もの国営企業を売却した。

 これらの軍事政権が民衆の反抗を押さえつけるために共通してとったのが、反体制派を拉致して「行方不明」にするやり方で、その背後ではCIAが暗躍していた。アルゼンチンの軍事政権下で行方不明になった人は3万人にのぼり、そのうち8割以上が16〜18歳の若者だったといわれる。

 そして軍政の下で、大量の輸入製品を国内市場にあふれさせ、賃金を低く抑え、都合のいいときに労働者を解雇し、上がった利益は何の規制も受けずに本国に送金できたので、もっとも恩恵を受けたのはGMやフォード、クライスラー、メルセデス・ベンツなどの多国籍企業だった。

80年代の中南米 累積債務危機とIMF管理

 1980年代に入ると、1982年のメキシコの債務返済猶予宣言を皮切りに、ラテンアメリカでは累積債務危機が爆発した。地域全体の累積債務の総額は、1975年の685億jから、1982年には3184億jへと急膨張した。

 ここでIMF(国際通貨基金)や世界銀行がラテンアメリカ諸国に押しつけたのが、構造調整計画と呼ばれる新自由主義政策だった。それは債務返済を最優先にさせるため、国内産業保護、外資の規制、社会福祉政策などを撤廃させ、規制緩和、自由化、民営化を各国に強制した。公務員の削減や社会保障支出の削減、増税や公共料金引き上げがおこなわれた。公共企業の民営化・外資への売却や貿易の自由化が進められた。

 その結果、80年代にはほとんどの国で経済成長がマイナスになり、国民経済は破壊された。80年から89年の間に、この地域の一人当たりの所得は15%低下し、都市部での最低賃金はペルーで74%、メキシコで50%低下した。失業者の総数は全労働者の約44%に達した。

 「失われた10年」と呼ばれたこの80年代をへて、90年代に入って米ソ二極構造が崩壊するなか、アメリカはラテンアメリカへの新自由主義政策に拍車をかけた。1990年、米大統領ブッシュが米州イニシアチブ構想を打ち出し、94年には米州自由貿易圏構想を発表した。

 だが、厳しい緊縮政策と民営化によって失業者は増大する一方、対外債務は減るどころか増加の一途をたどり、ラテンアメリカ全体で7000億jをこえた。1999年、この地域の貧困人口は43・8%にのぼり、改革の恩恵は一握りの富裕層に偏り、植民地時代にさかのぼるきわめて不平等な社会構造があらわれた。

 ベネズエラを見てみると、ペレス政府(1989〜1993年)は、累積債務問題の解決といってIMFと合意書を交わし、緊縮財政政策を実行した。公共料金の大幅引き上げ、各種補助金の縮小・廃止、基礎生活物資(コメ、小麦粉、粉ミルク、医薬品など)の価格統制の廃止・自由化、付加価値税の導入などが短期間に進められ、国民生活に打撃を与えた。

 ペレス政府は1990年、政府管理下にあった三つの銀行を売却し、91年にはVIASA航空と国営電気通信会社CANTVを民営化した。CANTVに対しては、米電機メーカーGTEや電話会社AT&Tなどが地元企業と連合をくみ、出資比率40%で経営権を獲得した。

 価格自由化によって物価が2〜3倍に高騰する一方、所得税の最高税率や輸入自動車の関税を引き下げた。89〜98年のインフレ率は年平均53%にのぼった。貧困層が1982年の33・5%から、99年の67・3%へ増大し、そのうち半数以上が極貧層だった。1989年のバス運賃の大幅引き上げをきっかけに国民の不満が爆発し、1000人をこえる犠牲者を出したといわれるカラカソ大暴動が発生した。


バス料金の大幅値上げを契機にしたカラカソ暴動


新自由主義反対のシンボルとなったチャベス政府

 こうして新自由主義に反対するたたかいがラテンアメリカ全域に広がるなかで、1999年2月のベネズエラを皮切りに、2003年にブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアで、2004年にはウルグアイで、新自由主義と米州自由貿易圏を支持する親米政府があいついで打倒され、反米左翼政府が誕生した。

 なかでもラテンアメリカにおける新自由主義反対のシンボル的な存在になったのが、1998年の大統領選で、40年続いた二大政党制を打ち破って誕生したベネズエラのチャベス政府である。

 チャベスは、腐敗した寡頭支配層を批判して、これまで政治から疎外されてきた大衆の政治参加を訴え、またアメリカの支配からの独立、新自由主義反対、富の平等な分配と貧困の撲滅を訴えて、広範な大衆の支持を獲得して大統領に当選した。チャベスはこの変革をスペインの植民地支配からのラテンアメリカの独立を訴えたシモン・ボリバルの名を冠して「ボリバル革命」と呼んだ。

 チャベスは大統領に就任すると、国民投票で憲法制定会議を設立し、ボリバル革命を掲げた新憲法を制定した。それによって政策決定の過程に国民が直接参加できるようになり、議員のリコール制が導入された。大企業や大地主の農地が農民に分配され、国民には食料、教育、医療、職業が保障された。石油資源は国家の管理下におかれ、領土内に外国軍隊が入ることは禁止された。

 ベネズエラの主要産業は石油であり、輸出総額の約80%、国庫収入の約50%、国内総生産の25%を占める。80年代以降、多くの基幹産業部門が民営化されるなか、ベネズエラ石油公社は国営企業として残ったものの、米多国籍企業と結びついた大企業が経営権を握っていた。チャベス政府は経営陣を刷新し、政府が管理運営権を完全に掌握した。

 チャベス政府は直接民主主義を制度化し、政治に国民を参加させることをめざした。全国各地に200〜400世帯を単位とする共同評議会をもうけた。共同評議会は予算を持ち、条例をつくることができ、地元の事柄について決定を下すことができる。また、教育、医療、食料助成、社会サービス、土地改革、環境保護などの社会開発計画への住民参加を制度化した。低所得者向けの住宅建設や医師の派遣、安価な基礎食料品の供給、低所得者向けの無料の食堂の運営、識字教育、失業者の職業訓練などがとりくまれた。

 こうした改革によって、GDPは2002年の920億jから2006年には1700億jと、4年間で倍近い増加となった。財政赤字やインフレが大きく改善され、失業率も1999年の16%から2006年には9・6%へと下がった。

米国排除して地域的統合へ

 ラテンアメリカのたたかいは、アメリカがNAFTA(北米自由貿易協定)を南北アメリカ大陸に拡大しようとした米州自由貿易圏構想を各国の反対で頓挫させ、ラテンアメリカ諸国民自身の力による真の地域的統合に向けたとりくみを発展させた。

 チャベス政府は、加盟国がアメリカとFTA(自由貿易協定)を結んだ3国グループ(G3。他の2国はメキシコとコロンビア)やCAN(アンデス共同体。コロンビアとペルーが対米FTA調印)から脱退し、2007年に南部南米共同市場(メルコスル)に加盟した。

 チャベス政府は石油資金を外交の武器に使い、同盟国キューバには好条件で石油を輸出するとともに、キューバからは医師や教師などの人材を多数導入して国内改革の力にした。2006年にはブラジル、アルゼンチン、ボリビアとともに、ベネズエラの石油と、同国およびボリビアの天然ガスを南米南部まで送るパイプライン網建設計画を打ち出し、アメリカの石油メジャーに対抗してラテンアメリカのエネルギー統合をめざした。

 また、アメリカが牛耳る米州開発銀行に対抗して、南米開発銀行を創設する構想を打ち出した。こうしたラテンアメリカ自身の立場を内外に知らせるため、キューバ、アルゼンチン、ウルグアイなどに働きかけて、2005年7月に国際テレビ放送網「テレ・スル」を発足させた。こうしたことはアメリカの南北アメリカ大陸支配に大打撃を与えた。

 戦後、アメリカは主権を持つ独立国の内政に干渉し、カネと軍事力で政府を転覆させ、新自由主義政策を押しつけるというやり方をくり返してきたが、それはことごとく失敗している。独立と民主主義を求める人人のたたかいに、さまざまな紆余曲折は避けられないが、そのたびに力を増していくことを押しとどめることはできない。
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焦る米国のベネズエラ転覆策動 石油暴落による混乱に乗じて反米政権を攻撃
2019年2月14日
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 国内経済の混乱が続く南米ベネズエラで、トランプ米政府が軍事介入を示唆し、大統領をすげ替えるための内政干渉を強めている。長きにわたって米国の「裏庭」といわれ、欧米の植民地支配に晒されてきた中南米において、新自由主義改革による収奪を拒否して政治・経済の自立を目指した「ボリバル革命」の成果を潰し、ふたたび対米従属へと逆戻りさせる動きがあらわれている。自国に従わないものには問答無用の制裁を課し、みずから困窮状態を作りながら「人道」を掲げて政権転覆を謀るという手口であり、事態がどのように推移するにせよ、そのなりふり構わぬ内政干渉への南米諸国の反発と国際的な批判は強まらざるを得ない。

 ベネズエラでは、反植民地政策を実行したチャベス大統領が死去(2013年3月)して以降、後継者であるニコラス・マドゥロ大統領が「21世紀型の社会主義」を掲げて国政の舵をとってきたが、米国の経済制裁を受けて国内経済は悪化の一途をたどってきた。

  

 その大きな引き金になったのが原油価格の暴落だ。現在、ベネズエラの原油確認埋蔵量は、サウジアラビアを抜いて世界最大規模を誇っている【棒グラフ参照】。1920年、オリノコ油田が発見されたことによって石油資源は外貨を稼ぐうえでの中心産業となったが、その収益の多くはベネズエラ石油公社(PDVSA)を操る寡頭支配勢力とその周囲をとり巻く中間層が独占し、国内で75%を占める貧困層の生活は貧しいままに置かれた。改革によって米石油メジャーの直接支配は排除されたものの、その後も蔓延する汚職と利権の拡大に国民の反感は高まり、1998年、史上最高の得票で大統領に就任したチャベスは、この石油利権にたかる利権構造を一掃し、収益の多くを医療や教育の無償化、社会保障の拡充、農地改革などの貧困層対策に注ぐ政策を進めた。2007年には100jを超えて高騰する原油価格を追い風にして、石油メジャーが介入を狙ってきたPDVSAをはじめとする主要産業の国有化に踏み切った。


チャベス前大統領

 国際的には、米国が覇権拡大の道具としてきた新自由主義にもとづく米州自由貿易地域(FTAA)や国際通貨基金(IMF)に対抗し、米州ボリバリアーナ対抗政策(ALBA)を中心にした経済協定をキューバやボリビアと結んで新たな貿易圏の確立を目指し、石油をキューバに好条件に輸出するかわりに医師や教師などの人材を導入して国内改革にも力を入れた。2000年代にはブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイなど中南米各国に続続と左派政権が生まれ、南米12カ国の政治統合を進める南米諸国連合の結成にも繋がった。

 経済力の弱いカリブ海と中米の国国との間で「カリブ石油協力体制」を発足し、2006年には、ブラジル・アルゼンチン・ボリビアとともに、ベネズエラの石油や天然ガスを将来的に南米南部にまで送るパイプライン建設計画を打ち出してエネルギー統合を進め、欧米の石油メジャーの支配から脱却する道を強めた。これらの改革は、キューバを除くほとんどの国で、植民地時代の寡頭支配が続いてきた中南米の歴史的な要求を反映して推し進められたものといえる。

 自国の覇権を脅かすこれらの動きを憎悪する米国は、ベネズエラ国内の旧支配勢力と結託して過去21年間に6回の大統領選挙に対抗馬を立てたものの一度も勝つことができず、2002年には軍の一部によるクーデターをけしかけてチャベスを拘束したり、石油公社のゼネストを仕掛けるなど干渉を強め、昨年8月にはドローン爆弾によるマドゥロ大統領の暗殺未遂事件まで起こした。

 現在、急激に進んでいる原油安【折れ線グラフ参照】も制裁措置の一環といえる。投機マネーが暴れ回る原油先物市場は、ベネズエラなどが加盟するOPEC(石油輸出国機構)の価格支配力はすでに失われ、その価格はエクソン・モービルをはじめ原油市場のシェアを寡占している石油メジャー(大手6社のうち3社が米企業)と巨額の余剰マネーを握る投機筋が操作するものとなっている。急激に進んだ原油安は、これらの投機マネーが原油市場から一斉に引き揚げられたことを意味しており、米国内でのシェールオイル増産とあわせて、ベネズエラや中東で反米の旗を振るイランなどの産油国経済を揺さぶるものとなった。

 石油収益に依存してきたベネズエラにとって原油価格の暴落は大打撃となり、デフォルト(債務不履行)寸前になるほど国内経済は危機に直面した。さらに米国政府は、ベネズエラへの制裁を強め、経済の支柱である国営石油公社PDVSAを標的にした経済制裁を発動。同社による石油の輸出を禁じ、米国内の資産を凍結した。それによってベネズエラは年間110億j(約1兆2000億円)の輸出収入を失い、70億j(約7700億円)もの資産が凍結された。ボルトン米大統領補佐官は、米国以外の第3国にもベネズエラ産の原油の取引をしないよう働きかけ、金融大手もあいついでPDVSA債権の取引停止に踏み切った。

 ベネズエラ産の原油は硫黄分の多い重質油であるため、米国から輸入するナフサを加えて希釈しなければ製品化できないが、米国内の資産凍結によって輸入できず石油生産そのものが滞る事態となった。ラテンアメリカ地政学戦略センターは、これら制裁によってベネズエラが受けた損失は、2013年〜17年で3500億j(約38兆5000億円)に上ると発表している。制裁と同時に米国の石油メジャーが、ベネズエラが保有するカリブ海の石油精製施設や輸送施設をあいついで封鎖、買収したことも指摘されている。


マドゥロ大統領

 制裁による物資不足と、自国通貨の価値を裏付ける石油の生産ができないなかで、ベネズエラ国内では物価高騰にともなうハイパーインフレが進行し、1月の物価上昇率が268万%にまで上った。年内には1000万%を超えるといわれ、国民は食料や医療品などの生活必需品も手に入らず、300万人が国外に脱出する事態にもなっている。米国政府は、これをチャベスやマドゥロ政府が進めた「反米社会主義」政策や、貧困層を救済する「バラ撒き」の結果であるとして批判を画一化し、日本の商業メディアもこれに追従しているが、そこに追い込んだ米国の関与を見過ごすわけにはいかない。ベネズエラ国内で起きている抗議デモは、チャベス以来の改革を否定するものでも、米国の介入を支持するものでもなく、むしろマドゥロ政府がこのような外圧の介入に有効に対抗できていないことに対する反発が大勢を占めていると現地のジャーナリストがのべている。

露骨きわまる内政干渉

 みずから作り出した混乱につけ込んでさらに介入を強めるトランプ米政府は、一昨年来、軍の一部を使ったクーデターを幾度も仕掛けてきた。だが、昨年1月の大統領選でマドゥロ大統領が再選されたため、国会で多数を占める野党が「野党の有力者が不当に排除された」「正統性がない」として再選挙を要求。親米路線への回帰を主張するグアイド国会議長が「暫定大統領」に名乗りを上げると、すぐさま米国政府は承認したうえ追加制裁を発動し、マドゥロ政府の退陣を要求した。


グアイド国会議長

 このグアイド国会議長と米国との背後関係が暴露されている。グアイドは、ベネズエラのベロ・カトリック大学で機械工学を専攻した後、ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学で政治学を専攻し、2005年から翌年にかけてセルビアに本部がある「非暴力行動応用戦略センター(CANVAS)」でトレーニングを受けた経歴を持つ。CANVASは、旧ユーゴのミロシェビッチ体制を倒すために1998年に作られた運動体「オトポール(抵抗)!」から派生した組織で、アメリカ開発援助庁(USAID)や共和党国際研究所(IRI)、投資家ジョージ・ソロスが設立にかかわる政府系NGOの全米民主主義基金(NED)などからの資金援助を受けている。民主化要求運動の活動家を養成することを目的としているが、米国務省やCIAの指令を受けて世界各地で活動し、中央アジアでの「カラー革命」や中東の「アラブの春」などで、米国政府の意図に従って反米的な政府の転覆に関与してきたことが広く知られている。

 米国やEUのうち17カ国がグアイドを大統領として承認しているものの、現状ではグアイド自身が国内で承認されたという実体はなにもなく、グアイドが主張する「大統領不在時は国会議長が職務を代行する」という憲法の規定もでっち上げであることが明らかになっている。

 グアイドは「私が大統領になれば欧米からの支援物資が得られる」と国民に支持を呼びかけているが、制裁によって経済的困難に追い込み、その苦しみを利用して政治的主導権を奪うという手法は、イラクをはじめ世界各地で米国が使ってきた常套手段である。

 米国自身も直接関与を隠そうとしない。ボルトン大統領補佐官(安全保障担当相)は、「ベネズエラの広大な未開発の石油埋蔵量のため、ワシントンはカラカス(首都)での政治的成果(クーデター)に大きな投資をしている」「アメリカの石油会社にベネズエラへの投資と石油生産を可能にすることができれば、それは経済的にアメリカにとって大きな利益をもたらす」と放言し、これに対してベネズエラのアレアサ外相は「もはやワシントンはクーデターの黒幕というよりも、攻撃の前線に立ち、暴力を煽って従順なベネズエラ野党に命令を出している。証拠はあからさま過ぎて米国内ですら疑う人はない」と反論している。

 この露骨な内政干渉に対して、ロシア、中国、イラン、シリア、トルコ、ニカラグア、キューバ、ボリビアなどは、「ベネズエラの権力簒奪(さんだつ)を正当化している」と批判を強め、メキシコ、ウルグアイ、ローマ法王庁、国連事務総長、EUは、米国協調とは距離を置いて対話を呼びかけているが、米国政府は「対話の時は終わった」と拒否し、ベネズエラの隣国コロンビアにある7つの軍事共用基地への兵力派遣も示唆している。兵糧攻めにするだけでなく、軍事介入の可能性までちらつかせて恐怖心を与え、ベネズエラ国軍と政権の分裂を促そうと躍起になっているものの、それは米国がベネズエラ国内で民主的な政権転覆ができるほどの影響力を持たず、依拠する基盤が極めて脆弱であることを物語っている。

 米国の常軌を逸したベネズエラ介入は、世界最大の埋蔵量を誇るベネズエラの石油資源への利権回復とともに、金、ボーキサイト、天然ガス、淡水などの豊富な資源を略奪すること、さらに中南米・カリブ地域を自国の「裏庭」としてきた「モンロー宣言」(米大陸を米国の単独覇権とする)を復権させ、社会主義キューバへの包囲を強化して反米勢力を抑えつけること、自国の覇権を脅かす中国・ロシア・イラン・トルコなどの関係を断ち切る意図を背景にしたものにほかならない。

 ベネズエラ国内の深刻な困窮を作り出したのは、自国への服従を目的にした米国による制裁であり、「人道」や「民主主義」を主張するのなら制裁を解除し、主権を踏みにじる内政干渉をやめることが筋といえる。軍事的、経済的な圧力を行使して主権を奪いとる凶暴さは、世界中で覇権が縮小しつつある米国の焦りの裏返しでもある。力ずくの略奪は植民地支配とたたかってきたベネズエラを含む中南米の反発を強め、国際的にも米国の孤立を一層深めることは疑いない。
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ベネズエラ転覆に乗り出す米政府 暫定大統領でっち上げる内政干渉 2019年2月2日
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 米トランプ政府がベネズエラのマドゥロ政府転覆策動に乗り出している。アメリカは昨年5月におこなわれたベネズエラ大統領選で、チャベス前大統領の反米・反新自由主義路線を踏襲するマドゥロ大統領が再選したことに反発。「不当に当選した」「不正なマフィア国家だ」と主張して承認せず、アメリカに忠実なグアイド国会議長を暫定大統領としてでっち上げた。そしてベネズエラの収入源である石油取引を停止する経済制裁を加えて、国内経済を崩壊状態に追い込み、米軍派遣までちらつかせて現マドゥロ政府退陣を迫っている。一主権国家であるベネズエラの大統領を、アメリカが力ずくで勝手に変えようとする異常きわまる「内政干渉」が顕在化している。

 米政府は1月28日、ベネズエラの国営石油会社に対し、アメリカへの石油輸出を禁止し、米国内の資産を凍結する経済制裁を科したと発表した。アメリカが二期目の大統領として認めていないマドゥロ政府最大の収入源を絶ち、退陣圧力をかけることが狙いだ。原油の確認埋蔵量世界一を誇るベネズエラは石油輸出が唯一の外貨獲得源で、アメリカは最大の輸出先である。これを遮断することで、ベネズエラの年間約110億j(約1兆2000億円)もの輸出収入を失わせ、さらに70億j(約7700億円)の資産も凍結し、大打撃を与えようとしている。

 ベネズエラではチャベス前大統領の死によって2013年4月にマドゥロ政府が発足したが、それ以後、欧米諸国から陰に陽に加わる退陣圧力がエスカレートした。そのなかで原油価格が低迷し、経済は破綻状態になり、昨年のインフレ率は約170万%に達した。物価高や物不足のなかで国民は配給に長蛇の列を作り、捨ててあるゴミ袋から食料を調達するほど貧困化が進んでいる。このベネズエラ国民の困難を助けるのではなく利用し、更なる「兵糧攻め」で巻き起こる批判の矛先をマドゥロ政府に集中させ、親米政府樹立を狙っているのがアメリカだ。

 今回の制裁についてアメリカ側は「制裁を解除して欲しければ、腐敗根絶にとりくむと明言しているグアイド暫定大統領の管轄下に入ることだ」(ムニューシン米財務長官)と明言した。ボルトン大統領補佐官(安全保障担当)は「ベネズエラの安定と民主主義はアメリカの国益に通じる」「すべての選択肢はテーブルにある」とのべ、軍事介入も辞さない姿勢を示した。米メディアは同補佐官が「コロンビア(ベネズエラの隣接国)へ米兵5000人」と走り書きしたノートを持っていたとも報じている。

 ポンペオ米国務長官は国連安保理の緊急会合で「すべての国はどちらにつくのか決めるときだ。自由の部隊を支えるか、それとも暴力集団と結託するかだ」とのべ敵意をむき出しにした。イギリスやオーストラリア、イスラエルなど親米諸国もアメリカの主張に同調している。

 他方、ベネズエラ側は「大統領選を望む帝国主義者たちには2025年を待ってもらおう」(マドゥロ大統領)、「子どもじみている」(アレサ外相)と猛反発している。中国やロシアが「外国への介入だ」と非難したほか、北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコも「われわれは世界のどこであれ、クーデターを企てる側の味方はしない」と表明。南アフリカが「他国の影響下で解決されるべきではない」と指摘し、EU加盟国のギリシャも「正当な大統領はマドゥロ」との立場をとっている。

 ベネズエラでは大統領選で再選されたマドゥロ大統領が1月10日に二期目をスタートさせた。しかし野党が多数を占める国会は「選挙の正当性がない」と大統領再任を認めなかった。「有力な野党政治家が排除されたまま実施された」「大統領は空位だ」と主張している。


制憲議会選挙の投票後、勝利を喜ぶベネズエラの人々(2017年7月)

 そして「大統領不在時は国会議長が職務を代行する」という憲法規定に則って、反マドゥロ派のグアイド国会議長が暫定大統領への就任を宣言(1月26日)した。するとアメリカやカナダなどの親米国がすぐさまグアイド国会議長を大統領として承認。その2日後にアメリカが経済制裁で援護射撃に動いている。米メディアはグアイド国会議長が昨年末、秘密裏にワシントンを訪れ、アメリカの支持をとりつけていたことも報じている。グアイド国会議長は、アメリカと連携した外圧の強化、反政府デモなどの世論扇動、軍隊の切り崩しに動いている。

 他方、ベネズエラ最高裁判所は「他国による内政干渉にかかわった疑いがある」として1月29日にグアイド国会議長の予備的捜査を検察に許可した。するとボルトン米大統領補佐官がツイッターに「グアイド氏を傷つけたり民主主義の転覆を試みたりすれば深刻な結果を招く」と書き込んでいる。こうした一連の事実はマドゥロ政府転覆を狙う黒幕がアメリカであることを示している。

チャベスの社会化踏襲するマドゥロ政府


 ベネズエラでは1958年に軍事政府から民主化して以後、1990年代初めまで民主行動党(AD)とキリスト教社会党(COPEI)による二大政党制が継続した。しかしこの二大政党は発足当初から政治的密約であるプント・フィホ協定を結び、選挙や重要施策をめぐって、必要なときはいつでも結託することをとり決めていた。そのため政治家や軍高官の汚職事件が頻発した。

 また1970年代までは石油開発や工業化政策で、右肩上がりの経済成長が続いたが、1980年代には一転して失速した。一人当りの国内総生産(GDP)は1983年をピークに急落し、90年代末には30年前の水準に落ち込んだ。中間層の所得が低下して貧困層が拡大し所得格差が拡大した。失業者が増え、道ばたで物を売ったり、家政婦など日雇いのような職業で生計を立てる人が増えた。

 このなかで1989年に登場したペレス政府が押し進めたのが国際通貨基金(IMF)の指図に基づく新自由主義経済政策だった。「インフレ抑制」を掲げて価格規制を廃止し、公共料金の引き上げ、国内ガソリン価格の引き上げ、各種補助金の縮小・廃止、付加価値税の導入を問答無用で実施した。バスなど公共運賃の引き上げが引き金となって国民の怒りが爆発し、1000人をこす犠牲者を出したカラカソ大暴動も発生した。


チャベス前大統領

 そのなかで1992年には新自由主義政策を批判したチャベスを中心とする若手軍人が主導しペレス政府打倒のクーデターを起こし、数カ月後には別の軍人が2回目のクーデターを起こした。この行動はどちらも失敗に終わったが、全国で新自由主義政策反対の抗議行動が拡大した。翌93年にはペレス大統領を辞任に追い込み、94年にはプント・フィホ協定を結んだ二大政党以外の候補が大統領選に勝利し、新自由主義政策反対を掲げるカルデラ政府が発足した。

 そして1998年に発足したチャベス政府は新自由主義政策と真反対の政策を推進した。「経済開発より社会開発の重視」を掲げ、豊富な石油収入を原資に、道路・鉄道などの都市インフラの整備、住宅建設などの公共投資に力を注いだ。1990年代に進んだ民営化の流れを逆行させ、食品流通、農業、製造業、観光業、航空業、公的金融機関など国営企業を多数新設した。失業対策では企業に解雇禁止措置を設けた。低所得者向けの住宅建設を進め、食品など基礎生活物資を低価格で提供するためにメルカルと呼ばれる国営流通・小売企業を設立した。

 こうした国内施策を基盤にしてベネズエラは、アメリカによる反新自由主義施策をはね返す中南米の拠点になっていった。現在のマドゥロ大統領はこのチャベスが進めた施策を基本的に踏襲してきた。そのためアメリカはマドゥロ政府を目の敵にして退陣に追い込もうとしている。

 この問題はアメリカにつくか、それ以外の国につくかというような問題ではない。米トランプ政府の介入は「アメリカのいうことを聞かないから、アメリカのいうことを聞く大統領にかえよ」というものであり、「一主権国家の内政や政治体制はその国の国民が決める」という民主主義の原則を否定する行為である。「一国の内政問題はそれぞれの国家の意思によって決められるべきで、他国が干渉してはならない」というのは国際法上の原則であり、国連憲章でも「内政不干渉の原則」を明記している。
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ベネズエラ政府の転覆狙う米国 反新自由主義の拠点に軍事介入企む 2017年8月24日
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制憲議会選挙の投票後、勝利を喜ぶベネズエラの人々(7月30日、首都カラカス)

民族主権回復の潮流拡大

 アメリカは東アジアにおいて北朝鮮に核攻撃もちらつかせた軍事挑発を強めているが、中南米で反米を貫いてきたベネズエラに対しても「軍事介入も選択肢」として恫喝を加えている。ベネズエラに対しては、とりわけ2013年のチャベス大統領の死後、親米反政府勢力を指図して転覆策動を図ってきた。世界一の原油埋蔵量を有するベネズエラ経済の崩壊を狙って、中東諸国を巻き添えにしながら原油価格の暴落を仕掛けてきたし、そのことによる政情不安につけ込む形で、目下、マドゥロ政府の倒壊を企む動きが顕在化している。アメリカがベネズエラに対してなにをしてきたか、現在どういう局面を迎えているのか見てみた。


 ベネズエラでは7月30日、憲法改定のための制憲議会選挙が実施され、親米勢力の妨害をうち破って勝利した。今回の制憲議会選挙は、国会で多数を占める親米野党勢力がアメリカの内政干渉のための道具となり、四月以降攪乱や破壊活動をくり返すなかでおこなわれた。


 チャベス前政府は新自由主義にもとづくアメリカの支配に反撃して主権を回復し、労働者や勤労人民のための諸改革をおこなってきたことで知られている。2013年のチャベス大統領の死後、それを引き継ぐマドゥロ政府に対し、アメリカは新自由主義政策による支配と石油資源の略奪を狙ってさまざまな攪乱・干渉をおこなってきたが、制憲議会選挙はこの妨害を打ち返す意味合いを持った。


 制憲議会選挙は親米野党勢力がボイコットし、あるいは全国150カ所の投票所を襲撃して投票できなくするなどの暴力的な妨害や投票行動への恫喝が加わるなかで、それでも有権者の41・53%を占める808万9000人が投票した。そして6120人が立候補し、545人の制憲議会議員が選出された。


 8月4日に開かれた初の制憲議会で、議長は「制憲議会は祖国をみずからのものにし、新自由主義を復活させようと企む国内少数派による深刻な紛争のなかから生まれた。制憲議会は暗黒の右翼独裁勢力にうち勝った」と表明した。制憲議会は発足後、ただちに親米野党勢力が多数を占める国会の立法権を剥奪した。

中南米諸国 トランプの恫喝に反発

 ベネズエラの制憲議会選挙の勝利に対して、多くの中南米諸国は支持を表明している。ボリビア、ニカラグア、エルサルバドル、キューバをはじめ中南米・カリブ海諸国の人民運動の代表300人は制憲議会を歓迎する共同声明を発表した。


 他方でトランプは「ベネズエラ独裁糾弾」を叫び、対ベネズエラ制裁に踏み出した。11日には「必要ならば、軍事介入の可能性も否定しない」と公言した。


 これに対しベネズエラの国防相は「狂気の沙汰」と強く糾弾し、米国政府を「世界を自分たちの思惑で動かせるとの考えを持つ、エリート諸国の頂点に立つ輩」と呼び、「もし本当にアメリカが攻撃を仕掛けてくるならば、国を防衛する」と真っ向からたたかうことを表明した。


 ブラジル外務省はトランプの発言直後に、「ベネズエラ問題は対話を通じて、平和的に解決されなければならない」との立場を表明した。これは8日にペルーのリマでおこなわれ、ベネズエラのメルコスル(南米南部共同市場)への参加資格停止を決定した会議の後に出された宣言とも立場を同じくするものだ。同宣言には、「国際法と内政不干渉の原則の完全なる順守のもとに、(ベネズエラ安定化のための)交渉を支持する」と記されている。


 中南米諸国はマドゥロ政府が国会をしのぐ権限を掌握する制憲議会を設置したことには批判する国国もあったが、アメリカによる軍事介入は断固として認めない立場を一致して強調している。


 制憲議会に抗議してベネズエラ大使を11日に追放したばかりのペルーのルナ外相も「国内外問わず、武力に訴えるとの脅しは、ベネズエラに民主的統治を復帰させるという目標や国連憲章に記された原則を阻害するものだ」と主張した。メキシコも「国連憲章に沿い、武力による威嚇や行使を拒絶する」と宣言した。コロンビアも同様にトランプの発言を批判する声明を出した。


 メルコスルは制憲議会設立を理由にベネズエラを無期限の資格停止処分とすることを決めたばかりであったが、12日の声明で「民主主義促進の唯一の手段は対話と外交だ。暴力や武力行使は拒否する」と表明した。


 こうした中南米諸国の反発を受けてアメリカのペンス副大統領は、トランプの発言の余波の火消しのため、コロンビア、アルゼンチン、チリ、パナマを歴訪し、「われわれには多くの選択肢があるが、ベネズエラ危機は平和的に解決できる」と各国でくり返した。


 13日には最初の訪問地コロンビアでサントス大統領と会談した。隣国ベネズエラと緊張関係にあるサントス大統領ですら、「軍事介入という考えは微塵ほども許されるべきではなく、“選択肢を捨ててはいない”という言葉さえ行き過ぎだ」とトランプ大統領に釘をさした。チリのパチェレ大統領も共同記者会見で「軍事介入もクーデターも支持しない」と明言した。こうした各国の表明に対して、ベネズエラのアレアサ外相は12日、「中南米を含む世界各国が団結し、武力行使を拒否したことに感謝する」と表明した。


 中南米諸国がアメリカのベネズエラに対する軍事介入に対して断固として反対を表明するのは、かつてどの国もアメリカから同様の軍事的な制裁を受けた経験を持つからである。たとえばチリでは1973年にアメリカから支援を受けた流血の軍事クーデターにより、アジェンデ社会主義政府が転覆した。現バチュレー政府は同政府の流れを汲んでおり、軍事侵攻絶対反対の立場をとっている。このほかの中南米諸国も戦後一貫してアメリカの軍事的経済的制裁の対象となり、政府転覆策動とたたかってきた歴史を持つ。


労働者5万人が米国の内政干渉に抗議(昨年6月、カラカス)

度重なる転覆策動 原油価格の下落も画策

 ベネズエラを見てみると、1999年にアメリカの新自由主義支配から主権の回復を掲げて立ち上がり、チャベス大統領が就任した。当時のアメリカ・ブッシュ政府は3年後の2002年にチャベス政府打倒のクーデターを計画する。これは失敗するが、アメリカの介入はそれで終わらなかった。アメリカがベネズエラに照準をあてて介入する主要な要因は、世界一の埋蔵量のある石油と世界第4位のガスを狙っているからにほかならない。アメリカは2006年にもクーデターを計画している。「親米民主的機関」に湯水のごとく資金援助し、チャベスの政治的拠点を切り崩し、チャベス派勢力を分断し、アメリカ企業を保護し、チャベスを国際的に孤立させる、といった計画を立てていたことも暴露された。


 アメリカ支配層は中南米諸国でアメリカの手先を育成するため、1946年にパナマにSOA(現在の名称はWHINSEC=西半球安全保障協力研究所)を設立した。対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などの訓練を実施するための機関で、1984年にパナマから追い出され、米国ジョージア州に移動して同様の活動をおこなっている。


 第2次大戦後に民主化の波が中南米にも押し寄せるが、それをアメリカはクーデターや軍事侵攻によって力ずくでつぶしてきた。キューバだけでなく、1954年のグアテマラ、64年のブラジル、71年のボリビア、73年のチリがそうであったし、現在もブラジル、アルゼンチン、ベネズエラなどで政権転覆をしかけている。こうした鋭い矛盾関係が、アメリカの軍事介入を拒否し、平和的な手段で問題を解決することを選択する力となっている。


 1999年にベネズエラでボリバル革命に人人が立ち上がって以来、中南米地域でボリバル革命の影響は拡大し、アメリカの支配力は弱体化している。新自由主義政策に従属するのではなく、地域統合によって民族主権を回復し、独立を勝ちとる勢力が台頭し、中南米においてはアメリカを排除することが地域の利益につながるということが共通理解となって広がっている。


 そのもとで、アメリカは中南米諸国での新自由主義復活のためにますます巨額の国家予算をつぎこみ、各国で反政府勢力を後押しして干渉を強めている。「環境開発」「人権の擁護」「民主主義の強化」などの旗を掲げて親米勢力にドルを支援し、アメリカの政策から逸脱した国国の政治的な出来事に頻繁に介入している。「米国国際開発庁(USAID、1960年代から開始)」に加えて「全米民主主義基金(NED)」、あるいは国際事件のための「全米民主主義機構(NDI)」「共和党国際研究所(IRI)」などを通じて、数千万jを親米勢力に支援しているとされている。全米民主主義基金(NED)は1982年11月に設立された。基金の目的は反共産主義と反社会主義である。現在国務省のもとで割り当てられる年間予算は1億3200万jをこえる。NEDは世界の70カ国以上で活動しているが、中南米ではベネズエラにおける資金提供が突出している。


 2002年以降、中南米ではアメリカが糸を引くNGOの数が目に見えて増大しており、ベネズエラにはとくに介入が激しい。USAIDとNEDが単独で1億jを投資し、親米野党勢力や300をこえる新しい組織をつくるために使われている。たとえばベネズエラではステアと呼ばれるNGOが2002年のクーデターに直接参加していたが、NEDから数万jを受けとっていたことが発覚した。こうした資金が、石油価格暴落による統治の揺らぎに効果的に作用して、目下、親米野党勢力が反政府活動を扇動し、内部から転覆策動を仕掛けて反米政府を揺さぶっている。


 ブッシュのベネズエラ転覆政策を引き継いだオバマ政府は2015年、ベネズエラを「米国の安全保障にとって重大な脅威」と位置づけ、マイアミに司令部を置く米南方軍を中心にクーデター計画を練ってきた。そして、当時の南方軍司令官であったジョン・ケリーがトランプ政府の首席補佐官に就任している。


 アメリカの目的は、政府転覆によって権力を掌握して新自由主義政策を復活させ、石油やガス資源を略奪するとともに、多国籍企業とくにアメリカ企業が利益を得るために国有財産の民営化をはかることにある。キューバと並んで近年は反米の旗手として台頭してきたベネズエラだが、これを徹底的に叩いて反米政府を転覆させることが、その他の中南米諸国への見せしめにもなる関係だ。


 この数年、ベネズエラの経済を揺さぶる大きな要因となったのは、石油価格の大幅な下落である。CIAは世界有数の産油国であるサウジアラビアやクウェート、イラクなどに過剰な生産増加政策をとらせ、世界的に過剰供給状態をつくり、石油価格の下落を操作した。その結果、中東の産油国もサウジアラビアを筆頭に財政危機を迎えたが、輸出の9割以上を原油に依存するベネズエラでも経済危機は深刻化した。


 2016年のベネズエラの原油価格は1バレル=24jと2014年の3分の1以下に下落した。15年1〜9月の経常収支は130億jの赤字に転落し、15年は同国の歳入は70%も減少した。チャベス大統領は、原油収入を元手に低所得者層への無料診療所や無償住宅建設などの福祉政策を充実させてきた。だが、原油価格下落のもとで経済危機は深刻化し、対外債務は膨らみ、15年9月時点で対外債務残高は1388億jと前年同期を5%上回った。


 この苦境のもとで、親米野党はIMF(国際通貨基金)の介入による対外債務の借り換えを主張してきた。ベネズエラは04年を最後にIMFの介入を拒否しているが、野党勢力は経済危機のもとで長年敵対関係にあるアメリカやその手先であるIMFとの対話を進める方向を推進した。IMFが財政破綻の各国に「救世主」のような顔をして乗り込み、財政援助と引き替えに市場開放を迫り、米多国籍企業や金融資本が食い物にしていく構造は、アジア通貨危機やアルゼンチンの破綻、ギリシャ破綻を見るまでもなく、既に嫌というほど見てきた光景である。このアメリカの世界支配を担う急先鋒の軍門に下るか否かは、ベネズエラにとってその主権がどうなるのかも含めてゆるがせにできない問題といえる。

80年代からの経験 新自由主義に反撃機運

 中南米諸国はアメリカが80年代初めから90年代にかけて新自由主義を先行して実施してきた地域である。80年代初めに債務危機が爆発し、地域全体の累積債務が膨脹した。累積債務危機からの脱出策として、アメリカがIMFや世界銀行を通じて押しつけてきたのが、構造調整計画と呼ばれる新自由主義政策である。その結果、中南米諸国は国民経済は破壊され、失業者は増大し、賃金は低下、高インフレのもとで貧困化は急速に進んだ。


 80年代から20年以上にわたりアメリカ主導の新自由主義のもとで苦難を押しつけられた中南米諸国では、2000年代に入って反撃が始まった。その端緒を切り開いたのが1999年ベネズエラのチャベス政府誕生だった。


 チャベスは中南米の解放と統合を掲げ、アメリカの支配からの独立、新自由主義反対、富の平等な分配を訴え、貧困層への福祉政策を充実させた。教育予算を倍加し、貧困層の児童の就学や無料給食を保障した。また公共投資を拡大して雇用を拡大させ、多国籍企業から農地を接収して農民に分配した。また、05年にはアメリカとの軍事的な関係も断ち、軍事顧問団の受け入れを中止した。


 ベネズエラに続いてブラジル、エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ウルグアイなどで新自由主義を支持する親米政府が打倒され、アメリカから独立した政府が次次と誕生した。ベネズエラのチャベスがキューバのカストロと接近し、これらの国国が中南米諸国の統合やアメリカ支配からの脱却へと進んでいくのに対して、これを全力で阻止して、アメリカの「裏庭」として隷属の鎖につなごうとする力が激突している。ベネズエラを巡る矛盾の根底に横たわっているのは、マドゥロの資質であるとか、制憲議会の善し悪しといった部分の問題ではない。


 アメリカ政府がベネズエラに対して執拗に経済的締め付けを強め、軍事的な脅しをかけて政府転覆を策動するのは、豊富な石油資源を狙っていることと同時に、ベネズエラが中南米地域において反米を貫き、新自由主義政策に反対する中心的な存在だからにほかならない。米多国籍企業や金融資本による搾取や社会の私物化を拒否する中心軸になっているからである。


 パクスアメリカーナが崩壊しつつあるなかで、それに抗うかのようにアメリカの狂暴さが増している。米国内を貧乏人だらけにした結果、市場は早くから狭隘化して頭打ちとなり、終いには消費の先取りであるサブプライムのようなインチキ証券をひねり出したが、その金融工学も世界中を巻き込んでパンクした。こうして世界中を搾取し続けるしか生き残りの道がないことに狂暴さの原因がある。しかし同時に、傲慢なる抑圧支配を断ち切り、民族の独立を求める世論が中南米地域全体に広がっており、植民地扱いを拒み、武力攻撃を許さない力も強まっている。


 中東、東アジアと同じように、中南米でも抜き差しならない緊張感を伴いながら反米闘争が激化し、アメリカの孤立化が進行している。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/4502


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2019.03.01
米朝首脳会談で合意に至らなかったのは米支配層の戦略から考えると必然的な結果

 ベトナムのハノイで2月27日と28日にかけて行われたドナルド・トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の会談で合意に至らなかった。トランプ大統領は金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、​朝鮮の李容浩(または李勇浩)外相は部分解除の条件として核施設の廃棄を提示したとしている​。韓国で伝えられている情報によると、アメリカ側は核プログラムの完全な廃棄だけでなく、生物化学兵器も含めるように求めたという。


 今回の会談にはアメリカからマイク・ポンペオ国務長官とジョン・ボルトン国家安全保障補佐官も参加している。シリアからのアメリカ軍を撤退させるというトランプ大統領の命令に公然と反対したコンビだ。ポンペオとボルトンは朝鮮半島、そして東アジアの平和を望んでいないだろう。


 かつてアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権はリビアと似たような交渉をしたことがある。その結果、リビアのムアンマル・アル・カダフィ政権は2003年に核兵器や化学兵器の廃棄を決定したが、アメリカは約束を守らずに「制裁」を続けた。そして2010年、バラク・オバマ大統領がムスリム同胞団を使った侵略計画のPSD-11を承認、カダフィ体制が倒されただけでなく、破壊と殺戮が今でも続いている。ヨーロッパより国民が豊かな生活を送っていたと言われるリビアの面影はない。


 日本では肯定的に捉える人がいる東西ドイツの統一も問題が多い。1989年にベルリンの壁が壊され、90年に統一されたのだが、その際の約束をアメリカ側は守っていない。ジョージ・H・W・ブッシュ政権のジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へこの軍事同盟を拡大することはないと約束していたが、今はロシアの国境近くまでNATOを拡大させ、ミサイルを設置、軍隊を配備して軍事的に脅している。


 トランプはベトナムのケースを口にするが、これも問題。アメリカとの戦争に勝利したベトナムだが、戦乱で国土は破壊されて惨憺たる状態。多くの人が殺され、インフラが破壊されただけでなく、化学兵器の一種である枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)やナパーム弾の影響も残っている。そうした中、後ろ盾だったソ連が消滅した。


 ソ連が消滅してから3年後の1994年にアメリカはベトナムへの経済戦争を中止するが、その代償としてベトナムは新自由主義を受け入れなければならなかった「毒饅頭」を食べることになったとも言える。しかもベトナム戦争中にアメリカ側が行った犯罪的な行為は不問に付され、ベトナムの庶民は低賃金労働者として西側巨大資本のカネ儲けに奉仕させられている。


 こうしたアメリカ支配層の行動は20世紀初頭にハルフォード・マッキンダーがまとめたハートランド理論に基づいているように見える。ユーラシア大陸を囲むように西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、またその外側に外部三日月帯を想定、内陸部、つまり中国やロシアを締め上げようというわけだ。そうした三日月帯の西の果てがイギリス、東の果てが日本である。日本はイギリスやアメリカにとって侵略の拠点であり、日本人は彼らの傭兵だと言えるだろう。


 この戦略を放棄しない限り中東や東アジアからアメリカ軍が撤退することは考えられない。この戦略に執着しているアメリカ支配層は朝鮮半島の平和も望んでいないだろう。


 現在、ロシアを中心に中国や韓国が計画している鉄道やパイプラインの建設計画は東アジアを経済的に結びつけるものであり、アメリカの支配層が認めるとは思えない。こうした面からも今回の米朝会談が不調に終わったのは必然だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903010002/



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2019.03.03
米軍がダーイッシュの盗んだ金塊を横取りしているとの情報

 ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)がイラクやシリアで盗んだ金のインゴット約50トンをアメリカ軍が自国へ運び去ったと中東では伝えられている。その代償として戦闘員たちの安全を保証しているのだという。


 アメリカが金を持ち去ったという話はこれまでにもあった。例えばウィキリークスが公表したシドニー・ブルメンソールからヒラリー・クリントンへあてた2011年4月2日付け電子メールに出てくるリビアのムアンマル・アル・カダフィ政権が保有していた143トンの金と同量の銀。(​フィナンシャル・タイムズ紙によると少なくとも143.8トン​)金は金貨ディナールという全アフリカ通貨に使われることになっていた。


 2014年2月にアメリカはウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させたが、その際、​ウクライナ政府が保有していた金のインゴットをアメリカへ秘密裏に運び去ったという噂​が流れている。同年3月7日の午前2時、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込まれたと言われている。その中身は金塊だというのだ。

 1991年12月にクーデターで消滅したソ連の場合、消滅の直前にゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)に保管されていた金塊2000トンから3000トンが400トン程度に減っていたとも言われている。クーデター派(CIA人脈とKGBの腐敗勢力)が盗み出したというのだ。


 日本軍にも金を盗んだという話が残っている。1918年に日本が革命直後のソ連へ派兵、22年まで留まっているが、そのときの話だ。この問題を最初に取り上げたのは憲政会の中野正剛で、持ち帰った金塊は1万2000キログラムに達すると考えられている。その大半は朝鮮銀行の下関支店に運ばれ、そこから大阪造幣局へ移され、またルーブル金貨は朝鮮銀行か横浜正金銀行で日本の通貨に換金されたと推測されている。


 中国では財宝の略奪作戦を日本軍は実行したことがわかっている。ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、その略奪作戦「金の百合」を指揮していたのは秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳。政府や金融機関が保有していたものだけでなく、裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪、その総重量は6000トンに達したという。


 こうした財宝の一部は日本へ持ち帰られたが、途中で船を使うことが困難になり、集積地だったフィリピンへ隠された。その隠し場所を聞き出すために日本軍の将兵はアメリカ軍に尋問されているが、その責任者はOSSのオフィサーだったエドワード・ランズデール。この人物は戦後、CIAの幹部として秘密工作に参加している。結局、アメリカの支配層は日本が略奪した財宝を横取りすることになる。


 大戦中、ドイツも金塊を略奪している。ヨーロッパの場合、財産は銀行に集中して保管されているため、容易に盗み出せたという。これがいわゆるナチ・ゴールドだ。この金塊の多くもアメリカ支配層が横取りしている。


 その一部はアルゼンチンへ運ばれたが、フアン・ドミンゴ・ペロンと結婚したエバ・ドアルテ(エビータ)はその財宝を庶民のために流用していたと言われている。エビータは1952年に33歳で死亡、弟のフアン・ドアルテは1954年に頭部を銃で撃たれて死んだ。自殺だとされている。ペロン政権は1955年に軍事クーデターで倒された。


 ラテン・アメリカではヨーロッパ人が膨大な貴金属を盗み、資源を略奪した。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山だろう。18世紀までにポトシ銀山だけで15万トンが運び出されたとされているが、実態は不明。それがヨーロッパ支配層の富になっている。イギリスが通貨を支配できたのは南アフリカを侵略、金鉱山を支配できたからだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903020000/



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2019.03.04
非核化で朝鮮側が米国側との交渉に熱意をなくしても不思議ではない(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903040000/

 朝鮮側から流れている情報によると、金正恩労働党委員長はドナルド・トランプ米大統領との朝鮮半島の非核化を目的とした交渉に興味を失った可能性があるという。


 アメリカの支配層と話し合っても意味はないと言う人もいるが、それは彼らに歩み寄るという発想がなく、交渉とは自分たちの意向に従うかどうかだからだ。しかも約束を守らない。朝鮮が交渉を続けるとしたなら、それは交渉自体に意味がある場合だけだろう。


 本ブログでは繰り返し書いているように、アメリカやイギリス、つまりアングロサクソン系の国々の支配層は20世紀初頭にハルフォード・マッキンダーがまとめたハートランド理論に基づいて今でも行動している可能性が高い。


 その理論とは世界制覇のためにはロシアを制圧する必要があり、そのためにユーラシア大陸の沿岸部を支配して内陸部を締め上げていかなければならないというもの。


 つまり、西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、またその外側に外部三日月帯を想定、内陸部に圧力をかけていこうというわけだ。そうした三日月帯の西の果てがイギリス、東の果てが日本である。


 イギリスは中国(清)を侵略して富を奪うため、1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年にかけてアロー戦争(第2次アヘン戦争)を仕掛けて勝利した。麻薬を売りつけるだけが目的ではない。


 戦争の結果、清は広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いを最初の戦争で認めさせられ、次の戦争では賠償金の支払い、天津の開港、九龍半島の割譲を認めさせられている。香港はイギリスによるアヘン密輸と侵略戦争の象徴だ。


 しかし、当時のイギリス軍に清の内陸部を支配する力はなかった。戦争でイギリス軍が制圧できたのは沿岸の一部地域だけ。内陸を支配するためにはそれなりの規模の地上部隊が必要だった。そこで目をつけられたのが日本だ。


 イギリスを後ろ盾とする薩摩と長州が徳川体制を倒して明治体制をスタートさせ、琉球併合、台湾への派兵、江華島での軍事的な挑発、日清戦争、日露戦争と続くが、これはイギリスの戦略に合致している。明治政府の支配層はそれが自分たちの私的な利益につながると認識していただろう。


 日本は関東大震災でウォール街に君臨していたJPモルガンの影響下に入ったが、この巨大金融資本は歴史的にイギリスのシティを拠点とする巨大資本の支配下にあった。


 アメリカでは1932年の大統領選挙でウォール街と対立していたニューディール派の大統領、フランクリン・ルーズベルトが勝利する。ルーズベルトを生んだ一族は支配層の一角を占めているが、自身が病気で下半身不随になったこともあり、その出身母体から離れたという。1933年から34年にかけてウォール街がニューディール派政権を倒そうとクーデターを計画したのはそのためだ。


 その1932年、つまりウォール街と強う結びついていたハーバート・フーバー政権の最後の年にアメリア大使として日本へ送り込まれたジョセフ・グルーはJPモルガンの総帥の妻の従兄弟。この人物は日本の政界、財界、そして皇族にも太いパイプを持っていた。第2次世界大戦後、日本の進路を決めたジャパン・ロビーの中心はジョセフ・グルーにほかならない。


 ちなみにグルーの妻は少女時代に華族女学校(女子学習院)で学んだことがあり、その曾祖父にあたるオリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903040000/


非核化で朝鮮側が米国側との交渉に熱意をなくしても不思議ではない(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903040000/

 アングロ・サクソンの長期戦略は1991年12月にソ連が消滅したことで目的をほぼ達成したように見えた。アメリカの支配層だけでなく、少なからぬ人がアメリカは唯一の超大国になったと信じる。そして1992年2月に作成されたのが潜在的なライバルを潰し、力の源泉であるエネルギー源を支配する戦略。国防総省のDPG草案という形で1992年2月に作成された。


 その当時のアメリカ大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官がディック・チェイニー、国防次官がポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツが中心になって書き上げられたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。


 当然のことながら、アメリカの支配層は属国である日本もこのドクトリンにしたがって政策を変更するように求めてくるが、反応は鈍かった。


 怒ったネオコンは自分たちでプランを作成する。それが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書き上げたことからナイ・レポートとも呼ばれている。


 この文書は日本に対して国連中心主義を放棄し、アメリカの単独行動を容認するように求めている。この年に日本はアメリカの戦争マシーンへ組み込まれたのだ。1995年は日本にとって節目となる年だ。


 その直前、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、ナイ・レポートが発表された翌月の95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その月の30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負っている。


 8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載されたことも無視できない。墜落当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。


 アンドヌッチらは上官から口外しないように命令され、10年の間沈黙を守っていたのだが、このタイミングで公表した。この新聞はアメリカ軍の準機関紙であり、アメリカ軍上層部が証言とその証言の掲載を許可、あるいは命令したのだろう。


 1995年に日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。沖縄県の普天間基地の返還合意が発表されたのはその翌年の4月。1995年に引き起こされたアメリカ兵による少女暴行事件が理由だとされているが、似たような事件は繰り返されてきたわけで、これは表面的な理由だろう。


 21世紀に入ってロシアはウラジミル・プーチンらによって再独立に成功、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提は崩れたのだが、このドクトリンも放棄されていない。ドクトリンを軌道に戻すため、アメリカの支配層はロシアや中国に対する攻撃を強めるつもりだろう。


 昨年(2018年)5月に米太平洋軍は米インド・太平洋軍へ名称が変更になった。担当海域が大幅に拡大したわけだ。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。


 中国は一帯一路と呼ばれる政策を推進、ユーラシア大陸の東と西を結びつけようとしているが、これを寸断するためにアメリカはジハード傭兵などを投入して戦争の種を要所要所にまいている。


 南シナ海や東シナ海を中国の船が自由に航行することをアメリカは阻止するつもりだろう。朝鮮半島が鉄道、道路、パイプラインが結びつけられることもアメリカ支配層は受け入れられない。彼らが認める朝鮮半島の統一とは、そこが自分たちの支配地域になる場合だけだろう。朝鮮側がアメリカへ全面降伏する意思がない以上、トランプ大統領と金正恩委員長の交渉が行き詰まるのは必然だったと言える。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903040000/



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2019.03.12
御仕着せの取材で書いた記事は権力者のプロパガンダにすぎない

 フアン・グアイドなる人物をベネズエラの暫定大統領に任命したのは事実上、アメリカ政府。ウゴ・チャベスが大統領選挙に勝利した1998年からアメリカ支配層は政権転覆を目論んできたが、グアイドの件もその延長線上にある。


 そのアメリカに従属している国、例えばオーストラリアやカナダのアングロ・サクソン国、日本、EU、ラテン・アメリカの属国、つまりアルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、コスタ・リカ、グアテマラ、ホンジュラス、パナマ、パラグアイ、ペルーなどの政府もグアイドを支持している。


 それに対し、ロシア、ベラルーシ、中国、トルコ、イラン、シリア、ラテン・アメリカではボリビア、キューバ、ニカラグア、エル・サルバドルなどは法律に則って大統領に就任したニコラス・マドゥロを支持している。選挙はアメリカなどよりはるかに公正なものだった。


 選挙で選ばれたわけでないグアイドを暫定大統領と表現すること自体、アメリカのクーデターに組していると言われても仕方がない。


 アメリカの支配層は目障りな政権や体制を転覆させる際、似た手口を使う。まずエリート層の買収、それがだめなら恫喝。さらに進んで暗殺やクーデター、状況によっては軍事侵攻だ。クーデターの前にはメディアや広告会社を使ってプロパガンダを展開、配下のゴロツキや労働組合、最近ではNGOを使って抗議活動を展開、それと並行して経済戦争を仕掛ける。


 鉱物資源を輸出している国を潰すために相場を暴落させることは昔から行われてきた。さらに活必需品が手に入らないようにしたり、逆に主要輸出品を売れないよう各国に圧力を加える。銀行や金融関係の国際機関は融資を止めたり、厳しい取り立てを始める。やることは犯罪組織と同じ。


 ベネズエラの主要輸出品は石油だが、2014年半ばから原油相場が暴落して経済状況は悪化する。9月11日にアメリカの国務長官だったジョン・ケリーとサウジアラビアのアブドラ国王と紅海の近くで会談しているが、その会談でも相場引き下げについて話し合われたと言われている。


 相場を暴落させる最大の目的はロシア経済を破綻させることにあったと推測されている。これは失敗に終わったものの、ベネズエラは大きなダメージを受けている。さらに経済戦争、要するに兵糧攻めにあって苦しくなったのは事実。


 アメリカ側でベネズエアラ攻撃を指揮しているのは殺戮と破壊を繰り返してきたエリオット・エイブラムズだが、そのグループのシナリオでは物資不足で社会が不安定化、ニコラス・マドゥロ政権に対する不満が爆発することになっていたのだろう。ところがロシア、中国、イラン、キューバなどからの人道的支援でそうした展開にはならず、店には商品が並んでいる。


 有力メディアの記者は予定稿通りに書いたのだが、それが事実と違うということかもしれない。予定稿があるとすると、それはアメリカ支配層のプランに基づいている。事前の調査が不十分で現地に情報網を持っていない場合、御仕着せの取材でそのプランを書くように仕向けられるだろう。現地へ行けば事実が見えるというものではない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903120000/



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2019.03.10
ウィキリークス弾圧に手を貸すことを拒否したマニングを米当局が再収監

 イラクを先制攻撃したアメリカ軍の実態を明らかにしたブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵が3月8日に再び収監された。アメリカの司法システムはウィキリークスに対する弾圧を正当化する証言をマニングにさせようとしたのだろうが、証言を拒否したからだ。


 2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ陣営の選挙対策本部長を務めたポール・マナフォートのケースでも言えるが、アメリカ支配層は司法取引などを利用して自分たちに都合の良い証言をさせようとする。往々にして偽証の強要だ。その手口がマナフォートやマニングの場合、成功しなかった。


 ウィキリークスの顔的な存在で、ロンドンにあるエクアドル大使館から外へ出られない状態にある​ジュリアン・アッサンジをアメリカの当局は2011年、秘密裏に起訴している​が、それに絡む証言をさせたかったのだろう。


 マニングが提供した情報をウィキリークスは公表するが、中でも衝撃的だったものは、​2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍のヘリコプターから銃撃、射殺する様子を撮影した映像​。2010年4月に公開された。


 スウェーデン検察は2010年11月、幹部の判断でアッサンジに逮捕令状を出した。レイプ容疑だが、嫌疑なしということで2017年に捜査は中止され、逮捕令状は取り消されている。それにもかかわらずアッサンジの軟禁状態が続いているのはアメリカ支配層の意向があるからだ。


 嘘の上に嘘を重ねて自由と民主主義の国という幻影を見せてきたが、事実はその幻影を消し去ってしまう。事実を封じ込めようと彼らは必死だ。


 2011年春にリビアとシリアへジハード傭兵を使って体制転覆作戦を始動、14年2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、いまはベネズエラの再植民地化に力を入れている。いずれも侵略を正当化するために嘘を拡散させているが、事実を明らかにする人びとが立ちはだかっている。


 嘘を広める役割を果たしているのは広告会社と有力メディア。最近は嘘から真実味が急速に失われ、厚顔無恥な人間でなければ騙されたふりをすることもできないだろう。大東亜共栄圏を宣伝していた記者たちを笑うことはできない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903090000/

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東京大空襲:恐るべき戦争犯罪に手を染めた米国 B-29が作った逃げようのない火炎地獄、人々はなぜ生きながら焼かれたのか
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/682.html

http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/8/4/600/img_843245e2c2451fa7da2485f7ca89c879247259.jpg
日本空襲を準備するB-29。飛行場を埋め尽くすほど大量のB-29が駐機している。(出所:米空軍博物館)

 3月10日は東京大空襲の日である。約300機の「B-29」が、現在の台東区、墨田区、中央区、江東区にあたる地域を空爆し、一晩で約10万人が犠牲になったとされる。

 当時、この地域は日本最大であるにとどまらず、世界でも有数の人口密集地であった。さらに、密集して建っていたのは木造家屋だった。

 米軍は関東大震災を研究し、この地域で大火災が起きれば民間人に恐るべき人的被害が発生することを知り、それを狙って実行したのである。

 実際、日本家屋を模した家を建て、焼夷弾の実験を行っている。勝てば官軍で不問となっているが、立派な戦争犯罪である。

 他の大都市の空襲や、東京を狙った他の空襲でも犠牲者は数千人レベルであり、原爆の被害を除いては10万人という犠牲者数は突出していた。米軍が狙った最大限の破壊が実現してしまったのである。

悪条件が重なり犠牲者が増えた
 東京大空襲の犠牲者が突出して多かった理由は、米軍の恐るべき狙いが目論みどおりに実現してしまったうえ、日本側に悪条件が重なっていたことだった。

 実は、東京大空襲以前の空襲は必ずしもうまくいっていなかった。また、すでに住宅地も空爆されていたが、あくまでも主目標は軍需工場であり、一般市民の住む住宅地を焼き払うことを主眼にしていなかった。

 サイパン島の基地が完成し日本の主要部分が攻撃圏内に入った後、最初に爆撃目標となったのは、航空エンジン工場である。

 最初に三鷹にあった中島飛行機武蔵製作所が空爆され、次が名古屋の三菱発動機であった。その後も明石の川崎、太田の中島、名古屋の三菱と航空産業を狙って爆撃していった。

 当初、編隊を組んだB-29が高度1万メートルを飛行し、軍需工場に精密に狙いを定めて爆撃するという方法をとった。しかし、爆弾を外しまくり、日本の航空産業は軍用機を作り続けた。

 空爆する時、日本の1万メートル上空を吹き荒れるジェット気流により機体が安定せず、照準器も強過ぎる風に対応できなかった。

 編隊を組む場合、他の飛行機に合わせるための操縦が必要になり、燃料を余計に消費する。また、当時の飛行機では成層圏の飛行は燃料消費が大きかった(ジェット機では高空の方が、空気抵抗が小さく燃費がよい)。

 燃料と爆弾はトレードオフになるため、最大9トンの爆弾を積むことができるはずのB-29だったが、初期の日本空襲では2トン強しか積めなかった。

 また、結論としては、日本はB-29を防げず焼野原にされたのだが、日本軍も少数ながらB-29を討ち取っていた。

 航空産業は潰されていないし、爆弾が落ちてきても被害は爆弾が落ちた周囲に限定されているし、日比谷公園には撃墜したB-29が晒し者になっているし、自分の住んでいる町では日常生活は続いている。

 既に市民にも犠牲者は出ていたが、東京大空襲の前はB-29の最大の破壊力はまだ発揮されておらず、日本側は空襲の本当の恐ろしさを体感するに至っていなかった。

 これも逃げ遅れなどの要因になり、被害の拡大をもたらしたことは想像に難くない。

 しかし、3月10日の空襲では、米軍は様々な新機軸を打ち出してきた。

 東京大空襲はこれまでの空襲と全く違うものだったのだ。以前のB-29は軍需工場を狙っていたが、3月10日の空襲では標的は都市全体だった。

 そして、軍需工場を爆弾の爆発力で破壊するのでなく、焼夷弾で大火災を起こすことで木造家屋の多い燃えやすい都市を丸ごと焼き払うことが計画された。

 1945年3月10日に多くの人々の命を奪った火炎地獄は東京大空襲で初登場だったのだ。

 軍需工場と違い、都市全体であればターゲットが大きいので外すことはない。だいたいの位置で爆弾を落とせばよい。

 より多くの焼夷弾を積むため、燃料を消費する編隊飛行と高空への上昇をやめ、必要な燃料を減らした。さらに防御用の機関銃も降ろした。結果、3倍近い重量の焼夷弾を積むことができた。

 こうした工夫により、より恐ろしい兵器をより大量に積んだB-29が襲ってくることになった。同じB-29でもこれまでよりも破壊力が強化されていたのだ。

 編隊飛行をやめていたことも日本側に災いした。

 大規模な編隊であれば目立つし何をやろうとしているか明らかであるが、個々のB-29がバラバラの方向から飛んできた場合、行動を捉えにくい。これが空襲警報の遅れにつながった。

 空襲警報が出た時には、すでに空襲の火災が始まっていた。空襲は深夜だった。空襲警報を聞いて起き上がった時にはすでに周囲は火の海だったという場合も多かったことだろう。

 当日の気象条件も悪かった。当日は強い北風が吹いていたという。火災の広がりは早かった。それだけでなく、レーダーは吹き飛ばされないように格納され、戦闘機も強風で飛び上がれなかった。日本側の迎撃もやりにくかったのだ。

 迎撃が難しいなか、これまでよりも破壊力を強化したB-29が火災に弱い下町の木造家屋に焼夷弾を大量に投下した。強い風も吹いていた。

 これで瞬く間に火炎地獄になった。火災は上昇気流を巻き起こし、さらに風が強くなる。炎の突風が吹き荒れる状態になった。

 消防隊は出動したが、消防車が火に巻かれ立往生したり、消防署が焼け落ちて消防士が全滅したりして、すぐに消防は機能しなくなった。

 放水を始めても、あまりに火災が強く、酸素を消費したので、酸素不足で消防用ポンプのエンジンが止まってしまったこともあったそうだ。

 空襲警報が遅れたから人々が逃げるのも遅れたが、さらにその場にとどまり火を消すことが命令されていたため、さらに事態を悪化させた。

 空襲された地域は広大だったことも逃げるのを困難にした。火災は南北では墨田区の北端から東京湾まで、東西では日本橋や上野から荒川まで広がった。仮に空襲圏外に出ようとしても、火の中を何キロも進むのは無理である。

被災者の生死は運次第
 路上でも火に巻かれるような状態の中、逃げるにしてもどこを向いても火である。どうすればよかったのか。

 多くの人々はコンクリートの建物や川を目指した。コンクリートの建物は木造の建物よりも燃えにくいし、耐熱性もありそうだ。川は防火壁として機能するだろうし、灼熱地獄から逃れるために川に飛び込みたいという欲求も加わる。

 しかし、東京大空襲の火炎地獄は普通の火災とはレベルが違った。窓が割れれば、そこから火炎が侵入し、コンクリートの建物も内部が焼き尽くされた。

 また、熱気で建物ごと蒸し焼きになってしまうこともあった。

 旧日本橋区の避難所と指定されていた明治座はコンクリートの建物であったが、多数の犠牲者を出すことになった。

 確かに荒川を超えて逃げることができた場合は助かったのだろう。しかし、被害地帯の中心を流れる隅田川に向かった人々には悲劇が待ち受けていた。

 川の向こう側へ逃げれば助かると思うのは自然なことである。隅田川にかかる橋には避難者が殺到した。しかし、東京大空襲では隅田川の両側が空襲されていたので、どちらに渡ろうとも火から逃れることができなかった。

 隅田川にかかる言問橋では、台東区側から逃げてきた人々の流れと、墨田区側から逃げてきた人々の流れが橋の上でぶつかり、進退窮まる状態となった。

 そこに焼夷弾が落ちてきた。人々が持っていた家財だけでなく人そのものにも着火した。文字通り筆舌に尽くしがたい状況になった。

 10メートル近い高さの橋の上から隅田川に飛び込んでも助からなかった。地上は火炎地獄だったが、寒い日が続いた3月の隅田川の水温は摂氏2度。多くの人が低体温症で命を落とした。

 皮肉なことに言問橋の墨田区側、旧本所区向島の河岸地域は焼け残った場所も多かった。墨田区側の避難民に関しては、言問橋に突っ込まず、河岸に留まっていれば助かった可能性が高い。

 実は、東京大空襲の火炎地獄の中でも、ぽつぽつと焼け残った地域があった。そうした場所に逃げ込んでいれば、結果論から言えば助かった。

 例えば、墨田区京島は非常に家屋が入り組んだ地域で、火災でここに逃げ込もうとは思わない場所であるが、周囲はすべて燃えたにもかかわらずこの地区は火災を逃れた。

 しかし、後から見れば焼け残る地域にいればよいと分かるが、空襲下ではどこに焼夷弾が降ってくるかも、火災がどのように広がるかもわからない。

 どこへ向かって逃げればいいか、どこまで逃げれば空襲されている地区から脱出できるのか知る術はない。

 また、どの建物であれば、火災に耐えられるかなど分かりようもない。1945年3月10日にあの場所にいた人々にとっては、生死はまったくの運次第だったのだ。恐ろしいことである。

 もう燃えるものがなくなったのか、火災は午前8時頃にはほぼ鎮火していた。

 昨日まで日本最大の人口密集地で家が立ち並んでいた墨田区、江東区、台東区、中央区北部の大部分が焼け野原になっていた。道には黒こげの遺体で、川は水死体で埋め尽くされていた。

http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/b/9/500/img_b9230825db9c535060e8f34a381b6196154614.jpg

隅田川西岸の東京大空襲被害地域 白く見える部分が焼き尽くされた部分である。右側に見える川が隅田川。(出所:米議会図書館)
 3月10日以降、都市を焼き払うことに味を占めた米軍は、名古屋、大阪、神戸と大都市を次々に焼き払い、大都市を焼き終わると、地方都市を焼き尽くしていった。

 東京大空襲ほどの被害規模にはならなかったものの、似たような地獄絵図が日本中に水平展開されていった。そして、8月15日の敗戦時、日本中が焼野原になっていた。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55732  




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2019.03.17
ジハード傭兵が失敗したシリアの体制転覆工作をICCが引き継ぐ動き

 国連の決定には関係なく​、ICC(国際刑事裁判所)はシリアのバシャール・アル・アサド大統領の起訴を目論んでいる​のだという。


 シリア軍による多くの残虐行為を目撃したというムスリム同胞団の某家族による訴えに基づき、人類への犯罪で起訴するのだという。シリアがICCに加盟していないことは無視されている。


 本ブログでも繰り返し書いてきたが、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、当初はトルコやカタールがリビアやシリアへの侵略に参加、その手先としてムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を主力とする傭兵が使われてきた。シリアで住民を虐殺しているのはこの勢力だ。


 シリアより1カ月前から侵略戦争が始まったリビアでもICCの名前が出てきた。侵略を正当化するため、「人権擁護団体」、西側の有力メディア、アメリカバラク・オバマ政権などは政府が兵士にバイアグラを配布り、レイプさせているという偽情報を流していたのだが、ICCのルイス・モレノ・オカンポ主任検察官も同じ主張をしていたのだ。


 しかし、このときはリビア情勢を担当する国連人権調査団のシェリフ・バッシオウニ団長からすぐに批判された。反カダフィ派が制圧しているリビア東部を訪れた際にそうした主張を耳にしたが、首都トリポリでは政府側の人びとが同じことを話していたが、そうした話を裏づける証拠は何もないとしている。「人権擁護団体」も被害者を見つけることができなかった。


 話はこれで終わらなかった。オカンポ自身がオフィスで女性をレイプしたことが判明したのだ。ただ、検察官には起訴されない特権があるため、罪に問われていない。また、起訴した相手を脅してカネを要求していたともいう。


 オバマ大統領はイスラム諸国での政権転覆を実行するため、2010年8月にPSD-11という指針を出したが、今回、アサドを訴えたムスリム同胞団はその主力と位置づけられていた。


 カダフィ体制が倒され、カダフィ自身が惨殺された後、侵略勢力は戦闘員と武器/兵器をシリアへ移動させるが、その工作の拠点はベンガジのアメリカ領事館やCIAの施設だった。


 その領事館が2012年9月11日に襲撃され、リビア駐在のアメリカ大使だったクリストファー・スティーブンスが殺されている。​その前日に大使はCIAの担当者と会談、襲撃当日は海運会社の社員と会っていたとジャーナリストのシーモア・ハーシュは主張している​。オバマ政権がムスリム同胞団を重用することへの反発からサラフィ主義者が襲ったとする説もある。


 ムスリム同胞団とサラフィ主義者との間に対立はあるようだが、シリア人から見れば両方とも侵略者にほかならない。その侵略勢力は崩壊状態。一部はアメリカの軍や情報機関が救出、保護したり次の工作地へ運んでいるようだ。ICCはそうした勢力に替わってアサド政権を倒すつもりなのだろうか?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903170000/



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2019.03.20
米国は20年前に偽情報を口実にしてユーゴを先制攻撃、その後同じことの繰り返し

 20年前の1999年3月23日に偽情報に基づいてNATO軍がユーゴスラビア空爆を初めて以来、アメリカの支配層は立て続けに先制攻撃を行っている。それまでもアメリカの支配層は偽情報に基づいて侵略戦争を始めるというパターンを繰り返していたが、それまでにない特徴がある。ひとつはユーゴスラビア空爆以降はひとつの戦略に基づいているということであり、もうひとつは有力メディアや広告会社の役割が飛躍的に大きくなったということである。


 その戦略はソ連消滅から始まる。1991年12月にボリス・エリツィンは独断でソ連を消滅させ、ロシア議会を戦車に砲撃させて議員を大量に殺傷し、ロシアの新自由主義化を推進していく。その間、92年2月にアメリカの国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心とするネオコンのグループはDPG(国防計画指針)草稿という形で世界制覇プランを作成した。


 そのプランの前提はアメリカが唯一の超大国になったということ。その地位を維持するために潜在的なライバルを事前に潰し、力の源泉であるエネルギー資源の支配を強化することが基本になっている。


 そのプランを実行する環境作りのために有力メディアはプロパガンダを展開するが、人びとを騙すための演出を考える担当として広告会社の存在感が強まった。1990年当時、旧ソ連圏への軍事介入を求めて有力メディアは世論を煽っていたが、その背後にも広告会社がいたはずだ。


 しかし、有力メディアが戦意高揚を図っていたにもかかわらず、ビル・クリントン政権は戦争に消極的だった。そのクリントン大統領は好戦派からスキャンダルで攻撃される。政権が戦争へ舵を切るのは1997年1月に国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代してから。オルブライトはヒラリー・クリントンと親しく、ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子だった好戦的な人物である。


 当時、ビル・クリントンは弁護費用だけで破産状態だと噂されていたが、その後、クリントン夫妻は大金持ち。噂が間違っていたのか、裏で何かがあったのだろう。勿論、夫と妻が一心同体だとは限らない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903200001/

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2019.03.30
脅せば脅すほど自らが「張り子の虎」だということを知られてしまう米国

 ドナルド・トランプ米大統領は3月27日、ロシアがベネズエラから引き揚げなければ、あらゆる手段を使って追い出すとクレムリンを脅した。同じ日にマイク・ペンス副大統領は選挙で選ばれたニコラス・マドゥロ大統領を独裁者と呼び、出て行けと恫喝した。ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官もロシアに対し、出て行けと叫んでいる。


 脅して邪魔者を排除するという手法はリビア、シリア、ウクライナでも使っていた。いずれも仕掛けたのはバラク・オバマ政権で、2011年春に始めたリビアとシリア、そして14年2月のウクライナで行った体制転覆作戦を同じ手口だ。


 このうちリビアではムアンマル・アル・カダフィ政権を倒し、カダフィ本人を惨殺した。ウクライナではビクトル・ヤヌコビッチ大統領を追い出し、ネオ・ナチが支配する体制を作り上げている。


 しかし、シリアでは政府軍が強かったこと、バシャール・アル・アサド大統領夫妻がアメリカなどの脅しに屈せず、逃げ出さなかったこと、前のケースの反省からロシアがNATO/アメリカの直接的な軍事介入を阻止、2015年9月からはシリア政府の要請で軍事介入したことなどの結果、アサド体制の転覆には失敗した。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカのリチャード・ニクソンはアメリカが何をしでかすかわからない国だと思わせることで世界を自分たちが望む方向へ導けると考え、イスラエルのモシェ・ダヤンはイスラエルを狂犬のように振る舞う国にすべきだと語った。


 「触らぬ神に祟りなし」と思わせるべきだということだが、これはネオコンの手口でもある。彼らは脅せば屈すると信じている。


 確かにこれまでは恫喝に大半の国、あるいは人びとは屈したのだが、シリアは屈しなかった。イランも屈しない。イラク国防省はアメリカ大統領の居座り発言に反発、同省の広報担当官を務めているタシーン・アル-カファジ少将は、他国を侵略するためにイラクの領土を使わせないと発言している。アメリカ軍の動きに対する不快感を表明したと言えるだろう。


 ジョージア軍との戦闘、クリミアでの手際、そしてシリアでの戦闘でロシア軍はその強さを世界に示した。同程度の規模の部隊が通常兵器で衝突した場合、アメリカ軍はロシア軍に勝てないことが明確になってしまった。おそらく、朝鮮がロシア、中国、韓国で進めているプランに乗った理由もそこにある。


 ロシアは3月23日、99名の兵員を乗せ、35トンの物資を積んだAn-124とIl-62の2機がカラカス空港へ到着した。トランプ、ペンス、ボルトンらの発言はこれを意識したものだが、ロシア政府は必要なだけ留まるとしている。


 かつてコンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で、​控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいない​と語ったが、それは事実。アメリカを信頼ししたり、まして尊敬して従っている人は少ないだろう。大半の人は怖いから従っているだけだが、その怖さが消えかかっている。「張り子の虎」だと考える人が増えている。アメリカを中心とする支配システムが崩れるのは時間の問題のように見える。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903300000/

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2019.04.01
ウクライナの大統領選挙でコメディアンが首位となり、4月に決選投票へ

 3月31日はウクライナの次期大統領を決める投票日だった。言うまでもなく、この選挙は2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除した体制が行うもので、ペトロ・ポロシェンコが現在の大統領。有力候補者はこのほかオリガルヒのユリア・ティモシェンコとコメディアンのボロディミル・ゼレンスキーだった。出口調査によると、ゼレンスキーが30%でトップ、ポロシェンコは18%、ティモシェンコは14%。ゼレンスキーとポロシェンコで4月21日に決選投票があると見られている。


 ウクライナでは2004年から05年にかけてロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させるため、アメリカなど西側支配層を後ろ盾とする勢力が「不正選挙だ」として抗議活動を展開した。いわゆるオレンジ革命だ。その時に西側が支援していた人物がビクトル・ユシチェンコ。2005年1月から2010年2月まで大統領を務め、新自由主義を導入した。その政策で大多数の庶民は貧困化、一部の腐敗勢力が巨万と富を築いてオリガルヒと呼ばれるようになる。


 そうしたオリガルヒのひとりがティモシェンコで、2005年1月から9月まで、そして07年12月から10年3月まで首相を務めた。彼女がいかにして蓄財したかを知っている人びとからは嫌われている。2010年にも大統領選挙に出馬するが、ヤヌコビッチに敗れた。そのヤヌコビッチをバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ったクーデターで2014年に倒したわけだ。ポロシェンコもオリガルヒのひとりで、チョコレート王、あるいはチョコレート・マフィアと呼ばれている。


 オレンジ革命の直前、2003年にジョージアでも政権が倒されている。いわゆるバラ革命だ。黒幕はアメリカ大使のリチャード・マイルズ。その前には、ユーゴスラビアで政権を転覆させている。マイルズはサーカシビリ支持の若者を扇動してシェワルナゼを辞任に追い込んだのだ。


 ポロシェンコとサーカシビリは国立キエフ大学の出身だが、そこでふたりは親しくなっている。サーカシビリは1994年にアメリカのコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。卒業後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。


 ウクライナの庶民はふたりのオリガルヒを選挙で拒否したのだが、アメリカ支配層を後ろ盾とするネオ・ナチが大きな影響力を持っている。誰が大統領になっても軍事的な緊張は続きそうだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904010001/



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2019.04.07
日産前会長のゴーンもゴーンを逮捕した検察も強欲さという点で大差はない

 東京地検特捜部は2019年4月4日に日産自動車の前会長、カルロス・ゴーンを特別背任の疑いで再逮捕した。ゴーンは2018年11月に逮捕され、長期拘留を経て19年3月6日に保釈されていた。


 4月2日にツイッターのアカウントを開設、「何が起きているのか真実をお話しする準備をしています。4月11日木曜日に記者会見をします」と発表していたことから、口封じのために再逮捕したと見る人もいる。


 しかし、テレビが使っている元検事の弁護士、いわゆるヤメ検は「再逮捕は無罪にしないという検察の強い意志の表れ」だとか、「そもそも、余罪の捜査中に保釈したのがおかしいですよ。今回の逮捕が異例なのではなく、保釈の方が異例だった」と検察側を代弁するようなことを口にしたようだ。


 ゴーンの事件にはふたつの問題が含まれている。ひとつはアメリカ主導で進められた新自由主義によって社会の富が1%に見たいない人びとへ集中し、大多数の庶民が貧困化している現実。ゴーンはそのシステムを象徴する人物のひとりだ。


 もうひとつは新自由主義の仕組みの中におけるゴーンへの攻撃が不自然だということ。ゴーンの強欲さを批判するなら、新自由主義の強欲さも批判しなければならず、それは疑惑が目白押しの安倍晋三政権の批判にもつながる。安倍政権と検察が敵対関係にあるとは到底思えない。


 新自由主義はフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの「理論」に基づいている。ハイエクは株式相場が暴落した後の1930年代に私的な投資を推進するべきだと主張、政府の役割を重視したジョン・メイナード・ケインズと対立していた。


 ケインズの主張を採用したのがフランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派。一方、ハイエクに学んだ学生の中にはデイビッド・ロックフェラーが含まれている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街はニューディール派の政策を嫌い、ルーズベルトが大統領に就任した直後の1933年から34年にかけてファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画、その準備をしていた。


 新自由主義が実際の政策として採用されたのはチリ。1973年9月11日にCIAを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトの軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権は倒され、アジェンデ大統領はその際に死亡した。


 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人が虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。こうした弾圧によって新自由主義が導入される下地が作られたのである。そうした政策を実行したのはフリードマンの弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。


 ピノチェト政権は大企業/富裕層を優遇する政策を実施、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱体化、低賃金で輸出型の小さな国を目指した。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。


 1979年から82年にかけてチリ政府は輸入を奨励、チリの通貨ペソが過大に評価されたことで贅沢品の消費ブームが起こるが、その一方で国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻。1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落した。


 一連の規制緩和でチリの銀行は外国の金融機関から多額の資金を調達、1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると倒産を防ぐために外国の金融機関は銀行の「国有化」を要求、彼らの債券は私有化された国有企業の株券と交換され、チリの年金、電話会社、石油企業など重要な企業を格安なコストでアメリカなど国外の巨大資本の手に入れてしまった。チリは欧米の巨大資本に乗っ取られたということだ。これを「チリの奇跡」と呼ぶ日本人もいた。


 日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘政権。1982年のことだ。この政権には田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴が内閣官房長官や総務庁長官として入っていたので自由にはできなかったようだが、それでも国鉄や電電公社の私有化などは進められた。


 日本という社会が本格的に「ぶっ壊された」のは小泉純一郎政権からだろう。その後継者のひとりが安倍晋三にほかならない。新自由主義者という点で、安倍晋三も、検察も、日産の日本人重役も、ゴーンも違いはない。皆強欲だ。


 日本の大企業は優位な立場を利用して中小企業から富を奪ってきた。それが下請けシステム。大企業の重役は会社を自分の財布のように使っていたことも秘密ではない。彼らが会社から離れたがらない理由はそこにあった。官僚も大企業に寄生している。検察や警察の裏金も指摘されているが、取り締まる仕組みは存在しない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904060000/



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2019.04.10
生活水準が欧州以上に高かったリビアを軍事的に破壊したのは米国などの外部勢力

 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が「民主化」という旗印の下で破壊されたのは2011年のことだった。それを西側では「アラブの春」と名づけたが、その実態はアメリカ、イギリス、フランスをはじめとする国々による侵略にほかならなかった。リビアの内部対立を利用、地上部隊としてのアル・カイダ系武装集団と連携したNATO軍による侵略したのである。


 侵略によって破綻国家と化したリビアでは現在、トリポリを拠点し、国連を後ろ盾とするGNA(政府)が存在している。そのトリポリにベンガジを拠点とする武装勢力のLNAが迫っている。


 LNAを指揮しているハリファ・ハフタルとは1960年からCIAに保護され、アフタルに従う武装グループはアメリカで軍事訓練を受けてきた。この武装勢力は2011年の侵攻作戦へも参加している。


 アメリカなどの侵略国はリビアより1カ月遅れてシリアに対しても同じような侵略戦争を始めたが、シリアはリビアと違って深刻な内部対立はなく、政府軍も強かった。


 それに対し、侵略勢力はサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵をシリアへ集中させ、武器/兵器も供給する。マイケル・フリン中将を局長とするDIA(国防情報局)が​2012年8月にホワイトハウスへ提出した報告書​の中で、バラク・オバマ大統領が主張するような穏健派は存在せず、主力はサラフ主義者やムスリム同胞団だと指摘している。


 武装勢力としてはアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げているが、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。ダーイッシュの出現を見通していたと言える。


 ダーイッシュが売り出されたのは2014年。その件でオバマ政権内は揉め、フリン局長は退役を余儀なくされる。


 退役後の2015年8月、アル・ジャジーラの番組に出演したフリンは司会者からダーイッシュの出現を阻止しなかった責任を問われたが、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、​その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目​だと答えている。オバマ政権の政策がダーイッシュを作り上げたと言える。


 そのダーイッシュは残虐さを演出、それを口実としてアメリカ軍は2014年からシリアに対する空爆を開始、シリア国民を殺すと同時にインフラを破壊していく。その間、ダーイッシュは勢力を拡大していった。


 オバマ大統領は2015年に戦争体制を強化する。つまり2015年2月に国防長官がチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、また統合参謀本部議長が同年9月にマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代になった。


 オバマ大統領が新議長としてダンフォードを指名したのは2015年5月。ロシアがシリア政府の要請で軍事介入したのはダンフォードが新議長に就任した直後の9月30日だ。ロシア軍はアメリカ軍と違い、侵略勢力を本当に攻撃、ダーイッシュの支配地域は急速に縮小していった。


 ロシア軍か介入しなかったリビアは殺戮と略奪が横行する破綻国家になったが、カダフィ時代はヨーロッパを上回る生活水準を維持していた。


 カダフィ体制では教育、医療、電力料金が無料、農業は元手なしで始めることができた。リビアが産油国だということもあるが、石油価格は1リットル0.14ドルにすぎなかった。欧米の食い物になってきたアフリカを自立させるために独自の通貨、ディナールという金貨を導入しようとした。これが欧米支配層を恐怖させ、軍事侵略に踏み切らせたと言われている。


 シリアでダーイッシュなど傭兵集団が敗走していた2016年、LNAのハフタルはロシアを訪問、軍事的な支援を求めた。門前払いにはしなかったが、すでに破綻国家と化しているリビアに対する本格的な支援をロシアは約束していない。


 アメリカのマイケル・ポンペオ国務長官はリビア情勢について「軍事的な解決はない」と発言しているが、軍事的にリビアを破壊したのはアメリカをはじめとする勢力だった。まさに笑止千万。


 ロシアのウラジミル・プーチン大統領は2015年9月28日、シリアへ軍事介入する直前に国連の安全保障理事会で演説し、その中で「民主主義や進歩の勝利ではなく、暴力、貧困、そして社会的惨事を我々は招いてしまった。生きる権利を含む人権を少しでも気にかける人はいない。こうした事態を作り上げた人びとに言いたい:あなたは自分たちがしでかしたこと理解しているのかと。」そして「うぬぼれ、自分は特別で何をしても許されるという信念に基づく政策は捨てられなかった。」と語っている。


 言うまでもなく、この「あなた」はアメリカをはじめとする西側の好戦派を指している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904100000/


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『記者たち 衝撃と畏怖の真実』 ロブ・ライナー監督
長周新聞 2019年4月25日
 ロブ・ライナー監督が制作したこの映画は、2001年9月11日、アメリカで発生した同時多発テロ以後、アフガニスタン、イラク戦争へと突き進むアメリカ政府の動きに疑問を持ったナイト・リッダー社の記者たちが粘り強い取材を重ね、「イラクが大量破壊兵器を保持している」という政府の大がかりな嘘を暴いていった実話だ。急激に戦争へと世論が煽られるなかで、記者たちが孤立し葛藤しながらも真実を報じ続けた様子を、当時の実際の報道映像をまじえながら描いている。9・11以後の米国メディアの検証を通じて、ジャーナリズムのあり方を投げかける作品だ。

 副題の「衝撃と畏怖」とはアメリカのイラク侵攻の作戦名である。同時多発テロ以後、アメリカ国内では貿易センタービルが崩落する映像がくり返し放映され、愛国心が称揚される異様な空気のなかでブッシュが発する「テロとの戦い」に向けて世論が急速につくられていった。首謀者としてイスラム系テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンが浮上し、テロ発生直後の10月7日にはビンラディンを匿っているアフガニスタンへの空爆を開始、同月26日には米国愛国者法が成立する。

 そうしたなかで、31の地方紙を傘下に持つナイト・リッダー社のワシントン支局長であるジョン・ウォルコットのもとに、ブッシュ政府がアフガンだけでなくイラクに侵攻しようとしているという情報が入る。事実を確認するため、取材を命じられた国家安全保障担当の記者ジョナサン・ランデーと外交担当の記者ウォーレン・ストロベルは、安全保障や中東問題の専門家、国務省、国防総省などの政府職員、外交員らに地道に取材を重ねる。丹念な取材を続けるなかで、ビンラディンとイラクのサダム・フセイン大統領がつながっている証拠はなく、むしろ専門家は否定していること、にもかかわらずアメリカ政府がイラクとの戦争を画策していることが明らかになっていく。

 ナイト・リッダー社はそれらを発信していくが、政府の思惑に乗ってニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど主要紙をはじめ多くのメディアで、9・11テロ事件の背後にイラクがいるとする報道や、大量破壊兵器を製造しているとする報道が急増していき、イラク戦争開戦前年の2002年秋にはニューヨーク・タイムズが、イラクが核製造部分の密輸を加速させているとするスクープを報じる。濃縮ウラン製造のためのアルミ管の密輸をヨルダンで食い止めたという政府高官の発言を報じたもの(後に「アルミ管記事」として物議を醸す)だ。新聞報道と同日朝にチェイニー副大統領補佐官がNBCの番組に登場し、続いてライス国家安全保障担当補佐官が同様にテレビ番組でこの報道を裏付ける発言をするなどし、「イラクが大量破壊兵器を保有している」という嘘が、真実としてアメリカを覆った。のちにこの情報は政府関係者がわざとリークしたものであることが明らかになった。

 大手メディアが政府情報を無批判に垂れ流し、怒濤のように嘘が氾濫するなかで、ナイト・リッダー社の記者たちは真実を探求して地道に取材を続け、記事を書き続ける。「われわれの読者は基地がある町にいる。もしすべてのメディアが政府の広報になるならやらせとけ。われわれは子どもを戦場に送る親たちの味方だ」「政府がなにかいったら必ずこう問え“それは真実か”」。そう檄を飛ばすウォルコット支局長。

■真実の報道を貫いたことで集まる重要告発

 政府を批判する記事を書き続けるナイト・リッダー社の記者たちは、政府中枢からの情報を得ることはできない。彼らが取材していったのは政府組織や軍の末端職員たちや専門家などだった。だが、そんな彼らのもとに、大義なき戦争に突き進もうとする政府に憤りを持つペンタゴンをはじめ政府組織の末端職員らから告発が寄せられる。秘密の戦略室があり、そこでは先に描いたシナリオに沿って都合のいい情報を集めてくるという、情報収集の原則に反した活動がなされていること、イラクの核査察では「駱駝(ラクダ)のケツの穴まで探した」が、大量破壊兵器など発見されなかったこと−−。こうした義憤に燃える人人の告発にもとづいて取材を進め記事を発信し続ける。

 しかし、傘下の新聞社に記事の掲載を拒否されたナイト・リッダー社はなすすべを失い、しだいに孤立していく。身内からも裏切り者呼ばわりされ、「自分たちの報道は間違っているのか」と葛藤しながらも、4人は理解ある家族に支えられながら、記者魂を奮い起こして取材を続けていくのである。

 映画では実録映像をまじえて、当時のアメリカ国内がイラク侵攻一色に染まっていたわけではないことを伝えている。2002年10月に対イラク武力行使容認決議を採択した米議会では、ヒラリー・クリントンらが賛成演説をする一方で、民主党長老のロバート・バード議員が、嘘の情報で開戦したベトナム戦争で多くの命が犠牲になった悔恨から、渾身の反対演説をする様子や、イラク開戦に反対する大規模なデモがおこなわれた映像も映し出される。

■ジャーナリズムの役割を問う

 アメリカは2003年3月20日、イラク侵攻を開始した。「数日で終了する」とうそぶいて。だが、同年5月にブッシュ大統領が原子力空母エブラハム・リンカーン艦上で「任務完了」の横断幕を掲げ、イラク戦争の戦闘終結宣言をおこなった後もイラクの戦況は泥沼と化し、多くのイラク市民、アメリカ兵が犠牲になった。本作に登場する元陸軍兵士の若者も9・11後、愛国心から両親の反対を押し切って19歳で志願し、イラク派遣からわずか1週間で爆発物によって下半身が麻痺した。彼の「なぜ戦争を?」という問いかけは、この戦争で犠牲になったすべての人人の問いかけでもある。

 後にナイト・リッダー社が当時配信した内容はすべて事実であったことが明らかになり、ニューヨーク・タイムズなどメディア各社は謝罪することとなった。映画からは、政府の嘘を覆すことができず、イラク開戦を阻止できなかった一種の無力感も伝わってくるが、戦争という局面にさいしてジャーナリズムが真実にどう向き合うのかを改めて問いかけている。政府の広報機関になり下がったメディア各社が、「取材する」という基本的な作業すらせず根拠のない嘘情報を垂れ流していったさまは、権力者にいかに情報を与えてもらうかを競い、飼い慣らされている今日の日本の報道のあり方と重なる。

 映画のラストでいくつかの数字が示される。

▼現在までの戦費 2兆j
▼アメリカ兵の犠牲者 3万6000人
▼アメリカの攻撃で犠牲 になったイラク市民 100万人
▼大量破壊兵器 0

 地道にみずからの足を使って取材し、権力者の嘘を暴き、権力の横暴を批判するというジャーナリズムが果たすべき役割の重大さを投げかけている。

https://www.chosyu-journal.jp/review/11546






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2019.04.30
再び存在感を誇示し始めたダーイッシュが米の敵、トルコや中国を攻撃する可能性

 ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の指導者とされる​アブ・バクル・アル・バグダディの映像がインターネット上にアップロード​された。この武装集団は4月21日にスリランカであった爆破事件を実行したのは自分たちだと主張している。


 当局の発表によると、直接的な実行者は地元の武装集団、ナショナル・タウヒード・ジャマート(NTJとも表記される)に所属する7名で、その集団の指導者と言われているモウルビ・ザフラン・ハシムはダーイッシュを支持する発言をしている。


 ジョージ・W・ブッシュ政権の命令でアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、サダム・フセイン政権を倒したのは2003年3月のこと。その翌年にダーイッシュはAQI(イラクのアル・カイダ)として組織されたと言われている。


 2006年にISI(イラクのイスラム首長国)が編成された際、このAQIは中核になり、2010年にISIのリーダーになったのがアブ・バクル・アル・バグダディだという。


 調査ジャーナリストの​シーモア・ハーシュが2007年にニューヨーカー誌に書いた記事​によると、それまでにジョージ・W・ブッシュ政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派と手を組むことにしたという。


 アメリカ政府を動かしていたネオコンはフセイン体制を倒した後に親イスラエル政権を樹立するつもりだったが、その計画は失敗し、イラクの多数派であるシーア派が主導権を握ってしまった。その結果、同じシーア派のイランと接近する。


 2009年1月にアメリカ大統領となったバラク・オバマは翌年の8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトを始めた。スンニ派の過激派とはサラフ主義者やムスリム同胞団を指しているので、オバマはブッシュ・ジュニア政権の方針を引き継いだ、つまりチェンジしなかったと言えるだろう。


 そして2010年12月にチュニジアでいわゆる「アラブの春」が始まり、11年2月にはリビア、3月にはシリアで戦争が勃発する。当然のことながら、いずれもムスリム同胞団が中心的な役割を果たした。


 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、戦闘員や武器/兵器はトルコ経由でシリアへ運ばれるが、その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団LIFGの連携が明らかになった。カダフィ体制が倒された直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられたのは象徴的な出来事だった。(​ココ​や​ココ​)


 ​輸送の拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設やアメリカの領事館​で、アメリカの国務省はそうした行為を黙認していた。​マークを消したNATOの輸送機​が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。


 アメリカ領事館は2012年9月11日に襲撃され、大使だったクリストファー・スティーブンスが殺された。​領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたとされている​。ちなみに、当時のCIA長官はデイビッド・ペトレイアス、国務長官はヒラリー・クリントンだ。


 襲撃の前月にアメリカ軍の情報機関DIAはホワイトハウスに対し、シリア情勢に関して報告している。​その中でシリアで政府軍と戦っている武装勢力はサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)、ムスリム同胞団、アル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)​だとしている。ちなみに、アル・ヌスラの主力はサラフ主義者やムスリム同胞団だ。


 アル・カイダ系武装集団との連携が露見していたバラク・オバマ政権は「穏健派」を支援していると主張していたが、そうした勢力は存在しないと報告している。オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。ダーイッシュの出現を見通していたと言える。

 ISI(イラクのイスラム首長国)は2013年に活動範囲がシリアへ拡大し、西側ではシリア(Syria)のSを加えてISIS、またはレバント(Levant)のLを加えてISILと呼ばれるようになるが、現地での呼び名はダーイッシュ。2014年に売り出された当時のダーイッシュは残虐性を演出、アメリカ主導軍のシリア空爆の口実に使われる。


 アメリカ主導軍とダーイッシュの連携でリビアと同じように体制を転覆させようとしたのだろうが、シリア軍がリビア軍と違って強かったことに加え、アメリカ政府が大規模な軍事介入へ入る動きを見せる中、2015年9月30日にロシアがシリア政府の要請で軍事介入し、ダーイッシュを含むジハード傭兵の支配地域は急速に縮小していく。


 そこでアメリカ軍は手先をクルド勢力に切り替え、ダーイッシュが支配していた油田地帯をアメリカ軍が占領していく。現在はイラクで同国政府の抗議を無視して軍事力を増強、中東支配の拠点にしようとしている。


 敗走したダーイッシュなどの戦闘員をアメリカ軍は救出、アフガニスタンなどへ運んでいると言われているが、出身国へ戻る動きもあり、東アジアでの活動も活発化している。


 例えば、2017年5月にはフィリピン南部にあるミンダナオ島のマラウィ市をダーイッシュ系だというマウテ・グループやアブ・サヤフが制圧、普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が数十年にわたって続けられてきたインドネシアでは2016年1月にジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があった。ミャンマーのロヒンギャが住む地域や中国西部の新疆ウイグル自治区へも戦闘員が潜り込んでいると言われている。


 新疆ウイグル自治区、アフガニスタン、スリランカ、インドネシアは中国が進める一帯一路の重要な場所。次のターゲットはトルコになるのではないかとも言われている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904300000/



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2019-04-26
国際情勢の大変動を見抜く!-9〜東欧カラー革命は対プーチン戦争〜
http://www.kanekashi.com/blog/2019/04/6221.html

ソ連崩壊後の金貸しによるグローバル化、民営化によって登場した(主に)ユダヤ系新興財閥の主要メンバー達は、次々とプーチン大統領によって排除されていったが、最後までプーチン大統領に抵抗したのがミハイル・ホドルコフスキー。

彼を支援したのが、イギリスのジェイコブ・ロスチャイルド卿とアメリカのキッシンジャー元国務長官。

因みに、キッシンジャーはご存知のとおり、ロックフェラーとの繋がりが深く、バリバリのネオコン派で、TPP、グローバル化推進では主に裏舞台で活躍してきた。ところが、近年はトランプ大統領と親近性を高め、中国習近平やプーチンとの関係をも深めており、民族派への転換が噂されている。(故に動きには注目していく。)

彼らを敵に回してもプーチン大統領は怯むことなく、ホドルコフスキーを逮捕投獄。石油利権が金貸しの手先に渡るのを見事に阻止した。

本丸の取り崩しが失敗に終わった金貸しは、今度は旧ソ連諸国、つまり外堀を埋める動きにでる。いわゆる東欧カラー革命がそうで、グルジアの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」、そしてキルギスの「チューリップ革命」すべて金貸しの画策です。

手口は三つとも判を押したようにすべて同じ。新露派の国家首長が選挙で勝利したが、不正選挙だとして市民デモや暴動が起き再選挙。結果、親欧米派が勝利を納めるというもの。

デモや暴動を扇動したのはいずれも反体制NGO。その黒幕はジョージ・ソロスという。そのシナリオ通りに事が進んだ。

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E6%94%AF%E9%85%8D%E8%80%85%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E9%A6%AC%E6%B8%95-%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/406219175X/ref=sr_1_1?adgrpid=57028848367&hvadid=338514114426&hvdev=c&hvlocphy=1009549&hvnetw=g&hvpos=1t1&hvqmt=e&hvrand=7278385446062088875&hvtargid=kwd-334868628383&jp-ad-ap=0&keywords=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E6%94%AF%E9%85%8D%E8%80%85%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93&qid=1556014387&s=gateway&sr=8-1


からの紹介です。

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■ロシアの国富をアメリカ資本主義に譲り渡す行為

ベレゾフスキーとグシンスキーの追放以降、新興財閥による政治介入は収まったかに見えました。新興財閥の実力者の一人アブラモビッチは、今やロシア政治ではなくサッカーに関心を寄せています。イングランド・サッカーの名門チェルシーを所有しているのが、アブラモビッチなのです。

そうして政商としては腰砕けになった新興財閥の中で、最後までプーチン大統領に抵抗したのがミハイル・ホドルコフスキーでした。プーチン大統領とホドルコフスキーとの戦いはアメリカやイギリスを巻き込んだ国際的性格を帯びることになります。この闘争の内実を理解することが、現在のウクライナ危機の本質を理解することにつながります。

プーチンとホドルコフスキーの対決は、2003年に決戦を迎えました。プーチン大統領は、石油王手ユーコスの社長であったホドルコフスキーを逮捕したのです。10月のことでした。表向きの理由は脱税です。脱税容疑は単なる逮捕の口実ではありません。実際、ホドルコフスキーは国内オフショア制度を悪用して、他の主要な石油会社が24パーセントの税金を払っているにもかかわらず、わずか12パーセントしか払わなかったのです。しかし、逮捕の本当の理由はホドルコフスキーがプーチンとの約束を破って政治に口を出したことでしょう。

彼は、プーチンに反対する政党をイデオロギーに関係なく反プーチンであるという理由だけで支援したり、自ら2008年の大統領選挙への出馬を公言するようになりました。プーチンにしてみれば、ビジネスに特化していれば少々の脱税くらいは目をつぶることができたのかもしれませんが、自らの政治生命に挑戦するがごとき挑発行為は決して許せないと感じたことは想像に難くありません。

もう一つの決定的理由は、ホドルコフスキーと欧米との緊密な関係です。ユダヤ系のホドルコフスキーは当然欧米のユダヤ系の指導者たちと親しい関係にありました。その一人がイギリスのジェイコブ・ロスチャイルド卿でした。ホドルコフスキーはロスチャイルド卿と組んでNGOの「オープン・ロシア財団」をロンドンに設立しました。読んで字の通り、「ロシアを欧米世界に開放する」というもので、ロシア民族主義者たるプーチンを刺激する活動です。続いて、アメリカにも事務所を開設、なんとユダヤ人のキッシンジャーを理事に招聘するのです。こうなると偶然ではなく、ユダヤ系であるホドルコフスキーが欧米の主要なユダヤ人脈を意図的に活用したといえそうです。

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この欧米との関係緊密化は財団設立にとどまりませんでした。最終的にプーチンにホドルコフスキー逮捕を決断させたのは、アメリカ石油メジャーとユーコスとの提携問題であったと思います。ユーコスはシブネフチ(アブラモビッチ所有)のと合併することになっており、この世界有数のロシア石油会社はアメリカ石油メジャーのシェブロンやエクソンモービルに40パーセントにも及ぶ株を売却する交渉が進んでいたのです。

この一連の動きは、プーチンにとってロシア国家の富をアメリカ資本に事実上譲り渡す行為と映ったとしても不思議ではありません。ここに、プーチンはユーコスつぶしを決断し、ホドルコフスキーを逮捕投獄し、結局彼はシベリアの刑務所に服役することになりました。ホドルコフスキー事件をめぐる一連の動きについては、栢俊彦『株式会社ロシア―渾沌から甦るビジネスシステム』が参考になります。

ホドルコフスキーは、昨年末にプーチン大統領に恩赦され出所しました。このことと、ウクライナ危機とは連動しているのではないでしょうか。本書ではこれを検証する余裕はありませんが、今後のロシアと欧米との関係を見るうえで、関連性を頭に入れておく必要はありそうです。

ホドルコフスキー逮捕投獄を機に新たな米露冷戦がはじまったと見られます。世界のメディアは、2007年2月のミュンヘン安保会議におけるプーチン大統領のアメリカ避難スピーチをもって新冷戦の開始と伝えましたが、実際には2003年の10月に始まっていたのです。以後今日まで、メドベージェフ大統領時代の米露関係リセット時代はありましたが、ロシアとアメリカは基本的には冷戦状態が続いているのです。

2003年という年に注目してください。3月にはアメリカのイラク攻撃が始まり、アメリカの勝利とともに、イラクの石油はアメリカの資本が押さえました。イラク戦争は大量破壊兵器を保有するイラクを予防攻撃した戦争ではなく、イラクの石油をアメリカが奪うための戦争であったのです。これによって、アメリカは世界の主要な産油国を抑えたことになります。残った主要石油大国は、イランとリビアを除けばロシアだったのです。したがって、ホドルコフスキーが逮捕され、やがてユーコスが解体されたことは、世界の石油支配の完成を目指すアメリカのメジャーにとっては大きな後退だったのです。

それから数年後、チュニジアをはじめ突如「アラブの春」減少と称される民主化運動が北アフリカ諸国に吹き荒れます。その結果チュニジアやエジプトで政変が起こりましたが、一連の民主化運動の真の狙いは産油国リビアであったことは想像に固くありません。世俗政権として国内を安定化し、それなりの反映を達成したリビアのカダフィ大佐は虐殺されました。カダフィ政権を倒すことで「民主化」が成功したとされたのです。しかし、リビアはいまだにテロが横行し民主主義も実現されていません。いったい誰のための民主化運動だったのでしょうか。

■東欧カラー革命は対プーチン戦争

ユーコス事件を受けて、アメリカはどう対応したのでしょうか。アメリカはロシアのおひざ元旧ソ連諸国で反撃に出たのです。2003年11月のグルジア「バラ革命」に始まる東欧カラー革命です。グルジアでは、ソ連時代の新思考外交で知られたエドゥアルド・シェワルナッゼ元外相が、1995年以来大統領に就任していました。シェワルナッゼ大統領は当初親米路線をとっていましたが、ロシアの圧力もあって次第にロシアに近づくようになっていました。そこで、親米政権を樹立するために起こったのがバラ革命なのです。

アメリカの法律事務所出身のミヘイル・サーカシビリがシェワルナッゼの対抗馬として議会選挙が行われました。結果は、シェワルナッゼの与党「新グルジア」が21パーセントで第一位、サーカシビリ率いる「国民運動」が18パーセントで二位となりました。ところが、ここで選挙には不正があったとして、野党勢力のデモが発生したのです。デモ隊は議会を占拠するまで暴徒化し、その結果、シェワルナッゼ大統領は辞任してサーカシビリが大統領に就くことになりました。これが「バラ革命」と呼ばれるものです。

この革命がアメリカによって演出されたことは今や世界の常識になっています。前線活躍したのが、ジョージ・ソロスでした。彼は、旧ソ連圏諸国の民主化や市場経済化を支援する「オープン・ソサイエティ」を立ち上げて、資金援助を行ってきました。ソロスはグルジアに「オープン・ソサイエティ」の支部を設立し、反政府のグルジアNGOを育成します。このNGOが反政府デモを主導したのです。

もう一つ、選挙結果を不正であると決めつけた原因は、選挙監視に当たったアメリカの調査会社が投票所の出口調査でサーカシビリ陣営の勝利を発表したことです。正規の選挙管理委員会の発表はシェワルナッゼ陣営の勝利でした。これを受けサーカシビリ派のデモが起こったのです。このパターンをよく覚えておいてください。以下に述べるように、その後も同様の手法でアメリカは親米政権を成立させていきます。

2004年にはウクライナで今度は「オレンジ革命」が起こりました。11月に行われた大統領選挙は、親露派のヤヌコビッチ首相と欧米が推すユーシチェンコ元首相との争いとなり、決選投票でヤヌコビッチ候補が勝利しました。しかしここで、この選挙は不正であるとして敗れたユーシチェンコ派のデモが起こったのです。選挙結果を不正であるとしてデモを起こすのは、グルジアのバラ革命の際と同じパターンです。ユーシチェンコ陣営を応援して、アメリカのNGOや欧州安全保障協力機構(OSCE)などが選挙に不正があったと一斉に非難を始めました。外国の応援を得てデモはますます膨れ上がり、ウクライナ全土があたかも新欧米派のオレンジ色の旗に占領された感がありました。

オレンジ革命は私が赴任する前年に起こりましたが、デモが吹き荒れる中、欧米諸国や我が国はアメリカ大使館での情報分析会議に参加していました。この圧力に屈してクチマ大統領は再選挙に同意します。そして、12月に行われた再選挙の結果、今度はユーシチェンコ候補が勝ちました。つまり、ユーシチェンコ候補が勝てば、選挙は公正に行われたということになったわけです。

アメリカのプーチンに対する反撃はこれで終わったわけではありませんでした。次に標的になったのは中央アジアに位置するキルギスです。キルギスでは2005年3月に議会選挙が行われ、アカエフ大統領の与党が圧勝しました。しかし、野党陣営はこの選挙は防いだとしてデモを起こし、再選挙とアカエフ大統領の退陣を求めました。これに対し、アカエフ大統領はロシアへ逃亡し、ここにキルギス「チューリップ革命」が成就したのです。お気づきの通り、グルジアやウクライナの革命とまったく同様のパターンでした。
http://www.kanekashi.com/blog/2019/04/6221.html



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2019.05.01
米国政府が政権転覆を仕掛けているベネズエラで銃撃戦の情報


 ベネズエラで4月30日にラ・カルロタ空軍基地の外で銃撃戦があったという。基地のそばで反政府派と見られる兵士に囲まれたフアン・グアイドが軍事蜂起を呼びかける映像が流れている。


 現地からの情報によると、「カラー革命」、つまり旧ソ連圏で西側支配層が仕掛けた市民を動員しての政権転覆工作が失敗した後に一部の部隊が軍事蜂起、グアイドや反政府派の人びとがクーデター軍を支援するような形になっている。


 ベネズエラの政権転覆工作を実行しているグループは2003年にセルビアで設立されたCANVAS、その組織を設立したオトポール(抵抗)!から手ほどきを受けている。


 オトポール(抵抗)!はスロボダン・ミロシェビッチの体制を倒す目的で1998年に作られた。これらにはNED(ナショナル民主主義基金)、IRI(国際共和研究所)、USAID(米国国際開発局)などから、つまりCIAから資金が提供されている。


 現在、アメリカ支配層によるベネズエラの政権転覆工作を指揮しているのはエリオット・エイブラムズ。​ウゴ・チャベス大統領時代の2002年に実行されたクーデターは3人のアメリカ人、つまり1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、国連大使だったジョン・ネグロポンテ、そしてエイブラムズが黒幕​だった。それ以外にもクーデター計画はあった。


 エイブラムズはCIAが1980年代に中米で行った秘密工作に参加している。当時、ニカラグアでは反革命ゲリラのコントラを使って政権転覆を目論み、エル・サルバドルの「汚い戦争」にも関係している。


 エル・サルバドルでは1980年3月にCIAの手先になっていた軍人や警官がカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、その年の12月にはカトリックの修道女ら4名を惨殺、81年12月にはエル・モソテの村で住民900名から1200名を殺している。エイブラムズはそのエル・モソテの村での虐殺について1982年2月に上院外交委員会で偽証している。


 そのエイブラムズが映画いた計画に基づいてだと見られているが、グアイドは2月23日に起こると事前に予告、バージン・グループを率いるイギリスの富豪、リチャード・ブランソンはその日にコンサートを開いた。


 コンサートに20万人以上が集まったとワシントン・ポスト紙は伝えていたが、その様子を撮影した写真から実際は1万5000人くらいと推測されている。20万人程度の観客を集めたかったのだろうが、失敗した。


 コンサートの開催日に「人道的援助物資」を積んだUSAID、つまりCIAのトラックがコロンビア領内に出現し、現在は使われていない橋を渡ってベネズエラ領へ侵入しようと試みた。政府軍からの銃撃を誘ったが、失敗している。そこで反政府派はトラックに火炎瓶を投げ込んで燃やし、政府軍に責任を押しつけようとしたが、これもうまくいかなかった。


 そこでグアイドは不法出国して周辺国を回り、3月4日に帰国するが、ニコラス・マドゥロ政権は無視。その3日後にベネズエラでは大規模な停電があり、アメリカのマイク・ポンペオ国務長官はベネズエラ政府の無能さが原因だと主張する。が、アメリカ側の破壊工作と見る人が少なくない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905010001/

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2019.05.03
ベネズエラでも有力メディアの流すフェイク・ニュースが物笑いの種になっている

 アメリカ政府が仕掛けたベネズエラのクーデターは失敗に終わった。ドナルド・トランプ大統領は乗り気でないようで、推進しているのはマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官たち。大統領がシリアからの撤兵を命じたときに抵抗、命令を阻止したトリオだ。


 シリアを含む中東から北アフリカにかけての地域で展開されてきた政権転覆プロジェクトやウクライナでのネオ・ナチを手先に使ったクーデターを支援していたアメリカの有力メディアはベネズエラでも侵略の応援団。


 例によって「民主化」を求める人びとが「独裁者」を追い詰めるという西側の「リベラル派」が喜びそうなストーリーを有力メディアは流しているのだが、事実との乖離が大きい。ワシントン・ポスト紙は大規模な政府支持デモの参加者を約500人と主張したが、​映像​を見れば明らかに嘘。自らの信頼度を下げることになっている。


 アメリカ政府がベネズエラの「暫定大統領」に任命したフアン・グアイドは4月30日に軍事蜂起を呼びかけたが、「笛吹けど踊らず」。グアイドと同様、反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペスはスペイン大使館へ逃げ込み、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んでいる。


 ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は航空機でキューバへ逃げようとしていたポンペオ国務長官はメディアに説明、失笑を買った。ポンペオもワシントン・ポスト紙もクーデターは成功すると信じていた、あるいはベネズエラ政府から偽情報をつかまされていたのかもしれない。


 おそらくアメリカ側は政府の要人や軍の幹部を買収することに失敗したのだろうが、次はアメリカ軍の侵攻というを政府の好戦トリオや有力メディアなどは考えているかもしれないが、戦争になれば泥沼化は必至で、数十年は戦闘が続くと考えられている。統合参謀本部は軍事侵攻に乗り気ではないだろう。


 イラク、シリア、イランへ軍事侵攻するというプランをポール・ウォルフォウィッツがフォート・アーウィンの司令官だったウェズリー・クラーク准将(当時)に語ったのは1991年。ソ連の消滅を見通し、アメリカは好き勝手に軍事力を行使できると主張していたという。当時、ウォルフォウィッツは国防次官を務めていた。


 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、クラークは統合参謀本部を訪れる。欧州連合軍最高司令官を経て2000年に退役していた。退役時は大将だ。


 そこでクラークは国防長官の計画を知らされる。イラク、シリア、イランに加え、レバノン、リビア、ソマリア、そしてスーダンを攻撃するというのだ。この計画を教えた軍人は苦悩の表情を見せていたという。アメリカ軍の幹部の中にはネオコンの軍事作戦を愚かだと考える人が少なくなかった。(自衛隊の幹部は違うが。)


 ベネズエラへの軍事侵攻が無謀だという意見がある中、トランプ政権で教育長官を務めるベッツィ・デボスの弟で、傭兵会社のブラックウォーター(2009年にXE、11年にアカデミへ名称変更)を創設した​エリック・プリンスは傭兵5000名を投入できればベネズエラの政権転覆に貢献できると発言​したという。


 プリンスは海軍の特殊部隊SEALの元メンバー。特殊部隊は歴史的にCIAと近い関係にある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905030000/

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2019.05.06
ベネズエラへの軍事侵攻の動きを見せる米政府に対し、露外相が破局を招くと警告

 パトリック・シャナハン国防長官代理がヨーロッパ訪問を中止、5月3日にマイク・ポンペオ国務長官やジョン・ボルトン国家安全保障補佐官と密室で会議を開いた。ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を倒すための方策について話し合ったと見られている。


 アメリカの支配層はウーゴ・チャベスが大統領選挙で勝利した1998年からクーデターを目論んできた。第2期目が始まった​2002年のクーデター​ではエリオット・エイブラムズ、オットー・ライヒ、ジョン・ネグロポンテが黒幕。


 エイブラムスは1980年代からラテン・アメリカでの秘密工作に加わっている人物。当時、CIAはニカラグアの革命政権を倒そうとしていたが、その工作資金を調達するためにコカインの密輸に手を出していた。麻薬取引はCIA内部の調査でも確認されているが、有力メディアはその事実を封印するため、この問題を記事にしたサンノゼ・マーキュリー紙の記者を新聞社から追い出し、自殺に追い込んでいる。


 ニカラグアだけでなく、エル・サルバドルでも秘密工作、いわゆる「汚い戦争」を実行していた。その戦争ではCIAの手先だった軍人や警官が1980年3月にカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、その年の12月にはカトリックの修道女ら4名を惨殺している。1981年12月にはエル・モソテの村で住民900名から1200名を殺した。この村民虐殺についてエイブラムズはコミュニストのプロパガンダだと主張、偽証に問われることになる。


 エル・サルバドルではアメリカの巨大企業にとって目障りな人びとを殺していく「死の部隊」が存在したが、その部隊を訓練していたのはアメリカの軍事顧問団。その中心的な存在だった人物がジェームズ・スティール大佐。


 その当時、少将だったデイビッド・ペトレイアスはスティールの行っていることを見て感銘を受け、後に中央軍司令官となったペトレイアスはスティールをイラクへ呼び寄せ、そこでエル・サルバドルと同じように「死の部隊」を編成させた。


 当時のイラク駐在大使は2002年のクーデターでエイブラムズと同じように中心メンバーだったジョン・ネグロポンテ。クーデター時は国連大使だ。その下でスティールは活動していた。


 オットー・ライヒは1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、国連大使だったジョン・ネグロポンテ、そしてエイブラムズが黒幕だった。


 結局、2002年のクーデターは失敗に終わる。OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからウーゴ・チャベス大統領へ事前に計画が知らされたことが大きいが、それでアメリカ支配層があきらめることはなかった。


 例えば、ウィキリークスが公表したアメリカの外交文書によると、​2006年にもベネズエラではクーデターが計画されている​。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに操られている機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、それによってアメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。


 この計画も成功しなかったものの、チャベスは2013年3月、癌のために58歳の若さで死亡して排除された。アメリカは発癌性のウィルスを開発、実際に使っていると言われているが、チャベスのケースがそれに該当するかどうかは不明だ。


 チャベスの後継者がマドゥロだが、チャベスと違ってカリスマ性はない。チャベスの死による不安定化を利用して2014年にアメリカはクーデターを企てるが、成功しなかった。


 その当時に比べ、アメリカ支配層の手先が動員できる人の数はかなり減っている。それは今回のクーデター劇でも明らか。「カラー革命」方式が失敗した後、政府要人や軍の幹部を買収しようと試みたようだが、うまくいかなかったようだ。


 そこで好戦派はアメリカ軍を侵攻させようとしているが、軍人は無謀だと判断している。山岳地帯やジャングルがあり、ベトナム戦争と同じことになると見られているが、その広さはベトナムの比ではない。


 そうした中、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はベネズエラのホルヘ・アレアサ外相と会談した後、ワシントンの無責任なベネズエラの政権を軍事力で転覆させようという計画は国際法に違反した行為であり、破局を招くと警告した。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905060000/

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2019.05.08
ベネズエラでクーデターに失敗した米政府の好戦派が自らの手先を暗殺する可能性

 CNNは5月6日付けの報道でフアン・グアイドを選挙で選ばれたベネズエラの大統領だと伝えた。勿論、間違いだ。アメリカ支配層はベネズエラの石油利権をアメリカの巨大企業へ渡すと公言しているグアイドを「暫定大統領」に指名しているが、勿論、本当の大統領はニコラス・マドゥロである。日頃、偽報道を続けているCNNだったことから、「またやった」と笑われていたが、今回はさすがにすぐ訂正した。


 現在、ドナルド・トランプ政権はエリオット・エイブラムズにベネズエラの政権転覆工作を指揮させている。ウーゴ・チャベスが大統領選挙だった​2002年にもアメリカ政府はクーデターを仕掛けた​が、このときの黒幕はオットー・ライヒ、ジョン・ネグロポンテ、そしてエイブラムズだ。


 エイブラムスは1980年代からラテン・アメリカでの秘密工作に加わっている人物。当時、CIAはニカラグアの革命政権を倒そうとしていたが、その工作資金を調達するためにコカインの密輸に手を出していた。


 ニカラグアだけでなく、エル・サルバドルでも秘密工作、いわゆる「汚い戦争」を展開し、その中でCIAの手先だった軍人や警官が1980年3月にカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、その年の12月にはカトリックの修道女ら4名を惨殺している。1981年12月にはエル・モソテ村で住民900名から1200名を殺した。この村民虐殺についてエイブラムズはコミュニストのプロパガンダだと主張、偽証に問われることになる。


 そのエイブラムズが仕掛けているクーデターは今のところ失敗。グアイドが大統領になることは困難だろう。そこで噂されているのがグアイド暗殺。それを利用してアメリカ主導軍がベネズエラへ攻め込むのではないかというわけだ。


 アメリカ軍の幹部は賛成しそうにないが、好戦的な文民はやりかねない。イラクの時もリビアの時もシリアの時もそうだった。


 アメリカの場合、有力メディアはこぞってアメリカ支配層が望むストーリーを流している。CNNはそのひとつだが、かつてCIAと特殊部隊が東南アジアで行った秘密工作に切り込んでいる。


 ベトナム戦争でCIAと特殊部隊は住民を皆殺しにしたり、都市部でテロ活動を行うフェニックス・プログラムを実行していた。


 この作戦は1967年5月にリンドン・ジョンソン大統領の腹心だったNSCのロバート・コマーがDEPCORDSとしてベトナム入りしたところからスタートする。そのコマーが中心になり、MACVとCIAは秘密プログラムのICEXを始動させる。これはすぐフェニックス・プログラムに名称が変わる。


 このプログラムを一時指揮、1973年9月から76年1月までCIA長官を務めたウィリアム・コルビーは議会証言で、1968年8月から71年5月までの期間に2万0587人のベトナム市民が犠牲になったとしているが、別の推計では4万1000人近く。


 1968年3月、ソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民がアメリカ軍の部隊に虐殺される。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。この虐殺はフェニックス・プログラムの一環だった。


 事件が発覚したのは、たまたま上空にいたアメリカ軍のヘリコプターのヒュー・トンプソンという兵士が虐殺を止めたからである。この事件を何人かの兵士が告発しているが、従軍記者や従軍カメラマンは報道しなかった。そうした告発があることを知ったシーモア・ハーシュが記事にしたのは1969年11月になってからである。


 CNNは1998年6月、アメリカ軍のMACV-SOGが1970年に逃亡米兵をサリンで殺害したと報じた。その作戦名はテイルウィンド(追い風)。CNNは軍関係者だけでなく有力メディアから攻撃され、調査を行ったふたりのプロデューサーは誤報だと認めるように要求されるが拒否、解雇された。そのひとり、エイプリル・オリバーによると、放送では示されなかった重要な情報をCNNは隠しているという。


 その放送の翌年、アメリカ陸軍の第4心理作戦群の隊員が2週間ほどCNNの本部で活動していたことも明らかになっている。「産業訓練」というプログラムの一環で、編集に直接はタッチしていなかったとしても、心理戦の部隊を受け入れると言うこと自体、報道機関としては許されない行為だ。アメリカ軍の広報担当だったトーマス・コリンズ少佐によると、派遣された軍人はCNNの社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905080000/


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2019.05.08
ダメージ・コントロール

 自分にとって好ましくない情報が公表されることが判明した場合、それが公表される前にある程度の事実を認めてしまい、そこから自分に都合のいい話を展開することがある。人間は最初に聞いた話の印象が強く残るからだ。いわゆるダメージ・コントロールである。


 意図的なものであれ、不可抗力であれ、何らかの事情で支配システムの暗部、あるいは本質が露見しかかることもあるが、そうしたケースではそこから本筋にたどり着かないように話題を脇道へと誘導していく。システムを維持したい人びとはまず隠蔽を図るだろうが、それに失敗すると、ある程度のことは認めてしまい、そこから本筋にたどり着かないようにするのだ。

 勿論、その際、外部の人間が納得するようなストーリーを描く必要はある。逆に、どこへ追及の矛先を向けさせようとしているかを観察すると、支配システムの一端が浮かび上がることもある。

 例えばボブ・ケリー元上院議員の場合。1983年1月から1987年1月にかけてネブラスカ州知事、1989年1月から2001年1月までネブラスカ州選出の上院議員で、1992年には大統領選に出馬している。


 ケリーはベトナム戦争に海軍の特殊部隊SEALのメンバーとして従軍しているのだが、その当時のスキャンダルが2001年4月に伝えられた。政界を引退した直後のことだ。


 彼の率いる部隊が1969年に農村を襲撃し、女性や子どもなど村民を殺している。そのうち3名は妊婦だった。何人かは首を切られている。生き残ったのは12歳の少女だけだ。


 本ブログの読者ならすぐに気づくと思うが、これはCIAと特殊部隊が実行していたフェニックス・プログラムの一環。虐殺の調査が進むとCIAと特殊部隊、さらにそうした暴力組織を動かしている支配層の責任が問われることもありえた。


 そこで、報道の前にケリーは銃撃されたので反撃したというストーリーを語っている。有力メディアにはCIAのエージェントや協力者がいるので、そうしたネットワークからの支援を彼は受けていたはずだ。


 その後、ケリーは9/11委員会のメンバーになる。言うまでもなく、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された事件を調べた委員会で、真相を隠蔽したと批判する人も少なくない。

 言うまでもなく、日本でもダメージ・コントロールは行われている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905080001/


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2019.05.09
アッサンジが薬物を使った拷問で廃人にされる可能性があると懸念の声

 内部告発を公表してきたウィキリークスの創始者であるジュリアン・アッサンジがロンドンのエクアドル大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕されたのは4月11日のことだった。イギリスで最も警備の厳しい刑務所に収監され、精神病の治療を施されている。


 アメリカ空軍の退役中佐でNSAの仕事をしていたこともある​カレン・クワイトコウスキーによると​、そうした症状が出たのはイギリスとアメリカの当局者から尋問を受けた後だという。


 アッサンジを尋問しているアメリカ人は国防総省、FBI、CIAに所属、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されているようだ。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすとされている。この薬物を利用して情報を手に入れることはできない。そうした目的の薬物ではない。アッサンジを廃人にしようとしていると懸念する人がいるのはそのためだ。


 現在、CIA長官を務めるジーナ・ハスペルは拷問を指揮していた経験があり、「血まみれジーナ」とも「ケミカル・ジーナ」とも呼ばれている。BZを使った拷問でもCIA長官になったハスペルは中心的な役割を果たしているだろう。


 アッサンジに対する刑事告訴の中身に犯罪と呼べるようなものはないに等しいという声は少なくない。彼が逮捕、起訴された唯一の理由はジャーナリズムを実践したからなのである。イギリスやアメリカではジャーナリズムが犯罪になったということだ。そのイギリスやアメリカと同じ価値観を有しているという安倍晋三政権がジャーナリズムを否定するのは当然なのだろう。

 一方、アメリカでもイギリスでも日本でも、有力メディアはジャーナリズムをとっくの昔に放棄している。むのたけじが1991年に「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったように、「ジャーナリズムはとうにくたばった」のである。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905090000/



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2019.05.09
ダメージ・コントロール(続)

 リビアを2011年2月に攻撃した際、アル・カイダ系武装集団のLIFGが攻撃側の手先として使われていた。同年10月にムアンマル・アル・カダフィは倒され、カダフィ自身は惨殺されるのだが、その際にアメリカ/NATOとLIFGの関係を隠しきれなくなってしまう。


 カダフィ政権はイラクのサダム・フセイン政権と同じようにアル・カイダ系の集団を厳しく取り締まり、1998年3月にはICPO(国際刑事警察機構)を通じてオサマ・ビン・ラディンを国際手配している。これをアメリカやイギリスの情報機関は無視した。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破されたのはその5カ月後だ。


 LIFGはその少し前、イギリスの対外情報機関MI6によって編成される。そのメンバーはCIAがアフガニスタンで傭兵として使っていた戦闘員が中心だ。LIFGがアル・カイダへ正式加盟したのは2007年だとされているが、これは形式的な話に過ぎない。


 この武装集団は1996年にカダフィ暗殺を試みて失敗している。カダフィ政権がオサマ・ビン・ラディンを国際手配したのはこの事件が原因である。MI5(イギリスの治安機関)の元オフィサー、デイビッド・シャイラーによると、この暗殺の黒幕はMI6だった。


 LIFGがアル・カイダ系だということが広く知られるようになるのはカダフィ体制が倒されてから。反カダフィ派の拠点だったベンガジの裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像が世界に伝えられたことが大きいだろう。


 アメリカ/NATOはリビアで戦っていた戦闘員をシリアへ運び、バシャール・アル・アサド体制に対する攻撃態勢を強化するのだが、バラク・オバマ政権がアサド政権を転覆させるために使っていた集団がアル・カイダ系だということが発覚、批判の声があがる。


 そこでオバマ政権は「穏健派」と「過激派」という理屈を使って切り抜けようとするが、2012年にアメリカ軍の情報機関DIAは「穏健派」など存在しないと報告している。


 組織なりシステムなりの隠さねばならない秘密が露見しかかった際、ある部分を悪玉にして責任をそこへ集中させ、本体につながる部分を善玉として描き、助けるということが行われる。これもダメージ・コントロールのひとつと言えるだろう。
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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html#c60

[議論31] 戦時国際法〜「捕虜は常に人道的に待遇しなければならない」し…」/小室直樹 仁王像
1. 中川隆[-10359] koaQ7Jey 2019年5月11日 10:31:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1746]
オーストラリアが日本の戦争責任に厳しかった理由
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/04/28/101747


■ オーストラリア人看護婦たちを殺す前に強姦していた日本軍

1942年2月、インドネシア西部のバンカ島で、数十名のイギリス人およびオーストラリア人の捕虜と民間人、さらに21名のオーストラリア人看護婦が日本軍に虐殺された。

このとき、看護婦たちは単に殺害されただけでなく、その前に日本兵により強姦されていたことが明らかになった。BBCが次のように報道している。


www.bbc.com


「この真実を発掘し、ついに公表するには、複数の女性の力が必要だった」

軍事史を研究するリネット・シルヴァーさんがこう言う「真実」とは、1942年2月にインドネシア・バンカ島で、海の中へ歩かされ、機関銃で銃撃されたオーストラリア人看護師22人の身に起きたことを指す。看護師たちは1人を除いて全員殺された。

「それだけでぞっとした。でも、殺害前に強姦されていたなんて、語るにはむご過ぎる真実だった」。シルヴァーさんは、新著で詳しく書いた証言について、こう話す。

「オーストラリア軍の高官たちは、悲しみに暮れる遺族たちに、家族が強姦されていたという不名誉を与えたくなかった。恥ずべきことだと思われていたので。レイプは死よりもひどい運命と考えられ、ニュー・サウス・ウェールズ州では1955年まで(加害者が)絞首刑による極刑で処罰されていた」


唯一の生存者

看護師のヴィヴィアン・ブルウィンクルさんは、虐殺事件で体に銃弾を受けたが、死んだふりをして生き延びた。ジャングルに身を隠し、やがて戦争捕虜となり、のちにオーストラリアへ帰国した。


第2次世界大戦後に開かれた東京裁判では、ブルウィンクルさんは強姦について「話すのを禁じられた」と、シルヴァーさんは言う。ブルウィンクルさんは2000年に死去したが、何があったのか、テレビキャスターに伝え残していた。シルヴァーさんが今回調べたのは、その内容だ。

「ヴィヴィアンは命令に従っていた」とシルヴァーさんは言う。「(強姦被害について黙ったのは)タブーというのもあったし、オーストラリア政府には多少の罪悪感があったのだろう。政府高官は、1942年の香港侵攻の際、日本兵がイギリス人看護師たちをレイプし、殺害したのを知っていた。それなのに、オーストラリア人看護師をシンガポールからなかなか避難させなかった」

オーストラリア政府によれば、虐殺の実行者は今も特定されず、「罪について何も処罰されていない」。

(略)


シルヴァーさんのほかにも複数の女性が、看護師たちへの性的暴行の証拠を発掘した。テレビキャスターのテス・ローレンスさんと、伝記作家のバーバラ・エンジェルさんだ。

(略)

ローレンスさんは2017年、ブルウィンクルさんから生前に打ち明けられたという話を報じた。それは、「ほとんどの」看護師が銃殺される前に「暴行された」という内容で、ブルウィンクルさんは、そのことを公表したかったができず、秘密はブルウィンクルさんを「苦しめた」と言っていたという。


シルヴァーさんはこのほか、バンカ島でマラリアの手当てを受けていた日本兵の証言にも言及している。その兵士はオーストラリアの調査官に、当時、悲鳴を聞いたと話した。また、兵士たちが「海岸で楽しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」と聞かされたと証言していた。

■ 生存率 0.24%!! 地獄の捕虜収容所

もちろん、オーストラリア人が被害者となった虐殺・虐待はこれだけではない。

たとえば、日本軍の捕虜となった連合軍兵士の死亡率が、ナチスドイツに捕らえられた場合より遥かに高かったことは、よく知られている。[1]


ナチスより残虐な日本軍


 アジア太平洋戦争では、約三五万の連合軍将兵が日本軍の捕虜となった。そのうち、本国軍の将兵は約一五万、その国籍はイギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの六カ国であった。


(略)

 この間、連合国捕虜が、当時存在していた戦時国際法にのっとった人道的待遇を受けることはまれであった。連合国捕虜は常に精神的屈辱、肉体的暴力、奴隷労働、過酷な移動、飢餓、医薬品の不足、傷病、衣類の剥奪、友軍による攻撃に悩まされた。彼らを取り巻く状況がいかに過酷であったかは、日本軍の捕虜となった連合国将兵の死亡率に歴然とあらわれている(次頁表)。


 極東国際軍事裁判(東京裁判)の速記録によればナチス・ドイツの捕虜となった英米将兵の死亡率は七%であるのに対して、日本の捕虜となった二国の将兵の平均死亡率は二七%と非常に高い。国と収容地域によって若干の差異はあるものの、ドイツ軍もまた、必ずしも常にこれらの捕窪虜を国際法にのっとって取り扱ったわけではないので日本軍の捕虜がいかに過酷な状況下にあったかが推察できよう。


 後にくわしく述べる「泰緬たいめん鉄道」の建設にあたって、日本軍から奴隷労働を強制させられたオーストラリア人元捕虜トマス・ユーレン(元副首相)は、当時を次のように回想している。


 日本の兵隊や技師たちの残虐さとサディズムに満ちた捕虜時代の体験は、私の魂に深く刻みこまれた。私はもともと人を憎悪するような人間ではない。しかし、当時は、地球上の全ての日本人をみな殺しにしたいと思った……(杉本良夫『オーストラリア六〇〇〇日』)

平均死亡率27%はそれだけでも異常な高さだが、これはあくまで平均値であって、アンボン収容所では生存率(死亡率ではない)23%、サンダカン収容所では、なんと生存率0.24%だった。もともと頑健な若い兵士たちが、わずか三年半ほどの間にほぼ根絶されてしまったのだから、その間に行われた虐待や強制労働、飢餓がどれほどのものだったか、およそ想像できる限界を超えている。[2]


 オーストラリアの人たちにとっても、「サンダカン」という地名にはあまりなじみがない。ここの捕虜収容所に抑留された数多くの豪州軍捕虜が、どれほど苦しい経験をしたのかを知るオーストラリア人はさらに少ない。実はこの捕虜収容所には、一九四三年九月時点では約一八〇〇名のオーストラリア軍捕虜と七〇〇名のイギリス軍捕虜が収容されていたが、戦後まで生き延びたのはこのうちわずか六名であった。生存率はなんと〇・二四パーセント、この六人はほとんど奇跡的に生き延びたと言っても過言ではない。数年前日本でも上映されたオーストラリアの映画『アンボンで何が裁かれたのか』で日本人にも少し知られるようになった悪名高いアンボン収容所でさえ、五二八名のオーストラリア軍捕虜のうち終戦まで生き延びたのは三三名、生存率二三パーセントであった。また、過酷な強制労働に従事させられた連合軍捕虜六万五〇〇名のうち一万二〇〇〇という大量の死亡者をだした泰緬鉄道建設は、絶対数のえではサンダカン収容所の捕虜の死亡数と比較にならないが、捕虜の生存率から見れば八〇パーセントという高い数字を残している。この泰緬鉄道建設に送り込まれたオーストラリア軍捕虜の場合は、総数九五〇〇名のうち死亡者は二六四六名、生存率七二パーセントであった。

 サンダカンの場合、それほど徹底的に捕虜が虐待、虐殺された収容所であったにもかかわらず、オーストラリアにおいてすらも「サンダカン」の地名すらよく知られていないのはなぜであろうか。「捕虜虐待」という言葉を耳にするとき、オーストラリア人はほとんど反射的に「泰緬鉄道建設」を想起し、「サンダカン」という地名を頭に浮かべる人はほとんどいない。これはおそらく、泰緬鉄道建設の場合は生存者が多く、戦後帰還した捕虜たちによって過酷な強制労働の実態が語られ、また彼らの多くが自叙伝を書くことによって国民に広く知られるようになったのに対し、サンダカンの場合はほとんど生存者がおらず、なんとか生き延びた六人にとっては、最後まで生き抜くために言葉ではとても表現できないような凄まじい経験をさせられたため、その精神的傷痕があまりにも深くて、他人に語ったり文章にしたりすることがきわめて困難であったからだと思われる。この六人のうち三人が今も健在であるが、彼らが自分たちの経験を公けの場で語り始めたのは一九八〇年代に入ってからのことである。


■ 日本の戦争責任追求において最強硬派だったオーストラリア

戦後の日本統治に天皇を利用しようという思惑から、早い段階で裕仁の免責を決めていたアメリカなどとは異なり、オーストラリアは連合国の中でも日本の戦争責任追求に関して強硬だった。東京裁判に向けての国際検察局による戦犯容疑者の選定作業において、オーストラリアは最も多くのA級戦犯容疑者をリストアップし、天皇の訴追をも正式に提議している。[3]


アメリカの検察陣が作成したA級戦犯容疑者リストには30人の名前が記されていたが、イギリスのリストには11人しか記載されていない。いずれのリストにも天皇の名前はなかった。しかし、オーストラリアが示した起訴可能な「100人の暫定リスト」には、「平和に対する罪と人道に対する罪」の容疑で天皇が含まれていた。さらにオーストラリアは、天皇に対する容疑を裏づける詳細な覚書を提出した。覚書はこう強調している。「いかなる時点においても」裕仁が侵略的な軍事行動について「強要によって承認の文書を書かされた」ことはない。そして覚書は修辞的に問いかけている。「彼の犯罪は、彼が是としなかったことを承認したがゆえに、いっそう重大なのではなかろうか」と。


オーストラリアがこのように戦争責任の追求に関して強硬(言い方を変えればまとも)だった背景には、アメリカなどとは異なり東西冷戦の主役ではなかったこと、地理的にも相対的な軍事力から言っても南方に侵攻してきた日本の脅威が死活的に深刻だったことに加え、同胞が犠牲となったこうした残虐行為に対する憤りもあったのではないだろうか。


[1] 油井大三郎・小菅信子 『連合軍捕虜虐待と戦後責任』 岩波ブックレット 1993年 P.8
[2] 田中利幸 『知られざる戦争犯罪 ― 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』 大月書店 1993年 P.18
[3] ハーバート・ビックス 『昭和天皇(下)』 講談社学術文庫 2005年 P.290
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/04/28/101747


http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/671.html#c1

[戦争b22] ユダヤ人女性をソ連軍から守った日本の外交官たち    西岡昌紀 西岡昌紀
10. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月11日 10:37:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]
>>9
>なんで戦時中にユダヤ人を保護したのか


昭和天皇はJPモルガン等のユダヤ金融資本のエージェントだったから、ユダヤ人だけ優遇したんだよ:


日本のマスコミは天皇が退位する、即位すると騒いでいる。彼らにとって天皇とは「至高の存在」なのだろう。日本は第2次世界大戦で降伏する前と同じように天皇制官僚国家であり、その元首は天皇だということである。


 しかし、徳川時代の天皇は忘れ去られた存在だった。当時の天皇は生活に困窮し、短歌を売っていたという話を聞いたこともある。徳川の拠点である江戸に住む人びとが「公方様」として意識していたのは徳川家だ。


 その忘れられた天皇を発掘し、徳川に代わる体制の象徴にしようとした人びとがいた。その人びとによって現在の天皇制、明治王朝が誕生した。その後ろ盾がイギリスの支配層だ。


 徳川から明治へ移行する時期、つまり明治維新の頃、イギリスはビクトリア女王が君臨していた。心霊術にのめり込んでいた人物として知られている。


 女王は夫のアルバート(ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男で、夫妻はいとこの関係)からアドバイスを受けていたとされているが、それ以上に影響力を持っていたと思われるのがネイサン・ロスチャイルド、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)など。


 言うまでもなくロスチャイルドは強大な金融資本の支配者でローズのスポンサー。ステッドはジャーナリストで、ブレッドはビクトリア女王の相談相手だ。後にブレッドはエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。


 当時のイギリスはいわゆる産業革命で生産力が上がったものの、商品が思うように売れない。国内では貧富の差が拡大、民の貧困化が深刻になる。そこで始めたのが麻薬取引と侵略戦争。中国(清)の富を奪うためにアヘン戦争を始めたのが1840年。その年にビクトリア女王とアルバートが結婚している。イギリスが「世界経済の覇者」と呼ばれるようになるのはそれ以降だ。大英帝国とは侵略と略奪で成り立っていた。


 中国より前にイギリスが植民地化していたインドでは1857年に傭兵(セポイ)が武装蜂起、一般のインド人を巻き込んで大反乱になった。鎮圧されたのは1859年。その年にアヘンと武器の取り引きで大儲けしていたジャーディン・マセソンは日本へふたりのエージェントを送り込む。ひとりは歴史小説で有名なトーマス・グラバーで、赴任地は長崎。もうひとりはジャーディン・マセソンの創設者一族に属すウィリアム・ケズウィックで、赴任地は横浜。


 明治政府は1872年の琉球併合から台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争というように東アジア侵略を開始、その背後にはイギリスが存在していた。日本人はイギリスの支配者に操られていたと言える。


 そのイギリスは1899年からボーア戦争(南アフリカ戦争)を開始、金やダイヤモンドを産出する南アフリカを制圧する。その直前に南アフリカではダイヤモンドが発見され、その利権に目をつけたイギリスの支配者たちが引き起こした戦争だった。後に首相となるウィンストン・チャーチルもこの戦争で頭角を現している。この戦争で世界の金をイギリスが支配するようになり、金本位制を採用する国々の通貨も支配できるようになった。


 ちなみにチャーチルは貴族階級の家に生まれたが、父親のランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。


 生前、ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたことでも知られ、その額は現在の価値に換算すると数百万ポンド、つまり数億円。いくらでも借りられたという。ランドルフがロスチャイルドを裏切らない限り、借金は返済する必要がなかったようだ。


 ネイサン・ロスチャイルドと親しい関係にあったジョージ・ピーボディーは銀行を経営していたが、そのパートナーがジュニアス・モルガン。その息子がジョン・ピアポント・モルガンだ。ネイサンはこの若者をアメリカにおけるビジネスの責任者にしている。そして巨大銀行のJPモルガンが生まれる。関東大震災以降の日本に大きな影響力を及ぼすことになるのはこのJPモルガン。


 この銀行が中心になり、アメリカでは1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制を樹立させようというクーデターが計画されている。


 そのJPモルガンが駐日大使として日本へ送り込んできたのがジョセフ・グルー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、グルーと親しかった日本人には秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右などが含まれる。中でも親しかったのは松岡。戦争が始まり、離日する直前にグルーがゴルフした相手は岸だ


 アメリカ支配層が発する嘘の質が急速に劣悪化している。アメリカを中心とする支配システムの崩壊は早いかもしれない。アメリカの支配システムが崩れれば、日本の天皇制官僚制も維持できなくなる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905010001/

2019.04.24
米支配層が維持しようとした天皇制官僚体制の恥部がひとつ明らかに
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904230000/

 インドネシアのバンカ島で日本軍の兵士は1942年2月、22名のオーストラリア人看護師を銃殺したという。海の中を行進させ、機関銃で射撃、ひとりを除いて殺害したのだが、その前に看護師は兵士から性的暴行を受けていたことを示す証拠の存在が明らかにされた。(​英語​、​日本語​)証拠を隠滅し、なかったことにするという手法は今でも使われている。NGT48のケースもその一例だが、隠しきれないこともある。


 日本のアジア侵略は1872年の琉球併合から始まるが、アメリカとの戦争は1941年12月7日の真珠湾攻撃から。1942年6月のミッドウェー海戦で日本の艦隊が敗北するまで日本側は勝ち戦だと考えていたようだ。そうした中、バンカ島での虐殺は引き起こされたことになる。


 外国へ攻め込んだ軍隊の兵士が女性に性的に暴行するという話はしばしば聞く。日本軍に限った話ではない。日本軍の特徴はブレーキがきかなくなることにあると言えるだろう。性的暴行への対策として日本軍が作り上げたのが慰安婦の仕組みだ。戦争経験者は次のような文章を残している。


 「日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。」(高見順著『敗戦日記』)


 「あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)


 「そこで、出てきたのが『慰安婦』というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書)


 「女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。」(前掲書)


 「何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書)


 敗戦後、日本の将兵が戦場で行ったことを批判的に語るおとなもいたが、多くの「元兵士」にとって身に覚えのある話であり、口にすることはできなかっただろう。勿論、事実を否定することもできない。1945年に20歳代だった人は1975年でも50歳代だ。日本社会には戦場の記憶が鮮明に残っていた。荒唐無稽な話はできない。


 戦争経験者が少なくなるに連れ、妄想を平然と口にする人が増えてくる。メディアもそうした妄想の拡散に協力した。


 それでも慰安婦の存在を否定できないため、商売として行っているのだから問題がないと言う人もいるが、その考え方は日本人の堕落、退廃を示している。


 第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用され、庶民の生活水準は悪化し、東北地方では娘の身売りが増えた。欠食児童、争議なども社会問題になっている。こうした貧富の差を拡大させる政策を推進したのが浜口雄幸内閣だ。


 そうした政策に反発する人も少なくなかった。その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。井上は当時、日本でも最もJPモルガンに近いとされていた人物。団もウォール街と緊密な関係にあった。


 その年の5月には五・一五事件が引き起こされ、1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはある。


 井上が殺された1932年に駐日アメリカ大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。このことは本ブログで繰り返し書いてきた。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかもグルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーである。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあったわけだが、1933年から45年4月にかけての期間はウォール街と敵対関係にあったニューディール派がホワイトハウスで主導権を握った。ニューディール派の中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領だ。


 ルーズベルトが急死するとウォール街がホワイトハウスを奪還、ドイツのナチは救出され、日本の天皇制官僚システムは存続することになる。戦争責任も曖昧なまま幕引きになった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)


 ウォール街は日本を支配するシステムとして大戦前から天皇制官僚システムを使っていた。それを戦後も存続させるため、戦争責任の追及と民主化の推進という儀式を早く終わらせる必要があった。


 そこで1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)を設立、48年11月に判決が言い渡されている。その年の12月23日に東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎない。本来なら処罰されて当然であるにもかかわらず被告席にいない人がいた。


 そして新たな憲法が制定される。その憲法は第1条から第8条で天皇制の存続を定めている。「象徴」という修飾語をつけてはいるが、天皇制の存続を謳っている。「戦争の放棄」を定めたその後、第9条だ。


 戦後日本の進む方向を決めたジャパンロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。内務官僚、思想検察、特別高等警察といった戦前日本の治安体制の中枢は戦後も要職に就いている。「国体」は護持されたのだ。


 バンカ島での出来事をオーストラリア政府が封印したのは日本の「国体護持」を望むウォール街の意向に沿った行動だと言えるだろう。その国体に関わる儀式が近く行われる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904230000/


http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/650.html#c10

[戦争b22] ユダヤ人女性をソ連軍から守った日本の外交官たち    西岡昌紀 西岡昌紀
11. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月11日 10:43:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]
>>9
>話を分からなくしているのは
>「ユダヤ人」と言っているのは、オリエントな本物ユダヤ人のことなのか
白人のハザール・ユダヤ人のことなのか、というのと

ハザール・ユダヤ人にはハザール人の血は入っていない。
ハザール・ユダヤ人もオリエントな本物ユダヤ人も父系はあまり変わらない。

ただ、東ヨーロッパに移住したユダヤ人は現地のスラブ女性と混血して色が白くなった:

アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ女性だった


【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源がヨーロッパである可能性が浮上
Nature Communications 2013年10月9日
Genetics: Ashkenazi maternal lineages may originate in Europe
Nature Communications

アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの塩基配列解読が行われ、ユダヤ人の母方の系統がヨーロッパ起源である可能性が明らかになった。

これまでに、中近東やコーカサス地方を起源とする学説が表明されていたが、むしろヨーロッパ地中海地方であることが、今回の研究で示唆されている。

アシュケナージ系ユダヤ人の起源をめぐっては激しい論争が繰り広げられている。

父系遺伝するY染色体、母系遺伝するミトコンドリアと両親から遺伝する常染色体に関する遺伝情報を用いて祖先との関係を推定する研究が行われたが、相矛盾する結論が示されていた。

主に中近東(イスラエル/パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダンを含む領域)の人々を祖先とする見解があった一方で、主にコーカサス地方の人々が祖先だとする見解もあったのだ。

今回、Martin Richardsたちは、74点のミトコンドリアゲノムの塩基配列解読を行い、ヨーロッパ、コーカサス地方と中近東に由来する3,500点以上のミトコンドリアゲノムの解析を行い、アシュケナージ系ユダヤ人の詳細な系統史を再現した。

その結果、Richardsたちは、アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの変異の少なくとも80%が、中近東やコーカサス地方ではなく、先史時代のヨーロッパの系統を受け継いでいることを明らかにした。

この結果は、アシュケナージ系ユダヤ人の女性が、約2,000年前には、ヨーロッパに同化していた可能性を示唆している。

Richardsたちは、ヨーロッパの地元の女性が動員されて、改宗したことがアシュケナージ系ユダヤ人コミュニティーの形成にとって重要だったことが今回の研究結果で浮き彫りになり、今回の研究がアシュケナージ系ユダヤ人の系統史の再構築にとっての重要な一段階となったと考えている。
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8799


アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だった

「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する  三鷹板吉

ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した
後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブ
ライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語
をベースとしたイディッシュもその一つです。

 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的
理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりません
でした。変える理由も必要も無かったのです。

 たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。

 スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、
タガログ語は滅びなかったのですよ。

 ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。


ハザール人はあくまでハザール人であり、
東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。

 「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身
のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマ
ンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。

 まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケ
るのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。

 それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなん
ですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm


PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES
James Boster
Society for Psychological Anthropology Meetings
October 1997, San Diego, CA

http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/

アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。

これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。


「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が
“現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では
「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。

実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しない
までもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では
たいへん評価が高い。

そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も
「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。
http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html


アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。

その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。

かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる
以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html


 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れ
られているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人が
ドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降の
カザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。
http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体
の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。

離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、
例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であれば
ブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の
集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることが
できる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、
ほとんど見ることができない。
http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html


 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。

「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在
しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体
に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人における
ユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。

東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人
と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。
したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書
のイスラエル人子孫であると言うことができる。

http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24


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現在世界各地に広がっているユダヤ人はすべて古代ユダヤ人の子孫だった.

ユダヤとアラブは血縁 染色体分析で確認

【ワシントン8日共同】ユダヤ人と、パレスチナ人などアラブ人が共通の祖先
を持つことがDNA分析で確認された、と米ニューヨーク大のハリー・オストラー博士らが9日付の米科学アカデミー紀要に発表した。

ユダヤ人とアラブ人に血縁関係があることは旧約聖書など宗教、歴史文書の
記述から当然とみられていたが、遺伝分析ではっきり確認できたのは初めてという。

同博士らは中東地域をはじめ、北米、アフリカ、欧州各国など世界29地域の
1371人の男性のY染色体のDNAを調べた。同染色体は父親から男の子に伝わり、
遺伝的に近い人は共通の特徴を持つ。

その結果、イスラエルや北米、欧州、アフリカ北部に住むユダヤ人のY染色体
に共通点が多いことが判明。ユダヤ人は紀元前にパレスチナから世界各地に
離散した後も他民族とあまり混血せず、遺伝的な同一性を保ってきたと
分かった。

またパレスチナ人、シリア人はユダヤ人とY染色体の特徴を共有しており、
旧約聖書などが示すように遺伝的なルーツは同じと分かった。(共同通信 2000/05/09)
http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bcg_weapons1.html


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イスラエルで「建国根拠なし」本、ベストセラーに(朝日新聞)
2008年05月31日11時12分

 【エルサレム=村上伸一】
 シオニズム運動は、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が「祖先の地」に帰還するというもの。著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(61)=歴史学。3月にヘブライ語で出版され、アラビア語やロシア語、英語に訳される予定だ。

 著書では、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ――との説が記されている。

シオニズム運動は欧州で迫害されたユダヤ人たちが19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、追放されたという「通説」だった。

 これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。パレスチナ人から土地を奪うことを正当化するために、「2千年の離散の苦しみ」という理由が必要だったという。

古代ユダヤ人は大部分が追放されずに農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエルの初代首相ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と指摘していた。ユダヤ人の入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなったという。
http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/110.html


▲△▽▼

パレスチナ人とユダヤ人の比較遺伝学

パレスチナ人は、イスラエルのユダヤ人移民のほとんどと同じくらいのユダヤ人の遺伝子素材を持っています。

異なる地域のユダヤ人の間での遺伝子構造の類似性は過去十年にわたって十分に研究されてきており、Y染色体とミトコンドリアDNAの分析によって、これらの人々の共通の起源が確認された。

Y染色体とミトコンドリアDNAに関する何百もの遺伝子マーカーや、残りのゲノムのほとんどが、異なるユダヤ人社会の共通の起源を確認しています。しかし、また最近の研究で、異なるユダヤ人グループをある共通の先祖に結び付ける類似性のいくつかが、異人種との結婚によりオープンな文化を持つパレスチナ人の多くにも見つけられました。

イスラエルのベストセラーのリストに載っている学者Shlomo Zand本「ユダヤの人々はいつどのように作られたか」は、いくつかの裏づけとなる歴史的証拠を示しています。

現代のイスラエル国家の抑圧の下で数十年にわたり暮らしてきたパレスチナのアラブ人は、実際旧約聖書に書かれている『イスラエルの子供』と全く同じ先祖を持っているとZandは言っています。

およそ1万人の古代のユダヤ人がローマの戦争の最中に打ち負かされたと彼は推測しています。それらの生き残りのうち何人かは、アラブ人の征服者達がその地域を支配下に置いたときに、イスラム教に改宗し吸収されたと彼は言います。そのほか逃げて世界中に散らばり、私達が今日知るユダヤ人コミュニティを作った人々もいます。

Zandの歴史的なパレスチナの人々の説明は、パレスチナ人とユダヤ人の遺伝子分析を比較するこれまでの少数の研究によって立証されています。
http://ja.raelpress.org/news.php?item.146.1


Geneticists Report Finding Central Asian Link to Levites
By NICHOLAS WADE Published: September 27, 2003
A team of geneticists studying the ancestry of Jewish communities has found
an unusual genetic signature that occurs in more than half the Levites of Ashkenazi descent.
The signature is thought to have originated in Central Asia, not the Near East,
which is the ancestral home of Jews.
The finding raises the question of how the signature became so widespread among the Levites,
an ancient caste of hereditary Jewish priests.

ユダヤ人の祖先を研究している遺伝学者のチームはアシュケナージユダヤ人のレビ(祭司)階級の半分以上に出現する遺伝子の特徴を発見した。 この特徴は中央アジアに発するもので、ユダヤ人の祖先と考えられている近東起源のものでない。

アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。
http://www.nytimes.com/2003/09/27/science/27GENE.html


世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。
・ イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒)
・ ミズラヒム
・ 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
 モロッコのユダヤ人
 アルジェリアのユダヤ人
 チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia
・ ペルシア・ユダヤ人
・ イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews
・ ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人)
山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部)
・ グルジーム
・ ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土)
・ インドと周辺のユダヤ人 Jews in India
・ コーチン・ユダヤ人
・ クナナヤ Knanaya(キリスト教徒)
・ ベネ・イスラエル
・ ボンベイ・ユダヤ人
・ バグダーディ(イラク系)
・ マニプール・ユダヤ人(集団改宗者)
・ 中国のユダヤ人 Jews in China
・ 開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1]
・ ヘレニスト
・ ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人)
・ イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い)
・ ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
・ セファルディム
・ アシュケナジム
アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム)
・ アバユダヤ Abayudaya
・ レンバ族(ジンバブエ) Lembas
・ サマリア人
・ ブラック・ジュー
・ ハザールのユダヤ人
・ カライ派
・ クリムチャク人
ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians
・ メシアニックのユダヤ教徒


東ヨーロッパに住み着いたユダヤ人はアシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。

スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン・トルコ圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。
アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒと呼ばれていた。

ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。


ユダヤ人の歴史

旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。

彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。

紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。

北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。

アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。

アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。

紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。

以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。

最盛期の人口は2億5000万人である。


「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり,キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう。

その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。

7世紀 - 10世紀に、カスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教としたが、その後相次いだロシア、ルースィ、ブルガール、オグズとの戦争により帝国は滅んでいる。

残党のハザール人も、結局はイスラム教に改宗したが、わずかに未だにユダヤ教カライ派の信仰を保っているハザール人の集落も東ヨーロッパには現存している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA


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■アシュケナジーとスファラディー

 イスラエルに行きますと、よくアシュケナジーかスファラディーかの区別があることを聞きます。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別です。
 アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。彼らの祖先は、紀元1世紀にまで遡ります。当時のローマ帝国拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られています。ドイツやフランスにも居住区をつくりました。経済的には富み栄えたようです。

 アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後です。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされましたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていきました。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーでした。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させました。

 アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話しました。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉です。

 スファラディーとは「スペイン」を指す言葉です。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせました。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍しました。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実ですね。

 やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、1492年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放されました。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーでした。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていました。

 スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていました。今はすたれています。

 中世キリスト教とユダヤ教との論争をテーマにした『バルセロナの宮廷にて』(ミルトス)は、難しい内容を戯曲風にわかりやすく紹介していますので、当時の雰囲気がよく伝わってきます。


■アシュケナジーとカザール人

 宇野正美という人物が、自著の本で「アシュケナジーは本当のユダヤ人ではなく、カザール人というユダヤ教改宗者の子孫である」ということを主張しています。

 しかし、彼の主張がいかに誤りであるか、ここでの説明を見ていただければお分かりだと思います。少しユダヤ人の歴史の知識があれば、いかに虚偽で事実を曲げているかすぐ分かりますが、何も知らない日本人にはもっともらしく聞こえます。念のため、間違いを正しましょう。(氏の本にはその他たくさん誤謬がありますが、ここでは省略します。)

 第1に、アシュケナジーが古代ユダヤ人の流れを汲むことは、歴史的事実です。例えば、ドイツにローマ帝国時代のユダヤ人居住区(例えば、コロニア、つまり現在のケルン)があったことなど、ことさら無視しています。古代以来、ヨーロッパの諸都市にユダヤ人が居住していたことは言うまでもありません。

 第2に、カザール人とは、カスピ海とヴォルガ川沿いにあった国で、8世紀頃その王がユダヤ教に改宗したと伝えられる人々です。その国が10世紀に滅んだのち子孫がどうなったかは歴史に照らして検証される必要がありますが、ユダヤ人は改宗者であってもユダヤ人なのです。本当のユダヤ人でないとは、その点からも言えません。

 シュロモー・ザンド・テルアビブ大学教授が著した『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』という書(ヘブライ語原著、日本語訳はなし)も、このカザール人を論拠としたものです。これに関しては、隔月刊誌「みるとす」2008年8月号にてイスラエル人識者が論破しています。
http://myrtos.co.jp/info/judaism01.php


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414 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:30:20 ID:MgwFllOM

どうも

東欧のユダヤ教徒=ハザルの末裔

という風説は欧州でのアラビア語文献学の進展で、昔キプチャク草原にユダヤ教国家が存在したという史実を欧州側が過剰反応し、しかも当時ロシアなどで再三問題になっていたユダヤ教徒問題を安直に結び付けたオリエンタリズム的ロマン主義の匂いを濃厚に感じる。

文献学的調査や考古学的調査では、遊牧部族集団におけるユダヤ教の需要は確認できてはいるようだが、これらテュルク系遊牧民であるハザルが定住化したのが起源ぽいことをいってはいてもそもそもこの定住化→東欧のユダヤ教徒の図式自体実証できてるか怪しい。

11世紀初頭にはすでにほとんど記録から消失傾向にあり、この頃アラル海東方から進出してきたセルジューク朝はムスリムだった。1220年代にチンギス・ハンがクリミア半島方面まで劫略しているが、ハザルやユダヤ教云々は何ら伝えていない。勿論ブルガール族についても触れてはいるがイスラームの信仰を保持していたかすら書いていない。ハザルにいたってはユダヤ教どころか存在自体記録されていない。

つまり、11世紀以降の黒海からアラル海北方地域の遊牧諸民族の動向が良く分かっていないにも関わらず、アシュケナジームはハザルを起源とする説はそもそもが憶測に憶測を重ねている俗説止まりの部分が極めて大きい。


419 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:41:37 ID:MgwFllOM
アシュケナジムとは、元来ドイツのライン川流域に定住していてドイツ語とヘブライ語が交じり合ったイディッシュ語を話す人たち。

カザールとは10世紀頃まで、カスピ海と黒海の間にあったトルコ系遊牧民族国家
ユダヤ教に集団改宗した。

論点は、ポーランド以東のイディッシュ語を話すユダヤ人が、ドイツ起源なのか
カザール期限なのかということ。

ドイツ起源説だけでは、数が多すぎるのが難点
カザール起源説だけだと、なぜドイツ語が変形されたイーディッシュを話すのか説明できない。


424 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:57:18 ID:MgwFllOM
カザール人は、黒髪、茶目トルコ系のはずだな。

なぜ、金髪、青目のアシュケナージ・ユダヤ人が居るのか?

ドイツで交じり合ったという説もあるが、ユダヤ教は2.3世紀には
スラブ人やギリシャ人に対する宣教活動を盛んにした。 キリスト教が
ゲルマンを改宗させようとした時、それに反抗する勢力がユダヤ教になった
という説もある。

白人優越論者=キリスト原理主義者が振りまくカザール=アシュケナジー論は
プロパガンダというのが常識でしょ。
http://2se.dyndns.org/test/readc.cgi/news18.2ch.net_news2_1156420267/

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ユダヤ人のY-DNA遺伝子 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm


  10月8日付けのNature Communicationsに

「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」

という内容の論文がでました。

一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。

ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の発信者だと言うことは驚くべきことです。 過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのです。


  するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に改宗・入信させたということになります。

ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか(たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に受け入れられたように)は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると

離散したユダヤ人は男性がほとんどで、まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化していったと推測することも出来ます。

  mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の中東系はわづか 8%に過ぎなかった。つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。

  興味のある方は是非、下記原著をお読みください。

A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages

Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Verónica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Jiři Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luísa Pereira & Martin B. Richards

Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13


  ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしもヨーロッパ起源とは言えません。

メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。

  欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。

もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は 49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとってはおぞましいことなのでしょうね!!

  ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンのmtDNAハプロタイプでもあります。ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1ö」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。

一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。   

アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた可能性もあるのです。


  更に言えば図中の mtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。

これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。

この論文の著者の分類は若干恣意的です、

西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と言いきるのは正しくはないですね。ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。


  ヨーロッパで最大の頻度を誇るmtDNAハプロタイプは図のmtDNA「H」になりヨーロッパ人の40〜50%を占めています。


  では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?

一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの頻度分布から調べて見ました。


  この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたるメンバーの報告になっています。研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。

     
また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも面白い一面です。

それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。


  調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて調査していました。

    また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。


・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。

・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。

・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。


  また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。


・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。

・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか?


ともかくこの分野の重鎮中の重鎮の Hammaer と Krafet の二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。


以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると

● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。

  いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を守ってきたのでしょう。


● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。

  Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。   

「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう?   

Ashkenaziを にせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiの Leviteに関しては充分納得出来ます。

  一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。

  不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを中東系と定義するのは非常に無理があります。

  ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。

いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他の Cohen や Israeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。   

何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時 Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。

そうして AshukenaziとSephardi は確立し、現代まで存続してきたようです。   


● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。

36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、   ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。

  ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」であることを如実に表しているようです。

  余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人 Israeliteの重要な構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。


● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。

  いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。   

とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他 Y-DNA遺伝子を Ashkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。

当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか?  

Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と交配を強力に進めた結果、mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。   

アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの先住女性と交配しながら新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。   

その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm


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【Y-DNA】ハプロタイプで語るスレ5【mtDNA】

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:14:13.26 ID:bCXeThSu

デヴィッド ロスチャイルドはEタイプのユダヤじゃないかな
Jだと鉤鼻だけど、この人はそうでもない


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:35:31.75 ID:0v1h9MNN

ロスチャイルドの直系ならJ2だよ
Jだと鉤鼻だとかはない

それは=鉤鼻じゃなくなれはJではなくなるということになるからな


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:44:51.71 ID:0v1h9MNN

ロックフェラーはセファルディと言われてるからそれが本当なら
かなりの確立でEだな


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 03:58:46.29 ID:Q9nrpMEV
>>25
アインシュタインもEだそうだけど、セファルディなの?

地理的にはアシュケナージっぽいけど

どっちにしても、ユダヤの定義の1つはは母系で継がれてることのはずなのに、父系でも中東由来のY-DNAが見られるってことは、案外ユダヤ人ってヨーロッパに入ってきてからも内婚的だったのかな

あるいは実際は経済的に困窮して、ユダヤの小金持ちに買われるように嫁いできたゲルマンやスラブの娘っ子を、改宗させて名目上ユダヤ人と言うことにしたのかな。そしてむしろユダヤの血は父系的に継がれていったとか


28 :片手鍋:2013/12/08(日) 07:44:24.26 ID:X+efL8eU

なぜ母系重視かと言うと単にセム系は母系で増えやすいから


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:09:03.36 ID:MlJdVYKE
>>27
アシュケナージは基本的にドイツに住む白人とユダヤ人との混血ユダヤ人で碧眼だったりする。アインシュタインはアシュケナージと言われるが、
中東にいた時の形質がでてるんじゃないかな。
http://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22177000005&GroupCD=0&no=


33 :片手鍋:2013/12/08(日) 11:14:08.99 ID:X+efL8eU
>>32
Eを中東系って言ってる?
http://www.eupedia.com/images/content/Haplogroup-E1b1b.jpg


36 :片手鍋:2013/12/08(日) 11:38:28.90 ID:X+efL8eU
>>32
イタリアンハゲとE系統遺伝子は相関があるはずだ。
http://www.eupedia.com/images/content/Haplogroup-E1b1b.jpg
http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/64/2013/5/1/5105b22666325fe6805bcacace652b9a2e2ec4fb1382539878.png

すなわちチョンマゲとイタリアンハゲは同じくDE系統をルーツに持つ


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:41:38.94 ID:MlJdVYKE
>>33
悪い。中東と言ってもイスラエルでアラビアじゃなかった。
Eでアラビアでは少ないのな。


38 :片手鍋:2013/12/08(日) 12:12:32.67 ID:X+efL8eU
>>37
通説では「YAP遺伝子」が中東で多いって話なんだよね?
あれもY染色体だっけか

Eが多いモロッコは北アフリカだしね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Y-DNA_haplogroups_by_populations_of_Near_East

でも↑ここではモロッコ(Arabs)だね。
なにゆえモロッコがアラブなのか。アラブの定義とは何なのか。

しかもモロッコ人ハゲてないよね。
ハゲてもらわないとこまるじゃないか。
DEハゲ理論が台無しだ。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 12:27:33.61 ID:mImuiEn8

E1b1b が突出して多いのはベルベル人とソマリ族
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/10-6.htm


255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 00:30:37.65 ID:TDt/5Syt

Y染色体にはもう数十個しか遺伝子が乗っていない

それに対してX染色体は1400個以上遺伝子が乗っている

男はXY
女はXX

男の子が父親に似ないとは言われるけど、Yの数十個しか遺伝子をもらっていないから確かに似にくいんだ

そして遺伝子がいっぱい乗っている、女性を大事にしていない人種というのは確実に発展はしないだろう

欧米はレディーファーストだとか、行き過ぎた文化に女性に処女を求めたりすることがあった

ユダヤ人も母親がユダヤ人な場合、ユダヤ人だ

女性を大事にしない人種は遺伝子的観点からみて、発展する余地が少なく遅れをとるだろう


263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 14:49:43.38 ID:EJ3p1psQ
>>255
>ユダヤ人も母親がユダヤ人な場合、ユダヤ人だ

アブラハム、イサク、ヤコブって男系だよね。
いつから女系に変わったんだろ?


266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 02:27:35.81 ID:ZxEAwKC7
>>263
実は建前とか
そうでもなきゃ混血もしてるはずのアシュケナージ系のアインシュタインのY-DNAが中東系のEなはずがない
あるいは意外にも内婚的だったとか?


267 :片手鍋:2013/12/20(金) 11:46:57.41 ID:1yifz514
>>263>>266
あのね、赤ちゃんっていうのはお父さんとお母さんが交わってできるので
お父さんとお母さんの両方の遺伝子をもらって生まれてくるんですよ。


582 :Anonymous:2014/01/24(金) 23:08:15.61 ID:hfG15UMz

ユダヤって母系だからY染色体って意味ないんじゃないの?


588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:46:20.86 ID:Fr+xgJug
>>582
ところがアインシュタインのY-DNAは中東系のE。
予想以上にユダヤ人は内婚的な集団だったか、母系継承はほぼ建前だったか


589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:51:12.96 ID:FlYx9kSo
>>588
前者の方だよ
ユダヤの閉鎖性はかなり根が深い


590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 12:32:17.93 ID:i71BsIWt

ユダヤ確立以前の基層に卑弥呼的な母系社会が有ったんだろ。


591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 12:42:51.83 ID:21gwrWzs

ユダヤは閉鎖性というより、選民意識があって
ユダヤ人が読んでるタルムード、ゾハールには「異邦人(ユダヤ人以外のこと)と性交渉したならばラビに鞭打たれる。

ラビは、その懲らしめられたユダヤ人は雌驢馬と性交渉したからだと言った」とか他にも色々書いてあるけど
ユダヤ人以外の人と結婚するのはかなり難しいように思う


680 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 14:50:38.04 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)

教えてほしいんだけど、ユダヤ人はEに含まれるの?


687 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 18:21:20.50 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>685 
D系統がハム系やセム系になることなどありえないでしょう?


688 :片手鍋:2014/01/28(火) 18:54:02.57 ID:sMoy9eoI
>>687 
そう、Eがハム。


689 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 19:05:00.89 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>688 
ユダヤ人はセム系で、Eを含むということでいいの?

Qは何人なんだい?


690 :片手鍋:2014/01/28(火) 19:20:59.22 ID:sMoy9eoI

Qがセム。
ただこの父系はあんまり子供できないんで、
ユダヤ人は母系を重視することになってるわけだ。


691 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 19:25:29.33 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>690 
アインシュタインはユダヤ人だけど、ハム系の父系祖先をもっていたということだね。


692 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/01/28(火) 19:27:30.02 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>690 
ユダヤ人が母系を重視するってのは、古代からなのかい?
ドイツ第三帝国によって、ドイツに住むユダヤ人女性の八割はドイツ人ゲルマン民族男性と結婚したと聞いたけど。


702 :片手鍋:2014/01/29(水) 01:01:43.45 ID:6MYMSKYD
>>692
>ドイツに住むユダヤ人女性の八割はドイツ人ゲルマン民族男性と結婚した

その結果がこうなわけでしょ。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/03/31/article-0-002BCB7D00000258-577_634x584.jpg

http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/650.html#c11

[お知らせ・管理21] 2019年05月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
93. 中川隆[-10365] koaQ7Jey 2019年5月11日 10:57:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1740]
仕事に優劣はないだろ

俺は自分の仕事に誇りをもって働いているんだ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/554.html#c93

[リバイバル3] 最近のオーディオ業界の状況 中川隆
92. 中川隆[-10364] koaQ7Jey 2019年5月11日 11:08:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1741]
200万アクセスを通過して GRFのある部屋 2019年 05月 11日
https://tannoy.exblog.jp/30583886/


四年半前の100万アクセスの時も同じ事を感じましたが、区切りの良い数字は、わかりやすい記念碑にはなるのですが、子供の時の遠足のように、来る前は長く感じますが、通過するとあっというまに遠く離れていきます。特急列車が、ローカル駅を通り過ぎるような物です。特別その駅で停車して、セレモニーがあるわけでもありません。通過する列車から200万アクセス駅を眺めるだけですね。

最初の100万アクセスには八年半かかりましたが、次の100万アクセスは半分の四年半でした。毎日数百人もの方に、発信しているのだという実感は余りなく、自分への備忘録として、実験内容をメモしているような物です。皆さんのご意見もお聞きしたいので、コメント欄ではといわれる方は、ぜひ、左の欄にあります、メールアドレスの「GRFのある部屋」までお便りを下さい。先日問いかけを致しましたら、お二方からご連絡をいただき、嬉しかったです。

f0108399_21415408.png

オーディオの楽しみ方は、人により千差万別です。ある人は、戦前の装置をいまだに使っているし、60年代の高級オーディオをようやく手にされた、安堵されている方もおられるでしょう。なにごとも始めて見れば奥は深いし、発見は毎日あるからです。ある人にはオーディオ機器は家具のような物であり、部屋の環境を整える重要な道具です。デンマーク製の秀逸なデザインの家具を揃えるような感覚で揃える喜びもあることでしょう。

我々の年代の多くの方々は、学生時代に有名だった高級機器を揃えて、その頃の音にひたっている人も多いのです。その意味では、Thorensの最高級機がいまだに価格が上昇しているのが証明しています。アナログ時代の名器の音に今だ到達していないというのが、この世界の常識のようです。


私自身も出発点はそこでした。ただ、雑誌で言えば、私は「ラジオ技術」誌で育った世代です。「無線と実験」誌とも違う路線です。「レコード芸術」誌の「ステレオのすべて」などは、金持ちが安易にオーディオに手を出す為の雑誌だとぐらいにしか思っていませんでした。「ステレオサウンド」誌が世の中に出てきたとき、何だか自分のやってきたオーディオとは、違う物が出現したなぐらいにしか思っていませんでした。


「ラジオ技術」で知っていた大村一郎さんが瀬川冬樹先生になり、岡さんが岡俊雄先生と、よく知っている仲間同士が、雑誌上でお互いを先生呼ばわりしているのが、どこか滑稽でした。しかし、日本のオーディオ界で「ステレオサウンド」誌が果たした影響は大きく、オーディオをマニアの世界から産業へと変革させたのです。


毎年選出するその年の「グランプリ大賞」の制度は、例大祭のように業界に定着したのです。「ステレオサウンド」誌のオーディオにとって最大の功績は、素晴らしい写真によって、音をビジュアル化したことでしょう。季刊ですから一年に四冊しか刊行されませんから100号・25年を過ぎる頃には「ステレオサウンド」誌の表紙を飾らない機器は一流で無いと思われ始めたのです。

f0108399_21423365.png


昔から日本中のオーディマニアのお宅にもチャンスがあれば訪れていましたが、ご自慢の機器を紹介されるときに、これは「ステレオサウンド」誌の何号の表紙の機器だと紹介されたこともありました。東京や大阪、名古屋の大都市から離れたところでは、近所にオーディオ屋はないし、オーディオ専門誌から受ける情報だけが、判断の基準になっていったのでしょう。


我々の時代は、秋葉原には数多くのオーディオ専門店があり、各店で競って様々な機器類を扱っていました。貧乏な学生時代にオーディオを始めた「ラジオ技術」世代にも、段々と自作ではない機器類が普及し始めて、金額で音質を買う現状に驚き恐れていた物でした。その自作派の人たちが、アクセサリーに分化して行ったのでしょう。


本ブログを通じて知り合ったオーディオマニアの方々は、各世代に別れております。私からみて先輩の方々は、残念ながら、数えるほどしかおられません。年代で大別すると、古希を過ぎた同世代のいわゆる団塊の世代、60代の方、50代、40代の方と大別されます。現在厄年あたりの世代の方々は、私からみれば30歳離れていますから子供(団塊ジュニア)の世代です。干支で言うところの12歳違いが、話題を共有出来る限界でしょう。その55歳から65歳までの比較的近い世代の方々も「ステレオサウンド」誌世代なのです。


その世代の方々の理想は、当時からあった世代を超えた銘機で音楽を聴くことなのです。もちろん、そこには長年培ってきたノウハウや、最新のデジタル技術も融合されて、現代の技術で往年の名器を蘇らすことなのです。何回もそういう音を聴いていてその度に感動を深めるのですが、その豪華な音が私自身の求めている音なのかと問われると、聴きたい音楽の分野が違うからと、答えに窮するところもあるのです。

f0108399_21471775.jpg


名器オートグラフを、ウェスタン系のアンプと電源で補強し、EMT927に特注のシェルをつけたSPUの音で満足かと言われると、昔のレコードを聴く限りには、この世界も在りだと思いますが、テープの音、それもマスターテープの音を知ってる自分には、こちらも答えに窮します。


要するに、歴史も目的地も、環境も境遇も違う別の個性が同じ音を共有することはないのです。その友人は私が誘ったムラヴィンスキー以外の生は受け付けなくなりました。ミューザのコンセルトヘボウも音が小さく、迫力が乏しく席まで音が届かないと言っていました。常に装置の前で大音量で聞きつけているうちに、生の音では物足りなくなったのでしょう。大オーケストラでも、レニングラードは別として、その音量に圧倒されるには前から15列目ぐらいが限度です。通路の後ろ側の一列目は招待客席ですが、そこでは音量はもう小さいと言えましょう。


ミューザのように、ピアニシモの音がしっかりと聞こえるホールが少なく、またダイナミクスに欠ける、力の無いオーケストラを聴けば、生はつまらないというのも、うなずけないわけではないのですが・・・。その一因には、レコードのようなダイナミックレンジに制限のある音源では、音を圧縮し、小さな音はある程度大きく、大きすぎるフォルテシモは、リミッターをかけて音の幅を制限して聞く習慣が身についたことにもあります。ミューザで聴いたヤンソンス・RCOの消えゆくようなピアニシモの後の、指揮者がタクトを降ろすまでの8秒間の聴衆と楽団員全員の沈黙。あのピアニシモの再現が私の目標ですね。

f0108399_21421288.jpg


レコードからピアニシモの音を拾うには、ターンテーブルの性能を上げなくてはならないし、何よりもプリアンプのSN比もよくしなければなりません。フォノイコライザーの求める40dbのレンジは、真空管時代のプリアンプでは、完全に再現することはなかなか難しく、プリアンプ自身のゲインも20dbは必要ですから、そのトータルで60db以上のSN比を実現できていたのは、数少ない名器だけでした。


何よりも、それを聞く部屋の環境が大事だということが、細かい残響で音場を再現する方法に舵を切った瞬間必要になってくるのです。家では、普通の部屋のままの和室と、徹底してSN比を大切にした「GRFのある部屋」では、同じ音源でも、全く別の音がするのを、訪れた方々は感じているはずなのです。部屋に入った瞬間に感じる「静けさ」こそが、音場を構成する大切な要素になっているわけです。


このように、出発点は同じでも、育った環境、歴史、ご本人の興味の持ち方、などによって全く違う方向を向いていくのも仕方がないことなのです。それが、各自の個性なのでしょう。だからこそ、一生懸命オーディオをされている方のお宅に訪問するのが楽しいのです。その人の個性が表れるからです。同じ話題を共有できる仲間がいることが、何よりも励みになるのですね。


ありがたいことに、12年間で200万ものアクセスをいただきました。これを読まれている読者の方は、皆さん別な方向を向かれていると思います。また、それが大切なことですが、一部でもその「思い」を共有できる人を探している長い旅路なのかもしれません。

f0108399_21430983.jpg


今回の連休のように、何回も、何年も家の音を聞きに来ていただける方々がいる限り、それを励みにもう少し頑張ってみようと思っています。今回聞いていただいた4トラックテープの、オーマンディやバーンスタインの格好いい音や、カラヤン、ベームの知られざる深遠な音楽の世界、それを50年、60年ぶりに発掘できたのも、喜びの一つですね。


去年の暮れのTPPに便乗して改悪された著作権法がなければ、それらの1968年以前の音源は、皆パブリックドメインで、自由に聞いていただけたのですが・・・


改悪される法律は、これだけではありませんので、年寄りはとても憂いています。
https://tannoy.exblog.jp/30583886/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/845.html#c92

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
7. 中川隆[-10363] koaQ7Jey 2019年5月11日 11:09:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742]
200万アクセスを通過して GRFのある部屋 2019年 05月 11日
https://tannoy.exblog.jp/30583886/


四年半前の100万アクセスの時も同じ事を感じましたが、区切りの良い数字は、わかりやすい記念碑にはなるのですが、子供の時の遠足のように、来る前は長く感じますが、通過するとあっというまに遠く離れていきます。特急列車が、ローカル駅を通り過ぎるような物です。特別その駅で停車して、セレモニーがあるわけでもありません。通過する列車から200万アクセス駅を眺めるだけですね。

最初の100万アクセスには八年半かかりましたが、次の100万アクセスは半分の四年半でした。毎日数百人もの方に、発信しているのだという実感は余りなく、自分への備忘録として、実験内容をメモしているような物です。皆さんのご意見もお聞きしたいので、コメント欄ではといわれる方は、ぜひ、左の欄にあります、メールアドレスの「GRFのある部屋」までお便りを下さい。先日問いかけを致しましたら、お二方からご連絡をいただき、嬉しかったです。

f0108399_21415408.png

オーディオの楽しみ方は、人により千差万別です。ある人は、戦前の装置をいまだに使っているし、60年代の高級オーディオをようやく手にされた、安堵されている方もおられるでしょう。なにごとも始めて見れば奥は深いし、発見は毎日あるからです。ある人にはオーディオ機器は家具のような物であり、部屋の環境を整える重要な道具です。デンマーク製の秀逸なデザインの家具を揃えるような感覚で揃える喜びもあることでしょう。

我々の年代の多くの方々は、学生時代に有名だった高級機器を揃えて、その頃の音にひたっている人も多いのです。その意味では、Thorensの最高級機がいまだに価格が上昇しているのが証明しています。アナログ時代の名器の音に今だ到達していないというのが、この世界の常識のようです。


私自身も出発点はそこでした。ただ、雑誌で言えば、私は「ラジオ技術」誌で育った世代です。「無線と実験」誌とも違う路線です。「レコード芸術」誌の「ステレオのすべて」などは、金持ちが安易にオーディオに手を出す為の雑誌だとぐらいにしか思っていませんでした。「ステレオサウンド」誌が世の中に出てきたとき、何だか自分のやってきたオーディオとは、違う物が出現したなぐらいにしか思っていませんでした。


「ラジオ技術」で知っていた大村一郎さんが瀬川冬樹先生になり、岡さんが岡俊雄先生と、よく知っている仲間同士が、雑誌上でお互いを先生呼ばわりしているのが、どこか滑稽でした。しかし、日本のオーディオ界で「ステレオサウンド」誌が果たした影響は大きく、オーディオをマニアの世界から産業へと変革させたのです。


毎年選出するその年の「グランプリ大賞」の制度は、例大祭のように業界に定着したのです。「ステレオサウンド」誌のオーディオにとって最大の功績は、素晴らしい写真によって、音をビジュアル化したことでしょう。季刊ですから一年に四冊しか刊行されませんから100号・25年を過ぎる頃には「ステレオサウンド」誌の表紙を飾らない機器は一流で無いと思われ始めたのです。

f0108399_21423365.png


昔から日本中のオーディマニアのお宅にもチャンスがあれば訪れていましたが、ご自慢の機器を紹介されるときに、これは「ステレオサウンド」誌の何号の表紙の機器だと紹介されたこともありました。東京や大阪、名古屋の大都市から離れたところでは、近所にオーディオ屋はないし、オーディオ専門誌から受ける情報だけが、判断の基準になっていったのでしょう。


我々の時代は、秋葉原には数多くのオーディオ専門店があり、各店で競って様々な機器類を扱っていました。貧乏な学生時代にオーディオを始めた「ラジオ技術」世代にも、段々と自作ではない機器類が普及し始めて、金額で音質を買う現状に驚き恐れていた物でした。その自作派の人たちが、アクセサリーに分化して行ったのでしょう。


本ブログを通じて知り合ったオーディオマニアの方々は、各世代に別れております。私からみて先輩の方々は、残念ながら、数えるほどしかおられません。年代で大別すると、古希を過ぎた同世代のいわゆる団塊の世代、60代の方、50代、40代の方と大別されます。現在厄年あたりの世代の方々は、私からみれば30歳離れていますから子供(団塊ジュニア)の世代です。干支で言うところの12歳違いが、話題を共有出来る限界でしょう。その55歳から65歳までの比較的近い世代の方々も「ステレオサウンド」誌世代なのです。


その世代の方々の理想は、当時からあった世代を超えた銘機で音楽を聴くことなのです。もちろん、そこには長年培ってきたノウハウや、最新のデジタル技術も融合されて、現代の技術で往年の名器を蘇らすことなのです。何回もそういう音を聴いていてその度に感動を深めるのですが、その豪華な音が私自身の求めている音なのかと問われると、聴きたい音楽の分野が違うからと、答えに窮するところもあるのです。

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名器オートグラフを、ウェスタン系のアンプと電源で補強し、EMT927に特注のシェルをつけたSPUの音で満足かと言われると、昔のレコードを聴く限りには、この世界も在りだと思いますが、テープの音、それもマスターテープの音を知ってる自分には、こちらも答えに窮します。


要するに、歴史も目的地も、環境も境遇も違う別の個性が同じ音を共有することはないのです。その友人は私が誘ったムラヴィンスキー以外の生は受け付けなくなりました。ミューザのコンセルトヘボウも音が小さく、迫力が乏しく席まで音が届かないと言っていました。常に装置の前で大音量で聞きつけているうちに、生の音では物足りなくなったのでしょう。大オーケストラでも、レニングラードは別として、その音量に圧倒されるには前から15列目ぐらいが限度です。通路の後ろ側の一列目は招待客席ですが、そこでは音量はもう小さいと言えましょう。


ミューザのように、ピアニシモの音がしっかりと聞こえるホールが少なく、またダイナミクスに欠ける、力の無いオーケストラを聴けば、生はつまらないというのも、うなずけないわけではないのですが・・・。その一因には、レコードのようなダイナミックレンジに制限のある音源では、音を圧縮し、小さな音はある程度大きく、大きすぎるフォルテシモは、リミッターをかけて音の幅を制限して聞く習慣が身についたことにもあります。ミューザで聴いたヤンソンス・RCOの消えゆくようなピアニシモの後の、指揮者がタクトを降ろすまでの8秒間の聴衆と楽団員全員の沈黙。あのピアニシモの再現が私の目標ですね。

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レコードからピアニシモの音を拾うには、ターンテーブルの性能を上げなくてはならないし、何よりもプリアンプのSN比もよくしなければなりません。フォノイコライザーの求める40dbのレンジは、真空管時代のプリアンプでは、完全に再現することはなかなか難しく、プリアンプ自身のゲインも20dbは必要ですから、そのトータルで60db以上のSN比を実現できていたのは、数少ない名器だけでした。


何よりも、それを聞く部屋の環境が大事だということが、細かい残響で音場を再現する方法に舵を切った瞬間必要になってくるのです。家では、普通の部屋のままの和室と、徹底してSN比を大切にした「GRFのある部屋」では、同じ音源でも、全く別の音がするのを、訪れた方々は感じているはずなのです。部屋に入った瞬間に感じる「静けさ」こそが、音場を構成する大切な要素になっているわけです。


このように、出発点は同じでも、育った環境、歴史、ご本人の興味の持ち方、などによって全く違う方向を向いていくのも仕方がないことなのです。それが、各自の個性なのでしょう。だからこそ、一生懸命オーディオをされている方のお宅に訪問するのが楽しいのです。その人の個性が表れるからです。同じ話題を共有できる仲間がいることが、何よりも励みになるのですね。


ありがたいことに、12年間で200万ものアクセスをいただきました。これを読まれている読者の方は、皆さん別な方向を向かれていると思います。また、それが大切なことですが、一部でもその「思い」を共有できる人を探している長い旅路なのかもしれません。

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今回の連休のように、何回も、何年も家の音を聞きに来ていただける方々がいる限り、それを励みにもう少し頑張ってみようと思っています。今回聞いていただいた4トラックテープの、オーマンディやバーンスタインの格好いい音や、カラヤン、ベームの知られざる深遠な音楽の世界、それを50年、60年ぶりに発掘できたのも、喜びの一つですね。


去年の暮れのTPPに便乗して改悪された著作権法がなければ、それらの1968年以前の音源は、皆パブリックドメインで、自由に聞いていただけたのですが・・・


改悪される法律は、これだけではありませんので、年寄りはとても憂いています。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c7

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
31. 中川隆[-10362] koaQ7Jey 2019年5月11日 11:12:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1743]
200万アクセスを通過して GRFのある部屋 2019年 05月 11日
https://tannoy.exblog.jp/30583886/


四年半前の100万アクセスの時も同じ事を感じましたが、区切りの良い数字は、わかりやすい記念碑にはなるのですが、子供の時の遠足のように、来る前は長く感じますが、通過するとあっというまに遠く離れていきます。特急列車が、ローカル駅を通り過ぎるような物です。特別その駅で停車して、セレモニーがあるわけでもありません。通過する列車から200万アクセス駅を眺めるだけですね。

最初の100万アクセスには八年半かかりましたが、次の100万アクセスは半分の四年半でした。毎日数百人もの方に、発信しているのだという実感は余りなく、自分への備忘録として、実験内容をメモしているような物です。皆さんのご意見もお聞きしたいので、コメント欄ではといわれる方は、ぜひ、左の欄にあります、メールアドレスの「GRFのある部屋」までお便りを下さい。先日問いかけを致しましたら、お二方からご連絡をいただき、嬉しかったです。

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オーディオの楽しみ方は、人により千差万別です。ある人は、戦前の装置をいまだに使っているし、60年代の高級オーディオをようやく手にされた、安堵されている方もおられるでしょう。なにごとも始めて見れば奥は深いし、発見は毎日あるからです。ある人にはオーディオ機器は家具のような物であり、部屋の環境を整える重要な道具です。デンマーク製の秀逸なデザインの家具を揃えるような感覚で揃える喜びもあることでしょう。

我々の年代の多くの方々は、学生時代に有名だった高級機器を揃えて、その頃の音にひたっている人も多いのです。その意味では、Thorensの最高級機がいまだに価格が上昇しているのが証明しています。アナログ時代の名器の音に今だ到達していないというのが、この世界の常識のようです。


私自身も出発点はそこでした。ただ、雑誌で言えば、私は「ラジオ技術」誌で育った世代です。「無線と実験」誌とも違う路線です。「レコード芸術」誌の「ステレオのすべて」などは、金持ちが安易にオーディオに手を出す為の雑誌だとぐらいにしか思っていませんでした。「ステレオサウンド」誌が世の中に出てきたとき、何だか自分のやってきたオーディオとは、違う物が出現したなぐらいにしか思っていませんでした。


「ラジオ技術」で知っていた大村一郎さんが瀬川冬樹先生になり、岡さんが岡俊雄先生と、よく知っている仲間同士が、雑誌上でお互いを先生呼ばわりしているのが、どこか滑稽でした。しかし、日本のオーディオ界で「ステレオサウンド」誌が果たした影響は大きく、オーディオをマニアの世界から産業へと変革させたのです。


毎年選出するその年の「グランプリ大賞」の制度は、例大祭のように業界に定着したのです。「ステレオサウンド」誌のオーディオにとって最大の功績は、素晴らしい写真によって、音をビジュアル化したことでしょう。季刊ですから一年に四冊しか刊行されませんから100号・25年を過ぎる頃には「ステレオサウンド」誌の表紙を飾らない機器は一流で無いと思われ始めたのです。

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昔から日本中のオーディマニアのお宅にもチャンスがあれば訪れていましたが、ご自慢の機器を紹介されるときに、これは「ステレオサウンド」誌の何号の表紙の機器だと紹介されたこともありました。東京や大阪、名古屋の大都市から離れたところでは、近所にオーディオ屋はないし、オーディオ専門誌から受ける情報だけが、判断の基準になっていったのでしょう。


我々の時代は、秋葉原には数多くのオーディオ専門店があり、各店で競って様々な機器類を扱っていました。貧乏な学生時代にオーディオを始めた「ラジオ技術」世代にも、段々と自作ではない機器類が普及し始めて、金額で音質を買う現状に驚き恐れていた物でした。その自作派の人たちが、アクセサリーに分化して行ったのでしょう。


本ブログを通じて知り合ったオーディオマニアの方々は、各世代に別れております。私からみて先輩の方々は、残念ながら、数えるほどしかおられません。年代で大別すると、古希を過ぎた同世代のいわゆる団塊の世代、60代の方、50代、40代の方と大別されます。現在厄年あたりの世代の方々は、私からみれば30歳離れていますから子供(団塊ジュニア)の世代です。干支で言うところの12歳違いが、話題を共有出来る限界でしょう。その55歳から65歳までの比較的近い世代の方々も「ステレオサウンド」誌世代なのです。


その世代の方々の理想は、当時からあった世代を超えた銘機で音楽を聴くことなのです。もちろん、そこには長年培ってきたノウハウや、最新のデジタル技術も融合されて、現代の技術で往年の名器を蘇らすことなのです。何回もそういう音を聴いていてその度に感動を深めるのですが、その豪華な音が私自身の求めている音なのかと問われると、聴きたい音楽の分野が違うからと、答えに窮するところもあるのです。

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名器オートグラフを、ウェスタン系のアンプと電源で補強し、EMT927に特注のシェルをつけたSPUの音で満足かと言われると、昔のレコードを聴く限りには、この世界も在りだと思いますが、テープの音、それもマスターテープの音を知ってる自分には、こちらも答えに窮します。


要するに、歴史も目的地も、環境も境遇も違う別の個性が同じ音を共有することはないのです。その友人は私が誘ったムラヴィンスキー以外の生は受け付けなくなりました。ミューザのコンセルトヘボウも音が小さく、迫力が乏しく席まで音が届かないと言っていました。常に装置の前で大音量で聞きつけているうちに、生の音では物足りなくなったのでしょう。大オーケストラでも、レニングラードは別として、その音量に圧倒されるには前から15列目ぐらいが限度です。通路の後ろ側の一列目は招待客席ですが、そこでは音量はもう小さいと言えましょう。


ミューザのように、ピアニシモの音がしっかりと聞こえるホールが少なく、またダイナミクスに欠ける、力の無いオーケストラを聴けば、生はつまらないというのも、うなずけないわけではないのですが・・・。その一因には、レコードのようなダイナミックレンジに制限のある音源では、音を圧縮し、小さな音はある程度大きく、大きすぎるフォルテシモは、リミッターをかけて音の幅を制限して聞く習慣が身についたことにもあります。ミューザで聴いたヤンソンス・RCOの消えゆくようなピアニシモの後の、指揮者がタクトを降ろすまでの8秒間の聴衆と楽団員全員の沈黙。あのピアニシモの再現が私の目標ですね。

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レコードからピアニシモの音を拾うには、ターンテーブルの性能を上げなくてはならないし、何よりもプリアンプのSN比もよくしなければなりません。フォノイコライザーの求める40dbのレンジは、真空管時代のプリアンプでは、完全に再現することはなかなか難しく、プリアンプ自身のゲインも20dbは必要ですから、そのトータルで60db以上のSN比を実現できていたのは、数少ない名器だけでした。


何よりも、それを聞く部屋の環境が大事だということが、細かい残響で音場を再現する方法に舵を切った瞬間必要になってくるのです。家では、普通の部屋のままの和室と、徹底してSN比を大切にした「GRFのある部屋」では、同じ音源でも、全く別の音がするのを、訪れた方々は感じているはずなのです。部屋に入った瞬間に感じる「静けさ」こそが、音場を構成する大切な要素になっているわけです。


このように、出発点は同じでも、育った環境、歴史、ご本人の興味の持ち方、などによって全く違う方向を向いていくのも仕方がないことなのです。それが、各自の個性なのでしょう。だからこそ、一生懸命オーディオをされている方のお宅に訪問するのが楽しいのです。その人の個性が表れるからです。同じ話題を共有できる仲間がいることが、何よりも励みになるのですね。


ありがたいことに、12年間で200万ものアクセスをいただきました。これを読まれている読者の方は、皆さん別な方向を向かれていると思います。また、それが大切なことですが、一部でもその「思い」を共有できる人を探している長い旅路なのかもしれません。

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今回の連休のように、何回も、何年も家の音を聞きに来ていただける方々がいる限り、それを励みにもう少し頑張ってみようと思っています。今回聞いていただいた4トラックテープの、オーマンディやバーンスタインの格好いい音や、カラヤン、ベームの知られざる深遠な音楽の世界、それを50年、60年ぶりに発掘できたのも、喜びの一つですね。


去年の暮れのTPPに便乗して改悪された著作権法がなければ、それらの1968年以前の音源は、皆パブリックドメインで、自由に聞いていただけたのですが・・・


改悪される法律は、これだけではありませんので、年寄りはとても憂いています。
https://tannoy.exblog.jp/30583886/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c31

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
201. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月11日 11:42:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1744]
なぜバフェットは下げ相場で買うのか?
暴落が楽しみになる「Buy the Dip」の極意=栫井駿介 2019年5月8日
https://www.mag2.com/p/money/670973


相場全体の下げを買う「Buy the Dip」の手法は、数多ある投資法の中で有効性の高い手法です。ウォーレン・バフェットも、下げ相場になれば積極的に買いを入れます。しかし、いざ株価下落を前にすると、なかなか買えないのが人の心情です。

下げ相場を買えないのには、以下のような要因があります。

◾うまくいく確信がない
◾もっと下がるかもしれないと思い躊躇する
◾何を買ったら良いかわからない

逆に言えば、これらを解消することで、あなたは自信を持って下げ相場を買うことができます。それができれば、長期投資では8割方勝つことができるでしょう。この記事を読み、あなたも勝ち組投資家の仲間入りを目指して欲しいと考えます。(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)

有料メルマガ『今週のバリュー株投資』好評配信中。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:栫井駿介(かこいしゅんすけ)
株式投資アドバイザー、証券アナリスト。1986年、鹿児島県生まれ。県立鶴丸高校、東京大学経済学部卒業。大手証券会社にて投資銀行業務に従事した後、2016年に独立しつばめ投資顧問設立。2011年、証券アナリスト第2次レベル試験合格。2015年、大前研一氏が主宰するBOND-BBTプログラムにてMBA取得。

買ったらさらに下がるのでは?不安を乗り越えて買うべき銘柄とは

Buy the Dipの有効性

株式市場は、年平均で約7%成長するとされます。つまり、世界のインデックスをただ持っているだけで毎年7%資産は増えていくのです。税金を考慮しなければ、約10年で資産は2倍になります。

しかし、株価は必ずしも比例的に伸びていくわけではありません。上がったり下がったりを繰り返しながら、段々と水準を上げていきます。


長期投資では基本的に買ったらそのまま持ち続けますから、上がった時に買うより下がった時に買ったほうが良いことは間違いありません。以下のような単純化した株価の動きを見てみましょう。

https://www.mag2.com/p/money/670973

上のグラフは、年7%成長を基準に、2年目にマイナス30%になった場合のグラフです。

平均線上で買えば、年率リターンは当然7.0%です。一方、株価が30%値下がりした2年目に買えば、10年目までの年率リターンは11.0%に上昇します。

逆に、同じ条件で、2年目に30%上昇した場合の年率リターンは、4.4%に低下します。

これは、100万円を投資した場合、下落時に買えば8年後に230万円になり、上昇時に買うと141万円にしかならないことを意味します。

https://www.mag2.com/p/money/670973

単純な理論ですが、実はほとんどの人が間違った行動を取っています。すなわち、株価が上昇して調子の良い時に買い、調子の悪い時には沈黙しているのです。この行為がいかに投資パフォーマンスを下げているか、おわかりいただけるでしょう。

過去2年間の日経平均株価を見ても一目瞭然です。2018年初や10月頃に24,000円を目指して上昇した時に購入すると、現時点で利益が出ません。一方、3月頃や年末の大幅下落時に買えば利益を出せているのです。

https://www.mag2.com/p/money/670973

もちろん、これは買い持ち(バイ・アンド・ホールド)を前提とした長期投資の場合です。短期投資ではあまり関係のない話で、むしろ上昇しているときのほうが勢いがあって好都合な場合もあるでしょう。

しかし、そもそも多くの投資家は、自分が長期投資をしているのか、短期投資をしているのか理解していません。だから、長期投資をしているはずなのに、上昇相場に乗り遅れまいと焦り、高値で買ってしまうことを繰り返すのです。


長期投資で焦ってもいいことはありません。少しでも安く買えた方が良いことは間違いないのですから、相場が上がっているときは何もする必要はないのです。


もっと下がるのではないか?

Buy the Dipの有効性を頭で理解できたとしても、やはり投資に踏み切れる人は多くありません。その根底には「もっと下がるのではないか」という不安があります。

どんなに経験を積んだ人でも、相場の底を言い当てることは困難です。下がったと思って買っても、ほとんどの場合さらに下がります。


長期投資家にとっては、ここからが本当の勝負です。少し下がったからと言って、焦って売ったらその後の上昇を逃してしまいます。

逆に、少し下がっただけでナンピン買いを繰り返していると、あっという間に資金が尽きてしまいます。そうなると、本格的な買いのチャンスを指を咥えて見ているということにもなりかねないのです。

このような事態を回避するためには、大きな下落が始まったら、買うことを前提としながらも、そこからさらに下がる可能性が高いことを頭に入れておかなければなりません。そして、買ってからさらに下げるようなら順次資金を投入していきます。


https://www.mag2.com/p/money/670973/2


これを実践する上で鍵を握るのが資金管理です。自分が投入できる資金量を理解し、底を尽きないように買い進めます。


最初の下げで資金のほとんどを使い果たしてしまっては目も当てられません。確かに、千載一遇のチャンスの場合もあるのですが、もし逃したとしてもまたチャンスはやってきます。投資は利益を焦るほどうまくいかないものなのです。

【関連】億り人は株価暴落でほくそ笑む。いつでも買いに動ける「元手」を貯める秘策とは?=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/611002

もっとも、細かい買い方以前に元手がなければどうしようもありません。長期投資で資産を作りたい人は、まずは元手の確保を優先するようにしましょう。

何を買うべきか?

本格的な下げ相場では、どんな銘柄でも下がります。大型株も小型株も、内需株も外需株もあまり関係ありません。逆に言えば、どんな銘柄でも下げ相場を拾えれば、うまくいく確率は大きく高まります。

その中で私がおすすめするのは、普段ではなかなか下がらない優良銘柄を買うことです。


毎期毎期最高益をあげ続ける銘柄の株価はなかなか下がりません。ずっと右肩上がりだと、なかなか買うタイミングがつかめません。そうこうしている間にスルスルスルっと上がってしまいます。

そんなに良い銘柄でも、やはり下げ相場では大きく下がります。その例がGoogleの親会社であるAlphabet(GOOG)です。

ALPHABET C<GOOG> 月足(SBI証券提供)
https://www.mag2.com/p/money/670973/3


Googleの業績は毎年約20%ずつ成長し、株価もそれに比例して上昇しています。

世界のインターネット広告市場はすでにテレビを追い抜き、そこで最大のシェアを誇る同社の業績は、引き続き伸びていくことが想定されています。


いい会社だとわかっていながら、買うタイミングを掴むのは容易ではありません。それでも、焦る必要はありません。相場は必ず上昇と下落を繰り返しますから、いつか必ず下落するタイミングがやってきます。

直近では、2018年末に大きく下げたタイミングで買えていれば、現時点で3割近い利益を出せたことになります。これは、約3年前の上昇時に買った場合と同じですから、決して買いを焦る必要がないことが分かるでしょう。

【関連】あなたはもう投資の世界で迷わない。バフェットが財を成したバイ&ホールドの本質に迫る=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/621069


Googleのようないい銘柄を安値で買えれば、あとは何もせずにただ持ち続ければ良いのです。一時的なアップダウンはあれど、時間が経てばやがて大きく育つでしょう。


テレビが株価暴落を伝えたら、いよいよ動くとき

この投資法を実践するためには、普段から良い銘柄に目をつけておくことです。自分のお気に入りの銘柄を見つけたら、ノートに書き留めておくようにしましょう。

テレビで株価暴落が伝えられたら、いよいよ動く時です。周囲の悲観をよそに、果敢に買い付けるのです。


下げ相場は、いわば全品一律割引となるバーゲンセールです。こんなにいい買いのタイミングはありません。株もお店の商品も一緒です。買いたいものに狙いをつけ、安くなったのを見計らって買うだけです。

何も難しいことはありません。これを実行できれば、あなたも立派な勝ち組長期投資家になれます。
https://www.mag2.com/p/money/670973
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c201

[リバイバル3] 優良株の長期投資以外はすべてギャンブル 中川隆
15. 中川隆[-10360] koaQ7Jey 2019年5月11日 11:43:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1745]
なぜバフェットは下げ相場で買うのか?
暴落が楽しみになる「Buy the Dip」の極意=栫井駿介 2019年5月8日
https://www.mag2.com/p/money/670973


相場全体の下げを買う「Buy the Dip」の手法は、数多ある投資法の中で有効性の高い手法です。ウォーレン・バフェットも、下げ相場になれば積極的に買いを入れます。しかし、いざ株価下落を前にすると、なかなか買えないのが人の心情です。

下げ相場を買えないのには、以下のような要因があります。

◾うまくいく確信がない
◾もっと下がるかもしれないと思い躊躇する
◾何を買ったら良いかわからない

逆に言えば、これらを解消することで、あなたは自信を持って下げ相場を買うことができます。それができれば、長期投資では8割方勝つことができるでしょう。この記事を読み、あなたも勝ち組投資家の仲間入りを目指して欲しいと考えます。(『バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問』栫井駿介)

有料メルマガ『今週のバリュー株投資』好評配信中。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:栫井駿介(かこいしゅんすけ)
株式投資アドバイザー、証券アナリスト。1986年、鹿児島県生まれ。県立鶴丸高校、東京大学経済学部卒業。大手証券会社にて投資銀行業務に従事した後、2016年に独立しつばめ投資顧問設立。2011年、証券アナリスト第2次レベル試験合格。2015年、大前研一氏が主宰するBOND-BBTプログラムにてMBA取得。

買ったらさらに下がるのでは?不安を乗り越えて買うべき銘柄とは

Buy the Dipの有効性

株式市場は、年平均で約7%成長するとされます。つまり、世界のインデックスをただ持っているだけで毎年7%資産は増えていくのです。税金を考慮しなければ、約10年で資産は2倍になります。

しかし、株価は必ずしも比例的に伸びていくわけではありません。上がったり下がったりを繰り返しながら、段々と水準を上げていきます。


長期投資では基本的に買ったらそのまま持ち続けますから、上がった時に買うより下がった時に買ったほうが良いことは間違いありません。以下のような単純化した株価の動きを見てみましょう。

https://www.mag2.com/p/money/670973

上のグラフは、年7%成長を基準に、2年目にマイナス30%になった場合のグラフです。

平均線上で買えば、年率リターンは当然7.0%です。一方、株価が30%値下がりした2年目に買えば、10年目までの年率リターンは11.0%に上昇します。

逆に、同じ条件で、2年目に30%上昇した場合の年率リターンは、4.4%に低下します。

これは、100万円を投資した場合、下落時に買えば8年後に230万円になり、上昇時に買うと141万円にしかならないことを意味します。

https://www.mag2.com/p/money/670973

単純な理論ですが、実はほとんどの人が間違った行動を取っています。すなわち、株価が上昇して調子の良い時に買い、調子の悪い時には沈黙しているのです。この行為がいかに投資パフォーマンスを下げているか、おわかりいただけるでしょう。

過去2年間の日経平均株価を見ても一目瞭然です。2018年初や10月頃に24,000円を目指して上昇した時に購入すると、現時点で利益が出ません。一方、3月頃や年末の大幅下落時に買えば利益を出せているのです。

https://www.mag2.com/p/money/670973

もちろん、これは買い持ち(バイ・アンド・ホールド)を前提とした長期投資の場合です。短期投資ではあまり関係のない話で、むしろ上昇しているときのほうが勢いがあって好都合な場合もあるでしょう。

しかし、そもそも多くの投資家は、自分が長期投資をしているのか、短期投資をしているのか理解していません。だから、長期投資をしているはずなのに、上昇相場に乗り遅れまいと焦り、高値で買ってしまうことを繰り返すのです。


長期投資で焦ってもいいことはありません。少しでも安く買えた方が良いことは間違いないのですから、相場が上がっているときは何もする必要はないのです。


もっと下がるのではないか?

Buy the Dipの有効性を頭で理解できたとしても、やはり投資に踏み切れる人は多くありません。その根底には「もっと下がるのではないか」という不安があります。

どんなに経験を積んだ人でも、相場の底を言い当てることは困難です。下がったと思って買っても、ほとんどの場合さらに下がります。


長期投資家にとっては、ここからが本当の勝負です。少し下がったからと言って、焦って売ったらその後の上昇を逃してしまいます。

逆に、少し下がっただけでナンピン買いを繰り返していると、あっという間に資金が尽きてしまいます。そうなると、本格的な買いのチャンスを指を咥えて見ているということにもなりかねないのです。

このような事態を回避するためには、大きな下落が始まったら、買うことを前提としながらも、そこからさらに下がる可能性が高いことを頭に入れておかなければなりません。そして、買ってからさらに下げるようなら順次資金を投入していきます。


https://www.mag2.com/p/money/670973/2


これを実践する上で鍵を握るのが資金管理です。自分が投入できる資金量を理解し、底を尽きないように買い進めます。


最初の下げで資金のほとんどを使い果たしてしまっては目も当てられません。確かに、千載一遇のチャンスの場合もあるのですが、もし逃したとしてもまたチャンスはやってきます。投資は利益を焦るほどうまくいかないものなのです。

【関連】億り人は株価暴落でほくそ笑む。いつでも買いに動ける「元手」を貯める秘策とは?=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/611002

もっとも、細かい買い方以前に元手がなければどうしようもありません。長期投資で資産を作りたい人は、まずは元手の確保を優先するようにしましょう。

何を買うべきか?

本格的な下げ相場では、どんな銘柄でも下がります。大型株も小型株も、内需株も外需株もあまり関係ありません。逆に言えば、どんな銘柄でも下げ相場を拾えれば、うまくいく確率は大きく高まります。

その中で私がおすすめするのは、普段ではなかなか下がらない優良銘柄を買うことです。


毎期毎期最高益をあげ続ける銘柄の株価はなかなか下がりません。ずっと右肩上がりだと、なかなか買うタイミングがつかめません。そうこうしている間にスルスルスルっと上がってしまいます。

そんなに良い銘柄でも、やはり下げ相場では大きく下がります。その例がGoogleの親会社であるAlphabet(GOOG)です。

ALPHABET C<GOOG> 月足(SBI証券提供)
https://www.mag2.com/p/money/670973/3


Googleの業績は毎年約20%ずつ成長し、株価もそれに比例して上昇しています。

世界のインターネット広告市場はすでにテレビを追い抜き、そこで最大のシェアを誇る同社の業績は、引き続き伸びていくことが想定されています。


いい会社だとわかっていながら、買うタイミングを掴むのは容易ではありません。それでも、焦る必要はありません。相場は必ず上昇と下落を繰り返しますから、いつか必ず下落するタイミングがやってきます。

直近では、2018年末に大きく下げたタイミングで買えていれば、現時点で3割近い利益を出せたことになります。これは、約3年前の上昇時に買った場合と同じですから、決して買いを焦る必要がないことが分かるでしょう。

【関連】あなたはもう投資の世界で迷わない。バフェットが財を成したバイ&ホールドの本質に迫る=栫井駿介
https://www.mag2.com/p/money/621069


Googleのようないい銘柄を安値で買えれば、あとは何もせずにただ持ち続ければ良いのです。一時的なアップダウンはあれど、時間が経てばやがて大きく育つでしょう。


テレビが株価暴落を伝えたら、いよいよ動くとき

この投資法を実践するためには、普段から良い銘柄に目をつけておくことです。自分のお気に入りの銘柄を見つけたら、ノートに書き留めておくようにしましょう。

テレビで株価暴落が伝えられたら、いよいよ動く時です。周囲の悲観をよそに、果敢に買い付けるのです。


下げ相場は、いわば全品一律割引となるバーゲンセールです。こんなにいい買いのタイミングはありません。株もお店の商品も一緒です。買いたいものに狙いをつけ、安くなったのを見計らって買うだけです。

何も難しいことはありません。これを実行できれば、あなたも立派な勝ち組長期投資家になれます。
https://www.mag2.com/p/money/670973
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/907.html#c15

[近代史3] 新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由 中川隆
21. 中川隆[-10359] koaQ7Jey 2019年5月11日 12:42:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1746]

アメリカには徳政令が必要だ
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-7ab348.html

2019年5月6日 Paul Craig Roberts

 小学生時代、私や友達は考古学と古代文明にとても興味を持っていた。我々は手に入る限りの本を読んだ。私の親友は考古学者になって、我々が実際知っている以上に妄想していた古代遺跡を調査するつもりだった。

 最近私が理解している限り、一般人は誰もシュメールやバビロニアやアッシリアやウルについて全く考えていない。アメリカの若者たちにとって、紀元前2,500年ではなく、1940年代が古代の話なのだ。

 旧約聖書に先行するずっと昔のことは、おそらく残虐で、人をいけにえにする、野蛮で差別的な時代だと想像されているのだ。要するに、ホラー・ファンタジー映画か、ビデオゲームの脚本だ。

 実際は、これら文明は、我々自身の文明よりずっと進歩していて、ずっと人道的だった。支配者は、債務者と債権者間のバランスを維持し、社会が長く継続できるよう精力を傾けており、遥かに進んでいたのだ。以来ずっと下り坂なのだ。

 支配者は、周期的に債務を帳消しにすることで、社会的バランスを維持し、それによって、社会の寿命を維持していた。支配者は、複利では負債が経済より早く増大することを理解していたのだ。その結果、農地の差し押さえとなり、富と権力が、少数の債権者の寡頭政治勢力に移ってしまう。税収源であり、軍の兵士や公共インフラを維持するための賦役を提供する、経済的に自立した自作農民を、支配者と社会は奪われることになるのだ。大惨事になるはずだ。貪欲な寡頭政治集団が支配者を打倒しかねず、農地を奪われた住民は、債務免除と引き換えに、軍で保護してくれる侵略者側に逃げかねない。

 支払い不能な債務によって社会が溶解してしまうのを防ぐため、支配者は実業家間の商業債務ではなく、一般市民の農業債務を周期的に帳消しにしていたのだ。

 債務免除の理由は、平等主義ではなく、安定性だった。

 マイケル・ハドソンが、ハーバード大学ピーボディ博物館特別研究員として、古代言語学者と働いて、30年過ごしたおかげで、我々はこの青銅器時代の経済政策成功という魅力的な物語を知っている。研究は、10年間にわたり、五つの専門家会議と、最近のハドソン著書『彼らの債務を免除せよ』を生み出した。

https://www.amazon.com/forgive-them-their-debts-Foreclosure/dp/3981826027/ref=sr_1_1?crid=Z9WVJTCJ64ID&keywords=michael+hudson+and+forgive+them+their+debts&qid=1557095068&s=books&sprefix=michael+hudson%2Caps%2C157&sr=1-1#customerReviews

 現在、アメリカで国民は支払い不能な債務に溺れている。学生ローン債務、クレジットカード債務、住宅ローン債務、州政府や地方自治体の債務、事業債務。しかし為政者は、大銀行と金融機関のひどい無責任な投資にまつわる債務だけ免除した。連邦準備銀行は、1000万人の自宅所有者が差し押さえられるのを放置しながら、銀行の不良債権を買い上げるために、4兆ドルを印刷した。学生ローン債務が、大学卒業生が独立した家庭をもつことを阻んでいる。住宅ローン債務とクレジットカード債務が家庭が小売り販売を押し上げる自由裁量所得を得るのを阻んでいる。だが現代経済学には、我々の社会が債務過剰で崩壊するのを阻止する処方せんがないのだ。

 債務過剰のため、アメリカはずっと昔に独立農民を失っている。干ばつや黄塵や、連邦準備制度による融資金利の上昇が、農民が土地を差し押さえられて、農地が企業農業の手に渡るのに十分だった。今日同じことが乳製品生産者に起きている。トランプ関税への対応として、カナダはアメリカ乳製品に関税をかけるはずだ。所得下落で、アメリカ酪農家は、債務元利返済負担を過度に負ったままになる。酪農業も少数の手に集中される定めのように思われる。経済的自立は、アメリカ社会から追放されつつある。

 市場独占や買い手独占や少数独占の問題は本物だ。債務をかかえたアメリカ人が彼らの高生産性、高付加価値の雇用を海外移転され、更に今就いている低賃金の国内サービス職からAIロボットに追いだされようとしているのだから、なおさらだ。企業利益を最大にする活動は、アメリカ人の収入を減らすが、債務を減らすわけではない。こうして債務返済はいっそう困難になる。

 現在のアメリカは、ニューヨークの巨大銀行が、連邦準備銀行の政策や、例えば銀行制度の規制緩和や、それに続く救済措置のような金融関連法制を支配する状態だ。市場独占や買い手独占や少数独占のほうが、彼らを抑制したり、どんな形にせよ、彼らに逆らって行動したりできない中央政府より強い状況になっている。企業が雇用を海外移転して、国民の職を奪っている。債権者の要求が、大学卒業者が自分の家庭をもつのを阻止している。更なる債務拡大による場合を除き、債務返済が小売り需要に、とって代わっている。

 これは上昇ではなく下降する経済だ。ワシントンがアメリカ人にしているより、明らかに、ハムラビはバビロニア人に遥かに良くしていた。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

記事原文のurl:https://www.paulcraigroberts.org/2019/05/06/america-needs-a-debt-jubilee/


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html#c21

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
243. 中川隆[-10358] koaQ7Jey 2019年5月11日 12:43:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1747]

アメリカには徳政令が必要だ
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-7ab348.html
2019年5月11日 マスコミに載らない海外記事


2019年5月6日
Paul Craig Roberts

 小学生時代、私や友達は考古学と古代文明にとても興味を持っていた。我々は手に入る限りの本を読んだ。私の親友は考古学者になって、我々が実際知っている以上に妄想していた古代遺跡を調査するつもりだった。

 最近私が理解している限り、一般人は誰もシュメールやバビロニアやアッシリアやウルについて全く考えていない。アメリカの若者たちにとって、紀元前2,500年ではなく、1940年代が古代の話なのだ。

 旧約聖書に先行するずっと昔のことは、おそらく残虐で、人をいけにえにする、野蛮で差別的な時代だと想像されているのだ。要するに、ホラー・ファンタジー映画か、ビデオゲームの脚本だ。

 実際は、これら文明は、我々自身の文明よりずっと進歩していて、ずっと人道的だった。支配者は、債務者と債権者間のバランスを維持し、社会が長く継続できるよう精力を傾けており、遥かに進んでいたのだ。以来ずっと下り坂なのだ。

 支配者は、周期的に債務を帳消しにすることで、社会的バランスを維持し、それによって、社会の寿命を維持していた。支配者は、複利では負債が経済より早く増大することを理解していたのだ。その結果、農地の差し押さえとなり、富と権力が、少数の債権者の寡頭政治勢力に移ってしまう。税収源であり、軍の兵士や公共インフラを維持するための賦役を提供する、経済的に自立した自作農民を、支配者と社会は奪われることになるのだ。大惨事になるはずだ。貪欲な寡頭政治集団が支配者を打倒しかねず、農地を奪われた住民は、債務免除と引き換えに、軍で保護してくれる侵略者側に逃げかねない。

 支払い不能な債務によって社会が溶解してしまうのを防ぐため、支配者は実業家間の商業債務ではなく、一般市民の農業債務を周期的に帳消しにしていたのだ。

 債務免除の理由は、平等主義ではなく、安定性だった。

 マイケル・ハドソンが、ハーバード大学ピーボディ博物館特別研究員として、古代言語学者と働いて、30年過ごしたおかげで、我々はこの青銅器時代の経済政策成功という魅力的な物語を知っている。研究は、10年間にわたり、五つの専門家会議と、最近のハドソン著書『彼らの債務を免除せよ』を生み出した。

https://www.amazon.com/forgive-them-their-debts-Foreclosure/dp/3981826027/ref=sr_1_1?crid=Z9WVJTCJ64ID&keywords=michael+hudson+and+forgive+them+their+debts&qid=1557095068&s=books&sprefix=michael+hudson%2Caps%2C157&sr=1-1#customerReviews

 現在、アメリカで国民は支払い不能な債務に溺れている。学生ローン債務、クレジットカード債務、住宅ローン債務、州政府や地方自治体の債務、事業債務。しかし為政者は、大銀行と金融機関のひどい無責任な投資にまつわる債務だけ免除した。連邦準備銀行は、1000万人の自宅所有者が差し押さえられるのを放置しながら、銀行の不良債権を買い上げるために、4兆ドルを印刷した。学生ローン債務が、大学卒業生が独立した家庭をもつことを阻んでいる。住宅ローン債務とクレジットカード債務が家庭が小売り販売を押し上げる自由裁量所得を得るのを阻んでいる。だが現代経済学には、我々の社会が債務過剰で崩壊するのを阻止する処方せんがないのだ。

 債務過剰のため、アメリカはずっと昔に独立農民を失っている。干ばつや黄塵や、連邦準備制度による融資金利の上昇が、農民が土地を差し押さえられて、農地が企業農業の手に渡るのに十分だった。今日同じことが乳製品生産者に起きている。トランプ関税への対応として、カナダはアメリカ乳製品に関税をかけるはずだ。所得下落で、アメリカ酪農家は、債務元利返済負担を過度に負ったままになる。酪農業も少数の手に集中される定めのように思われる。経済的自立は、アメリカ社会から追放されつつある。

 市場独占や買い手独占や少数独占の問題は本物だ。債務をかかえたアメリカ人が彼らの高生産性、高付加価値の雇用を海外移転され、更に今就いている低賃金の国内サービス職からAIロボットに追いだされようとしているのだから、なおさらだ。企業利益を最大にする活動は、アメリカ人の収入を減らすが、債務を減らすわけではない。こうして債務返済はいっそう困難になる。

 現在のアメリカは、ニューヨークの巨大銀行が、連邦準備銀行の政策や、例えば銀行制度の規制緩和や、それに続く救済措置のような金融関連法制を支配する状態だ。市場独占や買い手独占や少数独占のほうが、彼らを抑制したり、どんな形にせよ、彼らに逆らって行動したりできない中央政府より強い状況になっている。企業が雇用を海外移転して、国民の職を奪っている。債権者の要求が、大学卒業者が自分の家庭をもつのを阻止している。更なる債務拡大による場合を除き、債務返済が小売り需要に、とって代わっている。

 これは上昇ではなく下降する経済だ。ワシントンがアメリカ人にしているより、明らかに、ハムラビはバビロニア人に遥かに良くしていた。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

記事原文のurl:https://www.paulcraigroberts.org/2019/05/06/america-needs-a-debt-jubilee/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c243

[近代史02] アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説 sagakara
61. 中川隆[-10357] koaQ7Jey 2019年5月11日 14:55:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1748]
2019.05.11
米支配層が朝鮮に求めているのは屈服だけだと理解した朝鮮がミサイル発射実験

 朝鮮が行った短距離ミサイルの発射実験に関し、アメリカのドナルド・トランプ大統領は信頼関係を損なう行為ではないと発言した。朝鮮側は真の平和と安全は主権を守るための強い物理的な力必要だと主張、長距離ミサイルの発射実験も準備しているとしている。

 朝鮮の金正恩労働党委員長は2月27日と28日にかけてハノイでトランプ米大統領と会談したが、合意に至らなかった。決裂した理由はマイク・ポンペオ国務長官とジョン・ボルトン国家安全保障補佐官が同席したことにあると言われている。このふたりには朝鮮と交渉する意思がない。ネオコンと同じように、従属しなければ破壊するという姿勢だ。

 それから2カ月後の4月24日、​金正恩委員長は列車でウラジオストックを訪れた。25日にはロシアのウラジミル・プーチン大統領と会談​に入る。その際、プーチン大統領は金委員長によるアメリカとの「関係正常化の努力」と韓国との対話を歓迎したという。

 本ブログでは繰り返し書いているように、プーチン大統領は朝鮮半島の軍事的な緊張を緩和させ、鉄道やパイプラインで東アジアを結びつける計画を遅くとも2011年に打ち出している。

 アメリカのバラク・オバマ政権がリビアやシリアへジハード傭兵を送り込んで侵略戦争を始めたこの年の夏、ロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案しているのだ。言うまでもなく、朝鮮は資源の宝庫。植民地化されずに開発が進めば豊かな国になる。

 ロシアや中国はユーラシア大陸に鉄道網を張り巡らせ、エネルギー資源を運ぶパイプラインを建設しようとしている。朝鮮が同意すれば、鉄道とパイプラインは朝鮮半島を縦断、釜山までつながる。西の果てはヨーロッパだ。

 金正恩の父、金正日はロシアの提案を受け入れたが、2011年12月に急死する。朝鮮の国営メディアによると、12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したというが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の元世勲院長(2009年〜13年)は暗殺説を唱えていた。これが事実なら、誰が殺したのか?

 それに対し、アメリカ支配層の基本戦略は支配と略奪。ヨーロッパ流とも言える。十字軍の中東侵略は財宝だけでなく知識を盗むことに成功した。スペインやポルトガルは15世紀から17世紀にかけて世界を荒らし回り、ラテン・アメリカで金銀財宝だけでなく、資源も略奪する。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山だ。

 イギリスはボーア戦争(1899年から1902年)を引き起こしてトランスバールとオレンジを併合、すでにイギリス領になっていたケープ植民地とナタールを合わせてできたのが南アフリカ連邦を作り上げる。

 この地域ではダイヤモンドや金が大量に産出、その流通をロンドンがコントロールすることになる。つまり、金本位制を採用する国の通貨はロンドンが支配することになった。

 ボーア戦争の前にイギリスは中国(清)の侵略に乗り出している。当時のイギリスは機械化が進んで生産力が向上していたが、生産した製品が思うように売れない。清との交易では大幅な赤字になっていた。

 この状況を打開するためにイギリスは麻薬のアヘンを売りつけることにする。綿製品をイギリスからインドへ、アヘンをインドから中国へ、茶を中国からイギリスへという仕組みだ。

 麻薬の流入を清政府が容認するはずはなく、戦争になる。1840年から42年まで続いたアヘン戦争と56年から60年にかけての第2次アヘン戦争だ。こうした戦争でイギリスは勝利するが、内陸部を制圧する戦力がない。そこで目をつけられたのが日本だった。このイギリスの戦略を引き継いだのがアメリカにほかならない。

 時を経て20世紀の後半。1989年にベルリンの壁が壊され、90年には東西ドイツが統一された。その際、アメリカの国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へNATOが拡大することはないと約束したことが記録に残っている。

 それをミハイル・ゴルバチョフは信じたが、アメリカは約束を守らない。すでにNATO軍はロシアの玄関先まで到達、軍隊を配備し、ミサイルを設置してロシアを恫喝している。その結果として軍事的な緊張は高まり、全面核戦争の危険性は冷戦時代よりはるかに高まってしまった。これがドイツ・モデル。

 ジョージ・W・ブッシュ政権の要求に従ってリビア政府は2003年に核兵器や化学兵器の廃棄を決定する。廃棄すれば「制裁」を解除することになっていたのだが、アメリカ政府は約束を守らない。それどころか、2011年2月にはバラク・オバマ大統領はアル・カイダ系武装集団などを使ってリビアを侵略する。破壊、殺戮、略奪で現在は暴力が支配する破綻国家だ。これがリビア・モデル。

 アメリカ軍はベトナム戦争で負けたが、その戦争でベトナムの国土は惨憺たる状態になる。アメリカ軍による「秘密爆撃」ではカンボジアやラオスでも国土が破壊され、多くの人々が殺された。戦闘では通常兵器だけでなく、化学兵器の一種である枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)やナパーム弾が使われている。CIAのフェニックス・プログラムでは人々を殺すだけでなく、共同体を破壊した。

 ソ連が消滅してから3年後の1994年にアメリカはベトナムに対する「制裁」を解除するが、その代償としてベトナムは新自由主義を受け入れる。IMFなどの「毒饅頭」を食べることになったのだ。

 しかもベトナム戦争中にアメリカ側が行った犯罪的な行為は不問に付され、ベトナムの庶民は低賃金労働者として西側巨大資本の金儲けに奉仕させられている。これがベトナム・モデルだ。

 アメリカ支配層が朝鮮半島で目論んでいるのはこの3モデルのひとつ。アメリカ側が朝鮮に許す選択肢は屈服の仕方の違いであり、主権を認める気などない。それを朝鮮側も一連の交渉で理解しただろう。
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