335. 豊岳正彦[-17579] lkyKeJCzlUY 2023年10月07日 21:50:53 : yRgpGQVp4c : dFl0cTkyZ3I5VDY=[40]
【全文】ヴァルダイ国際討論クラブにおけるプーチン大統領の演説
2023年10月7日,
sputniknews.jp/20231007/17342676.html
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全体会議に参加された、尊敬する皆様! 同僚の皆様! 紳士淑女の皆様!今、司会の方がおっしゃられたように、ヴァルダイ国際討論クラブの第20回会合という記念すべき機会にソチで皆様をお迎えでき、とても嬉しいです。
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私たちのというより、あなた方のと言えるこの、世界の多くの国から政治家、研究者、専門家、社会活動家たちを集めるフォーラムは必須の知的プラットフォームとしての高いステイタスを再び裏付けました。ヴァルダイ会議は、21世紀の国際政治の最も重要なプロセスを、その全体像と複雑さを余すことなく常に反映するものです。そして今までそうであったように、今日もそうなるでしょう。今まであなた方が互いの間で討論していたように、今後も続いていくと確信しています。なぜならこの先、私たちを待ち受けているのは、本質的に新しい世界を構築するという課題だからです。そして、そのような決定的な段階において、尊敬する皆様のような知性の果たす役割と責任は極めて大きいのです。
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ヴァルダイ・クラブが活動してきた数年の間、今申し上げましたように、世界でもわが国でも巨大とは言わないまでも、深刻で極めて大きな変化がありました。歴史のものさしで測れば、20年という時間はそれほど大きくも長くもありません。ですが、それが世界全体の秩序の崩壊というエポックに重なると、時間は圧縮されたかのように感じられます。
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そして、きっと皆さんも同意してくださるでしょう。この20年間で起きたことは、今まで、何十年もの長い年月をかけて起きたこと以上のものであり、その質的変化は国際関係の原則そのものの抜本的改革を迫るものなのです。
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21世紀初頭、国家と国民は前世紀に支払った軍事・イデオロギーの破滅的な対立から教訓を学び、それが災いであることに気づき、地球のもろさと相互のつながりを実感して、人類の地球規模の問題に取り組むためには共同行動と集団的解決策の模索が必要であることを確信したと、誰もが期待していました。
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エゴイズム、自己過信、現実的な問題の軽視はより強い者が自分の認識や関心を他の者らに押し付けようとする試みと同じく、今もこれからも必然的に私たちを袋小路へ追いやります。このことは誰の目にも明らかになったはずでした。そうなったはずでしたが、実はそうではなかった。私たちがクラブの会合で初めて会った約20年前、私たちの国は新たな発展段階を迎えていました。ロシアはソ連崩壊後の一番困難な復興期を乗り越えていました。私たちは全力と善意を投じ、新たな、私たちの考える、より公正な世界秩序を創設するプロセスを開始しました。私たちの国の恵みはこれに極めて大きな貢献ができます。それはわが国には友人、パートナー、そして全世界に提供できるものがあるからです。
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残念なことに、建設的な協力を行おうという私たちの姿勢を曲解した人たちがいました。私たちは従順で、新たな秩序は冷戦の勝者を自称する者が築くことに同意していると、つまり、ロシアは他人の言いなりになるつもりだ、自国の国益ではなく、他人の利益に服従することを認めたのだ思われたのです。
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私たちはこの間一貫して、そうしたやり方では行き詰まるだけでなく、軍事衝突の脅威を増大させかねないと繰り返し警告してきました。ところが、私たちに耳を傾けようという者は誰もいなかった。私たちの、西側諸国のいわゆるパートナーたちの傲慢さはまさに常軌を逸していたとしか、言いようがありません。
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米国とその衛星国は、軍事、政治、経済、文化、さらには道徳、価値観における覇権をものにする路線を明確にとりました。独占を確立する試みが失敗に終わることは、私たちには初めから明らかでした。世界は、単一のスキームに従属させるにはあまりにも複雑で多様なのです。たとえ、スキームの裏に何世紀にもわたる植民地政策で蓄えられた西側世界の巨大な力があったとしても。
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そしてあなたのご同僚らも、多くの方はここにはおられませんが、西側の繁栄はかなりの部分、何世紀も植民地を強奪したおかげで築かれたことは否定しないでしょう。これは事実ですからね。実際、これだけのレベルの発展は、地球全体を強奪することによって達成されたのです。西側諸国の歴史とは要するに、無限に拡張し続けた年代記です。
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世界における西側の影響力とは巨大な軍事・金融ピラミッドです。これを維持するためには常に新たな燃料が要る。その燃料が他の所有する天然資源、技術リソース、人的リソースなのです。だからこそ、西側諸国は止めることができないし、止めるつもりもありません。私たちは論拠を示し、勧告し、理性に訴えて提案しましたが、いとも簡単に無視されました。
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このことについて私はすでに、同盟国やパートナーに対して公の場で語ってきました。あなた方の従順な下僕が、私たちもNATOに加盟したほうがいいのではないか、と言ったこともありました。でも、そんな国はNATOには必要ありません。要らない。じゃあ、他に何が問題なんだろう? 失礼かもしれませんが、私たちの方では自分はもう、いわゆるブルジョワなのだと思っていたのです。他に何があるんだろう? イデオロギーの対立はもうない。一体、何が問題なんだろう? どうやら問題は、西側の地政学的関心と他に対する傲慢な態度にあったのです。自信過剰が問題だった。
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高まる一方の軍事・政治的圧力には答えざるをえません。私は何度も繰り返してきましたが、いわゆる「ウクライナ戦争」を始めたのは私たちではありません。それどころか、私たちは必死でこれを終わらせようとしているのです。2014年にキエフで起きたクーデター。多くの血が流された、憲法に反するクーデターを組織したのは私たちではありません。どこでクーデターが起ころうと、第一にアングロサクソン世界に従属する世界のマスメディアが「こんなことはしてはならない」、「ありえない」「反民主主義的だ」と言う声を私たちは真っ先に耳にしてきました。ところがここではやっていいのです。彼らは、このクーデターに費やした金額さえ、明かしたではないですか。すべてが可能なのです。
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当時、私たちはクリミアとセヴァストポリの住民を支援していました。私たちはクーデターを起こしたわけでもなく、ナチス的な民族浄化でクリミアやセヴァストポリの住民を脅したわけでもありません。砲撃や爆撃によってドンバスを従わせようとしたのは私たちではありません。母国語で話したいという人々を虐殺するぞと脅したのも私たちではありません。
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ここに集まられた皆さんはそろって、正しい情報をご存じの有能な方々です。悪趣味な言い方で申し訳ありませんが、現実に起きていることをマスメディアからキャッチする何百万人もの人々であれば、洗脳は可能です。ですが、皆さんは違う。何が起こったかご存じです。9年間、爆撃され、銃撃され、戦車が使われ、ドンバスに対して戦争が、本当の戦争が開始されたのです。そして、ドンバスで何人の子どもが死んだかなど、誰も数えようとはなかった。他の、特に西側の国で、死者のために涙を流した人などいなかった。
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キエフ政権が西側からの積極的な直接支援を受けて始めた戦争はすでに10年目を迎えました。今回の特別軍事作戦の目的はそれに終止符を打つこと。作戦が如実にしているのは、一方的な措置は誰がそれを採ったにせよ、必ず報復を受けるということです。周知のことですが、行動は反作用を生みます。責任感、自尊心のある独立した主権国家であればそのように行動します。
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恣意が支配し、自分らだけは例外で、悪事は働いておらず、唯一正しいと考える者がすべてを決める国際システムでは、機転も現実感覚も失ったヘゲモニーに好かれない国だというだけで、誰もが打撃を受けかねないことは、皆が知っています。
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残念なことに、私たちのカウンターパートである西側諸国は現実感覚を失い、あらゆる境界線を越えてしまったと言わざるを得ません。そうすべきではなかった。
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ウクライナ危機は領土紛争ではない、これをはっきり言いたい。ロシアは世界最大の領土を持つ国です。私たちには追加的に、別の領土を征服する関心は全くないのです。まだまだシベリア、東シベリア、極東を開発しなければならない。これは領土紛争でもなければ、地域の地政学的バランスを確立することでもありません。問題はより広範で根本的なものであり、新しい世界秩序が土台とする原則の話なのです。
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揺るぎない世界の確立は、万人が身の安全を感じ、自分の意見が尊重されて、世界にバランスが存在することを理解し、たとえそれが主権や、民族や国家の真の利益、伝統、原則に反するものであったとしても、ヘゲモニーに好都合な生き方、振舞い方を自分の意思で他人に押し付ける、ということができなくなって、はじめて可能となるものです。こうしたスキームでは、なんらかの主権という概念そのものが否定され、ゴミ捨て場行きになります。
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陣営的なアプローチに固執し、「我々VS彼ら」という絶え間ない対立状況に世界を追い込もうとする願望が、20世紀の負の遺産であることは明らかです。これは西側の政治文化の産物であり、少なくともその最も攻撃的な現れです。繰り返しますが、西側は常に敵を必要としています。西側のある一定の部分、西側のエリートはそうです。敵を必要とするのは、武力の行使と拡張の必要性を説明するためです。また、ヘゲモニー自体の、NATOやその他の軍事・政治陣営など、陣営内の特定のシステムの内部統制を維持するためにも、敵は必要なのです。敵はいる。だから皆はボスの周りに結集せよ、というわけです。
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他国がどう生きようと私たちには関係のないことです。しかし、そうした国の多くで、市民自身が、少なくとも多くの市民が、また国によってははっきり言って、いかに支配エリートが市民の大多数が望まない規範やルールを社会に強制しているか。それを私たちは目にしています。彼らにはその理由を捏造し、内部に増え続ける問題の原因を外部に求め、存在しない脅威を捏造し、煽り立てる必要が常にあるわけです。
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ロシアはそうした政治家が好んで引き合いに出すテーマです。私たちはこれにはもう、昔から慣れてしまいました。欧米のエリートたちに盲目的に従おうとしない者は残らず、敵に仕立てあげられます。誰でも構いません。ある状況では中華人民共和国を、また、今はおもねていますが、インドも敵に回されかけた時がありました。むろん、私たちはこれを重々理解し、感じており、アジアの配置状況を目にしています。全部お見通しですよ。
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インドの指導部は自立しており、民族的志向が非常に強い。このような試みは何の意味もないと思いますが、それでも西側は続けています。アラブ世界も敵に仕立てようとされています。これも選択的に、慎重に行動しようとしていますが、それでも結局はすべてがこれに集約されています。イスラム教徒でさえも、何らかの敵対的な環境にされようとしています。実際、独自に行動し、自らの利益に従っている人は誰でも、欧米のエリートたちにとっては即座に障害となり、排除の対象になるのです。
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世界に人為的な地政学的構造が押し付けられ、閉鎖的な陣営のフォーマットが作り出されています。欧州ではNATOの図々しい拡大路線が何十年も続き、アジア太平洋地域や南アジアでもオープンで包括的な協力の枠組みが壊されそうになっているのを私たちは目撃しています。陣営的アプローチとは、はっきり言って、国家が独自に発展する権利と自由を制限し、義務という檻の中に閉じ込めようとすることです。わかりきったことですが、それはある程度まで主権の一部を奪ってしまい、また極めてよく起きることですが、その後に安全保障や、とりわけ現在、米国と欧州の間で起きているような経済分野での決定を押し付けることです。説明の必要はないでしょう。もし必要であるならば、私の冒頭の挨拶の後のディスカッションで詳しくお話しします。
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この目的のために、彼らは国際法を「秩序」で代用しようとしています。どんな「秩序」か? それは 何らかの「ルール」に基づいていますが、一体、どんな「ルール」で実体は何なのか、誰が考案したのか、まったくわかりません。ばかげている。ナンセンスじゃないですか。ところが、これこそが何百万人もの人々の意識に植え付けようとしていることなのです。「ルールに従って生きなければならない」と。どんなルールなのですか?
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だいたいですよ、欧米の同僚たち、特に米国はこうした「ルール」を単に恣意的に定めるだけでなく、誰がどのように従うべきか、誰がどのように振る舞うべきかまで指図してくる。これがすべて、露骨に恥知らずな形で行われ、言われています。
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これは全部がまさに植民地的な考え方の現れです。「あなたたちはしなければならない、あなたたちには義務がある、私たちはあなたたちに真面目に警告しているんです......」こんな言葉が常に発せられて、常に私たちは聞かされています。
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あなたたちは一体、何者なんですか? 誰に対して警告する権利をお持ちなのですか? 驚きを禁じえません。そのようなことを言う人たちこそ、そろそろ傲慢さを捨て、自分たちの任務と関心を完全に理解している国際社会に対して、そのような振る舞いをやめ、植民地支配時代の思考から本当に脱却する時なのではないでしょうか? こんな風に言いたくなりますよ。目をこすってよく見なさい。その時代はとっくに終って、もう二度と戻ってきやしませんよ、と。
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さらに言わせていただきますと、このような振る舞いのおかげで何世紀にもわたって、同じことが繰り返されてきました。大きな戦争が何度も起き、それを正当化するためにさまざまなイデオロギー的、さらには擬似的な道徳的正当化がひねり出されてきました。これは今日特に危険なことです。ご存じのように、人類は地球全体を簡単に破壊できる手段を持っており、とんでもないほど大規模の意識操作は現実感の喪失を促しています。この悪循環から抜け出し、何らかの出口を探す必要は間違いなくあります。
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親愛なる友人、同僚の皆さん、あなた方はそのためにヴァルダイ会議の場に集まっておられるのだと私は理解しています。
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今年採択されたロシアの外交政策コンセプトでは、私たちの国は独自の国家文明と表現されています。この表現の中に正確かつ十二分に反映されていることは、私たちが自国の発展をどう理解しているかだけではありません。ここには、私たちが勝ち取ることを望んでいる世界秩序の基本原則についての理解があります。
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私たちの理解では、文明とは多面的な現象です。確かにその解釈はさまざまに異なり、あからさまに植民地的な解釈もありました。その他の模範となるべき、一種の「文明化された世界」があって、誰もがその基準や模範に従わなければならず、それに同意しない者は「啓蒙的な」支配者から棍棒で「文明」へと追立られるというものです。そういう時代は、先ほど申し上げたようにもう過去のものであり、私たちの文明に対する理解はまったく違います。
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第一に、文明は数多く存在し、そのどれかが他より優れているわけでも劣っているわけでもありません。それらは独自の文化や伝統、民族の希望を表現するものとして平等です。私たち一人ひとりにとって、それは独自のものです。例えば私にとってはそれは、私たちの、幸運にもその一員になることができた、私の民族の希望です。世界中の著名な思想家たち、文明論的アプローチの信奉者たちは「文明」の概念について今も昔も熟考してきました。文明は多くの構成要素からなる現象です。ここはそうしたことを推論する場でもなく、それに適した時でもないでしょうから、哲学的な深みにはまることなく、その問題を今に適用し、具体的な叙述を試みましょう。
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国家文明の基本的な特質は多様性と自己完結性です。この2つが主要素だと私は考えています。現代世界にはいかなる単一化も異質です。各国家、各社会は独自の発展の道を自力で選ぶことを望んでいます。その土台にあるのは文化と伝統です。それは地理的条件、昔からの、また現代の歴史から得た経験、民族の価値観によって強化されています。これは複雑な合成であって、その合成の過程で独特の文明共同体が誕生していくのです。その不均一性と多様性が持続可能性と発展を保証する鍵なのです。
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ロシアは何世紀にもわたって、異なる文化、宗教、民族の国として形成されてきました。ロシアの文明をひとつの共通項に還元することはできません、これを分けることもまた不可能です。なぜなら、ロシア文明はその一体性、精神的、文化的豊かさにおいてのみ存在するからです。このような国家の強固な結束を維持するのは容易なことではありません。何世紀もの間、私たちは大きな困難な試練にさらされてきました。私たちは常にそれを乗り越え、時には多大な犠牲を払いながらも、必ず、将来のための教訓を学び、民族の結束とロシア国家の一体性を強化してきたのです。
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今日、この経験は本当の意味でかけがえのないものです。世界はますます多様化しています。一部の国家が慣れ親しんできたような、すべてをひとくくりにする単純な行政方法では、複雑なプロセスには対処できません。
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その際にとても重要なことは何でしょうか。本当の意味で有効で耐久性のある国家体制は、外部から植えつけられるものではありません。それは、国と民族の文明的な根から自然と育っていくものです。この点でロシアは、それが生活の中で、実践で実際にどうなっているかを示す例です。
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文明の支えは今日の世界で、無秩序で、残念なことに危険で、方向性を見失っている世界で成功を収めるためには必須条件です。自国の利益と必要性、可能性と限界、その独自性と取り巻く世界との相互関係の程度を認識する中で、まさにこうした帰結に至る国がますます増えています。人類は競いあうセグメントの断片化に向かっているわけではなく、その動機が何であれ、新たな陣営対立に向かっているわけでもなく、新グローバリゼーションの冷淡な普遍主義に向かっているわけでもありません。逆に世界は国家文明、大きな空間、まさにこのような意識を持つ共通性の相乗効果を目指す道を歩んでいると、私は確信しています。
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それと同時に、文明は普遍的な構造ではありません。ひとつで万人を満たす文明などありません。それぞれが他とは異なり、文化的に自足しており、独自の歴史と伝統から思想・価値観の原則を汲んでいるのです。自分自身を尊重することは言うまでもなく他者を尊重することから生まれますが、他者から尊重されることも意味します。ですから文明は誰かに何かを押し付けるものではなく、同時に、自身に何かが押し付けられることも許しません。まさにこうしたルールを全員が守れば、国際関係の全参加者の調和のとれた共存と創造的な相互作用は保証されるのです。
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もちろん、自らの文明の選択を守ることは大きな責任です。これは、外部からの侵害に反応すること、他の文明社会と緊密で建設的な関係を築くこと、そして最も重要なことですが、国内の安定と調和を維持することに関わります。なぜならば、今日の国際環境はすでに申し上げたように、残念ながら不安定であり、かなり攻撃的でもあることは、私たちも見てわかっているからです。
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そしてもうひとつ、とても重要なことがあります。それは、誰も自分の文明を裏切ってはならないということです。これも普遍的な混沌へ至る道であり、言うならば不自然で嫌悪を呼ぶものです。私たちはすべての人の利益を考慮した解決策を提示しようと今も昔も常に努力を続けてきました。ところが西側は、合理的な自制心や妥協、万人が受け入れ可能結果に達するために何等かの譲歩する覚悟といった概念の存在を完全に忘れてしまったかのようです。いや、そうではありません。西側はどんな犠牲を払おうと、今ここで自分の利益を売り渡す、まさに売り渡すことだけに文字通り執着しているのです。それが彼らの選択なら、その先どうなるのか見てみようではないですか。
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パラドックスは明日にも状況が変わりうるという、ここに問題があります。例えば、次の選挙後に国内の政治状況が変わる。国は何かを主張し、あらゆる手段を使って自分たちの行動を押し通す。ところが次の日には内政状況に変化がおきて、同じ圧力と無遠慮さで全く違うこと、時には正反対のことを押し通される。
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最も顕著な例がイランの核開発計画です。(米国の)ある政権がある決定を押し通しましたが、次の政権になったとたんに一切が覆され、逆戻りしました。このような条件でどうやって作業をすればいいのでしょうか? ガイドラインはどこなのか? 何を頼りにすればいいのか。どこに保証があるのか? これがまさに私たちに言われ続けている「ルール」なのか? ただのたわごとではないですか。
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なぜこのようなことが起きているのか、なぜ誰も恥ずかしくないのか。それは戦略的思考が、国や国民のものですらない、政権についた、影響力を持つ集団の目先の私利私欲の追求に取って代わられたからです。しばしば恐怖も恥も忘れ、自分らは完全に無罪だと考える政治エリートらが、以前の冷戦の基準では考えられないような無責任な行動をとるのはここに理由があります。
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文明主義的アプローチはそのような傾向とは対立します。それは、国家と民族の基本的で長期的な利益に基づいているからです。その利益は、目先のイデオロギー的な状況によってではなく、歴史的な経験全体、すなわち調和のとれた未来像の基礎となる過去の遺産によって決定されます。
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もし、すべての人がこの考えに導かれるなら、世界の争いはもっと少なくなると思います。そして、その解決方法はより合理的なものになるでしょう。なぜならすべての文明は、すでに申し上げたように他者を尊重し、自分の考えに従って誰かを変えようとはしないからです。
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親愛なる皆様、私はヴァルダイ・クラブがこの会議のために作成した報告書を興味深く拝読しました。それには今日、誰もが未来のイメージを理解し、想像しようとしていると書かれています。これは、特に知的環境において極自然で説明のつくことです。根本的な変革が起き、これまで慣れていた基本形態が崩壊しつつある今の時代、私たちがどこへ向かい、どこに到達したいのかを認識していることが非常に重要です。そして文字通り、未来は今日、私たちの目の前で、私たちの手で創造されつつあるのです。
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もちろん、このような巨大でとてつもなく複雑なプロセスについては結果の予測は難しく、事実上不可能です。私たちが皆で何をしようとも、人生は必ずそれなりの調整を行うものです。それでも、少なくとも私たちは自分たちが何を目指しているのか、何を達成したいのかを気づいていなければなりません。そして、そうした理解がロシアにはあります。
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第1に、私たちは人々の交流、創造的な実現、そして繁栄を妨げる人為的な障壁をけっして誰も作ろうとしない、オープンで相互に関係した世界に暮らすことを望みます。障壁のない環境、それが私たちが目指すべきものです。
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第2に、私たちは、世界の多様性が単に維持されるだけでなく、普遍的な発展の基盤となることを望みます。いかなる国や人々に対してもどう生きるべきか、どう感じるべきかの押し付けは禁じられねばなりません。人々の利益と利害の均衡を保証できるのは真の文化的・文明的多様性を置いて他に在りません。
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第3に、私たちは最大限の代表性を支持します。他人に代わって、あるいは他人の名において世界を支配する権利は誰にもなく、支配することもできません。未来の世界は集団的決定の世界です。最大限効果的なレベルで、具体的な問題の解決に真に大きく貢献できる参加者によって行われます。ひとりが全員に代わって決定するのではなく、また全員がすべてを決定するのでもなく、ある問題に直接関与する人々が何をどうすべきかについて合意します。
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第4に、私たちは普遍的な安全保障と、大国から小国に至るまでの万人の利益の尊重の上に築かれる恒久平和を支持します。大切なのは国際関係を陣営的なアプローチから、植民地時代と冷戦の遺産から解放することです。何十年もの間、私たちは安全保障の不可分性、つまり、ある国の安全保障の確保のために他の国の安全保障を犠牲にすることは不可能だと語ってきました。そして実際、この分野で調和を達成することは可能です。プライドや傲慢さを捨て、他者を二級のパートナーや落伍者、野蛮人と見下すのを止めればいいだけの話です。
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第5に、私たちは万人のための正義に賛成します。ここで2度繰り返しましたが、誰であろうと搾取される時代はもう過去です。国や民族は自分たちの利益と可能性を明確に認識し、自分を頼りにする用意ができています。近代的発展の恩恵へのアクセスは万人に開かれているべきであり、それをいかなる国や人々に対しても制限しようとする試みは、まさに侵略行為とみなされるべきです。
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第6に、私たちは平等と、様々な国の様々な潜在性を支持します。これは完全に客観的な要素です。しかし、それに劣らず客観的なことは、今後一切、誰ひとりとして、自分たちの利益や必要を他の誰にも、とりわけ富める国や強い国に依存させず、服従する用意がないという事実です。これは国際社会のあるがままの姿にとどまりません。これは人類の歴史的経験全体の真髄なのです。
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これらは、私たち自身が遵守を望む原則であり、私たちの友人や同僚全員に遵守に加わるよう呼びかけるものです。
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親愛なる同僚の皆様!
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ロシアは、今も昔も今後も国際システムの土台の一つであり、平和と繁栄を目指すすべての人々と建設的な協力を行い、独裁と暴力の原則を公言する人々に断固として反対する用意があります。私たちは、プラグマティズムと良識の勝利と、多極化世界の確立を確信しています。
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最後に、いつもながら入念に質の高い準備をしてくれたフォーラムの主催者に感謝します。また、記念となった会議に参加された皆さん、ご清聴ありがとうございました。
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