13. 地下爺[3305] km6Jupbq 2018年8月17日 12:57:09 : ygnIofYuD6 : wi1STPEnmmE[1]
◆⽔⽊しげるが50年前に書いた⽂章が発掘…「ぼくが書きたいのは敗け戦の話だったんだがそれは許されないのだ」
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2015年11⽉に亡くなった漫画家の⽔⽊しげるが、昭和40年頃に書いたと思われる⾃筆の⽂章が発⾒され話題になっている。今⽉11⽇、⽔⽊プロダクションの公式
ツイッターアカウントがその⽂⾯を公開。そこにはこんなことが書かれていた。
〈戦記物は勝たないとつまらないらしく「レイテ海戦」なぞかくとトタンに売れなくな
るのだ。(中略)ぼくが書きたいのは敗け戦の話だったんだがそれは許されないのだ。少年たちは花々しいガダルカナル戦あたりまでしか読んでくれないのだ。だから本が
あいついで売れるためには戦争に肯定的にならざるを得ない。⾃分が思ったことを
書いて売れるなんて、マンガはソンナもんじゃない〉 (原⽂ママ)
⽔⽊しげるといえば、まず思い浮かぶのは『ゲゲゲの⻤太郎』をはじめとした
妖怪漫画の数々だが,ご存知の通り、漫画家としてのもう1本の柱として、
⾃⾝の戦争体験を多分に反映させた戦争漫画を描き続けてきた作家でもある。
⽔⽊はこの⽂章が書かれた数年前から「少年戦記」という、貸本向け戦記もの漫画専⾨誌の編集を任され、⾃⾝もそこに寄稿していた。そこで、読者にどんな漫画がうける
のか⾊々と試⾏錯誤していたのだが、その結果導き出された結論は上記のような残念
なものだった。
⽇本軍がひ弱な姿を⾒せたり、ボロボロに負けたりする作品は読者にうけないという
ことを把握した彼は、ある程度、読者におもねった雑誌づくりが必要だと感じていたよ
うだ(とはいえ、そんな時期に描かれた漫画でも、カルトとしか⾔いようのない
精神論を振りかざす⽇本軍を揶揄する描写などが差し挟まれていたりはしている。
また、たしかに主⼈公は優秀な戦績をおさめるヒーローとして描かれがちだが、最終
的には⾮業の戦死を遂げるパターンも多く、作品のなかに厭戦的なメッセージは含まれ
ているのだが、それでは物⾜りなかったということなのだろう)。
というのも、当時の⽔⽊はまだメジャー出版社で漫画家デビューする前。
『ゲゲゲの⻤太郎』も『悪魔くん』も⽣まれる前である。極貧⽣活のなか、
ギリギリの状態で貸本⽤漫画を描いて暮らしている彼にとって「少年戦記」は
なんとしても商業的な成果をおさめなければならない雑誌だった。⽂章には
〈これが失敗すれば餓死しなければならなかった。必ず成功させなければなら
なかった〉とまで書いている。
◆⽔⽊しげる「本当の戦記物は「戦争は無意味」と知らせるためのもの」
ただ、それは、先に引⽤した⽂章にもある通り、作家・⽔⽊しげるにとって不本意なものだった。彼がラバウルの激戦地に送られ、爆撃により左⼿を失っていることは
有名だが、その他に彼が残した戦争中のエピソードを読んでいると、⽣きて帰って
こられただけでも奇跡としか⾔いようのない体験を多くしていることがわかる。
たとえば、不寝番で兵舎から離れていたところを敵の奇襲にあい、彼の所属する分隊が
全滅したという逸話はマンガや随筆のテーマとしてたびたび取り上げられているが、
もしも不寝番の担当が違う時間帯であったら、彼は⽣きて⽇本に帰ることは
できなかっただろう。
そういった経験をしているからこそ、⽔⽊しげるには戦争を憎む気持ちが強くあり、『総員⽟砕せよ︕』をはじめ、後年に描いた戦争漫画では⼀貫して戦争をむごく、
陰惨なものとして描いた。だから、前述の⽂章のなかで彼は、貸本に描いた戦記漫画に
関して、このように綴っている。
〈(雑誌の)ダウンは即ち、餓死に通じていた。こうしたものを即著者の思想と早合点
してもらってはこまる。営業ということが相当加味されているのだ〉
戦争を描く⾃分の漫画は、⽇本兵が勇ましく戦って勝利をおさめるような話ではなく
「敗け戦」を描くものでありたい。それは、実際に彼が⽬にした戦争は、惨めで、
恐ろしくて、格好悪く、無意味に⼈が死んでいくものであり、もう⼆度と繰り返して
はならないものだからだ。
〈戦記ものと称する⼀連のマンガ「0戦はやと」とか「紫電改のタカ」「我れは空の
⼦」での⼀発の銃はなんのために発射するのか、というと、⾃分の⾝を守るためで、
いわば冒険活劇漫画であって、本来の意味での戦争マンガというものではないだろう。
とにかく戦争のオソロシサは少しもないし、万事つごうよく弾丸がとび、考えられない
ほどつごうよく⾶⾏機もとんで万事めでたい。⾷料なんかも常にあり、感激ありで、
読んでいるものは戦争を待望したくなるくらいだ。(中略)しかし、ぼくは、本当の
戦記物というのは「戦争のおそろしいこと」「無意味なこと」を知らせるべき
ものだと思う〉 (「朝⽇ジャーナル」1973年7⽉27⽇号/朝⽇新聞社)
〈⾃分としては、下級兵⼠たちのカッコ悪い⽇常を描くことで意味もなく死んだ彼等の無念さを伝えたいと考えたのです〉 (朝⽇新聞1974年4⽉10⽇)
◆⽔⽊しげるは「死んだ戦友の夢を今でも⾒る」と語った
そのような漫画を描くことは、死んでいった戦友に対する慰霊でもある。もう⼆度と
あのような戦争を繰り返さないことこそが、若くして死んでいった者たちへの
供養なのである。そして、それこそが、戦争を⽣き抜き、戦後に漫画家として
ペン⼀本だけで⾷べていけるようになった⾃分がやるべき仕事だと悟った。
〈僕は今でも、その頃の事を夢でよくみる。(とても⽣きている間は忘れる事が出来ない。)若い時代だったからよく記憶していて、“戦死”した“戦友”たちが毎⽇のよう
に登場してくる。⾷うものも⾷わずに、毎⽇殴られて死んだ若者たちだ。
まァ、“悲劇”という⾔葉があるが、僕は今ごろになって「悲劇以上の悲劇だった」と
思っている。そんな事で「戦記物」も思わず“⼒”が⼊ってしまうのだが、それほど
売れたわけではない〉(『⽔⽊しげる貸本戦記漫画⼤全(1)戦場の誓い』パロマ舎)
「『コミック昭和史』や『総員⽟砕せよ︕』を描いたのは、戦争を体験した漫画家
として、残さなければならない仕事だと思ったからだ。⼼ならずも亡くなった⼈たちの
無念。敗戦は滅亡だった。⾷に困らず、豊かさを味わえる現代は天国のようだ。
戦争をすべきでない」 (2006年8⽉16⽇付毎⽇新聞⼤阪朝刊)
〈ぼくは戦争ものをかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕⽅がない。
多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う〉(『総員⽟砕せよ︕』講談社)
しかし、どんなに⽔⽊しげるが戦争体験者としての経験を漫画に落とし込み、
戦争の悲惨さを繰り返し主張しても、⽇本はその恐ろしさを忘れどんどん右傾化
していく。その先鞭をつけたとも⾔える、90年代後半に出版された⼩林よしのり
『新・ゴーマニズム宣⾔SPECIAL 戦争論』(幻冬舎)がヒットした時、⽔⽊は
エッセイマンガを通じてこんな警鐘も鳴らしていた。
〈私は『戦争論』で、ふとあの戦前の勇ましさを思いだし、⾮常になつかしかったがなんだか輸送船に乗せられるような気持ちになった(中略)『戦争論』の売れゆきが気に
なる。「戦争恐怖症」のせいかなんとなく胸さわぎがするのだ〉 (『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先⽣⼤いに語る』⼩学館)
残念なことに、約20年前に⽔⽊しげるが感じた〈胸さわぎ〉は、ことごとく悪い⽅に
的中。安倍政権は、特定秘密保護法、安保法制を整え、今度は「共謀罪」を強⾏採決
させようと動き、そして、いよいよ⽇本国憲法第9条に⼿をつけようとしている。
政権がいたずらに東アジア情勢の緊張を煽り、「戦争もやむなし」の空気をつくろう
と必死ないま、⽔⽊しげるが50年以上前に書いた⽂章が⾒つかったのも偶然ではないの
かもしれない。我々はいまこそ改めて彼の伝えようとした思いを噛み締める必要がある。
(新⽥ 樹)
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