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DbsSfawrpEw コメント履歴 No: 100215
http://www.asyura2.com/acas/d/db/dbs/DbsSfawrpEw/100215.html
[中国12] 「低欲望社会」、現在の中国には当てはまらず(チャイナネット) 無段活用
6. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2018年12月11日 02:39:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21931]

中国の富豪が大好きなダルマ女とは・・・


手足を切断して、SEXの道具にする女性のことです。

その手足が無い姿がまるでダルマのように見えることからこんな名前がつけられてます。別名リアルダッチワイフ。

世界各地では行方不明の美女が多数いますが、その中にはダルマ要員で誘拐される美女も多いとか・・

ダルマにされても精神的におかしくなって使えないとかって聞くけど。
あと、歯を抜くんだってね。フェラ&自殺防止の為に

324 名前:名無しさん:09/03/24 05:28

最初は普通に誘拐されて闇市場で売買され金持ちの性処理道具として扱われるが女が逃げるか買った本人が飽きたら手足を切断して阿片窟に払い下げされ麻薬中毒者や低層階級の男相手に体を売らされるんだよ

普通の女はダルマにされるまでに自殺したりして死ぬんだけど気の強い女は発狂しても死なないから最後は性病、内蔵疾患などで死ぬんだってさ


42 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/19 21:25

日本の外務省は殆ど何もしないからね。日本女性は本当に狙われてるよ。

ダルマは事実かどうか知らないけど、新婚旅行で花嫁だけさらって、シャブ漬けにして売春やらせてる、なんてのはよくある犯罪。 直接知ってるだけでも30件以上あるよ。

http://mimizun.com/log/2ch/occult/1021809316/

81 名前:名無しさん:07/03/17 08:04

みんな本当しらんのやな。元は海外からやけど日本でも毎年何人かがだるまになってるんやで。

借金払われへん女とか。

歯は自殺防止としゃくりやすくする為抜いて、手足切断、暴れる奴は薬物中毒にさして、だるまは生きれても2年やから死んだらミンチにされ証拠隠滅。

48 名前:名無しさん:07/03/03 12:06

以前、タイに仕事関係で行った時、現着マヒィアとの接触があり、とある場所へと行った。そこには

廃人になったダルマ女が居、ダッチワイフとなっており、数人は日本人で、やはり、や○ざの元女や、破産などして、ダルマになった人ばかり。 今、日本人は高く売買されている。

__________________


300 名前:名無しさん:08/04/26 04:58

まぁ言うたら金持ちの性欲処理とストレス解消の道具。
食事も出るし育てられてる。 足や腕が無くても生きれるからね。
人間としては見てもらえない。

使いもんにならんくなったら、殺して処理される。

_____________

「知り合いのソープ嬢が借金返せなくなって外国人に売られたそうだ。

逃げられないように手足を切断させられ現在はB国でダルマ女をやってて客と寝させられてるそうだ。

それで妊娠してしまい出産までショーにさせられたそうだ。その子は酒井法子にてかわいい子だったのに・・・」

http://dekapaku.at.webry.info/200608/article_3.html

ミリオン出版発行のコンビニコミック
「真相! 禁忌 都市伝説〜ダルマ女は実在する!」を読んだ。


東南アジアや香港でさらわれた女性旅行者が人身売買の末、手足を切られ、ダルマのような姿にされて見せ物小屋でさらされているというような都市伝説で有名な「ダルマ女」の話がどこまで本当なのかという調査ルポを漫画にしたものだが結構内容的にリアルというか信憑性があって恐い。

この都市伝説から派生したと思われるダルマ女の様々なバージョン、その後のダルマ女の話など様々な角度から手がかりを探し、調査していくのだが、

暴力団関係者が家出少女やワケあり女性、ホストにハマって借金まみれになった女性などを麻薬漬けにして避妊手術、性器整形などをし(こういう状態になった女性を「漬け物」とよぶらしい)海外に売り飛ばすという人身売買の話

中国や東南アジアでの人身売買組織の話、特に中国のエピソードでは「中国には食人文化というのがあっていまだに闇では買われた人間を料理して食べている所が実際にある」という話は衝撃だったし、そんな人間を人間とも思わないような連中ならダルマ女を作っていたとしても不思議はない気もする。

行方不明になった娘を探していた父親がマフィアのつてで見た見せ物でダルマ女が実は自分の娘だと気付き、救出したという話が実は本当らしいというエピソードも載っていて、現実に存在する都内のM病院にその女性が入院しているものの、女性は精神に異常をきたしてしまったらしく、病院への調査も禁止されたという話もあった。

人身売買の買い手は中国やアラブなど様々にいるらしいが、アラブ系の富豪は買った人間を犬や置き物仕様に改造したり自分の性的趣向に合った鬼畜な道楽を行なっているらしい話やそういう富豪の家の奴隷たちを米CIAが襲撃、救出した話などもあり、人身売買市場は世界中にあるという事実など恐ろしい話ばかりである。

人身売買の本拠地がスイスという話も載っていて意外だったが、ヨーロッパでは実際のスナッフ・フィルムが流通していたり闇市場では何があってもおかしくない状況らしい。

また東南アジアやインドでの貧しい人々が暮らす悲惨な環境(インドではマフィアが物乞いをさらに哀れに見せる為、健康な人間の手足を切ったりする上、勝手に臓器を取り出して売買してしまったりしている)や、そういう場所での「ダルマ女」の目撃証言など「ダルマ女」をめぐって世界の様々な知られざる残酷な問題をあらわしていたり、一見コンビニコミックという安っぽい本であるし漫画の絵も三流エロ漫画みたいな嘘くさいものであるのだが、扱っているテーマはかなり深刻で重いものであるし、世界中の組織暴力も絡む危険なものでもあるから真面目に犯罪告発本として出せず、こういういかにも怪しい三流本の形で出されたのかもしれない。でもルポの内容的には漫画だから多少誇張はあるものの、真面目に調べられたものをまとめた衝撃の1冊位であると私は思う。

http://sawsin.exblog.jp/6363620/

超S(サディスティック)な奴で、達者でないとSEXできないという性癖を持つ奴(男女問わず)がいるらしい。また、そいつらは、達者屋で随時新しい達者を購入するらしい。

 しかし、その達者になる奴は何者なのであろうか。中国マフィアが貧民から奴隷として連れてきた奴や、そのマフィアに処刑されたものなのだろうか?

在日中国人に尋ねたところ、戦前はよくいたらしい。しかし、現在はそんなことをしたら罰せられるそうだ。まぁ、当り前であるが。しかし、中国系マフィアなどは現在も見せしめなども含めて、そういうことをする可能性は多いにあるらしい。


 まぁ、何にせよ『だるまさんが転んだ』というような遊びは、昔、本物の達者の子供を使って遊んでいたとする何とも残酷な話である。

http://www.geocities.jp/bowel_of_beelzebub/souko/daruma.html

もともと「ダルマ」はシナの拷問の一つ(映画「西太后」で女性が大きなカメに漬かってるシーン。あれダルマ)だし、 ダルマを抱かせる宿もあったことも事実。当時「死姦屋」なんてのもシナにはあったらしいからなぁ。

人の欲望ってのは底無しです。


極度のSで、だるまじゃないと興奮しない奴とか、普通のSEXに飽きた奴がだるま女を買うってきいたことがある。


四肢欠損者に性的興奮を得るマニアってのは多いみたいです。 外国サイトはそんなのがゴロゴロあります。 その中でも嗜好が細分化されていて、

肘から下が無い人マニア、手首だけ無い人マニア

膝から下が無い人マニア、大腿部から無い人マニア、

など、別れているようです。

__________

究極のサディストの中には手足のない女性にしか興味を示さない人間も居るという。そういったコアな人間の欲求を満たすのがダルマ屋である。手足を切断した女性が極秘ルートでそろえているのだ。

その中でも一番人気は日本人女性だという。肌がきれいで体臭も少ないために、ダルマ愛好家達の間では評価が高いのだ。そして何よりも日本人女性は警戒心がないため「調達」しやすいのだという・・・

http://umaibo.net/ul/basic/kaiki/daruma6.html


実は某TV局の方から5年くらい前に聞いた話なんですが、、、。

日本人で拉致されて、ダルマにされた人は見世物小屋の「裏」みたいな所で売られているようです。一見さんは無理。裏のルートを使わなくては入れないそうです。今で言う「風俗」みたいな感じです。

でも、そこへ来る人達は普通の人では無く、明らかに病気を持っていて普通の風俗へ入店(?)出来ない人達や、犯罪者だったりするようです。

料金も安いようで、、。料金の高いダルマは、「V.I.P用」と区別されているようです。


日本人は肌が綺麗で体臭が少なく、性器の具合もいいようで、人気はあるみたいです(男も女も)。だからV.I.P用になりやすいのだとか。あと、他の外国人に比べて本人の危機感が殆どないというのも捕まえやすいと。

 あと、拉致した日本人のためのご飯、手足切断場所のガーゼの交換係というのは、若干日本人がバイトでやっているというのも聞きました(V.I.P用)。2週間くらい、付きっきりです。切断した部分のガーゼがとれるくらいの期間だそうです。時々ガーゼの交換時に雑菌が入ってしまって、死んでしまう場合もあるとか。バイトの日本人は絶対に情報は流せないようです。ばれると自分が手足切断になるようです。

でも、最初からすぐダルマにはならなくって、日本で言う「キャバクラ」や、「普通の風俗」で働かせてからとのこと。逃げようとした人がダルマになりやすいようです。

http://internetmuseum.org/museum/hoax/daruma.html

香港に出張で来たある日本の商社マンが、酔っ払った勢いで現地の友達に怪しいお店に連れていってもらいました。そこで、見たのはなんと……。

両手、両足を切断され、しかも妊娠しているらしく、おなかも膨れていてその姿はまるでだるまのような女性。すでに精神に異常をきたした東洋系の女性でした。現地の友達はこう説明します。


「こいつは、なんども逃げようとするから、逃げられないようにこうしてやったんだ。

それに、このてのが好きな客もけっこういるんだぜ。あんたも試しにどうだい?」


商社マンはさすがに酔いがさめます。 そして、意味をなさない彼女のうわごとが何と日本語であるのを知るのです。

http://johnny.zero-yen.com/daruma.htm

375 名前:名無しさん:11/01/05 13:41

だるま女も男も実際にぁるょォ確かに信用でけへん気持ちもゎかるし、でもこれが現実なんょモ

だぃたぃ売られる相場ゎ1人200〜300万ぐらぃォ

後ゎ国ゃ顔ゃ体…女の上級にょって値段が変ゎるみたぃォ


みんなの言ぅ通り、借金関係とか薬関係とか後ゎただの下手うちとか色々理由ゎぁるみたぃォ

ただ、ヤクザがみんなそんなんするとゎ限らへんけど大抵ヤクザ絡みの裏ルート使ってるみたぃヌ

捕まれへんのもマスコミにバレへんのも色々手回してるからゃでヌヤクザの権力ってぁる意味すごぃょなヌ

http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541


25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 [2008/04/22(火) 23:56:59.39 ID:EfAu2xKp0]

アラブの大富豪はダルマ女が好きらしいから、闇ルートに依頼して、買ってるよ。 やはりターゲットは日本人が多いね。

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 [2008/04/22(火) 23:51:38.14 ID:f8G3d0AF0]

サウジアラビアあたりに赴任したことのある商社マンや外務省関係の人達なら知ってる人多いんじゃない?

聞いた話だけど日本人の女の子もいたらしいよ。 「助けて、助けて」って小声で訴えられたけど、どうすることも出来なかったって言ってた。


29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 [2008/04/22(火) 23:58:39.83 ID:jHTSAxQu0]

日本人の女性が拉致されて、ダルマの性奴隷にされる話は20年以上前からあるよ。

香港でスチュワーデスが行方不明になり、1年後にダルマになっていたところを発見されたのは有名な話。 結局、保護されたんだけど、既に狂っていて帰国後1年くらいで死んだそうだ(死因は不明)。

これは外務省の文書にも残っている。

http://yomi.mobi/read.cgi/ex25/ex25_news4vip_1208875829


46 : あなたのうしろに名無しさんが・・・ : 03/03/10 22:37

生身の人間のだるまを見た経験のあるひとの話を聞いてみたいです。


47 : あなたのうしろに名無しさんが・・・ : 03/03/10 22:48
>>46
中国やインドの見せ物小屋に行けばいくらでも見れるよ。
定かじゃないが、中国で日本人の達磨さんにも会ったことあるし。

ただ、しゃべれなくするためかどの人も声帯がなく、本当の置物にしか見えなかった。

達磨だけじゃなくもっと我々日本人が見たら驚愕するほどの 奇形(にさせられた)がこの世の中には存在しています。。。。


49 : 46 : 03/03/10 23:08

巡業でまわっていた小屋だったので、今もその場所でやってるかどうか は分からないんですが、私は上海郊外の竹絵という田舎で見ました。 上海で何かコネを見つければ見れると思いますよ。


53 : あなたのうしろに名無しさんが・・・ : 03/03/11 01:44

なかにはお金を払えば達磨と性交させてくれるとこもあるらしい。
そうゆうツアーも日本で極秘にあるって聞いたことがある。

http://logsoku.com/thread/hobby2.2ch.net/occult/1047098448/

57 名前:名無しさん:07/03/05 13:32

まず自殺しないように歯を抜く。

薬中にして感覚麻痺してきたら足から切断。
切った所は、焼いていく。これの繰り返しです。


191 名前:名無しさん:07/08/27 23:21

ダルマは、手足を焼き切るから、ダルマにされたひとは死なないんだよ。
焼き切るって事は出血しないからね。


215 名前:名無しさん:07/09/06 20:46

達磨を仕上げるには最低一年位かかるみたい。

ショック死を防ぐ為に手足一本ずつ切り取り、食生活・衛生面全て管理される。
日本人の女性は海外の女性に比べて、肌もきめ細かく、体臭も少ないし、締まりも良いので高値で売れる。


297 名前:名無しさん:08/04/23 21:43

達磨女はほんまにあるよ。 昔の知人がなれそうな女探してたから。 北朝鮮とか中国やったか忘れたけど、そっちの方の大金持ちが変な性癖持ってて日本人は男女問わず高く売れるんやって。

手術は麻酔するよ。レーザーで手足切るから血出えへんねん。歯も抜かれるし。

んで、倉庫見たいな所に生きたまま保管されて、競りが始まるって形で売られる。
まぁ裏の世界(闇の仕事)の話やけどね。今もあるかしらんけど


http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541


1 名前: 中国板より転載 投稿日: 01/10/30 01:02 ID:+MhdzfXB

私の中国内陸部出身の友人(彼は2度と中国に帰らないと言い、難民申請中です)から聞いた「ダルマ」の作り方。


1、対象者を集める、一度に3人〜4人くらいしか作業出来ないらしい。


2、手術台(作業台?)でまず右手を落とす、ショック死を防ぐため麻酔は使う、昔は麻酔なしで取りあえず生き残った奴を出荷してた、

  死んだ奴は人肉市場行き(中国で「2本足羊」とは人肉の事)、1960年代くらいまで人肉は結構広く食べられていた。   今ではダルマの材料調達が難しく、大事にして麻酔してから手術する。


3、両手足切り落とすまで半年以上かかる、更に機能不全やショック症状から来る肌荒れを防ぐためにお肌の手入れには気を使う。   特に肛門等の排泄機関は放っておくと病気の元なので丁寧に洗浄する。

  人気のある若い女ダルマは生理があるが大抵は手足を切られたショックで止まってしまう、そこで女性ホルモン投与や日常的な性交(これも製造者の仕事)で生理を止めないようにする、これが最も高く売れる秘訣です、若くて肌が綺麗で性交可能で生理がある、少し手間のかかるダルマの方が人気があります。


4、立派なダルマとして出荷されるまで実に1年近くかかります、その間に食事を与え、手入れをし、綺麗な洋服まで着せて注文者の元に出荷します。

17 名前: 名無し 投稿日: 01/10/30 14:08 ID:GXRuQn23

ダルマ女と男、インドのカルカッタとパキスタンのラホールで2度見た。

カルカッタのバザールを歩いてたら、足元に物があって蹴つまずきそうになって避け、何だろうと思い見たら人形の上半身のようなのと、皿が置いてあった。 それも両手は肩から10cmほど残して切ってあり、もちろん下半身無しで臍の下くらいで切ってあった。それもインド系でないアジア系の若い娘の顔してた。

誰だこんなグロな人形を置いたやつはと思いつつ覗き込んだら、突然顔がおれの方へ向き、目が合ってパチクリし始めた。

「ギョッ!!」「人間かっ!?」。

前に置いてある皿には小銭が入っていた。


その日は一日、目にしたものがトラウマになっていろんな想像を巡らしたがどうしてあの状態で生きていけるか悩んだ。排泄器よりはるか上で切断されていたのに生きていた。 なんのためにあのような姿になったのか?、、等々際限なく。

翌日、もう一度見に行って観察した。彼女は一日中、通る人の足を見つめていた。 通行人が金を恵んだときのみ顔を動かしたがそれ以外はじっと無表情で、、、、。 5日後にもう一度その場所に行ったが居なかった。 今でも時々、思い出す。


21 名前: 百万回生きたねこ 投稿日: 01/10/30 14:57 ID:YjO/GabU

パリで行方不明になった少女が,トルソー化させられた状態で孕まされ、香港で見世物にされていたという話を、昔聞いた。


http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:vO8nkYKA4kMJ:rkrc5w2q.dyndns.org/cache/asia/kaba.2ch.net/asia/kako/1004/10043/1004371341.html+%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%9E%E5%A5%B3&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


35 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/19 21:21

だるまは、本当にいます・・・・気味が少し悪い話ですが・・・

裏ビデオの中にも「だるまころがし」という内容でだるまの女の子とやるというのがあります。 少し不気味だがマニアにはいいのでしょう。

中国とかでは、闇子が成長すると物乞いになるため納得の上でだるまになります。四川省の寺周りには多い。

戦前は、日本でも女をよく見世物に使うので年や病気で稼げなくなった女郎をだるまにしました。 見世物で口で裁縫や掃除をさせたらしいです。 口で雑巾を絞ったり、大変な見世物でしたが、中には、ちゃんと子供を産んで育て人生をおくった人もいます。

シンガポールでした。その人は肘から先と膝から先がない状態で声帯と目をやられてました。(瞼は開いているんですが見えない状態)

発見された時はすでに気がふれており今も静岡の保養所にいます。

池袋二丁目の○○屋さんの娘。11年前の話。卒業旅行中の出来事。

四つんばいで首に首輪 鎖につながれた状態で見世物小屋にいて自分の娘連れて帰るのに金払って・・・


40 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/19 21:24

友達から聞いた話。

韓国のマフィアが女性をだるまにして見せ物小屋にいれるそう。

それを数億円で見るらしい。

何でもそのだるま女の世話は豚小屋に入れて豚の糞を食事として与えているが彼女らは薬をやっているのでそれで幸せらしい。

http://mimizun.com/log/2ch/occult/1021809316/


17 名前:名無しさん:07/03/01 08:42

中国では見せ物小屋で見せ物にしたり、金持ちが生身のダッチワイフとして扱っていた。

http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541

「2ヶ月前までヤ○ザだったけど質問ある?」

264 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/04(金) 09:11:29.26 ID:S1PK3rrBO

身内での恐ろしい折檻体験もしくは目撃体験あったら教えて

266 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/04(金) 09:16:38.43 ID:nZJ1pjSk0
>>264
ダルマくらいかな。俺が見たのは彼氏の借金の肩代わりだね。

反日感情バリバリの中国の富裕層のじいさんの所に行ったとさ

高熱の刃物で切断すると切断面が熱で溶けてふさがって痛みはあるのに思ったより血が出ずに失血死しない

中国マフィアの拷問の一種

http://hy.livedoor.biz/archives/51981179.html

   ,, - 'i': : : : :゙:'ヽ. ::              :::'' ,, -'':゙:゙:゙゙:':'ヽ-,, 
     'ヽ, |': :: ::(●| 'ヽ:::            .::'.'/ |:: : : : :(●| ゙''-,,,,,:
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          ゝ,,丶\::v || |:‖ -__w ヽリ゙リ゙|j:‖//  /   
           ゝ''ヽヽ::,, --v,‖ :リ,,リ,゙,,,,,::://ノ /  

(参考) ダルマでも幼女でも中国の置屋で買えないものは無い


子供を誘拐して奴隷や乞食、売春窟へ売り飛ばす(中国)

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成21年(2009年)4月6日

子供の誘拐はビジネス、中心市場は深セン。相場は2500ドルから
戦争中も今も、子供を拐かし、売りつける商売が繁盛する中国


顧客は海外ではない。中国の農村や近郊の都市で、赤子から十三、十四歳の少年少女など、毎年平均2500名の子供が「専門誘拐集団」のプロ、ギャングなどにさらわれる。発見例はほとんど無く、警察が本気で捜査しようともしない。身代金目当ての誘拐も頻発している。

 第一は都市部で生活する子供のない夫婦からの需要が旺盛である。

 逆に農村部では男の子供を猛烈に欲しがる。第貳子までは常識だが、それでも男の子が産まれないと、つい手を出す。なぜなら第三子を罰金を払ってでも産む場合は、5800ドル。それなら誘拐してきたほうが手っ取り早いのだ。相場は2500ドルという。

 第二は少女売春に売られるケース。

「人さらい」らはクルマで近づいてさっと誘拐するので、神隠しにあったような騒ぎとなる。ギャングらは少女を売春窟に売り飛ばし、或いは少年たちは身体障害にして街頭での乞食をやらせる。

 第三は奴隷として闇工場に売られる悪質なケースが多い。

実際に昨年に発覚した山西省の煉瓦工場は、誘拐された少年たちが過酷な労働を強いられていて世界的な非難をあびた。


ヘラルトトリビュン(4月6日付け)の報告では、誘拐ビジネスのセンターは香港の北燐=深センにあり、あたかも企業のように誘拐ビジネス盛業中という

http://blog.livedoor.jp/hjm2/archives/51336745.html

中国人の極悪女性誘拐売買


 【ベトナム人婦女子売買の最大の目的国は中国―ベトナム当局 2月24日10時56分配信 Record China 2010年2月22日、


ベトナム・ニュース・エージェンシーによると、ベトナム政府による人身売買撲滅計画事務室は、婦女子売買の最大の目的国が中国であることを明らかにした。環球網が伝えた。

同事務室は、中国はベトナム人婦女子の売買の最大の目的地になっており、04〜10年に発生した人身売買事件の全案件中、65%が中国に関連していたと指摘。被害者の多くは同国北部の出身者で、国境周辺地区から陸路で中国に送り込まれている。被害者は売春や過酷な労働に従事させられたり、中国人男性と強制結婚させられたりするだけでなく、中には販売目的で臓器を切り取られる者も存在しているという。

一方、ベトナム警察当局の発表によると、中国人の児童をカンボジア経由などで英国やフランス、ドイツなど第三国へ転売する逆のケースも存在している。警察当局はこのほど、人身売買組織がベトナム人婦女子を中国へ送り込む陸上の主要ルート89か所を発見したと発表。また、観光・結婚・就労・養子縁組などの名目で空路を利用してマレーシア、香港、マカオや欧米各国へ売られていく被害者も増加しているとしている。】


2010年2月2日、中国誌・中国経済週刊は、ミャンマー人女性の誘拐・売り飛ばしが産業化していると報じた。

女性らはミャンマーに隣接する中国南部・雲南省を経由して農村に売り飛ばされるケースが多い。需要の増加に伴い、女性の「売値」も高騰。09年は4万〜5万元(約53万〜約66万円)の「値段」がついているという。

さらに2月3日付シンガポール華字紙「聯合早報」は、女性たちの過酷な現実を明らかにしている。2008年以来500人のミャンマー人女性が救出されたが、最も若い被害者で11歳。最も年齢が大きい被害者で57歳だった。「裕福」な中国へ行けば貧困から逃れられるとやってきた女性たちだが、こじきや売春婦として苦しい生活を送ることも多い。農民の妻となっても、体が悪くなれば殺されてそのまま田畑に埋められてしまうこともあるという。

ミャンマー人女性の人身売買は、中西部から東部へ、農村から都市へ、低所得層から富裕層へと、女性という「財」が移動していく現象の一部分でしかない。中国にはロシア人女性などを紹介する結婚紹介サービスも多いばかりか、風俗店は堂々と「馬妹、露妹、日妹」(マレーシア人女性、ロシア人女性、日本人女性)などと広告を出しているケースも多い。

2000万人以上とも言われる女性不足による「需要」の高まり、そして中国経済の発展を背景に、「財」としての女性の移動は海外をも巻き込んで加速していくことになるだろう。


ベトナム人婦女子売買の最大の目的国は中国―ベトナム当局
2月24日10時56分配信 Record China


22日、ベトナム政府による人身売買撲滅計画事務室は、婦女子売買の最大の目的国が中国であることを明らかにした。写真はベトナムと国境を接する広西チワン族自治区東興市。

2010年2月22日、ベトナム・ニュース・エージェンシーによると、ベトナム政府による人身売買撲滅計画事務室は、婦女子売買の最大の目的国が中国であることを明らかにした。環球網が伝えた。

同事務室は、中国はベトナム人婦女子の売買の最大の目的地になっており、04〜10年に発生した人身売買事件の全案件中、65%が中国に関連していたと指摘。被害者の多くは同国北部の出身者で、国境周辺地区から陸路で中国に送り込まれている。被害者は売春や過酷な労働に従事させられたり、中国人男性と強制結婚させられたりするだけでなく、中には販売目的で臓器を切り取られる者も存在しているという。

一方、ベトナム警察当局の発表によると、中国人の児童をカンボジア経由などで英国やフランス、ドイツなど第三国へ転売する逆のケースも存在している。

警察当局はこのほど、人身売買組織がベトナム人婦女子を中国へ送り込む陸上の主要ルート89か所を発見したと発表。また、観光・結婚・就労・養子縁組などの名目で空路を利用してマレーシア、香港、マカオや欧米各国へ売られていく被害者も増加しているとしている。(翻訳・編集/HA)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100224-00000005-rcdc-cn

脱北女性、中国農村部で「販売品」 一人10万円台=韓国支援者


・・・・オレも 一人欲しい 。。。(〃_ _)σ‖


 【大紀元日本5月16日】中国に脱出した北朝鮮の若い女性の多くは、農民に結婚相手として売り飛ばされているという。韓国のある難民支援団体の関係者がこのほど、メディアに対し証言した。

 AFP通信によると、北朝鮮難民を支援する韓国の布教会Durihana、その責任者の千基元・牧師(Chun Ki-Won、53歳)はこのほど、中国の辺鄙な農村に脱北した若い北朝鮮の女性が、ブローカーによって人身売買されていると証言した。現地では未婚女性が非常に不足しているためという。 脱北者の男性が中国当局に強制送還されるリスクが高い中、脱北者の女性はその「経済価値」により、比較的安全な庇護を得られると同牧師は指摘、


「いま、中国に身を隠している北朝鮮人の8割は女性である。その9割以上が人身売買の被害者になっている」


と話した。  同牧師の証言によると、中国側のブローカーは国境地帯を監視する北朝鮮兵士に賄賂を渡して、北朝鮮女性を脱北させる。賄賂の相場は1人あたり500元から1000元(7000円から1万4千円)。  「大抵の場合、ブローカーは女性たちに、

『中国でいい仕事に就き、たくさんお金を稼げる』

と聞かせる。中国入りした女性たちは2つの運命に直面。


一つは、別のブローカーを介して結婚相手として農民に売られる。相場は5千から1万元(約7万円から14万円)。買い手の農民は障害者や晩婚者がほとんど。


もう一つの道は、ストリップショーなどの風俗業に従事させられる。  

もし、買い手の男性に気に入られなければ、さらに別の人に転売される、と同牧師は話した。中には、7、8回転売された女性もいるという。


 同牧師はこれまでに、9百人以上の脱北女性を支援して、中国から脱出させたという。  同牧師はAFP通信に、「中国当局は責任を担える国家ならば、人権問題を解決して、国家の威信を守るべき」と語った。

http://www.epochtimes.jp/jp/2010/05/html/d59169.html


中国では、都市と農村の差別格差に加えて、30年前から悪名高い「一人っ子政策」の影響で、数億人のヘイハイズ(黒亥子)つまり、あらゆる統計や教育・社会福祉から排除された無戸籍者が誕生したと指摘されている。 公表14億人の人口に加えて、少なくとも2〜6億人の国民としての認知をされない、生きているだけの人たちが存在することになった。 このヘイハイヅの存在こそ、超安価な中国製品のコストを支える存在であり、世界にデフレをもたらした元凶であった。

 ヘイハイヅは中国国内において、「黒社会マフィア」の爆発的な肥大化に大きな役割を果たしている。一般に、政権が腐敗し、民心が権力を厭うようになると、裏社会(黒社会)の勢力が増大することが社会歴史の根元的法則であって、中国権力の猛烈な腐敗と比例して、黒社会マフィアの勢力が巨大化し、その人的供給源がヘイハイヅということなのだ。

 ヘイハイヅが一番問題なのは、その命があまりに安いということである。 あらゆる施政から排除されているため、労働基本権の対象にすらならず、経営側は、最低限生かすだけという完全な奴隷労働を強いることに何の躊躇も必要ない。 ヘイハイヅの側も、もはや中国社会に根付いた被差別奴隷階級としての認識を前提に、奴隷労働であっても生かしてもらえるだけで十分ということになり、労働も命も人生も、すべて吹けば飛ぶような、蜻蛉のように哀れで切ない人生を強いられるのである。

 だが、ヘイハイヅであっても同じ人であり、彼等の存在こそが、中国権力の腐敗をますます加速し、中国という国家の存在を軽薄に変えてゆくのだ。そして命の安い発想で、他国に対しても、すべての国民に対しても同じように虫けらとして見るような傲慢な国家に変質してゆく。

 同時期に中国では、田中角栄による日中国交回復があり、それから存在しない「戦後賠償」の代替ODAが数兆円規模で投入され、この利権が中国を完全に腐敗させてしまった。日本から巨額のカネが無条件にもたらされ、その利権を構築する勢力と、同時にヘイハイヅが誕生してきたのである。  腐敗権力にとって、施政や統計の対象にならないヘイハイヅの存在は実に都合のよいもので、その命を奴隷として思う存分利用することができ、人権蹂躙、差別社会の構築を加速させた。 やがて、彼等は黒社会の尖兵として腐敗権力によって、日本や台湾・韓国侵略に使い捨てされる人間兵器として利用されることになるだろう。

 中国の富裕層、権力者は、ヘイハイヅを利用することで、自らの富と権力を増大させたわけだが、同じ人間を奴隷として使役し、その命までしゃぶり尽くすような悪辣な支配を行ってきたツケは凄まじい結果をもたらすのだ。  中国の子供たちは、ヘイハイヅの安い命を見て育ち、奴隷の存在を知り、平等な社会福祉に担保された愛情、豊かな人間性を見失ったまま、奴隷と収奪、殺人の社会を受け入れて育ってゆく。このことが、中国社会をどのように変えてゆくのか? まさしく身の毛もよだつような結果を引き起こさずにはおかない。

 我々は、中国の子供たち、とりわけヘイハイヅの子供たちが、社会から疎外され、黒社会の論理に頼って生きてゆかねばならない現実を見せられようとしている。それが、どれほど恐ろしいものになるのか? やがて彼等が日本列島にやってくるときに思い知らされることになるだろう。

 中国がヘイハイヅという奴隷階級を30年がかりで成立させた結果、もたらされた事態は何だったのか?

 まだ、明確に論議されている情報を目にすることはできないが、この金融恐慌がアメリカ金融資本家の暴走によるものだったとするなら、それをもたらしたものこそ、中国奴隷階級を利用して世界に構築された超安価商品群であり、これが各国経済を根底から破壊し、日米のみならず、世界工業国すべての生産体制を崩壊させたのだ。

 この結果、先進国資本家たちは、自国労働者を切り捨て、生産ラインを中国に移管したことにより、自国労働者階級の絶望的貧困を招き、格差社会を招いたのである。 さらに、生産という仕事を見失った資本家階級は、金融カネコロガシに没頭する結果となり、無制限の投資・投信・利殖に狂奔し、CDSやデリバティブという詐欺商品を開発し、世界に大恐慌をもたらすことになった。


 つまり、今起きている金融大恐慌の根源に、中国奴隷階級の成立があることに気づく必要があるのだ。 中国政府の作り出したヘイハイヅ奴隷階級こそ、世界統一政府を目指すユダヤ資本カルトをも巻き込んで、凄まじい人類の終末戦争を演出した最大の功労者というべきなのだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/718.html

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/801.html#c6

[中国12] 「低欲望社会」、現在の中国には当てはまらず(チャイナネット) 無段活用
7. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月11日 02:54:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21931]
『中国での接待』

574 :本当にあった怖い名無し:2008/03/01(土) 10:49:20 ID:5Dsg2oxW0

これは俺が中国の某所へ、会社の商談に行った時の話。

入社一年目のぺーぺーの俺は、二個上の先輩と50代の部長に連れられて、中国へ渡ったんだわ。 俺は挨拶ぐらいしか出来ない程度だったので、付き従って行っただけだったのだが。

商談はいい感じにまとまった。その晩に商談相手の中国人らに連れられて、高級かつ格式高げな中華料理屋にて楽しく会食。向こうの会社のお偉いさん(というか、後で聞いたらマフィア)も来てた。

料理自体はめちゃ不味くて、しかしオモテナシだから大量盛りで、しかも相手方のメンツもあるから、顔見合わせながら頑張って食ったよ。しかしまずかった。何の肉かわからんぐらい臭いし。


で、ここからはよくある話なのかどうか知らんが、セックス接待。

部長や上司から事前に話は聞いていたので、俺はそれだけが楽しみで行ったようなもの。 場所をホテルの一室(かなり広い。VIP御用達な感じ)に移して、女がずらずら入ってくる。十人ぐらい。

めちゃめちゃ美人ばっかり。まじかよと思ったぐらい。永作博美似とか川村ゆきえ似とか小野真弓似とか…

一晩何回でもok、朝までご一緒というコースらしい。

部長が選び先輩が選び、そして俺の番。
背の低いかわいらしい子を選んだ。で、あとはお楽しみ。

ここまではちょっと珍しい話ってだけだが、俺が恐ろしい思いをしたのは、その翌日のこと。

んで翌日。

昨夜はお楽しみでしたねって感じになって、朝食をすませて先輩と部長と合流。
今日は観光するよって予定になってたから、

「どこ行くんすか」

って聞いてみたら、

「面白いところ」

とか、

「日本じゃ経験できないようなことさしたる」

としか言われない。 なんだろな、まあいいかって、二人について行くことにした。

二十分ぐらい歩いたかな。日本で言う旅館みたいな小さな建物に到着。
でもすげえ豪華なの。雰囲気が。絢爛っていうか。全体的に赤くていやらしいムード。

また風俗かー。まあそれもいいかなって、すんなり入ったのが間違いだった。


部長が中国語で二言三言告げると、受付のオバチャンに奥に通される。

従業員用通路みたいな寒々としたコンクリうちっぱなしの通路を、通った先にエレベーター。 これに乗って上へ。3階。

「こっちでいいんすか?これどこ行くんすか?」

と聞いてみたが、はぐらかされる。

俺もヘルスとか行ったことあるから、なんか、普通の待合室とか、プレイする部屋がどのへんかとか、そういうのわかるんだけど、どうもそれスルーして、どっか向かってるみたいで。

エレベーターの扉が開いて、進み出ると部屋。八畳ぐらいか。
真ん中に布団が置いてあって、行灯?みたいのでぼんやりピンク色の灯。
テーブルと座布団があって、菓子とお茶があったから、とりあえず座って待機。


奥の引き戸からオバチャンが入ってきて、なんか説明してる。
先輩が訳してくれた。

「大事なことは二つ。女の子に危害を加えないこと。今日のこの体験をよそに漏らさないこと」

なんかイヤな予感した。これってもしかして。

予感的中。

オバチャンが引っ込んだ代わりに入ってきたのが幼女だった。

中華服みたいなの着てるんだけど、異様なのが頭まるぼうずなんだよ。

そんで歯全部無い。

歯をなくす理由ってあれしかないよな。フェラが絶品になるからだ。

後頭部のちょっと下あたりに、入れ墨で何か書いてある。中国語だからわからんけど。

これは俺の想像だが、頭丸坊主もこの入れ墨も、たとえば逃げ出したときに、近隣の住民とかが発見・通報しやすいように…してるのかな。

化粧もきちんとしてた。子供なのに。気味悪い。


なんで三人同室で、一緒に行為に及ばなければならないのか。
これは罪の意識を共有することで、外に漏れなくするための細工なんだろう。


部長→先輩の順で行為がおこなわれる。えぐい。

気分悪いから描写はあんましないけど…


二人こなした後、シャワー浴びてその子が戻ってきて、俺にまとわりつく。

上司ふたりがやっちまった以上、俺がやらないというわけにはいかない。

実際、すっきりした二人が、

「おまえも当然やるよな」

「逃げられないぞ」

といった脅しをかけてくる。

俺の膝の上で媚びを売り、唇をちゅっちゅっと寄せてくるその幼女に、生理的な嫌悪を感じた。 もう頭混乱してしようがなかった。

上司の手前やらなきゃいけないのか?
しかし、人として出来るかそんなこと。しかし。しかし。


俺のチンコはめちゃめちゃ巨根なんだ。缶コーヒーのロング缶ぐらいある。 あんまりでかすぎて、大抵の女性は痛がって入れさせてくれないし、入っても大抵ギブアップされる。そんな俺のデカチンコが入るわけない。

先輩と部長にいちもつを見せて、

「これは無理ですよね」

と、勘弁してくれと訴えかけるが、

「お前だけやらないなんて許されるか」

「お前は俺たちがやったの見てるんだぞ、弱みを握るつもりか」

等々、どうしても逃げられない状況。


結果から言うと、結局俺のチンコの規格外のでかさに幼女がギブアップして、
オバチャン出てきて、

『女の子に危害を与えないこと』

というルールの後ろ盾もあり、なんとか先輩も部長も黙らせることが出来た。

出来たんだが…その後、終日、口きいてもくれないのね。完全無視。
まそりゃそうだわな。

結果的に俺は、先輩と部長の裏の顔というか、人として最低な姿を弱みとして握ってしまったわけで。

帰国してからも、業務上で色々絡む場面も多かったが、嫌がらせとか無視とか地味に虐められて、耐えられなくなって、結局退社しました。命を抹殺されなかっただけましというか、今でも怖いです。


一番怖いのは、部長も先輩もすごく善良で普通の人だったのに…ということ。
そして俺もへたすれば、あっち側に墜ちていたかもしれないこと。
その会社は今でも、新人にそういった罠をしかけているかもしれないこと。

しかし、同じ罪を背負ったチームの結束たるや、
ひょっとしたらそれは、一定の効果をあげているのかもしれませんね。

[ 5311 ] NO TITLE
坊主なのは病気持ちを隠す為もあるんじゃないか
[ 2011/08/06 ] NO NAME ◆-


[ 6854 ]
そういう趣味の立場が強い奴が一人以上いて、ソイツが自分だけリスクにさらされてはマズイと部下に半ば強要→そのまま連鎖という具合に始まったんだろう。
特定集団内の序列や慣習を重んじ規定レール上にありたい心ってのが、一般的な倫理観やルールを踏み外させた悪しき例かな。

まぁ投稿者は正しい判断をしたよ。ノーマルな嗜好でマトモな感覚の奴がそんな真似したら、一生に渡って自分への嫌悪感に苛まれただろうからね。
[ 2011/08/25 ] NO NAME ◆-


[ 9105 ]
自分たちでハニトラ仕掛けてりゃ世話無いな。
[ 2011/09/17 ] NO NAME ◆-


[ 15926 ] NO TITLE
ビデオでバッチリ撮られてて、10年後20年後に脅されるってパターンか。
御払いとかでどうなるもんでもないだけに、下手なオカルトよりよっぽどこえぇな。
[ 2011/12/30 ] NO NAME ◆-


[ 16817 ] NO TITLE
歯が全くない口、丸坊主、それでもって化粧・・・
それだけがなんだかものすごく怖くって。

歯が全くないのに、その子は将来も「そうゆうしごと」をする?
そりゃ、あれは気持ちがよくたって食べ物や会話はどうすんの?

自分がそうゆう子供にならなくて良かった。
中国語の発音て難しいのに、歯がないと無理だぞ???

因みに私は中国語を話せるし、ちょっとは聞き取れる、でも
本当に怖い国ですよ。なんとかっていう週刊誌読んでるとあんな国に生まれなくて本当に良かった
と思います。中国から朝鮮、東南アジアはすっごく危ない。行きたくない。恐ろしいですマジデ。
[ 2012/01/12 ] NO NAME ◆-


[ 16830 ]
思うに、子供の将来なんて微塵も考えてない。
そもそも言語なんて必要とされてない扱いだし、喋れなくても行為的に問題ないからね。

病気や老化で使いものにならなくなったら廃棄処分。そしてスペアに交換…
そんな鬼畜な所業が繰返されている事は想像に難くないよ。
地獄って存在するんだね…
[ 2012/01/12 ] NO NAME ◆-


[ 20823 ]
ぅぇ…風俗さえ嫌な俺には、罪悪感と女の子の不気味さで苦行だわ…
[ 2012/02/28 ] NO NAME ◆-


[ 21121 ] NO TITLE
昔は、こういう娼婦は目をつぶしてたんよ。逃げ出さないため。たとえ逃げられても目が見えないからどうしようもないしね。坊主だの入れ墨だのってレベルでないよね。

んで、年取って使い物にならなくなったら捨てられちゃうのよ。目が見えないおばあさんが道端で二胡引いて物乞いやってたら、まあそういう事よ。太平洋戦争前後にも、まだいたらしいね。

「臣」という字、目を潰された男の人の意形文字よ。異民族ではない男の奴隷の事だったんじゃないかね。
ちなみに異民族の奴隷は「僕」ね。わざわざ人偏をつけるあたり、嫌らしいというか、なんか凄味すら感じるね。

女の人の場合は「姫」。「妾」もそう。つか、妾の方が古い漢字かな。上の「立つ」の部分は小剣の柄の部分で、これも目を潰された女性を表す漢字。

あの国は、何千年も前から、こういう事してたのよ。 韓非子にも、

「烏を手懐けるコツは、羽を切り落とすこと。そうすれば、自分で餌を捕れない烏は、人に懐く以外生き長らえる術がない。人民を従えさせるのも同じ要領でやればよい…」

とあるしね。中国、なめたらあかんよ。
[ 2012/03/02 ] NO NAME ◆-


[ 25644 ] NO TITLE
中華系接待は糞不味い料理の前に放るように円卓メンバーに配られるタバコからあかん。
大きな企業に限らず特殊な技術持ってる会社の社員とかは接待には気をつけろよ。
国策系のハニトラも含めて一時のことで絞りつくされかねんぞ。
[ 2012/04/23 ] 名無しさん@ニュース2ちゃん ◆-


[ 25649 ] NO TITLE
特に中国系は怖いよな。
人の命なんて何とも思わん国だし、中央政府含めて巨大マフィア国家だもの・・・。
民○党に開けっぴろげられた日本の表玄関、毎日の様に入り込み選挙権まで与えられ住み着く素性の曖昧な中国人達、日本の危機近し!!
[ 2012/04/23 ] NO NAME ◆-


[ 25687 ] NO TITLE
「民」って漢字は目を針でつぶす様を描いた象形文字からきてる。

つまりは奴隷。 「幸」は手かせをはめられた手を表す形。

他の刑(殺されたり手足を切られたり)にあうよりは幸せという意味。

「圉」(ぎょ)はそのものズバリ牢屋の意。
[ 2012/04/24 ] NO NAME ◆-


[ 25689 ]
>25687
「幸」が手枷をはめられた状態とは…
「幸」の字がどういう意味で使われてるかを考えるとなんか皮肉だねorz
[ 2012/04/24 ] NO NAME ◆-


[ 27349 ] NO TITLE
>>16830
記事の場合、成長後の見た目という意味で将来にも気を使ってるんじゃなかろうか

抜いた歯はおそらく乳歯。だからこそ幼女でなくてはだめなんだろう

髪生えれば刺青隠せるし
そんで永久歯と髪が生え揃ったら今度は別の風俗で使い潰す
[ 2012/05/15 ] 名無しさん@ニュース2ちゃん ◆-


[ 38782 ]
いやいや、乳歯なんてせいぜい6.7歳までよ?
いくら幼女ったって10歳前後でしょ。

それでも身の毛もよだつ話なのにもしもっとちっちゃい子にやらせてるとしたら…
大事な娘がいるから考えるだけで吐き気がしてくる…
[ 2012/08/17 ] NO NAME ◆-

[ 42524 ]
中国は、一人っ子政策で田舎だと特に女の子はいらない……
案外調達しやすいのかもな。
[ 2012/09/13 ] NO NAME ◆-


[ 42554 ] NO TITLE
ついでに言うとな、ひとみ(瞳)って字あるだろ?
アレになぜ子供の意味を指す「童」って字が入ってるかというと…

醜い物事を見聞きして、心を汚さぬように、という建前のもと、

宮仕えに来た幼い子の目を潰す習慣からできた漢字だからなんだと。

ちなみに、「目」は死人や刑死人の目の象形文字。
生きてる人の目を指す場合は、「眼」の字を使う。

眼鏡(めがね)とか、生きてる人が使う道具だから、眼の字が充てられてる。

涙は、生きてる人が気持ちを揺さぶられて流すもの。

泪は、水死した人のまぶた部分に溜まった水分が流れたもの…とかね。
常用漢字にも、エグイ由来を持つものはたくさんある。
[ 2012/09/13 ] NO NAME ◆-


[ 57839 ]
中国・韓国出張行く奴らって絶対女買ってくるよね。

ましてや幼女なんて。キチガイ。日本の恥。

てか、女の子だって好きでこんなことしてるんじゃないでしょ。やらなきゃ怒られたり生けていけないからでしょ。
それを、将来どーすんの?とか言ってる奴ってバカなの?気持ち悪い。
[ 2013/01/05 ] NO NAME ◆-
http://nazolog.com/blog-entry-2747.html

3 :名無しさん@13周年:2012/11/30(金) 22:25:02.09 ID:+swK2yPk0

TVタックルより安倍晋三の逸話

中国では日本から政治家が来ると、女、金を使ってその政治家の弱みを握って
自分たちの都合の良いようにコントロールをする事が常であった。

安倍晋三が中国に来た時も同じ方針に出た。

安倍晋三がホテルの部屋に入ると、そこには一糸まとわない美女が。

安倍晋三はこれは陰謀に違いないと思い、慌ててその女性を部屋から追い出した。

1時間後、部屋のドアをノックする音が。

ドアを開けると、そこには8歳ぐらいの幼女が立っていた。

中国は阿倍の事をロリコンだと思い、今度は幼女を派遣した。

安部は居たたまれなくなって、直ぐにその幼女を追い返した。

後、中国では安部のホモ説が流れた。


297 :名無しさん@13周年:2012/11/30(金) 23:44:47.77 ID:+8HgrX4n0

裸の美女を追い出した後、八歳の幼女か。
これが定番なら、幼女には手を出す奴もたくさん居たんだろうな。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1354281864/


房中術におけるロリコン及び男性の徳について


 中国では、古来から不老長生を求める人々が多く存在しました。その過程で、房中術といい性行為を通じて不老長生を実現しようと言う動きがあったのです。何でも、色欲で健康を損ない寿命を縮めるのはやり方が不味いからであって、適切な交わり方を体得すればそれにより不老長生が手に入るとか。

で、房中術では童貞や処女を貫くのは逆に良くないんだとか。日本における天狗の修行では女色を断つのが重要だったようですから、その辺は独特ですね。

さて肝心の秘訣はと言うと、若い女と関係する事、そして一晩に何回関係を持とうとも決して精を漏らさない事なんだそうです。では、具体的にどのくらいの若さが適切であるのか。それについて、「医心方」を参考に考察する事にしましょう。

 
 「医心方」とは、十世紀後半に丹波康頼が中国の医書を編纂して作った日本最古の医学書です。その中に、房中術も含めた様々な中国における医学的知識が掲載されているのです。当時の中国医術には、房中術も欠かせない重要項目でしたからね。それによれば、「玉房指要」では関係する相手について以下のように述べられているそうです。


ただ年が若くて、まだ乳房も発育していないような乙女であって、肉づきの豊かな女が望ましいのである。

このような条件の女七、八人と接触することができるならば、それは心身にとって大いに益あることだといえるであろう。(「日本の性学事始」P19)


 …ということは、まだ第二次性徴を十分には迎えていないような段階の相手が望ましいと言う事ですかね。もう少し具体的な事が分かる部分を更に探してみましょう。「玉房秘決」には、以下のような記述が存在するそうです。


男子が性生活によって大いなる益をえようとするならば、男女関係の(正しい)方法をまだ知らない女をえることである。また処女と関係すべきである。顔色もまた処女のごとくでなければならない。

しかしいかに若い女がよいといっても初潮前の女でないことが必要である。

もし十四、五から十八、九までの女をえたならば、益は大である。(同P27)


女と接しようと願うのならば、年若くて乳がまだ盛り上らず、肥っていて、髪の毛が細く眼が小さく、眸の白黒のはっきりした者で、顔や体がうるおい滑らかで、言葉と声が調和して出る者を選ぶがよい。(同P88)


 以上から判断すると、初潮は迎えているがまだ乳房が発達していない若い処女が良い、という事ですね。…

該当する年頃を考えると、これぞまさしくナボコフ先生が言うところの

ニンフェット。
http://trushnote.exblog.jp/14529065/


その他の容姿で必ずしも一致していない面がなきにしもあらずですが、細かい事は気にするな。以上からすれば、古代中国における房中術という視点のみからすれば、ロリコンは不老長生のため適した優良男子という事になりそうです。…

ただし、精を漏らしてはダメだそうですけどね。


 あと、折角なので房中術関連でもう一つ余談を。これも「玉房秘決」からなのですが、房中術を極めると人が重んじるべき「五常」(仁、義、礼、智、信)の徳が男根にも備わるのだそうです。奥義を悟った人の男根は

「体の中のかくれた場所に深く入って節を保って孤高を守り、心に最も高い徳を保ち、行動するのには自分だけの勝手なふるまいがない」(同P40)状況になるとか。

で、「これを相手に与えようとする」のが仁であり、「中に空間がある」のが義、

「端の方に節がある」のが礼で、

「接しようと欲する心があれば起ち、欲しなければ止む」のが信、

「接して適当に低仰(ひくくし、また高くすること)し、むりせぬ」のが智

なんだそうです(いずれも同P40)。

確かに性欲をコントロールできた様ではあるんでしょうが、これが「徳」とは物は言いようですね。


 以上、今回の内容をまとめますと、

・ロリコンは(漏らさなければ)房中術的観点からに限って言えば適している

・房中術を極めれば男根にも徳が備わる

というわけで、今回も大変ためになるお話でした。
http://trushnote.exblog.jp/9449272/

房中術 男女合気の術 陰陽の道


 房は寝室を意味し寝室の中での術ということになります。
 房事=性愛に間違いがあれば長寿はまっとうできない。病気にもなると教えます。


房中術のルーツ=中国道教


 房中術とは道教の養生法の一つです。目的は病気予防と長寿です。

 中国道教には養生の道という健康法がありました。

道教は、日本ではなじみが少ないですが、中国の神道と言ってもよい、中国古来の信仰です。仏教と一緒に日本にも伝わり、陰陽道や修験道に受け継がれています。元旦、節分、ひなまつり、端午の節句、七夕、などの風習も道教がルーツです。
台湾では、馬祖廟、行天宮、などいたるところに道教の廟があり、線香の匂いが絶えません。

中国にインドから仏教が伝わると、それに対抗するように仙人になることをめざす神仙道、黄帝と老子の教えを守る黄老道、呪術や鍼灸按摩を得意としていた巫術などがもとになって道教に発展しました。

不老不死の秘薬をもとめて、日本に渡った徐福も方仙の術を行う者でした。
道家とは老子と荘子の清静無為を信奉する派で、道教の養生法を実践する人々のことです。


 気功養生の中には現在の気功にも含まれている、静功、動功、呼吸法、房中術、外丹、内丹などがありました。


静功.........精神を養い徳を積む功法(守一、守中、存神、存思、内視、止念、睡法、収心、定観、忘座)

動功...........身体を強健にする功法(行気、漱咽、按摩、導引、五禽戯、八段錦)

気功........呼吸鍛錬の功法(故吐納新、服気)

房中........性愛の方法、性生活の衛生法(採陰補陽、陰陽の道、保精、守神、到気、環精、補脳)

外丹.......食物や生薬を摂取することによって長寿健康を保つ方法(服食、外養)

内丹.......精気神を鍛錬する道教養生の総合


中でも古代神仙道教方術では行気、服薬、房中を3つの柱としていた。


採陰補陽 還精補脳


性愛は鍛錬の障害ではなく、重要な要素です。

古代、房中術を収めた女仙は280歳になっても、18歳にしか見えないという記述があるそうです。女仙と交わり陰気と血気をもらいます。陰の気を採って陽の気を補います。

陰陽の観点から見れば、男性は陽気、女性は陰気ということになります。男性の陽は女性の陰を必要として女性の陰は男性の陽を必要として、男性は女性なくしては健康になれないという考え方です。男女が交わらないと病気になります。

本来なら射精によって外に放出されてしまう精気を放出せず、背中の督脈を上昇させ、脳に還流させます。これによって性エネルギーが体内を循環して全身を若返らせ、健康を保ちます。


房中術のまとめ

1、男女交接は自然の規律

    長期間男女交接を絶てば、体内の陰陽バランスが崩れて病気になります。秋は春にくらべて回数はすくなくします。

2、早婚はだめ
    性的に成熟してから行うことです。

3、精をもらしすぎてはいけない。
    交接しても精液をもらさないようにするが、まったくもらさないのではなく、1月に数回はもらしてもよい。もらす回    数は年齢が高くなればなるほど少なくなる。

4、性欲がわかないときはしない。
    無理に行うといろいろな障害が起こる。

5、してはいけないこと
   病気のとき。食べすぎ、疲労がはげしいとき、酒を飲んでからはしてはいけない。


房中術 男女合気の術 陰陽の道
具体的方法

精が少なくなると病気になり、精がなくなると死ぬと考えられていたので、当然精をもらさないようにする。

弱入強出.......射精しそうになったら、動きを止めて、引き抜く。

数交不泄.......一晩に多くの女性と性交してもらすことがなければ、採陰補陽となり、エネルギーが充実します。

前戯を充分にして、陰道に愛液があふれるようにします。じっくりと時間をかけて、女性が最高潮に達したとき、陰の気も最高になるので、そのときに気の交換をします。呼吸法により男性器から女性器へ陽の気が流れ、女性器から男性器へ陰の気が流れます。同時に接吻した口からも交流が起こります。

性愛なしでも男女で向き合って、互いに呼吸法を行い、気を交換します。


 

古代巫術の世界では男女の結合は崇拝の対象でもあって、豊作祈願や雨乞いに際して神殿に奉納されました。天地陰陽の象徴でもあります。

歴史的に見ると

古代から、女性の妊娠と性交については、信仰の対象でもあったわけですから、当然、道家の思想の根底となるのは当然です。

天と地の陰陽が交わってこの世が誕生したと考えられていましたから、男女の陰陽も交わることによって、命がはぐくまれるという考えも当然なのです。

古代には王族たちは、多くの宮女と性愛をしたために、精をもらしすぎて寿命をちじめました。また、多くの女性と接するためには精力もつけなくてはいけませんので、栄養や薬草の研究も行われました。

こうしてセックスの具体的な方法、妊娠出産についての研究も盛んになり、道家の方術として発展してきます。

薬物や、刺激によって一晩に何度でも勃起させて性交をするようにさせることと、射精をしないことで、精を温存していく方法が行われるようになります。

しかし、王族の独占欲により、秘密にされるようになり、また単に快楽を楽しむという傾向もでてきますので、禁止するような時代もやってきます。


こうして、具体的な方法は、文献から姿を消して、道家の内丹術が房中術ぬきで語られるようになってきます。

房中術に関しての古代の文献は、馬王堆のように、古墳のなかから出土できたものもありますが、今では失われているものもあり、全貌をあきらかにすることはできません。残っている文献からおしはかると、節制をしないと、精を失って病気になるが、禁欲はかえって健康を害する。適度に行わなければならないこと。また、女性の陰の気を受け入れるために、前戯を充分に行って、女性の気を高めていかなければならないこと。精を漏らしすぎてはいけないことなどです。

性愛の間違ったやり方によって起こる問題。その解決法。正しい性愛の方法が書かれていますが、必ずしも現代にそのままあてはまるわけではありません。

現代の中国では、共産党が政権をとり、前時代の悪習を絶つという方針ですから、房中術は古典文学のなかだけのような状況ですが、少しづつは発掘されつつあります。

内丹術、小周天功法は、もともとは房中術だったとして、見直してみると、性エネルギーを循環する還精補脳という、房中術の概念に一致します。また、インドのヨガにあるクンダリニー上昇についても、ほぼ同じということがわかります。
http://qi.fc2web.com/bou1.html


因みにロリコンでない要人の接待の仕方は


中国には要人を性技に長けた美女に囲ませて、右乳首、左乳首、唇(キス)、性器、アナルをそれぞれを美女に愛撫させるような接待があったらしいです。

この例だと5人の美女が同時にあちこちの性感帯を責める感じ。
https://twitter.com/sarami_77/status/154214302763589633

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/801.html#c7

[中国12] 「低欲望社会」、現在の中国には当てはまらず(チャイナネット) 無段活用
8. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2018年12月11日 03:01:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21931]

中国の富豪はスナッフフィルム(殺人ビデオ)が大好き


251:おさかなくわえた名無しさん:2010/05/15(土) 04:36:00 ID:jeX/bs50

そういや島根女子大学生バラバラ殺人事件と福岡バラバラ殺人事件ってどうなった?

なんか最近ほんとやばいな。

285:おさかなくわえた名無しさん:2010/05/15(土) 18:01:46 ID:YuAx9AX/
>>251
バラバラ事件の被害者の女の子たちは、大半がスナッフフィルム(殺人ビデオ)の犠牲者なんだと。

昔から中国や北朝鮮の高級官僚に大人気らしいよ。

ソ連が北と距離を置くようになったのも、それが原因らしいね。

http://unkar.org/r/occult/1264615516

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/801.html#c8

[中国12] 「低欲望社会」、現在の中国には当てはまらず(チャイナネット) 無段活用
9. 中川隆[-13755] koaQ7Jey 2018年12月11日 03:05:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21931]

中国の富豪はスナッフフィルム(殺人ビデオ)が大好き _ 2

197 如月 優[]投稿日:2006/06/13 08:20:35 ID:Ndi2RNZA

スナッフね・・・。

あるよ、確かに実在する。上海ルート

これ以上は、書けないな。新宿の中国人を当たれ!

金と時間をを掛けてな。だけど、相応のリスクを負うのは覚悟しとけ


282 、[]投稿日:2009/11/13 23:39:19 ID:/DYk0STg

日本オカルト大全て本にスナッフのことが載ってたから来てみたw

ある組織関係者へのインタビューのやり取りだったけど その人が言う限りでは、殺人ショーは存在するが、そのショーをビデオに残すような馬鹿な真似はしないんだと

ショーが行われる場所は、深夜のゴルフ場とか

それと、拉致ってくる役目は中国人だと

http://desktop2ch.jp/21oversea/1054574243/?fromheader

『eEky』。これを見ただけでは、「なんぞこれ」という印象を受けると思う。
インターネット初期、アングラサイト(インターネット上で表に出せないような違法・非合法な内容を扱ったサイトのこと)などで殺人ビデオの販売を行っていた集団、それが『eEky』である。

その集団は既に逮捕されたのだが、当然ビデオのために殺人をしていたとは報道もできず、別の名目で逮捕されている。

この殺人ビデオは、俗に『スナッフフィルム』とも呼ばれ、様々なサイトで閲覧が可能だったのだが、現在はそのほとんどが削除されており、見つけることは困難である。インターネット上で話題にしてはいけない言葉の一つとされている。


5 : ななしのよっしん :2011/01/04(火) 22:29:51 ID: Ml1358NqME

webarchivesでみれるね 2001年ごろの様子

http://web.archive.org/web/20010304010057/http://www.eeky.net/


http://dic.nicovideo.jp/a/eeky

昔アングラで流行った『eEky』知ってる人いますか?


23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:32:46.18 ID:LaK/klyi0

eEkyって言うのはスナッフビデオ作ってたキチガイの集団とそのビデオの名前の事だよ

30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:54:28.24 ID:LaK/klyi0

eEkyって言うのはスナッフビデオ作ってたキチガイの集団な。スナッフビデオってのは人を殺す過程を写したもんだんだな。事故とか戦争とかで人が死んでるシーンが写ってるビデオもあるけどあれとは違う、スナッフは娯楽のため行われた実際の殺人の様子が収められたビデオの事だ。金のあるキチガイが欲しがる訳よ。

eEkyは金儲けのために不法滞在の外人とかを使ってスナッフ作ってたんだけど、バレてぱくられたんだ。

何でばれたのか俺は知らん。これは全く公になってないからな。殺人フィルムを作るために人ぶっ殺してた奴がいるなんて知れたら国民はぶったまげちゃうから、違う名目でパクられたんだけどな。

後言っておくけど、ビデオとかは流れてないよ。あーゆーのは一つ一つ個別注文で作ってて、画像に番号が振られてるからどの映像が誰の買ったやつか分かるようにしてあるからね。俺が知ってるのはここまで。

91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:14:55.52 ID:c3OCbXxAO


当時は、完璧に1:1で、こっちの身元明かしてからの、受注生産だったらしいし。

注文 → 前払い → 実行 → 完成

的な流れだったらしいし。1年かかるとか。

全部、ぁやしい時代の情報だけどなw


34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:58:10.17 ID:lQD9HGwg0

>>30
彼らはパクられてないよー


33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:57:43.25 ID:ymxs4SCw0

パクられてないメンバーが活動を続けてるとかいうのはマジ?

46 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:05:48.20 ID:LaK/klyi0

この手の犯罪は結構あるらしいけど内容が内容なんで報道管制が引かれてるのが現状

最近じゃ中国とかも絡んでるから警察も迂闊に手が出せないらしい

eEkyはみんな日本人で派手にやりすぎたせいで捕まっちゃったんだけどな


50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:08:08.12 ID:lQD9HGwg0

どっかの板のガキが殺されたって噂もあったよね


54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:12:43.69 ID:Nc5KMd05O

今でも地下で進んでるよ
だからやめとけ

16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:23:08.91 ID:LaK/klyi0

一回だけその筋の知り合いにそのビデオ見せてもらった事あるけどあれはヤバイな
あれこれ詮索するのはやめておいた方が無難


18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:25:17.80 ID:g3g+VQvX0

警察介入したとか金でもみ消したとか
そんな噂は聞いた様な記憶はあるな


20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:26:46.62 ID:rJgE20Uk0

実際問題知ったところで何にもならないよ
大きなリスクを払うことになるのに


28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 01:51:40.85 ID:ih8qjwPj0

三沢基地ってのが関わってるらしいな
三沢といえばエシュロンだが・・・


55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:12:47.33 ID:ymxs4SCw0

でもサイトとかはないんだよな。

つーか知ってる奴は「こういうスレを立てんな!空気読め!」とか思ってんだろうな。

しかしどうしても情報は欲しい。


56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:14:07.05 ID:QAvWFU7M0

スナッフ以外でもいろいろやってるらしいな・・・・

なんかステーキハウスもやってたらしいし・・・


67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:35:26.12 ID:Dffq06oW0

ま〜た鮫島か。と思ってたけど思い出したわ・・・・eEkyってあのeEkyかよ・・・・・

もう情報はネット上にもほとんどないと思う・・・

つか本当関わらない方がいいってマジで

71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:39:42.62 ID:EdU/UEoc0

そしてこのスレに書き込んだ者の姿はこの世から蒸発する

73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:43:06.98 ID:c3OCbXxAO

>>71
本当にそうなるかもねww

つーか>>1、本当に調べたいなら外国のサイトいけ。根気よくいけば大体はわかるはず。

実際は3、5年前よりもっと前から活動してた。
3、5年前っつーのはネットで噂が流れはじめた時期だったはず

72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 02:40:25.77 ID:PgilL6m2O

なぜ知りたい

74 :1 :2007/06/27(水) 02:46:46.57 ID:ymxs4SCw0

>>72

仕方ないからい言うけど、当時eEkyが抱えてたギャングチーム(?)みたいな下で動く10代の集団があって、(名前も確かそのまま『eEky』だったような気がする。2000年当時はギャング最盛期だった)

そこに属してた友達が2週間前から消えてるんだ。


一ヶ月前に会った時にeEkyの話をポロっと漏らしてたから、それが原因じゃないかと勝手に思ってる。警察には届けたみたいだけどDQN家庭だから普通の家出的な扱い。

87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:12:42.79 ID:aWuus0VZ0

そんなにやばいの?

89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:13:54.33 ID:Bvm2Zm5R0

>>87
スナッフとかはマジで危険な奴らが絡んでる
はっきりいってネタでも口にしたくない


97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:21:33.70 ID:RvKp07a60

これガチですか?
鮫島の類じゃないの?


98 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:23:47.07 ID:1P6BdNl20
>>97
ガチっぽいから困ってる

99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:24:30.54 ID:S8ayVGL90

興味本位でこのスレ見てるけど危険な香りがぷんぷんする


101 :1 :2007/06/27(水) 03:25:06.53 ID:ymxs4SCw0

>>97>>99
ネタと思ってくれ。

102 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:25:46.04 ID:aWuus0VZ0

なんか・・・このスレ・・・怖い・・・


106 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:26:37.54 ID:LaK/klyi0

やべえ見られてる
俺のレス見られてるよ


107 :‎ :2007/06/27(水) 03:27:52.44 ID:nbUBJP/y0

冗談でも早く落とせ。
本気ならなお更だ。
誰も書き込むな。


108 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:28:27.30 ID:ecC5tLEr0

eEky関係者で闇金に流れた奴がいるが、そいつらも今どうなってるか
わからん。 すまんな、たいした情報だせなくて


117 :‎ :2007/06/27(水) 03:36:30.70 ID:nbUBJP/y0

2chはお前が思っているほど情報は出てこない。
かつてとは違うよ。といってもインターネット自体に知識がなさそうだけど。

現状、日本のアングラはもう殆ど死んでるが、まだ探せば見つかる。
そこを見つけ出せ。早くこのスレは終わらせろ。

失踪に関係している可能が1%でもあるなら尚更だ。

120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:38:21.92 ID:qqva4Q/mO

俺の地元にやたらスプレーで落書きしてあるからバンドグループかと思ってたらスナッフムービーかよ…


126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/27(水) 03:45:48.20 ID:ecC5tLEr0

>>1もう関わるのやめとけ、スナッフ取り続けて

まだ、存在し続けてるってことで察してくれ


127 :‎ :2007/06/27(水) 03:47:56.71 ID:nbUBJP/y0

お前ここが本当に匿名だとでも思っているのか?
手遅れかもしれないけど、ここは終わりにしろ。

あまりにも人目につきすぎる。そして妙なことはするな。
せめて慎重に動け。遊びじゃないんだろ?


128 :1 :2007/06/27(水) 03:51:52.10 ID:ymxs4SCw0

これは俺の本当に勝手な想像なんだけど、

eEkyがまだ存在してて、俺の友達がそいつらとモメて殺されて
それがスナッフとして海外に出回っちまうみたいなことを想像しちまうんだ。

…流石にそれはないよな?


129 :1 :2007/06/27(水) 03:53:38.34 ID:ymxs4SCw0

>>127
分かった…、この場はそろそろ去ろうと思う。

つーかやっぱし怖ぇな。
改めて思った。


150 :‎ :2007/06/27(水) 04:20:12.75 ID:nbUBJP/y0

>>1もうわかっただろ

ここでは情報は得られない

深追いするな

どうしようもないことだってある

何よりその友人がなぜ全く関係の無いお前にこんな話をしたのか
失踪は先に決まっていたことなのかもしれない

http://b3qq01.blog100.fc2.com/blog-entry-74.html

Re: 忍ちゃん 長生きしよう

投稿者 azumijunko 日時 2008 年 5 月 30 日 23:23:35: Wbjph3gH6IIHQ


このへんでやめときましょう。命あってのナントカと・・・・・・・。

http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/264.html

03. 2010年12月01日 20:43:14: qGEJBG3Vuw

>>投稿者 そこちょっとつんつく氏へ。

知らないぞ、暴露か、真実か、どうかは、知らないが。

私も過去に自身のブログで、某公的組織の事を書いたら、某組織から、遠まわしの挨拶が、直ぐ来た(爆笑)。

行きつけの飲み屋なんか、すぐばれていた(爆笑)。

サーバ経由で、ハックして、IPを特定出来れば、すぐ場所、所有者は、判る。 それと、大手の某企業のIDは、筒抜けです(笑い)。 裏から情報を売りよるねん(爆笑)。

バレルと、想定して、やればいい。覚悟を決めて。 しゃあないなあ(爆笑)。

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/125.html

   (((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

D. 女子高生コンクリート詰め殺人事件はスナッフビデオのシナリオ通り?

女子高生コンクリート詰め殺人事件
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1274589
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1274690
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1289948
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1275077
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1276804


18 :少年法により名無し:2008/05/16(金) 22:13:22 O

被害者の凌辱ビデオを裏社会で販売してると聞いたけど、本当?

http://unkar.org/r/youth/1210071423

[45] バカらしい 2004/06/23 17:59

「女子高生コンクリート殺人」?

犯人達が撮った画像、Winnyで出まわってたぞ。 撮って喜んでる奴等と、観て喜ぶあんた等と何か違いがあるのか?

精神構造が同レベルだぞ。 殺された後まで晒し者にされる者の屈辱を考えたら、己のみっともない性癖くらいセーブできないもんかね。

せめて、一般の人間の目にふれないとこでやってくれよ、迷惑だ。

http://bbs.thebbs.jp/crime/1087291345/

428 :名無番長 :2008/12/28(日) 16:07:25 0

コンクリ事件。 ヤクザが最初から絡んでいたとして、実はスナッフフィルムの撮影をしていたとか。

480 :名無番長 :2008/12/28(日) 17:13:30 0

スナッフフィルムの撮影で拉致監禁し性的暴行は勿論のこと殺しのシナリオまで全て計画済みだろう。 中途半端に生かして帰したらパクるだろうコンクリート詰自体やくざの発想だし。

http://ameblo.jp/jouhouwoatumeru/entry-10191211932.html

http://www.asyura2.com/17/china12/msg/801.html#c9

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
126. 中川隆[-13754] koaQ7Jey 2018年12月11日 03:18:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21931]

米中貿易戦争→中国経済バブル崩壊→日本の不動産暴落…最悪シナリオが現実味
https://biz-journal.jp/2018/12/post_25856.html
2018.12.10 文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト Business Journal


 今は世界史的に大きな転換点に差し掛かっているのかもしれない。しかし、この大きなうねりを乗り越えるには、やはり世界は大きな犠牲を払う必要がありそうだ。それは、かつての日本が経験した「失われた20年」をも上回る傷みを伴うかもしれない。

 10月4日、米国のシンクタンク、ハドソン研究所にてペンス副大統領が50分にわたり対中国政策についての演説を行った。アメリカはこれまで行ってきた微温的な対中政策を大きく転換し、中国に対して経済的にも軍事的にも敵対関係となることを宣言したに等しい演説だった。

 アメリカの対外政策というものは、ときに党派性を超える。現在のトランプ大統領は共和党だ。しかし、ペンス副大統領の示した対中敵対政策は、民主党側からも大きな反対が出ていない。つまり、中国を敵とみなす政策はアメリカの国策となっているのだ。

 歴史を振り返ってみよう。

 かつてアメリカは日本を敵とした。1905年に大日本帝国がロシア帝国に勝利した日露戦争の後、アメリカは陰に陽に日本を敵視し続けた。1939年にヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発する。ところが、アメリカ国内ではその21年前に終わった第一次世界大戦に対する厭戦気分が蔓延していた。
 
 1940年に3期目の大統領選挙に臨んだフランクリン・D・ルーズベルトは「あなた方の子どもは決してヨーロッパの戦場には送りません」と公約して当選した。ところが、ヨーロッパでは盟友のチャーチルが率いるイギリスが、対独戦で苦境に陥っていた。ルーズベルトはなんとかチャーチルを助けたい。第二次世界大戦に参戦したい。しかし、選挙公約がある。

 そこで、日本に圧力をかけた。「中国大陸から撤退せよ」、あるいは「日独伊三国同盟を破棄せよ」。どちらもアメリカの権益とはほとんど関係ない要求である。最終的には、当時の日本が決して受け容れられない「ハル・ノート」を示して、日本への譲歩を迫った。敗戦後の東京裁判で国際法の専門家であるインドのパル判事をして「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも立ち上がっただろう」と言わしめた、過激な要求である。

 その結果、日本海軍は真珠湾を攻撃して戦端を開いた。日米が開戦すると、ドイツは三国同盟の規約によってアメリカに対して宣戦を布告することになっていた。ヒトラーは条約を守ってアメリカに宣戦。ルーズベルトは思惑通り第二次世界大戦に参戦できたのだ。これは「裏口からの参戦」とも評されている。

 イギリスの首相であったチャーチルは、のちにノーベル文学賞を受賞した回顧録『第二次世界大戦』のなかで、日本がアメリカのハワイ州オアフ島・真珠湾を攻撃したと知って、小躍りしたと書いている。「これでこの戦争は勝てる」と確信したそうだ。

 しかし、その後、英国海軍の最新鋭戦艦であり、ドイツ戦艦ビスマルクをも撃沈したプリンス・オブ・ウエールズと巡洋戦艦レパルスが、日本の海軍航空機によってあっという間に撃沈されたと知らされ、あの大戦の中でももっとも意気消沈したと記されている。

■対中政策の転換

 第二次世界大戦でアメリカは、日本が東アジアと西太平洋でアメリカに挑戦することを見事に退けた。しかし、アメリカはスターリンのソビエトが東ヨーロッパを支配することや、中国大陸で共産党政権が誕生することは予期しえなかったはずだ。ナチスドイツと日本が世界を二分することは防いだが、その代わりに共産主義の浸透を許してしまったのだ。

 アメリカの外交官でロシアを専門としたジョージ・ケナン氏が「X論文」を発表して、対ソ封じ込め政策を提言したのは第二次世界大戦後の1947年だった。それ以来、アメリカはかつての同盟国であるソ連を封じ込める政策を推し進める。米ソ冷戦の始まりである。

 1989年、冷戦の象徴であったベルリンの壁は崩壊。1991年には、ソビエト連邦自体も瓦解してしまう。アメリカは半世紀以上を費やして、冷戦に勝利したのだ。
 
 しかし、ここでまたアメリカは外交方針を誤る。中国における共産党政権の崩壊も、時間の問題だと考えたのだ。あの国も西側資本が流入して、人々が豊かになれば自然と自由と民主主義の国に生まれ変わるだろう、と考えたのだ。しかし、そうはならなかった。

 2015年の5月に、中国の習近平国家主席はアメリカのケリー国務長官(当時)に、「広い太平洋は2つの大国を収容できる空間がある」と、世界をアメリカと中国の2つの大国で支配しようと持ち掛けたのだ。アメリカは中国のいうところの2G(二大国での世界支配)という概念を受け入れるつもりは毛頭ない。
 
 その後も、中国は相変わらずアメリカをはじめとした西側諸国の知的財産権を盗み続け、南シナ海を軍事的に支配し、あまつさえアメリカの国内選挙に介入した。アメリカは、数年の準備を経て対中政策の転換を宣言した。それが10月4日のペンス演説なのだ。

■暴落への有力な材料

 今後、アメリカの対中敵対政策は共産党政権の崩壊まで続く、と考えるのが妥当だろう。それは日本を叩きのめし、ソ連を崩壊させたアメリカの外交政策の歴史から見ても妥当な結論だ。

 トランプ政権が終わり、別の大統領になったとしても、アメリカの「対中敵対」という基本的な外交政策は変わらないはずだ。それは冷戦期において大統領が共和党であろうと民主党に変わろうとも「対ソ封じ込め」という政策が一貫していたことからも、容易に推測できる。

 さて、このアメリカの対中政策の変更が、日本の不動産市場にとってどのような影響があるのかを考えたい。

 それは、恐ろしいことだと思う。

 アメリカの対中政策の最終目標は、中国が西側のルールに従う国になって、アメリカの覇権に挑戦しなくなることである。そのためには、中国のもつ経済力を削ぐことも有力な手段だ。だから貿易戦争を仕掛けている。

 一方、中国を見るといかにも危うい。まず、世界をリードするような産業分野がない。韓国でさえアンドロイドOSのスマートフォン端末世界シェアNo.1のサムスンがあるが、中国にはモノマネはあっても独自技術を打ち立てている有力企業が見当たらない。日本の新幹線の10倍の延長距離で敷設されている高速鉄道でさえ、その基幹的な技術は日本から導入するか盗んだものだ。したがって、中国は貿易を制限されるとたちまち経済が干上がってしまう。そして現在、アメリカはそれを仕掛けつつある。
 
 これは恐ろしいことだ。世界第2位の規模を誇る経済大国が、経済的に窒息しようとしている。そうでなくても、中国の経済はインフラの拡大という投資で成長エンジンを回転させてきた。国内の個人消費や企業の設備投資という健全な需要が育ち切っていない。

 資本主義国の常識で考えると、中国経済のバブルは近々崩壊するだろう。これまでは巨額の外貨が流入することで国内経済を活性化してきたが、アメリカとの貿易戦争でその流れが目に見えて細ってしまうからだ。そうなると、日本だけでなく世界経済には恐ろしいマイナスの影響をもたらす。場合によってはリーマンショックの数百倍の規模で、世界経済に不況の波を呼び寄せる。そこから脱却するには、それこそ10年単位の時間が必要かもしれない。

 当然、日本の不動産には恐ろしいほどの下落圧力がかかる。2013年以降、日本の不動産は局地バブル状態である。都心や城南エリア、一部の地方で本来の実力以上の価格で売買されてきた。その結果、多くの人が「いずれは暴落する」という予感を薄々抱いている。だから、メディアなどで「暴落」をテーマにしたリリースが出ると、注目度が高くなる。
 
 多くの人が「いつか暴落する」と考えているなかで、暴落への有力な材料が目の前に突きつけられればどうなるのか。それはもう、火を見るよりも明らかだ。

(文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c126

[昼休み54] 『小笠原誠治の経済ニュースゼミ』の小笠原誠治氏は完全なアホだった 中川隆
45. 中川隆[-13753] koaQ7Jey 2018年12月11日 03:40:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21931]

米中貿易戦争→中国経済バブル崩壊→日本の不動産暴落…最悪シナリオが現実味
https://biz-journal.jp/2018/12/post_25856.html
2018.12.10 文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト Business Journal

 今は世界史的に大きな転換点に差し掛かっているのかもしれない。しかし、この大きなうねりを乗り越えるには、やはり世界は大きな犠牲を払う必要がありそうだ。それは、かつての日本が経験した「失われた20年」をも上回る傷みを伴うかもしれない。

 10月4日、米国のシンクタンク、ハドソン研究所にてペンス副大統領が50分にわたり対中国政策についての演説を行った。アメリカはこれまで行ってきた微温的な対中政策を大きく転換し、中国に対して経済的にも軍事的にも敵対関係となることを宣言したに等しい演説だった。

 アメリカの対外政策というものは、ときに党派性を超える。現在のトランプ大統領は共和党だ。しかし、ペンス副大統領の示した対中敵対政策は、民主党側からも大きな反対が出ていない。つまり、中国を敵とみなす政策はアメリカの国策となっているのだ。

 歴史を振り返ってみよう。

 かつてアメリカは日本を敵とした。1905年に大日本帝国がロシア帝国に勝利した日露戦争の後、アメリカは陰に陽に日本を敵視し続けた。1939年にヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発する。ところが、アメリカ国内ではその21年前に終わった第一次世界大戦に対する厭戦気分が蔓延していた。
 
 1940年に3期目の大統領選挙に臨んだフランクリン・D・ルーズベルトは「あなた方の子どもは決してヨーロッパの戦場には送りません」と公約して当選した。ところが、ヨーロッパでは盟友のチャーチルが率いるイギリスが、対独戦で苦境に陥っていた。ルーズベルトはなんとかチャーチルを助けたい。第二次世界大戦に参戦したい。しかし、選挙公約がある。

 そこで、日本に圧力をかけた。「中国大陸から撤退せよ」、あるいは「日独伊三国同盟を破棄せよ」。どちらもアメリカの権益とはほとんど関係ない要求である。最終的には、当時の日本が決して受け容れられない「ハル・ノート」を示して、日本への譲歩を迫った。敗戦後の東京裁判で国際法の専門家であるインドのパル判事をして「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも立ち上がっただろう」と言わしめた、過激な要求である。

 その結果、日本海軍は真珠湾を攻撃して戦端を開いた。日米が開戦すると、ドイツは三国同盟の規約によってアメリカに対して宣戦を布告することになっていた。ヒトラーは条約を守ってアメリカに宣戦。ルーズベルトは思惑通り第二次世界大戦に参戦できたのだ。これは「裏口からの参戦」とも評されている。

 イギリスの首相であったチャーチルは、のちにノーベル文学賞を受賞した回顧録『第二次世界大戦』のなかで、日本がアメリカのハワイ州オアフ島・真珠湾を攻撃したと知って、小躍りしたと書いている。「これでこの戦争は勝てる」と確信したそうだ。

 しかし、その後、英国海軍の最新鋭戦艦であり、ドイツ戦艦ビスマルクをも撃沈したプリンス・オブ・ウエールズと巡洋戦艦レパルスが、日本の海軍航空機によってあっという間に撃沈されたと知らされ、あの大戦の中でももっとも意気消沈したと記されている。

■対中政策の転換

 第二次世界大戦でアメリカは、日本が東アジアと西太平洋でアメリカに挑戦することを見事に退けた。しかし、アメリカはスターリンのソビエトが東ヨーロッパを支配することや、中国大陸で共産党政権が誕生することは予期しえなかったはずだ。ナチスドイツと日本が世界を二分することは防いだが、その代わりに共産主義の浸透を許してしまったのだ。

 アメリカの外交官でロシアを専門としたジョージ・ケナン氏が「X論文」を発表して、対ソ封じ込め政策を提言したのは第二次世界大戦後の1947年だった。それ以来、アメリカはかつての同盟国であるソ連を封じ込める政策を推し進める。米ソ冷戦の始まりである。

 1989年、冷戦の象徴であったベルリンの壁は崩壊。1991年には、ソビエト連邦自体も瓦解してしまう。アメリカは半世紀以上を費やして、冷戦に勝利したのだ。
 
 しかし、ここでまたアメリカは外交方針を誤る。中国における共産党政権の崩壊も、時間の問題だと考えたのだ。あの国も西側資本が流入して、人々が豊かになれば自然と自由と民主主義の国に生まれ変わるだろう、と考えたのだ。しかし、そうはならなかった。

 2015年の5月に、中国の習近平国家主席はアメリカのケリー国務長官(当時)に、「広い太平洋は2つの大国を収容できる空間がある」と、世界をアメリカと中国の2つの大国で支配しようと持ち掛けたのだ。アメリカは中国のいうところの2G(二大国での世界支配)という概念を受け入れるつもりは毛頭ない。
 
 その後も、中国は相変わらずアメリカをはじめとした西側諸国の知的財産権を盗み続け、南シナ海を軍事的に支配し、あまつさえアメリカの国内選挙に介入した。アメリカは、数年の準備を経て対中政策の転換を宣言した。それが10月4日のペンス演説なのだ。

■暴落への有力な材料

 今後、アメリカの対中敵対政策は共産党政権の崩壊まで続く、と考えるのが妥当だろう。それは日本を叩きのめし、ソ連を崩壊させたアメリカの外交政策の歴史から見ても妥当な結論だ。

 トランプ政権が終わり、別の大統領になったとしても、アメリカの「対中敵対」という基本的な外交政策は変わらないはずだ。それは冷戦期において大統領が共和党であろうと民主党に変わろうとも「対ソ封じ込め」という政策が一貫していたことからも、容易に推測できる。

 さて、このアメリカの対中政策の変更が、日本の不動産市場にとってどのような影響があるのかを考えたい。

 それは、恐ろしいことだと思う。

 アメリカの対中政策の最終目標は、中国が西側のルールに従う国になって、アメリカの覇権に挑戦しなくなることである。そのためには、中国のもつ経済力を削ぐことも有力な手段だ。だから貿易戦争を仕掛けている。

 一方、中国を見るといかにも危うい。まず、世界をリードするような産業分野がない。韓国でさえアンドロイドOSのスマートフォン端末世界シェアNo.1のサムスンがあるが、中国にはモノマネはあっても独自技術を打ち立てている有力企業が見当たらない。日本の新幹線の10倍の延長距離で敷設されている高速鉄道でさえ、その基幹的な技術は日本から導入するか盗んだものだ。したがって、中国は貿易を制限されるとたちまち経済が干上がってしまう。そして現在、アメリカはそれを仕掛けつつある。
 
 これは恐ろしいことだ。世界第2位の規模を誇る経済大国が、経済的に窒息しようとしている。そうでなくても、中国の経済はインフラの拡大という投資で成長エンジンを回転させてきた。国内の個人消費や企業の設備投資という健全な需要が育ち切っていない。

 資本主義国の常識で考えると、中国経済のバブルは近々崩壊するだろう。これまでは巨額の外貨が流入することで国内経済を活性化してきたが、アメリカとの貿易戦争でその流れが目に見えて細ってしまうからだ。そうなると、日本だけでなく世界経済には恐ろしいマイナスの影響をもたらす。場合によってはリーマンショックの数百倍の規模で、世界経済に不況の波を呼び寄せる。そこから脱却するには、それこそ10年単位の時間が必要かもしれない。

 当然、日本の不動産には恐ろしいほどの下落圧力がかかる。2013年以降、日本の不動産は局地バブル状態である。都心や城南エリア、一部の地方で本来の実力以上の価格で売買されてきた。その結果、多くの人が「いずれは暴落する」という予感を薄々抱いている。だから、メディアなどで「暴落」をテーマにしたリリースが出ると、注目度が高くなる。
 
 多くの人が「いつか暴落する」と考えているなかで、暴落への有力な材料が目の前に突きつけられればどうなるのか。それはもう、火を見るよりも明らかだ。

(文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/319.html#c45

[近代史02] 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3 スットン教
23. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2018年12月11日 10:35:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21940]
41. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2018年12月11日 10:35:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21940]

「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と経済成長ー 
平成30年3月7日 講師: 中野剛志 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=PIVG7XDGrH4


▲△▽▼

第2回「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と租税ー 
平成29年4月27日 講師:中野剛志 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Zc9-Y5jiIO4


▲△▽▼


「没落について」中野 剛志氏(評論家)グローバル資本主義を超えてII - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=OoduEx7tl2k


2018/11/23 に公開

国際シンポジウム
「グローバル資本主義を超えてII——『EU体制の限界』と『緊縮日本の没落』」
2018年10月13日 京都大学 シンポジウムホールで行われた講演配信


▲△▽▼

【中野剛志×藤井聡】グローバリズムからの脱却!
経済再生フォーラム 2017年7月22日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=qTis2wK1mrg


▲△▽▼

『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念 中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RqWpokdk_iA
https://www.youtube.com/watch?v=1DErfYEACvY
https://www.youtube.com/watch?v=5TBPefNLsY4

2017/09/14 に公開

『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念
中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント 
2017年8月20日(日)
会場: 紀伊国屋書店新宿本店


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c23

[近代史02] 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3 スットン教
24. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2018年12月11日 10:37:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21940]
42. 中川隆[-13759] koaQ7Jey 2018年12月11日 10:37:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21940]

馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、中国共産党、マスコミ
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚・皇族、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


ノンフィクション作家・河添恵子#4-1
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」前編・グローバリスト&共産主義勢力 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z7syO3BhDdQ


ノンフィクション作家・河添恵子#4-2
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」後編・北朝鮮問題の行方 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z4Ot9KiWPV8

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c24

[政治・選挙・NHK254] 種子法廃止法、水産改革法…自民党は票田に見切りをつけた(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月11日 10:52:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21940]
低所得者は全員安部先生を応援してるよ
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/758.html#c7
[政治・選挙・NHK254] 「大嘗祭は政教分離に違反」宗教者や市民241人が提訴  赤かぶ
3. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2018年12月11日 10:54:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21940]
天皇を中心にした神の国は朝鮮にあった:

記紀に出て来る 高天原も高千穂も朝鮮の山だった

高天原故地碑

高天原故地碑(たかまがはらこちひ)は、大韓民国慶尚北道高霊郡の加耶大学校内にある石碑。
日本神話の天津神が住む高天原は、ここであると記されている。

高天原は実在の地域を反映しているとする説は古くから存在し、第二次大戦後は主としてアマチュア研究家によって
朝鮮半島説も唱えられることがあった。当初その比定地とされたのは、戦前から一部の研究家によって
スサノオが立ち寄ったという新羅のソシモリの候補とされた、『冬のソナタ』のロケ地として知られる江原道春川市であって、
慶尚北道高霊郡ではなかった。

春川に代わって名乗りをあげたのが高霊郡であった。加耶大学校の李慶煕総長がこの説の主唱者で、
1999年6月28日に「高天原故地」と記された石碑が建立された。

李慶煕総長の主張によると

高皇産霊尊は、高と霊の字が含まれるので、高霊郡で誕生した[1]。

東国與地勝覧に書かれている伽耶の天神夷毗訶の次男伊珍阿豉(イジンアシ)はイザナミと発音が似ている。
そのため、伊珍阿豉はイザナミである。

任那の任は現代の韓国語で「主人」「母」を意味する。そのため、任那は『主人の国』や『母なる国』を意味する。
高千穂の添山(そおりやま)は韓国の首都ソウルと発音が似ている。そのため、添山はソウルを指す。

と、いうことだそうである。

これらの主張は、2001年に訪韓した筑波大学の馬渕和夫名誉教授らの賛同を得ている。
このとき、馬渕教授は李総長の主催する学会で「朝鮮民族が日本を征服し大和王朝を建てた」と発表している[2]

http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/753.html#c3

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
127. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2018年12月11日 11:06:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21946]

年明けにかけて株式市場を揺さぶる「ABCDE」もはや「人工的」な日本の債券・株式市場

上野泰也のエコノミック・ソナー 2018年12月11日(火)


柔軟なETF買い入れで株価を下支えする日銀(写真: Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 日銀による上場投資信託(ETF)の10月の買い入れ実績が8700億円に達したことが、市場で話題になった。通常のETF買い入れが12回オファー(約定)されて計8436億円。これとは別に、設備・人材投資に積極的に取り組んでいる企業の株式を対象とするETF買い入れが22回オファーされて計264億円。総合計は8700億円である<図1・図2>。

図1:日銀によるETF買い入れの残高

(出所)日銀 https://cdn-business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/120600169/p2.jpg  

図2:日銀によるETFの月別買い入れ額


注:「日銀当座預金増減要因と金融調節」に掲載された実績ベースの計数で、設備・人材投資に積極的に取り組んでいる企業の株式を対象とするETF買い入れを含む(出所)日銀
https://cdn-business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/120600169/p3.jpg

 ただし、上記は日銀がオファーして約定した日を基準とする集計結果である。実は、決済による資金移動を伴うベース(月末発表の「日銀当座預金増減要因と金融調節」に記載されている数字で、設備・人材投資ETF買い入れを含む)の10月分は、買い入れ額(フロー)が6283億円であり、16年以降の実績の中で特に目立つ数字ではない。買い入れの約定が10月中でも、ETFを組成した上で日銀サイド(信託銀行)に引き渡して決済するタイミングは11月というケースが、月末近くに少なからずあったとみられる。ちなみに次の11月分は6162億円になった。


日銀は柔軟化したETF買い入れで株価下支え

 日銀は、7月31日の金融政策決定会合で決定した金融緩和策修正の中で、保有残高が年間約6兆円に相当するペースで増加するようにするとのETF買い入れの目標額は維持しつつも、「資産価格のプレミアムへの働きかけを適切に行う観点から、市場の状況に応じて」買い入れ額は「上下に変動しうるものとする」と、公表文に明記。株価の騰落にかかわらずカレンダーの区切りで厳密に「約6兆円」ペースを守るというような硬直的運営をはっきり排除した。

 これは、たとえば18暦年や18年度といった区切りで義務的に「約6兆円」買い入れる運営はせず、市場の状況を見ながら柔軟に買い入れするという趣旨である。極端に言えば、ある月に1兆円規模で買い入れた後、翌月には全く買い入れない運営も、前後の月を含めた1年程度の区切りで「約6兆円」ペースならば許容されるはずである。

 そこから思考を一歩進めると、上記の運営柔軟化によって、個別銘柄の相場形成やガバナンスの観点から批判が根強いETF買い入れの「約6兆円」からの一段の増額は、追加緩和の選択肢から事実上外れたと言えそうである。柔軟な運営により短期間に集中的にETFを買い入れることが可能になったからである。

 むろん、増額を決めればアナウンスメント効果が伴うわけだが、「約6兆円」を一度増額してしまうと減額するのは至難の業だという点に鑑みると、「柔軟な運営の中での増額」というETF買い入れ方法を手にしていることのメリットは、日銀にとって大きい。

 その後、11月22日の夕刻に、日本株の関連でちょっとした驚きがあった。日銀がこの日にETF(設備・人材投資企業対象以外)を703億円買い入れた事実が明らかになったのである。日銀が後場にETF買い入れを入れるかどうかを探る上で市場が注目しているのは、前場引け時点のTOPIXの騰落である。22日は1614.87(前日比▲1.02ポイント)で、下落率は0.06%にすぎなかった。この程度の下落率なら日銀は動かないだろうと思われたが、実際には後場に日銀買い入れ観測が流れた模様で、TOPIXは上昇して大引けした。

 上記の問題をいち早く取り上げたのが、同日の18時すぎに日経QUICKニュースから配信された「市場点描 『ほぼ横ばい』でもETF買った日銀、飛び交う思惑」である。

 この記事によると、日銀が7月末の金融政策決定会合で緩和策の修正を決めた翌日である8月1日以降11月21日までの26回のETF買い入れ(設備・人材投資企業対象以外)で、前場のTOPIX下落率が最も小さかったのは10月29日の0.27%。下落率が0.19%だった11月15日は買い入れがなかったので、市場では「約0.3%安」が日銀ETF買い入れのトリガー水準とみられていた。それが22日に覆ったわけである。

 10月の株安対応の大規模な買い入れで「日銀の(ETF)買い余力は乏しくなっている」との声も市場にはあったもようで(筆者に言わせればそうした見方はナンセンス)、さまざまな思惑が出ており、中には「将来の(ETF買い入れ)枠拡大への地ならしでは」「12月の日銀会合に向けて思惑が広がるのではないか」といった見方も出ていたという。

 だが、筆者は「日銀のETF買い入れ余力が尽きかけている」「将来の買い入れ枠拡大に向けた布石ではないか」といった見方には、完全に否定的である。上記ですでに説明した、日銀がETF買い入れを柔軟化した意味合いを、いまだに理解できていない向きがあるのではないか。

 「今年の日銀ETF買い入れ可能額は残り少ない」といった記事を一部業界紙が掲載するような現状に、日銀は一種のいらだちを覚えたのかもしれない。11月22日のETF買い入れは、

@TOPIX前場下落率といった基準に沿って固定的・硬直的に運営されているという見方の払しょくを狙ったものであると同時に、

A本来の趣旨である「リスクプレミアムへの働きかけ」という観点から市場の脆弱な地合いがこの先当面続くと判断したものだろう(19年にかけての数多いリスク要因については後述)。

さらに言えば、22日の買い入れ実施がサプライズになることが株価下支えに寄与してくれればもうけもの、ということだろう。


 「米国の中間選挙が11月に終わった後、12月から2019年1〜3月期にかけてはリスクイベントが少ない」といった説明をしているアナリストがいるそうだが、筆者に言わせれば、現実は全く逆である。

 すぐに思いつくものだけでも、

@12月11日の英議会におけるEU(欧州連合)離脱合意案採決、

AECB(欧州中央銀行)による12月末の量的緩和終了(日米欧中央銀行のバランスシート拡大停止・縮小は「カネ余り」相場の一層の不安定化につながり得る)、

B1月招集米新議会での下院民主党によるトランプ政権追及強化(弾劾訴追も選択肢となる)、

といった材料がある。一時休戦となっている米中貿易戦争の行方、中国の景気悪化度合いも要注目材料である。


 12月および19年1・3月に予定される米FOMC(連邦公開市場委員会)のいずれかで利上げの休止がアナウンスされれば、株式などリスクが相対的に高い資産の価格下支えに寄与するだろう。


金融市場に盛りだくさんの「リスクオフ」要因

 ただしそれは、米景気指標の出方(景気減速度合いと市場のリスク認識の高まり具合)次第の面がある。景気指標悪化がきつい場合にリセッション懸念から株価の下げ幅が大きくなり、FRBに対する利下げ催促相場の様相を帯びるシナリオも想定できる。

 金融市場の「リスクオフ」への傾斜につながり得る要因がこの先いかに多いかをわかりやすく示す手法はないかと考えていたところ、ABC順に並べることを思いついた。

A. (America First)〜トランプ政権の保護主義。米中両国の覇権争いが絡んでいる

B. (Brexit)〜EU離脱合意を英下院が否決する場合、先行き不透明感が一層強まる

C. (China)〜金融緩和があまり効かず、財政頼み。19年は成長目標を切り下げも

D. (Developing Economies)〜通貨防衛のため南ア、インドネシアなど利上げ実施

E. (EU)〜欧州委はイタリアに対する過剰財政赤字是正手続きを勧告、制裁も視野


上記5つに続くものとして以下の2つもあるが、材料としてはかなり小粒である。

• F.(France)〜燃料課税上げに反発するデモ・支持率低下にマクロン大統領が直面

• G.(Germany)〜州議会選で敗北したメルケル首相が与党党首の座を明け渡す


 ついでと言っては何だが、最後に、債券市場や株式市場が人工的な色彩をかなり帯びている日本についてABC順に重要なワードを並べた上で、若干の解説を付しておきたい。


A. (Abe)〜自民党総裁選に勝利した安倍首相の党総裁任期は21年9月まである

B. (Bank of Japan)〜物価目標2%は高すぎ、異次元緩和は事実上「エンドレス」

C. (Consumption Tax)〜19年10月予定の消費増税対策は迷走気味。再々延期も

D. (DPJ)〜政権交代後の民主党の失政で弱小野党が乱立。19年7月ダブル選挙も

E. (Expansion)〜19年1月まで持続すれば、景気拡張局面は戦後最長記録となる


このコラムについて
上野泰也のエコノミック・ソナー
景気の流れが今後、どう変わっていくのか?先行きを占うのはなかなか難しい。だが、予兆はどこかに必ず現れてくるもの。その小さな変化を見逃さず、確かな情報をキャッチし、いかに分析して将来に備えるか?著名エコノミストの上野泰也氏が独自の視点と勘所を披露しながら、経済の行く末を読み解いていく。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/120600169

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c127

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
128. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2018年12月11日 11:21:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21946]

2018年12月11日
日米、米中貿易とドル円レートのゆくえ


戦後の大きな流れでは10数年ごとに円高になっている

引用:https://moneyzine.jp/static/images/article/212170/01.png


円高か円安か

米中貿易対立や日米貿易交渉のゆくえを受けて、為替レートの値動きが大きくなっている。

一般的には日米経済が好調なら円安、不調なら円高になりやすいとされている。

これは日経平均が上がると円安、下がると円高いなるのを見れば良く分かります。



アメリカの株価とドル円の連動も強く、NY株価が上がると円安、下がると円高になります。

日米対立や米中対立は貿易を減らし株価や経済にマイナスなので、深刻化すると円高になります。

米中央銀行FRBは利上げの終了を示唆したので、短期的にはドル安の影響がある。


中期レートを見ると2012年に79円だったドル円レートは、2015年に125円まで円安が進みました。

その後何度か105円を割り込んだものの必ず回復し、現在は113円前後になっています。

上は120円、下は100円の大きなレンジ内での値動きが5年以上続いているといえます。

円高には周期サイクルがある

もっと長期で見ると為替レートは日米の経常黒字と経常赤字から大きな影響を受けています。

日本はアメリカにモノやサービスを売って代金を受け取るので、毎年数兆円がドルから円に交換されます。

日本が黒字でアメリカが赤字である限り、じわじわと円高が進みいつかはまた1ドル100円を割り込みます。


この超円高のサイクルは2011年、1995年、1985年、1970年のように10年から10数年おきに発生しています。

それぞれの円高には別の要因があるものの、日本の経常黒字で円高圧力が蓄積し、ダムが決壊するのがおよそ10数年ごとというとらえ方もできる。

前回の超円高は2011年なので、長期サイクルからは次回の円高は2021年から2025年ごろだと推測できます。


日本の輸出産業は競争力が落ちているとされるが、経常黒字はむしろ増えて年10兆円から20兆円に達しています。

対するアメリカは年50兆円前後の経常赤字なので、差し引きすると70兆円円高ドル安の圧力が発生します。

ダムに水が溜まって最後に決壊するように、円高圧力は満タンにたまるまで影響はなく、ある日一気に水が放出されます。


それまでは小幅な値動きしか起きないと予想されるので、今年や来年は10%程度の変動しかないでしょう。

円高になっても1ドル100円は割れず、円安になっても1ドル120円以内のレンジに収まるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/78364661.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c128

[昼休み54] 日本の物価はいくらなんでも安過ぎる 中川隆
28. 中川隆[-13759] koaQ7Jey 2018年12月11日 11:21:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21946]

2018年12月11日
日米、米中貿易とドル円レートのゆくえ


戦後の大きな流れでは10数年ごとに円高になっている

引用:https://moneyzine.jp/static/images/article/212170/01.png


円高か円安か

米中貿易対立や日米貿易交渉のゆくえを受けて、為替レートの値動きが大きくなっている。

一般的には日米経済が好調なら円安、不調なら円高になりやすいとされている。

これは日経平均が上がると円安、下がると円高いなるのを見れば良く分かります。



アメリカの株価とドル円の連動も強く、NY株価が上がると円安、下がると円高になります。

日米対立や米中対立は貿易を減らし株価や経済にマイナスなので、深刻化すると円高になります。

米中央銀行FRBは利上げの終了を示唆したので、短期的にはドル安の影響がある。


中期レートを見ると2012年に79円だったドル円レートは、2015年に125円まで円安が進みました。

その後何度か105円を割り込んだものの必ず回復し、現在は113円前後になっています。

上は120円、下は100円の大きなレンジ内での値動きが5年以上続いているといえます。

円高には周期サイクルがある

もっと長期で見ると為替レートは日米の経常黒字と経常赤字から大きな影響を受けています。

日本はアメリカにモノやサービスを売って代金を受け取るので、毎年数兆円がドルから円に交換されます。

日本が黒字でアメリカが赤字である限り、じわじわと円高が進みいつかはまた1ドル100円を割り込みます。


この超円高のサイクルは2011年、1995年、1985年、1970年のように10年から10数年おきに発生しています。

それぞれの円高には別の要因があるものの、日本の経常黒字で円高圧力が蓄積し、ダムが決壊するのがおよそ10数年ごとというとらえ方もできる。

前回の超円高は2011年なので、長期サイクルからは次回の円高は2021年から2025年ごろだと推測できます。


日本の輸出産業は競争力が落ちているとされるが、経常黒字はむしろ増えて年10兆円から20兆円に達しています。

対するアメリカは年50兆円前後の経常赤字なので、差し引きすると70兆円円高ドル安の圧力が発生します。

ダムに水が溜まって最後に決壊するように、円高圧力は満タンにたまるまで影響はなく、ある日一気に水が放出されます。


それまでは小幅な値動きしか起きないと予想されるので、今年や来年は10%程度の変動しかないでしょう。

円高になっても1ドル100円は割れず、円安になっても1ドル120円以内のレンジに収まるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/78364661.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/126.html#c28

[議論31] トランプの後ろ盾は何だろうか? そして、それは世界を悪い方向に導くだろうか? 絶(PC)
4. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2018年12月11日 11:29:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21946]
馬渕睦夫さんが明らかにしていますが

左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、中国共産党、マスコミ
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚・皇族、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


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ノンフィクション作家・河添恵子#4-1
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」前編・グローバリスト&共産主義勢力 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z7syO3BhDdQ


ノンフィクション作家・河添恵子#4-2
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」後編・北朝鮮問題の行方 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z4Ot9KiWPV8

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/618.html#c4

[アジア23] チベット尼僧に性的暴力、共産党の再教育センターで 僧侶が証言=人権団体報告(かいけつニュース速報) 怪傑
2. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2018年12月11日 11:42:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21949]
中国人のチベットでの民族浄化の手口

チベット - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88


チベット 地図 - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88+%E5%9C%B0%E5%9B%B3&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=2ahUKEwjqmfqljevdAhVFso8KHTUhDWkQsAR6BAgGEAE&biw=1093&bih=609


チベット - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA


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チベット人絶滅作戦

* 1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、

殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。

* 15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。

僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした
5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。

* 一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術に

よって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等
の民族浄化に力を入れた。

* 生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍は

それを笑いながら銃殺した。


「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。」
特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。

拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、 「仏陀に腕を返してもらえ」 と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに
小便をかけるように命じられた。


さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」 と中共兵に嘲られ、
挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、
大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。

貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。
僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。

リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。
何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。

僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、 「仏陀はどうしたんだ?」 と中共兵に嘲られた。


* 「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると

「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に
殺されたのである。彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、
生きながら焼かれた。ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたりして殺された。
こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。 -- (東亜から転載) 2008-03-19 10:46:18

『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケル ダナム著

妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。
尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、
熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と嘲られ、挙句に全員射殺された。
おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれた。 -- (名無しさん) 2008-03-19 21:09:31
鉄砲でやられてる犠牲者の写真
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080318c.html


なぜチベットで抗議の焼身自殺が後を絶たないのか

2012年11月14日(水)  福島 香織


 チベット地域で僧侶や尼僧、信者らの中国共産の宗教弾圧、人権弾圧への抗議の焼身自殺が続いている。2009年以降、すでに累計70人以上が焼身自殺を図り、60人近くが犠牲になっている。

 中国共産党の次期中央指導者が選出される第18回党大会開幕日の8日をはさむ4日の間に7人が焼身自殺を図った。このうち15歳の少年を含め4人が死亡した模様だ。9日には青海省のレプゴン(黄南チベット族自治州同仁県)で学生を中心に1万人規模のデモが発生し、学生らは学校で掲揚されている中国国旗が引きずりおろし、政府市庁舎前で「フリーチベット」「ダライ・ラマ14世の帰還」を訴えたという。自由アジア放送などが伝えた。

 とりあえず治安部隊との衝突は避けられたようだが、焼身抗議があるたびに、その犠牲者の故郷で抗議デモが起きる状況が繰り返されており、いつそれが暴発するか、再び2008年3.14事件(ラサのチベット僧侶らのデモ弾圧から始まった騒乱および全チベット地域に広がった抗議運動とその鎮圧事件)のような悲惨な事態が起きるか、その緊迫状況は想像を超えるものがあるようだ。

 また、ダラムサラからチベット関連ニュースを日本語で発信しているブログ「チベットNOW@ルンタ」によれば、青海省のゴロクチベット族自治州のマチェン県の村で、「軍事訓練」と称して村の住民全員を無差別に殴ったり、髪を強制的に剃ったりの暴力が行われ、チベット語擁護者は見せしめのように公衆の面前で暴行され入院者まで出ているとも(チベット語紙・チベット・タイムス10日付け)。文革時代さながらの暴力と緊張がチベット地域の村々で起きているもようだ。


チベット女流作家オーセルさんが伝えるチベット

 エッセイは2008年の3.14事件以降、オーセルさんが見聞きしたこと、感じたことを綴っている。最近の域内の様子をここまで伝えた本をほかにしらない。


生命を軽んじて焼身自殺をするのではない

 3.14事件がどんなふうに起こったかを証言するチベット青年との会話ににじむ憤怒と恐怖。

チベット仏教の伝統から言えば侵してはならない神聖な土地とされるギャマ(チベット自治区メルド・グンカル県)が、漢族資本により鉱山資源開発で掘りつくされ、廃液で重大な環境汚染を引き起こされ、さらに、掘削のために村に送りこまれた一万以上の漢族労働者と数千人のチベット村民が飲み水をめぐって流血事件が起きたこと。

ダム開発に伴う強制移住が与える後遺症の深刻さ。

中国語の書類を読めないチベット庶民に、「生活保護」に関する書類だと嘘をついて、ダライ・ラマ帰還拒否文書に署名させる地元当局幹部の悪辣さ。

開発や建設といった言葉を借りて行われる搾取と環境破壊は、もちろん漢族社会でも大きな問題だが、チベット地域ではこれは植民地主義的行為、民族のジェノサイドという側面が加わるということ。

とどまることを知らない焼身抗議の裏に、数えきれない焼身以外の自殺者が存在すること。


「他に方法がないのです。是非とも国際社会は中国政府に圧力をかけて、チベット人への圧政を止めさせてください。…21世紀になってもチベットがこのように残酷に扱われているという悲劇的状況に対して、緊急の行動が取られてもいいのではないでしょうか?」


文化が侵され、断末魔を上げている

 読んでいるうちに涙が止まらなくなってきた。これが今の本当のチベットの姿ならば、痛ましすぎる。一つの完成された文化が侵され、断末魔を上げているのだ。彼女の過激な言葉にも納得がいく。

 社会の近代化とともに宗教や伝統というのはすたれていくものだよ、チベットはそのプロセスにあるだけだ、ともっともらしくいう人もいるかもしれない。だが望ましい近代化というのはチベット人の手で推し進め、伝統や文化の呼吸を止めずに変容させることであり、仮に他者の手で行われるならば、その文化に対するよほどの敬意と憧れがないと不可能だろう。中国共産党が進めているのは、チベット社会の近代化ではなく、チベット文化の息の根をとめて、その遺骸を使って美しい剥製をつくろうとしているだけではないか。
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/333.html

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2017年10月07日
ウイグルとチベット 本当の中国と嘘の中国
http://www.thutmosev.com/archives/72955009.html

昔「満州帝国」という国があり日本の悪事の象徴とされているが「満州」とは清国の別の言い方で、日本は清国を再建しました。

中国は辛亥革命で皇帝を廃位したが、もともと清国人つまり満州人は中国人(北京系)とは別の人種でした。


日本帝国は満州人が中国に侵略されないよう保護すると同時に、支配下に置いたが、国境を越えてどんどん中国人がやってきました。

中国より満州のほうが経済が発展したので、良い生活を求めて中国人が押し寄せ、あっという間に中国人が多数になった。

敗戦で日本軍が撤退すると事態はさらに悪化して、現在では満州人はほぼ絶滅し、民族としては存在していません。


同じ事がチベットとウイグルでも起きて、圧倒的な繁殖力の強さを武器に、中国人は少数民族国家を侵略しました。

チベットは独立国だったのだが、毛沢東の共産軍に征服され、チベット自治区に貶められました。

共産党はチベット人の追放や粛清、中国人の入植を行い、チベット人は絶滅への道を歩んでいます。


チベット侵略と破壊

これに加担したのがアメリカや欧州で、見てみぬ振りをするどころか日本軍との戦争やソ連との冷戦で中国の協力を得るために加担しました。

今ではチベット人は共産党の許可を得ないと自国を旅する事もできないし、仏教は厳しく弾圧され、子供に仏教を教えることも禁止されています。

チベット王が住んでいたポタラ宮殿は共産軍に占拠され、チベットの独立を示すものは破壊しつくされました。


チベットではチベットの歴史や文化、言語などを教えるのは禁止されていて、画一的な北京語と中国の歴史、文化だけを教育しています。

チベット王であるダライ・ラマ14世はインドに亡命し、高齢なので中国共産党が決めた「ダライ・ラマ15世」を任命しようとしています。

共産党が15世を任命したらおそらく15世は王政の廃止を宣言し、チベット王国を消滅させるでしょう。


ダライ・ラマ14世は独自に15世を任命しようとしていて、2人のダライラマ15世が現われるかも知れません。

チベットを破壊するために共産党は、チベット人の子供をさらって思想改造し、チベット弾圧を行わせたと言われています。

子供に親を襲わせて家族を分断し国家に従わせるのは、実はソ連の得意技で、共産主義の伝統文化です。


長江周辺も実は侵略した土地であり、「中国固有の領土」は北京周辺しかない
Image568
引用:http://earthresources.sakura.ne.jp/er/Resources(2)/Image568.gif


絶滅しつつある民族

ウイグル人に現在行っているのもこれで、共産党がウイグル族の子供を拉致し、思想改造を施し軍事教育し、ウイグル人弾圧を実行させます。

後を継ぐべきウイグルの子供が侵略者側になって破壊するので、ダメージは計り知れず、絶望の淵に落とされます。

親子や家族同士、同じ民族同士を戦わせるのは中国古来からの戦法でもあり、三国志とかによく登場します。


共産中国は日本や沖縄でもこれをやり1970年代には大成功して、日本で共産主義暴動を起こさせました。

今は沖縄に入れ込んでいて、琉球人に独立運動を起こさせて中国の手先に利用しています。

目的は日本人と琉球人を戦わせて混乱させ、チベットのように沖縄や尖閣諸島を侵略する事です。


最近共産党はITを駆使した弾圧を行っていて、ウイグルやチベットでは「監視ソフト」をスマホやPCに義務化しています。

どこの誰がPCやスマホで何をしているか、全部分かってしまい、24時間監視されています。

もし監視ソフトが入っていないIT機器を所持していたら逮捕され、おそらく2度と太陽を見ることはできません。


テロ防止と称して顔データを取り、街灯や駅に監視カメラを設置して、行動を監視する事もやっています。

ウイグル人は移動の自由を禁止され、就職や教育も制限され、例えばウイグル人は「中国人」用の幼稚園に入園拒否されます。

昔のアメリカの黒人差別と同じで、中国社会に参加させないようにしています。


この結果チベット人やウイグル人の所得は中国人の平均よりかなり低く、貧困状態に置く事で、テロを起こせなくしています。

またウイグル人はアラブ人に近いが、中東国家には経済力を利用して、ウイグル人を逮捕して送還するよう依頼している。

このようにしてウイグル人とチベット人は、この世から消されつつあります。
http://www.thutmosev.com/archives/72955009.html


中国が民主化することは、中国共産党がこの国を支配している限りは絶対にない。

新疆ウイグル自治区やチベット自治区を見ても分かる通り、中国が民主化したら途端にこれらの国々は漢民族の支配から抜け出そうと独立運動を起こすからだ。

中国が民主化するというのは、中国がバラバラになるということと同じ意味なのである。

中国が激しい勢いで、それも国外からの批判をモノともせずに辺境国を徹底弾圧・徹底監視するのは、そうしないと国家が分裂してバラバラになってしまうからだ。

また、漢民族であってもすべての人民が中国共産党を支持しているわけではない。中国ではしばしば暴動が起きて、反政府運動も生まれるのだが、そのたびに中国政府は容赦なく弾圧してきた。

天安門事件では、1989年6月3日から4日の2日間で、中国政府は反政府運動をする人民を一気に3000人も殺したと最近になって香港紙は書いている。AFP通信では「少なくとも1万人」とある。

中国政府は自分たちに反対する人間は、容赦なく殺しまくる体質を内包しているのである。この体質が、チベット自治区や新疆ウイグル自治区で発揮されている。

中国は独裁国家であり、独裁である限り民主化はなく、民主化がないのだから自由もない。自由に政権批判などしていたら、次の日には拘束されるか死体になって発見される国だ。

こんな国が他国の技術を盗みまくって経済発展したからと言って、「中国は素晴らしい」とか「中国は次の超大国」だとか言って賛美している人の気が知れない。

中国のやり方、中国の体質、中国の徹底弾圧・徹底監視に危機感を抱けないのであれば、それはあまりにも想像力が足りないとしか言いようがない。

「騙した方よりも騙された方が悪い」という国を賛美したり褒めたりすることの危険性を、もっと真剣に考えるべきだ。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が他国を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。


チベット自治区や新疆ウイグル自治区で起きている徹底弾圧・徹底監視は、中国が日本を支配したら何が起きるのかの事例として研究すべきであり、これは決して他人事ではない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171224T0145390900.html


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2016年05月30日
中国の治安維持部隊 予算18兆円で少数民族弾圧
http://thutmose.blog.jp/archives/60763210.html


北京は大陸では最も遅れた地域で、北京人種は少数民族に過ぎなかった。
故に北京以外は全て他民族の土地です。


中国勢力図☆5500年前
http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/7/f/7f12e8cc.jpg


中国は一つの民族と言っているが、実際は北京系が他の民族を支配しています。

北京は中国でも遅れた地域だったので、他の地域は全て異人種が統治していた外国だったのです。


2つの軍隊を持つ中国

中国には2つの軍事力があり、一つは目に見えてテレビで姿を見ることができます。

見えるのは表向きの軍事力で予算は約16兆円、南シナ海に軍艦を送り、日本の領空を侵犯しています。

もう一つは見えない軍事力で、見える軍事力を1割ほど上回って推移しています。


見えないほうは「治安維持費」と呼ばれていて、表も裏も最高機密で、本当の予算は非公開です。

欧米メディアによると表の軍事費は16兆円で、裏の軍事費は18兆円と見られています。

ちなみにアメリカの軍事費は約70兆円で日本は約5兆円となっています。


中国は表と裏を合計すると約34兆円で、ついにアメリカの半分に達しました。

中国の軍事費は2016年も7%以上増えていて、今後もGDPの伸びを上回る伸び率が予想されています。

ではこの「裏の軍隊」は一体何をしているのでしょうか。


治安維持費の正式名称は公共安全予算で、公式には抗議活動の予防や暴動鎮圧、インターネット管理に当てられる。

だが国民一人ずつに監視をつけても18兆円は簡単に使いきれる金額ではありません。

アメリカには西武開拓時代というのがあり、昔は西部劇が人気の映画ジャンルでした。


北京は最も遅れた地域だった

アメリカ合衆国は最初首都があったワシントン州や東海岸だけだったが、南と西に領土を広げて現在の形になりました。

西部開拓とは、アメリカ人は綺麗事を言っているが、原住民を消し去って無人の荒野にしてしまい、白人が占領した事を言います。

原住民は抵抗するので軍隊やガンマンがインディアンを討伐したのを、かっこ良く映画にしたのが「西部劇」でした。

アメリカが「合衆国」になるために犠牲にした原住民は、2000万人とも6000万人とも言われています。

その手口は文字を読めない先住民に同意のサインをさせ、軍隊を投入して村ごと焼き払うなどだが、西部劇ではカットされています。


次に中国の歴史を見ると、現代の「中国人」とは要するに黄河文明の人々で、北京周辺の狭い範囲の民族でした。

彼らは数千年の間、弱小民族であり、モンゴル人や長江文明などに支配されていました。

歴史上黄河文明が中国全土を支配したのは、1950年に建国した現在の中国だけです。


北京以外は全て「外国」であり植民地なので、アメリカの西部劇と同じく軍事力で敵を消し去る必要があります。

アメリカにとってのインディアンが中国人にとってのモンゴル人、ウイグル人、チベット人、満州人などです。

上海も本来は長江文明に属し、北京とは異なる文明ですが、現在は渾然一体となっています。


漢字、火薬、羅針盤、印刷など中国が発明したと言っているもののほとんど全ては、長江文明で始まったものです。

長江に比べると黄河すなわち北京は遅れた地域で、遅れていたのでやたら子供を産んで人口を増やしました。

すると遅れて劣っていた黄河文明の北京の方が、数で圧倒してどんどん南下していきました。


秦の始皇帝をはじめ、歴代皇帝は今日の少数民族だった


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/d/b/dbcfae0f.jpg


治安維持とは原住民弾圧

今中国が国内でやっている事は、9割以上の地域の「本来の所有者」の少数人種をこの世から消し去る事業です。

北京以外は全て「外国」なので少数民族は邪魔であり、特にウイグルとチベットを敵視しています。

「治安維持」とは要するに少数民族をこの世から消し去り、中国全土を北京人種が支配するための費用です。


中国では毎日10回以上どこかで暴動が起きていて、テロも頻繁に発生しています。

中国は「国内だ」と言っているが、ウイグル人やチベット人から見ると、北京系中国人こそ外国人です。

ウイグルやチベットでは現地語の禁止、民族衣装の禁止、移住政策、教育の禁止などが行われている。


少数民族の年間所得は中国人の10分の1で、年収数万円といったところです。

絶え間ない弾圧政策で、例えば夕飯を食っている最中でも治安部隊が銃を持って突入してきて、家族を連行したりします。

テロ容疑だとかもっともらしい理由をつけるが、何の理由も無く連れ去って恐怖を与えるのは、中国4000年の伝統的な統治方法です。


台湾原住民によると中国人は、理由もなく暴行し、理由を説明せずに連れ去って処刑する。

理由を明かさない事が「何をしても無駄だ」という恐怖を増幅させ、住民を服従させるのだという。

対して日本軍は必ず理由を説明し、その理由を論破すれば相手を議論で負かすことが可能だという。
http://thutmose.blog.jp/archives/60763210.html
 


 



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コメント


1. 中川隆[-13457] koaQ7Jey 2018年10月04日 05:38:51: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18997] 報告
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2017年12月29日
中国の完全監視区域 ウイグルやチベットで行われるIT管理


監視区域内では検問が行われ、住民は自由に出歩くことは出来ない
引用:http://img.ltn.com.tw/Upload/liveNews/BigPic/600_phpDNun38.jpg


完全監視区域

中国ではITテクノロジーを駆使した国民監視システムが構築され、誰も逃れることはできない。

行き過ぎた監視システムが出来上がるに至った理由は多発するテロや暴動で、年間3,000件以上の暴動が発生している。

毎日10件のペースでどこかで反政府テロや暴動、抗議集会が起きていて、政府は厳しく取り締まっている。


暴動が激しい地域ほど監視体制も厳しく、最近中国の植民地になった地域ほど暴動は多い。

ウイグルは元々ウイグル国だったが、第二次大戦や中共内戦のドサクサに紛れて毛沢東の共産軍が侵略し支配した。

アメリカ人は馬鹿なので中国人と周辺民族の区別がつかず、日本人以外は全て中国人だと考えて、周辺民族侵略に加担した。


こうして侵略されたモンゴル、チベット、ウイグルでは、数千万人もの人が民族浄化の対象になり、亡くなった。

第二次大戦終結以降、中国共産軍などによる死者は、合計で1億人を超えていると推測されている。

こうした歴史的経緯があって2009年にウイグル暴動があり、再び数万人が共産軍と治安部隊の犠牲になった。


そのウイグルでは現在、ITを使ってウイグル人を完全管理する試みが開始され、あらゆる自由を剥奪している。

町中のあらゆる場所では100mおきに監視カメラが設置されているが、住民全員を登録し、顔認証で一日の行動を管理している。

通りのいたるところで公安が検問をしていて、手荷物検査をしているが、武器を探している訳ではない。


中国伝統の少数民族管理方法

通行人のスマホを取り上げて検査機器に接続し、監視ソフトが入っているかを点検している。

ウイグルなどでは監視ソフト無しのスマホを持ち歩くのは遺法であり、PCなど全ての通信機器にインストールが義務つけられている。

この監視ソフトは一定時間ごとに治安警察に位置情報を知らせるほか、通信記録や保存データの内容も逐一知らせる。


もし監視ソフト無しの電子機器を持っているのが見つかれば、連行され刑務所か強制収容所に入れられる。

中国には裁判制度が無く、日本など外国に関係した事件だけ特別に裁判を開くが、普通は何もしない。

逮捕や連行を発表する制度も無く、人知れず連れ去られ、そのまま永久に行方不明になるのが中国の司法制度です。


ウイグル人は要監視対象なので移動の自由は無く、ウイグル自治区でも教育や職業を制限されている。

ウイグル自体が貧しいのに、中国人(漢民族と自称している連中)に比べてウイグル人は貧しく、公職や良い職業は中国人が独占している。

警察や治安部隊、軍に入れるのは中国人だけで、たとえ入隊しても「ウイグル人狩り」のような任務をやらされる。


自民族を自分の手で弾圧させるのは中国伝統の管理法で、チベットでもチベット人の若者に弾圧させて、数百万人を粛清しました。

子供を洗脳して親を襲撃させるような事が、チベットやモンゴルや満州やウイグルで行われました。
http://www.thutmosev.com/archives/74223396.html





2. 中川隆[-13456] koaQ7Jey 2018年10月04日 05:39:51: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18997] 報告
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中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無い

漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


勝てないロシア

中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


1979年にソ連は国ですらないアフガニスタンの武装勢力に惨敗し、10年後の1989年に撤退しました。

この敗戦はチェルノブイリ事故や大韓航空撃墜とともに、ソ連崩壊の原因になった。

この時アメリカが結成した武装勢力が「アルカイダ」で2001年にNYで9.11テロを起こし、現在も活動している。


「アルカイダ」はさらに湾岸戦争時に米軍グリーンべレーの軍事訓練を受けて「イスラム国」へと進化しました。

アメリカが軍事訓練したのはイラクのフセイン政権と戦わせるためでしたが、今はアメリカが「イスラム国」と戦っています。

こういう理由でソ連が戦ったアルカイダは、今考えるとかなり強く、もしかしたら当時の米軍でも負けたかも知れない。


ロシアの領土はもともとアイヌ人のような北方民族の土地で、彼らを追い出して住み着き、国を作った。

以来千島樺太を含めて、領土化したのは全て北方民族の土地で、その領土を守る事に掛けては強い。

だが日露戦争など他の列強と呼ばれた国には、ほぼ勝った事がない。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html


2016年06月09日
中国人民解放軍の正体 国家に所属せず、勝った事が無い


秦の始皇帝以来国家に所属した軍隊が無く、外国に勝った事は無い

http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/e/a/ea0ddec6.jpg


南シナ海で中国軍が我が物顔で振る舞い、米軍は遠慮しているが、中国軍は本当に強いのだろうか。

最近2千年間で中国の軍隊が外国軍に勝った例など、聞いたことがないのだが、一見すると強大に見える。


「中国軍」は存在しない

南シナ海を巡ってまた中国軍は過激な態度を取っているが、「中国軍」がどんなものかは知られていない。

人数や装備や戦力は知られているが、どんな組織で今まで何をしてきたかは、余り関心をもたれていない。

それは日本などの外国では当たり前と思われている事が、中国軍には当てはまらない事で、誤解の原因になっている。


まず第一に「中国軍」という国家を代表する軍隊は、法律上存在していません。

「人民解放軍」は共産党に所属する組織で、中国という国には所属していないのです。

例えば中国の選挙で共産党以外の政党が大勝利し(制度上ありえないが)、中国の大統領に就任したとします。


人民解放軍は共産党に所属する軍隊なので、中国大統領には軍の指揮権がなく、命令する事はできません。

これはアメリカのような大統領制とも、日本のような天皇制とも大きく違っています。

日本の国家元首は天皇ですが、千年ほど前から将軍や大臣などを任命して、軍を動かす事になっています。


どうして中国はそうなのかというと、秦の始皇帝以来2200年以上、中国には国家に所属する軍隊は存在していません。

日本が戦った唐、元、明、清の軍隊は皇帝に直属する軍隊で、日中戦争の中国軍は「国民党軍」でした。

国家や国民を代表する軍隊になれない、つくれないところが中国軍の最大の弱さです。


人民解放軍は強いのか

中国大陸の人口はいつの時代も日本の10倍ほどですが、それでいて今まで日本との戦争で勝った事はありません。

それだけではなく、秦の始皇帝以来2000年以上、中国の版図の外に出て行って勝った事はありません。

中国伝統の戦闘方法は完全に受身で、敵が攻めてきたら下がっていくという物です。


下がって下がって一番端まで下がっていくと、敵の補給線が延びきって守備側が有利になるので、そこから反撃に転じます。

ロシアやソ連も同じ戦法を得意とし、ナポレオンやヒトラーをその手で追い返した、とても効果的な戦略です。

中国の軍隊は2000年間こうした受身戦法専門の軍隊で、大陸の外に出て勝つ事は、そもそも目指していませんでした。


中国の軍隊は戦争を苦手としていて、実際現代の中国軍も朝鮮戦争と中越戦争くらいしか戦争経験はありません。

朝鮮戦争は北朝鮮の援軍で米軍と戦い、中越戦争はベトナムを侵略しようとしたが負けて帰ってきました。

他はソ連との国境の小競り合いとか、チベットやウイグル侵略など、弱いものイジメしかしていません。


その人民解放軍は最近、世界的な強者として振舞っていて、尖閣や南シナ海で活動を拡大しています。

米海軍を超える大海軍を目指し、原子力空母や原子力潜水艦、核ミサイルなどを続々と開発しています。

表面を見る限り数は揃ってきていて、例えば潜水艦の数ではアメリカを上回りました。


もうすぐ巡洋艦の数でもアメリカを超えるでしょうが、ベトナム戦争時代の軍艦を改良していて性能はどうしようもないです。

兵器の性能が劣悪なのは大目に見るとして、先ほど書いたように「国家に所属していない」のが大問題です。

イギリスやフランスに近代国家が生まれて以来、国家に所属する軍隊が、そうで無い軍隊に負けた例はほとんどありません。


帝政ロシアは数で圧倒しながら日本に破れ、イギリス軍は植民地にすぎないアメリカ軍に敗れました。

国力にかかわらず、国家に所属する軍隊は圧倒的に強く、政党や個人に所属する軍隊は、とても弱いです。

本当に南シナ海で戦闘が起き、米軍や日本軍と衝突したら、人民解放軍は戦場放棄して逃げ出すのではないだろうか。
http://thutmose.blog.jp/archives/61281443.html





3. 中川隆[-13327] koaQ7Jey 2018年10月16日 08:37:54: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19210] 報告
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中国共産党に忠誠を誓わなかったチベット人やウイグル人は、民族のアイデンティティを奪われるほどの弾圧を受けている。
ウイグル人は100万人規模で「強制収容所」に収容され、中国共産党に忠誠を尽くすように洗脳される。言うことを聞かない人間は、強制的に臓器ドナーにされて、臓器を奪い取られる。
中国には国土に広がる拝金主義や、共産党政権に愛想を尽かした人々がキリスト教徒となって地下で広がっている。

(中国の裏側で起きている政府当局と地下キリスト教徒の暗闘の行方)
https://blackasia.net/?p=9417


しかし、中国共産党はこれを認めない。そのため地下教会に通う人間を強制的に連行して、思想の転向を迫る。もし中国共産党よりもイエス・キリストを信じるというのであれば、やはり臓器を奪い取られる。

習近平の独裁政治に反対して、そのポスターに墨をぶっかけた女性がいた。彼女もまた公安当局に連行されて行方不明になっている。中国共産党と対立した法輪功学習者もまたずっと強制収容所で拷問・臓器ドナーの対象にされている。

中国が強制収容所で何をやっていたのか、勇気がある人はこの記事を読んで欲しい。

(ブラックアジア:中国では女性の乳房を高電圧で壊死させるような拷問をする)
https://blackasia.net/?p=2555


中国は毛沢東の時代からそうだった。政権批判は絶対に許さない。政権を批判するというのは、まさに「死に直結する行為」なのである。ただ単に死ぬのではない。強制収容所に隔離され、連日の凄まじい拷問を受けて死ぬのだ。
https://blackasia.net/?p=9837

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中国の裏側で起きている政府当局と地下キリスト教徒の暗闘の行方2018.09.18
https://blackasia.net/?p=9417

中国は、建前上では「信仰の自由」を認めているのだが、実際には国内でかなりの締め付けを行っている。なぜか。それは、人民が「中国共産党よりも神の方を信じるようになったら困るから」である。

中国共産党は、神よりも上に立ちたいのだ。だから、「信仰の自由」を認めるというよりも「信仰しない自由を認める」というのが実態に近い。

これは、新疆ウイグル自治区のイスラム教徒の弾圧や、チベットの仏教弾圧を見ても明らかだ。宗教よりも中国共産党を信奉させたいのである。

中国政府の法輪功の弾圧はよく知られている。法輪功は宗教というよりも気功の習得を中心とした集まりだったが、中国共産党はこれを邪教(カルト宗教)として断定、国内の法輪功支持者を弾圧したのだった。

中国政府は抗議する法輪功支持者を牢獄につないで拷問したのだが、その拷問は凄惨なものだった。何が起きていたのかは、こちらで書いた。

(ブラックアジア:中国では女性の乳房を高電圧で壊死させるような拷問をする)
https://blackasia.net/?p=2555


また牢獄に放り込んだ法輪功支持者の臓器を抜き取り、それを売買していたという事実も後に発覚した。(鈴木傾城)


中国のキリスト教は「地下キリスト教」になった

「信仰の自由」と言っても、それが単なるポーズであり、建前であるというのはこうした現状をつぶさに観察すれば誰にでも分かることだ。

中国は、実質的に「宗教の自由は制限されている」というのが現状だ。何かを信じて拷問され、臓器を抜き取られるというのであれば、信じたら許さないと言っているも同然である。

ところで、この中国にもキリスト教が広がっている。

中国国内で広がった拝金主義に対する嫌悪感から、カネよりも宗教に精神的安らぎを求める人もいたのだ。ある意味、心が純粋な人たちであるとも言える。

しかし、中国共産党は、このキリスト教も厳しく規制している。

(ブラックアジア:拝金主義で殺伐とした中国に、キリスト教が忍び寄っている)
https://blackasia.net/?p=2201


2014年には中国浙江省温州市で建設途上の教会が強制的に取り壊される事件があったが、これは中国政府としてキリスト教が広がるのを許さないという意思表示でもあった。

中国のキリスト教徒は、最初からこのような事態を恐れていたので、ほとんどは目立たないように布教と礼拝を行っていたのだが、ますます慎重になって信仰者は地下に潜っていった。

このキリスト教徒たちの信奉は、いつしか「地下キリスト教」とも言われるようになっていた。

この地下キリスト教は、キリスト教とは言いつつも礼拝(ミサ)は独自の形を取られており、中国のアニミズムとも結びついて中国人が受け入れられやすい形へと変化している。

これは、日本の江戸時代に禁教令を布教された長崎の隠れキリシタンを彷彿とさせる。

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習近平がこれほどまで宗教を恐れている理由とは?

中国は監視社会である。SNSから日常生活まで、徹底して国民を監視して「不満分子」の摘発を日常的に行っている。

(ブラックアジア:中国のウイグル支配は最先端の人民監視システムで行われる)
https://blackasia.net/?p=776


だから、キリスト教が中国で広がっているという現状を中国政府は把握している。そして、これが中国共産党の指導を破壊するのではないかと極度に恐れている。

特にそれを恐れているのは国家主席である習近平である。「自分よりもキリストの方が偉い」ということになったら神格化が完成しない。さらに立場が変わったら、自分が抹殺対象になる。

そのため、2018年に入ってからキリスト教に対する規制や弾圧はどんどん厳しいものになっている。

中国において、キリスト教が最も盛んなのは河南省なのだが、この河南省では、今まで許可されていた十字架の撤去が求められるようになっていた。聖書のオンライン販売も禁止された。

さらに未成年者への勧誘や布教も禁止された。そして、自治組織がキリスト教徒を監視するようになった。

習近平がこれほどまで宗教を恐れているのは、新疆ウイグル自治区でイスラム教徒を徹底的に弾圧していることに不満が膨れ上がっていることも一因としてある。

国連は「中国政府がウイグル人100万人を不当に拘束している」と批判しているが、中国共産党はウイグルのイスラム教徒を根絶やしにするために手段を選ばない。

だから、報復されるのを恐れている。

宗教弾圧は決死の抵抗を生み出し、それに手をこまねいていたら暴動やテロの温床になると分かっている。だから、習近平は宗教と名の付くものを片っ端から規制し、自らに歯向かってこないように「刀狩り」をしているのだ。

インドネシアの辺境の地で真夜中に渦巻く愛と猜疑心の物語。実話を元に組み立てられた電子書籍『売春と愛と疑心暗鬼』はこちらから。

中国の地下キリスト教徒たちは蜂起するだろうか?

中国はいびつな国家だ。中国共産党という独裁政権が支配し、並び立つ他の対抗組織の存在を絶対に許さない。対抗どころか、批判すらも許さない。

何の権力をも持たない女性が習近平のポスターに墨をかけただけで、その女性を連行するほど批判に対して免疫がない。習近平を揶揄するような言葉やパロディですらも中国では存在することができない。

極度の監視社会と宗教弾圧もまたその延長線上にある。

中国は他国から合法非合法問わず、ありとあらゆる方法で技術や知財を盗み取り、国土が環境破壊されるのも厭わず強引な工業化に走り、そして世界有数の大国へと成り上がった。

この国は強大に見える。そして、盤石に見える。しかし、経済的成長が止まり、政府が人民を抑える力が弱ったら、ありとあらゆる不満が国内から噴出して、収束できなくなる危険性を併せ持っている。

中国政府が弱体化すると、弾圧から逃れたいと考えている新疆ウイグル自治区やチベット自治区が、一気に中国政府に挑戦するようになる。

民主主義を求める組織や人々も立ち上がる。宗教の自由を求める人もまた政府の弾圧に立ち上がる。中国政府の都合で無理やり土地や建物を接収された人たちも立ち上がる。監視社会に閉塞感を感じていた人々も立ち上がる。

中国政府は国内のありとあらゆる人々に圧力をかけ、弾圧してきたので、少しでも弱みを見せれば、オセロの白と黒がひっくり返されるように支配の構図が崩壊する。

中国国内で締め付けが厳しくなっているというのは、中国共産党独裁政権が恐怖を感じるようになっている兆候であると言える。中国の宗教弾圧は中国政府の焦りでもある。

中国の地下キリスト教徒たちは蜂起するだろうか。「島原の乱」の天草四郎のような、政府に対抗して立ち上がる男は中国に誕生するだろうか。

私は中国の裏側で起きている中国共産党とキリスト教徒の暗闘を興味深く見つめている。(written by 鈴木傾城)


中国のキリスト教。中国国内で締め付けが厳しくなっているというのは、中国共産党独裁政権が恐怖を感じるようになっている兆候であると言える。中国の宗教弾圧は中国政府の焦りでもある。




4. 中川隆[-13324] koaQ7Jey 2018年10月16日 08:39:44: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19210] 報告
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「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに  

李荘弁護士の書き込み。中国の臓器奪取の実態をさらした(スクリーンショット)

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。(翻訳編集・余靜、張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html



5. 中川隆[-13315] koaQ7Jey 2018年10月16日 10:30:40: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19210] 報告
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「中国の臓器狩りの共犯者にならないでください」
https://www.change.org/p/%E5%9B%BD%E4%BC%9A-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%87%93%E5%99%A8%E7%8B%A9%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84


2006年アニーと名乗る中国人女性が衝撃的な証言を行いました。彼女の元夫は中国遼寧省苏家屯の医師で3年間、生きた人から強制的に角膜を摘出する手術を2000件ほど行いました。アニーは「夫はとても大きな衝撃を受け、毎日悪夢にうなされ、パニック状態に陥っていました」と振り返りました。夫は日記で彼が一番ショックを受けたことをこう書きました。

「いつも通り手術室に入り、手術を行う準備をしていた。横たわって意識を失っていた女性の服を切ると『ママ、お誕生日おめでとう』と書いた紙が落ちてきた。これを見た瞬間、手の震えが止まらなかった。なぜなら、子供からもらったこの誕生日メッセージを大事にしていた母は、もうすぐ自分の手によって命を絶たれるから・・・」

聴くものの魂を戦慄させた生々しい体験談は、あまりにも衝撃的です。なぜ人の命を救うはずの医師が人を殺しているのだろうか?

これは中国で起きている臓器狩りの実態です。

中国は、アメリカに次いで世界第2位の臓器移植大国で、毎年日本からも、大勢の患者が臓器移植を求めて中国へ渡航しています。

しかし、臓器の出所が不透明で、元カナダ国務長官・人権擁護家、デービッド・キルガー氏と、カナダ人権弁護士デービッド・マタス氏の10年に渡る独立調査により、ドナーの多くは本人の意思に反して、生きたまま臓器を強制摘出され、殺害されていると結論づけられました。

デービッド氏らは、中国の146軒の移植認可病院を対象に、当局が設けた許認可基準に当たる病床数、利用率などを調査したところ、中国の年間移植件数は当局が公式にアナウンスしている1万件を大幅に上回る6〜10万件に達し、毎年6万人以上が臓器移植のために殺害されていると結論づけました。

その理由として下記の点があげられます。

1.驚異的に短い待ち時間

一般的にドナーを見つけるには数年かかります。世界第1位の移植大国、アメリカの平均待ち時間は1,825 日で、カナダは2,555日、イギリスは1,095日とそれほど大きな差はありません。しかし、中国は数日から2週間、長くても4週間と驚異的に短いです。

これは、中国にはレシピエントのニーズに随時応えられるドナーが十分存在し、臓器提供に困らないことを意味します。

デービッド氏らの報告書では、中国上海で臓器移植を受けた患者の証言がありました。一回目の中国渡航の時、入院している2週間の間に、彼のために、合計4個の腎臓が病院へ運び込まれました。抗体テストが行われましたが、いずれも彼の抗体反応のため適合しませんでした。 二回目の中国渡航の時は、また新たに4つの腎臓が適合テストの対象となり、8つ目が適合する事が分かると、移植手術は成功しました。

2.臓器の出所の謎

2000 年以降、中国の臓器移植件数が激増しています。

中国全土の肝臓移植件数を例にすると、1999 年までの 20 年間、中国の臓器移植件数は約 100 件で、年平均5件しかありませんでしたが、2000年以降は激増し、2005年には3,212 件と、それまでの約 650 倍となりました。

しかし、臓器の出所について、中国政府側の説明は不十分で、ドナーの9割は死刑囚からと公言していますが、中国の死刑囚は毎年2千人前後(アムネスティ)であり、当局自ら発表した年間1万件の臓器移植数を大きく下回ります。

伝統的な考え方から、中国人は臓器提供に抵抗があるため、自発的な臓器提供はほとんどありません。中国では効率的な臓器提供システムが未だに存在しないのです。

中国で移植手術を受けた患者やその家族の証言によると、ドナーの身元は知らされず、ドナーやその家族からの同意書も見せてもらえません。

デービッド氏らの調査で犠牲者の大半は国の政策で弾圧された法輪功学習者ら『良心の囚人』であると明らかにされています。1999年7月から中国当局は、全国範囲で法輪功への迫害運動を導入し、数十万人の法輪功修煉者が逮捕、拘禁されました。中国の臓器移植件数が激増した2000年は、この時期と一致しています。

3.監禁中の法輪功学習者への血液検査

拘禁されている法輪功学習者は系統的な血液検査と臓器検査を受けます。瀕死状態になるまで拷問を受けた法輪功学習者に、血液検査をするのは彼らの健康のためとは言えません。

4.証言

米国に脱出した中国人ジャーナリストは、中国瀋陽市蘇家屯地区の大型秘密刑務所で、数千人の法輪功学習者が監禁され、中の多くは臓器を摘出され、殺害され、死体は所内の焼却炉で焼却されたと暴露しました。その後、前出のアニーさんも外科医である元夫が生きた法輪功学者から角膜手術を行ったと証言しました。角膜ドナーとなった法輪功学習者は、その後他の臓器も摘出され、火葬されるので“生き残る人は誰もいない”といいます。

報告書では公安や軍病院を含む、国家と党の機関が違法な臓器狩りに関与していると示唆しました。臓器移植ビジネスにより、中国の病院、医療スタッフ、党幹部らが巨万の富を得ています。

独自のルートで調査を進めていたジャーナリストのイーサン・ガットマンは、2000年から2008年にかけて、およそ65,000人の法輪功修煉者たちが臓器のために殺害されており、ある程度の他の宗教や少数民族の人たちもターゲットになっていると推定しています。

デービッド・キルガー氏、デービッド・マタス氏の報告書(2007年)

http://organharvestinvestigation.net/

http://organharvestinvestigation.net/report0701/BloodyHarvest_Final_Edition9_A4rev.pdf

現在、世界各国で中国の「臓器狩り」に反対する決議案が次々と可決されています。

米国、欧州連合、豪 州、イタリア、カナダ、アイルランドといった各国の政府当局は、中国政府に対し、法輪功学習者ら「良心の囚人」に対し行われている臓器狩りを停止するよう求める決議案を続々と採択しており、中でもイスラエル、スペイン、台湾は、自国民が中国で臓器移植を受けることを実質的に禁止する法律を制定しました。

2015 年 6 月 12 日、台湾立法院は「人体臓器移植条例」修正案を可決し、台湾国民が臓器提供を受ける場合、国内外を問わず「無償贈与」方式とすることを明確に規定しました。違反者には最高で 5 年の実刑判決と 150 万元(約 480 万円)の罰金が科せられます。医師が臓器移植の仲介に関わった場合、医師免許がはく奪されます。

2012 年 4 月、イスラエル政府は、同国民が海外で提供者が不明な臓器や、違法なルートで入手した臓器を使った移植手術を受けること(移植ツーリズム)を禁止する法律を成立させたほか、国外で臓器移植手術を受ける同国民に対し、保険会社が保険金を支払うことも禁止しました。

スペインでは 2010 年に「スペイン臓器移植法」を改訂し、同国民が中国で移植手術を受けることを禁止しました。

では、日本の動きはどうでしょう。残念ながら、日本政府は中国の臓器狩りを止めさせるための具体的な措置は何も取っていません。しかし、日本が何も言わず、沈黙を保ったままだと、この非人間的な「臓器狩り」の共犯者となる恐れがあります。なぜなら、中国の臓器移植と日本は深い関わりがあるからです。

デービッド・キルガー氏、デービッド・マタス氏とイーサン・ガットマン氏3人による、最新報告書では、その関わりが指摘されています。

最新報告書によると、日本人向け移植ツーリズムの需要に応えた大規模な移植病院が中国にはいくつか存在します。また、中国の移植センターは日本の機関と共同しており、日本で移植技術を学んだ中国の移植外科医は数多いです。中国は日本から移植関連の薬剤を輸入し、日本政府が一部資金提供している中国の移植病院も一軒あります。

事情を知らない日本の患者が中国で移植手術を受けた時、知らないうちに臓器狩りの共犯者にならないだろうか?

日本から移植技術を学んだ中国の医師が、臓器移植の濫用にその技術を利用していないだろうか?

日本政府が中国の病院に融資する際に、臓器移植の濫用を支援することに資金が用いられないだろうか?

日本から輸出された薬剤が臓器移植の濫用に使われていないだろうか?

日本が何もせず、何の制限もかけない限り、その可能性は否定できないものです。言わば、沈黙、そのこと自体が「共犯」になるでしょう。

日本の患者が中国で移植を受けた場合、誰かがそのために、死んでいきます。1人の患者のために、罪のない人が1人、2人、もしくは、それよりも多く死んでいくかも知れません。間接的に人を殺したことにもなります。命が助かったとしても、そのような人生、不幸にならないでしょうか?

日本の移植技術、薬剤、そして資金がこのような非人道的な犯罪に利用されてはいけません。

そのため、政府にこのようなことを求めます。

1.日本の国民が国内外で移植ツーリズムに関与した場合、法的な責任を追及すること。

(中国で移植手術を受けた患者、臓器移植のブローカー、移植技術を提供した医療機関、医師、違法な臓器移植のための手配、宣伝、購入運搬普及をした者なども含む)

なお、海外で提供者が不明な臓器や、違法なルートで入手した臓器を使った移植手術を受けることを禁止すること。

2. 日本の国民が中国へ渡航する時、中国の「臓器狩り」に対し、周知させること。

3. 臓器移植に使われる薬剤を中国に輸出する際、臓器移植の濫用に利用されることを防ぐための、一連のプロセスを導入すること。

4. 「臓器狩り」に関与した外国人にビザを発給しないこと。

中国の「臓器狩り」はただ中国だけの問題ではありません。見て見ぬふりをする政府、事情を知らない国民、利益のために働く仲介業者、これらの諸要素により、中国国外の多くの人々が既にこの犯罪に関与させられています。日本は世界に情報を伝え、正義に立ち、共犯者になることを避けるための行動を起こすべきです。日本は世界をリードする能力を備えた国です。みんなの力が、日本の明るい未来を作り上げると信じます。

移植ツーリズムを考える会

http://www.stop-oh.org/

下記のサイトで、中国の「臓器狩り」に関する詳しい情報を見ることができます。

・デービッド・キルガー氏、デービッド・マタス氏とイーサン・ガットマン氏による最新報告書(英語)

http://jp.endorganpillaging.org/

・デービッド・キルガー氏、デービッド・マタス氏とイーサン・ガットマン氏最新報告書(日本語、抜萃したもの)

http://www.stop-oh.org/download/BoodyHarvest-theSlaughter2016.01017.pdf

・中国での臓器移植と日本との関わり

http://jp.endorganpillaging.org/2016/12/01/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A6%E3%82%99%E3%81%AE%E8%87%93%E5%99%A8%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC/

・「法輪功迫害追跡調査国際組織」が行った調査ではさらに詳しいデータが紹介されています。

https://www.youtube.com/watch?v=8cAX24nhGJI

【海外メデイァの報道(映像)】

・CNNが中国政府の臓器狩り問題を報道、世界の注目を集める

http://jp.ntdtv.com/news/16020/CNNが中国政府の臓器狩り問題を報道、世界の注目を集める

・世界が注目する生体臓器摘出 中国に起きる変化とは?

http://jp.ntdtv.com/news/17615/世界が注目する生体臓器摘出%20中国に起きる変化とは

・死刑囚の臓器提供禁止、背後で加速化する国家犯罪による殺人

http://jp.ntdtv.com/news/15823/死刑囚の臓器提供禁止、背後で加速化する国家犯罪による殺人

・生死の間-中国 増え続ける臓器移植の謎

http://jp.ntdtv.com/news/1804/生死の間-中国%20増え続ける臓器移植の謎(上

http://jp.ntdtv.com/news/1813/生死の間-中国%20増え続ける臓器移植の謎(下



6. 中川隆[-13388] koaQ7Jey 2018年10月31日 08:58:51: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19735] 報告
▲△▽▼

移民は「侵略」に活用されてきました。この種の「侵略」が歴史的に得意なのは、中国です。中国は「洗国」という侵略手法を得意とします。
 洗国とは、支那大陸において中華帝国が「他国」を乗っ取る際に多用される伝統的な侵略手法です。まずは、国内の流民を数十万人規模で「対象国」に移住させる。当初は「外国人労働者」として、いずれは「移民」として、膨大な人民を送り込み、現地に同化させていく。やがて、支那本国から官僚が送り込まれ、その国・地域を中華帝国の支配下に置く。


 洗国とは、人口を利用した外国侵略なのです。


 今この瞬間も、チベットやウイグル(東トルキスタン)で行われているのが、まさにこの洗国です。


 チベット人男性やウイグル人男性を中国国内に散らばらせ、現地に同化させる。さらに漢人をチベットやウイグルに送り込み、現地の女性と結婚させ、これまた同化させてしまう。やがては、現在の満州(旧:女真族の国)同様に、国境線が実質的に消滅し、中国の一部として支配が始まる。


 今風に言えば、民族浄化(エスニック・クレンジング)で、明らかに国際犯罪です。とはいえ、現実に中国共産党はチベット人やウイグル人に対する洗国をほぼ完成させ、台湾にもじわじわと浸透していっています。


 そして、我が国にも。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12415662357.html



7. 中川隆[-13441] koaQ7Jey 2018年11月05日 23:14:04: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20047] 報告
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不都合なことは「知ろうとしない」日本人たち!
https://85280384.at.webry.info/201811/article_43.html

 中国人(漢族)がチベットやウイグルでどんなひどい残虐行為を繰り返しているか日本人は知ろうとしない。

 中国は様々な文化事業などを通じて、表面上は微笑みを絶やさず日本人を信用させ、長年かけて「洗脳」してきた。 陰で反米活動を扇動しながら、日本中に”親中国”日本人を誕生させた。

 中国シンパは、日本の中で対立をあおり、混乱を増幅させようとする。が、中国の尖閣への挑発や南シナ海の独占化、チベットやウイグルへの残虐行為、さらには中国国内の民主化活動をことごとく弾圧する中国共産党に対しては、「気が付かないふり」をする。

 驚くべきことだが、そこまで「洗脳」が浸透しているのである。

 以下はフェイスブックに掲載された投稿ルポである。

 人間の尊厳を「これでもか」といたぶり続ける中国共産党。領土を占領し、チベットからレアメタルなど資源を奪い去る中国共産党の残酷非道ぶり。余りの生々しさに目を覆いたくなる。

***********************************

 チベットでは女性は尼僧であっても繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ち。尼僧との性交を強いられたり、売春婦をつれてきて僧に性交を強要。

 僧が拒否すると腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたという。神を畏れぬ獣と化した中国兵。

 大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれた。熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺された。

 性暴力はひどいもので、尼僧でインドに亡命したケンサン・ペモさんは以下のように話した。

 捕まった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられた。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされた。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていた。大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けた。

 やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げ回り、ついに気絶した。気が付くと水をかけられてびしょ濡れになった。

 再び拷問が始まった。電気棒を口や肛門、女性の性器に押し込んできた。私は悲鳴を上げて再び気絶した。 電気棒は家畜に用いる電気ショック棒で、1980年代から使われ。

 中国共産党の民族浄化作戦で、女性が子供を産めないようにするのが目的だ。

28年間獄中で過ごしたアマ・アデ女史
 私が逮捕されたのは26歳の時。300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられた。

 しかし、実際には中国人看取の性欲処理係だった。私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えた。でも残された年老いた両親のことを思い思い留まった。

 豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来た。私たちの行為がなかったら、彼らは一カ月と生きられなかった。

 中国はこれらを「亡命者の証言は虚偽」と主張していますが、複数の証言を符合させれば事実というのがわかるでしょうし、歴史的に見て中国人の手口です。

 日本のメディアはケンサン・ペモさんの証言の性的暴力のところは隠蔽して報道しました。朝日新聞と岩波書店の月刊誌「世界」です。このチベットの事実を女性の人権問題として声を上げようとすると妨害されるそうです。ニセ人権主義者が日本に大勢潜んでいるということでしょう。


8. 中川隆[-13443] koaQ7Jey 2018年11月06日 08:37:35: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20071] 報告
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生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。


(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html


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「中華帝国は”解体”すべきか」ペマ・ギャルポ他、『正論』2018/11/18

・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。

・中国が変わるチャンスは2度会った。最初は文化大革命の混乱。このまま続けば、中国は変わらざるをえなかったのに、米ソ冷戦下で、米国の誤算で中国を助けてしまった。次が天安門事件、若者を弾圧する中国に世界中が経済制裁している時に、日本が真っ先に助けてしまった。中国が民主化するチャンスを潰したのが日本。

【伊勢雅臣】「中国が民主化するチャンスを潰したのが日本」という言葉は重いです。二度とそういう過ちは犯してはなりません。
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201811/article_13.html


http://www.asyura2.com/17/asia23/msg/759.html#c2

[昼休み54] 毛沢東気取りの習近平の近況 中川隆
93. 中川隆[-13762] koaQ7Jey 2018年12月11日 12:16:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

中国、「貿易戦争」11月輸出高は大幅鈍化で経常赤字「急浮上」2018年12月11日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14231111.html

11月の輸出高の伸び率は急速に鈍化した。これまで、私は機会あるごとに中国の経常収支の赤字懸念問題を取り上げてきた。その危険性が、一段と迫っているように思える。

1〜9月までの経常収支は、128億ドルの赤字である。この赤字分を10〜12月の3ヶ月で埋めて、2018年の通年でどれだけの経常黒字を計上できるのか。あるいは、経常赤字のままなのか、瀬戸際にきている。この問題は、人民元相場動向を左右する重要な要素である。単なる数字遊びではない。先ず、この点を認識していただきたい。今後の米中貿易戦争の行方にも大きな影響を与えるはずだ。

1〜11月の貿易黒字は、2996億ドルである。ここから2018年の貿易黒字を推測すると、3268億ドルである。前年実績は、4195億ドルである。今年は、昨年よりも貿易黒字が927億ドルも減る計算である。これだけ、貿易黒字が減った場合、経常収支にどのような影響を与えるか。

経常収支の計算では、@貿易収支、A所得収支、Bサービス収支の3つが主として影響を与える。中国の場合、AとBが大赤字である。Aでは、中国へ進出している外資系企業が利益を上げて本国へ送金したり、特許料の支払いも嵩んでいる。Bでは、中国人の外国旅行が盛んで「爆買い」でカネを使っている。

要するに、相当な貿易黒字を稼ぎ出さない限り、AとBの大赤字を消せない宿命を負っている。こうなると、貿易黒字の減少が経常収支に大きな蔭を落とす構造になっている。ところが、今年の貿易黒字は927億ドルも減るというのが、私の試算である。仮に、AとBに増減がなく昨年並とすれば、経常収支は1〜9月の経常赤字128億ドルを消して、若干の経常黒字を出す可能性もある。だが、AとBで赤字が膨らめば、通年の経常収支は赤字転落になりかねない。極めて、微妙な局面に来ている。来年は確実に経常赤字転落である。

世界のGDP2位の中国が、経常赤字になった場合、世界経済に与える衝撃を考えておくべきだ。しかもなお、貿易戦争の渦中にあるとすれば、「中国敗北」は決定的である。中国経済「不敗神話」を信じている向きがあるとすれば、早急に「改宗」を勧めたいと思う。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html#c93

[昼休み53] 絶滅寸前の日本人と日本文化 中川隆
48. 中川隆[-13761] koaQ7Jey 2018年12月11日 12:40:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

インバウンドで英国並みを目指す?FGM前年比2倍、ホームレスの子供13万人越えの英国を目指すの? 2018年12月10日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12424973334.html


国境と国籍を無視し、内外人平等を謳い、社会と法律から日本人特権を廃止する中での、

「移民拡大」は日本人を地獄に叩き込む必要不可欠な手段で、その手助けの一つに「日本人より外国人客を好む観光立国」があります。

どちらも外国人を歓迎することを国民に課す全体主義です。

被害に遭う日本人に対しては腹立たしいことに片務的な「寛容の精神」まで要求されます。

外国人就労拡大、制度の具体像示さない政府 自治体に焦り(西日本新聞)とありますが、本来金儲けのために外国人を入れる企業側が持つべき外国人の日本での生活の負担と責任を、我慢させられる住民(自治体)に押し付けるために持ち出されるのが「多文化共生」です。困る人と儲ける人が別のために安倍政権によってこの卑怯な手法が採用されています。

入管改正法が薔薇色に見える「儲けの為には日本を破壊する」人たちは次のように考えていて「もっと外国人を!」と調子に乗っています。

ブルー音符外国人スタッフ雇用右矢印インバウンド対応強化(外国人観光客への接待)

ブルー音符在日外国人増える右矢印「VFR=知人・家族訪問」促進

日本のインバウンドは74%が観光でVFRは5%だそうですが、同じく島国で経済レベルも近い観光大国イギリスはVFRの割合が全体の32%で、日本には伸び代があると期待しています。

しかし、ネイティブ英国人は国際語である英語が堪能で、体格が貧層でもなく(実はこのような強弱を測る原始的な物差しは結構重要です)、簡単に異民族に負けるような人種ではないのです。

イギリスには太陽の沈まない大英帝国の時代があり、現在もその国々と英連邦を構成し交流が盛んです。そして英国は常任理事国でもあり、日本が比べるのも目指すのも不適当です。

外国人の知人や家族の訪問が3割もある英国は、第三世界の外国人が増えたために社会が猛烈に劣化しているわけで、VFR3割を日本が目指すなら日本も同じように、いやもっと酷く劣化することを意味します。

四角02

とりあえず英国で外国人が増えてどういうことが起きているのか簡単に見てみます。

英国内のホームレスの子どもは現在、推定13万1000人で5年以上前に比べ59%増、数字にして約5万人拡大(CNN)で、そのうちの3分の2がロンドンにいるそうです。

そのロンドンはムスリムのパキスタン移民が市長を務めており、「大都市生活においてテロ攻撃の脅威は不可欠である」との仰天発言をして各種犯罪が急増、ニューヨークより危険な大都市となっています。また、一人当たり世界で一番酸攻撃が多い都市としても有名ですし、”新犯罪評価基準”では、公共物の破壊、自動車犯罪、燃料窃盗などの「軽犯罪?」は捜査を中止できる一方、ヘイトクライムは必ず捜査するように指示されているとのことです。

クリップ英国:カーン市長の成果?ロンドニスタンの銃刀犯罪、強盗、レイプ、殺人などがいずれも大幅アップ‼

英国では男の赤ちゃんの名前トップが5年連続「ムハンマド」ですし、英国の都市で過去10年間、人口増加の98%が移民によるものということです。
イングランドとウェールズで出産した母親の28.2%が外国生まれの女性です。

クリップ英国:男の赤ちゃんの名前「ムハンマド」が5年連続トップ。赤十字トップは白人が多すぎると自己批判?

イギリス国内での選挙権を得たバングラデシュ人とパキスタン人による不正選挙はポリティカル・コレクトネスで問題視されなかったことも明らかになっています。

また、公立学校には本を見たことがない、トイレを使ったことがない、というような外国人の親がいるそうですし、辺鄙な地域の外国語にも公費で通訳をつけ、11歳くらいから草刈り鎌で乱闘騒ぎを起こします。教師にもなり手がいなくなり、底辺校は授業ができません。

クリップ人権保護条約や法律→国籍と国境を無くす→世界の貧困問題の解決! この罠わかりますか?

イギリスの少女のうち10人に1人が生理用品を買えないということで、女の子の12%が靴下、ぼろ布、トイレットペーパー、さらには新聞で代用しています。生理用品が買えないことで、生理期間中に学校を休むケースも報告されているそうです。(NEWSWEEK)

そしてFGM(女性器切除)、これはヨーロッパにはなかった野蛮人の風習です。

昔ならともかく、今、女性虐待にしかならないことが明確なのに、このような蛮行がアフリカやイスラム教徒の移民とともにヨーロッパ(北米にも)に入り込んで増えています。

FGM経験者の半数以上が3カ国(インドネシア、エジプト、エチオピア)に集中しており、15〜19歳のFGM経験者の割合が最も高い国々は、ソマリア(98%)、ギニア(97%)、ジプチ(93%)です。

日本にも野蛮な習慣を持つ国から大量に移民を入れているようですが、もうこういうことが起きていて隠されているのでしょうか?

イングランドで2017〜2018年にFGM事例が1960件ありました。1年前は970件ですからほぼ2倍に増えています。それにこれは表に出ない数が相当あり氷山の一角と言えますが、それでも1週間に30件以上ソーシャルワーカーが気づいたことになります。

英国では1995年からFGMは禁止されていますが、国中で続けられていることは明らかです。

国民健康保険の数字から、12カ月で4495件のFGMを記録、2時間おきに1人の少女がFGMの施術をされていることがわかります。

英国には13万7千人のFGM被害者がいるとみられていますが、この非人道的な行為に関する告発が日の目を見たことは一度もありません。

https://voiceofeurope.com/2018/12/cases-of-female-genital-mutilation-more-than-doubled-in-the-uk-last-year/

四角02

第三世界の移民はその空気ごと身にまとってやってきます。

それはたいてい私たちにとって不快で有害です。

犯罪も多発しています。政府は「外国人犯罪は近年、ほぼ横ばい状態」「外国人観光客は急増したが、短期滞在者の総検挙人員はそれほど増えていない」と言いますが、検挙しなければカウントされないような統計を出されても困るのです。統計から除外されている外国人も多数いますし、ポリティカル・コレクトネスで矮小化されているところも、移民でカオスとなった欧州が何十年もやってきた姑息な方法そのまんまです。

クリップ殺人、強盗など凶悪事件も続々…外国人犯罪の知られざる実態

クリップ外国人犯罪 警察の敵が「入管と万引きGメン」になる理由

第三世界の外国人は最初数が少ないときには大人しいです。そして嘘をつくことが当たり前なので、おどおどせず堂々と嘘をつき時には泣き、お人好しは簡単に信じて騙されてしまいます。

横のつながりが発達しているので、最新情報を持ち、どうすれば自分たちに有利かを熟知しています。一般の日本人の想像力では敵わないのです。

もう一度言います。

多文化共生は企業の責任逃れ、私たちに負担を丸投げするために作り出されたものです。

そこに「地球市民」という宗教じみた活動家が利用されて共鳴しています。

人手不足でもないのにそのように信じ込ませられています。

政府が企業の代弁者で、国民は騙して搾取するものだと考えているから今こうなっています。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12424973334.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/898.html#c48

[政治・選挙・NHK254] <まっとうな保守政治家は野党にいた!>自民党に良心は存在しないのか/政界地獄耳(日刊スポーツ)  赤かぶ
1. 中川隆[-13760] koaQ7Jey 2018年12月11日 13:54:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]
馬渕睦夫さんが明らかにしていますが、

自民党は保守ではなくリベラル、日本で保守政党は日本共産党だけなんですね:

左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、中国共産党、マスコミ
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚・皇族、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


ノンフィクション作家・河添恵子#4-1
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」前編・グローバリスト&共産主義勢力 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z7syO3BhDdQ


ノンフィクション作家・河添恵子#4-2
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」後編・北朝鮮問題の行方 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z4Ot9KiWPV8



http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/761.html#c1

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
152. 中川隆[-13759] koaQ7Jey 2018年12月11日 14:12:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]
全国 スキー場積雪天気情報 ‐ SURF & SNOW
https://snow.gnavi.co.jp/search/list/spl_snow.php?sort=snow

気象庁|最新の気象データ 積雪の深さ一覧表(12月4日) 19時00分現在
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/snc_rct/alltable/snc00.html

____


スキー場積雪ランキング 2018年12月11日更新
https://weather.goo.ne.jp/ski/ranking/


1キロロスノーワールド

道央 積雪量 160cm
.

2ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 150cm
.

3大雪山黒岳

道北 積雪量 140cm
.

4サッポロテイネ

道央 積雪量 130cm
.

5札幌国際

道央 積雪量 130cm
.

6湯殿山

山形 積雪量 120cm
.

7富良野

道北 積雪量 106cm
.

8夏油高原

岩手 積雪量 105cm
.

9ニセコビレッジスキーリゾート

道央 積雪量 100cm
.

10ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 90cm
.

11秋田八幡平

秋田 積雪量 90cm
.

12スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 80cm
.

13ホワイトピアたかす

岐阜 積雪量 80cm
.

14フジヤマスノーリゾートイエティ

静岡 積雪量 80cm
.

15かぐら

新潟 積雪量 70cm
.

16ルスツリゾート

道央 積雪量 70cm
.

17安比高原

岩手 積雪量 70cm
.

18ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 60cm
.

19狭山

埼玉 積雪量 60cm
.

20オーンズ

道央 積雪量 60cm
.

21女鹿平温泉めがひら

広島 積雪量 60cm
.

22野沢温泉

長野 積雪量 55cm
.

23野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 55cm
.

24鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 50cm
.

25丸沼高原

群馬 積雪量 50cm
.

26エコーバレー

長野 積雪量 50cm
.

27グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 50cm
.

28軽井沢プリンスホテル

長野 積雪量 50cm
.

29森吉山阿仁

秋田 積雪量 50cm
.

30夕張リゾート マウントレースイ

道央 積雪量 50cm
.

31星野リゾート トマム

道北 積雪量 50cm
.

32くじゅう森林公園

大分 積雪量 45cm
.

33谷川岳天神平

群馬 積雪量 45cm
.

34ハチ高原

兵庫 積雪量 45cm
.

35北海道グリーンランドホワイトパーク

道央 積雪量 41cm
.

36富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 40cm
.

37車山高原スカイパーク

長野 積雪量 40cm
.

38ウイングヒルズ白鳥リゾート

岐阜 積雪量 40cm
.

39天元台高原

山形 積雪量 40cm
.

40赤倉温泉

新潟 積雪量 40cm
.

41井川スキー場腕山

徳島 積雪量 40cm
.

42琴引フォレストパーク

島根 積雪量 35cm
.

43サホロリゾート

道東 積雪量 35cm
.

44小海リエックス・スキーバレー

長野 積雪量 30cm
.

45さっぽろばんけい

道央 積雪量 30cm
.

46湯の丸

長野 積雪量 30cm
.

47たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 30cm
.

48川場

群馬 積雪量 30cm
.

49六甲山スノーパーク

兵庫 積雪量 30cm
.

50函館七飯スノーパーク

道南 積雪量 30cm
.

51志賀高原 焼額山

長野 積雪量 30cm
.

52天山リゾート

佐賀 積雪量 30cm
.

53岩原

新潟 積雪量 30cm
.

54みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 30cm
.

55苗場

新潟 積雪量 30cm
.

56山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 30cm
.

57アサマ2000パーク

長野 積雪量 30cm
.

58菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 30cm
.

59志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 25cm
.

60みやぎ蔵王えぼしリゾート

宮城 積雪量 25cm
.

61志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 20cm
.

62山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 20cm
.

63箕輪

福島 積雪量 20cm
.

64志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 20cm
.

65竜王スキーパーク

長野 積雪量 20cm
.

66軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 20cm
.

67山形蔵王温泉(横倉ゲレンデ)

山形 積雪量 15cm
.

68山形蔵王温泉(上の台ゲレンデ)

山形 積雪量 15cm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c152

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
222. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2018年12月11日 14:27:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

2018年12月10日
「住宅ローンは固定金利で借りよう」特に心配性な人は
塚崎公義(久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14723


 今回は『老後破産しないためのお金の教科書 』の著者である塚崎が、住宅ローンを固定金利で借りるべき理由を説明します。

 住宅ローンを借りる際に固定金利で借りるのか変動金利で借りるのかは、重要な問題です。固定金利の方が当初の金利は高いですが、将来の金利上昇に対する備えができるので安心です。

 老後資金について語る時の筆者は、「長生きとインフレのリスクを避ける事が最重要」と力説しますが、住宅ローンは現役時代の話なので、異なる観点から論じることになります。

 ちなみに、「住宅ローンは現役時代だけの話ではない。退職後も住宅ローンを返済し続ける予定だ」という読者は、考え直しましょう。退職後は大した所得は見込めないのですから、借金は退職金で完済しましょう。莫大な遺産が期待できる場合は例外ですが(笑)。

通常であれば固定でも変動でも損得はないはずだが…

 長期金利(住宅ローンの場合は固定金利)は、人々が将来の毎年の短期金利(住宅ローンの場合は変動金利)を予想して、その平均になるのが普通です。貸し手と借り手が合意する必要がありますから、「変動金利で借りて30年間に払う金利(予想)と固定金利で借りて30年間に払う金利を比べて、どちらかが圧倒的に得だ」、ということにはならないからです。

 もっとも、現在は日銀が「異次元の金融緩和」をしていますから、長期金利が「人々が予想する短期金利の平均、すなわち長期金利のあるべき水準」より遥かに低くなっていると思われます。日銀の金融緩和というのは固定金利の長期国債を大量に購入することですから、これは固定金利の長期貸出を大量に行うのと同様の効果があります。そこで、長期固定金利の借入需要より貸出が圧倒的に多くなり、長期固定金利が押し下げられているのです。

 つまり、現在の固定金利は、人々が「将来の変動金利を30年分予想して、それを平均したもの」よりも低い可能性が高い、というわけです。それなら、固定金利で借りたほうが得ですね。


固定金利を保険料と考えよう

 変動金利で借りる場合、将来の金利が上がるか下がるかわかりません。そこで、固定金利で借りることによって「高い金利を払わされるリスクがなくなるが、変動金利が下がっていくチャンスも放棄する」ことになるわけです。それならば、どちらに賭けるか、という話になります。

 筆者は小心者なので、「金利が高騰して巨額の利払いが発生するリスクを避けるためなら、金利が低下しても受けられるチャンスを放棄するのは仕方ない」と考えますが、そのあたりは人それぞれでしょう。

 しかし、現在の金利を見てみましょう。変動金利は0.4%程度です。これがさらに低下したとしても、得られるメリットは非常に小さいでしょう。一方で、金利が上昇してしまうリスクは決して小さくありません。そうであれば、固定金利で借りるメリットは大きいでしょう。
 
 一方で、固定金利の方が変動金利より高くなっています。「将来の短期金利が今より高くなりそうだから」という事ですし、「なぜ固定金利の方が高いのか」といった経済学理論もあるのですが、本稿ではそうしたことは忘れて、その差は「保険料」だと考えることにしましょう。

 「保険料を払ってくれた人には、家が火事で焼けたら1000万円払ってあげます」というのと「保険料を払ってくれた人には、変動金利が今後上昇しても、上昇した分はすべて保険会社が払ってあげます」というのは同じことですから。

 その「保険料」が、今は大変安いのです。住宅ローンの借り先にもよりますが、1.4%程度の所が多いようです。その程度で金利上昇リスクが避けられるならば、是非「保険」に加入すべきだと筆者は強く考えています。


長期金利の基本は予想短期金利の平均である理由(上記の解説)

 本論は以上ですが、「固定金利は、人々が将来の短期金利を予想して、それを平均したものになる」という事の理由を説明します。少し理屈っぽい話ですが、興味のある方はお読みいただければ幸いです。

 毎年金利が変動する住宅ローンと30年間金利が固定されている住宅ローンがあったとします。両者を比較する際、最初に考えることは、どちらが得だろうか、ということですね。それを考える際には、今後30年間の短期金利を予想する必要があります。当たるか否かはともかく、自分なりに予想してどちらが得かを考えるわけです。

 借りる方もそうですが、貸す方も同じです。将来の短期金利を予想しながら、変動金利で貸すのと固定金利で貸すのと、どちらが得かを考えるわけです。こうして、借り手も貸し手も将来の短期金利を予想しながら、どちらが得かを考えているわけです。

 借り手は、予想短期金利の平均よりも長期金利が低ければ固定金利で借りようとしますが、貸し手は予想短期金利の平均より長期金利が低ければ固定金利では貸しません。そこで、固定金利は上がっていきます。そうして、人々が「変動金利で借りても(貸しても)固定金利で借りても(貸しても)同じだ」と考える水準に固定金利が定まるのです。

 一般に、物の値段は「どちらが得だかわからない」という水準に決まります。どちらかが一方的に得だと人々が思うようでは、皆が得な方を買い(借り)、損なほうを売り(貸し)ますから、価格が動いてしまい、結局人々が「どちらが得かわからない」と悩むような状況になったところで価格が安定するからです。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c222

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
129. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月11日 14:28:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

2018年12月10日
「住宅ローンは固定金利で借りよう」特に心配性な人は
塚崎公義(久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14723


 今回は『老後破産しないためのお金の教科書 』の著者である塚崎が、住宅ローンを固定金利で借りるべき理由を説明します。

 住宅ローンを借りる際に固定金利で借りるのか変動金利で借りるのかは、重要な問題です。固定金利の方が当初の金利は高いですが、将来の金利上昇に対する備えができるので安心です。

 老後資金について語る時の筆者は、「長生きとインフレのリスクを避ける事が最重要」と力説しますが、住宅ローンは現役時代の話なので、異なる観点から論じることになります。

 ちなみに、「住宅ローンは現役時代だけの話ではない。退職後も住宅ローンを返済し続ける予定だ」という読者は、考え直しましょう。退職後は大した所得は見込めないのですから、借金は退職金で完済しましょう。莫大な遺産が期待できる場合は例外ですが(笑)。

通常であれば固定でも変動でも損得はないはずだが…

 長期金利(住宅ローンの場合は固定金利)は、人々が将来の毎年の短期金利(住宅ローンの場合は変動金利)を予想して、その平均になるのが普通です。貸し手と借り手が合意する必要がありますから、「変動金利で借りて30年間に払う金利(予想)と固定金利で借りて30年間に払う金利を比べて、どちらかが圧倒的に得だ」、ということにはならないからです。

 もっとも、現在は日銀が「異次元の金融緩和」をしていますから、長期金利が「人々が予想する短期金利の平均、すなわち長期金利のあるべき水準」より遥かに低くなっていると思われます。日銀の金融緩和というのは固定金利の長期国債を大量に購入することですから、これは固定金利の長期貸出を大量に行うのと同様の効果があります。そこで、長期固定金利の借入需要より貸出が圧倒的に多くなり、長期固定金利が押し下げられているのです。

 つまり、現在の固定金利は、人々が「将来の変動金利を30年分予想して、それを平均したもの」よりも低い可能性が高い、というわけです。それなら、固定金利で借りたほうが得ですね。


固定金利を保険料と考えよう

 変動金利で借りる場合、将来の金利が上がるか下がるかわかりません。そこで、固定金利で借りることによって「高い金利を払わされるリスクがなくなるが、変動金利が下がっていくチャンスも放棄する」ことになるわけです。それならば、どちらに賭けるか、という話になります。

 筆者は小心者なので、「金利が高騰して巨額の利払いが発生するリスクを避けるためなら、金利が低下しても受けられるチャンスを放棄するのは仕方ない」と考えますが、そのあたりは人それぞれでしょう。

 しかし、現在の金利を見てみましょう。変動金利は0.4%程度です。これがさらに低下したとしても、得られるメリットは非常に小さいでしょう。一方で、金利が上昇してしまうリスクは決して小さくありません。そうであれば、固定金利で借りるメリットは大きいでしょう。
 
 一方で、固定金利の方が変動金利より高くなっています。「将来の短期金利が今より高くなりそうだから」という事ですし、「なぜ固定金利の方が高いのか」といった経済学理論もあるのですが、本稿ではそうしたことは忘れて、その差は「保険料」だと考えることにしましょう。

 「保険料を払ってくれた人には、家が火事で焼けたら1000万円払ってあげます」というのと「保険料を払ってくれた人には、変動金利が今後上昇しても、上昇した分はすべて保険会社が払ってあげます」というのは同じことですから。

 その「保険料」が、今は大変安いのです。住宅ローンの借り先にもよりますが、1.4%程度の所が多いようです。その程度で金利上昇リスクが避けられるならば、是非「保険」に加入すべきだと筆者は強く考えています。


長期金利の基本は予想短期金利の平均である理由(上記の解説)

 本論は以上ですが、「固定金利は、人々が将来の短期金利を予想して、それを平均したものになる」という事の理由を説明します。少し理屈っぽい話ですが、興味のある方はお読みいただければ幸いです。

 毎年金利が変動する住宅ローンと30年間金利が固定されている住宅ローンがあったとします。両者を比較する際、最初に考えることは、どちらが得だろうか、ということですね。それを考える際には、今後30年間の短期金利を予想する必要があります。当たるか否かはともかく、自分なりに予想してどちらが得かを考えるわけです。

 借りる方もそうですが、貸す方も同じです。将来の短期金利を予想しながら、変動金利で貸すのと固定金利で貸すのと、どちらが得かを考えるわけです。こうして、借り手も貸し手も将来の短期金利を予想しながら、どちらが得かを考えているわけです。

 借り手は、予想短期金利の平均よりも長期金利が低ければ固定金利で借りようとしますが、貸し手は予想短期金利の平均より長期金利が低ければ固定金利では貸しません。そこで、固定金利は上がっていきます。そうして、人々が「変動金利で借りても(貸しても)固定金利で借りても(貸しても)同じだ」と考える水準に固定金利が定まるのです。

 一般に、物の値段は「どちらが得だかわからない」という水準に決まります。どちらかが一方的に得だと人々が思うようでは、皆が得な方を買い(借り)、損なほうを売り(貸し)ますから、価格が動いてしまい、結局人々が「どちらが得かわからない」と悩むような状況になったところで価格が安定するからです。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c129

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
130. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2018年12月11日 14:54:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

いまは2000年「ITバブル」と同じ状況、あらゆる指標が景気のピークを示している=江守哲 2018年12月11日
https://www.mag2.com/p/money/598499


経済指標をみると、2000年のITバブル時と本当に似ています。住宅や設備稼働率、設備投資額指数もほとんど同じ。いまの市場に対して強気になることはできません。(江守哲の「投資の哲人」〜ヘッジファンド投資戦略のすべて)


今年の12月は何か違う?歴史的割高圏で、投資家はどう動くべきか

米国市場は「悪い時期」に差し掛かっている

先週末、米国株は結局下げました。米中貿易摩擦長期化への懸念などを背景に大幅続落しています。週間ベースでは、ダウ平均が4.5%安、S&P500が4.6%安、ナスダック指数が4.9%安となり、3月以来の大幅な下げとなりました(編注:週明け12月10日のダウ平均株価終値は4営業日ぶりに小幅に反発、前週末比34ドル高の2万4,424ドルとなっています)。

また、景気の先行指標でもあるダウ輸送株20種は週間ベースで8%安となり、下落率は7年ぶりの大きさとなりました。小型株中心のラッセル2000も5.6%安と、16年1月以来の下げでした。

このような動きになっていることを、どのようにとらえるべきでしょうか。

181211nydow_d

先週も当メルマガで解説したように、答えは出ているように思います。

先週末のVIXは2.04ポイント高の23.23に上昇しています。「危険ゾーン」である20を超えて、再びリスクが高まっているわけです。また、半導体指数SOXは下げ基調に戻りました。弱いパターンです。

米中貿易摩擦の長期化や米景気の先行きに対する懸念が台頭してきました。これまで多くの市場関係者は、「米国景気は過去最長」「今後も拡大が続く」などとしてきました。

しかし、これは景気指標をしっかりとみれば、そうではなくなってきていることがわかります。

株式を保有していると、どうしても良い材料に目が行きがちです。しかし、いまはそうではないと言わざるを得ません。それがきわめて冷静で正しい見方であると考えています。

そろそろ市場にピーク感が出始める頃

これまで堅調さを維持してきた雇用情勢にも、徐々に変化の兆しが見られます。

7日に発表された11月の米雇用統計では、景気動向を反映する非農業部門就業者数が15万5000人増と前月の23万7000人から鈍化し、市場予想の20万人増を下回りました。

失業率は3.7%で、49年ぶりの低水準を維持しました。この数値自体はきわめて強いといえます。一方、平均時給は前年同月比3.1%増でした。市場予想が3.2%上昇でしたので、これを下回ったことになります。



このように、そろそろピーク感が出始める頃です。

市場の雰囲気が急速に悪化したのは、すでに報じられているように、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟・副会長兼最高財務責任者(CFO)を逮捕されたことです。

カナダ当局が米国の要請を受けて逮捕したわけですが、米国はいよいよ本腰を入れて中国をつぶしに来ました。この事件をどう理解すべきかは後述します。

逆イールドをどう捉えるべきか

さて、市場では米国債は長短金利差に注目が集まっています。この動きに対して、市場ではそれぞれの立場で理解に差があるようです。

しかし、結論は出ています。

10年債と2年債の利回り差(イールドスプレッド)は、7日の引け時点でマイナス0.1390%にまで縮小してきています。また、2年債と5年債の利回りスプレッドは0.0150%と短期債利回りがすでに上回っており、逆イールド化が完成しています。

CMEグループのフェドウォッチによると、短期金利先物が織り込むFRBが18・19日のFOMCでフェデラルファンド(FF)金利誘導目標を2.25−2.50%に引き上げる確率は75%と、前日の71%から上昇しました。

短期金利先物が織り込む来年の利上げ回数は1回となっており、FRBは9月に予想した来年3回の利上げの実施が修正される可能性が指摘されています。

いまのイールドスプレッドの動きをどのように解釈するかによって、今後の市場の見方はまったく違うものになります。

多くの市場関係者は、「イールドスプレッドが逆イールド化しても、すぐに景気後退や株安にはならない」としています。これは誤った理解であると考えています。

いまは2000年「ハイテクバブル」と同じ状況

いまは2000年のハイテクバブルと同じ状況です。

当時は、まず10年債利回りが株価のピークにやや先行して高値を付け、低下に向かいました。2年債利回りは金利上昇を見込んで上昇し、ピークを付けたのは5月です。そして、株価は3月にピークをつけています。

つまり、10年債利回り、株価、2年債利回りの順にピークをつけています。この結果、イールドスプレッドは縮小し、2000年1月に逆イールド化した後に株価が3月にピークアウトしています。

今回は、2年債利回り、10年債利回り、株価がほぼ同時にピークをつけています。

その中で、債券利回りは両方とも低下する中で、10年債利回りの低下が大きいことで、結果としてイールドスプレッドが縮小しているわけです。これは、かなりネガティブなパターンです。

金利低下は景気鈍化、株価下落のサインです。証券関係者がなぜこれをポジティブに捉えるのか、まったく理解できません。

株価が上がってほしいからでしょうか。しかし、常識的に考えれば、やはり株価は上がらないでしょう。まずは調整が必要なほど、米国株は歴史的な割高圏にあるからです。



経済指標をみると、2000年のハイテクバブル時と本当に似ています。住宅や設備稼働率、設備投資額指数もほとんど同じ動きです。ここまで似ていると、いまの市場に対して強気になることはできません。


来年は利上げ見送りか

米景気は7−9月の実質GDP伸び率が年率3.5%と、潜在成長率の2%弱を上回っています。インフレ率も目標に達しており、市場はFRBが政策会合で今年4回目の利上げを決めると見込んでいますが、今後は難しくなるでしょう。

米経済には慢性的な人手不足、対中制裁関税などでインフレ加速のリスクが潜む一方で、賃金などには明確な上昇圧力が出ていません。

また、米中貿易戦争をめぐる不透明感、世界経済の減速傾向などが先行きに影を落とし始めるとの警戒感もあり、来年以降の利上げペースは確実に鈍化するでしょう。

場合によっては、来年は利上げ見送りの可能性もあると考えています。そうなれば、いうまでもなく、株価は下落に向かうことになります。

すでに景気はピークを達している

景気動向に先行する株価が、すでに景気のピークを示す指標が増える中、上昇基調を維持するのは難しいと言わざるを得ません。

ブレイナードFRB理事は、「緩やかな利上げが短期的に適切」としています。また、今後の政策運営は「より景気動向に左右される」とし、利上げの終着点が近づく中で、経済情勢の慎重な判断が一段と重要になるとしています。また、「米景気はきわめて強固」とし、「来年も堅調な成長を維持すると見込まれる良い理由がある」として、短期的には金融引き締めが望ましいとの認識を示しています。

ただし、今後は減税や好調な世界経済の追い風が減退するほか、貿易摩擦や英国のEU離脱に絡むリスクなどを踏まえ、「いくらかの逆風に直面するかもしれない」とし、「インフレ急加速の兆候もない」としています。

おそらく、この見方は正しいでしょう。

一方、セントルイス連銀のブラード総裁は講演で、「現在の金利水準は見通せる将来にわたって適切」としています。そのうえで、「次回のFOMCで利上げ決定を見送り、1月に後ずれさせることも可能」としています。

さらに、インフレ率などの経済データを使って、適切な政策金利を導き出す「テイラー・ルール」の有用性を指摘し、景気が巡航速度で推移した場合の金利水準である自然利子率が過去に比べて低下していることや、失業率とインフレ率の関係が薄れていることなどを考慮した新たなルールを示しました。

ブラード総裁は、「物価連動債相場から取り出したデータを使って推計したインフレ期待値に基づけば、金融市場は今後5年間、インフレ率がFRBの物価安定目標の2%に到達しないと見込んでいる」としています。

さらに、「こうした要素を反映させれば、政策金利を引き上げる理由は見当たらない」との考えを示しました。そのうえで、「現行の金融政策は帰路にある」と指摘し、これまで続けてきた緩やかな利上げのタイミングやペースを再考する段階に来ているとの認識を示しています。

ブラード総裁はFRB高官の中では利上げに消極的な「ハト派」であり、理論家のエコノミストとして知られています。今年のFOMCでは投票権を保有していませんが、来年は保有しています。「ハト派」の論客として、今後はFRBの政策運営に少なからず影響を与えることになりそうです。


米国市場はすでに終わっている

さて、米国の主要株価指数は大幅安になっています。結局のところ、安値での買いはあくまで買い戻し主体だったといえます。

反発を期待する声が多いのですが、いまの市場はすでに終わっていると判断しています。戻す局面があるかもしれませんが、本物の戻り基調に入るのは数年かかるでしょう。

S&P500は50日移動平均線が200日移動平均線を下回り「デッドクロス」を形成しました。米国ではこのような動きをものすごく意識します。これは短期的な弱気シグナルと見られていますので、手仕舞い売りが出やすくなるでしょう。

また、週間ベースの下落率も大きくなっており、地合いの悪化が鮮明です。買いづらい状況が続くことになりそうです。

しかし、一方で売られすぎと判断し、安値と考えて買った投資家が増えていることも事実です。多くの投資家は依然として上昇を見込んでいます。長期的には正しい見方であると思いますが、今後の調整場面でこのポジションを維持できるかどうかです。

歴史的割高圏にある今、投資家はどう動くべきか?

いまの米国株は歴史的な割高圏です。長期的に見れば、より安いところで買う機会は数多くあるでしょう。

いまは景気拡大の最終局面であり、ボラティリティが高くなります。ここで無理をして株価の最後のひと上げを取りにいくのはリスクがあるでしょう。

それよりも、ポジションをきれいにして、今後大きく調整した際に保有している現金で割安になった株式を買う準備をするほうが健全です。

ポジションをきれいにすると、見えないことが見えてきます。それは、バイアスがかからないからです。そうすることで、いまの市場の位置づけを冷静に分析することができるはずです。

バフェット指数でみると、米国株は9月末時点で理論値よりも3割割高と計算されます。つまり、高値から30%程度の調整があってもおかしくないということです。

ちなみに、ハイテクバブルの崩壊では、ナスダック指数は高値から78%下げています。そこまでの下げは想定していませんが、頭の片隅に置いておきたいと思います。


今年の12月は何かが違う

今後、直近安値を下回るようだと、それこそ大変な下げになってしまうでしょう。

しかし、先週末の水準で下げ止まれば「トリプルボトム形成から値を戻す」との見方も出てくるでしょう。ですが、それはそうなってから考えればよい話です。それでも、株価の割高感が解消されるわけではありません。

ダウ平均は2万5,000ドルまで戻せば、再び売りたい水準になります。直近安値の2万4,200ドルを割り込んでくると、安値更新で下落トレンド入りが確定します。

S&P500も2,700ポイントまでの戻りは売りたい水準です。2,630ポイント割れで下落トレンド入りとなります。

ナスダック指数は7,200ポイントまでの戻りは売りたいところです。ハイテク株相場はすでに終わっています。

米国株12月から第1四半期は強い相場になりやすいのですが、今年は違う動きになる可能性があります。過去のアノマリーに左右されることなく、慎重に対処したいところです。

(続きはご購読ください。初月無料です<残約15,000文字>)


終わりが見えない「米中貿易摩擦」

さて、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)の孟氏の逮捕は、まさに今後本格化する米中貿易協議などに大きな影響を与えるでしょう。これまで指摘してきた、米国の中国潰しがいよいよ本格化するわけです。トランプ政権が対中政策を緩めることはありません。まだまだ続きます。不透明感はさらに強まっていくでしょう。市場の見方はかなり甘いといえます――


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c130

[リバイバル3] 新潟県 魚沼市 奥只見丸山スキー場 中川隆
4. 中川隆[-13755] koaQ7Jey 2018年12月11日 15:09:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

奥只見丸山スキー場 12月13日(木)オープン決定!!


奥只見丸山スキー場の初すべりシーズンは12月13日(木)より開始いたします。

12/10現在の積雪は中腹70pとなっております。

滑走可能コースについては、第2リフト乗り場から上部のコースでの営業を予定しておりますが、今後の降雪状況次第で変更となる場合もあります。
皆様のご来場をお待ちしております。
http://okutadami.co.jp/cms/ski/archives/news/158

’18‐’19 奥只見丸山スキー場
オリジナルシーズン券購入申込要項

入会金
・大人 34,000円
・中人(中高生) 26,000円
・小人(小学生以下) 19,000円

3)有効期間 2018 年初滑り営業開始日〜2019 年春スキー営業終了日まで。

4)会員特典 ・会員証としてIDカードを発行いたします。


・有効期間内にてリフト乗り放題及び、スノーパークをご利用できます。

・IDカードを提示すると有料駐車場代が無料になります。ただし、有料駐車場が満車の場合
は、無料駐車場に駐車して下さい。

・スキー場内の全てのレストランメニューが600円で利用いただけるランチクーポン券(1
フードフリーメニュー)を10枚差し上げます。

・IDカードを提示するとレンタル用品のレンタル料が50%OFFになります。

・IDカードを提示すると、「湯之谷交流センターユピオ」「ゆ〜パーク薬師」「銀山平白銀の湯(春シーズンのみ)」の入浴料が20%OFFになります。
http://okutadami.co.jp/cms/ski/archives/news/81
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/846.html#c4

[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
153. 中川隆[-13754] koaQ7Jey 2018年12月11日 15:14:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

奥只見丸山スキー場 12月13日(木)オープン決定!!


奥只見丸山スキー場の初すべりシーズンは12月13日(木)より開始いたします。

12/10現在の積雪は中腹70pとなっております。

滑走可能コースについては、第2リフト乗り場から上部のコースでの営業を予定しておりますが、今後の降雪状況次第で変更となる場合もあります。
皆様のご来場をお待ちしております。
http://okutadami.co.jp/cms/ski/archives/news/158


’18‐’19 奥只見丸山スキー場
オリジナルシーズン券購入申込要項

入会金
・大人 34,000円
・中人(中高生) 26,000円
・小人(小学生以下) 19,000円

3)有効期間 2018 年初滑り営業開始日〜2019 年春スキー営業終了日まで。

4)会員特典 ・会員証としてIDカードを発行いたします。


・有効期間内にてリフト乗り放題及び、スノーパークをご利用できます。

・IDカードを提示すると有料駐車場代が無料になります。ただし、有料駐車場が満車の場合
は、無料駐車場に駐車して下さい。

・スキー場内の全てのレストランメニューが600円で利用いただけるランチクーポン券(1
フードフリーメニュー)を10枚差し上げます。

・IDカードを提示するとレンタル用品のレンタル料が50%OFFになります。

・IDカードを提示すると、「湯之谷交流センターユピオ」「ゆ〜パーク薬師」「銀山平白銀の湯(春シーズンのみ)」の入浴料が20%OFFになります。
http://okutadami.co.jp/cms/ski/archives/news/81


▲△▽▼


春は奥只見に行こう _ 奥只見丸山スキー場・栃尾又温泉・駒の湯温泉
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/839.html

奥只見丸山スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46763
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c153

[リバイバル3] 春は奥只見に行こう _ 奥只見丸山スキー場・栃尾又温泉・駒の湯温泉 中川隆
5. 中川隆[-13753] koaQ7Jey 2018年12月11日 15:15:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

奥只見丸山スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46763
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/839.html#c5
[リバイバル3] 新潟県 魚沼市 奥只見丸山スキー場 中川隆
5. 中川隆[-13752] koaQ7Jey 2018年12月11日 15:16:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

奥只見丸山スキー場の14日間・1時間ごとのピンポイント天気
https://www.toshin.com/weather/detail?id=46763
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/846.html#c5
[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
98. 中川隆[-13751] koaQ7Jey 2018年12月11日 15:58:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]
新生銀にゴーン氏「損失付け替え疑惑」が飛び火、関与した人物とは
https://diamond.jp/articles/-/188011
2018.12.11 週刊ダイヤモンド編集部  田上貴大 


カルロス・ゴーン氏が金融商品取引法違反の疑いで逮捕されるという一大騒動のさなか、思わぬ形で新生銀行に注目が集まった Photo by Takahiro Tanoue


 役員報酬額の虚偽記載や海外住宅の私的利用など、「カネ」にまつわる疑惑が後を絶たないカルロス・ゴーン日産自動車前会長。その一つが、2008年ごろにゴーン氏が私的な投資で被った約17億円の損失を、日産に付け替えた問題だ。

 当時、この取引に携わったと報じられたのが、新生銀行だ。

「個別案件に関しては回答できない」(同行広報)というが、ある新生銀関係者は、「一連の報道内容は全て事実」だと明かす。

 新生銀といえば、バブル崩壊後に多額の不良債権を抱えて経営破綻した日本長期信用銀行が、そのルーツ。経営破綻した後、企業の設備投資資金など長期資金を融資する長期信用銀行から、普通銀行に転換する過程で個人向け部門の拡充など、新たな収益モデルの構築にかじを切った。

 その戦略の一つが、富裕層の資産運用や資産管理を担う個人向けビジネスだった。新生銀は、この事業を担う部門であるウェルスマネージメント部を02年3月に立ち上げており、その重要顧客の一人がゴーン氏だったという。

 新生銀は、ゴーン氏自身の資産管理会社とデリバティブ(金融派生商品)取引を結んだが、その後のリーマンショックで多額の損失が発生。担保不足に陥ったため新生銀が追加担保を求めたところ、ゴーン氏は取引を日産に付け替えるように指示、新生銀の承認の下で受理されたという。

 だが、その年の金融庁の定期検査によって一連のやりとりが判明、特別背任罪につながる恐れからゴーン氏との個人取引に戻した。さらに09年ごろには、この個人取引も解消したという。

元社長の関与も指摘

 一部報道では、そのころに新生銀でキャピタルマーケッツ部部長を務めていた、日本銀行の政井貴子審議委員が取引に関与したとされている。だが、前出の関係者によれば、「政井氏はあくまで事務の担当にすぎなかった」と、別の人物の関与を指摘する。

 その人物というのは、当時、新生銀の社長を務めていたティエリー・ポルテ氏だ。

 ポルテ氏といえば、モルガン・スタンレー・ジャパンの社長を務めた後、03年11月から新生銀副会長、05年6月から同行社長を務めた人物。過払い金返還請求に揺れる消費者金融の買収などでの数多くの失策により、新生銀社長としての手腕に対する評価は厳しい。08年11月には事実上、業績不振による辞任に追い込まれている。

 そのポルテ氏が「親交のあったゴーン氏に押し切られた」(前出の関係者)ため、取引に応じたのだという。実際、ゴーン氏との取引を中止した時期は、ポルテ氏が去ったタイミングと重なる。

 今回のゴーン氏の疑惑が過去の“亡霊案件”に飛び火し、新生銀の当時のお粗末ぶりもまた、明らかとなった。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 田上貴大)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c98

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
99. 中川隆[-13750] koaQ7Jey 2018年12月11日 16:08:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]
「日産クーデター」の陰で囁かれる経産省の失地回復の思惑
https://diamond.jp/articles/-/188028
2018.12.11 山田厚史:デモクラシータイムス同人・元朝日新聞編集委員 山田厚史の「世界かわら版」 ダイヤモンド・オンライン


Photo:PIXTA


 カリスマ経営者の「突然の逮捕」は、ルノー・日産・三菱自動車の「3社連合」の主導権を持つルノーに対する日産の奪権闘争へと局面を変えつつある。

 日産はカルロス・ゴーン氏を代表取締役会長から外し、ルノーに「後任会長の指名は受け入れない」と通告。ルノー主導の提携強化にクサビを打とうと必死だ。

 だがここにきて事態は、自国の自動車産業を守ろうとする日仏政府の思惑がからんだ外交案件の様相を帯び始めている。

 日産・三菱を100%子会社にする「完全統合」は、ルノーの最大株主のフランス政府の方針でもある。一方で日本(経済産業省)は真逆で「対等な関係」を望んでいた。「不平等条約の改定」と表現する人もいる。

 早ければ年内にも完全統合が決まる、というタイミングでのゴーン氏の逮捕は、仏側には、経産省も絡んだ「日産のクーデター」と呼吸を合わせた“国策捜査”と映っているようだ。

 日本側はこの疑いを晴らすことができるか。

「国策」を否定できるか
脱ルノー支配で経産OBの影

 アルゼンチンで開かれた主要20ヵ国・地域首脳会談(G20)の会場で、11月30日、急きょ行われた日仏首脳会談。マクロン仏大統領は、ルノー主導の3社の提携関係の維持を強調するとともに、ゴーン前会長の司法手続きが「きちんと進められる」ことへの確認も求めたという。

 メディアは連日、出所は検察と思われる「ゴーンの悪事」を書き立てている。仏政府としては、ルノー支配のもとでゴーン前会長らが勝手放題をしたという空気が醸成され、日産のルノーからの「独立」が進む流れになることを警戒してのことだろう。

 なかでもフランス側が神経をとがらせているのは、経産省の動きではないか。

 大手メディアは報じていないが、6月から日産の非常勤取締役になった経産OB、豊田正和氏の存在感が高まっているからだ。

 決して表舞台に立たないが、新聞記者の夜回りに対応する豊田氏は今や「夜の広報担当」といった存在だ。

 1973年に通産省(現経産省)に入省し、事務次官に次ぐNo.2である経済産業審議官まで上り詰め、2008年に退職。その年に内閣官房参与になった。

 内閣官房とは通称「首相官邸」。産業通商政策で首相に助言する役目だった。

 現在は経産省系のシンクタンクの日本エネルギー経済研究所の理事長に納まっているが、経産官僚時代は、国際派の実務家として評価された。

 GATTやWTOなど国際交渉で日本の立場を主張し、他国と折り合う難しい交渉を担ってきた。

 なぜ新聞記者が豊田邸に集まるのか。

 官邸とのパイプを持ち、対外交渉にも経験豊富となれば、日産の“独立”に向けた大局的な判断や地ならしができるのは、この人物しかいないと思っているからだ。

 日産の取締役会は今や真っ二つ。ルノー側は拘留中のゴーン氏、グレッグ・ケリー前代表取締役のほかに、ベルナール・レイ取締役と非常勤(社外取締役)のジャンバプティステ・ドゥザン氏の4人。

 日本側は常勤が西川廣人社長、志賀俊之氏、坂本秀行氏。非常勤としてカーレーサーの井原慶子氏と豊田氏だ。

 西川社長は、11月19日のゴーン氏逮捕後の会見で分かるように、ゴーン氏の不正には多弁だが、重要なことは言葉を濁す。決められた役割に沿って慎重に発言しているようにみえる。

 志賀氏はゴーン改革の現場責任者だった。坂本氏は技術担当。「ゴーンのイエスマン」だった人たちが、急に立場を変え、ルノーに立ち向かうほどの力があるのか。疑問のほうが先に立つ。

ゴーン氏、仏政府と関係修復
「完全統合」に慌てた日産と経産省

 もともと、豊田・井原両氏が非常勤取締役に加えられたのは、ゴーン氏とマクロン大統領との確執が背景にあった、といわれる。

 マクロン大統領はルノーを動かして人気挽回を狙う。雇用確保のために日産や三菱の事業をフランスに移転させたい。手っ取り早くグループを動かすには吸収合併を含め「完全統合」を望んでいる。

 ルノーはフランス政府の産業政策と密接不可分の企業である。隣に自動車王国ドイツがある。対岸には日産を先駆けにホンダ、トヨタを引き込んだ英国がある。

 EUでドイツに対抗する自動車産業を築くにはルノーを軸とした3社連合の強化が欠かせない。

 国営企業だったルノーは経営危機の辛酸をなめたが、ゴーン体制になって地力をつけ、海外展開をバネに、昨年、トヨタを抜いて世界第2の自動車グループに躍り出た。

 首位は僅差でドイツのフォルクスワーゲンだが、ワーゲンに対抗して、欧州では本拠地のルノーが、中国では日産が頑張る。アジアでは三菱が強い。3社の強みを生かしたのは、ゴーン氏の経営力である。

 3社の完全統合を果たせば、英国にある日産の欧州主力工場をフランスに持って来ることも可能だ。EUを離脱する英国から工場を移転させればマクロン政権の大手柄になる。

 これに対して、グローバル経営者であるゴーン氏には別の論理があった。

 ルノーは多国籍企業であり、世界のどこだろうとも最適な場所で生産・調達・販売を行う。ルノーは政府の支配下にあるが、日産に影響が及ばないように役員構成を変えた。

 ルノー系役員より日産系を増やしたのは、ゴーン氏が独立王国を維持するために方策でもあった。

 豊田氏の社外取締役就任はこうした思惑からだったが、有力OBの人事に経産省が蚊帳の外のはずはない。

 役所は「天下り斡旋」はできないが「人事の相談」には乗る。

 同期入省で次官になった望月晴文氏は、日立製作所で取締役会議長を務める。原子力推進の国策に沿って英国での原発事業を進めるものの、多額の建設費問題を抱える日立は、経産省にとっては目が離せない重点企業だが、同様に日産も心配のタネだった。

 三菱自動車がルノーグループに組み込まれたことで、日本の自動車産業の一角が崩れるという憂慮は一段と深刻になっていた。

「日産・三菱がフランス企業になってしまっては大ごとだ」という危機感があったから、日産からの豊田氏招へいは「渡りに舟」の思いだっただろう。豊田氏は「経産省から日産に送り込まれた」という見方もある。

 ところが 、情勢が一変する。

 フランス政府が3社の「完全統合」を求めるのに対して、日産・三菱に仏政府の介入が及ぶことを警戒するゴーン氏だったが、態度が変わったという。

 改選期を迎えるゴーン氏にマクロン大統領が「完全統合するなら、ルノーCEOの再任を認める」と突き付けたといわれ、条件をのんだゴーン氏は、経営統合に動き始めた。

 慌てたのが日産・経産省だ。そんななかで「ゴーン逮捕」の口火が切られた。

 海外メディアが「国策捜査」と疑うおかしなことは、確かにいくつかある。

 ゴーン氏の逮捕容疑は、有価証券報告書への報酬の過小記載が金融商品取引法違反とされた。2011年3月期から5年間で計約50億円の報酬を申告していなかったという。

 GMやフォードなどの経営トップが年間20億円前後の報酬を得ているなかで、ゴーン氏は年間報酬を、半分の約10億円と低く記載した。記載しなかったのは、その分は退職後に支払う「約束」だったからだとされる。

 組織ぐるみで不正な経理処理を行い「粉飾決算」の罪に問われた東芝で、経営者は逮捕されていない。

 有価証券報告書虚偽記載というのは、投資家の判断を誤らすような不正を禁止している。赤字を黒字になるように偽装した東芝は、東京証券取引所も悪質と判断し、東芝を特設注意市場銘柄に移したほどだ。

 東芝の犯罪に比べ、ゴーン氏はいきなり逮捕されるほどの「重罪」といえるかどうか。

 奇妙なのは日産の経営陣である。

 経営陣が問題を知った発端は、内部からの通報によるとされるが、不正を疑われる会計処理がトップにあったとしたら、監査役が調べ、本人や周辺から事情を聞く。

 大掛かりな不正なら、第三者委員会を設け、徹底して調べる。さらに監査法人が外部の目として会計処理を点検する。それで不正が明らかになったら検察などに告発する、というのが、企業の標準的なやり方だ。

 西川社長は11月19日の記者会見で、「調査委員会はゴーンさんから聞いたのですか」と問われて、「聞いていない」と答えた。

 不正が疑われる当人の言い分も聞かず、検察と司法取引していた。知らぬはゴーン氏ばかり。ゴーン氏が拘置されていて出席できない取締役会で会長解任を決め、ルノーによる会長指名を拒否した。

 日産では、司法取引の以前から、海外の住宅購入や家族の海外旅行費用を日産の金で賄う「公私混同」について、極秘の調査委員会を設けてゴーン氏周辺を調べていたという。

 メンバーは西川社長らごく少数とされているが、豊田氏がこのメンバーではなかった、とは考えにくい。

 第三者の目を求められるのが非常勤取締役である。事件が表面化すれば日仏間の政治問題に波及することは明らか。官邸や経産省とパイプを持つ人物は必要とされただろう。

 検察にとっては、司法取引で大物を挙げる絶好のチャンス。日産は「完全統合」計画から逃がれる最後の機会だった。

「官民一体」の不正追及が進むなかで、豊田氏から、経産省や首相官邸にも情報が上がっていなかったとはとても思えない。

 トップを解任するなら、取締役会で解任動議を出すことだってできる。検察による逮捕をきっかけにトップを引きずり降ろすのは「社内クーデター」と呼ばれても仕方がない。

 クーデターを正当化できるとすれば、理屈は2つある。

 ゴーン氏の不正は会社で処理できないほど巧妙で悪質だということ。もう1つは、「ルノー・日産の不平等条約の改定」という大義の訴えである。

 つまり、やり方は乱暴だが、「こうするしか関係正常化の糸口はつかめなかった」と、世間に理解されるような言い訳だ。

 ルノーと日産は「立派になった子どもの仕送りで親が元気」という関係だ。

 企業規模、生産台数、売り上げ、利益どれも日産がルノーをはるかに上回っている。ルノーの利益の40%超は日産からの配当だ。そこに三菱自動車が加わった。三菱重工の流れをくむ三菱は技術的にも定評がある。

 だから経産省は心配でならない。トヨタに次ぐ自動車業界の主軸である日産・三菱を外資にさらわれると、危機感を抱いた。

 これが、“経産省お墨付き”の「日産クーデター」の「本音」ではないか。

外資に奪われた
失地回復で共鳴

 結局、すべては日産が経営危機に陥った1999年から始まった。

 有利子負債2兆円。6800億円の赤字を計上した日産を当時、経産省は救済できなかった。

 その頃の日産を表す言葉に「東大・興銀・通産省」という表現があった。

 トヨタ、ホンダと違い日産は社長が代々、東大出身者がなり、エリート意識の強い日本興業銀行(現みずほ銀行)と仲良しで、通産省(現経産省)といい関係にある。

 役所や銀行と親しいことは高度成長期には追い風だったが、貿易摩擦や成熟経済では向かい風になった。

 無借金で頑張るトヨタを相手に日産は借金を重ねて無理な競争に明け暮れ体力を消耗した。トヨタ、ホンダは役所になんと言われようと自社の利益を優先したが、日産は役所の意向に沿って業界をまとめる損な役割を演じてきた。

 だが瀕死の日産を救う企業は現れなかった。業界をまとめて救済する、という経産省の伝統的な手法はとれなかった。

 当初はダイムラー・ベンツを頼りにしたが、交渉に時間がかかるなか、途中で見切りをつけ、ルノーなら怖くない、と甘く見た。

 熾烈な競争を続けてきたアメリカやドイツの自動車企業の管理下に置かれる事態は避けたかったなかで、手を挙げたのがルノーだったから、経産省はホッとした。産業の弱いフランスならまし、と考えたのだろう。

 その後の展開はご承知の通りだ。

 ゴーン会長は日産の業績をV字回復させた上、三菱自動車まで傘下に収めた。

 日産と三菱は軽自動車を共同開発し、生産は三菱の工場がやっていた。三菱による検査データの改ざんはその現場で起きた。なぜか情報が国土交通省に漏れ、三菱車のブランドは地に落ち、販売はガタ落ちになった。

 救済に乗り出したのがゴーン氏だった。2000億円を気前よく出資し、日産の配下に組み込んだ。

 ルノーが日産の43.4%の株式を押さえ、その日産が三菱の30%を握る。3社のトップにゴーン氏が座る「ゴーン独裁」のもとで「ルノー支配」が貫徹した。この時も経産省は何もできず、ゴーンに頼るしかなかった。

 資本の論理に従うなら、リスクを取って支配権を取ったものが勝ち。日産も三菱もゴーンのもとで危機を脱したのだから、経営者の手柄である。

「ゴーン独裁」は、結局、ルノーに救済された副作用である。だが元気になるにしたがい日産内部にはゴーン氏への反発が広がり、ルノーに利益や技術を吸い取られるのはおかしい、という空気が充満するようになった。

 1999年のふがいなさをかみしめる話がもう1つある。みずほ銀行グループの誕生である。

 当時の興銀の頭取だった西村正雄氏に「なぜ『みずほ』という名を選んだんですか」と聞いたことがある。

「日本の金融界は日産を支えられず、外資にさらわれた。瑞穂の国・日本を表す名前は外資に負けない銀行にしたいからだ」という答えだった。

 同じ思いは当時、経産省にもあった。そして今回の「不平等条約の改正」を掲げたクーデターは、外資から失地回復を目指す“ナショナリズム”と共鳴する。

「経産省内閣」の
官邸が考える着地点は?

 だからといって「検察を動かしゴーンを追い詰めた」と結論付けるのは早急だろう。事実の解明はこれからだ。

 しかし、「官邸発」の政策を眺めていると、陰に陽に経産省の動きが見える。

 直近でも、消費増税対策の景気浮揚策は、経産省が省内の案をとりまとめて官邸に持ち込んだペーパーのホチキス止めのようだ。

 ポイント還元はクレジットカードの利用者が有利になる。クレジット業界は経産省の所管だ。キャッシュレス化は端末機器を作るメーカーの追い風だ。増税の見返りに自動車に対する減税が検討されている。

 にわかに動き出した感のある北方領土返還交渉も、日本とロシアの共同開発事業がキモだが、シベリア開発も通産省のころから描かれていた構想である。

 出入国管理法を改正して外国人労働者を増やすのは、人手不足対策を求める産業界の働きかけに合わせようというものだ。受け入れを拡大する外国人労働者のあっせんは民間を窓口にする。「ヒト入れ稼業」も拡大するらしい。

 経産省内閣といわれる安倍政権だが、官邸は、「ゴーン氏逮捕」や「クーデター」が、“国策”だという疑いをどう晴らし、日仏摩擦の着地点をどう考えているのだろうか。

(デモクラシータイムス同人・元朝日新聞編集委員 山田厚史)

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c99

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
131. 中川隆[-13749] koaQ7Jey 2018年12月11日 16:53:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]


2018年12月11日
焦点:逆イールドが示唆する米景気後退、予想よりも遅い可能性


[10日 ロイター] - 米国債のイールドカーブのいくつかの主要年限間で長短利回り差が逆転(逆イールド化)した後、景気後退が到来するとしても、その時期は大方が考えるよりも遅くなる可能性がある。

長期ゾーンに比べて短期ゾーンの発行量が急激に増えたことで国債市場の動きが変わってしまった上に、一般的に注目されているのと別の指標は、景気下降局面の訪れがもっと先だと示唆しているからだ。

トランプ政権が来年1兆ドルに達しようかという財政赤字穴埋めのために計画している国債増発は短期ゾーンに集中している。一方、銀行は2007─09年の金融危機以降、米国債よりも住宅ローン担保債(MBS)の購入を優先する傾向があり、MBSのイールドカーブの重要性が高まってきた。

従来重視されてきた米国債の2年─10年利回りが逆イールド化すれば、18カ月から2年で景気後退が始まるとみなされてきた。しかしこうした需給面の構造変化を受け、一部の専門家は逆イールド発生から景気後退開始までの期間が延びているのではないかとの見方をするようになっている。

短期ゾーンでは今週、2─3年と2─5年の利回りが逆転して金融危機以来初めて米国債市場に逆イールドが出現。2─10年利回りの差もわずか10ベーシスポイント(bp)弱と、07年以降で最小になり、景気後退が近いとの観測が広がった。

ただしイールドカーブは、金融危機に対応して主要中央銀行が実施した量的緩和(QE)によっていびつにされた面がある、とアナリストは主張する。つまりたとえ2─10年が逆イールド化しても、必ずしも景気後退が間近だと読み取るべきではないという。


ジェフリーズの短期市場エコノミスト、トーマス・シモンズ氏は「現在のイールドカーブはQEとその巻き戻しによって、大々的に歪められている」と話した。

そこに米財務省が今年2月以降で2年債を820億ドルも増発し、発行額が10年債の220億ドルを大きく上回る事態が加わった。サイモンズ氏は「短期ゾーンには非常に大量の供給があり、長期ゾーンはそこまでではない」と指摘。短期ゾーンの利回りを相対的に押し上げ、2─10年の利回り差縮小をもたらした。

米国債需要も金融危機後に変化があった。銀行が連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)や連邦住宅抵当貸付公社(フレディマック)といった政府系住宅金融機関が保証するMBSを米国債の代わりの投資先とする動きが強まったのだ。

カナコード・ジェニュイティのアナリスト、ブライアン・レイノルズ氏は「銀行が米国債をファニーメイ債やフレディマック債ほど投資手段として利用しなくなった点を踏まえれば、米国債のイールドカーブの重要度は過去9年半で低下している」と分析する。

米連邦準備理事会(FRB)のデータで米銀の保有動向を見ると、08年末に1兆1600億ドルだった政府系住宅金融機関保証付きMBSは2兆2300億ドルまで膨らみ、米国債の560億ドルから5030億ドルより増加幅が大きくなった。

ファニーメイとフレディマックの保証が付いたMBSの2─10年利回り差は足元でそれぞれ約24bpと44bpあり、この先逆イールド化する場合でも、米国債の同期間よりも後になりそうだ。


サンフランシスコ地区連銀は8月に公表した論文で、金融市場で主な話題になるのは米国債の2─10年利回りだが、1年後の景気後退を予告する指標としては3カ月物短期国債と10年債の逆イールド化の方が優れていることが分かったとしている。

現在の3カ月─10年の利回り差は50bp前後なので、やはり2─10年よりも逆イールド化の時期は遅くなるだろう。

アリアンツ・インベストメント・マネジメントのシニア投資ストラテジスト、チャーリー・リプリー氏は、このイールドカーブが逆転するのはずっと先になってもおかしくないとみている。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c131

[昼休み54] これを聞けば中国がよく分かります _ 宮脇淳子 「真実の中国史」講義  中川隆
26. 中川隆[-13748] koaQ7Jey 2018年12月11日 17:54:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

中国、「不思議」モンスターペアレントが多いワケ?「政府も一緒」2018年12月11日


中国は、ファーウェイ副会長の逮捕で沸騰している。カナダ政府への威嚇は、まさに「モンスターペアレント」そのものである。この言葉は、親が自分の子どもについて、学校や教育委員会へ執拗な苦情や要求を出すという意味の「和製英語」である。

中国では、この「モンスターペアレント」に似た行動が大きな問題になっている。子どもも親も、傍若無人の振る舞いをするのだ。中国政府も同じことをやっている。APEC(アジア太平洋経済協力会議)では、自国の主張を共同声明に入れさせるべくねばって、ついに声明が出せずに終わった。そして、今回のファーウェイ問題。モンスターペアレントよろしく、カナダ政府を威嚇している。

『サーチナ』(12月11日付け)は、「中国にはなぜ『モンスターペアレント』など周囲を顧みない人が多いのか」と題する記事を掲載した。

(1)「中国メディア『今日頭条』(12月4日付)は、中国の公共交通機関で見られる『一部の乗客の理解できない行動』について、『彼らの周囲を顧みない行動は一体何が原因なのか』と嘆く記事を掲載した。記事は、中国社会に大きな衝撃を与えた路線バスの転落事故に触れ、『走行中のバスが橋から川へ転落し、幼児を含む13人の死者が出たが、その原因が運転手と乗客の喧嘩であったことは社会に大きな衝撃を与えた』と指摘。その喧嘩も『乗客がバス停ではない場所での下車を要求し、それを運転手が拒否したこと』が原因であり、これによって運転手はハンドル操作を誤り、バスは川に転落したのだった」

中国社会は、政府を含めて「唯我独尊」的な振る舞いが極めて多く、顰蹙(ひんしゅく)を買っている。この原因は、欧米に共通の「市民社会」の経験がなく、自己と他人の認識が不明瞭であるからだ。人間の価値基準は、保有財産の多寡にあるという極端な慣行がある。中国がGDPで世界2位になって、途端に威張り散らし始めた裏には、こういう「財貨万能」という考えがある。だから、金持ちにはへつらい、貧しい人には横柄になるのだ。

欧米の市民社会では、個人の独立を認め合い、相互扶助精神が行き渡っている。これが、権力からの圧迫を跳ね返す原動力になった。過去と断絶する「真の革命」が実現した背景である。中国は、過去と断絶できず専制政治の殻が今もついている。個の認識=他者への尊敬の念がない。モンスターペアレントが発生する理由であろう。個人も政府も、相手を尊重する気持ちがないので、いつも軋轢を生んでいる。

(2)「続けて、『こうしたことは中国では決して珍しいことではない』と主張し、公共の乗り物で子どもや親が周囲を顧みずに迷惑をかける行動は普通に見られると紹介、乗務員が注意しても効果がなく、頭を抱えているのが現状だと指摘した。では、こうした『周囲を顧みない行動の原因』は一体何が原因なのだろうか。記事はまず、『私的な空間と公共の場の境界が付かなくなっている』人が多いこと、また、『自分が被るデメリットが不確かな場合や明確な罰則がない場合は聞く耳を持たない人が多い』と指摘。他にも、『体制の取り決めに従うことに慣れ、自分で判断して行動できない人が多い』という要因も挙げた」

このパラグラフでの指摘は、その通りである。

@ 私的な空間と公共の場の境界が付かなくなっている人とは、自己と他者の境界線が不明確であることを指す。こういう振る舞いをすれば、相手がどう思うか。その配慮がないのだ。

A 自分が被るデメリットが不確かな場合や、明確な罰則がない場合は聞く耳を持たない人が多いとは、ルール(社会規範)を守ることが、お互いにメリットになるとの認識欠如である。行列を破って自分が利益を得たと思っても、相手が同じことやれば損害を被る。ルールは、社会全員が利益を平等に受けられる「知恵」である。

B 体制の取り決めに従うことに慣れ、自分で判断して行動できない人が多いとは、中国に市民社会の歴史のないことの証明である。自分たちのことは、自分たちで決められない。これが、個人の自覚を奪っている。

中国は、政府も個人も民主主義の欠如がもたらす坩堝の中にいる。習近平氏は、「中華再興」でなく、中国人一人一人が自由に自らの人生を決められる。そういう社会をつくることが先決だろう。習氏は、中国最大の「モンスターペアレント」だ。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14238206.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/170.html#c26

[昼休み54] ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界 中川隆
86. 中川隆[-13747] koaQ7Jey 2018年12月11日 18:24:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]

2018年12月11日
児童買春被害の少女ら、初の調査


 児童買春の相手となった18歳未満の少女ら194人の実態調査で、半数以上が授業をサボらずに学校に通っていたことが11日、警察庁のまとめで分かった。約7割は補導・非行歴がなく、親や教諭が気付きにくい実情が浮かび上がった。会員制交流サイト(SNS)で男らとやりとりしていたとみられ、警察庁は家庭や学校で安全なスマートフォンの使い方を指導するよう求めている。

 警察庁が、昨年1年間に警視庁と大阪府警、愛知県警が摘発した事件の被害者194人(男児1人を含む)の生活実態を初めて分析した。平均15・8歳で、最年少は12歳。1人で複数の事件に関わっていた少女もいたという。

【共同通信】

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html#c86

[政治・選挙・NHK254] 国会で吠えた山本太郎(長周新聞 コラム)-米国には揉み手、アジア諸国にはヘイトの「保守」を痛烈批判 JAXVN
1. 中川隆[-13746] koaQ7Jey 2018年12月11日 18:52:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952]
『山本太郎氏が与党に「保守と名乗るな」と怒り絶叫


この高卒の兄ちゃんは全然わかってないな
生活が第一党も含めて、日本共産党以外の政党はすべて保守でなくてリベラルなんだよ


馬渕睦夫さんが明らかにしていますが

左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、中国共産党、マスコミ
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚・皇族、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


ノンフィクション作家・河添恵子#4-1
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」前編・グローバリスト&共産主義勢力 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z7syO3BhDdQ


ノンフィクション作家・河添恵子#4-2
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」後編・北朝鮮問題の行方 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z4Ot9KiWPV8



http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/770.html#c1

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
1. 中川隆[-13748] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:19:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21955]
>ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」


進化論云々の前に、日本語の読解力に致命的な欠陥があるんだな


ダーウィンの進化論が崩壊?


yuk********さん 2018/6/8 20:46:09

今いる種が20万年以内に登場したってだけでしょ。
その祖先となる種はその前からいた。

cla********さん 2018/6/9 00:24:24


https://phys.org/news/2018-05-gene-survey-reveals-facets-evolution....

"The simplest interpretation is that life is always evolving," said Stoeckle.

この文章を読めば分かる通り、大本のソース記事では進化論は否定されておらず、進化論に残された疑問の答えが見つかったらしいというものです。
ダーウィニズムの否定どころか補強ですね。

indeep記事の引用もとのソース記事を最後まで読めばわかると思いますが、indeepのライターはソース記事をまともに読んでいない(というより文脈とことなる意味で引用している)のがわかります。
というか悪質な捏造ばかりです。

>そして、「中間種は存在しない」

もとのソース記事では「中間種が存在しない」ではなく、「中間種が観察できないという疑問は、中間段階が非常に短いからだ」という文脈の中で『中間種の不在』というダーウィンの言葉を引用しているだけです。

indeepライターは研究者の発言の多くを意図的に無視しておりかってな解釈を加えています。

>a species only lasts a certain amount of time before it either evolves into something new or goes extinct.

地球上の多くの生物種がここ20万年の間に生まれたのは、20万年前に突如として現れたからではなく、はっきりと書かれている通り、「生物種はとっとと進化して新しい種になるか絶滅するので安定的に種として存在していられる期間は20万年もなかなか続かない」というだけなのです。

まあ、ソース読まず、飛ばし記事に騙された質問者さんが間抜けだったということですね。
こんなん報道するより元ソース記事のほう(進化の過程の謎の一つが解明された)を報道するほうが有意義です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13191486138


進化論云々の前に、日本語の読解力に致命的な欠陥があるんだな

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c1

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
2. 中川隆[-13747] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:21:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21955]

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html


阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html



http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c2

[国際24] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドな…:自然板リンク お天道様はお見通し
1. 中川隆[-13746] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:21:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21955]

アホの考えを変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのはすべて無意味で無駄
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/805.html


阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html



http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/736.html#c1

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
3. 中川隆[-13754] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:27:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21964]
進化論が理解できないアホを矯正するにはこうするしか方法は無い:


中国:イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬と宣言!/フランス:寛容だから制御不能?連日ジハード!! 2018年09月11日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


当たり前のように欧州でジハードが頻発していますがテロではないでそうで、殺されて抗議するナショナリストのデモや主張がナチスと呼ばれ弾圧されるのに、ムスリム移民による犯罪はよく精神疾患と呼ばれているようです。


ということは、中国政府の言うことは正しいということになりますね。びっくり


四角02

イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬である

China declares Islam an ‘incurable tumour’ and a ‘poisonous medicine’

By VOICE OF EUROPE 5 September 2018

中国はイスラムを大きくなる問題と捉え国内のウイグルムスリムへの行動を強めています。

国連やアメリカの職員によるとこれまでに約100万人が収容キャンプに入れられたと見ています。


収容者によると、キャンプではムスリムはイスラムを拒絶するように強要され毎日共産党の歌を習わされているとのことです。キャンプでは豚肉とアルコールを強要されるとの報告もあります。

キャンプは当初ウイグルムスリムの過激派と戦うために作られましたが、今では長いひげも再教育キャンプ送りとなる場合があります。


共産党の公共ラジオはこう言っています。


再教育のために選ばれた公民はイデオロギー的な病気に感染している。彼らは宗教的過激主義と暴力テロイデオロギーに感染しているので、患者として病院に入院して治療を受けなければいけない。


宗教的過激主義イデオロギーは毒薬の一種で人々の心を混乱させる。宗教的過激主義を根絶しなければ、暴力テロ事件が不治の悪性腫瘍のように成長し広がってしまう。

このようにWeChatを通してウイグルに昨年伝えられました。


国連の委員会で中国代表はそのような再教育センターは無いと言っています。


ジョージタウン大学の中国史教授James Millward氏によると、「宗教的信仰は病状と見られる」とのことです。

中国政府は今思想を治療する再教育キャンプを“病院”と呼んでいます。

過激主義の病原菌を殺す殲滅医療処置をすべてのウイグル人に対して行いたいのです。

ラジオはこう言っています。


いかなる犯罪も行っていないが過激思想を吹き込まれた一定の人たちがいる。彼らは既に病気に感染している。病気の症状がはっきりと表れる危険が常にあり、それは公共に深刻な危害を与えるだろう。

だから、彼らは脳内からウイルスを取り除き正常な精神にするために、再教育病院に入院しなければならない。

波線END


一方、中国とは違う国、例えば寛容なフランスはイスラムテロが当たり前となってきています。


四角02


9/9深夜にパリでテロ(当局によるとテロではないとのこと)がありました。日本語メディアではパキスタン出身と見られる男が通行人7人を襲ったということでしたが、Mailonlineなどではもっと詳しく報じています。容疑者は30代と見られ、アフガニスタン人子供難民のID書類を持っているとして、そもそも偽造身分証でパリにいる難民のようです。

イギリス人が襲撃された付近は、英国への密入国を企てるアフガニスタン人の偽装難民たちが野宿するユーロスターの駅に近いそうです。ペタンク(pétanque)のプレイヤーらが断続的な通り魔事件のある時点で鉄のボールを犯人の頭に4回あてて武器を放棄させようとしましたが出来ませんでした。このナイフ攻撃で危険な状態にいる人もいますが現在のところ死者はいません。


ついでに紹介すると、そのアフガニスタン偽造難民たちが密入国を狙う英国ですが、9/8にはロンドンの北150マイルにあるBarnsleyで女が1人逮捕されました。このヒジャブを被った女は30cmのナイフを振り回して通行人たちを追いかけまわしうち1人に怪我をさせました。彼女は「Kill, kill, kill」と叫んでいたそうです。(クリップ記事はこちら)


またフランスにもどって、

9/10の朝もテロがありました。郵便配達の人が何者かに喉を刺され、その後容疑者は別の人を襲撃しようとして失敗しています。


同じく9/10の朝、リヨンの空港で男がテロで逮捕されました。

男は高速道路を違う方向に走り警察に止められてもすり抜けて空港に行きました。警官の射撃の中を潜り抜け、通行人を車でなぎ倒そうとしましたが成功しませんでした。

男の車はターミナルビルのガラスドアに衝突して止まり空港警備に捕まりました。

警察からの情報では、逮捕時に「アラー・アクバル」と叫び、「神に遣わされた」と言ったそうです。(クリップ記事はこちら)


Terrorist attack Lyon airport France - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WrPyKtoK0YU


このほかにフランスで最近起きた事件は次のようなものです。

8/23、36歳の男が母と妹をナイフで死傷させ警官に射殺されています。2016年からテロリストリストに載っている精神疾患だそうです。

この事件の数日前にはPerigueuxでアフガニスタン難民申請者が4人をナイフで襲撃して逮捕されました。

6/17にはフランス南部の町で「アラー・アクバル」と叫ぶ女がスーパーマーケットでカッターナイフを振り回して2人に怪我をさせました。


フランスでは過激主義者やISによるジハーディストのテロ(当局は精神疾患とするケースが多い)が続いていて、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件から240人以上がイスラム過激主義者の犠牲になっています。


四角02


男尊女卑で7世紀の価値観を21世紀に持ち込み自分達の集団以外を見下し、特別扱いをゴリ押ししながらテロも量産するこの集団、治安維持そして国民を守るために国家としてどう向き合い対処するのか、外野からの中国批判だけでは何も解決しないし無責任だと思います。

※中国政府は当局の監督下にないものはキリスト教でも締め付けを強化していますが、テロと密接な関係がある対イスラムの方が厳しいようです。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


「職業訓練だ」中国、新疆ウイグルの収容施設を合法化
2018年10月12日 14時54分
https://www.epochtimes.jp/2018/10/36955.html

2017年4月、施設内で「再教育」を受ける収容者たち(新疆ウイグル自治区司法当局の微信アカウントより)
https://img.epochtimes.jp/i/2018/10/11/t_pvpblpl6nyinj9wxes9d.jpg


新疆ウイグル自治区人民代表大会常務委員会は9日、「極端化を除去する条例」の改正案を発表した。改正案では、ウイグル人を収容する施設を「職業訓練センター」と位置づけた。新疆では、中国共産党政府が建設した隔離施設に100万人以上が拘束されていると報じられ、国際的な批判が相次いでいる。今回の改正案は批判をかわす狙いがあるとみられる。

改正案には、国の反テロ法や宗教法に基づき「過激な宗教思想、分離主義を取り除き、市民の正常な生産活動と生活、言論を保つ」と記した。

ウイグル人の生活習慣も制限された。民族衣装「ブルカ」とベールを着用する者、ヒゲをはやす者、そして子どもに国の教育を受けさせない者は「極端分子」と見なされ、「法に基づいて」施設で思想改造を受けると、定められた。

同条例は2017年に定められたが、9日に可決した改正案で、収容施設の役割は職業訓練センターであるという内容が新たに追加された。具体的に「職業訓練もかねる教育を施す。収容者は国の公用語を勉強し、思想教育、心理と行動の矯正を受けることによって、極端化を除去する」という。

海外のウイグル組織や人権団体によると、当局の「過激派、分離主義、テロリズムと闘う」の名目で、100万もの市民が収容施設に拘束されているという。

ラジオフリー・アジア(RFA)は10月6日、収容施設で働く警備員にインタビューした。そこでは、収容者たちは「なぜ自分が再教育を受けなければならないのか」と問い詰め、思想改造を受けているという。また、施設内には監視カメラが設置され、収容者同士が会話することや、行動が、厳しく制限されている。

この警備員は、収容者の割合に関して「女性が20%、70歳以上が10〜20%、15〜18歳が5〜10%」と答えた。3度の食事はごはん茶碗に半分ほど盛ったものが出るが、自殺できないように椀はプラスチック製。「彼らは食事がハラール・フードであるかどうかを聞くことは許されない。すべての申し出は政治警察が受け付ける」と述べた。

新疆の収容施設を衛星写真で分析するカナダ在住の中国人留学生ショーン・ジャン氏によると、収容施設と考えられる建物はこれまで60以上見つかっており、それぞれ監視塔、作業所、限られた出入口、高いフェンスと電気柵が設けられ、刑務所の構造と似ていると指摘している。

7月、収容施設で働いていたウイグル族の女性は、カザフスタンの裁判所での証言で「中国当局は再教育施設だと主張しているが、その内容は山奥にある刑務所」と暴露した。


http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c3

[国際24] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドな…:自然板リンク お天道様はお見通し
2. 中川隆[-13753] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:27:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21964]
進化論が理解できないアホを矯正するにはこうするしか方法は無い:


中国:イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬と宣言!/フランス:寛容だから制御不能?連日ジハード!! 2018年09月11日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


当たり前のように欧州でジハードが頻発していますがテロではないでそうで、殺されて抗議するナショナリストのデモや主張がナチスと呼ばれ弾圧されるのに、ムスリム移民による犯罪はよく精神疾患と呼ばれているようです。


ということは、中国政府の言うことは正しいということになりますね。びっくり


四角02

イスラムは治療不能の腫瘍で毒薬である

China declares Islam an ‘incurable tumour’ and a ‘poisonous medicine’

By VOICE OF EUROPE 5 September 2018

中国はイスラムを大きくなる問題と捉え国内のウイグルムスリムへの行動を強めています。

国連やアメリカの職員によるとこれまでに約100万人が収容キャンプに入れられたと見ています。


収容者によると、キャンプではムスリムはイスラムを拒絶するように強要され毎日共産党の歌を習わされているとのことです。キャンプでは豚肉とアルコールを強要されるとの報告もあります。

キャンプは当初ウイグルムスリムの過激派と戦うために作られましたが、今では長いひげも再教育キャンプ送りとなる場合があります。


共産党の公共ラジオはこう言っています。


再教育のために選ばれた公民はイデオロギー的な病気に感染している。彼らは宗教的過激主義と暴力テロイデオロギーに感染しているので、患者として病院に入院して治療を受けなければいけない。


宗教的過激主義イデオロギーは毒薬の一種で人々の心を混乱させる。宗教的過激主義を根絶しなければ、暴力テロ事件が不治の悪性腫瘍のように成長し広がってしまう。

このようにWeChatを通してウイグルに昨年伝えられました。


国連の委員会で中国代表はそのような再教育センターは無いと言っています。


ジョージタウン大学の中国史教授James Millward氏によると、「宗教的信仰は病状と見られる」とのことです。

中国政府は今思想を治療する再教育キャンプを“病院”と呼んでいます。

過激主義の病原菌を殺す殲滅医療処置をすべてのウイグル人に対して行いたいのです。

ラジオはこう言っています。


いかなる犯罪も行っていないが過激思想を吹き込まれた一定の人たちがいる。彼らは既に病気に感染している。病気の症状がはっきりと表れる危険が常にあり、それは公共に深刻な危害を与えるだろう。

だから、彼らは脳内からウイルスを取り除き正常な精神にするために、再教育病院に入院しなければならない。

波線END


一方、中国とは違う国、例えば寛容なフランスはイスラムテロが当たり前となってきています。


四角02


9/9深夜にパリでテロ(当局によるとテロではないとのこと)がありました。日本語メディアではパキスタン出身と見られる男が通行人7人を襲ったということでしたが、Mailonlineなどではもっと詳しく報じています。容疑者は30代と見られ、アフガニスタン人子供難民のID書類を持っているとして、そもそも偽造身分証でパリにいる難民のようです。

イギリス人が襲撃された付近は、英国への密入国を企てるアフガニスタン人の偽装難民たちが野宿するユーロスターの駅に近いそうです。ペタンク(pétanque)のプレイヤーらが断続的な通り魔事件のある時点で鉄のボールを犯人の頭に4回あてて武器を放棄させようとしましたが出来ませんでした。このナイフ攻撃で危険な状態にいる人もいますが現在のところ死者はいません。


ついでに紹介すると、そのアフガニスタン偽造難民たちが密入国を狙う英国ですが、9/8にはロンドンの北150マイルにあるBarnsleyで女が1人逮捕されました。このヒジャブを被った女は30cmのナイフを振り回して通行人たちを追いかけまわしうち1人に怪我をさせました。彼女は「Kill, kill, kill」と叫んでいたそうです。(クリップ記事はこちら)


またフランスにもどって、

9/10の朝もテロがありました。郵便配達の人が何者かに喉を刺され、その後容疑者は別の人を襲撃しようとして失敗しています。


同じく9/10の朝、リヨンの空港で男がテロで逮捕されました。

男は高速道路を違う方向に走り警察に止められてもすり抜けて空港に行きました。警官の射撃の中を潜り抜け、通行人を車でなぎ倒そうとしましたが成功しませんでした。

男の車はターミナルビルのガラスドアに衝突して止まり空港警備に捕まりました。

警察からの情報では、逮捕時に「アラー・アクバル」と叫び、「神に遣わされた」と言ったそうです。(クリップ記事はこちら)


Terrorist attack Lyon airport France - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WrPyKtoK0YU


このほかにフランスで最近起きた事件は次のようなものです。

8/23、36歳の男が母と妹をナイフで死傷させ警官に射殺されています。2016年からテロリストリストに載っている精神疾患だそうです。

この事件の数日前にはPerigueuxでアフガニスタン難民申請者が4人をナイフで襲撃して逮捕されました。

6/17にはフランス南部の町で「アラー・アクバル」と叫ぶ女がスーパーマーケットでカッターナイフを振り回して2人に怪我をさせました。


フランスでは過激主義者やISによるジハーディストのテロ(当局は精神疾患とするケースが多い)が続いていて、2015年のシャルリー・エブド襲撃事件から240人以上がイスラム過激主義者の犠牲になっています。


四角02


男尊女卑で7世紀の価値観を21世紀に持ち込み自分達の集団以外を見下し、特別扱いをゴリ押ししながらテロも量産するこの集団、治安維持そして国民を守るために国家としてどう向き合い対処するのか、外野からの中国批判だけでは何も解決しないし無責任だと思います。

※中国政府は当局の監督下にないものはキリスト教でも締め付けを強化していますが、テロと密接な関係がある対イスラムの方が厳しいようです。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12403994348.html


「職業訓練だ」中国、新疆ウイグルの収容施設を合法化
2018年10月12日 14時54分
https://www.epochtimes.jp/2018/10/36955.html

2017年4月、施設内で「再教育」を受ける収容者たち(新疆ウイグル自治区司法当局の微信アカウントより)
https://img.epochtimes.jp/i/2018/10/11/t_pvpblpl6nyinj9wxes9d.jpg


新疆ウイグル自治区人民代表大会常務委員会は9日、「極端化を除去する条例」の改正案を発表した。改正案では、ウイグル人を収容する施設を「職業訓練センター」と位置づけた。新疆では、中国共産党政府が建設した隔離施設に100万人以上が拘束されていると報じられ、国際的な批判が相次いでいる。今回の改正案は批判をかわす狙いがあるとみられる。

改正案には、国の反テロ法や宗教法に基づき「過激な宗教思想、分離主義を取り除き、市民の正常な生産活動と生活、言論を保つ」と記した。

ウイグル人の生活習慣も制限された。民族衣装「ブルカ」とベールを着用する者、ヒゲをはやす者、そして子どもに国の教育を受けさせない者は「極端分子」と見なされ、「法に基づいて」施設で思想改造を受けると、定められた。

同条例は2017年に定められたが、9日に可決した改正案で、収容施設の役割は職業訓練センターであるという内容が新たに追加された。具体的に「職業訓練もかねる教育を施す。収容者は国の公用語を勉強し、思想教育、心理と行動の矯正を受けることによって、極端化を除去する」という。

海外のウイグル組織や人権団体によると、当局の「過激派、分離主義、テロリズムと闘う」の名目で、100万もの市民が収容施設に拘束されているという。

ラジオフリー・アジア(RFA)は10月6日、収容施設で働く警備員にインタビューした。そこでは、収容者たちは「なぜ自分が再教育を受けなければならないのか」と問い詰め、思想改造を受けているという。また、施設内には監視カメラが設置され、収容者同士が会話することや、行動が、厳しく制限されている。

この警備員は、収容者の割合に関して「女性が20%、70歳以上が10〜20%、15〜18歳が5〜10%」と答えた。3度の食事はごはん茶碗に半分ほど盛ったものが出るが、自殺できないように椀はプラスチック製。「彼らは食事がハラール・フードであるかどうかを聞くことは許されない。すべての申し出は政治警察が受け付ける」と述べた。

新疆の収容施設を衛星写真で分析するカナダ在住の中国人留学生ショーン・ジャン氏によると、収容施設と考えられる建物はこれまで60以上見つかっており、それぞれ監視塔、作業所、限られた出入口、高いフェンスと電気柵が設けられ、刑務所の構造と似ていると指摘している。

7月、収容施設で働いていたウイグル族の女性は、カザフスタンの裁判所での証言で「中国当局は再教育施設だと主張しているが、その内容は山奥にある刑務所」と暴露した。


http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/736.html#c2

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
149. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:56:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21970]

世界同時株安はいつまで続くのか? 過去の暴落と比較する
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2018年12月11日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8059


2018年10月から始まった世界同時株安が続いている。2008年のリーマンショックによる市場暴落以後、株式市場は大きく上昇しており、下落相場というものがどういうものか忘れている投資家も多いだろう。

市場急落とは言うものの、下落相場とは通常どれくらいの期間続くものだっただろうか? そして今回の下落相場はどうなるのだろうか? それぞれの暴落の原因も含めて一度検証してみよう。

2008年リーマンショック

先ずは2007年から2008年にかけて起こったサブプライムローン危機における市場の暴落を振り返りたい。

サブプライムローン危機とは、投資銀行などが開発した複雑な金融商品によって、アメリカの不動産バブルが世界の銀行システムにまで波及し、株式市場の暴落に繋がったものである。この意味では第一の原因は不動産バブルであり、株価バブル崩壊が止まるかどうかは、不動産バブルが止まるかどうかにかかっていたと言える。

当時の米国株のチャートは以下である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8059


2007年の半ばから2009年の初めにかけて60%ほど下落している。「暴落」とは言うが、高値から底値まで1年半かかっていることに注目したい。

2000年ドットコムバブル

その前の市場暴落は2000年から始まったドットコムバブル崩壊である。

GoogleやMicrosoftなどの企業に代表されるIT革命によってIT企業の株価が高騰した。IT系だというだけで、利益の上がっていない会社や中身の怪しい会社にも莫大な額が投資された結果、回収される見込みのない投資が山積みとなり、2000年の最高値を区切りに暴落した。

この時の下落相場はリーマンショックの時よりも長く、2年半の間に50%ほどの下落となっている。

1987年ブラックマンデー

もう一つ紹介したいのは、1987年のブラックマンデーである。

ブラックマンデーの原因については一般には不明とされているが、筆者は金利が原因であると考えている。

当時、ドル高を是正する目的で行われたプラザ合意によって逆にドル安が止まらなくなっていたが、利上げによってドル安を止めることは、それまで金利低下によって支えられていた株価上昇トレンドを放棄することを意味していた。アメリカは結局利上げを余儀なくされ、株式市場は崩壊したのである。

1987年の8月から10月にかけて、2ヶ月で35%程度の下落となっている。チャートが週足ではなく日足になっていることに注意したい。

ブラックマンデー当時の状況については、以下の記事で詳しく説明している。

•プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る

しかしここで重要なのは、ブラックマンデーにおける暴落がFed(連邦準備制度)のアラン・グリーンスパン議長の市場救済宣言によって収束したことで、以後市場では「株価が暴落しても中央銀行が助けてくれる」という盲信が出来上がったということである。

事実、ドットコムバブルやリーマンショックでも、下落相場はブラックマンデーに比べて長期のものとなっている。ブラックマンデー以後、下落相場が数年単位となったのは、投資家が中央銀行の下支えを期待して、急な下落には押し目買いを入れるようになったことが一因であると個人的には考えている。

レイ・ダリオ氏は長期の下落相場を予想

さて、現在の相場に話を戻そう。2018年10月から始まった下落相場はどれくらい続くのだろうか?

前回の記事で紹介したが、世界最大のヘッジファンドを運用するレイ・ダリオ氏は、今回の下落相場は2008年のような急落ではなく、市場と実体経済が徐々に締め付けられてゆくような相場になると予想している。

•世界最大のヘッジファンド: 世界同時株安はリーマンショックとは違う

上で説明したように、サブプライムローン危機では1年半の下落相場となっていることから、大雑把に言ってダリオ氏は2年から5年程度の下げ相場を想定しているのだろう。

一方で、上記の記事ではダリオ氏の理屈の盲点も指摘している。ダリオ氏が債務の膨張と利払いの増加による段階的な締め付けを念頭に置いている一方で、現在アメリカが行なっている量的引き締め(量的緩和の逆回し)は市場から直接的に資金を引き揚げる金融政策であり、その意味では不動産市場やIT株から投資家が競って資金を引き揚げる過去のバブルと同じだということである。

不動産バブル崩壊と量的引き締めのどちらがより急速な市場からの資金の流出かというのは、難しい議論である。しかしダリオ氏の言うようなゆっくりとした下落相場になるとは考えがたい。下落相場の長さとしては半年から1年半程度を想定しておくべきだろう。

それでもブラックマンデーよりは長丁場となる。その間、株価は買い方に希望を与えるような反発を交えながら、長期的に下落してゆくだろう。それを止められるのは量的引き締めの停止だけである。政策金利を引き下げる利下げに効果があるかどうかは議論の余地があるが、単に現在行なっている利上げを停止するだけでは、精々短期的な株価反発の口実になるだけだろう。

量的引き締めの停止は、今のところ議論されていない。それどころか世間では誰も量的引き締めについて語っていない。世界同時株安の本当の原因を、わたしとここの読者以外誰も理解していないのである。

世間と中央銀行がそうしている間は、売り方は安泰である。株式市場は何処まで下がるだろうか。


•世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因 (2018/10/28)
•バブルの頂点で日経平均は上昇、空売りを淡々と継続 (2018/9/20)

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8059

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c149

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
132. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月11日 20:56:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21970]


世界同時株安はいつまで続くのか? 過去の暴落と比較する
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2018年12月11日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8059


2018年10月から始まった世界同時株安が続いている。2008年のリーマンショックによる市場暴落以後、株式市場は大きく上昇しており、下落相場というものがどういうものか忘れている投資家も多いだろう。

市場急落とは言うものの、下落相場とは通常どれくらいの期間続くものだっただろうか? そして今回の下落相場はどうなるのだろうか? それぞれの暴落の原因も含めて一度検証してみよう。

2008年リーマンショック

先ずは2007年から2008年にかけて起こったサブプライムローン危機における市場の暴落を振り返りたい。

サブプライムローン危機とは、投資銀行などが開発した複雑な金融商品によって、アメリカの不動産バブルが世界の銀行システムにまで波及し、株式市場の暴落に繋がったものである。この意味では第一の原因は不動産バブルであり、株価バブル崩壊が止まるかどうかは、不動産バブルが止まるかどうかにかかっていたと言える。

当時の米国株のチャートは以下である。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8059


2007年の半ばから2009年の初めにかけて60%ほど下落している。「暴落」とは言うが、高値から底値まで1年半かかっていることに注目したい。

2000年ドットコムバブル

その前の市場暴落は2000年から始まったドットコムバブル崩壊である。

GoogleやMicrosoftなどの企業に代表されるIT革命によってIT企業の株価が高騰した。IT系だというだけで、利益の上がっていない会社や中身の怪しい会社にも莫大な額が投資された結果、回収される見込みのない投資が山積みとなり、2000年の最高値を区切りに暴落した。

この時の下落相場はリーマンショックの時よりも長く、2年半の間に50%ほどの下落となっている。

1987年ブラックマンデー

もう一つ紹介したいのは、1987年のブラックマンデーである。

ブラックマンデーの原因については一般には不明とされているが、筆者は金利が原因であると考えている。

当時、ドル高を是正する目的で行われたプラザ合意によって逆にドル安が止まらなくなっていたが、利上げによってドル安を止めることは、それまで金利低下によって支えられていた株価上昇トレンドを放棄することを意味していた。アメリカは結局利上げを余儀なくされ、株式市場は崩壊したのである。

1987年の8月から10月にかけて、2ヶ月で35%程度の下落となっている。チャートが週足ではなく日足になっていることに注意したい。

ブラックマンデー当時の状況については、以下の記事で詳しく説明している。

•プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る

しかしここで重要なのは、ブラックマンデーにおける暴落がFed(連邦準備制度)のアラン・グリーンスパン議長の市場救済宣言によって収束したことで、以後市場では「株価が暴落しても中央銀行が助けてくれる」という盲信が出来上がったということである。

事実、ドットコムバブルやリーマンショックでも、下落相場はブラックマンデーに比べて長期のものとなっている。ブラックマンデー以後、下落相場が数年単位となったのは、投資家が中央銀行の下支えを期待して、急な下落には押し目買いを入れるようになったことが一因であると個人的には考えている。

レイ・ダリオ氏は長期の下落相場を予想

さて、現在の相場に話を戻そう。2018年10月から始まった下落相場はどれくらい続くのだろうか?

前回の記事で紹介したが、世界最大のヘッジファンドを運用するレイ・ダリオ氏は、今回の下落相場は2008年のような急落ではなく、市場と実体経済が徐々に締め付けられてゆくような相場になると予想している。

•世界最大のヘッジファンド: 世界同時株安はリーマンショックとは違う

上で説明したように、サブプライムローン危機では1年半の下落相場となっていることから、大雑把に言ってダリオ氏は2年から5年程度の下げ相場を想定しているのだろう。

一方で、上記の記事ではダリオ氏の理屈の盲点も指摘している。ダリオ氏が債務の膨張と利払いの増加による段階的な締め付けを念頭に置いている一方で、現在アメリカが行なっている量的引き締め(量的緩和の逆回し)は市場から直接的に資金を引き揚げる金融政策であり、その意味では不動産市場やIT株から投資家が競って資金を引き揚げる過去のバブルと同じだということである。

不動産バブル崩壊と量的引き締めのどちらがより急速な市場からの資金の流出かというのは、難しい議論である。しかしダリオ氏の言うようなゆっくりとした下落相場になるとは考えがたい。下落相場の長さとしては半年から1年半程度を想定しておくべきだろう。

それでもブラックマンデーよりは長丁場となる。その間、株価は買い方に希望を与えるような反発を交えながら、長期的に下落してゆくだろう。それを止められるのは量的引き締めの停止だけである。政策金利を引き下げる利下げに効果があるかどうかは議論の余地があるが、単に現在行なっている利上げを停止するだけでは、精々短期的な株価反発の口実になるだけだろう。

量的引き締めの停止は、今のところ議論されていない。それどころか世間では誰も量的引き締めについて語っていない。世界同時株安の本当の原因を、わたしとここの読者以外誰も理解していないのである。

世間と中央銀行がそうしている間は、売り方は安泰である。株式市場は何処まで下がるだろうか。


•世界同時株安を予想できた理由と株価下落の原因 (2018/10/28)
•バブルの頂点で日経平均は上昇、空売りを淡々と継続 (2018/9/20)

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8059

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c132

[国際24] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドな…:自然板リンク お天道様はお見通し
3. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:07:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21970]

回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達


アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html

キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造  投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒


旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。


この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。

「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。


元々、ヨーロッパ自体が

「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205

により、選民思想も登場してきているという背景があります。


ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。


以下、

『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

****************************

■アメリカを新しいエルサレムの地にする

イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。

ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。


彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。

ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。


いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。

彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。


ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。

ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。

彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。


そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。

西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。

このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。


■宗教国家のアメリカには「妥協」がない

現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。


彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。


神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。


建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。


ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。


宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。


ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。

アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。


第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。

今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html

http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/736.html#c3

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
5. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:11:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21973]

回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達

アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html

キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造  投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒


旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。


この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。

「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。


元々、ヨーロッパ自体が

「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205

により、選民思想も登場してきているという背景があります。


ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。


以下、

『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

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■アメリカを新しいエルサレムの地にする

イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。

ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。


彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。

ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。


いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。

彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。


ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。

ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。

彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。


そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。

西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。

このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。


■宗教国家のアメリカには「妥協」がない

現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。


彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。


神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。


建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。


ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。


宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。


ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。

アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。


第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。

今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c5

[国際24] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドな…:自然板リンク お天道様はお見通し
4. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:15:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21973]
最新の進化論「Virolution」のご紹介記事です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1

  さて、「Virolution (邦題「破壊する創造者」)」は全15章あります。 最新の進化学の現状を知ることは考え方の幅を広げる役には立つと思います。早川書房、2500円+消費税です。
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  15章 エピジェネティクス進化は遺伝子が変異するのではなく、発現機序が変化すること

  本来医者である本書の著者フランク・ライアン氏は最後の3章分は遺伝病の話にほぼ終始しました。そしてそれはDNAの発現メカニズムに狂いが生じることが原因である、と説明しています。 本来進化の要因のはずの推進力が一方病気の原因でもあるのです。とくにガンの話は恐るべきものです。人類の大敵のガンは、自然選択からみると優先的に選択されるものらしいのです。 だからガンは自分では進化しているつもりなのだそうです。我々にはいい迷惑なのですが。

  下図が、本書の最終まとめです。4種の進化の推進力があります。3種は「遺伝子」そのものが変化しますが、最後のエピジェネティクスは遺伝子の「発現のメカニズム」が変化するのです。 そして喫煙など環境の影響を受けるのもエピジェネティクスなのです。
  

  日本人の遺伝子を考えるための自己啓発として本書を読んできましたが、これで終わりにします。

  本書のカバーに描かれているタコのような頭でっかちの物体はバクテリオファージと言います。異物を掃除するのがマクロファージですが、バクテリアを掃除するのがバクテリオファージです。 昔電子顕微鏡の研究者だったころに電子顕微鏡で撮影した写真を最後にご紹介して「破壊する創造者」の勉強は終わりにします。
  

  論文のコピーなので写真が若干荒れていますがご勘弁ください。左端はγーPhage、中央はT4−Phage、右端はT4−Phage を立てて影をつけてみた写真です。脚が2本見えますが、 本当は6本ぐらいあるのですが、数本が固まってしまっています。右端の写真で10万倍ぐらいに拡大しています。

  ではY-DNAやmtDNA遺伝子がハプロタイプに分化し更に亜型、子亜型に分化する要因は何だったのでしょうか、本書の結論から素直に考えると、

・ネアンデルタール人との亜種交配
・ウイルス感染、細菌感染(特にアフリカや熱帯雨林など厳しい風土病環境の地域)
・灼熱の過酷なアフリカ大地から出アフリカ後の穏やかな環境への変化、
・出シベリヤの原因になったシベリヤ大地の寒冷凍土化と寒冷地適応、
・狩猟採集から農耕への生活スタイルの変化、
・牧畜から農耕への生活スタイルの変化、
・出アジアしオセアニアに拡散した居住環境の変化などなど.....、

ところが、現代人類の居住環境の変化と生活スタイルの変化は全てエピジェネティクスな要因なので遺伝子の分化には影響を与えないのです。

  では我々今生きている人類の遺伝子の子亜型はもうこれ以上変化しないのでしょうか?もしくはこれからも変化するのでしょうか?当然これからもどんどん変化するはずですが、 本書ではその変化するスピードは対象となる動植物によっては数代で獲得形質になる場合があると紹介しています。では人類では?残念ながらそこまでははっきりとは書かれていません。

  農耕民族が穀物の消化を十分に行うために腸が長くなりその結果胴長になり短足になった、と昔から言われていますが、これは獲得形質なのでしょう。そうすると漁労民族や、 牧畜民族は足が長いままなのでしょう。日本人はコメが命である以上胴長短足は宿命です。今、足が長い一部の日本人も代を重ねると子孫は胴長短足になるはずです。昔の説が正しければ ....ですが。でも遺伝子は変化しないのです。発現のメカニズムが変わるだけなのです。

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  14章 エピジェネティクスは遺伝子を変異させるのではなく、発現機序をコントロールすること

  本書の最後に近くなってきましたが、テーマは先天性疾患の話になってきました。そして癌の話題です。また老化にも触れています。エピジェネティク(後天的に獲得したDNA発現の制御作用)な メカニズムのことをエピゲノムと呼ぶのだそうですが、エピゲノムは常に環境の影響を受け続けているそうです。周囲の環境からあるシグナルが発信されると、それを認識して遺伝子発現制御配列に 指令が出され、配列はその指令に応じて対応する遺伝子の発現を調節するのだそうです。つまり環境の変化が即、生物の変化に繋がるのだそうだ。

  ここで著者のまとめは次のようです、

  「人間の体を作る細胞は全て同じDNAを持っているが、神経を作る細胞、肝臓を作る細胞など異なる細胞に変化するのは何故か?つまり同じ遺伝子であっても細胞ごとに発現の仕方が違うからに 他ならない、それをコントロールしているメカニズムがエピジェネティクス」なのだそうだ。   そのメカニズムは今のところ次の3つあるらしい。

  ・メチル化;DNAの4塩基の1つ「シトシン」のメチル化、
  ・ヒストン修飾;ヒストン(DNAと結合し折りたたみ核内に収容するタンパク質)のアセチル化、
  ・RNAi(RNA 干渉=遺伝子のタンパク質への翻訳に干渉し、mRNAの特定の分子を破壊す
      る、つまり該当する特定のタンパク質の合成を妨げる。

  この3つのメカニズムは細胞分裂時に受け継がれるようだ=遺伝する。しかも複数のメカニズムが同時に働くこともあるらしい。 つまり協調し合って機能しているのだそうだ。でもあまりに複雑すぎて まだよくはわかっていないとのこと。   先天性疾患の例が示された。

・妊娠中の母親の食事に「葉酸」が不足すると、

  ・胎児の脊髄の形成に問題が生じる、
  ・胎児が水頭症にかかりやすくなる、
  ・胎児の脊柱管の下部の癒合に失敗する可能性が高くなる、
  ・生涯、脚にマヒが残る。などの先天性疾患が現れるのだそうだ。

 「葉酸」はアミノ酸のメチオニンの合成に欠かせない栄養素だが、このメチオニンはなんと、
 メチル化に使われる「メチル基」を供給する役割を持っているのだそうだ。
 つまりメチオニンができないため、DNAのメチル化が行えず、メチル化が行われないと遺伝
 子の発現作用が正しく働かなくなり、正しい遺伝子制御ができなくなる、と言うのだ。

  葉酸の摂取必要値

   成人女子推奨量:240μg、成人男子推奨量:240μg
  葉酸が多い食品例は、「簡単!栄養andカロリー計算」さんから頂きました。

  いまどきの若い女性はあまり食べないものもありますね。

  重要なことは、遺伝子は両親から1組づつ受け継ぐが、子供の遺伝子ではどちらの親から受け継いだものを使うのかが選択される、らしい。このため、片方の親から受け継いだ遺伝子のみが 発現する、ようだ。この現象を「ゲノム刷り込み」と呼ぶのだそうだ。そして遺伝子によっては当然だが父親由来と母親由来ではエピジェネティクな働き方が違う場合が生じる。 その時、不幸にも選択された遺伝子に先に紹介したエピジェネティックな問題があると先天性の疾患になってしまう、たとえ選択されなかった方の遺伝子が完全に正常でも、残念な結果に終わる、 のだそうだ。本書では、さまざまな遺伝病の例が紹介されている。

・エピジェネティクな癌の定義

 「癌」とは、細胞の外見とふるまいが異常になること。
       細胞が無制限に次々に増殖する利己的な存在になること。
       細胞が道を踏み外すこと。

    道を踏み外した細胞が1個とかせいぜい数個だけの内なら、その利己的な振る舞いは細胞や細胞内の遺伝子のの生存や増殖にとって有利なものだそうだ。むしろ「自然選択」によって、 「最も大きく道を踏み外した細胞」こそが最も選ばれやすくなる、のだそうだ。つまり「自然選択が選ぶのは間違いなく細胞や組織のホメオスタシス(内外の環境の変化にかかわらず生物の 体の状態が一定に保たれること)を維持することに最も強く抵抗する細胞だろう」と言うことらしい。これは厄介なことです。人間にとって破壊者である癌は自然選択側にとっては 最も好ましい状態なのです。

  つまり、細胞のゲノムのある部分では脱メチル化が過剰に起き、癌遺伝子を不適切に活性化させ、ある部分ではメチル化が過剰に起き、癌抑制遺伝子を不適切に不活性化し、 どちらにしても癌の原因になっている、と言うのだ。

  ではエピジェネティクな作用以外の癌は?環境要因の例として、

・喫煙による癌誘発効果、
  ・喫煙の刺激で「RNAi」の産生が促進され、抗癌遺伝子の発現が抑制される、のだそうだ。

・ウイルス感染による癌誘発、
  ・子宮頸癌を起こすパピローマウイルスが有名、

が挙げられた。

●老化の話題に入りました。

  細菌やアメーバなどの単純な生物は決して年をとらないのです。ところが多種多様な細胞、組織、器官から成る複雑な生物が受け継ぐべき「遺産」が、「年を取ってやがて死ぬ」こと なのだそうだ。シーラカンスもガラパゴスの動物たちも人間も全て「年を取ってやがて死ぬ」のです。老化するとエピジェネティクなメカニズムが機能しなくなるらしい。

  エピジェネティクスの研究では遺伝学同様、一卵性双生児を研究に使う。目的は違います。

・遺伝学では、いかに「同じ」かを説明するために、

・エピジェネティクスでは「差異」を明確にするため、です。
  つまりエピジェネティクなメカニズムの働きで人にどのような差異が生じるのか、研究するのです。一卵性双生児ということは、お互いがお互いのクローンで全く同じ遺伝子を持っている のですが、もし後天的な制御作用が進化に働くなら、遺伝子は全く同じでも、常に一緒に全く同じ生活をしなければエピジェネティクな作用は異なるはずだからです。

  30組の男性の一卵性双生児、50組の女性陣の計80組、そして年齢は3歳から74歳まで「究極の実験」が行われたそうです。調査の結果は、

・生まれて間もないころ、幼い間ならエピジェネティクなメカニズムの働きはほぼ同じで、
  若い双子ほど互いに良く似ている。

・しかし年齢が高くなるほど、互いの違いが明確になってくる、そうです。
  DNAのメチル化やヒストン修飾に違いが生じるのだそうです。

    両者の違いは、二人のライフスタイルが違っている場合ほど、一緒に暮らした時間が少ないほど、顕著に表れるようだ、たとえ遺伝子が同じでも、発現する際には環境が大きく影響すると 言うことです。これが、一卵性双生児でも病気へのかかりやすさが異なる理由になるかも知れないのです。一卵性双生児の関節リウマチへの罹患率は本来なら100%一致するはずですが30%しか 一致しない。関節リウマチはある程度年齢が上がってからかかる病気のため、それまでの時間暮らした環境が違えば違うほど罹患率は違ってくるのです。

  一方ストレスも自己免疫疾患の原因になりやすいが、ストレスホルモンの副腎皮質ステロイドは遺伝子やエピジェネティクスへ影響することがわかってきているそうです。

  本書では、エピジェネティクスの研究は遺伝子研究の20年前の水準にしか達しておらず、研究レベルはこれからまだまだ上がる、大手の製薬会社もエピジェネティクスの研究に乗り出して 来ており、癌、炎症性疾患、先天性異常、遺伝性疾患、糖尿病などのほか慢性的な病気の治療や老化の対策にエピジェネティクスが応用されるだろう、ということのようです。

  老化により引き起こされる疾患への有効な治療法の確立などで、老化防止策が数多く開発される可能性がある、とこの章を締めくくっている。エピジェネティクスの操り方がわかれば、 先の紹介した、機能遺伝子、ミトコンドリア遺伝子やレトロウイルス関連の遺伝子配列などゲノムをのあらゆる部分を操作することが可能になるかもしれないのだそうです。

  もし本当にそういう時代がくるなら、医学は急速に進歩するのでしょうが、今のような混沌とした時代で長生きはしたくない、というのが本音で余計なお世話だ、と言いたい!100歳まで 元気で生きられるとして、何をして暮らすの?働く?レジャー?瞑想?、何をするにも住むところと元手が必要。誰が用意してくれるのか?こんな時代で自分の娘がかわいそうだと感じているのに、 長生きしてどうする!などと、欧米人は考えないのです。元気で長生きをすれば、することが沢山あるんです、彼らには!羨ましい。
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以上
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13章〜12章

  13章 内在性レトロウイルスが胚発生の初期段階で重要な役割を果たしているらしい

・発生のごく初期の段階では遺伝子の制御に関して、エピジェネティック(後天的な遺伝子
  制御作用)なメカニズムが働くことはなく、むしろ内在性レトロウイルスが胚発生の初期
  段階で非常に重要な役割を果たしているらしいがまだ解明されていない。

・受胎初日に受精卵は全く同じ細胞に2分割される。
・受胎後4日目には16個〜32個の細胞に増加し球体になる。
・翌日中が中空のゴムまり状の胞胚になる。外側は後に胎盤になる。
・その後何日間かで胚が子宮内膜に着床する(ここで内在性レトロウイルスが働くらしい)。
・子宮内膜が剥がれ落ちないように胚はHCGを分泌し、卵巣を刺激し月経を防ぐ。
 (昔研究者だったころに妊娠診断薬の開発を行いましたが、その時に妊娠診断マーカー
  に使ったのがHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)なのです。)
・受胎7日〜10日には胞胚の一部が中に窪む原腸陥入(後に肛門になる)が起こる。ここま
  では全ての細胞は最初の受精卵のコピーだけであるが、原腸陥入が起こると重要な制
  御遺伝子が働き始め、それが作り出した化学物質によって、いよいよ遺伝現象が再生
  され始める。なんと肛門が最初に作られるのである。
・受胎後12週には肺と脳以外のほとんどの器官、身体の部分が出来上がり、後は大きく成
  長するだけになる。脳はあまりに複雑なため誕生後に発達をするのだ。誕生直後の何
  日間、脳細胞は毎分25万個のハイペースで増加するのだそうだ。最初の2年間で大き
  く、複雑になる。チンパンジーの脳は誕生時にはヒトと変わらないが、大人になるとヒト
  の脳はチンパンジーの3.5倍の重さになる。
・実はこの間も親から受け継いだ遺伝子は両親からの核遺伝子も、母親からの細胞質遺
  伝子もレトロウイルス関連の成分も、すべての細胞で全く同じなのだ。

・遺伝情報には2つのシステムがあり、

 1つは遺伝子そのものが持つ情報で真に遺伝的なもの。
 2つ目は、個々の細胞でどの遺伝子を発現させるかを決める補助的メカニズムでエピジェ
  ネティックなもの、つまり遺伝子の働きを操作するメカニズムが存在するのである。その
  働きはDNAの4塩基の1つシトシンをメチル化させるらしい。そして制限酵素が働くらし
  い。要約すると、エピジェネティックなプロセスによって個々の遺伝子の発現スイッチが
  適当なタイミングでオン・オフされている、のだ。シトシンがメチル化されるとスイッチは
  オフ、脱メチル化されると遺伝子のスイッチはオンになるのだ。そして重要なことはメチ
  ル化が起きてもDNAの配列には変化が起きないことだ。
・そしてエピジェネティックな遺伝子の操作は遺伝をするらしい。
・しかも、環境からのシグナル(影響)によって遺伝子に直接エピジェネティックな変異が誘
  発され、それが遺伝する、のだ。この論理は何となく飛躍があるような気がしますが、著
  者は気にしていないようです。
・そうしてそれが進化につながってゆく。
・そうしてエピジェネティックな変異が蓄積し、それが「獲得形質」となり
・獲得形質が遺伝の対象になることによって進化が起き新たな「種」が生まれる、そうだ。
・エピジェネティックな遺伝はmtDNA遺伝と同様メンデルの法則に従わないそうです。

・本書の結論は、

  エピジェネティックなメカニズムはDNAの遺伝子機構から独立して作用し、
  その働きは環境の影響を受け、生物は環境に直接呼応するように進化できる。
  遺伝子以外の要素がDNAの発現を複雑に制御している
 です。

  キリンの首が何故長くなったか、首だけでなく体高も高くなっています。それは長いほうが樹上の葉を独占して食べることができるからですが、 「突然変異」でたまたま首の長い馬が生まれれば食事に優位なために「自然選択」されると思いがちですが、 どう考えてもバランスがとれず走りにくく、肉食獣に簡単に食べられ、逆選択され絶滅するだけでしょう。 つまり首が長くなる突然変異はアフリカでは優位ではないのです。また子孫を残すには複数の馬に同時に突然変異が一斉に起きる必要がありますが、 その確率論より、全部の馬が樹上の葉を食べるために首を伸ばし続けたために、少しづつ首が伸び体高も高くなりそれが徐々に遺伝子に書き込まれていった、 と考える方がまともな気がします。徐々に伸びるならバランスも対応でき走ることも上手くなるでしょう。これぞラマルクの獲得形質です。

  しかし本書で書かれているエピジェネティックスがキリンの例に当てはまるのかどうかは触れられていません。 直感的にはラマルクの進化論とエピジェネティックスは何か違う気がしますが、素人はこのくらいにしておきましょう。

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  12章 人とチンパンジーの共通の祖先は分離後も200万年は通婚したらしい

  この本は新しい進化論行きの新幹線に乗っているようだ。解りやすい書き方のおかげで内容がどんどん脳ミソに叩き込まれてくる。12章はまだ半分しか読んでいないのだが既に怒涛の展開です。

  現代人類とチンパンジーが別種として分岐したのは700万年前頃とされていますが、遺伝子の変異の1回の出来事による分岐ではなさそうだ、と言うことがハーバード大学とマサチューセッツ 工科大学の合同チームの研究でわかったらしい。人の染色体は22対の常染色体と1対の性染色体からなることは教科書に出てきますが、人とチンパンジーの常染色体の遺伝子調査ではどの染色体を 選んでも分岐年代はほぼ同じになるのに対して、性染色体の調査では分岐年代はづーっと新しく630万年前頃だそうです。我々外野席から見れば誤差範囲のような気がしますが、進化学的にはかなり 違うようです。

  答えとして合同チームが用意したのは、「人とチンパンジーの祖先は一応分岐はしたが、その後もしばらくは交配があり、そして630万年前頃完全に分岐した」と言う内容でした。 つまり「種」の分化は遺伝子の変化である日突然にスパッと起こるのではなく、遷移期間・移行期間があるらしい。アフリカの霊長類では異種交配は実は特に珍しいことではない、のだそうだ。 その要因は自然環境の変化、人間による環境破壊など、つまり生態系の変化が大きな要因になるそうだ。

  現代人類が「出アフリカ」を決行したのも当時住んでいた北アフリカの大干ばつで人口が2000人にまで減少してしまったことが原因なのだ。そして種を維持する本能でネアンデルタール人と 交配が起きた可能性がある。人類がアリューシャン列島を渡り新世界に移動をしたのも当時住みやすかったシベリア大地の寒冷化が原因。ではオーストロネシア語族の出東アジア→オセアニア 移住の要因は?

  性染色体の遺伝子解析は常染色体の解析とは少し違った展開を見せているそうだ。X染色体の「RRM2P4」と呼ばれる配列部分は大陸ごとに不自然な大きな差異がみられ、差異が生じ始めたのは 200万年前頃のことらしい、この時期はホモエレクトス(旧人)がアフリカから世界に拡がり始めた頃だそうです。アジアでは3万年前頃までホモエレクトスが存在したことが確認されている そうなので、RRM2P4は旧人と我々新人の交配の結果ホモエレクトスから受け継いだ遺伝子ではないかと考える研究者もいるそうです。また40万年前頃に現代人類と分岐したネアンデルタール人が ヨーロッパやアジアに現れたのが30万年前頃で、現生人類がアフリカの大地に生まれたのは25万年前頃だそうです。

  そして我々の祖先は5万年〜10万年前頃に出アフリカを決行し中東から西ヨーロッパに進出し、その結果3万年前頃にはネアンデルタール人を滅ぼしてしまった、のが事実だそうです。 恐らく攻撃性で優位に立っていたからこそ現生人類が生き延び、ネアンデルタール人は絶滅させられたのです。これも「自然選択」?。

12章の後半に入りました、ここは11章の後半と同じ多倍体を論じています。

  植物や動物は一般的に2組の染色体を持っています。それぞれの親から1組づつ受け継いだものです。そして子供にはそのうち1組が受け継がれてゆきます。これが2倍体と呼ばれ人類も 2倍体とされています。ところが異種交配が発生すると子供には両親の全ての染色体が受け継がれ染色体が4組になるときがあります。これを4倍体と呼びます。人類が栽培している穀物類の 多くが4倍体なのです。つまり4組もの染色体を納めるため細胞の核が大きくなり、そのため更に細胞自身も大きくなります。結果2倍体より大きく育ち、栄養も多いのだそうです。

  ところが自然界では4倍体は偶然の産物のため、4倍体の生物が交配したくても同じ種で同じ4倍体と出会う確率はほとんどなく2倍体の相手と交配するしかなくなります。そうすると 子供に受け継がれる染色体は3組になるため3倍体になりますが、次の交配時に3組の染色体を2つに分けることはできたいため「不妊」になるのだそうです。4倍体のスイカと2倍体のスイカを 掛け合わせると3倍体の「種なしスイカ」が出来るのだそうです。人工的に染色体が64本の馬と62本のロバを掛け合わせると63本のラバになりますが、63本を2つに分けられないためラバは 不妊・繁殖できず、1代限りになってしまうのだそうです。

  現生人類の染色体中には、HOX遺伝子群と呼ばれる胎生発生(いつ手が出来ていつ脚ができるかなど順番と時期)において重要な役割を果たす部位があるそうです。「群」と言う通り 染色体上に似たような遺伝子セットが4つもあるのだそうです。しかもウニ・クラゲから人類まで構造も働きもとてもよく似ているのだそうです。つまり長い間の「自然選択」に耐え元の 構造を驚くほど残しているのだそうです。何が問題?かというとうに・クラゲはHOX遺伝子が1つしかないのに人類は4つもある、ということだそうです。しかも発生に関する遺伝子に4セットな ものが意外に多く、発生に関する遺伝子意外の遺伝子にも4セットが見つかり始めているらしい。著名な日本人遺伝学者/大野乾氏の有名な進化論「遺伝子重複進化論=2R仮説」が4セット 現象の合理的な説明をするのだそうです。

  地球最初の生命体の古細菌は数千の遺伝子から成っている、しかしショウジョウバエで1万3600、ウニは2万7千、人類は約2万(ただしウイルス由来の遺伝子は含まず、機能遺伝子の1.5%分 のみで約2万)だそうだ、突然変異と自然選択だけでは生物は複雑にはならない=遺伝子の数は増えない。脊椎動物の進化の歴史の中で大野乾氏は、2回4倍体が生じている、との説を主張された。 これが「2R仮説」

 ・1回目:脊索動物(ホヤなど)⇒初期の魚類への進化時期(約5億1千万年前頃)
 ・2回目:魚類と両生類の分岐時期(約4億2千万年前頃)らしい。

  そして現在、遺伝子解析によって2R仮説の正しさが証明されたのだそうです。この遺伝子重複の原因が「異種交配」だろうと考えられているようです。

  では結局人類は4倍体などの多倍体なのだろうか? 著者の回答は「ほぼ間違いなく多倍体だろう」とのことです。

  ところが更なる本書の展開は...

多倍体化の原因は過去は異種交配だったかもしれないが、現代社会では種々のストレスが大きな要因になることもあり得る、と説明している。

    ・活性酸素による酸化損傷
 ・外傷からの回復時
 ・ウイルス感染
 ・加齢 など。

つまり進化の推進力は病気の原因になることも多い。と注意している。多倍体化は特に癌研究者も注目をしているそうです。
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  後半に入り遺伝子病がクローズアップされてきましたが、カバーする内容が章のタイトルと必ずしも1対1ではなくなってきています。現在読んでいるのは13章のはじめの部分ですが、 進化の推進力の1つ「エピジェネティクス」つまり後成的な制御作用に関して書かれています。このエピジェネティクスを理解するために最も良い例は一卵性双生児の例だそうです。

  一卵性双生児は1つの卵子が分割したため完璧に同じ遺伝子を持つそうです。単純に考えると卵子が2つに分割するとき、片方に偏在する遺伝子があってもおかしくないと思うのですが、 分割した2つの卵子は遺伝学的/医学的に完璧に同じなのだそうです。この前提でもし1組の一卵性双生児に明らかに解るような違いがあるとすると、それは確実に遺伝子意外の要因によるもの、 と考えられるそうです。

  重要なことは「遺伝子そのものは環境の変化に反応して変わることができない」ことだそうです。放射線などを浴びるなどして遺伝子に損傷が起きない限り遺伝子配列は不動なのだそうです。 だからこそ環境によって変化したとすれば、それはエピジェネティクスな作用、と言うことだそうです。しかも遺伝をするのだそうです。植物が春の訪れを知るのはエピジェネティクスの作用、 つまり後成的な要因によるものなのだそうです。(放射線の作用は火傷のようなダメージだけでなく、遺伝子を傷つけてしまうことにもあるのだそうです。今福島で原発の修復作業をされている 作業員の方々の文字通り命を張った頑張りに感謝です。)

  本は更に生物学最大の謎について書き進んでいます。それは「たった一つの受精卵から、どうしてこれほどまでに複雑な植物や動物(そして人類も)が生まれるのか?」です。つまり 「胎生発生の謎」だそうです。

  ひと昔前にラマルクの進化論が見直されている、という記事を見たことがあり、直感的にそりゃそうだろう、と感じたことを今でも覚えていますが、本書を読んでいてそれが 「エピジェネティクス」であることがわかりました。いまや、「突然変異」だけでは進化は説明できないことが明らかになり、エピジェネティクスと呼ばれる後天的な作用で遺伝子が 制御されることが発生・進化に大きな役割を果たしていることがわかってきたようです。本書がはっきりと書き記したのは「獲得形質は遺伝する」と言うことで、証拠がドンドン集まってきており、 遺伝関係の学会で重要な部門になってきた、という現実です。


以上
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11章〜7章

  11章 異種交配の事実

  この章のポイントは異種交配でした。最初に植物のひまわりで確認され、次いで動物ではヒョウモンドクチョウで確認され、異種交配が間違いなく生物で存在することが確認されたそうです。 勿論異種交配の結果の新しい遺伝子は存在にメリットがなければそのまま衰退しやがて滅ぶはずですが、今のところ子孫を残している、と言うことは存在に意味があった、と言うことになります。 異種交配を起こす、と言うことは遺伝子の多様性が増えると言うことです。

  遺伝子の多様性が増えると言うことは、気候など生存条件の大変化があるときに生き残れる種が増える可能性が高まる、と言うことです。

  7万年前頃のアフリカ大地の大干ばつで人類は絶滅寸前の2000人ほどに減少したため出アフリカを決行し中東に逃れ、欧米の研究者はそこで先住者のネアンデルタール人と亜種間交配し、 現代人類の遺伝子の1〜4%はネアンデルタール人由来のものになったと説明しています。この本の11章を読んでいて、当方のこれまでの妄想・推測を部分的に改める必要がある気がしてきました。

  今までY-DNA「D2」の高無精子症性や低精子生成力性、またY-DNA「D」の持つネグリート性はホモサピエンスとホモネアンデルターレンシスの亜種間交配の結果の欠陥、と考えてきたのですが、 ネグリート性に関して逆かもしれないと気がつきました。元々人類は、オーストラロピテクスが現代人から見ればかなり小柄だったように、オリジナルの形態をもっとも残すといわれる (ネアンデルタール人との交配を経験していない)コイサン族、ピグミー族やホッテントット族などが今でも小柄でネグリートであるように、本来小柄だったのではないか、それが中東で 亜種間交配した結果、大柄な遺伝子を持つようになったのではないだろうか? ところがY-DNA「D」は小柄な遺伝子はそのまま維持され、精子生成力の欠陥が他の遺伝子タイプより強く遺伝子に 書き込まれたのではないだろうか?

  ラテン系の女性にも小柄が多いことを見ると地中海系に多いY-DNA「E」も小柄だった可能性が高いですね。つまり中東でのネアンデルタール人との交配の結果「DE」系と「CF」系に 分化したのではないか、という妄想ががぜん働きます。

  前のブログでご紹介したアンダマン諸島人の古い写真の2人は有名なブッシュマンのニカウさんに何となく似ていますが、欧米の研究者はアンダマン諸島人のY-DNA「D*」は出アフリカする前の アフリカ大陸時代の人類に最も近い、と書いている理由がやっとわかってきた気がします。

  古い姿形を残してきたのが我々縄文人のY-DNA「D2」の血統で、小柄で可愛らしい縄文系女性が好まれ選ばれ易いと言う高い「自然選択性」によって縄文人の血統は命脈をつないできたのかも しれません。また高無精子症性や低精子生成力性による、他の遺伝子タイプより低い人口増加性にも関わらず縄文系が今でも日本民族の35%近くを占めている理由は?  当方のこれまでの推測は、 過去は圧倒的な縄文系の土地だった日本列島に弥生系と漢民族系が押し寄せ高い人口増加性で人口比で逆転したと思っていたのですが、どうも逆ではないか!

  某教授の説のように低い人口増加性のために縄文系の人口は少なかったが、低い人口増加性を上回る高い自然選択性によってここまで比率が増えてきたのかもしれません。

  目からうろこの11章読後感でした。
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  8章〜10章 「進化の推進力」は結局5つのファクター

  かなり読みごたえのある内容です。最新の進化論のため100%認められた仮説になっているかどうかはまだちょっと早そうですが、学問として急速に確立しつつあるようです。

「進化の推進力」は結局5つのファクターが現在考えられているそうです。

1) 突然変異
2) 共生発生
3) 異種交配 (文字通り異なる種の交配で起きるい新たな遺伝子の出現)
4) エピジェネティクス (「後天的な作用で遺伝子の発現が制御されること」だそうです。
これらの4つの進化推進力とダーウィンの

5) 「自然選択」との相互作用で
進化は起こるのだそうです。

  特に異種交配は、「カンブリア爆発」と呼ばれる2000万年前〜4000万年前頃の、現在化石が残っている主要な動物の祖先の大半が短期間に出現した現象の謎を解明するのは、 異種交配ではないかと考えられつつあるようです。つまり動植物学に詳しい方なら聞きなれた、異なる「門」間の動物の間で異種交配が起きた可能性があるのだそうです。

  このブログの前のバージョンで触れたことがありますが、現在の動物では例えば馬とロバの異種間交配やライオンとトラの異種間交配の第一世代の子は残念ながら生殖機能が働かず、 第二世代が生まれないため子孫を残せず一代限りで途絶えてしまうことが知られていますが、過去それどころではない「異門」間で交配が起きた可能性があると言われ始めているのです。

  蛇足ですが、当ブログの前バージョンでは、Y-DNA「D2」は無精子症が多いことや精子生成能力の低い理由は、50000年前頃〜60000年前頃の出アフリカ直後の近東でホモサピエンスと ネアンデルタール人の間の亜種間で交配が起こった結果、遺伝子の欠損が生じたのではないかと妄想しましたが、あながち妄想と笑い飛ばす場合ではないような気がしてきています。

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  7章 進化には3つのファクターがあったそうだ。

・自然選択 
  「進化の推進力とは、生物に変化をもたらす力」とのこと。生物が変化し、
  子孫に遺伝をすると初めて進化になるらしい。これは良いことばかりではなく、
  病気を引き起こす原因にもなるそうだです。

・突然変異
  「細胞分裂の際に、DNAのコピーにエラーが生じること」だそうです。
  しかも厄介なことにランダムに起こるそうです。

・共生
  「酸素呼吸細菌が単細胞の真核生物と10億年前頃に融合した」のがミトコンドリ
  ア。今でもmtDNAは細菌と同じ環状です。エネルギー生産を分担しています。
  しかも卵子によってのみ子孫に受け継がれる、と言う特徴があります。
  融合して10億年もたつのに未だに核と一体化しない理由は、「酸素の毒性」に
  ある、つまり活性酸素やフリーラジカルが病気の原因になるからのようです。
  ところが、新しい細胞が生まれ古い細胞と入れ替わり、組織は常に健康を維持
  し続けられますが、その制御に深く関わり合っているとのこと。

  ミトコンドリアは今でも細菌としての性質を10億年も保ち続けているらしい。
  そのためメンデルの法則に従わないミトコンドリア病を引き起こすそうです。
  元々が細菌のため突然変異が起きや易く、エラーが生じ易いことに加え厄介な
  ことに重要なタンパク質の合成に関与しているためさまざまな病気を引き起こ
  す原因になっているそうです。小生がまだ電子顕微鏡の研究者だった若かりし
  時代に筋ジストロフィーのミトコンドリアの構造を見ていましたが、筋細胞中のミ
  トコンドリア内に結晶ができてしまい、筋肉に酸素が供給できなくなるため、
  筋肉の委縮が起きてしまうのですが、当時のことを思い出しました。そう言えば
  当時ミトコンドリアの環状DNAも電子顕微鏡で観察をしていました。懐かしい!

  そして、もう一つ進化でもっと大事なのは「ウイルスとの共生」だそうです。
  先にご紹介した人の遺伝子に組み込まれた内在性レトロウイルスも人の遺伝
  子と融合しているのですが、やはりウイルスとしての性質を維持し続けている
  ため、ミトコンドリア同様さまざまな病気の原因になっているそうです。
  その中で当ブログ「日本民族のガラパゴス性の起源」に関係のありそうな例が
  ありました。男性の不妊症です。

  徳島大学医学部の研究で我が縄文民族の主遺伝子であるY-DNA「D2」は他
  のハプロタイプに比べ男性の無精子症の発症が多く、もしくは精子生成能力
  が劣る、事が解っていますが、男性の不妊症の大きな原因の1つにY染色体
  上の欠損がありますが、雄の生殖器官の機能に内在性レトロウイルスが強く
  関わり合っており、Y染色体が減数分裂し新たなY染色体が出来る際に、先に
  ご紹介したY染色体が持つウイルス由来のHREVの部位で欠損が起こりやす
  いことが解っているそうです。Y-DNA「D2」は残念ながらその欠損が起こる
  確率が高いのでしょう。

  こうしてウイルス由来遺伝子のHREVは何百万年もかけて現代人類の祖先の
  時代から共に進化をしてきたのだそうです。研究者の間ではHREVは統合失調
  症など深刻な精神疾患に関与しているのではないかという見方が拡がっている
  そうです。

  このように紹介するとウイルスは悪いことをしているように感じますが、役に立
  っている作用の方が多いのだそうです。何故なら宿主が弱ってしまうとウイルス
  も困るのだそうです。ところがたまにウイルスの力に負ける人間個体がある、と
  言うのが事実のようです。ウイルスが人類に害を与えずに完全に共生するのは
  もっと時間がかかるのか、あり得ないのか果たして....。
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以上
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13-1. 破壊する創造者  6章〜1章

  6章 現代人の遺伝子の合計46%が過去に感染し共生したウイルスか、ウイルスの残骸

  久しぶりにワクワクするような刺激を受ける本です。翻訳者が優れているためか幸い専門用語が意外に解りやすく書かれているのが助けになります。これが書籍ではなく論文そのものだったら、 難しくて全く理解できないでしょう。

  6章の概要は更に驚くべき内容です。人の遺伝子の3%を占めるDNAトランスポゾン領域ですら過去に感染したDNAウイルスの名残だそうです。つまり現代人の遺伝子の合計46%がなんと過去に 感染したウイルスの共生の結果か、感染したウイルス同士の競争の結果負けたウイルスの残骸なのだそうです。しかもこのトランスポゾンは名前の「トランス」の示すように遺伝子上で位置が 移動できる可動遺伝子なのだそうです。人類本来の遺伝子ではないのでこんな芸当ができるのだそうです。人類ではたった3%ですが、トウモロコシの遺伝子では実に50%がDNAトランスポゾン なのだそうです。

  昨日のブログでご紹介した、合計43%を占めるHERV、LINE、SINEはレトロトランスポゾンとも呼ばれるそうです。つまりRNAウイルスなのです。

  これらのウイルス由来のトランスポゾンはなんと「メンデルの法則」に従いきちんと遺伝をするのだそうです。と言うことは人の遺伝子そのものに既になっている、と言うことになるのだそうです。 つまり人類が進化する過程で人遺伝子に組み込まれたウイルス由来遺伝子も一緒に進化を遂げてきた、ということらしいのです。しかしウイルスが果たしてきた役割はまだ現在の遺伝学や生理学では 解明できていないそうです。このウイルスの生物の遺伝子との共生行為を「入植」と呼ぶのだそうです。このウイルスとの融合の大部分は1000万年前にまでに起こっているのだそうですが、 AIDSのような極く最近発生した例もあり、感染時には必ず死に至る個体が発生し、生き残った個体中では共生状態になるのだそうです。

  現在の進化論はダーウィンの進化論を発展させ、「自然選択」+「突然変異」+「共生」なのだそうです。この場合の「共生」は約10億年前頃に起こったエネルギー生産細菌が原生生物と共生し ミトコンドリアや葉緑体になったことではなく、生物と共生することで存在できるウイルスとの共生のことだそうです。

  ウイルスとは、蛋白質という殻に囲まれた感染能力のある遺伝子体のことですが、どうやら成り立ち自身が単独で生きるものではなく、他の大きな生物体に共生し、あるいは遺伝子を乗っ取って 生きる存在、なのだそうです。その強い作用のため感染時には宿主となる他の生物体に大きなダメージを与え時には死に至らしめますがその時はウイルスも死にますが、運よく生き残った強い生物体 とは共生関係になり遺伝子に入り込み、その種が続く限りウイルスも生き残れるのだそうです。

  つまりウイルス感染で宿主が死滅することは、ウイルスにとっては本意ではないのだそうです。ウイルス自身が生き残るためには宿主に生き残ってもらわなければならないのですと。う〜〜ん、 厄介な存在ですね。
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  始め〜5章 人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%

  今日、進化論に関する新しい書籍を購入しました。タイトルは「破壊する創造者」です、まだ序文を読んでいるところです。

  このブログを始めた時の疑問は、
・Y-DNA、mtDNAは亜型(ハプロタイプ)に分化する必要・必然性があったのか?
・ホモ属はアフリカの中でホモサピエンスに進化をしたのか?
  それとも出アフリカをしたことでホモサピエンスになれたのか?
・アフリカに留まったY-DNA「A」コイサン族やY-DNA「B」ピグミー族などは現代まで同じ経過時間
  あったにもかかわらず狩猟採集のままで、何故出アフリカした人類と同じ変化をしなかったのか?
  もしくはできなかったのか?
・ダーウィンの進化論の真髄である「自然選択」と「突然変異」は何故コイサン族やピグミー族に
  働かなかったのか? 
  それとも今の彼らの姿が働いた結果であって、文明化は進化とは関係ないのだろうか?
・となるとコイサン族やピグミー族は本当にホモサピエンスなのか?現代型のホモエレクトスのまま
  なのではないか?出アフリカしネアンデルタール人と交配分化したY-DNA「C」以降だけが
  ホモサピエンスなのではないのか?


  もともと分子生物学を専攻した身にとって疑問はいっぱいあり、まだ納得できないことだらけです。しかし異なるハプロタイプが1つの遺伝子型にさかのぼることは、先ず間違いないでしょう。 そうなると理由はともかく結果の分析のほうが優先です。それでこのブログを始めました。

  しかし結果を素直に解釈するためには邪念・妄想を捨てて頭をリラックスさせることが必要なので、ダーウィン以来の進歩した最新の進化論を読んで、ハプロタイプの分化の理由が 多少納得できれば....と言う次第です。

  生物進化学の最も新しい学説を書いた「破壊する創造者」をやっと読み初めたころ、東北関東大震災が発生しあまりの惨状に当ブログもお休みし、読書もお休みしていました。 大震災の大惨状に原発大問題が加わり、更に三陸沿岸に立地していた原材料・部品工場が軒並み壊滅で、世界を巻き込んだ部品欠品問題まで発生し、日本のみの問題では済まなくなってきました。 改めてガラパゴス日本民族の世界に占める存在感を実感させられています。

  小生は終戦直後の生まれのため、戦争そのものは知りませんが、子供のころの貧しさから世界経済・科学の牽引国家にのし上がった日本民族を見てきました。極く近い将来復興し、 再度世界を牽引できると信じています。日本民族はだてにガラパゴスではないんです。定年後の身ですがなんとか頑張らねば!

  現状は悪化する一途ですが、自粛ばかりでは日本の復興が遅れるのも事実です。という訳で報道番組の視聴漬けを自粛し、読書を再開しやっと5章(全15章)まできました。 ここまでの内容をかいつまんで報告します。大学時代いわゆる分子生物学のはしりのようなものを専攻しましたが、その後40年間の間に分子生物関連の学問は大きく進歩し、 ついこのあいだ人間の遺伝子配列が全て解読されました。これはノーベル賞級の画期的なことなのですが、研究者と興味がある者以外には全く話題になっていません。その理由が本書にも書いてあります。

  要するに生命体としての遺伝子構造が全て解読されたからと言っても、思考・感情を持つ生身の人間のことは全く解読されていないのです。何故人間はここまで進化したのか、 なぜ人種があるのか、何故戦争するのか、何故喜び、憎むなど「感情」を持つのか、どうして一人ひとり行動が違うのか?..... 人間が人間として存在している理由が何も解析できていないからだそうです。その大きな理由が人遺伝子の構造解析の結果の呆れた事実にも起因するのだそうです。


  なんと人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%(機能遺伝子)でしかない....という信じられない事実。 じゃぁあとの98.5%は何のために存在するのか?

・HREV 9% 人間が過去に感染したウイルスの名残で、人内在性レトロウイルスだそうです。
・LINE 21% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・SINE 13% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・DNAトランスポゾン 5章までではまだ説明されていません。
・不明   52.5%  5章までではまだ説明されていません。

  これって何?43%がウイルス由来の遺伝子?人間の遺伝子のはずなのにウイルス由来の遺伝子の方がはるかに多いとは本当? 人類はウイルス遺伝子の固まりってこと?  にわかに納得はできませんが結果と言う事実は上記のとおりだそうです。しかし、由来は推測出来ても、何故?何のために?どうやって?....などまだクリアにはなっていないようですが、 ともかく43%の部分は明らかにウイルスの遺伝子と同じなのだそうです。

  細胞でエネルギーを生産するミトコンドリア(植物では葉緑体)は古代に寄生した細菌が生体と共存し共生した結果ということは既に小生が学生のころから言われており、 今では生物学の常識になっているので、「共生」という言葉自体は理解できますが、何故ウイルスなの?

  さらに人間の遺伝子の半分以上が”役割不明”だそうです。恐らくこの「不明」は生物体としての構造を作るところではないのではないでしょうか!人間は他の生物に比べ、 感情/思考/行動/運動能力など全てが複雑怪奇ですが、そういうよくわからないものをつかさどるところが「不明」領域だったら面白いですね。 ここはもう分子遺伝学者の領域ではないような気がします。

5章までのストーリーは、

・生物とレトロウイルスやウイルスは共生し進化を遂げてきた。
・人間も例外ではなく、遺伝子構造解析の結果が証明した。
というところです。

  ちなみに「レトロウイルス」とは、レトロな古〜いウイルス、という意味ではなく、DNA(核酸)ではなくRNA(リボ核酸)を遺伝子として持ち、生物体に入り込むと 「逆転写酵素」を使いDNAを生成し、共生先の生物の核に、自身の遺伝情報を埋め込むのですが、その「逆」を「rettro=レトロ」と言うのだそうです。レトロウイルスが感染した生物は 当初はダメージを受けかなりの個体が死に至りますが、レトロウイルスと共生に成功した個体が生き残り、繁栄するのだそうです。現在最も話題になっているのはオーストラリア大陸東海岸での コアラに対する齧(げっ)歯類由来のコアラレトロウイルスの感染例だそうです。

  人間ではHIV-1型と呼ばれるレトロウイルス感染つまりAIDSが最も最近の例だそうです。当初は死に至る個体が多数発生しますが、いづれ共生状態になるだろう、と考えられているようです。 あまりうれしくはないですが...。

  日本人ではウイルス学者の日沼頼夫先生が成人T細胞白血病(ATL)の原因はレトロウイルスHTLV-1と突き止めた事は有名です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/736.html#c4

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
6. 中川隆[-13756] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:15:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21973]

最新の進化論「Virolution」のご紹介記事です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1

  さて、「Virolution (邦題「破壊する創造者」)」は全15章あります。 最新の進化学の現状を知ることは考え方の幅を広げる役には立つと思います。早川書房、2500円+消費税です。
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  15章 エピジェネティクス進化は遺伝子が変異するのではなく、発現機序が変化すること

  本来医者である本書の著者フランク・ライアン氏は最後の3章分は遺伝病の話にほぼ終始しました。そしてそれはDNAの発現メカニズムに狂いが生じることが原因である、と説明しています。 本来進化の要因のはずの推進力が一方病気の原因でもあるのです。とくにガンの話は恐るべきものです。人類の大敵のガンは、自然選択からみると優先的に選択されるものらしいのです。 だからガンは自分では進化しているつもりなのだそうです。我々にはいい迷惑なのですが。

  下図が、本書の最終まとめです。4種の進化の推進力があります。3種は「遺伝子」そのものが変化しますが、最後のエピジェネティクスは遺伝子の「発現のメカニズム」が変化するのです。 そして喫煙など環境の影響を受けるのもエピジェネティクスなのです。
  

  日本人の遺伝子を考えるための自己啓発として本書を読んできましたが、これで終わりにします。

  本書のカバーに描かれているタコのような頭でっかちの物体はバクテリオファージと言います。異物を掃除するのがマクロファージですが、バクテリアを掃除するのがバクテリオファージです。 昔電子顕微鏡の研究者だったころに電子顕微鏡で撮影した写真を最後にご紹介して「破壊する創造者」の勉強は終わりにします。
  

  論文のコピーなので写真が若干荒れていますがご勘弁ください。左端はγーPhage、中央はT4−Phage、右端はT4−Phage を立てて影をつけてみた写真です。脚が2本見えますが、 本当は6本ぐらいあるのですが、数本が固まってしまっています。右端の写真で10万倍ぐらいに拡大しています。

  ではY-DNAやmtDNA遺伝子がハプロタイプに分化し更に亜型、子亜型に分化する要因は何だったのでしょうか、本書の結論から素直に考えると、

・ネアンデルタール人との亜種交配
・ウイルス感染、細菌感染(特にアフリカや熱帯雨林など厳しい風土病環境の地域)
・灼熱の過酷なアフリカ大地から出アフリカ後の穏やかな環境への変化、
・出シベリヤの原因になったシベリヤ大地の寒冷凍土化と寒冷地適応、
・狩猟採集から農耕への生活スタイルの変化、
・牧畜から農耕への生活スタイルの変化、
・出アジアしオセアニアに拡散した居住環境の変化などなど.....、

ところが、現代人類の居住環境の変化と生活スタイルの変化は全てエピジェネティクスな要因なので遺伝子の分化には影響を与えないのです。

  では我々今生きている人類の遺伝子の子亜型はもうこれ以上変化しないのでしょうか?もしくはこれからも変化するのでしょうか?当然これからもどんどん変化するはずですが、 本書ではその変化するスピードは対象となる動植物によっては数代で獲得形質になる場合があると紹介しています。では人類では?残念ながらそこまでははっきりとは書かれていません。

  農耕民族が穀物の消化を十分に行うために腸が長くなりその結果胴長になり短足になった、と昔から言われていますが、これは獲得形質なのでしょう。そうすると漁労民族や、 牧畜民族は足が長いままなのでしょう。日本人はコメが命である以上胴長短足は宿命です。今、足が長い一部の日本人も代を重ねると子孫は胴長短足になるはずです。昔の説が正しければ ....ですが。でも遺伝子は変化しないのです。発現のメカニズムが変わるだけなのです。

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  14章 エピジェネティクスは遺伝子を変異させるのではなく、発現機序をコントロールすること

  本書の最後に近くなってきましたが、テーマは先天性疾患の話になってきました。そして癌の話題です。また老化にも触れています。エピジェネティク(後天的に獲得したDNA発現の制御作用)な メカニズムのことをエピゲノムと呼ぶのだそうですが、エピゲノムは常に環境の影響を受け続けているそうです。周囲の環境からあるシグナルが発信されると、それを認識して遺伝子発現制御配列に 指令が出され、配列はその指令に応じて対応する遺伝子の発現を調節するのだそうです。つまり環境の変化が即、生物の変化に繋がるのだそうだ。

  ここで著者のまとめは次のようです、

  「人間の体を作る細胞は全て同じDNAを持っているが、神経を作る細胞、肝臓を作る細胞など異なる細胞に変化するのは何故か?つまり同じ遺伝子であっても細胞ごとに発現の仕方が違うからに 他ならない、それをコントロールしているメカニズムがエピジェネティクス」なのだそうだ。   そのメカニズムは今のところ次の3つあるらしい。

  ・メチル化;DNAの4塩基の1つ「シトシン」のメチル化、
  ・ヒストン修飾;ヒストン(DNAと結合し折りたたみ核内に収容するタンパク質)のアセチル化、
  ・RNAi(RNA 干渉=遺伝子のタンパク質への翻訳に干渉し、mRNAの特定の分子を破壊す
      る、つまり該当する特定のタンパク質の合成を妨げる。

  この3つのメカニズムは細胞分裂時に受け継がれるようだ=遺伝する。しかも複数のメカニズムが同時に働くこともあるらしい。 つまり協調し合って機能しているのだそうだ。でもあまりに複雑すぎて まだよくはわかっていないとのこと。   先天性疾患の例が示された。

・妊娠中の母親の食事に「葉酸」が不足すると、

  ・胎児の脊髄の形成に問題が生じる、
  ・胎児が水頭症にかかりやすくなる、
  ・胎児の脊柱管の下部の癒合に失敗する可能性が高くなる、
  ・生涯、脚にマヒが残る。などの先天性疾患が現れるのだそうだ。

 「葉酸」はアミノ酸のメチオニンの合成に欠かせない栄養素だが、このメチオニンはなんと、
 メチル化に使われる「メチル基」を供給する役割を持っているのだそうだ。
 つまりメチオニンができないため、DNAのメチル化が行えず、メチル化が行われないと遺伝
 子の発現作用が正しく働かなくなり、正しい遺伝子制御ができなくなる、と言うのだ。

  葉酸の摂取必要値

   成人女子推奨量:240μg、成人男子推奨量:240μg
  葉酸が多い食品例は、「簡単!栄養andカロリー計算」さんから頂きました。

  いまどきの若い女性はあまり食べないものもありますね。

  重要なことは、遺伝子は両親から1組づつ受け継ぐが、子供の遺伝子ではどちらの親から受け継いだものを使うのかが選択される、らしい。このため、片方の親から受け継いだ遺伝子のみが 発現する、ようだ。この現象を「ゲノム刷り込み」と呼ぶのだそうだ。そして遺伝子によっては当然だが父親由来と母親由来ではエピジェネティクな働き方が違う場合が生じる。 その時、不幸にも選択された遺伝子に先に紹介したエピジェネティックな問題があると先天性の疾患になってしまう、たとえ選択されなかった方の遺伝子が完全に正常でも、残念な結果に終わる、 のだそうだ。本書では、さまざまな遺伝病の例が紹介されている。

・エピジェネティクな癌の定義

 「癌」とは、細胞の外見とふるまいが異常になること。
       細胞が無制限に次々に増殖する利己的な存在になること。
       細胞が道を踏み外すこと。

    道を踏み外した細胞が1個とかせいぜい数個だけの内なら、その利己的な振る舞いは細胞や細胞内の遺伝子のの生存や増殖にとって有利なものだそうだ。むしろ「自然選択」によって、 「最も大きく道を踏み外した細胞」こそが最も選ばれやすくなる、のだそうだ。つまり「自然選択が選ぶのは間違いなく細胞や組織のホメオスタシス(内外の環境の変化にかかわらず生物の 体の状態が一定に保たれること)を維持することに最も強く抵抗する細胞だろう」と言うことらしい。これは厄介なことです。人間にとって破壊者である癌は自然選択側にとっては 最も好ましい状態なのです。

  つまり、細胞のゲノムのある部分では脱メチル化が過剰に起き、癌遺伝子を不適切に活性化させ、ある部分ではメチル化が過剰に起き、癌抑制遺伝子を不適切に不活性化し、 どちらにしても癌の原因になっている、と言うのだ。

  ではエピジェネティクな作用以外の癌は?環境要因の例として、

・喫煙による癌誘発効果、
  ・喫煙の刺激で「RNAi」の産生が促進され、抗癌遺伝子の発現が抑制される、のだそうだ。

・ウイルス感染による癌誘発、
  ・子宮頸癌を起こすパピローマウイルスが有名、

が挙げられた。

●老化の話題に入りました。

  細菌やアメーバなどの単純な生物は決して年をとらないのです。ところが多種多様な細胞、組織、器官から成る複雑な生物が受け継ぐべき「遺産」が、「年を取ってやがて死ぬ」こと なのだそうだ。シーラカンスもガラパゴスの動物たちも人間も全て「年を取ってやがて死ぬ」のです。老化するとエピジェネティクなメカニズムが機能しなくなるらしい。

  エピジェネティクスの研究では遺伝学同様、一卵性双生児を研究に使う。目的は違います。

・遺伝学では、いかに「同じ」かを説明するために、

・エピジェネティクスでは「差異」を明確にするため、です。
  つまりエピジェネティクなメカニズムの働きで人にどのような差異が生じるのか、研究するのです。一卵性双生児ということは、お互いがお互いのクローンで全く同じ遺伝子を持っている のですが、もし後天的な制御作用が進化に働くなら、遺伝子は全く同じでも、常に一緒に全く同じ生活をしなければエピジェネティクな作用は異なるはずだからです。

  30組の男性の一卵性双生児、50組の女性陣の計80組、そして年齢は3歳から74歳まで「究極の実験」が行われたそうです。調査の結果は、

・生まれて間もないころ、幼い間ならエピジェネティクなメカニズムの働きはほぼ同じで、
  若い双子ほど互いに良く似ている。

・しかし年齢が高くなるほど、互いの違いが明確になってくる、そうです。
  DNAのメチル化やヒストン修飾に違いが生じるのだそうです。

    両者の違いは、二人のライフスタイルが違っている場合ほど、一緒に暮らした時間が少ないほど、顕著に表れるようだ、たとえ遺伝子が同じでも、発現する際には環境が大きく影響すると 言うことです。これが、一卵性双生児でも病気へのかかりやすさが異なる理由になるかも知れないのです。一卵性双生児の関節リウマチへの罹患率は本来なら100%一致するはずですが30%しか 一致しない。関節リウマチはある程度年齢が上がってからかかる病気のため、それまでの時間暮らした環境が違えば違うほど罹患率は違ってくるのです。

  一方ストレスも自己免疫疾患の原因になりやすいが、ストレスホルモンの副腎皮質ステロイドは遺伝子やエピジェネティクスへ影響することがわかってきているそうです。

  本書では、エピジェネティクスの研究は遺伝子研究の20年前の水準にしか達しておらず、研究レベルはこれからまだまだ上がる、大手の製薬会社もエピジェネティクスの研究に乗り出して 来ており、癌、炎症性疾患、先天性異常、遺伝性疾患、糖尿病などのほか慢性的な病気の治療や老化の対策にエピジェネティクスが応用されるだろう、ということのようです。

  老化により引き起こされる疾患への有効な治療法の確立などで、老化防止策が数多く開発される可能性がある、とこの章を締めくくっている。エピジェネティクスの操り方がわかれば、 先の紹介した、機能遺伝子、ミトコンドリア遺伝子やレトロウイルス関連の遺伝子配列などゲノムをのあらゆる部分を操作することが可能になるかもしれないのだそうです。

  もし本当にそういう時代がくるなら、医学は急速に進歩するのでしょうが、今のような混沌とした時代で長生きはしたくない、というのが本音で余計なお世話だ、と言いたい!100歳まで 元気で生きられるとして、何をして暮らすの?働く?レジャー?瞑想?、何をするにも住むところと元手が必要。誰が用意してくれるのか?こんな時代で自分の娘がかわいそうだと感じているのに、 長生きしてどうする!などと、欧米人は考えないのです。元気で長生きをすれば、することが沢山あるんです、彼らには!羨ましい。
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13章〜12章

  13章 内在性レトロウイルスが胚発生の初期段階で重要な役割を果たしているらしい

・発生のごく初期の段階では遺伝子の制御に関して、エピジェネティック(後天的な遺伝子
  制御作用)なメカニズムが働くことはなく、むしろ内在性レトロウイルスが胚発生の初期
  段階で非常に重要な役割を果たしているらしいがまだ解明されていない。

・受胎初日に受精卵は全く同じ細胞に2分割される。
・受胎後4日目には16個〜32個の細胞に増加し球体になる。
・翌日中が中空のゴムまり状の胞胚になる。外側は後に胎盤になる。
・その後何日間かで胚が子宮内膜に着床する(ここで内在性レトロウイルスが働くらしい)。
・子宮内膜が剥がれ落ちないように胚はHCGを分泌し、卵巣を刺激し月経を防ぐ。
 (昔研究者だったころに妊娠診断薬の開発を行いましたが、その時に妊娠診断マーカー
  に使ったのがHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)なのです。)
・受胎7日〜10日には胞胚の一部が中に窪む原腸陥入(後に肛門になる)が起こる。ここま
  では全ての細胞は最初の受精卵のコピーだけであるが、原腸陥入が起こると重要な制
  御遺伝子が働き始め、それが作り出した化学物質によって、いよいよ遺伝現象が再生
  され始める。なんと肛門が最初に作られるのである。
・受胎後12週には肺と脳以外のほとんどの器官、身体の部分が出来上がり、後は大きく成
  長するだけになる。脳はあまりに複雑なため誕生後に発達をするのだ。誕生直後の何
  日間、脳細胞は毎分25万個のハイペースで増加するのだそうだ。最初の2年間で大き
  く、複雑になる。チンパンジーの脳は誕生時にはヒトと変わらないが、大人になるとヒト
  の脳はチンパンジーの3.5倍の重さになる。
・実はこの間も親から受け継いだ遺伝子は両親からの核遺伝子も、母親からの細胞質遺
  伝子もレトロウイルス関連の成分も、すべての細胞で全く同じなのだ。

・遺伝情報には2つのシステムがあり、

 1つは遺伝子そのものが持つ情報で真に遺伝的なもの。
 2つ目は、個々の細胞でどの遺伝子を発現させるかを決める補助的メカニズムでエピジェ
  ネティックなもの、つまり遺伝子の働きを操作するメカニズムが存在するのである。その
  働きはDNAの4塩基の1つシトシンをメチル化させるらしい。そして制限酵素が働くらし
  い。要約すると、エピジェネティックなプロセスによって個々の遺伝子の発現スイッチが
  適当なタイミングでオン・オフされている、のだ。シトシンがメチル化されるとスイッチは
  オフ、脱メチル化されると遺伝子のスイッチはオンになるのだ。そして重要なことはメチ
  ル化が起きてもDNAの配列には変化が起きないことだ。
・そしてエピジェネティックな遺伝子の操作は遺伝をするらしい。
・しかも、環境からのシグナル(影響)によって遺伝子に直接エピジェネティックな変異が誘
  発され、それが遺伝する、のだ。この論理は何となく飛躍があるような気がしますが、著
  者は気にしていないようです。
・そうしてそれが進化につながってゆく。
・そうしてエピジェネティックな変異が蓄積し、それが「獲得形質」となり
・獲得形質が遺伝の対象になることによって進化が起き新たな「種」が生まれる、そうだ。
・エピジェネティックな遺伝はmtDNA遺伝と同様メンデルの法則に従わないそうです。

・本書の結論は、

  エピジェネティックなメカニズムはDNAの遺伝子機構から独立して作用し、
  その働きは環境の影響を受け、生物は環境に直接呼応するように進化できる。
  遺伝子以外の要素がDNAの発現を複雑に制御している
 です。

  キリンの首が何故長くなったか、首だけでなく体高も高くなっています。それは長いほうが樹上の葉を独占して食べることができるからですが、 「突然変異」でたまたま首の長い馬が生まれれば食事に優位なために「自然選択」されると思いがちですが、 どう考えてもバランスがとれず走りにくく、肉食獣に簡単に食べられ、逆選択され絶滅するだけでしょう。 つまり首が長くなる突然変異はアフリカでは優位ではないのです。また子孫を残すには複数の馬に同時に突然変異が一斉に起きる必要がありますが、 その確率論より、全部の馬が樹上の葉を食べるために首を伸ばし続けたために、少しづつ首が伸び体高も高くなりそれが徐々に遺伝子に書き込まれていった、 と考える方がまともな気がします。徐々に伸びるならバランスも対応でき走ることも上手くなるでしょう。これぞラマルクの獲得形質です。

  しかし本書で書かれているエピジェネティックスがキリンの例に当てはまるのかどうかは触れられていません。 直感的にはラマルクの進化論とエピジェネティックスは何か違う気がしますが、素人はこのくらいにしておきましょう。

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  12章 人とチンパンジーの共通の祖先は分離後も200万年は通婚したらしい

  この本は新しい進化論行きの新幹線に乗っているようだ。解りやすい書き方のおかげで内容がどんどん脳ミソに叩き込まれてくる。12章はまだ半分しか読んでいないのだが既に怒涛の展開です。

  現代人類とチンパンジーが別種として分岐したのは700万年前頃とされていますが、遺伝子の変異の1回の出来事による分岐ではなさそうだ、と言うことがハーバード大学とマサチューセッツ 工科大学の合同チームの研究でわかったらしい。人の染色体は22対の常染色体と1対の性染色体からなることは教科書に出てきますが、人とチンパンジーの常染色体の遺伝子調査ではどの染色体を 選んでも分岐年代はほぼ同じになるのに対して、性染色体の調査では分岐年代はづーっと新しく630万年前頃だそうです。我々外野席から見れば誤差範囲のような気がしますが、進化学的にはかなり 違うようです。

  答えとして合同チームが用意したのは、「人とチンパンジーの祖先は一応分岐はしたが、その後もしばらくは交配があり、そして630万年前頃完全に分岐した」と言う内容でした。 つまり「種」の分化は遺伝子の変化である日突然にスパッと起こるのではなく、遷移期間・移行期間があるらしい。アフリカの霊長類では異種交配は実は特に珍しいことではない、のだそうだ。 その要因は自然環境の変化、人間による環境破壊など、つまり生態系の変化が大きな要因になるそうだ。

  現代人類が「出アフリカ」を決行したのも当時住んでいた北アフリカの大干ばつで人口が2000人にまで減少してしまったことが原因なのだ。そして種を維持する本能でネアンデルタール人と 交配が起きた可能性がある。人類がアリューシャン列島を渡り新世界に移動をしたのも当時住みやすかったシベリア大地の寒冷化が原因。ではオーストロネシア語族の出東アジア→オセアニア 移住の要因は?

  性染色体の遺伝子解析は常染色体の解析とは少し違った展開を見せているそうだ。X染色体の「RRM2P4」と呼ばれる配列部分は大陸ごとに不自然な大きな差異がみられ、差異が生じ始めたのは 200万年前頃のことらしい、この時期はホモエレクトス(旧人)がアフリカから世界に拡がり始めた頃だそうです。アジアでは3万年前頃までホモエレクトスが存在したことが確認されている そうなので、RRM2P4は旧人と我々新人の交配の結果ホモエレクトスから受け継いだ遺伝子ではないかと考える研究者もいるそうです。また40万年前頃に現代人類と分岐したネアンデルタール人が ヨーロッパやアジアに現れたのが30万年前頃で、現生人類がアフリカの大地に生まれたのは25万年前頃だそうです。

  そして我々の祖先は5万年〜10万年前頃に出アフリカを決行し中東から西ヨーロッパに進出し、その結果3万年前頃にはネアンデルタール人を滅ぼしてしまった、のが事実だそうです。 恐らく攻撃性で優位に立っていたからこそ現生人類が生き延び、ネアンデルタール人は絶滅させられたのです。これも「自然選択」?。

12章の後半に入りました、ここは11章の後半と同じ多倍体を論じています。

  植物や動物は一般的に2組の染色体を持っています。それぞれの親から1組づつ受け継いだものです。そして子供にはそのうち1組が受け継がれてゆきます。これが2倍体と呼ばれ人類も 2倍体とされています。ところが異種交配が発生すると子供には両親の全ての染色体が受け継がれ染色体が4組になるときがあります。これを4倍体と呼びます。人類が栽培している穀物類の 多くが4倍体なのです。つまり4組もの染色体を納めるため細胞の核が大きくなり、そのため更に細胞自身も大きくなります。結果2倍体より大きく育ち、栄養も多いのだそうです。

  ところが自然界では4倍体は偶然の産物のため、4倍体の生物が交配したくても同じ種で同じ4倍体と出会う確率はほとんどなく2倍体の相手と交配するしかなくなります。そうすると 子供に受け継がれる染色体は3組になるため3倍体になりますが、次の交配時に3組の染色体を2つに分けることはできたいため「不妊」になるのだそうです。4倍体のスイカと2倍体のスイカを 掛け合わせると3倍体の「種なしスイカ」が出来るのだそうです。人工的に染色体が64本の馬と62本のロバを掛け合わせると63本のラバになりますが、63本を2つに分けられないためラバは 不妊・繁殖できず、1代限りになってしまうのだそうです。

  現生人類の染色体中には、HOX遺伝子群と呼ばれる胎生発生(いつ手が出来ていつ脚ができるかなど順番と時期)において重要な役割を果たす部位があるそうです。「群」と言う通り 染色体上に似たような遺伝子セットが4つもあるのだそうです。しかもウニ・クラゲから人類まで構造も働きもとてもよく似ているのだそうです。つまり長い間の「自然選択」に耐え元の 構造を驚くほど残しているのだそうです。何が問題?かというとうに・クラゲはHOX遺伝子が1つしかないのに人類は4つもある、ということだそうです。しかも発生に関する遺伝子に4セットな ものが意外に多く、発生に関する遺伝子意外の遺伝子にも4セットが見つかり始めているらしい。著名な日本人遺伝学者/大野乾氏の有名な進化論「遺伝子重複進化論=2R仮説」が4セット 現象の合理的な説明をするのだそうです。

  地球最初の生命体の古細菌は数千の遺伝子から成っている、しかしショウジョウバエで1万3600、ウニは2万7千、人類は約2万(ただしウイルス由来の遺伝子は含まず、機能遺伝子の1.5%分 のみで約2万)だそうだ、突然変異と自然選択だけでは生物は複雑にはならない=遺伝子の数は増えない。脊椎動物の進化の歴史の中で大野乾氏は、2回4倍体が生じている、との説を主張された。 これが「2R仮説」

 ・1回目:脊索動物(ホヤなど)⇒初期の魚類への進化時期(約5億1千万年前頃)
 ・2回目:魚類と両生類の分岐時期(約4億2千万年前頃)らしい。

  そして現在、遺伝子解析によって2R仮説の正しさが証明されたのだそうです。この遺伝子重複の原因が「異種交配」だろうと考えられているようです。

  では結局人類は4倍体などの多倍体なのだろうか? 著者の回答は「ほぼ間違いなく多倍体だろう」とのことです。

  ところが更なる本書の展開は...

多倍体化の原因は過去は異種交配だったかもしれないが、現代社会では種々のストレスが大きな要因になることもあり得る、と説明している。

    ・活性酸素による酸化損傷
 ・外傷からの回復時
 ・ウイルス感染
 ・加齢 など。

つまり進化の推進力は病気の原因になることも多い。と注意している。多倍体化は特に癌研究者も注目をしているそうです。
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  後半に入り遺伝子病がクローズアップされてきましたが、カバーする内容が章のタイトルと必ずしも1対1ではなくなってきています。現在読んでいるのは13章のはじめの部分ですが、 進化の推進力の1つ「エピジェネティクス」つまり後成的な制御作用に関して書かれています。このエピジェネティクスを理解するために最も良い例は一卵性双生児の例だそうです。

  一卵性双生児は1つの卵子が分割したため完璧に同じ遺伝子を持つそうです。単純に考えると卵子が2つに分割するとき、片方に偏在する遺伝子があってもおかしくないと思うのですが、 分割した2つの卵子は遺伝学的/医学的に完璧に同じなのだそうです。この前提でもし1組の一卵性双生児に明らかに解るような違いがあるとすると、それは確実に遺伝子意外の要因によるもの、 と考えられるそうです。

  重要なことは「遺伝子そのものは環境の変化に反応して変わることができない」ことだそうです。放射線などを浴びるなどして遺伝子に損傷が起きない限り遺伝子配列は不動なのだそうです。 だからこそ環境によって変化したとすれば、それはエピジェネティクスな作用、と言うことだそうです。しかも遺伝をするのだそうです。植物が春の訪れを知るのはエピジェネティクスの作用、 つまり後成的な要因によるものなのだそうです。(放射線の作用は火傷のようなダメージだけでなく、遺伝子を傷つけてしまうことにもあるのだそうです。今福島で原発の修復作業をされている 作業員の方々の文字通り命を張った頑張りに感謝です。)

  本は更に生物学最大の謎について書き進んでいます。それは「たった一つの受精卵から、どうしてこれほどまでに複雑な植物や動物(そして人類も)が生まれるのか?」です。つまり 「胎生発生の謎」だそうです。

  ひと昔前にラマルクの進化論が見直されている、という記事を見たことがあり、直感的にそりゃそうだろう、と感じたことを今でも覚えていますが、本書を読んでいてそれが 「エピジェネティクス」であることがわかりました。いまや、「突然変異」だけでは進化は説明できないことが明らかになり、エピジェネティクスと呼ばれる後天的な作用で遺伝子が 制御されることが発生・進化に大きな役割を果たしていることがわかってきたようです。本書がはっきりと書き記したのは「獲得形質は遺伝する」と言うことで、証拠がドンドン集まってきており、 遺伝関係の学会で重要な部門になってきた、という現実です。


以上
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11章〜7章

  11章 異種交配の事実

  この章のポイントは異種交配でした。最初に植物のひまわりで確認され、次いで動物ではヒョウモンドクチョウで確認され、異種交配が間違いなく生物で存在することが確認されたそうです。 勿論異種交配の結果の新しい遺伝子は存在にメリットがなければそのまま衰退しやがて滅ぶはずですが、今のところ子孫を残している、と言うことは存在に意味があった、と言うことになります。 異種交配を起こす、と言うことは遺伝子の多様性が増えると言うことです。

  遺伝子の多様性が増えると言うことは、気候など生存条件の大変化があるときに生き残れる種が増える可能性が高まる、と言うことです。

  7万年前頃のアフリカ大地の大干ばつで人類は絶滅寸前の2000人ほどに減少したため出アフリカを決行し中東に逃れ、欧米の研究者はそこで先住者のネアンデルタール人と亜種間交配し、 現代人類の遺伝子の1〜4%はネアンデルタール人由来のものになったと説明しています。この本の11章を読んでいて、当方のこれまでの妄想・推測を部分的に改める必要がある気がしてきました。

  今までY-DNA「D2」の高無精子症性や低精子生成力性、またY-DNA「D」の持つネグリート性はホモサピエンスとホモネアンデルターレンシスの亜種間交配の結果の欠陥、と考えてきたのですが、 ネグリート性に関して逆かもしれないと気がつきました。元々人類は、オーストラロピテクスが現代人から見ればかなり小柄だったように、オリジナルの形態をもっとも残すといわれる (ネアンデルタール人との交配を経験していない)コイサン族、ピグミー族やホッテントット族などが今でも小柄でネグリートであるように、本来小柄だったのではないか、それが中東で 亜種間交配した結果、大柄な遺伝子を持つようになったのではないだろうか? ところがY-DNA「D」は小柄な遺伝子はそのまま維持され、精子生成力の欠陥が他の遺伝子タイプより強く遺伝子に 書き込まれたのではないだろうか?

  ラテン系の女性にも小柄が多いことを見ると地中海系に多いY-DNA「E」も小柄だった可能性が高いですね。つまり中東でのネアンデルタール人との交配の結果「DE」系と「CF」系に 分化したのではないか、という妄想ががぜん働きます。

  前のブログでご紹介したアンダマン諸島人の古い写真の2人は有名なブッシュマンのニカウさんに何となく似ていますが、欧米の研究者はアンダマン諸島人のY-DNA「D*」は出アフリカする前の アフリカ大陸時代の人類に最も近い、と書いている理由がやっとわかってきた気がします。

  古い姿形を残してきたのが我々縄文人のY-DNA「D2」の血統で、小柄で可愛らしい縄文系女性が好まれ選ばれ易いと言う高い「自然選択性」によって縄文人の血統は命脈をつないできたのかも しれません。また高無精子症性や低精子生成力性による、他の遺伝子タイプより低い人口増加性にも関わらず縄文系が今でも日本民族の35%近くを占めている理由は?  当方のこれまでの推測は、 過去は圧倒的な縄文系の土地だった日本列島に弥生系と漢民族系が押し寄せ高い人口増加性で人口比で逆転したと思っていたのですが、どうも逆ではないか!

  某教授の説のように低い人口増加性のために縄文系の人口は少なかったが、低い人口増加性を上回る高い自然選択性によってここまで比率が増えてきたのかもしれません。

  目からうろこの11章読後感でした。
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  8章〜10章 「進化の推進力」は結局5つのファクター

  かなり読みごたえのある内容です。最新の進化論のため100%認められた仮説になっているかどうかはまだちょっと早そうですが、学問として急速に確立しつつあるようです。

「進化の推進力」は結局5つのファクターが現在考えられているそうです。

1) 突然変異
2) 共生発生
3) 異種交配 (文字通り異なる種の交配で起きるい新たな遺伝子の出現)
4) エピジェネティクス (「後天的な作用で遺伝子の発現が制御されること」だそうです。
これらの4つの進化推進力とダーウィンの

5) 「自然選択」との相互作用で
進化は起こるのだそうです。

  特に異種交配は、「カンブリア爆発」と呼ばれる2000万年前〜4000万年前頃の、現在化石が残っている主要な動物の祖先の大半が短期間に出現した現象の謎を解明するのは、 異種交配ではないかと考えられつつあるようです。つまり動植物学に詳しい方なら聞きなれた、異なる「門」間の動物の間で異種交配が起きた可能性があるのだそうです。

  このブログの前のバージョンで触れたことがありますが、現在の動物では例えば馬とロバの異種間交配やライオンとトラの異種間交配の第一世代の子は残念ながら生殖機能が働かず、 第二世代が生まれないため子孫を残せず一代限りで途絶えてしまうことが知られていますが、過去それどころではない「異門」間で交配が起きた可能性があると言われ始めているのです。

  蛇足ですが、当ブログの前バージョンでは、Y-DNA「D2」は無精子症が多いことや精子生成能力の低い理由は、50000年前頃〜60000年前頃の出アフリカ直後の近東でホモサピエンスと ネアンデルタール人の間の亜種間で交配が起こった結果、遺伝子の欠損が生じたのではないかと妄想しましたが、あながち妄想と笑い飛ばす場合ではないような気がしてきています。

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  7章 進化には3つのファクターがあったそうだ。

・自然選択 
  「進化の推進力とは、生物に変化をもたらす力」とのこと。生物が変化し、
  子孫に遺伝をすると初めて進化になるらしい。これは良いことばかりではなく、
  病気を引き起こす原因にもなるそうだです。

・突然変異
  「細胞分裂の際に、DNAのコピーにエラーが生じること」だそうです。
  しかも厄介なことにランダムに起こるそうです。

・共生
  「酸素呼吸細菌が単細胞の真核生物と10億年前頃に融合した」のがミトコンドリ
  ア。今でもmtDNAは細菌と同じ環状です。エネルギー生産を分担しています。
  しかも卵子によってのみ子孫に受け継がれる、と言う特徴があります。
  融合して10億年もたつのに未だに核と一体化しない理由は、「酸素の毒性」に
  ある、つまり活性酸素やフリーラジカルが病気の原因になるからのようです。
  ところが、新しい細胞が生まれ古い細胞と入れ替わり、組織は常に健康を維持
  し続けられますが、その制御に深く関わり合っているとのこと。

  ミトコンドリアは今でも細菌としての性質を10億年も保ち続けているらしい。
  そのためメンデルの法則に従わないミトコンドリア病を引き起こすそうです。
  元々が細菌のため突然変異が起きや易く、エラーが生じ易いことに加え厄介な
  ことに重要なタンパク質の合成に関与しているためさまざまな病気を引き起こ
  す原因になっているそうです。小生がまだ電子顕微鏡の研究者だった若かりし
  時代に筋ジストロフィーのミトコンドリアの構造を見ていましたが、筋細胞中のミ
  トコンドリア内に結晶ができてしまい、筋肉に酸素が供給できなくなるため、
  筋肉の委縮が起きてしまうのですが、当時のことを思い出しました。そう言えば
  当時ミトコンドリアの環状DNAも電子顕微鏡で観察をしていました。懐かしい!

  そして、もう一つ進化でもっと大事なのは「ウイルスとの共生」だそうです。
  先にご紹介した人の遺伝子に組み込まれた内在性レトロウイルスも人の遺伝
  子と融合しているのですが、やはりウイルスとしての性質を維持し続けている
  ため、ミトコンドリア同様さまざまな病気の原因になっているそうです。
  その中で当ブログ「日本民族のガラパゴス性の起源」に関係のありそうな例が
  ありました。男性の不妊症です。

  徳島大学医学部の研究で我が縄文民族の主遺伝子であるY-DNA「D2」は他
  のハプロタイプに比べ男性の無精子症の発症が多く、もしくは精子生成能力
  が劣る、事が解っていますが、男性の不妊症の大きな原因の1つにY染色体
  上の欠損がありますが、雄の生殖器官の機能に内在性レトロウイルスが強く
  関わり合っており、Y染色体が減数分裂し新たなY染色体が出来る際に、先に
  ご紹介したY染色体が持つウイルス由来のHREVの部位で欠損が起こりやす
  いことが解っているそうです。Y-DNA「D2」は残念ながらその欠損が起こる
  確率が高いのでしょう。

  こうしてウイルス由来遺伝子のHREVは何百万年もかけて現代人類の祖先の
  時代から共に進化をしてきたのだそうです。研究者の間ではHREVは統合失調
  症など深刻な精神疾患に関与しているのではないかという見方が拡がっている
  そうです。

  このように紹介するとウイルスは悪いことをしているように感じますが、役に立
  っている作用の方が多いのだそうです。何故なら宿主が弱ってしまうとウイルス
  も困るのだそうです。ところがたまにウイルスの力に負ける人間個体がある、と
  言うのが事実のようです。ウイルスが人類に害を与えずに完全に共生するのは
  もっと時間がかかるのか、あり得ないのか果たして....。
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13-1. 破壊する創造者  6章〜1章

  6章 現代人の遺伝子の合計46%が過去に感染し共生したウイルスか、ウイルスの残骸

  久しぶりにワクワクするような刺激を受ける本です。翻訳者が優れているためか幸い専門用語が意外に解りやすく書かれているのが助けになります。これが書籍ではなく論文そのものだったら、 難しくて全く理解できないでしょう。

  6章の概要は更に驚くべき内容です。人の遺伝子の3%を占めるDNAトランスポゾン領域ですら過去に感染したDNAウイルスの名残だそうです。つまり現代人の遺伝子の合計46%がなんと過去に 感染したウイルスの共生の結果か、感染したウイルス同士の競争の結果負けたウイルスの残骸なのだそうです。しかもこのトランスポゾンは名前の「トランス」の示すように遺伝子上で位置が 移動できる可動遺伝子なのだそうです。人類本来の遺伝子ではないのでこんな芸当ができるのだそうです。人類ではたった3%ですが、トウモロコシの遺伝子では実に50%がDNAトランスポゾン なのだそうです。

  昨日のブログでご紹介した、合計43%を占めるHERV、LINE、SINEはレトロトランスポゾンとも呼ばれるそうです。つまりRNAウイルスなのです。

  これらのウイルス由来のトランスポゾンはなんと「メンデルの法則」に従いきちんと遺伝をするのだそうです。と言うことは人の遺伝子そのものに既になっている、と言うことになるのだそうです。 つまり人類が進化する過程で人遺伝子に組み込まれたウイルス由来遺伝子も一緒に進化を遂げてきた、ということらしいのです。しかしウイルスが果たしてきた役割はまだ現在の遺伝学や生理学では 解明できていないそうです。このウイルスの生物の遺伝子との共生行為を「入植」と呼ぶのだそうです。このウイルスとの融合の大部分は1000万年前にまでに起こっているのだそうですが、 AIDSのような極く最近発生した例もあり、感染時には必ず死に至る個体が発生し、生き残った個体中では共生状態になるのだそうです。

  現在の進化論はダーウィンの進化論を発展させ、「自然選択」+「突然変異」+「共生」なのだそうです。この場合の「共生」は約10億年前頃に起こったエネルギー生産細菌が原生生物と共生し ミトコンドリアや葉緑体になったことではなく、生物と共生することで存在できるウイルスとの共生のことだそうです。

  ウイルスとは、蛋白質という殻に囲まれた感染能力のある遺伝子体のことですが、どうやら成り立ち自身が単独で生きるものではなく、他の大きな生物体に共生し、あるいは遺伝子を乗っ取って 生きる存在、なのだそうです。その強い作用のため感染時には宿主となる他の生物体に大きなダメージを与え時には死に至らしめますがその時はウイルスも死にますが、運よく生き残った強い生物体 とは共生関係になり遺伝子に入り込み、その種が続く限りウイルスも生き残れるのだそうです。

  つまりウイルス感染で宿主が死滅することは、ウイルスにとっては本意ではないのだそうです。ウイルス自身が生き残るためには宿主に生き残ってもらわなければならないのですと。う〜〜ん、 厄介な存在ですね。
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  始め〜5章 人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%

  今日、進化論に関する新しい書籍を購入しました。タイトルは「破壊する創造者」です、まだ序文を読んでいるところです。

  このブログを始めた時の疑問は、
・Y-DNA、mtDNAは亜型(ハプロタイプ)に分化する必要・必然性があったのか?
・ホモ属はアフリカの中でホモサピエンスに進化をしたのか?
  それとも出アフリカをしたことでホモサピエンスになれたのか?
・アフリカに留まったY-DNA「A」コイサン族やY-DNA「B」ピグミー族などは現代まで同じ経過時間
  あったにもかかわらず狩猟採集のままで、何故出アフリカした人類と同じ変化をしなかったのか?
  もしくはできなかったのか?
・ダーウィンの進化論の真髄である「自然選択」と「突然変異」は何故コイサン族やピグミー族に
  働かなかったのか? 
  それとも今の彼らの姿が働いた結果であって、文明化は進化とは関係ないのだろうか?
・となるとコイサン族やピグミー族は本当にホモサピエンスなのか?現代型のホモエレクトスのまま
  なのではないか?出アフリカしネアンデルタール人と交配分化したY-DNA「C」以降だけが
  ホモサピエンスなのではないのか?


  もともと分子生物学を専攻した身にとって疑問はいっぱいあり、まだ納得できないことだらけです。しかし異なるハプロタイプが1つの遺伝子型にさかのぼることは、先ず間違いないでしょう。 そうなると理由はともかく結果の分析のほうが優先です。それでこのブログを始めました。

  しかし結果を素直に解釈するためには邪念・妄想を捨てて頭をリラックスさせることが必要なので、ダーウィン以来の進歩した最新の進化論を読んで、ハプロタイプの分化の理由が 多少納得できれば....と言う次第です。

  生物進化学の最も新しい学説を書いた「破壊する創造者」をやっと読み初めたころ、東北関東大震災が発生しあまりの惨状に当ブログもお休みし、読書もお休みしていました。 大震災の大惨状に原発大問題が加わり、更に三陸沿岸に立地していた原材料・部品工場が軒並み壊滅で、世界を巻き込んだ部品欠品問題まで発生し、日本のみの問題では済まなくなってきました。 改めてガラパゴス日本民族の世界に占める存在感を実感させられています。

  小生は終戦直後の生まれのため、戦争そのものは知りませんが、子供のころの貧しさから世界経済・科学の牽引国家にのし上がった日本民族を見てきました。極く近い将来復興し、 再度世界を牽引できると信じています。日本民族はだてにガラパゴスではないんです。定年後の身ですがなんとか頑張らねば!

  現状は悪化する一途ですが、自粛ばかりでは日本の復興が遅れるのも事実です。という訳で報道番組の視聴漬けを自粛し、読書を再開しやっと5章(全15章)まできました。 ここまでの内容をかいつまんで報告します。大学時代いわゆる分子生物学のはしりのようなものを専攻しましたが、その後40年間の間に分子生物関連の学問は大きく進歩し、 ついこのあいだ人間の遺伝子配列が全て解読されました。これはノーベル賞級の画期的なことなのですが、研究者と興味がある者以外には全く話題になっていません。その理由が本書にも書いてあります。

  要するに生命体としての遺伝子構造が全て解読されたからと言っても、思考・感情を持つ生身の人間のことは全く解読されていないのです。何故人間はここまで進化したのか、 なぜ人種があるのか、何故戦争するのか、何故喜び、憎むなど「感情」を持つのか、どうして一人ひとり行動が違うのか?..... 人間が人間として存在している理由が何も解析できていないからだそうです。その大きな理由が人遺伝子の構造解析の結果の呆れた事実にも起因するのだそうです。


  なんと人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%(機能遺伝子)でしかない....という信じられない事実。 じゃぁあとの98.5%は何のために存在するのか?

・HREV 9% 人間が過去に感染したウイルスの名残で、人内在性レトロウイルスだそうです。
・LINE 21% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・SINE 13% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・DNAトランスポゾン 5章までではまだ説明されていません。
・不明   52.5%  5章までではまだ説明されていません。

  これって何?43%がウイルス由来の遺伝子?人間の遺伝子のはずなのにウイルス由来の遺伝子の方がはるかに多いとは本当? 人類はウイルス遺伝子の固まりってこと?  にわかに納得はできませんが結果と言う事実は上記のとおりだそうです。しかし、由来は推測出来ても、何故?何のために?どうやって?....などまだクリアにはなっていないようですが、 ともかく43%の部分は明らかにウイルスの遺伝子と同じなのだそうです。

  細胞でエネルギーを生産するミトコンドリア(植物では葉緑体)は古代に寄生した細菌が生体と共存し共生した結果ということは既に小生が学生のころから言われており、 今では生物学の常識になっているので、「共生」という言葉自体は理解できますが、何故ウイルスなの?

  さらに人間の遺伝子の半分以上が”役割不明”だそうです。恐らくこの「不明」は生物体としての構造を作るところではないのではないでしょうか!人間は他の生物に比べ、 感情/思考/行動/運動能力など全てが複雑怪奇ですが、そういうよくわからないものをつかさどるところが「不明」領域だったら面白いですね。 ここはもう分子遺伝学者の領域ではないような気がします。

5章までのストーリーは、

・生物とレトロウイルスやウイルスは共生し進化を遂げてきた。
・人間も例外ではなく、遺伝子構造解析の結果が証明した。
というところです。

  ちなみに「レトロウイルス」とは、レトロな古〜いウイルス、という意味ではなく、DNA(核酸)ではなくRNA(リボ核酸)を遺伝子として持ち、生物体に入り込むと 「逆転写酵素」を使いDNAを生成し、共生先の生物の核に、自身の遺伝情報を埋め込むのですが、その「逆」を「rettro=レトロ」と言うのだそうです。レトロウイルスが感染した生物は 当初はダメージを受けかなりの個体が死に至りますが、レトロウイルスと共生に成功した個体が生き残り、繁栄するのだそうです。現在最も話題になっているのはオーストラリア大陸東海岸での コアラに対する齧(げっ)歯類由来のコアラレトロウイルスの感染例だそうです。

  人間ではHIV-1型と呼ばれるレトロウイルス感染つまりAIDSが最も最近の例だそうです。当初は死に至る個体が多数発生しますが、いづれ共生状態になるだろう、と考えられているようです。 あまりうれしくはないですが...。

  日本人ではウイルス学者の日沼頼夫先生が成人T細胞白血病(ATL)の原因はレトロウイルスHTLV-1と突き止めた事は有名です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c6

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
7. 中川隆[-13764] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:17:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21982]
進化に対する内在性レトロウイルスの働きがわかりつつある!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm

  当ガラパゴス史観が参考本としている最新進化学の「破壊する創造者」の骨子は「内在性レトロウイルス」が進化の要因でもあった、というものです。 興味のある方は当ホームページの記事13-1.を読んでください。

  Nature Japanの日本語版に京都大学の論文が掲載され、太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!という非常に興味深い内容でした。 このことはレトロウイルスが種の違い・進化の要因になっていることを示しています。  「破壊する創造者」の伝える最新進化学はここ日本でも進められていたのです。

  Nature Japanの9月12日の特集記事をご紹介します。
========================================
  太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!

  2013年9月12日

  京都大学 ウイルス研究所 細胞生物学部門
  宮沢孝幸 准教授

  哺乳類の胎児の多くは、胎盤によって育まれる。胎盤は、母親と胎児の両方の組織からなり、子宮内で胎児を支える役目を担うほか、互いの血液を混合させることなく栄養、 ホルモン、ガスなどを交換するという、極めて重要な機能を果たす。一方で、胎盤の形状や構造は動物種によって大きく異なり、その違いがどのようにしてもたらされたのかは、 謎のままにある。このほど、京都大学 ウイルス研究所の宮沢 孝幸 准教授らは、ウシの胎盤に見られる現象に着目し、胎盤の進化にレトロウイルスが関与していたことを突き止めた。

  ウシ科の動物は、ウシ亜科、ヤギ亜科、インパラ亜科など、7つに分けられる。いずれの亜科も約100個の小さな胎盤節からなる「多胎盤」を形成するが、その際、ウシ亜科とヤギ亜科だけに 「胎児側の細胞と母体側の細胞が融合する特殊な現象」が見られるという。こうした母子細胞の融合はかなり以前から知られていたが、分子メカニズムは分かっていなかった。

  BERV-K1由来のFematrin-1による、ウシ三核細胞の形成過程

  宮沢准教授は、学部生時代にレトロウイルスの研究を始め、その過程で「ヒト内在性レトロウイルス」がレトロトランスポゾンとして機能し、胎盤で発現していることを知ったという。 内在性レトロウイルスとは、太古に感染したレトロウイルスが「感染先の動物(宿主)の生殖細胞」に入り込み、ゲノムの一部と化したDNA配列を指す。一方のトランスポゾンは、 ゲノム中において、自身のDNAの一部から転写されたRNA配列を逆転写してDNAに戻し、それを別の領域に挿入する転移因子の総称だ。「はるか昔に人類に感染したレトロウイルスの 遺伝子がヒトゲノムに取り込まれ、遺伝子として胎盤で何らかの機能を持つようになったのではないか。当時から、そんなふうに考えていました」と宮沢准教授。

  「その後、内在性レトロウイルスと胎盤との関係を調べてみたいと思いつつ、ずいぶん時間が経ってしまいました」。そう話す宮沢准教授はイリギス留学などを経て、 2005年に現職に就いたのを機に「内在性レトロウイルスが、ウシの胎盤でみられる母子の細胞融合と関与するのではないか」との仮説を立て、本格的な研究に乗り出した。

  まず、ウシの内在性レトロウイルス(BERV-K1)が、ウシの胎盤や栄養膜細胞を株化した細胞において発現していることを確かめた。そのうえで、BERV-K1遺伝子の一部が、 胎盤の栄養膜にある特定の細胞(二核細胞と三核細胞)にだけに発現していることを、複数の手法を用いて突き止めた。栄養膜の二核細胞は胎児側の細胞で、この細胞が母体側の 子宮内膜細胞と1対1で融合すると三核細胞(TNC)になるという。

  「次に、細胞融合能を持たないモデル細胞(アフリカミドリザル由来のCOS細胞)に、BERV-K1のエンベロープタンパク質を強制発現させ、ウシの子宮内膜細胞と共培養してみました。 BERV-K1が母子細胞融合の鍵を握るとしたら、エンベロープタンパク質が機能することで、細胞どうしが融合すると考えたからです」と宮沢准教授。

  エンベロープタンパク質とは、ウイルスの膜(殻)に刺さっているタンパク質のこと。このタンパク質が宿主細胞の膜にある受容体と結合すると、ウイルスと宿主の細胞膜が融合し、 ウイルスゲノムが宿主細胞内に入れるようになる。宿主細胞内ではウイルスのゲノムやタンパク質が大量にコピーされ、ひとそろいが宿主細胞の膜をかぶって飛び出すと、 子ウイルスの誕生(すなわち、感染の成立)となる。

  実験結果は、宮沢准教授の予想どおりだった。細胞どうしが1対1で接触し、接触点において互いの細胞膜が融合。2つの核を持つ、単一の細胞へと変化したのだ。 「融合過程を観察するだけでなく、融合活性の定量的な判定も行いました。そして、BERV-K1のエンベロープタンパク質が細胞融合の鍵であるとの結論に至り、 このタンパク質をFematrin-1と命名しました」と宮沢准教授。

  さらに、宮沢准教授らは、ウシのBERV-K1がFAT2という遺伝子のイントロンに入り込んでいることも突き止め、同じようにBERV-K1をFAT2のイントロン内に持つ亜科がいるかどうかを調べた。 「ウシ亜科のみに見られ、ヤギやヒツジなどのヤギ亜科には見られませんでした。2つの亜科は約2000万年前に分かれたことがわかっているので、その直後に、BERV-K1がウシ亜科に感染して 入り込んだと推測できます」。

  一連の結果は、BERV-K1の感染が、ウシ亜科とヤギ亜科に胎盤の違いをもたらす大きな原動力になったことを示唆している。「おそらく、大昔に感染したレトロウイルスの種類が、 動物種の胎盤の違いをもたらしてきたのでしょう」。そう話す宮沢准教授は、遺伝子がレトロウイルスによって他の動物種に伝わることがあるのか、あるとしたらどのようなメカニズムに よるのかといったことも検討し、生命進化とウイルスとの関わりを解き明かすべく、努力を続けている。

  西村尚子
  サイエンスライター
=======================================
  当ガラパゴス史観を構築するための3要素は表紙に書きましたが、

  ●Globalで報告されているY-DNA、mtDNAの国別,民族別,部族別の頻度調査データ解析結果、
  ●最新の進化学で報告されている「進化」の知見、
    「進化」は、推進力となる4つのファクター
     (1) 突然変異、
     (2) 共生(内在性レトロウイルスとの)、
     (3) 異種交配、そして
     (4) エピジェネティクス(後天的獲得形質)と、
    ダーウィンの
     (5) 自然選択
    との相互作用で起る、と説明されている。
  ●分子生物学研究者時代に実験データ解析の手法として身に付けたデータマイニング手法

  以上の解析結果・知見・手法の3要素である。

  当ガラパゴス史観の構築した、現代人つまりホモ・サピエンス・サピエンスの進化は、

  ・収縮しつつあった森林の、樹上での縄張り争いに負けて樹上から追い出されたか、もしくは草原で狩りをする捕食者達に触発され食糧確保のため自発的に樹から降りたか、もしくは両方か、 ともかく草原に降り立ったこと。

  ・木の実食から肉食に変わり、脳が大きく進化したこと。

  ・サハラの砂漠化により2000人程度の絶滅危惧種となり、先輩人類(原人、旧人達)と同様出アフリカを決行したこと。

  ・出アフリカ後の中東〜インド亜大陸で未知のレトロウイルスに感染したことや、旧人との亜種間交配で遺伝子の一部や旧人が感染していた内在性レトロウイルスも受け継いだことが、 Y-DNAとmtDNAの分化を引き起こしたこと。

  ・行く先々で土地々々の新しいレトロウイルスに感染したこと。

  が遺伝子分化を引き起こし、アフリカに留まった非出アフリカ人とは全く異なる進化をたどり、近代・現代文化を構築するまでに至った、というものです。」

  出アフリカに加わらなかった他のホモ・サピエンス・サピエンス(Y-DNA「A」と「B」及び「L3」以外のmtDNA「L」)はアフリカの草原地帯や森林地多で狩猟採集段階でそれ以上の進化を止め、 原始状態にとどまり今に至っています。

  後代、出アフリカからアフリカに出戻ったY-DNA「E」が「A」や「B」と交配したおかげで、「E」と共存した「A」と「B」は「E」と同じ段階に進みましたが、その「E」もアフリカに戻ったことで それ以上の進化を止めてしまいました。

  Y-DNA「E」で地中海北岸に進みY-DNA「I」、「J」「R」などと交配し一体化した集団のみが文明化し近代・現代文化の恩恵を受けています。

  古代遺伝子Y-DNA「E」はアフリカ草原地帯の原始の狩猟採集から最先端の現代文化まで最も幅広い変異幅を持つ遺伝子なのです。

  Y-DNA「E」が戻りアフリカ後それ以上の進化をしなかった理由は、故地に戻ったため新しいレトロウイルスに出会わなかったことにある、と考えられます。熱いことも理由のひとつでしょうが。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c7

[国際24] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドな…:自然板リンク お天道様はお見通し
5. 中川隆[-13763] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:18:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21982]
進化に対する内在性レトロウイルスの働きがわかりつつある!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm

  当ガラパゴス史観が参考本としている最新進化学の「破壊する創造者」の骨子は「内在性レトロウイルス」が進化の要因でもあった、というものです。 興味のある方は当ホームページの記事13-1.を読んでください。

  Nature Japanの日本語版に京都大学の論文が掲載され、太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!という非常に興味深い内容でした。 このことはレトロウイルスが種の違い・進化の要因になっていることを示しています。  「破壊する創造者」の伝える最新進化学はここ日本でも進められていたのです。

  Nature Japanの9月12日の特集記事をご紹介します。
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  太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!

  2013年9月12日

  京都大学 ウイルス研究所 細胞生物学部門
  宮沢孝幸 准教授

  哺乳類の胎児の多くは、胎盤によって育まれる。胎盤は、母親と胎児の両方の組織からなり、子宮内で胎児を支える役目を担うほか、互いの血液を混合させることなく栄養、 ホルモン、ガスなどを交換するという、極めて重要な機能を果たす。一方で、胎盤の形状や構造は動物種によって大きく異なり、その違いがどのようにしてもたらされたのかは、 謎のままにある。このほど、京都大学 ウイルス研究所の宮沢 孝幸 准教授らは、ウシの胎盤に見られる現象に着目し、胎盤の進化にレトロウイルスが関与していたことを突き止めた。

  ウシ科の動物は、ウシ亜科、ヤギ亜科、インパラ亜科など、7つに分けられる。いずれの亜科も約100個の小さな胎盤節からなる「多胎盤」を形成するが、その際、ウシ亜科とヤギ亜科だけに 「胎児側の細胞と母体側の細胞が融合する特殊な現象」が見られるという。こうした母子細胞の融合はかなり以前から知られていたが、分子メカニズムは分かっていなかった。

  BERV-K1由来のFematrin-1による、ウシ三核細胞の形成過程

  宮沢准教授は、学部生時代にレトロウイルスの研究を始め、その過程で「ヒト内在性レトロウイルス」がレトロトランスポゾンとして機能し、胎盤で発現していることを知ったという。 内在性レトロウイルスとは、太古に感染したレトロウイルスが「感染先の動物(宿主)の生殖細胞」に入り込み、ゲノムの一部と化したDNA配列を指す。一方のトランスポゾンは、 ゲノム中において、自身のDNAの一部から転写されたRNA配列を逆転写してDNAに戻し、それを別の領域に挿入する転移因子の総称だ。「はるか昔に人類に感染したレトロウイルスの 遺伝子がヒトゲノムに取り込まれ、遺伝子として胎盤で何らかの機能を持つようになったのではないか。当時から、そんなふうに考えていました」と宮沢准教授。

  「その後、内在性レトロウイルスと胎盤との関係を調べてみたいと思いつつ、ずいぶん時間が経ってしまいました」。そう話す宮沢准教授はイリギス留学などを経て、 2005年に現職に就いたのを機に「内在性レトロウイルスが、ウシの胎盤でみられる母子の細胞融合と関与するのではないか」との仮説を立て、本格的な研究に乗り出した。

  まず、ウシの内在性レトロウイルス(BERV-K1)が、ウシの胎盤や栄養膜細胞を株化した細胞において発現していることを確かめた。そのうえで、BERV-K1遺伝子の一部が、 胎盤の栄養膜にある特定の細胞(二核細胞と三核細胞)にだけに発現していることを、複数の手法を用いて突き止めた。栄養膜の二核細胞は胎児側の細胞で、この細胞が母体側の 子宮内膜細胞と1対1で融合すると三核細胞(TNC)になるという。

  「次に、細胞融合能を持たないモデル細胞(アフリカミドリザル由来のCOS細胞)に、BERV-K1のエンベロープタンパク質を強制発現させ、ウシの子宮内膜細胞と共培養してみました。 BERV-K1が母子細胞融合の鍵を握るとしたら、エンベロープタンパク質が機能することで、細胞どうしが融合すると考えたからです」と宮沢准教授。

  エンベロープタンパク質とは、ウイルスの膜(殻)に刺さっているタンパク質のこと。このタンパク質が宿主細胞の膜にある受容体と結合すると、ウイルスと宿主の細胞膜が融合し、 ウイルスゲノムが宿主細胞内に入れるようになる。宿主細胞内ではウイルスのゲノムやタンパク質が大量にコピーされ、ひとそろいが宿主細胞の膜をかぶって飛び出すと、 子ウイルスの誕生(すなわち、感染の成立)となる。

  実験結果は、宮沢准教授の予想どおりだった。細胞どうしが1対1で接触し、接触点において互いの細胞膜が融合。2つの核を持つ、単一の細胞へと変化したのだ。 「融合過程を観察するだけでなく、融合活性の定量的な判定も行いました。そして、BERV-K1のエンベロープタンパク質が細胞融合の鍵であるとの結論に至り、 このタンパク質をFematrin-1と命名しました」と宮沢准教授。

  さらに、宮沢准教授らは、ウシのBERV-K1がFAT2という遺伝子のイントロンに入り込んでいることも突き止め、同じようにBERV-K1をFAT2のイントロン内に持つ亜科がいるかどうかを調べた。 「ウシ亜科のみに見られ、ヤギやヒツジなどのヤギ亜科には見られませんでした。2つの亜科は約2000万年前に分かれたことがわかっているので、その直後に、BERV-K1がウシ亜科に感染して 入り込んだと推測できます」。

  一連の結果は、BERV-K1の感染が、ウシ亜科とヤギ亜科に胎盤の違いをもたらす大きな原動力になったことを示唆している。「おそらく、大昔に感染したレトロウイルスの種類が、 動物種の胎盤の違いをもたらしてきたのでしょう」。そう話す宮沢准教授は、遺伝子がレトロウイルスによって他の動物種に伝わることがあるのか、あるとしたらどのようなメカニズムに よるのかといったことも検討し、生命進化とウイルスとの関わりを解き明かすべく、努力を続けている。

  西村尚子
  サイエンスライター
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  当ガラパゴス史観を構築するための3要素は表紙に書きましたが、

  ●Globalで報告されているY-DNA、mtDNAの国別,民族別,部族別の頻度調査データ解析結果、
  ●最新の進化学で報告されている「進化」の知見、
    「進化」は、推進力となる4つのファクター
     (1) 突然変異、
     (2) 共生(内在性レトロウイルスとの)、
     (3) 異種交配、そして
     (4) エピジェネティクス(後天的獲得形質)と、
    ダーウィンの
     (5) 自然選択
    との相互作用で起る、と説明されている。
  ●分子生物学研究者時代に実験データ解析の手法として身に付けたデータマイニング手法

  以上の解析結果・知見・手法の3要素である。

  当ガラパゴス史観の構築した、現代人つまりホモ・サピエンス・サピエンスの進化は、

  ・収縮しつつあった森林の、樹上での縄張り争いに負けて樹上から追い出されたか、もしくは草原で狩りをする捕食者達に触発され食糧確保のため自発的に樹から降りたか、もしくは両方か、 ともかく草原に降り立ったこと。

  ・木の実食から肉食に変わり、脳が大きく進化したこと。

  ・サハラの砂漠化により2000人程度の絶滅危惧種となり、先輩人類(原人、旧人達)と同様出アフリカを決行したこと。

  ・出アフリカ後の中東〜インド亜大陸で未知のレトロウイルスに感染したことや、旧人との亜種間交配で遺伝子の一部や旧人が感染していた内在性レトロウイルスも受け継いだことが、 Y-DNAとmtDNAの分化を引き起こしたこと。

  ・行く先々で土地々々の新しいレトロウイルスに感染したこと。

  が遺伝子分化を引き起こし、アフリカに留まった非出アフリカ人とは全く異なる進化をたどり、近代・現代文化を構築するまでに至った、というものです。」

  出アフリカに加わらなかった他のホモ・サピエンス・サピエンス(Y-DNA「A」と「B」及び「L3」以外のmtDNA「L」)はアフリカの草原地帯や森林地多で狩猟採集段階でそれ以上の進化を止め、 原始状態にとどまり今に至っています。

  後代、出アフリカからアフリカに出戻ったY-DNA「E」が「A」や「B」と交配したおかげで、「E」と共存した「A」と「B」は「E」と同じ段階に進みましたが、その「E」もアフリカに戻ったことで それ以上の進化を止めてしまいました。

  Y-DNA「E」で地中海北岸に進みY-DNA「I」、「J」「R」などと交配し一体化した集団のみが文明化し近代・現代文化の恩恵を受けています。

  古代遺伝子Y-DNA「E」はアフリカ草原地帯の原始の狩猟採集から最先端の現代文化まで最も幅広い変異幅を持つ遺伝子なのです。

  Y-DNA「E」が戻りアフリカ後それ以上の進化をしなかった理由は、故地に戻ったため新しいレトロウイルスに出会わなかったことにある、と考えられます。熱いことも理由のひとつでしょうが。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/736.html#c5

[リバイバル3] 中川隆 _ 心理学、大脳生理学、文化人類学、文化関係投稿リンク 中川隆
40. 2018年12月11日 21:21:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21982]

「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に…
へのコメント
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/807.html#c40
[環境・自然・天文板6] [特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は… お天道様はお見通し
10. 中川隆[-13768] koaQ7Jey 2018年12月11日 21:34:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21988]
最新の進化論「Virolution」のご紹介記事です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1
  さて、「Virolution (邦題「破壊する創造者」)」は全15章あります。 最新の進化学の現状を知ることは考え方の幅を広げる役には立つと思います。早川書房、2500円+消費税です。
=====================================

  15章 エピジェネティクス進化は遺伝子が変異するのではなく、発現機序が変化すること

  本来医者である本書の著者フランク・ライアン氏は最後の3章分は遺伝病の話にほぼ終始しました。そしてそれはDNAの発現メカニズムに狂いが生じることが原因である、と説明しています。 本来進化の要因のはずの推進力が一方病気の原因でもあるのです。とくにガンの話は恐るべきものです。人類の大敵のガンは、自然選択からみると優先的に選択されるものらしいのです。 だからガンは自分では進化しているつもりなのだそうです。我々にはいい迷惑なのですが。

  下図が、本書の最終まとめです。4種の進化の推進力があります。3種は「遺伝子」そのものが変化しますが、最後のエピジェネティクスは遺伝子の「発現のメカニズム」が変化するのです。 そして喫煙など環境の影響を受けるのもエピジェネティクスなのです。
  

  日本人の遺伝子を考えるための自己啓発として本書を読んできましたが、これで終わりにします。

  本書のカバーに描かれているタコのような頭でっかちの物体はバクテリオファージと言います。異物を掃除するのがマクロファージですが、バクテリアを掃除するのがバクテリオファージです。 昔電子顕微鏡の研究者だったころに電子顕微鏡で撮影した写真を最後にご紹介して「破壊する創造者」の勉強は終わりにします。
  


  論文のコピーなので写真が若干荒れていますがご勘弁ください。左端はγーPhage、中央はT4−Phage、右端はT4−Phage を立てて影をつけてみた写真です。脚が2本見えますが、 本当は6本ぐらいあるのですが、数本が固まってしまっています。右端の写真で10万倍ぐらいに拡大しています。

  ではY-DNAやmtDNA遺伝子がハプロタイプに分化し更に亜型、子亜型に分化する要因は何だったのでしょうか、本書の結論から素直に考えると、

・ネアンデルタール人との亜種交配
・ウイルス感染、細菌感染(特にアフリカや熱帯雨林など厳しい風土病環境の地域)
・灼熱の過酷なアフリカ大地から出アフリカ後の穏やかな環境への変化、
・出シベリヤの原因になったシベリヤ大地の寒冷凍土化と寒冷地適応、
・狩猟採集から農耕への生活スタイルの変化、
・牧畜から農耕への生活スタイルの変化、
・出アジアしオセアニアに拡散した居住環境の変化などなど.....、

ところが、現代人類の居住環境の変化と生活スタイルの変化は全てエピジェネティクスな要因なので遺伝子の分化には影響を与えないのです。

  では我々今生きている人類の遺伝子の子亜型はもうこれ以上変化しないのでしょうか?もしくはこれからも変化するのでしょうか?当然これからもどんどん変化するはずですが、 本書ではその変化するスピードは対象となる動植物によっては数代で獲得形質になる場合があると紹介しています。では人類では?残念ながらそこまでははっきりとは書かれていません。

  農耕民族が穀物の消化を十分に行うために腸が長くなりその結果胴長になり短足になった、と昔から言われていますが、これは獲得形質なのでしょう。そうすると漁労民族や、 牧畜民族は足が長いままなのでしょう。日本人はコメが命である以上胴長短足は宿命です。今、足が長い一部の日本人も代を重ねると子孫は胴長短足になるはずです。昔の説が正しければ ....ですが。でも遺伝子は変化しないのです。発現のメカニズムが変わるだけなのです。

=====================================

  14章 エピジェネティクスは遺伝子を変異させるのではなく、発現機序をコントロールすること

  本書の最後に近くなってきましたが、テーマは先天性疾患の話になってきました。そして癌の話題です。また老化にも触れています。エピジェネティク(後天的に獲得したDNA発現の制御作用)な メカニズムのことをエピゲノムと呼ぶのだそうですが、エピゲノムは常に環境の影響を受け続けているそうです。周囲の環境からあるシグナルが発信されると、それを認識して遺伝子発現制御配列に 指令が出され、配列はその指令に応じて対応する遺伝子の発現を調節するのだそうです。つまり環境の変化が即、生物の変化に繋がるのだそうだ。

  ここで著者のまとめは次のようです、

  「人間の体を作る細胞は全て同じDNAを持っているが、神経を作る細胞、肝臓を作る細胞など異なる細胞に変化するのは何故か?つまり同じ遺伝子であっても細胞ごとに発現の仕方が違うからに 他ならない、それをコントロールしているメカニズムがエピジェネティクス」なのだそうだ。   そのメカニズムは今のところ次の3つあるらしい。

  ・メチル化;DNAの4塩基の1つ「シトシン」のメチル化、
  ・ヒストン修飾;ヒストン(DNAと結合し折りたたみ核内に収容するタンパク質)のアセチル化、
  ・RNAi(RNA 干渉=遺伝子のタンパク質への翻訳に干渉し、mRNAの特定の分子を破壊す
      る、つまり該当する特定のタンパク質の合成を妨げる。

  この3つのメカニズムは細胞分裂時に受け継がれるようだ=遺伝する。しかも複数のメカニズムが同時に働くこともあるらしい。 つまり協調し合って機能しているのだそうだ。でもあまりに複雑すぎて まだよくはわかっていないとのこと。   先天性疾患の例が示された。

・妊娠中の母親の食事に「葉酸」が不足すると、

  ・胎児の脊髄の形成に問題が生じる、
  ・胎児が水頭症にかかりやすくなる、
  ・胎児の脊柱管の下部の癒合に失敗する可能性が高くなる、
  ・生涯、脚にマヒが残る。などの先天性疾患が現れるのだそうだ。

 「葉酸」はアミノ酸のメチオニンの合成に欠かせない栄養素だが、このメチオニンはなんと、
 メチル化に使われる「メチル基」を供給する役割を持っているのだそうだ。
 つまりメチオニンができないため、DNAのメチル化が行えず、メチル化が行われないと遺伝
 子の発現作用が正しく働かなくなり、正しい遺伝子制御ができなくなる、と言うのだ。

  葉酸の摂取必要値

   成人女子推奨量:240μg、成人男子推奨量:240μg
  葉酸が多い食品例は、「簡単!栄養andカロリー計算」さんから頂きました。

  いまどきの若い女性はあまり食べないものもありますね。

  重要なことは、遺伝子は両親から1組づつ受け継ぐが、子供の遺伝子ではどちらの親から受け継いだものを使うのかが選択される、らしい。このため、片方の親から受け継いだ遺伝子のみが 発現する、ようだ。この現象を「ゲノム刷り込み」と呼ぶのだそうだ。そして遺伝子によっては当然だが父親由来と母親由来ではエピジェネティクな働き方が違う場合が生じる。 その時、不幸にも選択された遺伝子に先に紹介したエピジェネティックな問題があると先天性の疾患になってしまう、たとえ選択されなかった方の遺伝子が完全に正常でも、残念な結果に終わる、 のだそうだ。本書では、さまざまな遺伝病の例が紹介されている。

・エピジェネティクな癌の定義

 「癌」とは、細胞の外見とふるまいが異常になること。
       細胞が無制限に次々に増殖する利己的な存在になること。
       細胞が道を踏み外すこと。

    道を踏み外した細胞が1個とかせいぜい数個だけの内なら、その利己的な振る舞いは細胞や細胞内の遺伝子のの生存や増殖にとって有利なものだそうだ。むしろ「自然選択」によって、 「最も大きく道を踏み外した細胞」こそが最も選ばれやすくなる、のだそうだ。つまり「自然選択が選ぶのは間違いなく細胞や組織のホメオスタシス(内外の環境の変化にかかわらず生物の 体の状態が一定に保たれること)を維持することに最も強く抵抗する細胞だろう」と言うことらしい。これは厄介なことです。人間にとって破壊者である癌は自然選択側にとっては 最も好ましい状態なのです。

  つまり、細胞のゲノムのある部分では脱メチル化が過剰に起き、癌遺伝子を不適切に活性化させ、ある部分ではメチル化が過剰に起き、癌抑制遺伝子を不適切に不活性化し、 どちらにしても癌の原因になっている、と言うのだ。

  ではエピジェネティクな作用以外の癌は?環境要因の例として、

・喫煙による癌誘発効果、
  ・喫煙の刺激で「RNAi」の産生が促進され、抗癌遺伝子の発現が抑制される、のだそうだ。

・ウイルス感染による癌誘発、
  ・子宮頸癌を起こすパピローマウイルスが有名、

が挙げられた。

●老化の話題に入りました。

  細菌やアメーバなどの単純な生物は決して年をとらないのです。ところが多種多様な細胞、組織、器官から成る複雑な生物が受け継ぐべき「遺産」が、「年を取ってやがて死ぬ」こと なのだそうだ。シーラカンスもガラパゴスの動物たちも人間も全て「年を取ってやがて死ぬ」のです。老化するとエピジェネティクなメカニズムが機能しなくなるらしい。

  エピジェネティクスの研究では遺伝学同様、一卵性双生児を研究に使う。目的は違います。

・遺伝学では、いかに「同じ」かを説明するために、

・エピジェネティクスでは「差異」を明確にするため、です。
  つまりエピジェネティクなメカニズムの働きで人にどのような差異が生じるのか、研究するのです。一卵性双生児ということは、お互いがお互いのクローンで全く同じ遺伝子を持っている のですが、もし後天的な制御作用が進化に働くなら、遺伝子は全く同じでも、常に一緒に全く同じ生活をしなければエピジェネティクな作用は異なるはずだからです。

  30組の男性の一卵性双生児、50組の女性陣の計80組、そして年齢は3歳から74歳まで「究極の実験」が行われたそうです。調査の結果は、

・生まれて間もないころ、幼い間ならエピジェネティクなメカニズムの働きはほぼ同じで、
  若い双子ほど互いに良く似ている。

・しかし年齢が高くなるほど、互いの違いが明確になってくる、そうです。
  DNAのメチル化やヒストン修飾に違いが生じるのだそうです。

    両者の違いは、二人のライフスタイルが違っている場合ほど、一緒に暮らした時間が少ないほど、顕著に表れるようだ、たとえ遺伝子が同じでも、発現する際には環境が大きく影響すると 言うことです。これが、一卵性双生児でも病気へのかかりやすさが異なる理由になるかも知れないのです。一卵性双生児の関節リウマチへの罹患率は本来なら100%一致するはずですが30%しか 一致しない。関節リウマチはある程度年齢が上がってからかかる病気のため、それまでの時間暮らした環境が違えば違うほど罹患率は違ってくるのです。

  一方ストレスも自己免疫疾患の原因になりやすいが、ストレスホルモンの副腎皮質ステロイドは遺伝子やエピジェネティクスへ影響することがわかってきているそうです。

  本書では、エピジェネティクスの研究は遺伝子研究の20年前の水準にしか達しておらず、研究レベルはこれからまだまだ上がる、大手の製薬会社もエピジェネティクスの研究に乗り出して 来ており、癌、炎症性疾患、先天性異常、遺伝性疾患、糖尿病などのほか慢性的な病気の治療や老化の対策にエピジェネティクスが応用されるだろう、ということのようです。

  老化により引き起こされる疾患への有効な治療法の確立などで、老化防止策が数多く開発される可能性がある、とこの章を締めくくっている。エピジェネティクスの操り方がわかれば、 先の紹介した、機能遺伝子、ミトコンドリア遺伝子やレトロウイルス関連の遺伝子配列などゲノムをのあらゆる部分を操作することが可能になるかもしれないのだそうです。

  もし本当にそういう時代がくるなら、医学は急速に進歩するのでしょうが、今のような混沌とした時代で長生きはしたくない、というのが本音で余計なお世話だ、と言いたい!100歳まで 元気で生きられるとして、何をして暮らすの?働く?レジャー?瞑想?、何をするにも住むところと元手が必要。誰が用意してくれるのか?こんな時代で自分の娘がかわいそうだと感じているのに、 長生きしてどうする!などと、欧米人は考えないのです。元気で長生きをすれば、することが沢山あるんです、彼らには!羨ましい。
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13章〜12章

  13章 内在性レトロウイルスが胚発生の初期段階で重要な役割を果たしているらしい

・発生のごく初期の段階では遺伝子の制御に関して、エピジェネティック(後天的な遺伝子
  制御作用)なメカニズムが働くことはなく、むしろ内在性レトロウイルスが胚発生の初期
  段階で非常に重要な役割を果たしているらしいがまだ解明されていない。

・受胎初日に受精卵は全く同じ細胞に2分割される。
・受胎後4日目には16個〜32個の細胞に増加し球体になる。
・翌日中が中空のゴムまり状の胞胚になる。外側は後に胎盤になる。
・その後何日間かで胚が子宮内膜に着床する(ここで内在性レトロウイルスが働くらしい)。
・子宮内膜が剥がれ落ちないように胚はHCGを分泌し、卵巣を刺激し月経を防ぐ。
 (昔研究者だったころに妊娠診断薬の開発を行いましたが、その時に妊娠診断マーカー
  に使ったのがHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)なのです。)
・受胎7日〜10日には胞胚の一部が中に窪む原腸陥入(後に肛門になる)が起こる。ここま
  では全ての細胞は最初の受精卵のコピーだけであるが、原腸陥入が起こると重要な制
  御遺伝子が働き始め、それが作り出した化学物質によって、いよいよ遺伝現象が再生
  され始める。なんと肛門が最初に作られるのである。
・受胎後12週には肺と脳以外のほとんどの器官、身体の部分が出来上がり、後は大きく成
  長するだけになる。脳はあまりに複雑なため誕生後に発達をするのだ。誕生直後の何
  日間、脳細胞は毎分25万個のハイペースで増加するのだそうだ。最初の2年間で大き
  く、複雑になる。チンパンジーの脳は誕生時にはヒトと変わらないが、大人になるとヒト
  の脳はチンパンジーの3.5倍の重さになる。
・実はこの間も親から受け継いだ遺伝子は両親からの核遺伝子も、母親からの細胞質遺
  伝子もレトロウイルス関連の成分も、すべての細胞で全く同じなのだ。

・遺伝情報には2つのシステムがあり、

 1つは遺伝子そのものが持つ情報で真に遺伝的なもの。
 2つ目は、個々の細胞でどの遺伝子を発現させるかを決める補助的メカニズムでエピジェ
  ネティックなもの、つまり遺伝子の働きを操作するメカニズムが存在するのである。その
  働きはDNAの4塩基の1つシトシンをメチル化させるらしい。そして制限酵素が働くらし
  い。要約すると、エピジェネティックなプロセスによって個々の遺伝子の発現スイッチが
  適当なタイミングでオン・オフされている、のだ。シトシンがメチル化されるとスイッチは
  オフ、脱メチル化されると遺伝子のスイッチはオンになるのだ。そして重要なことはメチ
  ル化が起きてもDNAの配列には変化が起きないことだ。
・そしてエピジェネティックな遺伝子の操作は遺伝をするらしい。
・しかも、環境からのシグナル(影響)によって遺伝子に直接エピジェネティックな変異が誘
  発され、それが遺伝する、のだ。この論理は何となく飛躍があるような気がしますが、著
  者は気にしていないようです。
・そうしてそれが進化につながってゆく。
・そうしてエピジェネティックな変異が蓄積し、それが「獲得形質」となり
・獲得形質が遺伝の対象になることによって進化が起き新たな「種」が生まれる、そうだ。
・エピジェネティックな遺伝はmtDNA遺伝と同様メンデルの法則に従わないそうです。

・本書の結論は、

  エピジェネティックなメカニズムはDNAの遺伝子機構から独立して作用し、
  その働きは環境の影響を受け、生物は環境に直接呼応するように進化できる。
  遺伝子以外の要素がDNAの発現を複雑に制御している
 です。

  キリンの首が何故長くなったか、首だけでなく体高も高くなっています。それは長いほうが樹上の葉を独占して食べることができるからですが、 「突然変異」でたまたま首の長い馬が生まれれば食事に優位なために「自然選択」されると思いがちですが、 どう考えてもバランスがとれず走りにくく、肉食獣に簡単に食べられ、逆選択され絶滅するだけでしょう。 つまり首が長くなる突然変異はアフリカでは優位ではないのです。また子孫を残すには複数の馬に同時に突然変異が一斉に起きる必要がありますが、 その確率論より、全部の馬が樹上の葉を食べるために首を伸ばし続けたために、少しづつ首が伸び体高も高くなりそれが徐々に遺伝子に書き込まれていった、 と考える方がまともな気がします。徐々に伸びるならバランスも対応でき走ることも上手くなるでしょう。これぞラマルクの獲得形質です。

  しかし本書で書かれているエピジェネティックスがキリンの例に当てはまるのかどうかは触れられていません。 直感的にはラマルクの進化論とエピジェネティックスは何か違う気がしますが、素人はこのくらいにしておきましょう。

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  12章 人とチンパンジーの共通の祖先は分離後も200万年は通婚したらしい

  この本は新しい進化論行きの新幹線に乗っているようだ。解りやすい書き方のおかげで内容がどんどん脳ミソに叩き込まれてくる。12章はまだ半分しか読んでいないのだが既に怒涛の展開です。

  現代人類とチンパンジーが別種として分岐したのは700万年前頃とされていますが、遺伝子の変異の1回の出来事による分岐ではなさそうだ、と言うことがハーバード大学とマサチューセッツ 工科大学の合同チームの研究でわかったらしい。人の染色体は22対の常染色体と1対の性染色体からなることは教科書に出てきますが、人とチンパンジーの常染色体の遺伝子調査ではどの染色体を 選んでも分岐年代はほぼ同じになるのに対して、性染色体の調査では分岐年代はづーっと新しく630万年前頃だそうです。我々外野席から見れば誤差範囲のような気がしますが、進化学的にはかなり 違うようです。

  答えとして合同チームが用意したのは、「人とチンパンジーの祖先は一応分岐はしたが、その後もしばらくは交配があり、そして630万年前頃完全に分岐した」と言う内容でした。 つまり「種」の分化は遺伝子の変化である日突然にスパッと起こるのではなく、遷移期間・移行期間があるらしい。アフリカの霊長類では異種交配は実は特に珍しいことではない、のだそうだ。 その要因は自然環境の変化、人間による環境破壊など、つまり生態系の変化が大きな要因になるそうだ。

  現代人類が「出アフリカ」を決行したのも当時住んでいた北アフリカの大干ばつで人口が2000人にまで減少してしまったことが原因なのだ。そして種を維持する本能でネアンデルタール人と 交配が起きた可能性がある。人類がアリューシャン列島を渡り新世界に移動をしたのも当時住みやすかったシベリア大地の寒冷化が原因。ではオーストロネシア語族の出東アジア→オセアニア 移住の要因は?

  性染色体の遺伝子解析は常染色体の解析とは少し違った展開を見せているそうだ。X染色体の「RRM2P4」と呼ばれる配列部分は大陸ごとに不自然な大きな差異がみられ、差異が生じ始めたのは 200万年前頃のことらしい、この時期はホモエレクトス(旧人)がアフリカから世界に拡がり始めた頃だそうです。アジアでは3万年前頃までホモエレクトスが存在したことが確認されている そうなので、RRM2P4は旧人と我々新人の交配の結果ホモエレクトスから受け継いだ遺伝子ではないかと考える研究者もいるそうです。また40万年前頃に現代人類と分岐したネアンデルタール人が ヨーロッパやアジアに現れたのが30万年前頃で、現生人類がアフリカの大地に生まれたのは25万年前頃だそうです。

  そして我々の祖先は5万年〜10万年前頃に出アフリカを決行し中東から西ヨーロッパに進出し、その結果3万年前頃にはネアンデルタール人を滅ぼしてしまった、のが事実だそうです。 恐らく攻撃性で優位に立っていたからこそ現生人類が生き延び、ネアンデルタール人は絶滅させられたのです。これも「自然選択」?。

12章の後半に入りました、ここは11章の後半と同じ多倍体を論じています。

  植物や動物は一般的に2組の染色体を持っています。それぞれの親から1組づつ受け継いだものです。そして子供にはそのうち1組が受け継がれてゆきます。これが2倍体と呼ばれ人類も 2倍体とされています。ところが異種交配が発生すると子供には両親の全ての染色体が受け継がれ染色体が4組になるときがあります。これを4倍体と呼びます。人類が栽培している穀物類の 多くが4倍体なのです。つまり4組もの染色体を納めるため細胞の核が大きくなり、そのため更に細胞自身も大きくなります。結果2倍体より大きく育ち、栄養も多いのだそうです。

  ところが自然界では4倍体は偶然の産物のため、4倍体の生物が交配したくても同じ種で同じ4倍体と出会う確率はほとんどなく2倍体の相手と交配するしかなくなります。そうすると 子供に受け継がれる染色体は3組になるため3倍体になりますが、次の交配時に3組の染色体を2つに分けることはできたいため「不妊」になるのだそうです。4倍体のスイカと2倍体のスイカを 掛け合わせると3倍体の「種なしスイカ」が出来るのだそうです。人工的に染色体が64本の馬と62本のロバを掛け合わせると63本のラバになりますが、63本を2つに分けられないためラバは 不妊・繁殖できず、1代限りになってしまうのだそうです。

  現生人類の染色体中には、HOX遺伝子群と呼ばれる胎生発生(いつ手が出来ていつ脚ができるかなど順番と時期)において重要な役割を果たす部位があるそうです。「群」と言う通り 染色体上に似たような遺伝子セットが4つもあるのだそうです。しかもウニ・クラゲから人類まで構造も働きもとてもよく似ているのだそうです。つまり長い間の「自然選択」に耐え元の 構造を驚くほど残しているのだそうです。何が問題?かというとうに・クラゲはHOX遺伝子が1つしかないのに人類は4つもある、ということだそうです。しかも発生に関する遺伝子に4セットな ものが意外に多く、発生に関する遺伝子意外の遺伝子にも4セットが見つかり始めているらしい。著名な日本人遺伝学者/大野乾氏の有名な進化論「遺伝子重複進化論=2R仮説」が4セット 現象の合理的な説明をするのだそうです。

  地球最初の生命体の古細菌は数千の遺伝子から成っている、しかしショウジョウバエで1万3600、ウニは2万7千、人類は約2万(ただしウイルス由来の遺伝子は含まず、機能遺伝子の1.5%分 のみで約2万)だそうだ、突然変異と自然選択だけでは生物は複雑にはならない=遺伝子の数は増えない。脊椎動物の進化の歴史の中で大野乾氏は、2回4倍体が生じている、との説を主張された。 これが「2R仮説」

 ・1回目:脊索動物(ホヤなど)⇒初期の魚類への進化時期(約5億1千万年前頃)
 ・2回目:魚類と両生類の分岐時期(約4億2千万年前頃)らしい。

  そして現在、遺伝子解析によって2R仮説の正しさが証明されたのだそうです。この遺伝子重複の原因が「異種交配」だろうと考えられているようです。

  では結局人類は4倍体などの多倍体なのだろうか? 著者の回答は「ほぼ間違いなく多倍体だろう」とのことです。

  ところが更なる本書の展開は...

多倍体化の原因は過去は異種交配だったかもしれないが、現代社会では種々のストレスが大きな要因になることもあり得る、と説明している。

    ・活性酸素による酸化損傷
 ・外傷からの回復時
 ・ウイルス感染
 ・加齢 など。

つまり進化の推進力は病気の原因になることも多い。と注意している。多倍体化は特に癌研究者も注目をしているそうです。
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  後半に入り遺伝子病がクローズアップされてきましたが、カバーする内容が章のタイトルと必ずしも1対1ではなくなってきています。現在読んでいるのは13章のはじめの部分ですが、 進化の推進力の1つ「エピジェネティクス」つまり後成的な制御作用に関して書かれています。このエピジェネティクスを理解するために最も良い例は一卵性双生児の例だそうです。

  一卵性双生児は1つの卵子が分割したため完璧に同じ遺伝子を持つそうです。単純に考えると卵子が2つに分割するとき、片方に偏在する遺伝子があってもおかしくないと思うのですが、 分割した2つの卵子は遺伝学的/医学的に完璧に同じなのだそうです。この前提でもし1組の一卵性双生児に明らかに解るような違いがあるとすると、それは確実に遺伝子意外の要因によるもの、 と考えられるそうです。

  重要なことは「遺伝子そのものは環境の変化に反応して変わることができない」ことだそうです。放射線などを浴びるなどして遺伝子に損傷が起きない限り遺伝子配列は不動なのだそうです。 だからこそ環境によって変化したとすれば、それはエピジェネティクスな作用、と言うことだそうです。しかも遺伝をするのだそうです。植物が春の訪れを知るのはエピジェネティクスの作用、 つまり後成的な要因によるものなのだそうです。(放射線の作用は火傷のようなダメージだけでなく、遺伝子を傷つけてしまうことにもあるのだそうです。今福島で原発の修復作業をされている 作業員の方々の文字通り命を張った頑張りに感謝です。)

  本は更に生物学最大の謎について書き進んでいます。それは「たった一つの受精卵から、どうしてこれほどまでに複雑な植物や動物(そして人類も)が生まれるのか?」です。つまり 「胎生発生の謎」だそうです。

  ひと昔前にラマルクの進化論が見直されている、という記事を見たことがあり、直感的にそりゃそうだろう、と感じたことを今でも覚えていますが、本書を読んでいてそれが 「エピジェネティクス」であることがわかりました。いまや、「突然変異」だけでは進化は説明できないことが明らかになり、エピジェネティクスと呼ばれる後天的な作用で遺伝子が 制御されることが発生・進化に大きな役割を果たしていることがわかってきたようです。本書がはっきりと書き記したのは「獲得形質は遺伝する」と言うことで、証拠がドンドン集まってきており、 遺伝関係の学会で重要な部門になってきた、という現実です。


以上
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11章〜7章

  11章 異種交配の事実

  この章のポイントは異種交配でした。最初に植物のひまわりで確認され、次いで動物ではヒョウモンドクチョウで確認され、異種交配が間違いなく生物で存在することが確認されたそうです。 勿論異種交配の結果の新しい遺伝子は存在にメリットがなければそのまま衰退しやがて滅ぶはずですが、今のところ子孫を残している、と言うことは存在に意味があった、と言うことになります。 異種交配を起こす、と言うことは遺伝子の多様性が増えると言うことです。

  遺伝子の多様性が増えると言うことは、気候など生存条件の大変化があるときに生き残れる種が増える可能性が高まる、と言うことです。

  7万年前頃のアフリカ大地の大干ばつで人類は絶滅寸前の2000人ほどに減少したため出アフリカを決行し中東に逃れ、欧米の研究者はそこで先住者のネアンデルタール人と亜種間交配し、 現代人類の遺伝子の1〜4%はネアンデルタール人由来のものになったと説明しています。この本の11章を読んでいて、当方のこれまでの妄想・推測を部分的に改める必要がある気がしてきました。

  今までY-DNA「D2」の高無精子症性や低精子生成力性、またY-DNA「D」の持つネグリート性はホモサピエンスとホモネアンデルターレンシスの亜種間交配の結果の欠陥、と考えてきたのですが、 ネグリート性に関して逆かもしれないと気がつきました。元々人類は、オーストラロピテクスが現代人から見ればかなり小柄だったように、オリジナルの形態をもっとも残すといわれる (ネアンデルタール人との交配を経験していない)コイサン族、ピグミー族やホッテントット族などが今でも小柄でネグリートであるように、本来小柄だったのではないか、それが中東で 亜種間交配した結果、大柄な遺伝子を持つようになったのではないだろうか? ところがY-DNA「D」は小柄な遺伝子はそのまま維持され、精子生成力の欠陥が他の遺伝子タイプより強く遺伝子に 書き込まれたのではないだろうか?

  ラテン系の女性にも小柄が多いことを見ると地中海系に多いY-DNA「E」も小柄だった可能性が高いですね。つまり中東でのネアンデルタール人との交配の結果「DE」系と「CF」系に 分化したのではないか、という妄想ががぜん働きます。

  前のブログでご紹介したアンダマン諸島人の古い写真の2人は有名なブッシュマンのニカウさんに何となく似ていますが、欧米の研究者はアンダマン諸島人のY-DNA「D*」は出アフリカする前の アフリカ大陸時代の人類に最も近い、と書いている理由がやっとわかってきた気がします。

  古い姿形を残してきたのが我々縄文人のY-DNA「D2」の血統で、小柄で可愛らしい縄文系女性が好まれ選ばれ易いと言う高い「自然選択性」によって縄文人の血統は命脈をつないできたのかも しれません。また高無精子症性や低精子生成力性による、他の遺伝子タイプより低い人口増加性にも関わらず縄文系が今でも日本民族の35%近くを占めている理由は?  当方のこれまでの推測は、 過去は圧倒的な縄文系の土地だった日本列島に弥生系と漢民族系が押し寄せ高い人口増加性で人口比で逆転したと思っていたのですが、どうも逆ではないか!

  某教授の説のように低い人口増加性のために縄文系の人口は少なかったが、低い人口増加性を上回る高い自然選択性によってここまで比率が増えてきたのかもしれません。

  目からうろこの11章読後感でした。
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  8章〜10章 「進化の推進力」は結局5つのファクター

  かなり読みごたえのある内容です。最新の進化論のため100%認められた仮説になっているかどうかはまだちょっと早そうですが、学問として急速に確立しつつあるようです。

「進化の推進力」は結局5つのファクターが現在考えられているそうです。

1) 突然変異
2) 共生発生
3) 異種交配 (文字通り異なる種の交配で起きるい新たな遺伝子の出現)
4) エピジェネティクス (「後天的な作用で遺伝子の発現が制御されること」だそうです。
これらの4つの進化推進力とダーウィンの

5) 「自然選択」との相互作用で
進化は起こるのだそうです。

  特に異種交配は、「カンブリア爆発」と呼ばれる2000万年前〜4000万年前頃の、現在化石が残っている主要な動物の祖先の大半が短期間に出現した現象の謎を解明するのは、 異種交配ではないかと考えられつつあるようです。つまり動植物学に詳しい方なら聞きなれた、異なる「門」間の動物の間で異種交配が起きた可能性があるのだそうです。

  このブログの前のバージョンで触れたことがありますが、現在の動物では例えば馬とロバの異種間交配やライオンとトラの異種間交配の第一世代の子は残念ながら生殖機能が働かず、 第二世代が生まれないため子孫を残せず一代限りで途絶えてしまうことが知られていますが、過去それどころではない「異門」間で交配が起きた可能性があると言われ始めているのです。

  蛇足ですが、当ブログの前バージョンでは、Y-DNA「D2」は無精子症が多いことや精子生成能力の低い理由は、50000年前頃〜60000年前頃の出アフリカ直後の近東でホモサピエンスと ネアンデルタール人の間の亜種間で交配が起こった結果、遺伝子の欠損が生じたのではないかと妄想しましたが、あながち妄想と笑い飛ばす場合ではないような気がしてきています。

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  7章 進化には3つのファクターがあったそうだ。

・自然選択 
  「進化の推進力とは、生物に変化をもたらす力」とのこと。生物が変化し、
  子孫に遺伝をすると初めて進化になるらしい。これは良いことばかりではなく、
  病気を引き起こす原因にもなるそうだです。

・突然変異
  「細胞分裂の際に、DNAのコピーにエラーが生じること」だそうです。
  しかも厄介なことにランダムに起こるそうです。

・共生
  「酸素呼吸細菌が単細胞の真核生物と10億年前頃に融合した」のがミトコンドリ
  ア。今でもmtDNAは細菌と同じ環状です。エネルギー生産を分担しています。
  しかも卵子によってのみ子孫に受け継がれる、と言う特徴があります。
  融合して10億年もたつのに未だに核と一体化しない理由は、「酸素の毒性」に
  ある、つまり活性酸素やフリーラジカルが病気の原因になるからのようです。
  ところが、新しい細胞が生まれ古い細胞と入れ替わり、組織は常に健康を維持
  し続けられますが、その制御に深く関わり合っているとのこと。

  ミトコンドリアは今でも細菌としての性質を10億年も保ち続けているらしい。
  そのためメンデルの法則に従わないミトコンドリア病を引き起こすそうです。
  元々が細菌のため突然変異が起きや易く、エラーが生じ易いことに加え厄介な
  ことに重要なタンパク質の合成に関与しているためさまざまな病気を引き起こ
  す原因になっているそうです。小生がまだ電子顕微鏡の研究者だった若かりし
  時代に筋ジストロフィーのミトコンドリアの構造を見ていましたが、筋細胞中のミ
  トコンドリア内に結晶ができてしまい、筋肉に酸素が供給できなくなるため、
  筋肉の委縮が起きてしまうのですが、当時のことを思い出しました。そう言えば
  当時ミトコンドリアの環状DNAも電子顕微鏡で観察をしていました。懐かしい!

  そして、もう一つ進化でもっと大事なのは「ウイルスとの共生」だそうです。
  先にご紹介した人の遺伝子に組み込まれた内在性レトロウイルスも人の遺伝
  子と融合しているのですが、やはりウイルスとしての性質を維持し続けている
  ため、ミトコンドリア同様さまざまな病気の原因になっているそうです。
  その中で当ブログ「日本民族のガラパゴス性の起源」に関係のありそうな例が
  ありました。男性の不妊症です。

  徳島大学医学部の研究で我が縄文民族の主遺伝子であるY-DNA「D2」は他
  のハプロタイプに比べ男性の無精子症の発症が多く、もしくは精子生成能力
  が劣る、事が解っていますが、男性の不妊症の大きな原因の1つにY染色体
  上の欠損がありますが、雄の生殖器官の機能に内在性レトロウイルスが強く
  関わり合っており、Y染色体が減数分裂し新たなY染色体が出来る際に、先に
  ご紹介したY染色体が持つウイルス由来のHREVの部位で欠損が起こりやす
  いことが解っているそうです。Y-DNA「D2」は残念ながらその欠損が起こる
  確率が高いのでしょう。

  こうしてウイルス由来遺伝子のHREVは何百万年もかけて現代人類の祖先の
  時代から共に進化をしてきたのだそうです。研究者の間ではHREVは統合失調
  症など深刻な精神疾患に関与しているのではないかという見方が拡がっている
  そうです。

  このように紹介するとウイルスは悪いことをしているように感じますが、役に立
  っている作用の方が多いのだそうです。何故なら宿主が弱ってしまうとウイルス
  も困るのだそうです。ところがたまにウイルスの力に負ける人間個体がある、と
  言うのが事実のようです。ウイルスが人類に害を与えずに完全に共生するのは
  もっと時間がかかるのか、あり得ないのか果たして....。
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以上
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13-1. 破壊する創造者  6章〜1章

  6章 現代人の遺伝子の合計46%が過去に感染し共生したウイルスか、ウイルスの残骸

  久しぶりにワクワクするような刺激を受ける本です。翻訳者が優れているためか幸い専門用語が意外に解りやすく書かれているのが助けになります。これが書籍ではなく論文そのものだったら、 難しくて全く理解できないでしょう。

  6章の概要は更に驚くべき内容です。人の遺伝子の3%を占めるDNAトランスポゾン領域ですら過去に感染したDNAウイルスの名残だそうです。つまり現代人の遺伝子の合計46%がなんと過去に 感染したウイルスの共生の結果か、感染したウイルス同士の競争の結果負けたウイルスの残骸なのだそうです。しかもこのトランスポゾンは名前の「トランス」の示すように遺伝子上で位置が 移動できる可動遺伝子なのだそうです。人類本来の遺伝子ではないのでこんな芸当ができるのだそうです。人類ではたった3%ですが、トウモロコシの遺伝子では実に50%がDNAトランスポゾン なのだそうです。

  昨日のブログでご紹介した、合計43%を占めるHERV、LINE、SINEはレトロトランスポゾンとも呼ばれるそうです。つまりRNAウイルスなのです。

  これらのウイルス由来のトランスポゾンはなんと「メンデルの法則」に従いきちんと遺伝をするのだそうです。と言うことは人の遺伝子そのものに既になっている、と言うことになるのだそうです。 つまり人類が進化する過程で人遺伝子に組み込まれたウイルス由来遺伝子も一緒に進化を遂げてきた、ということらしいのです。しかしウイルスが果たしてきた役割はまだ現在の遺伝学や生理学では 解明できていないそうです。このウイルスの生物の遺伝子との共生行為を「入植」と呼ぶのだそうです。このウイルスとの融合の大部分は1000万年前にまでに起こっているのだそうですが、 AIDSのような極く最近発生した例もあり、感染時には必ず死に至る個体が発生し、生き残った個体中では共生状態になるのだそうです。

  現在の進化論はダーウィンの進化論を発展させ、「自然選択」+「突然変異」+「共生」なのだそうです。この場合の「共生」は約10億年前頃に起こったエネルギー生産細菌が原生生物と共生し ミトコンドリアや葉緑体になったことではなく、生物と共生することで存在できるウイルスとの共生のことだそうです。

  ウイルスとは、蛋白質という殻に囲まれた感染能力のある遺伝子体のことですが、どうやら成り立ち自身が単独で生きるものではなく、他の大きな生物体に共生し、あるいは遺伝子を乗っ取って 生きる存在、なのだそうです。その強い作用のため感染時には宿主となる他の生物体に大きなダメージを与え時には死に至らしめますがその時はウイルスも死にますが、運よく生き残った強い生物体 とは共生関係になり遺伝子に入り込み、その種が続く限りウイルスも生き残れるのだそうです。

  つまりウイルス感染で宿主が死滅することは、ウイルスにとっては本意ではないのだそうです。ウイルス自身が生き残るためには宿主に生き残ってもらわなければならないのですと。う〜〜ん、 厄介な存在ですね。
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  始め〜5章 人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%

  今日、進化論に関する新しい書籍を購入しました。タイトルは「破壊する創造者」です、まだ序文を読んでいるところです。

  このブログを始めた時の疑問は、
・Y-DNA、mtDNAは亜型(ハプロタイプ)に分化する必要・必然性があったのか?
・ホモ属はアフリカの中でホモサピエンスに進化をしたのか?
  それとも出アフリカをしたことでホモサピエンスになれたのか?
・アフリカに留まったY-DNA「A」コイサン族やY-DNA「B」ピグミー族などは現代まで同じ経過時間
  あったにもかかわらず狩猟採集のままで、何故出アフリカした人類と同じ変化をしなかったのか?
  もしくはできなかったのか?
・ダーウィンの進化論の真髄である「自然選択」と「突然変異」は何故コイサン族やピグミー族に
  働かなかったのか? 
  それとも今の彼らの姿が働いた結果であって、文明化は進化とは関係ないのだろうか?
・となるとコイサン族やピグミー族は本当にホモサピエンスなのか?現代型のホモエレクトスのまま
  なのではないか?出アフリカしネアンデルタール人と交配分化したY-DNA「C」以降だけが
  ホモサピエンスなのではないのか?


  もともと分子生物学を専攻した身にとって疑問はいっぱいあり、まだ納得できないことだらけです。しかし異なるハプロタイプが1つの遺伝子型にさかのぼることは、先ず間違いないでしょう。 そうなると理由はともかく結果の分析のほうが優先です。それでこのブログを始めました。

  しかし結果を素直に解釈するためには邪念・妄想を捨てて頭をリラックスさせることが必要なので、ダーウィン以来の進歩した最新の進化論を読んで、ハプロタイプの分化の理由が 多少納得できれば....と言う次第です。

  生物進化学の最も新しい学説を書いた「破壊する創造者」をやっと読み初めたころ、東北関東大震災が発生しあまりの惨状に当ブログもお休みし、読書もお休みしていました。 大震災の大惨状に原発大問題が加わり、更に三陸沿岸に立地していた原材料・部品工場が軒並み壊滅で、世界を巻き込んだ部品欠品問題まで発生し、日本のみの問題では済まなくなってきました。 改めてガラパゴス日本民族の世界に占める存在感を実感させられています。

  小生は終戦直後の生まれのため、戦争そのものは知りませんが、子供のころの貧しさから世界経済・科学の牽引国家にのし上がった日本民族を見てきました。極く近い将来復興し、 再度世界を牽引できると信じています。日本民族はだてにガラパゴスではないんです。定年後の身ですがなんとか頑張らねば!

  現状は悪化する一途ですが、自粛ばかりでは日本の復興が遅れるのも事実です。という訳で報道番組の視聴漬けを自粛し、読書を再開しやっと5章(全15章)まできました。 ここまでの内容をかいつまんで報告します。大学時代いわゆる分子生物学のはしりのようなものを専攻しましたが、その後40年間の間に分子生物関連の学問は大きく進歩し、 ついこのあいだ人間の遺伝子配列が全て解読されました。これはノーベル賞級の画期的なことなのですが、研究者と興味がある者以外には全く話題になっていません。その理由が本書にも書いてあります。

  要するに生命体としての遺伝子構造が全て解読されたからと言っても、思考・感情を持つ生身の人間のことは全く解読されていないのです。何故人間はここまで進化したのか、 なぜ人種があるのか、何故戦争するのか、何故喜び、憎むなど「感情」を持つのか、どうして一人ひとり行動が違うのか?..... 人間が人間として存在している理由が何も解析できていないからだそうです。その大きな理由が人遺伝子の構造解析の結果の呆れた事実にも起因するのだそうです。


  なんと人間の体を構築するたんぱく質などの情報をつかさどるのは遺伝子のたった1.5%(機能遺伝子)でしかない....という信じられない事実。 じゃぁあとの98.5%は何のために存在するのか?

・HREV 9% 人間が過去に感染したウイルスの名残で、人内在性レトロウイルスだそうです。
・LINE 21% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・SINE 13% 人間と過去から共生してきたウイルスらしい。
・DNAトランスポゾン 5章までではまだ説明されていません。
・不明   52.5%  5章までではまだ説明されていません。

  これって何?43%がウイルス由来の遺伝子?人間の遺伝子のはずなのにウイルス由来の遺伝子の方がはるかに多いとは本当? 人類はウイルス遺伝子の固まりってこと?  にわかに納得はできませんが結果と言う事実は上記のとおりだそうです。しかし、由来は推測出来ても、何故?何のために?どうやって?....などまだクリアにはなっていないようですが、 ともかく43%の部分は明らかにウイルスの遺伝子と同じなのだそうです。

  細胞でエネルギーを生産するミトコンドリア(植物では葉緑体)は古代に寄生した細菌が生体と共存し共生した結果ということは既に小生が学生のころから言われており、 今では生物学の常識になっているので、「共生」という言葉自体は理解できますが、何故ウイルスなの?

  さらに人間の遺伝子の半分以上が”役割不明”だそうです。恐らくこの「不明」は生物体としての構造を作るところではないのではないでしょうか!人間は他の生物に比べ、 感情/思考/行動/運動能力など全てが複雑怪奇ですが、そういうよくわからないものをつかさどるところが「不明」領域だったら面白いですね。 ここはもう分子遺伝学者の領域ではないような気がします。

5章までのストーリーは、

・生物とレトロウイルスやウイルスは共生し進化を遂げてきた。
・人間も例外ではなく、遺伝子構造解析の結果が証明した。
というところです。

  ちなみに「レトロウイルス」とは、レトロな古〜いウイルス、という意味ではなく、DNA(核酸)ではなくRNA(リボ核酸)を遺伝子として持ち、生物体に入り込むと 「逆転写酵素」を使いDNAを生成し、共生先の生物の核に、自身の遺伝情報を埋め込むのですが、その「逆」を「rettro=レトロ」と言うのだそうです。レトロウイルスが感染した生物は 当初はダメージを受けかなりの個体が死に至りますが、レトロウイルスと共生に成功した個体が生き残り、繁栄するのだそうです。現在最も話題になっているのはオーストラリア大陸東海岸での コアラに対する齧(げっ)歯類由来のコアラレトロウイルスの感染例だそうです。

  人間ではHIV-1型と呼ばれるレトロウイルス感染つまりAIDSが最も最近の例だそうです。当初は死に至る個体が多数発生しますが、いづれ共生状態になるだろう、と考えられているようです。 あまりうれしくはないですが...。

  日本人ではウイルス学者の日沼頼夫先生が成人T細胞白血病(ATL)の原因はレトロウイルスHTLV-1と突き止めた事は有名です。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm#1

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


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進化に対する内在性レトロウイルスの働きがわかりつつある!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm


  当ガラパゴス史観が参考本としている最新進化学の「破壊する創造者」の骨子は「内在性レトロウイルス」が進化の要因でもあった、というものです。 興味のある方は当ホームページの記事13-1.を読んでください。

  Nature Japanの日本語版に京都大学の論文が掲載され、太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!という非常に興味深い内容でした。 このことはレトロウイルスが種の違い・進化の要因になっていることを示しています。  「破壊する創造者」の伝える最新進化学はここ日本でも進められていたのです。

  Nature Japanの9月12日の特集記事をご紹介します。
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  太古に感染したレトロウイルスが、胎盤の多様性の原動力だった!

  2013年9月12日

  京都大学 ウイルス研究所 細胞生物学部門
  宮沢孝幸 准教授

  哺乳類の胎児の多くは、胎盤によって育まれる。胎盤は、母親と胎児の両方の組織からなり、子宮内で胎児を支える役目を担うほか、互いの血液を混合させることなく栄養、 ホルモン、ガスなどを交換するという、極めて重要な機能を果たす。一方で、胎盤の形状や構造は動物種によって大きく異なり、その違いがどのようにしてもたらされたのかは、 謎のままにある。このほど、京都大学 ウイルス研究所の宮沢 孝幸 准教授らは、ウシの胎盤に見られる現象に着目し、胎盤の進化にレトロウイルスが関与していたことを突き止めた。

  ウシ科の動物は、ウシ亜科、ヤギ亜科、インパラ亜科など、7つに分けられる。いずれの亜科も約100個の小さな胎盤節からなる「多胎盤」を形成するが、その際、ウシ亜科とヤギ亜科だけに 「胎児側の細胞と母体側の細胞が融合する特殊な現象」が見られるという。こうした母子細胞の融合はかなり以前から知られていたが、分子メカニズムは分かっていなかった。

  BERV-K1由来のFematrin-1による、ウシ三核細胞の形成過程

  宮沢准教授は、学部生時代にレトロウイルスの研究を始め、その過程で「ヒト内在性レトロウイルス」がレトロトランスポゾンとして機能し、胎盤で発現していることを知ったという。 内在性レトロウイルスとは、太古に感染したレトロウイルスが「感染先の動物(宿主)の生殖細胞」に入り込み、ゲノムの一部と化したDNA配列を指す。一方のトランスポゾンは、 ゲノム中において、自身のDNAの一部から転写されたRNA配列を逆転写してDNAに戻し、それを別の領域に挿入する転移因子の総称だ。「はるか昔に人類に感染したレトロウイルスの 遺伝子がヒトゲノムに取り込まれ、遺伝子として胎盤で何らかの機能を持つようになったのではないか。当時から、そんなふうに考えていました」と宮沢准教授。

  「その後、内在性レトロウイルスと胎盤との関係を調べてみたいと思いつつ、ずいぶん時間が経ってしまいました」。そう話す宮沢准教授はイリギス留学などを経て、 2005年に現職に就いたのを機に「内在性レトロウイルスが、ウシの胎盤でみられる母子の細胞融合と関与するのではないか」との仮説を立て、本格的な研究に乗り出した。

  まず、ウシの内在性レトロウイルス(BERV-K1)が、ウシの胎盤や栄養膜細胞を株化した細胞において発現していることを確かめた。そのうえで、BERV-K1遺伝子の一部が、 胎盤の栄養膜にある特定の細胞(二核細胞と三核細胞)にだけに発現していることを、複数の手法を用いて突き止めた。栄養膜の二核細胞は胎児側の細胞で、この細胞が母体側の 子宮内膜細胞と1対1で融合すると三核細胞(TNC)になるという。

  「次に、細胞融合能を持たないモデル細胞(アフリカミドリザル由来のCOS細胞)に、BERV-K1のエンベロープタンパク質を強制発現させ、ウシの子宮内膜細胞と共培養してみました。 BERV-K1が母子細胞融合の鍵を握るとしたら、エンベロープタンパク質が機能することで、細胞どうしが融合すると考えたからです」と宮沢准教授。

  エンベロープタンパク質とは、ウイルスの膜(殻)に刺さっているタンパク質のこと。このタンパク質が宿主細胞の膜にある受容体と結合すると、ウイルスと宿主の細胞膜が融合し、 ウイルスゲノムが宿主細胞内に入れるようになる。宿主細胞内ではウイルスのゲノムやタンパク質が大量にコピーされ、ひとそろいが宿主細胞の膜をかぶって飛び出すと、 子ウイルスの誕生(すなわち、感染の成立)となる。

  実験結果は、宮沢准教授の予想どおりだった。細胞どうしが1対1で接触し、接触点において互いの細胞膜が融合。2つの核を持つ、単一の細胞へと変化したのだ。 「融合過程を観察するだけでなく、融合活性の定量的な判定も行いました。そして、BERV-K1のエンベロープタンパク質が細胞融合の鍵であるとの結論に至り、 このタンパク質をFematrin-1と命名しました」と宮沢准教授。

  さらに、宮沢准教授らは、ウシのBERV-K1がFAT2という遺伝子のイントロンに入り込んでいることも突き止め、同じようにBERV-K1をFAT2のイントロン内に持つ亜科がいるかどうかを調べた。 「ウシ亜科のみに見られ、ヤギやヒツジなどのヤギ亜科には見られませんでした。2つの亜科は約2000万年前に分かれたことがわかっているので、その直後に、BERV-K1がウシ亜科に感染して 入り込んだと推測できます」。

  一連の結果は、BERV-K1の感染が、ウシ亜科とヤギ亜科に胎盤の違いをもたらす大きな原動力になったことを示唆している。「おそらく、大昔に感染したレトロウイルスの種類が、 動物種の胎盤の違いをもたらしてきたのでしょう」。そう話す宮沢准教授は、遺伝子がレトロウイルスによって他の動物種に伝わることがあるのか、あるとしたらどのようなメカニズムに よるのかといったことも検討し、生命進化とウイルスとの関わりを解き明かすべく、努力を続けている。

  西村尚子
  サイエンスライター
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  当ガラパゴス史観を構築するための3要素は表紙に書きましたが、

  ●Globalで報告されているY-DNA、mtDNAの国別,民族別,部族別の頻度調査データ解析結果、
  ●最新の進化学で報告されている「進化」の知見、
    「進化」は、推進力となる4つのファクター
     (1) 突然変異、
     (2) 共生(内在性レトロウイルスとの)、
     (3) 異種交配、そして
     (4) エピジェネティクス(後天的獲得形質)と、
    ダーウィンの
     (5) 自然選択
    との相互作用で起る、と説明されている。
  ●分子生物学研究者時代に実験データ解析の手法として身に付けたデータマイニング手法

  以上の解析結果・知見・手法の3要素である。

  当ガラパゴス史観の構築した、現代人つまりホモ・サピエンス・サピエンスの進化は、

  ・収縮しつつあった森林の、樹上での縄張り争いに負けて樹上から追い出されたか、もしくは草原で狩りをする捕食者達に触発され食糧確保のため自発的に樹から降りたか、もしくは両方か、 ともかく草原に降り立ったこと。

  ・木の実食から肉食に変わり、脳が大きく進化したこと。

  ・サハラの砂漠化により2000人程度の絶滅危惧種となり、先輩人類(原人、旧人達)と同様出アフリカを決行したこと。

  ・出アフリカ後の中東〜インド亜大陸で未知のレトロウイルスに感染したことや、旧人との亜種間交配で遺伝子の一部や旧人が感染していた内在性レトロウイルスも受け継いだことが、 Y-DNAとmtDNAの分化を引き起こしたこと。

  ・行く先々で土地々々の新しいレトロウイルスに感染したこと。

  が遺伝子分化を引き起こし、アフリカに留まった非出アフリカ人とは全く異なる進化をたどり、近代・現代文化を構築するまでに至った、というものです。」

  出アフリカに加わらなかった他のホモ・サピエンス・サピエンス(Y-DNA「A」と「B」及び「L3」以外のmtDNA「L」)はアフリカの草原地帯や森林地多で狩猟採集段階でそれ以上の進化を止め、 原始状態にとどまり今に至っています。

  後代、出アフリカからアフリカに出戻ったY-DNA「E」が「A」や「B」と交配したおかげで、「E」と共存した「A」と「B」は「E」と同じ段階に進みましたが、その「E」もアフリカに戻ったことで それ以上の進化を止めてしまいました。

  Y-DNA「E」で地中海北岸に進みY-DNA「I」、「J」「R」などと交配し一体化した集団のみが文明化し近代・現代文化の恩恵を受けています。

  古代遺伝子Y-DNA「E」はアフリカ草原地帯の原始の狩猟採集から最先端の現代文化まで最も幅広い変異幅を持つ遺伝子なのです。

  Y-DNA「E」が戻りアフリカ後それ以上の進化をしなかった理由は、故地に戻ったため新しいレトロウイルスに出会わなかったことにある、と考えられます。熱いことも理由のひとつでしょうが。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-25.htm


http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/660.html#c10

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
186. 中川隆[-13770] koaQ7Jey 2018年12月12日 06:52:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21991]

秘湯の一軒宿「日帰り温泉に勝てず」相次ぎ閉館
12/11(火) 23:02配信 読売新聞

10月末で閉館した馬追温泉旅館。利用者に感謝を伝える貼り紙が掲示されていた


 温泉ブームで都市近郊の入浴施設がにぎわう中、温泉通や地元住民などに親しまれてきた秘湯の一軒宿などが、今年相次いで閉館した。施設の老朽化や後継者難などが理由で、温泉愛好家らからは惜しむ声が上がっている。

 今年閉館したのは、いずれも100年以上の歴史を誇る「馬追温泉旅館」(北海道長沼町)や、蟠渓(ばんけい)温泉の「伊藤旅館ひかり温泉」(壮瞥町)、ニセコ昆布温泉郷の「鯉川(こいかわ)温泉」(蘭越町)など、少なくとも5軒に上る。

 馬追温泉は1908年創業の一軒宿。10月31日に4代110年続いた歴史に幕を閉じた。開湯以来、約800メートル離れた岩の間から湧き出す冷泉(単純硫黄泉)を旅館まで引き、沸かして提供していた。春にはエゾヤマザクラが咲き誇り、札幌から車で約1時間という近さもあって多くの温泉ファンに愛されてきた。

 9月の北海道地震で特に被害はなかったが、60年代に建てられた建物や施設が老朽化し、後継者もいないことから、飲食店営業許可の期限が切れる10月末のタイミングでの閉館を決めたという。

 道内の2016年度の温泉宿利用者数は全国トップの1315万人で、5年前から2割も増えるなど、「温泉熱」は高まる一方だ。札幌市の豊平峡温泉が大手の旅行サイトのランキングで1位に輝いたほか、ススキノや狸小路の入浴施設が連日にぎわいをみせている。

 「近くに大きな日帰り入浴施設がいくつもできて、とても太刀打ちできない」と、馬追温泉旅館の元女将、新納博子さん(58)は打ち明ける。ただ、施設の買い取り希望を数件受けているといい、「どなたかが再開してくれれば」と期待する。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c186

[リバイバル3] 北海道の温泉に行こう 中川隆
38. 中川隆[-13769] koaQ7Jey 2018年12月12日 06:52:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21991]


秘湯の一軒宿「日帰り温泉に勝てず」相次ぎ閉館
12/11(火) 23:02配信 読売新聞

10月末で閉館した馬追温泉旅館。利用者に感謝を伝える貼り紙が掲示されていた


 温泉ブームで都市近郊の入浴施設がにぎわう中、温泉通や地元住民などに親しまれてきた秘湯の一軒宿などが、今年相次いで閉館した。施設の老朽化や後継者難などが理由で、温泉愛好家らからは惜しむ声が上がっている。

 今年閉館したのは、いずれも100年以上の歴史を誇る「馬追温泉旅館」(北海道長沼町)や、蟠渓(ばんけい)温泉の「伊藤旅館ひかり温泉」(壮瞥町)、ニセコ昆布温泉郷の「鯉川(こいかわ)温泉」(蘭越町)など、少なくとも5軒に上る。

 馬追温泉は1908年創業の一軒宿。10月31日に4代110年続いた歴史に幕を閉じた。開湯以来、約800メートル離れた岩の間から湧き出す冷泉(単純硫黄泉)を旅館まで引き、沸かして提供していた。春にはエゾヤマザクラが咲き誇り、札幌から車で約1時間という近さもあって多くの温泉ファンに愛されてきた。

 9月の北海道地震で特に被害はなかったが、60年代に建てられた建物や施設が老朽化し、後継者もいないことから、飲食店営業許可の期限が切れる10月末のタイミングでの閉館を決めたという。

 道内の2016年度の温泉宿利用者数は全国トップの1315万人で、5年前から2割も増えるなど、「温泉熱」は高まる一方だ。札幌市の豊平峡温泉が大手の旅行サイトのランキングで1位に輝いたほか、ススキノや狸小路の入浴施設が連日にぎわいをみせている。

 「近くに大きな日帰り入浴施設がいくつもできて、とても太刀打ちできない」と、馬追温泉旅館の元女将、新納博子さん(58)は打ち明ける。ただ、施設の買い取り希望を数件受けているといい、「どなたかが再開してくれれば」と期待する。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/561.html#c38

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
8. 中川隆[-13768] koaQ7Jey 2018年12月12日 06:56:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21991]

橘玲の世界投資見聞録 2018年10月19日
今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている
[橘玲の世界投資見聞録]
http://diamond.jp/articles/-/182802

 30億ドル(約3300億円)の予算をかけたヒトゲノム計画が完了してわずか十数年で、全ゲノム解析のテクノロジーは驚くべき進歩をとげ、いまでは誰でもわずか数万円で自分のDNAを調べられるようになった。

 さらに近年、遺跡などから発掘された遺骨からDNAを解析する技術が急速に進歩し、歴史時代はもちろん、サピエンスが他の人類と分岐する以前の古代人の骨の欠片からDNAを読み取ることもできるようになった。この「古代DNA革命」によって、従来の遺跡調査からはわからなかった人類の移動や交雑の様子が明らかになり、古代史・歴史の常識が次々と覆されている。

 デイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4140817518/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4140817518&linkCode=as2&tag=mailmagazin0e-22


は、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともに、この「古代DNA革命」を牽引する現役の遺伝学者が学問の最先端を一般向けに紹介した刺激的な本だ。

 詳細は本を読んでいただくとして、ここではそのなかから興味深い知見をいくつか紹介したい。とはいえ、その前に用語について若干断っておく必要がある。

 日常的に「人類」と「ヒト」を区別することはないが、人類学では両者は異なる意味で使われる。「ヒト」は現生人類(ホモ・サピエンス)のことで、「人類」はヒト族のみならず化石人類(アウストラロピクテス属など)を含むより広義の分類だ(専門用語ではホモ属=ホミニンhomininという)。ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリに倣って現生人類を「サピエンス」とし、ネアンデルタール人やデニソワ人など絶滅した古代人を含むホモ属の集合を「人類」とする。

 本書でいう「交雑」とは、人類のなかの異なる集団(サピエンスとネアンデルタール人)や、サピエンスのなかの異なる集団(アフリカ系とヨーロッパ系)のDNAが混じりあうことだ。これは一般に「混血」とされるが、血が混じり合うわけではないから、科学的には明らかに誤っている。そのため「交配」が使われたりしたが、これはもともと品種改良のことで優生学的な含みがあるため、消去法で「交雑」に落ち着いたのだろう。

 そうはいっても、「交雑」には「純血種をかけあわせたら雑種になる」というニュアンスがあり、「彼らは混血だ」というのと、「彼らは交雑だ」というのではどちらがPC(政治的に正しい)かというやっかいな問題は避けられないだろう。しかし私に代案があるわけでもなく、将来、よりPCな用語が定着するまで、本稿でもサピエンス内の集団の性的交わりを含め「交雑」とする。

 これまで何度か書いたが、「原住民」と「先住民」では漢語として明確なちがいがある。「原住民」は「かつて住んでいて、現在も生活している集団」で、「先住民」は「かつて住んでいて、現在は絶滅している集団」のことだ。日本では「原住民」が一部で差別語と見なされているが、ここでは漢語本来に意味にのっとり、「アメリカ原住民」「オーストラリア原住民」として「(絶滅した)先住民」と区別する。

全ゲノム解析によりホモ・サピエンスのアフリカ起源説が揺らいできた

 進化の歴史のなかでは、ホモ・サピエンス(現生人類)にはさまざまな祖先や同類がいた。ラミダス猿人やホモ・ハビルス、北京原人やネアンデルタール人などの化石人類を含めた人類(ホモ族)は、700万〜600万年前にアフリカのどこかでチンパンジーとの共通祖先から分かれた。

 これについては大きな異論はない(あまりに遠い過去で証明のしようがない)が、その後の人類の歴史については、多地域進化説とアフリカ起源説が対立した。

 多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの異なる地域で並行的にサピエンスに進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、サピエンスの祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラリア大陸に広がっていった。

 1980年代後半、遺伝学者が多様な民族のミトコンドリアDNAを解析して母系を辿り、すべてのサンプルがアフリカにいた1人の女性から分岐していることを明らかにした。これがミトコンドリア・イブで、約16万年(±4万年)に生存したとされる。この発見によってアフリカ起源説に軍配が上がったのだが、これはサピエンスが10〜20万年前のアフリカで誕生したということではない。

 ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万〜55万年前へと大きく遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなったのだ。

 そうなると、(最長)77万年前からミトコンドリア・イブがいた16万年前までの約60万年が空白になる。これまでの通説では、その間もサピエンスはずっとアフリカで暮らしていたということになるだろう。

 ところがその後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約33万〜30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。“最古のサピエンス”はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは1960年代で、近年の再鑑定で約30万年前のものと評価された)。

 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ」を果たしたとされていた。だが30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。

遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」がある

 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。

 この2つの系統は、ネアンデルタール人のDNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。

 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5〜2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。

 その後も、単純な「出アフリカ説」では説明の難しい人類学上の重要な発見が相次いだ。

 2008年、ロシア・アルタイ地方のデ二ソワ地方の洞窟で、約4万1000年前に住んでいたとされるヒト族の骨の断片が見つかった。サピエンスともネアンデルタール人とも異なるこの人類は「デニソワ人」と名づけられたが、DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行なわれたいたことがわかった。――ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

 さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。

 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万〜55万年前)よりもさらに古い140万〜90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。

 約5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。

 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万〜38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万〜55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。

 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。


サピエンスはなぜ他の人類を絶滅させるまでになったのか

 従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。だがなぜ、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか? ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるのではないか。

 ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらにサピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐していったのではないかと考える。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。だとしたら、サピエンスはどこにいたのか。

 ライクの説によると、サピエンスは脆弱な人類で、ネアンデルタール人に圧迫されて中東の一部に押し込められていた。その後、ネアンデルタール人がさらに中東まで進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これが、モロッコでサピエンスの痕跡が発見された理由だ。

 ところが5万年ほど前に、そのサピエンスが「出アフリカ」を敢行し、こんどはネアンデルタール人やデニソワ人などを「絶滅」させながらユーラシアじゅうに広がっていく。このときネアンデルタール人は中東におり、サピエンスと交雑した。このように考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多数見つかるのは、サピエンスと遭遇したのち、彼らがユーラシア大陸の西の端に追い詰められていったからだろう。

 中東でネアンデルタール人と交雑したサピエンスの一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑した。その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

 ところで、ネアンデルタール人に圧迫されて逃げまどっていた脆弱なサピエンスは、なぜ5万年前には、他の人類を絶滅させるまでになったか。これについては遺伝学者のライクはなにも述べていないが、ひとつの仮説として、アフリカに逃げ延びた30万年前から「出アフリカ」の5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高度なコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人など他の人類を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑していったのかもしれない。

馬を手にしたヤムナヤの遊牧民がヨーロッパに移動した

 ライクは『交雑する人類』で、DNA分析からヨーロッパ、南アジア、東アジア、アメリカ原住民、オーストラリア原住民、アフリカなどでどのようにサピエンスが移動し、交雑していったのかを説明している。ここではそのなかで、ヨーロッパとインドについて紹介しよう。

 1万年前、中東の肥沃な三日月地帯で農耕が始まると、新たなテクノロジーを手にしたひとびとは農耕可能な土地を求めて東西に移住していった。しかしなかには農耕に適さない森林地帯や草原地帯(ステップ)もあり、そこには依然として狩猟採集民がいた。農耕民と狩猟採集民は、時に交易し、時に殺し合いながら暮らしていた。そうした集団のなかには、今日、DNAにしか痕跡を残さない者もおり、ライクはそれを「ゴースト集団」と呼ぶ。

 遺伝学的には、8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は青い目に濃い色の肌、黒っぽい髪という、いまでは珍しい組み合わせの風貌だったと推定されている。ヨーロッパの最初の農耕民のほとんどは、肌の色は明るかったが髪は暗い色で茶色の目をしていた。典型的なヨーロッパ人の金髪をもたらした変異の最古の例として知られているのは、シベリア東部のバイカル湖地帯でみつかった1万7000年前の古代北ユーラシア人(ゴースト集団)だ。

 ヨーロッパの東には中央ヨーロッパから中国へと約8000キロにわたって延びる広大なステップ地帯があったが、5000年ほど前にそこで馬と車輪というイノベーションが起きた。この最初の遊牧民の文化を「ヤムナヤ」と呼ぶ。

 馬という高速移動手段を手にしたヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を繰り返した。このうち西に向かった遊牧民が現在のヨーロッパ人の祖先だ。

 ここでライクが強調するのは、遊牧民がヨーロッパの農耕民と交雑したわけではないということだ。DNA解析によれば、彼らは定住民とほぼかんぜんに置き換わってしまったのだ。

 遊牧民が定住民の村を襲ったのだとすれば、男を殺して女を犯して交雑が起きるはずだ。その痕跡がないということは、遊牧民がやってきたときには定住民はいなかった、ということになる。そんなことがあるのだろうか。

 ここでの大胆な仮説は病原菌だ。ペストはもとはステップ地帯の風土病とされているが、遊牧民が移住とともにこの病原菌を運んできたとしたら、免疫のない定住民はたちまち死に絶えてしまったはずだ。こうして交雑なしに集団が入れ替わったのではないだろうか。

 15世紀にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、銃だけでなく病原菌によってアメリカ原住民は甚大な被害を受けた。興味深いことに、それとまったく同じことが5000年前のヨーロッパでも起き、「原ヨーロッパ人」は絶滅していたかもしれないのだ。

西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源を持つ同祖集団

 馬と車輪を手にしたステップの遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになる。

 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になってきた。

 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。

 だがこれが事実だとすると、インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、それは外部世界からの侵略ではないと主張するようになった。

 現代インド人のDNA解析は、この論争に決着をつけた。

 インド人のDNAを調べると、アーリアに由来する北インド系と、インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された4000年〜3000年前に大規模な交雑があり、Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。

 近年のヒンドゥー原理主義は、カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。この仮説もDNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、2000〜3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。

 西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じステップ地方の遊牧民「ヤムナヤ」に起源をもつ同祖集団で、だからこそ同系統のインド=ヨーロッパ語を話す。それに加えてライクは、バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがあることを示唆している。

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ゲノム解析では「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」はグループ分けできる

『交雑する人類』にはこれ以外にも興味深い仮説がたくさん出てくるのだが、それは本を読んでいただくとして、最後に人種問題との関係についてライクの見解を紹介しておきたい。

 ここまでの説明でわかるように、DNA解析は歴史を再現するきわめて強力な手段だ。それがサピエンスとネアンデルタール人の交雑であれば科学的な興味で済むだろうが、現代人の異なる集団の交雑を検証する場合、北インド人と南インド人のケースでみたように、きわめてセンシティブな領域に踏み込むことになる。一歩まちがえば「人種主義(レイシズム)」として批判されかねないのだ。

 ライクはリベラルな遺伝学者で、この重い問いに誠実にこたえようとする。その一方で、科学者として耳触りのいい「きれいごと」でお茶を濁すこともできない。

 リベラル(左派)の知識人は、「人種は社会的な構築物だ」とか、「人種などというものはない」と好んでいいたがる。だが2002年、遺伝学者のグループがゲノム解析によって世界中の集団サンプルを分析し、それが一般的な人種カテゴリー、すなわち「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」と強い関係のあるクラスターにグループ分けできることを立証した。これはもちろん、「人種によってひとを区別(差別)できる」ということではないが、人種(遺伝人類学では「系統」という用語が使われる)のちがいに遺伝的な根拠があることをもはや否定することはできない。

 このことは、もっとも論争の的となる人種と知能の問題でも同じだ。

 ヨーロッパ人系統の40万人以上のゲノムをさまざまな病気との関連で調査した結果から、遺伝学者のグループが就学年数に関する情報だけを抽出した。その後、家庭の経済状況などのさまざまなちがいを調整したうえで、ゲノム解析によって、就学年数の少ない個人より多い個人の方に圧倒的によく見られる74の遺伝的変異が特定された。

 これも遺伝によって頭のよさ(就学年数の長さ)が決まっているということではないが、「遺伝学には就学年数を予測する力があり、それはけっして些細なものではない」とライクはいう。予測値がもっとも高いほうから5%のひとが12年の教育機関を完了する見込みは96%なのに対して、もっとも低いほうから5%のひとは37%なのだ。

 こうした(リベラル派にとって)不都合な研究結果を紹介したうえで、ライクは、「実質的な差異の可能性を否定する人々が、弁明の余地のない立場に自らを追い込んでいる」のではないかと危惧する。私なりに翻案すれば、「扉の陰にいるのは黒いネコであるべきだし、黒いネコに間違いないし、いっさい異論は許さない」と頑強に主張しているときに、白いネコが出てきたらいったいどうなるのか、ということだ。「そうした立場は、科学の猛攻撃に遭えばひとたまりもないだろう」とライクはいう。

 これは「古代DNA革命」の第一線の研究者として、新しいテクノロジーのとてつもないパワーを知り尽くしている者だけがいうことができるきわめて重い発言だ。門外漢の私はこれについて論評する立場にないので、最後にライクの警告を引用しておきたい。

「認知や行動の特性の大半については、まだ説得力のある研究ができるだけの試料数が得られていないが、研究のためのテクノロジーはある。好むと好まざるとにかかわらず、世界のどこかで、質のよい研究が実施される日が来るだろうし、いったん実施されれば、発見される遺伝学的なつながりを否定することはできないだろう。そうした研究が発表されたとき、わたしたちは正面から向き合い、責任を持って対処しなければならない。きっと驚くような結果も含まれているだろう」

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c8

[環境・自然・天文板6] [特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は… お天道様はお見通し
11. 中川隆[-13767] koaQ7Jey 2018年12月12日 06:57:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21991]

橘玲の世界投資見聞録 2018年10月19日
今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている
[橘玲の世界投資見聞録]
http://diamond.jp/articles/-/182802

 30億ドル(約3300億円)の予算をかけたヒトゲノム計画が完了してわずか十数年で、全ゲノム解析のテクノロジーは驚くべき進歩をとげ、いまでは誰でもわずか数万円で自分のDNAを調べられるようになった。

 さらに近年、遺跡などから発掘された遺骨からDNAを解析する技術が急速に進歩し、歴史時代はもちろん、サピエンスが他の人類と分岐する以前の古代人の骨の欠片からDNAを読み取ることもできるようになった。この「古代DNA革命」によって、従来の遺跡調査からはわからなかった人類の移動や交雑の様子が明らかになり、古代史・歴史の常識が次々と覆されている。

 デイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4140817518/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4140817518&linkCode=as2&tag=mailmagazin0e-22


は、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともに、この「古代DNA革命」を牽引する現役の遺伝学者が学問の最先端を一般向けに紹介した刺激的な本だ。

 詳細は本を読んでいただくとして、ここではそのなかから興味深い知見をいくつか紹介したい。とはいえ、その前に用語について若干断っておく必要がある。

 日常的に「人類」と「ヒト」を区別することはないが、人類学では両者は異なる意味で使われる。「ヒト」は現生人類(ホモ・サピエンス)のことで、「人類」はヒト族のみならず化石人類(アウストラロピクテス属など)を含むより広義の分類だ(専門用語ではホモ属=ホミニンhomininという)。ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリに倣って現生人類を「サピエンス」とし、ネアンデルタール人やデニソワ人など絶滅した古代人を含むホモ属の集合を「人類」とする。

 本書でいう「交雑」とは、人類のなかの異なる集団(サピエンスとネアンデルタール人)や、サピエンスのなかの異なる集団(アフリカ系とヨーロッパ系)のDNAが混じりあうことだ。これは一般に「混血」とされるが、血が混じり合うわけではないから、科学的には明らかに誤っている。そのため「交配」が使われたりしたが、これはもともと品種改良のことで優生学的な含みがあるため、消去法で「交雑」に落ち着いたのだろう。

 そうはいっても、「交雑」には「純血種をかけあわせたら雑種になる」というニュアンスがあり、「彼らは混血だ」というのと、「彼らは交雑だ」というのではどちらがPC(政治的に正しい)かというやっかいな問題は避けられないだろう。しかし私に代案があるわけでもなく、将来、よりPCな用語が定着するまで、本稿でもサピエンス内の集団の性的交わりを含め「交雑」とする。

 これまで何度か書いたが、「原住民」と「先住民」では漢語として明確なちがいがある。「原住民」は「かつて住んでいて、現在も生活している集団」で、「先住民」は「かつて住んでいて、現在は絶滅している集団」のことだ。日本では「原住民」が一部で差別語と見なされているが、ここでは漢語本来に意味にのっとり、「アメリカ原住民」「オーストラリア原住民」として「(絶滅した)先住民」と区別する。

全ゲノム解析によりホモ・サピエンスのアフリカ起源説が揺らいできた

 進化の歴史のなかでは、ホモ・サピエンス(現生人類)にはさまざまな祖先や同類がいた。ラミダス猿人やホモ・ハビルス、北京原人やネアンデルタール人などの化石人類を含めた人類(ホモ族)は、700万〜600万年前にアフリカのどこかでチンパンジーとの共通祖先から分かれた。

 これについては大きな異論はない(あまりに遠い過去で証明のしようがない)が、その後の人類の歴史については、多地域進化説とアフリカ起源説が対立した。

 多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの異なる地域で並行的にサピエンスに進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、サピエンスの祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラリア大陸に広がっていった。

 1980年代後半、遺伝学者が多様な民族のミトコンドリアDNAを解析して母系を辿り、すべてのサンプルがアフリカにいた1人の女性から分岐していることを明らかにした。これがミトコンドリア・イブで、約16万年(±4万年)に生存したとされる。この発見によってアフリカ起源説に軍配が上がったのだが、これはサピエンスが10〜20万年前のアフリカで誕生したということではない。

 ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万〜55万年前へと大きく遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなったのだ。

 そうなると、(最長)77万年前からミトコンドリア・イブがいた16万年前までの約60万年が空白になる。これまでの通説では、その間もサピエンスはずっとアフリカで暮らしていたということになるだろう。

 ところがその後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約33万〜30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。“最古のサピエンス”はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは1960年代で、近年の再鑑定で約30万年前のものと評価された)。

 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ」を果たしたとされていた。だが30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。

遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」がある

 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。

 この2つの系統は、ネアンデルタール人のDNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。

 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5〜2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。

 その後も、単純な「出アフリカ説」では説明の難しい人類学上の重要な発見が相次いだ。

 2008年、ロシア・アルタイ地方のデ二ソワ地方の洞窟で、約4万1000年前に住んでいたとされるヒト族の骨の断片が見つかった。サピエンスともネアンデルタール人とも異なるこの人類は「デニソワ人」と名づけられたが、DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行なわれたいたことがわかった。――ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

 さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。

 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万〜55万年前)よりもさらに古い140万〜90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。

 約5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。

 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万〜38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万〜55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。

 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。


サピエンスはなぜ他の人類を絶滅させるまでになったのか

 従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。だがなぜ、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか? ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるのではないか。

 ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらにサピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐していったのではないかと考える。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。だとしたら、サピエンスはどこにいたのか。

 ライクの説によると、サピエンスは脆弱な人類で、ネアンデルタール人に圧迫されて中東の一部に押し込められていた。その後、ネアンデルタール人がさらに中東まで進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これが、モロッコでサピエンスの痕跡が発見された理由だ。

 ところが5万年ほど前に、そのサピエンスが「出アフリカ」を敢行し、こんどはネアンデルタール人やデニソワ人などを「絶滅」させながらユーラシアじゅうに広がっていく。このときネアンデルタール人は中東におり、サピエンスと交雑した。このように考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多数見つかるのは、サピエンスと遭遇したのち、彼らがユーラシア大陸の西の端に追い詰められていったからだろう。

 中東でネアンデルタール人と交雑したサピエンスの一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑した。その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

 ところで、ネアンデルタール人に圧迫されて逃げまどっていた脆弱なサピエンスは、なぜ5万年前には、他の人類を絶滅させるまでになったか。これについては遺伝学者のライクはなにも述べていないが、ひとつの仮説として、アフリカに逃げ延びた30万年前から「出アフリカ」の5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高度なコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人など他の人類を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑していったのかもしれない。

馬を手にしたヤムナヤの遊牧民がヨーロッパに移動した

 ライクは『交雑する人類』で、DNA分析からヨーロッパ、南アジア、東アジア、アメリカ原住民、オーストラリア原住民、アフリカなどでどのようにサピエンスが移動し、交雑していったのかを説明している。ここではそのなかで、ヨーロッパとインドについて紹介しよう。

 1万年前、中東の肥沃な三日月地帯で農耕が始まると、新たなテクノロジーを手にしたひとびとは農耕可能な土地を求めて東西に移住していった。しかしなかには農耕に適さない森林地帯や草原地帯(ステップ)もあり、そこには依然として狩猟採集民がいた。農耕民と狩猟採集民は、時に交易し、時に殺し合いながら暮らしていた。そうした集団のなかには、今日、DNAにしか痕跡を残さない者もおり、ライクはそれを「ゴースト集団」と呼ぶ。

 遺伝学的には、8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は青い目に濃い色の肌、黒っぽい髪という、いまでは珍しい組み合わせの風貌だったと推定されている。ヨーロッパの最初の農耕民のほとんどは、肌の色は明るかったが髪は暗い色で茶色の目をしていた。典型的なヨーロッパ人の金髪をもたらした変異の最古の例として知られているのは、シベリア東部のバイカル湖地帯でみつかった1万7000年前の古代北ユーラシア人(ゴースト集団)だ。

 ヨーロッパの東には中央ヨーロッパから中国へと約8000キロにわたって延びる広大なステップ地帯があったが、5000年ほど前にそこで馬と車輪というイノベーションが起きた。この最初の遊牧民の文化を「ヤムナヤ」と呼ぶ。

 馬という高速移動手段を手にしたヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を繰り返した。このうち西に向かった遊牧民が現在のヨーロッパ人の祖先だ。

 ここでライクが強調するのは、遊牧民がヨーロッパの農耕民と交雑したわけではないということだ。DNA解析によれば、彼らは定住民とほぼかんぜんに置き換わってしまったのだ。

 遊牧民が定住民の村を襲ったのだとすれば、男を殺して女を犯して交雑が起きるはずだ。その痕跡がないということは、遊牧民がやってきたときには定住民はいなかった、ということになる。そんなことがあるのだろうか。

 ここでの大胆な仮説は病原菌だ。ペストはもとはステップ地帯の風土病とされているが、遊牧民が移住とともにこの病原菌を運んできたとしたら、免疫のない定住民はたちまち死に絶えてしまったはずだ。こうして交雑なしに集団が入れ替わったのではないだろうか。

 15世紀にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、銃だけでなく病原菌によってアメリカ原住民は甚大な被害を受けた。興味深いことに、それとまったく同じことが5000年前のヨーロッパでも起き、「原ヨーロッパ人」は絶滅していたかもしれないのだ。

西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源を持つ同祖集団

 馬と車輪を手にしたステップの遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになる。

 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になってきた。

 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。

 だがこれが事実だとすると、インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、それは外部世界からの侵略ではないと主張するようになった。

 現代インド人のDNA解析は、この論争に決着をつけた。

 インド人のDNAを調べると、アーリアに由来する北インド系と、インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された4000年〜3000年前に大規模な交雑があり、Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。

 近年のヒンドゥー原理主義は、カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。この仮説もDNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、2000〜3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。

 西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じステップ地方の遊牧民「ヤムナヤ」に起源をもつ同祖集団で、だからこそ同系統のインド=ヨーロッパ語を話す。それに加えてライクは、バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがあることを示唆している。

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ゲノム解析では「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」はグループ分けできる

『交雑する人類』にはこれ以外にも興味深い仮説がたくさん出てくるのだが、それは本を読んでいただくとして、最後に人種問題との関係についてライクの見解を紹介しておきたい。

 ここまでの説明でわかるように、DNA解析は歴史を再現するきわめて強力な手段だ。それがサピエンスとネアンデルタール人の交雑であれば科学的な興味で済むだろうが、現代人の異なる集団の交雑を検証する場合、北インド人と南インド人のケースでみたように、きわめてセンシティブな領域に踏み込むことになる。一歩まちがえば「人種主義(レイシズム)」として批判されかねないのだ。

 ライクはリベラルな遺伝学者で、この重い問いに誠実にこたえようとする。その一方で、科学者として耳触りのいい「きれいごと」でお茶を濁すこともできない。

 リベラル(左派)の知識人は、「人種は社会的な構築物だ」とか、「人種などというものはない」と好んでいいたがる。だが2002年、遺伝学者のグループがゲノム解析によって世界中の集団サンプルを分析し、それが一般的な人種カテゴリー、すなわち「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」と強い関係のあるクラスターにグループ分けできることを立証した。これはもちろん、「人種によってひとを区別(差別)できる」ということではないが、人種(遺伝人類学では「系統」という用語が使われる)のちがいに遺伝的な根拠があることをもはや否定することはできない。

 このことは、もっとも論争の的となる人種と知能の問題でも同じだ。

 ヨーロッパ人系統の40万人以上のゲノムをさまざまな病気との関連で調査した結果から、遺伝学者のグループが就学年数に関する情報だけを抽出した。その後、家庭の経済状況などのさまざまなちがいを調整したうえで、ゲノム解析によって、就学年数の少ない個人より多い個人の方に圧倒的によく見られる74の遺伝的変異が特定された。

 これも遺伝によって頭のよさ(就学年数の長さ)が決まっているということではないが、「遺伝学には就学年数を予測する力があり、それはけっして些細なものではない」とライクはいう。予測値がもっとも高いほうから5%のひとが12年の教育機関を完了する見込みは96%なのに対して、もっとも低いほうから5%のひとは37%なのだ。

 こうした(リベラル派にとって)不都合な研究結果を紹介したうえで、ライクは、「実質的な差異の可能性を否定する人々が、弁明の余地のない立場に自らを追い込んでいる」のではないかと危惧する。私なりに翻案すれば、「扉の陰にいるのは黒いネコであるべきだし、黒いネコに間違いないし、いっさい異論は許さない」と頑強に主張しているときに、白いネコが出てきたらいったいどうなるのか、ということだ。「そうした立場は、科学の猛攻撃に遭えばひとたまりもないだろう」とライクはいう。

 これは「古代DNA革命」の第一線の研究者として、新しいテクノロジーのとてつもないパワーを知り尽くしている者だけがいうことができるきわめて重い発言だ。門外漢の私はこれについて論評する立場にないので、最後にライクの警告を引用しておきたい。

「認知や行動の特性の大半については、まだ説得力のある研究ができるだけの試料数が得られていないが、研究のためのテクノロジーはある。好むと好まざるとにかかわらず、世界のどこかで、質のよい研究が実施される日が来るだろうし、いったん実施されれば、発見される遺伝学的なつながりを否定することはできないだろう。そうした研究が発表されたとき、わたしたちは正面から向き合い、責任を持って対処しなければならない。きっと驚くような結果も含まれているだろう」

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/660.html#c11

[環境・自然・天文板6] [特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は… お天道様はお見通し
12. 中川隆[-13766] koaQ7Jey 2018年12月12日 06:58:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21991]

日本人のガラパゴス的民族性の起源
0-0. 日本人の源流考 rev.1.6
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1


  国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、2017年10月に核-DNA解析でたどる「日本人の源流」本を出版しました。 その中でやっと海の民にも焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が 間違ってはいないかもしれない雰囲気になって来ました。

  そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 これはY-DNA及びmtDNAの論文104編を読み込みメタアナリシスした結果得た、アブダクション(推論)です。 追加の着想がまとまる都度書き足します。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して組み立てていますので、異論・興味のある方は、 当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。


0.はじめに

  当ガラパゴス史観が、Y-DNAとmtDNAツリー調査を進めて行った時、ホモサピエンスの歴史自身をもう少し深堀したい疑問が生じてきました。


・何故、ホモサピエンス始祖亜型のY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたる
 まで狩猟採集の原始生活から前進せず、ホモエレクトスの生活レベルのままだったの
 か?

・出アフリカを決行した結果、分化したシ−ラカンス古代4亜型の中でY-DNA「D」、
 Y-DNA「E」やY-DNA「C」などの、オーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸
 島、アフリカなどの僻地に残った集団も、現代に至るまで何故「A」,「B」同様、狩
 猟採集から抜け出せなかったのか?

・彼らは本当にホモサピエンスになっていたのだろうか?我々現生人類はアフリカ大陸
 でホモサピエンスに進化してから出アフリカしたと思い込んでいるが、もしかすると
 出アフリカ後に、ネアンデルタール人との遭遇で現代型に進化したのではないか?


1.ネアンデルタール人の出アフリカから始まったようだ。

  ホモサピエンスの亜種とされているネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス:Homo sapiens neanderthalensis)は、 ホモエレクトスから先に進化し、60万年ぐらい前には出アフリカし、先輩人類としてユーラシア大陸に拡がったらしい。 そして3万年前ぐらいには絶滅した、という見解になっている。

  しかし現生人類の遺伝子の3−4%はネアンデルタール人から受け継いでいることも研究の結果解明されている。 その後、現生人類の先祖が、スタンフォード大学の研究では2000人程度の規模で、出アフリカしユーラシアに拡がるまで ネアンデルタール人の歴史は既に数十万年を経過しており、その間にネアンデルタール人はユーラシア各地で亜種に近いぐらい分化していたらしい。 アジアで発掘されたデニソワ人はどうもネアンデルタール人のアジア型の1例のようだ、 しかも研究ではデニソワ人の遺伝子が現代人に6−8%も受け継がれている、という報告まである。

  これはつまり現生人類は既にある程度の高度な文化を築き上げていたネアンデルタール人との亜種間交雑の結果、 一気に爆発的に進化し現ホモサピエンスとして完成したのではないかと考えるのが妥当なのではないかと思われる。

2.原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!

  我々現代人(Homo sapiens sapiens=解剖学的現生人類)の祖先は、ネアンデルタール人が先に進化し出アフリカした後も進化できずに出遅れ、 アフリカ大陸に残存していたホモエレクトスの中で、先ずmtDNA「Eve」がやっと進化し、Y-DNA「Adam」は かなり遅れて進化したと考えられていた様だが、最近の研究ではY-DNA「Adam」も20万年近く前には既に現れていたらしい。

  しかも最近の発掘調査では、10万年前ごろにはすでにレバント地域に移動していたらしく、 8万年前頃には中国南部に到達していたのではないか、と報告されてきている。 これまでの5−6万年前頃に出アフリカしたのではないかという旧説が、どんどん遡ってきているのは 今後まだまだ新しい研究報告がある予兆と思われる。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人が先に進化し、出アフリカした後に、落ちこぼれ 取り残されていた最後のホモエレクトスが遅れて進化したのが、我々の直接の先祖の原ホモサピエンスだったと考えられる。

  つまり、このころまでアフリカ大陸ではホモエレクトスが存続していた可能性があり、 原ホモサピエンスはホモエレクトスの最終形だったはずである。

Y-DNA「Adam」がY-DNA「A」となり、
Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分化し、
Y-DNA「BT」がY-DNA「B」とY-DNA「CT」に分化したが、

  この「A」と「B」はホモエレクトスのY-DNA亜型だった可能性も十分ありえる。

Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、Y-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分化した。

  これは中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測可能である。

  この「C」以降が現生人類のY-DNA亜型と考えられるが、もしかするとネアンデル
  タール人の亜型の可能性だってありえる。

 つまりY-DNA「A」と「B」はホモ・サピエンス・サピエンスではあるが完成形ではない プロト(原)ホモ・サピエンス・サピエンスと言っても良いかもしれない。

 西欧列強が世界中を植民地化するべく搾取活動を続けているときにわかったことは、 アフリカ大陸やニューギニア・オーストラリアやアンダマン島の先住民は、 何万年もの間、古代のままの非常に素朴な狩猟採集民の文化レベルにとどまっていた、ということだった。

  研究調査からかなり高度な文化・技術レベルに達していたと判ってきているネアンデルタール人と比べると、 分類学的・解剖学的な現生人類/ホモサピエンスに進化したというだけではホモ・エレクトスと何ら変わらない文化レベルだったという証明だろう。 つまり脳容積がホモエレクトスより大きくなったり、会話が出きるようになった程度では、同時代のネアンデルタール人より原始的な、 しかし可能性は秘めている新型人類に過ぎなかったようだ(しかし体毛は薄くなり、前頭葉が発達し、見た目は多少現生人類的だが)。

  では一体、なぜ現生人類は現代につながるような文明を興すほど進化できたのだろうか?大きな疑問である。 一部の王国を築いた集団を除いた、古ネイティブ・アフリカンは大航海時代になっても、狩猟採集民でしかなかった。 その後西欧列強と出会わなければ、今でも狩猟採集のままのはずである。

  このことは、文明と言うものを構築するレベルに達するには解剖学的なホモサピエンスではなく、 何か決定的なブレークスルーのファクターがあったはずである。

  ネアンデルタール人と原ホモサピエンスの亜種間交配の結果、進化の爆発が起こったと推測するのが今のところ最も妥当だろう。

  出アフリカした先輩人類のネアンデルタール人と亜種間交雑し、 ネアンデルタール人がすでに獲得していた先進文化を一気に取り込むことに成功し、 恐らく人口増加率(繁殖性)が高い原ホモサピエンスの中にネアンデルタール人が自然吸収される形で統合化されたのが 完成形の現ホモサピエンスと考えるのが最も妥当性が高い。 (この繁殖力の高さが現生人類の勝ち残った理由なのではないか、想像を逞しくすると、交配の結果得た後天的な獲得形質かもしれない。)

  もし出アフリカせずネアンデルタール人とも出会わずアフリカの中に留まっていたら、 人類は相変わらず19世紀ごろのサン族やピグミー族のように素朴な狩猟採集段階に留まっているだろうと容易に推測できるが、 北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。 つまりホモサピエンスが出アフリカし狩猟採集文化から脱し、現代文明にまで至ったのは必然だったということかもしれない。

3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」と「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級として ネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)
  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。 その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。 どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」が そのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような 移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。 最も頻度が高いのはTanana族である、約40%もの頻度を持つ。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、 大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。

4.長江文明系稲作農耕文化民の到来

  さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

  古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した現代遺伝子亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、 Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分化しインダス文明を興し、後にドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。 Y-DNA「T」からは後のジェファーソン大統領が出自している。

  Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。 このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く70-80%も残されており、テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。

  しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子は Y-DNA「R1a」,「R1b」,「J2」などに変貌している為、東アジア起源の面影は全くない。 唯一タタール人に若干の面影が残っているが、今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も40%以上も残っている。やはり移動性の強い遺伝子のようだ。

  さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている事は研究者の周知である。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない(当史観は環境適応は進化ではないと考えるが、 ラマルクの後天的獲得形質論も進化論といわれるので、進化の一部なのでしょう。と言うことは余談だが、 人類(動物)は体毛が減少する方向に進んでいるので、実は禿頭/ハゲも「進化形態」である事は間違いない。)

  この東北アジア起源のY-DNA「O」は雑穀栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。

  一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」(旧「O2a」)と「O1b2」(旧「O2b」)が分化し稲作農耕は発展したようだ。 このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

  長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し江南から更にベトナムへ南下し、 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 ほぼ純系のY-DNA「O1b1」が残っているのはニコバル諸島 (Y-DNA「D*」が残るアンダマン諸島の南に続く島嶼でスマトラ島の北に位置する)のShompen族で100%の頻度である。

また南インドのドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、 越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。 カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、ドラヴィダ民族(特にタミール人)に 長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、その結果、学習院大学の大野教授が 日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となったが、こんな遠くまで稲作農耕民が逃げてきたことを間接証明した功績は大きい。

  一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州族で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州族の14%は、満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い(恐らく起源は同一集団)要因となっている。 北朝鮮はツングース系遺伝子の分布が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。 過去の箕子朝鮮や衛氏朝鮮が朝鮮族の起源かどうかは全く分かっていないが、呉系稲作農耕民が起源の一つであることは間違いないだろう。

  長江流域の呉越の時代の少し前に江南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、インド亜大陸でY-DNA「O1a」はほとんど検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは台湾のほとんどの先住民、フィリピンの先住民となんと日本の岡山県である。

  岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として 混在して来たのか単独で来たのか?岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は 楚系文化の名残と推測可能で、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。 台湾やフィリピンの先住民の民話を重点的に学術調査するとわかるような気がしますが。

5.黄河文明系武装侵攻集団の到来

  狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島での中国王朝出先機関内の生き残りの戦いに敗れ逃れてきたのが、 Y-DNA「O2」(旧「O3」)を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、 長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

  朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ追い出される形で日本列島に逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でも、また黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。

  この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていた戦闘要員としてのツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」であろう。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など 朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた騎馬を好む好戦的な集団と推測できる。

  この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の朝鮮半島の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由である。

  一方、韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」,Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」,「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。

  一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 特有の征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。

6.簡易まとめ

  日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、 一方過去の武士団や維新前後の武士や軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 日本人を構成するもともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。


  日本人の3つの源流は、

  ・日本列島の中で約1万年以上純粋培養されてきた大多数の素朴な狩猟採集民と少数のハンターの縄文系、

  ・中国大陸から僻地の日本列島にたどり着き、集団の和で結束する水田稲作農耕民の弥生系、

  ・朝鮮半島を追い出された、征服欲出世欲旺盛な大王系/武士団系の武装侵攻集団系、


  個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの古代遺伝子(縄文系、しかも女系遺伝するmtDNAでは何と約67%が 縄文系のmtDNA「M」系なのです。)が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。 もしこの縄文系遺伝子がなければ、日本列島と朝鮮半島及び中国はほとんど同一の文化圏と言って差し支えないでしょう。 それだけ縄文系遺伝子がもたらした日本列島の基層精神文化は、日本人にとって世界に冠たる独特の国民性を支える守るべき大切な資産なのです。


7.後記

  これまで独立した亜型として扱われてきた近代亜型のY-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は、 現在、再び統合されてY-DNA「K」の子亜型Y-DNA「K1」とY-DNA「K2」の更に子亜型(孫亜型)として再分類される模様です。 つまり独立名をつける亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンの Y-DNA「Q」等が含まれているのです。 とても遺伝子が近いとは思えないのです。では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

  これらの亜型群は何十万年の歴史でユーラシア大陸の各地で亜種に近いほど分化していたと考えられている ネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNA亜型を受け継いだだけの可能性も十分にあるのです。 西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。 何しろネアンデルタール人もデニソワ人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で当然Y-DNAもmtDNAも 遺伝子が繋がっているのだから。恐らくY-DNAもmtDNAもほとんど同じ亜型程度の違いしかない可能性は高いのです 今後の研究の発展を楽しみに待ちましょう。


8.余談

  (極めて余談ですが、北方系極東人の多くは寒冷地適応や黄砂適応を受け、フラット顔になってはいますが、 中国で発掘される古代人骨はほとんどコーカソイド顔であり、フラット顔は後天的獲得形質であることは研究者達が認めています。 日本人にはこの後天的獲得形質を獲得してから日本列島に渡ってきた集団が多かったことを示しています。 日本人の胴長短足は、高身長の弥生系と武装侵攻系の上半身と小柄な縄文の下半身の交雑の結果に過ぎず、日本人に意外に多い反っ歯や受け口も 弥生系の細身の顎に縄文系のがっしり歯列が収まりきらず前に出てしまっただけであり、親知らずは逆に出られなかっただけです。

  また日本人固有の古代的なホスピタリティは、縄文系である古代亜型Y-DNA「D」と「C」(合計で日本人男性の出現頻度約45%を占める) 及びmtDNA「M」(合計で日本人全体の約67%を占める)の固有の特質であり、近代亜型群の特質ではありません。 つまり特に日本人と他の民族との違いのほとんどは、この縄文系遺伝子の伝えてきた極めて古代的な、 狩猟採集民やハンター民の持つ行動様式や思考回路のもたらす結果に帰することは疑いようがありません。

  もし、天孫族や武士団族が朝鮮半島から負け組として追い出されてこなければ、日本列島は徳川時代の高度な文化もなく、 当時世界最大の都市だった江戸もなく、容易に西欧列強の植民地になっていたでしょう。つまり極めて残念なことですが、 日本人の世界に冠たる高度な技術力や文化性は、日本列島の3重遺伝子構造を構成する遺伝子の中で最後にやってきた Y-DNA「O2」(旧O3)がもたらしてきたものなのです、中国や韓国と支配階級が同じY-DNA「O2」遺伝子なのに結果が異なってきたのは、 常に外敵との抗争や侵略に脅かされ、技術や文化の熟成が近代までに確立「出来なかったか/出来たか」の違いなのでしょう。)

9.時代の趨勢

  3.3 Y-DNA「R1b」に書いた文章を復誦します。

  極めて明らかなことは、国・国民が先進的になるには純系民族では無理なのです。辺境民化してしまいエネルギーが低すぎるのですが、 競う共存遺伝子の種類が多ければ多いほど集団エネルギーが高くなり、国の活性度が上がり、覇権に向かうのです。 アジアの中で唯一近代化に成功した日本は縄文系−弥生系(長江文明系)−武装侵攻系(黄河文明系)が交雑し、 武装侵攻系が核になり集団エネルギーを一気に高め、一時はジャパンアズNo1と覇権を握るかもしれないほどの勢いを手に入れました。

  しかし日本が高止まりしてしまった間に中国が、日本以上の複雑な遺伝子ミックスにより集団エネルギーを高め、近代化らしきものに成功し 対外的には日本に取って替わりアジアの覇権を握ったように見えるレベルに達しました。しかし国民一人当たりの生産性があまりにも低く、 日本の1/4以下程度しかなく真の覇者には恐らく永久になれないでしょう。

  その中国も恐らく近いうちに日本同様高止まりするでしょうが、東アジアには日本、中国に代わる国はもはや存在しません。 南アジアのインドはロシアのスラブ系と同じインド・ヨーロッパ系遺伝子が支配する国ですが、中国同様あまりに国民一人あたりの 生産性が低すぎ日本の1/20程度しかなく覇権には届かないでしょう。

  当分の間はY-DNA「R1b」のアメリカとY-DNA「O2」(旧「O3」)の中国が覇権争いを続けるでしょうが、中国も日本もアメリカに 対する輸出で生産性を上げてきたので、アメリカにとって代わることは逆に自滅に向かうためまず不可能でしょう。
  非常に残念ですが、現代世界の構図は、世界の警察官であり輸入超大国のアメリカが太陽として中心に存在し、世界中から生産物を 買いまくり、そのおかげでアメリカの周りに各国が衛星のように回っていられるだけなのです。 水星、金星はEU諸国、地球は日本、火星はロシア、木星が中国、土星がインドという感じでしょうか。

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空想談

  このコラムの項目2で「北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。」と書いたのですが、 布団に入ってウトウトし始めた時に、突然、”空想の語り部”が降臨してきて グチュグチュと御託言を言い残していったので、忘れないうちに書き留めます。

  何故、ヒトを含む類人猿の進化ツリー前半のギボン(テナガザル)やオランウータンは(東南)アジアにしか棲息しておらず、 進化ツリー後半のゴリラやチンパンジーはアフリカにしか棲息していないのか?

  ヒトがアフリカで発祥したのはチンパンジーとの共通の祖先がアフリカにしかいなかったからなのは極めて明白ですが、 では何故共通の祖先はアジアにはいなかったのか?何故アフリカにしかいなかったのか? この疑問に関する納得できる説明を探してみたのですが、今のところ全く見つかってはいません。

  今のところの進化ツリーでは進化の後半で、ゴリラの祖先になった類人猿はアジアからアフリカに大移動をしたことになります。 要するに、ヒトの遠い源郷はアジアだったから、人は出アフリカしてユーラシア大陸を東に進んだと言うことになります。 つまりサケやウナギが戻ってくるのと一緒で、源郷戻りが遺伝子に埋め込まれているのではないか!? では逆に、なぜ類人猿はアジアからアフリカに移動をしたのか?も依然、極めて大きな謎です。

  とにかく解剖学的現代ヒト族は宿命に導かれ出アフリカし、中東あたりで先輩ヒト族の中東型ネアンデルタール人と交雑し分化し、 インド洋の沿岸に沿って東のアジアを目指し大移動を決行し、古代遺伝子Y-DNA「C」と「D」はアジアに到達しそこで棲息をしてきたわけです。 ところが別の古代遺伝子Y-DNA「E」は、せっかく出アフリカしたにも関わらずまたアフリカに出戻ってしまった。 ということはアフリカに進むことも遺伝子に組み込まれているのかもしれない。

  では残りの古代遺伝子Y-DNA「F」は、なぜインド亜大陸に留まり全新興遺伝子の親遺伝子となったのだろうか? アフリカ大陸でヒト族がチンパンジーとの共通の祖先から分化したように、インド亜大陸で新興遺伝子の共通の祖先の古代遺伝子「F」から 分化したのでしょう、それを実行した最も考えられる要因はアジア型ネアンデルタール人との交雑でしょう。

  インド亜大陸はアフリカ大陸と同様の、進化や分化を後押しするパワーがあるのではないか?誰か研究してくれませんかね!!!!!。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/660.html#c12

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
9. 中川隆[-13765] koaQ7Jey 2018年12月12日 06:58:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21991]

日本人のガラパゴス的民族性の起源
0-0. 日本人の源流考 rev.1.6
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1


  国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、2017年10月に核-DNA解析でたどる「日本人の源流」本を出版しました。 その中でやっと海の民にも焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が 間違ってはいないかもしれない雰囲気になって来ました。

  そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 これはY-DNA及びmtDNAの論文104編を読み込みメタアナリシスした結果得た、アブダクション(推論)です。 追加の着想がまとまる都度書き足します。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して組み立てていますので、異論・興味のある方は、 当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。


0.はじめに

  当ガラパゴス史観が、Y-DNAとmtDNAツリー調査を進めて行った時、ホモサピエンスの歴史自身をもう少し深堀したい疑問が生じてきました。


・何故、ホモサピエンス始祖亜型のY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたる
 まで狩猟採集の原始生活から前進せず、ホモエレクトスの生活レベルのままだったの
 か?

・出アフリカを決行した結果、分化したシ−ラカンス古代4亜型の中でY-DNA「D」、
 Y-DNA「E」やY-DNA「C」などの、オーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸
 島、アフリカなどの僻地に残った集団も、現代に至るまで何故「A」,「B」同様、狩
 猟採集から抜け出せなかったのか?

・彼らは本当にホモサピエンスになっていたのだろうか?我々現生人類はアフリカ大陸
 でホモサピエンスに進化してから出アフリカしたと思い込んでいるが、もしかすると
 出アフリカ後に、ネアンデルタール人との遭遇で現代型に進化したのではないか?


1.ネアンデルタール人の出アフリカから始まったようだ。

  ホモサピエンスの亜種とされているネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス:Homo sapiens neanderthalensis)は、 ホモエレクトスから先に進化し、60万年ぐらい前には出アフリカし、先輩人類としてユーラシア大陸に拡がったらしい。 そして3万年前ぐらいには絶滅した、という見解になっている。

  しかし現生人類の遺伝子の3−4%はネアンデルタール人から受け継いでいることも研究の結果解明されている。 その後、現生人類の先祖が、スタンフォード大学の研究では2000人程度の規模で、出アフリカしユーラシアに拡がるまで ネアンデルタール人の歴史は既に数十万年を経過しており、その間にネアンデルタール人はユーラシア各地で亜種に近いぐらい分化していたらしい。 アジアで発掘されたデニソワ人はどうもネアンデルタール人のアジア型の1例のようだ、 しかも研究ではデニソワ人の遺伝子が現代人に6−8%も受け継がれている、という報告まである。

  これはつまり現生人類は既にある程度の高度な文化を築き上げていたネアンデルタール人との亜種間交雑の結果、 一気に爆発的に進化し現ホモサピエンスとして完成したのではないかと考えるのが妥当なのではないかと思われる。

2.原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!

  我々現代人(Homo sapiens sapiens=解剖学的現生人類)の祖先は、ネアンデルタール人が先に進化し出アフリカした後も進化できずに出遅れ、 アフリカ大陸に残存していたホモエレクトスの中で、先ずmtDNA「Eve」がやっと進化し、Y-DNA「Adam」は かなり遅れて進化したと考えられていた様だが、最近の研究ではY-DNA「Adam」も20万年近く前には既に現れていたらしい。

  しかも最近の発掘調査では、10万年前ごろにはすでにレバント地域に移動していたらしく、 8万年前頃には中国南部に到達していたのではないか、と報告されてきている。 これまでの5−6万年前頃に出アフリカしたのではないかという旧説が、どんどん遡ってきているのは 今後まだまだ新しい研究報告がある予兆と思われる。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人が先に進化し、出アフリカした後に、落ちこぼれ 取り残されていた最後のホモエレクトスが遅れて進化したのが、我々の直接の先祖の原ホモサピエンスだったと考えられる。

  つまり、このころまでアフリカ大陸ではホモエレクトスが存続していた可能性があり、 原ホモサピエンスはホモエレクトスの最終形だったはずである。

Y-DNA「Adam」がY-DNA「A」となり、
Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分化し、
Y-DNA「BT」がY-DNA「B」とY-DNA「CT」に分化したが、

  この「A」と「B」はホモエレクトスのY-DNA亜型だった可能性も十分ありえる。

Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、Y-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分化した。

  これは中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測可能である。

  この「C」以降が現生人類のY-DNA亜型と考えられるが、もしかするとネアンデル
  タール人の亜型の可能性だってありえる。

 つまりY-DNA「A」と「B」はホモ・サピエンス・サピエンスではあるが完成形ではない プロト(原)ホモ・サピエンス・サピエンスと言っても良いかもしれない。

 西欧列強が世界中を植民地化するべく搾取活動を続けているときにわかったことは、 アフリカ大陸やニューギニア・オーストラリアやアンダマン島の先住民は、 何万年もの間、古代のままの非常に素朴な狩猟採集民の文化レベルにとどまっていた、ということだった。

  研究調査からかなり高度な文化・技術レベルに達していたと判ってきているネアンデルタール人と比べると、 分類学的・解剖学的な現生人類/ホモサピエンスに進化したというだけではホモ・エレクトスと何ら変わらない文化レベルだったという証明だろう。 つまり脳容積がホモエレクトスより大きくなったり、会話が出きるようになった程度では、同時代のネアンデルタール人より原始的な、 しかし可能性は秘めている新型人類に過ぎなかったようだ(しかし体毛は薄くなり、前頭葉が発達し、見た目は多少現生人類的だが)。

  では一体、なぜ現生人類は現代につながるような文明を興すほど進化できたのだろうか?大きな疑問である。 一部の王国を築いた集団を除いた、古ネイティブ・アフリカンは大航海時代になっても、狩猟採集民でしかなかった。 その後西欧列強と出会わなければ、今でも狩猟採集のままのはずである。

  このことは、文明と言うものを構築するレベルに達するには解剖学的なホモサピエンスではなく、 何か決定的なブレークスルーのファクターがあったはずである。

  ネアンデルタール人と原ホモサピエンスの亜種間交配の結果、進化の爆発が起こったと推測するのが今のところ最も妥当だろう。

  出アフリカした先輩人類のネアンデルタール人と亜種間交雑し、 ネアンデルタール人がすでに獲得していた先進文化を一気に取り込むことに成功し、 恐らく人口増加率(繁殖性)が高い原ホモサピエンスの中にネアンデルタール人が自然吸収される形で統合化されたのが 完成形の現ホモサピエンスと考えるのが最も妥当性が高い。 (この繁殖力の高さが現生人類の勝ち残った理由なのではないか、想像を逞しくすると、交配の結果得た後天的な獲得形質かもしれない。)

  もし出アフリカせずネアンデルタール人とも出会わずアフリカの中に留まっていたら、 人類は相変わらず19世紀ごろのサン族やピグミー族のように素朴な狩猟採集段階に留まっているだろうと容易に推測できるが、 北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。 つまりホモサピエンスが出アフリカし狩猟採集文化から脱し、現代文明にまで至ったのは必然だったということかもしれない。

3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」と「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級として ネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)
  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。 その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。 どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」が そのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような 移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。 最も頻度が高いのはTanana族である、約40%もの頻度を持つ。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、 大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。

4.長江文明系稲作農耕文化民の到来

  さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

  古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した現代遺伝子亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、 Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分化しインダス文明を興し、後にドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。 Y-DNA「T」からは後のジェファーソン大統領が出自している。

  Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。 このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く70-80%も残されており、テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。

  しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子は Y-DNA「R1a」,「R1b」,「J2」などに変貌している為、東アジア起源の面影は全くない。 唯一タタール人に若干の面影が残っているが、今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も40%以上も残っている。やはり移動性の強い遺伝子のようだ。

  さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている事は研究者の周知である。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない(当史観は環境適応は進化ではないと考えるが、 ラマルクの後天的獲得形質論も進化論といわれるので、進化の一部なのでしょう。と言うことは余談だが、 人類(動物)は体毛が減少する方向に進んでいるので、実は禿頭/ハゲも「進化形態」である事は間違いない。)

  この東北アジア起源のY-DNA「O」は雑穀栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。

  一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」(旧「O2a」)と「O1b2」(旧「O2b」)が分化し稲作農耕は発展したようだ。 このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

  長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し江南から更にベトナムへ南下し、 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 ほぼ純系のY-DNA「O1b1」が残っているのはニコバル諸島 (Y-DNA「D*」が残るアンダマン諸島の南に続く島嶼でスマトラ島の北に位置する)のShompen族で100%の頻度である。

また南インドのドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、 越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。 カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、ドラヴィダ民族(特にタミール人)に 長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、その結果、学習院大学の大野教授が 日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となったが、こんな遠くまで稲作農耕民が逃げてきたことを間接証明した功績は大きい。

  一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州族で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州族の14%は、満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い(恐らく起源は同一集団)要因となっている。 北朝鮮はツングース系遺伝子の分布が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。 過去の箕子朝鮮や衛氏朝鮮が朝鮮族の起源かどうかは全く分かっていないが、呉系稲作農耕民が起源の一つであることは間違いないだろう。

  長江流域の呉越の時代の少し前に江南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、インド亜大陸でY-DNA「O1a」はほとんど検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは台湾のほとんどの先住民、フィリピンの先住民となんと日本の岡山県である。

  岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として 混在して来たのか単独で来たのか?岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は 楚系文化の名残と推測可能で、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。 台湾やフィリピンの先住民の民話を重点的に学術調査するとわかるような気がしますが。

5.黄河文明系武装侵攻集団の到来

  狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島での中国王朝出先機関内の生き残りの戦いに敗れ逃れてきたのが、 Y-DNA「O2」(旧「O3」)を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、 長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

  朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ追い出される形で日本列島に逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でも、また黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。

  この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていた戦闘要員としてのツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」であろう。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など 朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた騎馬を好む好戦的な集団と推測できる。

  この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の朝鮮半島の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由である。

  一方、韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」,Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」,「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。

  一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 特有の征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。

6.簡易まとめ

  日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、 一方過去の武士団や維新前後の武士や軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 日本人を構成するもともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。


  日本人の3つの源流は、

  ・日本列島の中で約1万年以上純粋培養されてきた大多数の素朴な狩猟採集民と少数のハンターの縄文系、

  ・中国大陸から僻地の日本列島にたどり着き、集団の和で結束する水田稲作農耕民の弥生系、

  ・朝鮮半島を追い出された、征服欲出世欲旺盛な大王系/武士団系の武装侵攻集団系、


  個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの古代遺伝子(縄文系、しかも女系遺伝するmtDNAでは何と約67%が 縄文系のmtDNA「M」系なのです。)が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。 もしこの縄文系遺伝子がなければ、日本列島と朝鮮半島及び中国はほとんど同一の文化圏と言って差し支えないでしょう。 それだけ縄文系遺伝子がもたらした日本列島の基層精神文化は、日本人にとって世界に冠たる独特の国民性を支える守るべき大切な資産なのです。


7.後記

  これまで独立した亜型として扱われてきた近代亜型のY-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は、 現在、再び統合されてY-DNA「K」の子亜型Y-DNA「K1」とY-DNA「K2」の更に子亜型(孫亜型)として再分類される模様です。 つまり独立名をつける亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンの Y-DNA「Q」等が含まれているのです。 とても遺伝子が近いとは思えないのです。では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

  これらの亜型群は何十万年の歴史でユーラシア大陸の各地で亜種に近いほど分化していたと考えられている ネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNA亜型を受け継いだだけの可能性も十分にあるのです。 西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。 何しろネアンデルタール人もデニソワ人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で当然Y-DNAもmtDNAも 遺伝子が繋がっているのだから。恐らくY-DNAもmtDNAもほとんど同じ亜型程度の違いしかない可能性は高いのです 今後の研究の発展を楽しみに待ちましょう。


8.余談

  (極めて余談ですが、北方系極東人の多くは寒冷地適応や黄砂適応を受け、フラット顔になってはいますが、 中国で発掘される古代人骨はほとんどコーカソイド顔であり、フラット顔は後天的獲得形質であることは研究者達が認めています。 日本人にはこの後天的獲得形質を獲得してから日本列島に渡ってきた集団が多かったことを示しています。 日本人の胴長短足は、高身長の弥生系と武装侵攻系の上半身と小柄な縄文の下半身の交雑の結果に過ぎず、日本人に意外に多い反っ歯や受け口も 弥生系の細身の顎に縄文系のがっしり歯列が収まりきらず前に出てしまっただけであり、親知らずは逆に出られなかっただけです。

  また日本人固有の古代的なホスピタリティは、縄文系である古代亜型Y-DNA「D」と「C」(合計で日本人男性の出現頻度約45%を占める) 及びmtDNA「M」(合計で日本人全体の約67%を占める)の固有の特質であり、近代亜型群の特質ではありません。 つまり特に日本人と他の民族との違いのほとんどは、この縄文系遺伝子の伝えてきた極めて古代的な、 狩猟採集民やハンター民の持つ行動様式や思考回路のもたらす結果に帰することは疑いようがありません。

  もし、天孫族や武士団族が朝鮮半島から負け組として追い出されてこなければ、日本列島は徳川時代の高度な文化もなく、 当時世界最大の都市だった江戸もなく、容易に西欧列強の植民地になっていたでしょう。つまり極めて残念なことですが、 日本人の世界に冠たる高度な技術力や文化性は、日本列島の3重遺伝子構造を構成する遺伝子の中で最後にやってきた Y-DNA「O2」(旧O3)がもたらしてきたものなのです、中国や韓国と支配階級が同じY-DNA「O2」遺伝子なのに結果が異なってきたのは、 常に外敵との抗争や侵略に脅かされ、技術や文化の熟成が近代までに確立「出来なかったか/出来たか」の違いなのでしょう。)

9.時代の趨勢

  3.3 Y-DNA「R1b」に書いた文章を復誦します。

  極めて明らかなことは、国・国民が先進的になるには純系民族では無理なのです。辺境民化してしまいエネルギーが低すぎるのですが、 競う共存遺伝子の種類が多ければ多いほど集団エネルギーが高くなり、国の活性度が上がり、覇権に向かうのです。 アジアの中で唯一近代化に成功した日本は縄文系−弥生系(長江文明系)−武装侵攻系(黄河文明系)が交雑し、 武装侵攻系が核になり集団エネルギーを一気に高め、一時はジャパンアズNo1と覇権を握るかもしれないほどの勢いを手に入れました。

  しかし日本が高止まりしてしまった間に中国が、日本以上の複雑な遺伝子ミックスにより集団エネルギーを高め、近代化らしきものに成功し 対外的には日本に取って替わりアジアの覇権を握ったように見えるレベルに達しました。しかし国民一人当たりの生産性があまりにも低く、 日本の1/4以下程度しかなく真の覇者には恐らく永久になれないでしょう。

  その中国も恐らく近いうちに日本同様高止まりするでしょうが、東アジアには日本、中国に代わる国はもはや存在しません。 南アジアのインドはロシアのスラブ系と同じインド・ヨーロッパ系遺伝子が支配する国ですが、中国同様あまりに国民一人あたりの 生産性が低すぎ日本の1/20程度しかなく覇権には届かないでしょう。

  当分の間はY-DNA「R1b」のアメリカとY-DNA「O2」(旧「O3」)の中国が覇権争いを続けるでしょうが、中国も日本もアメリカに 対する輸出で生産性を上げてきたので、アメリカにとって代わることは逆に自滅に向かうためまず不可能でしょう。
  非常に残念ですが、現代世界の構図は、世界の警察官であり輸入超大国のアメリカが太陽として中心に存在し、世界中から生産物を 買いまくり、そのおかげでアメリカの周りに各国が衛星のように回っていられるだけなのです。 水星、金星はEU諸国、地球は日本、火星はロシア、木星が中国、土星がインドという感じでしょうか。

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空想談

  このコラムの項目2で「北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。」と書いたのですが、 布団に入ってウトウトし始めた時に、突然、”空想の語り部”が降臨してきて グチュグチュと御託言を言い残していったので、忘れないうちに書き留めます。

  何故、ヒトを含む類人猿の進化ツリー前半のギボン(テナガザル)やオランウータンは(東南)アジアにしか棲息しておらず、 進化ツリー後半のゴリラやチンパンジーはアフリカにしか棲息していないのか?

  ヒトがアフリカで発祥したのはチンパンジーとの共通の祖先がアフリカにしかいなかったからなのは極めて明白ですが、 では何故共通の祖先はアジアにはいなかったのか?何故アフリカにしかいなかったのか? この疑問に関する納得できる説明を探してみたのですが、今のところ全く見つかってはいません。

  今のところの進化ツリーでは進化の後半で、ゴリラの祖先になった類人猿はアジアからアフリカに大移動をしたことになります。 要するに、ヒトの遠い源郷はアジアだったから、人は出アフリカしてユーラシア大陸を東に進んだと言うことになります。 つまりサケやウナギが戻ってくるのと一緒で、源郷戻りが遺伝子に埋め込まれているのではないか!? では逆に、なぜ類人猿はアジアからアフリカに移動をしたのか?も依然、極めて大きな謎です。

  とにかく解剖学的現代ヒト族は宿命に導かれ出アフリカし、中東あたりで先輩ヒト族の中東型ネアンデルタール人と交雑し分化し、 インド洋の沿岸に沿って東のアジアを目指し大移動を決行し、古代遺伝子Y-DNA「C」と「D」はアジアに到達しそこで棲息をしてきたわけです。 ところが別の古代遺伝子Y-DNA「E」は、せっかく出アフリカしたにも関わらずまたアフリカに出戻ってしまった。 ということはアフリカに進むことも遺伝子に組み込まれているのかもしれない。

  では残りの古代遺伝子Y-DNA「F」は、なぜインド亜大陸に留まり全新興遺伝子の親遺伝子となったのだろうか? アフリカ大陸でヒト族がチンパンジーとの共通の祖先から分化したように、インド亜大陸で新興遺伝子の共通の祖先の古代遺伝子「F」から 分化したのでしょう、それを実行した最も考えられる要因はアジア型ネアンデルタール人との交雑でしょう。

  インド亜大陸はアフリカ大陸と同様の、進化や分化を後押しするパワーがあるのではないか?誰か研究してくれませんかね!!!!!。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c9

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
10. 中川隆[-13776] koaQ7Jey 2018年12月12日 07:05:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22003]
縄文人と同じ遺伝子を持つインド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害

アンダマン諸島 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

アンダマン諸島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

アンダマン諸島 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E8%AB%B8%E5%B3%B6+%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6/data=!4m2!3m1!1s0x308f6b6e7bc413a9:0x763c2b5ed91bc92?hl=ja&ved=2ahUKEwicmIyzneneAhUR5bwKHb7aBc4Q8gEwD3oECAUQCA


アンダマン人 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%BA


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縄文人と同じ遺伝子を持つアンダマン諸島の先住民、米国人を矢で殺害=立ち入り禁止の島−インド アンダマン島 2018/11/22
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112200267&g=int


インド東部アンダマン・ニコバル諸島・南アンダマン島の海岸=2007年9月撮影(AFP時事)

 【ニューデリー時事】インド主要メディアは21日、同国東部アンダマン・ニコバル諸島の北センチネル島で、米国人男性(27)が先住民に矢で射られるなどして殺害されたと報じた。同島の先住民は、外部との接触を拒否し、近づく者を攻撃してきた。政府も独自文化保護などの観点から島への立ち入りを禁じている。


 民放NDTVによると、殺害された男性は牧師で、先住民を改宗させようとしていたという。16日にインド人漁師の舟に乗って島に近づき、カヌーを使い上陸したものの、矢を浴びた上、首に縄を掛けられて引きずられ、殺害された。(2018/11/22-08:42)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112200267&g=int

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インドの孤立部族、米国人宣教師を殺害か 北センチネル島
2018.11.22 Thu posted at 11:45 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35129078.html


住民を改宗させる目的で北センチネル島に渡航したとみられる宣教師のチャウさん/John Allen Chau/Instagram
住民を改宗させる目的で北センチネル島に渡航したとみられる宣教師のチャウさん/John Allen Chau/Instagram


ニューデリー(CNN) インド東部アンダマン・ニコバル諸島の警察は22日までに、同諸島の北センチネル島を訪れていた米国人宣教師が地元部族に殺害されたとみられると明らかにした。

北センチネル島はインド本土の数百キロ沖合にあり、住民は世界で最も孤立した部族の1つとなっている。

地元警察幹部がCNNに明かしたところによると、殺害された男性はジョン・アレン・チャウさん(27)で、インドには観光ビザで訪れていた。しかし10月にアンダマン・ニコバル諸島に来た際は、明らかに布教目的だったといい、「彼のことを観光客とは呼びたくない」としている。

チャウさんから警察に対し、住民の改宗を目的とした渡航だとの報告はなかった。

同島にはインドの法律で保護対象の「センチネル族」が住む。公式記録では住民は十数人に過ぎないとされる。

島は保護区域となっており、5カイリ(約9キロ)以内への進入は禁止されている。以前に外部の人間への攻撃的な行動が2件確認されたことを受けた措置で、2006年には地元漁師2人が部族に殺害されていた。

警察によれば、米国人宣教師は現地の友人に頼んでボートを手配してもらい、島への上陸を助ける漁師も見つけていた。訪問を手助けした7人の現地住民は全員逮捕されている。

警察はチャウさんが死亡したことを独自に確認していないが、漁師たちの話をもとに殺害されたとみている。
https://www.cnn.co.jp/world/35129078.html


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先住民が弓矢で殺害の米国人、訪問目的は「キリスト教の布教」
2018年11月22日 23:06 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3198832?cx_part=top_topstory&cx_position=4  


先住民が弓矢で殺害の米国人、訪問目的は「キリスト教の布教」

【11月22日 AFP】現代文明から隔絶されたインド・北センチネル島(North Sentinel Island)で、米国人青年が先住民から多数の矢で射られて死亡した事件で、青年が同島を訪れたのはキリスト教の布教のためだったと、複数のメディアが22日報じた。

 報道によると、ジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)は先週、インド洋上の同島に不法に上陸しようとカヤックで接近。チャウさんは贈り物として、魚やサッカーボールを持参していたという。

 チャウさんは、「私の名前はジョンです。私は皆さんを愛しています、イエス(Jesus)も皆さんを愛しています…魚を持ってきました!」と声を掛けていたという。

 先住民らはチャウさんに向かって矢を放ち、矢の1本がチャウさんが手にしていた聖書を射抜いたため、チャウさんは上陸を手助けしていたインド人漁師らの舟に戻った。夜が明けてから再びカヤックで島への上陸を試みたチャウさんが、漁師の舟に戻ってくることはなかった。

 米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は、別の宣教師がチャウさんの母親に電子メールで知らせた話として、先住民が浜辺にチャウさんの遺体を埋めているのを漁師らが目撃したと報じた。

 ベンガル湾(Bay of Bengal)に浮かぶ北センチネル島には、約150人の先住民が暮らしている。独自の生活様式を保護するため、インド人も外国人も一様に島から5キロ以内に近づくことを禁じられている。北センチネルの先住民は、外部の者に対して敵対的な行動を取ることで知られている。

 報道によると、チャウさんは両親に宛てた手紙の中で「こんなことをして正気じゃないと思うかもしれないけれど、ここの人々にイエスについて教える価値はあると思っている」「私がもし殺されたとしても、彼らや神を恨まないで」と書いていたという。

 北センチネル島にはインド当局も上陸を避けており、チャウさんの殺害が犯罪として扱われるかどうかは不明。

 英ロンドンを拠点とする先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」はツイッター(Twitter)で、今回の事件は起こさせてはならなかった「悲劇」であり、先住民と外部者の安全を確保するため、双方の保護対策を適切に講じておくべきだったと指摘した。(c)AFP
 


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弓矢で米国人殺害、インド・北センチネル島の先住民とは?
2018年11月23日 15:03 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3198906?cx_part=top_topstory&cx_position=2


上空のヘリコプターを弓矢で狙うインド・北センチネル島の先住民。
印沿岸警備隊と先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」提供(2004年12月28日撮影、提供日不明)。(c)AFP PHOTO / INDIAN COAST GUARD / SURVIVAL INTERNATIONAL


【11月23日 AFP】米国の若い宣教師がインド・北センチネル島(North Sentinel Island)で命を落とした事件は、世界で最も現代文明から隔絶されたグループの一つと考えられているこの島の人々に、再びスポットライトを当てるきっかけとなった。

 先週、宣教目的でインド洋上の同島にカヤックで近づき、不法に上陸しようとして殺害されたのはジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)。チャウさんは、複数の矢で射られて死亡したとみられている。

 この島の先住民について、これまでに分かっていることは以下のとおり。

■隔絶

 北センチネル島は、米ニューヨーク・マンハッタン(Manhattan)ほどの広さがある。ここで暮らす唯一の先住民のグループは、強い警戒心を持って自分たちの土地を守っている。食料は、森や海から調達しているとされる。

 北センチネル島の人々は、アンダマン諸島(Andaman islands)のいくつかの先住民族の中で最も外界から隔絶されている。また、インドの法律でも、先住民と接触することは固く禁じられている。島に暮らす人々は、現代文明から隔絶された生活を送っているため、免疫を持たない病気に対して身を守る術を持っていないのだ。

 英国は18世紀にこれら島々の植民地化を試みた。当時の記録では、約8000人が暮らしていると推定されていた。現在の人口は約150人と考えられているが、遠方から撮影した写真を頼りに行った国勢調査では、15人程度とも記録されている。

 センチネル島の先住民に関する大半の情報は、島から遠く離れた沖合の船から観察して得られたものだ。しかし、チャウさんが死亡する数時間前に書き留めたとされる日記によると、島の男性らの身長は約1メートル65センチで、顔は黄色く塗られていたという。

 一時期、センチネル島の先住民たちは、外部からの訪問者を受け入れていた。人類学者らによって、贈り物の交換や現地調査が1960年代に行われていたのだ。しかし、2004年のスマトラ島沖地震後、同島上空を飛行する印沿岸警備隊のヘリコプターに対して、先住民らが敵対する態度を示したことから、以降の交流継続が断念された。当時、先住民との接触は金輪際しないと宣言されたが、遠方からの監視はその後も継続して行われている。

■「人間サファリツアー」に批判

 50年前に北センチネル島を訪れたことのある人類学者のT.N.パンディット(T.N.Pandit)氏は、彼らとの接触を急ぐべきではないと話す。同氏は、インド誌「Down To Earth」との最近のインタビューで、「アンダマン諸島の4部族のうち、外界と密に接触している部族が最も困難な状況に置かれている。人口統計学的にも文化的にも」と語っている。

 アンダマン諸島の先住民の中で英国が最初に接触したのは、近くの島で暮らしていたジャラワの人々だった。2011年に実施された国勢調査では、人口は約400人と推定されている。

 彼らは当初、外部の人々との接触をかたくなに拒否していたが、1970年代になると次第に接触を許すようになった。当時、一部の旅行会社が、ジャラワの人々の暮らしぶりを見ることができるとして「人間サファリツアー」を企画し、非難されるという出来事もあった。

 現地を訪れた人々によると、観光客との頻繁な接触によって、若い世代はヒンディー語を少し理解できるようになり、飲酒や喫煙を始めた者もいたという。

 2012年には、観光客相手に裸で踊るジャラワ人女性の映像が拡散。こうした現状が問題視され、規制や取り締まりが強化された。また2016年には、島の外の男性が父親とみられる色白の赤ちゃんが生まれ、グループのルールにのっとって殺されたと複数のメディアが報じている。(c)AFP


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【報ステ】未開の島の住民 米国人宣教師を殺害(18-11-23) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=oQqWQUa_qbY


11/23(金) 23:30配信 テレ朝 news

 インド東部にある北センチネル島で、数千年にわたり外部との接触を拒んでいる住民にキリスト教を広めようとしたアメリカ人男性(27)が殺害された。

住民は部外者に敵対的で、その危険性などから島に近付くことも禁止されているが、男性は無許可で上陸。魚などを持参し、友好を図ろうとしていたが、上陸直後に矢が降り注いだという。

その後、男性は首に縄をかけられて引きずられていき、翌朝、遺体で見つかった。



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弓矢で殺された米国人宣教師、先住民保護のため遺体収容は困難か 印
11/24(土) 22:20配信 AFP=時事

【AFP=時事】現代文明から隔絶されたインド・アンダマン・ニコバル(Andaman and Nicobar)諸島の島に上陸し、弓矢を浴びて殺害された米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)氏(27)について、専門家らは遺体が島から運び出されることはないかもしれないとの見通しを示している。

【図解】北センチネル島の位置
http://www.afpbb.com/articles/-/3198663?pid=20739165&tmpl_skin=gallery&utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=p1&cx_rss=afp&cx_id=3199018


 先住民の人権に関する専門家らは、同諸島にある北センチネル島(North Sentinel Island)の人々にとって、チャウさんが単独で島に侵入したことは非常に脅威であったため、殺人罪が島民らに問われることはなく、世界でも最後とみられる新石器時代以前の暮らしを送る彼らを保護する観点から、チャウさんの遺体は島にとどめ置かれることになるだろうと指摘する。

 北センチネル島に国内法を適用しようとしないインド当局は、外部者に対して長年にわたり敵対的な行動を取ってきたこの島の先住民に対し、警察を上陸させて事情聴取しようとすらしていない。

 一方で警察は23日、北センチネル島付近に、チャウさんが殺害されて以降2度目となる船舶の派遣を実施。「特に脆弱(ぜいじゃく)な民族集団である彼らの生活を混乱させたり、苦痛を与えたりすることがないよう、正当な予防策を講じた」と説明している。

 チャウさんは、島の5キロ以内に近付くことは違法と知りながら、キリスト教を布教するために何度か島への上陸を試み、島の先住民に複数の矢で射られて死亡した。

 風邪といった軽い現代の病気でも、感染すれば先住民は絶滅する恐れがあり、電力やインターネットを体験することで生活様式が徹底的に破壊されるかもしれないという懸念から、先住民は外界と隔離したままにされている。

 そうして守られた世界に、チャウさんは「イエス(Jesus)は皆さんを愛しています」というメッセージを携えて侵入した。

 先住民の人権に関する専門家で、同諸島に関する著作もあるパンカジ・セクサリア(Pankaj Sekhsaria)氏は、チャウさんの遺体を収容しようとするのは「無益な試み」だと指摘。AFPに対し「(北センチネル島の)近くに行くことが良いアイデアとは思わない。現地社会との対立を生むからだ」と語った。

 先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」の研究者であるソフィー・グリグ(Sophie Grig)氏も「作業者とセンチネルの人々双方を危険にさらすことなく、遺体を収容するための安全な方法があるとは考えていない」と話す。

 デリー大学(University of Delhi)で人類学を教えるアヌプ・カプール(Anup Kapoor)教授は、センチネルの人々と対話を持ちたい人は誰でも「同じ水準」であることを示す必要があったと指摘。「何も着るな、そうしたら何らかの関係が築くことが期待できるかもしれない」と話した。カプール教授はかつて同諸島の別の先住民であるオンゲ(Onge)の人々に対し、「下着以外、自分の服全部を脱いでから」接触した経験を持つという。

 その一方、同諸島の警察は、チャウさんの遺族の祈りにどう応えるか、また北センチネル周辺で先住民の生存にとって必須である隔離をどう維持するかというジレンマに頭を悩ませている。

 アンダマン警察トップのデペンドラ・パタック(Dependra Pathak)氏は、遺体発見に向けたスケジュールは出し得ないと述べている。

 またセクサリア氏も、当局はチャウさんをまねる行動を防ぐため、北センチネル周辺の監視を強化する必要があるかもしれないと指摘。同氏は詳細について明らかにしなかったものの、「行政側はこの問題を承知している。彼らは監視についてすでに検討している」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000032-jij_afp-int



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弓矢で宣教師射殺、先住民と遺体捜索の警察がにらみ合い インド
2018年11月25日 23:27 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3199082?cx_part=top_topstory&cx_position=4

上空のヘリコプターを弓矢で狙うインド・北センチネル島の先住民。印沿岸警備隊と先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」提供(2004年12月28日撮影、提供日不明)。(c)AFP PHOTO / INDIAN COAST GUARD / SURVIVAL INTERNATIONAL


【11月25日 AFP】現代文明から隔絶されたインドの北センチネル島(North Sentinel Island)では、米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)を弓矢で射殺した先住民と、遺体を捜索するため同島の沖合にボートを停泊させている警察が、緊張に満ちたにらみ合いを続けている。警察が25日、明らかにした。

 地元警察のデペンドラ・パタク(Dependra Pathak)署長がAFPに語ったところによると、警察の捜索チームは24日、チャウさんが最後に目撃された島の浜辺の400メートル沖合から、双眼鏡で先住民の姿を発見。先住民らは弓矢で武装していた。

 チャウさんは先住民に向かってキリスト教のメッセージを叫んでいたところ、こうした弓矢で殺害されたと報じられている。

 北センチネル島については、先住民独自の生活様式の保護や疫病対策の観点から、島の5キロ以内に近付くことは違法とされている。

「先住民たちはわれわれを凝視し、われわれも彼らを注視していた」とパタク署長は語った。結局、先住民との衝突するいかなる事態も避けるため船は引き返したという。

 外部者に閉ざされた島で、先住民たちの新石器時代以前の暮らしを妨げずにチャウさんの遺体を捜索するため、警察は苦心に苦心を重ねている。

 チャウさんの死は公式には殺人事件の扱いだが、人類学者らはチャウさんの遺体収容はほぼ不可能とみており、法律で保護された先住民に殺人罪は適用できないとの見解を示している。

 チャウさんの死をめぐっては、チャウさんが小舟で北センチネル島に渡る手引きをした地元漁師6人を含む7人が逮捕された。この漁師らは警察の遺体捜索チームに同行し、チャウさんが殺害された場所の特定に協力している。(c)AFP


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米宣教師を殺したセンチネルは地球上最後の「石器人」
11/27(火) 16:53配信 ニューズウィーク日本版

地球上で最後の石器時代を生きるといわれるセンチネル族 BBC News


<接近が厳しく制限されているインドの離島で殺害された米国人の遺体は先住民保護のため収容断念となる可能性も>

インドの北センチネル島で先住民に殺害された米国人宣教師ジョン・アレン・チャウの遺体は、今も収容できていない。最古の推定では6万年も前からこの島で暮らしてきたといわれる「貴重な」先住民、センチネル族を傷つけかねないからだ。

センチネルの動画を見る

AP通信によれば、11月21日にチャウが殺害されたとの見解を発表したインド当局は、アンダマン・ニコバル諸島に属するこの離島に船舶を派遣。同島で暮らす先住民、センチネル族と衝突することなく、チャウの遺体を収容する計画を作ろうとした。

今も石器時代の暮らしを続ける地球上で最後のコミュニティーとされるこの先住民は、外部との接触に強い抵抗を示している。遺体収容のためとはいえ不用意に近づけば、互いにさらなる犠牲者が出かねないことをインド当局は懸念している。

アンダマン・ニコバル諸島を管轄する警察のトップであるデペンドラ・パタックは、センチネル族は「宝だ」として「島に乗り込んで我々のやり方を押しつけることはできない」と説明した。「彼らに害を及ぼすようなことはしたくない」

チャウは11月半ば、地元の漁師にカネを払って手助けして貰い、上陸が禁止されている同島を訪れて殺害された。彼が最後に書いた複数の手紙には、島の住民にキリスト教を布教したいという思いと、地元漁師の船を拠点にして複数回、島に上陸したことが記されていた。
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遺体が埋められるのを漁師が目撃

またこれらの手紙には、センチネル族との緊迫したやりとりがあったことも書かれていた。ある時はセンチネル族の若者がチャウに向けて放った矢が、彼が持っていた聖書を射抜いたという。

それでもチャウは11月16日に再び北センチネル島に接近し、漁師たちに「船には戻らない」と告げて島に上陸した。翌朝、漁師たちは先住民がチャウの遺体を引きずって運び、海岸に埋めるところを見たという。その後、チャウが島に接近するのを手引きした罪で7人の漁師が逮捕された。

11月23日と24日には警察や当局者がボートで同島に接近し、双眼鏡でセンチネル族の様子を観察。パタックによれば、彼らは弓矢で武装していたものの、過去に接触が試みられた際のように火をつけた弓矢を放ってくることはなかったという。「我々は離れた場所から彼らを観察し、彼らも我々を観察していた」とパタックは説明した。

当局者たちは今もチャウの遺体の収容を諦めていないが、センチネル族は過去にも島を訪れた外部の人間を殺害しており、それらの遺体はいまだに収容されていない。

2006年には、船で眠っていた2人の漁師が北センチネル島に漂着。センチネル族はこの2人を殺害し、その遺体を海岸に埋めた。遺体収容のためにヘリコプターで接近したが、弓矢で追い払われたという。


インド政府は、先住民を病気や搾取から守るために島の周囲およそ4.8キロを立ち入り禁止にするなど、北センチネル島への接近を厳しく制限している。このため同島に暮らす先住民の正確な数は分かっていない。

「島で何が起こったのか、センチネル族が何をしたのかを注意深く調べている」とパタックは説明した。「複数の人類学者の協力を得て、どのような善意の意思表示ができるかを検討している」

さらに彼はこう続けた。「先住民側から、彼らの生活に支障をきたすことなく接触する方法が提案されなければ、遺体収容は難しい。彼らと対立するつもりはない」

当局者や人類学者たちは過去に何度か、センチネル族にココナッツやバナナの贈り物を届けて限定的な接触を試みている。センチネル族は贈り物を喜んで受け取ったこともあったものの、それ以上の交流は頑として拒んできた。

デリー大学の教授で人類学者のP.C.ジョシはAP通信に対して、チャウがどのような状況で死亡したのかを知るためには、遺体を収容することが重要だと語った。だが加害者を「訴追することはできず」、また北センチネル島は高温多湿なため、早くしなければ遺体の腐敗が進み、収容も分析も「無益な試み」になるだろうとも指摘した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181127-00010001-newsweek-int

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縄文人と同じ遺伝子を持つアンダマン人


Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。

その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。

Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

 縄文主力系Y-DNA「D2」のオリジン、Y-DNA「D*」のアンダマン諸島/オンゲ族、ジャラワ族

  後世にインドからの統治者の来島やカレン族の島流しなどで遺伝子は荒らされた、と思っていたのですが Thangarajの論文で Onge、Jarawa の2部族は Y-DNA「D*」を100%維持し、 出アフリカした現代人類の世界最古の姿をとどめている純系の集団であることがわかりました。

縄文人の主力集団のY-DNA「D2」の祖形になり、 日本人に最も多いジャガイモ顔でパッチリ二重瞼ののルーツになります。

女性は典型的な安産型の大きな臀部でいわゆるQPちゃん体形です。
ホッテントット族が典型的ですが臀部に脂肪としてエネルギーを蓄えるのです。

出アフリカ時の飢餓状態だったアフリカ・サハラ時代の 名残をとどめているのです。 そのくらい古代の遺伝子なのです。

  しかし50000年もの間純系を保てたのは定住先の小さなアンダマン諸島で外来者を殲滅する部族の習慣だったのですから 何とも複雑な感じがします。

もし縄文人主流の「D2」が純系を保つために少数派の「C1」や「C3」との交配を拒んでいたら今の日本人は存在しなかったかもしれません。 スンダランドか東シナ海−黄海ランドが広大な土地だったため、棲み分けが可能だったからではないかと思います。

  歴史を見ると男子の侵入者はせん滅しますが、アマゾン等の他の先住民と同様近親婚による遺伝的障害から部族消滅を防ぐため 女子は他の近隣部族から新しい遺伝子を導入してきたようです。 こうして部族を維持してきたのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm


縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? 金沢大の研究グループがゲノム配列解読
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1531327113/


想定される日本人の祖先の移動ルート
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180711004656_comm.jpg

 約2500年前の縄文人の人骨に含まれる全ゲノム(遺伝情報)を解析した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られたゲノム配列と似ていることが、金沢大学の覚張(がくはり)隆史特任助教(生命科学)らの研究グループの調査でわかった。縄文人の全ゲノム配列の解読に成功したのは世界で初めて。日本人の祖先が、どこから来たのかを考えるうえで注目されている。

 研究成果は11日、横浜市で開催中の国際分子生物進化学会で報告されたほか、6日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。

 覚張さんらの研究グループは、コペンハーゲン大学を中心とした国際研究チームと共同で調査。愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚で出土した縄文時代晩期の成人女性の人骨1体について全ゲノム解析を行った。日本のような温暖湿潤気候の地域では、人骨のDNAは劣化しやすく調査は難しいとされてきたが、最新の研究手法で縄文人の全ゲノム配列を初めて解読した。

 この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨25体や現代人のデータと比較すると、東南アジアの先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡でみつかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚の人骨と類似していた。

 日本人の祖先は、約4万年前以…

朝日新聞デジタル 2018年7月11日19時37分
https://www.asahi.com/articles/ASL7B5V8QL7BPTFC018.html


金沢大学プレスリリース:
最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明
https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf


オンゲ族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B2%E6%97%8F

ジャラワ族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AF%E6%97%8F

ジャハイ族
https://en.wikipedia.org/wiki/Jahai_people


https://i.imgur.com/DMUIpO0.jpg
http://www.mohr-mcpherson.com/blog/wp-content/uploads/2015/07/9896889874_a000749cc7_b-1024x781.jpg


●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。

●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には
当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているよ
うです。アボリジニの先祖Y-DNA 「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同
じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。

●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維
持し続けた、と考えられています。 アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を  守ってきてくれているのです....感謝!
出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保  護しなくてはなりません。

●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩っ  たり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。

●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。

●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火
を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、 木への落雷によって引き起  こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。

●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族  民がイギリス人の海軍に殺されました。

●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。
日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島  先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。大反省....です。

イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、 文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、 インド亜大陸やビルマ(カレン族)か らの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、
1927年には100人の生存者 だけになったそうです。 1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復してい るそうです。

その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先 住民 Y-DNA「D*]が絶滅する前に、
同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行 えるといいですね!

https://web.archive.org/web/20160223020324/http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm

http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/show_image/sanjuro.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/01/07/andamanese.jpg


『アンダマン島土人は地球上最小の人種なるべし。

二、三の人類学者は南アのブッシュ人、アメリカの掘食(デイガ)インディアン、フィジ島のテラ土人等をもって最小なりとなせども、

本島の土人は平均身長四フィート以下にして、成人者中にもはるかにこれに満たざるもの少なからず。

一度信をおくときは、きわめて厚き友情を示すことあるも、一般には残忍獰猛にして気むずかしく、馴致しがたき人種なり』

(延原謙訳)

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/66999919


http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c10

[環境・自然・天文板6] [特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は… お天道様はお見通し
13. 中川隆[-13775] koaQ7Jey 2018年12月12日 07:06:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22003]

縄文人と同じ遺伝子を持つインド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害

アンダマン諸島 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

アンダマン諸島 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

アンダマン諸島 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E8%AB%B8%E5%B3%B6+%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6/data=!4m2!3m1!1s0x308f6b6e7bc413a9:0x763c2b5ed91bc92?hl=ja&ved=2ahUKEwicmIyzneneAhUR5bwKHb7aBc4Q8gEwD3oECAUQCA


アンダマン人 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%BA


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縄文人と同じ遺伝子を持つアンダマン諸島の先住民、米国人を矢で殺害=立ち入り禁止の島−インド アンダマン島 2018/11/22
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112200267&g=int


インド東部アンダマン・ニコバル諸島・南アンダマン島の海岸=2007年9月撮影(AFP時事)

 【ニューデリー時事】インド主要メディアは21日、同国東部アンダマン・ニコバル諸島の北センチネル島で、米国人男性(27)が先住民に矢で射られるなどして殺害されたと報じた。同島の先住民は、外部との接触を拒否し、近づく者を攻撃してきた。政府も独自文化保護などの観点から島への立ち入りを禁じている。

 民放NDTVによると、殺害された男性は牧師で、先住民を改宗させようとしていたという。16日にインド人漁師の舟に乗って島に近づき、カヌーを使い上陸したものの、矢を浴びた上、首に縄を掛けられて引きずられ、殺害された。(2018/11/22-08:42)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112200267&g=int


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インドの孤立部族、米国人宣教師を殺害か 北センチネル島
2018.11.22 Thu posted at 11:45 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35129078.html


住民を改宗させる目的で北センチネル島に渡航したとみられる宣教師のチャウさん/John Allen Chau/Instagram
住民を改宗させる目的で北センチネル島に渡航したとみられる宣教師のチャウさん/John Allen Chau/Instagram


ニューデリー(CNN) インド東部アンダマン・ニコバル諸島の警察は22日までに、同諸島の北センチネル島を訪れていた米国人宣教師が地元部族に殺害されたとみられると明らかにした。

北センチネル島はインド本土の数百キロ沖合にあり、住民は世界で最も孤立した部族の1つとなっている。

地元警察幹部がCNNに明かしたところによると、殺害された男性はジョン・アレン・チャウさん(27)で、インドには観光ビザで訪れていた。しかし10月にアンダマン・ニコバル諸島に来た際は、明らかに布教目的だったといい、「彼のことを観光客とは呼びたくない」としている。

チャウさんから警察に対し、住民の改宗を目的とした渡航だとの報告はなかった。

同島にはインドの法律で保護対象の「センチネル族」が住む。公式記録では住民は十数人に過ぎないとされる。

島は保護区域となっており、5カイリ(約9キロ)以内への進入は禁止されている。以前に外部の人間への攻撃的な行動が2件確認されたことを受けた措置で、2006年には地元漁師2人が部族に殺害されていた。

警察によれば、米国人宣教師は現地の友人に頼んでボートを手配してもらい、島への上陸を助ける漁師も見つけていた。訪問を手助けした7人の現地住民は全員逮捕されている。

警察はチャウさんが死亡したことを独自に確認していないが、漁師たちの話をもとに殺害されたとみている。
https://www.cnn.co.jp/world/35129078.html


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先住民が弓矢で殺害の米国人、訪問目的は「キリスト教の布教」
2018年11月22日 23:06 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3198832?cx_part=top_topstory&cx_position=4  


先住民が弓矢で殺害の米国人、訪問目的は「キリスト教の布教」


【11月22日 AFP】現代文明から隔絶されたインド・北センチネル島(North Sentinel Island)で、米国人青年が先住民から多数の矢で射られて死亡した事件で、青年が同島を訪れたのはキリスト教の布教のためだったと、複数のメディアが22日報じた。

 報道によると、ジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)は先週、インド洋上の同島に不法に上陸しようとカヤックで接近。チャウさんは贈り物として、魚やサッカーボールを持参していたという。

 チャウさんは、「私の名前はジョンです。私は皆さんを愛しています、イエス(Jesus)も皆さんを愛しています…魚を持ってきました!」と声を掛けていたという。

 先住民らはチャウさんに向かって矢を放ち、矢の1本がチャウさんが手にしていた聖書を射抜いたため、チャウさんは上陸を手助けしていたインド人漁師らの舟に戻った。夜が明けてから再びカヤックで島への上陸を試みたチャウさんが、漁師の舟に戻ってくることはなかった。

 米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は、別の宣教師がチャウさんの母親に電子メールで知らせた話として、先住民が浜辺にチャウさんの遺体を埋めているのを漁師らが目撃したと報じた。

 ベンガル湾(Bay of Bengal)に浮かぶ北センチネル島には、約150人の先住民が暮らしている。独自の生活様式を保護するため、インド人も外国人も一様に島から5キロ以内に近づくことを禁じられている。北センチネルの先住民は、外部の者に対して敵対的な行動を取ることで知られている。

 報道によると、チャウさんは両親に宛てた手紙の中で「こんなことをして正気じゃないと思うかもしれないけれど、ここの人々にイエスについて教える価値はあると思っている」「私がもし殺されたとしても、彼らや神を恨まないで」と書いていたという。

 北センチネル島にはインド当局も上陸を避けており、チャウさんの殺害が犯罪として扱われるかどうかは不明。

 英ロンドンを拠点とする先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」はツイッター(Twitter)で、今回の事件は起こさせてはならなかった「悲劇」であり、先住民と外部者の安全を確保するため、双方の保護対策を適切に講じておくべきだったと指摘した。(c)AFP
 

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弓矢で米国人殺害、インド・北センチネル島の先住民とは?
2018年11月23日 15:03 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3198906?cx_part=top_topstory&cx_position=2


上空のヘリコプターを弓矢で狙うインド・北センチネル島の先住民。
印沿岸警備隊と先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」提供(2004年12月28日撮影、提供日不明)。(c)AFP PHOTO / INDIAN COAST GUARD / SURVIVAL INTERNATIONAL


【11月23日 AFP】米国の若い宣教師がインド・北センチネル島(North Sentinel Island)で命を落とした事件は、世界で最も現代文明から隔絶されたグループの一つと考えられているこの島の人々に、再びスポットライトを当てるきっかけとなった。

 先週、宣教目的でインド洋上の同島にカヤックで近づき、不法に上陸しようとして殺害されたのはジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)。チャウさんは、複数の矢で射られて死亡したとみられている。

 この島の先住民について、これまでに分かっていることは以下のとおり。

■隔絶

 北センチネル島は、米ニューヨーク・マンハッタン(Manhattan)ほどの広さがある。ここで暮らす唯一の先住民のグループは、強い警戒心を持って自分たちの土地を守っている。食料は、森や海から調達しているとされる。

 北センチネル島の人々は、アンダマン諸島(Andaman islands)のいくつかの先住民族の中で最も外界から隔絶されている。また、インドの法律でも、先住民と接触することは固く禁じられている。島に暮らす人々は、現代文明から隔絶された生活を送っているため、免疫を持たない病気に対して身を守る術を持っていないのだ。

 英国は18世紀にこれら島々の植民地化を試みた。当時の記録では、約8000人が暮らしていると推定されていた。現在の人口は約150人と考えられているが、遠方から撮影した写真を頼りに行った国勢調査では、15人程度とも記録されている。

 センチネル島の先住民に関する大半の情報は、島から遠く離れた沖合の船から観察して得られたものだ。しかし、チャウさんが死亡する数時間前に書き留めたとされる日記によると、島の男性らの身長は約1メートル65センチで、顔は黄色く塗られていたという。

 一時期、センチネル島の先住民たちは、外部からの訪問者を受け入れていた。人類学者らによって、贈り物の交換や現地調査が1960年代に行われていたのだ。しかし、2004年のスマトラ島沖地震後、同島上空を飛行する印沿岸警備隊のヘリコプターに対して、先住民らが敵対する態度を示したことから、以降の交流継続が断念された。当時、先住民との接触は金輪際しないと宣言されたが、遠方からの監視はその後も継続して行われている。

■「人間サファリツアー」に批判

 50年前に北センチネル島を訪れたことのある人類学者のT.N.パンディット(T.N.Pandit)氏は、彼らとの接触を急ぐべきではないと話す。同氏は、インド誌「Down To Earth」との最近のインタビューで、「アンダマン諸島の4部族のうち、外界と密に接触している部族が最も困難な状況に置かれている。人口統計学的にも文化的にも」と語っている。

 アンダマン諸島の先住民の中で英国が最初に接触したのは、近くの島で暮らしていたジャラワの人々だった。2011年に実施された国勢調査では、人口は約400人と推定されている。

 彼らは当初、外部の人々との接触をかたくなに拒否していたが、1970年代になると次第に接触を許すようになった。当時、一部の旅行会社が、ジャラワの人々の暮らしぶりを見ることができるとして「人間サファリツアー」を企画し、非難されるという出来事もあった。

 現地を訪れた人々によると、観光客との頻繁な接触によって、若い世代はヒンディー語を少し理解できるようになり、飲酒や喫煙を始めた者もいたという。

 2012年には、観光客相手に裸で踊るジャラワ人女性の映像が拡散。こうした現状が問題視され、規制や取り締まりが強化された。また2016年には、島の外の男性が父親とみられる色白の赤ちゃんが生まれ、グループのルールにのっとって殺されたと複数のメディアが報じている。(c)AFP


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【報ステ】未開の島の住民 米国人宣教師を殺害(18-11-23) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=oQqWQUa_qbY


11/23(金) 23:30配信 テレ朝 news

 インド東部にある北センチネル島で、数千年にわたり外部との接触を拒んでいる住民にキリスト教を広めようとしたアメリカ人男性(27)が殺害された。

住民は部外者に敵対的で、その危険性などから島に近付くことも禁止されているが、男性は無許可で上陸。魚などを持参し、友好を図ろうとしていたが、上陸直後に矢が降り注いだという。

その後、男性は首に縄をかけられて引きずられていき、翌朝、遺体で見つかった。

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弓矢で殺された米国人宣教師、先住民保護のため遺体収容は困難か 印
11/24(土) 22:20配信 AFP=時事

【AFP=時事】現代文明から隔絶されたインド・アンダマン・ニコバル(Andaman and Nicobar)諸島の島に上陸し、弓矢を浴びて殺害された米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)氏(27)について、専門家らは遺体が島から運び出されることはないかもしれないとの見通しを示している。

【図解】北センチネル島の位置
http://www.afpbb.com/articles/-/3198663?pid=20739165&tmpl_skin=gallery&utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=p1&cx_rss=afp&cx_id=3199018


 先住民の人権に関する専門家らは、同諸島にある北センチネル島(North Sentinel Island)の人々にとって、チャウさんが単独で島に侵入したことは非常に脅威であったため、殺人罪が島民らに問われることはなく、世界でも最後とみられる新石器時代以前の暮らしを送る彼らを保護する観点から、チャウさんの遺体は島にとどめ置かれることになるだろうと指摘する。

 北センチネル島に国内法を適用しようとしないインド当局は、外部者に対して長年にわたり敵対的な行動を取ってきたこの島の先住民に対し、警察を上陸させて事情聴取しようとすらしていない。

 一方で警察は23日、北センチネル島付近に、チャウさんが殺害されて以降2度目となる船舶の派遣を実施。「特に脆弱(ぜいじゃく)な民族集団である彼らの生活を混乱させたり、苦痛を与えたりすることがないよう、正当な予防策を講じた」と説明している。

 チャウさんは、島の5キロ以内に近付くことは違法と知りながら、キリスト教を布教するために何度か島への上陸を試み、島の先住民に複数の矢で射られて死亡した。

 風邪といった軽い現代の病気でも、感染すれば先住民は絶滅する恐れがあり、電力やインターネットを体験することで生活様式が徹底的に破壊されるかもしれないという懸念から、先住民は外界と隔離したままにされている。

 そうして守られた世界に、チャウさんは「イエス(Jesus)は皆さんを愛しています」というメッセージを携えて侵入した。

 先住民の人権に関する専門家で、同諸島に関する著作もあるパンカジ・セクサリア(Pankaj Sekhsaria)氏は、チャウさんの遺体を収容しようとするのは「無益な試み」だと指摘。AFPに対し「(北センチネル島の)近くに行くことが良いアイデアとは思わない。現地社会との対立を生むからだ」と語った。

 先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」の研究者であるソフィー・グリグ(Sophie Grig)氏も「作業者とセンチネルの人々双方を危険にさらすことなく、遺体を収容するための安全な方法があるとは考えていない」と話す。

 デリー大学(University of Delhi)で人類学を教えるアヌプ・カプール(Anup Kapoor)教授は、センチネルの人々と対話を持ちたい人は誰でも「同じ水準」であることを示す必要があったと指摘。「何も着るな、そうしたら何らかの関係が築くことが期待できるかもしれない」と話した。カプール教授はかつて同諸島の別の先住民であるオンゲ(Onge)の人々に対し、「下着以外、自分の服全部を脱いでから」接触した経験を持つという。

 その一方、同諸島の警察は、チャウさんの遺族の祈りにどう応えるか、また北センチネル周辺で先住民の生存にとって必須である隔離をどう維持するかというジレンマに頭を悩ませている。

 アンダマン警察トップのデペンドラ・パタック(Dependra Pathak)氏は、遺体発見に向けたスケジュールは出し得ないと述べている。

 またセクサリア氏も、当局はチャウさんをまねる行動を防ぐため、北センチネル周辺の監視を強化する必要があるかもしれないと指摘。同氏は詳細について明らかにしなかったものの、「行政側はこの問題を承知している。彼らは監視についてすでに検討している」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000032-jij_afp-int

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弓矢で宣教師射殺、先住民と遺体捜索の警察がにらみ合い インド
2018年11月25日 23:27 発信地:ポートブレア/インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3199082?cx_part=top_topstory&cx_position=4

上空のヘリコプターを弓矢で狙うインド・北センチネル島の先住民。印沿岸警備隊と先住民らの権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」提供(2004年12月28日撮影、提供日不明)。(c)AFP PHOTO / INDIAN COAST GUARD / SURVIVAL INTERNATIONAL


【11月25日 AFP】現代文明から隔絶されたインドの北センチネル島(North Sentinel Island)では、米国人宣教師のジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)さん(27)を弓矢で射殺した先住民と、遺体を捜索するため同島の沖合にボートを停泊させている警察が、緊張に満ちたにらみ合いを続けている。警察が25日、明らかにした。

 地元警察のデペンドラ・パタク(Dependra Pathak)署長がAFPに語ったところによると、警察の捜索チームは24日、チャウさんが最後に目撃された島の浜辺の400メートル沖合から、双眼鏡で先住民の姿を発見。先住民らは弓矢で武装していた。

 チャウさんは先住民に向かってキリスト教のメッセージを叫んでいたところ、こうした弓矢で殺害されたと報じられている。

 北センチネル島については、先住民独自の生活様式の保護や疫病対策の観点から、島の5キロ以内に近付くことは違法とされている。

「先住民たちはわれわれを凝視し、われわれも彼らを注視していた」とパタク署長は語った。結局、先住民との衝突するいかなる事態も避けるため船は引き返したという。

 外部者に閉ざされた島で、先住民たちの新石器時代以前の暮らしを妨げずにチャウさんの遺体を捜索するため、警察は苦心に苦心を重ねている。

 チャウさんの死は公式には殺人事件の扱いだが、人類学者らはチャウさんの遺体収容はほぼ不可能とみており、法律で保護された先住民に殺人罪は適用できないとの見解を示している。

 チャウさんの死をめぐっては、チャウさんが小舟で北センチネル島に渡る手引きをした地元漁師6人を含む7人が逮捕された。この漁師らは警察の遺体捜索チームに同行し、チャウさんが殺害された場所の特定に協力している。(c)AFP


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米宣教師を殺したセンチネルは地球上最後の「石器人」
11/27(火) 16:53配信 ニューズウィーク日本版

地球上で最後の石器時代を生きるといわれるセンチネル族 BBC News


<接近が厳しく制限されているインドの離島で殺害された米国人の遺体は先住民保護のため収容断念となる可能性も>

インドの北センチネル島で先住民に殺害された米国人宣教師ジョン・アレン・チャウの遺体は、今も収容できていない。最古の推定では6万年も前からこの島で暮らしてきたといわれる「貴重な」先住民、センチネル族を傷つけかねないからだ。

センチネルの動画を見る

AP通信によれば、11月21日にチャウが殺害されたとの見解を発表したインド当局は、アンダマン・ニコバル諸島に属するこの離島に船舶を派遣。同島で暮らす先住民、センチネル族と衝突することなく、チャウの遺体を収容する計画を作ろうとした。

今も石器時代の暮らしを続ける地球上で最後のコミュニティーとされるこの先住民は、外部との接触に強い抵抗を示している。遺体収容のためとはいえ不用意に近づけば、互いにさらなる犠牲者が出かねないことをインド当局は懸念している。

アンダマン・ニコバル諸島を管轄する警察のトップであるデペンドラ・パタックは、センチネル族は「宝だ」として「島に乗り込んで我々のやり方を押しつけることはできない」と説明した。「彼らに害を及ぼすようなことはしたくない」

チャウは11月半ば、地元の漁師にカネを払って手助けして貰い、上陸が禁止されている同島を訪れて殺害された。彼が最後に書いた複数の手紙には、島の住民にキリスト教を布教したいという思いと、地元漁師の船を拠点にして複数回、島に上陸したことが記されていた。
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遺体が埋められるのを漁師が目撃

またこれらの手紙には、センチネル族との緊迫したやりとりがあったことも書かれていた。ある時はセンチネル族の若者がチャウに向けて放った矢が、彼が持っていた聖書を射抜いたという。

それでもチャウは11月16日に再び北センチネル島に接近し、漁師たちに「船には戻らない」と告げて島に上陸した。翌朝、漁師たちは先住民がチャウの遺体を引きずって運び、海岸に埋めるところを見たという。その後、チャウが島に接近するのを手引きした罪で7人の漁師が逮捕された。

11月23日と24日には警察や当局者がボートで同島に接近し、双眼鏡でセンチネル族の様子を観察。パタックによれば、彼らは弓矢で武装していたものの、過去に接触が試みられた際のように火をつけた弓矢を放ってくることはなかったという。「我々は離れた場所から彼らを観察し、彼らも我々を観察していた」とパタックは説明した。

当局者たちは今もチャウの遺体の収容を諦めていないが、センチネル族は過去にも島を訪れた外部の人間を殺害しており、それらの遺体はいまだに収容されていない。

2006年には、船で眠っていた2人の漁師が北センチネル島に漂着。センチネル族はこの2人を殺害し、その遺体を海岸に埋めた。遺体収容のためにヘリコプターで接近したが、弓矢で追い払われたという。


インド政府は、先住民を病気や搾取から守るために島の周囲およそ4.8キロを立ち入り禁止にするなど、北センチネル島への接近を厳しく制限している。このため同島に暮らす先住民の正確な数は分かっていない。

「島で何が起こったのか、センチネル族が何をしたのかを注意深く調べている」とパタックは説明した。「複数の人類学者の協力を得て、どのような善意の意思表示ができるかを検討している」

さらに彼はこう続けた。「先住民側から、彼らの生活に支障をきたすことなく接触する方法が提案されなければ、遺体収容は難しい。彼らと対立するつもりはない」

当局者や人類学者たちは過去に何度か、センチネル族にココナッツやバナナの贈り物を届けて限定的な接触を試みている。センチネル族は贈り物を喜んで受け取ったこともあったものの、それ以上の交流は頑として拒んできた。

デリー大学の教授で人類学者のP.C.ジョシはAP通信に対して、チャウがどのような状況で死亡したのかを知るためには、遺体を収容することが重要だと語った。だが加害者を「訴追することはできず」、また北センチネル島は高温多湿なため、早くしなければ遺体の腐敗が進み、収容も分析も「無益な試み」になるだろうとも指摘した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181127-00010001-newsweek-int

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縄文人と同じ遺伝子を持つアンダマン人


Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。

その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。

Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

 縄文主力系Y-DNA「D2」のオリジン、Y-DNA「D*」のアンダマン諸島/オンゲ族、ジャラワ族

  後世にインドからの統治者の来島やカレン族の島流しなどで遺伝子は荒らされた、と思っていたのですが Thangarajの論文で Onge、Jarawa の2部族は Y-DNA「D*」を100%維持し、 出アフリカした現代人類の世界最古の姿をとどめている純系の集団であることがわかりました。

縄文人の主力集団のY-DNA「D2」の祖形になり、 日本人に最も多いジャガイモ顔でパッチリ二重瞼ののルーツになります。

女性は典型的な安産型の大きな臀部でいわゆるQPちゃん体形です。
ホッテントット族が典型的ですが臀部に脂肪としてエネルギーを蓄えるのです。

出アフリカ時の飢餓状態だったアフリカ・サハラ時代の 名残をとどめているのです。 そのくらい古代の遺伝子なのです。

  しかし50000年もの間純系を保てたのは定住先の小さなアンダマン諸島で外来者を殲滅する部族の習慣だったのですから 何とも複雑な感じがします。

もし縄文人主流の「D2」が純系を保つために少数派の「C1」や「C3」との交配を拒んでいたら今の日本人は存在しなかったかもしれません。 スンダランドか東シナ海−黄海ランドが広大な土地だったため、棲み分けが可能だったからではないかと思います。

  歴史を見ると男子の侵入者はせん滅しますが、アマゾン等の他の先住民と同様近親婚による遺伝的障害から部族消滅を防ぐため 女子は他の近隣部族から新しい遺伝子を導入してきたようです。 こうして部族を維持してきたのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm


縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? 金沢大の研究グループがゲノム配列解読
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1531327113/


想定される日本人の祖先の移動ルート
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180711004656_comm.jpg

 約2500年前の縄文人の人骨に含まれる全ゲノム(遺伝情報)を解析した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られたゲノム配列と似ていることが、金沢大学の覚張(がくはり)隆史特任助教(生命科学)らの研究グループの調査でわかった。縄文人の全ゲノム配列の解読に成功したのは世界で初めて。日本人の祖先が、どこから来たのかを考えるうえで注目されている。

 研究成果は11日、横浜市で開催中の国際分子生物進化学会で報告されたほか、6日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。

 覚張さんらの研究グループは、コペンハーゲン大学を中心とした国際研究チームと共同で調査。愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚で出土した縄文時代晩期の成人女性の人骨1体について全ゲノム解析を行った。日本のような温暖湿潤気候の地域では、人骨のDNAは劣化しやすく調査は難しいとされてきたが、最新の研究手法で縄文人の全ゲノム配列を初めて解読した。

 この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨25体や現代人のデータと比較すると、東南アジアの先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡でみつかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚の人骨と類似していた。

 日本人の祖先は、約4万年前以…

朝日新聞デジタル 2018年7月11日19時37分
https://www.asahi.com/articles/ASL7B5V8QL7BPTFC018.html


金沢大学プレスリリース:
最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明
https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf


オンゲ族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B2%E6%97%8F

ジャラワ族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AF%E6%97%8F

ジャハイ族
https://en.wikipedia.org/wiki/Jahai_people


https://i.imgur.com/DMUIpO0.jpg
http://www.mohr-mcpherson.com/blog/wp-content/uploads/2015/07/9896889874_a000749cc7_b-1024x781.jpg


●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。

●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には
当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているよ
うです。アボリジニの先祖Y-DNA 「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同
じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。

●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維
持し続けた、と考えられています。 アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を  守ってきてくれているのです....感謝!
出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保  護しなくてはなりません。

●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩っ  たり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。

●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。

●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火
を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、 木への落雷によって引き起  こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。

●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族  民がイギリス人の海軍に殺されました。

●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。
日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島  先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。大反省....です。

イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、 文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、 インド亜大陸やビルマ(カレン族)か らの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、
1927年には100人の生存者 だけになったそうです。 1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復してい るそうです。

その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先 住民 Y-DNA「D*]が絶滅する前に、
同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行 えるといいですね!

https://web.archive.org/web/20160223020324/http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm

http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/show_image/sanjuro.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/01/07/andamanese.jpg


『アンダマン島土人は地球上最小の人種なるべし。

二、三の人類学者は南アのブッシュ人、アメリカの掘食(デイガ)インディアン、フィジ島のテラ土人等をもって最小なりとなせども、

本島の土人は平均身長四フィート以下にして、成人者中にもはるかにこれに満たざるもの少なからず。

一度信をおくときは、きわめて厚き友情を示すことあるも、一般には残忍獰猛にして気むずかしく、馴致しがたき人種なり』

(延原謙訳)

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/66999919

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/660.html#c13

[環境・自然・天文板6] [特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は… お天道様はお見通し
14. 中川隆[-13774] koaQ7Jey 2018年12月12日 07:10:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22003]

日本語は西日本の縄文人が使っていた、人類始原の言葉に近い古代語


奈良時代まで皇室で使われていた言葉は 8母音の百済語であり、百済語を縄文人・弥生人の 5母音の日本語に翻訳する為に 平仮名・片仮名が発明された

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない


  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。

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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).” When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn. (i) The word order in the ancestral language was SOV. (ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion. (iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order. (iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.


Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV. Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS. There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50). Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won. However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。

http://galapagojp.exblog.jp/i29/  


  日本語の祖先はこれまで書いたようにY-DNA「D2」の話していた縄文語です。現在世界でY-DNA「D」語を祖先にしているのは、わかっている範囲ではチベット語と「D*」100%のアンダマン諸島のJarawa族とOnge族だけです。Y-DNA「D」72%の雲南のPumi族は未調査です。つまりY-DNA「D」語は孤立言語です。

遺伝子調査で初めて理解できたことです。しかもY-DNA「D」は人類が出アフリカを果たした際の形質を最も残していると欧米の研究者は述べています。ということは縄文語が最も古いホモサピエンスの言葉を残している可能性もあるのです。Jarawa族やOnge族、Pumi族の語彙を徹底的に追いかければ解明できそうですが、日本の御用学者ではない欧米の気鋭の言語学者が研究してくれるとありがたいですね!

  現代アイヌも日本列島人と同じY-DNA「D2」85%の「D」民族ですが、残念なことにオホーツク文化時代に侵略者だった古代ニヴフ族に征服され、熊祭りなどすっかり古代ニヴフ文化(古住シベリア民文化)に変貌してしまっています。言語も恐らく古代ニヴフ語に変わっているでしょう。

丹念に追えば語彙には「D」語の痕跡が残っているかもしれません。日本列島のように「D2」が圧倒的な人口多数派だったなら「D」語が残ったかもしれませんが、人口そのものが少なかった北海道では文化も言語も語彙も古代ニヴフ語に変わってしまっている可能性が大です。
http://galapagojp.exblog.jp/i31/

遺伝子調査から追う日本語の成り立ち考


  これまでもブログで断片的に触れてきましたが、遺伝子調査の結果だけでどこまで言及できるか、いささか冒険ですが日本語の成り立ちに迫ってみました。

日本語とは、

●ガラパゴス的民族性の基層である古代シーラカンス遺伝子の縄文倭人(文字通り小柄なネグリート)の話していた古代語の縄文語が基層です。特に縄文倭人の多数派のY-DNA「D2」の祖先の「D」が出アフリカ以来話していた言語が縄文語の祖形です。世界でこの縄文語の祖形を受け継いでいるのは日本以外では「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族とJarawa族、「D1」「D3」のチベット族のみです。他に近い言語は全く存在しません。このため日本語は古代語の形態のままの孤立言語なのです。もしかするとコイサン族やピグミー族の言語と同様にアフリカで話されていた古代言語の直接の子言語かもしれません。

●縄文語はこれに更に出アフリカ以来数万年行動を共にしたと考えられている土器製作などの技能集団でもあったと思われる沿岸漁労系Y-DNA「C1a」と大型獣ハンター系「C3a」の語彙が重なっている複合言語です。縄文語は日本列島でも石器時代以来少なくとも2万年近くは話され根付いた熟成された言語のはずです。もしかすると西ニューギニアのY-DNA「C2」100%のLani族の漁労採集の言葉に日本語に似た単語があるかもしれません。

●そこに最初の外来文化言語である長江文明系オーストロアジア古語(水田稲作農耕文化の言語)の弥生系語彙が追加され、弥生人Y-DNA「O2b」「O2a」「O1a」は「O3」に極東ユーラシア大陸を追い出されボートピープルとして満州−韓半島南部−北九州と逃げ、これ以上行く先のない日本列島で大多数の縄文人と仲良く共存・融和するために縄文語を受け入れ新しい文化である水田稲作農耕の語彙を上積みしたのです。弥生人が迅速に溶け込んだため、稲作農耕技術は青森まで以外に早く伝播したのでしょう。

  このオーストロアジア古語系「O2b」は呉音を持ち込んだようです。日本列島に越音が残っていないということは呉系の稲作農耕民が北方へ逃れ「O2b」になったようです。当方が以前予想していた百越系の残党=百残=百済は越音ではなく支配層の使っていた唐音を持ち込んだようです。一方陸稲系稲作農耕(O3」系)も縄文晩期頃に日本列島に入ってきたようなのですが語彙上の影響度はまだ全くわかっていません。

  一方、「O2b」の兄遺伝子の「O2a」が東南アジア-東インド-南インドと逃れ、現代ドラヴィダ人に14%以上の遺伝子頻度を残すぐらい交配し、ドラヴィダ語に水田稲作農耕文化の語彙を持ち込んだため、もともと同一だった稲作関連の語彙が日本語とドラヴィダ語(特にタミール語)で似ているのは当然です。またオーストロネシア語系の古単語も古日本語には見つかっているそうですが、それは当然「O1a」が話していたはずのオーストロネシア古語の持っていた語彙のはずです。

●ところが、紀元後になり中華王朝の膨張に伴い韓半島から続々と中華王朝辺縁部の黄河文明系「O3」集団がはじき出されて渡来・移住するようになりました、複数の戦闘集団が前後して列島に日向など各地に占領地を設け、最終的に縄文-弥生交配集団の中心地だった畿内を目指して侵攻し、ある集団が渡来集団同士の戦いを制して大和に占領軍の王朝を築くまでになりました。我が縄文-弥生遺伝子集団は下等な民として扱われたわけです。

  この占領軍のGHQは大和朝廷と称され奈良盆地に置かれ、支配階級は大和朝廷族となり漢語を日常語(母語)として読み書き話し、平安時代に最終的に百済系朝廷族が勝ち残りました。百済は一般民衆は呉音系のY-DNA「O2b」ですが支配階級は「O3」で唐音系だったようです。

  そしてこの2番目の外来語である漢語を母語とする大和朝廷族は先住民の縄文-弥生交配集団を支配・懐柔するため漢語から縄文語へ翻訳するためにかな・カナ文字を開発して読み下し、支配用の当時の古漢語の語彙を列島隅々まで浸透させ一気に列島の支配者にのし上がったのです。そしてできあがったのが正統性を主張し都合のよい経緯を書いた記紀です。こんなものは我々縄文-弥生交配遺伝子集団から見れば進駐軍のたわごと・絵空事に過ぎないのです。無視しましょう!

●一方、武士階級では、高句麗系武士団(坂東武者系)や新羅花郎系武士団(源氏系)など韓半島から渡ってきた武士団族も「O3」漢語派だったため、縄文語に武士団系の語彙がかなり取り込まれたはずです。武士団は地元に根を下ろし地元密着型になり力を蓄え大和朝廷族と覇権争いを繰り広げることになったわけです。

●しかし幕末の動乱期まで日本列島の中で全員が話した標準言語はまだなく、支配階級と一般民衆は同じ言語を話していたわけではありません。幕末から明治の動乱期に第三の外来語である明治新政府系の新作語彙や翻訳語彙や西欧諸国の語彙が洪水のように入り込み、縄文語の文法の上にどんどん上積みされ日本語の祖語に昇華・熟成されたのです。しかしこれでも日本語の完成ではありませんでした。明治の標準語とされたのは明治政府の教育を握った長州閥の山口弁でした。

●日本語が完成したのはほんの60年程度前の第二次大戦後です。あたらしい教育によって今我々が話している現代標準語になりやっと日本語になったのです。日本語の歴史は極めて新しいのです。それまで縄文語にオーストロアジア古語の弥生語語彙と漢語の語彙が上積みされた複合言語だったのです。話し手も階級によって分かれていました。

  以上、語彙は時代と共にどんどん新しい文化のものが追加され古いものは消えて行き、言葉遣いも同時に変化して行きますが、最も基層になっている文法は縄文語、それも古代遺伝子Y-DNA「D」の話していた古代語です。このため地理的に極めて近いはずの朝鮮半島も台湾も極東の諸民族も日本語とは全て言語体系が全く異なるのです。しかし日本語は古い外来語彙をどんどん取り込んできたため、今でも古語の語彙は似ているものも結構あるのです。
http://galapagojp.exblog.jp/i35/


日本列島の農耕を請け負ってきた長江文明の子孫は、農村という代表的な日本の原風景の一つの担い手として縄文語の文法の上に農耕文化関連の単語を大量に上乗せし、縄文語を豊かなものにしたのです。

日本列島の言葉を決してオーストロアジア語文法に代えることはしませんでした。なぜなら圧倒的に縄文人の人口の方が多かったからです。弥生人は自分たちのオーストロアジア語の文法を捨てて溶け込む道を選んだのです。
http://galapagojp.exblog.jp/i34/

大和朝廷族と武士団族は韓半島での勢力争いに敗れて、武力を持った武装勢力として日本列島に流れて侵略したのですが、狩猟用の戦闘力しか持たなかった縄文・弥生交配集団を武力で征服・支配し神話も乗っ取り、大和朝廷を現在にまで存続させるという奇跡を成し遂げたのです。
http://galapagojp.exblog.jp/16672971/


日本人のガラパゴス的民族性の核をなすのは、縄文系ではなく侵略者系のY-DNA「O3」です。

楽浪郡、帯方郡など中華王朝の出先機関が牛耳っていた韓半島での生存競争を勝ち抜くことができず、流れ者武装集団として日本列島に逃げ込んできた戦闘集団の中で最後に勝ち残ったのが大和朝廷族となり、敗れた集団はその他天神集団となったようです。

最後に勝ち残った百済系大和朝廷族の親衛隊からのし上がった戦闘要員の中から平氏が生まれ、高句麗から落ち伸びた戦闘集団の中から坂東武者が生まれ、新羅の落ち伸び花朗集団の中から源氏が生まれ、このような韓半島出自のY-DNA「O3」を中心とする武士団族が縄文-弥生交配集団が居住していた地方を制圧し力を蓄えていったようです。

日本列島はこうして韓半島発のY-DNA「O3」漢族出自の大和朝廷族と武士団族という侵略者達に征服されたのです。

そして漢語で読み書きをしていた少数派の征服者は大多数の縄文-弥生集団をコントロールするために漢語を読み下しできるように「かな・カナ」を開発し、縄文系と長江文明・呉・楚・弥生系の神話を盗み取り自分たちの神話に付け加え、大和朝廷族があたかも古代から日本列島を支配していたように神話を改ざんし記紀をでっち上げてきたのです。
http://galapagojp.exblog.jp/16831514/


記紀の神武東征に象徴されているように、漢語を話す漢族の端くれだった韓半島を追い出された大和朝廷族は(その頃の韓半島南部は弥生人と同じ呉系長江人のY-DNA「O2b」が民衆層を形成していたはずです)日本列島の恐らく九州に上陸し旧唐書が言うように「日本」なる小さな拠点を形成し侵略遠征を開始し、山陽道に既に割拠していた先陣の「O3」集団や縄文−弥生先住民土着集団を征服しながら大阪平野から奈良盆地を制圧し列島侵略に成功したのです。というより最後に勝ち残った「O3」集団が大和朝廷を名乗った、というのが正しいでしょう。

  記紀神話は、征服した先陣・先住集団の祖先伝承の都合の良い部分を取り込み創りあげたものです。そして確立した大和朝廷は漢語の支配する漢族の官僚が運営する政府でした。その後の日本列島はこの漢族朝廷と漢族官僚が文字通り牛耳ってきた中国化というより漢化されつつあった土地だったのです。

  日本人が漢族大和朝廷支配のもと漢民族に同化しなかった理由は1万年以上に渡る縄文時代とその後の弥生時代で日本列島が人口も含め完全に縄文・長江混成文化の風土が確立していたからです。漢族側が、人口的に大勢であった日本語の文法であるY-DNA「D2」の縄文語に合わせかなやカナを開発したように漢族側が歩み寄ったことが、日本人が漢民族化しなかった理由でしょう。何故歩み寄ったのかは今後の調査が必要です。
http://galapagojp.exblog.jp/15362496/


今や世界最大の遺伝子集団となったY-DNA「O3」抜きに日本民族は語れません。何かの本に和泉式部日記の時代の大和朝廷族は読み書きを含め漢語を話していた、完全な漢文化民族だったと、確か女性の研究者だと思いましたが、ハッキリと書いていました。その通りだと思います。

いづれにせよ王族と宮廷官僚たちは明らかに「O3」と思われます。新羅に敗れた後、「O3」ボートピープルが日本列島に押しかけ好戦的な「O3」は縄文−弥生交配集団と闘いながら最終的に大和朝廷を興したのでしょう。

蘇我一族は蘇我蝦夷の名前が占めすように縄文ー弥生系の土着集団だったのではないだろうか。当時奈良という土地の支配者だった縄文ー弥生系が「O3」に負けた歴史を書いたのが占領軍が書いた日本書紀です。縄文ー弥生の子孫を自認する小生から見ると、大和朝廷族は異遺伝子集団の占領軍に過ぎないのです。宮中独特の言葉と言うのはその時代の漢語の名残に他ならないのでしょう。
http://galapagojp.exblog.jp/15270404/

漢人(「O3」族)の言葉は八母音、縄文ー弥生系の言葉は五母音だった

韓国語と日本語はどちらもウラル・アルタイ・ツングース語族に属し、非常によく似ています。 弥生時代以後の本土日本民族(主として九州・四国・本州に住む日本人を指します)が、東南アジア起源の南方系モンゴロイドと、中国大陸および朝鮮半島起源の北方系モンゴロイドの混血であることは考古学にも生物学的にも証明されつつあります。 そして生物学的には南方系モンゴロイド1〜2割に対して、北方系モンゴロイド9〜8割程度の混血だと言われています。 南方系モンゴロイドの血が濃い日本人の典型としては俳優の緒方拳を、北方系モンゴロイドの血が濃い日本人の典型としては俳優の中井貴一を思い浮かべていただければ、何となく両者の特徴を把握できると思います。

また弥生時代以後も朝鮮半島から絶え間なく渡来人がやって来て、古代日本の歴史と文化に多大な影響を与えました。 このことから、古代日本語が古代朝鮮語の影響を強く受けていることは至極当然だと思われます。 例えば「万葉集」の表記法として有名な万葉仮名は、日本の国文学者によれば日本独自のものだとされ、教科書でもそのように説明されています。 しかし実際には、古代の朝鮮にも「吏読(イドゥ)」と呼ばれる万葉仮名方式の表記法──古代朝鮮語を漢字の音読みと訓読みの音だけを使って表記したもの──がありました。 年代的にみて、古代日本の万葉仮名はこの吏読を真似したものと思われます。

万葉仮名では同じ「イ」「エ」「オ」という母音を持つ音が2つのグループに分けられ、2種類の漢字ではっきりと区別して表記されています。 このため現代の言語学者や国文学者は、多い方を「甲類」、少ない方を「乙類」と呼び、その区別について色々と議論しています。

ある学者は古代の日本には現在の5つの母音「アイウエオ」以外に、さらに3つの母音「イエオ」があったのではないかと主張し、別の学者はそれらの母音は条件異音――前後の音環境によって同じ音が異なる音声として表れる現象――を異なる漢字で表記したものだろうと主張し、また別の学者は文法的な使用法の違いによるものだろうと主張しています。

この一見難解で高度に学問的に思える議論は、韓国語のフィルターを通して眺めますとあっけないほど簡単に答が得られます。 現在の韓国語には10種類の単母音と11種類の複合母音(2種類以上の母音が合成されてできた母音)があり、古代朝鮮語では、さらにもう数個の母音があったと言われています。 古代朝鮮語の影響を強く受けていた古代日本語にも、同じように現在よりも多くの母音があったと思われます。 このことを踏まえ、母音と発声法の関係を図示しますと次のようになります。


※口を大きく開くほど前母音と後母音が
中母音に近づき、区別がしにくくなります。

(1)普通のイ、発音記号で表すと「i」。

日本語の「イ(万葉仮名・甲類のイ)」、韓国語の「イ」、英語の「i(sitのi)」

(2)イとウの中間音、発音記号で表すとmのひっくり返った記号。

古代日本語の「イ(万葉仮名・乙類のイ)」、韓国語の「ウ」。

(3)普通のウ、発音記号で表すと「u」。

日本語の「ウ」、韓国語の「ウ」、英語の「oo(bookのoo)」。

(4)普通のエ、発音記号で表すと「e」。

日本語の「エ(万葉仮名・甲類のエ)」、韓国語の「エ」、英語の「e(getのe)」。

(5)口を半開きにした「ア」、発音記号で表すとeがひっくり返ったもの。

韓国語に少し前まで存在した「ア」、英語の「a(agoのa)」。

(6)普通のオ、発音記号で表すと「o」。

日本語の「オ(万葉仮名・甲類のオ)」、韓国語の「オ」、英語の「o(omitのo)」

(7)エとアの中間音、発音記号で表すと「ε」。

古代日本語の「エ(万葉仮名・乙類のエ)」、韓国語の「エ」、英語の「a(maryのa)」。

(8)口を大きく開けたアに近いオ、発音記号で表すとcのひっくり返った記号。

古代日本語の「オ(万葉仮名・乙類のオ)」、韓国語の「オ」、英語の「o(stopのo)」。

(9)普通のア、発音記号で表すと「a」。

日本語の「ア」、韓国語の「ア」、英語の「a(calmのa)」。

つまり古代の日本語には、「アイウエオ」以外に、ウに近い「イ」、アに近い「エ」、アに近い「オ」の3つの中間音的な母音、つまり乙類の母音があったと考えられ、これらの母音は韓国語には現在も存在するのです。 漢字の韓国語読みではこれらの母音ははっきりと区別して使用されていますので、漢字を知っている韓国人が万葉集を読みますと、日本の専門の学者でなければ区別できない甲類と乙類をごく簡単に自然に区別することができるということです。

古代の日本語に存在した3つの母音が時代が経つにつれて消滅し、現在の5つの母音が残った理由はある程度想像がつきます。 本土日本人は元々南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドの混血であり、当時の日本列島は現在のアメリカのような移民の多い土地でしたから、色々な言語や方言が混在していたはずです。 そして中間音的な母音は色々な言語や方言によって発音が微妙に違いますので、それらの母音は次第に明確な発音の母音に収斂していったと考えられます。

つまり乙類の「イエオ」は普通の「イエオ」に収斂したと考えられます。 このことは前述の母音と発声法の関係図を見ますと納得できると思います。 図からわかりますように、現在の日本語の5つの母音「アイウエオ」は、発音上、非常に区別しやすい音なのです。 現在でも、各地の方言や神社などで使用される特殊な言葉に中間音的な母音が残されていますが、これは古代の名残だと考えられます。

ただし万葉仮名では区別されていたこれらの母音が、奈良時代後期から平安時代になって漢字と仮名で日本語を表記するようになると、表記上は区別されなくなります。 いくら母音が収斂したとしても、わずか50年ほどで母音が完全になくなるわけはないので、これは大きな謎です。

この謎は、それらの中間音的な母音は実は条件異音に収斂していたため、それを話している日本人はそれらの母音を区別していなかったと考えれば解決します。 つまり万葉仮名は朝鮮からの渡来人が吏読を参考にして編み出した表記法であり、奈良時代後期から平安時代になって、ようやく日本人が仮名を発明して自らの言葉を表記する方法を編み出したという説です。

万葉仮名が朝鮮からの渡来人によって書かれたのなら、条件異音を区別することができた彼等が母音を書き分けていたことも、万葉仮名で書かれた文章の中に古代朝鮮語と思われる言葉があることも納得できますし、日本人が書いた漢字仮名混じりの表記法ではそれらの母音が区別されていないことも納得できます。

飛鳥時代から奈良時代の文化の担い手は渡来人が中心だったことを考えると、朝鮮渡来人が日本語を表記するために万葉仮名を発明したことは十分に考えられます。 これはちょうど、幕末にイギリス人のジェームス・カーティス・ヘボンが、日本語を表記するためにヘボン式ローマ字を発明したのと同じような工夫だったのでしょう。
http://www.snap-tck.com/room04/c01/nihon/nihon01.html


「日本史の誕生〜千三百年前の外圧が日本を作った」岡田英弘/弓立社‘94年  

≪日本語の起源の古さ≫

 日本列島と韓半島の歴史を比べてみて、際立って目立つのは、日本では7世紀の建国直後から国語が発達しているのに、韓半島では、やはり7世紀の新羅の統一からはるかに遅れて、やっと15世紀になって韓国語(朝鮮語)が国語として正式の地位を認められたことです。それまでの新羅朝、高麗朝の時代には、公用語は土着の言葉ではなく、中国語・漢文でした。漢文を日本のように返り点をつけて訓読するのでなく、そのまま漢文を上から下へ、韓国式の漢字音で音読するのです。韓国語が本格的に発達するのは、日本に比べると800年も遅れました。

 日本語は不思議な言語です。近ごろの有力な学説では、日本語の語彙はオーストロネシア系(マダガスカル島から台湾・東南アジア、南太平洋の島々に拡がっている言語)であるとされています。また、日本語の統辞法はアルタイ系の言語(トルコ語・モンゴル語・満州語など)と共通な要素があるとされています。日本語は奇妙な混合語だということになります


≪日本語は人造語≫

 どこの国においても、国語というものは、天然自然に存在するものではなく、建国に際して人工的に作りだされるものである。これが歴史の法則で、日本語も例外ではない。

 7世紀までに韓半島から日本列島に流入してきた人々は、それぞれグループごとに中国語の方言を話していたと考えられる。方言と言っても、現代の福建人・潮州人・客家人・広東人・海南人がたがいに話が通じないのと同様、秦人・漢人・高句麗人・百済人・新羅人の間ではたがいに話が通じなかっただろう。

 日本列島の雑多な種族たちは、新羅に併呑されて独立と自由を失わないために、倭国王家の天智天皇のもとに結集して、日本国を作りあげる。中国語を国語とすることは危険であった。新羅の公用語が中国語だから、別の途を選ばねばならなかった。それは漢字で綴った中国語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探しだしてきて置き換える、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考案して、それに漢語と同じ意味をむりやり持たせる、というやり方である。これが日本語の誕生であった。


≪「万葉集」に見る国語開発≫

 柿本人麿から山上憶良まで、半世紀の間にはじまった国語の開発は、情緒を表現する韻文の詩歌に関する限り目覚ましく成功したが、」より実用的・論理的な散文の文体の開発は、百年たってもなかなか成功しなかった。


≪散文は未発達≫

 紀貫之の時代から百年をへて、11世紀の初めに紫式部の「源氏物語」が現れてもまだ、散文の文体の開発が完了したとは言えない。日本語の散文の開発がおくれた根本の原因は、漢文から出発したからである。

 結局、19世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語(ことに英語)を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確定することになった。


≪日本型の歴史は反中国≫

 日本の歴史は、720年に完成した「日本書記」に始まる。倭人たちが7世紀に突然、目覚めて、日本人となったのは、中国の脅威に対する自己防衛の必要からである。

 いずれの文明でも、最初に書かれた歴史の枠組みが、人間の意識を規定してしまう。「日本書紀」の表現する日本は、中国と対立する。まったく独自の正統を天からうけついだ国家であるという思想は、長く日本の性格を規定した。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/706.html

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アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書) – 2016/2/8
瀬川 拓郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%A8%E7%B8%84%E6%96%87-%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E6%8B%93%E9%83%8E/dp/4480068732


日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
 

日本人や日本文化が世界で最近、注目されている。

理由や現象は敢えて並べないが、一言で表せば思考方法や行動、言語等が人類の本源的、源流的であるという点。裏返せば独自的、孤立的、世界中に広がった他の地域、人類との類似が少ないという点ではないだろうか。

最近の研究で言語学的にも遺伝子的にもそれは証明されてきており、人種の孤島として縄文人、アイヌ人の事を書いた著書の一説を紹介したい。


「アイヌと縄文」〜瀬川拓郎著

>「人種の孤島」としての縄文とアイヌ

本土人、琉球人、アイヌの遺伝的多様性の分布を見ると、それらは他の東アジア人や、ヨーロッパ人と混血した中央アジアの人々(ウイグル人、ヤクート人)のまとまりとは反対の方向に分布しています。

 現代の本土人、琉球人、アイヌは直線状にならび、この順でアジアの人々から離れていきます。直線の延長上にはかれらの共通祖先である縄文人が想定できます。つまり本土人、琉球人、アイヌのDNAを特異な方向に「引っ張って」いるのは縄文人であり、そのことは縄文人が現代のどの人類集団とも大きく異なる特徴を持っていたことを物語っているのです。

縄文人は、上下の歯が爪切りの刃のように嚙み合い、彫が深く、鼻が高いといった形質的な特徴をもっていました。これはアイヌにも共通します。

そのアイヌは形質人類学では長くコーカソイド(ヨーロッパ人)に分類されてきましたが、1960年代に総合調査が行われ、歯冠の形などから本土と同じモンゴロイド(アジア人)であると結論付けらました。

ただし、先のアイヌの特徴は一般的なモンゴロイドとは異なるものです。一般的なモンゴロイドとは異なるものです。そのため、形質人類学者はこれに頭を悩ませ、現代モンゴロイド成立以前のモンゴロイド、すなわち原モンゴロイドという仮想的な集団を設定し、アイヌをこれに帰属させたのです。

つまり、私たちが常識のようにみなしているアイヌ=モンゴロイド説は学界で完全に受け入れられているわけではありません。形質人類学者の百々幸雄はアイヌがどの人類集団とも異なる、現生人類という大海に浮かぶ「人類の孤島」であるとし、アイヌと縄文人は「出アフリカ」をはたした現世人類が、ヨーロッパ人とアジア人に分化する以前の状態を保っているのではないかと述べています。(百々2007年)

このこととかかわって興味深いのは、同学者の山口敏が旧人のネアンデルタール人のあとに出現した、化石現生人類のクロマニョン人と縄文人の類似性を指摘し、縄文人の形態的特徴は、現生人類のなかの古層に属すると見なされている事です。

 日本列島の縄文人は北海道から沖縄まで形質的な共通性をみせています。かれらは地域性がはっきり認められず、均質な形態をもつ人々でした。つまり縄文時代の日本列島には、アイヌにうかがわれるような「モンゴロイド離れ」した人々が暮らしていたのです。

1万年以上続いた縄文時代には、日本列島をとりまく朝鮮半島、中国、台湾、サハリンとの交流はほとんどありませんでした。そのため縄文人のヒトとしての特異性はかなり純粋に保たれてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

同様に言語学でも日本語、アイヌ語は世界中の言語から孤立している。


>日本列島を含むユーラシア大陸では2500以上の言語が話されています。ただし、同系関係を辿っていくと、これらのほとんどはアルタイ系言語、シナ・チベット系言語、インド・ヨーロッパ系言語のようなわずか10あまりの大きな「語族」にまとめられます。

その中で同系関係がたどれず系統的に孤立していた言語はわずかに9つにすぎません。さらにその約半数が日本列島の周辺に集中している。日本語、アイヌ語、朝鮮語、サハリン先住民のニブフ語です。

これ以外はピレネー山中のバスク語、西シベリアのケット語、インド中部のニハーリー語、東ヒマラヤのクスンダ語でいずれも人里から離れた辺境地帯の言語である点が共通しています。

言語学者の松本克己はこのうち日本列島周辺に集中する日本語、アイヌ語、朝鮮語はかなり旧い時代につながっていたと述べています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。

言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。

それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=312916

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京都を中心に近畿地方の人達は平均的な日本人のデーターと全く違う数値を示します。

100%朝鮮からの渡来人の特徴を示すそうです。


京都中心とする近畿地方では渡来人の文化圏を作り混血が進まなかったと思われます。
http://www.ishikari-...cs/2013/10/10-7.html

はい縄文時代の西日本はスッカスカ
http://web.joumon.jp...5%AF%86%E5%BA%A6.gif

ここでもスッカスカ
http://ichigen-san.c...2014/07/15/photo.jpg

弥生期に渡来人が増えるまでスッカスカ
http://homepage2.nif...nin/jinkoubunpu1.jpg


日本語は百済語と近接しているという説は多い。

ブログ「日本語と韓国語は同系語」
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-3a69-1.html


という中から信憑性のある部分を紹介します。

>飛鳥〜平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。

「宮廷語」も日本全体から見れば、宮廷という限られた区域の方言である。

『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった。

大和朝廷で働いていた人たちの生活の本拠地は「飛鳥」で、『続日本紀』『姓氏録』によれば、飛鳥地方の住民の80〜90%は朝鮮人であったという

飛鳥地方を中心に活躍していた聖徳太子は蘇我氏(朝鮮人―当時の実質天皇)の一族で、妻も蘇我氏の人である。

日本で最初に建てられた寺院「飛鳥寺」は蘇我氏の氏寺で創立者は蘇我馬子である。

明日香村にある日本最大級の横穴式古墳「石舞台古墳」の埋葬者は蘇我馬子ではないかとされている。有名な「高松塚古墳」は明日香村にあり、中に描かれた彩色壁画の婦人像の着衣は古代朝鮮人の服装そのままである。

なぜ「飛鳥地方で使われていた言葉は朝鮮語(主に百済語)であった」と言われているか、下記に列挙した研究者の言葉を見れば一層その信憑性に気づくのではないだろうか。


※「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(朝鮮人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)

※「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)

※ 日本書紀は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。 (上田正昭らの対談集)

※ 飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)

※ 平安時代までの日本文化は外国のもの。日本の王朝文化は百済と同じ。
(司馬遼太郎・丸谷才一 他)

※ 朝鮮半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を開花させた。
(国弘三恵)

※ 唐への留学僧は百済人であった。当時の僧侶の言葉は百済語であった。
(金達寿 司馬遼太郎 上田正昭らとの対談集)

※ 日本国の誕生にもっとも力を発揮したのは、白村江の戦いの敗北で渡来した百済人。『日本』という国号をつくったのも百済人。(文定昌)


司馬遼太郎は「平安時代までの日本の文化は外国のもの、日本らしくなったのは鎌倉時代になってから」と述べている。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は国を追われ、王族・高官などのエリートがたくさん倭国へ亡命した。

故国を失い百済再興の夢を倭国に託した百済人は、奈良時代に「日本」という国号を作り、倭国の文化を根底から変える著しい日本文化の礎石を「飛鳥」に置いたのである。

従って、「百済の王朝語」が「飛鳥王朝の宮廷語」になり、雨後の竹の子のように生まれた「宮廷文学」の言葉は、それ以後の多くの知識層の文学作品の言葉として使われ、結果的に江戸・明治・大正・昭和の学問・文学などの用語として日本全国に広がって行った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上抜粋ーーーーー

これらを読むに付け、日本の宮廷、天皇、王朝を語る際に「百済」という朝鮮半島から消えてなくなった国家が大きく影響している事が判る。

それを日本土着のものに取り戻すのに鎌倉時代までの400年かかっている。
しかし再び明治以降、この百済の復興が天皇を担ぎ上げる事によって為された。

百済王朝が日本に亡命してまだ1300年しか経っていない。

この影響は日本語という言葉の中に浸透しただけでなく日本人の気質や一つに成り切れない民族の核心部にまだ残っているのではないか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=314004

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【言語の進化】8.1.5万年前〜1万年前頃の抱合語
 
アイヌやエスキモーやインディアンは、現在でも、一つの文言を一語で表す抱合語を使っているが、それら隔絶された地域に残された抱合語は、人類が洞窟から出た後の原初的な言語の形を現在に伝えていると考えられる。
 
エスキモー語の例
qayar−pa−li−yug−a−qa(カヤック−大きい−作る−たい−私−お前)
           「私はお前に大きなカヤックを作ってやりたい」


アイヌ語の例
a−e−kore(私−お前−与える)「私はお前に与える」※「て・に・を・は」
                          がない一語。

a−e−ipe−p(我々−それ−食事する−物)「食器」


 
アイヌ語では、主句・対象句・述句という語順規則が見られるが、エスキモー語の場合、語順規則も明確ではなく、その瞬間瞬間に最も言いたい言葉を順に並べただけのように見える。

おそらく、より隔絶度の高いエスキモー語の方が古い言語だと考えられ、洞窟を出た原初の言語は、エスキモー語に近い、「て・に・を・は」はもちろん、語順規則さえ明確には定まっていない(言いたい単語を言いたい順に並べただけの)一言だったのだろう。

つまり、1.5万年前の人類の言語は、エスキモー語のように、語順規則もさだまっていなかったと考えられ、1万年前頃に、ようやくアイヌ語に見られるようにS・O・Vの語順規則ができたと推定される。

(なお、アイヌはユーカラという長大な伝承物語を持っているが、部族の物語を伝える程度の文言ならば、て・に・を・は(関係詞)無しでも用は足りたという点は、注目すべきだろう。又、アイヌ語は縄文語から枝分かれしたと見られており、そうだとすれば縄文語も原初は抱合語であったことになる。この点も、興味深いところである。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=314835

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 7世紀までに韓半島から日本列島に流入してきた人々は、それぞれグループごとに中国語の方言を話していたと考えられる。
方言と言っても、現代の福建人・潮州人・客家人・広東人・海南人がたがいに話が通じないのと同様、秦人・漢人・高句麗人・百済人・新羅人の間ではたがいに話が通じなかっただろう。

 日本列島の雑多な種族たちは、新羅に併呑されて独立と自由を失わないために、倭国王家の天智天皇のもとに結集して、日本国を作りあげる。

中国語を国語とすることは危険であった。新羅の公用語が中国語だから、別の途を選ばねばならなかった。

それは漢字で綴った中国語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探しだしてきて置き換える、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考案して、それに漢語と同じ意味をむりやり持たせる、というやり方である。これが日本語の誕生であった。


 柿本人麿から山上憶良まで、半世紀の間にはじまった国語の開発は、情緒を表現する韻文の詩歌に関する限り目覚ましく成功したが、」より実用的・論理的な散文の文体の開発は、百年たってもなかなか成功しなかった。

 紀貫之の時代から百年をへて、11世紀の初めに紫式部の「源氏物語」が現れてもまだ、散文の文体の開発が完了したとは言えない。日本語の散文の開発がおくれた根本の原因は、漢文から出発したからである。

 結局、19世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語(ことに英語)を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確定することになった。


【出典】「日本史の誕生〜千三百年前の外圧が日本を作った」岡田英弘/弓立社‘94年  
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/706.html


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日本語は縄文由来
http://web.joumon.jp.net/blog/2017/03/3176.html

日本語は言語学的にも独立言語でありほぼ人類最古の方の言語に類する。

この日本語がほぼ一貫して変わることなく縄文ー弥生―現在へと引き継がれてきた。

母音を言語脳(左脳)で聞き分ける日本語は擬態語(ザーザー、しとしと等)が多い。そして日本語以外のほとんどの地域の言語が音声を左脳と右脳で使い分けるのに対して全ての音を左脳でとりいれる日本人は特徴的でもあり、それ故に自然の音を細かく聴き分けることができる。これが日本人特有の同化能力の基盤となり、自然に向けた同化能力を使って、現在でも人や社会に視座を向けることが可能な民族として存在している。


★自然の音を左脳で取り入れる日本人、その特徴を明らかにしたのが角田教授である。
⇒やっぱり、『日本語』はすごい言語のようです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=222237


★日本語研究は進んでいるが、結局今判っているのは日本語はどの系統にも属さない独立言語であるという事のようだ。

アルタイ語起源説やタミル語起源説、朝鮮古語起源説などがあるが、部分的に類似しているというだけで母音言語であり膠着語である日本語を定義つけるとしたら人類古語が起源であり、それを今も脈々と残しているのは日本と世界中の辺境の小部族だけという事になる。

学説で解明できないのは日本語がどこからの由来かという視点で見ているからなのだろう。


⇒日本語の起源研究の状況
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=184840

⇒日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=242652


★日本語がなぜすばらしい言語なのか 黒川伊保子氏の著書を読めばストレートに伝わってくる。


日本語はなぜ美しいのか (集英社新書) – 2007/1 黒川 伊保子 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%92%E5%B7%9D-%E4%BC%8A%E4%BF%9D%E5%AD%90/dp/4087203743


黒川氏が語る日本語の特徴を要約すると以下のようになる。


@ 日本語を含めて「言語」には、共認機能や観念機能の構造との密接な関係があるはずで、これを追求することには、大きな可能性があると思われる。発音体感と対象(実態)の一致は、日本語に顕著であり、日本語こそが「始原の言語」、太古よりこの土地で育まれた言語であると述べられている。

A 母音語の使い手は、自然とも融和する。
母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。

B 何千年も続く、豊かな自然が、私たちに、融和する母音語をもたらした。
一方で、融和して共存する日本人の特性は、日本語という母音言語がもたらしているとも考えられる。なぜなら、DNA上日本人とまったく無関係でも、日本語を母語として育つと、母音を左脳で聞くようになることが確認されているからだ。環境は言語を作り、言語は人を作るのである。

C 子音言語に比べ圧倒的に長い歴史を持つのが母音言語で、その原型を現在まで引き継いでいるのが日本語と言えるかもしれない。自然に同化し、調和する日本語とはこれからの共認時代に相応しい、時を得た言語なのではないだろうか。

黒川氏の著書の記事を集約しています。参考に一読いただければと思います。

⇒始原の言語・日本語の可能性〜むすび
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/09/001437.html

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萬葉集と風土記に見られる不思議な言葉と上代日本列島に於けるアイヌ語の分布
アレキサンダー・ヴォヴィン 国際日本文化研究センター, 2009.3.12.
http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/foru/2009-03-12/pub

アイヌ語と日本語との関係は非常に複雑であると思う。近年、上村幸雄氏はアイヌ語と
日本語が同源要素を持つ可能性について多数論文をお書きになり上(村80PPOOωP
POOωFPOOメPOO。。)、大変勉強になった。私も以前は諸言語の関係を同源説の観点から研
究していたが、ここ八年間に私の研究の焦点は日本列島諸言語とその周辺の諸言語の接点
に移り変わったので、今回は主にアイヌ語から日本語への借用語とそれに基づいた上代口n
本列島におけるアイヌ語の分布について発表させて頂くつもりである。
現在通説となっている伝統的な意見は、上代日本語にはアイヌ語からの借用語は殆どな
、というものである。たとえば佐伯梅友氏は、上代中央日本語に見られる冨巳冨〜冨巳日冨
「桜の皮」のみをアイヌ語の冨旨冨「山桜の皮」の借用語として挙られた佐(伯ピいPωP。)
しかし、以下で示すように、冨巳冨〜ξ巳目冨「桜の皮」のみが唯一の例ではない。
アイヌ語が上代日本列島において少なくとも東北地方の全地域で話されていたというこ
とはもう定説になったと言ってもいいであろう。地名はいうまでもなく、東北の方言には 「山の言葉」として残っているアイヌ語の言葉もある金(田一POO命宝Oーミ)。また、関
東の古い地名を見ると、「武蔵」元(来万葉仮名音声表記「牟射志」\日信N婁.\)、「阿之賀利」
\琶、冨ミなどは日本語の地名ではなく、アイヌ語であると解釈できる。
1
〈地名一関東〉
「牟射志」\85N.9・。く「武蔵」
たとえば、「牟射志」\目⊆N.9・。ぐは東国歌に出る。
萬一四二壬二七九武(蔵国の歌)
和我世故乎安杼可母伊波武牟射志野乃宇家良我波奈乃登吉奈伎母能乎
わがせこをあどかもいはむむざしののうけらがはなのときなきものを
我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを
2
「牟射志」く目`N9.。。ぐは蕾目き。。。。一に遡る。梼日巷旨巴は日本語としての解釈は困難だが、
アイヌ語では完全に意味が通る。アイヌ語目自「草」服(部一〇ひ井6ひ)、夥「濱」知(里ちいひ親  
=ω)、「野原」】(W9一〇げ0一〇円一〇Pひ日N甼Oり)、自三人称所有接尾辞(日本語では臣-は。・-一になる。
後述の上代東国日本語の言葉である「思太〜之太」葭量.\「時」〈アイヌ語ぼ$も参照)。
従って、武蔵は「牟射志」\目N`9.。。ぐく蒡目巷。・色く梼日き。。甲ぼ「草の野原」であろう。武
蔵は東京に変わる以前は、日本で一番大きい草の野原だったにちがいない。
「阿之賀利」\9巴、 Qσ巴\「足柄」
あしがら 次に「足柄」を見てみよう。「阿之賀利」\琶q、僧αユ\または「安思我良」\婁q。輿σ9\という
地名も東国歌に出てくる。
萬一四・三四三一相(模国の歌)
阿之我里乃安伎奈乃夜麻尓比古布祢乃斯利比可志母與許己波故賀多尓
あしがりのあきなのやまにひごふねのしりひかしもよここばこがたに
足柄の安伎奈の山に引こ舟の後引かしもよここば来がたに
萬一四・三三六三相(模の国の歌)
和我世古乎夜麻登敝夜利弖麻都之太須安思我良夜麻乃須疑乃木能末可
わがせこをやまとへやりてまつしだすあしがらやまのすぎのこのまか
我が背子を大和へ遣りて待つ時す足柄山の杉の木の問か
一3
阿之賀利\量。q巴σ\または安思我良\9巴、。。9逗には後世「足柄」という漢字が当てられた
としても、地名として余り意味が通じないだろう。安思我良\琶。 q碧oミは阿之賀利\蟲、q豊σ\
より頻繁に現れるが、この音声上の違いは\婁. q9ユo\〉\琶。。σ鐔ミの音声同化の結果であろ
う。ところで、阿之賀利\9巴. q9ミσは北海道にある「石狩川」の一・。貯9ユ一[。。一q卑σ二]を連想させ
はしないだろうか。アイヌ語の。・貯9ユの[督9邑は。。貯・二。。[お9包「川の中の水の回流する所」
または罕冨ユ「迂回する、回る、回流する」として解釈される傾向がある知(里おいひ親一PO)。
アイヌ語の冨ユは「回る、徘徊する」という意味を持っている菅(野POOD…PON)。しかし、冨二
は説明がつくとしても、残りの部分の9。。学は説明が困難である。アイヌ語には一人称の複
数の包括接頭語kがあるが、その甲は他動詞にしか付かない。色-はアイヌ語の。・学「自
分」と解釈する可能性もあるが、私の意見では、そのような解釈は信憑性が低い。では、
もう一つの可能性を考えてみよう。アイヌ語の千歳方言、沙流方言と旭川方言には訝冨巨。
「きれい、清潔な、清い」という言葉がある中(川一〇〇い"ひ)、(田村一遷9P。。)、菅(野PO8…一い)、
太(田POOい"一〇)。アイヌ語では8--子音群はいつも目--に変化するため知(里6いひげ"
一$も一)、中(川・中本一ゆ旨二い)、アイヌ祖語では梼ーヨーを再構しなければならないZ>目9ぐ土(佐風逸四九九・九)或いは「大穴持」\O噌O>Z>
目αミ(出雲風一〇二"五、一〇六"一〇・一二、一〇八"二・一二、一一〇"一、一二
六"四・七、一六六二二、エハ八"六、一八○"八・一二、一八二二、一九〇二四、
二〇二二・八・一〇、二〇四二・三、二〇人"四、二一六二・五、二二〇二、二
二四二四、二二六"二・六、二三六"五・七・九、二一二八"九、二四二…五、伊豫風逸
四九五"六)、『萬葉集』では於保奈牟知\o℃o蠧日三ぐ萬(一人.四一〇六)、そして『目
41 本書紀』では於褒婀娜武智\名。き9巨昌ぐ紀(一・一四)と表記されているので、『古事記』
の「大穴牟遅」も静O勺O諺Z>巨目象.ではなく、\O噌○諺Z>目二↓ぐと読まねばならない。そ
して、万葉仮名の「遲」は鼻音有声子音がある\鞋.の音節のみならず、無声子音がある
註\の音節も表す事ができる。
従って、『肥前風土記』の「比遲波」を\冨象.嚏\ではなく\℃↓ξ9\と読む可能性もある
わけである。『肥前風土記』の言↓喜ミ「岸」という言葉は、他の上代日本語文献にも、中
古日本語文献にも、現代日本方言にも見られない。しかし、アイヌ語には葱号9〜冨8「岸」
という言葉がある。たとえば、幌別方言℃σ号9、帯広方言忌89、美幌方言℃。89「岸」服(
51 部6ひ命Pま)、旭川方言冨言笹「岸」(一位=一DQ=NOO斜"Pいひ)、釧路方言℃。89「岸、川岸」(山
本POO舒一遷)、樺太方言篦8蕁「寄せ波が砕ける海岸の部分」】()。訂9≧ゆ。。9・一を.ξぎ8喜-皀。ゴ巴・・二@婁・・貫弖8霞く。琶ω..牢@ω婁畧8・α冨・・二冨 ⊂巳く・『・・芽亀匡署曁gζ畧8こお=蕗80。唱畧8@巨ゴ@。・α鎚。Q@邑羮 . 。。§談βぴ8三§げ・寄.自。・…。牾§。】-〈。蔘白它唇賽自く。≦・互・菖。旨罠】〈。掃・・.畧.臼驀…巨g 罍巨・§ぎ邑08貯@・88=ぎ旨巴詈 q・α一眷・×Hδ×9づ似奠POOいP=月げ0団ロ血Oh爵0>冒巴OOO巨δδ×9p傷9POOいげ・匡b題ミ鷽瓢菴Q嵩翫60ミミ無、ミ〜蒸Q、無ミミ匙丶◎丶ミ窃、ミ謡Oミξ窺嵩驚鼬・℃9巨一日きko§6赴oき
ミYミ嵩qσ匂ミ恥ミ亀ミ翫、隷oミo丶o堕℃卜爰皆o鐸〉δミ旨亀壁×一×+とP℃づ・"聞o貯o。。8昌Φ"O一〇げ亀O賦@巨巴・
δ×p口血qPOO◎Q9」一℃δδ-f℃o巳oσ@koロユ一げ09000巨。。k。。8目=.ぎ…、、ミo毒ミ謡軸器、腎向ミ題亀ミ翫℃、o竜象聲
厘曽時oi@=o。。≦qαLo『p≦巨酔日き(9。。)●●〉日・。8a9ヨこ卑5ゆo彑9目言ω…P8。0Ψb歹玉でいひ・
5×きα2NO。OGげ(8§8巨昌q)σ●鼠b題ミ鷽嵐蕊匙嵩亀Oo耄ミミ丶菴Qミミミミ£丶ミ鮮向紺ミOミ書亀ミ吻馬丶ミ、
9惹§§℃譚蚤退§・穿為ミ§§蕩`ミミ・・`毳§・ミ§・×××+。。。。。bb`。器・・喜ρo喜巴9ぎ件鉾

1北海道教育大学旭川校の井筒勝信先生はアイヌ語への翻訳をしてくださつた。感謝申し上げる。
2標準語でも\げぐはよく強\と発音される。たとえば、≧δ\「人」〉[簿o]。その音声変化は多くの
日本方言だけでなく、韓国語の方言にもツングース諸言語にもよく見られる。また、上代日本語には
\ミという音素がなかったことも忘れてはならない。
3ところで、この反映は母音の間に出る上代日本語の無声破裂音\b\uミΨミは有声破裂音[げ尸[色"q][α
として発音されたという=9日き。と昌q9oの仮説(}山卑【P9コOPOOO)、(C昌qgoPOO伊POOい)に対するもう一 つの版袵鬣 す娩田濯絡輜勤仮説への他の反証についてく。<一昌巴(Oいσ"ωSω。。)を参照. 4『源平盛衰記』は『源平盛衰記』とも知られている。
5アイヌ語o冒≦吋三卑「はこべ」は」U讐9@δ円の辞典にもo巻ロ冠蠧として記録されてある(一〇Pひ"ωいい)
ので、一九世紀の北海道方言にもあったらしい。
6この伝説をインターネットで探し出してくれた妻の石崎(ヴオヴィン)賛美に感謝を表す。
一53一
7『萬葉集』の第十四巻末に防人歌が十二首も集められてあるが、その内には思太〜之太\ωぎ量\「時」
という言葉は見られない。
8あはのへ\巷 -き19-誘\「逢わなかったりする」に見られる上代東国日本語のーoは(甲類の-罵とし て書かれている)上代東国日本語の特別な連体形であるらしい。後に引用した萬二〇・四四〇七のこ
え爵身-。\も参照。西洋の言語学者の大部分は上代以前日本語(蔑¢6匡旨巷き@ωo)の連体形が元来甲類
の\O\であったと信じている(国巴8≦ q"o。。2農β鬢『一巨きとの個人的だ話し合いによる)。上代東国 日本語では連体形は甲類のδ\とも乙類の\o\とも書かれているが、上代東国日本語では甲類のδ\と
乙類の\α\の区別が消滅したため、そのような混合した書かれ方も納得できる。私の意見では、連体
形は甲類のδ\より乙類の\α\であった可能性が高いと思う。その一つの証拠として、上代中央日本語
の繋辞の昌-の連体形は〒αであることが挙げられる。上に言及した上代東国日本語に現れる -oの連 体形はもう一つの証拠であるとも考えられる。少なくとも、上代東国日本語の\@\と上代中央日本語
の\α\の間に何か密接な関係があったらしい事は確かであろう。たとえば、上代中央日本語の叶欝曾α
「心」と上代東国日本語の冨犀臼o(古今集二〇・一〇九七)を参照。
9『肥前風土記歌謡』の引用は(秋本6い。。)による。しかし、『肥前風土記歌謡』の番号は(土橋一〇い刈)
による。そして、万葉仮名の「素」は上代日本語には\Z。。α\ではなく、\のひ\であるから、仮名の書き
下しには秋本の「ぞ」を「そ」に変えた。
01『肥前風土記』の引用は(秋本一りい。。)による。
11この歌の「遲」は≧\である理由については高木氏などの意見も参照(高木など這いSひPω黯)。
21ただしζ霞。自●ζ蔓艮@が指摘したように、森(一〇〇一)のα\β区別は理解が困難である(80ω勲雪-ひO)。
31『日本書紀歌謡』の引用は(土橋6い刈)による。
41『日本書紀』の引用は(黒板勝美這ひひ)による。
54
51旭川方言の冨89目「岸」はく梼b♀の馨から発展した形なので(太田N8い…一い。。)、需8騨には関係がな
い。
61冒鋳ロはぎ艮「歯」の所属形巨艮二-であろう。千島(鳥居竜蔵資料)巨9『ぎ騨巨「歯」(服部這ひ命ひ)
参照。
η前にはぜ§臣として再構した<(。<巨澤塞い)雪が、今はぜ睫よりはゴーの再構は自然だと
思う。
81例外は・。o目。が助動詞匡「する」で伴う場合に、。。。日。匹が主動詞の後に出る。

注記本書のタイトルは日文研フォーラム第二一五回の原題「萬葉集に見られる不思議な言葉と上代日本列島に於けるアイヌ語の分布」を改題したものである。
http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/foru/2009-03-12/pub

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「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治.2017年12月15日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html

日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。


第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで

第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、

第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。


「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。

第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。

第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。


 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。


世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目


縄文時代を代表する大規模な集落跡、青森市の三内丸山遺跡。復元された6本柱の大型掘立柱建物が威容を誇る
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50003


 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。

 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。

 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。


福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功


(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=2


 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。

 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。

 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。


アジア集団の中で最初に分岐した縄文人


 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万〜8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。

 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」

 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。

分岐した時期は2万〜4万年前の間


 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万〜4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。

 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。


遺伝的に近かった出雲人と東北人


 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。


日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。

 第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。

 このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。


弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土


 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」

沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50007


 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。

 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。

 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。

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ikz********さん 2012/10/19 16:29:16
日ユ同祖論 信憑性はどの程度なのでしょうか。

言語が似ている、歌をヘブライ語にすると意味が通る(君が代、かごめかごめ、 ソーラン節など)という具体的な共通点から、遺伝子が中国韓国人にはないものをもつという根拠不明なものなどが上げられます。

某掲示板では、宗教観が違いすぎる、戦前の白人コンプレックスの日本の学者が作り上げたものだとしているのをみて妙に納得してしまいました。確かにユダヤ教と神道、仏教は違いすぎます。まず一神と多神、偶像崇拝禁止と仏像とで明確です。

ただはっきりどちらに分があるとは判断しにくい部分が多いため詳しい方いたらよろしくお願いします。


aki********さん 2012/10/21 01:10:58

歌の類似性と言えば、和歌がインドの民謡と共通性が高いほうが注目に値すると思います。今でも日本人は海外の文化を輸入して、独自に発展させる才能を発揮していますが、昔もそうだったと考えるべきだと思います。ただし、ヘブライ語と日本語の類似性は他の言語と同程度で、かなり低いと思います。多くは音が似ているだけのコジツケになっていると感じます。

本当に日本語と近いのは、大陸の高句麗語です。言語が近縁かどうかを観察するとき、真っ先に見るのが数詞と言われています。日本語と高句麗語の数詞の比較を行うと、朝鮮語などよりもはるかに近縁の言語という結果が出るようです。

高句麗は滅亡して、その人々は女真族と名を変え、今は満州族と呼ばれています。

彼等は清帝国を築いたわけですが、清の時代に遭難した日本の商人が北京に行って驚いたのが、一二三四ではなく、ヒ・フ・ミ・ヨの日本語の数え方がそのまま通じたことだそうです。高句麗の流れを汲む女真族の言葉を話す人々と、北京で普通に接触できたようです。

百済は扶余・高句麗から枝分かれした王室で、朝鮮半島は異民族支配されていました。

そのため、百済の王室と民は異なる言語を話しているという指摘が、中国側に残っています。

神道の世界には古い朝鮮語が数多く残っていると指摘されることがありますが、実際にはそれが失われた高句麗語という説も出てきています。


高句麗語は日本語と同じ膠着語です。

系統が違う漢民族の言葉と文字がいきなり日本に輸入されたわけではなく、まず漢民族の言葉と直接接していた高句麗語が漢字表記されるようになり、それが、高句麗と近い山東半島や遼東半島付近の海人の手を経て日本にもたらされて、古い神道の祝詞の言葉などが作られていったと考えられます。

纏向型祭祀と高句麗国の東盟祭の類似性も、かなり指摘されているようです。

倭人文化圏が北九州から済州島を経て山東半島や遼東半島付近に分布していたと認識している中国側の史料が幾つか散見されるようです。

卑弥呼寒冷期と呼ばれる地球規模の寒冷化に伴って、飢饉に直面した高句麗地域の人々が日本に渡来した結果、弥生時代が古墳時代に変わっていったという説があるようです。

九州に山東半島原産の三眠蚕が入り、纏向(奈良)にも山東半島付近の製鉄と蚩尤(兵主・天日槍)の信仰が入っています。その結果、天照大神のモデルになった古い日女神を祭った比売許曽(ヒメコソ)神社が建てられるといった現象が起こったようです。

比売許曽は姫を祀る神社という意味の高句麗語(朝鮮古語)です。だから、比売許曽神社の末尾の「神社」は必要のない筈ですが、時代が下って元の意味が見失われた結果、付けられるようになったと考えられます。祝詞にも高句麗語由来の言葉が大量に入っている、というより、本来祝詞は高句麗語(吏読)だったそうです。謎が多いとされる「ひふみ祝詞」は、高句麗語として意味がほぼ通じる形で伝わっているそうです。飛鳥という都の名前も元は高句麗語のようです。

トルコからシルクロードを介して日本まで、膠着語圏が広範囲に広がっています。
文法的に近いため、日本語に輸入しやすかったことが考えられます。


たとえば、天皇を古い時代はスメラ・ミコトと呼んでいました。

シュメール文明と日本語の関係がかなり指摘されていますが、シュメール・ミグトと言えば、天降りた支配者のことで、日本語と音が似ているだけでなく、意味も一致しています。したがって、シルクロードを介して日本に入ってきたのは、なにも古代イスラエルの文化に限られるわけではないと思われます。

秦の始皇帝の兵馬俑はペルシャ式の軍団編成になっていて、ペルシャ人の人骨が近くから出ているようです。

ササン朝ペルシャの滅亡に伴って、シルクロードに逃れた王子が中国に亡命し、妻子を安全な日本まで連れて来ているケースもあるようです。わずか数年で日本とペルシャは繋がる距離にあります。西の文化が日本に断片的に入っていても、不思議ではありません。仏教も入れば、ギリシャ彫刻もガンダーラの地域で形を変えながら伝わっています。

しかし、文化的影響が認められるからと言って同祖論を持ち出すのは、不自然すぎると感じます。それを言うなら、人類はアフリカ原産の動物で、皆同祖という話になります。

遺伝子に関しては本来akatamayorihimeさんが御専門の筈ですが、完全スルーしているようです。相手にする必要もない勘違い、ということだと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195894356


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実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。

かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。

ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。

このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。

Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA

松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM


それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。

どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。

ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。

ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。

構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。

つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。

2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。

擬声語は、たとえば

わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、

おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。

おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。

キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。

そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。

ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。


それだけではありません。

日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。

オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。
では、

 風が「そよそよ」と吹く
 太陽が「かんかん」に照る
 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
 星が「きらきら」光る

などはどうでしょうか。

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。

実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。
中には2〜3万年前のものもあります。

 シベリアの2万年前のもの
 ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。
そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千〜三万年前に新石器時代を迎えていた。」

と述べています。

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。
そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。
ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。
地味だけれど、ずっと咲き続けます。
まるで日本人そのもののようです。

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。

だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。


コメント


新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?

東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2q程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前〜4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。

江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。

僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。

当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。

やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。

彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。

様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。

日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。
2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]


外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。

擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。

また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。

日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は
理解できないようです。

外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、
この言語を意識せず使いこなしている
我々は本当、凄いのかもしれませんね。
2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM.


新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘

新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo

これですね。
2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI


加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん

KIさんへ

動画等のご紹介ありがとうございます。

加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。

『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029

という本です。

この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。

映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。

映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。
写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。

個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。

縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。
2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more

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オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー
http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html

 6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。

5〜13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。

また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。


アイヌ民族と共通性

 大学院理学研究員の増田隆一准教授(進化遺伝学)らのグループで、日本人類学会の英語電子版「アンスロポロジカル・サイエンス」に発表した。同グループは、道東・道北やサハリンの遺跡から発掘されたオホーツク人の人骨102体を分析。うち37体から遺伝子の断片を取り出し、DNAを解読した。

その結果、ニブヒやウリチなど北東アジアの諸民族だけが高い比率で持っているハプログループY遺伝子がオホーツク人にもあり、遺伝子グループ全体の特徴でもニブヒなどと共通性が強いことがわかった。現在、カムチャッカ半島に暮らすイテリメン、コリヤークとの遺伝的つながりも見られた。

  一方、縄文人―続縄文人―擦文人の流れをくむとみられるアイヌ民族は、縄文人や現代の本州日本にはほとんどないハプログループY遺伝子を、20%の比率で持っていることが過去の調査で判明している。
http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html


ニヴフ人とアイヌ語

ニヴフ語はアイヌ語や日本語、朝鮮語と同じように系統のわからない、いわゆる孤立語である。アイヌ語やウィルタ語といった隣り合った言語とも長い接触の歴史があるが、借用語程度の共通語彙しかなくお互いの言語が通じあうことはない。

ニヴフ人はかつて狩猟、漁労、採集を主な生業としていたが、最近の研究では中国(清)と日本との仲介貿易として知られる「サンタン交易」の重要な担い手であったことも明らかになってきた[1]。蝦夷錦や鉄器、毛皮といった商品を積んだ交易船を水面に走らすたくましい海洋交易民族でもあったのだ。
http://ext-web.edu.sgu.ac.jp/hidetos/HTML/mombetsuhandout.htm


ニヴフ語


ニヴフ語は少し昔までギリヤーク語と言われた。こう言うと聞いたことがあると思う人もいるだろう。サハリンが樺太といわれた時も、その遙か昔からニヴフ語はアイヌ語の隣にあった。つまり日本語の向こう隣にあった。奈良・平安時代にオホーツク海沿岸にオホーツク文化という古代文明があった頃、ニヴフの人たちは網走や稚内とか西は江差の方まで活動していたという見方もある。いまでこそニヴフの人たちが主に住んでいるところはサハリンの中部以北とアムール川の下流だけになってしまったが、ニヴフ語は日本地域の諸言語の中の一つであることになる。アイヌの人たちニヴフ人とのつき合いはもちろん古い。しかし日本人との触れあいも稀ではない。例えば間宮林蔵がアムール川を遡って清朝の出先交易所デレンへ行ったとき、同行して案内してくれたのはニヴフの人たちであった。

ニヴフの人たちがどこから来たかを問うのは愚問かも知れない。縄文以来その辺りに住んでいたと考えるほかはないからである。だから当然ニヴフ語も昔からそこにあって、アイヌ語と隣り合っていたに違いない。ところがこの両言語を比べて似ているところはない。おそらく親類ではない。それどころかニヴフ語はアイヌ語よりもむしろ日本語の方に似ている。といっても共通な語彙があるわけではない。ただ文法に構造に比較的共通な面が見られるというに過ぎない。

それに何と言っても人のすがた形がわれわれにそっくりなのには驚く。日本のスーパーマーケットではニヴフ人がレジで叱られる。「日本人のくせに日本語の計算できないの」というわけである。一方、アムールの店では日本人をニヴフ人と区別する目安ははいているジーンズの出来くらいのものである。

アムールの下流には2000人ほどのニヴフ人がネギダール人などと一緒に住んでいる。殆どニヴフだけの村もまだ2,3箇所は残っている。しかし家でも道路でも店でもニヴフ語は聞かれない。名の知れたおばあさんのところへ行って頼んで話していただけれるのがやっとである。一方サハリン全体でもやはり2000人を少し越える位のニヴフ人が住んでいる。だがこちらでは州議会にニヴフの代表を送ったり、著名な作家が活動していたり、あちこちの博物館に学芸員をやっていたり、ニヴフは大活躍である。『ニヴフ語』という新聞(月刊)も出している。だがそれでもニヴフ語が家庭語になっている家は一・二軒か、それもあのおばぁちゃんとあの娘との会話だけかなと言えるくらいである。

公教育でニヴフ語を正課にしているところはアムールとサハリン合わせて二校である。もっとも随意科目としてニヴフ語教室をおくところがほかにいくつかある。それにしては立派な教科書が1970年代から作られ、学習用の辞書も読本もある。しかも北西方言(アムール下流と北西サハリン)と南東方言(サハリンのトゥミ川流域以南)に分かれて、結構使われている。それでもニヴフ語はすでに生活語として使われてはいない。全員がロシア語の母語話者になってしまっている。昔話を語るひとも数えるほどしかいない。この言語の先行きは見えない。いまのところ完全に先細りである。あのお婆さんが亡くなったらどうするんだと思うばかりである。そして事実、一昨年はあの方が、去年はあの人が、という有様である。

しかし『ニヴフ語』の編集と配布に精を出している姿を見て、たとえ余所者であっても、何か手伝いたいと思う。本やビデオ番組を作る手助けでもできればと願う。「危機言語」だなどとよそよそしいことを言わないでほしい!このほれぼれするほどに立派な言語を必死にに守ろうとするひとたちがそこに生きているのだから。

《金子亨:言語学(2006年掲載)》
http://www.chikyukotobamura.org/muse/low060402.html


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アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書) – 2016/2/8
瀬川 拓郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%A8%E7%B8%84%E6%96%87-%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E6%8B%93%E9%83%8E/dp/4480068732


日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
 


日本人や日本文化が世界で最近、注目されている。
理由や現象は敢えて並べないが、一言で表せば思考方法や行動、言語等が人類の本源的、源流的であるという点。裏返せば独自的、孤立的、世界中に広がった他の地域、人類との類似が少ないという点ではないだろうか。

最近の研究で言語学的にも遺伝子的にもそれは証明されてきており、人種の孤島として縄文人、アイヌ人の事を書いた著書の一説を紹介したい。

「アイヌと縄文」〜瀬川拓郎著
>「人種の孤島」としての縄文とアイヌ

本土人、琉球人、アイヌの遺伝的多様性の分布を見ると、それらは他の東アジア人や、ヨーロッパ人と混血した中央アジアの人々(ウイグル人、ヤクート人)のまとまりとは反対の方向に分布しています。

 現代の本土人、琉球人、アイヌは直線状にならび、この順でアジアの人々から離れていきます。直線の延長上にはかれらの共通祖先である縄文人が想定できます。つまり本土人、琉球人、アイヌのDNAを特異な方向に「引っ張って」いるのは縄文人であり、そのことは縄文人が現代のどの人類集団とも大きく異なる特徴を持っていたことを物語っているのです。

縄文人は、上下の歯が爪切りの刃のように嚙み合い、彫が深く、鼻が高いといった形質的な特徴をもっていました。これはアイヌにも共通します。そのアイヌは形質人類学では長くコーカソイド(ヨーロッパ人)に分類されてきましたが、1960年代に総合調査が行われ、歯冠の形などから本土と同じモンゴロイド(アジア人)であると結論付けらました。

ただし、先のアイヌの特徴は一般的なモンゴロイドとは異なるものです。一般的なモンゴロイドとは異なるものです。そのため、形質人類学者はこれに頭を悩ませ、現代モンゴロイド成立以前のモンゴロイド、すなわち原モンゴロイドという仮想的な集団を設定し、アイヌをこれに帰属させたのです。

つまり、私たちが常識のようにみなしているアイヌ=モンゴロイド説は学界で完全に受け入れられているわけではありません。形質人類学者の百々幸雄はアイヌがどの人類集団とも異なる、現生人類という大海に浮かぶ「人類の孤島」であるとし、アイヌと縄文人は「出アフリカ」をはたした現世人類が、ヨーロッパ人とアジア人に分化する以前の状態を保っているのではないかと述べています。(百々2007年)
このこととかかわって興味深いのは、同学者の山口敏が旧人のネアンデルタール人のあとに出現した、化石現生人類のクロマニョン人と縄文人の類似性を指摘し、縄文人の形態的特徴は、現生人類のなかの古層に属すると見なされている事です。

 日本列島の縄文人は北海道から沖縄まで形質的な共通性をみせています。かれらは地域性がはっきり認められず、均質な形態をもつ人々でした。つまり縄文時代の日本列島には、アイヌにうかがわれるような「モンゴロイド離れ」した人々が暮らしていたのです。

1万年以上続いた縄文時代には、日本列島をとりまく朝鮮半島、中国、台湾、サハリンとの交流はほとんどありませんでした。そのため縄文人のヒトとしての特異性はかなり純粋に保たれてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

同様に言語学でも日本語、アイヌ語は世界中の言語から孤立している。

>日本列島を含むユーラシア大陸では2500以上の言語が話されています。ただし、同系関係を辿っていくと、これらのほとんどはアルタイ系言語、シナ・チベット系言語、インド・ヨーロッパ系言語のようなわずか10あまりの大きな「語族」にまとめられます。

その中で同系関係がたどれず系統的に孤立していた言語はわずかに9つにすぎません。さらにその約半数が日本列島の周辺に集中している。日本語、アイヌ語、朝鮮語、サハリン先住民のニブフ語です。

これ以外はピレネー山中のバスク語、西シベリアのケット語、インド中部のニハーリー語、東ヒマラヤのクスンダ語でいずれも人里から離れた辺境地帯の言語である点が共通しています。

言語学者の松本克己はこのうち日本列島周辺に集中する日本語、アイヌ語、朝鮮語はかなり旧い時代につながっていたと述べています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。

言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。

それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=312916


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縄文体質は日本語を通じて我々の心に息づいている
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3361.html

縄文体質はさまざまな方法で、分野で人々の暮らしに、文化に、心に残存していきました。しかしその影響力の中で最も大きなものはなんでしょうか?私は間違いなく日本語だと思います。

日本語は縄文時代に作られた言語であり、もっと言えばその以前、旧石器時代、さらにホモサピエンスが登場した時代に人類が言語を作り出した最も旧い古語を母体にしています。日本列島には縄文時代、それ以降も様々な大陸人が渡来し、定着していきましたが、彼らはいずれも母国語を持ちながらも日本に定着する為に日本語を使えるようになり、2世代、3世代を経て日本人になっていきます。それは現代でも同じで、アメリカ人であっても生まれて直ぐに日本で生活し、日本語で育った子どもは顔は西洋人でも心はまったくの日本人です。(テニスプレーヤーの大坂なおみや野球のダルビッシュ有などを見てもわかるでしょう)日本人は日本語で考えるから日本人になれるのです。

縄文―弥生―平安から江戸時代、明治、昭和、そして現在まで、日本語はほとんどその骨格を変化させず、時々の外来の文化を取り込んできました。るいネットでは日本語で検索するだけで100以上の投稿が掲載されています。

その中で縄文体質がどのように日本語を通じて我々の血肉に、心になっていったか、それを推し量る投稿をいくつかダイジェストで紹介します。


これらを読んで改めて思うのは日本語教育の大切さ、今学校教育で最も必要なの英語教育ではなく母国語を使った思考力育成教育ではないでしょうか?


日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=312916


これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。

言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。

それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。


縄文語は抹殺されなかった
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=307372&h_d=1433&m_d=rpc


人類学でほぼ定説になっているのは、日本列島には縄文時代の一万年にわたってアイヌ人を含む南方モンゴロイド系の縄文人が生活しており、紀元前二・三百年ごろ北方モンゴロイド系の渡来人が移入してきたことである。

しかし、大量の渡来人が一挙に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。縄文人が抹殺されたり、奴隷にされたりして、日本列島から縄文文化が消滅したわけでもなかった。大陸からある程度の集団的な渡来があったとしても、この時代の渡航技術からして先住民を一気に駆逐したり虐殺したりできるほどの大規模な移動はできなかった。

渡来人の移入以前、縄文人は、前期からすでに日本列島にはひろく住んでおり、土器の生産に従事し、相互に交流していた(ヒスイが糸魚川で産出し加工され、日本列島に広く流通していた例など)。縄文人はかなり均質化した文化をもっており、とすれば、地域差はあったにしろ、異言語の乱立するような状況は考えにくい。縄文前期からすでに縄文語という原日本語が形成され始めたのではないかと著者はいう。

(中略)

とすれば、言語もまた制圧と断絶という形で入れ替わったとは考えにくい。しかも日本語は、様々な学説はあるものの、現在までのところ琉球語以外にその同族関係が証明されていないという。「周辺言語との同型性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない」と、著者は主張する。確かに、二千数百年前に渡来した弥生人が縄文語を消滅させてしまったなら、大陸のどこかに弥生語ときわめて親近性の高い言語が残っているはずなのに、それが見つからないのだ。日本語は、縄文文化とともに始まり、断続なく現代に連なる長い歴史ももっているというべきだろう。


原始日本人の感覚は、「ひらがな」によって継承されている
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=321391

文字を持たない時代の言語とその感覚を、現代まで引継いでいるのは、世界の中でも「ひらがな」のみという。どんな文字も、「てにをは」のひらがなにし組み立てることで、話し言葉しかなかった原始日本人の感覚を伴った理解ができる。「ひらがな」が、日本人の縄文体質を継承する基盤になっているということ。

日本語の感覚はひらがなの言葉やひらがなの使い方の中に脈々と継承され続けているのです。ひらがな以外の文字は他国の先進文明や新しい技術・考え方などを日本語として取り込んできたものなのです。


日本語の凄さ〜お互いが分かり合うこと(日常会話)に特化した言語〜
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=333010


日本語を含め計4ヶ国語を勉強した方が、日本語の秘密=日本語の凄さを書いてくれている。この日本語の凄さを読めば読むほど、日本語ほど相手と意思疎通を図るのに適した言語は無いのではないかと思えてくる。


○主語がなくても通じる

日本語は、主語がなくても通じます。良い例が、「愛してる」。
誰が、誰を、愛していると言わなくても、「愛してる」と言うだけで意味が伝わりますね。誰も日本語で「私はあなたを愛しているよ」なんて長ったらしいフレーズは使いません。

しかし、英語では「I love you」、中国語では「我愛(あなた)」を普通に使います。


○言葉を入れ替えても通じる

日本語は、英語や中国語に比べて言葉の並びをあまり気にしない(法則性が少ない)と感じます。例えば、英語で「Where are you now?」

日本語では、「今どこにいるの?」・「どこにいるの今?」・「どこに今いるの?」どれも不自然でなく使うことができます。

しかし、英語では「Now where are you?」とは言いません。なぜか説明できないけれど、しっくりきません・・・。もちろん「Where are now you?」とも言いませんよ。


思考するための最高の言語:日本語
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=332003


・・・日本語が思考言語としてはこれぼど適したものはないということになります。

特にアイデアや発想の広がりは、他の言語の比較にならないものだということができます。

問題は、その特徴を使いこなしているかどうかということになります。
枠にはまった思考や、限られた知識に縛られた思考では、せっかくの日本語のチカラを生かしていないことになります。


日本語が作る脳〜日本人の“縄文体質”や“本源性”は日本語を母語とする限りは失われない!?A
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=291491&h_d=1433&m_d=rpc


角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということである。

その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。


日本語とポリネシア語の共通性〜ともに母音を中心として認識する言語
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=285350


日本で日本語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていない。

世界の言語のほとんどは子音を中心に認識するものです。

ヨーロッパ語もアラビア語も中国語も、口から空気を出す時に障害を作って変化をつける子音によって音声の認識をしています。

子音は感覚的には、相手との距離を保ち威嚇する発音体系ということができるのだそうです。子音語族(こんな言い方があるのかどうかわかりませんが)においては、会話をすることによって、相手との対立や違いを明確にしていくことができるようです。

母音は息で制動を付けなくても、声帯の振動をそのまま伝えることで発することができる自然な音です。痛いときには「うー」と奥の方から自然に発せられます、感動した時には「おー」と自然な音が発せられます。母音は自然に発せられる音からできています。

母音を中心とした言語である日本語やポリネシア語の話者は、母音を言語脳がある左脳で聞いています。


『生きる力を育てる教育』〜日本語の力(番外編)こんこんと流れる日本人の心の地下水脈
http://web.kansya.jp.net/blog/2012/05/001281.html


子どもの頃に暗誦した言葉で意味の分からなかった所も、人生の経験を積み重ねていくうちに、ふと分かる瞬間が訪れる。嬉しい事や悲しいことがあった時に、子どもの頃に暗誦した言葉がふと思い浮かんで、その言葉の持つ深い意味に気づく。そういう経験を積み重ねると、その言葉を口ずさむだけで、自分の人生の様々な場面が思い起こされるようになる。子どもの頃に暗誦した言葉は長い人生において、自分を導き、支え、励ましてくれる道連れとなる。老人方の「喜び」とは、そういう道連れに恵まれた幸福であろう。

自分が共に生きた言葉を、また子や孫の世代が習い覚えてくれるなら、それはまた大きな喜びである。自分はこの世から去っても、自分がともに人生を歩んだ言葉は後の世代が大切に受け継いでくれる。自分はいなくなっても、自分が大切にした根っこは、後の世代が大切に引き継いでくれるのだ。

国語はこのようにして世代を貫いて民族の心の地下水脈をなす。暗誦文化が衰退したといっても、たかだかこの1,2世代のことである。現在の世代が忘れていても、国語の地下水脈はこんこんと流れ続けている。


日本語が美しい理由

言葉はその音が単なる記号ではない。
その音が持つイメージから言葉は作られる。太古、精霊を見て、観念を発明したとき、彼らの感覚にしっくりくる発音が与えられたはずだ。
日本は幸い、太古から民族、文化、言語がずっとつながっている。
日本語が持つ語感は、日本の風土の中で作られた言葉が変化しながらもずっとつながりを持っている。

だから日本語には擬態語が多い。

カラカラ、クルクル、コロコロ
サラサラ、ソロソロ、スルスル
タラタラ、ツルツル、トロトロ

Kは回転する固体、Sは乾いた空気の摩擦、Tは粘性のある液体のイメージだ。

日本人ならみんな共有できる音のイメージ。新しく擬態語を創ってもすぐ通用する。ところが、外国人にはこれが理解できない。

無数の音節単位を認識する他国の言語では、各音に対する性格付けがほとんど不可能。

音の語感だけで雰囲気の解る日本語発音体系、それを太古から途切れずに発達させることが出来た。

日本語は美しい。

黒川伊保子 「日本語はなぜ美しいか」 より

サクラサク、この語感の美しさ。みんなが共有できることの幸せ。
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3361.html

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/660.html#c14

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
11. 中川隆[-13773] koaQ7Jey 2018年12月12日 07:11:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22003]

日本語は西日本の縄文人が使っていた、人類始原の言葉に近い古代語


奈良時代まで皇室で使われていた言葉は 8母音の百済語であり、百済語を縄文人・弥生人の 5母音の日本語に翻訳する為に 平仮名・片仮名が発明された

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない


  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。

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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).” When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn. (i) The word order in the ancestral language was SOV. (ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion. (iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order. (iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.


Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV. Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS. There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50). Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won. However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。

http://galapagojp.exblog.jp/i29/  


  日本語の祖先はこれまで書いたようにY-DNA「D2」の話していた縄文語です。現在世界でY-DNA「D」語を祖先にしているのは、わかっている範囲ではチベット語と「D*」100%のアンダマン諸島のJarawa族とOnge族だけです。Y-DNA「D」72%の雲南のPumi族は未調査です。つまりY-DNA「D」語は孤立言語です。

遺伝子調査で初めて理解できたことです。しかもY-DNA「D」は人類が出アフリカを果たした際の形質を最も残していると欧米の研究者は述べています。ということは縄文語が最も古いホモサピエンスの言葉を残している可能性もあるのです。Jarawa族やOnge族、Pumi族の語彙を徹底的に追いかければ解明できそうですが、日本の御用学者ではない欧米の気鋭の言語学者が研究してくれるとありがたいですね!

  現代アイヌも日本列島人と同じY-DNA「D2」85%の「D」民族ですが、残念なことにオホーツク文化時代に侵略者だった古代ニヴフ族に征服され、熊祭りなどすっかり古代ニヴフ文化(古住シベリア民文化)に変貌してしまっています。言語も恐らく古代ニヴフ語に変わっているでしょう。

丹念に追えば語彙には「D」語の痕跡が残っているかもしれません。日本列島のように「D2」が圧倒的な人口多数派だったなら「D」語が残ったかもしれませんが、人口そのものが少なかった北海道では文化も言語も語彙も古代ニヴフ語に変わってしまっている可能性が大です。
http://galapagojp.exblog.jp/i31/

遺伝子調査から追う日本語の成り立ち考


  これまでもブログで断片的に触れてきましたが、遺伝子調査の結果だけでどこまで言及できるか、いささか冒険ですが日本語の成り立ちに迫ってみました。

日本語とは、

●ガラパゴス的民族性の基層である古代シーラカンス遺伝子の縄文倭人(文字通り小柄なネグリート)の話していた古代語の縄文語が基層です。特に縄文倭人の多数派のY-DNA「D2」の祖先の「D」が出アフリカ以来話していた言語が縄文語の祖形です。世界でこの縄文語の祖形を受け継いでいるのは日本以外では「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族とJarawa族、「D1」「D3」のチベット族のみです。他に近い言語は全く存在しません。このため日本語は古代語の形態のままの孤立言語なのです。もしかするとコイサン族やピグミー族の言語と同様にアフリカで話されていた古代言語の直接の子言語かもしれません。

●縄文語はこれに更に出アフリカ以来数万年行動を共にしたと考えられている土器製作などの技能集団でもあったと思われる沿岸漁労系Y-DNA「C1a」と大型獣ハンター系「C3a」の語彙が重なっている複合言語です。縄文語は日本列島でも石器時代以来少なくとも2万年近くは話され根付いた熟成された言語のはずです。もしかすると西ニューギニアのY-DNA「C2」100%のLani族の漁労採集の言葉に日本語に似た単語があるかもしれません。

●そこに最初の外来文化言語である長江文明系オーストロアジア古語(水田稲作農耕文化の言語)の弥生系語彙が追加され、弥生人Y-DNA「O2b」「O2a」「O1a」は「O3」に極東ユーラシア大陸を追い出されボートピープルとして満州−韓半島南部−北九州と逃げ、これ以上行く先のない日本列島で大多数の縄文人と仲良く共存・融和するために縄文語を受け入れ新しい文化である水田稲作農耕の語彙を上積みしたのです。弥生人が迅速に溶け込んだため、稲作農耕技術は青森まで以外に早く伝播したのでしょう。

  このオーストロアジア古語系「O2b」は呉音を持ち込んだようです。日本列島に越音が残っていないということは呉系の稲作農耕民が北方へ逃れ「O2b」になったようです。当方が以前予想していた百越系の残党=百残=百済は越音ではなく支配層の使っていた唐音を持ち込んだようです。一方陸稲系稲作農耕(O3」系)も縄文晩期頃に日本列島に入ってきたようなのですが語彙上の影響度はまだ全くわかっていません。

  一方、「O2b」の兄遺伝子の「O2a」が東南アジア-東インド-南インドと逃れ、現代ドラヴィダ人に14%以上の遺伝子頻度を残すぐらい交配し、ドラヴィダ語に水田稲作農耕文化の語彙を持ち込んだため、もともと同一だった稲作関連の語彙が日本語とドラヴィダ語(特にタミール語)で似ているのは当然です。またオーストロネシア語系の古単語も古日本語には見つかっているそうですが、それは当然「O1a」が話していたはずのオーストロネシア古語の持っていた語彙のはずです。

●ところが、紀元後になり中華王朝の膨張に伴い韓半島から続々と中華王朝辺縁部の黄河文明系「O3」集団がはじき出されて渡来・移住するようになりました、複数の戦闘集団が前後して列島に日向など各地に占領地を設け、最終的に縄文-弥生交配集団の中心地だった畿内を目指して侵攻し、ある集団が渡来集団同士の戦いを制して大和に占領軍の王朝を築くまでになりました。我が縄文-弥生遺伝子集団は下等な民として扱われたわけです。

  この占領軍のGHQは大和朝廷と称され奈良盆地に置かれ、支配階級は大和朝廷族となり漢語を日常語(母語)として読み書き話し、平安時代に最終的に百済系朝廷族が勝ち残りました。百済は一般民衆は呉音系のY-DNA「O2b」ですが支配階級は「O3」で唐音系だったようです。

  そしてこの2番目の外来語である漢語を母語とする大和朝廷族は先住民の縄文-弥生交配集団を支配・懐柔するため漢語から縄文語へ翻訳するためにかな・カナ文字を開発して読み下し、支配用の当時の古漢語の語彙を列島隅々まで浸透させ一気に列島の支配者にのし上がったのです。そしてできあがったのが正統性を主張し都合のよい経緯を書いた記紀です。こんなものは我々縄文-弥生交配遺伝子集団から見れば進駐軍のたわごと・絵空事に過ぎないのです。無視しましょう!

●一方、武士階級では、高句麗系武士団(坂東武者系)や新羅花郎系武士団(源氏系)など韓半島から渡ってきた武士団族も「O3」漢語派だったため、縄文語に武士団系の語彙がかなり取り込まれたはずです。武士団は地元に根を下ろし地元密着型になり力を蓄え大和朝廷族と覇権争いを繰り広げることになったわけです。

●しかし幕末の動乱期まで日本列島の中で全員が話した標準言語はまだなく、支配階級と一般民衆は同じ言語を話していたわけではありません。幕末から明治の動乱期に第三の外来語である明治新政府系の新作語彙や翻訳語彙や西欧諸国の語彙が洪水のように入り込み、縄文語の文法の上にどんどん上積みされ日本語の祖語に昇華・熟成されたのです。しかしこれでも日本語の完成ではありませんでした。明治の標準語とされたのは明治政府の教育を握った長州閥の山口弁でした。

●日本語が完成したのはほんの60年程度前の第二次大戦後です。あたらしい教育によって今我々が話している現代標準語になりやっと日本語になったのです。日本語の歴史は極めて新しいのです。それまで縄文語にオーストロアジア古語の弥生語語彙と漢語の語彙が上積みされた複合言語だったのです。話し手も階級によって分かれていました。

  以上、語彙は時代と共にどんどん新しい文化のものが追加され古いものは消えて行き、言葉遣いも同時に変化して行きますが、最も基層になっている文法は縄文語、それも古代遺伝子Y-DNA「D」の話していた古代語です。このため地理的に極めて近いはずの朝鮮半島も台湾も極東の諸民族も日本語とは全て言語体系が全く異なるのです。しかし日本語は古い外来語彙をどんどん取り込んできたため、今でも古語の語彙は似ているものも結構あるのです。
http://galapagojp.exblog.jp/i35/


日本列島の農耕を請け負ってきた長江文明の子孫は、農村という代表的な日本の原風景の一つの担い手として縄文語の文法の上に農耕文化関連の単語を大量に上乗せし、縄文語を豊かなものにしたのです。

日本列島の言葉を決してオーストロアジア語文法に代えることはしませんでした。なぜなら圧倒的に縄文人の人口の方が多かったからです。弥生人は自分たちのオーストロアジア語の文法を捨てて溶け込む道を選んだのです。
http://galapagojp.exblog.jp/i34/

大和朝廷族と武士団族は韓半島での勢力争いに敗れて、武力を持った武装勢力として日本列島に流れて侵略したのですが、狩猟用の戦闘力しか持たなかった縄文・弥生交配集団を武力で征服・支配し神話も乗っ取り、大和朝廷を現在にまで存続させるという奇跡を成し遂げたのです。
http://galapagojp.exblog.jp/16672971/


日本人のガラパゴス的民族性の核をなすのは、縄文系ではなく侵略者系のY-DNA「O3」です。

楽浪郡、帯方郡など中華王朝の出先機関が牛耳っていた韓半島での生存競争を勝ち抜くことができず、流れ者武装集団として日本列島に逃げ込んできた戦闘集団の中で最後に勝ち残ったのが大和朝廷族となり、敗れた集団はその他天神集団となったようです。

最後に勝ち残った百済系大和朝廷族の親衛隊からのし上がった戦闘要員の中から平氏が生まれ、高句麗から落ち伸びた戦闘集団の中から坂東武者が生まれ、新羅の落ち伸び花朗集団の中から源氏が生まれ、このような韓半島出自のY-DNA「O3」を中心とする武士団族が縄文-弥生交配集団が居住していた地方を制圧し力を蓄えていったようです。

日本列島はこうして韓半島発のY-DNA「O3」漢族出自の大和朝廷族と武士団族という侵略者達に征服されたのです。

そして漢語で読み書きをしていた少数派の征服者は大多数の縄文-弥生集団をコントロールするために漢語を読み下しできるように「かな・カナ」を開発し、縄文系と長江文明・呉・楚・弥生系の神話を盗み取り自分たちの神話に付け加え、大和朝廷族があたかも古代から日本列島を支配していたように神話を改ざんし記紀をでっち上げてきたのです。
http://galapagojp.exblog.jp/16831514/


記紀の神武東征に象徴されているように、漢語を話す漢族の端くれだった韓半島を追い出された大和朝廷族は(その頃の韓半島南部は弥生人と同じ呉系長江人のY-DNA「O2b」が民衆層を形成していたはずです)日本列島の恐らく九州に上陸し旧唐書が言うように「日本」なる小さな拠点を形成し侵略遠征を開始し、山陽道に既に割拠していた先陣の「O3」集団や縄文−弥生先住民土着集団を征服しながら大阪平野から奈良盆地を制圧し列島侵略に成功したのです。というより最後に勝ち残った「O3」集団が大和朝廷を名乗った、というのが正しいでしょう。

  記紀神話は、征服した先陣・先住集団の祖先伝承の都合の良い部分を取り込み創りあげたものです。そして確立した大和朝廷は漢語の支配する漢族の官僚が運営する政府でした。その後の日本列島はこの漢族朝廷と漢族官僚が文字通り牛耳ってきた中国化というより漢化されつつあった土地だったのです。

  日本人が漢族大和朝廷支配のもと漢民族に同化しなかった理由は1万年以上に渡る縄文時代とその後の弥生時代で日本列島が人口も含め完全に縄文・長江混成文化の風土が確立していたからです。漢族側が、人口的に大勢であった日本語の文法であるY-DNA「D2」の縄文語に合わせかなやカナを開発したように漢族側が歩み寄ったことが、日本人が漢民族化しなかった理由でしょう。何故歩み寄ったのかは今後の調査が必要です。
http://galapagojp.exblog.jp/15362496/


今や世界最大の遺伝子集団となったY-DNA「O3」抜きに日本民族は語れません。何かの本に和泉式部日記の時代の大和朝廷族は読み書きを含め漢語を話していた、完全な漢文化民族だったと、確か女性の研究者だと思いましたが、ハッキリと書いていました。その通りだと思います。

いづれにせよ王族と宮廷官僚たちは明らかに「O3」と思われます。新羅に敗れた後、「O3」ボートピープルが日本列島に押しかけ好戦的な「O3」は縄文−弥生交配集団と闘いながら最終的に大和朝廷を興したのでしょう。

蘇我一族は蘇我蝦夷の名前が占めすように縄文ー弥生系の土着集団だったのではないだろうか。当時奈良という土地の支配者だった縄文ー弥生系が「O3」に負けた歴史を書いたのが占領軍が書いた日本書紀です。縄文ー弥生の子孫を自認する小生から見ると、大和朝廷族は異遺伝子集団の占領軍に過ぎないのです。宮中独特の言葉と言うのはその時代の漢語の名残に他ならないのでしょう。
http://galapagojp.exblog.jp/15270404/

漢人(「O3」族)の言葉は八母音、縄文ー弥生系の言葉は五母音だった

韓国語と日本語はどちらもウラル・アルタイ・ツングース語族に属し、非常によく似ています。 弥生時代以後の本土日本民族(主として九州・四国・本州に住む日本人を指します)が、東南アジア起源の南方系モンゴロイドと、中国大陸および朝鮮半島起源の北方系モンゴロイドの混血であることは考古学にも生物学的にも証明されつつあります。 そして生物学的には南方系モンゴロイド1〜2割に対して、北方系モンゴロイド9〜8割程度の混血だと言われています。 南方系モンゴロイドの血が濃い日本人の典型としては俳優の緒方拳を、北方系モンゴロイドの血が濃い日本人の典型としては俳優の中井貴一を思い浮かべていただければ、何となく両者の特徴を把握できると思います。

また弥生時代以後も朝鮮半島から絶え間なく渡来人がやって来て、古代日本の歴史と文化に多大な影響を与えました。 このことから、古代日本語が古代朝鮮語の影響を強く受けていることは至極当然だと思われます。 例えば「万葉集」の表記法として有名な万葉仮名は、日本の国文学者によれば日本独自のものだとされ、教科書でもそのように説明されています。 しかし実際には、古代の朝鮮にも「吏読(イドゥ)」と呼ばれる万葉仮名方式の表記法──古代朝鮮語を漢字の音読みと訓読みの音だけを使って表記したもの──がありました。 年代的にみて、古代日本の万葉仮名はこの吏読を真似したものと思われます。

万葉仮名では同じ「イ」「エ」「オ」という母音を持つ音が2つのグループに分けられ、2種類の漢字ではっきりと区別して表記されています。 このため現代の言語学者や国文学者は、多い方を「甲類」、少ない方を「乙類」と呼び、その区別について色々と議論しています。

ある学者は古代の日本には現在の5つの母音「アイウエオ」以外に、さらに3つの母音「イエオ」があったのではないかと主張し、別の学者はそれらの母音は条件異音――前後の音環境によって同じ音が異なる音声として表れる現象――を異なる漢字で表記したものだろうと主張し、また別の学者は文法的な使用法の違いによるものだろうと主張しています。

この一見難解で高度に学問的に思える議論は、韓国語のフィルターを通して眺めますとあっけないほど簡単に答が得られます。 現在の韓国語には10種類の単母音と11種類の複合母音(2種類以上の母音が合成されてできた母音)があり、古代朝鮮語では、さらにもう数個の母音があったと言われています。 古代朝鮮語の影響を強く受けていた古代日本語にも、同じように現在よりも多くの母音があったと思われます。 このことを踏まえ、母音と発声法の関係を図示しますと次のようになります。


※口を大きく開くほど前母音と後母音が
中母音に近づき、区別がしにくくなります。

(1)普通のイ、発音記号で表すと「i」。

日本語の「イ(万葉仮名・甲類のイ)」、韓国語の「イ」、英語の「i(sitのi)」

(2)イとウの中間音、発音記号で表すとmのひっくり返った記号。

古代日本語の「イ(万葉仮名・乙類のイ)」、韓国語の「ウ」。

(3)普通のウ、発音記号で表すと「u」。

日本語の「ウ」、韓国語の「ウ」、英語の「oo(bookのoo)」。

(4)普通のエ、発音記号で表すと「e」。

日本語の「エ(万葉仮名・甲類のエ)」、韓国語の「エ」、英語の「e(getのe)」。

(5)口を半開きにした「ア」、発音記号で表すとeがひっくり返ったもの。

韓国語に少し前まで存在した「ア」、英語の「a(agoのa)」。

(6)普通のオ、発音記号で表すと「o」。

日本語の「オ(万葉仮名・甲類のオ)」、韓国語の「オ」、英語の「o(omitのo)」

(7)エとアの中間音、発音記号で表すと「ε」。

古代日本語の「エ(万葉仮名・乙類のエ)」、韓国語の「エ」、英語の「a(maryのa)」。

(8)口を大きく開けたアに近いオ、発音記号で表すとcのひっくり返った記号。

古代日本語の「オ(万葉仮名・乙類のオ)」、韓国語の「オ」、英語の「o(stopのo)」。

(9)普通のア、発音記号で表すと「a」。

日本語の「ア」、韓国語の「ア」、英語の「a(calmのa)」。

つまり古代の日本語には、「アイウエオ」以外に、ウに近い「イ」、アに近い「エ」、アに近い「オ」の3つの中間音的な母音、つまり乙類の母音があったと考えられ、これらの母音は韓国語には現在も存在するのです。 漢字の韓国語読みではこれらの母音ははっきりと区別して使用されていますので、漢字を知っている韓国人が万葉集を読みますと、日本の専門の学者でなければ区別できない甲類と乙類をごく簡単に自然に区別することができるということです。

古代の日本語に存在した3つの母音が時代が経つにつれて消滅し、現在の5つの母音が残った理由はある程度想像がつきます。 本土日本人は元々南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドの混血であり、当時の日本列島は現在のアメリカのような移民の多い土地でしたから、色々な言語や方言が混在していたはずです。 そして中間音的な母音は色々な言語や方言によって発音が微妙に違いますので、それらの母音は次第に明確な発音の母音に収斂していったと考えられます。

つまり乙類の「イエオ」は普通の「イエオ」に収斂したと考えられます。 このことは前述の母音と発声法の関係図を見ますと納得できると思います。 図からわかりますように、現在の日本語の5つの母音「アイウエオ」は、発音上、非常に区別しやすい音なのです。 現在でも、各地の方言や神社などで使用される特殊な言葉に中間音的な母音が残されていますが、これは古代の名残だと考えられます。

ただし万葉仮名では区別されていたこれらの母音が、奈良時代後期から平安時代になって漢字と仮名で日本語を表記するようになると、表記上は区別されなくなります。 いくら母音が収斂したとしても、わずか50年ほどで母音が完全になくなるわけはないので、これは大きな謎です。

この謎は、それらの中間音的な母音は実は条件異音に収斂していたため、それを話している日本人はそれらの母音を区別していなかったと考えれば解決します。 つまり万葉仮名は朝鮮からの渡来人が吏読を参考にして編み出した表記法であり、奈良時代後期から平安時代になって、ようやく日本人が仮名を発明して自らの言葉を表記する方法を編み出したという説です。

万葉仮名が朝鮮からの渡来人によって書かれたのなら、条件異音を区別することができた彼等が母音を書き分けていたことも、万葉仮名で書かれた文章の中に古代朝鮮語と思われる言葉があることも納得できますし、日本人が書いた漢字仮名混じりの表記法ではそれらの母音が区別されていないことも納得できます。

飛鳥時代から奈良時代の文化の担い手は渡来人が中心だったことを考えると、朝鮮渡来人が日本語を表記するために万葉仮名を発明したことは十分に考えられます。 これはちょうど、幕末にイギリス人のジェームス・カーティス・ヘボンが、日本語を表記するためにヘボン式ローマ字を発明したのと同じような工夫だったのでしょう。
http://www.snap-tck.com/room04/c01/nihon/nihon01.html


「日本史の誕生〜千三百年前の外圧が日本を作った」岡田英弘/弓立社‘94年  

≪日本語の起源の古さ≫

 日本列島と韓半島の歴史を比べてみて、際立って目立つのは、日本では7世紀の建国直後から国語が発達しているのに、韓半島では、やはり7世紀の新羅の統一からはるかに遅れて、やっと15世紀になって韓国語(朝鮮語)が国語として正式の地位を認められたことです。それまでの新羅朝、高麗朝の時代には、公用語は土着の言葉ではなく、中国語・漢文でした。漢文を日本のように返り点をつけて訓読するのでなく、そのまま漢文を上から下へ、韓国式の漢字音で音読するのです。韓国語が本格的に発達するのは、日本に比べると800年も遅れました。

 日本語は不思議な言語です。近ごろの有力な学説では、日本語の語彙はオーストロネシア系(マダガスカル島から台湾・東南アジア、南太平洋の島々に拡がっている言語)であるとされています。また、日本語の統辞法はアルタイ系の言語(トルコ語・モンゴル語・満州語など)と共通な要素があるとされています。日本語は奇妙な混合語だということになります


≪日本語は人造語≫

 どこの国においても、国語というものは、天然自然に存在するものではなく、建国に際して人工的に作りだされるものである。これが歴史の法則で、日本語も例外ではない。

 7世紀までに韓半島から日本列島に流入してきた人々は、それぞれグループごとに中国語の方言を話していたと考えられる。方言と言っても、現代の福建人・潮州人・客家人・広東人・海南人がたがいに話が通じないのと同様、秦人・漢人・高句麗人・百済人・新羅人の間ではたがいに話が通じなかっただろう。

 日本列島の雑多な種族たちは、新羅に併呑されて独立と自由を失わないために、倭国王家の天智天皇のもとに結集して、日本国を作りあげる。中国語を国語とすることは危険であった。新羅の公用語が中国語だから、別の途を選ばねばならなかった。それは漢字で綴った中国語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探しだしてきて置き換える、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考案して、それに漢語と同じ意味をむりやり持たせる、というやり方である。これが日本語の誕生であった。


≪「万葉集」に見る国語開発≫

 柿本人麿から山上憶良まで、半世紀の間にはじまった国語の開発は、情緒を表現する韻文の詩歌に関する限り目覚ましく成功したが、」より実用的・論理的な散文の文体の開発は、百年たってもなかなか成功しなかった。


≪散文は未発達≫

 紀貫之の時代から百年をへて、11世紀の初めに紫式部の「源氏物語」が現れてもまだ、散文の文体の開発が完了したとは言えない。日本語の散文の開発がおくれた根本の原因は、漢文から出発したからである。

 結局、19世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語(ことに英語)を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確定することになった。


≪日本型の歴史は反中国≫

 日本の歴史は、720年に完成した「日本書記」に始まる。倭人たちが7世紀に突然、目覚めて、日本人となったのは、中国の脅威に対する自己防衛の必要からである。

 いずれの文明でも、最初に書かれた歴史の枠組みが、人間の意識を規定してしまう。「日本書紀」の表現する日本は、中国と対立する。まったく独自の正統を天からうけついだ国家であるという思想は、長く日本の性格を規定した。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/706.html

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アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書) – 2016/2/8
瀬川 拓郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%A8%E7%B8%84%E6%96%87-%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E6%8B%93%E9%83%8E/dp/4480068732


日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
 

日本人や日本文化が世界で最近、注目されている。

理由や現象は敢えて並べないが、一言で表せば思考方法や行動、言語等が人類の本源的、源流的であるという点。裏返せば独自的、孤立的、世界中に広がった他の地域、人類との類似が少ないという点ではないだろうか。

最近の研究で言語学的にも遺伝子的にもそれは証明されてきており、人種の孤島として縄文人、アイヌ人の事を書いた著書の一説を紹介したい。


「アイヌと縄文」〜瀬川拓郎著

>「人種の孤島」としての縄文とアイヌ

本土人、琉球人、アイヌの遺伝的多様性の分布を見ると、それらは他の東アジア人や、ヨーロッパ人と混血した中央アジアの人々(ウイグル人、ヤクート人)のまとまりとは反対の方向に分布しています。

 現代の本土人、琉球人、アイヌは直線状にならび、この順でアジアの人々から離れていきます。直線の延長上にはかれらの共通祖先である縄文人が想定できます。つまり本土人、琉球人、アイヌのDNAを特異な方向に「引っ張って」いるのは縄文人であり、そのことは縄文人が現代のどの人類集団とも大きく異なる特徴を持っていたことを物語っているのです。

縄文人は、上下の歯が爪切りの刃のように嚙み合い、彫が深く、鼻が高いといった形質的な特徴をもっていました。これはアイヌにも共通します。

そのアイヌは形質人類学では長くコーカソイド(ヨーロッパ人)に分類されてきましたが、1960年代に総合調査が行われ、歯冠の形などから本土と同じモンゴロイド(アジア人)であると結論付けらました。

ただし、先のアイヌの特徴は一般的なモンゴロイドとは異なるものです。一般的なモンゴロイドとは異なるものです。そのため、形質人類学者はこれに頭を悩ませ、現代モンゴロイド成立以前のモンゴロイド、すなわち原モンゴロイドという仮想的な集団を設定し、アイヌをこれに帰属させたのです。

つまり、私たちが常識のようにみなしているアイヌ=モンゴロイド説は学界で完全に受け入れられているわけではありません。形質人類学者の百々幸雄はアイヌがどの人類集団とも異なる、現生人類という大海に浮かぶ「人類の孤島」であるとし、アイヌと縄文人は「出アフリカ」をはたした現世人類が、ヨーロッパ人とアジア人に分化する以前の状態を保っているのではないかと述べています。(百々2007年)

このこととかかわって興味深いのは、同学者の山口敏が旧人のネアンデルタール人のあとに出現した、化石現生人類のクロマニョン人と縄文人の類似性を指摘し、縄文人の形態的特徴は、現生人類のなかの古層に属すると見なされている事です。

 日本列島の縄文人は北海道から沖縄まで形質的な共通性をみせています。かれらは地域性がはっきり認められず、均質な形態をもつ人々でした。つまり縄文時代の日本列島には、アイヌにうかがわれるような「モンゴロイド離れ」した人々が暮らしていたのです。

1万年以上続いた縄文時代には、日本列島をとりまく朝鮮半島、中国、台湾、サハリンとの交流はほとんどありませんでした。そのため縄文人のヒトとしての特異性はかなり純粋に保たれてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

同様に言語学でも日本語、アイヌ語は世界中の言語から孤立している。


>日本列島を含むユーラシア大陸では2500以上の言語が話されています。ただし、同系関係を辿っていくと、これらのほとんどはアルタイ系言語、シナ・チベット系言語、インド・ヨーロッパ系言語のようなわずか10あまりの大きな「語族」にまとめられます。

その中で同系関係がたどれず系統的に孤立していた言語はわずかに9つにすぎません。さらにその約半数が日本列島の周辺に集中している。日本語、アイヌ語、朝鮮語、サハリン先住民のニブフ語です。

これ以外はピレネー山中のバスク語、西シベリアのケット語、インド中部のニハーリー語、東ヒマラヤのクスンダ語でいずれも人里から離れた辺境地帯の言語である点が共通しています。

言語学者の松本克己はこのうち日本列島周辺に集中する日本語、アイヌ語、朝鮮語はかなり旧い時代につながっていたと述べています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。

言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。

それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=312916

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京都を中心に近畿地方の人達は平均的な日本人のデーターと全く違う数値を示します。

100%朝鮮からの渡来人の特徴を示すそうです。


京都中心とする近畿地方では渡来人の文化圏を作り混血が進まなかったと思われます。
http://www.ishikari-...cs/2013/10/10-7.html

はい縄文時代の西日本はスッカスカ
http://web.joumon.jp...5%AF%86%E5%BA%A6.gif

ここでもスッカスカ
http://ichigen-san.c...2014/07/15/photo.jpg

弥生期に渡来人が増えるまでスッカスカ
http://homepage2.nif...nin/jinkoubunpu1.jpg


日本語は百済語と近接しているという説は多い。

ブログ「日本語と韓国語は同系語」
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-3a69-1.html


という中から信憑性のある部分を紹介します。

>飛鳥〜平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。

「宮廷語」も日本全体から見れば、宮廷という限られた区域の方言である。

『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった。

大和朝廷で働いていた人たちの生活の本拠地は「飛鳥」で、『続日本紀』『姓氏録』によれば、飛鳥地方の住民の80〜90%は朝鮮人であったという

飛鳥地方を中心に活躍していた聖徳太子は蘇我氏(朝鮮人―当時の実質天皇)の一族で、妻も蘇我氏の人である。

日本で最初に建てられた寺院「飛鳥寺」は蘇我氏の氏寺で創立者は蘇我馬子である。

明日香村にある日本最大級の横穴式古墳「石舞台古墳」の埋葬者は蘇我馬子ではないかとされている。有名な「高松塚古墳」は明日香村にあり、中に描かれた彩色壁画の婦人像の着衣は古代朝鮮人の服装そのままである。

なぜ「飛鳥地方で使われていた言葉は朝鮮語(主に百済語)であった」と言われているか、下記に列挙した研究者の言葉を見れば一層その信憑性に気づくのではないだろうか。


※「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(朝鮮人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)

※「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)

※ 日本書紀は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。 (上田正昭らの対談集)

※ 飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)

※ 平安時代までの日本文化は外国のもの。日本の王朝文化は百済と同じ。
(司馬遼太郎・丸谷才一 他)

※ 朝鮮半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を開花させた。
(国弘三恵)

※ 唐への留学僧は百済人であった。当時の僧侶の言葉は百済語であった。
(金達寿 司馬遼太郎 上田正昭らとの対談集)

※ 日本国の誕生にもっとも力を発揮したのは、白村江の戦いの敗北で渡来した百済人。『日本』という国号をつくったのも百済人。(文定昌)


司馬遼太郎は「平安時代までの日本の文化は外国のもの、日本らしくなったのは鎌倉時代になってから」と述べている。

「白村江の戦い」で新羅に敗れた百済人は国を追われ、王族・高官などのエリートがたくさん倭国へ亡命した。

故国を失い百済再興の夢を倭国に託した百済人は、奈良時代に「日本」という国号を作り、倭国の文化を根底から変える著しい日本文化の礎石を「飛鳥」に置いたのである。

従って、「百済の王朝語」が「飛鳥王朝の宮廷語」になり、雨後の竹の子のように生まれた「宮廷文学」の言葉は、それ以後の多くの知識層の文学作品の言葉として使われ、結果的に江戸・明治・大正・昭和の学問・文学などの用語として日本全国に広がって行った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上抜粋ーーーーー

これらを読むに付け、日本の宮廷、天皇、王朝を語る際に「百済」という朝鮮半島から消えてなくなった国家が大きく影響している事が判る。

それを日本土着のものに取り戻すのに鎌倉時代までの400年かかっている。
しかし再び明治以降、この百済の復興が天皇を担ぎ上げる事によって為された。

百済王朝が日本に亡命してまだ1300年しか経っていない。

この影響は日本語という言葉の中に浸透しただけでなく日本人の気質や一つに成り切れない民族の核心部にまだ残っているのではないか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=314004

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【言語の進化】8.1.5万年前〜1万年前頃の抱合語
 
アイヌやエスキモーやインディアンは、現在でも、一つの文言を一語で表す抱合語を使っているが、それら隔絶された地域に残された抱合語は、人類が洞窟から出た後の原初的な言語の形を現在に伝えていると考えられる。
 
エスキモー語の例
qayar−pa−li−yug−a−qa(カヤック−大きい−作る−たい−私−お前)
           「私はお前に大きなカヤックを作ってやりたい」


アイヌ語の例
a−e−kore(私−お前−与える)「私はお前に与える」※「て・に・を・は」
                          がない一語。

a−e−ipe−p(我々−それ−食事する−物)「食器」


 
アイヌ語では、主句・対象句・述句という語順規則が見られるが、エスキモー語の場合、語順規則も明確ではなく、その瞬間瞬間に最も言いたい言葉を順に並べただけのように見える。

おそらく、より隔絶度の高いエスキモー語の方が古い言語だと考えられ、洞窟を出た原初の言語は、エスキモー語に近い、「て・に・を・は」はもちろん、語順規則さえ明確には定まっていない(言いたい単語を言いたい順に並べただけの)一言だったのだろう。

つまり、1.5万年前の人類の言語は、エスキモー語のように、語順規則もさだまっていなかったと考えられ、1万年前頃に、ようやくアイヌ語に見られるようにS・O・Vの語順規則ができたと推定される。

(なお、アイヌはユーカラという長大な伝承物語を持っているが、部族の物語を伝える程度の文言ならば、て・に・を・は(関係詞)無しでも用は足りたという点は、注目すべきだろう。又、アイヌ語は縄文語から枝分かれしたと見られており、そうだとすれば縄文語も原初は抱合語であったことになる。この点も、興味深いところである。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=314835

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 7世紀までに韓半島から日本列島に流入してきた人々は、それぞれグループごとに中国語の方言を話していたと考えられる。
方言と言っても、現代の福建人・潮州人・客家人・広東人・海南人がたがいに話が通じないのと同様、秦人・漢人・高句麗人・百済人・新羅人の間ではたがいに話が通じなかっただろう。

 日本列島の雑多な種族たちは、新羅に併呑されて独立と自由を失わないために、倭国王家の天智天皇のもとに結集して、日本国を作りあげる。

中国語を国語とすることは危険であった。新羅の公用語が中国語だから、別の途を選ばねばならなかった。

それは漢字で綴った中国語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探しだしてきて置き換える、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考案して、それに漢語と同じ意味をむりやり持たせる、というやり方である。これが日本語の誕生であった。


 柿本人麿から山上憶良まで、半世紀の間にはじまった国語の開発は、情緒を表現する韻文の詩歌に関する限り目覚ましく成功したが、」より実用的・論理的な散文の文体の開発は、百年たってもなかなか成功しなかった。

 紀貫之の時代から百年をへて、11世紀の初めに紫式部の「源氏物語」が現れてもまだ、散文の文体の開発が完了したとは言えない。日本語の散文の開発がおくれた根本の原因は、漢文から出発したからである。

 結局、19世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語(ことに英語)を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確定することになった。


【出典】「日本史の誕生〜千三百年前の外圧が日本を作った」岡田英弘/弓立社‘94年  
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/706.html


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日本語は縄文由来
http://web.joumon.jp.net/blog/2017/03/3176.html

日本語は言語学的にも独立言語でありほぼ人類最古の方の言語に類する。

この日本語がほぼ一貫して変わることなく縄文ー弥生―現在へと引き継がれてきた。

母音を言語脳(左脳)で聞き分ける日本語は擬態語(ザーザー、しとしと等)が多い。そして日本語以外のほとんどの地域の言語が音声を左脳と右脳で使い分けるのに対して全ての音を左脳でとりいれる日本人は特徴的でもあり、それ故に自然の音を細かく聴き分けることができる。これが日本人特有の同化能力の基盤となり、自然に向けた同化能力を使って、現在でも人や社会に視座を向けることが可能な民族として存在している。


★自然の音を左脳で取り入れる日本人、その特徴を明らかにしたのが角田教授である。
⇒やっぱり、『日本語』はすごい言語のようです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=222237


★日本語研究は進んでいるが、結局今判っているのは日本語はどの系統にも属さない独立言語であるという事のようだ。

アルタイ語起源説やタミル語起源説、朝鮮古語起源説などがあるが、部分的に類似しているというだけで母音言語であり膠着語である日本語を定義つけるとしたら人類古語が起源であり、それを今も脈々と残しているのは日本と世界中の辺境の小部族だけという事になる。

学説で解明できないのは日本語がどこからの由来かという視点で見ているからなのだろう。


⇒日本語の起源研究の状況
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=184840

⇒日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=242652


★日本語がなぜすばらしい言語なのか 黒川伊保子氏の著書を読めばストレートに伝わってくる。


日本語はなぜ美しいのか (集英社新書) – 2007/1 黒川 伊保子 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%92%E5%B7%9D-%E4%BC%8A%E4%BF%9D%E5%AD%90/dp/4087203743


黒川氏が語る日本語の特徴を要約すると以下のようになる。


@ 日本語を含めて「言語」には、共認機能や観念機能の構造との密接な関係があるはずで、これを追求することには、大きな可能性があると思われる。発音体感と対象(実態)の一致は、日本語に顕著であり、日本語こそが「始原の言語」、太古よりこの土地で育まれた言語であると述べられている。

A 母音語の使い手は、自然とも融和する。
母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。

B 何千年も続く、豊かな自然が、私たちに、融和する母音語をもたらした。
一方で、融和して共存する日本人の特性は、日本語という母音言語がもたらしているとも考えられる。なぜなら、DNA上日本人とまったく無関係でも、日本語を母語として育つと、母音を左脳で聞くようになることが確認されているからだ。環境は言語を作り、言語は人を作るのである。

C 子音言語に比べ圧倒的に長い歴史を持つのが母音言語で、その原型を現在まで引き継いでいるのが日本語と言えるかもしれない。自然に同化し、調和する日本語とはこれからの共認時代に相応しい、時を得た言語なのではないだろうか。

黒川氏の著書の記事を集約しています。参考に一読いただければと思います。

⇒始原の言語・日本語の可能性〜むすび
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/09/001437.html

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萬葉集と風土記に見られる不思議な言葉と上代日本列島に於けるアイヌ語の分布
アレキサンダー・ヴォヴィン 国際日本文化研究センター, 2009.3.12.
http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/foru/2009-03-12/pub

アイヌ語と日本語との関係は非常に複雑であると思う。近年、上村幸雄氏はアイヌ語と
日本語が同源要素を持つ可能性について多数論文をお書きになり上(村80PPOOωP
POOωFPOOメPOO。。)、大変勉強になった。私も以前は諸言語の関係を同源説の観点から研
究していたが、ここ八年間に私の研究の焦点は日本列島諸言語とその周辺の諸言語の接点
に移り変わったので、今回は主にアイヌ語から日本語への借用語とそれに基づいた上代口n
本列島におけるアイヌ語の分布について発表させて頂くつもりである。
現在通説となっている伝統的な意見は、上代日本語にはアイヌ語からの借用語は殆どな
、というものである。たとえば佐伯梅友氏は、上代中央日本語に見られる冨巳冨〜冨巳日冨
「桜の皮」のみをアイヌ語の冨旨冨「山桜の皮」の借用語として挙られた佐(伯ピいPωP。)
しかし、以下で示すように、冨巳冨〜ξ巳目冨「桜の皮」のみが唯一の例ではない。
アイヌ語が上代日本列島において少なくとも東北地方の全地域で話されていたというこ
とはもう定説になったと言ってもいいであろう。地名はいうまでもなく、東北の方言には 「山の言葉」として残っているアイヌ語の言葉もある金(田一POO命宝Oーミ)。また、関
東の古い地名を見ると、「武蔵」元(来万葉仮名音声表記「牟射志」\日信N婁.\)、「阿之賀利」
\琶、冨ミなどは日本語の地名ではなく、アイヌ語であると解釈できる。
1
〈地名一関東〉
「牟射志」\85N.9・。く「武蔵」
たとえば、「牟射志」\目⊆N.9・。ぐは東国歌に出る。
萬一四二壬二七九武(蔵国の歌)
和我世故乎安杼可母伊波武牟射志野乃宇家良我波奈乃登吉奈伎母能乎
わがせこをあどかもいはむむざしののうけらがはなのときなきものを
我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを
2
「牟射志」く目`N9.。。ぐは蕾目き。。。。一に遡る。梼日巷旨巴は日本語としての解釈は困難だが、
アイヌ語では完全に意味が通る。アイヌ語目自「草」服(部一〇ひ井6ひ)、夥「濱」知(里ちいひ親  
=ω)、「野原」】(W9一〇げ0一〇円一〇Pひ日N甼Oり)、自三人称所有接尾辞(日本語では臣-は。・-一になる。
後述の上代東国日本語の言葉である「思太〜之太」葭量.\「時」〈アイヌ語ぼ$も参照)。
従って、武蔵は「牟射志」\目N`9.。。ぐく蒡目巷。・色く梼日き。。甲ぼ「草の野原」であろう。武
蔵は東京に変わる以前は、日本で一番大きい草の野原だったにちがいない。
「阿之賀利」\9巴、 Qσ巴\「足柄」
あしがら 次に「足柄」を見てみよう。「阿之賀利」\琶q、僧αユ\または「安思我良」\婁q。輿σ9\という
地名も東国歌に出てくる。
萬一四・三四三一相(模国の歌)
阿之我里乃安伎奈乃夜麻尓比古布祢乃斯利比可志母與許己波故賀多尓
あしがりのあきなのやまにひごふねのしりひかしもよここばこがたに
足柄の安伎奈の山に引こ舟の後引かしもよここば来がたに
萬一四・三三六三相(模の国の歌)
和我世古乎夜麻登敝夜利弖麻都之太須安思我良夜麻乃須疑乃木能末可
わがせこをやまとへやりてまつしだすあしがらやまのすぎのこのまか
我が背子を大和へ遣りて待つ時す足柄山の杉の木の問か
一3
阿之賀利\量。q巴σ\または安思我良\9巴、。。9逗には後世「足柄」という漢字が当てられた
としても、地名として余り意味が通じないだろう。安思我良\琶。 q碧oミは阿之賀利\蟲、q豊σ\
より頻繁に現れるが、この音声上の違いは\婁. q9ユo\〉\琶。。σ鐔ミの音声同化の結果であろ
う。ところで、阿之賀利\9巴. q9ミσは北海道にある「石狩川」の一・。貯9ユ一[。。一q卑σ二]を連想させ
はしないだろうか。アイヌ語の。・貯9ユの[督9邑は。。貯・二。。[お9包「川の中の水の回流する所」
または罕冨ユ「迂回する、回る、回流する」として解釈される傾向がある知(里おいひ親一PO)。
アイヌ語の冨ユは「回る、徘徊する」という意味を持っている菅(野POOD…PON)。しかし、冨二
は説明がつくとしても、残りの部分の9。。学は説明が困難である。アイヌ語には一人称の複
数の包括接頭語kがあるが、その甲は他動詞にしか付かない。色-はアイヌ語の。・学「自
分」と解釈する可能性もあるが、私の意見では、そのような解釈は信憑性が低い。では、
もう一つの可能性を考えてみよう。アイヌ語の千歳方言、沙流方言と旭川方言には訝冨巨。
「きれい、清潔な、清い」という言葉がある中(川一〇〇い"ひ)、(田村一遷9P。。)、菅(野PO8…一い)、
太(田POOい"一〇)。アイヌ語では8--子音群はいつも目--に変化するため知(里6いひげ"
一$も一)、中(川・中本一ゆ旨二い)、アイヌ祖語では梼ーヨーを再構しなければならないZ>目9ぐ土(佐風逸四九九・九)或いは「大穴持」\O噌O>Z>
目αミ(出雲風一〇二"五、一〇六"一〇・一二、一〇八"二・一二、一一〇"一、一二
六"四・七、一六六二二、エハ八"六、一八○"八・一二、一八二二、一九〇二四、
二〇二二・八・一〇、二〇四二・三、二〇人"四、二一六二・五、二二〇二、二
二四二四、二二六"二・六、二三六"五・七・九、二一二八"九、二四二…五、伊豫風逸
四九五"六)、『萬葉集』では於保奈牟知\o℃o蠧日三ぐ萬(一人.四一〇六)、そして『目
41 本書紀』では於褒婀娜武智\名。き9巨昌ぐ紀(一・一四)と表記されているので、『古事記』
の「大穴牟遅」も静O勺O諺Z>巨目象.ではなく、\O噌○諺Z>目二↓ぐと読まねばならない。そ
して、万葉仮名の「遲」は鼻音有声子音がある\鞋.の音節のみならず、無声子音がある
註\の音節も表す事ができる。
従って、『肥前風土記』の「比遲波」を\冨象.嚏\ではなく\℃↓ξ9\と読む可能性もある
わけである。『肥前風土記』の言↓喜ミ「岸」という言葉は、他の上代日本語文献にも、中
古日本語文献にも、現代日本方言にも見られない。しかし、アイヌ語には葱号9〜冨8「岸」
という言葉がある。たとえば、幌別方言℃σ号9、帯広方言忌89、美幌方言℃。89「岸」服(
51 部6ひ命Pま)、旭川方言冨言笹「岸」(一位=一DQ=NOO斜"Pいひ)、釧路方言℃。89「岸、川岸」(山
本POO舒一遷)、樺太方言篦8蕁「寄せ波が砕ける海岸の部分」】()。訂9≧ゆ。。9・一を.ξぎ8喜-皀。ゴ巴・・二@婁・・貫弖8霞く。琶ω..牢@ω婁畧8・α冨・・二冨 ⊂巳く・『・・芽亀匡署曁gζ畧8こお=蕗80。唱畧8@巨ゴ@。・α鎚。Q@邑羮 . 。。§談βぴ8三§げ・寄.自。・…。牾§。】-〈。蔘白它唇賽自く。≦・互・菖。旨罠】〈。掃・・.畧.臼驀…巨g 罍巨・§ぎ邑08貯@・88=ぎ旨巴詈 q・α一眷・×Hδ×9づ似奠POOいP=月げ0団ロ血Oh爵0>冒巴OOO巨δδ×9p傷9POOいげ・匡b題ミ鷽瓢菴Q嵩翫60ミミ無、ミ〜蒸Q、無ミミ匙丶◎丶ミ窃、ミ謡Oミξ窺嵩驚鼬・℃9巨一日きko§6赴oき
ミYミ嵩qσ匂ミ恥ミ亀ミ翫、隷oミo丶o堕℃卜爰皆o鐸〉δミ旨亀壁×一×+とP℃づ・"聞o貯o。。8昌Φ"O一〇げ亀O賦@巨巴・
δ×p口血qPOO◎Q9」一℃δδ-f℃o巳oσ@koロユ一げ09000巨。。k。。8目=.ぎ…、、ミo毒ミ謡軸器、腎向ミ題亀ミ翫℃、o竜象聲
厘曽時oi@=o。。≦qαLo『p≦巨酔日き(9。。)●●〉日・。8a9ヨこ卑5ゆo彑9目言ω…P8。0Ψb歹玉でいひ・
5×きα2NO。OGげ(8§8巨昌q)σ●鼠b題ミ鷽嵐蕊匙嵩亀Oo耄ミミ丶菴Qミミミミ£丶ミ鮮向紺ミOミ書亀ミ吻馬丶ミ、
9惹§§℃譚蚤退§・穿為ミ§§蕩`ミミ・・`毳§・ミ§・×××+。。。。。bb`。器・・喜ρo喜巴9ぎ件鉾

1北海道教育大学旭川校の井筒勝信先生はアイヌ語への翻訳をしてくださつた。感謝申し上げる。
2標準語でも\げぐはよく強\と発音される。たとえば、≧δ\「人」〉[簿o]。その音声変化は多くの
日本方言だけでなく、韓国語の方言にもツングース諸言語にもよく見られる。また、上代日本語には
\ミという音素がなかったことも忘れてはならない。
3ところで、この反映は母音の間に出る上代日本語の無声破裂音\b\uミΨミは有声破裂音[げ尸[色"q][α
として発音されたという=9日き。と昌q9oの仮説(}山卑【P9コOPOOO)、(C昌qgoPOO伊POOい)に対するもう一 つの版袵鬣 す娩田濯絡輜勤仮説への他の反証についてく。<一昌巴(Oいσ"ωSω。。)を参照. 4『源平盛衰記』は『源平盛衰記』とも知られている。
5アイヌ語o冒≦吋三卑「はこべ」は」U讐9@δ円の辞典にもo巻ロ冠蠧として記録されてある(一〇Pひ"ωいい)
ので、一九世紀の北海道方言にもあったらしい。
6この伝説をインターネットで探し出してくれた妻の石崎(ヴオヴィン)賛美に感謝を表す。
一53一
7『萬葉集』の第十四巻末に防人歌が十二首も集められてあるが、その内には思太〜之太\ωぎ量\「時」
という言葉は見られない。
8あはのへ\巷 -き19-誘\「逢わなかったりする」に見られる上代東国日本語のーoは(甲類の-罵とし て書かれている)上代東国日本語の特別な連体形であるらしい。後に引用した萬二〇・四四〇七のこ
え爵身-。\も参照。西洋の言語学者の大部分は上代以前日本語(蔑¢6匡旨巷き@ωo)の連体形が元来甲類
の\O\であったと信じている(国巴8≦ q"o。。2農β鬢『一巨きとの個人的だ話し合いによる)。上代東国 日本語では連体形は甲類のδ\とも乙類の\o\とも書かれているが、上代東国日本語では甲類のδ\と
乙類の\α\の区別が消滅したため、そのような混合した書かれ方も納得できる。私の意見では、連体
形は甲類のδ\より乙類の\α\であった可能性が高いと思う。その一つの証拠として、上代中央日本語
の繋辞の昌-の連体形は〒αであることが挙げられる。上に言及した上代東国日本語に現れる -oの連 体形はもう一つの証拠であるとも考えられる。少なくとも、上代東国日本語の\@\と上代中央日本語
の\α\の間に何か密接な関係があったらしい事は確かであろう。たとえば、上代中央日本語の叶欝曾α
「心」と上代東国日本語の冨犀臼o(古今集二〇・一〇九七)を参照。
9『肥前風土記歌謡』の引用は(秋本6い。。)による。しかし、『肥前風土記歌謡』の番号は(土橋一〇い刈)
による。そして、万葉仮名の「素」は上代日本語には\Z。。α\ではなく、\のひ\であるから、仮名の書き
下しには秋本の「ぞ」を「そ」に変えた。
01『肥前風土記』の引用は(秋本一りい。。)による。
11この歌の「遲」は≧\である理由については高木氏などの意見も参照(高木など這いSひPω黯)。
21ただしζ霞。自●ζ蔓艮@が指摘したように、森(一〇〇一)のα\β区別は理解が困難である(80ω勲雪-ひO)。
31『日本書紀歌謡』の引用は(土橋6い刈)による。
41『日本書紀』の引用は(黒板勝美這ひひ)による。
54
51旭川方言の冨89目「岸」はく梼b♀の馨から発展した形なので(太田N8い…一い。。)、需8騨には関係がな
い。
61冒鋳ロはぎ艮「歯」の所属形巨艮二-であろう。千島(鳥居竜蔵資料)巨9『ぎ騨巨「歯」(服部這ひ命ひ)
参照。
η前にはぜ§臣として再構した<(。<巨澤塞い)雪が、今はぜ睫よりはゴーの再構は自然だと
思う。
81例外は・。o目。が助動詞匡「する」で伴う場合に、。。。日。匹が主動詞の後に出る。

注記本書のタイトルは日文研フォーラム第二一五回の原題「萬葉集に見られる不思議な言葉と上代日本列島に於けるアイヌ語の分布」を改題したものである。
http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/foru/2009-03-12/pub

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「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治.2017年12月15日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html

日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。


第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで

第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、

第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。


「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。

第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。

第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。


 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。


世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目


縄文時代を代表する大規模な集落跡、青森市の三内丸山遺跡。復元された6本柱の大型掘立柱建物が威容を誇る
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50003


 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。

 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。

 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。


福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功


(『核DNA解析でたどる日本人の源流』に掲載された図をもとに作成)
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=2


 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。

 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。

 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。


アジア集団の中で最初に分岐した縄文人


 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万〜8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。

 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」

 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。

分岐した時期は2万〜4万年前の間


 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万〜4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。

 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。


遺伝的に近かった出雲人と東北人


 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。


日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?


 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。

 第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。

 このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。


弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土


 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」

沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/photonews/article.html?id=20171214-OYT8I50007


 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。

 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。

 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。

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ikz********さん 2012/10/19 16:29:16
日ユ同祖論 信憑性はどの程度なのでしょうか。

言語が似ている、歌をヘブライ語にすると意味が通る(君が代、かごめかごめ、 ソーラン節など)という具体的な共通点から、遺伝子が中国韓国人にはないものをもつという根拠不明なものなどが上げられます。

某掲示板では、宗教観が違いすぎる、戦前の白人コンプレックスの日本の学者が作り上げたものだとしているのをみて妙に納得してしまいました。確かにユダヤ教と神道、仏教は違いすぎます。まず一神と多神、偶像崇拝禁止と仏像とで明確です。

ただはっきりどちらに分があるとは判断しにくい部分が多いため詳しい方いたらよろしくお願いします。


aki********さん 2012/10/21 01:10:58

歌の類似性と言えば、和歌がインドの民謡と共通性が高いほうが注目に値すると思います。今でも日本人は海外の文化を輸入して、独自に発展させる才能を発揮していますが、昔もそうだったと考えるべきだと思います。ただし、ヘブライ語と日本語の類似性は他の言語と同程度で、かなり低いと思います。多くは音が似ているだけのコジツケになっていると感じます。

本当に日本語と近いのは、大陸の高句麗語です。言語が近縁かどうかを観察するとき、真っ先に見るのが数詞と言われています。日本語と高句麗語の数詞の比較を行うと、朝鮮語などよりもはるかに近縁の言語という結果が出るようです。

高句麗は滅亡して、その人々は女真族と名を変え、今は満州族と呼ばれています。

彼等は清帝国を築いたわけですが、清の時代に遭難した日本の商人が北京に行って驚いたのが、一二三四ではなく、ヒ・フ・ミ・ヨの日本語の数え方がそのまま通じたことだそうです。高句麗の流れを汲む女真族の言葉を話す人々と、北京で普通に接触できたようです。

百済は扶余・高句麗から枝分かれした王室で、朝鮮半島は異民族支配されていました。

そのため、百済の王室と民は異なる言語を話しているという指摘が、中国側に残っています。

神道の世界には古い朝鮮語が数多く残っていると指摘されることがありますが、実際にはそれが失われた高句麗語という説も出てきています。


高句麗語は日本語と同じ膠着語です。

系統が違う漢民族の言葉と文字がいきなり日本に輸入されたわけではなく、まず漢民族の言葉と直接接していた高句麗語が漢字表記されるようになり、それが、高句麗と近い山東半島や遼東半島付近の海人の手を経て日本にもたらされて、古い神道の祝詞の言葉などが作られていったと考えられます。

纏向型祭祀と高句麗国の東盟祭の類似性も、かなり指摘されているようです。

倭人文化圏が北九州から済州島を経て山東半島や遼東半島付近に分布していたと認識している中国側の史料が幾つか散見されるようです。

卑弥呼寒冷期と呼ばれる地球規模の寒冷化に伴って、飢饉に直面した高句麗地域の人々が日本に渡来した結果、弥生時代が古墳時代に変わっていったという説があるようです。

九州に山東半島原産の三眠蚕が入り、纏向(奈良)にも山東半島付近の製鉄と蚩尤(兵主・天日槍)の信仰が入っています。その結果、天照大神のモデルになった古い日女神を祭った比売許曽(ヒメコソ)神社が建てられるといった現象が起こったようです。

比売許曽は姫を祀る神社という意味の高句麗語(朝鮮古語)です。だから、比売許曽神社の末尾の「神社」は必要のない筈ですが、時代が下って元の意味が見失われた結果、付けられるようになったと考えられます。祝詞にも高句麗語由来の言葉が大量に入っている、というより、本来祝詞は高句麗語(吏読)だったそうです。謎が多いとされる「ひふみ祝詞」は、高句麗語として意味がほぼ通じる形で伝わっているそうです。飛鳥という都の名前も元は高句麗語のようです。

トルコからシルクロードを介して日本まで、膠着語圏が広範囲に広がっています。
文法的に近いため、日本語に輸入しやすかったことが考えられます。


たとえば、天皇を古い時代はスメラ・ミコトと呼んでいました。

シュメール文明と日本語の関係がかなり指摘されていますが、シュメール・ミグトと言えば、天降りた支配者のことで、日本語と音が似ているだけでなく、意味も一致しています。したがって、シルクロードを介して日本に入ってきたのは、なにも古代イスラエルの文化に限られるわけではないと思われます。

秦の始皇帝の兵馬俑はペルシャ式の軍団編成になっていて、ペルシャ人の人骨が近くから出ているようです。

ササン朝ペルシャの滅亡に伴って、シルクロードに逃れた王子が中国に亡命し、妻子を安全な日本まで連れて来ているケースもあるようです。わずか数年で日本とペルシャは繋がる距離にあります。西の文化が日本に断片的に入っていても、不思議ではありません。仏教も入れば、ギリシャ彫刻もガンダーラの地域で形を変えながら伝わっています。

しかし、文化的影響が認められるからと言って同祖論を持ち出すのは、不自然すぎると感じます。それを言うなら、人類はアフリカ原産の動物で、皆同祖という話になります。

遺伝子に関しては本来akatamayorihimeさんが御専門の筈ですが、完全スルーしているようです。相手にする必要もない勘違い、ということだと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195894356


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実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。

かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。

ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。

このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。

Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA

松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM


それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。

どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。

ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。

ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。

構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。

つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。

2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。

擬声語は、たとえば

わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、

おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。

おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。

キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。

そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。

ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。


それだけではありません。

日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。

オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。
では、

 風が「そよそよ」と吹く
 太陽が「かんかん」に照る
 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
 星が「きらきら」光る

などはどうでしょうか。

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。

実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。
中には2〜3万年前のものもあります。

 シベリアの2万年前のもの
 ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。
そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千〜三万年前に新石器時代を迎えていた。」

と述べています。

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。
そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。
ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。
地味だけれど、ずっと咲き続けます。
まるで日本人そのもののようです。

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。

だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。


コメント


新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?

東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2q程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前〜4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。

江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。

僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。

当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。

やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。

彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。

様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。

日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。
2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]


外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。

擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。

また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。

日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は
理解できないようです。

外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、
この言語を意識せず使いこなしている
我々は本当、凄いのかもしれませんね。
2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM.


新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘

新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo

これですね。
2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI


加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん

KIさんへ

動画等のご紹介ありがとうございます。

加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。

『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029

という本です。

この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。

映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。

映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。
写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。

個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。

縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。
2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more

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オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー
http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html

 6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。

5〜13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。

また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。


アイヌ民族と共通性

 大学院理学研究員の増田隆一准教授(進化遺伝学)らのグループで、日本人類学会の英語電子版「アンスロポロジカル・サイエンス」に発表した。同グループは、道東・道北やサハリンの遺跡から発掘されたオホーツク人の人骨102体を分析。うち37体から遺伝子の断片を取り出し、DNAを解読した。

その結果、ニブヒやウリチなど北東アジアの諸民族だけが高い比率で持っているハプログループY遺伝子がオホーツク人にもあり、遺伝子グループ全体の特徴でもニブヒなどと共通性が強いことがわかった。現在、カムチャッカ半島に暮らすイテリメン、コリヤークとの遺伝的つながりも見られた。

  一方、縄文人―続縄文人―擦文人の流れをくむとみられるアイヌ民族は、縄文人や現代の本州日本にはほとんどないハプログループY遺伝子を、20%の比率で持っていることが過去の調査で判明している。
http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html


ニヴフ人とアイヌ語

ニヴフ語はアイヌ語や日本語、朝鮮語と同じように系統のわからない、いわゆる孤立語である。アイヌ語やウィルタ語といった隣り合った言語とも長い接触の歴史があるが、借用語程度の共通語彙しかなくお互いの言語が通じあうことはない。

ニヴフ人はかつて狩猟、漁労、採集を主な生業としていたが、最近の研究では中国(清)と日本との仲介貿易として知られる「サンタン交易」の重要な担い手であったことも明らかになってきた[1]。蝦夷錦や鉄器、毛皮といった商品を積んだ交易船を水面に走らすたくましい海洋交易民族でもあったのだ。
http://ext-web.edu.sgu.ac.jp/hidetos/HTML/mombetsuhandout.htm


ニヴフ語


ニヴフ語は少し昔までギリヤーク語と言われた。こう言うと聞いたことがあると思う人もいるだろう。サハリンが樺太といわれた時も、その遙か昔からニヴフ語はアイヌ語の隣にあった。つまり日本語の向こう隣にあった。奈良・平安時代にオホーツク海沿岸にオホーツク文化という古代文明があった頃、ニヴフの人たちは網走や稚内とか西は江差の方まで活動していたという見方もある。いまでこそニヴフの人たちが主に住んでいるところはサハリンの中部以北とアムール川の下流だけになってしまったが、ニヴフ語は日本地域の諸言語の中の一つであることになる。アイヌの人たちニヴフ人とのつき合いはもちろん古い。しかし日本人との触れあいも稀ではない。例えば間宮林蔵がアムール川を遡って清朝の出先交易所デレンへ行ったとき、同行して案内してくれたのはニヴフの人たちであった。

ニヴフの人たちがどこから来たかを問うのは愚問かも知れない。縄文以来その辺りに住んでいたと考えるほかはないからである。だから当然ニヴフ語も昔からそこにあって、アイヌ語と隣り合っていたに違いない。ところがこの両言語を比べて似ているところはない。おそらく親類ではない。それどころかニヴフ語はアイヌ語よりもむしろ日本語の方に似ている。といっても共通な語彙があるわけではない。ただ文法に構造に比較的共通な面が見られるというに過ぎない。

それに何と言っても人のすがた形がわれわれにそっくりなのには驚く。日本のスーパーマーケットではニヴフ人がレジで叱られる。「日本人のくせに日本語の計算できないの」というわけである。一方、アムールの店では日本人をニヴフ人と区別する目安ははいているジーンズの出来くらいのものである。

アムールの下流には2000人ほどのニヴフ人がネギダール人などと一緒に住んでいる。殆どニヴフだけの村もまだ2,3箇所は残っている。しかし家でも道路でも店でもニヴフ語は聞かれない。名の知れたおばあさんのところへ行って頼んで話していただけれるのがやっとである。一方サハリン全体でもやはり2000人を少し越える位のニヴフ人が住んでいる。だがこちらでは州議会にニヴフの代表を送ったり、著名な作家が活動していたり、あちこちの博物館に学芸員をやっていたり、ニヴフは大活躍である。『ニヴフ語』という新聞(月刊)も出している。だがそれでもニヴフ語が家庭語になっている家は一・二軒か、それもあのおばぁちゃんとあの娘との会話だけかなと言えるくらいである。

公教育でニヴフ語を正課にしているところはアムールとサハリン合わせて二校である。もっとも随意科目としてニヴフ語教室をおくところがほかにいくつかある。それにしては立派な教科書が1970年代から作られ、学習用の辞書も読本もある。しかも北西方言(アムール下流と北西サハリン)と南東方言(サハリンのトゥミ川流域以南)に分かれて、結構使われている。それでもニヴフ語はすでに生活語として使われてはいない。全員がロシア語の母語話者になってしまっている。昔話を語るひとも数えるほどしかいない。この言語の先行きは見えない。いまのところ完全に先細りである。あのお婆さんが亡くなったらどうするんだと思うばかりである。そして事実、一昨年はあの方が、去年はあの人が、という有様である。

しかし『ニヴフ語』の編集と配布に精を出している姿を見て、たとえ余所者であっても、何か手伝いたいと思う。本やビデオ番組を作る手助けでもできればと願う。「危機言語」だなどとよそよそしいことを言わないでほしい!このほれぼれするほどに立派な言語を必死にに守ろうとするひとたちがそこに生きているのだから。

《金子亨:言語学(2006年掲載)》
http://www.chikyukotobamura.org/muse/low060402.html


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アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書) – 2016/2/8
瀬川 拓郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%A8%E7%B8%84%E6%96%87-%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E6%8B%93%E9%83%8E/dp/4480068732


日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
 


日本人や日本文化が世界で最近、注目されている。
理由や現象は敢えて並べないが、一言で表せば思考方法や行動、言語等が人類の本源的、源流的であるという点。裏返せば独自的、孤立的、世界中に広がった他の地域、人類との類似が少ないという点ではないだろうか。

最近の研究で言語学的にも遺伝子的にもそれは証明されてきており、人種の孤島として縄文人、アイヌ人の事を書いた著書の一説を紹介したい。

「アイヌと縄文」〜瀬川拓郎著
>「人種の孤島」としての縄文とアイヌ

本土人、琉球人、アイヌの遺伝的多様性の分布を見ると、それらは他の東アジア人や、ヨーロッパ人と混血した中央アジアの人々(ウイグル人、ヤクート人)のまとまりとは反対の方向に分布しています。

 現代の本土人、琉球人、アイヌは直線状にならび、この順でアジアの人々から離れていきます。直線の延長上にはかれらの共通祖先である縄文人が想定できます。つまり本土人、琉球人、アイヌのDNAを特異な方向に「引っ張って」いるのは縄文人であり、そのことは縄文人が現代のどの人類集団とも大きく異なる特徴を持っていたことを物語っているのです。

縄文人は、上下の歯が爪切りの刃のように嚙み合い、彫が深く、鼻が高いといった形質的な特徴をもっていました。これはアイヌにも共通します。そのアイヌは形質人類学では長くコーカソイド(ヨーロッパ人)に分類されてきましたが、1960年代に総合調査が行われ、歯冠の形などから本土と同じモンゴロイド(アジア人)であると結論付けらました。

ただし、先のアイヌの特徴は一般的なモンゴロイドとは異なるものです。一般的なモンゴロイドとは異なるものです。そのため、形質人類学者はこれに頭を悩ませ、現代モンゴロイド成立以前のモンゴロイド、すなわち原モンゴロイドという仮想的な集団を設定し、アイヌをこれに帰属させたのです。

つまり、私たちが常識のようにみなしているアイヌ=モンゴロイド説は学界で完全に受け入れられているわけではありません。形質人類学者の百々幸雄はアイヌがどの人類集団とも異なる、現生人類という大海に浮かぶ「人類の孤島」であるとし、アイヌと縄文人は「出アフリカ」をはたした現世人類が、ヨーロッパ人とアジア人に分化する以前の状態を保っているのではないかと述べています。(百々2007年)
このこととかかわって興味深いのは、同学者の山口敏が旧人のネアンデルタール人のあとに出現した、化石現生人類のクロマニョン人と縄文人の類似性を指摘し、縄文人の形態的特徴は、現生人類のなかの古層に属すると見なされている事です。

 日本列島の縄文人は北海道から沖縄まで形質的な共通性をみせています。かれらは地域性がはっきり認められず、均質な形態をもつ人々でした。つまり縄文時代の日本列島には、アイヌにうかがわれるような「モンゴロイド離れ」した人々が暮らしていたのです。

1万年以上続いた縄文時代には、日本列島をとりまく朝鮮半島、中国、台湾、サハリンとの交流はほとんどありませんでした。そのため縄文人のヒトとしての特異性はかなり純粋に保たれてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

同様に言語学でも日本語、アイヌ語は世界中の言語から孤立している。

>日本列島を含むユーラシア大陸では2500以上の言語が話されています。ただし、同系関係を辿っていくと、これらのほとんどはアルタイ系言語、シナ・チベット系言語、インド・ヨーロッパ系言語のようなわずか10あまりの大きな「語族」にまとめられます。

その中で同系関係がたどれず系統的に孤立していた言語はわずかに9つにすぎません。さらにその約半数が日本列島の周辺に集中している。日本語、アイヌ語、朝鮮語、サハリン先住民のニブフ語です。

これ以外はピレネー山中のバスク語、西シベリアのケット語、インド中部のニハーリー語、東ヒマラヤのクスンダ語でいずれも人里から離れた辺境地帯の言語である点が共通しています。

言語学者の松本克己はこのうち日本列島周辺に集中する日本語、アイヌ語、朝鮮語はかなり旧い時代につながっていたと述べています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー

これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。

言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。

それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=312916


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縄文体質は日本語を通じて我々の心に息づいている
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3361.html

縄文体質はさまざまな方法で、分野で人々の暮らしに、文化に、心に残存していきました。しかしその影響力の中で最も大きなものはなんでしょうか?私は間違いなく日本語だと思います。

日本語は縄文時代に作られた言語であり、もっと言えばその以前、旧石器時代、さらにホモサピエンスが登場した時代に人類が言語を作り出した最も旧い古語を母体にしています。日本列島には縄文時代、それ以降も様々な大陸人が渡来し、定着していきましたが、彼らはいずれも母国語を持ちながらも日本に定着する為に日本語を使えるようになり、2世代、3世代を経て日本人になっていきます。それは現代でも同じで、アメリカ人であっても生まれて直ぐに日本で生活し、日本語で育った子どもは顔は西洋人でも心はまったくの日本人です。(テニスプレーヤーの大坂なおみや野球のダルビッシュ有などを見てもわかるでしょう)日本人は日本語で考えるから日本人になれるのです。

縄文―弥生―平安から江戸時代、明治、昭和、そして現在まで、日本語はほとんどその骨格を変化させず、時々の外来の文化を取り込んできました。るいネットでは日本語で検索するだけで100以上の投稿が掲載されています。

その中で縄文体質がどのように日本語を通じて我々の血肉に、心になっていったか、それを推し量る投稿をいくつかダイジェストで紹介します。


これらを読んで改めて思うのは日本語教育の大切さ、今学校教育で最も必要なの英語教育ではなく母国語を使った思考力育成教育ではないでしょうか?


日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=312916


これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。

言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。

それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。


縄文語は抹殺されなかった
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=307372&h_d=1433&m_d=rpc


人類学でほぼ定説になっているのは、日本列島には縄文時代の一万年にわたってアイヌ人を含む南方モンゴロイド系の縄文人が生活しており、紀元前二・三百年ごろ北方モンゴロイド系の渡来人が移入してきたことである。

しかし、大量の渡来人が一挙に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。縄文人が抹殺されたり、奴隷にされたりして、日本列島から縄文文化が消滅したわけでもなかった。大陸からある程度の集団的な渡来があったとしても、この時代の渡航技術からして先住民を一気に駆逐したり虐殺したりできるほどの大規模な移動はできなかった。

渡来人の移入以前、縄文人は、前期からすでに日本列島にはひろく住んでおり、土器の生産に従事し、相互に交流していた(ヒスイが糸魚川で産出し加工され、日本列島に広く流通していた例など)。縄文人はかなり均質化した文化をもっており、とすれば、地域差はあったにしろ、異言語の乱立するような状況は考えにくい。縄文前期からすでに縄文語という原日本語が形成され始めたのではないかと著者はいう。

(中略)

とすれば、言語もまた制圧と断絶という形で入れ替わったとは考えにくい。しかも日本語は、様々な学説はあるものの、現在までのところ琉球語以外にその同族関係が証明されていないという。「周辺言語との同型性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない」と、著者は主張する。確かに、二千数百年前に渡来した弥生人が縄文語を消滅させてしまったなら、大陸のどこかに弥生語ときわめて親近性の高い言語が残っているはずなのに、それが見つからないのだ。日本語は、縄文文化とともに始まり、断続なく現代に連なる長い歴史ももっているというべきだろう。


原始日本人の感覚は、「ひらがな」によって継承されている
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=321391

文字を持たない時代の言語とその感覚を、現代まで引継いでいるのは、世界の中でも「ひらがな」のみという。どんな文字も、「てにをは」のひらがなにし組み立てることで、話し言葉しかなかった原始日本人の感覚を伴った理解ができる。「ひらがな」が、日本人の縄文体質を継承する基盤になっているということ。

日本語の感覚はひらがなの言葉やひらがなの使い方の中に脈々と継承され続けているのです。ひらがな以外の文字は他国の先進文明や新しい技術・考え方などを日本語として取り込んできたものなのです。


日本語の凄さ〜お互いが分かり合うこと(日常会話)に特化した言語〜
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=333010


日本語を含め計4ヶ国語を勉強した方が、日本語の秘密=日本語の凄さを書いてくれている。この日本語の凄さを読めば読むほど、日本語ほど相手と意思疎通を図るのに適した言語は無いのではないかと思えてくる。


○主語がなくても通じる

日本語は、主語がなくても通じます。良い例が、「愛してる」。
誰が、誰を、愛していると言わなくても、「愛してる」と言うだけで意味が伝わりますね。誰も日本語で「私はあなたを愛しているよ」なんて長ったらしいフレーズは使いません。

しかし、英語では「I love you」、中国語では「我愛(あなた)」を普通に使います。


○言葉を入れ替えても通じる

日本語は、英語や中国語に比べて言葉の並びをあまり気にしない(法則性が少ない)と感じます。例えば、英語で「Where are you now?」

日本語では、「今どこにいるの?」・「どこにいるの今?」・「どこに今いるの?」どれも不自然でなく使うことができます。

しかし、英語では「Now where are you?」とは言いません。なぜか説明できないけれど、しっくりきません・・・。もちろん「Where are now you?」とも言いませんよ。


思考するための最高の言語:日本語
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=332003


・・・日本語が思考言語としてはこれぼど適したものはないということになります。

特にアイデアや発想の広がりは、他の言語の比較にならないものだということができます。

問題は、その特徴を使いこなしているかどうかということになります。
枠にはまった思考や、限られた知識に縛られた思考では、せっかくの日本語のチカラを生かしていないことになります。


日本語が作る脳〜日本人の“縄文体質”や“本源性”は日本語を母語とする限りは失われない!?A
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=291491&h_d=1433&m_d=rpc


角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということである。

その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。


日本語とポリネシア語の共通性〜ともに母音を中心として認識する言語
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=285350


日本で日本語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていない。

世界の言語のほとんどは子音を中心に認識するものです。

ヨーロッパ語もアラビア語も中国語も、口から空気を出す時に障害を作って変化をつける子音によって音声の認識をしています。

子音は感覚的には、相手との距離を保ち威嚇する発音体系ということができるのだそうです。子音語族(こんな言い方があるのかどうかわかりませんが)においては、会話をすることによって、相手との対立や違いを明確にしていくことができるようです。

母音は息で制動を付けなくても、声帯の振動をそのまま伝えることで発することができる自然な音です。痛いときには「うー」と奥の方から自然に発せられます、感動した時には「おー」と自然な音が発せられます。母音は自然に発せられる音からできています。

母音を中心とした言語である日本語やポリネシア語の話者は、母音を言語脳がある左脳で聞いています。


『生きる力を育てる教育』〜日本語の力(番外編)こんこんと流れる日本人の心の地下水脈
http://web.kansya.jp.net/blog/2012/05/001281.html


子どもの頃に暗誦した言葉で意味の分からなかった所も、人生の経験を積み重ねていくうちに、ふと分かる瞬間が訪れる。嬉しい事や悲しいことがあった時に、子どもの頃に暗誦した言葉がふと思い浮かんで、その言葉の持つ深い意味に気づく。そういう経験を積み重ねると、その言葉を口ずさむだけで、自分の人生の様々な場面が思い起こされるようになる。子どもの頃に暗誦した言葉は長い人生において、自分を導き、支え、励ましてくれる道連れとなる。老人方の「喜び」とは、そういう道連れに恵まれた幸福であろう。

自分が共に生きた言葉を、また子や孫の世代が習い覚えてくれるなら、それはまた大きな喜びである。自分はこの世から去っても、自分がともに人生を歩んだ言葉は後の世代が大切に受け継いでくれる。自分はいなくなっても、自分が大切にした根っこは、後の世代が大切に引き継いでくれるのだ。

国語はこのようにして世代を貫いて民族の心の地下水脈をなす。暗誦文化が衰退したといっても、たかだかこの1,2世代のことである。現在の世代が忘れていても、国語の地下水脈はこんこんと流れ続けている。


日本語が美しい理由

言葉はその音が単なる記号ではない。
その音が持つイメージから言葉は作られる。太古、精霊を見て、観念を発明したとき、彼らの感覚にしっくりくる発音が与えられたはずだ。
日本は幸い、太古から民族、文化、言語がずっとつながっている。
日本語が持つ語感は、日本の風土の中で作られた言葉が変化しながらもずっとつながりを持っている。

だから日本語には擬態語が多い。

カラカラ、クルクル、コロコロ
サラサラ、ソロソロ、スルスル
タラタラ、ツルツル、トロトロ

Kは回転する固体、Sは乾いた空気の摩擦、Tは粘性のある液体のイメージだ。

日本人ならみんな共有できる音のイメージ。新しく擬態語を創ってもすぐ通用する。ところが、外国人にはこれが理解できない。

無数の音節単位を認識する他国の言語では、各音に対する性格付けがほとんど不可能。

音の語感だけで雰囲気の解る日本語発音体系、それを太古から途切れずに発達させることが出来た。

日本語は美しい。

黒川伊保子 「日本語はなぜ美しいか」 より

サクラサク、この語感の美しさ。みんなが共有できることの幸せ。
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/11/3361.html

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c11

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
12. 中川隆[-13784] koaQ7Jey 2018年12月12日 07:36:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22015]

中国文明はコーカソイドによって築かれた
https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n414702


↓以下の通り。


「中国といえば黄色人種の代名詞的存在です。しかし、漢字を発明した古代漢族と現在の漢族は、遺伝的なつながりがほとんどないとみられています。漢王朝が崩壊後、北方の異民族が流入して人口は3分の1〜6分の1に減少したと推定されています。しかも、流入した北方民族を含めて人口が3分の1〜6分の1に減少したのですから、古代漢民族の減少はそれ以上だった推定されます。その後、鮮卑族と呼ばれる北方民族が統一王朝を建設し、隋、唐と長い間支配が続きます。現在の漢民族は唐時代に民族の基礎が形成されており、現在のイタリア人と古代ローマ民族以上に別物といわれています。現在の中国では、古代漢語といえば清王朝時代の満州人の影響下にあった漢語を指すようです。


 古代漢族は、現在の中国と違った文化をもつ謎の多い民族です。そんな漢民族ですが、最近の近代的な考古学的手法の発達により、遺骨やミイラのDNA分析の結果が断片的に報告されるようになってきました。2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表しました。その結果は、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近いという結果になり、現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらなというものでした。


 一方、3000年前〜1500年前の中国西部は、白人が支配する地域であったことがほぼ定説になりつつあるようです。新疆ウイグル自治区の楼蘭の美女と呼ばれるミイラは、白人のミイラとして知られています。中国西部では600体もの白人のミイラが見つかっています。北京から400、500km南東に位置している山西省の大原市からも白人が埋葬された墳墓が見つかっています。このことから1500年前にはすでに白人がかなり移住していたと考えられます。


 漢文は異民族との情報交換のために発達した文章といわれています。つまり、漢文は文章のためのものであり、当時、話された言葉をアルファベットや万葉仮名のように示したものではありません。つまり、当時話されていた言葉を記録した資料が極端に少なく、検討する余地はかなりあるようです。ひょっとすると、漢文は当時のシナ系言語と全く異なる白人の言語をつなげる架け橋だったのかもしれません。


これらの白人はコーカソイドと呼ばれる人達で、いわゆるトルコ系民族と言われる人たちです。トルコ系民族は、少なくとも5世紀ごろにはシベリア地域にも移住していたとみられています。そう考えてみると、中国にもトルコ系民族が移住していても何の不思議もありません。東京大学の植田教授らは山東半島周辺に白人の居住地があったことを指摘しています。現時点では、白人が中国のどの程度の位置を占めていたのか不明ですが、今後DNAの研究が進むにつれ、これまでの歴史の常識が大きく覆されるかもしれません。漢字は白人が発明したもので、山東半島出身の孔子は白人だった可能性が高いです。


テュルク(トルコ系民族とその分布)

http://ja.wikipedia.org/wiki/トルコ系」


「東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らが、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果を発表しました。


調査の対象となったのは、


1、約2500年前の春秋時代の人骨

2 約2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨

3 現代の臨シ住民


です。


これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。


どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い。


約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い。


現代の臨シ住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらない。


つまり、2500年前の支那大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団であった、すなわり、いまの支那人たちとは、まるで異なる集団であったということです。


言いかえれば、2500年前から2000年前の500年間に、支那では大きな遺伝的変化が生じた、つまり、支那大陸では、大規模な人類の移動があったということです。


そもそも中国語と英語を含むヨーロッパ系言語では、文法や語順のなどが、非常に似通っています。


たまたま文字が漢字であるため、見た目のイメージはまるで異なる言語にみえるけれど、語族として考えたら、日本語と中国語よりもはるかに支那語は、ヨーロッパ系言語に近い。


しかも、ひとくちに中国語といっても、支那は広大な大陸です。

さまざまな方言があり、外国語並みにたがいに言葉が通じない。

文法や語順、あるいは基本的名詞に至るまで、まったく違うものもあり、もはやその言語は、互いに別な言語というほうが、はるかに正しいです。


たとえば、我々が中国語口座を受けると、「声調」は「四声」と教わるけれど、これは北京語の話であり、広東語は九声、福建語は八声もある。

上海語と客家(ハッカ)語は六から七声です。


また、北京語には濁音がないけれど、南方語には、濁音が存在する(日本語の影響?)。


フランス語と、英語は、語順等は似ているけれど、母音の数がまるで異なります。当然、異なる言語とされている。国籍も別です。

支那にある諸方言を考えたら、これらをひとまとめに、同一言語であるとみる方が、むしろ異常です。


中国四千年の歴史なる言葉は、そもそもが、三皇五帝(さんこうごてい)なる支那の神話伝説時代の帝王からきている言葉です。


三皇は神、五帝は聖人で、それらは支那の伝説の時代である「夏」の時代(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)よりも古い時代の皇帝だというのだけれど、これも大載礼記、史記、戦国策、易経、礼記、淮南子、世経、三統経、資治通鑑外記などで、誰が皇帝であり、誰が帝王だったのかすら、全部言い分が異なっています。


炎帝(姜王)などは、礼記と准南子に登場するけれど、体が人間で、顔は牛だったというから、そもそも人類であったかどうかすら疑わしい。

要するに、これらは単なる神話とされ、いまでは、その実在は誰も認めていません。


三皇五帝のあとにくる「夏王朝」にしても、いまからちょうど四千年あたり前から470年続いき、その後「殷」に滅ぼされたとされているけれど、これも、その実在性がかなり疑わしいとされている。


結局支那で考古学的にはっきりとその存在が証明されているのは、「殷王朝」で、これは、紀元前17世紀頃から紀元前1046年の王朝です。遺跡もある。


そして遺跡があるおかげで、この時代の殷王朝を形成した人々が、いまの漢民族とは、まるで異なる遺伝子を持った別な民族であったということが立証されてしまっています。


時代が下って、西暦220年頃の三国志に登場する関羽とか張飛とかのを見ると、関羽は、髭(ひげ)の長い巨漢、張飛は、ずんぐりむっくりの巨漢です。


遺伝的特徴からしたら、髭(ひげ)の薄い漢民族の特徴というよりも、関羽あたりは北欧系のノルウェーの海賊(バルカン民族)の特徴をよく備えているし、張飛の遺伝的特徴も、漢民族的特徴はまったくなくて、どうみても、北欧系のドワーフです。


関羽や張飛の姿は北欧系のコーカソイド

の遺伝的特徴そのものである


そしてこの時代の人骨からは、先に述べたとおり、明らかにヨーロッパ系の遺伝子を持った遺伝子・・・漢民族とは異なる遺伝子を持った人骨・・・が発見されています。

さらに時代をさかのぼると、支那の文明の始祖として、20世紀前半に黄河文明の仰韶(ヤンシャオ)遺跡が発掘されました。仰韶遺跡は、紀元前5000年から同3000年まで続いた文化です。


遺跡からは、彩文土器、竪穴住居、磨製石斧などが出土し、彼らが粟などの栽培や、豚や犬の飼育、鹿などの狩猟を行っていて、竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用していたことは、明らかになっています。


しかし、そこで発見された彩陶土器は、西アジア、中央アジアから伝来したものです。

つまり、どうやら工具的にも、ここの文化を構築した人たちは、東洋系の人種ではなく、コーカソイド系の人たちだったようです。漢民族的特徴を示す物は、残念ながら発見されていません。」


つまり、モンゴロイドが「独自の文明」と自惚れている「中華文明」とはコーカソイドと云う人種によって築かれたのだ。
https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n414702

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2008年10月16日
ミトコンドリアDNAでは母方の祖先が分かるが、Y染色体のDNAからは父方の祖先が分かる。
「常に男女が同程度の人数で移動した」とは限らないので、Y染色体のDNAも調べる必要がある。


南米大陸全体での先住民族のDNAを持つ人の割合は、ミトコンドリアDNAでは82.8%だったのに対し、Y染色体ではわずか8.6%だった。

Y染色体で先住民族のDNAを持たない人の父方の祖先は、大航海時代以降南米に入ったヨーロッパ系(侵略者)又はアフリカ系(奴隷)の人々である。

比較的「南米以外」からの影響が少ないと見られていたペルーの山岳部の住民でも、同様の傾向があった。

先住民族のDNAを持つ人の割合は、ミトコンドリアDNAでは94.2%だが、Y染色体では46.0%しか居なかった。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20081016/p1

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/04(月) 23:19:37 ID:9w/WmKTM

ところが中南米人の遺伝子調べると
母系は先住民、父系はヨーロッパ人と綺麗に分かれてる
ハーレム状態


94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/04(月) 23:36:51 ID:GKFrYljf
>>93
人種構成は、

ペルーが、インディオ47%、混血40%、欧州系12%、東洋系等1%

ボリビアが、インディオ55%、混血32%、欧州系13%

メキシコが、インディオ30%、混血55%、欧州系(スペイン人)15%


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 12:35:59 ID:OriNBOP5
>>94
それは人種構成だから遺伝子の数値とズレがあるよね

例えばアルゼンチンは白人国家とされてるけど

ブエノス・アイレスの隣のラ・プラタ市の遺伝子調査だと
mtdna(母系)は45%が先住民、Y染色体(父系)の90%がヨーロッパ系

インディオが少ないとされるブラジルでも調査すると
mtdna(母系)の32%が先住民、28%が西アフリカ人となる
Y染色体(父系)の方はこれまた90%以上ヨーロッパ系になる


つまり人種的に黒人、インディオに分類されても
男系にかぎっては過去に白人の祖先をもつやつがとても多い

それに人種的にブラジルは白人、ムラート、黒人に分類されるが
実際は先住民ともかなり混血してることがわかる

あとアメリカ黒人男性の20%は白人を祖先に持つ
逆にアメリカ白人への黒人の遺伝子的影響はわずか0.7%
アメリカ白人への先住民の遺伝子的影響は3.4%

これらの数値はつい先日英語サイトから拾ってきたもの

ブラジルの数値はちゃんとした論文で具体的な方法まで書いてあったから
かなり信用できると思う
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1094725063/l50


「 見た目はモンゴロイドだが、Y遺伝子はコーカソイド 」 はありうるか? 性染色体と常染色体の動きの違いから解明
 

(315336)から、O系統の言語の語順は初めからSVOであったわけではなさそうだと展開しました。しかし、O系統(中国人、東南アジア人)が、C系統やD系統(モンゴロイド)より、R系統(印欧語族)に近いという問題はいまだ残っています。

O系統は、インドから東南アジア、さらにニュ−ギニア方面へ展開したK系統が、(火山の噴火などが原因か?)大陸側、中国南部方面へ戻った時に生まれた系統か?(他のストーリーも考えられると思う)

その時何が起こったかですが、命からがら逃げてきたK系統の男がモンゴロイドの女と交わって作った集団ということと思われる。(必ずしも強姦ということではなく、モンゴロイド側が受けいれたか?)

その場合、K→O系統の遺伝子が半分残るはずだが、Y遺伝子(性染色体)と違って、常染色体(性染色体以外の一般の染色体)はオスとメスの間を行ったり来たりしながら伝えられていくので、必ず後世に伝えられるというわけではない。(Y遺伝子は、他の部族の男が入らないなら、O系統のY遺伝子が必ず後世に伝わっていく。)

その環境で生きていくのに不適切な遺伝子なら、世代を重ねるごとにどんどん淘汰されていき、Y遺伝子以外は、つまり「常染色体」に乗っていたK系統→O系統(コーカソイド系統)の持ち込んだ遺伝子はほどんど消えてしまうということも十分ありうる。

モンゴロイドの男は集団に入ってくることなく、モンゴロイドの女を集団に組み込んでいけば4世代もすればコーカソイドの血は10分1のにうす
まってしまう。Y遺伝子だけはそのままコーカソイドのものが残る。

今のところ、中国人や東南アジア人は、このように成立した、「Y染色体はコーカソイド、常染色体はほとんどモンゴロイド」の種族と考えます。これが、正しいなら、オスが移動してY遺伝をどれだけ撒き散らしても土地(環境)に根付いたメスが伝える常染色体の形質が、いくらでも巻き返してくるということかと思われます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=315337





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日本人のガラパゴス的民族性の起源

  黄河文明の古代遺跡から発掘される人体はコーカソイドの特徴を持っていることは、考古学ではよく知られています。 これは寒冷地適応や黄砂適応を獲得するまえのY-DNA「O3」はY-DNA「CF」の子孫としてふさわしい彫深の外観であったことを示しています。

同様に典型的なフラットフェースのモンゴル人Y-DNA「C3c」も、本来は兄弟亜型Y-DNA「C2」と「C4」のニューギニア先住民やアボリジニと同じく いかつい彫深顔であったことが容易に推測できます。これほど寒冷地適応は厳しい環境要因だったのです。


  アイヌ民族のmtDNA「Y」はオホーツク文化で古代アイヌ民族を征服した古代ニヴフ族がもたらしたものでしょう。 その古代ニヴフ族は東北アジア系Y-DNA「C3c」のツングース系かモンゴル系と考えられます。

明治期でもアイヌ人男性の一部はコーカソイドと考えられたほど端正な顔立ちだったので、 いづれにせよ寒冷地適応を獲得する前の東北アジア集団が北海道に渡ってきたことになります。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-3.htm





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失われた文明 メソポタミア エデンの回帰 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tI-s-9k02dk



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新シルクロード 01 「楼蘭 四千年の眠り」(2005年1月2日) - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%96%B0%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89+++%E6%A5%BC%E8%98%AD+%E5%9B%9B%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9C%A0%E3%82%8A

2014年12月18日 砂漠に消えたロプノール湖畔に3800年前に住んでいたヨーロッパ系住民
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/410834192.html


新疆ウイグル住民の遺伝子は、今でも、60%がヨーロッパ系です。

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/2-thumbnail2.png.html


ニューヨークタイムズの記事(英語)

A Host of Mummies, a Forest of Secrets
ミイラが眠る、柱群の秘密

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/1-thumbnail2.png.html


Liu Yu Sheng

SYMBOLISM Archaeologists believe the hundreds of 13-foot poles at the Small River Cemetery in a desert in Xinjiang Province, China, were mostly phallic symbols.
象徴主義(シンボリズム)− 考古学者は、中国、新疆ウイグル自治区の小河墓遺跡に立つ、長さ4mの柱群は、男根の象徴と考えます。

By NICHOLAS WADE  Published: March 15, 2010
ニコラス・ウェイド  出稿:2010年3月15日

http://www.nytimes.com/2010/03/16/science/16archeo.html?pagewanted=all&_r=1&
In the middle of a terrifying desert north of Tibet, Chinese archaeologists have excavated an extraordinary cemetery.
チベットの北にある不毛の砂漠の真ん中で、中国の考古学者らが、驚くべき墓を発掘しました。

Its inhabitants died almost 4,000 years ago, yet their bodies have been well preserved by the dry air.
約四千年前に埋葬された遺体が、乾燥のため、非常に良い状態で保存されていました。

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/8-thumbnail2.png.html

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/4-thumbnail2.png.html

A 3,800-year-old mummy, the Beauty of Xiaohe, found at the Small River Cemetery.
小河墓で発見された3800年前のミイラ「小河の美女」

The cemetery lies in what is now China’s northwest autonomous region of Xinjiang, yet the people have European features, with brown hair and long noses.
墓場は、新疆ウイグル自治区にあり、中国領ですが、住民はヨーロッパ人に似ていて、茶色の髪と高い鼻です。

Their remains, though lying in one of the world’s largest deserts, are buried in upside-down boats.
遺体は、世界最大級の砂漠に葬られているのに、ひっくり返した舟が、被せられています。

And where tombstones might stand, declaring pious hope for some god’s mercy in the afterlife, their cemetery sports instead a vigorous forest of phallic symbols, signaling an intense interest in the pleasures or utility of procreation.
死後の神の慈悲を願って、墓石の代わりに、この墓に立てられた柱群は、男根の象徴で、快楽と子孫繁栄への強い関心の表れと考えられます。

The long-vanished people have no name, because their origin and identity are still unknown.
大昔に消えた名も無い人々が、どんな民族で、どこから来たかは不明です。

But many clues are now emerging about their ancestry, their way of life and even the language they spoke.
でも、彼らの血統や生活様式や言語についての証拠が、発見されて来ています。

Their graveyard, known as Small River Cemetery No. 5, lies near a dried-up riverbed in the Tarim Basin, a region encircled by forbidding mountain ranges.
その第五小河墓は、踏破困難な山脈で囲まれたタリム盆地の、干上がった河床近くにあります。

Most of the basin is occupied by the Taklimakan Desert, a wilderness so inhospitable that later travelers along the Silk Road would edge along its northern or southern borders.
盆地の大部分を占めるタクラマカン砂漠は、人を寄せ付けぬ不毛の土地で、後のシルクロードの旅人らも、南か北のルートを取りました。

In modern times the region has been occupied by Turkish-speaking Uighurs, joined in the last 50 years by Han settlers from China.
現在、この地域は、トルコ系の言葉を話すウイグル族が住み、50年前からは、漢族の入植者も加わりました。

Ethnic tensions have recently arisen between the two groups, with riots in Urumqi, the capital of Xinjiang.
新疆ウイグル自治区の首都ウルムチでは、最近、民族感情の対立が激化しています。

A large number of ancient mummies, really desiccated corpses, have emerged from the sands, only to become pawns between the Uighurs and the Han.
砂の中から大量に見つかった古代のミイラは、正に乾燥した遺体ですが、ウイグル族と漢族の対立で、火に油を注ぎました。

The 200 or so mummies have a distinctively Western appearance,
およそ二百体のミイラは、はっきりと西洋人の特徴を持っています。


WELL PRESERVED The mummy of an infant was one of about 200 corpses with European features that were excavated from the cemetery.
良い保存状態の嬰児のミイラ。 この墓場から発掘されたヨーロッパ人の風貌を持つ約200の遺体の一つ。

and the Uighurs, even though they did not arrive in the region until the 10th century, have cited them to claim that the autonomous region was always theirs.
そのため、歴史的には十世紀よりも後に、この地に住み着いたウイグル族は、ここが、古来より自分たちの土地だったと主張します。

Some of the mummies, including a well-preserved woman known as the Beauty of Loulan, were analyzed by Li Jin, a well-known geneticist at Fudan University, who said in 2007 that their DNA contained markers indicating an East Asian and even South Asian origin.
保存状態の良い楼蘭の美女を含む、複数のミイラのDNAを分析した、復旦大学の遺伝学者金力(上海、ふくたんだいがく、ジン・リ副学長)は、2007年に、東アジアと南アジアの人種であろうと発表しました。

The mummies in the Small River Cemetery are, so far, the oldest discovered in the Tarim Basin.
小河墓のミイラは、今の所、タリム盆地で見つかった最古です。

Carbon tests done at Beijing University show that the oldest part dates to 3,980 years ago.
北京大学の放射性炭素年代測定によると、一番古い所は、3980年前と分かりました。

A team of Chinese geneticists has analyzed the mummies’ DNA.
中国の遺伝学研究チームが、ミイラのDNAを分析しました。

Despite the political tensions over the mummies’ origin, the Chinese said in a report published last month in the journal BMC Biology that the people were of mixed ancestry, having both European and some Siberian genetic markers, and probably came from outside China.
ミイラの人種について政治的緊張があるにもかかわらず、中国の研究者らは、先月、BMCバイオロジー誌(訳注:BioMed Central, UK 生物医学センター、イギリス)に、論文を発表しました。ヨーロッパとシベリアの遺伝子を持つ、中国以外から来た人々だと。

Evidence that a West-East admixed population lived in the Tarim Basin as early as the early Bronze Age
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/8/15

The team was led by Hui Zhou of Jilin University in Changchun, with Dr. Jin as a co-author.
研究チームは、吉林大学(きつりんだいがく)の周慧がリーダーで、金力博士と共著です。

周慧(Hui Zhou)吉林大学(Jilin University)教授
http://life.jlu.edu.cn/?mod=teacher&act=view&id=12

All the men who were analyzed had a Y chromosome that is now mostly found in Eastern Europe, Central Asia and Siberia, but rarely in China.
分析を行った男性のミイラのY染色体は、現在の東ヨーロッパ、中央アジア、シベリアに分布するタイプで、中国のタイプは、ほとんどありませんでした。

The mitochondrial DNA, which passes down the female line, consisted of a lineage from Siberia and two that are common in Europe.
女系に伝わるミトコンドリアDNAは、主にシベリアのタイプで、二例がヨーロッパのタイプでした。

Since both the Y chromosome and the mitochondrial DNA lineages are ancient,
Y染色体とミトコンドリアDNAが、両方、古いタイプなので、

Dr. Zhou and his team conclude the European and Siberian populations probably intermarried before entering the Tarim Basin some 4,000 years ago.
周博士(周慧)の研究チームは、およそ4000年前にタリム盆地に侵入する前に、ヨーロッパ人とシベリア人が、混血していたと結論しました。


(訳注:”Dr. Zhou and his team”「周博士と彼のチーム」とありますが、周博士は女性なので、”his team” 「彼のチーム」ではなく、”her team” 「彼女のチーム」とすべき。周博士の写真は男性のように見えますが、女です!)

The Small River Cemetery was rediscovered in 1934 by the Swedish archaeologist Folke Bergman and then forgotten for 66 years until relocated through GPS navigation by a Chinese expedition.
小河墓は、スウェーデンの考古学者フォルケ・ベリイマンが、1934年に再発見しましたが、忘れられていました。中国の探検隊は、GPSで、その66年後に、位置を突き止めました。

Archaeologists began excavating it from 2003 to 2005.
考古学者らは、2003年から2005年に発掘を行いました。

Their reports have been translated and summarized by Victor H. Mair, a professor of Chinese at the University of Pennsylvania and an expert in the prehistory of the Tarim Basin.
発掘の記録を翻訳・要約したのは、ペンシルベニア大学の中国語教授ヴィクター・H・メーアで、タリム盆地の先史時代の専門家です。

As the Chinese archaeologists dug through the five layers of burials, Dr. Mair recounted, they came across almost 200 poles, each 13 feet tall.
中国の考古学者らが掘り下げた所、墓場は、五層あり、メーア博士が数えた所、高さ13フィート(4メートル)の柱が、約200本のありました。

Many had flat blades, painted black and red, like the oars from some great galley that had foundered beneath the waves of sand.
柱の多くは、平たく加工されていて、黒と赤に塗られ、砂の大海の下に埋れた巨大なガリー船から突き出た櫂(オール)のようです。

At the foot of each pole there were indeed boats, laid upside down and covered with cowhide.
各柱の下には、本当にボートが埋められていて、ひっくり返った状態で、牛革が被せてあります。

The bodies inside the boats were still wearing the clothes they had been buried in.
ボートの中の遺体は、埋葬された時の衣服が、そのまま残っています。

They had felt caps with feathers tucked in the brim, uncannily resembling Tyrolean mountain hats.
被っているフェルト製の帽子は、つばに鳥の羽が縫い付けられていて、不思議なほどチロリアンハットに似ています。

They wore large woolen capes with tassels and leather boots.
飾り房付きの、ゆったりとした毛織物のケープを纏い、革のブーツを履いています。

A Bronze Age salesclerk from Victoria’s Secret seems to have supplied the clothes beneath — barely adequate woolen loin cloths for the men, and skirts made of string strands for the women.
下着は、まるで、青銅器時代のビクトリアズ・シークレット社(訳注:アメリカの下着メーカー)の販売員から調達したようです。ぎりぎりの大きさの男性用ふんどしや、女性用のビーズのスカートです。

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/5-thumbnail2.png.html


Many of the women buried there wore string undergarments like the one in this drawing.
多くの埋葬された女性は、この絵のような、紐の下着をはいていました。

Within each boat coffin were grave goods, including beautifully woven grass baskets, skillfully carved masks and bundles of ephedra, an herb that may have been used in rituals or as a medicine.
舟型の棺には、副葬品があり、草できれいに編んだ籠や、精巧に彫られたお面、麻黄(マオウ)の束などです。麻黄は、儀式や医療で用いられたのでしょう。

In the women’s coffins, the Chinese archaeologists encountered one or more life-size wooden phalluses laid on the body or by its side.
中国の考古学者は、女性の棺に、木製の実物サイズの男根が、一つ以上、体の上か脇に置かれているのを見つけました。

Looking again at the shaping of the 13-foot poles that rise from the prow of each woman’s boat, the archaeologists concluded that the poles were in fact gigantic phallic symbols.
女性の棺の舳先から聳え立つ13フィート(4メートル)の柱の形から、考古学者は、巨大な男根の象徴と考えます。

The men’s boats, on the other hand, all lay beneath the poles with bladelike tops.
一方、男性の棺の上の柱は、先が櫂のように平たくなっています。

These were not the oars they had seemed at first sight, the Chinese archaeologists concluded, but rather symbolic vulvas that matched the opposite sex symbols above the women’s boats.
始め、櫂のように見えた柱は、女性の棺と反対の性、女性器の象徴と、考古学者は結論しました。

“The whole of the cemetery was blanketed with blatant sexual symbolism,” Dr. Mair wrote. In his view, the “obsession with procreation” reflected the importance the community attached to fertility.
「墓全体が露骨な性的象徴である。」と、メーア博士は書いています。子孫繁栄への執着は、集団にとっての生殖重要性を反映していると言えるでしょう。

Arthur Wolf, an anthropologist at Stanford University and an expert on fertility in East Asia, said that the poles perhaps mark social status, a common theme of tombs and grave goods.
スタンフォード大学の人類学者で東アジアの生殖能力専門家のアーサー・ウルフは、柱が、社会的地位を示すと言います。墓や副葬品が示すのと同じです。

“It seems that what most people want to take with them is their status, if it is anything to brag about,” he said.
「たぶん、死後の世界に、社会的地位を持って行ったのです。」

Dr. Mair said the Chinese archaeologists’ interpretation of the poles as phallic symbols was “a believable analysis.”
メーア博士は、中国の考古学者が、柱群を男根の象徴と考えるのは、妥当な分析だと言います。

The buried people’s evident veneration of procreation could mean they were interested in both the pleasure of sex and its utility, given that it is difficult to separate the two.
埋葬された人々の、生殖へのはっきりした崇拝は、性の快楽と有用性を重視していたからでしょう。二つを切り離す事はできません。

But they seem to have had particular respect for fertility, Dr. Mair said, because several women were buried in double-layered coffins with special grave goods.
彼らは、生殖に大きな敬意を払っていたようです。何人かの女性は、二重の棺に特別な副葬品と一緒に、葬られていました。と、メーア博士は言います。

Living in harsh surroundings, “infant mortality must have been high, so the need for procreation, particularly in light of their isolated situation, would have been great,” Dr. Mair said.
厳しい自然環境では、乳幼児死亡率が高かったはずで、生殖が重要だったでしょう。特に、孤立した状態では。

Another possible risk to fertility could have arisen if the population had become in-bred. “Those women who were able to produce and rear children to adulthood would have been particularly revered,” Dr. Mair said.
別の問題の可能性もあります。近親交配では、出生率が下がります。子供を産んで、成年まで育てられる女性は、特に、尊敬を集めたでしょう。

Several items in the Small River Cemetery burials resemble artifacts or customs familiar in Europe, Dr. Mair noted.
小河墓の葬制と埋葬品は、ヨーロッパに似ていると、メーア博士は言います。

Boat burials were common among the Vikings. String skirts and phallic symbols have been found in Bronze Age burials of Northern Europe.
バイキングも舟を一緒に埋めました。北ヨーロッパの青銅器時代の墓からも、紐スカートや男根が見つかっています。

There are no known settlements near the cemetery, so the people probably lived elsewhere and reached the cemetery by boat.
墓の近くからは、住居跡が見つかっていません。人々は、どこかに住んでいて、墓場に舟で来たのでしょう。

No woodworking tools have been found at the site, supporting the idea that the poles were carved off site.
木材加工の道具は、その場所では見つかっていないので、柱は、別の場所で加工された可能性があります。

The Tarim Basin was already quite dry when the Small River people entered it 4,000 years ago.
小河墓地方に人々が入植した4千年前には、タリム盆地は、すでに、かなり乾燥していました。

They probably lived at the edge of survival until the lakes and rivers on which they depended finally dried up around A.D. 400.
彼らは、紀元後400年に、生活の糧だった湖と河が完全に干上がるまで、そこで、ぎりぎりの生活をしていたのでしょう。

Burials with felt hats and woven baskets were common in the region until some 2,000 years ago.
フェルトの帽子と編んだ籠の副葬は、この地域で、約2000年前まで見られました。

The language spoken by the people of the Small River Cemetery is unknown, but Dr. Mair believes it could have been Tokharian, an ancient member of the Indo-European family of languages.

小河墓の人々の言語は分かりませんが、メーア博士は、古いインド・ヨーロッパ語派のトカラ語の可能性があると考えます。

Manuscripts written in Tokharian have been discovered in the Tarim Basin, where the language was spoken from about A.D. 500 to 900.
タリム盆地では、トカラ語の文書が見つかっています。紀元後500年から900年に、当地で、話されていました。

Despite its presence in the east, Tokharian seems more closely related to the “centum” languages of Europe than to the “satem” languages of India and Iran.
トカラ語は、東方に分布していましたが、インド・イラン系の「サテム語」ではなく、ヨーロッパの「セントゥム語」に近いです。

The division is based on the words for hundred in Latin (centum) and in Sanskrit (satam).
この分類は、単語の「百」が、ラテン語で「セントゥム」、サンスクリット語で「サタム」と成る事から来ています。

The Small River Cemetery people lived more than 2,000 years before the earliest evidence for Tokharian, but there is “a clear continuity of culture,” Dr. Mair said, in the form of people being buried with felt hats, a tradition that continued until the first few centuries A.D.
小河墓の人々は、トカラ人の2千年以上も前に住んでいましたが、メーア博士は、文化の明確な継続性があると言います。フェルト帽子を副葬する習慣は、紀元後数世紀まで続きました。
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/410834192.html


2016年02月21日 小河墓遺跡の古環境を花粉分析で復元 中国新疆
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/434094909.html


小河墓遺跡の古環境を花粉分析で復元(英語)
Buried in Sands: Environmental Analysis at the Archaeological Site of Xiaohe Cemetery, Xinjiang, China

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Jin-Feng Li, Idelisi Abuduresule, Francis M. Hueber, Wen-Ying Li, Xin-Jun Hu, Yue-Zhuo Li, Cheng-Sen Li mail

http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0068957

小河の王女
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Abstract
要約

Palynomorphs extracted from the mud coffins and plant remains preserved at the archaeological site of Xiaohe Cemetery (Cal. 3980 to 3540 years BP) in Lop Nur Desert of Xinjiang, China were investigated for the reconstruction of the ancient environments at the site.
中国、新疆のロプノール砂漠にある小河墓遺跡(3980年〜3540年前)の植物化石と泥の棺に含まれていた花粉化石を研究し、付近の古環境を再現しました。

The results demonstrate that the Xiaohe People lived at a well-developed oasis, which was surrounded by extensive desert.
研究の結果、小河人は、広大な砂漠の中の良く発達したオアシスに住んでいました。

The vegetation in the oasis consisted of Populus, Phragmites, Typha and probably of Gramineae,
オアシスの植生は、ポプラ属(Populus)、ヨシ属(Phragmites)、ガマ属(Typha)と、おそらく、イネ科植物(Gramineae)で

コトカケヤナギ.jpg

ヨシ属.jpg

ガマ属.jpg

while the desert surrounding the oasis had some common drought-resistant plants dominated by Ephedra, Tamarix, Artemisia and Chenopodiaceae.
オアシス周辺の砂漠には、マオウ属 (Ephedra)、 ギョリュウ属(Tamarix / 御柳)、 ヨモギ属(Artemisia)、アカザ科(Chenopodiaceae)などの耐乾燥植物が主でした。

マオウ(Ephedra).jpg

御柳.jpg

ヨモギ属(Artemisia).jpg

梭梭 アカザ科(Chenopodiaceae).jpg

This present work provides the first data of the environmental background at this site for further archaeological investigation.
今後の考古学研究で参考にすべき、遺跡周辺の最初の生態学的データを提供します。


Introduction
序説

In the past Xinjiang formed an important bridge connecting the Eastern and Western races of Eurasian continents
かつて、新疆は、東洋人と西洋人を繋ぐ、重要な架け橋でした。

and became famous for the ancient Silk Road going to Central Asia and Eastern Europe from China.
ここは、中国から中央アジア、東ヨーロッパに至る古代のシルクロードで、有名です。

Consequently, the archaeological discoveries in this area are always of great interest (e.g. Loulan City).
従って、この地域での考古学的発見は、常に大きな興味を惹きます。(楼蘭など)

Signs of human activities can be traced in Xinjiang for 10,000 years [1].
新疆では、人類活動の痕跡は、一万年前からあります。

Stone tools discovered at the site of Astana are nearly 5000 years old [2].
アスタナ遺跡では、発見された石器の年代は、およそ五千年前です。

Many cemeteries were discovered since the 1970s, such as the Gumugou Cemetery (around 3800 B.P.) [3], Wufu Cemetery in the Hami District with an age of nearly 3300-3000 years old [4].
1970年代以来、多くの墓場が発見されました。グムゴウ墓場(約3800年前)や、ハミ(哈密)地区にある、およそ3300年から3000年前のウフ墓場です。

During the period from 3000 to 2000 B.P., a group of people lived in the Turpan Basin and adjacent area,
3000年から2000年前には、トルファン盆地や周辺に、人々が住み着いていました。

and their different cemeteries, such as the Yanghai Tombs (ca. 2800 B.P.) [5], Yuergou Site (2400-2300 B.P.) [1], as well as many much younger sites,
彼らの墓地は、他にも、ヤンガイ墓地(2800年前)、ユエルゴウ遺跡(2300〜2400年前)があり、さらに、もっと後の時代の墓地も多数あります。

reveal much about the lives and beliefs of these peoples.
それらは、彼らの生活や宗教について、多くの事を教えてくれます。

Many mummies were found well-preserved in this area, owing to the dryness of the desert and the desiccation of the corpses [6].
乾燥した砂漠の気候が、遺体を干からびさせたため、多数の保存状態の良いミイラが発見されています。

The fantastic mummies and the delicate relics from the archaeological sites in Xinjiang, including the artifacts and crops,
新疆の考古学的遺跡の素晴らしいミイラや、工芸品や穀物を含む繊細な遺物は、

can tell us amazing stories: what the world looked like at any given point in time and space [7].
時空を越えた過去の世界の様子を、的確に語りかけてくれます。

The plant remains found at these sites provided an opportunity to study the ancient plants and their utilization by local people, as well as their bearing on environmental changes in the past.
これらの遺跡で見つかる植物の遺物は、古代の植物について、住民がその植物をどのように利用したか、過去にどのような環境変化があったかの研究を可能にします。

Some archaeobotanical researches have been done in Xinjiang in the past few years, mainly focusing on the relationship between plants and people [5,8–10] and also on the environmental data extracted from artifacts [11,12].
過去数年間に新疆で、いくつか考古学的研究がなされましたが、研究の焦点は、植物と人間の関係や、さらに、工芸品から得られた環境に関するデータです。

In the present contribution, the palynomorphs extracted from the mud coffins and plant remains found at Xiaohe Cemetery are investigated comprehensively for the reconstruction of the historical environments in Xiaohe.
本研究では、小河墓の古代の環境を再現するために、泥の棺に含まれる花粉と小河墓の植物遺骸を研究しました。

Site description
遺跡についての説明

The Xiaohe (“Small River”) Cemetery was first discovered in 1911 by an aboriginal hunter named Ördek who played a part in Dr. Sven Hedin’s discovery of the Loulan ruins around 1910-1911 [13].
小河墓の発見者は、オルデクと言う名の現地の猟師で、彼は、1910年から1911年頃のスヴェン・ヘディン博士による楼蘭遺跡の発見にも貢献しました。

Two decades later, a Swedish archaeologist Folke Bergman, coined the name for this graveyard, and excavated 12 burials guided by Ördek in 1934 [13].
約二十年後、スウェーデンの考古学者フォルケ・ベルグマンは、この墓所を命名し、オルデクの案内で1934年に12体の被埋葬者を発掘しました。

After that, the cemetery was forgotten for more than sixty years until the Relics and Archaeology Institute of Xinjiang Uygur Autonomous Region excavated this graveyard in detail in 2002 [14].
その後、この墓地の存在は、2002年にレリクスと新疆ウイグル自治区考古学研究所が詳しく発掘調査するまで、六十年間以上忘れられていました。

The rediscovery of Xiaohe Cemetery was considered to be one of the top ten archaeological discoveries in 2004 in China.
小河墓の再発見は、2004年の中国の考古学的発見のトップテンの一つでした。

About 170 tombs have been excavated since then, but unfortunately many of them were destroyed by treasure hunters.
その後、約170個の墓が発掘されましたが、残念なことに、その多くは墓泥棒に壊されていました。

The Xiaohe Cemetery, with an area of about 2500 m2, is some 4 km away from the Small River (Xiaohe, in Chinese), a downstream branch of Kongque River in Lop Desert (Figure 1) [15], and also about 175 km east of the Loulan ancient city in Xinjiang [14].
小河墓の面積は約2500pで、位置は、ロプ砂漠を流れるコング川の下流部の支流からおよそ4kmであり、新疆の古代都市楼蘭の約175km東です。

With its hillock shape the Xiaohe Cemetery forms a well-defined landmark on the flat desert.
小河墓は丘なので、起伏のない平らな砂漠では目立ちます。

The top of the cemetery possesses many upright wild poplar poles and more fallen ones [13] (Figure 2).
墓地の頂上には、ポプラの木の柱が林立していますが、それ以上の数の倒れた柱もあります。

These poles were thought to be the remains of a house which had lost its roof a long time ago [13].
これらの柱は、ずっと昔に屋根が無くなってしまった建物の名残りと考えられます。

Two main kinds of trunks stood in the cemetery, i.e. the multi-prismatic shaped poles (= pole monuments in Bergman, 1939 [13]) are all placed in front of females’ tombs and the oar-shaped ones (= oar-like monuments in Bergman, 1939 [13]) in front of those of males.
墓地に立てられている柱には、二種類あります。多角形の柱は、全てが女性の墓の前に立てられています。そして、オールの形の柱は、全てが男性の墓の前にあります。

Some archaeologists inferred that these poles were the symbols of fertility worship of Xiaohe People [13].

これらの柱を、小河墓に住んでいた人々の多産信仰の象徴と考える考古学者もいます。
The multi-prismatic shaped poles represent the phallus and the oar-shaped ones represent a vulva.
多角形の柱が、ペニスを表し、オール型の柱が、外陰部を表すと考えるのです。


小河墓の地図
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Figure 1. Map showing the Lop Region and the location of Xiaohe Cemetery (modified from [13]).
図1.ロプ地区と小河墓の位置

小河墓の見取り図
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Figure 2. Plan diagram of the Xiaohe Cemetery.
図2.小河墓の見取り図

(a) mud coffin BM28; (b) mud coffin BM 1; (c) mud coffin M100; (d) mud coffin M75
(a)泥棺BM28  (b)泥棺BM1 (c)泥棺BM100 (d)泥棺BM75
(plan in top left corner revised from [14]).

Most of the coffins, which are made from the wood of Populus euphratica Oliv., have an elliptical shape.
コトカケヤナギ(Populus euphratica)の材木で作られた棺の多くは、楕円形です。

コトカケヤナギ.jpg

However, some coffins are rectangular in shape and covered by a layer of mud.
しかし、長方形で表面を泥で固めた棺もあります。

These are called “mud coffins” (Figure 3a).
これらを「泥棺」と言います。

The result of 14C dating revealed that the age of the lowest layer of Xiaohe Cemetery is 3980 ± 40 yr BP [16], which is the oldest archaeological dating record in Xinjiang.
炭素14年代測定で、小河墓の最下層は、3980年前(±40年)と分かりました。これは、新疆の考古学的年代測定の最古のケースです。

Desiccated wheat grains from the cemetery were dated to approximately 3760–3540 yr BP [17].
墓地で見つかった乾燥した小麦の種子の年代は、およそ3760年から3540年前です。

パンコムギ(Triticum aestivum).jpg

Hence, the currently known age of Xiaohe Cemetery is about 3980 to 3540 yr BP, which was between early Xia (2070–1600 BC) to early Shang Dynasty (1600–1046 BC) in China, i.e. early Bronze Age.
現在分かっている小河墓の年代は、およそ3980年から3540年前で、中国史では、夏王朝(紀元前2070年から紀元前1600年)の初期から、殷商時代(紀元前1600年から紀元前1046年)の初期に当たります。これは、青銅器時代の初めです。

Many well-preserved mummies were found in this cemetery. Bergman described a lady with very strong European characters (e.g. brown hair, fine aquiline nose).
墓地では、多くの保存状態の良いミイラが見つかりました。ベルグマンは、はっきりしたヨーロッパ人の特徴を持つ女性のミイラについて記述しています。(茶髪、はっきりした鷲鼻)

小河の王女
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DNA analysis from 30 mummies found here also demonstrated that the Xiaohe People were a West-East admixed population, which constitutes the earliest genetic evidence for an admixed population settled in the Tarim Basin [16].
ミイラ30体のDNAを分析した所、小河墓の人々は、東西の混血集団と分かりました。タリム盆地に居住した混血集団の最古の遺伝子的証拠です。

図3泥棺と柳の葉.jpg

Figure 3. The mud coffin M75 (a); sample collected from the coffin (b); and the leaves of Populus euphratica found in the grave (c to f).
図3. (a) 泥棺M75 (b) 泥棺から採取したサンプル (c ~ f) 墓の中にあったコトカケヤナギの葉


Materials and Methods
材料と方法

In 2003, we completed our archaeological research at the site of the Xiaohe Cemetery and collected four mud samples from each of the mud coffins (BM-1, BM-28, BM-75 and M-100) (Figure 2, 3 b) for laboratory study.
2003年に小河墓での現地調査を終了し、研究室で分析するために四つの泥棺(BM-1、BM-28、BM-75、M-100 )から各一つずつ泥のサンプルを採取しました。

Meanwhile, we also collected many leaves of P. euphratica in one of the tombs with poplar remains (Figure 3 c–f).
さらに、墓の一つからコトカケヤナギの葉を多数採取しました。

In the laboratory, we first weighed 30 grams of each sample and put them into beakers with distilled water containing 1 milliliter of a suspension of Lycopodium spores (ca. 83,500 grains per milliliter).
研究室で、各サンプルから30gを測り取り、1㎖のヒカゲノカズラ胞子(1㎖に83,500粒)を加えた蒸留水に入れてミキサーにかけました。

After immersion for 48 hours, the samples were sieved using a mesh with the pore size of 1 mm2.
48時間水に浸した後、穴のサイズが1㎟のメッシュで、漉しとりました。

The residue was mainly composed of macrobotanical remains and livestock hairs (Figure 4 c).
メッシュに引っかかったのは、主に大きな植物破片と家畜の体毛です。

The screenings were prepared for a palynological study using the heavy liquid method [18].
分析用の花粉を取り出すために、重液法を用いました。

We counted the contents of three slides from each specimen to obtain a representative sample of the palynomorphs (Table 1).
各サンプルから三枚のスライドの花粉化石をカウントしました。

図4.サンプルから得られた花粉以外の物 (a) 藁 (b) 羊の糞 (c) 家畜の毛.jpg

Figure 4. Other materials found from the samples. (a) straws; (b) piece of sheep manure; (c) livestock hairs.
図4.サンプルから得られた花粉以外の物 (a) 藁 (b) 羊の糞 (c) 家畜の毛

花粉計数.jpg

Table 1. Pollen counting data of the samples.
表1. 各サンプルの花粉を計数


Results and Discussion
結果と検討

Palynological analysis
花粉分析

Totally, 96 pollen grains, belonging to nine types of palynomorphs, were found in the four palynological samples (Table 1) and all taxa were identified applying single-grain technique [19] (Figure 5, Figure 6; the only pollen grain of Alnus was lost during the preparation for the scanning electronic microscope).
4つのサンプルから、9種類の花粉化石が96粒得られました。そして、単粒法を用いて、すべての分類群を同定しました。一粒だけ見つかったハンノキ属の花粉化石は、走査電子顕微鏡のプレパラート作成時に紛失しました。

Most of the taxa are common in arid areas (e.g. Chenopodiaceae, Artemisia, Ephedra, Tamarix and Gramineae).
分類群のほとんどは、乾燥地帯に見られる植物です。
(アカザ科、ヨモギ属、マオウ属、ギョリュウ属、イネ科)

Chenopodiaceae is well-adapted to dry and saline environments.
アカザ科は、乾燥した塩分の多い環境に良く適応しています。

Artemisia normally grows in arid or semi-arid habitats.
ヨモギ属は、通常、乾燥地帯や半乾燥地帯に生育します。

Ephedra is a common shrub of dry, open sites and is predominantly a warm desert-steppe plant restricted to both meteorologically and physiologically dry areas [20].
マオウ属は、乾燥した開けた土地の低木で、主に、気象的・物理的に乾燥した温暖なステップ砂漠に見られます。

Tamarix is one of the most common woody plants in Xinjiang [21].
ギョリュウは、新疆で最も普遍的な樹木の一つです。

Gramineae pollen grains are often used as an indicator of openness.
イネ科の花粉は、しばしば、土地が開けている度合いの尺度に用いられます。

However, these grass pollen are one of the most ubiquitous and readily recognized pollen types found in terrestrial sediments.
もっとも、イネ科草本の花粉は、陸上の土壌には、どこでも普遍的に含まれています。

Although these monoporate grains differ in size, surface texture and annular width, these features do not permit reliable recognition at the subfamily level [22].

これらの単孔粒は、大きさ、表面の形状、ランド幅が異なっていても、これらの特徴で、亜科まで分類する事はできません。

Moreover, the pollen wall of Gramineae is thin, and is low in sporopollenin, hence has a poor preservational potential [23].
さらに、イネ科の花粉壁は薄く、スポロポレニンも少ないので、保存されにくいです。

These factors suggest that the pollen cannot be transported far and are easily damaged when buried in soil.
これらの要因から、花粉は遠くから持ち込まれたものではなく、また、土中で壊れやすい事が分かります。

However, based on the number of reeds (Phragmites sp.) found in the graves, it seems reasonable to believe that most of the Gramineae pollen in our samples belong to Phragmites.
ところで、墓地内で多くの葦(ヨシ属)が見つかった事から、イネ科の花粉の多くが、ヨシ属だと推定できます。

Corylus and Alnus, as wind-pollinated taxa very readily overproduce airborne pollen grains, and are the normal elements found in lake sediments and soil.
ハシバミ属とハンノキ属は、大量に花粉をまき散らす風媒花植物であり、それらの花粉は、湖沼土壌や堆積物中に普通に含まれます。

ハシバミ.jpg

Alnus ハンノキ属.jpg

The grains of these two taxa may come from the forests on the mountains surrounding the study areas.
これらの二つの分類群の花粉は、研究対象地の周辺の山地林から飛来した可能性があります。

図5 花粉写真1.jpg

Figure 5. Palynomorphs found from the samples collected from the mud coffin.
図5.泥棺から採取したサンプル中の花粉化石

The first column shows pollen grains under light microscope;
左の写真は、光学顕微鏡で見た花粉粒

the middle column shows the previous grains under the scanning electronic microscope;
真ん中の写真は、同じ花粉粒を、走査電子顕微鏡で見たもの

and the last column shows the surface details under scanning electronic microscope.
右の写真は、走査電子顕微鏡による詳細な表面形状

(a) Ephedra; (b) Typha; (c) Artemisia; (d) Chenopodiaceae.
(a) マオウ属 (b) ガマ属 (c) ヨモギ属 (d) アカザ科

図6 花粉2.jpg

Figure 6. Palynomorphs found in the samples collected from the mud coffin.
図6.泥棺から採取したサンプル中の花粉化石

The first column shows pollen grains under light microscope;
左の写真は、光学顕微鏡で見た花粉粒

the middle column shows the previous grains under the scanning electronic microscope;
真ん中の写真は、同じ花粉粒を、走査電子顕微鏡で見たもの

and the last column shows the surface details under scanning electronic microscope.
右の写真は、走査電子顕微鏡による詳細な表面形状

(a) Gramineae; (b) Corylus; (c) Tamarix.
(a) イネ科 (b) ハシバミ属 (c) ギョリュウ属

Compared with the taxa mentioned above, the presence of Typha pollen in the assemblage is more interesting.
以上の分類群に加えて見つかったガマ属の花粉は、非常に興味深いです。

As an aquatic, Typha can normally live in a variety of wetland habitats, and their pollen grains can be frequently found in peat and lignite beds [24].
水生植物であるガマ属は、通常、様々な湿地に生育し、その花粉粒は、泥炭や亜炭の湖沼底土壌中で普通に見られます。

Hence the occurrence of Typha pollen illustrates that there was surface water close to the Xiaohe People’s residence.
つまり、ガマ属の花粉の存在は、小河墓の人々の住居のそばに湖沼があった事を示します。

The mud which covered the coffins may have been obtained from the habitat of the Typha.
棺を覆う泥は、ガマが生育する場所で得られた可能性があります。

Plant remains
植物の遺骸

At a traditional funeral in China, people always put something precious into the coffin and/or grave, in the hope that the dead person can live better with these objects in another world.
中国の伝統的な埋葬では、常に棺の中や墓穴の中に、貴重品が副葬されました。死者が、あの世で、これらの品物を使って生活できる様にです。

Those relics found in tombs provide us with an opportunity to learn about the culture of the ancient people and the environment in which they lived.
墓地で見られるこれらの慣習は、古代人がどのような環境や文化の中で生活していたかを教えてくれます。

Several kinds of plant remains were found during the first excavation of the cemetery by Bergman,
ベルグマンによる墓地の最初の発掘で、数種類の植物遺骸が見つかりました。

i.e. the poles made of Populus euphratica, Ephedra twigs, Tamarix twigs, grains of bread wheat (Triticum aestivum) [17], Jiji grass (Achnatherum splendens), reed (Phragmites sp.) and grains of broomcorn millet (Panicum miliaceum) [13,14,17].
コトカケヤナギ(Populus euphratica )で作られた柱、マオウ(Ephedra)の枝、ギョリュウ(Tamarix)の枝、パンコムギ(Triticum aestivum)の種子、芨芨草 (ジジソウ:Achnatherum splendens)、ヨシ属(Phragmites sp.)、キビ(Panicum miliaceum)の種子です。

ジジソウ.jpg

キビ(Panicum miliaceum).jpg

パンコムギ(Triticum aestivum).jpg

DNA analysis of the wheat grains confirms that the grains found here are similar to hexaploid bread wheat [17].
小麦の種子のDNA分析で、それが、六倍体のパンコムギに近い事が分かりました。
(訳注:二倍体のタルホコムギと四倍体のデュラムコムギを交配して栽培種の六倍体パンコムギができたと考えられます。)

As broomcorn millet grains always show up together with wheat grains in the graves [14,17], we can presume that broomcorn millet was also cultivated by then.
キビの種子とコムギの種子が両方ある事から、当時、コムギとキビが栽培されていたと推測できます。

Populus euphratica is the characteristic element of the common desert riparian forest in Northwest China [25].
コトカケヤナギは、中国北西部の河畔林に特徴的で普遍的に見られる樹木です。

As a common shrub with medicinal function, Ephedra was considered as a magic plant by the Lop people.
普通に見られる薬効のある低木であるマオウを、ロプ住民は、魔法の植物と考えました。

Also, it is very common to find Ephedra branches in most of the graves of the ancient Lop people in the Lop Nur area, such as LF, LS and LD graveyards [26], Cemetery 36 [26], Gumugou cemetery [27] and graveyards around Loulan ancient city [28].
マオウの枝は、ロプヌール地区の古代ロプ住民の墓所内で、しばしば見つかります。LF墓所、LS墓所、LD墓所、第36共同墓地、グムゴウ共同墓地、楼蘭古代都市周辺の墓場などです。

Some Chinese archaeologists suggest that this phenomenon is a kind of plant worship and call it ephedra worship [27,28].
これを、信仰の一つと考えて、マオウ信仰と名付ける中国の考古学者もいます。

マオウ(Ephedra).jpg

The medical use of Ephedra has been known for several thousand years in China.
中国では、数千年来、マオウの薬効が知られていました。

As a central nervous excitant, ephedra was also used in ceremonies to produce feelings of exhilaration by various religious groups including Hindus [29].
中枢神経刺激性のマオウは、高揚感を喚起する目的で、ヒンドゥー教を含む、様々な宗教の儀式で用いられました。

As an ingredient of Haoma or Soma, ephedra has been used for millennia in both Iran and India [30] as a beverage to achieve longevity and immortality [31].
マオウは、ハオマやソーマの成分の一つであり、イランとインドで数千年間、長寿や不死の飲み物として用いられました。
(訳注:ソーマは、ヴェーダの祭祀で用いられる一種の興奮飲料で、 ハオマは、ゾロアスター教において重視される神酒)

The intention of putting tamarisk twigs in the burials has never been studied yet.
ギョリュウの枝を副葬する目的については、未研究です。

御柳.jpg

The grains of wheat (Triticum aestivum) were normally found together with the ephedra twigs (or fragments) in graves [28].
パンコムギ(Triticum aestivum)の種子は、通常、マオウの枝(または破片)と一緒に、墓の中で見つかります。

Moreover, some dried porridge of millet was also preserved in some graves [13].
さらに、干からびたキビのお粥が、いくつかの墓で見つかりました。

These plant remains indicate that wheat and millet were also very precious for the ancient people.
これらの植物遺骸は、ここの古代人にとって、小麦とキビが大変な貴重品だった事を示唆します。

Other plant and animal matter
他の植物と動物由来の物

The straws (Figure 4 a) found in the mud samples were used to reinforce the mud for construction purposes.
泥のサンプル中で見つかった藁は、泥の構造物を強化するために使われました。

This technique is still widely used in the countryside of China.
この工法は、現在でも中国の田舎で、広く使われています。

These straws may have originated from wheat and/or millet.
これらの藁は、小麦やキビの茎だと思われます。

The appearance of the livestock hairs (Figure 4 b) and the sheep manure (Figure 4 c) in the samples illustrates that the earth used to make the covering layer of the coffins must have been obtained from a place frequented by the animals.
サンプル泥中への家畜の毛や羊の糞の混入は、棺を覆う泥が、動物が頻繁に通る場所から採取された事を示します。

The occurrence of many/numerous bones and furs in the Xiaohe Cemetery [13,14], suggests that some of the Xiaohe People were living as herdsmen.
小河墓にある大量の骨や動物の毛は、小河墓の人々が牧畜を営んでいた事を示唆します。

Environmental analysis
環境分析

Based on the plant analyses presented above, the presence of both xerophytic and hydrophytic plants (e.g. Typha) demonstrate that there was enough water in the Small River at that time though it lies in the expansive Lop Desert.
上記の植物分析で、乾生植物と水生植物(ガマ属:Typha )の両方が見られる事から、当時は、広大なロプ砂漠を流れていた小河(Small River)に十分な水量があった事が分かります。

ガマ属.jpg

In the surrounding desert, there were many Ephedra, Tamarix, Artemisia and some members of the Chenopodiaceae plants.
周辺の砂漠には、多くのマオウ属(Ephedra )、ギョリュウ属(Tamarix )、ヨモギ属(Artemisia )と、いくらかのアカザ科(Chenopodiaceae )植物がありました。

マオウ(Ephedra).jpg

御柳.jpg

梭梭 アカザ科(Chenopodiaceae).jpg

ヨモギ属(Artemisia).jpg

The people apparently collected the ephedra and Tamarix for medicinal or religious use from the neighboring arid terrains.
明らかに人々は、医学的、または、宗教的目的で、マオウとギョリュウを、周辺の乾燥地帯から採取しました。

However when the people lived there the site was a well-watered wetland along the Small River.
しかしながら、この人々が住んでいた頃は、この場所が、小河(Small River)沿いの水量豊富な湿原でした。

There the rich alluvial soils of the flooded areas served to support the growth of their crops, and provide areas where livestock could be sustained/raised.
その氾濫原の肥沃な沖積土壌が、穀物の栽培と家畜の飼育を可能にしていました。

Moreover, this location was the habitat of the common Populus euphratica which served in the construction of their houses and coffins.

さらに、この場所には、コトカケヤナギ(Populus euphratica)が普遍的に生育していて、家屋や棺の材料になりました。

コトカケヤナギ.jpg

So although the regional natural environment was very dry, the hydrological living conditions were good enough along the small river for the Xiaohe People to survive.
地域の自然環境はとても乾燥していましたが、小河(Small River)沿いの水利的生活環境は、小河墓人にとって良好でした。

Conclusions
結論

Much research has shown that the climate in the Lop Nur region has been very dry since the Early Holocene [32–34].
多くの研究者が、ロプヌール地域の気候が、完新世の初期以降、とても乾燥している事を示しました。
(訳注:完新世は、約1万年前から現在まで)

However, the so-called dry climate is actually a kind of meteorological myth.
しかし、その乾燥気候は、実際には、気象学的神話に過ぎません。

Fed by melt-water from the Tianshan Mountain, the runoffs of the rivers into the Tarim Basin are actually quite considerable, especially in summer time.
天山山脈の雪解け水が流れ込む川は、タリム盆地に、特に夏季に、かなりの水量を注ぎ込みます。

Many oases depend on such seasonal rivers.
多くのオアシスは、この様な季節的河川に依存しています。

During 3600-3000 a BP, the lake of Lop Nur was very large and there were many deltas around it.
3600年から3000年前までは、ロプヌール湖はとても大きく、周辺には、多くの三角州がありました。

Fishing and hunting were very common at that time [35].
当時は、漁労と狩猟が、活発に行われていました。

According to historical documents, the water area of Lop Nur was still very large during the Jin Dynasty (AD 226-420) [36].
歴史的文書によると、ロプヌール地方の水量は、晋時代(紀元226年から420年)には、まだ豊富でした。

Based on this work, the living environment of the Xiaohe People was a very well developed oasis of deltas, which was surrounded by extensive desert.
本研究で、小河墓人の生活環境は、広大な砂漠で囲まれた、よく発達したオアシスと三角州だったと分かりました。

The main taxa of the vegetation in the oasis were Populus euphratica, Phragmites, Typha and maybe other weedy Gramineae.
オアシスの植物の主な分類群は、コトカケヤナギ(Populus euphratica)、ヨシ属(Phragmites)、ガマ属(Typha)と、おそらく、イネ科(Gramineae)の草本でした。

However, outside the oasis, drought-resistant taxa dominated the vegetation, e.g. Ephedra, Tamarix, Artemisia and members of the Chenopodiaceae.
ところで、オアシスの外には、耐乾燥性の植物分類群が主流でした。マオウ属(Ephedra)、ギョリュウ属(Tamarix)、ヨモギ属(Artemisia)、アカザ科(Chenopodiaceae)です。

The Xiaohe People mainly lived on animal husbandry.
小河墓人は、主に、牧畜で生計を立てていました。

However, they also attempted to cultivate cereals such as bread wheat and broomcorn millet.
しかし、パンコムギやキビなどの穀物の栽培も試みていました。

キビ(Panicum miliaceum).jpg

パンコムギ(Triticum aestivum).jpg

Most of the coffins in the cemetery are canoe-shaped, which may suggest that the Xiaohe People spent some of their lives on water.
墓地の棺の多くは、舟形です。これは、小河墓人が水上生活もしていた事を示唆します。

Bergman [13] inferred that because there are no known settlements near the cemetery, the people probably lived somewhere else along the river and reached the cemetery by boats.
ベルグマンは、墓地の近くには住居跡が見つかっていないので、人々が川沿いの別の場所で暮らし、舟で墓地を訪れたと考えました。
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/434094909.html


タクラマカン砂漠から大量に出土中国最古のミイラ群
横堀克己=文  新疆文物考古研究所=写真提供
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107.htm


木棺の中から姿を現した女性ミイラ【M11】

中国の西部、新疆ウイグル自治区の中央部に、中国最大の砂漠、タクラマカン砂漠が広がっている。ここは太古からシルクロードが走り、東西の文化が出会ってきた舞台である。

有名な楼蘭(ローラン)や「さまよえる湖」のロプノールから西に約百キロの砂漠の中に、「小河墓地」があることは70年以上前から知られていた。しかし、長くその存在は砂漠の砂に埋もれて分からなくなっていた。

今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。

さらに、DNA鑑定によって、最下層のミイラは、モンゴロイド(東洋系)とコーカソイド(白人)の混血であることが分かった。

この発見によってタクラマカン砂漠は、東と西の人種が初めて出会い、融合して、独自の文化を発展させた可能性が出てきた。

詳しい学術的報告は近く発表されるが、本誌は新疆文物考古研究所の全面的協力を得て、小河墓地の発掘調査の全容を紹介する。

mirra1 半世紀後に甦った墓地


【砂漠に消えた遺跡】

小河墓地の全景

1934年、中国政府から調査の依頼を受けたスウェーデンの考古学者、ベルグマン博士は、地元の猟師オルドックの案内で、タクラマカン砂漠の中を流れる孔雀河から南に分かれた支流の小河をさかのぼっていた。そして小河から4キロ入った砂漠の砂丘の上に、高い枯れた木の柱が無数に立っているのを発見した。

近寄って見ると、枯れた木は死んだ樹木ではなく、人工的に立てられ、長く強風に晒されて白くなり、亀裂が入っていることが分かった。足元には人骨や毛織物の破片が落ちており、黒い長髪の残るミイラの顔面も見つかった。

この場所は、地元では「有上千口棺材(千を超す棺がある)」と伝承されている墓地だった。ベルグマンはここを「小河5号墓地」と命名し、12基の墓を発掘し、ミイラや木屍(遺体の一部または全部を木でつくったもの)を持ち帰った。

そして1939年、ベルグマンは『新疆考古研究』を発表した。この中でベルグマンは小河墓地の規模の大きさや特異な墓葬形式を紹介し、ロプノール早期の文明ではないかとして世界の考古学界で大きな反響を呼んだ。

ところが長い戦乱や混乱の中で、小河墓地の存在はいつしか忘れ去られ、その場所さえ分からなくなってしまった。

小河墓地が砂漠の中で再び発見されたのは、半世紀以上経った2000年12月11日である。新疆文物考古研究所の王炳華研究員(現在、中国人民大学国学院の特別招聘教授)が深圳のテレビ映画撮影クルーに同行し、GPSなどを用いてついに小河墓地を探し当てたのだった。

【砂丘を越えて発掘現場へ】


砂漠の中を行くには、専用の車両を使わなければならない
2002年12月、国家文物局の許可を得て新疆文物考古研究所は小河墓地考古隊を編成し、1カ月間の小規模な試掘を行うことになった。

タクラマカン砂漠は新疆ウイグル自治区南部にある中国最大の砂漠。北は天山山脈、南は崑崙山脈に囲まれたタリム盆地の中央部にある。東西約千キロ、南北約400キロ、面積33万7600平方キロ。流動砂丘が85%を占め、砂丘の高さは普通80〜150メートル、中には200〜300メートルに達するものもある。

小河墓地は、そのタクラマカン砂漠の東部、有名な楼蘭古城遺跡から175キロ西にあり、もっとも近い集落であるアラカン鎮からも36キロ離れた砂漠のど真ん中に位置している。

12月26日、考古隊は二両の砂漠用トラックに発掘機材や物資を満載し、ロプノールの西側の農墾兵団34団のティエカンリク鎮を出発し、水のないタリム河を越え、小河墓地に向かった。まる二日走っても、直線距離で十数キロしか走れず、27日夜、トラックはとうとう砂に車輪を取られ、動けなくなった。

GPSで観測した結果、小河墓地までまだ15キロ余りあった。考古隊はここで三つの班に分かれ、一班はそこに荷物とともにとどまって野営し、イディリス・アブドゥラスト新疆文物考古研究所長ら5人の班は1人30キロの荷物を背負って小河墓地に向かい、もう一班は来た道を戻って住民からラクダを借りに行った。イディリス所長らは十数時間後、小河墓地に到着、その他の班はラクダで荷物を運び、2003年1月3日までに発掘現場に勢ぞろいした。

【林立する木は生殖崇拝】


発掘作業に従事する考古研究者たち

小河墓地は高さ約7メートルの砂丘の上にあり、長さ74メートル、幅35メートル、約2500平方メートルの範囲に、周囲を木製の杭で作られた木柵に囲まれていた。そして砂丘の表面には、さまざまな形をした太い胡楊木(ポプラの一種)の立木が全部で140本立てられていた。

胡楊木の立木は、ベルグマン博士が小河古墓を発見したときのまま、数千年の強風と烈日に晒されて立っていた。調査の結果、立木はその下に埋められた棺の前方に立てられており、男性の棺の前に立てられた立木は舟の櫂の形をしている。女性の棺の前に立てられた立木は柱状であった。

櫂は、大きなものは高さが約2メートル、幅約70センチもあり、小さなものは高さ1メートル30センチ、幅10センチほどであった。櫂の表面は黒い塗料が塗られ、櫂の柄は赤く塗られていて、柄の底は七重の旋回文様が彫りこまれているものが多い。

女性の棺の前に立てられた柱状の立木は、高さが1メートル50センチから1メートル80センチで、形状はさまざまである。先端はどれも赤く塗られ、毛糸がぐるぐると巻きつけられている。この櫂状と柱状の立木はいったい何を意味しているのか。学者たちは櫂状の立木は女性性器を、柱状の立木は男性性器をそれぞれ象徴していると考えている。小河墓地がつくられた時代、人々は生殖崇拝の観念を持ち、多産を願っていた、と考えられる。

また一部の立木の先端に小さな銅片がはめ込まれているものも発見された。楼蘭の遺跡からすでに青銅器が見つかっており、この時代すでに、シルクロードを通じて青銅器の交易が行われていたことを示している。

考古隊は砂丘の下にテントを張り、小河墓地の実測調査や表面に露出している棺やミイラの整理、収集を行った。砂丘の上には棺材やミイラの残骸、毛織物などが散乱しており、自然破壊だけでなく人による盗掘も行われ、140基以上の墓葬がすでに破壊されたと推定された。

また考古隊は、砂丘の東の平坦な場所で3メートル近い八角形の木柱を発見、その付近から厚い木板や横梁、白い粘土などを見つけた。これはベルグマンが小河墓地を発見した当時、あったという「立木」と「木造の小屋」の跡ではないかと推定されたが、中にあったという「木棺」と「女性のミイラ」は跡形もなく消えていた。

考古隊は3週間をかけた試掘調査で、地表に露出した四基の木棺を発掘・整理したが、その棺の一つを開けて見ると、驚いたことに中からミイラではなく、木でつくられた135センチの「木屍」が出てきた。「木屍」は木で顔や四肢がつくられていた。
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107.htm

mirra2 ミイラはこうして発掘された
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_2.htm


【砂嵐で中断された発掘】

南区のもっとも下の第5層と一部の第4層がついに姿を現した

試掘調査の結果を踏まえて2003年10月からは、イディリス新疆文物考古研究所長を隊長に、全面発掘が行われることになった。10月は砂漠の気候が比較的安定し、条件が良い。数十トンの発掘機材や生活物資を小河墓地の下まで運びこまなければならない。そのルート探しのため、イディリス隊長ら二人が道路のあるアラカンから徒歩で砂漠を進み、発掘現場までの200キロ以上を往復した。

 ルート探しに時間がかかり、12月末になってタリム河が結氷したので考古隊は3日をかけて砂漠を越え、2003年の元日に現場に到達した。そこにテント村をつくって、農民工を雇って本格的な発掘調査が始まった。

 12月の砂漠は零下34度にまで冷え込む。日中、太陽が出れば暑くなり、昼夜の温度の差が激しい。砂嵐もたびたび襲ってくる。しかし、水は貴重品なので、頭を洗うのはもったいない。そこで男性の隊員たちは髪の毛をきれいに剃ってしまった。

 しかし発掘は3カ月でいったん中止された。春から夏にかけて猛烈な砂嵐に襲われたからである。考古隊は、発掘現場に看守のガードマンを残して引き揚げた。後にガードマンはあまりの孤独に、精神に異常をきたしたという。2004年9月から、今度は新疆文物考古研究所と吉林大学辺疆考古研究センターが合同で発掘が再開され、2005年3月に発掘は終了した。

 その発掘の『簡報』は2007年10期の雑誌『文物』に掲載されたが、それは、発掘調査の一部であり、全面的な報告書の作成は現在も進められている。発掘の全容を知るために、5月、新疆ウイグル自治区のウルムチに飛び、新疆文物考古研究所でイディリス所長を訪ねた。また、小河墓地発掘の全過程に参加した李文瑛・同研究所副研究員から詳しく話を聞いた。

【中国最古のミイラと判明】

発掘現場近くに建てられたテント村

発掘調査の結果、小河墓地は南区と北区に分かれており、北区からは28基の墓葬が、南区からは139基の墓葬がそれぞれ発掘された。これに、すでに破壊された190基を加えると357基の墓葬があったことになる。

 出土したミイラは、全部で145体。いずれも「干屍」であり、エジプトのミイラのように、人為的処理をくわえてつくられたものではなく、自然に乾燥したものである。内訳は男性54体、女性79体、性別不明12体。その中に子どものミイラは19体あった。

 このほかに「木屍」が10体(男性8体、女性2体)、体の一部が「木屍」で一部がミイラのもの二体(いずれも男性)が発掘された。「木屍」が何の目的で埋葬されたのかははっきりしない。研究者たちは、行方不明になり、遺体のない人の代わりに埋葬された、あるいは遺体の一部がなんらかの理由で損壊され、その部分を木で補った、または他の墓地から改葬された、などの仮説を立てている。

 いずれにせよ、145体の「干屍」と10体の「木屍」が一カ所の墓地から一度に出土したことは、世界的に例がない。

 南区の墓葬は、時代順に5層に分かれていることが判明した。一番表層の第1層からは13基、その下の第2層から27基、第3層から23基が発見された。炭素14の崩壊による年代測定の結果、1〜3層の絶対年代は紀元前1450〜1700年と分かった。

 第3層の下は約1メートルの砂が堆積し、その下に第4層があり、38基の墓葬が発見された。さらにその下には最下層の第5層があり、やはり38基の墓葬が確認された。これを炭素14により年代測定すると、紀元前1700年から2000年であることが判明した。

 これまで中国で発見された最古のミイラとされる有名なミイラ「ローランの美女」は紀元前1800年といわれるので、小河墓地の最下層から出土したミイラは中国最古のミイラと言える。


【続々発掘されたミイラ】


マントを取り除いた女性ミイラ【M11】

第1層、第2層から発掘されたミイラは、一般に頭を東、あるいは東北に向け、まっすぐ体を伸ばして上向きに寝ている。一部の死者の顔には、赤い線条が描かれ、体全体に乳白色の糊状の物質が塗られている。

 死者は頭にフェルトの帽子を戴き、足には革靴を履き、腰に腰当を着け、身に毛織物のマントを巻きつけている。副葬品は、身につけた衣服や首飾り、腕輪のほか、どの墓にも必ず、マントの外の右側に、草で編んだカゴが置かれている。死者の体の上には、大量のマオウ(麻黄)の小枝や動物の耳、動物の筋をよって作られた短い縄が置かれている場合が多く、体の下には小麦やトウモロコシの粒がばらばらに置かれている。そのほか、細長いタマリスク(紅柳)の棒や鳥の羽でつくられた羽飾りなどがよく見られる。

 墓の主人の性別の違いによって、着ている服装や副葬品は明らかな違いがある。例えば、男性のマントの穂(垂れ下がり)はスカートにあることが多く、女性のマントの穂は首から肩に多い。男性の腰当は帯のようで、女性のは短いスカートのようだ。男性の棺の前にある櫂の立木の両側には、死者が使う弓と木製の矢が別々に立てられ、体の上には羽のついた矢が置かれている。女性は、体の上に「木祖(木制の男根)」や革袋、木の櫛が置かれている。さらに特別な一部の副葬品、例えば牛の頭、人面をはめ込んだ木製の杖などは、墓主の身分と関係があるかもしれない。 

 出土した多くのミイラの中で、保存が比較的良く、小河古墓の典型的なミイラを紹介しよう。

【M11】

第1層、南区の東端の中央部にあり、墓地の砂丘の頂部から発掘された。ミイラは、保存がよく、美しい顔立ちが印象的である。


発掘された女性ミイラ【M11】

木製の棺は長さ2.2メートル。棺の上は3枚の牛の皮で覆われ、棺頭は黄色、棺尾は白、中央部は斑の牛皮。その上に白いマント、マントの上に12本のタマリスクの枝が置かれていた。

墓の主は成年女性で、頭を東に向け、仰向きに手足をまっすぐ伸ばし、頭と脛と足先以外は全身を大きな白い毛織のマントで包まれている。

女屍の身長は152センチ、全身に乳白色の糊状のものが塗られている。体はやや豊満で、胸部、腹部が著しく肥満している。眼窩は深く落ち窪み、亜麻色の長い睫毛、高くまっすぐな鼻、少し開けた口、薄い唇。髪は亜麻色で多く、自然に頭の真ん中でわかれて胸にまで達する。

棺内には白色の羊のフェルトでつくられた円い帽子、白色の羊毛で編まれた毛織のマント、短いスカート式の腰当、革靴、首飾り(玉珠、白色石珠、黒色石珠を連ねたもの)、ブレスレット(淡青色の蛇紋石玉を連ねたもの)、木製の留め針(マントをとめる)、櫛、草で編んだカゴ、小動物の皮でつくった皮袋、羽飾り、木祖などがあった。

【M13】

南区の北側の砂丘の第一層から出土したミイラも保存状態がよい。蓋の板は11枚で、板の上に黒色の直線が描かれている。棺の上は3枚の牛皮で覆われている。

墓主は成年の女性。頭を東に向けている。頭と足、脛のほかはすっぽりと白地に大きな赤い縦じま文様の毛織のマントで包まれている。

マントの外の腹部の上方には、大きな牛の角が置かれていた。屍体の右腰骨に立てかけるように、フェルトで蓋をした草篭が置かれていた。

そのほか、円形の銅片7枚がついた毛織物の腰当、乳白色の糊状の物質が塗られた革靴、珠を連ねた首飾り、腕飾りを持っていた。左乳房には木彫の人面像が置かれ、右腹部には大きな皮袋と3本の羽飾りがあった。左腕の外側には木祖が一つ、右手の下に二個の小さな石があった。また、タマリスクの枝、木製の櫛、黍の粒、麻黄の小枝、動物の耳などが出土した。

女屍の身長は150センチ。死者の顔とマントから出ている大腿部は乳白色の糊状の物質が塗られていた。顔はやや痩せ、両方の頬の下は深く落ち込み、頬骨は高く、眼窩は深く落ち窪んでいる。口をしっかりと閉ざし、明らかに扁平で長い。亜麻色の頭の髪は短く、顎よりも長くない。髪の毛にも糊状の物質が塗られていた。顔面部の糊状物質をとり除くと、額から鼻にかけて赤い横線が描かれていることが分かった。

木彫人面像は、長さ9.1センチ、幅6.7センチ、鼻の高さ2センチ。平面は楕円形で、正面は誇張された目、耳、鼻、口、眉が浮き彫りにされ、背面は内側に凹型になっている。人面の表面にはきわめて薄い皮状の物質が糊付けされており、その上に赤い色が塗られている。人面は眉が発達し、眼窩は落ち窪み、二つの小さな珠をはめ込んで眼球とし、鼻は高くそびえ、鼻梁は7本の細い紐が横に載せられている。口の形は長方形で、白い羽の管を切断してつくった八個の「歯」がはめ込まれている。額の頂上部に小さな孔があり、おそらく紐を通したものであろう。  

【M24】

矢や棒を持った男性のミイラ【M24】

南区の中部の地表から1.7メートル下の第2層から発掘された。第1層の3つの墓と第2層の2つの墓の下にあった。棺は4枚の牛皮で覆われ、墓主は成人の男性で、身長164センチ。毛織物のマントで体をすっぽりと覆われ、腹部の上には赤や黒に塗られた大きな牛の頭が置かれていた。体の右側には、矢や先の尖った棒などが多数置かれていた。

棺内から発見された人面像を象嵌した木仗は長さ66セン。これは墓主の身分を象徴していると思われる。

【M100】

南区の第4層と第5層と北区からは、特徴のある棺が発見された。それは棺の蓋の上が泥で固められている「泥棺」である。南区の第4層の【M75】、第5層の【M100】、北区の【BM1】【BM2】は「泥棺」であった。

【M100】の蓋を開けると、中から長さ134センチ、幅40センチの12枚の板からつくられた木製の板室があり、その中から墓主である成人女性とともに、木製の人形や木罐などの副葬品が出ていた。【BM1】【BM2】も墓主は女性で、木製の人形が出土した。

李文瑛・副研究員は、この「泥棺」を女性の占い師(巫女)の墓ではないかと見ている。これがもっとも深い層から出てきたことや、上層部からは出土しないことなどから見て、巫女を中心とする社会から男性の族長を中心とする社会に移行していったのではないか、と言っている。

【M19】

第2層からは嬰児のミイラが発掘された。毛織物に包まれていて目鼻立ちがはっきりしている。子どものミイラには嬰児も幼児もあったが、全体的にみて子どもの死亡率がとくに高いということはなかった。

ミイラとともに動物の耳や小麦などが出土した。発掘当初は男の子か女の子か分からなかったが、棺の近くに櫂が立てられていたことから、男の子と推定された。
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_2.htm

mirra3 4000年前に存在した社会は
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_3.htm


イディリス・アブドゥラスト新疆文物考古研究所長

小河墓地の発掘によって、いまから4000年前に、タクラマカン砂漠には、かなり文明の発達した社会が存在していたことが明らかとなった。そのころ中国では、最古の王朝である夏王朝が起こり、エジプトでは古王朝が終わり、12王朝が始まったころである。東西の文明を結ぶシルクロード上にあったと思われる小河古墓を築いたのは、どんな人たちであったのか、どんな社会を形成していたのか。発掘の総責任者であるイディリス・アブドゥラスト新疆文物考古研究所長に話を聞いた。

――小河墓地の最下層から出土したミイラの人種は?

■イディリス所長 これまで楼蘭など新疆ウイグル自治区の遺跡から出土した非常に古いミイラは、コーカソイド(白人)と考えられてきました。小河墓地の遺跡から発掘されたミイラも、外見的には眼窩が落ち窪み、鼻は高く、コーカソイドのようでした。しかし、最下層のミイラの一部を北京大学加速器実験室で鑑定してもらったところ、この5月、驚くべき報告を受けました。それはDNA鑑定の結果、モンゴロイド(東洋系)のDNAも発見されたというのです。つまり彼らはコーカソイドとモンゴロイドの混血の可能性が出てきたのです。

これは、4000年前かそれ以前に、シルクロードで、西から来たコーカソイドと東から来たモンゴロイドがタクラマカン砂漠で初めて出会い、混血したことを想像させます。壮大な人種の移動と融合が考えられるのです。

――彼らの「村」の規模はどのくらいでしょうか。

■イディリス所長 500年から600年の間に約350基の墓をつくったのですから、「村」の規模はそれほど大きなものではなかったでしょう。墓地と集落とはそう遠くは離れていないと思われますが、墓地を中心に10キロ四方からはいまのところ住居址は見つかっていません。

――彼らはどんな社会をつくっていたのでしょうか。

■イディリス所長 男女の性器を象徴する木柱や木櫂が大量に出土したことや、女性ミイラが男根を象徴する「木祖」を持っていたことなどから考えて、彼らは、生殖崇拝の信仰を持っていたと考えられます。これは「万物の豊産」の願いを反映しています。死後に顔面を白く塗ったり、赤い線を描いたり、人面像や木製人形を副葬したりしていることから見て、この時代にすでに宗教が存在していたことは明らかです。

――どのようなものを生産し、どのように暮らしていたのでしょうか。

■イディリス所長 棺の中から大量の小麦やトウモロコシが出てきました。小麦は鑑定の結果、人為的に改良された種類であることが分かりました。この小麦には大量の水が必要であり、当時は灌漑が行われ、小麦の畑が一面に広がっていたと思われます。

また、棺は3枚の牛皮で覆われているのが普通で、棺の中や木柱に大きな牛の頭蓋骨がいっしょに葬られていることから考えると、牧畜が盛んに行われていたと思われます。一つの棺を作成するのに、少なくとも3本の胡楊木が伐られたので、当時は胡楊木がかなり生い茂っていたと考えられます。

しかしこの一帯の自然は脆弱で、いったん破壊されると回復することができないため、ついに砂漠化してしまったと推定されます。

――外部の他の部族との戦争や争いがあったのでしょうか。 

■イディリス所長 男性の棺から矢が見つかっているうえ、鳥や小動物の羽や毛皮が見つかっているので、狩猟が行われていたことは確かです。武士のようなミイラも発見されていますが、ただ、多くのミイラの中で刀傷のあるのは一体だけで、矢傷など大規模な戦争を示す証拠はありません。おそらく平和な生活だったのでしょう。

人民中国インターネット版 2009年2月5日
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_3.htm




▲△▽▼

2014年9月 8日 遺伝子系統と文化は必ずしも一致しないという話(1)

このページの地図を参照しながら読んでください。
http://www.eupedia.com/europe/maps_Y-DNA_haplogroups.shtml


ミトコンドリア遺伝子やY染色体を使って、民族移動の歴史をたどることができるという話は聞いたことがあると思います。遺伝子の痕跡が「人間」の移動を説明していることは間違いありません。しかし、ある集団の中で遺伝子に変異が生じた時期とその集団が新しい文化を獲得した時期は必ずしも一致しません。


その一例をY染色体のRハブロタイプの分布に見つけました。R1bとR1aというハプロタイプは中央アジア・欧州・イラン・インドに広く分布し、印欧語族の分布範囲とも重なるため、印欧語族の遺伝子ではないかとも言われています。

R1bは1万年くらい前にカフカス山脈付近で原形が生まれ、6千年前にバルカン半島に進入し、3千年前にはアイルランドやイベリア半島西端にまで到達したと考えられています。

現在R1bが人口の50%を超えているのはアイルランド、英国、フランス、スペインでこれはローマ帝国とゲルマン人の侵入以前にケルト人の文明が広がっていた地域です。できたばかりのころのローマ共和国はケルト人に圧迫されていました。ローマ人の方が臣従していたという説もあります。ケルト人は牧畜と簡単な農耕をし、馬車を持っていました。

しかし面白いことにR1bが一番多く住むのはスペインのバスク地方で、バスク人の母語はバスク語なのです。バスク語は系統不明の言語で、印欧語とは全然関係がありません。

同じくR1bの比率が高いのはアイルランドとスコットランドとフランスのブルターニュ半島です。そこにはブリトン人やピクト人などが住んでいたといわれています。彼等が話す言語は非常に原始的なケルト語、もしくは系統不明の言語だったとも推測されています。ローマがこれらの地域に進入してきた際、彼等は車輪を持たず、牧畜もしていませんでした。

つまりケルト人は生粋の印欧語族なのですが、R1bが非常に多い地域の人たちは必ずしも印欧語族ではないのです。そして移動を始めた頃のR1bは車輪を持たず、農耕も知らない狩猟採集民でした。かといって彼等が野蛮だったかというとそうではなく、ミトコンドリア遺伝子から、彼等はアルプスで見つかったミイラのアイスマンと同系統と推測できるのですが、アイスマンは高純度の銅器を持ち、縫合された衣類を着て、医療を受けた形跡もあり、成熟した狩猟採集民でした。

R1bは東にも進んでいて、、3〜4千年前のタクラマカン砂漠(中国西部)の遺跡で金髪でコーカソイドの特徴を持った骨のミイラが発見されています。オアシス都市に残る文書から、彼等がケルト語に近い言語を使っていたことがわかっています。

現在でも中国の羌族、チベット族、満州族の一部にR1bを持つ人がいます。古代中国で羌、西戎、玁狁、狐とされた遊牧民はR1bを持つ人々であった可能性があります。

タクラマカン砂漠にオアシス都市を作った人たちは、農耕をし、都市をつくり、ケルト語に近い言語を話す人たちでした。そこよりもさらに東に進んだ羌、西戎、玁狁、狐はバスク人、ブリトン人、ピクト人に近かった可能性があり、必ずしも農耕はせず、印欧語も話していなかったかもしれません。

口語としての漢語は文法が英語と異常に似ています。英語というのはラテン語やゲルマン語と比較して語順に混乱があり、副詞と前置詞を多用する特徴があります。この英語の副詞と前置詞は、古代には動詞だった可能性があるのですが、英語と漢語は中央アジアを出発したばかりのR1bが使っていた言語ではないかと私は推測しています。

まあ、さすがに英語と漢語を同一系統と結びつけるのは話が飛躍しすぎかもしれませんが、R1bと印欧語と農耕は必ずしも一致しないのです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-aee4.html

遺伝子系統と文化は必ずしも一致しないという話(2)


欧州西端と中国北部まで到達したR1aを仮にR1a第1陣、英仏西中心部とタクラマカンで繁栄したR1aを仮にR1a第2陣とします。彼等が持っていた技術を並べると次のようになります。

R1b第1陣・・・遊牧、原始的な印欧語、銅の精練、鍼灸?

R1b第2陣・・・遊牧、畑作、印欧語(ケントゥム派)、乗馬、車輪

民族が次のようになります。

R1b第1陣・・・バスク人、ピクト人、ブリトン人、羌、玁狁、狐

R1b第2陣・・・ケルト人、トカラ人、月氏


ケントゥム派は印欧語の分類です。印欧語は印欧祖語におけるkをkで発音するかs(ts)で発音するかによってケントゥム派とサテム派に分類できます。

サテム派印欧語を使うのははスラブ人とイラン人とインド人(ヒンドゥー語)です。東側のイラン人とインド人は自らをアーリア人と自称しました。19世紀と20世紀前半のドイツの国粋主義者は自らをアーリア人と規定しました。これはインドを圧倒的な武力で制圧した(と当時は信じられていた)アーリア人とゲルマン人を同一視したいという願望から生まれた説ですが、言語と遺伝子からは、イランとインドのアーリア人に最も近いのはゲルマン人ではなくてスラブ人です。

このサテム派印欧語族の分布とよく一致するY染色体がR1aです。R1aはポーランド、ベラルーシ、ロシア、イランに多く分布し、インドではバラモン階級に多く出現します。カスピ海を中心としてC字を倒したように分布しているので、元々カスピ海を中心とした地域に居住していて、何らかの理由で東西に広がっていって、故地からは出て行ったことが容易に推測できます。

アーリア人とスラブ人がインドと欧州に現れた時期は遅いため、歴史の記録に残っています。アーリア人がインド西北部に現れたのは3,500年前です。アーリア人と推測されるメディア人とペルシャ人がバビロニアに現れたのは3,000年前です。

しかしです。私たちはここで再び印欧語族とハブロタイプRを結びつける説の反証を見つけます。現在カスピ海周辺に多く分布するハブロタイプはJ2です。J2は現在のアルメニア、アナトリア半島(トルコ)、ギリシャ、南イタリアに多く分布します。


これらに地域に住む人たちが使う言語はアナトリア半島以外は印欧語です。アナトリア半島に住む人がトルコ語を話すのは、千年前に中央アジアからトルコ人が侵入してきて、トルコ語を強制したからです。それまではアナトリア半島に住む人たちはギリシャ語を話していました。

J2系はバビロニア文明を作った人達ということになっています。そしてJ2aはR1aの故地であるカスピ海沿岸を占領しています。だとするとおかしなことになります。東側(カスピ海周辺)と西側(バルカン半島)で辻褄が合わないのです。

東側のシナリオはこうなります。5千年前にはカスピ海周辺にアーリア人 (R1a)が住んでいました、そこに南からバビロニア人(J2)がやってきて、アーリア人を追い出しました。アーリア人は2千年かけて時計回りにカスピ海を一周して、3千年前にイラン側からバビロニアに侵入しました。

西側のシナリオはこうなります。まずバルカン半島に東側からバビロニア人と同じ遺伝子をもつJ系が侵入。次に南側から古代エジプト人と同じ遺伝子をもつと推定されるE系が侵入。R1bはギリシャには入って来れなかったと推測されています。最後に1,500年前になってスラブ人(R1a)がギリシャ車に侵入しました。

ギリシャ語はケントゥム派印欧語族なのに、だれがバルカン半島にギリシャ語を持ち込んだのか不明なのです。

この矛盾はハブロタイプRとインド・ヨーロッパ語の発明者を同一視することによって生じています。最初に言ったように遺伝子の発生と文化の発生は必ずしも一致しないのです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-873c.html

遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(3)


欧州の学者はR系はインド・ヨーロッパ語を生み出した人達と考えています。けれども、ギリシャ・アナトリア半島にはR系の侵入を受けなかったのにインド・ヨーロッパ語を話すギリシャ人がいます。

この矛盾を解く鍵はヒッタイト人にあります。ヒッタイトは3,000年ほど前にアナトリア半島に現れた遊牧民で、強力な戦車軍団をもち、世界で初めて製鉄に成功した人達です。ヒッタイト語はケントゥム系印欧語族ではないかとされています。


現在J2が30%以上分布するのは、東からアルメニア・トルコの首都アンカラ周辺・シリア沿海部・アナトリア半島西部・ボスポラス海峡・中央イタリア・カラブリア・シチリア東部です。

アンカラ周辺はかつてヒッタイトの首都ハットシャがあった地域です。ボスポラス海峡とアナトリア半島西部にはギリシャと似た文明を持つ都市群がありました。有名なトロアはその代表的な都市です。中央イタリアはローマに先行する文明であるエトルリア文明があった地域で、カラブリアとシチリア東部は古くからギリシャの植民地がありました。

エトルリア人と古代ローマ人は自分たちはアナトリア半島西部にかつてあった都市トロイの末裔であるという始祖伝説をもっていました。古代ローマ人がJ系であるとこの始祖伝説には信憑性があることになります。

アナトリアより西に分布するJ系はインド・ヨーロッパ語を話す人達であり、さらにJ系ではないかと推測されるヒッタイト人が使ったというヒッタイト語はかなり古くにラテン語やギリシャ語から分離したと推測されています。

そしてJ2系はフランス、スペイン、英国南部に10〜20%分布しています。これはケルト人の地域です。

整理してみましょう。

1.R1b第1陣が話していた言葉は非常に原始的なインド・ヨーロッパ語、あるいはインド・ヨーロッパ語を話していなかった可能性がある

2.南回りで広まったインドヨーロッパ語(ヒッタイト語・ラテン語・ギリシャ語)を伝えたのはR系ではなくJ2系の可能性が高い

3.R1a(アーリア人・スラブ人)の故地であるカスピ海沿岸にはJ2系が住んでいる


これらの事実から導きだされるのは、インド・ヨーロッパ語を生み出したのはR系ではなくJ2系であるということです。J2系はメソポタミア文明の中心になった人達です。メソポタミア文明を担った人達の言語はインド・ヨーロッパ語ではありません。

しかし、遺伝的には近くても全く違う言語を話すことはそうおかしなことではありません。

•約1万年前にJ2系がカフカス山脈付近でインド・ヨーロッパ語を発明。

•そのとき既にR1bは西と東に広がりつつあった。最初に出発したR1b系はインド・ヨーロッパ語を知らなかった。

•J2とRは8千年くらい前にカフカス山脈で合体。この合体部族は遊牧・簡単な畑作・都市が融合した文明を作る。彼等は畑作と都市をメソポタミアから学んだのかもしれないし、あるいは独自に編み出したのかもしれない。

•J2+Rが南回りに進んだのがヒッタイト人・エリトリア人・ローマ人

•J2+Rにエジプトからの入植者(E系)が合体してできたのがギリシャ人。

•J2+Rが北回りに進んだのがケルト人とトカラ人。

•やがて6千年くらい前にJ2+Rの集団の中からR1a遺伝子が登場これがスラブ人とインド・イラン・アーリア人の祖先となる。彼等の間でサテム派の発音が流行して、サテム派のインド・ヨーロッパ語が生まれる。


というように整理できるのではないでしょうか。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-a902.html

遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(4)


R1b+J2が出発した後にもカスピ海周辺にはR+J2が住んでいたと考えられますが、5千年前に彼等は故地を出て行き東と西に拡散します。西に進んだのがスラブ人で、カスピ海を時計回りに進んだのがインド・イラン・アーリア人です。両者はR1aの遺伝子をもっていました。


しかし「アーリア人」とR1aを同一視するのは早計で、高度な乗馬技術を持つアーリア人は3千年前から1,500年前にかけて、中央アジアから何度もメソポタミア・イラン高原・タクラマカン砂漠に侵入するのですが、遺伝子の分布からはアーリア人とされた人達には様々な組み合わせがありそうなのです。

1.スラブ人・・・R1a

2.インド・アーリア人・・・R1a+R2+J2

3.パクトリア人・スラブ人・スキタイ人・・・R1a+J2

4.ソグド人・ホラズム人・・・R1a+J+Q

5.月氏人・トカラ人・・・R2b+J


このことから、サテム派インド・ヨーロッパ語を発明したR1a+J2が中央アジアに住む様々な民族と融合したのがアーリア人るといえます。

スキタイ人・月氏人・トカラ人は研究者によってアーリア人に含めたり含めなかったりします。スキタイ人が話していた言語は不明です。月氏人とトカラ人が話していたのはケントゥム派インド・ヨーロッパ語です。アーリア人の要素をサテム派インド・ヨーロッパ語であるとすると、彼等はアーリア人には含まれなくなります。

また、ホラズム地方やドナウ川下流域や黒海北岸では4〜5千年前の都市と農耕の痕跡が見つかっています。今ではインドと東アジアでメソポタミアの影響を受けずに独自に農耕が始まったことはほぼ確実ですが、これらの地域でも、独自に農耕が始まっていた可能性があります。

ホラズム地方に多いのはR1aとQの合体部族で、Qはシベリアの狩猟採集民とネイティブアメリカンに多いハプロタイプです。ホラズム人は定住性が高かったと言われています。また、彼等はインダス文明に鉱物を供給していた人達かも知れません。


ドナウ川下流域や黒海北岸に多いのはI2aで、この遺伝子は1〜2万年前にヨーロッパで独自に発生したと言われています。欧州の学者は聖書の影響が強すぎるのか、欧州の農耕は全て中東起源と考えるのが主流らしいですが、I2aによる欧州独自の農耕都市文明を想定しても良いのかもしれません。

I2aは欧州全域に広がっているので、氷河期が終わった後に最初に欧州全域に広がったのは彼等で、独自の言語を使用していた可能性があります。R1b

はI2aの中心部(ドナウ川流域)を避けるように分布し、しかし融合もしています。

I2aとR1bの関係は日本の縄文系と弥生系の関係に近いのかもしれません。


1.1〜2万年前・・・I2aは成熟した狩猟採集民で、ドナウ川流域から黒い森にかけての森林地帯で狩猟採集生活をしていました。一部は簡単な畑作をしていました。

2.8千年前・・・そこにまず狩猟採集民のR1b第一陣がやってきた。彼等は寒冷でやや暮らしにくく、I2aがあまり分布していなかったアルプス・バスク・ブルターニュ半島・アイルランド・ブリテン島に住むようになった

3.6〜8千年前・・・次に牧畜と灌漑農業の技術を持つR1b(ケルト人)がやってきた。彼等は狩猟採集には適していない草原や低地を開拓して住んだ

4.黒海沿岸からカスピ海にかけてスラブ人(R1a)が分布

5.I2a,R1b,R1aがヨーロッパ全体で混血し合う

6.3〜4千年前・・・騎馬技術を持つJ2+R1bが黒海沿岸に侵入、スキタイ人(I2a+J2+R1b)が生まれる

7.3,500年前・・・スキタイ人がカスピ海沿岸からスラブ人を追い払う

8.スキタイ人から逃れたスラブ人に押されて、インド・イラン・アーリア人が南下


R系ハプロタイプの分布とインド・ヨーロッパ語族の分布の間の矛盾から、私なりに西洋の民族移動を推測してみました。ヨーロッパの縄文人とも言えるI2aがどのような文明を持っていたのか。5千年前には中央アジアで高度な都市文明を作っていたと考えられるQ系とネイティブアメリカンとの関係など西洋の古代も未解明で興味深い話題がたくさんあります。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9ad4.html





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ドキュメンタリー 文明の道「第05集 シルクロードの謎 隊商の民ソグド」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FdBYI5F36To&index=24&list=PL68Eg7O2Flae_s6n1BfiPUGgs6t80-qrA

ソグド人は、色黒の肌、深目、高鼻、多鬚などのコーカソイドとしての身体的特徴が挙げられる。


ソグド人の言語はソグド語である。ソグド語は印欧語族イラン語派に属する中世イラン語の東方言のひとつであり、同じ仲間としてはホラズム語、バクトリア語、コータン語がある。

紀元前6世紀にソグディアナがアケメネス朝の支配下に入ると、アケメネス朝からアラム文字が流入し、初めはアラム文字でアラム語を記していたが、次第にアラム文字でソグド語を記すようになり、最終的にアラム文字を草書化してソグド文字を開発し、ソグド文字でソグド語を記すようになった。やがてソグド人が商人として各地に散らばったため、ソグド語・ソグド文字は中央アジアのシルクロードにおいて国際共通語となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E4%BA%BA




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シルクロード 謎の民/タクラマカン砂漠/楼蘭の 末裔? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vJy4Mx7QKKk&index=17&list=PL68Eg7O2Flae_s6n1BfiPUGgs6t80-qrA

2016年05月21日
日中共同制作番組  「シルクロード謎の民 〜タクラマカン砂漠 楼蘭の末えい?〜」顛末(てんまつ)記 BY 池上達則
https://www.nhk.or.jp/bs-blog/2000/245289.html

番組の舞台は世界で2番目に大きな、中国タクラマカン砂漠。

「死亡之海(死の海)」と呼ばれる世界でも有数の乾燥地帯。しかしこの砂漠の奥深くに、周囲から孤絶した“謎の民”がいる!?

古代シルクロードの文化を守りながら生きる人々の暮らしを描き、その歴史ミステリーを紐解いて行くドキュメタリー番組。旅人は俳優の満島真之介さんです。


“かなりあやしいな…”

番組のきっかけは2015年春、中国・北京テレビからの連絡でした。タクラマカン砂漠のど真ん中に、謎の民がいると言うのです。北京テレビとNHKエンタープライズは番組制作の提携を進めており、中国のレアな情報が舞い込んできます。しかしこの知らせには、正直半信半疑でした。

でも調べていくうち、色々分かって来ました。

● 砂漠の奥深くにオアシスがあり1500人が暮らしている(よし!)

● 他の新疆ウイグル自治区で無くなった古代の風習が残っている(よし!)

● 近くの町から240キロ。砂漠に道は無く陸の孤島である(よし!)

● 既に携帯電話が通じ太陽光発電の設備も入りつつある(あれ!?)

● 住民は砂漠をバイクに乗って移動する(あれ!?)

● 緑の瞳をした美しい女性たちが暮らしている(よし!)


まもなく砂漠に舗装道路が作られ、オアシスの伝統的な暮らしもあと数年で消えてしまう。変わりつつある状況を含め番組にしようと、紆余曲折を経ながら、国際共同制作のプロジェクトが立ち上がることになりました。

オアシスの暮らしを3つの家族を通じて描きました。詳しくは是非番組をご覧頂ければと思うのですが、私が一番魅了されたのは、視力を失いながらも子どもを育てるヤコプ父さん。オアシスの主な生業である羊の牧畜が出来ないので、漢方薬掘りなど日雇い作業で収入を得ています。子どもが村を出て町の小学校で寄宿生活をしており(村の学校は小学3年までしか通えない…)仕送りが必要なのです。


実は私も2人子どもがいて保育園に通わせています。もちろんヤコプ父さんほど生活は大変でなく、パパとして頑張ってもいないのですが、彼を見て話しを伺っているうちに、肩の力が抜けて行きました。初めは“謎の民”の神秘的な生活を描かなくてはと緊張していたのですが、次第にどこの世界でも同じである、家族やふるさとを思う気持ちを、同じ目線で描けばいいのだと教えてもらったような気がしたのです。


最後の取材が終わり、オアシスを離れるときに、私はロケの間はいていた綿入れのズボンをヤコプ父さんにお渡ししました。ヤコプ父さんは茹でたての羊の肉を私たちにくれました。大変貴重なごちそうを、私の中古ズボンと引き換えに頂き、大変申し訳ない気持ちでした。

ただもし今年の冬にヤコプ父さんが綿入れのズボンをはき、少しでも暖かく過ごしてくれたら…そう想像するだけで私の心も温かくなるのです。
https://www.nhk.or.jp/bs-blog/2000/245289.html

ケリヤ(克里雅)人:楼蘭王国の末裔か?
http://www.geocities.jp/kjbmh507/minzoku/eikou/matuei.pdf


ケリヤ人発見の経緯 スヴェン・ヘディンは1896年1月コータンから北へタクラマカン砂漠に入り、古代都市 の廃墟を発見する。その後、タクラマカン砂漠を横断して、シャヤルを目指して、ケリヤ 河沿いに北へ移動する。このときガイドから、聞く。

「町の下手のケリヤ・ダリヤの森のなかには、およそ150人の人たちが住んでおり、
他の人間とは行き来せず、あらゆる街道から遠く離れて、それ自体一つの世界を構成して
おり、いかなる政府当局の手もここまでは及ばない、死のように静かな砂漠の海に囲まれ たところである。 ・・・・・・ ここには羊飼いの家族が二組住んでいたが、彼らは露天で焚き火を囲んでいた。まるで
野蛮人のようだった。彼らは小さな子供に取り囲まれていたが、子供たちが着ている物と
いえば、一枚の毛皮だけだった。この泊まり場のそばで、彼らは300頭の羊を放牧して
いた。男たちの幾人かは、われわれがはじめて見るようなとても風変わりな靴をはいてい
た。靴といっても、それは野生のらくだの足を足だこや蹄のついたままをはいていたので
ある。この野蛮人のような家族もすぐに打ちとけて、みな写生させてもらうことができた ほどである。・・・・・」

出典:『スウェン・ヘディン探検記 (全9巻)』 深田久弥ほか監修 白水社 第2巻 アジアの砂漠を越えて(下)

こうして、ケリヤ人は西欧に紹介され一大反響を得るのだが、当のケリヤ人は相変わら ず静寂な砂漠の中でのんびりと暮らしていた。

20世紀の50年代末、中国政府の役人がこの地に派遣され、达里雅布依郷を設立し、
郷の役所を開いた。しかしながら文革中であったので、ケリヤ(克里雅)人はまたもや人々 から忘れ去られた。 20世紀の80年代のある日、石油探査に携わっていた技術者が目の前の不思議な光景に 唖然と立ちすくんでしまった。 その後、多くの報道機関が入り、「タクラマカン砂漠の中央に原始部落を発見す・・」 と、大報道を開始したのである。 1989 年,新疆ウイグル自治区の役人が視察に入った。そして、学校、病院を建て、電 気、水道を引き、郵便局や電話局を設けた。ケリヤ人は桃源郷の生活から一気に現代文明 の中に引き込まれたのである。

ケリヤ人が暮らすダリヤブイ(达里雅布依)郷の达里雅(ダリヤ)はウイグル語で河の
意味、布依(ブイ)は岸辺の意味、郷は中国の行政区分で村にあたる。达里雅布依郷は「河 の岸辺村」となる。総人家305戸、総人口1321人の村である。 ケリヤ人はケリヤ(克里雅)河の中下流域の両岸に住んでいる。ホータンの東・于田か らケリヤ(克里雅)河に沿ってタクラマカン砂漠を約220km北上すれば、ケリヤ人に合う ことができる。

写真 14-1 現在のケリヤ人

現在の生活ぶり 彼らは現在に至るまで古濮な民族文化と原始的な生活を保ってきた。彼らは幾世代もの
家族が同じ屋根の下で寝起きした。老人を敬い、外部の者と婚姻する者は少なく、砂漠の 原始部落と呼ばれてきた。ケリヤ人は遊牧を主としてきたが、現在では農耕を営み始めた。

ダリヤブイ(达里雅布依)郷には数十戸の人家が集中している。郷政府の管轄する範囲 は南北 500 キロ近くに及ぶ。南に住む者が北に住む者の婚礼に参加するには二週間近く掛 かる。郷政府の者がケリヤ村を巡回するにはラクダか馬に荷物を積み、8日を掛けるとい う。 郷にはイスラム風の建物が一軒ある。大きな建物で周囲の建物と比較できないくらい 美しい建物である。この家の主人は郷の長であり、大変見識の広い人であるという。 ケリヤ人が一番困っていたのは水である。郷政府が井戸を掘るまでは大変な苦労があっ たと言う。 ケリヤ人はダリヤブイ(达里雅布依)郷を引き払い条件の良い土地に引っ越すことを嫌
っている。牧畜している山羊はこの地方の草花を食料としており、他の雑草は食べないの で引っ越せないという。 そして郷政府は彼らにダカ(大卡)車(大八車に似ている)を給付した。彼らはダカ
車で柴木や羊皮を于田県まで運び、貴重な塩や茶と交換している。


写真14-2 ケリヤ人の村落

ケリヤ人のルーツ 多くの説が流れており、いまだ検討中のようであるが、その代表的な三つの説を紹介し よう。

1 タクラマカン砂漠の土着民族であろうとする説である。・・が、これでは周囲が納得しない。

2 南に約 900 キロ下るとチベットの阿里地区にいたる。ここはかつてグゲ王朝があった所である。ラダック王朝に滅ぼされ(1630 年)、タクラマカン砂漠に逃げ込んだグゲ王朝の末裔である、とする説が有力である。


3 ところがこの説にも満足しない人々がいる。この「河の岸辺村」から東に約 450 キロの位置に、かつて楼蘭王国が栄えた。しかし、2000 年前、謎のまま忽然と消えてしまった。
その楼蘭王国の末裔が住み着いた、とする説である。


ま、どの説に満足するかは読者次第です。また別の新説を出すのも一興かと思います。

現在ケリヤ人は行政上ウイグル族に組み入れられているが、生活習慣の多くの面でウイ グル族と異なっている、とされている
http://www.geocities.jp/kjbmh507/minzoku/eikou/matuei.pdf



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中国・トルファン2012・・・(10)ウルムチ 旅の終わりに“楼蘭の美女”と会う
http://4travel.jp/travelogue/10668846

旅行時期 2012/04/14 - 2012/04/22 (2012/05/10投稿)


トルファンからウルムチ経由で上海へ。
途中、ウルムチの博物館で、約3,800年前に埋葬されたと言われている“楼蘭の美女”に対面します。

http://4travel.jp/travelogue/10668846

表紙写真は、その“楼蘭の美女”を復元したものです。


お昼頃ウルムチのバスセンターに到着。なんとかタクシーをゲットして博物館へ向かいます。


1階には、新疆に暮らす12民族の衣装・装身具・住居などが展示されています。

先ずはウイグル族の男女が迎えてくれます。
2000年調査で、新疆ウイグル自治区人口の45%がウイグル族、40%が漢族です。


http://4travel.jp/travelogue/10668846


こちらはタジク族ではないでしょうか。

なお、展示文物については、「地下博物館」アスターナ古墳出土品が中心になりますが、主だったものはEの「アスターナ古墳」編で紹介しましたので、こちらでは省略します。

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各民族の風俗、出土文物の展示と並んで、ウルムチ博物館で充実しているのが、ミイラなどのタクラマカン砂漠に埋もれていた古墳に関する展示・紹介です。

先ずは「小河墓」(しょうがぼ)遺跡

“有名な楼蘭(ローラン)や「さまよえる湖」のロプノールから西に約百キロの砂漠の中に、「小河墓地」があることは70年以上前から知られていた。
しかし、長くその存在は砂漠の砂に埋もれて分からなくなっていた。

今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。

さらに、DNA鑑定によって、最下層のミイラは、モンゴロイド(東洋系)とコーカソイド(白人)の混血であることが分かった。

この発見によってタクラマカン砂漠は、東と西の人種が初めて出会い、融合して、独自の文化を発展させた可能性が出てきた”【人民中国】

http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/25/32/40/src_25324026.jpg?1336633079


「小河墓」(しょうがぼ)遺跡の模型ですが、男根を象徴する先端の尖った墓標の下には女性の棺が、軍配のような女性性器を象徴する墓標の下には男性の棺が埋まっているそうです。

船のようなものは舟形棺です。「小河墓」の名が示すように、かつてはこの地には河が流れていました。船は冥界へ旅立つ死者の乗物ということでしょう。

この遺跡からは、約4000年前の小麦も発券されており、小麦、ひいては文明の伝播を考えるうえで重要視されています。


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「小河墓」遺跡には数百体のミイラが埋葬されているそうですが、その中でも印象的なのが「小河美女」とも呼ばれるこのミイラです。
後ほど紹介する「楼蘭の美女」よりは、はるかに“美女”の名にふさわしい美しいミイラです。

長いまつ毛まで残っており、推定年齢は20歳、身長160cm。コーカソイド(白色人種)系と見られています。フェルトの帽子には鷹の羽飾りとお洒落でもあります。

顔には白いクリーム状のものが塗られているそうですが、腐敗防止のためなのか、死化粧なのかはわかりません。

ウルムチ博物館では、この「小河美女」に関するものは目にしませんでしたので、「新シルクロードの旅(講談社)」からの転載写真です。


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こちらは且末(しょまつ チャルチャン)遺跡に埋葬されていた女性のミイラで、約2600年前のものと推定されています。

コーカソイドとモンゴロイド両方の特徴を兼ね備えているそうです。

且末は、楼蘭から400〜500kmはなれた、タクラマカン砂漠の南縁、
かつての西域南道に位置するオアシスです。


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こちらが、有名な「楼蘭の美女」
約3800年前に埋葬されたと推定されており、年齢は45歳、身長は152cmで、「小河美女」とほぼ同時期です。

楼蘭王国が歴史に登場するのは紀元前176年ですから、「楼蘭の美女」は楼蘭王国より千数百年古い時代のものになります。

人種的にはコーカソイド(白色人種系)です。


復元された容貌
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在りし日の「楼蘭の美女」
http://4travel.jp/travelogue/10668846


http://4travel.jp/travelogue/10668846




http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c12

[環境・自然・天文板6] 「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に… お天道様はお見通し
13. 中川隆[-13783] koaQ7Jey 2018年12月12日 07:39:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22015]

古代のDNAから判明した驚きの10の発見 2017年03月09日
http://karapaia.com/archives/52235294.html


 人類の歴史を語るものは、書き残されたものだけではない。遺伝子のなかにも存在する。遺伝子研究が進むに従い、遺伝子は、これまでの定説をくつがえす思いがけない文化の起源をおしえてくれたり、伝染病の大流行を生き延びるために必死で進化していたことがわかった。更には何万年もの間、変わらずに連綿と続いている遺伝子もある。

 そんあ古代のDNAは謎を解いてくれるのと同時に、新たな謎をうむこともある。ここではそんなDNAに導かれた10の発見を見ていこう。

10. アメリカ大陸の原住民と文明接触の悲劇「コロンブス交換」

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image credit:Smithsonian Magazine

 ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達したことによって、現地の人たちの間に伝染病が広まった。この初めての接触による悲劇は、コロンブス交換と呼ばれる。すべては、1492年にクリストファー・コロンブスが新世界にたどり着いたときに始まった。

 それ以前にも、アメリカ大陸には結核などの病原体はあったが、ヨーロッパから船によって持ち込まれた天然痘、麻疹、黄熱病、流感などのように爆発的に広まるものではなかった。

 理論的に考えると、外部の影響にさらされることなく、長いこと独自の社会を築いていたアメリカ先住民の免疫性が脆弱だったせいといえるかもしれない。2016年のカナダのツィムシアン族のDNA研究から、ついにその証拠が発見された。古代と現代のふたつのグループを比較すると、免疫に関係する遺伝子に大きな変化があったことがわかったのだ。

 ヨーロッパ人と接触後、天然痘がツィムシアン族を分裂させた歴史的根拠がある。遺伝的多様性があまりないせいで、天然痘によって部族の57%が死んだのだ。

 現在のツィムシアン族は、さまざまな先祖から多様な遺伝子を受け継いでいる。古代の部族は、その土地の病気に適応した特定の遺伝子配列をもっていた。彼らの子孫の遺伝子は、新たに入ってきた病気に負けずに生き残るために選択的進化を遂げた結果、生まれたものなのだ。


9. アイルランド人の起源

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image credit: BBC

 アイルランド人のルーツは、新石器時代のひとりの女性と青銅器時代の3人の男性の中に見つけることができた。この女性はバリナハティ・ウーマンと呼ばれていて、1855年にベルファスト近くの5200年前の墓から発見された。

 彼女のゲノム配列は2015年に判明し、現在のスペインやサルディーニャ島の人たちと遺伝子的に似ていることが明らかになった。おもしろいことに、彼女の祖先は中東の出身だということもわかった。

 青銅器時代、東ヨーロッパからやってきた人たちがアイルランドに定住した。3人の男性の先祖は、ウクライナやロシアに隣接するポントス草原の出身だ。4000年前の青銅器時代のグループが、現在のアイルランド、ウェールズ、スコットランドの人たちと遺伝的にもっとも近い。

 アイルランド人には、特徴的な遺伝子傾向がある。乳製品の消化に適しているが、ヘモクロマトーシスという鉄分の過剰蓄積を起こしやすい。この障害は、前述の4人のうち女性と男性ひとりに見つかったが、それぞれ異なった遺伝子変異を起こしていた。

 男性のほうは乳製品を消化できる遺伝子を持っていたが、女性にはなかったのだ。この4人のゲノムは誰も現代のアイルランド人のゲノムとは完全に一致せず、むしろケルト民族をつくった一部のグループとの類似を示していた。


8. コマ人の土器から発見された交易の痕跡

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image credit:iflscience.

 コマ人とは、かつて西アフリカ、現在のガーナのあたりに住んでいた人々のことだ。もし、彼らの特異な習慣がなければ、永遠に彼らの文化は考古学者に見過ごされてしまっていたかもしれない。

 コマの人々は、奇妙な素焼きの人形を残している。この独創的な人形は人や動物を表わしているが、ときにはそれらが合体させたものもある。土塁のひとところにまとめてためこまれているのが見つかった。

 研究者たちは、こうした人工物からDNAを抽出して、彼らの目的を探ろうと考えた。しかし、乾燥した環境で、熱い砂の中に何世紀もの間埋められていたものから採取したDNAは劣化が激しく、使い物にならなかった。

 しかし、驚いたことに土器には、かつて中に入っていたものの遺伝的素材が残っていて、まだ分析に使うことができた。

 もっとも驚いたことは、オオバコ、バナナ、松など、600〜1300年当時にはその土地にはなかったはずのものの残滓が見つかったのだ。この地方の芸術文化は、世界でもっとも熱い砂漠である西アフリカとサハラに広がる、安定した交易路をもっていたに違いない。


7. 東アジア大陸の不変のDNA

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image credit: sciencemag

 生きている人間のDNAが8000年もの間、ほとんど変わらないことはまれだ。古代社会では、頻繁に移住が行われ、世界のいたる場所で遺伝子が混ざりあったはずだ。ところが、東アジア大陸は例外だった。

 1973年、極東ロシアにある悪魔の門の洞窟で人間の遺体が見つかり、石器時代の女性からDNAが検出された。新石器時代以降、遺伝子的介入がほとんどなかったおかげか、彼女の遺伝子は現代のある地域の民族とかなり一致していた。

 これは、中国の少数民族オロチョン族やホジェン族のようなトゥングース語を話す人たちに当てはまる。現在でもトゥングース語を使っているのはウリチ族だ。

 ロシアと中国と北朝鮮の国境付近に住んでいる彼らが、注目されるのにはふたつの理由がある。まず、彼らはごく最近まで古代狩猟採集民族の生活スタイルを維持してきた。次に、彼らはずっと遺伝子が変わらない同じ集団からの直接の子孫のようだ。基本的に新石器時代の狩猟民族と同じ集団で、悪魔の門の洞窟で見つかった女性もここに属していた。


6. 民族移動の歴史を塗り替えたモタ・マン

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image credit:Los Angeles Times

 モタ・マンは、民族移動の歴史全体を塗り替えたエチオピア人だ。およそ4500年前に死んだが、その遺伝子が彼についてのすべてを語ってくれる。

 これまで、現生人類は7万年前にアフリカに別れを告げ、中東、ヨーロッパ、アジアへ広がり、中東やトルコの農民がアフリカの角と呼ばれる地域(エチオピア)に出戻ってきたと信じられてきた。

 発見されたモタ洞窟からその名をつけられたこのエチオピア人は、古代アフリカ人の最初のゲノム配列を提供してくれた。モタの年代は、これまで考えられていた逆流入ユーラシア人よりも古いものだった。

 知られているグループよりももっと以前に、アフリカに戻ってきた別のグループがいたのだ。しかし、モタ・マンは、アフリカ以外で発達した遺伝子はもっていなかった。肌や目の色が明るく、トルコや中東のユーラシア人のように乳製品を消化できない乳糖不耐性をもつ遺伝子のことだ。

 モタの謎めいた先祖について掘り下げるうちに、研究者たちはある古代人とのおもしろい符合を発見した。それは7000年前のドイツのLBK族だ。モタのユーラシア人先祖がLBK族出身なら、ユーラシア人がアフリカに定住して広がったときの話は違ってくるだろう。


5. デンマーク最後のヴァイキング王の母親の謎

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image credit:dnainthenews

 ヴァイキングの謎は、最近ふたりの王族の歯髄を調べたことで解決された。デンマークの最後のヴァイキング王で1074年に亡くなったスヴェン(エストリドセン)2世だ。

 ロスキレ大聖堂に彼と母親のエストリッドの墓があり、母親の遺体は、大聖堂の祭壇近くの柱のところに安置されているという。

 スヴェン王の墓は疑いようもなかったが、柱のところに埋葬された女性が本当に王の母親なのか、疑問をもつ専門家もいた。

 幸いなことに、母親とその子どもの血縁を示すそのものずばりな方法がある。子どもにミトコンドリアDNAを伝えるは女性のみなので、遺伝子配列が一致するかを調べればいい。

 ところが、スヴェン王とエストリッドのミトコンドリアDNAは違っていた。彼女は王の母親でなかっただけでなく、とても若かった。エストリッドの享年は70歳と記録されているが、この女性は35歳くらいだった。

 おもしろいことに、スヴェン王には義理の娘がふたりいて、両方ともエストリッドという名前で、しかもふたりとも女王になっている。彼女たちの年齢の若さや名前や王族の地位を考えると、どちらかがロスキレに埋葬された可能性はありえる。


4. ロンドンの多民族性を物語る発掘遺骨

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image credit: BBC

 現代のロンドンっ子たちの祖先は、2000年近く前にこの地に定住したようだ。大英博物館に所蔵されている4体の遺骨が、その起源や出現についてさまざまなことをおしえてくれた。

 ほぼ完全に残っている骨は、通称"ラントストリートのティーンエイジャー"と呼ばれている。この14歳の少女のDNAは彼女が北アフリカで育ったことを示している。彼女のミトコンドリアDNAは、南東ヨーロッパからのもので、彼女はブルーの瞳をしていたが、骨格の特徴はサハラ砂漠以南の人々のものだ。

 "マンセルストリート・マン"は45歳の男性で、黒い瞳と髪は母親が北アフリカ出身のDNAを持っていたことを示している。彼はロンドンで育ちで、意外なことに糖尿病による骨の疾患を患っていた。現代の白人西洋人男性の間ではよくある病気だ。

 ある男性の骨は損傷が激しく、もしかしたら剣闘士だったのかもしれない。年齢は36〜45歳くらいで、肉体的にひどく暴力を受けた痕跡がある。どこかよそで生まれたが、東ヨーロッパや中東からのミトコンドリアDNAを受け継いでいた。

 "ハーパーロード・ウーマン"(写真)は、もともとここに住んでいたブリトン人で、ローマ風のライフスタイルを享受したらしい。彼女の墓にはローマの遺物がたくさんおさめられていた。そして、彼女のDNAは驚くべきことを示していた。肉体的には女性だったが、遺伝子的には男性だったのだ。


3. ヨーロッパでおきた謎の民族大移動により遺伝子マーカーが消滅

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image credit:Live Science

 オーストラリアの研究者たちが、ある民族移動の謎を解こうとして、別の謎を見つけてしまった。

 7500年前にトルコ出身の農民たちがヨーロッパに定住したのかどうかを確認するために、ドイツやイタリアから発掘された複数の骨を調べた。これら古代の骨は、7500年〜2500年前のさまざまな文化のものだった。

 調査から、最初の汎ヨーロッパ人たちはトルコからやってきて、繁栄したことはわかった。だがそれから、およそ4500年前にその遺伝子マーカーがどいうわけか消滅してしまった。

 消滅の理由がなんであれ、ゆっくりした変化ではなかった。当時、明らかになっていないなんらかの歴史的な出来事が起こって、突然大規模な民族移動が起こったようだ。あまりにも劇的な移動だったので、ヨーロッパの人口や遺伝系統までもが変わってしまった。

 文化全体の遺伝子まで変えてしまうほどの大移動を引き起こした張本人たちは誰なのか、それほどの大人数で新たな野を目指した理由はなんなのか、誰にもわかっていない。イベリア半島にいたベル・ビーカー人がケルトの言語に痕跡を残しているため、彼らがその容疑者といえば容疑者と言えるかもしれない。


2. 権力をもっていたギリシャの女性たち

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image credit: Andreas Trepte

 かつて、古代ギリシャの女性たちは男性の所有物のように扱われていたと思われていた。しかし、新たなDNA研究によって、それは間違いである証拠が出てきた。

 マンチェスター大学の研究者がギリシャ、ミュケナイの発掘現場に向かった。ヨーロッパで最初の都市国家に建てられた城砦の創設者について知るためだ。

 ミュケナイの支配者の墓から、35体の遺骨が発掘されたが、DNAがちゃんと分析できたのは4体だけだった。ひとりは女性で、彼女はかなりの影響力をもつ立場にいたようだ。権力者の妻と考えられ、遺伝子配列が一致した4人のうちのひとりでもあり、その豪華な墓は、権勢を誇る夫の影響と思われた。

 しかし、DNA検査と復顔から、彼らはきょうだいであることがわかった。その女性は王と同等の地位と影響力をもち、これは当時の女性が権力をもつ地位に就くことができたことを示していると専門家たちは考えている。

 180度見方が変わるこの大転換を発見した考古学者たちは、初期の男ばかりの考古学者たちが、男性優位の偏見で古代社会を見た結果、こうした間違いが生じたのだと考えている。


1. 黒い髪・青い瞳のスペインの洞窟人の謎

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image credit:The Guardian

 2006年、北西スペインの洞窟の奥深くから2体の遺骨が見つかった。両方とも7000年以上前の中石器時代人の男性で、30代くらいのふたりの骨は良好な状態だったが、有効なDNAはひとりの臼歯からしか採取できなかった。

 その結果は、進化に関するこれまでの定説がくつがえされてしまった。

 ゲノム解析によって再現されたその男性の顔は驚くべきものだった。浅黒い肌、黒い髪なのに、瞳はブルーだったのだ。彼は現代ヨーロッパ人だと考えられていたため、もっと白い肌をしているはずで、これは珍しいことだ。

 思いがけない目の色は、ブルーへの変異が肌の白さへの変異よりも前に起こったことを示している。これまでは、この変異の順番は逆だと思われていた。

 彼は別の謎も解消した。のちに農民が誕生したとき、ほかの動物の病原体から身を守る必要が出てきて、免疫システムが急に発達したと研究者たちは考えていた。しかし、狩猟採集生活をしていた中石器時代人は、すでに身を守る術をもっていたのだ。

 今日、遺伝子的に彼らにもっとも近い人種は、スウェーデン人やフィンランド人だ。
http://karapaia.com/archives/52235294.html


http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/683.html#c13

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