486. 中川隆[-6006] koaQ7Jey 2017年11月07日 15:01:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017-11-06
大暴落の歴史と、史上最高値を付けるニューヨーク株式市場
マネーボイスにビットコインとインターネット・バブルの相似について指摘した私の文章が掲載されている。
(ビットコイン版「バブルの物語」いつか死ぬまで踊り続ける覚悟はあるか?=鈴木傾城)
http://www.mag2.com/p/money/329909
ビットコインは明確なるバブルの渦中にある。
しかし、バブルとは、どんなに警鐘が鳴らされていても大勢の人たちが熱狂的に参加する限りは止まらないものなので、このまま限界に達するまで上がり続ける。
どこまで上がるのか、いつまで上がるのか、最後はいつ来るのかは誰にも分からない。しかし、熱狂の渦の中で上がったものは、熱狂が冷めれば消えていくので、いつかは大暴落に至るのは間違いない。
ところで、上がっているのはビットコイン市場だけではない。ニューヨーク株式市場も、日本の株式市場も上げている。
日経平均は2万2000円を突破して、21年ぶりの高値をつけた。またニューヨークの方も、ダウ平均株価は2万3539ドルに達しており、めまいがしそうなほどの高値である。
アメリカの株式に投資していた日本人は114円の円安も享受しているわけで二重に儲けを手にしている。これは、長く株式を所有していた人だけが、多くが資産を増やして着実な実利を得ていることを示している。
株式市場の暴落も、また「いつか」必ず来る
しかし、株式市場が上昇しているからと言って、単純なる多幸感(ユーフォリア)に浸っていてはいけない。一気呵成に上がったものは必ず調整するし、場合によっては大きな暴落になることもあり得る。
暴落が来ないと思うのは危険だ。雨は必ず降り、夜は必ず来るように、株式市場の暴落もまた「いつか」必ず来る。
100日間も雨が降らないから永遠に雨が降らないと考える人はいないように、何年も大暴落が来ていないから永遠に大暴落が来ないと思ってはいけないのだ。
私たちは多くの大暴落を記憶している。それこそ枚挙に暇がないほどの大暴落が来ているからだ。
1927年には昭和大暴落が来て、1929年には世界恐慌が来て、世界はめちゃくちゃになった。1946年を迎えるまで、株価は死んでいたようなものだった。
人類大虐殺の大戦争だった第二次世界大戦が終わってから、世界経済は順調だったのかというと、まったくそういうわけではない。
1953年にはスターリン・ショックで株式市場は大暴落して多くの投資家が破綻した。1963年にはケネディー大統領が暗殺されて、ケネディ・ショックがやってきた。
ケネディ大統領が暗殺されたあと、「もうアメリカは終わりだ」と誰もが口にして、それを世界中が信じるほどの悲観論が株式市場を覆い尽くした。
しかし、アメリカは持ち直した。その後、ベトナム戦争が泥沼化して1971年にはニクソン・ショックがやってきて株式市場はまたもや大暴落を迎えた。
1970年代のアメリカは、ベトナム戦争の敗退で自暴自棄な空気が蔓延し、不景気にのめり込んで治安も乱れ、まったく先が見えない状態にあった。
ベトナム戦争の敗北は、今の私たちには想像もできないほどアメリカの威信を傷つけていた。やはり、この時期にも「もうアメリカは終わりだ」と言われていた。
しかし、この頃からアメリカではマイクロソフトやアップルが創業されて、新たな成長の歴史を刻んでいくことになる。終わったのではなく「始まった」のである。
株式市場の大暴落の歴史は、延々と繰り返された
1980年代に入って、やっとアメリカは厭世的な気分を脱して、新しい時代に入って行くが、そこに起きたのが1987年のブラック・マンデーだった。
1987年10月19日に起きたこの暴落は、類を見ない株式暴落だった。市場は一瞬にして22.6%の下落となり、投資家を阿鼻叫喚の地獄に陥れ、全世界にこの暴落が駆け抜けた。
暴落の理由は何もなかった。不意に、何の予告もなく突如として壮大な暴落となっていったのだ。誰も何が起きているのか分からないまま、地獄に突き落とされた。
その頃、日本はバブル景気に沸いていたのだが、その3年後の1990年からバブルは崩壊し、1991年の絶望的な長期下落の時代に入っていった。
バブル崩壊で傷ついた日本をさらに追い詰めたのは、1995年の阪神大震災だった。それを乗り越えると、今度は1997年の山一証券破綻と金融不安で、さらに暴落を余儀なくされた。
これで終わりではない。まだ続く。
山一証券が破綻し、北海道拓殖銀行も消え去って、日本の沈没が決定的になっていたその頃、世界ではとんでもない危機が起きていた。アジア通貨危機である。
これは1997年7月にタイを発端として起きた大暴落だ。東南アジアの成長を破壊し、国家破綻にすらつながる巨大な金融崩壊劇だった。
この金融ショックが元で、韓国もIMFの救済を受ける羽目になり、インドネシアの長期独裁政権だったスハルト政権は音を立てて崩れ去っていった。
そして、その余波で1998年にはロシアがデフォルト(債務不履行)した。世界中で危機が連鎖していたが、それを乗り切ったのがアメリカだった。
アメリカはインターネットという新しいパラダイム・シフトを受けて投機資金が大量に株式市場になだれ込んでいた。まさに世界に君臨する帝国となって、この世の春を謳歌しているように見えた。
ところが、2000年に入ると株式市場は一気に崩れ去り、IT関連株はことごとく消え去っていった。後にこれはITバブル崩壊と呼ばれるようになった。
「ビットコイン版「バブルの物語」いつか死ぬまで踊り続ける覚悟はあるか?」で書いたのは、この部分である。
立ち直って好調になれば、必ず暴落が待っている
ITバブルの翌年にも巨大なショックが起きていた。
2001年9月11日。いつもと同じ朝が始まろうとしているちょうどその時、2機の飛行機がニューヨークのワールド・トレード・センターに突っ込んでビルを崩落させるという前代未聞の大規模テロ事件が発生したのだ。
これが、世界史のひとつの転換になった「アメリカ同時多発テロ事件」だった。ニューヨーク株式市場は1週間閉鎖されていたが、再開と当時に株式は暴落していった。
しかし、当時のFRB総裁であったグリーンスパンは巧みにその危機を収束させて、アメリカを新たな成長気運に乗せた。しかし、それが不動産を核とするバブルの醸成となった。
銀行は、本来は家を持つような収入にない人たちにどんどんカネを貸して家を持たせた。
彼らの組んだローンはサブプライム・ローンと言われたが、このローンは債権として売られて世界中の金融セクターが資産として抱えることになった。
2007年、低所得層が借金を返せなくなっていよいよバブル破裂の兆候を見せ始めたが、金融セクターはどんどんサブプライムローンの債権を吸収していた。
しかし、2008年に入ると不動産バブルは弾け始め、一気に逆流がやってきた。
人々は次々と破綻して金融セクターは不良債権の山となり、名門投資銀行であったベア・スターンズが3月に破綻、そして9月15日にはリーマン・ブラザーズが倒産して、株式市場は何度も何度も大暴落を繰り返した。
これが、リーマン・ショックだった。
この崩壊劇は株式市場どころか、資本主義そのものを崩壊させかねないほどの超弩級のショックだった。
この時もまた「アメリカの時代は終わった」と言われていたのは記憶に新しい。
しかし、そうではなかった。この時期からインターネットはスマートフォンと結びつき、金融市場の混乱をよそに、実体経済はさらに大きく成長していくようになっていた。
必ず大暴落は来るが、それは売る局面ではない
こうやって大暴落の歴史を見ていると、世の中はまさに不意打ちで大暴落が来ていることが見て取れるはずだ。
逆に言えば、これからも大暴落が来るのは当たり前であり何の不思議もない。大暴落は、いちいち誰かが警告しようがしまいが、何らかの形で来るものなのである。
今まで何度も何度も、それこそ飽きるほど大暴落やバブル崩壊が来ていて、そのたびに当時の無謀な投資家の多くを破綻させている。
時代が変わって新しい投資家がやって来ると、市場はまた金融崩壊を起こして彼らを破綻させる。株式市場はそれを飽きずに何十回も何百回も繰り返している。
だから、次の大暴落も必ずある。
株式暴落もバブル崩壊も自然の摂理であり、自然な現象である。季節が巡るように大暴落も巡る。
しかし、資本主義は現代文明に深く根付いており、もはや切り離せないものとなっている。現代文明を支えるために人類は資本主義を捨てることができない。
この資本主義に「最適化された存在」が、アメリカの多国籍企業である。
これだけ暴落があったのに、現在のニューヨーク株式市場が史上最高値を更新しているのは、まさに現代の資本主義に最適化された企業群がそこにあるからだ。
だから、次の大暴落があるとしても、資本主義に最適化された多国籍企業を長期保有していると報われるのだというシンプルなルールが理解されるようになりつつある。
これらの企業は大暴落の修羅場をくぐり抜けて生き残る。そして、そのうちに暴落した以上の株価上昇を見せる。
そのため、すでに利益を莫大に稼ぐアメリカの優良な多国籍企業に投資しているのであれば、巨大な暴落が起きても動揺する必要はまったくない。
次も必ず大暴落が来るが、それは売る局面ではない。買う局面だ。次の阿鼻叫喚の地獄の中で、私たちは冷静に行動できるだろうか。それができないと、暴落と共に破綻する。
大暴落の歴史を見ていると、世の中はまさに不意打ちで大暴落が来ていることが見て取れる。これからも大暴落が来るのは当たり前であり何の不思議もない。大暴落は、いちいち誰かが警告しようがしまいが、何らかの形でやってくる。
http://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171106T1502550900.html
ビットコイン版「バブルの物語」いつか死ぬまで踊り続ける覚悟はあるか?=鈴木傾城 2017年11月5日
http://www.mag2.com/p/money/329909
今どき通貨のデジタル化に驚く人はどうかしている。仮想通貨は世界を変えるだろう。それは、眼前のこの仮想通貨バブルが破裂するのと同じくらい確実な未来だ。どういうことか?
今、私たちが目撃しているのは暗号通貨を巡る「壮大なバブル」だ
疑う余地なき「仮想通貨」の将来性
CDで音楽を聞くスタイルやDVDで映画を観るスタイルは、インターネットでのストリーミングに置き換えられた。CDやDVDという「物体」は急激に時代遅れになりつつある。紙の媒体で読む出版物も、急速にインターネットに取り込まれて置き換えられようとしている。
それならば、紙幣やコインという物体が次にインターネットに取り込まれていったとしてもまったく不思議ではない。
ビットコイン等の暗号通貨は、まさにインターネットが紙幣を取り込む動きであると考えれば、その重要性が分かるはずだ。
音楽も映画もテレビも書籍も、デジタル化できるものはすべてデジタル化されていくのだから、紙幣やコインもデジタル化されて驚く方がどうかしている。
すでにインターネットでは、ビットコインやイーサリアムやリップルやライトコイン等々の「仮想通貨」が大量に生まれて流通している。インターネットは「通貨」をもデジタル化して取り込んでしまおうとしているのだ。
これらの「仮想通貨」は、その技術的な仕組みから「暗号通貨」とも呼ばれているのだが、ここに可能性を感じて資金を投じている人は時代の先駆者である。
ビットコイン価格は上がり続ける、いつか暴落する日まで
暗号通貨は、紙幣やコインといった物理的な媒体をデジタルに置き換えるものだから、今後より重要な存在になっていくのは間違いない。
だから暗号通貨には莫大な資金が流れ込んでおり、近年稀にみる強気相場が形成されている。
史上最大の暗号通貨であるビットコインは、2017年1月は1000ドル前後だったのだが、これが2017年10月には6000ドル台にもなっている。
1年にも満たない期間で6倍も上昇しているのだから、いかに熱狂的な相場になっているのか分かるはずだ。
その通貨に可能性を感じる人が増えれば大勢が買う。買う人がいるとさらに上がる。
利ざやを手に入れるために売る人も出てくるのだが、それ以上に資金の流入の方が激しいのでビットコインの価格はどんどん跳ね上がっている。
こうした「跳ね上がっている」ものを見たら、それが何であれ「バスに乗り遅れるな」と言わんばかりに飛び乗る人たちも大勢いる。だから、跳ね上がっているものは、より跳ね上がっていくことになる。
バブルが弾ける前に降りれば難なく金持ちになれるので、バブルは人目を惹く。メディアも煽り立て、投資に慣れていない人々も浮き足だって参入する。
ビットコインは完全に「バブル」状態
この状態を何と言うか。
答えるまでもない。「バブル」と呼ぶ。バブルは、自分よりも高くそれを買ってくれる人を見つけるゲームだが、10ヶ月で6倍も上がる鉄火場で、凄まじいばかりの投機が今この瞬間に行われているのである。
実はバブルでは、最も無謀で、最も思慮が浅く、最も強気な人間が勝ち続ける。それが弾けるまでは上がり続けるのだから、全財産を賭けてバブルに乗っている人間が強いのだ。
ビットコインは上がり続けるのか。熱狂は冷めていないので、もちろん上がり続ける。どこまで上がるのか。それは、まったく分からない。ある日、何の前触れもなく相場が吹き飛ぶまで、熱狂的な相場は続いていく。
「ITバブル」の教訓――確かに世界は変わったのに
現在の世の中は、「デジタル化できるものはデジタル化される」という法則が働いている。
紙幣やコインはデジタルに置き換えられやすい物体なのだから、遅かれ早かれデジタル化の波に飲まれていく。その先駆けに暗号通貨という仕組みがあり、ビットコインがある。
しかし、だからと言って全財産をそこに賭ければ勝てるという単純なものではない。これは、1990年代末期から2000年代初期にかけて起きた凄まじい「インターネット・バブル」を見ても分かる。
当時のメディアは「インターネットは世界を変えるシステムだ」と煽って煽って煽り立て、投資家も熱狂の渦に巻き込まれてナスダック総合指数は過熱した。
シリコンバレーでも続々と新しいベンチャーが立ち上がっていたが、まだ事業も軌道に乗らず1ドルも稼いでいないのに、数千億単位の投資資金がなだれ込むほどの熱狂だった。
当時は投資家なのにインターネット関連に投資しない人間は「愚か」「時代遅れ」と言われ、インターネット関連株を注意深く避けていた投資家ウォーレン・バフェット氏は「もう投資家として終わり」と嘲笑されていた。
利益を大して生み出していない企業も、ただインターネット関連というだけで「将来性がある」と言われ、PER(株価収益率)が100倍や200倍でも平気で買い上げられた。
「インターネットは世界を変えるのだから、PERが100倍以上でも評価できる。時代はニュー・エコノミーに入ったのだ」と、人々は途方もない高評価を臆面もなく正当化した。
かくして1996年頃までは1000ポイント程度でしかなかったナスダック総合指数は、インターネット・バブルが頂点に達した2000年には5000ポイント台をつけていた。相場は5倍も跳ね上がっていたのである。
この5倍に跳ね上がったバブルが崩壊したのは2000年3月10日だった。5048ポイントだったナスダック総合指数は、その7ヶ月後には1114ポイントにまで下落していた。
何のことはない。バブルが弾けるとバブルが起きる前の価格に戻ってしまったのである。ピーク時から78%近い下落だから、バブルに踊っていた投資家のほとんどが「壊滅」と言ってもいいような損失に見舞われた。
利益を生み出していない多くのインターネット企業は淘汰されていき、ナスダック総合指数は2009年まで地を這うような低迷を余儀なくされた。
将来性と相場の過熱は「別の話」
インターネット・バブルはアメリカの相場に大きな傷痕を残した凄まじい現象だった。
ところで、この当時に言われていた「インターネットが時代を変える」という話は嘘八百だったのか。いや、そうではない。それは正しかった。
私たちは、もうインターネットがないと生きていけない。生活もビジネスも娯楽も人間関係も、今やインターネット中心に回っている。
「インターネットが時代を変える」は正しかったのだ。
しかしだからと言って、株価評価を無視した状態でインターネット企業をひたすら買い上げてバブルに踊ることまで正しいわけではなかった。
インターネットが時代を変えるとしても、バブルと化した市場で踊っていれば、それが弾け飛んだ時は相場と共に真っ逆さまに落ちていく。
将来を評価するのは別に間違っていないが、途方もない高評価に乗るのはいつでも危険極まりない行為なのだ。
では暗号通貨はどうなのか?
1998年から2000年までの凄まじいインターネット・バブルを見ると、現在の暗号通貨の評価やそれを巡る相場の過熱と非常によく似通っていることに気付く。
かつて「インターネットが時代を変える」と言われていたのと同様に、暗号通貨もまた「時代を変える」と言われている。実は、この部分を否定する人はほとんどいない。
通貨がインターネットに取り込まれていく中で、暗号通貨の果たす役割は非常に大きい。
しかし、だからと言って暗号通貨を巡って起きているバブルが正当化できるのだろうか。将来性と相場の過熱は、まったく別の話なのである。
そもそも、ビットコインのような暗号通貨は、どのように評価すればいいのか?
投機家は死に絶え、仮想通貨は生き残る
インターネット・バブルの時代、インターネット関連企業は売上や利益を無視したべらぼうな評価が与えられていたのだが、ビットコインに代表される暗号通貨はどうなのか?
ウォーレン・バフェット氏は「ビットコインを評価することはできない、なぜならビットコインは価値を生み出す資産ではないからだ」と述べている。
確かに、ビットコインを評価することはできない。それは取引している投機家たちも指摘する事実だ。ビットコインはいくらが適正価格なのか誰も分からないのである。つまり、現在の価格が割安なのか割高なのかも分からない。
さらに暗号通貨は、革新的な技術であるものの、これが決定打になるのかどうかはまだ未知数である。
「インターネットで使われる仮想的な通貨」という概念は生き残る可能性は高いが、だからと言って今の暗号通貨が標準になるとは限らない。
ビットコインの取引は認証が遅いことは周知の事実であり、暗号化の技術も量子コンピュータの時代になると破られるのではないかとも言われている。
さらに大量の暗号通貨が生み出されるのを見ても分かる通り、ビットコインそのものが生き残れるのかどうかもまだ分からない。
無数の暗号通貨の誕生が混乱を招き、みんなまとめて陳腐化して相場が吹き飛ぶ可能性もある。
実際の使用面でも、1年で5倍にもなるようなものを通貨として使うのは実用的ではない。価値が乱高下するようでは、通貨を使用すること自体がギャンブルと化してしまうからだ。
眼前の熱狂は「暗号通貨を巡る壮大なバブル」だと知れ
また、こうした暗号通貨によって税金逃れやキャピタルフライトが可能になることから、政府の規制も必ず入る。
現に中国政府はビットコインを初めとする暗号通貨を規制しているのだが、暗号通貨がドルやユーロを脅かすようになると、世界各国で容赦ない規制がかけられるのは100%確実だ。
そのため、暗号通貨に金を賭けるというのは投機家の世界観であり、投資家の世界観ではないというのが客観的な見方になる。今、私たちが目撃しているのは、暗号通貨を巡る壮大なバブルなのである。
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