1. 中川隆[-6037] koaQ7Jey 2017年11月03日 10:20:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
2017年09月12日 スクープ「沖縄と核」
表題は昨日(9月10日)午後9時から50分間放送されたNHKスペシャルの番組名です。国民から半ば強制的に徴収する受信料により年間1600億円もの潤沢な制作費があるNHKですが、時々ある「なぜこのタイミングで?」と考えてしまう番組でした。
内容は、施政権返還(1972年5月)以前の沖縄米軍基地に、最大1300発もの核弾頭が配備されており、敵国(旧ソ連へは米国本土から攻撃するため主に中国が狙いだったようですが)への核攻撃を想定した訓練が繰り返され、事故(核弾頭の誤発射)まで発生していたというものです。
当時の日本政府はもちろん了承しており、本土にさえ核兵器が持ち込まれなければよいと考えた結果、すべての核弾頭が沖縄に配備されたことになります。もちろん沖縄県人には全く知らされていませんでした。
そして施政権が返還された時点ですべての核弾頭が撤去されたようですが、それでも「有事の際はいつでも再配備できる」という秘密合意があったようです。政府は公式見解として秘密合意の存在自体を(その前に沖縄に核弾頭が配備されていた事実も含めて)すべて否定しています。
さて現時点においては「この事実」をここから議論するのではなく、あくまでも「今そこにある北朝鮮の危機」にどう対応するかを考えなければなりません。
このNHKの番組は、確かにかなりの時間をかけて元米兵を中心に丹念に取材していたようで、それなりに「よくできた番組」ではあります。また沖縄県民だけが知らないうちに大変な危険にさらされていたという全体のトーンも、報道番組とすればある程度はやむを得ません。
しかし現実は、日本と目と鼻の先にある北朝鮮という「ならずもの国家」が核実験とミサイル発射実験を繰り返す中で、少なくとも米国の核の傘を活用するという「日本国民を守るためのギリギリの選択」に対するアレルギー効果しかなかったと感じます。
ここのところ小野寺防衛大臣の「北朝鮮は核保有国」、石破元防衛大臣の「非核三原則は見直す必要がある」などの発言もあり、遅ればせながら北朝鮮の脅威に対する現状認識や今後の対策について「すこしだけ」前進が見られていた中で、まさにアレルギー効果となってしまいました。
ここで本誌は「日本も核武装すべき」など短絡的な議論を展開するつもりはありません。しかし少なくとも日本全体が北朝鮮の脅威を正確に認識し、あらゆる選択肢を真剣に考えて実行に移さなければならない段階において、NHKが一方的に核へのアレルギーを増幅させる番組をタイミングよく放送したことになります。
放送すべきではなかったといっているのではなく、現在の北朝鮮の脅威に対してもっと国民に考えさせるよう工夫すべきだったと感じます。
本誌はそもそもあまりテレビを見ませんが、NHKの番組については時々「その目的とタイミングについて」疑問に感じることがあり、記事にしています。2012年12月25日付け「NHKスペシャル・日本国債の、とんでもない内容」、2015年3月11日付け「NHKの預金封鎖報道の背景とは?」、2017年4月26日付け「訳がわからないスノーデン・インターセプト・NHKの三者関係と思惑」などです。
初めの2つは消費増税を実施しなければ国債が暴落して預金も封鎖されるという「脅し」に近いもので、最後は国家として必要な諜報活動を暴露して批判するものでした。
「今そこにある」北朝鮮の危機については、米国時間本日(9月11日)の国連安全保障理事会で北朝鮮に対する制裁措置を採決するはずですが、米国が提案していた原油輸出の全面禁止や金正恩の個人資産凍結などは早くも骨抜きにされており、それでも中国とロシアが拒否権を行使する可能性もあり、すでにほとんど意味がなくなっています。
つまり米国や日本が会議の場で憤れば憤るほど、中国やロシアは反対に回るため、そもそも北朝鮮という「ならずもの国家」に対して常識的な手続きで解決を図っても全く意味がありません。
そこで日本はあくまでも自力でこの「ならずもの国家」に対峙しなければなりません。そうなるとまず頼るべきは日米安保条約であり米国の核の傘ですが、そのためには応分の役割を果たす必要があり、何よりも国民すべてが危機感を共有しなければなりません。
NHKのこの番組に限らず、マスコミの報道を見ている限りは、危機感が全く感じられません。このままでは北朝鮮という「ならずもの国家」がますます増長し、まもなく手遅れとなってしまいます。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2084.html
安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。
しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。
だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。
安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。
最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。
外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。
日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。
だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。
矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。
率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html
安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。
これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。
本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。
官僚とマスコミの流す嘘に騙されるな
安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
日本では自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。
戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。
日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。
対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。
対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。
https://tanakanews.com/170910japan.htm
アメリカが日本の官僚に安部降ろしを指示した理由
改憲を目指す安部首相の本当の目的は日本がアメリカともう一度戦争できる まともな国にする事だった
国民を軍事的被害から守るための手立てを十分に講じることをしないまま、首相や外相は北朝鮮情勢を鎮静化することには興味を示さず、むしろ無用の挑発を続けている。
この事実から推論できるのは、(官邸がまったく思考能力を失っているという可能性を排除した場合)、彼らは戦争を始めたがっており、いったん戦端が開かれた後も、戦争被害を最小化することにはあまり興味を持っていないということである。
安倍晋三は身内を重用するために政治をしているわけではない。そもそもそのような利己的な人物に対して国内の極右勢力が熱狂的な支持を与えるということは考えればありえないことだ。
彼がめざしているのは「戦争ができる国」になることである。
彼の改憲への情熱も、独裁制への偏愛も、たかだか手段に過ぎない。彼の目的は「戦争ができる国」に日本を改造することにある。国家主権を持たぬ属国であるのも、国際社会から侮られているのもすべては「戦争」というカードを切ることができないからだと彼は考えている。そして、たいへんに心苦しいことであるけれど、この考え方には一理あるのである。だから、極右の人々は安倍首相に揺るがぬ支持を与えているのであるし、自民党や維新や民進党の議員たちがこまめに靖国神社に参拝してみせるのは、そうすれば「戦争ができる国になりたい」と(口には出さず)念じている人々の票が当てにできるということを知っているからである。
「戦争ができる国になりたい。戦争ができない国であるのは理不尽だ」というのは、ある意味で現実的な考え方である。というのも、現実に世界の大国は「戦争」カードを効果的に切ることによって、他国を侵略し、他国の国土を占拠し、他国民を殺傷し、それを通じて自国の国益を増大させるということを現にしており、それによって大国であり続けているからである。国連の安保理事会の常任理事国はどれも「そういうこと」をしてきた国である。だが、日本はそうふるまうことを禁じられている。東京裁判によって、サンフランシスコ講和条約によって、日本国憲法によって、「そういうこと」をすることを禁じられている。戦争に負けたことによって日本人は「戦争ができる権利」を失った。失ったこの権利は戦争に勝つことによってしか回復されない、そういう考え方をする日本人がいる。私たちが想像しているよりはるかに多くいる。でも、そう思っているだけで口にしない。だから匿名でネットで発信し、自民党やその他の極右政党に投票する。
重要なのは、彼らがそう思っていることをはっきりと口にしないことである。なぜ、彼らは「戦争ができる国になりたい。自国の国益を守るために他国を攻撃するのはすべての国に固有の権利のはずだ」と言い切れないのか。それはここでいう「他国」にアメリカも含まれているからである。
日本の極右がねじれているのは、はっきりと「アメリカを含むすべての国と好きな時に戦争を始める権利が欲しい」と言うことに対しては激しい禁圧がかかっているからである。その言葉を口にすることはアメリカの属国である現代日本においては指導層へのキャリアパスを放棄することを意味している。政界でも、官界でも、財界でも、学界でも、メディアの世界でも、出世したければ、脳内にどれほど好戦的な右翼思想を育んでいる人物でも「アメリカを含むすべての国と好きな時に戦争を始める権利が欲しい」ということは公言できない。したら「おしまい」だからである。
けれども、アメリカが日本から奪った「戦争する権利」はアメリカと戦争して勝つことによってしか奪還できないのは論理的には自明のことである。この自明の理を「一度として脳裏に浮かんだことがないアイディア」として抑圧し、対米従属技術を洗練させ、後はひたすら中国韓国を罵り、国内の「反日」を敵視することでキャリアを形成してきた日本の指導層の人々の言うことが、こと国家主権と戦争の話になると何を言っているのか分からないほどに支離滅裂になるのはそのせいなのである。
はっきり口に出して言えばいいのに、と私は思う。安倍首相は「戦争ができる国」になりたいだけではない。「アメリカとも、必要があれば戦争ができる国」になりたいのである。「思っているでしょう?」と訊いても必死で否定するだろうけれど、そう思っていると想定しないと彼の言動は説明できない。
彼は属国の統治者であり、あらゆる機会に宗主国アメリカに対する忠誠を誇示してみせるけれど、まさにそのアメリカが日本に「与えた」最高法規をあしざまに罵り、そこに書かれているアメリカの建国理念や統治原理に対して一片の敬意も示さない。彼はアメリカが自国の国益増大に資すると思えば、どのような非民主的で強権的な独裁者にも気前の良い支援を与えて来た歴史を知っている。朴正煕も、マルコスも、スハルトも、ピノチェトも(CIAの役に立つと判断されていた間は)ノリエガも、アメリカは支持した。今のアメリカの国益を最大限に配慮する限り、どれほどアメリカの建国理念や統治原理を憎んでいても、属国の支配者の地位は安泰であることを知っている。その地位を利用して、彼はまず「アメリカと一緒に戦争する権利」を手に入れた。まだ戦争そのものにはコミットしていないが、憲法違反である戦争参加を制度的には合法化することに成功したし、御用メディアと御用知識人たちを活用して、交戦は主権国にとって当然の権利だという「空気」を醸成し、山本七平のいう「感情の批准」をいま着々と進めている。
だから、ここまで来れば、彼の支持者たちは「次の一手」を期待している。それはまず「アメリカの許諾を得ずに勝手に戦争をする権利」であり、最終的には「アメリカとも戦争をする権利」を手に入れることである。
http://blog.tatsuru.com/
http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/226.html#c1