80. 中川隆[7207] koaQ7Jey 2017年3月19日 21:54:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7678]
日本人が絶対に歴史から消し去りたい真実 12
天皇一族はソウル近くの寒村に住んでいた朝鮮人だった
もう20数年前のことである。考古学者の江上波夫が、昭和天皇に質問した。
昭和天皇は、オフレコならばと前置きして答えられた。
Q:天皇家の先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックというものがある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。
http://akirakakun.iza.ne.jp/blog/entry/1574364/
民俗学的考古学的に調査を行った話としては、
天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、
同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 知らない方が良いこともあるのだ と答えたという研究者の話が伝わっています。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html
古代朝鮮からの侵略部族が、一貫して日本を支配してきた
古代日本、とりわけ朝鮮半島が戦乱にあけくれた2世紀〜6世紀に 、彼らは日本にやってきた。当時南朝鮮は、部族連合から国家への 移行期であり、激しい戦いを繰り広げ、そこから押し出された部族 が、一族郎党で武装のまま新天地の日本にやってきたのだった。
彼らは既に鉄製の剣を持ち、戦慣れした武装勢力であり、当時の縄文人・弥生人が敵う相手ではない。西日本に侵略部族による国が、あっという間に出来 あがる。
その後も、蘇我氏(高句麗からの侵略部族、神社を持たず仏教を導入)などが相次いだ。特に6世紀中ごろの任那滅亡、7世紀中ごろの百済滅亡の際には、任那・百済の支配部族の中核・大半が日本に移住した。
http://blog.trend-review.net/blog/2008/08/000801.html
天皇家の神話は朝鮮の神話そのものだった
百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。
百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。
百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。
新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。
共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。
同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。
伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。
「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。
そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。
伽耶の国の建国神話があります。[史料4]
「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。
禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。
「所居北亀旨(クシ)」。
今も首露を祀っている廟があります。
「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。
変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。
「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」
と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。
天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]
「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。
高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。
「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」
という言葉があります。
高千穂伝承には[史料2]
「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」
「日向の槵日の高千穂の峰」
「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。
いずれもクシという字があります。
朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。
それだけではなく
「日向の襲の高千穂の添山峰」。
それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。
朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。
『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。
天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/587.html#c80