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(回答先: 天心とタゴール 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 10 月 09 日 22:43:43)
追伸
インドを歩いていたころ、旅の人からの紹介で、ヴァーラーナシーからちょっと離れた町の人の家にお世話になった事があります。
彼はインドのごく当たり前の中流家庭の方でしたが、自力で宮沢賢治の作品をヒンディー語に翻訳していました。彼のところで一緒に食事をしたり、話したり、映画を見に行ったりしていますと、地味で寡黙な中の人の深いロマンチスムを感じます。ごく当たり前に自然と響きあっている彼らの生活に、宮沢賢治を翻訳している事の必然性や共鳴性を感じました。
こういう言語化しにくい部分から、インド亜大陸やアジアの文化的共有基盤のようなものを、再評価していく事が必要だろうと想っています。