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(回答先: 宮沢賢治の作品をヒンディー語に訳しているインド人 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 10 月 09 日 23:21:31)
マルハナバチさん、こんばんわ。
レスありがとうございます。
>私には、天心や孫文の声の文よりも、彼の詩から響いてくる宇宙観生命観のほうが親
>しいようです。それは、価値観というよりももっと基底に近いところで生命/意識の
>形を紡ぎ出し、織り上げてくる母体的な基質の共通性を直感させるものです。
>特にアジア主義を語りもしていないところで文化以前あるいは文化の下層の共通の基
>底を直感させてくれます。
そうですね。
タゴールや天心は、アジア的価値観や国体についてあれこれ言うことを好んだわけではなく、身に覆い被さっている現実が惹起する憤怒が否応なく言葉を紡ぎ出させることになったのだろうと推測します。
西欧近代の振る舞いや価値観こそが異常であり、その暴虐がなければ、身に培われている価値観や他者関係性は、生き方や触れ合いの在り様に反映するだけで、ことさら言葉として表現すべきものとはならなかったはずです。
「もっと基底に近いところで生命/意識の形を紡ぎ出し、織り上げてくる母体的な基質」及びその上で育まれた価値観は、内なる支えであり、比較的にあれこれ表明する必要がないものです。
それについてあれこれ言明しなければならない悲劇をもたらしたのが「近代」です。
アジア的価値観はことさら特殊なものではなく、近代西欧やその源流及び傍流を除けば、中東・アメリカ・アフリカ・ロシアといったほとんどの地域の価値観がアジア的価値観に類似したものだったと思っています。