<■858行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> <正論>中国の少数民族への工作と弾圧 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英 2024/3/19 8:00 https://www.sankei.com/article/20240319-HXQTHIT2DNLRJPYMRTNCWJVDDM/ 中国は自国の民族問題、モンゴルやウイグルなど諸民族に対する弾圧を隠蔽する目的で、日本と世界各国のマイノリティに対し政治工作を行ってきた。 日本の事例を回顧してみよう。 ■用意周到な「招待」 手元に1975年3月に発行された『北海道アイヌ中国訪問団記 1974年2月20日〜3月13日』という本がある。 中国による対日本とソ連切り崩し、対アイヌ政治工作の実態が記録されているので紹介しておこう。 まず訪問団の責任者は訪問の契機について伝えている。 1973年12月、陳楚・駐日中国大使一行が北海道平取町を視察訪問した。 日本が台湾と断交し、中国と 「国交を回復」 した翌年のことである。 「中国の少数民族との交流を希望する」 「是非、中国の少数民族政策を知りたい」 と申し入れると陳大使は招待しようと応じた。 アイヌの計画を社会党(当時)の岡田春夫衆院議員らは応援し、翌1974年1月16日に団員15人からなる訪中団が正式に結成された。 1974年2月19日に羽田を飛び立つ際も、中国大使館員と岡田議員らが見送り、北京空港では政府機関の中日友好協会秘書長と少数民族代表の出迎えを受けた。 中国側は一行を人民解放軍の歩哨が立つ北京飯店、上海錦江飯店といった高級ホテルに泊めた。 訪問先では招宴の連続で、宴席では 「幸せな少数民族」 の歌舞が披露された。 1949年の建国後に計画政策を取り続け、1958年からの人民公社公有化政策で自国の人民を3000万人も餓死させ、1966年からの文化大革命運動で数百万人もの死者を出しつつあった時期の中国は経済的に疲弊しきっていたし、政治的には動乱の最中にあった。 破格の厚遇を受けた訪中団は、飢餓に喘ぎ殺戮されていた中国人民と没交渉の旅を続けた。 訪中団は1974年3月6日にプロペラ機で北京から 「赤い太陽に照らされた」 内モンゴル自治区に飛び、翌日1974年3月7日にはシリンゴル草原へ向かった。 現地では革命委員会副主任は以下のように挨拶した。 ■事実と隔たる「礼賛」 「解放前はこれらの牧畜民たちは国民党反動派、貴族、牧場主らの残酷な搾取と野蛮な略奪を受けて、極めて苦しい生活であった」 「しかし、牧畜民は解放後党委員会の指導の下に<愚公、山を移す>精神を発揮して、現在の人民公社に発展した」 騙された訪中団も礼賛の言葉を贈る。 「中国に住んでいる少数民族は幸せです」 「そして、中国の行政は立派だと感じました」 「…私達アイヌ民族は、中国で或いは少数民族との交流の中で学んできたことを忘れずに、これから新しい道を切り開いていきたい」 と感激したようである。 また別の団員からは 「中国は国家も民族も超越して人道上の事実の上から<彼も人なら我も人>と考えている」 との感想があった。 では、事実はどうか。 シリンゴル草原に 「国民党反動派」 はいなかったし、貴族も平民と同じ生活を営むのが遊牧社会の特徴である。 現代に入ると、ここから生まれた稀代の指導者、徳王(デムチュクドンロブ王、1902〜1966年)は日本の力を借りて中国からの独立運動を1945年まで進めていた。 日本軍が撤退した後、モンゴル人は 「内モンゴル人民共和国臨時政府」 を樹立して同胞の国、モンゴル人民共和国との統一合併を進めたが、ソ連と米英が交わした 「ヤルタ密約」 により、民族自決の道は閉ざされた。 ソ連軍の手引きで侵略してきた中国共産党は日本統治時代のエリートを粛清し、漢人移民を定住させた。 文化大革命が発動されると、中国は自治区全体で34万人を逮捕し、2万7900人を殺害し、12万人に暴力を振るって障害を残した。 アイヌの訪中団はまさにこのような時期に招かれたわけである。 ほぼ同じ時期に同地を通過したモンゴル人民共和国の外交官は 「殺戮による血の匂いがした」 と証言している。 中国は当時 「社会主義の兄貴」 たるソ連とダマンスキー島(珍宝島)で激戦を交えた後、国際社会で孤立を深めていた。 アイヌ訪中団を迎えた招宴の席で、中日友好協会の王嚼カ副会長は以下のように中国政府の狙いを弁じている。 ■日本切り崩しの狙い 「日本人民は、未だにソ連社会帝国主義に不法占領されている日本固有の北方領土の返還を切実に要求しており、…我々は、この正義の戦いに、一貫して同調し支持しております」。 日本を反ソ陣営に招き入れようとする発言である。 ロシアとの関係を強化している中国は今や北方領土について沈黙を通している。 中国は数々の犯罪を隠蔽しながら、他国のマイノリティに対しては擁護するジェスチャーを示す。 当時のアイヌ訪中団はその計略に嵌ったのである。 今、イスラエルと紛争中のパレスチナ人に同情するポーズを取ることで、ウイグル人ジェノサイドに対するイスラム諸国からの批判をかわしているのである。正論 中国人権侵害究明にODA活用を 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英 2022/12/19 8:00 https://www.sankei.com/article/20221219-URUQAPI6BZIBRK4N6DHM6WMAUQ/?506242 2022年12月5日に 「中国による人権侵害を究明し行動する議員連盟」 (略称・中国人権侵害究明議連) が発足した。 設立総会に出席した私は途上国への政府開発援助(ODA)を中国による人権侵害の調査・究明に充てるよう提案した。 その理由は以下の通りである。 ■高く評価される日本の姿勢 新しい議連は 「南モンゴルを支援する議員連盟」 と 「日本ウイグル国会議員連盟」、 それに 「日本チベット国会議員連盟」 と 「人権外交を超党派で考える議員連盟」 など4議連を母体として結成されたものである。 自民党を中心に日本維新の会と立憲民主党の議員も含め、総数100人以上のメンバーを擁する強力な組織に発展し、自民党の古屋圭司元国家公安委員長が会長に就任した。 中国の人権侵害を究明しようとする日本の取り組みは、世界的に高く評価されている。 チベット議連に参加している国会議員は先進国の中でも最多を誇る。 南モンゴル議連は他国に先駆けて結成されたし、ウイグル議連の活動も多岐にわたる。 新議連のアドバイザーとして迎えられたジャーナリストの櫻井よしこ氏は、 「日本は今まで中国の人権問題を避けてきたが、今後はモンゴル人とチベット人、それにウイグルの人たちの国を失った悲しみを共有したい」 と話した。 総会で挨拶した会長代理の高市早苗経済安全保障担当相は、中国による人権侵害を糾弾し、是正を求めるのは昨年実施された総選挙時の自民党の公約だったと指摘。 その上で、先進7カ国で人権制裁法(マグニツキー法)を有していないのは日本だけで、1日も早く法整備に取り組む必要があると強調した。 ■失敗したODAの是正に 豊富な実績のある諸議連が団結して形成された今回の新議連は着実な行動が期待されている。 実践を実らせるためには経費が必要不可欠で、さもなければ単にスローガンを叫び、看板を飾っただけで終わってしまう可能性がある。 従来、議連が支援してきた南モンゴル人とチベット人、それにウイグル人は全て自腹で人権侵害を訴えてきた。 日本国民に広く伝えようとして声を挙げ、資料を配布するなどの費用はどれも自費で賄ってきた。 欧米に比べると、日本の企業には人権問題を重視する精神的風土が希薄で、善意ある財団のチャリティーも少ないように見える。 実際に中国でどんな侵害が発生し、どう対応するかとなると、経費がないと実態究明には繫がらない。 この点でも米国は先進的な事例を示している。 毎年、中国の人権問題に一定の予算を計上しているので、蓄積されたデータも質量ともに優れている。 ODAのこうした活用は従来の負のイメージの是正にもなる。 周知の通り、対中ODAを2018(平成30)年10月に終了するまで、日本は40年近くで合計3兆6000億円を中国に注いできた。 「日中友好」 を実現しようと日本国民の血税を北京に提供してきたが、軍備拡張にも悪用されたので、 「戦後日本の対外政策で最大級の失敗」 とみられている(古森義久『ODA幻想 対中国政策の大失態』)。 日本国民の善意が報われることなく、却って対外的には日本の領土である尖閣諸島を奪おうとしているし、対内的には諸民族を弾圧するモンスターのような狂暴国家が育てられてしまったことへの救済措置にもなる。 ■世界レベルの資料センターを 具体的な行動の一つとして、ODAを活用して世界レベルの人権資料センターを作るよう提案したい。 こちらも米国に似たような前例がある。 首都ワシントンにホロコースト博物館と共産主義犠牲者博物館があり、多くの研究者が第1級の資料を集めて人類共通の財産として活用している。 その目的は当然、人権侵害をストップし、真相を究明してから和解するという人間の安全保障政策にある。 アジア唯一の先進国である日本に同様な資料センターが設立されれば、日本の国際社会におけるイメージも一層良くなるに違いない。 中国は今や国境を超えて世界各国でも人権侵害を大々的に繰り広げている。 その実例が海外警察署の設置である。 中国から追われた人権活動家や体制批判者だけでなく、当該国家の市民にも脅迫行為を働いていると報告されており、日本やモンゴル国をはじめ実に数十カ国に被害が及んでいる。 現に古屋会長が以前にウイグル人を支援した際には駐日中国大使から 「身の安全を保障しない」 との脅迫文も届いた。 日本の政治家が、中国から恫喝されるという前代未聞の主権侵害である。 諸民族の人たちは民主主義国家の日本に居ながら、日々独裁国家からの脅迫に怯えているのは由々しき事態である。 世界と人類全体に危害をもたらしている中国の暴挙を行動で止めるための資金としてODAが活用されれば、日本国民もより安全に暮らせるようになるし、世界平和への大きな貢献となる。 自由・強権 <独自>中国側、デモ不参加を強要 内モンゴル自治区出身者に「行けば刑務所」 2021/7/9 20:25 https://www.sankei.com/article/20210709-43NIPQU3SFL2DF22GJHKBCTRA4/ 中国共産党による弾圧で命を落とした諸民族を追悼する内モンゴル自治区出身者ら=2021年7月1日夜、東京都新宿区(奥原慎平撮影) https://www.sankei.com/article/20210709-43NIPQU3SFL2DF22GJHKBCTRA4/photo/LDYQTY4BQFIINJU4NEC6JJPSRI/ 中国共産党が創建100年を迎えた2021年7月1日に在日のウイグル、香港、チベット人らが東京都内で行ったデモ活動をめぐり、中国当局が事前に内モンゴル自治区の出身者に対し、その家族や友人らを通じてデモに参加しないよう強要していたことが2021年7月9日、分かった。 参加すれば親族を収監するとの脅迫もあったという。 中国政府は内モンゴル自治区でモンゴル語や民族文化の剝奪を進めており、在日モンゴル人にも圧力をかけている実態が明らかになった。 デモ活動は中国共産党の弾圧による犠牲者を悼むため、新疆ウイグル、内モンゴルの各自治区や香港の出身者ら約200人がキャンドルを手に練り歩いた。 内モンゴル出身者は30〜40人ほどの参加を想定していたが、約10人にとどまった。 内モンゴル出身者の参加予定者らは中国当局によって事前に把握され、自治区で暮らす関係者を通じ、参加の取りやめを求める連絡があったためとみられる。 中国の弾圧政策に抗議する民族団体 「南モンゴルクリルタイ」 のオ・ウルゲン副会長には、複数の知人や親族からデモに参加しないよう訴える電話があった。 長年の抗議活動で今回ほど多くの電話があったのは初めてだという。 ウルゲン氏は産経新聞の取材に 「中国当局が私の知り合いを総動員して圧力をかけたのだろう」 と語る。 ウルゲン氏は自治区に残した不動産や預貯金などが凍結されている。 中国の警察官を名乗る人物は 「今回のデモ活動に参加しなかったら財産を戻す」 と伝えてきたが、ウルゲン氏は予定通りデモに参加した。 別の内モンゴル自治区の男性も脅迫活動を受けていた。 自治区で暮らす男性の兄のもとを中国の情報機関の関係者が訪ね、 「男性(弟)をデモに行かせなければ一軒家を建てることを応援する」 「デモに行けば(自治区で暮らす)親族を刑務所に入れる」 と言われたという。 最近、抗議デモに参加するようになった自治区出身の女性には家族や昔の同級生ら約20人から連絡があったという。 後で確認すると、中国の警察官が隣にいて電話を強要されていたという。 女性は 「自治区外にいる人が(中国政府に)圧力をかける行動をしないと中国当局の思い通りになってしまう」 と現状に懸念を強める。 一方、今回のデモに参加した香港やウイグル人に対して中国当局が不参加を求める動きはなかったようだ。 その理由について南モンゴルクリルタイのオルホノド・ダイチン幹事長は 「ウイグルや香港に比べて、モンゴルの抗議活動は組織面で弱い部分がある」 「中国共産党の脅威になる前に、活動を潰しておく狙いがあったのではないか」 と推測する。 内モンゴル自治区出身で静岡大の楊海英教授は産経新聞の取材に対し 「この地域は中国当局が目下、最も神経をとがらせている」 「背後に独立国(=モンゴル国)があり、内モンゴル自治区との統一を警戒しているためだ」 と語った。 南モンゴル議連発足 高市会長「文化、歴史、倫理的価値守る」 2021/4/21 20:09 https://www.sankei.com/article/20210421-BQI36FUU3FIKLKARTAD43NFSJM/ 漢民族への同化政策が強まる中国・内モンゴル自治区のモンゴル族の文化継承を目指す自民党有志による 「南モンゴルを支援する議員連盟」 が2021年4月21日、発足した。 議連は中国の人権侵害の即時停止を求める国会決議に向け、日本ウイグル国会議連などと連携する。 内モンゴルでは2020年秋から学校教育でモンゴル語の使用が制限され、モンゴル族の人々の反発が広がっている。 会長を務める高市早苗元総務相は会合で 「モンゴル人にとって大切な文化や歴史、倫理的価値を守るため、戦っていこう」 と述べた。 関係者によると、内モンゴル問題に関する議員連盟は世界初という。 チベット、ウイグル、香港 在日団体代表「早期の国会決議を」 【動画あり】 2021.4.12 19:46 https://www.sankei.com/politics/news/210412/plt2104120021-n1.html 世界モンゴル人連盟理事長の楊海英氏は 「草原を破壊され、エリートを殺され、子供たちは洗脳教育を受けさせられている」 「一日も早く弾圧をやめさせるよう非難決議を採択してほしい」 とメッセージを寄せた。 民族団体の代表者らは、2021年4月16日予定の日米首脳会談後に与野党幹部に声明文を渡し、国会決議の早期採択への理解を求める予定だ。 中国の弾圧、日本は沈黙するな 内モンゴル出身の楊海英氏 2021.3.23 https://special.sankei.com/a/politics/article/20210323/0002.html 中国・内モンゴル自治区出身で静岡大の楊海英(よう・かいえい)教授(文化人類学)が産経新聞のインタビューに応じ、中国当局が同自治区で漢民族への同化政策を強めているとした上で 「中国に何も言わないのは威信の低下につながる」 と日本の関与を強く求めた。インタビューの要旨は以下の通り。 ◇ 中国当局が中国語教育を強化しているのは、漢民族への同化を強めるのが狙いだ。 本屋からはモンゴルの歴史本や(モンゴル帝国の始祖である)チンギスハンの肖像画などが撤去された。 母語であるモンゴル語を勉強すれば、中華民族と異なった心を持っているとみなされる。 中国政府には諸民族の言語を禁止することで、中華民族意識を植え込む狙いがあるのだろう。 自治区の人口でモンゴル人は2割に満たない。 放っておけば自然に同化されかねない。 それなのに同化政策を急ぐ理由は、新疆ウイグル自治区で中国語を教えたことで、中国当局にとっての 「テロ活動」 がなくなり、ウイグル人が中華民族意識を持つようになったと手応えを感じているからだろう。 今回の中国語教育の強化には前例がある。 1966年に始まった文化大革命(文革)だ。 当時もモンゴル語が禁止され、モンゴル語を喋れば、民族分裂とみなされた。 中国政府の公式見解は文革で約3万人のモンゴル人が虐殺された。 実際はもっとやられている。 この半世紀前の 「ジェノサイド(民族大量虐殺)」 が民族の集合的記憶として頭の中に残っており、今回は一致団結して抵抗している。 抵抗活動は投石行為などではない。 それまで中国人の前では必ず中国語を喋っていたが、今はモンゴル語を話し、モンゴルの料理を作り、子供にはモンゴルの伝統衣装を着せ、モンゴルの踊りを教える。 民族意識が強まり、モンゴルのプライドが蘇った。 ただ、中国の習近平国家主席も弾圧の手を緩めるつもりはないだろう。 中国の民族問題がますます難しくなる中、国際社会の連携がより重要になってくる。 欧米やインドなどの中国に対する目は厳しくなっている。 当然、日本は率先して内モンゴルの民族問題に関与すべきだ。 内モンゴル自治区の一部は、かつての日本の植民地だ。 そこが中国に弾圧されていることに旧宗主国として黙ってはいけない。 モンゴル人は日本の植民地支配を今さら批判するつもりはない。 むしろ、日本時代は良かったというのがモンゴル人たちの記憶だ。 日本が民主主義の大国として中国に弾圧されている民族に救いの手を差し伸べれば国際的地位も高まる。 日本の対中戦略上もユーラシア大陸に政治力を持つモンゴル人を味方につければ、国益にかなう。 逆に中国に遠慮して、何も言わないのは威信の低下につながる。 属国のように、中国の言いなりになっていると見られかねない。 「少数民族弾圧」糾弾の議連が続々 新たに「内モンゴル議連」も 2021.2.19 https://special.sankei.com/a/politics/article/20210219/0003.html 中国語教育が強化されている中国・内モンゴル自治区で暮らすモンゴル族の言語や文化を守ろうと、自民党の有志が議員連盟の設立を検討していることが2021年2月19日、分かった。 国会では中国当局による少数民族に対する人権弾圧に懸念を示す議連の動きが活発化しており、連携強化を期待する声も高まっている。 内モンゴル自治区では2020年9月にモンゴル族の小中学生の国語教科書が標準中国語(漢語)に切り替えられた。 モンゴル族は登校拒否や抗議活動を展開しているが、中国当局は 「道徳」 や 「歴史」 の教科書でも同様の措置を取る構えで、モンゴル語教育は消滅の危機にあるという。 山田宏参院議員や上野宏史衆院議員ら自民有志は内モンゴル出身者から現地の状況を聞き、2021年5月にも議連を発足させる予定だ。 関係者は 「モンゴル族が誇りをもって生きることができる環境の実現にくけて取り組みたい」 と語る。 中国当局による少数民族弾圧は最近、特に深刻化。 チベット自治区では信仰の自由が侵害されているなどとして、チベット仏教の僧侶らが焼身自殺などで抗議の意思を示している。 2021年2月19日に数年ぶりに活動を再開した超党派 「日本チベット国会議員連盟」 の集会には与野党から約40人が出席。 チベット亡命政府の代表機関、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤ代表が 「中国の政権は表現や学問などの自由を批判している」 「中国を変えなければ、中国が我々を変えることになってしまう」 と支援を訴えた。 この他、自民の 「日本ウイグル国会議員連盟」 が2021年2月10日、超党派へと改組し、中国側にウイグル族らの人権状況の改善を求める国会決議の採択を目指す。 国民民主党の山尾志桜里衆院議員らが主導する超党派 「対中政策に関する国会議員連盟(JPAC)」 は香港の民主派弾圧などを受け、中国への制裁法適用を議論している。 議連の動きは活発化しているが、それぞれの特色や強みを発揮すると同時に、対中国で臨機応変に足並みを揃えられるかが注目される。 「なぜこんなひどいことを」荒汐親方が中国批判、内モンゴルの漢語教育 「文化的な民族大虐殺だ」と非難も 2020.10.21 https://www.zakzak.co.jp/soc/news/201021/for2010210006-n1.html 中国が内モンゴル自治区で標準中国語(漢語)教育強化を始めモンゴル族が反発を強めている問題。 同自治区出身の大相撲の荒汐親方(36)=元幕内蒼国来、本名エンクー・トプシン=は21日までに共同通信のインタビューに応じ、 「なぜこんなひどいことをするのか」 「今回の措置には99パーセントのモンゴル族が怒っている」 と中国当局を批判した。 相撲界にはモンゴル出身力士も多く同問題への動揺が広がっているというが、公に声を上げたのは荒汐親方が初めて。 中国はウイグル、チベット族への抑圧や香港問題に加え、モンゴル族への締め付けでも国際社会からの厳しい視線が増している。 親方は、漢族の移住促進など中国政府による長年の同化政策により、 「モンゴル語を話せる子供は激減している」 と指摘し、 「このままだと母語が失われる」 「とても心配だ」 と表情を曇らせた。 9月の新学期から始まった措置は、漢語を 「母語」 と規定し、モンゴル族が通う小中学校で国語に当たる 「言語」 の授業を1年から漢語で実施。 来年以降は 「道徳と法治」 「歴史」 の授業も漢語に切り替える。 変更が明らかになった8月末から同自治区フフホトなどで保護者や生徒らの抗議活動が発生。 当局は 「民族教育に変化はない」 とするが、在米人権団体、南モンゴル人権情報センターによると約1万人が当局に拘束されている。 抗議は日本各地を含めて欧米など国外にも広がり、東京での集会には約1万人が参加した。 親方は、同自治区にいる親族への影響を考慮して、抗議集会などへの参加は控える。 ソーシャルメディアで知人らと情報交換を続けているが、 「現地で何が起きているのか分からず、食事も喉に通らないほどショックだ」 と憤った。 人口約14億人の中国は9割以上が漢族で、モンゴル族は約598万人。 自治区も8割以上が漢族で、遊牧などモンゴル族の伝統的な生活様式は事実上失われており、言葉は数少ないアイデンティティーのよりどころだ。 同自治区出身のモンゴル族で静岡大の楊海英教授(文化人類学)は 「中国共産党はチベット、ウイグル自治区で成功した方法を持ち込もうとしている」 「文化的なジェノサイド(民族大虐殺)だ」 と非難する。 中国政府は先ごろ、モンゴル帝国とチンギスハンの展覧会を予定していたフランスの博物館に 「中国の歴史観」 に合わせるよう圧力をかけたことも発覚したばかり。 荒汐親方は 「モンゴル族は自らの歴史への強い誇りがある」 「自らの文化が奪われるのは許せない」 と訴えた。 ■荒汐親方 大相撲の元幕内蒼国来。 本名エンクー・トプシン。 中国内モンゴル自治区赤峰出身。 2003年6月に来日し、先代親方(元小結大豊)の荒汐部屋に入門。 2010年秋場所に新入幕。 2019年9月に日本国籍を取得。 2020年3月、先代親方の定年に合わせて引退し、荒汐親方として部屋を継承した。 内モンゴル自治区 中国語教育強化に抗議の保護者ら 当局に拘束 2020年9月27日 18時59分 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200927/k10012637361000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_001 中国で少数民族のモンゴル族が多く住む内モンゴル自治区では、学校教育でモンゴル語の授業が減り、中国語の教育が強化されたことへの反発が強まっていますが、当局は抗議活動に参加した生徒の保護者らを相次いで拘束するなど、締めつけを強めています。 内モンゴル自治区では、今月の新学期から小学1年生と中学1年生の 「国語」 の授業が従来のモンゴル語ではなく中国語で行われるようになったほか、来年以降、別の教科でも順次、中国語による授業に切り替えられることが決まりました。 これに対してモンゴル族の人たちの間では、自分たちの言語が失われかねないという危機感が高まり、各地で抗議活動が行われ、現地の複数の住民によりますと、デモの参加者や授業をボイコットした生徒の保護者らが相次いで逮捕されているということです。 このうち元教師の女性はNHKの電話取材に対し、 「多くの人が違法な抗議活動を行ったとして逮捕され、政治犯のような扱いを受けている」 「新しい方針に反対した教師も免職や減給処分にすると脅されている」 と話していました。 アメリカに拠点を置く人権団体 「南モンゴル人権情報センター」 は、現地からの情報として、先月下旬以降、4000人以上のモンゴル族が当局に拘束されたと伝えています。 中国外務省の報道官は今月3日の記者会見で 「国の公用語は国家主権の象徴であり、これを学び、使うことは、人々の権利であり義務だ」 としたうえで、 「中国語とモンゴル語の2つの言語での教育体系は変わらない」 と強調し、批判の高まりをかわしたいねらいがあるものとみられます。 ■現地の様子は 内モンゴル自治区で何が起きているのか。 NHKは今月、抗議活動があった中心都市フフホトを取材しました。 市内には、民族の団結などを訴える中国共産党のスローガンを、漢字とモンゴル文字で併記した看板やポスターがあちこちに掲げられていました。 モンゴル族の子どもたちが通う民族学校の周辺では、警察による検問が行われ、通行する車を止めて身分証を確認する様子が見られました。 中国語による教育の強化や抗議活動について、街なかで話を聞くと、みな一様に口を閉ざし、逃げるように立ち去る人もいました。 抗議活動が起きた別の地区では、地元の警察が騒ぎを起こしたとする100人以上の顔写真をインターネット上に公開し、懸賞金をかけて情報提供を呼びかけています。 こうした中、複数のモンゴル族の住民が、匿名を条件に日本からの電話インタビューに応じました。 このうち元教師の女性は、抗議デモに参加した人や授業をボイコットした生徒の保護者らが次々と逮捕されているとしたうえで、中国語による教育強化について 「政府は私たちの合法的な要求に耳を傾けず、強硬に実施しようとしている」 「母語であるモンゴル語で教育を受ける権利を奪うもので、誰もが怒っている」 と話していました。 また、ある村の幹部は 「電話を盗聴されたり、監視されたり、場合によっては逮捕されてしまうので、抵抗しようにもできない」 としたうえで、 「今回の政策は民族の言語や文化を守ることを定めた憲法や法律に明らかに違反していて、抑圧以外の何物でもない」 「漢族を中心とする考え方を押しつけるもので、私たちにモンゴル語を忘れさせ、内モンゴルを自分たちの意のままにしようとしている」 と話していました。 ■「団結」の一環として 少数民族への中国語教育に力入れる 2012年に発足した習近平指導部は 「中華民族の偉大な復興」 というスローガンを繰り返し唱え、すべての国民に共産党のもとで中華民族として団結するよう呼びかけてきました。 その一環として、少数民族への中国語教育に力を入れ、今回の内モンゴル自治区と同様の措置は、民族政策への不満が根強くある新疆ウイグル自治区とチベット自治区で2017年以降、相次いで導入されています。 中国語による授業は 「国語」 のほか、 「道徳」 と 「歴史」 の合わせて3教科で行われ、少数民族の小中学生に 「中華民族」 という意識を持たせ、共産党の価値観や歴史観を浸透させるのが目的とみられます。 習近平国家主席は、26日まで開かれた新疆ウイグル自治区の統治政策に関する重要会議でも、教育を通じて 「中華民族の共同体意識を心に深く植え付ける」 と述べています。 習近平指導部は共産党による一党支配を維持するために、国内の安定を最優先の課題としていて、民族政策が抑圧的だとする少数民族の不満を抑え込もうと、教育現場での統制を今後も強めていくものとみられます。 ■漢族への不満くすぶる 内モンゴル自治区は、モンゴルと国境を接し、面積は日本のおよそ3倍、人口は2010年の調査でおよそ2400万人です。 このうち、モンゴル語を母語とするモンゴル族は全体の17%に当たるおよそ420万人です。 中国の憲法では、それぞれの民族が独自の言語を使う自由を認めていて、内モンゴル自治区でも、長年、民族学校でモンゴル語を主体とした授業が行われてきました。 一方で、中国の経済発展に伴い、近年は進学や就職に有利な中国語を日常的に使う機会が増え、モンゴル族の間では、民族の文化が失われてしまうとして危機感が強まっていました。 また、自治区では、このところ、石炭やレアアースなどの大規模な資源開発が進んでいて経済発展が期待されていますが、モンゴル族には恩恵が少ないうえ、環境破壊も進んでいるとして、政治や経済の実権を握る漢族への不満がくすぶっています。 ■専門家「寝た子を起こす形に」 内モンゴル自治区の事情に詳しい日本モンゴル協会の窪田新一理事長は、中国語による教育の強化について、中国政府による少数民族に対する同化政策の一環だと指摘したうえで、 「反政府活動を抑え込むために、新疆ウイグル自治区やチベット自治区で先行して導入していた中国語教育の強化を正当化する必要があったのではないか」 「このまま内モンゴル自治区だけ民族の言語を守っていては、ほかの地域の民族政策に悪影響を及ぼす可能性があり、ウイグルやチベットと横並びで強化すべきと判断したのだと思う」 と分析しています。 そのうえで、中国が新型コロナウイルスへの対応や香港情勢などをめぐってアメリカなどとの対立を深めていることを挙げ、 「国際世論の圧力が強まり、孤立せざるをえない対外的な状況の中で、国内の安定を図るうえで重要な民族問題で、1つの原則に統一して対処しようとしたとも考えられる」 「一方で、今回の措置は、反政府的な考えや民族感情を強く持っていなかった人たちにまで、モンゴル民族だという自覚を強く持たなければならないと再認識させる結果となり、中国共産党からすれば、必要のないことをして寝た子を起こす形になったのではないか」 と話しています。 正論 左右とも中国になぜ媚びるのか 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英 2019.10.18 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191018/0001.html 民主主義を守ろうとする香港市民のデモが勃発してからはや半年がたとうとしているが、日本政府といわゆる左右両翼の論壇からの発言に目立ったものはほとんどない。 曖昧を美徳とする日本らしい、あたりさわりのないコメントばかりで、官民一体でぎこちない 「日中友好」 のムードをつくり上げようとしているように映る。 いや、一党独裁の指導者、習近平氏に媚びようとしているようにすら見えて仕方ない。 ≪中国を熱愛すれば進歩的か≫ 沈黙を守り通しているサヨクには 「前科」 がある。 チベット人が共産中国の侵略に抵抗して、1959年にダライ・ラマ法王を擁してインドに亡命し、今日に至るが、 「世界の屋根」 で人権が侵害され続けてきた事実を左の論客は取り上げてこなかった。 ダライ・ラマ法王が日本を訪れて講演会を開いても彼らは耳を傾けようとしない。 チベットが侵略された歴史は数十年も前のことで、健忘症に陥ったとしても、ウイグルの問題は現在進行形で展開されている。 百万人単位で強制収容所に閉じ込められ、女性たちは性犯罪に巻き込まれ、児童は親から隔離されている。 それなのに左側から批判の声は上がらない。 彼らは日本の過去については声高に非難するが中国については批判しようとしない。 なぜ、普段は舌鋒鋭い左の闘士たちが北京当局を擁護するのか。 中国を批判すれば、右翼だとみられるからだ、と彼らは弁明する。 中国を熱愛すれば進歩的で、批判したら右翼。 この歪んだ精神構造が戦後日本に形成され、国民の健全な思考や論陣の発展を阻害してきたのではないか。 中国は1958年からの公有化政策で自国民を数千万人も餓死させたといわれ、モンゴル人やチベット人、ウイグル人に対し繰り返し大量虐殺を断行してきた。 世界でも類例をみない独裁政権の問題を正してどこが悪いのか。 民主主義国家の正義感ある論客であるならば、中国批判は当然の責務ではないのか。 左の 「友好人士」 は、中国に抑圧されているマイノリティーに冷淡なだけでなく、台湾にも背を向けてきた。 現代台湾の論壇を代表する若い知識人で中央研究院の呉叡人氏は次のように書いている。 ≪被抑圧者の「代弁者」は虚言≫ 「日本の政界における左翼勢力はずっと親中的で、台湾を無視してきた」。 日本が台湾を切り捨てて中共を選んで以降、日本の右翼だけが台湾独立派を支持してきた。 だが台湾独立派はもともと左翼的思想を抱く日本留学生だった。 本来なら日本左翼と台湾独立派は一卵性兄弟のような存在だった。 それにも関わらず日本の左翼と進歩的知識人は北京に媚びを売り民主主義国家台湾を裏切った。 左翼は弱者に寄り添い、被抑圧者の代弁者だというのは虚言であって、強い者、それも独裁政権に恭順な態度を取るのが彼らの特徴である(呉叡人「受困的思想」)。 呉叡人氏は、 「日本の知識人たちに裏切られ続けてきた台湾」 の運命を嘆き、台湾国民をあえて 「賤民(せんみん)」 と自虐的に呼ぶ。 「賤民」にも「賤民」らしい高潔な生き方があり、それは決して権力に媚びることのない生き方である。 強い中共に媚びる先進国日本と、弱い台湾の 「賤民宣言」 は正に好対照である。 台湾だけではない。 私の故郷内モンゴルに対しても同じだ。 内モンゴルもその一部は 「満蒙(まんもう)」 として日本の植民地支配を経験した。 台湾統治と同様に、日本は満蒙でインフラ整備を進め、近代化を促した。 モンゴル人は真の独立を求めたが、 「在満蒙左派系日本人」 顧問たちは頑として反対した。 ≪国賓習氏と何を語り合うのか≫ 「蒙古独立」 に反対していた左派系日本人顧問団は戦後になって相次いで毛沢東に平伏して 「反省」 の態度を示し、 「日中友好」 を謳歌した。 彼らは戦前にはモンゴル人を敵視し、戦後にはモンゴル人を抑圧する中国政府に加担しようとした。 台湾も内モンゴルも、左翼に期待したのが間違いだった。 左の論客たちは現在も時々北京に 「朝貢」 して 「安倍政権の悪弊」 を批判するが、中華料理に舌鼓を打つ彼らは決して中共がウイグル人を虐待していることに触れようとしない。 北京で安倍政権を攻撃して東京に凱旋しても、日本では逮捕されることがないどころか、かえって 「勇気ある論客」 としてもてはやされる。 本当に肝の据わったサムライならば、天安門広場に立って、少数民族弾圧をやめろ、と叫ぶべきだったのではないか。 では、右の陣営は堅牢かというと、決してそうでもない。 「来春に桜が満開する頃に、気分良く習近平国家主席を国賓として迎えよう」 との天真爛漫な夢を見る保守派もいる。 国賓と何を語り合うのか。 保守陣営も、安倍政権も 「日中友好の意義」 について国民に説明しなければならない。 左右両翼とも、中国との付き合い方について、論陣を張るべき時が来ている、と呼びかけておきたい。 (よう かいえい) チベットやウイグルで起こっていることが、ある程度世界の注目を浴びている。 独立や自決、あるいは高度な自治の支持までは言わなくても、少なくとも中国共産党政府のチベット人やウイグル人への圧迫は、1つの人権問題として取り上げられている。 しかし同じような惨事は、私が生まれ育った南モンゴルでもずっと続いている。 ところが、こちらについては話題にすらならない。 「南モンゴル」といっても、多くの人は分からない。 それはすなわち今日の中華人民共和国の内モンゴル自治区のことだ。 モンゴルには南モンゴルと北モンゴル(今日のモンゴル国)があり、それぞれ内モンゴル、外モンゴルと呼ばれるが、それは中国人が中国を中心とする地理観(世界観)から、「内側のモンゴル」「外側のモンゴル」としているだけだ。 ここで思い出されるのは、 「南モンゴルには何も問題がない」 「問題は起こらないし、起こりようがない」 「そこは中国人の海の中に沈んでしまったのだから」 という、ある中国の知識人の言葉だ。 この人がどんな気持ちでそう言ったのかは分からない。 もちろん南モンゴルで問題が起こっていないわけでもない。 しかし、その指摘の半分は当たっている。 実際に現在南モンゴルの人々は、まさに中国人の人海の中に沈んだかのように弱くなっている。 (中国の公式統計によれば、内モンゴル自治区の人口のうち、17%だけがモンゴル人で、80%は中国人によって占められている) だから、問題が起こって悲鳴が上がっても、それは外には届かないのである。 それからチベットのように、問題が起こってもそれを訴える人がいなくなっていることも原因だ。 チベット、ウイグルで行われているような殺戮、略奪が最初に行われたのは南モンゴルにおいてである。 そのため南モンゴルのエリートたちは、すでに中国共産党が発動した何回もの運動の中で、中国共産党と中国人によって、みな虐殺されてしまっているのだ。 本来「不可分」であるはずの南北モンゴルだが、なぜ中国政府は南モンゴルだけを 「古来中国の不可分の固有の領土」 などと宣伝するのだろうか。 日本人は 「モンゴル」 と聞けば、やはりモンゴル国を思い出す。 実はそれが当たり前のことだ。 モンゴルはもともと1つの国家であるからだ。 また、モンゴル国出身のお相撲さんたちの活躍もあれば、最近のモンゴル国発展も世の中の注目を浴びているところである。 しかし、「南モンゴル」、あるいは「中国のモンゴル人」と言っても、ややこしくてなかなか説明しにくい。 そこで、 「それはどこ?」 「なぜ、そしていつから中国の一部になったの?」 などと、次から次へと質問を浴びることになる。 地図を教えても、そこはどう見ても中国の一部にしか見えない。 何千年ものユーラシア大陸の歴史を見れば分かるように、万里の長城の南側は、いわゆる中国人を中心とする農耕文化圏である。 これに対して北側は、モンゴル系を中心とした遊牧文化圏である。 南側では中国人の祖先が国を作ってきた。有名なのに漢や宋、明などがある。 他方、北側ではモンゴル人の祖先が帝国を作ってきた歴史がある。 時にはこうした北方民族が、万里の長城を超えて南下し、中国人を支配した歴史もあるが、しかし中国人が万里の長城を超え、北方民族を支配した歴史は、かつては1度もなかった。 それであるのに、なぜ南モンゴルは 「古来中国の不可分の固有の領土」 となるのだろう。 それは南モンゴルの支配を正当化するためだからなのだ。 このような大胆なウソの主張を繰り返すのは、中国政府自身が、支配の不当性を知っているからである。 1911年に満州民族の清の支配下にあった中国で辛亥革命が起こった。 これによって清が衰退し、その服属下にあった外モンゴル諸王国がジェプツンダンバ8世をモンゴルのボグド・ハーン(聖なる皇帝)として即位させ、独立を宣言した。 1911年12月29日のことである。 当時は南モンゴルの王侯たちや、各盟、各部も独立に同調した。 翌1912年、中華民国が独立を宣言した。 それまで中国人の革命勢力は 「駆除韃虜、恢復中華」 (満州人やモンゴル人を追い出し、漢人の国を復活させる) (中国革命同盟会軍政府宣言、1906年) との旗の下で革命を行った。 革命勢力の旗(鉄血十八星旗)も、漢民族地域の18の省を表すものだった。 ところが彼らは中華民国を建国するや、あっという間に豹変した。 その前にすでに独立を宣言したモンゴルに対し、その独立を認めないと言い出したのである。 これが中国人のやり方である。 自分たちが他者より強くなったと判断すると、すぐに他者を追い込もうとするのだ。 このようにして中華民国は、モンゴルへの侵略に着手した。 モンゴルは1912年にロシアと 「モンゴル・ロシア平和条約」 を結び、1913年から14年にかけ、モンゴル軍は南モンゴルのほぼ全域から中華民国軍を追放した。 そして13年にはチベットと相互承認条約(1913年1月11日)を締結した。 だが中国は裏でロシアと密約を結び、これによってロシアは南モンゴルからモンゴル軍を撤退させるよう圧力をかけた。 そして結局はモンゴル、ロシア、中華民国の3国は、モンゴルとロシアの国境の町キャフタで、9カ月に及ぶ会談の末、北モンゴルは中国軍の派遣および中国人の大量入植を禁じる高度な自治区とし、南モンゴルは中華民国の支配下としたため、モンゴルの統一と独立は挫折してしまった。 ロシア革命後、北モンゴルで人民党が結成され、ソ連に庇護を求めて中国の支配に対抗した。 そして北モンゴルはモンゴル人民共和国となり、ソ連の衛星国として独立した(1924年)。 すなわち、モンゴルの北はロシアの支配下、南は中華民国の支配下となって分断されたのである。 北モンゴルは1991年のソ連解体後、民主主義国家になって現在に至っている。 キャフタ条約の後、モンゴルの独立に貢献した南モンゴル出身の一部王侯たちと兵士たちが故郷に戻ってきた。 そして一部の将校たちは中華民国の侵略に断固反対し、中国軍と戦い続けた。 そこで戦死したパブジャブ将軍(1875〜1916年)は日本人の満豪独立運動と連携して戦ったことで、日本でも有名だった。 故郷に戻ってきた王侯たちだけでなく、近代教育を受け始めた若い世代の多くもまた、南モンゴルの高度な自治、あるいは独立を目指した。 そうした中でコミンテルンとモンゴルの支援を受けた内モンゴル人民革命党が1925年に結成された。 その後、1939年に日本の支援を受けて出来たデムチュクドンロブ王(徳王)を首席とする蒙古聯合自治政府も有名だ。 1932年に清朝皇帝であった溥儀が関東軍の協力の下で満州国を建国した。 これにより南モンゴルの東部は満州国に組み込まれた。 また中部ではデムチュクドンロブなどの王族によって自治要求運動がなされるようになり、その過程で樹立されたのがモンゴル人による蒙古聯合自治政府だった。 独自の行政機関、軍事組織、通貨を持つなど、中国からは完全に独立した政治経済体制であった。 徳王の目指していたのは高度な自治でなく、あくまで独立だったのだ。 ところが1945年2月にアメリカ、ソ連などがヤルタ会談を開き、モンゴル人の意思を全く考えずに、モンゴル人民共和国(現・モンゴル国)をそのまま維持する一方で、南モンゴルを蔣介石の中華民国の影響下に組み入れることを決めた。 モンゴルはまたも運悪く、大国の勝手な都合によって真二つに分け続けられることとなったのだ。 この時はアメリカとソ連によって、資本主義地域と共産主義地域に分断されることになったのだが、その後の国共内戦で、ソ連の強力な支援を受けた共産党によって中華民国が敗れたため、南モンゴル人は、それまでに経験したことのない、過酷な境遇へと追いやられていくのである。 1945年に日本が敗戦したため、日本の協力で出来た満州国と蒙古自治邦政府(1941年に蒙古聯合自治政府から改称)は崩壊したが、南モンゴルの独立運動には大きな波が起こった。 実は1945年8月10日、モンゴル人民共和国のトップだったチョイバルサン元帥が、モンゴル国民に向けたラジオ演説で、 「我々はソ連の赤軍および連合国軍と一緒に・・・日本軍を壊滅させた後、全てのモンゴル人たちは自由のある、全権独立の統一したモンゴル国家を作ろう」 と呼びかけた。 そして南モンゴルの東部では、内モンゴル人民革命党が公に活動を開始し、同年8月18日に 「内モンゴル人民解放宣言書」 を公布した。 その宣言書の第1条には 「内モンゴルはこれからソ連とモンゴル人民共和国の指導の下で、モンゴル人民共和国の一部となる」 と書かれていた(アルタンデレヘイ2008)。 そして、モンゴル人民共和国との統一を求める署名活動も実施し、短期間で10万人分もの署名を集め、それを馬車に載せてウランバートルへと運んでいる。 ちょうどその時期である1945年9月、南モンゴル西部草原のモンゴル人たちも 「内モンゴル臨時共和国政府」 の成立を宣言した。 南モンゴル人たちのこうした一連の動きを察知したアメリカが、それをスターリンに確認した。 そこで、スターリンは初めて 「ヤルタ協定」(密約) の存在をチョイバルサンに伝えた。 かくしてモンゴル人民共和国へ来訪した南モンゴル東部の代表団と 「内モンゴル臨時共和国政府」 の代表団に対し、チョイバルサンはこう伝えた。 「モンゴル人民共和国もようやく承認されたばかりで、内外モンゴルの合併は困難である」 「内モンゴルの問題に関心を抱いている中国共産党と連絡するように」 (アルタンデレヘイ2008)。 実はモンゴル人民共和国では、ソ連の衛星国として独立した1924年から1945年の間、ソ連の圧力によって、ボト、ダンザン、ダンバードルジ、ゲンデン、アムル、チョイバルサンなど、リーダーたちがころころ変わっているが、しかしどのリーダーにしても、いつの日か同胞である南モンゴルの人々を解放し、統一したモンゴル国を作ると強い意志を持っていたことが明らかになっている。 一方、満州国に組み込まれた南モンゴルの東部であれ、徳王の蒙古自治邦政府であれ、モンゴル人はやはり同じことを考えていた。 日本が敗戦する前、南モンゴル東部のモンゴル人高官や蒙古自治邦政府の徳王やその下の高官などが密会し、日本の敗戦時に東西モンゴルを合併してモンゴル人政府を作る話が何回かなされたこともあった。 ところが、日本が予測以上に早く負けてしまったため、計画は未成熟のまま消え去ってしまった。 しかしヤルタ密約によって、モンゴル統一の夢が潰えた南モンゴル人たちは止む無く、チョイバルサンの指示の通りに中国共産党と連絡を取り始めた。 かくして1947年5月1日、同党の傀儡である内モンゴル自治政府が成立し、1949年10月1日、中華人民共和国が出来ると、内モンゴル自治政府がいつの間にか、その自治区になってしまった。 内モンゴル自治政府が解消され、中華人民共和国の自治区になった南モンゴルは、実質的には中国の植民地として、容赦のない弾圧と虐殺を加えられていった。 その中でも一番有名なのは、1966年に始まった文化大革命の時の 「内モンゴル人民革命党をえぐり出して粛清する事件」 だった。 中国とソ連との対立が激化する中、ソ連の影響力が南モンゴルに及ぶのを恐れた中国共産党は、内モンゴル自治政府の消滅とともに解散したはずの内モンゴル人民革命党が地下に潜り、モンゴルを統一させようとソ連と通じているなどとでっち上げ、次々とモンゴル人に 「民族分裂主義」 といったレッテルを貼り、激しい弾圧を加えた。 これによって全ての知識人が一掃されたとも言われている。 実際にどれぐらいのモンゴル人たちが被害を与えられたかについて、第14回司馬遼太郎賞を授与された楊海英著『墓標なき草原』(岩波新書)には、次のように記録されている。 <ここに一つ、隠され続けている人道に対する犯罪がある> <1960年代の中国文化大革命中に行われたモンゴル人大量虐殺事件である> <当時の内モンゴル自治区の全人口は1300万人で、そのうち、モンゴル族の人口は、150万人弱だった> <操作された、控えめな中国政府の公式見解によると、およそ34万6000人が「反党犯国集団」か「民族分裂主義政党」の「内モンゴル人民革命党員」と見なされ、そのうち2万7900人が殺害された。拷問にかけられて身体的な障害が残った者が12万人に達するとされている> <ほかに5万人や10万人が殺害されたとの説がある> <たとえ中国政府を善意的に信じるとしても、平均してほとんどすべてのモンゴル人の世帯から少なくとも1人が逮捕されていたことになる> <連座制をとる中国にあって、家族全員が虐殺運動に巻き込まれた> <まさに全モンゴル民族にもたらされた災難で、ジェノサイドだった> <大量虐殺をおこなったのは中国政府と中国の全人口の94パーセントを占める漢族の人たちである> <彼らは、モンゴル人たちが過去に民族の自決を目指して戦った歴史を罪だとして、虐殺を働いたのである> その著者である静岡大学の楊海英教授の最近のサンプル調査の見解は、50万人が逮捕され、10万人の死者が出たとしている。 現地調査を実施したアメリカの人類学者ウィリアム・ジャンコヴィク氏の手に入れた情報でも、やはり10万人が殺害されている。 その当時、モンゴル人を逮捕して 「内モンゴル人民革命党員」 であることを認めさせようと、苛烈な拷問が行われている。 行われた残虐行為は恐るべきもので、女性を吊し上げたり、舌に針を通したり、火の上を素足で踊らされたり、強姦したり、陰部を串刺しにしたり、ペンチで歯を抜いたり・・・・・。 拷問の方法は170種類に上ったとも言われている。 また1人の人間に行使した拷問の種類は47種類に上ったとの記録がある。 (アルタンデレヘイ 2008) 1891年には、内モンゴル自治区南東部で、入植してきた中国人たちが反乱を起こし、45日間に15万人のモンゴル人を殺したという記録もある。 その当時のスローガンは、 「モンゴル人を殺して、その土地を奪おう」 だった。 そして、文化大革命の時、シリンゴル盟に駐屯する人民解放軍の趙徳栄司令官は1968年5月、政府の会議で次のように発言した。 「内モンゴル解放軍部隊にいるモンゴル人兵士たちの中に悪い奴が多い」 「政府機関にもろくな奴は1人もいない」 「文化大革命を利用して、モンゴル人たちをしっかりとやっつけよう」 「モンゴル人と言えばいい奴は1人もいないのだ」 「モンゴル人たちを100%内モンゴル人民革命党員として粛清しても間違いではない」 「奴らが死んでもびっくりすることは何もない」 「たいしたことでなはい」 「モンゴル人たちが1人ずつ死んでいけば、我々は大変助かる」 それに応じて、スニト右旗のプトゥムジ公社に進駐していた劉という中国人の小隊長は次のように言っている。 「モンゴル人たちが全員死んでも問題はない」 「我が国の南方にはたくさん人間がいる」 「モンゴル人たちの生皮を剥ごう」 (アルタンデレヘイ 1999) そう言いながらモンゴル人たちを逮捕したり、拷問したり、殺したりしていたのだ。 辛亥革命当時の中国人も、文化大革命当時の中国人も、そして今現在の中国人も、本当に何も変わってないのだ。 ただ大量の人口の力によって、かつては何千年間も超えることのできなかった万里の長城を超えて、南モンゴルを侵略してはいるが、中国人自身の心の闇だけは、いつまで経っても克服できずにいるのである。 文化大革命が終わった後の1980年代での「改革開放」政策も、90年代から始まった「西部大開発」も、あるいは、「科学的発展観」や「和楷社会」の政策理念にしても、それがいかに南モンゴル人の生活に、相変わらず残酷な影響を及ぼしているのかは、現実を見れば分かる。 中国人の大量入植、人口侵略によって、モンゴル人は自治区内でも少数派となってしまった。 100年前には、モンゴル人も中国人もともに70万人が住んでいるとされていたが、内モンゴル自治区の成立(1947年)以来、中国人の移住が急速に進み、今や全人口2400万人のうち、モンゴル人はわずか2割になってしまったわけだ。 モンゴル人の文化は破壊される一方で、漢民族への同化も進んでいる。 中国政府は、砂漠化の原因はモンゴル人の遊牧のためだとするが、遊牧は昔から行われてきたものであり、実際には中国人が大量に入り込み、乱開発を始めてからのものである。 天然資源の略奪的な乱開発によっても、環境は一層破壊されている。 内モンゴル自治区は、 「中国のエネルギー基地」 と喧伝され、自治区政府は、域内に数百もの炭鉱を開発するためのキャンペーンを展開してきた。 2010年には、内モンゴル自治区は 「年間石炭産出量が単独で7億トンを超えた最初の行政区となった」 と報じられている。 こうした炭鉱開発ラッシュに対応してウジムチン右旗の地方政府などは、国営、民間の石炭会社を中国全土から誘致し炭鉱開発を推し進めてきたのだが、その結果、草原の破壊が急速に進んだ。 モンゴル人の生活は草原と切り離すことはできない。 モンゴル草原を吹き渡る風や流れる河、それに草一本や砂一粒までもが遊牧民であるモンゴル人の宝なのだ。 草原は祖先から受け継いだモンゴル人の生存基盤になっているのである。 だから草原を次世代に継承させる責務があるのだが、一度破壊された草原は、二度と回復できない。 中国は農耕、資源採掘、工業化などで自らがモンゴル人の住む草原を破壊しながら、最近では南モンゴルに対する 「遊牧禁止」 や 「生態移民」 という名の政策を強化している。 「生態移民」とは生態環境破壊の深刻な地域や自然環境の劣悪な地域の住民を他の地域へ移住させるという名目で行われているが、これにより2000年以降、16万人ものモンゴル人が、草原で続けていた伝統的遊牧生活を奪われ、漢民族が密集する都市部に移動させられた。 そして石油、天然ガス、石炭、レアアースなどの資源開発による利益は中国人が独占している。 もちろん環境破壊も改善されないばかりか、さらに悪化する一方だ。 このようにして南モンゴル人は、自分たちの故郷から強制的に追放され、伝統経済から隔離され、モンゴル文化も奪われるなどで、ますます民族浄化の憂き目に遭っているのだ。 2011年5月10日、内モンゴル自治区シリンゴル盟の西ウジムチン旗で、遊牧民のメルゲン氏が中国人の開発業者が運転するトラックに轢き殺された。 そしてこれをきっかけに、同自治区内では30年ぶりに大規模な抗議運動が起こった。 その背景には、炭鉱開発を強引に進める中国人の横暴がある。 西ウジムチン旗では、開発業者の石炭運搬トラックが牧草地を無秩序に駆け回り、何頭もの家畜を殺し、すでに衰弱している牧草地をさらに荒らした。 住民たちは、政府に何度も抗議していたが、事態は改善されることなく放置されてきた。 そこでメルゲン氏らは2011年4月16日から、牧場へのトラックの進入を防ごうとした。 そこへ石炭運搬用トラックがメルゲン氏をはね、145mも引きずって殺したのだ。 この事件については日本のメディアも報道したが、テレビ東京は 「炭鉱開発に反対していた遊牧民の事故死」 と報じた。 しかし実際には 「事故」 ではなく、意図的な 「虐殺」 だったのである。 犯人の運転手は、 「トラックにはしっかりと保険を掛けてある」 「臭いモンゴル遊牧民の命など、4万元にもならない」 と言い放っていた。 そこで2011年5月23日、西ウジムチン旗の遊牧民は抗議運動に立ちあがったのだ。 翌24日にはシリンゴル草原の学生2000人が集まり、シリンホト(シリンゴル盟の政府所在地)で中国共産党政府に対する抗議のデモ行進を行い、草原の保護や遊牧民の人権尊重を要求した。 26日からは自治区各地でも抗議活動が行われた。 そして29日にはさらに、大規模なデモ行進が、ジリム盟(現在の通遼市)で行われる予定だった。 そこは草原を守るために中国軍閥政府と戦ったモンゴル人の英雄ガーダ・ミーリンの故郷である。 また、5月30日には自治区の首都であるフフホト市でもデモが行われる予定だった。 しかしこれらはいずれも、人民解放軍により弾圧され、解散させられた。 こうした反政府運動の高まりを警戒した中国政府は、その一方で巧みな懐柔策も取り、メルゲン氏殺害の犯人に肩代わりして、遺族に賠償金56万元を手渡し、55uのマンションを提供した。 しかし民族の尊厳と草原を守りたいモンゴル人は、政府の強引な開発政策が改められない限り、不満は収まらない。 実際に6月25日には、バイリン左旗で鉛鉱山の開発が牧草地の環境を破壊しているとして、鉱山付近で抗議活動が行われた。 モンゴル語学校廃止・合併などによっても、モンゴル人の人権、文化は消滅の危機に瀕している。 南モンゴルでは小学校から大学まで、モンゴル語での教育を受けることはできる。 しかし現在、自治区政府は、南モンゴル社会から完全にモンゴル語を締め出す政策をとっているため、そのような教育を受けても、まず仕事がない。 会社内ではモンゴル語は使われず、中国語しか通用しない。 このように卒業後に働き口がないため、モンゴル語で学ぶ人はいなくなるわけだ。 さらに、内モンゴル自治区政府は、モンゴル語学校廃校や合併を進めている。 例えば、シリンゴル盟の東ウジムチン旗に16の小学校があったが、政府はそれらを合併して2校にした。 2校しかなければ、遠方の子供たちは親元を離れて寮に入らざるを得ない。 モンゴルでは小学校1年生は8歳だが、その年齢から子供たちは、モンゴル人の家庭教育から隔離され、中国共産党政府の政策どおりにコントロールされた学校教育だけを受けることになる。 家庭教育というのは、人生においては重要なもので、文化の継承もそこで行われる。 そこでそれを遮断してしまおうという政策なのだ。 中国政府はこうして、形式的にはモンゴル語での教育の自由を与えながら、実質的には、中国語での教育しか選択できないような政策を、何重にも取っているのである。 モンゴル人は教育を受ければ受けるほど、モンゴル民族独自の文化が失われ、頭は洗脳され、漢族との同化が進むということなのだ。 実に巧妙かつ残酷な民族浄化政策ということができる。 中国共産党政府は60年以上に及ぶ南モンゴル支配において民族平等を唱えてきたが、実はその民族平等を破壊しているのが中国共産党に他ならない。 モンゴル人と中国人との民族間の対立を煽り、激化させ、そしてその上で調整者として乗り出し、それによって自分たちの確固たる支配体制を維持しようとしているのだ。 中国は欧米や日本の人々が考える国家とは異質のものだ。 ただの一部の利権集団が、13億人と960万㎢を乗っ取っているだけである。 中華民国にしても中華人民共和国にしても、もともとはそんなに大きな国ではなかった。 周辺の満州、モンゴル、ウイグル、チベットの国々を侵略し、植民地支配を行い、伝統的領土の3倍にも版図を広げるに至ったのだ。 要するに中国とは侵略帝国なのだ。 中華思想と侵略主義の塊と言ってよく、世界の普遍的価値である人権、自由を踏み躙りながら存続している国なのである。 南モンゴルだけではなく、満州、チベット、東トルキスタンなどの異民族地域で弾圧、迫害を続けてきた。 日本人はそうした膨張的な政策を直視しないと、やがて日本にも同様の危機を招くことになるだろう。 事実、尖閣諸島に対する干渉も、そうした膨張、侵略政策の一環に過ぎないのだ。 そのことは我々南モンゴル人にはすぐ分かる。 日本政府が経済面で中国と友好関係を必要としているのはよく理解できる。 しかし一国の政府として考えなければいけないのは、人権問題や安全保障問題は経済的利益以上に重要であるということなのだ。 現在の強盛な中国を生み出したのが、日本を含めた先進諸国である。 自分の国益だけを考え、弱小国や民族の運命を無視したままだと、やがてあの国の膨張政策の矛先は自分に向けられることとなるだろう。 現在の日本は、世界に対して経済的に大変素晴らしい貢献をしているのは誰もが認めるところだ。 これからは民主主義の最も基本的、根本的な自由、人権の面においても、世界に貢献していただきたい。
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