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(回答先: 朝鮮の官報では1939年から1942年の4年間の合計で18,298人の人が餓死している。 投稿者 中川隆 日時 2025 年 4 月 14 日 11:14:35)

朝鮮で飢餓が起きるのは毎年決まった時期だから、みんなそれを計算に入れて生活していた。
それが日本が朝鮮にモノカルチャー栽培を押し付けたので餓死者が大量に出た:
朝鮮では三月から六月までは食糧が不足する春窮期である。
春窮期を迎えると、朝鮮人は朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して
食べる習慣であった。
朝鮮には春窮という言葉があるようです。秋に収穫した米、トウモロコシ、芋などの食物を冬のうちに食べつくし、春になると餓死者が出るようです。中世の言葉と思いきや、北朝鮮では今でも現実のようです。
どこの国でも収穫の季節はあるものです。逆にまったく収穫の期待できない土地なんて、人はほとんどすんでいません。収穫があるということは年中飢えているわけではなく、収穫があって数ヶ月は食料があり、それを食べつくしたころに飢餓が起きるのが通例ではないでしょうか?
要するに、戦争や伝染病や特別な事態が起きない限りは春窮位はなんとか凌げるので、それ程は困らなかった。
それから、李朝末期は森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に押さえられたので、そういう特別な事態が起きていた時代でもあった:
1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権
1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権
1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権
1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3EzcXDEIEAEJ:mobile2ch.net/news2/1114521477/%3Fguid%3DON+%E6%98%A5%E7%AA%AE&cd=27&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
しかし、それらの中でも特に困まった事態が日本の朝鮮統治だった訳で、それで朝鮮人は日本の統治時代には春窮を越せなくなった:
日本の施策によって農民が収奪された日本の朝鮮統治時代
当時の大半の農家は小作農です。
つまり販売する以前に小作料を取られます。
で、日本の統治時代の朝鮮では小作料で生産量の5割を取ることがまかり通っていたそうです。
そして手元の半分の米のうちいくらかを売り、それで来期の籾を買う。残った米ではとうてい生きていけないので、春窮となる、故郷を捨て流浪するという例がいくらでもあります。
朝鮮半島全体の春窮農家戸数については1930年、朝鮮総督府編「朝鮮の小作慣行」(1932)によると、
自作農 92(18.4)
自小作農 323(37.5)
小作農 838(68.1) 千戸(全体の割合)
で全体の48%以上が春窮だそうです。
日本の統治時代はまともな治世では無いですね。
次に、では小作農以外はどうだったかと言いますと、次の情報をご覧ください。
農民の戸数とその層の割合を示したものです。値は%です。
全体で100%にならないのは兼業農家がいたためです。
また、地主1は自分で小作を行わない地主、2は一部を自作する地主です。
自小作農は、自作と小作の兼業をしている農家です。
年 農家戸数 地主1 地主2 自作農 自小作 小作農 火田民
1918 2,652,484 0.6 2.5 19.7 39.4 37.8
1920 2,720,819 0.6 2.8 19.4 37.4 39.8
1922 2,712,465 0.6 3.1 19.7 35.8 40.8
1924 2,704,272 0.7 3.1 19.4 34.6 42.2
1926 2,753,497 0.8 3.1 19.1 32.4 43.3 1.3
1928 2,799,188 0.7 3.0 18.3 31.9 44.9 1.2
1930 2,869,957 0.7 2.9 17.6 31.0 46.5 1.3
1932 2,931,088 1.1 2.4 16.3 25.4 52.7 2.1
見てわかるとおり、自作、自小作が減り小作農が増加しています。
日本の統治時代の朝鮮では自分の土地を手放さざるを得ないほどの状況だったのがよくわかります。
さて、この人々は何が原因でそうなったのでしょうか?
は十分に生産していたのですよね? なら豊かになるのではないでしょうか?
問題ない生産を行いながら貧しくなるとするなら、それは生産に対して正当な対価が支払われなかったことを意味します。当然ですね。
つまり
「当時の朝鮮の農家は日本の施策により米を収奪された」
また、自小作農とありますが、終戦直後1945年の韓国のデータによると、
自小作農は716,000戸、そのうち耕地の50%以上を小作で行っている、
つまり実質的に小作に近い農家は378,000戸となっています。
完全自作農と自作の割合の方が多い自小作農は全体で3割程度。
当時の食料消費量の変遷について、単位は石(全体からの%)、
元データは朝鮮総督府農林局編「朝鮮米穀要覧」だそうです。
年平均 米 麦 粟 豆類 その他 合計
1915-18 0.70(35.6) 0.42(21.2) 0.28(14.4) 0.26(13.2) 0.31(15.7) 1.9766
1921-24 0.64(31.6) 0.42(20.6) 0.36(17.9) 0.26(12.9) 0.35(17.1) 2.0211
1926-29 0.51(28.1) 0.40(21.8) 0.37(20.2) 0.23(12.7) 0.31(17.2) 1.8163
1931-34 0.44(26.7) 0.42(25.2) 0.31(19.1) 0.21(12.5) 0.27(16.5) 1.6487
輸入していても消費量は見事に落ちていますね。
米の消費の割合が落ちている(それだけ貧しくなった)のも顕著です。
「日本の政策のもと、当時の朝鮮半島の農家は飢餓に苦しむほど困窮していた」
参考資料:
朝鮮における産米増殖計画 河合和夫著
朝鮮食料品史 朴容九著
おまけ
穀物の輸入出
年,輸出(石),輸入(石),
1915-1919,3467857,387670,5年平均
1920-1924,5147524,1370072,5年平均
1925-1929,6284434,3649237,5年平均
1930-1936,11734219,2875314,7年平均
1937,8601017,2369537,
1938,12505611,1454957,
1939,8120099,2453789,
1940,1665637,3456780,
1941,4831000,1107000,
1942,7032000,786310,
1943,1576000,2048620,総督府資料に基づく
1944,4486000,1927166,朝鮮食料品史 朴容九著より
食品生産量
,米,麦,豆,小豆,粟,キビ
1919,12057,7270,3281,460,3816,538
1929,13702,7212,3990,810,5244,91
1939,14356,7570,2333,419,5029,89
1944,16052,7672,2696,605,3916,47
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