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朝鮮の官報では1939年から1942年の4年間の合計で18,298人の人が餓死している。
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投稿者 中川隆 日時 2025 年 4 月 14 日 11:14:35: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

朝鮮の官報では1939年から1942年の4年間の合計で18,298人の人が餓死している。
家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されないから、実際の餓死者はこれより遥かに多い。
朝鮮総督府官報というのは死亡した人たちの内、身元の分からなかった人の引き取り手を捜す為のものだからね。

日本が統治してから食べる量が7・8割になったのに、餓死者が減る訳ないだろ。

これが真実:

 植民地下の朝鮮は8割以上を農民が占めていました。

日本の植民支配は軍と警察による力の統治でした。

日本人地主と朝鮮人地主の権力は日本より強固で多くの小作人を支配する農村の社会構造でした。

日本の支配下に年々自作農は少なくなり、小作農が増大しつづけたのが基調でした。

朝鮮農村社会は小作農が52%、これに火田民、農業労働者を入れると57%の人々が土地を全く持たない農民でした。

これに自小作農24%をプラスすると81%の人が小作をしたいたといいえます。

自作農は19%弱に過ぎませんでした。(1939年現在)

また、小作農といっても零細な農家が多かったのです。

朝鮮南部では人口が増加し零細農民が増加する要因になっていましたが、基本的には地主からの高小作料徴収などが農民を没落させていました。


総督府はこうした地主制を維持し、支配の基盤としていました。

農民の多くが食べることが出来ませんでした。

端境期には食べるものがなくなる人が多くなり、総督府はこれを「春窮民」といいました。

総督府は春窮が毎年の年中行事のようにあることを認めていました。

「草根木皮」を食べて暮らさなければならない農民が小作農の大半になっていました。

農民の多くは動物性のタンパク質は採ることが出来ずに、たまにミョルチ(日本のにぼし)を食べれれば良い方でした。

タンパク質はテンジャン(味噌)から得ていました。

こうした食の状況から起きた総督府支配下の朝鮮農村の社会現象を取り上げてみましょう。


その一つは子供の死亡率が著しく高くなっていたことです。                          

 高い乳幼児死亡率

 京城帝国大学医学部教授水島治夫の論文によれば朝鮮人の1歳から5歳までの死亡率は38%にも達していました。

日本人も低い方ではなく21%になっていますが朝鮮人は日本人の2倍弱になっています。

統計に出ない子供の死亡を含めて言えば40%の子供が生き残れなかったのです。

乳幼児の死亡率が高いために朝鮮人の平均寿命は37歳前後となっています。

日本人に較べると約10年の差があります。

栄養状態が悪く一番弱い子供達が多く死亡しました。

多くの死亡原因は食糧不足から来る栄養不良でした。

子供達だけでなく青年達の身長も年々低くなっていました。

特に下層農民の青年の体位の低下が大きかったのです。


子供の高い死亡率と青年たちの体位低下は総督府の政策下に起きていたことです。

窮迫する農家に救済政策がなかった、あるいは役立たなかったことを示しています。

典型的な事例を挙げておきましょう。


 朝鮮に於ける行路死亡人数

 行路死亡人は路傍、畑などで死亡し多人々をいいますが、ここで取り上げるのは

死亡した人たちの内、身元の分からなかった人を引き取り手を捜すために朝鮮総督府官報に掲載された場合に限って取り上げてみます。

官報に掲載された、公認された場合のみを取り上げていますから、実際に身元が分かり、あるいは引き取り手があった場合は官報に掲載されません。

したがって、実際の死亡者はもっと多かったと想定されます。

行路死亡人を取り上げるのは農村社会を象徴するような出来事だったからです。


 朝鮮農村では窮迫した小作農が小作地のみでは暮らしていけなくなり、他の小作地に追い出される人が多かったこと、自然災害などで小作地を失ったりしたこと、などの要因で土地を追われる人が多かったのです。

一部は満州に、一部は火田民として、あるいは都市の下層民として暮らすことになりましたが、落ち着くまでに食糧がなくなり、家族とも離れてしまうことも多かったのです。

農村から離村し、流浪することになります。

ついには路傍で死亡してしまう人も多かったのです。


行路死亡者数一覧  
       
年代 男 女 計 一日あたり死亡者数 行路病人死亡者数 計
1939 4039 669 4708 12.8 866 5574
1940 3863 662 4485 12.3 894 5379
1941 2708 514 3222 8.8 1913 5135
1942 5271 612 5883 16.1 680 6563

  15,881 2,417 18,298 12,5 4,353 22,651

※女性の数が少ない
         

 1939年は旱害があり、離村、流浪する農民が多く、死亡者も多くなっていますがこの4年間の合計で18,298人の人が死亡しています。

死因は餓死、栄養不良がもっとも多く凍死、病死と続きます。

1940年3月1日付けの朝鮮総督府官報には46人の死者が掲載されていますが24人が餓死と栄養不良、8人が凍死、6人が病死などと記録されています。

一日あたり20人以上が死亡している年もあります。

行路病人とは一応の救済施設があり収容されたが死亡した人を言いますが、これも行路死亡人として考えると実数は更に多く22,651人になります。

官報に搭載されていない人を含めれば更に多くなります。

家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されていませんから更に大きな犠牲者が存在したと考えられます。


日本人の行路死亡者数と比較すると官報掲載者のみでも朝鮮のそれは実に15倍(人口比)にもなるのです。

小作地を奪われたり、生活が出来なくなった農民たちは死を覚悟して流浪せざるを得なかったのです。

これが植民地統治の実体です。

 更に強制連行との関連で戦時下朝鮮農村の重要な問題を取り上げておきたいと思います。

朝鮮社会を深刻な状態に追い込んだ米の徹底的な供出政策です。

 農民から米を奪う

 日本と総督府は朝鮮の戦時体制下の要求として労働力と米の供出を求めていました。

戦時下の日本では米が主食でしたが特に軍の食糧は白米中心でした。

朝鮮では1939年に大旱害があり米の減産があり、40年は2100万石、41年は2400万石ほど収穫がありましたが、42年からは16百万石前後に落ち込んでしまいます。

42年から45年まで3年間は大凶作でした。

理由は天候も関係しましたが農村から男子労働力が動員されたこと、肥料不足等を揚げられますがなによりも米の供出が強化されたために起きたのです。


深刻な米不足のなかで1945年には200万石の日本への移出を実施しています。 

供出は愛国班(日本の隣組のような相互監視組織)に割り当てられ、愛国班長の家の庭で警官、面の職員、郡の督励員が立ち会って割当量を集めた。

これに従わない者は罰せられ、検挙されました。

割当量は多く、自家消費量を超えて供出しなければなりませんでした。

また、供出割当の定量に達しない者の家は家宅捜査が行われ、あらゆる所を検索し、発見すると容赦なく供出させた。

生産した物を消費できない農民が多くなりました。

たりない分は満州雑穀を配給しましたが大豆粕などで肥料用に農家に配給した物を代用したのです。


小作農民は農業をしても生産した作物を満足に食べられなくなったのです。

また、米の統制が厳しく自由に売買が出来ず、食糧不足を激しくしました。

米以外でも農民が自分で作った作物を消費できないような統制 が実施されたのです。

これに加えて供出米の代金から自動的に愛国貯金などが差し引かれ、物価は上昇し農民の困窮が一層進んだのです。

農民は農業で食えず、生産する気持ちも萎えてしまっていました。

農業より賃金を得る労働者になれば配給米を受け取れるので下層民ほど離農する人が増加しました。

農民が生産意欲をなくしたのが米の生産減少の最大の要因といえます。

そうした人を高賃金で家族に送金できると説明し、日本に大量に動員したのです。

日本への募集に応じたのはやむを得ないこうした理由が背景がありました。
 

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