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米国の戦争マシーンに組み込まれた日本は中露と戦争する準備を進めている
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2024.07.30 櫻井ジャーナル
日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)が7月28日に開かれ、日本側からは上川陽子外務大臣、木原稔防衛大臣が、またアメリカ側からアントニー・ブリンケン国務長官、ロイド・オースティン国防長官が出席した。
自衛隊は今年度末までに陸海空を一元的に指揮する「JJOC(統合作戦司令部)」を市ヶ谷に設立する予定だが、それに合わせてアメリカ政府はUSFJ(在日アメリカ軍)を「JFHQ(統合軍司令部)」へ格上げするようだ。
自衛隊とアメリカ軍は連携するという建前だが、日本側の主体的な判断に基づいて自衛隊が活動するということは考えられず、アメリカ軍の指揮下、その手先としてロシアや中国と最前線で日本人が戦う態勢が整備されつつあると言える。
ソ連消滅後、中立を掲げていたウクライナを支配下に置くため、アメリカは介入した。2004年のことである。この選挙では東部や南部を支持基盤にし、中立を主張していたビクトル・ヤヌコビッチが勝利したのだが、これをジョージ・W・ブッシュ政権は許さなかった。
そこで2004年から05年にかけて内政干渉し、「オレンジ革命」を引き起こし、配下のビクトル・ユシチェンコを大統領に就任させた。この人物は金融界の出身で、新自由主義的な政策を推進、人びとの生活を破壊した。そこで有権者は2010年の選挙で再びヤヌコビッチを選んだ。
それに対し、アメリカの外交や軍事を支配してきたネオコンは2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターをキエフで仕掛け、ヤヌコビッチ政権を倒すことに成功するのだが、軍や治安機関でも約7割はネオ・ナチが主導権を握るクーデター体制を拒否、離脱したと言われている。
クーデター後にクリミアはロシアの保護下に入り、東部のドンバスはロシアの支援を得られなかったことから武装闘争を開始、内戦に発展した。この反クーデター軍はキエフのクーデター軍より強く、アメリカはクーデター体制の戦力を増強するために時間稼ぎをする。それがミンスク合意だ。
アメリカ政府は8年かけてウクライナ軍の戦力を増強すると同時にドンバスの周辺に要塞線を築く。2022年に入ると十分に兵力を増強できたと判断したようで、ドンバスの周辺に兵力を集中させ、ドンバスの民間人に対する砲撃を激化させた。その年の春に大規模な攻撃を始める計画だったが、その直前にロシア軍が介入、ウクライナ軍を一気に壊滅させた。軍事介入から2週間ほどでキエフ政権が停戦に合意したのはそのためだ。戦争が続いたのはアメリカやイギリスが圧力をかけたからである。
しかし、アメリカ/NATOはロシアに圧倒されている。すでにウクライナ軍は壊滅状態で、戦争を続けるならNATO諸国が前面に出てロシアと直接戦わなければならない。
日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年のことである。1991年12月にソ連が消滅した直後、アメリカの国際問題や安全保障政策を仕切っていたネオコンはDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」である。
その目的は新たなライバルの出現を防ぐことで、その対象には旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、西南アジアも含まれる。ドイツと日本の場合、アメリカ主導の集団安全保障体制、つまり戦争マシーンに組み入れて「民主的な平和地域」を創設するともされている。
しかし、細川護煕政権は国連中心主義を打ち出して抵抗、ネオコンの怒りを買うことになり、1994年4月に倒された。その年の6月に自民、社民、さきがけの連立政権が誕生、村山富市が首相に就任して抵抗してネオコンを怒らせた。
そうした状況をネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)に訴え、1995年2月にジョセイフ・ナイは「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持し、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。
こうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布された(地下鉄サリン事件)。松本サリン事件の翌月に警察庁長官は城内康光から國松孝次に交代、その國松は地下鉄サリン事件の直後に狙撃された。
1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われているスターズ・アンド・ストライプ紙に85年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。この旅客機が墜ちる前、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づく記事で、自衛隊の責任を示唆している。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは、この1995年だと言えるだろう。
ウォルフォウィッツ・ドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に「アメリカ国防の再構築」というタイトルの報告書を発表、それに基づいてジョージ・W・ブッシュ政権は世界戦略を作成していく。その戦略を起動させたのは報告書が発表された翌年の9月11日に引き起こされた「9/11」だ。それを利用してアメリカは2001年10月にアフガニスタン、03年3月にはイラクを先制攻撃しているが、いずれも9月11日の攻撃とは無関係な国だった。
日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれてから今年で29年。そのひとつの結果がJJOCだ。ウクライナ軍はアメリカ軍の命令でロシアと戦争を始めた。兵器や情報、そして作戦はアメリカから与えられているが、戦場で殺されるのはウクライナ人だ。すでにウクライナは崩壊している。
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