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小池都知事の学歴詐称を実名告発(中)おちゃめなテンションで「カイロ大卒業」を既成事実化
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/332327
2023/11/21 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
「サンケイ新聞」の紙面
公式プロフィルでうたう、小池都知事(71)のカイロ大への入学時期は「1972年10月」だ。だが、当時、同居していた北原百代さん(82)の証言によると、この時期、小池はカイロ大ではなく、外国人向けの語学学校の初級コースに通っていた。翌年秋にカイロ大の2年生として編入することが内定した時期でもあり、「10月入学」は矛盾する。
入学時期だけではない。「76年10月」とする「卒業」については、事実そのものに疑問がある。
72年10月以降、北原さんと共に語学学校の初級コースに通い始めた小池は12月、中級コースに通っていた日本人男性と突如結婚することを決定。それに伴い、北原さんと小池は73年2月に同居を解消した。
ところが75年末、小池は再び北原さんの前に姿を現す。「離婚したから、また一緒に暮らせないか」と言われ、北原さんは同居再開を承諾。76年1月から、2回目の同居生活が始まったが、小池の語学レベルは「カイロ大卒業」からは程遠いものだった。北原さんが言う。
「カイロ大では毎年5月から進級、卒業試験が始まります。試験に向け、百合子さんは一生懸命、勉強している様子でした。でも、ノートを見てみると、教科書に載っている文章をとにかく書き写しているだけ。『大丈夫なの?』と聞くと、百合子さんは『大丈夫よ。カイロ大の教授なんてね、回答用紙の空白を埋めさえすれば、一生懸命書いたんだと認めてくれるから。大きい文字で埋めるから大丈夫』と笑顔で話していました」
しかし、当然ながら試験は落第。途方に暮れた小池は、近所に住んでいたカイロ大教授に相談を持ち掛け、追試の可能性を探った。
「76年6月のある日のことです。1時間ほどで教授の元から帰ってきた百合子さんは『いやー、“あなたが受けたのは卒業試験ではなく、ただの進級試験だから追試を受ける資格がない”と言われちゃった』と、呆然とした顔で話しました。カイロ大では、追試受験が許されるのは4年生の卒業試験だけ、という決まりがあるようです。私はこの時、初めて百合子さんが4年生ではないことを知り、驚きました」
驚くのも無理はない。小池は73年10月に2年生で編入しているのだから、順調に進級していれば、76年6月時点では4年生になっているはずだからだ。しかし、公式プロフィルでは、小池の卒業時期は「76年10月」。落第したはずの小池は、あるウルトラCで卒業を“演出”したのだった。
「私っておちゃめでしょ」という雰囲気だった
北原さんは「新聞を見てビックリした」/(C)日刊ゲンダイ
転機は、76年9月に訪れた。当時のサダト・エジプト大統領夫人の来日が決定。小池は、父親の根回しで夫人のアテンド役の末席にもぐりこむことに成功した。翌10月、日本に渡った小池は積極的にマスコミに近づき、自分を売り込んだ。宣伝文句は「カイロ大卒、初の日本人女性」である。
最終学年に上がれなかったのが実態なのに、マスコミを利用し、「卒業」ということにしてしまったようなのだ。実際、76年10月22日付の「サンケイ新聞」は小池について〈カイロ大新卒、唯一の日本女性〉の見出しで報じている。11月にカイロに戻った小池は、晴れ晴れとした表情で紙面を北原さんに見せつけた。
「新聞を見てビックリしました。『卒業したことにしちゃったの?』と聞くと、百合子さんは『ウン』と笑顔で返事しました。深刻な様子はなく『私っておちゃめでしょ』という雰囲気でした」
マスコミに書かせることで「カイロ大卒業」を既成事実化──。これを、おちゃめなテンションでやってのける小池には、ただただ驚愕するしかない。 =つづく
(取材・文=小幡元太/日刊ゲンダイ)
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