http://www.asyura2.com/23/senkyo290/msg/332.html
Tweet |
勝って負け、負けて勝った? 衆院山口2、4区補選が示したこと 県内政界揺さぶる結果に 本紙記者座談会
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/26493
2023年4月30日 長周新聞
統一地方選とともに注目された衆院山口2区、4区のダブル補欠選挙は、安倍晋三、岸信夫という岸信介から連なる政治家一族の後継となった自民党候補が辛勝したものの、両選挙区とも1年半前の前回衆院選よりもめっきりと得票を減らし、「保守王国」は溶解が始まっていることを浮き彫りにした。この選挙結果から何がいえるのか、地元選挙区ではどのように受け止められているのか、選挙後の反応とあわせて記者座談会で分析してみた。
2区は次期選挙で陥落必至
左上から時計回りに、4区の吉田真次・有田芳生、2区の平岡秀夫・岸信千世
A 何度となくこの記者座談会で情勢分析を加えてきたが、安倍派も林派も一般の有権者も結構な人が熟読しているようで、「オマエらどうせ覆面大放談会で好き勝手いうんだろ?」「散々面白おかしく煽っておいて放り投げはよくない。結果評価の座談会も激辛でやるべきだ」とかいってくる。むしろ、安倍派、林派の当事者の方が「もっと書いてくれ」とおかわりを求めてくる始末で、いったいどうなっているのかと思う。あるがままを描くことで山口県の現実(いま)を映し出す一定の記録にはなるのだろうから、食後のデザート的な意味も込めて締めの座談会をやろうと思う。
B 選挙結果をどう評価するか? これについては、自民党候補と野党候補の得票を見れば、そんなものは一目瞭然だろうに…といってしまえばそれまでだ。2区も4区もこれまでにないほど自民党の支持基盤が崩壊して大幅に得票を減らしたのが特徴だ。野党候補が組織力もなく選挙をとりくむ期間も短期間だったことから自民党候補が辛勝してはいるが、「勝った! 勝った!」といって喜べるような代物でもない。
4区はこの選挙にかかわった人々にとって、事前の読み通りの得票になった感が否めない。候補が吉田真次で昭恵と2人して泣いて泣いて、泣きはらしてあの得票なのだ。客観的に見て、「次はない」が確定した数字といえる。
2区については平岡がかなり肉薄しているし、次はひっくり返すという意気込みで本人や周囲がとりくむなら、面白いことになる可能性を秘めている。可能性は薄くなったが6月解散というなら、5月にかけて徹底的に選挙区を本人が歩いて回ればよい。この選挙結果から「ひっくり返せるぞ!」を有権者が共有しただけでも意味は大きい。いわば「次につながる選挙になった」といえるのではないか?
C 2区については、当初は自民党は楽勝ムードだったのが、中盤辺りに自民党本部から「危ないぞ!」と世論調査の数値が伝えられ、慌てまくして支持者を締め上げていた。4区の安倍派までが身を乗り出して選挙区の応援に入っていたし、安倍昭恵が呼ばれて駆けつけたりもしていた。残り1週間の慌てっぷりったらなかった。
岸信夫の秘書たちが信千世を支えた格好ではあるが、もともと頭のキレる秘書がいないというか、全体を采配できるほど統率力のある人材が乏しい。陣営といってもドタバタもいいところで、はっきりいって選挙の体をなしていないのが特徴だった。岸・佐藤のお膝元とはいうが、もともとが崩れていたのだ。
岸信千世は目標得票は12万3000票と大きく出ていたが、結果はそのおよそ半分にあたる6万1000票。平岡との得票差は5768票。これは平岡側から見ると、十分にひっくり返していける数字だといえる。選挙区内の市町村ごとの得票結果を見てみると、案外郡部でも拮抗しているし、街でも競っているのが特徴だ。岸・佐藤のお膝元である平生町や田布施町でも大健闘している。代議士を引退して地元とは疎遠になっていたのに、パッと出てきてこの数字なわけだから、驚異的でもある。
投票率は全体として10㌽近く落ちたが、2区の今回の選挙については、いつも選挙に行く人のなかで起きた変化であって、いわゆる無党派層が平岡に雪崩を打ったわけではない。引き続き6割が投票所に足を運ばない選挙のなかで、保守層のなかから平岡に投票した人々が多く、「信千世? 世襲? いい加減にしろ!」が鬱積していたことを反映した。
選挙後の平岡秀夫(23日、岩国市)
D 終盤に平岡は地元の岩国固めに入っていたが、米軍基地問題を抱える岩国では岸よりも平岡が上回った。その他の市町村も予想よりはるかに競っているし、今回の場合、完全無所属で出たのが功を奏している。立憲民主党本部は上関原発反対を叫ぶのがダメだといって党公認を出さなかったが、仮に平岡が立憲民主党の公認候補として出たら、今回の結果にはならなかったように思う。民主党の裏切りへの嫌悪感は強烈に渦巻いている選挙区なわけで、いわゆる“立憲民主党の大物”みたいなのが乗り込んで演説すればするほど嫌がられる関係だ。地道に上関原発反対であったり、米軍基地問題であったり、2区の抱える国政を巡る矛盾について旗幟鮮明にしたのがうけたということだ。
C 立憲民主党は原発反対を叫ぶのがけしからんというスタンスなのだが、山口県の連合のなかでも日立とか中電労とか、「反原発」を嫌悪する一群が昔からいて、これらは労使協調で原発賛成なのだ。そんな連合に気兼ねして原発に対する態度を濁し、それでいて自民党に対抗する野党なのだといっても、いったい誰が相手にするというのだろうか?
平岡については、むしろこれまで態度を濁してきた上関原発問題、米軍基地問題について真っ向から訴えを展開したことが大きな変化で、その吹っ切れた訴えなりに2区の有権者は反応した。腹を括った印象を与えていた。無所属なので選挙活動としては政党公認候補と同等ではなく限定的になったし、有力な組織がついているわけでもない。しかし、それでもガップリ四つの選挙結果を叩き出したのだから、開票後に陣営が活気づいているのも頷ける。
岸の地盤に大激震を走らせたし、揺さぶりをかける選挙にはなった。今回のが余震だとしたら、次の選挙が本震になり得る。仮に自分が陣営の人間なら、翌日から「選挙区を一軒一軒回れ! 一人一人の有権者と対話しろ!」と尻を叩く。当選云々については確かに負けたが、これは負けではなく勝ったといえる代物だ。「次は行ける!」「否、次は残り5800票をなにがなんでもひっくり返す!」で動き始めれば面白いことになる。
岸信千世と福田・岩国市長(4月16日、岩国市)
B 世襲を前面に出していた信千世だったが、この自爆という側面もおおいにある。柳居俊学(県議会議長)であったり、自民党県連の重鎮たちが支えるといっても、まず岸家のサラブレッドを教育する者が乏しいし、ある意味環境的には可哀想でもある。選挙における善し悪しについて判断し、これはダメだと思うような振る舞いについては例え候補者であっても「オイ、コラ!」といって締めるような存在は必要不可欠で、叩きあげの場合ならそれができるが、そうではなかった。睨みを効かせて、候補者や選挙区全体を采配するような実力者すなわち本当の意味での2区のボスがいない現実を映し出したのではないか?
やたら家系図だけ出すことも含めて、本人が「ボクは岸家の跡取りなんだぞ!」と天狗になるのも話にならないが、周囲についても「岸家の坊ちゃん」扱いでは話にならないのだ。雑巾がけがいかに大切かがわかる。期間中は信夫の嫁が選挙区入りして田舎を小馬鹿にしたり、支える側も大変だったようだ。保守層が離れていったというのは、そんなてんやわんやを見て、ダメだこりゃ…というのも動いていた。「まだ早い」「国会議員のたまではない」「もっと苦労させた方が本人のためだ」という意見も自民党支持者のなかから多く出ていた。そういうところは2区の支持者はシビアだ。
A 佐藤・岸が中選挙区時代に争っていた当時の支持者が口にするエピソードを聞いていると、有権者との距離の詰め方やフランクさというのは相当なものだな…と思わされるものがあるし、だから「オラが大将」を担いで両派閥は選挙区内で死闘を繰り広げたのだと思う。秘書たちも地元において力を持っていたし、若手が親衛隊を結成して選挙になるとフル稼働していたという。ただ、そんな熱量が2区にはもうない。岸派としては吹田が地盤を引き継いでボスとして君臨していたが、佐藤派といっても佐藤信二のもとで瓦解し、自民党組織としては弱体化も甚だしい。そして、今回の選挙では大票田の岩国で土を付けられたという意味は小さくないのだ。だいたい、岩国でふんぞり返ってきたボス風情の連中の嫌われ方ったら半端ない。創価学会の票をプラスしても及ばなかったのだ。
C こうした選挙を分析するにあたって、単純に勝った! 負けた…といって外野席から悲憤慷慨するのはバカげている。案外、ゼロ打ちだけに反応してやれテレビを消したとか、単細胞なのかと思うような反応もSNSでは見られたが、得票になにが浮かび上がっているかを捉えて動かなければ世の中なんて変わりようがない。前向きに捉えられるプラスの面、そうでない面も含めて、客観的現実から出発することがなにより大切だ。それは自民党陣営であっても野党陣営であっても同じだ。
有権者の6割強が選挙にそっぽを向いているというすさまじい政治不信ではあるが、そのなかで野党支持者についても「選挙に行かない有権者のバカ!」「民度が低い!」等々と高飛車に6割を罵倒して、果たして何がどうなるのだろうか? といつも思う。そんな6割に相手にすらされていない数%の側が何をかいわんやであるし、本気で勝ちたいなら6割に相手にされる政治勢力にならないことには始まらないのだ。「賢いわたし」が「愚か者たち」に向かって、あーだこーだと評論してまるで天に唾を吐いているようなのを見ると、いつもそう思ってしまう。それではいつまで経っても6割にリーチできないではないか。
D 保守王国といわれる山口県でもそれは同じだ。今後、2区で平岡が勝ちたいのであれば、まずは投票率を前回並みの50%台まで10㌽でも引き上げて、引き続き保守層を削り込んでいくと同時に、無党派層をとり込んでいくことにつきる。今回の選挙結果はそのことを突きつけている。
B どこでも同じなのだろうが、6割が選挙に行かないとは、おかげで自公が安泰をむさぼっているという側面もあるものの、一方では可能性が無限大ということでもあって、裏返すと、この大きな政治不信の山を動かすことができれば世の中がおもしろくなるということでもある。幻滅している状況を覆して、展望につなげていくことができるかだ。
そうではなく6割を罵倒している支持率数%の人たちというのは、まったく伸びしろのない消滅政党の側であることを自己暴露している。自分を支持してくれないからといって、民度が低いなどと罵倒しているような人間、政治勢力にいったい誰が魅力を感じるのだろうか? むしろ、なぜ支持されないのかをもっと真面目に捉えて、支持されるように努力、変化していくというのが正しい選択であって、選挙に勝ちたいならそこに挑むしかない。案外、単純のように思う。
4区・吉田 安倍派の瓦解を可視化
安倍昭恵が前面に出て弔い選挙を演出した吉田真次陣営(4月11日、下関市)
A 話が少しそれたが、4区の選挙結果についてはどう評価できるだろうか?
C 結果的に投票率が前回比で約14㌽も落ち込み、過去最低の34・71%。有権者の65%がボイコットするという酷い選挙ではある。この集団ボイコット選挙のなかで、もっとも先頭に立ってボイコットしたのが林派だった。従って、低投票率の主犯は林派ということにもなるが、あからさまに吉田真次すなわち安倍派を無視することで新3区争奪へのメッセージを放った。一発入れにいったといっても過言ではない。
B 8時ゼロ打ちで当確が出るには出たが、吉田真次のあの顔がすべてを物語っていたのではないか。オドオドと子どものような顔をして、自信なさげというか、不安そうというか、とにかく昭恵の子どもみたいな顔をしていたのが印象的だった。そして案の定、当確後も泣いた。前田晋太郎(議場で寝てばかりいる下関市長)の“居眠り晋ちゃん”に対して、こちらは“泣きべそ真ちゃん”のあだ名がつくのではないかというほど、本当によく泣いた選挙だった。初めから終わりまで、昭恵と2人して泣きはらしていた。弔い合戦で泣けばよいというものでもないが、恐らくそれ以外に訴える内容がないし、泣きべそ一本槍で押し通した。
A 4区で5万2000票もないというのは、とても選挙区を代表したとはいえないし、「その程度」が突きつけられた得票数でもある。安倍派としては目標としていた8万票には遠く及ばなかった。安倍晋三の前回選挙からおよそ2万8500票減らしたわけだが、この2万8500票減というのは単純に林派の基礎票に置き換えられるわけでもない。こっそり有田に入れた者もいたし、仕方なしに吉田に入れた林派の自民党員だっている。逆に安倍派のなかにだって、「今回は有田に入れた」という人がいたくらい、結構入り乱れての5万2000票なのだろう。創価学会の組織票を除いたら4万そこそこといったところ。斯くして24万人いる有権者のうち2割強を抑えたからといって「圧勝」といえるものでもない。
C 5万2000票というのは一言でいってサマになっていないし、だからこそあんな顔になる。要するに安倍派の瓦解が選挙によって可視化されたわけだ。まあ、瓦解というか、林派の応援がなければそれくらいの数字になるのはわかりきった話であって、当初から「よくて5万、最悪4万票台」とはいわれていた。それなのに「目標は8万票です!」なんて放言して回るものだから、「なんにもわかっていない…」と自民党関係者のなかでは囁かれていたし、結果的に恥を掻いたのは安倍派のなかでこの選挙をとりしきった二軍と呼ばれる面々だろう。
A 安倍派からすると、新3区も吉田で利権のピラミッド構造を温存したいという願望で抗っていた。自民党のなかでも清和会が新3区のポストを派閥として抑えたいという願望があって、それで東京方面の関係者が昭恵を動かして、昭恵も意向に従ってこの選挙までは付き合った――という側面が濃い。吉田擁立だって、これらの一部関係者のみで極秘に決めてしまい、後援会幹部すらほとんど知らされていなかったという経緯がある。林派との持ちつ持たれつの関係をまるで無視して吉田擁立まで突っ走ってしまい、願望によって無理を押すから道理が引っ込む。そして安倍派としては「吉田? 次はないよね…」という結果をみずから生み出した。
貧乏クジを引かされたのは吉田で、市議から一躍国会議員になったはいいが、6月解散なんてことになった場合にはワンポイントリリーフにも程がある。選挙後、「もう選挙終わったよね」といって安倍後援会は改めて解散してしまい、吉田後援会? 誰が入るの? 吉田派? 誰が? といった状態に投げ込まれている。お役御免で安倍派の幹部たちは引退してしまい、市議・県議たちといっても「吉田先生!」なんてついていくヤツなど一人もいない。それまでの安倍後援会組織を丸ごと引き継げると思ったのも大間違いで、「安倍さんだから応援してきたけど、吉田? もういいや…」という人もかなり存在している。
当選証書を受けとりに行ったのが市議選を落選して急きょ吉田事務所に雇われた長本だったが、秘書といっても安倍事務所時代の秘書軍団はばらけてしまい、それ自体終わっているのだ。仮に配川筆頭にした秘書たちがガッチリ脇を固めたとしても、別になんの睨みにもならないし、安倍派瓦解の雪崩を止めることなどできない。こうなることは想像できたはずなのに、ひょっこりと出てきたのが吉田というだけだ。ある意味、下関を知らなさすぎる。これは昭恵も罪作りだ。そして、地元のパワーバランスなどお構いなしに手を突っ込んだ清和会幹部たちの自爆でもある。
B とはいえ、出てきたのは本人なのだから同情などしない。しかし、選挙後に「もう知らない」の空気が支配的なのもどうかと思う。御輿の上にのっけて、ワッショイ! ワッショイ! とやっていたはずなのに、最終的には空中に放り投げて「後は知〜らない」と飽きたオモチャみたく捨てていったような光景だ。安倍派のメンツという一点でこの選挙をやったとはいえ、それはもともと吉田こそが次なる派閥のリーダーなのだ! という代物でもない。誰でも良かったのだ。いったいこの先、放り捨てられた御輿はどんな着地をするというのだろうか。
もし6月解散なら吉田の任期は2カ月もない。このままだと次があるとも限らない。今回頑張って泣いて5万2000票だったわけだが、仮に次も出てきたとして、また泣いて回るのか? もう大概にしろ! となって、得票は減る一方というのが目に見えている。今回の5万2000票が頂点だったのだ。
C 山口4区の歴代の当選者の得票数の推移を見てもわかるように、5万2000票足らずというのは底も底だ。しかし、吉田にとっては頂点すなわち頭打ちといえる数字だ。安倍派が急速に溶解をはじめているなかで、増やせる要素が見当たらない。市議・県議たちの門徒替えというか、林派への投機も始まるだろうし、離れていく流れが加速していく。これに「安倍派でござい!」といって抗うといっても、恐らく抗った側が孤立化していく趨勢にある。
関門海峡ではないが、すでに西流れから東流れ(その逆もまたしかり)へと変わっているのだ。その場合、海面は西流れのように見えても水中では怒濤のごとく東流れがはじまっており、「表面ばかり見ていたら潮目は読めないんだよ」と伊崎の古老の漁師さんに教わったことがある。そういうことだ。驕れる平家も潮目が変わったことで源平合戦に敗れて散っていった。こういうことは関門海峡の歴史から学びとらないといけない。「安倍派でござい!」がいつまでも永遠不変に続くと思っていたら大間違いなのだ。今後、潮目の変化を捉える感性を喪失したものは置いてきぼりを食らうのだろう。鈍感にしがみつく者ほど、とり残される。
旧安倍派vs.林派 新3区巡りバトル過熱
D いずれにしても、4区については今回の選挙が最後で、次からは新3区になる。名称は3区ではあるが、宇部市を除いた旧3区の萩市、美祢市、山陽小野田市が丸ごと旧4区にくっついてくるだけで、林派としては10年以上も前からこの旧3区横取り計画を動かして地盤を作り、河村建夫から略奪したばかりだ。選挙区再編をまえにして10年以上も前からこの地域で先手を打っている関係といえる。「新3区も吉田で!」といったところで、萩、美祢、山陽小野田については安倍派もさることながら、吉田の足がかりはなにもない。現実的に見て、新3区は林芳正になることが必然なのだ。だから誰が何を見て「新3区も吉田で!」みたいなことをいっているのか理解し難い。東京方面の派閥の願望でしかない発想だ。
確かに、「安倍晋三が死んだから戻ります」みたいなのは人間としてどうかという指摘もあるが、この新選挙区を見た時に「戻る」という表現になるのだろうか? という気もしないでもない。自治体の枠組みでいえば、旧3区に存在する四つの行政区のうち三つは新選挙区のなかに含まれ、なおかつ地元の下関、長門との合区となると「戻る」というよりは元々の地盤みたいなものでもあるのだ。
A 当面は6月の自民党山口県連の総会で新会長に誰がなるのか? 役員体制はどうなるのか?に注目が集まっている。そして、新3区の総支部長には誰がなるのか? だ。4区はなくなるので、そのあたりがゴタゴタしそうな気配だ。ただ、林芳正がいまから下関及び新3区について「オレの時代だぜ!」みたいな振る舞いを始めたとして、これまた親分になれるような器ではないことは、林派の面々が一番よく知っていることではないか。選挙区の政治勢力を率いていくような器か? だ。こうした点については、むしろ林派の人々に判断は委ねたい。そして、林派についても天下をとったような気になったら大間違いで、今回の選挙で先制パンチを食らわせている以上、今度は安倍派がボイコットすること、旧3区でいえば河村派の怨念もあることを自覚することだろう。要は保守に感情的にヒビが入っている状態なのだ。このシコリはなかなか癒えることはない。
爪痕残した有田芳生 タブーにも「黙さず闘う」
第一声をあげる有田芳生(4月11日、下関駅前)
D 4区というと、どうしても安倍vs林の矛盾激化にフォーカスしがちだが、野党としては今回の選挙で有田芳生が立憲民主党から立候補した。「黙さず、闘う」を掲げての立候補だった。立憲民主党が存在感をアピールしたかったのかテレビに出てくる有名所が幾人もやってきて演説していたが、果たしてどれだけ効果があったのだろうか? とは思う。地元では直近の県議選でも候補者たちが幾人も無所属で出馬する始末で、もともと根がないし存在感など乏しい。
そのなかで、有田芳生については立憲民主党がどっちに向いているかなどお構いなく、巷でも「よくぞ出てくれた」という意見が圧倒的に多かったし、歓迎されていたのではないか。陣営は有権者の反応について好感触を得ていたが、それは「歓迎された」ことの証左だろう。演説もいわゆる選挙演説とは異なって淡々と話し続けるイメージで、なんだか講演会を聞いているような感じでもあった。統一教会の問題や拉致問題、アベノミクスについての見解を淡々と置いていく選挙でもあった。
2区の平岡のように肉薄とまではいかなかったが、しかし、それでも2万5000票をこえたのは大健闘といえる。案外、自民党支持者のなかからも「今回は有田に入れた」という声を耳にするし、変化を求める有権者がそれなりに期待を託したのではないか。
A 選挙結果でいえば吉田の当選ではあるが、吉田なり安倍派としては実質的な意味合いにおいて敗北だ。一方で有田については何もないところから短期間で選挙戦を展開して、この選挙を通じて統一教会の政界汚染について世間に問い、存在感を示したという点でおおいに意味はあったように思う。有権者の好感触もあってか、悠々と楽しそうに選挙をしていたのが印象的だった。
C いわゆる野党といっても地元の政治勢力や組織は実質的には何も動いていない。連合もそう。地元政治勢力としては演説会に顔を見せたという体裁は整えたとしても、その支持基盤に支援を訴える等々はまるで何もした形跡がない。選挙である以上、そんなことはみな足跡として残るのだ。歩いてなければ足跡はつかない。
安倍派にスネの傷を握られて抗えない立憲民主のアイツとかコイツとか、そんなのばかりなのだ。それらの細々をやりはじめたらきりがないが、要は何もないところから2万5000票を積み上げたのだ。依拠すべきは4区の有権者のみで、組織的には頼るところもないなかで大健闘といえる。「黙せず、闘う」のメッセージはしっかり届いたと思う。
立候補表明から選挙までの期間の短さだけ見ても、それで拮抗に追い込めるほど甘い選挙区ではないことははじめからわかっている。むしろ2区の平岡の得票の異様さこそ浮き彫りになると思う。四区については安倍派、林派の紐みたいにぶら下がっている地元の野党勢力にたいして有権者のきつい視線があるのだ。議会でも寝技とか取引ばかりしている。だから選挙の度に票を減らしているし、終いには無所属で出馬したりするのだ。こんなことを書くと本人たちが怒ると指摘する人がいるかも知れないが、はっきりいってどうでもいい。「いいね!」ボタンがあるのだとしたら、「どうでもいいね!!」ボタンを押したいくらいだ。そんなものの寄せ集めが野党共闘だというのなら、「しょうもないね!!」ボタンを全力でプッシュするつもりだ。
有田芳生については、立憲民主党というより有田芳生としての存在感があったのが幸いしたと思う。4区の有権者には一定はまっていたと思うし、あのようにタブー視されているような統一教会問題であったり、拉致問題について遠慮なく歯に衣着せずに切り込んでいくスタイルというのは、結構みんな大好きなのだ。維新の地の誇りを信頼して殴り込みをかけてきたというのも歓迎ポイントだろう。これまた、80余名の功山寺決起から世直しに立ち上がっていった父祖たちへの誇りであったりが根付いているし、みんな好きなのだ。
B 案外、はっきりとものをいう地域性というか、悪くいえば破れ口というか、そのおかげで一つにまとまるのが苦手と昔からいわれてもきたが、地域の特徴がある。安倍晋三が代議士として登場してからこの方、それこそ奥田とか竹田とかの警察上がりの秘書どもが力でねじ伏せてきた選挙区ではあるが、それでもいいたい事は是々非々でいうような地域でもあると思う。でないと、長周新聞なんて存在していない。案外、黙することは苦手なタイプの人間の方が多いのではないか。
誰彼に恐れおののいて、隅っこで泣き濡れて暮らしているというような地域性ではない。それこそ、維新で世直しやるぞ! と呼び掛けたら、80余名のウリャー! から火が燃えさかっていくような地域だ。150年ちょっと前でそれだ。だから「黙さず、闘う」なんていうと、「有田芳生、もっとやれ!!」になる。
期間中に『妖怪の孫』の上映会があって、2日で800人(全国最大規模の集客)が観賞して内山監督が驚いていたが、同じ事だ。誰も安倍晋三なり安倍事務所にビビってなどいないし、良くないことについては良くないという真っ向からの批判を「もっとやれ!」と思っている訳だ。本気を見せたら呼応する人たちはいる。いわゆる「アベガー!」の人たちではなく、4区では一般の人たちのなかにその力が眠っている。その力を束ねていくことが求められている。4区の課題はそこだろう。
A 広く受け皿と見なされて、火がついたらおもしろいことになると思う。そういう意味で、2区も4区も今後の展開が非常に楽しみだ。安倍vs林など勝手にしろ! としか思わないし、これらの喧嘩については夫婦喧嘩と同じで犬も食わないような代物だ。利害が一致すれば、また何事もなかったかのようにおしどり夫婦に戻るのだ。散々大騒ぎして周囲をやきもきさせておいて、元鞘におさまっていく迷惑夫婦くらいに見なすのが無難だ。
いずれにしても、この選挙で何が動いたのか、変化をあるがままに捉えて、次なる働きかけをしていくことが必要なのではないか。客観に働きかけていくとは、客観をあるがままに捉えることができなければ不可能な営みだ。より現実に肉薄していくことが求められる。選挙結果としては拮抗までには及ばなかったが、「黙さず、闘う」の点火はしていたと思う。ただ、燃えていく期間が短すぎた。有田芳生に対しては、「お疲れ様でした」の一言につきる。それは心から思う。そして、短い選挙戦ではあったが「面白きこともなき世を面白く」にはなったと思う。新聞としても久々に維新ネタに絡めることができて面白かった。
あと、「過去は知ることはできるが変えることはできない。未来は知ることはできないが変えることはできる」の言葉なんだけど、あれって5、6年前に読んだ本のなかで出てきたフレーズで、そりゃそうだと思った記憶だけが残っていて、せっかく選挙期間中に使ってくれたのに、誰の言葉かがどうにも思い出せない。誰が発しようがあまり関心がないからこんなことになる。本なんてその間に何冊も読んでいるものだから、どの本だったかひっくり返して探そうにも思い出せなくって、「ごめん」って思う。思い出してというか、暇なときに見つけ出せたら連絡する。最後の最後に、え? なんの話? と思う人もいるかも知れないが、これは伝えたい相手に伝わればいいメッセージ。
C ただ言葉に商標登録とかあるのか? 好きな言葉を好きに放ったらいいんじゃね?
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK290掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK290掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。