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憲法記念日に向けて(2)専守防衛の担い手・自衛隊に対する共通の理解が必要だ ここがおかしい 小林節が斬る!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/322229
2023/04/28 日刊ゲンダイ
小林節慶応大名誉教授(C)日刊ゲンダイ
私は、40年以上も憲法論議に深く関わってきたが、いつも不思議に思うことに、あの有名な9条について、主権者国民の間に共通の理解が存在していない。
1項について、ある者は「一切の戦争を放棄した」のだから、もはや戦争は起こらないと言う。しかし他の者は、「国際紛争を解決する手段としての戦争」つまり国際法の用語としての「侵略戦争」のみを放棄しているのだから、自衛戦争はできると主張する。
2項について、ある者は、「戦力」を持たないのだから、自衛隊は違憲だと言う。しかし他の者は、自衛のための「必要・最小限」を超えていないから、自衛隊は合憲だと言う。
いずれにしても、まるで言葉の遊びのようで、素直に腑に落ちる話ではない。しかし、国の存立に関わる防衛政策に関する国民的合意の証しになる憲法条文について、共通の理解が存在しないことは、全ての国民にとって大変危険なことである。
9条を改憲の対象にするか否か以前の問題として、9条の意味に関する国民的合意の存在は不可欠であろう。参考までに、私は、9条の意味を次のように考えている。
まず1項は、パリ不戦条約(1928年)以来の国際慣行として、「国際紛争を解決する手段としての戦争」つまり「侵略戦争」のみを禁じている。だから、そこでは「自衛戦争」は留保されている。
ところが2項で、国際法上の「戦争」を行う条件である「交戦権」と「戦力つまり軍隊の類い」が禁じられているために、日本は、海外派兵が不可避な「戦争」は自衛のためであれ許されていない。
では、現に存在する「自衛隊」は何なのか? それは65条の行政権に根拠のある「軍隊の如き、実力を備えた第二警察」である。
つまり、わが国から他国を攻めることはしないと9条で宣言しても、他国がわが国を攻める意思を全て封じることはできない。そして、不幸にして他国軍がわが国に攻め込んできた場合には、国内と公海・公空のみを戦場として、その敵軍を排除する役割を自衛隊が担っていることになる。 =つづく
小林節 慶応大名誉教授
1949年生まれ。都立新宿高を経て慶大法学部卒。法学博士、弁護士。米ハーバード大法科大学院の客員研究員などを経て慶大教授。現在は名誉教授。「朝まで生テレビ!」などに出演。憲法、英米法の論客として知られる。14年の安保関連法制の国会審議の際、衆院憲法調査査会で「集団的自衛権の行使は違憲」と発言し、その後の国民的な反対運動の象徴的存在となる。「白熱講義! 日本国憲法改正」など著書多数。新著は竹田恒泰氏との共著「憲法の真髄」(ベスト新著) 5月27日新刊発売「『人権』がわからない政治家たち」(日刊現代・講談社 1430円)
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