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2024年3月31日 18時40分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/318465?rct=national
年度替わりの3月末を迎え、能登半島地震の避難者の受け入れ、被災者支援活動などで区切りとなるものがある。自主避難所閉鎖、2次避難者受け入れを終える施設もあり、次の住まいをどうするかなど新たな選択を迫られる被災者もいる。寄り添った対応、支援の継続が課題になっている。
◆仮設住宅に入れなければどうしよう…
石川県七尾市は、仮設住宅の完成に合わせて指定避難所を4月末〜5月上旬に閉鎖する方針。3月末で市内5カ所の避難所を閉鎖し計8カ所に集約する。
自宅が半壊した無職女性(67)は今も避難所生活。住宅を改修する業者が見つからず、修繕費が高額だと支払えない。女性は24日、閉鎖した市内の別の避難所から移動した。閉鎖に「先のめどが何もたっていないのに、終了時期が決まっているのはおかしい」と憤った。
同じく避難所で生活する農業男性(76)は、金銭的理由で自宅再建は難しいと判断。仮設住宅入居を申し込んだが、同市では既に申込数が用意した戸数を上回り、入居できるか不明。仮設に入れなかった場合を考え「避難所がなくなると困る」と話した。(鈴木義人)
◆断水も解消されていないのに、半壊の家に帰るしかない
石川県珠洲(すず)市でも、仮設住宅入居が始まったのに伴い、自主避難所などの閉鎖が進む。蛸島町の自主避難所「元気の湯」は3月末で閉鎖。避難者は近くの別の避難所へ移るかどうかなどの選択を迫られている。
元気の湯には一時約30人が避難し、現在は10人ほど。物資が少なかった時期も、各家庭に残った食材を持ち寄り助け合って暮らしてきた。避難所に集まったのは近所付き合いがある住民同士で、生活は比較的しやすかったという。4月からは市が仮設住宅の支援拠点として使う。
避難所運営を担った漁師の能村雅弥さん(41)は、4月から指定避難所の蛸島小学校に移る。しかし、漁は深夜に出発するため、避難所を夜遅くに出る必要がある。施錠をどうするかとの問題もあり、「大きな避難所では周りの迷惑になるかもしれない」と、車中泊やテント生活も検討している。
他の避難所に移る避難者は能村さんを含め3人。半壊の自宅に戻る人が5人ほど、金沢市に避難することを決めた人もいる。能村さんは「3カ月たって断水も解消されない。それなのに、もう避難所を出なければいけない」と話した。(長尾明日香)
◆能登町では4カ所の避難所が閉鎖
石川県能登町では3月末で4カ所の避難所が閉じ、うち3カ所に残る避難者がそれぞれ近くの避難所に集約される。このうち町役場ホールには20人以上が滞在。多くは自宅などに戻るが、8人が別の避難所に移る。
家族4人で身を寄せる会社員男性(55)は「避難場所の移動は行政の判断だから従う」と話す。自宅は傾き、断水もしているため避難生活を続けざるをえない。一方、避難所では消灯時間など生活に制約もあり「早く普通の生活に戻りたい」と話した。
小学校に開設された2カ所の避難所も閉鎖。町の担当者は「学校や行政の本来の機能を回復させていかないといけない」と説明し、避難者が減ったところを閉じていく方針だ。(安福晋一郎)
◆80人超が身を寄せた温泉ホテルも受け入れ終了
2次避難先として1月末から石川県輪島市の被災者を受け入れてきた富山県黒部市宇奈月温泉の宇奈月グランドホテルは、3月末で受け入れを終了。4月1日に13人が系列の石川県加賀市の宿泊施設に移り避難生活を続ける。同ホテルには最大83人が身を寄せていた。
3月29日午前、輪島市門前町の中島幸子さん(75)は、夫(77)とともに迎えに来る息子の到着を待っていた。「風呂が壊れてまだ使えないけど、(断水が解消して)水が来たから家に戻る。家族4人で1部屋はちょっと狭かったけどここに来てホッとした。コインランドリーにもよく通った」と振り返った。
ロビーで、黒部市が石川県内から取り寄せる新聞を読んでいた輪島市光浦町の干場三蔵さん(90)も31日に輪島に戻る。「自宅は一部損壊。まだ水も来てないけど、近くの集会所まで水が来ているので、家に帰って(断水解消を)待つ。ここの環境は申し分ない」と感謝した。
一方、石川県でさらに2次避難を続ける人も。輪島市宅田町の小形都子さん(79)は「自分の枕で寝たい」と本音を漏らす。夫(84)ともども脳梗塞を患い、黒部市に頼み和室に段ボールベッドを入れてもらった。「次の避難先では洋室を希望した」と語り、避難を続けながら自宅の下水道復旧を待つ。(島崎勝弘)
◆穴水町の支援物資配布も終了「感謝しかない」
石川県穴水町は、車中泊や自宅に住み続ける人を対象にした支援物資の個別配布を3月末で終了する。週1回ほど利用していた村中愛子さん(84)は「十分もらいました」と感謝。自力で配布場所に行けない人にも物資を渡しており、「(渡した人も)喜んでいた」と話した。
車で20分かけて受け取りに来ていた新田眞壽美さん(89)は「もらえた靴下のおかげで、がれきの片付けや家の掃除をする時も温かかった。感謝しかない」と話した。
町は避難所への物資配布を続け、生活困窮者には町社会福祉協議会や県と連携し支援する。(脇阪憲)
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