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ロシア軍は欺瞞作戦を行なっている可能性が高まっている
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2023.07.21 櫻井ジャーナル
ロシア軍第58統合軍を指揮していたイワン・ポポフ少将はセルゲイ・ショイグ国防相やワレリー・ゲラシモフ参謀総長を批判していた。彼の主張を録音したボイスメッセージをロシアのアンドレイ・グルリョフ議員が公開して話題になったが、この話を奇妙だと考える人もいる。そのひとりがCIAの元分析官で国務省のテロ対策室に所属していたこともあるラリー・ジョンソンだ。ポポフ解任されたとされているのだが、実際はシリアに派遣され、ロシア軍の軍事作戦を指揮しているという。
ワグナー・グループのエフゲニー・プリゴジンもゲラシモフやショイグを批判していた。この傭兵会社の創設ではロシア軍参謀本部の第1副本部長を務めていたウラジーミル・ステパノビッチ・アレクセーエフ中将が背後にいたと言われ、今年5月4日からミハイル・ミジンチェフ上級大将がワグナー・グループの副司令官を務めている。民間の傭兵会社とは考えにくい。
ワグナー・グループはソレダルに続いてバフムート(アルチョモフスク)を制圧、プリゴジンは5月20日にアルチョモフスクの「解放」を宣言、その際にセルゲイ・スロビキン上級大将とミハイル・ミジンチェフ上級大将に謝意を表している。ポポフと同様、このふたりもロシア軍の有能な将軍として知られている。
スロビキンはプリゴジンが騒ぎを起こした後、公的な場に姿を見せていないので、解任されたのではないかと噂されているが、その推測を裏付ける情報はない。
プリゴジンの騒ぎとは、NATOの軍事演習「エア・ディフェンダー23」が終了した6月23日の「反乱」。ロシアの連邦保安庁(FSB)は武装反乱の呼びかけ容疑でプリゴジンの捜査を開始、ウラジミル・プーチン大統領は「武装反乱」は反逆であると述べ、ロシア軍に対して武器を取った者は誰でも処罰されると約束しているのだ。
しかし、24日の午後にはロシアにおけるワグナー・グループの行動を中止することでベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領とプリゴジンが合意し、ロシア政府はワーグナー・グループの幹部に対する訴追を取り下げると発表した。プーチン大統領は最終的にプリゴジンの行動を武装反乱だと見なさなかったということだろう。
ショイグは父親のコネで1990年にロシア連邦国家建築建設委員会の副委員長に任命されたが、そこで彼はボリス・エリツィンの信頼を得たと言われている。そこでショイグはエリツィン人脈に属すと考えられ、欧米資本の影響下にあるとも言われている。1990年代にエリツィン人脈は米英巨大資本の命令に従ってロシア国民の資産を略奪する政策を進めていた。その時、ショイグはエリツィン側について戦ったという。
つまり、ロシア軍の内部で、エリツィン派の幹部に現場の司令官たちが反発しているという話はありそうなのだが、一連の出来事を見ていると奇妙なのだ。本当なら厳しく処罰されそうなのだが、そうした話が流れてこない。ロシア軍は「マスキロフカ」、つまり欺瞞作戦を行なっている可能性がある。
ウクライナの内戦は2014年2月にバラク・オバマ政権が暴力的なクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除し、ネオ・ナチ体制を築いた結果だ。その様子は人びとによって撮影され、インターネット上に流れた。その後、削除されたようだが、事実は消えない。
ヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部の住民はクーデター体制を拒否、南部のクリミアはロシアと一体化する道を選び、東部のドンバスでは内戦の道を選んだ。クーデター後、ウクライナ軍の将兵や治安組織の隊員は約7割が組織から離脱し、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。
ネオ・ナチの一部はNATO諸国で軍事訓練を受けていたが、それだけでは足りない。ネオ・ナチはウクライナだけでなく世界各地から集められ、軍事訓練を受け、内務省に設置された親衛隊の主要メンバーになった。そうした親衛隊の中心的な存在がアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)。マリウポリを拠点にするが、その際、少なからぬ住民が殺害されたと言われている。
そうしたネオ・ナチを訓練した軍人のひとりがアメリカ陸軍のブライアン・ボイエンガー。このボイエンガーはイラクでマイケル・スティール大佐の下で活動したが、このスティールはソマリアでの戦闘に参加、本人は否定しているが、イラクでは少なからぬ非武装の市民を殺害したと言われている。
ボイエンガーは2015年にウクライナへ軍事インストラクターとして入り、アメリカの特殊部隊に参加したとされているのだが、実際はヤヌコビッチが排除される直前の2014年2月15日にはウクライナで活動を始めていた。
その数日後、キエフではネオ・ナチが棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら最前線に現れ、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。広場では無差別の狙撃があった。この狙撃を指揮していたのは西側が支援していたグループの幹部でネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだとされている。
イタリアで2017年11月に放送されたドキュメント番組の中で3人のジョージア人が狙撃したのは自分たちだと語っている。この3人は治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたのだが、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。(その1やその2)この3人も狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだと語っている。ボイエンジャーも狙撃事件を組織したひとりだったとする証言もある。
ヤヌコビッチが排除された直後の25日に現地入りしたエストニアのウルマス・パエト外相も調査の結果、クーデター派が狙撃したと判断、その事実をEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告しているが、この報告をアシュトンはもみ消された。
2013年11月から14年2月にかけてのクーデターはオバマ政権がネオ・ナチを利用したというだけでなく、アメリカの軍や情報機関が深く関係していた可能性が大きい。すでに、その時点までにアメリカの巨大企業は多額の資金をウクライナへ投入しているが、それはウクライナの資源や富を盗むことが目的である。
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