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「創価学会を斬る」に敗北した50年後の創価学会(下) 創価学会と自民党は同類のカルト
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投稿者 新・ジャーナリズム 日時 2022 年 4 月 04 日 01:39:34: dyYA8MTtuUD4Y kFaBRYNXg4OBW4Npg4qDWYOA
 

「創価学会を斬る」に敗北した50年後の創価学会(下)

「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬ、と猛省したい」との発言からおよそ50年。猛省の方向は批判を寛容をもって受けとめる、批判者の人権を侵害するような非常識な態度は改める、といった社会と協調する方向には向かわなかった。二度と謝ってたまるかという誤った方向に向かってしまった。

反省の撤回 

昭和45年の池田会長(当時)の反省の言葉などなかったかのように、機関紙では藤原弘達氏への悪罵が繰り返されている。青年部など、過去を知らない連中が創価学会に都合のいいようにでたらめを放言するさまは醜悪である。創価新報2006(平成18)年3月15日、4月5日号では「元祖デマ男藤原弘達の正体」として上下編にわけて特集記事を組んでいる。たしかに、藤原弘達氏の「創価学会を斬る」も、創価学会に対する侮蔑的表現に満ちたものといえる。しかし、創価学会の藤原弘達氏への悪罵も五十歩百歩というところで、買春行為を取り上げたり、品性下劣と罵ったりと人格攻撃に終始している。これでは、相手の手法を批判しておきながら自らも同様な手法で相手を誹謗中傷するのであるから、批判に対する反論として公正な態度とは言い難い。相手を反則だと非難しつつ自分も反則でやり返すのでは泥試合にしかならない。しかも2006年当時、藤原弘達氏自身はすでに亡くなっている。にもかかわらず、墓を暴いてなお死者に鞭打つような行為を恥じずに行うさまは、それでも宗教者かと軽蔑されても仕方ないのではないか、と私は思う。藤原弘達氏がそれだけ許せないことを創価学会に対して行ったのだというのであれば、「もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります。」との池田会長(当時)の言葉は、当面社会からの批判をかわすためのその場しのぎの言い訳に過ぎなかったことになり、まさにそういうその場しのぎの姿勢をこそ藤原氏に批判されていたのだということを全く理解も反省もしなかったということになるだろう。

昭和39年、公明政治連盟を政党化する際の池田会長(当時)の発言を引く。

「その(公明党の)政策と創価学会との関係についてひとこと申し上げます。信心はあくまでも信心、政策はあくまでも政策です。したがって、多数のなかには、政策に対し、異議、異論をはさむ人も出ることはとうぜんであります。それは自由といたします。あくまでも、私ども同志、また議員の方々が支援を願い、理解させ納得せしめるようにしていくことはとうぜんでありますが、たとえ政策のうえで異論を唱える人があったとしても、学会人は学会人として、信心は信心として、大きく包容して進んでまいりたいと思いますけれども、この点はいかがでしょうか(拍手)。意味はわかりますね。」会長講演集11巻177頁 強調は筆者 冒頭のその以下の(公明党の)の付加も筆者

結局、この言葉は建前に過ぎなかったようだ。でなければこれほど査問や除名が横行するはずがない。特に一般会員が本来の創価学会の姿勢と相容れないとして、平和、沖縄や核兵器に対する現状の創価学会や公明党の姿勢を批判することに対して、組織を乱す行為だとして処分するのは許されないと私は思う。彼らは創価学会、公明党自身が過去に主張してきた、その態度を守るべきだと言っているに過ぎない。いわく沖縄県民の声を聴け。いわく核兵器を廃絶する具体的な行動をとるよう条約の批准を日本政府に働きかけるべきだ。いわく憲法に反するような法制を成立させたり解釈をしたりするべきではない・・・真に処分されるべきは組織防衛に汲々とし、会の方針や平和の党是をなしくずしにしてしまったあなたたちだろうが、に一票。

このようにみてくると、池田会長(当時)がなぜ会長就任一年後の昭和36年の時点で衆議院には進出しないと言ったのか、そしてなぜたった3年でその言葉を反故にしたのか、ということは実は大きな問題だったのではないか、と思えてくる。のみならず、池田大作氏や創価学会の前言撤回や自語相違はこれにとどまらない。財務の是非、衆議院進出、沖縄、核兵器、日蓮正宗、法主、大御本尊の位置付けや評価などに関しても枚挙にいとまがない。しかし、そのことはこれ以上ここで触れる余裕がないので問題の指摘にとどめ、他日を期したいと思う。

安倍首相のもとで顕在化した自公政権の末期症状

「日蓮のすばらしさ、彼らが御本尊として崇拝する日蓮のすばらしさは、鎌倉幕府という権力に対する抵抗にあった。しかし、現在の公明党・創価学会の姿勢に、権力に対する抵抗の姿勢が本当にあるだろうか。また権力に対する真に鋭い批判を展開しているといえるであろうか。さらには権力に対する批判を通じて国民大衆を本当にたくましくする方向にむかっているだろうか。私にはそうとは思えない。むしろ一部野心家たちの御本尊利用であり、学会組織利用であり、大衆利用であるにすぎないと考える。」「創価学会を斬る」(299頁)強調は筆者

この言葉は藤原弘達氏が昭和44年に「創価学会を斬る」の巻末部分で最後に創価学会に向けた批判の言葉である。当時よりむしろ50年後の現在、より鋭さを増して、創価学会にとどいていると言えまいか。公文書は改ざん、破棄され、首相に都合の悪い情報は常にないことになり、首相に近ければ犯罪を犯しても捕まらず、予算委員会は開かれず、憲法改正だけは大声で叫ばれ、緊急事態条項がどうのともはや民主主義は風前の灯火。そんな政権の片棒を担いでいながら恥を恥ともしない。

批判を真摯に受け止める努力を放棄し、自らの行いを省みることもなく、ただ我のみ尊しと。耳の痛い言葉はすべて聞く必要のない雑言とうそぶき、退け、堕落した姿。今の創価学会に「創価学会を斬る」を批判する資格などない。今ではほとんど省みられることもなくなったこの書物に、まさに現在の危機的な政治状況を言い当てられていることに驚くとともに、著者である藤原弘達氏の先見の明を讃えたいと思う。そして私はそのことに忸怩たる思いでいる。

https://note.com/sakakihiroshi/n/n2b73980a14e9
 

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