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「創価学会を斬る」に敗北した50年後の創価学会(中) 創価学会と自民党は同類のカルト
http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/160.html
投稿者 新・ジャーナリズム 日時 2022 年 4 月 04 日 01:37:00: dyYA8MTtuUD4Y kFaBRYNXg4OBW4Npg4qDWYOA
 

「創価学会を斬る」に敗北した50年後の創価学会(中)

昭和35年、昭和36年の池田会長(当時)の衆議院に進出しないとの言明の理由付けは、創価学会は宗教団体であって政党ではない、故に政治への進出も政党色のない分野への進出に限る、というものであった。現在の政党化した参議院では見る影もないが、良識の府として政局に関せず、大所高所から政策を判断することは本来の二院制の趣旨にも沿うもので、政権を争う衆議院とは距離を置き、「良識の府」としての参議院と住民の生活により密着する地方議会で活動するとの言明は、宗教団体として政治に関わるにあたり、国民、住民の理解を得るために一定の見識を示したと評価できよう。もっとも、創価学会の政治進出は日蓮正宗の国教化、国立戒壇の建立が目的ではないかとの疑念もあり、国民一般に広く支持を得るためにはそのような疑念を抱かれないよう政権獲得の場である衆議院には出ないと言明しておく必要があると考えたのかもしれない。(ただ、戸田は創価学会の政治進出の目的を国立戒壇の建立のためとしている。この点は戦後に制定された日本国憲法への戸田の理解が不十分であったのかもしれないし、世代観もあったと思う。戸田の国立戒壇論については稿を改めて論じてみたい)

なにより、創価学会の政治進出を行った先代会長の戸田城聖が、対外的に衆議院には出ないと言明しており(週刊朝日 昭和31年7月29日号等、ただし、戸田城聖-創価学会-日隈威徳 本の泉社241頁の指摘に依る。)、会長就任直後の昭和35年や、就任からまだ一年しか経っていない昭和36年の段階では、先代会長の言明を踏襲しておくべきと判断したであろうことも想像に難くない。(衆議院に出ないという理由付けとしては先代会長である戸田城聖の言明が決定的だったはずでその旨追加しました。’20.3.10 その後、当該誌を入手したので戸田の発言部分を引用しました '20.4.22)

それをわずか3年で撤回し、昭和39年には公明政治連盟の政党化、衆議院進出、創価学会政治部の発展的解消を決議するわけだが、その論理展開はわかりにくい。要は総会参加者に諮り、全員の賛成があったことをもって過去の自らの衆議院進出を否定した言明の撤回を正当化したのだと思うが、加えて公明政治連盟の政治家達が十分に成長し、政党化や衆議院進出も彼らに任せてよい、なぜなら時が来れば衆議院にも出よとの戸田の遺訓もあったのだ、と続けた。しかし、衆議院進出を否定した昭和36年からまだ3年しか経過していないのに、それで大政治家に育ったから衆議院にも出てよいというのは衆議院進出の否定を撤回する理由としては疑問を感じる。「この十年」とは、創価学会が政治に進出するために文化部を設置した昭和29年から十年を意味するのだろう(訂正)。ただ、昭和30年に地方議会から進出し(東京都議 小泉隆 横浜市議 森田悌二他)、国政である参議院への進出は昭和31年からで、昭和39年の時点で公明政治連盟の参議院議員は辻武寿、北条雋八(全国区)、白木義一郎(大阪地方区)の3氏が二期目、原島宏治、牛田寛、石田次男、小平芳平、中尾辰義(全国区)、柏原ヤス(東京選挙区)の6氏が昭和34年の当選、辻、北条、白木の3氏に加え、鈴木一弘、渋谷邦彦、浅井亨、二宮文造、鬼木勝利(全国区)、和泉覚(東京地方区)の6氏が昭和37年に当選で計15名の陣容であった(創価学会年表による)。揚げ足を取るようだが、昭和39年の時点で10年以上の国会議員経験のある者は元子爵で過去に貴族院議員の経歴を持つ北条雋八氏のみのはずである。

よく言えば機を見るに敏な判断で、時代の要求、民衆の要望あるいは会員の期待に鑑み、自らの過去の言説にとらわれず、君子豹変す、というべきなのかもしれない。実態は会員数の急激な増加こそが衆議院進出に踏み切った真の理由なのではなかったか。戸田城聖の逝去時に約76万世帯。二年後の昭和35年の池田会長就任時には約140万世帯、昭和37年には目標より2年も早く300万世帯を達成、会長就任から昭和45年までの十年間で755万世帯にまで増加したわけであるから、衆議院に出ない手はなかったのだろう。

そのような状況の下、「時来たらば衆議院へも出よ」との戸田の遺訓があったとして駄目を押すのだが、この遺訓が本当にあったか否かについても筆者は疑問を持っている。もし本当に「時来たらば衆議院へも出よ」との戸田の遺訓があったのであれば、昭和36年の時点で「けっして、衆議院にその駒をすすめるものではない。」などと断定する言い方は避け、当面は出ないなど後事のために含みを持たせた言い方にするのが普通ではないか。またあくまで宗教団体なのであるから政治進出も政党色があってはならない分野に限るとの理由付けは、時来たらばとの遺訓にとって枷にしかならないとも思う。

この点について興味深いのはのちに池田氏が、平成7年に田原総一朗氏のインタビューを受けた際に、「(略)ただ、弁解のようになるが、本当は私は衆議院には出したくなかったんですよ。それは、戸田会長が『衆議院には出さないほうがよいと思う。出すとお前が誤解される』といっていました。」と答えており、ニュアンスに変化がみられることだ。続けて「しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、時代に即応してゆくことが正しいと判断したものです。」と。ただ、当時の議員たちの発言についてインタビューでは、政権獲得と言っていたが私は彼らが本気で政権獲得を目指しているとは思っていなかった(要旨)と懐疑的な態度もにじませている。(精確には「ただ、当時、政権をとるとか、そこまで高邁な決心をした人間は一人もいなかったように思える。」)中央公論 1995年(平成7年)4月号 「戦後50年の生き証人」に聞くC 田原総一朗 強調は筆者 引用部分を精確に訂正した。'20.1.17

このインタビューの通りなら、昭和36年の衆議院には出ないとの言明の方が、戸田、池田の意に沿っていたことになる。戸田の遺訓なるものも、時が来れば衆議院にも出ればいいが、誤解されるから止めておけという態度もありえるので、どちらかが事実なら他方は虚偽と言い切ることもできない。戸田の意向もあり、自分も本音では衆議院に出すつもりはなかった、しかし、議員や会員の強い要望があり、皆に諮って前言を撤回した。戸田の遺訓は皆が撤回を納得しやすいよう多少脚色した。平成7年のインタビューをふまえれば、昭和39年当時の状況はこのような所だったのかもしれない。

そうでなければ、その時々で常に自分(たち)に都合のいい先師の遺訓や遺言、言葉なるものが次々と出てくる状況そのものが遺訓の真贋を語っていると言えなくもない。(付加 ’20.1.17)

昭和42年の衆議院初進出の選挙で25議席、昭和44年の二度目の選挙で47議席ときて年末から翌年にかけて言論出版妨害事件があかるみにでる。取次や書店に創価学会批判本を置かないよう圧力をかけ、置くなら創価学会の書籍を扱わせないと迫る。著者へ直談判し取材や書き直しの要請。「創価学会を斬る」の場合は当時の自民党幹事長であった田中角栄氏まで引っ張り出して著書の買取を提案、藤原弘達氏に断られた上にその交渉を暴露される始末。結局、翌年5月3日の創価学会の総会において池田会長(当時)は謝罪の言葉を述べた。この謝罪の通りに創価学会が批判や批判者に対して従前の態度を改め、言論の自由や批判者の人権を重視する態度を取り、その姿勢を取り続けることができていれば、現在のような政治状況には陥っていなかったのではないか、と筆者は考えるので長文だが謝罪部分を以下に引用する。

言論・出版妨害事件の反省 昭和45年5月3日 第33回本部総会

 「(前略)次に、言論・出版問題について、私の心境を申し上げます。 今度の問題は『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり。個人の熱情からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申し訳なく、残念でなりません。                                たしかにこれは、それ自体として法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないから、かまわないというような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない、最も大切な問題だと思うのであります。                     今回の問題をめぐって幾多の新聞、雑誌にフランスのボルテールの次の言葉が引用されておりました。それは「私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、私は命にかけて守る」という有名な言葉であります。私は、これこそ言論の自由の根本だと思う。            かくも言論の自由が尊重されるゆえんは、それが人間の権利の欠くべからざる要素であり、あらゆる人が自己の主義・主張をなんら拘束されることなく、表現できることが、民主主義の基盤であるからであります。     その点から言えば、今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守る為とはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏になりすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬ、と猛省したいのであります。              私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります。                      また、この問題には、学会幹部も何人か関係していますが、全般の学会員の皆さん方には、なんら責任のないことであります。その皆さん方に種々ご心配をおかけしまして、私としては申しわけない気持ちでいっぱいであります。                                私自身、小説も書いております。随筆も書いてきました。いろいろな論文も書いております。これからも書いてまいります。近代社会の言論の自由の恩恵に浴している一人であります。もし今の社会に言論の自由がなかったならば、自分の思うことも書けないでありましょうし、こうして話していることもできなかったかもしれません。総じては、学会の発展も、こんなに急展開できなかったでありましょう。                    言論の自由が、幾多、先人の流血の戦いによって勝ち取られたものであり、人間の権利を保障する尊い遺産であることも、よくわきまえているつもりであります。                             これを侵すことは民衆の権利への侵害であることを明確に再認識し、言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思いますが、いかがでしょうか。(後略)」「人間勝利の大文化目指して」池田会長講演集 3巻 10-13頁 昭和46年5月3日発行 聖教新聞社 

 

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