愚民とゴミメディアが、さらに国を貧しくし最終的には侵略を受け(もしくは自分から侵略し)滅びる https://toyokeizai.net/articles/-/626105 フェラーリに乗る人に補助金を払う必要はない金持ちへのガソリン・電気代の援助は大愚策だ 山崎 元 : 経済評論家2022年10月15日
「ガソリン代補助金」の次は「電気代補助金」「ガス代補助金」……。一見「庶民の暮らしを守る」と言われるとよい政策のようだが、本当だろうか(写真:つのだよしお/アフロ) まずは数行、落語調で読んでみてください。 熊「ガス屋の大将がかんかんに怒っているねえ」 八「瞬間湯沸かし器が得意なんだから、それは大変でしょうな。で、どうしたんです?」 熊「お上がよ、電力屋ばっかり贔屓するからなんだってさ」 八「お役人さんとのお付き合いが足りなかったんですかねえ……」 ガス業界の激怒も当然、補助の対象はどんどん拡大? この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら ガス屋と電力屋の代わりに、鰻屋と天ぷら屋でも入れると古典落語の噺のようであるが、この書き出しがごく最近の事例を踏まえたバリバリの現代落語になりうるというのだから、現実の馬鹿馬鹿しさに頭を抱えたくなる。 折からのエネルギー資源価格高騰に加えて円安の進行もあって、電力料金もガス料金もここのところ上昇が著しいし、原価の上昇と価格設定のタイムラグを考えると今後も上昇することが予想される。 岸田文雄首相は、10月3日の施政方針演説で特に電気代に触れて「電力料金負担の増加を直接的に緩和する、前例のない思い切った対策を講じる」と述べたのだが、ガス代への言及はなかった。これに対して、国会でもツッコミが入ったし、ガス業界からも声が上がった。 「庶民の生活に影響の大きい電力料金」がコスト上昇をフルに反映しないように対策が施されるとしたら、一見喜ばしいことのように思う人がいるかもしれない。 だが、これはガス業界から見ると大変な事態だ。エネルギー価格の上昇と円安を反映したコストアップには電力業界と同じように苦しんでいるのに、電力料金だけが政府の補助を反映して下がるのだとすると、ガス業界は競争上多大な不利を被る。それこそ、日本列島全体が「オール電化」になりかねない(大げさだが)。 その後の報道を見るとガス料金に対する措置も検討され実施される見込みのようだ。詳細には興味の湧かない話だが、それは、そうなるだろう。 そして、この種の価格に対する対策は、すでにガソリンに対して大規模に実施されている。他の品目はどうだろうか。対象はさらに拡大しうるのではないか。 さて、ここで現実を少々離れて空想してみよう。「近視眼的な自分の損得」しか考えない国民で構成される仮想の国を考えてみよう。 価格に働き掛ける経済政策は金持ちにメリット大 この国は、日本でも、どこかの外国でもない、あくまでも架空の国家だ。国民は、目先の変化が「自分に得かどうか」だけを考える。役人も国家のためではなく、自分個人の利益を考えるし、政治家は支持率、人気、選挙、個人財産の増減など、自分の損得にかかわる目先の変化だけを追うと考えてみよう。 先の、電力料金への「思い切った対策」のようなケースはどうか。電力料金の上昇が生活を圧迫していると強く実感するような「貧者」(架空の国の話なので少々乱暴な言葉遣いを許してほしい)は、毎月支払う電力料金の低下を「毎月1000円以上助かった」などと喜ぶ。 一方、バリバリに空調が効いていてキラキラの照明の豪邸に暮らす「金持ち」も、声には出さないだろうが「今月は優に1万円は支払いが減るな」などと気づいて、まあまあ悪い気はしない。 価格に働きかける経済対策は、絶対額では、しばしば貧者よりも金持ちにとって、よりメリットが大きいのだ。 筆者は、どちらも乗ったことがないが、(金持ちが乗る)フェラーリのほうが(幅広い層の国民が乗る)カローラよりもガソリンを食うのだろうから、ガソリン価格への補助はフェラーリの乗り手に対するメリットのほうが大きい。 一方、純粋愚民国家の役人について考えてみよう。電力ムラを担当する役人は政策に電力料金対策を入れることができて、政策に関与できたことが人事評価につながるだろうし、電力会社からは褒められるだろう。同様の実績を積むと将来の就職に有利であるにちがいない。個別の価格対策には大いに関与する価値がある。 今回は一歩出遅れたかもしれないが、ガス業界担当の役人にとっても事情は同じだ。ガス料金対策を取りまとめると、業界も政治家も褒めてくれるだろう。 その他の、業界を担当する役人さんにとっても事情は一緒だ。自分の担当業界で国民受けのいい政策を提案できるとプラスの得点が期待できる。 では、政治家はどうなのか。電気を使っている国民が愚民なのだから電力料金の引き下げは貧者からも金持ちからも歓迎され、支持率向上につながるはずだ。これは結構なことだ。やりがいがある。 追加で行うガス料金の対策はどうか。「遅い」とツッコまれるかもしれないが、後から慌ててみせるのも努力しているように見えていい。もちろんガス料金対策も愚民には歓迎される。そうだ。選挙ではガソリン価格についてもアピールしなければならない。 小麦の価格なども上がっているから、ここでも「個別の対策」が欲しい。和風と洋風に分けて、「うどんとパスタにそれぞれ対策を施しましょう」という提案が役人から上がってくるかもしれない。「気の利く奴だから、秘書官にするか……。いい奴がいない場合は、義理の息子にでもしておくか」……などといった具合だ。 政治家も役人も国民も、皆愚民同士の場合、経済対策は、一気に問題が片付いて仕事がなくなるようなものではなくて、個別に右往左往できるようなもののほうが、組織にとっても個人にとっても好ましい。 あちらではアレに対策し、こちらではコレに対策し、それぞれの部署に仕事があり忙しさと成果が表現できる「個別の価格対策」は純粋愚民国家に最適な政策フレームワークだ。経済全体の効率性など構っていられない。 念押ししておくが、これは、あくまでも「架空の」愚民ばかりの国家の話だ。日本がこうだと言っているわけではない。ただし、こうでないとも言っていない。 SDGsは屁でもないのだろうか? エネルギー価格高騰の少し前を思い出してみよう。世はSDGs(持続可能な開発目標)がブームであった。 地球温暖化を阻止するためには、炭素ガスの排出を制限する必要があり、その削減目標を立てて実行することが、地球に対して責任のある態度だと推奨された。化石燃料の採掘に対する追加投資は抑制されたし、電気自動車が素晴らしいとされて(本当だろうか?)、炭素税、カーボンプライシング、排出権取引(所)、などが議論され、一部は現実に導入もされた。 しかし、今や「インフレと生活!」の問題の喧噪で、世間はSDGsの音をかき消そうとしているかのごとくだ。 カール・マルクス研究者の斎藤幸平氏は「SDGsは大衆のアヘンである」と喝破したが、SDGsには、アヘンほどの依存性はなかったようだ。 かつての議論では、炭素ガスの排出に対する正しいプライシングが行われて、これが最終価格に反映して消費者の行動が変わると世界が良い方向に変わるはずだった。このロジック自体に変化はないはずだ。 自動車がガソリンで走るにせよ、化石燃料を使った発電による電力(送電時のロスも計算に入れて考えてほしい)で走るにせよ、燃料代・電気代が環境コストを反映して十分高ければ、自動車の利用が減って、地球環境に対する負荷が減るはずだった。 自動車の利用を減らす手段は、公共交通を使うのでもいいし、自転車に乗るのでもいい。あるいは、テレワークを増やして、そもそも移動の機会を減らしてもいい。いずれも地球環境に優しい。 「価格」の調節機能を無視する日本政府 ガソリン価格、電力価格といった「価格」には、世界レベルの必要・不必要を反映する機能がある。これらの価格上昇には、価格メカニズム的には、まずは「自動車利用の手控え」や「電気代節約」を通じて地球環境の改善につながる崇高な導きがあったはずではなかったか。 ガソリン、電気代への補助金は、こうした環境に好ましい変化を阻害する要因だ。政府と国民丸ごとが「変化」を嫌っているのかもしれない。それでは経済成長しにくいはずである。こうした効果を無視するように、ガソリン価格、電力料金、そしてさらにはガス料金への補助金による抑圧を行おうとしている日本政府は、まるでSDGsなど屁でもないと言いたげではないか。 冒頭の話がガスなので、落語なら「屁が出た」ところでお尻(終わり)にするところなのだが、もう少しお付き合いをいただきたい。 さて、庶民の生活にとって、ガソリン代や電気代の影響は大きい。では、これらの価格上昇を抑えることが適切な政策なのかというと、それはちがう。 結論をはっきり言おう。必要なのは、経済的弱者の生活への配慮であって、それで「ほぼおしまい」のはずなのだ。価格への介入は必要ではないばかりか、有害でさえありうる。 政府はこの点に意図的に「気づかないふり」をしているように見える。一括して問題が片付くのではなく、個別の価格に介入することで仕事を作りたいのだろうか。あるいは、国民を「愚民」だと見切ったのかもしれない。 弱者への経済的なサポートだけで十分 少なくとも、経済的な強者には「本来の価格」に対する適応を求めて構わないはずだ。経済的な弱者に対しては、継続的な減税や現金補填にできるだけ近い再分配政策で生活をサポートすることが望ましい。 ちなみに、「減税や現金」が好ましいのは、価格を考慮した支出選択が可能だからだ。サポートを受けた弱者も、本来の電気代を見て他の支出との比較で節電に努めるのが好ましい。 繰り返す。「純粋愚民国家」ではないはずの日本にあって、本当に必要な物価対策は、実は金持ちに大きなメリットがあり、かつ資源配分の効率性を歪める特定品目の価格への介入ではない。 必要なのは、弱者への経済的なサポート「だけ」であり、それで十分だ。そのほうが資源配分を歪めないし、財源も小さくて済むし、経済成長にもプラスだろうし、地球環境への配慮のアプローチとしても正しい。文句などあるまい。 「バカではない国・日本」では、弱者への再分配によるサポートが適切に行われるなら、それだけでほぼ全ての価格介入政策は不要になるはずだし、ないほうが圧倒的に好ましい。 愚民でないのだから、読者の皆さんはすでに気づいていただろう。 「フェラーリのガソリン代に補助金はいらない!」。その通りである
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